忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2008年 2月 10日(日)午前 8時 37分

 雪が降りました。朝、起きてから、しばらく気付かなかったんだけど、窓の外が白く見えたので、窓を開けてびっくりの日でした。ただ、昼間にも降り、道が歩きにくいったら、ありゃしない。おまけに、全然寝られなかった日でもあり、昼間、予定していた映画を観に行くという予定はやんぺ。昼ご飯を食べるときに、お酒を呑んで、ちょっとでも寝ようという風にしました。ま、効果はあったので、夜の講談会では、寝込まないで済みました。昼間、映画に行けなかった替わりに、数日前に、レンタル屋さんで借りていたDVDを観ることにした。韓国映画の中で、知られたものなのに、黄紺が観てないものを、時間のあるときに観ておくという考えから、DVDを借りてあるのだ。先日も、時間のあるときに、「トンマッコルへようこそ」を観たところだ。昨日、観たのは、「親切なクムジャさん」。両者とも、知られた映画だけのものがあります。「トンマッコル、、、」は、朝鮮戦争に時代をおいて、戦争と平和を考えさせられるほのぼの系の映画、「クムジャさん」は、猟奇的な部分を含む復讐劇。キーワードは、全てが「親切」。復讐をするための手段も、復讐を成し遂げる行為自体も、この「親切」がキーワード。だけど、この2つの映画に共通しているのは、発想の豊かさです。またまた、韓国映画にしびれました。
 ようやく夕方になってお出掛け。映画を、お出掛けまで際どいところまで観ていたので、この日は、韓国料理での夕ご飯は諦めました。お出掛け先は、雀のおやど。「第4回『講談毎日亭』〜如月一週間〜」の6日目だった。この日は、翌日の楽日に向けての伏線を張った日だった。石川五右衛門は、百地三太夫に忍術を使えなくされてしまって捕獲されてしまい、いよいよ釜ゆでの刑に近づきました。「寛永御前試合 土子泥之助」は、御前試合をする際の行司役小野次郎右衛門の紹介、そして、いよいよ御前試合が行われる段取りとなった。じり貧気味の「天満宮霊験記」は、瀬戸内に出たあと、再び陸路に上がり西に向かうが、個々の訪問地は、大幅にカットされ、防府天満宮をだけ詳しく触れ、もう、太宰府に入りました。残るは、飛び梅の話が目玉として残る程度のところまでやって来ています。こういった7日間の割り振りから、1回1回の組み立て、台本、全てを講釈師さんが作り上げるという芸です。これは、すごい芸です。なんか、芸人兼学者という人種だと思い始めています。
 天気予報によると、今日は、昨日と比べて気温がだいぶと上がるようです。それで、普通になるのかもしれません。3連休2日目です。




2008年 2月 9日(土)午前 4時 51分

 いつもだったら、明け方になって目が覚める時間なのに、今夜は、なぜか一睡もできないでいる。これは、まずいと思い、今しがた、日本酒の燗を作り飲み出しながら、これを書いている。どうしたのでしょうか? ま、今日は、土曜日なんで、しかも、休める土曜日なんで、事なきを得るのでしょうが、寝られないというのは、これはきつい話だ。そんなで、起きあがり、今週を振り返ってみようと思うが、今週は、こうと決めたら老いの一徹、講談の続き読みを聴き続けているのだ。今のところ、抜けないで続けている。この根気に、我ながら平伏と言いたいところだが、要するに、おもしろいのだ。だから、欠かせないのだ。場所は、おなじみ雀のおやど。ここで、「第4回『講談毎日亭』〜如月一週間〜」が行われているのだ。続き読みのおもしろさにはまった黄紺は、通い続けているという次第だ。
 演目は、南青「石川五右衛門」、南湖「寛永御前試合 土子泥之助」、南海「天満宮霊験記」となっている。ここまで、月曜日から5日連続で聴いてきたが、その感想めいたものを記しておこう。「石川五右衛門」は、悪党なんだけど、悪の技を磨こうと、欺して弟子入りした百地三太夫に忍術を習ったところまでは良かったが、逆に、百地三太夫に素性を見抜かれ、ベビーフェイスとして行動せざるをえないようにされてしまってるのだ。ですから、勘が狂うというやつで、その上、自在に忍法を繰り出すものだから、ちょっとコミック系の劇画を観ている感じがしてしまうのが、今回の口演と言えるかと思う。筋立ても、オムニバス形式で、一貫性があるわけではない。1つの事件を処理すると、また、他の事件が起こるという具合である。南青自身が、どうやら、脚色までも手を入れながら台本を作ってるようで、大変な作業をしていると評価をするとともに、それはそれで、南青のキャラが出ている、要するに、劇画風味は、南青的趣味の結果かなと思ってしまうのです。昨日の最後に、いよいよ太閤秀吉を狙うという話が持ち込まれて参りました。いよいよ悪党化させられていくという筋立てが見えてきました。大団円とはいかないと思いますが、無事、釜ゆでの刑に辿り着けますか、残りの2日で完結するはずです。
 「寛永御前試合 土子泥之助」、この話が、今回の3人の選んだネタでは、黄紺的には、一番おもしろい。そして、呆気にとられるようなことも起こり、意外性という意味でも抜けている筋立てと言っていい。剣術の達人、諸岡一羽斎の門下に3人の弟子がいた。根岸兎角、小熊之助、それに、泥之助だが、一番弟子の兎角が、どうしようもない性悪。一羽斎の下に立ち寄った荒木又右衛門に、師匠が極意を伝えたのに腹を立て、又右衛門に斬りかかる始末。日向を追われた兎角だが、逃げた大阪でも、又右衛門門下の侠客喧嘩屋五郎右衛門を、だまし討ちにする始末。更に、小熊之助をも斬り、師匠を憤死させてしまう。その仇を討とうと江戸へ向かう泥之助が、なんと、矢橋船内で偶然会った五郎右衛門の息子五郎吉に看取られながら、小田原の宿で、仇を討たないで病死してしまう。これには、びっくり。タイトル・ロールが死んでしまったのですから。ただ、やがて荒木又右衛門の支援を受けて、無事に、四人前の敵討ちを成就した五郎吉が、哀れな最期を遂げた泥之助の名前を継ぐことによって、いよいよ御前試合となっていくところで、昨夜は終わった。
 「天満宮霊験記」は、最初から盛り下がることを承知の上で選ばれた演目。だって、スタートは、讒言によって、流されることが決まっていくところだから、あとは、太宰府までの道のりを追いつつ、各地に残された天満宮の由緒、来歴が披露されるという展開だ。道明寺に伯母の角寿尼に会いに行くところは、ほろりと来ちゃいましたねぇ。昨日は、船が潰れて、大物浦に上がってしまったご一行様が、やがて、須磨の浜から船出をするまでだった。そんなで、最終日には到達するんだろうかと思ってしまうほど、まだ、京都寄りに、主人公らがいます。無事に、太宰府に到着するのでしょうか? 
 あと2日です。講談会と何かと噛ませて、この3連休を過ごすことになるでしょう。幸い、出勤はなく、完全無欠の3連休を過ごせると思っていたら、寝れないのです。息子が、15日からチュニジアに行くと言ってます。とにかく、アフリカに行きたいというので選んだのが、チュニジア、なんでやねん? サハラ砂漠と、カルタゴは、はや押さえていましたから、ま、チュニジアへ行く最低限の資格はあるようです。黄紺の春は、まだ、押さえてません。復活祭が、3月23日ですから、それに合わせて日本を出れるので、ま、カトリックの国に行くことは決めています。ですから、自分的に考えていたボスニア紀行は、お流れです。サラエボのバシュチャルシュの雰囲気って、トルコのまんまやと思ったら、やたら行きたくなったのですが、復活祭には、個人的には勝てないのです。




2008年 2月 4日(月)午前 7時 34分

 昨日は、繁昌亭の昼席に行ってきた。これは、この1週間、笑福亭三喬が、第一回繁昌亭大賞受賞記念として、トリを取っているからである。確か、前の席亭さんのときにトリを、1度取っているはずだから2度目のトリというのが事実だと思うが、ま、今回は受賞記念ということだったので覗いてみた。三喬は、既に、次回のトリとしての出番が決まってるほどの地位を手に入れています。受賞が後押しをしたという印象は、確かに濃い。一時、私は、三喬を指して、「将来の名人候補」と断言していた噺家さん。ただ、最近は、少々評価を落としてます。それは、盗人ネタは、天下一品なんだけど、それ以外のジャンルとの差が大きいなと思うからなのです。ということで、さて、今日は、なんでしょうかということは、あとにして、本日の番組から記しておこう。吉の丞「刻うどん」、染弥「ふぐ鍋」、うさぎ「動物園」、豊来家玉之助「太神楽」、団六「初天神」、文福「相撲甚句&酔っ払い」、(中入り)、風喬「花色木綿」、鶴志「平の陰」、幸助福助「漫才」、三喬「三十石」ということで、おなじみの無難なネタが続きすぎたあと、どっかーんと「三十石」でした。今日は、正に大トリの日に、この大ネタを持ってきてくれたことに、まずは心意気を感じましたが、出来は、やはり気にしていた通り。盗人ネタじゃないと満足できない。舟待ちする客に乗船名簿をとるところはいいとして、お女中の部分ですね。決定的に老女のキャラが出っきらない。まだ、のろけめいた話の部分はいいとしても、それを突っ込む男たちの賑やかさとかが物足りない。しびんを押し頂くのも、わいわいがやがやが物足りないんで、なんか拍子抜け。それに船頭さんの田舎言葉に、粗野さが足りない。見送る女郎との野卑さ、粗野さが欲しいね。なんか、後半が不満に告ぐ不満。となると、そのあとの舟歌に期待がかかるんだけど、時間の経過をも示すゆったり感に不満。幕内からの舟歌は、風喬なんだろうが、もうちょっと練習しておいて欲しかったですね。せっかくの意気込みを感じるチョイスだったんでしょうが、どうも物足りなかったのです。三喬以外では、とにかく鶴志が、やっぱ  すごすぎます。遊び心満載の余裕の口座。もう、貫禄としか言いようがありません。玉之助もいいですね。新しい技の仕込みがあるばかりか、繁昌亭オ−プン以来場数を踏んで、自分なりのおしゃべりを掴んできました。更に向上してくれるのではと期待できるに十分な舞台でした。そして、漫才さんのレベルの高さに驚きです。あまり売れてない人でこれやから、底上げはすごいものがあるなと認めざるをえません。それ以外では、風喬の口演のはっきり感、団六や文福のあとだったので、一服の清涼剤に映りました、黄紺の目には。吉之丞は、一人ヴァージョンで、吉朝のネタを、着実に受け継いでくれてます。
 日本橋のネットカフェで、時間調整をして、夜は、講談会のあるワッハの4階に行った。南陵一派の会で、「第40回日本一亭・南陵会」という会だ。初めて覗いてみた。ワッハでは、初めてとかで、客の入りが、わりかし入っていたんじゃないかなぁ。番組は、南陽「梅花折り取り」、、小二三「上田城合戦」、南半球「那須の与一」、太平洋「北辰斜にさすところ〜先輩〜」だった。南陽と小二三は、二人で会をしているので、聴いたことがあったが、残りの二人は、黄紺的には初物であった。残念ながら、南半球のところで、ダウン。初物が、こんな具合で、反省。なかで、一番、印象が残ったのは、太平洋。キャリアが違うなぁ、これに尽きます。ネタも、映画の前宣伝的な要素かな、これを聴いて、映画を観に行ってくださいと言ってました。時間切れなんで、ここまでで、おしまいです。




2008年 2月 3日(日)午前 6時 33分

 昨日は、時間が十分あったのですが、映画を観に行くことも考えていたのですが、家でHPをいじることの方を選びました。そのときの気分次第です。おかげさまで、気になっていた「カルス写真館2」作りかけを、完成させることができました。そんなで、午後からのお出かけとなりました。行き先は、門真のルミエール・ホール。ルミエールでの会に行くのは、半年ぶりくらいでしょうか? 「るみえーる亭〜上方らくごの会〜」という会が、定期的に開かれているのです。ここへ来るたびに思うこと、ちょっと品のない年寄りらが来るところやなぁということ。始まる前が、やかましい。それに、毎回うんざりする。若い連中は来にくいところだということを、待ってるときに必ず思い出します。場所はいいんだけどね。ただ、黄紺は、番組がわりかしいいものが組まれるので、よく覗きます。で、この日の番組は、二乗「牛ほめ」、文昇「書割盗人」、小春團治「禁断の宴」、松枝「三枚起請」だった。お目当ては、後ろの2つだが、文昇が、思いの外さばけていて、ナチュラルな口演になっていたのが印象的。なんか、文昇と言えば、照れらしきものが潜む雰囲気だったのが、消えていたのだ。二乗も、当然の如く快調だったから、その心地よさが持続され、お待ちかねの後ろの2つに見事に繋がった。そして、この落語会の秀逸は、小春団治の新作がいい出来だったこと。そして、それが、番組自体に、とってもいいアクセントになっていました。なんせ、このあとに控えしが、名作「三枚起請」だったのですから。小春団治の新作がいいところは、二重にも、三重にも、噺が絡み合ってくること。単線的じゃなく、複線的に収斂し、まとまるかと思いきや、どでんと逆転のサゲです。してやったりでしょう、これは。「アーバン紙芝居」を続けて聴いていた身には、とっても口直しになりました。そして、松枝。このネタは、松枝では、確か2回目だけど、見事なグレードアップです。喜六の抜けの描写が、ホントに素晴らしい。思わず、都の「初天神」んお虎ちゃんを思い出すほど、値打ちのある喜六です。目に当てて起請文を確認する姿も、クレバーな松枝ならではの演出。そういった風に、以前、見受けられなかった演出が顔を出し、もう、目が離せない出来に変身してました。松枝最高の逸品です。
 夜は、繁昌亭での「笑福亭福笑一門会」、お待ちかねの会だ。開演が、6時半だったもので、南森町のネットカフェで、この日も、いい時間潰しができました。福笑一門と言っても、2人だけしかいないわけで、今年は、2人だけで4席、だけど、6時半に始まって終演が9時を回るという大変濃〜い、もちろん中味こそが濃〜〜〜い会だった。チケットも早くから完売し、立ち見も出る盛況。そして、その客席から悲鳴も出ようかという大爆笑に、2人ともどもさせてくれるのだから、怖ろしい師弟だ。いや、そんなことが分かってるから、これまた濃〜い落語ファンが詰めかける会なのだ。さて、その番組は、たま「不動坊」、福笑「ないもん買い」、(中入り)、たま「蛸芝居」、福笑「宗教ウォーズ」と、前後半2席ずつ。まず、いきなり「不動坊」というところで、異例の幕開き。しかも、あとから出てきた福笑が、「あいつ、43分もやっとった。今日は、はよは帰らせませんでぇ」という幕開きなんだから、最初から全開も、いいとこ。マクラは、変な後輩たちの話。ネタは、紅雀と双璧のテンポのいい展開。気になっていた寒がりようも、以前に比べて抑え気味。この日ので十分だと思います。十分手の中に入った作品だということは、難波神社の南青の会で、認識。その意識で進行させる内に、口の回りがついていかないのか、時々噛んでいたのが意外でしたが、そんなのは小さい。反応のいい客席に、ツボツボが心地好く決まっていきました。鉄瓶下げるのも、風呂の中で隣の人に、つまらん問いかけをするのも、うんこまで屋根の上でしてしまうのも、流れの中で節目をこさえていきました。「ないもん買い」は、福笑では、恐らく初物でしょう。若い頃に聴いてる可能性はあるかと思いますが、黄紺の記憶には残っていません。マクラでは、船場吉兆ネタをするつもりで用意していたら、農薬入り餃子が出てきて、そんな場合ではありませんと、政治ネタ、社会問題ネタをマクラで、たっぷりと振ってくれるお得意のパターン。肝心のネタは、福笑にしては、古典を型どおりに演じてくれたと言っていいでしょう。客席も、このネタの展開に、最初は慣れていなかったようだが、パターンが判ってくることによって、温まっていきました。このネタでは、福笑のパワーを感じるというのではなく、しっかりとした古典の素養を浴びるという感じだったと言えばいいかと思います。そして、中入り後で、この師弟の凄まじさは、より炸裂していく。「蛸芝居」で、パワーを感じさせるのだから、これからして、凄い話。三番叟の場面はカットからスタート。丁稚のこまっしゃくれたキャラはおいといて、芝居に狂う変さ、おたくっぽい雰囲気すら醸し出す演出と言えばいいかな? そして、芝居の部分を、敢えてくさく演じるように心がけるというたま流演出。その白眉が、最後の、旦さんと蛸の死闘。劇画タッチに、たっぷりめにこの死闘を演じてくれる。鳴り物も、きっちり濃いめの演出に、見事合わせきった。以前観たときよりも、濃いめに仕上がっており、コンセプトが、より明確になったと言っていいでしょう。客席は、ひーひー言う喜びよう。その悲鳴を、更に増幅させてくれたのが、福笑。なんか、ハリウッドの大金をかけた一大スペクタル映画を観ている気分になりました。ネタは、いわゆる宗論なわけだが、もう過激過激。様々な武器が出てくるわ、挙げ句の果てには、仏寺目指して、神社側が落下傘部隊まで降下させるという過激な噺。それを、天満宮の境内内でやっちゃうわけですから、もう、凄まじ過ぎます。以前に、1度聴いたことがあるんだけど、ここまで過激だったかなぁ。イラク情勢が展開していく中で、そこでの戦法が取り入れられたりで、過激度は増すばかりです。いやぁ〜、堪能させてもらいました。ホントに凄まじい会でした。期待して行き、そして、その期待に、いや期待以上の高座を見せてくれる師弟、ホント凄すぎる師弟です。
 そんなで、昨日は、昼のルミエールの会といい、夜の繁昌亭の会といい、めちゃくちゃ充実した会でした。ここまで堪能して怖いくらい、落語って、ホントおもしろい。




2008年 2月 2日(土)午前 5時 25分

 ついに観ました「桂川連理柵」。昨夜は、NHK大阪で催された「おおさか・元気・文楽」公演に行ってきたのだ。嫌なばはあのおとせっちゅうのは、こいつで、日本一の貞女お絹さんは、なるほど男にとってはありがたい貞女だし、仏の寛斎は、なるほど人ができてる。とまあ、落語「胴乱の幸助」で語られる台詞が、丁度頃合いの指針となりました。だけど、納得がいかないのは、残されるお絹さんのこと。長右衛門って、結構遊び人なんやということ、お半との過ちも、そういった遊び心があればこそじゃないかえと思ってしまうと、「お半長」の「半」には同情しても、「長」の方には、脇が甘い人間が、自ら呼び込んだ不幸のようにしか思えませんでした。だから、長右衛門をかばうお絹さんが可哀相、可哀相過ぎるのです。日本一の貞女などという言い方だけでは言い尽くせない気の毒なお人です。そのお半は14歳ですから、長右衛門との過ちで子どもができたことを指し、「胴乱の幸助」では、「なんと、ませた女や」と出てきますが、としわもいかない女の寝間に入り、過ちを犯した長右衛門に、まず問題があると思うんだけど。40前の分別盛りやのにと、「胴乱の幸助」では言っています。最後に、桂川で心中をする二人の必然性というのを、この浄瑠璃を聴いた当時の人は、どう感じたのでしょうか? とっても気になっちゃいます。恋い焦がれて、どこまでも落ちていく、、、という感じの心中じゃないですからね。ここでも、長右衛門の身勝手さ、人としての甘さのようなものを感じてしまうのです。これじゃ、可憐なお半、最後まで長右衛門に遊ばれたって感じがしてしまいます。いろいろと考えた演目でした。また、4月に観れるので、そのとき、再度検証します。




2008年 2月 1日(金)午前 7時 29分

 2月に入った。ぼちぼちと春の旅行のことを考えている。方面は決まっているが、行き先の特定までは至っていない。絞ったところがあるのだが、どうも受け入れ態勢が不十分だということが判ってきて、立ち往生状態なのだ。ま、それはおいておいて、火曜日からの夜遊び記録を書いておく。
 火曜日(1/28)は、夜遊びに行くところに困った。幾つか、そそられる落語会があったからっだ。ワッハの4階では、まん我の会が、雀のおやどでは、二乗の会、1度中に入ってみたい、新世界の「将棋の王将」では、八天の会、それに、定番の天満講談席、、、これは、まいりました。結局、迷いに迷って、京都府立文化芸術会館の3階和室であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行った。なぜ、こちらをチョイスしたか、深い理由はない。最近、京都の落語会に行ってない、文我を聴いてない、単に、その辺の理由だけだ。こういった日もあるものです。この会は、京都でありながら、いつも帰りが遅くなる。それだけ、たっぷりと落語が聴けるのだ。この日も、中入り時点で、9時15分、2時間15分も経過していたのだ。その番組を記しておくと、ひろば「狸の化寺」、文我「池田の猪買い」、つく枝「けんか屋(仮題)」、文我「立ち切り線香」、(中入り)、文我「猫の災難」、、、なるごど、長くなります。ひろばからして、いきなりのネタじゃありません。久しぶりに聴きましたが、粗野な荒くれ者らが登場人物なんだけど、その辺が物足りないですね。それと、いい間違いとか、瞬間的に、言い淀む部分も気になりました。こういったネタは、今のひろばの位置からすると、なかなかかけにくいとろころですが、機会を増やして慣れて欲しいと思いました。ただ、判で押したように入るくすぐりが、全部決まっていたのが好印象です。つく枝は、もうキャラ全開で、曲者振りを存分に発揮しました。こういったところが、いろんな会に呼ばれるわけなんでしょうね。「けんか屋」は初物。出てくる内容からして、新作ですね、これ。けんかを買う男のキャラ、それを買う、キャラの異なる人物像を、巧みに描き分けるのは、もう、つく枝にとっては、朝飯前ってところで、なかなかいい仕上がり具合でした。で、主宰者の文我だが、この人の場合には、いろんなネタが頭に入っているが、その引き出しからの出し具合によって、全然、出来が違ってくる。その出し具合というのは、高座にかける頻度とか、ネタ繰りが、ここまでそれだけの時間をかけてるかによって決まってくるみたいなのだ。そういった意味では、「立ち切れ線香」が、最高の出来。朋輩集の登場が、ちょっとごっつすぎたかなと思うのと、うなだれる若旦さんの動きが、ちょっと機械的だったかなと思うのが、惜しまれるところぐらいで、それも、贅沢なおねだり的な内容だ。「池田の猪買い」も、同様の出来で、猪を買いに行く男のちょかぶりが、とってもおかしくて、おかしくって。そのおかしさって、男がちょかをするのを、六太夫さんの方が、いい突込みを入れるから引き出されてくるという感じで、グレードの高さを感じました。ただ、文我の悪い癖も出ました。この人、気を使うんですね。そのため、でこぼこ道にしてしまうときがあるのです。古い言い草を、言い換えるのです。これは、余計なことです。もう雰囲気で、風のように言葉は浴びることの方が大きいのに、やっちゃうのです。この日は、このネタで出ました。そして、最後のネタは、35年ぶりくらいじゃないかなぁ、実演では。短いので、ホント、こういったときくらいしか接することのできないネタです。その昔、京都会館第2ホールで聴いた「米朝独演会」以来です。
 水曜日(1/30)は、イスラエル映画「迷子の警察音楽隊」を観に行った。評判通りの内容ではあるのですが、何やしら物足りないのです。もうちょっと描ける素材は残ってるだろうと思うのです。僅か1日、いや半日のドラマなんだから、そんなにたいそうなことは起こらないだろうし、何やらたいそうなことが起これば、ぶち壊しになるっちゅう映画なのは、もちろんわかってはいるのですが、時間が短い分、使える登場人物を使い切っていないというところですかな。音楽隊のメンバーに、もうそっとキャラを加えたり、夫婦喧嘩をして気まずい雰囲気の家のところも、ひねりが、もうちょっと欲しい。でも、いい映画です。記憶に残る場面も、幾つか用意されてるます。恋の指南をする場面、隊長さんと女将の関係。ベンチに座り、隊長さんが話し出す場面、いいですね。公衆電話前で、恋人からの電話を待つ男と大使館に電話をする男が対峙する場面、、、。前評判が高いからか、客席は、かなり埋まっていました。イスラエル映画で、こないに入るって、これは驚異以外の何物でもありませんでした。この映画は、パレスチナ問題を背景に描かれてるからこそおもしろいのですから、そういったことを理解した上でしか、観に行こうというモティヴェーションは生まれないはずですからこそ、やっぱ驚異なんです。
 木曜日(1/31)は、ここまで忙しくって、家の用事を全然してなかったもので、朝、それを片づけてからの出勤を考えて、それを実行したら、考えていたよりか倍の時間を要し、結局、前半休をとるはめに。この日は、こんなことばっかの日です。で、夜遊びは、この日もワッハの4階。「つくしんぼ落語会」があったのだ。人気の噺家さんなため、もうこの会場では無理じゃないかと思うのだが、今回も、ここだった。番組は、さん都「動物園」、つく枝「京の茶漬け」、染左「厄払い」、(中入り)、つく枝「植木屋娘」。何が凄いかというと、この日の「植木屋娘」は素晴らしかった。幸右衛門の破天荒ぶり、親バカぶり、これが、もうこれ以上の描き方は想像できないほどのもの。でも、これが良ければ良いほど、サゲが気になる。そして、そのサゲは、本来のものを使用。なれば、悲しさだけが残る。ホント、後味の悪い作品だ。なんで、この作品が残ってきたのでしょう? 食物シリーズということで、「京の茶漬け」を試みたのでしょうが、つく枝には、こういった皮肉な作品は、やってほしくないな。もっと素直な、爽やかな作品、素朴な作品を、やって欲しいな。染左やさん都は、気の毒としか言いようがない。なんだ、この客はという反応ぶり。いい出来だったと思います、二人とも。一つだけ文句、染左のサゲの扱い。あまりに古臭いということで変えたのでしょうが、この噺自体が、民俗資料的作品なんだから、そんなに怖じ気つかないで、正攻法でやってほしかったな。そんなで、帰路に着いたのですが、それが、また大変。香里園駅での人身事故で、55分の停車。まいったなぁ、これ。幸い、座席に座れてたので助かりはしましたが、これは、まいりました。午前中の時間的ロスといい、ここでのロスといい、ずっと、こんな1日でした。
 今週は、ちょっと気楽な週ですので、朝1時間の時間休をとり、ゆっくり目の出勤をしている。昨日、今日と、家で「ちりとてちん」を観てからの出勤としている。




2008年 1月 29日(火)午前 6時 1分

 昨日は、ホント寒い日だった。黄紺のいる職場は、別棟に行こうとすると、一旦、外に出なければならないので、凍えてしまう。手にマヒのある黄紺は、一旦外に出ると、手の動きが悪くなるので、その都度、ガス・ストーブのあるところまで行って、手を温めなければならない。そうなんです、エアコンだけでは体に温もりを得られないのです。すごいところで働いているものです。
 そんなで、昨夜は、最近、よくおじゃまをするワッハの4階に行ったのだが、職場が寒いので、時間潰しに、ネットカフェに行って体を温めていたくらいです。情けない話です。そんあで、ワッハで行ったのは、「第3回はるなんせい」という春菜と南青の会だった。昨日は、講談師の南青が落語を、落語家の春菜が講談をするというので、これは行かなくっちゃの気分で覗いてみた。特に、南青の落語に関心があった。で、その番組だが、南青「持参金」、春菜「大坂城の残念石」、(中入り)、南青「大名将棋」、春菜「ふぐ鍋」となった。南青の落語、まず、ネタが気になっていたが、予想だにしなかったものが出てきて、まず、びっくり。語り口は、本格派の雰囲気。ただ、このネタでは、ちょっと重いか。それは、なかでも、間を、懸命に考えながら演じているという感じで、ときとしては、その間が邪魔になることがあるのだ。流れを止めてしまうという感じになるところがあるのだ。講談と落語の違いを、特にそこんところに設定してるなという雰囲気を味あわせてもらっただけでも、ラッキーだった。逆に、春菜の方は、軽い。落語家のまま。いや、この語り口だったら、いっそのこと、このネタを、落語化して演じればいけるかも、、、ただ、ちょっと地噺にはなるかもしれないけど、「荒茶」や「鼓ヶ滝」なんてのが、落語として演じられてることを考えると、このネタ、十分いけるでぇと、思わぬ副産物に、にっこりでしたが、春菜自身が、それに気付いてるかどうかが問題です。後半に入ると、さすがです。前半があったので、余計に安定感を感じさせてもらえました。殊に、南青のこのネタ、確か3度目だと思うのですが、うまくなってますね。たたみかけるタイミング、一気呵成の口演、グレードアップが、すごいわ。ホント、伸び盛りとは、このことです。
 若い女性で、会場の匂いまで変わってんじゃないのかと思うほどの雰囲気。さすが、イケメン同士の会でした。帰りに、某所で、ばったりと知人と会いました。こないだ内から、この某所を通る度に、軽くは声を掛け合ったいたのですが、相手は、仕事中だったので、ゆっくりとは話せてなかったのです。昨日は、その職場の横だったもので、こっそりとお喋り。そしたら、衝撃的な話を聞かされ、しばらく心臓が、ばくばくしちゃいました。この知人、たいそうな病気に罹り、知らない間に3度も入院をしてました。本来の仕事を、一定期間禁止された程というのに、一番衝撃を受けたのです。だから、この某所を通る度に見かけることができたのです。黄紺よりか、遥かに若いこの知人のこの話、若いが上に、堪えてしまいました。




2008年 1月 28日(月)午前 6時 35分

 新たな週明けを迎えたところで、お出掛けまでに若干時間があるので、昨日の記録を認めておくことにする。
 昨日は、実にタイトな時程をこなし、3部制に見事に成功したのだ。その時程を、まず記しておこう。@七芸でフランス映画「アヴリルの恋」(12:45〜14:37)A敷島シネポップでオーストリア映画「ヒトラーの贋札」(15:20〜17:10)B繁昌亭で「かい枝・吉弥のビギナーズ・ラックvol.6〜Mouth To Mouse〜」。@とAの間が47分、AとBの間は50分という、すっごいスケジュールを組んでしまったのだ。最初は、Aを省く予定だったが、ま、チャレンジだけはしておこうと試みて、見事に成功したのだった。
 映画「アヴリルの恋」は、外界を知らない修道女が、外に出たらという、ちょっとべたな筋立て。そして、べたに教会の古い体質をこけにするという、想定通りの展開なのですが、ちょっとした工夫が、筋立てに盛り込まれていたり、その修道女を迎える3人の男が、根は真面目で、無垢な修道女を、しっかりと受け止めるというのがおもしろいというか、不思議なところ。悪意がないという清らかさみたいなのが、修道女に対峙するに足る清らかさのある男どもという設定が、おもしろいのです。ちょっといまどきの映画じゃないっぽい臭さみたいなのを感じたとき、これって、韓国映画っぽいじゃんと思ってしまいました。全国で3館だけ、七芸では、日に1度だけ上映されるという映画です。なんか、ちょっともったいない感じがする映画だとは思いました。
 映画「ヒトラーの贋札」は、ユダヤ人収容所をユダヤ人側から描いたもので、ナチスが、贋札作りをユダヤ人技師にさせていたというのが、この映画の切り口です。原作は、映画にも登場してくる印刷工の書き残したものです。重たい映画です。でも、映画なんで、フィクションの部分もあるようですが、日本も、こういった映画を作らなきゃあかんなと思いました。自国民が犠牲になる映画は創るけど、こういった映画は創らない。ナチの連中の暴力性も気分が悪くなるほどですが、実際、そうだったんだろうと思うので、観ないとと思うのです。いろんなマスコミで取り上げられているので、目に触れられた方も多いでしょう。黄紺も、その一人で、観に行った次第です。
 繁昌亭は、いっぱい。大変な人。ちょっと客足が落ちかげんであった会が再生です。やっぱ、「ちりとてちん」効果でしょうね。いつものように、古典を1席ずつ、新作ネタ下ろしを1席ずつというのが、番組だった。かい枝「手水廻し」、吉弥「ねずみ」、(中入り)、吉弥「チュウチュウトレイン」、かい枝「ミッキーの夢(仮題)」、かい枝・吉弥「対談」。「手水廻し」に先立ち、いつものマクラをふり、客の様子を探るかい枝、だが、あまり暖まらないままネタへ。寺での問答を入れ、逆に、報告の場面をカット。長頭を示す工夫が冴える。手で、何度も長さを示すために、長頭をさする様子がおかしい。ただ、こういった工夫などが生き、手慣れたネタという感じとともに、手だれた感もしました。新作が気になるのか、客の反応に合わさったのかは定かではありませんが、口演の覇気などにも現れていました。吉弥が「ねずみ」をするのは知らなかった。岡山版での口演。子どもに、もうちょっと色合いがでれば、いいのですがね。しっかりとした語り口、ドラマを感じさせる語り口、何をとっても、本格派間違いなしです。新作は、2人ともいいものでした。テーマは、「ねずみ」とかで創られたものとか。出番は、本当は、吉弥がトリだったそうですが、仕込み切れてないかい枝を、トリに回したと、吉弥は言ってました。吉弥の新作は、地下鉄ねずみ線開通直後に乗ろうとした男に、地下鉄職員が案内役をかうという、地下鉄旅ネタ風情。その途中で起こる、不思議で、けったいな出来事を扱う。かい枝の方は、デズニーのキャラにも日常生活があり、夢があるというもの。ミッキーはミニーと夫婦漫才がしたかったのだそうだ。発想がおもしろく、吉弥のネタともども、残して欲しいですね。最後の対談は、かい枝はNY公演、吉弥は、「ちりとてちん」の舞台裏を写真に撮り、それをネタにトークをするというものでした。
 ここで、時間切れ。お出掛け準備に入ります。




2008年 1月 27日(日)午前 9時 25分

 土曜日、働いたあと息子と呑んで、まだ、ちょっと残ってるかなの雰囲気のある日曜日の朝だ。先週は、きつい週でした。黄紺が、年嵩がいってるからだけではなく、正真正銘きつかったのだ。そこへ、大きなおまけが、土曜出勤だ。まいりました。だから、息子との酒は、自分的に、ご苦労さん会となった次第だ。ま、そういった文句はおいておいて、水曜日からあとの夜遊び記録を認めておく。
 水曜日(1/23)には、東梅田教会であった「まるまる出丸の会」におじゃまをした。これは、ちょっとした失敗の結果と言うと、出丸さんには申し訳ないのだけど、直近になって、南華さんの会があるという情報が飛び込んできて、正直言うと、そちらの方にそそられてしまったのだが、既に、予約のメールを入れていた関係で、こちらに行くこととなった。番組は、とま都「煮売屋」、雀五郎「看板の一」、出丸「ふぐ鍋」、、都丸「読書の時間」、出丸「たちぎれ線香」だった。とま都の出演は、発表をされてなかったのだが、10分前にトイレに行こうとすると、出丸さんが、「開演が早まります」と一言、目の前にとま都くんがいたので、納得でした。出番がなくとも、こうやって経験を積ませていこうという師匠、一門の配慮なんでしょう。肝心のとま都くんは、最初は、小拍子を打つのも危なっかしい緊張ぶりだったが、徐々に調子をあげ、本来の力を見せてくれてました。なんせ、この日は、100人ほどの入りだったのですから、緊張しないわけはありません。とま都くんから、雀五郎に変わると、途端に落ち着きが出てくる。前座がいたからでしょうか、雀五郎が、珍しく世間話的なマクラをふってネタに。しっかりと人物を描き分け、はっきりとキャリアの積み上げを見せてくれる好演。この人の会には、一定客が詰めかけるだけのことはあります。ゲストの都丸は、ちょっと風邪気味なのか、長いマクラをも含めて、切れ味に欠ける口演。ま、こんなときもあるわねって感じです。頑丈そうに見える都丸と雖も、こないなときがあるのでしょう。そして、主宰者の出丸、申し訳ないのですが、肝心の肝心の「たちぎれ線香」が、飛び飛びにしか記憶がないのです。疲れのピークで、トリのここまで体力が持たなかったというのが、正直なところです。一方、「ふぐ鍋」は、定番のところ。安心して楽しませてもらえました。こういった手塩にかけたネタは、しつこくなく程よいところで切り上げてくれるので、爽やかに楽しめるというものです。
 翌木曜日(1/24)は、ワッハの4階であった「らくご道」へ行きました。まず、受付で、雪の中の成恩寺での会に行ったことにお礼を言っていただき、黄紺の方からも、「須磨の浦風」という珍しい噺を聴かせていただいたお礼などを言いました。この日は、通の方は、たまの秘密の会に行かれていたようで、こちらはお休み。ちょっとこの会にしては、空席なんかができていました。番組は、生寿「胴斬り」、生喬「鰻谷の由来」、こごろう「二番煎じ」、(中入り)、対談「夕焼け日記」だった。生寿くんは、線が細いところへ、師匠の豪快な語り口を受け入れているので、いつも、聴いていて居心地が悪くなる。ま、その内に、その辺の調整は図っていくことでしょう。今は、修行中の身ですから、まず、受け入れることから始めねばならないでしょう。生喬は、松喬らの芝居出演から、自らも東京での公演に出演する話を長々とマクラで。こんなのがいいですね。ご自分の会だからこそできることですもの。「鰻谷、、、」は、自分的には、円都師以後では、生喬が手がけるまでは、聴いたことのなかった珍品。あとの対談では、現染丸師もネタにしてるということでした。生喬自身は、円都の音源から覚えたということでした。黄紺の予想は、的中しました。この間、繁昌亭でも、生喬は、このネタを出しているのを聴いていますから、あらためて書くことはありませんが、こういった貴重なネタを継承していこうという気概のある人ですから、ホント、拍手を送りたいですね。そんなですから、この日のお目当ては、こごろうのこのネタ。こごろう得意の、わいわい、がやがやしているいちびり男たちのアホたんな噺という雰囲気は、やはり、このネタでも健在。だから、欲が出てくる。このネタのキーパーソン、宗助はん、これを意識しすぎましたね。もうちょっと抑制した方が、天然ボケ的な、いじられキャラの可笑しさが増すような気がしました。また出てくるぞ、また出て、、、じゃなくって、あっ、宗助はん、また、あんたやったんかいな的雰囲気の方が、絶対、可笑しいのだ。そして、わいわいがやがや的雰囲気が良すぎて、侍も、それの雰囲気に呑まれたかなと感じました。ここにも、抑制の効果というものを考えて欲しいものです。難しいところです、ここは。なお、こごろうは、このネタは、師匠の南光からつけてもらったものとのことでした。いや、上方で、このネタは、南光起源じゃなかいと言ってました。都丸も、南光からもらったものだそうです。で、その南光が、二代目春団治の音源を基にしたんだろうという話は嬉しい情報でした。この話は、耳がダンボになる話で、そう言えば、二代目春団治の「二番煎じ」の音源が、朝日放送に残ってるような気がしています。二代目春団治の音源には、高校生の黄紺がしびれた経験のある思い出深きものです。「二番煎じ」をするもう一人の大御所五郎兵衛師は、自身、直に師匠から教わったものなのでしょうか? 中入り後の対談は、当日のネタに関しての話が出たあと、2人の所属している松竹芸能と米朝事務所の比較なんていうコアな話で、大盛り上がりでした。
 金曜日(1/25)は、自宅静養の日。もう、8時半頃には、ダウンしておりました。そして、昨日土曜日は、息子と呑んだ日。「子どもは、親よりか自由でなければならない」と言っても、親を気遣う息子なのですが、親としては、息子の将来に不安を感じてしまうのでした。そうそう、トルコ友だちの無礼者氏からお手紙。無礼者氏からのお誘いには、ちょっと乗れませんな、最早。お金に関しても無礼であっては、冗談で、無礼者氏とは言えるものではありませんから。声を掛けられてるだろうアイシェ・ハヌムも、恐らく困ってることでしょうね。




2008年 1月 23日(水)午前 6時 15分

 昨夜は、講談の日でした。黄紺は、週明けから、ハードな仕事で、もちろん黄紺にとって、そう感じるということですが、へばっています。どこかで、休養をとらないと、1日がもたないって感じです。完全に、腰に来ておりますから、必要以上に疲労を感じているのでしょうが、、、。そんななか、講談会に行くと、超危険なのだが、前半は全う。後半の後半まで大丈夫でしたよ。それは、ひとえに南海さんの講談に引き込まれるからということです。
 その会というのは、谷六の薬業年金会館で開かれた「第126回旭堂南海の何回続く会?」だ。1人で、1時間半、読み続けるというすっごい会なのです。この日は、前回まで読み続けられてきた「浪花相撲美談・関取千両幟」が終えることができなかったということで、その大団円を、前半に、と言っても丁度1時間の口演。後半は、新たな続き物の「幡随院長兵衛〜関西漫遊〜」の口演となった次第だ。「関取千両幟」は序盤を居眠りしながら聴き、こないだのワッハの会で、病気の部分を聴き、そないな感じだったのを復習させてもらって、最後の締めを、この日聴いたことになる。居眠りのときは、も一つの話だと勝手に決め込んでいたが、とんでもございません。松吉さんの心意気、気に入ってから、俄然、気に入ったお話です。ちょっと終わり方が、無惨な部分があり、大団円とは言い難いのが惜しまれる筋立てですね、このお話。一方の、「幡随院長兵衛〜関西漫遊〜」は、無理やり、幡随院長兵衛を関西に持ってくるきっかけのようなところは、ばっちりでしたが、そこでダウン。ま、これだけ聴いておけば、次回、つないでくれるでしょう。てなことで、満足度高しの会でした。




2008年 1月 22日(火)午前 6時 14分

 週明け早々からお疲れなんだけど、12時を過ぎても眠たくならないので、こちらに書こうかという気になってしまった。なんか、変な日だった。雑用ばっかが多くて、気が付くと、腰が上がらないほど、疲れが溜まっていたのだ。一瞬、予定していた落語会に行くことを諦めようかという考えが、頭に流れたほどだった。最後は、根性だね。気合いです。行くなら行くんだという気合いですね、夜遊びというのは。
 結局、ワッハの4階であった「久々の紅雀と阿か枝」に行ったのだ。そして、今は正解だったと思っている。「売名高座」という会を捨てて、こちらに来た先見の目というものだ。番組を書いておくと、三四郎「犬の目」、紅雀「八五郎坊主」、阿か枝「勘定板」、(中入り)、阿か枝「播州巡り」、紅雀「不動坊」となるが、阿か枝は短めなネタを並べながらも、また、貴重なものをチョイスしたものだと、感心、感激だ。殊に、「播州巡り」は、福笑一門が、受け継いでると認知している程度で、他では、まあ、聴けないもの。阿か枝は、明石出身で、家の近所が出てくるというので取り上げたということだった。「駄洒落ばっかりですよ」「はいはいという感じの」、これがおかしく、結構受けていました。「勘定板」は、こぼれんばかりの糞尿譚。いつも以上に、臭ってきました。一方、紅雀は、絶好調。いいなと思いながら、「八五郎坊主」は、こっくり来てしまったのだが、「不動坊」は、素晴らしい名演と言って間違いありません。まず、軽快そのもの。利吉になりきり、徳さんになりきっている。これだけ、自然に、ちょっと早口で言葉が流れるように飛び出すと、そうとしか思えません。それに、お茶目な仕種を入れるものだから、どっかん、どっかんと凄まじい受け方。今、一番いい「不動坊」かもしれません。
 とまあ、1日5席を聴くと、さすが、いつもよりか1台遅い京阪特急になってしまいましたが、大満足の会でした。いつしか、疲れていること、忘れさしてくれましたからね。この千円は、安いわぁ。結局、途中まで書き出して、ダウン。朝になってからのアップです。




2008年 1月 21日(月)午前 5時 5分

 日曜日の昼下がりから夜にかけて、かなり満足度の高い落語会2つを楽しみました。まず、午後の部は、生野区の成恩寺というちょっとアクセスの悪いところで行われた「生野弁天寄席〜成恩寺若手落語会〜」に行ってきました。ただ、いかにも寒い午後で、丁度、寺田町駅を降りたあたりから、冷たい雨が振り出し、駅から遠い会場を、この日だけは恨みました。この会は、笑福亭生喬の勉強会。これで、2度目のおじゃまである。番組は、二乗「正月丁稚」、生喬「無いもん買い」、(中入り)、福矢「いかけ屋」、、生喬「須磨の浦風」だったが、最後のネタ下ろしには、びっくり。これだけネタ出しなしだったのだが、まさかまさかのものだった。正直、土産のマクラをふって、いきなり、「紀州公が、、、」には、びっくり仰天でした。これで、小春団治、染雀に次いで、3人目となります、このネタをするのは。福笑が、第2回目を予告した「糞尿落語会」の準備なのでしょうか? 夏の噺を、この時期にして、人の手をつけない噺をするのはと思ってしまいました。でも、笑福亭の噺を、掘り起こそうとする心意気に共感しちゃいます。生喬は、「上方ばなし」を基に覚えたようなことを、終演後言ってましたが、今回の公演は、どうもエッセンスに絞り込んだという感じでした。もうちょっと膨らみのあったよな噺だという印象があるのですが。特に、屁を詰めるまでのところに。今後、いろいろといじっていって欲しいものです。思いっ切りきれいな噺が、どんでん返しとなるわけですから、もうちょっと勿体ぶってもいいかなと思ってしまうのです。一方、「無いもん買い」は、生喬の大音響のなか、こっくりときてしまいました。なんか、自分が解らなくなる現象でした。福矢は、定番、マクラをふりすぎて、うなぎ屋の場面はカット。なんでやねん。「正月丁稚」は、いいですね。何世代も前の船場の正月が伺えて、ホント、こういった噺は好きな黄紺です。
 終わると、小雨が、きっちりと降っていました。フードを立てて、駅まで急ぎ足。今回初めて、繁昌亭夜の部に行くために、JR天満駅から歩いてみました。人からは効いてはいたのですが、10分弱ですね。実際歩いてみて、そんなことを確認できたので、これからも使ってみようかと思っています。この夜は、「米朝一門獅子十六 全員集合〜都んぼ・吉弥プロデュース〜」があったのです。この間、4日間かけて行われてきた米朝一門の若手噺家の会の総集編、グランドフィナーレだったのだ。16人全員集合なんで、数合わせ的に大喜利だけという噺家さんも出てくる始末。贅沢な話でした。ま、それはいいとして、番組は、二乗「子ほめ」、雀太「道具屋」、まん我「お玉牛」、漫才/佐ん吉・吉之丞「順子・あしたひろし」、よね吉「刻うどん」、都んぼ「三年目」、(中入り)、吉坊「月並丁稚」、ひろば「マジック」、吉弥「七段目」、大喜利「(吉弥組)歌之助・雀五郎・しん吉(都んぼ組)ちょうば・紅雀・さん都」という超ヘビーな会だった。時間的にも、6時開演、終演が9時8分というから、てんこ盛り状態がお分かりかと思う。二乗の口演に伴う身体の動きが、いいですね。前座修行が、こういった上達を生むのだということが解るお手本のような上達ぶりだ。雀太は、抑え気味だが、どうしても捨てきれないのか、金魚屋で停滞。だけど、その金魚屋に、善さんを教えてもらうとは、心憎い。まん我は、うまいですね、何をやらしても。よね吉、吉朝テイスト満載の一人ヴァージョンでした。万雷の笑いをとっていたよね吉のあと、気を変える都んぼのネタ選びに、拍手です。吉坊が、このネタをするとは知りませんでした。いい雰囲気で、皆さん、へぇ〜っていう雰囲気で聴いてたんじゃないかな? 吉弥のこのネタ、いいですね。他の噺家さんのとは違って、芝居のなかの女性が、いいですね。これも吉朝直伝のにおいがぷんぷんとしてました。色物で出た噺家さんも含めて総勢16人、見応えのある16人。最後は、舞台に全員が上がり、記念撮影。客席からも撮影OKという時間が、特に設定されました。そんなで、今後も続けたいと、この会のプロデュースをした吉弥なんかは言っていました。枝雀一門の若手が、こういった形でせよ、繁昌亭で聴けるということなら、ありがたい限りです。
 昨夜は、そんな賑やかな会の興奮を胸にしまいながら帰宅。あえなくダウンはいいのだが、4時過ぎに、目が覚めちゃ、元も子もありません。せっかく、新しい1週間が始まろうというのに、厳しい事態になっています。




2008年 1月 20日(日)午前 8時 28分

 寒いですね。本格的な冬に入っています。人気のない職場で、細々と仕事をしていると、この寒さと合わせて、もの悲しくなりますね。大体、休日出勤のときって、いいお天気なのですね。こんなことしてるくらいなら、たとえ寒くても、近郊でウォーキングがてら、寺社巡りでもしたくなります。
 替わりに、夜は、鶴橋の雀のおやどでの「第56回雀三郎つるっぱし亭」に行った。せっかく、鶴橋での会なので、夕食は韓国料理をと考えるのだけども、残念ながら、そないな時間はなかった。これも、悔しい思いをしたが、白鳥独演会に行ったときに食べてるから我慢しようと思っても、悔しいものは悔しいのだ。「つるっぱし亭」の番組は、ちょっとヘビーな印象。それだからだろうか、客足の伸びは、頗る良かった。雀太「天災」、雀三郎「宿屋仇」、小春團治「アーバン紙芝居」、雀三郎「軒づけ」と並んだ番組は、なかなかのものなのだ。トップに出た雀太が良かったですね。彼のベストじゃないかなぁ。雀太は、頑張って、表現に工夫をこらそうとする若手だが、昨日の場合は、だだけものの主人公を、きっちり描こうとしたこと、そして、それが、自然にデフォルメできてたのが、全ての成功の基。ですから、無理して作らなくとも、既成の、先輩から受け継いできた台詞が、おもしろいように決まるのだ。恐らく、本人にも、思いの外の受け方じゃなかったのかなぁとすら思います。そうだったら、いや間違いなくそうだと思うので、昨日の口演を、ぜひ忘れないで精進して欲しいものです。雀三郎の口演、ホント、いい、心地好いテンポでした。軽快と言うのは、こういうテンポを言うのでしょうね。「宿屋仇」の長さは、全然感じないし、だからと言って、早口というわけではなく、ノリがいいのだ。たまは、「宿屋仇」をするとき、刈り込みをすることにより、前へ進む工夫をしていた、もちろんいいテンポだったが、雀三郎は、フルに演じて、ノリの良さ、インテンポでの緩急をつけながら乗せてくれる、これは、名演中の名演と言えよう。「軒付け」についても、もちろん言えることで、ただ、こちらは、テンポが良すぎたのか、「うなぎの茶漬け、、、」が、余計な突っ込みのように聞こえてしまったという部分があったのが、惜しいかな。そういった中で、新作なのに、古臭いと感じてしまったのが、小春団治。これは、雀三郎の名演、雀太の快演との比較を、黄紺の頭の中でしてしまってるからとしか言いようがない。ネタも、時間が止まったような紙芝居屋と、現代の子どもとのずれを扱ったものだが、小春団治自身が、紙芝居屋と重なって見える感じでした。それほど、雀三郎と雀太が良かったということです。
 今日は、昨日の埋め合わせをしようと意気込んではいるのですが、今週は、黄紺的には映画枯れの週です。となれば、狙いは決まってます。




2008年 1月 19日(土)午前 10時 45分

 先週の週末は、2.7休だとか言ってたのが、もう1週間前なんですね。終わってみると、呆気ないんだけど、昨夜当たりは、8時過ぎにダウン。実働4日、でも、金曜日の帰りの電車は、時間さえあれば、寝込んでましたね。それなりの疲れ方を、やっぱりしているようです。そして、この週末は、1.5休。今日、午後から出勤です。その前に、この1週間を振り返っておこう。
 まず、月曜日(1/14)。この日は、3部構成とした。まず、昼頃から、十三の七芸で、映画を、連続2本観たのだ。1本目は、日本映画「風の外側」。奥田瑛二が監督をして、実子の安藤サクラが主演するという映画だ。在日朝鮮人問題がテーマとなっているということで観に行ったのだ。名門女子高校生と鉄砲玉となるちんぴら、その2人が出逢い、親密になっていくが、ちんぴらは、名前を名乗らない、ということは、在日だろうと観ている者に解らしてくれる頃合いを見計らって、この男の家族が出てくる。この辺までは、ステレオ・タイプかと思っていたが、2人の間で、ちょっとした事件があるところから、観ている者の予想を超える設定であることが判ってくる。この辺から、この話、どう始末をつけるんだという関心が出てきて引き込まれていく映画だった。鉄砲玉のちんぴらの狙う先、また、それを阻止に動く人物、ちょっと無理っぽいという設定がないわけではないし、また、描き切れたないところも気にはなるが、転換点で、ぎょっとさせる設定があれば、まだ許しちゃうというところか。いい台詞があった。女子高校生が言う、「私が、そこまで降りていけば、あなたと同じになれるの」「あなたが、どれほどあがれば、私と同じになれるの」。これを、這い上がった者に、這い上がれないで、「夢」という言葉を知った男に向かって言わせている。この皮肉が、いい。まず、七芸での1本目は、正解の1本だった。
 2本目は、ポーランド映画「僕のいない場所」。まず、題名がいけない。原題は「Jestem」、英訳が「I am」だ。原題は、英訳のまんまと思われるというか、最後の台詞が、これだから、英訳のまんまでなければならない。だが、訳しにくいのは解るのだが、この邦題は、いけない。落語の「寝床」や「莨の火」のようなネーミングなのだから、こないに勝手に変えちゃいけないでしょ。ま、この映画を観て、最後の台詞が題名に使われているということに気が付かない人には、どうでもいいことだけど。気が付かない人は、結局、映画を解ってるのかなとは思いますが。その決め台詞を言わせるために、築き上げられた映画なのにとは思います。筋立ては、いたって簡単。母親に捨てられ、孤児院にいた少年が、孤児院を抜け出し、母親に会いに行く。でも、男のいる母親は、そのため、子どもが疎ましい。だから、捨てたわけだが、それで、その少年は、1人で、空き家(船)を見つけたので住み出す。くず鉄を拾っては、それでお金を稼いだりしながらだ。その空き家の向かいに住む裕福な家庭の女の子が、その少年を見つけ、交流が始まる。ごく普通の少年と少女の交流と言っていいかな。この「普通」のことをできる少年に、観ている者は心を動かされる。だが、そんなのが長続きするわけもなく、やがて、ラストへと導かれていく。主役の少年がいいし、筋立ても気に入ったし、これは、なかなかいい映画です。いろんな映画祭で、数多の賞をもらってるのは解ります。
 夜は、十三で早めの食事を摂ってからワッハに回り、「「SWAクリエイティブツアー大阪 〜新春!ワッハ上方プロデュース公演〜 夜の部」に行った。東京の創作落語集団の大阪公演だ。とにかく、ワッハ大阪がプロデュースして、東京の噺家を喚ぶというところがおもしろい。この日のコンセプトは、1人の男の小学校卒業式を明日に控えた日から、定年を迎える男まで、その人生をテーマに、4人が、異なった場面を創作するというものだった。そのテーマは、「明日の朝焼け」。4人の演じたネタは、 三遊亭白鳥「恋するヘビ女」、 春風亭昇太「夫婦に乾杯」、林家彦いち「臼親父」、柳家喬太郎「明日に架ける橋」だった。白鳥が、小学校の卒業式を明日に迎える小学校のたかしの恋の悩みを、「へび女」と呼んでいるおばさんがアドバイスしてくれる話。昇太が、結婚して7年目のたかし。会社での新製品のネーミングをあれやこれやと考える。彦いちが、45歳になりリストラになっているとき、猿カニ合戦の世界に迷い込むと、そこには現実世界の人物が、いろんなキャラになって登場する。最後の喬太郎は、定年を迎え、なかなか会社人間であるところから抜けきらないたかし、街に出てみると、同じような人間がたくさん。江戸風物を現代の東京に蘇らせる試みも。人情噺に仕上がっていた。とまあ、大河ドラマを見ている雰囲気に、一人一人の個性が散りばめられている。「臼親父」のアクセントに、人情噺っぽいラストと心憎い。オープニングとラストには、4人が登場してトークもあり、それぞれの出番の繋ぎは、後のスクリーンに映像が映され、名ビラの替わりも、この映像がしてくれるという凝った趣向で楽しませてくれました。さすが、いまをときめくSWAの公演でした。
 火曜日(1/15)は、SWAのメンバーから居残った「三遊亭白鳥独演会」が雀のおやどであったので行ってきた。まず、白鳥と、この日のゲストであった雀三郎の対談。話を聴いていると、もう2人の交友は、かなり古いものと解る。白鳥の師匠の円丈に喚ばれて東京の会に行ったときからのお付き合いとか。へぇ〜っていう感じです。トークのテーマは、白鳥がスケッチブックに書いてきた。「出会い」「新作」「落語ブーム」「弟子」というものだった。で、肝心の番組は、白鳥「真夜中の襲名」、雀三郎「哀愁列車」、(中入り)、白鳥「ムーミン塚の由来 メルヘンもう半分」というもの。1席目は、黒白鳥の世界へということで、上野動物園の夜中の動物たちの世界を借りて、落語界のパロディ。噺家さんのキャラ、エピソードを、様々茶化していくので、これは、自分的にはとてもおもしろく感じてしまった。「もう半分」は、筋立ては、そのまんま追いかける。冒頭は、ノーマルなんだが、、、。怪談も、メルヘンの登場人物を登場させるとほんわりするんじゃないあかと思うんですがと言いながら、白鳥は始めました。古典を普通に喋ってるときは、ちょっと搾り出すようで、聴きづらい感じがするんだけど、創作部分に入ると、途端に、その声がキュートに聞こえるからおもしろい。2日連続、東京の噺家さんの落語を聴けました。変化があって、いいね、こういうの。
 翌水曜日(1/16)は、繁昌亭での「米朝一門獅子十六 〜都んぼ・吉弥プロデュース〜」の初日に行った。第1部・第2部の通しで聴かないと意味もないのでと思い、この催しは、この日だけです。だって、終わるのが11時だと、黄紺はもちません。そか、この日の体力消耗が、週末を迎えてダウン気味なのか、、、。納得です。それはいいとして、まず、第1部から。「歌之助・ちょうばの会」が、それだ。どう考えても、くじ引きで決めたか、入門順で自動的に決めたか、その辺でしかないないと思える、両者の組合せ。それが、時間の関係なんでしょうね、「対談」から始まった。聴いている方が、始まるまで不安感でいっぱい。だけど、やっぱ、プロですね。うまい具合に対談の接点を見出しました。「売れている師匠を持つ噺家」と「売れないままで終わった師匠を持つ噺家」、このコントラストはおもしろかった。歌之助が、修業時代、日々、1時に師匠宅へ行き、4時には、辞去するという日々を送っていたのには、ちょうばだけではなく、客席もびっくり。おまけに、土日は行かないというものだったそうです。そんなで、結構盛り上がったあと、2人が1席ずつ披露。ちょうば「天災」、歌之助「口入屋」が、そのネタだった。「天災」は、師匠ざこばから教わった6つのネタの1つとか。当然のことながら、師匠の迫力には、まだまだ。丁稚さんのキャラが可愛いちょうばですから、「天災」のような噺は、向いてないかもしれませんね。歌之助の「口入屋」は、黄紺的には初めて。口入屋で女の人が集い、口入屋の主人が、女の人たちに、いろいろと注文を受けるところから始まった。以前、こごろうで聴いたヴァージョン。ドガチャカに入る前に、周りを伺い、さっささと筆を動かす仕種が、いいですね。歌之助は、何やら、こういった身体表現的なこり方をしてくれるから、楽しみなのだ。願わくは、昼の場面と、夜の場面が、間の取り方なんかで、変化を持たせてくれたら、夜の場面のおかしさが、増してくるんでしょうが。
 第2部は、「よね吉・雀太の会」の会。この2人の会も不思議な組合せ。よね吉は、不安だったでしょうね。喋り出したら、落ちもなく続けてしまう雀太とのコンビとなると。そうだからでしょう、雀太が、何かを喋って、単なる何かで終わると、きっちりと「落ちがない」「なんやねん、それ」と、早々と突っ込んでいました。その牽制が効いたのか、ほどよい絡みで終始し、なかなかおもしろいものとなりました。トークのテーマは、予め客席からとったアンケートを基にというもの。ただ、2人のアンケート用紙の分別の違いとかで、話が盛り上がり、なかなかアンケートに答えるというわけにはいかなかったが、「外で食べるすき焼きがいいか、家で食べるすき焼きがいいか」とか、けったいなテーマで、盛り上がっていました。肝心のネタは、雀太が「鷺取り」、よね吉が「子は鎹」だった。ともに、今までに聴いたもの。ただ、「子は鎹」で、後段の一部分は、疲れが出てしまいました。やっぱ、レイトショーはきついです。
 翌木曜日(1/17)は、ワッハの4階であった「上方講談を聞く会」に行った。これが、素晴らしい会だった。ま、番組から書くと、南青「信玄の初陣」、南海「関取千両幟2」、南北「向島の別れ」、南左衛門「赤垣の婿入り」というもの。後の2つが、赤穂義士銘々伝からのもの。ちゅことは、旧暦で、この日が、12月10日だからとか。これってお得です。新暦の12月で赤穂義士、旧暦の12月で赤穂義士と、2回、赤穂義士で稼げるという算段となる。南北さんのネタは、間十次郎の家族との永久の別れ、雪の別れとして知られたもの。前に1度、南湖で聴いたことがあったが、この話は、聴いてて、胸が熱くなる。しっとりと聴かせる南北さんの口演でした。それに、南海さんの口演が引き込まれた。千田川やったっけ、ちょっと自信がないけど、相撲取りの病気、それを、懸命に助けようとする芸者の心意気、勧進元の困り、病から救ってやる御典医の使命感、どれをとってもいい。この南海さん、南北さんと、2つ熱いものを聴かせていただいたあとに、南左衛門の軽めのネタも、取り合わせとしてグーでした。
 昨日金曜日は、夜遊びしないで帰ってきて、早々とダウン。そして、朝から、「ちりとてちん」観ながら、これを書いています。もうまもなく、仕事です。




2008年 1月 14日(月)午前 10時 9分

 2.7連休の最終日の朝となっている。昨夜は、寒かったですね。暖房が、あまり効かないものですから、外気の様子がよく分かります。そんな休日の朝、昨日の行動記録を認めておくことにします。
 昨日は、ワッハ7階での「あがき」という名の落語会に行った。昨年度末受賞が続いた桂歌之助の会だ。勉強熱心、才智に富み、そういった入門当初からの成果が、一挙に評価された年となった。「あがき」を、このワッハの7階で始めた当初を知る者からすると、とっても感慨深いものがある。で、昨日の番組は、佐ん吉「手水廻し」、歌之助「新作、馬の田楽」、(中入り)、恭瓶「厩火事」、歌之助「寝床」。佐ん吉が、端正な噺から、ちょっと崩しかげんの、よく言えば演出が濃いものを手がけたって感じのネタが、これ。雀々にでも、稽古をつけてもらったのでしょうか? そんな印象を持つ仕上がり具合です。恭瓶は、どうやら宝塚つながりでのゲスト出演のよう。だが、このネタが、彼に合っている。丁寧な、そして、実直そうな語り口が、このネタに合ってると感じさせた。ま正直な女房が、悋気を起こそうが、のろけようが、ぼやこうが、素は純な気の持ち主。そういった人物描写に、静かに、実直そうな語り口をやられると、好感を持っちゃうのです。これは、めっけもの。歌之助は、まず、今年、実際にきた年賀状を持ってきてのトーク。これが傑作。噺家仲間からは、「歌々志」で来たり、「之」が「乃」で送ってくる業界、「歌々助」と、まだ、歌々志から歌之助に成り切ってないというものまで、これは、おかしかった。肝心の落語だが、「新作」は、客と一緒に作る新作というコンセプトは、「噺家入門」と同じ。前回の「あがき」で主人公を募集していたが、それは、「赤ちゃん言葉を喋る総理」だった。今回は、その序を、歌之助が演じ、今回は、その総理のスケジュールを考えてくれというものだった。その新作の序に当たる部分を演じたあとに、「馬の田楽」。若手の人が、あまり手がけないネタ。古臭いっていう感じがあるのでしょうね。歌之助のこのネタ、子どものキャラの描き分けは、しっかりと工夫されてんだけど、全体として、子どもの雰囲気が乏しい感じ。テンポを変えるなりしたらいいのにって思いました。馬方が出てきてからと、雰囲気があまり変わらないんだよねぇ。「寝床」は、待望のネタ。初めて聴いたとき、先代の再来をいけると思ったものです。勢いがあったのです。体をはずませて、町内を回ってきた報告をする、あの躍動感が、素晴らしかったのだが、ネタの扱い方自体が変わったような、、、。描き分けによって、町内の人らのキャラを浮かび上がらせようとするのです。これは、決まれば、決まったですごいやろなとは思うのですが、トラウマのようにある、勢いのある口演が忘れられないでいる黄紺には、物足りなかったのです。浄瑠璃が始まる頃になると、ちょっとかっくんときてしまいました。
 この日も、日本橋のネットカフェで時間潰しをして、繁昌亭入り。この夜は、「新春林家一門顔見世興行」があったのだ。1月のこの時期、毎年、ワッハで行われてきたものの、繁昌亭版だ。今回は入門順じゃなくって、中堅の染雀に中トリをさせて、ネタ下ろしをさせるという試みが組み入れられていた。その番組は、染吉「つる」、卯三郎「刻うどん」、染二「お血脈」、染雀「高尾」、(中入り)、そめすけ「仏師屋盗人」、花丸「三題噺」、染丸「ふぐ鍋」。顔見世というだけあって、定番のネタ、得意ネタ、短めのネタが揃った。染吉は、昨年8月入門。しっかりした口調で、先々、有望かもしれません。染二は、言うことなし。キャラ全開です。卯三郎と、順序が逆になりましたが、この人も、一皮むけた感じ。最高の出来は、そめすけ。野放図な仏師屋と、気弱な盗人の取り合わせが絶妙で、この人は、ツボにはまると、やっぱうまいわぁ。落語に精進して欲しいと、切に思います。花丸と染丸は、それはそれでいいんだけど、肩すかしです。で来もいいんですよ。でも、肩すかし。なんせ、期待が大きいからね。肝心の染雀は、春団治のところへ行ってのお稽古とか。ですから、まくらから、きっちり春団治ヴァージョンを踏襲していました。「高尾」は、しゅっとして、へぇーと思わせるのは難しい噺ですね。安っぽい長屋のちまちました噺にならないようにするのは、むずい。そんなことを考えてしまいました。3代目は、一瞬、忘れさせてくれます。吉朝も、ね。
 そんなで、早くも、お出掛け準備に入ります。今日も、予定、満載です。




2008年 1月 13日(日)午前 11時 18分

 あえなく本格的な仕事開始日から1週間が経った。週の後半になり、眠れなくなり、また、今頃、マレーシア疲れが出てきたんじゃないって感じで、なかなか厳しい週でもありましたが、丁度、1年前、トルコから帰ってきて、思いっ切り厳しい日々を過ごしていたことを思い出している。あのときも、正月明けからか落語会枯れ的雰囲気だったが、今年も、ないことはないのだが、行こうという気の、あまり起こらないものが並んだので、ちょっとご無沙汰、、、というほどでもないか。ま、そんな1週間を振り返ってみたいと思う。
 まず、先週の日曜日(1/6)は、タイトな時間の中で、3会場を渡り歩いてみた。まず、昼前から、心斎橋シネマートで、韓国映画「有故」を観た。朴大統領暗殺事件を扱ったもので、こんなものまで、素材にできるまでに韓国はなったのだ。ただ、どこまでが史実で、どこまでがフィクションなのかは、黄紺には判定ができませんが、いくつか、気になったことがありました。まず、事件当時から、気になってたことですが、暗殺犯らは、暗殺をしたあと、どうしたかったのかということです。曖昧に推移していたと気になってたことに、結局、この映画も応えてくれませんでした。映画では、何かをしそうで、でも、何もできなかったという行動をとり、取り押さえられてしまうのです。単に、中央情報部が、軍に対して思い通りにならないための怨恨としか読めない描き方でした。あと、あの暗殺場面で歌手が呼ばれてましたよね。その彼女らが歌った歌を聴いて、正直愕然としました。「北の宿」と「一人、酒場で呑む酒は〜」って、題が出てこないですが、その歌。更に、びっくりするのは、暗殺者の中央情報部長も朴大統領も、日常の会話のキーとなる物言いに、日本語を使うのです。ですから、最後に、頭に銃を当て、とどめをさすときも、意識のしっかりしている大統領に、日本語で語りかけます。しかも、朴大統領を、「高木正雄」という日本名で呼ぶのです。これが史実ならば、かなりショッキングな事実です。このあたりが、韓国で、公開に当たって問題となり、裁判沙汰になってるところかと思います。観ていて思ったのは、今の韓国から見ても、完全に対象化され、当時の政権中枢部にいた人物の言動は、滑稽にすら映ってるのでしょうね。あの事件を、ちょっとでも、記憶にとどめている者にはおもしろい映画ですよ。
 いろいろと昔を思い出しながら、慌てて、移動時間40分しかないなか、高津神社に向かいました。「文太の会in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」があったのだ。なかなか番組が揃ったのだが、文太「代脈」、文太「高倉狐」、米左「太鼓腹」、文太「立ち切れ線香」というものだった。もう1週間経って、「高倉狐」の筋立てが思い出せないのです。呆けきっています。文太は、3席目に、「立ち切れ」となったわけだが、3席、休憩なしで聴いていると、「代脈」と、そんなに変わらないテンポなんですね。ずっと、「立ち切れ」だけではなく、どの噺も、インテンポに聞こえてしまうのです。「立ち切れ」なんかは、少なくとも、お茶屋の出かけていくところ、お茶屋の中でも、芸子衆が入ってくるところ、三味線が鳴り出すところ、節目節目で、気を変えて欲しいじゃないですか。それが、流れてしまうと、聴いている方のノリが悪くなります。「愛宕山」なんかは、これが、逆に効果的だったのですが、、、。「立ち切れ」は、三味線の最後の部分で、ぶちっと変調をきたす音を入れて切れる型でした。また、三味線を、じっと聴く型でもありました。これ、余韻があって、いいですね。
 夜の部は、繁昌亭の新春公演夜の部へ行った。これで、6日間で3回目の繁昌亭だ。番組は、ちょうば「刻うどん」、三弥「僕達ヒローキッズ」、よね吉「七段目」、佳恵「奇術」、春雨「子ほめ」、枝三郎「勘定板」、(中入り)、珍念「くっしゃみ講釈」、団四郎「三人旅」、三喬「獅子舞」、染丸「寝床」。よね吉は、NHKで受賞したときのヴァージョンで演じたのか? 最後は、芝居遊びをしていて、誤って落ちたっていうところで、「七段目」は出てこない。ま、短縮したのだから、しゃーないかな? 同じく短縮版が、珍念。のぞきカラクリの部分をカット。そういう演じ方をされて、初めて、このネタの深みを、あの部分が作ってることを教えてもらえました。「寝床」も、ショートカット傾向だが、こちらは、合理的な感じがするからおもしろい。断った長屋の連中が、やばいと思って再登場する理由が、それを語る部分を特設しないで、流れの中で出てくるようにしているのだ。これは、おもしろい。それに、染丸の、全編、陽気な雰囲気作りが、所詮、お遊びごとなんだからという枠を決めてくれてるから、聴いてて、落語的、そんなアホな的な雰囲気が出てて、秀逸。これは、記憶に留めなければならない「寝床」だ。その他、三弥の自信を持っての口演っていうのは、捨てがたいと思ったのと、枝三郎が、思い客席の模様替えをしてくれたことに感謝したいというのは、書き残す値打ちを感じます。三喬の色物、今まで、中途半端なものしか観てなかったので、ちょっと感激。いい色物です。
 月曜日(1/7)は、ちょっと職場を早めに出て、弟のところへ、マレーシア土産を持っていき、その足で、MOVIX京都で、日本映画「魍魎の匣」で観に行った。京極夏彦の作品の映画化だ。舞台設定は、戦後間もない日本。その再現場面は、CGなどを使ってるのでしょうが、なかなかうまくいっている。その一方で、「匣」のシーンが、ちょっと、そういった時代背景にそぐわなすぎるのが、まずいね。黄紺は、原作を読んでないので、それとの釣り合いは解らないが、これはこれとして、辛うじて解るかなというもの。恐らく原作は、もっと複雑で、様々な要素が籠もってるのだろうと思えましたので、辛うじてという書き方をしたのです。探偵役も多いしね。ま、こんな雰囲気が、京極作品だということが解ったのが、一番の成果かな?
 火曜日(1/8)は、まっすぐと帰った日。久しぶりに、日本酒を、熱燗で呑みたくなり、2000mlパックを買って帰りました。翌水曜日(1/9)は、繁昌亭での「育っちゃったらくご」に行ったのだ。三金「神様のご臨終」、たま「矢橋船」、遊方「憧れのひとり暮らし」、 三風「ロボG」、(中入り)、南湖「あやめ一代記」、あやめ「猫の忠信」が、この日の番組だ。この日の秀逸は、南湖。虚実入り交じった話だろうが、なかには、知られた実話だと確実に分かってるものが入っていますので、聴いてて、ホントにおもしろかった。もっと、虚実入り乱れる話を入れて、膨らませていくと、グレードアップすること間違いなしだ。「矢橋船」は、たまのネタの中では、いい出来の1つだが、ちょっとデフォルメ度が、ちょっと優しかった。こういう風に日々変化するのが、たま落語。遊方のネタは、「一人暮らし」に重点を置いたものというよりか、不動産屋とのやりとりが中心。マクラで、「一人暮らし」を振っていっただけに、ちょっと肩すかし。その分、このネタは、もっと膨らんで、おもしろくなりそうという感じだった。あやめのネタは、ちょっと聴かない部分があったりしたんだけど、一番の気になったには、夫の不義密通を告げ口にきたとき、実は本人は、後の部屋で寝ていたんだけど、その夫が起き上がってくるところで、気を変える方策を講じなければあかんのですが、ここが流れてしまいました。やっぱ、このネタは、こういった気を変える節目、大きいの、小さいの、大切にして欲しいですね。残念なことは、疲労から、三風のところで、ダウンしちゃったことです。ここで、力尽きて、中入りで再生っていうところです。
 木曜日(1/10)も、夜遊びなしの日。そういった日って、9時過ぎにダウンしちゃうんですね。そして、夜中に目が覚める、眠れない。そんなことを繰り返しています。金曜日(1/11)は、ワッハの4階であった「南湖だんご37〜旭堂南湖話術研究会〜」に行った。今年初の講談の会だ。この会は初物だが、実際は、肩のこりに悩まされながらの講談会。この日は、「赤穂義士銘々伝」から「堀部安兵衛」の誕生秘話&不遇な幼少期というところでした。こういった、講談の一人会は、南海の会同様、一人で、延々と喋り続けるという大変なものです。黄紺は、それを、疲れてるにしては、最初から最後まで、バッチリ聴いていましたよ。今日の南湖の会の客は、5人。その内の一人は、落語会で、よく見かける男性。あとは、おっさん一人に、30台後半と思しき女性に、なぜだかお一人、20台前半 にしか見えない女性一人の、計5人でした。過去最低は、3人だそうで、そのときは、最初4人いたんだそうなんだけど、雰囲気を察して、一人は始まる前に帰ってしまったそうです。木戸銭は、終わってから、南湖自身が、舞台から降りてきて、集める方式だから、そないなことが起こるのです。そんなに客の数が少ないのに、プレゼントが用意されていました。南湖との王様じゃんけんで、勝っちゃいました。だから、とってもいい暖簾をいただいてしまったのです。
 昨日、土曜日(1/12)は、朝から仕事、通常の勤務。但し、文楽に行かねばなりませんから、時間休をとりました。今年、2回目の文楽です。文楽は、1回の公演に、昼夜いずれか1つだけ観ようとして鑑賞を始めたのですが、なんせ、おもしろい。だから、この初春公演から、観たくないときだけ除外して、基本的には、両方とも観ると決めたのです。昨日観たのは、「七福神宝の入舩」、「祇園祭礼信仰記〜金閣寺の段、爪先鼠の段〜」、「傾城恋飛脚〜新口村の段〜」というラインナップ。なかでは、とにかく「祇園祭礼信仰記」が良かったです。金閣寺の昇降は、すごかったです。雪舟もどきでというか、雪舟の流れを引き雪姫が、涙でネズミを描くのもあります。桜花を集めて、涙で湿らせて鼠を描く。すると、鼠が現れて縄を噛み切り、また、桜花に戻る。これ、いいっすねぇ。その他、これだけの段の中で、ストーリーが劇的に変化をしていきます。やっぱり変化に富んでるものが、わかりやすいです。ですから「祇園祭礼信仰記」は、めちゃお薦めです。「傾城恋飛脚」の方は、梅川、忠兵衛が、故郷の村に身を潜めて、家の外を行き交う人を眺めるところまでは、とっても風情があり、一押しも二押しもしたい気分。ところが肝心の忠兵衛の親父さんが出てくると、私は、素浄瑠璃で十分やと思ってしまったのでした。浄瑠璃が住太夫だったんで、余計に、そう思ったのかもしれません。もう一つは、前日の寝不足から、アブナイ橋を渡っていたという、黄紺自身の体調の悪さもあったかもしれません。「国性爺合戦」より、はっきいりと、こちらの番組の方が、おもしろかったですよ。週末の文楽劇場は、しかも、昼の部でしたので、補助席まで出る大入りです。
 文楽が終わったのが、3時10分、それから、行きつけのすぐ近くにあるネットカフェで、20分ほど時間つぶしをして、梅田に移動。梅田ピカデリーという、とっても立派な映画館で、「研辰の討たれ」を観ました。野田秀樹が歌舞伎をアレンジをしたものの映画版です。ただ、この広いスペースに、客の入りは、随分と悪いものでした。この芝居が行われた年(3年前かな?)は、もう大変な話題となったものです。演劇関係の賞を総なめにしたんじゃないかな? そりゃそうで、普段、普通の歌舞伎しか観たことない連中からすれば、野田秀樹の芝居は、衝撃でしかないはずです。その作品に、スパイスの利いた演出、それに、見事に応える勘三郎、おもしろくないわけがありません。原作の脚色ですから、普段の野田作品ではありませんし、矢のような台詞展開でもありません。風のように台詞を聴く、難しい言葉が並んでるのかと緊張して聴いてると、実は、言葉遊びだったりという野田作品、そういった要素が、とっても緩和していますから、解りやすい。でも、野田秀樹独特の展開、演出、そして、それに見事すぎる応え方をする勘三郎ら歌舞伎役者、これは、いい舞台です。評判を喚ぶだけの舞台です。でも、世間の人は、大阪の連中は、知らない。ま、そんなとこです。勘三郎は、海外の公演演目にも、「研辰の討たれ」を入れてるはずです。他の演目を観て、「研辰の討たれ」を観れば、日本の演劇シーンの質の高さが解ろうという考えじゃないかなぁ。野田秀樹と勘三郎、2つの驚異の才能が出会うこと自体が贅沢なのに、それが、すっごい舞台を作ったということです。こうなると、一番弱いのは、原作かもしれませんね。
 そして、昨日の最後は、同じく梅田で、アガサ・クリスティ物のフランス映画「ゼロ時間の謎」を観に行きました。場所は、梅田ピカデリーから新御堂に沿って歩き、テアトル梅田です。うまい具合に、晩ご飯を食べて、ほんの少し、時間が余るという計ったような時間設定。で、見終わった感想は、アガサ・クリスティものは、もう、これが最後かなという感じです。クリスティ流のパターンは、今の私には、かったるいね。判で押したように、動機の伏線となるパートがあり、それも判で押したような理由付けが用意されていく。そして、思いがけない殺害方法。昔は、それがたまんあかったんだけど、今の黄紺には、単調に見えてしまうのです。そんなこともあって、寝不足がたたって、ときどきかっくんといっちゃいました。推理物で、この状態は、ご法度です。そんなで、自分にも責任が大いにあるのですが、ちょっと不満の残るところとなりました。
 ようやく、1週間を振り返ることができました。事実上、3連休が、2.7連休ぐらいになってますが、あと、まだ、1.7ほど残っていますから、この時間を有効に使いましょう。となりました。




2008年 1月 6日(日)午前 7時 33分

 日本のお正月にいること久しぶりの黄紺は、このときとばかりに繁昌亭の初席に通っています。場合によれば、正月の3日にも職場へ出向かないとあかんかもと思っていたのですが、それは、幸い避けることができ、ゆったりと、繁昌亭の午後の部を楽しむことができました。まず、3日(木)のレポートからです。
 まず、この日の番組から記しておこう。染左「みかん屋」、文昇「手水廻し」、仁嬌「正月丁稚」、勢朝「南京玉すだれ」、都「初天神」、(中入り)、枝女太「四人癖」、姉様キングス「音曲漫才」、三枝「ぼやき酒場」だった。こういったなかで、中トリに出た露の都が、素晴らしい高座を見せてくれました。都噺というおばちゃん喋りが、全開のところへ、楽屋入りしていた三枝から突っ込みまで入った。その内容が聴きとれなかったんだけど、都は、そこから、一転、「初天神」という季節物のネタに入った。黄紺は、都の「初天神」は、何度も聴いてんだけど、こないなすごい「初天神」は初めて。多くの人が手がけるネタのなかで、超A級の出来に、大感激しました。虎ちゃんが、帰ってきて悪態をつくところが、もう最高です。都噺で、大化けしてしまった都が、そのノリを見事に持ちネタに活かしたと言っていいでしょう。この初席で、誰が、「「正月丁稚」を出してくれるだろうと期待していたら、仁嬌でした。ちょっと古いんじゃないのって思う向きもあるかもしれませんが、この日の客席は、古い船場の正月風景に浸ろうという、それを楽しもうという雰囲気を持ち合わせていました。ノスタルジーを感じさせてくれる仁嬌の口演も、フラットなのがいいんでしょうね。それに、勢朝が盛り上げ、都登場ですから、華やぎました。こういうときに出てくる枝女太って、それに乗れます。この人、もっと評価されていいんじゃないかな? そして、姉キンに三枝ですから、いい番組です。三枝のこのネタは、初遭遇。「上燗屋」現代版です。前日は、「神様のご臨終」だったようで、お時間に合わせてノリのいいネタを選んだようでした。
 繁昌亭がはねて、30分だけネットカフェで時間つぶし。それから、迷った挙句、西九条に出向きました。七芸も、候補に上げていたのですが、梅田を通るのが嫌だったのと、上映される映画も、このあと見る機会の多いのが、七芸の方だろうということで、シネ・ヌーヴォに赴きました。中国映画「白い馬の季節」を観に行ったのでした。。中国の内モンゴル地区で、昔ながらの遊牧生活を送ろうとする男と、その家族の物語です。頑固に、昔ながらの生活を守ろうとしても、それが許される状況じゃない。砂漠化の進攻で、遊牧自体が禁止措置。現金収入に乏しい生活ゆえ、このような環境の変化は、子どもを、町の学校にすらやれなくなってくる。どんどんと追い詰められていく姿は、ドン・キホーテのようという表現が、最後の方でとられていくが、となれば、自ずと結論は分かりますよね。展開は、このテーマ自体が判れば、基本的にはそうなんだろうなで納得せざるをえないんだけど、最後の持って行き方なんですが、ちょっと平坦なものだったかな。そんなですから、筋立て的には、インパクトは弱かったけれど、内モンゴルの様子を見れたことは収穫だったです。去年のベルリン映画祭の金熊賞を獲った「トゥヤの結婚」も、同じ地域が舞台のはずです。こちらは、地域的な問題の処理を、どのように扱っているのでしょうか? 「白い馬の季節」と比較してみる楽しみが出てきています。
 4日(金)は、初出勤の日。そんな日なので、そんなに仕事があるわけでもないので、予め、この日には、国立文楽劇場の初春公演のチケットを買ってあったのだ。最近、文楽を精力的に観ようとしている黄紺なのだ。この公演では、「国性爺合戦」の山場とされる2段目と3段目が出たのだった。これは、言わずと知れた鄭成功の物語。中国物だが、鄭成功の出自が、日本と関係があるということで人気の狂言ということだ。「国性爺合戦」は、今まで観てきた、と言っても、そんなに観てきたわけではないのですが、だいぶと変わった雰囲気です。ドラっぽいのが、がちゃがちゃ鳴り、芝居の展開も、臭くて感情移入しにくい部分があります。最初の2段(5段目立ての2段目に相当)は、そんな感じかな? これを、5段全部通して観ると、意味のあるものかもしれませんが、なんか乗れなかったです。ま、和藤内父子が日本から出立しなきゃなりませんから、そのきっかけ作りです。そして、中国上陸、二手に分かれて行こうとなり虎退治になるわけです。別に虎退治をしなくても、筋立てには関係ないのです。そして、全体の3段目に入り、ここがクライマックス。3つの段に分かれています。その最後がぐっときます。そのためのネタふりがされていくところです。ここは、我慢のしどころ。最後がいいですから。この3つの段の2つ目の切り場の大夫さんが、竹本綱大夫。人間国宝かもしれませんが、なんか元気がない。おじいちゃんいなりすぎたのでしょうか? そんなところもあって、我慢のしどころ。最後がいいですから、また同じことを書きました。今回の上演は、和藤内が、同盟者を見出すところまでです。ですから、このあと一緒に、明の再興を夢見て戦うというところがあるはずですどうなるのでしょう? 日本に残してきた奥さんは、もう、出てこないのだろうかなどと考えてしまいます。呉三桂が、今回上演されるところまで(全体での1、2段目)に出てくるようなんですが、一緒に戦うという設定になってるんやろかと、興味は尽きませんが、その辺は、今回上演されません。そんな感じで、「国性爺合戦」は終わったのですが、こういった時代物よりか、黄紺的には、世話物の方が合ってるみたい、それが、見始めたところでの感想です。文楽は、とってもエモーシャルな芸。時代物で、すんなりと設定と合えばいいのですが、題材が先にありきなると、ちょっとノリが悪くなります。そんな感想を持ってしまいました。
 昨日、5日(土)も、午前中は出勤。1時ちょっと前に飛び出して、週末の土曜日を楽しみました。まず、そごう劇場での「そごう寄席〜落語と寄席〜」に行った。番組は、佐ん吉「狸賽」、花丸「阿弥陀池」、八天「茶屋迎い」、(中入り)、春野恵子「お夏清十郎」、福笑「軒付け」だった。花丸は、マイナーチェンジでの「阿弥陀池」。「匕首」ではなく「小刀」という具合で、原作を踏襲しながらの小さないじり。ですから、花丸流というほどのことではないものでした。この頃、トイレの新聞の部分は省略傾向ですね。「茶屋迎い」は、展開の妙で受ける話。旦さんが汚れ姿で、お茶屋で待つようになってからの展開でのしっとり感、ここに来ると、三三の公演を思い出しちゃいます。しっとり感が出れば出るほど、もちろん臭くなっては、元も子もなくなりますが、あとのサゲが気持ちよく決まると共に、後ろ髪を引かれてしまうのですが、そういった意味では、先を急いだかなと思わせられてしまいました。それもこれも、三三の妙なる口演を聴いてしまい、耳が肥えてしまいました。福笑のこのネタは、若い頃に聴いたような気もするのですが、記憶も定かではありませんので、初物同様で聴けました。ましてや、最近の若い人は、このネタに手を付けませんから、「軒付け」自体が久しぶりでした。この福笑も、とってもオーソドックスに演じてくれました。そんな姿を見ると、骨格のしっかりした噺家さんは、ネタを、どのように扱おうと楽しませてもらいます。そういった意味で、やっぱ福笑は、すごいやとなってしまいます。そして、福笑は、実際に、ネタの中で浄瑠璃を語ります。この人、美声とは言いがたい人ですので、吉朝や染丸のように聴いていて、うまいと思わせられるわけではありませんが、ネタ自体に臨場感が高まるのは言うまでもありません。ただ、客席の反応が、今一で、これが、繁昌亭だったら沸きかえっていただろうなと思わせられる箇所が、何度かありました。春野恵子は、まず、正月早々から悲しいネタでとお詫びから入りました。このネタは、田辺寄席に次いで2度目ですが、格段に、この日の方がいい出来とみました。ホールの関係かと思いますが、田辺寄席のときは、何か元気がないというか、声がしょぼく聴こえたものでした。だけど、この日は、ばっちり。でも、後から出てきた福笑は、「えらい頑張らはります」と言ってました。浪曲という芸のスタンダードなものを解ってない黄紺は、これを、どのように理解していいのか判然としません。感情移入たっぷりに語る春野恵子の世界は、黄紺的には楽しめてるのですが。
 落語会の後は、ネットカフェで時間潰しをして、梅田シティに向かいました。オーストリア・ボスニア映画「サラエボの花」を観るためです。この映画、確か、一昨年の「大阪ヨーロッパ映画祭」で上映されたものですよね? そのときは観れなかったんだけど、テーマが重くって、しかも、ついに出たかと思うもので、印象にだけは強く残っていたものでした。ただ、この映画、作り方が不十分なと感じさせる部分もあるのです。結論が、かなり前から見えてきてしまうのです。これが、その1つ。そして、用心暴風の男との恋と別れも、詰めて描いて欲しいと思ったし、娘と同級生の恋も、もっと丁寧に描いて欲しいと思ってしまうのです。ただ、その不十分さも、それは、敢えて重いテーマを、一層重くさせない措置のようにも思えるのです。そんな風に考えさせられるほど、テーマが重いのです。そんな部分もある映画なんだけど、確実に心に残る映画だと思います。
 マレーシアで買ってきたインド映画で、1本、なかなかいいものに出逢えました。ヴィジャイの主演するタミル映画です。台詞は、時たま出てくる英語の台詞が解るくらいなんだけど、話の大筋が、観ていて判るところが、すごい。台詞が解れば、もっとおもしろいだろうなというもの。間違いの喜劇というジャンルのやつで、話は、喜劇じゃないけど、CGをうまく使ってるのでしょうね、同一人物を、同時に画面に現し、戦わせるというものです。えらく手も込んでる感じで、そこへさして、例に漏れず、突然入る歌と踊りも楽しめるというインド映画の醍醐味を備えている佳作でした。ダンスシーンは、映画のストーリーと関係ないところへと突如飛ばしたりしまう。その中には、インドの伝統的は風情を残すところが、ふんだんに使われますから、そんなのを観てるのも、とっても楽しみなものです。ダンスの振り付けも、インド独特のおもしろいものが続きますから、これにはまらない手ってないと思うのです。
 そんなで、今日は、寝不足の日曜日です。もう一度寝ないと、体が持ちません。昨夜、映画から帰ってきて、息子とお喋りしながら飲んだんだけど、寝付くのは早くても、寝る時間が稼げないのです。だから、ついついインド映画を観てしまうのです。




2008年 1月 3日(水)午前 9時 52分

 朝7時あたりの東南アジア便の帰国ラッシュ時に、クアラルンプルから帰ってまいりました。珍しく、JALを使うことになったのですが、これがまた、シンガポール経由と、わざわざ遠ざかってくれる飛行機。トルコ行くときは、マレーシア航空で行き、なぜか、マレーシアへ行くときは、そうじゃない。要するに、高いのです。ま、それはいいとして、最後の日は、元旦の朝9時のバスで、クアンタンから出発。この日も、トランスナショナルのバス。この間、このマレーシア最大のバス会社の雰囲気と違うものを感じていたのですが、ようやく元に戻りました。時間も正確だし、だらだらとした休憩時間はとらないしと、とってもリーズナブルな動き。東海岸的行動は、影を潜めていました。黄紺の頭の中は、完璧に東海岸スタイルになっていましたので、考えていたよりか、30分は、早くクアラルンプルに到着。まず、プドラヤで荷物を預け、インド人街を目指しました。もう、定番の動きです。この日も、メスジッド・ジャメからそごう裏のLRTの駅まで歩いて、インド映画のVCDを買いがてらの散策。それから、夏に時間がなく行けなかったトウキャットへ。大きなマーケットがあるのです。ここは、すごいですよ。華人が豚肉売ってる前を、カパルの女の人が歩いているという世界でも希有の光景を見れるのです。豚肉屋さんの背中合わせで、マレー人が店を構えてたりね、初めて見たとき、目ん玉が飛び出しそうになりました。ところが、今回は、運悪く、スコールに遭いかけたものですから、早めに切り上げました。この日は、大丈夫だろうと思って、傘を持っていかなかったのです。ところが、このスコール、ホント、瞬間的に降っただけ。プドラヤの荷物預かり所のおばちゃんに頼んで、傘を出した途端に、雨は止んでおりました。そんなで、最後は、定番のチャイナタウン散策。これも、あまり時間がありませんでした。ホントなら、このあと、チャイナタウンで、客家麺を食べようかと計画してたんだけど、朝ご飯に、クアンタンで魚丸麺を食べてしまったので、最後は、マレー料理と、プドラヤの屋台街で、ナシ・ゴレン・チナでおしまいにしたのですが、この「チナ」は、予想通り、「チャイナ」でしたね。だって、ナシ・ゴレン・チナって、王将で食べるチャーハンそっくりのお味でした。また、これに、コピ・アイスが合うったらありゃしない。
 そんなで、昨日の朝、帰ってまいりました。帰ってきて、ごろごろ、でも、お正月に家にいることなど、何年ぶりかという黄紺は、このときとばかりに、繁昌亭正月公演2日目第3部に行ってきたのです。今年の、初落語です。番組は、あさ吉「筍/つる」、三風「寿限無」、竹林「初天神」、内海英華「女道楽」、ざこば「放談/子ほめ序」、(中入り)、米二「始末の極意」、団四郎「百面相」、小米朝「ざこばと対談」と、ざこば大暴れの会となった。昼間、ヒルトンで、恒例の米朝一門会がある日だったので、あぶないと思っていたら、案の定、酒乱状態で登場。呂律も、しっかりと回らない状態。ヒルトンでの米朝とのやりとりを披露したり、枝雀と交わした、ちょっとアブナイ一件とかの話をして、いきなり「子ほめ」をやりだした。さすが、入りきっているネタ。序の部分を、普通に演じて、「ま、こないにしてやるんですわぁ」で、引っ込んだ。嵐は、そのあとの小米朝の高座。袴をはいて現れた小米朝は、何をしてくれるのかと思っていたら、マクラで、洞爺湖から帰ってきた話をしている最中に、掃除機を持って、ざこばが乱入。結局、対談に。米団治襲名話をしたりしていたら、2人で「子ほめ」の続きを掛け合いでしようして、どんどんと崩していくざこば。最後は、めちゃくちゃになって、赤子が出てくると、「こいつのおむつ変えたんだぁ」と、昔話に。それが、一通り済んで、お開きになりました。これは、これで、おもしろい話が聴けて、おもしろかったんだけど、あの袴姿で、小米朝は、何をするつもりで出てきたのか、心残りなのです。三風の改変ネタが、大爆笑です。寿限無の父親がやくざ、名付け親が、その親分という設定で、通常の寿限無をするという試み。これは、大拍手。ちょっとした発想が、見事な成功を導きました。竹林は、出て行くまでの部分を、若干デフォルメして、店を冷やかす部分はカット。凧揚げにいきなり移行。こういうショートカット版は、初体験。でも、これは無理筋です。だって、凧揚げで、おやっさんが我が儘言うのは、父子が逆転現象やから、おもしろいはずなんではないでしょうか? 要するに、店を冷やかす部分が入ってこそ、凧揚げの部分が生きてくるということです。米二は、達者としか言いようがありません。
 そんなで、お正月も、今日でおしまいです。明日から、仕事ですから、今日は、ゆっくり日本の正月堪能です。と言っても、特別なことをするわけじゃないけどね。




2007年 12月 26日(水)午前 7時 1分

 人間ついてないときは、ついてないものだ。仕事が、思いの外、早く終わったので帰り支度をして、ちょっと映画でも観ようと、正に、職場を離れようとした瞬間、それを、立ちはだかるように、新たな仕事が飛び込んできました。これが、映画「魍魎の匣」がダメになった瞬間だった。結局、時間潰しをして、時間潰しをして、ようやく、午後9時開演の繁昌亭レイトショーに行けました。黄紺的には、今年最後に飾るには、うってつけの「できちゃったらくご」の会が、繁昌亭で開かれたのだ。
 昨日の影響か、あやめがMC。出番を決めるじゃいけんをする中に、三金がいない。MCも、あやめ1人。「昨日、同じネタを出すと言ってたのに」と思ってたら、このオープニングには間に合わずで、じゃいけんには参加せず、4番目の出番をもらいました。番組は、それで、南湖「ミシュランの由来」、三風「ミシュランが来た」、遊方「ア・ホーリー・ナイト」、三金「奥野くんのX'Mas」、たま「躾」となった。とにかく、頭抜けた収穫は、遊方の作品。聖夜だから愛を語るのコンセプトで作られた地球最後の日、それを回顧する婆さん。アホー星人に追いつめられるカップル、愛がいっぱい。噺は単純なんだけど、アホー星人が傑作だし、征服とはアホーになることという発想の勝利です。あとは、横一線。南湖は、時間が限られてるから仕方がないけれど、詰めた話構成にしてほしいな。三風は、客席参加型、これも、別にミシュランでなくってもいいじゃないって突っ込みたくなりましたし、歌のチョイス、考え直して欲しいです。「ふるさと」では、なんか間延びするよな気がします。三金は、「住吉籠」のぱくりっぽい部分が目立っちゃいます。たまの噺も単純だったか。たまの作品は、教育評論家の母親が、三田佳子状態という噺。これの繰り返しで、それはそれでおもしろいのですが、ちょっとした変化でいいから、そんなものを求めてしまいます。トリを、じゃいけんで勝ち取ったたまの口演が終わると、いつものように、全員揃って登場。なごみちゃんとのじゃいけんで、プレゼントが当たり、アンケートで、次回チケットが当たる抽選でお開きとなりました。
 そんなで、本年最後の落語会通いは終わりました。新年は、これまた、繁昌亭通いに頑張ります。




2007年 12月 25日(火)午前 2時 31分

 3連休最後の日、昨日と、結果的に同じコースを歩むことになったが、ちょっと工夫。梅田シティへ行くのは、福島経由で行きました。人ごみがたまらんから、ね。今日も、夜が固定だったので、昼間は、それに合わせて都合のいいものをチョイス。そんな基準で、映画を選んでいます。なんせ、この間、観たいものが多いもので。
 午前中は、ちょっと家で用事を済ませ、午後から、梅田ガーデンシネマに出かけてきました。噂のデンマーク映画が上映されてるからだ。「アフター・ウエディング」というのが、その映画だ。インドで慈善活動をしている男が、出資者から呼び戻される。着くと、娘の結婚式に出てくれないかと言う。これに出るところから、全て人生が変わっていく。そこで見た人物、そして、その娘、登場人物との関係性が解き明かされていくという具合だ。究極の選択、社会的貢献か、個人的体験の尊重か、その選択を迫られていく主人公。そな中で、様々な意見の相違、立場の違いからくる相克が生まれるが、この映画のいいところは、その当事者が、全て、話し合うのだ。これは、すごいことなのだ。解決するかどうかは、二の次にして、当事者同士が話し合うのだ。それを、とってもズームインしたカメラワークで追っていく。ここが、この映画の最大の見どころと看ました。筋立ての巧みさは、むしろ、その次でしょう。いずれにせよ、いい映画に出会ったものだ。
 夜の会場は、この日も、繁昌亭。しかも、2部制と、終わってみて、ちょっと反省。だって、また、最終電車になってしまったんだもの。そんなわけで、まず、夜席から。「姉様キングス クリスマスショー」があったのだ。まず、ご挨拶で、繁昌亭風紀委員会ではねられたら、これが、最初で最後とのコメントだと、主役の2人から伝えられる。過激な、お二人。でも、終わってみたら、かなりかげん気味と看ました。肝心の番組は、染雀「宗論」、あやめ「営業一課の高田くん」、(中入り)、姉様キングス「音曲漫才」、おしどり「音曲漫才」、シャンソン・ショーというものであった。中入り前は、顔見世という感じで得意ネタ。姉様キングスでは、アブナイネタは、ちょっと蔵出しせず。後に控えたシャンソンにとっておく魂胆。おしどりは、ようやく出逢えました。アコーディオンと針金アートという珍しい組合せ。両方とも、持ち芸がしっかりしており、評判をとるだけあります。そして、ロシア民謡も含めたシャンソンショー。途中で、お色直しまで入るというもの。「いくよくるよ」を聴けました。「いんじゃもん de コマンタレブー」も。コーラス隊は、都んぼ、三金、市楼、おしどり夫、アコーディオン伴奏は、おしどり妻でした。すごい熱気。出口では、あやめと並んで写真を撮る人、多数でした。
 そのあとが、レイトショー。「クリスマスファミリー劇場(仮)」と題されたもの。何か企画ものかと思ってたら、普通の落語会。なんで、またと思ってしまいました。番組は、市楼「胴斬り」、三金「奥野くんのX'mas」、智之介「マジック」、都んぼ「坊主茶屋」、全員で大喜利。三金は、明日、出すものを、早々と出してしまいました。なんで、また、ここでと思ってしまう会、家族連れをターゲットにするのなら、時間帯を考えないと、あきません。
 ということで、遊び疲れです。寝ないと、あかんのですが、なんせ、帰ってくるのが遅かったものですから、こんな時間まで起きちゃってます。




2007年 12月 24日(月)午前 8時 33分

 3連休の最終日の朝を迎えています。寒くはないのですが、黄紺は、そんなのにも拘わらず、お鼻むずむずがひどくって、困っています。気管は、ずっとむずがゆい感じがするしますしね。風邪じゃなくって、明らかにアレルギー症状と思っています。花粉症も、冬場に弱いとは言いながら、かなり強烈な症状が出ています。ある日、突然だもので困りものです。
 昨日は、とてもラッキーな日でした。休日出勤の仕事が、突然、予定より、だいぶと早く終わったのです。この連絡が入ったとき、思わず、ガッツポーズ。慌てて、映画を探しました。予定よりか、1時間あまり早く終わったとなると、何かいいものを観れるのではと、ネット上を探し回りました。そしたら、ガーデン・シネマでの「ダブリンの街角で」が、ドンピシャのタイミング。正確にこの映画の題名を書くと、「ONCE ダブリンの街角で」となります。ストーリーは、単純なんだけど、いいんだね、この映画。ダブリンの街角で出会ったストリート・ミュージシャンと、チェコからの出稼ぎの女。そのとき、女は、手に「issue」を持ってますから、大した仕事をしてるわけではない。花売りなんかや、掃除をしながら生きていってる女。でも、この女性、ピアノが弾けて、楽器売り場で、1時間だけ、ピアノを弾かせてもらうのを楽しみにしている。そんなことを知った男は、その楽器店に行き、早速のセッションに入ると、これが素晴らしものへ。ここから、2人の付き合いが始ま り、友情以上に心の通い合いは進むのですが、、、。実は、この女性には、子どもがおり、国には夫を残して、母親、子どもを連れて、働きに来ていたのです。そこは壊れません。ですから、とても淡いものです。それが、また、いいのです。それに、全編、彼らの音楽がかぶさっていきます。その歌詞が、ストーリーの進行を、結構、表していきます。それに、成功した映画と言えます。意図しても、なかなか成功しないことを成し遂げています。ハートウォーミングな映画です。主演の2人は、ほんまもののミュージシャン。しかも、実際に共演経験のある同士ですから、音楽が素敵です。これは、まちがいなく一押しの作品です。そうそう、ガーデンシネマでの予告編で、「迷子の音楽隊」でしたっけ? 東京映画祭でグランプリをもらったエジプト映画が流れました。良さそうな映画ですよ。予告編で、そんな気にさせられました。
 夜は、繁昌亭に回りました。後に、これが控えていたので、時間ができたとき、映画を選ぶのが難しかったのですが、うまい具合に、上の映画をゲットできたのです。映画館でもらった整理番号が、「93」、繁昌亭でも整理番号をもらったんだけど、こちらは、「205」、2つとも凄まじい番号に、あんぐり。でも、どういうわけか、いずれも、とってもお好みの席をゲットできました。いい席を都早めに来てる人には、申し訳ない。努力しても、努力が実らないというのが、この夜の常。努力をしないで、いいものゲットできるのも、この夜の常ということかと、変なところで、人生を感じていました。で、繁昌亭は、「第11回鶴志・小染二人会」がありました。鶴志がお気に入りの息子が行きたいと言ったときには、もうチケットは完売。いっぱいの客が詰めかけました。鶴志曰く、「小染は、売りすぎ。立ち見の方は、全部、小染の責任です」。手持ちのチケットを、かなり売った模様です。座席数以上のものを売り、儲けはったみたいです。番組は、石松「平の陰」、小染「尻餅」、鶴志「長短」、(中入り)、小染「黄金の夢」、鶴志「愛宕山」でしたが、中入り以後は、ともにネタ下ろしとか、ともに大作、名作だけに、意気込みを感じます。替わりに、前半は、お得意ネタ。「尻餅」の中ほどで、不覚にもダウン。それで、前の夜、寝不足だったことを思い出していました。「長短」のマクラでは、6代目ネタが入りました。何度聴いても、大笑いです。肝心の後半ですが、「黄金の夢」は、某東京の噺家に資料を送ってもらって覚えたと言ってました。「芝浜」です。ということで、3夜連続の「芝浜」となったわけです。筋立ては、朝早く出かけるパートの描写が入ったのが、1つ目の特徴。ただ、ざこばの近くの川で顔を洗ったときに、紐が引っ掛かって、財布が現れるという演出。どこに「浜」が出てくるのと待ってても、それらしきものが出てこない。元は、三題噺なんだから、キーワードとなるものを外したらいけませんね。そして、このパートを入れるとなると、たまの演出と比較してしまいます。寒々とした夜空に、主人公の男のもの悲しさ、やるせなさのようなものが出ていましたから、たまの場合ですよ、そんなのが残ってるものですから、あまりにもせかせかした小染の表現は、ちょっとひきました。財布を持って、家主を訪ねる下りはありませんでした。これは、雀三郎型。財布を、持ち出すきっかけは、たま、雀三郎は、表通りに店を出せるようになったという成功をきっかけであったのですが、小染は、お上から、財布が下げ渡されたことがきっかけとしています。そんなですから、ヨメさんが、夫を思い隠した理由も、犯罪者にならないためだけであって、仕事をしない夫に働いてもらいたいというヨメさんの気持ちは出されない。ですから、財布を拾った男の物語とだけになり、夫婦の情愛がテーマのこの噺が、えらく薄っぺらくなってしまってました。そういう風に考えると、行き方こそ違うが、たま、雀三郎という噺家は、大した方ですね、ホント。鶴志の「愛宕山」も、意外性もあり、とっても楽しめました。動きのある噺と思っていた黄紺にとって、巨体の鶴志には向いてないと思ったので、「意外」と思ったのですが、その感じ方は、はっきりと間違ってました。芸の力は、そんなもの飛び越えちゃうのです。山登りの場面も、頑張って息切らして、汗かきながら演じなくても、台詞一つで、ちょっとした小さな動きで、表現できるのです。下に飛び降りるときも、また、上がってくるときも、みんな、そうです。芸の力って、おそろしいものです。息子にも聴かせてやりたかったですね、この「愛宕山」を。
 「ちとてちん」が始まっています。天狗座での公演、若狭の高座は、「ちりとてちん」でした。入門間近の噺家の演じる口演と、年季明け間近の噺家の演じる口演を描き分ける貫地谷しおりを、誰か、噺家さんが誉めてましたが、ホント、そうですね。




2007年 12月 23日(土)午前 9時 6分

 3連休の2日目に入っています。今日は、もうじきお仕事ですので、実際は、3連休じゃないのですね、黄紺的には。そんなですから、両脇の2日間で、遊びまくろう、いえいえ、暮れの準備もしなければなりませんが、ま、それは、明日に任せてと、相変わらずじゃまくさいことは、後回しにしていますが、とりあえずは、昨日の行動を振り返っておこう。
 昨日は、今年最後の観能の日に当てた。丁度、2ヶ月ぶりだった。11月は、気になる会がなかったか、べらぼうに高くて手が出なかったかの、いずれかだ。昨日は、大槻能楽堂であった「大槻同門会能」という大槻家のお稽古能に行った。能楽界の名優を揃える大槻自主公演能ではない。お目当ては、「柏崎」なんだが、それを含めての番組を記すと、能「巴」「柏崎」「鵺」狂言「腹不立」となる。「巴」と「鵺」は、若手が良く手がける曲だし、実際、昨日もそうだった。それに挟まれた形の「柏崎」が、なかなか出ないんですね。黄紺の観能記録を見ても、80年代後半に2回連続で観て以来となる。前場は、緊迫したやりとり。だが、不可思議な展開。在鎌倉の父親が亡くなり、その知らせを持ってくる家臣の男の到着、母親とのやりとり、ここまでは、いい。だけど、なんで、その子どもが、母親から離れるのか、、、これが解らない。だから、母親は狂うのか? 狂いの場が、善光寺なので、ここから一挙に、仏教臭が、ぷんぷんしてくる。これは、珍しくないが、この手のものは、上演機会が少ない例に入るのでしょうか、母子再会譚の唐突さもびっくりだが、これは、能では、よくあることだからと言っても、なんか、忘れてしまうくらい、仏教臭に、うんざりなのだ。初めから、そういった曲だったら、まだ、見所にいる者として、納得がいくのでしょうが、どうも、この展開は、馴染めないですね。ということは、出ないということになりますか、、、。「巴」「鵺」の共通点、やられる方が、やっつける方も表現する。これも、能の特徴ですね。「鵺」などというモンスターと頼政という武者を、同一人物が表現するけったいさ、珍しく抵抗感感じてしまいました。演者は、有望な方々です。やっぱ、おじいちゃんの能よりか、こういった若手の身体表現としての能という要素が、もっと評価されないと、昨日も思いました。狂言は、久しぶりに、善竹忠重家の皆さん。同門の方も、随分と腕を上げられたなぁと感心しておりました。おまけに、あまり出ない「腹不立」とはありがたいことでしたが、シテの僧って、まいすなんですか? 最後に謝るから、そうなのかもしれないけど、なんか、可哀相に思えちゃいました。
 能が終わって、速攻で、鶴橋へ移動。せっかくだから、鶴橋での韓国料理を食べたかったのよね。最近、気に入っている駅近くのお店。昨日は、ユッケジャンをいただきました。おいしいけど、小皿が、キムチの盛り合わせと言うほどの量ではないけど、それだけというのは、韓国料理に反するよね。ま、他のお店も、随時当たってみます。随分と、増えましたね。韓国そのまんまのものが出てくるお店。鶴橋に行ったのは、雀のおやどであった「第55回 雀三郎つるっぱし亭」に行ったのです。が、客の入りが、えらく悪かった。急いで行かなくっても良かったと思っても、あとのまつり。で、番組なんだけど、雀五郎「みかん屋」、雀三郎「蔵丁稚」、雀喜「花筏」、雀三郎「夢の革財布」というもので、雀三郎のネタとしては、飛び切りいいネタなのに、、、よく分かりません。「蔵丁稚」が良かったですね。黄紺的には、初物。「小倉船」で、芝居がかったものを観たことがあったが、それ以外は、ホント初めてです。そしたら、良かったのです。人物の描き分けでは、右に出る者なしと思うこの人ならではの、やりとりに加え、芝居の部分が、デフォルメ気味の部分も含め、非日常空間を、見事に作りだしていました。いいっすねぇ、この「蔵丁稚」。「夢の革財布」は、定評のあるもの。「芝浜」の移植版。丁度、前日に、たまの「芝浜」を聴いていたので、いい比較ができた。やっぱ、財布のありかは、雀三郎版が秀逸なんだけど、これって、客を、どこに置いておこうとするのかの立場の近いなんだということが見えてきました。雀三郎版は、噺の中に、聴き手をも取り込んでいきます。現場にいるウィットネスの立場を求めます。たま版は、完全に外に置いてしまいます。この夫婦は、どうなるんだろうの気にさせます。そこに焦点が絞り込まれます。雀三郎版は、財布に、目がいきますね。あの財布は、どうしたんだって。夫婦の問題は、むしろ壊れる可能性なんか、端から考えないです。だから、たまが、「離縁状を書いてくれ」と、嫁はんに言わせる台詞を用意する秀逸さが、見えました。また、財布を、冒頭で見つけるところに、三味線を入れる工夫も、これは、事実なんだと印象づけるのに、とっても効果的でした。それぞれ、異なった持ち味のある2人の噺を聴けて、大満足でした。雀五郎のこのネタ、安定感、抜群ですね。雀喜は、なんか、噺が、ぶちぶちと切れてる感じ、各場面が。この噺の難しさを認識させてもらいました。
 そんなで、振り返りを終わります。なんか、この頃、暖かいですね。雨は降るんだけど、暖かいのです。




2007年 12月 22日(土)午前 10時 24分

 暮れの3連休、ほっこりしています。なんせ、昨夜は、最終電車で帰ってきたものですから、ちょっと、遊び疲れではありますが、3連休は、いいですね。外国にも行きたいんだけど、仕事が残ってるものですから、暫しのお預けです。そんなで、火曜日以後のお遊び記録を認めておきます。
 火曜日(12/18)は、ワッハ5階の大ホールであった「島之内寄席〜十二月席〜」に行ってきた。「島之内寄席」は、何ヶ月かぶりです。他の会と重なったしてたのです。番組は、ひろば「狸の賽」、三金「神様のご臨終」、米左「持参金」、福郎「質屋芝居」、(中入り)りんりん亭りん吉(第17回彦八まつり素人演芸バトル優勝者)「松山鏡」、仁智「ハードラック」。りんりん亭りん吉とお茶子さんが、彦八まつりのご褒美というのは、恒例のことです。ひろばが、こないだうちから、ちょっとした「化ける」という様相、この日も、そうでした。奇をてらわず、まず、普通に演じることが、いかに大切かを見せてくれてます。三金・米左は、もう、お手の物。福郎は、芝居の部分を際立たせる努力をしてもらわないと、、、うとうとときちゃいました。日常の中の非日常だから、おもしろいんだから、気を変えなきゃ、ね。りんりん亭りん吉は、8歳のお嬢さん。人の描き分けまでやっちゃう、優れ物。優勝の値打ち。感じました。そして、お目当て、仁智。徹底的についてない男、オムニバス形式落語として演じます。この形式は、仁智、お手の物。ブラックな部分も満載のネタです。年寄りの多い会場でも、反応のいい笑いが、ツボにはまると増幅されてました。
 水曜日(12/19)は、1ヶ月に1度を目途に通ってる医者通いの日です。早く帰ってくると、簡単にダウン。明け方に、UEFA杯を、BEST-FMを聴いていたら、珍しく前後半の間に、ガラタサライのサポーターに電話インタビューが入った。そしたら、皆さん、バイラムをお祝いしてました。クルバン・バイラムだったのです。もう、1年が、経っちゃったのです。時が経つのは、早いものです。
 木曜日(12/20)は、「平成 創作落語の会」があった繁昌亭へ行った。仕事で際どかったのですが、無理やり間に合わせました。番組は、しん吉「牛乳時代(中島らも・作)」、三金「奥野君の幽霊」、小春團治「アーバン紙芝居」、花丸「花丸版・ないもん買い」、三枝「赤とんぼ」だった。しん吉は、中島らも作品。やっぱ、けったいです。けったいな行動をとる人が、ここでも出てきます。客席は、引き気味です。三金の、このシリ−ズ、「幽霊」は、自分的には初物。デブ専ネタに幽霊ネタを持ち込んだ着想、それで、もう勝ったようなものですね。小春団治のこのネタ、ようやく出逢えました。小春団治版「いかけ屋」ですね。今どきの子どもと紙芝居というものが、どれほどの距離感があるか、ようく分かりました。小春団治、その辺の感覚、うまく掴みますね。花丸版は、2回目。なぜか、前は、途中で眠ったのよね。それが、分からないでもないです。「立って、立ってんねん」のおかしさが続かないのですね。最高の爆笑が冒頭にあって、徐々に尻すぼみ傾向だということが、この日の口演で分かりました。でも、評価、したいなぁ。どんどん、改善すればいいんだから。こういったものを作ろうというその心意気が、嬉しいのです。で、ここまで、今日の会、やけにテンポよく進むなと思っていたら、トリの三枝のネタおろしの噺が、70分ほどかかるものでした。帰り道に着く人が、「すごいねぇ」と語り合いながら歩いてる人らがいましたが、それに尽きます。よくぞ、こういった発想を持てるものだということに加えて、ホント資料を集めて、調べ上げての創作なものですから、「すごい」の言葉が出てくるのです。テーマは、童謡と唱歌。そのなかに、とってもいい感性があったという観点で作られるところは、ま、よくある感性なんだけど、一つ一つの歌についての蘊蓄が重なっていくんだけど、それが、半端じゃない。これが、すごいわぁ、ホント。おまけに、生の歌を入れました。関学のグリーの学生6人が、特別出演です。そんなで、とってもいい会だったと思えたのです。
 昨日金曜日(12/21)は、繁昌亭の2部制をとりました。まず、「たまのフレンドリー寄席β」です。ただ、たまから気になる発言が。たまの会は、繁昌亭では、ラスト・ツーの会だそうです。どうやら、こういった実験的要素の高い会は、繁昌亭から消えていくようなんです。運営側としては、皆が親しめる会を企画するようにというお達しを出しているそうです。ですから、昨日のたまの会も、とってもオーソドックスな番組構成。辛うじての抵抗は、師匠福笑の作品「山寺瓢吉」を出したことくらいでしょう。いくらなんでも、福笑にたてつく人はいないでしょうからね。一方で、この方針も、分からないでもないです。たまの会は、マニアの支持と、一見さんの支持で成り立ってる会です。但し、一見さんというのは、若い人、なかでも若い女性なのです。それが、昨日の繁昌亭に来てる一見さんは、おっさん、おばはん、これじゃ、たまの感性、値打ち、分からないのです。そして、こういった層が、毎回、多いのよねぇ。繁昌亭が客を喚ぶのはいいんだけど、いろんな感性を受け止める客層じゃないんだよね。だから、オーソドックスな落語を知ってもらう、そういった番組構成で統一しようという方針が出たらしいのです。たまは、今後は、ワッハでしますと言ってました。方針も分かるんだけど、でも、寂しいこと、この上ないです。番組に、マークをつければいいだけだと思うんだけどね。これは、実験的要素が濃いですよマークを付けて売り出せば、いいと思うねんけどね。たまの新作に「胎児」という素晴らしいものがあります。胎内での双子の会話は、逆立ちをしながらやります。逆子じゃないですからね。こんなのは、繁昌亭では、アウト、間違いなしですね。「できちゃった」もアブナイね。東京の三遊亭白鳥なんか、ここじゃ、できないですね。番組は、さん都「強情灸」、たま「山寺飄吉」、こごろう「茶の湯」、たま「不動坊」、(中入り)、たま「芝浜」、でした。「山寺飄吉」が、良かったですね。テンポが良くて福笑テイストを、十分、感じさせるものでした。ただ、マイクが、演者の声を拾いすぎて、聞き辛いと感じだしてました。それが、「不動坊」の盛り上がりを減じてしまったよう。質的には、先日、難波神社で聴いたものでした。「芝浜」は、人情味たっぷりだったのですが、先に、ネタ晴らしがされてしまいました。大家さんに相談に行くという演出。これカットして、普通の日常風景を増やすいうことできなかったのでしょうか? ま、これは、方針の違いでしょうが、、、。こごろうの口演のところで、昨日の疲れが、どどーっと出て、ダウン。ちょっと残念でした。さん都は、「池田の猪買い」から見方が変わりました。この人も、元気が出てきてから、いい感じになってきました。
 第2部は、午後10時開演の「桂吉弥のよるのお仕事です」でした。もちろん、繁昌亭。レイトショーは、11時終演のはずだったんだけど、昨日は、10時開演だから、終わったら、11時20分。最終電車で、家に到着です。出演者は、吉弥とまん我。まず、2人が、カラオケで歌いながら登場、それも、1人ずつ。吉弥が上手だということは知ってたんだけど、まん我も、うまい。もう、この会も3回目ですから(私は初めて)、おなじみさん、噂で知ってる人(私も、その1人)は、やんやの喝采。そして、ミラーボールも入るという演出。2人が、舞台に揃うと、照明を落としたまま、対談。ここで、「ちりとてちん」の話が、いろいろと披露されるサービス。それで、20分以上。そして、まん我が高座に。なんと、「しじみ売り」。じっくり聞かせる噺。もう、この段階で、11時終演は無理。吉弥の高座は、10時47分から始まった。それで、「崇徳院」、もう、時計が気になったけど、11時50分の頭があったから、最後まで聴きました。吉弥の「崇徳院」は、うまい、めっちゃ、うまい。現在の最 高レヴェルでしょう、まちがいなく。東京から、この会のために来た人がいると言ってましたから、この2人のネタには、大満足されたことでしょう。先ほど、どこかのブログを覗いたら、広島からも来たはったということです。たまの会も多かったけど、10時始まりの会が、満員の盛況なんだから、びっくりです。
 そんなで、3連休初日となっています。今、TVで、「ちりとてちん」やってます。最近、はまっています。




2007年 12月 18日(火)午前 5時 47分

 昨日は、寝不足のため、特に午後から不調でした。その状態で、繁昌亭へ行くことになりました。何やら、疲れをとるために繁昌亭へ行ったっていう感じ。これは、ダメです。中入り前にダウンしてしまい、サイテーでした。昨日の夜席は、2ヶ月に1度の「桂ざこば一門会」があったのだ。都丸の出番があるときには行くことに決めているので、律儀に行ったのに、そういった情けない話になっちゃいました。
 まず、幕が上がると、恒例のご挨拶。本日の出場者が揃って、短いトーク。この日は、「この1年を振り返って」。印象に残ったのは、ひろば。この8月に、今まで最高の月収を得たとか。当然、「なんぼやってん?」という師匠からの突っ込みが入る。「60万円台」だということで、会場、舞台上、どよめく。但し、ほぼ連日働いてのこと。及び、最低収入は、1万8千円とか。ついでに、この会のギャラの話へと展開。若手に厚くということで、ざこばや都丸のギャラは抑え気味で、これだけやと披露されてました。そんなあとに、出番を決めるじゃんけん。それを受けて出来上がった番組は、ざこば「厩火事」、ひろば「禁酒関所」、さん都「池田の猪買い」、(中入り)、都丸「読書の時間」、わかば「口合小町」となった。どうやら、出番関係なく、ネタは用意されているのかなの印象です。ざこばのこのネタには、びっくりでした。しかも、トップで。だから、ひろばは、軽くというわけにいかなくなった。そんな感じだから、その印象も外れてるかもしれません。入門から日の浅い方のひろばの「禁酒関所」とさん都の「池田の猪買い」が、なかなかいい出来で、頑張ってるやん、精進してるやんと、手応えを十分に感じていながら、ダウンはここ。ひろばの、あんなに安定した口演は初めて。奇を狙わず正攻法な話しぶりを心がけたら、いい噺家さんやわぁという感じかな。さん都は、元々もっちゃり口調で、素にままで噺家になったんちゃうという感じなんだけど、そこへさして、アホの男の、賑やかさ、落ち着きのなさみたいなものが、うまく出てて「いいなぁ、この池田の猪買い」と思ったのに、ダウン。決して、ダウンは、口演のせいではありません。都丸は、最近、手掛け出した三枝作品の「読書の時間」でしたが、前に聴いたとき出なかった「ざこばのざっこばらん」や「米朝大全集」が入ってました。先が読めるってんで、もう、そこで爆笑が続くし、実際、起こるべくして起こる出来事に、会場、沸きかえっていました。「口合小町」は、珍しいから、ある程度許せるとしても、トリのネタじゃないわね。と、ちょっと文句も入れながら、振り返ってみました。わりかし手慣れたネタを出そうという感じなので、もう少し間隔を開けての再訪がいいかなと思いながら、家路に着きました。
 疲れをとるために繁昌亭へ行ったという感じで、帰りは、体が軽く感じてたのですが、またまた、寝れませんでした。きつい1日が明けようとしています。




2007年 12月 17日(月)午前 5時 1分

 昨日の日曜日は、ご多分にもれず、遊びたいこといっぱいで、朝・昼・晩の3部制を敷いた。行ってみたい落語会が、昼間で、且つ、場所が茨木ということで、京都の映画館と組み合わせてみた。それも、同じシネコンだから、朝、その映画館に行って、また、夕方、そこに戻ってきたのだ。具合がいいのは、朝に夜の部のチケットもゲットできることだ。シネコンは、これができますね。
 まず、朝の部は、フランス映画、実は、中国映画「中国の植物学者の娘たち」を観た。これは、同性愛がテーマの映画。黄紺は、このジャンルの映画は観るようしている。ものの見方を、違ったアングルで見れるんじゃないかと思うのだ。サブカルチャーは、多様な観点を生み出すということだ。で、この映画だが、とっても古いタイプの同性愛映画だということだ。映画の終盤部分を観てて、オスカー・ワイルド裁判を思い出していました。制作がフランスだったし、原作もフランスで出版だということだったので、そんなに古いタイプの映画だとは思いもしていませんでした。ということは、裏を返すと、中国での同性愛者の位置付けが見えてくる感じがします。家父長的家族道徳の強い中国社会を、ホモセクシュアルの観点から射るというのがテーマだと思ったら、もっと、基本的なスタンス、告発映画なんてスタンスかもしれません。裁判で、処罰という流れになるとは考えもしなかったなぁ。この映画のいいところは、徹底的にエキゾチックに作ってあるということです。まともに中国に行ったことのない私は、どれほどの具合エキゾチックだと言えるのか、また、現実から乖離したものかは判定できませんが、ま、そんなところで、目を引くように作ってあります。
 午後は、茨木市民総合センター(クリエイトセンター)1階和室であった「ゆきち亭寄席 桂歌之助落語会〜年忘れスペシャル企画〜」に行ったのだ。主宰者は、落語会で頻繁に見かけるおばさま。こういう方だったんだと知った次第です。番組は、歌之助・佐ん吉・大川貴子「上方落語お囃子入門」、佐ん吉「いらち俥」、歌之助「七段目」、(中入り)、歌之助「骨つり」だった。この会は、三味線なしで、ここまで続けられてきたそうだ。それが、この日初めて、大川さんを迎えての会だということで、冒頭に、お囃子高座が置かれたということだ。そして、歌之助のネタも、鳴り物入りで統一されていました。ただ、狭い会場に、人が一杯。すっごく気温が上がり、酸欠状態になった「七段目」の後半で、昏睡状態。まいったなぁ。その「七段目」ですが、歌之助も芝居噺するんだということで、この日の目玉と思って期待のものだったのに、こんな状態だったのです。ただ、芝居の部分には、ちょっと口出ししたいのです。芝居の部分と、それ以外の部分のトーンが同じなのは、まずいんじゃないかなぁ。気を換えて、芝居に入るという感じが欲しいです。「骨つり」は、久しぶりでした。こちらは、歌之助の身体表現としての落語が、生き生きとしてました。佐ん吉の口演を含めて、とっても熱気の籠もった会。いい会に行ったと満足しましたよ。
 再び、京都に戻り、ネットカフェで時間潰しをして、夜の部へ。今度は、韓国映画「カンナさん大成功です!」を観に行ったのだ。原作は、日本のコミックらしいが、その内容は、韓国映画にぴったり。ブスで、デブの主人公が、でも歌がうまく、人気歌手の影武者をしてるんだけど、整形手術をして、美人に生まれ変わり、新たな歌手として登場するんだけど、徐々に秘密が暴れていき、さあ、どうするんでしょうというもの。とても韓国映画の着想に合うモティーフだとは思いませんか? ただ、公式HPを見て、びっくり。デブのカンナさんと、整形後のカンナさんを、同じ女優がやってんですね。これは、驚きです。顔も、体も全部、特殊メイクだって。巨大スタジアムでのロケといい、スケールが大きいというか、韓国映画らしい名シーン作りがされてました。MOVIX京都には、韓国映画の定番、おばさん集団が見当たらず、若い、下品な連中が多かったのが、意外でした。
 そんなで、日曜日が終わり、また、仕事が始まります。正念場の1週間が始まります。ブルーになります、それを考えると。




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