忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2020年 7月 24日(金)午前 9時 13分

 昨日は、ついに痛み止めを飲んだ日。去年の7月に、救急車で搬送されて以後、計ったように5ヶ月おきに再発していたのが、今度は、2ヶ月半弱での再発です。間が半分になっちゃいました。でも、左肩から始まり、右肩、右腰と来て、これはヤバいと思いました。右肩までは、異常さは感じても、痛みは我慢できる範囲でした。左方向への寝返りがうてない、でも、右肩に異常が出ても、こちら方向への寝返りはできた、うがいも、辛うじてできたと、痛みの目安でも、具体的にさほどでないと認識できていたため、痛み止めを飲むのを控えていました。痛み止めに、お世話になりすぎて、効かなくなってしまう日が来るのではとの不安があるからです。ところが、一昨日の夜半あたりから、右腰がおかしくなりだした。夜、目が覚めるたびに、ひどくなっているようで、しかも、2階の部屋を利用しなければならないことから、かなり不安が増していき、これがひどくなると、生活に支障をきたすと判断、昨日の朝、普段は、朝は食事をしないのに、無理やり、インスタント食品をかっこみ、薬を服用。かなり胃に刺激がきついので、お腹に何もない状態での服用は慎むようにと、医者に注意されているからです。痛みのピークは、振り返ってみると、一昨日の夜半からまる一日くらいだったと、今は思えてます。痛み止めを飲んだあと、肩と首は痛みが消えるほど楽になりました、1回目で。ところが、腰は、聴いているのかどうかが判らない状態で、しかも、左腰にまで痛みが出てしまいました。肩&首の左右、腰の左右、全ての箇所に痛みが出たのは、去年の救急車騒ぎ以来です。でも、8時間おきの服用、2回目の痛み止めが切れる頃には、念のために、夜中に階段の昇降があるから、そないな理由付けをして飲むほどになっていました。ですから、1回目飲んだとき、腰には変化がないと感じていたのは、飲んで、痛みが和らいでの痛みが、そういったものだったと思えました。痛み止めを飲んだあと、痛みのマックスが来ても、どの程度の痛みまで行ったのかは判らないということです。今朝の状態は、もう腰の痛みは、かなり減っています。肩は、痛み止めが切れると、重い感じが出ますが、スタート地点になった左肩からは、その重みも消え、右肩、右首に残ってる程度です。ま、右は、普段からあるので、ほぼ終息かと思えています。一旦治まると、ぶり返すことはないですからね。「神経は痛みに慣れてくれる」、これはお約束ですから。
 そういった痛みとの闘いの一日、薬を飲んだ安心感もあり、ルーティンは、通常通りにこなしましたし、こなせました。気がつくと、万歩計が「2万」を超えていたので、びっくり。新しい靴を履き、それが、足に優しいと見え、疲労を感じずに歩くことができた結果かなと思っています。一旦歩き出すと、腰の痛みは忘れられますし、肩&首の痛みは、薬で、完全にコントロールできてましたから、不快感がなく歩けたのも、大きかったのでしょう。オペラ配信の方は、昨日は、あまり時間を割くことができませんでした。原因は、トルコのコロナにあります。毎日、CNNトルコとヒュリエット紙のサイトを使い、関連の情報を得ているのですが、最近は、あまりコロナ関連は多くはなかったのですが、昨日は大量に出てしまい、それのチェックに時間を取られたこと、それに根をつめたためか、やたらと横になりたくなり、珍しく昼寝をしてしまい、貴重な時間を潰してしまったからです。でも、新しい配信を観始めています。内容は後日回しにして、概要だけメモります。グラインドボーンの「セビリャの理髪師」(アンナベル・アーデン演出)です。ダニエラ・デ・ニースとアレクサンドル・コルベッリが出ているというので、飛びつきました。アルマヴィーヴァを歌っている「」が、とってもいい声をしてますよ。


2020年 7月 23日(木)午前 8時 33分

 昨日は、予定では、コンサートに行くことになっていた日、そして、そのコンサートも、実際に行われたのですが、チケットを捨て行かなかった日、です。大阪フィルの定期演奏会だったのですが、コロナ騒動の前にチケットは買ってあったのですが、座席配置を、そのままにして実施するわけにはいかないということで、約1ヶ月程前に問い合わせがありました。それを受け入れない場合は払い戻しに応じるという内容だったので、かなり迷ったのですが、その頃の情勢で判断するので、コロナ対応の座席配置を見に行こうが勝ってしまい、払い戻しを求めず、新しい座席配置での座席変更の手続きをしたのでした。ところが、その後、感染者が増え、黄紺が一番恐れる、帰りの電車の混雑を思うと、行けたものではない、お金の問題ではないと思い、1週間程前には、行かないという決断をしてしまってました。このコンサートに行かないとしたということは、当分、大阪へ行く気がない、気はしないということです。お出かけは、京都&大津限定です。確かに、昨日の感染者数は、全国規模でも、大阪単位でも、これまでの最多を記録した日。ドイツで慌てて以来、慎重居士となっている黄紺的には、当然の行動だったと思っています。今回も、正直、行こうかなの気持ちが、一方でなかったわけではないのですが、振り返ってみて、あのドイツで受けた衝撃は何だったのか、そのとき以来、コロナに対して執ってきた行動を破ることになる、これが、自分に納得させる決定打となりました。
 それに加えて、ここにきて、行かなくて良かったと思える要素が加わってきています。1週間程前から、右腰に、通常よりは重い、でも、日常生活に障りがあるわけではない痛みが出ていたため、これが、また、変なことにならなければ良いがと考えていたところ、その変なことが左肩に出始めたのが、4日前。左首筋にまで達する痛みだったのですが、今までのことを考えると、軽症の部類。横になったときに、左側に寝返りがうてないのが、最大の困ったことでした。今のところ、右肩方向には、痛みが僅かしか回っていないので、5月のときのように、頭がボーッとしてくる感じにはなっていないため、さほど日常生活に支障があったわけではなかったのですが、昨日から右腰に回り出したのです、痛みが。発端となった右腰の痛みとは、明らかに違う、ひどくなっています。まだ、和室での生活は、痛みを抱えながらもできるというのが、今朝の状態です。昨夜は、左首筋の痛みが和らいだのか、寝返りをうてたので、いよいよ痛みが腰に回ってきたということですね。この時点で、痛み止めを飲みました。肩や首筋の痛みが軽度だと思ったので、薬を飲むのを我慢していたのですが、さすが、去年の7月のようになっては困ります。痛みのマックスを迎えない内に飲むことにしました。今、和室で柱にもたれながら、スマホに、この文を打っていますが、何かものを取ろうと、上半身を前屈み気味に動かすと、かなりの痛みが走る状態です。これへの対応のために、家の改造をしたのですが、ベッドを買えていない(息子が体調崩しているため)ため、工事中同様、2階の和室での寝起きです。ただ、うまく階段を利用すると、ベッドでの寝起き同様になるということを見つけたので、今以上の痛みが来ても、十分に対応できるだろうとは予測はしていますが、これ以上の痛みが出たとき、2階への昇降が大丈夫かは、予断を許さないところがあります。とにかくは、痛み止めの反応を看ることにします。
 そないななか、昨日は、結果として、普通の一日。但し、午前中のウォーキングは短縮ヴァージョン。というのも、今度、オンライン飲み会をする高校時代の友人の一人から、ヘルプのメールが入り、テストに付き合うように頼まれていたからです。流行りのZoomのダウンロードもなしの、簡単なやり方を選んだはずだったのにと思い、会議室をオープンにして、電話。メールで送ったURLが、受け手のメーラーではリンクが貼った状態では表示されてないことが判ったため、「ほな、それを、コピー&ペイストして」と言うと、「えっ」という言葉が返ってきたので、「まさか、、、」、「いや、そのURLをコピーして貼り付けて」、「どないすんねん」、、、あちゃー、でした。ここで、その前に、参加者全員に送った「オンライン飲み会の詳細」と題した段取りの文が、ここまでのPC初心者を想定してなかったことを思い知りました。URLを貼り付ける前に、プラウザを立ち上げてもらわねばならないけど、だけど、「プラウザ」は通じないから、「インターネット、見るやつ立ち上げて」「Yahoo見るやつで、ええんか」、万事がこのペース。ようやく、名前を登録してもらい、「エンター、押して」「何か出てきた」「カメラとマイクが繋がっていませんと書いたぁる」、、、あちゃー、ここまで、淡い期待を持っていたのですが、期待は期待でしかなく、この設定をしなければならない。「コントロールパネル開けて」と無駄なことを口走りながら、結局、ああでもない、こうでもないの繰り返しで「有効」にして、もう一度、やり直し。まだ、紆余曲折はあったのですが、最終的に繋がりました。お互いの顔を画面を通して確認できました。ここまでの行程、40分弱かかりました。皆、仕事で使っているはずだから、ま、大丈夫だろと思っていたのに、思わぬところに、大きな落とし穴がありました。
 オペラ配信の方は、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、最後まで行きました。やはり、このプロダクションは、素晴らしいものがありました。主役級の歌手陣が強力だということ、とっても刺激的なマルティン・クセジュが演出、これらは、既に書いてきましたが、このオペラを作ったショスタコーヴィッチの音楽を、一貫して、大変な緊張感を保つ演奏を繰り広げてくれたマリアス・ヤンソンスの指揮は、まことに秀逸。これが、実に大きな役割を果たしていたと思いました。


2020年 7月 22日(水)午前 8時 9分

 昨日は、京都学・歴彩館で行われた「京都を学ぶセミナー 洛西編第2回」に行ってまいりました。コロナのおかげで、さっぱりダメになってしまっている、こうした講演会、京都府が関わるものは行けるのかな、これで、京都府主催ものが、2連発となりました。先日の「イタリア移民」についての講演は、京都府国際センター主催でしたからね。今回の歴彩館は、大ホールがありますから、映画会は無理でしょうが、こうした講演会は、普段から、ソーシャルディスタンスが取られているような状況ですから、実施できているというところです。席の配置、入館時の消毒、体温チェックと、お定まりの防御策。サーモグラフィで読み取るモニターが立派で、立ち止まらないでも測定が可能なため、体温チェックで列ができず、密を避けることができていました。これはいいのを使ってると思いつつも、高価そうということも頭にちらつくものでした。肝心の講演は、京都府立大学教授小林啓治さんのお話で、「地域メディアからみたアジア・太平洋戦争と乙訓」という演題でした。この京都府内の地域をテーマにした講演会、何度か行っていますが、地域の地場産業、自然、歴史が、その内容として組み込まれてきましたが、歴史の中でも、こうした現代史をターゲットにした講演というのは、珍しいのじゃないかな。そのわけが、冒頭に話されました。戦争絡みのものは、敗戦直前に廃棄命令が出されていること、また、地域資料自体が、市町村合併が繰り返されるたびに、廃棄されたり、紛失されていくという歴史があるそうです。そんなで、特に軍関係の地域での動員資料などが残ってないことが多く、研究が立ち遅れている現状だそうです。この講演で使用された「神足月報」という村(新神足村)の広報紙も、アジア・太平洋戦争に突入した辺りからは残っていないそうで、それまでのものが残っているということで、15年戦争の前半期に、地域の人たちが、戦争へと駆り立てられていく姿を後付けしていく、これが、この講演の主旨でした。まず、こうした広報が生まれ、地域で生きていった原因として、新神足村の場合は、1935年の2回の水害が大きかったのだろうということでした。その災害からの復興を呼び掛ける言葉に、総力戦に繋がるような「美しき日本の精神」が使われ、協力一致を求めていることに注目されていました。そういった空気が培われるなか、軍事行動が、地域に身近なものとして入ってくる契機があると言われていました。身近な師団が動員されたときだということです。1934年に、第16師団が満州に駐屯をするようになったのです。「兵隊さん」と題する作文や、慰問のために、村長が渡満をする記事が出ているそうです。確かに、これは、国の政策を身近に感じることになります。この師団絡みの記事が並ぶことになるわけで、そこを手がかりに、地域住民に、戦争が入ってくることになります。次のような記事の掲載があったことが報告されました。慰問文、戦闘の様相、兵隊からの礼状、師団部隊の送迎、戦争に向けての青年の意識、月報の主幹だった学校長の戦争を正当化する主張、銃後の生活、南京陥落の祝賀行事、愛国貯金、御尊影袋、紀元二千六百年奉祝、戦死者、新神足村大政翼賛会、京都府防空訓練、新神足村青少年団などの記事が並んだそうです。そういったものをまとめ、おわりに、地域社会での戦時体制は、大規模な動員が始まった日中戦争からで、満州事変以降の準備過程が、戦時体制へのスムーズな移行を可能にしたと、まとめられました。最後に、時期的には、残っている「神足月報」の時期からずれるがと言って触れられた、地域と戦争として、1945年3月に閣議決定された「国民義勇隊」を紹介されました。究極の徴兵制の姿だと言われていたことが、印象に残りました。
 終わると、外は雷雨。幸い、傘持ちで出かけていたため、雷雨のなか歩き出しましたが、雷が怖く、普段は入らないスーパーに入り買い物をしている間に雷は治まり、助かりました。雨脚もひどくならなかったので、いつものように、小1時間かけて、三条駅まで歩きました。時間の関係で、これが、昨日のウォーキング代わりとなりました。やはり、お出かけをすると、普段の行動に障りが出るため、ウォーキングばかりか、オペラ配信も、夕飯後、30分ばかり観ただけでしたが、その間に、2つの殺人が起こるというところでした。夫を殺すのは二人でとなっていたのが、なるほどと思わせられました。このプロダクション、音楽はいいし、主役級の歌手がいいし、演出は過激だしと、迫力満点のプロダクションです。いいもの、観ています。


2020年 7月 21日(火)午前 7時 52分

 週が明け、トルコ・リーグで、バシャックシェヒル・スポルの優勝が伝えられました。優勝争いをしているクラブ同士は、終盤に入ると、同時刻開始で、試合に臨むのですが、奇妙なことに、バシャックシェヒル・スポルの試合で、電気系統の不具合が起こり、試合が中断。その間に、追いかけていたトラブゾンが負けてしまい、バシャックシェヒル・スポルの優勝が決まるということになりました。ここ2シーズン、優勝争いに絡みながら、最後に崩れてしまっていたバシャックシェヒル・スポルが、今年は崩れなかった。逆に崩れたのがトラブゾン。まさか、こないな崩れを見るとは思わなかったなぁ。バシャックシェヒル・スポルは、補強が上手いですね。FWが穴だったんだよね。ロビーニョは、シーズンを通してはもたないのは、年齢的に判ってるから、獲得したクリヴェリが、終始使えたのが大きかったのと、終盤、デンバ・バが使えたのが、磐石になってしまった。アレクシッチが入り、中盤は厚くなったですもんね。メフメット・トパルやマルティン・シュクルテルといったフェネルを出た選手を捕まえておいたのも、大きい。シュクルテルは、DFの要ですもんね。それに、絶対的な選手がいるのが強み。エディン・ヴィスチャは、トルコ・リーグでは、誰も止められないでしょう。今やトルコ代表の中核を担うイルファン・ジャン、マフムト・タクデミル、揃いましたね。それにつけても、イスタンブルの3大クラブが、全部、落っこちたというのは、何を意味してるのでしょうか。辛うじて絡んでいたガラタサライの、コロナ中断明けはひどかった。あっさりと脱落。フェネルとベシクタシュは、早々に脱落でしたし。逆に、今までにない優勝争いとなった興味が出たので、気持ちは冷めはしなかったという良さもありました。
 明け方のニュースが、このサッカーネタだった一日、暑かった。でも、暑いからといって、日に2回のウォーキングを欠かすものではありません。ただ、そのウォーキング途中の読書の時間が、2回とも潰れてしまった日でもありました。先日のオンライン飲み会で決めた「お盆ライブ」の準備に、時間を取られてしまったのです。久しぶりに、友人たちに連絡を入れると、手持ちの電話番号やメルアドが生きているか、これが判らないため、いろいろと困ったことが発生していました。ですから、そういったものの内、生きていることが判ると、嬉しいものですから、早速、連絡を取ったのが、その読書の時間になったというわけでした。1人は、自宅の電話番号が生きていました。携帯はおかしな反応、PC用メルアドからは反応なしで、最後の手づるでした。もう一人は、携帯の電話番号しか手づるがなかったのですが、この間、携帯が死んでいて、知らない人が出てくるなんてことが、他であったものですから、ショートメールを送ってあったのに反応が返ってきました。ということは、携帯が生きているということで、あっさりと電話で打ち合わせ。振り返ってみると、「最後の一つ」で繋がったのばかりじゃなかったかな。その内一人は、黄紺宅から、何とか歩いて行けるところに住んでるので、いざというときには大丈夫ですが、他の連中はそうでないものですから、ひやひやものでした。
 そうそう、昨日は、久しぶりに昼飲みをしてしまった日でもありました。たまたま、お昼にチャムチ・サラダを作ったところ、美味そうで美味そうで、酒を呼んでいるように見えてしまい、チューハイのロング缶を1本、開けてしまいました。飲んで食べてしている時間はいいのですが、家飲みをすると、必ずや睡魔が襲ってくる。結果、1時間ほどの昼寝。これは、オペラ配信を直撃。振り返ってみると、オペラ配信のお世話になったのは、午前中の30分ほどとなりました。でも、その30分ほどの間に、「ムチェンスク郡のマクベス夫人」で、スターリンを激怒させたという有名な場面に遭遇。その前のレイプシーンと言い、実に過激。アムステルダムのプロダクションは、ストロボを使うというもの、ヤバさは半端ないもの。相手の男を歌うのはヴェントリス、兵庫芸文の「魔弾の射手」でマックスを歌ったのを、生で聴いている人ですが、DVDで観るバーデンバーデンの「パルジファル」のときのような張りのある声を聴かせてくれています。


2020年 7月 20日(月)午前 7時 14分

 完全に暑くなりました。雨が降らなかったので、ぼちぼち梅雨明けかと思っていたら、天気予報ではまだだと言ってました。この蒸し暑さのところへ、雨が降ると、こればギヴアップですね。ごく普通の一日、いや、昨日は日曜日でしたね、その一日の過ごし方が変わるわけではないのに、暑いだけで動きが重くなる感じがするものです。そこへさして、どうもお酒を呑むと、お腹がダメです。一昨日は、オンライン飲み会のときに、水割りを飲み、止めておけばいいのに、自制力がないものですから、晩酌に、チューハイのロング缶を飲んでしまったため、ヤバいなと思っていると、良くない予想は外れなかったです。最近、これを繰り返していて、酒量が減ることに繋がってはいますが、こうした減らし方は、いいものではありません。日に2回のウォーキングは、ルーティン、途中の休憩を利用しての読書も、定番。最近の傾向は、この読書の時間に居眠りが出るものですから、あまり長く続けられないこと。内容に身が入らない証拠なんですが、一方で、以前ほどはひどくはないのですが、7~8時間の睡眠が取れなくなってきているのと、関係はなくはないなと思っています。
 最近、Youtubeを観る時間が減ってきています。原因の1つは、期間限定でオペラ配信はされているのがほとんどですから、そちらを観る時間を確保するのを優先させているからです。もう一つは、コロナ関連の情報集めを、トルコ&ドイツに絞っているということがあります。そういったなか、いつもアクセスして、内容に拘わらず、ほとんどアップされるのを観ているのが、外食モッパンが売りの韓国系Youtube(在ソウル)くらいかな。贔屓の、他の韓国系Youtube、ロシア系Youtube、タイ系Youtubeなどは、サムネを観て精選することで、Youtube自体に割く時間を減らしていることになっています。そういったなか、最近気に入った動画に出逢いました。タイ系Youtube(在バンコク)なのですが、ある旅系Youtuber氏に言わせると、タイ系Youtubeでは一番有名とされたものなのですが、流した方は「失敗」と断言した動画を気に入ってしまったのです。内容は、いつもカメラマンや編集といった裏方担当の人を、普段MCを担当する人が、タイの田舎で放置して、幾ばくかの金を渡し、スマホ&財布を取り上げ、「一人でバンコクの自宅まで戻れ」というもの。前にも同じ企画を流し、わりかし苦労するのだけれど、人に助けられたりする姿がいい感じで、なかなか素敵な作品になってたもので、早速観てみたのですが、今回のものは、放置した方は車で帰るのですが、それと、あまり変わらない時刻にバンコクの自宅に到着してしまったのです。ですから、途中、苦労してないから、「失敗」と制作した立場で断定したのですが、黄紺的には、「なんで、失敗になったか」に惹かれてしまったのでした。放置された男、前回からの間に、タイ語が、かなり解るようになっていたのです。看板のタイ文字が読めたり、道端で会った人たちに対し、ものを尋ねるにせよ、単語しか言えなかったのが、会話になってるものだから、聞きたいことは、あっさりと判明してしまうものですから、そりゃ、簡単にバンコク戻るわなということだったもので、困りがないからつまらん、失敗だとなったわけなのですが、観る方からすると、一人の男の成長を観ることができ、とってもそそられてしまいました。確かに、苦労はしないのですから、そちらの観点ではつまらんとなるのも解るのですが、ものって、視点を変えるとおもしろいものです。
 で、オペラ配信です。「バラの騎士」の第3幕を午前中に観てしまい、午後には、新しいものに入るということになりました。まずは、「バラの騎士」ですが、この第3幕の装置のコンセプトは東南アジア。椰子や芭蕉風の熱帯植物がモチーフに使われ、給仕をする男たちの衣装が東南アジア風だったりと、いろいろと遊んでくれましたが、大勢の登場人物たちの動かし方が、さほど上手いというわけではなかったもので、何かオックスの動きが浮いたような感じがしてしまい、この3幕は、もう一発ってところでした。そういった中で、ひときわ光ってたのがゾフィでしたね。2幕より、一層、光ってたと看ました。2幕は、成り上がり貴族の娘というキャラを強く出してた、それはそれで大正解なのですが、単に恋する女というのでは、3幕の方が素敵だったということです。そういったなか、素敵な演出に出逢えました。マルシャリンが去るとき、オットー・シェンクもののように、背中での演技が入りました。背中を向け、右手を差し出します。そのときに、ハンカチが落ちます。その手に触れ、ハンカチを拾い上げようと、オクタヴィアンがするのですが、それを押し止めるゾフィ、、、これは痺れた! 確かに、ハンカチを、最後に拾いに来るのがムハッマドなら、ハンカチは、マルシャリンのものとした方が自然ですよね、これに、今まで気づいていませんでした。バイエルンのプロダクション(オットー・シェンク演出)のものでは、どうだったかな、その原型になっている、カラヤン指揮のザルツブルク版では、ゾフィがハンカチを落とすのは間違いないですしね。今まで生で観た「バラの騎士」では、ゾフィが落としてたと思うのですが、時間を見つけて、このデータ集めをやってもいいですね。中には、ラストのハンカチ拾いがないプロダクションもあった記憶はありますね。ということは、ハンカチ自体を、誰も落としてないことになっちゃいますが、確かに、そのプロダクションではそうだったような記憶が。でも、どのプロダクションかは覚えていない。このベルリンのプロダクション、生で観るはずだったのです。コロナでぶっ飛んだオペラ紀行に入っていた一つでした。観たかったぁ、ホントに。新しい配信は、オランダ国立歌劇場の「ムチェンスク郡のマクベス夫人」(マルティン・クセジュ演出)を選びました。どこかでは観ようとしていた待望のもの。そうではないかと思い調べてみると、そうでした。DVD化されているものの配信です。ヴェストブロックがタイトルロールを歌っているというので、持っていたいDVDなのですが、値段が高くて手を出せないものなので、この配信は、頗る付きでありがたい。DVDのジャケットでも、ヴェストブロックの体をはった演技が気になってはいたのですが、ここまで観たところでは、そこまでは行ってないのですが、そこに至るまでに、既に同様のシーンが入っており、これは只者ではない空気が漂っています。スターリンが激怒したのが、早くも納得できております。


2020年 7月 19日(日)午前 6時 46分

 昨日は、暑くて湿気の多い一日。雨が降らないと、気温が上がり、且つ、湿気がひどくなる、いよいよ梅雨明けなのかな、本格的な夏ってことですか。昨日は、お出かけなしはなしで、いつものように、日に2回のウォーキングを行えたのですが、昼前のウォーキングは、いつもよりか少しだけ早めに出かけ、短く切り上げねばなりませんでした。高校時代の友人と、午前11時からオンライン飲み会をすることになっていたからです。福井在住で、いつも、メトロポリタンのライブビューイングを一緒に観ている男です。コロナのため、結局、その友人は、休止明けのライブビューイングには来ることがなかったため、替わりに、オンライン飲み会をしようではないかということになったのでした。息子以外では、初めての試み。息子とするときは、黄紺の方が招待される側になるので、もう慣れていたのですが、今度は招待する側だったため、不安だったのですが、そちらは杞憂に終わったのですが、トラブルは思わぬところからやって来ました。友人が招待に応えた途端、「カメラとマイクが接続されていません」と出てしまったのです。おいおいと、一番の基本での躓き。友人は、PCを譲った子どもに電話したようで、数分後に解決、無事にオンライン飲み会をすることができました。飲み会と言っても、友人はお酒を飲めないので、お茶。黄紺は、最近、お酒は控え気味だったのですが、息子以外では、記念すべき初めてのオンライン飲み会だったもので、久しぶりに水割りを用意。お腹に何か入れながら飲まないと、余計にヤバくなるので、ポテトチップスをつまみながら飲んでいましたが、お喋りに夢中で、結局は、あまり飲んでなかったみたい。後からウィスキーの減り方が、とっても優しいのに気づきました。近況を聞いていて、オンラインワークの大変さを、再確認。友人は、まだ働いているのです。Youtubeなんかを観ていて知ってはいたのですが、普段やってないことを、新たにやり始めることって、大変なようですね。黄紺などは、オペラ配信を、自分同様に、友人も観まくってたのかと思っていたのですが、とんでもなく時間が取られ、それどころではなかったようでした。そのため、特に印象に残っている、パリの「ボエーム」や、メトロポリタンのライブビューイングで観た「アグリッピーナ」などを紹介することに。そんなで、2時間喋りました、休みなく。そして、このオンライン飲み会を始める前から、二人が同じことを考えていたことが明らかになり、ちょっと嬉しくなりました。長年、正月やお盆の時期に集まりながら、最近できていない、その集まりを、オンラインでやろうじゃないかということです。昨日の飲み会が、うまく行けばということで、お互いに考えていたのでした。季節も夏、あと1ヶ月でお盆です。「お盆ライブ」で意見が一致、招待の役目を担わねばならないということで、黄紺が、他の友人たちに働きかけることを引き受けました。コロナのおかげで、ちょっと絶えていたことが復活できそうです。そないなことも喋れて、とっても有意義なものとなりました。
 あとは、ウォーキングを除けば、いつものようにオペラ配信のお世話にもなりました。ベルリン国立歌劇場の「バラの騎士」(アンドレ・ヘラー演出)を2幕の終わりまで観ました。装置は、豪華さを強調するよりかは、妖しさの中に贅を感じされると言えばいいかな、ちょっと表現が難しいもの。ジャポニズムの要素を入れることで贅を感じさせる、ちょっとしたこだわりがあるものです。主役5人の中で、ちょっと抜けたピカ一は、グロイスベックのオックス男爵。現在一番のオックスとの評判に、偽りはありませんでした。次が、ナディーヌ・シエラのゾフィ。やはり、この人、動ける、表情が豊か、です。ミシェル・ロシエールのオクタヴィアン、ロマン・トゥロッケルのファニナルは、黄紺的には並みかな。思わぬ期待外れが、カミラ・ニルンドのマルシャリン。2幕は出てきませんから、1幕で言えば、前半のオクタヴィアンとの戯れはまだしも、後半になり、いよいよ、「今日は、ちょっとおばあさんにしてしまったね」から始まる老いを語るようになると、なんか口先だけ歌いになっていて、気持ちを乗せてない歌唱と見えてしまったのです。この人、1回だけ、生で聴いているのですが、その歌い方に、何となく納得してしまっているところのある黄紺でもあります。さて、ドタバタになり、それなりの大団円の待つ3幕が楽しみです。そっか、カミラ・ニルンドのマルシャリンに不満なのは、こないだ観た、グラインドボーンのケート・ロイヤルの残像があるからなんだ、ん、間違いない。


2020年 7月 18日(土)午前 5時 49分

 昨日は、普通の一日。お出かけは、日に2回のウォーキングだけ。日中は、雨は大丈夫と決めつけていて、夕方、また、ウォーキング半ばで、雨に降られてしまいました。前回、びしょ濡れになったときと、よく似たコースを歩いていたため、思わず、「また、ここや」と、口をついて出てしまいました。ただ、前回ほどのえぐい降りにはならず、途中、止むこともありで、びしょ濡れにはならなかったのですが、家へ帰るとTシャツは交換することに、ズボンは干すことに。
 コロナの日々の情報を気にしています。来週初めて、大阪に出かける予定が入っているからです。コンサートが実施の方向で動いているからです。座席を変更して、要するに、座席間隔を開ける措置をしての実施に変更しての公演です。その座席変更するときに、問い合わせの連絡があり、キャンセルも可能だったのですが、悩んだ末、ぞの変更を受け入れてしまったのでした。ですから、新たなチケットが送られてきて、公演日を待っている段階なのですが、最近の情勢が嫌なのです。実は、今週の半ばに実施された講談会に出かけて、大阪に復帰することにしていたのですが、結局、それも断念してしまいました。何が嫌かと言うと、往きの電車はまだしも、帰りの電車に乗るのが嫌なのです。夜9時台の電車の混み方を知っているため、あれだけには乗りたくないのです。劇場内では、それなりの対策が執られるはずと信頼しているところがあります。シアター・モリエールのような狭いところではないですからね。「劇場への入退場だけで、怖いと思わなかったのかなぁ、シアター・モリエールに行った人たちは」と思います。その密になる場で、物販をやったんだよね、あの劇団は。黄紺が行こうとしているホールの広さからして、密な印象は持ちはしないのですが、終演後の密な状態が想定されるのも、嫌な材料にはなっています。休憩は取って欲しくないけど、休憩がないとトイレが心配だしと、不安面が気になり出すと、嫌なことばかりが増えて行きます。そんなで、来週に予定されているコンサート、ほとんどチケットん千円を捨てるつもりになっているのですが、でも、どこかで行きたいと思っているため、コロナ情報を気にしています。いっそのこと、コンサート自体がなくなれば悩むことはないのにと、主催者のサイトも眺めている、今日この頃です。
 昨日のオペラ配信は、ローマ歌劇場の「ドンジョバンニ」を最後まで観たのが、1つ目。ホリゾントの雲は同じ、舞台右側にある1本の木も、終始同じ。ただ、その木とホリゾントの間に、オブジェと言っていい書き割りが出て、ドンナ・エルヴィラの家になったり、ピラミッド状の書き割りが出て、それが家を表したりといった変化があったのですが、フェードアウトして、舞台全体が見えるアングルになり、思いついたのは、これって、絵本のような感じだということでした。装置だけではなく、歌手の衣装の色合いが、そういったコンセプトに、すっぽりと包まれていました。それで終わりかなと思っていたら、最後にびっくりが用意されていました。幽霊のコムタンが現れるところ、歌手が、舞台右端に出て歌いますが、同時に、巨大な腕が、上から下がってきて、その指先でドンジョバンニを指すとなりました。でも、地獄落ちでは、ドンジョバンニは、その指先をちぎり、舞台上に投げ捨て退場。更に、大団円の重唱の最中に、再び、ドンジョバンニは現れ、木に登り悠然とした姿のまま、幕となりました。ドンジョバンニの再登場というパターンは、ドンジョバンニに不滅性を表すとされていますが、このプロダクションも、その範疇に入ると考えていいのだろうか、ちょっと決断できないでいます。昨日は、時間があったので、次なるオペラ配信に移ることに。すると、配信は終わったと思っといたものを、偶然、見つけることができたので、早速、飛びつきました。オペラ紀行で観るはずだった、ベルリン国立歌劇場の「バラの騎士」(アンドレ・ヘラー演出)です。キャストは、黄紺が観るはずだったものと同じで、マルシャリンがカミラ・ニルンド、オクタヴィアンがミシェル・ロシエール、オックス男爵がギュンター・グロイスベック、ゾフィがナディーヌ・シエラという優れものに加え、指揮がズビン・メータです。まだ、ほんのさわりしか観てないのですが、オケを鳴らしてますね、メータ。一方で、カミラ・ニルンドが、生で観たときよりか、二回りほど大きくなっているのに、驚かされています。


2020年 7月 17日(金)午前 7時 29分

 昨日は、今週3回目のお出かけ。大阪どころか、京都も危なくなってきているにも拘わらず、出かけてきました。韓国映画を観たかったついでに、ロームシアターに、チケットの払い戻しにも行ってきました。実は、この払い戻しは、「オランダ人」を観に行ったときにするつもりだったのですが、すっかり失念してしまってたため、昨日にずれ込んだのですが、おかげで、出かけるために跳んでしまった夕方のウォーキング分くらいは、移動に歩けたのかなと思っています。なんせ、ロームシアターから京都シネマまで歩くと、40分ほどかかりますからね。で、その京都シネマで観たのは、韓国映画「マルモイ」。マルモイ、即ち、言葉集め、日本統治下の朝鮮で、朝鮮語辞書の編纂に関わった人たちの物語。当然、朝鮮教育令で日本語が教えられなくなり、逆に朝鮮語を使うことが難しくなっていく時代を背景に、朝鮮語を残すために、辞書を作っていく物語。文法書や辞書といった書いたもの、客観的なものが生まれていくことで、一つの言語が固まっていく、「標準語」が出来上がっていくことも、併せて描いてくれてました。ぞのためには、朝鮮語の収集作業、方言の収集作業、そういった地道な作業を、官憲による弾圧作業に対置させ、それを潜り抜けながら進めて行くことで、ドラマが生まれてくることになりました。いい素材に着目したなというのが、まず評価されることだと思います。「タクシー運転手」の脚本家による、初監督作品だそうです。もちろん、脚本も担当。確かに、素材選びに長けているはずです。ユ・ヘジン主演というのも、同じです。で、脚本の質も似てるなと思いました。ともに、黄紺的には陳腐なものでした。エンタメ要素を盛り込み過ぎと思いました。辞書編纂という、とっても地味で時間のかかる作業ですから、それにエンタメ要素を入れないと映画にならない、それは解るのですが。ユ・ヘジン扮するパンスという人物を登場させることで、この映画は成り立っているわけですが、パンスが街のチンピラで、ユ・ヘジンのチンピラ役を久しぶりに観れて嬉しいことは嬉しいのですが、その男が文字を知らなくて、編纂事業の下働きをすることで文字を覚え、覚えたことで、本を読み涙し、編纂事業の意味を理解していく姿、一人の人間が変わって行く姿が、編纂事業、官憲による弾圧と並列的に描くという構造になっているわけですが、これが、エンタメに走り過ぎと思えてしまったのです。また、編纂事業の代表を務めるリュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)の父親が、かつては抗日の意識高き人だったのが、今や名門中学校の理事として親日教育を推進する人物に設定するというのも、ステレオ・タイプ過ぎやしませんかと、突っ込んでしまいました。エンタメが過ぎて、崇高な編纂事業を汚してやしませんかと思ってしまいました。ユ・ヘジンが演じてなかったら、もっと強い言葉が出てきたかもしれません。京都でも感染者が増えているなか、日に3回上映されているなか、一番少ないだろうと思われる夜の上映回に行ってきたのですが、結構な入りに、びっくり。と言っても、席は間隔を開けてのものですから、人数的には多くはないのですが、前方席以外は、ほぼ詰まってたのではないでしょうか。そないな話を、映画館の人と話していると、「マルモイは人気がありますから」と言われていました。黄紺のように、ユ・ヘジン狙いなのか、「タクシー運転手」の二匹目狙いなのか、それとも、SNSなんかで評判が伝わっているのか、そないなことがあるのでしょうね。
 家では、オペラ配信を抜け目なく観ておりました。考えたら、贅沢な日です。新たに、ローマ歌劇場の「ドンジョバンニ」(グラハム・ヴィック演出)を観ています。もちろん、グラハム・ヴィックものだということでのチョイスです。2幕の序盤で歌われる、ドンジョバンニのセレナーデまで観たのですが、簡素な舞台が印象的なものです。舞台右側に木が1本あるだけ。書き割りには大きな白い雲だけ。屋外を思わせる装置なのに、両脇には扉が付いているというもの。照明一つで、場面転換をしたり、スペースを広げたり狭めたり、その技が冴えています。衣装は現代のもの。ドンジョバンニとレポレロはスーツを着ています。可笑しいのは、ドンナ・エルヴィラがシスター姿な点。ぞの姿で、まだ、ドンジョバンニを切り捨てることができないでいます。コムタンは、歩行のための補助器具の世話になり出てきて、ドンジョバンニに殺られてしまいました。これって、何かの伏線? 楽しみは、まだまだ、これからです。


2020年 7月 16日(木)午前 7時 25分

 今週は、月火と連続で出かけ、昨日は、ホッと一休み。出かけるということが、えらくエネルギーを使うものと、この2日間で思ってしまいました。コロナの前、若干、ペースは落としてはいましたが、週の内何日も出かけていて、感じたこともなかったことを、この2日間で感じてしまいました。余りにも長い期間、毎日同じペースで動いてきたものですから、それを崩すのが、気分的にしんどいというのがあるのですね。あれができなくなる、これもダメかも、これが、不安を生んでしまいます。また、決まって、同じ時間帯にしていたことを、外せないものだと他の時間帯に回さねばならない。となると、また移動先も動かすか、止めるかにしなくてはならない、これが落ち着きを悪くします。何か、専業主婦の人たちに、家に根を生やしたように、特に出かけることを良しとしないケースがあるっていうのは、この感じなんだなと思えるようになりました。外に出て、いろんなことをすれば、もっとおもしろいはずという方が勝手な妄想だという場合があることを知りました。これは、いい勉強になったぞの気分です。しかし、月曜日の夜に出かけ、すぐに火曜日の朝、メトロポリタンのライブビューイングを観る日に当てて、正解でした。昨日は、辛うじて、日に2回のウォーキングをすることができたからです。辛うじてと言うのは、夕方のウォーキングの最中に、霧雨のような雨に遭ってしまったからです。しかも、家から一番離れた地点で。おまけに、最初は濡れても影響なし的な降りだったもので、ショートカットできるのにしないで歩き、結局は、降りが強くなってしまい、もうグショグショ。家に戻ると、着替えに走らねばならない状態、ズボンは物干しへ。あれほどまで、ウォーキング途中に濡れねずみになったっての、最近はなかったというほどのひどさでした。
 オペラ配信では、グラインドボーンの「ビリーバッド」を観終わりました。ただ、不条理劇なもので、続けて観る忍耐力が要ります。黄紺は、このオペラ、1時間が限度だったもので、2回に分けて、残っていたところを観ることになりました。時代は、フランス革命の最中に起こった英仏戦争時となっています。この場合だと、イギリスは、自身は革命を経験していながら、革命の輸出を嫌っています。それが背景にあります。そのフランス革命の標語らしき名を持つ船から乗り移って来た男ビリーバッド、それだけで嫌われ、仕組まれた罪を被せられていきます。ビリーバッドのキャラを、この上なくいい人に設定してあるのも、この不条理な扱いを引き立たせるためなんでしょうね。観ていて、余計に気を重くさせてしまいます。この作品にあざとさを看るなら、この点ですね。更に、物語のポイントとして、ビリーバッドを吃音としています。船長から問いただされたとき、興奮したビリーバッドは、吃音のため、うまく言葉が出ず、追い込まれていき、思わず、目の前にいたウソの告発をした男、即ち、ウソを仕組んだ男を殴り殺してしまうという展開。船内で直ちに裁判となり、死刑判決、そして、処刑という流れ、です。これじゃ、気が重くなります。また、ブリテンの音楽がきつい。不条理を表すに、うまくできているからです。今回、「ビリーバッド」を、初めて観ることになりました。ドイツでのオペラ紀行のために、各劇場のラインナップをチェックしていると、たまに、このオペラを見かけることがあり、気になっていたこともあり、しかも、グラインドボーンと言えば、年に1本だけ、オペラを取り上げます。毎年、質の高いプロダクションを世に出し、DVD化も多い音楽祭、そこで取り上げられた、その一点でも、そそられてしまいました。初めての作品ということもあり、事前に梗概をチェックすると、「ピーター・グライムス」のテイストだったもので、端から気が重かったのですが、きつかったなぁ、正直言って。今後、オペラ紀行再開が可能となっても、スルーしてしまうでしょうね。そうそう、このオペラ、男性だけのオペラ、です。女性だけというのは知ってましたが、男性だけというのはあったかなぁ、あっても、すぐには思い出せませんでした。さすが、ブリテンという突っ込みは、許されるのでしょうか。この配信、冒頭に、簡単な解説が付いており、そこでも称賛していたのは、装置。確かに、船腹を再現したもので、見事な装置、黄紺も、MCの方同様に思いました。


2020年 7月 15日(水)午前 7時 35分

 昨日もお出かけの日。別に昨日でなくても良かったのですが、木曜日までのどこかで、雨で悩まされそうな日ということでのチョイス。メトロポリタンのライブビューイングに行ってまいりました。今季最後の演目です。これ以後は、コロナでキャンセルになったことで、自動的にライブビューイングはないとなったのです。それどころか、メトロポリタン歌劇場の公演は、今年いっぱいがキャンセルです。で、昨日の演目は「さまよえるオランダ人」(フランソワ・ジラール演出)。プレミアだったこと、それに、アニヤ・カンペがメトロポリタン初登場ということで、期待の一番というところでした。そのキャストは、次のようなものでした。(オランダ人)エフゲニー・ニキティン、(ゼンタ)アニヤ・カンペ、(ダーラント)フランツ・ヨーゼフ=ゼーリヒ、(エリック)セルゲイ・スコロホドフ、(マリー)藤村実穂子、(船の舵手)デイヴィッド・ポルティッヨ、これらに加えて、ワレリー・ゲルギエフ指揮という売りまで付いているというものでした。フランソワ・ジラールは、メトロポリタンでは「パルジファル」の新演出を手がけた人。DVDを持っているので観てはいるのですが、「パルジファル」をDVDで観ようというときには、ほとんど選ばないというもの。あまりに忌避していたため、ちょっと気が引け、久しぶりに観てみると、存外、忌避するほどではないなの印象を持ったなんてことがあったもので、ちーとは期待を持つべきかなという感じで臨みました。「アグリッピーナ」を観たとき、この「オランダ人」には休憩がないためか、主役2人へのインタビューをやってくれたのですが、その中で、アニヤ・カンペが「アメリカ的」と言ったのが、黄紺の関心を、一層、前向きにしてくれました。その言葉の解釈を、黄紺は、アニヤ・カンペ自身が「歌ったことがある」と言っていたコンヴィチュニーやホモキのプロダクションとは違い、「ヴィジュアル的にショーアップされたもの」と理解したもので、「それはそれで楽しみ」と思い、この上映に臨みました。結論を先に書くと、確かにヴィジュアル的におもしろいというか、工夫があるなとは思ったのですが、ちょっとした小手先のことという範囲の問題で、総体としては、平凡な、解りやすいもの、そんなところでした。おもしろいなと思わせられたのは、真ん中の部分。「糸車の歌」からのヒントでしょうか、舞台前面に、上から等間隔にローブが吊るされ、それを、揺らしたり、絡ませたりして、様々な意匠を見せてくれたこと。そのローブが吊るされたなか、「糸車の歌」にせよ、ゼンタやマリーが登場し、ダーラントがオランダ人を連れ帰り、ゼンタとの邂逅があるというもの。ローブの動きに工夫があり、それが、ヴィジュアル的に楽しめたというわけです。それ以外の場面もメモっておくことにします。前半と後半の冒頭は、同じ場面。舞台左サイドに巨大な船。ダーラントの船ですが、巨大さでは、ヴィースヴァーデンで観たミケル・ジケンマのプロダクションが圧巻でしたから、この程度では驚くことはなかったですね。オランダ人の船は、終始出てきません。オランダ人の出は、舞台右部分に、照明の工夫で暗闇から現れたの雰囲気。ホント、昔に比べて、照明のテクニックの進歩には凄いものがあるものですから、こないな工夫では驚きも何もしないですね。逆に終盤、エリックが出てくると、巨大な船ははけ、コーラスの人たちが集まり、オランダ人は、その中に消え、それで、オランダ人はおしまい。出帆したということになります。追いかけるゼンタも、コーラスの人たちに囲まれ、一旦、姿が消えるのですが、中央奥で、即ち、群がるコーラスの人たちの向こう側で、体を持ち上げられたかと思うと、背後に倒れ込み、あとはコーラスの人たちの群がりが残るというもの。それら以外の特徴は、ホリゾントが、全面スクリーンになっており、一貫して、巨大な眼が映されているのですが、終盤、オランダ人が消えるところで、その瞼が閉じると、荒れる海の映像に。そして、ゼンタの背後への倒れ込みがあると、徐々に平穏な海に変わり、幕となりました。その映像には、オランダ人の船は出てこずでしたから、終始、オランダ人の船は出てこずとなるのです。細かく書くと、オランダ人の救いを、流れとしては、ゼンタとの関係は出ていても、また、平穏な海で感じられはしましたが、オランダ人の船、いや、オランダ人がどのようになることで救われたのかは、ヴィジュアル的に見せるものではありませんでした。言わずもがなということなのか、そこまでのことを考慮に入れてないのか、その判定も、このプロダクションでは把握できませんでした。歌手陣は、もう、アニヤ・カンペが圧巻です。それは、生で聴いているので判っているのですが、僅かに甘さのある透明度の高い声質、これは、ベルリンで聴いたときには感じなかったもの。そのため、そのベルリンで聴いた以上の素晴らしさを感じてしまいました。はっきりとグレードアップを感じさせました。正に旬の歌手です。エフゲニー・ニキティンは、「パルジファル」ではクリングゾールを歌ってたんですね。この人は、良くない方にイメージが変わりました。中音域がフレーズの終わりに来ると、何やら汚い発音になるのが、気になって気になって、でした。ダーラントのフランツ・ヨーゼフ=ゼーリヒは、ほんまもんのバス、今や、そういった声を聴いただけで、拍手をしたくなります。 でもね、このダーラント役は、マッティ・サルミネンが散らついてしまい、いけません。ボケたようなしたたかさというか、ボケてしまってて金しか見えてない雰囲気のマッティ・サルミネン、これが、どうしても散らつくと、比較しちゃうんだなぁ、、、。この公演、収録予定日が、コロナでキャンセルになり、その予定日の一つ前の公演だそうです。収録日は3/10と出てました。黄紺が、ミュンスターで五嶋みどりの演奏を聴いてた日です。その翌日がメルケル演説の日ですから、コロナきわきわの公演ですね。トリノ在住のアニヤ・カンペ、ロンドン在住の藤村美穂子ら、急なるキャンセルで、帰るの大丈夫だったのかなんて、余計なことも考えさせられました。そんなで、メトロポリタンのライブビューイングを楽しんだ日だったのですが、これは、もう午後1時前には終わってましたから、いつものウォーキングは、昼前のものをカットしただけ。夕方は、雨が止んでたこともあり、通常通りのウォーキングができました。僅かに空いた時間を捉え、オペラ配信も少しだけ、堪能。新たにグラインドボーンの「ビリーバッド」(ミカエル・グランディッジ演出)を観ています。ブリテンものの不条理劇です。「ピーター・グライムス」同様、観ていると、気が重くなり、体が拒否反応を示し、居眠りばかりしてしまい、なかなか前に進んでいません。


2020年 7月 14日(火)午前 8時 8分

 昨日も、朝から雨。早朝は止んでたのですが、人が動き出す時間帯には、きっちり雨。夕方から出かけるということもあり、昼間は、買い物を含めた家の用事に外出しただけ。30分ほどですが、辛うじて昼寝ができたかな。そんなで、昨日のハイライトは、落語会に行ったのです。ほんの数日前、紅雀のツイッターで、偶然に見つけた落語会「第14回しがらくご」(於:スカイプラザ浜大津)に行ってまいりました。コロナ騒動で、一切の落語会、講談会を断っていましたから、ホント、久しぶり。落語会の名前からも判るように、滋賀県は浜大津での落語会。好メンバーということもあったのですが、何よりも、大津で落語会に行けるというのが、嬉しかったのです。紅雀が滋賀県出身ですから、ブッキングをしているからでしょうね、彼のツイッターで見つけることができたというのは。その番組は、次のようなものでした。二乗「強情灸」、歌之助「野崎詣り」、そうば「必殺仕分人」、紅雀「天神山」。皆さん、マクラでは、それなりの休業期間中の過ごし方など、コロナ絡みのお話が出てきました。いつもなら、被るということで、意図的に避けるものですが、当分は、聴く方も、この話題が出ないと、しっくりと来ないのじゃないでしょうか。二乗は、人に合わないのではと、初めて聴いたときには思った、ざこば組お得意のネタを出しました。関口のご隠居が出てきましたから、ざこば組の誰かからもらったものと思われます。以前に聴いた記憶に比べ、強がる男が大きく感じたものですから、確実に進化させているなの実感を持つことがですました。ですから、前後半ともに、バランスが良くなったなの印象です。歌之助の「野崎詣り」は、以前、どこで聴いたまで記憶に残っている佳品。登場人物が、単に描かれているというよりか、生きてるんだなぁ。今回も、そう思いました。雀三郎からもらったのではと思える所作が入ります。もちろん、春団治ヴァージョンではカットされるシーンが入ります。春団治の割愛のセンスの良さを感じるとともに、春を伝えるシーンの割愛の勿体なさを感じるところですが、歌之助の口演には入っています。春の朗らかさを伝えるに十分だったと思える口演で、これに接すると、歌之助の実力を再評価せずにはおれない逸品です。そうばは自作。大ネタを前に、閑話休題というところでしょうか。世の中の要不要を切り口に、世情を探るおもしろさがあります。聴くたびに、もっと新作を手がければいいのにと、思ってしまってます。トリは大ネタ。黄紺的には、まだ聴いてなかったため、本日の大目玉。ですが、かなり期待を裏切られたというところなんですが、期待が大きかった反動もあるかもしれません。自分なりのテキストいじり、それに棹をさすつもりはありません。でも、キャラいじりになるんかなぁ、待ったをかけたくなってしまうところがあったのです。へんちきに、へんちきさを感じないというか、その辺のアホなおっさん、いやお兄さんって感じだったなぁ。一心寺で墓見をして、ぐでぐでになったら、おもしろくない、単なる酒飲みの、アホなおっさん、お兄さんになってしまう。拳も省いてたしと、それでも、へんちきさを出し損ねてたと思いました。そないな調子では、春の明るさ、陽気、ましてや温もりは出てこないです。そう思いながら聴いていたためか、安兵衛が狐に出逢う辺りで居眠りをしてしまってました。体が反応です。紅雀に肩透かしを食った証しになったようです。「不動坊」は絶品と思っているもので、「天神山」も、何か残してくれないかの期待を持ちながらだったのでしたが、、、。コロナ騒動後、初めての落語会、混み合っていたら入らないつもりで出かけたのですが、こないだの「アグリッピーナ」のときのように、人の入りは、制限を設けなくても、いい感じのソーシャルディスタンス、安心して落語を聴くことができました。このメンバーで、この入りは、ちょっと寂しいのですが、今のご時世では、ありがたい入りですね。誰かがマクラで言ってましたが、コロナと関係なく、入りはこないなものだそうです。但し、笑いを取る手だったかもしれませんが。


2020年 7月 13日(月)午前 6時 48分

 昨日は、久しぶりに、ほとんど雨が降らなかった一日。全く普通の一日。こう雨が続くと、もう、それだけで嬉しいものがあります。となると、何も気にしないで、ルーティンを行うだけと思ってたら、夕方、ウォーキングに出かけようとすると、霧雨のようなものが。雨と言えば、これだけだったのですが、「今日は降らない」と決めつけて出かけると、あっさりと止み、ウォーキングは思い通りに実行することができました。最近開発した新コースは、なかなかのもの。「ブラタモリ」のロケ地になったところの近くなもので、今度、その場所を、ピンポイントで特定するために、その新コースを、更にグレードアップをすることを考えています。そんなですから、ウォーキング途中の読書も、堪能。今、再び、宗教改革絡みに戻っています。少し土台となるものを読んだかなと思い、頑張って、神学の専門の人が書いたものを読んでいますが、はっきり言って、おもしろくない。神学が、です。でも、そういった本に、手を出さないと、ミュンツァーやカールシュタットという改革者のこと書いたものって、そうはないものだから、歴史の部分をいただくつもりで、読んでいます。こんなの読んでいると、やはり、エアフルトで行けてない博物館に行かなくっちゃの気になってしまいますね。前まで行って、時間の関係で、「また、今度」としてから、行ってないんだよね。エアフルトには行っていながら。ツヴィッカウの改革者という、宗教改革では先鋭的な集団がいたのが、何度となく出てくるのを読むと、「ツヴィッカウかぁ」と、ケムニッツに行くときは、「いつも1泊だから、行けないんだなぁ」と、こちらも、残念感がかぶります。「アルテンブルクからも行きやすいんだけど」「そのアルテンブルクにすら行けてないやん」と、妄想ごっこ、です。テュービンゲンからザクセンに入っているか否か、際どい地域のお話です。なんか、もうドイツに行くってことはないのかなと思い始めています。毎年でしたら、年末や翌春のスケジュールを決めるための、歌劇場の公演リスト作成も出来上がりつつあるのですが、不透明感が強く、また、こちらの気持ちの問題もあり、4月頃には始めていた作業も、少し手がけただけで、放置したままです。ウォーキングしなかわら、昨日は、「してないなぁ」と頭にちらついたのですが、だからと言って、「じゃ、やろう」にならないのが、今日この頃なんだよね。やはり、コロナは憂鬱の種を撒き散らしているということです。
 昨日は、オペラ配信、堪能の日です。まるまる1本、観たものですから。単に、タイミングが合い、1日1本となったというだけなんですが。コヴェントガーデンの「ボエーム」(リチャード・ジョーンズ演出)でした。リチャード・ジョーンズものが続いたのは、単なる偶然。グラインドボーンやコヴェントガーデンの配信は、その期間が短いですので、こちらが観る日にちに、ほとんど選択肢がないからなのです。このプロダクションは、DVD化されているので、わざわざ観なくてもいいのですが、この配信のキャストが、頗る付きのいいメンバー。ミミにニコレ・カー、ロドルフォにマイケル・ファビアーノ、マルチェルロにクヴィエチェンと、まあ、何と豪華なんでしょう。黄紺的には、マイケル・ファビアーノだけが生体験ありで、クヴィエチェンには、ワルシャワでそっぽを向かれ、ニコレ・カーは、先日観たムーンウォークをするミミで、自分的マイブームになってしまった方と、それぞれ語りたいこと、いっぱいの歌手陣です。ニコレ・カーが、パリの配信版より若く、いや若すぎるくらい溌剌としていました。そこまでの溌剌感は、パリのプロダクションではなかったのですが、逆に病持ちのミミ、でも、妄想の中に現れ、ムーンウォークをするミミには、正に旬だったなぁ、あのプロダクション、DVDにならないかなぁ、あのミミは、ホント、何度となく観てみたい。こないだ、パリのプロダクションを観たあと、このプロダクションなら、絶対に、誰かが、ブログか何かに書いてると思い探したことがあり、また、昨日も、パリのプロダクションを思い出し、ネット上で探すと、また、違うブログで、あのプロダクションのことを書いてる人見つけたのですが、ダメだなぁ、いずれも、内容が貧困なのに、がっくり。黄紺の喜びを共有したいのに、それに応えてはもらえませんでした。コヴェントガーデンの配信を観ながら、パリの配信ばかりを思い出していた黄紺でした。グート様は、凄いわ!


2020年 7月 12日(日)午前 6時 8分

 まだ、雨は降り続けています。昨日などはましな方で、雨雲が通過するときだけ、雨が降り、風が吹いたって印象でした。 それを見定めての外出、と言っても、ルーティンとしてのウォーキング&読書にだけの外出だけですが、一応はできました。いずれも、雨に不安があったので、いつもの屋根ありの公園を含んだコース設定にしたものですから、日に2回、同じ公園に佇んだことになりました。ま、致し方ないですね。それにつけても、雨のおかげで、コロナのおかげで、変化のない日々が続きます。夜半になり、福井在住の高校時代の友人から、メールが入りました。メトロポリタンのライブビューイングの今季ラストとなる上映に入洛予定だったのですが、どうやら断念をするようです。前売りチケットを持っているのですが、京都まで出かけるのが、リスキーだと判断したようです。確かにね、黄紺が、大阪に出て行くのを躊躇している気持ちと同じなものですから、共感するとともに、今週、初めて大阪での講談会に出かけようかと思っていた気持ちに、影響を与えそうです。やはり、大阪まで往復する電車が、かなり高いハードルとなり、黄紺の前に立ち塞がりますね、今の状況を見ると。毎日、通勤、通学をしている人たちは、朝夕のラッシュを、どのように感じてるのかな、いや、怖いだろうなが、先行してしまいます。今週と来週は、お出かけを3回ずつ予定していたのですが、回数を減らすかもしれないですね。とりあえずは、福井の友人が来る予定だった、メトロポリタンのライブビューイングには行くことだけは決めています。黄紺も、前売りチケットを持っているからというのが1つ、もう一つは、先日、1回行っているので、様子が判っているので、ハイリスキー感が乏しいということがあります。いつものような混み方をしないため、いい感じのソーシャルディスタンスが確保されていたというのが、そのような気持ちにさせてくれています。そないなことを考えると、最近、トルコのヒュリエット紙を読んでいると、「密を避けよう」「Maske tak」キャンペーン的に、連日のように、その関係の映像&画像を流していますが、そういったものを観るにつけ、そこに現れてくる人たちの頭の中をほじくって見たくなるほど、ありえない状況です。日本でも、感染者に聴いたレポート記事などでも、同様のことを感じてしまいます。一方で声高に叫んでいる人たちがいる、マスコミも、いい悪いは別にして、騒ぎ立てている、だけど、自分で判断できない人たちがいる。プロ野球が観客を入れるということが解禁されたと言って、「早速」列をなして出かける、似た感じがしてしまいますね。リスキーだから止めていた、その止め金が外された途端に、リスキーじゃなくなるものじゃないと思うのですが。黒白ではないのに、黒白にしてしまってる、いや黒白すらも解ってない人がいる、それが社会なのですと言いたくはなるけど、、、。「With コロナ」って、ひょっとしたら、感覚をマヒさせること? 日本の責任者が、「もう自粛は嫌でしょ」と言ってましたが、確かに、マヒさせられたんだわ、みんなが。
 で、日々のオペラ配信、昨日で、グラインドボーンの「バラの騎士」、全部、観てしまいました。最後まで、なんとはなしに、安っぽさを感じさせられたプロダクション、リチャード・ジョーンズものしたが、ミュンヘンの「ホフマン」で観てますが、さほど印象に残ってなかったのですが、なんか、コンパクトなボックス型の舞台だったような記憶があるので、そうなると、そういった趣味のある演出家なのかもしれません。進行する物語とのコントラストをとる装置を、敢えて使っていく、そういったスタンスを採る演出家なのかもということです。ファニナルの邸宅の方がシックなイメージにしてあったのは、成り上がりのブルジョワ貴族風味を出そうとしていたのでしょう。その「成り上がり」度を強調する仕掛けが、正面に「ファニナル」と文字装飾が架けられていたことかな。歌手陣は、やはりケート・ロイヤルが秀逸。めっちゃ、マルシャリンのイメージ、ど真ん中のストライクです。オックスのラルス・ヴォルトも良く、懐かしいオットー・エーデルマンばりの歌唱を聴いた思い。天下一のすけべ親父の雰囲気がありあり。ゾフィーのテオドラ・ゲオルギューもまあまあとなると、問題は、小学生のオクタヴィアンと、見てくれが、あまりに紳士然としたファニナルのミヒャエル・クラウスかな。問題は、いずれも、見てくれになっちゃいました。


2020年 7月 11日(土)午前 6時 48分

 昨日も、まだ梅雨の真っ只中。でも、うまく雨を避けて、日に2回のウォーキングを行うことができました。最近、天気予報の中でも、雨雲レーダーを見ることにしています。すると、雨雲の位置を確認することができます。時間を操作すると、雨雲の予想される動きが判るので、それを操作しながら、外に出る計画を立てることにしています。昼前のウォーキングでは、まずしなければならないことがあったため、それを片付けてから、一旦荷物を置きに戻ってから、ウォーキング。だって、その雨雲レーダーだと、1時間もしない内に、近所は雨雲だらけ。でも、たいした降りにはならずじまい。夕方のウォーキングは、その雨雲レーダーで、時間のタイミングを計り、成功。雨が小降りになりそうな時間帯に合わせて、お出かけ準備。すると、雨雲レーダーの時間操作が的中。その時間少し前から、急激に雨脚が落ち、出かけようかという時間には、太陽まで出てきているという具合。これは、お役立ちです。こう雨が続くと、それに対応する術を見つけるものです。しかし、これだけ、梅雨っぽい梅雨って、なかなかあるものではないと思うほど、よく降ります。日に何度も、スマホが唸ります。地域の警戒情報で、集中豪雨や土砂災害の警戒を促すものです。ピンポイントでは来ないものですから、結構、これがうるさいですね。うちは、土砂災害が起こる環境ではなくとも、警戒を呼び掛けられてしまっています。
 そうこうしている内に、トルコ・リーグが、大詰めを迎えています。コロナ騒動で、日程が詰まったためか、今週は、週半ばにも、試合がありました。ここ2シーズン、優勝争いに絡みながら、終盤になり崩れたバシャックシェヒルが、今季は崩れません。逆に崩れたのがトラブゾン。いい陣容を誇りながら、ここに来て、勝ちきれない。引き分けが2つ出てしまい、あっという間に、バシャックシェヒルの後塵を拝することに。こうした終盤の思わぬ展開を見ると、この2年のバシャックシェヒルがそうだったように、メンタルな面があるのでしょうか。バシャックシェヒルは、ここに来て、デンバ・バが使えるってのが、大きいな。エディン・ヴィスチャという絶対的エースがいて、今や、トルコ代表の中核、イルファン・ジャン、マフムト・タクデミルがいる、それに、補強が当たる、うまい補強をします。フェネルでロートル扱いをされた2人の活躍を見ると、それはそれで、嬉しいものがあります。ハサン・アリも、バシャックシェヒルに行くのでしょうか。左サイドバックで悩んできたフェネルにせよ、ガラタサライにせよ、そもそもは、取れたはずのガエル・クリシーを取らなかったのが大きいのですからね。今や、ガエル・クリシーは、バシャックシェヒル成功のキーの一つになってますからね。ロビーニョも、まだ使えると看たら、さっさと取っちゃったしと、ホント、補強が上手い。てなことで、今や、バシャックシェヒルの初制覇は、時間の問題となってきています。
 コロナ情報の収集に加えて、そんなで、トルコ・サッカーの追っかけで、結構ハードな1週間でした。タイトに動かないと、時間がないという状態のところへ、雨が、勝手し放題に降るという構図という日々でしたというか、まだ、それが継続中だということですね。そないななかで、オペラ配信のために、時間を確保するのだから、なかなか根性が要ります。新たに観始めたのが、グラインドボーン音楽祭の「バラの騎士」(リチャード・ジョーンズ演出)。ゼンパーも、この時期、同じ「バラの騎士」を配信しているのですが、ともに短期間なものですから、一つを選ぼうと思い、グラインドボーンの方を選びました。ゼンパーの方は、生で観てるというのが、判断材料になりました。ケート・ロイヤルが、侯爵夫人を歌っています。この人、この役に、雰囲気持ってますね。いいマルシャリンです。その雰囲気に合わないというか、ケート・ロイヤルの位にそぐわないのが、タラ・エロートのオクタヴィアン。とってもいい声の持ち主なのですが、まるで小学生の雰囲気、これは、いけません。これでは、アブナイ嗜好の持ち主になってしまってます。も一つ、気に入らないのは、プロダクションの位負け。ケート・ロイヤルの位に負けています。グラインドボーンって、こうしたぬかったことはしない、そういった信頼のあるプロダクション、キャスティングを出してきた歴史を持ってきているはずなのにと思いますね。今のところ、1幕しか観てないので、そないな感想を持ってしまってるのかもしれませんが、、、。


2020年 7月 10日(金)午前 8時 14分

 昨日は、ほぼ雨が上がりました。曇天でしたが、雨でないのが嬉しい、簡単に、外に出れるっていうのが嬉しい。となると、ルーティンをこなす一日。そういった、いつもの一日が戻ってくるのって、ささやかだけど、嬉しいものがあります。でも、全く、雨が降らなかったわけではないので、きっちりじゃまされました。昼前のウォーキング、せっかく、屋外の普通の公園で読書をしていると、小雨にやられてしまった。でも、雲の動きが、あやしげな曇天だったので、いつもの屋根あり公園の近くに行ってたため、即、そちらへ移動。こうしたことを想定して、お出かけ前に、傘持ち、コースの選定にぬかりはなかったのでした。夕方も、同様のスタンス。もう一つ、押さえてある屋根あり公園へ。雨、雨、雨、です。一つだけいいのは、気温が、さほど上がらないこと、ですね。
 そないな一日、コロナで、いろいろとありました。東京で、200人超えになりましたね。来るものが来たという感じです。一時、ゼロの日が続いていた京都も、連日、感染者が出ています。ましてや、大阪は、です。今月の後半、あるオケの定期演奏会が、コロナ対応で開かれるというので、チケットがあったこともあり行くことにしたのを、後悔しだしています。さっさと払い戻し手続きをしておくべきだった、後の祭りとなってしまっています。日本では、補償問題があるから、何もしないのでしょうか。補償がなかったら、どうなるか、その現実を見た思いをしたのが、タイ系Youtube(在バンコク)を観たとき。ロックダウン解除後の、バンコクのアラブ人街の惨状でした。表通りには、若干、ケバブ屋は残ってんだけど、路地に入ると、総崩れに等しい。当然、周りにある衣料品店やコンビニも閉鎖。タイは、セブンイレブンが多いのですが、セブンイレブンの残骸は、目も当てられたものではありませんでした。廃墟でした。今度、バンコクに行ったときは、絶対にと思ってたスポットだけに、衝撃が大き過ぎたな、あれは。タイの補償についての施策を知らないので、関連づけて書いてしまってますが、何らの措置があれば、あすこまでの惨状にはならなかったとは思ってしまいます。イギリスは、期間限定で、消費税率を、大幅ダウンさせましたね。これ、解りやすい施策ですが、財政の大幅減に関する提示、国民の理解って、どうなってるのか、点検しなくてはと思っています。トルコでは、最近、ようやく詳細なデータが出始めています。一昨日の夜、やたら詳しいデータを、保健省長官が出しているものですから、久しぶりに、保健省のウェブサイトにアクセスしてみました。コロナの基本情報、予防法など、ベーシックな情報と、毎日、長官の出す数字は、以前から掲載されていて、データボックス的なページにリンクは貼ってあるのだけれど、実際にクリックすると、リンク先には飛ばなかったのが、昨日は飛んだので、びっくり。すると、アルシーヴが出来上がっているのに、更に、びっくり。日単位、週単位での報告書形式でのPDFファイルが掲載されていました。が、量は、日単位のものが、約1週間分、週単位のものが、2回分、即ち、一昨日発表分と前回分が出ていたってことから、日に換算すると、約1週間ですね。それで、判りました。週間情報を発表する長官の記者会見で、やたら、県単位でのデータが出るようになったなの印象を、最近持つようになっていることと、見事に符号します。それまでは、発表分として作ってなかった、長官も持ってなかった、内々には、作っていたとは思いますが、どこからかブレーキがかかっていた、ないしは、データそのものを出していなかった、、、さすがに、これはないだろうと思いたいですがね。毎日、統計を出していたわけですから、都市別のデータくらいは持っていないわけがないし、となると、持っていて出さないメリットってとなると考えられるのは、施策の整合性に問題があるときじゃないかと思い、データを眺めていて、1つのことが気になり出しました。トルコでは、ラマザン・バイラムあたりから、週末、ロックダウンといった措置などを執ってきてましたが、あれって、全県で実施する必要性ってあったのかなぁと思い出しています。トルコは広い国土だし、都市間が詰まってるなの印象を持つのは、イスタンブルからコジェリ、頑張って拡げてもサカルヤまで、ここは外せない。アダナ&メルシン界隈、黒海中部~東岸くらいだし、こうした密なる地域と、大都市地域と、それに連なる地域くらいでしょう。そうしたロックダウンという措置の必要な地域が、データで裏打ちされていたため、出さなかったのかなと思っています。要するに、不要な地域にまでロックダウン措置を執ったということであり、あの時期の、大統領府から出る、国民こぞっての雰囲気を思い出すと、かなり政治的な思惑が見えてきてしまってます。
 かなり、このデータを読むのに、時間を奪われてしまったので、オペラ配信は、「ルサルカ」の後半部だけとなりました。で、終始、このプロダクションは一貫してました。結局、オペラとバレエの同時展開というものでした。相互の領域を持ち、且つ、歌手とダンサーを絡めることで、1つの作品として仕上げるという着想です。その手法そのものがそうだったのか、また、実際の演出がそうだったのかは、判断しかねていますが、総体としては、楽しくなかったですね。同じような場面が延々と続いているだけという印象で、ドラマを感じないものだから、正直言って、退屈で、、、。半ばで、そうと知れた感があったものですから、よくぞ、最後まで観たな、いやいや、かなり居眠りをしながらのものとなってしまってました。ダメと思ったら、半ばで切り上げるという選択肢を持たねばなりませんね。


2020年 7月 9日(木)午前 5時 44分

 昨日は、全日雨の予報だったのが、朝から雨が降ってない。世間では、大雨の様子、水害が報じられているのに、変な感じでいると、何と運の悪い、夕方のウォーキングの最中に、いきなり強い雨が降り出し、ホントに困ってしまいました。雨雲レーダーだと、近くに雨雲はあるけど、南の方を通ると予想していたのが、見事に外れてしまいました。念のために傘を持って出てたので、助かりました。出るときは、傘をどうするかを考える程度だったのですから、その雨のえげつなさって、あったものではありませんでした。あまりにも、雨脚が凄まじいので、しばし、屋根ありの神社の休憩所で避難をしなければならないほどでした。こりゃ、山崩れやなんなりという被害が出ます、そんなのを、生体験をした思いがしました。それまでは、ごく普通の曇り空だったもので、昼前は、普通にウォーキング。最近開発した新しいコースを定番化できるか否かは、コース途中に、トイレ付き公園があるか否かにかかっているので、その確認をすると、ばっちし、見つけました。屋根あり休憩所なんて、ありがたいものまで、途中に見つけました。そないなのんびりとした一日が過ぎていくものと思っていたのが、とんでもないどんでん返し。でも、もう一つ、どんでん返しがありました。神社の休憩所で待つこと30分、なかなか雨脚が劣らないなか、ちょっとましになったかと思い、休憩所を出ると、たちまち小降りに。家に着く頃には、傘をたたんでいました。何だったのでしょうか、あのえぐい降りは。運の悪いタイミングで、ウォーキングに出かけ、たまたま、運良く、家にたどり着いたということですね。
 そないな一日、昨日も、オペラ配信を楽しみました。新たに、フランダース歌劇場(アントウエルペン)の「ルサルカ」(アラン・ルシアン・オーエン演出)です。前回がヤナーチェクものでしたから、チェコの作品が2つ続いてしまいましたが、曲想が、全く違うものですから、これもありかなというところでのチョイスです。二重の回り舞台を使い、その上に乗るものは、現代彫刻かというオブジェらしきもの。それが、二重の回り舞台により、重なったり、隙間が舞台になったりして、なかなか遊べるスタイルです。これが1つの特徴。もう一つは、常にバレエが重なっているという点ですね。ルサルカ役、王子役のダンサーがいますから、歌手とダンサーとの絡みというものが、話の進行に絡み合います。全進行に、ここまで、バレエが絡んだというプロダクションは、観たことないですね。この手のプロダクションと言えば、サーシャ・ヴァルツを、いつも思い出しますが、黄紺の観た「タンホイザー」(ベルリン国立歌劇場)とて、これほどではありませんでした。黄紺が観るのが、たまたま、そうであるのかもしれないのですが、フランダース歌劇場のプロダクションって、好みとは別に、進取の気に富んだのが多く、毎回、刺激を受けています。


2020年 7月 8日(水)午前 7時 41分

 昨日は、復帰第2戦、当初は、昨日のお出かけが初戦になるはずだったのですが、日曜日に行った講演会が横入りしてしまったため、初戦の栄誉を譲ってしまいました。その昨日のお出かけは、メトロポリタンのライブビューイング。コロナの自粛が始まる際どいときに上映されたもので、行く気にはなれず、パスした演目を、再び上映してくれることになり、その1つ、ヘンデルの「アグリッピーナ」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)に行ってまいりました。いつも、福井から観に来る高校時代の友人は、1週間ほど前にキャンセル。コロナ関連のキャンセルではないようです。コロナで打ちきりになったシーズンの演目としては、黄紺的には目玉と考えていたプロダクション。上演機会は稀な作品、いい演出家に歌手陣ときては、外すわけにはいかない作品でした。まず、歌手陣からメモを入れておくと、次のようになります。ジョイス・ディドナート(アグリッピーナ)、ケイト・リンジー(ネローネ)、イェスティン・デイヴィーズ(オットーネ)、ブレンダ・レイ(ポッペア)、マシュー・ローズ(クラウディオ)、そして、ハリー・ビケット指揮となっていました。デイヴィッド・マクヴィカーのヘンデルと言えば、メトロポリタンも買ったグラインドボーンの「ジュリオ・チェザーレ」が、即、思い出されますが、最近のデイヴィッド・マクヴィカーものは、時代考証に凝りに凝った豪華な舞台といったプロダクションばかりを観てきているものですから、あの「ジュリオ・チェザーレ」の楽しさ、感動はあるのだろうかと、若干、疑心暗鬼。でも、大丈夫でした。開演前に、ちらりと見えた装置で、安心しました。ローマ皇帝位を巡る争い、それが物語の核心ですから、それを表す長い階段の付いた高い玉座が使われたのですが、そういったデフォルメした、しかも象徴性のある装置が使われていれば、安心なのです。コミカルで、コミカルでといったテイストが、ばっちり、あの「ジュリオ・チェザーレ」の楽しさが蘇りました。三重だったかな、横スライドを使い、ローマの建物を思わせる装置が、左右から顔を出しはしていますが、衣装や、2幕序盤の、ポッペイアのアリアが連続的にある場面はパブの装置が用意されていたりと、現代に設定されていました。極めつけはネロのキャラ設定。完全に半ぐれキャラ。また、それを、ケイト・リンジーが、めっちゃ上手く見せるものですから、最高の見せどころ。そして、歌手のダンスという、「ジュリオ・チェザーレ」でも目立った演出が、この作品でも2箇所、用意されていました。1つは、バックダンサー付きで、オットーネが見せるもの、もう一つは、ダンスというよりは、正確に書けば筋トレ的なハードワークをしながら歌うというもの。片腕で全体重を支えながら歌うというシーンまで用意されていましたから、観ている方はハラハラ、だって、ネロのアリアだったのですから。ネロのアリアでは、もう一つ、凄いのがありました。皇帝位を狙う野望を歌うアリアが、なんと薬物を吸引しながら歌うというもので、激しい動きはダンスシーンに匹敵するものでした。キャラ付けというか、物語自体がそうなわけですが、アグリッピーナを歌ったジョイス・ディドナートは、幾多の舞台で見せた歌う役者ぶりが健在で、いいのは観る前から判っていたのですが、衣装、メイク、ヘアスタイルで、悪役ぶりが判るというものでしたから、ジョイス・ディドナートが、もう舞台に出たたけで、「悪役登場」の雰囲気を出してました。プロレス的センス、ですね。そして、嬉しかったことがあります。ブレンダ・レイを、メトロポリタンの舞台で歌う姿を観ることができたこと。この人、フランクフルトのアンサンブルにいた頃から観てきたもので、アンサンブルにいながら、ミュンヘンやベルリンにゲストで喚ばれ、人気が出てくると、お声がかかるものだから、アンサンブルを抜け、今度は、逆にフランクフルトにゲストで迎えられ、そんなのを知っているもののうえ、彼女はアメリカ人だから、メトロポリタンで歌うってことは、故郷の檜舞台に立ったことになります。正に、絵に描いたような、歌手のサクセスストーリーですが、それを眺めてきたぞの思いがあるものですから、完全に他の歌手を観る目とは違いましたね。「頑張れ」という応援の気持ちが入っちゃいました。また、このオペラでのポッペイアの役回りは凄い。MCのデヴォラ・ヴォイトが言ってました。「9つもアリアがある」、しかも、ブレンダ・レイが歌うってことは、いずれもコロラトゥールの技巧ものですから、ヘンデルもやってくれるものです。オットーネを歌ったイェスティン・デイヴィーズは、ちょっと爺さんキャラになってたけれど、1幕最後の「時間を止めた」(デヴォラ・ヴォイトの言葉)歌唱は、ホント、素晴らしく、更に、クラウディオ帝を歌ったマシュー・ローズは、絶滅危惧種のほんまもののバス。それだけではない、滑稽味のある素振りが見せますね。このように、振り替えってみれば、素敵なプロダクション、そのために集められた豪華メンバー、いやぁ、メトロポリタンですなぁ。収録が2/29と、クレジットに出ていました。際どいどころで上演があったのですね、でも、この公演が、こうした形で残ったことは喜ばねばならないと思います。
 実は、このライブビューイングに、昨日行こうとしたのは、全日雨の予報があったから。外に出てのウォーキングをしにくいならば、ライブビューイングに行こうじゃないかの発想でした。でも、昨日は、雨は、あまり降りませんでした。ならばと、映画館を出たあと、ミニウォーキング。更に、自宅に戻ってからも、夕方にはウォーキングと、普段ほどではなかったにせよ、ウォーキングを楽しむことができました。ついでに、屋外での読書も。替わりに、家でのオペラ配信はお休み。ま、ほぼ4時間のライブビューイングを観た日ですから、それは、仕方ないですね。


2020年 7月 7日(火)午前 7時 3分

 昨日は、一転、雨の降り続いた一日。夜半になり、ちょっと止んだかなという感じでした。九州では、大変な災害が出ています。先日は、中国の重慶などで、大きな水害があったようで、その少し前には、トルコでも、そうした報道があったしと、このような雨、世界各地で見られるということは、やはり、地球温暖化と結びつけて考えてしまいますね。ドイツ系Youtube(在ベルリン)を観ていて、ドイツでも、九州の水害が報じられていたと聴きました。やはり、そこでも、地球温暖化という物言いで扱われていたようで、そうしたコンセプトを持ち観ているから、九州も取り上げられたのかなと思いました。トルコの水害報道を読んでいて、おかげで「sel」という単語を覚えてしまいました。トルコも、渇水期に入っているのに、水害ですから、やはり地球がおかしなことになっているという想像力が働いてしまいます。そう言えば、トルコ、コロナ禍のところへ、地震の多発、花火工場の爆発、それに、水害と、立て続けに災害が発生してますね。そないな雨の一日、雨の降り方を眺めながら、日に2回の傘さしウォーキングを敢行。正に、敢行です。先週は、家の改造があったので、あまり外には出ていないため、それが続くのが嫌なため、敢行なのです。でも、午前中は、雨脚がひどく、一旦諦め、家での読書に切り替えた途端に、雨音が変わったので、これなら、屋根のある公園での読書だと、急遽、ウォーキング。これは、いい判断で、いつもの屋根あり公園まで、わざと遠回りをして行くことに。到着して、しばらくは良かったのですが、徐々に、雨脚だけではなく、風も出てきた。いくら屋根があると言っても、公園ですから、吹きっさらし。しぶきがかかり出したため、これは無茶なことをしていることに気づきました。そないなことがあったため、夕方のウォーキングは、雨脚が落ちたと看ても、端から読書は排除。ところが、そうしたときって、屋根のある神社の休憩所の前を通るときに限り、少しだけなんだけど、それまでの雨脚よりおとなしくなってしまうものなんですね。しまったと思っても、後の祭りってやつでした。ま、そないなことに一喜一憂してるのですから、長閑な話です。
 そんな状態ですから、オペラ配信は、ばっちしでした。ボローニャ歌劇場の「イェヌーファ」を最後まで観ました。不思議なプロダクションでした。結局、1幕と3幕が、同じ装置。巨大な本の表紙のような装置、下の1/3がダンス・スペース、そこでは、機械仕掛けで動いているような振付でのダンスが、終始続き、最後の死んだ赤字の発覚の場面になると、ダンサーは、舞台最前面で、体をかがめての小さな動きに変わり、それまで、ダンサーのいたところに、歌手陣が入り込むという、前後逆転を見せてました。そして、この2つの幕と、間の2幕では、歌手陣の動きも違えるようにしてあったと思います。2幕は、ダンサーは出て来ないで、ダンサーの不思議なダンスを見せていたスペースに、イェヌーファの家内の装置が置かれ、衣装も日常的なもので、リアルな場面が続くのに対し、1&3幕では、民族衣装を着た歌手陣が、機械仕掛け的な動き、必要なときにだけスイッチが入り、そうでないときは動かない、そういったコンセプトで統一されていたと看ました。本の表紙的な装置の上2/3は、合唱の人たちのスペース。合唱の人たちが出てこないときは、スクリーンが下りていて、常に、アルフォンス・ミュシャ的な画像が映されていて、その画像が、少しずつパーツが動くというものでした。観ていながら、いろいろとイマジネーションを働かせてみたのですが、黄紺的には、民話というには、生々しいお話ですが、何やら昔から伝わるお話集めの本から飛び出して来た物語の披露、そういったコンセプトで、このプロダクションは統一されていたのかな、こないなことくらいしか、イマジネーションは働かなかったですね。この動画、ゲネプロを撮影したからか、カメラは、ずっと定点位置、フェードインもアウトもないので、歌手の表情とかが、全く判らないまま。このカメラは、きつい。動きが小さく、また、歌手陣のスペースが狭いもののうえ、動きを制限していたプロダクションだったため、やたら居眠りが出てしまい、もったいないと言えば、もったいないけれど、あのカメラはあかん、この動画だけは、それを言わせてもらっても許されるでしょう。


2020年 7月 6日(月)午前 7時 34分

 昨日は、コロナ騒動が大きくなって以後、初めてのお出かけ。この日が復帰戦になりそうとの感触を持つようになったのは、1ヶ月前のこと。京都府国際センターから、講演の案内をもらったときでした。当時は、俄には現実味がなかったのですが、実際に、その日が来てみると、いいタイミングです。一昨日も書いたように、大阪には行きにくい、そないなタイミングでの京都での催しですから、好都合なわけです。ましてや、ラッシュ時ではない時間帯に、往復できる、条件も絶妙です。キャンパスプラザで行われた講演会、「イタリアの移民とNPOの取り組み~ローマでの演劇を取り入れた活動を中心に~」というものでした。実際には、どのような人たちが集まられるか、全く判らないなか、単に、「ドイツのトルコ人」に関心を持つ黄紺としては、やはり、同様の「国境を越えた人の移動」をテーマに催しがあると惹かれてしまうのです。お話をされたのは、内山唯日さん。講師の紹介として、「イタリア出身、(一社)ナレッジキャピタル コミュニケーター、日本語教師」と記されていました。ただ、この講演会、「日本語ボランティア、国際交流協会職員、教育・行政関係者等 関心のある方ならどなたでも」と、参加資格的なもののハードルが凄く、申込みの際、「全く関係ない者が参加して大丈夫でしょうか」「難しいと思われたら遠慮なくお断り下さい」と付記しておきました。幸い、「ご心配なく」のレスをいただいたため、出かけることにしたというものでした。講演者は、わりかしお若い方かなと思っていたのですが、当たりでした。イタリアの大学から、中国の厦門大学の修士を出ておられるということで、お若いと言っても、限度がありますが、イタリア生まれ、日伊のハーフ、専門が中国関係と、半端ない国際性。あっさりと、そのキャリアやルーツから、移民や難民に目が行くわなと納得。まず、イタリアへの移民という大枠のお話。黄紺は、ここで、まず、具体的には、シリアから、北アフリカから、そういったルーツのお話になると、勝手に考えていたところ、出てきた国の名前を聞いて、頭が混乱。アジアが多い、バングラデシュやパキスタン、中国もわりかし多い、同じアフリカでも、エジプト人が話題の中に出てきましたが、あとは、サハラ以南、ブラック・アフリカばかり。これが、現実でした。後半の質疑応答で、実は、黄紺も、質問用紙に書いたのですが、やはり、イタリアは通過国という認識だそうです。EUは、それを見越してるのでしょうね、イタリアで難民申請が通っても、EU国内への移動は認めてないそうですが、行きたい国であるドイツなんかは、イタリアに比べると、難民申請が通りにくいため、一旦はイタリアに入り、違法と解りながら北を目指すというのが、よくあるケースだそうです。黄紺は、そういった北を目指す難民らしき集団を、セルビアで目の当たりにしたことがあります。ちょうど、セルビアからハンガリーへ抜けるのに、かなり規制がかかっているという時期だったものですから、セルビアに押し寄せていた時期だったと思います。元々、ドイツのトルコ人に関心があるところへ、あの光景を見ているため、どうしても、北を目指す人たち、言い換えれば、少しでも豊かさを希求する人たちがいるという認識を持っています。でも、そういった北の国では、難民申請が、かなり受け入れられるのが厳しくなっているそうで、まだ、緩いという印象のあるイタリアを目指す人たちが多くなるようです。そういった人たちに、言葉を教えたり、とりあえずの生活の地であるイタリア、そして、イタリアを通してヨーロッパの文化を知ってもらおう、そうすることで、新しい生活の地になじんでもらおうという活動をされている団体が、幾つもあるそうで、そこに加わり活動された経験をお話いただけたというわけでした。演劇を通じてという手法がおもしろかったですね。実際の芝居では、「オリンポスの神々」を取り上げられていましたが、その中に、ヨーロッパの文化、それを、自分たちの文化と比較検証し、文化の多様性を認識してもらったり、逆に、ネイティブの言語で、自己紹介を、役者にさせたりと、自分自身の生き方を検証させるようなエレメントが投げ込まれていたりと、芝居の持つ大きな力を、うまく活用されている姿に引き込まれてしまいました。また、芝居ですから、演じ、見せるわけですから、そこには、観客がいるわけで、その人たちへのインパクトを期待できるという効果もあるわけですから、この活動、ホント、素晴らしい。質問用紙にも、しっかりと書かせていただきました。ということは、黄紺にも理解可能だったということで、当初の不安は、全くの杞憂に終わったということでした。この催し、コロナ禍のなかで行われましたから、主催者は、かなりの気の使いよう。机の消毒、ソーシャルディスタンス確保の座席の配置、部屋の入口での検温、講師の前には透明の幕の設置、質問用紙を使っての質疑応答、ご苦労様でした。なお、キャンパスプラザの入口には、「京都市新型コロナあんしん追跡サービス」の案内が掲示されていたので、噂のやつだなということで、早速、URコードを読み取り、活用してみました。登録確認のメールには、「御登録いただきました日の施設の利用者等に新型コロナウイルス感染症の陽性者がおられた場合に、メールにてお知らせします」と記されていました。何もなければ、何も来ないわけですね。それは頼りないと思いながらも、実際、来てしまうと、びびりますね。そんな感じの、初めてのお出かけ、いいお天気でした。梅雨の合間の晴れ間、ホントの意味での五月晴れってやつですね。おかげで、帰りでは、電車を、家の最寄り駅よりは手前で降り、ウォーキング、ついでに買い物と、一石二鳥、いや、電車賃も安くなったので、一石三鳥ってやつでした。
 このお出かけは午後だったもので、午前中はオペラ配信を楽しんでいました。新たなオペラは、ボローニャ歌劇場の「イェヌーファ」(アルヴィス・ヘルマニス演出)。イタリアの歌劇場でのヤナーチェクという組み合わせに惹かれてのチョイスです。以前、ボローニャ歌劇場の配信で「ウェルテル」を観ていますが、いずれもイタリアものでないというのが、ちょっと可笑しいですね。その「ウェルテル」同様、この配信も、ゲネプロの映像。客も、しっかりと入っています。ただ、このプロダクションのコンセプトを掴みかねています。装置が本の表紙状で、そこに描かれている意匠や人が動いているとしているのではないかと、今のところ、看ているのですが、じゃ、その本はとなると、何か、それが思いつかないのです。本と見立てるのが間違っているのかもしれないし、いや、その見立ては正しくて、そこから先が判ってないだけか、その判断もできかねているという、無茶苦茶、気持ち悪い状態で観ている最中です。最後まで行って、黄紺的手掛かりを掴めるのでしょうか。でも、こんなことを考えながら、オペラを観るのが、一番楽しいんだよね。


2020年 7月 5日(日)午前 6時 39分

 昨日から、日常に戻りました。ごく普通の生活。但し、雨の日。ずーっと降ってたかのようですが、そうでもなかった。幸い、普段、ウォーキングに出かける時間帯に、雨が止んだり、小降りになったりで、普通に、いつものウォーキングができました。日に2回のウォーキングをしっかりと仕上げたのは、数日ぶりではないでしょうか。ただ、午前中だけしか、昨日は、ウォーキング途中の読書はできなかったな。雨が降ったり止んだり、止んでも、腰かけるところは、やはり、屋根のある公園2箇所と、神社の休憩所だけですから、うまくタイミングが合わないと、難しい。夕方のウォーキングでは、そういった地点にたどり着くまで、かなり歩いていたため、早い話が、ウォーキングの終盤にたどり着いたため、腰かけると、ちょっとした疲労で、ほっこりとしてしまったため、ゆっくりと読書の場合でないなと思っている内に、時間が経ってしまってました。だいたい、そういったときって、スマホいじりをしていて、噺家さん、ないしは、上方落語の好事家とおぼしき方のツイッターを見ていることが多いですね。そしたら、どなたかが「“ネタのたね”再開してる」と呟かれていたので、早速、確認。その呟きでも、「頭が下がる」的なことが書かれていましたが、黄紺も、全く同感。「中止」と追記されたものも多いですが、実際に開催されるものも散見できますね。まだ、黄紺的には、眺めるだけですね。やはり、まだ、大阪まで行く気がしないのです。こないだ、大津まで病院に行ったときの朝のラッシュ、怖かった。夜の落語会に行くと、「帰りがあれか」と思うと、ダメなんです。7月をメドに解禁かと、一応は考えていましたが、京都へのお出かけは解禁にします。実際、今日が、解禁日その日なのですが、大阪は二の足を踏んでいます。当初は、南華さんや南湖さんの会を解禁日にしょうかとは思ってたのですが、気分は後退気味です。特に、ここにきて、感染者が増えてますからね。黄紺などは、こういった書き方で明らかなように、例えば、「緊急事態宣言解除になった、さあ、出かけよう」とはならない人間です。様子見をする人ですね。でも、そうじゃない人って、世間にいっぱいです。テーマパークにせよ、落語会にせよ、待ち構えている人っていますね。「ここまで待ったんだから」までは、甲乙とも同じなんだけど、甲は「さあ、出かけよう」であり、乙は「もうちょっと待ってからにしよう」となるのでしょうね。楽観者と悲観者との違いですが、へたうつと、前者は粗忽者、後者はびびりとなるのでしょうが、黄紺は、コロナに関しては、後者です。こちらが、ドイツで感じた、世の中の動きの背中すら見えなかった、あの感覚を持った者に相応しいかなと思うのです。事の大きさを、どのタイミングで知ったか、また、その大きさが、どんだけのものかの認識で、言動が決まってきているなんてなことを、以前書いたのですが、現状を観る目でも、生かさなきゃと思ってるってことかな。
 日常が戻ると、オペラ配信のお世話になるのも復活です。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「ペレアスとメリザンド」(バリー・コスキー演出)を観ました。もちろん、バリー・コスキーものだからとのチョイスです。やはり、バリー・コスキーは、いろんな引き出しを持っています。アイデアが湯水の如く出てくる人です。このオペラは、ロイやチェルニアコフが、よく採る心理劇になっていました。舞台前方と後方が、横スライドに移動するようになっており、それに乗り、歌手陣の登場&退場が仕組まれており、装置は、奥に行くほど狭くなるように遠近感を、強く感じさせるもの。そのスペースが、かなり狭く取られていること、そして、その遠近感で、かなり強く閉塞感を出していました。ホモキの「ヴォツェック」で見せてくれた閉塞感に匹敵します。それに、ドビュッシーの何とも言えない音楽が重なるものですから、閉塞感は、より一層、高まります。家庭内の、逃げ場のない、どろどろ感、観ていると我慢できなくなります。それが身体に反応して、断続的に居眠り。観ながら、逃げてた、そないなところでした。続いてのチョイスも、同じく、どろどろとしたものですが、そのチョイスと、観る前にしている記録作成までなので、新しいオペラについては、また、次回にします。


2020年 7月 3日(金)午後 8時 14分

 今日は、工事の最終日。でも、雨が心配な日でした。というのも、家内の改造工事は、昨日で終わっていて、今日は、入口の修理をしてもらう日だった上に、工事終了ということで、預かってもらっている荷物が戻ってくる日でもあったのです。いずれにしても、雨が敵であったため、巡り合わせが悪いかと心配していました。何せ初日が、大雨で、その中をなんとか搬出をしてもらったものですから。すると、今回は、降ることは降ったのですが、午前中に終わった修理の時間帯は、ほんの小雨程度の降り、また、荷物の搬入も、それに障るほどの降りではありませんでした。そして、搬出のときは、荷造りもしながらということもあり、搬出そのものに、時間がかかったというのが、かなり堪えましたが、今日は、トラックの荷台に乗っている段ボール箱を家に放り込みさえすれば良かったので、雨は、ほぼ気にならなかったのではなかったかな。そんなで、終わりました。断捨離という準備期間が長かったため、この4日間は、あまりにも呆気なく過ぎて行ってしまいました。あとは、息子に言わせると、「梅雨が開けたら行くから」となっていますが、ベッドを購入&設営、空調設備の新調をすれば、第1期改造事業は終わりとなります。段ボール箱に詰めた書籍などは、必要なときに出し、また、段ボール箱に戻すようにしておけば、黄紺が亡くなったあと、後始末をするときは、その段ボール箱を、そのまま処分できるので、新たに本立てや家具の類いは買わないつもりをしています。見てくれは悪いのですが、段ボール箱は積んだまま状態がベストとの判断です。おかしなもので、一旦、断捨離を始めると、わりと中途で終わりたくない気分って出てくるものですね。ここまでは、部屋の改造という大きな目標があったので動いてきましたが、それが、いつの間にか、改造する部屋ばかりか、他の部屋の断捨離にも手を着けた結果、照明器具の付け替えもできたばかりか、2階の部屋を、この改造工事期間の生活場所にまですることができました。梅雨明けまで、ベッドの購入を先延ばしにしても、何ら不自由なことが起こらずにきました。そないなことに味をしめたからでしょうね、ねばならない箇所から、探し出してでも、断捨離をする気になりかけています。この気持ち、この梅雨でへたらなければいいのですがね。雨でもあり、自宅待機時間ばかりで、ウォーキングが、満足にできておらず、ちょっと太り気味のようでもあります。それだけが、ちょっと悲しいあるねという週だったですね。早くも、もう週末にさしかかっています。工事は呆気なく、時間もあっさりと過ぎて行っちゃいましたね、今週は。


2020年 7月 3日(金)午前 7時 51分

 昨日も、朝から大工さんが来られて、作業を継承。初日は、荷物の搬出&搬送作業があったので3人、大工作業は2人でやられていたのですが、2日目からは、細かな作業になるため、1人でされています。大工さん曰く、「1人でないとじゃまになるだけ」、確かに、狭い空間での作業ですから。昨日で、根太の上に貼りつける床板が、全部揃い、部屋の改造は完成。もう一つお願いしてある表の入口の修理作業を少しだけ手を着け、「これ以上すると中途半端なところで終わるので」と、時間のことを考え、翌日回しにした方が賢明だとの判断で、昨日の作業は打ち切られました。ちょうど昼頃には、施工業者の親方が観に来られ、進捗状況を確認、今日の夕方には、荷物を戻せることを告げて行かれました。そんなで、無事、家の改造は4日間で終わる予定となっています。そんなで、大工さんが帰られたのが、午後3時過ぎだったこともあり、夕方のウォーキングをすることができました。そのついでに、弟の家に寄り、家の改造話をひとしきり。黄紺が、トイレの修理に次いで、家の改造も、同じ業者さんにお願いしたこと、また、そのわけを話すと、弟も関心を示しました。依頼主の立場で話されるマインドに、弟もそそられたようで、何やらの修理を考えているところなので、相談してみようかと言っておりました。こうやって業者の方と話していると、その腕もさることながら、その「気」の大事さ、また、入っていただける大工さんだったら大工さんの「気」っていうのが、ホント、大きいなと思います。弟夫婦に、「大工さんも穏やかな人でなあ」と言うと、「ええ感じの親方のとこには、ええ感じの大工さんが集まると言うで」と言ってましたが、正に、そないな印象です。うまいことしたものです。こちらも、また、何かあると、お願いしようと思いますし、今回もそうでしたが、水道関係が本業の業者さんなので、うちではできないと言われたら、どこか、他の業者さんを教えてもらおうのつもりで電話をしましたしね。そんなで、この数ヶ月、息子に背中を押され、そして、手伝ってもらいながらの断捨離をしたゴールにたどり着けました。でも、今回の改造は、家全体の耐久性を考えると、第一歩かもしれません。各所が傷んできているのは、黄紺の身体だけではないので、ぼちぼちと改造をしていこうかと思っているところです。


2020年 7月 1日(水)午後 10時 9分

 今日は、朝から工事と病院がかち合ってしまった日。1年前に、救急車での搬送なんてことがあったため、手術を受けた病院で、1年後に様子を報告に行くという日になっていました。報告と言えば、まだ格好がつくのですが、去年、あまりにもの痛さに衝撃を受けた黄紺が頼るのは、その病院になってしまうため、コンタクトを残しておくことを求めたことに、医師が応じてくれたというわけでした。去年は、何も起こらなければよしの気持ちだったのですが、この1年の間に、ちょうど5ヶ月おきに、1年ほど前ほどではないにしても、大きな痛みを経験しましたから、それについての考え方を伺うというのが、自分的には大きいポイントかなの気持ちがありました。朝、目覚ましをかけ損ない、普段、目覚ましなんてものの世話にはならないで目が覚めるにも拘わらず、今日は、大失敗になる際どいところまで眠りながらも、際どくセーフ。無事、病院に行くことができました。この1年の報告をして、この間、とっても気になっていた手術直後から続く、強烈な肩凝りとこの間の痛みとの関係みたいなものを教えていただけたように思いました。医師の次の言葉は、今までになかったインパクトがありました。「手術をするとには、背骨から筋肉を剥がしますから」、聞いた瞬間、骨付きカルビがちらつきましたが、これは、外科の医師からすれば、当たり前の、ですから何気なく言われた言葉だったのでしょうが、こうしたストレートな表現をもらう方が、納得しやすいですね。単に「大変な手術だったから」、こないな後遺症ってあるものと納得させられるよりは、黄紺には、初めて、尋常でない肩凝りが四六時中続くことに、納得ができた気になりました。「頸骨の骨を外すのも強度を考えてやってるはずです」「でも加齢で骨が弱ると、、、」、これも解りやすい表現でした。脛椎のMR検査の画像では、「手術痕やその周囲はきれい」とも言われていました。去年は、細かく、不具合が起こりそうなところを探し、辛うじて可能性がありそうなところを解説していただけましたが、それとて、手術痕とは関係なく、骨格部分。もちろん、手術のために、骨格部分はいじられてはいますが、それは、その内部をいじるための入口。だから、手術と関係なくはないけれど、手術の原因になったところに、新たな支障が出てきてるわけではないのです。ということは、入口の骨格部分や剥がされた筋肉が、加齢のために変化を起こしていることが業をなしていることなのかなと、ようやく納得ができそうなお話を伺えたように思えました。こうも言われていました。「まだ5ヶ月おきなら、いいんじゃないですか」、ま、この状態が常態と認めることだということなのでしょう。痛み止めの薬も効いていることだしということです。一応、1年先の予約をしていただけましたが、更なる変が来なければ、これが、自分の人生だったのだと考える、もう十分に考えてはいましたが、それにおまけが付いていたのだと考えて行こうかと考えられるようになりました。
 一方、家の方ですが、黄紺が出かけている間に、業者の方は作業を始められていました。病院が思いの外早く終わったので、自宅近くの駅からウォーキングなどをしてから、家に戻ると、業者の方、そろそろお昼ご飯に出ようかと考えておられたタイミング、現場に目をやると、根太の上の板が9割がた張られていました。相変わらず、プロのお手並みに驚かされた黄紺です。今日は、夕方5時過ぎまでの作業、すっかり、黄紺は、昼寝をしてましたが、ずーっとの作業。昼寝は申し訳ない気分。最終的には、今日は、床材の半ば近くまで貼られて終わってました。でも、作業現場に、今日は、簡易テーブルも置くことができ、夕飯も、パソコン作業も、普段よりは楽にできています。だって、和室ではなくなっているのですから。この楽さは、ホント、待望のもの、今後、こういった形での生活ができるかと思うと、ちょっとバラ色気分です。


2020年 6月 30日(火)午後 6時 57分

 今日は雨、だというのに、工事の初日。一つの部屋を、和室から板の間にしようという工事です。それがまた、普段、生活の基本に使っている部屋だから、大変なこと。いや、その部屋が大変なことになっているから、工事に踏み切らねばならないと思い、まあ、10年は経ったでしょうね。直接には、息子に、思いっきり背中を押されたからなのですが、自分的にも、覚悟を決めていたのです。根太がいかれてしまい、ほとんどの箇所が、ふわふわ状態。人間一人が立つと、そのまま落ちてしまいそう、それでも、そうはなってないところを使い、騙し騙し使ってきたのですが、その部屋に、木造の、見るからに重い本箱があったため、それが沈み出したから、怖い。上下二重構造になっている本箱でしたが、上下の間に、雑誌を3冊入れて、しかも、上の本箱からは、一切、本を出して、ここ数年、耐えてきていたのが、もう限界と思えるようになってしまったのでした。そこへさして、去年7月に救急車で搬送されるということが起こり、和室での生活に、限界のはっきり見えたのを機に、息子に背中を押されたのでした。息子には、いろいろ条件を出したのですが、業者選びは、黄紺の手配が、予想以上の成果があったもので、結局、息子は、工事に入ってもらえるようにするための断捨離に、ずーっと付き合ってくれました。工事に入ってもらう部屋だけではなく、その部屋に入ってもらうためには、玄関、次の部屋と、少なくとも業者の方が仕事ができるようにしなければなりません。そんなのは序の口で、今、振り返ってみて、家内中の断捨離をしたからこそ、まだまだ残ってはいますが、ここまでの、最初からは考られない規模の断捨離をしたからこそ、今日の工事ができたのだと思います。息子に感謝です。実際、つい最近まで、工事期間中は、ホテル住まいだと思っていましたしね。2階の部屋を、生活の基本になる代替部屋にするということすら思い浮かばない、そないな状態だったのですから。断捨離って、凄い。古いものにこだわるのも大事だけど、それを絶ちきると、思いがけない変化を経験できるものなんですね。そういった勉強もさせてもらいました。人間、年齢が嵩むにつれ、身体の各パーツが傷んでいきます。パーツが傷む前に、一気に亡くなってしまう人もいますが、家も同じなんですね。一気に潰し、建て直すなんてことのできない人間は、パーツをいじりながら、延命させていかねばならないということなのでしょう。今日は、もう7時半を少し過ぎたあたりに、大工さんが到着。施工元の主人も、8時には到着。いつ倒れるか分からない本箱、及び、その前に置いてある座敷テーブル(上には重しの本が積んであった)の始末から始まりました。本箱の下部には、本が詰まったままで、手が着けられない状態だったのですが、大工さん二人で、なんとかしていただけました。見ているだけで、前に倒れてこないか不安だったのですが、大丈夫でした。上の本箱が下ろされて、ホント、こないな日が来るとはと、感無量。あとは、施工元の主人と、大工さん二人で、本を搬出、搬送、保管してもらう本は、施工元の倉庫に眠ることになりました。今回、何が嬉しかったかというと、施工元が、工事だけではなく、本箱、座敷テーブルの解体、搬出、搬送、産廃業者への処分引き渡し、これらを、全部していただけたことです。息子と打ち合わせていたときには、保管、搬出&搬送は、別業者への依頼を考えていたことを考えると、ホント、楽チンなことでした。捨てる本、残す本の仕分けが、滞りなく進み、それらの搬出が終わると、もう、あとはお任せ。何やら静かになったので、下に降りて行くと、すっかり当の部屋からは、ものが消え、地べたが丸出しになっていました。それまでに、本箱&座敷テーブルの解体&搬出、畳の搬出、根太の解体&処分、これらが、午前11時頃には終わっていたということでした。プロとは言え、鮮やか過ぎる手際です。古い根太は、跡形もなくなっていましたから、そこまでやってもらえるのだと、そのとき、初めて判ったのでしたが、確かに、外から帰って来られたトラックの荷台には、太いのから細いのまで3種類の材木が積まれていました。そこで、黄紺は、再び2階へ。パソコンが使えないので、スマホで、トルコ・コロナ情報を得ていると、知らぬ間にお昼寝。今日は、風邪をひかないかと思うほど涼しいので、2階でも、心地よく、お昼寝ができました。午後3時ちょっと過ぎに、大工さんから声がかかり、本日の予定終了が告げられ、現場を見て、びっくり。根太の大枠ができていました。プロとは言え、鮮やかなものでした。今日2回目の感心でした。明日の打ち合わせをして帰って行かれたのは、午後3時半前のことでした。今日は、雨だから、もう外に出ようという気にはなりはしなかったのですが、このくらいだと、夕方のウォーキングが、普通にできますね。そんなで、ずっと気になっていた工事ですが、潤沢に始まりました。根太を外しても、白蟻にやられているなんてこともなく、この不安も杞憂に終わり、正に潤沢です。今日からは、オペラ配信はお休みですので、高々、手持ちのDVDで、オペラは楽しむ程度かなと思ってはいたのですが、お昼寝のおかげで、その時間も取れずじまいでした。


2020年 6月 29日(月)午後 9時 37分

 明日から工事。今日は、その前の静けさというところでしょうか。既に準備は終わっているのですが、普段の生活用具をも、移動をさせねばならないので、直前に2階へ上げられるようにという、最終の整頓をしたくらいですね、今日は。そのことは、問題はないのですが、昨夜も、また、夜中に目が覚めてしまいました。これで、2日連続です。最近、なかったこれで、かなり憂鬱です。日曜日の夜だったので、また、サッカー中継を聴いていたら、時間が過ぎて行ったので、助かりはしたのですが、ちょっと嫌な展開。おまけに、お酒で、お腹が調子を崩しかけ状態になったもので、ダブルパンチですね。そういった意味で、あまりいい日だったとは言えない日です。明日、工事が入ると、黄紺宅のインターネットは有線なものだから、使えなくなる公算が高いのも、憂鬱材料。スマホだけが頼りの生活って、旅行以外ではないから、なじめるでしょうか。せっかく、今、トルコのコロナ状況を追いかけているのに、うまく続けられるのか、最初は、工事が入ると、ホテル住まいをするつもりだったもので、この辺のことは、深く考えてなかったのですが、家に留まるとなってから、パソコン欠乏症になりそうで、これも、憂鬱材料の1つ。ま、小さなことを気にかける器の小ささに呆れもしながら、日常が崩れるのに抵抗してしまってるんですね、結局は。
 今後数日は、オペラ配信は観れないだろうということで、「ポッペイアの戴冠」が終わったところで、次に観るのは決めたのですが、そこで切ることにしました。この公演を観ていて、キャラ付けには、いろいろあるのだということを知り、いい勉強になりました。ネロの妻オッターヴィアを、かなり強い意志を持った女性と描かれていたのが、新鮮でした。黄紺が、今まで観たことのあるプロダクションは、概ね、ネロに勝手放題された可哀想な奥方、思い詰め、追い詰められた結果、窮鼠猫を噛む的に、ポッペイア暗殺計画に走る女性、そういったイメージを植え付けられたように思ってましたが、この公演では、オッターヴィアは、かなり悪どい、意志の強さどころか、剛のもの的キャラで歌われていました。お前が、その気なら、こっちだってやってやろうじゃないか、そういった気概のある女性でした。ですから、よく生き延びたなという印象です。確かに、ネロが、自分の大きさを示すに、わざとらしさを喚起するには合うように思えました。そして、ポッペイアに華があり、キラキラしているとは見せようとしてないキャラ作りも気になりました。そういった歌手だったのかな、このポッペイアのキャラで、このオペラの進行が変わるように思います。悪漢はネロであり、ポッペイアはそうではない、そそのかされているのだ的なキャラで把握できるようになるだろうなと、思えました。ポッペイアにキラキラがあると、やっぱ、この女はしたたかでとなるような気がしますね。でないポッペイアを見せてもらえた、そんな印象が残りました。そう言うと、ネロだけは変えられない、そないなキャラですね。セネカも、ネロと一対なのかなぁ、こちらもいじりにくいですね。こんなこと考えながら、楽しんでました。かえすがえす、いいオペラです。


2020年 6月 29日(月)午前 5時 17分

 明日から工事が入るというので、ここ数日、曜日がはっきりしています。ですから、週末に入り、咋日は日曜日だとの認識は、しっかりと持てていました。おかげで、一昨夜、またしても出てしまった睡眠障害にも、あっさりと対応できました。眠れなかったときに、すぐさまサッカー中継のカードが思い浮かびましたから。大詰めに近づきつつあるため、フェネルの試合よりは、トラブゾンの動向が気になってしまいました。本命だと思っていた、そのトラブゾンが、2試合連続で引き分けてしまいました。優勝争いって、ホント、呆気なく見通しが変わるものだと、実感。そういったサッカーの話はいいとして、またぞろ出始めている睡眠障害、気になってしまっています。夜中に目が覚めたまま、眠れないことが、また起こってしまっています。まだ、数日おきにしか現れていないので、様子見というのが正しいのでしょうね。
 で、今日は、久しぶりに片付けとかしなかった日でもあったので、日に2回のウォーキングを敢行。やはり、外で身体を動かすというのは、爽快な気持ちになれますから、これをすること、できることで、気分が上がります。数日前から、短パンでウォーキングをしているのですが、公園での休憩がてらの読書が、大変。もう虫のターゲットになり、虫にかまれまくります。昨日など、足が痒いので、思わず、その箇所を手で叩きつけると、そこが血だらけ。黄紺の血を吸いまくった蚊を叩きつけたようで、それで血まみれになってしまったのでした。やはり、脚にもマヒがあるためか、そこまで血を吸われながら、痒さを感じるのも鈍くなっているようです。できるだけ、草の生え方がまばらなところに座るようにしているのですが、効果は少なかったようです。昼前のウォーキングのときの方が、虫の攻撃がましだったのは、虫の活動には、時間帯が関係があるのでしょうか。最近、近くの公園や川の土手では草刈りが行われ、虫の攻撃はましになってるはずだと思っていたところですが、単なる勝手判断だったようです。
 ところで、繁昌亭が、7/1から再開するということで、そのプレ企画として、昨日から、「上方演芸特選ライブ」として、無料配信が始まっています。「繁昌亭チャンネル」は、チャンネル登録をしてあるので、この配信に気がついたというわけです。無観客で、繁昌亭の舞台を使うというもので、高座の本数も、再開以後と同じと思われます。再開後は、座席数の半分しか客を入れないため、収益減が起こります。そのため、高座の本数を減らし、有料での配信をしたり、空席にする座席への写真設置を有料にするなど、アイデアが盛り込まれています。この写真のアイデア、考えた人、偉いわ、洒落になるし、閃きに感動ものと思ってしまいました。でも、黄紺は、生で聴きに行くのは、大阪まで電車で往復するのが嫌なため、行く気になれないままなんですが、一方のライブであろうがなかろうが、オンライン配信の落語を聴こうとしていません。紋四郎が「テレワーク落語会」を始めた頃は、物珍しさがあり、わりと追いかけていたのですが、しばらくしてから止めました。おもしろ味を感じなくなっていったというのが、正直なところです。そのわけが、昨日、繁昌亭のライブ配信を観ていて、判ったように思えました。昨日の配信、出番は、おとめ、愛染と次いで、佐ん吉の出番がありました。申し訳ないけど、前の2人は、あまり好きではない噺家さんなので、スルー。 佐ん吉は、何をするのかと聴き始めると、短いけれど、らしい洒落たマクラをふり、「幽霊の辻」を始めました。 この枝雀&小佐田センセの傑作は、今や噺家さんに大人気の作品、東京の権太楼も手掛けてます。その中で、ベスト口演と言っていいかと思っているのが、この佐ん吉の口演。そないに思っているものですから、最後まで聴いてしまったのですが、何やら違う。佐ん吉の表情、間、佐ん吉落語の柱になるようなところが違うと感じてしまいました。客の反応に呼応した中で生まれる微妙な間、更に解りやすいのは表情。視線も、心なしか下に向かっていましたしね。佐ん吉の「幽霊の辻」は、何度か聴く機会に恵まれているからでしょうね、そないな具体的なことを言葉化できたのだと思いますが、その辺を、今まで感覚的に感じ、遠ざかるようになっていったということだったのだと思えた次第です。そういったなか、そそられたのが、米朝事務所主催の「リモート寄席」。こちらは、客を一定の基準で入れて、且つ、生配信をするというもの。これは大丈夫かと、試しに申し込もうかと考えていたのですが、すっかり行動が鈍くなっていて、申し込まないままでいる内に、当の寄席が始まってしまった。その番組を見て、鈍くなっていた自分も、ときにはいいものと思ってしまいました。米団治社長の挨拶、トークを入れて、1時間の設定ですから、小さなネタ中心の寄席だったのです。そんなで、こちらも乗りきれないということで、黄紺の巣籠もりは続きそうですね。
 オペラ配信の方は、「ポッペイアの戴冠」の半ば過ぎまで観ました。自動翻訳の字幕も、いつになく良く、改めて筋立てを振り返っておかなくても、おかげで解りやすく、助かっています。ガードナーの指揮、充実した歌手陣が良いからでしょうが、モンテヴェルディって、いいなぁと、何度も思ってしまっています。


2020年 6月 28日(日)午前 9時 1分

 昨日は、昼間、随分と気温が上がり、もう真夏の様相。気温が、ここに来て上がると困るのは、今週、業者の方に入ってもらうのは1階、そのため、昼間は、黄紺は2階生活。1階は、ともかくも、2階の暑さは半端ではないですね。この暑さになると、1階の部屋は、2階のおかげで、まだ過ごせることを実感してしまいます。これを考えただけで、かなり憂鬱。真昼間は、雨のとき用に見つけてある屋根付き公園にでも、避難するか何かを考えねばなりません。そないなことの一方、咋日で、工事前にできることは完了。あとは、業者の入る当日の朝、それまでにいじると、生活がしにくくなるものを、空いた部屋に移動するだけです。工事初日には、息子も覗きに来てくれるようですので、心丈夫なことです。そんなで、時系列的には、ほぼ昨日と同じではなかったかな。
 それよりか、トルコの新聞サイトにアクセスしていて、咋日は、とってもそそられる日だったのです。この週末は、トルコでは、日本で言えば、センター試験に相当する統一テストがある日なのです。コロナ騒動で、日程を、後ろにはずらしはしましたが、夏休みに入る前に敢行しました。当然、細かな細かなガイドラインを作り上げはしますが、そないに、ガイドライン通りにいくわけではないというのが普通だと思いながら、その当日の1日目に当たる咋日は、この試験のレポートの追いかけを楽しみにしていました。この時期に、そないな試験があるのは知りながら、具体的に調べたことがなかった黄紺には、とっても新鮮なトピックが満載となりました。保護者の付き添いが凄く、会場の前は、大変な人だかり。ソーシャルディスタンスなんて、あったものじゃーない。そして、やはり、トルコあるある話で、車で来るみたいで、当然の交通渋滞。サッカーと同じです。どうして公共交通機関を使わないのか、いや、使わせないのか、あれほど事細かなガイドラインを作ってるのにと思ってしまいます。その会場前の混雑を報道する映像は、受験前の親子の様子も伝えてくれてましたが、猪木流の気合い入れをしている母親が幾人かいました。指先ででしたが、やってました。へぇ~ってよりか、ひぇ~ってところでしたが、トルコの街中に溢れるデルス・ハーネを思い出すと、かなり親の方が熱くなっているというところでしょうか。受験生って、トルコ語で「aday」って単語を使うってこと、初めて知りました。確かに、「aday」と言えば「aday」なんですが。こうした思いがけない語法っていうのを見つけると、ホント、嬉しくなります。その「aday」が、会場内に去ると、まだ溜まっている保護者は、警備に当たっていた警官に、マイクで四散させられたとか。始末の悪い保護者です。しかも、警官は、そのあとも、周辺で溜まってないか巡回までしたと、レポートには書かれていました。コロナのおかげで、今まで見向きもしてなかった報道にも目が行き、新しいトルコの姿を知ることができ、ウキウキとしてしまっています。試験の実施内容も報道されていましたから、憑かれたように読んでしまいました。遅刻は入れてもらえないんですねぇ。トイレでの退室&再入室ができないんですね。しかも、昨日の試験は、何分だったか、確か、2時間を余裕で超えていましたから、トイレに行きたい者も出てくるでしょうが、途中退場は認められるので、試験を途中で諦めるか我慢するか、それとも、、、しかないという、なかなか厳しいルール。昨日は、基礎学力検査の日でしたから、様々の科目を網羅したもので、どの科目に比重があるのかは、毎年違うようですから、どの科目が何問あったかの細かなレポートがありましたが、黄紺の興味は、その科目名。理科と、化学&生物が分かれていたりするのは、細かなことですが、哲学、道徳ってのがあるのですね。こちらは、へぇ~でした。レポート記事には、専門家による今年の試験についての解説も付いていましたから、やはり、トルコでも、受験で飯を食ってる人たちがいるってことですな。
 そないなトルコの話題にのめり込む一方、昨日も、しっかりとオペラ配信を楽しむ時間を押さえることができました。既に、終盤に入っていた「アンドレア・シェニエ」を完走。ローマ歌劇場のプロダクションは、これで3つ目のはずですが、オーソドックスというよりか、クラシックという表現の方がいいですね。幅広の舞台をたっぷり使い、群衆の動かし方も練れていて、終幕では、正にスター歌手に、たっぷりと歌わせようとしたのでしょう、余計なことはしないというセンス、しかも、照明の技は、現代のそれを使いますから、観やすい解りやすくなっているため、クラシックの極致のようになっていました。が、それでは、黄紺にはおもしろくないのです。そんなで、チョイス自体にミスったかなというところでした。また、配信された映像の音響環境が良くなかったため、期待の歌手陣の実力とは違うものが伝わってたかもしれないなと思いましたが、ジェラードを歌ったロベルト・フロンターリは、名前を知らなかっただけに、マークしておかねばと思いました。次いで選んだのが、フェニーチェ劇場での「ポッペイアの戴冠」。但し、この公演は、オケピットを蓋して、その上にオケが乗り、その蓋の上を舞台にして、空いたスペース、そして、背後を使っての簡易オペラというか、手の込んだ演奏会形式の公演を収録したものでした。ですから、主役は、オケ(イングリッシュ・バロック・ソロイスツ)とコーラス(モンテヴェルディ合唱団)、そして、指揮がジョン・エリオット・ガードナーという布陣。モンテヴェルディ生誕450年記念公演だそうですが、フェニーチェで、ガードナーとは、これだけでも反応しちゃいますよね。


2020年 6月 27日(土)午前 6時 34分

 今週は、来週からの工事に備えることが、1つの大きな柱だったのですが、もう1つの柱がありました。それは、水曜日に胃カメラ検査を受けたように、1年間の健康チェックをする週でした。毎年、6月下旬に、胃カメラを申し込むのと同時に、京都市が市民サービスとして実施している「特定健康診査」を受けることにしています。この「特定健康診査」は、集団検診として受けることもできるのですが、個人の開業医でも委託を受け入れているところだと、集団検診と同じサービスを受けることができます。そこで、黄紺は、もう何十年来と、親子二代に渡り、お世話になっている開業医が、この委託を受けておられるということで、いつも同時に申し込むことにしています。時期と、同時に申し込む、この2つをセットにしておくと、さすがに忘れることはないですからね。ただ、この2つ、時間的には、続けてすることに、何ら問題はないのですが、片方は保健医療、もう片方はそうじゃないときているものだから、同じ日に受けられません。そのため、水曜日に胃カメラを受け、そして、咋日、その「特定健康診査」を受けに行ったというわけでした。尿検査、聴診器を使っての古典的な検査、血圧検査、心電図、採血、これだけだったかな、問診は、予めアンケートに記入してあるので割愛。尿検査と心電図の結果は、すぐに判ります。この3年ほどは、大事ではないのですが、ちょっとコメントが付きましたが、今年は、何にもなし。ちょっと頼りないけれど、自分的には、一番喜ばねばならないところですね。血圧も、当該医院に、歩いて行った直後に計ってもらったのですが、正常な数値でした。問題は血液検査ですが、これは、京都市が結果を通知してくる前に、お世話になった医師に、結果を教えてもらえます。京都市からの通知は、1ヶ月も先になりますので、毎年、数日後に判る血液検査の結果は聴きに行くようにしています。メモにすると長くなりますが、この間、時間にして15分程度のこと。あっさりと終わりました。外に出たということで、咋日は、その前後にウォーキングを持ってきました。これは、たっぷりめのウォーキング。実は、咋日は、夕方に片付けをしてから、短めのウォーキングにも挑んでみました。これって、いいですね。片付けから夕食になだれこむのとは違うゆとりを感じますね。やはり、短時間でいいので、ウォーキングなどを入れるのはいいことで。気分の爽快さに、明らかに変化が生まれるからです。ちょっとしたことでも、一日の中に違ったことが入ると、変化があり、いい気分転換になり、且つ時間の経つのが、早く感じられてしまいます。
 それらの合間に、今日もオペラ配信。「ゲントの鍛冶屋」を完走したと言えばいいのか、とにかく最後まで付き合ったと言えばいいのか、最後まで乗りきれなかったのでしょうね、居眠りの連続、でも、観直そうという気にはなれなかった作品です。ま、どのような音楽かは判った気になっているのが、唯一の成果でしょうか。次いで、20世紀の作品で、気になるものが複数あったのですが、「ゲントの鍛冶屋」のあとなものですから、避けて通ってしまいました。で、選んだのは、ローマ歌劇場の「アンドレア・シェニエ」(マルコ・ボロッキオ演出)。19世紀の作品と言っても、際どく19世紀ですが。素敵な作品だし、黄紺も知る歌手2人(グレゴリー・クンデ、マリア・ホセ・シリ)が出ているということでのチョイス。まだ、1幕半ばまでしか観てないのですが、ホント、ローマ歌劇場のプロダクションと言っていいのか、配信されているものはと、断りを入れておいた方がいいのか、黄紺的には判断しかねるところではありますが、オーソドックスなもので、演出面での楽しみはないのじゃないかなぁ。2幕以後で、何か変化がある、ないでしょうね。


2020年 6月 26日(金)午前 5時 40分

 昨日は、工事に入る前最後の手伝いに、息子が来てくれた日。いつものように、Dを送ってから、車で来てくれました。工事に入る部屋の片付けは終わり、あとは、業者の人に運び出してはもらう箇所は、手つかずだったのですが、当日、捨てるもの、残すものの仕分けをするのも大変と、息子が来る前に、その仕分け作業をすると、かなり処分できる書籍や雑誌が出てきたため、他にも処分しきれてなかったものがあったので、それらを加えると、結局、新たな段ボール箱が2つ増えてしまいました。その作業をしている間に、家庭ゴミとして捨てねばならないおおものも出て来たりで、今度は、そういったゴミを運べるように、ビニール袋に収納。汚れたものを車に乗せるのを、息子が嫌がるものですから、毎回、この作業をしています。この家庭ゴミは、有料なもので、ある程度のものを集めないと、処理代のコスパが悪くなるということで、今まで断捨離の対象にはしていなかった押し入れを開けてみると、重量や嵩を増やすには、まことに適当な粗大ゴミが出てきたため、こちらもビニール袋に梱包。そんなで、結局、息子には、古紙扱いの書籍&雑誌の処分と家庭ゴミの処分、各1回ずつ、ゴミ処理場まで行ってもらうことになりました。息子が到着した頃には、雨足の強い雨が降りだしていたため、どうなることか心配したのですが、雨は、その時間帯と、正午過ぎに少しと、都合よく、天気予報を裏切ってくれました。あとに所用を控えていた息子は、もう午後1時半過ぎには帰って行きました。工事に入るには、まだ4日ありますから、あとは、直前の作業を少しすれば済むので、余裕です。でも、考えてみると、この作業に向けて、断捨離を行ったとは言え、この先、まだしなければならないことが残っており、最後に残ることになる息子の負担が、できるだけ小さくなるように、また、次なる断捨離に移らないとダメなんでしょうね。それを考えると気が重いのですが、息子は、自分たちものではないので、もっと気が重いだろうと思うと、自分でやらなきゃの気になってしまいます。
 昨日は、午前中から昼過ぎまで、こうした作業をしていたため、少し休憩をしてから、夕方にはウォーキングを持ってきました。休憩時間に、オペラ配信を観てはいたのですが、もちろん、一昨日より続く「ゲントの鍛冶屋」でしたが、作業後には観るものではありません。ちょっとぐったりしてしまい、居眠り続きとなってしまいました。ただ、それだけでもない気がします。最初は新鮮だった音楽に、ちょっと飽きたってところが出てきています。単調な印象を持ってしまってます。人気作品でないわけも、そないな点にあるのかもしれませんね。


2020年 6月 25日(木)午前 7時 20分

 昨日は、朝から胃カメラ検査を受ける日。ところが、検査を受ける人間として、あるまじき行為をしてしまいました。一昨日、いつものように、夕方、トルコ・サッカーとトルコ・コロナの情報を集めている内に、夢中になってたのでしょうね、午後7時までには夕食を済ませておくようにとの指示をいただいていたにも拘わらず、気がつくと、もう午後8時を回っていた。それから食事の準備をして、食べ終わったら、午後9時を回っていたのです。事前予約をしながら、これはまずいと思ったので、正直に言いました。すると、大丈夫だろということで、検査はやっていただけることになりました。お年寄りで、消化に時間のかかる人がいるので、余裕を見た時間設定だと言われてました。胃カメラの前に、スキャナーを使っての内臓検査もお願いしてありました。こちらは、全く不安がることはないのですが、胃カメラは、やっぱ、精神的に良くないですね。麻酔を喉に吹きかけられ、その間、薬が効くのを待たねばなりません。そのときが、一番ダメですね。麻酔薬を噴射していただく看護師さんに、毎年、同じことを言ってます。「1年で一番気の重い朝です」。で、いよいよ本番。今回は、喉にカメラを通そうかというとき、看護師さんが、体を仰向け気味にするように持ち上げられました。これは、他の機関で検査を受けたときも、この間、毎年お願いしている、今回の医院でもなかった技、喉にカメラが通るとき、このおかげだと思うのですが、全くえずかなかったのです。えずいていいはずのところなのにえずかず、食道を、カメラがどんどん通っていく感覚があったとき、俄に信じられない、ホント、そんなで、だって、そんなに楽に入るものとは思ってないですからね。これで楽勝かと思ってたら、やはり、そんなに生易しくはありませんでした。今まで、アレルギーがあるかもという判断で、1度だけ、弛緩剤を使わないで検査を受けたことがあるのですが、そのときばかりは、カメラが入っている間、それこそ死ぬ思いをしたという表現を取りたいほど苦しかったのですが、それ以外は、まぁ大丈夫なものでしたから、気を許していると、変が起こりました。後から聞いたところによると、カメラが胃から十二指腸に入るときだったそうですが、急に喉にチューブを感じ、吐き出そうという感じでえずいてしまいました。これが、2回きたもので、普通ならば喉に入るときの1回だけなのに、差し引き1回多くなってしまいました。気管に唾液が入ろうとするとえずくと説明をいただきましたから、そのとき、チューブの動きのかげんで、そないなことが起こってしまったようです。途中に、あんなえずき方はしたことがなかったということは、珍しいことなのでしょうね。その様子を見てチューブを引くかなんかされると、元に戻り楽になれたので、大事には至りませんでした。「もう終わりです」と声をかけられると同時に、チューブが引き抜かれて行く感覚は、毎回、ホント、嬉しい。結果説明は、エコーのときは、検査中に撮られた画像、胃カメラのときは、映像&静止画像を使いながら。去年聞いた説明と、ほぼ同じことを聞いたように思えたということは、変わりはなしということで、一安心。
 検査が終わっても、すぐには飲食ができないものですから、毎年、その足でウォーキングに出かけます。ですから、昨日のウォーキングは午前中の1回。夕方のウォーキングは、昨日も片付けに回しました。廃棄予定の本箱内部の整理は、既に、ほぼ終えてあったのですが、最後の詰め。それと、荷物の持ち出し当日に業者の方に、整理をお願いしてある箇所にある荷物の取捨をすることにしました。事情があり、業者の方にお願いしてあるのですが、捨てるものまで段ボール箱に詰め込んでもらう必要ではありませんからね。すると、またぞろ廃棄しても良い本や雑誌が出てきたため、そちらの詰め込み作業に移ると、新たに段ボール箱2つが出来上がってしまいました。
 そんなで暮れた一日、合間を縫ってのオペラ配信、しっかり確保しました。残り僅かになっていた「愛の妙薬」を終了。この公演、モネ劇場の公演ですが、どう観ても、会場が違うように思えました。レアル・マドリードやヴォレンシアも、このプロダクションだそうです。次いで選んだのは、レア作品。フランドル歌劇場(アントウエルペン)の「ヘントの鍛冶屋」(エルサン・モンターク演出)。フランツ・シュレーカーの作品です。全く、その存在すらどころか、作曲家自体を辛うじて知っている程度の知識しか持たないながら、この作品が、1932年のベルリンで初演されているということを知ったため、俄然、観てみたくなりました。ストーリーから来るイメージなのでしょうか、耽美的なメロディに彩られた中に、実験的な要素が潜む、そういった想像を持ち、このオペラに臨むと、あっさりとくつがえされます。まごうことなき20世紀の音楽です。無調なのかな、多彩な音の洪水ってところかな。滑稽味のあるストーリー展開を持つ童話と言えばいいかな、それに音楽を付けた奔放さを感じさせるものです。なかなか楽しめそうですよ。まだ、1/4ほどしか観てないところでの、とりあえずの感想です。


2020年 6月 23日(火)午後 9時 42分

 今日は、息子が来てくれて、工事前最後の片付けをする日①に予定していた日。大阪から来てくれるものですから、一日でいいようにと、先日来努めてきたというわけでした。ですから、今日の朝の時点では、肝心の部屋の片付けは終わっており、最後の大型ゴミを出せばおしまいの状態でしたので、この間出した多くの古紙の処分、そして、先日、照明器具の取り替えをやってもらったため、ゴミとなった旧い照明器具、ならば、他に処分しなければならない家電器具を、一緒に持って行ってもらうということになると、結局は、古紙を車に積み込む前で、車の荷台はパンク。お世話になる京都のゴミ処分場は、お昼の時間、1時間の休憩があるため、そこへ行く前に昼食。これが、こういった日の、黄紺の楽しみ。だって、今や、いいおっさん化している息子と、二人だけで食事をするなんて機会は、こないなときしかないですからね。回転寿司屋は大賑わい。コロナ騒動なんて、すっかり忘れてしまうほどの賑わいでした。こないだ息子と昼食を食べたときは、環境を考えていた黄紺ですが、寿司が食べたいためか、1回の外食がいい経験になったのか、平気で混みあう店に入って行けました。10日ほどの間に見せた変貌ぶりに、食後に、かなり息子にいじられてしまいました。で、食事中の話。いっそのこと、他の旧い照明器具から、LEDの照明器具に変えたらということになり、でも、コンセントの状態に不安があるため、1回目は、接続部分を確かめてきた箇所だけ買うことにして、それを接続したあと、再度、照明器具を買いに出ることに。2回目は、家電製品専門の量販店に行ったため、やはり品数が豊富、ホームセンターで買うのとは違いますね。そんなで、それを買い、改造後に予定している空調器具の下見をして、そして、買った照明器具を使えるようにしてもらうと、息子はDを迎えに行く時間が迫っているので、慌てて帰って行きました。「時間がないから、明後日」と言い残したのは、段ボールに詰め込まれた、幾層もの古紙。結局、1日では終わりませんでした。しかし、家の中が、新しい照明器具に満ちてしまったため、もう見違える光景となりました。落ち着かないくらいの、とんでもない変化です。これだと、もっと早くに、息子に相談しときゃ良かったと思っても、遅すぎるわな。改造とか、器具の取り替えというのは、もちろんただでできるものではないのですが、思いの外、コスパがいいですね。この調子で、部屋の改造が進めばいいのですがね。
 そんなで、ほぼ1日が過ぎてしまったのですが、そのビフォー&アフターがあります。今日は、そのビフォーの方で、オペラ配信を観ました。あと少しで終わるというところまで、モネ劇場の「愛の妙薬」はたどり着いています。ビーチリゾートに設定したのが全て、もちろん成功という意味でですが、そないなプロダクションです。シャワーを撒き散らしたり、泡まみれの泉に飛び込んだり、もう、その設定を、あらんかぎりのイマジネーションで活用しています。あと少しで終了となると、一方で、次なる作品集ピックアップにも気が行ってしまってます。このオペラ配信という発想、歌劇場からすれば、絶対、見返りがあると思うな。こんなにも楽しいもの、ワクワク、どぎまぎするもの、生で観たくなりますものね。一方、アフターの方はウォーキング。辛うじて、時間の確保。明日は、胃カメラ検査を受ける日なので、早々に夕食を済ませたかったので、後ろの方からも追い立てられるというせわしなさ。でも、ウォーキングは順調に終わったのですが、結局、夕食までに他のことをやりすぎました。臨機応変ということが、なかなかできなくなっている証拠のように、いつもと同じペースで動くという愚を犯してしまい、夕食が済んだのは午後9時半。大丈夫かなぁ。「胃に残留物があるから、今日は無理」と言われるかもしれません、医師の指示は「できるだけ、午後7時には済ませておいて下さい」でしたからね。やばいなぁ~。


2020年 6月 22日(月)午後 9時 52分

 昨夜も、最初は、頗る浅い眠り。2日連続ということは、最近なかったもので、またかの気持ちになりかけていたところ、午前2時頃を最後に、午前6時過ぎまで熟睡、これで、ちーとは睡眠障害から解放されたかな感を持てました。これって、大きくてね。気持ちが違います。1日の始まりが違うってことは、ホント、いいな。ただ、ここ数日、夜が冷えて、いけません。今、寝冷えでもして風邪をひいて、咳が出るようだと、世間を歩くのが辛いですからね。昼間も、乾燥しているから、ウォーキングには適していたのですが、今日も、午前中のウォーキングは断念して、片付け兼断捨離をしておりました。明日、息子が来てくれることになっているものですから、まだ残っていた断捨離もすることにしました。処分するものを段ボールに詰め、また、残すものも段ボールに詰めの作業です。改造する部屋については、明日、息子に手伝ってもらわねばならない箇所を除いて、完了しました。元々狭い部屋ですが、それを、思いっきり狭くしていたことを、いたく反省。今頃反省しても、全く意味はないのですが、今日は、同じ部屋を、とっても広く感じてしまっています。そないなことをしながら、ふと気づくと、大事な書類が見当たらない。片付けをしていく中で、ものをいじるものだから、普段の保管場所だと紛失の恐れがあるということで、いくつかの場所に保管したはずなのに、その心覚えの場所に、確かにあったのはいいのだが、肝心の工事の見積書が消えている。他の書類は、あっさりと見つかっているのに、これだけがない。前日に、これは大事だからと、特別に置いたと思うところに、ない。大事に保管しようとした記憶は、しっかりとあるのだが、保管場所を違って覚えているのです。ホント、これが、よくある、それが、また、起こってしまったのです。ここで、頭が働かないんだなぁ。それをも想定して保管場所を選んだことを。で、判らないので、恥をしのび、業者の方に連絡、謝り倒して、もう一度、持って来ていたいただく段取りをつけて、鬱屈とした気分で、昼食準備に、ある戸棚を開け、「あっ!」、見当たらなくなっていることに気づいてない書類も含めて、一まとめにして、その戸棚にしまいこんであったのです。普段、調理にかかるときにしか開けない戸棚、大事なものの保管場所になぞ使ったことのない場所、そこを選んでしまってたのです。たとえ、保管場所を忘れても、必ず目にするところを選んでたのでした。結局、探しているときは、いつもなら保管場所に選びそうなところばかりを探していたってことで、全く違った発想をしていた前日の自分について行けてなかったのです。今日の黄紺は、昨日の黄紺よりは、着想力に劣っていたということになります。
 こないなアホげな不安に右往左往させられた日でしたが、結構、慌ただしく、オペラ配信は、午後の1回しか、時間を確保できませんでした。しかも、一旦、モネ劇場の「ベアトリスとベネディクト」という珍しいベルリオーズの作品を選びながら、音声環境が悪く、仕方なく断念。かなり悩みましたが、歌唱が、ほとんど聴き取れないでは、やっぱ、ダメでしょう。そこで、それなら、同じモネ劇場からと、「愛の妙薬」(演出)をチョイス。これが、またこったプロダクション。どこかのビーチが舞台。その舞台、円形舞台が客席前方にせり出している。従って、オケは舞台上。しかも、オケのメンバーから指揮者まで、ビーチリゾートに出かけようかという服装での演奏。しかも、ビーチにある「夏の家」的な装置の中での演奏となっています。コーラスの皆さんは、村人ではなく、ここでは、ビーチリゾートにやって来た人たち。ドゥルカマーラなどは、そういったビーチにドリンクを売りに来た男と、やはり飲み物にこだわるところが、ナイス。もう、それを観ただけで、この作品、このプロダクションを選んだ値打ちってのがありますね。半ばほどまで観たのですが、明日は無理かな。ま、仕方がないですな。


2020年 6月 22日(月)午前 7時 23分

 一昨夜は、睡眠障害が復活したかのような夜。眠りが浅く、1時間おきくらいに、目が覚め、ちょうど午前3時くらいに目が覚めたあとは、眠ることができず、仕方がないので起き上がることに。でも、全く運から見放されていなかったのは、週末だったこと、サッカーが再開していたこと。おかげで、デニズリ・スポルとベシクタシュの試合と、それと同時進行だった新マラテヤ・スポルとギョズテペの試合を聴くことができました。毎度ながら、TRT1のお世話になるのですが、こちらの放送では、同時進行の試合を多元中継してくれます。注目の試合でも、同時進行の試合があれば、多元中継になります。このときばかりは、TRTが国営放送局だったことを思い出してしまいます。聴いている方にも都合がいいのは、一昨日のように、ベシクタシュが大量点を取ってしまうと、試合としての興味が薄れますから、そればかりを聴かなくていいというのは、ありがたいというわけです。デニズリでの試合も、デニズリ・スポルが同点に追いついたときは、またぞろ、ベシクタシュが悪い目に遇いそうで、気の毒な感じすらしかけてたのですが、そうはならなかったです。そないなことをして、眠れないままかというと、そうではなく、午前7時前だったかな、横になると眠ることはできましたが、そこで摂れた睡眠というのは、長く見ても40分程度。よほど眠れない日だったようです。昼間は、この2日間と同じく、ウォーキングの1回を、荷物の整理に当てました。いいお天気だったのですが、まずは、最優先はこちらです。頑張ったおかげで、改造する部屋の整理は、目標を達成。息子が来れば、びっくりすると思います。今日、周りの部屋の整理をしておけば、息子が来てくれたときは、ほぼ息子でしかできないことや、車を使いゴミ処理場に行ったり、改造後を考えての買い物に移行できるはずです。この分だと、息子には、工事に入る前に2日間空けてもらってますが、多分、1日で済むのじゃないかと看ています。頑張った成果というやつです。このかた片付け作業は、午前中にしたため、ウォーキングの方は夕方に回ることになりました。いいお天気だとばかり思っていたのですが、もう夕方になると、結構な曇り空になっていました。そのためかどうかは判りませんが、涼しいですね。乾燥もしてるしと、このまま続いて欲しい、そないな気持ちになってしまいます。
 で、昨日も、オペラ配信は、確実に時間を押さえることができました。もちろん、一昨日から、観始めていたチューリヒ歌劇場の「ペレアスとメリザンド」です。今回、観ようの気になったもので調べたのですが、メーテルリンクの原作だとか。ドビュッシー以外にも、この作品に曲をつけた作曲家が複数いることを考えると、世紀が変わろうかという時期には、結構な評判を生んだのだろうと、勝手に想像を巡らしています。チェルニアコフは演出だけではなく、いつも、装置も担当します。ですから、自分のイメージに合った装置を、思いのままに出すことができるという演出家ですが、そのチェルニアコフが用意したのは、とっても機能性のある、現代的な邸宅。広間の奥にテーブルがあり、その向こう(奥)は、全面ガラス張りで、外には木立が見えます。それらの木立は、風にそよいで見せたり、最終場面では、冬の風景を表してくれます。そういった木立の中の邸宅、広間の広さからして、かなりの富を感じさせます。そのガラス張りの前には、家族の団欒する場としてのテーブル、右サイドには大きめのソファーが2つ、左サイドには次の間に出入りできる幅広のアコーディオンドア、そのドアに続く壁には、テレビモニター、そないな舞台でした。冒頭のゴローとメリザンドが出会う、どこかの森の場面や、泉の場面、ペレアスとメリザンドが密会をする場面など、全てが、この現代的な邸宅内で進行します。最初から最後までです。黄紺は、このオペラのDVDを持っていながら、まだ観ていませんし、全く初めて観るものですが、明らかに、テキスト通りのものではないことは解ります。ということは、この物語は、ペレアスとゴローという異父兄弟とメリザンドというトライアングル、それらに絡む家族の物語という枠を示してくれたのだということですよね、この装置。そう言えば、ベルリン国立歌劇場で観た「トリスタンとイゾルデ」、もちろんチェルニアコフのプロダクションでしたが、3つの幕を、全て異なるコンセプトの装置にすることで、物語は、その3つの異なるコンセプト、言い換えると、3つの異なる次元を貫く普遍性を持つということを表現していたことを思い出しました。ですから、このプロダクションは、幾つかのプロダクションを観たあとに観るべきだったのだろうと思いました。すると、物語を貫くコンセプトが見えてきて、このプロダクションの持つ方向なるものが、一層クリアになるのでしょうね。そういった意味合いで、こちらに、いつもよりは詳しめのメモを書き残しておくことにしました。歌手陣では、メリザンドのコリーヌ・ウィンタースが個性的でいいですね。フランドル・オペラで観た「ユダヤの女」でラシェルを歌ってました。いつものように、オペラのデータベースで、彼女のキャリアを調べていると、それを発見。慌てて鑑賞メモを見ると、確認することができました。


2020年 6月 21日(日)午前 4時 53分

 昨日は、とってもいいお天気。しかも、あれだけ雨が降ったあとにも拘わらず、乾燥している。そして、気温も上がらない、爽やかな一日。梅雨の最中とは、到底思えない、いい日でした。言い換えれば、絶好のウォーキング日和だったのですが、やることをやらねばなりません。ウォーキングの1回分をつぶし、家の改造場所にある荷物を搬出できるようにとの作業、継続しました。分別しながらの梱包作業は、おかげで順調に進んでおります。息子は、火曜日に来てくれますから、気がつくと、昨日を入れても、それまでには3日しかないことに気づき、ウォーキングは後回しで、納得です。ここまで書いて、チャーハイを一口呑んだら、缶を落としてしまいました。これが、脛椎の手術の後遺症です。後遺症と言っても、2つ考えられます。缶を持っていた右手に、缶の感触がほとんどなかったから、もう一つは、目を缶に向けてなかったから、右手では缶の形状を把握できてなかった、今の場合は、どちらなんでしょうね。2つの可能性があるというのは、人間の手には異なった役割を持つ、別々の神経が通っているからなんですね。これは、脛椎の手術をしたおかげで得た知識です。おかげで、畳は、チャーハイを吸うことになりました。家の畳は、いろんなお酒を吸っています、黄紺の脛椎のおかげで。で、元に戻り、、、片付けをしていると、自分のしょーもない歴史を見ますね。本一つにしても、時に応じて関心を持ったと思えるものや、仕事の関係で知識を得なければとして買ったものに対し、一貫して同じテーマのものも出てきます。黄紺の場合は、わりかし最後のカテゴリーのものが多いものですから、これで、自分の人生は良かったのかなと、ふと考えてしまう瞬間がありますね。以前の断捨離でも、同様の感覚に浸りましたが、今や仕分けの対象になっているものは、断捨離をくぐり抜けてきたものですから、かなり迫ってくるものがあります。
 そういったねばならないことをしている合間を使い、今日もオペラ配信を楽しみました。レアル・マドリードの「ランメルムーアのルチア」の後半です。装置の使い方が判ってなかったのですが、回り舞台でした。そこに、ヴィクトリア朝時代の邸宅に衣装というもので、敢えて、その時代に意味付けをするならば、ブルジョア道徳が確立するとともに、貴族身分の独自性が強められた時期と言えばいいでしょうか。物語の舞台はスコットランドですから、筋立てを、より強く印象づける方策と看ました。そういった時代設定と、もう一つ、印象深かったのは、ルチアの邸宅に、劇場の舞台のようなスペースが設えられており、狂乱の場面は、正に、このスペースを、主として使いながら進行します。ルチアの長大なアリアが終わると、まるで観客化したコーラスの人たちは、スローモーションで拍手をしていました。劇場型殺人、それを、「ルチア」に適用しようとしたら、あくまでも結果論だと思ってしまうので、ダヴィド・アレンの思惑は、もっと違ったものがあるのかなと思ったりしてしまいます。ルチアを歌ったリセッテ・オロペサは、素敵な高音を持つ人だなと思う一方、思わぬところに装飾音を入れるテクニックを持ちながら、スラーをかけて欲しくないところにかけてくれたり、余計なヴァイブレーションがあったりで、評価が分かれてしまう歌手かもしれないですね。ハビエル・カマレナは、小太りくんでなければと、つくづく思ったのは、黄紺だけではないでしょう。そないななか、まごうことなき最高ランクはアルトゥール・ルチンスキ。この人は、生で聴きたいな。先日の「ボエーム」を観たときに思ったこと、また、このオペラでも思ってしまいました。次いで、ピックアップしたのは、3日間という短期間で公開してくれるチューリヒ歌劇場の「ペレアスとメリザンド」(ドミトリー・チェルニアコフ演出)。ちょっととっつきが悪く、まだ観たことのなかったドビュッシーの作品。チェルニアコフのプロダクションだからということで、さすがに外せません。まだ、序の部分しか観ることはできていませんが、音楽的には、思いの外、すーっと入ってくるので、ちょっとラハトになっているところです。


2020年 6月 20日(土)午前 7時 20分

 昨日も雨、夕方には止んだかと思うと、また降ったりで、、、でも、ぼちぼち止みそうですね。この雨のおかげで、えらく冷え込んでいます。気温が下がったという程度では済まされない冷え込みです。水曜日の夜から冷え込みが看られ出したのですが、一昨夜は、強烈で。すっかり低い気温に弱くなっている黄紺は、一昨夜は炬燵のお世話になりました。 6月に暖房器具のお世話になるなんてと思いながらも、毎年梅雨の時期には、気温が下がる日が、1回はあるから、それかとも思いましたが、でも、寒かった。そんなですから、日中も、あまり気温が上がらず、家の中では長袖のお世話になっていますし、夜に入ってからは、ごく普通のトレーナーを着ていた黄紺です。昨日も、基本的には、一昨日と同じ。日に2回の内1回のウォーキングを止めて、家の片付けに使いました。一昨日は、午後のウォーキングを取り止めたもので、午前中にウォーキングをしたいなと思い、うまい具合に、雨が止んだように思え、用意をして外に出ると、何てことはない。霧雨に変わっていたために、家の中にいると、雨が止んだように感じていただけでした。天気予報的には、夕方には止むとなっていたので、あっさりとウォーキングは断念。ウォーキングは、有無を言わさず、夕方に回すことにして、昼前は片付けに専念。段ボールに摘めるもの、空き部屋に置けるもの、捨てるもの、大きく分けると、そういった仕分けになるかな。段ボールに摘めるにしても、こうした仕分けを、丁寧にしておかないと、いざ戻したときが大変ですものね。そないなことをしてみて、日に1時間余りのペースでの片付け作業では、息子が来てくれるまでは、毎日やっておかないとの気になってきています。家の改造という特別なことをするわけですから、普段通りに行くわけはないですわね。
 そないな日々を送るなか、ドイツの歌劇場から、一時は途絶えていたメルマガの配信が再開しています。中には、「公演再開」と表示されたものもあります。わりかし日本でも有名になったものに、ベルリン・ドイツ・オペラの屋外での特別公演があったりしますが、屋内での公演も出始めています。ニュルンベルクでは、室内楽や演劇の公演が屋内で始まるようです。但し、ガイドラインに沿ってとなっていましたから、座席の配置などに、それが取り入れられるものと思われます。エアフルトから、夏の風物詩、広大なマルクト広場を使った野外オペラ公演を、「いつものように、再び」行なうという案内に、ちょっとワクワクしちゃいました。バイロイトのような規模の大きなところは、早々にキャンセルを打ち出していたようですが、そこまでというところは、持ちこたえていたんですね。どうしても、この時節的イマジネーションが働いてしまいますから、ワクワク感が出てしまったのだと思います。そないな情報が出てくると、じゃ日本からドイツに行けるのか、これが問題になりますが、ドイツ系Youtuberさん(在ベルリン)が、日本からの入国者には隔離生活は義務づけられないと言われていましたから、存外早く、ドイツには行けそうですが、ドイツからの入国者に対する日本政府のスタンスは聞こえてきませんね。
 そないな1日、昨日も、オペラ配信は逃しませんでした。昨日は、朝から、新たな作品を観ていますが、それは、レアル・マドリードの「ランメルムーアのルチア」(ダヴィド・アレン演出)。優れものの歌手(ハビエル・カマレラ、アルトゥール・ルチンスキ)が出ている上に、ダヴィド・アレンというスター演出家のプロダクションということでのチョイス。結婚式の場面まで観終わっているなか書いていますが、有名な六重唱がアンコールされたのには、驚かされました。このあと、ルチア(リセッテ・オロペサ)の長大且つ超技巧のアリアでは、どのようなことになるやら、です。


2020年 6月 19日(金)午前 7時 59分

 昨日は雨。昼頃から降るという天気予報でしたが、もう朝の9時過ぎには降ってたんじゃないかな。強い降りがあったのは、夕方の一時的なこと。傘さしウォーキングを2回するのは可能だったのですが、昨日は、昼前の1回にしておきました。というのは、家の改造のために、業者さんに入ってもらうための準備をしなければならないのです。工事をする部屋には、荷物を置いておくわけにはいかないものですから、それらを持ち出せるようにするか、工事のじゃまにならない部屋に移動しておかねばなりません。そのために、来週に2回、息子が時間を空けてくれているのですが、息子に丸投げすると、さすがに怒るだろうからと、自分で少しずつ始めておこうとしたというわけです。既に、断捨離をしたときに、この工事を想定して、荷物をかためていますから、ほとんどは、荷物を段ボール箱に摘めるだけです。でも、断捨離でできたスペースに、それらの荷物からピックアップをして、配置しようなどということを考えてしまうものですから、余計な時間がかかるというものです。息子が来てくれるということは、車を使えるということですので、若干、断捨離しきれてないところもいじり、新たなゴミを出そうとします。わりかし目移りしてしまいますね。これだと、雨降りでなくても、日に1回は、ウォーキングの時間を潰すなりして、片付け時間の確保に努めねばならないと考えているところです。昨日は、雨が降ったからでしょうね。とっても涼しい一日。夜になり、黄紺は、ちょっと厚みのあるトレーナーを着ているほどです。そのおかげで、その作業はやりやすかったので、昨日のところは、大正解でした。
 そして、昨日も、頑張って、時間を捻出して、オペラ配信を楽しみました。ホント、捻出でした。朝方、早めに目が覚めたものですから、その時間を活用しようとしたのですが、たまたま、トルコ杯準決勝のフェネルとトラブゾンの一戦の追加情報を集めるべく、トルコのどこかの新聞のウェブサイトを開くと、「アンカラ、イスタンブル、ブルサでも、マスク着用義務」という文字が目に入ったもので、普段は、朝方は、トルコのコロナ情報は集めないのですが、このときは、偶然、新情報を目にしたもので、本来の用件は、ほどほどに、こちらに集中してしまいました。第2波が懸念されるなか、そうとは捉えていないとの保健省長官のコメントを読み入ってしまいました。ま、そんなで、オペラ用の時間は減るばかり。そういったなか、「春の嵐」を完走しました。スパイものオペレッタという新ジャンルです。そのため、発表され、まもなくナチスに禁止された作品だそうです。ヴァインベルガーがユダヤ人だったこともあるのでしょうね。いわゆるハッピーエンドにならないオペレッタです。しかも、舞台が満州という設定。ロシアと日本が満州を狙いつばぜり合いをしていることを背景に作られたという大時代がかったストーリー。でも、音楽は、あくまでも美しく、ちょっぴり泣きの入る、素敵なものでした。舞台は、回り舞台を使い、その上に閉じた建物が乗っており、場面により、その建物が開き、また閉じ、建物の周囲での場面になりを繰り返すもの。建物が開く方向で、背景が変わるようになってたのかな。バリー・コスキーのプロダクションは、楽しめるもの、解りやすいもの、これを徹底してくれます。しかしながら、この人のアイデアの豊かさには舌を巻きます。今回もそうでした。


2020年 6月 17日(水)午後 9時 42分

 今日は、午後の遅めの時間に、息子宅に行くことになっていたため、午前中は、何となくルーティンをこなす展開に。というか、睡眠がしっかりと取れる一方で、「GUNLUK」「Futbol Haberleri」が出来上がっていなかっただけで、結局は、ゆっくりとルーティンをこなす時間を持てなかったというのが、正直なところ。で、ちょっとせわしないところへ、外にウォーキングに出ると、暑い。しかも、昨夜は、かなり気温が下がり、冷えたという印象だったために、気温の上下の振れ幅が大きく、身体がついていってない感じで、ウォーキングは、だる~い時間になってしまいました。更に、ぼちぼち息子宅へのお出かけ準備をという時間に、家の改造をお願いしている業者さんから、見積書を持って行くとの連絡が入り、またタイトになってしまいました。でも、見積書をいただいて、ほっと一安心。どのくらいかかるか見当がつかないものですから、金額を見るまで怖ものだったのですが、法外なものではなく、ちょっと安心すると同時に、以前お世話になったときに好印象を持った業者さんにお願いして正確でした。そして、久しぶりに息子宅へ。目的は一つ。コロナのために、長い間会ってなかったDとSに会うためでした。いつも、2人のお昼寝明けに行くのが通例。たから、ちょっと遅めの午後に行くことが多くなっています。今日も、そうでした。最大の目的は、Sが歩く姿を見ること。息子のときにもそうでしたが、人間が歩き出すというのは、とっても大きなポイントだったと思いますし、実際、息子が歩き出した瞬間を見届けた感激って、何ものにも替えがたいものを感じたものですから、まずは歩いている姿を見たかったのです。Dは動き回り、よく言えば、活発で、表情が豊かなのに対し、Sは、おっとりと、Dが動き回るのを眺めているタイプ。それが、歩き出しても同じ。「あんた、静かやねぇ」と、今日も、そないな声かけをしてしまいました。一方のDは、とにかく自己表現の塊のような男。カメラを向けると、まともな顔をしたためしがない、自分で工夫した変顔をして、カメラに納まろうとする。思わず、「普通にして」と言わねばなりません。ところが、おもしろいことに、黄紺のカメラに入っていたドイツの写真を見せると、黄紺の傍らに座り、ずーっと話を聴いたのには、びっくり。でも、なーんも解ってはいないのですが、そうして、黄紺が話すのがおもしろかったようです。最後に、これも初もの、Dの自転車に乗る姿を生で見せてもらうことにしました。最近は、子ども用の小さな自転車が売られているので、よく近くの公園で、小さな子どもが自転車に乗っているのを見かけますが、Dも、正にそれ。ブレーキはかけれるは、立ちこぎまでやっちゃいます。今まで、息子の送ってくれた動画でしか見たことのなかったDの雄姿を、しっかりと目に刻んできました。Dに比べると、かなり遅くなってから自転車に乗れるようになった息子は、長じてのち、自転車ボーイになり、自転車大好き人間になり、今に至っていますが、そういった意味で、Dは、立派な息子の後継者です。そないな姿を見ることができました。DとSの、一番見たかった姿、しっかりと見ることができました。ささやかな喜びですが、自分的には、そうは忘れえない日になりそうです。その煽りを食い、今日は、連日のお楽しみのオペラ配信は、お休みとなりました。ま、それ以上の楽しみが、黄紺にはあったということかな。


2020年 6月 17日(水)午前 7時 34分

 昨日は、息子の世話をしたり、世話をされたりで、随分と時間を要した一日。まず、午前中、息子は、Dを保育園に預けたあと、京都にやってきて、黄紺の方がお付き合い。黄紺がついぞしなかった家を建てるというので、その算段に付き合うことになりました。さほど時間はかからないだろうということで、午後からは、黄紺の家の改造準備を手伝ってもらうということになってました。おかげで、1週間ぶりくらいかな、そないな間隔で街中に出ることになりました。自宅近くでウォーキングをしていると、えらくマスク度が落ちたなと思っていたのですが、電車の中とか、繁華街でのマスクは健在。マスク度は、余裕で95%以上。平日の昼間、観光客はゼロに近い状態でも、人出が多いなか、マスクしてない人は、明らかに異様に映ります。それほどマスクにマスクが続きます。封鎖解除後、一挙にマスク度が落ちたトルコの映像とは、全く違う世界が広がっていました。用件が済み、お昼を食べようということになりました。ちょうど昼時だったので、「入れないかな」と言いながら歩きながら、お店を眺めていると、京都ですから、明らかに外国人観光客狙いの店は、えらく寂しそう。普段なら混みあいそうなファーストフード店などにも、空席が目立ちます。二人で、顔を見合わせ、「これ、大変やなぁ」、そういった風景を見て、飲食店が根を上げてるとの報道を思い出していました。黄紺らも含めて、警戒心を持ち続けているということなんですね。黄紺の目は、飲食店の出すメニューや値段は二の次で、店の構造に。ちょうど通りかかったところに、オープンテラス的な レストランがあったので、そこに入ることにしました。テラスの前の席に座る黄紺に、「そこまでするんか」と、息子は突っ込んでおりました。でも、小じゃれたレストランに、連れだって、テイクアウトにする人たちもいましたし、なんか、都心部に、コロナに対する警戒感の強さというよりか、知の高さを看た思いでした。食事後、一旦、息子は、車を取りに行くので別れ、黄紺宅で合流。昨日は、あまり時間がないということで、先日、取り替えてくれた照明器具が気に入ったものですから、あと二部屋分の照明器具を取り替えてもらうことにしました。その一つは、家の改造と関係するのです。断捨離をしたおかげで、部屋に余裕ができ、家の改造中に黄紺が暮らす空間にしようとの魂胆なのです。つい先日まで、業者の人に入ってもらっている間は、ホテル住まいをしよう、うまい具合に、今、京都には観光客がいないというか、激減しているので、ホテル代がすごく下がっているので、これはいいぞと思っていたのですが、それをも節約する手を採ることにしました。端から、この手を、なぜか入れてなかったのに気がついたのでした。で、たとえ1日(これは未定)だとしても、暮らすには暮らすための環境作りということでの、照明器具の取り替えをしたというわけです。結局、これだけでしたが、照明器具を買いに行った先で、改造後に買おうとしていたものを、改造前からも役立つと考え、買う時期を前倒しにするつもりだった簡易テーブルも見つけたので、大正解。こちらの方は、今度、息子が来るときに買って来てくれる手筈になりました。昨日、たまたま業者さんと、電話で話す機会があり、施工時期の目安がつき、時間稼ぎをすることができることが判ったため、買い求める時期を後ろにずらせることになったのでした。早く買いすぎると、図体の大きなものを置いておかねばなりませんからね。
 午後3時半頃には、息子は帰って行ったので、そこからが、普段に戻りました。但し、雨模様。天気予報通り。ただ、天気予報では、3時間くらい降るとなっていたため、雨足を見て、傘さしウォーキングに出かけるつもりだったのですが、うまい具合に、1時間ほどで止みました。そのタイミングで、ウォーキングにスタート。昼間のお出かけで稼いだ歩数と併せると、ちょうど日頃のウォーキングでの歩数ぐらいになりました。オペラ配信は、雨の様子眺めを利用して観ることになりました。めっちゃ、時間をうまく使っています。「春の嵐」を、最初から観ることにしました。主役の女性の登場や男性との絡みとか、全く記憶になかったので、前日の居眠りの深刻さが判りました。でも、昨日も、軽く居眠り。軽い音楽の中に潜む甘美なメロディが禁物のようですね。


2020年 6月 16日(火)午前 6時 41分

 昨日は、久しぶりの晴れの一日。気温も上がりました。だからと言って、黄紺の生活が変わるわけでもなしで、日々のルーティンだけをこなしただけの日となりました。ちょっとだけ違うのは、この2日、夜中の変な時間に目が覚め、悶々としたことがありましたが、一昨夜は、それもなく、しっかりと睡眠を取れた以上に取れたため、ウォーキングの時間確保が窮屈になったことくらいかな。毎日追いかけているトルコのコロナ情勢で、びっくりの展開がありました。1つは、昨日になり急展開をしたわけではないのですが、日常に戻るように、制約が解除されていくなか、やはり、感染増が起こっています。トルコの話です。横ばいが4日ほど続いたあと、若干ではありますが、この2日間は、上昇に転じました。専門家の間では想定内のようですが、その原因の分析としては、緩和を待ち構え、緩和の途端に元に戻ってしまってるからというところです。どうやら、頃加減とか、徐々になんてことを知らないから、こないなことになるのだというものが出ていますね。この後の展開は、どうなるのか、見守ってきたため、気になります。その具合を、自分的に押さておかないと、納得ずくでトルコに行けないですものね。「まだ行くんかい」という突っ込みが聞こえてきそうですが、このあとのトルコ、生身で感じてみたいとは思っていますね。そして、コロナを肴にお喋りしたいなと思ったりしています。そうやってコロナ情勢を追いかけていて、数日前に見つけた記事で、気になるものがありました。「抗体検査」を「PCR検査」と併せて同時に、各戸訪問をしながら実施しようという試みです。2つの検査は、感染の有無を調べるものですが、感染の時期が違いますね。「PCR検査」の方は「今」感染しているか、「抗体検査」は「過去」に感染しているかです。どうやら、狙いは「抗体検査」の方で、抗体を持つ人がどのくらいいるかの調査だったのでしょうが、感染者が、再び増えてきているタイミングだったからか、「PCR検査」も入れたのじゃないかな。抗体を持つ人は高ければ高いほど、感染のリスクからの解放度が上がるわけですから、納得の調査なのですが、それを、最初は7県とピックアップした地域だけの情報集めだったのが、全土に拡げました。それを、いくらピックアップ家族とは言え、各戸訪問でやっちゃおうという考え方に惚れ込んでしまいました。凄いわ、トルコ。どこかの国に見せないとダメですね。
 そして、昨日も、オペラ配信は、しっかりと押さました。一昨日、続けようか迷っていたローマ歌劇場の「シモン・ボッカネグラ」、結局、最後まで観てしまいました。ちょうど1幕のアメリアのアリアが終わったところで切っていたのですが、その直後のメーリの歌唱は抜群、更に、アメリアがシモン・ボッカネグラの娘マリアだと判るデュエットにしびれ、これは止めるべきではないの気に。シモン・ボッカネグラを歌ったゲオルゲ・ペテアンは、父親の顔を見せる場面で歌う歌唱がなかなかで、それも、黄紺が、最後まで観る励みになりました。演出が平易で、先の楽しみがないと見えると、自ずと関心は歌手に向かいます。その歌手に目が行くと、吸引力は大きいですね。もう一つ観かけています。1/3は観たつもりですが、居眠りばかりなため、もう一度、最初から観ようかとも思っているのですが、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「春の嵐」(バリー・コスキー演出)。ヴァインベルガーのオペレッタですが、ま、世間のオペラ好きでも知らないという作品。音楽界のニュースを押さている方は知ってるだろうというもの。初演時以来の、久しぶりの再演が、今年行われたというニュースを押さている人には解るというもので、黄紺などは、そないなことをしてないものですから、全部、後から知ったことです。それを、ベルリン・コミッシュ・オーパーが、バリー・コスキーが再演を試みたものです。それが配信されているということで、消える前に押さておこうということでのチョイスです。ヴァインベルガーもユダヤ人で、ナチスから逃れてアメリカへ亡命しているんですね。多いですね。ドイツ&オーストリアの文化が、いかにユダヤ人により支えられていたか、改めて知る思いがしています。


2020年 6月 15日(月)午前 6時 35分

 トルコでのサッカーが再開しています。日本時間で言うと、金曜日の夜27時から始まりました。また、金曜日の夜は、寝つきは良かったのですが、夜中の3時に目が覚め、二度寝がままならない。そのとき、「始まってるやないか」と思うと、もう寝られない。この日は、今週半ばのトルコ杯での対戦に配慮してか、そこで対戦するフェネルバフチェとトラブゾンの試合が、この日に組まれ、更に試合開始時間まで揃えられた。となると、おなじみのTRT3は二元中継。でも、完全にトラブゾンの試合にシフトしてました。そりゃそうだわね、優勝するためのようなメンバーを揃え、首位に立っているトラブゾンと、脱落してしまっているフェネルバフチェとは、扱いが違っても、納得。だって、フェネルバフチェは、エルスン・ヤナルが辞任してから、後任監督すら決めず、リーグ戦残り8試合は、暫定監督で臨むわけだから、相手にされてなくて、また、納得。でも、トルコ杯では残ってんだから、こっちで頑張って欲しいと思ってたら、暫定監督、ヴェダト・ムリキを、ちょっとだけしか出さず、トルコ杯に温存しました。グッジョブです。でも、オザン・トゥファンのアホたんがレッドをもらった。だけど、トラブゾンも、ギレルメがレッド、これで帳消しです。12月までは、ギレルメは、マラテヤにいたので、10月にマラテヤで観てんだけど、めっちゃボールを持て、自分で仕掛けることのできる、とってもいい選手。だけど、ギレルメがいなくても、ホント、トラブゾンはいい選手がいます。コーチ陣やフロントの目の付けどころがいいんでしょうね。そんなで、金曜日の深夜から土曜日の早朝にかけては、ギンギンになってました。でも、TRT3を聴いていて思ったのは、無観客って、迫力ないですね。実況中継の背後の歓声なんてのが、聴いていて楽しみを伸ばすことを実感しました。でも、贅沢を言ってる場合ではありません。そんなで、金曜日の深夜は楽しんだので、当然、最近の規則正しい生活が崩れ、一昨日は、ずーっと眠いまま。そして、夜も、あっさりとダウン。ところが、ちょうど12時くらいだったかな、また、目が覚めてしまった。土曜日の深夜の話です。土曜日の夜は、バシャックシェヒルとベシクタシュが試合をする日だった。バシャックシェヒルの試合開始時間は早かったはずだからと、起き上がろうとしながら、いやいや、こないな時間に起きたら、あとで困る。またぞろ、不規則な睡眠、睡眠障害を誘発しないかが気になり、起きないまま、でも、眠れない。それを、小1時間。そないなことをしていると、普通は、諦めて起き上がるのですが、このときはまどろみ出したのです。眠っては、また、目が覚める。だけど、ちょっとの間、眠ってたことが判ると、気持ちがラハトになるもので、おかげで朝まで、しっかりと眠ることができました。サッカーは、そのため、生では聴けなかったですが、睡眠を、しっかりと取れた爽やかさは格別なものがありますね。こうした睡眠が取れるようになったのは、ホント、コロナのおかげで、同じリズムで単調な生活を続けられたからと思っています。ちょっとしたリズムの変化に、加齢のためか、身体が対応できなくなっているのかなと思っています。そんな風に思えるので、最近、自分の方から崩しにかかってないってことなのですが、土曜日の夜は、それを象徴することになりました。
 昼間は、雨の合間を利用しながら、傘持ちウォーキング2回を確保。オペラ配信の方は、少し短めでしたが、こちらも確保。「ソロチンスクの定期市」の残りを観て、途中で居眠りをしたため、最後まで筋立てを把握しないままで、終わってしまいました。次いで選んだのは、ローマ歌劇場の「シモン・ボッカネグラ」(アドリアン・ノーブル演出)。フランチェスコ・メーリ、マリア・アグレスタ、キーン・キーズリーという著名な歌手3人が出ているからとチョイス。指揮が、大家の風貌を見せているリッカルド・ムーティですからね。ただ、タイトル・ロールとフィエスコを歌う歌手は知らないというのが懸念材料ではあったのですが、始まると、ムーティも含め、全体的にピリッとしない。プロローグと1幕の冒頭のマリアのアリアまで観たのですが、ここまでで出てきてないメーリを聴いたら、その辺で止めるかもしれません。プロダクションも伝統的に過ぎますから、楽しみがないのです、今のところ。アドリアン・ノーブルは、調べてみると、メトロポリタンの「マクベス」の演出家でした。あれも、斬新さがあるわけではなかったですね。ローマ歌劇場のプロダクションって、ここで、「セヴィリアの理髪師」を観た知り合いがいて、アバンギャルドっぽい印象を言われていた記憶があるのですが、前回の「エルナーニ」もそうでしたが、今回も月並み過ぎで、正直、失望しているところです。


2020年 6月 14日(日)午前 8時 5分

 昨日も雨、見事に梅雨です。でも、なんとか、ルーティンをこなそうとする黄紺。昨日は、夕方に所用があったので、時間帯は、若干ずれはしましたが、こなしたと言えると思います。ラッキーなことに、ウォーキングをしている間に、うまい具合に、雨が、一時的にせよ止むこともあり、それだけでも、気分は違うというものでした。午前中は、屋根付き公園に行き、読書も敢行。午後のウォーキングでは、端から読書は諦めていたのですが、これは、時間がないためから来ていたことで、致し方がありません。ちょっとせわしなかったのは、夕方の所用と書いた一件。実は、家の改造を依頼していた業者さんが来られる時間だったのです。大工仕事を専門にされている業者さんではないのですが、「そちらの仕事もできますので」と、前回、他の修繕をしてもらったときに言いおいて行かれたので、そういった業者さんには縁のない黄紺は、ダメなら、専門家を紹介してもらおうの気持ちで依頼したのでした。全然、大丈夫ということで、見積りを出していただくことになりました。一室を、和室から洋室に変えようとのプロジェクトです。でないと、救急車騒ぎのときのような痛みが、腰なり首なりに出ると、和室では無理です。それが第一の狙い、また、そうすることが、年期の経った家屋の補修にもなり、その改造のためには、断捨離を断行しなければならないと、ま、これだけでも、一石三鳥になる、それをやろうとしているのです。業者さんが入られる前に、手を入れる部屋を総ざらいしなければなりません。3月にドイツに出かける前に、息子に助けられ、ほぼ断捨離は終わっていますから、残しておきたいものを梱包する作業をしなければなりません。それでできた荷物は、施工業者さんが預かっていただけるようになりました。これは想定していなかったことで、関係の業者を探す手間も省けた上に、処分しなければならない家具についても、お任せ下さいということでしたので、段取りを考えたり、一つ一つの業者さんに依頼しなくて済むのが、望外のことで、考えてみれば、今の時代、効率も売れるわけですから、自分で案じる前に、プロに相談だったなと思っているところです。かなりの出費となるでしょうが、この改造が終われば、今よりかなりいい生活ができそうと夢想している黄紺でもあります。
 そんなで、いつもよりは、ちょっとせわしない一日になりましたが、今日もオペラ配信は、きっちりと押さることになりました。選んだのは、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「ソロチンスクの定期市」(バリー・コスキー演出)。その存在も知らなかったムソルグスキーの作品です。恐らく、この機会を逃すと、観る機会はなかろうというオペラ。コミッシュ・オーパーは、先日の「クレオパトラの真珠」もそうだったように、埋もれた作品の掘り起こしに積極的なものですから、嬉しい存在です。しかも、それらの多くは、こちらのインテンダントのバリー・コスキーのプロダクションときているものですから、観たい、観ようの意欲が湧いてきてしまいます。この「ソロチンスクの定期市」も、「ボリス・ゴドノフ」同様、作曲家本人は完成させておらず、後世にて補筆完成されたもので、コミッシュ・オーパーのサイトによると、ラム・シェバリーン版となっていました。お話は、ロシアものに多い、大河ドラマとは無縁な、村の下世話なぐだぐだ話。プロダクションは、装置をほとんど使わず、歌手陣とコーラスの演技中心の進行。スター演出家が、自慢の腕を披露すべく取る手と言えば、言い過ぎかもしれませんが、あながち外れてはいないでしょう。観ていて思ったのは、ホント、よく楽譜を読み込んだ演出だということ。毎度、趣向をこらし、楽しませてくれるバリー・コスキーは、スター演出家の中のスターですね。


2020年 6月 12日(金)午後 9時 49分

 雨の一日と書きたいところですが、正確に書くと、黄紺的には、タイミング良く、雨は止み、また、タイミング悪く、雨が降りだしたとなり、ずーっとは雨ではなかった一日と書けばいいでしょうか。タイミングの良し悪しを書いたのは、自分がウォーキングに出かけようかというときには、雨が止んでおり、特に昼前のウォーキングのときは、帰ってくるまでは大丈夫だろうということで、傘を持たずに出かけたくらいだったのですが、ダメでした。タイミング悪くというのは、ウォーキング途中の公園で、いつものように読書をしていると、正に、そのタイミングに降られてしまったのです。傘を持ってなかった昼前の雨は、軽い霧雨だったもので、大事には至らずでした。夕方は、強く降りました。ま、天気予報通りだから、そないな時間に出かけて、のんびりと読書に入ること自体が間違ってるのでしょうが。今日のトピックは、1つだけ。でも、今日のは、とっても大きなこと。ついに、家の改造に取りかかることにしました。かなり本気で考えていたのですが、コロナを睨みつつ、息子の時間を自由に使える、そのタイムリミットが近いていることで、しなければ、でも鬱陶しい、でも、また体調がおかしくなれば、大変だなどなどの繰り返しだったのですが、決断しました。その決断をすると、施工業者に連絡をして、見積りの依頼をしました。するなら、打診をする業者は、以前、他の件でお願いしたことのある業者と決めていたため、そこで迷うことはなく連絡。早速、明日、様子見に来られる手筈が整いました。そして、その決意を宣言しておきたくて、息子に電話を入れ、「やる」「業者に連絡を入れた」ことを伝えました。息子も、電話の意図が解ったらしく、「宣言やな」と言ってました。あとは、電話でぐだぐだ話。黄紺は、こうした家のことが、全くできない、端から見ると、全くの困ったちゃんなのですが、息子は、変に違うのです。母親の方は、黄紺以上に困ったちゃんと見ているようなものですから、黄紺の世代からは受け継いでない何かを持っています。敢えて言えば、一世代跳んだところから受け継いでるんだなと、前から思っていましたが、今日、また、そのようなことを感じてしまいました。ぐだぐだ話の成り行きで、もうコロナもいいかなということで、Sが歩く姿を見に行くことになりました。楽しみが、一つできました。
 で、今日のオペラ配信は、モネ劇場の「金鶏」(ローラン・ペリー演出)。まず、黄紺的には、DVDを持っていながら、まだ観ていないため、「金鶏」というオペラ自体が初めて観るもの。リムスキー・コルサコフの作品ですから、ロシア語となるためか、ドイツでも、黄紺の知る限りでは、上演されたのは目にしたことはありません。そこまでレアかと思うのですが、ないので仕方ありません。そないな作品なもので、必ず観ておこうとチェックを入れていたもの。ましてや、スター演出家ローラン・ペリーのプロダクションですから、ひょっとしたらと思い調べてみると、DVD化されていました。ただ、金額がお高くて、手が届かないものですから、この配信は、ホントに嬉しく思っております。そして、実際、ローラン・ペリーのプロダクションが素晴らしい、ホントに素晴らしい。話自体、ロシアの民話に取材しているのかな、そういったお伽噺的な筋立て。国の危機を知らせてくれる金鶏を、魔法使いから手に入れたツァーが、戦いに出かけた先で見つけたというか、戦った相手の女王を手に入れたが、結局、魔法使いに、金鶏の見返りに、手に入れた女を求められ、拒否すると、命で代償を求められたというもの。ツァーが手に入れたと見える女も、ちょっと魔法使い的雰囲気があり、その歌唱が、過剰に美しい。この耽美的な場面がありながら、メジャーになりえてないというのは、知名度が低いということに尽きるというものです。ローラン・ペリーのプロダクションは、一貫して戯画化したもので、うまくできています。装置も、よくできています。冒頭の荒涼とした大地に置かれているツァーのベッド、戦闘の中で出会うツァーと女、間を裂いているのは、円環状の鉄条網でした。そういった構図に、時々現れる農奴たちのシルエットも良く、ヴィジュアル的にも、すっかりうなされるものを感じました。


2020年 6月 11日(木)午後 10時 39分

 今日から、間違いなく梅雨ですね。朝から雨、時たま止むことはあっても、ほぼずっと雨。夕方には、一時的だったにせよ、夕方の傘さしウォーキングはボツだなと思わせられた強い降りまでありました。幸い、強い降りは長続きせず、日に2回のウォーキングは完走。昼前の方は、最後の1/4ほどは、傘なしウォーキングもできました。ですから、今日は、雨の一日にしては、全く鬱屈感のない日となりました。雨だから、ウォーキングついでの読書が、ままならないのがたまに傷。でも、この間読んでたマキアヴェリについての本、読み上げました。宗教改革を囲い込んでいたつもりが、同時代人にも目を向けようじゃなじゃないかと始めたのですが、やっぱり俗っぽい方が、性に合ってるようで、簡単に方向転換してしまってました。2つとも、ヒューマニズムで繋がってんだからいいの、これは、黄紺的弁解。そんなで、次は、ブルクハルト紹介を旨とするような本を選んでしまってます。ターゲットの再洗礼派が遠のいて行きます。
 今日のトピックは、小さな小さなものが2つ。1つは、給付金の申請書、出しました。2日前に書類は来ていたのですが、後回しに仕掛けて、すぐに反省。というのは、早くも書類を、どこに置いたか、すぐに思い出せなかったから、放置すると、申請すること自体を忘れてしまいそうだったから。記入事項で困ったのは銀行コードくらいかな。これ、調べ方解らない人、どうするのかと思いました。面倒なのは、身分証明のためと銀行口座を証明するための通帳などのコピーですね。これも、コピーなんてしたことない人って、たくさんいるでしょうにね。黄紺は、身分証明は、パスポートと健康保険証と2つ用意して、写真があるのが嫌だったのでパスポートは却下。銀行関係はCD用カードを3枚コピーしてみたのですが、使えるのは1枚だけ。というのは、カードの見栄えを考え、銀行はカード表面にデザインをしてくれているのですが、あれがじゃま。肝心の口座番号が、めっちゃ見にくい。てなことで、一番あっさり系カードのお出ましになりました。これで、コロナで無茶苦茶にされた2回のオペラ紀行の損失を、少しでも補填できます。嬉しい。でも、これ、集計するの、大変だろうなと思ってしまいました。担当のお役人さんの悲鳴が聞こえてきそうです。それとも、外部委託をしているのかな。そないなことを知らない自分に、驚いています。総務省が、マイナンバーと銀行口座の一体を言い出しているというニュースを観ました。ここで使うエネルギーを、他の建設的な仕事に費やして欲しいものです。一方で、それはダメやろという声も、自分の中で聞こえてきます。個人の権利という不可侵だと思っていたことに、コロナのやつは、いろいろと考えさせますね。2つ目のささやかなトピック、これは、6月中に延期とされたコンサートに行くか否かについて、結論を出しました。行かないことにしました。この時期にコンサートをするなんてということで、怖いもの見たさの気分があるのですが、6月は様子見の時期とした判断を支持することにしました。そないなことより、歴史的なコロナ騒動を追いかける身として、まだ、そのスタンスを維持したいため、コンサートに行く時間は勿体ないのです。トルコのコロナ情勢を、今、黄紺は定時観測をしています。それを崩したくないという気持ちが勝ちました。こないな歴史的事件に遭遇しながら、追求しきらないのは勿体ないと思ったからです。復帰は7月から、これを堅持することを、自分の中で確認しました。
 で、今日のオペラ配信は、パリ・オペラ座の「ボエーム」(クラウス・グート演出)。パリ・オペラ座がやってくれました。先日の「リゴレット」に次いで、クラウス・グートものを配信に入れてくれました。そして、また、このプロダクションが、異彩を放つばかりか、おもしろい、そして、黄紺の目には涙、涙となりました。1幕は宇宙船のなか。3幕以後は、どこかの星の表面と、舞台が宇宙なのです。宇宙船の中にカルチェラタンが出てきたり、クレーターの傍らで、ミミとロドルフォの別れが歌われます。結局、このプロダクションの骨子は、難破しかけの宇宙船に乗っているロドルフォが、死の瞬間に思い描いた忘れえぬ光景を再現しているのです。死は1つでない、正確には5つ、焦点化されるのは2つです。それが確実だなと思えた最終幕の半ば以後、涙、涙となってしまいました。悲しみの倍加です。素晴らしいアイデア、です。さすが、クラウス・グートです。1幕最後のハイCユニゾンのところを、ロドルフォが1オクターブ下げたのも、グートの指示じゃないかな。ロドルフォは死が迫りつつあることを自覚しているはずですから、ユニゾンはまずい、短三度くらい下げるのなんか意味ないなんて声が聞こえてきそうです。歌手陣も充実。黄紺の知っていた歌手は、マルチェルロを歌ったアルトゥール・ルチンスキだけだったのですが、ミミは、ミミ歌い的な活動が看られるニコレ・カー、納得ということです。ロドルフォのアッターラ・アヤンも、申し分のない声。この人のキャリアも素晴らしく、知らない黄紺が悪いということですね。パリ・オペラ座は、相次いで興味をそそるものを出してくれています。プリティ・イェンデがタイトル・ロールを歌う「椿姫」も残ってますから、目の離せない配信になってきています。


2020年 6月 11日(木)午前 7時 53分

 これを書き出す前に、天気予報が気になっていたので確認すると、これから週末にかけて、連続的に雨。梅雨に入ったってことですね。いやだぁ~。こないだ内、1日だけでも雨に降られるだけで嫌だったのに、それが続くのは耐えきれない。憂鬱な時期に入ってきました。で、昨日は、一昨日、開発に行き失敗をしてしまったウォーキングの新コース、あっさりと諦めて、従来の手持ちのコースから選択。この時期くらいになると、ウォーキング途中の休憩兼読書が大変。蚊やら何やら、いろんな虫に狙われるため、落ち着いて読書どころではないほど、狙われてしまいますね。先日、ドラッグストアーに防虫スプレーを買いに行ったのですが、思いの外、お値段が高くて、あっさりと諦め、虫と闘うことにしました。今までもそうだったのだから、我慢することですね。昨日の夕方、メールを開けると、ちょっと驚いたメールが入っていました。先日、講演会再開の案内メールが入っていて、第1号ということで、こちらにメモりましたが、ぞれに次ぐ第2彈はコンサートでした。先ほどの講演会は7月実施のものだったのですが、こちらのコンサートは6月です。しかも、このコンサート、当初は4月開催だったのが、6/12に延期され、更に、その6/12開催も延期され、で、その延期先が6/16、「それ、なんやねん」、これは突っ込みました。だけど、落ち着くと、普通になっていくスピードが気になりだしました。想定外の速さです。3月にドイツで、世間の動きの速さに翻弄されましたが、また、逆戻りの速さに翻弄されかかっているのに、気がつきました。前回が、日本ではなくドイツで体験したのに対し、今度は日本でです。これって、コロナに対する日本のスタンスを象徴しているようですね。6/16になったコンサート、どうしようか迷っています。別に時間は空いていますが、6月いっぱいは動かない、復帰は7月からと決めていたため、それを崩したくないな、ぞれが、この間の巣籠もりに対する適度な答えかなと思ったのですが、それではスピードについていけてない自分を認めることになりはしないかとも考えたりしています。幸い、やんぺにした場合には、払い戻しがきくようなので、ちょっとは考えることにしましょう。
 今日のオペラ配信は、まずは「クレオパトラの真珠」の終盤を観たあと、時間を見ると「いけるだろう、但し、演目によるが」ということで、メトロポリタン歌劇場を覗くと、運は黄紺に味方しました。ライブビューイングで観ることができなかったものが、本日の公開動画になっていました。「イオランタ」「青髭公の城」(マリウス・トレレンスキ演出)2本立ての日でした。「イオランタ」の主演がネトレプコ、相手約役がビョートル・ベチョワというスーパーな歌手、指揮はゲルギエフ、演出はポーランドの俊英、凄い組み合わせ、しかも、ロシア・ポーランド連合軍だ、正に。「青髭公」は、ほとんど居眠りをしてしまったので、メモりようがないのですが、「イオランタ」が良かった。実は、「イオランタ」ってオペラ、観るのも初めてだし、内容を知るのも初めてというもの。チャイコフスキーの作品ながら、一般には、存在すら知られてないんじゃないかな。主役のイオランタは、盲目の女性。ぞれを憐れんでか、父親が、そのことを知らせないで隔離して住まわせている。そこへ、偶然、道に迷った騎士が現れ、盲目であることを知らせ、世のか中には光というものがあることを教えます。旧約聖書の冒頭部を引用して、イオランタに教えていく場面は感動的で、涙が出てしまいました。最後は、イオランタの目が光をとらえて、めでたしめでたしで終わる、アンデルセン童話から取られた作品です。不思議だったのは、イオランタの目を治す医師というのが、イスラームの医師という点。ありえない技術を持つ異界の人ということなのでしょうか、それとも、中世イスラームの自然科学の偉大さから来ているものなのでしょうか、おもしろい設定でした。


2020年 6月 10日(水)午前 6時 00分

 昨日は、約1ヶ月半ぶりのお出かけ。緊張しました。午後まで、そないな予定はなかったのですが、ずっと気になっていた兵庫芸文センターの払い戻し(「ボエーム」絡みのチケット)を調べたら、芸文のウェブサイトでチケットを買っても、発券をしてもらったコンビニで払い戻しとなっていた。中止や延期の連絡が葉書で来たとき、実際の払い戻しは6月と書いてあったので、待っていたのですが、結局、なしの礫。中止や延期の連絡が葉書で来たので、払い戻しの連絡も葉書で来ると早合点をした黄紺がバカでした。そこで、発券場所を調べると、京都のど真ん中。家の近くではなかった。大阪でなかったのが、まだ幸いでしたが、期限が切られており、そないな期限までには、そないなところに行く予定などない。場所がら、京都アスニーに行った帰り、ウォーキングがてら三条まで歩いた途中で、発券してもらった模様なのですが、こないなことまで考えて、発券は、家の近くに限るなんてことは考えてなかったので、今回の教訓になりました。一応、まさかとは思いながら、京都アスニーでの催しが復活してないかは調べたのですが、復活していれば、ついでに払い戻しができますからね、ても、やはり、まさかはありませんでした。で、忘れないうちにと、6月中には行かねばならないので、いつ行っても同じなので、すぐに行くことにしたというわけです。世間は、黄紺の知らない内に、普通に戻っていました。ちょうど下校時間に当たったこともあるのですが、ソーシャルディスタンスなんて言葉は、死語だと思いましたね。ターミナル駅で降りるときなどは、慣れないものですから、すっかり人混みが怖くなっているものですから、わざと降りる時間を遅らせて、ちょっとでも、混雑を避けました。京都は、感染者が、2日程前に1人出ただけなんで、そこまで怖がらなくてもいいのかもしれないのですが、巣籠もりに慣れた身には、ハードルが高かった。てなわけで、久しぶりに都会を歩きました。電車の中は、さすがにマスク率100%でいいでしょう。往きでは外国人が1人、帰りではヤンキーのお兄ちゃんが1人、どちらも、理解ができそうもなかったので、それぞれを省くと、100%でいいんじゃないでしょうか。でも、街中の方が、近所でウォーキングをしているときとかに見る風景とは違い、マスク率高いですね。人生をついでに生きている人は、都会には出歩かないのかな。昨日も、ささやかなトピックがなかったわけではなかったのですが、久しぶりの外出に比べると、あまりにもささやか過ぎるので、自分の胸に納めておくことにしましょう。ただ、午前中のウォーキングで、新しいコース開発を試みたのですが、結果は失敗。かなり道に迷ってしまい、結果的に長めのウォーキングになり、且つ、久しぶりの京都の街中に出たというので、しっかりとアーバン・ウォーキングをしてしまった結果、久しぶりに1日の歩数が2万歩を超えました。
 そないな合間を抜い、昨日もオペラ配信を楽しみました。既に、公開されてから日にちが経っているため、早めに観なきゃの気持ちがあったにも拘わらず、放置をしてあった作品です。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「クレオパトラの真珠」(バリー・コスキー演出)をチョイスしました。正直言って、こないな名を持つ作品は知りませんでした。コミッシュ・オーパーのプロダクションだということで、オペレッタだろうの予測での視聴。作曲年が1924年ということがあるのでしょう、アメリカン・テイストがいっぱいの中に潜む、旧世界の音楽探しに躍起にさせられる雰囲気です。善きにつけ悪しきにつけ、1920年代の世界、です。途中で居眠りを僅かにしてしまい、筋立てが、イマイチ解ってないのですが、オスカー・シュトラウスの世界に触れられただけで、かなり満足しています。ドイツでは、たまに「愉快なニーベルンゲン」の上演を見つけることがあるので、機会があれば観てみようの気が湧いてきています。急にお出かけを決めたため、あと少し残っています。ちょっとハチャメチャ風世界を作っているバリー・コスキーのプロダクション、楽しく楽しく仕上げています。さすが、バリー・コスキーってところですね。


2020年 6月 9日(火)午前 6時 25分

 このまま、7月へと突っ走ると、ヤバいぞと思うくらい、昼の気温上昇が激しい毎日。この冬は、寒さがましだったので助かったのですが、この夏は、今の様子だと、気が滅入ります。ただ、梅雨前なので、カラリとしているため、気温の下降も激しいものがあります。昼間に温めた大地を、まだ冷ますことができてるってところですね。昨日は、思い出し笑い2題です。ウォーキング途中に思い出すと、頭が、それでいっぱいになり、歩いてた場所が吹っ飛んでるときがあります。息子が、幾つか送ってくれたビデオレターの2つのシーンにはまってしまってるのです。ですから、ネタは同じだから、1題でいいですね。笑わしてくれるのは、いつもD。Sは、まだ歩き出したところなので、笑わせるには、もう少しデビューは先になるかと思っています。某堤防に行ったDの腕にてんとう虫がとまり、徐々に歩き出し、半袖の袖の中に入ろうとするので、入らないように袖を押さえながら呟くD、「こそばい」(早くも関西人になってます)、「やだぁ~」、笑いのツボ①です。すると、てんとう虫は、袖の下に入らず、袖の上を歩き出した、ちょっとホッとするD、だけど、次の瞬間、てんとう虫は飛ぶのです。「オーっ」と小さく声を上げるD、横にいる息子も「オーっ」と言ってる。小さなDが、大人と同じ反応を見せるので、こちらも「オーっ」ってことで、笑いのツボ②、ところが、てんとう虫は、何を思ったのか、元に戻ってきて、Dの顔に激突、思わぬ展開は、もちろん笑いのツボ③、その激突した瞬間の映像を止めて、Dの、そのときの顔を見るのが、当然、笑いのツボ④となるのですが、これを思い出すと、思い出し笑いのリフレインをしてしまうのです。もう一つの映像は、Sの食事風景を撮っているとき、ちょっとだけフェードアウトすると、Dが映っていた。Sの方は、機嫌をとりながら、息子夫婦が食べさせているのに、横では、正にがっつきながら食べるDというコントラストが、笑いのツボ①、そして、がっつくDの鼻には、がっつき過ぎたからでしょうね、きっちりとハンバーグのソースが着いていました。これが、笑いのツボ②。これを交互に思い出すと、歩いている場所、忘れてしまいます。ウォーキングしてるときって、こうした思い出し笑いや、知り合いと喋ったら、こないな話をしてるだろうなとか、昨日だったら、去年、トルコに行ったときの行程を振り返りながら、あては全くないのだが、この旅の話を誰かに話すとすれば、どの話をするかなぁとか、わりと妄想にふけることが多いですね。ウォーキングをしようとしない人の中には、「その時間が退屈」だとか、「周りの景色ばっか見てるのっておもしろくないでしょう」って言ってるのを聞いたことがあるのですが、黄紺は、自分の身体の動いてる感が心地好いだけではなく、家から外に出て解放されてるからでしょうか、いろいろと妄想に耽ることができるってのが、いいんだなぁ。ですから、よく似たコースを、いくら繰り返しても、ウォーキングをするだけで楽しくなるのだと思っています。
 で、昨日のオペラ配信は、一昨日の続き。2日間で、モネ劇場の「ローエングリン」を完走しました。ただ、オリビエ・ピのプロダクションが難解で、正直なところ、ギヴアップです。一昨日までは(オルトルートがエルザの懐に入り込んだところまで)、装置には特異性があるとは思いましたが、何らテーマ性のあるプロダクションだとは考えていなかったのですが、ガラリと変わりました。ローエングリンとエルザの応酬場面では、縦横に12だったかに仕切られた部屋には、ドイツ・ロマン主義の文化人の名札がかかっていました。ゲーテ、グリム、ノヴァーリス、ヘーゲル、フリードリヒ・シュレーゲル、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フリードリヒ・ヘルダーリン、フリードリヒ・フォン・シラー、ハインリヒ・ハイネ、カルロ・マリア・フォン・ウェーバーと、メモれた文化人の名前ですが、また、各部屋の置物の中には、抜けないノートゥンクの展示(グリムの名札のある部屋)があったりで、置物の意味は、それくらいしか解らなかったのですが、それらと、「ローエングリン」の筋立てを、どのように照合すればいいのか、さっぱり見当がつかないのです。はたと気づいたのですが、自分が、そもそもドイツ・ロマン主義に関するエピソードを思い付かないということ。だから、イマジネーションの働かせようもないのです。このプロダクションの理解とは別件ですが、この「ローエングリン」を観ていて、今まで気づいてなかったこと(今頃なのかと突っ込んでます)ですが、エルザって、オルトルートの言うこと、真に受けるにも拘わらず、裏を返せば疑うということをせず、なぜ、ローエングリンの言うことに疑いを持ったのかということです。ここ、矛盾してますよね。オルトルートが、エルザに疑いを持つように働きかけている場面はあることはあるのですが。それで、疑うようになったというなら、オルトルートの役割が、一層、高まってしまいますね。もう一つ考えられるエルザの疑いのきっかけ。愛というか、ローエングリンに対する思いの大きさが、そうさせた。確かにそうですが、それが、エルザを破滅させていきますが、国は救われる。弟が戻り、新たな王になるわけですから、「自己犠牲による救い」のモチーフが見えてきます。しかも、「女性の愛」によるわけですから、ワーグナーお得意のモチーフですよね。それと、ドイツ・ロマン主義とを結びつければいいのかなぁ。ロマン主義ってのは、前代の啓蒙主義、合理主義のアンチテーゼとして出てくるくらいは、黄紺の頭にも入っていますから、それの表現? だったら、スケールが大きいんだけど。歌手陣は、エルザのインゲラ・ブリンベルクが気に入ったと、既に書きましたが、もう一人の女性の主役オルトルートを歌ったエレナ・パンクラトーヴァが、もう一枚、その悪者ぶりに魅せられました。そないなことがありということで、いつものデータベースを使い、主役たちのキャリアを調べ、更に、黄紺の観賞履歴(これは自分で作っている)を照合して、2回の「あっ」が飛び出しました。エルザのインゲラ・ブリンベルクは、ベルリン・ドイツ・オペラで観た「オランダ人」(プロダクションがつまらなかったとだけインプットされてる公演)のゼンタを歌ってましたし、タイトル・ロールを歌ったエリック・カットラーは、シュトゥットガルトの「フィデリオ」(カンブランの指揮に魅せられた思い出の強い公演)で、フロレスタンを歌ってました。こうして、データの照合をして、初めて判るくらいですから、生で聴いたときは、印象が薄かったのでしょうね。この「ローエングリン」のあとは、数ある候補作品の中から、次なる作品として、とっても珍しい作品を選んだため、その作品についての情報集めに忙しく、ほんのさわりしか観てないので、次の作品については、次にメモることにします。


2020年 6月 8日(月)午前 6時 53分

 昨日は、日曜日だったんですね。でも、非常事態宣言が出ていた頃とは、街の様子は、明らかに違いますね。週末なんかは、空いている公園を探すのに苦労していましたが、もう、昨日など、普段の日曜日かなという感じでしたが、一つには、暑いということがあるかもしれないので、即断は禁物です。黄紺は、毎日、同じルーティンをこなしているだけで、違うのは、ウォーキングのコースだけですから、ほとんど定点観測をしているようなものですから、変化というものに敏感になることができます。一時は、いつもの利用者に日常を返せ的な状態だった公園やスーパー、そういった感情を持ったのも、定点観測的な日々を送ってる証左でもあるかと思います。そういったなか、僅かの変化にも反応する黄紺ですが、昨日も、僅かに2点にだけ反応しました。1つ目は、ずっと観ているドイツ系Youtube(在ベルリン)で教えてもらった情報。7月のどこかから、ドイツが日本からの入国を認めそうというもの。情報はそれだけなので、認めても、隔離2週間は嫌だし、この辺はどうなんでしょうか。来シーズンのオペラのスケジュールは、一応、暮れのものから集め出しはしていたのですが、現在、中断中です。いや、削除はしないまでも、早くも、年が明けないとの気になってきているのが、現状です。どんどん遠くなる、ドイツ・オペラ紀行です。その内、黄紺の寿命が尽きそうで、正に、命との競争ですが、オペラって、命をかけるほどのものか、これは考えないといけないですね。
 もう一つは、どこも同じやなというもの。日本で非常事態宣言が解除されて以後も、警戒が呼び掛けられているにも拘わらず、感染者が増えてきています。新宿や渋谷の映像を観て、ドン引きをしていた黄紺が、トルコの外出禁止解除が出された直後のイスタンブルなどの様子を知り、一層のドン引きしてしまいました。日本がえぐいと思ってだけど、トルコのえぐさは、それを超えてました。人間って、ダメですね。すぐに忘れてしまう。混雑ぶりが目に余るところを、報道では選んでるのでしょうか。アダナのオトガルの混雑ぶりは、黄紺的にはありえない風景でした。これが、つい先日まで、大きな規制があったのかというところなのですが、よく考えてみると、アダナは、大都市でありながら、最後に残った15県から外れていたため、厳しい規制は遠い過去になってたのかと思っても、ありえない光景でした。
 で、今日のオペラ配信。まず、一昨日からの続きということで、ドレスデン州立歌劇場の「魔彈の射手」。最後まで、伝統的な舞台でした、家の造りや衣装は、ドレスデンってことで、やはりザクセン風だったのか、それとも、どこか他の地方を想定してのものか、そんなことが気になりましたが、このプロダクションを観ているドイツ人には判っているかもしれませんね。徹底して、その古風な雰囲気で進められると、緊迫感が高まるものかなと思っていたのですが、それだからかもしれないですが、それ以上に、オケが良かったからかなと思っています。舞台と一体化する音楽作りと言えばいいのかな。ティーレマン、面目躍如です。1つだけ、気になったのが、ザミエル。村に住む足の不自由な女性がそうだったのかな、ちょっと自信はありませんが、その気になる女性は、何だったのか、なぜ彼女にしたのかということについては、他の人の意見を聴きたくなりました。歌手陣では、やはりザッペンフェルトが、最大の歓呼で迎えられてました。全く同感ですが、黄紺的には、マックスを歌ったミヒャエル・ケーニヒの歌唱も気に入りました。気になったので調べてみると、シュトゥットガルトで「フィデリオ」を観たときのフロレスタンを歌ってました。シュトゥットガルトでは、さほど強い印象、残ってなかったのですが、、、。ヴィジュアル的には、黄紺のマックスのイメージから外れていましたが、憂いのある歌唱に惹かれてしまいました。次に選んだのが、コヴェントガーデンの「三部作」だったのですが、ひょっとしてと思い調べてみると、DVDで出ているものと同じものでしたので、やんぺにしました。お手頃価格のDVDなので、いずれ買うだろうと考え、観賞候補作品が目白押しのなか、思いきって外し、次なる候補としていたモネ劇場の「ローエングリン」(オリビエ・ピ演出)にしました。オリビエ・ピものだということでのチョイスです。回り舞台を使っています。3年程前くらいからの流行の回り舞台と言えば、回転舞台の円周部の約半分程に、高い塀状のものを作り、その内側、即ち180度回転させると、その内側が見えるわけですが、そこに屋内の装置を配置すると、塀状の裏が背後の壁になるというもの。すぐに思い出すのは、イェンス・ダニエル・ヘルツォークのプロダクションでの「シチリアの夕べの祈り」(フランクフルト)ですが、実は、オリビエ・ピも、ベルリン・ドイツ・オペラの「預言者」で、この型の装置を使ってたはずです。ということで、その有用性に満足しているということですね。この「ローエングリン」では、塀状の作りの部分は、石でできた城壁、内側は、その城内というところでしょうが、敢えて木組みで、塀の裏側になる部屋や、そして、中央部の床を作っています。いや、「木組み」感を出すようにしています。その狙いや効果は、全編終わってから考えることにしましょう。歌手陣は、知らない人ばかりですが、エルザを歌っている歌手(HPには2人の名前が上がっているのでクレジットで確認します)が抜群の歌唱力で、このあと、ローエングリンの素性に迫る場面が待ってますから、楽しみがつのります。

★本日(6/8)行くはずだったオペラ
ワルシャワ国立歌劇場での「ウェルテル」(ヴィリー・デッカー演出)。この日が、このオペラ紀行の最終日でした。この「ウェルテル」を観たくて、デンマーク・インを止めた原因となりました。実は、ヴィリー・デッカーのプロダクションは、フランクフルトと同じものだと思いながらも、「ウエルテル」が観たくて、でした。


2020年 6月 6日(土)午後 10時 32分

 最近、睡眠が安定し、睡眠時間自体が長くなり、また、オペラ配信は、今、一番外せない時期ということで最優先にしていることもあり、それ以外の時間が、かなり減っています。もちろん、ルーティンとしていることは動かさないでの話ですので、単調さの極みってところです。片付けをしたり、Youtubeを観たりする時間が激減しているため、動きが頗る単純化されているのです。そもそも息子の助けを借りて断捨離を敢行したのは、この間出てきている極端な身体の変化に対応すべく、家の改造をしようとしたからなのです。そこへ、コロナです。本来なら、今いるはずだったポーランドから帰ると、改造に取りかかれるようになっているはずでした。しかも、改造となれば、いろいろと業者に家内に入ってもらわねばならず、やはり、このご時世、怖いですから、中断したままになっている状態です。コロナの状況は見ていかねばならないのは言うまでもないのですが、手伝ってもらわねばならない息子の自由が訊くタイムリミットが、ぼちぼちと迫ってもきているため、憂鬱なのです。工事の段取りがついたところで、第2波は嫌だし、とっても悩ましいのです。これ考えると、ホント、鬱陶しい。でも、遅くとも、10日程の内には、するのかしないのか、しないのなら、歩けなくなったときはどうするのかの見通しを立てねばなりませんしね。
 ところで、オペラとか、コンサートは、どうなるのでしょうね。コロナがピークの時期は、ドイツの歌劇場からは、メルマガの欠片も届きませんでしたが、ぽつりぽつりと増え出していますね。オペラ配信の案内を送ってくれたり、オペラではなくても、小さなコンサートの動画配信の案内をくれたりする一方で、来季の案内も増えています。が、数日前、ネット上にあるオペラ関係のデータベースのサイトを眺めていて、そうだと、来季のメトロポリタン歌劇場のラインナップを調べる気になりました。スケジュールを見ると、ライブビューイングで流れそうな演目の見当がつきますからね。ところが、びっくりしました。メトロポリタンは、早々に、今年いっぱいの公演をキャンセルしてました。これは衝撃でした。でも、ニューヨークは無理かぁと、出るのはため息ばかりでしたが、ちょっとしたところでは、納得している自分もいました。じゃ、ドイツはどうなの、です。今日もらったリンツ劇場では、今季内の日程で、施設を使ったミニコンサートを行うようですが、オペラとなると、ヨーロッパの先端を走るオーストリアの劇場といえど、何も出ていませんでした。同じく、今日入っていたブレーメン劇場のメルマガには、6/19に、何らの発表があるようなことが書かれていましたから、今しばらくは様子見ですね。そういったなか、初めて講演会の案内が入りました。7月に入ってからのものですが、長い間、見てなかったものです。京都府国際センターでの催し案内でした。黄紺は、復帰戦は、メトロポリタンのライブビューイングの「アグリッピーナ」と決めていましたが、その講演と似た日程でしたから、復帰日は、この2つで競うことになりました。落語会と講談会は、会場の窮屈さを考え、その2つのあとにするつもりにしています。落語会を後回しにするのは、大阪に行きたくないというのが、最大の要素かもしれないですね。南海さんや南湖さんが、たとえ6月中に会を設定されても、パスするつもりをしています。
 で、今日のオペラ配信。ローマ歌劇場の「エルナーニ」の続きを、まず観ましたが、最後まで、変わらぬ古風さ。装置、衣装、まるで、タイムスリップしたかのようなもの。ローマ歌劇場ってところが、こうした保守的なプロダクション好みなのかは知らないのですが、このプロダクション&歌手陣&ムーティなら、絶対に、どなたか、生で観た感想を書いているはずと決めてかかって、「ムーティ エルナーニ」で検索すると、あっさりとヒット。やはり、生でご覧になった方と、映像で観るのとの違いが判りました。フランチェスコ・メーリは、やはり抜群の評価。映像でもナンバー1ですものね。男性2人(アブドラザコフとルカ・サルシ)が不調だというのも、本来ならもっといいという意味なら、納得できるもの。ただ、タチアナ・セルジャンに関しては、評価されてませんでした。「余計なヴィヴラートが」というものだったのですが、実は、生声の具合の悪さを、最も修正可能というか、生声を伝えきれない声質というのがこれかと思っている黄紺には、「痛いところ書かれちゃったな」というのが、正直な感想。タチアナ・セルジャンのインパクトが強くないわけが判らなかったのですが、そういうことだったのかと、変に納得しております。「エルナーニ」が終わると、待望のドレスデン州立歌劇場の「魔彈の射手」(アクセル・ケーラー演出)。ティーレマンの指揮というのが魅力的だということでのチョイスです。歌手陣で知っているのは、カスパーを歌うドレスデンの雄ザッペンフェルト。まだ、30分弱しか観てないですが、こちらもオーソドックスなプロダクションという印象です、今のところ。

★本日行くはずだったオペラ
ワルシャワ国立歌劇場での「ナブッコ」(マレク・ヴァイス演出)。いよいよ最後の宿泊地ワルシャワにいたはずです。目標は、実は、明日のオペラ。それに付いてきたというのが、この「ナブッコ」。「ナブッコ」は、グダンスクでも観ているので、ポーランドでも「ナブッコ」が、ヴェルディの中でも人気一番かなと思ったりしています。単なる偶然でしょうが、、、。


2020年 6月 6日(土)午前 7時 9分

 いつの間にか、週末にかかっています。時間が経つのが、速すぎです。でも、自分的には、相変わらずの生活。そないななかに、ささやかなトピックが忍び込みます。面倒くさくもあり、楽しくもありってところです。昨日は、そういった取るに足らないことが2つ。一昨日の夕方、ヴロツワフ劇場から2本のメールが入っていました。1つは、クレジットカードに返金をしたという通知。ご丁寧に、本来なら公演のあった日に送信しています。なんか、ポーランド人の律儀さを感じ、とっても嬉しかったな。もう一つは、領収書を送ってきて、それにサインをして送り返せという内容でした。領収書そのものは、PDFファイルで送られてきたのですが、サインとなれば、手書きになります。それを、郵便で送れなら、いとも簡単な話ですが、アドレスなしで送り返せということは、また、PDFに変換して送れと解釈しましたから、それが大変。この僅か1回のために、PDFをいじることができるようにするには、高価過ぎます。ですから、PDFファイルを印刷して、自筆サイン、それを画像として取り込み、それをPDF化するという手順を踏むことにしました。ま、これは、少なくとも可能と思っていた手でしたが、実際に画像とすると、暗くて暗くて。家の外に出て、明るい太陽光のもと、フラッシュをたいても暗いまま。照明器具でもあれば別でしょうが、他に方法を思い付かず、それで送付。ダメ出しがこなければと案じているところですが、こないな丁寧なのは、初めてでした。逆に丁寧過ぎるので、ダメ出しされないか、とっても気にかかっているところです。
 もう一つのトピックは、とってもささやかなもの。黄紺は、子ども時代を過ごした土地から、電車で一駅離れた場所に住んでるので、ウォーキングなどの機会を見つけては、その生誕の地を歩くことにしています。自分に必要な店があると、わざわざ一駅離れたところまで行ってしまってます。その1つのクリーニング店は、この時期に、毎年、お世話になり、その都度、昔話をしてきますが、正に、昨日がその日。ようやく、冬物最後の洗濯物をクリーニングに出したというわけです。そこで、また、ちょっとした昔話。ずっと気になっていたのです。そういったクリーニング店が、昔は違う店だった、でも、経営者は同じ、この辺に花屋があったけど、それは、隣か、もう一つ隣のはずで、そこではないと思っていたのですが、どうしても思い出せないなか、店の方が、そもそも、ここで店を始めたのはって話になり、ついに明らかになり、言われてみて、すぐに思い出しました。「あった、確かに」、それは「毛糸屋さん」でした。自分なりに思いました、そりゃ、思い出すの、無理だよ、毛糸屋さんなんて、今、ないよ。ジグソーパズルで入らなかったピースを見つけた喜びに似てますね、今日の発見。
 そないななか、昨日も、オペラ配信を楽しんだ黄紺です。あと少しだったオランダ国立歌劇場の「ロメオとジュリエット」は、結末場面だけを残していました。オリビエ・ピの作り出す舞台は、「ウエストサイド・ストーリー」を再移入した雰囲気。殺伐とした空気に、なんか、洒脱なんだなぁ、それが、やたらと緊迫感を醸成してました。オリビエ・ピ最高傑作かもしれないと、勝手に思っています。次に観ようとしていたのが、ドレスデンもの。ですが、時差の関係で、配信がまだだったため、ローマ歌劇場の「エルナー二」(フーゴ・デ・アナ演出)にしました。ローマ歌劇場の配信は、最近知ったところでしたが、早速、活用させていただくことにしました。演目的に、稀少性が高いこともありますが、リッカルド・ムーティの指揮だけではなく、歌手陣が豪華だということが、黄紺を釘付けにしました。タイトル・ロールにフランチェスコ・メーリ、ドン・シルヴァにアブドラザコフ、エルヴィラにタチアナ・セルジャンという布陣。タチアナ・セルジャンって、ベルリンで聴いていますが、今のところ、こんなにしっかりとした声で、おまけに美人だったっけというのが、半ば前まで観た、一番の感想。カメラワークが、必要以上にタチアナ・セルジャンを追いかけているように見えるものですから、ついつい、そないなことを考えながら観てしまいますが、舞台は、とってもオーソドックスなもののように見えるのが、ちょっと悲しいですね。いや、悲しいって、贅沢か!

★本日(6/5)行くはずだったオペラ
ポズナン劇場で「マノンレスコー」(ジェラード・ジョーンズ演出)でした。ポズナンは、地理的に、ベルリンとワルシャワの中間に位置することがあり、また、街が気に入っているものですから、オペラの日程を見ながら行程に組み入れています。これで、3年連続になるはずでした。


2020年 6月 4日(木)午後 11時 4分

 今日は、はっきりとした嬉しいことと、はっきりとした悲しいことがありました。まず、嬉しいことから。Sが、去年のこの日に産まれたのです。確か、ポーランドのどこかにいた日だったと思います。Dのときは、セルビアにいたときだったから、2人とも、黄紺が外国にいるときに産まれています。6/4は天安門事件の日ですから、とっても覚えやすいのです。Dの場合も、個人的に覚えやすい日に産まれてくれました。そないな日だったので、オンライン会議用アプリを使って、Sの今の姿を見せてもらうことにしました。こないだ、息子からもらったビデオレターを観ると、ほどなく歩くだろうと思ってたら、やはり歩けるようになっていました。でも、今日は、パソコン付属カメラの角度が悪く、歩く姿はお預けになりました。周りが、えらく静かなので不思議に思ったのですが、それは、Dがいないから。Dの明るい姿を観れなかったのは、寂しかったけれど、おかげで、Sを、しっかりと観ることができました。ま、今日は、Sの日ですからね。この時間が、ちょうど、いつもだったら、夕方のウォーキングをしている時間。そのため、今日は、若干、ウォーキングの時間は短めでしたが、これは致し方ありません。
 もう一つの悲しいことっていうのは、ホントにびっくりしました。びわ湖ホールから、以前届いた案内を、後から、もう一度見るつもりで取っておいたものを、何気に手に取ると、コロナのために中止や延期になった公演が一覧になっていたので、その利便性を考え、処分せずに残してあったのだと、了解。その文書、前にも見ているのですが、今日は、そのとき見落とした一角に目が行きました。「追悼」「二塚直紀」、人間って、想像だにしてなかったことを目にすると、何が起こっているのかが解らなくなり、瞬間、何も受け入れないですね。そして、書いてあることを、次には受け入れないどころか否定しにかかりますね。正に、それでした。だって、若いもん、だって、こないだ見たもん、なんで、、、! 今や、関西オペラ界のテノールのエース格だったでしょう。慌てて、パソコンで調べました。4/23に亡くなられていました。ジョギング中での心筋梗塞だそうです。亡くなられる2ヶ月ほど前の、南湖&智丸お二人の「落語芸術大学」に出演され、間近で歌声を聴いたところでした。二塚さんは、大阪芸術大学の落研で、南湖さんの2年後輩という縁で、この畑違いの会に出演されたのです。智丸さんも、面識はなかったそうですが、同じ落研の後輩だということで、この会に登場となったのでした。それまで、二塚さんが落研出身だとは知らなかったのですが、歌えて動けるわけのようなものを見つけたような気になり、一層、親密感が湧いたところだったのに、残念です、心から、そう思っています。 今年の秋には、フロレスタンを歌われるということで、聴きに行くつもりだったのにな。まだ、43歳だったそうです。
 そういった一喜一憂した一日、今日も、オペラ配信の恩恵を受けました。ウッチ劇場の「トスカ」、ちょうど、今日観たところから、平易ではなくなり、このプロダクションの技が飛び出しました。1つは、トスカによるスカルピア殺害場面の新機軸。凶器はハサミです。そのハサミは、スカルピアが、トスカのスカートをまくり上げ、ガーターを切るためのもの。ということは、スカルピアが事に及ぶということです。照明も落としましたから、「及ぶ」ではなく「及んだ」のです。ここまで見せたのは初めてです。次に、その段階で、トスカは凶器を手にしたということになります。よくある演出で、凶器が、スカルピアの死角に入ったときに、それを隠し持つという場合とは、明らかに違います。「突発性」が出てくるのです。「予め殺す気になっていた」のではなく、「事に及ばれてしまったときに凶器を手にした」となります。「トスカ」で、よく問題にされるのが、スカルピアの悪は判りきったこと、でも、殺すということの罪が問われます。「だからと言って殺していいの」という問いかけです。じゃ、それで、殺しが、突発的なものだったら、どう考えればいいのか、ここまで来ちゃいました、このプロダクション。究極の追求です。確かに、そこを追求してます、しなければならないというメッセージまで、このプロダクションはヴィジュアル化してました。2幕のラスト、トスカがスカルピアの元を去ろうかというとき、白塗りの女が出てきて、スカルピアの亡骸を抱き抱えるというシーンを出し、3幕になると、その白塗りの女を、サンタンジェロ城の上に立たせ、足元で起こるドラマを注視させました。注視させるだけでしたが、黄紺は、それが、白塗り女の務めだったのかなと思いました。サンタンジェロ城には、本来なら天使像があるんですよね。その替わりに、白塗り女でしたから、読めてきましたね。やはり、トスカの罪を問うていたと読めるのではないでしょうか? 今日2つ目は、オランダ国立歌劇場の「ロメオとジュリエット」(オリビエ・ピ演出)。オリビエ・ピものが、オペラ配信に、幾つか含まれているので、頑張って追いかけています。チンピラの集うダウンタウンの雰囲気が、とっても魅力的な装置を使っています。小さな色電球を繋ぐ手法は、以前、何かで観た記憶は残っているのですが、どこの、どのプロダクションだったかが思い出せず、困っているところです。

★本日行くはずだったオペラ
ヴロツワフ劇場の「ファウスト」(ベアタ・レド・ドーバー演出)。去年は、この町に入りながら、オペラ公演とはタイミングが合わず、残念な思いをしたものですが、今年は、交通整理に困りました。当初は、こちらで2回オペラを観ようかという計画もあったのですが、地方都市巡りをすることを選び、断念。でも、街自体が素敵なものだから、これからも訪れたいとは思うのですが、、、。


2020年 6月 4日(木)午前 6時 46分

 昨日も、単調な生活ながら、ちょっとしたトピックがあると、軽い刺激が生まれます。それを楽しむにしては、広い意味でコロナネタなんで、つまらん刺激ではあるのですが、ないよりはましかという気分でメモっておきましょう。自分的コロナネタは、やはりオペラ紀行がダメになったことに関してなのですが、一昨日、間延びした形で、ハンブルク州立歌劇場から、チケットの払い戻しについて知らせてくれました。こちらも、結局はヴァウチャーをもらうことになるようですね。そないに思いながら、まだ、2つの歌劇場に、払い戻しの手続きをしていなかったことを思い出した。ポーランドの2つの劇場です。ちょっと判りにくかったのですが、関係情報を見つけました。もちろん、サイトは、ポーランド語ですから、一旦は、日本語の自動翻訳にかけて、大事なことが書いてあったと思ったときは、英語サイトに切り替えて確認をとるのですが、昨日は、正にそれ。オンラインで買ったチケットは、逆方向で払い戻すとなっていました。ということは、クレジットカードで買ったのだから、クレジットカードに返金されるとしか読めないなということで、何もすることなし。サイトにも、「何もしていただかなくて結構です」となっていましたからね。これ、はっきりと、自身のサイトに明記する劇場があるということです。日本では、国立劇場関連がそうですから、ついつい、その気になればできるのにと思ってしまいます。で、これで、3枚のチケットが救われました。ポーランドが、この方式を採っているとは、残念ながら言えません。既に手続きの終わっている劇場は、ドイツの多くの劇場と同じでしたからね。
 次のコロナ絡みのトピックは、ニュースを見ていて思ったこと。Jリーグの名古屋の金崎選手という有名選手が陽性と判明したというもの。3月には、酒井高徳選手が陽性だということで、話題になっていましたが、今回の拡がりは、どうなんでしょう。黄紺的関心は、このニュースをきっかけに、Jリーグのコロナシフトが気になり出したので、Jリーグの対応を調べてみたのですが、PCR検査の全員実施を決めたのが5/29。しかも、開始日が6/20になっており、ドン引きとなりました。リーグ戦再開に向けての全体練習が、活発に行われている時期になってから検査を行う、そこじゃないだろと突っ込んでしまいました。トルコのサッカー情報を追いかけているからでしょうか、大甘な日本の対応に驚くしかないでしょう。トルコでは、チーム練習が始まっても、最初は、ソーシャル・ディスタンスをとった窮屈な練習、そこいら辺から検査、始まってました。戦術練習など、選手同士が絡む段階に入る辺りで、複数回、検査やってます。ですから、トルコ各紙のスポーツ欄には、その結果を報じる記事が、毎日のように出ているのです。Jリーグで驚いていたところ、夕方になり、プロ野球の方からも、驚きのニュース。最近は、プロ野球に関心がないため、選手の名前すら解らない黄紺ですら知っている巨人の坂本選手が陽性だというニュースでした。でも、驚いたのは、そないなビッグネームが出てきたからではなく、前の日だったかに、巨人が、開幕に向けての練習試合を行ったかのニュースに接していたこと。検査の結果が判ってないのに、対外試合を行っなってたという事実です。もうわけが分かりません、無茶苦茶です。これは、サッカー協会やプロ野球機構の責任よりか、こういった風潮を生じさせてしまうような検査体制を執ってきた政府の責任やなと、これは思いましたね。PCR検査に対するボケた意識を醸成させてしまいました。陽性判明者が出ると困るのは、まず当事者でしょうし、せっかく緩和が進もうとするときに足を引っ張り、結果的に、自らの首を絞める。ならば、どうしたスケジュールでを、しかも、こまめにしなきゃならないのにと思ってしまいました。トルコでは、茶摘みの季節労働者の移動を認めたとき、リゼなどの黒海沿岸にやって来た茶摘み労働者を、一旦隔離して、全員の検査を行い、更に、1週間ののちに作業に入らせるということをしました。大変な人海戦術を執ってして可能なこと、でもやった。そして、トルコの今年の新茶を守った。ちょっとくらい、AKPが大きな顔をしても、許しちゃいます。
 で、本日のオペラ配信。パリ・オペラ座の「リゴレット」を完了。マイケル・ファビアーノが伯爵、カサロヴァが贅沢にもマッダレーナと、この2人は、名前通りの出来栄えに感嘆しきりだったところに、タイトル・ロールのクイン・キーズリー、更に素晴らしかったのが、ジルダのオルガ・ペレチャツコ。この人、コロラトゥーラの技で装飾音をちょっと引くように歌う癖を持っていますが、とってもいい声してます。「ルチア」を、ぜひ聴いてみたいですね。クラウス・グートのプロダクションの特徴は、2人リゴレット。役者の演じるリゴレットを、どのように使うのかがポイントになります。ずっと舞台に出ていて、成り行きを観守ります。どこかで絡んできて、筋立てに変化をもたらすかなと思っていたところ、筋立てには、一切絡みません。最後まで。ところが、です。問題は、ラストです。オープニングと、全く同じ構図、正先に1人(冒頭では役者)、正中に1人(冒頭では歌手)、この構図で、ラストでは、歌手と役者が入れ替わったのです。これがやりたかったのです。観る者と観られる者の入れ替わり、視点の相対化ですね。それで、「リゴレット」の筋立てを、どのように理解できるかは、要らないのです。なるほど、クリストフ・グートならやりそうなことです。終幕時には大歓呼。そのプロダクション支持ってことだったのでしょうか? それとも、歌手陣のスーパーな出来への歓呼だった? それとも、両方だったのだろうか? このプロダクションの評価を知りたいものですね。そうそう、書き忘れ。バレエの多用も特徴でした。サーシャ・ワルツかというほど、細かくバレエを使ってました。一緒に、カサロヴァにステップ踏ませてもいました。パリでの公演だからかな、サービス、サービス。次に観たというか、まだ、継続中のオペラは、ポーランドのウッチ劇場の「トスカ」(バルバラ・ウイソッカ演出)。珍しくポーランドものを見つけたので、観ることにしました。本来なら、リアルタイムでポーランドでオペラ観ていたわけですから。もう、2幕の後半にまで入っていますが、プロダクションとしては平易。いいなと思ってるのは、タイトル・ロールを歌っているエヴァ・ヴェシン。ポーランドの歌手のようです。一応、ウッチ劇場のサイトで調べました。いつも使っている歌手のデータベースでも調べてみました。ポーランドをベースに、ウィーンやローマで歌ってるということは、やはり評価の高い人なんですね。トスカにふさわしい姿態に、しっかりとした声が魅力です。

★本日(6/3)、宿泊するはずだった都市
シュチェチンからヴロツワフに移動中に見つけたもう一つの町ジェロナ・グラ。前日のゴジュフ・ヴィエルコポルスキからは鉄道移動の予定でした。地方都市巡りは、実は、未だ見ぬポーランド東部で試みたかったのですが、このオペラ紀行では、思いの外、ドイツに時間を割いたものですから、それが叶わず、次善の策として、こういったコースとなったというわけです。


2020年 6月 2日(火)午後 10時 10分

 暑くなりました。昨日までは、まだ夏前の暑さでしたが、もう本格的な夏ですね。何が違ったかというと、昼前のウォーキングから戻ってきたら、もう、Tシャツを替えないとダメだったのです。これ、わりかしメルクマールにしていて、いつもは、5月の末に来るのだけど、今年は、6月にずれ込みました。これは、ずっとウォーキングを続けているからこそ、持つことができた経験知。今朝のニュースで、自粛太りを取り上げていましたが、そんなの、テレワークしながらウォーキングをすれば済むことなのにと、ウォーキングに慣れた者は、あっさりと言うけれど、でない人には難しいみたいですね。なかには、「10kg増えた人もいる」というレポートには、思わず声高らかに笑ってしまいました。こういう、声を出して驚いたり、笑ったりすることって、ホント、最近、ないなぁ、、、と思ってたら、今日、昼前のウォーキング中に、「オーっ」と声を上げることがありました。ほんのささやかな、日常を揺らす出来事です。黄紺の横を、後ろに子どもを乗せた自転車が通過したかなというところで、前の荷物入れに入れてあった帽子が飛び、道路に落ちました。自転車をこいでいた女性は、慌てて自転車を止め、背後に落ちた帽子に向け、ハンドルを反転させると、後ろに乗せている子どもの重みで、自転車は、確実に45度以上は傾きました。それが、黄紺の目の前で起こったものですから、「オーっ」。後ろに乗せた子どもの体は、完全に横を向いた、いや横以上になったので、「やっちゃった」「倒れた」と思った「オーっ」だったのですが、運転をしていた女性、屈強だったのか、倒さなかった、踏ん張る間もなく、後ろに子どもという重みがあるのに、態勢を持ち直したのです、そこで、2度目の「オーっ」ではなくて、今度は「びっくりした」でした。強者ママです、ちょっとした見ものだったというのが、今日のささやかトピックの1つ目、です。実は、ささやかなトピックが、もう一つあるのです。今年初めて、散髪に行きました。3月と5月の2回のオペラ紀行の間に、散髪に行くつもりをしてました。ところがコロナ。日本では、自粛要請対象外になりましたが、日本のルールなんて信じなかった黄紺は、トルコやドイツのスタンダードに従いました。どこでも、密のトップグループに入っとるやないか! だから、散髪に行ってなかったのです。幸い、環境が変わったこと、夏を思う暑さに屈服して、ようやく行く気になりました。これとて、ささやか過ぎるもの。でも、自分的には変化と言えるものでした。
 オペラ配信は、メーンの楽しみ。これがあると、再開した生落語会に行くのも自重できるってやつです。今日は、ボローニャ歌劇場の「ウェルテル」を最後まで行きました。ホアン・ディエーゴ・フローレスもさることながら、シャルロッテを歌ったイザベル・レオナードが、素晴らしい出来栄え。あの陰のある歌唱に、すっかり魅せられてしまいました。ホアン・ディエーゴ・フローレスは、チューリヒのプロダクションで知ったように、ウェルテルにはまってますから、とっても緊迫感溢れる舞台でした。画面に、「prova generale」と出ましたから、ゲネプロを撮影したものでした。それで十分だから、こんなの、もっと観たいなと思ったのは、黄紺だけではないでしょう。装置は、やはり家が出てきました。シャルロッテを象徴するためには、この装置が要るのかな? チューリヒのプロダクションでは、その家を出るとか、出ないとかが、焦眉のポイントになってましたが、家をフェードアウトしたシルエットも見せてくれました。それだと、家の外には、高く、でも、1本でそそり立つ木が配置されていましたが、まるで、ウェルテルの孤独を象徴するようでしたし、家のシルエットが、時々、教会に転用されており、シャルロッテを縛るものを、具体的にヴィジュアル化してくれたのは評価したい反面、「若きウェルテルの悩み」なんて、誰しも(特にヨーロッパ人に)が知る物語に、そんなのって要るかなぁとも思ってしまってる黄紺です。まだ、オペラを観ることのできる時間があったので、新しいものも観ることができました。それは、パリ・オペラ座の「リゴレット」。マイケル・ファビアーノが伯爵を歌うのはいいとして、黄紺的最大関心事は、クラウス・グート演出というところでした。感想は、明日には観終えると思いますから、それから書くことにしましょう。

★本日、宿泊するはずだった都市
ゴジュフ・ヴィエルコポルスキに泊まる予定でした。シュチェチンからヴロツワフに移動するにあたり、全く知らない地方都市に行く手はずをしていました。とにかく、ポーランドの地方都市に行ってみたかったのです。地図を広げて、移動の便の良さそうな都市を選んだというわけです。シュチェチンからはバスのはずでしたが、これも、バス会社がキャンセル。多分、鉄道での移動になってたと思います。


2020年 6月 2日(火)午前 7時 21分

 昨日は、嬉しいことが2つありました。1つは、大変困ったことができてしまい、それに迅速に対応してもらえて、喜んだことです。実は、3日前の夜に、最初の変が現れていたのですが、一昨日あたりは、まだ、そんなに緊急性はないと思っていたところ、昨日の朝になり、事態が急変。なんか、病気みたいですが、日頃、メーンに使っている照明がおかしくなってしまったのです。もう10年以上使ってた照明器具なもので、寿命が来なければいいがと思っていたのが、ダメになってしまったのでした。その交換が、もう黄紺にはできないのが判っていたものですから、かなり焦りました。何事にも、誰か人に頼らなければならないとき、急変が起こると、相手の都合など聞くことができず、有無を言わせず、黄紺の都合に合わせてもらわねばならなくなるからです。脛椎の手術をしたために、首が正常には上を向かないため、天井から吊り下げる照明器具の交換は難しく、そこへ、平衡感覚も、その手術で損傷しているため、何かに乗り作業をするのが危険なのです。前回は、辛うじてできたのですが、もう少しで足を踏み外すところでした。首が耐えられなくなると、どうしても、身体のバランスも崩れ出すのです。それで、次回からは息子に助けてもらわねばと思ってたのですが、息子も家族を持った今、右から左へと動けないのは判ってますし、そもそも近くに住んでるわけではないですからね。でも、急変の結果はダメージが大きすぎるので、息子に頼むことに。そしたら、うまく来てくれました。しかも、コンセントととの接続に不安があったのですが、それも、あっさりと片付けてくれ、バンザーイでした。新しい照明器具を買いに行ったときは、「家では、これを使ってる」と言いますから、即座にそれを購入。コンセントとの繋ぎに苦労した記憶があるため、一番不安を感じないものを選択というのはわけで、あっさりと接続をしてくれて、万事解決、嬉しかったぁ。
 2つ目の嬉しかったことは、韓国系Youtube。日韓夫婦が配信されているもので、なんと、コフン(高興)からヨス(麗水)への道路を紹介してくれてた動画だけではなく、ぶらりと歩くコフンの街を映していると、コフンのトミナルが背後に映ってるじゃないですか。そして、そこから、車で行ったのはノクトン(鹿洞/動画の字幕のように「ノットン」の方がいいかも)。ノクトンの街を歩きながら、「次に、私たちは、あの橋に行きます」、なんだって、あの橋、あれって、そう、ソロクト(小鹿島)に行く橋だったのです。車があればあっさりと行けるところだけど、マウルバス(村バス)は大変でした、思い出しました。コグムド(居金島)まで、ソロクトで乗り継いで行くまでは良かったけれど、そのコグムドからノクトンへの戻りで困ったのでした。でも、正に「韓国の情」は生きてました。バス情報を得ようと入った警察署に、たまたま来ていた人が、ノクトンまで車で送ってくれたのでした。そないな思い出の詰まった道が、動画に現れたわけですから、うるうる来ても、許されるだろの気になってしまいました。数多い韓国系Youtuber、ほとんどがソウル生活、次いで釜山、これは仕方ない話だけど、数多ある韓国系Youtubeの穴場は、韓国の地方都市巡り。普通、韓国に行きたいという人はいても、そういった人たちのニーズ外になっているために、供給もされないのが、この分野。ですから、こうした地方を行く動画って、飛び付きたくなるのよね。以上、今日の嬉しかったことです。でも、助けてくれた息子から、衝撃情報ももらいました。知らない内に、Sが手術のために入院してました。1泊入院ということで、手術内容に比べて、入院日数の短さに驚いたのですが、知らない内に、何が起こっているが、判りません。Sは、元気に動き回ってるという、息子の言葉でホッとするしかありませんでした。
 そういったことの合間に、昨日も、オペラの配信を楽しみました。1つ目は、一昨日からの続きで、ハンブルク州立歌劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」(ヘルベルト・フリッチ演出)。特に演出面で、新解釈が出たというのではなく、おもちゃ箱から出てきたような衣装、装置、それに見合ったコミカルな動きが持ち味のプロダクションでした。そして、2つ目は、ボローニャ歌劇場の「ウェルテル」(ロゼッタ・クッキ演出)。先日、ホアン・ディエーゴ・フローレスがタイトル・ロールを歌うチューリヒのプロダクションを観たところですが、こちらも、同じくホアン・ディエーゴ・フローレスの歌ったもの。ウェルテルの歌唱に、ホアン・ディエーゴ・フローレスの声が合うかなと思いながら聴いたチューリヒもの。これが、存外いけたと思っている黄紺は、ならば、外でもないホアン・ディエーゴ・フローレスですから、もういっちょの気になったものです。まだ、冒頭30分ほどしか観てないものですから、ほぼ、今日のお楽しみとなります。

★本日滞在していたはずの旅行先
シュチェチンに、初めて入っているはずでした。ここから、約1週間がポーランドでした。最初の3日間は、オペラのない日でしたから、今まで行ったことのない町に行こうじゃないかということで、しかも、ベルリンから行きやすい町として選んだのですが、黄紺の予約したバスはキャンセル。朝のバスがダメになり、実際、この日に旅行をしていたならば、午後のバスでの移動となっていましたから、シュチェチン街歩きは、ほんの僅かだったはずです。でも、まともに黄紺が行けるような環境下では、ま、そないなキャンセルはないとは思いますが。


2020年 5月 31日(日)午後 11時 13分

 今日は、久しぶりに、ご近所の方以外と喋る機会を持てました。実は、昨日、昔の同僚からショートメールが入ったので、それに応えてレスを入れると、今度は電話をいただいたというわけです。その元同僚には、4月上旬だったかな、息子から、映画館支援のキャンペーンを教えられたものですから、映画好きの、その元同僚にも転送したところ、メールは、宛先不明で返ってくるわ、ならばと、替わりにショートメールを送るも、何らレスがなかったものですから、これは変があったと思い、電話を入れて確かめるのも怖く、こういったことは、風の便りで聞くものとしていたところ、昨日、タイミングがめっちゃずれた形でメールが入ったというわけでした。ま、そうして連絡があると、「あの人は、昔からのんびりした人だったから」と、納得はできるのですが、1年ほど前に会ったときに確認したメルアドがはじかれたときには、正直、ダメかと思ってしまいました。長い間、会ってなかったらまだしも、このくらいのスパンで会ってなくて、こないなことが起こると、やっぱ、考えますわね。そんなで、30分ほど、電話でお喋り。話した大半は、なぜ、黄紺のメールがはじかれてしまったか。というのは、昨日のレスが届いたのは、はじかれたのとは違うメーラーを使ったから。それを解ってもらうのに、随分と時間を要しました。哲学的なことを語らせたら、黄紺は聞き役に回らねばならない人ですが、でないと、なかなか黄紺の言葉が通じないため、時間ばかりがかかるというのは、今に始まったことではないので、却って、それを歓迎してしまってます。コロナ話をするなら、この人と話すとおもしろいだろうなと思っていた本人なもので、今度、オンライン飲み会をすることにしました。息子らとやってるテレビ電話を活かそうと考えています。
 ところで、今日は、また、雨、おかげで、気温も低め。でも、雨は昼すぎまでだったので、夕方は、通常のウォーキングをすることができました。しかし、昼前のウォーキングは傘さしウォーキング&屋根あり公園での読書と、今日は順調。これができたのも、雨足が弱かったおかげ。そして、今日のオペラ配信は、ハンブルク州立歌劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」(ヘルベルト・フリッチ演出)。いっぱい候補があるなかで、このプロダクションを選んだのは、同歌劇場のHPに掲げられた、この配信のサムネ画像に吸いつけられたから。おもちゃ箱から出てきたキャラって感じの出演者。何をするんだろうと思わせる画像の威力に負けました。それに加えて、今、観とけば、ハンブルクですから、上演があっても、他の歌劇場に行けるという欲張った考え方から。2幕の前から4割くらいまで行きましたから、明日には終わるでしょう。

★本日行くはずだったオペラ
ベルリン国立歌劇場の「トスカ」(アルヴィス・ヘルマニス演出)。アンジェラ・ゲオルギュー、ルチオ・ガッロの出演。当初の予定では、カバラドッシをヴィットリオ・グリゴーロが歌う予定であった公演。アンジェラ・ゲオルギューに蹴飛ばされたのは、これで2回目。縁のない話です。


2020年 5月 31日(日)午前 8時 3分

 単調な毎日、そんななか、朝起きて、頭を、ちょっとでもいいので刺激してくれるメールが、2つ入ってました。1つ目は、ちょっとどころではない、かなり刺激的な内容。差出人はシンガポール航空。時々、シンガポール航空からメールが入っても旅のお誘いばかり、だけど、昨日のメールは、カラフルな画像がなく、文字が並んでいる。下半分に日本語の文があるのに気づかないで、英文を読み出すと、「あれ」「まさか」となり、解りにくい英文を読んでるどころではないので、自動翻訳にかけると、間違いありませんでした。3月のドイツからの帰り、捨てたと思っていたシンガポール航空の払い戻しができるというのです。チケットを買った旅行社にご相談下さいとの内容だったのですが、問い合わせ先を探していると、払い戻しのためのフォームまでできてました。3月に帰国後、ひょっとしたらと思い、当該の旅行社との接触を図ろうとしてできなかった、苦い思い出があるため、これはありがたい、楽でした。さすが、旅行社もフォームを作ったのですね。どのYoutubeだったかは忘れてしまってますが、行きは使ってしまった場合、帰りの払い戻しはダメだったというのを観たこともあり、また、搭乗前に連絡が取れなかったこともあり、無理なこと、第一、捨てたつもりなのに払い戻しは欲張り、そないな感覚が先行し、すっかり気にもしなくなっていました。元はコロナなんだからと諦めていました。それがそうではなく、払い戻しが可能だったのでした。でも、このシンガポール航空に乗れないというのは、びっくりでした。飛行機のキャンセルは入ってないのに、ドイツからの渡航者は、シンガポール空港でのトランジットも許さないというのでしたから。
 これに比べたら、2つ目のメールは、とってもゆる~い話題。日本センチュリー交響楽団からコンサートのお誘いメールでした。日付を見ると、6月となっているので、えらく足早の再開です。黄紺は、先日、6月のコンサートの払い戻し手続きをしたところでしたからね。そう思ったので、詳細にまで目を向けると、座席を間隔を空けてのものとするとなっていました。これは、再開の方法としては想定されるのですが、採算面はきつくなるので、机上の想定範囲内かと思っていたのを、実行しようとするオケが現れたということです。 確かに、コロナ以前のような形のコンサートができるようになる見通しが立たないなか、思いきったものです。会場は押さえてあったでしょうから、キャンセルをするくらいなら、半分でも入れてやっちゃえとなったのかもしれませんね。落語会でも、6月からの再開を伝えるものも、目にしています。ただ、こちらも、ソーシャル・ディスタンスを考え、人数制限をするというもの。当然、収入が減ります。それを補填すべく、同時配信を有料にして行うというものが出てきています。ライブというもの、これは、音楽、落語を問わず、客席の放つ空気を体感できるというのが、実に大きい。その空気ってのが、音楽にせよ、落語にせよ、高みへと引き上げる重大な要素ですから、それをシェアできてる悦楽のようなものが、ライブへと駆り立ててくれます。そういうものなのに、両隣が居なかったり、距離が放れたりしていて、同じ空気の共有感って乏しくなったりとしはしまいかと考え込んでしまいます。これから、幾つかの試みがなされていくのでしょうね。覗いてみたい反面、巣籠もりシアターを楽しむだけで、今はいいのではとも思っているところです。
 そのオペラ配信、昨日は、パリ・オペラ座の「ボリス・ゴドノフ」(イヴォ・ファン・ホーヴェ演出)。接する機会に恵まれない名曲であること、それに、何よりも、タイトル・ロールをアブドラザコフが歌っているのが、最大の魅力。版が幾つかあるなか、1869年版と、クレジットに出ましたから原典版と言えると思います。リムスキー・コルサコフなどが改訂を加えていきますが、この原典版は、偽ドミトリーになろうかという男は出てはきますが、序盤に顔を出すだけで、大筋からは外れているというもの。この版での上演しか、黄紺は遭遇機会を持っていない(ニュルンベルク/ペーター・コンヴィチュニー演出)のですが、なんか、かなりの物足りなさを感じてしまうのも確か。叙事詩的な色彩を持つのがロシアのオペラの特徴ですから、エピソード集め的な構成であっても、それはそれで抵抗もないのだけれど、違う版の筋立てを知ってしまっている身からすると、どうしても、物足りなさというものを感じてしまいます。原典版は、とにかく女性が出てこない。多くが、群衆と男たちの物語。舞台は、正面からサイドにかけて、大スクリーン、その正面中央が、階段付きの出入口としてくりぬかれており、階段下からは、更に、奈落へと続く階段となっているくらい。ずっと、そのままだったので、ちょっと安っぽい印象の残るものとなりました。良かったのは、やはりアブドラザコフの圧倒的な声と、ラストの意外さ。それを書いておきます。真ん中階段途中で、ボリスが倒れます。それを隠すように、群衆が中央に集まってきて、ボリスを見えなくしてしまい、次に、群衆が、左右にはけると、そのあとには、倒れるフョードル、腕組みをして立ち尽くす偽のドミドリーとなっていました。ほとんど出てこなかった偽のドミドリーが、話に噛んだ証とするプロダクションでした。

★本日行くはずだったオペラ
ベルリン・ドイツ・オペラ「パルジファル」(ピョートル・シュトルツェル演出)。演出家がスターなら、歌手陣も凄い。クラウス・フローリアン・フォークト、サイモン・キーンリーサイド、ギュンター・グロイスベックと並んだ、超豪華布陣。黄紺は、キーンリーサイドとグロイスベックは聴いてなかったもので、余計に期待の高かったもの。そういった演出家&歌手陣で「パルジファル」だったんですよ、、、涙、涙、涙の量が半端じゃない。


2020年 5月 29日(木)午後 11時 1分

 今日のちょっとした変化は、朝に起きてしまいました。ドイツ&ポーランドでのオペラ紀行のチケット払い戻し作業をしている一方、日本でのコンサートなどのキャンセル、払い戻し通知が舞い込んでくるため、その対応もしなければならない。今日は、京都市交響楽団の6月定期の払い戻し作業をしようとしたのです。数日前に、その旨の文書が届いていたためでした。ブルックナーの8番が出るというので楽しみにしていたコンサートでした。もう払い戻しには、京都市側も慣れたのでしょうね、そのためのフォームをウェブサイトに作っていました。余計な郵送料が要らないので賢明な手です。そこには、チケットの画像を送れと書かれていたので、まず準備として、チケットを取り出そうとすると、当該のチケットがない。つい1ヶ月半前に、似たことがあり、チケットは、常に同じところに保管に決めておきながら、必要なチケットがない。以前、4月定期の払い戻しもあったためか、今回のチケットを家で見たような錯覚(あとで判明)に陥ってしまいます。やっぱりなくしてしまったかの気になっていたところ、念のために、控えは残しているため、いつ買ったかを確かめようの気になったのが、今回の成功。なぜ、そのときに買った日を確かめようとしたのか、後から考えると判らないのですが、とにかく、そのとき、そう思ったものだから調べると「4/7」。????、ドイツから帰ってから買ってる、6月にブルックナーの8番が出るのに、4月にチケットを買うってことは、、、第一、ドイツから帰ってきてから、外に出たのは1回で、そのとき行ったロームシアターは、チケットカウンターが閉まってたではないか、これでわけが判りました。チケット自体を引き取ってないから、手元にあるわけがない、これでした。早速、確認です。京都市のチケット取り扱いサイトにマイページがあるので、そこで確認ができます。思った通りでした、「引き取り、未完」となってました。こういったもの忘れが多くて、ハラハラものですが、そこで、ハタッと思ったのですが、チケットの払い戻し、「京都市も銀行振り込みになってるわ」でした。この間、コロナのために、幾つか他のオケからも、払い戻しを受けてきましたが、銀行振り込みばっかりじゃないかな。国立劇場だけが、クレジットカードで買うと、うむを言わせず、当該クレジットカードに返金をするくらいですね。ドイツも、結局、同じなんですね。銀行振り込みを想定しての払い戻しっていうのが。時々、クレジットカードへの返金が混じりますからね。ただ、大きく違うのは、日本ではヴァウチャーという払い戻しの方法がないということです。発行したヴァウチャーを使うときのトラブルだのが、やはり不安なのかな。ま、それを考えると、いきなり外国人が、想定外の払い戻し方法を求めてくるというのは、嫌だろうなと思ってしまってます。そんなで、ちょっぴりドイツに感謝の気持ちが芽生えた日になりましたが、ルーティンは、全く通常通り。
 オペラ配信では、ついに、オランダ国立歌劇場の「指環」を完走しました。最後まで、「黄昏」はぎょっとする場面がないままでした。「ジークフリート」までが凄かったから、更に、目や耳が、それ以上の何かを求めてしまった結果だと思っています。黄紺的には、「指環」全4作を完走した4つ目のプロダクションとなりました。順に記すと、「①メトロポリタンの古いプロダクション②ワイマール国民劇場③びわ湖リング④オランダ国立歌劇場」となります。3作観ているのが、演出家が各々違うシュトゥットガルト州立歌劇場ものとハンブルク州立歌劇場もの(クリストフ・グート演出)、リセウ歌劇場もの(ハリー・クップファー演出)となります。「黄昏」は、残っているのが、時間的には長くなかったので、今日は、新しいものに着手です。ただただ珍しいということで、オペラ・ノース(リーズ)の「タヒチ島の騒動」(マシュー・エーベルハルト演出)、バーンスタインの作品です。オペラ紀行のために、スケジュールのチェックをしているなか、ブレーメン歌劇場が、「バーンスタイン・アニヴァーサリー」の一環で上演しているのを見ただけというレアさに惹かれて観ることにしました。バーンスタインの叙情性に富んだメロディーに、ジャズが重なります。1時間足らずの短いオペラですが、バーンスタイン好きの方にはオススメ作品かと思います。

★本日行くはずだったオペラ
ハレ劇場で「テセオ」(マルティン・グレゴール・バーガー演出)の日でした。ハレ出身の作曲家ヘンデルを記念して、毎年、この時期に開催されている「ヘンデル・フェスティバル」の公演。去年に続く参加になるはずでした。しかも、マルティン・グレゴール・バーガーのプロダクションですから、外せないポイントになってました。ここまで、今回のスケジュール、凄いものがありますね。毎日、狙いの公演が出てきます。


2020年 5月 29日(木)午前 4時 58分

 知らない内に、週の半ばに来てしまっています。毎日、雨が降らないと、でも、降ると嫌なんだけど、単調な繰り返し。同じような時間に起き、Youtubeにオペラ、ウォーキング、昼食、トルコのコロナ情報チェック①、オペラ、ウォーキング、トルコのサッカー情報チェック&トルコのコロナ情報チェック②、夕食、GUNLUKとFUTBOL HABERLERIのアップ、これの繰り返しです。こないなことをしていると、時間調整は、オペラを観る時間でできますが、ここでやらねばならないとなると、配信期限が迫っていると、途端に慌ただしくなってしまう。それに、現在進行中のチケット払い戻し手続きのややこしいのが出てくると、たちまち他に影響が出てきてしまうのです。このやり取り、英語でやらねばならないのもネック。これをしていて、何が面倒かと言うと、文章は、適当にでっち上げるのですが、それで間違いないかのチェック、この頃のPCは変に賢いから、いい加減なスペルでもきれいな日本語に直してしまうのが、鬱陶しい。自分でも腹が立つほど、スペルが怪しいものだから、そのまま送るのが恥ずかしいのです。で、ふと気がつくと、今ごろになり英語力が上がってきてる。そう言えば、昔、トルコ語を勉強しだしたとき、N先生の指導で、毎週、頑張って、トルコ語の自由作文書いてました。あれのおかげで、ちーとは喋れるようになったようなものですから、あれと同じなんだと思ってしまうのです。若い頃に、これに気がついておれば、少なくとも英語とドイツ語はなんとかなってたはずですのにね。一方、語学が上達したからと言って、果たして韓国以外へ行く機会ってあるだろうかと思ってしまいます。そないなことを、またぞろ考えてしまってます。下り坂まっしぐらのなか、ここまではアクセントを付けることで、単調な下り坂にはしてこなかったのですが、コロナのおかげで、すっかり見通しが立ちすぎるようになってしまったのかな、まっすぐの下り坂というのが。
 ま、韓国はなんとかしなきゃと思っている黄紺が、韓国系Youtubeを観ていて、歓声が上げそうになった情報を伝えてくれてました。12月に行ったコフン(高興)からヨス(麗水)に橋がかかったというもの。スンチョン(順天)が、湾の奥、突き当たりにあるとすれば、その湾の東側の先にヨス、西側の先近くにコフンがあるという位置関係。黄紺は、コフンの更に先にあるノクトン(鹿洞)まで行き、そこから、ソロクト(小鹿島)、コグムド(居金島)に行ったのですが、ノクトンから乗ったバスは、スンチョン経由でヨスへ行くバスでしたから、これはありがたい橋ができたものです。幾つかの島を経由しながらの道路が開通したようなのですが、果たして、その道を走る路線バスってあるのでしょうか。動画では、車でコフン側から道路に入り、途中の島に美味しいものを食べに行くというものでした。こないな動画を観ると、時節柄、テンションの上がるスピードが速くなってしまいますね。
 世の中は、コロナ関連の規制が解かれ、いろいろと動き出しているようですが、落語界でも、再開に舵が切られ出しています。繁昌亭は、6月末まで休館措置が延長されましたが、動楽亭は、6/1から再開となりました。それを受けて、落語会も企画されているようです。ただ動楽亭の場合は、キャパ100人のところを30人限定での再開となります。他の会場を使った落語会も、既に企画されているようですが、黄紺はあまり気は乗り気になっいません。電車に乗るのが嫌なんだなぁ、特に帰りの電車は混むので、人混みから、すっかり遠ざかった生活してましたから、億劫になってしまいます。そないな思いをしてまで、今の生活、単調ではあるけど、リズムのでき上がった生活崩したくないなんて感覚もあります。とりあえずは、オペラ配信が終わるだろう今シーズン末までは、この生活を守りたいと思ってしまってます。そないな関心が強く、落語へのベクトルが、強まらないのが現状で、ならば無理しないでおこうの気になっているところです。
 で、本日のオペラ配信は、まだ、「黄昏」が終わっていません。オペラを観る時間が圧迫された結果です。しかも、昼呑みしてしまったもので、おかげで、久しぶりにワインを呑みましたが、居眠りを挟んで観ることに、、、もったいない。どうしても、ここまでに比べ、また、ここまでの演出に慣れたこともあり、平凡な印象を持ってしまってますが、そういったなか、興味をひいた点2つ。1つは、ハーゲン兄弟の部下として、「指環」初めてのコーラスが登場しますが、衣装や動きはロボット風というもの。ま、主人公たちの人間臭さを出そうとの意図でしょう。隠れ頭巾などという魔法が使われますが、展開される物語は、ただただよくある話なんですから。2つ目は、ブリュンヒルデの前に隠れ頭巾を使い現れるジークフリートの場面。ジークフリートは、隠れ頭巾でグンターに変装しているという設定になっています。今まで観たプロダクションでは、ジークフリートだけを出すもの、グンター役の歌手が出てきて、ジークフリート役の歌手が舞台裏で歌う、この2つを観てきましたというか、1つ(びわ湖リング)を除いて、全部が前者でした。ところが、このアムステルダムのプロダクションは、2人を出しました。白い衣装のグンター、傍らに黒い衣装のジークフリートというもの。もちろん歌うのはジークフリートでした。出されてみると、あってもおかしくないものですから、あっさりと受け入れることができました。今のところ、まだジークフリートは生きています。あと少しの命というところですから、あと1日で、確実に終わるので、終わってから居眠りをしたところを振り返ってみようかと考えているところです。

★本日行くはずだったオペラ
フランクフルト歌劇場「ドン・ジョヴァンニ」(クリストフ・ロイ演出)。フランクフルト入りして、ベルリン方向を一回りをしてきて2回目のフランクフルトという行程。狙いのプロダクションです。実は、フランクフルトの「ドン・ジョヴァンニ」は、過去に1回観ています。ところが、5年ほど前にプレミアを迎え、新しいプロダクションになったため、その新しいのを観ようという試みでした。なんせ、クリストフ・ロイものですからね。オペラ紀行をする時期に、これが出れば、必ずや組み込もうと暖めてあったものが、せっかく実現したのでしたが、、、。無残。


2020年 5月 28日(木)午前 8時 1分

 5月も終盤に入っています。自粛も解かれ、京都では、もう何日かは、新たな感染者が出てないということもあり、学校も始まっているようですね。今まで静かだった学校や保育園の近くを通ると、人の声が聞こえてきます。そのわりには人出の減らない、昼前の公園。小さな子どもを連れた人たちが出てきていますし、夕方の公園でも、子どもたちが遊んでいる。公園を活用することのおいしさ、楽しさを覚えてしまったかのようです。味をしめてしまったかな。学校が再開して、部活はやってるのでしょうか。ぼちぼち再開かなと思い出したときに、真っ先に、大変だろうな、嫌だろうな、果たしてできるのだろうかと思ったのが、部活。密を防ぐに防げるのだろうかなんて、お節介な心配をしてしまいました。ウォーキングをしていると判るのですが、毎日、少しずつマスク度が下がっていっていますね。やはり、マスメディアを通じて、第2波、第3波の懸念が伝えられても、終わった感が出てきてるのでしょうね。そう思っていると、よく足を運ぶスーパーに、今まで置いてなかったマスクが山積みされてました。他業種からも、マスク製造に算入しているようですが、終わった感だと、マスクしなくなると思うのですが。黄紺は、ワクチンが開発されるか、東アジアでの感染者、死亡者が少ないわけが解明されるまでは、着用を続けるつもりをしているのですが。これからは、暑さとの勝負になりますね。
 コロナ関連で書くと、フランクフルトでクラスターが発生したそうです。ドイツ系Youtube(在ベルリン)で知りました。教会でだそうで、対策は考じられていたそうですが、讚美歌を歌うとき、皆さん、マスクを外して歌ったのが原因と考えられているそうです。罰当たりなウイルスです。せっかく緩和措置でオープンされたばかりだというのに、です。トルコでもジャーミーは閉鎖されています。ジュマ・ナマズも、バイラム期間中のナマズも、全てジャーミーではできません。バイラム明けで、段階的に閉鎖が解かれていくという観測記事には、一応、出逢っています。こちらも、罰当たりな話です。こういった禁止措置には、反対運動ってないのでしょうか。トルコのマスメディアでは、少なくとも、黄紺の目には停まっていません。たとえあったとして、トルコで報道するかなぁとは思ったりはしますが。ドイツでの私権制限に反対する集会については、きっちり流してましたが、トルコでとなると、話は別かもしれないのでと、、、余計な想像は止めておきましょう。
 もう一つ、コロナ絡みの話をメモっておきます。オペラやコンサートの払い戻し手続きをしているのですが、クレジットカードへの返金ができなくて困っています。「銀行の口座番号送れ」ばかりが求められてきます。クレジットカードの返金は払い戻しの方法に上げてなくとも、そのリクエストを出すと、それに応じてくれたところがあるのですが、ここに頑なに拒否する劇場が現れたので、この機会に、ドイツから日本への振り込みはどうなのか、予想としてはムダとは思ったのですが調べてみました。以前調べたときには、こちらが欲しい情報を得られなかったのですが、今回は、うまい具合に、そういったサイトを複数見つけることができました。手続きの仕方、手数料の資料もゲットできたので、自分が口座を持つ銀行に、細部の情報を得るために足も運んでみました。で、判ったことは、へたすると、チケット代を上回る手数料がかかるかもしれないということでした。間に、幾つかの銀行が入るケースもあるので、「1件が5千円程度の振り込みを受けるのなら止めておいた方がいい」ということでした。振り込みされた日本の銀行で受けるだけで、手数料2千五百円なんですから。それに、いくら上乗せがあるか判らないでは、怖くてできないということです。仕方がないので、頑なな劇場には、替わりにヴァウチャーを送ってくれとのレスを送ることにしました。期限内に使える金券(チケット購入用)ですが、この先行けるかどうかが判らないので、これは避けたかったのですが、以上のようなことでは、致し方ありません。今、新たに、それすらもしない、ヴァウチャーすら出しそうもない劇場が出てきてるので、返金がしてもらえない可能性も出てきています。
 今日のオペラ配信は、引き続きオランダ国立歌劇場の「指環」、第3作「ジークフリート」の残りと、第4作「神々の黄昏」でした。「黄昏」も、何やら舞台をいじるかなと思いながら臨んだのでしたが、レイアウトは、「ラインの黄金」同様、オケは、オケピットに納まっていたいました。ハーゲンの姿が、まるでプロレスのヒールのようで、また、それが似合う歌手(クルト・ライドゥル)が歌っているのが可笑しくて。この歌手、フンディングも歌ってたので、ヒール専門歌手です。ますますプロレス的です。それに加えて、グンターとグートルーネという、ハーゲンの兄と妹は、宝塚のトップスターのようなお姿。しかも、兄と妹でありながら、何やらおかしな雰囲気が漂うというもの。何か仕掛けがあるのでしょうか。まだ、ジークフリートが頭巾を被って、ブリュンヒルデの前に現れたところまでしか観ることができてないので、今後が楽しみです。

★本日行くはずだったオペラ
エッセン・アルト劇場「ドン・カルロ」(ロバート・カーセン演出)。ロバート・カーセンものを観ることができるということで、必ず組み込めるようにとの方針で、このオペラ紀行は組みました。3月にも組めたのですが、うまい具合に、この時期のオペラ紀行に組む方が賢明だったのですが、、、。あの努力はなんだったのでしょうね! ロバート・カーセンは、ハンブルクの「トスカ」以来の遭遇になるはずでした。


2020年 5月 26日(火)午後 11時 18分

 今日は、見事に天気予報通り。夕方から、それも、ウォーキングに出かけようかという20分ほど前からの雨。ぼちぼち、出かけようかなと思い始める時間。でも、今日は、予定通りということもあり、また、降り始めは優しい雨だったもので、傘さしウォーキングのつもりで出かけ、こういったときのために押さえてある屋根のある公園へ。ところが、今日は見慣れぬ風景が。その公園辺りにはホームレスの人たちが溜まってるわけではないのに、ベンチに寝転がっている、更に、明らかに仕事サボりで公園で暇つぶりをしている人、こないな風景、絶対にない公園なのにと言っても、皆さんも、黄紺同様、雨の日ヴァージョンを心得てるってことのよう。しかし、普段の雰囲気との違いに戸惑いながらも、ベンチに寛いだのはいいのですが、雨とともに、気温が急低下。ベンチに座ってスマホいじりしている場合じゃないほど、寒くなってしまったので、あっさりと引き上げることにした、正に、そのタイミングで、雨足が半端ではない強いものに。ちょうど、そのタイミングで、黄紺の頭上を前線が通過したものと思われます。でも、そのまま居ると寒い、そういった状態ですから、風も強くなってたため、とにかく逃げました。家方向に向かい、逃げました。雨足は、強くなったり、弱まったりはしたのですが、強いときはかなりのものだっただけに、ズボンはびしょびしょ。靴にも水が染み込んできていました。そんなで、夕方のウォーキングは、中途半端もいいところでしたが、辛うじてルーティンはこなしたかな、というところです。
 そんななか、ちょっと嬉しかったこと、それは、この時期に予定していたオペラ紀行では、キャンセルが効かないものもあり、大損をしているのですが、キャンセルできないはずのバスで払い戻しができるのが出てきたということです。交通手段としては、お値段の安いバス利用にシフトしだしているのですが、今回の予定では、タイムスケジュールの関係で、ドイツ国内の移動では、バスが取れなかったのですが、ドイツからポーランド、また、ポーランド国内の移動は、ほぼバスの移動の手筈が整っていましたし、鉄道移動をする予定もあったのですが、ポーランド国鉄は、前売り切符は、1ヶ月前から販売ということなので、まだ買ってなかったため、実害は起こっていないのですが、黄紺の利用するバス会社Flix-Busの切符は、早く買うと安く買えるので、全て買ってありました。ところがですね、そのバスの運行取り消しを、バス会社の方から言ってきたのです。ポーランド事情を押さえてないので、事態の背景は判らないのですが、とにかく動かない、だからキャンセルができるようになったのです。代替便も提示されていましたから、運行してないのではなく、間引きかもしれませんね。ま、ポーランド国内のFlix-Busですから、金額はたいしたことはないのですが、でも返ってこないよりは、まだいいかなというところです。おまけに、バウチャーでの返金ですので、これから1年内に使わないとダメなのです。また、コロナがどうなってるか判らない内に、Flix-Busの走ってるところに行かねばなりません。結構、ヨーロッパは走ってるようなんで、ドイツやポーランドでなくても、いいのですがね。
 そして、今日も、オランダ国立歌劇場の「指環」を楽しみました。今日は、「ジークフリート」の続きで、これを書いている時点では、ラストを残すだけとなっています。眠っているブリュンヒルデは、既に舞台上に出てきている状態でストップがかかっています。とにかく舞台構成のおもしろいプロダクションですから、各場面を、どのようにアレンジするか、常に次が楽しみなのです。体育館の2階の側廊のような高所から、一方の端からは、木板重ねで下に下る道が付いていますし、側廊のもう一つの端からは、鉄梯子で垂直に下に降りられ、そこからは、オケピットの前を回り、舞台正先に上がれるようになっています。ちょうどオケピットを囲むように、舞台上には、木板重ねで通路があり、火に囲まれたブリュンヒルデを表すときには、その下に仕込んだ多くの蛍光灯にスイッチが入ります。舞台右端には、上下にスペースが作られ、ミーメの館に調度品を置くために、上のスペースが使われたり、殺したファフナーやミーメの遺体の投げ捨て場に、下のスペースが使われたりしてました。そないに楽しみいっぱいの装置が、しかも、小鳥が出てきて、いよいよ大蛇退治に入り佳境に入っていこうとしている、正に、そこで居眠り。気がついたのは、ミーメの遺体が投げ込まれるところ。あれ、どうして、大蛇をやっつけたの、小鳥とジークフリートはお喋りするようになったところもスルー、ミーメが狙ってるってこと、小鳥が教えるはずなのに、、、そないなことを考え、わりかし眠ってたことに気づく始末。さすがに、元に戻り観直しました。大蛇退治では、木板重ねが盛り上がり、木板の隙間から火を吹くやら、とっても大騒動になってました。小鳥は少年を舞台に出しました。今まで観た「ジークフリート」で、女性歌手が小鳥として舞台に出たのは観たことがあるのですが、ボーイ・ソプラノを使ったのは初めてです。また、このボーイ・ソプラノの声が素晴らしい。ハリー・クップファーのプロダクションでは、小鳥をヴォータンの使いとしてましたが、このアムステルダムのプロダクションでは、そういった気配、ないしはメタファーのようなものは感じなかったですね。「ジークフリート」は、あと少しですから、明日は、いよいよ「黄昏」となります。

★本日行くはずだったオペラ
ハンブルク州立歌劇場「スペードの女王」(ヴィリー・デッカー演出)。このオペラ紀行2回目の「スペードの女王」。不思議な魅力のある演目ながら、普段、なかなか接することのないものを、大歌劇場で、スター演出家のプロダクションでと、やはり、このオペラ紀行は、グレードではトップかもしれません。


2020年 5月 25日(月)午後 9時 48分

 今日も、いつも通りの一日だったのですが、やはり、オランダ国立歌劇場の「指環」の配信に限りがあるということ、全部を観ようとすると、16時間くらいかかると考えておかねばならないものですから、どうしても優先度が上がってしまっているところへ、このアムステルダムのプロダクション、なかなか惹き付けるものがあるのです。やはり、大がかりな装置の意外な配置にそそられてしまいます。「ラインの黄金」では、オケピットに通常通り納まっていたオケが、「ワルキューレ」での、オケピットも組み込んだ装置の迫力は、かなりのものがありました。円状の重ね木板に抱かれたように置かれたオケ、昔、初めて観たときにびっくりした、ヴィーラント・ワーグナーの舞台を思わせる抽象的な装置のようで、舞台が進むと、木板が岩盤のように見えてくる不思議。「ジークフリート」は、まだ、1幕のミーメとさすらい人との応酬半ばまでしか観てないのですが、これまた、様相が違う。黄紺は、「ワルキューレ」と同じ装置を使うかもと思ってはいたのですが、今度も、オケピットは、舞台上にあるのですが、今度は、向かって左で、「ワルキューレ」に比べて、舞台前方に位置してました。前2作は、抽象的な装置を使ってましたが、ミーメの家は、それとは、かなり真逆っぽい。熊の被り物まで出していましたから、ちょっとコンセプトが違うのかな。「ジークフリート」は、具象化された舞台にすると、変化を出さねばならなくなりますから、このあと、おもしろい展開が待っているのかもしれませんね。楽しみやわぁ。歌手陣が粒揃いというのもいいですね。最大のお気に入りは、ジークリンデを歌ったネーゲルシュタット。びわ湖で「トスカ」が聴けたのが、待望の初遭遇。ドイツでかすることがあったのが、なぜか、びわ湖で聴けたのですが、ここまで良かったかなと思えるいい出来。キャサリン・フォスターは、この映像の時期(2014?)は、バイロイトでもブリュンヒルデを歌ってた頃ですね。まだ、歌ってるかなと、バイロイトのプログラムを調べると、今年は中止なんですね、ま、そうなんでしょうが、ネット上に「キャンセル」の文字が出ると、やはり衝撃が走りました。で、キャサリン・フォスターですが、2018年の「ワルキューレ」が最後でした。この年は、「指環」全作が上演されず、この「ワルキューレ」だけが、ドミンゴ指揮で上演された年でしたが、そのときのブリュンヒルデで卒業だったようですね。そして、ヴォータン/さすらい人を歌っているトーマス・ヨハネス・マイヤーですが、「ワルキューレ」のフリッカとのやり取りを除くと、なかなか聴かせてくれたものですから、名のある歌手に違いないと思い調べてみると、確かにそうだったのですが、それだけではなく、あっと声を上げた情報をキャッチしました。既にキャンセルが発表されている新国立劇場製作(兵庫県立芸文でも上演のはずだった)の「マイスタージンガー」で、ハンス・ザックスを歌う予定になってた人でした。もう、何重にも残念が重なってきています。「ジークフリート」も、正味4時間を超えますから、明日で終わるかな。既に、ラストの「黄昏」もアップされていますから、まだまだワグナー狂いは続きそうな毎日です。
 そういったオペラ三昧の合間に、おもしろいハッシュタグを見つけました。「#当分韓国行けなさそうなので地元のオススメ韓国料理店を紹介する」という長ったらしいもの。だけど、その長ったらしさに、気持ちがこもっているようで、メモを取ってしまいました。黄紺は、外国旅行解禁の1発目は韓国と決めています。何となく、コロナ対策への安心感と、感染したとしても、発症する前に帰国しているだろうからと、一応は考えてみたものの、日本で感染して、韓国で発症する可能性もあるわけだから、それは、さすがに困るので、やはり日本にいる間は、じっとしてるこってすね。じっとしてる間に、大阪に行くにも、勇気が要るなと思ってる黄紺なのであります。

★本日行くはずだったコンサート
ベルリンのフィルハーモニーの小ホールで、ヨーロッパ室内管弦楽団のピックアップ・メンバーによる室内楽を聴く予定でした。フィルハーモニーでは、大ホールでのオケのコンサートしか聴いたことがなく、小ホールは初体験になるはずでした。月曜日はオペラ枯れの日。翌日のことも考え、ベルリン滞在がベストななか、いいコンサート見っけだったのですが、、、。


2020年 5月 24日(日)午後 9時 38分

 もう5月の下旬だから、こないなものなのでしょうが、随分と暑くなってきました。定番の日に2回のウォーキング、特に昼前のでは、かなり汗をかいて戻ってくるようになりました。まだ、Tシャツの上に薄い長袖の上着を引っかけたままというのもありますが。でも、乾燥をしているためか、まだ日較差ってやつが大きく、明け方の気温は、結構下がるので、黄紺的には、要注意の季節。風邪をひくことの少ない黄紺も、寝冷えをやると、さすがにダメですから。時節柄、風邪をひきにくいですからね。今朝も、咳が続いたものですから、やってしまったかとヒヤリとしたのですが、咳は、そのときに集中的に出ただけ。何やしら、あやしげな微粒子が、黄紺の傍らを抜け、アレルギーが反応したものと思っています。果たして、コロナは、このまま終息してしまうのでしょうか。これで、第2波も来なければ、世界から見たら、何もしない内に通り過ぎたとなるのでしょうね。毎日観ているドイツ系Youtube(在ベルリン)で、飲食店再開の様子を、動画を交えてレポートしてくれてました。入店数の規制やソーシャル・ディスタンスを守りながらの再開の様子、律儀なドイツ人は、よく守っているようです。マスク率も高いですが、してない輩もいる。ま、慣れないことだからと、採点が甘くなりそうですが、ルールはそうなってるはずと思うと、ドイツ人の中にも、できないやつがおるんだと思うと、微笑ましく感じてしまいます。日本の昨今、マスク率が下がってる姿を見るにつけ、我慢のできないアホたんと見るのとは、評価が違ってしまいます。やはり、慣れないことをしている姿を見ると、大目に見てしまうものなんですね。飲食店再開動画の中には、ビアガルテンの様子が映ってたのに惹かれました、ドイツらしいですからね。と同時に、ハタと固まってしまいました。そうだ、ドイツには、この風景があるんだと、今さらながらの言葉を呟いてしまってました。昔、ミュンヘンのイギリス庭園に、家内と行ったきりです、こういった野外のビアガルテン。1リットル入りのグラスなんてものを、初めて知ったり、ザウアークラウトが、べちゃっと山盛り盛られたりと、思いもよらない経験をした思い出があるけど、それ以来、行ってない。行ってないはず、最近のオペラ紀行は、真冬と春先で始めたものだから、こういったビアガルテンなるもの、頭の隅にも入っていませんでした。よく行って、ビアホール。だけど、これが激減している上に、ビールを迂闊に呑むと、オペラに障るものだから、行かなくなってると、どんどん、こういったスポットから遠ざかってしまうもなんですね。そのためか、今日観た動画は、懐かしくもあり、新鮮な印象を持ってしまいました。
 ところで、日々の楽しみ、オペラ動画は、チューリヒ歌劇場の「ウェルテル」(タチアナ・グルバカ演出)を走破。古いしきたり、道徳を、家という可視的な装置を使い、目の前に示してくれました。唯一、この家から外れるシーンは、シャルロッテが、ウェルテルを追いかけたとき。でも、ウェルテルの死に立ち会う場面は家の中でした。但し、家全体が宇宙をさまよってはいましたが。なかなか、含蓄があると言っていいのかなぁ、ベタな印象も持ったので、ちょっと迷うところでもあります。ホアン・ディエーゴ・フローレスの声質は、軽すぎて合わないかもとの懸念があったのですが、存外、それはスルーできました。ただ、やっぱ、ラテン系のウェルテルになっちゃいますね、、、仕方ないかとは思うのですが。それが終わると、今度は、オランダ国立歌劇場の「指環」の第2彈「ワルキューレ」です。「ワルキューレ」に入ると、もう寄り道は無理でしょうね、しばらくはワグナーから抜け出せない日が続くことになります。なんせ、「ワルキューレ」で4時間かかりますから。また、大胆な装置が楽しみなピエール・アウディのプロダクションは、「次はどうなる?」といった刺激を与えてくれます。「ワルキューレ」もやってくれました。オケピットをも包み込んだ渦巻き状の舞台、舞台に抱かれるように配置されたオケは、正面から観ると、舞台中ほど右サイドに置かれてました。また、歌手を揃えてくれています。ジークムントがクリストファー・ヴェントリス、ジークリンデがカテリーヌ・ネーゲルシュタット、ブリュンヒルデはキャサリン・フォスターと、いずれも、生で聴き、実力の判っている歌手陣というのが嬉しいですね。3日ほどかけて観ることになろうかと思っています。

★本日行くはずだったオペラ
ワイマール国民劇場で「ナクソス島のアリアドネ」(マルティン・グレゴール・バーガー演出)。スター演出家ではない、だけど、若くて将来性の高さは半端じゃないと睨んだ演出家マルティン・グレゴール・バーガーのプロダクションは、スケジュールを組むときの最優先要素です。ハノーファーの「こうもり」を観てから追いかけています。毎年、どこかの歌劇場で、新しいプロダクションを発表し続けることができているということは、世間も放っておくなんてことをしていない証左。ITの活用度ではナンバー1でしょう。何よりも、おもしろいものを作ることができる才能は半端じゃ、ないですね。ましてや、「アリアドネ」だと夢が膨らんだのですが、、、。黄紺的には、ワイマール国民劇場では、「キャンディード」に次ぐ登場になるはずでした。


2020年 5月 23日(土)午後 10時 28分

 気温が戻りました。ここ何日か、気温が下がってましたしね。この時期、まだ、家の中は、外の気温上昇に追いつかないものですから、外の気温自体が低いと、特に夜は冷え込んでしまいます。コロナがあるので、迂闊に風邪をひけないですからね。今日は、ルーティンを、大過なくこなせた安穏とした一日。いつもと違ったのは2点。昨日まで読んでた北ドイツの紀行文が終わったので、新たに宗教改革について勉強しようと、何冊かピックアップしてあります。狙いは再洗礼派。ミュンスターに行くと、やはり再洗礼派の知識を深めたくなります。そのための外堀からということで、ルターやカルヴァン、ジャン・ノックス(これはマニアックかもしれない)、エラスムスもかじると、更に深くなるだろうなどと計画を立てての第一歩です。最初に選んだ本、ちょっと読み進むと、あれっ、傍線を引いてある。ということは、以前にも読んでいる。だけど、読んだことすら覚えていなかった。しかも、どこに傍線があったかと言うと、「エアフルト」にしてあった。「アイゼナハ」にも。実は、黄紺は、この2つの町に入ったとき、やたら、ルター関連の博物館なり所縁の地があったことで、ルターが修業を積んだ土地だと知ったつもりだったのですが、この本で読んだことは、すっかり忘れてたってことが判りました。自分の名誉のために書いておきますが、帝国追放刑を受けたとき、匿われ、外に出られなくなったルターが、ドイツ語訳聖書を書いたのはアイゼナハにある城だということは知ってましたし、城に行ったときに、きっちりと、その部屋は観てまいりました。普段と違った点、もう一つは、オペラを観る時間が、更に増えたということです。原因は限定配信にあります。こちらが観たいものが重なり、且つ配信期間が短いものが重なったのです。1つは、「指環」が始まったということ。1つ1つが長い上に、配信期間が短いところへ、ホアン・ディエーゴ・フローレスがタイトル・ロールを歌うチューリヒ歌劇場の「ウェルテル」が始まってしまったのです。しかも、こちらは、配信期間が4日間だけというもの。ですから、今日から何日かは、かなりタイトなスケジュールとなります。ところで、「ラインの黄金」は終わったのですが、かなり、わくわく感の残るプロダクション(ピエール・アウディ演出)でした。装置が無機質なということは、昨日書いたのですが、衣装もおもしろい。もう、冒頭のラインの乙女で、目はぱちくり。だって、3人の衣装って、グプタ様式の仏像の衣だったのですから。身体に密着、でも、衣の襞が線で残る、あれだったのです。自分の見当の正否は、あとの登場人物の衣装を見れば判るというものです。すると、どうでしょう、大当たりだったのです。ヴォータン以下の神々、仏像の衣をモチーフにして意匠化したものですし、頭も仏像のそれだったのです。アルベリヒとミーメ兄弟は、小人族を表すために、頭にコブを作りフリークスにしてある。ファーゾルト、ファーフナー兄弟は、巨人族ですから、長頭でフリークスを、また体全体も岩塊状のフリークスで、ちょっと見、仁王をアレンジしたかなの風情。これも、仏教遺跡で見そうな意匠になっていました。仏教ファクターを、統一イメージにはしてなさそうですが、これは、まだ、3作ありますから、ゆっくりと確認しましょう。なかなかユニークだなと頭に入っている黄紺の目は、クレジットに出てきた日本人の名前を、きっちりと捉えました。ひょっとしたら、衣装担当ではないかの予測のもと調べてみると、ドンピシャ、石岡瑛子さんでした。恥ずかしながら、お名前すら知らなかったのですが、大変なキャリアの方ですね。ヨーロッパのオペラシーンで、指揮者と歌手以外で、日本人の名前を見たのは、市川猿之助、宮本亜門、菅尾友に次いで、4人目じゃないかな。猿之助のときのスタッフに日本人が入ってたはずだから、もう少し多いかも。

★本日行くはずだったオペラ
ベルリン・ドイツ・オペラ「スペードの女王」(グラハム・ヴィック演出)。このオペラ紀行では、「スペードの女王」を2回、観ることになっていました。2つとも、スター演出家のプロダクションだからです。特に、ベルリンの公演には、サンドラ・ラドヴァノフスキが歌うというもので、楽しみが倍加していたものでした。





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