忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2020年 2月 12日(水)午前 6時 50分

 昨日は、京都文教大学で行われた「宇治学連続講座」に行く日。たまたま、京都アスニーに行ったときだったかな、このイベントを知り、行ってみたくなったのでした。その内容は、次のようなものでした。第2回「川とともに生きる~地域とともにつくる環境教育・防災教育~」、【パネリスト】①山田信人(木津川管内俄然レンジャーアドバイザー)。②久保正彦(佐用町元企画防災課課長)、【コーディネーター】澤達大(京都文教大学総合社会学科准教授)。第3回「宇治の魅力と宇治茶」、【パネリスト】③堀井長太郎(公益社団法人京都府茶業会議所会頭)、④松田敏幸(宇治市産業地域振興部長)、【コーディネーター】森正美(京都文教大学副学長・地域協働研究教育センター長)。「宇治学連続講座」の2回分を、まとめて開催しようという試みで、そのため4時間も、勉強する時間をいただくことができました。この講座の根本には、地域との協働で、文教大学が進める「宇治学」の成果なり、今後の方向性を、市民や関係者でシェアしていこうとのスタンスがあるかと思います。具体的には、宇治市内の小学校の総合的学習の時間に取り入れられている「宇治学」の教材作りに与ったり、観光などの地域振興に関わる協議に協力しあったりということが行われているようです。黄紺的関心は、そういった大学と地域の協働という、比較的新しい試みがどのように進んでいるのかを見たい、知りたいという点にあります。その協働作業のテーマとして、この講座でも現れているように、環境や防災、観光といったジャンルについての協議を知ることもでき、今の最先端の仕組み、話題に触れることができそうと思うのです。それは、対象となっている課題だけが、黄紺の関心をそそるだけではなく、考察の方法論についても、先端部を知ることができそうとの期待もあります。かなり盛りだくさんの内容でしたが、記憶に留めたいことをメモっておくことにします。①の山田さんは、元木津高校の理科の先生。化学部の顧問をされていたときの活動の報告、そして、そのときの経験を活かしてされている現在の活動の報告へと進まれていきました。化学部では、木津川の水質検査を調査して、その活動が高く評価されたこと、その活動が注目され、外部以来が舞い込んで来たほどで、社会的にも大事な仕事をされていたようです。そういった活動の中で判ってきたことは、三面張りの川(護岸工事などでコンクリートで三面が固められた川)ではなく、自然の残る川の水質の方がいいという事実。「自然の残る川は水をきれいにする働きがある」とまとめておられました。川床が砂礫でできていると、微生物が棲みやすいため、その微生物が汚れを食べ、また、微生物を餌にする小魚が集まり、また、小魚を求めて鳥がやってくるといったわけです。こういったことを、現在、出前授業として、小学校の総合的学習の時間での活動を支援されている姿が、後半の報告となりました。②は、2009年の兵庫県西・北部豪雨で、大きな被害を受けた佐用町の取り組み報告でした。被害の様子、その後の防災に向けた取り組みの報告となりましたが、黄紺は、完全に居眠り。レジュメと質疑応答の中で語られていたことで、メモを残しておきます。実際に起きたことで、川の上流に避難された方と下流に避難された方で運命が分かれたそうです。上流に避難された方は、逃げ場として高台があったからだそうで、これなど、日頃から、そういった知識、防災訓練や研修などがあれば回避できたという反省があるということでの取り組み報告が、大きなお話の柱だったようです。一言でまとめると、住民の防災意識向上に、行政ができることの検証の成果ということになります。地域防災マップの作成、自主防災組織リーダー研修会、小学生とまち歩きをしての防災教育などのお話があったようでした。③のお話に入る前に、第2部のコーディネーター、森さんから短いレポートが入りました。宇治市内の小学校で取り組まれている「宇治学」についてのお話が主たるものでした。3年生のテーマは「宇治茶のステキを伝えよう」、6年生が「゛ふるさと宇治゛の魅力大発信」となるようで、それに合わせての第2部のテーマ設定となったというわけです。この「宇治学」を、単に知識を得るというスタンスではなく、「答えの出ない問いに向き合う必要性」を求めての学習に役立てればと、総合的学習の時間の本質に関わるポイントを指摘されてはいましたが、具体的な取り組みは、この日のテーマからではないということからで、「宇治学」で使われているテキスト&指導書の回覧に留めておかれました。③の講師の堀井さんは、「ブラタモリ/宇治編」の案内人を務められた方。この顔というよりか、声に引っ掛かりを感じていたところ、お話の流れの中で、堀井さんがカミングアウトされました。そのお話は、宇治茶の歴史(抹茶、煎茶、玉露へという展開を含む)、茶問屋と茶商、茶の消費スタイルの変化(ペットボトルの茶、抹茶スイーツ)、世界に出ていく茶(Matcha)、次世代へ伝える(宇治学)といった流れのお話でした。黄紺的には、幸いなことに、京都歴彩館の公開講座「南山城」で、茶の種類が、歴史的に誕生してきたものとのお話を聴いていたので大丈夫でしたが、いきなり、そないなお話を聴いた日にはびっくりしたでしょうね、このお話は。そして、このお話を聴いて、宇治茶の素晴らしさと同時に、宇治茶が高級品であることからくるしんどさも感じましたが、そこに風穴が開いたのが「抹茶ブーム」ということですね。ペットボトルの茶には対応できない宇治茶ですが、「抹茶」には対応できるわけですから。④は、宇治観光のエキスパートからのレポートです。観光の目玉は、もちろん平等院。一局集中という言葉まで使われていました。対岸には、世界遺産の宇治上神社があっても、不動の地位は平等院が持っていきます。それ以外にも、もちろん宇治茶、宇治川の景観、宇治川の鵜飼(鵜匠が女性というのが売り)、アニメの聖地巡礼(響けユーフォニウム)、源氏物語の宇治十帖、天瀬ダム(市街地から近いダム)、仮称:お茶の宇治のまち歴史公園(京阪宇治駅近くにオープン予定)が、宇治の観光資源として上げられていました。そういった宇治観光の特徴や課題としてお話に上がったのは、外国人観光客の主流は、中国、台湾、香港からの人たちで、全国の様相と比較したとき、韓国人が少ないのが、目立った特徴。国内観光客は、京都市内や大阪市内に投宿をして宇治観光をする人が圧倒的に多く、宇治市内に宿泊をしない。また、宇治市内に宿泊をしても、夜に出かけるところもない。観光の目的としては、寺社仏閣だけではなく、宇治茶、スイーツ目当ての人たちが、存外多い。平等院に行っただけでは帰っていないということで、やはり、宇治茶ブランドの大きさを感じてしまいました。でも、観光地が中宇治に集中している。また、観光客が増えればいいのか、増やせばいいのかという問題もある。確かに、京都市内の過剰な観光客にまいってますからね。黄紺も、宇治の街を歩いていて、ま、平日と週末では違いがあるでしょうが、まだ、受け入れの余力はあると感じてます。中宇治の混み具合という観点からですが。でも、受け入れ態勢は、決して強くはないと感じます。だからといって、民間投資を呼び込むような対応をするのにも躊躇する気にもなります。一つには、観光地として訪れる地域が凝縮されているのは、街歩きには利便性が高いのですが、狭いということでもあるので、ポイントが増えない限り、いくら投資をしても、混雑を生み、らしさが消えていくような気がして、躊躇が出てきます。それにつけても、店舗や宿泊施設は少ないなとは思いますし、宇治歴史資料館を、中宇治の方に持ってこれないのかと思ったりとか、宇治の柴舟の運行とかできないのかとは思ってしまいます。宇治茶を、観光客が嗜む施設があってもいいしと思うと、アイデア、広報に、とりあえずは頑張ってもらいたいところかな。行政による観光投資の多寡については議論があるようです。観光客の呼び込みの是非論議なんでしょうね、とっても大切なことです。黄紺は宇治市民ではないので、観光する上での利便性が、どうしても先に立ってしまいますが、敢えて書けばということで、許してもらいたいところです。質疑応答の中で、大切なお話が出ていました。中宇治中心の宇治観光の話が、宇治学の学習の中で取り上げると、それ以外の地域に住む子どもたちはついて来れるのかという問題です。だから、観光問題と宇治学は馴染むのかという、まことに的を得た問いかけです。やはり、宇治学の良さは、自分たちの住む地元を知り、そこで生きていく元気を養うことだということだとの押さえはされたかと思います。他地域の文化財、歴史遺産についても言及されていましたから、その視点が活かせればいいかなと思いました。ただ、残念だったのは、負の遺産にまでは、目が行ってないことです。これも、大久保に自衛隊の駐屯地が現存している関係上、なかなかセンシティブな問題になるかもしれませんが、ならば、平和憲法を教える、いい教材にもなるかとも思うのですがね。最後の方で、聖地巡礼のように、ある目的を持って宇治に来る人たちのことが話題に上がりました。ここで、堀井さんのカミングアウトがあったのですが、「ブラタモリ」は、経済的な収入の上昇は生まなかったけれど、あの放映以後、茶園に興味を持ち、訪れてくる人が絶えないという事実を紹介されていました。これなども、目的を持って来る人たちです。観光の多様性を示す好例かと思います。思い出しながら書いても、実に盛りだくさんのことを学習したものです。もう、頭のなか、パンパンです。


2020年 2月 10日(月)午後 11時 27分

 今日は落語を聴く日。昼食後、ちょっとお休みをしていた断捨離に着手。やり出すと、メドが着くまでやってしまわないと、単に散らかしただけ状態になってしまうため、知らない内に時間が経過。ようやくコーヒーでも飲み、一休みしようかで時計を見て、びっくり。目覚ましをかけないで片付け作業をしていたため、危うく遅れそうになりましたが、ぎりぎりセーフ。今日のお出かけ先は動楽亭。今日は、裏に喬介の「咲くやこの花賞受賞記念落語会」が、大阪市の肝いりであるというビッグな日。苦戦必至の染八の応援を決め込み、喬介は行かないことに。その番組は、次のようなものでした。染八「挨拶」、白鹿「千早ふる」、染八「七度狐」、文三「稽古屋」、染八「饅頭怖い」。白鹿は久しぶりの遭遇。マクラで、師匠文鹿がインドに行ってる話をしてくれました。修行中の雪鹿もお付きで行っているとか。ネタは、最近聴いてなかった「千早ふる」。この人、初めて聴いたときから、えらく落ち着いているなの印象。今日もそうでした。流れは変わらないのですが、よく聴く「千早ふる」とは、微妙にテキストが違いました。誰からもらったのかな。それとも、白鹿オリジナルなマイナーチェンジなのかな。染八は、ネタ下ろしをするつもりが間に合わなかったそうです。「あと1回稽古に行けば仕上がるのですが」ということで、次回回しになります。但し、何のネタかは教えてくれませんでした。替わりに、1つ目は「七度狐」。染八では、初めてだと思います。とっても軽い感じのネタの運び。旅の噺という感じが出る一方で、怖いおもろいところには、ちょっと向かない。でも、おもろいおもろい感はたっぷり出ます。染八の工夫なのか、誰かからもらったのかは判らないのですが、喜ぃ公が、べちょたれ雑炊を食べ続けるという演出は、銀瓶や喬介がしますが、染八版は最長記録達成でした。村人に声をかけられても食べていました。でも、おもしろいけど、やり過ぎです。狐に騙されている間に留めぬばならないですから。ゲスト枠は文三。たっぷりと、師匠の思い出を語りながら、お囃子で助演をしていた現小染と亡き染語楼を紹介してくれました。ネタは「稽古屋」。師匠先代文枝の思い出の詰まったネタですが、文三で聴いてはいるとは思うのですが、思い出せません。ひょっとしたら初なのかな。「色事根問」から入り、「四芸」から「稽古屋」に入りました。稽古屋に行くアホ(一二三)が、桁違いにアホで、おもろい男ですが、決してアブナイ系でもない。寸止めっぽいところではあるのですが。稽古屋のお師匠さん、先代文枝の色気を、文三に求めるのは難しいかもしれませんが、明るく楽しそうな人柄が出ていて、なかなかいい感じ。この稽古屋に行ってからがいい感じだったため、序盤の古いくすぐりが、ちょっと無駄な感じがしてしまいました。マクラも、弾けきってたこともありますが。染八の2つ目は「饅頭怖い」。何回か前のこの会でネタ出しをしていた記憶がありますから、違和感なく入ってきました。もちろん、黄紺的には初遭遇です。現松喬からもらったものですね。雀三郎版のように、登場人物の描き分けには、さほどこだわりを見せず、噺の流れを、何よりも大きく扱おうというコンセプトのものかと思います。軽快なお喋りが合ってるかなと思える染八には、いいチョイスだと思います。「饅頭怖い」には、そのくらいしかメモることができません。おやっさんの怖い話に入る前で、居眠りに入ってしまったもので。今日は、わりかし優秀だったのに、あかんね。終演は、午後9時半を回ってしまってました。「饅頭怖い」が始まった時点で、動楽亭ではヤバいのじゃと思ってしまったのですが、大丈夫だったかな。ところで、心配していた入りでしたが、ほとんど影響を受けてなかったかもしれません。いやいや、裏番組がなければ、更に一層の集客力を身に付けているのかもしれませんが。


2020年 2月 10日(月)午前 9時 42分

 昨日は二部制の日。午後にセミナーに行き、夜は音楽を聴く日でした。まず、午後は、京都大学稲森財団記念館に行き、「京都伝統文化の森推進協議会文化的価値発信事業 第27回公開セミナー ゛山づくりとまちづくり゛」に行ってまいりました。その内容は、次のようなものでした。【第1部】記念講演「京都の山河と京都の街」山折哲雄(宗教学者/京都伝統文化の森推進協議会相談役)、報告①「まちづくりから見た京都三山」高橋義人(平安女学院大学国際観光学部教授、京都大学名誉教授/京都伝統文化の森推進協議会 文化的価値発信専門委員)、報告②「鎮守の森プロジェクトとまちづくり--AI予測を踏まえて」広井良典(京都大学こころの未来研究センター教授/京都伝統文化の森推進協議会文化的価値発信専門委員)、「鎮守の森を活用した持続可能な地方創生」田中朋清(石清水八幡宮 権宮司)、【第2部】パネルディスカッション及び意見交換~京都のまちづくりを考えよう~、(パネリスト)第1部の講演者及び報告者/山折哲雄、高橋義人、広井良典、田中朋清、(コーディネーター)鎌田東二(京都大学 名誉教授、上智大学グリーフケア研究所特任教授、放送大学 客員教授/京都伝統文化の森推進協議会 会長)。山折さんは来年90歳になる著名な宗教学者、黄紺も知るほど著名な方。年齢を感じさせない切れのある論理展開、これは、後半、パネルディスカッションで判ったこと。せっかくのお話は全滅でした。高橋さんのお話が、なかなかおもしろいもの。今の京都が、いつ、どのようにして出来上がったかのお話。明治になり、神仏分離となり、国家神道に進むのに対し、仏教寺院に対しては、上知令が出され、その所有する寺領の解体が行われます。それって、「ブラタモリ」で、新京極が生まれる話で出てきましたよね。その接収された土地を使い、京都に近代工業を興すことを視野に、京都の近代化を進めたのが京都府第2代知事槙村正直。天皇が東京に行き、一挙にさびれかかった京都再建の切り札だったかもしれません。でも、そのまま突き進んでいたら、その路線で、今の面影はなかったろうとのこと。実際、京都三山は禿山化していっていたようです。その路線にブレーキをかけた人が、次の第3代知事北垣国道だそうです。北垣の都市計画は、自然との調和、景観を大事にしたものだったということで、今の京都の原型が生まれたようです。先に書いた新京極は、「ブラタモリ」のおかげで知り得たものですが、それ以外の地域で、上知令以後生まれた景観を記し、記憶に留めたいと思います。「南禅寺界隈」(周辺の別荘地域と思います)「祇園花見小路界隈」(建仁寺の寺領跡に歌舞練場など)「石塀小路」(高台寺界隈)「円山公園」(もっと古いと思っていた)。次いで、広井さんのお話。3つのパートに分かれていましたが、時間を考え、かなりはしょり気味。おもしろかったのは1つ目。「AIを活用して持続可能な日本の未来に向けた政策提言」と題してお話されたところ。巷間言われるように、人口の減少期における社会保障、環境や資源などのファクターが、どのようにすれば持続可能かの検証ですが、出てきた答えは、都市集中型から地方分散型へ移行する、正に、その分岐点に立っており、3年前の予測で、8~10年後と出たそうです。この結果は、100年前にハワードの出した「ガーデンシティ」のプランに合うようだとのお話でした。自然と共生する都市への回帰が、人口減少期にふさわしかったですとのこと。そのためのプランとして、実際に取り組まれているプロジェクトのレポートが入りました。それが鎮守の森プロジェクト。次の田中さんのお話への橋渡しと看たのですが、、、。田中さんが、ぎっしりと石清水八幡宮での取り組みをレポートされるものと思っていると、この間、2度ばかり聴いたSDGsのお話。更に、鎮守の森が果たしてきた役割といったお話で、必然か国家神道批判を聴き、結局、お目当ての具体的な資料の紹介には、ほほ入らずといった流れとなりました。これは、ちょっと外された感が残りました。後半は、報告をされた方たち同士の質疑応答。どうも質問に対して、的確な対応がされず、退屈な感じを持っていると、案の定、居眠り。そんなで終わってしまいました。啓蒙のようで、参加者の顔ぶれを眺めると、そうとはばかり言えそうでもなく、行政が噛むので、フラットかと思うと、ちょっと?が点りかけたりと、なんか釈然しない催しでした。あんまり色分けは、今の時代、不要なのかもしれないけれど。誰しもがエコを口にする時代だからと思い行って勉強しようの気持ちで行ったのですからね。
 セミナーが終わると、夜までの時間調整を兼ね、アーバンウォーキングに。どんどん暗くなり、途中から、方角は判っていても、どの辺りにいるか判らなくなり、ググらねばなりませんでした。で、夜はカフェモンタージュ。今夜は、「ベートーヴェン&ラフマニノフ」と題して、そのまんまのプログラムが組まれました。(チェロ)金子鈴太郎、(ピアノ)岡本麻子のお二人が演奏されたのは、「L.v.ベートーヴェン:チェロソナタ 第3番 イ長調 作品69」「S.ラフマニノフ:チェロソナタ ト短調 作品19」。いい、そして、ポピュラーな名曲が並んだためでしょうか、とってもいい入り。演奏のお二人は、高校の同級生だそうで、それを、オーナー氏の前説で聴いたからか、演奏に入られる前から、全体的に空気が柔らかそうな感じ。岡本さんのピアノは、タッチがしっかりしているという感じで、音の掴みがいい。これが、このコンサートで一番の収穫。ま、金子さんは、こちらの常連ですから、新鮮味という点では、岡本さんに譲らねばなりません。でも、金子さんのアインザッツを聴いただけで、やはりガット弦の響きなんでしょうね、独特の響きがあり、「いい音出てる」感を持ってしまってました。2曲では、ヘートーヴェンに軍配かな。途中から、いい響きなんだけど、カンタービレというか、もうちょい歌って欲しいな感が出てきて、その欲求が、ラフマニノフで、より高まったからですね。金子さんは、必ずアンコールを用意されます。「今日は、これしか思い付かなかった」と言って演奏されたのは、「ラフマニノフ:ヴォカリース」でした。


2020年 2月 9日(日)午前 5時 54分

 昨日は、民博主催のイベントに行く日。「みんぱく映像⺠族誌シアター」というイベントが、淀川文化創造館シアターセブンで、年明けから4回行われているのですが、その第3回目の「フィリピン周縁地域の音楽」に行くことができたのです。昨年同様、気づくのが遅く、今年も、昨日の1回だけ参加できました。民博所蔵の映像の上映と解説が行われるというもの。昨年の参加で味をしめての参加となりました。上映&解説は福岡正太(国立民族学博物館准教授)さん、更に解説には、映像の監修にも当たられた米野みちよ(東京大学准教授)さんと寺田吉孝(国立民族学博物館教授)さんが加わられました。上映された映像は、次の3本でした。①クリンタン/フィリピン・ミンダナオ島のゴング音楽②祝いの音 戦いの記憶/フィリピン・ルソン島 山岳民の結婚式③フィリピン北部バルバラサン村の音楽とくらし。いずれも、フィリピンが舞台。①は、しっかりと観ることができたのですが、②と③は居眠り。後半のトークと、一部、記憶のあるところを噛み合わせると、②では、教会音楽に土着の音楽が使われており、音楽面での文化の混淆を示すもの。③北部地域の先住民の音楽のドキュメント。ただ、儀礼の音楽のため、それ以外の演奏はできないと、村の外れで収録。黄紺には記憶がないのですが、演奏に使用される竹楽器の制作ドキュメントもあったよう。全て音楽絡みのドキュメントですが、共通して出てくる楽器はゴング。ガムラン音楽で使われるあの楽器です。ゴング楽器の形状には2種類あるそうです。ガムランの場合もそうですが、上の部分に取っ手のようなものが付いているものと、そうではなく平たいものがもう一つで、こちらの方が、分布は少なく、このフィリピン北部以外では、ラオス、ヴェトナム辺りの、インドシナ中部に分布するくらいとか。平たい方が古いのかなぁとは言われていました。中国にも似た楽器があるそうで、どちらから伝わったかは、判ってないそうです。10世紀の文献史料に、中国からの船の積み荷だったかに、ゴングが出てくるのが、フィリピンのゴング楽器の初出だとか。そのゴング音楽が、かつて首斬りの儀礼音楽に使われていた(②)ことから、ゴング音楽には、何かしら霊的な意味合いを持っていたようだとのことでした。民俗的世界の音楽には、こうした霊的な意味を想定しながら考察を深めることの肝要さも、お話が出ていました。歌垣の音楽としても使用されていたようだとも言われていました。②か③のいずれかだと思います。①の撮影時のお話がありましたが、なかなか強烈で、且つ、他の地域にも言える話として聞いておかねばならなかったことがあります。①の映像では判らない、画面の外の話です。ミンダナオ島は、反政府組織と政府軍との軍事行動のあるところとして知られたところです。撮影した地域も、戦闘がいつあるか判らない、また、身代金目当ての誘拐多発地帯のため、フィリピン軍兵士10人に囲まれての撮影だったとか。結局、こうした戦闘があると、その地域の人は避難する。難民化して、その地域が解体されてしまうわけです。地域共同体が、長い間伝えてきた伝統が伝承されていかない、いけない契機となっているようです。共同体単位で避難するってことは、まあないですからね。そのため、フィリピンが植民地化され、キリスト教の強制で大きく消えていった伝統が生き残っていても、現代の戦闘で、また絶滅の危機に直面しているようです。①は、地域がら、特に絶滅が危惧されることから、①で演奏された方を、民博のイベントで招請したとき、持ちネタ全てを記録に収めたと言われていました。なかなか凄まじい話です。そのような活動をされてきたお二人に加え、司会の方もインドネシアの音楽を専門にされていることもあり、特にゴング音楽&楽器に話がはずみ、且つ、会場からもおもしろい質問が上がり、上々のイベント。黄紺も尋ねたいことがあったのですが、さすが居眠りの自覚があり、自重。今度、民博の映像資料視聴で、居眠りしていたときに流れたものを観ることができるようでしたら、補足のために観ることにしましょう。1回しか参加できないのが、ホントにもったいない企画です。


2020年 2月 8日(土)午前 4時 16分

 昨日は、京都アスニーで行われている「ゴールデン・エイジ・アカデミー」に行く日。市民向け公開講座です。2月のテーマは「戦国時代の武将たち」。人の集まりそうなテーマです。昨日は、その中でも旬の題材で、「明智光秀の生涯~近江との関わりを中心に~」という演題で、長浜市市民協働部学芸専門監の太田浩司さんのお話を聴くことができました。光秀は、今年の大河ドラマの主人公、ということもあるのか、えらい賑わい。ここ2回と比べると、混み方の次元が違いました。講師の方は、こちらで講演をされているようで、昨日も来ていた弟などは、「この先生だから来た」と明言。同じような人たちが群がって来たのでしょう。確かに、解りやすい上に、上手く大河と重ねてお話をされるものですから、大河を観てない黄紺にも、楽しく聴くことができました。ドラマは観てなくても、沢尻エリカの逮捕は知ってますから、それがどの役だったかと言ってもらえるだけで、耳はダンボになってました。が、一昨夜も、ありえないほど眠れず、前半は、しっかりと居眠り。でも、幸いに、前半は、話の順序として、光秀の出自の話。この部分は、滋賀県主催の公開講座で、しっかりと教えてもらっています。ましてや、美濃でななく近江だという史料の紹介がメーンだったお話だったものですから、出自に関する最新の話題まで押さえているつもりになっていますから、あやうくセーフというところです。ましてや、講師は長浜の方ですから、近江説を放置することはありえませんものね。そのあとに、光秀を、他者がどのように評価していたかというお話があったようですが、ここは、完全に抜かしております。一番のダウンです。レジュメでは、ルイス・フロイスと信長から見た光秀となっています。それに続いたのが、光秀の業績というか、光秀の実像。志賀郡拝領、その後に坂本城を造っているのですが、光秀は比叡山焼き討ちの総大将だったということ。お話の順序が上手く、まず、比叡山焼き討ちのえげつなさの紹介を、史料を使いお話があります。「なでぎり」にしたというほどの惨劇が、身内の史料に現れていました。そのあとに、「信長公記」に著されている志賀郡拝領と来ますから、比叡山焼き討ちの功績大ということになります。「なでぎり」を指揮したのが光秀だったということです。更に、付け加えられます。「大河で、どのように描くのでしょうね」「主人公はいい人に描くものですが、、、」。同様のお話が、竹生島攻め&湖西攻めについても繰り返されました。竹生島に残る社殿などは、ほとんど、そのあとに造られたものとか。それほど、この光秀軍はえげつなかった。この辺りから、時間がなくなったきたため、はしょりながらのお話。その中で押さえられたのは2つの話題。1つは新発見の史料、もう一つは本能寺の変について。前者は、光秀医者説を喚起するもの。新発見の史料には、湖西の田中城にいた頃の光秀の持つ医薬の知識に関するものだったのです。太田さんは、この知識は光秀に帰せなくともいいのではとのお考えを出されていました。後者のお話は、やはり絞めとして肝要です。誰しもが聴いてみたくなる話題。これを考えるには、3つの要素を頭に入れておかねばならないということでした。①光秀は秀吉とライバル関係にあった②信長による四国攻めの方針転換、それまでは、光秀と縁にある長宗我部と結んでいたにも拘わらず、讃岐の三好と結んだ③毛利に匿われていた義昭が毛利ともども光秀に頼ってきていた。②③は、①との関連で考えねばなりませんから、①~③という3つの要素が絡んでいたということになります。なかでも、時期、本能寺の変の日取りは、②敢行の迫る急を要した日だったということで、光秀も計画的でなく、丹波攻め(だったはず)に向かう、京への分かれ道で、「敵は、、、」となったのだろうということでした。その辺りも含めて、大河ドラマも観て下さいということになるわけですが、繰り返し強調されていたのは、大河は、あくまでもドラマだということ。ドキュメンタリーではない、主人公はいい人と描くものだということを、頭に入れて観て下さいということでした。お話を聴き終わり、人出の多さは、単に大河絡みだというわけではないですね。何度も、こちらでお話をされているようですので、弟以外にも、講師の太田さん目当てに詰めかけられたのは方たちも、きっと多かったろうと思わせられたお話でした。


2020年 2月 6日(木)午後 10時 54分

 今日は落語を聴く日。動楽亭であった「弥っこ凧の会」に行ってまいりました。スケジュールと合わず、ちょっと久しぶりの会。その番組は、次のようなものでした。弥っこ「ろくろ首」「お玉牛」、弥太郎「くっしゃみ講釈」、(中入り)、弥っこ「池田の猪飼い」。ずっと睡眠がままならないもので、今日も、各高座のいずれかで居眠り。今日は、高座から、客席全体が見渡せる程度の入りだったもので、とっても恥ずかしかったけど、こう眠れないとダメですね。弥っこは、真面目な人柄と、客席からは見えるのですが、兄弟子の弥太郎が、それを証言してくれました。正に、その真面目さを証明してみせたのが、冒頭の高座でのマクラ。前座を置かない番組なものですから、弥っこ本人がトップに出て、客席を暖めねばならない。そのために、マクラとなる話題をいろいろとかき集めてくれてました。しかも、ネタをくるように、マクラもくってたのではと思わせる口調のように感じてしまいました。まず、1席目は「ろくろ首」だったのですが、師匠の吉弥はやってましたっけ。吉弥だけではなく、吉朝一門の誰か、このネタ、やってましたっけ。米朝一門だと、ざこば組か米二一門だと、黄紺にはインプットされています。実は、居眠りは、このネタのときが、一番えぐく、「養子に行かないか」と話を持ちかけられる序盤しか記憶にありません。2席目は、一旦降りて、違う羽織を来て出てきました。この「お玉牛」が本日のネタ下ろし。吉弥も持ってますから、師匠直伝でしょう。マクラで、「堀越村」と言い出したので、まさかと思ったのですが、やはり、まさかではなく、通常の「お玉牛」でした。98%は聴けてましたから、無事にネタ下ろしを見届けたぞの言葉を出すことができます。ヴァナキュラーな世界、そこに集う、猥雑な若者の噺です。落語には、こうしたジャンルを形成する噺が残っています。船場とは違った土臭い雰囲気が出るかで、満足度が違います。弥っこの口演は、どうだったでしょう。わりかし都会的な雰囲気が残ってたのじゃないかな。暗さも、もう一発だったように思いました。ぞんざいな物言いってのに、慣れてなさそうですものね。ゲスト枠の弥太郎は、久しぶりの遭遇。年数が関係しているのかもしれません。そして、「くっしゃみ」のような大きめのネタは、ほとんど聴いてないように思います。弟弟子樣々で聴くことができたのですが、その「くっしゃみ」が、とっても良かったんだなぁ。もちろん、主役は、彼女に逃げられたアホですが、その主役が際立つのです。クリアになるようにお喋りを展開するのです。覗きカラクリを語るアホの嬉しそうな顔、いいですね。こんな口演を目の当たりにすると、他の噺も聴いてみたくなります。中入りのときって、いつもはスマホいじりをしているのですが、それすらもできないほど、「くっしゃみ」のあとは眠たくて。危ないぞと思ったら、案の定、「猪飼い」は、飛び飛びにしか記憶に残っていません。最近の若手の噺家さん、あまり、このネタをやろうとしない傾向にあるなかの弥っこの口演だっただけに、しかも、「猪飼い」はネタ出しがされていたため、狙い目と定めていただけに、悔しい話ですが、体調が悪すぎました。


2020年 2月 6日(木)午前 5時 44分

 昨日は二部制の日。午前中に、市民向け公開講座を聴き、夜は落語会に行くというもの。まず、午前中は、3週連続で山科アスニーへ。「学びのフォーラム山科」という名で行われている公開講座です。昨日は、「『蜻蛉日記』、夫と妻の力学~なぜ夫は妻に「愛憎の手記」を書かせたのか~」と題して、京都先端科学大学人文学部教授の山本淳子さんのお話を聴くことができました。「蜻蛉日記」は藤原道綱母の作品。そないなことも言われてみて、そうだったかなという程度の知識しかない平安文学。ですから、作品の概要、内容などは知るわけのない黄紺ですが、聴いていて、とってもおもろしろいお話。昨日も来ていた弟は、講師の山本さんのファンと言うほど、お話の上手な方。いつも、同じ時間に山科に行くのですが、昨日は、開場を待つ人の列が長く、ファンは弟だけではないようでした。それだけ、楽しくお話をしていただけ、且つ、素材も興味のあるもの。「蜻蛉日記」では、作者は、達者な歌詠みの力量を発揮するばかりか、夫と言っても正妻ではない(次妻の位置)のですが、夫の藤原兼家の女性問題を辛辣に書き、自分が、そのために、如何に辛い思いをしたのかを、強く書いているのが、目に引くそうです。その具体例を幾つか紹介していただけましたが、かなり激しいものがあります。夫に尾行をつけて、女の存在を確認したりと、凄い。ところが、ここで、不思議なことに思い当たると言われます。平安時代、ものを書くために必要な紙や筆は高価なもので、更に、「蜻蛉日記」の量から考え、半端じゃない量をあてがうことができるパトロンがいないと、これだけの大分の作品は残せたものではないというのです。終了後、弟から聞いた話によると、山本さんが「源氏物語」のお話をされたときも、ポイントとしてお話されていたそうで、こうした平安文学の成立の背景を考える、重要なポイントとなっているようです。では、「蜻蛉日記」のパトロンは誰かとなるわけで、父親か兼家しかありえず、現実問題としては父親は考えられず、兼家でしかありえなくなってくるそうなのですが、そうなると、内容と齟齬をきたしてしまうのです。夫は、なぜ支援したのか、これが隠れたポイント。ある説では、多くの歌が収容されていることから、夫兼家や息子道綱の和歌集ではないかというものです。でも、たとえ和歌集が必要 だとしても、「日記」の内容が相応しいか? 「蜻蛉日記」より後に書かれた「大鏡」に、この日記について書かれたくだりがあるそうですが、作者の辛い思いについて言及してないというのです。価値観が違うということを考えてみると、作者の思いという、この日記の一番目立ったところに目がいかないとなれば、夫の武勇伝という捉え方も成り立ちそうなのです。そういった価値観も含め、となると、様々な可能性が出てきます。そもそも、「日記」は虚構の可能性、また、兼家自身の性格や「日記」に対する関心の度合い。いやいや、作者は、兼家の性格を見抜いて、事実加工を行ったとか。でも、確実に残るのは、作者ばかりか、兼家の歌集を世に残すこと、兼家という人物について妻が、人となりに触れるようなことを書き残した。このように考えられると、何か男と女のゲームのような匂いもしてきます。そこで、最終的に、山本さんは、次のようにまとめられました。レジュメの結びに書かれたものを記し、このとってもおもしろいお話を、記憶に留めることにしましょう。「兼家は道綱母が恨みをこめてしるした作品をもって自らを飾り、道綱母は兼家のニーズを利用して支援を引き出し、書きたいことを書いた。『蜻蛉日記』とはそのような作品と言えそうです。夫も妻もしたたか。作品はその゛似たもの夫婦゛の合力の上に成立したと考えます」。
 山科アスニーが終わると、一旦、帰宅。自宅待機の時間は、トルコ・サッカーのチェック、春のオペラ紀行の下準備に当てました。そして、夜は、ツギハギ荘であった「客寄席熊猫」へ。桂雀喜が、新作を発表する落語会です。その番組は、次のようなものでした。雀喜「一身上の都合」、たま「クイズだっか」、雀喜「一尺法師」。ゲストがたまだからか、入りや出足が良かったのですが、それを捉えて、過去の「客寄席熊猫」に、客足が伸びそうなゲストを喚んだときのレポートがありました。具体的には、南天と吉弥を喚んだときのことですが、予想が裏切られたということでした。冒頭のマクラのことですが、ここいら辺では変は来てなかったのですが、昨日は、3席ともに、口演のどこかで居眠り。午前中のお出かけもあり、もう就寝の時間だったのかもしれません。「一身上の都合」のマクラでは、自身の会社員時代の経験談が語られました。以前に聴いたことがありましたから、この噺自体も聴いたことがあるのかと思い聴き始めると、単に覚えてないのか、それとも最新作なのかの判断がついていません。次から次へと理由をつけて辞意を示す社員たち。それらを、どのようにまとめたのでしょうか? たまのネタは初めてのものと決めつけていたのですが、間違いでした。聴いてました。クイズ・ミリネオアのような大会に参加できることになり、クイズの練習。アホげなクイズ、それに対する反応で、かなり遊んだあと、いよいよアメリカに出発が、ハイジャックされ、ダッカに向かうことになると、思わぬ展開。そこから、ハイジャック犯人とのやり取りに入る終盤なのですが、覚えてないということは、ここでも居眠りをしたみたい。雀喜のもう一つは、以前聴いた記憶はあるが、何せ題名に特徴がありますから。「日本昔ばなし」風の語り口でスタート。雀喜にしてはエロい表現が入り、一尺法師が誕生するという序盤しか覚えていないということは、ここが、一番エグい居眠りをしたようでした。この会に行き、且つ、たまがゲストに来たときというのに、このような情けない様となりました。もったいない気もする一方、落語会の雰囲気に浸れただけで幸福感があるもので、残念感が薄まる感じがしてしまっています。


2020年 2月 4日(火)午後 8時 00分

 今日も、朝から息子が来てくれて、昨日ゴミ出しをしておいたのを、ゴミ処理場に運んだり、新たなゴミ出しを、今度は、息子に手伝ってもらいすることに。書籍関係の処分にも手を着け始めていますが、こちらは、黄紺の腹積もりで基準を設けての処分。かなり緩くしてありますが、それ以外は、長い間見てなくて、パッと見では判らないもの、過去の思い出に繋がるものは処分するとしています。書籍は、思い出に繋がるものもありますが、まだ、これから読むつもり、即ち、これからに繋がるとして残していってます。結局、今日は、2回、ゴミ処理場に行きました。かなり、お疲れです。2日連続でしたから、余計に疲労を感じました。2回目が終わると、適当に京阪電車の駅まで送ってもらい、黄紺はフェスティバルホールへ。京阪電車の定期券がある内に、そして、何よりも忘れない内に、先日、ネット上で買ったチケットの引き取りに行くことにしました。帰途、途中下車をしてのウォーキング。もう始めようかという時間は、暗がりが支配してましたが、敢行。いろいろと、身体を使った一日となりました。


2020年 2月 4日(火)午前 8時 14分

 昨日は、昼前から、また、息子に車を出してもらい、断捨離でできたゴミ処理に。なかなか腰を上げなかったのですが、一旦やり出すと、家内が中途半端な状態になるものですから、続けざるをえません。結構な重労働で腰にくるものですから、そんなにできるわけではないのですが、オペラ紀行に出かける前にメドを立てたいと思うのですが、かなりお先は暗いかな。今日も、息子が手伝ってくれるというので、息子が帰ったあとも、ゴミ出しに精を出しておりました。さすがに疲れました、腰に来てしまいました。でも、続けねばなりません。息子の時間が、わりかし融通の効く今でないとダメなので、頑張らねばならないのです。で、そんなで、夜はお出かけ。行き先はカフェモンタージュは。今夜は、「感謝の歌」と題して、(ヴァイオリン)外園彩香、伊東真奈、(ヴィオラ)鈴木康浩、(チェロ)富岡廉太郎といった4人のアンサンブルを聴くことができました。読売日本交響楽団の大阪定期演奏会に合わせて企画されたコンサートです。団員の方がメンバーにおられるということでのコンサートです。たまたま、知り合いと会ったため、いろいろとお喋りをしていて教えてもらったのですが、会場には、読響の団員の方をはじめ、プロの演奏家が多数詰めかけていたとか。黄紺が判ったのは石上さんだけでしたが。で、プログラムは、次のようなものでした。「F.メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13 (1827)」「L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 作品132 ゛感謝の歌゛(1825)」。昨日はメンデルスゾーンの誕生日だとかで、そのことを、オーナー氏から告げられた演奏者の皆さん、メンデルスゾーンの2番のカルテットを追加されたそうです。とっても重厚な響きを持ち、ちょっと他のメンデルスゾーンの曲のイメージとは異なる曲想を持つ待望のチョイス。それだけではなく、とってもコケティッシュなパートを持ちますから、その変化も楽しい曲。この曲が、あとに出されたベートーヴェンの2年後に書かれたとか。いつものオーナー氏の前説でのお話。そう言われれば、そないな流れかなと納得なのですが、オーナー氏の言葉には、それ以上の示唆が含まれていたように感じました。こうした厚みがポイントとなる曲には、このアンサンブルは強いのです。低音域の2つの楽器を受け持つお二人が、演奏の主導権を持ち、また、いい音、いいリズムなものですから。ただ、ベートーヴェンの4楽章の流麗さのようなものまではカバーしきれなかったかなの印象が残りましたが、なかなかの好演。昼間の疲れが、若干、邪魔しかけましたが、なんとか持ちこたえることができたのも、演奏者のおかげと感謝。労働と文化、その二項対立が顔を出さない、そういった意味では、19世紀前半の長閑な時代にワープさせてもらえたことにも感謝です。


2020年 2月 3日(月)午前 8時 3分

 昨日は繁昌亭に行く日。今年は、これで、繁昌亭は2回目。去年に比べペースが早くなっています。昨夜は、「紫のつる season9~西へ飛ぶ~」がありました。繁昌亭に移ってからは初めて行くことになりました。露の紫と林家つる子の二人会です。アマチュア時代、コンペで覇を競った二人が、東京と大阪で定期的に開いている落語会。今夜の番組は、次のようなものでした。紫&つる子「オープニング・トーク」、紫「長短」、つる子「替り目」、(中入り)、つる子「反対車」、紫「雪の戸田川」。前座を置かない替わりに「オープニング・トーク」。桜を観る会や二人のレコーディングが話題になっていました。紫は、「長短」のマクラで、デパ地下の店員の売り方いろいろ話をしてから「長短」へ。マクラを聴いていて「長短」が出そうだと判り、そこで初めて、勉強会に「長短」を出していたことを思い出しました。「長」の男を極端にゆっくり喋りにせず、「短」の男の素早い突っ込みで、両者の違いを表そうとしていたのは好感が持てたのですが、インテンポに終始したのは、ちょっとつまらないところだったと言えるかもしれません。つる子は「替り目」をネタ出し。東京の「替り目」は聴く機会が少ないのでと思っていたのですが、家に入り酒を呑み出そうとした辺りで、居眠り。何か期待をかけると居眠りが出てしまいます。序盤を聴いていて、やはり「替り目」はムズい噺だなと思ったのと関係があるのだと思います。そんなで、女房に感謝の言葉を言う下りや、結婚式の下りが、どのようなものだったかは判らずじまい。ただ、うどん屋に燗をさせたあとに、新内屋なるものを呼び止める場面が入りました。そして、かっぽれを所望します。実際、つる子は立ち上がり、酔っぱらいが踊る体でかっぽれを踊って見せてくれました。この演出は、この会のためのものか、それとも、通常のものか、その判断は、黄紺にはできておりません。中入りをはさんで、つる子がもう一席。これが、この会の頭抜けた口演。いきなり、足自慢の俥屋の登場です。東京は、市電との遭遇ではなく、ドラム缶でした。ちょっとしょぼいぞと思ってたら、川の飛び越し、狂言の新発意と違い、こちらは勢いがありますから、飛び越しちゃうのかと思ってたら、運命は新発意と同じだったのですが、水中描写が入りました。これ、最高。誰かの「反対車」をもらったのか、つる子オリジナルか、知りたいところです。下げも大阪での口演用かな、でも、おもろければ、全て良しです。こないな勢いで突っ走れる噺をできる噺家さんとは想定外だったので、自分の中でつる子株、めっちゃ上昇です。3連続ジャンプまでやってましたからね。トリは、露の一門らしい怪談、しかも、季節が冬。マクラで、歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒」だと教えてくれました。次郎兵衛がおこんを惨殺する場面と、そのおこんが祟る場面が噺になっていました。黄紺も、存在は知りつつも、遭遇は初めてでした。紫は、こうした噺が合うかもと期待をしていたのですが、残念ながら、無惨な結果と看ました。「長短」の口演同様の陽の声のままというのが、何とも聴き辛いものがありました。五郎兵衞の、こうした噺をするときの抑制した陰の声を、端から勉強して欲しいな。それができる噺家さんのはずということでの期待だったのに、、、。声のいい人なのにと思ってしまいました。それと、体重の関係もあるのでしょうが、ちょっとした所作に入るたびに、バランスを崩すのは興ざめ。つる子の身体バランスのいいのを目の当たりにしたところだったので、余計に失望感が出てしまいました。2人とも、ちょっと背伸びをしたネタ選びだったようには思いましたが、チャレンジを続けないと、伸び代も生まれないというものです。頑張って欲しいな。チャレンジを続けて欲しいな。


2020年 2月 2日(日)午前 2時 31分

 昨日は、京都コンサートホールで音楽を聴く日。京都市交響楽団のメンバーで作るアンサンブルのコンサートがありました。「京都 ラ ビッシュ アンサンブル Vol.16~ベートーヴェン生誕250年~」と題するもので、黄紺も、これで、3~4回目になるのじゃないかな。そのメンバーは、次の方々です。(ヴァイオリン)田村安祐美、片山千津子、(ヴィオラ)小峰航一、(チェロ)渡邉正和、(コントラバス)神吉正 、(クラリネット)鈴木祐子、(ファゴット)仙崎和男、(ホルン)小椋順二。これらのメンバーに、ホルンの水無瀬一成さんをゲストに迎えてのコンサートとなりました。そのプログラムは、次のようなものでした。「モーツァルト:音楽の冗談 K.522」「ベートーヴェン:六重奏曲 変ホ長調 op.81b 」「ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調 op.20」。黄紺は知らなかったので、途中から入ったのですが、渡邉さんによるプレトークがありました。黄紺の聞いたところでは、今回と次回のコンサートが、ともに今年行うことになったので、ベートーヴェン・イヤーに応じたプログラムでコンサートを持つつもりであること。でも、7年後には、没後何年と言い、もう一度、ベートーヴェン・イヤーがあるそうです。そう言えば、ベートーヴェンって1827年没でしたね。有名作曲家が3年連続で亡くなりますが、ベートーヴェンは、その一画を担っていますからね。言われてみて、初めて気づいた黄紺。果たして、7年後は生きてい、、、ないよ。で、このコンサートは、六重奏曲をすることになり、ホルン奏者をゲストで来てもらったことで、ホルン2本という編成のモーツァルトも選んだそうです。おかげで、演奏機会の少ない2曲を、生で聴く機会を得ました。レアと言っても、「音楽の冗談」は聴いたことはあっても、六重奏曲は、その存在すら知りませんでした。もちろん、ヘートーヴェン・イヤーだからこそ、こうした埋もれた曲を聴くことができるのです。六重奏曲は、まるで、室内協奏曲の雰囲気。これは、演奏機会が少ないのは納得できました、昨日の演奏では、低音補強ということもあり、コントラバスの神吉さんも入り、七重奏曲として演奏されました。この曲、通常の室内楽曲と違い、かなり2本のホルンにウエートが置かれて作曲されています。だから、室内協奏曲と書いたわけですが、そうとは思えないと、聴いていること自体がきつくなるでしょうね。ホルン2本と弦楽器とのバランスが崩れているというか、弦楽器はホルンを支えるような雰囲気なのです。ですから、六重奏曲を聴いたあとに、実際、そういったプログラミングなのですが、七重奏曲を聴くと、実に管楽器と弦楽器のバランスがいいのが、手に取るように判ります。冒頭のモーツァルトはもちろんのこと、ベートーヴェンの2曲を加えて、いずれも機会音楽なのでしょうね。七重奏曲も、モーツァルト風なネーミングをすれば、ディヴェルティメントなんてものになるのじゃないかな。そないな印象を持つ演奏でしたし、そう思えてくると、一層、聴いていて楽しくなっていきました。六重奏曲は室内協奏曲の雰囲気だったため、さほど目立ちはしなかったのですが、第1ヴァイオリンを担当する田村さんの弾かれる音楽が、とっても軽やかで、機会音楽としての雰囲気作りに、大きく貢献していました。それに触発されたというよりか、そういったコンセプトでの演奏、それを共通理解としての演奏が、このプログラムを通じてのスタンスだったのでしょう。ちょっと傍らにワインでも置きながら聴いてみたくなる素敵な演奏、いい週末の午後を過ごすことができました。


2020年 2月 1日(土)午前 7時 56分

 昨日は二部制の日。午前中に市民向け公開講座を聴き、夜は落語会に行くという日でした。まず午前中は、毎度のことながら、京都アスニーでの「ゴールデン・エイジ・アカデミー」へ。昨日は、<特別企画:防災を考える>として、「SDGsとレジリエンス~持続可能な都市であるために~」と題して、レジリエント・シティ京都市統括監&元京都市副市長&京都市国際交流会館館長の藤田裕之さんのお話を聴くことができました。SDGsを聴きたくての選択だったのですが、お話の多くは、防災に関するものから、レジリエンスの概念に入るものと言えばいいかな。やはり、このお話は、「防災」が、テーマとしてアプリオリに設定されていましたから、そこから入り、そこの視点を中心に回転しているものだと言えばいいかと思います。まず、最近、日本で看られた自然災害の確認からです。もちろん、地球規模で起こっている環境の変化も把握しておかねばなりません。一例として、頻発するかのような洪水一つ取り上げても、その原因を辿ると。乱開発、林業の衰退による山林の荒廃、道路の整備といった、個々の地域や国家の課題として突きつけられているものから、異常気象を導いている地球規模での環境の変化というものがあるのは知られたことですが、これなどは、個々の地域&国家だけではなく地球規模での対応が必要なわけで、ここに、テーマに掲げられているSDGsが関わってくるとなるわけです。で、そういった流れで設定されているお話だと、その枠組みが見えてはいたのですが、時間の関係もあり、お話は、前者が中心になってしまったというわけです。で、その地域&国家の防災話になると、そのコンセプトとして、レジリエンスの肝要さが説かれていきました。レジリエンスっていうのは、物理学で使うような語句ですね。元来は、「物質や物体が跳ね返って、もともとの形になる能力、弾性」を表すとかで、防災に、この視点を入れると、ダメージを受ける前以上に、よりよく立ち直ることを目指すとなるわけです。社会状況が、マイナスに働いても、それを上回る回復力を示し、時間の大きな推移を眺めた場合には、プラスに転じているものにできるという考え方ということです。自然災害は必ずや起こるもの、災害を止めるという発想から、災害を減らす、また、「雨降って、地固まる」的発想と言われていました。では、京都ではとなったところから、時間が足りなくなってきていることを自覚されだし、お話がはしょり加減になり、耳慣れないお話なため、お話の展開が読みずらくなったいきました。「京都市レジリエンス戦略」というものが発表されているそうです。その概要のお話があったのですが、具体例は、防災に関するものははしょられてしまい、四条通の拡張、民泊条例、屋上看板&点滅看板の撤去といった文化・観光都市京都の観点からの実例でしたが、SDGsの欠片にも入ってなかったことを考えると、仕方ありません。京都市の戦略の責任者だった方ですから、この辺の詳細もお聴きしたくなりました。で、ようやく、項目立てをされていたSDGsへ。SDGsは、「経済成長」「社会包摂」「環境保全」のバランスを良くしながら、「持続可能な開発」をするために設えられた「目標」であることは、黄紺も学習済み。そのために、17本の柱を立てられていることも、学習済み。それについて、おもしろい比喩を使われていました。17本の板で樽を作るとできる隙間を埋めるのが、レジリエンスの考え方というものです。ここで、SDGsとレジリエンスが結びつくというのです。ここいら辺に、もっと時間を取って欲しかったな。むすびとされていた内容をメモっておきます。①「地球の支配者」という驕りからの脱却~人にも社会にも自然にも優しいライフスタイルの実践②「自分さえ良ければ!」「今さえ良ければ!」の克服(スウェーデンのあの少女の訴えを上げられてました)~施策の融合、想定外の排除③レジリエンスは与えられるものではない~当事者意識、参画意識を持った地味なぐるみのまちづくり運動。黄紺的には、SDGsに関心が出てきたのは、「社会包摂」というコンセプトが入っているからです。この視点が生かされ、いや何よりも生かされるか否かが、この取り組みの可否を測れるものと考えています。2030年まで生きてはいないでしょうが、途中経過ぐらいには着目していこうかなと、再度、思えるようなお話でした。
 京都アスニーを出て、帰宅。夜までは自宅待機でした。そして、夜は、昨日もツギハギ荘。昨夜は、「しん吉、勤しむ。」という落語会がありました。2ヶ月に1回、最近、しん吉が一人っきりで始めた落語会です。その番組は、次のようなものでした。「初天神」「出張(仮題)」「牛乳時代(作:中島らも)」。マクラでは近況報告。最近のしん吉は、どうしても、双子の娘さんの話になります。また、それを聴けるのを楽しみにしている黄紺がいます。娘さん、年齢的には、DとSの間じゃないかな。で、子どもの話が出たところで「初天神」へ。南光に稽古をつけてもらったそうですが、黄紺は、早々に居眠り。まだ、親子は家を出ていませんでした。快復しないまま、1席目は、あえなく下げへ。しん吉の「初天神」って、聴いた記憶がなかったもので、楽しみにしていたのに、この様です。2つ目は新作、それも、真新しいもの。新幹線で出張に出かける3人の内2人が、席のことでするぐだぐだ噺。寝相が悪いことから険悪になってしまった2人の内1人が、席を替えさせようとするのだけれど、話しているもう1人の男は、鉄ちゃんのため、窓側に座席を取り、対向車を撮影するために、頑として応じない。そういったやり取りの中で、険悪になったわけが明らかになっていく仕組み。そして、ようやく見つける解決策が下げになるというもの。でも、その下げの意味が、黄紺には判らなかった。「牛乳時代」は、ホントに久しぶり。らも作品ということで、マクラで、中島らもの思い出を話してくれました。らもと言えば、吉朝との親交がありましたから、当然、師匠の思い出話にもなります。らもは、吉朝の亡くなった1年前に亡くなったそうです。「そうだったのか」と呟きかけてしまいました。噺の内容は、すっかり忘れていました。子どものケンカの噺です。そのケンカの原因をたどって行くと、最後は、「次のご用日」のような展開になったいきました。らもらしい、不思議な作品です。あとから思い出したのですが、前回、このネタの口演に遭遇できたとき、しん吉は、「吉朝は立って口演したことがあった」と言ってたような記憶があるのですが、、、。


2020年 1月 30日(木)午後 7時 30分

 今日は、昼前に息子と京都市内で合流。家の用事とやらを、二人で片付け、近くのベトナム屋さんで食事。フォーを食べたくて行ったにも拘わらず、メニューを見て迷ってしまい、タイのガッパオそっくり飯を注文してしまい、息子の食べたフォー系飯を羨むハメに。それから、息子に手伝ってもらい、先日から始めた断捨離作業をちょこっと。息子は、Dのお迎えに行く時間もあり、昼間の家の用事のついでって感じで、今日は軽い作業だけ。電化製品の処分を始めたのですが、ものによっては、特別料金が発生。しかも、専門業者に持ち込まねばならないものもあるのですね。ま、環境を考えての措置なので仕方ありません。だけど、一旦、断捨離に手を着けると、中途半端にはできないため、止めるわけにはいきません。本格的な断捨離に、ようやく気が向いてきました。


2020年 1月 29日(水)午後 10時 43分

 今日は二部制の日。午前中に、市民公開講座を聴き、夜には落語会に行くというもの。まず、午前中ですが、先週に続き、山科アスニーであった「学びのフォーラム山科」へ。今日は、「大人のための星空宇宙入門」と題して、京都市青少年科学センター学芸員の本部勲夫さんのお話を聴くことができました。普段は、こういった公開講座では出ない天文学のお話。それを見込んでの解りやすいお喋りに、画像や映像を加えて、ヴィジュアル的にも示していただけ、これ以上は望めないような講演。一方で、普段は、ほぼ耳にしない、目にしないお話だったもので、頭がついていかないものもありましたが、一つには、自分が、最新のニュースに疎いものがあるため、他の方たちは解っていても、黄紺には解りずらいものもあったことも事実でした。お話は、地球の近くからスタート。月、星座、惑星、宇宙へと拡がり、最後に、宇宙に関する最近の話題となりました。やはり、午前中のことですから、月と星座までは大丈夫だったのですが、惑星は木星のお話までは、居眠り。土星から覚醒。土星の探査機が、惑星の観察後、土星に突入し燃え尽きてしまう姿を、CGで見せていただけたことに、いたく感動。宇宙のところでは、銀河系の広さ、一番近い銀河系、また、銀河系での太陽系の位置、銀河系の中心のお話など。ただただ呆然としてお聴きするだけでしたが、どこかしらワクワク感が生まれてくるのが、天文学のお話ですね。最後の最近の話題では、系外惑星、重力波、超巨大ブラックホールが取り上げられました。それぞれ机上の理論としては語られていたもの。それを、どのようにして発見に繋がったかというお話は、物理が苦手な黄紺には、とっても縁遠いお話。でも、それまでの思考を超える考え方、方法が採られたらしいことは解ったような気がしました。呆然として聴いて、そそられる話は、この手の話に限ります。そういった意味で、自然科学系の話題って、聴いてみたい気にさせられますね。
 山科アスニーを出ると、一時帰宅。いつものように、トルコ・サッカーの情報漁りや春のオペラ紀行の準備で、あっさりと時間が過ぎて行きました。そして、夜はツギハギ荘へ。今夜は、「第15回サクッと吉の丞」のあった日。吉の丞の会は、ほぼ動楽亭からツギハギ荘にシフトした印象。その番組は、次のようなものでした。弥壱「つる」、吉の丞「かぜうどん」「崇徳院」。弥壱の高座は初遭遇。「寸志事件」を、年末の吉の丞&小鯛の会で聴いていたため、どんな口演になるか、楽しみ&不安の入り交じったものを持ちながら聴き出したのですが、不安は全く不要だということが、たちまち判明しました。すっごくしっかりと情景を捉えることのできる人だなぁということが、すぐに判りました。また、楽しみな素材見っけというところです。甚平衞さんに、ちょっとした位が付けば、もっと良くなるし、辰つぁんの仕事ぶりを、もう少し丁寧にできると、更に良くなるのじゃないかな。今回から、前座を入れた(後輩と親しくなるためとか)ため、吉の丞の口演は2席。1つ目は、吉朝テイスト満載の「風邪うどん」。特に、風邪ひきの男がうどん屋に声をかけてるところや、風邪ひきの男がうどんを食べるときに、吉朝の口演と重なり、ちょっと熱くなってしまったほどでした。吉の丞は、うどん屋の売り声が伸びるのがいいですね。このネタに入る前には、ホントの暗闇経験の話をしてくれたのも良かったな。そんなで、1席目で、もう元を取ったというところだった上に、「崇徳院」がスーパーな出来栄え。滑舌がいいものですから、緩急自在。急の部分がかまない。忙しくなく、気の乗りと感じられ、効果抜群。熊五郎の慌てなところ、無頓着なところ、焦り、こんなのを、まことに見事に表す手になっていました。ネタの繰り方も心得ているのでしょうね。ボクシングの選手が試合に合わせ、体重を絞り、最高のコンディションに持って行くように、ネタの繰り方の自分的コツを身に付けてるんだろうなと感じさせる、最高の仕上がりぶり。やはり、「崇徳院」は、熊五郎に、噺家さんの気が乗ったときに、最高の輝きを放つということを証明した素晴らしい口演だったと思います。黄紺が聴いた吉の丞コレクションの中で、ベスト・パフォーマンス候補にノミネートです。来月の会は、他に行きたい会もあるので、パスをすることも考えていたのですが、これだけの口演に接すると、あっさりと撤回。来月も吉の丞を追っかけます。


2020年 1月 28日(火)午後 6時 37分

 今日は博物館に行く日。先日、枚方市での講演会に行った会場で見つけた1枚のチラシ。それに惹かれて、大東市立歴史民俗資料館に行ってまいりました。現在、同資料館で、市民学芸員提案事業「祭りの衣装 祭りの小道具」展が行われていることを知ったからです。同資料館の最寄駅は、学研都市線の野崎駅なのですが、帰りはともかくも、往きは、ウォーキングがてら京阪萱島駅から歩いて行くことにしました。久しぶりに歩く寝屋川、大東界隈。深北緑地を抜けると、もう野崎駅は間近。1時間余で、目的地に到着。図書館などと同じ建物内の資料館。常設展は、地域の歴史を小学生に教えるように仕立てられていました。この地域の歴史には疎い黄紺には、ちょうど手頃なもの。やはり、この地域は、生駒山地の縁ですから、河内湾や河内湖があった時代には、住むのに良かったのでしょうね。2万年前の遺物が出てきているそうです。やがて、湾や湖がなくなっても、この地域は低地で、名うての洪水多発地域。現代に入っても、有名な行政訴訟があるくらいですから。その原因を、黄紺は、迂闊にも寝屋川だけのせいにしていたのですが、もう一つ、大和川を忘れていました。付け替え以前の大和川は、ここまで北上していたのですね。これは、大きな収穫。付け替え後も、寝屋川は暴れるわけで、先に書いた行政訴訟の原因を作ってるわけですから、大和川まで暴れられたことでは、たまったものじゃなかったでしょうね。旧川床や氾濫原に新田開発がされていきます。鴻池新田なんてのが、その名残りだとは、随分以前に誰かに教えていただいたこと。恐らく、新田で獲れた米などを運ぶ水路が造られていったのでしょうね、それが、野崎詣りを喚ぶということになったとか。雰囲気が、がらりと変わったことでしょう。あまり深くは考えていたわけではなかったのですが、野崎詣りの起源のようなものを知ることもでき、大収穫でした。近代に入り、片町線も通りとなると、大阪への距離が近いから大企業が入ってきます。大東と言えば、三洋電機、松下電器を思い付きますが、最初は、カネボウだか、クラボウだか、紡績工場だったそうで、なるほど、河内は綿だって、ここで河内木綿に気が付きました。地域の歴史っておもしろいですね。古墳もあり、延喜式に記載されている神社もあり~ので、なかなか濃い歴史を持っています。その中でも極めつけが三好長慶。館内には、「大河ドラマに三好長慶を」のポスター、幟なんてのを見かけました。ま、今年の光秀での、長岡京市のはしゃぎようを見れば納得ですし、先日の梅林さんの講演では、「ブラタモリ伏見編は伏見区民90%が観た」なんて言われていましたが、真偽のほどは判りませんが、地元がマスコミに乗ると、儲かる話もあることはあるかもしれないのでしょうが、単純に喜ばれるもののようですね。ところで、この資料館に行くきっかけを与えてくれた「祭りの衣装 祭りの小道具」展は、地味におもしろい企画。大東市内に出る地車、それに関わる人たちの衣装、履き物、アイテムなどを、町内ごとに画像に収め、それを展示したもの。伝統的なものもあれば、それを現代風にアレンジしたものがあるといった具合で、正に百花繚乱。地味な活動が、貴重な民俗資料を作り上げました。地元の祭を、角度を変えて、資料化されているようで、ほのぼの系の展示を楽しませていただきました。帰り道、せっかくここまで来たのだからと、野崎観音のある慈眼寺に行くことにしました。資料館からは、徒歩で10分もかかりませんでした。階段下の門前には、この界隈随一の料理屋「福寿山魚捨」がリニューアルされ、構えが、えらく立派になっていたのに、びっくり。こんなのも含めて、ちょっとしたミニトリップは、満足度高しでした。


2020年 1月 27日(月)午後 6時 42分

 今日は、お出かけなしの日。おまけに雨。定番のウォーキングに出かけるのも気が進まない雨。ですから、午前中は、お酒を呑みながら、オペラのDVDを観ておりました。先日来観ていたドレスデンの「ローエングリン」です。ピョートル・ベチョワがローエングリン、ネトレプコがエルザを歌うという異種格闘技戦のようなプロダクションです。3月に、デュースブルクで観ることもあり、観ておりました。その次は、古いグラインドボーンの「イドメネオ」。こちはら、サイモン・ラトルの振るプロダクションを観ることになっているための予習。ようやく、雨が止んだかと思い、ウォーキングを午後になり始めたら、また雨。でも、一応、狙いのコースを歩き通しました。せっかくの空き日なのですから、家の片付けも。そしたら、息子と黄紺の父親が、一緒に映った写真が出てきて、びっくり。そないな写真があるとすら、端から考えていなかったもので、急いで、息子に送りました。片付けをした副産物です。ちょっとした駄賃というところかもしれません。夕方には、2回目のウォーキング。休日は日に2回のウォーキングを守りましたが、完全な雨。傘をさしてのウォーキング。おまけに風もありという悪コンディション、でも、予定のゴールまで到達。パチパチパチパチ。


2020年 1月 26日(日)午後 11時 14分

 今日は文楽を観る日。第1部は、随分と前に観たのですが、第2部は公演最終日に観ることになりました。その番組は、次のようなものでした。「加賀見山旧錦絵~草履打の段、廊下の段、長局の段、奥庭の段~」「明烏六花曙~山名屋の段~」。「加賀見山旧錦絵」は、初めてではないのですが、内容は、すっかり忘れ、有名な登場人物の名前は、さすがに覚えていました。自ら刀を持ち、口封じのためには、利用するだけ利用して、あとは殺してしまうことも厭わず、お家乗っ取りを企む岩藤、その岩藤が密書を落としたのを拾ったため、何やらおかしいということで目を着けられ、いたぶるだけいたぶられ、最後は自害してしまう尾上、この二人の名前はばっちりだったのですが、もう一人の主役がいました。尾上に仕えるお初です。このお初が、主尾上の恨みを晴らすため、「女忠臣蔵」と言われているそうですが、このお初って、いいキャラです。自分的で言うと、文楽が生んだ最高のキャラって言いたくなるほどです。テキストにもあるのですが、忠義で利発だったかな、利発は合っているのですが、「忠義」のところには違う言葉が入ったかと思います。「健気」だったかもしれません。このお初が、尾上が自害するかもしれないので、外に出かけていいか悩んだり、忠臣蔵の物語を話して、短慮を、尾上に慎むように進言したり、そして、尾上の亡骸を前に復讐の決意をする場面が、ホント、凄い。そのお初を遣われたのが勘十郎さん、岩藤は玉男さん、尾上は和生さんと、役者が揃い踏み。中でも、立ち役の玉男さんが岩藤という女性を遣われるというので驚いたのですが、プログラムに依ると、岩藤は立ち役が遣うとの約束事があるとか。太夫さんも、この「長局の段」は、前が千歳太夫さん、アトが織太夫さんでした。織太夫さんが苦戦されている姿は、初めて観たなぁ。それだけ難しいところなのでしょう。この段は写実的なのに対し、実際に、お初が岩藤を殺め本懐を遂げる「奥庭の段」は、様式的になります。三味線は置かれ、義太夫もなしで、バックステージからのお囃子に乗り、型に則った斬り組となります。こういった美的感覚って、凄いですね。着想がぶっ飛んでるだけではなく、受け手の客も受け入れたからこそ、今まで残って来たのでしょうね。恐ろしきかな、日本文化。「明烏六花曙」に出てくる名前、山名と浦里、、、これ、どこで聞いた名。鶴瓶がタモリから聞いたプロットを落語化し、しかも、それが歌舞伎にまでなった噺と同じなのです。調べてみると、物語は、全く別物だけど、落語化するときに、この「明烏六花曙」の登場人物の名前を拝借したらしいのです。ということは、落語台本を書いたのはくまざわあかねさんだから、くまざわさんの仕業ということですか。筋立ては、似たものが、他にもあるような。遊女の真心という、よくあるプロットに加えて、男が失敗して心中を考える、これも、どこかで見かけますね。だけど、ちーと違うのは、女に会いに来た男が、女と一緒に逃げてしまうのですが、その逃げる機会作りに、チャリ場を用意しているところと言えばいいかな。始まってちょっとしてから、よくある話だなと思ったのが悪かったのか、居眠りを、一番してしまったような気がしています。今日は、「加賀見山旧錦絵」を観ただけで良しとしておきましょうか。


2020年 1月 25日(土)午後 8時 21分

 今日は、枚方市主催の市民公開講座に行く日。今年度の「文化財連続講座(4)」として開催された講演「東京第二陸軍造兵廠と香里工廠」を聴いてまいりました。「戦時下の大阪-枚方の戦争遺跡を中心に」と題してシリーズ化されたもの。全4回全てに参加したかったのですが、第2回目と今日の第4回目だけに、参加することができました。かつて枚方市に住んでいたときに知った「軍都枚方」の姿、自分的にとっても気になるテーマなのです。今日、お話をされたのは大阪府教育庁文化財保護課の森井貞雄さん、ご専門は古代史だそうですが、お生まれになった枚方市の戦争遺跡に、中高生の頃から関心を持たれていたということで、このテーマにも筋金入りの方。まずは、香里工廠が載っている古地図を見せていただけました。きっちりと、片町線(学研都市線)からの引き込み線も載っていました。香里工廠は、現在、広大な香里団地のあるところ。さほど谷筋が並ぶところとは、香里団地を歩いても感じないのですが、その古地図を眺めると、尾根筋と谷筋が細かく並んでいました。ということは、その地形を狙って作られたということですね。次に、年代順に、軍事施設、火薬製造が中心だったようですが、それが拡大していく姿をレポートしていただけました。香里工廠の建設案が出始めたのが1938年ということですから、日中戦争は始まり、戦線が拡大していく、正にその時期に建設されていったということですし、禁野の火薬庫爆発よりあとになりますから、その事件と関連があるのかもしれません。1942年4月という年号の入った香里工廠平面図を見せていただけましたが、地形を利用して、見事に谷筋に工場が並んでいました。そのあとは、工場の仕組み、生産されていた火薬の種類のお話になったのですが、黄紺的には、どうでもいいや的に思ってしまったため、またしても居眠り。この香里工廠の稼働が終わるのは、当然、終戦で。再び、時系列的に、戦後の展開に。最終的には香里団地の建設にとなるのですが、その間のことは詰めては知らないため、聴いておきたかったポイント。米軍による接収、爆弾の処理も米軍の手で行われた時期もあったとか。また、払い下げの要請もあったようです。全国に散らばる同様の施設の中には、払い下げに応じられたものもあったようですが、香里工廠跡は、住宅公団の管理に移行するまでは、払い下げには応じなかったようです。元々、農地だったこともあり、地元の枚方町(市制移行は1947年)の払い下げ要請もあったようです。また、黄紺も知っていた話ですが、というか、ちょっとだけ調べたこともある問題ですが、朝鮮特需の際、軍需工場復活に動く、そないな要請(その1つが旭化成)があったのですが、枚方市議会も反対決議を上げたように、地元の反対に遭い、払い下げが実現しなかったということもありました。香里団地の第1期工事が着手されるのが1956年。ようやく落ち着き先が固まったというわけです。母親が、建設間もない香里団地を、京阪電車の中から指し、「あれ、見てみぃ」と教えてくれたのが、黄紺的香里団地の初見でした。白い建物が並ぶ、それまでに見たことのない光景、目に焼き付いています。その頃は、その地に、こないな歴史を持つところとは思いだにしてなかった、ですね。終盤、香里工廠が残るところの画像を見せていただけました。埋蔵文化財には指定されていないため、あまり残ってはいないようですが、枚方市は、戦争遺跡として認識し、調査はしているようですし、また、一部は指定文化財の措置を取ったものもあるそうです。そないな気があるから、こないな講座も設定できるのだと思います。負の遺産に向き合うことを避ける傾向にある日本において、貴重な取り組みかと思います。黄紺も、ほんの数年だけ住んだことのある町なもので、関心があります。頑張って欲しいものです。
 講演が終わると、息子の家に。行くことを知らせてあったので、Sは、まだ解らないのですが、Dは待ち構えていました。もう、明日は筋肉痛が出るのが確実なほど、遊んでしまいました。


2020年 1月 24日(金)午後 10時 56分

 今日は講談を聴く日。千日亭であった「南湖の会~よみがえれ!探偵講談」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。一海「信長と藤吉郎」、南湖「5分講談×5」「正月松飾り」「乱歩の魔術師」「谷風の情け相撲」。一海くんは、こちらの会でも空板。開演前の口演でした。ネタは、「続く会」と同じものでした。南湖さんは、いつものようなマクラはなしに、「怪談最終戦」の結果を告げ、ちょっとぼやきを言ったあと、そこで使ったネタ、使う予定だったネタを、相次いで披露しました。コメディタッチにすると勝てないというのが教訓だったようです。「正月松飾り」は、1月にしかできないというネタ。今年は口演できる機会は今日だけということです。ということで、毎年1月のこの会で聴いているような気がしています。そないな気がしたからか、半ばから居眠り。睡眠障害が解け、昨夜は10時間ほどの睡眠が取れたのにです。居眠りは、次の今月から始まったシリーズ「探偵講談」にも影響が。ほぼ全滅でした。福島のお寺での「探偵ナンコ」という「探偵コナン」を文字った会が懐かしく、楽しみだっただけに、情けないことです。10分ほどの中入り後は、久しぶりに聴く「情け相撲」。南湖さんの口演でも、何回か聴いているおなじみネタなのですが、進化したように聴こえました。くすぐりが多くなったから? そうではなく、口演の巧みさがましたから? いずれにせよ、新鮮な印象を持ってしまいましたし、素直におもしろかったと言えるのです。ところが、このネタを始めてすぐに、言うつもりだったというマクラを思い出し、ネタを中断して、その思い出したことを喋ってくれました。東京であった同期会でのお話でした。で、会が終わり外に出ると、千日前界隈は、凄まじい人。いつも以上だということは、春節の休暇を日本で過ごす旅行客がいるからなのかな。もう逃げるように歩かねばなりませんでした。


2020年 1月 23日(木)午後 11時 10分

 今日は、朝から雨。ずっと降り続くので、なかなか外に出る気もしない日。午前中にびわ湖ホールであるオペラ公演のチケットをゲットしたあと、雨中ウォーキングに出かける手はずが、結局、昼になろうかという時間帯に、買い物がてらのウォーキング。でも、雨が降っても、気温が下がらないのが助かります。今日のお出かけは、夕方から繁昌亭に向かいました。今年初めての繁昌亭です。今夜は、「月刊笑福亭たま1月号」がありました。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「米揚げ笊」、染吉「棒鱈」、たま「芋俵」「質屋芝居featuringつる吉」、(中入り)、つる吉「いらち俥」、たま「ショート落語」「七福神総選挙」。久しぶりの「月刊笑福亭たま」。ゲストやたまのネタを見て、スペシャルだなと思うと行こうとしています。今日の場合は、「featuringつる吉」というおまけの言葉に導かれて行ってまいりました。毎回、たまが出る前に、若手を2人置くのは恒例。慶治朗は、久しぶりの遭遇。元々、語り口の爽やかな噺家さん。でも、高座を観ていると、生真面目そうな印象ばかりが残り、おもしろ味を感じさせてもらえてなかったため、勉強会なんかも敬遠していましたが、今日の口演を聴く限り、出かけてみようかなの気になりました。今日は、時間の関係で、道を尋ねる箇所は、全面カットでした。染吉は、ネタを増やしに増やしているので、何を出してくれるかが楽しみだったのですが、最近手掛け出したと認識している「棒鱈」でした。東京ネタなため、上方では染吉以外、演じ手はいないかも。いきなり、酔っぱらいの会話に入ったため、状況が判りにくかったのは、時間の関係とは言えまずかったなとは思いましたが、弾けに弾けていました、思い切りの良さが気に入っちゃいました。マクラでも、きっちりおもしろ話をできたしと、やはり時間は、人を作っていきます。前進あるのみです。たまの古典2つは、以前から手掛けているものなため、新味はなかったのですが、かなりのご無沙汰だったもので、この落語会を選んだ理由の1つでもありました。問題の「featuringつる吉」は、高座と幕内との掛け合いとなるところを、つる吉が受け持つというもの。つる吉が、楽屋からの出のところに現れ、但し、鶴笑は、楽屋に姿を隠したままで、芝居の台詞を言うというもの。まさか、鶴笑が受け持つとは思ってもみなかったものですから、最初は、つる吉を鶴笑が操り、誰か他の噺家さんが台詞を担当していると思ったのですが、しかし、声は鶴笑だったもので、まさかと思っていたところ、つる吉の高座で種明かしをしてくれました。そのつる吉ですが、見台の上に、小さな毛氈を敷き上に座布団、そこに座っていました。つる吉の高座では、「いらち俥」が一番の成功例かなと思えた高座。ネタ自体に、立体的な動きを求めようとするかのようなところがあり、その部分を追求する噺家さんも出てきている今、更に深化するには、パペットは格好の素材。いいネタに、目を着けたものです。最後に、たまは、最新作のショート落語と新作落語を聴かせてくれました。新作落語は、七福神の内、大黒と戎がどこかに行ってしまったので、補充をしようとすると、世界の神々が、その隙間に入ろうとしてくるというもの。七福神に関わるエピソードをもっと足していくと、おもしろそうな噺ができそうと思いました。


2020年 1月 22日(水)午後 10時 45分

 今日は二部制の日。午前中に市民公開講座を聴き、夜には講談を聴く日。まず、公開講座ですが、おなじみになってきている、アスニー山科で行われた「学びのフォーラム山科」に行ってまいりました。今日は、「茶の湯は文化の下剋上~利休と茶道具の改革~」と題して、千里金蘭大学名誉教授&表千家不審庵文庫運営委員の生形貴重さんのお話を聴くことができました。講談でおなじみの時代、このお話は、千利休の茶道が切り口になっていました。冒頭は、幸村の死とその遺児を預かった伊達藩白石城主の物語。戦国時代の武将の心性を教えていただけました。で、いよいよ信長、秀吉、そして利休の物語に入ったところで、今日は居眠り。やはり、午前中は鬼門です。終了後、今日も聴きに来ていた弟に、抜けた部分について尋ねたのですが、お話の筋道で抜けていた箇所が判らず、でも、幸村の遺児から利休には跳ばないだろうと思ったのですが、用事があるとそそくさと帰って行った弟を問い詰めることができませんでした。レジュメを見ると、随分と項目立てがされてました。☆「戦国武将の心」を備えた人たちが利休の弟子たち~利休弟子衆七人衆~、、、ここは、何となく覚えている。講談や落語の「荒茶」だと、勝手に突っ込んでたもので。☆細川三斎と利休の逸話~文化の下克上~、、、「文化の下克上」、これが、今日のお話のポイントだということは、目覚めてから気がついてはいるのですが、この挿話のお話は覚えてないということは、この辺りでは熟睡の体だったみたい。だけど、お話の流れから想像できてしまいます。「荒茶」が、正にヒント、なりますね。心得に疎い武将たちが、「文化の下克上」の主体だったのでしょう。そこに、新たな文化の創造があった? 利休は目を着けたってことなのか? ☆弟子衆たちへの利休の教え☆利休が心を寄せた武将の共通点、、、利休と武将の感性の交わりがお話されたのでしょう。次の項目辺りから、ぼちぼち記憶が残っています。武将たちに対し、彼らを統率する信長のスタンス、秩序形成へとお話が進んでいます。信長は、「合戦」と「茶会」を繰り返したというのです。「茶会」が政治性を帯びてきているのです。☆茶会の役割。前の項目のまとめですね。茶会は信長軍団の結束のための儀礼化していたということです。信長を頂点とした制度・秩序の創出を茶の湯が担ったというわけです。☆この信長的長のスタンスと武将の奔放さ、この対立、閉塞感を解放するものが、利休の茶の湯・文化の下克上だったとまとめられました。おもしろい。そこからは、「文化の下克上」の具体的証左を茶道具で見せていただけました。☆中節の茶杓(茶杓に節入りを採用)、、、これはアヴァンギャルド、です。☆楽焼茶碗の登場。厚手の茶碗は必然性があります。☆真塗りの棗、、、蓋の中ほどがこんもりしている。中節の茶杓との連関性。茶杓の置き方の論理性、目から鱗でした。そして、最後に国宝待庵へと移りました。不揃いの窓、ここでも、アヴァンギャルドという言葉が思い浮かんでしまいました。ということで、レジュメを頼りに、何とはなしに筋道を辿ることができましたが、できて見ると、きっちりと聴いておくべきだったお話との認識が、より高まりました。残念。
 アスニー山科を出て、自宅に戻ろうとすると、京阪電車が、また人身事故で、運行が常ならざる状態。おかげで、その影響をまともに被ってしまいました。早い話が、なかなかお昼が食べられなかった。空腹感は、人を苛立たせます。夜までの自宅待機中に、昨晩のトルコ・サッカーをチェック。今週は、トルコ杯もあるので、マッチばかりに目が向きます。フェネルがベスト8入りしました。だけど、まだ、この段階では、ベストメンバーで戦ってないので、客の入りももう一つ。単に寒いだけかもしれませんが。この寒中で、エルズルムやシワスでマッチ、観たくないわ、おとろしい。ということで、夜は、千日亭へ。今日は、毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」の日でした。今日は、「太閤記続き読み『明智光秀の最期(六)』~いざ天王山へ~」と題しての読み物でした。行けなかったときに、本能寺の変は終わっており、今日の開始時点で、秀吉は中国遠征からの大返しの途中で、尼崎に迫りつつありました。その秀吉絡みは、後半に読まれ、前半は、本能寺以後の光秀の動き。光秀が援軍を求めて動いたことに対する反応が読まれました。相手は、まず、当時宮津藩主だった細川藤孝(幽斎)。光秀の娘たま(ガラシャ)絡みの人物です。両者の関係の歴史から解かれ、でも、応じない細川といったところでした。次いで、同じような地位にあった、当時大和郡山城主筒井順慶。秀吉に取り入る策に走り、こちらも光秀になびくことはありませんでした。安土城を守っていた蒲生賢秀&氏郷親子は、光秀軍に狙われると、信長所縁の女性などを、日野城に匿うという手を採ります。安土城からの逃亡の際、氏郷が茶道具を持ち出そうとする挿話、ここでも、氏郷は、ちょっとずれた行動を執ります。新田茶碗の挿話も入りました。いずれも、光秀には芳しくない結果ばかり。唯一上手く行った働きかけとして読まれたのが、朝廷への働きかけ。朝廷は誰でもいいからという態度であったという話でした。ここで、一段落。後半は、秀吉が尼崎入りして、信長の兄弟との関係が読まれたのですが、人物関係が判らなくなったかと思うと、居眠り。そのあとの尼崎評定、要するに、光秀軍に襲いかかる作戦会議が読まれたのですが、引き続き居眠り。ただ、秀吉軍が、まだ天王山には行ってないことだけは判っています。次回ですね、天王山の合戦は、恐らく。なお、南海さんの高座に先立ち、今日も一海くんの高座がありました。「桶狭間の戦い、信長と藤吉郎」が読まれたのですが、ちょっとしたチャリっぽい台詞が入ったりするものを、一海くんが、初めて聴かせてくれたのですが、この人、中退した大学で落研にでも入ってたのかな、それとも芝居の経験でもあるのか、いい筋してますね。明るい未来を感じさせる高座でした。


2020年 1月 21日(火)午後 8時 15分

 今日は、家の片付けをする日。断捨離の第一歩です。車の運転ができない黄紺は、息子と時間調整をして、まず、今日、その日に当てることにしました。先日から、少しずつ手を着けていたのですが、大物を処分しないと、前に進まないことから、息子に車を出してもらったというわけですが、ものを処分するということは、即ち、思い出も遠ざかる、消してしまうことになります。でも、自分の体のパーツが、時間とともに傷んで行くのと同じように、家も傷んでいきます。去年の7月の腰や肩の激痛が、また、いつ起こるか判りません。現に12月の韓国で、原因が同じと思える痛みが起こったものですから、そういった場合に備えた仕様に模様替えも必要になってきています。そのために、まず最初にしなければならなかったのが断捨離ですから、それに向かい、スタートを切っているわけです。黄紺の知り合いには、ものの断捨離だけではなく、人との関係も含めて、断捨離を断行した人も出てきています。人との交わりが、元から少ない黄紺には、敢えてする必要もないのが助かっています。でも、その知人の心情は解るような気がしています。今まで築いてきた人生の部分を断つわけですから、ものを断つだけの気にはなれないのだろうと思います。今日、様々なものを捨てに行き、自前で捨てた方が、コストが助かるということで、浮いた分で、今日は、お昼に息子とお寿司を食べることができました。これは、思わぬ副産物。次回は、韓国料理店で、美味しいものを食べることにします。


2020年 1月 20日(月)午後 11時 14分

 今日は二部制の日。午前中に市民公開講座を聴き、夜には落語を聴くという日。まず、公開講座ですが、仏教大学四条センターで行われた「京都新聞総合研究所 提携講座 もっと知りたい! 関西のミュージアム」として開かれた講座「大阪市立東洋陶磁美術館」に行ってまいりました。このシリーズ、なかなかおもしろそうだなと思ってはいたのですが、行くのは初めてというものでした。お話をして下さったのは、大阪市立東洋陶磁美術館館長の出川哲朗さんでした。出川さんは、同美術館の2代目の館長さん。美術館の概要から始められましたが、会場にやって来た人たちの多くは、同美術館に行った人が多く、確認作業をさせていただいた感じでしたが、北浜よりの建物は、増設されたものだとか。工事をしていた時期ってあったっけと思ったほど、全く気がついていませんでした。大阪市は、あの一帯を文化ゾーンにする計画を持っているそうで、既に、同美術館の傍らに、安藤忠雄絡みの施設がオープンを控えているそうです。周知のように、同美術館収蔵品は、安宅コレクションを、住友グループが引き継ぎ、大阪市に寄贈したもの。住友の寄贈によるものは、他に、中央公会堂、大阪市美術館があるそうです。大阪市美術館って、住友家本邸跡だと、初めて知りました。また、安宅コレクション自体の誕生も興味をそそるもので、戦後の財閥解体で、美術品が散逸しそうになる時期を捉えたもので、資金は朝鮮特需で得たものだったそうです。存外、収集は新しかったのですね。中国関係の収蔵品では、清ものは1点だけだそうで、独特の美意識を持っておられたのでしょうということでした。そういった安宅コレクションの寄贈から始まった同美術館でしたが、その後の寄贈、収集により、現在は、安宅コレクションの倍以上の収蔵品を持つようになっているとか。そないなお話のあと、収蔵品の中から、国宝、重文の順で、それが終わると、一般の収蔵品という順でお話いただけました。この美術館には2回、また、今日のお話で思い出したのですが、大阪市に寄贈される前、即ち、散逸してしまうかもしれないと考えられていた安宅コレクションの最初で最後になるかと言われた展示に行ったことを思い出しました。新収蔵品も増えたことも判ったものですから、時間を作り、また覗くことにしましょうか。そないな気にさせられました。
 午前中の公開講座が終わると、一旦、自宅待機。昨日のサッカーの試合結果のチェックなどをしておりました。上位4クラブが一斉に勝ちましたが、その中に、ガラタサライ、ベシクタシュが入ってないのが寂しい。昨日も、ベシクタシュは、首位を走るシワス・スポルに、ホームで、しかも10人になった相手を負かすことがませんでした。で、夜のお出かけは、今年初となる動楽亭。今夜は、こちらで「第32回 生寿成熟の会」がありました。スケジュールが合わず、この会に行くのも、久しぶりになります。その番組は、次のようなものでした。小留「阿弥陀池」、生寿「悋気の独楽」、染雀「紙屑屋」、生寿「平の陰」。小留は、ホントに久しぶり。やたら流れるような喋り方になっていたのに、びっくり。更に、もう1つのびっくり。「阿弥陀池」で、アホが、いきなり米屋の裏の家に入ったのです。間違ったのかなと、一瞬思ったのですが、1回目の訪問と2回目の訪問を合体してました。初めて聴きました。時間を考えて、今日だけのヴァージョンなのか、いつもやってるのかは、不明です。生寿の1席目は、2度ほど聴いている「悋気の独楽」。こちらを、ネタ出しをしていました。以前聴いたときに比べて、格段に進化していました。ご寮人と女中のキャラ付けが、無理してやってる感が抜けており、抜群のリアリティーを感じさせるものがありました。この口演で、生寿は大きな階段を上がったような印象を持ちました。ゲスト枠は染雀。花詩歌タカラヅカの娘役の覇を競う2人です、生寿と染雀は。ネタは、生寿からのリクエストでということで「紙屑屋」。高座の毛氈が、一部剥がしてあったので、予想はついてはいたのですが、染雀自身の口から告げられると格別なものがあります。染雀自身も、マクラで「紙屑屋」にかける思いを語ってくれました。もとより狭い舞台ですが、以前にも、田辺寄席などで、染雀の口演を観てきていましたから、何とかするだろうの目で観ていたのですが、回転技まで、きっちり見せてくれました。今日の三味線は長嶺さん。声の良さでは、覇を競う方ですから、染雀と、とってもいい組み合わせでした。気になったのは「吉兆まわし」の詞章。「紅葉狩」で推移してきたものなのに、最後に来て、突然「殺生石」になってしまうのです。なぜなんでしょう。染雀に尋ねれば、明確に答えてくれそうですが。生寿の2つ目はネタ下ろし。「大師匠も、師匠もするネタです」と言ってから始めました。笑福亭を意識したネタ選びですが、下げを言ったあと、いつものように、簡単にネタについて話してくれたのですが、6代目の全集で覚え、自分風アレンジを加えたそうです。師匠の生喬も、「相撲場風景や平の陰は稽古をつけるようなネタではない」と言ってたということです。場の空気や客の反応をにらみながら奔放に喋っていくものとのメッセージと受け取りました。で、生寿の声質が、おっさん然としたものではないので、合うのかどうかを気にしながら聴いていると、慌てず落ち着いた語り口が、とってもネタに合ってました。どっしりと構え、落ち着いた語りを見せると、胡散臭さが滲み出てくるのが、可笑しなところですね。


2020年 1月 20日(月)午後 11時 14分

 今日は二部制の日。午前中に市民公開講座を聴き、夜には落語を聴くという日。まず、公開講座ですが、仏教大学四条センターで行われた「京都新聞総合研究所 提携講座 もっと知りたい! 関西のミュージアム」として開かれた講座「大阪市立東洋陶磁美術館」に行ってまいりました。このシリーズ、なかなかおもしろそうだなと思ってはいたのですが、行くのは初めてというものでした。お話をして下さったのは、大阪市立東洋陶磁美術館館長の出川哲朗さんでした。出川さんは、同美術館の2代目の館長さん。美術館の概要から始められましたが、会場にやって来た人たちの多くは、同美術館に行った人が多く、確認作業をさせていただいた感じでしたが、北浜よりの建物は、増設されたものだとか。工事をしていた時期ってあったっけと思ったほど、全く気がついていませんでした。大阪市は、あの一帯を文化ゾーンにする計画を持っているそうで、既に、同美術館の傍らに、安藤忠雄絡みの施設がオープンを控えているそうです。周知のように、同美術館収蔵品は、安宅コレクションを、住友グループが引き継ぎ、大阪市に寄贈したもの。住友の寄贈によるものは、他に、中央公会堂、大阪市美術館があるそうです。大阪市美術館って、住友家本邸跡だと、初めて知りました。また、安宅コレクション自体の誕生も興味をそそるもので、戦後の財閥解体で、美術品が散逸しそうになる時期を捉えたもので、資金は朝鮮特需で得たものだったそうです。存外、収集は新しかったのですね。中国関係の収蔵品では、清ものは1点だけだそうで、独特の美意識を持っておられたのでしょうということでした。そういった安宅コレクションの寄贈から始まった同美術館でしたが、その後の寄贈、収集により、現在は、安宅コレクションの倍以上の収蔵品を持つようになっているとか。そないなお話のあと、収蔵品の中から、国宝、重文の順で、それが終わると、一般の収蔵品という順でお話いただけました。この美術館には2回、また、今日のお話で思い出したのですが、大阪市に寄贈される前、即ち、散逸してしまうかもしれないと考えられていた安宅コレクションの最初で最後になるかと言われた展示に行ったことを思い出しました。新収蔵品も増えたことも判ったものですから、時間を作り、また覗くことにしましょうか。そないな気にさせられました。
 午前中の公開講座が終わると、一旦、自宅待機。昨日のサッカーの試合結果のチェックなどをしておりました。上位4クラブが一斉に勝ちましたが、その中に、ガラタサライ、ベシクタシュが入ってないのが寂しい。昨日も、ベシクタシュは、首位を走るシワス・スポルに、ホームで、しかも10人になった相手を負かすことがませんでした。で、夜のお出かけは、今年初となる動楽亭。今夜は、こちらで「第32回 生寿成熟の会」がありました。スケジュールが合わず、この会に行くのも、久しぶりになります。その番組は、次のようなものでした。小留「阿弥陀池」、生寿「悋気の独楽」、染雀「紙屑屋」、生寿「平の陰」。小留は、ホントに久しぶり。やたら流れるような喋り方になっていたのに、びっくり。更に、もう1つのびっくり。「阿弥陀池」で、アホが、いきなり米屋の裏の家に入ったのです。間違ったのかなと、一瞬思ったのですが、1回目の訪問と2回目の訪問を合体してました。初めて聴きました。時間を考えて、今日だけのヴァージョンなのか、いつもやってるのかは、不明です。生寿の1席目は、2度ほど聴いている「悋気の独楽」。こちらを、ネタ出しをしていました。以前聴いたときに比べて、格段に進化していました。ご寮人と女中のキャラ付けが、無理してやってる感が抜けており、抜群のリアリティーを感じさせるものがありました。この口演で、生寿は大きな階段を上がったような印象を持ちました。ゲスト枠は染雀。花詩歌タカラヅカの娘役の覇を競う2人です、生寿と染雀は。ネタは、生寿からのリクエストでということで「紙屑屋」。高座の毛氈が、一部剥がしてあったので、予想はついてはいたのですが、染雀自身の口から告げられると格別なものがあります。染雀自身も、マクラで「紙屑屋」にかける思いを語ってくれました。もとより狭い舞台ですが、以前にも、田辺寄席などで、染雀の口演を観てきていましたから、何とかするだろうの目で観ていたのですが、回転技まで、きっちり見せてくれました。今日の三味線は長嶺さん。声の良さでは、覇を競う方ですから、染雀と、とってもいい組み合わせでした。気になったのは「吉兆まわし」の詞章。「紅葉狩」で推移してきたものなのに、最後に来て、突然「殺生石」になってしまうのです。なぜなんでしょう。染雀に尋ねれば、明確に答えてくれそうですが。生寿の2つ目はネタ下ろし。「大師匠も、師匠もするネタです」と言ってから始めました。笑福亭を意識したネタ選びですが、下げを言ったあと、いつものように、簡単にネタについて話してくれたのですが、6代目の全集で覚え、自分風アレンジを加えたそうです。師匠の生喬も、「相撲場風景や平の陰は稽古をつけるようなネタではない」と言ってたということです。場の空気や客の反応をにらみながら奔放に喋っていくものとのメッセージと受け取りました。で、生寿の声質が、おっさん然としたものではないので、合うのかどうかを気にしながら聴いていると、慌てず落ち着いた語り口が、とってもネタに合ってました。どっしりと構え、落ち着いた語りを見せると、胡散臭さが滲み出てくるのが、可笑しなところですね。


2020年 1月 20日(月)午前 6時 35分

 昨日は、京都コンサートホールで音楽を聴く日。昨日は、こちらで、「京都市交響楽団の第641回定期演奏会」がありました。指揮にはジョン・アクセルロッドを、また、フルート独奏にはアンドレアス・ブラウを迎えたコンサートのプログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン:゛アテネの廃墟゛op.113から序曲」「バーンスタイン:゛ハリル゛独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン」「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調゛レニングラード゛op.60」。お目当ては「レニングラード」。それを指揮するジョン・アクセルロッドは、新シーズンから常任首席客演指揮者に就任するそうです。そのため、どのような演奏になるか、興味津々。その期待にも似た気持ちに、あっさりとベートーヴェンで応えてくれました。各パートと指揮棒が、目に見えない糸で結ばれたかのような一体感が素晴らしいものに、圧倒されました。1月定期の初っぱなに、ベートーヴェンのあまり演奏機会のない曲が用意されていましたから、さすが、ベートーヴェン・イヤーだと思っていたのですが、昨日の3曲の共通項は戦争。これは、プレトークで知りました。となると、指揮者のリクエストが反映されているってことかな。次のバーンスタインは珍しい。奏者も一流、ところが聴き手がダメでした。午前2時前から睡眠を取れてなかったのが、ここで出てしまいました。うまい具合に休憩が入り、ちーとは快復。狙いの「レニングラード」ですしね。生で聴いたのは、確か3回目のはずです。大植さんの大フィルで1回、オスナブリュックで1回のはずです。「レニングラード」となると、黄紺には、極めつけというものがあります。1つは、ベタなようですが、ムラヴィンスキーの録音、もう1つは、随分以前、ウィーン芸術週間で、確かウィーン交響楽団をキリル・コンドラシンが振ったライブ、これは放送で聴いたものです。いずれも無機質で、社会主義リアリズムをこれでもかと印象づけた演奏でした。ここまで透徹できるのもたいしたものと思えたのでした。ソ連崩壊以前に聴いたからでしょうね、それらを。確かに、昨日、ライブで聴いてみても、そうとしか演奏できないんじゃないのと思える部分もあることは否定できないなと思いつつ、ショスタコって、それだけじゃないよと思わせる演奏。それはそうで共感できるところ。だって、ソ連崩壊後、最早30年経っていて、ますます人気のショスタコ、何かがあるのです。時代を反映するものではないものを。ショスタコを聴いていて、ホントにホントにすごいと思えるようになったのは、「ムチェンスク郡のマクベス夫人」を知ってからだから、気づくのが遅いちゅうねんと突っ込みたいほどですが、これ知らないで、ショスタコがいいとか言ってるのは、完全にバッタもんだと、今や思っています。ちーとは、ショスタコになじんできたと思える目で、この演奏を聴くと、「鎮魂」という言葉が浮かびました。反ナチを標榜するだけではない、痛ましい戦争で倒れていった人を悼む心情というものが見えてきました。そういった意味で、数年前に聴いた、ボリス・ベルキンのコンチェルトの演奏でも、乾いた現実に息ずく人の心根が滲み出していたのを思い出します。何か共通したものがあるようで、そないな昔の演奏を思い出していました。そういったスタイルだけではなく、京響のド迫力の演奏、明らかに、ここ数日で聴いた大阪のオケとは比較できないほど上手い木管群に魅せられました。なお、ソリストがアンコールするのは定番化しているようで、このコンサートでもあったので追記しておきます。ここは、しっかりと目覚めていましたから、自信を持って書けます。ドビュッシーの「シリンクス」でした。


2020年 1月 18日(土)午後 8時 50分

 今日は「みんぱくゼミナール」に行く日。他にも興味を惹く講座もあったのですが、外国ものはやはり優先です。聴く機会が、圧倒的に少ないですからね。今日は、「イタリアにおける人と食のかかわり」と題して、同博物館教授宇田川妙子さんのお話を聴くことができました。まず、食に関わる現代の諸問題、対策などの整理から入られました。そういった中から、スローフード運動を紹介。これって、イタリア発祥の運動だそうです。元々は、マグドナルドのイタリア第1号店への抗議がきっかけから出発して、産業化・効率化・画一化にノーを突きつける運動を展開している。また、GASという名で呼ばれる運動、地産地消から有機農業をしている小農家の支援をする運動だそうですが、そういった運動も盛んだそうで、「食の国」イタリアが、現代の問題としての食に立ち向かっている現実があるとか。知らなかった。行政も市場も、こういった動きに注目し、行政の支援、また、自然やエコが商機にすらなる傾向も看られている、それを読み解くキーワードは「地域」ということで、イタリアの食文化の点検に入られました。聴きたかったのはここだったのですが、それを知り分析することの肝要さを指摘していただけ、余計にモティベーションが上がりました。イタリアの歴史、街の構造から、イタリア人の持つカンパニリズム(愛郷精神)、早い話が、構造的に孤立しており、お隣さんと仲がよろしくない、結果、地域へのこだわり、なるほど、アシジ、ペルージャ、アナーニ、フォエンツァという黄紺の知る歴史いっぱいの都市は、丘の上にあり、お隣とは隔絶していました。更に、日常が食生活のお話に。どんどんツボに入っていきます。「バル」ではなく、「バール」も出て来ました。最近、日本では「ー」を省くようですが、イタリアの専門家は「ー」を入れましたよ。そういった中で注目は、「家族との食事」「夕食後」。前者は、講師ご自身のフィールド調査の報告で、イタリアの大家族での食事風景を、後者では、夕食後出かける男たち、広場での語らい、女たちは路地で井戸端会議、、、これが地域を作ってきた、また作っているということでした。これが、地域にシフトした、またコンセプトにした運動を生む原動力だというわけでした。最後に、おまけとして、パルマ地域の「食の博物館」7館の紹介。これらが、地域を大切にした博物館だというわけです。設立した場所はパルマ地域の名産を生む産地に。そして、その産地がブランド化し、商機も高まるという構図でした。イタリアに、久しぶりに行きたくなりました。丘の上の街で、俄然、黄紺の中のイタリアに、火が点きました。オペラもあるし、豪華な祭壇がを抱えるイタリアの教会にも行きたくなりました。ドイツは、やっぱプロテスタントだしと、そないなことまで思ってしまいました。


2020年 1月 18日(土)午前 4時 37分

 昨日は二部制の日。午前中に、京都アスニーで市民向け公開講座を聴き、夜は、シンフォニーホールで音楽を聴くというものでした。まず、公開講座ですが、先週同様、「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の1つとして行われているもので、昨日は、「梁啓超と日中関係ー日中を結び,中国を変えたジャーナリスト」という演題で、京都府立大学文学部教授の岡本隆司さんのお話を聴くことができました。梁啓超、初めて聴く名前でした。調べてみると、康有為との関係が深く、変法自強の運動に関わり、戊戌の政変で失脚、日本に亡命。そのため、中国での改革に行き詰まりを感じ、袁世凱と与することで現実政治に加担することで、自らの信条の実現を目指したり、軍閥の権力闘争に飲み込まれたりで、なかなか数奇な生涯を送ったということが判り、俄然、興味が湧き、この講座に参加することにしたのですが、果たして、こないなテーマで人が集まるのやら。確かに、人は普段より少なめ。でも、テーマに関係なく集まることは集まるので、激減ということにはなっていませんでしたが、皆さん、解るのかなぁ。黄紺も解るのかなぁという不安を抱えながらの参加。講師の岡本さんも、そのことを気になさりながらのお話になりました。そのため、戊戌の政変は出てきても、単に権力闘争とだけ言われ、光緒帝の名前も出さず、皇帝とだけ触れるに留め、徒に人名を出すことなく、中国革命同盟会も、袁世凱絡みの政治闘争への生々しい関与も触れずじまいという風に、大変な気の使いようでした。また、導入部には、夏目漱石の漢文の素養に触れられたり、福澤諭吉の文体や脱亜論を紹介され、この時期の教養人の常識や西洋への関心を押さえられていました。そのあと、いよいよ梁啓超の思考のバックボーンとなる康有為の思想、中国の近代とはというお話に入っていかれたのですが、ここで居眠り。肝心な土台となる思想的背景を外してしまいました。梁啓超は、政変で、日本公使館に救いを求めたそうです。当時、日本公使館に滞在していた伊藤博文に保護され、日本に亡命したそうですが、その日本で、中国にいたときには見たことのない書物に出会うとなるわけです。西洋の近代思想、それらの日本語への翻訳に触れるわけです。「白話文学」という言葉は使っておられませんでしたので、そういった語句では括れないのかもしれませんが、何か伝統からの脱却、新しい考え方の受容を連想させられました。「和文漢読」「新民体」という用語を使っておられましたが、日本語を通じて、中国古典からの脱却、西洋の近代思想の受容がなされていったようです。「政治」とか「経済」といっ語句から、「中華」「人民」「共和国」という各語句、これらは、全て日本語で、語句が入るということは、その概念も入っていったとイコールになります。各分野に与えた影響として、次のようにまとめられていました。「史学」では「中国史」という概念の誕生。確かに、それまでは「王朝史」でしたしね。「言語」では「言文一致」、即ち、口語体の文が出てくる。となると、「文学」では「俗文学」、即ち口語体の文学が出てくる、これで「白話文学」となるのですね。ちょっと急ぎ過ぎました。「思想」の分野では「国民意識」が生まれる。「言文一致」と、これが繋がっていくわけでしょう。大変な功績です、正に、中国に近代がやって来たとなるのに首肯できます。そないなお話で切り上げられましたが、興趣が上がると、この新しい考え方が、いかにして中国に浸透していったのか、気になっていきました。特に、梁啓超が民国で政治に関与していきますが、その政治的な活動との関係が気になっていきました。おもしろい人物を教えていただけました。こういった日本以外にも視野を向ける公開講座が少ないため、余計にとっても嬉しいのです。感謝。
 京都アスニーを出ると、一旦、家に戻り、夜まで自宅待機。そして、夜は、シンフォニーホールでのコンサート。昨夜は、大阪交響楽団の「第236回 定期演奏会」に行ってまいりました。近年は、ベトナム国立交響楽団音楽監督としての名を聞く本名徹次を客演に迎え、次のようなプログラムが組まれました。「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19」「ブルックナー:交響曲 第3番ニ短調(ノーヴァク版 第2稿)」。なお、ピアノ独奏はジャンルカ・カシオーリでした。2日連続で、ブルックナーの3番が聴けるということでのお出かけです。今年はベートーヴェン・イヤーだからでしょうか、あまり出ない2番のコンチェルトを聴くことができました。ベートーヴェンのピアノのコンチェルトは、こういった初期のものも聴きがいのあるものと思っているので、生の演奏に遭遇できるのを、とっても喜んでいます。ベートーヴェンの時代は、ピアノがどんどんと成長していく時代。それぞれのピアノに応じたソナタなりコンチェルトを残してくれています。ジャンルカ・カシオーリは、軽やかなタッチで、この2番にはお似合いのピアニスト。ペダルを上手く使い、あららと思う音の切り方を見せてくれたりで、楽しませてくれたのですが、高音がえらく金属音で、さすが、これにはまいりました。最近は、定期演奏会にソリストで出た演奏者は、アンコールを入れるのが定番化してきていますが、昨日はオケもお付き合い。そんなの初めてのことなものだから、びっくり。曲目は、なんとベートーヴェンの4番のコンチェルト第2楽章の一部でした。昨日は、お席が、いっぱい余ってたので、2階正面席に、休憩時間の間に移動。舞台からは一番遠いところになりますが、一昨日のフェスティバルホールに比べると、えらく近くになります。それを考えると、シンフォニーホールは贅沢な空間です。そないなところでブルックナーは、ガンガンと音がやって来てくれます。益々、贅沢な気持ちになりました。楽器の配置がおもしろく、右奥にトランペットとトロンボーン、左サイドを斜めにコントラバスが占め、そのコントラバスの右端横にホルンが並びました。正面奥にティンパニー。その前、即ち、ホルンの右側に木管が並ぶというもの。これが、なかなか効果的で、ガンガン鳴る金管に、コントラバスが応じるというステレオのようになっていました。大フィルもそうでしたが、弦楽器のパワーアップは、見事なものがあります。昨日は、距離が近いものですから、余計に、その恩恵に与ったという印象。演奏は、1楽章が印象的。ブルックナー休止が効くと、長大なブルックナーも、長大さが失せていきます。でも、3番で、それが効いてしまうと、えらくロマンチック過多になりはしまいか、溌剌さが失せはしまいかと考えていると、2楽章以後は、さじ加減が違ったような。インテンポで流れるようになっていった3番は、やはり、なかなか勢いがあるなと感嘆する一方、1楽章のロマンチシズムが懐かしいという我が儘が顔を出します。だからか、こういった組み合わせに仕上げたのかな、本名さん。大フィルの1、2楽章がつまらんかったので、こちらに軍配かな。でも、大フィルの弦楽器、良かったしなぁ、チェロの際立つ演奏も捨てがたいしと思うと、引き分けですな。2日連続で3番聴いたからには、ちょっと聴きダメになるかもしれないぞと思いながらの帰路。この週末は、もう1つ、大物が控えています。1月はオケの月になりました。


2020年 1月 16日(木)午後 10時 43分

 今日は、フェスティバルホールで音楽を聴く日。久しぶりに大フィルの定期演奏会に行ってまいりました。黄紺は、良さげなプログラムを見つけると、オケの演奏会に行くことにしていますが、今日は、ソリスト、プログラム双方に惹かれて行って来ました。常任の尾高忠明指揮で演奏されたプログラムは、次のようなものでした。「エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85」「ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調゛ワーグナー゛(第3稿)」。チェロ独奏はスティーヴン・イッサーリス、昨年、兵庫芸文のオケの定期に、スティーヴン・イッサーリスが出るというので、チケットを買いながら、事情で行けなかったので、それのリベンジであり、且つ、ブルックナーが出るということでのチョイスでした。いきなりイッサーリスが登場。ようやく聴くことができました。聴き逃がしたのは、トボルザークでしたが、今日はエルガー。これは、むしろラッキーかもしれません。とにかく楽々と弾いてしまうのに、目は奪われてしまいました。広いフェスティバルホールに、ちょっとかすれ気味の音が朗々と響き渡ります。ピアニッシモが、とっても繊細に、でも響きます。余裕がありすぎるのは、ちょっと迫力ということでは、物足りなさを招くもので、贅沢なことを考えているものだと、自分に突っ込みを入れてしまってました。ただ、オケが重くて、全体としては、ちょっとまとまりが悪かったかもしれないと思ってしまったのですが、休憩時間に、知人3人に会ったものですから、エルガー談義をしていたのですが、エルガーとなると、どうしてもジャクリーヌ・デュ・プレの永遠の名演が耳にへばり着いているため、あの強靭で、ド迫力の演奏と比較してしまうのがいけないという点で一致。そないなところから、黄紺も喋ってしまってることを反省するしかありませんでした。オケを指揮していたバレンボイムは、今や80歳手前。あの演奏から、随分と時間が経ったものです。休憩を挟み、ブルックナーの3番。開演前、ロビーで行われていたトークを、ちょっとだけ聴いたとき、尾高さん、この3番は、今回が初めての指揮だそうです。それほど3番って出ないわけではないと思うのですが、巡り合わせが悪かったのかもしれません。ブルックナー休止もほぼインテンポで振られていました。3番は、それでもいいかな、流れて流れて、溌剌とした音楽なら満たされた気分になれるのが3番だから、、、でも、イマイチ晴れやかな気分になれない。チェロをクリアにする演奏には好感が持てたのだけどと考えていて、思い当たったのは、リズムが丁寧に刻もう刻もうという感じになっているのが、おもしろくない音楽にしてしまっていることに気が付きました。3楽章のスケルツォになり、ようやく解消。ただ、トリオに入っているワルツもインテンポ気味だったのはいただけなかったですね。完璧に気に入ったのは4楽章。こうでなくっちゃと思ったのが4楽章というのは、ちょっと遅かったですね。そないな印象をシェアしていたのでしょうか、就任記念で演奏された8番のときに比べ、かなり生暖かな反応が、終演時に流れていたように思ったのは、果たして、黄紺だけだったのでしょうか。


2020年 1月 15日(水)午後 10時 44分

 今日は二部制の日。午前中に、仏教大学四条センターで、市民向け公開講座を聴き、夜は、大阪で講談を聴くというもの。まず、午前中は、「もっと身近に植物園!」シリーズの1つとして行われた「上賀茂神社社叢林を構成する樹木」という講演。このシリーズ、3回目の受講となりますが、ゆる~いお話が気に入っているもの。今日の講師は、京都府立植物園名誉園長で京都府立大学客員教授の松谷茂さんでした。お話は、上賀茂神社境内に植わる樹木を、境内周辺を含んだ地図で、その生えている位置を確認しながら、各樹木の特徴を紹介いただくというもの。取り上げられた木々をメモっておきます。「ツガ」「ヒトツハタゴ(ナンジャモジヤ)」「ヤマボウシ」「トウオガタマ」「オガタマノキ」「メタセコイヤ」「モッコク」「ムクロジ」「エノキ」「ムクノキ」「北山台杉」「イチイガシ」「テーダマツ」「ストローブマツ」「カクレミノ」「カゴノキ」「タマミズキ」「タラヨウ」「アセビ」「サカキ」「マンダン」「ナギ」「ツバキ」「斎王桜」「御所桜」、1つだけ、松谷さんにも判らなかった木があったそうです。黄紺には、ほとんどが、知らない名ばかりのオンパレード。でも、その中でも1つだけ、姿を見ても判らないのですが、ちょっとだけ知ってる木があります。黄紺がというか、落語ファンにはと言えばいいのですが、「ムクロジ」です。羽根つきの丸い玉というのは、落語ファンでなければならない知識ではないでしょうが、落語「茶の湯」に出てくる重要なアイテムというのは落語ファンでしか出てこない知識。本当の茶の湯を知らないご隠居、何やら泡立つことだけ知っている、そこでムクロジを入れて泡を作るのです。松谷さんも、泡立つ話をされていました。小学生を驚かせて、植物に関心を持ってもらうのに使う手だと言われていました。でも、大切なことに触れられました。「迂闊に口に入れてはいけない」「有毒です」と。ご隠居と定吉、トイレに何回通ったか、その数字を言い合っていましたが、そないな呑気な場合ではありません、あなた方は毒を口にしたのですよ。あと解ったのは、誰でもが知っている木だけです。でも、大切なことを覚えました。木の種類を見分けるときの目の持って行き方です。姿形に始まり、葉の形、端っこの形、葉脈の並び方、葉の厚さ、幹の形、枝の生え方、枝から葉の出方、葉の数は奇数か偶数か等々、もちろん、花が咲き、実がなるころには、チェック項目が増え、弁別が進み安いのでしょう。全然知らない植物学者の世界です。いただいた地図を頼りに、上賀茂神社をゆっくり歩きたい気分にさせられました。
 午前の講演が終わると、一旦、帰宅。家の片付けなどで、夜のお出かけまで自宅待機。そして、夜は、天満橋駅近くの双馬ビルであった「南華の会」に行ってまいりました。今日は、正月だということで、「2つのおめでたいネタを読みます」と言って出されたのは、「報恩出世車夫」「三方めでたい」でした。2つとも、あまり出ないネタで、前者は、南華さんの口演では初めて聴くことになりました。神田翠月師からもらったと言われてましたから、東西交流のなかでもらわれたものと思われます。このネタは、確か南舟くんで、随分以前に1度聴いた記憶のあるものです。「正直車夫」という演題での口演だったと記憶しています。こちらも、東西交流でもらわれたはずで、南華さんは、「大阪にもある」と言われていましたが、黄紺は、残念ながら、大阪のものを知らないのです。なかなかいい話で、寒空のなか、股引きを履かないで仕事をしている車夫を見て、気の毒に思い、股引きを質から出してやる警官。その車夫が、後に正直に生きた結果、お大尽に支援をしてもらえ、仕事も成功。そないなある日、警官を止め生活に困る件の警官と再会して、、、というハートウォーミング系の筋立て。にも拘らず、終盤に居眠り。その居眠りが、2つ目のネタで全開。話の欠片も思い出せない、ひどいことになりました。今日は、苦手な午前中が大丈夫で、夜がダメでした。、特に、今日は、珍しい系のネタが並んだのになぁと後悔しても、見事に後の祭りになってしまいました。


2020年 1月 15日(水)午前 3時 29分

 昨日は、ハートピア京都で行われた「第333回日文研フォーラム」に行ってまいりました。昨日のテーマは「天人女房譚の地域性と国際性―韓国との比較を通じて」というもので、崇実大学校日語日文学科(韓国) 教授/国際日本文化研究センター 外国人研究員の李市埈さんでした。後半の質疑応答時のコメンテーターは、国際日本文化研究センター副所長荒木浩さん、司会は、 国際日本文化研究センター助教の呉座勇一さんでした。お話の方向性は、中国、韓国、日本に残る「天人女房譚」の分類をするというもので、その出自なり伝搬の傾向を探るというテーマは、棚上げにしたものでした。まず、中国から。3つの類型に分類されていました。①七夕型②七星始祖型③難題型。①は、羽衣伝説に七夕伝説が結びついたもの。②は、「七星」の1つが人間の男と結婚したために、輝きを失ってしまうというもので、昴星説話が素材になっているもの。後半の質疑応答で、穢れ思想と結び付いていると思われると言っておられました。③は、天に戻った仙女を男が追いかけて行き、そこで難題を出されていくというもので、この型の分類が一番多く、広汎に分布していると言われていました。モンゴル方向、即ち遊牧民からもたらされたのだろうと言われていたと思います。この分類型を基本に、サブとなる型も加えて、韓国、日本へと、分類が進みましたが、韓国は、③が多く、後半の質疑応答では、分布の確認は、北朝鮮での調査ができないので難しいと言われつつも、日本のように南北に伸びたような国土ではないので、分布は問題にしなくてよいと言われていました。説話の類型は、圧倒的に③が多く、その幾つかを、ウェブ上に出ているイラストを活用して説明していただけたのですが、ここだけ居眠り。ですから、具体的な説話は記憶にありません。いつもながら、どこかでやっちゃいます。最後に日本へと移りましたが、類型については、中国、韓国で見てきたということもあり、日本では、あらゆる類型が、残っているということでした。これは、サブの類型をも含めてということでのお話です。サブの類型の幾つかを記しておくと、次のようになります。①子残し型②子ども昇天型③夫の後追い型④幸福な婚姻型⑤動物援助型⑥追放型など、男が天にまで追いかけて行っても、そこから、また枝分かれして、七夕伝説が差し込まれてきたりと、あらゆる類型があると言われ、ただ、日本の説話は、「別れ」が好きなようだと言われていました。もちろん、「別れ」と言っても、幾つかの類型があるでしょうから。そもそも「仙女」が出てくるところから、更に、「七星」「七夕」となれば、「神仙思想」「道教」が見え隠れして、気になること夥しいテーマではあるのですが、この講演では封印のスタンス。その辺のところは、ちらりと司会者が触れられるに留められていました。コメンテーターの荒木さんからも、おもしろいお話を聴けました。「女を男が追いかける」のではなく、「男を女が追いかける」という変化というか、類似の説話はないのか。「天に戻る」のではなく、「海に戻る」という類型はないのか、「水平線」を見て、「空と海と繋がっている」と見ていたはずだから。「浦島伝説」は、その類型の典型例。あともう一つ言われていましたが、残念ながら思い出せない。今回のテーマに接して、柔軟な思考が、新しい問題の探索に必要なこと、思い知りました。説話から、これだけのイメージが膨らむのかと、かなりの驚きでした。また、李さんがお話されていたことでメモっておきたいことがあるので、最後に書いておきます。韓国の説話収集の一番いい資料となっているのは、植民地時代の収集だそうです。植民地時代の政策として行われた事業なものだから、その資料を使うことがはばかれ、このジャンルの探求が立ち遅れてしまったそうです。でも、そないなことも言っておられず、今は使っていると言われていました。今の時代に収集するよりは、植民地時代の方が、より古い時代の型が、しかも多数残っているでしょうからね。でも、植民地統治に有用となれば、そこまでやってたんかいと、暗澹たる気分にさせられました。その一方で、そういったお話を、このような講演会で、お話を聴ける、それを、韓国人研究者が日本に留学して、一般の日本人参加者相手にお話していただけ、それを相互にシェアできる時代になってきている、それはそれで、ちーとはいい時代にはなったのかなと思いながら聴いておりました。最後に、おもしろい質問が上がりました。ある院生が、「正にこのテーマで修論を書こうとしています」「時間的に無理だと言われています」、ここで、1回目の爆笑、「説話のようなことを研究していて、何の役に立つのか思っています」、ここで、更なる大爆笑。いいな、この院生、素直だよ。その素直な心で、研究、続けて欲しいな、そないな気になり、心の中で拍手を送ってました。


2020年 1月 13日(月)午後 11時 57分

 今日もオペラを観る日。今日のオペラは、コヴェントガーデンのライブビューインク。大阪ステーションシネマで観てまいりました。今日の演目は「ドン・パスクワ-レ」(ダミアーノ・ミキエレット演出)。ドニゼッティの代表的なブッフォ作品です。その配役は、次のようなものでした。(ドン・パスクワーレ)ブリュン・ターフェル、(ノリーナ)オルガ・ペレチャッコ、(エルネスト)イオアン・ホテア、(マラテスタ)マルクス・ヴェルバ。 ブリュン・ターフェルが、初めてドンパスクワーレを歌うというのが超目玉なので、迷うことなく行くことを決めたのですが、このプロダクションが、なかなかの優れもので、大きなお得感のあるものでした。何がいいか、それは装置に尽きます。回り舞台の上に、ドンパスクワーレの家が組まれるのですが、家を表すのは、床に敷かれた白線、それに囲まれた内部に調度品、部屋と部屋の境には扉はあるが、あとは何もなし。家の内部が透けて見えるというもの。更に、決定的におもしろくしたのは、蛍光灯で屋根の骨組みだけが、上から吊るされており、回り舞台が回転すると、屋根も、それに合わせて回るものだから、家そのものが回っているように見えるように工夫されていました。場面が変わっても、この装置は変わらずというか、ドンパスクワーレの家ではない場面に変化があったのですが、それとても、同じやり方。1幕2場のノリーナの初登場の場面では、ノリーナが映像クリエーターの助手というのが仕事らしく、その職場と考えられる装置が出てきていました。具体的には、左サイドに、画像や映像を合成するためにグリーンのスクリーンを斜めに配置。その合成画面を見るためのモニターが出されていたくらいだったかな。実は、この辺り、半寝で観ていたため、あまり自信がないのです。休憩時間を利用して、この場面と、パペットを使ったことに、MCからレポートが入り、正直、焦ってしまいました。冒頭でも、こういった特殊な場面がありそうと思える映像が流れていたため、やってしまった感で、がっくり来ていたのですが、このノリーナ初登場場面は、ラストへのネタ振りだったようでした。エルネストの歌うセレナーデに次いで歌われるノリーナとのデュエットの場面に、合成画面を使い、背後一面のスクリーンに映し出すという趣向が使われ、ラストでは、車椅子に座ったドンパスクワーレを画面にどアップで映し、幕としてました。カメラは、ハンディものではない、土台も足も付けた大きなのが、舞台前方右に設えられてました。パペットは、ノリーナが残して行った手紙ならず、スマホのメールを観たドンパスクワーレが怒り出すところから、セレナーデが始まるまでに使われました。一人遣いのパペット3体が登場。ドンパスクワーレとノリーナ、エルネストかな、アップで断定しきれなかったわけですから、生で解ったのでしょうか。舞台にカメラ持ち込み、巨大スクリーン、合成画面作成用のスクリーン登場というのは、正に新しい、流行りの手だからまだしも、パペットはやり過ぎと思えてしまいました。装置のスーパーヒットだけには飽きたらなかったのかな、欲が出てしまったなの印象を、黄紺は思ってしまいました。その他、目に着いたことを2点書いておきます。ドンパスクワーレの家に女中を置いたこと。暇だと、煙草を吸うという、ちょっと雑なキャラにしてあり、なんとなくドンパスクワーレの補強といった感じになっていました。次に、やり過ぎの臭いのするものでしたが、ノリーナが手紙を残して出て行き、ドンパスクワーレが苛ついているところで、子どもと母親を出したこと。いかにも、マザコンの男ということを解らせようというものでしょうね。ブリュン・ターフェルは、顔つき、体格からして、ドンパスクワーレにドンピシャ。「10年くらい、これでいく」なんて、インタビューでは言ってました。主役4人で、ブリュン・ターフェル以外では、マラテスタのマルクス・ヴェルバを押したいところ。なお、オケを指揮したのはエヴェリーノ・ピドで、そつのないものでした。


2020年 1月 13日(月)午前 4時 19分

 昨日はオペラを観る日。びわ湖ホールであった公演「こうもり」(演出:中村敬一)を観てきました。同ホールのアンサンブルの歌手陣を中心に、ゲストを加えての公演と言えば、とってもヨーロッパ風の公演というのが気に入っているものです。そのキャストは、次のようなものでした。(アイゼンシュタイン)二塚直紀、(ロザリンデ)森谷真理、(フランク)山下浩司、(オルロフスキー)藤居知佳子、(アルフレード)宮城朝陽、(ファルケ)市川敏雄、(アデーレ)平尾悠、(ブリント)蔦谷明夫、(イーダ)上木愛李、(フロッシュ)林隆史。今回の公演は、全4公演があるのですが、狙いははっきりしており、森谷真理の歌う日を選んだものでした。なおオケピットには、秋山和慶指揮の日本センチュリー交響楽団が入りました。満員の盛況。このびわ湖でのオペラ公演が、すっかり定着した雰囲気。舞台は、左右に斜めに切られた壁があり、その壁に出入口が付いており、壁の上にもサロン風の設えがされているというもの。その壁と壁の間、即ち正面奥、ホリゾントがスクリーンになっており、そこに画像を照射し、場面の雰囲気を作り上げていました。舞台両サイドの柱、サロン風空間の上に横に走るボード双方に、ロココ風装飾を大きくデフォルメしたものが付けられていたのが、アクセントかなという感じ。あとは、3つの幕に合う調度品が置かれたりしたことくらいかな。1幕はソファーが、3幕は机というのは、常套手段。2幕は、舞踏会になりますから、何も置かず、コーラスの人たちでスペースを消していたというところでした。で、演出として、何か目新しいというものはなかったと思います。台詞に、小ネタが入り、もちろん、全編、日本語上演ということでの小ネタが入ったくらいじゃないかな。一つだけ気になったのは、1幕の終わりの段階で、アデーレはイーダからの手紙(2幕でファルケの仕業と明かされますが)で出かけていきますが、ロザリンデには、誰からも舞踏会話は出てないため、どのようにして舞踏会に行くきっかけが作られるのかと思ったことです。ただ、これも、2幕が始まり、ファルケがオルロフスキに仕掛けを説明するところで、ロザリンデにも、誘いの手紙を送ったことを明かしたので、ホッと一安心。あとは、楽しめるような空気ができてくるかだけです。歌手陣やコーラスの動き、特に歌ってないときの動きに、キャラ作りで、そういう空気は決まってくるのだと思っています。そういった観点で言うと、存外、楽しんで観ることができたのです。黄紺は、「こうもり」を観るとき、クリストフ・ロイのプロダクションのようなぶっ飛んだものでなく、ごく普通のプロダクションの場合、2幕の終盤、時計が12時を打つ直前、オルロフスキが歌い出し、ムーディーなメロディが支配し出したとき、「もう、ここまで来てしまった」「もう少し、この雰囲気に浸っていたい」と思ったら、正解のプロダクションだと思っています。これが、このプロダクションに、ちょっとあったのです。ひょっとしたら、久しぶりの「こうもり」だったという要素があったのかなぁとも思わないでもないのですが、アンサンブルのメンバーが、オペラをよく解ってるというか、歌唱力があり、しっかりと動けるのに、ちょっとグッジョブ感が出てたのが大きかったと思ってます。歌手陣も充実しているという印象。狙いの森谷さん、歌い出しの迫力には恐れ入ったのですが、秋山さんからセーヴの指示が出たのかなぁ、押さえ気味の歌唱。パワー抜群だったのは、二塚さん。テノールがアイゼンシュタインを歌うということで注目をしていたのですが、野太い声のテノールだと、アイゼンシュタインは大丈夫ということが判りました。おいしいアデーレの平尾さん、スタミナがつくと、いいスープレットになりそう。主要三役以外の歌手陣は凹みがないのが強み。今後のびわ湖の公演が楽しみになりそうです。黄紺の傍らの席には、小学生が2人座っていて、とっても喜んで観ていました。いいな、そないな頃からオペラを観れるなんて。その姿を眺めながら、いつか、DやSを、オペラを観に連れて来るぞと誓った黄紺でした。


2020年 1月 12日(日)午前 6時 51分

 昨日は、京都の伏見区役所深草支所であった「伏見連続講座」を聴く日。講師が、「ブラタモリ」に、案内人として最多出場の梅林秀行さんということで、申込み開始後10日で予定数に達するという大盛況。もう役所の態勢も、大人数が詰めかけるということで、入念な対策を立てられていました。テーマは、「゛軍都゛深草の誕生:〈近代〉はどこから、どのように生まれたか」。外国人観光客が詰めかける伏見稲荷大社の南に当たる深草は、かつて「軍都」だったのです。京都教育大学、龍谷大学、聖母女学院といった学園は、その跡地に建てられたものです。聖母女学院には、今も、かつての師団司令部(あの「帝冠様式」です)の威容が、そのまま残っていますし、京阪電車の西側を走る道路は「師団街道」、また、そこから昔からある伏見街道跡の現本町通・直筋橋通を結ぶ3本の橋(京阪電車を越える高架橋)は「軍道」です。これらは、現在も使われている呼称です。梅林さんは、その両者を1箇所の道路標識に現れる画像を見せておられました。また、師団司令部最寄駅となる京阪電車「藤森駅」近くの商店街には、「軍人湯」という名の銭湯が、今も営業。当時、軍用地外の銭湯を使ったのは、位官、佐官以上だったから、「軍人」といった名になったのだろうと言われていました。これは、言われてみれば、納得。一般の兵隊さんは、「軍人」とは言わない、確かに、、、そして、軍用地内に兵隊さん用の風呂があったことで裏付けられるとも言われていました。納得の2乗です。商店街に、時計屋・写真屋が多かったりするのも、特徴とか。そして、言われてなかったことがあります。伏見の人間として伝え聞いているのは、この商店街に、洋装店、仕立屋が多い、多かったのも、その名残り。軍服の調達に便を図る店が多かったということです。梅林さん、こないな言い方をされていました。「これだけ固まって軍都の跡を辿れるところはありません」。確かに、です。近くには、「鴨川運河」もあることだし、立派な「近代都市遺産」として「文化財」として残そうとすればいいのに、これは、黄紺が思ったこと。歴史の証人、でも「負の遺産」には冷たいのが日本です。この深草村に、師団が置かれることで、地域の様相が一変したというわけです。それを、梅林さんは、「近代がやって来た」といった表現を取られたわけです。そこで、「軍都深草」の跡を辿ると、「軍都」形成の歴史、背景をまとめていただけました。正に軍用地の拡大は、日本の軍拡、アジア太平洋への侵略拡大が進むにつれ、急務となっいったわけですから。「鎮台」と呼ばれる要塞に依居した固定的な防衛目的で造られた施設から、対外戦争を可能とする機動的な編成を持つ「師団」へと、陸軍の編成が変わることで、それに見合う軍用地が求められていったわけでした。京都に師団が置かれるということで、誘致合戦があったそうです。そういう中で、伏見城跡地北、稲荷村南に、ごっそりと農地が広がっていたことに着目されたようです。この地域は扇状地であったため、いまいち農地には適さなかったことにも着目されたのかなと言われていました。「砂川」という地名を、具体的に証拠として出されていました。砂川は、古地図では天井川になっているのを見せていただけました。「砂」という名もそうですし、「天井川」となれば、扇状地特有の暴れ川だったということになりますものね。そこで「軍都深草」の時系列的発展が押さえられました。最初は、1888年に、伏見奉行所跡(現股陵団地)に、大阪の師団の1個大隊が設置されたのから始まるとか。その後、日清・日露の戦争を経て、師団増設の方針が出されたのを受け、1907年に「第16師団」の深草村設置が決定され、翌年に設置が成されたということです。更に、この「第16師団」について、重要な2点が押さえられました。1つは、日中戦争に送られ、南京虐殺の当事者であること(どこかで読んだことあります)、2つ目は、1944年、レイテ島で全滅したこと、これは知りませんでした。衝撃的な情報でした。「軍都深草」の設置に伴う都市計画には、次のようなものがあったとまとめられました。①運河・鉄道の整備(鴨川運河、現京阪電車の開通)②道路の整備(師団街道、軍道)③商店街の形成④遊郭の設置(橦木町、中書島)。正に、近代国家の「インフラ・システム」が、師団がやって来ることで、一挙に深草にやって来たのでした。テーマに挙げられた「近代がやって来た」のでした。最後に、「軍都深草」の今、もちろん、「学園都市化」に衣変えしたことで、冒頭に戻りました。梅林さんは触れられませんでしたが、京阪電車の「深草」駅が、最近、これが「龍谷大学深草」に変わりましたが、このことを象徴する出来事ですね。更に、「軍用地の現状」として、沖縄への異常な集中を触れられて、お話を閉じられました。テレビで観る通り、とっても明晰な論理、解りやすいお話、そして何よりも、明確な視点を持っておられることに感銘を受けました。デジタル・アーカイブの活用は、知っていながら手つかずな黄紺ですが、その活用の効用も教えていただけたのも、嬉しい成果でした。


2020年 1月 11日(土)午前 7時 11分

 昨日は二部制の日。午前に、京都アスニーであった「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の公開講座に行き、夜にツギハギ荘に行くというものでした。まず、公開講座ですが、昨日は、「明治の大事業 ~琵琶湖疏水建設~」と題して、琵琶湖疏水記念館資料研究専門員の久岡道武さんのお話を聴くことができました。琵琶湖疎水関連に関しては、京都市民として身近なこともあり、こういった公開講座で、テーマとして取り上げられることも多く、また、こちらから出かける気にもなり、わりかしベーシックな情報を持っているため、昨日のお話も、今までに持っている知識の確認、補充になったかと思います。まず、琵琶湖疎水、及び関連運河の経路、設立時期の経路の確認が、地図を使いながらありましたが、北に向かい、哲学の路に沿い流れる疎水は、高野川、加茂川を越え、堀川にまで至っていたというのは、初めて掴んだ情報。疎水は、2回に分け造られています。1回目は1890年に完成。きっかけは、天皇が東京に移り、公家らも付いて行ったため、京都の人口減、経済力低下に対し、京都の復興を目指してのもの。直接的な狙いを、次の6点とされていました。①水車工場の建設②舟運③農業用水④精米に水車の動力活用⑤上水道の確保⑥下水道の整備。但し、⑤⑥は、この1回目には達成できなかったもの。①も計画段階での狙いで、実際には発電所の建設という画期的なことに化けていきます。電力供給を目的にして作られた日本初の事業用水力発電所でした。第2段階の疎水は、その電力供給が消費に追い付かなくなったため、また、衛生面の観点から、上の⑤⑥を狙い、建設に向かったということです。いわゆる「京都市三大事業」の1つに数えられる事業だったわけです。発電所は、蹴上に2つ目が、それに加えて、現在も稼働中という夷川発電所、伏見(墨染)発電所です。なお、上にも書いた堀川まで行っていたという疎水分線、蹴上から鴨川方向に向かう鴨東運河、伏見に向かう鴨川運河は、1回目の疎水工事着工後の位置及び水路変更として着工されたものとか。昨日も、弟も聴きに来ていたので、雑談がてら、昨日の講演を振り返っていたのですが、2人で、どうしても気になったのが、北に向かった疎水分線。それ以外は、昨日のお話にもあったように、自然地形の高低差を利用した自然流水で、それらの流れは説明できます。琵琶湖の取水口と蹴上との高低差は4mあると言われていました。そこから南下するものは、京都の地形は北から南に向かい低くなっているので、特別な仕掛けは要らないのですが、その逆となる北上して流れる疎水分線は、どういった仕掛け、ないしは地形の利用をしているのかが気になるというわけです。これは、昨日も推測で終わりました。で、京都アスニーでの市民向け講座に行くときは、いつも三条駅から、ウォーキングがてら歩いて往復します。昨日も、それを実行。穏やかな気候が続いているので、時間を長く感じさせられずに、あっさりと完了でした。
 一旦、帰宅して、遅めの昼食。そして、頃合いを見て、ツギハギ荘へ。今夜は、くまざわあかねさん主催の「第4回 あかねの部屋2nd」がありました。毎回、主として噺家さんを、ゲストに招いて、くまざわさんとのトーク、そして、最後にゲストの1席という番組で行われている会。昨日は、桂宗助をゲストに招いて開かれました。参加者募集をされたくまざわさんのツイッターには、「米朝師匠の直弟子としては最後の内弟子さんです。宗助さんご自身のお話や師匠のエピソードをたっぷり伺います!」となっていましたが、実際のトークはいかがなものだけでしょうか、それは、その場にいた者だけ知る特権です。トークは、85分にも渡り、たっぷり感満喫、内容も濃~いものでした。さぞや、宗助も喋り疲れたろうと思っていたところ、まさかまさかの大ネタが飛び出しました。マクラで、「漫才/萬歳」ネタを振るものですから、「まさか出さないよね」と打ち消しに躍起になる黄紺。でも、その「まさか」でした。落語は「土橋萬歳」でした。すごい体力、気力、、、もう、そう思っただけで、圧倒されてしまってました。次回の「あかねの部屋」はあさ吉だと発表されました。米朝宅での内弟子修業話の続きを聴けます。そう思ってか、先行予約に長い列ができてました。もちろん、黄紺も申し込んできました。それ一つとっても、「米朝 for ever」です。今年は、米朝が逝って5年、米朝事務所は、「5年祭」を開催するようです。


2020年 1月 9日(木)午後 10時 54分

 今日は、今年初めて、カフェモンタージュで音楽を聴く日。今夜は、「Frei aber Einsam」と題して、(チェロ)金子鈴太郎、(ピアノ)仲道祐子というお二人の演奏がありました。金子さんは、カフェモンタージュではおなじみの顔。ですが、タイミングが合わなかったため、久しぶりに、その演奏に触れることができました。ピアノの仲道さんは、記憶の限りでは、カフェモンタージュ初登場。そういったこともあり、このコンサートは、早めに完売。そのプログラムは、次のようなものでした。「R.シューマン:民謡風の5つの小品 op.102」「J.ブラームス:F.A.Eソナタ 第3楽章 スケルツォ WoO.2」「J.ブラームス:チェロソナタ 第2番 へ長調 Op.99」。冒頭で、まず驚いたのは、お二人の出す音。金子さんは、カフェモンタージュで、幾度か聴いているのですが、今日は、今までになかったみずみずしい音。ちょっと衝撃。そないな書き方すらしてしまうものがありました。一方の仲道さんは、なんと強靭なタッチをされているのでしょうか。瞬発力まで感じさせる強靭さがあります。ですから、迫力満点、もうブラームスのソナタは、いいピアノになりました。金子さんは、冒頭で驚かされましたが、音が耳に慣れてくると、音にムラを感じるようになっていきました。特に高音が歌わなくなったりするときがあり、中低音域に比べて、質が落ちるように感じていく、従って、総体として言えば、ムラが出てきてしまったとなります。シューマンはともかくも、ブラームスのソナタは、その辺りを見逃してくれるわけはありません。3楽章のように、力で引っ張っていける箇所はいいのですが、2楽章は、そうはいかなかったですね。そんなで、ちょっと悲喜こもごも。それも楽しいかな、生の魅力です。来月は、ベートーヴェンとラフマニノフを弾かれます。既に予約済です。仲道さんは、機会があれば、ぜひソロの演奏を聴いてみたいですね。シューマン、ブラームス、それに、黄紺は、普段は聴かないリストなんてのが、仲道さんのピアノで聴いてみたくなりました。なお、珍しくアンコールが演奏されたのですが、その曲目は、「シューマン:ロマンス第2曲」「ブラームス:子守歌」でした。


2020年 1月 8日(水)午後 7時 14分

 今日は文楽を観る日。「初春文楽公演」の第1部を観てまいりました。その番組は、次のようなものでした。「七福神宝の入舩」「竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言 傾城反魂香~土佐将監閑居の段~」「曲輪文章~吉田屋の段~」。錣太夫さんの襲名があったからでしょうか、この第1部のチケットが取りにくく、辛うじて、この日をゲット。黄紺の都合のつく日との巡り合わせがダメだったのかもしれませんが、黄紺の希望する日は、後方席か、極端な右サイドの席か、あとは太夫さんから遠い左サイド席でしたね。それが、一般発売日の午後で、既に、そないな状態でした。いざというときは、発売日から1週間後以降を狙った方が、いい席をゲットできるかもしれないのですが、リスクがあるから、やっぱ早く押さえたいですね。ということで、首がうまく動かないにも拘わらず、前から3列目中央席という、住太夫さんの引退興行以来の前方の席で鑑賞することになりました。人形の動き、人形遣いの動きは、やはり、よく見えるのは嬉しい替わりに、字幕が見にくい、首が辛い、でも、これらは覚悟の上だったのですが、太夫さんのお席が、前過ぎて、よく見えないのは考えてなかった、これは誤算でした。特に、今日は、「七福神宝の入舩」などという芸尽くしの演目が出たのは痛かった。三味線の曲弾き、胡弓のすご技、筝も出ました。曲弾きやすご技使ってると、音を聴くと判るものですから、どないな弾き方をされてるのかが、気になって仕方がない、何とか前に体を出し見たのですが、左隣の人、嫌だったでしょうね。曲弾きは、太鼓風の音を出したり、琵琶風の音を出すために、弦を緩めて弾いてましたね。胡弓は、細かなトレモロ、棹の部分の指をスライドさせて変化のある音を出されていました、凄い。七福神が、一人一芸の趣向、最後に、恵比寿が鯛を釣り上げて、めでたしめでたし、です。襲名披露狂言として選ばれた「傾城反魂香」の途中に口上が入りました。段全てが、錣太夫さんの担当でなく、序の部分が終わり、くるりと太夫さんが回転して出てこられました、もちろん通常通り、三味線方も一緒に。この段階で、回転テーブルの横の狭い扉(ツレ三味線の方らが出入りする扉)から、呂太夫さんが出てこられ、襲名の口上をされるというもので、出てこられたのは呂太夫さんだけで、口上で喋られたのは呂太夫さんだけというものでした。確か、源太夫、呂太夫、織太夫襲名時では、舞台全体を使ってのものでしたし、特に源太夫襲名のときは、複数の方が挨拶されたと記憶します。織太夫さんのときは、師匠の咲太夫さんだけが挨拶されたと記憶しています。呂太夫さんのときも、そうだったかな。何か、名前の重みや、太夫さんの格付けで変わるのかなというのが、黄紺的観測です。「傾城反魂香」は、スーパー絵師の物語にあるある話で、落語の「抜け雀」と同じ趣向。スーパー絵師が描くと、無機物が有機物化する、魂が入り、生き物化する、そのプロットが3回も使われるのが、この演目。まず、狩野元信の描いた虎が抜け出し、それを、今度は、修理之助が、絵筆で描き消すことで、師匠の土佐姓をもらったのだけど、修理之助の兄弟子又平が、自分にも土佐姓を求めると退けられ、それが、自分には吃音のせいだと悲観し自害をも考え、最後に描いた絵で奇跡が起こり、無事、土佐姓を賜るという、ハッピーエンドの物語。落語「高尾」の元になった作品のはずなのに、この有名な段には、全く出てこない。前に観たときも、同じ突っ込みを入れたことを、ここに来て思い出しました。今回の演目は、ハッピーエンド尽くしで、「曲輪文章」も、このパターンって、普通は心中でしょうと思っていても、最後になり、急転直下、万事解決となってしまい、なんでと突っ込んでも、そのわけは語られずじまい。同じく、遊女とラヴラヴになり、でも、金の工面ができなかったり、放蕩息子として勘当になり赤貧に陥ったり、手をつけてはいけない金に手をつけてしまったり、そういう場合って、心中がお決まりのコースなのに、この演目はハッピーエンドなのです。ですから、ここでは見所っていうのは、伊左衛門に会えないからと病に伏せる夕霧、金がないからと廓に近づくのもままならないなか、夕霧に会いたさ、病が気がかりで、吉田屋なる廓を訪ねて来る伊左衛門の心情描写なんでしょうね。誠のないはずの遊女の誠、その一途さに呼応する伊左衛門の心情、これが重なるときに物語ができるのでしょう。「椿姫」や「ボエーム」と一緒だと、今日も思ってしまいました。終演は、午後3時にもなってない時間。淀屋橋駅までウォーキングがてら歩き、京都に戻っても、まだ夕飯には早い時間でした。


2020年 1月 7日(火)午後 6時 51分

 今日も自重の日。行きたい落語会、浪曲の会があり~の、行きたい博物館があり~のだったのですが、自重です。最近、毎日出かけると、せわしなく感じるようになってきているというのがあるのも、事実。それだけ、自分の頭の動き、体の動きが鈍化していることの証拠かもしれません。そういう休日にした日、だからと言って、時間を持て余すというどころか、逆に時間が足りなく感じてしまう日も、わりかし多い。今日なんかも、その中に入ってしまうのです。休日の場合、最優先にするのは、午前と午後に1回ずつのウォーキング。ついでに、屋外で読書をしてくるので、結構、時間が潰れてしまいます。寒くても暑くても、屋外で読書をしてきます。逆に家では読書の時間は、ほとんど取らないのです。家に居ると座っていることが多くなり、脛椎の手術の後遺症のため、それだけで、お尻がしびれてくるため、落ち着いて読書してられないなんてことになってしまうからなのです。パソコンの前に座っている時間を減らせば、読書に回せるのですが、今は、ウォーキングをしている間に、しびれは治まるので、その合間に読書の時間を取るということにしているということです。ウォーキングの休憩時間の有効活用というところです。雨のときは、電車の駅を使うことにしています。但し、定期券のあるときだけですが。空調の効いた広い待合室のある大きめの駅、大好きです。今日は、時間があるはずだからと、家の片付けをしようと思っていたのに、それすらできなかったですね。あえなく、暗くなってしまった一日だったなぁ。明後日も時間にゆとりがあるはずだから、片付けします、、、そのつもり、です。


2020年 1月 7日(火)午前 6時 28分

 昨日は落語を聴く日。ツギハギ荘であった「初笑 お正月だよ!! ねこまんま定食」に行ってまいりました。今年は、運良く、南天が正月に開いた落語会2つに予約ができました。ホント、ちょっとしたタイミングで、予約が間に合う間に合わないですものね。黄紺は、間に合うタイミングで、南天のツイッターを覗いたということになります。昨日は、「ねこまんま」ですから、雀喜との二人会、しかも、漫才が付いてくるということですから、落語ファン垂涎の的。その番組は、次のようなものでした。南天「へっつい盗人」、雀喜「アイヤー行路」、南天&雀喜「お導きゲーム」、(中入り)、ねこまんま「漫才」。落語を1席ずつに、「小鉢」と呼ぶお楽しみが加わり、最後に漫才披露で「定食」が完成するという構成。南天は、ここ1年3ヶ月ほどやってないという「へっつい盗人」。でも、南天初期の傑作と言える作品。最近は、ネタを増やし続けているために、口演の機会が減っているのでしょう。アホが、後先解らず、にこにこと朗らかに走り回るという、かなりアブナイ系キャラになっているのが特徴。最後のへっついを持ち上げる大騒ぎをせずに切るということを、いつからしか始め、昨日も同じでした。その心が、未だに解らずじまいの黄紺です。「アイヤー行路」は、自分的には初もの。「老老稽古」の大分編と言えばいいかな。100歳の楽三郎師匠と80歳の弟子楽喜が、大分の営業に出かける噺。「老老稽古」は、雀喜作品最高のヒット作かもと思っている黄紺には、続編ができるのは、とっても嬉しいこと。営業先もやぐらの関係者だったりして、リアルなところが、コアな落語ファンを大はしゃぎにさせてくれました。「小鉢」として用意されたゲームは、予めお互いが指定した言葉を、トークの中で、相手に言わせるかどうかというもの。客席も、南天支持か、雀喜支持かで、みかんをもらえることになり、黄紺は、雀喜派に。おかげで、みかん1個ゲットしました。中入り時に、天吾が配ってくれました。そして、トリの漫才。ネタは正月尽くし。ねこまんまの漫才、何度目かになりますが、めっちゃグレードアップしてました。繁昌亭の色物に当確だわ、あんなにヒーヒー言わせたら。そんなで、楽しい時間たらありゃしない、いい時間になりました。ふと客席を見渡すと、おっさんは恥ずかしくなるくらい、女性率の高い会でした。


2020年 1月 5日(日)午後 6時 55分

 今日は浪曲を聴く日。百年長屋であった「浪曲の小部屋」に行ってまいりました。真山隼人くんが、沢村さくらさんとタッグを組み続けている会です。その番組は、次のようなものでした。「西村権四郎」「徂徠豆腐」。毎回ではないのですが、年6回公演の内2~3回は行っているという会。2人で、精力的にネタ下ろしをするものですから、また、どこかの会で遭遇できるかもという気にもなったりして、回数は、そのくらいになってしまっています。今日は、東京の澤孝子師からもらったという「徂徠豆腐」を出すというので、喬介の落語会を諦めて、こちらをチョイス。その「徂徠豆腐」ですが、講談や落語でおなじみのもの。何か違いがあるのか、そないなことも楽しみだったのですが、講談ネタを、流れをカットすることなく、うまくコンパクトにまとめたもの。全く無理がないところが、凄いです。澤孝子師と言えば、とっても品格を感じさせる浪曲ですが、それが、隼人くんがすればどうなるのかも楽しみだったのですが、誰からもらったかを、予め知らなかったら、澤孝子師は思い浮かばなかったでしょうね、それほど、隼人テイストになっていました。これまた、凄いことです。いいネタをもらい、いいネタに仕上げました。その前の「西村権四郎」は、隼人くんの地元三重の話。「名月松阪城」です。散々、講談や浪曲で聴いているので、避けたかったなぁ、このネタだけはと、遭遇すると、そのように思ってしまいます。遭遇頻度が高いだけではなく、あまり好きではないネタだからです。蒲生氏郷のアホたん城主ぶりがおもしろいとは思えず、西村権四郎も、戻ってくるなら長いものにまかれろと思ってしまうのです。このネタに遭遇すると、いつも書いてしまいます。3日前の百年長屋からの帰りは、空腹だったため、ウォーキングがてら歩くのは京橋までに留めておいたのですが、今日は、いつものように淀屋橋まで。時間にして、50分少しってところでした。


2020年 1月 4日(土)午後 6時 41分

 今日は休日とした日。年末の押しつまった時期に、落語会や講談会に、詰めて行き、且つ、正月から落語会にオペラと頑張り過ぎたので、今日は自重の日。今月は、文楽があり~の、生オペラもあり~のと、後ろを見ても、自重が得策と判断。時間ができたので、5~6月の旅行のホテル押さえなんかができました。もちろん、休日は、午前と午後に1回ずつのウォーキングを欠かさないのは、いつものこと。そないで、呆気なく夜になっちゃいました。


2020年 1月 4日(土)午前 6時 33分

 昨日は、大阪ステーションシネマで、ロイヤル・オペラのライブビューイングを観る日。今シーズン最初の上映になります。京都でも上映があるのですが、電車代のことを考慮に入れて、大阪まで行ってまいりました。昨日は「ドン・ジョバンニ」(演出:カスパー・ホルテン)。数年前の日本ツアーでも上演されたプロダクション。今回は、タイトル・ロールを歌う歌手に惹かれて行ってまいりました。配役は、次のようなものでした。(ドン・ジョバンニ)アーウィン・シュロット、(レポレッロ:ロベルト・タリアヴィーニ)、(ドンナ・アンナ)マリン・ビストローム、(ドンナ・エルヴィーラ)ミルト・パパタナシュ、(ツェルリーナ)ルイーズ・オールダー、(ドン・オッターヴィオ)ダニエル・ベーレ、(騎士長)ペトロス・マゴウラス、(マゼット)レオン・コザヴィッチ。なお、指揮はハルトムート・ヘンヒェンでした。前半は、半寝での鑑賞。ドン・ジョバンニが、騎士長を殺した辺りから、やたら眠たくなり、とまあ、眠くなったのが解っているときは、完落ちはしなくて半寝になります。起きていようという意識が働くからでしょうね。「バッティ、バッティ」からは覚醒。この1幕のフィナーレ、即ち、ドン・ジョバンニ邸でのパーティーが開かれる前までは、舞台全面に設えられた壁(場面ごとに異なる画像が投射される)前と、その壁にある扉の出入りで進行。パーティーになると、壁の中ほどが回転舞台に設えられており、それが回りだし、ドン・ジョバンニ邸を模した家の造りになっていました。家には壁がないところが多く、2階建ての構造になっているため、階段の昇降で、かなり体力を消耗しそうなハードなプロダクションになっていました。そして、2幕になると、動かなかった壁は除去され、舞台上には、家の造りだけが置かれて進行。フィナーレでは、逆のことが起こります。全面の壁が復元され、2階にある扉だけが開き(他の扉は全て閉鎖)、そこから騎士長が現れ、壁の前には、ドン・ジョバンニとレポレロが取り残され、レポレロは壁にへばりついて歌うので、舞台上には、ドン・ジョバンニだけという錯覚に陥るような配置。そして、騎士長に「付いていく」という台詞とともに、ドン・ジョバンニが地獄に引き込まれたとなると、レポレロもはけ、舞台には、完全に、ドン・ジョバンニだけが取り残されてしまい、最後の合唱も壁の背後で歌われ、オペラが終わるまで、ドン・ジョバンニ1人だけが残ったままでした。「地獄に落ちる」ことを、そのような表現を採っていました。 2幕の後半から、マゼットとツェルリーナのカップル、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオ(2幕のアリア、聴けました)、ドンナ・アンナと、ドン・ジョバンニの出現により変わった境遇、復讐、愛の確認のアリアやデュエットが並びますが、それぞれにずっとでなくても、歌わないドン・ジョバンニが、傍らに居るなかでアリアは歌われていました。今まで、そないなところにドン・ジョバンニが出ていたプロダクションは、観た経験がないものですから、何らのメッセージが発せられたものと考えるのが普通かなと思い、辿り着いたのは、この一連のアリアを歌った登場人物に、ドン・ジョバンニの出現で生まれた人間関係のさざ波、その質は個々に違うでしょうが、何らの形で、関係性に変化を生んだこと、それを強く意識させられました。このプロダクションのコンセプトは、「コミュニケーション Communication」じゃないか、そこにさざ波を立てた存在、それがドン・ジョバンニ。ドン・ジョバンニを「マレビト」として、強く印象付けたプロダクションに、クリストフ・グートのものがあります。マレビトの漂泊性を印象付けるために、ひたすら森の中を歩くドン・ジョバンニを見せるというものです。昨日のプロダクションは、マレビトの持つ両義性を見せようとしていた節を感じさせられた箇所がありました。ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオのカップルとドンナ・エルヴィラに関しては、目新しさはなかったのですが、ツェルリーナです。1幕のラストで、ツェルリーナが悲鳴を上げるところに先立ち、ドン・ジョバンニにエスコートされたツェルリーナは、隙を見て、髪をぐしゃぐしゃにし、服のボタンを自分で外し、まるで、ドン・ジョバンニにレイプされたかのようにしむけていました。狙いは、マゼットにジェラシーを感じさせる。自分たちカップルのいたずらに、ドン・ジョバンニをだしに使っていました。2人でいちゃつく材料を作るというしたたかさを見せていたというわけです。これは、おもしろい趣向であると同時に、マレビトを意識させられました。そないな狙いのためでしょうね、「愚鈍な」とされてきたマゼットは、やたらイケメンで、ツェルリーナも田舎娘というキャラではないようにしてありました。で、「Communication」がコンセプトなら、フィナーレのドン・ジョバンニの地獄落ち、最終場面は、この逆を考えれば、片がつきます。「Excommunication」で説明がつきます。「Communication」を「断たれる」、これが「地獄落ち」で表されたことかな、「人間関係(社会)からの排除」こそが「地獄落ち」の意味するところかと看ました。ですから、ラストでは、壁で仕切られた舞台前面に、ドン・ジョバンニは取り残され、フィナーレの合唱は、壁の背後から聴こえてきたのだと思いました。なかなかおもしろい趣向です。「地獄落ち」を、具体的に解釈してみせた、優れもののプロダクションと看ました。歌手陣は期待のアーウィン・シュロットが、抜群の存在感を示してくれ、もう、それだけで元を取ったというところ。他の主要キャストでは、ドン・オッターヴィオのダニエル・ベーレが、ちょっと弱いかなとは思いましたが、ハイレベルな歌手を揃えているのは、さすが今季のオープニングを飾っただけある優れたキャスティング。客席の反応は、ツェルリーナのルイーズ・オールダーが一番だったかと思いますが、黄紺的には、ドンナ・アンナのマリン・ビストロームでした。高音のピアニッシモのきれいなドンナ・アンナは一押ししないとねと思うものですから。今年一発目のライブビューイングから、上々のスタートとなるプロダクションに出逢え、大満足の黄紺です。来週には、同じコヴェントガーデンのライブビューイングで、「ドン・パスクワーレ」の上映が予定されています。びわ湖の「こうもり」も近づいてきています。初春早々から、オペラがいい盛り上がりぶりです。


2020年 1月 3日(金)午前 0時 48分

 今日は、今年初めて落語を聴く日。南天主催の「お正月 百年長屋の会」に行ってまいりました。去年は、開催についての情報を掴み損ない行けなかったものですから、2年ぶりとなりました。その番組は、次のようなものでした。天吾「子ほめ」、雀五郎「池田の猪飼い」、ひろば「片棒」、南天・ひろば・雀五郎「トーク:ひろばと雀五郎の芸歴20周年を寿ぐ」、(中入り)、南天「三十石」。天吾は初遭遇。顔を見るのも初めて。とってもスピーディーな口演。但し、早口という感じではありません。ちょっと落研臭がしないわけではないですが、将来が楽しみな人が入ったものです。雀五郎の「猪飼い」は、どこかで聴いていると思うのですが、いつ、どこというのが思い出せません。アホにはしゃがせはしないで、アホに相手をする人物に、それを認識させる姿を描写するという手法が、とってもいい緩和を生んでいました。素敵な口演です。ひろばの「片棒」は初もの。ネタ出しをしているのを見かけていたので、狙っていた口演です。文之助にもらったと思える箇所があったので、そうでしょう。ただ、文之助のライト感覚の口演で生きていたものが、そうは簡単には会得できないのは事実。別にオリジナルな口演を工夫してもいいのでしょうが、それは時間が要りますね。個性の強く入ったネタをもらったときの難しいところですね。「トーク」は、雀五郎が入ると、話がはずまないのは致し方ないにしても、はずまなかった。 期待してはいけないのに、期待していた自分がいたのに、唖然。南天の「三十石」は待望の遭遇。各場面に、南天の工夫が顔を出すのですが、ネタ自体が、場面転換の連続で、且つ、物語があるわけではないため、各場面の中は小ネタの連続、従って、南天の工夫と言っても、ちょっとした配置替え、ちょっとしたくすぐりが並ぶだけに終始。いつもの、爆発的な笑いが起こるといった高座にはなりませんでした。終盤の夜船の雰囲気は、どうだったでしょうか。期待が大きかっただけに、満足度はイマイチでした。長めの「トーク」、「三十石」が40分の口演ということで、終演は、開演から2時間半を上回っていました。開演が午後6時だったもので、食事を摂らないで出かけたため、ちょっときついものがありました。公演途中に食事が気になったのは、ハンブルクの「ドン・カルロス」以来じゃなかったかなぁ。


2020年 1月 1日(水)午後 6時 15分

 新珠の新年です。特に何も変わらない普通の休日。昼に弟の家へ行き、お酒を呑んだことくらいが、普段と変わったところ。いつもの休日同様、午前と午後に1回ずつのウォーキング。でも、昼間にお酒を呑んだからか、夕方になっても、なかなかお腹が減らなかったのは、普段と違いました。


2019年 12月 31日(火)午後 8時 17分

 今日は大晦日、落語を聴く日です。今日は、午後に動楽亭であった「第10回桂団朝落語会」に行ってまいりました。毎年、大晦日に開催される会、ネタ出しされているものを見て、おじゃまをすることにしていますが、結果的に2年ぶりに覗いてみることにしました。その番組は、次のようなものでした。団朝「年忘れ楽屋噺」、鞠輔「正月丁稚」、団朝「二十両の行方」、(中入り)、二葉「近日息子」、団朝「鴻池の犬」。冒頭の「楽屋噺」は、主に芝居の話。団朝は、商業演劇に、しばしば出演してますから、その中から、今年あった話題を提供してくれました。ついでに、今日の会に、女性噺家2人をゲストとして喚んだわけも。その内の1人鞠輔は、ホントに久しぶりの遭遇。そのわけも判りました。2人目の子どもを出産したとか。今どき珍しいとしごの兄妹2人の子持ちになっていました。1人目の出産明け初めての高座を聴いて以来です。あのあと消えていたので気になっていたのですが、これでホッとしました。なんか、ちょっとほっそりとした感じ。また、ネタが嬉しい。ホント、ピンポイントでしか聴けないネタを出してくれました。ピンポイントでしか出せないため、手掛ける噺家さんが少ないため、最近は、なかなか聴けないので、とっても嬉しかったです。黄紺は、こういった民俗資料的なネタが大好きなもので。少しずつですが、師匠米輔色が影を潜めてきていますね。団朝のネタ1つ目は小佐田作品。小佐田センセが楽屋に詰めているから緊張すると言いながらの口演。黄紺は、今日は、ここでだけ居眠り。初もの外しもいいところ。噺の概要すら把握できていません。なぜか、ここだけ。ま、このあとに中入りが入ったから覚醒できたのでしょう。しかも、二葉でしたしね。二葉の「近日息子」は2回目の遭遇。前は、確かネタ下ろしをしてから、日の浅い時期だったと記憶しています。前回は、聴かせどころの「しょうもないこと言いの男を責める」場面で、早くテンションを上げ過ぎたなという記憶が残っているのですが、今日は、最後までテンションをマックスに持って行かないという口演。間と目力で、高揚していく気分を表していました。その発想が素晴らしいし、また、それを実現する力があるというのが素晴らしい。やっぱ、二葉は逸材です。そして、最後は「鴻池の犬」でした。全体にどっしりと安定感のある団朝の口演、1年の最後に聴くには十分過ぎる値打ちのあるものでした。久しぶりに4日も続けて、落語&講談を聴きました。いい年の暮れになりました。動楽亭を出ると、大晦日で人気の絶えた大阪市内のアーバン・ウォーキング。さほど寒さを感じさせない年の瀬の大阪でした。


2019年 12月 30日(月)午後 11時 29分

 今日は講談を聴く日。ちょっと間が開いていた「南湖の会」(千日亭)に行ってまいりました。ご無沙汰をしている間に、新しい読み物が始まっていました。それを含めて、今日読まれたのは、次のようなものでした。一海「扇の的」、南湖「今年の十大ニュース」「赤穂義士外伝 忠僕元助」「稲生物怪録3 隠神刑部」「抽選会」「五郎正宗」。10月から、一海くんが、こちらの会でも空板をしているそうで、今日初めて、本格的なネタを聴きました。それだけではなく、南湖さんから「暮れやからマクラを喋ってきなさい」とわけの解らない指示を受けて、入門時のことを話してくれました。また、それがまとまった話だったもので、講談のネタのしっかりした口調といい、何から何まで楽しみな人材です。また、客席が暖かい。何を言うのか、まともにお喋りできるだろうかという緊張が客席にもあるというのは、実に新鮮な空気です。南湖さんは「十大ニュース」から。そう言えば、ワッハ時代にはやってましたね。秘密の話やら、三金の話題も外さず、「1位」には、きっちり「1」繋がりで、「一海」とフリップに書かれていました。このニュースは、今年だけではない10年来の大ニュースでした。ネタは3つ。「忠僕元助」は、南湖さんのツイッターには「ネタ下ろし」と書かれていたのですが、そうだっけ? とっても意外な感じがしましたし、実際の口演を聴いても、まだ、そうだっけと思ってしまいました。大高源吾だったかな、その下男元助に、明日が討ち入りだと言えず、なんとか赤穂に帰そうとするのだが、納得を得られず、ついに、他の義士の勧めもあり、本当のところを話すに至るというもの。終盤の討ち入りの場面は修羅場読みになっていました。次の妖怪講談が、よく判りませんでした。続き読みの最終回だけ聴くということになったのですが、妖怪が、実は化け猫で、それを退治するという流れだったのですが、こういった架空の存在が出る話って、でっち上げの枠組みが把握できてないと、聴きづらいものがありますね。「抽選会」は、なかなかのお宝が出ましたが、黄紺は、あと一歩及びませんでした。「五郎正宗」は、一度、南湖さんの口演で聴いているもの。刀匠として名をはせた男が、都滞在中に知った女との間にできた子どもが、偶然、弟子入りをしてきて、また、それが実子だと判ったのは良かったのだが、それが、ヤキモチ焼きの現在の女房の知るところとなったため、子どもいじめ、果ては命まで奪おうかという行動に出るのに対し、子どもは、健気に慕い続けるという話。時々、講談などには、ありえない残忍な人物が出てきたりしますが、正に、このネタがそう。それに耐え、親を立てる子どもという構図ですが、聴くには、ほどというものが欲しいところで、このネタは、そのほどを越えていると看るため、聴くに耐えないネタだと思っています。南湖さんの口演に迫真性が高まれば高まるほど、聴くに耐えなくなるネタです。来年3月で、千日亭は閉鎖。新たな会場は堀江になりそうです。


2019年 12月 29日(日)午後 9時 11分

 今日も、ツギハギ荘で落語を聴く日。今日も、米朝一門の二人の噺家さんによる落語会が組まれていました。「歌之助・しん吉ふたり会」という落語会で、お二人が、二席ずつ口演された番組は、次のようなものでした。歌之助「看板のピン」、しん吉「化け物つかい」、(中入り)、しん吉「春風屋(?)」、歌之助「胴乱の幸助」。毎年、この時期に二人会を行っているようですが、出番は、歌之助が、先に終わってしまうと、「仕事納め」ということで、楽屋で、呑み始めるからだそうで、しん吉の強い希望で決まったとか。黄紺はおじゃまするのは初めてとなりました。トップとなった歌之助は、彦八まつりと輪茶輪茶庵寄席に来る客は同じ論をひとくさり。そして、博打話に入っていったので「狸賽」かと思ったら「看板のピン」の方でした。歌之助が前座時代、「子ほめ」「阿弥陀池」は、随分と聴いた覚えはあるのですが、「看板のピン」は思い出せない。久しぶりの歌之助の口演、いつものお喋りと、有機的に動く仕草に、ホッとするものがありました。しん吉のネタ出しは「化け物つかい」。ところが、今日は、たっぷりと睡眠が取れていたのに、居眠り。序と下げしか記憶がないほどの居眠り。足暖房もある素敵な環境に負けてしまったようです。しん吉の2つ目は、初めて聴く噺。季節の一コマを売り歩くアイデアだけではなく、下げも秀逸。どなたの作品でしょうか。最後は、初ものとなった歌之助の「胴乱の幸助」。今日の正にお目当て。そして、これが、また素晴らしい口演。テキストに叶った動きを見逃さない歌之助の目が素晴らしい。そして、歌之助の持ち味の有機的秩序を持った身体表現。しかも、このネタでは、かなり大きく、ダイナミックなものまで用意する大胆さがありました。また、胴乱の幸助を大阪人扱いをする発想も秀逸。大阪人だから、「このくらいのギャグを言うわな」という感性が働き、それを表すために、「そなアホな」という突っ込みを、オーバーに見せるために、胴乱の幸助の頭を3発どつくという仕草を入れてました。それが、稽古屋で、中書島の浜で、帯屋でと、計3回入れてました。この大阪人扱いするというアイデア、ホント、ユニークで大ヒットですね。昨日同様、大入りのツギハギ荘。いい年末を過ごさせていただけました。


2019年 12月 28日(土)午後 8時 51分

 今年もラスト4日。この4日間、落語&講談三昧です。最高の形で、掉尾を飾れそうです。今日は落語の日。ツギハギ荘であった「サクッとフラッと吉の丞と小鯛」に行ってまいりました。それぞれ、ツギハギ荘で、自分の会を持つお二人が、年末に、昨年に続き、コラボの会を開いてくれました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「尻餅」、吉の丞「鹿政談」、(中入り)、吉の丞「いたりきたり」、小鯛「はてなの茶碗」、吉の丞&小鯛「2019年落語界ニュース」。ネタ下ろしを1つずつ入れるとの告知が、予めあった番組。吉の丞は「鹿政談」を、小鯛は「はてなの茶碗」を、ネタ下ろしをしました。「鹿政談」は、米朝宅に内弟子修業中に、米朝自身から稽古をつけてもらったものだが、年齢的に早いということで、ここまで口演をしたことがなかったもの。正直言って、マクラが始まったとき、意外なネタだったもので驚いたのですが、由来を聴いて納得。ただ、今日の口演は、ちょっと賛成できないな。終わった途端、声には出さなかったのですが、「もっと落ち着いて喋ったらいいのに」と呟いてしまいました。ネタ下ろしの緊張は相当あったことを、あとで述懐していましたが、多分、その辺から来たものと思われます。普段のらしさが消えていましたから。地語りの部分はまだしも、お奉行さんに、特に、そのように感じてしまいました。「はてなの茶碗」は、師匠塩鯛に稽古をお願いしたということで、2人とも、正に本格的なネタ下ろしとなりました。ただ、ここで眠ってしまいました。今日は、最悪のコンディション(3時間も睡眠ができてない)だったもので、ここまで持ちこたえたこと自体が花○でしたから、もう臨界点を越えたというところでした。茶碗を買うところから茶金さんのところから油屋が辞去するまでのところが跳んでしまいました。その後の展開は覚醒してましたから書けるのですが、小鯛が、珍しくテンションの高いお喋りをしていたものですから、びっくりして覚醒したのかもしれません。茶金さんの格、噺全体を支配する品のようなものを消してしまうテンションだったのです。こちらも、ネタ下ろしの高揚感のなせる業のような気がしました。ということで、お二人のネタ下ろしで出されたネタ2つ、時間を経て遭遇できることを期待したいと思いました。こないなはずはないとの確信が、そう思わせます。もう1つずつは、手慣れたネタ。小鯛の「尻餅」は、以前聴いたことがあったのですが、半ばで居眠りをしてしまった思い出のあるもの。今日のコンディションで、そのことが思い出され、不安になったのですが、ちょっとだけ危なかったところもあったのですが、ぎりぎりセーフでした。季節ネタとしてタイミングも抜群だっただけに、最高に嬉しかった口演。小鯛の口演は、毎度、リズムが良く、聴いていて心地よいもの。そのリズムが、少し変則的で、少し引っ張る物言いが入るのが、余計に心地よさを増しているのに気がつきました。情景が思い浮かぶと、思わずにこりとさせられてしまう落語の世界、登場する2人もぼやきながらも楽しんでる、そないなことを思わせる素敵な口演でした。吉の丞の「いたりきたり」も初めてではありません。言葉遊びがたっぷりと入った不思議なネタ。枝雀の顔とともに、どうしても浮かび上がってくるネタでもあります。吉の丞の口演は、真っ正面から、この不思議なネタをぶつけられると、なんか、その真剣さで信じ込まされてしまう雰囲気で、枝雀や南天の口演とは違うオリジナリティを感じてしまいます。いいネタを手に入れたなというところですが、そもそも手掛けようという思い付きに感服します。「2019年落語界ニュース」は9大ニュースが披露されました。最後に出たベスト1は、とってもハッピーな話題でした。


2019年 12月 28日(土)午前 3時 51分

 昨日は美術館に行く日。博物館&美術館巡りは、いたって腰に悪いということで、外国ではともかくも、日本では小ぶりのところしか行かないのですが、昨日は、メジャーな美術館に行ってまいりました。あべのハルカス美術館の特別展「カラヴァッジョ展」です。かつて、東京まで「カラヴァッジョ展」を観に行ったことがあるくらいですから、腰にくるのは覚悟の上で行ってまいりました。しかし、不安があったもので、事前に、展示リストが、当美術館HPより手に入り、展示数が40点余と知り、ちょっと安心して出かけることができました。混み合うかもと思い、午前中や午後の早い内は避け、夕方に入れるようにお出かけ。その戦略がドンピシャで、ゆったりと観ることができました。かつて東京で観た「カラヴァッジオ展」の混雑ぶりが記憶にあったもので、そのような対策を練ったのですが、実際、大阪でも同様の混み方をしているかは判りません。「カラヴァッジオ展」と言っても、展示されているのは、もちろんカラヴァッジオだけではなく、その周辺の作家の作品も含まれており、実際のカラヴァッジオものは10作品でした。来日予定だった作品2つが来れなかったということでの実数ですが、それはそないなものでしょう。展示は、次の3つに区分されていました。①1600年前後のローマにおけるカラヴァッジオに同時代の画家たち②カラヴァッジオと17世紀のナポリ画壇③カラヴァッジオ様式の拡がり。まず、驚いたのは、カラヴァッジオを初期バロックの作家としてあったこと。カラヴァッジオと言えば、マニエリスムを代表する作家とインプットされていたものですから、びっくり。そのバロック作家を強調するために、解説パネルに幾度と登場してきていたのが「光と影」という言葉。それに加えて「写実主義」。この2つでバロックだぁということを表していると看えました。ですから、特に③に登場した作品は、その部分を受け継いでいるとされていました。逆にマニエリスムを表す言説は、解説パネルには現れてこない有り様。他の作家さんの作品では、マニエリスム的要素を指摘したものが数点ありましたから、マニエリスムをスルーしているわけではない。しかし、マニエリスムの特徴を表す言説は出さないという解説パネル。カラヴァッジオをマニエリスムに分類することを避けようという意志を看た思いがしました。ちょっと疑問を感じる表現になっていますが、解説パネルは勉強になりました。よくある解説とは別に、受け狙い的な様子を持つ、もう1つの解説が付けられていたのが、特徴かな。それは、「作家が語る」という形式をとっていました。絵に関する一言形式で、こういった展示では、初めての試み、もちろん黄紺の行った範囲での話ですが。カラヴァッジオは、ローマで殺人事件を起こし、ローマにおれなくなり、イタリア半島を南下、逃亡生活が始まります。逃亡時にナポリに滞在したことがあるため、②のコーナーが成立するのです。逃亡生活の果てはマルタ。赦免を期待してローマに戻るときに熱病で、呆気ない死。この戻りの際も、ナポリに滞在となるところで、②の存在意味、黄紺も納得しました。カラヴァッジオ作品では、2つあったマグダラのマリアが良かったかな。やはり、内面に熱いものがあると思われる作品に惹かれました。カラヴァッジオ以外で黄紺の知る作家は少なく、カラッチくらいでした。これは、ちょっと寂しかったな。そんなで、今年最後の博物館&美術館行きとなりました。


2019年 12月 27日(金)午前 6時 47分

 昨日は、京都府立大学で開催された「2019年度連続自治体特別企画セミナー(KIRPセミナー)゛SDGsでまちの未来をつくる゛」「第5回:住民自身がまちの未来を創造するために~能登SDGsラボのコトづくり・人づくり~」に行ってまいりました。そのプログラムは、次のようなものでした。①基調報告(1)「能登SDGsラボの取組~SDGsを軸としたコトづくり・人づくりのエコシステム~」永井三岐子(国連大学IASいしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット事務局長)②基調報告(2)「住民参加型で、SDGs達成のための自治体戦略をデザインする」高木超(慶応大学政策・研究科特任教助、SDGs-SWY共同代表)③事例報告「地域の担い手として、持続可能な地域の未来を創る~世界農業遺産゛能登の里山里海゛とSDGsの視点を生かして」高澤千絵(石川県志賀町地域おこし協力隊)④グループ・全体でのディスカッション。そもそも、この催しに行こうと思ったのは、最近、世事に疎い黄紺の目にすら引っ掛かって来るようになったSDGsという文字。どうやら、国連絡みのようだ、でも、17本ある柱を眺めてみると、いずれもが、至極当然と言える、現代の課題。これを、なぜにまで、こんなに、あらためて、国連なりが、また、SDGsとして取り上げているのか、それが、却って不思議な印象を持ち気になって仕方がなかったところへ、先日、京都府立大学での市民向け公開講座(もう市民向けレベルでない市民向け講座)に行ったときに貼り出してあったこの催しにそそられ行ってみることにしました。一般の市民向け講座というスタンスでないチラシ、大学、行政関係の方たちが集まりそうなチラシ、でも、報告者の中に能登で実践に当たられている方の報告があるということは、単に、理論をかざす学術的な交流オンリーでもなさそう、でも、ヤバいかも、この相克のなか、SDGsのことを知りたいという好奇心が、黄紺の中で勝ってしまいました。入口で渡されたアンケート用紙を見て、正直、びびりました。「所属」記入欄には、「自治体、議会、大学、NPO、シンクタンク、その他」だけ。びびりは頂点間近。まだ、頂点ではない。更に、「進行」の用紙には、「グループ・ディスカッション」ってあった。マジで帰る、いや逃げること、考えました。休憩のときが、逃げるタイミングかと、そこまで考えたのですが、、、。でも、変に度胸があるというか、何も解ってないところがある黄紺は、居座ったのです。結果は、、、正解でした。まず、基調報告が、正に「基調」で、SDGsに関するベーシックな情報を与えていただけました。逆に、司会者の口ぶりからして、自治体関係者が多く来られていたようですが、既に、SDGsが始まり4年が経ち、2030年がタイムリミットの今、こないなベーシックなお話を聴いていていいのかとすら思いました。ですから、3本の報告、いずれも、黄紺にも理解ができ、当初の目標が達成、出かけた目標を達成できたばかりか、グループディスカッションで同席した方たちとは、終了後、片付けがどんどんと進むなか、お構い無しに喋っていました。しかも、グループディスカッション(感想を言い合っただけですが)で、何気なく黄紺の言ったトルコの都市改造に見えるSDGsのことを言うと、「それ、おもしろい」「質問に上げよう」なんてことになってしまいました。びびりましたけど、この際、ずれていてもいいやの気持ちで質問に立つという、結局は向こう見ず、ですね。ここで、忘れないために、SDGsについて聴いたベーシックな情報をメモっておきます。①SDGsの前段階にMDGsがあった②「持続可能」ということは孫子の代までもということ③行動目標であり、17本の柱の下に細かな設定がある④17本を総合的に捉えねばならない=取り組みの総合性⑤SDGsのウェディングケーキ(自然-社会-経済の重層構造)⑥取り組みの包摂性=誰も外さない、これは取り組みに正統性と公共性を与える(反対できるものではない)⑦ペットボトルを例に「今までの生活」を「SDGs視点の生活」に「まるっと変える」⑧バックキャスティングの考え方、目標から逆算して現状分析をして達成に必要なことを考える⑨当面の取り組みとして上げられた評価のお話は時間に終われて急がれたため理解できませんでした⑩能登の取り組みは世界農業遺産を踏まえ、里山里海を活かした観光や地場産業起こしと金沢大学が核になり催行されているSDGsに携わる人材育成。基調報告は、お二人とも、抜群に切れる方、ほぼ初めて聴く話題だった黄紺にも解る、しかも、本質そのもののお話。ただ、内容に比べ時間配分が短く、存分にお話いただけなかった雰囲気。どちらかお一人で、たっぷりお聴きしたかったなぁ。能登の報告された方も、実は大変なキャリアをお持ちの方。また、能登の取り組みは世界的評価のあるものだそうなだけに、もっと時間が欲しかったな。グループディスカッションのあとの質問で、府立大学の学生さんが上げたものに「どの部分がSDGs絡みか、具体的に教えて下さい」というものがありました。至極もっとも、それが解りにくいものだったことは、黄紺も思ってましたよ。ここで学んだ知識があれば、先日、鴨川運河絡みで聴いた「水問題」の講演も、もう少し違った目で聴けたかもしれませんし、突っ込みどころも解ったかもしれないと思い、ちょっと後手を踏んだ感じがありますが、それは、自分から世事を遠ざけているから仕方ないと言えば、そうなりますね。かなり反省。でも、この催しで、ちーとは世界に目が向いた気がしました。


2019年 12月 25日(水)午後 10時 56分

 今日も、カフェモンタージュで音楽を聴く日。今夜は、「大フーガ」と題して、(ヴァイオリン)外園彩香、伊東真奈、(ヴィオラ)鈴木康浩、(チェロ)富岡廉太郎という4人の方たちのアンサンブルを聴くことができました。タイトルにあるように、プログラムは次の1曲、ベートーヴェン・イヤーを前にして、素敵なコンサートが組まれました。「L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130/大フーガ 変ロ長調 作品133」。今日の4人は、皆さん、読売日響のメンバー。読売日響の大阪公演に合わせて、カフェモンタージュでのコンサートです。元々、13番のカルテットの終楽章だった「大フーガ」が、現行終楽章を付けて演奏されたあとに演奏されたので、1時間の枠に、辛うじて収まるという長い演奏となりました。今日のお席は、右端に設定されたチェロの背後ということで、第1ヴァイオリンは正面で聴けても、チェロは背後から、ヴィオラは斜め前からという位置。そうした位置だったからでしょうか、随分と、かさついた音に聴こえたり、押さえつけられたような音に聴こえ、あまり乗り気になって聴こうという気を起こさせるものでなかったのが、残念。ただ、慣れがそうさせたのか、何らの改善が進行したのか、徐々に、第1楽章辺りで受けた印象は薄らいで行ったことも事実でした。正直、来年の2月の読売日響の大阪公演に合わせて、ベートーヴェンの15番のカルテットが、こちらで演奏されるとの告知があったのですが、当初、これは止める手もありだなとすら考えていたほどでした。現行の終楽章付きの演奏が終わり、ほんの短い間でしたが、楽屋に引き上げられたのが良かったのかな、「大フーガ」は見違えるばかりの好演。4つの楽器の重奏感を感じると、2倍、3倍の厚みを持ってきました。でも、「大フーガ」を独立させての演奏ではなく、初演時の構成で聴きたかったな。13番って、「大フーガ」が終楽章に入ることで、構成力で聴かせるという要素が強くなりますしね。ただ、これを聴いただけで、15番の先行予約を、爽やかにすることができました。


2019年 12月 24日(火)午後 11時 8分

 今日は、カフェモンタージュで音楽を聴く日。今夜は、「クリスマスの三重奏」と題して、(ヴィオラ)篠崎友美、(チェロ)山本裕康、(ピアノ)諸田由里子の3人の方の演奏を聴くことができました。そのプログラムは、次のようなものでした。「J.ブラームス:ヴィオラソナタ 第2番 変ホ長調 作品120-2」「ベートーヴェン2つのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲 変ホ長調 WoO 32(ヴィオラ、チェロ)」「ブラームス:ヴィオラ三重奏曲 イ短調 作品114」。ヴィオラの篠崎さんだけがフル出場。ブラームスに挟まれて、珍しいベートーヴェンのデュオが演奏されるというプログラム。皆さん、黄紺的には初めての方ばかり。但し、チェロの山本さんは、機会があれば聴いてみたかった有名人。ヴィオラの篠崎さんは新日フィルの首席。諸田さんのプロフィールを見ても、ただ者ではないというもの。なぜ、この3人の組み合わせを、カフェモンタージュで聴けたかは、謎のまま。当初は、ブラームスの2曲だけが発表されていたのですが、今日行ってみると、「眼鏡」が追加されていました。ベートーヴェンが間に入り、ちょっと閑話休題というところ。ブラームスは、いずれもヴィオラではなくクラリネットでも演奏可能なもの。ヴィオラにせよ、クラリネットにせよ、しみじみ感がたっぷりと滲み渡ります。黄紺には、いいクリスマスプレゼント。暖かなヴィオラの音に、軽やかに流れるピアノ、その傍らで、とっても歯切れのいいチェロが弾んでいました。3人の演奏者の中では、黄紺的には、山本さんのチェロに、一番強く惹かれてしまいました。それにつけても、日本には、どうしてこうも素敵なチェリストが輩出するのでしょうね。


2019年 12月 23日(月)午後 10時 50分

 今日は落語を聴く日。今夜は、ツギハギ荘であった「第57回 たけくらべの会」に行ってまいりました。笑福亭の若手4人の会です。その番組は、次のようなものでした。松五「半分垢」、呂好「河豚鍋」、(中入り)、喬介「眼鏡屋盗人」、生寿「不動坊」。今日は、体調が万全ではありませんでした。昨夜は、もう、この落語会の時間には寝ていましたから、生活のリズムがお出かけモードからずれてしまってました。沈没したのは、松五と生寿の高座。特に、生寿の「不動坊」を聴くのを、一の楽しみにしていただけに、悔しいですね、ホント。松五の「半分垢」は、随分と以前ですが聴いているので、諦めはつくのですが。特に松五の登場時に、眠たくて沈没しかけていたほどでした。辛うじて、松五のマクラだけは記憶に残っています。開演前の出演者の様子を描写してくれました。こういったマクラを話すのを得意としていない松五にしては、「おもしろいマクラをふるな」「いい掴みだな」と思ったのは覚えています。うまく出番交替のところで、正気に戻れたため、呂好の高座は楽しむことができました。しつこさのない、でも、表情の豊かさは、今まで聴いた呂好の口演を上回り、テキストでないところで、こってり感を出していました。しっかりとしたお喋りに、安定感を感じさせるのが、呂好の高座だったと思うのですが、一言で言えば、「かなり弾けてきたぞ」という言い方ができそうです。喬介の高座も大丈夫。いつにも増してテンション高めの喬介、セブ帰りだからかもしれませんね。セブから帰って来ると、驚きの事件がと、嘘のようなホントの話。ネタは短いもの。確か師匠の現松喬の持ちネタですよね。喬介の口演は初遭遇のはずです。下っぱの盗人のアホ度が半端ではありません。それに、頭目も感染したような雰囲気。喬介は、ネタに入ってからも、テンション高め。このテンション全開が、今後の口演に悪影響が出ないことを祈ります。生寿の高座は、辛うじてマクラと、「不動坊」の口調に満足してなかった自分を覚えています。マクラは、学校公演で知った沖縄の笑いの文化ってとこでしょうか。なかなか気になるテーマ。「不動坊」は覚えていることをメモすると、古いテキストそのままなのが、とってもわざとらしく感じ、ちょっときついな、こなれてないなと感じたのが記憶に残っているのです。そんなだからでしょうか、生寿世代界隈で、「不動坊」を持ちネタにしている噺家さんを思い付かないのは。敬遠されているのかも。となれば、生寿を応援したくなるのですが、、、。来年は、「たけくらべ」が10周年を迎えるのを記念して、繁昌亭での開催を決めたことが、最後に、生寿から発表されました。6月で調整に入るそうです。


2019年 12月 22日(日)午後 8時 15分

 今日は、ロームシアターでバレエを観る日。マチネで、「東京バレエ団×京都市交響楽団 クリスマススペシャル バレエ゛くるみ割り人形゛」(元振付:ワシリー・ワイノーネン、改定演出・振付:斎藤友佳理)という公演がありました。最近になり、バレエを観る機会を作るようになってきており、今年も、ポーランドやトルコで観ています。主たるキャストは、(クララ)川島麻実子、(王子)柄本弾で、オケピットには、井田勝大指揮の京都市交響楽団が入りました。有名バレエ団ということで、何か特別な演出などがあるのかと期待をして入ってのですが、こういった地方公演のようなものには、オーソドックスなものしか、やはり持って来ないのですね。冒頭の人々が、クララの家に集まって来る光景の装置、どこかで観た記憶のあるもの、そして、やって来る方はともかくも、帰って行く光景も、同じ装置で入れたのには、びっくり。これも、どこかで観たような、、、。でも、ちょっと丁寧過ぎやしないとの印象が強く残ります。クララの体が小さくなるというのは、定番のクリスマスツリーを使いました。クリスマスツリーが大きくなったあと、わざわざクララの部屋の場面を用意します。それも、丁寧過ぎやしないとの印象。最後に戻って来る場所も、従って、この部屋の場面になります。最後には、ですから、クリスマスツリーは出てきませんでした。くるみ割り人形は、大きくなるのは、クララの体が小さくなってからなのですが、ドロテマイヤーが、それに先立ち、3体の人形を用意します。この3体は、クララの夢の中までお伴します。ここは、体が大きくていいのですが、最初に登場するときは、踊りを3体の人形に用意したものですから、まだ、人形は小さなはずなのにと突っ込んでしまいました。丁寧過ぎるわりには、ちょっと雑な印象もありました。2幕の冒頭は、小舟に乗り、夢の城に行くという趣向、これは、おもしろい。更に、クララらを乗せた小舟のあとを、ネズミ軍団が、同じような小舟に乗り追いかけるという演出。そして、その直後に、ネズミ軍団との再戦の場面が用意されていました。ネズミは復讐に来て返り討ちに遭うという趣向のようでした。それからあとは、もう定番の流れ。変化はありませんでした。クララって夢の中への旅は、魔法を使えるドロテマイヤーのプレゼントというところでしょうか。魔法を使うというくらいしか、ドロテマイヤーにキャラ付けはされていませんでしたから、いかがわしい男とか、そういった雰囲気を与えるものではなく、なんか、ドロテマイヤーの存在自体が霞んでたなという印象です。ドロテマイヤーに強い個性を与えるのを拒否したプロダクションと言えばいいかな。そんなで、なんとなく始まり、なんとなく推移していったという印象が、全体を通してでのものでした。バレエの技術的なことは判りませんが、先日、アンカラ、イスタンブルとで観たプロダクションに比べて、圧倒的にアクロバチックな部分が少なかったの印象です。トルコのダンサーって、フィジカル的に凄いなと、改めて感じています。で、次にバレエを観るのは、今のところベルリンでとなっています。


2019年 12月 21日(土)午後 8時 33分

 今日は、みんぱくゼミナールを聴きに行く日。出かけにアクシデントがあり、一瞬行けないかもと思ったのですが、発想を変えることで、講演会は無事に行くことができました。今日は、「海の人類史――東南アジア・オセアニア考古学の最前線」という演題で、国立民族学博物館准教授の小野林太郎さんのお話を聴くことができました。人類誕生以後、海を使い移動した2つの事例を聴くことができました。1つ目は、人類がアフリカ大陸で生まれ、アフリカ大陸以外へと移動を始め、やがて、南米大陸の南端までに至るグレートジャーニー、旧石器時代の移動です。海洋適応という言葉を使っておられましたが、海を前にして、人類は、どのように対応したかという点です。黄紺は、まさか、今日のお話に、グレートジャーニーまで組み込まれているとは、望外のめっけものと思ったのですが、居眠り。 海洋適応という切り口は、言われてみれば気になる話なのに、また、やっちゃいました。また、タイミング良く、台湾に中国南部と、黄紺が知るよりは、範囲を広げられていましたが、出発点を、そういった地域に持つと言われている2つ目の大移動のところで覚醒。でも、こちらの方は、10年程前に、同じ民博であった特別展で学習済みだったもので、自分的なインパクトに欠けてしまいました。でも、10年前に観た展示を覚えていること自体が、そのときのインパクトの大きさを物語っています。移動の原因としては、気候の変動、温かくなっている時期に低くなった、そのタイミングだったようです。そして、この時期の移動は、船の違いとかがあり、移動の距離が長くなっているということです。バヌアツ、フィジー方向に、明確に「境界線」を引くことができるそうです。島の間隔が、フィジー方向に向かい、徐々に長くなっているため、1つ目の移動で行けたところ、行けなかったところの間に「境界線」を引けるそうです。そうした技術的改良があったればこそ、ハワイ、イースター島、ニュージーランドまでも行けたようです。考古学的にも証明できているようです。特別展のあった頃は、まだ、この2つ目の移動については、異論もあるという情報もあったのですが、考古学、言語学、そういった面からの補強も進んだということなのだと思います。この移動をした人たちに名前が付いていました。ラピタ人というそうです。質疑応答のなかで、南米大陸やアフリカ大陸への移動は、否定されていました。南米大陸に関しては、遺伝子鑑定のお話のなかで、また、アフリカ大陸へは、既に居住者がいたからではないかということで、逆に言えば、マダガスカルは、彼らが入るまでは、人は住んでなかったことが考えられると言われていました。せっかくのお話、期待以上の内容を用意していただけていたのに、残念なことが多すぎますね。


2019年 12月 20日(金)午後 9時 28分

 今日は繁昌亭に行く日。しかも、今年1回だけの昼席に行ってまいりました。ですから、昼席がリニューアルされて以後、言い換えると、昼席が座席指定になって以後初めてとなります。その番組は、次のようなものでした。紋四郎「つる」、染雀「七度狐」、よね吉「刻そば」、三吾・美ユル「親娘漫才」、竹林「親子酒」、(中入)、文福「金婚夫婦」、三四郎「熊の皮」、福笑「葬儀屋さん」。東京勢が2人に笑福亭直系が中トリとトリという構成が目につく番組。紋四郎は東京にいるだけに、久しぶりの遭遇。マクラを省いてネタにダイレクトに入ったのですが、お喋りが達者過ぎるというか、前座の雰囲気でないのが、逆に寂しい。それを意識したのか、今週は代役で入っているという感じの染雀。テンションを上げるのに努めるという感じの高座。そういった意味で、旅ネタはベストチョイス。但し、時間を気にしたのか、油の替わりに醤油をさしてしまうところで切ってしまいました。えらく不細工なところで切ったものです。よね吉が、マクラで立ち食いそば屋の話をし出したもので、「風邪うどん」と思ってしまったら、なんてことはない「刻うどん」でした。ま、吉朝ヴァージョンものだから、希少性は高いですがね。竹林の「親子酒」は初めてだと思います。最近聴いてなかった親父中心版。そして、父親が酒の相手にするのが婆さん。息子は、最後に帰って来るだけというもの。また、その息子の登場がど派手。高座に、前向きで倒れ込んだため、会場、大爆笑。いいもの、聴かせてもらえました。文福はおなじみの高座。でも、ますます滑舌が悪くなってきています。語尾が聞き取りにくくて、ちょっと困りました。東京組2人目の三四郎は、キャリアにしては、えらく奥の出番だなと思って、他の日の出番を眺めると、二番手に上がってますから、染雀か三四郎に、何か都合でもあったのでしょう。後が福笑ですから、新作は出せないだろうなと思っていたら、案の定、新作は出しませんでした。上方では珍しい東京ネタをしてくれました。別に、場所の設定はないわけですから、上方で流行ってもいいと思えるもの。このネタ、遊雀が繁昌亭昼席に出たときに出したネタですね。与太郎ではなく、上方の喜ぃ公のアブナイキャラに通じるものがあります。三四郎の口演は、そのアブナイキャラに一貫性がなかったのじゃないかな。前半は、アブナイ雰囲気を感じさせなかったですからね。ですから、全体としては、えらくおとなしい印象を得てしまいました。でも、いいネタ出してくれて、感謝です。福笑は、またしても「葬儀屋さん」に当たってしまいました。福笑は、1週間の出番で、毎日ネタを変える人なのに、このネタに当たる確率が、黄紺的には高いのです。動楽亭の昼席に福笑が出るというので聴きに行ったら、そこでも「葬儀屋さん」で、あまりにも遭遇しすぎです。最近、福笑をあまり聴いてなかったので、その間に作った作品なんてのに当たることを期待していたのですが、勝手な思い込みでした。もちろん「葬儀屋さん」がダメだというわけではないので、念のために書くと、「葬儀屋さん」は、福笑ベスト候補に入る作品と思っているものです。午後2時開演の昼席の終演は、午後4時半を少し回ったところ。昼席10席に慣れていた身からすると、やはり物足りなさを感じてしまいました。繁昌亭の昼席が終わると、いつも、千林駅までウォーキングをして帰るのが定番。1年ぶりくらいになるコースでしたが、細かな道も覚えておりました。でも、歩き出して間なしに暗くなり始めたものですから、歩いていても、あまり気分的には楽しいものではなかったですね。


2019年 12月 19日(木)午後 10時 26分

 今日は狂言を観る日。京都府立文化芸術会館の和室を使っての公演「第36回 狂言五笑会」に行ってまいりました。茂山家に所属する狂言師さん5人による研鑽会です。年に1回くらいは行っているかな。今日の番組は、次のようなものでした。小舞「蛸」(鈴木実)「貝尽し」(山下守之)「祐善」(島田洋海)、狂言「蝸牛」(山伏:増田浩紀、太郎冠者:井口竜也、主人:鈴木実)「文蔵」(主人:山下守之、太郎冠者:増田浩紀)「太刀奪」(太郎冠者:島田洋海、主人:井口竜也、道通りの者:鈴木実)。小舞3番のあとに、山下さんによる解説が入りました。そこで、小舞に重いものが並んだわけが判りました。今年亡くなった正義の千作追悼の意味を込め、幽霊の出てくるもの、宴席ものを選んだということで、納得。狂言の方は、学校公演の定番「蝸牛」や、能の会で頻度の高い「太刀奪」といったポピュラーな曲に挟まり、なかなか重い「文蔵」が出ました。パンフレットには、「文蔵」は、扱いとしては平曲だそうです。が、やはり、主人が「石橋山合戦」をひとしきり語る場面がありますから、扱いはそうであっても難しい曲であることは間違いありません。ただ、語るわけがバカバカしいから、扱いが軽いのかもしれません。なんせ、太郎冠者に食べたものを思い出させるためなんですから。「くっしゃみ講釈」の「覗きカラクリ」と、発想は全く同じなわけですから、あまりにも軽すぎます。狂言らしいですが、格式的には軽いのです。「蝸牛」も「太刀奪」も、狭い舞台にも拘わらず、ともに大きな動きがあるので、観る前はひやひやもの。特に「太刀奪」は、紐を引っかけられ、舞台上を転げ回らねばならないのですが、島田さん、ずんぐりした身体を、うまく使ったようで、無事に完遂できたようです。「ようです」というのは、客席に囲まれた舞台で、身体を沈められると見えないものですから。そうなんです。超満員の盛況だったのです。前回行ったときは、さほどの混み具合ではなかったので、安心して行ったのですが、今日はダメでした。混み合うところが嫌いな黄紺には、ちょっときつかったな。三笑会以来続く、この混むというのは伝統になっちゃってます。でも、こうして、容易く茂山の狂言を観ることができるのは、京都人の特権ですね。


2019年 12月 19日(木)午前 1時 48分

 今日は音楽を聴く日。フェニックスホールであった「関西弦楽四重奏団&豊嶋泰嗣“ブラームス:弦楽五重奏曲 全曲演奏会”」に行ってまいりました。関西弦楽四重奏団は、次の4人の方がメンバーです。林 七奈、田村安祐美(ヴァイオリン)、小峰航一(ヴィオラ)、上森祥平(チェロ)。そして、プログラムは、次のようなものでした。「ハイドン:弦楽四重奏曲ニ短調゛五度゛op.76-2 Hob.Ⅲ-76」「ブラームス:弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 op.88, 」「同:弦楽五重奏曲 第2番ト長調 op.111」。ハイドンは、当然、関西弦楽四重奏団だけ。でも、冒頭から、ベートーベンの全曲演奏会の最後の2回と似た位置の席で聴いていたのですが、まず明るい、そして、パワーアップしている。どうしたのでしょう。でも、その明るい雰囲気のまま、さほどインパクトもなく、さらりとブラームスの1番まで進み、休憩へ。ここまで、第1ヴァイオリンは、2曲とも田村さん、ブラームスの1番の第1ヴィオラは小峰さん。豊嶋さんはゲストだから、今日は第2のままかと思っていたら、ブラームスの2番は第1ヴィオラの席に。対する第1ヴァイオリンも林さんに交代。ご夫婦が対面する形で、それぞれの第1パートに座られた。2番のクインテットは、2楽章などに、ヴィオラのかっこいいソロが入ったりするので、ゲストに譲られたみたいだと、ここで納得。で、夫婦で第1パートを共演という趣向だったのかもしれません。この配置替えで変わったわけではないと思うのですが、いやむしろ、1番と2番の違いと言えばいいかもしれません。生で聴いて、よく判ったのですが、2番は圧倒的な名曲だと感じられました。5つの楽器のバランスが頗る良くて、1つ1つが独立して、強烈に個性を主張するばかりか、2/5の関係で、選ばれた2つの楽器が重なったり、牽制しあったり、それが、知らぬ間に異なった2/5の組合せになっていたり、2/5だと、楽器の対立構図は「2:3」になりますが、1/5だと「1:4」の構図になります。この「1」としてピックアップされる機会が圧倒的に多いのがチェロ。ヴァイオリン2本にヴィオラ2本に被さって来られるものだから、それを払い除けるように意気軒昂と踏んばるチェロ、上森さんが凄まじい切れる音を出し対抗していました。めっちゃ格好良かったです。弦楽器5つで、ここまでも音の洪水を聴かせてもらえるとは。「地響きを立てて迫る音の洪水」、これは、R.シュトラウスの「エレクトラ」を聴いたときに、黄紺が使う表現ですが、今日は、弦楽器5本で聴いたように思いました。今日は、それほどパワーを感じたのでした。2番って生で聴くと、構成の妙がクリアになりました。短調で幻想的な印象を与える2楽章、3楽章はワルツですね。しかも短調で始まりますよね。4楽章は、ちょっとエキゾチックな印象。この2番は、実に味わい深いものを感じさせてもらっただけでなく、素敵な演奏に接することができ、満足感に浸ることができました。


2019年 12月 18日(水)午前 5時 31分

 昨日は、京都府立京都学・歴彩館で行われた「令和元年度のセミナー【南山城編】」に行ってまいりました。昨日は、その第8回として、「飛鳥仏教と南山城-高麗寺の創建をめぐって-」と題するお話を、佐伯俊源(種智院大学教授&西大寺住職)さんから、伺うことができました。ですが、韓国からの帰国後続く寝不足の悪影響が出てしまいました。韓国旅行期間中は、首と肩に痛みが出た日以外は爆睡を続けていたにも拘わらず、帰国後は睡眠障害が出てしまい、最悪コンディション。日本ではストレスいっぱいということなのでしょうか。昔から、韓国から日本に帰るという前の晩から、睡眠時間が落ちましたから、マジで、その気があります。ということで、ほとんど内容を覚えていません。危ないのが判っていただけに、序が長く、早く入ってくれよと思っていたくらいですから、もう冒頭から睡魔が襲ってきていたのですね。ただ長いと思っていた序は、決して嫌みではなく、体調が良ければじっくり聴けた、聴きたかったと思えるもの。南山城の重要性に入る貴重なマクラをお話いただいていたと思えるからです。ですが、黄紺の体調には良くなかったというだけです。南山城絡みでは、毎度と言ってもいいですね、この地の意義。その中で、大切な点として、渡来人のことを聴けたようなのです。毎度聴けたと言っても、この渡来人ネタは聴いてなかったもので、残念感が大きいものがあります。というのも、結局は、詳細まで到達しなかった高麗寺というのは、従来から、狛(高麗)氏の氏寺と言われてきたからで、渡来人ネタは外せない話題だったのです。「上狛」なんて地名は、黄紺も、昔から知っている地名。ですから、「狛」ってのには、なじみを持っています。その狛氏って、なんと、高句麗系渡来人なものですから、ますます残念感が残ります。高麗寺に関しては、この南山城は、朝鮮半島から日本列島に入る北陸ルートを採ると通る国際交流路だったため、高句麗からの人々を迎えるシンボル的な要素を看て取らねばならない規模なため、かなり国家戦略的な位置付けの要があると言われていました。単に氏寺ではない、国家的な支援のもとに造られたのだろうということです。時あたかも、白村江の戦い、高句麗の滅亡期に当たるというのがヒントになるようです。古代史は、スケールが大きい、です。もっといいお話、たくさんあったはずです。黄紺的には、高句麗系渡来人の具体例だけで、満足しておきます。なお、来年度のこのシリーズのテーマは「洛西」だと、最後に係の方より発表がありました。


2019年 12月 17日(火)午前 8時 19分

 昨日は繁昌亭に行く日。夜席に、「第2回さわやかシリーズ゛おい、坂下!゛×第5回遊方×文鹿゛新作トライアル゛」という会があったもので、今年3回目かな、そないな繁昌亭に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。遊方&文鹿「製作秘話トーク」、文鹿「ガンバレ火鉢くん」、遊方「ペンギン・ア・ゴーゴー」、(小中入)、遊方&文鹿「製作秘話トーク」、文鹿「提灯と唐傘の恋物語」、遊方「持ち物検査」、(大中入)、文鹿「真景累ヶ淵・宗悦殺し」。新作テラーの2人会。この2人の会は、ツギハギ荘で行われたときに、1回、おじゃました記憶がありますが、繁昌亭での文鹿の会を、その会のコンセプトでやってみようというものだったようです。ゲストが遊方ということでの試みということです。ネタを披露する前に、「製作秘話トーク」と称して、これから高座にかけようとしているネタ解題をするというのが特徴の1つ。もう1つが、かけるネタが、ネタ下ろしか、あまりかけないネタを出すというもの。それに、「さわやかシリーズ゛おい、坂下!」としていると、文鹿が繁昌亭で続けている独演会だということで、最後に、文鹿が、古典の大ネタを出すというのが、この番組の方針というところとなるわけです。「ガンバレ火鉢くん」の「火鉢」は繁昌亭オープン以来ある備品を指します。備品でありながら出番の少ない火鉢を登場させようという落語。ネタの進行は、文鹿が火鉢に話しかけるというスタイル。火鉢も口を効いているのだけれど、文鹿自身が代弁するという形になっていました。そして、火鉢に請われて落語を教えるという展開。火鉢と向き合い、火鉢に着物まで着せるという趣向。「ペンギン・ア・ゴーゴー」は、2~3回は聴いているもの。「ラヴリーな女」が、道を歩きながら、様々な問題にぶつかりながり、究極の性善説で生きていく姿を表します。主人公のキャラを定着するために、もうマクラから全開でした。滑舌のいい遊方って、えらく魅力的です。「提灯と唐傘の恋物語」は、お化け組合の寄り合いで知り合った提灯(男)と唐傘(女)が、帰り道、徐々に接近していく様子を描いたもの。文鹿曰く、「濡れ場を語れる方法を考えた」。その方法が、擬人化というやり方、これは、事前に知らされていました。そして、正に濡れ場に入るところがラスト。予告されてますから、どうするのかと思っていたら、照明がパッと消えるというのが下げでした。ちょっと卑怯です。「持ち物検査」は、2回目の口演だと言ってました。女子高生が、ヴァレンタインデーにチョコレートを学校に持って来るのを禁止した高校で、ヴァレンタインデーの当日、持ち物検査が始まります。その検査が始まると、場内から笑いが上がっていきました。遊方も卑怯な手を使ったのが、そこで判ったからなのです。「禁酒関所」のパロディだったからです。遊方の新作もの、たくさん聴いてきましたが、古典のパロディは初めてじゃないかな。そして、トリネタが、まさかまさかと言っても、ネタ出しはされていたのですが、それでも、まさかの「宗悦殺し」。文鹿の高座、最近は、新作ものばかりを聴いていますが、昔聴いた「猿後家」が記憶に残るほどいい感じだったので、達者にこなす人ともインプットされていたため、わりかし期待していたところがありました。で、結果は、あまり歓迎できませんでした。原因は2つ。1つは、大阪弁に混じる江戸弁のため、居心地の悪さを感じたこと。2つ目は、ドスの効いた流れで、噺にアクセントを着けようという試みはグーなんだけど、概ね、調子が上ずりかげんで推移するのが、これまた居心地の悪さを与えていました。2点目は、口演に臨む高揚感がそうさせているのかもしれませんから、違う機会に聴くと、違う調子に聴こえるかもしれないなとは思っています。それにしても、頑張ります、文鹿。遊方とのトークが、わりかし気に入っているので、今後のツギハギ荘での公演、スケジュールさえ合えば、またおじゃましますね。


2019年 12月 16日(月)午前 5時 14分

 昨日は、午後に市民向け公開講座を聴く日。「京都府立図書館連続講座」に行ってまいりました。昨日は、「陰陽師たちの京都~最近の陰陽道史研究から」 という興味をそそる演題で、京都女子大学文学部教授の梅田千尋さんのお話を聴くことができました。冒頭で、いきなり、この講演を引き受けたわけを話されました。ちょうどこの時期に、ご自身が関わられた叢書が出版される予定だったのでと。ざっくばらんなお話に、空気が和らぎます。でも、出版が間に合わなかったと、話には落ちまでついていましたからね。更に、もう1つ、可笑しかったのは、「私の専門は平安時代ではありません」に、「えっ?」という空気。「安倍晴明はほとんど出てきません」に、また釘付け。「専門は江戸時代の陰陽道なんです」、これはインパクトがありました。そないな時代の陰陽道なんて、聞いたことはありません。また、安倍晴明を肖像画を見せられると、黄紺も見たことのあるもの。でも、その製作は、室町時代と言われたかな。室町時代にも、今と同じで、陰陽道というのは、魔力を使うなどという考え方で見られていたと言われると、急に親近感が湧いてきます。確かに、注意換気を受けて判ったのですが、安倍晴明像の膝横に、鬼が侍っておりました。掴みのお話にわくわくしたのは良かったのですが、後がいけませんでした。首、肩の痛みが減退していくなか、睡眠を妨げるものが小さくなっていたのに、睡眠時間が少なく、二度寝ができず、午前2時頃から眠れないまま、この講座に出かけた影響が、まともに出てしまい、具体的なお話に入っていくと沈没。ですので、記憶し残っているもののメモに留めておきたいと思います。陰陽道の仕事は、時間や空間に関する吉凶を占うこと。時間的に先のことだけではなく、過去を振り返り、今、起こっていることの原因を探る、要するに、過去に目を向けての占いも、重要な仕事だったとか。鎌倉・室町から江戸時代の陰陽道に関する研究が進んでいる。その原因は、一次史料のいいのが残っている。その1つに、安倍晴明の子孫となる土御門家に仕えた若杉家文書。明治維新のとき、京都の貴族が東京に向かったときに残していった、陰陽道の日常の行いを記してあるそうです。明治政府は国家神道化を進めていくため、それと相容れない宗教を排除していくため、東京に持って行っても仕方なく預けていったのが、幸いしたようです。その文書を読むと、祭式の順序や祭式以外の活動が読めるようですね。時期に会わせたお札を配ったり、地鎮祭や病気平癒を願う祈祷などが行われていたようです。普段のライフサイクルの吉凶に関わる事柄に、日常的に関わっていたのが陰陽道に関わる人たちの活動だったようです。「今は地鎮祭は神主さんにお願いしますが、それを陰陽師にお願いしていたと考えればいいです」と言われていました。信じんごとを多く持っていた前近代社会の一角に、常に陰陽道があり、人の頼りとする存在だったことを知ることになったと思います。細かな話を、しっかり聴きたかったな。無念です。テーマがテーマだけに会場は満杯。黄紺も、そのお仲間の一人でした。そこを見透かしたような企画、府立図書館、やってくれます。前に寄せてもらった「千夜一夜&百夜一夜」もおもしろかったですし、来年も要チェックの市民講座です。


2019年 12月 15日(日)午前 3時 54分

 昨日の朝10時3分に、関空着のエア・プサンで帰国しました。大阪の暖かさに、びっくり。日本を出るときの寒さに対し、韓国の暖かさに驚き、その韓国の暖かさと変わらない暖かさに、今度は驚いています。今回の韓国で、寒くて困ったのは、スンチョンの国家庭園に行ったとき。丁度、前線が通過したようで、風が強くなり、気温が急降下。暖かさもこれまでかと思ったのですが、翌日の朝は、また暖かくなっていました。今年は2回、韓国に行きました。前回は1月だったのに、さほど寒くなくてラッキーと思ったのですが、それが2回続くとは、嬉しい誤算となりました。帰国後すぐに、知人宅に荷物を預け向かったのは、伏見区役所深草支所。昨日は、こちらで、「ふしみ人権の集い2019 第2回学習会」という催しがあったのです。「゛竹田の子守唄゛を受け継いでいくために~ふしみ人権の集いの25年を振り返って~」という演題に導かれて行きたくなったため、帰国後早々に出向いたのでした。この催しの構成は、次のようなものでした。(第1部)解説:竹田の子守唄の歴史と意義(ふしみ人権の集い実行委員会事務局)、(第2部)対談:歌い継ぐ思いを受け継ぐ(部落解放同盟改進支部女性部長松田扶邇子&ふしみ人権の集い実行委員会加藤博昭委員長)。「竹田の子守唄」の歴史というところに惹かれて足を向けた黄紺だったのですが、趣旨は、そこではなかったというのが、催しが始まってから気づくことになりました。「竹田の子守唄」は、全国的に知られた大ヒット曲ですが、その原曲を掘り起こし、歌い続けて来られた人たちが、活動を停止(高齢によるため)されたあと、それを、どのように引き継いでいこうかという課題を核にした催しだったのです。そのために、そもそも、「竹田の子守唄」が世に出るところから掘り起こし、原曲を歌うようになった経緯、原曲の歌詞の持つ意味、原曲を歌った解放同盟改進支部女性部の活動を振り返ってと、進んで行きました。その中で知らなかったことがたくさん聴くことができました。「竹田の子守唄」は、元々、「橋のない川」が舞台化されたときに使うために作られたものだそうで、もちろん竹田地区で歌われていたものを採譜して、それを編曲したものが世に出たそうです。いい曲だということで、幾人かの歌手がカバーするなら、赤い鳥が、この曲でメジャーデビューをして全国化するのは周知のこと、その一方で、マスコミから消えて行く歴史を持っているのが、この曲。今で言う「忖度」がマスコミに働いたというわけです。披差別部落の歌だからということが原因だというのも、知られた事実ですね。一方、地域では、昔から歌い継がれている歌の採譜が行われ、但し、同じような歌でも、人により違いがあり、ま、伝承歌というものにあるある話でしょうが、その中で、固められていき、「竹田の子守唄」の原曲などが成立していったということでした。原曲が固まると、今度は、それを紹介するということで、女性部の方が、その任に当たられるわけですが、やはり「竹田の子守唄」のネームヴァリューは大きいなものがあります。そこで、原曲紹介のために結成された女性部のコーラスが、全国からのオファーを受けられ、啓発に努められることになったというわけです。「対談」が、聴く者にはおもしろかったですね。コーラス隊の紹介をするテレビの報道が、顔出しをしなかった「忖度」をしたり、コーラスの指導に当たられたのは、地元の中学校の先生で、その方も会場に来られていて、違った立場からの思い出話をされたり、同じ中学校の元教員からは、「竹田の子守唄」を切り口に部落問題学習をしたときの思い出が聴けたりと、コーラス隊の中核として活動されていた松田さんのお話だけでなく、その傍らにおられた人たちにより、かつての動きが補強されていき、おもしろみが拡がって行きました。それは、この催しの主旨からして大成功の企画。黄紺的には、京都に住みながら、疎いとしか言い様のない解放運動&教育の一端を学習できた、いい時間を与えていただけ、帰国後早々に駆けつけただけのものがあったなと思えました。


2019年 12月 8日(日)午後 6時 19分

 今日は、びわ湖ホールで行われるオペラ公演関連イベントに行ってまいりました。3月に予定されているワーグナーの「神々の黄昏」プレトーク・マチネです。いよいよ、この3月で「指環」が完結します。その最後の作品「神々の黄昏」に向けてのトークが行われたのです。登壇されたのは、次の方々でした。沼尻竜典(指揮/びわ湖ホール芸術監督)、岡田暁生(京都大学教授)、藤野一夫(司会:神戸大学大学院教授)。また、毎回、この公演の後半は、オペラの一部を生で聴かせてもらえるのですが、その歌手は、基村昌代(ブリュンヒルデ役/ソプラノ)と二塚直紀(ジークフリート役/テノール)のお二人でした。ここで、二塚さんを聴けるというのは、贅沢なお話です。前半は、3人の方がお話されることになっているのですが、いつものように、岡田さんの独演会気味。以前は、ステレオタイプ的なことばかりのお話だったので、引っ込んで欲しいなとすら思っていた時期もあったのですが、「ワルキューレ」からは、憑きものが落ちたかのように、興味ある話題を提供してもらえるようになりました。今日は、バーゲンの館をブルジョアジーの邸宅に喩え、労働者とは違う生活の風景を強く印象づける話として、ルール地方を具体的に紹介されました。産業遺産となっている工場跡や炭鉱跡、そこでの過酷な労働、それは、正に、「ラインの黄金」で、地下で働くアルベリヒの部下たちそのものの姿と言われていました、ルールには大学がない、文化的な生活がない、サッカーだけ与えておけばいい、、、そういったお話です。それがバーゲン一族の姿で、そこに雇われ権力を手にするのがジークフリートという構図です。ワーグナーは、革命家としての顔を持っていた時期があった、ドレスデン革命の辺りと、これは、藤野さんが補足。だから、一旦、「世界を終わらせたい」、そういったコンセプトがあると言われると、沼尻さんが、その後に続く、「再生」のモティーフを、ピアノで弾いて聴かせていただけました。こうした資本主義に対抗するといったメッセージが込められていたのですか、、、。神々が出てくるので、宗教を切り口にパラダイムを揺するという方向性かなと考えていたため、ちょっと意外でつまらないという印象を持ってしまったのですが。休憩を挟み、まずは、恒例の一場面の演奏。第1幕のデュエットを披露していただけました。そして、最後は質問に答えるという形での、トークの続き。今年は、筋立ての質問を取り上げられていました。アルベリヒとバーゲンの関係、バーゲンという男はとか、媚薬についての質問もありました。「指環」も最終作ということで、関心が高いのか、チケットは、両日ともに即日完売だったとか。再来年は「ローエングリン」だそうですから、残るは、「マイスタージンガー」「パルジファル」ですね、びわ湖で上演されてないワーグナー主要作品は。この流れだと行かざるをえない空気です。「パルジファル」は、日本で観てみたいですね。


2019年 12月 8日(日)午前 1時 36分

 昨日は、午後に公開講座を聴き、夜は音楽を聴くという二部制の一日。まず、午後は、京都市伏見区役所深草支所で行われた「伏見連続講座」に行ってまいりました。京都市主催で、昨年、今年と、伏見関連の公開講座が、多数、開催されています。昨日は、「深草の天皇陵」と題して、仏教大学非常勤講師の伊東宗裕さんのお話を伺うことができました。天皇陵って、前方後円墳が大きく、世界遺産になったりしたものが大阪なんかで出てきたものですから、もう少し拡散しているものかと思っていたのですが、ほとんどは京都市内にあるそうです。その形にも幾種類かがあるそうです。で、今のように、歴代の天皇の墓、即ち天皇陵ですが、どの天皇がどこかというのが明確になるのは、江戸時代になり、特定作業、及び修復作業が、2回取り組まれたからだそうです。それまでは、特定されてないものが多く、複数の言い伝えがあるのも珍しくなく、かなり荒れたものだったようです。その作業の2回目は幕末の尊皇攘夷を背景に行われたというのは了解だったのですが、それに先立つのは、水戸光圀のテコ入れがあったからとか。「大日本史」を著したことと符号します。そのおかげで、曖昧なものがありながらも、天皇陵が整備されて、現に存在しているというわけです。今回のお話は、「深草」と限定された地域の天皇陵についてです。深草地域には、桓武天皇陵、仁明天皇陵、深草十二帝陵、月輪陵があると並べられたのですが、桓武天皇陵は桃山だし、月輪陵は泉涌寺だしと、深草からは離れてしまいます。実は、それが大きなテーマだったのです。桓武天皇陵は、正に曖昧だった典型例で、現西京区としたものもあったようで、近場では仁明天皇陵の東に、桓武天皇陵とされた跡があり、また、珍しい例だそうですが、その位置を示す道標まで立っているとか。ですから、「深草」の範疇に入ってくるのだということです。また、現桓武天皇柏原陵(正式名称)は、明治天皇陵の隣ですから、明らかに旧伏見城跡地の謎も解けることにもなりました。もう一つの深草十二帝陵は、仁明天皇陵の北にあります。鎌倉時代から江戸時代初期までの12人の天皇の陵です。でも、外から見ても、およそ12人の陵があるとは思えない広さ、そのわけが判明しました。中世、近世は、火葬ですので、この陵には納骨堂があるのです。それだと場所を取りません。昔は、その納骨堂の管理をする、広い境内を持った寺があったということが文献から判っているそうです。東側に、それとは違う寺がありますから、納骨堂の位置から考えて、西側に広がっていたと考えられるようで、それがいつしか荒れ、用を終わった土地に奈良線が走り、それが、今の十二帝陵の西境になったということです。その十二帝陵が十二で終わり、それ以上の天皇の墓が月輪陵となったかが、大きな問題です。そこで、提示されたのは、納骨ということは火葬をしているからであるから、その火葬地がどこかということが気になるという流れになりました。12人の内10人までもが、泉涌寺で火葬をしていたのです。そして、火葬をすると分骨が可能だということで、月輪陵になる前からも、泉涌寺に分骨していたのではと講師の方は言ってられました。深草十二帝陵から月輪陵に替わり、やがて孝明天皇(陵は月輪陵の隣)で土葬が復活し、現在に至るようです。こうして見ると、「深草」という地域を切り取ると、陵の歴史が垣間見えてくるのですね。流れは、こうしたお話をされたのは、間違いないのですが、半寝以上の居眠りをしていたかもしれません。幸い、事前にレジメを読んでいたので、居眠りから目覚めたとき、お話されている内容が、即座に把握できたため、筋道は外してないのです。外が寒いので、室内のいい暖房は、とっても黄紺の体には優しいものがあり、いい心持ちになったようです。でも、外さなかった、こないな日もありますね。
 講演が終わると、一旦帰宅。夜までは、トルコ・サッカーを追いかけたりして、時間調整。そして、夜はカフェモンタージュ。ここ数日、珍しいプログラムが続いていますが、黄紺は昨日だけ。昨夜は「L.v.ベートーヴェン」と題して、(ピアノ)菊地裕介、(ヴァイオリン)瀬﨑明日香、(ヴィオラ)小峰航一、(チェロ)上森祥平の4人の方の演奏がありました。そのプログラムは、次のようなものでし。「W.A.モーツァルト:弦楽三重奏の為のフーガ K.404a-4」「L.v.ベートーヴェン:(ピアノ四重奏版/フェルディナント・リース編)交響曲 第3番 変ホ長調゛英雄゛ op.55」。今日は「英雄」だけと思い行ったら、モーツァルトが付いてきました。カフェモンタージュで聴く上森さんの音は、相変わらずかさついて聴こえ、いいとは言い難いのですが、優しい感じの小山と小谷が、とっても心地よい。これは、このあとも楽しめそうとの予感。その予感が当たりました。上森さんのチェロは、相変わらず同じ音。新しく入った菊地さんのビアノですが、音にいまいち煌めきがないため、つまんないと思っていたら、替わりに軽やかって言葉で表すとぴったり感がある。それら が自在に絡み合うっていうか、要するにアンサンブルが決まってると言えるいい感じの演奏。正直、聴き込んでしまいました。いい編曲といいアンサンブルが組合わさった、素晴らしい演奏に出会うことができました。初めての遭遇かもしれない瀬﨑さんは、華奢な体躯からは想像もつかないパワフルな音を出されていたのも、黄紺には、とっても新鮮なものがありました。オケ用の曲を室内楽で演奏するシリーズ、残念ながら、この1回しか行けません。このコンサートだけというのは、ちょっと失敗でした。反省です。頑張って、時間を作るべきでした。


2019年 12月 6日(金)午後 8時 33分

 今日も、市民向け公開講座を聴く日。今日は、京都アスニーでのおなじみの講座「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の一貫として行われた「特別企画:人権問題を考える~障害が重い子どもの教育~」という演題でのお話を聴くことができました。お話をされたのは、前京都市立東総合支援学校校長&京都市醍醐中央図書館首席専門主事の加地宝治さんでした。人権週間ということでの企画。普段、こうしたテーマが選ばれるということがないため、かなり期待してのお出かけ。序盤は、京都市立の総合支援学校8つの紹介から。肢体不自由の生徒も知的障害を持つ生徒も、同じ学校で学ぶという体制になっており、そのため、京都では「総合」という呼称を使っているとか。ご自身が勤務されたことのある呉竹養護学校の設立時のお話が、わりと印象に残りました。一つには、その頃の呉竹養護学校が記憶の中にあるものですから。設立当時は、身辺自立ができているというのが入学の条件だったとか。ですから、何かの集会の写真を見せていただくと、保護者ともども、生徒も全員、椅子に座っていました。講師の方の指摘で、初めて支援学校では、今やありえない光景を見せられたことに気づくことになりました。時間の経過につれ、かつてはありえなかったことが、今や当たり前になってきている部分があります。時間の経過とともに、障害者を見る目がとっても変わったということなのでしょう。こないなことも言われていました。呉竹に続き作られた養護学校の場所が山の中だという指摘です。呉竹も、考えてみると、桓武天皇陵入口前で、設立時は、宅地が切れた先でした。それは、街中に作ると、子どもたちの出す音などから、周辺住民からの受け入れに困難をきたすことを想定してのものだったそうで、北支援学校(?)が、廃校となる小学校の校地校舎を使うことで誕生したのが、街中に生まれた初めての支援学校だったそうです。時間の経過が、そういった場所での設立を可能にしたということだったようです。そういった全般的なお話から、現場におられた経験や取り組みをお話されるようになっていったのですが、午前中の講座は、やはり、黄紺には鬼門でした。ここで居眠り。断片的にしか記憶に残ってないもので、総体としてまとめることができません。残念です、レアな機会と意気込んでいたのに、この様です。そんなで、今年最後になるはずの京都アスニーは、無残な結果となりました。


2019年 12月 6日(金)午前 5時 53分

 昨日は、京都市内の大学が開く市民向け公開講座のハシゴをする日。まず、午後に行ったのは、京都市立芸術大学主催の「令和元年度 第8回伝音セミナー」。昨日は、藤田隆則さんのお話で、「能《羽衣》の楽譜」という演題でした。能楽が、こうした公開講座で取り上げられるのはレアなことだということでしょうか、能楽師の河村晴久さんが来ておられましたが、それ以外でも、能楽関係の方が来られているのではという雰囲気。お話はどのようなものになるのか期待と同時に、能にはかなり親しんできたはずの自分にも解らないようなものになるかもという不安が入り交じったもので、開演を待ちました。ところが、大変な肩透かし。「羽衣」のキリの部分が、各流派で公刊された謡本での記され方を比較し、音源を使い、各流派1人ずつの謡を聴くというもの。講師の方の心づもりとしては、お囃子の手も、更に仕舞の型付けまでも視野に入れられていたようですが、時間は足りませんでした。ですから、謡本の点検と謡の音源を聴いただけとなってしまったのでした。謡本も、やはり実勢力と比例しており、観世が改訂に精を出し、その結果、実勢も伸びということになったようで、観世に次いで、宝生、要するに上掛りが改訂が多く、下掛りは進まないというわけです。謡本を見ると、詞章の横に並ぶ点などの印の変化を辿ることになっただけで、その繰り返しだったものですから、途中から眠たくなり、音源を聴かせてもらえるタイミングには目覚めているといった状態。不謹慎な受講生でした。せめて、音源を聴かせていただいた能楽師さんの名前だけは記しておきます。(観世)梅若万三郎、(宝生)高橋進、(金春)金春信高、(金剛)金剛永謹、(喜多)喜多節世。めっちゃ、豪華。
 京都芸大を出ると、桂、西院経由で、花園大学へ。夜は、同大学主催の「地域連携講座《まなび庵》 第5回」として行われた「本当は身近な家族の心理学講座」という演題の講演を聴いてまいりました。お話をされたのは、同大学学長で社会福祉学部臨床心理学科教授丹治光浩さんでした。家族心理学を専門とされている講師、取り上げられた具体的な家族がおもしろかった。テレビアニメで著名な家族3つを、心理学の視点から分析をしてみせられたのです。その3家族とは、「クレヨンしんちゃんの野原家」「ちびまる子ちゃんのさくら家」「サザエさんの磯野家とフグ田家」。関心を惹いたのは、分析の結果ではなく、分析をするときの切り口。それらは、次のようなものでした。「成員の呼称」「食卓での座席」「寝室」「家族行事と儀式」「ペットの様子と見方」「父親の姿」「喧嘩の様子と推移」。これらをポイントにして、家族を眺めてみると、家族の実態を把握できるというわけです。それらの分析を通じて、まとめられたのは、次の諸点。①家族機能は、呼称、席順、部屋割りなどに影響する②家族機能を高めるには、家族行事が効果的③ペットを飼うことは、子どもの自立、責任感など、精神的成長を促し、家族の潤滑油として働く④適度な喧嘩や問題を乗り越えることで、家族は成長する。おもしろかったのは、家族内で問題が発生した場合、円環的因果律で発生するのが普通で、家族内の成員でぐるぐる回りをして、問題の原因を辿ると新たな問題が発生していき、結果の原因を辿れば、問題が解決するというわけではないという指摘。確かにと思わせられるもの。その解決法の指摘も、いい頭の体操になりました。例えば、成員を変えればいい。ペットを入れると成員が変わる、ペットの効用です。納得。更に、家族の言葉を変えればいい。家族内の固定したコミュニケーション手段を変えればいい、納得です。関係性を変えるかもしれない要素を入れろということですね。心理学からのアプローチって、おもしろい、新鮮です。そうそう、先の③について、こないなことを言われてました。ペットは、概ね、人間よりは寿命が短いので、「死と向き合うことがらできるかも」という要素を秘めるというわけで、これは、子どもには得難い体験になるという指摘。ますますペット株上昇です。黄紺にとっては、サザエさんは解っても、ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんは、全く解らない素材でしたが、恐らく、こうしたお話を伺うことができるだろうとの期待通りのもので、大正解。昼間の講座か、ほぼ外れと言えるものだっただけに、気分もすっきり。感謝です。帰りは、JR二条駅まで歩き、珍しくJRを使い、帰宅。JRを使うと、電車賃が安く、思わぬところへ行けること、最近、知ることになりました。いったい何年、京都に住んでるんだと、自分に突っ込まざるをえなかったけどね。


2019年 12月 4日(水)午後 7時 52分

 今日は、山科アスニーで行われている「学びのフォーラム山科」の講座「石で敲いてナッツトゥユー ~旧石器時代の木の実食を考える~」を聴きに行ってまいりました。お話をされたのは、(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター副主査の黒坪一樹さんでした。旧石器時代の遺跡の遺物を精査して、その時代に、どのような木の実が食べられていたかを研究されている方。その成果をご披露いただける講座となりました。人類の進化、旧石器時代の概要からスタート。食べられていた木の実で焦点化されたのは、クルミ、ハシバミ(ヘーゼルナッツ)、どんぐりといったものでした。実際の旧石器の標本や木の実を持参して、聴取に来ていた者に回覧されていただけたのですが、ヘーゼルナッツ(大丸で購入されたものとか)は、日本在住者には珍しいという配慮からだったのでしょうが、トルコで当たり前のようにして見てきたそれとは、形状が違う。えらくずんぐりしたものでした。ま、オクラの違いに比べるとかわいい違いですから、スルーすることにしました。いよいよ各遺跡からの遺物を基に、なかでも木の実を潰し粉にする道具敲き石とハンマーの存在が、当該の木の実の存在を証明するというお話になったところで、居眠り。やはり、午前中の講座は、黄紺的には鬼門です。日本列島の植生と木の実の関係など、大切なお話をされていたようですが、すっかり水の泡となりました。黄紺的には、日本の旧石器時代って、最も知識が欠落しているところですし、考古学的発掘や分析法の進化が著しい分野じゃないかと思っていたため、今日の居眠りは、頗る付きの失態でした。


2019年 12月 3日(火)午後 11時 23分

 今日は落語を聴く日。動楽亭で緊急開催された「できらく! Forever 三金」に行ってまいりました。先頃急逝した桂三金がユニットを組み、新作を発表してきたユニットの同人、元同人(たま)が集い、緊急の追悼落語会を開くというので行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。あやめ「奥野くんのコンパ大作戦」、たま「奥野くんのミステリ」、南湖「奥野くんの山内一豊」、三風「テレショップパニック三金ヴァージョン」、遊方「聖なる贈り物」、全員+笑金「トーク」。あやめは、今年の横浜にぎわい座の「花詩歌タカラヅカ」の前日、新宿道楽亭で、三金と二人会で出したネタを出しました。元々は、茶臼山舞台当時の様々の試みの一つとして行ったものとか。確かに、できちゃったのメンバーが二人会形式で、おもしろい試みをしていた素敵な時代がありました。道楽亭では、二人が高座に上がり、間にパーテーションを置き、交互に口演したものだそうです。女三人と男のデブ三人との合コン。三組が、次第に出来上がっていくというもの。最後は、皆でカラオケに行くのですが、そこでは、実写の三金が歌う映像を流してくれました。たまは、実際に三金の口演をアレンジしたもの。できちゃったのためにネタを考えている三金という設定。そこで書いているネタが奥野くんの葬式というわけ。葬式の場面に欠かせないのが師匠文枝。文枝ネタのくすぐりは、いつ聴いても笑えるものがあります。南湖は、講談ネタを、三金夫婦に置き換えての口演。元ネタは、南海さん脚色のもの。あとの「トーク」で言ってたのですが、「三金物語」をやって欲しかったな。三風は、自分の代表作に三金を登場させました。テレショップの商品に三金を登場させるというアイデア。下げが良かったな。買いが集中するなか、「既に売り切れてしまいました」「たった今、天国から神様がお買い上げされました」、、、、三風らしさが出た素敵な下げですね。遊方の出したネタは、できちゃったの合宿でできたもの。6人が2組に分かれ、共同で作ったもの。遊方と組んだのは、あやめと三金だったそうです。奥野くんと付き合っている女が、熱も冷め、奥野くんと別れたいと思っている。だけど、高価なクリスマス・プレゼントだけは欲しいので、プレゼントをもらった途端、別れる算段を友人に持ちかける。その友人に誘惑してもらい奥野くんの方から別れさせようとする。でも、プレゼントは2つ用意されており、2つ目は友人の手に。それを取り戻そうと画策する主人公の女。最後は、2つのヴァージョンを作ったようで、今日の口演は下ネタヴァージョンだったようです。「トーク」では、集中治療室での様子や、兄弟子に当たる三風が、三金の変を知ったときの動きや、兄弟弟子の動きも紹介され、しんみりしたところへ、三金の等身大以上の被り物が登場。「年越しカウントダウン落語会」用に作ったそうで、まだまだ三金追悼の落語会は続くようです。そう思うと、またぞろ三金のいないことの大きさを再認識することになりました。動楽亭は満席の盛況。あやめやたまのツイッターに、既に、「完売」「当日券なし」の告知が出ていたにも拘わらず、当日券での入場を求める方が、黄紺が入場できた半ばあたりで、既に数人おられました。三金は、プロデュース力があったので、いろんな会を持っていましたが、やはり根っこは、このできちゃったでしたから、それだけ多くの人たちが詰めかけたのでしょうね。かえすがえすも、残念なことが起こってしまったということなんですね。


2019年 12月 3日(火)午前 5時 55分

 昨日は音楽三昧の一日。午前中から午後にかけ、メトロポリタンのライブビューイングを観て(Movix京都)、その後は、いつものように、福井から来ていた高校時代の友人とオペラ談義をして、夜はカフェモンタージュというものでした。メトロポリタンのライブビューイングは、今シーズン初めて。昨日は「マノン」(ロラン・ペリー演出)を観ることができました。有名なオペラでありながら、マスネのオペラですから、フランス語だということで、黄紺も、生では1回(ケルン歌劇場)でしか観たことのない作品。同じ題材のプッチーニ作品よりは官能的な色彩の音楽が流れ、波乱の人生を歩むマノンですから、1幕の幼さの残る女から、高級娼婦としての顔を持つ後半では、かなりキャラも違い、MCのナディル・シエラも、何度か難しい歌唱を求められる作品と触れているものです。ロラン・ペリーのプロダクションは、多少戯画化された、平面を多用した装置を駆使。1幕は、三方が高い壁で囲んだ広い空間が主たる舞台。両サイドは家の壁って感じで、正面の壁にだけ、階段が着いていて、その階段を上がると、ミニチュアの家並みが続くとなっています。まるで、正に修道院に送られ、自由な生き方を束縛されていこうかというマノンその人を表しているかのようです。正面の階段を、マノンはデ・グリューに導かれ上がって行きます。束縛から解き放たれた姿そのものですからね。2幕は、壁が後ろに引かれ、照明が落とされ、ほとんど見えなくされている中に、2階建ての四阿に身を寄せる二人。束縛から解き放たれたマノンは、自らを律する術を心得てないからでしょうか、デ・グリューの貧しさからパトロンになろうかという男の財力に引かれてしまう場面。粗末な四阿が痛々しさを表します。3幕は、パリの街角の場面。特に時代設定がクリアになるようにはしてないプロダクションですが、パリの街の細い路地を表しているように、細い斜めになった横板や、それらの隙間を使い、横長の空間が設けられていましたから、マスネの同時代よりは前と考えるべきですね。ですから、オペラ座のバレエが、とっても窮屈なスペースを使わねばなりませんから、見栄えは減退しますが、時代考証的には的を射ていますから、悩ましいところです。この華やかな生活に慣れると、マノンは、デ・グリューとの生活を懐かしむ思いが出ています。人間の持つ欲望をマノンは、とっても素直に表していきます。そして、たまたま耳にしたデ・グリューの居場所に訪ねて行くのが、3幕2場になります。デ・グリューは聖職に就いていますから、教会を表すモチーフが、照明の照らす僅かなスペースに置かれています。俗人の祈りの席、合唱隊の座席、書棚といったものが配置されていました。照明の当たるスペースの狭さが、デ・グリューの禁欲の気持ちを表しているようです。その禁欲的空間を越境してくるのがマノンです。「ここのマノン、すごいね」、マスネの音楽、マノンを歌ったリセット・オロぺーサの歌唱を、友人は賞賛していました。デ・グリューの元に戻ったマノンが、デ・グリューとともに現れる地下の賭博場が4幕です。ボックス型の装置の中には、斜めになった横板が階段状に並び、向かって右端に、上から下へと続く狭い独立した階段、一番上に出口があり、外との出入りは、ここを利用するというもの。街の裏社会の閉塞感を感じさせるもので、マノンの奔放な生活も、この範囲という趣向か、それとも、マノンの生き方の出口のなさのようなものを表しているのかもしれません。自らを律することを知らないというか学べないマノンの生き方が、いよいよ行き詰まってきたかの印象を与えました。5幕、いよいよマノンの死を迎える場面ですが、どこに続くのでしょうか、開放感のある幅広の道、両脇が高くなっていますから、どこかに続く感が出ています。プッチーニではアメリカ大陸に行ってからの場面が、アメリカ大陸に移送される前のルアーヴルの港なのかなと、勝手に連想していました。でも、ここの場面が最も開放的な印象を与える装置。ひょっとしたら、マノンは、ここで、ようやく解放されたのか、そないな印象を持ちます。自由に生きる、それは、単に奔放に生きるのではなく、自らが自らを律する、そういった力量、権利を持ち、初めて自由に生きる、そないなメッセージが見えてきたように思いました。黄紺が解ってなかっただけだと思いますが、ローラン・ペリーのプロダクションを観て、初めてメッセージ性を看て取れたように思えました。「マノン」のDVDが、手元に3つばかりあるので、このプロダクションを頭に入れて、観てみようかなの気持ちになりました。歌手陣は、マノンを歌ったリセット・オロぺーサが、この公演の目玉。黄紺は知らなかったのですが、メトロポリタンの歌手育成プログラムで育ち、ヨーロッパで名を高め、今回は、古巣のメトロポリタンから招請を受けての、ま、凱旋公演となるということで、持ち上げ方がなかなかのもの。劇場総裁ピーター・ゲルブとの対談まで用意されていました。で、出来はというと、黄紺的には不可です。ヨンチェバを生で聴いたときと同じで、横隔膜が弱ってしまったかのような不必要なバイブレーションが入り聴きにくい。生で聴いたら、もっと嫌だったでしょうね。それに、中音域の音程が不安定なのも嫌な材料。ただ高音は伸び、とってもきれいなのが救い。ちょっと持ち上げ過ぎじゃないのかなぁ。デ・グリューは、ベルリンで聴いて正真正銘のテノールとの太鼓判を押したくなったマイケル・ファビアーノ。でも、声の勢いや伸びは申し分なかったのだけれど、伝染したのか、音程が不安定なときがあり、ずり上げるような歌い方をしていたのは止めて欲しかったなぁ。でも、そないなマイケル・ファビアーノを聴いたのは初めてだったので、不調だったということでしょうか。もう一人の主役レスコーは、ポーランド人歌手アルトゥール・ルチンスキー。キャラ的には、ちょっと違うかなとは思ったのですが、声は申し分なし。コミカル系の役柄の似合いそうな歌手です。風貌も個性的なので、要マークです。そないなことで、顔は覚えてしまうので、以前、何かで観た記憶はあるのですが、その何かが思い出せないのです。指揮は、すっかりおなじみのマウリツィオ・ベニーニ。オケは名手揃いだけあり、クラリネット、フルート、チェロなどのソロが入ると、うなることしきり。ベルリンでマスネの「ドンキショット」を観たとき、マスネの色彩豊かな音楽は、やはり優れもののオケで聴くものと確信しましたが、昨日も、それを裏打ちしてくれました。マスネは、いいオケで聴くと、一段と、その良さに触れることができるもの、こればかりは、絶対的に公理です。
 Movix京都を出て、友人と、食事とお茶をしながら、オペラ談義。友人は福井に帰って行きましたが、夜まで時間がありすぎるので、自宅待機に。そして、夜はカフェモンタージュへ。昨夜は「L.v.ベートーヴェン - ピアノソナタ vol.3 -」と題し、この間続いている松本和将さんによる「L.v.ベートーヴェン連続演奏会」の第3回目の日でした。演奏されたのは、次の3曲でした。「ピアノソナタ 第10番 ト長調 Op.14-2」「ピアノソナタ 第11番 変ロ長調 Op.22」「ピアノソナタ 第12番 変イ長調 Op.26 《葬送》」。順番通りに進められているため、作品14が、別々のコンサートになってしまいましたが、おかげで、昨夜のプログラムに変化が出ました。コケティッシュな印象すら与える10番、存外大きさを見せる11番、そして、おなじみのメロディを持ち、ラストは迫力満点という12番、彩りの豊かさを持つベートーヴェンだからこそできるプログラムでしょうか。黄紺的一押しは、松本さんの演奏ということを加味すると12番になるかな。カフェモンタージュのピアノは、随分と聴いてきましたが、この12番が、今まで聴いた中では、一番の迫力。その力強さに圧倒されました。曲の好みでは10番の繊細な雰囲気がいいのですが、、、。11番の1楽章だったかな、ヴァリエーションで、とっても解りやすい遊びのようなことを、ベートーヴェンがやってますね。そないなことが出てくると、微笑んでしまいますなんて柄じゃないですから、にんまりすると書きたいのですが、ベートーヴェンは許さないような感じすらする素敵な空気を漂わせます。その空気に今いちだったかと思ったために、10番を本日の一番に入れなかったのですが、今、バレンボイムの弾く「田園」を聴きながら、これを書いているため、そないなことを書いてしまったのかもしれません。バレンボイムって、音の均質性、ちょっとした「ため」とか、天性ばかりか培った技術、半端じゃないものですから。余計なことを書いてしまった気がします。来年は、ベートーヴェン・イヤーですから、いろんなところで、ピアノソナタも聴けるかもしれませんね。楽しみです。


2019年 12月 1日(日)午後 7時 9分

 今日は、久しぶりにお出かけなしの一日。行ってみたいところはあったのですが、遠くて、電車代のことを考えると、あっさりと諦めがつきました。で、そういった日の定番、午前と午後のウォーキング&読書の時間で、全日フリーにしては、タイトな動きとなってしまいました。でも、気温は低いのでしょうが、太陽が出ていたおかげで、外で本を読んでいると、実にいい気持ち。時間が経つのが、早く感じられました。来週の月曜日から韓国に行きますが、今年は、例年より寒さが厳しくなるのが早いので、日本よりは確実に寒い韓国のお天気が気になってきている黄紺ですが、こればかりはインシャーラーですね。


2019年 11月 30日(土)午後 8時 25分

 今日は、京都市が開く「伏見連続講座」(鴨川運河会議運営)に行ってまいりました。その演題は、「世界の水事情を通じてみる鴨川運河と伏見」で、講演をされたのは、元建設省河川局長・株式会社尾田組取締役会長尾田栄章さんでした。黄紺は、慣れ親しんだ鴨川運河に関する催しは、把握すると出かけて行くようにしているため、今日は、幾つかそそられる公開講座があったのですが、こちらを最優先にして出かけたのですが、講演者からは、一切、鴨川運河に関する言及はなく、ただひたすら世界の水事情という総花的なお話に終始してしまい、とっても後悔。そう思うと居眠り。記憶に残るところでも、「?」が点るところがありました。砂漠の土壌は悪くない、ただ水がないから農耕ができない、、、この考え方、アブナイですね。さすが、日本政府の元高級官僚、水をもたらす事業の話をされただけで、ここは切り上げられたのには、唖然と同時に納得。安易な事業が、結局、ダメにしていく事実には触れないというものでした。一つ、豆知識として、いいこと、教えていただきました。糞尿は、ごちゃまぜでは、肥料にはならないということ。分離回収をして、初めて肥料としての価値が出てくるそうです。ですから、「どうせ土に帰るのだ」ということで、垂れ流しにすると環境破壊に繋がるそうです。要するに貴重な水が汚染されるということに繋がるということでした。ですから、難民キャンプや、災害避難所の簡易トイレは、その分離回収に配慮したものの設置が肝要だそうで、ただ設置しても、一番大変なのは啓蒙だということでした。これは、大いに勉強になりました。そのような気配りのお話をされるのなら、水問題で大きなテーマを抜かした(敢えてかもしれないのですが)と思ったので、質疑応答の時間に尋ねてみました。水の確保、供給っていうのは、極めて政治的、外交的課題のはずではないかと。明確な回答があるはずべくもない質問をしたわけですが、もちろんしっかりとした認識はお持ちでしたが、だったら、なぜ省いたのかのと、疑問は深まりました。質問の中で、ようやく鴨川運河絡みの質問が出てましたが、講演自体への質問でない分、とっても違和感のあるやり取りと聞こえてしまいました。今日は、弟も聴きに来ていたので、弟相手に、思わずぼやいてしまいました。「今日は、公開講座が目白押しに日だったのに」。


2019年 11月 29日(金)午後 9時 51分

 今日は、夜、昔の同僚が集まる日。それに先立ち、午後には息子の家へ行き、Sのお相手。やがて、Dが帰ってくると、とっても賑やかになります。どんどんと新しい言葉を覚えていきます。突然、色の名前を言い出したりして、びっくり。そないな時間を過ごし、枚方市内の飲み屋へ。今日は、10人集まりました。いつもながら、お喋りの苦手な黄紺は、皆さんのお話を聴いて喜んでいました。2時間余の同窓会、お腹いっぱい、時間も、あっと言う間に過ぎ、次回の再会を約してお別れしました。


2019年 11月 29日(金)午前 6時 38分

 昨日は落語を聴く日。久しぶりに太融寺に行きました。「梅田太融寺南天の会」が、昨夜、こちらでありました。南天単独の会に行くのも、久しぶりの気がします。その番組は、次のようなものでした。天使「田楽喰い」、南天「しびんの花活」、佐ん吉「せんきの虫」、南天「たいこ医者」。天使のマクラは、前半は、先日の「ミステリー落語会」で聴いたものだったのですが、後半が、めっちゃパワーアップ、虚を突く突発的な可笑しさがありました。「ん廻し」の段になると、南天の名を折り込んだり工夫がいっぱい。だけど、「神泉苑の早口」は省かないものだから、後から上がった南天にいじられていました。おまけに言い間違ったものですから、いじられかいがあったというところで、大笑いとなりました。「しびんの花活け」はネタ下ろし。「たいこ医者」で上がったときに、この口演について解説してくれたのですが、ファンの方からもらった先代歌之助の台本(ファンが持っていたわけは謎と言っていました)で覚え、且つ、現歌之助が持っている先代の音源も聴いたと言っていました。黄紺も、このネタと言えば、先代歌之助を思い出しますから、そうそう、円都から先代歌之助に伝わったと言ってましたから、嬉しい情報をいただけました。落語世界の噺にしても、ちょっとこじつけっぽいからでしょうね、演じ手の少ないネタに果敢に挑んでくれたことに、まず感謝です。ちょっとした茶化しを入れて侍を描くこともできるでしょうが、生真面目なキャラの侍で、品格もあり~ので描いてくれました。田舎から出てきた侍というよりか、単なる世間知らずの風情。それに対する道具屋が、口から出任せで対応するので、フェアじゃないですね。だから、金が動くということになるのでしょう。 やはり、南天の口演は、立ち位置をしっかりさせています。佐ん吉の「せんきの虫」は、多分初めてだと思います。いろいろと言葉遊びを入れたオリジナルなくすぐり満載で、とっても賑やかな口演。あまり聴いたことのない佐ん吉のスタンスだなと思いながら聴いていたら、半ばで居眠り発生。もったいないことをしました。ラストは、昔、ざこばで聴いたときのヴァージョン。下げを省き、「どこや、どこや」と言いながら、高座を降りて行くというもの。「たいこ医者」は「死神」。幇間が主役なものですから、このような題名が付いています。初代春団治の音源が残っているそうです。高津落語研究会で出したときに聴いているのですが、ほぼ居眠りで記憶が残ってないので、初めて聴くようなものでした。死神を雀三郎に例える傑作なくすぐりが入り、会場、大爆笑。その死神の語りが、陽気な主人公と好対象になっており、さすが南天と唸りました。下げは、きっちり覚えてました。正に、緊張の末の緩和です。これ、南天ベスト候補に入れたいほどだと思いました。会場では、南天手作りの年賀状を販売。南天の画才は、誰しもが憧れるほどのもの。欲しかったけど、緊縮財政のため、いつも、こうしたものは諦めています。外国旅行資金を、爪に火を点すようにして残す努力はしているつもりですから。


2019年 11月 28日(木)午前 6時 18分

 昨日は、京都文教短期大学の公開講座を聴く日。他にも、公開講座が開かれていたのですが、こうした講座では珍しく、外国が取り上げられたということで、若干の躊躇をしながらも、こちらをチョイスしました。学生さんの授業の一貫でもあったようで、たくさんの短大生と一緒にお話を聴くことになりました。「゛No plastic bag plis゛を通じたバヌアツ人の生活」という演題でお話をされたのは、バヌアツ・ナパンガ・ピキニニ友好協会代表仲誠一さんでした。仲さんは、外国の航空会社で勤務された経験を買われ、青年海外協力隊シニアとして、同国の観光開発の仕事をバヌアツでされた経験を持たれ、2015年のサイクロン直撃からの復興を手伝われているなか、友好協会を立ち上げられ、各地でバヌアツ紹介の活動をされている方。まず、ご自身のキャリアから紹介。次いで、バヌアツの基本情報を入れていただけました。詳細な位置を把握してなかった黄紺ですが、先日、日文研の講演で聴いた南太平洋としてカヴァーされていた地域にすっぽり入るのですね。フィジーの西北に位置することから、モロに入っています。そないなことを知ると、俄然、関心が高まりました。よく似た時期に、よく似た地域に接する機会を得るということの大切さですね。幾つかの島の画像を見せていただけましたが、頭の中にある古い教科書のような本に見ることができる南太平洋の姿そのままがありました。逆に、首都ポートビラにあるホテルを見ると、あまりにも違いがあり、むしろ、そうした近代的な建物を見ると、違和感を覚えるほど、それまでに見せていただいた画像は新鮮であり、強いインパクトのあるものでした。そうした画像を見せながら、「国内でエレベーターがあるのは、このホテルだけです」「エスカレーター、必要とする高い建物はありません」「多くの人たちは先ほどのようなところに住んでいます」「インフラが整備していません」「高い建物を立てようにも機材を運べません」「電気がないから夜は明かりが要るなら椰子油に火を点します」「夜勉強する子は、その明かりで勉強しています」、、、そういった仲さんの言葉が、画像に被さっていきます。そのような画像、お話を受け、本題に入っていきます。「世界で一番幸福な国バヌアツ」、幸福度指数が一番だというわけです。文明の発達度、経済の発達、情報の豊かさは低くても、治安が良く、戦争のないバヌアツに、住民は満足し、幸せと感じているという現実が、我々の価値観を相対化するきっかけを与えるというお話です。背景に、衣食住は豊かさがあり、共同体の絆があり、制度として国土総有の考え方があるので、「仕事はほどほどに」「働かざる者食っていい」「仕事を辞めてもいい」「ニートもいい」などといった、今の日本にはない価値観が支配しているというわけです。そういったバヌアツで取り組まれているのが、「No plastic bag plis」という取り組み。プラスチックをなくし、環境を良くしようというもの。自分たちの大切な自然を守ることが、自分たちの価値観、世界を守ることに繋がるという考え方だということです。単に、買い物袋を出さないどころか、今、未使用のものまでなくすのは、大変な作業だと言われていましたが、そのキャンペーンこそが、バヌアツの生活そのものを表しているということなのでしょう。友好協会としての活動も、お話の中で紹介されていました。「子どもと子どもを繋ぐ」ということを、重点的に進められているそうで、未来に目を向けての活動だということですね。日本の子どもに、電気などインフラの整備されてない生活を体験させて、今の日本の生活を相対化することの大切さを訴え、また、学生さんにも考えさせようとするお話だったと思います。やっぱ、知らない外国のお話を聴くというのは、刺激があります。それが楽しい。他に、こういった企画ないかなぁ、頭を柔らかくしないと、どんどんと堅くなる一方ですからね。周りで、そないな例がいっぱいですからね。


2019年 11月 26日(火)午後 11時 50分

 今日は、京都芸術センターで音楽を聴く日。今夜は、こちらで、京響のメンバーで構成されているラビッシュ・アンサンブルのメンバー+αによる「チェコの作曲家マルティヌーとドヴォルザークを堪能できるコンサート」があったのです。ラビッシュ・アンサンブルのメンバーは、次の方々です。(ヴァイオリン)田村安祐美、片山千津子、(ヴィオラ)小峰航一、(チェロ)渡邊正和、(コントラバス)神吉正、(クラリネット)鈴木祐子、(バスーン)仙崎和男、(ホルン)小椋順二。また、「+α」の方は、(ヴァイオリン)中野志麻、(パーカッション)中山航介の皆さんでした。そしてプログラムは、次のようなものでした。「B.マルティヌー:ヴァイオリン、ヴィオラのための3つのマドリガルH313」「B.マルティヌー:クラリネット、ホルン、チェロ、スネアドラムのための四重奏曲H139」「B.マルティヌー:クラリネット、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラのためのセレナーデ第1番H127」「A.ドヴォルザーク(U=G・シェーファー編曲):チェコ組曲Op.39(八重奏版)」。マルティヌーが、今年、没後60年ということでの企画。世間で、そないなこと言ってたっけと、この企画で、初めて知りました。ラビッシュ・アンサンブルの代表神吉さんは、最後のドボルザークしか出番がないからと、曲の合間に出てきてお話をされていましたが、その中で、マルティヌーは、おもしろい楽器の組み合わせで、曲作りをしているとか。確かに、冒頭のヴァイオリンとヴィオラのデュオはともかくも、あとの2曲は珍しい。その2曲を演奏するために、「+α」のお二人が喚ばれました。マルティヌー3曲の内、おもしろかったのは1曲目。野性味たっぷりという印象を与えるもので、バルトークを思い出させるものがありました。田村さんと小峰さんというおなじみのお二人の演奏。小峰さんが、えらく力が入ってたのが印象的でした。それに比べてとらまえどころがなく、うとっとしてしまったのが、あとの2曲。ドボルザークは、まるで田園舞曲を聴いているよう。管楽器が3つも並ぶと、田村さんのパートにもう一人欲しいなと思うほど、総体としてパワーアップ。その見方が当たっていたことが確認できたのが、アンコールとして演奏された「A.ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第1番」。この演奏には、ゲストのお二人が加わり、田村さんの横に中野さんが座られ、1枚増えると、なんと全体もパワーアップしたように感じました。京都芸術センターは、古い学校の校舎を使っているため、雰囲気抜群。音よりは、この中で聴くことを取りたいな。コンサートが頻繁に開かれたらいいですのにね。


2019年 11月 25日(月)午後 10時 37分

 今日は講談を聴く日。千日亭で毎月行われている「第268回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。先月は、変則的な開催日で、トルコにいたため行けてないものですから、2ヶ月ぶりとなります。今日は、特別編で、神田松鯉師の一番弟子鯉風さんが来演。今日、東西交流でだと思いますが、南鱗さんの稽古の日ということで、来阪されているということでの出演となったようです。そこで、その鯉風さんを間に挟んで、南海さんの口演、もちろんネタは「復活・太閤記続き読み『明智光秀の最期(四)』」、それを分割されて読まれるという形になりました。どうやら、先月、本能寺の変が読まれたようで、今日は、その事件を知るまでの家康。それが前半。当時、家康は堺に滞在をしており、その情報を得るということでした。そして、堺に居ると明智に攻められ危ないということで、何とか知り合いの助けを受けながら、三河を目指すというもの。伊勢湾を渡るところが、「角屋船の由来」として抜き読みで、よく出るところ。でも、この読み物って、幸村に終われて三河に逃げ帰るときも使いますね。いずれにせよ、家康を、思いっきり惨めに描くところです。今日は、二度寝ができなくて、またぞろ居眠りかと不安を持ち出かけたのですが、最後の「角屋船」の段に入るまで持ちました。ただ角屋船が船出をして、第一の関所後が判然としないので、最後の最後でとろっとしたようです。ま、今日は大目に見ましょう。 一方の鯉風さんは「出世の証文」を読まれました。初遭遇のネタでした。上方で、商売に失敗し、大きな借金を抱えた男が、江戸に出て、下働きから苦労しながら蓄財をして、見事に借金を返すというもの。単純化して書くと、そのようになるのですが、一貫して男の真面目なキャラが変わらず、また、大坂で言うなら口入屋の男の世話好きのキャラも一貫していて、その二人のやり取りが繰り返しネタになっている可笑しさがあったりと、単純な筋立てながら、なかなか練り上げが看られる、いいネタですね。ま、鯉風さんが、そのように仕上げられたのでしょうか。他で、同じネタの口演を聴いたことがないものですから、その辺りの判定に困ります。鯉風さんは、お名前を聞いたときには思い出せなかったのですが、高座に上がられ、一旦、お喋りが始まると、あっさりと初遭遇ではないことが判りました。最近、東京に行ってないもので、こないな機会でないと、東京の講釈師さんの口演を聴けないのが、悲しいですね。なお、今日も、前講として、一海くんにより「三方ヶ原戦記」が読まれました。


2019年 11月 25日(月)午前 5時 23分

 昨日は、市民向けの公開講座と公開対談の二部制の日。秋もたけなわのこの時期、大学や博物館、行政主導の会が目白押しです。京都は、大学が多くある分、その恩恵に与っております。まず、午前中は、京都府立大学の「令和元年度桜楓講座(秋の部)」として行われた「外国人労働者受入れの現状と課題」という演題のお話を聴くことができました。お話をされたのは、同大学公共政策学部教授の中島正雄さんでした。行政主導の公開講座は、日本史、特に京都絡みの歴史や、高齢者&健康問題関連にシフトしているのですが、大学主導のものは、幅の広いテーマが扱われるので、贔屓にしている黄紺ですが、贅沢を言うのは、厚かましいですね、ほとんど無料の講座ばかりに行ってますから。「外国人労働者」問題の切り口は、幾つかあるでしょうが、こちらの講師は労働法の専門の方。ということで、今年の4月に改正された「出入国管理法」に関する法律の細かなお話になりました。外国人労働者の雇用には、安価な使い捨ての労働力活用になっているのではという批判は耳にすることですが、それが、この改正で、どのように変わったのか、果たして批判に応えうるものであったのかが問われているという観点からのお話でした。この講師の方は、最後に日本国憲法の前文を上げられ、労働の面からも、国際的に貢献しうるものかが問われているとの、明確の視点を持ってのお話だったと思っています。まず、外国人雇用をめぐる、この1年間程の動きを、時系列でレポートがありました。黄紺的には、一番辛いところ。外国人の雇用問題が話題になっていることは知っていても、論点や、法改正が論議になる傍らで進行している事象については、ニュースを追わないため、ほぼ頭がついていかないのです。批判精神なしで漠然と受け入れるだけでした。でも、おかげで、何が話題になりそうなのかは、ちょっとくらいは解ったつもり、、、のはず。次に、厚生労働省のデータを基に、外国人雇用状況のまとめ。これはデータの紹介ってところ。次が、いよいよ本体、外国人雇用のルールへと進みました。在留資格により、就労のカテゴリーが区分されています。①専門的・技術的分野(特定技能1号・2号はここ)②身分に基づく在留資格(日系人がここ)③技能実習(技能移転を通じ国際協力とされている)④EPAに基づくもの、国家間の協定で認定されたもの(ワーホリなどが該当)⑤資格外活動(留学生のアルバイト)といった風です。問題になるのが、①の「特定技能」による外国人雇用の問題。「特定技能2号」は、「熟練した技能」をつ持つ人を対象にしているのですが、「特定技能1号」の方は、そこまでの水準にいかない人を対象にしたもので、「技能実習生」として3年間の経験などをも持つ人や日本語と技能試験を通った人が得られるようになっているのですが、家族の帯同が認められず、それを認められるためには、「特定技能2号」の資格を取らねばならない。当然、試験があるわけですが、規定では、企業などの受け入れ機関は、そういった人たちを「支援」しなければならないとしているが、受け入れ機関は、その「支援」を代行業者に委託することができるため、ビジネスチャンスとばかりに、多くの企業や個人が登録をしているが、委託された「支援」サービスを提供する個人ないしは団体は、企業から委託され利益を得ることになるため、外国人の立場になり物事を考えるとは考えにくい。こうした構造の中で、使い捨てにされる外国人雇用者が続発している背景があるとの展開だったかな。こないに単純なものではなかったのですが、「特定技能2号」であっても、在留期間の上限があり、日本政府は、あくまでも「移民」は認めないというスタンスは堅持した上での法整備だと言われていました。最後に、少しだけ外国との比較ということで、韓国の例を上げておられました。そして、ちょろっと「ドイツの例もありますが、、、」まで出たのですが、そこで切り上げられました。黄紺の聴きたかったのは、そこだったのに、せめてドイツの政策についてのざっくりしたものだけでもいいので、論評を聴きたかったな。京都府立大学の市民向け公開講座は、前回の「方丈記」のときもそうですが、学部の講義の域を超える難度の高いもの。頭の中、フル回転で付いていくというところです。居眠りどころではないということは、居眠りするというときは、どこかが緩んでいるのでしょうか。
 京都府立大学から次の京都史学校歴史博物館まで、途中、昼食を摂る時間も含めて、移動時間は1時間50分弱。ならばと、ウォーキングがてら歩いて移動。すると、なんと1時間20分で到着。まさかまさかでした。食事もしたかったので、開演間近に滑り込むものと思っていたため、頑張って歩いた結果だったということでしょうか。昨日は、こちらで、番組小学校創設150周年記念 特別展「番組小学校の軌跡―京都の復興と教育・学区―」記念対談「作者にあおう!番組小学校をえがく part3」として、元京都文教大学教授の西川祐子さんと、 浜松学院大学短期大学部講師でありこの博物館の顧問でもある和崎光太郎さんが出演されました。西川祐子さんは、「花の妹 岸田俊子伝 女性民権運動の先駆者」を著された方なのですが、番組小学校で学んだことが確認でき、且つ、その後の様子が判っている唯一の人物岸田俊子の伝記を書かれているということで、対談への登場となりました。まず、和崎さんから、番組小学校についてのお話。黄紺も、以前、和崎さんの同様のお話を聴いているように、このイベントに来られた方は、同じことを聴いているだろうからと、かなり控え目のお話でしたが、目新しいのは、番組小学校での教育、そうなんです、今までは、番組小学校の誕生の背景や、その様子について、いわゆる器のお話を聴いてきて、その内実を紹介してもらえてなかったのです。そのお話のポイントをメモっておきます。①教員は、華族や元藩士より商人が多く、京都は元寺子屋の師匠が、多く移行している(他所はそうではなかったということ)②番組小学校は、公民館でもあったというのは聴いてきた事実ですが、施設面では講堂が該当。講堂は大人の場が基本。学校が使う場合もあるというスタンス③教え方は個別の手習い式、集団授業は西洋式④個別なため、その能力に応じた指導、従って学年制を採らない⑤年齢層も幅広いものとなる⑥男女別学、教室は別⑦新暦変換後は、朝8時から夕方4時までの間、好きな時間に来る、個別指導だから、それが可能⑧手習いの間に講義が行われていた。そないななか、岸田は、数え12歳(現10歳)で、番組小学校にいた記録が見つかっているということで、西川さんにバトンタッチ。この岸田俊子という女性は、後に女性の民権活動家として知られるようになる人だそうで、そういった彼女の後半生の活動も含めてのお話だったのですが、ここで、居眠り。朝から完璧な過ごし方をしていたのに、ここで沈没とは、、、。このイベントの目玉だったところでダメでした。お話が終わると、和崎さんとの対談ということでしたが、実際は、和崎さんが、「昔の京都は?」と振られたのに対し、まとめにくいお話が続いただけで、残念ながら対談には至らずということで、散会でした。元々、西川さんは、仏文のご専門だったそうで、師となる桑原武夫のエピソードも飛び出してきたりで、それはそれで楽しめたのですが、残念ながら、期待の番組小学校絡みではなかったですね。イベントが終わってから、博物館の展示も拝見。模様替えをしながら、各番組小学校を紹介するコーナーがお気に入り。草創期の番組小学校の写真を見るだけでも、楽しいものです。最後に常設展にも立ち寄り外に出ると、もう陽が暮れかかっていました。すっかり丸一日、京都で遊んでしまいました。


2019年 11月 24日(日)午前 5時 23分

 昨日は、京都コンサートホールで音楽を聴く日。「京響スーパーコンサート゛スウェーデン放送合唱団×京都市交響楽団゛」に行ってきました。オール・モーツァルト・プログラムで、次の3曲が演奏されました。「歌劇゛皇帝ティートの慈悲゛K.621より序曲」「交響曲第25番 ト短調 K.183」「レクイエム ニ短調 K.626」。指揮は、京響の常任広上淳一、「レクイエム」のソリストは、次の4人の歌手でした。(ソプラノ)ケイト・ロイヤル、(メゾソプラノ)アリョーナ・アブラモヴァ、(テノール)オリヴァー・ジョンストン、(バリトン)ミラン・シリアノフ。スウェーデン放送合唱団が聴ける上に、モツレムが出るというので勇んで出かけて行きました。ところが、会場に入り、唖然。入りが、頗る悪いのです。モツレムは、京都ではダメみたいです。京響の定期は、月2回もあるのに、ま、それだけ人気があるというのに、びっくりしたなぁ、、、おかげで、超いいお席に、モツレムのときにはテレポートできはしましたが。客席はそんなだったのですが、演奏は、頗る上等。「皇帝ティートの慈悲」からしてそうだったのですが、躍動感、瑞々しさは半端でなかったのが、このコンサート自体を支配していました。ですから、25番のシンフォニーもいい感じ。そこまで感じ取られたは、広上&京響が良かったからに尽きます。今年の京響は、ワーグナー(ジークフリート)、マーラー(7番)と、不作が続いたため、ようやく取り返してくれた感に満足。目玉のスウェーデン放送合唱団、各パート6人ずつで登場。とってもよく統制のとれた、素晴らしい歌声。広上の指揮に、ヴィヴィッドに反応する、そして、バランスも素晴らしい、終演後、大きな拍手を受けたのは、至極全うな反応。中には、日本では珍しく、スタンディング・オベレーションをする人まで出ていました。黄紺も、もう少しドイツにかぶれるとしていたかしれません。ソリスト陣では、なんとケイト・ロイヤルの名前が。当初は名前は出てなかったので調べてみると、このケイト・ロイヤルとメゾのアリョーナ・アブラモヴァが代演のようです。ケイト・ロイヤルは、佐渡オペラのコンテッサをドタキャンしたお方。それが、今度は代演で聴けるとは、不思議なご縁。京都コンサートホールは、残響が少なく、ちょっと歌手陣にはパワーが求められる、きついホール。そのパワーといった点では、ミラン・シリアノフが一番、ただ、この人、低音がきつい。うまくいかないものです。総体として言えば、メゾのアリョーナ・アブラモヴァがいいかな、コントラルト的な声質が気に入りました。ケイト・ロイヤルは、佐渡オペラの「フィガロ」上演時では、中村恵里とともに目玉だった歌手と思っていたので、残念感が強かったのですが、実際の歌唱を聴いた分では、そないに残念がることはなかったのではないかの印象でした。決して不可を付けるつもりはないのですが。秋の一日、素敵なコンサート。帰りは、いつものように、三条駅までのウォーキングをしたのですが、歩きながら、何度も、モツレムのメロディが口から出てきたほどでしたから、客観的に見ても、大満足だったと言える、素敵なコンサートでした。


2019年 11月 22日(金)午後 10時 13分

 今日は二部制の日。午前中に、市民向け公開講座を、京都アスニーで聴き、夜は、カフェモンタージュでのコンサートに行くというものでした。まず、京都アスニーでは、すっかり馴染みになってしまった「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の「゛番組小学校゛のものがたり」(講師:作家荒木源)という演題で行われた講演を聴いてまいりました。今年は、番組小学校誕生150周年ということでの企画です。京都市学校歴史博物館も、そんなで特集を組んでおり、そちらでネタを仕入れてあったのがいけなかったのか、やはり、午前中にまるで弱いがための所為か、かなりひどい居眠りをしてしまいました。眠たくて仕方なかったという記憶すらないほどです。辛うじて、聞きなれない「番組小学校」というもののアウトラインを話そうとされていたのは記憶にあり、「それは大丈夫」と思ったのは覚えているのですが、それで緩んだのでしょうね。ラストに入り、ご自分が、番組小学校をネタに小説を書かれているということで、「リアルな世界と小説の世界を並べて、思うことを喋らさせてもらいました」と言われて、そないな話をされていたことが判ったというほど、ひどいものでした。そこなんですよ、小説化されたときに、番組小学校のどの部分に引き込まれたのか、どういった部分を引っ張り出されたのか、こうしたお話を伺うと、自分自身に番組小学校のイメージが広がるだろう、そないな期待で寄せてもらったのに、不届きにもほどがあります。絶対的な睡眠量が足りていないようですね。
 午後は自宅待機の時間。家の用事をしたり、トルコ・サッカーの情報収集なんかで、あっさりと時間が過ぎて行きました。そして、夜は、カフェモンタージュへ。今夜は、「E.グリーグ」と題して、(チェロ)藤森亮一、(ピアノ)多川響子のお二人のコンサートがありました。藤森さんのチェロを、こちらで聴くのは、黄紺的には2度目となります。そのプログラムは、次のようなものでした。「F.メンデルスゾーン:6つの無言歌 作品68 (チェロ&ピアノ版/1845)」(臥想、失われた幻影、巡礼の歌、紡ぎ歌、羊飼いの嘆き、子守り歌)「E.グリーグ:チェロソナタ イ短調 作品36 (1883)」。メンデルスゾーンが、このところ、カフェモンタージュでよく出ます。生誕210年という中途半端なアニヴァーサリーだからだそうですが、おかげで、「無言歌」のチェロ版なんてものを聴くことができました。この編曲者が、グリーグのソナタの初演者だとか、さすが、オーナー氏のこだわりのプログラミングです。そのリクエストに応じるお二人の演奏者も凄いものがあります。ピアノは、まだいいとして、チェロはいい経験なのかもしれません。また、藤森さんのチェロが、心憎いほどの音の優しい変化を見せるものですから、特にボウイングが際立ちましたが、素敵な演奏になりました。ところが、メンデルスゾーンの後半から、午前中と似たことに。知らない間に時間が跳んでいる。結局、グリーグに至っては、演奏スタイルが奈辺にあるかなどといった把握ができる状態ではなくなっていました。結局、午前中の失態後、家に帰り、バタバタと動いていては、体力回復どころではなかったということです。ちょっと、この1週間、目にあまります。


2019年 11月 22日(金)午前 3時 32分

 昨日は博物館に行く日。3つほど行きたいところがあったのですが、選んだのは京都工芸繊維大学美術工芸資料館。こちらで、今日まで「草の根のアール・ヌーヴォー 明治期の文芸雑誌と図案教育」という展示が行われているのです。アール・ヌーヴォの作家として知られているアルフォンス・ミュシャの影響を、ヨーロッパ遊学中に受けた浅井忠が、京都工芸繊維大学の前身校の1つの設立時に関わったため、浅井が、ヨーロッパからの帰国に際して、アール・ヌーヴォの作品を、大量に持ち帰り、それを基に図案指導に当たったということで、こちらの所蔵品に、それらが保管されているということでの特別展示ということのようです。優雅さ、洒脱さ、それに、官能の美を備えたアール・ヌーヴォの作品は、与謝野鉄幹&晶子の出版の表紙、挿絵に起用され、その内容と符号したため、一躍、注目されるようになったようで、新しい大衆文化を誘う大きな役割を果たしたようです。そういった外来の作品、日本のアール・ヌーヴォの作品が展示されたなか、雑誌「明星」「新聲」の表紙絵、挿絵で活躍しながら、幻化していた作家一条成美の作品が展示されているのが、この展示の目玉とか。会場では、階を変え、「ポスターにおける写真表現」という展示も行われていました。①写真が、絵画に変わり、ポスターに使用されるようになる胎動期のもの②ATGが、1960~1970年代に使ったポスター③東京と長野のオリンピックのときのポスターと、3つのセクションに分かれた展示になっていました。②では、ゴダールの作品のポスターが多く展示されていたので、目にしたことがあるものもあるかもと思いながら眺めていたのですが、残念ながら記憶には残っておらず、辛うじて、篠田正浩監督の「心中天網島」だけだったのは、ちょっと意外なところ。③は、長野より東京の方がというより、長野は、全く知らないものばかりでした。むしろ、②の作品群よりは、①の最初期のポスターの内、肩から上のヌード写真をアレンジした作品の方が、しっかりと見たことがあるぞ感がありました。そういった自分の記憶との遭遇を確かめる楽しさのある展示で、こちらも満足。ということで、コスパ抜群の特別展2つに、大満足。資料館を出ると、この週末は学祭なんでしょうか、学生さんが、その準備に入られていました。大学のキャンパス内にある博物館って、こうした風情も楽しめて、一層、お得感を持つことができ、いい一日となりました。帰りは、三条駅まで、高野川&鴨川沿いに歩いて、ちょうど1時間。いい環境のはずのウォーキングだったのですが、夕方だったので、暗くなる一方だったため、ちょっと残念なものとなりました。


2019年 11月 21日(木)午前 6時 3分

 昨日は、午後に、所用があり、かつての同僚と枚方で会い、夜は、市民向け公開講演を聴く日。元同僚は、会ってない間に大病を患っていたため、どうしても、その話に。でも、幸い、手遅れにならず、今は、ほぼ元の生活に戻っています。まだ、夜遊びは控えているというので、今度は呑むということで、別れました。まだ、夜のお出かけには時間があったので、自宅でYoutubeに出ているベトナム旅行の映像(「無職旅」さん)を観ていて、びっくり。約20年前、ホーチミンに行ったとき、お世話になったツアーエージェンシー「シンカフェ」が、めっちゃビッグになっているのを知ったのです。黄紺が行ったより半年ほど先にベトナムに行った知り合いのイギリス人に教えてもらったように、口コミで伝わる程度だった「シンカフェ」が、ハノイで、偽物が100社ほども出るビッグなツアー会社になっていることを知り、言葉を呑み込むほどの驚きを感じました。すごい! そないなことをしながら、ほどなくお出かけ。夜の講演は「第332回 日文研フォーラム」で、ハートピア京都で行われたもの。昨日の発表者 は、南太平洋大学(フィジー) 上級講師/国際日本文化研究センター 外国人研究員の西野亮太 さん。「゛旅する記憶゛太平洋戦争の記憶と追体験―パプアニューギニア戦線を中心に」という演題でのお話を伺うことができました。講演後のコメンテーターは、国際日本文化研究センター准教授の楠綾子さん、全体の司会は、国際日本文化研究センター助教の呉座勇一さんでした。講演は、戦記、ドキュメンタリー映画、紀行文から見えてくる、戦争の記憶、または追体験の記述を、体系的に整理しようとするもの。そのフィールドが、我々にとり、最も戦争の記憶の稀薄な南太平洋であるというのが、とっても新鮮なものと写りました。それらの証言や記述を分類すると、次の3つに分類できると言います。①英霊として奉る②苦しい状況を受けた被害者という私の論理③戦争をしかけた加害者であるという他者の論理。これらのコードを基に、分析対象を読み解くという作業が進められていきました。そういった中で、映像を2つ、もちろん抜粋ですが、見せていただいたのは、強い印象を残しました。なんせ、見せていただいた1つが「ゆきゆきて、神軍」ですし、もう一つは、日本人兵士の子どもを産んだ現地の女性のインタビュー(この映画の題名知りたい、うまく聞き取れなかった)、それに続く、元兵士の露骨な人種差別的インタビューだったものですから。紀行文の中では、兼高かおるの文もインパクトが強かった。冒頭に、「旅」を日常から離れると規定されましたが、正に、この分析全体を指して言われたのですが、紀行文はその極地、更に、他に目的を持ち現地に入ると、日常との乖離が、一段と大きくなるというもの。「地上の楽園」の取材に入った兼高の慟哭は、我々に突きつけた問題を浮き彫りにしていましたし、更に、この講師の材料探しの奥深さを示した、同じ現地の方に対する異なったインタビューアーの紹介は、戦争の記憶の掘り起こしの困難さを突きつけるものがありました。コメンテーターからは、現況をふまえた歴史認識が外交問題化するに至る背景の論議を求める指摘もあったのですが、どうしても聴く立場からすると、普段聞きなれていない(これが既に問題!)南太平洋の戦争の記憶に関する、より具体的な知識を求める疑問に終始したきらいがあったのは、残念なことでした。と言う黄紺も、聴きたくなったのは、講師が本拠にされているのがフィジーだということで、多民族国家としての戦争に関する記憶、戦時におけるスタンスの違いを知りたくなりました。フィジーは、土着の方々とインド系住民の対立が激しいと聴いているものですから。それを求める質問を書いた用紙を見た司会者の方は、「住民による違い」を、広い南太平洋の「地域差」と読み違えるミス。むしろ、講師は、「地域差」を答えたあと、「ところで、、、」と、フィジーの多民族国家であることを、自ら言い出されました。フィジー在住者らしい、まことに的確なイマジネーション。この辺りにも、我々の南太平洋への無知が露になり、余計に、講師の作業の持つ意味、大きさを認識することになりました。一方、前回の「八幡神」をテーマにした例会からすると、明らかに少ない参加者、その参加者の中でも、講演後に取られた休憩時に帰る人、結構いたんじゃないかな。なんじゃこれって思う一方、全てが終わったあと、される方は迷惑だったでしょうが、誘導などのお世話をされていた係の方を掴まえ、とうとうと南太平洋での激戦、苦しさを説かれる爺さん、この落差は、やっぱ大きなものがあると言わざるをえない気がしました。だから、講師の方の作業が必要なのでしょう。タイムリミットが迫りつつある時期ですから、余計に強く感じました。


2019年 11月 20日(水)午前 6時 34分

 昨日は、市民向け公開講座の二部制の日。午後と夜にあった京都市内の講座を聴きに行ってまいりました。まず、午後は、京都学・歴彩館であった「京都を学ぶセミナー 南山城編」です。このシリーズに行くのは3回目となりました。昨日は、京都府立大学文学部准教授の上杉和央さんが、「江戸時代の南山城らしさ」という演題でお話をされました。昨日は、このあとの講演でもそうだったのですが、居眠り三昧。一昨日より、間違いなくひどい居眠り。睡眠不足の日の翌日は眠れるはずが、それがままならずの状態で出かけ、予想されたこととは言え、かなりショック。ですので、いただいたレジメを見ながら、幽かな記憶を頼りながら、メモを残しておこうと思います。まず、江戸時代の支配体制から見ることのできる南山城ということで、相給地の問題が上げられていました。この相給地という言葉は、先日の城陽市歴史民俗博物館で知った言葉。様々な支配者が、入り組んだ形で土地所有をしているというもの。ただ、南山城は、城陽などの隣接した北側の地域に比べると、入り組み方は大人しいそうです。次に、絵図を基に相給の実態と農業生産の実態へ。農業生産は、地域により、同じ米作りであっても、晩稲が作られていたりいなかったり、畑では大麦、小麦から、この地域で多い茶、木綿などを作っていたようで、土地環境の違いにより、作物に変化が出てきたのだろうということで、地形や自然環境のお話をされていたのですが、これは頭に残っていない。また、相給地であるため、この地域を流れる木津川の治水を進めることの難しさの指摘があり、木津川の堤防管理は、京都の代官が実務を統括していたそうです。茶に代表される、この地域の商品作物生産ですが、やはり、京都と奈良を往来する街道にあり、また、大坂にも近いという好条件が大きく、茶以外にも、祝園の梨や木津川流域が花崗岩だということでの石材採取が生業として成立していた模様です。茶生産については、以前の講座で聴いたものですので、割愛しておきます。こないなところかな。今、歴彩館では、小ホールを使い「DOUBLES」というタイトルを付けられた「共生の芸術祭」が行われていたので、そちらも併せて観てまいりました。これが、なかなかおもしろい。猿之助おたくの「作品」、牛乳パックのデザインを細かく切り刻み並べた驚異の「作品」、「淳平寄席」を主催されている喫茶店オーナーとの親交から個展を開催されている作家さんの「作品」、指先の感触を楽しむのが好きな方が好まれたアイテムが「作品」として展示、お気に入りの写真があると思い出を確かめるように触り続ける方の触り続けた写真が「作品」として展示、これらが展示されていたのですが、いずれも、めっちゃ、おもしろい。各作家さんの人生とともに、その人たちの周りにいる人たちの見守る眼差しを感じさせるもので、どはまりになってしまいました。偶然知った「淳平寄席」の「淳平」が何だったかも判り、これも収穫。歴彩館には、居眠りをしにだけ行ったのではないと、ちょっと自己満足しています。
 京都学・歴彩館を出ると、夜の会場まで、時計をにらみながら歩いて移動。所要時間1時間40分、久しぶりにロングスタンスを、一気に歩きました。旧烏丸車庫から京都駅が6kmと、黄紺の頭にインプットされていますから、7kmのウォーキングというところでしょうか。夜は、京都駅近くのキャンパスプラザ京都で行われた講演会へ。「市民古代史の会京都」主催で開かれた「シリーズ゛能楽の中の古代史゛①」として行われた「謡曲゛羽衣゛に秘められた古代史」というものでした。この講演会のチラシを、キャンパスプラザで見つけたとき、謡曲の分析、これが、黄紺の目を釘付けにしました。謡本持参だと、参加費が無料となるということで、小本を引っ張り出し行ってみることにしました。ただ、行く前から、「民俗学」ではなく「歴史」という視点での分析、これに居心地の悪さを持ちながらおじゃまをしたのが、唯一の躊躇いでした。お話をされたのは大阪府立大学講師の正木裕さん。会場入り時に渡されたレジメを読み、これは、いったい、、、慌て、スマホで調べまくりました。「九州王朝説」「多元史観」「九州年号」、なんじゃこれという語句が並んでいたからです。そこでたどり着いのが、チラシに書かれていた「協力:古田史学の会」。本来なら、このチラシに記されたこの記載で気づかねばならなかったのですが、無知なものですから、その意味が解らない、ただ、「謡曲」に釘付けになってしまったのでした。この会を主催されている方たちは、大和王権が成立していくなかで、幾つかあったはずの地方王権を、歴史記述から抹殺してきた、「古事記」「日本書紀」の記述はそういったもの、だから、抹殺された歴史を、僅かに残る手掛かりから探りだそうという考えを持った人たちの集まりだったのです。「倭の五王」「白村江の戦い」「壬申の乱」などにも独自の視点を持っていることも、レジメに書かれており、唖然としてしまい、申し訳ないのですが、何かカルト集団に紛れ込んだという雰囲気。でも、黄紺には「帰る」という選択肢はなく、怖いもの見たさの気持ちで開演を待ちました。開演間近に、能楽師であるとともに、能楽の研究者でもあるKさんが入って来られたことも、ちょっと安心させてもらったかな。この九州王朝説と「羽衣」の接点は、詞章に出てくる「東遊」でした。序ノ舞の直前に「東遊の始め」 というのが出てきます。筑紫に、その中心があった九州王朝が、駿河の国に「屯倉」を設置し、穀物貯蔵を行うときに、筑紫から派遣された豪族・役人をもてなすのを目的に「東遊」がおこされたということで、九州王朝の事跡を伺わずものになっているとされていました。そもそも、「東遊」は、「都(筑紫)の舞楽が東国で披露された」ことから生まれた用語というわけでした。いや~、講談より突拍子もないことを聴いてしまった感があります。黄紺には、全く、このお話を評する力はありませんから、日本史のプロにお会いしたときに、このお話をぶつけてみることにします。


2019年 11月 18日(月)午後 11時 47分

 今日は、動楽亭で落語を聴く日。今夜は、「生喬まるかじりの会2019~一席入魂~」がありました。毎月開かれている会ですが、ちょっと間が開いたお出かけになりました。その番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、文三「鍬潟」、(中入り)、生喬「三人兄弟」、生喬&文三「対談:ちょいしゃべり」。毎回、生喬がトップに出て、客席を暖める仕事。今日は、天草に学校公演に出かけた話。タイトなスケジュールを組まれて、現場で緊張する噺家さんという話でした。文三は、趣味で集めているチャンピオンベルトを持って登場。小さいとき成りたかった話関連でのアイテムでもあるのですが、「鍬潟」同様、体が小さい者の体験談でした。で、かなり長くて、おもしろいマクラだったのですが、ネタに入ると引いてしまう黄紺なのです。前から、この会に行く予定を立てていながら、出がけに躊躇した唯一のわけは、このネタ。好きになれないネタなのです。フリークスを取り扱い、その設定に共感できないのです。体躯が極端に小さく、ヨメさんの稼ぎで食っているにも拘わらず、変に亭主ぶる男、それに心得たとばかりに的確な言動を見せるヨメ、あまりにも無理っぽいと感じ、嫌になってくるのは今日もでした。そう感じたからでしょうね、会に行く前から気になっていた絶対的な睡眠不足が業を成してしまいました。このあと、「三人兄弟」まで、その影響が出てしまい、この2つのレア作品を、ずっと半寝で聴いてしまうハメに。昨夜、夜中の2時に目が覚めたままで、それから睡眠を取れてないというのは、無茶でした。「対談」は、お互いのネタについて、生喬の芝居への出演、5代目文枝の先代松喬の評価、その影響で生喬も可愛いがってもらえたとか、初めて聴く話が目白押しでした。


2019年 11月 17日(日)午後 7時 57分

 今日は、城陽市で市民向け公開講座(寺田コミュニティセンター)を聴く日。JOYOエコミュージアム・令和元年度秋季企画展「寺田村の春夏秋冬-堀家の古文書にみる村の暮らし-」関連企画として行われた文化財講演会「寺田連衆と蕪村~五文字に置いて待つ時鳥~」に行ってまいりました。お話をされたのは立命館大学講師竹内千代子さんでした。旧寺田村の堀家に所蔵されていた文書に、江戸時代後期に、俳諧を嗜む集団の記録が出てきて、その集団、即ち、寺田連衆(連中)の質が高く、また、宗匠として、蕪村を初め、名だたる俳諧師を迎え、俳諧の会が催されていたことが判ったことを受けての特別展に関連して開催されたのが、今日の講演会でした。寺田連衆の主たる人物、なかでも目立った印象を持ったのが、庄屋職も務めた堀泰夫なる人物。次に話されたのは、常時迎えられていた宗匠。武然、樗良という二人の名前が上がっていました。そして、ゲストとして迎えられた大物俳諧師たち。その中に蕪村の名前があるということは、蕪村以外の俳諧師の位が判ると言えるもの。俳諧の会というのは、連歌の会同様というか、そのしきたりを継承したのでしょうが、1回の会で、参加者全員で100句を詠んだのだそうですが、そこには、流派、宗匠、会それぞれに、進め方についてのしきたりがあり、それに従い進行が図られるのですが、それを記した文書が、新たに出てきた堀家の文書の中にあったということで、堀泰夫の句の紹介がなされたあとに、その文書に従い、その会のしきたりというものを紹介していただけました。ほとんど未知の世界のお話、でも、聴いてみたいという気持ちがあったため、とっても楽しく聴くことができました。ホント、知らない、けれど教えていただくとそそられるお話って、たくさんあることを、改めて認識できた有意義で、楽しいものでした。行く前は、場違いかもと思いながら行ったのですが、とんでもありません、楽しくて楽しくて。講演が終わると、特別展へ。今日は、古典の日だか何だかで、無料開放日、しかも、講演会があったということで、学芸員の方の解説まで入る見学。堀家の庄屋としての文書、俳諧関係の文書に加えて、幕末に出た堀鉄夫の書き残した大塩平八郎の乱の記録が、特別展では展示されていました。特別展のあとは、通常展も、ちゃっかり観てまいりました。京都と奈良の間ということで、交通の往来のあったところ、多くの古墳があり、街道には長池宿がありと、この地の歴史的な重要さに触れることができました。


2019年 11月 16日(土)午後 9時 43分

 今日は、兵庫県立芸術文化センターであった「河村尚子 ベートーヴェン紀行・菊池洋子 モーツァルト音のパレット 特別企画」コンサートに行ってまいりました。そのプログラムは、次のようなものでした。「モーツァルト:゛イドメネオ゛序曲」「モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調(菊池洋子)」「ベートーヴェン:゛プロメテウスの創造物゛序曲」「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番゛皇帝゛変ホ長調(河村尚子)」「モーツァルト:ピアノ協奏曲 第10番より 第1楽章(菊池洋子・河村尚子)」。なお、オケは、下野竜也指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団でした。贅沢なコンサートです。菊池洋子と河村尚子という優れもののピアニストを、1回のコンサートで聴けるわけですから。この二人は、芸文のホールで、それぞれ、モーツァルトとベートーヴェンの作品を演奏してきた、その最後に、二人併せたコンチェルトのコンサートが企画されたというわけです。黄紺は、それらのコンサートには、1回も行ってないのですが、これは外せないと行くことにしました。基本的に、遠いため、芸文センターでのコンサートは行かないようにしているのですが、やはり特別に行きたい気持ちが勝ったということです。プログラムは、この最後に企画されたコンサートということで、決まったのでしょう。黄紺的には、菊池洋子を聴くのは初めて。アインザッツの音に注目しました。すると、とてもコケティッシュな印象。更に、最後の河村尚子とのデュオとなると、音の違いがくっきりとなり、やはりモーツァルトだなの印象を持ちました。ただ、2楽章の冒頭に出てくるピアノソロを聴いて思ったのですが、叙情性はあまり重視しないスタイルですね。なお、1楽章のカデンツァ、耳になじみがなかったところ、最後のプログラムのためにピアノの用意の時間繋ぎにマイクを持った下野さんが解説をしてくれました。「ベートーヴェンがモーツァルトのコンチェルトのために書いた唯一のカデンツァ」だそうです。河村尚子は、相変わらずアグレッシブです。曲の関係か、コンチェルトという関係か、ソナタの演奏を聴いたときほどではなかったのですが、アグレッシブであることには変わりはありませんでした。振幅の大きな音を出せるため、その分、表情が豊かになります。やはり、彼女は只者ではありません。芸文で、新たなコンサートが予定されているようなので、行こうか迷っています。アンコールは、10番のコンチェルトの第3楽章が演奏されました。お得感満載のコンサートでした。やはり、期待が大きかったのか、満席の盛況のコンサートでした。


2019年 11月 15日(金)午後 10時 16分

 今日は二部制の日。午前中に公開講座を聴き、夜は音楽を聴くという日でした。まず、午前中ですが、京都アスニーで行われている「ゴールデン・エイジ・アカデミー」の1つ、「古典の祭典2019関連事業」の講演「゛伊勢物語゛のこころー゛もしも桜がなかったら・・・゛」を聴いてまいりました。講演は、関西大学名誉教授&京都光華女子大学名誉教授の山本登朗さんでした。「伊勢物語」の第82段と第83段を読みながら、そこに書かれている在原業平と惟喬親王との交流の様子を解説していただけました。惟喬親王は、文徳天皇の第一皇子として生まれながら、異母弟に皇太子の地位を奪われ、やがて出家をするという人物。そのため、周りに人が集まってこないなか、数少ない一人が業平だったというわけです。そのため、惟喬親王の出てくるところでは、屈折した感情が出てくる歌になっていると言われていました。各段に配されている物語とともにある和歌が、それを示しているというわけです。第82段では、水無瀬から交野、再び水無瀬と、狩をしながらお喋りに余念のない惟喬親王一行の姿が追われていますが、そういった雰囲気が漂っているということでした。第83段は、惟喬親王が出家をして身を寄せる小野(比叡山の麓)に、参上する業平の姿が描かれています。事の外、寂しく、寂しく、そして、寂しい雰囲気が伝わります。しかも、雪の積もるなかですから、一層の寂しさがあるところです。世の無情ってやつですね。今日は、午前3時に目が覚めたのをいいことに、トルコ代表が欧州選手権への出場を決めたアイスランド代表戦を聴いていたため、眠くて眠くて。幸い、大筋は外してないようですが、細部は自信がないので、大雑把な書き方に留めておきたいと思います。
 公開講座が終わると、弟も来ていたので、京都アスニーにあるレストランで食事。あとは、夜まで自宅待機。夜は、カフェモンタージュであった「L.v.ベートーヴェン - ピアノソナタ vol.2 -」と題を付けられたコンサートに行ってまいりました。松本和将さんが、カフェモンタージュで始められた、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会の第2回目になるようです。黄紺は、どうせ全回は行けないでしょうから、間引きをしながら行こうかと考えています。黄紺的には1回目となりますが、そのプログラムは、次のようなものでした。「ピアノソナタ 第7番 ニ長調 Op.10-3」「ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 《悲愴》」「ピアノソナタ 第9番 ホ長調 Op.14-1」。こちらのコンサートでも、昨夜のサッカーが裏目に出てしまい、半寝で聴いてしまうことになってしまいました。今年は、ベートーヴェンのメモリアルイヤーというせっかくの企画、聴けるときに聴いておかなくっちゃなのに、悲しい結果に。半月後に、次回が予定されており、そのコンサートも行けるので、捲土重来、次回は、無茶をしないようにします。


2019年 11月 15日(金)午前 3時 35分

 昨日は、シンフォニーホールで音楽を聴く日。日本センチュリー交響楽団の第240回定期演奏会に行ってまいりました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン:バレエ音楽゛プロメテウスの創造物゛序曲 作品43」「モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲 ヘ長調 K.242 (2台ピアノ版)」「ワーグナー:歌劇゛リエンツィ゛序曲」「ワーグナー:歌劇゛ローエングリン゛第1幕への前奏曲」「R.シュトラウス:楽劇゛ばらの騎士゛組曲」。なお、指揮は飯守泰次郎、ピアノはアルトゥール・ユッセンとルーカス・ユッセンでした。昨日の狙いは、「ばらの騎士」とワーグナー、更に、モーツァルトの3台のピアノの2台編曲版と、ほとんどがお目当て。モーツァルトのコンチェルト、プログラムを見て、自身による書き替えが判り、俄然、値打ちが上昇。誰かの編曲ものだろうと、最近、その手の音楽を聴く機会が多いものだから、これもそうと、軽く考えていたのは、とんでもない間違いでした。実際、聴いてみて、3台目のピアノは、どの音を弾いていたのか、判らずじまいでした。それだから、モーツァルト自身が編曲したのかもしれません。ピアニストは若い兄弟。普段、モーツァルトを弾いているのかな。アンコールで弾いたモーツァルトの40番のシンフォニーのジャズっぽい演奏の方がお似合いのように聴こえてしまいました。ワーグナーは、「リエンツィ」を先に置いて、「ローエングリン」を後に置く配置、納得です。時系列的にも、この順ですしね。「リエンツィ」の方で、ヴァイオリンの音が気になっちゃいました。後の「ばらの騎士」でも、弱音器を付けると、気になったしと、どうしたのでしょうか。「ばらの騎士」は、実に楽しいですね。オペラの場面を思い浮かべながら聴くものですから、ホント楽しくなっちゃいます。気が緩むと、演奏に合わせて、音楽を口ずさんでしまいそうです。この組曲は、作曲家自身のものではないと思ってたのですが、プログラムによると、晩年、それまで出回っていた組曲版が気に入らず、本人が組曲版を作ったと出ていました。オペラの場面を思い浮かべながら聴いていると、1幕が、ほとんど使われていないのですね。前奏曲が終わると、すぐにばらの騎士になったオクタヴィアンの出の音楽になっています。演奏の順は、オペラの並びですが、オックスの退場音楽がラストにふさわしいからでしょうね、これをラストに持ってくる構成になっていました。やっぱ、「ばらの騎士」は楽しい。再確認です。演奏で気に入ったのは、「ローエングリン」かな。静謐さの出た音楽は、緊張感があります。狙いの「ばらの騎士」は、全体を漂う上品さ、華やかさ、もうちょっと欲しかったかな。でも、このプログラムはいい。


2019年 11月 14日(木)午前 4時 28分

 昨日は、市民向けの公開講座を、ハシゴする日。そのため、南華さんの会をパスしてしまいました。それだけ、演題を見てそそられたのが、2つあったということです。1つ目は、午前中にありました。仏教大学四条センターであった癒し系の講座「おもしろいものがいっぱい!!! もっと身近に植物園!」です。1年を通じて、様々な角度から、植物園の魅力を紹介していただけるもの。昨日は、京都府立植物園名誉園長&京都府立大学客員教授の松谷茂さんが、「源氏物語に登場する植物のよもやま話」という演題で、お話をされました。「源氏物語」に登場してくる植物は、約110種類だそうです。植物そのものが出てくる場合もあれば、登場人物の名前に取り入れられていたり、色を表す言葉から考えられる植物まで含めての数です。とんでもない数です。更に、紫式部の凄いのは、植物に対する観察眼だそうで、現代語訳をされている有名著作家が、その観察眼を捉えきれてない場合も散見できるほどだと言われていました。レジメは19帖まで用意されていましたが、時間のこともあり、程よくはしょりながらの進行、黄紺は、午前中は弱いため、途中、軽い居眠りを挟みながら聴いていたため、正確さを欠くのですが、メモを残しておきたいと思います。①「藍」はミャンマーから中国を通じて日本へ②「二藍」は、藍と紅花のブレンド、そのブレンド加減で色合いに変化をもたらしていた③「夕顔」の観察眼が素晴らしい、その観察に基づく記述になっている④「紫」は植物名、「紫野」は、「紫」が群生していたのだろう⑤「末摘花」は「紅花」のこと、「末」=「端」は「赤く」、それを「摘む」と染料になる、それで、「端」=「鼻」の「赤い」女性となる⑥「二葉の松」は、針葉が二本で一組になっていることから「離れない一対」を表すが、実生で育てると判るのは、発芽直後は「一対になっていない」、それを理解しない現代語訳がある⑦「雨夜の品定め」に出てくる「常夏」(撫子)は「床懐かしい」を意味し、「大人の女」を指す、、、などなど。理系の方とは思えない奥の深さ。植物園で、「源氏物語に出てくる植物」を企画されたことがあるそうです。実際、植物園には、110種類の内、80種類の植物があるそうです。こちらも奥が深い。楽しかったぁ。ちょっと居眠りがじゃまをしましたが。
 講座①が終わると、ウォーキングも兼ね、京都府立文化芸術会館へ。同館のHPで予約しておいたチケットの引き取りに行ってまいりました。そして、今度は、京阪三条駅まで歩き、墨染にある京都教育大学へ。2つ目の講演は、同大学の環境教育実践センター公開講演会に行ってまいりました。演題は「絵本で学ぶ森とのかかわり」、講師は同大学社会科学科の山下宏文さんでした。内容は、黄紺の想定通り、期待通りのもので、昔話などを基に作られた絵本の中に表れる「森」から読み解ける問題の検討というものでした。そこで取り上げられたのは、次の4つでしたが、④は時間の関係でさわりだけの紹介に終わりました。①「モチモチの木」②「スサノオ」「ヤマタノオロチ」③「一寸法師」「ごんぎつね」④「三匹のこぶた」。この①~④は、時系列に扱われているのが、おもしろい趣向。①は、縄文時代の豊かな森。「モチモチの木」=「栃の木」を食糧としていたことを思い出させてくれる。縄文時代って、今や、1万6千年前まで遡っているのですってね。地球の温暖化にも対応し、豊かな森が想定されるようです。②は古代。神話の読み解きのお話で、黄紺も、どこいやらで読んだか、聴いたかした記憶が蘇ってきました。洪水による森林破壊に立ち向かう姿、更に植林による森の再生にまで、お話が進んで行きました。③は、「一寸法師」で中世を、「ごんぎつね」で近世・近代を看て行かれました。切り口は里山の風景。前者では、一寸法師に蹴散らされる鬼の棲み家となる山、森、中世の東山の景観を想起させると同時に、それ以後、現代に至るまでの変化を考えさせるとし、後者は、言葉遣いから知多半島の里山の風景を想起させ、尾張藩の森林政策で、松の疎林から雑木林への変化を背景にしているのだろうというお話でした。④では、木材の「弱い」というイメージを考え直すきっかけを与えるものとだけ匂わせられ、お話は終わりました。この手の内容が話題になるのが、ほん好きな黄紺には有りがたい内容だったのですが、②で民俗学的な分析を使われながら、③では、それを使われない不思議を感じ、③の民俗学的な読み解き方を呈示して質問をしたのですが、通じたかな、、、通じてなかったのじゃないかな。50人ばかりが入れるといった部屋だったからもあるのですが、学生さんも含め満席の盛況。演題の魅力もあったかもしれないのですが、盛況ぶりに、正直、驚かされました。


2019年 11月 13日(水)午前 5時 58分

 昨日は、久しぶりに繁昌亭に行く日。リニューアルされて初めてだと思います。第一、今年になって繁昌亭に行くのは、2回目なんですから。昨夜は、「第4回ミステリー落語会~笑福亭たまからのダイイングメッセージ~」という落語会がありました。月亭天使プロデュースの落語会です。企画はおもしろい、だけど、それを実行に移すと中途半端という天使、それが、かえっておもしろく、中毒気味に足が向いてしまうのですが、そういったプロダクションの中では、少しだけ完成度の高いと思っている会です。その番組は、次の通りでした。天使「鷺とり」、白鹿「田楽食い」、真山隼人(沢村さくら)「朝一番」、生寿「七段目」、(中入り)、たま「ペッパーラッパー」。今回も、開演前と各高座の間、中入り明けに、小芝居が入り、たまを除く4人(+希遊)で、ミステリー仕立ての小芝居をして、中入り明けでバラシとなったのですが、何をしていたのか、結局は判らなかったですね。たまからのメッセージが、次から次へと違うところから出てくるのは判ったのですが、その先へ進んでいく流れが判らなかったと言えばいいかな。またしても、中途半端、原因も台本の遅れ。一昨夜、生寿や隼人くんのツイッターを見ていると、この会の紹介を呟きながら、詳細は不明とも呟いていたので、またしても、やばくなるとの予想が的中をしてしまいました。ですから、落語の印象だけが強く残るという具合でした。天使の「鷺とり」は、以前に聴いたことのあるもの。ちょっと心ここにあらず的な雰囲気で、雀のあと、鷺の獲り方説明で切り上げてしまいました。変なところで切られると、そわそわ感が残ってしまいます。白鹿の「田楽食い」が、なかなかの聴きもの。古風なテキストがいいですね。しっかりとしたお喋り、言葉がはっきりとしているのがいいですね。変に作った感のないのも、好印象。前座噺じゃないネタも聴いてみたくなります。隼人くんの「朝一番」は初遭遇。福笑の「絶体絶命」の浪曲版というところです。隼人くんは、ホント、いろんなことをやってのけます。中トリは、ツイッターで予告していた通り、生寿でした。昨日のような環境で、何を選びだすのか興味津々です。「七段目」と判ったときは、ちょっと意外感があったのですが、逆に、このときこそ、聴かせる噺を出そうというのが生寿という人ですね。 ましてや、中トリですから。ただ、旦さんが、ちょっと弱いかな。声質に関わることが、生寿の口演を聴くときに、気になることがあります。散々、小芝居で名前が出てきたたまが、ようやく登場。この企画に関するお喋りは、そこそこに、話題は三金のことに。「喋りたかったことを喋らないで亡くなったので替わりに喋ります」と言って、秘蔵の話を聴かせてくれました、ネタも、三金と交換して持ちネタにしたという「ペッパーラッパー」。この噺、元々、三金のネタだったのですね、知りませんでした。フリップを使う趣向も、三金の原型があるとか、途中、解説まで入れてくれました。「くっしゃみ講釈」のパロディネタで、確か、たまは、このネタで、国立演芸場花形演芸会でトリをとってるはずです。昨日は、三金のお通夜の日。何よりも供養になったように思えました。





進む メイン・ページ 戻る