忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2019年 11月 11日(月)午後 7時 15分

 今朝一番で衝撃が走りました。桂三金の訃報を知ったからです。同門の三弥が亡くなり、まだ追善の落語会が開かれている時期に、またもやという印象です。その前の雅と併せると、まだまだこれからという噺家さんの訃報が続きます。ベテランの噺家さんなら、順番ということで諦めもつきますが、そうではない噺家さんが亡くなっていきます。特に三金は、今後の上方落語界では中核となっていく噺家さんだっただけに、寂しさがつのります。多様な噺家さんがいて、落語界の彩りが輝くと思う黄紺は、三金は、その彩りの重要な駒になる噺家さんでした。「デブ」で、創作に自分の型があり、人柄も含め多才だった噺家さんです。時は機しくも、繁昌亭で、自身も含めた「噺家生活25周年記念ウィーク」の最中。この企画にも、三金が中心的に動き実現したと聞きます。個人的には好き嫌いはあるのですが、有望な噺家さんが揃った年に噺家生活に臨んだのが、自らの個性発揮を促したのかもしれません。ホントに惜しい。悲しい。寂しい。
 そないな気持ちを持ち、今日は浪曲を聴きに行く日にしていたため、それを敢行。久しぶりの「一心寺門前浪曲寄席」(一心寺南会所)に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。京山幸乃(一風亭初月)「小政の少年時代」、春野冨美代(沢村さくら)「斎藤藏之助の堅田落ち」、春野恵子(一風亭初月)「袈裟と盛遠」、京山幸枝若(一風亭初月)「国定忠治外伝~火の車お萬」。幸乃さんは、幸枝若門に入られた新しい方。入門1年1ヶ月と言われていたかな。今日の狙いの1つでした。幸枝若門には、もう一人、女性が入門されてますし、四郎若門や雲月門にも新しい方が入られているので、浪曲界にも、行く先に光明が射してきています。その幸乃さんですが、ほっそりとした体躯に、ぼそぼそとマクラを話し出されたので、不安を感じさせたのですが、ネタに入るとどうして、結構なパワーの持ち主です。何か声を出す経験をお持ちの方かなと思った一方、終盤は、ちょっとガソリンが切れたようで、スタミナが気になりました。ネタは、幸枝若ネタですから、そうは容易く自分のものにしにくい、独特のものですから、長い目で見なければと思うとともに、幸太くんの能力の高さを感じずにはおれませんでした。今日は、春野百合子門下からお二人の出演ですから、ネタの割り振りは、事前にされたのでしょうね。恵子さんのツイッターには、3日間のネタが、予め記されていさたから、可能性はあるかなと思っています。ただ、今日の2つのネタは、いずれも、なかなか聴いているのがきついもの。「斎藤藏之助」は、明智の落武者ですが、馬を得て、しかも、口封じの一石二鳥になると、男を斬り捨ててしまいます。その男は、実は、自分を迎えに来た元乳母の伜だったことが判るというもの。「袈裟と盛遠」は聴くたびに書いています。盛遠は変です。度を越したストーカーで、女を得るために人殺しまでやってしまう物語です。いつ聴いても、不快になります。冨美代さんの、藏之助と乳母の静かな対話がいいのですが、話が話なので、居眠りという形で、体が反応してしまいました。恵子さんは、久しぶりに聴くと、とっても表現が大きくなっていて、迫力抜群。ただ、ちょっとクサいけどなと思う一方、これが浪曲だという気持ちがない交ぜになります。「火の車お萬」は初もの。幸枝若師の「国定忠治」も初めてのはずです。やはり、ほんまものの幸枝若節は魅力的です。噂に聞く女侠客火の車の度胸を試そうと、忠治が、火の車の賭場に入り、難癖をつけるというもの。いよいよ、二人の対決かと思われたところで、「お時間」で切る幸枝若お得意の幕切れ。今日は、この1本を聴けただけで、大満足。今日は、恵子さん付きという感じの初月さんが、3/4を担当。1日目は、4本とも担当されたようです。会場には、初雪さんもおられたので、手が足りないわけではないということですので、やはり、番組作りが関わっているのでしょうね。


2019年 11月 10日(日)午後 7時 23分

 今日は、京都産業大学ギャラリーで行われている企画展関連講演会①として開かれた講演会(京都産業大学壬生校地 むすびわざ館)に行ってまいりました。企画展の名称は「大嘗祭」。今年ならではの企画。ですから、その関連のお話は、この機会に聴いておこうの思惑で行ってまいりました。30年前は、このテーマに、随分と関心が寄せられた記憶があるのですが、今週はかなり静かな印象を持つものですから、余計に貴重な機会です。演題は「令和の御代の大嘗祭ー京都から考えるー」、お話をされたのは、同大学准教授の久禮旦雄さんでした。冒頭で、パレード「祝賀御列の儀」の裏番組になったが、決して合わせたわけではないとのお話。いや、合わなかったならば、マスコミに売れてる方のようで(テレビを観ない者には確かめようがない)、そちらに引っ張りだこになったろうにと、言外に言われているように思えましたが、最高の掴みでスタート。まず、大嘗祭に使われ、使用後は取り壊される祭場の解説から。このとき初めて、それが、3箇所に分かれており、祭祀を行う2箇所と待機場とで構成されていることを知りました。更に、参列者が待機する場が2つあるそうで、これは知っていたのですが、祭祀が執り行われるのは深夜になるため、参列者は、暗闇で何も見えないそうです。しかも、寒いということで、前回は、開始時と終了時で、参列者の数が違い、問題になったとか。ま、こういったエピソードもお話いただける方だと判り、ちょっと安心して聴くことができるようになりました。まず、大嘗祭と新嘗祭は、基本的に同じだということを押さえられました。そないなことは、言われないでも判ってると、ちょっと突っ張ったのですが、要するに、天皇の代替わりのときの新嘗祭が大嘗祭だというのですが、そうなると、「天皇の代替わり」という要素が入るってくるわけで、そないな問いに関して、黄紺が聴きたかったことがあったのです。でも、講師の方が、大嘗祭と新嘗祭について触れられたときは、かなり奥の深いお話だったことが、このあと判ってきます。「天皇の代替わり」ということに関し、黄紺が知りたかったのは「殯」。30年前に、知る人の間では話題に上っていたこと。今日も、折口信夫の業績として紹介されていましたが、見事に否定されてしまいました。そうではなくて、大嘗祭も新嘗祭も、いずれも、伊勢からが天照大神を迎える素朴な祭祀、収穫に感謝する祭祀だと言われるのです。違うのは、大嘗祭では、主基殿・悠紀殿に献穀される地域が、卜占で決まることにされたため、当たるかもしれない地方の国府は、常に用意をしておかねばならない。ということが始まる天武・持統朝は、壬申の乱後の国家の建て直し、即ち中央集権体制の確立に、このシステムを活用したというのです。確かに筋は通っている、だけど、秘儀中の秘儀かと思っていた大嘗祭が、単なる村の秋祭りになってしまいました。ですから、戦国時代なんか、中央集権体制が崩れに崩れると、伝統的な大嘗祭はできなくなる、逆に、明治になり絶対主義的中央集権体制が生まれると、復古的な大嘗祭が再開する。確かに話は合ってます。これは、黄紺的見解ですが、天皇制否定論者には、秘儀なり奥儀なんてのが存在している方が、カウンターの論を立てやすいはずですが、基本は村祭りのそれだとなると、言いにくいでしょうね。ということが、30年前に比べると、議論が盛り上がらない原因なのかなとも思ってしまいました。ま、それだけではなく、全体としての保守化があるとはいえ、天皇制そのものに対する論議が進まないのは、なぜでしょうね、30年前ほどに比べて。これは、黄紺が、世間に疎くなっているからかもしれないのですが、、、。


2019年 11月 9日(土)午後 6時 53分

 今日は大失態の日。秋の最中の土曜日ということで、各所で市民向けの公開講座が予定されており、目移りがするほどだったのですが、ようやく狙いを決めて出かけようとしたとき、悲劇が発生。開始時間を間違ってメモしていたために、間に合わない。さりとて、他に変えられる時間でもなしということで、完全にギヴアップ。そこで思案にくれたのですが、いいことを思いつきました。どこかで行けたらとメモっていた博物館に行くことにしました。こちらも候補が幾つかあったのですが、あっさりと決断。向日市文化資料館に行くことにしたのでした。こちらで、特別展「昭和モダンと向日町」を開催していたのが気になっていたのでした。係の方が説明して下さったのによると、現阪急電鉄京都線の前身新京阪電鉄が開通したときに、東向日駅前に、新しい住宅ができ、また、新京阪が、この駅を起点に、山科から大津に抜け名古屋に至る路線を作るという壮大な構想を持っていたため、この新しい住宅が人気で、文化人も住み出した。これが、今回の特別展のコンセプトに繋がるということでした。具体的な文化人として、寿岳文章・しづ夫妻、河合卯之助、そして、もう一人、椿愛好家であるため、椿グッズを集めた、、、名前を忘れてしまいました。そういった人たちの所縁のグッズ、作品などが展示されていました。PR文に、寿岳夫妻の向日庵が伝えられていたので、モダン建築に関する展示かと考えていた黄紺は、ちょっと肩透かし気味。第一、向日庵にしても、モダニズムの建築というのではなく、新京阪の開通に伴い建てられた新しい住宅というもので、言葉の捉え方の難しさを感じてしまいました。ですから、常設展の方が遥かにおもしろかったと言えます。長岡京遷都1200年を記念して造られた施設だけあり、長岡京に特化した博物館です。そして、この常設展が、かなりの優れものなのです。百済王家の女性、藤原種継、下級官吏、庶民と分け、それぞれの生活ぶりを、発掘品を使い、また模型を使い、展示してあるのです。思わず思ってしまいました。こないな展示を、小学生の頃に観ておれば、きっと日本史が好きになっただろうにと。向日市という町の背丈に合った小ぶりの博物館ですが、質は高い。今風のポリシーを掲げた、とってもお薦めしたい博物館でした。この常設展に入る前にも、係の方から個人指導を受けました。長岡京って、淀川の水運に目をつけたのでしょうねと言われてました。河内湾が健在な頃は、防御を考えても、平城京は、格好の位置取りをしていたのでしょうが、淀川や大和川の運ぶ土砂は、河内湾を干上がらせたでしょうから、奈良は利便性に劣ってきたのかもなと、そのお話を聞いていて思ってしまいました。「ブラタモリ」のとりこになっている黄紺は、自然のダイナミズムとリンクさせる思考ができつつあるようです。とまあ、今日は、思わぬ展開の一日となりました。講座を聴いたよりは、ウォーキングに精を出すこともできたので、ま、納得しておきましょう。


2019年 11月 9日(土)午前 9時 12分

 昨日は、大移動を含む二部制の日。午後に、京都で公開講座を聴き、夜は、伊丹で芝居を観るというものでした。まず、京都女子大学が、学生や市民向けに行っている公開講座へ。今回は、史学科の担当で、2本の講演を聴くことができました。その内容は、次のようなものでした。「栄西と京都・奈良」(京都女子大学准教授小原嘉記)、「ヴァイキングによるルーン石碑の建立活動」(立教大学教授小澤実)。実は、「ルーン文字」狙いで、「栄西」は、添え物気分で出かけました。他のテーマだと、場合によっては、日本史関係のお話はパスしたかもしれません。市民向け講座とはいえ、また、中世という共通項があるとはいえ、あまりにも異なったテーマが並んだためでしょうね。先にあった「栄西」の後の席の様子を眺めると、明らかなる変化がありました。せめて、西洋なら西洋と、地域を固めた方がいいのではと思ってしまいました。黄紺的には、「栄西」はおまけだったのですが、ところがどっこい。浅薄な知識で見通しなんて立てたらダメだということを教えられた、とってもおもしろいお話で、間口は広く開けておくことが肝要であるということも学びました。このお話、栄西を語りながら、禅が何か、鎌倉仏教の特徴は何かといった思想的な内容に、全く関与しないものとなりました。いきなり、栄西が、「大師号」という称号にこだわるお話です。後からは、「賜紫衣」にこだわる栄西の話が出てきます。これだけ聴いていると、名誉にこだわり、功名心に縛られた僧の姿が浮かんでしまいます。掴みとしては抜群の導入。ここから、平家により焼かれた東大寺再建の責を負った重源のそのための動きと栄西の2回目の訪中がリンクしている年表を見せられました。リンクしてます。どうやら、再建に必要な技術確保、職人確保という任務も果たしつつ、天竺行きを考えていたようだということです。その訪中には、商船を利用することから、また、任務そのものも商売絡みですから、自ずと、博多を初めとした商人とのコネクションを築き上げた栄西は、そのキャリアを活かします。後輩や弟子を中国に送るのに、このコネクションを使ったようです。こうした実力とともに、比叡山で修行を積んだ栄西は、鎌倉幕府にも食い込んでいきます。頼朝の娘が病気になったとき、加持祈祷を求められ鎌倉に移ります。重源を通じ、朝廷ともコネクションはあったであろうし、東大寺再建に功があったことも大きく、鎌倉行きが成ったようです。ここに、幕府僧として、栄西が現れてきます。その功も認められ、頼朝から土地の寄進を受け、建仁寺の創建、それで、京都に戻ると、重源の後を継ぎ、東大寺再建の責を任せられ、更に、九重塔があったという法勝寺再建の責も任されます。凄い人物です。こうした業績を背景に、「大師号」「賜紫衣」を願ったようです。「賜紫衣」は願いがかなったそうですが、「栄西大師」にはなれなかった。ただ、講師の方が言われるには、名誉や功名心に長けたからというわけではなく、天台宗、真言宗に並ぶ、禅宗の地位、認知を高めることが念願だったのだろうと言われていました。パワフルな僧栄西の物語、おもしろかったぁ。こないな人って知らなかっただけに、余計に興味を掻き立てられました。
 2つ目の講演は外部講師。ルーン文字なんてのを専門にされている方がおられることだけで、びっくりでした。お話は、まずは、ヴァイキングとは何ぞやというところから。勢力の拡大、国家の建設といったお話はともかくも、そそられたお話は、その勢力拡大の契機になった出来事。750年頃と、えらくタイトな時期設定をされましたから、かなり詳細が明らかになっているのだと思いますが、その頃に経済システムの大きな変動があったというのです。アッバス朝の版図拡大の過程で銀鉱が発見され、イスラーム銀の生産と大量流入が起こったというのです。価値の変化が起こり、ヴァイキングの世界も、この銀を求め動き出したというわけです。銀を手に入れるための交換財として、毛皮や琥珀以上に多かったのが奴隷。ですから、ヴァイキングの略奪は、金品が対象であった以上に人狩りだと言えるそうです。「slave」の語源は「スラヴ」だそうです。もちろん国家の建設で、大きな役割を果たすのがデンマーク人。これが、後の「ルーン石碑」のネタふりになっていました。前置きが終わると、いよいよルーン文字へ。姿形は見たことがあっても、その内実は、全く知らない。この文字、もちろんゲルマン人の間で生まれ、彼らがキリスト教化してラテン文字を取り入れるまで使われていたということです。形からして、直線で作られている文字であることは、言われてみれば、その通り。木片や石材に記されることを想定しての文字だとか。それが記された石碑には、定式化されたものがあり、そういった石碑を作る専門的な技能集団の存在も明らかになっているようです。そういったなか、世界遺産に登録されている石碑の詳細が紹介されました。イェリング・モニュメントと言われるもので、デンマークが、その版図を拡大したハーラル青歯王の事蹟を、後世に残そうとされたものです。近年の発掘で、単に石碑だけではなく、巨大な墳墓なども見つかってきているデンマーク王都の遺構であることが判ってきているようです。自分的には、侵攻される側だけで見てきたヴァイキングに、そのもの自体から見てみることの大切さも教えていただいた貴重なレポート、大変、楽しませていただけました。
 京都女子大学を出ると、京阪電車とJRを使い、伊丹に移動。久しぶりに、芝居を観にAIホールに行ってきました。昨日は、「突撃金魚」の公演「墓場のオサムと機嫌のいい幽霊」を観てまいりました。芝居は、フリークスを主人公にした芝居。フリークスゆえ、家族から離れて、墓場に小屋を建て暮らし、でも、罪の意識があるのか、母親は、毎日、パンを届けに来る。そのあたりのわけ、背景は、なかなか判らないように作ってあり、その間に、墓場の死体が喋ったり、言葉のない女が迷い込んで来て、小屋に住み着いたり、ホームレスの男が、その女が倒れ込んでたのを担いできたのをきっかけに、顔を出すようになったりするのだけれど、その一方で、その女の母親とおぼしき女が、夜毎、墓場に現れ、娘の霊を弔いに現れ錯乱を起こすために、夜回りの警官が連れ戻すのが日課になっている風景が描かれたりします。でも、その女が口走る中に、「娘を殺した」とあることから、主人公のフリークスも、言葉のない女も、ホームレスの男も、現実の人間なのか、幽霊なのかが判らない。終わってから振り返っても判然としません。それ以外では、毎日のように墓場に来て、いちゃつきあう男女がいます。どうやら、男の正体は、主人公のフリークスの男の父親みたいなのですが、それが、他のエピソードと、どのような関係があるのかも判然としませんでした。それに加えて、話をラストへと導くきっかけとなる役回りとして、主人公の妹がいます。その妹に結婚話が持ち上がっているのですが、相手の男にフリークスの兄がいることを言えてないというところからスタートしましたから、どこかで判るということが、話を大きく動かしていきます。墓場に現れる幽霊二人は、わりかし抽象的な話も盛り込むという特徴があります。その中で、よく交わされた言葉として、正義についてでした。「多数が良しとすれば正義なのか」「常識ってのがあるでしょ」「一人だけが主張しても正義は正義」などの言説が出てきましたが、それらの言説で、何やら光る言葉、新しいなと思えるものがなく、ちょっと失望。この劇団の作家サリngROCKは、こうしたことで、気の利いた言葉を出せる人だと思うからこそ観に来たのにと、この時点で失望気味。わりと早い箇所で、その見極めをつけたような感じだったため、おまけに、フリークスを出すにしては、ありふれた印象が出かけていたため、その後の進行が楽しめないなの予感が出てきてきました。そして、その通りだったなというのが、先に書くようですが、結論となります。話が動くのが、ホームレスの男が、喋れない女を冒したことが、主人公の男に判ったところからです。男は、ホームレスの男を殺してしまいます。それに気づいた警官も殺してしまいます。初めて、フリークスの姿を見ても怖がらなくなった女に何をするのだという、当たり前の人間の感情が起こり、その発露として殺人を犯し、それがバレるのを防ぐために、罪のない警官を殺したところで、男は身支度を始めます。上着を着て蝶ネクタイを締めます。思わず、この場面を観て、阪本順治監督作品の映画「顔」を思い出したからいけません。あの映画も、妹を殺した姉が、徐々に人間らしさを取り戻していく映画でした。そこに、正義についての陳腐な言説を被せたのが、本作品と見えてしまったのです。久しぶりに観た芝居、復帰戦に相応しい劇団&作家と思って行ったのに、残念。これじゃ、また、芝居から足が遠のきそうです。


2019年 11月 7日(木)午後 10時 35分

 今日は落語を聴く日。トルコから帰ってきて2週間が過ぎましたが、まだ落語会に行ってませんでした。予定していた落語会はあったのですが、都合で行けなくなったりで、今日が初めてとなりました。今日は、動楽亭であった「ソメかハチか!?」に行って来ました。林家染八の勉強会です。その番組は、次のようなものでした。棗「つる」、染八「大安売り」、米紫「猫」、(中入り)、遊子「ガマの油」、染八「七段目」。棗は、今まで「大安売り」しか聴いたことがなかったのですが、初めて違うネタを聴くことができました。すると、印象が随分と違うので、びっくり。この人、こないにしっかりしたお喋りができるんだと思ってしまったのです。声が低めであるという天性のものが、こうなると強みになります。動きもオーバー気味で、すっかり、今までの印象を変えてしまいました。もちろん、いい感じにです。主役の染八、マクラ一つをとっても、どんどんと成長しています。視野が広くなってきたのでしょうね。仲間内でのお喋りっぽいものから脱却です。でも、いい感じで、そのテイストを残しているため、客席との距離が短いお喋りができるのが、強みになってきています。ネタ下ろしが後に控えているためか、1つ目は軽めのネタをチョイス。でも、染八の「大安売り」は聴いたことがなかったので、お得感がありました。噺全体が軽やかで、いいテンポでの展開。いい感じの「大安売り」でした。ゲスト枠は米紫。ちょっと聴いてないなという印象なのですが、えらく顔がほっそりしていて、びっくり。髪型のせいでしょうか。だったらいいのですが。後で出る遊子の属するユニットの宣伝、今週の繁昌亭の出番をマクラで、たっぷりめに。そして、枝雀の作ったSRの紹介をしたかと思ったら、ネタは「猫」でした。米紫が持っていることは知っていたのですが、実際の口演に接するのは初めて。「猫」自体も、随分久しぶりの遭遇です。初めてかとすら思っていたのですが、下げを聴いて、間違いなく初めてじゃないことが判りました。ということは、途中は、すっかり忘れていたことになります。猫は猫であって、若い女性のようでもありって感じの仕上げ方。小佐田&枝雀コンビは、翔んでますね、すごいわ。遊子は、明日の公演に向けての大阪入り。大阪芸大出身だとか。江戸噺を出そうかと思ったのだが、それに該当する持ちネタは暗いものばかりだと言って始めたのが「ガマの油」。口上は楽しませてもらえたのですが、酔っぱらいはまだまだ。染八の1年下ということですから、これからってところなのでしょうか。最後は、染八のネタ下ろし。既に、自身のツイッターで「七段目」を出すことを告知していたのですが、それを目にしたときは、正直、びっくり。芝居噺をする気配すらも感じたことがなかったからです。でも、そういった噺家さんでも、「七段目」はやりたがりますね。芝居噺でありながら、芝居の部分がさほど多くなく、第一、全体が短い、そして、笑いを取りやすいという点が、噺家さんに人気のある所以と思ってます。そないなことを考えながら聴いていたのですが、誰からもらったのかな。人形ぶりはなく、また、定吉が絡んでくる箇所が違ったし、屋号を呼ぶ場もなしという感じで、この型聴いたことないぞという印象です。そして、芝居の台詞廻しは、にわか仕込みという感じで、やっぱ、芝居噺初体験者の雰囲気が濃厚。それが、芝居の場面以外でも、「大安売り」で見せた安定感には及ばなかったなというものでした。やはり、熟成の時間が大切ですね、慣れないことをした場合には。次に遭遇する時を楽しみにしておきます。


2019年 11月 7日(木)午前 1時 1分

 今日も文楽を観る日。今日は第2部、「忠臣蔵」通しの最終回です。具体的には、次のような内容でした。「仮名手本忠臣蔵~八段目 道行旅路の嫁入、九段目~雪転しの段・山科閑居の段、十段目~天河屋の段、十一段目~水橋引揚より光明寺焼香の段」。このパートでは、九段目が大きな見せ場。八段目は、そのプレリュード。九段目の主役の一角を占める戸無瀬とその娘小浪が、山科に向かう道行きを描きます。地名が読み込まれている浄瑠璃に乗った舞踊ってところです。七段目と九段目という大きな段に挟まる繋ぎの場を舞踊風にする心憎い構成です。こうした変化も「忠臣蔵」の妙になり、人気があるのでしょうね。九段目は、力弥と小浪の結婚問題。小浪が加古川本蔵の娘というのが、話のミソ。ネタふりは、二段目と三段目にしてありました。桃井若狭之助の出てくるところで、高師直に刃傷に及ぶところを、家臣の加古川本蔵の機転で未遂に終わり、今度は、高師直の矛先が判官さんに向かっていき、ついに刃傷に及んだところを、背後から加古川本蔵が押さえつけたという挿話のあるところです。その加古川本蔵の娘と力弥が許嫁だったというから、話が込み入ってくる。その決着が図られるのが九段目です。前半は、戸無瀬と内蔵助の妻お石との一騎討ちです。激しい女同士のバトル。力弥との結婚を望む小浪の願いを叶えさせてやろうという戸無瀬、一連の展開に絡む加古川の娘を嫁にはできないと突っ張るお石。この場面での小浪の健気さがなければ、ドン引きになったかもしれないバトルです。問題解決は、もつれた話の要の人物加古川本蔵自身が出てきたところから進んでいきます。お石の本音が明らかになり、戸無瀬の心も和らぎ、感謝に向かいます。十段目の原典上演は久しぶりだということで、今回の目玉。講談だと「外伝」に入る「天野屋利平」の物語です。「外伝」だと独立した物語として出てきても、何ら支障はないのですが、芝居となると、そういったわけにはいかないからか、義平の子どもを拷問にかけようとするのは、取り手に変装した義士たちとなり、それは、義平の本音を探るために芝居をうったとなります。この話は、わりかしあっさり終わってしまうので、講談、更に浪曲となると、この部分だけが、大きく膨らまされていくということなのでしょう。むしろ、妻をも遠ざけて支援物資の調達を行ったツケのような物語が後半の方が長い。通しを観た者として言えば、一番、苦しいなの印象。十段目が省かれることが多いのは、やっぱりそういうことなのかなと思いました。序盤の人形廻しも、呆気なさすぎましたしね。そして、大詰め。通常は、いずれかの場しか出ないそうで、2つとも出たのは、とっても稀なことのようでした。「水橋引揚の場」は、前回出たときに観ています。桃井若狭之助が現れ、追手は任せよと言い、義士は菩提寺向かうところでおしまい。「焼香の場」は、師直の首を判官さんの墓に供え、焼香に移るだけのもの。1番目が矢間十太郎(間十次郎)、2番目が無念の死を遂げた早野勘平の替わりとして寺岡平右衛門(寺坂吉右衛門)が焼香をしておしまい。いずれも短い場です。1つだけ出しても、2つ続けて出しても、展開は大丈夫というものでした。以上、観ていて圧倒されたのが「山科閑居の段」。太夫さんが良かったのです。前を千歳太夫さん、後を藤太夫さん、2人とも、とっても熱い浄瑠璃。場面が場面ですから、迫力満点でした。また、藤太夫さんと組まれた鶴澤藤蔵師の三味線が凄まじかった。超絶の技でした。


2019年 11月 5日(火)午後 7時 26分

 今日は文楽を観る日。11月公演の第1部を観てまいりました。その番組は、次のようなものでした。「心中天網島~北新地河庄の段、天満紙屋内の段、大和屋の段、道行名残の橋づくし~」。小春治兵衛300回忌を記念しての上演だそうですが、チケットを押さえるとき、「忠臣蔵」を上回る売れ行きを見せていた通り、ほぼ満席。売れ行きの良さそうな席が空いているのは、毎度のことながら、金を払わなかった人がいるからでしょうね。発売開始日より時間が経ってから買った方がいい席を押さえられるかもと思っている根拠です。ところで、「心中天網島」ですが、やはり、今回も同じことを思ってしまいました。治兵衛が情けない。逆に、小春の一途さと賢女ぶり、おさんの律儀さや清々しさが目立ちます。女性二人が目立てば目立つほど、治兵衛の情けなさ、あかんたれぶりが際立っていきます。「天満紙屋内の段」では、炬燵に伏せって泣いている。おさんに見つかっても隠さないどころかメンツの問題にすり替える。治兵衛の兄孫右衛門も、思いっきりいい人。それが解っていながら、あかんたれを続ける治兵衛。ただ辛うじて死ぬことだけできたってところです。太兵衛の横暴ぶりを、さほど描かないで、治兵衛の周りにいるいい人たちを描くことで、二人の運命を描く手法に、台本の卓越さを感じました。「北新地河庄の段」に、エア三味線入りの浄瑠璃の場面がありますが、ここはチャリ場。このチャリ場に太兵衛を使うというのも、いいな。心中ものにチャリ場を入れる着想が、更にいい。完全に、落語の「豊竹屋」になってたので、余計に笑ってしまいました。「天満紙屋内の段」にも、チャリ的キャラの三五郎を出しながら、深入りしないのも、優れています。分を心得ています。今日は、呂勢太夫さんが病休。替わりに、来年1月に錣太夫襲名を控える津駒太夫さんが出演。病休を機に元気をなくされる例を見てきましたから心配です。その例の一人咲太夫さんは、今回は受け持ちが短めのところになってました。今日は、今まで関心が向かなかった呂太夫さんがいい感じでした。太夫さんの場所に近かったため、いつものように聞き取りにくいことがなかったのが良かったのかもしれません。今日は、久しぶりに海舟氏にお会いすることができました。11月公演、既に2回目だそうですが、その元気が嬉しいところです。そして、もう一人、昔の同僚に会いました。10年程前に大きな手術を受けた人なので、最近の消息が途切れがちだったため、会えたのは正解。元気だったのが判っただけで、有意義な再会でした。第2部も観ると言うので、開演までの時間、お茶をしながら近況を伺うことに。今日は、2人も喋る相手ができたスーパーな日となりました。


2019年 11月 4日(月)午後 8時 2分

 先日、ちょっとした調べものをしていたところ、調べものとは、特に関係はなかったはずなのですが、偶然、日本トルコ文化協会の名が上がってきたものですから、懐かしくて、そのHPに入ってみると、すっかりHPも整い、催しの案内が載せられていました。その中に、これまた懐かしいトプカプさろんの案内も。それを眺めていると、気になるものばかりだったのですが、何よりも目を引いたのが、今日開かれたトプカプさろんのテーマ。「トルコの宗教的マイノリティ゛アレウィー゛について」と出ていたものですから、久しぶりに覗いてみようというモティベーションを刺激してしまいました。今さら出かけても、知り合いがいたとしても、ごく一部なことは判ってはいたのですが、このテーマだけは、黄紺には刺激的でした。場所はウイングス京都。講師はセイハン・デニスさん。HPのプロフィール蘭には菓子職人とだけ書かれていたのですが、恐らく、ご自身がアレウィーなんだろうとの予測のもとで出かけて行きました。予想は当たりました。日本人女性と結婚されていて、日本語によるお話でした。黄紺は、初めてアレウィーを名乗る方とお会いしましたし、ましてや、その声を聴くなんてのは初めてのこと。第一、今までアレウィーとの接点なんて言えるものはなく、唯一、ベルリンのクロイツベルクを歩いているとき、アレウィー会館的なものを見た、これだけしか、接点らしきものはなかったものですから、とっても貴重な経験となりました。ただ内容に関しては、参加者の特権としておきます。会場は狭く、かつての賑やかさなんてものは微塵もなく、更にレセプションもなくと、ちょっと寂しいものがありました。協会が衣替えをしたなんて話も耳にしていたのですが、かつてのパトロンだった方も出席されていたりで、黄紺の知る方も3人おられましたが、相手さんが覚えてないだろうと声も掛けずに帰ることにしました。会場を出ると、三条でお買い物、更に、ロームシアター京都に向かい、同シアターの一角で開かれている「オペラの扉2019~KNOCKING ON THE DOOR,OPERA EXIBITION~新国立劇場オペラの衣裳展」を観てまいりました。以前も1度行ったことがあったのですが、今回は、「蝶々夫人」と「魔笛」。「蝶々夫人」の方は、以前にも、舞台の映像を観たこともあったのですが、今回は、長門美保さんが使われた衣装も展示されていました。あまりにも手の込んだ内掛けにびっくり。自分の名を冠した歌劇団を作った人だけあると、感心も納得もいたしました。「魔笛」は、アニメを併用したプロダクションのようですね。衣装は、鹿鳴館時代風ってところかな。でも、演出家の名前を確かめたら、日本人ではなかったので、この表現は適切さを欠いていますね。ということで、小さな展示。帰りは、いつものように、観世会館の前を通り、公演情報を得たのですが、番組が微妙ですね。ホント、京都観世会館の公演情報番組は、日本のどこの能楽堂よりも保守的だと思ってしまいます。残念。


2019年 11月 3日(日)午後 7時 51分

 今日は法事のあった日。毎年11月の第1日曜日は法事と決まっているのです。この日は、大津に行かねばなりません。弟が車を出し、黄紺が同乗したていくと決まっています。途中、雨に遭い、いい日取りではなかったのですが、ちょっといい話も聞け。有意義な日でもありました。
 でも、朝からウォーキングはしてなかったと、帰ってからウォーキング開始。夕暮れ迫る中から始めたもので、途中から暗闇を歩くことに。でも、体を動かす幸せは感じることができました。


2019年 11月 2日(土)午後 7時 00分

 今日は、明智光秀関連の市民向け公開講座をハシゴする日。まず、1つ目は、長岡京市にある「勝竜寺城公園」が約30年ぶりにリニューアルすることを記念して行われた講演「勝龍寺城! ココがすごい!」を聴いてまいりました。場所は、バンビオ(長岡京市立総合交流センター)、講師は、奈良大学教授の千田嘉博さんでした。ですが、久しぶりに午前中の弱さが出てしまいました。今朝、午前4時過ぎに目が覚め、二度寝ができないまま出かけたもので、かなりの時間、いい気持ちになり居眠りをしてしまいました。講演者は、城郭の研究者らしく、勝龍寺城の構造についてお話をされていました。その中で記憶に残っているのは、二段構えになった石垣、その石垣自体も、まだ珍しい時代のものだったということ、石垣の外側に櫓のような立て付けを備えていたこと、北門にはクランクになった道が造られていた、そないなことを指し、京都の最新技術を導入した先端を行く城郭だったろうと結論付けておられました。来年の大河ドラマの誘致活動も行い、それを勝ち取った感満載の長岡京です。市長自らが、会場に足を運び、また、会場は、300人は入るという広いホールでありながら、立ち見の人が多数出るという大盛況。勝龍寺城の城主だった細川藤孝の娘を顕彰するガラシャ祭に合わせて開かれたイベントでしたが、やはり大河の力は大きい。長岡京市が燃えている、そういった活気を肌で感じてしまいました。
 長岡京での講演が終わると、今度は、大山崎町に移動。この地域、山崎合戦の地として、来年の大河ドラマを先取りして、かような公開講座が目白押しのようで、その恩恵に与ろうとしている黄紺なのです。で、大山崎では、同町の歴史資料館の企画展「国衆からみた光秀・藤孝」に合わせて、企画展講演会が行われています。先日、宇治歴史資料館で、その情報を得たものですから、早速、行ってみることにしました。今日は、その第1回として、「『麒麟がくる』明智光秀をめぐる英傑たち」と題して、小山工業高等専門学校の山田康弘さんのお話を聴くことができました。山田さんは、足利将軍を研究されている方。とってもレアな研究者だそうなのですが、信長や光秀話には重宝されているようで、また、大河ドラマでも、足利将軍の扱いは悪かったのが、来年の「麒麟がくる」では、足利義輝を向井理が演じるということで、きっとまともな扱いをされるはず、そないなお話からスタートされました。お話の第1部は、お約束の光秀の出自。光秀のキャリアも併せてのお話ということで、足利将軍の地位というのは、巷間考えられているほど、軽んじられていたわけでなく、また、足利義昭もアホキャラではないという。兄義輝が家臣に殺されたあと、義昭にも被害が及ばないようにと救いだしたのが細川藤孝。その時代に、義昭の家臣になっていたとして光秀が出てくるそうで、生まれなどは、やはり予想通り、判らないということでした。越前に、義昭が身を隠していた時期に、信長から義昭に声がかかり、信長の支援を受け、義昭の上洛、将軍職就任が果たされるとなります。その直後、義輝を殺した元家臣に襲われたとき、防戦する家臣の中に光秀が出てくるのが、明確に史料に出てくる初出だそうです。結局、光秀は、義昭にも信長にも仕えていたようで、メインは信長だったそうです。だが、信長と義昭の関係に変化が。両者は、やがて決裂をしていくわけですから。そこで立てられた命題は、義昭は暗君だったのか。黄紺ですら、そのイメージがあります。でも、これは、明確に否定されました。むしろ、敵対することになった信長の中傷が大きかったと言われていました。権力を握っていく人間の作り出したイメージだというわけです。当然、ここで、光秀は、信長についていくわけですが、だったら、なぜに本能寺の変となったかが、次の最大のテーマになってきます。それは、光秀管轄の畿内を召しあげられ、まだ、それは想定内だったかもしれないが、替わりにと期待していた四国も光秀から遠退いたため、光秀には何も残らなくなってしまったからだとのお考えを出されていました。では、その光秀は、一旦離れた旧主義昭と通じていたのか? おもしろいテーマですが、やはり、光秀の死が呆気なさ過ぎて、史料がない、だから判らないと、研究者としては言わざるをえないと言われていました。以前なら、こういった戦国武将をターゲットにした講演など、まあ聴きになんて行かなかった黄紺ですが、講談の影響が大きく、史実を知りたくなり出かけて行きました。やはり、大河ドラマの力は絶大で、おかげで光秀関連の講座がいっぱいです。嬉しい限り、です。講演が終わると、他に回ることも考えていたのですが、今日は、ウォーキングを全くしてなかったもので、歩きたくてウズウズしてしまい、淀まで歩くことにしました。1時間弱の行程、全くの初コースは嬉しかったのですが、171号線を歩かねばならないのが辛かったな。


2019年 11月 2日(土)午前 4時 32分

 昨日は、午後に、軽いウォーキングがてら、繁昌亭へ。前売り券を3枚買ってきました。これで、今年は4回だけ繁昌亭に行くことになります。昼席の模様替えが成ってから行ってませんから、繁昌亭そのもののリニューアル後行ってなかったことになります。年末にかけて、今年やり残したことをやっておこうの魂胆です。そして、京都に戻り、一旦、自宅待機後、お出かけは、夕方になってから。キャンパスプラザ京都で行われた「たちばな教養講座」に行ってまいりました。京都橘大学の行っている、市民向けの公開講座です。以前に1度行ってますから、2回目の参加となりました。今日は、「京都のモダニズム建築」と題したお話を聴くことができました。講師は、京都橘大学現代ビジネス学部都市環境デザイン学科准教河野良平さんでした。冒頭に、講演者は、「モダン建築って聞かれたことのある方はどのくらいおられますか?」との問いかけをされたところ、黄紺の視界に入っているところでは、どなたも手を上げる人はいませんでした。恐らく、そういった状態を想定されて、この講演を準備されたなという印象を持ったお話でした。モダニズム建築だの、ポストモダン建築だのと、一般の人が知っていること自体おなしなことでしょうし、パッと見で、これが、ゴシックだの、バロックだのと、一般人は解るわけではなかろうという見通しは正解で、とっても解りやすいお話だったと思います。まず、モダニズムとは何かというお話から。解りやすいように、鉄、ガラス、コンクリートといった材質からお話されていました。そして、それを産業革命の所産だと。産業革命という言葉が出せれば、合理主義が入りやすい、それを、建築の分野で表したのがモダニズム建築、とってもスムーズな展開。ここからは、その特徴の詰めということで、定義の言葉は、解りやすいとは言えなかったけれど、ル・コルビュジェの5原則を出して、具体的にヴィジュアルで説いていただくと、あっさりと納得。ル・コルビュジェの名が出てきただけで、黄紺の鼻が高くなります。上野の西洋近代美術館だけではなく、シュトゥットガルトの住宅群というのを見に行っているものですからね。「自由な平面」「自由な立面」「ピロティー」「屋上庭園」「横長連続窓」が5原則だということで、平面図を使い教えていただけました。かなり、イメージができてきたところで、代表的な作品として、ル・コルビュジェのサヴォワ邸、ルース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸の写真が出てきて、これで、すっかりモダニズム建築が目に浮かぶようになりました。そこまで来て、というか基礎情報を放り込んだところで、いよいよ京都のモダニズム建築の具体的な紹介へと進みました。その紹介の仕方が優れもの。三条通は、らしい建築物が並んでいるのは、京都在住者なら知るところ。ですが、そういった建築物が、西から東に向かい、徐々に新しくなっていくこと、そんなの考えたことありませんでした。三条通は、西から東へと発展していったので、近代建築の変化を読み取れるというのです。確かに、画像を見せられると、壁や窓枠、配色が変化していきます。一色に、装飾が減っていきました。機能性重視のモダニズム建築へと変わっていってるのです。そないなこと、考えて見たことなんか、なかった。そして、具体的に、次の5つの建築物が取り上げられました、①京都府立医科大学体育館②弥栄自動車株式会社本社屋③京都会館④同志社大学アーネスト館ゲストハウス⑤智積院会館。この中で、黄紺の知る建築物は①と③。①は、横を通っても、その様式など、全く意識したことのなかったもの。逆に③は、オープン間もない時期に、母親と行くと、打ちっぱなしのコンクリートが露出したところを指し、小学生の黄紺に、「これ、見てみぃ、これが新しいやり方なんや」と教えられたのが、モダニズム建築との初めての出逢いでした。それから10年程して、初めて東京文化会館に行ったときに、母親が行ったと同じコンクリートの打ちっぱなしを見たときの感動は忘れられないものがあります。もちろん同じ建築家が、同じコンセプトで作ったのですから、そのようになります。京都会館の紹介になると、どうしても、この記憶が蘇ってきます。しかし、あまり芸術面に造詣が深かったわけではない母親が、どうして京都会館の建築様式を知っていたのか、永遠に解けない謎です。その京都会館ですが、コンペで、デザインが選ばれたそうですが、そのコンペで選ばれたときのデザインは、実際に造られたものとは、若干、違いがあります。このお話、興味がそそられてしまいました。屋根の端のデザイン、屋根が途中で段違いになっている、1階部分の高さが伸び、1階と2階の高さが違うようになった。こないなことを示され、最終的には、日本の伝統に則したデザインが受け入れられるようになったということで、モダニズム建築のまとめで終了しました。


2019年 11月 1日(金)午前 6時 51分

 昨日は二部制の日。午後に博物館に行き、夜は音楽を聴くというもの。まず、午後は、宇治市歴史資料館で行われている特別展「宇治の電車・京都の電車-『観光』の時代-」に行ってきました。このテーマからして、宇治に比重ががかったものかと思い、その心づもりで行ったのですが、実際は、若干は宇治にシフトしているとは言え、京都を走った、走っている民間鉄道の誕生、その沿線の様子、風景が主として展示されていたと言えばいいかな。京阪電車、新京阪電車(現阪急電車)は言うに及ばず、そういったロングスタンスの電車だけではなく、男山ケーブル、八瀬ケーブルといったものまで、電車は、全てカヴァーのスタンス。そういった中で、黄紺も知らなかった、聞いたこともなかった電車がカヴァーされていたのに驚かされました。嵐電嵐山駅近くから清滝まで走っていた愛宕山鉄道、更に、その先から出ていた愛宕山ケーブル。そして、こうした電車が走ると、各電鉄会社は、乗客誘致のために、沿線にある行楽地を宣伝したりとするわけですが、この愛宕山関係では、山頂にホテル、スキー場が作られたというのには驚きでした。ちょうど対極の位置にある比叡山の開発と同じようなことが愛宕山でも行われていた、これは知らなかった、だから、めっちゃお得な気になってしまってました。宇治に菊人形があったということも知らなかった。もちろん枚方はそうだけど、香里園でもあったことを知っていながら、抜け落ちしてました。各電鉄会社それぞれ、いきなり全線開通するのは、なかなか難しい話。それぞれが、どこから開通したのかも、興味を引かれたところがあります。京阪電車は、最後に三条駅まで延びたそうで、そこで、現在の大津線と出会うということになったようで、京阪電車が、現大津線を買収したあと、大阪から大津まで、線路が繋がっていたのです。大阪発大津行きの京阪電車が走っていたのです。そう言えば、地上駅だった時代の三条駅は、1番線の先に大津線の乗り場がありましたね。奈良電鉄の高架もおもしろい。桃山御陵に続く道と電車が地上で交差してはならぬというお達しで、電鉄側は、当初、地下化するつもりだったところ、今度は、伏見の酒造業者が、水に問題が生じては一大事と反対があり、結局、高架にせざるをえなかったとか。大変な費用ががかったのは言うまでもない話だけれど、あの頑丈な高架が、そんなにも古いものだとは、初めて知ることになりました。京都市電の路線図も、いろいろ教えてくれました。白川通や高野で切れてたり、下鴨本通が遅く開通したことは知っていたのですが、西大路通も切れていたり、今出川通が西大路通に繋がることで、嵐電北野線が白梅町を基点にするように変わった、即ち、それまでは、北野神社が起点だったこと、初めて知りました。ということは、京都駅方面から市電が北野神社まで来てたわけですから、そこで乗り換えて、嵐山方向に行けたわけですね。恐らく覚えきれてなく、もっと発見があったでしょうが、今、思い出せたものだけ、メモってみました。あと1つ、宇治界隈の古地図を見ていて、1つの発見がありました。それは、国鉄に関する発見。国鉄の木幡からの引き込み線が書かれていたのです。線路の行き先は、宇治川を渡り向島に入って途切れましたから、軍需工場は向島にあったことを意味します。黄紺は、根拠もなく、勝手に真反対側と決めていたものですから、びっくりしました。しかし、トルコに行く前、枚方市が開いた公開講座で聴いた木幡の引き込み線の裏を取ることができ、大収穫。いや~、おもしろかった。展示品は、さほど多いわけではないのですが、黄紺的には、おもしろいものばかり。いい特別展でした。
 宇治からは、一旦帰宅。トルコのサッカー情報の収集などをしていると、あっさりとお出かけ時間。夜は、昨日に続き、カフェモンタージュに行ってまいりました。昨日は、一昨日の顔ぶれに加え、もう1人加わってのクインテットを聴ける日となりました。併せて5人の皆さんは、次の方々でした。(ヴァイオリン)漆原啓子、上里はな子、(ヴィオラ)臼木麻弥、(チェロ)大島純、(ピアノ)ヤコブ・ロイシュナー。今日のお題は「E.ドホナーニ― ソナタ&五重奏」でしたが、一昨日のロシアものに加え、このチェコものも、カフェモンタージュでは珍しいのじゃないかな。で、そのプログラムは、次の3曲でした。E.ドホナーニ:セレナーデ(?)」「同:ヴァイオリンソナタ 嬰ハ短調 op.21」「同:ピアノ五重奏曲 第1番 ハ長調 op.1」。第1曲目は、前説で、急遽知らされたもの。オーナー氏の小声は、こうしたときに困ります。曲目を、しっかりと聞き取れてないかもしれません。ヴァイオリンソナタが、漆原さんとピアノの演奏になるためか、残りの3人で演奏が行われました。従って弦楽三重奏。前日のチャイコフスキー以来、上里さんのヴァイオリンが、やけに冴えています。この追加された曲でも、その瑞々しい音色が、演奏をリードしていました。ドホナーニは、普段、滅多に聴く機会がないと言っていいくらいの作曲家。でも、そんなにも民族派だとは思えない音楽だと思っていたのですが、この追加された曲のラストは、なかなか濃厚なローカルさがありました。臼木さんのヴィオラの奏でる熱いメロディに驚かされました。ヴァイオリンソナタからは、イメージに合う音楽。音と音の間に、独特の間隔がありますね。それを、重奏で進行するピアノ五重奏は、弦楽器の厚さに奥行きが感じられ、この曲の魅力を作り上げていました。普段聴かない曲を出してくれるのが、カフェモンタージュの魅力の1つですが、こういったボヘミア音楽にも、幅を拡げてもらえると、更に魅力が増しますね。室内楽の宝庫の土地なんですから。
【追記】カフェモンタージュのHPで、追加された曲は、「弦楽三重奏のためのセレナーデより」と判明しました。


2019年 10月 30日(水)午後 10時 42分

 今日は、カフェモンタージュで音楽を聴く日。今夜は、「弦楽四重奏」と題して、(ヴァイオリン)漆原啓子、上里はな子、(ヴィオラ)臼木麻弥、(チェロ)大島純の皆さんの演奏を聴くことができました。そのプログラムは、次のようなものでした。「P.チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 op.11」「D.ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第8番 ハ短調 op.110」。この組み合わせでのカルテットを聴くのは2回目。今日は、カフェモンタージュでは、ほぼ出ないと言っていい作曲家が出ました。チャイコフスキーはともかくも、カルテットの宝庫のようなショスタコーヴィチが出ないものですから、ま、全てを網羅するわけでなしということで納得をしていたら、突然出ました。確か1回だけ、カフェモンタージュで、ショスタコーヴィチものを聴いた記憶があるのですが、それはピアノトリオ。そのときのヴァイオリンが上里さんでしたから、ここが狙い目のようです。チャイコフスキーの1番って、2楽章が頭抜けて有名で、あとはチャイコフスキーらしい彩りの豊かさを、あまり感じない曲とインプットされていたのですが、今日は違いました。冒頭、何やら浮遊感を感じる心地好さ。それだけ音に瑞々しさを感じたのでしょう。未確認物体のようなものが、突然、目の前に現れたような新鮮さ、驚きがありました。初め良ければ全て良しといったわけではなかったけれど、総じて、この曲が有彩色に、確実に見えるという体験をさせてもらえました。なお、このチャイコフスキーは、上里さんが第1ヴァイオリンを担当。次のショスタコーヴィチでは、漆原さんと交代。今度は、抒情性を、一切排除したショスタコーヴィチ、多分、この曲をライブで聴くのは初めてだと思うのですが、今日聴くまでは、もっと平板な曲で、おもしろ味に欠けるものと思っていたのですが、演奏が良かったからでしょうか、イメージが一新され、かなり奥も幅もある曲と感じることができました。ショスタコーヴィチほど、音符を通じて、透徹した人間性を出せるか否かを、演奏者に問いかけている曲はないかもと思っているのですが、今日は、ありました。ちょっとかさつく音色が、チャイコフスキーのときの傷かと思っていたチェロが、このショスタコーヴィチでは効きました。このチェロに被さるあとの3つの楽器の音色が、演奏者の愛だの、温もりだのを際立つのをサポートしていました。この組み合わせで、同じショスタコーヴィチの15番を聴いてみたいものです。


2019年 10月 30日(水)午前 7時 29分

 昨日は、京都の大学2つで公開講座を聴く日。1つ目は、初めておじゃまをすることになった京都女子大学の公開講座。ずっと以前から公開講座があるということを、知人から教えてもらっていながら、実際に受講するのは、初めてとなりました。昨日の講座は2本あり、英文学科担当の日だということで、次のような講座を聴くことができました。「言語獲得と文法理論」(教授松原史典)「映画に見るホロコーストの現在形とユーモア」(准教授中村善雄)。講師は、いずれも京都女子大学の先生方でした。まず1つ目のお話は、演題からは内容が読めなかったのですが、レジメを見て納得、そして、楽しみになりました。人間が、どのようにして言語機能を獲得していくのかという中味でした。それが、実は、一昨日までだと予想外の展開と受け取ったでしょうが、一昨日の民博で学習ができていました。人間には、ものは落ちるものといった知は遺伝的に受け継がれている。この指摘に驚かされ、この遺伝子というものに言語機能が組み込まれ伝達されていっていると言われても、何ら驚きではありませんでした。ですから、人類は、突然変異として、言語機能を持つようになったのであり、サルは、進化したからといって、ましてや学習したからといって、言語を持つようになるわけではないようです。キリンの首が長いのも、象の鼻が長いのも、いずれも突然変異の結果だそうです。実際、言語機能に関わる遺伝子も発見されているとか。ですから、環境により人は言葉を獲得したり、環境に適応するためにキリンの首が長くなったわけではないそうです。言葉に限って言うと、言語機能は、独自のプログラムに基づき発達するということになります。次に興味をひいたのは、臨界期についてのお話。一定の時期を過ぎると、言語機能を持てなくなるというお話です。これは、母語以外の言語習得にも役立つお話ですが、この問題を立てられたとき、即座に頭を過ったのは、狼に育てられた子どもの話。この子どもらは、保護されたあと、言語の訓練を受けたのだけど、結局、言葉を持たないまま亡くなったと聞いたことがあったのです。この例も、話題に上がり、証左とされる一方、異論もあるようですが、結論は臨界期はあるというものでした。母語では7~10歳が、その時期に該当し、また、7歳が、第二言語習得の境を決める時期であるというデータが出ているそうです。こういった言語機能獲得に関し、チョムスキーという言語学者が大きな役割を果たしているようです。黄紺も、その名前は聞いたことはあったのですが、その主張を知ろうとしたことがなかったのですが、昨日のお話で、その一端に触れることができました。こないなお話を聴きながら、DやSに、トルコ語で語り続けたら、ちょっとは話すようになるかななんて考えたりしてしまいました。
 1つ目の講演は、全く想定してなかったお話でしたが、2つ目は、映画の中で描かれるホロコースト、ナチスがテーマですから、いくらなんでも、お話の方向性は聴いてみないと判りませんが、大枠は想定内。まず、ホロコーストをユーモアがかった描き方をしている映画2本が取り上げられました。「ライフ・イズ・ビューティフル」と「聖なる嘘つき/その名はジェイコブ」がその2本です。その結論は「holy fool」。死に至る道で、死の迫る空間でのユーモアの持つ強さを、そのように表現されました。黄紺的には、正直、「な~んだ」でした。そのカードを持ち出すために、映画2本の概略を聴いたのかと思ったのですが、でも、こういった映画の分析に、そのカードを切る着想には感嘆でしたが、聴いていた学生さんとか、解ったのかな、、、。やはり、「holy fool」を持ち出すなら、それに対するコメント要るのじゃないかな。次なるテーマは「映像よる記憶の保持」。ホロコーストの生存者が消え去ろうとしている今、生存者や目撃者の証言を残すこと、また、加害者の追求も最後の機会を迎えています。そういった中で作られた映画として、「手紙は覚えている」が取り上げられました。この講演で取り上げられた映画は多くはアメリカ映画だったため、黄紺は、一つも観てなかったのですが、この映画を見逃しているのが、一番惜しい気がしたものだったのですが、記憶と加害者の追求、両方のテーマをミックスした、かなり刺激的な映画と受け取りました。その次に取り上げられたのは「帰ってきたヒットラー」。昨日取り上げられた映画で、観ていなくても公開されたことを知っていた唯一の作品。現代にヒットラーが蘇ったという設定の映画。際ものという思い込みがあったので観なかった記憶がある映画ですが、昨日のお話では、ヒットラーを、現代に蘇らせることで、現代ドイツがヒットラー台頭の1930年代との類似性を意識させ、新たなヒットラーの登場を予感させるものがあることを考えさせるものと言われていました。記憶がかすれ、その継承の難しさを意識させる映画のようです。更に、日本でも、ホロコーストを否定するかのような言辞が、一部出ていますが、それをテーマにする映画もあったようです。「否定と肯定」という映画です。ホロコースト否定論者に訴えられたホロコースト学者の、実際の裁判を再現したものです。以上が、その内容でした。期待通り、そそられるものでしたが、観ていたら、さぞやお話のおもしろ味は倍増したでしょうが、アメリカ映画中心は痛い、痛過ぎました。
 京都女子大学を出ると、京都駅まで、ウォーキングがてら歩き、そこから嵯峨野線で円町駅まで移動。次のターゲットは花園大学。第109回人権教育研究会例会として行われた講演「小学校教科書の変遷 特に昭和20年代に焦点をあてて」を聴きに行ってまいりました。お話をされたのは、同大学文学部准教授(図書館情報学・教科書史)菅修一さんでした。戦後間もない時期の教科書がテーマだということで、これはそそられると思い行ってまいりました。数ある教科書の中から、小学校国語教科書に焦点を当て、しかも、人権研修ということで、レジメには「戦争と平和を切り口に」となっていました。講師の方は、古書の収集家でもあり、実際の教科書も持ち込み、その現物の紹介もしていただけました。昭和20年代、教科書は次のように変遷していきます。①敗戦まで、軍国主義に彩られた国定教科書(国定五期)②墨塗り教科書③暫定教科書(GHQなどのチェックが入る)④GHQなどのチェックが入った国定教科書(国定6期)⑤検定教科書。①はともかくも、②は、博物館でしか見たことのないもの。それを、間近に手に取り見せていただけました。その実情ということで紹介されたのがおもしろい。墨塗りに相当すればいいということで、墨の替わりに紙を貼りつけたものを持ち込まれていました。③は、紙が間に合わないのか、未製本状態のもの。お話の中では、果たして全国に行き渡ったかも怪しいと言われていました。④の内容は、平和と自由、こういったコンセプトに満ちた内容を紹介されていただけました。19世紀後半、デンマークが平和国家を築く様子が教材化されていたりしています。⑤が初の検定教科書です。独立回復までは、GHQの検定を受けてはいますが、幾つかの教科書会社が出版するという、国定から離れた初の教科書です。その中で、おもしろい指摘が出てきて、講演後の質疑応答で話題になりました。日本書籍の教科書「平和のしらべ」が、昭和29年使用本から「田園のしらべ」に変わり、内容的にも「平和」に関する記述が消えていくというもの。時期的に考え、「戦後逆コース」の産物と考えられるのですが、実際、そうではないかという発言もあったのですが、ちょっと待ってと、思わず、黄紺は発言をしてしまいました。確かに、「逆コース」に対応したものになっているし、その背景を受けたものなのは間違いないだろうが、この時期の「検定制度」は、現在、我々が考えるようなスタンスとは異なり、軍国主義的な記述が復活することを防ぐ目的で設けられたはずだから、なぜ、このような記述の変化が起こったかが説明できない。我ながら的を得た疑問。他の方にも賛同を得たこの疑問、講師の方は、図書の専門家で、戦後政治史や教育史の専門家ではないため、記述の変化は指摘できても、その背景については、残念ながら明るくありませんでした。幸い、花園大学の方から、教科書会社の自粛説が出され、それしかないかなと、納得することになりました。あと、おもしろかったのは、昭和28年度に使用された広島出版の教科書に、原爆に関する素晴らしい一文が載っていました。ただ、残念なことに、児童書出版が主流の会社だったようで、業績が上がらなかったのか、翌年には、版権が大阪書籍に移行したとか。昭和26年までは、GHQの検定を受けていたため、こうした内容は書けなかったはずとの指摘が、他の花園大学の先生から出されていましたから、ホント、僅かの隙間に出現した素敵な教科書、戦後間もない時期の息吹が感じられました。他におもしろかったのは、国定五期の執筆者が、検定教科書でも執筆しているのにも関心が寄せられていました。一見、無節操にも見える現象。日本らしいと言えば、それまでですが。講師が、教育の専門家ではないというもあったのでしょうか、実際、黄紺も質問を控えましたが、単に「戦争と平和」という切り口だけではなく、そういった切り口で紹介された文章の中に、当時の教育論的観点で興味をひく記述を見つけました。実は、一番の関心はここだったのですが、議論は、そこには踏み込まずじまいだったのですが、この講演のスタンスからは求めすぎというものでしょう。やはり、講師の方の狙われている焦点を外してはいけないですからね。一方で、それにしても、プロは凄いと思わせられた内容。図書のプロって、遭遇経験は、ほぼ皆無に等しいですから、そういった新鮮さを感じさせていただけました。


2019年 10月 28日(月)午後 8時 54分

 今日は、民博の特別展「驚異と怪異―想像界の生きものたち」に行く日。民博は、水曜日が休みなため、月曜日に予定が入らないときを狙って、今日行くことにしました。「世界各地の人々の想像の中に息づく生きものが展示されています」とのコピーが示す、なかなかそそられる企画。冒頭に、この企画について書かれていたことを読み、かなり刺激を受けてしまいました。人間は、理解しがたいものの中に、何や不可思議な力が宿るとなどと、黄紺なら書くところ、馬が4本足で歩くということや、物体は引力があるから上から落ちるといったことは、遺伝的に刷り込まれており、そういったことにそぐわないことに遭遇したりすると、驚異を感じるとなっていました。これは驚きで、現代の知というものは、そないなところまで来ているのかと思えたからです。更に続きがあり、そういった驚異と思えることに遭遇したとき、人間の知の中にあるパーツを使い表現しようとする。それしか知らないわけですから、知っているパーツを使い、その組み合わせを変えることで表すとなっていました。ま、これは、解る、解ることを言葉化してくれたなとは思ったのですが、レヴィ・ストロースは、これを名付けて何とかとしたそうですが、それは覚えられなかった。でも、レヴィ・ストロースの使った言葉なら、知らないのが、ちょっと恥ずかしいあります。そういった観点で見ると、この展示は、あっさりと納得。棲息地の分類から、展示はスタートしました。水、地、天の順番だったかな。水となれば、組み合わせを替えて生まれたのが人魚なんてのが出てくるわけです。 その分類が終わると、怪異の括りで、実際の生物の骨格などを含め、18~19世紀に流行った書斎の装飾なんてコーナーがあり、2階に上がると、驚異を促す音のコーナー、博物誌として、怪異なるものを載せた書籍、最後に、新たに創り出されていく怪異なるものなんてコーナーで締めとなりました。大トリは、ファイナルファンタジーでした。確かに、歴史上の様々な怪異をネタに、新たな怪異が創造されているのは、ゲームの世界ですものね。結構、じっくりと観たこともあり、1時間半以上かかりました。それから通常展示へ。アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、企画展「アルテ・ポプラル――メキシコの造形表現のいま」、南アジアと、さらりと回ったのですが、マイナーチェンジをしてるのかなぁ、単に黄紺の覚えが悪いのか。ヨーロッパが狭くなっているうえ、内容も変わっているところがあったように思えてしまいました。インドのところでも、あったはずと思ってたものが消えてたりと、ちょっとミステリー。そないな印象を持ったものですから、あっさりのつもりがあっさりにならなかったかもしれません。そして、時間を余して、映像ライブラリーの視聴へ。今日は、次の3本を観たところでタイムアップとなりました。 「ラクダの解体」(ケニア)、「道祖神祭」(日本/山梨県下福沢)、「ボン教のツキを呼ぶ儀礼」(ネパール/カトマンドゥ)。最後のネパールものは、半寝だったため、事実上2本というのは、悲しすぎます。でも、その2本が、やたら濃いものでした。


2019年 10月 27日(日)午後 6時 30分

 今日も公開講座を聴いた日。今日は、京都の伏見区役所で行われた「伏見連続講座」の第8回として行われた「田辺朔郎の京阪運河構想と伏見港」(講師:京都市歴史資料館歴史調査員秋元せき)を聴いてまいりました。鴨川運河会議が運営をされる講演会は、京都の運河構想に焦点を当て、こういった催しを企画されており、黄紺は、以前にも参加したこともあり、楽しみにしていた講演会でした。「京阪運河」という名称は、初めて聞いたもの。後ろに「構想」といったものが付いていますから、構想にはあった、だが実現しなかったというもの。その推進役の一人が、昨日の講座でも、その名が出てきた田辺朔郎。琵琶湖疎水を造った功労者です。今日の講演では、その田辺朔郎の事蹟が、その前半を占めました。琵琶湖疎水については、彼の大学の卒業論文だったのですね。東大卒業直後に、その任に当たったということは知っていたのですが、そこまでの秀でた人物とは知りませんでした。一方で、琵琶湖疎水工事以後の業績については知られてないということで、その関係のお話がありました。ここまでは、パワーポイントを使ってお話されていたのですが、ここから、用意されたレジメを読むという形での進行になったため、なかなか進まない。田辺朔郎を登用し、京阪運河の旗振り役となった京都府知事や京都商工会議所の狙いは、一言、経済の振興、それに尽きるところを、レジメを延々と読み進められるのには辟易としました。黄紺の頭には、経済の振興は了解、でも1920年代って、アメリカじゃ、完全に車社会化する時代じゃないか、早晩、舟運なんて、命が尽きるものを、なぜに躍起になるのか、それが解らなかった。実は、その答えは用意されていました。ですが、進行が悪く、予定の講演時間を過ぎてから、そこんとこが出てきました。伏見港の大きさだったのです。統計資料を見せられ、びっくり。積載量では譲るとしても、取り扱い物価では、何と、府下随一の港と思っていた舞鶴港を上回っているのです。こりゃ、もっと儲けられると思う、これで納得です。でも、構成が悪すぎる。さっさと、頑張って京阪運河を考え、その計画ルートを教えてくれよと思ってしまいました。これも、後から判るのですが、京阪運河の一部となる「京伏運河」だけが、具体的ルートとして立案されたようで、それを示す文献資料も把握されているようです。この計画は大正年間です。大正年間と言えば、関東大震災、これで、政府は、復興第一ということで、予算が組まれず、頓挫してしまったようです。こんなのが残ってたら、水の町京都なんてことでも、アピールしてたのかもしれませんね。京都学は、ホント、懐が深い。いろいろと、知らなかったことが、ごろごろと出てきます。今更ながら、京都に住んでることの有りがたさを噛み締めているところです。


2019年 10月 26日(土)午後 11時 27分

 今日も、京都アスニーで市民向け公開講座を聴きに行ってきました。今日は、ほぼ毎土曜日に行われている「アスニー京都学講座」でした。「橋から眺める京都の近代」という演題でお話をされたのは、京都市文化財保護課の原戸喜代里さんでした。京都の橋を切り口にして、京都の近代化を探ろうという試み。黄紺的には、どストライクのテーマだったのですが、このシリーズでは、類を見ないほど、参加者が少なかったですね。真っ正面からテーマをかかげないとダメなんかな、そないなことを考えさせられました。近代化がテーマですがら、京都の近代化の始まりは、よく言われる遷都がきっかけ。みんな東京に行ってしまって寂れる一方の京都を活性化させようとの意気込みがあったことは、よく言われること。そういったなかで、京都の橋も、確実に変わっていったのでした。明治2年、明治政府が諸国の関所を廃したことから、物流が活性化し、道路の整備、橋の整備が、緊急の課題になったのでした。そういったなかで、黄紺の橋に対するイメージを崩すお話が出ました。旧来の橋は、木橋や土橋が基本ですから、重い荷物を掲げて通るなどはもっての外。橋は人が渡るためのものであり、馬車や牛車は、そのまま川をじゃぶじゃぶと渡るものだったとか。ですから、物流が伸びると時代に合わなくなってくる。永遠に持ちこたえる橋が求められてくる。正に近代化を、橋で表したものが永代(永久)橋。主要な橋が石橋に架け替えられたというのです。その中に入る事例として、堀川に架かる橋、観月橋、四条鉄橋、五条大橋(西洋風の橋だったとか)とともに上げられたのが、伏見街道に架かる4つの橋。これはッボでした。堀川に架かる橋と伏見街道の橋は、円のアーチ形をした橋で、その内の1つは、完全な円形が露出をしている日本では類を見ないものとか。実は、その橋、黄紺が、子どもの頃から慣れ親しんだ橋。そないに希少価値のある大変な橋だと、今日、初めて知りました。できたら、明日にでも行ってみようかと思っているくらいです。第2段階として上げられたのが、琵琶湖疎水工事に絡む橋。琵琶湖疎水は「ブラタモリ」でも、こってりと、早い内に紹介されましたね。琵琶湖疎水自体が、日本の近代化を象徴する産業遺産なわけですから、京都の近代化に省けるわけはないのですが、その中で生まれた橋の中に、正に近代化を表象する橋が登場していました。フェノロサの京都訪問を機にして、橋に美術的要素が加わり出したというのがおもしろい。蹴上のインクラインなんかを見ると、確かに、煉瓦による装飾を確認することができますね。また、この疎水に架かる橋の中に、鉄筋コンクリートのアーチ橋が登場するというのです。コンクリートは引っ張る力に弱いという性格を持つのを、鉄筋を入れることで、その弱さを補強し克服できるというのです。日本で実用化された最初期のものということで、国指定史跡にもなっていると言われていましたが、現在、それらの橋には、渡るのに危険だということで、新しく手すりが付けられている画像を見せながら、講師の方が「史跡にこんなことをしていいのでしょうか」と漏らされたのに、思わず笑っちゃいました。そう言えば、鴨川運河の橋も、全てじゃないかな、同様の手すりが付けられていますね。最後は、京都の近代化を決定付ける京都市三大事業に関わる橋です。第二琵琶湖疎水、上水道整備(蹴上浄水場もこのとき)、道路整備&市電、これらは、京都の近代化で、必ず出てくる話題です。「ブラタモリ」の「祇園編」では、四条通の拡張が登場してきていたのを覚えています。このときに架設された橋が、現在の四条大橋、七条大橋、丸太町大橋で、現在も偉容を誇る橋です。いずれも広くて、堂々としたアーチ形の橋です。こうして振り替えってみると、正に橋が、京都の近代化を表してくれます。おもしろい切り口に拍手です。このお話を聴いて、最も残念だったのは、西洋風に造られたことのあった五条大橋が、評判が悪く、消滅した話題。これ残ってたら、今や、間違いなく京都名物になってたろうと思ってしまったのです。伝統を守りつつ進取の気を持つのが京都と言われながら、こればかりはそうじゃなかったのですね。そして、このお話を聴きながら思い出してたのは、昔、祖母から聞いた、どこかの橋の渡り初めの話。祖母の住んでた場所からすると、七条大橋のことじゃなかったのかな。現在の橋が大正2年架設だということですから、大いに可能性はあると思いました。そんな、すっかり忘れていたことも思い出させていただけたお話でした。


2019年 10月 25日(金)午後 10時 36分

 今日は、市民向け公開講座を、京都と大阪で1つずつ聴く日。まず、午前中は、京都アスニーであった「祇園祭創始1150年記念事業レクチャーシリーズ゛祇園祭 温故知新゛③」(共催:八坂神社,公益財団法人祇園祭山鉾連合会)に行ってまいりました。その内容は、次の2つの講演でした。「祇園祭と絨毯」(祇園祭山鉾連合会 顧問吉田孝次郎)、「祇園祭山鉾の懸装品の新調ー鶏鉾の水引と鷹山の再興ー」(京都市立芸術大学 教授吉田雅子)。祇園祭については、知らないことが多く、楽しみにしていたのですが、時差ボケが復活したのか、帰国当日は、日本時間に合わせて睡眠を取れたので、今回は時差ボケなしで済むかと思っていたのですが、ダメですね。この2日間、明け方近くまで眠ることができず、ついに昨夜は、睡眠時間が1時間半となり、ほぼ諦め気分でのお出かけだったのですが、その心配が的中。かなりの部分で沈没。吉田さんのお話は、祇園祭に使われているどこかの絨毯に、アラビア文字の書き込みがあるというお話だけが残っています。京都芸大の吉田さんのお話の方では、まだましで、お話の展開は頭に入っています。実際に、傷んだ部品などの修復に当たっておられる方で、その修復過程の様子を鶏鉾の水引に関する作業、最後の復活と言われている鷹山の再興作業で教えていただけました。こういった作業って、行政から援助は出ているでしょうが、各鉾町が行っているものと思っていましたが、復元にするか、新調にするかといったことから、審議会、協議会を開き、鉾町のみならず、府や市、技術的な専門家、復興作業に当たる企業などが、意見を出しあい、意匠の細部に渡るまで意見交換がされていることが判りました。確かに、動く美術館とまで言われる鉾や山の飾り物、完全に文化財として動いている様子が、よく判ったはずです。居眠りで、一部しか聴けてないなかでも、そのように思えました。
 京都アスニーから、一旦、帰宅。三条駅からの往復、いずれも、雨中、傘なしのウォーキングになりました。家では、あまりにもの睡眠不足のため、お酒に頼り、強制的に睡眠を取りました。と言っても、僅か1時間にもならない時間。また、居眠りをするのではと思いつつ、夜の部に出かけて行きました。夜は、大阪歴史博物館の金曜歴史講座。初めて寄せていただいたシリーズですが、今夜は、「最先端技術で元寇の沈没船を保存する -新たな発想と科学で守る文化財」という演題で、大阪市文化財協会学芸員の伊藤幸司さんのお話を聴くことができました。海に沈んだ歴史遺産は、引き上げないで沈んだままにしておくと、保存はきくが、迂闊に引き上げると劣化するばかりなので、引き上げても保存が可能な技術を、人類が取得するまでは沈んだままにしておくのが賢明だという話は、以前、聞いたことがありますが、このお話は、いよいよ、その引き上げても大丈夫な技術が備わりつつある(元寇時の船の引き上げというプロジェクトで動いておられます)というものでした。その技術というのが、トレハロース含侵処理法。劣化を進める敵となるのが水分と鉄。前者は残すこと、後者は錆びるのを防ぐこと。この両者に対応するに、新たな処理法には、どのような利点があるかは、全く歴史の話ではなく、化学分野のお話。お話の方向性は、居眠りをしながらも掴んでいた黄紺ですが、詳細はさっぱりです。そうなんです、心配が現実のものとなりました。今日は全滅に近いね。どうも、齢を重ねるとともに、一番の衰えを感じるのが時差への対応。そないで、かなり鬱屈した一日となりました。明日も明後日も、いい講座を聴きに行くことにしてんだけど、大丈夫でしょうかね。


2019年 10月 24日(木)午後 11時 24分

 今日は二部制の日。午後に、「ラポールひらかた」で講演を聴き、夜は、カフェモンタージュで音楽を聴く日でした。まず、午後の講演会は、特定非営利活動法人枚方人権まちづくり協会と枚方市が共催で開いた「枚方人権まちづくり協会人権啓発事業」として行われたもの。講師の薮本舞さんの演題は、「見た目問題~アルビノって何?」というものでした。アルビノという人たちを見たことはあったのですが、直接お話を聴ける機会があるということで、滅多にない機会ということで、飛び付いた催し。講師の薮本さんは、ご自身がアルビノで、ドーナツの会という交流組織を、自ら立ち上げ、啓発活動に携わられている若い女性。お話は、アルビノだけではなく、アルビノも含む「見た目問題」という広く設定されて、お話をスタートされました。見た目、特に顔に特徴を抱える人たちには、どのような人たちがいるのか、どのようなわけで、特徴が生まれたのかがお話され、その流れの中で、アルビノの特徴へと入って行かれました。遺伝子によるものとのお話。但し、劣性の遺伝で、そういった遺伝子を両親ともに持つ場合、アルビノが生まれる可能性があるということで、人間だけではなく、生物全般に起こりうることで、白蛇などが、その例だそうです。ただ、症状は様々だそうで、髪の色も決して白色とは限らず、また、目の色も様々だということでした。この目に特徴があるということで、色だけではなく、視力が落ちることも、一般的に看られることで、視角障害者支援学校に進まれる人も多いとか。ちなみに、薮本さんは、小中高と、ずっと普通学校に通われたそうです。そして、いよいよ、薮本さん自身の半生を振り替えるお話に入って行かれました。 小中学校では、養育をされた祖父の希望で、アルビノであることを触れないで過ごす環境だったため、何やら同級生との間に壁を感じ、高校は、敢えて知り合いのいない遠い学校へ、更に、高校時代、アルバイトをしようにも受け入れられなかったため、個の力で歩んで行けるだろう芸術系の大学へと進学されたそうです。ですが、大学時代もアルバイトができず、また、就職も不調だったことから、初めて、同じ立場にある人たちとの横の繋がりを考えるようになり、そして、交流の場としてドーナツの会を立ち上げるに至ったそうです。ここからは、ドーナツの会の活動の様子、更に、薮本さん個人が知ってもらう活動をされている姿の報告となりました。とまあ、ほぼ耳にしたことのないお話の連続。今日、この講演会に出てお話されるのも、啓発のための活動の一貫なのだと思います。とっても理路整然としたお話で、問題点を網羅して、それに解説を加えるというお話ぶりに圧倒された講演会でした。ほとんど、人権啓発のような催しでも取り上げて来られなかった問題かと思います。やはり、企画される方たちの力量、また、それに応えうるお話をされる当事者が揃った講演会だったと思います。夏から、これで3回目となる枚方市での催しに参加させてもらえ、ちょっと賢くなった気分です。まだまだ勉強すること、いっぱいありますね。
 講演が終わると、時間調整に、枚方市内に住むかつての同僚に協力を求め、暫し、車の中で雑談。そのあと、少しだけ息子の家に寄り、夜のお出かけ先カフェモンタージュに向かいました。今夜は、「ある月の夜- 歌とヴィオールで旅するバロック時代のヨーロッパ -」と題し、(ソプラノ)クレール・ルフィリアートル、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)上村かおりというお二人のコンサートがありました。バロック・リートのコンサートは、カフェモンタージュで聴いたことはなかったのではないかな。この貴重な機会は逃せないということで行ってまいりました。そのプログラムは、次のようなものでした。《Spain - スペイン》ウプサラの歌集より「わたしではない」「どうやって生きたらいいのか」「ああ、輝ける月よ」、《England - イギリス》「T.ヒューム:* さようなら、わたしの甘き愛よ、タバコ」「J.ブロウ:ようこそ!ゲストの皆さん」「H.パーセル:ひとときの音楽」、《France - フランス》「St.コロンブ:* プレリュード」「M.ランベール:わたしは歌う」「E.ムリニエ:茂みに止まった鳥よ」「M.マレ:* ぶどう踏み」「膀胱結石切開手術の図」、《Italia - イタリア》「C.モンテヴェルディ:我が甘美なるため息よ」「T.メルーラ:愚かな恋人」「B.カスタルディ:僕より幸せに満ちた人はいるでしょうか?」「我が甘美なるため息よ」。なお、「*」印は ヴィオラ・ダ・ガンバ ソロを意味します。オーナー氏のお話によると、上村かおりさんは、カフェモンタージュで2年前にコンサートを開かれているようです。すっかり失念していました。今回は、フランス人の盟友を伴ってのコンサート。ヨーロッパ各地を巡る音楽の旅といったプログラムを用意されたのも上村さんのようです。きっちりと歌詞まで準備していただいたのですが、黄紺は、以前、自身で歌詞を用意していったリートのコンサートで、暗くて読めなかったものですから、端からそれを見ながら聴くのは諦めてしまいました。冒頭、上村さんから解説が入りました。バロック・リートは、死の時代に向き合った音楽で、それを表すかのように独特のポーズとディミニエンドを持っているというお話がありました。17世紀は危機の時代なんて言い方をされることもある時代、それが音楽にも反映されていたのですね。で、それが、実際の演奏に反映されていたのでしょうか。こういったコンサートでは、黄紺の耳には、かつて聴いたエマ・カークビーの名演が、しっかりと残っているため、どうしても、とっても高いスケールとの比較になると、どうしても、物足りなさが出てしまいます。低音域のコントロールが物足りないうえ、ノンヴィヴラートが、しっかりと効いてないと聴こえてしまうので、緊張感に物足りなさが出てしまいます。上村さんのヴィオラ・ダ・ガンバは、微妙の音の変化の箇所で、不安定なところがあったりしたので気になっていたところ、ご本人が四苦八苦されていたようでした。終演後もらされた一言。「雨でガット弦が不安定になり、何度も調弦が必要だった」。黄紺の耳にも伝わるほど、演奏中にずれていく音合わせに奮闘されていたのですね。大変だ、これは。ちょっと文句をつけてしまったのですが、やはりバロックリートの長閑さは、その品とともに、魅力満点です。ほっこり、にっこり、そないな時間を過ごすことができました。


2019年 10月 23日(水)午後 9時 46分

 昨日の午後、仁川経由で帰ってきました。そして、早速、今日から、普段のお出かけが復活です。今日は、京都シネマで、インド映画「パドマーワト 女神の誕生」を観てまいりました。時代設定が、確か14世紀物語と出てたのかなぁ。デリーでスルタンが支配していた時代の歴史劇というか、基になる叙事詩があり、それを脚色したものです。物語を、至極単純化してしまうと、デリーのスルタン(イスラム教徒)が、勢力を拡大していく過程で、その矛先に当たったラージプートの小国(ヒンドゥー教徒)との戦いということができます。そのラージプートの国に嫁ぎ王妃になったのが、題名にも採られているパドマーワト、その美貌に目を着けたスルタンが、勢力を伸ばすというよりか、その女性を我が物にするために攻撃を仕掛けていく物語になっています。セットやCGを駆使して、壮大な城塞、そこに戦いを挑むスルタン、その光景は、なかなか見ごたえのあるものですが、ストーリー展開に込められたエピソードは、特段、惹き付けるものがあるわけではなく、むしろ陳腐な感すらしました。誇り高く、義を重んずるラージプートの君主、手段を選ばす勝利こそ全てと、実利に長けたスルタンというキャラ分けは解りやすいのですが、それは、もう古かろうと思わせられました。また、冒頭に、動物愛護の視点とともに、「尊厳ある殉死を推奨するものではありません」というテロップが出たため、終盤に差し掛かると、結末が読めてしまいました。このテロップは、終わってから出して欲しかったなぁ。最近、インド映画に、こういった人権に関してとか、動物愛護、喫煙の問題点に関するテロップが出ることがあります。その大切さを否定するわけでもなく、また、インドにおける映画の占める位置の大きさを考えると、その啓蒙の価値は、計り知れないほど大きなものがあると思うのですが、やはり入れるタイミングを考えてよと、こないなことがあると突っ込みたくなります。そうそう、こないなテロップも入りました。「ヒンドゥー対イスラム」といった構図になっている映画だからでしょうね、「いずれの団体にも与するものではない」と。ちょっとテロップ入れ過ぎというほど、冒頭に入りました。インドも変わったものです。


2019年 9月 30日(月)午後 10時 39分

 明日からトルコに向かうという日になりました。最初の計画では、もう、10日から2週間あとに出発して、11月の頭に帰ってくるつもりだったのですが、この僅かの違いで、航空券のお値段が格段に違うということを見つけ、あっさりと予定を早めた、そういった旅行が明日から始まるのですが、この間際になり、何ともせわしなくなってしまってます。というのは、国立歌劇&バレエ団のHPには、チケットの売り出しは、公演1ヶ月前からと書いていながら、つい数日前まで、全く掲載をしていなかったため、今回のトルコでは、歌劇やバレエ、コンサートを狙っていながら、無惨にも外したかと、サッカー中心に切り替えたスケジュールを立てました。黄紺的には珍しいことに、飛行機に乗る前からスケジュールが詰められている状態だったのが、見事、ご破算になり、一からのやり直しとなり、ようやく、そのための資料作り、チケットの確保なんてことが、一昨日から動いたという具合だったところへ、昨夜、送られてきた息子からのメールを読み間違い、その作業のための時間が狭められてしまったと勘違いしたものですから、昨夜はというか、日が替わった時間帯から必死のパッチで、何とか間に合わせることができたようです。そんなで、今回は、ムーラなり、はたまたディヤルバクルなりを目指すつもりが、逆転が起こってしまい、これでは、まだ最後にはできないの気持ちにさせられています。で、今日は落語を聴く日。旅行中は落語会に飢えてしまうため、出発前日に落語会に行けるというのは、とってもありがたいこと。ツギハギ荘であった「第60回客寄席パンダ」に行ってまいりました。桂雀喜が、自身の新作をかける会です。今日の番組は、次のようなものでした。雀喜「キリン」、鶴二「作文」、雀喜「宗教万歳」。しばらく落語と離れなければならないのに、もう眠たくて、全然ダメでした。その中で覚えていることをメモっておきましょう。「キリン」は、マクラで、たっぷりと天王寺動物園ネタを。現園長は、高校が同窓だそうです。今日の新作となるものですが、「つる」のパロディだそうですが、その部分はダウン真っ最中でした。鶴二は、こうした落語会で遭遇することは、黄紺的にはないのですが、雀喜とは、年齢で2年、入門で7年の開きがあるそうです。あまり聴く機会のない鶴二なのに、ここは完全にギヴアップ。「宗教万歳」は、同窓会で出会った、昔好きだった女性に誘われて行った先は宗教施設、それに落胆していると、慰めに入った友人が連れて行った先も宗教施設だったというもの。このネタが一番聴けたかな、でも、完全に制覇したわけではないのが、悲しいところでした。せっかく、しばらく落語を聴けないという日なのに、なんてことになったのか。ついていません。


2019年 9月 29日(日)午後 7時 49分

 今日は、「京都府立図書館連続講座」を聴く日。2週間ほど前までは、他の公開講座に行くつもりをしていたところ、街角の掲示板で、今日の講演会を知り、あっさりと切り替えてしまったもの。それほど、黄紺の関心を刺激するテーマだったのです。その講演とは、京都ノートルダム女子大学教授鷲見朗子さんが「もうひとつのアラビアンナイト~北アフリカの物語」という演題でお話されたものでした。アラブ文学系の講演なんて、ありえないほどレアなものですから、しかも、大学の内輪のものではなく、市民向けの公開講座ですから、京都府は何を考えてるのか気になるほど、素敵な設定です。まず、アラブとは? アラビア語とは?というお話から入られました。それはそうですわね、この辺りは付き合わねばなりません。トルコ語教室に行ってたことは、当たり前のようにしていたお話、あのような環境に懐かしさを覚えます。そして、有名な「千一夜物語」の基本情報へ。肝心なのは、個々の物語ではなく、シャハラザードの物語。この「千一夜物語」の枠のお話が、このあとの本題に重要なのです。黄紺も、シャハラザードの「命がけ」の物語の正しい道筋を、きっちり押さえたのは、初めてとなります。これを、「枠物語」と名付けておられました。この枠さえあれば、どんなおもしろ話も放り込めますものね。実は、今日の本題は「もう一つ」の物語。マグリブに伝わる「百一夜物語」。数字が違うだけではなく、この「枠物語」の形式、更に、その物語自体が酷似しているというのです。その「百一夜物語」の紹介をしていただけたのですが、日本語やヨーロッパの言語への翻訳本が出版されたのが近年と言いますから、分析は、まだまだ時間がかかるようですが、2つの物語で酷似している「枠」の分析は聴かせていただけました。なぜ、シャハラザードは命がけで物語をするようになったか、相手の王に悲しい物語があったのです。それが女の裏切り。性悪女を妻に迎えたため、裏切りに遭い、意気消沈の王。正に、悪の根元を断つが如く、女を殺していく。その前に、命がけで現れたのがシャハラザードだったのです。シャハラザードは、物語で王の心をほぐしていきます。それを、性悪女に対して、貞女として現れたシャハラザードは、「美の探求」から「知の探求」へと、王を導くことで悔俊へと誘うと評されていました。なるほど、きれいにまとまりました。時間があれば、「千一夜」だけではなく「百一夜」の方も読んでみたくなりました。鷲見朗子さんは、ヨルダンやエジプトでアラビア語の研鑽を積まれ、レバノン大使館勤務の経験をお持ちのアラビア語・文学のエキスパート。ノートルダム女子大学に、アラビア語の講座があるって、初めて知りました。


2019年 9月 28日(土)午後 6時 49分

 今日は、京都コンサートホールで音楽を聴く日だったのですが、その前に、東本願寺傍らにあるしんらん交流館で行われていた「ハイサム・ハーティブとガザの写真展」を観てから行くことにしました。この辺りでウォーキングをしていて、偶然見つけた写真展でした。ハイサム・ハーティブという人は、ヨルダン川西岸地区の小さな村に住む男性で、その地域に対するイスラエルの占領政策や国際法違反の行動を告発すべく、自らの、そして、そこに住む人たちを含めた日常生活を撮っている写真家。ときには、再三繰り返されるイスラエル軍兵士による理不尽な行動を、命がけでカメラに収めています。もう一つのパレスチナ人居住地区となるガザ地区でも、同様の意図で活動している写真家の作品が併せて展示されていました。屈託ない子どもの姿があるかと思うと、表情をなくしてしまった子どもの姿も。収入の糧であるオリーブの木が焼かれていたり、壁と鉄条網の間に育つオリーブの木を眺める青年の姿、黄金色に輝く出来たてのオリーブ油を眺める女性、赤ちゃんにミルクの用意をしている間に家を破壊され泣き叫ぶ女性、境界線越えに跳ばす凧にはパレスチナの旗が付いていたり、それぞれ心に残る作品群です。我ながら、いい写真展を見つけたものです。
 しんらん交流館を出ると、地下鉄を使い、五条から北山に移動。京都コンサートホールであった「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.64゛オルガニスト・エトワール゛」に行ってまいりました。冨田一樹さんのオルガンで、次のようなプログラムを楽しむことができました。「レーガー:序奏とパッサカリア ニ短調 WoOIV, No.6」「ボエルマン:《ゴシック組曲》op.25より〈ノートルダムの祈り〉」「冨田一樹:即興演奏(京都コンサートホールの提示する主題による)」「R.ジャゾット:アルビノーニのアダージョ ト短調(オルガンソロ版)」「作者不詳:《ロバーツ・ブリッジ写本》より〈エスタンピー・レトローヴェ〉」「G.バンシア:《ブクスハイム・オルガン曲集》より第143番〈さらば我が美しき人〉」「N.ブルーンス:前奏曲ホ短調〈小〉」「J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」「同:コラール《最愛のイエスよ、我らここに集いて》BWV731」「同:コラール《我らの救い主なるイエス・キリストは》BWV665」「同:フーガ ト短調 BWV578゛小フーガ゛」「同:コラール《高き天より我来たれり》 BWV606」「同:コラール《我が心の切なる願い》BWV727」「同:前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552」。京都コンサートホールに詰めかけた客は、ほぼ満杯。チケットは完売と出てましたから、持っていながら来れなくなった人の席が空いているといった具合。黄紺は、大阪でのコンサートに行けなかったものですから、満を持してチケットをゲットしてありました。久しぶりのパイプオルガンのコンサートです。ドイツに行くことが多いものですから、パイプオルガン自体は耳にしているのですが、それは、あくまでも教会のなか。コンサートホールでパイプオルガンのコンサートって、実に久しぶりなのです。このギャップって、大変大きいのだと、演奏が始まるや気がつきました。残響が、全く違うのです。教会だと、残響は5秒はあるでしょ。そこから来る音の重なり、時としてうなりが生まれ、演奏者の気持ちとは別個のパワーを見せつけるので、演奏者は、それを計算に入れて演奏しなければならないはず。その逆なのです。教会での演奏に比べると、残響なんてないが如しです。有名な「トッカータとフーガ」を聴いても、こないなところに、そないな長いポーズがあったっけなんてのが、今日のコンサートで起こっちゃいました。ですから、冒頭のレーガーは大変。この人のコンサートを目指していながら、果たして来て良かったのかなんてことを考えながら聴いておりました。ただ、フル回転させるかのような、パイプオルガンの鳴らし方をすると、引き気味になってしまうのですが、そないな曲ばかりではないのが、幸いしました。バッハで言えば、コラールなんのでは、パイプオルガンのフル回転ではない曲が、いっぱいあるものですから、残響云々なんてのは、あまり影響を受けない。これが、慣れを生むきっかけになりました。やはり、耳が慣れるというのはいいことです。フル回転組に入る最後のバッハなんて、楽しませてもらいました。残響が少ないということは、音がクリアになりますから、より鮮やかに、演奏者が紡ぎだそうという音楽がクリアになります。ようやくホールでのパイプオルガン演奏のとらまえ方を掴んだかなというところで、コンサートもはねたようです。また、機会を見つけて、パイプオルガンのコンサート、冨田さんのコンサート聴いてみたいものですよ。なお、アンコールは、バッハの「コラール《最愛のイエスよ、我らここに集いて》BWV633」が演奏されました。


2019年 9月 28日(土)午前 6時 37分

 昨日は、朝から息子と家の用事の肉体労働。汗だくになり、息子は、夕方帰って行きました。かなり、この日に肉体労働を選んだのを後悔しながら、夜はカフェモンタージュへ。昨夜は、「ポロネーズ- F.ショパン」と題して、ピアノの山本貴志&佐藤卓史のお二人のコンサートがありました。著名なピアニストによるショパンのポロネーズの競演の日となりました。そのプログラムは、次のようなものでした。②「2つのポロネーズ op.26」③「幻想ポロネーズ op.61」(以上、ピアノ独奏:佐藤卓史)、①「3つのポロネーズ op.71」③「英雄ポロネーズ op.53」(以上、ピアノ独奏:山本貴志)。①~④の順で、お二人交互の演奏でした。黄紺的には。山本さんの演奏を聴くのは初めて。何度か、コンサートに行こうかと思いつつ、ここまでは自重してきた思い出があるのですが、昨日は、佐藤さんと競演ということで、贅沢過ぎるという思いから、ようやく遭遇する機会を得ました。二人の著名なピアニストとなると、どうしても比較することで、お二人の特徴のようなものを捉えようとしています。①②を聴いた段階では、山本さんは直情的で、クリアな音を出される方だなの印象的に対して、佐藤さんは、多彩な音色で技巧派といった印象。佐藤さんは、何度かカフェモンタージュで聴いたときに比べると、本来持っておられる繊細で美しい高音が、ペダルの多用で消されてしまってるの印象も、併せて持ってしまいました。技巧に走り、持ち味を消してしまったかななんて思ってしまいました。③になると、山本さんの印象に、少し変化。やはり真っ直ぐな演奏スタイルなんだけど、佐藤さんのピアノを聴いてしまってたので、パワーが欲しく感じた分、クリアな音という印象が後退してしまってました。④の佐藤さん、ここで高音の美しさが蘇りました。タッチの柔らかさは、佐藤さんに軍配が上がりますから、極上のピアニッシモの高音を楽しませてもらえたのですが、何となく、黄紺の持つショパン・ワールドとは違ったかなの印象。過度な感情移入から出てしまっては困る臭さを避けようとしたのかな、そないなことを考えながら聴いていましたが、終わってみると、今日のベストは④かなとなってましたから、この演奏スタイルに順応してしまってた黄紺でした。演奏開始直前まで、昼間の疲れでぐったりとしていたのですが、たっぷり過ぎる睡眠をとれていたためか、最後まで体力が持ちました。これは嬉しかったなぁ。黄紺は、めったにショパン・オンリーのコンサートというものには行かないのですが、なかなかいいものですね。客席は、いつもに比べると、平均年齢がかなり下がったって感じ。「予約満席」が、わりかし早くから出てましたから、立ち上がりの遅い高年齢層がはじかれちゃったのかな。そないなことを含めて、やはり、ショパンは偉大でした。


2019年 9月 27日(金)午前 6時 25分

 昨日は落語を聴く日。珍しく城陽市の文化パルク城陽のブラネタリウムであった「笑福亭喬介独演会 in プラ☆ネタリウム」に行ってまいりました。こうやって、落語会を、噺家さん以外から声をかけられるようになると、噺家さんも人気が出てきたなの印象を与えますが、上方の噺家さんに声をかけるプロデューサー的な役割ができる方が、東京に比べて、圧倒的に少ないのが上方の現状です。そういった中で声がかかる噺家さんと言えば、南天、たま、それに次いで、花丸、喬介、佐ん吉、二葉といったところでしょうか。それだけ、厳しい環境に、上方の噺家さんたちはいるわけですから、逆に言えば、そういった環境のなか声がかかる噺家さんというのは、大変な個性、実力の持ち主ということができるのかなと思います。で、この会は、全く喬介一人だけの会。そこで出されたのは、「牛ほめ」「天狗刺し」「ねずみ」でした。「ねずみ」だけがネタ出し、そして全3席と、チラシには書かれていました。予想としては、1席目が「牛ほめ」か「寄合酒」、2席目が「借家怪談」で、ちょっとした可能性で「青菜」だったのですが、2席目は、完全に的はずれ。「牛ほめ」と「天狗刺し」では、主人公のキャラが被るのではと思ってしまったのですが、おもしろければいいのだの精神でしょうか、「天狗刺し」を出しました。この2つの抜けたような無邪気なアホは、もう喬介の鉄板。ところが、この会では、ちょっと抑制されたように聴こえてしまいました。その原因は明らか。プラネタリウムの建物としての構造にありました。この会に一緒に行った弟とも、中入り(喬介の着替え時間)のときに喋ってたのですが、音を吸収してしまうのです。だから、残響が極端にないものですから、まず喬介の声は、スピーカーを通じてしか聴こえない、次に、客席の笑い声が拡散しないものだから、客席の空気が盛り上がらない。そんなでした。客席の笑い声が、会自体の空気を左右するものなのに、そうではないというのは痛い。そないなものですから、いつも通りの勢いではないのです。でも、そないな環境のなか、物怖じしないキャラの喬介、マクラ、繋ぎのお喋り、これが、ツギハギ荘の自身の会同様で展開。来年3月にも、こちらでの会を開催してもらえることが決まりました。拍手ぅ、、、。落語会のディープな常連さんの顔も、チラホラ。何よりも、凄いのは、喬介を喚んだ城陽市のスタッフ。たまも、既に喚んでいるそうなんで、目のつけどころが、好事家のそれです。大拍手です。


2019年 9月 25日(水)午後 11時 54分

 今日は、京都コンサートホール(小)で音楽を聴く日。今夜は、「ラ・メリ メロ アンサンブル」のコンサートがありました。そのメンバーは、次のような方たちです。 (ヴァイオリン)泉原隆志、直江智沙子、中野志麻、山本美帆、(ヴィオラ)鈴木康浩、金本洋子、(チェロ)上森祥平、福富祥子、(コントラバス)神吉 正。そして、プログラムは、次のようなものでした。「R.シュトラウス:歌劇゛カプリッチオ゛op.85より弦楽六重奏曲」「モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364(弦楽合奏版)」「メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 op.20(コントラバス入り九重奏)」。京都市交響楽団のメンバーに加えて、東京や横浜のオケ、それにフリーランスの演奏家が集う年1回のアンサンブル。今回は、まことにもって興味をそそるプログラムが組まれました。R.シュトラウスの美しい音楽が凝縮したかのような「カプリッチオ」、泉原さんと鈴木さんのソロで聴けるモーツァルト、しかもオケでなく、ごく小編成の弦楽合奏付き、実は、この2つがお目当てでした。この2曲ともに、泉原さんが、とても気持ちよく弾かれているのが、手に取るように判るものですから、その楽しさを共感できるだけで、聴く者冥利に尽きます。実は、ここまでの2曲ほどには期待していなかったのが、最後のメンデルスゾーン。ところが、これが輪をかけたように、溌剌としていて、実に爽快。特に第4楽章のフーガが、躍動感があり、爽快感は最高度に。終わった途端、「この曲って、こんなに良かったっけ」と、声には出しはしなかったのですが、呟いていました。今日の演奏が、この曲の持つ良さを引き出したのでしょう。とっても満足できた素敵なコンサートでした。


2019年 9月 24日(火)午後 11時 25分

 今日は講談を聴く日。毎月恒例の「第266回旭堂南海の何回続く会?」(千日亭)に行ってまいりました。今日は、南海さんが「太閤記続き読み『明智光秀の最期(二)』~敵は本能寺にあり(前・後半)」を読まれる間に、神田春陽さんの「寛政力士伝~め組の喧嘩~」が入りました。まず、開演前に一海さんの空板がありました。既に、南海さんと南湖さんの二人会で空板を務めているのは、その会の通し券を買っておられる方から聞いてはいたのですが、黄紺的には初遭遇となりました。噂通り、しっかりとした語り口に、期待を抱かせるものがありました。ネタは、もちろん「三方原軍記」でした。今日は、もう一つ、特別なことがありました。東京の春陽さんが出演されたことです。ご本人が、2月に次いで2度目と言われるまで、前に出られたことを、すっかり忘れていました。その春陽さんの高座を挟んで、南海さんの高座が組まれていました。「明智光秀」、今日は、有名な蘭丸による光秀の打擲に至る過程、それを受けて、光秀が兵を本能寺に向けるまでが読まれました。正に「敵は本能寺にあり」の名台詞で終わったと言っていいかと思います。打擲に至る過程は、家康に対する饗応の内容が気に食わぬということで、信長が蘭丸に打擲を命じるとなっていました。そして、直後の光秀の苛立ち、それを押さえる光秀、そこへ飛び込んできた光秀の家臣の怒りと続き、数日後、息子十兵衞を伴い訪れた愛宕山でのおみくじを通しての、謀反の決意。それを、直臣数名に、初めて明かす場面、最後は、中国遠征をしている秀吉支援の軍を動かすふりをして、ついに本能寺に向けての出陣という流れでした。来月は、変則開催が、今日判り、がっくり。というのも、通常開催だと、トルコから帰ってきてから行けると踏んでいたのですが、早まってしまい、本能寺の変を聴けなくなってしまいました。愕然です。春陽さんは、聴いたことのないネタを聴かせていただけました。力士が主人公でない「寛政力士伝」ってあるのですね。相撲の世界はかんではいますが、主人公はめ組の男たち。相撲好きと芝居好きの男たちが、自分たちの好きな方に、連れを引っ張っていこうとするところから始まります。芝居好きの男は、相撲場の木戸銭の仕組みを知らず、もぎりの男(幕下を相撲取り)とトラブルを起こすものですから、相撲好きの男たちが芝居に付き合うことに。ところが、先ほどのもぎりの相撲取りが芝居好きで、もぎりの仕事が終わると芝居を観に来たものだから、話がややこしくなってしまい、め組から、また、相撲場からも援軍がやってくるドタバタ劇となるという、何とも屈託のない筋立て。お江戸の講談って雰囲気ですね。貴重なものを聴かせていただけました。ま、東京じゃポピュラーなものかもしれませんが。
 ところで、客席で、講談席の常連さんとお喋りをしていたところ、一海くんが楽屋に引き上げられたあと、受付を担当されているのは、花鱗さんではないかと言い出されて、びっくりしました。もう、お姿を見かけなくなってから10年は経つだろうと思いますから、そのように言われても、黄紺には、急には同意できないままでしたが、もちろん否定もできないままなので、気になり、家に帰ってから消息が判らないか、ネットで調べてみて判りました。今は、もう花鱗さんじゃなくなっていました。師匠に名前を返上されていたのですが、それまでのこと、また、講談界から消えておられた事情も、ご本人が書かれていて、その辺のことを、初めて知ることになりました。そして、今日拝見した方は、間違いなく元花鱗さんだと確信するようになりました。書かれているものを読み、改めて人それぞれ、いろんな人生のあることを教えていただけました。その元講釈師を、暖かく見守る師匠、そして、今日の会主南海さんの懐の深さも、同時に知ることになりました。これからも、ひょっとしたら講談会でお目にかかることがあるかもしれません。今度見かけたら、声をかけてみようかなと、ちょっと勝手なことを考えています。


2019年 9月 24日(火)午前 1時 37分

 今日も二部制の日。午前中に公開講座、午後に映画を観てまいりました。まず、京都市学校歴史博物館での公開講座へ。今、こちらでは、「番組小学校創設150周年記念 特別展」が開かれており、それを記念して、「番組小学校の軌跡―京都の復興と教育・学区―」と題したリレー講座 「明治2年の京都」が開催されています。その内の2回が、黄紺のスケジュールに合うということで参加申込みをしてあったのです。黄紺的には2回目の参加となる今日は、「学校」と題して、浜松学院大学短期大学部講師・京都市学校歴史博物館顧問の和崎光太郎さんのお話を聴くことができました。番組小学校が生まれた明治2年を切り口にした連続講座ですが、今日のお話は、そこに至る過程を押さえるお話で始まりました。幕末期の京都の混乱、これは、政治的にだけではなく、経済的にも、自然状況にも言えることで、それに対する自衛組織的に、町人の自治組織である町組が生まれていき、そこから有力町人の台頭が起こってくる。それに加えて、町同士の関係改善、町同士の差異をなくすために、町に番号を付けることで生まれた町組織が「番組」と言われるもの。そういった町の変化、それに小学校設立の動きが乗っかっていき、番組小学校へと発展していくというのが流れと言えばいいでしょうか。小学校創設への細かな折衝、特に西谷良圃らの動き、府との折衝は、細かくて頭がついていかず、すると眠たくなり、また、余計に解らなくなるといった具合。いざ創設となると、その設立資金、運営資金は、地域の人たちの寄付で賄っていかれたというのが、この番組小学校誕生の凄いところ。「竈金」というやつで、一部の有志者による拠出というのではなく、全戸から集金されたそうです。府からの支援に比べると、その何倍かの資金が、地域の人たちから集められたというわけで、これがあるため、自分たちの学校という意識が生まれてくるのであり、こういった発想は、西洋的考え方だと言われていました。町組は、数を揃えるということで、2度にわたり改編されているそうですが、このときに生まれた番組が、ほぼ現在の学区に当たり、それがあるため、京都は学区単位で動くことが多いところだとも言われていました。また、番組小学校は、子どもたちが学ぶ場であるとともに、大人たちの集う場でもあったそうです。警察や消防といった機能を持つ場であるため、番組小学校の建物の仕組みは、子どもたちの空間と大人たちの空間が交わらないようになっていたとか。それが証拠に、番組小学校の玄関は登下校のときに使う場ではなく、子どもたちは「通用門」から出入りする習わしだったとか。学校歴史博物館の基の開智小学校を例にとられて、それを説明されていましたが、これは判りませんでした。お話には、やはり歴史の理解に必要の前提を踏まえてお話されるという部分があります。この講演だと、幕末の混乱と言われた場合、薩摩&長州と幕府の対立構図を思い浮かべるのはいいのですが、その詳細が解らない、日本史の疎さに加えて、その時期の京都に対するイメージがないということも身にしみます。ですから、かなり頑張らないとついていけず、そこから、更に突っ込まれていくと、白旗を出さねばならないということも判った講演だったと思いますが、こういったお話を聴くことで、少しずつ、頭がほぐれていくのでしょうね。関心だけはあるので、日本史、頑張ってみます。
 講演が終わると、博物館の展示を、しばらく観て回ることに。いくつかの番組小学校の展示がされているのが、新しいのかな。メーンの展示室では、今日聴いた番組小学校設立に功績のあった人たちのプロフィールがあり、以前展示を観たときよりも身近に感じることができました。それから、京都シネマに向かうことに。今日は、かねてから狙いのインド映画「ヒンディ・ミディアム」を観てまいりました。存外長く上映されているため、インド映画祭とのバッティングを避けることができ、こうした時期に回ってきたというわけです。主人公は教育熱心な親二人。母親は英語も話せる上流の出、父親の方は職人上がりということで、財をなしているのですが、英語を喋れないというコンプレックスを持っている。二人は、娘には、しっかりとした教育を受けさせようと、有名私立学校を観て回るのですが、、、うまくいかないのだけは覚えているのですが、この辺りから居眠り。インド映画を観ていて居眠りとは、相当の根性なのですが、堪えがたい感じで居眠りだから、どうしようもない。気が付くと、そういった有名私立学校の中で、経済的に困難な家庭の子弟に、学費免除という特別枠があることを知った件の夫婦は、貧困層の住む地区に移住して、その枠で入学を目指すという、ちょっと際もの的な展開に。そこで慣れない生活をしながら、一方で下町の人情にも接していく夫婦に、常に面倒を見てくれる夫婦もまた、その特別枠で息子を入学させることを考えています。そして、いよいよ特別枠の入学者選抜の抽選の日、主役の夫婦の子どもは当選し、傍にいて、何かと面倒を見てくれた夫婦の子どもは外れてしまいます。子どもの入学が決まったということで、元の生活に戻った夫婦は、心の呵責から、友人の夫婦の子どもが通うことになる学校に寄付をするのですが、それを有りがたいと思った友人の父親が、その寄付をした人物を訪ねて行ったことから、一切がバレてしまい、ラストへと向かっていきます。最近、純粋エンターテイメントに徹した作品とともに、こういった社会問題をえぐるインド映画が、日本で公開されることが増えていっているような気がするのですが、果たして、こういった映画が、インドで、どのように受け入れられているのかが気になります。この映画も、インド社会の抱える貧富の差、身分社会を想定させる大きな階級差、それを射る映画で、日本では、喜ばれて観られる映画かなと思うだけに、インド内での見方、評価といったものが気になるところです。映画が終わり、バッグを開けると、いつも入れてあるはずのカードケースがない。そう言えば、バッグに入れかけて入れなかったような気もしたのですが、気持ちが悪いので、そのあとに考えていたアーバン・ウォーキングは止めて、最低限の買い物をして帰宅。やっぱ、思った通り、いつものお出かけ準備を、なぜか途中で切り上げてしまっているところに置きっぱなしになっていました。あまり、心臓に良くないですね、こないなことは。ましてや、トルコ行き前ですから、余計に良くないのです。


2019年 9月 23日(月)午前 6時 40分

 昨日は二部制の日。午後に、「枚方市文化財連続講座」に行き、夜にはカフェモンタージュへ行くというもの。トルコ行きが迫り、京阪電車の定期券も切れてしまったため、効率の悪い二部制は避けようとしているのですが、昨日は、外しがたい2つが並んだものですから、仕方ありません。枚方市の講座は、今年のテーマとして、「戦時下の大阪-枚方の戦争遺跡を中心に-」を設けています。枚方市は、かつては軍事都市としての地位を確立していたというのは、かつて枚方市民であったため知ったこと。ですが、枚方市という枠で押さえがたい大きな話かなと思っています。今回、たまたま8月末に、枚方市の催しで、LGBTの問題を取り上げたことから、枚方市の施設に足を運んだところ、この講座を知ることになりました。映画と同じで、芋づる式に、自分の関心が呼び覚まされている感じがしています。昨日は、連続講座の2回目で、「片町線周辺の軍事施設」という演題で、大東市教育委員会生涯学習課佐々木拓哉さんのお話を伺うけどができました。まず、片町線の沿革から。寝屋川の舟運の補強、四條畷神社への参拝客を運ぶ、主として、この2つを目的として、片町線の敷設は始まったとか。更に、片町線のあとに、城東貨物線が敷設されたことが、物資の輸送の利便性を考えると、大きかったようです。何でかは省かれましたが、北河内は、大阪府内でも住宅開発が遅れた地域と、よく言われます。大阪からは鬼門の方角にあたるからという話を聞いたことがありますが、事実そうだったということで、こちらに軍需産業が進出したようです。そういった施設に、片町線から引き込み線が敷かれ、軍需物資輸送の便が果たされていくのです。禁野火薬庫まで、片町線津田駅から敷かれた禁野側線、やがて、その隣には枚方製造所が完成します。香里製造所には、片町線星田駅から香里側線が敷かれます。更に、禁野火薬庫の爆発後、その代替地になった祝園弾薬庫に敷かれた川西側線。これら作られた軍需物資は、側線から片町線に入り、城東貨物線を通じて、大阪砲兵工廠、更に、東海道線に入り、全国へと輸送されていったというわけです。これらの軍需工場以外にも、輸送の利便性を考えましたか、片町線周辺には、軍事施設に軍需工場が散見できます。盾津飛行場や松下関連の工場などです。そして、最後に、戦後の様子でまとめられました。それらの施設のその後です。朝鮮戦争時に、特需で、軍需工場復活の動きがあったこと、それが市民運動で消えたり、枚方事件についても触れられていました。黄紺的には、祝園に軍需工場があったことは、初めて知ることになりました。宇治に軍事施設がありましたから、このラインを使うのは、目を大阪方面にだけ目を向けていては、なぜ、この地域に軍需施設が作られたかを外してしまうことになるのですね。宇治の木幡にも、側線が敷かれ、その跡がはっきりと残っているそうです。講演のあと、質疑応答になったのですが、そこで出てきたのは、枚方市には、それだけの軍事施設がありながら、大規模な空襲を経験しなかったのはなぜかという問題。確かに、空襲に関する言い伝えがあるとは聞いたことがないことを思い出していました。
 メセナ枚方での講演が終わり、外に出ようとすると、またしてもスコール。仕方ないので、建物を出ずに待機。外に出る前に降り始めていたことを良しとしましょう。所用があり、息子宅へ寄ってから、夜は、カフェモンタージュへ。昨夜は、「パリの四重奏」と題して、(バロック・フルート) 野崎真弥、(バロック・ヴァイオリン)鳥生真理絵、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)折原麻美、(チェンバロ)名越小百合の方たちの演奏を聴くことができました。この4人のアンサンブルは、「AYAME Ensemble Baroque」を名乗っているそうです。そのプログラムは、次のようなものでした。「ジャン・バティスト・カンタン:コンチェルト イ短調 作品12-1」「ルイ・ガブリエル・ギユマン:四重奏曲 "優雅で楽しい会話" イ長調 作品12-4」「ジャン・バティスト・カンタン:四重奏曲 ホ短調 作品10-3番」「ゲオルグ・フィリップ・テレマン:新しいパリ四重奏曲 第6番 ホ短調」。テレマン以外は聞いたことのない作曲家。曲の雰囲気は、総じて似たり寄ったりって感じ。ただテンポが、黄紺の想像していたものより、かなり速め。そういったスタイルの演奏をされるのでしょうか。でも、古楽器の響きは柔らかい。あまりに心地よいものだから、概ね半寝で聴いてしまいました。カフェモンタージュで、バロックが取り上げられることは稀れではないのですが、こういったアンサンブルは稀有。チェンバロの入る音楽のコンサートも久しぶりだったように思います。だからでしょうか、満員の盛況。若干、演奏者のお知り合いが詰めかけていたようでもありますが、もちろんそれだけじゃない。こういったバロック・アンサンブル、しかも、テレマンの名を前面に出したコンサートで、これだけの入り。それだけで嬉しくなっちゃいました。
 ところで、一昨日の深夜から、また肩に痛みが出てきています。その3日程前から、かなりひどい首にこりがあり、じっとして人の話を聴いているのも苦痛だったのが、それだけに留まらず、肩に来てしまいました。7月の再現かとも思ったのですが、あのときにもらった痛み止めの薬が効かない替わりに、今のところ、7月のように腰に痛みが回るという気配がないのだけ、救いかと思っていますが、痛い右肩は利き腕の方なため、何かと支障があります。息子のところに行っても、ちょろまかするDと遊べない、Sを抱っこするのも怖いといった状態です。それどころか、右手を上に上げようとすると、左手の介助が要るわと、何かにつけて不便です。来週からトルコだっちゅうに、何てことでしょう、ホント!


2019年 9月 21日(土)午後 9時 49分

 今日はみんぱくゼミナールに行く日。他に、どうしても行きたい公開講座もあったのですが、今日のみんぱくのテーマにそそられてしまいました。それは、「奴隷交易の世界史―サハラ以南アフリカと世界」というもので、お話をされたのは、国立民族学博物館助教の鈴木英明さんでした。市民向けの公開講座では、なかなか遭遇できない西洋史講座。講師の鈴木さんは、民博では珍しい歴史の専門家。インド洋交易の歴史を専門にされているとか。この奴隷交易も、インド洋に関わっていました。まず、サハラ以南が関わる奴隷交易には、3つのルートがあるというところから、お話は始まりました。1つはインド洋ルート、2つ目はサハラ砂漠越え(有名な岩塩・金交換ルート)、そして、ヨーロッパの大航海時代以降に生まれた大西洋ルートとなりますが、今日のお話の重点は3つ目の最も有名ルート。その中で追求されていったのは、なぜ、アフリカ黒人が奴隷になったのかというテーマ。もちろん大航海時代だからというのが1つなのですが、その先駆けとなったポルトガルの喜望峰ルート発見への道筋が押さえられました。1つ目が、ポルトガルによるマデイラ島占領が関わってきます。占領時は無人だったこの島に、さとうきび栽培を始めたポルトガルは、労働力として黒人奴隷を導入したのが始まりだったとか。同時期にカナリア諸島も、同じようにしているようです。次いで、南進するポルトガルは、サントメ島を発見し、マデイラ島同様、いやマデイラ島で学習した方法で、この島でもさとうきび栽培、プランテーションを始めたのです。やはり、ここでも、黒人奴隷が用いられたのですが、気候的にヨーロッパ人には適さない場所なために、黒人奴隷に頼っていくわけです。更に、ポルトガルが、アフリカ中南部にあったコンゴ王国と外交関係を結んだことから、交易で得た黒人奴隷の安定供給が進んだと言います。一方、新大陸にもポルトガルが、更に、それを上回る勢いでスペインが、次いで、オランダ、イギリス、フランス、そして、デンマークがと、さとうきび栽培、北米では、インディゴ、タバコ、綿花、米のプランテーションが生まれ、これらへと、アフリカ黒人奴隷が導入されていくというわけです。そして、問題が立てられます。どうして、奴隷はアフリカ黒人だったのか。巷間、よく言われるのは、これは、黄紺も知っていましたが、インディオの数が足りなかったのだと。コンキスタドーレスによる殺戮、プランテーションでの過酷な使役に伴う死亡により、数が足りなくなったと。でも、それは、イコール、アフリカ黒人奴隷の使用の説明にはならないと言われていました。確かに、他に供給源がなければ、それでいいでしょうが、そうはいきませんわね。そこで上げられたのが、ブラジルの征服時に出逢ったのは狩猟民で農耕が不得手、ならば、マデイラ島やサントメ島のシステムを継承したのだと言える。ても、それでも、なぜ、奴隷はアフリカ黒人だったのか、ヨーロッパ人を使用しなかったのかが残っていきます。1つは、キリスト教の創世記神話からの説明が出ていました。「ハムの呪い」の正統化で説明する説があると言われていました。また、ヨーロッパ人に否定的だった要素として、「17世紀の危機」を出されたり、戦争捕虜を奴隷化すると報復がやばいとか、大きくは「ヨーロッパ人」概念が生まれつつあったなどが上げられていました。なるほどと思える点もあれば、更に検討の余地があるのやら、諸説を紹介いただいたというところでしょうか。わりかし刺激的でもあったかな。今日は、京都で折口信夫を素材にした公開講座がありながら、それを絶ち切って行ったのですから、このくらいの成果はもらわないとダメだったのですから、、、。終わったあとは、いつものように、映像資料の視聴に精を出しました。インド数本、ケニア2本の映像を楽しみました。そして、帰りは、今日も、モノレール摂津駅までウォーキング。いつもと異なるルートを選ぶと、今回も、万博記念公園から出るのに一苦労。でも、それを抜けると、あとは快適。完全に秋ですね。


2019年 9月 21日(土)午前 7時 25分

 昨日は、午前と午後の二部制の日。午前中に公開講座を聴き、午後は映画を観る日でした。まず、午前は、京都アスニーで、毎金曜日に行われている「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の「特別企画:双京構想連続講座④<共催:双京構想推進検討会議>」に行ってまいりました。昨日は、「平安貴族が楽しんだ五節句」という演題で、京都ノートルダム女子大学名誉教授の鳥居本幸代さんのお話を聴くことができました。この間続けられている一連の節句シリーズの1つです。シリーズ最後に聴いたお話でしたが、振り返ってみれば、このお話を初っぱなに置き、あとは、各節句について突っ込んだ内容にする、場合によっては、概要を全て網羅されていましたから、このお話だけでも事足りたのじゃないかと思いました。各節句の基は中国にあるということで、中国の古典に現れる風習、そして、日本に入ってきた時期、その中身を、各節句の冒頭でお話いただけるという、まことに整理された構成。その詳細で記憶に留めておきたいことを、メモっておくことにしましょう。①供若菜【人日の節句】七種の若菜を摘み、それを食して邪気を祓う、これを概要に成り立っから、七種粥に繋がるもの。ただ、この日だけが、日にちが重ならない件に関しては、元日は特別な日とだけ言われていました。似た行事に「子の日の遊び」を上げられていました。野に出て若菜摘みをする。茂山家に伝わる井伊狂言に「子の日」というのがあります。真冬ですから、野に積もる雪を投げ合うようになりますが、若菜摘みに出かけ、健やかな景色を眺め、精気を得て邪気を祓っていたのですね。この行事のコンセプトと同じと考えればいいようです。②上巳祓【上巳の節句】中国の禊祓の信仰が入り、その祓具として用いたのが人形(ひとがた)。また、この禊祓行事とともに、曲水の宴の風習も入ってきたということで、元来は、この時期に行われていた行事だということは、既にどなたかが言われていましたね。また、桃の故事として、西王母に関しても、既に、どなたかがお話しされていました。③端午節【端午の節句】中国では、5月5日生まれの子は不幸な子とされていたということで、その風習が入ってきたのでしょう、日本でも、この日は邪気を祓う日になったようで、菖蒲や薬玉が、そのためのアイテムに使われたそうです。④七夕【しちせき】織女星と牽牛星の逢瀬は中国の言い伝え。それが、そのまま入ってきたわけですね。織女は機織りに、牽牛は耕作に通じるというわけで、日本でも、この日に行われる風習として、二星会合の観覧、それに加えて賦詩、漢詩や和歌を献上するというわけで、乞巧奠となるわけです。⑤重陽節【重陽の節句】「九」という数字に由来するそうです。奇数が陽で、且つ最大の数字だということから、不老長寿に繋がっていったようですし、この風習に登場する菊も、やはり邪気を祓うと考えられ、菊綿の風習が生まれたようです。内裏の重陽節では、茱萸(グミ)の挿頭花を着けたそうで、こちらも魔よけの役割を担ったとか。こうやって見ると、最後にまとめられていましたが、各節句のアイテムとして登場する植物は、いずれも香りを持つもので、そういった植物が邪気を祓う効用を持っていたと信じられていたということになりますね。それらの幾つかは、そのわけも知らないまま、現代でも受け継がれているのが、おもしろいところ。「枕草子」や「源氏物語」などの古典も、たっぷりと引用され、実に内容の詰まったお話に好印象。公開講座には、講師の個性やこちらの理解力があり、どうしても満足度に凸凹ができてしまうのですが、これは、自分的には★5つの、内容たっぷりのお話でした。
 京都アスニーを出ると、ウォーキングがてら京都シネマまで歩いて移動。適度な時間、また、次の映画にも、程よく間に合うということで、ウォーキングがびったり、黄紺のスケジュールにはまりました。で、映画は、「ベニシアさんの四季」。NHKのどこらの局で放映している番組の映画版です。黄紺宅にはテレビがないので、当該番組は、外国に行ったとき、NHK-Worldを観ることができるとき、楽しみにしている番組なのです。それを観ている人が多いのでしょうか。結構な入り。但し、老老女女という感じで、若い人は皆無、男性は極微小。その男性の内2人は、カップルでしたから、奥さんに連れられての雰囲気が濃厚だということで、ますます肩身の狭い客席でした。もちろん、ドキュメンタリー映画ですが、構成は、春から始まる四季の移り変わりに応じたベネシアさん宅のお庭、大原の風景の変化を辿りながら、ベネシアさんの半生を振り返るというもの。その合間に、大原の地元の人たちとの交流、家族団欒の様子が挿入されるというもの。ですから、テレビ番組のテイストとは、ちょっと違ったかなというところ。テレビでは、ベネシアさんの生きてこられた跡というのは入らないことはないのですが、重しの置き方が、かなり違ったなの印象でした。貴族の出の方とは知りませんでしたが、インドに行かれたことがあるのは知っていました。ただ、インドに行った動機のようなものは、初めて聴いたように思います。また、テレビでは、子どもさんは1人しか出てこられたのしか観てないのですが、全部で4人もおられるのですね。その辺りの親子の風景なども、この映画では、大きなウエイトを占めていたように思いました。かなりシリアスな内容もあり、今までテレビで観てきたのは、ベネシアさんの今、自然を愛でる姿にだけ触れてきたということで、その奥深いバックボーンを見せていただけたように思い、また、大原の風景が素敵で、時間の経つのが早く感じられてしまいました。


2019年 9月 19日(木)午後 8時 38分

 今日は、大津のコラボしが21で、「平成31年度滋賀の文化財講座-花湖さんの打出のコヅチ-」という名で行われている公開講座に行ってまいりました。今日は、第5回目で、これで3回目となります。今日は、「明智光秀の幻の名城坂本城」という演題で、滋賀県教育委員会文化財保護課の松下浩さんのお話を聴くことができました。まず、坂本城の来歴から。信長の延暦寺焼き討ちで功績のあった光秀に築城が認められ、本能寺の変後、光秀の死亡でもち壊されたあと、再建はされるが、大津城が建てられたことで廃城となる、これって、日本史に疎い黄紺も、講談のおかげかもしれないのですが、知っている事実。この辺りを、史料を用いながら、解説をいただけました。延暦寺攻略に先立ち、志賀の土豪を押さえてあったというか、彼らは延暦寺とともに生きてきながら裏切らせることが、この勝利に繋がったそうで、しかしながら、伝統的には延暦寺と繋がっていたということで、その睨みをきかす狙いも持ち、光秀に坂本支配を任せたようです。光秀は、信長配下の武将で、初めて築城を認められたようで、出世頭だったというわけです。功績のあった土地に築城を認めたのは、浅井討伐に功績をあげた秀吉に、長浜での築城に通じるとか。また、「天主」という語句が、初めて登場するのが、この坂本城ですし、ルイス・フロイスは、安土城に次ぐ名城と書いているそうです。その坂本城の位置すら、なかなか特定できてないのは、不思議な印象を持ちます。それほど、坂本城に関する記述が残ってないようで、次は、その坂本城の位置、規模、姿を推定するお話へと入りました。辛うじて残る場所を特定できるかもしれない記述、現在残る城に関わる地名、地形的特徴などを駆使しての推定話となりました。これが、なかなかおもしろかった。坂本辺りって、条里制が敷かれてたのですね。それがお役立ち。区画が崩れると、そこに造ったと推定できるのです。浄戒口なんて地名がなんでと思ったのですが、それは、城界口の字が変わったとみたら、途端に、城の外れが判る。城には堀が付き物ということで、暗渠があれば、そこを堀跡と考えられると、川の流れも追う。そういったことから、坂本城も特定されていっているということでした。琵琶湖に面し、城から直接、湖面に出ることができ、三重の堀を張り巡らし、大小2つの天主を持つ威容、残っていて欲しかったですね。ただ、今日の講演者は、独自の坂本城構想をお持ちでした。坂本城は惣構えだったのじゃないかというものでした。それが、演題にある「幻」の所以だったようです。判らないことが多いだけに、想像力を掻き立てるものを持つのでしょうね。大河ドラマのおかげで、光秀絡みの講座を、本場で聴くことができました。随分と、滋賀県の公開講座のお世話になりましたが、今のところ、今日の講座で打ち上げです。近江も、やはり話題が豊富なところですね。またの機会を楽しみにしましょう。


2019年 9月 18日(水)午後 10時 45分

 今日は二部制の日。午後に映画を観て、夜に講談を聴くという一日でした。そもそもは、講談だけを聴くことにしていたのですが、そこに、インド映画祭(シネヌーヴォ)が入り込んできたというわけです。これで、ようやく、今回の映画祭で上映されるインド映画7本の内4本を観ることができるようになりました。ま、上出来の類いじゃないかな。今日は、テルグ語映画「バーガマティ -Baagamathi」を観てまいりました。序盤から、いきなり前触れもなく、物語が始まり、設定把握が苦手な黄紺は、ちょっとびくついたのですが、やはりインド映画、そこは心得ていてくれました。次第に、人間関係が判り、展開も判ってくると、これって、単なるホラー映画と思えるようになっていったのですが、それはトラップだということが判ってくる、これが、ラストの入口でしたから、かなり長い間、ホラー映画と看ていたことになります。そのホラーの部分というのが、悪魔憑き的なお話で、悪魔の如き憑きものが、題名となっているバーガマティ。ある殺人事件の容疑者の取り調べに、なんか取って付けたかのように、廃屋のような屋敷を使います。いかにも、何かが出てきそうな屋敷で、そこで、悪魔憑き的な物語が始まるのですが、取り調べに当たる警察官の態度が、何か怪しげ。取り調べられている女、この女が殺人容疑で取り調べられるのですが、その女が秘書として付いている政治家を罠にかけようかというスタンスで取り調べに当たるのです。警察官の1人は、殺された男の兄でもあり、個人的にも女を恨んでるように見えます。その取り調べが進む一方で、悪魔憑きの物語も進行していくのですが、これはホラー映画ではないと判ったところで、設定も大きく揺らぐようになった構造の映画です。そないな構造なものですから、多少の不具合、無理筋は、目をつむりましょう。おもしろければ、全て水に流しましょう。で、そうしていいどころか、お釣りまで出てきそうなおもしろみのあるものでした。今回のインド映画祭、黄紺的には、これでおしまいです。4/7を観ることができたのですが、その4本については、2勝2敗というところでした。
 シネヌーヴォを出ると、いつものように、淀屋橋までウォーキングがてら歩いて移動。天満橋までは京阪に乗り、駅近くの双馬ビルで行われた「南華の会」へ。前回同様、南湖さんの会と正面衝突。前回は、南華さんの会に行ったので、今回は南湖さんの会に行くつもりをしていたところ、南華さんからの案内には「ネタ下ろし」なんて文字が入っていたため、急遽、変更。で、今日、南華さんが読まれたのは、「大塩平八郎~瓢箪屋裁き~」「無心は強い」でした。「ネタ下ろし」というのは次回だったようで、ちょっと肩透かし。でも、南華さんのネタでは、出る方とは言えない「大塩平八郎」と、先月の「南陵忌」でネタ下ろしをしたという「無心は強い」が出たため、失敗感はゼロという内容でした。「大塩平八郎」ものは、遭遇したことが2回ほどあるのですが、運悪く、居眠りばかりで、記憶に残ってないもの。「瓢箪裁き」は、別に大塩平八郎でなくてもいいものだし、頓知を働かしたというほどではない内容。3人息子に、同じように家督相続をさせると言い、店の看板となる瓢箪を渡し、そのわけ、謎解きをせずに、急死する先代。いざ相続となると、そのためもめてしまい、結局裁判沙汰に。奉行所も困ってしまったところ、身分を隠して市井を歩いていた大塩が、謎解きのヒントを耳にしたことをきっかけに、答を出すというもの。旭堂に伝わる筋立てでは、ヒントとなるのは、大塩が居酒屋に入ると、江戸から来ていた飛脚が喋っていた事柄だそうです。南華さんは、おばちゃんの世間話を耳にするとなっていました。更に付け加えて、南華さんが言われるには、江戸からの飛脚にする必然性はないので、東京からもらってきたということを、そのような形で残したのだろうと言われていました。「無心は強い」は序盤は覚えているのですが、居眠り発生で、話の展開が判らないという情けないことになりました。稼ぎに困った男が、道場詐欺を思い付き、それを実行に移すという流れでした。道場主に手合いをお願いし、相手が打ち込んで来る前に「負けました」と謝れば、門弟に恥をかかさない配慮と捉え、その礼にと歓待してもらえて、飲み食いにありつけるはずというのが、道場詐欺。何度か失敗したのち、ついに道場詐欺に成功し、道場主に奥へと招き入れられるところまでは覚えているのですが、、、ここからがダメなんです。どうやら、奥で、話の展開に絡む話がなされたのでしょうね。ということで、今日は、映画も含めても、一番最後に居眠り発生でした。小刻みに目が覚め、睡眠時間も少なくと、相変わらず睡眠障害が続くなか、いい方だったのでしょう、このくらいで済んで。あとちょっとがダメだったみたいですね。


2019年 9月 17日(火)午後 10時 46分

 今日は、カフェモンタージュで音楽を聴く日。今夜は、「巨人の音楽」と題して、(クラリネット) ディルク・アルトマン、(ヴァイオリン)白井圭、(チェロ)横坂源、(ピアノ)岡本麻子の方々の演奏を聴くことができました。プログラムは、次のようなものでした。「F.リスト:悲しみのゴンドラ S.134」「M.ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」「G.マーラー:四重奏のための歌曲集 (M・ウッキ編)・子供の魔法の角笛より゛ラインの伝説゛゛むだな骨折り゛゛高い知性への賛歌゛、亡き子をしのぶ歌より゛ふと私は思う、あの子たちはちょっと出かけただけなのだと゛、リュッケルト歌曲集より゛私はこの世に捨てられて゛」。ルードヴィヒ・チェンバー・オーケストラという名で、定期的にアンサンブルをしている3人に、ピアノの岡本さんが加わったアンサンブル。横坂源さんは、確か、カフェモンタージュへは初登場のはず。この人の名が、白井さんとともに、ルードヴィヒ・チェンバー・オーケストラに入ってるのを見つけ、コンサートに行ったのが、アルトマンさんのクラリネットに出会ったきっかけにもなりました。ビッグネームが揃いました。今月末には、このメンバーで、大阪でメシアンを演奏するのに伴う京都入りかと思うのですが、それにしても早い。ツアーの途中かもしれませんね。今日のプログラムの主役は横坂源さん。全曲に出演しました。1曲目のリストは、ピアノとのデュオ。しっとりと厚いチェロの音色を聴かせる曲。2曲目はヴァイオリンとのデュオ。この曲が、なんとも斬新。ヴァイオリンとチェロは、全く異なるメロディを奏でながら、不思議な調和を見せます。ラヴェルが、時代の先端を歩んでたことを、見事に知らしめます。特に1楽章は、聴いているこちらも緊張させられる、際々のせめぎあいのような音楽でした。そして、全員でマーラー。大阪では、メシアンと、このマーラーが用意されているそうです。ところが、この音楽、編曲の妙でしょうね、ホイリゲで聴けそうな、ウィーン情緒たっぷり。ワインでも傾けながら聴きたくなりました。ホント、うっとり。うっとりしすぎると、頭がボーッとしだしました。おもしろいプログラム、変化に富んだと言えばいいかな。また、来年も、来てくれるかな。


2019年 9月 16日(月)午後 7時 46分

 今日は、大阪歴史博物館であった公開講座を聴く日。同博物館で行われている「博学連携展vol.1 商都大阪の文化力 大阪商業大学×大阪歴史博物館」関連事業として行われた公開講座です。そのテーマは「商都大阪の遊びと文化」。なかなか気になるテーマです。講演は2本あり、次のようなものでした。①「拳の文化史」(大阪商業大学 アミューズメント産業研究所研究員:高橋浩徳)②「浪華大坂の文化事情」(大阪商業大学准教授、商業史博物館主席学芸員:明尾圭造)。正に期待通りの内容。①は、拳とはから始まり、拳の歴史、様々な拳、現在残る拳について、お話していただけました。我々の日常生活では、じゃんけんしか思い浮かばないものですが、落語「天神山」では、へんちきの源助が、一心寺で、墓を相手に拳をするエピソードが入りますし、「ブラタモリ」のどこかの回で、タモリが、お茶屋遊び体験ということで、じゃんけんの変化遊びを見せてくれましたし、狐拳というものは、手&腕に留まらず、身体全体に拡大した遊びもあるのは、何かの映像で観たことあり~のと、今は、じゃんけん以外は廃れてはいますが、かつては、遊びとして、中でも花街の遊びとして栄えたとのイメージを持っています。歴史的には、古代ローマに、その拳と思えるものがあるそうです。但し、断定はできないようですが、それを拳と考えた場合、それと同じような拳が、今のイタリアにあるとか。モーラと呼んでいるそうです。中国にも拳の記録は、古代からあるそうですが、遊び方が判らないのが難点だそう。その拳には、「当て物の拳」「比較の拳(数の比較)」「対応の拳(動作や言葉に対応)」と分類できるようで、日本へは、やはり中国から入ったそうで、分類で言う「当て物」の拳だとか。その内の本拳が流行り、酒席の娯楽に、更に競技化していくとか、、、ま、娯楽の少ない時代ですから、大流行だったようです。そして、すくみ拳が生まれたというのです。ここに、じゃんけんが生まれ、狐拳、虫拳(手の動きを見たことがあった)などが、黄紺が知っていると書いた、所作の入った狐拳は虎拳というようですが、もちろん、この発展型です。更に、3連勝で1本と数える遊び方の中から、藤八拳(現東八拳)と進化して、ますます盛んになるというわけです。そういった中で、じゃんけんだけが生き残る。じゃんけんが、ポピュラーになるのは、明治に入ってからのようなお話でした。やはり、娯楽の多様化が進むと、じゃんけん以外は消える運命にあったのかもしれませんが、現在でも、地方に拳遊戯が残っているとかで、11月には、「拳サミット」と称して、地方に残る拳遊戯が、一堂に介するイベントがあるそうです。ただ、残念なことに、既に予定が入っていました。でも、こういったことを研究されている方がおられるんですね。それを知っただけでも、嬉しい講演でした。②も興味津々。大坂の文化となれば、やはり、天下の台所と言われた、江戸時代の経済事情を、たっぷりとお聞かせいただけました。北前船、蔵屋敷なんてのは判っとる、、、そないな生意気な根性を持っていたのか、その辺りは居眠り。我が儘です。その富の蓄積を背景に生まれた文化サロンのお話に、耳が釘付けになりました。蔵屋敷に出入りする町人、それは、商売上必要なことでしょうが、この蔵屋敷を舞台にした交流は、ものだけではなく、大坂の文化を醸成する人と人との得難い交流を生んだというのです。ましてや、借銀のある大名は、自分の方から町人を接待するということで、町人に対するスタンスが、江戸とは、まるで違う。こういった人間関係から、藩主と直に趣味の相手をする町人が現れ、藩主も、それを愛でたというのです。戦のない時代、身分を越えて趣味の世界で通じあう、しかも、北前船は、長崎を経由して大坂に入りますから、中国文化は入ってくるわ、漢訳洋書は入ってくるわで、文化拠点にもなる要素があったというわけですし、町人視点が入ることで、武士とは異なる文化を育てると、また、武士には新鮮なものになるということだったのでしょう。その中で、素敵な言葉を教えていただきました。「自娯」、自ら楽しむという意味だそうで、聞人(文人)たちの、生業を持った上での趣味領域を表す言葉だそうで、この時代の町人のスタンス、心意気を表しているようです。思想家山片蟠桃の「蟠桃」は、「番頭」のダジャレだということですし、木村吉右衛門、岡田米山人といった名前は、忘れないでおかなければなりません。商人であり、且つ、金とは無縁の世界に生きた文化人です。こないな大きな文化人がいたなんて、初めて知りました。素敵なお話に感謝です。


2019年 9月 15日(日)午後 6時 39分

 今日は落語を聴く日。千日亭であった「染左つれづれ噺の会」に行ってまいりました。先週2回落語会に行く予定を立てていながら、それらがインド映画に化けたこともあり、落語会に行くのは、ちょっと間が開きました。それに、興味をそそる公開講座が並んだものですから、そちらを優先してしまったところがあります。で、今日の番組は、次のようなものでした。遊真「真田小僧」、染左「質屋芝居」、卯三郎「蛇含草」、染左「くっしゃみ講釈」。ゲストの2人は、いずれも久しぶりの遭遇。卯三郎にいたっては、この前、いつ聴いたのか、その糸口すらないほどの久しぶりでした。遊真は、聴いてなかった内に、やたら言葉が流れるようになっていました。流暢過ぎるほどの口演。ただ過ぎるのは、登場人物のキャラが弱くなってしまったなの印象。ところで、「真田小僧」を聴くと、亡くなった三弥を思い出します。落語に、さほど熱を入れていたと思えなかった三弥でしたが、この「真田小僧」のベストは、この人の口演だったと思っています。伜が小生意気だけでなく、からかわれる父親が可愛らしくて、ほん好きな口演でした。これからも、このネタを聴くたびに、三弥を思い出しそうです。もう一人のゲストの卯三郎、以前聴いたとき気になっていた訛りが、ほんの僅か残っているのが、卯三郎を聴いたぞの実感。久しぶりに聴くと、実にいいテンポ。餅を食うまでのやりとりに、このいい感じのテンポがあるものだから、お互いの親しさとちょっとした悪口という、2人の距離の近さを感じさせました。そして、テンポが落ちる、要するに腹いっぱいなった様子が、このテンポ一つで判る仕掛け。いい「蛇含草」聴いたぞの満足感が残りました。主役の染左は、大きなネタ2つを並べました。「質屋芝居」に無沙汰をしていたので楽しみにしていたのですが、ネタに入った途端、居眠り。昨晩、3時間しか睡眠をとれてないツケが出てしまいました。あとの3席は、全く異常なしだったのですが、ここだけダウンしてしまいました。もう1つの「くっしゃみ」が良かったぁ。序盤の犬糞の臭いが取れないエピソードは、初めて聴くもの。もう、この挿し込みが、その後の口演に期待を膨らますに十分なパンチでした。からくりで、時間がたっぷり過ぎた感を出したのは枝鶴以来じゃないかな。政やんが、「いつまでかかってんのや」と怒るのが解る時間の経過が出ていました。と同時に、このからくりで、アホの天然さも素直に入ってきてなぁ。アホの反応に、独特の間が取られていたように思えました。テキストに基づいて演じられたアホじゃないものと言えばいいかな。ですから、この何度も聴いているネタを、新鮮な気分で聴くことができました。くっしゃみの連発、最後の方は、もう講釈の欠片も出なくなって、でも、くっしゃみが続くという演出も素晴らしいアイデア。いや~、いい「くっしゃみ」を聴くことができました。


2019年 9月 14日(土)午後 6時 13分

 今日は、京都橘大学が、「那智勝浦町観光協会共催講座」として開いた「熊野学講座2019」に行ってまいりました。以前から、その内実に触れてみたかった熊野信仰の一端を学ぶことができるだろうということで飛び付いた催しでした。その内容は、2つの講演から成り立っていましたが、次のようなものでした。講演①「那智参詣曼荼羅の絵解き」(講師:熊野・那智ガイドの会生熊みどり)、講演②「北条政子の熊野詣とその意義」(講師:京都橘大学名誉教授田端泰子)。講演後、あっさりとした結論を、先に書くと、①は○、②は×を3つくらいでしょう。①では、曼陀羅、どうやら江戸時代のもののようですが、その絵図を基に、熊野詣の実際を解説していただけ、まだ熊野に行ったことのない黄紺には、ベーシックな情報を与えていただけ、とっても感謝。「ブラタモリ」でも、観ていて林田アナの緊張を共有してしまった「補陀落渡海」の話、女性にも開放されていた由緒話、思わぬところで聴いた「袈裟と盛遠」の物語、神仏集合時期の熊野の姿など、ホントにありがたいお話。おまけに、観音経のご詠歌まで聴かせていただきました。ご詠歌ライブなんて、どなたの葬式以来でしょうか。それに反して、②には幻滅。だって、演題からして、北条政子の熊野詣に、何らの歴史的意味ありと思うじゃないですか。でなくて、「吾妻鏡」に、北条政子が熊野詣をした記録があったというだけのもの。それに、何やら政治的な意味でもあるのかと期待していたら、それが念願だったから、、、「なんじゃ、それ」って叫びたくなりました。しかも、その北条政子話の前には、後鳥羽上皇の熊野詣をたっぷりと話されたものですから、これは、「後鳥羽vs北条」なんて図式を期待してしまったのも、何もなし。それ、ダメでしょう。てなことで、腹立つことだけだったのですが、1つだけ収穫がありました。京から熊野まで、思いの外、時間をかけずに行っているということが判ったことかな。まあ、公開講座あるある話と言えば、それまでなのですが、実際に遭遇すると、むかむか来ます。この講座が終わると、いつものようにアーバンウォーキングに出かけました。梅小路を抜け、久しぶりに島原遊郭跡経由、西本願寺の傍らを抜け、清水五条駅へ。真夏の暑さは消えていますから、ウォーキングにはいい季節です。汗をかいても、ウォーキングをした証拠として、嬉しくなっちゃいますものね。


2019年 9月 14日(土)午前 7時 3分

 昨日は、連続的に3つ公開講座を聴く一日にするつもりだったのですが、さすが2つに留めました。気力の問題かな、体力の問題か、まあ、前者かもしれません。夕方、家に帰って晩酌をしたくなったのですから、、、。で、まず、午前中は、京都アスニーで「双京構想連続講座③<共催:双京構想推進検討会議>」として行われた講演「重陽の節会ー菊と後鳥羽上皇ー」を聴いてまいりました。お話をされたのは、有斐斎弘道館代表理事有職菓子御調進所老松主人の太田達さんでした。最も疎い絶好「重陽の節会」についてお話を聴ける待望の講演でした。終わってみて思ったこと、期待が大き過ぎた、これにつきます。講師の方が、とても多才で行動的な方だということは、十二分に判ったのですが、昨日のテーマに、また、この講座に相応しき方だったかというと、残念ながら、適切さを欠いたとしか言えないのです。節句の中で、一番なじみのないということは、講師の方も言われていましたし、そのわけの推察もお話なさっていました。ならば、どうして、重陽の節句自体を細かくお話なされなかったのか、お話は菊一点に絞られ、菊の記述が出てくる古典のオンパレードでした。菊とともに「綿」が出てきたところでも、黄紺は、前回の山路さんのお話を聴いていたので、「綿」の文字だけで、イメージが広がったからいいものを、「綿」が出てきました、、、これだけで、次に進まれたのには、びっくりして、こりゃダメと思うと、急に睡魔に襲われてしまいました。その間に、序盤でお話のあった能「菊慈童」のお話もあったことだと思いますが、スルーしてしまってました。気がつくと、江戸時代の菊人形の話と、やはり、ここでも、話題は菊から離れていませんでした。ということで、外れでした。ま、公開講座あるある話ではありますが、、、。
 京都アスニーには、昨日も弟が来ていたのですが、午後の講座はパスするということでしたので、弟とは京都アスニーで別れ、ハートピア京都に移動。午後は、こちらであった「第331回 日文研フォーラム」に行ってまいりました。多くの人が詰めかけるというので避けていたものですが、昨日は、頑張ってチャレンジしてみました。「八幡神、変貌するその姿」という、なかなかそそられる演題、しかも、日文研では多い、外国人研究者の発表も、行こうという気に輪をかけました。その発表者は、 モスクワ国立総合大学附属アジア・アフリカ諸国大学講師/国際日本文化研究センター 外国人研究員のアンナ・ドゥーリナさんでした。なお、後半のパネルディスカッションのコメンテーターは国際日本文化研究センター 教授の磯前順一さん、司会は、国際日本文化研究センター助教の呉座勇一さんでした。講演時間は、1時間弱という短い時間でしたから、コンパクトに判りやすくまとまったお話。渡来神の八幡神が、軍神ともなり、衆生救済の仏ともなりと、時代により変化を遂げて行く様を、「八幡愚童訓」という絵巻物を素材に使い明らかにしていこうというお話と、まとめることができます。八幡神と言えば、宇佐八幡宮が大元になるわけですが、その九州の神が、大和政権に勧請、保護されるようになるのは、奈良の大仏造営がきっかけだったとか。国家鎮護の役割を担い、軍神としての地位を確立していくわけで、後には、源氏により、更なる勧請、保護を受けていくというのは知られた話。平安中期以後、八幡神を応神天皇と同体とする考えが加わっていくそうです。ところが、やがて本地垂迹が起こる、そういった変化のなか、軍神として、殺生に関わるという罪を犯した神であるのですが、阿弥陀仏を垂迹とするとして、阿弥陀仏の姿で表されるようになるということでした。本地垂迹のなか、天照大神の伊勢信仰と並ぶ人気を得ていた八幡神に、そういった位置が与えられたということなのかな。振り返ってみると、本地垂迹のところでの変化が、よく理解できてないことに気がつきました。単に本地垂迹のために結びつけられたのか、阿弥陀仏の化身とされた論理があるのか、今頃になり気がついたのか、単に聴き落としたのか、はたまた本地垂迹そのものを、全く理解できてないのか、いずれかなのですが、この間、様々な日本史関係の講座を聴いていると、この本地垂迹や、廃仏毀釈という事項が、よく出てきます。日本史に疎い黄紺には、とっても痛いところ。基本を勉強してから臨まないと、こういったお話を聴くときには、全てがダメになる可能性がありますね。誰かが、そういった過ちを犯しているとき、自分の得意分野では、たまに解ることがあるのですが、自分の過ちは判りずらいですものね。ん~、難しいところです。


2019年 9月 13日(金)午前 3時 32分

 昨日も、シネヌーヴォでの「インド映画祭」に行く日。昨日は、「セードゥ Sethu」を観てまいりましたが、これは、近年の作品ではなく、20年前の作品です。予定されていた作品の替わりに上映されたものでした。ヒット作らしいのですが、黄紺的には、かなりしんどい作品でした。半ばまで続く過剰な暴力シーンに辟易としてしまったのです。主人公チャーンは、学生会代表を名乗りながら、そこいら中で喧嘩、暴力を振るう日々を送っています。家は、判事の兄夫婦と暮らし、裕福な暮らしをしているのですが、さすがに兄夫婦も、その子どもまでが、チャーンを持て余し気味。そないなある日、登校途中の女子学生をからかったのですが、その内の1人に一目惚れ。ときには、居丈高に、腕力を背に声をかけるのですが、女の方は怖がり、どん引きの様子。また、この女は、ブラーフマンの娘だということもあり、男との関わりには立ち入らないようにしているところも看られます。意味のなさそうな暴力シーンに辟易気味の黄紺は、自ずと退屈になったのだと思いますが、軽い居眠り傾向。その内に、話に展開が見られ出します。女には、結婚した姉がいるのですが、インドあるある話ですが、婚家が金の無心。それに嫌気がさした姉は、その金と引き換えに離婚をしようとするのですが、簡単には大金が集まる術もなく、それをネタに娼家に売られたのかな、また、これがなぜかは判らない(居眠りのせいですが)のですが、チャーンが、姉を、一目惚れをした女の姉だとは知らずに、娼家から、混乱に紛れて救い出し、その夫に暴力で迫り、改心させ、妻を迎えに行かせ、こちらは無事に解決します。この経緯を知った姉妹の父親、ブラーフマンである父親は、あのような男なら、暴力は振るうが心根のいい男なので、娘の夫に迎えたいともらすものですから、娘も和らいだ気持ちになったのかな、これで、穏やかに、二人の関係が進むのかと思いきや、次のシーンも暴力でした。チャーンは、女を拉致同様の仕方で連れ去り、ある廃屋で自分の気持ちを訴えます。これは、暴力はないのですが、このやり方は暴力的としか言いようがありません。でも、その純粋さを知った女も心打たれたなと思った次のシーンは、この物語を、思いもしない方向へと導きます。娼家から連れ去ったつけとなるシーンです。チャーンは、猛烈な暴力を受け、脳に損傷を起こし、精神に支障をきたし、医者も現代医学では快復不能との結論を出してしまいます。ここから、物語のスピードはがくんと落ちるのですが、黄紺的には、ようやく観る気にさせられたシーンが出てきました。伝統的なヒンドゥー社会に施療院と呼べるようなものがあったのでしょうか。精神疾患を持った者を収容し、呪術的な施療を行う、そういった施設に、チャーンは入れられてしまいます。ここからは、施療院内部の姿、チャーンの様子を見せるシーンが多く、際立った展開は多くはないのですが、個々の変化には大きなものがあり、映画を終息に向かわせていきます。黄紺的には、おもしろいとは言えない作品でした。既に書いているように、過剰な暴力、果たして、物語を進めるに足る暴力なのか、そういったことで、嫌な映画でしたが、ローカルな風景、施療院の風景には魅せられました。どうも、昨日と言い、外れに当たったようです。映画祭あるある話ではありますが、悔しいあるね。


2019年 9月 12日(木)午前 6時 53分

 昨日は二部制の一日。午前中に公開講座を聴いて、夜には映画を観るというもの。まず、午前中は、仏教大学四条センターで、1度聴いて気に入ってしまった「もっと身近に植物園!」シリーズの「晩夏」でした。季節に合わせて、京都市立植物園の姿を紹介するもので、昨日は、佛教大学非常勤講師&京都府立植物園公認ガイドであり、且つ、このシリーズのコーディネートをされている袴田良子さんのお話を伺うことができました。お話は、冒頭から一貫してゆる~い語り口に、ゆる~い内容。いきなり、一昨日の激しい雷雨のあとの蒸し暑い夜に辟易としたと、「晩夏」の頃合いを聴く者に強く、でも、語り口はゆるくで始まりました。項目立てもおもしろいもので、「①その他②延々と③丸々と④ぽつぽつと」が項目立てでした。①では、今頃の植物園に入らないものや、ちょっとした植物園の企画展の紹介が行われました。御岳山麓で見つけた八重咲きのききょうだったかなを見せていただいたり、水草展に並ぶ水草を見せていただけました。普段は、池の中に生えているため、覗き込んだりすると危険なところにあるものが、鉢に入れて展示されてますから、真上から撮した画像なんてのを見せていただけました。ハート型をした水草があったりと、とっても楽しませていただきました。②は、夏の名残となるもの特集。画像は、先週撮ってこられたそうなので、このパートでは、「今行かれてもないかもしれません」のフレーズが、何度か口をついて出てきてました。夏の名残で留まっていてくれればいいのですが、既に終わってるのもある、そういった時期ですものね。だって、残暑は厳しくとも、もう少しで秋分の日ですものね。植物は、気温と同じく、日照時間に敏感だということは、昔、草花栽培に精を出していたときに、しっかりと教えられたものです。夏になると、「変化朝顔」の展示があるのを、ここで教えていただきました。先日の山路さんの「節会」のお話でも出てきた「隠居」の文化として生まれた「朝顔作り」の文化。これも、昔、関心を持ち概説書を斜め読みしたことがあり、「数作り」なら黄紺にでもと、とんでもない考え違いをしたことが蘇りました。画像では、「下垂れの朝顔」なんて変化朝顔などが紹介されていました。来年の夏は、この展示、観に行くぞの決意です。その他、内部の枝を剪定して、ふっくら感を見せるエンジョや、この時期になっても花を咲かせる紫陽花の一種タマアジサイの仲間などを見せていただけました。③は、この時期に実を着けるもの特集です。印象に残ったのは唐辛子シリーズ。京野菜の一つ万願寺唐辛子が、その一つ。万願寺唐辛子って、ピーマンに伏見唐辛子を掛け合わせたものだから、辛いはずがないと蘊蓄を聞かせていただけました。もちろん、伏見唐辛子も「丸々」の一つです。このお話を聴いたため、帰り道、スーパーに寄り、万願寺唐辛子か伏見唐辛子かを買い、昼間から呑もうかと思ったのですが、両方とも高い。あっさりと引き下がりました。唐辛子繋がりで、ハバネロの4倍の辛さというどえらい唐辛子も「丸々」でしたが、触れるだけで後が大変なことになるとか。唐辛子系も奥が深いものを感じました。④は、これからの季節のものが、フライング気味に顔を出してきているというお話。秋の先取り特集です。ジンジャー、女郎花、フジバカマ、カラマツソウ等々、既に花を着け始めていました。となると、次回は、そういったカテゴリー特集になるのでしょう。そう言えば、黄紺は、フランクフルトとベルリンでは、植物園に行くことを楽しみにしているにも拘わらず、京都の植物園には、とんとご無沙汰です。ドイツの植物園と比べて、決して見劣りのしないところだけに、勿体ないことをしてきた自分に気づかされました。のんびりと、読書をしながら植物園を徘徊する楽しさは、すっかりドイツで味をしめていますから、機会を見つけて、行ってみることにしましょう。
 講座終了後、一旦帰宅。でも、また雷雨。ホント、ピンポイントで、雷が鳴り激しい雨が降ったようです。そして、夕方から大阪に向かいました。シネヌーヴォの「インド映画祭」で上映されたマラヤーラム語映画「眠り -Nidra」を観に行ってまいりました。この映画、歌と躍りが入る娯楽映画というインド映画とは、趣をかなり異にするもの。歌は入ります、でも、躍りはなしと言っていいでしょう、で、娯楽映画なんてものではないシリアスな内容。また、映画の表立った筋立てを追う映画なのか、何かしらのメタファーなのか、その判断もつきかねているというのが、観たあとのとりあえずの感想。主人公の男女二人は、幼なじみで結婚をします。男は、ドイツ留学を挫折してインドに帰ってきたあと、二人の再会があり結婚へと向かいます。不本意な帰国の裏に、男の精神的な問題があったという台詞があるうえ、男を迎える家族の間にも、厄介者が帰ってきたという空気が漂っています。その家族は、息子をドイツ留学させることができる大資産家。帰ってきた男は働いている素振りもないうえ、結婚後も働いているわけではない、そういった大変な裕福な家庭です。その男の精神的な病理は、発作らしきものを起こしたときに、乱れた映像作りをしてますから、その場面だと判る仕掛けを施してありますが、異様な興奮状態に陥り自制不能になるところかと見えます。また、2度同じ映像が流れるのですが、兄に車で追われ、その男は走って逃げるのですが、逃げ切れるわけはなく、最後は轢き殺されてしまう、そういった妄想に取りつかれているのも、激しやすい心を作っているように見えます。結婚後、男は妻と、広大な自宅敷地内の森の中でオーガニックな生活をしています。働く様子はなくです。自然溢れる世界ですが、兄は、その土地の開発を進める事業を始めようとします。それに癇癪を立てた男は、兄と幾度となく争いをします。兄は、事業展開のための動き以上でも以下でもない行動と見えますから、それに怒る男は、また制御の効かない爆発をしてしまいます。周囲の人たちの中からは、露骨に男を嫌がる素振りを見せるため、男の中に不満がたまっていきます。そして、ついに、兄が業者を入れ開発に向けた動きを見せたところで、事件が起こり、、、というところからラストに向かっていきます。半ばまで、主人公の男の心の病は、周囲の人たちにより作られたものかとも思いながら観ていたのですが、そのコースはなしと看るようにはなっていきました。ただ周囲の人のゆとりのない対応にも呼応しながら、発作が増幅していっているように見えるため、本人の病理と環境との相乗作用により、病理がより激しくなっていっているとの描き方をしたのかなの印象です。精神科医も出てきますが、外科治療的な対応する場面があったりで、かなりどん引き。いつの時代なのと突っ込んでしまったのですが、そういった時代の設定ならば、大きな読み違いをしてしまっています。また、物語がメタファーではないかとの考え方が出てきても、不思議ではないなとも思います。主人公の男のオーガニックライフ志向、その男が森の中に作った家、森の風景は、正に大自然に調和した美しいもの。そこへ、開発に入る兄。その兄に車で追われる夢を見続ける男。日常生活の兄はヒールとして描かれてはいない、決して。それを考えると、よくある「自然vs人間」という二項対立的な物語としてあるのかもしれないなと思ってしまいました。いずれにせよ、今まで観たインド映画とは、テイストが全く違うことだけは間違いありません。


2019年 9月 11日(水)午前 2時 51分

 昨日は、京都府立京都学・歴彩館であった「京都を学ぶセミナー~南山城編~」に行く日。昨日は、「緑茶製法の誕生と普及」という演題で、奈良女子大学非常勤講師の島津良子さんのお話を聴くことができました。永谷宗圓、この名前を聞いたとき、まず初めに永谷園が思い浮かび、山本嘉兵衛の名を聞くと、山本山の名が思い浮かんだのですが、山本山は、お話の中で出てきましたし、永谷園の方は、終わってから調べると、大当たり、血を引く方による創業でした。こちらは創業ですが、山本山は繋がってるみたいです。その山本嘉兵衛の目を引いたのが、永谷宗圓が生み出したと伝わる煎茶の製法。この製法こそが、現代に生きる我々にとり当たり前になっている茶の色合い、香り、風味を作ったというわけですから、大変な功労者。江戸時代でも画期的なイノーベーションということで、それに飛びついたのが、山本嘉兵衛。当時、大消費地江戸を抱える大茶問屋。その威勢を持ち続ける山本山は、見上げた存在です。永谷宗圓は、現在の京都府宇治田原町になる湯屋谷の人。その永谷家は、その後、三家に分かれ、伝統を伝えていくなか、現在も存続する二家の持つ史料の解読、分析をされたのが、今回の講師。「嘉木歴覧」と名を持つ伝承本を基に、文書史料を精査、分析された結果の報告となりました。伝承として伝わる宗圓の発明から山本嘉兵衛による江戸での販売開始が、時間的に離れている(約60年)こともあり、その伝承に疑問を呈するお話が前半の多くを占めたかな。山本嘉兵衛は、湯屋谷との間で独占契約を結ぶ、、、と言っても、湯屋谷が山本嘉兵衛にしか卸せないという内実ですが、でも、それだけの衝撃的なヒット商品だったことが判ります。また、山本嘉兵衛の大商人ぶりも見えてきます。宇治田原から江戸への搬送は海路です。これは不安定要素が高いと、山本嘉兵衛は、他の地域に煎茶生産を求め、湯屋谷一局集中を防ぎます。商才に長けてます。湯屋谷をキープしておいて、不安定要素をも防御するのですから。これは、宗圓が、新茶の製法を惜しまず教えたたということもある(出荷量の確保という視点があった)ようですが、湯屋谷としては、大きなビジネスチャンスを逸したとも看て取れます。やがて、各地に新茶の製法が伝わると、自ずと湯屋谷は財政的に厳しくなっていくわけで、ここでも、商人による生産者支配とも言える横柄さを看た思いがしました。で、巷間言われる永谷宗圓発明の時期についての根拠は、文献調査では見つからなかったそうです。となると、永谷宗圓は何者となるわけで、また、発明者と伝わるのはなぜかということを推察する話がありました。そのお話でなるほどと思ったのは、煎茶は発明されていたが、喫茶法が見いだされるまでに、時間を要し、新たな喫茶法が発明されることでブレイクし、一挙にヒット商品化したのではないかということです。我々の知る煎茶の喫茶法以前は、煮出していたため、色合いが違うため、そうした記述があることから推察されているお話でした。宇治茶の歴史とか、茶販売の歴史、中でも大茶問屋であった山本家の茶販売活動の歴史とか、意外なことに、研究がさほど進んでいないようです。ですから、そういった研究が進むことにより、永谷宗圓や湯屋谷茶業者の位置付けなども明らかになっていくはずです。事実として、宇治茶は、数多い茶ブランドでは、特異なスーパーな位置を占めてるわけですから、また、前回、このシリーズの講座で聴いたことで明らかになっているように、DNA的には、宇治茶が全国的に拡散していっているわけですから、この問題の追及は、かなりの値打ちもののはずですよね。講演中から、雷鳴が響き渡る環境、終わって外を見ると、滝のような雨。2回連続です。今回は、幸い、外に出る前に雨が降っていたため、歴彩館の中で待機。おかげで、帰り道を利用したアーバン・ウォーキングをすることができました。


2019年 9月 10日(火)午前 5時 50分

 昨日は、以前から落語会に行く日としていて、どの落語会に行くかで悩んでいたのですが、何気なく覗いたシネヌーヴォのサイトを見て、びっくり。この週末から始まると思っていた「インド映画祭」が、もう始まっているじゃないですか。で、慌てて予定変更。落語会には予約を入れたりする必要のないところばかりが候補になっていたので助かりました。で、昨日、観てきたのは、タミル語映画「24」でした。タイムマシンものです。「24」という題名は、24時間だけ移動できるという意味、終盤になり、それが問題になり、クライマックスへと進む仕掛けになっていました。スーリヤ・ニティヤー・メーナンが3役を演じます。序盤で、弟アートレーヤーに殺されてしまう発明家セードゥラーマン、一卵性双生児のこの2人だけではなく、映画の本編に相当する、弟による兄殺害から26年後の世界では、殺されたセードゥラーマンの息子マニも、彼が演じますから、1人3役と大活躍。マニは、セードゥラーマンが殺される前に、ある女性に託され、その女性が我が子として育て上げ、26年後には、時計職人として、店を構えています。タイムマシンが時計型をしていることにシンクロする設定になっています。26年後の世界では、アートレーヤーは、26年ぶりに意識不明から覚めたのはいいのですが、電動車椅子生活を強いられる姿になっています。26年前、殺した兄の道具でタイムマシンを作ろうとして、事故るのが原因です。26年後の世界では、タイムマシンは、偶然、マニが持つことになり、その機能も知るようになります。そこで、アートレーヤーは、体の具合が元に戻りたいがために、タイムマシンを手に入れようとします。ここに、かなりえぐいヒールに狙われる主人公マニの姿、物語の構図が出来上がります。アートレーヤーが、タイムマシンを持つ人間がマニと知り、付け狙い、一端はマニを殺害して、タイムマシンも手に入れてしまうのですが、時間移動は24時間内でしかできないと知ると、マニの技量を使い、24時間以上の世界への移動ができるようにするため、タイムマシンを使い過去の世界に行き、マニに、日にち移動も可となるよう作らせるように働きかけます。この仕方が、アイデアとして、一番おもしろかったのじゃないかな。極悪非道のアートレーヤーは、一卵性双生児の兄、自ら手をかけ殺した兄として、マニの前に現れるという趣向で、電動車椅子姿になった原因の26年前に戻ることができるタイムマシンへ改造する動機付けを与えます。が、この思惑も、最終的には、マニが見破るのですが、そこでのやり取りでのトラブルが基で、マニとアートレーヤーが、ついに26年前の世界に戻り、いよいよラストへ向かいます。途中、マニの店に時計修理にやって来た女性との恋ばなも入り~の、マニの育てた母親の苦労話が入り~の、なかなか傍らに挿入される話も、最終的には、26年前と26年後の世界での物語に、見事に噛み合わせる、また、女性との出会いとなる時計修理のエピソードすら、ネタふりになっているなど、優れた脚本に好感を持ちました。こういったSFものって、いかに整合性のあるでっち上げが肝心ですものね。あと何本観ることができるか、まだ不透明なのですが、この映画祭、黄紺的には上々のスタートです。


2019年 9月 9日(月)午前 3時 22分

 昨日も、京都で公開講座を聴く日。週末になれば、こういった公開講座が目白押しです。昨日は、花園大学が、毎年開いている「京都学講座」に行ってまいりました。今年は、「時代の転換と京都」というテーマで、一昨日より開かれていたのですが、黄紺は、昨日だけ聴きに行くことにしたのでした。昨日は、2本の講演を聴くことができたのですが、それは、次のようなものでした。①奈良大学文学部教授河内将芳さんの「信長と京都 宿所の変遷からみる」②相国寺寺史編纂室研究員・花園大学非常勤講師の藤田和敏さんの「明治期の相国寺」でした。①がおもしろかった。信長が入洛したときの全宿泊所を、京都にいた公家の日記などを基に洗い出し、その傾向を見て判ってくることを導き出すという、とっても地味系な作業の報告なのですが、そこから判ることが、実に素晴らしい。信長は、岐阜か安土から入洛して、用件が済むと、さっさと引き上げていったようで、京都に長居することのなかった武将。本能寺の変がなく、長生きをしたら、そうではなかったのかもしれないのですが、実際はそうだった。様々な思惑を持っていたのかもしれないのですが、京都滞在の目的、その前半では、足利義昭警護のスタンス。ですから、その時期の宿泊所は、上京と下京の間の室町通沿いの室町御所近くということで、下京の北部を選んでいたようです。一時、相国寺に身を寄せた(わけは判らないと言ってられました)りしたのですが、また、下京に戻り、二条殿の地に、自分の屋敷を構え出すそうです。時期的に、義昭が宇治に、更に遠国に移っていくときに合っているそうで、この時期からは、信長は禁裏警護的な役割を自覚し、それを評価する公家からは、高位の官職をもらっていきます。その二条殿に入るようになったのは、扇町天皇の皇子に目を配り、且つ、後継者信忠と分けるような形で、京都の投宿を決めていたようで、ここで、信長の休む本能寺というのが登場するようです。ですから、このように言われていました。本能寺の変の起こったとき、信長は本能寺に宿をとるのが常態化してきていた、将軍職に着く身ではないため、京都に城を築くのは良くないという教養の持ち主だった。要するに、本能寺は、防備面では不十分な場所だった。この2つの条件を考えると、光秀でなくとも、変を起こす気があれば、誰でも成就できる環境だった。それに反し、秀吉は、信長のような教養がないから、いや、教養がないと思われているというのを逆手にとり、京都に城を築いた。この結論には唸りました。また、こないなことも言われていました。義昭は遠国にいるという状況から、公家たちから、信長は高位の官職を与えられだしていた。ひょっとしたら、将軍職を視野に入れた入洛だったかもと。これも、納得できるような展開でした。②のお話は、一転して、近代が舞台。明治維新期に相国寺の遭遇した大変革についてでしたが、簡単に言っちゃえば、廃仏毀釈、国家神道に向かっていく時代、相国寺という由緒のある大仏教寺院が、どのような展開を見たかのお話となりました。まず、お話の流れとは齟齬をきたしますが、相国寺絡みからメモっておくと、寺領の大半が没収され、財政悪化を導き出す。相国寺は、末寺が少ないため、決定的な打撃を受ける。上納金が少ないというわけです。国家による宗派統合で、独立本山となれなかった寺院を抱えるようになり、後に国泰寺独立問題が起こる。神道の国教化という点が背後にあるわけですが、明治初期の政策の強引さと、また改善策の巧みさが見えてきます。強引さが見えてくるのは、こういった政策の国民への教化に導入された教導職という役職に、神官とともに僧侶も動員するというもの。神主仏従の方針に、仏教側から反発が出るのは当然なのですが、政府内部からも批判が出てきます。欧州帰りの要人たちが、政教分離せざる政策に批判を向けたというのです。そこで、政府が執ったのが、神社神道の非宗教化。要するに、宗教を超越する宗教としての定義化を行うといった、分かったようで分かりにくい政策を執り、これで国家神道を確立させたというわけとなりますし、また、憲法に信教の自由を書けるようにしたわけです。それに伴い、教導職も廃され、政府が宗教統制をしないことが明示できるということから、言い換えると、宗派の自治が認められたことになり、相国寺も自治の証としての派内での法整備に向かうというわけです。ここまでが、明治維新期の混乱と帰結なわけですが、残されたのは財政危機と派内からの独立問題。後者は、宗派統合の後始末的な話題ですが、前者に、現在に繋がる展開があります。拝観料の徴収がそれです。相国寺は、寺外塔頭(これはレアなこと)として、金閣寺&銀閣寺を持ってますから、これは大きい。但し、拝観料を支払うという習慣がない時代ですから、このシステムが機能するようになるには、かなりの時間を要したということを、統計データで示されていました。②も、廃仏毀釈ということは知ってはいても、ここまで具体的な中身まで理解していたわけではなかったということもあり、とってもタメになるお話でありがたかったのですが、この講師の方、プレゼンテーション能力がないと言ってもいいくらい。黒板にチョークはないでしょう。レジュメは、画像入り文書でしたから、それだけのスキルがあれば、パワーポイント使えるでしょうと、激しく体当たりをかましたいほど、不愉快でした。だって、黄紺の位置から黒板は、全部は見えないんだもの。黄紺だけでなく、見えなかった人、たくさんいたと思います。花園大学でも教鞭を執られているわけですから、会場のレイアウト解ってないわけないやろと、ひっぱたきたくなりました。ちょっと興奮気味ですが、日本史に疎い黄紺には、ホント、ありがたかったお話を2本、真夏がぶり返したなか、涼しいところで楽しめるって、なんて嬉しいんでしょう。


2019年 9月 7日(土)午後 8時 15分

 今日も公開講座を聴く日。今日は、大津で「滋賀近美よもやま講座゛月刊学芸員゛」(旧大津公会堂)に行ってまいりました。公開講座は、歴史もの、健康ものが多いなか、この講座は、滋賀県立近代美術館が主催しているだけあり、芸術分野のお話を聴けるのが嬉しいところ。今日は、「美術家たちの舞台−戦後のアメリカと今日の日本−」という演題で、同館学芸員の渡辺亜由美さんのお話を聴くことができました。舞台芸術のお話だということで、行く前に想定していたというか、希望的想定では、オペラ、バレエ、ミュージカルといったレベルのものを想像していたのですが、お話は、モダンダンス、ポスト・モダンダンス、パフォーマンスといった言葉で括られるジャンル。そこまで、先鋭的なお話が、こういった市民向け講座でテーマとして設けられるとは、全く想定外、でも、焦点化して言えば、ジョン・ケージの活動を解説していただけただけでも、もう御の字ってやつでした。ということは、今日の参加者、どれだけ理解できただろうかと、余計な心配をしてしまいました。お話は、3部構成で予定されていたようですが、結果的に、第1部になる「ロバート・ラウシェンバーグとマース・カニングハム・ダンス・カンパニー」と題されたパートが大部分を占めました。おかげで、ジョン・ケージの活動を知ることができたというわけです。まず、ロバート・ラウシェンバーグが、バウハウス系列の学校で教育を受けたというお話から始まり、その先駆的な活動となる「シアター・ピース 第1番」の出現へ。これは、音楽担当のジョン・ケージ、振付担当のマース・カニングハムとの初コラボ作品。 作品の映像を見せていただけましたが、「ダンス」「音楽」「美術」が、1つの作品で、それぞれが交わらず、独立した姿を見せていました。メッセージ性があるわけではなく、また、音楽とダンスがリンクしているわけではなくといった作品です。コラージュという手法が、絵画の世界であるようですが、それを、異分野のものとやっちゃったというところか。ここで、マース・カニングハムやジョン・ケージの作品傾向について、お話があり、ジョン・ケージについて、学習することができました。黄紺も知る「4分33秒」は、全く音を出さない音楽。ピアニストの演奏しない音楽で、そこで聴こえてくる音を楽しむ作品です。どんな音が聴こえてくるか、その偶然性にかけた音楽。素材を準備万端、でも、最後に偶然性を用意する。「無は有に勝る」的な思考を持つジョン・ケージは、作品の最後に偶然性を用意する作曲家だという顔を持っているということでした。音楽とダンスの緩やかな関係性を求めるカニングハムの振付、こういった二人に、ラウシェンバーグの美術が加わり、作品が出来上がっていったというわけです。ラウシェンバーグの作品では、同じ大きさの正方形の白いキャンパス4枚を並べた作品が印象的。白いがため、その前に、観る者が立てば影ができる、それは、その人の姿、動きといった偶然性により変わってくるわけですが、それを包摂した上で、1つの作品と呼べるもの。このコンセプトって、ジョン・ケージのそれに符号します。この偶然性により生まれる瞬間瞬間に、何を看て取るのかを提供する、それがアートになっているのですね。それに、コラージュの考え方が噛んでくる、慣れない黄紺の頭はくらくらするばかりでした。次いで紹介されたのは、モリスの舞台。きっちりとした動きに関する台本があるのですが、黄紺の目には、到底、ダンスという言葉で表し難いもの。メタダンスの解体とも言えるもの。与えられた「タスク(課題)」をこなすのが、作家が表そうとしたところと、「サイト」という作品の映像を見せていただいたときに、そういったお話があったかと思うのですが、時間切れ状態ではしょりながらお話なさったのでしょうね。黄紺には、理解困難な状態になってしまいました。そして、最後に、関西で、特に京都での活動が重要なようで、当地で活動されているパフォーマーや、近々行われる公演を紹介されて、お話は終わりました。お話をなさった渡辺さん、素晴らしく切れのいい方。モリスが出てくるまでは、必死にくらいつきながらお話を聴けていたのですが、さすがはしょり気味にお話が移ると、頭は黄信号どころか、あっという間に赤信号が点ってしまいました。このシリーズ、場所が転々とするため、通い易いところでないと行くことができないのが難点。今年度後期の講座も、おじゃまできるのは1回かな。ちょっともったいない気がしてしまっています。


2019年 9月 6日(金)午後 10時 48分

 今日も公開講座を聴く日。良さげなものが、時間差で聴けるということで、今日は講座を二部制で聴くことになりました。まず、その①は、午前中、京都アスニーであった「ゴールデン・エイジ・アカデミー」として連続的に行われているもの、初めて参加をしてみました。9月は「双京構想連続講座」として特別企画があるようで、今日は、その第2回目で、「宮中の五節句と鄙の五節句」という演題で、元京都市歴史資料館館長山路興造さんのお話を聴くことができました。山路さんは、黄紺でも、そのお名前を聞いたことがある方ということで、テーマともども、とっても楽しみにしていた講座。節句と、現在言い慣わしている習慣は、中国の奇数(「陰陽」の「陽」に相当)重視の風習が伝来し、宮中で節会として行われた、天皇が群臣を集めて行う公宴に由来するもの。奇数の重なるというのが吉兆とする風習だが、節会の中には、それに該当しないものも入っていたようです。ただ、平安時代の後期に入ると、数字が重なる日に、節会はシフトしていったようで、その日に行われる内容も、現在、我々が知るものに近づいてきたようです。ただ、各節会の実態は、今とは違ったようで、3月3日には闘鶏を行ったり、7月7日は、和歌の徳を讃える日だったかと思うと、1月1日には、天皇による四方拝は、今も続いているそうですし、9月9日に菊花の観賞をするのは、重陽の節句のイメージに合っています。菊花に綿を被せるわけが、このお話で知ることができました。宮中の行事が、庶民の間にも拡がる契機となったのは、江戸幕府により定められた「五節供(句)」の制度。「節供」という文字を使うのは、節会は、元来宮中の宴会ですから、このときに供えられる料理を指す言葉だったためで、その名残が、正月のお節になるのですが、この庶民の世界に入ることで、意味合いが現在のようになっていったようです。 雛人形、菖蒲から尚武です男子の節供に、七夕祭、菊の節供に菊作りといった具合です。菊作りは、江戸時代の豊かな「隠居」の登場に伴い生まれたものとか。朝顔、金魚、鯉といった趣味の世界を作り上げた文化の1つだそうです。演題に入っていた「鄙」という分野でのお話は、最後に農村の話として、僅かだけ触れられたに止まりました。農事暦を基にした神事や民俗行事や習慣があったようです。正月とお盆は先祖迎えの習慣であり、そのコンテキストで門松の持つ意味、火と水についての新年の習慣もお話があり、こういった民俗的な習慣のお話は、ホント、わくわくさせられました。来週は、講師の方は替わるのですが、重陽の節句に特化したお話を聴けるようで、もう、今から楽しみにしている黄紺なのです。
 午前の部が終わると、一旦、帰宅。そして、夜は、公開講座その②として、キャンパスプラザ京都であった京都橘大学の公開講座「たちばな教養講座」として開かれた、同大学文学部歴史学科教授細川涼一さんの「後白河院の山科御所と女性たち」というお話を聴くことができました。配布された講師の方の経歴を見て思い出しました。昔、この方の論文を読んだことを。中世史のエキスパートで、おもしろい視点をお持ちだという記憶が残っているのですが、黄紺が読んだものとは、かなり距離のあるテーマでのお話でしたが、これがおもしろい。知らない京都を教えていただけたからでしょうね。まず、山科御所なんてものがあったということを知らない黄紺。となれば、お話の冒頭から初めて聴くことばかり。後白河院の別荘だそうで、後白河院が牛車に揺られて、自宅、その一部が三十三間堂だそうですが、ですから東山七条界隈から東山の谷あい(渋谷街道を抜けたことが想像されるとか)を抜け、この山科御所に、お気に入りの女性を伴い、やって来ていたようです。山科御所の位置は、現在ではほぼ特定ができているようですが、その地が宅地化された頃には、判っていなかったため、遺跡は潰されてしまってるようです。今日のテーマは女性でもあるわけですが、まず上がったのが平滋子、清盛の妻時子の異母眛。そないなことから、これは、後白河院と清盛の蜜月時代を表すようで、要するに、滋子が、二人の間を取り持っていたことになります。ところが、滋子が、35歳で亡くなり、両者の蜜月時代が終わり、対立の時代へと入っていくことになります。となると、山科御所の役割は、確かに大きい。政局を作り上げていたことになります。対立の中で、清盛側に殺された男を持ち、幽閉されている後白河院の側に仕えるようになった女性が高階栄子。後白河院が、最後に寵愛した女性だそうです。二人の間には、内親王も生まれているようです。遺言で、山科御所は栄子に。更に、栄子は、財産分与の際、一旦は、山科御所を、娘の顕蓮に与えますが、最終的には、所領交換をして、この地は、弟の冷泉教成のものに。この人が山科家の先祖に成り、また、この人も後白河院を敬愛していたそうで、山科御所の東側(あくまでも想定)に、後白河院山科御影堂を建て、威徳を忍んだとか。また、教成の異父妹(後白河院の子)も、ここを訪れ、亡き父を忍んだそうです。後白河院の周りに名を残す女性たちの跡を、これだけ辿れることは珍しいようで、聴く者からすると、中世の世界が浮かび上がるようで、とっても楽しく聴くことができました。なお、この山科の土地は、かつては、源義朝の領地で、負け組になった義朝は、この地を取り上げられてしまったことから、頼朝が復活をした際、後白河院に、山科御所を返して欲しいという嘆願を行い、断られたなんてこともあったところだそうで、有名人が交差する大変な場所にもなっていたことが判り、ちょっと興奮気味。そないなことが、山科という場所であったということが、更に嬉しくさせてくれました。


2019年 9月 5日(木)午後 7時 37分

 今日は、間違いなく二部制の日。午前中にコンサートに行き、午後に公開講座に聴きに行くというもの。で、午前中は、京都コンサートホール(小)で「おんがくア・ラ・カルト♪ 第31回゛ピアノと共に―20歳の挑戦゛」に行ってまいりました。ピアノの藤田真央のコンサートだったのですが、そのプログラムは、次のようなものでした。「モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K. 397」「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調op.31-2゛テンペスト゛」「ショパン:バラード第4番 ヘ短調 op.52」「ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調op.53゛英雄゛」。チャイコフスキー・コンクール2位という肩書きを持っているからでしょうか、この若きピアニストのチケットは、売り出し日に完売だったとか。会場は満杯。開場時刻を過ぎてから会場入りすると、自由席だったもので、空いている席を探すのに苦労しました。1時間限定のコンサート、拍手をゆっくりする間もなく、さっさと進行していきます。ただ、紡がれる音楽はと言えば、さほど感銘するものでもないし、前半が、モーツァルトとベートーヴェンだったこともあるのか、さしてテクニックをひけらかすわけでもなくで、正直、そこまで大騒ぎをしてもななんて気持ちになっていました。全体的な空気はそうだったかなとも思うのですが、ショパンで、少しだけ、コンサートで評価されたわけが見えてきました。ハイテクニックな奏者が集うのは当然ながら、この人には、やたら余裕を感じさせるオーラがあります。そこに、今後の可能性を看て取られたのかなということと、時々見せるきらびやかな高音が印象に残ったコンサートでした。なお、アンコール曲は「シューベルト(リスト編曲):ウィーンの夜会第6番」でした。
 京都コンサートホールを出ると、西院駅、洛西口駅経由で京都市立芸術大学へ。これが難物でした。桂駅まで行けば楽勝かと思っていたのですが、バスの中で、ダイヤ検索をすると、朝と夕方にはバスはあるが、昼間はないと出たものですから、真っ青。実際はそうではないことが、後から判るのですが、そのときはそうではなかった。ようやく洛西口駅前から30分に1本、京芸の近くを通るバスがあることが判り、会場に辿り着くことができました。つばなれするかなという参加者の中に高校時代の友人を見つけ、驚かされてもしたこちらでは、「伝音セミナー 第5回゛大衆演芸にみる芝居と流行り唄゛」が開催されたのでした。京芸の公開講座に参加するのは初めてのこと。演題に惹かれて行ってみることにしました。大学所蔵の音源を使っての講座ということで、貴重な録音を聴かせていただけたのが、何よりも嬉しかった講座でしたが、その冒頭は、松井須磨子唄う「カチューシャの唄」、これが、流行り唄の原点だという話は、高校の文学史で、初めて知ったこと。それを、同じ高校で通った友人とともに聴くというのも、おかしな気分のものです。お話の展開は、流行り唄を流行らせた下地、また、江戸時代にあった流行り唄、芝居とドッキングする流行り唄、また、そこからの離反といった流行り唄の展開を聴かせていただくことができました。使われた主たる音源は、次のようなものでした。①瞽女うた②正調安来節③津軽よされ節④名古屋甚句⑤どこしょめ節⑥小唄「成金節」⑦淡海節⑧浪曲映画「清水港」⑨文楽「夫婦善哉」などでした。なかなか面白いものを聴くことができました。もう、これだけで満足。帰りは、また、混乱することを心配していたのですが、幸い、高校時代の友人が車で来ていましたので、厚かましくも自宅まで送ってもらえました。感謝。雨が降りかけていたこともあり、満更、運から見放されてはいませんでした。


2019年 9月 4日(水)午後 7時 13分

 今日は、二部制になるはずだった日。午前中に、市民向け公開講座を聴き、夜に映画を観に行くという予定を立てていながら、結果的に潰れてしまいました。午前中は予定通り、アスニー山科へ、初めて行ってまいりました。こちらでは、頻繁に公開講座が行われていることは、以前から知っていたのですが、今日初めておじゃまをすることになりました。「学びのフォーラム山科」というシリーズで、今日は、「小町のもらった恋文のゆくえ~東福寺塔頭退耕庵玉章地蔵を中心に~」という演題で、京都女子大学文学部教授の中前正志さんのお話を聴くことができました。「小町の恋文」と「東福寺の塔頭」というのが、頭の中で結び付かないものですから、いったい何の話が飛び出して来るのやらと、そないな関心で行くことにしました。小町直筆の恋文、ないしは小町宛に出された恋文、いずれにせよ、ほんまものが残ってるとは考えるのは置いておいて、小町絡みの恋文をしまい込んだ塚、地蔵などが、京都に残っているというのです。今日のお話は、その恋文とやらが真なのか偽なのかはさておき、そういった言い伝えのある塚なり地蔵などが残っているところを紹介していただけました。言い伝えの最古のものを取り出しでも、江戸時代のことですが、その後も、それを受け継ぐかのような文書があることから、小町の恋文というだけで、関心を向けられる力というものがあったということになります。今日のお話の論点がそこにはないため、なぜ、そういったことが続いていったのかは聴くことができませんでした。言い伝えのある場所は、山科の随心院。こちらには、文塚や 文張地蔵があり、墨染の欣浄寺には深草少将張文像があるそうです。前者には小町の住居跡という言い伝えがあり、欣浄寺には、実在も疑われている深草少将の住居跡という言い伝えがあるため、こういったものがあるようです。そして、副題に入っている東福寺の塔頭退耕庵玉草地蔵が話題になりました。その地蔵の体内には、小町に寄せられた恋文が納められているという言い伝えがあるのです。2mほどもあるかという大きな土像だそうですが、ここに、なぜ言い伝えが残るのかというのが、まず問題でした。随心院も欣浄寺も、小町絡みの寺であったわけですから、こちらもそうかというと、そうだったのです。この地蔵は、本来、清水寺の南側を通っていた渋谷街道沿いにあった小町寺、これは、当寺の縁起では、小町が、老年になってからの閑居の地であったことからのネーミングで、明治8年、当寺が廃寺になった際、寺物が、東福寺塔頭に移されたとき、その中に文草地蔵も含まれていたことに起因するそうです。ですから、恋文の行き先とされている寺は、小町の言い伝えがあるところばかりで、地蔵を作るときに、恋文が練り込まれたという言い伝えが元で、それが、寺外に出てしまうと、体内に納められたとなるようだと言われていました。小町伝説が、彼女が生きた時代以降、確実に生きていたのは能の世界だということで、途中、七小町の説明をされていましたから、少なくとも能が、謡が、小町伝説を伝えた大きな要素だということだとは思うのですが、果たして、それだけでしょうか、大変、気になるところでもあります。今日も、気がつくと、弟が来ていました。弟は、こちらの講座に通い出して3年になるベテラン。そないな話をしながら、久しぶりに一緒に昼食を食べることにしました。めっちゃコスパのいい豚カツ屋に、大満足でした。
 山科から京都駅に戻り、夜までたっぷり時間があるということで、アーバン・ウォーキングを敢行。西本願寺境内を歩いたりして、京阪三条駅まで1時間ほど。今日は、昼間は、大変な気温上昇があったためか、軽い熱中症を起こしたのでしょうか、電車に乗る頃から疲れを感じ、自宅待機に移ると、やたら横になりたい。夜の映画に出かける時間をメドに目覚ましをかけて寝ると、もうダメでした。目覚ましが鳴っても起きることができませんでした。目覚めが、極めていい黄紺には珍しいことですので、これは休んでおいた方が賢明と判断。あっさりと、映画は撤回。月曜日といい、どうも映画に見放されています。でも、おかしいぞと思ったときは、無理をしないことにしていますので、諦めは簡単につけた黄紺でした。幸い、雷雨のおかげで気温が下がり、また、睡眠をとったかげんで、体調は恢復、事なきを得ています。


2019年 9月 4日(水)午前 6時 31分

 昨日は落語を聴く日。ツギハギ荘であった「第3回 笑福亭生喬×瀧川鯉朝 二人会」に行ってまいりました。黄紺は、今年は行かなかった彦八まつりに、毎年ヴォランティア参加している鯉朝が、彦八まつり後も居残りをして開かれる落語会の1つ。黄紺は、一昨年に続き、2回目の参加です。昨年は、黄紺宅の屋根瓦を飛ばした台風が来た前後に開かれていますから、黄紺はトルコに居た時期に行われていますから、当然、不参加になっています。この会を知らせるチラシには、「生喬めし」と書かれ、生喬手作りの料理がふるまわれるというもの。今年は、鯉朝手作りのものも出るということで、外すわけにはいきませんでした。その番組は、次のようなものでした。生喬&鯉朝「二人でオープニングトーク」、生喬「野ざらし」、鯉朝「松山鏡」、<お食事会=ミニ生喬メシ・復活六代目松喬カレーごはん付+ミニ鯉朝メシ>。「オープニングトーク」は、彦八まつりや来年の芸協まつり、鯉朝の弟子の二つ目昇進話など。そして、落語は、二人とも、あとの「めし」を想定してか短めのネタ。生喬の「野ざらし」は初めてかもしれません。マクラで、少しネタについての解説。元来は東京ネタであることは知られたこと。上方では「骨つり」ですものね。ただ、驚いたのは、東京から上方に持ってきたのは可朝だろうという話。生喬自身は、文太に稽古をお願いしたが、「自分で覚えてやって」と言われ、文太の口演や東京の噺家の口演を参考にして、自分の「野ざらし」を作ったと言っていました。ただ、聴いていると、べたべたの大阪弁、主役の男の持つキャラ的なものも大阪風ではあるのですが、普段の生喬の口演に比べて、かなりスピード感があったり、リズムなんてのは、確かに志ん朝を彷彿とさせるものだったりするものですから、テイストが、生喬落語ではなさそうな印象を持ってしまいました。一方の鯉朝も「松山鏡」と短いネタ。「琴三味線」の小咄をふってから、ネタへ。田者人繋がりということですね。進行は、上方版と同じ。ネタ自体が地味系なこともあるのでしょうが、鯉朝のペコちゃんが出てくる新作なんかに慣れているものですから、こういった地味系噺にはなじめない感じがしてしまいました。鯉朝の高座が終わると、速攻で食事の準備。テーブルを置き、座席の並び替え。お手伝いは、生喬夫人と風喬。メニューは、名代のカレー、味付け色キャベツ、鯉朝お手製のポテトサラダ、デザートにところてん。松喬カレーは食べたことがなかったもので、初もの。長らく松喬一門が、彦八まつりで作ってきたもの。それが、松喬一門で止めることになったため、この会で提供しようとしたという経緯があるというのは、どこかの会で、生喬が言ってたこと。また、中止になった経緯&その背景は、弟子の生寿も、自分の会で言ってますから、この会で、噂のカレーを食べることができるというのは、貴重な機会になっていたというわけです。鯉朝も、それならばと手作りのサラダを出すことになったようです。で、そのカレー、これが、なかなか美味しい上に、想定外の量。夕飯を食べてからツギハギ荘に行ったことを後悔する量でした。カレーはと言えば、さらさらルー、でも、お味は、インド風ではなく、明らかに香辛料やら隠し味的に入っているものが違うなと思っていたところ、生喬曰く「味噌が入っています」、なるほど、それが、独特の味を出していたのですね。鯉朝のポテトサラダも、一口食べると、「何が入ってんだろう」と思わせるお味。「バターと牛乳が入ってます」、これは、鯉朝自身の種明かし。バターはともかくも、牛乳が独特の味を作り出していたことが、これで了解。最後には、デザートとしてところてんまで用意されていました。黄紺は、黒蜜をかけていただくことにしました。食べ終わり、早々に引き上げようと、時計を見ると、9時を回ったところ。落語会1時間、食事会1時間、これで、短めの落語が続いたわけが判りました。正に「めし」を掲げる落語会、十二分に楽しませていただきました。


2019年 9月 2日(月)午後 7時 37分

 今日は、当初、夜に映画を観に行く計画を立てていたのですが、昨夜、極端な睡眠障害に遭遇したため、もう寝に行くようなものと思い取り止め、久しぶりの休日に当てました。ひょっとしたら、昨夜の「フェネルバフチェ vs トラブゾン・スポル」戦に力が入り、眠れなくなった可能性は否定できませんが、、、。午前中は、ちょっとでも眠れないか横になっては眠ろうとしたのですが、ほとんどダメでした。うとっとしても、すぐに目が覚める。何が具合が悪いのでしょうかね。てなことで、昼前と夕方にウォーキングしたくらいの一日。もちろんウォーキングの途中には、各30分ずつの読書付きです。日影での読書は、実に心地よいものがあります。家では、来春に予定しているオペラ紀行の準備。飛行機は、1ヶ月ほど前に押さえていますから、日程は確定、行程も確定、オペラのチケットも完全にゲット、そして、ホテルを押さえにかかっているところです。1ヶ月後に予定しているトルコは、さほど準備はしないのですが、オペラ紀行は、実に手がかかります。そないな、のんびりかと思いきや、せわしなくもありの一日でした。


2019年 9月 1日(日)午後 7時 16分

 今日は浪曲を聴く日。百年長屋で行われた「真山隼人の浪曲の小部屋その21~火消し特集」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。「裸の角左衛門」「隼人のスマホ」「日本銀治」。なお曲師は、いつもの相棒沢村さくらさんでした。「裸の角左衛門」は、講談ではおなじみのもの。浪曲化されると、毎度の如く、ええとこどりをしないと適切な時間に収まらないということで、このネタも刈り込みが行われていますが、果たして、うまくいってると言えるでしょうか。2つのエピソードに特化しすぎという印象を持ってしまいました。即ち、大名と角左衛門の出逢い、これは、銭湯で、角左衛門の刺青に惚れ込む下り、もう一つは、褌をしないで纏をふり引き上げたため、大名の逆鱗に触れる下りです。確かに、この物語の核心ではあるのですが、大名が惚れ込む男っぷりが出てないため、何か安っぽくなってしまってます。でないと、恥をかかされた、大名の心性としてはそうでしょう、にも拘わらず、命を救い、侍にまで取り立てないでしょう。一言で言えば、角左衛門が描けてないテキストなのです。このネタは、先代幸枝若の兄弟子に当たる2代目京山幸枝が、自分のネタを浪曲親友協会に寄贈したものだそうです。確かに、幸枝若節が似合いそうな話ですね。辞世の句には、客席、大笑いでしたし、角左衛門のキャラなどは、幸枝若節の方がはまりやすそうな気がしてしまいました。2つ目の「日本銀治」は、東京でネタ下ろしをして、今日が2回目の口演とか。大名火消しと町火消しの対立、新門辰五郎に大岡越前まで出てくる大がかりなネタと言いたいのですが、これも、テキストに問題を感じてしまいました。だって、そこまで盛るほどの話ではないですから。単に、好きあっている男女に、意気がる大名火消しの輩が横恋慕するだけの話なんですから。それに、新門辰五郎や大岡越前まで出すとは、てんこ盛りに盛りすぎてます。いや、日本銀治ものという長い物語があるのかなと思ってしまいました。その一部を取り出したものですから、盛っているように思えたのかもしれません。「木っ端売りの三次」のように、抜いてしまったために、本来の話のおもしろさが消えてしまってるのかなとも思ってしまってます。いや、それだったら、浪曲全盛期の客は、このネタだけを聴いて、話の全体を思い浮かべてたことになります。こないなことがあるのかどうかすら判断できない悔しさってありますよね。残る一つの「隼人のスマホ」は、「お楽しみコーナー」という位置付け。要するに、浪曲に乗せて、最近の出来事を伝えようというもの。アンドロイドからアイフォンに変えたことがメーンなのかと思ったのですが、じゃなくて、前に持っていたスマホが壊れた経緯から新しいスマホを手に入れるまでがメーンでしたが、ある鉄道会社の対応の悪さに、ちょっと驚きました。そんなで、ちょっと間の開いた隼人くんの会、新ネタ開発を頑張ってくれるだけに、率直な感想を書き留めておきたくなります。しかし、さくらさんと二人三脚で、ホント、よく頑張ってる。


2019年 9月 1日(日)午前 7時 11分

 昨日は、市民向け公開講座のハシゴをする日。土曜日には、行きたくなる講座が集中することがあります。昨日は、うまい具合に、午前と午後に分かれてくれたため、ハシゴが可能となりました。まず。苦手な午前の部は、仏教大学四条センターであった「佛教大学宗教文化ミュージアム連携講座 大念仏狂言を知る」でした。お話をされたのは、大津市文化財保護課技師で元佛教大学宗教文化ミュージアム学芸員の柿本雅美さんでした。大念仏とは何か、融通念仏とは、存続されている3箇所の大念仏狂言の簡単な紹介など、概略のお話は簡潔に流れ、この講座の主要部分は、3箇所の内2箇所での実演の映像を見せていただけたことでした。まずは千本閻魔堂の「二人大名」、次いで嵯峨狂言と言えばいいのでしょか、清凉寺(嵯峨釈迦堂)での「釈迦如来」でした。大念仏狂言と言えば、無言劇というイメージがあったのですが、千本閻魔堂のものは全編台詞入り。現行狂言をアレンジしたもので、より庶民的にした笑いが追求されているって感じで、まるで、現代のコントを観ているようでした。一方の「釈迦如来」は完全無言劇。鉦、太鼓が囃される中で進行。台本が配られていたこともあり、内容は理解できました。ただ、その内容が結構なおちゃらけ。釈迦を人間が演じる上に、不美人(狂言の乙と似たお多福面使用)が参拝に来ると、後ろを向いてしまうし、美人の女とどこかへ行ってしまう、更に、釈迦がいなくなると地侍が、その替わりに釈迦になるといったもので、よくぞ寺の境内で上演ができたなと思える代物。能「百万」の紹介も、お話の中で出てきましたが、大念仏狂言上演時の清凉寺境内は、大変な賑わいだったことは、「百万」の描くところ。もちろん大念仏狂言お目当ての人たちでごった返すわけです。そりゃ、こないな解りやすく、滑稽味のあるものなら、盛況になるのは当然かなと思えるものでした。この講座、講義よりも、映像上映にシフトしたもの。おかげで、千本釈迦堂での上演の一部しか観たことがなかったものですから、とってもありがたいものとなった一方、それぞれの大念仏狂言の詳細を、もっと知りたい欲が出てきました。
 午前の部が終わると、四条烏丸界隈で昼食を摂り、京都府立京都学・歴彩館へ。こちらでは、「府民協働連続講座」があり、「鴨川゛山紫水明゛の風景はいかにつくられたか」という演題で、関西大学准教授の林倫子さんのお話を聴くことができました。開場時に合わせたかのように会場に着くと、弟とばったり。二人で並んで聴くことになりました。鴨川の景観が、どのようにして生まれてきたのかを、そのコンセプト、及び、鴨川改修の歴史と併せてお話いただけました。鴨川を楽しむというコンセプトは、納涼というコンセプトとともに、江戸時代に生まれ、最初は、祇園祭に合わせて開かれ、場所も、中洲、両岸に床ができたようです。その催しの人気が、時期を拡げ、且つ、楽しみ方が、鴨川だけではなく、東山を背後にした鴨川の風情を楽しむ、即ち「東山鴨水」というコンセプトが出てきたようです。ところが、明治に入り、鴨川改修という問題が生まれます。治水&利水の観点でだと思いますが、それは、鴨川運河計画に合わせてのもの。そのときに、鴨川風致論が起こり、「東山鴨水」の精神が継承されながらの改修になっていったようで、その後の鴨川運河拡張に際する改修などに、そのコンセプトが活かされていった様子を、順次お話いただけました。そういったなかで登場してくるのが「山紫水明」というコンセプト。頼山陽による造語だそうで、本来の意味合いは、夕暮れどきという時間限定に使う言葉で、鴨川に当てはめると、「東山鴨水の夕暮れどきの景」を表すというものだったのを、時間枠が取っ払われて使われるようになったとか。1922年の京都都市計画風致地区指定に、この時間枠を取っ払っての使用が見られるということですから、比較的新しく汎用化された語句のようです。確かに、京都全体を表すには格好の語句で、その中に鴨川の風情がすっぽりと納まるというコンセプトなのでしょう。今の鴨川の風景、高水敷(カップルが等間隔で座るところ)、石を組んだ護岸、そのスロープが緩やかなこと、床の下を流れる流水筋(みそゝぎ川)、東岸の土手に京阪電車を走らせる、元々は、その土手作り、そして、京阪電車の地下化、鴨川運河の暗渠化、その上に鴨東道路、土手への植樹、現行の花の回廊構想、これら全てが、こういったコンセプトのなか、改修を重ねて行われてきたということでした。ところどころ、寝不足のため消えていたのですが、丁寧なレジュメをいただいていたので、記憶を繋げることができました。知ってるようで知らない京都の当たり前の風景の歴史、実におもしろいものでした。会場出口で弟と別れ、昨日は、ばっちりウォーキングかと思いきや、半ば過ぎで雨が。ですが、鴨川東岸道路は、改修のおかげで桜並木になっていますから、その下を歩くと、雨は、かなり濡れなくて済みました。幸い、雨は優しい降りに代わり、無事、三条まで歩くことができました。


2019年 8月 30日(金)午後 8時 34分

 今日も、枚方で映画を観る日。ドキュメンタリー映画「空と、木の実と。」を、メセナひらかた会館で観てまいりました。この上映会も、「LGBT等性的マイノリティに関連した映画を上映します」として、昨日同様、枚方市男女共生フロア・ウィルの主催で行われたもの。副題には、「性別の向こう側へ ぼくとわたしが、自分をさがした3000日の記録」と書かれていました。主役は、性同一性障害を持つ小林空雅さん。その障害のために、中学校では不登校も経験している人。その人の高校時代での、中学時代の振り返りから始まった3000日の記録。この映画の終盤間近までは、この人が、女から男へと、自らの性を取り戻していく動きを追っています。スタートしたところでは、既に名前は取り戻しているのですが、身体の適合手術には、年齢制限があるため、その年齢に応じて段階的に取り戻していく姿が追われています。その過程で、過去の振り返りとともに、今、考えること、また、具体的に手術費用の確保のために働く姿、その周辺に居る人たちとの交流、更に、78歳になり性転換手術を受けられた八代さんとの交流などが描かれていきます。そして、20歳を待ち、戸籍上も男になった、その後は、自らの出発点に、ようやく立った空雅さんの様子で、映画は終わると思い、この映画を観ていました。ところが、終わらなかったのです。映像は変わり、3年後の空雅さんが映りました。ぱっと見、太ったな、童顔がかなり影は潜めたな、、、ここまでは、性転換手術を受けた後遺症が出ているのかなとか、時間が経ったしなで、納得だったのですが、出で立ちが変わってるなの印象を持ってしまいました。ちょっと女を思わせる雰囲気があったからです。曰く、女の身体を持ち、男の身体を持とうとしていたときには、セクシュアリティとして、男と女しかなかった。女の身体が嫌だったから男の身体を持ちたいと願っていたが、いざ男の身体を持つと、それにもなじめない自分がいた。カテゴライズしてしまえば、Xジェンダーってことになるのでしょうが、この過程を知ることは、何と、この問題の深さを知らされた思いがして、かなりの衝撃が走りました。名前も、空雅を捨て、今はこのみを名乗っているということでした。男の身体を取り戻そうとしていたとき、自分たちは、マイナスから始まっていて、身体を取り戻し、戸籍上も男になったときがゼロなんだと言ってましたが、ホント、この人にとっては、ゼロに至るのはいつのことか、自己の確立がないなかで、自分の将来を考えることほど、危ういものはないですものね。問題の深さを垣間見せてくれた素晴らしい映画です。ぜひ、一人でも多くの方に観て欲しい映画です。こんな事実を知ってるなら、ヘイト本なんて書けるものではないと、つくづく思いました。


2019年 8月 29日(木)午後 7時 36分

 今日は映画を観る日。ドキュメンタリー映画「愛と法」を、メセナひらかた会館で観てまいりました。この上映会は、「LGBT等性的マイノリティに関連した映画を上映します」として、今日明日の2日間、枚方市男女共生フロア・ウィルの主催で行われるもの。枚方市駅を降りると、目の前に、枚方市の広報のためのアンテナショップがあるので、確か、何かの用事で枚方に出向いたときに、この2日間の催しを知ったのだと思います。で、この映画、ゲイのカップルの活動を追ったドキュメンタリーとまとめることができるのですが、このカップルが、2人とも弁護士であるため、その弁護士としての活動にも密着したレポとなっているところが、この映画に深みを与えています。自分たちを性的マイノリティという自覚のある2人の活動は、自ずと様々なマイノリティの人たちを支援する活動をしています。この映画に出てきたのは、女性性器をモチーフにした作品を出したことから罪に問われ裁判に訴えている芸術家、卒業式ででしょうか、君が代斉唱時に起立拒否をして処分を受けたことから、その処分取り消しを求め裁判活動をしている教員、無戸籍であるため戸籍確認を求めた訴訟をしている人たちです。そこへ、養護施設育ちの男性が、施設自体が閉鎖されたため、カップルの家にやって来ての3人同居生活が始まります。そういった生活をカメラが追いかけるなか、2人の生育歴の一旦も触れられていきます。1人の男性の母親が、弁護士事務所で事務仕事をしていることもあり、カミングアウト時の状態の振り返りもあります。このお母さん、知的な方という印象を与えるキャラクターの持ち主で、そのときの心の動き、コントロールを的確に語られていましたし、一人暮らしの先も冷静さを持って見る力を持っている方なのが、とっても印象的でした。もう1人の男性は、自分の父親の介護の辛さを話されるとともに、後悔を強く口にされています。この感受性が、自身の立場を見つめ、マイノリティに寄り添う活動の力になっていると見受けられました。他に、もう1人、素敵な親御さんが登場されます。女性性器のアーティストの父親です。娘の言動に理解を示すだけではなく、自分にできないことをやってのけている娘にリスペクトの気持ちまで表されていました。もちろん裁判や支援者集会にも足を運ばれていました。こうした、彼らの日常が流れていく内に、ゲイである2人の生活が、ごく普通の生活に見えてきました。朝起きて、食事をして、仕事に出かける、仕事が終わると家に帰る、それを愛し合い、支え合う2人が送る普通の生活。終盤、その2人と同居していた施設育ちの男性が、その家を出て、彼女と同棲している家の場面が出てきます。監督が、「あの2人はどうですか」と問いかけると、「普通です」と答えます、横で答えを聴いた彼女は「キャー」という声を上げます。その横で、男性は、もう一度「普通です」と答えるのが、とっても印象に残りました。映画を観てきた黄紺と同じ言葉が返ってきたのでした。横で観てきた男性、映画を通して観てきた黄紺、2人を観てきた者には、そう見えたってことだったのですね。何かがあれば終わるという映画ではないのですが、一応、映画で出てきた裁判の成り行きが出て、そして、この2人が里親になろうとして、なることが認められたとテロップが入り、映画は終わりました。戸田ひかる監督は、イギリス育ちの方と、ネットで知りました。ですから、ワールド基準といった言葉を使うのが適切かどうかは別にして、何となく、日本基準でない基準のような空気を感じさせるのが心地よい映画です。ひょっとしたら、主人公のカップルに通じる感性をお持ちで、それに棹を指すが如き日本社会を見据える目で、この映画を撮ったのかなと思えるときがありました。里親制度に踏み込んでいく2人の動きを、ラストに持ってきたりする感性に、そのようなものを感じた黄紺ですが、君が代斉唱時に起立を拒否した教員の言葉、思想的な急激な転換を評して、思想的マイノリティになっていってるのを取り上げているのにも、そのように感じてしまいました。この映画、観た誰にも解るという映画かなとも思ってしまいました。観ながらお喋りをする客、クレジットが始まった途端、立ち上がる一部の客、更に、この映画会に詰めかけた客の多くが女性であることから、来ない男、これらが、問題の大きさを認識できてるとは、到底思えない、それが実感でしたが、枚方市は、LGBTに目を向ける方向性を持ったわけですから、末長い努力を、ただただ、期待するところです。


2019年 8月 29日(木)午前 7時 16分

 昨日は落語を聴く日。動楽亭であった「かもによ~桂華紋・桂二葉ふたり会」に行ってまいりました。去年に続き2回目の開催。運良く、2回とも行けています。その番組は、次のようなものでした。華紋&二葉「挨拶」、二葉「上燗屋」、華紋「二人癖」、二葉「佐々木裁き」、華紋「仔猫」、(中入り)、華紋&二葉「トーク」。二人は、ラジオ番組を一緒に行っている間柄。そんなで、昨年から落語会を始めています。昨日は、落語4席を、先に続けて披露したあとに、ラジオ番組と同じようなことを公開で行おうという主旨の番組構成。そないなことを、「挨拶」で話し、中入りまでを1時間ちょっとで済ませるつもりと言っていたので、落語は、短めのネタを並べるのかと思っていたところ、お互いに2席目に大ネタを出したものですから、びっくり。中入りに入ったところで時計を見ると、そこで8時半だったもので、メーンの「トーク」は、早くも諦め気味になってしまいました。替わりに、たっぷりと、二人の得意ネタを聴けたのですから、良しとしなければならないでしょう。ネタの中では、「二人癖」は聴いているかもしれないのですが、記憶からは飛んでしまってますが、あとの3席は、ホント、推奨もの。二葉の「上燗屋」は、無理だと思った雀太テイスト満載のテキストを、見事に自分のネタにしたもので、「佐々木裁き」は、序盤の子どもたちのお裁きごっこに、二葉テイストを、見事に入れ込まれたのを、初めて聴いたときの衝撃は強烈に残っているため、このネタを聴けたのは、ホント、嬉しいところ。お裁きの場面に入っても、しろちゃんが、前に聴いたときよりは、一層生き生きしているのが目立ち、そのおかげで、お奉行さんの落ち着きの一方、困りというか当惑というか、そんなのが、とってもクリアになっていて、ますます二葉の「佐々木裁き」の株が上がったなの印象でした。 華紋は、以前にも増して、スピード感があり、その中で、細かく、タイミング良く、変化をつけていく腕に、ますます磨きがかかってきたなの印象。華紋を聴くのは、ちょっと間が空いていたので、余計にいいように聴こえてしまったのかもしれませんが、黄紺の席の後ろの方も「上手いなぁ」と呟かれていましたので、決して誇張ではないはずです。「トーク」で、「仔猫」が話題に上がりましたが、というのは、二葉も持ちネタにしているからなんでしょうが、「文我→文華→華紋」という流れで、ネタは伝わってきたそうで、華紋オリジナルかと思っていた「ババ付きふんどし」の言われは、師匠文華オリジナルなものだそうです。ちなみに、二葉は、師匠米二からもらったそうです。「トーク」は、「仔猫」ネタを含めて、全て、予め会場から集めたアンケートに、二人で答えるという形で進みました。落語ネタ以外では、華紋得意の洗濯ネタなどが入っていましたが、なんせ、時間に追われていたため、駆け足だったのが惜しまれました。


2019年 8月 28日(水)午前 5時 14分

 昨日は、京都歴彩館で講演を聴く日。昨日の午後、こちらで「京都を学ぶセミナー~南山城編」という催しがあり、 久保中央(京都府立大学生命環境科学研究科教授)さんの「DNAからみた宇治茶の来歴」という演題でのお話を聴くことができました。前半で、茶の歴史を教えていただけました。茶はもちろん外来のものですが、今のような多様な茶があったわけではなく、また、日本では消えていった茶もあったよう。団茶という言葉を初めて知りました。伝来したろうとの説が有力な平安時代では団茶だったそうですが、日本では、なぜか普及せず、鎌倉時代になると、石臼で挽く抹茶の基が生まれ、戦国時代から織豊政権期に茶の湯が普及すると、茶人気が沸騰。江戸時代に、煎茶、玉露が生まれたようです。それぞれ、紅茶も含めて、茶葉からの精製の違いなんですね、茶の種類ってのは。これは知っていたのですが、具体的な方法に、遮光なんてのが使われているのなんてのは、全く知らなかったことです。茶の育成には、実生と接ぎ木。ま、理屈としては、実生があるのは判ってはいましたし、接ぎ木という方法が使われまでは、そうだったでしょうが、まさか、お話の中で、茶の実生が話題になるとは思ってもいなかったこと。接ぎ木はクローンになるので、欲しい特性を持った品質を持つ種が出てくれば、これを活用化すれば、商品化できるわけですが、欲しい特性を持つ種を得るためには実生を使わねばならないことになります。おもしろかったのは、実生から生まれる子どもは、親の性格を引き継がず、様々な性格が出るということ。だから、新たな品種を作るには、これを在来種と呼ぶようですが、実生で育てるのが大切だそうです。こういった茶の全般的なお話に次いで、本題のDNAのお話へ。まず、DNAの基礎知識から。このお話の終盤から聞きなれない言葉が並ぶものですから、ちょっとギヴアップ気味。途端に眠くなってしまった黄紺。そんなですから、分析は、いただいたレジュメで後追いを試みたのですが、余計に理解が進みません。特に、分析結果を活かし、且つ、宇治茶の特性を引き出す新たな品種作りをするという、今後の方向性のお話に進むと、かなり難しくなってしまい、相当きついですね。いずれにせよ、DNA分析の結果、その近似性を分類すると、宇治茶は、茶どころとして有名な静岡茶とは違うということ、また、全国の他の茶どころで栽培されている茶は、宇治茶が拡散したものだろうということが判ってきたようです。茶の特性は経験的に判っているわけですから、それと分析結果を照合することで、より深い特性を備えた宇治茶の開発を志向するということなんだろうとは思うのですが、聞きなれないていないDVD分析のお話が絡むと、やはりハードなお話になっちゃったということなんだろうと思いますが、講師の方のお話自体は、これ以上に平たく話せないほど平易にお話していただいていたと思えますから、ひたすらついていけてない頭を自覚するところでした。苦手なところはさておき、前半は、ホント、そそられちゃいました。ブラタモリでも、宇治茶が取り上げられたこともあり、丁度、関心は向いていたことも良かったのかなと思っています。
 講演終了後は、いつものように三条までウォーキングをしようと思っていたところ、外は強い雨。府立大学前のバス停まで歩いただけで、ズボンはぐっしょり。諦めてバスに乗り込んだのですが、正にスコールのような雨。七条通に回るバスだったのですが、もう東山二条辺りでは雨はあがっていました。ならば、歴彩館で雨宿りをしておけば良かったと思っても、後の祭り。結局、ウォーキングを諦める一日ともなってしまいました。


2019年 8月 26日(月)午後 10時 34分

 今日は講談を聴く日。毎月恒例の「第265回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。今日は「復活・太閤記続き読み」として「明智光秀の最期(一)〜安土の鉄扇〜」が読まれました。光秀の出生から順に進むということのない始まり方。ただ、出生については美濃説。それ以外にもあると、ちょっとだけ臭わされました。序盤は、むしろ、なかなか光秀が出てこない展開。武田家の最期、勝頼の自刃、消えた武田家のお宝兜、そして、勝頼の首実検ならず、首実検用の首に毒づく信長、それに冷ややかな目を向ける光秀と、ようやく光秀が出てきました。ここから、光秀の冷静さ、優秀さ、それに反して、信長の中から光秀憎し的な感情が芽生えていくエピソードへと移っていきました。何か信長に反感したり、ましてや敵愾心があるわけでもなく、天下を取るならこの人と思っているにも拘わらず、人として評価してなさそうに見える光秀が描かれていきます。森蘭丸の森家との縁戚関係を進めようとする信長に対し、細川家との関係を作り上げていく方が、織田家に有利と考える光秀、それが何でかとか、家康が出てきたエピソードが思い出せません。この辺りでうとっと来てしまったようです。昨夜、不安定な睡眠だったために覚悟をしていたのですが、終盤に出てしまったようです。いつもながら、この会の前夜、眠れないことが多いですね、もちろん偶然でしょうが。この4~5日、急に秋の気配、この「急に」というのが業をして、慣れてない身体が夜半の冷えについていけてないようで、寒くて目が覚めることが、毎日のように続いています。それが、結果的に不安定な睡眠を呼び込んでるみたいです。1週間前の暑さからは考えられない急さです。


2019年 8月 25日(日)午後 6時 37分

 今日も、市民向け講座でおもしろそうなものを見つけたので、大津まで行ってまいりました。映画やコンサート同様、こういった講座に行けば行くほど、新たな情報をゲットできます。もちろん、自分の関心のあるものしか行かないのですが、黄紺の場合は、ちょっと間口が広いもので、数多くの催しに行ってしまうことになっています。で、今日行ったのは、「滋賀近美よもやま講座゛月刊学芸員゛」(滋賀県立近代美術館主催) というもので、「ホトケの姿 神の影~仏像・神像からみる近江の神仏習合~」という演題で、和澄浩介さんのお話を聴くことができました。場所は、ちょっとおなじみになってしまったコラボしが21でした。文献史料を使い、神仏習合の様子を解りやすくお話していただけました。我々、仏像という形で、仏教の持つ偶像崇拝は知っているのですが、神像は如何なるものかと問われると、なかなか答えられるものではありませんねという問いかけからスタート。確かに、神社に行き、神像を見たという経験はありません。そういった構造に、神社はなっていますからね。そういった構造だけではなく、元々、古事記に著されている天地創造神話では、神々の姿は描かれておらず、人間には判らないもの、想像の範囲を超えていると記されているようです。ところが、有名な、イザナギとイザナミは、自らの身体について言及していますから、どこからか神像が現れてきたということです。そこへさして、朝鮮半島から仏教が入ってくる。仏像を初めて見た、ホトケと神の区別なんてついてないでしょうから、偶像でもって表す外国の神像を見た初めての天皇の感慨を記した文献も紹介されていました。仏教受け入れ、更に国教的扱いを受けていくと、日本の古来の神々と仏教の調整が行われるわけで、それが、神仏習合の第1段階となるわけです。神は、業の結果神となり、仏教に帰依することで救われるという考え方です。能を観ていると、詞章に、神が姿を現し、僧に読経を依頼するなんて流れがあり、最初、そういった場面に遭遇したとき、随分と戸惑ったものですが、正に、こういった時代背景を受けていることを知らねばならないところです。「神身離脱」という語句を、このことを指すものとして使われていました。各地にある「神宮寺」というものは、神であることをやめ、仏教に帰依したいという願いを受け入れた寺院を指すようです。こういった願いを聞き入れた僧侶が、神の像を作り安置したのが神像の初出とか。そういった神像は、僧形をしていたり、世俗の一般人の形であったり、武人の形、童子の形と、様々あるそうで、地元の滋賀に残る神像を画像で、その一部を見せていただけました。いや~、これはおもしろかった。あまり考えてもみなかった分野、お話を聴いて、なるほどと唸るしかないお話、そして、目からウロコ的なお話というのが良かったなぁ。そういったテーマって、なかなかないものですから、そういったものに当たると、感動が大きいですね。そんなで、この3日間、それぞれ異なったジャンルのお話を聴けて、大満足。刺激のある生活は、なかなか素敵なものです。特に、知的な刺激ってやつは。


2019年 8月 24日(土)午後 6時 18分

 今日も講演を聴く日。8月も後半に入り、こういった催しが復活してきています。今日は、京都駅近くにあるキャンパスプラザ京都であった「京カレッジ゛大学リレー講座゛」の一貫として行われた「゛七人の侍゛と゛赤穂浪士の討ち入り゛を読み解く-作業療法士という医療職の視点から-」という演題のお話を聴いてまいりました。今回の担当は京都橘大学で、講演者は、同大学の健康科学部作業療法学科教授の近藤敏さんでした。めちゃくちゃ掴みにおもしろみが満ちていたのか、会場前から長蛇の列。以前、同じシリーズの催しに行ったことがあっただけに、びっくりさせられました。こちらの会場での講演は、前に2つのスクリーンを垂らしていただけるものですから、そないに早く行ってもの気持ちがあるのですが、人の多さに圧倒されました。お話は、作業療法士の方たちが、患者さんにアプローチされる視点、それは、医療的観点からの体と心のケア、環境を整えるという視点と並ぶ、作業療法士としての視点、併せて3つの視点を、表題に掲げられた、2つの物語に適用しての解析、それが、お話のポイントでした。時間的には、「七人の侍」にせよ、「赤穂浪士」にせよ、物語の振り返りに費やされたため、実におもしろいものだったのですが、果たして表題に掲げられたほどの大きな成果を生んだかというと、ちょっと疑問かな。そういったなかで、たまたま余談としてお話された内容に、講談好きの黄紺が知らなかった事柄について触れていただけました。赤穂浪士47人の中に、外国にルーツのある侍がいるという事実でした。しかも、よく講談などで名前が出てくる人物だったので、終わった途端、慌ててネットで調べると、その通りでした。それは、腕力自慢のキャラで人気の武林唯七でした。中国にルーツを持つ3世のようで、渡来のわけは説が複数あるようですね。知らなかったぁ。「赤穂浪士」に関する豆知識的なお話は、このくらい以外は、大概は知っていた事だったのですが、ま、講談&浪曲のおかげなのですが、「七人の侍」は、きっちりとは映画を観てないので、嬉しい豆知識がいっぱいいただけたのが、とっても嬉しいことでした。講演終了後は、毎度のように、アーバンウォーキング。今日は、久しぶりに、京都駅から南西部を歩いてみました。工場や倉庫が多いので、あまりおもしろいところではないのですがね。最後は、大石橋を渡り伏見稲荷駅へ。今日も、伏見稲荷駅界隈は、外国人観光客で満ち溢れておりました。


2019年 8月 23日(金)午後 8時 3分

 今日は、「京都大学国際科学イノベーション棟 シンポジウムホール」であったシンポジウムに参加する日。「第2回全学シンポジウム:女性がつくるアジア人文学」というものが行われると知り、行ってみたくなったのです。その構成は、次のようなものでした。第1部「アジア女性研究者による提題」①キム・ヒェスク梨花女子大学総長「デジタル革命、人文学、そしてアジアの女性主体」②三成美保奈良女子大学副総長/日本学術会議副会長「アジアから問うジェンダー史-新しい世界史を目指して」③落合美恵子文学研究科教授「女を生きる/社会理論をつくる-アジアの家族主義に抗して」④西郷南海子教育学研究科博士後期課程大学院生「子育てという現場から考える、アジアの民主主義と教育」、第2部「提題者とコメンテーターによる総合討論」(提題者+桑山裕貴子ヒルデスハイム大学博士課程大学院生、Jin Y.Heiscookアメリカン大学教授、村瀬雅人基礎物理学研究所准教授、座長/上原麻有子)。今年は、3ヶ月ほどの間に2回も、女性学のシンポジウムに行くことができました。今日は、肩書きを見ると、とんでもない方たちが揃い、また、その内のお一人は、黄紺自身が数十年前に講演を依頼し、そして引き受けていただいた方という具合で、それを、一般に公開するという、まことに幸せな催しがあったものです。ただ、内容がなかなかハードなもので、黄紺の頭では持ちそうもない内容でもありましたが、そういったときは、自分の解る範囲で、自分に有用なものをいただけたらいいのだという考えで行ってまいりました。まず提題者からの講演、次いで、パネルディスカッションに移り、コメンテーターからの感想、質問が出され、該当者が答えるで、タイムアップ。外国から賓客を招いているということで、英語での通訳が入ります。これが、やたら時間を食うものですから、討議には移れずじまい。ま、パネルディスカッションではよくあることですが、通訳を待つ時間が長すぎたために、前に進まないというのは、ちょっと残念な気がしましたが、同時通訳を雇うとなると予算が持たないのでしょうね。肝心のお話ですが、①はきつかった。キム総長は哲学者だそうで、配布された日本語訳の講演内容を理解するのが大変。でも、空気としては、デジタル革命が、男女間をリセットし、平等に住むチャンスだということなのかと思ったのですが、、、。でも、それだと、ちょっと陳腐になりそうですから、あまり当てにはなりません。②では、高等学校の学習指導要領の改訂に対して、学会から働きかけたお話を聴くことができました。歴史総合という科目立ち上げに持ち込んだことを、日本史必修阻止ということで成果と評価された一方、ジェンダーバイアス除去を盛り込むことができなかったため、教員用のサブテキストを作ったということでした。ジェンダーに目を向けることで、ヨーロッパ中心史観の見直しを迫り、アジアの視点を入れるよう迫るように、研究者のスタンスが動いていることを知ったのは、大きな成果。とっても新鮮です。一方、公民の方では公共という科目導入を阻止できなかったと言われていました。学術会議のトップ職にある方の言われること、やたら迫力がありました。③でおもしろかったのは、私小説ではなく、私研究史の報告から入られたことです。出産をしたときには、出産の研究を、育児に入ると育児パートナーの研究をと、自分史とともに、研究が進むという振り返りは、興趣を掻き立てます。黄紺が講演をお願いしたのは、出産後、近代家族研究の書籍を上梓されたあとのことでした。近代家族の性別分業システムを、きちんと解明された文は刺激的だったことを思い出します。後半は、育児パートナーの分析、そのデータを、更に、グローバルに分析されたお話でした。④は、博士課程の院生の方のお話。しかも、この方、3児の母親でもある。母親として、子どもに伝えたい民主主義、それが形骸化している現実を、独特の言葉で表現される、豊かな想像力が魅力のお話。雑誌「世界」に、京都大学の立て看撤去問題に原稿を提供された方でもあります。いい刺激をいただきました。特に女性学は、自らのパラダイムを撃つというところがあります。だから、興味が湧くと言っても過言でもありません。そういった意味で、贅沢な時間をもらっちゃいました。


2019年 8月 23日(金)午前 6時 52分

 昨日は、午後には、所用があって息子の家へ。初めてSと会うこともできました。Dは、とってもお喋りが盛んです。言葉が遅かっただけに、その姿が可笑しくて仕方ありません。そして、夜は、ちょっとご無沙汰のカフェモンタージュへ。昨夜は、「弦楽八重奏- F.メンデルスゾーン生誕210年 -」と題したコンサートがありました。演奏されたのは、次の皆さんでした。(ヴァイオリン)平光真彌、米田誠一、安田祥子*、波馬朝加*、(ヴィオラ)中村洋乃理、景山奏*、(チェロ)長谷川彰子、佐古健一*。なお、「*」印は、八重奏曲にのみ入られた方です。そして、プログラムは、「F.メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.13」「弦楽八重奏曲 変ホ長調 op.20 」の2曲でした。メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲って、そんなにも生で聴く機会はないのですが、さすがアニヴァーサリーということで、更にレアな八重奏曲とのカップリングで聴くことができました。先入観として、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲っていうのは、分厚い重奏の魅力かと思っていたのですが、生で聴いてみると、そのイメージとは違い、ミニコンチェルトの風情。おまけにチェロは通奏低音ばりの音符ばかりを弾いていました。耳になじみやすい3楽章を過ぎて、ようやく4楽章になって、イメージに合いそうな曲想へと変わっていきました。平光さんのヴァイオリンが甘く、いっそう、こういった優しげな雰囲気に合っているようで、印象に残りました。八重奏曲って、生で聴くのは初めてだと思います。「弦楽四重奏×2」という構成で、最早、室内オケの雰囲気だし、実際に紡がれる音楽は、そうでしょう。て言うか、始まって少し経つと、ロッシーニの弦楽セレナーデを彷彿とさせる音楽。実に若々しさに満ちていました。軽く軽くって感じで、何となく半ばスルーしながら聴いていると、心地よい音楽ですね。8人が同時に演奏されたのは、カフェモンタージュでは初めてじゃないかな。貴重な体験をさせていただきました。


2019年 8月 21日(水)午後 8時 35分

 今日は映画を観る日。国際交流基金京都支部と京都府立京都学・歴彩館共催で行われた「日本名作映画上映会」に行ってまいりました。上映されたのは「舟を編む」で、場所は京都歴彩館でした。まず、会場に着くと、大変な行列。それほどまでに有名な映画なのかと、唖然、いやいや、無料入場ということが大きいのか、自分では判断のできないところ。しかも、辞書の編纂がテーマということは、チラシなどに謳われているので、それを見ないでは来てないでしょうから、驚きとしか言いようのない人の数でした。映画は、本屋大賞を原作にして、映画賞も取り~のだから、外れはなかろうの気持ちで、黄紺は参加。で、映画としてはどうだったかというと、扱った素材、それが辞書の編纂なわけですが、そんなのを映画にしたなんてことはなかったと言ってもいいことなので、斬新なことは言うまでもないのですが、筋立てという観点で言うと、そんなに評価されるものかと、正直思いました。一方で、営業向きの西岡という男を置き、絵に描いたような堅物男馬絞を置くというクサイキャスティングだけで、黄紺などはたじたじ。また、辞書製作に進む主人公に棹を挿すのは、営業サイドの論理。馬絞を支えるようになっていた西岡の配置替えなんて、やっちゃう。あまりにステレオタイプ的な障壁。辞書製作のエピソードが足りないのかどうかは定かではないのですが、馬絞の恋ばなを入れたり、西岡の結婚話も入ってくる。そないな傍流のエピソードの放り込みが必要なら、そもそも素材に無理があるとしか思えないんだけどなぁ。それとも、台本を書くときの準備不足なのか、、、。ついには、監修の学者先生にガンを患わせてしまいました。更に、推敲の過程でミスが見つかるというハラハラドキドキものにしたりと、やはり、こないなところでもエピソード作りに勤しむのですが、果たして、それで、いいのかと思ってしまいました。本屋大賞をもらったという原作に問題があるのか、脚色がまずいのか、黄紺には判定のつかないところですが、上にも書いたように、年度を代表する作品になったわけが計れないのです。ただ、注目の的の本屋大賞受賞作品の映画化ということで、キャスティングはスーパーなものです。黄紺は、馬絞を松田龍平が演じているのと八千草薫は判っていたのですが、最後のクレジットを観て、ホント、驚きました。いい役者を集めるにことかえ、よくぞと思いました。記して、その凄さを記憶に留めたいと思います。かぐやが宮崎あおい、西岡をオダギリジョー、その彼女を池脇千鶴、馬絞の前の編集責任者荒木を小林薫、編集の事務担当佐々木を、なんと伊佐山ひろ子、下宿のオーナーを渡辺美佐子、監修の学者を加藤剛といった面々でした。よくぞ集めたものです。帰りは、いつものように、京阪三条駅までウォーキング。小1時間の行程。毎度、ゲーテ・インシュティトゥートの前を通ると、カリーヴルストが黄紺を誘います。今日も我慢をしましたが、ものには限度ってあるんだよなと思いつつのことでした。


2019年 8月 20日(火)午後 7時 34分

 今日は、仏教大学四条センターで講演を聴く日。今日は、「京都新聞総合研究所提携講座 伝えるもの、 伝えること」として、「美術館と文化行政」と題したお話を聴くことができました。お話をされたのは、前京都市美術館館長の潮江宏三さんでした。京都市美術館長さんがお話されるとなれば、今、リニューアルに向かっている同美術館のお話が出てくるはずとの期待を持って臨んだところ、お話はドンピシャ。表題のような一般化されたお話ではなく、京都市美術館そのもののお話だったものでしたから、耳はダンボになってしまいました。同美術館の歴史そのもの、そして、今回のリニューアルのコンセプトのようなお話まで、堪能させていただきました。現存する公立美術館では、最も歴史のあるもの。昭和天皇の御大典を記念して造られたそうで、そういったきっかけがきっかけであったため、寄付金が集まりやすく、収蔵品の資金に回せるほど集まったそうです。おもしろかったのは、建築のコンセプトと、建物としての様式。前者は、建築の主導権を芸術家がとったことを色濃く反映して、展示室、即ちギャラリーのことを中心に考え、他のことに、なかなか想像力が回っていない特徴があるようです。収蔵庫がない、休憩室がない、温度管理にまで思考が届いていないと、作品の展示している姿にのみ思考が働いていたようです。建築の専門家の意見が反映されていないことが、よく判るコンセプトになっているようです。また、入ってすぐにある見事な階段を始めとして、堂々たる威容はもちろんのこと、とっても権威主義的な印象を与える造りになっています。建設のきっかけがきっかけですから、そうなるのでしょうね。後者のポイントは、正に、その権威主義を言い当てています。帝冠様式という構造だそうです。明治以降、近代化として欧米の様式を取り入れてきたのに対し、この様式は、欧米の土台の上(実際にはコンクリートの強固な土台)に、和風のモチーフを載せるというものだとか。この美術館が竣工したのが1933年。正に、戦争に突き進もうかという時代、公共建築物に、この様式が用いられたそうで、世相を反映したもの。ですから、帝冠様式はファシズム様式という言い方もあると言われていました。更に、時間がもう少し進むと、軍需物資としてのコンクリートや鉄が回ってこなくなるため、国内では、この様式はなくなっていくそうですが、満州など、日本の拡大主義で統治下に入った地域では、帝冠様式の公共建築物が相次いで造られていったとか。これは、目からウロコ、でした。そう言えば、どこかの国で、この様式の建築物が植民地支配を想起させるとして撤去されるということがありましたね。納得です。コンセプトが、近代的な美術館運営には不適切であるということでの改修だったのです、今回の改修のコンセプトは。でも、帝冠様式の先駆けとなった建物ということで、歴史的に重要性があるということで、実用性で問題を感じても、残す努力をされているところが凄いところです。特に、採光の問題で、詳しくお話を聴くことができました。最後に、これからの美術館運営のお話がありました。少子高齢化社会の進行で、こういった芸術分野の運営が怪しくなるのは、もう目の前まで来ていますし、実際、美術館に行こうが、こういった講演会に行こうが、落語会もそうですが、そうした古典芸能にも、足運んでるのは、ホント、爺婆ばかりですものね。展示としては現代アートの大切さを言われてましたし、若い人たちが足を運びたくなるスペースという観点を言われていました。このテーマは、ホントにきつい。絶対数が右肩下がりのうえに、こう芸術や古典芸能への関心が低いと、、、ホント、暗い。今日のお話、黄紺のツボにはまりました。いや~、おもしろかった。ためになりました。


2019年 8月 19日(月)午後 10時 53分

 今日は落語を聴く日。ツギハギ荘であった「染八の泣き処 vol.3」に行ってまいりました。染八の勉強会は、動楽亭でのものは行ったことがあったのですが、ツギハギ荘で始めてからは、初めておじゃまをすることになりました。全くの一人会。お喋りのあったのは「もう一つの日本」「試し酒」「饅頭怖い」の3席でした。マクラは、今、染八が大活躍の彦八まつり関連。彼は、広報担当ということで、毎日のように、インタビュー映像をSMSに流していますし、喬介が監督を務めるメイキング映像の助手も担当しているので、多忙を極めています。その苦労話、裏話を、ふんだんに聴かせてくれました。インタビューも、自分が仕事先で一緒になる噺家さんだけでは間に合わず、駆けずり回っているようですし、メイキング映像の出演者交渉を一手に任されているようです。ホント、マメでないと務まらない仕事ですから、日々、新たな映像がアップされる度に感心することしきりです。そういった多忙のなか、こうした会を開くのもびっくりで、且つ、出したネタが、いずれも大きなものばかりを並べたものですから、更に、びっくりでした。染八のキャリアからすると、普段の落語会ではかけにくいものばかりですから、こういった会でかけるのでしょうが、頑張りは素晴らしいものを感じます。「もう一つの日本」は福笑ネタ。幾つ目になるのかな、染八の福笑作品。最初のネタを聴いたときは、強烈な個性を持つ福笑作品は、ちょっと家賃が高いかと思ったものでしたが、次第に、福笑テイストを色濃く残しながらも、テンポの良さとか、染八の持ち味が活きるようになってきているのじゃないかな。この作品は、福笑から「やってみないか」と言われて、手がけるようになったと言っていました。「もう一つの日本」を持ちネタにしているのは知らなかったのですが、「試し酒」は情報を掴んでいたので、今日聴ければラッキーの気持ちで行ったのですが、大当たり。誰からもらったのかな。師匠の小染は持っていましたでしょうか。最近、塩鯛系の「試し酒」ばかりを聴いているので、それとは、明らかに違うテキストを使っていたので、誰からもらったのかが気になります。鶴志による口演を長く聴いてないものですから、判断に困っています。ご褒美のやり取りが短いのとか、3合目以後の呑み方や、その間の旦那2人の対応、下男の台詞に違いがありますね。で、染八の口演ですが、下男のキャラがどうなんでしょう。田舎者だから、口の利き方を知らないから粗野な口ぶりになるに止めないと、陰気になります。この下男は、彼なりの論理で分を保とうとしているが、酒が入るとたがが緩むけれど、形は分を保ってるつもりとした方が、おかしみが増すと思うのですが、染八の口演では、ただの酔っぱらいだったのじゃないかな。下男のキャラが曖昧なために、旦那たちのキャラも薄かったのじゃないでしょうか。そういったキャラ付け、それと、お喋り全体が流れ過ぎたという印象を持ちました。ちょっとした間を入れることで、場の落ち着きやら、飲み方やらが変わってきそうに思えました。だけど、難しい噺ですから、時間をかけて熟成させていって欲しいですね。「饅頭怖い」も持ちネタにしていると知らなかったネタ。咳の仕方やくすぐりが現松喬のもの。長い噺だからか、好きなものや嫌いなものを言い合うところは、ちょっと控えめ。替わりに、寝小便のおやっさんの話にたっぷり感が出てきてました。そのためか、キャラ付けで目立つのは、蟻を怖がる男が際立つくらいかな。染八の口演だからかもしれません。全体的に、心地よいテンポで引っ張っていく感じがあり、なかなかの好演。3席を通じて共通しているのは、疾走感があると同時に、決めが弱かったりして、メリハリに物足りなさが残るって印象を持ちました。でも、次なる成長を確かめたくなる噺家さんであることは間違いないですね。


2019年 8月 19日(月)午前 8時 1分

 昨日は映画を観る日。シネヌーヴォで日本&ミャンマー映画「僕の帰る場所」を観てまいりました。主役は、日本に住むミャンマー人家族。両親と2人の子どもという構成。モデルとなる家族があるようで、その家族に起こった実話を脚色した物語。その家族が、なぜ日本に滞在し、繰り返し難民申請を出しながら、認定を受けられないかは、映画では語られていません。ですから、そこがテーマにされていないということで、この映画は観なければなりません。難民認定をされないとなると、いつ不法滞在で拘束されるかが判らない不安定な生活を強いられているということになります。父親の若い頃の話が、後半少しだけ出てくるのですが、かなり勉学に励んだようで、日本での生活の様子と比べると、何かがあったのでしょう。前半のミャンマー人コミュニティでの会話でも、軍事政権に対する不安を指していそうな発言があったので、そういった政治に関わり、ミャンマーに居づらいような雰囲気を、父親には感じます。でも、その不安定な生活に耐えられなくなった妻は、子どもを連れて帰国することを決意。で、ここからが、この映画の本筋ではないかと思います。もう、ここからは、父親は、電話でしか出てこず、ミャンマー編は、母親と二人の子ども、それと、母親の家族、父親の家族しか出てきません。3人の家族旅行中でも、その中心は上の子どもです。弟もそうですが、子ども二人は日本語しか話せません。下の子どもは3歳ですから、周りの変化と言えば、父親がいないことには、激しく反応しますが、屈託なく、なじみつつあるようですが、7歳の上の子どもはそういうわけにはいかないのです。ここが、題名にもなっている「僕の帰る場所」を問いかける物語へと入っていきます。その落としどころを、どのように描くのか、映画らしい手法、かなりファンタジックな手法を使います。それが、この映画に楔を打ち込んだような気がしますが、その前に、街をいろいろと彷徨するシーンがいいですね。ミャンマーの街もいいけど、そのときの子どもの表情、姿がいいな。この映画を観ていると、明らかに台本があるなと思えるシーンが幾つかあります。ミャンマー人コミュニティのシーンや、子どもが母親に贈り物を作ったりするところなどですが、この映画、ドキュメンタリーなのか、そうでないのかの区別がつきにくい、そないなタッチの映画です。実際に経験したことを、その家族自身が再現していると言われてもそうかなと思ってしまうようでもあり、ある家族のドキュメントに、それを追いかけているスタッフが、ちょっと入れ知恵をしている、演出を入れたとも観えるタッチです。ミャンマー編に出てくる家族も、母親や父親の実際の家族なのかどうかという判別もつきません。日本の学校、ミャンマーの日本人学校のシーンまでも、ドキュメンタリーに観えてしまうタッチです。とってもライフ感が強い映画だったのですが、そのわけが、終演直後に判りました。シネヌーヴォのツイッターで予告があったのを、あとで知ったのですが、主役の3人とプロデューサーによる、いわゆる舞台挨拶のある日だったのです。主役3人というのは、母親と子ども二人で、この三人が、実際の家族だということが、ここで判り、この映画の謎が解けたのでした。下の子どもは、撮影当時3歳、撮影自体を覚えていないほどの中での撮影だったそうで、これが、謎を作り出していた主たる要因だったのだと、ようやく判った次第でした。最初、子ども二人のキャスティングが決まり、それから母親にオファーが来たということで、「子どものためなら」と母親も出演を承諾されたようで、これが、この映画のライフ感を作り出した大元になっていたようでした。可笑しかったのは、プロデューサー氏の一言。「父親役の男性は本当の父親ではないので、3歳児にパパと言わせるのが大変でした」、納得です。2週間ほど前だったかな、韓国人系Youtuberの「Nobleman」を観ていると、普段は、反嫌韓のメッセージを出すかと思うと、脱北ゲームと言ったおちゃらけをしたりするチャンネルなのですが、メンバー4人の内の一人が、フィリピンと日本のハーフだということで、その君のフィリピン側の故郷を訪ねる動画を出しました。15年ぶりの訪問と言っていました。同行した妹は、頻繁に訪問しているので、タガログ語もできるのですが、その君は、小さい頃は、妹よりも喋れたタガログ語を、すっかり忘れていました。15年ぶりとなったわけからスタートする動画は、同チャンネルの裏(セカンド)サイトも含めて、5本余出ているのですが、実は、その動画と、この映画のテーマ、正に「僕の帰る場所」が、見事にオーバーラップをしたものですから、かなり来てしまいました。上映は、まだ続くようですし、9月に入ると、京都でも上映があるようですので、より多くの人に観てもらいたいと思います。その際には、前後どちらですもいいでしょうが、「Nobleman」による「ダバオ訪問編」も併せて観て欲しいな。


2019年 8月 17日(土)午後 9時 18分

 今日はみんぱくゼミナールに行く日。魅力的なテーマでのお話が聴けると思ったときに、出かけることにしています。今日は、「文化人類学者・片倉もとこの見たサウジアラビア」というお題で、菅瀬晶子(国立民族学博物館准教授)、片倉邦雄(片倉もとこ記念沙漠文化財団評議員会議長、元駐UAE・駐イラク・駐エジプト大使)、藤本悠子(片倉もとこ記念沙漠文化財団事務局主事)という3人の方たちのお話を聴くことができました。片倉さんは、亡くなられているもとこさんのご主人にして、著名な外交官。藤本さんは、片倉さんの教え子で、遺志を活かした財団の事務局の方、そして、司会をされた菅瀬さんは、確かゼミナールでお話を聴いたことのあるパレスチナなどのキリスト教徒を研究対象にされている方と役者が揃いました。まず、菅瀬さんの方から、ご自分が片倉さんと同じような地域をフィールドにするようになったきっかけが、片倉さんの著書であったと、その具体的な一節まで披露されていましたが、中東を観る眼差しを指摘されていたと思います。次に、ご主人の邦雄さんから、時系列的に、片倉さんがサウジアラビアをフィールドにされていく流れ、苦労話をされました。サウジアラビアは、現在でも女性に厳しい社会ですが、今よりもはるかに厳しい時代に、フィールドワークに入るには、女性であったこと、既婚で二児の母親であったことが大きかったと言われていました。女性たちの中に入って行きやすいのと、男性とも話ができたことということで、逆は無理というのは、確かに言われるまでもないことですわね。それと、サウジアラビアの専門家で、フィールドワークの大切さを理解して、協力者がいたことをあげられていました。で、研究対象は、ベルベル人の定住化の姿を追いかけておられたということでした。更に、最後には、司会者の問いかけに応えて、イラン大使館勤務のときに起こったイラン革命&イラン・イラク戦争、イラク大使時代に起こったイラクによるクウェート侵攻&湾岸戦争時の経験談も聴かせていただけました。その一方、藤本さんのお話では完全に居眠り。片倉さんのお考えの特徴のようなお話をされていたのですが、よく判らない始末です。ゼミナールが終わると、いつものように映像資料三昧。いつも、同じ地域を集中的に観るということはせず、ばらつかせるようにしています。今日は、アフリカではセネガル、東南アジアではタイとカンボジア、そして中国の青海省と雲南省の映像を楽しみました。帰りは、いつものようにウォーキング。今日は、前回同様、モノレールの摂津駅まで。摂津市民プラザの前を通ると、大きく「ジャッキー7」の看板が出ていたのに、感激。あんなに大きく宣伝してもらえたら、嬉しいなろうななんて考えていたのは、ゴールまであと10分という地点でした。


2019年 8月 17日(土)午前 5時 55分

 昨日は映画を観る日。シネリーヴル梅田でレバノン映画「存在のない子供たち」を観てまいりました。観る前から、かなりきつい映画だとは思っていましたが、正に、その想定通りの映画。物語は、ゼインという名の12歳くらいと考えられる少年が、傷害事件を起こすに至る過程と、事件を起こしたあと、収監中に両親を告発するということを起こすのですが、そこに至るわけ、それは、1つ目のテーマともリンクしているのですが、それらを追求している映画でした。物語の序盤は、ゼイン一家の困窮した様子が描かれていきます。子どもたちが路上で物売りをしたり、運び屋をしたり、麻薬系の薬物を売ったりとする一方、父親は、常に家で寝そべっているという姿が描かれていきます。転機は、ゼインの妹が、金を持つ男に、11歳で嫁がせられてしまったこと。ゼインは、家の金を幾らか持ち出し、自分の家から出て行ってしまいます。他の町、ゼインの住む地域とは違い、華やかさのある都会っていう雰囲気です。そこで、エチオピア人の女性ティゲストが、ゼインを助けてくれます。自分の家と言っても、スラムのバラックなのですが、そこで、ティゲストは、小さな子どもと住んでいたのです。そのスラムで、3人の生活が始まるのですが、ティゲストは、不法滞在で拘束されることを恐れながらの生活をしており、それを隠すために、偽の身分証を作ってもらう手配をしているのですが、業者からは法外な金額を求められ、場合によっては、子どもを売ることで、金の工面ができると、その業者から持ちかけられている、そういった状況の中で、3人の生活が始まったのですが、ティゲストは、ある日、働きに出かけたまま、摘発を受け拘束されてしまいます。ティゲストは帰ってこないため、ゼインと子どもの暮らしが始まります。この辺りの多くは、ゼインと子どもだけのシーンです。食料の調達などに奔走します。そういったある日、家に戻ると、家に鍵がかかっており、家主に閉め出しを食らってしまい、どうしようもなくなったゼインは、子どもの母親が偽の身分証を作ってもらおうとしていた業者のもとに行き、外国行きの手配と、そのための費用として、子どもを預けることにしますが、その渡航書類に身分証が必要だと言われ、久しぶりに家に戻ることになり、ここからが、2つのテーマに向かい、突っ走っていきます。即ち、ゼインは傷害事件を起こし、拘束され、収監中に両親を告発するとなるわけです。その後の後始末は、バタバタという感じで終わっていったなという印象です。裁判の結果などは小さな問題だし、売られていったティゲストの子どもの行方も落ち着くしと、そういったまとめ方をしますが、映画にとっては小さな問題という気がしました。そういう作り方をしている映画です。あくまでも、映画の狙いは、フィクションであっても、限りなくドキュメンタリーに近い、そういった中東に展開されている現実を見せる、これが、この映画の本筋でしょう。だから、そういった作り方を、敢えてしたのでしょう。絶対的な貧困、それは、レバノンの外側もカバーするものでした。即ち、エチオピアの貧困もカバーしていました。シリア難民の存在も見えてきていましたし、貧困から派生していく諸問題に目を向けさせようとの意図も見えていました。少し盛りすぎた感がなきにしもあらずなのですが、却って監督の現状を伝えたいという強い意志とも看て取れました。ロケ地が、何よりも目を奪ううえ、出演者は役者を使わず、役柄に合う素人をスカウティング。生々しいカメラワークと言い、ライブ感満載です。ゼインの住む街を、ドローンを使って真上から見せられたときの、圧倒的な閉塞感が凄い。映画の構成、制作の強い意志、キャスティング、カメラワークなど、いずれを取っても、豊かな才能を感じる監督(レバノンの女性監督ナディーン・ラバキー)です。これは、お薦めできる逸品です。


2019年 8月 16日(金)午前 6時 30分

 朝から、台風の影響と思われる変な風。生ぬるい暑さも気持ちが悪い。まだ、大丈夫と思い、昼前にウォーキングに出かけたら、グッドタイミングで、途中、雨に遭ってしまい、昨日はウォーキングなしの日になりました。だからでしょうか、それとも昼に餃子を食べたからでしょうか、恐らく両方でしょうが、胃の重い一日。結局、夕方からのお出かけ時にもウォーキングはできずで、なかなか胃がすっきりしない日となりました。で、午後3時頃に、台風は呉に上陸。それで、このくらいかの気持ちになれ、昨日も、動楽亭で落語を聴くことにしました。動楽亭昼席はお休みだったのですが、夜の会は実施する旨、一昨日の生喬の会で告知があったのです。と言うのも、昨夜は「生寿×小鯛 ご近所落語会 FINAL」ということで、主催者の一人小鯛が、生喬の会にお手伝いに来ていて、生喬に告知を頼んだのでした。もう一人の主催者生寿は生喬の弟子でもありますからね。台風でも実施というのは、小鯛が引っ越しをするようで、「ご近所」でなくなるため、この会が終わることになり中止はできないの気持ちがあったようです。その番組は、次のようなものでした。小鯛「前説」、生寿「悋気の独楽」、小鯛 「寝床」、(中入り)、生寿&小鯛「対談:井戸端会議」。台風のなか、15名ほどの入り。「前説」で感謝の言葉が述べられました。もちろん、今回が最終回なわけも。生寿は、この落語会の想い出話も、マクラでしてくれました。小鯛の師匠塩鯛が飛び入りしたことがあるそうです。しかも、「市川堤」を口演したとか。そりゃ、記憶に残るでしょう。好きなネタということで、「悋気の独楽」を口演。少なくとも2回は聴いているはず。序盤のお店の男たち、おなごしの描き方が、あまりクリアでなく、ちょっと失望気味だったのですが、丁稚とご寮さんの対話の迫力が素晴らしくて、一気に挽回。後半がいいと、全体の印象が上がるものですが、正に、その典型。やっぱ、独楽を廻す段になったときの、ご寮さんの「嫌い」が生きるためには、こうでなくっちゃと言える好例的な口演だったと思います。小鯛の「寝床」は、確か2回目だったと思います。そして、同じようなところで居眠りをしてしまったように記憶します。小鯛の口演は、リズムがありいいテンポなものですから、それに浸ってしまうと、気持ち良くなってしまうみたいです。雨のこともあり、「対談」は長め。噺家さんの失敗を言い合うの、おもしろかったな。そして、8月のお約束、彦八まつり話へ。終演となると、この会、なかなか名残惜しいものを感じました。お客同士で、「いい組み合わせだったのに」と惜しむ声も聞こえてきました。黄紺も、全く同感です。外に出ると、雨足は衰えをあまり見せてはいませんでした。帰りは、新今宮駅まで歩くつもりをしていたのですが、速攻で地下鉄入口に逃げることに。ま、台風の日は無理しないことに限りますものね。


2019年 8月 15日(木)午前 6時 35分

 昨日も落語を聴く日。昨夜は、動楽亭であった「生喬まるかじりの会 2019~一席入魂~」に行ってまいりました。久しぶりです。現在のシステム(一席入魂方式)になってからは初めてのはずです。その番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、宗助「怪談市川堤」 、(中入り)、生喬「仔猫」、宗助&生喬「ちょいしゃべり」。前座を置かないということで、いきなり生喬が登場して、繁昌亭の出番やら、台風に関わる話やらで、客席を暖めてから、宗助へバトンタッチ。この夏、何回か「市川堤」を出しているようですが、動楽亭という狭い空間で聴くのは格別。演じ手が限られているということで、なかなか聴くことのできない大ネタ。黄紺も遭遇は久しぶりです。この前は、確か可朝で聴いたはずです。マクラで、宗助も言ってましたが、ほとんどが地の語りで推移するだけに、難しいだろうなと思ってしまいます。とっても展開の激しい噺だったのですね。地語りでないと、この展開は無理なところです。博打、貧窮、殺人の繰り返し。そして、ついに、殺した女が化けて出てきます。あとの対談で、宗助が言ってたのですが、米朝が姫路出身だったので、市川堤というスポットになったそうです。生喬も、怪談系噺ということで「仔猫」を選んだのだと思います。ちょうど半ばで居眠り。でも、終盤のおなべの語りは外しませんでした。おなべの語りで、目のすわったままでの口演。これは聴かせました。対談では、生喬から宗助をリスペクトする言葉が、随分と出てきました。また、「市川堤」を手がける噺家さんが増えていることも話題に。そこへさして、宗助の物真似が入りながらのお喋りなものですから、こちらも、かなりの盛り上がり。総体として、極めてグレードの高い会。狙い通りでした。


2019年 8月 14日(水)午前 4時 47分

 昨日は落語を聴く日。高津神社であった「佐ん吉・鯛蔵・米輝の三日間集中落語ゼミ~オールネタおろしの日」に行ってまいりました。この会は、以前に1度だけ行ったことがあるので、昨日は2回目となりました。その番組は、次のようなものでした。佐ん吉「くやみ」、鯛蔵「刻うどん」、米輝「あくびの稽古」、佐ん吉&鯛蔵&米輝「音曲漫才」。冒頭に、最終日に披露する新作のお題とり。それが、漫才のあと、各自が用意したお題と組み合わされて、各自のお題が決まったのですが、今のところ、最終日には行けないので、あまり聴くのに熱が入りませんでした。狙いは、3人のネタ下ろし。3人ともがネタ下ろしをすると、チラシに書いていたのでした。その中で、鯛蔵は「蔵丁稚」をお稽古に行ってたそうなのですが、間に合わず、急遽、ネタの変更にしたそうです。「刻うどん」を始めたとき、何を今さらの感じがしたわけが、これで判りました。佐ん吉が「くやみ」を始めたとき、正直、びっくりしました。吉朝一門のカラーに合わない印象のネタですし、佐ん吉自身のキャラに合うかと訝しんだからです。ところが、これが良かった。佐ん吉のカラーを破るような奔放さがあったからです。のろけを言う男のところでは、かなりオーバーアクションにも挑み、これまで観たことのない弾けぶり。思わず、この人、何でもできる、スーパーな能力の持ち主と思ってしまいました。米輝も、自らの個性を発揮した口演。序盤、今までの稽古遍歴を上げるところでは、浄瑠璃でボケたかと思うと、端唄では、達者に歌って見せたり、そのあとには、きっちりボケを入れ、快調。いよいよ指南役が出てくると、今度は、鶴志キャラで、ドスを効かせると、まあ、やりたい放題の米輝ワールド全開っていったところ。いや~、この2人の口演は極上のものがありました。鯛蔵の「蔵丁稚」も聴きたかったな。3人による漫才を聴いたのは、初めてのはず。佐ん吉がウクレレ、米輝はアコーディオン、これで音曲となるわけです。ネタは、「肩たたき」の替え歌を軸にしたものでした。3日目が、台風の影響を受けそうです。中止にした場合、翌日への順延も視野に入れてるとか。もし、そうなれば、お題をとった新作を聴けるかもと、ちょっと台風に期待していますが、、、。


2019年 8月 12日(月)午後 10時 49分

 今日は、落語と浪曲を聴く日。動楽亭であった「天使・隼人の演芸交換会『君の芸は・・』vol.3」に行ってまいりました。船場寄席で行なわれたvol.1には行っているので、2回目のおじゃまとなります。その番組は、次のようなものでした。天使&隼人「お囃子紹介」、隼人「つる」、天使「合コン水滸伝」(沢村さくら)、(中入り)、天使「鷺獲り」、隼人(沢村さくら)「西村権四郎」。盛りだくさんな会、アイデアの湧く天使絡みらしい会と言えばいいかな。天使らしいと言えば、もう1つ、仕上がりは中途半端、完璧に仕上がると、らしさが失われ、おもしろくない。今日も、そのテイストは失うことはありませんでした。ということは、期待に添った会だったとまとめることができそうです。「お囃子紹介」は、天使が三味線、隼人くんが太鼓というアイデア。「石段」「野崎」を、その組み合わせで披露してくれるのですが、三味線の調子が合ってないように聴こえ、且つ、手があやしい。そこで、隼人くんが三味線に。「(忘れてしまった)」「かっぽれ」の演奏。天使も太鼓になり、安定。三味線は、既に聴いたことがあったこともあり、安心して聴けるもの。最初から、この組み合わせでやればいいのにと突っ込んでしまいました。次いで演芸交換。隼人くんの落語は2回目。前は何だったかな。江戸落語を端正に演じてくれたのを覚えています。ちょっと自信を持ってしまったのかな、「つる」は、端正さが消えてしまってました。江戸の噺を聴いて、上方風にしたのかな。ならば、ちょっとしんどい作業になったかもしれませんね。少なくともテキストは、上方ものではありませんでした。天使の浪曲は婚活をテーマにしたもの。残念なことに、半ばで、お腹に射し込みが来てしまい、頓挫。節がきついですが、笑いの多い新作ものだったようです。中入り明けは本芸。天使の「鷺獲り」は初もの。この人、以前に比べて、テンポが良くリズムが出てきたなの印象。雀から鷺獲りへ進行。太鼓が打てるのが隼人くんしかいないということで、ええじゃないかは入れるのか否かは不明。とにかく、今日は入りませんでした。トリは隼人くん。ネタは、ちょっと予想が当たったかな。この間、隼人くんの新ネタを聴けてなかったので、その辺を聴けたらとは思いつつ、こうした会では、慣れたネタを出すだろうなと予測していたというわけでした。「西村権四郎」は「名月松阪城」です。1つだけ目新しかったのは、冒頭、蒲生氏郷は、権四郎に文句を言われ、自分のミスに気づいていながら、無茶を言うとなっていました。ま、その無茶が、酒の勢いとなるわけですが、どっちがいいのでしょうね。思い出さない方が、罪が軽いようにも思えますがね。今日の口演では、酔いが取れた氏郷は、えらく落ち着いた男に描かれていましたから、バランスが悪いかもしれません。お盆に入ったからでしょうか、結構な入り。浪曲のファンも落語のファンも来てるって印象でした。


2019年 8月 11日(日)午後 10時 1分

 今日も映画を観る日。今日は、シネヌーヴォで「シンガポールへ、愛をこめて」を観てまいりました。1960~70年代、シンガポールで政治犯と看なされ、国外逃亡を余儀なくされた人たち、彼らが語るには、裁判も経ずに拘束されることになるので、国外に出たとなる人たちの現在(映画の公開は2013年)を追うドキュメンタリー映画。彼らが、裁判なく拘束されるに至るわけは、労働運動に与した、政争の中で対立政党を支持した、マルキストと看なされた、マラヤ共産党員だったということが上げられ、概ね、アメリカ側に立ったときの政府の対立軸にいたのかと思い観ていたのですが、単に、それだと、冷戦が終わり、随分と時間が経ちながら、何を今さらとなるので、どうも、簡単に説明をつけることができないなの気になっています。彼らは、未だなお、帰国は許されておらず、帰国の条件として、シンガポール政府が出す内容は、彼らからすると、心を売るという内容なのです。ということは、少なくとも、現在のシンガポール政府も、思想の自由といった基本的人権を蹂躙する体質を持っていることになります。当初は、リークワンユーによる、強烈な統制による犠牲者なのかと、勝手判断をしていたのですが、彼の政権奪取に至る過程とか、また政権に就いて以後を、簡単に復習してみると、そないな簡単に仕切ってしまうことの難しさを知った次第です。ちょっとムズい。勉強し直します。


2019年 8月 10日(土)午後 8時 8分

 今日は映画を観る日。シネリーヴル梅田で、インド映画「シークレット・スーパースター」を観てまいりました。歌手になることを夢見る少女インシアと、それを応援しつつ、自らの女性としての解放を手にしていく、その母親の物語と言えばいいかな。それを疎外するのが、厳格なと言えば聞こえはいいが、実態は、古い家父長的な権力をふるい、時には暴力を使い、母親を、また子どもたちを支配する父親という構図。そのインシアが、父親の目につかないようにと、ブルカを着てYoutubeに発表した、自身が歌う映像が、大変な人気を博し、有名プロデューサーの目に止まってしまう。そのプロデューサーを演じるのがアーミル・カーン なのだが、そのプロデューサーが、インシアの歌手デビューや、母親の離婚の相談相手になるというインシアのサポート役として活躍をします。強い意志を持つ一方で、現在の状況から抜け出すことに躊躇する母親、揺れや逡巡が、物語にリアリティーをもたらします。インドではあるある話としてはインプットされている、男性優位、生まれてこなければ良かったとさえ女性に言わせる社会、暴力による支配、これらが、この映画では、農村の物語ではなく、都会の集合住宅に住む家族の物語として作られているのが、事の深刻度が表しているように思えてしまいました。ついに爆発する母親の空港での啖呵がいいですね。あのシーン、ギターの処分が引き金になってましたが、登場手続きをインシアがてきぱきし終えるシーンが、いい伏線になっています。娘の成長を看て取る母親、しかも、娘の夢に繋がる行為ですから、上手い伏線を張ったものだと肝心されてられました。この映画は、大変な興行収入をはじき出したそうです。それだけ、インドではヴィヴィッドなテーマということなんでしょうね。「ハジュラギおじさん」もそうでしたが、近頃、インドの根幹に関わる問題を、エンターテイメントの世界で扱い、しかも、平易に解りやすく、且つ、エモーショナルな部分でも、見せるものを提供してくれています。たまたま、そういった映画が、日本に紹介されているだけなのでしょうが。


2019年 8月 9日(金)午後 11時 48分

 今日は落語を聴く日。動楽亭であった「9(急)に飛び入り寄席 2nd season」に行ってまいりました。桂そうばがプロデュースする落語会。ですが、今日は、そうば自身は、京都で出番をもらっているようで、お休み。プロデューサー不在で行われた落語会の番組は、次のようなものでした。米団治「狸賽」、小鯛「いらち俥」、南光「猿後家」、真山隼人(沢村さくら)「怪談濡れ手拭い」、(中入り)、浅野美希「上方唄」、紅雀「千両みかん」。キャリアから言えば、小鯛がトップかと思っていると、何やら重い出囃子が、いきなり鳴り出し首をかしげていると、何と出てきたのは米団治。ホントの飛び入りだったようです。事前に、プロデューサーのそうばにメールをするシステムになっていることを、動楽亭に来てから知ったようです。米団治は、明日の米朝一門会のトップに出て出すネタ「狸賽」を、20年は出してなかったので、事前にかけておきたかったと言っていました。また、この「狸賽」が良かった。仕種は米朝そっくりな上に、やたらといいテンポ。いいおまけをいただきました。そのテンポの良さを引き継いだのが小鯛。そうばに替わり、今日の番頭役ということで、マクラで番組の告知。そして、小鯛の口演では聴いたことのなかった「いらち俥」へ。オーバーアクションが盛んな「いらち俥」ですが、小鯛は、ほぼお喋りと仕種だけで、変化を表します。「いらち俥」が始まったときは、「小鯛までもか」と思ったのですが、落語の本筋で、聴かせてくれたのじゃないかな。南光は、2回目の口演となる「猿後家」。最近覚えたので、「月1ぐらいで喋り、忘れないようにしたい」と言ってました。そのテキストは、かなりいじったもの。そのためか、マクラで状況説明。まとめると、「猿」だけではなく「後家」の部分も押さえるということでしたし、実際、そういった内容でした。いじったのは、大きく2箇所。序盤が1つ。新しいおなごしが口入屋から来たので、番頭が注意事項を言う、その中に「猿」の話題が出てくるが、結局、おなごしはしくじる。その機嫌直しに太平が入って行くという流れになってました。2つ目は、太平はお伊勢詣りには行かず、亡くなった主人の供養に、後家さんの代参として、天王寺に行くとなっていました。ここに「後家」が活きてくるという仕掛けです。そして、境内で「猿回し」に逢った話をして怒りを買うとなり、その後は、本来の流れに戻っていきました。又兵衛の失敗談も出てきましたし、下げへの流れも本来のものでした。「猿」だけで押し通すのを避けようとして、成功はしているなの印象が残ったので、このヴァージョン、誰かに継承して欲しいものです。次いで出た隼人くんが中トリ。「南光師匠の後に出るなんて」と、すっかり恐縮してました。ネタは、10月の独演会用に準備している長編。全部すると1時間ほどのネタだそうです。今日は、その前半部分だけ。濡れ手拭いを凶器に使った殺人、それと、怪異現象が起こりかけたのかと思わせられたところで切られてしまいました。国友忠師のネタのようです。ここまでで、既に、開演後、1時間半を経過、とってもボリューミー。中入り明けは、寄席三味線の浅野美希さん。以前、1度だけ、今日のような高座に遭遇経験があります。吉の丞の会でした。確か、新内を聴かせてくれたのじゃなかったかな。今日は、「上方唄」と題して、寄席でも出る「なすとかぼちゃ」、団十郎命的な「こうもり」、これは、分類ではどうなるのかな、端唄? 勝手に決めつけるのは止めます。3つ目は、お座敷唄の「団子絵」でした。そして、トリは紅雀。時間がないことのボヤキをマクラで言って、すぐにネタへ。番頭が、寝込んでいる若旦那と話してる。これは「千両みかん」と思い聴いていると、重い口を開いた若旦那は、「高津さんにお参りに行った」と言い出すので、目が点に。ところが、若旦那は「みかんが欲しい」と言い出す変化技。これって、今日だけの変化技? 紅雀の「千両みかん」は初遭遇なもので、その辺の判断をつけられない黄紺です。でも、この意外な展開、バカバカしくて、めっちゃ受けてました。その後も、番頭の困りを表す顔の表情が、やたら口をきくものですから可笑しかったなぁ。と楽しんでいたら、逆さハリツケのところで切ってしまいました。その切り方が傑作で、隼人くんが切ったやり方を使ったものですから、すごい緊張からの緩和で、お開きになりました。この顔ぶれで、この質と量は凄すぎ、でした。コスパ抜群、ありがたい落語会でした。


2019年 8月 8日(木)午後 5時 34分

 今日は宇治を散策する日。思い立ったきっかけは、宇治歴史資料館の企画展で、「昭和28年災害と天ヶ瀬ダム」という展示をしていると知ったため。宇治歴史資料館は初めて。宇治文化センターと同じ敷地内にありました。ググってみると、京阪宇治駅から徒歩30分ほどで行けると出たものですから、指示の出たコースを歩いたのですが、これが、とんでもないくわせもの。県神社を過ぎると、急勾配の坂。グーグルでは、アップダウンを考慮に入れてないのか、とんでもない気温のなか坂道を歩くことになりました。しかし、宇治文化センターって、えらいところに作ったものですね。で、肝心の企画展ですが、宇治川に天ヶ瀬ダムが建設されるきっかけとなった大水害、それと、最後に天ヶ瀬ダム建設の展示が付け加わったものでした。その水害とは、1953年に起こったもの。干拓で消滅したはずの巨椋池が再現した、そういった様子でした。現近鉄京都線の小倉駅は水に浸かり、水の中から、駅舎の上部が顔を出していましたし、京阪宇治線も、木幡と黄檗の間で寸断されていました。とにかく、場所の指定があるので、そう思っては見るのですが、展示されている画像は一面水ばかりというものでした。半年ほど前に、巨椋池についての講演を聴きましたが、巨椋池というのは遊水地の役割を果たしていたわけで、宇治川などは、琵琶湖から出て渓谷を流れ、旧宇治のところで開けるわけですから、頻繁に氾濫し、その度に流れを変えていたわけですから、そりゃ、いくら近代的な護岸工事をしてあったと言っても、一旦、想定範囲を超えるような雨が降ると、巨椋池の再現となるわけです。それが、実際に起こってしまった。そこで、治水の切り札として考案されたのが天ヶ瀬ダムだったというわけです。今年で、天ヶ瀬ダム完成55周年だそうです。それをきっかけに、語り継いでいこうとして、今回の企画展が生まれたそうです。今、かつて巨椋池があったところに、5つの小学校があるそうですが、各小学校には、その水害時の最高水位を表すモニュメントがあるそうです。そう言えば、「ブラタモリ・伏見編」でしたっけ、「宇治編」ではなかったと記憶しますが、タモリが、宇治川が暴れ川だったことを語るシーンがありましたね。巨椋池のことも話題になってましたね。宇治歴史資料館を出て旧宇治市街に出ようとして、再びググると、往きとは違う道が出たので安心して歩き出すと、ちょっとして、また坂道。平面図だと短いかもしれないけど、20度くらいの傾斜には、ひたすら驚くだけ。旧宇治市街の背後って、こないな傾斜地だと、初めて知りましたが、ふっと頭を過ったのは、またまた「ブラタモリ」。宇治って扇状地って言ってたことを思い出し、納得。今日は、もう一つ狙ってた場所がありました。上林記念館です。宇治茶に関する博物館です。ところが、見事にカパル。表に、たまたま関係者がおられたので、直接告げられました。展示室にクーラーがないため、異様な暑さになってるそうです。見学者にもしものことがあれば大変ということで、暑さがおさまるまでカパルにしているとか。ということで、また、秋には、宇治歴史資料館が、京阪宇治線についての展示をするそうなので、そのときに寄せていただくことにして、今日の宇治散策は終わりとしました。帰りになり、賢くなったことが一つあります。ちょっとした移動だと、京阪を使うよりJRの方が安いということを知りました。宇治に行ってから気がついたものですから、往きは京阪、帰りはJRを使っての宇治散策でした。


2019年 8月 7日(水)午後 6時 43分

 今日は、仏教大学四条センターでの市民講座「もっと身近に植物園!」に行ってまいりました。このシリーズは、初めて行くことになったのですが、テーマが気になったからです。そのテーマとは「京都巨椋池の蓮」。お話は、元京都府立植物園園長の金子明雄さんでした。どうも、今はなき巨椋池のお話となると、何でも聴いておきたいの気持ちが生まれてしまいます。ところが、これが、不運なことに午前中の催しだったため、ダメでした。具体的な蓮や水蓮の画像を観せての解説は、ほぼ全域。でも、面白いお話が、頭に残っています。蓮と水蓮の違い、そして、なぜ、そういった植物が、肝心の池がなくなったのに残ったのか、です。前者は分類上の視点を教えていただけただけですが、後者は、巨椋池を消滅させる方法と関係があるのです。そう言えば、半年ほど前だったかな、その辺りのお話を、伏見の歴史講座で聴きました。巨椋池は埋め立てではなく、水を抜いて干上がらせたのでした。だから、その干上がった土壌の中に種子が残った。だから、今でも、かつて巨椋池に生息していたと同じ植物を観ることができるというわけです。考えたら、蓮や水蓮の種類を見て、美しいとは思っても、種類の違いなんてことは、なかなか後に残るものではありませんから、一番肝心なことを抜かさなかったのかもしれないぞと、勝手に悦に入っている黄紺なのであります。


2019年 8月 7日(水)午前 5時 2分

 昨日は落語を聴く日。昨夜は、高津神社で行われた「笑福亭たまの未来落語研究会・5日目~全7公演~」に行ってまいりました。たまが、この夏、新たに始めた落語会、全7公演の内1回だけ覗いてみようと、何かと都合のいい昨日を選んだということです。その番組は、次のようなものでした。たま「お題とり」、智丸「初天神」、治門「書割盗人」、たま「池田の猪買い」、鯛蔵「船弁慶」、(中入り)、たま「即興新作落語:天王寺すいか」。「芝浜」のような三題噺を、開演時にお題集めをして、即興で作り、トリの高座で披露しようという試み。冒頭のお題集めは、「場所」「職業」「物体」のいずれか1つ、客が書いたものから、たまが無作為に選ぶというもの。昨日は、順に「天王寺」「AI研究所」「すいか」の3つになりました。たまが作ることができる時間は、3人の噺家さんの高座の時間と休憩時間、たまは、パンフレットに1時間20分と、具体的に数字で表していました。昨日の作品は、大阪の地下鉄の振興策。そのエキスパートに、アメリカのAIのプロが喚ばれるのですが、それが、天王寺すいかをブレンド化するというアイデアに加えて、その費用を大阪府に出してもらうというものでした。前半で、アイウエオ作文的な言葉遊びが入りましたが、筋立てとは繋がりませんでした。でも、ここに、制作過程で、時間を使ったような印象を持ったものですから、何やら勿体ない気分になってしまいました。たまのもう一つは、優れたいじりと、本来のテキストから残した古めのくすぐりが、うまく調和をして、いい感じに変身した「池田の猪飼い」でした。たま風改作が功を奏した代表作の1つと思っているネタです。久しぶりに聴けました。これが聴けるというので、昨日という日を選んだってところがあります。ゲストの3人も、持ち味を出して健闘。智丸の「初天神」は、最近、省かれるのが常態化している、妓楼に連れていかれたときの話が入ります。それにより、かなりレトロ感が出て、いい感じの噺になっています。治門の口演を聴くのは久しぶり。もっと聴く機会があってもいいと思う噺家さん。「書割盗人」は、治門では初めてのはず。にこやかなお喋りは癒し系。長閑なネタには格好のお喋り。ただ、部屋の拡がりや、どこに何を書いているのかが判りにくかったな。下げに至るところでは、変化を見せてくれました。盗人が槍を奪ったつもり、刺したつもり、刺されたつもりになっていると、隣から甚平衛(でしたっけ)が入って来て、止めに来たつもりが下げでした。次いで、鯛蔵が大健闘。素晴らしい「船弁慶」。喜ぃ公の頼りなさ、情けなさが抜群。いいリズム、いいテンポが持ち味の鯛蔵に、この喜ぃ公ですから、そりゃいいですよね。ただ、有名なお松の立て弁は、どうだったかな。他の箇所が素晴らし過ぎたため、何やら物足りなさが残りました。喜ぃ公のキャラが残ったままに、お松に入ってしまったって感じで、要するにお松のキャラが弱かったのじゃないかな。あくの強さ、あつまかしさというやつでしょうか、その辺りですね。先日聴いた「厩火事」といい、この「船弁慶」といい、聴きごたえ抜群、でした。入りは、たまの会としては少なめ。35名くらいだったかな。社務所で会場は十分というもの。落語会で、よく見かける好事家の顔もあることはあったのですが、こちらも僅かなものでした。連日、こうだと言えるかは判らないですが、一日だけだと、どういった反応が、この新しい会に向けられているかは、掴みきれませんでした。


2019年 8月 6日(火)午前 6時 18分

 昨日は、カフェモンタージュで音楽を聴く日。昨夜は、「ショパン&フランク」と題して、(チェロ)金子鈴太郎、(ピアノ)鈴木華重子のお二人のコンサートがありました。演奏されたのは、次の2曲でした。「F.ショパン:チェロソナタ ト短調 作品65」「C.フランク:チェロソナタ イ長調」。待望のプログラム。チェロのコンサートが、結構たくさん開かれているカフェモンタージュですが、この2曲が出たのは記憶にありません。と言っても、フランクは、チェロでですが。もちろん、原曲はヴァイオリン・ソナタ。で、ヴァイオリンの場合と比べて、どうなんでしょう。黄紺的には、演奏スタイル以前の問題として、シリアス度ではヴァイオリンという感じという印象。やはり、がつがつと来られると、ヴァイオリンの方がシリアス度は上がります。逆にチェロだと、懐の深さとか、そういった印象になるのかな。ショパンも、この懐の深さが出ると、曲自体が大きく、ロマンチックな印象を与えます。金子さんの演奏も、そのところに着目した感じ。その点で言うと、ショパンに軍配を上げたいなと思いました。時々、抜くような音の出し方をされ、ヴァイブレーションを着けてくれと思ったところだけが気になったかな。この2曲は、ピアノは伴奏という代物ではない役割を持っているのは言うまでもないこと。鈴木さんのピアノは、その役割を全うしたのでしょうか。正直言って、ショパンでは素通りって感じで、フランクになり、存在感を見せたかなという印象でした。しかし、この2曲が並ぶというプログラムはおいしい、いや、贅沢とすら言いたくなります。ちょっと会場内が暑く、居心地がいいとは言えなかった環境でしたが、夏の一夜のいい思い出ができました。


2019年 8月 5日(月)午前 4時 40分

 昨日は文楽を観る日。3部に分かれている「夏休み文楽特別公演」の内第1部はパスをすることにしていますから、昨日は第3部 【サマーレイトショー】。こちらの番組は、次のようなものでした。「国言詢音頭~大川の段、五人伐の段~」。今まで観たことがあったのですが、内容を、すっかり忘れてしまってましたが、かなりえぐいもの。「女殺油地獄」と双璧じゃないかなぁ、えぐい殺しの場面、それと、殺しをする男の身勝手ってやつは。地方(薩摩)の侍が、大坂滞在中に、女郎に入れあげ、公金にまで手を着ける始末。それが、主役の初右衛門、殺しをする男です。ところが、女郎、名を菊野と言いますが、かねてから間夫がいて、陰では、その間夫やお茶屋の者と、初右衛門を笑い者にしているという状態。それを知ってしまった初右衛門が復讐をするというもの。ちょっとした捻りは、菊野と間夫の関係。間夫には許嫁がいて、夫婦にはなれないということで、菊野が女郎になり、二人の関係を維持していこうとしていることから、筋金入りの関係ということ。だから、許嫁も、二人の関係を知っており、二人の女は、お互いを気遣いながらの関係を作っているという点。実は、その関係が、「五人伐の段」で、菊野が、まず惨殺される一方、間夫と許嫁は助かるという伏線となっています。過剰な表現が持ち味の文楽ですから、惨殺となると、その「惨」ぶりは「狂」の付くもの。なぶり殺しにされる菊野から始まり、胴斬り(落語とちゃうちゅうねん)、顔面唐竹割り(プロレスちゃうちゅうねん)なんてのがあります。開いた口は、簡単には塞がりませんでした。昨日も、文楽劇場と京阪線との間は、ウォーキングがてら、歩いて移動をしたのですが、明らかに、その前の2日間と違い、普通に歩けました。朦朧とはしなかったということです。同じ暑いにしても、その2日間が、度を超した暑さだったことが、よ~く解りました。一昨日の京都は、38度超えだったことに、あらためて納得できました。


2019年 8月 3日(土)午後 7時 28分

 今日は講演を聴く日。大阪歴史博物館の特別展「浮世絵ネコの世界展」の関連企画として催された講演会「浮世絵にみるネコの生態学」に行ってまいりました。お話をされたのは、西南学院大学人間科学部教授の山根明弘さんでした。山根さんは、ネコの生態学を専門にされる方。そこで、ネコの生態研究の紹介を兼ねて、まず、その研究の地、福岡県相島の紹介から、お話が始まりました。漁師の島、相島では、人間のお余りとなった食料を餌にネコが、野良として生活する島、そこが生態研究のフィールドになっているのです。島の紹介の中で出てくる島の環境や生活、そして、ネコの生態。とっても興味を惹いたのが、ネコのオスが、自らの子孫の残すために、他のネコの子どもを殺すという子殺しのお話。種の保存と言っても、他のネコの子孫が生き残ると、自らの子孫が生きにくくなるからだと説明されていました。それに関連して、従来、オスは子育てをしないと言われていたネコはが、最近、NHKがカメラを多く使い、オスが、自分の子どもを、子殺しに来る他のオスから守るという行動を執るということが判ってきたそうです。そういったお話が盛り込まれたあと、浮世絵にみるネコの生態というテーマに入られました。ただ、この肝心なところで、とってもいい気分になり居眠り。でも、幸いなことに、いただいたレジメは、ここのところは、パワーポイントに映されたままのものが付いていたため、後追いをすることができました。但し、画像が映されたおりのコメントは、一切判りませんが。ポイントは、次の諸点だったようです。①当時のネコは太っていない②短尾のネコが多い(短尾は外来種)③「白黒ブチ」&「三毛猫」が多い④「三毛猫」のオスが結構出てくる(遺伝学的にオスは極少)⑤ネコの食生活、、、そのくらいにまとめることができるかな。お話が終わり、質疑に入っても、出てくる質問はネコの生態ばかり。そうだ、ここはネコ好きの集う場だったのかと、気づくのが遅かった黄紺だったのです。繁昌亭でも、ネコをテーマにした落語会は完売してしまうのと同じく、ネコ好きの人たちには、篤いネットワークがあるのが、ここでも伺い知れました。それが判ると、一挙に傍観者気分にはなったのですが、でも、そういったお話を聴いているだけでも、なかなか面白い講演会だったと思います。


2019年 8月 3日(土)午前 7時 15分

 昨日は文楽を観る日。「夏休み文楽特別公演」の第2部 【名作劇場】 として行われている「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」第2回目の「五段目より七段目まで」を観てまいりました。番組の詳細は、次の通りです。「五段目~山崎街道出合いの段、二つ玉の段~」「六段目~身売りの段、早野勘平腹切の段~」「七段目~祇園一力茶屋の段~」。3回に分けての「忠臣蔵」の通し。その中でも、一番なじみがあるのが、今回じゃないかな。「五段目」は、「中村仲蔵」「淀五郎」でおなじみだし、「六段目」は、勘平の腹切りで、「七段目」は、そそままの名を持つ落語があり、平右衛門がおかるを斬りかかる場面が、そのまま演じられるということで、自ずと筋立ての展開まで、頭に入ってしまってます。「四段目」で、判官さんが切腹、お家断絶となったところからは、うってかわった山崎街道という設定が、まず宇宙人だし、一挙に、仇討ちに向かう義士の話を持って行くのだから、すごい力技、でも、納得が行っちゃう。その大きな要素が、「三段目」の返しに、おかると勘平カップルを登場させている、要するにネタふりがしてあるのが、頗る大きいと思います。しかも、勘平の女房でありながら、遊女となり祇園に入り、内蔵助と出会うがために、「七段目」が成立するという小憎たらしいほど、考え抜かれた構成。しかも、おかるの兄が平右衛門と来ている。うつけた話ですが、この平右衛門って、寺坂吉右衛門をモデルにしてますね。ですから、平右衛門と聞けば、誰しも忠義な足軽寺坂を思い出しますから、このおかるとの対話やおかるを斬りつけようとする心情は、観る者に大きな想像を生んだのじゃないかな。とにかく伏線が張り巡らされているという印象の「忠臣蔵」、人気のわけを垣間見た気がしました。太夫さんでは、「勘平切腹の段」の後半を担当された呂勢太夫さんのインパクトが一番だったかな。その前を語られた咲太夫さんの担当部分が短かったのが、ちょっと気になりました。人形では、「七段目」のおかるの前半を遣われた簑助さん、内蔵助の勘十郎さんはさすがと思わせられましたが、黄紺的に強い印象に残ったのが、平右衛門を遣われた吉田玉助さん。力強さから来る粗野な印象って、寺坂のキャラを出す工夫と看ました。素晴らしかったなぁ。ということで、「忠臣蔵」の2回目が終わりました。そして、アフター文楽は、昔の同僚との食事会。心斎橋界隈の韓国料理屋で、チジュダッカルビを肴にビールを呑みました。ポーランドの土産話を聴くのをきっかけに飲むことになったのでした。


2019年 8月 1日(木)午後 7時 23分

 今日は、大津で文化講座を聴く日。「滋賀の文化財講座゛花湖さんの打出のコヅチ゛」(コラボしが21)の「第4回/明智光秀近江出身伝説を追う~琵琶湖文化館蔵『淡海温故録』から広がる世界」と題したお話を聴いてまいりました。講師は、滋賀県教委文化財保護課・県立琵琶湖文化館の井上優さんでした。来年の大河ドラマの主人公が明智光秀ということで、関係の催しが多いなか、滋賀県は坂本城があることで、そういった催しの本場感のあるところ。そこへさして、従来は、美濃の生まれとされてきた光秀は、滋賀の出であるという新説が、琵琶湖文化館の持つ史料の中から出てきたということで、色めき立つ滋賀県は、きっちりと、この講座で取り上げてくれました。「淡海温故録」という江戸時代に書かれた地誌の書物の中に、光秀は、滋賀県多賀町佐目で生まれたと書かれてあるのです。ですから、井上さんのお話は、まずは通説、即ち美濃説の紹介から始まりました。ただ、美濃と言っても、それを裏付ける第一級の史料があるわけではなく、また、美濃は美濃でも諸説があり、美濃のどことは特定できていないそうです。次いで、問題の「淡海温故録」の紹介。それが済むと、今度は、多賀町佐目に出向き行った聞き取り調査の紹介に入られました。これが興味あるもの。いかにも、後から作られたという手合いのものではない、曖昧だけれど、曖昧だけに信憑性がありそうというものでした。光秀の家臣の末裔一族の名字が見津さんてのも凄い。そういったこととは別に、光秀に与したのが多賀界隈の武将だったというのも、説得力があったなぁ。決して荒唐無稽では片付けられない提起だったと思います。こりゃ、滋賀県、色めき立ちます。町起こしの格好の材料ですね。ということで、真夏の暑い日なか、大津まで出かけて行ったかいというものがありました。ところが、気分を良くしての帰り道、京阪電車が落雷がもとで停まってました。腹の立つ話です。結局、地下鉄への振り替えを利用して帰ることになりましたが、暑い最中、使いたくないエネルギーを使い、もう汗だく。まいりました。


2019年 7月 31日(水)午後 7時 25分

 今日は博物館に行く日。日本では、ほとんど行かない博物館に行こうという気にさせたのは大阪歴史博物館。今、こちらで、特別展「〜国芳、広重、国貞、豊国、英泉…江戸・明治の浮世絵師たちが描く〜ニャンダフル 浮世絵ねこの世界展」が開催されているからです。東京に行くと、判で押したように、太田記念美術館に足を運ぶことにしている、わりかし浮世絵好きなところがある上に、おもしろい切り口の特別展が開かれるということで行ってみることにしました。何らかの形で、浮世絵に猫が描かれている作品を集めたもの。なかでも、歌川国芳が、自身でも猫好きだったということで、美人画や名所図絵などの一隅に、猫が描かれている。そういった趣味的な描き方が隆盛を極めていくのは、文化文政の緊縮令。歌舞音曲の禁止といったものが出され、歌舞伎に大打撃を与えるとなると、役者絵で儲けていた浮世絵関連業界にも、その影響が大きいと考えられるのだけれども、絵師たちは、役者を描いてダメなら、猫に役者の格好をさせ、歌舞伎の絵を描いていったそうで、その洒脱さ、可笑しさが人気を喚び、猫を描く浮世絵が定番化していったとか。風俗画の中に、当たり前のように描かれていく猫、言い換えると、それだけ、猫が人間の生活の中に入り込んで行っていたということの証左になると言えます。猫の様々な姿態を描き、それをくり貫かせ絵合わせをする、そういった遊びも流行ったとか。更に、ペープサート状に貼り合わせるヴァージョンもあったようです。浮世絵を見ると、江戸時代から明治にかけての、市井の暮らし、今はなき風景を見ることができるのが、とっても楽しくて、こういった機会を掴まえるようにしています。ただ、博物館を歩くのは、もう無理かもしれないなと、今日も思ってしまいました。大阪歴史博物館は、さほど広くないのが判っていたので、興味関心に導かれて行ってはみたのですが、30分観ていると、腰が悲鳴を上げてきますし、歩様があやしくなってきて、平衡感覚に支障があるのが顔を出してしまい、後半は、時々、ふらつきながら歩いたりと、かなりショックでした。早晩、歩けなくなるのかなぁ、、、4年前も思ったこと。前は立ち直れました。さて、今回は大丈夫でしょうか?


2019年 7月 31日(水)午前 5時 5分

 今日は音楽を聴く日。フェニックスホールであった「小峰航一“ヴィオラが演ずるロメオとジュリエット!”」というコンサートに行ってまいりました。小峰さんは京都市交響楽団のヴィオラ首席奏者。関西弦楽四重奏団のメンバーでもあり、カフェモンタージュでは、すっかり顔になっている演奏者。ピアノ伴奏に岸本雅美さんを迎えてのコンサートのプログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン(プリムローズ編):ノットゥルノ(夜想曲)op.42」「ブラームス:ヴィオラソナタ第2番変ホ長調 op.120-2」「ストラヴィンスキー:悲歌」「プロコフィエフ(ボリソフスキー編):『ロメオとジュリエット』より序曲、”少女ジュリエット”、”騎士の踊り”、”マーキュシオ”、”ローレンス僧庵でのロメオとジュリエット”、”ジュリエットの死”」。珍しいヴィオラソロのコンサート。また、プログラムも、なかなか凝った代物。前半と後半では、ガラリと色替わりをしたのも嬉しい。で、黄紺的には、後半に軍配を上げたいと思います。ストラヴィンスキーはともかくも、彩り豊かなプロコフィエフになると、演奏者も大胆になれるのかな、そないな印象を受けた思いっきりのいい演奏でした。それに反して、前半のドイツもの2つは、大事に大事にといった腹の内が見えてきそうなスタイルだったのが惜しまれます。それに、岸本さんのピアノは、この2つに合わなかったな。もうちょっとペダルの調整を、自在に試みてもらわないと、特に、ベートーヴェンで、濁った音を続けられると、辟易としてしまいます。手首の柔らかさの持ち主で、繊細できれいな音の持ち主ゆえに、余計に困ったことになっていました。そんなで、前半後半で、大きく印象の変わったコンサートでしたが、後半に満足度が高いと、コンサート全体の印象度が上がるというものです。カフェモンタージュの常連さんの顔も、チラホラ。そうじゃない方って、どこから湧いたのかって、どうでもいいことを考えたりしてしまいました。


2019年 7月 30日(火)午前 6時 18分

 今日は書生節を聴く日。久しぶりに、日程が合い、上方書生節協会(旭堂南海、宮村群時、桂文五郎)の公演「書生節・大正時代の海賊」(光照寺)に行くことができました。文五郎がメンバーに加わってからは、初めておじゃまをしたことになります。そのプログラムは、次のようなものでした。①東雲節②ボルガ河の綱引き男③アパッシュの唄④ディアボロの唄⑤復興節⑥カチューシャの唄⑦アムール川の流血夜⑧遺族の涙、尼港余聞⑨北海の惨。⑧⑨が、本日のメーンディッシュ。⑧は、1920年の尼港(ニコラエフスク)事件の犠牲者の生き残り家族の書いたものを基に書かれたもの。⑨は、日本国内に対赤軍報復の気運が高まったのを利用して、日本が権益を失った砂金採掘場の取り返しを掲げて人集めをした男が、海賊行為に走り、ロシア人の殺戮、物品の略奪行為を働き、それが裁判にかけられていくという事態を受けて作られたもの。こうしたトピックを掴まえてはネタ化していく書生節師のしたたかさを観る思いにさせられました。なお、⑨は、「関東大震災の唄」の元唄だそうです。⑧⑨で、今回の掘り起こしネタを披露するということで、⑦まででは、ポピュラーなものに、ロシア絡みの唄が披露されました。いつものように、替え唄が、必ず用意されているのが嬉しいところ。ですが、新聞を読まない、テレビを観ない黄紺には、頭がついていきにくくなるところでもあります。初めて聴くことになった文五郎は、⑤から登場。彼も、購入したてのヴァイオリンを持っての登場となりました。話ぶりや、弾きぶりを見ていると、わりかし最近、ヴァイオリンを弾くようになったなの雰囲気。上手すぎては、書生節にはじゃまになるので、このくらいでいいんじゃないでしょうか。歌うのはいいので、これからの楽しみが増えました。文五郎の場合は、顔つきからしてレトロなもので、いい人に焦点を合わせたなの雰囲気を感じました。


2019年 7月 28日(日)午後 7時 38分

 今日は落語を聴く日。久しぶりに太融寺で行われた「第85回 宗助はんの会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。寅之輔「転失気」、宗助「牛の丸薬」、鯛蔵「厩火事」、宗助「口入屋」。強めに効いた冷房に、すっかり身も心も満たされてしまった2時間余り、落語は、その添え物になったかのように、終始、半寝で聴いてしまいました。一番しっかりと聴けたのは、寅之輔だったかもしれません。一つには珍しかったのかもしれません。だって、こうした落語会では、お目にかかったのは初めてかもしれませんし、第一、彼の落語自体を聴いたのは、随分と久しぶりで、この前聴いたのは、確か繁昌亭の夜席だったのは覚えてはいるのですが、、、。だけど、ネタを丁寧にお喋りする姿、しかも、かなり喋り込んだ印象を受け、好感度高しでした。ゲスト枠に、鯛蔵が喚ばれるような時代になってきたのですね。彦八まつりでの塩鯛一門話は、かなり定番化してきていますが、おもしろいから、何度聴いても許しちゃうというところ。「厩火事」が、右肩上がりに、素敵な仕上がりになっていってます。ちょっとぞんざいな物言いに徹するのが、相談される男の呆れ顔が見えてきそうだし、女の身勝手が前に出て、亭主の甘えも出てきます。聴くたびに、その良さが際立つ鯛蔵の口演です。主役の宗助は、1つ目は、なんと、季節外れの「牛の丸薬」。この真夏の暑い日に、このネタを出す心が知りたいですが、今や珍品の域に入ってしまってるネタですから、遭遇できただけで嬉しいのに、半寝で聴くとはあつかましい話です。この噺は、思いっきりローカル感が出れば出るほど、悪事に長閑さが出てくるものです。ピカレスクものだから、悪事を際立たせる演出があってもいいのになぁと、個人的には思ってしまいます。「口入屋」は、居眠り度が高かったので、メモることもないかな。この時間帯は、両腕を抱えるほど、クーラーが効きすぎてたのに、一番、居眠りをしていたのに、書けないという事実で知りました。


2019年 7月 28日(日)午前 6時 30分

 昨日はオペラを観る日。びわ湖ホール・東京文化会館・新国立劇場・札幌文化芸術劇場提携オペラ公演として上演された「トゥーランドット」(アレックス・オリエ演出)を、びわ湖ホールで観てまいりました。台風が接近するなか、早めに当ホールへ。ちょうど開演時間あたりが、台風の再接近時。頑丈な建物内にいるから安心と思っていたところ、第2幕のトゥーランドットが1つ目の謎のやり取りをしているなかで、突然の停電。地域一帯が停電となったと放送があったように記憶しますが、報道によるとそうではなかったよう。原因調査中だそうです。約1時間、再開まで待機時間がありましたが、無事、再開。1つ目の謎から、当初予定されていた2幕と3幕の間に予定されていた休憩をカットしての上演となりました。黄紺も、多くのオペラを観てきましたが、こういった事態は初めてのこと。で、主要キャストなどをメモっておきます。(トゥーランドット )イレーネ・テオリン、(カラフ )テオドール・イリンカイ、(リュー)中村恵理、(ティムール)リッカルド・ザネッラート、(ピン)桝貴志、(パン)与儀巧、(ポン)村上敏明、(合唱)びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部、大津児童合唱団。そして、大野和士指揮バルセロナ交響楽団が、オケピットに入りました。舞台は、両端が、前方は出っぱった壁が三方を囲むものでしたが、壁の至るところに扉があり、その扉同士を斜めにつなぐ鉄格子の階段が、数多く配置されているというもので、その階段に、また、舞台上に、コーラスの人たちが配備されるものですから、その迫力たるや、凄まじいものがあり、このプロダクション随一の聴きものになっていました。1幕で姿だけを見せるトゥーランドットは、正面の最上位になる扉から現れることで、位の高さを出す演出で、この高さが、なかなか印象に残るもの。2幕は、壁に三方を囲まれたスペースに上から城壁の一部を表したかのような装置が吊り下げられるというもので、中ほどに扉があり、その前に狭い通路が設えられてあり、皇帝やトゥーランドットは、そこから現れ、下にいるカラフらとやり取りをする趣向で、ここでも位の高さを表そうとしていたのですが、停電以後は、休憩をカットしたため、衣装替えが間に合わないからでしょうね、トゥーランドットらは、下の舞台で歌うことになってしまいました。そして、3幕になるのですが、恐らく当初より、壁に囲まれたスペースの上に敷かれた大きな正方形の舞台上で、主たるやり取り。特に目を引いたのは、リューが、この舞台に上がるという点。最高位の皇帝やトゥーランドットと、奴隷のリューを同じ平面に立たせる演出が大きな特徴。最早、この時点では、身分が問題ではなく、同じ女として対置するかのような印象を与えるもので、秀逸な手法。その上で、リューは、自らのブーツに隠し持ったナイフで自害します。更に、リューの亡骸が、その舞台上に放置されるのもおもしろかった。カラフと対峙したトゥーランドットは、徐々に、閉ざした心を開くかのように、リューの亡骸を気にし出し、ついには、リューの亡骸を抱き抱えるかのような動きを見せます。ただ、そこまで崩れるトゥーランドットという姿を、他のプロダクションでは観たことがなかったもので、要するに、位が、ここまで崩れ落ちるトゥーランドットを観たことがなかったもので、何かが起こると感じ出していました。確かに、伏線でした。「その名は愛」と、アルファーノ版の通常の展開のはずが、ラストでどんでん返しが待っていました。トゥーランドット自身が自刃をした瞬間に暗転、幕となりました。伏線と書いたのは、このための伏線だったのです。隣に座っていた高校時代の友人は、終わった途端、「それはない」と呟きました。帰り道でも、大きな話題になりました。「完全に自己崩壊をしたトゥーランドットということだろう、伏線もはってただろう」と言う黄紺に、寓話なんだからリアリズムを持ち込むことに難色を示す友人がおもしろい一言を吐きました。「トゥーランドットを、そんな近代人にしちゃダメ」、これは、なかなか素敵な一言。こうした話をしながら帰途に着けるというのが、ホントにオペラの醍醐味です。コーラスと、オケをよく鳴らした大野和士の指揮が最大の聴きものであったことは否定できない事実ですが、これは良すぎたとも表現できるもの。あまりにも良すぎたと言えます。歌手陣が見劣りするというものではないというのも事実。狙いはイレーネ・テオリンだったのですが、全開になったなと思えたのは終盤。2幕は、中断があったため気の毒なことにはなりましたが、声質の安定感に、明らかに欠けていました。黄紺は、来年の5月に、彼女が、ベルリンでイゾルデを歌うので、マークしていたのですが、この時点では外そうかなの気になっていたのですが、終盤の歌唱を聴いて、ようやく早急な判断は禁物かと思えるようになりました。有名度では抜群ですものね。主役級で、客席から最大の歓呼を受けたのは中村恵理。以前、西宮でスザンナを聴いたときにも感じたように、この人、存外、強い声を持っているということを、この公演でも感じました。ですから、リューの線の細い部分よりか、強い意志を出す歌唱が聴かせました。自刃前の歌唱で見せたひたむきさは、胸に来ました、素晴らしいものがありました。カラフを歌ったリッカルド・ザネッラートは、黄紺は知らなかった歌手。ところが、待機時間中に会ったもう一人の高校時代の友人によると、かなり著名な歌手だそたうで、その実力からして、納得のいくものでしたが、カラフって役柄、かなり高音を多く要求されるものですから、それを、しっかりと聴かせてくれましたから、並大抵の人でないことは間違いありません。このプロダクションは、オリンピック関連のもの。オリンピックはスポーツだけの祭典ではないですからね。おかげで、資金力に支えられて、素晴らしいものを観ることができました。ホント、お金をかけないとダメです。来年は、この事業、西宮で「マイスタージンガー」だそうです。イェンス・ダニエル・ヘルツォークのプロダクションだそうです。これを聴いただけで舞い上がっている黄紺です。高校時代の友人一人は、家庭事情で、すぐに帰宅していきましたが、福井に帰る友人と、食事をするために京都駅までやって来て、唖然。1年前の悪夢が蘇りました。台風のもたらす大雨で北陸線が普通になっていました。1年前は、大津から草津界隈の集中豪雨で、同じことがあったのでした。でも、今回は、前回よりはましでした。食事をして、コーヒーを飲み、約1時間後に駅に戻ってくると、北陸線再開の1本目が大阪駅を出たとの情報がもたらされたからでした。もうびわ湖でオペラを観るのが鬼門化しつつあります。3度目が起こらないことを、節に願うところです。


2019年 7月 26日(金)午後 7時 54分

 今日は面目のない日。前から予定していた大阪歴史博物館行きが、ダメになってしまったのです。単純に、日にち間違い。明日から始まる特別展が、とっくに始まっているものと早合点をしてしまったのです。つい最近も、日にち間違いをして、えらく損をしたところなのに、連続的にしでかしてしまいました。今日などは、行くつもりで、京阪特急に乗り込んだ上で、日にち間違いに気づくという恥ずかしい結果。電車の中で、その日に行く催しの詳細を確認するのが日課にはなってはいるのですが、一番の根本である日にちは間違ってないとした上での確認ですから、その根本が間違っていると、どうしようもありません。今日は、樟葉駅に着くまでに気づいたので、時間の無駄は、まだましだったかなというのが、唯一の慰めです。ですから、樟葉で降りて引き返そうとしたのですが、単純な引き返しでは、あまりにも悔しいので、思い付いたのは、樟葉から一駅乗れば、橋本です。そうだ、橋本遊郭跡に行ったことがなかったんだということでした。最近、生駒新地、柴屋町遊郭跡と、旧遊郭跡探訪が続いたからか、頭が、すぐに橋本に向かったのじゃないかな。遊郭跡を、かなり学際的に、Youtubeにアップされている方の映像を観ると、橋本遊郭跡の台風被害が大きいとレポートされていたことも、頭に残っていたため、この思い付きは即決でした。転んでも、ただでは起きてやるかの気持ちですね。確かに、遊郭跡地域に更地が目についたのは事実。補強をするのか、解体をするのか、いずれかの選択を迫られていることが考えられるものもありました。でも、まだ、面影は残っています。先日行った大津柴屋町遊郭跡のように、市街地でないのが幸いしたのか、残ったのでしょう。消え行く昔の姿、まだ間に合うと言っていいんじゃないかな。


2019年 7月 26日(金)午前 7時 14分

 昨日も音楽を聴く日。昨日は、シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第231回 定期演奏会に行ってまいりました。毎度のように、ブルックナーが出るということでのお出かけです。「ドルトムント市音楽総監督」「ドルトムント・フィル首席指揮者」「ベオグラード・フィル首席指揮者」という肩書きを持つガブリエル・フェルツの指揮で、次のようなプログラムが組まれました。「モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543」「ブルックナー:交響曲 第4番 変ホ長調 “ロマンティック“」(第3稿 1888)。モーツァルトとブルックナーが並び、指揮者はドルトムントから喚ぶという、いかにもドイツの装いに満ちたコンサート。でも、指揮者が良かった。主張を明確に指示し、しかも、その主張は、メリハリの効くポイントを外さない納得のいくもの。モーツァルト然り、ブルックナー然りでした。ただ、モーツァルトは、オケの方が応えきれたかなというと、ちょっと同意しかねるところもありました。木管に彩りが乏しかったのと、チェロに表情の豊かさが欲しかったなという感じで、この辺りを聴いていると、今日の重点はブルックナーという印象。指揮者は、フル稼働だったのに、ちょっと勿体ない気がしてしまいました。ですが、一旦、ブルックナーが始まると、正に総力戦の様相。金管が良かったのは、この曲を演奏するには、全くもって強み。弦楽器全体が鳴ってましたから、これほど心強いことはなかったでしょう。指揮者は、2楽章のヴィオラが気に入ったのでしょうね、弦楽器群の中ではヴィオラだけ立たせていました。来年の年明けに、ブルックナーの3番を、大阪交響楽団は出す予定になっています。それと前後して、大フィルも3番を出すので、今度は、大フィルでだけ、3番を楽しもうかと考えていたのですが、昨日の演奏を聴いて、すっかり、大阪交響楽団の3番も聴く気になってしまった黄紺です。事実、帰りの電車の中で、チケットを買ってしまったのです。但し、指揮者が違う。


2019年 7月 25日(木)午前 7時 8分

 昨日は、朝から病院へ。先日の救急車による病院搬送の原因を探るということで、手術を受けた病院で受けたMRI検査の結果を聴きに行ってきました。手術痕には変化がないけれども、自分の目でも判るほど、頸椎が湾曲気味になっていた。そのため、引っ張られた神経が痛みを感じさせているかもという所見。ただ、それでも、突発的な激痛に繋がるとは断定はできないようで、結局は痛み止めでの対症療法しか手がないというのが、現実のようでした。この結果は、十二分に想定できた結果だったため、今後の対策を医師と相談してまいりました。とりあえずは、緊急の場合に対応できるように、また、変化が起きてないか、この手術を受けた病院で、定期的に検診を受けることができるようにしてきました。あの痛さが繰り返したわけですから、常に自分の中にある再発の恐怖を、少しでも和らげることができるよう話し合ってきたつもりです。以前に比べて、今回は、日にちが経過しても、軽い痛みというか重みが残っているものですから、余計に恐怖感を感じているのが現実なのです。もう一つ、気になったのは、何か、他の病気が隠れてないかということです。今のところ、痛みの経過や痛み止めが微妙だけど効いたという点などからは、他の病気の心配はないとの判断のようで、ま、信じるしか、仕方ありません。ということで、一段落ですが、腰の具合は、先日来の激痛騒ぎ以前に比べて、何かおかしい。今までなかったしびれが残ったままだったりするので、安堵感がないのです。病院を出ると、普段あまり来ない地域ということで、観光に。これで、通院が3回目となりますが、帰り道、毎回、観光をしてました。記憶に留めるためにメモっておきます。①渡来人博物館②大津祭曳山展示館③柴屋町遊郭跡(大津市長等地区)、とまあ、大津市内の病院だったもので、そないなところを歩いてみました。そして、一旦、自宅待機。夜は、カフェモンタージュに行く日でした。昨夜は、「L.v.ベートーヴェン- ピアノ三重奏曲全曲 vol.1 -」と題したコンサートがありました。来年が、ベートーヴェンのアニヴァーサリー・イヤーだということで、今年から、その態勢に入っていくと、オーナー氏から、前説でお話がありました。昨夜の演奏は、(ヴァイオリン)上里はな子、(チェロ)向井航、(ピアノ)松本和将という、カフェモンタージュでは、すっかり顔となっている方たちによるものでした。そして、プログラムは、次のようなものでした。「L.v.ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 op.1-1、第4番 変ロ長調 op.11」。4番は「街の歌」と名の付いた有名曲。確かに、2楽章の冒頭にくるチェロのソロが、親しみやすいメロディで印象に残る名曲。そういったソロがあるかと思うと、3つの楽器の重奏から生まれる迫力も、魅力になっているという点においても名曲。それに対し、4番の曲想と対峙するかのような1番は、3つの楽器それぞれの、また、弦2本とピアノの掛け合いが、実に楽しい。ですから、この2曲を並べるプログラミングの妙を感じさせてもらったのも、このコンサートの素晴らしかったところ。ポイントは、松本さんのピアノ。コケティッシュな1番、力強さのある4番、いい軸になっていました。それに加えて、上里さんのヴァイオリンの明解な音、これは一貫してました。音の美しさでは、こちらで聴いた上里さんでは一番だったかもしれません。更に、ソロは、ちょっと満足できはしなかったのですが、程好さを心得た向井さんのチェロも、魅力たっぷり。とまあ、なかなかの好演。この3人で聴いたショスタコが、カフェモンタージュで聴いたベスト候補に入るだけのものがあります。自分的には長い一日、いい締めとなりました。


2019年 7月 24日(水)午前 5時 57分

 昨日は落語を聴く日。ツギハギ荘であった「喬介のツギハギ荘落語会」に行ってまいりました。毎回、喬介一人だけの会。受付も喬介がやってます。昨日出されたネタは、次のようなものでした。「寄合酒」「近日息子」「青菜」。同じネタを、いろいろと趣向を変えて、客を前にして口演することで、その趣向の可否を判断しているように思えるこの会。それだけ、アイデアが湧いてくるということでしょうし、また、それを落語にまとめ上げる力を持ち合わせているのが喬介であると思うのですが、それを毎月やり続ける意欲にも感心させられる落語会でもあるので、できうる限り覗いてみようの気にさせられてしまってます。昨日の3席では、後ろの2席が、その範疇に入るもの。その前に、得意とする「寄合酒」を持ってきたのは、口ならし、ウォーミングアップというところか。ただ、最近の傾向として、噺を、ちょっと大ぶりというか、テンションを上げての口演の範疇に入るなと看ました。「近日息子」が、黄紺的には本日一のお気に入りだったのですが、しょうもないこと言いの男へ突っ込む、この噺の山とも言える部分の、力の配分、クレッシェンド、そして爆発、ここを見事な立て弁でするものですから、実に素晴らしい姿になりました。大変な稽古の積み重ねがあるのでしょうね、いや、お見事。何度聴いたか判らないフレーズに笑わされるのですから、喬介の口演、半端ではありません。「近日息子」が、口舌の爽やかさ、滑らかさで聴かせたのに対し、「青菜」は飛び道具で笑いの渦を作りました。口演が終わったあと、「上手で楽しい青菜は、できる人に任せておけばいい」という師匠の現松喬のやり方でやりました。自分もそう思いますと言っていました。ですから、植木屋さんは、「寄合酒」に出てくるアホのようなハシャギ方をしますし、植木屋さんの相手をさせられる大工の松は、おからを食べると、たちまち下痢状態になり、お尻を押さえながら、植木屋さんの相手をするというハチャメチャな展開になってました。確かに、夏になると、季節柄、「青菜」をかける噺家さんは多数なわけですから、考え方としては首肯できるところですが、喬介はやらないでの気持ち。喬介でしかできない口演ってあるはずと思ってしまうのです。雨模様の上に、梅田では南天の会があるというので、入りが懸念されたのですが、天の邪鬼の落語ファンが多いのか、満杯の盛況。喬介は、落語だけではなく、マクラ的なお喋りも聴かせてくれます。ダイエットに関する師匠との対話、叔父さんを訪ねての話は印象に残りました。前者は可笑しく、後者はハートウォーミングにです。なんかまるごと喬介って会、それに惹かれてしまってます。


2019年 7月 23日(火)午前 6時 42分

 昨日は講談を聴く日。毎月恒例の「第264回旭堂南海の何回続く会?」(千日亭)に行ってまいりました。今月は、珍しく第3月曜日に開催されました。昨日の読み物は「近世相撲傳(5)初代横綱・明石志賀之助」でした。明石志賀之助は伝説上の人物。架空の存在とも言われているようで、昨日の読み物は、従って、全く講談による創作だとか。この講談を聴いて、初代横綱とされたことがありうるそうです。そんな初代横綱の物語。明石志賀之助の本名は鹿之助。武士の出で、お相撲さんの常として、幼少期より身体が大きい。「身体が大きい=強い」と思った鹿之助は剣術の稽古を怠ったがため、父親の怒りを買ってしまう。そこで、強いところを見せれば、父親も納得するであろうと、地方巡業に来た相撲の素人飛び入りに出ることになったが、実際に出た鹿之助は、玄人の関取を、土俵上で死なせてしまい、親からは勘当を言い渡されてしまう。家を出た鹿之助は、苦悩を抱えつつ放浪の旅へ。この辺りで、軽く居眠り。昨日の居眠りは軽くて、筋立てを外さなかった。その旅の途中で、さる侠客の親分に会い、その親分が、鹿之助が花相撲で死なせてしまったお相撲さんの親方に紹介し、相撲の世界へ。名を明石志賀之助と名乗り、実力を発揮。一方、同時期の西国に、仁太夫と名乗る強者が現れ、この男の噂が、宮中に伝わると、当時の後水尾上皇が、仁太夫と明石との対戦を所望。これに勝った明石に対し、対戦時の行事役を務めた吉田家より横綱が与えられたという。仁太夫と明石の対戦で、明石が勝つと、仁太夫を支援していた大坂の侠客たちが、明石を襲おうとすると、それを止めに入り、幡随院長兵衛が現れたり、あくまでも講談が作り上げた物語らしいところも散見できる読み物。南海さんも、マクラで言われていましたが、お相撲さんの話は、とにかく身体が大きいというモチーフから離れられないため、物語の展開に変化を求めにくい。ですから、お相撲さんの講談は、「寛政力士伝で十分」と断言されていました。てなことで、この読み物は5回ほど続いたのかな。次回からは、「難波戦記」に戻るそうで、来年を先取りしたかのように、明智光秀を読まれるそうです。


2019年 7月 21日(日)午後 9時 59分

 今日は映画を観る日。テアトル梅田で、ポーランド映画「COLD WAR あの歌、2つの心」を観てまいりました。先日、シネヌーヴォで観た「イーダ」のパヴェウ・パヴリコフスキ監督作品です。これは素晴らしい映画です。基本は、一人の音楽家(男)と、その男が音楽指導をした民族舞踊団にいた歌手兼ダンサー(女)の長期に渡る宿命的な恋を描いています。男は、東ベルリンを訪れたときに、西側に脱出して、パリを拠点に音楽活動を続けます。一緒に西側に行くと言っていた女は、待ち合わせの場所に現れず、民族舞踊団に身を置いたままですが、パリを訪問すると男に会い、愛を確かめます。舞踊団のユーゴ訪問にも男は会いにやって来ましたから、舞踊団の西側ないしはユーゴのような国を訪問すると、男は出かけて行き、女も、それに応えて会っていたことが想像されます。再び、女がパリに現れると、女は男と行動をともにするようになり、音楽活動もともにするようになります。が、男の音楽の訳詞をする女、この女は、男のパリでの愛人だったようですが、彼女の訳詞に違和感を抱いた女、この違和感はジェラシーから来ているとも見えましたが、レコードが出来上がったあと、姿を消してしまいます。ポーランドに戻ってしまうのです。事実上、亡命状態(正式には亡命していない)だった男も、女を追いポーランドに戻り、不法出国ということで、15年の拘禁となりますが、面会に来た女は「なんとかして出す」と言い残して出ていくと、なんと、民族舞踊団を監視&監督して、女に色目を使っていた共産党幹部(ですわね)と結婚までして(ご丁寧に子どもまで産む)、男を釈放させます。そして、男が出てくると、家族を捨て男のもとに走ってしまい、ラストシーンを迎えるとなります。2人の出会いは描かれても、2人が、ここまで篤く、長期に渡り、また、それぞれは、別行動をしているときには、男なり女がいるにも拘わらず、理屈抜きに、惹かれあいます。ラスト前のエピソードなんてのは戯画的すらあります。と思ったとき、女が男の前から消えるエピソード、その前に見せる音楽的、それとも個人的な違和感、消えた女を、後先省みずに故国ポーランドまて追いかける、、、これって、男女の愛を描いてるだけなの、いや、男女の愛の行方はメタファーなのではないのか、、、そういった思いが頭を過ってしまいました。だったら、何のメタファーなのか、ですよね。この映画、宣伝文句ではありませんが、音楽を物語の補助装置として、巧みに使っています。更に、出発点は、民族舞踊団で、且つ、男はピアノの名手で、見事にショパンを奏でるシーンが、序盤に用意されています。これって、ナショナル・アイデンティティを問いかける映画なんじゃないだろうか、そんな気持ちが、確信として浮かび上がってきました。男はポーランドを飛び出したのに対し、飛び出し損ねた女の持つ、ポーランドに対する拘りの違いのようなものが、違和感となり現れ、女が消えることで、アイデンティティの喪失を味わう男、ならば、遮二無二、ポーランドが目指す行動に説明がつきます。しかも、時代は、1950~60年代のポーランド。人としての価値、そこを、ナショナル・アイデンティティに見いだし、イデオロギーに対峙しうる強固な人間性を表そうとしたのじゃないでしょうか、この映画は。そのように思えてくると、これは大変な映画のようだとの感が、一挙に高まりました。思わず、想像力豊かな方の意見を聴きたくなったという佳作です。


2019年 7月 20日(土)午後 9時 23分

 今日は民博に行く日。久しぶりに、みんぱくゼミナールを聴きに行ってまいりました。今日は、「アンデスの褐色のキリスト―奉納品をとおしてみる信仰の世界」と題して、国立民族学博物館助教の八木百合子さんのお話を聴くことができました。今日の講師の方のフィールドはペルー。そのペルーを含めて、南米の植民地化&キリスト教化という教科書的なお話から入られました。そのキリスト教化と土着の宗教の融合と言えば語弊があるかな、異教的要素を取り込みつつ、南米でのキリスト教の発展、その辺、教義との齟齬とか、そういったお話抜きで、事実だけを触れられていきました。ま、文化人類学は、それでいいのでしょうね。それのペルー的特徴をまとめられている中で、褐色のキリストがはまるというわけです。「褐色」という気になる色彩も、宗教的確信のある話ではありませんでした。講演が始まった辺りから睡魔に襲われていたため、詳細は怪しいですが、流れ的にはそのようなものだったかと思っています。後半、典礼などに使われているアイテムの解説をされていたようですが、こちらは、さっぱりダメでした。とまあ、クーラーの効く部屋で、上着を着込むと、実に心地好いものですから、この低汰落でした。このゼミナールの前後では、映像資料を観ていたのですが、そのときも居眠りしてましたから、今日の体調は民博向きではなかったようです。民博を出ると、恒例のウォーキング。いつもは、小1時間かけて、阪急茨木市駅まで歩くのですが、気分を変えて、モノレールの摂津駅まで歩いてみました。1時間10分ほどでしたから、茨木市駅よりは、ちょっと時間がかかる程度で済みました。その終盤、どこやらで見た光景だと思ったら、「ジャッキー7」の会場前を歩いていました。これで、あの辺りの土地勘ができました。モノレール摂津駅から徒歩10分の距離だと 、初めて知った次第です。京阪電車の定期券があるときは、このアクセス法を使うことができることを学びました。収穫です。


2019年 7月 19日(金)午後 9時 17分

 今日は、行きたかった落語会もあったのですが、午後に出かけなければならない場所と真逆の方角だということで断念。おとなしい一日になりました。昼間行かねばならなかったというのは、先日、救急車で搬送された一件の後始末。この4年間に、頸椎の手術痕に変化が起きてないかを、MRI検査で確認をするために、病院へ行かねばならなかったのです。こちらが最優先ですから、こちらに、全てを合わさざるを得なかったというわけです。検査は、実質、20分足らずで終了。ショートヴァージョンでした。帰り道、時間に余裕があるかと思い、かねてから狙いの博物館へ。そこへ寄ってから帰ると、呆気なく一日は終わりでした。


2019年 7月 19日(金)午前 6時 23分

 昨日は落語を聴く日。動楽亭であった「智丸の新作落語会 2019」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。弥っこ「代脈」、智丸「金太郎伝説(仮)」「オカルト怪談研究会(仮)」、たま「お通夜」、(中入り)、たま&智丸「新作のシンポジウム」、智丸「なぞなぞ刑事(仮)」。智丸が、自身の新作を再演していこうという会。それに、たまをゲストに喚び、新作論を語り合おうという企画が当たったのか、結構な入りを見せた会になりました。黄紺も、企画に惹かれて、そそられたコンサートを振りきり、動楽亭に足が向きました。主宰者の智丸が2席、たまが1席、それぞれの作品を口演したあと、この会のメーンとなったシンポジウムが行われました。そこまでの智丸作品は2席とも聴いたことのあるもの、たまの作品は、存在は知ってはいたのですが、遭遇は初めてというもの。一時は、結構ネタ出しをしていたと記憶していますから、自信を持っている作品と推量します。シンポジウムの話題は、落語の文法。古典、新作を通じて共通の落語の構造についての話でした。予想された通り、たまの主張を聴く時間となりました。おもしろかったのは、噺の掴みの構造。登場人物の設定、場や状況の説明、これを、1回上下を切る中でやり終えてしまい、その次にギャグを入れて笑いを取る。これが、入口としてはベスト。たま自身、新作の入口はそうしている、また、古典はそうなっていると言い切っていました。実例を、弥っこの口演した「代脈」で実演。なるほどなっています。ここを長くすることも必要な場合があるというのも、興味ある話。客席が温まっていないときに、理想的な構造だと、空回りをしてしまうので、出番にもよるという話は、フレキシブルに噺をすることの肝要さを言ってくれていました。次いで、噺自体の構造に。上方落語では、噺は「A-A'/B-B'」という構造になっていると言い、「崇徳院」「くっしゃみ講釈」を例に上げ説明してくれました。「A」として出された話題を突っついて笑いをとるのが「A'」というわけです。智丸のネタでは、「怪談研究会」がそれで、「金太郎」は江戸噺の構造っぽい。噺の展開に関心を向けさせるもので、ギャグも弱めのもので、十分笑いが取れる構造になっている。この文法を踏まえて、新作作りをしていけばいいということなのでしょう。智丸は、やはり、たまを前にしては、意見を言いにくいのか、聞き手に回ってしまってたのは、ちょっと残念でしたが、さすがたまワールドは健在で、話す内容に説得力があります。智丸作品、3つ目も、どこやらで聴いたことのあるネタ。警察ものですが、たまには、同じ警察もので「ドーベルマン刑事」があるのを、すぐに思い出してしまいましたが、智丸との違いは、たま作品は、贅肉が取れている感じなのと、刺激の強さだと、この新作を聴いて思ってしまいました。せっかくの好企画。もう少し、シンポジウムに、時間割けるような番組にして欲しかったな。お互いの師匠を引っ張り出してのシンポジウムだったら、、、動楽亭では無理ですね。


2019年 7月 17日(水)午後 11時 2分

 今日は、朝から病院へ。黄紺の原点のような病院へ、4年ぶりに行くことになりました。この病院にたどり着くまでに、更に10年遡ります。ここで、手術を受けたため、それ絡みかと疑う身体の異常があると、この病院に向かうことになります。それが4年ぶりとなりました。ここへ行かねばならないと思ったものですから、先日、救急車で搬送された病院で紹介状をもらっておきました。脳神経外科という、普段、一般の方はお世話になる機会の少ない診療科です。今回の先生は、お若い方ですが、いろいろと思案されることを口に出していただけましたので、逆に、とっても解りやすく、検討されている過程が判り、患者として嬉しいものがありました。だって、その途中で解らないことを、その場で尋ねることができますものね。で、一定の目安を立て、再度、MR検査を受けることになりました。とりあえずは、今日はここまでで、更なる検討は、その検査結果を観てからになりました。帰り道、全く知らなかったさる博物館を見つけ立ち寄ったあと、帰宅。昨晩、あまり睡眠がとれてなかったので、軽く睡眠。昼寝は、寝起きの気分がいいですね。子どもの頃、家族並んで昼寝をしていたことを思い出しました。そして、夜は、久しぶりの大阪で、と言っても5日ぶりですが、講談を聴く日でした。隔月で開かれている「南華の会」に行ってまいりました。今日は、南湖さんも定例の会を開かれていたのですが、総じて、南華さんの口演に接する機会の方が少ないと判断、こちらを選ぶことにしました。場所は、天満橋の双馬ビルには変わりはないのですが、2階へお引っ越しとなりました。元歯科者さんだったスペース。だからか、少し広くて、なんだか感じのいいところでした。今日の南華さんの口演は怪談尽くしで、「応挙と幽霊画」「牡丹灯籠~お札はがし~」でした。照明を落とし、口演をされる南華さんの顔だけが、うっすらと映るように照明を工夫。南華さんからは、客席が見えてないそうなのだそうです。そうだったからなわけではないのでしょうが、クーラーのいい風が、黄紺をすっかり眠くさせてしまいました。「牡丹灯籠」は、確か初ものだはずなのですが、惜しいことをしたものです。取り逃がした魚は大き過ぎるなんてことがないように願いたいものです。


2019年 7月 17日(水)午前 0時 56分

 今日は、腰痛も終息に向かっているということで、京都府立京都学・歴彩館であった「京都を学ぶセミナー 南山城編」の一環として行われた講演 「木津川はココがおもろい!~自然と生きものの世界~」を聴きに行ってまいりました。講演をされたのは、京都大学防災研究所水資源環境研究センター准教授の竹門康弘さんでした。こうした講演って、ほとんど聴いたことのなかった黄紺でしたが、自然地理や生物学を組み合わせて、環境の変化、また、自然の再生へと繋がるお話、細かな生物の名称が出てきたときは、それこそ、頭に虫がわいてきそうになりましたが、名称を気にかけずに、そういった生物が、どのような環境を好み、また、その環境が消えると、その生物自体も消えていく、そういった事例をお聴きしているのだと括ると、存外、話の展開を整理でき、頭の中に入りやすく、そういった一つ一つの生物の生態を知ることで、木津川の自然を知り、今の実体を把握し、再生の試みに繋がる、いや、この講師の方は、行政、市民とともに、再生の試みを実践に移されているということで、何やら、学問の本質というものを垣間見た思いがしたお話でした。淀川を成す三川の一つ木津川の特徴って、黄紺などが目にしている通りだったのを、冒頭で確認させていただけました。黄紺的木津川の原風景というのは、川沿いに砂地が多いというもの。ですから、かつては、近鉄京都線木津川架橋下は、格好の水浴場として栄えたと記憶しています。そういった裸地砂州が多いのが木津川の特徴として上げられていました。それは、川の浄化作用が大きく、有機物が多くないためとのこと。それが、環境の変化で、砂州の植生化が進行。ただ、裸地砂州の場合に比べて、植生化が進むと、生物の多様性が出てくるということで、一概に環境の変化の良し悪しを論じにくいようです。環境の変化をもたらすのは、上流に造られたダム。ですから、ダムをなくせば、自然は元に戻るだろうが、現実的には、ダムができることでできた良さも視野に入れながら、木津川の本来の姿を取り戻すことを考えられているようでした。環境の変化は、ダムができることで生まれた、上流から流れてくる土砂が減ったこと、それは、一方で、ダムには土砂が溜まっているということで、それはそれで大きな問題。ダムからの排砂、その土砂を下流域へ移動させる試算も示されていました。そのさじ加減が、先ほどの生物の多様性も確保しつつということで進めようとされているようで、ここまで河川の管理が進んでいることに、ちょっと感動を覚えてしまいました。そのシナリオを書く作業とともに、伝統的河川工法の活用をしながら、流れや地形の変化を起こし、生物が棲みやすい環境を作り出そうという試みをされていることにも、驚くと同時に感動を覚えました。昔の人も、環境の変化に対応しようとしていた素晴らしい知恵を活用しようというもので、素材は竹や石ですから、全ては自然に帰るものを使っているのも、考え抜かれたものでした。国交省の事業として市民参加で、伝統的工法を使い実施に移されているそうです。いや~、おもしろいお話でした。とまあ、お話を、いい気分を聴いたあと、立ち上がるところまでは良かったのですが、そのあとがいけませんでした。もう大丈夫かと思っていた右腰がダメでした。踏み込むと痛みが走ります。また、不自然な歩き方で歩き出す、土曜日と同じです。スピードは、土曜日よりは出ますが、痛みを感じながら、ものの5分も歩かない内に、痛みは消えました。ならばウォーキングだと、歴彩館から三条駅まで歩くことにしました。通常の歩行で、苦もなく到着。これで気分は高揚。でも、家に戻り、しばらく低い椅子に座り、立ち上がったあとは、右腰に、今までなかった痛みが走り、がっくり。結局、右腰は痛み止めでコントロールされていただけだったのです。ということは、薬のお世話になりさえすれば大丈夫ということですから、まあ、救急車で搬送される前よりはいいということです。


2019年 7月 16日(火)午前 10時 20分

 先週の水曜日、光照寺講談会に行く途中、右鎖骨に痛みが出始めたのがきっかけで、翌木曜日の夜には、右鎖骨を中心とした右肩の痛みは鎮静化していった替わりに、今度は、左腰骨とその近くの腰に、激烈な痛みが走るようになりました。特に、左腰を伸び上がるような痛みは、凄まじいものがあり、ちょっとした身のこなしで、その痛みが出るものですから、和室しかない自宅での生活は、限界を超えると言ってもいいほどのものになっていましたが、以前にも、同様の経験があり、医者にかかっても、もらった痛み止めが効いたためしがなかったため、通常の生活を続けていました。その痛みが極限に達してきたなと思ったのが、金曜日の動楽亭に着いた頃合いで、電車で京都まで帰ることに、大変な思いをしたものでした。その金曜日の夜と次の土曜日の夜は、まるで地獄の苦しみで、横になるのも起き上がるのも、一筋縄で行くものではなかったのですが、翌日曜日の朝になり、更に絶望的なことが発生しました。今まで痛みも何も起こってなかった右腰にも痛みが出始めたのです。この時点で、さすがに自宅での生活を諦め、洋室のある弟の家に避難しようと思い、弟にヘルプを求めたところ、黄紺の状態を聞き、実際に目にした弟は、救急車を呼ぶことを勧めたため、それに従うことにしました。弟が車を出して、家に搬送するにしても、また、病院に搬送するにしても、車に乗り込むことすら難しいと考えたからでした。また、日曜日だったものですから、たとえ車で病院に搬送しようにも、簡単に受け入れ先を見つけられなかったとき、黄紺の状態では耐えられないだろうの判断だったというわけです。救急車は来てくれましたが、その救急車に乗り込むのが大変なことでした。担架に寝かせるか、座らせるか、これしか想定してないのですね、救急車って。担架に座る、寝るなんてことは、激烈な痛みを何度も味わうことになりますから、無理。結局、文楽人形のように、脇やら足の支え、補助を受けて、ゆっくりゆっくり歩きながら救急車に入り、救急車の中では丸椅子に座って搬送されました。時間はかかったのですが、幸い、京都の大病院の1つが受け入れてくれるということで、そちらに搬送され、検査や問診を受け、結局、結論は、消去法で脊髄の手術痕が原因だろうとなりました。ただ、こちらへ搬送されて良かったのは、こうした痛みで、今まで効いたためしがなかった痛み止めの薬が、微妙ではあったのですが、効いたということでした。医者の話を聞いていると、ここまでかと思い、痛み止めを3日分もらい、手術を受けた病院への紹介状を書いてもらい、引き上げることになりました。痛み止めのおかげで、弟の車にも、何とか乗ることもでき、その日は、弟の家に居候。普通の高さの椅子に座ると、痛み止めが効いていることもあり、腰の痛みを感じることもない快適さ。水曜日の夕方から始まった痛みを、初めて忘れることができました。弟の家ではソファーで寝ていました。ベッド替わりになり、まるで天国です。でも、夜半過ぎに、今度は左肩の中ほどに重い痛み。4箇所目でした。その痛みは、ここまで、痛み止めの薬で、完全にコントロールできていますので、左肩では苦労知らずできています。そして、昨日の月曜日、普通に歩けるようになっていましたので自宅に戻りました。そして、いつものように、畳の上に置いた低い椅子に腰かけて、パソコンなどをいじり、さてトイレに行こうかと立ち上がると、この立ち上がるという行為自体はできたのですが、やはり低い椅子に、1時間余り座ったままというのは、今の身体には良くないようで、右腰に痛みが出ていました。ただ、右腰の痛みは、ざらついた板を押し付けるような痛みで、左腰の痛みに比べると、かなりソフトなもので助かっているので、今までのことを考えると我慢は容易くできるのですが、いざ歩き出すと、踏み込むたびに腰に響くものですから、歩様に難が出ます。ということで、安全を考え、もう一晩、弟の家に居候をすることに。痛み止めが効いている分には、通常の生活に戻れてはいたのですが、しばらく座っていて、いざ立ち上がるときの不安、ましてや和室での寝起きを考えると、それが、よりベターとの判断で、正解だったと思っています。おかげで、日曜日と月曜日、ともにチケットを買ってあったコンサートなどの公演は、自分からボツにせざるを得ませんでした。そして、今日、火曜日の朝を迎えています。やはり、右腰に痛みは残っていますし、激減したとはいえ、左腰にも痛みは残っていますが、ほぼ終息に向かっていると思っています。幸い、明日、手術を受けた病院の予約が取れましたので、再発時対策などの相談をしてこようと考えているところです。長い1週間でした。膵臓炎と、この腰痛、これら2つの痛みを1人の人間に経験させるなんて、人間って、なんて不公平なんでしょうか。


2019年 7月 14日(日)午前 9時 16分

 腰の痛みは極限に達してきました。ここまでひどいのは、5年ほど前に経験しただけ。横になるのも大変だし、起き上がるのは、更に大変。一昨夜は、地獄の苦しみを味わいました。凄まじい夜でした。ですから、朝から、昨日は、どこへも行かないのが得策と考えていたのですが、家にいると、ほとんど動かないので、ただ痛いだけ。むしろ歩くと、激痛に悩まされる時間は少ないので、出かけることにしました。行き先は京都アスニー。そこで行われている「アスニー京都学講座」に行くことにしました。しかも、三条駅からウォーキングがてら、京都アスニーまで往復することにしました。で、講座のテーマは、 「出土品から探る中世下京の手工業」というもので、お話は、京都市文化財保護課の黒須亜希子さんでした。黒須さんは、実際に発掘に関わっている方、貴重なお話を聴くことができました。下京というのは、四条大路以南を指し、その中でも注目されたのが、七条町界隈。文献資料に、この辺りが商工業の中心ということを伺わせる記述が出てくるというわけで、というのも、東市があった場所から程近かったため、平安時代末期から東市が機能を果たさなくなってくると、その近くで、商工業者が仕事をするようになったというわけ。それが、考古学的な発掘で証明されているということが、テーマに関わるお話の大きな流れだったのかなぁと思いました。お話は、実はもう一つ用意されていました。御土居周辺の発掘の紹介でした。そのレポートよりも、お話の前提として触れられた御土居そのものの紹介が、黄紺には、とっても嬉しいものでした。存在は知っていながら、自分では調べたことがないものですから。講師の方も言ってられましたが、「京都の姿を一変させた」、それだけの規模で大仰なものだったことが、よく解りました。講演が終わり、立ち上がろうとしても立ち上がれません。腰が言うことを効かないのです。みじめだったけど仕方ありません。何度もチャレンジをして、前の椅子を頼りにして、ようやく立ち上がり、とぼとぼと歩き出したのは、もう、係りの方が、会場の後片付けを終わろうかという頃合いでした。このとぼとぼ歩きを、5分もしてない内に、普通とは言えませんが、痛みを気にしないで歩けるようになるのですから、不思議な具合です。


2019年 7月 13日(土)午前 0時 00分

 一昨日の夕方、光照寺に向かう道すがら、身体に異常が発生しはじめました。そのときは、右鎖骨が異様に痛み出し、もう、その日の夜には、右手は上げられてない、力が入らない状態。夜半、パソコンをするにも、利き手の右腕を、左手で持ち上げないと、マウスすら触れなくなりました。力も入らない(1kgも持ち上げられなかったかもしれません)ものですから、マウスはほぼ掴んでるだけになってしまいました。それでも動かしていると、少しは動くようにはなるのですが、動きを止めると元の木阿弥状態。それが、昨夜あたりから楽になり、今朝になると、90%ぐらいは快復、その替わりに、今度は、みるみる間に左腰に激痛が走るようになり、これはこれで大変。激しい腰痛は、何度目かですが、幸い、右腰には及んでないのが、ちょっとした救い。これだけ痛みが相次ぎ、場所が変わるということは、原因は脊髄の手術痕の成せる業以外はないと思っています。腕や腰自体が悪いわけではないものですから、ウォーキングは続け、お出かけも止めるという手は採らないようにしました。身体がなまり、本当に身体の部位に異常を来してしまいますからね。ま、これが、手術後培ってきた知恵で、この不調に負けたくないですから。でも、動き始め、迂闊なちょっとした身体の捻り、これは激痛を生みます。ホントにホントに痛い。でも、動くことにしている黄紺です。で、今日のお出かけは、久しぶりの落語、久しぶりの動楽亭でした。今夜、こちらでは、「第7回 動楽亭のりょうば」がありました。その番組は、次のようなものでした。小鯛×りょうば「対談:教えて!お兄さん」、りょうば「鉄砲勇助」、小鯛「錦の袈裟」、(中入り)、りょうば「ガマの油」。りょうばは、対談の前とマクラで、車の事故話を二くさり。りょうば的最近のビッグニュースです。対談は、彦八まつりの塩鯛焼きの行方と、小鯛が噺家になるまでの話。知らない話ばかりでしたので、目をキラキラさせて聴いてしまいました。落語に入って、りょうばで初めて聴く「鉄砲勇助」からスタート。木曽と北海道でしたが、おしっこが凍る話と火事の後半はカットされました。鴨捕りは、久しぶりに聴いた感じ。噺を大きく描こうとの努力が垣間見えた口演でした。ゲスト枠の小鯛は、先日聴いたばかりの「錦の袈裟」。小鯛の口演は、テンポが良く、リズミカルで申し分ないのですが、聴いていて、今頃になり、おもしろいことに気がつきました。今さらながらのことですが、この噺には、アホが2人出てくるのですね。ふんどしで電車を作ろうという序盤のアホと、主役となる喜ぃ公、錦の袈裟を着ける男です。これ、なんで、アホを1人にしなかったのでしょうね。1人にしても、噺は成立するのですが。2人にすることで、噺に賑やかさは出てきますが、何となく、間違いはないけど、それだけかなと思ってしまいます。う~ん、これ、なかなか難しいぞ。考えてみます。ネタ下ろしかなと思われる、りょうばの2つ目は、びっくりの「ガマの油」。1つ目が「鉄砲勇助」だったので、もっと大きなネタをするのかと思っていたことが1つ、もう1つはお酒の噺だったからです。ざこば組を意識したネタ選びと言っても、お酒の噺は、らしいけど、「ガマの油」は、ざこば組で持ちネタにしている噺家さん、いたっけ? でも、様々なネタにチャレンジをしようという意欲は買いたいと思います。仕込みの部分は、さすが口舌爽やかなりょうばですから申し分なしというところ。酔っぱらいのところでは、山と谷を作ったのが、りょうばの工夫と看ました。ぐずぐずの酔っぱらいを見せたのが谷と言いたいのですが。ただ、そのとき、言葉までぐずぐずにしたのはいただけないかなと思ってしまったのですが、、、。確か「試し酒」もネタ下ろしをしたのじゃなかったでしたっけ? こちらも、機会があれば聴いてみたいですね。お酒の噺に対するスタンスが見えてくるかもしれませんからね。


2019年 7月 12日(金)午前 7時 53分

 昨日は、大津市の「コラボしが21」で、滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」の第3回「世界遺産をめざす彦根城」を聴きに行ってまいりました。講師は、彦根市市長直轄組織文化財課彦根城世界遺産登録推進室の小林隆さんでした。1992年に、既に、彦根城は世界遺産候補リストに入っているそうで、でも、後からリスト入りした百舌鳥・古市古墳群は世界遺産入りしながら、彦根城は入ってないという状況を押さえてのスタートとなりました。司会の方も講師の方も、この「先を越された感」というものを、聴く者として強く感じながらお聴きすることになりました。そないなところからの、この講座の設定というところでしょうか。まず、世界遺産とはという基点からの出発。ユネスコの定めがありますから、その確認からでした。定めに応じた世界遺産の画像も出していただけましたので、とっても解りやすい。この解りやすいというのが、昨日のお話には一貫していたのは、とってもありがたいことですね。次に、既に城では、姫路城が登録されていますから、その姫路城と、また、国宝となっている城を含めて、他の城との差別化の話に入っていきました。例えば、彦根城は、天守閣では、姫路城に劣っても、安定期に入った江戸時代の、大名による統治の姿を明確に残している城としての優位性を持っているということです。実際に、彦根城は、昔々行ったような記憶はあっても、具体的な姿や特徴の記憶にないため、ここのお話は、あらためて訪ねてみたくなりました。でも、肝心なところで居眠り。涼しい外から、いい温もりのある屋内に入り、いい気持ちになってしまったようです。でも、幸い、世界遺産登録に向けて作られたパンフレットをいただけたものですから、この部分については、きっちりと補填はできるものですから、大丈夫です。そして、最後に、世界遺産に向けての取り組み、世界遺産になることでのメリットなどのお話。その中で、「滋賀県はお城のデパート」と言って、様々なタイプの、しかも、歴史的に極めて重要な城が散在していることをアピールされていましたが、確かに首肯すべき重要ポイントですね。その昔、トルコ友だちと連れだって、小谷城に行ったことを思い出してしまいました。それに、ブラタモリでも、彦根を取り上げましたしね。細い雨が降ったり止んだりを繰り返した一日。いいお話を聴くことができました。





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