忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2021年 4月 12日(月)午前 7時 17分

 昨日は、久しぶりに、京都コンサートホールで音楽を聴いた日。同ホールで「スプリング・コンサート」と題した京都市交響楽団の演奏会があったのです。まん防が、京都市に発令されてから、初めてのまともなお出かけ。出る前には、HPで開催の確認をしてからお出かけしたのですが、同ホールに着くと、やけに人が多い。HPには、「チケット完売」と出てたから、まあ、多いのは判るのだけど、多すぎる。「まさか」という言葉が、頭を過ってしまいました。そして、そのまさかだったのです。あんなに多い人が、一堂に会したのを見たのは、ホント、コロナ禍に入ってから初めてでした。フルに入れたのです。最近、同ホールの最高に音のいい場所は、3階サイドと決めたので、上から見ていると、入って来るわ入って来るわ。最初は、完売と言っても、人数制限の上での完売、制限を上げたから多いはずと、なかなか、フルで入れるということを認めようとしなかった黄紺でしたが、人の流れが、開演時間になっても絶えない光景を見て、ギヴアップ。受け入れるしかありませんでした。まん防が出ているのに、フルで入れるとは、京都市も大胆不敵なことをしました。黄紺は、3階のサイドのブロックの端の席を押さえ、こういった事態に、一応、備えてはいたけれど、めっちゃ気色悪かったぁ、、、! 隣に人が座ってるだけで、気色悪くなります。この1年間の成果は、頗る大きい、正に、その影響下にあります。そこへ、まん防なんだから、きついですね。で、このコンサート、狙いは、小曽根真。同じ、このホールで聴いた「ジュノーム」の素晴らしさは、忘れがたいものがあります。カデンツァは、奔放に弾いてくれて楽しかったけれど、そういった、本業のジャズ的演奏ではなく、黄紺が惹かれたのは、軽い軽いタッチ。そこから紡ぎ出されるモーツァルトは、モーツァルト本人に聴かせたくなるよな、そういった音楽、いやいや、モーツァルトが、そこにいれば、「これだ!」と叫びそうな音楽を披露してもらったものだから、すっかり、気に入ってしまったのです。そして、指揮は広上淳一、常任指揮者です。そのプログラムは、次のようなものでした。「ラフマニノフ:ヴォカリーズ」「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18」「チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74“悲愴”」。ロシア一色、前半がラフマニノフ、後半がチャイコフスキーという組み合わせです。「ヴォカリーズ」は、なかなか耳に残る音楽。柔らかなメロディーが、とっても心地よいものがあります。そして、2曲目がお目当て。とっても、機能的で、リズム感の凄さを突き付けられたような腕前。まるで、小曽根さんが、曲全体を仕切っているみたいな雰囲気。手の内で転がされたなと言った印象。なお、2楽章の短いカデンツァでは、オリジナルな音楽を演奏したのですが、3楽章も、それらしき音楽を演奏したのですが、然としたことが判らなかったところ、帰り道で声をかけていただいた方から、貴重なお話を伺えました。3楽章は、コード進行を変えないでのいじりが入ったそうです。これは、全き納得。これ以上、判りやすい説明はありませんでした。そのいじりも、予め用意したものではなく、即興での可能性があるだけに、ただただ感心するばかりです。後半は「悲愴」。ソリストがお目当てじゃなかったら、なかなか聴かない曲ですね、今更、「悲愴」を目指して、コンサートに行くことはないでしょうから。その帰り道に声をかけていただいた方は、絶讃されていたのですが、黄紺的には、2楽章までは流されたって感じで、今いち、気に入らなかったのですが、3楽章がフラットな感じで聴けたと思うと、4楽章は、完全に前のめりになっていました。気魄というか、ぶつけられた感情というか、そないなものに正面衝突って感じかな。そういった、何やらに対置しているという風情が出てなかったから、2楽章までは流されたって感じたのでしょうね。ただ、「悲愴」と言えば、木管の活躍場面、なかでも気になるのはクラリネットだったため、首席の小谷口さんの音色を楽しみだったのですが、昨日は出ておられませんでした。役割分担があるのでしょうか。今月、もう1回予定しているコンサートで、小谷口さんを聴けるので、楽しみは、そのときまで残しておきましょう。
 京都コンサートホールは、歴彩館の北隣ですから、同ホールへの往復は、歴彩館のときと同様、1日のウォーキング替わりとなります。その帰り道、まだ、北大路通にも行かないところで、1人の男性に声を掛けられました。上に2回、既に出て来られています、その方です。黄紺は、手にプログラムを持っていたので、コンサートからの帰り道だとは判ったようで、「京響って、いつも、こんなに素敵な演奏をするのですか」、それが、第一声でした。ということは、初めて、京響を聴かれたと判断、まず、その辺をお聴きすると、札幌の方でした。お仕事で、1ヶ月、京都に滞在されているということで、その機会に、京響を聴きに来られたそうです。そんなことをお聴きしながら、小曽根さんの話題になったときのことで、いいお話を聴かせていただいた次第です。もちろん、モーツァルトも聴かれていました。札幌でも、ラフマニノフの演奏が、この秋だと言われていましたが、予定されているそうです。これは、思いがけない出会い。コンサート帰りに、そのコンサートを話題にお喋りできる、これ、最高っす! オペラ帰り、コンサート帰り、うだうだと、たった今、観てきたもの、聴いてきたもの、お喋りする、一期一会だったけど、いい出会い、でした。北大路に出たところで、その方とお別れして、黄紺は、いつものコース。夕方のいい時間だったけれど、鴨川縁を歩いても、まだ、陽はいっぱい。日曜日の夕方、さすがの人出、ここでは、まん防、関係ありません。なかには、ビニールシートを敷いて車座になってるグループを、2つほど見かけました。桜は散って、ほんの僅か、花は残っているけど、ほぼ葉桜なのに、、、! その1つのグループ、外国人の学生さん風の集まりでした。京都ならでは、ですね。こういった外国人の集団は、荒神口橋より北だと相場は決まっていますね。昨日もそうでした。


2021年 4月 11日(日)午前 7時 33分

 昨日は、お出かけなしの一日。土曜日に、何もないというのは珍しいことなんですが、昨日は、その何もない一日。一昨日よりは、若干ましかとは思うのだけど、寒い。というか、寒暖の差が大きいですね。一昨日のような風がなかった分、昼間は暖かだったってところかもしれません。朝晩は、先日までの暖かさがウソのように、冷えました。気が付くと、暖房は入れっぱなし。時計が逆回転しているようです。ただ、天気はいいので、身体が温まると、ウォーキングをしていても爽快感があります。週末になると、公園への人出が増えるけど、年度初めで、皆さん、お疲れなのか、昼前は閑散としていました。おかげで、静かに、公園で休憩&読書をすることができました。一昨日も書いていた、「バーゼル美術散歩」的な本、専門的な話についていけないながら、「死の舞踏」の絵がおもしろいものだから、わからないなりに講釈を読んでしまいます。ホルバイン作品だけではなく、バーゼルの修道院に、同じモチーフの絵画があったとかで、いろいろと時代考証が入ったりする本です。その中で、ちょいと触れられたことで、びっくりしたこと、書き留めておきます。「死の舞踏」、ドイツ語では「Totentanz」、これは、そのままなので了解なんだけど、フランス語での「La Danse Macabre」も、そのまんまだとばかり思ってたのですが、要するに「Macabre」って、「死」に関わる用語だと、勝手に決めていたのですが、そうじゃないんですね。「不気味な」とか「怖ろしい」的な意味合いの語句だそうで、びっくり。考えてみれば、「Macabre」は知らないけれど、ラテン語の「死」は「mors」だから、「Macabre」も、それから派生したのだろくらいに思っていた。でも、考えると、頭の「m」だけが同じだけという恥かしい事実に、昨日、思い至りました。アホげな間違いに、開いた口が塞がらないってやつです。このモチーフは、何も、ホルバインだけではなく、また、バーゼルだけではなく、各地に散らばっているので、その探索の旅なんてのもいいだろなって、かつて考えたことがありました。そんな淡い夢も、すっかりと消えたのが、現実ですね。どのような繋がりがあるのか、まだ、判ってないのですが、セバスティアン・ブラントの名も出てきています。バーゼル繋がりだった? だったかなぁ、、、? 今後のウォーキング時のお楽しみです。夕方のウォーキングの方は、ちょっと早めに出かけて、夜に「ブラタモリ」を観るつもりだった。でも、NHKプラスでは、今回も配信してくれなかった。もう観れないということかな? 再放送分とか、スペシャル編になってからの出来事です。この事態だから、ロケができてないみたいで、こういった「再編集+α」的番組を制作してからの現象。通常放送に戻っても、これだったら、万事休すです。
 午後の一時は、「時と悟りの勝利」を続けて観るのを、断念。居眠りが過ぎ、さりとて、頭から観直すという気になれなかったってことです。そこで、先日、メールマガ的な連絡をいただいた、少年王者館という名古屋の劇団が配信している過去の公演の映像を観ることにしたのですが、こういった公開用に撮ってないためか、音声環境が悪すぎる。かなり、我慢して観続けたのですが、さすがストーリー展開の細かなところ以上が、解らなくなってきたため、これも断念。そこで、新たなオペラ配信をピックアップ。配信期間が終わりに近づいている、ガーシントン・オペラの「フィデリオ」(ピーター・マンフォ-ド演出)をピックアップ。動かしてみて、初めて判ったのですが、これも、どうやら、コロナ禍の中での公演。オケは、必要な楽器1人ずつ、ディスタンスを取りながらの演奏、そして、演奏会形式。オケの前に、等間隔に置かれた椅子を、小道具に見立てて、軽い演技っぽいのが入る程度なんで、今どきの演奏会形式は、こないなことをするので、そういった表現でいいと思います。しかも、台詞は、全面カットという公演です。そないな公演模様の配信なので、これも止めようかと思ったのですが、歌手陣がしっかりしているものだから、止めるのが勿体ない感じがして観ることにしました。でも、またまた、半寝でした。前置きに時間を取られたため、あまり進んでないので、こちらは、振り返りながら観てもいいかなと思っています。


2021年 4月 10日(土)午前 7時 11分

 昨日は、再び、お出かけなしの一日。ところが、時間の配分を失念していて、午後の一時が、普段のような自由時間にはならなかったというのが、一のトピックという、寂しい一日でした。午前中に済ませるつもりだった家事を、すっかり失念。いつものように、昼前のウォーキングに出かけてから、「何か変」という居心地の悪さを感じて、ようやく思い出したということでした。一日中、寒さが戻った日でしたが、風が止むと、昼前だと、寒さは和らぎ、いつものように、公園での休憩&読書が、とっても楽しめました。新たに「バーゼル美術散歩」的な本を取り出してきているのですが、いきなり、コンスタンツ公会議でシスマは終わったはずなのに、またぞろ対立教皇の出て来るバーゼル公会議話からスタートするものだから、ちょっと戸惑ってしまいました。バーゼル公会議は、頭の片隅にはあったけれど、その内実など、すっかり吹っ飛んでしまってましたが、それを、バーゼルの街を歩きながら書いてくれるものだから、引き寄せられてしまいました。黄紺は、スイスって、2つの都市しか行ってないのだけど、その1つであるバーゼルは、2回行っているのです。だから、なんとなくというほどではないけど、バーゼルの街並が、目の前に拡がるような気がして、いい感じなのです。そもそも、バーゼルに、最初行ったきっかけというのが、市立博物館に行きたかったから。ホルバインの作品を持つ博物館に行きたかったのです。2回目は、同僚と、パリからドイツに入り、最後はスイスへという行程の最終地としてバーゼルに行ったのでした。2回とも、市立博物館に行き、ホルバイン作品は観ながら、肝心の「死の舞踏」を観ることなく帰った記憶があります。その「死の舞踏」が、当然、話題として出て来るだろうということでの、本のチョイスです。1回目は、スイスが、まだ、シェンゲン協定に加盟してなかったから、フランスからスイスに入ると、入国検査がありました。それを知らなかった黄紺、フランス鉄道のバーゼル駅を降り、何もしないで外に出ようとして、止められた思い出があります。その記念すべき場所を、2回目に行ったときにも行ってみました。もう、協定に加盟後でしたから、イミグレーションも無くなり、フランス鉄道の駅にも自由に出入りできました。エラスムスの墓も見つけられなかった思い出もあります。教会内で確かめたのに、その場所行っても、見つけられなかった。なんか、ちょっとすかされた思い出が蘇りますね、バーゼルは。そんなだから、まだ、読み始めたばかりだけれど、自分のできなかったことを補ってくれてるようで、有難く読み進めることになります。ブルクハルトが、ベルリン大学から招請を受けても、この町から離れなかったというトピックも、早々に出てきています。イタリア・ルネサンス関係の本を読んでいたとき、随分とお世話になった文人、今回も、お世話になりそうです。
 結局、すっ飛ばした家事を、午後に入れたため、しかも、トルコのコロナ情報関連で、学校情報に関わり、教育省長官のTV出演の掘り起こし記事を見つけたため、これを丸読みすると、めっちゃ長くて、これも、午後に食い込んだため、どんどんと自由時間が減り、最後は諦めました。夕方のウォーキング時間を確保できただけでも、良しとしましょう。だいたい、午後に気温上昇して、夕方は暖まっているはずなのに、昼前よりは厚着をしてのウォーキングだったにも拘わらず、一段と寒くなっていました。この寒さが、もう少し前に来てくれていたら、桜は、もう少し散る時期が遅れたのにと、今更言っても詮無きことを考えながら、葉桜を横目で眺めながらのウォーキングとなりました。


2021年 4月 9日(金)午前 7時 45分

 昨日は、今週2本目の韓国映画を観た日。京都みなみ会館で上映中の「チャンシルさんには福が多いね」です。上映ルーム前に人が見当たらないので、まさかとは思ったのですが、最後まで、1人での鑑賞となりました。映画では初めての経験だと思います。以前、シネヌーヴォXで、1人になりかけて、ぎりぎりで、もう1人入り、ぼっち鑑賞を免れたことはあったのですが、今回は、誰も現れませんでした。講談会では、1度経験はしていますが、映画でのぼっちって、気色悪いですね。変なのが入って来ないか、そんなことが気になってしまった、貴重な経験をさせてもらいました。ということは、韓国映画でも、韓流好きの人たちには見向きもされない映画なのかと思いながら、観始めていました。すると、ユン・ヨジュンが出ているではありませんか! 何も調べないで行った黄紺は、びっくり、最初は、友情出演って感じで、ちょっとだけ顔を出したのかとすら思ったのですが、そうではなく、かなり重要な役柄。ボケが入っているのかどうか、ちょっと怪しいところを感じさせる演技は、さすがの大家の婆さん役。ぼっち鑑賞なもので、俄かに、ユン・ヨジュンが出ていることを信じなかった黄紺でした。でも、この映画、「ある視点」的にはそそられる映画ですが、その「ある視点」的にも、映画全体のテイストというところで、大向こうが受けたり、韓流好きの人たちに受けそうな映画ではなかったですね。ま、ユン・ヨジュンを観に行く映画好きはいても、韓流好きはいないかもしれませんからね。でも、大評判の「愛の不時着」で、重要な役柄を演じたキム・ヨンミンが、不思議な役柄で出てはいたのですが、スルーされちゃいましたね。黄紺的には知らなかった女優さんカン・マルグム演じるチャンシルさん、見事に役柄にはまった好演だったと思うのですが、そのチャンシルさんは、映画製作のPDを長年務めて来たという女性、でも、一緒に活動してきた映画監督が、飲み会の席で急死。途端に、仕事を失うチャンシルさんはアラフォー、そうなんです、この映画が「ある視点」でそそられるというのは、アラフォー世代の女性の生き方的なコンセプトで貫かれた映画なのです。今まで懸命に働いてきた、生活の糧であるだけではなく、生きる糧でもあったPDの仕事から放置されたチャンシルさん、することがなくなる、たちまち食べて行くのにも困る、結婚もしていない、子どもがいるわけではない、立ち尽くすしかないチャンシルさん。映画製作で知り合った女優さんのマンションに転がり込み、お手伝いさんとして入りこむことに。その女優さん、ダンスを学んだり、フランス語を学んだりと活動的、チャンシルさんとは対象的。その女優さんにフランス語を教えに来る男性と話すようになるチャンシルさん、ちょっとした恋心を持つのだけど、その恋愛も不器用で、勘違いに終わってしまう。チャンシルさん、引っ越しをします。そこの大家役がユン・ヨジュン。この婆さん、娘を失ったけれど、その娘の使っていた部屋をそのままにしてあり、チャンシルさんには自由に使わせる。その部屋には。映画の雑誌など、映画関係のものがどっさりとある。そこに現れるのは、香港の映画スター、レスリー・チャンを名乗る男、いや幽霊と言い張る男。タンクトップに短パンという姿で冬に現れて来る。幽霊なのか、チャンシルさんの夢の中なのか、それも、白日夢のように現れては消えて行く。映画らしい手とは言え、これで、アラフォー女性の中に眠っていて、忘れかけている何ものかに気付かせる役割を与えていました。何をしていいのか立ち尽くす世代、そういった環境に突如放り出されたチャンシルさん、戸惑うだけだったのが、この幽霊だか、夢だか、よく判らない男との会話の中で、ちょっとした気づき、映画に持っていた若いころの熱意なるものを思い出すことになります。それだけで終わる映画です。でも、大家さんと、その家へ歩く、長くて急な坂道を2人で歩く後ろ姿が、ラスト近くで出てきますが、まるで、2人の人生を表しているようです。大家の婆さん、字を知らなかったため、それを覚えようとしていました。その手助けもしてたこともあり、チャンシルさんは「長い」人生に気づいたのかもしれません。アラフォーは、その通過点であり、そして、、、そこで、ハタと、映画の題名に気が向きました。映画の題名が、この映画のラストシーンだったのです。「福が多いね」の意味が、判りました。「婆さんは、この歳になっても、福を掴むためのこといてるじゃない、あなた、まだ、アラフォーだよ」って、ところでしょうか。ホントのホントのラストは、かつての映画仲間と、今度は、食事をするために、その長くて急な坂を下りて行くシーンでした。「もう1度、昇り直すぞ」というところでしょうか。この坂、いいね。実物、探しに生きたくなりました。
 この映画の上映スタートが、午後3時10分ということで、午前中は、ごく普通の時間。普通に、ルーティンとしているウォーキング。夕方のウォーキングは、京都みなみ会館から自宅まで歩くことで当てることにしました。ま、これも定番ですが。でも、映画が終わり外に出た午後5時には、東寺周辺域は小雨が降っていました。映画館に入るときは、全くの晴れだったのに。ただ、雨と言っても、西の空には太陽が出ているという変な天気なものだから、かまわないで歩くことに。幸い、フード付きのジャンパーを着ていたので、とりあえずは、フードで雨を凌ぐことで我慢。それで行けました。途中まで、同じような空模様だったのですが、半ばで雨は止み、この判断が当たりました。いつものように、途中からは、普段のウォーキングのコースに合流、マートにも寄り買い物もでき、何事もなかったかのように帰宅できました。


2021年 4月 8日(木)午前 7時 20分

 昨日は、お出かけなしの一日。天気もいいしと、格好のウォーキング日和だったこともあり、久しぶりに、自然の一番多いコース取り。保育園児を、昼前の時間帯に、よく連れて来られています。これって、このコースだけじゃないかもしれないけど、ちょっとした公園でも、保育園から集団で子どもたちが出かけてきています。思わず、DやSのことを思い出す黄紺、そうだ、Sは、この4月から、保育園児となっているのです。どうしてるかな? Dのお迎えのときに付いて行って、すっかり、入園する前から、保育園に馴染んでいると聞いているので、大丈夫とは思うのですが、フルではいたことがないはずだから、ちょっとは気になる。なんせ、ついこないだまで、家でも、ママから離れると泣き出すやつだったもので。ウォーキング途中に、そういった保育園児の姿を見かけると、ついつい、いろいろと考えてしまっています。暖かさが回復していたので、ベンチに腰掛け、休憩&読書が、頗る付きで快適。ハプスブルク家一代記的な本を完走です。帝国自体を扱いながら、皇帝にシフトした記述、評価も皇帝にシフトしている、そないな本、やたら漢語を使ったりと、今どきじゃない本でした。ま、手持ちの本を、片っ端から読もうということですので、決して、最近、刊行されたものじゃないけど、さりとて、50年も60年も前のものではないのですが。昔、クロアチアのオシイェクに行ったとき、当地の博物館に行くと、第1次世界大戦の史料が展示されていて、ハッとしたことがありました。当たり前のことなんだけど、その戦争では、クロアチアは、オーストリア軍として参戦していることに、展示を観て気が付いたことがあります。セルビアに行ったとき、ずっと、ベオグラード以南ばかリ旅してて、最後に、ノヴィサドに行くと、風景が一変してしまいました。オスマントルコの支配から、南部よりは早く逃れていたため、「すっかりハンガリー化したんだ」と、そのとき思ったものです。これ、正確に言うと、ハンガリー化じゃなくて、「オーストリア化」ですよね。やがて、二重帝国にはなるけど。いずれも、ハプスブルク帝国の跡ですよね。行きたいなぁ、もう1度、この本に出てきたところ。ハンガリーも、ブダペストとペーチしか行ってないから、プスタと言われる大平原、観てみたいよな。そないな妄想ばかりが膨らむ危険性を持つ本、でした。記述は、ともかくもですが。
 午後の一時は、ライプチヒ歌劇場の「ローエングリン」をと思い、控えていたURLにアクセスしても、ダメでした。既に、配信期間終了となってました。復活祭期間だけだったのです。3本も配信してくれていたのに、結局、1本全部すら観ることができませんでした。仕方ないので、替わりに、ハノーファー州立歌劇場の「時と悟りの勝利」(エリザベート・シュテップラー演出)をチョイス。ヘンデル作品です。プロダクションは違うのですが、DVDは持っているのですが、まだ観てないものですから、初めて観るオペラです。オペラ紀行のスケジュール作りに、ドイツの各歌劇場のラインナップを調べている際に、1回だけ、上演予定を見かけたことがあります。確か、ベルリン・ドイツ・オペラだったと記憶していますが、クリストフ・ロイものだったので覚えているのですが、残念ながら、うまく日程に入れられなかったこともあり、記憶に残っている作品でもあります。元来が、オペラではなく、オラトリオとして作られた作品、それを、オペラに仕立てたものですね。しかも、このオペラ、アレゴリー作品。端から難解だろうなと思うものだから、手を着けるのが億劫なんだけど、でも、上演機会がレアなものだけに選んだというわけでした。ところが、日本語字幕を出してみても、その日本語が解らない。変な翻訳とかじゃなくって、アレゴリー作品だから、ダメなのです。だって、抽象概念を擬人化しているものだから、イマジネーションが働かなくって、さっぱり、ダメだと思ってしまうと、次に来るのが居眠り。また、ヘンデルの音楽が、まことによく居眠りを誘ってくれるものだから、深みにはまる一方でした。なんか、最近、午後の一時がお昼寝タイムになってしまっています。これは、あかんね。でも、この居眠り、実にいい気持になれるのだから、なかなか止まらないのですね。


2021年 4月 7日(水)午前 7時 52分

 今週は、韓国映画を2本観ようと計画を立てている週。昨日は、その1本目を、京都シネマで観てまいりました。朴正煕大統領暗殺事件を扱った映画「KCIA 南山の部長たち」です。京都でようやく観れるようになりました。しかも、短期間で、1日1回の上映というもの。コロナ禍の時期、そないなタイトな上映で、混み合わないか不安だったのですが、混まないで程よい入りで、びっくり。韓流好きの人たちは、こないな映画は観ないのかな? おっさん、おばはん、丁度、いいバランスの客でしたからね。同素材の映画は、「ユゴ」がありました。題名も忘れているほど、以前のことでしたが、調べてみると、日本公開が2007年でした。そんな前になるのですね。確か、「ユゴ」は、韓国国内で物議を醸したこともあり、とっても評判になりました。今回は、どうなんでしょうか、マスコミの噂が、ほとんど耳に入らないような生活を送っているものですから、評判だとかは、全く知らないで行くことになりました。ただ、主演がイ・ビョンホンなもので、結構な入りを予想していたというわけです。「ユゴ」は、暗殺犯のキム・ギュピョン(金載圭)自身を主役にするのではなく、ハン・ソッキュ演じる、その部下を主役としていたのとは違い、キム・ギュピョンその人を主役に据えています。それが、大きく違うのと、やはり、「ユゴ」では目に付いた、パク大統領の日本との距離の扱い方が違う。「ユゴ」では、パク大統領は、側近と話すときは日本語、暗殺現場となった宴会を含めて、酒席になると、日本の演歌を嗜むとなっていました。事実は、どうだったか、黄紺は知る由もないのですが、あれだけ目立った扱いだったもので、この映画では、どうだろうと探る気持ちが出てしまいます。暗殺現場は動かせるわけにはいきません、実際、その直後の画像は、マスコミを通じて流れたものですから、そこを変えるわけにはいかないということで、和室ですね。そこを使った場面は、暗殺時と、その前に1度だけだったはず、出てきます。大統領とキム・ギュピョン2人の酒席です。台詞は韓国語、ただ、この映画で、ただ1度だけ、短いやり取りで、日本語が使われる場面が出ました。それを観た印象、1回だけ入れることで、「この2人の会話、ひいては、側近との会話、気の置けない会話は日本語を使ってたな」というものです。次に、気になったのは、パク大統領の描き方、キム・ギュピョンが暗殺に至る心象、この2つは関係があるという描き方を、この映画ではしていました。キム・ギュピョンが、権力闘争で追い詰められていくという流れが1本、パク政権の延命、これは、自身も、その体制に組み込まれていますから、自身が生き延びるためには、その政権そのものを維持しなけれなならないわけですから、そこから来る、大統領や警護室長(暗殺されるのはこの2人)との意見の相違。具体的に、この映画で取り上げられていたのが、釜山・馬山の市民運動への対応、アメリカとの距離ですね。その対応を見ると、キム・ギュピョンは、民主化推進者のようにすら見える動きを見せます。もちろん、この映画では、同じキム・ギュピョンが、権力維持のためには友人の殺害も指示する人物として描き、一概に、そのようにはならないような配慮はしていますが、いざ、政権維持のための意見としては、市民運動への目配り、アメリカへの目配りを持っているという描き方です。逆に、独裁で突っ走ろうとする、警護室長、それに合わせ、機能不全に陥ったような大統領が際立ちます。大統領らは、暗殺されて然るべきキャラという描き方ですね。パク大統領は倒れても、このあと、またぞろ、チョンドゥファンが出てきます。「またか」と思った記憶がありますが、その軍事独裁政権に辟易とした韓国が、その後、民主化に成功します。今や、元に戻るなど、考えも及ばない時代になっています。それだけ、韓国に市民文化が育ってきていて、主流になって行った証と思っています。それにつけ、ミャンマーに思いが跳んでしまいました。市民運動の高まり、それに抗う軍隊、いつか来た道のように見えながら、何か違うような、、、。アメリカかな? 北の存在かな? 最後は、そんなことを考えてしまっていました。なかなか、硬派な映画です。この映画が制作される、この1つを取ってみても、韓国の市民文化のほんまもの度が判るというものです。
 この映画の往き帰りが、昨日のウォーキング替わり。京都シネマ往復のときの定番のコースを使い、帰りは、マート経由で迂回コ-スを採用。でも、この時間だけでは、いつもの2回の合計を比べると、3/4といったところかな。ま、時間の縛りができてしまうから、致し方ないですね。おまけに、マートへの迂回コースを歩いている最中に雨。天気予報だと、帰宅後しばらくしてからが雨だったはずなのにと、天に文句を言っても始まりません。幸い、ひどい降りにはならなかったので、フードを被り凌ぐことに。映画を観た気分に、正に水を注されたことになりました。


2021年 4月 6日(火)午前 7時 53分

 昨日も、お出かけなしの一日。雨は上がったけれど、気温が下降。おまけに風が強いものだから、体感温度の下がり方は、半端ではない一日。もう、これだけの厚着をすることはなかろうと思うほど、暖かな日が続いてたものだから、とっても、この寒さは堪えてしまいました。寒い寒いと言いながら、風向きを考えて、ベンチに腰掛けていると、座ってられる、ということは、やはり気温自体は、さほど下がってなかったのでしょうね。いつものように、昼前にウォーキングに出かけたとき、定番の休憩&読書をすることができましたものね。風を浴びながらのウォーキング、冷えた身体が、徐々に温まる加減か、なかなかいい感じ。夕方のウォーキングを含めて、疲労知らずで最後まで歩くことができました。
 一昨日の日曜日が復活祭当日。翌月曜日の昨日も、ドイツでは祝日。ドイツは、クリスマスも、その翌日が祝日となるので、連休。あまり、他所の国のことを知らないけれど、このパターンは多いのじゃないかな? クリスマスの翌日、即ち、セカンド・クリスマスなるものすら、以前は知らなかった。キプロス(南)に行くとき、KLMを使い行くことになったので、そのとき、往き掛けの駄賃ていうやつで、アントウエルペンでクリスマスを過ごし、明けて12/26にオランダのハーグに行ったところ、様子がおかしい。街が死んでいて、無理やり開けてくれたホテルの人が「セカンド・クリスマス」なる語を教えてくれ、食事にすらありつくのに、えらく苦労したことがあり、このことが、しっかりと頭にインプットされたものだから、復活祭も、そうなんだろうと思ってた節があります。かつて、フランクフルトに常宿としていたホテルがあったのですが、そこで、丁寧に、連休について説明してくれたことがあった。買い物には気を付けてと、連休前に教えてくれました。あと、聖霊降臨祭の日も休むんだよね。ドイツは、抜け駆けするとことがレアなものだから、ホント、困る。そういったときに、お世話になるのが、トルコ人の店。キリスト教の祝日に開けているところを探すのは、一にマグド、二にトルコ人の店としているけど、最近、この鉄則が利かなくなってきています。件のハーグで、黄紺を救ってくれたのはマグドだったしと思っていても、閉めてるマグド、多いよね。そのハーグのマグド、数年前にハーグに行ったときに、わざわざ、もう1度見に行ったくらい、ありがたい思い出です。この3つの祝日に合わせて、ドイツの歌劇場は、こったプログラムを組みます。クリスマスは、「くるみ割り人形」とオペレッタ。復活祭は「パルジファル」、街角で、「ヨハネ受難曲」(マタイじゃなくてヨハネ)のポスターを見かけるのは、この時期ですね。この復活祭と聖霊降臨祭の時期は、ヘビーな曲が出る、「パルジファル」だけではなく。有名歌劇場は、競って有名歌手を招請し、自慢のプロダクションを出す。もう行けないけど、最近のオペラ紀行は、ほぼ、この3つの祝日週間に合うように、旅程を組んでいました、そんなわけで。復活祭と、ラマザンが、今年は、えらく接近しています。あと10日も経たない内に、ラマザンが始まる。ラマザンのトルコでは、黄紺は、マグドに足を向けて寝られません。ところが、以前は開けているものとしていたのが、最近は、こちらもそうではない。ラマザンの思い出は、いっぱい、ホント、いっぱいある。ウニエの大砲、トカトの大砲もえぐかった、カスタモヌの人の動きに衝撃を受けたし、ブルサじゃ、ダヴルジュを現認、夜中の3時に、、、、いつか、また、書きましょう、覚えている間に、書いておかないと、あれだけの大事な思い出、忘れるのは勿体な過ぎるので、忘れてない内に、ここに書いておこう、そう思います。
 昨日の午後の一時、都合で、あまり時間を取れなかったけれど、オペラ配信のお世話になりました。ところが、一昨日観ていた「リエンツィ」は終わってた。もう1日、大丈夫だと、間違っていました。だって、さっき書いたように、昨日は、セカンド復活祭というか、復活祭マンデーだったのですから。でも、調べ直すと、黄紺の間違いが判り、がっくり。で、替わりに、ライプチヒ歌劇場の配信「ローエングリン」(パトリック・ビアルディガ演出)をチョイス。これも、復活祭に合わせての配信。背後にオケ、前に簡易舞台、しかも、短縮版ということで、コロナ禍での特別仕様。ライプチヒ歌劇場は、こういった特別仕様ものを、3本も配信してくれています。なのに、観ることができる時間の大半、居眠り。観る前から危なかったんだな、昨日の午後は、やたら眠くて。ということで、書くこと、ありません、書けません。これも、ひょっとすると、昨日で終わりだったかもしれませんから、黄紺的復活祭は、さんざんです。


2021年 4月 5日(月)午前 7時 8分

 昨日は、お出かけなしの一日。昼前から、雨が降りました。天気予報では、朝から雨となっていたので、かなり心を痛めていたのですが、なかなか、そういった感じがしないものだから、通常通りのウォーキングに出かけて、正解。雨は、実際、ほとんど遭わずで、ようやく、自宅直前で降り出すという運の強さ。夕方のウォーキングは、さすがに傘さしウォーキング。でも、雨脚が、そんなでなかったため、僅かに短めのウォーキングにはなったけれど、自分的には、満足の行く内容。天気予報が雨だからと言って、毎回、このように行ってくれればと、予報とは違ったとは言え、文句の言いようがないところです。
 トルコ・リーグが再開しました。この間、トルコ代表の動向を追いかけていたことになります。が、代表選手の間で、大変なことになっています。完全にクラスターが、代表選手内部で発生していました。いち早く、陽性判明が出た選手は、トルコから出られない選手がいるやら、帰国早々に、陽性判明が出たため、所属先のクラブから公表されていってます。続々と出て来るって感じで、助かった選手を数えた方が早いくらい。前回の国際マッチデイでは、クロアチア代表として出場したドマゴイ・ヴィダが、次の試合のために行ったPCR検査結果が、トルコ代表との試合中に判り、前半で交替するということで、戦慄が走ったのが忘れられません。なんせ、試合前に、ベシクタシュのお友だちと旧交を温めている画像が、いっぱい、報道陣のカメラに収まっていたのですからね。試合ごとに、また、スペインへの移動のたびにもPCR検査を行っているはずですから、そこで出てなくて、トルコを離れてから出てるって選手たちは、潜伏期間を考えると、それは代表でとなるわね。段階的に増えて行っているので、早い段階で陽性判明が出た選手の誰かが、感染したまま代表に合流したのでしょう。黄紺は、サッカー界の、しかも、1部リーグ所属の選手が感染した場合は、少なくとも掌握していこうとしています。すると、トルコ全体の感染者動向と、見事にシンクロしているのが判ります。現在の感染拡大のきっかけは、トラブゾン・スポルでの感染者の出現でしたものね。それが、どんどんと拡大。代表選手が、所属先の国へと持って行くという姿は、正に、感染拡大の教科書のような図です。おかげで、再開したトルコ・リーグで異変が起こっています。ガラタサライが、まさかの大敗、首位を走るベシクタシュも負けたし、トラブゾン・スポルは引き分けた。各国の代表選手を抱えているクラブは大変です。窮屈な日程でプレーしてきた選手の使い方で苦労しているところへ、これはきつい。でも、これで、トルコ・リーグはおもしろくなる、かも。そのためには、今晩の試合で、フェネルバフチェは勝たねばなりません。
 昨日の午後の一時は、新たなオペラ配信に手を着けました。昨日の日曜日は復活祭当日、それに合わせて、オペラ配信の情報をいただいた中から、ベルリン・ドイツ・オペラの「リエンツィ」(ピョートル・シュトルツェル演出)をピックアップしました。DVDにもなっているものですが、黄紺は持ってないもので、選んでみました。ピョートル・シュトルツェルものというのが大きいですね。「リエンツィ」は、前奏曲がいいというのは、よく言われます。とっても勇壮なメロディは、1度聴くと、耳に残ります。でも、それ以外を褒めたものは見かけない。確かにと言ったところです。ワグナー作品の進化の凄さを知るには、格好の作品。バイロイトでは、このあとの「オランダ人」以後だけを、交替で上演します。「リエンツィ」は入れてもらえないのです。オペラが始まると、それが納得できます、あっさりと。「オランダ人」でも、そういった顔は、少し、顔を出しますよね。ダーラントがオランダ人を自宅に連れてくるときの音楽って、よく知るワーグナーの音楽かと疑ってしまうものですが、それが全編というのが、この「リエンツィ」。「オランダ人」は、オランダ人のモノローグやゼンタのバラードで、確かにワーグナーと思えるので、いいのですが、「リエンツィ」には見かけないものだから、早々に居眠り。嫌になるほど、居眠り続き。配信期間が短いから、繰り返すのは難があるということで、どうしようかなぁ、続けるのすら考えているところです。


2021年 4月 4日(日)午前 7時 30分

 昨日は、お出かけを計画していた日。京都産業大学むすびわざ館にあるギャラリーで行われている特別展「東アジア恠異学会20周年記念展示 吉兆と魔除け —怪異学の視点から—」に行ってまいりました。こちらで行われた講演会におじゃましたあと、丁寧に、こういった特別展がある度に案内をいただけるので、滞りなく情報を掴めているギャラリーです。それに関する講演会なども企画され、テーマが、民俗学っぽい内容が多いこともあり、時間が許せば、行ってみたくなるミニ博物館です。コロナ禍ということもあり、今回の展示が企画されたのかもしれません。展示は、中国の古来の思想から堀り起こされていました。董仲舒なんて名前に遭遇するとは、思ってもいなかったこと。儒学者董仲舒が徳治主義を説いたことは知られたこと。その徳治に応じて吉兆が現れるというのです。吉兆祥瑞と言い、めずらしい天文・気象現象や珍奇な動植物の出現などといった稀有なことが起こるというわけです。その反対で、凶兆を意味するのが災異、災害や怪異が起こるというわけです。となると、根本のところに、天命思想、天を崇拝する中国ならではの思想が見えてきます。魔除けは、当然、災いを回避したいところから出てくるわけですね。おもしろいのは、儒教思想だけではなく、これが、道教や仏教にも刷り込まれていく、更に、こういった思想が、中国から日本に伝来してくる。そういったことから、董仲舒の紹介からスタート。伝谷文晁作の神獣白沢、落語「道具屋」のおかげで、谷文晁に反応する黄紺、そう言えば、10年ほど前、六本木のギャラリーであった「谷文晁展」、観に行ったことあります。白沢図は、江戸年間、お守りの図柄にも使われたそうです。クタベという、これも神獣なのかな、「件如」の「件」から生まれたダジャレの神獣、更に、ダジャレが進化して「スカ屁」なんて、わけの分からないものまで出てきているそうです。「改元」にも「祥瑞改元」というカテゴリーがあり、「大宝」「和銅」「白雉」「養老」などが、それに当たるそうです。「和銅」って、変な年号だなとは思っていましたが、金属の持つ力が祥瑞に繋がるということですね。「養老」なんて、自然崇拝に道教思想が絡んできていますよね。展示の多くは、江戸時代から明治以後のもの。最後の方では、この中国伝来の思想は、日本だけではなく、他の周辺諸国にも伝来しているということで、ベトナムやネパールもの、中国は中国でも雲南ものまで紹介していただけました。基本的な筋立てが明確な展示だったため、細かなものも、そのコンテキストで捉えることができるので、黄紺でも、十分についていける内容。小ぶりの展示ではあったけれど、楽しさ満載のもの。市内中心部とは言え、最寄り駅が、JR丹波口駅だから、混み合わない地域。JRは混み混みだったけれど。嵯峨野線は、インバウンドの消えた今も混んでいる。それは置いといて、そないな地域だから、心穏やかに出かけられるところでした。
 このギャラリーの往復を、昼前のウォーキングに替えました。ちょっと早めの昼食を摂ってのお出かけとしました。そして、帰宅後、時間に余裕を持ってから、夕方のウォーキングに出かけられるようにして、普段のウォーキング時間程度は確保する努力。うまくいきました。しかも、昨日は、「ブラタモリ仙台編」の再放送があることも考えて、それにも合わせるようにしていたのに、この再放送、NHKプラスでは配信しなかった。黄紺宅にはTVがないから、それだけが頼りなのよ! 久しぶりに、タモリ&桑子コンビを観られるという期待もあったのに。「仙台編」って、強烈に災害対策批判をした内容だった(と黄紺には思えた)ものだから、とっても印象に残っているものだけに、もう1回、観たかったなぁ。


2021年 4月 3日(土)午前 7時 20分

 昨日も、お出かけなしの一日。これで、何日か連続ということになるので、判で押したように、同じようなリズムで、時間が流れています。朝起きて、これを書いて、トルコのコロナ情報1回目のチェック。それが終わると、昼前のウオーキング。昨日は、冬物をクリーニングに出していたので、それを引き取りやすくなるようにとのコース取り。冬物と言っても、セーター1枚だけ。今年は、オーバーとか、そんなの、一切着る機会がなかったので、安上がり。クリーニング屋は、ちょっと遠いところだけど、実家の近く。以前、近所のクリーニング屋が閉鎖したときに、たまたま入ったら、そこのお婆さん、お若い頃、よく見かけた方だったので、そこへ持って行くことに決めてある。去年と比べて、耳が遠くなってしまってて、なかなか、こちらの言うこと聴き取れなくなってました。「この1年で、連れ合いをなくした」と言われていました。ウォーキングから戻り、コロナ情報で得た新聞記事を1つだけ残してあったのを、昼食の友とするのが、最近の習い。それからが、午後の一時、これは後述。夕方のウォーキング前に、昨日は、ちょっとだけ家事を入れた。これはイレギュラーだけど、家事だから仕方がない。夕方のウォーキングは、途中までコースを決めてて、あとは枝分かれするコースになるので、その場の気分で決めることに。結局、有名寺社を通るコースを採ることに。でも、その有名寺社、最近、黄紺が歩く時間帯にトイレを閉鎖してしまうの、困るんだよね。トイレくらい、世間に、24時間開放したっていいと思うほどの知名度持ってると思うんだけどな。ま、勝手な言い分だけど。それを考慮に入れて、コース取りをしないと困ったことになるのが、黄紺のウォーキング。戻りにマートに寄り、ちょっとしたお買い物。昨日はこのくらいかな、世間の人の動きと同じようなことをしたのは。仕事帰りのせわしなさを、体感しました。年度初めなんですね。そう言えば、先日、息子と電話で話したら、転勤だって言ってました。距離的には家から近くなっても、通勤の都合で、時間はかかると言ってました。DとSは、どうしてるのかな? ママも仕事に復帰だから、環境がえら変わりだから、大変なことになってるのじゃないかな。時間というものを、嫌が応にも体感していかなきゃならなくなってるはずです、幼い2人には。ウォーキング後は、トルコのサッカーと2回目のコロナ情報の収集。で、一日はおしまい。これが、判で押したように続いています。
 午後の一時は、オペラ配信の続き。「オルフェウスとエウリディーチェ」完走です。あの世の場面に入って行くと、「精霊の踊り」があります。これが変の極み。ダンスと言えばダンスなんでしょうね、芋虫の動きが続きました。背後の壁が上がりました。でも、その下に、明るめの壁が2階部分にある新たな壁が現れただけ。2階部分には出入り口が増えてたかな。舞台左よりに岩のオブジェが出て、右サイドに人が寛げるソファーが出て、左サイドの次の間にも、同様の部屋がありました。この世が変だったのに対し、あの世は落ち着いた感じ。人の動きから変さが消えました。これが、昨日書いた「二項対立」の具体的な形だったと言っていいのかな、普通だったもので、なんか不安になってきています。オルフェウスは、まるで彫像のように、オブジェの上に腰掛けて、終始、歌っていました。エウリディーチェの死は、崩れ落ちるという姿で表していました。その崩れ落ちる様は、前半で、行き交う人が見せたと同じ動き、、、ということは、前半の変な動きは、これと関連があるの? 愛の女神の登場で、エウリディーチェは起き上がり、オブジェの背後に、オルフェウスと立ちます。行き交う人たちは、ソファーに座り、また、立ちながら成り行きを見ている、そういったなか、一人の男が、台詞をつぶやきます。英語でだったのですが、日本語で聴いても解らない抽象的な語句、対比を表しているのか、対比にならないような語句でもあるような、なんせ英語だから、余計に自信がない。最後は、コーラスが響くなか、一同に箱入りピザが配られて幕でした。結構の居眠りもしながらだったもので外しているかもしれないのですが、かなり、昨日書いたことがぐらついています。もっともっと深奥な作りになってたのじゃないかと思えて。歌手的には、ほぼオルフェウスの独壇場的なオペラだけど、これを歌ったナデズダ・カリャズィナの声が凄かった。ほんまもんのコントラルト! 正に、正真正銘のコントラルト。夜の女王のハイFにも相当しそうな低音を出していました。要チェックです、この人。そんな大きな収穫があったプロダクションだったけど、難解に過ぎる。難解過ぎたので、自分の意見に自信がなくなったので、オペラ好きの友人に知らせるの、止めました。感謝されるどころか、時間の無駄的な扱いされそうだったもので。


2021年 4月 2日(金)午前 7時 37分

 昨日も、お出かけなしの一日。となると、いつものように、ルーティンにしているウォーキングだけが、外出の機会。家内の気温と外の気温の差に悩まされています。ついこないだまで、寒さ対策をして外出していたのが、それこそ、春満開の気温。でも、それは、外だけ。黄紺宅は、なかなか春がやって来ない。小さな家、しかも、陽当たりがよくないものだから、いつも使っている部屋などは、昼間でも明かりが必要。がために、なかなか気温が上がらない。毎年、6月の半ばに、それが逆転する。今度は、風通しの悪さの方が勝ってしまい、暑くなりすぎる、一旦、暑くなると、なかなか温度が下がらない、熱帯夜に苦しむ。このパターンが繰り返されています。だから、今は、まだ、屋内のいつも使う部屋は寒いまんま。この2日ほど、ようやく、着こんだ状態で、昼間の暖房が要らなくなった。無理からに、暖房を使うのを控えるために、着こむと、なんとか過ごせるという、外の春の空気とは違う生活が続いています。だからか、この季節、ウォーキングに出ると、休憩がてらの読書の時間が愛おしくなります。一番、いい季節ですものね。でも、このいい季節が、短くなった。もう少し、気温が上がると、陽が強くて、日陰を探さなきゃならないし、雑草が伸びてきて、やたら虫が飛び回る、今は、そうでもないから、一番、いいな。
 午後の一時は、昨日も、オペラ配信を楽しむ時間。「ウェルテル」完走しました。そして、歌手陣には突っ込みどころがあったけれどって、もう、昨日、書いているのですっ飛ばして、このモデナのプロダクション、とっても「やられた感」が残りました。冒頭に仕込みがあり、最後になり、その冒頭の場面が思い出されました。短い前奏曲の間、シャルロッテが、ロッキングチェアに腰掛け、物思いに更けている光景を出していたのです。そのときは、確かに、「これって、シャルロッテの回想?」とは思ったのですが、それからは、現実世界の展開となってたもので、その場面が、すっかり頭の中から消えていた。ところが、ウェルテルが拳銃を借り、シャルロッテの胸騒ぎでと、ラストに続く場面がありますわね、ここで、例の激しい間奏が入ります、短いけれど、とっても、焦燥感のある、素晴らしい音楽が流れますが、ここで暗転。次に照明が点ると、右にウェルテルの横たわるベッド、もちろん血まみれ、左にはロッキングチェアに座る老けたシャルロッテ。照明はサスを使っていますから、2人以外は暗転。2人の間はディスタンスがある。それは、トポスとしてのディフェンスだけではなく、時間というディスタンスでもありました。ですから、2人は接近しません。時空間を超えた2人が向き合っているのですから。想像は掻き立てられます。シャルロッテは、実際には、拳銃の受け渡しのあと、ウェルテルを追いかけたのだろうか? それをも含めての悔恨を表そうとしているのだろうか、これって、このオペラを、何度も観て、考えたこともなかった思考。それを考えて、正直、結論は出せなかったけれど、そういった考えたことなかったことに思考を持って行かせるプロダクションって、凄い! 「やられた!」です。おまけに、今のご時世、ディスタンスが肝要です。そのニーズも満たしている。世の中には、ホント、頭のいい人いるな、こういった出会いが待っているから、オペラ、止められないな。
 昨日は、時間的に余裕があったので、要するに、ほぼ居眠りもしなかったので、繰り返す必要もなかった。おかげで、もう1本、オペラ配信に手を着けました。チューリヒ歌劇場の「オルフェオとエウリディーチェ」(クリストフ・マータラー演出)をピックアップ。世界最高レヴェルのチューリヒ歌劇場ものだということ、そして、配信期間終了が迫ってきているというのが、ピックアップ理由。これも、「ウェルテル」同様、コロナ禍のものです。チューリヒ歌劇場は、オケピットを使わず、オケとコーラスは別室でという方法を採っています。これは、既に経験済みのことです。オペラは、グルックの方です。これも、厄介なプロダクション。まだ、オルフェオが、あの世に入ってきた辺りまでしか観てないのですが、十二分に、このプロダクションの色彩に浸りこんでいます。装置は現代、傍らに水回りが設えられたオフィスの一角、中ほど左にはエレベーター、左サイドは、次のスペースに続くといった風情。それだけでも、このオペラのイメージからはかけ離れているのに、そこをうろつく男、女が変。何やらものを運んでいるようでもあり、でも、それに意味ありそうにも見えないし、エレベーターが上にがっても、そこから出ると、壁を伝わりながら部屋への移動をしなければならなかったり、歩きまわる男女が、急に倒れたり、向かい合った女同士は、手を細かく動かして、その動かし方は、まるでハエの前足のよう、それでコミュニケーションをとっているように見える。全く、非現実的な光景が続くなか、オルフェウスが歌い続け、コーラスがリモートで響くといった展開。ハエの手で会話らしき女が、急に歌い出します。愛の神でした。でも、この光景、変だけど、その変さが統一されている。同じような変な行動を執り続けていることに気が付きました。で、判った! 「変な様式」で統一された「この世」の表現だと看ました。「変な動き」は、どんな動きでもいいのです。但し、「統一」されていることが肝心。「統一」は、パラダイムなりとでも言い換えることができます。このオペラは、「この世」と「あの世」を往来する物語です。二項対立的に「違った世界」を「2つ」見せれば、この2つのモチーフを表現できる、これです! 恐らく、このコンセプトで作られているのでしょう。オルフェウスが「あの世」に入って行くと、今度は、今までになかった「変なダンス」が入ってきました。恐らく、この「変なダンス」が「統一」を作って行くのだと思っている黄紺です。いや~、頭、使わせていただけてます。おもしろい、おもしろい。


2021年 4月 1日(木)午前 7時 20分

 昨日は、お出かけなしの一日。3月も、昨日で、あっさりと終わりました。トルコも日本も、感染拡大が続いています。でも、黄紺の周りでは、そんなことがあるのかといった時間が流れています。唯一、皆さんがマスクをしている光景を除いては。どんどんと、暖かになっています。以前は、年度替わりの頃には、花冷えのように、急に気温低下の日があったように思うのですが、なんか、今年は、上がったら上がったまんまという感じですね。雨が降っても、冷えるどころか、それを契機に、また上がるといった感じ。桜が、早々に満開になるのも解かる気がします。そないな暖かさのなか、昼前は、せっかくながら家事もあり、ウォーキングは縮小気味。夕方は夕方で、相変わらず、同じ時間帯に歩いています。ですから、ひたすら歩くだけを、まだ続けている。ここを修正したいと思いながら、午後の一時が狭められてしまうため、相変わらずとなってしまっている。変哲もない一日でした。トルコ代表のW杯予選3連勝という景気のいい話を期待していたら、まさかの引き分け。オランダ代表とノルウェー代表相手に快勝を続け、なんで、ラトビア代表相手に引き分けるの! それも、2点リードまで奪いながら! これが、アクセントをつけ、いい気分の一日になる目算が、朝一番でしぼんでしまったのもいけない日でしたね。そのトルコ代表も、コロナ禍に見舞われています。サッカー界を看ていると、トルコのコロナとの戦いの縮図を看る思いになりますね。サッカー界に感染者が出ると、また、増えると、トルコ全体での動向と、完全にシンクロしちゃっています。欧州リーグを戦っているときのシワス・スポル、凄かったもんね。控えの選手3人、その内の1人が控えのGKなんだけど、万が一のため、GK登録ではなくフィールドプレーヤー登録までして、試合に臨まねばならなかった。しかも、ルザ・チャルンバイ監督も感染でしたね。黒海沿岸での爆発が言われたとき、サッカー界で、一に反応して感染者を出したの、トラブゾン・スポルでした。ホント、縮図だわ!
 午後の一時は、あるオンライン配信による公開講演会を視聴するつもりだったのだけど、登録をするのを忘れていて、後日に回すことにしました。これも、配信期間が短いので優先したのですが、こういった失敗をやらかすんだね。ま、すぐ忘れてしまうというのが、根本にあるものだから、ダメな場合は、あっさりと諦めることにします。相手さんから、URL送ってもらわないと話が始まらないわけですからね。そこで、ようやく、視聴の準備ましていながら、手つかずのままだったオペラ配信にたどり着くことができました。今朝、起きて、一番にメールチェックをすると、今週末が復活祭ということで、となると、明日は聖金曜日だ! で、ライプチヒ歌劇場とベルリン・ドイツ・オペラから、復活祭用の特別オペラ配信のお知らせが届いていました。ですから、それを観る前に、予定していたもの、終えることにしましょう。その新しいオペラ配信は、モデナ歌劇場の「ウェルテル」(ステファノ・ヴィツィオリ演出)です。幾つかの歌劇場との共同制作です。数が多いので、ひょっとしたらという勘が当たりました。コロナ禍の中での制作です。オケの皆さん、指揮者も、管楽器以外、全員が、お揃いのマスク着用での演奏です。無観客での上演と見えますから、予定していたものが上演不可になったものなのか、配信を決め込んで制作されたものかは、黄紺には判断ができていません。「ウェルテル」といったオペラは好きなんだけど、イタリア・オペラ風に歌われると興覚めもいいところなので、若干、躊躇しながらの視聴。歌唱には、そういった心配は杞憂でした。アルベール役とソフィー役の歌手は、力不足なのは、ま、当たりが悪かっただけで、イタリア・オペラを思わせる歌唱は感じさせられてないので、今のところは安心できています。それどころか、タイトルロールを歌うフランチェスコ・デムーロの歌唱が、ナイーブなウェルテルの雰囲気が出ており、上々の気分になっています。これは、とってもめっけものです。が、装置が、なんかしっくり来ない。ボックス型の装置で、背後の壁が上がるようになっており、ウェルテルとシャルロッテが、夜会から帰ってくるときは、そこが開き、その奥から、土手風に高くしてある後方の敷舞台を越えて現れたり、そのあと、ウェルテルが、一旦、シャルロッテの元を離れたあと、戻って来る場面では、後方の壁が取り払われ、土手風ではなく、教会に続く土手として使用した背後に意匠化した家屋が3つ、設えてありました。そういった色合いが、イタリア的なんだな。ヴァチカンの衛兵の制服(ミケランジェロ制作と言う)の配色を想起させる色合い。敷舞台や壁の配色も、同じコンセプト。ですから、総体として、装置がイタリア、音楽が、マスネーでフランス、原作が、ゲーテだからドイツとなり、まるで三色刷り、これが、なんか、居心地すっきりといかないんだなぁ。不思議と言えば不思議な雰囲気は出てますが、その三色刷り。あと半分、残しています。それは、今日の午後の一時のお楽しみです。


2021年 3月 31日(水)午前 7時 40分

 昨日は、久しぶりに、お出かけ予定の入っていた日。京都学・歴彩館でのイベントに行くことにしていたのです。火曜日は、トルコ保健省が、県別の感染者数、単位人口当たり感染者数を出したのを、観ることができる日ですから、トルコのコロナ情報集めが、なかなか大変です。関連の報道が多いですからね。昨日は、大統領会見もありました。そのため、お出かけ予定に障りがないか、かなり不安な気分に。幸い、時間を効率よく使ったためか、いい流れで、出かけることができました。京都学・歴彩館では、「資料に親しむ会」がありました。所蔵の書籍を、テーマを決めて紹介ずるというイベントです。昨日は、「京の桜を楽しむ-醍醐の桜を中心に-」というテーマだったため、これはヤバいぞと看て、いつもよりは早めに同館へ。「桜」という文字は危険です。それだけで、普段は、来ない連中がやって来ると思ったからです。案の定、このイベントで、初めて見ました。時間前に開場、しかも、満員になり、後から来る人を断っていました。トイレへ行って席を離れると、入場を許されているかをチェックされてしまいました。お話をされたのは、同館資料課の田中まさみさん。満員のわりには、お世辞にもいい講演だったとは言い難いもの。最近、そないな失望感が続きます。確かに「醍醐の桜」に関しては、ちょっと知識をいただけたのですが。お話は、醍醐寺座主だった義演の日記から、世に言う「醍醐の花見」の過程を再現しようというもの。時系列で、日記から関係個所を紹介していただけました。すると、何と、花見をするために、1年前に、桜を植え、そのルートを整備していました。そのために、秀吉が、何度も醍醐へ足を運んできていました。ま、当時、秀吉は、伏見城にいましたから、来よう思えば、日帰りで往来することは可能ですしね。それを知ったとき、秀吉一行は、どの経路を採ったのだろうか、考えてしまいました。今の外環のようなルートがあったのでしょうか? 六地蔵に抜ける坂を下ったのでしょうか、はたまた大岩街道へ抜けたのか、伏見城のある高台と大岩山の高さって、さほど高低差がないはずだから、ありえます。そないな妄想を巡らせてしまってました。それにつけても、1年後に、壮大な花見をしようとは、秀吉らしさがありました。そして、実際、やったわけですから。どうやら、行幸を狙っていたようです。でも、世に言う「醍醐の花見」の5ヶ月後に、秀吉は没しているということで、実現はしなかったそうです。こちらは、妄想に耽る内容でしたが、その日記で跡付けるだけのお話で、それ以上の膨らみのないお話に、ちょっとがっかり。その後は、同館にある桜絡みの書籍の紹介となりました。それらの書籍が体系化されているわけではないため、黄紺的にはつまらない。唯一、御香宮の桜だけ覚えています。で、あとは居眠り。でも、御香宮って、そんなに言うほど、桜、あったっけ? 滅多に通らない御香宮通り抜けを、ウォーキング途中にしたところなんだけどな。能舞台の修復をしてたのは印象に残っているのですが、桜は、そんなに記憶に残っていないのですが、、、。
 いつものように、歴彩館への往復は、ウォーキングを兼ねてのもの。鴨川縁を歩くとヤバいかなと思いつつも、最近は、判で押したように歩いているものですから、そのコースを採用。中ほどは、人の出は緩みましたが、あとはひどいね。中には、ビニールシートを敷いて車座になっている連中までいました。酒盛りはしてなかったけれど、完全に典型的な花見風景。ウォーキングをしている人、それらしい人で、途中、ベンチに腰かけている人の中に、年配の方を見かけたけれど、あとは学生風情の連中ばっか。先ほどの車座は、もち、学生の集団。京都の感染者が増えそうです。
 変異種の話題が、昨夜の「クローズアップ現代」でも取り上げられていましたが、この話題は、トルコのコロナ報道を見ていると、とっても、日本は遅れている感があります。トルコの場合、リバウンドもあるでしょうが、ワクチン接種が進みながらの話です。トルコの場合、ワクチン接種の対象者が60歳以上なってきています。「65歳以上の人たちは済んだ」という前堤で考えて行けます。実際、高齢者の患者、入院は減ってきていると言われているにも拘わらず、「感染が進んでいる」「それは変異種が怖いから」というコンテキストで語られています。若い人たちに増えている、子どもに感染しだしている、これが、変異種のポイントだと言われていたことが、ようやく、取り上げられたって印象です。子どもが運び屋になると厄介です。自分で、マスクをしっかり装着できない、続けられない、隔離が難しいなどが考えられますからね。息子夫婦が、子どもに関わる仕事をしていますから、心配です。なのに、花見で人出、腹立つわぁ! 宮城県の爆発や、大阪が東京を上回る感染者を出している、これって、変異種の仕業っぽいですよね。


2021年 3月 30日(火)午前 7時 41分

 昨日も、お出かけなしの一日。気温も上昇。天気も晴れ、桜は満開、正に、春そのものの光景です。家の近くは、桜の密度が高く、そういった桜を見ていると、今は、弟の家族の住む実家の桜を見たくなりました。親が残してくれた唯一と言っていいくらいのいいものが、この桜。桜は、成長が著しいものだから、どんどんと伸び、今や、通りかかる人が、カメラに収めて行くほどになっている。夜になると、ライトアップのサービスまでしているそうです。その桜を見に行くために、久しぶりに弟の家に行ってみました。去年まで、枝が延びに伸びで、道を挟んだお向かいさんのじゃまになったり、電線に障りが出ないかが心配だったのですが、今年は、上に伸びていました。横に伸びると遮られるものがあることを、桜自身が感知したように上に伸びていました。そんな印象を、家の桜に持った初めての年になりました。となると、上に伸び、それから横に伸びる算段なのかもしれません。花見には、一番いい時期かもしれません。程よい風に散華の光景が、とってもいい感じの日でした。夕方のウォーキングで外に出ると、水辺に垂れ下がった桜を遠目で観るポイントを歩くと、1度に5~6人の人が、スマホを掲げて写真を撮っていました。行き交う途中に見かけた桜の絶好のスポットだったのでしょうね、そういった箇所が、近所には多い。そういった意味では恵まれているのかもしれません。
 午後の一時は、昨日も、オンライン配信によるトークイベントを観ることにしました。3月末と区切られたものが溜まっているので、それらを優先させなきゃならないからです。昨日の視聴は、滋賀県立近代美術館主催の「かわる、かかわるミュージアム」という名のトークイベントでした。こちらの美術館の学芸員さんによる講演会を聴きに行ったことがあり、この動画配信の連絡を頂いていたところ、こちらも失念していたのですが、京大のシンポジウム情報のお知らせメールをいただき、こちらも案内をいただいたことを思い出させていただけたのでした。参加されたのは、服部滋樹(graf 代表)、原田祐馬(UMA/design farm 代表)、保坂健二朗(滋賀県立近代美術館ディレクター&館長)。保坂さんは、この1月1日に、新たに、館長&ディレクターに就任されて、この美術館の再オープンに向けて活躍されている方。元東京国立近代美術館主任研究員・絵画彫刻室長という肩書をお持ちの方。服部さんと原田さんは、その再オープン事業に関わっておられる方。そうなんです、長らく休館していた同美術館の再オープンに合わせての企画が、このトークイベントだったのです。それは判っていたのです、そのコンセプトなりなんなりのお話を伺えるのではとの期待がありました。確かに、そういった点は大きかったのですが、このトークイベントの最大の収穫は、「休館」のわけ、そこにまつわる話題でした。気になっていました。公立の美術館にしては、異様に長いお休み。その間に開催された学芸員さんによる講演会を聴きに行っても、休館に触れられると、「判らない」と異口同音に言われていました。中には、ちょっとした含み笑いというか、わけありげな表情で、その話題に触れられる方もおられました。調べれば判ったのですが、放置したままだった黄紺。ようやく、このイベントでわけを知り、そこからネットで調べると、なるほど、そうなるわなで納得できました。SANAA設計による建物の改修と新棟の建設を予定していたところ、入札が不落になり、この計画が頓挫してしまっていたのです。SANAAは、金沢の21世紀美術館の設計を担当されたユニットです。これも、昨日知ったところ。21世紀美術館の斬新性は、「ブラタモリ金沢編」のオープニングにも使われたほどなので、黄紺も知っていた。あの様式を滋賀にも登用しようとしたけれど、不落。要するに、かつてほどに、お金がないということです。残念な話です。服部さんが言われていましたが、「金沢&大津ツアーが、SANAAを標的に生まれるところだった」のです。黄紺的には、大津では、「びわ湖ホール&滋賀近美ツアー」と言いたいところ。これまた、惜しい話です。そこで、再オープンは、マイナーチェンジ、再オープン後の内観イメージや、サイン、グラフィック、ウェブサイトなどを手がけるデザインチームとして入られたのが、服部さんと原田さんだというわけです。美術館のトポスが、この美術館の重要なポイントというお話、公園と一体となった美術館イメージを、再オープンの柱にしたいというお話だったと思います。もう一つ、記憶に残るお話は、美術館の名称から「近代」を取ろうかという保坂館長の提案、滋賀県立琵琶湖文化館が持っていた所蔵品も継承するようで、「近代」はきつかろうということでした。黄紺は、ドイツへのオペラ紀行ついでに行ったドイツの博物館に、現代美術を専門的に扱うところを多く観た結果、かなりそそられるようになったものだから、この美術館の存在が気になっていたのです。学芸員さんも、そっち系の専門家ばかりが入られているようだったので。でも、実際は、もう少し幅の広い美術館だったこと、また、統合により、幅が一層広くなることを知ることになりました。6月が再オープンの期日、コロナ禍での再オープンとは、大胆と言えば大胆、これも、トークの話題になっていました。足の便が悪いにしても、好きな人は行くでしょう、そして、3人の方が言われていたように、公園に来られた方も誘い込むようなスペースになっていることでしょう。「JR瀬田駅から徒歩38分」と、ググってみると出ました。黄紺にとっては、往復すると、上手い具合なウォーキングの距離となります。で、この配信が、1時間余りだから、あと、何を観ようか、オペラ配信も溜まっているしと考えていたのですが、午後の一時は、いい居眠りタイムにもなってしまうものだから、目が覚めると、元に戻って観ること、2度、3度で、結局、時間は過ぎて行ってしまいました。毎度のパターンでした。そないにして、黄紺の時は移ろいで行っています。


2021年 3月 29日(月)午前 7時 18分

 昨日は、雨の一日。朝方から夜半まで降り続けました。しかも、お出かけはなしの一日。これ、一番嫌なパターンなんだけど、昨日は、一つに、雨が、さほど強いとまではいかなかった。しかも、午前中だったけれど、オンライン配信での講演を聴くことができたので、憂鬱な雨の一日といった状態だった1週間前とは違いました。ただ、午前中10時配信開始での講演だったため、朝方が、窮屈になってしまったんだけど、昨日は、トルコのコロナ情報が少なめの日だったもので、トルコ代表の快勝ニュース収集は、一部を後回しにして、うまく交通整理が取れ、慌てることもなく推移。配信での講演が、予定では1時間半だったのですが、講師の都合とかで、これが1時間に短縮。がために、講演自体は早口になり、日本語の聴き取りにくくなるなんて不如意なこともありましたが、この短縮された30分が、時間の整理には有難かった。雨の降り方を見て、最初は、傘さしウォーキングは無理と思って買い物に切り替えたつもりだったのだけれど、存外、服やズボンの濡れ方が大人しいもので、結局、ほぼ一人前のウォーキングができました。これも、30分短縮が大きかった。確実に、午後1時前には、ウォーキングを切り上げ、家に戻って来れてますからね。夕方のウォーキングも同様でした。家内で聞いている雨音では、およそ無理かと思っていた傘さしウォーキングが、普段通りの時間、距離でできちゃいました。風がないのが助かったってことでしょう。そういった満足感とは別に、いよいよマスクをしながらのウォーキングがきつくなってきた日でもありました。暑いのです。汗が出て来ると、久しぶりにマスクが邪魔に思えてしまった。これだけ、毎日、マスクをするのが当たり前になって来ていても、暑いのはダメなことが、よく判りました。まだ、3月だよ、今から、こないなこと言ってて、大丈夫かなぁ。
 オンライン配信の講演会は、京エコロジーセンター主催で、「CO2排出ゼロから見る再生可能エネルギーとは」と題して行われたもの。講師は、みんな電力株式会社専務取締役の三宅成也さんでした。「みんな電力」という会社は、この講演の予告で知った電力会社。電力の自由化に伴い生まれた電力会社の中で、再生可能エネルギーによる電力を供給していることとして知られている会社。お話は、「温暖化は、なぜ、ヤバいのか?」という、一般的なお話からスタート。そういったお話になると必ず出て来るのが「rcp2.6」。「最も気温上昇の低いシナリオ」でも、これだけ実行に移していかないとできなんだというお話です。慣れたお話とは言え、やはり、後戻りができないシナリオだけに、このお話になると、緊張が走ります。これができなければ、地球がとんでもないことになると思えてしまう、最低のシナリオだからです。自分には無理な話なんだけど、でも、先を見届けたくなる課題です。そのために肝要な再生可能エネルギー、でも、これって「非火力」であって、「原子力」や「水力」が含まれて使う言葉なのが、こういったときに、一番気にかかる問題。「原子力」については、「騙したやつがいる」「騙し続けるやつがいる」と思うので、却下なはずなのに、仲間入りしてくる。「水力」は、自分的には、アルトヴィン界隈の開発を見てきているため、耐えがたいものがあります。どれだけの自然破壊が進んでいくのかを、目の当たりにした目にすると、耐えがたいものがあります。でも、「非火力」にカウントされてしまう。「水力」は、不可逆性とか、既にあるんだから、それが根拠になりますが、「原子力」は、不可逆性はないし、あること自体が根拠にはならないけど、これがカウントされるのには、なんか抵抗を感じてしまいますね。で、このお話の中で、「FIT制度」というものを知りました。恥ずかしながらというところです。再生可能エネルギーの利用拡大を目指す制度なんですね。ただ、これで買われた電力が、化石燃料と区別できるわけではないのが、この後の問題になっていきます。「電力には色がない」という表現を、何度も使われていました。電気は、何からできたかどうかは、電気そのものでは判らないということです。次いでのテーマは、「再生可能エネルギーの常識と非常識」ということで、再生可能エネルギーのポイントのお話。「再生可能エネルギーの種類と分類」「エネルギー密度が低いから大きな設備・土地が要るというフェイク」「天候などの自然状況に左右されるのが再生可能エネルギーというフェイク」「FIT制度により再生可能エネルギーの買い取り価格が下がって行っている」といったお話でした。「フェイク」に対する反論として、「土地と送電線さえあればどこでもできる再生可能エネルギーに対し、沿岸部という場所を選ぶ火力発電所と原発」「原子力や石炭は一日中フルパワーで発電しないといけないので効率性が悪い」というお話をされていました。最後が、「正しい再生可能エネルギーの買い方」。「電気事業の自由化の説明(新しい電力会社の参入余地)」「色のない電気をどのようにトレースするのか(再生可能エネルギーによる電気を供給していることを証明するのか)」、この辺までは解っていたつもりだったお話、そして、ここからが肝心な、例えばみんな電力の供給する電気に再生可能エネルギーによるものが多く含まれているかを、消費者が知る仕掛けとなるのですが、その仕掛けが、上にも書いたように、早口で、聴きなれない内容なもので付いていけない事態に。電力会社は、電力の中身を知らせているようなので(「電源構成を見る」という表現を使われていました)、それを見ると判ることは判るでしょうが、どうして、電気の色分けをしているか、その証明の仕方が理解できなかった、、、未熟者です。最後の方で、SDGsという広いテーマでのお話を聴きに行ったときに、参加されていた方とお喋りしていたときに知ったことと同じ話をされていました。あのときは、「今の若い人たち、会社を選ぶときにSDGsに対するスタンスを看ている」、世界はそのように動き出しています。再生可能エネルギーを使ってない企業が取引相手にされないなんて話がありました。アップルなんかそうだそうです。実際、丸井の株価上昇に寄与しているなんて話題って、黄紺が聴いた話に通じるものがあります。伊勢神宮や、その前のおかげ横丁が熱心だそうです。行政では、横浜市と京都市の名を上げておられました。という風に、価値の判断、そのスケールが変わりつつあることを、このお話でも知ることになりました。
 午後の一時は、今度は、「第7回京都大学-稲盛財団合同京都賞シンポジウム」の残りものを観ることにしました。ここまで観てきた講演の動画、解ったもの解らなかったものがありましたが、時代の最先端を行く技術に関わるもので、刺激が強かったもので、残りのトークセッションまで観ちゃおうというものでした。参加者は、既に講演をされた4人の方たち。でも、このトークセッションは、司会をされた中村さんが言っておられましたが、対象を、高校生のような若い人たちを想定されてのもの。「研究を続けていての壁、その乗り越え方」「若い人たちに望むこと」といった事柄が、話題の中心でした。ですから、お互いの研究を絡めた、何らの新しい展開があるかと期待していたのは、完全に黄紺の妄想に過ぎませんでした。ま、短時間だし、仕方ないですね。そんなで、このシンポジウム、長丁場でしたが、無事、配信期間内に視聴を終えることができました。実は、3月末で配信終了ってのが、もう1つ、あるんだなぁ、それも気になっている黄紺、です。


2021年 3月 28日(日)午前 7時 42分

 昨日も、お出かけなしの一日だったのですが、オンライン配信を受けて、市民向け公開講演会を聴くことができました。アーカイブではなく、リアルタイムで聴ける講演会です。帝塚山大学主催の「第452回市民大学講座」の申し込みをしてあったのです。なかなか細かなテーマを出していただけて、とっても有難い講座。これで、視聴は3回目となるはずです。でも、次回からは、オンライン配信はなくなるそうで、そうなると、ちょっと遠いので行けなくなってしまいますから、これが最後。今回は、民俗学的要素の濃い内容、「神祇にかかわる呪術性・槻(ケヤキ)を語る」という演題で、帝塚山大学考古学研究所特別研究員の甲斐弓子さんのお話を聴くことができました。事前に大部な資料を送付いただいていたため、予習もばっちり。槻という木に、古代から呪術性を認めて来た日本社会。確かに、そういったことがあるだろうなというのは、何となく思っていたこと、それを解き明かせてもらえるのかということで、期待大なものがありました。ただ、期待のディスコースなんてものがあり、そういった観点から言うと、必ずしも満足と言えるかと言えば、十分とは言えない点もあったのですが、それ以上に知らないことをたくさん教えていただけ、感謝というのが正直なところ。まず、古代の文献に出て来る「槻」の文字のピックアップ。その中で、特に多く出て来る「飛鳥寺の西の槻の下」なる記述を追いかけることで、「槻」の意味するところを探られました。饗宴の場としての槻の下、二心を持たない友好の場を表すものとして現れてきています。ここから、服属儀礼にも、トポスとしての槻が用いれらたお話をされたようなのですが、ここの大事なところで、居眠り。でも、昨日の居眠りは短かったもので、他には障りはなかったのですが、肝心要なところで出てしまいました。どうしても、ウォーキング後、且つ、昼食後の一時は、居眠りに格好の時間となってしまうようです。で、槻に戻ると、呪術的な力としては、「約束」「祓え・融合」「予兆」といった性格を持つものという木の認識が広まったようです。こういった力は、既に中国の文献にも表れているようです。「連理の木」としての槻、南朝の斉の文献の中に出て来るそうで、このニュアンス、中国伝来の可能性がありますね。その辺りの評価についてはスルーされていました。そういう風に、槻の持つ古代における呪術性は判ったのですが、で、なぜ、槻に、そういった属性が生じて行ったのかという大事なテーマについては、触れられることはありませんでした。ここが、期待をしていたところだったのに、スルーされてしまったのが、このお話の最もいただけないところ。関心は、そこではなく、「神祇・神祇官」との縁を追いかけるというもの。これは新鮮。具体的には、中臣氏や忌部氏との縁。「天皇と神の間を取り持つ、神の言葉を伝える、神に天皇の言葉も伝える」、これが神祇官の役目。その内、「祝詞」担当が中臣氏、「材木、杣管理、伐り出しを管理、大工を管理」といった任務を負ったのが忌部氏。日本史に疎い黄紺は、不比等が強権を得たわけを、初めて知りました。政教両権を掌握した仕掛けを教えていただけました。問題は、そういった神祇官の意味合いを、中臣(藤原)氏で教えてもらい、狙いは忌部氏縁のところに槻が付いて回るという展開に。更に、呪術的行為に関わる槻へと流れて行きました。ただ、忌部氏が槻を祀ったりした証拠となるものは出てきてないとは言われていました。槻という木は、硬くて、そのため細工が難しい、にも拘わらず、精巧な細工、重要な箇所に使われていることから、逆に、その呪術性が判るというお話でした。徳島には忌部姓を持った方の住む地域があり、そこには立派な槻があり、飛鳥には、中臣の名を持つ神社跡に槻が残っているとか。冒頭で、甲斐さんは「アニミズム」というコンセプトを提示されてからお話されましたので、大枠はそうなんでしょう。それが、具体的に呪術、更に、政治にまで関わったことを示唆するお話だったと言えばいいでしょうか。
 このオンライン配信が、午後の一時にすっぽりと収まったため、普段通りの時間が流れた昨日、日に2回のウォーキングは、昼前の方は、家事もあり短め。これは、家事を放置するわけにはいかないものだから、致し方ありません。でも、できるだけ身体を動かせしたいという欲求があるものだから、途中のお楽しみ休憩&読書の時間をカットするのが常。夕方は、普段通りで、まだ、冬ヴァージョンのまま。いいかげんに夏ヴァージョンに変えにゃとは思っているのですが、なかなか慣れたリズムを崩しにくいのが現状です。夜11時から、古墳にまつわるTV番組がありながら、こちらも、途中で居眠り。気が付くと、遥か前に番組は終わっていました。やはり、晩酌後のTVって、無理だね。


2021年 3月 27日(土)午前 7時 34分

 昨日も、お出かけなしの一日。一転して、朝からいいお天気、気温も高い。桜は、はや満開です。ルーティンにしている日に2回のウォーキングも、極めて順調。コース取りを考えたときは、頭にはなかったのだけど、昼前のウォーキングは、結果的に、伏見の観光地に迷い込んでしまうというコース。保育園児が遊ぶ公園で、いい気持になり、休憩&読書までは良かったのだけど、その直後に、桜が咲き乱れ、観光客が集うポイントがあることを失念していました。これだけ、花見自粛が流れていても、やはり来ている。箱根駅伝で、昨年比85%減の沿道観客、残りの15%が、どうしても聞けない人、我慢できない人と言われたけど、そのくらいの人出がこれかなと眺めながら、脇を抜けて行きました。道端に、和服で傘さし女が突っ立ってるので、人待ちかなと思い、ふと下を見ると、崖の下には、プロらしいカメラマンがおりました。アングルを考えてモデルを立たしていたようです。確かに、桜を下から見上げた中に女を立たせる、よくある撮り方でしょうが、それが判るまでは、突っ立ってる女を横目で見て「なんじゃ、こいつ」と呟いてしまってました。いろんな人たちを、桜は引き寄せるようです。夕方のウォーキングも、またしても、桜の名所を通ってしまいました。電車の駅の近くだし、夕方だし、人が多いのかと思ったら、こちらは、ご近所の人たちの花見。お散歩、ウォーキングがてらの花見。でも、普段、同じような時間帯にウォーキングで通っても、そないに人はいない。「敢えて、桜のある道を通っているな、普段は通らない連中が」という風情でした。昼前は若い人たちばかりでしたが、こちらは老若男女というところ。そう考えると、わりかし、桜の名所と言えそうなところ、近場に多いですね。だから、普通にウォーキングをしていると、そういった人出とぶつかってしまうということなのでしょう。
 午後の一時は、前日の続き。「第7回京都大学-稲盛財団合同京都賞シンポジウム」です。昨日、視聴したのは、次の3本。①「ゲノム編集技術の最前線」(広島大学ゲノム編集イノベーションセンター長・統合生命科学研究科教授/山本卓)②「ヒト生殖細胞誘導研究:意義と展望」(京都大学高等研究院教授/斎藤通紀)③ 「iPS細胞がひらく新しい医学」(京都大学iPS細胞研究所長、教授/山中伸弥)。これで、講演の視聴は終わりますが、まだ、シンポジウムの動画が残っています。ですから、かなり大部な内容です。①は、前回の続き。解からないなりに聴いていながら、なんとなく雰囲気が伝わって来るのは、前回聴いたときと同じ。切った貼ったの編集技術、倫理面の問題が、最後にありました。国際的な取り決めなんてものがあるようで、問題が発生すると、国際機関で協議して、制約をかけるようですが、核開発でもそうだったはずですが、カーン博士のような怪物が出てしまい、今の国際情勢を作り出してしまったようなことが起こらないのか、そういったことが、国家レベルで隠ぺいするようなことがあればと、却って懸念が大きくなっちゃいました、このお話を伺う前よりは。②が、今回聴いた4本の講演の中で、最も難解でした。生殖というテーマを絞り込んだお話だから、解るのじゃないかという予測は、全く逆でした。②以上に、タームに悩まされました。となると、当然のように、居眠り発生。だからと言って、発生前のところへ戻り観直すという、①で繰り返したことをすることすら、頭には浮かびませんでした。それほど、難解。③は、著名な山中さんの登場です。こういった機会が多いと見えて、今回の4本の中で、飛びぬけて解りやすい。実際、お話の要旨は掴めましたからね。ご自分が、医学の、それも、臨床ではなく研究に向われたきっかけのお話からスタートです。お父さんを、C型肝炎で亡くされているのですね。しかも、亡くなられた翌年にC型肝炎なるものの全容が判り、且つ、治療薬到達までの流れを振り返り、研究者のスタンスをお示しになりました。「画期的な治療法を低価格で提供する」、これが、そのスタンスです。そこに、ご自身が発見されたiPS細胞が、どのように役立つか、その研究の内容を報告されました。治療法では再生医療というやつですね。治療薬開発へのiPS細胞の貢献のお話が2つ目です。薬品開発には、ターゲットとする病気を実験室で再現できることが重要だということで、その役に貢献していると言われていました。具体的な病気に貢献している中身も報告があり、iPS細胞の役割の一端が、黄紺にも解るお話でした。これだけ聴くと、さすがに、頭の中はパンパンです。自然科学分野には、いかに、頭が慣れてないかの証拠です。それだけに、いい刺激をもらえました。解からないことは解らないなりに楽しむ、ちょっとでも解ったらめっけものですし、普段使わない脳の部位を使っているような気になってしまっています。


2021年 3月 26日(金)午前 8時 18分

  昨日は、お出かけなしの一日。しかも、午前中は雨。また、家に閉じ込められるのかと思ったのですが、ウエブ上の天気予報を見ると、午後は雨マークなしで一安心。外に出てみても、先日のように、一瞬でたじろぐなんてことはなく、これなら傘さしウォーキングが可能と判断。雨の日には行かない、自然の一番多いコースを歩いてみる。雨を想定してなかったと思える連中が、野球やサッカーに余念がない。がらんとしているだろうと思ってのチョイスだったのが、えらい目算が狂ってしまいました。中には、今を盛りと咲き乱れる桜を撮りに、どうみても高校生と見える制服姿の女子2人。学校は大丈夫なのかなと思ったのですが、もう春休みなんだろうか、でも、制服着てた。よく、判りません。懸命に桜の姿を撮る姿は、今どきの高校生とは思えぬシルエットに、ちょっと感動。雨が降っているから、雨宿りに、大挙して野球をしていた連中が、密なる空間に群れている。すっかり、屋根付き休憩所は、連中に占拠されてしまいました。スポーツ施設から離れてみると、やはり、雨の効果で、人がいない。目算通りでした。雨は、天気予報通り、丁度、お昼という時間頃には止みました。戻り道途中にあった大学前では、丁度、卒業式がはねたばかり。袴姿ばかりが、目立ちます。男がいないわけではないのでしょうが、袴は目立ちますね。先日の小学校の袴姿のときも、そうだった。小学生の袴には違和感あったのを、思い出してしまいました。夕方は普通のウォーキング。午前中が雨だったとは思えない、明るい夕方。いい季節になってきました。やはり、ほぼ最後まで暗くならないで歩けるようになっています。これだと、気分が違います。
 午後の一時は、これまた、先日の京大からいただいたメールで、配信の終了時期が近づいていることを思い出したシンポジウムの動画の一部を観ました。「第7回京都大学-稲盛財団合同京都賞シンポジウム」です。「世界を動かした技術とその道しるべ -技術革新と生命倫理- 」を統一テーマとして行われたもので、かなり難解。その中から、①「生命誌 - 文化としての科学を求めて」(JT生命誌研究館名誉館長/中村桂子)②「ゲノム編集技術の最前線」(広島大学 ゲノム編集イノベーションセンター長・統合生命科学研究科教授/山本卓)の2本です。②の方は、時間切れで、丁度、半ばまで、続きは、今日、観る予定にしてあります。いつもだと、内容の記憶のために、ここにメモ書きを残すようにしているのですが、このシンポジウムでの講演内容は、黄紺の手に余り過ぎます。メモ書きすらできそうもありません。①では、生物の多様性はとともに、その共通性を言われていました。同じ時間を、多様な生物は生きて来たということを思い出す必要があるということ、人間も、その1つだという自覚を持ち、「上から目線」ではなく、「中から目線」を訴えられるという、文化的視点の重要さを指摘されていた程度は判ったのですが、、、。進歩史観の登場した17世紀と、それを超えて行かねばならない21世紀の視点の違いも言われてたけど、コンテキストが、よく覚えていない。ま、書けばかくほど、野ツボなので、止めておきましょう。②は、ゲノム編集技術の進み具合を紹介いただいたものですが、ただただ、呆然と眺めるだけです。ゲノムを切ったり貼っつけたり、それも、ピンポイントで切りに行くためとか、何度かしていると変異が起こるとか、これが、生物を扱っているとは思えないお話です。動物、植物という区分は、もう意味がないですね。博物誌的観点では残るでしょうが、生物は細胞からできているという基礎に立てば、全て、この編集技術の対象ですから。「遺伝子組替え」と言われていたのが、これなんですね。まだ、半ばなので、まだまだ、新しい技術が出て来るのだろうとは思います。観ていて、解らないけど、解らないなりに楽しんではいます。こういった解らないことで、刺激を頭に与えることって、巣ごもり生活には大事なんでしょうね。だから、こういったイベント、追いかけるようにしています。ましてや、終了時期のお知らせメールまでいただいたのですから、外せないなの思いでいます。


2021年 3月 25日(木)午前 8時 28分

 昨日は、珍しいことに、二部制の日。午後に、オンライン配信のセミナーを聴き、夜は、久しぶりの落語会に行ってまいりました。まずは、午後1時から開始のZoomを使い、岐阜県気候変動適応センター主催の「ぎふ気候変動適応セミナー」に参加。このセミナーも、A-PLAT/国立環境研究所気候変動適応センターのHPで見つけたもの。今、都道府県単位で、「気候変動適応センター」が設置され、地方独自の取組が行われています。こういったセミナーが開かれ、その活動、また、活動の必要性を啓発するのも、その事業の一環です。地球規模で温暖化対策が行われていくなか、各地方でこそできること、やっていかなければならないことが焦眉の問題として語られていますが、その一端にでも触れることができればと思い、こちらのスケジュールと合うようだと、参加をしようかと考えているところに、このイベントを知ったというわけです。岐阜県は、こういった取組では、先進的な県のようで、行政に動かされてではなく、岐阜大学と行政の協働作業的色彩が濃いような印象を、幾つか聴いた、こういったセミナーでの経験知で思えるような内容のものでした。テーマを「温暖化が岐阜の川の安全と生態系に及ぼす影響」と設定して組まれたプログラムは、次のようなものでした。①センター長挨拶:野々村修一②話題提供1:岐阜県の豪雨災害,洪水は今後どうなるか?(岐阜大学/原田守啓)③話題提供2:温暖化,その陰でアユは?(岐阜大学/永山滋也)④岐阜県気候変動適応センターからのお知らせ(岐阜県環境生活部)。なお、司会は、②の報告者でもある原田さんが務められました。②では、温暖化が進むと、雨が増える仕組みといった、基本的なことを教えていただけたのが、とっても有難かった。海が温められ、その海は、大気より遥かに多くの熱量を湛える。そして、冷めにくい。それが、水蒸気となって蒸発すると、温められている大気は、より多くの水分を受け入れるという仕掛け。だから、今後、梅雨前線の影響を受けやすい西日本は、より多くの雨が降り、今まで、梅雨前線の影響が小さかった東日本、更に北日本で、その影響を強く受けるというようになっていく。しかも、豪雨の発生が増える。これも、温暖化と関係があるのでしょう、偏西風が、全体的に北上するため、台風が、その影響を受け、発生回数は減る替わりに、巨大化するうえ、動きが遅くなるという予測だそうで、そうなると、1回の被害が大きくなるということですね。こういった予測が、最近、語られることが多いですが、その予測システムを、スーパーコンピューターに計算させるときに、全球モデル(GCM)というものがあり、そこへ、世界共通の温室効果ガスの濃度変化のシナリオ(RCPシナリオ)を与えてシミュレーションが行われているそうです。過去のデータを入れての検証を行い、そして、将来を予測するというもののようで、その中の、日本界隈の領域モデルを作っていくようです、よう分からんけど。気候変動による深刻な影響を抑えるためには、「地球の平均気温の上昇を、産業革命の前と比べて2度未満に抑える」ことが必要と、よく言われます。「RCP2,6 シナリオ」という言葉を、よく聴くようになりましたが、このことですね。それで計算してのこととしてのお話が、そのあと続きました。予測結果で、岐阜界隈で、どのようになるかというわけです。特に、岐阜県は、濃尾三川、木曽三川で、治水利水で名を馳せたところ。格好のケースステディとなります。長良川を中心的に取り上げられていましたが、こういった言い方をされていました。「100年に1度」と言われていた水害が、「50年に1度」、「30年に1度」となっていくと。シミュレーションが、長期に渡っての予測が可能となっているため、こういった長いスパンの出来事予測も俎上に上って来るのだと言われていました。「50年」が「30年」になるのは、我々が、それに対しての備えを怠ったときの予測だそうです。この手法は、川の流量予測から来ていますが、長良川以外の川でも、同様の予測が出てきていました。その発生の時期に着目すると、多くは台風の被害を指しているとか。川によっては、梅雨前線による被害が大きいと出ているようですので、こういったシミュレーションが、今後の防災に生かされていかねばならないということになります。それに備えて、ダムの事前放流の話は、とってもリアル。そういった、目の前の操作だけではなく、行政的な対応も動き出しているようで、国として出されている動きも教えていただけました。水害を呼び込まないように開発規制、危険地域の集団移住、不動産取引にハザードマップの告知を義務付けたり、普段、考えてもみなかったことが進められています。そんなで、問題へのアプローチとなる基礎的なことを教えていただけました。グッドボタンがあれば押したくなるようなお話、黄紺的には成果がありました。③は、アユという水産資源に特化したお話。非常に環境にデリケートな魚というくらいは、黄紺も判りますから、こちらもいいテーマ。温暖化は、河川生態系へ様々な影響を与えます。水害に繋がる流量の変化、水温の変化、それに伴い起こる水生生物の変化、死亡リスク、産卵度、生息数、分布パターンといったものに変化が起こると、それが、結果として、水産業や観光業という人間世界に跳ね返ってくるという構図です。アユは回遊をしますから、その一生に合わせて、どこで、どのように生活をしているか、それを探査して、水温の変化、流量の変化への対応を調査した報告でした。アユのDNA量調査、どのようにするのかまではお話はありませんでしたが、そんなのを使い、アユの数を把握しているそうで、流量の変化で起こる、川の濁り、水温による移動、縄張りの作り方のようなことが判ってきているそうです。これも、おもしろい。フェードアウトしたお話から、一挙に、アユにフェードインさせるという、セミナーの構成も抜群。この手のセミナーは、何回目かですが、抜群にそそられるものでした。岐阜県、進んでるって感じです。やっぱ、治水で悩まされてきた経験が大きいのかもね。
 そして、夜は、京都府立文化芸術会館3F和室であった落語会へ。生の落語、久しぶりです。「第261回上方落語勉強会」が、その落語会。その番組は、次のようなものでした。九ノ一「軽石屁」、三語「風呂敷」、生喬「小佐田定雄新作Vol.101・お題の名づけ親はあなたです-その123」、(中入り)、米二「野崎詣り」、雀五郎「桜の宮」。なかなかいい番組です。話題の九ノ一は、珍品「軽石屁」。旅ネタです。足弱の喜ぃ公が、駕籠に乗せてやると言われ、金まで払わされたうえに、結局、相棒の清やんに置いてけぼりを食わされたための復讐といった噺。考えてみれば、こないに意地の汚い清やんって、他の噺にないよなと思ってしまいました。顔の表情も豊かで、お喋りの大きさが抜群、「やはり、九ノ一は大物」と思わせられる雰囲気、堪能できました。ただ、ちょっと攻め過ぎです。その変化が出れば、更に、魅力が増すと思いました。三語は、それを観ていたためか、テンションを下げてのお喋りからスタート。久しぶりだったから、三語のテンションを忘れてしまったかなとも思ったのですが、「敢えて」と看ました。マクラで、空気を変える必要性を感じたかのようなお喋りから始まり、人に合わない「風呂敷」へ。体育会系過ぎるキャラなんだから、最後まで居心地が悪かった口演。でも、終わってみれば、あっけらかんとした方が、かえって可笑しみが出るかもとも思わせられました。色っぽい噺をねちねちするよりか、この方が、爽やかに笑えるってところです。一番聴きたかったのは、やはり、生喬の新作。めっちゃ古典派の生喬用には、さすがの小佐田センセも擬古典にしなきゃならなかったみたいで、新作と言って、そうじゃいない雰囲気を期待した黄紺がバカでした。油揚げを店頭で食べさせる店というのが、引っかかってしまいました。「そないな店があったのかい」というわけで、そこに通ってくるととなると、稲荷、狐が思い浮かびます。そうさせておいて、「稲荷町」という、芝居小屋での符牒を使った噺へと持って行くというのが、このネタのミソ。結構、初演だということでしょう、デリケートになっていた生喬、えらく丁寧な描写を多用、こんなにネタに気遣いを見せるのは、やはり小佐田センセ御前の口演だったからでしょうか。豪快さもいいけど、こういった繊細な生喬も、いいものです。お題は、「稲荷侍」が採用されました。ブッキング担当の米二は、初遭遇の「野崎詣り」。ここまで聴いてなかったのが不思議なくらい。春団治からもらったものでした。米二が持っているネタでは、これだけかもしれませんね、春団治ネタは。その春団治の口演から、「しゅっとしたところ」を削ぎ落した、そないな、とっても下世話で、庶民的で、子どものころに住んでいた長屋の住人のような人たちが出てきました。テキストから春団治ものだと判ったものですから、ここまで、自分のものしてしまっている米二の業に拍手です。トリは、正に旬の噺。街に桜の咲く季節に、このネタを聴ける、この上ない幸せです。雀五郎は、いつものように、いいテンポ。このテンポだけでも、春の浮いた感じが出てきます。でも、桜の風景が、フェードアウトしそうでしきらないもどかしさも。イレギュラーなところを入れて、ふーっと拡がりを入れようとして、拡がりきらないもどかしさも感じてしまいました。そのためか、春の温もりも感じさせてくれかけては、閉じてしまうってところかな。とっても、難しいところなんでしょうね、そこは。久しぶりの生落語だったもので、聴く態度ができていたか判らないけれど、そのときおりの感じたこととして、メモっておきます。
 京都府立文化芸術会館に行くときは、三条駅から、往復、歩きます。片道25分というところですから、ちょっとしたミニウォーキングとなるからです。帰りは、もう午後9時前。そないな時間、鴨川縁を歩いてみました。暗くて風情はないですね。おまけに、そういったなか、自転車が通るものだから、止めておいた方がいいってことだけが判りました。


2021年 3月 24日(水)午前 6時 58分

 昨日は、お出かけなしの一日。それに合わせて取っておいた家事があったため、途端に、午前中は窮屈に。でも、昼前のウォーキングは、歩数的にはいつもと同じ。家事で動いてた分を入れてのことですが。でも、暖かだから、いいですね。もう少し暖かになると、今度は、陽射しがじゃまになるかもしれません。でも、昼前の気温上昇は、半端じゃない。寒暖の差が大きいものだから、その差を詰める時間帯に外出すると、暑くて困っちゃいます。それを考えに入れての衣装を考えねばならないのに、どうしても寒い方に合わせてしまう傾向に。夕方は、逆に、気温が下がりにくくなっていることをいいことに、薄着で出かけるのを心がけています。昨日も、それで十分。昨日は、京都市内の小学校が卒業式だったみたい。いつものウォーキングのコース途中にある小学校では、ちょうど式がはねた時間帯に、前を通りかかったみたいで、グランドや校門前に、人が大勢いた。それらの人を見ていると、やたら袴が目に付く。「今頃の母親は、子どもをさておいて、袴姿で卒業式に参列するのか」と毒づく黄紺。でも、その数が、やたらと多いのが気になってきた。近づいてきて判りました。袴姿は卒業生の子どもでした。目立たなかったけれど、男子はスーツ姿。小学校だよ! 今どきの小学生は、袴にスーツ。「揃えられないだろう家庭もあるだろうに」と思うのは、黄紺だけなのでしょうか? これって、最近になく、衝撃的な図でした。
 午後の一時は、先日の「京都大学春秋講義」のオンライン配信の続きを観ることにしました。3本立ての内1本を、まだ、観てなかったのです。配信期間が3月末までですので、急がねばならなかったのです。その講義は、「『三国志』と『三国志演義』」(同大学名誉教授金文京)でした。「三国志」と「三国志演義」の区別がつかない人用って感じで始まったものですから、冒頭で危惧を感じてしまったのですが、それはそこだけ。それなりにおもしろいお話を聴かせていただけました。「三国志」の方は、正史ですから、その後の王朝が作成したもの。蜀の出でありながら西晋に仕えた陳寿の作ということは、三国の中では魏の立場での記述となります。西晋は、魏の外戚が建てた王朝ですから、魏を否定するわけにはいきませんからね。「三国志演義」は、蜀に肩入れした作品だそうで、蜀の立場で書かれている。だから、魏は偽朝扱いとなる。となると、呉は、蜀との同盟国ということで、「二帝並尊の原則」という、他の時代にはない手が取られているそうです。蜀の君主も皇帝、呉の君主も皇帝です。その背後にある「中華思想」は、現代の中国の施策にも看られるとの物言いも出てきましたが、少なくとも歴史上ではそうだった。その証拠となる「朝貢冊封体制」の説明を受けることができました。後半は、読み物として、「三国志演義」が、日本に入って来る様子、普及の様子を、実際の古本の画像どころか、一部、実物をも見せていただきながらのお話になりました。「平話三国志」というものが初見だそうで、「平」は、偏を省いてしまったようで「評」という漢字が使われていたのだろうということで、「評話」という語句が併せている「三国志」が入ってきたのだろうということで、それだったら、高麗にも記録があるそうです。だから、朝鮮経由で入ってきたようだと言われていました。「三国志演義」は人気だったようで、中国周辺に広まっていたようで、満州文字、ハングル表記の「三国志演義」の画像を見せていただけました。満州文字って、縦書きなのはぱっと見で判りますが、左から書くってこと、初めて知りました。これって、アラビア語は右から書くってことを知って以来の驚きでした。どこか、縦書きは右から書くものと思い込んでいるのですね。朝鮮ものでは、漢文表記のもので、銅板制作の古本も見せていただけました。印刷先進国朝鮮です。木版ものとの見分けの仕方がおもしろい。活字の枠組みの隅に切れが入ったり、文字に濃淡があることが目印だそうです。活字を、等質に嵌め込めなかった、その活字を組んだ枠もしっかりと押さえ込む技術が、制作時にはなかったからだということで、これは、「へぇ~」でした。日本では。漢文表記から、片仮名混じり、仮名混じりへと展開。現代の我々には、片仮名混じりだと読めるけれど、江戸時代の人には、仮名混じりの方が簡単だったそうです。くずし字は、ただでも読みにくいうえに、同じ文字でも幾種類もあったのが、現代の者には読めない原因だそうです。逆に江戸時代の人には、片仮名は、漢文の補助表記用だったため、漢文を読まないと知らない文字なので、ハードルが高かったとか。こういった小ネタ、おもろい、おもろい! 普及の決定打は、イラスト入り。和装もどきの中国の男女が描かれているのが、おもしろいですね。わりかし軽めのお話だったのですが、話題豊富な蘊蓄に、結構、楽しませていただきました。このようにおもしろかったのですが、実際の聴講は、居眠りの連続。おもしろいものだから、居眠りから覚めると、元に戻る。これを繰り返しました。僅か40分の講義を3回は繰り返したかな、えらく時間が取られてしまったのですが、昨日の午後は、時間に余裕があったので、その繰り返しができました。おかげで、新たなオペラ配信の用意もしていながら、そちらには、結局、手つかずのままでした。


2021年 3月 23日(火)午前 6時 57分

 今日は、ちょっと久しぶりに映画を観に行った日。京都シネマで上映されているイタリア映画「天空の結婚式」を観てまいりました。セクシュアリティに関わる映画、これも、ご無沙汰じゃないかな? しかも、イタリアのゲイカップルの映画というのに、そそられてしまいました。冒頭、主人公たちと、その周囲を固める人たちは、ベルリンで出逢います。黄紺的には、久しぶりに見るベルリンの街ということで、すっかり舞い上がったのはいいのですが、映画の中で、イタリアと違い、ベルリンは、ゲイにおおらかということで、主人公のゲイカップルが出会う場所としては格好な町として選ばれたようです。そういった意味深なことがあるとも知らずに、懐かしいベルリンの風景を観ただけで、元を取った気になっていました。結婚を決意したゲイカップルが向かったのは、1人の男の故郷の地。もう1人の男は、カミングアウトしたところ、母親と絶縁状態になったため、故郷には帰ることができないということで、相方の男性の故郷で結婚式を上げようというのです。その町がチヴィタ・ディ・バニョレージョ。びっくりしました、まるでCGを見るような光景。この町の姿をとり、この映画の邦題に使われたようです。空中に浮かぶような街、そこに行くには、また空中に架けられたかのように見える長い橋。調べてみると、崩落が起こったため、残ったところが、そのような光景になってしまったみたい。架けられた橋でしか行けない街だそうで、イタリアじゃ、有名な観光地だそうです。ストーリーはステレオたプ。ゲイカップルを、それに、早くから気付いていた母親が応援、頑固な父親は、町長でもあり、難民の受け入れには積極的だが、身内のことになると、頑固さだけが出てしまう、よくある描き方。教会の人間としては、修道士が出てきますが、これが、えらく開明的。その一方で、聖フランチェスコのように、小鳥に語り掛けたりしている。何かにつけて、ステレオタイプ。ゲイカップルには、ベルリンで、住まいをシェアしている女性と、新たにシェアをするためやって来たが、孤独を嫌い、一人になると、その恐怖からリストカットをしてしまうから、連れて来てしまった女装趣味者の男、この2人が付いてきて、賑やかしになっているのだけれど、いまいち、ぱっとしない。女は歌手志望なのかなぁ、簡易ピアノを見て、急に、トスカを歌い出したりする。これも、ステレオタイプ。母親が応援の意味からも出した条件が、相手の男の母親を説得すること、皆に歓迎されての結婚となって欲しいという願いを込めてのもの。そこで、賑やかしを伴い、男の実家に行きます。それがナポリになっているものだから、洗濯物が架かる路地にある。ここでも、ステレオタイプ。案の定、母親は拒否。そこで、女装趣味男が母親に扮することに。ようやく、女装趣味が、ストーリーに生きました。でも、なんかおちゃらけ風。いよいよ、結婚式前日。母親は、父親に、結婚式に来なければ離婚との通告、そして、飾りつけの済んだ廃墟の教会跡で火事、そこに倒れる父親、この倒れているわけは判らないまま、翌日、機嫌よく、結婚式の司式を行う、町長にして父親。会場に女装した件の男が母親役で出て来ても、頑なに拒んだはずの母親は来ているから、何も意味がない。なんじゃ、これ。そして、最後は、歌とダンスで締め。「インド映画やん」って、展開も含めて、ロケ地を除いて、失望も甚だしかったのですが、あとで調べてみると、これ、ブロードウェイのヒットミュージカルの映画化だったのですね。だから、映画の中で、ミュージカルをディスる台詞が入ったりしてたのも、納得。トスカや聖フランチェスコのプロットが入ってたのも、やたら、ステレオタイプな筋書き、キャラ作り、ラストの歌とダンス、これらのわけが、全て氷解しました。やはり、事前に調べることが肝要です。イタリアが舞台だから、このテーマで、ここまでステレオタイプの芝居を作ることができたのも、納得。そんなこと判っていて、行ったかなぁ? ロケ地が判っていたら、行ったかもという程度の映画でした。
 京都シネマで映画を観たときは、その往復をウォーキングに替えるということにしてましたが、一昨日が雨で、ウォーキングがまともにできてなくて、往復だけでは少なすぎると思い、夕方に短めのつもりで、ウォーキングに出発。昨日は、一昨日と違い、気温は下がっていたので、このウォーキングでは、もう着ないかもと思っていた厚手のパーカーのお世話になりました。丁度いい感じでしたから、ここ何日もの気温上昇が嘘のような冷え方でした。加減をしたつもりだったウォーキング、いつしか、いつもの夕方のウォーキングとは、さほど変わらない距離を歩いてしまっていました。そして、夜は、お約束、月曜日ですから、YouTube「米朝事務所公式チャンネル」の「㊙ワールドニュース」の配信を楽しみました。歌之助の「カレーパ」行きたいな。「平日の昼間なら、電車も空いているしいいかな」とも、一瞬、思ったりしたけれど、やっぱ、自重します。ここまでの我慢が水泡と帰してはダメですものね。


2021年 3月 21日(日)午後 10時 35分

 今日は、雨の一日。昨夜夜半から降り出した雨は、夕方、暗くなるまで降っていました。今日は、お出かけなしの日だし、また、何も予定をしていない一日だったため、家に閉じ込められてしまいました。予定が入っていないということは、イコール、ルーティンとしてのウォーキングを、のびのびとできる日のはずです。が、雨。腹立つわぁ、、、! 気温が高く、変な一日でした。雨音を聞くと、さほど強い降りじゃなさそうと思ったもので、昼前のウォーキングは、傘さしながら敢行と、すっかり用意をして、玄関の戸を開けて、びっくり。とてもじゃないけど、雨中ウォーキングなんて、できたものではないという降り。一目で、諦めました。10分も歩いたら、ズボンがとんでもないことになってたでしょうね。そこで、午前中は、家で読書の時間に充てました。「帝国旅行案内記」的な本を読み終えることができました。その本って、以前読んだとき、途中で挫折した記憶だったのですが、結局、全部、読んでたみたい。「ペーチェ」のところに、しっかりとチェックを入れた印が残っていました。ハンガリーって、もっと、今のセルビアやルーマニア、クロアチア方向に領土があったのですね。プスタがバラバラになっちゃったようです。それで、納得です。セルビアに行ったとき、ベオグラード以北の様子が、もう西ヨーロッパって感じでしたものね。ヴォイヴォディナ地方って言いますが、北に行けば行くほど、ハンガリーに近づいて行きますからね。プスタができたわけも、ドナウ川が、直角のような曲がり方をしているのも、判りました。断層と土地の隆起が続いているためだそうです。プスタは、ドナウの広大な氾濫原だそうです。その氾濫のわけが、土地の隆起と関係があるそうです。下流に行けば行くほど、川幅が広くなり、流れは緩やかになるのが普通なのに、下流域が隆起し続けているから、そうはならない。だから、氾濫だそうです。断層も、その証拠があります。南北になったドナウ沿いに温泉が出ていること。土地の割れ目が水の出口になるってことですね。「ブラタモリ」で勉強させてもらったことが、こういった問題の理解を促進してくれました。ハンガリーは、結局、ブダペストとその近郊、あとはペーチェしか行ってないから、東の方なんかに行きたくなっちゃいました。
 午後の一時は、「京都大学春秋講義」のオンライン配信を聴くことにしました。いつもは、そうではないのですが、コロナ禍で、オンライン配信をしているのですが、登録をしておきながら、すっかり失念していたところ、つい先日、ご丁寧に「3月末までが視聴可能なので、未だの方、お急ぎください」メールをいただき、思い出したのです。それで、今日はチャンスとばかりにアクセスしました。「古典の世界」をテーマに3名の先生方が講義を行われています。文学に特化した公開講座って少ないものですから、黄紺は飛びついておきながら、期間がまだあるからと先延ばしにしたために、忘れてしまうということになっていたのです。今の自分に、最もしてはいけないことをしてしまっていました。で、今日は、その内の2本を視聴しました。①シェイクスピアと古典/古典としてのシェイクスピア(文学研究科教授/廣田篤彦)②『源氏物語』を後代から読み直す(文学研究科教授/金光桂子)の2本です。①では、シェークスピアにとっての「古典」とはから、お話がスタート。当然、古典古代ギリシア・ローマを指すわけですが、その作品の中で、古典の翻案、古典作品を組み込んでいる作品を紹介していただけました。「タイタス・アンドロニカス」が取り上げられた作品で、オヴィディウスの「変身物語」の筋立てを活用し、また、観る者が、「変身物語」を知っているということを使い、筋立てにフェイントを入れたりしている箇所を紹介していただけました。ルネサンス期らしいトピックになります。そのシェークスピアの作品が、今度は「古典」になっていくお話が後半。でも、こちらは、完全に外されました。作品や後継作家への影響や、この講義でも名前が出て来た、同時代の作家ベン・ジョンソンは知らなくても、シェークスピアを知っているという人が多いのはなぜかとか、話しの持って行き方はあろうものなのに、お話で出てきたのは、本の出版実態を伝えることで、シェークスピア人気を紹介するというものでは、あかんでしょ! いくら限られた時間でと言っても、後半はお粗末! ②は、「源氏物語」の後世への影響のお話。「源氏物語」は、平安時代で先行する文学作品、例えば「竹取物語」や「落窪物語」などとは異なったインパクトを持っていたため、それが、後世の文学に大きかったというお話を、具体例をもってお示しいただいた講演でした。「狭衣物語」「浜中納言物語」「とりかえばや物語」を具体的に取り上げられました。これらに共通するプロットが、「密通による子の誕生」。「密通」に註釈が要るなら「知られては困る男女関係から生じた子の誕生」と言えば、いずれの物語をもカヴァーするでしょうか。繰り返し、このプロットが取り上げられることで、そのインパクトの強さが計り知れるということです。次いで、「意外性」を上げられていました。出自からするとあり得ない出世をするというプロットのインパクトが強く、それが継承されていくというお話。でも、それが、単なるサクセスストーリーでないことがポイント。苦悩や悲嘆を伴い、満たされぬ内面、こういったものに感じ入り、それが受け継がれていったというのです。でも、これが過剰になると、それこそ、臭さが先立ちます。その頃合いも、「源氏物語」の強みとなっているのでしょうね。こういったお話を伺うと、「源氏物語」の輝きというものが、一層、際立ちますね。
 どうしても、身体を動かしたい黄紺は、ダメもとで、夕方のウォーキングは、敢行することにしました。若干、小降りになっていたこともあり、途中でダメと判断したら、速攻で引き返しやすいコースを辿るウォーキングを試みてみました。最初は順調だったのですが、半ばで逃げるしかないなという降りになったので、その時点で、帰宅のコースに替えることになりました。マートだけはと思い、帰り道のマートに入り、買い物を済ませて外に出ると、あれれれ、、雨がほぼ止んでいました。周りのライトの明るさに変化を感じたのがきっかけでした。確かに、天気予報は当たりました。が、止みかけのときって、もうちょっと大人しくなっていいんじゃないのって、天に突っ込みを入れてしまいました。いやいや、何事も「天災」と看ることが肝心だと紅羅坊名丸先生も言っておられます。ですから、受け入れることにしましょう。そんなで、自然に翻弄されましたが、ようやく1日を終えることができました。久しぶりに、1日を長く感じられた日でもありました。


2021年 3月 21日(日)午前 7時 35分

 昨日は、3日連続で聴けたオンライン配信による講演会&シンポジウムの最終日。予約をしてあったのは「みんぱくゼミナール」。たまたま、気になり覗いてみた民博のHPで、「みんぱくゼミナール」が再開されていることを、今になり知り、しかも、オンライン配信が行われているのは、まことに黄紺には都合がいい。大阪には行かないことを決めているため、大好きな民博には行けないものと思っていました。せめて、何があるのかぐらいは知りたいなの気分でアクセスすると、望外の結果を得たということになりました。HPで見る限りにおいては、この6月までの「みんぱくゼミナール」は、昨日と同じく、対面式の講演とオンライン配信とを並立させていくことのようで、ホントに、有難い話だと思っています。民博ファンは、全国にいるでしょうから、この際、コロナ禍で生まれたオンライン配信を、今後も続けて欲しいものですね。で、昨日の講演は、題して「牡鹿半島の民俗誌―復興キュレーション」。今、民博では、特別展として、東日本大震災10年ということで、特別展「復興を支える地域の文化―3.11から10年」が行われているということで、その関連事業の意味合いで企画された講演でした。主たる講演は、武蔵野美術大学教授の加藤幸治さんが行われ、概要説明役として、国立民族学博物館教授日髙真吾さんのお話を伺うことができました。お二人は、今回の特別展に関わられただけではなく、震災の際、文化財レスキューの仕事に携わられたそうです。「文化財レスキュー」、初めて聴く言葉でした。津波で流された文化財の改修、復旧作業のことです。誰かがやっていることすらも考えていなかった黄紺には、インパクトがありました。現場は、塩釜市鮎川収蔵庫。その作業の様子もご紹介いただけました。加藤さんが、当時、東北学院大学に勤務されていたということで、大学の学生たちも、勉強がてらのヴォランティアで参加していました。日髙さんのキャリアを見ると、そういった修復のプロですね。そういった活動と並行して行われたのが「復興キュレーション」という活動。「キュレーション」という言葉は「集める」という意味だそうですが、失われた過去と現在を繋ぎ、その中から、地域の魅力を再発見して、それらを、未来に繋げる作業で、その作業に、博物館学、民俗学的手法を使っていくというものでした。そこには、住民、いや、移住した住民も含めての協働作業がなければできないこと、その活動は、黄紺の想像を超えるもの。発想力の豊かさに脱帽するばかり。ここに、こないな頭のいい人見っけの気分になってしまいました。例えば、レスキューで復活した文化財を、早々に展示というアクションに出ると、当然のように、懐かしさもあり、住民が集まって来る、そこへ、ヴォランティアの人が寄り添うように話しかけ、その展示品を観ての思い出、感想を聴いて行く、この活動には、博物館のプロが調査に当たる風情で聴くより、学生たちが、その目線で尋ねると、より興味のあるトピックが出てきて、次なる活動の種になると言われてました。鮎川は、捕鯨基地でしたから、それに関わる「もの」が残り、記憶、思い出が多く残っています。そこから得たものも材料に、演劇活動を企画したり、ゲームを作成したり、復興に寄り添う活動も行われたようです。そうすることで、地域の蘇り、記憶の蘇りが生まれて行く、正に、過去と現在が繋がっていく、そして、未来への希望が託されていく、ここまでの力を、「復興キュレーション」は持っているような印象を持ちました。とまあ、おもしろいお話と、興味津々だったにも拘わらず、途中から居眠り。捕鯨基地としてのお話や、様々な具体的な活動は、その一部しか聴けていません。ただ、この活動の様子も、特別展で再現されているようです。行きたいな、でも、大阪だ! 息子をそそのかして、車を出してもらうしか手はないけど、年度替わりの今、そないなこと言うと、怒りますね。「DとSを連れて行こう」で、やってみようかな? これ、試してみても、いいかも?
 これが、午後の一時のお楽しみでした。ですから、ルーティンとしてのウォーキングには障りは出ない日でもありました。ですが、昼前の明るさが、夕方になると、すっかり消えていました。陽が延びたはずなのに、やたら暗い。もう雨の気配が濃厚となっていました。天気予報を見て、昼前のウォーキングのときは信じられなかったのですが、天気予報のまんまでした。確かに、夜半からは雨。でも、暖かい。暖かさを伴う雨のようです。


2021年 3月 20日(土)午前 7時 52分

 オンラインで、講演会&シンポジウムを聴ける日が続いていますが、昨日は、その2日目。午後1時開始だったから、午前中のウォーキングがせせこましくなってしまったのだけど、よく考えてみると、こういったイベントに参加した場合、予め、主催者が、参加者の映像だの音声だのをコントロールするため、まあ、こちらの画像が映ることがないから、それこそ、ものを食しながらの参加も可能なんだけど、モラルに反するかなの気があるものだから、それまでに昼食を終え、待機しておかねばの気が先に立ってしまう。結果としてせわしくなってしまってます。昨日のイベントというのは、「関西健康・医療創生会議第3回オンライン・シンポジウム/新型コロナ感染症(COVID 19)〜防戦から反転攻勢のフェーズへ~」というもの。一昨日の関西女性活躍推進フォーラムを知ることで、副次的に知ったのが「関西広域連合」、そちらのHPを眺めていて目に止まったのが、昨日のシンポジウムだったというわけで、コロナ禍を、正面から扱ったものでした。そのプログラムは、次のようなものでした。①開会挨拶/関西広域連合広域医療担当委員(徳島県知事):飯泉嘉門②基調講演「新型コロナ感染症:正しく知るとは?」(大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授:宮坂昌之)③パネルディスカッション(座長/関西健康・医療創生会議副議長・地方独立行政法人神戸市立病院機構理事長:橋本信夫、パネリスト/大阪大学大学院医学系研究科教授〈感染制御学〉:朝野和典、和歌山県福祉保健部技監:野尻孝子、神戸市立医療センター中央市民病院感染症科医長:土井朝子、神戸市福祉局担当課長〈介護予防担当〉:丸山佳子④閉会挨拶/関西健康・医療創生会議議長・京都大学名誉教授):井村裕夫。②のお話は、一般の者にも解りやすくをモットーに、コロナのおさらいといった感じのものでした。風評的に流れる、独自のコロナ論を上げ、それを否定をして、正しい理解を求めるというスタイル。こうやってまとめてもらえることは、有難い。特に、この1年間で判ってきたことが盛り込まれ、推測が、確定した事象として伝えられていくからです。「ウイルスの発生、移動、経路が判っている」ということから始まりました。感染者の大きな飛沫、小さな飛沫、とにかく飛沫が原因だと特定されていることを教えていただいただけでも、このお話を聴いた値打ちがあります。防御法は「マスク+送風・換気」。マスクに関しては、「出す」だけではなく、「吸う」ことも防ぐ、しかも、マスクの種類により、どれほどの効果が、対コロナに対してあるかを、数値を出して教えていただけました。マスクについては、前者に関する効果が強調されて来ていましたね、でも、後者にも、前者に比べると、数値は低くてもあるんだと示してもらえると、これは心丈夫。ウイルスに触れたからと言って、直ちに感染するわけではない、ウイルスも数打ちゃ当たる的に数量が感染に重大。その内の1つでも感染すると、あとの増殖の速度が半端じゃないから、怖いんだということ、これも新鮮。触れるウイルスの数量を減らすことが大事になって来るとなると、マスクが100%防御でなくてもいいんだと、ちょっと緩く考えられるようになってきますね。気分が違いますね、正しく知ることは。年齢的に、20代が圧倒的に感染しやすい、10代以下が少ない。しかし、重症化比率は、50歳代以上で高まり、基礎疾患があると、更に重症化となる。これも、そうだと言っていただけた内容。「運び屋は無症状で、高齢者を重症化させている」とは言われてはいましたが。10代以下が感染しにくいわけは、判っていないそうです。生まれてから、多くのワクチンを打つので、「自然免疫にプラスに作用している可能性は感じている」と、あとのパネルディスカッションで言われていました。感染拡大を防ぐためには、感染者誰もが、感染拡大を起こしているのではなく、「スーパースオウレッダー」という、1人で多くの人に感染させている人がいるからというお話が、この講演で、最大の驚き。「声の大きい人」「肥満度の高い人」が、これに当たるとか言われているそうです。ばらまき人間がいるから、感染拡大を防ぐ手は、こういった人を見つけることだが、それはできていない。その他、PCR検査の曖昧な部分、「集団免疫を作ればいい」という考えは失敗と断言、スウェーデン方式はダメだったことは、死亡者数が高すぎますものね、原因は。抗体と言っても様々で、役に立つ抗体ばかりでないと言われていました。そして、ワクチン効果を強調されていました。どうしても、イスラエルのモデルが出てきますね。「9割の効果」というのが、世界を駆け巡ったワクチン接種先進国イスラエルのデータ、それを強調されていました。それまでに個人でできること、「生活のリズム」「身体を動かす」だと言われていました。ここだけは、黄紺の生活そのもので、ちょっと、にんまりできました。③に入ると、各パネラーさんから、短い報告が入りました。朝野さんは、感染者数変化のデータを使い、おもしろい表現を採られていました。「生活習慣病」だと、コロナを。仕掛けは、花見とか、忘年会だとか、そういった生活習慣の変化に伴い、感染拡大が起こっているからです。第3波は「Go to eat」が原因とバッサリ。インフルエンザとの比較、感染症の区分として結核との比較、そういったお話がありました。野尻さんのところで、保健行政の実態、この1年の振り返りを、和歌山県の場合としてお話があったのですが、ちょっと疲労気味、頭の回転が続かなくなってきている黄紺は、勝手に、身体がスルーしてしまいました。情けない! 土井さんは、医療の現場からのお話。重症化の予防の大事さ、そのための使用できる薬品、変異種の拡大の実態などのお話がありましたが、このお話ですら専門的に過ぎないかと思ってしまうのは、日頃から医療保健の知識に欠けているからでしょうね。丸山さんのお話が、このパネラーさんたちのお話の中で、黄紺的には新鮮でした。高齢者対策の中で「フレイル」という考え方を教えていただけたからです。「元気な人」と「要支援の人」の間の人たちへの支援が重要だとの考え方です。二者択一でない、間の人たちのことです。放置するという言い方が適切じゃないかもしれないけれど、「要支援」に移る前に手を打てば、「要支援」を軽減できるという考え方ですね。本人も楽だし、周りも助かる。その取り組みを紹介いただけたのですが、問題はコロナ禍で、それが滞っているというわけです。「つどいの場」という集まって何かしようという、フレイル対策的取組が、たちまちできなくなってしまったということが代表例ですね。その悩ましい中での取組の紹介というお話でした。福祉最前線の話題ですね。パネルディスカッションに入っても、ここは質疑に答える的な展開、ま、よくある展開ですが、それに終始。医者2人のやり取りは、判りにくいということで、メモもできません。でも、振り返ってみると、新しく知ったことはともかくも、「これはこうだったのだ」、巷間流れていることに対して、専門家により断定的に伝えられたことが、何よりも大きなイベントだったと思い、また、自分に大きな収穫となりました。感謝、です。
 このオンラインでの配信が終わっても、午後の一時には余裕があったので、ようやく、ハノーファー州立歌劇場の「カルメン」完走しました。と言っても、残っていたのは第4幕だけ。ここでも、これまで同様、群衆を出さないために、ダンスや、音楽の差し替え、ナレーターを入れていました。そうそう、ここまでは、舞台上のスクリーンは、右奥の小さめのものが1つだったのですが、この幕だけは、左前に大きなものを設え、闘牛の動画といっても実写ではない、意匠化した闘牛シーンを映していました。でも、闘牛を映したからと言って、スペイン色なし、ジプシー色なしということで、男女のよくある痴情話的なんだけど、でも、カルメンがキャピキャピ過ぎる。ここに何らの仕掛けがと考えたのですが、それで思いついたことは、既に書いた以外には思い浮かびませんでした。そして、気になっていたことが判りました。やはり、コロナ禍で、上演の用意ができていながら、実際には上演できなかったプロダクションだったようですね。スタッフだけから拍手が入っていました。ディスタンスを取ったカーテンコールをしてましたから。でも、コロナ対策をしたプロダクションとは言え、ハノーファーらしさが出ていたものだったので、アフターコロナにも残して欲しいものだったと思います。コロナ記念にもなるしね。そうなると、民俗資料価値が出てきます。


2021年 3月 19日(金)午前 7時 52分

 昨日から、3日連続で、オンラインで、講演会&シンポジウムを聴ける季節に入っています。その前が、2日連続で、シンポジウム&講演会でしたから、計5日連続で、そういった機会に与っています。この棲み分けが、凄い。見事に重ならないで、スケジュールを組めたのですからね。で、昨日は、関西女性活躍推進フォーラム主催の「関西女性活躍推進シンポジウムVol.3」に参加することができました。行政や財界が運営主体となっているような組織らしいです。送られてきた通信には、関西圏の知事の文が入っていましたから、そないなものだろうと思っているのですが、そういった「上の人たち」が、男女共同参画に、どのように取り組んでいるのか、それを、少なくとも知れるメリットがあると思いました、まずは。それとともに、人権に関わる取り組みとして、得てして、この「上からの人たち」の方が、先を行っている、逆に言えば、下々は遅れているケースということが、ままあることですので、そこに嵌れば、正に大正解との思いが黄紺の中にはありの参加登録でした。そしたら、この後者の思惑が、ドンピシャ、大当たりのシンポジウム、講師の人選が素晴らしい、講演内容だけではなく、各々の人柄が滲むものまで感じさせるもので、これをコーディネートされた方は、ホント、只者ではないですね。皆さんの口ぶりからすると、ターゲットは企業かな。「あんたたちの頭の中、変えたる」の雰囲気を感じさせるものがありました。そのラインナップは、次のようなものでした。①基調講演「コロナショックがもたらす働き方の変化と女性活躍の可能性」(株式会社日本総合研究所副理事長:山田久)②問題提起「コロナ禍で注目される“地方”と“私生活”」(兵庫県立大学国際商経学部教授/関西女性活躍推進フォーラム座長代理:三崎秀央)③問題提起「テレワーク×ダイバーシティ=関西圏の活性化」(厚生労働省政策評価に関する有識者会議委員/関西女性活躍推進フォーラム委員:渥美由喜)④事例発表(株式会社ハレとケデザイン舎/徳島県三好市/代表:植本修子)⑤事例発表(ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社取締役・人事総務本部長:島田 由香)。①はマクロのお話。その中で出て来た項目をピックアップをしてみると、よく耳にする話題、耳慣れない語句を使われたけれど、納得のいく話題、今後の課題など、枠組みに関わる問題を教えていただけたと思います。箇条書き的に、ここで上がった話題をメモしておきます。日本のテレワークの遅れ、パンデミックでテレワークが定着して、東京離れが起きかけている、ギグ・ワークの増加のような働き方に変化、エッセンシャルワーカーの再認識(スーパーのレジ、宅配業者などのこと)、現役男性世代の減少に伴う多様な人材活用、北欧に学ぶ、労働移動の問題、テレワークや時短で見えて来た家庭生活のあり方の変化、男女別にみたミスマッチの原因、、、といったものでしたが、黄紺的に興味を持ったのは、労働人口の減少は、もう語られて久しいものがありますが、それが、現在の日本の男性優位の就業体制を直撃していくという話題。「男性優位」であったために、その「男性」が減っていく、そりゃ、絶体数が減るわけですから減ります、今まで通りの人事では、スキルは薄まるばかリです。広く、労働力確保といった場合でも、その補充は、国内からが1つ、もう1つは外国人労働者の移入で賄うしかないわけですわね。後者も焦眉の課題で、いつまでも、日本の頑なな体制が持つわけではないのは、これまた語られて久しいこと。前者は、もう女性の進出しかないと思っていたところ、新しいテーマを教えてもらえました。労働移動ですね。余剰を抱える業種や職種から他への移動、足りないところへの移動、これがありますね、言われてみれば当たり前のこと。これって、コロナ禍で顕著になったことです。まだ、終身雇用の残り香に縛られている日本社会では、仕事を移ることをマイナス・イメージで見るところがあるが、今や斜陽企業から抜け出す好機かもしれません。女性労働での労働人口補充、これは、スウェーデンのモデルが有名ですね、黄紺でも知っている。もう何十年も前に、スウェーデンが実現していましたね。出産率の向上にも貢献すると言われています。変わって行こうとしているのかな、そういったモデルを見ながら、それを見届けたいね、外国人労働者の移入と併せて。また、そないなこと考えさせられてしまった①の報告でした。②では、①でもトピックとして取り上げられた、東京離れが、コロナ禍で出て来たという観点から、そこに、関西企業に好機があるということでしょう。その企業として、関西に惹きつける魅力を持とうということでしょう、WLBの観点の重要性を説かれたお話でしたが、その「ワーク」の方で、例えば、就業時間にメスを入れるといった程度のことではなく(③で言われた「権限移譲」がスキルアップ、モラルに関わるという問題に通じます)、「ライフ」の充実を図れるような取り組みの大切さを言われていたと思います。家庭生活の豊かさを保証するような取り組みが求められて行くといったことでした。もし、地理的不利を補うには、リモートが埋めれるようになってきたことを、この間、教えられたわけですからね。③で、話題にされたことを箇条書きにすると、次のようになります。テレワークは、都道府県により濃淡があり、都市部の密を避けるということからは必要だったからだろう、災害の多い日本では、都市部に集中することは避けた方が賢明、にも拘わらず、テレワークの進み具合が低い日本、ご自分のテレワーク経験(父親の介護&子育て、これが凄まじい)、関西移住の決断、オンラインを活かすオフラインの重要さ、「権限移譲」がWLBを活性化、ダイバーシティによる活性化(騎馬戦型で高齢者を支える)、、、。④では、千葉から徳島の三好に移り、廃校をホステルなどの場に替えて行かれた事例のお話。これが、祖谷が現場だと、終わってから知り、まじで行ってみたくなりました。元々は、インバウンドを当てにした試みだったそうですが、コロナ禍でダメ、でも、これを知ると、国内からも行きたくなる人、黄紺だけじゃないでしょう。過疎、自然、デザイン、、、こういった要素をミックスされた、素晴らしい実践ですね。⑤が、今回、唯一の困ったところでした。というのは、お話の内容以前のことです。音声環境が悪く、黄紺は、早々に諦めてしまったかあらです。音の割れがひどく、聴いてられない上に、知らないタームが画面に並ぶものですから、早々にギヴアップしてしまいました。でも、この島田さん、経営者のトップとして、働きやすい環境作りに勤しんでおられる方からでしょうね、最後の「トークセッション」で、他の講師の方に素晴らしい問いを発せられました。「枠を取り払えたきっかけは?」というもの。女性の働く環境作りに関心を注がれるためには、従来の枠に拘泥せずに、柔らかい発想が求められるという風な、参加者への呼びかけの言葉が続いたところで、「では、、、」となったのでした。いい空気で推移していた「トークセッション」のボルテージが上がった気がしました。既に、③や④で、ご自分を出されてのお話が呼び水になったのかもしれません。生活者としての言葉と学者やパネラーとしての言葉の間に齟齬があっては、聴いていてもつまらないものがありますものね。そんなで、いいものに出会えたなの好印象のシンポジウムでした。


2021年 3月 18日(木)午前 7時 2分

 今週は、お出かけの多い週。間口の広い黄紺に当てつけるかのように、おもしろそうな講演会なりシンポジウムが続きます。昨日は、その1つ、緊急事態宣言が明けてから、すかかりとお世話になっている京都学・歴彩館に行く日でした。昨日は、こちらで、歴史史料講座「江戸時代の借家事情」がありました。ただ、この講座には、他にはないポイントが付いています。「古文書を読み解きながら、、、」なのです。そういった講座が、こちらであるのは知っていたのですが、実際に行くのは初めて。今回は、「借家事情」なんていう社会史に通じるような演題に惹かれてしまいました。でも、まさかまさか、でした。「古文書を読む」と言っても、実際に、参加者に読ませるのが主たる講座とは思ってもいませんでした。会場に入ると、机上には、古文書のコピーが、1枚置いてあるだけ。そこで察知するものなんでしょうが、判っていない黄紺。でも、講師の方が「答えがかいてあるのを事前に欲しい方は手を上げてください」と言っている。ますます、怪しい。ホントに解ったのは、講演が始まってから、「ここから10分取りますから、皆さん、古文書を読んでみて下さい」と言われたとき。講師の山本琢さんは、同館資料課古文書担当ということで、正に、その筋の専門家。その方が、面白そうな古文書を引っ張り出してきて、参加者に、その読解経験をしてもらおうというのが、この会の趣旨だったのです。黄紺などは、文字通り、「借家事情」を知りたかったのです。文書となれば、借家契約に関わるものを読むというのがメーンなのでしょうが、黄紺的には、落語に出て来る大家さんと間借り人のイメージでいたものですから、その辺りの人と人との関係を紐解いてもらえるものと、完全に早合点しておりました。実際使われた文書は、千切屋(名前ぐらい、黄紺でも知る京の名家)が借家人となったときの手続きなものだから、完全に住む世界が違う文書であり、講演そのものだったのです。そうは言っても、なかなかおもしろそうなテーマ。ですから、渡された文書を読もうとしてみました。でも、さっぱりでした。「候」のくずし字を思い出すのに時間がかかっていては、後は、全く歯が立ちません。黄紺は、謡本を見る習慣があるため、ちょっとくらいはくずし字知っているつもりになってましたが、とんでもない勘違い。最近、観能の機会がないため、覚えていたことも、すっかり失念。といことは、さっぱりお手上げだっということ。あとは解説を待つしかありませんでした。借家をするために契約を結ぶということは、この千切屋クラスでも、かわす文書の多くは、借家人の保障に、多くを費やしているといった感じ。身近な保証人によるもの、以前の貸し手からの紹介状の如き書類を求めたり、寺院からの紹介状を要したりとか、なかなか細かい。そういった保証書の1枚をご用意いただけたのでした。古文書解読のあとは、全部で4種類いるという、そういった手続書の紹介で、お話はおしまい。正に、「古文書を読む」会でした。おもしろくもあり、何となく物足りなさも残る講座でした。でも、おもしろい、この会館ならではの企画じゃないかな。
 歴彩館の往復は、いつものようにウォーキングを兼ねている。昨日も、そのまんまの展開。帰り道の鴨川沿いのウォーキングは、正に春の明るさ。でも、いつものように、丸太町橋付近で休憩のため腰かけていると、川面を流れて来る風は、その明るさに反して、思いの外、冷たい。春のど真ん中には、まだ、時間を要するようです。でも、そうなると、鴨川の川原は、桜を求めて人が出て来るんだろうなと思うと、やはり、時節柄、鬱屈とした気分になってしまいました。


2021年 3月 17日(水)午前 7時 47分

 昨日は、京都広告協会主催の春期アド・フォーラム「“コロナ”以後のコミュニケーション」に行った日。コロナをテーマにした講演2本が聴けて、その内の1人の講師が、同様のテーマで京大が開いたシンポジウムで司会をされていた方だということ、進行の中で、そのシンポジウムをコーディネートされた印象を持った方だったため、参加を決めたのでした。これ、どこで、そのチラシを見つけたのかなぁ、歴彩館だったような気もするのですが、随分と前だったようなので、しっかりと覚えていない。どこかの区役所で見つけた可能性もあります。主催者が何者かと言えば失礼にあたるのかもしれないけれど、知らないものだから、そう言うしかないのだけれど、講師のお名前だけではなく、このフォーラムの過去の主催内容も、一応は調べてからの応募でした。会場が、からすま京都ホテルという都心部のホテルだったのも躊躇う要素でもあったのですが、福井の友人が、京都に来ると、わりかし投宿していることもあり、ドレスコードなんてこともなかろうと参加を決めました。名の知れたホテルの宴会場を使った講演会、でも、会場に入って行く人を見て、黄紺的風情の人たちもいるようなので、まずは安心。プログラムは、次の3本でした。①「生活者変化からアフターコロナを展望する」(博報堂生活総合研究所上席研究員:内濱大輔)②「コロナ禍における日本の『独立性』と『協調性』のゆくえ」(京都大学こころの未来研究センター教授・副センター長:内田由紀子)③「トークセッション」(講師2名+司会/平野智美KBS京都アナウンサー)。とにかく①がおもしろかった。正に、博報堂のエリートが語る、最前線の消費社会の現状、今後を聴けた思いがしました。人と人との関係で、「0」か「1」ではない、その間の多様な使い方、時間の使い方の変化として、その濃密化、多様化、要するに時間を自分のものにするという流れ、新しい「ながら」とか「ついで」も視野に入って来るお話。これ、目から鱗で、最近、気になり出してきていた、黄紺自身に「?」が点っていたことに対応していたことがあります。いつも通りというところも多いのですが、黄紺が、お酒が安いということで行くマートの混み方に「?」が点っていたのです。混むはずと思っている時間帯に、人の出が、そうではなく、今は混んでないだろうと思う時間帯に混んでたりするんだよね、コロナ禍が定着しだした頃からの話だけど、これって、時間の使い方の変化だったってこと、判りました、納得できました。そして、消費スタイルの変化、買わずに「使う」、「買う」と「売る」を繰り返す、それも決めないで「買う」、これは、へぇ~でした。「決めない」ことに合理性を見出す消費スタイルとまとめられていました。「T.P.O」という言葉の蘇るときというのが、新たな常態の発想スタンス、それがコロナ禍で進行しているというお話だったとまとめればいいかな。②が狙いだったのですが、日本の『独立性』と『協調性』という基礎のお話は解りました、よく言われることですから。2階建ての家に喩えられての物言いが、新しいかな。決して対置するものとして捉えられていないということでしょう。で、それに続き、農村社会でのフィールドワークや幸福論のお話になると、解らない。大きな原因は、黄紺の耳が悪くなったのかな、内田さんのようなハイトーンの早口や、低い声でのぼそぼそ喋りになると、日本語が解らなくなってしまうのです。特に、そこにテクニカルなタームが入って来ると、お手上げ。疲労もあるのかもしれません、完全に半ば以後、ダメになりましたから。ですから、「今日は、内濱さんのお話を聴けたことで良しとしよう」と、最後は開き直っていました。社会学的なタームに弱いことは、前から判っていましたが、この日は、正に、その苦手ゾーンに、バシバシと危険球が入ってきたってことです。どうして、社会学って、模式化や図式化したがるのでしょう、そして、それにタームを付けてしまうものだから、野ツボにはまったってところでした。なのに、この判らなかった素材を、きれいに裁かれていた司会のアナウンサー氏に、びっくり。金かけるだけ、その能力に長けた方を呼べるのですね。講師のお二人が、ともに40代、アナウンサー氏も同世代じゃないかな、お若い方たちの新しい空気を吸えたってことも、付加価値ってところでしょうか。
 からすま京都ホテルは、京都シネマのご近所ということで、京都シネマに行くときのスタイルを採り、ウォーキングに替えました。ただ、午前中には、ウォーキングの時間が取れないままのお出かけになったものですから、昨日は、一日としては、かなり少なめのウォーキング。万歩計を見ると、ようやく1万歩を超えた程度。これでは、身体がなまります。なんとかしないととは思うけど、一日が24時間じゃ、足りないよと、そこへ問題をぶつけてしまっています。


2021年 3月 16日(火)午前 7時 21分

 昨日は、お出かけなしの一日。落ち着けます。お出かけに合わせて動くのが大儀なもので、せわしなくていいですね。となると、ルーティンとしてのウォーキングだけが、外出。それも、いつもの時間。気温が上がってきています。昼前なら、上がりきっているかなと思って、ウォーキングに出発するのだけれど、それからの上がり方が大きい。ですから、家に戻ってくると、うっすらと汗ばんでいるほどになります。一つは、出かけた時間の気温に合った格好で出かけてしまうからです。途中、休憩がてらの公園での読書が快適。今は、ハプスブルク帝国健在な時代に作られた「帝国旅行案内」的なものを手にして旅をされている歴史地理の専門家の本を読んでいます。「南チロル」なんて出て来ると、黄紺の目が輝きました。だって、係争の地ですからね。オーストリアとイタリアとの。インスブルックからヴェローナ間にあるようです。途中に、トレントなんて歴史上名を残す町もある。当然、今はイタリアですが、そこに残るドイツ風建築物って、そそられてしまいます。「どないしたら行けるだろうか」なんて妄想に耽ってしまいました。ヴェローナは、ミラノからで十分でしょう、「行ったことのない、ヴェローナも行けるし」と、嬉しいコース。インスブルックへは、まず、インスブルックに空港があれば簡単な話だけど、それは知らない。「ま、ザルツブルクがあるじゃないか」と結論はそうなったのですが、そのザルツブルクが思い浮かばない、これ、情けなかった。だから、ウィーンに向かうのがいいか、スイスに向かうのがいいかなんて、考えてしまっていた。スイスに向ったら、「リンダウに宿を取り、リヒテンシュタインに向かったときの鉄道と、途中、交差するじゃない」と、今度は、妄想が、かつての職場の同僚と行った旅に向かい出す黄紺。先日、「ローエングリン」を一緒に観た人です。暖かで、長閑な空気は、どんどんと、黄紺の妄想を横道に導いて行ってくれました。とっても、いい時間です。それに対して、夕方のウォーキングは、とっても機能的。家を出る時間が遅いものだから、歩くことだけに専念。黙々と、ウォーキングをこなす時間になっています。身体を動かすこと、正確に言うと、身体が動いていることを実感できることが素敵だなと思うので、この機能的なウォーキングも快適なのですが、陽が延び、遅くまで明るくなってきているので、夕方も、昼間のような態勢に持ってくるウォーキングに戻すこと考えなきゃと考え始めています。
 午後の一時は、久しぶりにオペラ配信を楽しみました。午後に予定が入っているときは、これができない。最近は、できても、他の配信を選んでいましたしね、できてなかった。ハノーファー州立劇場の「カルメン」の第1幕途中で切れてしまってました。前奏曲カット、コーラスもカット、音楽の組み換えもあり~のだったので、ハノーファーらしいなとは思ったのですが、やりすぎ感があったもので、前に観たとき、続きを観ようか迷った記憶があります。でも、続ける決心をして、観る時間が取れてなかったもの。このコーラスをカットしていることだけで来る違和感を除くと、存外、気にならなくなってきて、第3幕辺りに来ると、完全に慣れが生まれてしまっていました。「存外、普通じゃん」、これが、この幕の終わりまで観た感想です。ピチピチ感をカルメンに出すようにしてあるプロダクション、それは、動きとか、衣装で感じるのですが、それには相応しからぬ場末の工場跡をモチーフにしたかのような装置、社会的に荒んだ環境に生きる人たちが、カルメンと、その仲間って印象を与えてしまいます。「ウエストサイド物語」のチンピラ連中にも見えなくもないな。そう思って観ると、続けようかどうかなんて考えたのを恥じ入っている黄紺です。コーラスを出さないという選択、それに思い至ったとき、これも、コロナ禍の中での公演だったのかと思い始めています。替わりに、ダンスの人たちが、数人、幾つかの場面で出てきています。どこだったかな、あるシーンで、彼らが、黒いマスクを着けて出てきたものだから、そういった連想が走ってしまいました。最後のカーテンコールところで判るとは思っているのですが、無観客ではないです。それは、拍手が入っているから、でも、その拍手の迫力が弱いので、ひょっとしたら、人数制限なのかもと思わせられるものがあるのも、そういった連想に繋がっています。


2021年 3月 15日(月)午前 7時 38分

 昨日は、週末3連続講演会の最終日。文化パルク城陽内にある城陽市歴史民俗資料館主催の講演会に行ってまいりました。先日、浪曲を聴きに行ったときからマークしてあったもの。後日、申込み開始を待ち、メール予約してありました。こちらの講演会は2回目となります。今回は、冬季特別展「心ときめく映画の世界」の関連事業として開催されたもの。歴史民俗資料館を掲げる博物館としては、珍しい特別展。映画と城陽を結びつけるのは、流れ橋なんかが映画のロケ地として重用されていることくらいかな? それはそうなんだけど、あまり突っ込まないでおきたいのは、広く京都という感じでフェードアウトしてみると、これは、大変なテーマとなります。しかし、特別展自体もそうでしたが、これが、えらくマニアックなもの、貴重なものと言い換えた方が適切でしょうが、なかなか他所では得難いお話だし、展示内容だったと思います。この講演会の講師を務められた立命館大学映像学部教授の竹田章作さんの存在が大きいですね、この方と、どのような経緯でコンタクトを持たれるようになったか、それが気になるのです。竹田さんは、大学で教鞭を執られる一方、タケマツ画房という京都の映画の看板を制作されてきた職人さんの家の出の方で、若いころ、家業の手伝いもされたという経歴の持ち主で、貴重な資料を所有されている方でもあったのです。帰宅後、ネットで調べてみると、映画の看板写真集まで出版されていることも判り、これはと思われたのかな、博物館の方が、、、ま、勝手な想像はよしとして、紹介いただける黄紺からすれば、もう、これは興味津々のイベントとなりました。開演前に配布された資料は、パワーポイントの画面を、そのまま印刷されたもの。ありがたいものです。予め、目を通すと、前半は、映画の歴史というか、映画の上映の歴史といったもの、後半が、京都の映画館の歴史と、大きく2つに分かれていました。当然、目が行くのは後半部分。だって、前半は、どこかでも聴けそうだけれど、後半は、そうは聴けないだろうと思ったからです。パワーポイントの使用画面が配布されていますから、気になって仕方がない、昔の京都の映画館の名前が並んでいたり、新京極の地図が並んでいるんだもの。これは、オンリーワンのお話かと思ったものですから、前半は、レジェメを読めば解かるでしょ的ペースで流して欲しい、そして、後半に時間を余して欲しいと願ったのですが、昨日の講師は話下手。時間が押してきて、尻に火が付いてきてから慌てるというタイプの話しぶり。これは、レッドカードもの。時間の配分が読めないと、聴いている者に嫌われるよと、声掛けをしたくなりました。レジュメを読んでいたものだから、ダメと思うと眠くなるのは、最近の定番。でも、わりかし捉えやすいお話なもんで、荒筋は解りました。映画には2本の歴史がある、パラパラ漫画系とフィルム系、それを公開となると、前者は個人で楽しむもの、後者は集団でとなり、映画館なるものも、こうして二様あったが、生き残るのは後者の方。でも、それを、プライベート形式で楽しむという試みが、既に1930年代にあった、自動車に乗りながらですから、プライベート空間ですわね、それを、皆が楽しむという興行のあり方があったそうです。これは知らなかった。コロナ禍で試みられたなんてニュースで観たけれど、それは、かつてあったものの再現でもあったのですね。で、日本では、いや京都ではとのお話。ここでいきなり、牧野省三や尾上松之助という著名人の名前が飛び出しました。映画上映の機材を日本へ持ち込み、映画の興行権も買い取った稲畑勝太郎なる人物が、その興行権を譲った横田兄弟(横田協会を設立)が、本格的に映画製作・上映に乗りだすということで、牧野省三、尾上松之助と繋がるそうです。牧野は、西陣の芝居小屋「千本座」の座主、松之助はそこの役者だったとか、これ、知りませんでした。ただ、この千本座を使った興行の資料が残ってないというか、講師の方によれば「発見されていない」そうで、実態が明らかになっていないそうです。黄紺でも知る著名な映画人を輩出していながら、残念な話ですね。そのため、後付けが可能な、明治以降、京都の歓楽街化した新京極界隈での映画上映、映画館の始まりへと、お話は進みました。京都初の劇場公開は、件の稲畑によるもので、明治30年と言いますから、まだ、19世紀の出来事ですね。これは、新聞記事で確認できるようなので、「京都初」でいいようですね。では、常設の映画館はとなると、それを特定するのが大変だったようで、というのは、仮設の劇場を使ったり、同じ名前の劇場の場所が違ったりして、特定が大変だようですが、後の京都日活の場所がそうで、1908年のことだとのことでした。その後、1960年代をピークに、新京極界隈には、映画館が林立していくようですが、元は芝居小屋だったというのが多いそうです。それらの写真を見せていただけたのが、この講演の白眉、黄紺は前のめりにスクリーンに観入ってしまいました。全て、見ているはずなのですが、覚えてないものもありました、幾つも。でも、どんどんと思い出していきました。それに重ねて、竹田さんが、家業の手伝いで、看板制作に関わった話、搬送した話が出るものですから、最高です。看板制作の仕方も教えていただけました。幻灯機を使い、形を取るのですね。ですから、映画の場面に忠実な看板ができたというわけです。形を取ったあとの絵を描く職人さんの腕はもちろんのことですが。その幻灯機、特別展の目玉として展示されていました。最後に、映画鑑賞の歴史をまとめられて、お話は終わりました。特別展は、講演後に、学芸員の方の案内を受け観ることにしました。新京極界隈の映画館、その映画館で配布された次回予告のチラシ(竹田さん保管)、マッチ広告の拡大版(城陽市内の好事家の寄贈品)、城陽市内のロケ地及びそこで撮られた映画紹介、井上昭監督の紹介、市内の㏚活動に使われた映画機材と、狭い空間ながら、内容は盛りだくさん。中央部は、やはり幻灯機でした。
 昨日は、午前中は、トルコのコロナ情報の追いかけで、パンパン。ウォーキングまでする時間は取れませんでした。ですから、講演会の往復だけがウォーキング替わりともなりました。城陽までのお出かけは、いつものように、往きと帰りでは、異なった電車を使います。特に、帰りは、歩きを多くなるということで、昨日は、格好のコースです。いつものように、自宅最寄り駅の一駅手前で降り、且つ、マートを求めて迂回して歩くと、1万歩を超えていました。ま、これで、よしとしておきましょうか。お出かけがあると、どうしてもルーティンにしていることが崩れる、これが嫌なんだけど、でも、家にじっとばかりしているわけにもいかないしと、悩ましいところです。


2021年 3月 14日(日)午前 7時 10分

 昨日は、週末3連続講演会の2日目。但し、昨日だけは、オンライン配信を受けるということで、普段のお出かけなしと同じような時間の流れの日となりました。昼前のウォーキングは、家事に大部を取られながらも敢行。暖かなつもりでも、意外と風が冷たい。雨上がりだったもので、久しぶりに屋根付き公園で休憩がてらの読書。昼前だと、この公園を使い、お昼を摂っている人たちを見かけます。コロナ禍の前から、この場所を使われていたのか、いやいや、「コロナ禍以後だよ、この風景見るのは」なんてことを考えながら、しばしの休憩時間でした。風が冷たいというのは、この時期、最も嫌うこと、そのため、夕方のウォーキングは、厚手のパーカーに。下に着るものを薄手のものにして、風対策。これが上手くいき、こちらは風に悩むこともなし。夕方は凪にもなるようで、よくあることですが、昼間は風があり、夕方は風が止まる。気温は、夕方の方が低いはずだから、これは助かります。
 午後は、オンライン配信を受けての帝塚山大学の講演会。昨日は、第451回市民大学講座として、「斑鳩宮を語る」という演題で、斑鳩町教育委員会の平田政彦さんのお話を聴くことができました。事前に、大部の資料が送られてきたので、苦手な日本史のことですから、読んでおくことが肝心と読んではみたのですが、これが、なかなか難物。さすが、斑鳩と言えば聖徳太子、その生涯や事績について記されたことは解るのですが、この講師の方、ばりばりの考古学者、しかも、斑鳩町で発掘の先端に立ち、ここまで実績を積まれてきた方ということが、嫌というほど判る内容だったもので、ここのお話が出て来ると、これはお手上げだと思っていたら、そういった当たって欲しくない勘が、ドンピシャでした。演題からしてそうでしたね、聖徳太子がテーマではなく、その聖徳太子が政務を執った王宮に当たる「斑鳩宮」がテーマなのですから。しかも、その斑鳩宮の場所が、明確には特定されていない、それを発掘資料から探るというのが、そもそものテーマでした。しかもが続きますが、その推定場所が、法隆寺寺域に関わるものだから、大変。なぜ、そのようになるか、その辺は、聴いていて解る。聖徳太子の跡を継いだ息の山背大兄王は蘇我入鹿との対立を深め、推古天皇没後起こった田村皇子との後継者争いで、入鹿の襲撃を受け、斑鳩宮は焼失、その跡に、夢殿を中心とした法隆寺の伽藍の一部が建立されたと、史書にあるのです。ですから、発掘は容易ではない。どえらい国宝の下に眠っている。でも、戦前から、改築とか、また、法隆寺側の協力もあり、考古学的検証が進んでいるそうです。ここで、考古学の人からすれば垂涎の素材になるのでしょうが、瓦がどうした、土器がどうしたと言われても、さっぱりお手上げ。お手上げとなれば、定番の居眠りが出てしまう。余計に解らなくなる。だって、覚醒しても、そこで、瓦の形状がこうだからこうだと言われていたら、せっかく覚醒しても、睡眠薬を浴びせかけられるようなもの。話題は興味あっても、付いていけないものは、逆立ちをしてもダメってやつでした。この帝塚山大学の市民公開講座、3月いっぱいで、オンライン配信はおしまいだそうです。大学自体が、対面式授業を、4月から再開するということで、この公開講座も大学キャンパス内だけで、人数制限をして実施するとの告知がありました。この公開講座は、以前から存在を知りながら、奈良まで行くのが嫌で行ってなかったもの、ですから、正にコロナ禍のおかげ的なものだったのが、あっさりと逃げて行きます。
 最近観たYouTubeのメモも書いておきます。火曜日定例の「無職旅 musyokutabi」氏の配信している「GeoGuessrライブ」で、ある国を選び、場所特定ゲームに、この主さん、無謀にも「トルコ」を選んだ。5問で1セットになっているゲームでしたが、いきなり出てきたのが、イスタンブルのオリンピック・スタジアム。黄紺的には一目で判るものだったけれど、主さんは、これで、完全に投げてしまった。だから、ぞんざいな言動をとってしまい、トルコをディスったり(「地方は遅れている」程度ですが)、正解を曖昧にして次を急いだりしてしまったのですが、あとの4問の場所は、確かにえぐかった、「ホパより東の黒海沿岸地」(サルプ辺りで黒海から少し内陸に入るところのよう)、「シルヴァン」(ディヤルバクルからビトリス方向に1時間ほど行ったところ、イスタンブル行きバスを出す地元のバス会社があるのを知り驚いたことがある!)、「アンカラのチャンカヤ」(チャンカヤの表示が出ていてもアンカラのチャンカヤのイメージから外れるような風景)、「シルヴィリとチョールの間」(イスタンブルからトラキア方向に向うとき通る幹線道路脇)とまあ、これでは、無理だわね。しかし、これで、こちらのチャンネルでは、トルコは無理と思ったので、自分で、GeoGuessr登録してみようかの気が、ちょっとだけ出てきています。もう1つの動画は、マレーシア系YouTuber氏(クアラルンプル在住)のチャンネル「Kaori in Malaysia! / Kaori 在馬來西亞!」は、新しい動画がアップされると、ほぼ観ています。最近、ことに、このチャンネルでは、庶民系マレーシア食の紹介に余念がないのが、めっちゃ嬉しいところ。最新のものでは、大定番中の大定番、チキンライスの紹介。屋台とか、フードコート的食堂の大定番。でも、黄紺は、あまり食べないのです。だって、付け合わせの野菜に、必ず胡瓜が出て来るからです。でも、マレーシアに少しいると、野菜を食べる機会が少ないものだから、そういったときに、胡瓜で野菜補給をするときがあります。てっとり早く、野菜が思い浮かぶからです。しかも、生だから、格好の野菜補給になるからと、このチキンライスを食べるのです。胡瓜以外は好物だけど、その好物と胡瓜を、敢えて一緒に食べて、胡瓜の感触、臭い(この青臭さが、一番嫌い!)を消しています。そういった思い出が重なります。行きたいなぁ、マレーシアも、トルコも!!


2021年 3月 12日(金)午後 9時 50分

 今日は、京都学・歴彩館に行った日。緊急事態宣言が明け、歴彩館が機能をし出してから、お世話になることしきりです。火曜日に行ったところですから、1週間に2回も行ってしまいました。「資料に親しむ会」シリーズがあったのですが、この会も、コロナ禍で延期されていたもの。今日は、「近代京都の旅行案内書に親しむ」と題して、同館資料課の吉田奈央さんのお話を聴くことができました。コロナ禍で、飛び飛びだった「旅行案内書」シリーズの最終回で、明治以降に刊行された文書の紹介をしていただけました。ただ、社会的背景について、それらの刊行物との関連性は、触れられないわけではないのだけど、決して、十分なものとはいえないものが、このシリーズには続きます。たくさん、同館所蔵の書籍からピックアップするだけでも、大変な作業ですから、文句を言えた筋合いではないのですが、こういったテーマは、社会史的分析なしでは、蒐集家の集いに成りかねませんから、こだわってみたくなるのです。明治初期のものは、「江戸名所図会」的なものの流れを組むもの、それは当然でしょうが、天皇やそれに付く公家たちのいなくなった京都、その活性化につながる、新たな繁華街新京極の出現は、吸引力抜群、博覧会といったイベントも、そういったことに貢献したことでしょう。そこへ指して、鉄道網の整備が進むと、観光資源に富む京都の吸引力が増すのは当然、それに向けた旅行案内書が生まれて行きます。1895年の平安京遷都記念行事は、その典型だったようで、京都市内の電車網、人力車賃などが掲載された旅行案内書までが出現した由。需要が創出され、更に、それに飾発され、需要を呼び込む記事が、旅行案内書に掲載されていくという構図が生まれて行ったようです。そのように、旅行案内書に進化が看られていくと、案内書自体も差別化が起こってくるようで。名勝地ごとの案内書、修学旅行といった旅行目的に特化した案内書の登場となっていきます。修学旅行の案内書に至っては、末尾に索引が掲載され、書物としての利便性を高めるような差別化が生まれて行ったとか。飽くことなく、売らんかなの姿勢が追求されていったってことですね。昭和に入ると、昭和大礼が大きかったようです。「昭和三年十一月の十日」「提灯行列の年」です。大礼とかご大典とか聞けば、すぐに、そういったフレーズが飛び出してくる落語マニアの黄紺ですが、このイベントは、またしても、京都に人を集める契機となるとなれば、旅行案内書の需要増、そこに、売る側の工夫が入る、またぞろ、新たなタイプの案内書が横行することになります。何かしらで観た記憶のある大鳥瞰図やら、京都近郊のハイキングコース案内といったものやら、出迎える側のノウハウとなる、旅館業者向け「サービス読本」なるものが出て来たそうです。そういった資料となる書籍の画像たっぷりの労作と言える講演会でした。
 今日も、歴彩館の往復は、ウォーキングを兼ねてのもの。でも、歴彩館から出たときには、天気予報通りに雨。でも、雨脚は穏やかなものだったので、今日も、その中を歩きました。やはり雨中ウォーキングとなると、足が早まるようで、いつもよりか、やたら早く感じてしまいました。でも、ずっと雨でした。その一方で、暖かな日でした。もう、すっかり薄手のパーカーの季節になってしまってます。どこかで、季節の替り目を踏み越えたとすると、昨日かな。そんな印象を持つほど、ここにきて変わりましたね。


2021年 3月 12日(金)午前 7時 52分

 昨日も、お出かけなしの一日。朝から、トルコのコロナ情報を押さえてから、ウォーキングへ。でも、この朝の時間の寒暖の差が、とっても大きかった。午前7時台とか8時台ってのが、一番、冷えたのじゃないかな? そして、ウォーキングに出かけるときは、まだ、その冷えたのが残っている時間帯だったのだけれど、そこからの1時間ほどの気温上昇が、半端じゃない。正に春だと思わせられます。だから、出かけたときの格好は、冷えた気温に対応したものだったのだけど、それが暑くて、暑くて、それが、昼前のウォーキングでした。そこで、夕方のウォーキングには、薄着でお出かけ。一昨日の失敗を繰り返すということはありませんでした。丁度、頃合いの服装でのウォーキングとなりました。
 昨日は、3/11でした。2つのことが交叉します。1つは震災、10年前のことを覚えています。黄紺は、あの時間、国立文楽劇場小ホールで、定例の演芸会に来ていました。間違って、チケットを2枚買ってしまったので、昔の同僚に声を掛けると行くというので、同じ会場で観ていました。その人も気づいたと言ってましたが、先代の松喬の高座途中に、天井の照明が揺れました。大阪で、しかも、かなり頑丈そうに見える文楽劇場で揺れました。身体には揺れを感じはしなかったけれど、目視しました、揺れを。それが、あの瞬間でした。その関連で、最近、思うこと、なぜ、福島の原発を、チェルノブイリのように「石棺」にしなかったのだろうということ。選択肢のある場合、高台への移転ではなくて、防潮堤を選ぶのかということ。前者は、まだ、作業をしているんだよね、解体なら、駄々洩れが続くだけじゃないかと思ってしまうものだから。「石棺」だと、チェルノブイリ同様のことが起こったと認めることだから、排除したのでしょうかね。近隣の人、戻れる希望を言ってたのが、当時、悲しかったな。チェルノブイリのこと、知らなさすぎなのを、利用する人たちがいたのがむかついたな、あの頃。「メルトダウン」って、最近の報道では、普通に使っているけれど、当時、絶体に使わなかったよね。あの言葉使ったら、状況が把握しやすかったのに、それだと、あっさりと状況がバレてしまうと考えるやつがいたってことでしょうね。原発知らさなすぎを、ここでも利用した人たちがいたってことですよね、マスコミを含めて。第一、マスコミの報道、震災被害の状況、外国の報道機関の伝えるところとして報道してたよね。怖くてできないほどの被害の状況を、そないな形で報道してたの覚えていますよ。後者の方は、風化も進むだろうし、維持に気を付けないとダメなこと、それを選択するということは、土地の持つ魅力なんでしょうね。生活のしやすさ以上に、土地を通じて持つ記憶って魅力なのかなぁと思ってしまっています。自然には立ち向かわない方がいいと思うのだけどな。どうしても、「ゴジラ」って芝居、思い出してしまいます。風化も、自然の成せる業なんだから。
 もう1つの3/11は、メルケル演説、去年のことです。あの日、黄紺は、デュースブルクにいました。「ローエングリン」を観に行くと、やたら客が少ない。平日に、「ワーグナーなんかするから入りが悪い」と勝手判断した黄紺が、完全にバカでした。あの演説を知らなかったのです。翌日、ハーゲン劇場に行き、中止になっていること、それがコロナ禍の影響だと判明するまで、事の重大さに気付いてなかったのです、いや、既に、そのときには、黄紺の立っているポイントより、更に先に先にと世間は動いていました。ここからの1週間、3/18に帰国するまで、世間というものの背中を追い続けました。追いついたかと思ったら、世間の背中は、もう、そこにはありませんでした。これほど、世間が、自分の先を歩いてしまっているということを実感したことはなかったな、自分の人生で。そして、日本に戻ってくると、お花見で浮かれる日本、ありえませんでした。世界に置いてけぼりを食らってました。あれから1年、まだ、先が見えていません。トルコでは、65歳以上の人たちの感染が減り、感染の中心が、それ以下の人たちになってきているとか、ワクチン効果が出てきているようですが、日本は、まだ、これからですね。それで、オリンピックはないやろ、ほんま!
 昨日の午後は、一昨日で味をしめ、アスニー山科の動画配信にアクセス。ふるさとの会(ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会)事務局長の浅井定雄(筆名/鏡山 次郎)さんの「山科と災害シリーズ」を観ました。これも、実際の講演会があったのを覚えています。但し、行けなかったので視聴としたのですが、これも、配信用に撮り直した労作もの。全てに字幕を入れますから、大変な作業です。①室戸台風で学校は②稚児川氾濫③牛尾山の土石流被害の3部構成。山科を襲った代表的な災害の様子を紹介いただけました。①は、「第1」の方です。ですから、戦前のことになりますから、勧修小学校の生き残りの方の証言と、同小学校の残している文集から、その状況を紹介いただけました。②は、「昭和10年京都大水害」の年です。「大水害」は鴨川の氾濫を指す、こういったお話では、必ず出て来る話題。どうやら、その年は水害の年ということで、その山科版を紹介いただいたもの。2段になっている溜池の増水、決壊をきっかけに起こった水害だそうで、当時の写真を残しておられる方がおられるんですね。それが、惨状を伝えてくれています。③は、最近の出来事、2015年の台風被害だそうで、これ、黄紺は知りませんでした。牛尾山ハイキングコースに土石流が押し寄せたということです。これは、ご本人さんが、その惨状を記録することの大事さを感じられ、発生直後に山に入り撮られた写真を見せていただけました。お話としては、事実を紹介するだけというものでしたから、さしておもしろいものではなかったのですが、事実を教えていただけたことは、これは、貴重な経験になりました。


2021年 3月 11日(木)午前 7時 49分

  昨日は、お出かけなしの一日。となると、日々のルーティンにしているウォーキングに精を出す日。特に、昨日は、昼間が暖かだった。それを予想して、少々、薄着をして出かけたつもりだったけれど、それを、遥かに上回る気温の上昇。自然いっぱいのコースを選び、公園での休憩&読書に、大満足。でも、長くベンチに腰かけていると、思いの外、風の冷たさを感じ、これは意外だったな。陽射しが強いけれど、その強さの割には、体感温度を奪う風が吹いていたような印象でした。そこの微妙なところを読み間違えたのが、夕方のウォーキング。寒暖の差が大きなところへ、その風は残ったものだから、かなり困ってしまいました。ウォーキングをしていて、昼間は暑くて仕方なかったので、厚手のパーカーを止めて、かなり薄手のパーカーに替えて、外に出たのだけど、完全に読み違えました。すぐに家に戻り、元の厚手のものにすれば良かったのに、戻るのが面倒と思い、そのまま歩き出すと、寒い。隙間から風が入って来るわ、それを防いでも、どんどんと身体から熱が奪われていくという感じ。ウォーキングで温まってきても、奪う方も激しいものだから、寒いったら、寒いのです。でも、もう春ですね。3月も、もう10日も過ぎてしまっています。
 昨日の午後は、気になっていたことをやってみました。オンライン配信の1つに、市民向け公開講演会を収録したものが流されているので、その1つにアクセスしたところ、一旦は、市民向け公開講演会をしたものを、わざわざオンライン配信用に収録し直した、大変な労作に当たってしまいました。アスニー山科が、「学びのフォーラム インターネット講座」として配信している中の1本、「君が代のさざれ石シリーズ」と題して、(公財)京都市生涯学習振興財団/山科事業館専門主事の田井茂実さんが講師を務められているものを観ることにしました。このお話、実は、実際の講演が、黄紺の都合で聴けなかったもので、気になっていたものですから、まずは、これに飛びついたとというわけです。お話は3本の動画から成っています、①千代の古道再考~君が代のさざれ石の正体~②千代のさざれ石はなぜ注目されていないのか③君が代のさざれ石シリーズ最終回。まずは、京都に「さざれ石」という史蹟があることすら知らなかった黄紺、岐阜県にもあるそうで、こちらは中曽根元首相揮毫による石碑まで建てられているそうで、人物、ものからして、右翼的人物が噛み、有名にしているようです。これも、お話の中で出てきてました。で、話題の京都の「さざれ石」、場所は、またしても洛西。最近、洛西づいています。となれば、長岡京、桓武が出てまいります。「さざれ石」を含み、南北に「千代」の地名が並び、そして、その並びに長岡京があるという構造。長岡京の「玄武」の位置に、更に、「さざれ石」の北には「梅ケ畑祭祀遺跡」のあることから、長岡京遷都の安寧を祈念する場だったと考えられるというお話でした。山や石(ここの場合は「さざれ石」を積み上げる)に神秘性を感じた古代の人たちの祈りの場、そこに至る「千代の古道」、そして、その地域は、古代の洛西と言えば、必ず登場の秦氏の存在がありますわね。この祭祀の、また、歌の成立・伝搬に関わったことに、思いを巡らせることができます。②では、そういった展開となりました。「さざれ石」のある「亀山」は「神山」ではないか、ここは、秦氏の祭祀場でもあったようで、長岡京遷都にも、深く関わっていたのでしょうね。桓武と渡来系貴族との関りは、歴彩館で聴いてきたところです。また、②で出て来る、廃れる話は、こうなると、長岡京が、僅か10年で終わってしまうことと関係が出てきます。それと、この「北」を祀るという「北辰信仰」(道教ですね! でも、そのお話は出なかった!!)自体が流行り過ぎ、集団での祭祀が禁止されたそうで、でも、考えてみると、その禁令を出した桓武は、高野新笠の影響で、道教狂いだったはずですから、人が密になることを嫌ったものと考えられます。この辺は、ちょっと黄紺の感想も入れておきます。実際、密じゃない祭祀は禁止されなかったため、「千代の古道」が残ったようだと言われていました。岐阜県の「さざれ石」は、惟喬親王絡みの言い伝えがあることから出てきた話だけど、惟喬親王自身が、秦氏の血を引いているから出た話だろうと分析されていました。ここで、③にかかってきました。③では、他に、地名的に洛西の「さざれ石」が聖なるものと看なされていたこと、「千代の古道」が南北だったからこそ詠まれた和歌の紹介というものでした。地名話は、方角を表す「乾」などの地名は、聖なる場を囲むときに使われることが多いというお話から、「千代」という地名の聖性を示していただけました。和歌話では、後鳥羽上皇、藤原為家らの歌を紹介しながらのお話で、歌に詠みこまれているのですね。これは、目から鱗が、ボロボロと落ちる、とってもそそられるお話でした。おもしろ過ぎるので、誰かに薦めたくて、うずうずしています。


2021年 3月 10日(水)午前 6時 34分

 昨日は、緊急事態宣言で、事実上、閉鎖状態だった京都学・歴彩館に行ってまいりました。解除のおかげで、こちらでのイベントが実施の運びになったからでした。それは、こちらで続けられている「京都を学ぶセミナー」。昨日は、「洛西編第8回“洛西・大原野社と藤原氏”」という講演のあった日でした。この講演会も、緊急事態宣言の犠牲になり、延期されたもの。3/1に、まだ、緊急事態宣言が解除されていなかったら、中止に追い込まれることになったのですが、タイムリミットぎりぎりに解除されたおかげで、昨日、開かれることになりました。お話されたのは、清泉女子大学教授の中野渡俊治さん。東京の大学の先生が、京都を語るのは敷居が高いのか、早々に、元花園大学で教鞭をとっていたと自己紹介をされ、目に見えない壁を、あっさりと払拭されていました。大原野神社と、現在は言っていますが、歴史では大原野社だそうで、この神社と、藤原氏の関係を解明しようというのが、この講演会の趣旨。大原野社の創建に関しては判っていないということを触れられ、早速、藤原氏の分析へ。藤原北家が台頭してくる経緯を押さえられ、その藤原北家が、天皇家との関係を強めている姿を紹介されて行きました。そういった藤原北家が外戚としての地位を築いていくわけですが、大原野社勧請の伝承のある藤原冬嗣とその兄真夏(兄弟で夏と冬です!)、この2人は、平安初期の人、なかでも冬嗣は、黄紺ですら、その名前を聞いたことのある人ですが、その外戚ぶりの詳細を看ると、このお話のテーマに合致する様子が現れてきます。2人の生母は、百済王の血を引く渡来系貴族の娘で、後に桓武天皇の女官となり、僧正遍照の父となる人物を産んでいるそうです。ここいら辺りが絡み、冬嗣の出世、藤原氏一族の外戚としての地位が出来上がるわけだとのこと。桓武は、かなり同族経営的な身内贔屓の強かった人のようです。彼が道教狂いだったとの話は、かなり以前、「異形」を追いかけているとき知った情報ですが、それは、母親が高野新笠からの影響だったと言われていますが、その母親も渡来系貴族の出。この渡来系貴族の出所は、洛西、長岡京の北辺がそうで、桓武絡みの人たちの陵も、この辺りに散在していることも紹介されていました。大原野社の祭祀は、春日祭式に拠っているそうで、それは、藤原氏との関係の深い春日大社(氏神だそうです!)から、それに加えて、高野新笠の一族に関連する平野社の平野祭と、嵯峨天皇の生母の一族に関連する梅宮社の梅宮祭のしきたりを取り入れたものになっているようで、外戚の影響を看て取ることができ、そういったところから、大原野社と藤原氏の関係が、嫌が応にも浮かび上がってきます。もう1点、両者の深い縁について、お話されました。藤原氏の祖となる鎌足生誕地との伝承のあるところが、飛鳥の「大原」ないしは「小原」だという点、また、その地が、藤原氏の血を引く称徳天皇が、紀伊行幸の際、わざわざ、その地に寄っていることからも、縁の土地という認識があったようだということで、その同じ「大原」へ、縁の「春日大社」を勧請することの必然性を指摘されていました。「一帝二后」という語句を、初めて知りましたが、藤原道長が、外戚の地位を続けるために執った強引な手、定子&彰子問題のときに打った手が、この大原野社の祭祀問題を使ったそうで、それだけでも、大原野社の地位が判ると、また、藤原氏との深い仲が判ると触れられ、まとめの言葉とされました。「藤原氏が外戚」、これは、小学生でも知っている挿話、冬嗣や桓武といった著名人の登場、渡来系貴族との関係、この辺は、幸い解る、そこへさして、ラストは、清少納言と紫式部とのつばぜり合いが絡む話ですよね、このくらいだったら、黄紺も解るという題材が並んだおかげで、これは、よ~く理解が進みました。日本史、おもしろいね。
 歴彩館に行くときは、その往復をウォーキング替わりとしています。特に帰りは、歴彩館から三条駅まで歩くという、かなり入れ込んだウォーキング。昨日は、それに加えて、ちょっと寄り道。北隣の京都コンサートホールで、チケットの引き取りに行きました。丁度、4月のコンサートのチケットを買ってあったので、引き取りに行ったというわけです。一旦、逆方向に少しだけ歩いてから、本来の方向に向かうというもの。昨日は、えらく気温が上昇。厚手のパーカーがじゃまになるくらい。着て行くものを間違いました。パーカーの下に着るもので調整したつもりだったのですが、もう、いつものパーカーは、お役御免のような陽気でした。もう3月も10日ほど過ぎたのですから、そうなんでしょう。時間は、どんどんと過ぎて行きます。


2021年 3月 9日(火)午前 7時 32分

 今日は、4日ぶりに、お出かけなしの一日。そのためか、かなり間延びした感じの一日。そう思い、昼前は、いつものウォーキングを詰めながら家事に勤しんだつもりだったのですが、思いの外、長い距離を歩いていた。それだけ、時間を間延びして感じていたため、余裕を持ち、時間を使ったみたいでした。夕方も、ゆったり気味のウォーキングをしたためか、万歩計を見ると、1日で2万歩を超えかけていたので、びっくり。暖かいようで、決して、気温は上がっているとは言えない、中途半端な気温の日でもありました。
 午後の一時は、オペラ配信を楽しむ時間。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「死の都」を、観直しました。すると、また、後半で居眠り。そのため、寝てしまった辺りに検討をつけ、また、そこから観直しをするというもの。これでは、いくら時間があっても、時間は過ぎて行くばかり。他にも考えていたこともあったのですが、結局は、お昼の一時、オペラ配信にだけ使うことになりました。でも、抜けていたところは判ったつもりにはなれました。問題なのは、マリエッタが、パウルを誘惑する場面が、芝居として演じられていること。家の中の場面ですが、背後に観客と思しき人たちが座るので。その前に、「悪魔のロベール」に出るとかなんとか、マリエッタが言いますから、それ絡みかとも思えますが、肝心の「悪魔のロベール」を知らない、観たことがない、DVDで出ているのですが、持っていない。そんなで、その真偽を確かめようがないのです。梗概は見てみたのですが、関連付けられる箇所は解らないままでした。次に、そして、最大の問題は、ラスト、パウルが、姿の見えないフランクとブリギッタに話しかける場面、そこに、もう1つ大事なシルエットがあるのです。当のフランクとブリギッタは、医者の姿をして、背後に控えているのです。これは、最初に観たときも判っていたんですが、まさか、そないなことはしないだろうと、黄紺は拒絶をしていたところ。この話を、心を病んだ男の物語にしているように見えたからです。そうしてしまうと、それ以上の詮索は不要です。ですから、そんなにしてしまったら、サイテーと思い、且つ、かなりの見落としがあったため、観直しをしていたのですが、やはり、この医者の格好だけは、それ以外、黄紺的には説明がつかない。ロバート・カーセンが、そないな安っぽいことするかなぁと思ってしまうのです。そんなことをすれば、ブルージュの捉え方とか、そないな問題もスルーしちゃう、ラスト、マリエッタの声は、外から聴こえるようにしてありましたが、あれは幻聴、フランクとブリギッタは、パウルにとっては幻視になっちゃう、、、! ロバート・カーセンものだから、誰か、ネット上に書いている人いないか、調べてみました。いましたね。その人は、黄紺のように悩まないで、あっさりと「精神病にしちゃダメ」的に切り捨てていました。やっぱ、そこに来ていました。そうなんだろうか? だったら、逆にショックだよ。
 他のことをするには、時間がないものだから、新しいオペラ配信にも、ちょっとだけ、手を付けました。そしたら、これが問題作。なんか、そんな臭いがしたものだから、ピックアップしたところがあったのですが、大当たりもいいところ。ハノーファー州立歌劇場の「カルメン」(バルボラ・ホラコーワ演出)です。ハノーファーの「カルメン」が配信?と、なんともしっくり来ない感が、このピックアップとなりました。ハノーファーとブレーメンが斬新というのが、黄紺の頭にあるのが原因です、そこへ持って来て、オペラの大定番「カルメン」ですから、臭って来たというわけです。前奏曲なしからして異様です。音楽のいじりもあります。編曲しています。街の雰囲気が場末の工場的な意匠だけど、まだ、何を表したいのか把握できていません。ですから、ぱっと見で判るわけのない装置です。ジプシー的設え方は、今のところ感じません。闘牛を表す道具は出てきています。カルメンはギャル的キャラ、ドン・ホセは、下級兵士感は出しています。ミカエラは、少なくとも下品感のしない普通の女キャラです。これで、どうしたいのか、止めようかとも思うほど、異様さがあります。YouTubeのコメント欄を見ると、何やら論争しています。それだけで、問題作であることが判ります。今のところ、一応続けるつもりですが、ハノーファーで、知らないで「カルメン」をチョイスしていたら、これ当たってたんだと思うと、若干、引き気味かな。冒頭、同歌劇場の外観を映しだしていてくれました。これは、痛いな、黄紺には、残念感が胸いっぱいとなりました。


2021年 3月 8日(月)午前 6時 47分

 昨日は、ビッグな3連発の最終日。びわ湖ホールでオペラを観る日でした。去年の「神々の黄昏」が、コロナ禍最初のビッグな犠牲でした。しかし、そのときに行われたライヴ配信が、コロナ禍の新しい試みの先駆けにもなったのが、びわ湖ホールでした。あれから1年が経ちました。あのとき、自分が行くはずだった日の配信、観ました。その直後、まだ、コロナ禍というものを、世界も、ましてや黄紺も把握してないなか、シンガポール経由でドイツに出かけてしまい、とんでもないことになりました。それから、もう1年、びわ湖のワグナー公演になると、またぞろという感じで、コロナに翻弄された日々を思い出してしまいます。1年後は、セミステージ(粟國淳)という名のコンツェルタンテ形式で「ローエングリン」が上演されました。キャスト等は、以下の通りでした。(ハインリヒ国王)斉木健詞、(ローエングリン)小原啓楼、(エルザ・フォン・ブラバント)木下美穂子、(フリードリヒ・フォン・テルラムント)黒田博、(オルトルート)八木寿子、(王の伝令)大西宇宙、(ブラバントの貴族Ⅰ)谷口耕平、(ブラバントの貴族Ⅱ)蔦谷明夫、(ブラバントの貴族Ⅲ)市川敏雅、(ブラバントの貴族Ⅳ)平欣史、(小姓)熊谷綾乃、(小姓)脇阪法子、(小姓)上木愛李、(小姓)船越亜弥、沼尻竜典指揮京都市交響楽団、合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、照明:原中治美、美術構成:横田あつみ、音響:小野隆浩(びわ湖ホール)、舞台監督:菅原多敢弘。既に、プレトークのときに、沼尻さんからお知らせがあったように、コロナ対策ということで、オケは舞台上、合唱もディスタンスをとったものでしたので、最初は、どのような試みなのか気にはなっていたのですが、背後に合唱を置いてしまうと、歌手の歌う場は、舞台前の限られたスペースしかない。指揮台を挟み、左右に平台を置くというもの。その平台の上に、正方形の小さな平台を置き、そこに、その形でサスを当てる(この技術!)というもの。背後はスクリーンになっており、その前の幕の開け方で、スクリーンに映る画像の形にも変化できるというもの。ですから、コンツェルタンテに、照明、幕の開閉、ちょっとした歌手の動きで、物語が進行するというものでした。舞台左右には、3本ずつだったかな、エンタシス状の柱が並び、場の雰囲気を作ってあり、これは、ずっと固定したもの。衣装はなし、歌手の皆さんは、各自のステージ衣装でした。ですから、この物語への味付けは、かなり象徴化された歌手の動き、背後の画像が担当というところでしょうか。1幕のローエングリンとテルラムントの対決は、指揮台を挟んで、正先で2人が睨み合うと、スクリーンに戦う騎士の分解画像が映るというもの。更に、3幕のテルラムントの寝室への乱入は、右平台にローエングリンとエルザが居るのに対し、左平台に現れるというだけ、ここでは、スクリーンにも仕掛けはされず、現れ、殺されたというのは、全て、照明の操作だけというもの。これは、これで、いい工夫と思えました。このびわ湖で観てきたワグナーのプロダクションのコンセプトとは真逆のスタンスですからね。ローエングリンの登場と退場も、歌手は、サイドから現れ、実際の登場は照明捜査1つでのもの、退場、然りでした。スクリーンに、ぼんやりと白鳥らしきものは映していましたが、「ぼんやり」でした。ちょっと意味深だなと思っていると、ラスト、右の平台にオルトルート、左にエルザが立ったままで、照明を消すのか、消すならどっちだと思っていたら、ともに消しませんでした。弟も出さずで、スクリーンに「ぼんやり」と姿が見え隠れするというもので、白鳥との関係は不明なまま。意味深と書いてしまったけれど、そう取るのか、取らないのかまで含めての意味深ということです。もうちょっと語って欲しですね。尾を引きそうな終わり方、演出面での収穫は、そんくらいかな? オケの前で歌うことになった歌手は、とってもパワフルに聴こえました。逆に言えば、ワーグナーの音楽を越えてのパワー、発声、これは、並大抵ではないのだと再認識。このステージの設え方は、明らかに、歌手に利ありというところでした。コロナ禍で、歌手の変更が幾つかあり、エルザ役の歌手が体調不良でカヴァーの人が歌うというともあり~ので、キャスティングが大変だった公演でもありました。冒頭、丁寧に行き過ぎていた沼尻指揮の京都市響でしたが、1幕の終盤以後、近来稀なる好演に遭遇できました。特に2幕が傑出した演奏だったと思いました。よく鳴るわ、各パートのバランス、音の揃い、共感を持った演奏、誉め言葉がいっぱい並びます。オケの実力と指揮の呼吸が、これほどまで揃う演奏って、そうはないよという見事なものでした。
 このオペラのチケット手配は、毎年、福井の高校時代の友人のもの、元同僚家族のものを、黄紺が担当。福井の男からは連絡なしのまま、もちろん現れませんでしたが、元同僚家族3人とは、ご一緒しました。昨年は中止だった上に、コロナ禍で、その後は会えるわけはなかったですから、1年半ぶりくらいかな。そのくらい久しぶりの再会となりました。一緒にドイツなどに行った人の家族です。一昨日は、息子の家族と喋りましたから、とっても、たくさんの喋り溜めができました。皆さん、お元気でした。そういった姿を見ると、一瞬、コロナ禍を忘れてしまいますね。まるで、なかったように、旧交を温めることができました。いつものように、車に乗せてもらい、自宅まで歩いて帰れるところで降ろしてもらいました。これだけ見ると、前のまんまだけど、次、いつ会えるのでしょうね。大阪府内在住の人と別れるときは、毎回、そう思ってしまいますね。


2021年 3月 7日(日)午前 7時 19分

 お出かけ3連発の第2弾となった昨日は、朝から大忙し。午前9時に家を出て、戻ってきたのが、午後6時とは、立派。1日丸々動いたことになります。まずは、朝っぱらから息子の家へ。一家で引越しをしてから、初めて行くことになりました。建築中のときは前を通っているので、場所は判っていたつもりだったのですが、知らない内に、ここまでは来てはいけないところまで行ってしまい、慌てて引き返すという失敗。考えてみたら、外装を見たのは初めてだった。車の通る道に面しているので、ドアを開けた瞬間、Dなどは、ちょこまかしているので、車と出逢わないか心配していたのだけど、そこは、上手く工夫があり、安心できる構造にしてありました。それが嬉しくて、入る前に、表から写真を撮ってしまいました。そんなで、ちょっと近所まで出かけて行っていたⅮが帰って来るまでは、Sと、たっぷりと遊ぶことができました。Sを膝に乗せて遊ぶのは、初めてですね。動き回るⅮに気を取られるものだから、そないなゆったりとしたこと、できなかったですから。でも、静がモットーだったSが、完全に動に変身。むしろ、あとから戻ってきたⅮの方が静になっていました。それだけ、お兄ちゃんになり、さすがのⅮも、少し方針転換というところかな。後があるため、慌ただしく車で行き慣れた寿司屋へ。半年ぶりに、外食をしました。断捨離をするのに、頻繁に息子が手伝いに来てくれていた時にしか、このコロナ禍では外食をしたことがなかったものですから、それだけの久しぶりになりました。Ⅾは、生意気にもマグロをパクついていました。そして、最寄り駅まで車で送ってもらい、あっさりとお別れ。次に会えるのは、いつなんだろうな、前回、そないなことを思い別れてから、半年以上経ったので、今度は夏かな? 生きてるのかな? でも、この時間だけが、怖い大阪滞在、昨日行ったところだけは、京都府と決めている黄紺です。
 京都まで引き返し、午後2時開始の講演会に向かいました。うまい具合に、入場が叶った講演会、抽選制だったもので、勿体ない感があり、外せないものになっていました。会場はウィングス京都、京都府教育委員会&公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター主催で行われた「埋蔵文化財セミナー」に行ってまいりました。テーマは、「恭仁宮と長岡京 その実態に迫る!」で、とっても魅力的なもの。そのプログラムは、次のようなものでした。①「恭仁宮中心部の構造-朝堂院区画を中心として-」(京都府教育委員会中居和志副主査)②「長岡京遷都の実態-周到に計画された遷都-」 (同調査研究センター小池寛調査課長)。各々、発掘の専門家の講演です、正直言って、自分に解るのかという不安があったのですが、パワーポイントを使いながらの丁寧なお話に、安心。でも、肝心要の恭仁京のお話で、90%以上ダウン。朝っぱらから出かけたツケが、完全に出てしまいました。②は大丈夫だったのですが、内容的には、そんなにもそそられるものではなかったこともあり、かなり失敗感強しです。ましてや、恭仁京の話は、聴けないよ、そうは頻繁に。実は、随分と昔、恭仁京跡には行ったことがあります。加茂ですよね、今は、町村統合で木津川市と言うようですが、その加茂に行ったときに、立ち寄ってみたことがあり、ほぼ何も残ってないことは知っているつもりになってた。そこを発掘している、そりゃ聴きたくなります、が、ダメでした。しっかりとした資料をいただけているので、また、今後、ゆっくりと読ませていただくことにします。②は、前半は発掘の紹介。「宮」ではなく「京」の一角の発掘。市街地にあるため、建て替えのあるときにのみ可能な発掘、ある「街角」の発掘でした。計画都市ですから、「角」が直角になっている。それが十字路になってないだけでも、大きな発見。短期間の長岡京が、どこまでの「京」として存在していたかが判りますからね。「計画」が、どこまで実態を伴っていたかが判ることから、長岡京そのものが、ちょっとした平安京までの「繋ぎ」であったのか、そうではなかったのかまでに関わって来る大事です。「実態に迫る」と題された主旨は、「繋ぎではなかった」という展開を目指されたもの。「角」の位置ばかりではなく、その下の層も掘られたそうです。「京」の前の時期の姿が判るからです。これが、おもしろかった! 木の杭が大量に見つかったのです。その予知を感じられて、下を掘ったと言われていました。長岡京って、小畑川が斜めに横断するのですね。桂川に注ぐということで、水運には利便性はあるのだけど、一方で、治水に悩まされたよう。利水があれば治水がある、永遠の課題だったはずです、歴史の中では。木杭を打つことで、治水に役立てていた、氾濫防止、抑止に使われていたそうです。そんなの観たのは、聴いたのは、初めてのことでした。この数が半端ではないので、一部しか収容できなかったとまで言われるほどの数量、それが、「京」建設前にあったということは、かなり準備がなされていた証拠、ということは、長岡京は、「繋ぎ」などという軽いものとして考えてはならないとなるわけです。後半は、文献史料からのお話。この部分は、期待外のお話だったため、また、黄紺も知る話ということもあり、なんか、肩透かし気味になってしまったことは否めません。ここで聴くものかなの印象でした。「埋蔵文化財」の看板から外れていたからです。天智系と天武系の相克、高野新笠(桓武のお母ちゃん)が秦氏の出であるとか、別に、ここで聴かなくてもいいように思ってしまいました。そんなで、ちょっと挫けたところも、多々あり~のでしたが、一応、満足と、生意気な気分となれました。
 昨日は、そんなで、ウォーキング不足。そこで、ウィングス京都は、京都シネマの近くということで、京都シネマ方式を採ることに。最寄りの駅から2つ先まで歩き、自宅の最寄り駅2つ手前で降りる。そうやって、歩く距離を確保するというやり方です。あまりいいお天気ではなかったですが、もう夕方に差し掛かっていたので、あまり関係なし。このおかげで、いつものウォーキングには足りなかったけれど、そこそこは確保できました。そういった時間も込みで、帰宅は午後6時となりました。お疲れ様です。


2021年 3月 6日(土)午前 0時 14分

 昨日までの巣ごもり生活から一転、この週末は、ビッグなお出かけ3連発です。しかも、今日は、夜のお出かけ、明日は二部制、明後日は生オペラですから、よりビッグになります。とりあえず、今日の夕方までは、相変わらず巣ごもり。朝から雨でもありました。でも、いつもの昼前のウォーキング時間では、雨が上がるという幸運。普通にウォーキングに出かけたのは良かったのですが、ほんのちょっとだけど、薄日も射したのですが、半ばから雨。傘の用意のない黄紺は、厚手のパーカーのフードを被り、ウォーキングを継続。ま、さしたる強い降りでなかったのが幸いしました。そして、昼間は、夜のお出かけ前にと、かなり詰めた形で、日々、こなしていることを済ませる努力。明日は、朝から出かけるので、今日のことは今日で済ませる算段で動いていました。
 夜のお出かけは、伝統の「第261回市民狂言会」。年4回開かれる恒例の狂言会。京都観世会館が会場です。正義の千作も亡くなり、すっかりと次の世代が中心になっている茂山の狂言を、定期的に観れるのは、京都に住む者の特権です。その番組は、次のようなものでした。狂言「節分」(千五郎)「磁石」(茂)狂言小舞「雪山」(網谷正美)「吉の葉」(宗彦)「七つに成子」(あきら)狂言「縄綯」(千之丞)。狂言は、重い曲、長い曲が3番並ぶという、なかなかヘビーな番組。おまけに囃子入りの曲もありですから、一層の、ヘビーさを感じてしまいます。それが「節分」、季節にも合うのも、いいですね。「節分」は、唐土から日本に渡って来た鬼が、人間の女房に惚れ、いろいろと言い寄るところが大半というもの。毎回、この曲を観て困るのは、謡に乗せて言い寄る言葉が解らないこと。やはり、今日も解りませんでした。ただ、言い寄ろうとしているのだけは、雰囲気で判るのですが。最後は、その鬼の気持ちにつけいる、したたかな人間の女房で幕となります。そのアイテムが、時節柄、豆となるのが趣向ですね。「磁石」は、なかなか遭遇機会の少ない曲。だって、長い。でも、狂言の中で、最もストーリー性があるのじゃないかな。スッパが出てきて、人買いが生業とは、なかなか時代を感じさせます。「自然居士」のように、子どもをさらう、売るのではなく、田舎者を騙して売り飛ばすとは、えらく生々しい。円朝作品でも、夜道はおろそかに歩けない、いつ拐かされて売られるか分からないなんて噺がざらにあるくらいだから、狂言の表す時代だと、常なる姿だったのでしょう。その悪業に気づくという展開も、更に逃げるのは逃げても追いつかれてしまう、だけど、そこで、最も意外な展開を持ってくるのだから、やっぱ、ストーリー性という点では優れものと思っちゃいます。題名からすると、この最後の場面が先にありき的な作劇じゃないかと思えますね。スッパの茂くん、見付の者の逸平くん、本日のベストですね。ま、誰が言ってもそうじゃないかな? 松本薫さんが、宿屋の亭主役でお付き合いされてました。小舞は3番、網谷さんに年齢を感じてしまいました。同じような年代のあきら師はそうではなかったので、今しばらくの踏ん張りを願いたいものです。間に挟まれたのが、世代が1つ下の宗彦さん。有機的に動く体の線が見事です、思わず「上手いなぁ」と声が出てしまいました。そして、最後が、千之丞を名乗った童司くんのシテで「縄綯」。このシテの太郎冠者の長い一人語りが売りの曲。能の記念の会などにも、ちょくちょく出る人気曲。いつの時代にも博打好きはいるもので、この曲の太郎冠者は、博打で負けた主により、金品の替わりとして、勝った相手に譲られるという、とんでもない役回り。でも、泣かせるのは、この太郎冠者、そないなことをされても、主を慕っている。切々と、ここが一人語りになるんだけど、譲渡先の主の悪口を言って聞かせるが、また、裏切られる。考えてみれば、虐待ともとれる、無謀な筋立てですね。新生千之丞くん、狂言の枠にとらわれない奔放な台詞回し。それが生き残るのか、廃れてしまうのか、それは、後の世代のみが知ることになるのでしょう。主の役は、今や、茂山家最年長となった七五三師。声が枯れるのが気になったけれど、まだまだ頑張って欲しいものです。太郎冠者の新しい主は丸石さん。風貌からして、年月の経過を感じさせませんが、声の勢い、張りは、以前と変わらない。お元気なのが、一番、嬉しいですね。
 終わって外に出ると、まだ、雨が降っていました。結局、途中、ちょっとは止んだにせよ、1日中、降ってたってことになります。外に出て、時計を見ると、午後9時20分を回っていました。自宅に戻ると、午後10時を、あっさりと回っていました。久しぶりの、こういった時間帯の帰宅に、ちょっと興奮気味。それから、夜のトルコのコロナ情報収集してから、こちらにやって来ました。ホント、タイトだった一日だったのが、ようやく終わろうとしています。気が付くと、日が替わっていました。


2021年 3月 5日(金)午前 7時 40分

 昨日も、お出かけなしの一日。当初は、映画の予定を入れてはいたのだけど、日が近づいてくると、その気が薄れて行き、やんぺ。最近、よくあることですね。映画を見つけたときは、いい気で、予定表に書き込むのだけど、そこまでだったかと思うより、日々のリズムを崩したくないが、先に出てしまいます。で、いつものように、日に2回をルーティンにしているウォーキングだけが、外出。昼前のウォーキングは、いいお天気で、暖かで気持ちが良かったけれど、公園で、休憩がてら読書をしている辺りで、雲で太陽が隠れると、あっという間に、気温が低下。冷たくなり、読書を止めることになりました。それまでの暖かさが一変したので、ちょっと驚かされました。でも、歩き出すと、厚手のパーカーだと温い、いや暑いとまで言えるもの、なんか、よく判らない気候。夕方は、もう、風が出始めていて、雨の予感を思わせるもの。天気予報は、確実に当たっています。
 最近、必ず観るYouTube動画のメモ。不定期に出るものではなく、曜日を決めて、原則的に流されているもののメモをしておきます。但し、リアルタイムで観たり、聴いたりするわけではないのです。アーカイブに残っているものを、後で観る&聴くというのが、黄紺的やり方。だって、時間に拘束されるのが嫌なため、そういったやり方を採っています。3本、あります。1つ目は、月曜日に配信される「米朝事務所公式チャンネル」の「㊙ワールドニュース」。米紫と吉の丞のトークショーと言えばいいでしょうか。生で配信されるときもあれば、撮りだめをしたものを流すかは、この2人とプロデューサーの弥太郎のお仕事の関係で決まってきます。生でないときは、米團治社長の検閲が入っているそうですが、生のときはそうではないので、怪しくなるときは、まあないのだけど、1度だけ、年末特別とかで、飲みながら配信したときに、吉の丞がぐずぐずになり、何を言っているのかが判らなくなったのが、危なかったかな。ネタは、同事務所所属の噺家さん+あおば。あおばは、米朝事務所を出て、吉本に行っちゃったけれど、「吉の丞のおもちゃ」であるだけに、よく登場します、話題として。ネタにされる噺家さんは、やはり2人が遊べる若い人たちがほとんど。小鯛、弥壱、二豆が、いじられ3兄弟といったところ。大阪には行かない黄紺の大切な落語界情報になっています。同様の落語界&噺家情報を得られるのが、木曜日に配信される「桂華紋の家」の「桂華紋と桂二葉のかもによラジオ!」。こちらは、「ラジオ」ですから、音声だけの配信。華紋の自宅から2人で配信しています。そもそもは、ラジオ番組を持っていた2人が、その番組が終わったあとも、自分たちで続けているもの。先日、オンライン配信をした落語会も、このYouTubeチャンネルの縁で行われたものです。生活ネタも入るのだけど、わりかし、真摯に、そして、フリー感覚で、落語を語るのが、黄紺のツボになっています。ましてや、腕は、もう認められている2人ですから、余計にツボですね。他の噺家さんの話題も出て来るのが嬉しい。2人の目線で観る噺家さんに、興味津々です。2人がおもしろい、人物的にそう言う九ノ一に、このトークで、関心が行くようになり、調べて行く内に、納得できるようになって行くなんてことも起こりました。3つ目は、何度か書いている、火曜日配信の「無職旅 musyokutabi」の「GeoGuessrライブ」。ゲーム実況動画なんてもの、存在は知っていても、そんなの観るわけないやろと思っていた黄紺の偏見を崩した番組です。GeoGuessrを、じゃ、自分でやればいいじゃんとも思うのだけど、有料と言っても、たいした額じゃないし(一応、調べてあります!)と思いながら、そうしないで、これは、人がしているのを観るのが楽しみなのです。人様がしているのを観て、突っ込みを入れるのが、また、「へぇ~」って感心するのが楽しいことを見つけているからだと思っています。黄紺の全く知らないバルト三国なんかを、ぱっと見で狙いを着ける姿に感心し、フィラデルフィアの位置すら解らない姿を観て、「ひどいよ!」と突っ込むのを楽しんでいるのです。そう言えば、「コローニュ」表記を「ケルン」だと解らなかったときの呆れた感も、楽しかったと、人の思いっきり凄いところとあかんところを同時に観れるのが、おもしろいのでしょうね。
 オペラ配信は、「死の都」、一応、完走です。ですが、かなりの居眠り。大事なところ、例えば、殺しの場面も、記憶が薄い、ましてや、ラストが、意味深ないじりをしてくれていることもあり、もう1度、観るつもりです。そのときに、その詳細を書きます。ロバート・カーセン、いろいろとやってくれてる感、たっぷりですから、生半可で書かない方がいいとの判断です。そのあとに、たまたまYouTubeの動画に、トマス・ハンプソンの歌う「ピエロの歌」を見つけたので聴いてみた。「死の都」2幕に出て来る名曲です。めっちゃ、上手い!! 残念ながら、コミッシュ・オーパーの動画での歌唱は見劣りしちゃいました。最高のものを聴くことの大事さを、つくづくと噛みしめました。


2021年 3月 4日(木)午前 7時 45分

 昨日も、お出かけなしの一日、これで、5日連続となります。最後に出かけたのが、城陽に行ったときだから、あれから、結構な日が経ってしまったような気がします。そんなだから、ちょっとした気候の変化に一喜一憂する程度が、日々の違い。昨日は、晴れたけれど、空気が、とっても冷たかった。三寒四温って、うまいこと言ったなと思います。必ずしも、数字はそのままじゃないけど、「寒」と「温」が、交互にやって来ています。昨日は、どのくらい寒かったかというと、昼前のウォーキングのとき、休憩がてら読書なんてできなかった。ウォーキングをしてきて、身体が温まっているのが、簡単に覚めるほどの冷たさがありました。午前中が、酷かったね。その覚悟で臨んだからでしょうか、夕方のウォーキングでは、気温が上がってきてるとも思えましたから。そういった日に2回のウォーキングだけが、外出時間。完全に巣ごもり生活、です。世間は、緊急事態宣言が明けたというのに、ちょっと変化なさ過ぎです。
 でも、そないななか、トルコも緩和策に踏み出しています。それに歩調を合わせて、データ的には、上昇傾向が看られて来ている。でも、全国81県を、感染の度合いに応じて、4組に分け、それに基づき、緩和策を行うというもの。その前になり、急に県別データなるものが出て来た。それまで、トルコでは、アナトリア西部とかというカテゴリーでしか、地方ごとの情報は出されていなかったのです。しかも、単位人口当たりの感染者数で出してきた。その「単位人口当たり」というのが、今回の緩和策のミソだから、その前に出したという次第。当然、ヒュリエット紙の論説委員セダト・エルギン氏の突っ込みが入った。この人、黄紺と波長が合います。データを、よく読み込んでいる、しかも、政府よいしょじゃないスタンスが、ジャーナリスト根性を見せているから、黄紺も贔屓になっています。またしても、「ご都合に合わせてデータを出してきた」、これですね、これやられると、こないな県別データなんてベーシックな情報が出てないものだから、前との比較ができない、推移を追えない、ご指摘の通りです。しかも、セダト・エルギン氏、もう1つ、大事なデータ分析しています。ここにきて、新たな陽性判明者が増えているのに、新たな発症者は動かない、ついでに、黄紺が補足をすると、新たな死者数もそうだ。黄紺が、日々、認めているメモでは、「ワクチン効果なの?」と書いている点です。この変さも、きっちり見てくれています。少なくとも、分析責任、観測でいいから所見、出して欲しいところです。ここでも、何らのデータいじり、出し方いじりとまでは突っ込まないけれど、変なことは変ですからね。それを、コラム欄に書く、これが、黄紺の贔屓を導きます。「こんなで緩和は大丈夫なの?」と、黄紺が書いてきたことに符合する点です。そういったことと、トルコ関係で言うと、黒海沿岸の異様な高い数字について、説明、分析が欲しいな。変異種と噂されてはいるけれど、変異種は、もう、ここだけじゃないでしょとも思うし、地形で説明するのは、アルトヴィン県やシノップ県で下がることで、説明はできるだろうけれど、、でも、その間で多いことの説明は、それだけでは十分とは言えないと思っています。
 昨日は、このトルコのコロナ情報が多くて、それに振り回されました。緩和策が出ると、それを補足するため、内務省や教育省から、新たな通達が出る、県段階でも対策が出る、分析が出るで、もういっぱい出たため、それを押さえるので時間が取られてしまい、オペラ配信は僅かの時間しか割けない羽目になってしまった日でもありました。でも、「死の都」も2幕に入っています。ブルージュの街というのが元の設定。ですから、1幕の書斎場面を解体、市民を出すことで、舞台上でやっつけてしまいました。ボックス型の枠となる装置が解体され、基本は、何もなしの状態に。ボックスの壁を引いて、その状況を作っていました。マリエッタの一座が現れ、また、有名なアリアを歌ったあとで、あっさりと時間切れ、30分ちょいしか観ることができませんでした。


2021年 3月 3日(水)午前 7時 19分

 昨日も、お出かけなしの日。しかも、朝から雨のうえ、夜中が暖かだったのに、時間が経つにつれ、気温が、どんどんと下がっていきました。これ、たまったものじゃない、今日は暖かだと思い、その気で外出すると、冷たい風が吹いている。雨も、強い降りだったもんね。軒を打つ雨音を聞いただけで、ウォーキングを諦めさせるほどのものがありました。アマゾン屋さんで買ったものを取りに、近所のコンビニに行っただけで、それが、片道5分もしないのだけれど、もう、足元はぐっしょり。ひどい話です。黄紺は、外国から買うDVDは、自宅への配達となりますが、それ以外の買い物で、コンビニ引取りが可能なものはコンビニ引取りにしています。でないと、家のポストに入らない時がややこしくなるので、そうしているのだけれど、それが仇となりました。連絡が来て、すぐに取りに行っておかないと忘れる危険性が、常にあるからです。ちょっと、情けないけど。そこで、午前中のウォーキングの替わりとして、今年初の散髪に。丁度、今週のどこかで行こうと思っていたから、いい機会でしたが、そのために外出すると、また、ぐしょぐしょ。昼ご飯を食べている頃に、雨はあがったかな。でも、寒さはそのまま。夕方のウォーキングは、真冬と同じ環境のなかのもの。冷えがひどいので、トイレに気を付けなきゃと、トイレ確保の容易なコースを選定。いろんなことに気遣いながら、ウォーキングをしています。
 時間に余裕があったので、オペラ配信を、いつもよりか多めに。まずは、「ローエングリン」完走しました。最後の挨拶で、皆さん、お揃いの黒のマスクで登場してましたから、コロナ禍で中止になった公演ですね。ロベルト・アラーニャを招請して、中止は痛いでしょうね、だって、入るの、判ってるからね。ましてや、普段は歌わないワーグナーを歌うだけで、話題性、たっぷりですもの! ここまで2回、観てきているので、慣れがあるからでしょうね、流れからして、黄紺の目には、平易に映ってしまいました。ローエングリンは、自ら正体を明かしますが、その真偽はどうなんだろう、ホントのこと言ってんだろうかと思わせたら、正解なプロダクションじゃないかな。各幕の冒頭に、舞台前のスクリーンに映像が映されるのですが、1、2幕では、現代社会の一コマだったのですが、3幕では、抽象的映像が流れ、よく判らなかったのですが、一瞬、白鳥の姿が過りましたが、意味があるのか、ちょっとしたオブジェなのか、判定がつかないままでした。白鳥が、もう1回出てきます。折鶴のような白鳥を、引き上げるローエングリンは手に持ち、舞台正面背後に歩きます、逆に、エルザの弟が出てきます。すれ違うときに、一瞬、白鳥が、手から手へ移りかけますが、弟は掴まないため、下に落ち、そのままで進行。最後は、弟は、正先に立ち、剣を振り回し幕でした。王位は戻った、そして、ローエングリンが何者かは別にして、勝った何かを残していった、それを受け継いだのか、暴力で守りに行く、ならば、ローエングリンを巡る騒動は、何だったのか、、、、? この「判らない」が大事なのかもしれないなとは、2回目を観たときから感じ出していたことで、昨日もそれだと、やはり、それがポイント? 二項対立が過ぎる物語だという前堤での話ですが。ま、当たっているかどうかは判らないのですが、黄紺的には、一応、整理をつけたつもりになっています。
 余裕があったので、もう1本、オペラ配信に手を付けました。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「死の都」(ロバート・カーセン演出)です。このプロダクション、ベルリンで観たくて観ることができていなかったもの。なんせ、ロバート・カーセンものを、ドイツで観る機会は、決して多くはないですからね。黄紺は、ハンブルクで「トスカ」を観ただけですから、これは、垂涎のプロダクションということで、配信開始を待っていたものです。動画の冒頭、カメラは、ウンター・リンデン通を、ブランデンブルク門方向から走破します。これ、嬉しかったな。当たり前のようにして歩いていたベルリンの風景、もう行けないかと思うと、胸が詰まります。カメラは、急に右旋回、そう、コミッシュ・オーパーの入口は、一筋南に入るのです。カメラは、そのまま劇場内に入り、パルケット席の扉が開くと、一人の小太りのおじさんが、お迎え。インテンダントのバリー・コスキー氏、その人でした。客席は人でいっぱい、この動画は、コロナ禍とは関係なし、1度、配信をされたものを、再配信とコメント欄に出ていました。コロナ禍に合わせて、再配信してくれたのかと、勝手に想像しています。幕が上がると、ペーターが立ち尽くしています。マリーの亡くなったときの光景が現れ、一旦、照明が落ち、現在に戻りますが、ペーターは、自分の歌う番が来るまで、正先で立ち尽くしています、客席に背を向けて。それだけでも、ペーターの悔恨の気持ちが現れています。舞台は、ペーターの家の書斎を、枠組みをしっかりした装置で作っています。この枠組みってのが、このオペラには大事だという、ロバート・カーセンの思惑が透けて見えます。まだ、有名なデュエットまでしか観ていませんが、とっても解りやすい進行です、今のところ。ただ、黄紺的には判らない点が1つ、あります。毎度のことながら、衣装を観て、時代設定を把握できないのです。ベルリンっ子は、判るんだろうなと思うと、ちょっと悔しいね。ペーターの衣装よりか、マリエッタの衣装で判りそうです。ヘアメイクやスカートに特徴を見つけられることは見つけられているのだけど、そこまで。で、便利なネット検索、狙いを付けて、「1920年代 スカート」で検索すると、多くの絵コンテ画像が出てきました。似たスカート、見っけです。何よりも、ヘアスタイルが「短髪」と出ているのは、大きい。そんなで、狙いが当たったようです。このオペラの初演が1920年ということですから、それにも合ってますね。そないなことも考えながらの鑑賞、ええもんに当たっています。


2021年 3月 1日(月)午後 10時 44分

  今日も、お出かけなしの日、こういった日が、1週間続く予定。なんとか、お出かけ先を模索中というところです。とっても暖かな日だったもので、ルーティンにしているウォーキングが、とっても楽しめました。月曜日ということで、いつものように、自然の一番多いコースに出かけたのが、昼前のウォーキング。当然、休憩がてらの読書が、楽しみ。でも、あまりにも陽気がいいものだから、居眠り、発生。気温は、20度くらい、あったみたい。気持ち、良すぎです。こうなると思い、薄着で出かけたのですが、それでも、汗をかいてしまってました。もう3月ですから、そないな日が出てきます。そんな暖かな日でも、家の中にいると冷えるから、厄介。外で、汗をかいて、家の中では空調を動かしていなければならないという、わけの分からない季節です。でも、今日ばかりは、空調を切る時間も、わりかし出てきていました。夕方のウォーキングすら、薄着で出かけても、暖か。まことに、結構なお天気でした。
 オペラ配信の「ローエングリン」が、なかなかおもしろい、これは、既に、昨日、書いていましたが、そのわけとも言えることに気付き出しています。伝統的な演出では、善悪がくっきりと出て来るものです。悪者夫婦に対し、窮地に陥ったエルザを救いに現れるローエングリンという図式で語られるのが常で、それに沿った人物描写が採られていくものです。が、このプロダクションを観ていると、それが混乱してくる。どっちが、善なのか、悪なのかが、判らなくなってくるのです。冒頭を飾る伝令役は道化としてのキャラを与えられているよう。そういったキャラ付けは初めてだったため、それだけで、混乱してしまったのでけど、1幕の終盤では、白塗りにして、余計に、そういったキャラの上塗りをしているかと思うと、2幕で、オルトルートが、一旦は、エルザに取り入りながら寝返る場面では、その白塗りを剥がしだす。剥がしてしまうと、道化的キャラをなくしてしまうかと思うと、それと同時進行で、コーラスの人たちが、今度は白塗りをし出す。わけが判らないと思った瞬間、わけが判りました。二項対立の入れ替わり、曖昧さ、第3者にはそう見える、いや、そう見させるのが目的だと思ったからです。そう思うと、悪者夫婦と書いてしまった、オルトルートとテラムントを悪者として描いているのか、得体の知れないローエングリンを悪者として描こうとしているのかが、判らなくなってしまいました。そうだ、これが、このプロダクションの目指すところではないか、軸を動かし、二項対立をぐらつかせる、反転させる、そういったことを旨としたプロダクションのように思えて来ています。結婚式の場面まで観ての、中間的な感想ですから、残りとなっている終盤を観ると、また、変化が生まれるかもしれません。自分だけではなく、広く感想募集したいなの気になるほど、考えてしまうプロダクションになっています。さすが、カリクスト・ビエート、です。使われている色彩も、気になるんだよね。かなり象徴的な描き方をしているので、細部にわたり、意味を込めていると観てしまってます、恐らく、そう考えて間違っていないだろうとも、思っているところです。ちょっとした軽い気持ちで、「予習」とするつもりなのが、どえらくヘビーなプロダクションに遭遇したものです。


2021年 3月 1日(月)午前 7時 30分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。今のところ、これから、こういった日が続きます。暖かな日でもあり、格好のウォーキング日和。公園で佇み、休憩がてら読書をするのに、いい季節が近づいてきました。いや、昨日ぐらいだったら、もう十分ですね。陽が延びてきていることもあり、夕方のウォーキング途中にも、公園で休憩する余裕が出てきました。昨日は、そういったウォーキングをしていると、思わぬことが起こりました。時間確認のためにスマホを見ると、着信があった旨の表示。音もバイブレーションも切っている黄紺が、生で電話を受けることは、まあ、ないのですが、まだ、6分前だったので、急いでかけ直す。嫌な知らせが続かねばの気持ちを持ちながら、電話の主が出るのを待つ黄紺。昔の同僚にして、オペラ紀行も同道した人からの電話でした。なんてことはありませんでした、「久しぶりに喋ろうと思ったから」に、ホッとしました。実は、1週間後の「ローエングリン」で会うことになっていたため、その待ち合わせとか、「ローエングリン」のYouTube配信↓情報を知らせるメールを、昼間に入れてあったのを受けての電話でした。丁度、近くに空き地があり、また、腰かけるのに手ごろなブロック塀があったので、そないな格好で、しばし談笑。目の前に、寄り道予定だったマートがあったため、そこで立ち止まったわけだったのですが、そんな状態で15分も、喋っちゃいました。久しぶりだったので、近況話。でも、あとから考えると、自分の話ばかりしていました。2年ほど前に、怖い手術をしている相手に、その後の状況すら尋ねなかった不覚を恥じてしまいました。でも、ま、1週間後に再会するので、そのときに、じっくりすることにしましょう。
 そんなお喋りを、ウォーキング途中にして、自宅に戻り、再び、スマホを見ると、今度は、息子から電話が入ってました。着信は2分前、この時間帯なら、ましてや、日曜日なら、今度は予測が立ちました。嫌な予想ではなく。「ⅮがTV電話したがっている」、やはり、そうでした。慌てて、買い物の始末をして、PCを立ち上げ、お喋り、いきなり、Ⅾは、ラーメン屋さんって言ってたかな、どこかのお店でもらった、おもちゃの自動車を突き出してきました。昨日は行った店でもらったものが気に入ったのか、それが見せたかったのが、第一の目標だったみたい。完全に、端から、テンションがマックス。画面を通じて、いろんな顔を見せるのが、Ⅾの定番。大きなテレビ画面に、スマホの画面を映し出すものだから、ⅮばかりかSまでが、カメラの方を向かないで、はしゃいでいるものだから、背中ばかりを見る羽目に。この前、TV電話したときと比べ、Sが、「パパ」の連呼、何やら、言葉らしきものもむにゃむにゃ言っています。堰を切ったように喋り出す直前って感じです。2歳を過ぎても喋らなかったⅮに比べて、かなり早そうです、Sの喋り出しは。2人とも、テンションが上がる一方で、家の中を動き回っていました。丁度、緊急事態宣言解除となり、久しぶりに息子の家に行くことになりました。引っ越しをしてから初めてとなります。こちらは、「ローエングリン」の前日の予定です。
 その「ローエングリン」の予習を兼ね、新たなオペラ配信を観ています。ベルリン国立歌劇場のプロダクション、カリクスト・ビエート演出、タイトルロールをロベルト・アラーニャ、ハインリッヒ王をルネ・パーペが歌うという、スーパーなもの。無観客、人の配置もディスタンスを気にしたようなものになっているので、コロナ禍のため、上演中止になったプロダクションと想像しています。画面に、ドイツのTV局の番組ロゴが入っていますので、TVで放映されたものが、YouTubeで流れているものと考えています。ボックス型の舞台、天井には蛍光灯が並び、床には、事務机と見えるデスクが並んでおり、登場人物は、現代のオフィスで見るような衣装、後方が階段状になっており、そこに、コーラスの人たちが、ディスタンスを取り並んでいる、そのため、人数制限がかかっているので、大合唱の迫力に、若干欠けるきらいはあります。舞台前方右サイドに、古いヨーロッパのエレベーターに使われているケージ状のものが置かれ、エルザは、その中で歌うことが多いですが、その意味を、まだ、掴みかけています。ローエングリンの登場は、背後の階段から、特段、仕掛けがあるわけではなく、白鳥など出るわけがなさそうな雰囲気、全体的に象徴的な動きであり、且つ、無機質な印象を与えます。ローエングリンとテラムントの対決場面では、2人がソファー状の椅子に腰かけ、向かい合うだけ。まるで、売買交渉をする商社マン同士って感じで、にらみ合いのなか、ガクッと崩れるテラムントという感じで、ここまで受けて来たテイストを凝縮するものとなっていましたが、異変が、ここで起こります。無彩色のトーンだった中に、赤色が登場します。背後のコーラスの人たちの幾人かが、シャツを脱ぎ、直接肌に、血のりに見える赤色の染料を塗りたくりました。その場面で、簡単に連想するのは、「受難」「スティグマ」というキリストの物語。その連想が当たりなのかは、まだ、判りません。まだ、1幕しか観ていませんからね。ただ、こういったカリクスト・ビエートの技だけではなく、その技が冴えている上に、音楽作りが素晴らしい緊張を生んでいます。指揮は、マティアス・ピンチャーです。ロベルト・アラーニャは、フレーズの末尾をいじるというか、揺らしたり、声質が陽に過ぎると感じるため、ワグナー歌いじゃないなの雰囲気はたっぷりですが、やはり、声は、抜群にきれいですね。これは痺れるものがあります。そして、醸し出す雰囲気が、年の功でしょうか、やたら、渋い! こないなロベルト・アラーニャって、観たことないって雰囲気なのも、そそられます。そんなで、予習のつもりが、とんでもない見っけものをした雰囲気、たっぷりのプロダクションです。この動画が、日本語字幕で観ることができるという連絡をしたのが、上に書いた電話に繋がったというわけでした。


2021年 2月 28日(日)午前 8時 20分

 昨日は、民博が発信した「みんぱく映像民族誌シアター」というイベントを、オンラインで観た日。今年で3回目になるそうですが、毎年、シアターセヴンを会場にして行われていたイベントですが、コロナ禍で、オンライン発信となっています。今年は、気づくのが遅く、これで2回目の参加となりました。毎回、民博製作オリジナルDVD「みんぱく映像民族誌」シリーズから1巻をチョイスして、その中から幾つかの映像を流し、後半に、その映像制作に関わった研究者らを招き、司会担当の福岡正太(国立民族学博物館教授)さんとのトークを流していただけます。進行は、生で行われるときと同じなのですが、昨日の場合は、トークに参加された寺田吉孝(国立民族学博物館名誉教授)は、福岡さんの傍らにおられましたが、もう1人の福富友子(東京外国語大学非常勤講師)さんは、Zoomを使い、オンラインで参加。モニターに映る姿と、会場にいる2人がトークをするという、この時期ならではの光景となりましたが、これも、アフター・コロナで使える方式ですよね。昨日のテーマは、「カンボジア クメール人の伝統芸能」。見せていただけた映像は、次の3本でした。①カンボジアの影絵芝居の師②スバエク・トーイ/カンボジアの小型影絵芝居③ラカオン・カオル/カンボジアの仮面劇。①の影絵芝居は「スバエク・トム」と呼ばれているもの、そこで「師」として出て来られたティー・チアンさんは、ポル・ポト時代で、伝承が途絶えていた影絵芝居の復活に努力した一座の長老という方。ポル・ポト時代で、こういった芸術・文化に携った人の9割が亡くなったそうで、生き残った、それは、住んでいた地域により、生死の運命が分かれたようなお話が出ていましたが、その行き残りのお一人で、途絶えてしまっていた、この影絵芝居を「復活」された功労者だそうです。この方のもとに寄宿して、スバエク・トムを学ばれたのが、福富さんだということです。元来は、クメール語のスペシャリストの方だそうです。①は、ラーマヤナ系の物語だけを演じる芝居、③もラーマ王子に関わる猿たちの活躍する物語ですから、やはり、アンコールワットにしてもそうですが、ヒンドゥー文化に、この地があったことを示してくれています。ただ、やはり、インドから離れ、土着化することで、地域ごとの変異が、物語に生まれると言っておられました。司会の福岡さんのフィールドがインドネシアですから、イスラーム以前は、そちらもヒンドゥーの影響下にあった土地ですから、そういったお話の専門家であることから、トークははずんだのですが、ラーマヤナに出て来る登場人物なり、猿なりのお話になると、さすがついていけませんね。おまけに、トークの部分では、かなり居眠りをしていたこととも関係があるかもしれません。①は大型影絵、②は小型影絵、これは明らかですが、②で取り扱うのは、身近な物語だったり、エイズに関わるキャンペーンを、影絵でアピールしたりと、自在なもの、おまけに、台詞は、決まったものはあっても、アドリブOKというものだから、庶民的な色彩が濃いもののようです。②の映像では、子どもたちにも、この芝居に関わることも行われており、後継者作りもばっちりのようでした。①も②も、影絵用の人形だけではなく、それを操作する人たちも影絵に映し、それも物語に関与するという特徴を持っているのが、おもしろいですね。③は、仮面に衣装、その色彩を見て、思わず、中国の京劇を連想してしまいました。動きも、かなり様式化されていましたから、正に京劇や歌舞伎を連想させるもの。格式を感じてしまったのですが、そないなことも含めて、③の芸能としての成り立ちや背景のお話など、居眠りのため、一切、記憶にないのが惜しい話です。そんなで、不十分なことでしたが、今年度の、このイベントは、これでおしまい、です。この1年は、大好きな民博にも足を運べませんでしたから、せめてものお楽しみがこれでしたね。
 昨日は、実は、訃報が入った日でもありました。幼稚園から高校まで一緒だった友人の訃報です。1月4日に電話で喋り、もう1人の友人も交えて、オンラインお喋り会で再会する約束だったのですが、連絡がないため、黄紺は怖くなり、連絡できないままでした。毎日のように、連絡をしようかと思いながら、ビビッてしまい、躊躇い続けていた結果が、これでした。あとで後悔しても遅くなるかもと言い聞かせても、できませんでした。黄紺は、胆嚢切除の手術を、8年前だったかに受けたとき、最初は胆嚢ガンの見立てを受けました。大きな病院を紹介され行ったところ、そうではなかったのですが、その間、今は、ネット上で、簡単に情報を得られますから、胆嚢ガンについて調べると、このガン、足が早いことが終わり、完全に「終わった」感を持ちました。そこから、精密検査を受けるまでの間、何日もありましたが、自分も驚くほど冷静でした、その冷静さが不思議なほどのものでした。息子に連絡するときも、淡々と事実を伝えることができたのですが、人のことになると、まるでダメです。ビビります。ましてや、ここ数年、人との交流が激減していることも禍となり、とっても人とお喋りをしたりするのが億劫になっているのが、輪をかけるのでしょうね、ダメですね。亡くなった友人も、1年前には、自分の病気すら知らなかったのが、1年後はこうなってしまいました。なんとも言えない、ですね。そんなだからでしょうか、昨日は、こっそりと、DとSの名前ばかりを呼んでしまってました。


2021年 2月 27日(土)午前 7時 5分

 昨日は、文化パルク城陽のプラネタリウムのスペースを使った浪曲の会へ行ってまいりました。今や、浪曲を聴ける唯一の機会です。それは、「京山幸乃浪曲の会」です。まだ、入門して3年目の浪曲師に目を着け、会を開いてくれています。笑福亭喬介と言い、ディープな演芸ファンが、この会館の企画をされている方の中におられるようです。4月以降も、隔月で、この会が続いて行くそうです。入門間もないということで、ネタ数も多くないなか、1本は必ず、新ネタ披露で臨んでいくと、ご本人は言われていました。これだけの年季で、会を継続的に開いてもらえるからには、それに応えていってもらいたいですね。実際、上方の若い浪曲師さんは、入ったときから上手いですから、目に付くと言えば、目に付きます。パンフレットに入門時のことを、幸乃さん自身が書いていましたが、入門志願したところ、まずは、素人さんの教室に通うことを求められ、そこで、プロにしていいかを見極められたようです。これならと思え、本人にプロになりたい意志のある人を、幸枝若師は許可されているようですね。そう言えば、幸太くんも、教室育ちだということを、以前に聞いたことがあります。で、昨日は、いつものように一風亭初月さんの三味線で、「稲川出世の相撲」「寛永三馬術~大井川の乗り切り~」の2つのネタが披露され、前者がネタ下ろしでした。「稲川」は、東京の噺家さんが書かれた台本に、自ら節を付けたものと言われていました。噺家さんというのは、誰なんでしょうか、気になります。「稲川」は落語にもありますが、いかにもという釈ネタ。南麟さんがやられるんでしたっけ、他には、ちょっと思い浮かばないんで、そうだと思いますが、講談では聴いています。昨日の浪曲の筋立ても、ちょっと頼りないものだったのですが、あまりいい印象が残ってないネタ。上方から江戸相撲へ進出した稲川の贔屓筋が生まれて行く物語なんだけど、稲川の人柄を試すため、旦那となる男が、乞食姿で現れ、稲川の心証を試すというのが、好かんのです。ええとこ取りをするのが、浪曲の常ですから、印象に残る、その場面をクローズアップ、だから、余計に嫌になる。人から勧められたからと言って、しなくてもいいのに、節まで付けてと、ちょっとボヤキが出てしまいました。それに反し、「大井川の乗り切り」は、浪曲の傑作中の傑作。間垣平九郎と度々平の主従2人が、大雨で止めが出ている大井川を、人助けのために渡ろうというもの、その過程で、度々平の正体がバレてしまうという挿話も入る、筋立ても抜群、2人のキャラを、他のネタで知っていると、面白さが倍増必至のネタです。乗り切りの場面になると、迫力が凄いですね。そこに、幸枝若節のまぜっかえしが入るから、溜まりません。幸乃さん、このネタが、最初の1本だと言われていたのには、度肝を抜きました。いいもの聴かせていただけました。この会の名物かどうか判りませんが、黄紺は、すくなくとも楽しみにしているのですが、2本のネタの合間に、プラネタリウム・サービスが入ります。その時々の星、星座を、紹介していただけるのです。毎回、これを見せていただけると、いつか、DとSにも見せてやりたいと思ってしまうのです。Ⅾは、もう解ると思うので、まず、Ⅾからかな。わぁわぁ言いながら楽しむだろうⅮの姿が思い浮かびます。
 昨日は、午前中は雨だったのですが、この城陽行きの時間帯になると、ほぼ止んでいました。結構、寒かったので、フードを使うだろうからと傘は持たないでのお出かけ、それで正解でした。会が終わっても、まだ、天気はあやしいところがあったのですが、フードを被れば、問題なしということで、この会への往復を、昨日のウォーキングに充てました。往きと帰りの電車を変え、帰りは、時間に余裕があるということで、自宅の最寄り駅から1つ手前の駅で降りるというのは、城陽行きの定番となっています。しかし、昨日は、そないな呑気な時間もあったのだけど、トルコのコロナ情報を押さえるのに、めっちゃ窮屈な一日。とっても多くの、しかも、大事な情報が出されたからでした。緩和策が進められようとしている一方、黒海沿岸地域の異様な感染者増、学校再開も動き出している、野党からワクチン調達に疑念が出されたり、そのワクチン接種が学校関係者に始まったりと、様々な情報が溢れかえったからでした。通常、朝に押さえるべき情報を、城陽行きがあったものだから、夜にも回して、なんとか乗り切るというものでした。


2021年 2月 26日(金)午前 7時 56分

 昨日は、夜に、オンライン配信される落語会を、生で視聴する予定にしていた日。当初は、連日で、京都シネマへ映画を観に行こうかとも考えていたのですが、2~3日前に、この落語会の開催があることを知り、あっさりと変更してありました。ただ、夜に、1時間半の空きを作らねばならないということで、日ごろの生活のリズムを変えねばならないのが、なかなか厄介。昼間に出かけるときのパターンはあるのだけど、夜は、ほぼ出かけてないので、慣れてないので厄介なのです。そこで、午後までは、いつものお出かけなしの日と同じで、夕方のウォーキングを、いつもより1時間早めに出かけ、自宅に戻ると、トルコのサッカーとコロナ情報の収集としました。このサッカー情報収集は、夕方だったら、そんなに時間を気にしなくていいのだけど、コロナ情報は、日本時間で、せめて午後6時を過ぎてからにしたいのです。これが、遅すぎると眠たくなりスルーする危険があるので、落語会が終わってからはしたくない、でも、前にすると、早すぎるということが起こる。トルコ時間で、その日の午前中の出来事を押さえたいということで、毎日、時間を考えて設定しているのに障りが出ることが嫌なのです。しかも、情報収集が、落語会で途切れて、2回に分割してもやりたくないから、気が入ってしまう。でも、幸い、うまくいきました。落語会開始前に、収集を終えることができ、サッカー情報も把握、思いがけなく、思い通り行きました。ですから、通常通りのウォーキングもでき~ので、いたって満足。ただ、ウォーキングでは、まだ、踵が気になります。違和感を感じると、踵を上げての歩行、なければ、踵を下ろす、こないなことをしながらのウォーキングだから、少し、時間的にはセーヴ気味のものとなりました。
 まず、午後のオペラ配信から。エクサンプロヴァンスの「ドンジョバンニ」完走です。前に、少々居眠りをした、ドンジョバンニが、ドンナ・エルヴィラの侍女を誘惑するところから観ることに。ですから、ほぼ2幕を通して観たことになります。レポレッロ以外の従者も出し、それに幕を持たせたり、ドンジョバンニとシンクロする動きを見せたりと、とっても細かな芸を加えながら、進行の具合は、ここまでと同じテイスト。ツェルリーナを、かなり手だれた女に描き、ドンナ・エルヴィラには思いつめた感を強めたり、各々のキャラには、しっかりと統一性がある。これは、演出家の腕ですね。いよいよ、ラスト。地獄落ちの場面、舞台中央に立つドンジョバンニ、サスが、ドンジョバンニを捉えます。周りに、関係者が立っていますが、その後の大団円に至る場面がおもしろかった。ですから、オリジナル版です。ずっと、サスの照明を受け立ち尽くすドンジョバンニ、周りをうろつく関係者、でも、誰も、ドンジョバンニに気付かない。2度、ドンジョバンニが、身体を、向かって右に動かすと、全員が、それに合わせて右に動く、が、ドンジョバンニの傍らを通る関係者は、ドンジョバンニの存在には気が付かない。それに気づいたドンジョバンニが、飛び跳ねるところで幕となりました。関係者の中には、記憶としてのドンジョバンニはあっても、現実のものではなくなっているという姿を出したわけですから、これも、一種の、「Excommunication」と看ました。ROHのプロダクションでは、ドンジョバンニを、幕外に追い出し、幕の背後で合唱の声が響くという形で、「Excommunication」での「地獄落ち」を表していましたが、このプロダクションは、「記憶」まで盛り込んだものとなっていました。これは、また、新たな「ドンジョバンニ」での成果じゃないかな。なお、「Excommunication」は、「Ex」+「Communication」ということですね。
 オンライン配信された落語会は、「かもによラジオスペシャル 華紋・二葉ふたり会」というもの。千鳥亭からの生配信でした。華紋と二葉は、2人で、かつて、梅田のスタジオからラジオのパーソナリティーとして出演していた経験を持ちます。その番組が終わったあと、この2人で、YouTubeを使い、ほぼ週1のペースで、「かもによラジオ」という音だけでのトーク番組を流しているという縁で、毎年、年に1回、動楽亭で落語会を開いてきていました。ところが、昨今のコロナ禍で、今年は、生落語会ではなく、オンライン配信でやっちゃおうという試みだったのです。毎週、YouTube配信を聴いていて、「オンライン配信の落語会をする」と言っていたのですが、先週の配信では、具体的な告知ができず、つい2~3日前に、お互いのTwitterで告知があり、冒頭で書いたように、急遽、変更したというわけです。普段のYouTube配信は、華紋の自宅から行っているのですが、落語をするということで、また、カメラ等の機材が揃っているということで、千鳥亭が選ばれました。前後2回のトークがメーンで、間に、2人の落語を挟むというもの。この実力者2人の落語を、配信で聴けるという美味しさ、そして、トークのおもしろさ、この2つが合わさる、めっちゃ嬉しい企画となりました。トークの内容は、配信を視聴したものの特権で書くわけにはいかないのですが、落語は、華紋が「色事根問」、二葉が「ガマの油」でした。華紋の「色事根問」は、何度か聴いているので、それはいいとして。二葉の「ガマの油」は狙いのネタ。この間、ネタにしたと聴いていたため、もちろん、黄紺は遭遇経験がなかったもので、垂涎のネタだったのです。このネタ、短いけど、めっちゃ難しいネタですよね。上方には、「ガマの油」と言えば、雀々、坊枝という2大巨頭がいるけれど、どっちからかもらったのかな、それとも、それ以外の噺家さんからかのかなと思いながら聴いていたのですが、黄紺の耳と目には、坊枝からもらったのかなと思えました。二葉の「上燗屋」を、初めて聴く前に感じ、聴いたあとに感じたことと、全く同じ感想を持ちました。前が「こないな特徴のあるネタ、大丈夫かな」、後が「なかなかやるやん」、です。前半のどこかで、ちょっとだけ、テンションを下げる箇所が入ればいいのにとは思ったけれど、後半のぐずぐず、なかなかやってくれる感が残りました。やっぱ、腕がありますね。この2人のトークだけど、いつものYouTubeでの配信でもそうですが、真摯に落語を語るのがいいんだなぁ。34歳の華紋と、35歳の二葉が、真摯に、お遊びを入れながら落語を語る、これが気に入っているからこそ、こういった配信も観てしまっています。


2021年 2月 24日(水)午後 10時 30分

 今日は、京都シネマへ映画を観に行った日。イギリス映画「アーニャは、きっと来る」を観てきました。第2次世界大戦で、ナチスの追撃を受けるフランスのユダヤ人、及び、それを助け、隣国スペインに逃そうとする村の人たちの物語です。題名のアーニャは、田舎での生活より、都会の方が、人ごみに紛れて安全との判断で、父親に連れられパリに行ったけれど、パリは、早々にドイツ軍に占領されてしまうため、思惑が外れ、囚われ収容者送りになるところ、父親の機転で、人に託されたユダヤ人の少女の名前。舞台は、スペイン国境に近いピレネー山中の村。そこに、父親の母親が住んでいる。そこで、はぐれた場合、落ち合うことになっていたので、その父親は、母親のもとに身を寄せている。ただ、待っているだけではなく、ナチスの追撃を受けるユダヤ人の子どもを、スペインに逃す活動もしている。その男と、偶然知り合った、羊飼いの少年が主人公。男と知り合い、その秘密も知った少年は、その男の魅力に惹かれるとともに、その男の家に食糧を運ぶ仕事を引き受ける。一方で、この村にも、国境警備ということで、ナチスがやって来る。柔和な態度で接してくるナチス、でも、いつ暴力的な行動を執るか判らない危うさがあるなかで、一人の佐官と知り合う少年。ドイツ人佐官は、こういった描き方が、ドイツ映画にはないように見えるのだけど、これはイギリス映画、その佐官は、己の行動に悩みながらの言動をとっている。これは、心底からのもの。そうしたドイツ軍が、長期に渡り駐留しているものだから、子どもたちの逃亡を助ける仕事が滞り、子どもが増えるものだから、危険が高まっていく。そこで、夏の移牧行事を手掛かりに、子どもたちの移送が図られる。ピレネーの山を上へと上がっていく羊の群れ、これは壮観です。うまく行くかに見えて、突発事項が発生します。そこから、物語の終盤に入って行きます。物語は、終戦後1年まで描かれますが、題名に使われている「アーニャ」の登場は、冒頭とラストだけというもの。原題は、「きっと来る」ではなく、「Waiting for Anya」です、正に、アーニャが来るのを待ちながらの物語です。主人公は、少年により代表されるフランスの村人。実話に基づくとなっています。クレジットで出てましたが、実際、7500人ものユダヤ人が、こういった普通の人たちにより、スペインに逃れることができたそうです。そういった事実を教えてもらっただけで、この映画を観た値打ちがありましたが、映画に映るピレネーの山間の村の風景が、頗る付きで素晴らしいものがあります。別にディするつもりはないですが、テイストは、古い文部省選定映画を観ている感がたっぷりで、最近の文科省のお墨好きとは違うなの映画です。ど真ん中直球過ぎて、面食らうほど、真っ当な映画です。だから、黄紺的には、実録ものとは思ってもしまってませんでした。
 映画は、午後0時25分上映開始という昼間のこと。映画が終わっても、かなりの余裕があるということで、映画への往復を、今日のウォーキングに当てました。先日のときと同じく、映画館最寄り駅の2つ先の駅まで歩き、自宅最寄り駅の2つ手前で降り、且つ、お酒の安いマート経由をして帰ろうというもの。2回に分かれてはいますが、その間隔がごく短いもののため、一挙に長時間歩いた感は、足が、一番感じ取ってたみたい。自宅まで、あと20分くらいのところで、治ったと思っていた左足踵が、悲鳴を上げてしまいました。歩いて歩けないほどひどいものではなかったのですが、自重が肝心と、またぞろ、踵を上げてのウォーキング。今日よりか、明日の方が心配。筋肉痛で、歩き出しが大変なんだから。そんなで、自宅に戻ったのは、さほど遅いものではなかったのですが、再度、外に出てウォーキングを足す気にはなれませんでした。やっぱ、「痛み」という、とっても解りやすい形で、異常を教えてもらっているので、すんなりと、その指示に従おうと、あとは、自宅に巣ごもり。おかげで、いつになく早めの夕食。YouTubeまで、食事前に観る余裕でした。


2021年 2月 24日(水)午前 7時 10分

 昨日は、久しぶりに、何もなしの一日。ですから、ルーティンにしているウォーキングだけが、お出かけ。買い物も、全て、この時間に済ませてしまうものだから、完全に巣ごもり生活。一昨日と違い、気温が、ぐんと下がったので、丁度、いいのかもしれません。昼前のウォーキング時に、公園を通ると、やたら人が多い。しかも、若いお父さんらが、子どもと遊んでいる。それを見て、昨日が祝日だと知りました。そうなんだ、天皇誕生日が変わったんだということを、同時に思い出しました。昼前のウォーキングは、こうした発見があったけれど、夕方は、何の変哲もない、いつものウォーキング。淡々と時間は過ぎて行きました。
 この間、書き忘れていたことが、一つあります。いつも行く、安物系のマートで、ヘルワが売られていたのです。我が目を疑いました、正直。段ボールに入った、タッパ入りのヘルワ。タッパ入りっていうのは、トルコのマートに行っても見かけるもの。そのタッパと同じ容器、でも、上に貼り付けられているものには、間違いなく、日本語で書かれていました。だから、黄紺の行ったマートでは、この時期だけ、売っているのでしょうね、他の時期には見かけたことがないですからね、でも、日本語の商品ラベルが付いているということは、日本の物流システムに乗っかっているということですよね。日持ちがするものなので、また、子どもも食べやすいものなので、戸棚にしまっておきます。そして、DとSに会うときに持って行くことを考えています。「トルコのお菓子やでぇ」と言っても、Dですら、まだ、解らないかもしれないけれど、食べさせたくなっています。そのヘルワのあったマート、以前には、スペインものだったっけ、ビスケットが売ってあったので、買ったこともあります。段ボール箱に入れて置くという安物系マートだから、その段ボールに入っている数量がさばければ、もう、店頭には、いつ現れるか判らないという経験を、そのビスケットでしているので、ヘルワの場合、速攻で買ってしまいました。そうそう、今読んでる英語の歴史の本で知ったのですが、「ビスケット」という言い方と「クッキー」という言い方、確か、後者がフランス語系英語だったと思います。英語の中に、フランス語が多く含まれているということは、知られた話ですが、具体的な単語で、こないなものが出てきたのは、初めてでした。フランス語系英語は、高位の貴族の言葉から広まっていく、それはそうでしょうね、でも、そこで停まっていた黄紺の頭、その先があります、だから、政治や法律用語に、フランス語が、たくさん入っているんだって! 「へぇ~」でした。
 巣ごもりの楽しみは、オペラ配信。「ヘリアーネの奇蹟」は、予想通り、続きを観ることができませんでした。短い配信期間なもので、この間のシンポジウム参加で、あえなくタイムアップとなってしまったので、元に戻りました。エクサンプロヴァンスの「ドンジョバンニ」です。舞台に、一段と高く敷かれた敷舞台、その上と、その周囲をほぼ待機場所としながらも、時として芝居に噛んで来るという進行。装置としてもあるように見える数多の吊り下げられた電球、吊るしで降りて来る幕、横断するかと思うと、畳一畳分くらいの幕も降りて来ることもあり~ので、なかなかオシャレ感が出ています。そんな舞台ですから、とにかく芝居です。オペラ配信を観始めた頃、クリスツォフ・ワリコフスキのプロダクションを2つ観ましたが、似たテイストですね。舞台の構成が。芝居をさせるという点で言えば、ご存知、ロイのプロダクションを想起させます。歌手の役者ぶりが半端じゃないのは、DVDで観た、同じエクサンプロヴァンスのパトリック・シェローものの「死者の家から」を思い出させます。そのDVDで観るカメラ・アングルと似た印象を持ってしまってます。同じスタッフかもしれませんね。芝居は、主たる歌手ばかりか、コーラスの人たち、1人1人まで、見事に徹底されています。それを、細かくカメラが追うというものなものだから、とっても見ごたえがあります。イザベル・レオナードに導かれ、ピックアップしてみたら、とんでもない大きな魚を釣り上げた気分になっています。あと、後半2/3くらいを残すところまで、昨日の段階では、観ることができています。


2021年 2月 23日(火)午前 7時 30分

 昨日は、一連の講演会&シンポジウムの最終日。昨日は、オンラインでのシンポジウムに参加しました。そのシンポジウムは、大阪府と地方独立行政法人大阪府立環境農林水産総合研究所の主催で行われた、題して「おおさか気候変動適応センター成果発表/どうなんの?どうしたらエエの?気候変動適応~環農水研シンポジウム~」という、いかにも大阪らしさを出したもの。この「大阪らしさ」を出しているのが、1つのポイントですね。気候変動という焦眉の環境問題に対し、環境省の音頭のもと、各地方自治体は、各々、地元に応じた対策を執っています。現在進行形の、「今が最後のチャンス」的な物言いがされます、この問題は。それを、講演会やら、シンポジウムなど、様々な形で、動向やら成果を示し、広報活動が、各地で展開されています。その大阪ヴァージョンを示すというものですから、「大阪」を出すという手を使っていると言えばいいのでしょうね。実は、こういった方向で進んでいるということを、黄紺も、京エコロジーセンターのイベントに参加することで知りました。当初は、京都の場合、環境問題では知られた京都会議があるので、こういった組織があり、また、広報活動をしているのかと思っていたという浅はかさだったというか、無知だったのですが、そんな呑気な時代ではないということを、京エコロジーセンターのイベントで理解し、そこで知った「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」のHPを覗いてみると、あるわあるわ、それこそ、各地で、「適応」について様々な取り組みが行われ、広報の一環として、このような講演会&シンポジウムが行われていることを知った次第です。先日の、関東圏を対象にした講演会も、実は、そういった過程で知ったもの。黄紺のスケジュールに合わせて、もう1つ選んであったのが、昨日のシンポジウムでした。大阪ですから、関東圏とともに、黄紺的には地の利があり、上手い具合に解りやすいかなという点もありました。シンポジウムの流れは、主催者の環農水研の研究者の皆さんが、「農業」「水産業」「自然生態系」の3つのセクションにおける、実践的取組の報告に重ねて、国立環境研究所気候変動適応センター気候変動影響観測・監視研究室室長の西廣淳さんと、大阪府立大学大学院生命環境科学研究科教授の平井規央さんが、コメンテーターとして加われるというもので、最後に、オンラインでの参加者からの質問に答えるというコーナーが設けられていました。正直言って、解らなかったのでしょうね、その重みが、最初は、ぶどうの換気装置や、環境制御システムを使った水なすの栽培辺りは、ローカル色が強くて、「適応」の具体策の報告となると、こういったお話になっちゃうのかなという、冷めた感じで聴き始めた黄紺に、余計に解らなくなっていったのは、水産業で、魚の名前が出て来たとき。魚、よう知らんのです。ワカメの養殖と言われても、その内実を聴いても解らんのです。生態系のところでは、暑熱対策をお話をされたのですが、今度は、逆に解ってるよと突っ込む始末。そのコメントをされた平井さんの昆虫話は、全くが付く解らなさ、昆虫も知らんのです。各地の対応策となると、地場産業とならなくとも、その土地土地のディテ-ルを知る、その素地としての魚、昆虫、植物、これ、解ってないと、馴染めないお話のオンパレードとなることを知りました。しかし、西廣さんのコメントを聴き、平井さんの補足話を聴き、更に、最後のQ&Aを聴いている内に、そういった具体的な適応策から、一般化できていない自分の能力のなさ、イマジネーションを膨らませるということができていない自分の能力のなさを思い知らされました。例えば、こないなQが入りました。冒頭のぶどうの換気装置は、太陽光の有効活用、それの利便性を高めるという趣旨で、環農水研の研究者のサポートで実用化されたものなのですが、Qとして入ったのは、「その動力源は? 太陽光発電の使用は?」というもので、「然り」というものですね。いくら「適応」策として優れものでも、新たなマイナス面も併せて持っていると、値打ちは落ちます。こういったイマジネーション、自分には欠けています。となると、昆虫の話も、魚の話も、気候変動とリンクしてみると、一般化できるわけですね。稲に被害をもたらすなんちゃら虫、それが、昨年、大量発生したそうです。そのために、大阪では、米の収穫量が落ちたそうです。虫の発生は、去年の7月末の長雨で予測していたと、平井さんは言われていました。ここに気候変動とのリンクがあります。それを知らなかった農家は、被害を少なくするために、通常より1週間、刈り取りを早めたそうです。しかし、それは、もう1つの面で収穫減を呼んでいます。それをも加えて、プラスマイナスをしての早めの刈り入れだったそうです。もう1つの要因というのは、これも、環農水研の開発による暑さに強い米の品種「にこまる」が「晩稲」だったからだということです。1週間先が、最高の収穫量を確保できるときだったのを、1週間早めたために起こる減量との睨めっこだったというわけです。奥が深い、環境問題、気候変動、適応策というのは! 品種改良には、原種の確保が大事だということは、これは、さすが、黄紺も知っていた。西廣さんは、ジャガイモの原種のあるペルーでの取り組みを紹介されていました。ジャガイモの原種の画像が新鮮でした。ジャガイモって、いろんな色のものがあるのですね。昆虫の繁殖と植生のお話もおもしろかったなと、結局、知らない昆虫にも関心を持って行った黄紺なのですが、パンジーを植えることで、なんちゃら虫が増えたとか、台湾になかったソテツが、台湾に植えられるようになってから、なんちゃら虫が、台湾で発生するようになり、それがために、なんちゃら虫が、島伝いに日本にまでやって来たとか、もう、最後は、おもしろくって! いい勉強、させていただけました。
 踵の痛みが、僅か2日でなくなりました。これには、びっくりです。ですから、怖ものながら、昼前のウォーキングから、普通の歩行でウォーキングを敢行。でも、最後の15分くらいは、軽く踵に痛みが出て来るものだから、踵を上げての歩行。これを2日、続けていたため、足の先が、今度は痛む。人間の身体って、ホントに、バランスが崩れると、次から次へと新たな困ったことが起きるものですね。夕方のウォーキングも、最後の15分くらいは、やはり軽く痛んだので、気を緩めてはいけないということですね。左の歩行が、普段から癖のあるものだから、踵を上げて歩くと、右足以上に負担がかかるみたい。前に踵を傷めたときは、こんなことなかったなぁと思い、初めて、足が逆だったことに思い至りました。


2021年 2月 22日(月)午前 7時 38分

 昨日は、長時間に渡るオンライン・シンポジウムに参加した日。こういった4日連続のシリーズの3日目となりました。なんせ、午後1時半開始、終了が、午後5時半過ぎという長丁場。1日の動きを、完全に、この時間帯に合わせて組んだ日となりました。そのシンポジウムというのは、京都大学こころの未来研究センター主催の「第5回京都こころ会議シンポジウム“こころとコロナ危機”」というもの。そのプログラムは、次のようなものでした。「開会の言葉」(河合俊雄/京都大学こころの未来研究センター長)「講演①“Withコロナ時代の見取り図”」(山本太郎/長崎大学熱帯医学研究所 教授)「講演②“仏教のこころ観から考えるコロナ危機”」(熊谷誠慈/京都大学こころの未来研究センター 准教授)「講演③“コロナ危機と心理療法”」(田中康裕/京都大学大学院教育学研究科 教授)「総合討論」(山本太郎、熊谷誠慈、田中康裕、河合俊雄)「閉会の言葉」(時任宣博/京都大学研究、評価、産官学連携担当理事・副学長)。京大関連の、こうしたイベントは、メールで連絡をいただけるようにしているので、それで連絡をいただいたので知ったもののはずです。コロナをテーマにした、こうしたイベントは、阪大も行いました。うまい具合に、両方とも、オンラインで眺めることができました。阪大のそれは、医学的観点からの講演で、特別なタームが並び根を上げたのに対し、行政の取り組み、国も府もを取り上げたのが、好ポイントだった記憶があります。それに対し、京大のものは、「こころ」を切り口にしたため、行政は絡ませないスタンス、替わりに宗教、心理学の専門家が加わりました。また、医学のプロの方が、疫学的視点を重視、更に、医療史、疫学史に特化したお話をしていただけたため、まるで社会史の講演を聴いているようで、頗る付きの興味をそそられるお話になりました。実は、心理学の専門家は、阪大のシンポジウムでも出て来られていたのですが、こちらは、集団心理学の立場から専門家会議に参加され、行政に関わられた方で、とっても実践的なお話だったのが、強く印象に残っているのですが、京大のシンポジウムに参加された田中さんは、ユング派心理学の専門家。しかも、お話が、一部、コロナ禍でクライアントに応対され、その目立った傾向というお話もされましたが、お話の大半が、ユング派心理学の成立、根幹、変化のお話。ユング派の分析が近代主義を反映したものを肯定的に、それを実践で活かすお話を、ここで聴くとは思いませんでした。それは、どこか、別の場所で聴けばおもしろいのでしょうが、なんか、ミスマッチ的チョイス。②の熊谷さんの仏教からの視点とは、意表を突くチョイスだったのですが、冒頭で、仏教の「因縁」「縁」というタームを使い、コロナ禍の分析手段として、仏教的論理をかざすような入り方で、なんか、つまらなく思ってしまった途端、ダウン。完落ちとなり、結局、冒頭の判断、恐らく浅はかなものだったろうと思うのですが、それすら確かめることができませんでした。おもしろかったのは、また、そういった書き方をしますが、①は、近来稀に見るおもしろいもの。人間の立場から「ウイルスとの戦い」「戦争」という言辞が使われることが多かったけれど、実は、人と野生動物の近接が始まった時期、それは、農耕牧畜が始まった時期になるわけですが、そこから、人は、野生動物から多くのウイルスを受けてきて、人の身体の中には、多くのウイルスが棲んでおり、ウイルスと共生しながら生きてきており、それにより人の体調が潤沢に動いてきているもの。それを、近来、特に抗生物質の治療への使用により、共生のバランスが崩れ出し、ウイルスが生き残りのために変異を見せるようになってきている。そもそも、遺伝子の構造で、ウイルスは変容しやすいものだからということだそうです。「(ウイルスは)宿主との敵対をめざしていない」ものとの認識を言われていました。翻ってみてと、人とウイルスの関係が、歴史を動かしている、また、人の都合で使われた言辞も、ウイルス絡みで読み解くことができるというお話は、最高にそそられたお話。第1次大戦期間中にスペイン風邪が流行り、大戦を終息方向に導いたという話は、最近、よく語られていますが、なぜ、あの大戦で、スペイン風邪が流行ったかという話は、初耳でした。スペイン風邪がアメリカ発だった、ということは、アメリカの参戦が、ウイルスのヨーロッパへの伝播になったということだった。コロンブスの新大陸発見で、ヨーロッパから多くのウイルスが入り、それに感染したアメリカ大陸の土着の人が、多く亡くなった。それを、ヨーロッパ人は、キリスト教の勝利、キリスト教の神に守られている自分たちは、発病しないが、キリスト教を知らない連中は発病したと説いて行った。そもそも、アメリカ大陸には、それだけ、ウイルスが少なかった。グレートジャーニーで、ベーリング海峡を越えた人たちは、農耕以前なわけですから、ウイルスを、元々、後のヨーロッパ人のように多く持っていなかったところへ、ベーリング海峡を越えるのに、地球の温度で越えにくい状態にあり、そこで停め置かれ、その間に、人の持っていたウイルスがリセットされてしまい、更に少ない状態でアメリカ大陸を南下したようだ。そういったアメリカ大陸へ、ウイルスまみれのコロンブス一行が現れたというわけだったということでした。ウイルスが、人の歴史を変えて来た。今も、ワクチン格差が言われています、その間隙を縫い、ワクチン外交を中国が進めていると言う人がいます。「斃すべき相手はいない、守るべきものはある」と言われていました。ウイルスというのは、折り合いをつけて行く相手との考え方、即ち「共生」という言葉が出てきていました。こういった、ウイルス認識の「物語」と、一方に厳然とある「小さな物語(大好きな祖母が感染した)」の折り合いを、どのようにつけるかというのが、「With コロナ」の本質だというお話でした。
 タイトな一日、昼前のウォーキングは、時間限定のミニウォーキングで済ませるしか手はなく、でも、踵が痛むので、今の自分には程よいものかと納得させながらのものに。夕方は、いつも通りの距離を歩いてみたのですが、まだ、踵を踏まないで歩くのに慣れてないため、途中から筋肉痛で疲労が残ってしまいました。以前、11ヶ月も続けられたのだからと言っても、途中から苦痛は消えていたことを思い出しました。それに対応するよう、普段使ってなかった筋肉が強化され、対応できていたのですね。ですから、当分は我慢のウォーキングを続けねばなりません。ウォーキング自体を止めようの気にはならないので、あとは我慢しか残らないですね。それまでに、踵の痛みが消えればいいのですが、、、、。


2021年 2月 21日(日)午前 8時 4分

 この週末から週明けにかけては、講演会やらシンポジウムやら、黄紺の関心をそそるものが、目白押し。その2日目に当たりました。昨日は、それに輪をかけるかのように、二部制ときたから、とってもタイトな一日になってしまいました。トルコのコロナとサッカー情報は続けることに楽しみがあるので、それ以外のところで、時間調整の要が出て来るので、自ずとタイトになるという仕掛けです。昨日は、午後に、キャンパスプラザ京都に出かけ、公開講演を聴き、夜は、またぞろ、落語絡みのオンライン配信を予約してありました。まずは、講演会から。毎年、キャンパスプラザ京都を会場に行われている「大学リレー講座」に行ってきました。今年は、コロナ禍で、一旦、延期になったスケジュールが、ここまでずれ込み行われています。京都の大学が「リレー」をして、一連の公開講演会を行っているもの。今年は、その変更があった関係もあり、うまく押さえることができず、昨日の1回だけの参加となりました。昨日は、京都精華大学の担当で、同大学人文学部特任講師の吉永隆記さんが講師で、「戦国期京都の都市景観 -戦災復興の視点から-」という演題でお話を聴くことができたのですが、前日の京都アスニーで聴いた「京都のマチ」に関わるお話、且つ、続けて、この順番で聴くと、とってもタメになるという偶然性に誘われて行くことにしました。時代は、応仁の乱からスタート、従って、演題にある「戦災」とは、「応仁の乱」を指すもの。それを境にして、京のマチが変わっていき、やがて、信長の上洛を経て、秀吉の都市改造までが扱われました。「応仁の乱」が本題ではなかったのですが、触れないわけには前に進まない設定になっていますから、そこからのお話。京のマチが崩れたのは、応仁の乱を通じてではなく、そのごく初期に起こったことだというのが、とっても新鮮。ただ、応仁の乱は知られたように、勝ち負けなしの戦い。その長年の戦いを生きるために、東西両軍だけではなく、貴族や寺社までもが、「構」と称される要害を造り、防衛に向かうのは、納得。更に、それらを幾つかまとめた「御構」の出現を見るというのです。外部を、堀や塀で囲むわけですね。東軍の御構に入るには、「鞍馬口」が唯一の入口で、比叡山経由でなければ入れなかったとか。ただ、閉鎖空間は、疫病や火災に弱い。疫病退散を求めて、構の内では、祇園会のような「風流」を取るようなことをしていたらしい。やがて、勝敗なしで戦乱は終わる。幕府は、再建に急ぐが、町衆よりは、まずは幕府ということで、構は崩され、堀は埋められ、町衆の「小屋」は崩され、周りを食量確保のために畑にしてしまう。これが、「上京」「下京」に分かれてしまう原因。ただ、戦乱の記憶が濃く、「上京」「下京」ともに、「惣構」に囲まれている。囲まれた中は都市、外は農村という風景が出現するというわけです。街の再建は、町衆の手でというもの。幕府は、己の再建で躍起で、町衆の面倒など看てられなかった由。この町衆による再建でも、戦乱の記憶が働き、堀・塀・矢倉に囲まれた住居、「釘貫」と呼ばれる木戸門が設えるという光景が出現したそうです。住居の門には「櫓」が造られ、惣構全体の防備のために、外敵を見張る「大櫓」も、その光景に入っていたようです。その町衆の由来ですが、「酒屋」「土倉」と呼ばれた金融業者、元来は比叡山関係の人たちだったそうですが、この頃には、近郊の様々な出自を持ち、富を持つ土豪が入ってきて、富を背にそういった業種に関わり、そういった人たちが復興の担い手になっていったということが判ってきているそうです。その復興がなり、「上京」「下京」に分かれた姿、これが、信長が上洛したときの京都の姿、秀吉により「御土居」が造られる以前の京都の姿だったということで、このお話しは終わりました。おまけという感じで、応仁の乱で途絶えていた祇園会の話題が入り、「籤検め」の由来で、「へぇ~」となっておりました。
 この講演会が午後3時終了。そこで、帰り道をウォーキングに当てることに。ただ、夜半から、左足踵が痛み出してきていたために、踵を浮かしてのウォーキング。3年ほど前だったかな、同じようなことがあり、11ヶ月間、その状態で歩いていたことを思い出しました。そのときは、11ヶ月後に治ったから良かったけれど、今回は、どうでしょうか? 痛みの具合では、ウォーキングを控えねばなりません。とにかく、時間がかかるうえに、その歩き方に慣れるまでは、疲労も大きい。でも、制限しながらのウォーキングを続けられた記憶があるので、昨日も、慣れるようにとの気持ちで、辛抱しながら歩いてみました。ですから、自宅に戻ると、もう外に出ることは止めることに。本当なら、軽いウォーキングを、夕方にも入れたかったのですが、致し方ありませんね。
 夜は、オンライン配信で、またしてもトークショーを楽しみました。「お囃子のお噺(はやしや律子主催)」というもので、律子さん主催となっていますが、会計責任者が吉崎さんで、進行は、笑福亭たまが行うというもの。トークに加わったのは、このお二人に、林家花丸、入谷和女。和女さんは、吉崎さんとは三味線の系統が違うということで、いい選択。また、吉崎さんは、染丸のお囃子の弟子(だから「はやしや」姓)ということで、花丸の参加もいい選択。何が嬉しかったかというと、至宝林家トミさんを頂点とする系統図を示していただいたこと。あとで、スクショを撮ればよかったと気が付いたのですが、手遅れ。「はやしや」一門以外の三味線方は、全部が、この中に入るそうです。大川貴子さんは、枝代さんのお弟子かと思っていたら、どなただったかな、違う系統でした。系統を知らなかった原口陽子さんは、その大川さんのお弟子でした。浅野美希さんは、予想通り枝代さんのお弟子でした。懐かしいお写真、見せていただけました。前半は、そういった昔の三味線さんのお姿を見せるものから、徐々に、吉崎さん、和女さんの若いころの写真へと移り、お囃子談義から、写真を交えてのトークへと変化、その合間に、三味線のお二人の生演奏が入るというもの。冒頭に、チャット機能を使い、質問を入れてはみましたが、途中からは、チャット機能のことは、すっかり失念。画面のトークに観入っていました。そんなで2時間、これ、あかん、中毒になります。終わったのが午後10時、それから、夕食ですから、もう1つ、あかんを言わねばなりません。できたら、晩酌をしながら観ればいいのですが、でも、それすると、寝てしまいそうだから、夕食を我慢してしまっています。


2021年 2月 20日(土)午前 7時 12分

 昨日は、朝からお出かけ。もう、午前8時半過ぎには、出かけておりました。行き先は京都アスニー。昨日は、こちらで、「アスニー特別講演会」があったのです。コロナ禍のなか、大きなホールを持つ、京都アスニーは、何らの形で、こういった催しを続けてくれています。「京都アスニー・中央図書館 設立40周年記念プレ事業」と銘打たれた講演会の演題は、「“京都”が京都になったころ-京都のマチの成立-」と題された、なかなか魅力的なもの。講師は、京都歴史資料館館長/京都市埋蔵文化財研究所理事長/京都産業大学名誉教授の井上満郎さんでした。ところが、これ、今どきの講演会とは思えないレトロなもの。久しぶりに、演題横に白板が置かれ、お話の中で、ペンを取り、そこに書かれていくというもの。配布資料は、文献資料の抜粋を貼り合わせたものでした。逆に、最近は、慣れてないものだから、かなりの戸惑いがありましたが、昔を思い出しました。指定された資料をめくりながらも、十分ついていけました。やはり、何はさておき、講演は、筋立てが明瞭で、お話自体の運びが上手なこと、興味を惹く話題を盛り込めるかだと思わせられたお話でした。講師の先生の重々しい肩書に負けない、おもしろい講演となりました。まずは、仮名書きのない時代、都を表す字としての「京都」の登場から。日本書紀には4回出て来るそうですが、初出のようですが、もちろん、奈良でのこと。万葉集にも出て来るが、「みやこ」と読ませていたようだとのこと。平安京を表すものとしての「京都」は、865年の「三代実録」に出て来るが、定着した用語法とは言い難いと言われ、「きょうと」と読ませていたわけでもなさそう、というか、確証はないようです。その確証が出てきます。「京都宮」という表記が、1135年の「俱舎論記」なるものに出て来るからだそうです。「宮」に先立てて「みやこ」と読ませるわけはなかろうということです。ですから、「京都」と書き「きょうと」と読ませるのは、平安中期から後期に確立したのだろうということです。そして、その時期と、「マチ」の成立が重なるのではとのことです。それは、平安京の区域とは違う、行政的に計画的に作られた平安京ではなく、「西京」が衰退し、鴨川西岸や北野(「北の地」という意味)に町衆の住居がシフトしていく「マチ」の成立がということです。この辺りは、日本史に疎い黄紺でも、よ~く知っていること、それが重なるというわけです。これは、おもしろい。通りの名前の成立話から、社会史的なお話に。絵図や説話を使ってのお話になっていったのです。町衆の生活が浮かび上がる、それと「マチ」の成り立ちを重ねるお話、黄紺は、こういったお話が、ほん好きです。ここから、「うんこ」が連続的に出て来ることに、シシババネタに入って行く時間でもありました。こういったときに使われると言えば、「宇治拾遺物語」「今昔物語」。もう、鉄板です。前者では、錦小路が、元は「糞の小路」だったこと、その名称変更の時期に重なる。こういった小路の名前が出来上がっていくことは、即ち、「マチ」が生まれ、確立していった証拠だというわけです。「綾小路」も近くにあります。「塩小路」が南端にあるのは、塩を大坂方面から搬送してきたからだろう。物流の拠点としては、南に近い方がいいだろうと考えると、南端は妥当、なるほど、です。後者は、有名な、芥川の「羅生門」の元ネタ。羅生門の上階が死体の捨て場になっていた。「死穢」という語句は使われませんでしたが、「穢れ」を避けるために、「死」が近づくと捨てられたという、なかなかそそられるお話まで飛び出しました。そんなで、黄紺の理解力でもついていけ、興味をかきたてられるお話に満足、朝っぱらから出かけて行き、正解でした。
 京都アスニーまでの往復は、いつも昼前のウォーキングも兼ねるのが、定番。特に、帰りは、自宅の最寄り駅1つ手前で降り、且つ、買い物がてら、お酒の安いマート経由ですから、たっぷり系のウォーキングとなります。難点は、自宅に戻るまで、昼食を摂れないこと。この時期、外食は裂けているので、自宅まで我慢です。そのため、腹持ちを考え、朝は、インスタントラーメンを食べて出かけるようにしています。夕方のウォーキングは、通常通りだったため、昨日は、最終的に、2万歩超えのウォーキングとなりました。
 帰宅後の時間は、いつもの時間。オペラ配信を楽しむことにしました。うっかりしていて、超短期間の配信を失念していたため、観かけていた「ドンジョバンニ」はお休みにして、それを観ることにしました。ベルリン・ドイツ・オペラの「ヘリアーネの奇跡」(クリストフ・ロイ演出)です。コルンゴールド作品、上演機会のレアなものです。DVDになっているのですが、お高いので買ってなかったもので、この機会にとのピックアップでした。しかも、スーパーなスター演出家ロイ作品です。でも、このコルンゴールドの音楽は、しんどいものがあります。ハイテンションの持続性が半端じゃない。ちょっと遠避けたい気が支配したのか、居眠り続き。言い訳をすると、朝から動き過ぎた反動です。ましてや、お腹にも入り、ホッと寛いだ時間帯なものですから、オペラ配信を観るには、過酷な時間となりました。ロイものがどうだかという資格はないので、何も書かないでおきます。配信終了までに、残りを観る時間はあるのか、取れるのか、そういった不安はあります。少なくとも、居眠りした箇所を、再度観る時間は、無理でしょうね。レアな作品なだけに、勿体ない話です。


2021年 2月 18日(木)午後 9時 29分

 今日も、お出かけなしの一日。昨日に続き、寒い。天気予報だと、寒さは、今日までということだけど、その今日、寒いのが嫌なのです。ルーティンとしてのウォーキングは、定番。朝、起き抜けから、トルコのコロナ情報、日に2回の収集の1回目。昨日の午後に起こったことをチェックできる。大きな話題が出ていました。ぼちぼちと緩和に移るようです。段階的にとはとなっていましたが。県別感染者数を、今頃になり出してきたのは、この伏線だったよう。それと、これまた、県別に出しているワクチン接種者数をにらみながら、県別に緩和策を出していこうという魂胆なようです。トルコは、情報開示の透明性をうたいながら、情報操作もどきをやっていると思っています。情報のいじりはないでしょうが、その情報の出し方が恣意的。不要との判断は政府で、不要なものは出さない。だから、今頃になり、県別の感染者数を出されても、それも、人口10万人に幾人という出し方、ここまで感染者数や発症者数の出し方で、そないなことをして来なかった、単に実数でしか出してなかったのに、出し方を変えて来た。とっても恣意的です。演出も過剰だしね。村の学校の対面式授業全面再開となると、教育省長官が、アルメニア国境のアールダー(アララト山)の見えるところまで行き、始業のベルを鳴らしに行ったり、オランダのTV局が流したというなんですが、保健省長官のTwitterに、大雪のなか、人里離れた地までワクチン接種に向かう医療チームを追いかけるルポを載せるのはいいんだけど、カメラ、いったい何台、使ってんのという力の入れよう。ドローンは飛ばすわ、カメラ・アングルは映画を観ているみたい。あまり過剰に過ぎると、逆に信憑性が薄まっていくと思うのですが、こういった演出が好きなのかな。そんなトルコ色豊かな情報を追いかけるのが、日課になり、もう1年近く経ってしまったのですね。最初は、この春にでも、オペラ紀行に行こうなんて考えてたのが、嘘みたいですね。それだけ、甘く考えていたってことの証拠です。深く反省です。
 寒いなか、今週初めて、自然の一番多いコースでウォーキング。昨日同様、休憩でベンチに腰掛けた辺りで風が止んだものだから、読書を始めたけれど、昨日よりは長続きしたけれど、気温自体が低いものだから、所詮、長続きをしませんでした。夕方は、覚悟を持って、ただひたすら歩くだけ。でも、昼前よりは、風が治まり、歩きやすかったですね。おまけに陽が長くなってきているので、それだけでも、気分が上がりました。
 午後の一時は、オペラ配信を、今日も楽しみました。ちょっと居眠りをして、目が覚めると逆戻りそして、しばらくして、また、居眠り、という繰り返しで完走。テイストは、昨日書いた通り、最後は、「C’est la vie」の電飾の前に佇む2人の上には雪が降っていました。「マノン・レスコー」の方は、アメリカまで行きますが、「マノン」の方は、ル・アーヴルでおしまいです。終演後、拍手もなく、出演者のざわつきが入っていましたから、上演するはずだったのができなかったものと看ました。収録が、確か、今年の1月21日と出たと観たつもりなのですが、もちろん、クレジットで。で、それだけではなく、まだ、時間があったので、次なる配信にも手を出しました。エクサンプロヴァンス音楽祭2017の「ドン・ジョバンニ」(ジャン・フランソワ・シヴァディエ演出)を選びました。イザベラ・レオナードが、ドンナ・エルヴィラを歌っているというので、チェックを入れてあったものです。これが、なかなかおもしろい。舞台に、舞台内舞台的に大きな敷台があり、その周囲は、歌手の準備をする場所だったり、次の出番を待つ場所になったりしている。メイキング・オペラ的雰囲気を感じたのですが、そういった待機場所と本舞台を、上手く組み合わせた進行になっています。上から吊るされた電球を含め、相当緻密に用意された照明に気が行きます、歌手のちょっとした動きにも、楽譜を読み込んだ跡を感じさせる緻密さがあります。だから、歌手は、大変、細かな演技を求められ、敏捷さ、表情の豊かさといったものを求められるプロダクションともなっています。そう書けば、ロイものを想起してしまいますが、音楽と演技の調和という意味では、このプロダクションの方が勝っていますね。好き嫌い、良し悪しは別にしての話ですが。動きがダサくなく、洗練されたものであることもあり、とっても前のめり気味に追いかけたくなるプロダクションです。お目当てのイザベラ・レオナードを始め、歌手陣が揃っています。さすが、エクサンプロヴァンスと思わせるものがあります。まだまだ、序盤だけど、これだけのことを書けるというだけで、このプロダクションの優れた顔が見えてきています。今後が、大いに楽しみなところです。


2021年 2月 18日(木)午前 7時 6分

 昨日は、お出かけなしの一日。寒い、寒い日となりました。つい3日ほど前は、完全に春の陽気だったのに、呆れるほどの気温の低下です。しかも、風があるものだから、余計に寒い。ま、天気予報で言ってくれていたので、覚悟はしていたけれど、寒いのは嫌、ホント、嫌。でも、ルーティンとしてのウォーキングは、こなさないと気が済まない。毎度のことだけど、寒いときは、身体が温まるまで時間がかかる。ちょっとした隙間から、風が入って来るだけで、寒い。昨日は、久しぶりにセーターを下に着こみ、シャツ1枚を余分に着込んでの、お出かけ。昼前のウォーキングでは、うまい具合に、陽も出ており、休憩がてらに寄った公園で風が止んだ。ならばと、読書ができるじゃないかと、ちょっとの間、読書のお時間だったのですが、ホント、ちょっとの間、またぞろ、風が吹き出し、あっさりと断念。ということは、寒さに身体が慣れてきているのか、気温の低下以上に、風に負けていたということですね。
 午後は、オペラ配信を観る時間に当てました。新たに、ハンブルク州立歌劇場の「マノン」(ダヴィッド・ベシュ演出)をチョイス。配信が始まったばかりなのですが、配信期間が1ヶ月ということなので、忘れない内に観ておこうということでのチョイスとなりました。冒頭、同劇場の表からの映像が入り、いたく感激。だって、1年前、最後に出て来た町がハンブルク、もう、この歌劇場自体閉めていた、カッセすら閉めていたけれど、最後に眺めて来た歌劇場として脳裏に収まっているというのが大きい。結局、その後、近くの公園散策で、飛行機待ちの時間を潰していました。あれから、もう1年です。でも、コロナ禍の出口が見えていない。まさか、ここまで時間がかかるとは、思ってなかったな、あのときは。そんな思い出の詰まった歌劇場の公演、1幕の広場に集う市民の合唱が、客席から歌われるという演出が採られていたため、カメラは客席に向かうというサービスが付いていました。これも、嬉しかったな。ひょっとしたら、調べてないですが、コロナ禍の影響を受けた公演の映像かもしれないなと思っています。ドイツでは、フランスものがなかなか出ないため、黄紺も、このマスネー作品は、ケルンで1回観ただけです。「ウエルテル」も2回(エッセン、フランクフルト)だし、1回は直前キャンセル(デュッセルドルフ)になったしと、有名なオペラなのに、遭遇回数が少ないマスネーもの。でも、「ドン・キショット」を観ている(ベルリン・ドイツ・オペラ)のが、ちょっとした自慢。今回は、ダヴィッド・ベシュもの。今まで、この人、「ボシュ」と思ってましたが、今回の動画のコメント欄を見ると「ベシュ」、ウムラートが付いていたので、「ベシュ」としておきます。スター演出家の1人で、黄紺は、この人の「イル・トロヴァトーレ」(コヴェントガーデン、フランクフルト)のプロダクションが、いたくお気に入り。簡素な装置、その意匠が、とってもコンパクトに情景描写となっている、そういった素敵なものだから、気に入っているのです。そういったテイストを旨としている演出家かなと思っていたら、ドレスデンで観た「死の都」は、そうではなかった。で、どっちなんだろうと思いながら、観始めると、これが、「イル・トロヴァトーレ」型だから、かなり嬉しくなっている。3幕の冒頭まで観ているのですが、ここまででは、2幕のデ・グリューとマノンの住まいがいいな。周囲の照明を落とし、ボックス型の装置を中央に置いただけ、その箱の中に、簡易ベッドと机が置いてあるだけという設え、正面に大きな窓、この大きさがいい。マノンの閉塞感、ここから逃れたいという欲望、そして、逃れるには道があるという大きな窓、舞台正先には、おもちゃのエッフェル塔、電飾が付いている、これが、デ・グリューとの幽かな愛の温もりって感じを表しています。電飾がいいですね、幽かだけど輝きがあるというのが、この装置、完全に、2人の行く末を暗示しています、それを、実にコンパクトに、簡素に表しています。ダヴィッド・ベシュの真骨頂というところです。1幕は、場末の酒場の雰囲気、パリ・オペラ座の華やいだ装置とは、ダンチ、酒場の親父のキャラは、まるで、ブッチャー。場末感がたっぷりです。この空気、いいですね、3幕の装置も、電飾が、やたらとケバイ! だから、パリ色を剝がしているのでしょうね、むしろ、アメリカの1920年代あたりの空気を出しています。そんなで、なかなか楽しませてもらっているプロダクションです。


2021年 2月 17日(水)午前 7時 56分

 昨日は、かなりタイトな動き、二部制だったもので。午前中にアスニー山科に行き、午後は。自宅でオンライン配信での講演を聴く日だったのです。その両者の間の時間が2時間半、その間に、山科からの移動、更に、ルーティンとしての昼前のウォーキングを突っ込もうという魂胆だったのです。但し、時間の関係で、ミニウォーキングだったけれど、山科までの往復を加味して、普段の歩数を確保という算段だったもので、せわしなくなったのでした。昼食を摂る時間も要りますからね。でも、完遂、成功しました。
 アスニー山科では、今、会場の関係で、普段の講演会は停止など、活動を、大幅制限中ですが、何とか工夫をしながら、細々と活動を続けられていますが、その1つ、「学びの映像/アスニー山科ムービー/落語への誘い」に行ってまいりました。活動停止と思い、しばらくチェックを怠っていたところ、たまたま覗いたHPに記載があり、前回から参加しています。前回は、日本の稲作をテーマにした映像を2本見せていただけました。今回は、落語とは、嬉しい企画。江戸落語でしたが、喜んで参加。小遊三「船徳」と楽太郎(現円楽)「芝浜」の2本。えらい名作が並びました。図書館所蔵の視聴覚資料からのピックアップ作品だと、前回言ってられましたから、やはり笑点メンバーという分かりやすい噺家さんの映像をキープされているのでしょうね。でも、「芝浜」は、冬の噺だからいいとして、「船徳」は真夏です。すごい組合せ2本でした。黄紺的目からすれば、圧倒的に小遊三の出来が上回っている。楽太郎、滑舌がイマイチです。特に、序盤、噛むこと数度、流れに慣れるのに、時間がかかりました。そんなで、朝から濃い江戸落語、前者が国立演芸場、後者が横浜にぎわい座での収録でしたが、各々、冒頭で、外観を映してくれていました。東京には、もう10年近く行ってないな、このご時世、行く機会もないし、その外観の映像を観れたことも、ちょっとした幸せとなりました。
 午後は、日文研のオンライン配信。「第68回学術講演会/細川周平先生退任記念講演会」を聴くことになりました。日文研は、コロナ禍の前、毎回のように行っていた講演会を開いてくれています。多くは、外国人研究者が、ご自分の研究成果を披露するというものですが、昨日は、退任記念講演会。司会のマルクス・リュッターマン(日文研教授)さんや、挨拶に立たれた井上章一(日文研所長)さんも言われていましたが、コロナ禍がなければ、当然、多くの人の前で、もっと早くに行うことができた講演会、それがYouTubeに替わったおかげで、遠い、行きにくい、日文研まで足を運ばなくてもよくなりました。演題は「チンドンの因縁」、チンドン屋を解析していこうというものでした。そのお話の中で、このテーマに迫っていった経緯も入れ、ご自分の経歴も披瀝するという「退官記念」を意識したものとなりました。お話の筋立ては2本、前半が「1980年代後半の個人史、チンドン史」、後半が「チンドン屋の歴史」というものでしたが、そそられたのが、チンドン屋の音楽は、日本の西洋音楽の受容の仕方を表しているという関心、それから、チンドン屋の底辺イメージが変わってきている、そういった時期があるというお話、序盤で、幾度となくお名前が出てきたプロのミュージシャンがチンドン屋に入っていた、篠田さんというお名前だったかな、早逝されたそうですが、現在のチンドン音楽の定番曲に、その足跡を残されています、そういったチンドンに対する目の変化などをお話されていました、後半の歴史では、江戸時代に、らしきルーツを求めるお話から始まり、明治以降の展開へと移って行きました。前半もそうでしたが、後半も、肝心なところになると、全部、居眠りをしてしまっていたもので、断片的にしか記憶が残っていないのが悲しい。大道芸と言っていいのかな、そもそも「芸」と言っていいのかなと思えるような分析もあり~の、トーキー映画の登場で、あぶれた楽士の、業界への参入も話されていました、打楽器の多用という音楽的観点からの分析、ジャズ音楽の取入れでは、当然、西洋音楽の受容問題が絡んできます。とまあ、黄紺の頭の中に断片的な情報だけが残り、各々が結ばれていない状態です。アーカイブに残すなどという情報もあるので、これは押さえることにします。最後は、現役のチンドン稼業の方の演奏まで入りました。ライブで行えれば、会場で、彼らの演奏を披露して賑やかに記念の会を飾りたかった意向を、冒頭で語られていました。お名前だけは、黄紺も知っていた方ですが、とっても豊かなイマジネーションと知的関心を持たれている特異な学者です。凄い人がいる、正に、そういった方という印象ですから、居眠りの取り戻しはしなければの気でいます。昨日は、そういった凄い人見つけたということで、容赦することにしましょうか。


2021年 2月 16日(火)午前 5時 39分

  昨日は、朝から雨、結構な降りだったので、若干、躊躇はあったのですが、天気予報を信じて出かけることにしました。行き先は京都シネマ、イラン映画「ウォーデン 消えた死刑囚」を観てまいりました。これで、この間、3本目となるイラン映画。ここまでの2本が、黄紺のイラン映画イメージにそぐわないものだっただけに、これも注目。飛行場を作るというので、移転を余儀なくされる刑務所、移転先へと収監者を移送しなければならない。ところが、その過程で、ある死刑囚が消えた。移送されたはずなのに消えた、その消えたわけを捜る刑務所長の物語と言えばいいかな。消えてから捜し続け、見つけないと、自らの昇進にも関わる大事を追求する男を中心に、全編動いて行く映画です。冤罪だと主張して釈放を求めてやって来る福祉士の女、容疑者の妻は、弱々しさを強調するかのように、かなりくたびれた田舎の女、あとは、昇進話を持ってくる上司と刑務所の部下たち、出て来るのはこのくらい。どこを探しても見つからない。その辺のエピソードや、福祉士の女のエピソード、この辺り、寝不足から頑張って観ていたのですが、具体的なものが、頭に残っていない、軽い居眠りをしていたのでしょうか、とにかく見つからない、無実なんだから、見つけてしまうと処刑が待っているだけということから、何とか助けようとする人たちが、福祉士の女以外にも出て来たりで展開していたようです。でも、見つからないので、フェイクで退散すると見せかけおびき出そうとしたり、実際、人の動きがあるのだけど、危険を察知した福祉士の女が助けに入ったり、その消えた男の姿が、この映画で出て来るのは、このときだけ。遠目で人が動く、それだけが、その男ではないかと思える登場場面で、あとは、一切、姿を出さないというのが、この映画の特徴でもある。燻し出し作戦なんてのもある。建物各所に目張りをして、煙か、化学薬品かを使い、隠れているはずの男を追い出そうとするのだけど徒労に終わる。観ている方も、ホントは隠れてないのではと思わせられるところが、ちょっと上手いところ。刑務所の周りは、木のない荒野だから隠れどころのない場所なものだから、余計に不思議な気分にさせてくれます。移送を済ませたのに、いつまでも留まることを訝しく思った上司から、退出を促され、そして、その刑務所の取り壊しが始まろうかというところで、隠れ場所に思い至る刑務所長、急に、車を発信するものだから、その姿を目撃した福祉士の女も追跡します。途中、道を行く件の男の妻を拾い追いかける。刑務所から運び出されたものに、隠れていたと踏むわけです。この運び出されたもの、ここで、初めて隠れ場所が明らかになるのですが、この映画の冒頭から、そして、少なくとも、途中に1回、その冒頭で出てきた話題が挿入され、しっかりとネタ振りがされていました。ここでも消えた男は出て来ないで、隠れ場所に潜む男の目線でカメラが動くという手法が、なかなかおもしろい。それと、ラストで見せる、刑務所長の態度の伏線が張られていないのに唐突感は残りますが、でも、いい終わり方、映画らしくって、黄紺は好きだな。ネットに流れるレビューでは、否定的な見方の方が多いかもしれませんが。なんか、イランらしいかなと思ったりします。時代設定が、イラン革命前となっているのも、関係しているのかな、その辺は、判断がつきません。でも、エンターテインメント要素、たっぷりのサスペンスものって、ここまで観てきたイラン映画のテイストにはなかったもの。この間、観てきた3本のイラン映画の共通項は、いずれもが、今まで観たことのないテイストといった点。そういった意味で、かなり満足度高しの3本と言えます。入りでは、これが一番かな。京都シネマでの上映期間が短いということの反映かもしれませんが、ちょっと驚きでもありました。
 昨日、ここのメモに書き忘れがあったので、今日、メモっておきます。TV電話だの、トークショーのオンライン配信だのと、夜に盛り上がったものですから、一昨日の昼間のこと、すっかり失念してしまってたのです。それは、オペラ配信で、「ボエーム」(モンテカルロ歌劇場)を完走したということです。3幕からあとの後半を観たということです。完走して、平凡なプロダクションとだけ、黄紺は感じてしまったのですが、逆に、それが気になってしまいました。このオペラ配信は、「Oper Vision」というYouTubeチャンネルでの配信。このチャンネルは、月に数本、ヨーロッパだけではなく、ニュージーランドもあったかな、世界各所の歌劇場から、優れもののプロダクションを紹介してくれています。好き嫌いは別にして、何か光るものを毎度、感じます。そういったもので、配信できるものを流してくれていると考えているチャンネルなものですから、「平凡」と感じると、逆に変な印象になってしまうのです。そこで、コメント欄が英語表記だったのですが、目を通すことにすると、気づいてなかったことが書かれていました。時代設定が「大戦間」だというのです。確かに、そう言われて振り返ると、衣装が、そういった雰囲気だったかなと思われました。欧米の人などが観ると、簡単に判るところなんでしょうね。束の間の繁栄に涌くパリ、その先を、我々は知っていますから、19世紀後半のパリより、何やしら絶望感が漂います。独占段階に入った資本主義社会の光と影のような本来の設定とは違う絶望感が出て来る、これと、小状況を重ね合わせようとしたのでしょうか、時代設定を変えるだけで、そういった効果を生み出すことを考えたプロダクション、そう考えると、このチャンネルで取り上げられるわけが見えたように思えました。こういったイマジネーションを刺激するって、オペラの読み替え、読み足し的なプロダクションって、すごいなと思ってしまう黄紺なのです。オペラを楽しくさせる重要ポイントですね。


2021年 2月 15日(月)午前 7時 5分

 昨日は、予定としては、夜の8時から、オンラインでのトークショーに申し込んであった日。でも、その丁度1時間前に、息子から電話が入りました。「Dが、また、TV電話をしたがっている」ということでした。もちろん、喜んで応じました。但し、「8時前には切らんと、あかんねん」との約束で。まだ、自分が、昼間に楽しんできたことを、順序立てて、こちらが判るように説明するということは無理なんだけど、横から息子が、言葉を添えると、様子が、こちらも想像がついてくるので、いろいろと問いかけると、聞いてないことまで、話しを膨らませることができるようになってきました。ちょっとした間に、成長を感じさせてくれます。それ以上の成長を見せてくれたのがS、昨日は、そのSに驚かされました。画面を通して、こちらから手を振ると、何と、手を振り返しているではありませんか。これには、びっくり。息子に促されて手を振ることはあったけれど、自分から反応してくれたのです。更に驚いたのは、時間が来たので、こちらから、今度は、手も振らないで「バイバーイ」と言うと、それに反応して、Dはともかくも、Sも、誰に促されるわけでもなく、手を振っているではありませんか! これは、心底、驚きました。「うわっ、バイバーイ言うただけで、手、振ってる」と声を上げてしまいました。これが、一の驚き。もう一つは、Dが、初めておちょけないで、暗い姿を見せたこと。「パパと、もっと遊びたい」という話になったときです。パパが、朝早く出かけ、Ⅾが起きる前に出かけてしまう日があるらしいのです。しかも、仕事が遅くなり、Ⅾが寝たあとに、パパが帰ってきてしまう日もあり、丸一日、顔を合わす時間すらない日があるから、そういった物言いになり、そういった日のことを考え、暗くなってしまったのです。きっかけは、この4月から、ママも仕事に復帰するため、Sと一緒の保育園に行く話になったとき。どうやら、パパに連れられ、朝は保育園に行くことになってらしいのですが、そうなると、今よりか、朝、早く起きねばならなくなるという話題になったところから、今、寂しい思いをする日があることに連想が働いてしまったようでした。これも、ちょっとしたイマジネーションが働いているということで、Ⅾも大きく成長してきていることですね。子どもは、ホント、見ていて、おもしろい、楽しい。ほんの僅かで、こないな変化を見ることができるのですから。
 午後7時50分になったところで、その後の動作環境の確認が要るということで、TV電話は切り上げました。ここから2時間、「笑福亭たま→大智のトークを聞く会」のオンライン配信を、Zoomを使って観ることになりました。たまが、自宅から落語の配信をしているのには参加したことがなかったのですが、このトークショーを知ったときは、飛び付きました。大智を突っつくという企画が、何よりも魅力なのです。笑福亭大智、警察官の倅でありながら、バイオレンスな世界に生きてきた男、中学生のときは、「おまえなんか、授業に出るな」と言われたくらい、迷惑をかけた男、「でも、皆勤賞やった」と、昨日、言ってました、これには大爆笑しましたが、学校には行っているけど授業には出してもらえてないから、字を知りません、方程式の「X」の意味が解らない男、中学卒業時には、3つの暴力団からリクルートされた男、噺家になる前は木こりが職業、噺家稼業の隙間には、今も、木こりの仕事を頼まれることがある男、「コロナ禍では、これで、生活が助かっている」と、この配信では言ってました、また、ここで大爆笑、その具体的な仕事は、熊が出て来ないかの見張りをするなんてのが入っている、、、今まで、本人が、また、たまが、マクラで大智話をしたときに聴いてきていたエピソ-ドがあるため、そういったキャリアに関するおもしろ話に期待、それが飛び付いたわけでした。聞き役は、たまだけではなく、未発表だったりょうばと、こちらは発表されていた入谷和女と吉崎律子という、三味線のお二人。各々が自宅から配信でしたが、メーンの大智は、自宅から無理なはず、というのも、彼は、仁智門に入ったときに、既に既婚者であり、子どもが3人もいたと聞いていましたから、自宅からの配信は難しいだろうと思っていたのです。案の定、大智は、自家用車の中から配信していました。「港の方に来ています」と言うだけで、同業者は、どこに車を停めているかが判ったようです。だいたい、これだけでおもしろい! で、話題は、大智のキャリアと心霊体験話の2本。それと、YouTubeチャンネルを立ち上げているようで、その内容も言ってましたが、また、アホげなことやってます。心霊体験も、それにアップすることを、りょうばに勧められていました。その方法のアドバイス付きで。気が付くと、りょうばの方が後輩になるのですね。落語の世界では「若手」の2人ですが、実際は、ええ歳のおっさんが、アホげなYouTubeネタを考えるだけで、笑えます。キャリア話では、母親の姿が、今まで聞いてきたなかでは、全く見えてなかったのですが、かなりクリアになりました。めっちゃ、変わった母親ですというか、異様な封建主義者って感じです。長男を可愛がる、次男以後は目でない、次男の大智は無視されてきたけれど、兄に子どもがいないとなると、大智の長男を可愛がる、相変わらず、次男以後は無視という人だそうです。これ、絶対、大智の成長に影響与えているはずだと思ってしまいました。木こり仲間の死体発見話も、すごい話です。山林内では自死する人がいるということで、遭遇頻度が高くなるようで、そういった意味で慣れている仲間が経験した話。役者もやってたことがあるそうです。これは、初耳。奥さんは、そのときに知り合ったそうなんだけど、奥さんの話題はNGだそうです。「枝雀との共演経験がある」とだけ言ってました。そんなで、濃~い2時間、その前のTV電話と併せると、何と、豊穣な時間だったのでしょう、めっちゃ充実してました。こないな日もあるんだね。


2021年 2月 14日(日)午前 7時 52分

 昨日も、オンライン配信での講演会を聴いた日。週末にかかると、コロナ禍対応ということでしょうね、オンライン配信で、様々なイヴェントに遭遇できます。一昨日は環境問題がテーマでしたが、昨日は日本史、考古学がテーマでした。黄紺は、間口が広いもので、いろんなものに目が行ってしまいます。昨日の講演会は、確か、京都アスニーで見つけたもののはずです。回数を見ると、かなり歴史のあるもの、実際、司会者の方も言われていた参加人数を聴いて、固定ファンが出来上がっているイヴェントと思えました。それは、帝塚山大学考古学研究所主催の第449回市民大学講座、昨日の演題は「中尾山古墳を語る」で、講師は、関西大学非常勤講師の今尾文昭さんでした。考古学のプロって感じの方で、様々な現場で発掘調査に当たって来られ、その現場から退いて、現在は大学で教えられているという方ですね。古墳話は、以前、向日市の講演会で聴いたことがあり、そのとき、なかなかそそられるお話だということ、また、まだまだ、新しいことが沸いてくるかのように出てきているということも知り、そんなで、申込みをしたものでした。そして、そのときも感心したのですが、黄紺のような落語マニアが、落語のフレーズを聴いただけで、噺の場面や噺家さんの演出が思い浮かぶように、一つの人物、古墳など遺跡から、そういったイメージが湧いてくるのでしょうね、学説が湧いてきて、関連項目が湧いてくるのが、学問なのかもしれないけれど、マニアの世界だ、オタクの世界だと思えたのも、こういった古墳の世界にそそられた要因にもなっています。昨日のテーマとなった「中尾山古墳」も、新たな発掘があり、以前の発掘調査結果と併せ、様々なイマジネーションが働いていく姿をお話しいただけたという講演会となりましたが、講師の方が、めっちゃアナログの方。ご自分で、パワーポイントを作れないのでしょうね、だから、操作もできないという方なのが、難点。予め、レジュメを送付いただいていたのはいいのですが、そのレジュメを、スタッフの方に操作させ、画面に表示させる。ページ数を告げると、スタッフの方が、パワーポイントに取り込まれたレジュメのページに移動させるという、到底、今どきのオンライン配信とは思えないものに、ドン引き状態。そのため、かなりの居眠りをしてしまい、これまた、講師の方が用意され、スタッフの方がパワーポイントに取り込まれたか、単なるスライドショーを、Zoomの画面共有の操作で流されただけかなんでしょうが、肝心の中尾山古墳の発掘の現場画像のところが、ほぼ全滅という有様。そんなで、あまり残るものがないという、いつもの悪い癖が出てしまいました。でも、お話のポイントとなるところは、わりかし頭に残っているので、それを記憶に留めるために、メモっておきたいと思います。「薄葬思想」という語句を言われていました。初めて聴く言葉でしたが、文字から容易に察しがつきます。為政者の墓が小型化していくことですね。簡単に言えば、大層な古墳が消えて行くことです、そのくらいの知識は、日本史に疎い黄紺にもあります。具体的に、「大型前方後円墳」→「大型方墳」→「大型円墳」→「八角墳」→「火葬墓」と変化していくそうです。この「中尾山古墳」は「八角墳」です。もう「墳」の最後です。「火葬」は、仏教思想の広まりとともに定着していくそうでというか、それも聴いたことがあったのですが、そうなると「骨」だけが残るので、「墓」と呼ばれる小さなものになっていく。権力基盤が固まる時期でもあり、見栄を大王が張る必要もなくなり、同時に、人民に負担をかけなくても済むという面もあるので、どんどんと規模が小さくなっていくそうで、埋葬場所も、都城のあった位置ではない郊外に固まって、だけど、何やら意味のある場所に作られていくとか。この「中尾山古墳」も、「キトラ古墳」「栗原塚穴古墳(現文武天皇陵)」「高松塚古墳」「★中尾山古墳★」「野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)」と、「藤原宮大極殿」の中軸線南延長線上にあるそうです。形状が「八角」なんて古墳があるのは、今回、初めて知りましたが、その例を挙げておられました。墳墓の流れとしては、上にメモった時期になり、縮小化の過程で生まれたようです。「牽牛子塚古墳」などが例示されていました。「八角」という形状は、「高御座」の形状から出たものだろうとの見解でした。王座を表すそのものです。そういった時期的なもの、また、黄紺が聴き逃した画像を使った発掘調査結果で判った規模、使用されている岩石(これが意味あるのですね!)、出土品からして、かなりの権力者、いや大王クラスを想定できることから、「文武」だろう、いや、ほぼ確定のようでした。筋立ては外してないと思います。細かな資料との照合が要るかと思います。レジュメを、時間を作り、読み返してみることにしましょう。内容は、やたら興味を惹きますからね。ようやく、古代史マニアの気持ちが判ってきたように思えてきています。また、どこかで、この手のお話聴ける機会、探すことにしましょう。
 この講演会は、午後2時から1時間半、前日のような長丁場ではなかったので、普通の時間が流れただけの一日。それにしても、気温の上昇が大きく、まるで春の陽気。昼前のウォーキングでは、たっぷりめに、公園で、休憩がてらの読書ができました。土曜日ですから、公園には人出があります。横では、小さな子どものはしゃぐ声、これも、いいものです。陽の暖かさを増幅してくれますね。そして、夜は、「ブラタモリ/日田編」。甲子園に出た日田林工でしか知らない日田。「進撃の巨人」ってのも、初めて知りました。タモリの思い出たっぷりの街だったというのも、おもしろく観ることができました。なかなか、いい街です、それを知っただけでも値打ちものだったですし、あの焼き物、何度も、目にしているのに、名前も、何度も目にしているのに、読み方、解らなかった、また、まだ覚えられていない黄紺です、だから、名前が書けないのです。


2021年 2月 13日(土)午前 8時 9分

 昨日は、オンライン配信での講演会を聴いた日。先日の京エコロジーセンター主催の講演会で、「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」というものの存在を知り、そちらのHPで、全国で行われる様々な取り組みを知り、そちらで見つけたものでした。こういった取り組みは、国レヴェル、自治体レヴェルで把握する必要があるということも、京エコロジーセンターの講演会で学んだことでしたから、格好の材料をいただけることになったわけです。おもしろそうなものが幾つもあるのですが、黄紺の予定表と照合して、2つの講演会に申し込んだのですが、昨日は、その1つ目、環境省関東地方環境事務所主催、みずほ情報総研受託という、えらくスケールの大きなもの。国が主催して、事例は関東というレヴェルのものです。「気候変動適応に関する一般市民および企業向けセミナー」と題されたもので、毎年、こういったイヴェントが開催されていることも、同時に知りました。やはり、情報集めって、大事ですね。世の中に付いて行くためには、情報からです。落語やオペラと同じです。「有識者および実際に気象災害を経験された自治体の担当者をお招きし、防災の観点から気候変動による影響や対策を学んでいただくため」と、概要には認められていました。ま、付いて行けそうかなと思える書きようだったのが、申込みの支えになりました。そのプログラムは、次のようなものとなっていました。①「開会挨拶」(環境省 関東地方環境事務所)②「関東地方の気候・気象の変化とイベントアトリビューション」東京管区気象台/地球環境・海洋課 地球温暖化情報官/坂井めぐみ③「『いのち』を守る防災対策 ―避難の再考―」群馬大学/大学院理工学府環境創生部門教授/金井昌信④「千葉県における気候変動による影響」千葉県環境研究センター/企画情報室主席研究員/熊谷 直行⑤「相模原市における気候変動による影響 ―令和元年東日本台風による相模原市のライフラインの分断状況について―」相模原市/危機管理局緊急対策課主査(併)消防司令補/山下浩史⑥「災害時自立生活圏の構築と『防災“も”まちづくり』」東京大学生産技術研究所/都市基盤安全工学国際研究センター教授/加藤孝明⑦閉会挨拶(環境省 関東地方環境事務所)、大変な分量、お一人40分という講演、そのあとにQ&Aが5分ずつ付くというもの、但し、講演が延びると、それはカットされていましたが、これは、もう体力勝負というものでしたが、幸い、1回だけ、途中休憩を入れていただけたので、ちょっとは体力回復はできました。構成は、しっかりと考えてあり、必要だわと思う反面、単純に長いとも思った黄紺でした。②は、このセミナーの枠組みです。温暖化を気象データから示していただけました。定番のお話と言っちゃ、失礼だけど、ま、定番です。③のお話が、このセミナーの中で、最もインパクトを感じるものでした。お話の焦眉の点は、「これだけ、災害に備えようキャンペーンが行われているにも拘わらず、災害が繰り返されているのは、なぜか」「備えあれば憂いなしというが備えていなことが問題」「で、どうすればいいのか」という問題設定に釘付けになったのです。コロナ禍と同じ課題の提起ですね。いくら、危険だとアナウンスしても、聞かない、無視する人たちが、結果的にウイルスまき散らす、これに、各国が、頭を痛めてますが、この災害対策で、似た課題を提起されたものですから、とってもそそられてしまいました。だから、被災後の対策を語るのではなく、被災前の対策を考える必要があるという問題の立て方となります。水害の場合、地震と違い、災害発生から被害が可視化される時間が長いという難しさがあり、避難するタイミングが難しいところがあることが、己の行動の取り方に業をなすということです。そのときの、「行動できない己」を知ることが大事だと言われていました。なかでも、「自宅が浸水することを受け入れられない」人が多いと言われていました。浸水すると、生活の手段がダメになりますものね。で、タイミングが遅れる、ここでも、行動心理学の援用が看られます、コロナ禍のシンポジウムで語られたことと通底しています。④⑤は、関東の2県の台風被害の実態報告でした。相模原市って、政令指定都市なんですね、知らなかったぁ、人口も75万ほどあるそうで、やっぱ、東京近辺は巨大だわ。特に、緑区の被害報告が、解りやすくって、そそられてしまいました。⑥もおもしろかった。研究者が、どこまで視界に入れているか、現在の最先端の人たちが、どこを見据えて、今があるのかが判るというのは、聴いていて興味を惹きます。災害対策の需要と、それに見合う資源(公の)が足りない。避難場所が要ることは判っている、が、それが足りないということのようなことを連想すればいいのですが、じゃ、足りなければ作ればいいいのだ、需要を減らせばいいのだという発想です。前者で言えば、パチンコ店の駐車場って、災害時に使うわけはないので、それの活用に動く、民間の力を取り入れるということですね。これは、パチンコ業界も関心を示していると言われていました。大変なメセナになりますからね。後者は、需要のダイエット、社会的弱者に絞るという発想です。解かりやすく、「ベンツに乗って避難所に来るような人は己で対処せよ」ということです。そういった発想で、「災害時自立生活圏の構築」を唱えられていました。商業業務地区・超高層マンションなんかを「自立すべき地区」として、周辺の地域にも貢献できる施設を用意しておくと、需要が減り、資源が増えるという仕掛けです。そして、そういったことを想定して、街作りをして行こうではないかとの提案でした。考え方がおもしろいですね。これはこれで、40分なんていう短い時間じゃなくって、具体例を、いろいろと聴いてみたくなるものでした。②で、よく聴く話と思ったからでしょうか、ここで、短時間、居眠りをしただけで、あとは元気、元気、いい刺激をいただけました。
 このオンライン講演会が、「13.30~16.50」という時間帯に入ったものですから、めっちゃ窮屈な一日でもありました。昼前のウォーキングは、ミニに。夕方のウォーキングは、後ろに圧迫され、結果として、夕食は、午後9時前となってしまいました。トルコ・サッカーとコロナ情報も集めなきゃならないしと、窮屈やった、ホント。でも、1日の最後に、NHKの「72時間ドキュメント」観ることができました。横浜の団地に大晦日から正月風景、そこに集う、外国人たちの風景を追いかけるというので、どうしても観たかったもの。なかには、難民だと言ってられた方もいました。日本の絶滅危惧種、ですね。NHKで流れるくらいだから、映してやばい人たちは映してないと思うので、貴重な方のお話も聴けたわけです。こんなの流してくれると、TVは、毎日観たいと思うのですがね。


2021年 2月 12日(金)午前 7時 23分

 昨日の祝日は、びわ湖ホールでコンサートに行った日。コロナ禍のなか、考えられない大物歌手のコンサートがありました。それは、「フランチェスコ・メーリ テノール・リサイタル」。実施日が迫っても、中止とかの連絡が、同ホールから入らない、HPで調べても、やはり中止は出ていない。訝しく思い、数日前に調べてみました。で、判明、間違いなく実施できることが。今、変異種が確認されてから、外国との往来が難しくなっていますが、それまでに日本に入っていたら、可能なわけですから、正に、それを確認できたのです。フランチェスコ・メーリは、新国立劇場でカヴァラドッシを歌っていたのです。オペラに、まともに出演するならば、稽古がありますから、数週間、身柄拘束をされます。それに該当すると看たから、実施できるという確認が取れたのでした。最近、先行きが不透明ですから、チケット販売すらが、かなりコンサートの実施日に近いところで始まりますが、このコンサートでもそうだったのですが、要するに、フランチェスコ・メーリの来日の確認があってから、販売開始があったのではと、黄紺は想像しています。そんなで実現した、スーパーなコンサート。この時期だからでしょうか、大津という地の利が悪く、関西圏唯一の開催にも拘わらず、出かけるのには足が重くなる今日この頃、大ホール1階限定にも拘わらず、客席は空席ばかりだったのですが、かなり熱い客が来ておりました。それに加えて、若い人用のお値段設定があったからでしょうか、最近のコンサートには珍しく、年齢層が下がっていましたね、そんなで、ちょっと雰囲気が慣れないものだったのも、おもしろみのあるコンサートとなりました。そのプログラムは、次のようなものでした。なお、ピアノ伴奏は、来日できなかったダヴィデ・カヴァッリに代わり、浅野菜生子が務めました。「ロッシーニ:“音楽の夜会”より 約束」「ドニゼッティ:ああ、思い出しておくれ、美しいイレーネ」「ベッリーニ:お行き、幸せなバラよ」「ルイージ・マイオ:アルケミケランジョレスカ~ミケランジェロの火、風、地、水の詩によせて~(世界初演)」「トスティ:最後の歌/理想の人/君なんかもう愛していない/魅惑/夢」「マスネ:歌劇“マノン”より“目を閉じて(夢の歌)”」「ヴェルディ:歌劇“ルイザ・ミラー”より“ああ!自分の目を信じずにいられたら ~穏やかな夜には”」「ジョルダーノ:歌劇“フェドーラ”より“愛さずにはいられぬこの想い”」「プッチーニ:歌劇“トスカ”より“星は光りぬ”」、更に、アンコールが、なんと6曲も! 「クルティス:忘れな草」「トスティ:暁は光から闇をへだて」「ドニゼッティ:歌劇“愛の妙薬”より“人知れぬ涙”」「トスティ:可愛い口もと※弾き歌い」「レオンカヴァッロ:マッティナータ」「レハール:歌劇“微笑みの国”より“君こそわが心のすべて”」。この人、元来は、ベルカントものを歌っていたことを、この間のオペラ配信を観ることで知ったので、プログラムの冒頭のベルカント歌曲に、ちょっと興味を持ったのですが、その影は、ほぼ観られなかったですね。装飾音の歌い方が、「散髪屋」を歌っているのを観たときも思ったのですが、そんなに上手くない、それを、昨日も確認。今や、あまり歌う機会がないものだから、むしろ後退気味。その分、声の勢いがあります。3年ほど前だったかな、同じびわ湖ホールで、マンリーコを歌った声のまんまで、ベルカントを歌ってくれたって印象でした。アンコールのネモリーノのアリアでも、声の軽さよりは、張りや勢い勝負の声になっていますから、黄紺は、正面の2階部分で聴いたのですが、上の階で聴くと、より朗々と響く声を聴けたかもしれませんね。そんなで、自分的には、「ルイザ・ミラー」がベスト・チョイスかな。日本で、あんなにいっぱいスタンディングオベーション観たの、初めてじゃないかな。それだけの値打ちのある歌手、コンサートでした。この時期に、これだけの大物を聴けたというだけで、ホント、ハイになる気持ち、よ~く解ります。
 びわ湖ホールに行くときの定番、往復を、その日のウォーキングに当てる、昨日もそうなりました。そして、帰りは、自宅の最寄り駅の1つ手前の駅で降り、買い物のために迂回路を採ることで、ウォーキングの距離を延ばすというもの。目的は、ちょっとしたお酒の補充が大きいので、それに合わせて、晩酌で、何を呑むのかの調整をしています。そんなで、自宅に帰り着くと、ほぼ、いつもの夕方のウォーキングで帰ってくる時間帯。それで、1日が終わるかと思っていたら、トルコのサッカーとコロナ情報の収集が終わった頃に、息子から電話。「DがTV電話したい、言ってる」、てなことで、そこから、半時間ほど、DとSのお風呂の時間までTV電話の時間となりました。Sが、よく動くようになっています。DとSのじゃれ合いが、複雑で大きく、派手になっているのを、画面を通して観るのが、楽しくって! Sが、小さな声で「パパ」と言うのを聞かせてくれました。徐々にお喋りを始めるのかな。前回から10日ほどしか経ってないのに、2人ともに、何となく変化がありますね、子どもって、ホント、どんどんと変わっていきます。


2021年 2月 11日(木)午前 7時 42分

 昨日は、自宅で、繫昌亭のオンライン配信を観る日。1ヶ月ほど前だったっけ、む雀が、音曲漫才をして、繫昌亭の舞台に出るというので、ついに観てしまったオンライン配信での落語会、これがくせになった可能性は十分、家で落語会そのままを体感できるのが、ちょっと気に入りました。昼席は、お値段を、若干低めに設定されているということで、今後も、時々、利用しようかなの気分です、番組を睨みながらですが。昨日は、社長が、弟弟子宗助とともに出るだけではなく、枝鶴が中トリ、それに、文鹿が付いてくるというのが、美味しい。色物さんも、好メンバーと、昼席を覗くには十分な顔ぶれでした。その番組は、次のようなものでした。小梅「刻うどん」、呂好「太鼓腹」、文鹿「さわやかアニメソング」、豊来家幸輝「太神楽」、枝鶴「欲の熊鷹」、(中入り)、宗助「七度狐」、喜味家たまご「三味線放談」、米団治「七段目」。二世が、番組内に3名(小梅・たまご・米團治)、それに加えて、オンライン配信用のスイッチャーのりょうばとなると、4名が、この昼席に集うという珍しい構成となりました。小梅ちゃんは、ご無沙汰です。相変わらず、ちょっと重ための口調だけど、かなり口演数を踏んでいるのか、いいリズムが付いていました。でも、「あんた、若いんだから」と、声掛けをしたくなるのは仕方ありません。呂好も二番手で出るようになっているのですね、時の進むのが速い! 「太鼓腹かぁ」と思うと、居眠り。この会、ただ1回の居眠りが出てしまいました。お目当てが出るとなると、簡単に覚醒。以前は嫌だった、土足で自分ちに上がりこまれて来る空気を出す文鹿の高座は、今や、それがおもしろい、楽しい気にさせてくれます。ネタは、さわやかシリーズから、黄紺的には、存在は知っていながら、遭遇は初めてというもの。「さわやか」なんて言葉を使う、この外れた感覚も、いつの間にか、おもしろい、楽しいになってしまってます。ウルトラマンのテーマ音楽を、次から次へと歌っていく、時間がなかったからですが、それだけの高座になってしまってましたが、それが、文鹿だから、おもしろいのです。でも、この人、とってもいい声してる! 音もしっかりとってる、知らなかった顔を見つけてしまいました。豊来家幸輝は、土瓶芸のスペシャリスト。太神楽芸人さんが、ラストに出そうかという芸を連発してくれます。中トリの枝鶴、出て来るなり早々に、文鹿いじりで、会場、大爆笑。オンライン配信は、ホントのドッカーンでないと、音を拾ってくれないのが、寂しいけれど、ここは、完全にドッカーン、でした。そして、ネタが、なんと「欲の熊鷹」、これは、ガッツポーズです! 笑福亭のネタですし、半直系と言える枝鶴で聴けるのですから、これは嬉しかった。演じ手が少ないのがネックで、なかなか遭遇できない。間が開き過ぎるので、ネタの中身、忘れてしまう。ですから、いつ聴いても新鮮。ちょっと「平の陰」に通じるテイストを持ったネタですね。すっとぼけた、そう、ぼけたネタです。だから、難しいから、手を出さないのかな、笑福亭でも。いや~、ええもん聴かせてもらいました。聴けただけではなく、枝鶴の人にも合ってると思わせるものがあったということは、すっとぼけた味に浸れたってことですね。中入り明けは、宗助、恐らく、昼席では初めてでしょう。協会員になり、日が浅いですからね。「七度狐」とは、黄紺的には意表を突かれました。そもそも、宗助の「七度狐」って聴いたことあったっけの気持ちです。そりゃ持っているとは思いますが、ちょっと意外性を感じてしまいました。お時間に合わせて、刈り込みを入れながら最後まで到達。べちょたれ雑炊は、残念ながらカットの憂き目に、ま、仕方ないか、ですね。たまごもお久しぶりです。最後に見せる踊りは、只者ではないですと、黄紺にも解るくらいに、うまい身のこなし。いとこいを知っている世代が、まだまだいるってことが嬉しくなりますね。そして、トリは米團治社長、マクラで、きっちりと米朝商店の宣伝までやってました。ネタは、一瞬「親子茶屋」と思わせられたところもあったのですが、定番の「七段目」でした。ただ、米團治の「七段目」は、他と違うので、これはこれで嬉しい。序盤のやり取りにも、細かな違いが散見できるのですが、大きな違いは、若旦那が、一人で芝居をするところを膨らませるというか、こちらが原型かもしれないのですが、ここに、たっぷりと時間を使ってくれるという点。銀瓶も、そうじゃなかったかなの記憶ですが、これは、あまり自信がない。昨日の口演では、安宅関(団十郎&仁左衛門の口真似で)・五段目・六段目と続き、最後の六段目で定吉の入りとなりました。ただ、黄紺は、芝居ぶりでは、五段目と六段目の境目が、しっかりとは判っていませんでした。七段目をやろうというときに、「五段目、六段目ときたから、、、」という台詞が入ったので、入ったのだろうと思うということです。定吉の入りも、よく見かける大仰な身振りの入るものではない絡み方でした。下げも違うんだよね。「七段目から落ちたんか」「いや、てっぺんから」と、よく聴くものと逆でした。言いそこ間違いじゃないでしょうね?
 そんなで、昼席を楽しんだお時間、ジャスト2時間半。いい午後となりました。この時間が、昨日は、すっぽりと、普段の時間の動きに嵌りました。ですから、日に2回のウォーキングは、通常通り。暖かなお天気だったため、普段よりは、ゆったりとした気で歩くことができたのが、嬉しかったな。ちょっと、初春の空気が流れていました。


2021年 2月 10日(水)午前 7時 23分

 昨日は、結局、映画を観てまいりました。朝っぱらからです。この朝っぱらからというのに、なかなか気が進まず、前日も止め、このあとも行かないかもと思っていたのですが、さほど生活のリズムを崩さないで行けるメドが立ったため、その気になっちゃいました。そして、行って、正解の映画だったから、万事OKといったところです。映画は、京都シネマであったイラン映画「ジャスト6.5 闘いの証」。今更ながら、京都シネマに、朝一で行ったことのないことを知りました。京都シネマは、ビルの3階にあるのだけど、朝っぱらに行くと、エスカレーターは停めてあるは、階段からは上のフロアに入れない。エレベーターなど動いているはずはないと勝手判断、清掃員の方に尋ねると、ニコリとされて、「エレベーターで行けますよ」、あれれ、でも、あのニコリは、黄紺だけじゃなかったなで、こちらも笑みがこぼれてしまいました。京都シネマは、まだ、開館前、そこに列を作る爺婆。ネット購入しないんですね、爺婆は。こないなところでも、IT後進国の日本の姿を知ってしまいました。朝一の映画館へ入場のしきたりも、昨日、初めて知りました。そんなで、イラン映画。このイラン映画、黄紺の観てきた、知っているイラン映画と、全くテイストが違う。いきなり、家のドアを蹴り、犯人捜査に当たる警察官、逃げる犯人、追いかける警察官。これが、後の警察官同士のつばぜり合いの伏線になっている。その警察官は、麻薬捜査専門。売人を捜し出し、それを追求、逮捕して、更に上位の売人に迫っていくというもの。ですから、そういった捜査官の物語が主たる物語だと思い観ていると、いよいよ本丸の売人に迫ってから、捜査官の物語は、主から副に転じて行きます。そして、映画の本筋は、ここからという、ちょっと手の込んだ作り方、でも、筋立ては、ほぼ単線なので、主が交替したと判っても、黄紺ですらも混乱せずに済みました。そこから、本丸の売人を処刑にまで持って行く、丁々発止のやり取りとなっていきます。その中で、犯人が麻薬で財をなし、親、兄弟姉妹、その子どもといった一族を養い、貧困から抜け出せたばかりではなく、豪華な生活をさせている姿が浮かんできます。絶体的な貧困、格差が浮かんでくる仕掛けです。処刑前に、その一族との面会が許される場面が象徴的です。体操教室に通う甥っ子が、その技を、麻薬王の前で見せます。男が、麻薬で得てきたものです。その一方で、麻薬を常用するホームレス、それで、一層の貧困、苦渋を味わっている人たちには、決して目を向けようとしません。そういった場面が繰り返されます。捜査官や検察官が、そのように諭し、罪の大きさを説いても、決して、それを認めず、己の貧困からの脱却を解き、決して、子どもを傷つけることなどしないと言い張る、この男のキャラに、この男の体感してきた貧困の深さが滲み出ています。その最後の面会の場面、その最後に、弟は叫びます、「日本の売人の名前を教えてくれ」、それが、貧困への逆戻りをする弟の叫びでした。でも、男の言ったのは、「絶体に止めとけ」という絶叫でした。「命と引き換えにすることじゃない」「生きることを考えろ」ということだったのでしょうか、、、。ラストに、2ついい場面があります。家族らが、すれ違うのもままならない路地の奥にある貧困を象徴する家に、列をなして入って行く場面、もう1つは、この捜査を最後に警察官を辞めた、この捜査に当たった男が、私服で車に座っていると、その窓を拭いて金をせびる爺さん、貧困を象徴する2つでした。己だけを見る男が主人公でした、社会的に俯瞰して、己の行為を眺めることを拒んだ男の物語でしたが、この映画では、本筋でないところで、このテーマが、もう1つ挿入されています。刑務所に収容されている麻薬常習で脚に障害のある男とその子どもです。子どもは、父親だけが身寄りだと、また、それまでに粗末な扱いを受けて来たということで、何とか、父親に見放されては困ると、必死に父親にすがるために、父親を庇うのですが、その父親は、息子を、自分の替わりに麻薬常習者に仕立てて、罪を逃れようとし、それを達成してしまうというものです。ともに描かれているのは、完全なるイマジネーションの欠如ということです。麻薬王的な男は、それだけ裏社会で勢いをなしているから、社会的影響力が大きいだけという、スケールの違いとしてだけ看ることができるだけで、この子どもを身代わりにする男と同じです。障害をも武器にして逃れようとまでします。こういった映画が、イランで作られていることすら知りませんでした。それが、何よりもの驚きでした。イランで評価を受けた作品って、日本には流れてこないんだよね、そこから、我々の目、イランを見る目も作られてしまっているように思えました。
 映画が終わり、自宅に戻ると、いつもの昼食時間。ですから、結果的に、大きなリズムの変化があったわけではなく、午後は、いつものようにオペラ配信まで楽しむことができました。新たに選んだのは、モンテカルロ歌劇場の「ボエーム」(ジャン=ルイ・グリンダ演出)。ジャン=ルイ・グリンダという演出家は知らなかったのですが、調べている内に、同歌劇場のインテンダントだと知りました。また、新国立劇場の「ルチア」は、この人のプロダクションだそうですが、そのわりには、この方のプロフィールを日本語で書いたものが見つけられないでいます。2幕まで観ましたが、今のところ、背景に大きなスクリーンを置き、そこにパリの街の風景を投射しているのが特徴のプロダクションで、ムゼッタのアリアで、ドキッとさせられた画像の動かし方があったくらいで、さほどそそられるプロダクションではないですね。でも、気が付くと、プッチーニ2連発で、オペラ配信を観ています。


2021年 2月 8日(月)午後 11時 9分

 今日は、当初の予定としては、映画を観に行くことにしていた日でした。でも、朝になってから、出かけるのが億劫になったというか、気が乗らなかったというか、いつものヤツが出てしまい、結局、お出かけなしの日となりました。とりあえずは、映画を、明日、観に行くことにしましたが、また、朝になると判りません。結果的に、ルーティンをこなす日となり、それはそれで、しっかりとこなすことができました。昼前のウォーキングは、ちょっと久しぶりのコース取り。でも、今日は、寒く、曇ったままで、昨日とはダンチでした。そんな日だったにも拘らず、途中、休憩がてらの読書をすることができました。これ以上寒いと、考えもしないけど、何となく本を外で読みたい欲求が強く、敢行。風がなかったから、そないなことができたのだと思います。夕方のウォーキングは、新しい靴を買いがてらのもの。もう、靴がダメになりかかる兆候が出てきました。歩き方の癖があるのか、いつも左足の靴がダメになってしまいます。その兆候が現れ出すと、新しい靴を買います。また、足に馴染んでくれないと、古い靴を使わねばならないので、古い靴が履けなくなる前に、余裕を持ち、新しい靴を買うのです。まだ、1ヶ月くらいじゃないかな、今の靴。毎日のウォーキングをしていると、こないなものです。で、安物を買うと、足に馴染ますのに苦労する、でも、短期間でダメになるものだから、安物を買う、これの繰り返しです。今回は、前回よりは、少し値段のはる、でも、安物には変わりはないものを買ってみました。明日から、また、足慣らしの苦難が始まります。
 午後に時間が空いたということで、定番のオペラ配信。「トゥーランドット」の続きです。かなりアヴァンギャルドなプロダクション。一般的に、クロアチアの歌劇場でのプロダクションがどうだということが判らないものですから、言いようがないのですが、頗る付きの戸惑いを感じています。終幕まで観て、思ったのは、無理して解釈しなくていいのではという感想。解釈すると、実は陳腐な設えだと思えてしまったからです。そうとしか思えないレヴェルの頭の働きしか持っていないとも思える一方、抽象化の仕方が陳腐に思えてもしまいます。権力、その獰猛さを、獰猛さ繋がりで、白熊を使って表したり、その権力が崩れたかに見えると、作り物の白熊がひっくり返っていたり、カラフが勝ったかに見えた場面では、その白熊の背にカラフを座らせたりと、最初の扉が判れば、あとは陳腐になるプロダクション。ショーウインドーばりの箱も、パラダイムや既成のステータスに置換できるとするならば、それを使った場面転換などは、陳腐なものと看えてしまう。ですから、アヴァンギャルドは見せかけかもねと思ってもいます。
 最近観たYouTubeで印象に残ったものをメモっておきます。以前にも書いたように、今、外国に行けない黄紺の心をくすぐるのは、モッパン系の動画。それから3つ。韓国系YouTuber(ソウル在住)の動画で、カンジャンケジャンを食べるのがあった。カニですから、カニの食べれない黄紺には縁のない動画のはずだけど、韓国の食堂の雰囲気に浸れると、つい観てしまう。ところが、黄紺の目を引いたのは、メニューに書かれていた、カンジャンケジャンでないもの。韓国語にめっちゃ堪能なYouTuber氏なんだけど、目当てのカンジャンケジャンに首ったけなものだから、肝心なものに目が行っていない! でも、黄紺は、それに首ったけ。「コマク・ピビンパプ」と書かれていたのでした。食べたことはない、でも、めっちゃそそられる、第一、そないな品物があることすら知らなかった。けど、コマク入りのピビンパプは食べたいよな、絶対に。2つ目も韓国系YouTube(釜山在住)、こちらは、完全に、コロナ禍のなか、韓国に来れない黄紺のような者をターゲットにしている。定番中の定番のものを食べて見せてくれるのです。「テジ・クッパプ」の美味しい店でのモッパンでした。釜山に行くたびに、朝食に食べに行っていたテジ・クッパプの専門店、一昨年の12月に行ったときも行こうとしたら、なくなっていた。そないな思い出が被ります。美味いテジ・クッパプに当たれば、ホントに美味い、当たり前かもしれないけど。もう1つは、マレーシア系YouTube(クアラルンプル在住)なんだけど、こちらも、最近、やたら屋台飯を紹介してくれる。完全に、黄紺のツボにはまっています。最新のものでは、焼きそば系、いわゆる「ミー」ですが、これを食べてくれてました。ロティ・チャナイ、パンミー(板麺)に次ぐ、大ヒット、但し、黄紺的にはですが、そういった動画です。こういったモッパン系とは別に、セルビア系YouTubeでは、モンテネグロでプレーする日本人サッカー選手を紹介してくれていました。モンテネグロでプレーし、それが、レッドスターの目に止まり、ベオグラードにやって来た、それを掴まえてのインタビューという動画。「世界の各所に居る日本人」と書けば陳腐になりますが、実際、それに該当する人を、思わぬシテュエーションで観ると、大きく記憶に残りますが、これが、正にそうでした。視聴後、思わず口から出ました、「若いっていいな」と。


2021年 2月 8日(月)午前 7時 52分

 昨日は、京エコロジーセンター主催のオンライン講演会に参加した日。Zoomを使ったオンライン講演会も、すっかり常態化しつつあります。こちらでは、「地球温暖化の今」と題した講演会で、2人の方からお話を伺ことができました。京エコロジーセンターは、京都議定書を記念して作られた施設、毎月、こういったイベントが行われているのを、歴彩館などへ行くようになり、そのイベントのチラシを手にすることで知るようになりました。エコ関連のお話は、いずれを聴いても興味がそそられる面があるということで、黄紺的には、嬉しいとっかかりができたと思っています。その演題&講師は、次のようになっていました。①国立環境研究所地球環境研究センター・気候変動リスク評価研究室室長塩竈秀夫「地球の温暖化と今(とこれから)」②気候ネットワーク事務局長田浦健朗「脱炭素(地球温暖化防止)に向けた行動について」。①では、温暖化というものを、様々なデータを見せていただいて、それが進んでいる実態を見せていただけました。温暖化が騒がれ出して以後だけではなく、過去のデータと比較できるというのがおもしろいですね。例えば、南極の氷には、その氷ができたときの空気が閉じ込められているので、それを手掛かりに、その時代を科学的に知ることができる。すると、グラフにすると、同じような波形で推移していた地球の温度が、ここにきて急激に上がっている。異常な形で。また、様々なデータを用意して、未来も予測することができる。スーパーコンピューターを使い、データの計算をさせると言っておられました。このままだと、2050年には、気温が4度上昇する、これを、3度に押さえられると、また、2度に押さえられると、どのようになるかが予測できる、だから、今、何をすべきか、何ができるのかを考えることができるというわけです。今、住んでいる我々が、ここまで経験したことのない高温を、未来の人は、年に何日くらい経験するのか、これも、気温上昇を、どのように想定するかで、データが違ってきます。我々が、既に経験してきている、経験したことのなかった高温、それを、更に上回る高温が未来の人を襲うというわけです。となると、気温上昇で済むわけではないとなっていくわけです。その対策のお話が後半でした。トランプのおかげで、何かと注目を、再び浴びてしまったパリ協定のお話は、定番です。そこで出ている数値目標を踏まえてのお話だったわけです。地方自治体へのアドバイスが仕事の1つだと言われていました。その方法は2つ、「緩和を進める方法=排出量の減」と「影響小さくする政策=気候変動適応法」となります。具体策は、②のお話に譲られる様子で、ここで、お話は切られました。②は、NPOとして、具体的な活動、提言をされているお立場でのお話となりました。やはり、こちらでも、出発点はパリ協定です。それを脱退するとは、トランプは、とんでもない詐欺師です。いや、人類に対する犯罪者です。実際、暴動扇動の犯罪を犯しましたしね。具体的なお話として、メモることができたものを列挙しておきます。「(化石燃料には投資しない)ダイベストメント運動」「再生可能エネルギーによる雇用創出効果」「RE100」「ジャスト・トランジション(公正な移行)」「GDPと温室効果ガスの排出」「グリーン・リカバリー」「2050 排出実質ゼロ表明自治体」「パワーシフトキャンペーン」「京都市の状況」となります。興味をそそられたのは、実は、あとのQ&Aでも出ていましたが、「水力発電」「木炭(薪)ストーブ」が、再生可能エネルギーにカウントされていることでした。前者は、自然破壊の権化のようなものですが、使えるものは使おうの考え方ですね。既にあるのだから、そして、それを使うと化石燃料を使わないで済むの考え方です。後者は、森林伐採に繋がるのはマイナスではなく、化石燃料使用との比較、林業育成との比較で、プラスマイナスでプラスだという考え方です。ま、間伐材の有効活用ということにもなるでしょうしね。こういった柔軟な考え方、大いに勉強になります、この再生可能エネルギーの思考法は。また、「再生可能エネルギーは高くつく」というのは、日本的感性、神話めいた話だとも言われていました。実態はそうではない、資料で示されると、そう思い込ませているヤツ、黒幕がいるってことですね。電力の自由化のお話もおもしろかったな。大手電力会社一辺倒ではないということで、ここにも再生可能エネルギーが活躍してます。耳、ダンボになりました。地熱の活用は遅れているそうで、可能性を指摘されていました。そんなこと、判っている、でも、言われるということは、また、神話があるのか、単に立ち遅れているか、ですね。いや~、勉強、勉強です。知的に、パンパンですが、ついて行くのに懸命なお話でもありました。
 この講演が午後の大半を占め、昨日も窮屈な時間を過ごすことに。でも、ウォーキングは、バッチリ。暖かい日だったのに、公園での読書は、このタイトな時間だと、無理でした。チャンスだったのにね。夜は、NHKの「2030年」を見据えた番組を観ながら、寝てしまいました。昼間の講演会とリンクしているだけに、背筋の凍る内容でしたが、気が付くと、PCの前では、その番組、終わってました。晩酌に、缶チューハイのロングを1本飲んだだけで、この低汰落となっちゃいました。でも、エコな一日だったってとこかな。


2021年 2月 7日(日)午前 8時 4分

 昨日も、市民向け公開講演会に行った日。週末になると、こういったイベントが出てきます。こちらも、京都市絡みの講演会でしたが、それは、京都市学校歴史博物館主催の「企画展関連講演会」。「京都の中学校150年のものがたり―京都府中学校から新制中学校まで―」という企画展が、今、同館では行われており、それに合わせた講演会が3本企画され、その3つ目が、昨日、行われたというわけです。小さな博物館ですが、教育、学校に特化した博物館は得難く、京都の歴史の一面が見えてくることから、こういったイベントがあれば、こちらの見落としがなければ、内容によっては、参加する気をそそってしまいます。昨日は、同館の学芸員の林潤平さんが講師を務め、「戦前期の京都市における中学校のあゆみ」という演題でお話されました。このシリーズの2回目の講演会に寄せていただいた際、当の企画展を、既に観覧していたため、わりかし予習ができていたというところでの参加、だからでしょうか、頭に入りやすかったようで、居眠りなしという、稀なる時間となりました。林さんも、冒頭で言われていましたが、複雑な流れが、戦前の中学校にはあります。今の新制中学校に対する旧制中学校が成立する以前に、中学校の歴史があるのです。維新の時代、「中学」概念が確立していないなか、国の構想とは別に、「京都府中学校」というものができていたのです。京都にもあった「学習院」構想を引き継ごうという発想です。そこへ、国の構想、それが、学制制定という形で降りて来るから、話は複雑になるというわけです。明治3年とか5年という時期の出来事です。その学制指示に、言い換えれば、国の学制が降りて来たなか、外国人教師を採用している学校は、「中学」と名乗ってよく、それを活用して「仮中学」として存続していきます。従って、内容も、西洋的志向を持つもので、「学習院」のイメージとは異なる、先進的なものだったようです。明治17年には、三山木、亀岡、宮津といった府下にも、同様の中学校ができていったそうです。しかし、明治19年には、中学校令で、各府県1校に限るとされ、「京都尋常中学校」に統合されてしまいます。しかし、そこへ浮上するのが。第三高等学校京都誘致問題、年齢が被るということで、その「京都尋常中学校」も存続の危機を迎えてしまいます。しかし、その明治19年の中学校令、及び、同32年の同令の改定により、旧制中学校の体制が確立することで、「尋常」が外され、年限を5年、男子のみの旧制中学校が確立していったということです。全国的な学校体制が進むなかで、ようやく安住の地を見出すといった印象を持ちました。これが出来上がると、馴染みのある、旧制の学校体制のまとめのお話、旧制中学校が残した文書史料から、当時の学生気質のお話や、ニーズに応え、学校の数が増えて行く、ナンバースクールの登場ですね。府下にも、当然、学校は拡大していきます。現在、市内の桃山中学校が、ナンバースクールに入ってないのは、その地が、成立時に市内じゃなかったからなんですね、これは、展示資料で知ることになりました。伏見市にもなってなくて、確か、「堀内村」となっていました。確かに、「伏見城」の「堀」内だわと、目からウロコ状態となりました。その気質でおもしろかったのは、これも展示資料で知ったというか、林さんが、「おもしろいのがありますよ」と言われたので、展示室に、昨日も向かったところで知ったのですが、「硬派」の生徒の流行りに「稚木」遊びというのがあったそうです。これって、「稚児愛」を引き継いでいます。「九州が本場」とまで書いてあったので、仰天でした。そんなで、知的に刺激を受けたお話、ここの講演会、黄紺のツボにはまっています。
 この講演会は、午後にあったということは、1日の動きが窮屈になったということを意味しています。結果、ウォーキングに皺寄せがきてしまいました。講演会の往復を、主たるウォーキング時間に充てざるをえず、帰りは、博物館の最寄りの駅から1つ先まで歩き、降りるのも、自宅の最寄り駅2つ手前で降り、且つ、迂回路を選び自宅へ。それで、なんとか、ウォーキングに替えたのですが、いつもよりは、かなり少なめでしたね、1万歩は確保できましたが。
 夜は、「ブラタモリ湯布院編」。内容が濃かったですね、いっぱいいっぱいに情報を詰め込んだ内容に、頭はパンパンになりました。地形と街の形成、そこへ、政治が、最後に、ドーンと入ってくる、途中には、軍事まで入ってましたね、これは、濃~い。だから、温泉街に関しては、城崎に次いでなし。あの超美人の先生が、温泉編となると出て来るのを期待してしまうのは、黄紺だけじゃないでしょうが、2回続けて裏切られてしまったけれど、城崎も湯布院も、地形がおもしろいところだから、そっちに取られちゃいましたね、、、、残念! しかし、湯布院を見渡せる絶景には、さすがに翻弄されました。あれは観たいね、行きたいね、ホント!!


2021年 2月 6日(土)午前 7時 24分

 昨日は、1週間ぶりのお出かけの日。コロナ禍のなか、月1のペースで続けてくれている「アスニー特別講演会」へ行ってまいりました。京都アスニーの方です。事前申込制を採り、人数制限で実施しております。京都市主催のイベントには、対応がバラバラというのは、判りにくさもある一方で、「With コロナ」の模索感があって、臨場感があります。こちらは、広い会場を持っていることが強みであり、安堵感もあるのが特徴。今回は、テーマが人気の武将者ということで、前回を上回る人が詰めかけたんじゃないかな。演題は「信長と4年戦った武将 浅井長政」、講師は長浜市市民協働部学芸専門監/太田浩司さんでした。大原勝林院から見つかった浅井長政書状が、NHKで放送され、衝撃を与えましたが、そのお話が、やはり、この講演の根幹を成しておりました。出発点は、浅井三代、朝倉五代から。浅井は、守護ではなく、その下位の出、正に、下剋上のお手本のような武将との押さえ。六角に仕えていたところ、六角の弱体化につれ、成り上がって来る。当初は、信長とも良好な関係だったが、信長が、朝倉攻めを決断したことから、長年の朝倉との関係を維持すべく、信長を裏切り、両者の対決へと進むという展開。「是非に及ばず」と、それを知ったときの信長の言葉だったとか。側近の者の第一級資料が伝えてくれているそうです。太田さんの語りは、ちょっとチャリの入る講釈師っぽい、だから、ここで脱線。「是非に及ばず」は、もう1度、信長は使っている。大きな裏切りがありますね、そこでです。この辺りの浅井の動きを差配しているのは長政だけど、先代の久政は存命、第一、長政自刃に先立ち自刃だから、浅井の最期まで生きている。これは、浅井内部の主導権争いを表していると言われていました。ハト派の久政、タカ派の長政という構図で、ハト派からタカ派への転換が、久政から長政への当主の移行を表しているので、久政は亡くなったわけじゃないということです。で、信長への対応も生まれて来るということになるのです。姉川の合戦に至る展開、両派の陣地配置、その変更を考えても、姉川で、浅井が負けてしまったとは考えにくいと、大原勝林院文書があるものだから、早くも、この辺りから強気のお話。和議を結びます。この和議がまずかったのではないか、最終的に、浅井は負けるわけですから、ここで一息つかせたのが、その後に繋がるというのが、太田さんの見解でした。姉川の約半年後に、大原勝林院文書が出ます。NHKの番組でも言ってましたが、長政自筆の書状、但し、花押だけだそうです。本文は誰かが書き、それに長政が署名したというところです。「長」という字を前倒しにした意匠になっていると言われていましたが、そう言われて眺めると、確かにそう見える。めっちゃお洒落な発想です。花押の世界って、そないなものなんですね、ちょっと感激! 大原勝林院書状は、京都側の寺院に、姉川以後に、長政が保証を与える内容なものだから、騒然となったわけですよね。「姉川で負けたはず」だった長政が、まだ、京都に勢力を張っている、これが、それまでの通説ではありえなかった、でも、そのありえないことの証拠が出てきたわけです。となると、姉川合戦の評価が変わらざるをえなくなるわけですね。信長との力関係が変わるのは、姉川以後、時間が経ってからとなっていきますが、やがて没落の時がやって来ます。朝倉が落ちます。朝倉と言えば一乗谷。これ、「ブラタモリ/福井編」でやりましたね。あの映像観て、黄紺は、ホント、びっくらぽん、でした。何十年前に、一乗谷に行ったときと、風景が全く違ったのですから。史跡として、見事な整備が成されていますね、今は、それを、「ブラタモリ」は見せてくれました。で、小谷城での最期を、浅井は迎えます。小谷城を本陣に、横並びに3つの城で、信長軍を迎え撃ったところ、その1つが落ちたのが最期へと繋がったと言われていました。背後に回られてしまったということです。その小谷城も行ったことがあります。晩秋でした。山城です、その城址の紅葉ほど、見事な紅葉を見たことはありません。恐らく、今後も見ることはないでしょう。それ程の見事さでした。真っ赤ではなく、色とりどりの紅葉の見事さは、わざと人間が作ったのじゃないかとすら思えるものでした。一乗谷も、小谷城も行っている、不思議な縁が、この講演にはありました。自刃をしたとき、長政29歳だったとか、若すぎますね、それで、15年ほどの間、当主としての運命を全うしたということです。小谷城の廃墟と重なり、無常を感じてしまいました。
 京都アスニーでの講演会は午前中、そういったときは、毎回、朝にこってり系のものを食べ、お腹を持たせます。そして、帰途、自宅の最寄り駅1つ手前で降り、且つ、マートをコースに取り込み、ウォーキングをして帰ることにしています。そして、自宅に戻ってから、遅めの昼食というパターン、昨日もそうでした。そして、朝、チェックしてあったが、読み切れなかったトルコのコロナ情報を読むという流れ。こういった生活の流れが変わるので、外出が億劫になりがちですが、昨日は、なんとか、そういった流れで対応しました。夕方は、軽めのウォーキングをするつもりだったのですが、お酒を仕入れに目当てのマートまで行くと、結局、昨日のウォーキング、2万歩に近づいてしまってました。そんなで、ちょっとお疲れです、昨日は。


2021年 2月 5日(金)午前 6時 4分

 昨日も、お出かけなしの一日。この前のお出かけは、先週の金曜日に、びわ湖ホールで「魔笛」を観たときですから、それから、ジャスト1週間、巣ごもり状態です。ま、出かけたとしても、世の中の端っこを生きている人間らしく、こそこそと道の傍らを歩いているだけなので、世間の邪魔をしたり、貢献したりなんてことはないでしょうがと、自分は関係ない発言です。昨日も、わりかし寒い。陽は、時ったまにしか出てなかったですものね。昼前のウォーキングは、自然いっぱいのコースだったけど、このコース、今週、まだ歩いてなかったですね。朝方は雨だったのか、ベンチなども、手で濡れてないか確認して座らねばなりませんでした。でも、これは、単に5分ほどの休憩のため。座ると、それまで温まってきていた体が、急冷状態になるものだから、逃げるようにして、ウォーキングを再開。年度末が近づいているからでしょうか、道路を掘り返す工事が目立ちますね。この半月ほどの傾向です。夕方のウォーキングで、旧伏見市内の中心街を横切ってみたのですが、まだ、午後6時くらいだったからでしょうか、仕事帰りでしょうか、席を囲んで飲んでいる人、いますね。わりかし、多人数で、席を囲む光景も、店の前を通るときに目撃してしまいました。同じようなコースを歩いたときにも、ほぼ見なかった光景だけに、ドン引きしてしまいました。居酒屋さんには気の毒だけど、そないにしてまでも呑みたいかなと、アル中気味の黄紺すら、思ってしまった光景でした。
 トルコで、外出制限措置が継続中なのに、新たな陽性判明者数が増加中です。新たな発症者数に比べると、かなり開きの出る上昇気配。新たな死者数や重篤患者(集中治療室収容者)数は、ずっと下降化傾向を見せ続けているのに、新たな陽性判明者数は伸びている、ということは、若年層の感染が拡大しているということなのでしょうか。若い人たちの中にも異常が出る人たちもいるはずですから、彼らの濃厚接触者を洗っていくと、陽性判明が続々といったシナリオが思い浮かんでしまっています。それは、黄紺の勝手な想像ですが、推測されていることで言えば、今、学校が休みなんですよね。それで、制限時間以外での、人の行き来が増えていると言います。「学校がない」、これは対面式授業をしていないということではなく、学校が休暇に入っているということなのですが、子どもを目当てにした爺婆や近所の人たちが動くということらしいです。スジャックな人たちだと、ここでも思ってしまいました。ワクチンのニュースが、日本でも、コロナ禍の中心を占めつつありますが、日本よりか接種が、かなり早かったトルコでは、ニュースの重点がワクチンにシフトするのは、その分、早かった。「透明性」を掲げる政府は、我慢の目印としてワクチン情報を流している側面がありますから、ちょっとしたメドがワクチンに出てくると、頑張って発信する。日本を見ていると、よく判る話ですよね。それを受けた国民の和らぎは、当然の如く、緩みに繋がる、それも現れてきてんじゃないのと、黄紺は思ってしまっています。行動心理学が流行るわけです。実際、先日の尾美さんの発した若者に向けたメッセージって、裏に行動心理学の専門家ありが見え見えだった。そういったものの、人の動きってものが見えたのも、コロナ禍の成せる業だったのかと思います。
 オペラ配信は、「魔笛」を卒業できないものですから、またぞろ観てしまいました。そして、地力のなさを自覚させられました。この前に書いた以上の閃きは浮かばないまんま。諦めました。解からないものは解らないままにしておくことにしました。そのため、次なる配信を精査した結果、配信期間の迫りつつあるものを、優先的に選んでみました。クロアチア国立歌劇場(ザグレブ)の「トゥーランドット」(ステファノ・リッツィ演出)を選びました。このプロダクションも難解と言える範疇、そんなのが続きます。装置や衣装からして、中国色なし、時代設定は現代。オケのチューニング前に、舞台にトゥーランドットは出ていて、舞台上の歌手、コーラスの皆さんに指示を出している。整ったとなると、指揮者、オケにキューのサイン、すると、チューニングが始まると、まあ、このオペラ自体も差配している風情、トゥーランドットの権力を見せようとしている。装置は、檻のような、ショーウインドーのような、キャリアの付いた大きな箱が置かれている。3つだったかな、1つには巨大な白熊、凶暴さを表しているのでしょうね、トゥーランドットの。2つ目には、正装をしたティムールとリュー、リューの衣装は、結婚式に臨む花嫁のよう。3つ目は空。そういった大きな箱以外は、何もないという空間で、オペラは進行するという代物です。ピン・ポン・パンのメイクは、完全にピエロ、ま、ヨーロッパの宮廷にいた道化のアナロジーってところでしょうか。そのピン・ポン・パン3人の掛け合いに掛かったところで切らねばならなかったので、この後、謎を出す場面、それが解かれたときのトゥーランドットの振舞いなど、注目しなければならないところが控えていますが、作り過ぎ感がるので、そんなにも楽しみでもないのが、正直なところ、です。でも、怖いもの観たさで観るんだろうな、、、!


2021年 2月 4日(木)午前 6時 55分

 昨日は、お出かけなしの一日。実は、映画を、1本、ピックアップしていたのですが、上映が夜にかかるということで、またしても断念。出町座という、一度は行ってみたい映画館だったのですが、またの機会に回すことにしました。こないだもそうだったけれど、夜が鬼門になってきています。そこへ来て、緊急事態宣言がボディブローのように効き出してきていて、お出かけ機会が減りつつあります。宣言が延長されてから、その実感を持ち出したってことは、巣ごもり生活が板についている黄紺も、世間基準で、緩やかに、それはあかんやないかと突っ込みたくなるように、緩やかに効いてきているのです。そんなで、いつものルーティンにしているウォーキング、及び、ついでの買い物に外出をするのだけが、唯一の外の空気を吸う機会。一昨日の暖かさが嘘のように、気温の降下を感じさせる日でした。でも、極寒というわけではないですね。TVの天気予報で観た、そうなんです、TVがない黄紺宅ですが、YouTubeにはTVニュースが流れているので、リアルタイムでなくとも、同じ日のニュースは、1回は観るようになっています、コロナ禍以後は、で、その天気予報で、大寒以後は、緩やかに気温は上昇と言ってましたが、当たりって感じがしています。結局、寒い冬と言われたこの冬も、ホントにホントに凍えたのは、2回ですか、、、! 1回は、元旦前後、もう1回、あったけれど、その前だったか、後だったか、もう忘れてしまっています。元旦前後というのは覚えやすいだけで、覚えているだけというところです。ま、寒いので、一昨日のように、休憩がてら読書というわけにはいかず、でも、僅かな休憩を取るだけで、ウォーキングがはずみます。帰宅して、万歩計を見て、びっくり、昼前だけで、1万歩を超えていました。これは、なかなかないですよ。歩き過ぎると、腰に来るかもしれないので、過剰なのも慎まねばなりません。でも、夕方も普通通りにしてしまってました。今日、少し減らし気味に歩くことにしましょうか。
 居眠りをしてしまった「魔笛」、観直しを、全部とまではいかなかったのですが、後半の居眠り部分の大半は、今度は居眠りなしで観てみました。すると、余計に判らなくなっちゃいました。ザラストロと夜の女王という「二項対立」のモチーフがあります、この前提で観てしまったいるからでしょうか、でも、それを取り外す勇気は、さすが起こりませんから、じゃ、「二項」って何なんだよと、基本に関するイメージが作れないのです。ポストモダンチックに、「二項対立」を対象化している? それはありうるとは思っています。ヒントは、ザラストロの神殿に集う人たちの衣装、様々な民族、宗教を表していました。対立、衝突の動機となるレッテルが、一塊に固められていて、ザラストロの神殿に集っていた、じゃ、それに対峙するものは何なんだという問いかけなのか、だと、また「二項対立」の網にからめとられてしまうので、その知そのものを対象化しているとも取れると思ってしまっています。このテーマを扱ったプロダクションと言えば、黄紺は、リューベック歌劇場で観た、ペーター・コンヴィチュニー演出の「アッチラ」(指揮は沼尻)がそうでした。ひょっとすると、それと比肩するプロダクションの可能性が出てきているなと思い始めています。ですから、もう少し検証したいので、この「魔笛」に拘ってみたいと思っているところです。こういった考えさせられるプロダクション、大好きなもので、それを提供してくれているグラハム・ヴィックは、やはり只者ではないスター演出家なんでしょうな、今更ながらですが。


2021年 2月 3日(水)午前 6時 22分

 昨日は、お出かけなしの一日。気温も上がり、また、明るく、なかなかいいお天気。となれば、ルーティンにしているウォーキングが、楽しい。特に、昼前がいいですね。昨日は、以前、毎日のように行っていたのだけど、最近は、かなりご無沙汰の公園で、木のベンチに腰掛け、休憩&読書。これができたのは、久しぶりになります。ここ、いいんだけど、週末は、このいいベンチが狙い目になるのか、その周辺で、子ども連れが出るようになり、それをきっかけに避けるようになってしまっていました。昨日は昨日で、暖かだからか、見かけたことのないおっさんが、近くのベンチで寝ていたけれど、お構いなしで、休憩&読書。本だけは、いつも持ち歩いていながら、公園での読書は、寒いから、昨日が久しぶりになりました。でも、夕方は、風が出ましたね。昼前と同じ格好での外出だったけれど、歩き出すと身体は温まるけれど、首筋辺りは、しっかりとパーカーのチャックを閉めておかないと、簡単に冷たい風が入ってきていました。この時間ぐらいかな、学校帰りの子どもや、やたら車の量が増えちゃうものだから、世の中が動いていると実感できるのは。それにつけても、帰りを急ぐのか、住宅街を抜け道として利用する車は、ホント、迷惑。ウォーキングをしている者には、邪魔で仕方ありません。
 この頃、YouTubeを観ると言えば、無職旅 musyokutabi氏のチャンネル中心。他の旅系YouTuberに精通しているわけではないので、どういった位置にあるとか、人気の度合いを比較できないのだけど、この人の出す「GeoGuessrライブ」の中毒性にはまってしまっています。GeoGuessrというゲームをやって見せるという動画です。Googleマップのストリートビューを使い、どこかに放り出されます。その位置をピンポイントで当てるというものが、本来の、このゲームの遊び方だけど、いろいろと変化がある。ピンポイントではなく、どこの国かを当てるいうお題であったり、お題の設定にも工夫がある。国を指定してあったり、世界遺産という指定だったり、なかには世界のマクドナルドなんてのもある。いきなりマクドナルドの店が出てきて、それが、どこかを当てるというもの。もちろん、ストリートビューですから動けます。動けるから、そこからヒントを探し出します。道路標識、使われている言語、風景、車種、植生、人の肌の色などなど、でも、答そのものに繋がりそうなものには、出題者がボカシをかけているのがミソ。砂漠の中からスタートっていうのがあったり、サッカーのスタジアムの中からスタートだったりと、それこそ千差万別のスタートがおもしろいのです。じゃ、自分で、GeoGuessrに登録してやればいいじゃないっていう突っ込みが入りそうなんだけど、それは、面白みが減るでしょうね。人が遊ぶのを観ていて、それに突っ込みを入れるのを楽しんでいるという側面があります。ライブ配信をしていますから、YouTuber氏自身のトークというか、ゲームを進めるためのお喋りが入ります。チャット機能を使い、生で観ている人が、一緒に考え、自分の考える答えを書きます。往々にして、その書き込みがフェイクになる場合があります。ほとんど、わざとフェイクを書く人はいないけれど、自分の考える答えを書き、それが当たっているとは限らないので、結果的にフェイクになっちゃう場合があるのです。その一方で、黄紺が、トルコ語表記が出てくれば、即決で判るように、その筋の専門店の方も混じってられるものだから、びっくりするような書き込みがある場合もあるのが、また、おもしろい。一説には、観ている人の中に、医者が多い説ってのがあります。自宅でご覧になっているのか、病院の休憩時間、生で、アーカイブで観てられるのでしょうか、根拠は知りませんが、主さんが言ってられました。トルコの出て来ることは、滅多にないのですが、最近では、いきなり「Akdeniz」と「Susuz」が出てきました。前者は車の横っ腹に書かれていました。バス会社の車ではないですよ! でも、これは、トルコに関わる人なら、誰でも判る代物。でも、後者は即決だったけど、「道路標識」で出てきて、トルコ人でも判らない人、多いんじゃないかな? カルスの近くの町です、小さな、小さな。この手のものが、他の国でも出ていると考えると、むっちゃ、難しいということですね。そんなで、時間があるときには、このチャンネルにアクセスすること、多しですね。
 オペラ配信は、半分まで観ていたマチェラータ・オペラ・フェスティバルの「魔笛」(グラハム・ヴィック演出)の後半を観ました。でも、いつも通り、その前半は居眠り。既に書いたように、ユニークなプロダクション。その仕掛けは、居眠りのために判らないままで終わるのかと思いつつあるときに、目を見張ることが起こりました。ラストで、悔しさを爆発させる夜の女王、でも、その後の大団円の音楽になると、ザラストロは、夜の女王の手を取り立ち上がらせ、夜の女王も、それに素直に従います。背後では、タミーノとパミーナが、作り物の教会を横から押すと、教会が傾き、そのはずみで、傍らの「アップル」のマークに入った作り物のビル、更に傍らの「ユーロ」のマークの付いた作り物のビルも傾いてしまいました。そこまで、プラカードなどを掲げて反対運動をしていた群衆も喜びを爆発させ、最後は、モーツァルトの音楽に合わせた総踊りで幕。明らかに「権威」となるものに対する「抵抗」「解放」というディスコースと見えました。「教会」「アップル」「ユーロ」、過去・現在を通じての「権威」?、「権力」? 「パラダイム」の「そうしつ」「かいほう」なんてことも視野に入れているのでしょうか。居眠りをしたところ、観直す必要があるかもしれませんな、これは。


2021年 2月 2日(火)午前 6時 49分

 昨日は、スケジュール上では、2つのことを入れていた日、なかなかない日だったのですが、1つ目を終えた段階で、満腹状態になり、頑張ったら行けないなんてことはなかったのだけど、結局は止めてしまいました。その止めたのが、このご時世ではレアな落語会。しかも、この間、確実に行こうとしていた大津の落語会。一つには、夜、出かけるのが、かなり億劫になっているという点が、自分の中で作用しているように思っています。今、夜に出かけるというの、もう、この落語会ぐらいが定例になっているほど、夜には出かけない。映画も、決して夜には出かけない。なんか、生活のリズムが出来上がってしまっていて、それが壊れるのが嫌で、貴重な落語会に行きたいという思いを超えてしまっているのでしょうね。ま、昨日は、落語会だけだったら、そういったことを考えなかったかもしれないですが、そうではなかった、1つ目があったのでした。
 その1つ目は、オンライン配信された講演会3日連続の3日目、花園大学が企画された特別講演会。各種講演会を公開することに熱心に取り組まれている大学の1つで、コロナ禍の前には、幾つかの講演会やシンポジウムに寄せていただいたことがあるため、コロナ禍のなか、どのようにされているのかHPを覗かせていただいたときに見つけ、テーマにそそられ申込んでありました。黄紺が知ったときにはオンライン配信となっていました。講師の方が、Zoomを使い台湾から参加されていましたから、このコロナ禍を逆に利用され、オンライン配信ならではの外国からの講師を迎えられたようで、端から、こういった企画だったと思われます。同大学の国際禅学研究所主催の講演会でした。講師は、成功大学歴史系教授で、花園大学国際禅学研究所客員研究員という肩書もお持ちの陳玉女さん、九州大学で学位を取得されていますので、もちろん日本語での講演となりました。演題は「17世紀中国の比丘尼像」。時期設定に、黄紺的にはそそられました。明末清初の動乱期です、そこに、女性出家者を意味する比丘尼が重なっている、黄紺的には、全く被らない2つの組合せ、でも、頭を巡ったのは、明代は、中国の経済発展の著しい時期、出家となると、社会史的には、そういった社会の様相と関わるはず、ましてや王朝交代という動乱期なわけですから、出家と絡みそうということでした。存外、考えたこともないテーマだったのですが、わりかし想像力が的を得そうなテーマのように思えました。講演終了後のQ&Aで、一口に「混乱」と言っても、2つに区分できるという指摘がありました、その具体的な区分の目安は、音声の関係で聞き取れなかったのですが、確かに言われてみれば、そうですね。明は、決して清に滅ぼされたわけではないのですから。遠因ではあるでしょうが。明の内部崩壊、清の侵出&統一といった風に区分できるはずです。それを頭に入れておかないと、確かに、比丘尼というか、出家者が多く出る背景が明確にはならないですね。名望家の子女の出家、貧困家庭から難を逃れるかのような形での出家、これらは、まずもって、明社会の崩壊があればこそ出て来るはず。ですから、比丘尼像にも、大きく二様の姿が出るというお話が出てきました。アジルのようにしての避難地、生きるために必死の女性たち、妖しげなことでもしながら生きようとする人たちがいても、何ら不思議ではないはずです。経済発展で、一方では富を抱えた人たちの需要があるのは間違いないでしょうしね。陳さんは「情欲解放の時代」という言葉を使われていました。需要があり供給もあった、そこに比丘尼が噛んでいたということですね。その一方で、黄紺の知らない「比丘尼文学」的なジャンルがあるのじゃないかな、この時代を特徴付けるものに。詩作やエッセイといったジャンルで、優れた作品を残した比丘尼たち、この教養のバックボーンに、比丘尼になる以前に培われたものがあるのでしょうね、格差の激しい時代、ましてや貧富の差の拡大が進んだ時代、富裕層が、混乱のなか落ちぶれ、いや、落ちぶれないでも、混乱を避けるという形もあったようです、こちらもアジルとしての寺院に入る、で、そこで身に着いた教養が花開く、そういった人の具体的な人物像へも、お話は及んで行きました。対峙した位置にいる比丘尼を意識していたようなことも言われていました。となると、一層、高い教養の追求、探求心が生まれますね。両者は、カウンター概念として発展するということでしょうか。お話のなかでも、また、Q&Aでも出ていましたが、女性と仏教、女性の救い(変成男子という用語も出してのQがありました)という問題に関しては、禅宗が女性に対して門戸を開いていたという事実の指摘がありました。こういった宗派の違いとなると、黄紺は付いて行けないのが悲しい。とまあ、お話がおもしろい。全く、聴いたことのないテーマながら、わりかしイマジネーションが働きやすい内容だったことが、黄紺に満腹感を生んだのだと思います。市民向けの公開講座は、完全に日本史シフト。ほぼ、外国を守備範囲としたものがないため、こういった刺激のある講演は、ホントに有難い。中国の社会史もおもしろいんだよね。都市規制が緩む宋、なかでも爆発的に経済発展する南宋以後は、勉強したいですね。そう言った意味でも、そして、新たな要素が入る、明末清初もそそられます、そういった黄紺の需要にはまってしまった講演でした。
 このオンライン配信が午後。ルーティンにしているウォーキングは、これがあったのと、弟の家に所用があり行ったため、ちょっと昼前のウォーキングは薄め。夕方は、完全に雨。冷たい雨でないのが幸いして、傘さしウォーキングをすることができました。でも、何となくせわしなさの残った一日だったかな、そういった意味でも、夜のお出かけを断念して正解だったということだったかなと思っています。


2021年 2月 1日(月)午前 7時 34分

 昨日は、つまらないことが2つもあった一日。1つ目は、半分は自分の失態だけど、元を糺せば、看板に偽りありが原因と、そちらにも責を求めたくなること。2つ目は、全く、自分の失態はなしで、つまらなかったこと。まず、1つ目は、昨日も、オンライン配信で行われた講演会に申し込んでいました。「京都産業大学/ギャラリー講演会」として行われた「第21回企画展講演会“二十四節気と七十二候 日本の酒・世界の酒を知る”」というイベント。もう一昨年になりますが、こちらの講演会に寄せていただいたことがあり、それ以後、こういった催しについて、ご連絡をいただいており、今回も、それで知った講演会。基になった企画展は、正月休み明けを間違え、閉鎖時期に行ってしまい、それ以後、時間を取れずに行っていないのですが、先に、この講演会がやってきたからでしょうか、この講演会、「二十四節気と七十二候」にシフトしたお話だとばかり思っていました。そういった時候に合わせて、当然のことながら、関わりのある習慣に酒が絡み、様々な風習があるのだろう、そういったものを系統だってお話をしていただけるのだと思い込んでいました。ですから、講師が、「株式会社増田德兵衞商店第14代目社長」の増田德兵衞さんだとなっていても、何ら不思議を感じるものではありませんでした。ちなみに「増田德兵衞商店」は、「月の桂」の銘柄の日本酒を作られている会社です。ところが、実際のお話は、酒の一般的なお話で、「二十四節気と七十二候」は、冒頭に、こないなものがありますという表を見せていただいただけ。早々に、そういった展開だと判ったもので、さすが、「看板に偽りあり」と突っ込んでしましました。椅子に深く腰掛け、ぐったい、「あれれ」という間もなく、睡魔に身体を任せてしまったというわけです。アーカイブに残されても、観ないだろうな、、、。
 この講演会の配信の終了予定時刻が、午後3時10分となっていましたので、先日、息子家族とTV電話をしたとき、「それ以後だったら来てもらっていいよ」と約束して電話を切りました。長いこと会っていないDやSを連れて来るというものですから、大喜びで受け入れ、そういった約束をして電話を切りました。が、講演会が終わった段階で、何にも連絡が入ってきていない。「ま、自分から言い出したことだし、何か、京都に用でもあり、その流れで来るつもりなんだ」と、勝手判断をして、待ち続けました。その間、2回、電話も入れたのですが繋がらないものだから、待つしかなかった。ようやく午後5時半になり、息子から電話が入った。ところが、電話の応対が変。明らかに、こちらから電話を入れた記録を見て電話をして来たという風情。これで察知できました。完全に忘れていたのです、息子の方が。ついこないだのことです。しかも、自分から言い出し、Ⅾにも、こちらの目の前で、こちらに来る話しをしていながら、忘れているのです。これは、忘れたのではなく、頭に入れなかったと考えざるをえませんでした。これが初めてじゃないので、要警戒なんだけど、まさか、今回は、あれだけ今日の話しをしていたのだから、、、まさか、まさか、です。事前に確認の連絡が要るヤツだと、もう信用しないことに決めました。おかげで、朝から、このために時間調節をして、DやS用に買い物していたのが、全部、一瞬でパーになりました。一昨日から、この時間のために、いろいろと考えてたの、瞬間で徒労に変わりました。
 待っている時間を使い、実は、諦めかけていたオペラ配信を観ることにしました。いらいらしながら観ているので、居眠りはしなかったのですが、そういったいらついているときに、あまり観るのには適したとは言いかねる作品でしたが、それは、ベルリン・ドイツ・オペラの「こびと」(トビアス・クラッツァー演出)。ツェムリンスキーの作品です。ベルリン・ドイツ・オペラで、このプロダクションのあることは知っていたのですが、遭遇経験のなかった作品が、コロナ禍のおかげで、短期間、オンライン配信をしてくれたのです。なかなかブラックな作品です。フリークスな男を、最初から最後までいじる作品で、ここまでいじると、いじる側の人間が滑稽に見えて来るという効果を狙ったとも思える、とっても露悪作品。ただ、舞台化するときにどうするのかと思って臨んだのですが、2人「こびと」でした。「こびと」の俳優、傍らで歌う歌手というスタイルです。ところが、歌手も、俳優と同じ衣装を着ているので、ひょっとするとと観ていると、当たりました。途中から入れ替わるというもの。「こびと」が王女に愛を語る場面、王女を、2人が挟む、王女は、俳優を見て歌うかと思うと、反対側を見て歌手と対峙して歌うというところから入れ替わりが始まり、その後は、歌手だけが舞台に出るとなります。これって、王女が、愛のささやきに動揺していること表していますね。だから、気分の昂揚する「こびと」、で、問題の鏡のシーン、ずっと歌手が歌っています、背後は鏡面ですから歌手が映っていますが、姿に気付くところで、背後の鏡面が解かれ(技術的な方法は黄紺には判らない)、俳優が立つと、己の姿に気付くとなっていました。なかなか、そそられるプロダクション、さすが、スター演出家の技です。フリークスを素材とした作品だけに、上演には、工夫が要るもの、果敢に挑み、成功してるんじゃないかな。貴重な機会を得られるのが、コロナ禍のおかげというのは、なんか変だけど、おかげであることには変わりはないですね。


2021年 1月 31日(日)午前 7時 41分

 この週末は、オンラインでの講演会とか、そのようなものを、月曜日を含んで3日連続で体験できることになっています。いずれも、このご時世だからと、普段なら、そうではない開催をされているもの、黄紺も、この3つとも参加したことがあり、案内を頂いたり、今年はどうなっているかを調べたりで、これらの開催を知ったというものです。その第1弾の昨日は、国立民族学博物館が、毎年(今年で3年目)、十三のセヴンシアターを会場にして行っている「みんぱく映像民族誌シアター」。今年は、会場はそのままで、出演者お二人は、例年のようにトークを展開されていました。なんで、観客を入れないなら、民博から送信しないのか不思議に思ってしまいましたが、そないな配信でした。このイベントは、民博が制作をして、一般発売をしていない映像資料を、市民に公開しよう、そして、政策に関わった人を喚んで、トークをしようというもので、昨日のテーマは「ネパールのサーランギ音楽」。トークをされたのは、制作にあたられた南真木人(同館准教授)さんと、毎年、このイベントの司会を務められている福岡正太(同館教授)さんでした。まずは、映像の上映。70分ほどのもの。そうなると、途中、居眠りをしながらの鑑賞は、黄紺の常となっていますが、その後のトークで、抜かしたところも、おおよその見当はつきました。サーランギはネパールの弓奏弦楽器、胴を繰り抜き共鳴をするようにして、チェロのように縦に持ち演奏するもので、前に繰り抜いた面を見せて演奏します。弦は4本、本来は羊の腸を弦に使っていたのが、ナイロンに、そして、現在では金属弦が主流になっているという楽器です。昔ながらの羊の腸を使った楽器での演奏も収録されていましたが、柔らかく、ちょっとメランコリックな雰囲気を持つ音色、金属弦に比べると、音の彩を感じさせるものでした。ナイロン弦、金属弦となると、音の等質性が高くなっていくように感じてしまいました。映像の序盤は、カトマンドゥの旅行者が集まる地域で、外国人観光客相手に、辻演奏をしたり、観光記念として、楽器そのものを販売する奏者を追いかけるもの。彼らは、協会組織を作り、鑑札を出し、旅行者に信頼を得て商売をしようとしているのだけれど、それを続ける若い人がいないというお話が出て来るものだから、この映像資料は、廃れて行く伝統芸能が、今や、こういった形で残り、そして消えて行く運命にあるので、今の間に、これを記録・保存をしなきゃってんで、政策されたものと錯覚してしまいました。ところが、それは、目くらまし的なもので、実際は、街で、そういった伝統的な楽器に関心を示す人もいて、教室が開かれていたり、国立博物館が、伝統音楽として保存に関わっていたり、また、若い人たちが、この楽器に注目して、バンド活動に、これを取り入れ活動したり、高級ホテルのラウンジでのライブ演奏をするバンドも、これを取り上げたり、海外活動をする演奏家までいることが紹介されていき、そんなのを観ると、冒頭の、ちょっとしたフェイク的な展開があったために、安堵の気持ちが生まれてきてしまいました。そういった映像を観たあとのトークで、一番、関心を持ったのは、やはり、ネパールと言えば、ヒンドゥー教が入っていますから、音楽と、その職業、それにカーストが絡んでくるというお話。芸能となると、やはりカーストは低くなり、彼らを呼ぶ呼称自体に賎の意味合いが込められていたと言われていました。でも、生活を豊かにすると、かつては、正に日本の門付け芸よろしく、巡回しながら、各戸を巡り、その地域、その場に合わせて、即興の言葉を付け演奏をしていたのであろうが、今は、それをできる人は、まあいないということです。その一方で、宗教的儀式に要るということで、特にカトマンドゥに集まってきている奏者は、王宮の儀式に請われて集まって来た人たちの名残的な人もいるということです。名前でそれが判ると言われていました。彼らは、賎称を捨て、新たな名を使うようになったということで、その新たな名で辿ることができるようです。そういった賎の職業だったものが、現代に入ると、音楽としての魅力、伝統文化として見る目が生まれてきて、バンド活動やらに現れてきているということで、こういった活動をされている人たちの多くは、かつてのカーストとは縁のない方たちだそうで、一つの芸能、芸術として独り歩きをし出しているということですね。いいことかなと思う反面、伝統が切れるという側面も持つということで、一抹の寂しさも感じるところです。
 このオンライン配信が午後の大半を占めてしまったため、一日が、かなり窮屈になり、取り急ぎでのウォーキングとなりましたが、普段の量はこなしたつもり。一昨日の大津行きでは、それが不十分になったので、取返しを考えたからです。昼前のウォーキングでは、某有名神社をコースに入れたことで、いいこと思いつきました。その神社ではなく、延喜式にも載っているはずの某神社のお守りを、今日、黄紺宅に来る予定になっているDとS用に買い求めることにしました。連中が来る前に求めに行くことにしましょう、これは、今日の午前中の仕事です。Ⅾには、1回、買ったことがあるのですが、ぎりぎり1月なので、今年1年の無病息災を祈願することにしましょう。昨日、ウォーキング途中に寄った某神社への参拝、まだまだ続いていましたからね。


2021年 1月 30日(土)午前 7時 11分

 昨日は、びわ湖ホールでオペラを観た日。<びわ湖ホール オペラへの招待>として、毎年、この時期に開催されている、同ホ-ルご自慢の声楽アンサンブルを中心としたキャストでの公演。正に、ヨーロッパでの公演スタイルの実践です。「魔笛」(中村敬一演出)でした。生オペラを観るのは、去年のメルケル演説のあった当日に、デュースブルクで「ローエングリン」を観て以来となります。そして、このオペラが、コロナ禍以後、フルに客を入れての公演に臨んだ初物となりました。それが判っていたので、黄紺が買ったお席は、前が通路、そして、舞台に向かい左端のお席、しかも、席の左側は出入口でスペースがあるというもの。涙ぐましい、ディスタンスの取れたお席。しかも、嬉しいことに、この公演、生配信は、この日はしてなかったですが、この土日には、それをするということで、練習のためにか、通路を挟んだ前の席何列かは、空席にしてカメラ席にしてあったため、更に抜群のディスタンスの取れたお席になっており、安らかにオペラを鑑賞できました。そのキャストなどを、以下に記しておきます。(ザラストロ)片桐直樹(タミーノ)山本康寛(弁者)市川敏雅(僧Ⅰ)宮城朝陽(僧Ⅱ&武士Ⅱ)美代開太(夜の女王)森谷真理(パミーナ)溝越美詩(侍女Ⅰ)山田知加(侍女Ⅱ)上木愛李(侍女Ⅲ)藤居知佳子(パパゲーナ)熊谷綾乃(パパゲーノ)平欣史(モノスタトス)蔦谷明夫(武士Ⅰ)谷口耕平(童子Ⅰ)沈真理子(童子Ⅱ)大住明璃(童子Ⅲ)井上眞悠子、管弦楽/大阪交響楽団、合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル、装置/増田寿子、衣裳/村上まさあき、照明/山本英明、音響/小野隆浩(びわ湖ホール)、舞台監督/山中 舞、指揮/阪哲朗。開演前に、中村敬一さんが出てきて、恒例の解説。筋立てはともかくも、フリーメーソンについての解説が、これが、なかなか優れもの。このお話を聴けただけでも、行った値打ちがあったなと思わせられました。舞台は、フリーメーソンを意識したのか、天文図を意匠化した枠が、舞台を囲み、中央の殆どを幕を使ったスクリーンとして、アニメーションを投影するというもの。このアニメーションが、進行に伴い、登場人物が入って来る様子を表すかと思えば、場面をイメージ化して表してくれたり、当然、試練の場では、火が噴き、水が溢れ、進行を補助するというもので、なかなか凝ったもの。制作費用の大半は、ここに消えたんじゃないかなと、勝手に思っていました。それ以外の装置は、背もたれの高い椅子が出て来るだけ、それも、できるだけ、「3」を意識しているなのという出し方が、ちょっとあざとい。ですから、アニメーションと動きだけで表現しようというもの。だったら、いっそのこと、衣装は、普通じゃないものにすればいいのにと思ったのですが、タミーノは、フランシスコ・アライサの着ていたものを思い出させるものでしたし、パパゲーノやパパゲーナは、めっちゃベタな鳥の羽を体に付けたものだったし、夜の女王もありそうなもので、失望。ザラストロや神官は、オリジナルなイメージだったのだけが、救いと言えば救いだけど、さほど変わったものではない、この辺りが、日本のオペラ公演のつまらんところ。「しつこい」「過剰」って感じますよね。発信する装置で、こないなまでも、イメージを重ねるのはやめてよの気になってしまうのが、黄紺なのです。歌手陣では、タミーノの山本さんが、群を抜く素晴らしいもの。以前聴いたときには、ムラがあり、あまり好きになれないテノールで、今回も、森谷さんが、こちらに出なければ、ダブルキャストのもう一方の清水徹太郎さんに魅力を感じているものだから、そちらを選んだでしょうね。でも、実際は、抜群の出来栄え。タミーノの誠実さが、実によく出ていたと思いました。その狙いの森谷さんは、去年のロザリンデも、途中、失速したように感じたけれど、あれは、バランスをとったためのセーヴかとも思えたけれど、今回は物足りなさを感じてしまいました。ハイFが出っきらなかったし、もっと、この人の声、豊かさを感じさせるものだったのに、そういった余裕を感じさせない声だったのに、「あれれ」の気分でした。めっけものは、弁者の市川さん。静かに、哲学的な役柄を心得た歌唱に拍手です。この手の声が希少性を増す今日この頃、正にめっけものでした。そうそう、侍女3人のアンサンブルが良かったな。特に、冒頭のやり取り、役者さん揃いで、それがいい声になってました。そんなところかな。
 その「魔笛」の会場で、嬉しい出会いがありました。コロナ禍で、大阪に行かなくなったために、大阪在住の人とは、会う機会がなくなり、そうなると高齢の方は気になっていました。Twitterで、発信をされているなど、そういったことをされている人の消息は判るのだけど、じゃない人は気になっていた。そういった方とお会いできたのです。講談ファン、音楽ファン、だけど、オペラは趣味ではないというご夫婦だったもので、会うなどとは、全くの想定外だったもので、嬉しさ、爆発でした。休憩時間、フロアの片隅で佇んでいると、声をかけられ、ホント、驚きました。お二人とも、以前同様のお姿も、嬉しかったな。そんなで、終演後も、ホール内で、しばし歓談。この1年間のお互いの消息を交換。大阪から車で来られていたので、お喋りの続きは車の中でと、結局、京都の外環状線に入り、この道では、地元の黄紺がナビをしながら、観月橋まで乗せていただきました。そこまで来れば、1号線へは簡単に入れるはずですから、また、昨日は、そんなで、ウォーキングができてなかったものですから、そこからだと、ウォーキングがてら歩いて自宅まで行けるところというか、普段のウォーキングでも近くを通っていることもあり、そこでお別れしました。今度、いつお会いできるか判らないご時世ですから、「お元気で」と言う言葉にも、自然と力が籠ってしまいました。


2021年 1月 29日(金)午前 7時 46分

 昨日は、お出かけなしの一日。気温は下がったとは言え、一昨日の気温が高かったため、さほど寒いと感じないという、有り難いお天気。となると、昼前のウォーキングが楽しみ。自宅に戻り、万歩計を見ると、1万歩に近い数字が出てしまっていました。いつもより、若干、多め。それだけ、気分良く歩けたってことですね。夕方は、今度、DやSが来るので、何か、いいものお土産にできないかを探しに、そういったときに、よく出かけるお店を目指し、旧伏見市一の繁華街を含むコースを選択。この辺りのコースを採ったときは、人出が多いので、いつもは横切ることしかしないのですが、昨日は、縦歩き。やっぱ、人、多いわ。で、件のお店に行っても、あまり気になるものがないので、考えあぐねた挙句、やんぺにしました。替わりに、当日の朝、何か、2人が喜びそうな食べ物を買うことに決めました。そう腹に決めたら、早々に人混みは退散。通常のウォーキングに。ここで、人混みに入ったので、ウォーキングがてらのマートに寄ることを断念、人に酔います、人がいないところにいたい気になったための断念でした。特段、急を告げる買い物でもなしと思えたからです。
 今日、びわ湖ホールでオペラを観るので、その同じ演目を、オペラ配信で観ようじゃないかということで、「魔笛」の前半だけを、オペラ配信で観ました。マチェラータ・オペラ・フェスティバルのプロダクションです。夏の屋外でのオペラ公演ですが、グラハム・ヴィック演出ということで飛びつきました。指揮もダニエル・コーエンと有名人が名を連ねていますが、公演は、全部、イタリア語上演というのは、こういった公演の性格上、仕方ないことかもしれません。まして、「魔笛」は、ジング・シュピーゲルですから、台詞が入りますからね。屋外ですから、幕も緞帳もないですから、冒頭から装置が舞台に現れているのですが、もう、それが度肝を抜く代物。戯画化された建物、教会の前に、工事現場のようにフェンスが張られ、傍らにはブルドーザーが配置。舞台脇では、キャンプをしているかのように、エキストラっぽい人たちが、食べたり、談笑したりしている。冒頭で、いきなり多くの人たちが舞台上に上がり、手に手にプラカードを持っている。工事反対って感じ、でも、ブルドーザーが動き出し、人々を蹴散らすなか、そのブルドーザーに挑み、気絶してしまうタミーノって感じでスタートしました。ブルドーザーがモンスターの役割です。3人の侍女は、最初、現場で働くどかチンの格好で現れ、それを脱ぐと、妖艶な姿にというもの、出入りは、地面に掘った穴から。夜の女王は、みすぼらしい格好の女といういで立ちで、タミーノに助けを得に出て来る。3人の少年はバイクで現れるという、ここまでは、工事現場の雰囲気に合っているのだけれど、パパゲーノだけは、鳥の被り物という様子で、1人だけ浮いたお姿。ザラストロの神殿に近づくと、フェンスが除去されました。建物に点ったマークは、十字架、アップルのマーク、EUROのマーク、そこが神殿。そのなかにいたパミーナもザラストロも、普通の現代風の格好といった感じで、現代社会の何かを風刺しているようなんだけど、個別に、何が何を表しているのかが、まだ、判っていない黄紺なのですが、昨日は、軽いながらも居眠りもあったので、それで判ってないだけかもしれません。読み替えもいいところの「魔笛」、それを大衆公演とも言える屋外での公演でやっちゃう、これは、さすがヨーロッパですね。しかも、イタリアの山中でやっちゃうのだから、さすがの2乗です。今日、観る予定の「魔笛」が、貧相に観えちゃうかもしれない恐れ、多分にありますね。昨日、観出したの、ミスったかもしれませんね。


2021年 1月 28日(木)午前 7時 21分

 昨日は、お出かけなしの一日。この3日ほどは、かなり気温が高い。この週末は、またぞろ低温の日がやって来るそうだけど、こう暖かだと、そないな日が来るとは、俄かには信じがたいほどの暖かさ。さすが、屋内に入ると、気温が下がってしまうけれど、時々、空調は切らないと、屋内に居ても寒くない。となると、昼前のウォーキングが楽しみなんだけど、昨日は家事もあり、十分には楽しめなかった。でも、休憩なしのタイトなウォーキングをして、時間をかけずにウォーキングをして、暖かな空気を満喫しました。普段の厚手のパーカーを着てだと、暑いくらいの陽気。夕方のウォーキングは、家の補修剤を買わねばならなかったので、それを売る量販店をコースに入れてのもの。このコース、買い物をしなくても、トイレを簡単に借りることができるメリットがあるので、よく使わせてもらっている。なかなか、量販店だと、目的のものを見つけるだけで、時間が経ってしまうもの。しびれを切らして、店員さんに聞くと、棚の番号で答えてくれた。ホント、ピンポイントで答えるものだから、余計に判らなかったけれど、そのプロぶりに驚かされました。また、ピンポイント過ぎることに気付いた横にいた店員さんが、すかさず、場所を判りやすく説明してくれる、このプロぶりにも驚かされてしまいました。そんなで、無事、買い物を終えたけれど、補修をするのは、息子が来るときにやってもらうことにしようと考えている、ずぼらな黄紺です。
 昨日は、昼間に、バレエ配信を観ました。ウクライナ国立歌劇場(ワレーリー・コフトン演出)の公演「くるみ割り人形」、通常、「キエフ・バレエ」などという言い方をされているもの。日本の呼び屋さんから、動画公開のお知らせを受け取ったので、急いで観なきゃということでのチョイスだったんだけど、終わってから、偶然、他のYouTubeチャンネルでも上がっているというか、正直、このチャンネルからの転載動画と思えるものだと気づき、慌てる必要性がなかったと知りました。ただ、この動画、あらすじとか、日本語で付けてくれていました。ですから、真っ当な手続きを経ての「転載」だと思っています。ただ、これも、後で気づいたんだけど、黄紺が観た動画、音響がひどい。ウクライナ歌劇場って、「知られたわりには、オケ、ひどくない?」とすら思って聴いていたのですが、転載元の動画で、ちょろっとだけ聴いただけで、その日本語字幕を付けたりの編集時にやらかしたんじゃないかと勘ぐるほど、音響がひどいものでした。めっちゃ、安っぽい響き、雑な指揮ぶりって印象を持ってしまいました。プロダクション自体は、とってもオーソドックスなもの。ただ、王子になったくるみ割り人形は、クララを船に乗せ、魔法の国を案内するという設定にしてました。ですから、どこやらの宮殿の大広間的なスペースでの舞踏会ではないため、総踊り的な場面の少ないというもの、花のワルツで、初めて、総踊りが出て来たんじゃないかな。しかも、様々な国の登場人物たちの総踊りが入るので、その他大勢的なダンサーによる総踊りが少なくなってしまいます。でも、流れを呈示しているので、これもありかなと思えました。ただ、その総踊りが、ヴィジュアル的に感心しないもの。個々を観ると、問題を感じないけど、時々、カメラがフェードアウトすると、ダンサーさんの全体としてのシルエットが、かぶってかぶってするものだから、現場で観ている人、どうなんでしょうね、特に、パルケット席の皆さん。そんな印象を持ったからでしょうか、パ・ドゥ・ドゥが始まると、「もう終わっちゃう」と、一挙に寂しさが込みあがってくるのが、「くるみ割り人形」を観るときの常なんだけど、このプロダクションでは、それが、かなり薄いものになってしまいました。
 夜に入り、いつものように、トルコのサッカー&コロナ情報を集めかけると、息子から電話。今年に入り2回目のTV電話となりました。リヴィングを駆け回るD、ママにくっついてばかりと思っていたSも、カメラの前では、くっついているけれど、いつの間にか、D同様、駆け回るようになっているそうです。そういえば、こないだ、昼寝をしているDにちょっかいを出し、Dの顔の上に身体全体で覆い被さって行ってる映像を見せてくれました。こいつも、結構なヤラマズになりそうです。そんなで、今度の日曜日に、車で、黄紺宅に寄ることになりました。これが実現したら、DやSに、生で会うのは、5ヶ月半近くぶりになります。誰も、風邪ひくなよ、だいたい、こういったときに、Ⅾが風邪をひくのがジンクスなものだから、それが心配。でも、めっちゃ大きな楽しみができました。


2021年 1月 27日(水)午前 7時 12分

 週末から週明けにかけての4日間は、当初は、いずれも京都市主催のイベントに行く計画を立てていました。その結果をまとめると、次のようになります。①京都市響のコンサート(京都コンサートホール)/実施・チケット販売の段階から人数制限②京都市民寄席(ロームシアター京都)/実施・大ホールへの変更③セクシュアリティをテーマにしたシンポジウム(ウィングス京都)/人数制限をして事前予約制だったにもかかわらず中止・緊急事態宣言直後にメールで連絡あり④博物館講座(京都絞り工芸館)/人数制限をして事前予約制だったにもかかわらず中止・連絡は一切なく京都市のHP上で中止を知る。これ、全部、同じ京都市主催のものです。対応の違いに唖然とするしかありません。担当部署、担当者による違いなんでしょうね。③が一昨日の月曜日、④が昨日の火曜日のことです。昨日などは、③が、早々に連絡があったものだから、連絡がないということは実施と考えながら、会場の博物館自体のHPには、このイベントそのものの紹介がなく、講座名で検索をかけると、京都市のHPが出てきたので、そちらにアクセスして、初めて判った。ま、このご時節ですから中止については異存はないのですが、このほったらかしは、まいった。③は、参加予定人数160名で連絡あり、④は参加予定人数30名で連絡なし、でした。
 そんなで、昨日はお出かけなしの一日になるはずでした。そのつもりだったのですが、ダメもとというか、ダメなのは判っていると思い込みながら、何気なく覗いた京都みなみ会館のHPで、見落としを発見してしまいました。「無頼」のときもそうでした。今回も。京都シネマでの上映は知っていたので、そちらで行くつもりをしていたイラン映画「迂闊な犯罪 CARELESS CRIME」の上映が、昨日、あるじゃないですか! 京都シネマで観るよりは、京都みなみ会館で観たい黄紺は、これに飛びつきました。だって、同じ映画なら、密閉空間度が薄く感じられる京都みなみ会館を取ります。しかも、この映画の上映は、同館で、最も薄い第1ホールを使うというものですから、即決しました。しかも、この上映、京都みなみ会館では昨日だけ、ますます、即決です。実は、この映画、「第21回東京フィルメックス・コンペティション参加作品」上映シリーズの一環としての上映だったもので、それで括られていたため、見逃しが起こってしまっていました。難解な映画です。イラン革命の前、西洋文化の排斥行動として、映画館の焼き討ちがイランで起こったことを背景としています。冒頭に、「Careless」による火事を表したサイレント映画が流れます。何かを暗示しているようです。そして、1人の男が映ります。その男を始め、4人の男が、なぜだかは語られなかったと思っているのですが、またぞろ、映画館の焼き討ちを計画します。この映画と同じ題名の映画が上映される映画館です。そこに集う若い男女の風景も描かれるのですが、彼らの役割は、黄紺には判りません。座席の配置の仕方、出入口の鍵の問題など、実際の焼き討ち時に多くの人が亡くなった原因となったことと同じような状況が、この映画館にもあることが描かれ、実際の事件とシンクロさせて行きます。問題は、この映画、「シネマ・イン・シネマ」という構成を採っているところです。いよいよ映画館で上映が始まると、その映画と劇場内で蠢く男たちが交互に現れます。男4人の行動は、実際の事件の放火犯人とシンクロさせているだけかもしれません。となれば、実際の放火犯が狙った映画館で上映されている映画文化と、今、上映中の映画との対比が1つの鍵ではないか、これがヒントでした。上映されている「迂闊な犯罪」という映画は、実の子どもを誤って車で轢いてしまった兵士とその兵士に率いられた仲間たちが、パトロール中に見つけたミサイルの処理や、沢で映画会を企画する若い女性たちの活動、そして、これは判らなかったのですが、古民家に忍び込む物語、これは、どうやら子どもとの関連を物語るもののようなんだけど、判らなかった。そないななか、気になるのは、彼らが不審がるような自然のなか、スクリーンを張っての映画上映会。まるで、都心部を逃れているよう、となると、想起させるのが、焼き討ちに遭う映画館、当然、街中、そこから逃れて映画を上映しようとしているよう。そこで上映される映画は、イランで高名な監督の作品。こんな環境でないと、こないな自分たちが大事にしなければならない作品も観ることができない、ということか。実際、その映画が、ラスト前で流れます。「シネマ・イン・シネマ」が、もう1つ出て来ることになりました。気になるのはミサイルです。最後の場面は、いよいよ、件の4人の男が映画館で放火に動きます。松明に火を点け、あとは、それを床に投げればいいというところで、男は、何かに導かれたように、外に出ます。すると、上空をミサイルが跳んで行くのが映り、終わりました。上映されていた映画では、「イラン・イラク戦争の残骸か」との台詞が入り、不発弾の姿は、それなりの古さを感じさせますが、今度は、現役のミサイルです。イランを取り巻く政治状況、ですよね、このミサイルで表そうとしているのって。映画文化を壊す人、映画文化を楽しむ人、守る人、その上を飛び交うミサイル、それは、過去の遺物だけではなく、現役そのもの、こういったイランの状況を描いたのでしょうか? ある意味では、民族的視点、イスラーム原理主義との対比、いやもっとグローバルな視点? 「東京フィルメックス」での上映時は、シャフラム・モクリ監督へのQ&Aがリモートで行われたようで、そのときの動画がサイト上に残っていましたので覗かせてもらいました。細切れにしないで通訳するものだから、適切に意図が伝わってないものも感じないわけではなかったのですが、ミサイルの使い方などは、当たっているようですね。それと、このリモート出演、アメリカからでしたから、少なくとも、民族的にファナティックな方ではないようですから、視点が判ったように思いました。独特のカメラワーク、照明の使い方、過剰とも思える台詞があるかと思うと、真逆のキャラもいたりと、多岐にわたり目を行き届かせてるように思えながら、なかなか、その意図を汲めない、いや、汲みにくい作品でもあったのですが、場合によれば、イラン当局も解っていないから、上映できてるのかと、勝手な突っ込みも入れながら、才能の煌めきを感じざるを得ない作品でした。
 京都みなみ会館への往復は、いつも通り、往きは電車、帰りは、ウォーキングがてら歩いて帰るというもの。ただ、昨日は、天気予報が雨、しかも、そのウォーキング時にぶつかるという予報だったため、傘持ちで出かけたのですが、これが素晴らしかった! 最後の1/3が、見事に雨でした。天気予報様々でした。だって、家を出るとき、雨なんて考えられないなか、傘を持って出かけたのですから。帰宅すると、すっかり真っ暗。映画1本で、昨日は終わりました。


2021年 1月 26日(火)午前 7時 14分

 昨日は、お出かけなしの一日。暖かな気温、まるで、春が来たかのような暖かさ、とっても結構な、お話です。となると、たっぷり目の昼前のウォーキング。いいお天気でしたが、雨上がりだったものですから、ウォーキングなどに勤しむ人が、急激に増えたわけではない時間帯。辛うじて、一気に陽が出てきたためか、公園のベンチは乾いていたのが、ラッキー。暖かな陽射しを受け、休憩&読書には、まことにいい環境となりました。この頃、毎週のように、月曜日は、判で押したように、自然の一番多いコースを選択してる。週末に行くと、人が出るから避ける、週明けを待ち構えて、そこへ出かけるパターンが、最近の傾向となっています。昼前の外出時間は、2時間半を超える、たっぷりとしたものになりました。夕方は、最近、覗いてなかったマートに寄りやすいコースを選択。狙いの買い物はできなかったけれど、替わりに夕方特有の安売りものをゲットで、差し引きゼロというところ。そないな外出が、唯一の楽しみだった一日でした。
 昨日は、落穂ひろい的に動画を観た日でもありました。この間観た動画で、居眠りをしてすっ飛ばしてしまった箇所だけ観ようとの試みです。1つ目は、「NHKスペシャル/列島誕生 ジオ・ジャパン2 」を観たとき、居眠りをした箇所、即ち、「第2集:列島大分裂」の後半、「九州分裂」のところ。地下のフィリピン・プレートと、マントルの激突が基で、裂け目が拡がっていっているけれど、巨大カルデラ、要するに火山活動のために、裂け目を埋めて行っているというお話。「ブラタモリ/熊本編」でやってましたね、熊本市ですから、阿蘇からはかなり西方、その地下は、4層でしたっけ、火山灰が積もっている、要するに、そないな遠いところまで火山灰が降るほどの大きな火山活動をするのが阿蘇だということですね。だから、裂け目、要するに地溝帯を埋めて行ったため、結果として、九州は裂けなかったというお話でしたが、あれれ、「ブラタモリ」の次回は「湯布院」だから、この話題かもしれませんね。そういった巨大火山が、九州には、5つ連なっていると言ってました。姶良カルデラについては、「ブラタモリ/鹿児島編」で、初めて知りました。おかげで、「鹿児島編」は、「ブラタモリ」の超傑作群の1つに入れています。もう1つは、オペラ配信で居眠りばかりしていた「ホフマン物語」(ベルリン・コミッシュ・オーパー)。特に、アントニアの物語が、ほぼ全滅状態だったので、そこを狙い撃ち、、、でも、また、居眠りしちゃった! 余程、相性が悪いのか、もう、諦めます。諦めました。次回、オペラ配信を観るときは、新たな動画を選ぶことに決めました。
 月曜日の夜の楽しみは、YouTube動画「米朝チャンネル」での配信「米紫&吉の丞【㊙ワールドニュース】」を観ること。午後7時からの配信ですが、たとえ生配信でも、その時間は、通常、トルコのサッカーとコロナ情報集めの時間にしているので、ゆっくりと、それを終えたあと、アーカイブに残してあるものを、晩酌をしながら楽しんでおります。米朝事務所所属の噺家さん情報、ときとして、米朝事務所所属以外の米朝一門の話題が入ると言っても、吉の丞のおもちゃ化している桂あおばネタが入るくらいですが、そないな話題を、2人がぐだぐだ言いながら伝えるという、落語会に飢えている黄紺には、涎の出る動画なのです。昨日の落語会の宣伝は2つ。1つは、吉の丞の喜楽館での独演会、この会で、吉の丞、「らくだ」を出すのですね。お酒の噺は難しい、それは判りきったこと、でも、若手と言われる噺家さんで、果敢にチャレンジをして、成果を上げている噺家さんの一人が吉の丞だと思っている黄紺には、垂涎の的のネタ出し。そういった会があるとの宣伝を聞くだけで、うれしくなってました。もう1つは、今月末の、米朝一門の「リモート落語会」、5つもの落語会を、連続的に配信するという企画。3回目ですね。2人の噺家さんの組合せは、米團治社長によるものらしい。そのプロデュースに、毎回「?」が点ってしまう。そこが、この社長らしさが出ています。今回の組合せだったら、なんで、二葉とよね吉を組ませるのか、わけがわかりません。吉の丞曰く、「二葉、嫌がってるのちゃいます?」と、兄弟子よね吉の足を引っ張っていました。吉朝一門の絆の強さを感じさせる物言いですが、的を得ています。だから、逆に、この組み合わせが光ってしまいます。わけの解かっていない社長だからこそ、この変な組合せが生まれています。団治郎と米輝の組み合わせも、ピンと来ない。兄弟弟子だからという、単純さが、逆になじみにくい。注目度は、弟弟子の米輝でしょうから、そこを光らせたいなら、佐ん吉と組み合わせたらいいのにと、マニアは思っちゃいます。一挙に、「二葉&米輝」だと、マニアは飛びつきますがね! そんな突っ込みも勝手にしながら、この動画、観ておりました。


2021年 1月 25日(月)午前 7時 9分

 昨日は、今年になり初めての落語会、1月は、この落語会しか行かない、行けない。その落語会が、また、大きな落語会となりました。京都の伝統の「第354回市民寄席」、その記念の会。「ロームシアター京都開館5周年記念事業」と銘打たれ、上方落語協会会長笑福亭仁智、関西演芸協会会長桂福団治が出て、口上を行うという豪華なものとなりました。ただ、心配だったのは、一時、大ホールを使用し、ディスタンスを取るようにしていたのですが、確か、黄紺は行かなかった前回からは、普段のサウスホールという小ホールに戻し、今回も、その座席配置でチケット販売をしていたため、開催は、どのようにするのか心配していたのですが、大ホールに会場を移し、開催。座席は、サウスホールの座席番号を、そのまま利用するというもの。会場は広いですから、余った席を自由席とし、そちらに移ってもいいという、なかなか考えたもの。この自由席は、ディスタンスを確保するような表示があり、この1年ほどでおなじみになった市松模様のお席。後方席で、舞台からは遠くなるのですが、確実にディスタンスを保てるということで、あっさりと、そちらを選択。この辺りなら、人は座らないだろうと、かなり後方の席を取っておいても、寄って来る人がいます。そこで、サイド席に避難。誰もいないところで、心穏やかに落語を楽しむことができました。記念の会だったからでしょうか、大ホールには、本来、緞帳というものがないのを、この会のためにだけ、サウスホールから緞帳を移しての公演、気合が入っていました。その番組は、次のようなものでした。染左「江戸荒物」、枝女太「ふぐ鍋」、福団治「百年目」、(中入り)、仁智・福団治・文之助・枝女太・春若(司会)「口上」、文之助「星野屋」、仁智「多事争論」。入門24年目で初登場になる染左が前座ですから、この会のグレードが高いのが、それだけでも判るというもの。染左の口演では、何度か聴いている「江戸荒物」、以前ほどではなく、最近は耳にするようになったネタ。昔、米朝が、「今日は、珍しいネタを聴いてもらいます」と言ってから始めたのが、このネタだった記憶があります。確かに、古臭い、でも、バカバカしい噺なのが、まだ使えるという感覚なんでしょうか、耳にするようになっている原因かな。江戸っ子が出て来るところで、ここまでベタベタの大阪弁使ってながら、うまく切り替えられるものだなと、感心しながら聴いておりました。枝女太が2番目に上がるという、更に豪華になっていく番組。枝女太の「ふぐ鍋」って、多分、いや間違いなく、初遭遇です。枝女太の口演を聴いていると、若い人の「ふぐ鍋」が、いかに、くすぐりで笑わせようかと、徒らに力が入っているかが判りました。「自然体で流す話芸」ってところです。ええもん聴いた感が残りました。記念の会ということで、季節外れの「百年目」が出ました。トリの会長が新作派だということで、ここで、ぐっと重しをつける番組が、いいですね。福団治80歳、入門61年目、そう言えば、入門60年では、国立演芸場でトリを取りました。80歳の声とは思えない張りがありました。先月聴いた小三治も80歳、声はしっかりしてましたが、テンポに、老いを感じさせました。福団治も、声はしっかりしてましたが、情緒を感じさせる変化が乏しくなっていました。なんせ、「人情噺の福団治」ですから、と言っても、微妙な変化で人情を際立たせるお喋りが得意な人ですから、その微妙な変化を出すには、老いが先行しちゃったなの印象でした。でも、80歳で「百年目」をする体力には、驚かされました。「口上」には、司会のためにだけ、春若が登場、これだけでも贅が尽くされています。その春若が、知らなかったことを教えてくれました。この「市民寄席」ができたために、そのギャラの受け皿として、上方落語協会が発足したそうです。文之助は、枝雀のカバン持ちをして来たとき、鳴り物を打っていて米朝に叱られた挿話、福団治は、初期の「市民寄席」には、東京の噺家も出ていたという挿話を紹介してくれたり、枝女太は、「京都会館」という言葉を使ってくれたのが嬉しかったな、会長は会長で、災難続きの会長職で今の話をしてくれました。「打~ちましょ」の発声は福団治、見事に、大阪締めが決まりました。文之助は、すっかり自分のものにした、ライト感覚の「星野屋」。女も、そのお母ちゃんも、遊び人的色合いに染まっていきます、いかにも金目当てのお手掛け稼業、それにへばり付く母親、その雰囲気が、ライト感覚のお喋りが出してくれます。「いいね」を連発したくなっちゃいます。会長は、最近、出す頻度が、めっちゃ上がっている「多事争論」。東京と大阪対決的な噺から、人それぞれの好み対決にすり替わっていきます。そして、このネタ、進化させてました。最後、裁判員裁判として、客席参加型落語になっていました。客席を裁判員に見立てて、「目玉焼きにかけるもの」を、拍手でアンケートを取りました。いや~、内容の詰まった落語会、「市民寄席」のグレードの高さ、それを引き継ぐ重みを感じました。この会で、四天王だけではなく、絶頂期の可朝聴きました、円都も、3代目南陵も、ネタでは、血しぶきの降る「大丸屋騒動」、これ、小文枝と露の五郎、松鶴の「須磨の浦風」のアホらしさに、呆れ、枝雀の「軽業」の上手さに驚き、豪快松之助の「堀川」に魅せられたりと、思い出、いっぱい。「風の神送り」を、初めて米朝の口演で聴いたのも、この会でしたね。そんなことを、行くたびに思い出します。黄紺の落語体験の歴史そのもの、です。
 昨日も雨。結局、ウォーキングは、ロームシアターへの往復だけとなり、そのため、帰りは五条まで歩くことにしました。コロナ禍以後、これで、岡崎から円山公園を抜け、五条まで歩くのは、3回目となりました。前回は、「Go to なんちゃら」で、人出の多さにたじろいだ思い出がありますが、昨日は、ほぼ人出はなしというところ。僅かにはいましたけどね、明らかに旅行に来た人。でも、店は、ほぼ完全に閉まっていました。ここを見ただけでは、緊急事態宣言は生きておりました。前回、産寧坂方向に回り、あまりにも人出の多さに逃げ出したことを思えば、ま、落ち着いて歩けました。但し、昨日は、高台寺参道で西に折れたので、産寧坂方向には行きはしませんでしたが。それだけ歩き、ようやく、1万歩は確保。ま、午後に予定が入ると、ウォーキング時間確保には、なかなか苦労しますね。


2021年 1月 24日(日)午前 7時 24分

 週末に入り、お出かけ日となっています。昨日は、久しぶりの、京都コンサートホールでのコンサート。一日中、雨の降るなか、北山まで出かけてまいりました。と言っても、歴彩館の北隣なんで、自分的には、毎度の道を辿っただけだけど、生音楽を聴けるというのは、一入感がありました。そして、実際に聴いてみると、毎日でも聴いてみたい気になってしまいました。そのコンサートとは、「京都市交響楽団 第652回定期演奏会」。今季は、幾つか、京都市響のコンサートを狙っていながら、コロナ禍でキャンセルの憂き目を経験、定期演奏会自体、行われても、指揮者、ソリスト、はては曲目変更を強いられています。コロナまみれの大阪には行かないことにしている黄紺が、唯一、生のオケを聴ける機会でもありますが、今月の定期演奏会も、そういった変更を強いられたもの。元は知らないけれど、チラシの言葉から察するところ、何から何まで変更を強いられたよう。この月は、行く予定にしていなかったはずですが、その変更後のプログラムを見て、普段ならば行こうとはしないと思うのですが、今、コンサート枯渇状態のなかだと、その気にさせられてしまいました。ただ、京都も緊急事態宣言が出ているので、またぞろ中止かと冷や汗もので、ここ何日か、関係のサイトを眺めていたのですが、何も、コロナ関連での実施に関しては出ておらず、来場の注意しか出てないもので、出かけて行きました。実際、行ってみて、納得。チケットを、コロナ対応で、当初から売っていたのです。ですから、ゆったりと、安心して、ソーシャルディスタンスを取った上での座席配置になっていました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 作品60」「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47」、指揮は高関健でした。こういったときに、ショスタコーヴィチの5番を聴いてやろうの気分でした。その前の、ベートーヴェン、黄紺的には、一番聴かないシンフォニーかもしれません。逆に、一番、聴くのは6番、PCに向かうときに、時々、かけていますが、4番には、手が出ない。嫌がっているわけではないのですが。久しぶりに聴いてみると、おもしろい曲ですね。2楽章が、アダージョで、緩徐楽章なんだけど、あまり緩急感がしない不思議、「急」ばかりが目立ちたがる曲です。3楽章でしたか、個性的なシンコペーションがあったり、リズムに独特感があります。4楽章なんかもね。と、かなり見直してしまいましたが、普段、かけるかなと思うと、たまにかなというところです。個性的なものは、特に、リズムなんかで、そう感じると、たまにとなっちゃうみたい。ショスタコーヴィチの5番は、人間性の欠片もなさそうに感じさせる冷たさがあったり、機能主義的で、鉄の塊で押しつぶすかのような圧迫感とか、そないな音楽が身に沁みます。でも、その奥に、人の幽かな鼓動が隠れていそうな、そないな音楽のように思えるのが、いいな。高関健の指揮ぶりって、わりかし起伏があり、表情豊かという印象を、今まで持っている、一言で言えば達者な指揮者イメージでした。昨日は、えらく生真面目感が先行しちゃった、ベートーヴェンもショスタコーヴィチも。その一方で、昨日は、京都市響のパワーを感じたのが収穫。一つには、京都コンサートホールって、場所を選ぶホールですね。上がいい、一番上が、それも、正面ではなくサイドがいい、これを、ここ2回のコンサートで体感したかな。金管と渡り合う弦の迫力を堪能、木管は名手が揃いますね、これは、今更ながらのセールスポイント。オケの体力、匠の技、いずれをも堪能させてもらい、2日連続の定期演奏会なもので、「明日も来たいな」と、勝手に呟いていました。今日、予定が入ってなかったら、やってたかもしれません。
 京都コンサートホールが、歴彩館の隣ということは、その往復をウォーキングに替えるというのが定番、でも、きのうは、ずっと雨。でも、その定番、やっちゃいました。雨にじゃまされ、ウォーキングができないというほどの降りではないと判断したからです。最近、この帰り道にあるマートを覗くのも、ルーティン化してるんだけど、土曜日のせいで、昨日は、そのマートで、お肉の安売りに遭遇。いつものウォーキングに、こないな福があるとはと、とっても喜んだ黄紺でした。でも、家に帰り、気が付くと、ズボンの裾は、たっぷりと雨を吸っていました。あちゃ~でしたが、完全に手遅れでした。


2021年 1月 23日(土)午前 7時 11分

 昨日も、お出かけなしの一日。これで、そんな日が、3日続きました。3日連続って、最近は珍しくなっている。不要不急なものが多いかもしれません、お出かけが。講演会を聴く機会が多いですからね、最近は。逆に、今週は、それがなかったから、少ないってことです。でも、週末は、エンターテイメントが待っています。ということで、それを楽しみに、自重の日々。昨日は、しかも、雨。でも、冷たい雨ではなく、冬にしては、気温が高めのなかの雨。ちょっと、変な感じ。さほど強い雨ではなかったため、ルーティンとしての日に2回のウォーキングは、しっかりとこなせました。昼前には、久しぶりに、屋根付き広場のベンチで休憩。屋根付きと言っても、単に高架下の空き地に、幾つかベンチを並べてくれているだけというところだけど、熱い陽射しのある夏とか、雨の日は、ホント、有難いところ。久しぶりだということは、雨自体が、冬の今、京都では稀になっているということ、寒いので、休憩どころではないということで、雨だと、ウォーキングだけして戻るということを繰り返していたからでしょうね。昼前には、一時、雨が止むということもあったけれど、すぐに、また、雨が降り出した。霧雨程度だと、厚手のパーカーを着て外出しているものだから、傘は手持ちでフードを被った方が楽と、なかなか傘をささない黄紺です。そのときに、口を出る言葉が決まっています、「トルコ人、傘、ささない」ってもの、です。結局、雨は、一日、降っていました。夕方のウォーキングでも、同じような雨、だから、傘さし、ないしは、フードで雨除けをするというウォーキングで、いつものような時間、ウォーキングをしていました。だいたい、夕方のウォーキング所要時間は、70分を超えているというのが定番になっています。ただ、ようやく慣れたはずの靴が、また、ごねている。困る程のことではないけれど、軽く痛む。運の悪い話です。
 昨日は、何を思ったのか、YouTubeの検索欄に「NHKスペシャル」と入れてみた。「ブラタモリ」と入れても、もう反応しなくなっています。番宣用の短い映像しか出なくなり、それだけ、流出については厳しくなっているので、「ブラタモリ」は、ライブ配信で、しかも、意地悪く、画面にじゃまをする画像貼り付けで観ていますが、何か観たいものがあるわけではなかったのだけれど、「NHKスペシャル」はどうだろうかの気になったみたいです。すると、幾つか、規制の目を潜り抜けたのか、フルで観ることのできるものが並んだので、じゃ、どれかいただいちゃおうと、1つの番組をピックアップ。それは、去年放映されたと思われる「列島誕生 ジオ・ジャパン2 」という、なんともそそられる、しかも、NHKらしさを感じさせる番組。「第1集:列島大隆起」 「第2集:列島大分裂」と、2本とも観ることができました。「大隆起」は、①北アルプスの爺ヶ岳は、実は巨大火山だった②関東平野の成立、この2つの話題からできてました。いずれも、太平洋プレートが、フィリピン・プレートにぶつかったことから生まれるという共通項で、1本の番組が成立。黒部峡谷を体感させる映像が、素晴らしいものでした。「ブラタモリ」では、黒部ダムはやってくれましたよね、でも、峡谷の成立話はカットされてましたね、確か。替わりに、立山編で、海の下だったことを示すものを見せてくれた、はず。でも、あのときは、氷河地形を見せるのが主だったような記憶が残っているから、このジオ・スペシャル的な番組とは、テイストが違いましたね。氷河地形は、「ブラタモリ」待望の話題でしたから、あれはあれで、満足できるものでした。②の話題は、「ブラタモリ」では出てきてないはず。東京湾の変化については、「横須賀編」などで出てきてますよね。「など」と書いたのは、どこかで、タモリが触れたような記憶があるのだけれど、どこでだかが思い出せませないのです。川の運ぶ土砂を溜める堰のようなものを、自然が作り出したというお話、めっちゃ凄い話です。平坦な関東平野、武蔵野の成立事情まで教えてくれました。「野、見つくせん」「呑み尽くせん」で、大きな盃を「武蔵野」と呼ぶ、これは、塩鯛が「試し酒」で触れてくれる挿話です。「大分裂」は、①瀬戸内海が多島海になったわけ②九州分断とはならなかったわけ、この2本でした。両者の共通の話題は「中央構造線」、またぞろ「ブラタモリ」で言えば、「鳴門編」でやってくれた話題。あのとき、「中央構造線」に沿って、歩いてくれましたね。鳴門で避けて、水が入ったことって、やりましたっけ? 先日の「しまなみ海道編」で、それするのかと思っていたら、村上水軍に特化してました。あれはあれでおもしろかったけれど、瀬戸内海そのものを取り上げると思っていた黄紺には、ちょっと肩透かしだったな。でも、「鳴門編」でやってたら、二番煎じになっちゃうね、こういうとき、過去の「ブラタモリ」が、YouTubeに上がっていた頃は、簡単にチェックできてたのにと、間違ったクレーマーになってしまっています。②は阿蘇の噴火で、「分断」に至らなかったというエピソードのはずなんだけれど、お馴染みの居眠りで、観れていません。これは、まだ流れているようだったら、もう一度、そこだけ、観ることにします。番組自体は、とってもそそられるのだけど、NHKのこういった番組に、最近、余計な演出をするようになりましたね。なんで、タレントを呼んで、「お昼のおバカ番組のようなコメンテータにするの」と突っ込んでしまいました。そんな時間あったら、もっと、カットしただろう映像を見せてよと思ったのは、黄紺だけでしょうか!


2021年 1月 22日(金)午前 7時 12分

 昨日も、お出かけなしの一日、且つ、とっても、暖かな一日。家の中にいると、かなり冷えているので、そないに暖かな感じはしなかったけれど、何やら陽射しが強そうなだけは判っていて、外に出るときは、軽く、軽装で出かけて、正解。と言っても、厚手のパーカーの下に、セーターを着るか、トレーナーを着こむかの違いにしか過ぎないのですが。となると、月曜日と同じく、一番、自然いっぱいのコースへ。やはり、人出が違う。平日の昼前を考えると、やはり、この気温の影響が、もろに出てました。休憩がてら、ゆったりと読書。狙いのベンチに行くと、そこでは、下手くそなクラリネットの稽古をしていた。ここなら、人は、あまり来ないだろうと思い、稽古をしているのが見え見えという感じ。さすが、そのクラリネットの稽古に付き合うのは嫌で、場所選びに失敗。これも、考えれば、人出のせい。次の狙いのベンチは、昼前に日陰になることを、とんと失念していて、結局、3つ目に選んだところ。暖かだと思っていたけど、石段の上に腰掛けたものだから、思いの外、暖かな空気の割には冷えてしまいました。これがなければ、もっと、時間を潰してしまったかもしれないね。夕方は、安物のワインを買いがてらのコース採り。ところが、狙いの赤ワインがなく、替わりに、同じく安物の白ワインを買うことになりました。でも、美味いのは白ワインの方。それが判っていながら、赤ワイン狙いなのは、赤ワインって、ドイツで買うときもそうなんだけど、安物は美味しくないというのが定番だから。狙っていた赤ワインは、それでも、ちょっとはましという代物だから、貴重なのです。白の方が、基本的には好きな黄紺なのですが、時には赤も呑みたくなるので、狙ったのですが、なかった。
 ワイン話で、思い出したこと、書きます。ドイツで、昔は、赤ワインは稀でしたよね。数字で言うと、90%以上が白だと聞いたことがあります。ましてや、ロゼなんて、とんでもない、そういった時代がありました。赤は、モーゼルで、ちょろっとだけ、作っているなんて解説も聞いたことがある。ところが、今や、ドイツのマートに行くと、白と同じ数、赤が並んでいる。もちろん、外国産も多いけど、ドイツの赤、ロゼが、普通に棚に並んでる。今は慣れてしまってるけれど、ドイツに、頻繫に行き出した当初、それが不思議でならなかったのですが、あるとき、それを解く蘊蓄を語ってくれた知人が出てきたのです。昔の同僚との呑み会をしていたとき、その人が、ドイツに行ってきて、そこで聞いてきた蘊蓄を語り出したとき、ワイン作りの基になるブドウ栽培に、ドイツ・ワインの質を守るのに、結構な規制が、かつてはあったそうなんだけど、それが解かれてしまったいると言うのです。ま、特にチリがやり玉に上がるけれど、安い外国産ワインが入って来るため、規制があると、もう太刀打ちができなくなってしまったのが背景にあるのでしょうね。それで規制が解かれてしまった、そういった話を聞いたときに、目から鱗が落ちたってやつでした。ドイツには、ワイン名産地域が7つあり、それぞれが品質、味に自信を持っている、そないな言い草は生きてるのかもしれないけれど、無造作に並ぶ、マートのワイン棚を見ると、寂しい気もしてしまいますが、お安くなったのでしょうね、恐らく、それを有難がる黄紺でもありまする。あ~あ、ドイツ、行きたい! オペラ紀行、したいよ!
 替わりに、家でのオペラ配信、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「ホフマン物語」完走ですが、かなりの居眠り。アントニアの箇所など、記憶が、かなり跳んでいます。そこへ来て、難解。2人ホフマンではなく、3人ホフマンでした。役者の演じる年配のホフマンは、全幕を通じて、オランピアのときのホフマンと、あとの2人の相手となるホフマンが違いました。逆に、ステラ、及び、3人の女性は、1人の歌手が歌います。ですから、主役はこちらの方という印象が与えられてしまっています。この逆転は、何なんだ、判らないのです。最後に、アントニウスがミューズになって出て来る、ホフマンがミューズに慰めを受けるというのはなく、替わりに、またしても、「ドンジョバンニ」のツェルリーナの歌うメロディーが鳴るなか、ホフマンが棺に入れられ、終演でした。これは、せめて、アントニアから、もう1度、観なければなりません。悔しいけど、頭が働かない。


2021年 1月 21日(木)午前 6時 15分

 昨日は、お出かけなしの一日。たまには、家事をとなると、途端に、ルーティンに皺寄せがくる。でも、タイトななか、なんとか、午前中のウォーキングを敢行。ちょっと遠目の銀行を目安に歩くことに。そう言えば、この辺来るの、安売りのお酒を買いに来るマートの近くだということで、そのマートを目安にウォーキングをしたとき以来だったことに気が付く。わりかし夕方に歩くコースで、最近は、早く暗くなるので、あまり行かなくなっているコース。近くの道が暗すぎて、どこを歩いているのか、ときとして判らなくなるのが嫌で、あまり選ばないのです。そんなで、昨日も、午前中は、バタバタ感が出てしまいました。途端に、お昼を食べると、眠い。睡眠時間の足りた日にも拘わらず、眠い。バタバタした後遺症のよう。夕方は、定番のコース。日に日に、明るくなっていくのが判ります。同じ時間帯に歩いていて、つい先日まで見えてなかった風景が、薄暮のなか浮かんでいます。考えると、その風景を見ている方が、1年の中では長いんですね。夕焼けのなか、黒い小学校のシルエット、なかなか、いいものです。明るくなりすぎても見ることのできない風景です。それにつけても、寒い、どん底の日と言われていたわりに、そうではない。天気予報では、この大寒に合わせたかのように、極寒となると言っていた。でも、この冬、ここまで2回あった極寒のときとは違いました。普通に寒い日。天気予報では、更に、大寒後は、徐々に気温は上昇と言ってたから、もう、えぐい寒さはおしまいとなれば、それはそれで嬉しいんだけど、なんか外された感が残ってしまいました。空調も、順調に動いてくれているので、今年は、死にそうな寒さからは解放された感が出てきています。まだまだ、寒さに耐えられそうな気になってきています。
 オペラ配信、観かけていたベルリン・コミッシュ・オーパーの「ホフマン物語」(バリー・コスキー演出)を、ほぼ冒頭から観直すことにしました。どういったプロダクションかは、頭に入っているのだけれど、途中、居眠りの記憶もあり、前に観てから、ちょっと間が開いたように思えたからです。バリー・コスキーという人は、毎度思うように、ホントにアイデアの詰まった人。この「ホフマン物語」では、2人ホフマンのアイデアを使ってくれました。主役や準主役を2人制にするという手は、時たま見かけるもの。ベルリン国立歌劇場やカールスルーエの歌劇場で観た「ボエーム」がそうだった。前者はロドルフォが、後者はミミが2人だった。配信で観たパリ・オペラ座の「リゴレット」も、タイトルロールが2人でした。そんなで、稀だけど、オンリーワンではない手。このバリー・コスキーものでは、かなり年輩のホフマンが冒頭から出てきて、その呟きから始まる。舞台は瓶が立ててあるなか、そのホフマンが呟くという趣向。リンドルフが出てきて、市井に出ると、若いホフマンも出てきて、年配(決して老いていない)のホフマンが傍らで見守り、時として絡むという流れ。「ホフマン物語」自体が、振り返りの筋立てだけど、更に、それを俯瞰的に観ているのか、二重構造にしているのか。この物語、ホフマンの3人の女性遍歴というか、ステラという女性1人の3面を突くという展開とも見れるのだけど、年配のホフマンは、言葉として、その後者だと言ったように、、、そないな箇所があった記憶です。更に、そういったステラに、「ドンジョバンニ」のモチーフを被せています。音楽的にも、「ドンジョバンニ」のモチーフを挿入させたり、「ホフマン物語」も本来の音楽の中に「ドンジョバンニ」を想起させる和音が出てきます。これは、「ドンジョバンニ」を意識していると気が付きました。「ドンジョバンニ」には、3人の異なった女性が出てきます。この3人は、「ホフマン物語」の女性3体との類比で、ステラの3面とも見えさせるようなセリフを、年配のホフマンに言わせています。ステラ自身が、「ドンジョバンニ」が得意ネタなんて台詞も言わせていますしね。かなり、手の込んだ仕掛けが施されているため、何を、どのように把握すべきか、当惑中です。とりあえずは、第2話が、ジュリエッタではなく、アントニアだと判ったところで切ってありますから、後半の展開を楽しみにしてあるところです。でもね、やっぱ、バリー・コスキーは一筋縄ではいかない、大変な演出家だということが、よ~く解りました。


2021年 1月 20日(水)午前 8時 16分

 昨日は、ちょっとせわしなかった一日。息子に頼まれた用事をして、映画を観て、そんなで、ウォーキングをする時間を取るのが難しかった、でも、その時間を確保したという一日でした。先日、TV電話のお誘いは、実は、この用件のついででした。そのとき、DやSを追いかけることに懸命になり、その用件の肝心なことを確かめていなくて、いざ動き出すと、ちょっと困惑。でも、幽かな記憶の元に見切り発車。ま、結果オーライだったので、無事、用件は完了。思ったより時間がかからず、映画まで間延びをしてしまったけれど、これは想定範囲内。で、映画ですが、京都シネマで、中国映画「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」を観てまいりました。何よりも設定が斬新な映画、主人公のペイは、深センで母親と住み、毎日、越境をして香港の学校に通っている。父親は、香港在住でトラックの運転手。ペイが訪ねると優しく迎えてくれるが、別の家庭を持っているという感じ。母親は、日々、麻雀に明け暮れ、男友だちを家に入れたりするという奔放な生活。こういった様子を見て、判る人は判るようで、公式HPに紹介されていたエッセイなんかを見ると、香港と深セン側との経済格差の大きかった時代、大陸へと仕事に行き、ペイの母親と知り合ったのだろう。ペイは、香港で産まれたのかもしれないけれど、今は、深センに住んでいる。ただ、香港の永住権を持っているようで、深センから香港の学校に通うことができている。いや、そういった子どもたちが、かなりいるようですね。そこに目を着けての物語が作られたようです。黄紺も、行ったことのある羅湖(ローフー)駅、ここが香港・深センボーダー、境となっている橋を多くの人が往来する、そんな絵も度々出てきます。第一、正に越境する検問所の中までカメラが入っている。とにかく、これに驚かされました。橋を見上げるアングルでの撮影に、「このアングルって、あすこだよな」と思うほど、入らないはずのところにカメラが入っていた。まして、中国です。びっくりしたな。羅湖からの電車の混み方も、納得。香港市中に向かう定番の電車風景も頻繁に出てきた。こういった設定、描き方に、想定以上の驚きが生まれます。これ、香港映画ではなく、中国映画です。主人公ペイは高校生、友だちのジョーとのやり取りも、最高、とってもリアルな高校生。キラキラ感があります、若さの持つ、ここでも、驚きです。そんなに懸命になり中国映画を観ているわけではないですが、こないなテイストのある中国映画って、過去にあったのと思わせられました。ジョーは、香港の上流家庭の子どものよう。2人の夢は、日本旅行。雪に憧れる会話から、人気の北海道がお目当てのようです。2人の憧れる日本の会話を聞いていると、中国人観光客への目は変わりますね。そのためには、お金が要る。ペイにはお金がないから、クラスの友だち相手に商売なんかをしている風景が出てきます。そんななか、ふとしたことから、殆ど、偶然がきっかけで、スマホの運び屋の仕事に加わる。密輸です。香港と深センとの経済体制の違いを利用した裏の仕事に噛むことに。しかし、そこに集まる若者たちとの間に和みを見出すペイに、居場所のなさが出ています。父親のところも、一緒に住む母親にも見出せない和みです。その中に、ジョーの恋人ハオがいます。ペイのミスで、運搬もののスマホを傷めたことがきっかけで、ハオとの距離が狭まるペイ、それがジョーにばれ、2人の間は破裂と、展開が急を告げて行くなか、そのハオと、密輸仲間すらあざむく密輸に手を染めるペイ、というところで、終盤へと向かいます。ラスト、ペイは、母親を連れて、かつて、ハオと来た(香港の)ヴィクトリーピークに上ります。普段、深センに住む母親が、「香港って、こんなだったんだね」と、自分たちを取り巻く状況を、正に俯瞰した目で眺めて終わります。これ、いいですね。ペイにとっては、初めて知った、家族の背景、ジョーとの関係、ハオとの関係、運び屋をしたこと、こんな全てが、この俯瞰した目で見れる眺めのなか、そのせいで起こっていることを知ることができたようです。この映画を観て、韓国映画「ハチドリ」を思い出しました。同じ年代の女の子が主人公です。そして、映画を観る前の主人公と、映画を観終わったときの主人公が、ちょっとだけ違った風に観えた、成長して見えた、大人になったと言っていいかな、そないな辺りが、同じだったのです。これは、お薦めの映画です。中国に対する目も変わるかもしれません。
 家の用事をして、映画を観て、バタバタ感があったのですが、自宅に戻り、小1時間もしないで、ウォーキングに出発。京都シネマから、そのままウォーキングという手もあったのですが、買い物もついでにしたくて、一旦、家に戻ったのでした。終わってみると、いつもの時間に戻っていました。でも、バタバタと動いたからでしょうね、晩酌をして、YouTubeを、そんなに観てないのに、もうPCの前で居眠りをしてしまってました。そう言えば、昨日は、どこでも昼間の居眠りしてませんでした。その影響が出たみたいですね。


2021年 1月 19日(火)午前 6時 18分

 昨日も、前日に続き、お出かけなしの一日、そのわりには、せわしなくなった一日。原因は、はっきりしています。朝、トルコの1回目のコロナ情報チェックをしたところ、教育省長官が、CNNトルコに出演して、今後の教育環境について語ったものを掘り起こしてくれていたのが、長かった。AIを使い、掘り起こしをしているのでしょうね、もちろんチェックを入れてはいるでしょうが、だから、誰それの会見、それが、そのまま記事として載せてくれる、有難いことは有難いのだけれど、長い。それを読むのも、当然、長くなるとうことで、時間が、一挙にタイトになってしまいました。また、学校を閉鎖状態にしているものだから、「いつ、開けるんだ」的関心は、コロナ関連なものだから読み出した。すると、たいした内容じゃない。既に、「ここまでは閉じる」とした日を前堤としたもの。週末外出制限を執る現在、それの解除も出てないところで、トルコ的感覚じゃ、学校の再開までは行かないのは判りきったこと、むしろ、解除後というのが、普通に考えたところでの感覚だから、今が、日にちについて言えるわけがない。なのに尋ねても、何も出て来ない。その後のシナリオも、ちょっと小出しにはしてはいましたが、無論、再開の仕方ですが、前のことがあるので、それに準じたものを、僅かに小出しにして、結局は、試験のこと、学校全般のことに、話題は終始。試験のことも、既に発表済のことを、ちょっとレトリックに語っているだけ。これじゃ、時間潰し的な内容になるな、トルコで、これ聴いた人、新味がなく、繰り返してばっかと聴いたのだろうと思うのですが、そう思いながら、しかも、早い内に、そう思いながらも、最後まで読むのです。するとね、先ほども書いた、教育に対するトルコ的感覚、知らなかった様々なトルコの教育制度、そないなものを味わうことができるので、却って、お宝となってしまっています、黄紺的には。教育熱心、子どもへの思い入れなど、トルコ風味での、そういったものも知ることができ、とってもトルコな気分に浸れるのが、黄紺には嬉しいのです。
 そんなで、タイトな時間を迫られた一日、でも、ルーティンとしている日に2回のウォーキングは、ばっちし。昨日は、一昨日よりは気温が下がったのだけど、とってもいいお天気、太陽が照るって、冬は、それだけで、気持ちが和らぎます。おまけに、風はそよぐという程度のもの。これは、有難い。週明けの定番となっている、自然が一番多いコースを採り、公園で、休憩だけではなく、昨日は読書までできました。風向きに体を向けると寒いので、うまく風除けをすると、それって、背中を向けるだけで十分だったんだけど、太陽の温もりを浴びることができました。おかげで、読書の時間を、たっぷり取ってしまったことも、タイトになってしまった原因かもしれません。最近は、ものの5分ほどの休憩で歩き出していましたから、結構な違いです。夕方は、お酒を安く買えるマート2軒の内1軒を組み込むコースを採ってのウォーキング。気温が下がっているのに、未だに手袋をしてないため、ウォーキング半ばで、手はかじかんでしまいはしましたが、身体は、わりかしほっこりしました。ちょっとは、寒さに慣れてきているようです。
 新たなオペラ配信に入りたかったのですが、そこまでの余裕がなく、昨日は、以前、観ながらも居眠りで内容が入っていない、京都産大ギャラリー主催のオンライン講演会の欠けた分を観直すことにしました。「アマゾンの先住民と暮らす—ジュルア川のマディハ族」という演題での、国立民族学博物館名誉教授・吹田市立博物館特別館長の中牧弘允さんのお話です。シャーマンの出てくる、わりかし、このお話の中での軸となるところが抜けていました。25年も前にフィールドに出られたお話です。今もやってんだろうかとは思いながらも、おもしろい風習を教えていただけました。既に、開発と伝統的生活というのが、最後の方のテーマになっていましたから、かなりきつくなっているかもしれませんね。アマゾン流域の開発、昔、空中写真で観た記憶があります。まるで、櫛の歯のように緑が消えて行ってる姿でした。開発のために、まず道が造られ、それに沿って開発が進むものですから、櫛の歯状で緑が消えるというわけです。お話の序盤で、このフィールドとなった土地への行き方に触れられていたところがあり、「川しかない」と言われていましたが、逆に言えば、そういったところであればあるほど、道路建設が急がれたかもしれませんね。そんなで、ちょっとした想像も拡がってしまう貴重なお話でした。京都産大ギャラリーのチャンネルを見ると、同じアマゾン関連で、もう1本、講演会の動画が、アーカイブに入っていました。頭にインプットしておきました。忘れない内に観てみたいものですね。


2021年 1月 18日(月)午前 7時 13分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、ルーティンとしての、日に2回のウォーキングだけが外出という一日。昼前は、そういった日は、午前10時過ぎに出かけ、だいたい2時間後に帰宅するというのが、最近の定番。冬でないと、もっと外にいるのですが、こう寒いと、休憩がてらの読書が、ほぼできないから、外出時間は減ってしまうのです。でも、休憩を取ると、たとえ、それが5分程度のものであっても、休憩になり、取らないよりウォーキングが楽になります。人間の身体は、うまくできてるなと、そないなときは思ってしまいます。夕方は、午後5時半前後に出るかな、もちろん、ウォーキングのために。こちらは、暗くなる時間なので、休憩を取れない。だから、最近は、70分くらい歩き続けるものだから、結構、疲れて帰ってくるときがありますね。周りが暗いから、気が晴れないということもあるのでしょうね、必要以上に疲れを感じてしまうのだと思います。昨日は、午後5時に近い時間に出かけた、するとですね、もう陽が長くなっています。夏至から、ぼちぼち1ヶ月ということになるのですから、当然と言えば、そうなんだけど、これは嬉しいな。昨日などは、折り返し点まで行っても、まだ薄暮の状態だった。買い物地点を折り返し点にしていたんだけど、買い物時間、計ったら14分、その間に、すっかり陽は落ちてしまい、外は暗闇になっていました。
 夕方、家に戻り、いつものように、トルコのサッカー情報、2回目のコロナ情報を集め終わり、食事かなという時刻に、だいたい、いつも、このタイミング、電話が入り、息子家族とTV電話をすることに。DとSとも。半月ぶりの再会です。Dは、モニターに、自分が映っていると判ると、必ず変顔をします。余計なことは、勝手にたくさんお喋りします。でも、こちらが、何か聴いても、それに的確に答えられないという、困ったヤツ。Sが、何をしているのか、ちょっと解ってきたよう。そう言えば、いつ頃だったかな、Dが小さいとき、毎回、会うたびに、膝の上に乗せて、一緒に写真を撮っていたら、あるときから、何をしておるのか解った素振りを見せ、ついには、自分でシャッターを切れるようになっていったので、その初期段階に、Sも入ってきたようでした。モニターに映る黄紺の顔を見た途端、笑顔になったのが、とっても嬉しかったな、これは、1つの事件でした。昨日は、河内長野だったかのサイクルセンターに行ってきたとかで、そのときの写真を見せてくれたことがきっかけで、過去の写真を、いろいろとZoomの機能を使い、見せてくれました。それを、黄紺がスクショで残すという方法で、幾つかをゲット。また、PCのデスクトップ画面用のお写真が増えました。そして、いつものように、記念写真。変顔をするDを言い聞かせて、うまく撮ることができました。
 昨日は、オペラ配信で、まるまるオペラを1本、観た日でもありました。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「ホフマン物語」を観ている途中だったのですが、この土日だけというタイトな配信があったからです。それは、チューリヒ歌劇場の「仮面舞踏会」(ダヴィッド・プートニー演出)でした。ダヴィッド・プートニーものだということ、そして、アメリアをサンドラ・ラドヴァノフスキが歌うという、スーパーなプロダクション。これが、いわゆるキッチュをテイストにしたプロダクション。どぎつさのある衣装、大きな顔の作り物、大きな指の作り物、舞踏会の場面は、全員、どくろの意匠の服を着ている、樹脂という材質が、敢えて判るようにしてある鬘、どぎつい化粧といった具合。キッチュにすると、どういった効果があるというイマジネーションが働くのでしょうか、物語性が強くなる、仮構性の強調なんてことなのかな、でも、たとえそうであっても、それで何なんだというのが判らない。ただ、そういった捉え方を肯定するようなポイントがあることはある。1幕と、休憩明けの4幕の冒頭、件の大きな指が上から降りてきて、人の演ずる操り人形を吊り上げるというものが入る。また、幕開け時に、幕の隙間からグスターヴォが顔を出し、ラストは、グスターヴォ役の歌手が、亡くなったグスターヴォと思える人形を手に持ち現れる、そして、グスターヴォ役の歌手が幕を閉め終わるので、確かに、そういったコンセプトに合うように作ってあるのです。でも、それで、どうなんだの答えが思い浮かばないのです。ダヴィッド・プートニーもので、以前、ベルリン・ドイツ・オペラで観た「道化師」で、ラストで舞台崩しという、メタ演劇の解体的なことを見せてくれたときも、同じ問いを発してしまった記憶があります。「で、どうなんだ」と。そんなだから、ダヴィッド・プートニーの名前が忘れられないでいる黄紺、今回も、やられちゃいました。また、気色の悪い、もどかしさが残ってしまい、記憶に、強く残って行くのでしょうね。確か、イギリスの演劇界で名を馳せる人ということですから、手持ちのネタは山ほど持ってるのだろうけれど、こちとらの手持ちが追いつかないでいる。そないなことを、今回も感じてしまいました。


2021年 1月 17日(日)午前 7時 43分

 昨日は、はしごをして、お話を聴きに行った日。とっても、珍しい日になったのですが、うまく2つが時間的にずれてくれた。その間の移動時間が1時間半、行けると踏んでの敢行となりました。実は、先に行ったイベント情報が、後に行ったイベントより後から入ったことが原因。それが逆だったら、移動時間がタイトなこともあり、後から行ったイベントは、多分、諦めていた、はず。でも、順番が逆だった。そのため、後から行ったイベントは、申込みが必要だったために、既に申込み完了後、先に行ったイベント情報が入った、そして、このイベントは外したくなかったがため、こういった珍しいスケジュールを立ててしましました。今のご時世、それほどまでして行かねばならないかとは考えたのですが、そないな事情で敢行となりました。土曜日だから、交通機関の密は和らいでいるはずというのが、自分的合理化でした。
 その1つ目は、びわ湖ホールでありました。3月に開催予定の「オペラ公演情報講座・関連企画」として開かれた「ワーグナー作曲 『ローエングリン』プレトーク・マチネ」があったのです。これも、開催が危ぶまれたのですが、HPに連絡先情報の提出を求めての開催と出ていたため、大丈夫との判断。でも、今のご時世、滋賀県は、緊急事態宣言の出ている京都府と岐阜県に挟まれているため、館長さんは、挨拶の中で、いつ出てもとの懸念を言われていましたが、たとえ出ても、「入場者半分でオペラ公演は実施できる、する」と言われていました。心配の種は、いつ出るかで、チケット販売の停止をしなければならないので、そのタイミングを計るというところのようでした。ですから、「ローエングリン」は観れます。黄紺が、ドイツで観た最後のオペラが「ローエングリン」ですから、不思議な巡りあわせを感じます。但し、お話の中でも出ていましたが、オケは舞台に上げる、いや、オケピットと分ける、そういった方法が採られるようですし、少なくとも、一部は舞台に上げるとなれば、当然、舞台が狭くなるということで、「ローエングリン」名物の大合唱は、規模を縮小となるはずです。これは、沼尻さんが明言されていました。沼尻さんは、こちらは明言されはしなかったのですが、コロナ禍対策で、ドイツなんかで、規模を縮小したスコアが出回っているようで、それを使う可能性があります。ここで、登壇者をメモるのを忘れていたことに気づきました。沼尻さんの名前を書いて、気づいた次第です。以下の3名の常連さんでした。沼尻竜典(指揮/びわ湖ホール芸術監督)、岡田暁生(京都大学教授)、藤野一夫(司会/神戸大学大学院教授)。オケの話になったところで、藤野さんからの突っ込みで、おもしろい話を聴けました。「3管で書かれ出した」「同じ楽器が3つの違う音が出せることになった」「それだけ厚い音楽が生まれたことになる」、なるほど、それに被せて、沼尻さんが、弦パートに、同じパートでも部分的に分かれて演奏するところが出てきている、それを、何とかと言われていた、「devide」絡みの単語を使われていたと聞いたのですが、しっかりとは聞き取れなかった。そうですよ、地べたの底から涌いてくると感じたR.シュトラウスの「エレクトラ」では、第3チェロまであると知って納得したことがありますが、正に、その手はワーグナーから始まっていたということ、ま、言われてみればそうなんでしょうが、でも、言われてみると、至極当然と納得。岡田さんは、市民社会論を、今回もぶたれました。市民社会になじむ者、なじめない出自の不明確な存在という区分です。また、それが、ワーグナー自身にも及んでいきます。この作品、ドレスデン3月革命の影響を受けているのですね。その前に作曲され、上演されはしても、革命のため、ワーグナーはスイスに亡命しなければならなかったという放浪生活を余儀なくされていたこと、更に、ワーグナー自身の出自にも、話が及んでいきました。父親が、ある俳優ではないのか疑惑、その俳優は、ワーグナーの嫌う(ワーグナーの危ないところです)ユダヤ人だということで、自身の中にユダヤ人の血疑惑に悩まされていたということが絡んできているという興味の惹かれるお話が出てきました。ノイシュバンシュタイン城の悪趣味のお話に懸命になる岡田さん、「ノイシュバン」ではなく「ノイシュバイン」だというダジャレまで披露、絶好調。休憩時間に時計で時間を確認し、頭に時間を入れておいたのですが、お話に夢中になっていて、ふと時計を見ると「12:38」。8分も終了予定時刻を過ぎていた。でも、終わりそうな気配がないものですから、仕方ありません。飛び出しました。
 JR大津駅出発を、午後1時と踏んでいいたため、急いで大津駅まで歩きました。膳所駅だと快速が停まらないので、こういった場合は大津駅です。15分ちょっとで到着。そして、「12:58」発の電車に乗れ、一安心。びわ湖ホールからの出発が遅れたことを考えると、望外の結果。あとは、京都駅から25分近く歩けばいいわけですから、午後2時に余裕で間に合いました。予め、買ってあったおむすびで昼食を摂ることもできました。で、行先は京都市学校歴史博物館。こちらの企画展関連講演会「学校資料とデジタルアーカイブ」(福島幸宏/東京大学大学院情報学環特任准教授)に間に合ったというわけです。企画展とは「京都の中学校150 年のものがたり―京都府中学校から新制中学校まで―」というもの。それと、どないな関連があって、この講演会がと思いつつ、少なくとも、「学校資料とデジタルアーカイブ」的なお話は、それとしておもしろそうだからと申込んであったのです。が、企画展とは、全く関係なし、学校資料とも、それに特化した話は、ほぼなしという、そういった意味では、大外れの講演会でした。そもそも、東大の先生を呼んで来るということ自体が気になっていたため、講師の方っての疑問があった講演会。冒頭での自己紹介であっさりと判明。元歴彩館、元京都府立図書館勤務の経験を持たれている京都縁の方だというだけではなく、大変な実績を、その位置で成された方だったのです。黄紺も、歴彩館に行くと、毎度のように出てくる、同館誇りの国宝「東寺百合文書」で、デジタル化、そのコンテンツを公開するという事業を担当された方でした。とんでもなく気の遠くなる作業だし、また、それを公開して、誰しもが閲覧できるようにするためには、黄紺などには計り知れない作業なんだろうと、常々、その事業のグレードの高さだけは、何となく理解できていたのですが、その評価は当たっていたってことですね。その方のお話だったら、それはそれで聴いてみたい、でも、学校資料に特化したお話ではなかったですね。デジタル化の必要性、デジタル資料の概念の変化、そして、東寺百合文書などの作業実態の報告などは、一般的なデジタル化のお話、学校資料は、どこで出てくるのだと待ち構えていると、最後の方で、ちょろっとだけ、時間がなくなってしまい駆け足だから、さっぱり解らなかったのですが、国の方針とかなんとかのところで、差し込まれていたのには気は付いたのですが、理解を超えていました。そもそも「学校資料」と言った場合の範囲すらもお示しいただけないものだから、困ったものでした。この博物館で展示するようなもの? 時間が経てば、どれもそうだし、でも、どのくらいの時間? 個人情報がいっぱいの学校の資料って? 問題は山積なんだけどなぁ、、、。看板に偽りあり的講演会でした。違った看板だった、そうは思わないのかもしれないとは思いますが。
 この2つを回っただけで、もちろん、企画展は、しっかり拝見しましたよ。それ以外は、全くなしの一日。ウォーキングをする時間というのも取れないのが判っていたので、2ケ所を回る時間帯が、ウォーキングを兼ねていました。帰宅してから、万歩計を見ると、軽く1万歩を超えていたので、ま、いいんじゃないのの気分でした。


2021年 1月 16日(土)午前 5時 30分

 昨日も、市民向け公開講演会を聴きに行った日。「1月のアスニー特別講演会」ということで、京都アスニーであったものですが、今、京都アスニーでは、事業を縮小して、なんとかこういったイベントを行ってくれています。緊急事態宣言が出たため、あえなく中止に追い込まれかねないと思っていたため、前日から何度か、HPをチェック、でも、中止の文字が出てないものだから、そのまま出かけてみると、厳戒態勢を執りながらも実施してくれました。その演題は「白洲正子 ~その感性が照らす未来~」ということで、NPO法人歴史資源開発機構主任研究員&元滋賀県立安土城考古博物館副館長という肩書をお持ちの大沼芳幸さんのお話を聴くことができました。驚いたのは、「白洲正子」を標榜して、人が集まるのかと思っていたのですが、見事に外されてしまいました。「久多」のときよりは、入りは良かったんじゃないかな? そんなに、「白洲正子」って知られているのと、思わず首のかしげてしまいました。黄紺的には、能楽に造詣が深く、能評論では、かなり知られた人とだけインプットされていたものですから、「ここまで知られているのか」「今日は能に関心ある人、多いな」なんて気で眺めておりました。でも、この講演は、能関連の話題は、一切、出てきませんでした。「白髭」が出て来たときには、まともに謡蹟なものですから、いよいよ出てくるかなと期待したのですが、出ませんでした。お話の中心は、白洲正子が近江路を旅したときに認めたエッセイを基に、白洲の自然観、自然と人間との関係をめぐる考え方を絞り出すという作業だったと看ました。大沼さんは、白洲の書く「得体の知れない魅力」という言葉に着目します。白洲は、それに魅せられたと書いているようですが、その「得体の知れないもの」とはとの検証から、お話は始まりました。どうやら、水のカミ、山のカミといった自然そのものを崇拝の対象とする古代からの信仰を、近江路ではヴィヴィッドに感じるということのようです。しかし、そういった自然崇拝に起源のある神道が、仏教の伝来により、地位が怪しくなる。本地垂迹に至り、神道由来のカミは、仏教配下に従属していったかのように見えるが、そうではないのではという考え方が支配していたようです。薬師如来が湖から現れる由緒書きを持つ寺院があったり、山岳信仰が観音信仰と結びついたりと、そして、何よりも水と山への信仰は、水源が山にあると考えると、両者は同体のようなもの。そういった自然崇拝の捉え方を仏教との連携で体感できそうな感じに陥ってしまうのが近江だと、白洲は述べているようなんです。本地垂迹は、序列が明確となるフィクションなんだけど、カミ(自然)が内実を占めていると観るべきとのテーゼを与えたというのです。自然と人間の関係を、ヨーロッパをフィールドとして書かれたものは結構あるのですが、日本の歴史を振り返りつつ、そのテーマに関わったというお話を聴くのは、黄紺的には初めてかもしれません。ヨーロッパでは、自然に抱かれていた人間の自然からの乖離、自然を従属させる人間、そして、現代に至り、その行き詰まりとなるというディスコースを物語ることができます。この講演を聴いていて、最後は、現代との比較というところにお話を、白洲自身が進めるという話題になり、ちょっといい言葉をお示しになり終わったのですが、では、そういった比較をした場合、日本では、どこから、白洲が近江路で感じたカミ(自然)と一体となった生活、調和した生活、心性なるものが崩れるのだろうか、近代になり西洋化されるから? その逆転の構図を知りたい思いになりました。そのちょっといい言葉、、、「私は、全ての伝説(カミの力)を鵜呑みにするほど正直者ではないが、全ての伝説(カミの力)を否定するほど“科学的”になりたくはない」というものでした。なお、( )内は、大沼さんの註釈です。講演としては、画像をふんだんに使っていただけ、その操作も秀逸。これだけ、パワーポイントでアニメーションを使うと、製作時間、大変なんだよなと、余計な心配。でも、見せていただける者には、とっても有難いものでした。今、旅をしづらい時期、その気持ちを、しっかりと掬い取っていただけましたね。
 京都アスニーからの帰りは、いつものように、自宅最寄り駅の1つ手前の駅で降り、ウォーキングがてらマートに迂回して買い物をして帰るというもの。前日のことがあるので、新しい靴は止めて、古い靴を出していたのですが、痛みが残っているためか、大丈夫なはずの靴なのに、足裏にマメができてしまっていました。だから、このウォーキングも、あまり気楽なものではないというもの。相変わらず、靴に悩まされています。夕方、この買い物だけでは買い足りないものがあったため、今度は、家の近くのマートに行くために、もう1つの古い靴を持ち出すと、これらはスムーズ。今まで逆だったのに、何が合って、何がダメなのかが、判らなくなってきています。ぼちぼち、新しい靴が、足に馴染んでくる頃なので、あとしばらくの辛抱です。


2021年 1月 15日(金)午前 6時 20分

 昨日は、京都学・歴彩館での講演を聴きに行った日。でも、配布資料の中に、今後のことについてのものがありました。京都も非常事態宣言が出たため、当然、府の施設である同館は、府の指示に従います。今後の講演会等は、宣言が出ている期間中は休止、延期、更に、宣言が延長されるとなれば、中止に追い込まれてしまうとなっていました。そんなですから、黄紺自身が、謙虚に、宣言に従うか否かとは別個で、行先を摘み取られてしまっていっているわけです。行政の立場では止むを得ませんね。ですから、昨日の講演会は貴重な開催。黄紺などは、延期、中止が妥当だろうと、朝から幾度か、同館のHPで確認していたのですが、そのような表示が出ないものだから、出かけて行ったのでした。やはり、「行くんかい」と、自身に突っ込むところです。昨日は、「京都学ラウンジ ミニ講座“政治・文化・デモクラシー -1920~30年代普通選挙の社会史-” ①」という講演会がありました。講師は、同館京都学推進課の杉本弘幸さんでした。こういった講演会では、あまり出ない社会史、選挙といった内容、そそられるものがありました。1925年、普通選挙が、日本では施行されます。まずは、それまでの制限選挙と普通選挙との違いから。制度的なものだけではなく、そこは社会史ですから、市民の意識が語られました。普通選挙施行、日本史に疎い黄紺には、よく解らないのですが、大正デモクラシーといったような市民運動的な底上げはあったのでしょうが、いざ施行となると、選挙に対する意識が、まるで異なるという点がおもしろい。村の寄り合いで、旦那衆が差配し、勢力争いとなると、裏で何やらが蠢き、金が乱れ飛ぶ、その雰囲気が当たり前だった当時の心性。そこへ、普通選挙が放り込まれた感が強調されたお話。ですから、その意識改革からがスタート、自ずと、ポスターも、選挙とは、選挙権を持つ人たちの意識を、真っ当なものへと高める啓蒙的なもの。次いで、選挙に立候補する政党のポスターへと、お話は進んでいきました。一方で、普通選挙法と同時に成立した治安維持法との抱き合わせのお話も、当然、されました。普通選挙施行で高まる社会主義、労働運動を取り締まるものですね。でも、選挙となると、受け皿となる政党が成長しないという点も押さえられました。投票数から言えば、もっと議席の確保ができたはずだが、四分五裂をした社会主義的政党が、受け皿には成りえなかったと。選挙ポスターのところでは、政友会、民政党といった、当時の二大政党のポスターの紹介となりましたが、肝心なところで、昨日も居眠り。資料としていただいているレジュメだけが残りました。昨日の講演は、3回連続講座の第1回、但し、コロナ禍で、2回目以後が実現されるかは定かではないので、ポスター解説まで行かれたのでしょうが、いつものように肝心なところで居眠り。おもしろいお話だと思いながら聴いていたのですが。
 歴彩館の往復は、いつものようにウォーキングを兼ねてのもの。でも、足が痛い。一昨日、もう大丈夫と思え、新しい靴で出かけ、散々な目に遭いました。今回の新しい靴、慣れるのがましだと思っていたのに、今回の足慣らしでは、最悪の事態。我慢のしどころと思い、いつものコースを歩き続けました。暖かだったのが救いでした。でも、毎度のように、丸太町橋下のベンチに腰掛けると、持たないですね。陽が落ちて行く時間帯は、急激に気温も下がるようで、僅かの休憩をしただけ。そんなで、お出かけができるだけで嬉しいものだから、出てしまう。この時節に、、、、。


2021年 1月 14日(木)午前 6時 27分

 昨日は、お出かけなしの一日。日に2回のウォーキングに出かけただけが、外出だった日。買い物も、そのときに済ませてしまっています。昼前のウォーキングは、家事もあり、時間がタイトになったのだけれど、いい陽射しだったもので、公園で、久しぶりに休憩がてらの読書。外気は冷たいものがあるのだけど、南方向に背中を向けていると、黒っぽい厚手のパーカーは、その陽射しを、思いっきり受けてくれて、背中がほっこり、暖かくなってくれるものだから、頗るいい感じ。思いの外、読書が進んでしまい、結果、遅めのお昼ご飯。ほぼ空腹感を感じることの稀な黄紺には、少々の遅めの食事は苦にならない。昼前のウォーキングでは、まだ、足の痛みが残っていたけれど、夕方のウォーキングでは、ようやく、新しい靴に足が馴染んでくれたようで、ほぼ解消。でも、深爪の箇所は、靴が合う合わないとは関係ないため、歩き方に気を付けると、反対側の足に無理がかかるようで、その足の疲労感が、普段よりは大きいのが、玉に傷。でも、時間、距離、普段通りのウォーキングができたんじゃないかな。
 家に閉じこもる時間の多い昨今、癒し系になってくれるのが、外国在住のYouTuber氏が発信してくれる動画、それと、日本で巣ごもりをしながら、過去に撮りだめの映像を駆使しながら動画を配信し続ける旅系YouTuber氏。そういったなかで、前者に入る韓国系YouTubeに、もう叫び声を上げさせられた今日この頃、です。2つあるんだけど、「スンドゥブ」を紹介するという、モッパン系動画では、とんでもないベタなもの。だけど、このベタなのが、ツボなんだよね、今は。1つは、在ソウルのYouTuber氏が、ほんまものの「スンドゥブ」、即ち、「純豆腐」を紹介してくれてました。全くの手作り豆腐(絹&木綿)に、韓国風薬味を付けて食するというもの。こないなものを出す店があるのですね、正に「スン(純)」です。いい酒の肴になるだろうなと、完全に目が輝いてしまってました。でも、黄紺は、韓国では、お酒を呑まないんだけどなと、なんか、行った気分になり、お酒を呑むか呑まないか逡巡してしまってました。も1つが、在釜山のYouTuber氏の動画。こちらは、もっとベタ。300本の動画を発信していながら、「この店、紹介してなかった」と、「スンドゥブチゲ」の有名店でのモッパン。このご時世に、美味い「スンドゥブチゲ」の店を紹介するというのは、韓国に行きたくても行けない韓国フリークの人たちを、完全に意識している。食べながら、「食べたいでしょう」的な文言を頻発。こちらも、「甘味があります」の感想に、思わず「オーッ」の声を上げてしまいました。辛さの中に甘味がほんのり隠れた「スンドゥブチゲ」は、美味い。卵とじ的に、落とし卵をかきまぜてあれば、もう最高、「チェゴ!」です。モッパン系で、結局、一番、今、そそられるのが、こういった、普段、韓国を歩いていて、普通に食べている食材。普通が普通じゃなくなったのが、このコロナ禍。その普通を思い出させるものに、黄紺の心は鷲掴みにされてしまいました。
 オペラ配信は、「サンドリヨン」を完走。予想が当たりました。シンデレラは、最後まで、脚に大きなギブスをはめたまま。靴(バレエシューズ)は、放り投げられ、上っ面の名声を得ようという人たちが、背後で探し続けるなか、誰にも見向きをされないなか、主役2人が抱き合い、終演。2人が、心から愛し合うという姿を表す、解りやすさが何よりのプロダクション。シンデレラのストーリーは誰しもが知っているわけですから、それを底に置き、観る者のイマジネーションを刺激する、素敵なプロダクションでした。日本でも、こういったもの、観ることができれば、いやいや、こういったプロダクションってのがあるのだ、こういったプロダクションが、イマジネーションを刺激して、より楽しみが増すのだということを、教える必要があるのでしょうね。新国立劇場では、そういったプロダクションが、一部、上演されているようですし、二期会も、スター演出家のプロダクションを上演して、新しいプロダクションに積極的に取り込んでいるようですが、それ以外では、ダメですね。今日、びわ湖の「ローエングリン」のチケット発売が始まりますが、無理でしょうね。関西で、「ワーグナーが上演され続けている」だけで、満足は停まってしまいます。で、「サンドリヨン」は、ラストを残していただけだったので、新たな配信をピックアップ。それを探していたら、偶然、ベルリン・コミッシュ・オーパーの配信で、クルト・ワイルのミュージカル・ナンバーを、同劇場の舞台を使い、カメラ・アングルを逆にして撮影したものを見つけました。ですから、歌手と伴奏ピアノの背後に、劇場の客席が観えるというもの、です。ベルリン・コミッシュ・オーパーの客席は古風なそれですから、見栄え、抜群。なかなか凝った演出です。何よりも驚いたのは、ピアノ伴奏を、同劇場のインテンダントのバリー・コスキーがやってること。スター演出家って、こないなことまでやっちゃうんだと、ただただ、感心するばかりでした。で、肝心の新しい配信は、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「ホフマン物語」(バリー・コスキー演出)です。なかなか、やってくれています、その内容は、次回に観たときにメモることにしましょう。


2021年 1月 13日(水)午前 6時 15分

 昨日は、京都学・歴彩館での講演を聴きに行った日。「資料に親しむ会/万国博覧会に親しむ」という講演会がありました。大阪万博が、また、予定されているということからでしょうか、世界を対象にした講演会というのは、この歴彩館では珍しい催し。いや、歴彩館だけではないですね、対象は日本史ばっかという感じですから。日本史に疎い黄紺には、嬉しいことは嬉しいのですが、そればっかだと、食傷気味なところが出てきます。お話をされたのは、同館資料課の大瀧徹也さん。いきなり、万博の定義を、広辞苑やらといった国語辞典を持ち出し、お話されたものですから、早くも引き気味。専門外の間に合わせ的な講演と看てしまいますからね、そないなこと言い出されると。万博として、産業革命後の産業文化、それに、伝統文化との組み合わせで展示が進むという社会的背景、歴史的背景は、押さえられても、幾つかピックアップされた万博ごとの持つ意味合い、バックボーンといったお話にはならず、各万博に展示された代表的な品目、記念建造物、開催場所、日本の参加形態といった範囲に留まるというもの。冒頭で、先が読めるとダメですね。途中、居眠りは、無理ないかなと、正当化してしまっている黄紺です。
 そんなで、あっさりと過ぎた時間。歴彩館への往復は、ウォーキングを兼ねているというのは、いつもの通り。ところが、足が痛くて不調。新しい靴を避け、大丈夫との太鼓判を押してある靴を履いてのお出かけだったのに、痛んだ。これだったら、新しい靴の場合と変わらないほど。その上、深爪をしたようで、余計な痛みが出てきてしまったから、歩きにくい。右足の小指辺りは、擦れて痛むは、左足の親指は深爪で傷むはで、悲し過ぎる状態。でも、気にしながら歩けないわけではないので、いつものように三条駅まで完遂。途中、毎度のごとく、丸太町橋下近くのベンチで休憩だけど、やはり、あっと言う間に温まっていた体が冷えますね。昨日などは、まだ、寒さは後退していたはずだったのですが、、、。
 それで、あっさりと、1日は終わってしまったのだけど、考えると、京都も非常事態宣言の対象地域に。だけど、出かけてしまっている。TVのニュースを観ていると、第1波の際の人出と比較して、急を告げている。自分自身が、その一人だと気づかないで動いてました。今週も、お出かけ予定があり、どうしようか迷っている。主催者のサイトを見ても、開催についての変更案内は出ていない。それを盾に出かけて行くか、やはり自重するか、思案中です。昨日も、丸太町橋下で休憩したとき、マスクを外し、袋にしまったら、そのまま歩き出し、電車に乗り、しばらくして、自分がマスクをしていないことに気が付く始末。もう、マスクをしまってある場所を思い出すのに、若干、躊躇までしてしまっていました。これが、緩みですね。そないなことがあったものだから、迷ってしまっています。緩んだまま、何も考えないで出かけるようになってしまっているのですね、黄紺だけではなく、皆さん。人間、縛られるまで解らないってことなんだと、迂闊に、TV映像を観て、ひどい人たちと、突っ込むのは、少なくとも止めることにします。「アホや!」と呟くのは、止しにしましょう。


2021年 1月 12日(火)午前 6時 47分

 週明けの月曜日となった昨日は、成人式の日だったのですね。お出かけなしの日だということで、時間に余裕があり、週明けだということで、要するに混雑回避ができるということで、お馴染みの自然の最も多いコースを採り、ウォーキングをしたのですが、いざ、そこへ着いてみると、明らかに人出が違う。そこで、3連休だったことを思い出した次第。いつものコースを歩こうとするのだけれど、どうしても、休日は密ができている。自然が多いから来ているのに、人を見に来ていては割に合いません。そういった場所を避け、休憩場所にと選んだところには、家族連れが先着していた。その傍ら、ベンチから逃げて、ちょっとの間の休憩。相変わらず、寒くて、読書なんてできない。寒い、寒いと言っていながら、明らかに2~3日前よりは、寒さは和らいでいることは間違いない。夜は、マイナス4度まで下がったそうで、台所の洗剤まで凍っていたのが、昨日は、凍ってなかったし、ウォーキングをしていても、身体の温もりが違う。僅かの違いなんだろうけれど、身体で、それを感じられることが有難いですね。ウォーキングをしていての、もう一つの心配の種が、新しい靴。今回は、大丈夫かなと思ったんだけれど、1回目よりは2回目、2回目よりは3回目の方が、痛む。何か、変、経験のないこと。またぞろ、古い靴と交替しながら履き、徐々に慣らしているのだけれど、痛くないはずの古い靴を履いても、痛む。わけが判らない。そんなで苦悩中。やっぱ、安物を買うと、この試練と格闘しなければなりません。これが、結構、辛いものだから、次回は、ちょっとお金出してみます。何回か前も、そう思い買ったら、持ちが悪く、腹が立ち、安物に戻した記憶があるのだけど、痛いと持ちの悪いとのでは、やっぱ、痛いのは負けますね。昨日は、昼前も夕方も、たっぷりめのウォーキング、足が痛いと言っていながら、2万歩手前まで、久しぶりに歩数が伸びました。
 午後の一時、先日、途中で居眠りをしてしまった京都産業大学ギャラリー主催の講演会の動画を観ることに。アーカイブに残してくれていると、これができるのが有難い。もちろん、居眠りなんぞをしないでスムーズに観るに限るのですが。「アマゾンの先住民と暮らす—ジュルア川のマディハ族」という演題で、国立民族学博物館名誉教授・吹田市立博物館特別館長の中牧弘允さんのお話ですが、「住」の途中から、高床式の家屋、次いで、焼き畑、、、このあと、また、居眠り。相性が最悪です。マディハ族は、焼き畑での作業だけ、「働く」という言葉を使うとか、作物となるなんちゃら芋には毒があり、その毒を抜く作業をしてからでないと食べるとヤバいとか、おもしろい話だなと気に入って聴いていたはずなのに、気が付くと、講演は終わり、質疑応答の呼びかけを、司会の方がされていました。そんなで、興味のあるお話なんで、また、どこかで時間取ります。そないなことをしている内に、アーカイブに残ってないなんてことが起こらないように願うだけです。居眠りをした自分に腹が立ち、この動画を、直ぐに振り返らなかっただけで、時間はあったので、方向転換。オペラ配信を観ることに。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「サンドリヨン」です。シンデレラなわけですが、装置がいじられ、設定が変えられているもので、それがいい洒落で、結構、そそられるプロダクション。冒頭の、シンデレラの家は、バレーのレッスンルーム。悪者姉妹は、バレーの稽古に余念がない。コーラスの人たちもバレーの練習生と言ったところ。それが、いかにものおっさん集団。それが、スカートをつけている。そう言えば、どこかのプロダクションで、おっさん集団の「白鳥の湖」の画像を見たことがあるけれど、その光景とそっくり。悪者姉妹、その母親と言い、露悪趣味で彩るというコンセプトですね。シンデレラは、足に大きなギブスを装着して、歩けない、踊れない、それどころか、病院のベッドに乗せられ、登場、傍らには、医師と看護師が控えているといったもの。妖精は、おばさん集団。そうそう、冒頭から、1人の婆さんが、舞台に出ていた。最初は、老いたシンデレラかなと思って観ていたのだけれど、進むにつれ、シンデレラの実の母親かなと思えて来ています。その婆さんも、妖精と絡みながら、舞踏会用のドレスを用意したりしてくれる、悲しむシンデレラを、優しく抱きしめたりと、常に、妖精とこの婆さんが、シンデレラを見ているといった様子。王子のお城もバレーの練習室。舞踏会に集まる人たち、即ち、コーラスの人だから、バレーの衣装を着けたおっさん集団。王子は、ジャージの上下で登場、傍らには、王子らしい衣装が用意されてはいても、それを着たがらない王子といったところ。コーラスの人たちの背後から現れるシンデレラの登場場面が、素敵。いざ登場、だけど、若干、おびえがちのシンデレラといった感じがいい、あとずさりをしながらシンデレラの姿を見せていくコーラスの人たちの動きが秀逸。シンデレラと王子が愛を確かめる場面には、上から吊るしの書割が降りてきて、バレーの練習室の雰囲気を隠しはするのだけど、その装置、半透明だから、練習室が透けて見える、この効果は2つ。1つは、夢か現かといった雰囲気を出せる、もう1つは、透けて見えるところに妖精が見守る姿を出せる、これも秀逸。この透けて見えるって、とっても、幻想的になるものだから、マスネの極上のとろけるような音楽と、ドンピシャで合っています。考え抜かれた演出ですね。シンデレラと王子には、ダミーのダンサーを出し、2組のシンデレラと王子の絡みを見せるというのも、成功しているんじゃないかな。そんなで、楽しみいっぱいのプロダクションですが、いつものように、ラスト前で切りました。ま、時間切れでもあったので。そして、ラストに関し、予想を立てていることを、お楽しみに残しておきたいこともあったので、いい切り方です。そんなで、「サンドリヨン」、とっても楽しめるプロダクションです。


2021年 1月 11日(月)午前 7時 32分

 昨日は、伏見区役所で行われた講演会を聴きに行った日。「伏見連続講座ーふれて、しって、みて伏見ー」と題した一連の講演会に、申込みをできていたのです。コロナ禍で、規模が縮小はされていますが、毎年、ボリュームたっぷりのメニューが用意されています。今年度は、申込み期間を外してしまい、行けるのは、昨日の講演会だけ。人数を絞っての開催ですから、ただでも希望者が多い講座なため、時期を失するとダメですね。で、昨日の講演は、地域(伏見)史研究者若林正博さんの「昭和の思い出,夏の思い出,伏見港巨大屋外プール」というものでした。現在の伏見港公園に、一時期、巨大プールがあった、すっかり忘れていたことを、この演題で思い出しました。でも、「そんなに長い期間ではなかった」、ぼんやりと、そんな印象。自分的には行ったことがない、学校のプール以外は、海でしか泳いだ記憶しかないので、覚えているわけではないはずです。でも、あったことはあった。それをテーマにされる、何があるのだろうという関心が出てきました。すると、ありました、黄紺の知らない伏見港の真実が。お話は、「室町時代の伏見」から。絵図で示していただけました。御香宮神社以外、何もない。これが判っただけで、十分。「ブラタモリ」的に言うと、「デヴェロッパー」秀吉の登場が、クリアになり過ぎました。なんもないところから、首都の建設に当たったことが、よく判りました。「京都、大坂、奈良、大津への結節点」、こないにいい位置はないですわね。毎度のことながら、物流に欠かせない水運の確保を見渡しています。大坂、大津との交流は外せませんからね。高台を削りながらの城下町建設、これも、「ブラタモリ(伏見編)」で見せてくれていましたね、丹波橋駅の通りを使い。城があり、武家屋敷があり、町屋がある。これが、丘の上から下がっていく順。そこへ、碁盤の目状の街を作ったわけですから、とんでもない土木事業です。その頃の「プール建設予定地」は水田。ま、宇治川沿いですからね。その場に、いつ、港が造られたかの話は、居眠りしてしまってたのか、頭に入っていない。港の建設が入ってないということは、港の構造、周辺の街並みとかいった関連項目(三栖閘門を含む)についての話は、聴けていない、相変わらずの体たらくぶり。でも、武家屋敷跡のことは記憶に残っている。その坂の部分に、言い換えると、町屋からは見上げる地域に桃の木を植えたというのです。「桃山」の起源です。但し、廃城以後のことなので、「安土桃山時代」はおかしい使い方となります。「桃山」が生まれたのは、秀吉以後になりますから。そんなで、休憩が入ったので助かりました。覚醒のきっかけを与えられたからです。その後のお話で、居眠り時間の内容が、ちーとは察しはつきました。伏見港には「旧港」と「新港」があり、「旧港」のお話をされていた。「ん?」と乗り出してしまいました。一帯が港だった思っていたための「ん?」でした。と同時に、このお話を聴いて、ちょっと気持ち悪いなと思っていたことが氷解したのです。今の伏見港公園の場所が「新港」で、それまではなかったのです。「旧港」の中心部が「京橋」「蓬莱橋」界隈、要するに「寺田屋」の前辺りとなります。黄紺の思い込みは、こうです。確かに、街並みの密なところはそこだから、宇治川の派流を使い、引き込みライン的な舟の流れとなっていて、物流の中心、物の搬出搬入は、今の公園のところで、しかも、宇治川本流沿いですからね、そう思っていたのですが、そこがなかったということは、港というのは、宇治川派流を使ったところだけとなります。それが、本来の伏見港だった。これは、衝撃でした。但し、その派流の幅は、今の、少なくとも倍はあったということの証拠写真を見せられ、納得させられてしまいました。蓬莱橋の元の姿を映した写真を見せていただけたのです。今の倍の長さでした。そして、今の派流沿いには遊歩道が両脇に作られていますから、完全に、今の川幅の倍以上となります。これも知らなかった。「新港」が造られたとき、役目を終えた「旧港」沿いの川幅を狭くしたのでした。となると、「三十石」の「勘六さんへのう」「小倉屋の鬢付け、、、」の風景の広がりが変わっていきます。寺田屋の前辺りで、米俵の荷揚げが行われていたそうです。やがて、昭和に入り、貴重な産業遺産「三栖閘門」ができます。淀川の改修工事でだそうですが、宇治川と伏見港に連なる濠川との水位差ができ生まれた閘門、でも、このときには、まだ「新港」はないのです。なんと、「新港」は戦争絡みだそうで、物資輸送の確実性を考えてのことだそうですが、ところが、建設は、終戦に間に合わない。戦後の完成。それが、今の公園のところです。傍らには、今は関電の所有地になっている発電所もあったようです。戦後のエネルギーとして石炭が、ここでの荷揚げ品の最重要品目。ところが、エネルギー転換が起こり、物流の中心が、舟運の時代ではなくなります。10年余りで廃港、跡地利用として、ようやく出ました、巨大プールとテニスコートとなったということです。水は、伏見らしく、井戸水を使っていたとか、そのための井戸のお写真、残っていました。しかし、新しいタイプのプールが出てくると、こちらも役目を終えるときがやってきます。15年ほどの稼働だったとか、だから、印象が薄いのですね。正に「昭和の思い出」です。屋外ですから、高々年2ヶ月ほどの稼働では、効率が悪いですわね。で、新たに体育館などのある公園となり、プールは、温水プールとなり、体育館に収まったということで、現在に至るとなりました。「伏見港の歴史」、ようやく、しっかりと把握できたなの印象、値千金の講演会でした。
 伏見区役所から蓬莱橋まで、徒歩で10分です。そこで、ウォーキングがてら、帰路は伏見港公園経由。とんでもない遠回りですが、ウォーキングと考えれば、程よい距離。三栖閘門も、久しぶりに通過。傍らの謎だった建物も、この講演会で教えていただけました。暴れ川宇治川の増流の際は、閘門を閉め、でも、濠川に溜まる水は出さねばならないから、その放流のための「ポンプ室」だとか。確かに、横を通ると「ポンプなんちゃら」と掲示されていました。土俵のところに井戸があったと言われていたように思うと、その傍らを通るだけで、値打ちが上がります。そんなで、昨日の午後は伏見港三昧となりました。
 夜、時間ができたので、新たなオペラ配信に着手。ベルリン・コミッシュ・オーパーの「サンドリヨン」(ダミアーノ・ミキエレット演出)をチョイス。ダミアーノ・ミキエレットは、コヴェントガーデンの「ウイリアムテル」を手掛け、物議を醸すなんてことがあったお方。この「サンドリヨン」も、仕掛けがありそうな雰囲気がぷんぷんしています。詳しくは、次回観たときにメモリます。


2021年 1月 10日(日)午前 7時 29分

 昨日は、自宅で、オンライン配信の大きなシンポジウムを聴いた日。歴彩館に行ったときに見つけたチラシがきっかけで知ったシンポジウム、年内に申込み、登録を済ませてありました。大阪大学シンポジウム「コロナ新時代 安全、安心、いのち輝く社会に」というもので、グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)を会場に、会場にも聴衆を入れ、映像で観る限り、かなりの人が入っていたように観えましたが、黄紺は、コロナまみれの大阪には行く意思はないですから、こういった者には、オンライン配信は有難いですね。行かないと決めている大阪のイベント自体、探しもしてなかったのですが、偶然とはいえ、大きなイベントに遭遇できたのは、ラッキーなことでした。そのプログラムは、次のようなものでした。▽開会挨拶/西尾章治郎(大阪大学総長)、▽第1セッション「新型コロナウイルス感染症をくい止める」①松浦善治(大阪大学微生物病研究所教授)「ウイルスの特徴と制御法」②熊ノ郷淳(大阪大学大学院医学系研究科教授)「感染症理解に必要な免疫学」③朝野和典(大阪大学大学院医学系研究科教授)「感染防止への取り組み、課題」、▽第2セッション「ポストコロナの中で考える」①田中敏宏(大阪大学理事・副学長)「大阪大学の教育・研究活動」②三浦麻子(大阪大学大学院人間科学研究科教授)「感染禍で心と社会を守るために」③坂田恒昭(大阪大学共創機構特任教授・塩野義製薬株式会社シニアフェロー)「コロナ新時代における産学官共創」、▽パネルディスカッション「ウィズコロナの経験を活かして」〈モデレーター〉大竹文雄(大阪大学大学院経済学研究科教授)〈パネリスト〉澤田拓子(塩野義製薬株式会社取締役副社長/ヘルスケア戦略本部長)・森井理博(パナソニック株式会社ブランド戦略本部長/事業構想大学院大学特任教授)・藤井睦子(大阪府健康医療部長)・大野ゆう子(大阪大学大学院医学系研究科教授)・中野貴志(大阪大学核物理研究センター長/教授)。▽閉会挨拶/金田安史(大阪大学理事・副学長)。肩書を見ると、まことにもって蒼々たる顔ぶれ。肩書には現れていないところでは、パネルディスカッションのモデレーターを務められた大竹さんは専門家会議委員、そのため、政府関係の話を聴けたのはいいとして、空気として、他の方々は政府批判的な言葉を控え気味、遠慮気味。同パネリストの大野さんは、看護師要請などをされている方、同パネリストの中野さんは、この間のデータ分析をされている方といった具合。第1セッションが、そそられる医学的見地からのお話。ウイルスの特徴や免疫についてのお話をしていただけたのですが、タームが解らない。その解らないタームを、さりげなく、早口で連続的にお話になるものだから、さすが、ついていけなかった。お話をされている方からしては、基礎中の基礎でしょうが。その上、音声環境もいまいちでしたから、一層、解りにくかった。第2セッションの目玉は、三浦さんのお話。行動様式の分析、振り返りのお話でした。行動変容という語句が頻発。コロナに対して、また、行政の対策に呼応した変容がテーマ、それに加えて、時間的経過に連れて出てきた慣れに伴う変容ですね。よく耳にするお話だと、却って思ってしまい、途中から不届きな居眠り。パネルディスカッションでは、パネリストの5分ほどのお話を聴けたあと、モデレーターから共通の問いかけ、会場からの質問といった流れ。そそられたのは、パンデミックスということで、かなり製薬業界、行政、しかも、国境を越えた情報交換が進んだこと、それが、イノーヴェーションを促したというお話。ワクチン開発に、それは象徴されています。この1年を通じて、イノーヴェーションのスピードを、世界の人が見たこと、可視化されたとは大きいと、暗い話題のなか、明るい話題として取り上げられていました。大阪府の直接の担当者を呼べたのは大きなポイント。データを使い、大阪の動きを示していただけ、いい振り返りになりました。中野さんは、独自の分析で、且つ、軽妙なお話しぶりで、印象に残った方。感染経過が、東京と大阪が交互にピークを迎える振り子理論を言われていました。聴いていて、条件が悪く、また、居眠りで、内容把握を失したりで、必ずしも万全といった視聴態度だったは言えないところは、自分の反省、企画の盛りだくさんに過ぎるところでしょうが、取捨選択をすれば、いい時間を持てたかな、部分的には満足はしておりました。
 このオンライン配信が、午後1時から午後5時という長丁場。昨日は、そのため、完全に、この配信に合わせた動きとなりました。そそくさと、午前中のウォーキングを済ませ、昼食をとると、もうPC前に待機、終わったら終わったで、早々にウォーキングに出発、戻ると、トルコのサッカー、コロナ情報の収集と行きたかったのですが、昨夜は「ブラタモリ」の新しいソースが出た日。だから、コロナ情報収集は、「ブラタモリ」が終わってから。偶然、昨夜は、コロナ情報で新規なものなしだったので、時間的にはホッとしました。トルコは、週末のロックダウンに入っています。だからかも、しれませんが、今日になると、違反者、それも、わけのわからない違反者ニュースが流れるのでしょうね。で、「ブラタモリ~天橋立編~」、地味におもしろかったですね。天橋立駅の傍らに残る、かつての海岸線跡、舟屋跡に、「オーッ」と、思われず声を上げてしまいました。砂州の話題だけで、1話、尺は持つのだろうかと思っていたのですが、いやはや、立派に持ちました。予告で、舟屋が映っていたので、尺に困ってんじゃねぇのなんて、勝手な突っ込みを入れていたのですが、とんでもないアホな突っ込みでした。
 ところで、これを、TRT3を聴きながら書いてんだけど、さっきから「ジークフリートの葬送音楽」を流しています。日本は、今、朝だから、ちょっと濃いんじゃないのと思うと、トルコは、真夜中。誰か、聴いてんだね、深夜のワーグナー、トルコにももの好きがいるようです。


2021年 1月 9日(土)午前 7時 39分

 昨日は、またしても、京都シネマで映画を観た日。そして、その後、失敗をやらかした日となりました。まずは、映画、マレーシア・日本映画「Malu 夢路」を観てまいりました。マレーシア人(華人)の監督の映画であること、マレーシアが物語の舞台になっているということで観ようかなと思っていたのですが、わりかし、この映画の上映期間が、他のスケジュールの詰まった時期であり、且つ、上映時間が、黄紺の、今、あまり出かけたくない午前中開始だったり、夜にかかったりするものだから、そういった意味では乗り気ではなかったのですが、昨日の朝、トルコのコロナ情報収集が、スムーズに進んだため、「よっしゃー!」の気になり行ってしまいました。「しまいました」というのは、見事にすかされたという映画だったのです。黄紺の観るマレーシア映画って、どうして、こうも難解なんでしょうか。まあ、たまたま、そういった映画にばっか遭遇しているだけだとは思うのですが、、、。2人の姉妹の遭遇から物語は始まります。過去と今が交錯しながらの進行。どうやら、姉妹でありながら20年ぶりの再会、でも、その後は、一緒に暮らしている風情。姉が、子どものころ、養子に出されたようです。再会してから、2人の会話を聞いていると、ずっと、どちらが姉で、妹かは、黄紺には判らなかった。いや、判らないように作ってあったかもしれません。サティをピアノで弾くというので、黄紺には判ったもので、それで判るように作ってあったかもと思えるからです。どうも、母親の様子が変。子ども2人を道連れにして心中を犯そうとしたりしている。でも、その心の中は描かれてなかったよう。晩年は、ずっと妹の方は、母親を介護している。それに疲れたのか、妹は、母親の頭に枕を押さえつけ、窒息させようかという場面も出てきていた。姉妹の再会のきっかけは、その母親の死。突然居なくなる妹。その妹が、日本で亡くなったと聞いて、日本に飛ぶ姉。死のわけを、いや、その前に、日本での妹の生活の様子を探す姉。妹は、素性を隠し、売春をしてお金を稼いでいたのか、小遣いを得ていたのか、そこは定かではないけど、とにかく、売春をしていたことは確かなメモが出てくる。その客の一人と知り合う姉。ここからが、ラストになるのだけど、「姉妹の葛藤」などと、映画を紹介する文には認められてあるのだけれど、そうかもしれないのは、黄紺にも解るのだけど、なぜとなると、解らない。姉からすると、母親を取られた? 妹からすると、心を病んでそうな母親を任されきってしまった? そないなところしか、思いつかない。そんなで、今どき、映画作るかなぁ、、、。マレーシアの風景も、海上生活に近い生活スタイルが出てきていて、華やいだ雰囲気は、一切、カットの重苦しい映像が続く映画でした。まいった、これは。
 京都シネマを出て、ウォーキングがてら、京都産大ギャラリーに向かいました。ググってみると、30分もかからない。以前にも行っているので迷わないつもりだったのが、前回と全く同じ間違いをしてしまった。京都産大の付属中学&高校の方に、毎回、足が向いてしまいます。昨日は、校門前にいた高校生に教えてもらいました。で、中に入り、見覚えのある2階に上がると、様子がおかしい、暗いのです。案の定、入口に看板が置かれており、「本日は終了しました」の掲示。昨年末に掲示されたまんま、要するに、今年はまだ開館してなかった。年末に、それを知ったとき、「昨日から再開」と読んでしまったのだけど、実際は「昨日まで休館」だった。こんなもの、です。新年早々、また、やらかしたで、悔しさも、もう起こらなかったな。じゃ、時間ができたから、七条駅までアーバン・ウォーキングに切り替えました。帰りの電車も、自宅最寄り駅の2つ手前で降り、追加のウォーキング。これで、昨日は、ウォーキングが間に合ったので、良しとしましょう。でも、もう1回、京都産大ギャラリーに行ける時間を取れるだろうか? いえいえ、もう1回、行く気になれるかどうか、自信がないですね、1回、これ、やっちゃうと。
 早々、マレーシア繋がりで、メモっておきたいこと、書きます。先日も書いたマレーシア系YouTube(在クアラルンプル)の動画が、最近、一段とハッスル。モッパン系動画で、ヒットを飛ばしてくれてます、特に最近。庶民系朝ごはんを紹介してくれたかと思うと、最新の動画では、道端の屋台の紹介。そこに、「コロナ禍で、屋台、増えたね」という会話もいい。その屋台、在マレーシアの日本人ばかりか、ご主人の華人系マレーシア人にも珍なるもの。それは、トレンガヌ料理だと言ってたものだから、飛び上がりました! クアラトレンガヌ、東海岸北部の地域。ここもスルタンがいますね。何よりも、最もマレー人の多い地域(確か人口の90%以上のはず)。黄紺が、この町に行ったのが金曜日だったものだから、街は死んでいた。トルコですら経験していない金曜日がお休みという光景。マレー人が多いということは、イスラームが多いということとイコ-ルですからね。店は閉まっている、食事はどうしようというとき、ちょっとした機転。マレーシアは複合民族国家だということを、きっちり利用させていただきました。「華人街に行けばいいんだ」、これが、見事、ヒット、おかげで食いはぐれはなかったけれど、地元料理はダメだった苦い思い出、それが、目の前に、「コロナ禍のおかげ」という、とんでもない副産物として出てきたのでした。本来なら竹筒で蒸すのを、葉っぱで代用した蒸し飯、貴重な映像でした。マレーシアの東海岸、もう1回、縦断したいな。延々と、バスに乗るだけでいい。あの風景に浸りたいな。


2021年 1月 8日(金)午前 6時 17分

 昨日も、お出かけなしの一日。とっても、寒くなりました。天気予報通り。元旦前後は、予報は、半分当たり、半分外れ、京都の人間には、その外れの方で、嬉しくなったのですが、今回は、総当たり。京都も寒い。風が嫌ですね。冷たすぎる。太陽も、幽かに出ている程度が、余計に寒々しい。そんななか、いつも通り、ルーティンの日に2回のウォーキング時だけの外出。昼前には、雨もぱらついたようで、寒い、雨となれば、ウォーキングに適した、自然の多いコースも、がっくりと人出が落ちていました。いつもは、年寄りが歩いているのですが。替わりに、グランドでは、高校生の部活かな、コートの幾つかで、サッカーの練習に励む、大きな声。「これだから、部活でクラスターが起こるんだ」とブツブツ、でも、寒々とした空気のなか、大きな声を聞くと、活気が上がるのは、嬉しい。残念なのは、休憩がてらの読書なんて、できたものじゃないという点。但し、休憩をした方が、ウォーキングに元気が出るので、ちょっとだけ、雨に濡れてないかを確かめて、ベンチに腰掛け、噺家さんのツイッターをチェックしたら、そそくさと再出発。笑福亭たま、桂米團治、この2人のツイッターが、今、一番のお気に入り。それに加えて、桂佐ん吉、桂吉の丞、桂米二、桂二葉、これだけは、必須のチェック。いろんな噺家さんのツイッターを眺めていて、絞りに絞ると、これだけになってしまいました。それだけをチェックするだけで、休憩はおしまい、、、寒い、寒い。夕方のウォーキングは、寒さとの闘い、この時間が延びただけではなく、遮るものがないところ、なかでも北側に遮るものないところが、最悪。服の、僅かの隙間を狙い、風が入って来るものだから、たまったものではなかったですね。でも、後半は、身体が暖まってきてるのでしょうね、いい感じに歩くことができました。
 昨日は、オペラ配信が切れたところだったので、その隙間に、オンライン配信されている講演を聴くことにしました。京都産業大学ギャラリーの企画展に合わせて行われた講演会が、アーカイブに残されていることを、12月中に知り、ここまで置いてあったのです。同ギャラリーの講演会に、もう一昨年になるかな、1度だけ、講演会に行ったところ、新たな企画展の案内をもらったとき、そそられる内容だったもので、HPチェックをして、このオンライン配信を知ったのでした。「アマゾンの先住民と暮らす—ジュルア川のマディハ族」という演題で、国立民族学博物館名誉教授・吹田市立博物館特別館長の中牧弘允さんのお話を聴くことができました。同ギャラリーが、南米の民俗資料を展示したときの関連事業だったようです。ところが、暖房の効いた部屋で、まったりと講演を聴くと、お約束の居眠り。はっと気が付くと、全然違う話に跳んでいるので、元に戻して聴くこと、3回はあったかな、だから、前後関係がいい加減になっていく。でも、先住民の衣食住を、順にお話をされていたので、なんとかついて行けるのが、こういったテーマのありがたいところ。マナオスから上流に飛び、そこから船でアマゾン川を遡り、更に支流に入った地域に住む先住民の調査に入られたときのお話です。マナオスでは、有名なオペラハウスも紹介されていました。「暑いんじゃないかなぁ、ここでオペラ観たら」と、余計なこと、考えてしまいました。結局、時間切れで、後半の1/3くらいは残ってしまいました。また、後日、前の2/3も、もう一度、振り返りながら聴くことにしましょう。


2021年 1月 7日(木)午前 7時 7分

 昨日は、お出かけなしの一日。世間は、正月明けでせわしなくなっているのでしょうね。そう言えば、お昼前に、学校帰りの小学生を見かけたので、京都では、学校が始まったようです。でも、自分的には、静かで、穏やかな一日。気温や天気だけを気にしながら生きているという、そないな生活です。暖かでしたものね、昨日は。そういった日は、自然の一番多いコースを採り、ウォーキングをしたいものだけど、昨日は、家事もあり、そこまで行ける時間がなく、昼前は、短めのウォーキング。いい陽射しなもので、時間が、あまり取れないと思いながらも、近くの公園で、のんびりと読書をしていると、近くの小学校から、子どもたちが、その公園を抜けて家路に着いていたのでした。夕方のウォーキング時も、暖かでした。そんななか、早くも、靴が擦り減り気味なもので、新しい靴を買いがてらのウォーキング。2ヶ月ほどで、履きつぶすような感じかな。黄紺の歩き方の癖で、毎回、左足の方から擦り減っていきます。昔は、踵から擦り減っていたのですが、最近は、靴底からです。そんなで、まだ履ける間に買っておかないと、靴が、足に合うのに、またまた、時間がかかります。しばらくは、慣らすのに苦悩の日々が待っています。
 どうやら、緊急事態宣言が出るようですね。だけど、タイミングが、後ろへ後ろへとずれているものだから、たとえ効果が出ても、時間が掛かるのでしょうね。そして、前の時のように、人が乗ってくるように思えないのよね。これだけ、連日、コロナ情報が流れていても、危機感、完全に廃れているもの。マスクさえしておけば、いえいえ、最近、マスクをしないでマートを歩くアホ、見たしね。トルコだったら罰金切符切られる、あご掛けマスク、歩行喫煙、しょっちゅう見るしね。TVニュースで、緊急事態宣言間近の報道を受けての街頭インタビュー、「うちの会社では、テレワークの準備できてません」、おいおい、またぞろ、半年以上前に聞いたこと言っている。前に、そうしなかった会社なの? そうしたけど、止めちゃったの? どっちも、そういった会社、勤めようと思う若い人、出てくるのかなぁ。環境問題に疎い会社は、学生に人気がない、これは、今や定番と、あるシンポジウムに行き、若い人に教えられました。これに、テレワーク能力、IT能力は、間違いなく加わっているでしょうに。おもしろいデータに出逢いました。笑福亭たまのツイッターを見ていたら、リツイートしていたのですが、箱根駅伝で、あれだけ応援に出ないで下さいとの呼びかけに応じず、道路に出てきて密を作り出していたなんてのが問題になっていたけれど、それをデータ化したもの。「去年の85%減の人出」という報道、そんなに減ってたのと思いながら眺めていると、それに次いでのコメントがおもしろい。「どないことをしても、言うことを聞かない人が15%いるというデータになる」。トルコでも、どこでも、わけを言って、しかも、合理性の極めて高いことを言っても、聞かない人、もう、アホとしか言いようのない人がいての社会、そのリスキーな人を抱えての社会、それをデータで表してくれたってわけで、これは、おもろかった、ホント。ヒュリエット紙に載る署名記事に、最近、セダト・エルギンという優れ者が筆を執っていることに気が付いた。保健省の出すデータを、よく読んでいる人。だから、データの出し方がおかしいということを指摘した人なんだけど、そのセダト・エルギンが、今度は、この間続く、トルコの規制を分析してくれていました。あれだけの手を使っているトルコで、規制が出て以後、1週間後がピークになり、2週間後に、それが維持され、下降に転じるのはその後でした。黄紺の手持ちのデータと照合しても、間違いありませんでした。その下降が、望しいところまで下がるのに、それから時間を要します。その望しいところを、どこに設定するかで、それに要する時間は変わってくるでしょうが、日本は、1ヶ月という期間設定をするようです。このゆるゆるの日本で、しかも、前回以後の、なめたような行動を考えれば、いかがなものかと言わざるを得ないですね。
 オペラ配信、リセウの「ドンジョバンニ」完走です。クリストフ・ロイの意図、正直言って、判らなかった、です。何の変哲もないプロダクションにも見えます。フランクフルトの「コジ・ファン・トゥッテ」のように、ロイお得意の徹底的に芝居をさせるプロダクションでもなしでした。でも。この公演、コロナ禍でのプレミアだと思えました。ということは、フランクフルトが先ですよね。フランクフルトから買った(リセウは他所から買うのが多い、らしい)となると、どこに惹かれたのかが気になるのですが、判らないのです。そこで、気になった点をメモっておきます。①序曲の冒頭で1つの殺しがあります、これは、別件なのか、ドンナ・アンナの父親殺しを見せているようでもある②ドンナ・アンナは、ドン・オッターヴィオとドンジョバンニを間違って受け入れている、これを、序曲で見せる③1幕と、ラストの場面、地獄落ち直前は、廃屋のような建物内、廃屋は廃れた教会堂のようであり、そうでもない④1幕で、出てないはずの人が、陰に隠れてであったり、壁にもたれてであったりで出ている、だから、ツェルリーナなんかは、ドンジョバンニの企みを知っていることになってしまう⑤2幕は、墓所までは、塀外といった造り、2幕冒頭などは、幕前、ラストの食事風景も幕前、その幕が上から落ちると、1幕冒頭の場面と同じレイアウト⑥地獄落ちの場面になると、背後で幾組かの殺陣が始まる、その殺陣に決着がつくのと、ドンジョバンニも倒れ込むのが同じで、それでおしまい⑦ということは、ウィーン版、従って、ドン・オッターヴィオの2つ目のアリアはカット、でも、このドン・オッターヴィオには存在感を出していました、単に、歌唱がいいからというだけではなく、また、ウィーン版だからと言って、レポレロとツェルリーナの二重唱があったわけではない、こちらはカット⑧衣装は、レポレロを除き、全員、無彩色と言うか黒、スペイン風という印象、でも、1幕の最後のドンジョバンニだけが真っ白、この心は?、、、とまあ、メモリながらも、判らないなぁの連発でした。ただ、客席の反応は、コロナ禍の中での上演だからでしょうか、上々のものがありました。どこに惹かれたんでしょうか。


2021年 1月 6日(水)午前 7時 12分

 昨日は、京都シネマで映画を観た日。年末から年始にかけて、映画を、よく観ています。時間があることと、いい映画と思えるものが揃っているからですね。でも、ぼちぼち、他の予定も入っているところへ、いい映画が続きそうなので、タイトなスケジュールで動くかで、映画の取捨をするかの選択を迫られそうな雰囲気です。で、昨日観た映画は、ハンガリー映画「この世界に残されて」。ちょっと興味をそそられるテーマが、2つ含まれていたので、かなり期待値大だった映画。その一つのポイントは、ナチスによるホロコーストから生き残った人たちが主人公だということ、もう一つは、戦後のハンガリーが舞台であるということ、でした。後者は、具体的に、スターリン体制に組み込まれていく時代、そのスターリンの死までが、映画の舞台で、その後の、ハンガリー動乱と言われる、ソ連の強権発動期には入りませんでしたが、そういった時代が扱われた映画って、観たことないんじゃないかなということもあり、期待が高まったのでした。主人公は、家族を殺され、一人暮らしをしている婦人科医と、親や妹を殺された高校生の少女。この少女は、叔母に引き取られ、一緒に生活をしています。2人の出会いは、叔母に連れられて、その婦人科医の診察を受けたことによるもの。自分と同類の悲しみを持っていることを、嗅覚で判ったのでしょう、少女は、その医師に親近感を覚え、また、癒されるのでしょう、父親とも、一人の男性とも見る目で、医師に近づいて行きます。医師は医師で、その少女に、亡くした娘の面影を見るのでしょう、少女の気持ちを受け入れ、叔母と相談のもと、週の半分ずつを分け、叔母のもと、医師のもとで暮らしていきます。が、世間の目は、そうとは見て行かなくなる空気が出てきます。ましてや、ハンガリーに共産党体制が確立していこうかという時期、スターリン体制に組み込まれていく時期なもので、医師の周囲の人間も共産党に入党する人間が、生きていくため出始めると、医師の行動が監視下に入ろうかとなっていきます。そういった時期になってきたころ、少女の中では、医師が、父親から一人の男性へという気持ちにシフトしていきます。医師は医師で、それに気づき出すとともに、自分の中にも変化が出てきているのに気づいたのでしょうね、診察で出会った気になる女性と付き合うことを考え、それを実行に移します。「今日、人が来るから、叔母さんのところへ行ってくれ」で、全てを悟る少女。優しく迎え、労わる叔母、この叔母さんがいい、「さしたる熱い思いで結婚したわけではない」と言う一方、「いい結婚だった」と言う女性です。もちろん、夫は亡くなっています。その静かさが、少女を見つめ、医師を、更に二人を、優しく、しっかりと観ていたことを表しています。「好きだったんだね」と、少女に語り掛ける台詞が、そのこと全てを表しているようでした。その一言で、少女は、叔母の暖かさを了解します。少女に心を寄せる男の子が、その少女に言います。「おれ、ウィーンに行こうと思うんだけど」、強権体制に組み込まれようとしているハンガリーでは、己の将来をかけての言葉ですが、それに併せて、「君が(ハンガリーに)残ってくれと言うなら、残ってもいいよ」という言葉が続きました。この言葉の大きさ、当時のハンガリーだからこそ、この大きさは大変なものがあります。自分の将来と引き換える言葉。ここで、映画は「3年後」に移ります。映画の色調も明るくなり、華やいだホームパーティーの場面です。皆が顔を揃えています。大家族ができてました。医師と結婚したのかな、年配の女性がいます。少女は、ハンガリーに残った男の子といます。叔母さんは、目を細めるばかり。医師のスタッフで、恐らく、傍らで支えてきたのでしょうね、年配の女性もいます。スターリンの死をラヂオが報じる、そういったラストでした。大事な家族を失い、そのトラウマに捉われ、生き残ったことを悔やむ人たち、自分の中へ中へと、その後悔、無念さが押し込まれていくなか、人を気に掛けることをし出したことから、内から外へ向かう気持ちが、再生を可能にした、そういった姿だった、そういう姿を描いたのだと思えました。スターリンの死で、この映画は終わりますが、このあと、再び、ハンガリーには反動が来るのを、我々は知っています。でも、この映画に出てきた人たちには、それに向かっても支えとなる大きな家族がある、そのことを、暗に示しているのだと思いました。とってもとっても、素敵な映画です。できるだけ、多くの人たちに観てもらいたい映画、です。
 映画は、午後の遅い目の時間。ですから、昼前のウォーキングは、通常通り。昨日から、いつもお世話になっているマートが、全部、再開。早速、お酒の補充に、お酒の安いマートを組み込むウォーキング・コースを採用。家からは遠いので、マートに寄ってからは、最短コースで自宅へ。久しぶりの買い物だから、荷物が重いのです。夕方のウォーキングは、京都シネマへの往復で替えました。その替わり、映画館を出てからは、最寄り駅の一つ先の駅まで歩き、距離を確保するのも、京都シネマに行ったときの定番です。家に着くと、丁度、夕飯の時間。このタイミングで、映画を観れるのが、自分的には、一番いいですね。


2021年 1月 5日(火)午前 6時 54分

 昨日は、お出かけなしの一日。まったりとした、いい一日。ルーティンの日に2回のウォーキングは、欠かすことはありません。昼前のウォーキングでは、最近、よく行くコース。一番、自然がいっぱいということで、出かけることが増えています。もう三箇日が明けたというのに、やはり、黄紺同様という人が多いようで、結構な人出。平日としては、とっても多かったんじゃないかな。やたらと、犬を連れている人が多い。中には、鎖を解いて、犬を遊ばせているという不届き者もいる。いつも以上の人出、小さな子ども連れまでいる人出なのに、こないなことをやるバカがいます。休憩がてらの読書、座ったときは、背中に受ける陽射しが心地よいのだけれど、やはり、気温の低さの方が勝ってしまいますね、もう1月です。帰りは、あまり通らないコース。途中、トイレがないものだから、以前、往生したことがあり、困った思い出が強く、あまり採らないようにしているコース。でも、黄紺が、小学生のころのマラソンのコースでもあったことから、足が向いてしまいました。夕刻は、アマゾンで買ったDVDの引き取りのために行かねばならなかったコンビニをコースに取り込んでのもの。その前の通りは、その時間帯は、車が多く、ましてや暗い中なので、黄紺が嫌がっているところなんだけど、引き取りのためには仕方ありません。その流れで、結局、著名な寺社まで取り込んでしまいました。午後6時前くらいだったけれど、まだ、3人だけ、初詣に来ていました。禰宜さんらは、後始末やら、掃除に余念がありませんでした。暮れに行って、小中学校時代の同級生の奉納した酒を見つけた寺社です。帰りに通りかかったマート、もう1日、お休みかと、勝手に決めつけていたのだけれど、昨日から開けたみたい。流れで入ってみたけれど、やはり、初日は、よく売れるみたい。欲しいものは、全部が全部、売り切れていました。
 夜、食事を仕掛けると、幼稚園から高校までの同期の友人から電話が入っていたので、慌てて、電話。暮れに、オンラインお喋り会を企画していながら、できてなかった相手、その中でも、この企画が生まれたきっかけとなった「アクティヴな重症患者」氏だったため、急いで、電話をしました。ここまで、この友人の病態は、深刻だけど、どこまでできるか判っていなかったので、ショートメールのやり取りだけだったので、まず、電話で喋れるということが判り、且つ、その意欲が、体力があることが判ったので、急いで電話を入れました。声は、以前と同じだったのが、とっても安心感を誘いました。病態が判ったのが、コロナ禍の真っ只中だった由、アンラッキーとしか言いようがありません。見立てが間違っていて、コロナには怖い疾患との見立てからスタートしたのが、更に、アンラッキー。同じ部位の病気を経験している黄紺は、それを知っている友人に、「そこを疑うってことがあったんやったら、俺に、電話、せえよ」と突っ込んでしまいました。背後に隠れている病気を見つけることの難しさということなんだろうか? 思い込みで発見が遅れたということなんだろうか? でも、遅れなかったとしても、重篤さに変わりはなかったとは言っていたのが、ちょっとは救いかもしれません。オンラインお喋り会を行う日取りとか、ここまで連絡がなかったので、何か、変化があったのではと、連絡がしにくかったので、これで、ホッとできました。そんなで、少しラハトになれたのは良かったのですが、夕飯を食べかけたところで、電話を入れたもので、すっかり冷めてしまったものでの晩酌とはなったけれど、ま、いいかの気分でした。
 オンライン配信は、「ドンジョバンニ」の続きというか、ドンナ・エルヴィラの登場からですから、ほぼ1幕を観直すことにしました。居眠りのせいですが、クリストフ・ロイものなために、見落としはあっては、把握に困るということだからですが、1幕の終わりまで観たのですが、どのように捉えていいか、困っています。舞台上に、その場にいない人物を登場させているからです。この仕掛けは、最後まで観てから考えねばならないかと思っているところなので、今は感想は保留としておきます。あと、特徴が2つ。1幕は、全て、大きな建物内で進行しているという点、2つ目は、1幕後半のレポレロ以外の登場人物は、全て無彩色の衣装、もっと言えば、ドンジョバンニ邸での夜会のドンジョバンニが真っ白である以外は、黒を基調とした衣装。あっさりと、スペインを、頭の中に描けばいいのだろうか、、、これも、思案中です。クリストフ・ロイというだけで、思い付きでは書けない、そう思ってしまうのです。


2021年 1月 4日(月)午前 0時 14分

 今日は、京都みなみ会館で映画を観た日。昨日、行く予定だったものを、1日、後ろのずらした形になりました。タイ映画「ハッピー・オールド・イヤー」を観てきました。タイ映画だからということもあるのですが、その紹介文なんかを読んでいると、およそタイ映画のイメージではないものだったので、観る気になっていたものでした。都会的というか、それも、タイという地域を限定するようなローカリティなんかが吹っ飛んだような映画のような気がしたもので、メモってあったのです。調べてみると、ナワポン・タムロンラタナリット監督らのスタッフは、等身大の若者を描いて、国内外で高い評価を得ているらしいですね。等身大というのが、タイ限定でないというのが、また、タイ発信として、斬新な印象を与えてしまいます。実際、正に、そういった映画でした。主役の女性ジーンは、スウェーデン留学から帰ってきたデザイナー。北欧の家具を始めとしたライフスタイルに精通して戻って来るばかりか、それを、帰国後の生活でも実践しようとする。具体的には、自分のデザイン事務所を、家を出て行った父親の音楽教室を改装して、新しく作り変えようと試みます。ネットで自作の服を販売する兄は同調してくれるが、昔の生活をひきずる母親を説得するのが難航するなか、自身の断捨離を始めて行く。ここからが、この映画の本筋。ゴミの山を作り、それらを処分しようとすれば、それを処分しきれない自分が出て来るのは序の口で、まず、思い知らされるのは、リフォームを依頼している友人に、断捨離として処分するものの中に、2人の友情を示すものが入っていたことから起こった軋轢。人となりを、それを契機にして批判されたジーンは、今度は、そういった品々を、友人たちへの返品行脚に動き出すのだけれど、どうしても、直で渡せないものが出てきた。スウェーデンに旅立つのをきっかけに捨てた、かつての恋人との思い出の品。スウェーデンに行っている間に、誰かが捨ててしまっているだろうとすら思っていた品だ。郵送する、でも、返ってきたので、直で渡しに行くジーン。ここから、元カレとの関係、元カレの現在の恋人を交えた3人の関係性が、過去のものだけではなく、現在のそれへとひきずられていくという、ジーンとしては、ありえない展開を、断捨離を始めたことで経験していくことになっていってしまう。別れたはずの友人カップルの結婚をきっかけに始まった写真探しが、いい絡みになり、3人の本音が暴かれていくことで、現実が正面から立ち上がってくる衝撃を経験することになり、それはそれで、ジーンの中では、明確にしなければならないことに区切りをつけることになったように、一見、見えました、黄紺には。そこで、家族の関係性を象徴するピアノの処分に取り組むジーン。父親に、処分の件で電話をして、ようやく区切りをつけることができ、形の上では、断捨離が、リフォーム工事開始の約束の期限前に完成するラスト、ジーンの目には、涙が流れるのでした。この涙、家族に関してだけに流したものではなかったですね。元カレとのこと、多くの友人のこと、それらが去来したのでしょうね。当然、そこには過去の自分に思いをはせていたことでしょう。人は、それこそ、TPOに応じて、様々な人と出会い、そして、TPOがずれてしまうと、出会いが消え、別れという明確な意識を持たなくても、関係は希薄になっていくものです。それを繰り返しながら、時間が経っていくものです。それを、断捨離ということで、一挙に経験したジーンの物語、あるある話と言ってしまえば、それだけだけど、程度の差こそあれ、それらを追体験することで、己をも振り返れるから、映画が成立するのだと思えました。とっても、素敵で、おしゃれな映画です。そして、外出さえしなければ、ここがタイだと忘れてしまうほど、普遍性のある物語でした。どういったかげんか、おじさんの姿も見かけた客席、ですから、黄紺も、ゆっくりと座って観ることができました。みなみ会館の一番狭い部屋での上映、しかも、ソーシャルディスタンスをとった座席、そこへ、3つだけ補助席を出しての満席。正月とは言え、ちょっとした驚きでした。
 京都みなみ会館への往復は、往きは電車、帰りはウォーキングを兼ねて、徒歩でというもの、今日も、そのまんま。トルコのコロナ情報の収集に、今日は、さほど時間を要しなかったこともあり、夜、オペラ配信も観ることができました。予定していたものから、急遽変更、リセウ歌劇場の「ドン・ジョヴァンニ」(クリストフ・ロイ演出)をチョイス。ロイものを、配信で観ることができるというありがたい話。同じプロダクションを、去年の5~6月のオペラ紀行で観る予定だったという、曰く付きのもの。フランクフルトが、5年ほど前に導入したプロダクション。リセウが先なのか、フランクフルトが先なのか、知らないのですが、ロイものでは、とにかく、フランクフルトの「こうもり」で、大変な衝撃を受けたものですから、最優先で観るようにしている演出家の1人です。ちょっと、進行具合を観てから、メモは書いた方がいいかな感があるので、今日は、メモることは控えることにします。


2021年 1月 3日(日)午前 6時 40分

 元旦を、せわしなく動いたという印象があったため、2日に予定していたことは取り止めました。後先を考えて、ここかなというところで、映画を観に行こうと考えていたのですが、そういったことで順延です。ということで、あっさりと、お出かけなしの一日。ところが、これが、結構、せわしなかった。というのも、大晦日の夜に、睡眠が取れなかった反動が来てしまい、珍しく熟睡、爆睡。睡眠時間が、黄紺基準で、昼間の生活を削ってしまいました。ですから、もう起床時に、映画はやんぺと決めていました。となると、日に2回のコロナ情報の収集、トルコ・サッカーの情報収集、こちらは1回、そして、定番の日に2回のウォーキングというルーティンをこなした1日。昨日の昼間は、暖かでした。大雪が伝えられるにも拘らず、昼間は、いい陽射しで、ウォーキングには持って来い。久しぶりに、ウォーキング・コースに、普段行ってなかった、某御陵を組み込んでみました。京都は、そこかしこに宮内庁管轄の陵があるので、常に横目で眺めながらウォーキングをしていると言っても、決して大仰ではないのだけれど、位置の関係で行く、行かないがあるだけ。昨日、久しぶりに行ってみた陵は、普段より人出が多かった。なんと、初詣に来ているようでした。それに応えて、普段は入れない場所を開けている、また、そこに、神社の参拝よろしく、列を作り参拝していました。そないな習慣があったとは、長年、眺めてきた陵でしたが、初見です。夕方は、一転して冷えました。ここで、ようやくTVの報道通りで、寒い正月を体感しました。元旦のウォーキングでは、そないに寒くなかったですからね。昨日の夕刻が寒かったとはいえ、ウォーキングはありがたいことに、歩くと暖まる。寒いのは、最初の方だけ。それが長く続くと、「今日は寒い日」となります。
 トルコでは、元旦早々に、保健省長官が「コロナの変異種、トルコでも見っけ」的なコメントを出しました。「15人」と出たため、犯人捜し風の、「どこやねん」的な報道にも出会ったり、これは、ちょっと過激だなとは思いましたが、いざトルコで発見されると、やたらと「変異種」のお勉強が盛ん。TVでも解説がされていたようですね。イギリスで発表されたときには、騒ぎにならず、ここに来て、急に大騒ぎ感があります。これは、ちょっと現金な話と、黄紺の目には映ってしまいました。対岸の火事には冷ややかで、自分ちの火事になると、犯人捜し的のことまでやっちゃう。人権を標榜し、確かに、以前のことを考えると隔世の感があるほど、人権感覚の上がったトルコでの、人権面での成り上がり感が出てしまいました。でも、黄紺は、そもそも「変異種」って、「ウイルス側の生き残り策なんだろ」と思っています。ウイルスは、人間にくっついて生きていける、生き残ることができる。その人間は、対策を講じてきて、ウイルスからすれば、生きにくい世の中になっちゃったため、生存をかけて「変異」して、人間にくっつき易いように変身をしたということなんでしょうね。動物の親は子どもを守る、酸性雨が降ると、植物は常より早く実をつけるようになる、全て種の保存が根底にあるのでしょうが、ウイルスだって、そういうことなのでしょうね。だから、「これは、人間とウイルスのサヴァシュだ、生き残りをかけた」でねぇのと思い、黄紺は、「変異種」騒動を看ているところです。
 オペラ配信は、「優雅なインドの国々」を、一応、完走。前回観たとき同様、また、居眠り。だって、筋立てが判らないうえ、音楽が、なんとも心地よいんだもの。これ、単なるオペラではなく、バレエとのジョイントもの。プロダクションがそうじゃなくって、ラモーの時代では、まだ、そうだったというだけ。ですから、バレエも楽しめるというもの。また、このバレエの振付がいいというか、いいから、おもしろいのでしょうね。バロック音楽の単調気味のリズムを、細かく刻んで、とっても複雑な動きをみせてくれます。それを楽しみながら居眠りをしちゃうのだから、余程、音楽が心地よかったのだと思います。配信期間が終わるので、繰り返しがダメなもので、これでおしまい。配信期間が設定されているものは、ぎりぎりまで放置しておくことが多く、要するに、まだ時間があると思う癖はダメだと実感しております。


2021年 1月 2日(土)午前 8時 41分

 昨日の元旦は、特にお出かけ予定なしのつもりだったのですが、弟からお誘いのメールが入ったので、弟の家へ。結婚した姪っ子が、近くにいるので、その関係者が覗いたりする可能性がるため、嵩高い黄紺は、その可能性を探るのも変だしと、毎年、お誘いがあると行こうかなとしているもの。息子もしがらみってのがあるので、そういったお誘いはないものと決めてかかっているので、ま、いつものようにぼんやりとした正月かなと思っていたら、息子は息子で、元旦に電話をしてきて、しばし、TV電話をすることになりました。結果、多忙な元旦。こないな多忙な元旦は、実に久しぶりのこととなりました。
 弟家族は、毎年、揃って、永観堂に除夜の鐘を突きに行きます。恐らく、それから戻ってからメールを入れたのでしょう、差出時刻を見ると、午前1時半を過ぎてからになっていました。「午前11時に来い」といったものでした。手作りの煮しめをつまみながら、黄紺宅にあった「酔心」を呑むというもの。せめて、酒を持って行こうと、時間があれば買いに行っておくのだけど、そないな時刻に出されたメールでのお誘いだったもので、家にあったお酒を持参。実は、この「酔心」、珍しく「これ、おいしいで」と言って、いつだったか、息子がくれたもの。それを呑んでなかったものだから、ここで役立った。いや、むしろ、弟の家族と一緒に呑めて、とってもいい結果となりました。甥っ子は、「酔心」という酒は知りませんでした。そこで、広島には、もう1つ「千福」ってのがあると言って、「賀茂鶴」を抜かしてしまいました。これでは、蘊蓄になっていません。黄紺的には、「千福」に、大学時代の思い出が重なるものだから、その話をしたとき、かすかに昔の光景が頭を過りました。龍飛巻きと、何やらの魚の子の煮物が、今年はお休み。材料やらが、手に入らなかったようです。買う時期を失すると、季節ものは店から消えてしまうようです。最後には、雑煮、京都では珍しいおすまし。東京風のおすましでもない。黄紺は、餅食いなものだから、京都名物の頭芋は入れないというのが、子どものころからの定番。「年齢分だけの餅を食べる」、これ、中学生までやってました。だから、余計なものが入っていると、その目標を達成できない。結果、頭芋は要らない、そんなもの食べると、餅が入らないというわけで、その習慣が、今でも続いているというわけです。今回は、餅を4個食べて、大満足。すっかり出来上がってしまうと、これも定番、傍らのソファーで昼寝。朝3時に起きていたため、爆睡したみたい。目が覚めたら、午後4時。もう夕方でした。
 しばし、弟夫婦と喋ってから、辞去。いつものウォーキング時間に重なるのもいい感じで、ちょっと長めのウォーキングに。出がけに、「京都の有名寺社の初詣の人出」が話題になってたこともあったので、では、我が目で確かめようじゃないかと、ちょっと無謀な試み。というのも、弟夫婦は、「今年は、やっぱり、、、」と言ってたのですが、確かに、例年に比べると、そうだったのかもしれない(例年は、無謀すぎるのでやらない!)けれど、実際、行ってみると、逃げやすいルートを考えねばならない人出でした。しかも、黄紺の目には、9割以上が若い人たちでした。やっぱ、感染源はこいつらだと、先日、清水界隈の探査に行ったときと、同じことを感じてしまいました。だって、夕方だから人出が減ったと思ったのは、ウォーキングを続けていたら、もう人が歩いてないようなところにも、交通整理をする警備の方が立っていましたしね。かなり離れたところだけど、この有名寺社の駐車場のある位置を知る黄紺には、その位置は、完全に、両ポイントを結ぶ導線上にあるのが判ったからです。あれだけ、連日、困ったデータを見せられ、行政からの呼びかけがあってこれだと思うと、恐ろしい風景でした。で、ウォーキングは、結局、1時間半はかけたかな。普段通りの歩数とはいきはしなかかったけれど、それなりのものは確保できたかなというもの。でも、暖かな正月で、ウォーキングをしていても、手がかじこむまでは行かなかったのが、嬉しいところでした。寒波キャンペーンは、京都では、ちょっと空振り気味です。
 家に戻り、日々の夕刻の定番、トルコのサッカー、この日2回目のコロナ情報の収集を進めているときに、電話がかかってきました。息子からのものでした。「まだ、コロナ情報集めが残ってるよ」という時間でしたが、TV電話に応じることに。何よりも、DとSの姿を観たい! Ⅾは、抜け目なく、息子の膝の上に乗り、スタンバイしてました。そして、映っているのが判った途端、変顔をして見せる、相変わらずの役者ぶり。息子の膝の上で、身体を揺らすものだから、いくらがっちり系の体の息子はたまったものじゃない、「降りろ」と一喝されてました。そしたら、今度は、部屋中を走り回るテンションの高さ。一方のSは、ママから離れない。「ママが離れると、泣き出す」と解説が入り、実演も入れてくれました。ママを追いかけ、顔をくしゃくしゃにするS、Dとは、えらく違う。ところが、空気が違うのが判ったとみえ、2度目の実演のときは、追いかけかけて、今度は、カメラ目線で、にっこり。名前を呼ぶと「ハイ」という声。生声は、これで、2度目になります。Dよりは、低めの声です。スクショでの「記念撮影」には、2人並んで、しっかりとポーズをとってくれました。嬉しい、嬉しい、とっても、いいお正月です。普段、お酒の量を一定に保ってはいるのですが、この日ばかりは、夜も吞むことに、これだけ、気分がいいと、お酒も美味い。昼は「酔心」だったため、安物の日本酒を呑むと、さすがに情けなくなるので、夜は酎ハイに替えることにしました。


2021年 1月 1日(金)午前 5時 15分

 新珠の春です。が、新年早々に、最悪の夜中となりました。午前3時に目が覚め、目が覚めたときは判らなかったのだけど、トイレに行き、寝直そうと横になり出して、ちょっとの間してから、ここから腰からお尻が痺れ出した。痺れが辛くて、目が覚めることはあっても、それがなくて、横になり、間をおいてから痺れ出すなんてことはないんだけどなと思っても、痺れると、どうしようもない。空調にスイッチを入れて、部屋が暖まり出すまでは、俯いて、しばし我慢、起き上がるしか、痺れの辛さから逃れる手はないものだから、仕方ありません。どうしても、ベッド生活に変えてから、この頻度は、間違いなく高くなっています。ベッドに馴染まないのです、黄紺の腰とお尻は。この痺れに悩まされて、30年が経ちました。完全なる後遺症で、良くなることのないもの、その頻度が大人しければ大人しいほど嬉しいのですが、実際は、その逆で、頻度は高まるばかりです。
 そんなで、最悪の新年ですが、昨日の大晦日の記録を付けておきます。世間が大晦日だけであって、黄紺的には、単なるお出かけなしの一日。大晦日と感じたのは、夕方のウォーキングに出かけたとき、やたら車が走っているのに対し、人出が少なめだったことと、安物のワインを補充がてらに行った、いつものスーパーが、午後6時で閉店していたこと、そして、ウォーキングの流れで寄ってみた、もう1軒のスーパーが、翌日から休みに入るということで、生ものの半額値引きをしていたこと、このくらいかな。わりかし、大晦日を体感していますね、それも、全部、夕方での出来事ばかりで。ということは、昼間は、ごく普通の日だったってことですね。数日前からの「数年に1度の寒波」キャンペーンが効いたからでしょうか、昼前のウォーキングに出かけたときには、さすがにキャンペーン通りだと思ったのですが、それからあとは、「数年に1度」は大仰だとしか思えませんでした。さすがに、ウォーキング途中、3分ほど、腰かけて休憩を取りはしたけれど、いつものように、休憩&読書にはならなかった。夕方のウォーキングのときなどは、昼間にはあった風が止んでいたので、さほどの強烈さは感じない寒さでした。昼前のウォーキングでは、京都の著名な寺社を、そのコースに取り込みました。2~3日前にも通ったので、既に、初詣準備に入っていたのは知っていたのですが、さすが、大晦日となればと、そうや、ここでも大晦日を感じたのでした、既に初詣に来ている人たちがいました。いや終い詣なんてのがあるのでしょうか、明らかに、近所の人がお参りに来ているという風情じゃない人たちが来てました。ここの初詣は行ったことがないので、どんくらい混むかは知らないのだけど、気が早いと言っていいのか、丁寧な人たちと言っていいのか判らないのですが、そないな風景でした。お神酒が並んでいたのは、昨日が初めてではなく、その2~3日前からだったのですが、その熨斗の中に、小中学校の同級生の名前を見つけて、びっくり。屋号で書いてあったので、間違いはありません。でも、考えてみると、住まいは、その寺社の地域内だったことを思い出し、あっさりと納得。
 オペラ配信は、バイエルン国立歌劇場の「優雅なインドの国々」(ラルビ・シェルコー演出)を取り上げたのですが、これが判らない。いい梗概がないので、ぶっつけ本番的に、日本語字幕を頼りに観るのだけど、判らないのです。しかも、ラモーの音楽が心地よいものですから、圧倒的に居眠りを誘います。バロック・オペラは繰り返しが多いものですから、しかも、大きな変化音楽が少なめとくれば、永遠に続きそうな居眠りでした。半ばまで来ているのですが、戻る気が起こらない。内容が把握できてないから。そんなで、口直しがてらに、YouTubeのお世話になったところ、これにヒートアップ。マレーシア系YouTuber(在クアラルンプル)さんが出す動画は、追いかけることが多いのですが、ここ2本にドはまり。だって、おいしい朝食を紹介してくれてるんで。前回が「ロティチャナイ」、今回が「板麺(パンミー)」と来れば、震えが来るほどの大興奮。「ロティチャナイ」はインド系の定番中の定番。薄味のカレーソースに、薄めのナンという代物。今回の動画で見せていただいたナンは、わりかし厚めでした、黄紺の食べたものよりは。でも、カレーソースが薄味と言われていたのは同じ。サラサラで薄味、こないなカレーは、日本では味わえないもの。クアラルンプルの中華街の端っこで食べた思い出の逸品です。でも、大きな、雑然とした流行りのお店でしたが、その後、再訪を試みたときにはなくなっていました。その向かいの「客家麺(ハッカミー)」を食べさせてくれたお店もなくなってたなぁ。そんなで、今、黄紺は、クアラルンプルに行くと、人でごった返す中華街の一角にある屋台で食べれる「板麵(パンミー)」ばかり行ってる。動画では、スープものと、ドライものと、両方とも紹介してくれていましたが、黄紺は、スープの方にはまっているものだから、そればかり食べています。名古屋のきし麵状の麺だから「板」麺。動画では、それを、板状にしないで、手でちぎるスタイルのものも見せてくれていました。さすが、ネイティヴのご主人は、よくご存知、おもしろいものを見せていただけました。スープの中にはお味の決め手の小魚、これも、きっちりと紹介、いや、これを紹介してくんなきゃ、「板麵(パンミー)」紹介の意味がないというもの。その屋台、メニューには「咖喱麺」「伊麺」といった、マレーシアの屋台では、馴染深い文字が、うわぁぁぁ、たまんない。そんなで、大興奮。お釣りが来るほどのお口直しとなりました。


2020年 12月 31日(木)午前 6時 56分

 いよいよ、大晦日の朝となりました。別に、大晦日になったとはいえ、自分的には普段と同じ日。一昨日が、今年のお出かけ納めだったため、あとは、そのまま動かなければ、正月が、向こうからやって来るという按配になっています。そういったのんびり気分で、昨日の午後までは良かったんだけどね、天気予報は当たります。午後から、風が出だしたかと思うと、夕方は、完全に真冬となりました。1日で、こないなまでにも違うものかなと思うほど、天気が変わりました。お出かけなしと言えば、当然、日に2回のウォーキング。昼前のぽかぽか陽気でのウォーキングは、実に良かった。公園で、休憩がてらの読書をしていると、いい気持ちなんで、居眠りまで誘発。いい陽射しでした。ところが、夕方は、風が冷たい。半月ほど前に感じた真冬の寒さが再現。気温が下がると、寒さに弱い、マヒの強い右手は、たまったものではありません。動きが悪くなり、もう痛みを感じてしまいます。家を出るときに、鍵をかけるのにも難儀をしてしまう。運の悪いことに、黄紺は右利きなもので、その利き手の方がマヒがひどいのです。半月前にも同様だったもので、手袋を用意しなきゃと思っていながら、そのあと、暖かくなったものだから、すっかり失念していたことが、あっさりと思い出されてしまいました。この真冬の寒さが、これからは待ったなしで続くでしょうから、ウォーキング時の格好も考え直さねばならないですね。歩き出して5分経てば、大丈夫なんだけど、その5分がたまらないのです。
 オペラ配信は、グラインドボーンの「ラ・チェネレントラ」を完走。ロッシーニの2大ブッフォの中でも、黄紺は、「散髪屋」よりか、こちらの方を選びます。筋立てに無理がないからです。「散髪屋」の方は、取ってつけたような展開なもので、こちらノリになってしまうのですが、ま、ブッフォですから、取ってつけたようなもので、それが、かえって可笑しさを誘うと言われてしまえば、降参ですが。そないな感じで好きなオペラでありながら、居眠り。昼下がり、お腹も膨れ、空調も、いい感じで動きとなると、相変わらずの調子で、居眠り。気が付くと、チェネレントラが女中衣装からお姫様風衣装に着替えていたため、これは、さすがダメやろと、一応、ラストまで行ってから、観直しました。おしゃれに古風なプロダクションでした。グラインドボーンのプロダクションは、テイストは、演出家により様々ですが、どれを観ても外れがない、これが特徴ですが、この「ラ・チェネレントラ」もそうでした。年1作で、夏の限定公開ですから、それだけ力の入ったプロダクションを提供できるのでしょうね。元同僚が、夏にイギリス旅行に行くからというので、グラインドボーンに行くことも候補に入れたのですが、調べてみると、高い! 日本国内で、外国の歌劇場の引越し公演を観に行くときのお値段でした。見間違えたのかと思うような、ヨーロッパではありえないものだった記憶があります。そのときの演目が、モーツァルトの初期作品だったため、そんなのには関心の欠片も見せない元同僚は、あっさりと却下してました。グラインドボーンは、劇場が狭いし、プロダクションもいいし、それだけのための音楽祭なものですから、お高いのでしょうね。独立採算でやってる可能性もありますしね。グラインドボーンには、そないな思い出も重なります。偶然ですが、この2~3日、その元同僚と、3月にあるびわ湖の「ローエングリン」のチケットの手配に関し、メールをやり取りしたところでした。毎年、この時期のワーグナー作品に家族で行くことが慣例化している、その元同僚のチケット手配を、黄紺がしているためなんです。そないなおりにグラインドボーンの作品に触れることができたのも、不思議なものを感じてしまいました。せっかくなものですから、その元同僚一家は、黄紺が行こうかと思っていたとは違う公演日を指定してきたのですが、その日に合わせて行ってみようかなの気分になっています。知らない内に、心臓の手術もしていたそうなんで、そないな話も聞きたいなと思っています。


2020年 12月 30日(水)午前 7時 19分

 昨日は、京都みなみ会館で映画を観た日。以前立てていた計画では、この日は、某博物館に行く予定にしていたところ、事前に確認をしたところ、もう、この時期には、年末の休館に入っていました。年明けも、開館は、随分とゆっくりとした時期になっているという、やけに間延びをした博物館に、あんぐり。替わりに、正月期間に予定していた映画を、ここに持ってくるかと、確認のために、京都みなみ会館のHPを眺めていると、「無頼」という映画の傍らに「井筒和幸監督作品」と出てた。「無頼」という映画は、以前から目に入っていたのですが、ここのところをスルーしてしまってたことに気が付き、急遽、「無頼」をチョイス。変な時間の上映ではなかったので、勇んで行ってまいりました。「パッチギ1」で、強烈な印象を残した監督だけに、そりゃ飛びつきますわね。やくざ映画です。松本利夫扮する1人のやくざの組長の一代記という趣向です。少年時代の、即ち、戦後間もない時期の少年時代から、60を過ぎ、組を解散し、自身は仏門に入るまでを描いた一代記です。その人生を描くとともに、組の展開、それらに、時系列的に連関性があるものもあり、急に、新たなエピソードが入って来るものもありで、そういった個人の人生の物語、一つの組の物語を見せるという要素よりも、それに合わせて変わっていく世相を押さえて行くといった趣向の映画でした。組の様相も変わっていきます。地上げでぶいぶい言わせるときがあるかと思うと、PCを前に動く経済やくざへと変化している。こういった社会の、世相の変化を、一人のやくざの組長、また、組の展開を示すことで、見せようというものでした。正直、観ていて、退屈でした。先が見えてくるからです。1つ1つの時期のエピソードが、後の展開に影響はあるかもしれないけど、そのエピソードが、この映画の根幹を成しているわけではないのが、早々に判っているからでしょうね。そして、最後は仏門に入りで、アジアの子どもに、少年時代の自分を重ねるで終わると、さすがに、井筒監督も焼が回ったかと思ってしまいました。もう60台の後半になっているのですね、井筒監督。功なり名を遂げてしまうと、こないな映画になってしまうのかと、かなり辛口の印象を持ってしまいました。監督、いい人、過ぎるよ! みなみ会館の狭い方の部屋での上映、しかも、この映画館、嬉しいことに、ソーシャルディスタンスを維持したままの座席配置だからか、最前列を除き、満席状態。黄紺のように、井筒監督の名に惹かれて来られたのでしょうね。知った人が来ているわけではないのに、誰か来ていたら、一緒に愚痴を聞いてもらいたくなっちゃいました。
 京都みなみ会館への往復は、往きは電車、帰りは、ウォーキングがてら歩いて帰るというのが、定番。夕方5時を過ぎても、生暖かなものだから、まことにのんびりしたウォーキングになりました。うまい具合に、途中からは、普段のウォーキングの定番コースに合流します。ついでに、黄紺ご贔屓のマートにも寄れるという、実に効率のいいコース。でも、マートは、年末の買い出し客で、結構、混み合っていました。例年だったら、繁華街に出かけたおりに、年末のせわしなさを体感できるのですが、今年は、これだけだったですね。もう、あと2日です、今年も。
 夜、NHKプラスを利用して、大原勝林院の「蔵の中身の全部出し調査」を観ました。めっちゃ、おもしろかったし、凄い番組、NHKしかやらない番組。曼荼羅図も目を見張ったけれど、足利義満像も良かったけれど、一番の感動は、浅井長政自筆の書状。自筆かもしれないというので、浅井長政研究のプロを喚ぶと、一見で「自筆です」に驚かされましたね。筆跡や花押を、一目で見分けるんだからプロは凄かったのだけど、感動は、それじゃない。それが「自筆」となると、歴史が動いたのです。浅井長政って、姉川で信長に敗れたあと、即、衰退じゃなかった。大原方向、言い換えると、湖東がダメなら湖西に勢力を張ろうとした。その証拠だった。湖西に勢力を張られると、若狭方向からの経済ル-トの1つが絶たれるというので、それを確保するのに、信長の執った手が比叡山焼き討ちだった。京都への経済ルートの大事さは、この間、いろいろと講演を聴いてきた成果。大坂からのルート、若狭からのルートが命綱だということを知ったから、この話しがおもしろく聴けたのだと思います。日本史ダメ人間の黄紺にも、ちょっとだけ、解ってきたから、楽しめたのだと思います。新たな知識が根付くと、新しい楽しみが生まれるものです。これが、正にそれでした。昔は、日本の戦国武将などには見向きもしなかったのですが、講談に食いついて以後、新たな世界が、どんどんと開いて行っています。


2020年 12月 29日(火)午前 6時 59分

 昨日は、お出かけなしの一日。かなり、暖かな気温。このあと寒波が来ると言っているので、しっかりと、その暖かさを楽しみました。そのため、ルーティンとしてのウォーキングでは、最も、緑の多いコースを選択。但し、雨が止んだ後だったので、地道を歩くと、まだ、じゅくじゅくのところもあるといった具合だったけれど、屋根付きの休憩所なんかがあり、休憩がてらベンチに腰掛け、読書も、たっぷりできました。12月半ばに寒波が来たときの「GUNLUK」を読み返すと、「寒くて、休憩がてら読書なんてできない」なんて主旨のことを書いていたから、こういった暖かな陽射しは、まことにもってありがたい。雨上がりの、まだ、凹んだところには水溜まりのあるグランドでは、もうサッカーの試合をやってました。このグランド周辺、土日になると、その試合を観に来るギャラリーなんかがいて、密になっちゃうので、平日に行くことにしています。別にグランド近くに行かなきゃいいのだけれど、何かの一つ覚えのように、自分が決めたコースを歩こうとするものだから、そういった密に出逢ってしまうのです。息子には、「1度、家族みんなで、この自然のいっぱいな公園においでよ」と言っているのですが、息子は、ここへ連れて行った記憶がないものだから、その良さを知らないから、無視しています。夕方も暖かい。普段の格好で出ると、まずフードは使わないですね。使おうともしない程度に暖かなのです。「このままの冬であって欲しい」と呟いております。
 NHKって、オンライン上で、ライヴ配信、見逃し配信をしていることを、最近になって知りました。「NHKプラス」というやつです。黄紺宅にはTVがないものですから、TVは観ない、観ようともしていなかった、唯一困るのは、「ブラタモリ」が観れなくなったことだけだったのですが、それも、ネット上の動画サイトにアップされていたので、ほぼ毎回、追いかけることができていたのですが、やはり統制が厳しくなり、それも観ることができなくなってしまった頃に、その「NHKプラス」というものを知りました。ですから、「ブラタモリ」も、放送時間を、スケジュール表に入れ、リアルタイムで観ることができています。ただ、TVがないということは、見逃し配信を観ることができるようにはできないのです。受信料を払う必要がないから払っていない、イコール、見逃し配信もダメなのです。だから、リアルタイムでだけ視聴が可能なわけです。それを活用することで、最近、NHKの番組表を見ることになりました。おかげで、日曜日夜の「NHKスペシャル」で、「コロナの発生源の探求」を観ることができましたし、何よりも嬉しかったのは、「日本の話芸」を観ることができたことです。「だったら、TV買えよ」と突っ込まれそうですが、、、。いや、TVがなければ、我慢できるものと、我慢できないものがあるのです。「日本の話芸」は、30分という時間制限があるので、限られたネタしか観れない番組だから、諦めをつけているのです。「いくらでも、YouTube上で落語は観れる」というのが、その理屈。でも、リアルタイムで、最新の放送を観れるとなれば、話は別ということで、柳家権太楼の「佃祭」を聴けました、観れました。「佃祭」は、知られたネタながら、ましてや、江戸落語の雰囲気を持ちながら、関西では遭遇機会が、えらく低い噺。上方にない噺って、関西の落語会では喜ばれるものだから、わりかし出る方なんだけど、「佃祭」は出ないな。また、この噺を、上方に移植するということをしているのも、文太だけで、あとはいないんじゃないかな。「佃」って地名、大阪起源なんだから、その蘊蓄を語りながら、そのまま大阪弁でやってもいいかもとすら、黄紺は思っています。ましてや、黄紺は、このネタを、志ん生の口演で馴染んでしまっているため、前後半の対比が、より一層、上方受けをするようにも思っています。そんなで、権太楼の口演ですが、他の音源で聴いたことがあります。なんか、力が入りすぎていて、好感度低しだった記憶のある口演だったのですが、「佃祭」好きな黄紺は、飛びついたのですが、やはり印象は同じでした。テンションが、ずーっと同じなんだなぁ、高いまんま。しかも、前半部のテンションと後半部のテンションも、レヴェルに変化を感じなかったもので、やっぱ、同じだった、当たり前なんですが、前に聴いたときの印象と同じでした。志ん生の口演を聴いて、ちょっとお口直しをしたいなの気分でした。
 オペラ配信も、久しぶりに時間を確保することができました。グラインドボーンの「ラ・チェネレントラ」(ピーター・ホール演出)です。リアルであってリアルでなく、コミカルに差別化がしてある、装置、衣装、メイクにといった具合に、その匠の技量にはまるといったプロダクションです。あまり時間をとれずで、まだ、2幕のチェネレントラが、お屋敷に到着したまで。ドタバタ劇を、どれだけ楽しく見せてくれるか、楽しみは続きます。サッサと観ないと、グラインドボーンは、配信期間が短いので、気を使います。


2020年 12月 28日(月)午前 6時 45分

 昨日は、京エコロジーセンター主催のオンライン講演会を聴いた日。実施形態の変更については、昨日、書いた通り。コロナ禍のため変更がありました。黄紺は、生で聴けるのならと、会場で聴くつもりだったのが、Zoomでの配信を利用することになったもの。ところが、このZoomで問題が発生。指定された時間に接続しても、「お待ちください」と大きく出るだけで、停まったまんま。完全にシステム・トラブルが起こっているものと、しばらく待機。一旦は、接続しなおしてみても、同じ表示しか出ない。最初の接続をしてから、開演時間が過ぎ、20分経っていたでしょうか、開演後10分という時間になり、接続。ところが、講演は始まっている。不思議に思った黄紺は、チャット機能を使い、主催者に事情説明を求めたところ、黄紺がアクセスしたときに、名前が「黄紺」のままだったため、入室拒否に遭っていたのです。確かに、URLを送ってきたメールには、「申込時の名前にしておいて下さい」旨の注意書きはありました。黄紺は、「先日、何かのおりに、名前を本名表記にしたはず」「アルファベット表記だったかも」「平仮名表記を求められるなら入室後変更すればよい」と考えて、アクセスしていました。実は、待機中にも、「お待ちください」表記の横のチャットで「名前を変更して下さい」というメッセージが入っていたのですが、それが「入室条件」だとは思わず、「トラブルが解消したあと入室後の注意」と考え、待ち続けました。相手も、変だと思ったのでしょうか、開演後10分に、入室拒否を解きました。そしたら、始まっていたのですが、名前は「黄紺」になっていたので、「本名」に変え、ついでに、チャットで「何かトラブルがあったのですか」というメッセージを送ったところ、一切が判明しました。この対応には驚かされました。申込んだ者にURLを送り、それが、他人に渡っていないかを、入室の段階でチェックしようとしていたのでしょうか、ですから、名前確認をしてから入室を許可するとしていたのだと思います。黄紺は、名前表記に関しては、「単に出席をとる」くらいの気持ちで看ていたため、Zoomの設定を確かめるなんてことをしないでいたために、拒否に遭ったのでした。ただ驚いたことに、この講演、アーカイブに残し、後日、配信をします。ならば、ここで「入室チェックをする必要」があるのか? 人数制限が、Zoomにはあるから、それに触れるからでしょうか。とにかく、「相手の頭の中に入らないといけなかった」ようで、こちらの思惑でものを考えていたための失敗となりました。黄紺に、想像力が欠けていたということですが、だったら、「名前が入室条件」と書いておけよと、突っ込みたくなりました。「名前は申込んだときのものをご利用ください」だと、入室後のことも含むんじゃないかなぁ。でも、主催者の頭の中はそうではなかった。こういったことって、主催者が、可能性を考え、いずれにも対応しておかないとダメなんじゃないのかな? 「主催者の頭の中に入ってこい」的姿勢、これは、直前の変更連絡の仕方でも看られたこと。どうも、後味が悪く、せっかくの講演も、なかなか身が入らない始末。肝心の講演は、国立研究開発法人森林研究・整備機構理事長の中静透さんで、「脅かされる植物~地球温暖化の影響と生物多様性~」という演題で行われました。地球温暖化/二酸化炭素の排出が、森林に、どのような影響を及ぼしているか、その実態を、様々なデータを示していただきお話を伺えたのが前半。ブナ林が、温暖化のため、高度や地域での変化が起こっている様子は、特に興味を惹かれました。世界遺産白神山地のブナ林も、指定地域から、このままだと、ブナ林が消えてしまうというデータは、かなり衝撃的なもの。日本の高山植物の運命もそそられました。日本の高山植物は、世界の基準で言うと、高度から見ると生息しないところで生息している氷河期の生き残り。雪が深いとか、独特の風により、低い高度にも拘わらず、日本の高山植物は生息しているというのですが、さすが、温暖化が進むと、日本の高山植物を育んできた雪が足らなくなると、高山植物自体が生きていけなくなるそうです。二酸化炭素の排出が進むと地球温暖化が進む、今や、誰しもが知る環境問題を、これほど、具体的に、植物の生態からお話を伺えて、大正解。次いで、対策のお話。これが後半。温暖化対策には、「緩和策」と「適応策」の2通りがあると言われていました。前者は、温室効果ガスの排出の抑制のことです。最近、日本政府も言うようになっていますね。これは、排出を減らすというだけではなく、森林が二酸化炭素を吸収しているわけですから、単純に森林を増やせば、二酸化炭素が減るというわけです。それだけではなく、木材を処理すれば、二酸化炭素が出ますから、処理をしないだけではなく、処理を遅らせるという手法も、その範疇に入ります。それが、よく言われる「木造ビル」です。木材の強度や持続力の研究が進めば、これが可能になるということです。この手は、いまや温暖化対策の華のように、こういったお話では定番化してますね。「適応策」では、生態系の保全や再生、人為的作業により生息環境の管理、生態系の持つ機能を活用して防災・減災を試みるなどが上げられていましたが、ここが、わりかし解りにくかった、あくまで黄紺的にはですが。というのも、聴きなれない内容、語句が並んだものですから。この辺りだけでも、アーカイブからの配信があるとき聴き直して、勉強をやり直すこともありかなといったところです。とにかく、入口で不快なことが2回もあった講演会、これだったら、会場へ足を運べば、その内の1回はなかったわけですし、端から、じっくりと講演を聴けたなと思うと、また、腹が立ってきた。「俺たちの頭の中に入ってこい」「でないと排除」、これって、コロナに適用すれば、通用しないよねと、八つ当たりです!!


2020年 12月 26日(土)午後 11時 50分

 今日も、お出かけなしの一日。わりかし、暖かかったんじゃないかな。そうなると、日々のルーティンとしているウォーキングは、しっかりと実施。久しぶりに、昼前のウォーキングでは、休憩がてらの公園で、ゆっくりと読書ができました。そないな天気になると、やはり人出が気になるので、できるだけすいていそうな公園を通れるコースを選択。狙い通り、人影のない公園でした。夕方のウォーキングも暖か。知らない内に、防寒には大事なフードを被らないで歩いていました。そんなで、ウォーキングは、とっても満足の日となりました。
 昨日、空いた時間を使い、年賀状の印刷をしましたが、今日は、住所書き。住所は、印刷にしないのが、黄紺のポリシーと言えば、大仰。年に1度のお目見えなんだから、せめて手書きの箇所を残しておきたいとは思っています。でも、去年までの年賀状が見つからない。断捨離をしたおかげで、去年までのように、決まった場所を探せば見つかるというわけではないというのが、大きな傷。段ボール箱をしらみつぶしに調べねばなりませんでした。ここいら辺にしまってあるはずと思っていたところになかったものだから、結構、焦ってしまいましたが、結果オーライで、ま、いいことにしましょう。今年は、D&S宛の年賀状だけが、特別仕様。いつもは、幾つか異なる意匠のものを作るので、誰にどれを使うか考えながら住所書きをするのですが、今年は、それがないので、ただただ書くだけの作業。でも、友だちの少ない黄紺は、出す数もしれているものだから、面倒になる前に終わってしまいました。でも、これで、昼間の自由時間はおしまい。
 そないななか、今日は、こんなことがありました。珍しく、前日から、翌日のお出かけ内容のチェックをしたのです。明日は、市民向け公開講演会に出かける予定にしています。確か、HP上にある予約フォームを使い申込みをしたはずで、確認のレスがあったはずと、メールボックスを開けても、なかなか見つからない。自分の予定表には、その辺りの確認も済んでいるマークが付いているから大丈夫なはずなんだけど、なかなか見つからなかった。そんなで、当該のHPなどにも立ち寄ったりしている内に、重大なことに気が付いた。当初、Zoomでの配信での参加者と、直接会場での参加者を募集してあったのが、会場での生の講演会は中止、講師は、入洛しないで、東京から、Zoomを使い講演となっている。元々、Zoomでの参加者は、変更はないのだけど、黄紺は、生のお話を聴ける会場での参加で申し込んであったはず。だったら、もろに変更の対象者。せめて、連絡をしてよと思い、HPを眺めていると、新たなことに気が付いた。会場参加者用に、会場で、Zoom画面を観るという参加の仕方も用意されている模様。どうせ、Zoom画面の観るのだったら、家で十分、でも、ZoomのURLは来ていない。なんじゃ、これって感じで、ちょっとムカッとしながら、電話をしてみました。そこで出たお答え。「何度も、電話を差し上げたのですが、、、」。スマホの電話番号を書かなかったみたい。家の電話は壊れているのに、その番号を書いちゃったみたい。だから、「知らないよ」「でも、明日だよ」「電話に出ないなら、メールしといてよ」と、最後は強気になりました。予約フォームに書いて送ってあるのに、メールを使わないで、電話が通じないので、そのままにしてあったみたい! これ、今どきの話じゃ、ないわ。唖然としてしまいました。感染拡大が起こっているので、実施形態を変えたと言ってましたが、それはそれでOKなんだけど、事後処理に不手際です。実際、電話に気付いていたとしても、知らない番号からかかって来ると、ま、出ないわね。そんなことを含めて、これはいただけません。「こういったときって、後に残るもので連絡すべきじゃないですか」と、クレーマーになってしまってました。「ZoomのURLを送ってください」と言うと、えらく声が弾んでいたので、想像するところ、黄紺一人のために、会場に、Zoomを映すモニターの設置などの作業をされていたのかと思ってしまいました。ということで、明日は、Zoomを使い、環境問題に関する講演を聴ける日となっています。おもしろそうなテーマが出されているので楽しみな講演です。


2020年 12月 26日(土)午前 7時 25分

 昨日は、お出かけなしの一日。年末に入ってきているのですが、年内には、あと2回のお出かけ予定が入っています。新年に入っても、うまい具合に、いい映画を見つけたもので、正月期間のお出かけが入り、毎年、空白が生まれる時期が、うまい間隔を開け、予定を入れることができています。残念なのは、恒例の文楽正月公演には行けない。ウイルスの巣窟大阪になんて行けないと、相変わらず考えは変わりません。昨日、コロナ情報を追いかけていると、わりかし近くの小中学校で感染者が出たと出ていたので、息子に、それらの学校名を添えて、「いよいよ迫ってきた」と書きメールを送ると、レスには、「こっちは、毎日のように、職場の関係者からPCR検査を受けたという話を聞いている」と、何を今更という感じという調子だったもので、やっぱ、大阪はコロナの巣窟感は、より一層、黄紺には強くなってきています。でも、そないなこと言っている場合じゃないと思うほど、京都の感染者数も増えてきています。だから、あまりお出かけ予定を入れない方がいいのでしょうが、あれほど、どこへも出かけなかった日を経験していながら、一旦、出かける癖がつくと、出かけてしまう。出かけないと落ち着かないとなってしまっています。総理大臣が、夜間の会食をして問題になっていたり、どこそこのお偉い人も同様だったと報道されていますが、そういった、人間のダメなところがあって、世の中が成り立っているのでしょうね。公人がすると、それは責任問題になるけど、それは仕方ありません。それで対価をもらっているのだから。今、コロナ対策の法律を、ようやくいじろうとしているという報道を目にしました。休業要請に応じない飲食店への罰則を盛り込むそうですね。今頃になり、こないなこと言っている。「公共の福祉」と「人権」、この対比を、「国」と「個人」に置き換えるとヤバいところがあるのだけど、実際、人権派と言われる人たちは、トルコのような「オンジェ・ヴァタン」的な発想に注意を喚起して、それなりの理解できる主張が展開されてきたと思っているのですが、人権を守る、その究極のポイントは命なわけだから、その命を守ることが焦点化されたときは、人権の部分的制約が起こることってありうると思うんだけどな。職業の自由、行動の自由といった部分的な部分、そういった自由を制限したからと言って、即、命を守るよりは、レヴェルが低いことだし、ましてや休業補償のような補填の方法があるのだから、まず、命だと思うのですが。それが、皆さんのためなんだから、何を躊躇うのか? 逆に、今まで、「人権を損なってきました」と、躊躇われると自白しているように思えてきて仕方ありません。そう言った意味で、民主主義、基本的人権に関しては、ヨーロッパって成熟しているなと思ってしまいます。そして、黄紺もそうだったと思うし、多人数での会食をしてしまう総理大臣がいるという、そないなダメ人間をも包摂しているのが社会だという前堤で動かないとダメということなのでしょう。ダメな人には教えないと、「Arkadasim, Pandem doneminde burada sigara icmek yasak」。
 ぐだぐだは、いいとして、昨日は、お出かけなしだったので、日に2回のウォーキングはしっかりと実施。少し多めのウォーキングとなりました。そして、原稿が出来上がっていた年賀状の印刷をした日となりました。今年は、遅い。もう、断捨離ついでに、こちらも止めようかと迷っていたためです。でも、ここにきて出す気になったのでした。久しぶりにプリンターを使うと、クリーニングをしなければならないので、余計な時間がかかる。2回も必要でした。変わったことって、それだけ。昨日は、トルコ保健省長官が、専門家会議の内容報告の報道があったもので、それを押さえるのに、かなり時間を喰ったため、そないなあっさりとした日となってしまいました。それにつけても、シノバック社製ワクチンのフェーズ3の結果が、トルコ&インドネシアとブラジルでは違い過ぎる! 大丈夫かなぁ、、、。


2020年 12月 25日(金)午前 4時 58分

 昨日は、歴彩館の講演会に行った日。今年は、コロナ禍のなか、早々に講演会を再開してくれた歴彩館に、よ~く足を運びましたが、昨日が、その本年最後の日。昨日は、「京都学ラウンジミニ講座 都と鄙を行き交うひとびと ―室町時代の旅と京都―」と題するお話を、同館京都学推進課の川口成人さんから伺うことができました。このシリーズ、先週に続き2回目で、最後。本来なら、30分番組4本で1ヶ月にするという方針だそうですが、事情により、今月は2回しかできないからということで、1回が1時間のお話となりました。中世の旅のお話、前回は、足利義満の厳島詣を、その旅日記から再現していただけました。主として、瀬戸内の船旅中心だったとして、陸上の旅話から、昨日のお話は始まりました。陸上交通の手段として、徒歩、馬、輿についてから始まり、宿泊事情、関所、旅の証としての落書きという流れでのお話だったのですが、黄紺は、先週に続き、今週も、早々に居眠り。結果的に、このテーマ全体を寝て過ごすことになってしまいました。いただいたレジュメを眺めても、そのお話の内容が、しっかりとは掴めないので、断片的なメモも慎んでおきます。なんと、あえない最終日でしょう。こないだの日曜日は、時間を間違えての断念といい、何かしら祟られているようです。
 歴彩館を出ると、何と、雨。そう言えば、歴彩館までの往きの道のり、やたらと暗かった。でも、雨などは頭の中になかった黄紺は、傘など持っていない。でも、霧雨だと判ると、大胆ながら雨中ウォーキングとして、傘なしで、いつもの行程を歩き上げました。途中休憩なし、雨が降るため、どうしてもなっちゃう速足ウォーキングなものだから、かなりの時間短縮。鴨川の川原には、誰も歩いていない。でも、橋の下では、何やらの練習をしている人、腰かけている人がいました。鴨川が好きなのか、家にいるのが嫌なのか、家におれない事情があるのだろうかと、勝手なことを考えてしまいました。
 夜半、メールボックスを開けると、何と「アンドレアス・ホモキ」名のメールが入っていたので、びっくり。ちょっとしたフェイクかとも思いながらも、開けてしまいました。いつもは、劇場名で送ってくるチューリヒ歌劇場が、インテンダントのアンドレアス・ホモキ名で、メルマガというか、この場合は、クリスマス・メッセージと言えばいいでしょうか、だから、個人名で送ってきたのでしょう。コロナ禍で、今、ヨーロッパは封鎖状態ですから、こういった趣向を凝らしたものだと想像しました。そして、クリスマス・プレゼントとして、リンクが貼ってあったのでクリックすると、同歌劇場のアンサンブルの歌手の方でしょうね、入れ替わりながら、クリスマス・ソングを歌ってくれました。その間に、ビーレフェルトの劇場からも、同様のメッセージが到着。こちらも、クリスマス・メッセージが、ヴィデオ・レターとしてリンクが貼ってあったのでクリックすると、いきなり日本人(ダンサーの方です)が登場し、日本語でのメッセージ。これ、レーゲンスブルク歌劇場でのニューイヤーコンサートで経験をしたのと同じ趣向。レーゲンスブルクでは、当時、同歌劇場の音楽監督だった阪哲朗さんが、指揮台から日本語で話しかけ(関西弁でした、後に京都出身と知る)、次から次へと、オケのメンバーの方たちが、母国語で新年のメッセージを発したのでしたが、その趣向を、このビーレフェルトでもやってくれたのでした。ビーレフェルトの場合は、劇場絡みの、ダンス、歌手、オケ、俳優といった方たちからのクリスマス・メッセージでした。そのトップが日本人ダンサーだったため、これ、インパクト、ありました。そんなで、クリスマスです。TVの報道で、ドイツでは、グリューヴァインもご法度だと言ってました。ということは、クリスマス・マーケット、どうなっているのだろうかと思ってしまいます。やってても、行くにも行きにくいよなと、行けないのに思っていた黄紺です。


2020年 12月 24日(木)午前 6時 57分

 昨日は、久しぶりに映画を観た日。京都シネマで上映中の日本映画「アイヌモシリ」(福永壮志監督)です。最近、映画を観ようとしてなかったというのは、結構、予定が詰まっていたことと、にも拘わらず、それをこじ開けてでも行こうかという気になる映画がなかったということでしょうか。そこまで、丹念に映画チェックを入れているわけではないので、目からこぼれている映画もあることだとは思うのですが、そういったときは、運が悪かったと、あっさりと諦めることにしています。で、「アイヌモシリ」は、かなり以前からチェックが入っていた映画。チラシが目に入っていたからで、予告編を観たわけでもなく、ただ、アイヌをテーマにした映画が、通常上映って感じで上映されること自体に関心がいったのです。そのため、どないな映画かを調べることはせず、とってもフラットな気持ちで映画に臨むことができました。京都シネマのHPを見ると、「好評につき、追加上映!」と記されている。この手の映画が、「好評」「追加」、これは、正直、驚きました。これは、観たあと、ネットで知ったのですが、日本外国特派員協会で記者会見まで開かれているのですね。それだけ注目度が高い、知っている人は知っている映画だったのかということで、京都シネマの扱いも納得。観客動員もいいということなんでしょうが、上映が終わったあとの明るくなったときの場内を見て、再び、びっくり。入っているのです。「好評」「追加」の文字も、納得できました。映画も、よくできてるんじゃないかなぁ。阿寒の風景がいい、実は行ったことがあるのですが、ここまで良かったかなと思うほど、きれいに撮ってある、これが、凄い。この自然があっての物語、いえいえ、アイヌの存在、文化だと思わせられるからで、そこから、この物語が生まれると思わせられるからです。そして、普段は、観光用に行われている踊りや歌、実際、それを紹介するシーンが、幾つも用意されているのですが、それが見せるものではなく、地に足を着け、生活と関わる、生きた踊り、歌として描かれます。となると、この踊り、歌、もちろん、アイヌの衣装を身に着けながらなんだけど、これが、博物館のものじゃなくなっている、この迫力に魅せられます。阿寒の風景だけではなく、アイヌの年配者の方々の、もちろん役者じゃない、阿寒の人たちが演じているのですが、編集もいいのでしょうが、なんかドキュメンタリーを観ているような語り口、議論、目つきから顔の表情までが、そう思わせられるものを生む土台を作っているように思えました。主人公カントの成長、僅かな成長を描く映画ですが、アイヌでありアイヌからの乖離を意識すればするほど、嫌悪すればするほど、アイヌを意識している自分に気づく、それが嫌でもあり、でも、この映画は、それに癒しも与えたように思えました。アイヌが祖先との往来としている聖所のような岩に、雪を投げつけ、そして、それに続くシーンですね。できた映画です。フクロウが飛び上がるラストは、カントに癒しを自覚させたことを表しているのでしょうか? このあと、カントは、阿寒を出て行くのかな? 出て行っても、それまでのカントとは違うな、ちょっとだけ、アイヌを抱えたまま生きて行くのかなと思えました。
 映画は夕方。その往復を夕方のウォーキングに読み替え、映画のあとは、京都シネマの最寄り駅から1つ先の駅まで歩いただけで、時間のことを考え、ウォーキングには時間は取らずに帰宅。でも、昼前の通常のウォーキングと併せると、ま、いつもの1日のウォーキング量と変わらなかった、ちょっとだけ少ない程度でした。そんなで、あっさりと1日は終わってしまったけれど、1度、映画を観ると、予告編という厄介な、お節介なものに出逢うため、新しいネタを仕入れてしまい、正月はこれかなの気分になっています。でも、京都シネマは、ソーシャルディスタンスを取り払ったから行きにくい。これが難点。前の端っこの席を押さえて、密からは逃れようとしているのですが、正月はヤバいかなの気分と、観たいの気分が交叉しているところです。


2020年 12月 23日(水)午前 7時 27分

 昨日は、初めてオンライン落語会なるものを試してみた日。コロナ禍以後、いろんな形で始まったリモートによる会ですが、黄紺は、生が一番の信念もあるけれど、手を着けだしたら止まらない恐れもありということで、敢えて敬遠してきた落語会、それに、昨日は、初めて手を染めてみたのです。「オンライン繁昌亭」です。1つには、来年当初から、繁昌亭にも、通常通りの興行が戻るということで、オンラインでの配信に変化が出るかもしれないということもありました、要するに、コロナ禍で始まった繁昌亭の配信の姿を観ておきたいという衝動は、ずっと持っていたからです。そこへ指して、スーパーな番組が目に止まったということで、重い腰を上げたのです。今、コロナ禍以後、繫昌亭は、日替わりの番組、日により出番が変わっていく中で見つけた番組、実は、1週間ほど前に見つけてありました。それは、桂む雀の出番を見つけたからです。2003年と言ってたかな、ラジオの生放送中に脳卒中の変が来て、言葉を失い、右半身の自由も失った噺家桂む雀の名前を見つけたからでした。む雀は、兄弟子九雀の介添もあり、上方落語協会へ復帰、枝雀一門は、同協会を脱退してましたから、その復帰です。そのときに、兄弟弟子の雀三郎、文之助、九雀、それに、雀三郎の弟子3人は新加入で加入したのでした。む雀は、落語ができないので、お囃子(右手の補助が要る)での復帰でした。そして、入門30周年を、やはり九雀の介添で行い、舞台にも登場しました。このときも会場にいました。そして、昨日、出番をもらったのです。漫才の相方を務めたリピート山中が言ってましたが、「初めて」だったということです。ですから、見逃してはしてなかったということになります。リピート山中は、「ほんとうの雀三郎一門」の方。まんぷくブラザースのメンバーですからね。しかも、昨日のトリは雀三郎と、この番組建ても、最高の環境作り。ということで、オンラインでの落語会に手を染める、これ以上ない条件が整ったのでした。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「子ほめ」、治門「犬の目」、由瓶「鉄砲勇助」、む雀・リピート山中「音曲漫才」、文福「お笑い演芸教室」、(中入り)、小染「替り目」、雀三郎「初天神」。慶治朗は、シュッといていながら、しかも、端正な噺ができるのに、いつ見ても、地味に見えてしまう。この落差が魅力にならない地味な印象、それは、この高座でも同じでした。ここで、「子ほめ」が出ているのに、2番手で、また、典型的な前座ネタが出てしまった。年内は出番数が少ないんだから、これ、止めてほしいな。時々、目にする繫昌亭の番組を見ると、このパターンが多くて、ちょっと気になっていたのですが、それと正面衝突してしまいました。治門は、自分的には、もっと評価してほしい噺家さん。この人の高座って、癒し感、結構あると思うのです。由瓶は、おめでとうライヴとなりました。今年度の繫昌亭大賞の奨励賞受賞発表があったところです。どこかで評価して欲しかった噺家さん。亡くなった三金同様、今の上方落語シーンには欠かせない人材。「円生が10人いても寄席はおもしろくない」という言い方を、黄紺は例えとしてよく使いますが、正にそれ。でも、黄紺は、由瓶落語は暑苦し過ぎて、彼の主宰する会には行かない。でも、由瓶がゲストで呼ばれる会は、楽しみにして行きます。これも行かないのは、嫌いな噺家さん。でも、由瓶は、その個性を認めているから、そして、その個性が強すぎるから、こういった選択の仕方をしているというだけで、その個性は、人により、度はまりする可能性はあると思うので、どこかで評価して欲しかったお方、それを評価したのだから、繫昌亭大賞の値打ちは、間違いなく上がった。その由瓶は、繫昌亭の昼席に出ると、なんか小さく見える。賢くしてます。だから、前座ネタを3本も並べてしまった。「またや」と思うと、毒も牙もなくなった由瓶に体が反応、居眠りで応対してしまいました。そして、お目当ての「音曲漫才」。一番驚いたのは、む雀が言っていることが、ちょっと聞き取れるようになっていました。特に、歌の歌詞が聴き取りやすい。でも、お喋りにはならないので、山中さんが喋り、ギターを弾き、む雀が歌うときには、歌詞まで伝えるという獅子奮迅の活躍。む雀は、ハーモニカの演奏をするのは、お約束だったのですが、後ろにウクレレが大事そうに置かれており、それを取り上げるものだから、音を出すのかと思ったら、口三味線ならず、口ウクレレという落ちを着ける小道具でした。米朝事務所のYoutubeチャンネルでは、ピアノ演奏を披露していたので、まさかと思いながら、ちーとは期待していたところもあったのですが、さすが無理でしたね。「音曲漫才」のあとに、文福の出番とは、、、もろにかぶっとるやないかい! この出番では、赤色表示ではない中トリ、でも、高座は同じでした。正月に太神楽を観るもののように、繫昌亭で、この文福観ないと、1年が終わらないってところでした。小染は、かなり老けました。若いときに聴いたときに、溌剌感があったわけではないけど、「いい感じのもっちゃり感がええなぁ」と思ったものでした。今でも、ワッハのレッスンルームで聴いた「三十石」は名演と、黄紺にはインプットされています。ところが、どんどん爺くさくなる一方。マクラが爺くさいものだから、ここでも、体が反応、居眠り第2弾でした。でも、ここで、お酒のネタ出してしまったから、雀三郎に密かに期待していた「二番煎じ」が吹っ飛びました。で、聴いたことないというか、地でお喋りしているみたいと思い、聴いていた雀三郎のマクラ、子どもに収斂していっても、「初天神」とは思わなかった黄紺、でも、ラストまで出すつもりと了解。春輔からもらったというネタでしたね、久しぶりの遭遇です。確か、「扇町公園でベンチに腰掛け、横並びで口移しの稽古をつけてもらった」と、ご本人が言ってたのを覚えています。凧揚げまで行くと、視界が拡がるのが、いいんだなぁ、さすが、雀三郎の口演です。このシーンがあるから、店の冷やかし場面は濃くなりすぎない配慮も、いいな。そんなで、終了。画面が、とってもクリアなのが、いいです、この配信。そんなことを知ってしまうと、次を考えるから、しまりがなくなるのですね。
 この配信が、午後2時開始、終演が午後4時20分を回っていたかな。ですから、いつもの午後に、オペラ配信を観たり、Youtubeを観たりの丁度入れ替えになったといった感じでした。ですから、お出かけなしの日のルーティンとなるウォーキングは通常通り。しかも、オンライン繫昌亭を観る前の待ち時間に、新たに用意してあるオペラ配信のさわりだけを観ることもできましたが、それについては、また、次に観たときに、詳しくメモることにしましょう。


2020年 12月 22日(火)午前 6時 24分

 昨日は、お出かけなしの一日。時々、陽は射す時間もあったけれど、曇りの時間が多く、正に冬空。寒々しさが、一段と募った一日となりました。だから、日に2回のウォーキングは定番。なんか、昼間の方が寒かった。そのため、途中で、いい公園があるからと言って、ちょっとの間、座っていると冷え込みが早いものだから、休憩&読書なんてものではない。にも拘わらず、読書を開始。5分で諦めました。去年まで、こうした冬空の日でも、もうちょっと持ったよなと思っても、1年の時間の経過は、黄紺を、一層、寒さに弱くさせたみたいです。夏の暑い日は、日影を求めれば、それで暑さは凌げるけれど、冬は屋内に入るしかないものだから、諦めるしか仕方ありません。でも、少しの間、腰かけ、休憩をするだけで、ウォーキングの方は、たとえ疲労を感じていても和らぐ感じがして、そういった意味で気分はいいのですが、寒さはこらえきれないですね。
 昨日は、やっと年賀状を書くことに。毎年、トルコの画像を貼り付けるのが、黄紺の年賀状の定番。だけど、今年はトルコに行けなかったので、ドイツのトルコ人の店の写真があったので、それを採用することにしました。でも、解ってくれるかな、トルコ人の店と。トルコが解る人が見ると、「Gazi」って、看板に書いてあるので、簡単に判るのだけど、そして、店の前に品物を、生鮮野菜などを並べるというのが、ドイツのトルコ人の店の日常だと知ってれば解るのですが。題して「最後のトルコ、最後のドイツ」です。今年は、敢えて日付を入れました。「2020.3.12」と。メルケル演説の翌日、ハーゲンで撮ったものですが、これも注釈が要るだろうなと思い、コメント入りとしました。なんか、年賀状じゃないみたい。毎年、画像を入れ替えて、複数種の年賀状を用意します。自分的に1つに絞れないからだけなんだけど、今年は、絞りようがありませんでした。替わりに、DとS用にだけの特別な1枚を作りました。Dがゲーム仕様で文字を覚え出しているという話なんで、思いついた特別な1枚。Sには画像だけ楽しんでもらえるかと思い、トルコ食の画像3枚を用意、題して、「どれが、おいしいとおもいますか?」、新年とは、全く関係ない内容となりました。選んだ画像は、「ヤプラク・サルマス」「ハムシ(箱寿司状態のもの)」「カルン・サヌク」。全部、手持ちのお写真。しかも、昨年の10月に行ったときの画像で、揃えることができました。この3つが、1回のトルコ旅行で揃うって、ちょっと凄くないですか? 黄紺は、旅行中の外食では、恥ずかしくもなく、食べる前に、幾つかの角度で写真を撮るのを習慣にしているものですから、素材はあることはあるのです。Dに字も読ませようと、ごく簡単な説明文も入れました。ますます年賀状らしくなくなってしまいました。年賀状と判るのは、上に「あけましておめでとう」と書いてあることからだけかな? おかげで、すっかり楽しんじゃいました。DとSがおればこそできる、お楽しみですね。
 オペラ配信は、「オルフェオ」のラストだけと、次のソース選びでおしまい。「オルフェオ」のラストは、アポロが現れ、オルフェオを慰めて、それで終わりました。時間にすれば、僅か。残しておくほどの時間ではありませんでした。新しいオペラは、今、いい配信で、まだ観てないものが溜まっている状態なので、目移りしまして困ったのですが、そうなると、配信期間の残り日数が、選択基準となってしまいます。で、選んだの、グラインドボーンものです。ただ、年賀状を作ったから、今度は印刷をしなきゃならないから、視聴はすぐってわけにはいかないね、となると、配信期限を頭に入れておかないと、ダメですね。しっかりと、入れようとしておかないと、すぐに忘れるから、これは要注意です。


2020年 12月 21日(月)午前 6時 42分

 昨日は、またしての失態を犯してしまった日。予定として、昨日も、歴彩館で講演を聴くことになっていました。寿岳文章さんの業績を振り返ろうというもので、楽しみにしていたのですが、正に、またしても家からの出発時間を間違えてしまったのです。身支度を整え、家を出ます。時計を見て、時間を確認をした段階で、ミスに気が付くというパターンでした。それまで、頭の中に、お出かけ時間としていた時間を描いて準備をしていたのですが、その段階では、その時間を変だと思わないで、その時間から遅れてないなと、いつも家を出かけたところでスマホを出し時間を確認するのですが、ここで、「あれ?」と、初めてなるという、何ともうつけた話。いや、最早、うつけたでは済まされない状態です、気が付くと。歴彩館の講演会は、午後1時半開始というのが多いのですが、昨日は午後2時だった。だから、それも解っていたので、それに合わせて後ろへずらしたのも、きっちり覚えている。だけど、ずらし方をと言っても、30分ずらせばいいのに、1時間ずらしてしまっている。もう、自分のしていることのわけが解りません。こういったときって、必ず、前にはずらさないんだよね、必ず。そんなで、同じことを繰り返しやらかすもので、昨日は、腹も立たなかった、さほど、意気消沈もしなかった。ダメだと思い、そのまま家に戻って、おしまい。
 メールを開けると、昨日の続き。新たなオンラインでのお喋り会の方法の詮索。1人が、PCを普段使ってないという前堤での模索。その友人が、Lineを主張。仕方ないかと、Lineをやらない黄紺は、Lineのお勉強。すると、PCでLineをするのが面倒だと判り、もう1人の友人に、その旨、連絡、「Lineでやりたいと言っている」と。もう1人の友人は、「Lineはやっているが同じ電話回線ではPC登録のLineは使えないので、自分もスマホですることになる」とのレス。黄紺は、これが理解できなかったので、うだうだと書いて噛み合わない。なんか、上の話といい、この話といい、昨日は、頭の足りなさを思い知りました。息子が調べてくれたメモを、もう1度、読み返していて、また、「あれ?」、でした。急に閃いたかのように、理解できました。なんか、どこかで、頭のスイッチが入るみたいです。せっかく、PCのある者はPCでオンラインでのお喋り会をやった方が、臨場感があるので、わざわざLineを使わない方がいい、Zoomを主張する、その友人の言っている意味が解ったのです。これって、その友人が、最初から言ってたこと、ようやくスタート地点に立てた黄紺でした。そこで、Lineでのお喋り会を求める友人に、ひょっとしてと思い、「実は二人は、PCの大きな画面ですることを考えていて、Lineは避けた方がありがたいという結論になった」旨送ると、そのひょっとして、でした。この話って、そこからスタートしてなかったかとも思ったのですが、昨日の黄紺の頭の機能を考えると、このスタート地点って、他の人にもうやむやになっていても不思議でないと思えたため、前堤を伝えてみたというわけです。それで、納得が行きました。自分の頭に上手く入れない黄紺が、人の頭に上手く入れたってことですね。
 そんなで、時間があったはずなのに、時間は減っていくばっかり。オペラ配信に割く時間は減り続け、結局、「オルフェオ」を完走できませんでした。ラスト手前までは行ったのですが、、、。黄泉の国の場面、いいですね。渡し守が出てくるということで、舞台に薄く水をはり、そこに船を浮かべたり、その川と見立てた水溜まりを、自由に歩く、プルート夫妻を初めとした黄泉の国の住民、まるで、往年のシックなフランス映画を観ているようなシルエットに、感服、感服。やがて、エウリディーチェを後ろに連れ、オルフェオが歩くのは、川の手前、それで、黄泉の国を出ようとしていることを表します。が、お約束の「振り返り」、エウリディーチェの連れ戻し、嘆くオルフェオの前に、黄泉の国の壁が降ります、とっても幻想的、ロバート・カーセンの技が、次から次へと繰り返されていきました。終幕は、トラキヤの荒野と設定ではなっています。舞台一面に、しわしわにした布が敷き詰められているだけ、それで荒野に観えるのだから、凄いね。やがて、アポロが出てきてラストになるのだけれど、出てきたところで時間切れとなりました。ノンヴィヴラートの歌唱って、シリアスな場面に合いますね。濃淡が、よりクリアにできるように思えてなりません。いやぁ、いいプロダクションです。


2020年 12月 20日(日)午前 7時 20分

 昨日は、お出かけなしの1日。いつものルーティンにしているウォーキングを、日に2回、一応はこなしたかな? というのは、夕方のウォーキングは、所用があったため、弟の家との往復を、ウォーキングに替えたというものだったからです。その所用というのが、大問題に関わっています。昨日、高校時代の友人からメールが入り、2人の共通の友人に関し「そちらにもメールが行っているはずだが」「(友人の)病態を知っているはず」「3人でオンラインでのお喋り会を持ちたい」、大体、そういったことが書かれていました。これを読み、びっくり。まずもって、そないなメールが入っていないと思っているところへ、「そちらにもメールを送っていると書いたぁる」とまで書いてあるのだけど、実際、受け取った記憶がない。でも、来ていました。友人とのメールのやり取りで、どうやらショートメールで送られてきているようだと判明。そう言えば、「ショートメール入った」メッセージが、スマホに出てたな、でも、あれって、広告の続きだったはずとの思い込みが邪魔していました。慌てて、開けました。そして、びっくりするとともに、悠長なことをしている場合じゃないということで、早速、連絡をくれた友人に電話、オンラインでのお喋りに使うアプリの打ち合わせ。当の友人は、PCを使っておらず、スマホだけということで、Zoomを使うことで、一応、一致したのだけど、2人とも、Zoomを使ったことはあっても、常に「招待される」経験しかしたことがなく、「招待する」経験がないもので、方法が判らず、とにかく調べようとなったので、「Zoom経験あり」と言ってた弟に尋ねようと、弟の家に行ったのですが、これが、とんでもない大口。「1回しかしたことがない」、「なに~!」、それで、Zoomの個人情報の扱いに関し、黄紺に、とうとうと講釈を言ったのだから、見上げた大口です。一応、一緒にPC画面を観ながら詮索、解ったつもりにはなったのですが、弟は、Zoomの時間制限、会員登録の必要性から、今度は、Lineの使用を提案、それも熱心に。熱心には有難いけれど、またぞろ大口の危険性を感じた黄紺は、話半分以下に聞いて、息子に聞くことにしました。このやり取りでも、また、思いました。弟の方が、年下なのに、ボケの進行は早くなると。で、息子に、連絡を取るのですが、これがダメで、ここで頓挫中です。ウエブサイトで調べると、まじでLineが良さげに、黄紺の目には映り出してはいます。
 オペラ配信は、お出かけなしの日の定番。新たに、いいものを見つけました。ローザンヌ歌劇場の「オルフェオ」(ロバート・カーセン演出)です。モンテヴェルディのオペラですが、これが、なんと、ロバート・カーセンものというのに跳びついた次第。こないなところに、ロバート・カーセンものが隠れていた、とんでもないもの、見っけといったところです。字幕は、スイス国内を想定したのか、ドイツ語とフランス語しか付いてないけれど、梗概を読み、ドイツ語字幕で頑張っています。幕開きから、色彩が違います。舞台一面に散らばった花、黄色を多用した照明、ホリゾントの照明も、一色だけど、当て方の工夫で、何やら春めいている、しかも、拡散を押さえるような色調のグラデーションが素敵、コーラスの動かせ方が違います。それに、バレエを組み合わせると、見事な異世界、そう、オリジナルな神々の世界を作り出して見せてくれました。さすが、匠の技ですね、素晴らしい。後半の黄泉の世界では、今度は無彩色の濃淡で、それまでの世界と違いを判らせています。丁度、この後半に入ったところで、続くにしました。オペラ配信は、この間のロックダウンの再現により、また、新しいものが出回り始めています。このローザンヌのプロダクションは、そうではないのかな、よく判りませんが、メルマガにより、そういった情報が入ったりしてきています。クリスマス・シーズンでもあり、その関連のコンサートが多いと言った方がいいかもしれませんが。そんなで、コロナ禍の恩恵に、しぶとくあずかっているところです。


2020年 12月 19日(土)午前 7時 20分

 昨日は、京都アスニーで行われた「アスニー特別講演会&京都市上下水道局共催 “琵琶湖疏水130周年記念事業”」に行ってまいりました。3連続でのお出かけ最終日です。京都アスニーでは、規模を縮小し、このような講演会を続けてくれています。大ホールがあるので、こういった形式で、中止になっているシリーズを継続して欲しいのですが、そうはしてくれていません。京都府管轄の歴彩館との対応の温度差がクリアになっているのが、以前から気になっています。で、講演会は、琵琶湖疏水記念館資料研究専門員久岡道武さんによる「琵琶湖疏水の生みの親 北垣国道と田邉朔郎~その生い立ちから出会いまで~」というもの。琵琶湖疏水の生みの親ともいえるお二人の年代記的なお話を聴くことができました。既に、久岡さんは、このアスニーで、琵琶湖疏水の建設工事については報告されているということで、今回は、当時の京都府知事北垣と建設責任者田邉の、琵琶湖疏水に関わる前後の活動ぶりをお話しいただけました。おもしろかったのは北垣。田邉の方は、正に大学卒業と同時に、この事業に関わったというスーパーマンなため、逆に、その後が気になるのですが、北垣の場合は、前がおもしろい。言われてみればそうなんですが、明治の躍動期に指導的地位にいるということは、明治維新に関わった報奨的意味合いがあるわけですから、この地位にいるということは、そうだったのですが、これが、なかなかおもしろい。養父の庄屋の倅で、発起して京都へ。尊王攘夷の思想に染まり、武装蜂起に関わり、頓挫。身の危険を感じ、名前まで変え、鳥取藩に亡命。その間に、北海道開発に関わったりと、かなり意欲溢れている。戊辰戦争には、鳥取藩士として参加、忙しいですね。そして、維新。北海道開拓使に勤務と、また、北海道、ここで、榎本武揚、大鳥圭介と出会っている。人脈ができたということになります。その後、京都府知事に就任に至るというもの。琵琶湖疏水建設に向けての田邉との出会いは、大鳥圭介の紹介だったと言います。当時、まだ、工部大学校(現東京大学工学部)の学生だったというから、明治の偉人は凄い! これは、前回聴いたお話で、最もインパクトのあったものの1つ、よ~く覚えておりました。田邉の妻は、北垣の娘だそうで、この2人の縁は、北垣を田邉の舅殿にしています(媒酌の労は榎本武揚)。琵琶湖疏水以後、工部大学校で教鞭をとるようになる田邉が、その職を辞するのも、舅殿の要請があったようで、北海道、そうなんです、また、北海道です、北海道庁長官(北海道行政の最高責任者、現在は大臣)になっていた北垣が、北海道開発事業に、田邉を招請します。その主たる仕事が鉄道建設。おいおい、それって、「ブラタモリ」の「旭川編」で出たあれじゃ~ありませんか。旧神居古潭駅を訪ねて、札幌~旭川線の建設苦労話、蛇紋岩との格闘話が記憶に残っているあれですよね、ここで、また、目から鱗がぽとりとなりました。田邉は、その後、教鞭を、再びとるようになりますが、それは、京都帝国大学でと、また、京都に戻ってきた。このお二人の人生、京都、北海道がキーワードです。こういった年代記話って、レジュメを渡されて「読んどいて」でも済むのですが、そうすると、なかなか、読まない。場合によっては、うっちゃらかしている内に行方不明がオチ。そういった意味では、コンパクトに、程よい時間で聴けるというのは、まことにありがたい。難しい話ではないですから、ボーっと聴いて、パワーポイントをのんびりと観ていると、頭に入ってきて、内容に興味あるものだから、話し方の上手下手は、あまり関係ない。実際、久岡さんの自信なさげな話しぶりは、ちょっとノイズめきもしたほどでしたが、内容がそれなりだから、文句を言うのは贅沢。ということで、狙い通りで、満足というところでした。
 この講演会は午前中だったもので、これが、なかなか厳しい。生活のリズムが崩れるのを、なんとか宥めながらとなりました。今週は、山科へ行ったときもそうだったので、週2回はまずいよと思っていたため、前の日から調整に動き、なんとか成功。リズムを崩さないで、その2日ともに過ごすことができました。2日とも、日に2回分のウォーキング時間も確保できたということが、何よりも、その証拠。昨日の場合も、山科からの戻り同様、自宅最寄り駅の1つ手前駅で降りてのウォーキングが成功。これが、ちょっと重めだったのですが、夕方のウォーキングも、ほぼ通常通りにやっちゃったものだから、晩酌をする前から、欠伸ばかりでした。そんなで、気づけば、今年も、あと10日ちょいですね。ホントだったら、今頃、冬のオペラ紀行の終盤くらいかな、いつもだったら。毎日、クリスマス・マーケット巡りをしながら。TVでやってたけれど、ドイツのグリューワイン販売もダメなようですね。それに対して、日本、何もやってない!! 昨日観た韓国系Youtube(在ソウル)の、ソウル有名繁華街映像を観て、完全に日本、間違っている、いや、舐めてると思いました。今更ではないけど。


2020年 12月 17日(木)午後 6時 00分

 今日は、京都府立京都学・歴彩館へ講演を聴きに行った日。「京都学ラウンジミニ講座/都と鄙を行き交うひとびと ―室町時代の旅と京都―」というイベントがありました。基本、毎週、30分間のスパンで行われているため、時間をかけて行き、30分間だけというのは、余りに割が合わないので行かないことにしている、このシリーズ。今月から来月の1回目にかけては、会場の都合とか、年末年始の都合で、1時間という普段の倍のスパンで開いてくれるということで、テーマもおもしろそうだったので行くことにしたのでした。お話は、同館京都学推進課の川口成人さん。室町時代の専門家ということです。前置きとして、「Go To、、、」にかけて企画したところ、運悪く、停止が発表されたと言われていました。中世の旅の話です。黄紺は、狂言に出てくる世界、鄙から都へ上る男、それを狙うスッパだとか、道中であった男が、道連れを求めるところから物語が始まったりという、あの世界は、どんな風景だったのか、どういった慣習のもと、人は動いていたのか、そないなことを想像して、期待して出かけて行きました。でも、そういった社会史的なお話は次回だそうで、待たせます。替わりに、今日は、足利義満の旅が話題となりました。狂言には、田舎の殿さんの旅話はあるけど、さすがに将軍様の旅はない。これは、おもしろいと食いつきは抜群の話題でした。結構、義満って、旅をしています。いや、「お出かけ」をしています。ご近所の相国寺、北野社はもとより、足を伸ばして、石清水八幡宮や醍醐寺、石山寺、西大寺なんてのが入っている、寺宝などの閲覧したりと、寺社仏閣への参詣がお楽しみであったようです。中には、遣明船が帰って来るというので、兵庫の浜や尼崎の港まで観に行っている。正確な帰国日など伝わってくるわけないので、大体で行き、戻ってなかったら出直すというほど、この中国、それに朝鮮との往来船を観に行っている。外つ国にいたく関心を持っていたようです。今日のお話の本題は、もっと本格的な旅、その中でも、旅日記の残っている厳島詣に関して。具体的には「随行の人々」「船の様子」「宿泊地の様相」「大名たちによる接待」「旅の行く手をはばむもの(潮の流れ、天候)」「参詣(の様子)」といった項目立てで進んだのですが、肝心のところで居眠り。幸い、いいレジュメを用意いただいたので、内容は、旅日記から、項目に沿っての抜粋だったことは判っています。おもしろいのは、当然、瀬戸内を進んでいくわけですが、船の道中の警護に当たったのが、瀬戸内名物の海賊だったとか。寄港地も、室津、宇多津、尾道、牛窓と聞き知ったところ。黄紺は、国内旅行は、あまりしてないけれど、朝鮮通信使の寄港地でもあることから、尾道や牛窓には跡を訪ねたことがあるもので、ちーとはイメージを膨らませることができました。相変わらず、せっかく興味を惹かれて行ったところで出る居眠り、加齢と睡眠不足が重なっているのが原因なのでしょうね。次回は、そないなことないことを願います。次回が、黄紺的本丸なんだから。
 歴彩館への往復は、いつものようにウォーキングを兼ねています。それだけでは、普段のウォーキングよりは、少し短めになるので、今日は、午前中に超ミニウォーキングをして、補完することにしました。おかげで、普段の内容に近づくことができました。でも、それを実行に移すのは、とってもタイトな時間を過ごさねばならないのが、困った点。いや、そないな、せわしないことしているから、肝心なところで、ぐったりしてしまってるのじゃないのと、ここは突っ込む必要があるかもしれませんな。


2020年 12月 17日(木)午前 6時 14分

 昨日は、アスニー山科で映画を観に行った日。コロナ禍で、広い部屋がないため、ごく限られた教室やイベントしか実施できていないアスニー山科が、おもしろい企画を出してくれました。係の人に伺ったのですが、同施設が持っている視聴覚資料の中から選んだ映像を公開するというイベントを企画をしているのです。黄紺は、偶然、このイベントを知ったのですが、題して「第3回学びの映像/アスニー山科ムービー」ということで、3回目に見つけることができました。人数限定、完全予約制での会、黄紺が、3回目で気づいたように、知らない人が多いのか、それとも、映像自体が地味過ぎて敬遠されたのか、その辺りの事情は判らないのですが、入りは今一つ。次回は、趣向が変えられていましたから、その辺りの事情がはっきりすると思います。で、昨日、上映されたのは、次の2本。①「むかしの暮らし」(2006年制作カラー)②「日本の稲作」(1954年制作白黒)。2本の共通のコンセプトは、日本の農村、米作りといったところ。①は、岩手県金ヶ崎町の農村の1年を再現したもの。本物の農家を使い、登場される人たちが暮らしぶりを再現するもので、とっても自然体だから、本当の家族が出てられたのでしょう、子どもがそのまんまでしたからね。春から始まり、そして、また春に戻る1年。稲作を中心に、田の神に豊穣を祈り、また、それを感謝するなど、様々な民俗行事が織り込まれていきます。これが②と違い、とっても気に入ったところ。それにつけても、1年を通して、働いていたのですね。特に、岩手県ですから、冬支度が大変。食料の保存は命綱ですから。「ムロ」という言葉は知っていましたが、冬場に新鮮野菜を食べ続ける工夫ってあったのですね。干し物、燻製、保存の工夫は豊かでした。また、それがしやすい家の構造。梁に引っ掛けたり、吊るしたり、そういった作業に適した造りになっていました。②は、静岡県吉原市のリアルタイムの稲作を追いかけたもの。1953~54年当時の様子を記録した、そういった映像でした。こちらは、稲作に焦点を合わせていますから、民俗行事、民俗的な道具の紹介などは出て来ない、純粋、稲作の記録。田作りから始まり、苗代作り、田植え、、、と続く、1年の作業の記録でした。おもしろかったのは、正に高度経済成長期に入ろうかという時期のリアルな稲作が観れるといった点。農薬を使っています、また、農業試験場が、稲作の監視を行っています。害虫発生では、地域農村に告知をして、そのために使う農薬を指示しています、当然、品種改良を行っています。そういった時期に入った稲作の記録映像ですから、農作業の周辺にある民俗行事あたりが入ってこないのは致し方ありません。いや~、個人的には、とっても楽しませていただきました。こんなの大好きな黄紺です。民博のアーカイブ映像を観ている気分です。そう言えば、民博も、とんとご無沙汰ですね。往復に使う電車が怖くて行けないですね。この「アスニー山科ムービー」、次回は落語の映像です。そんなのできるんですね。早速、次回の予約を入れてまいりました。
 アスニー山科への往復を工夫、帰りは、自宅最寄り駅より一駅前で降りてのウォーキングです。アスニー山科でのイベントが午前中だったもので、これで、昼前のウォーキングは達成できました。夕方は、いつも通りのウォーキングで、日に2回のウォーキングは確保。昨日は、昼前の方が寒かったんじゃないかなぁ。ホント、真冬です。家に居ても、空調の温度を、これまでよりは上げないと、寒い。今までは、置き炬燵があったので、足元は大丈夫だったのですが、板の間に改造すると、予想通り、足元が暖まらないですね。これは想定していたのですが、この冷え込みが出る前までは、取り越し苦労かと思っていたのですが、そうではありませんでした。京都の冬は、やはり底冷えする、これは生きています。それにも拘わらず、新しい空調が嬉しくて、去年よりは、かなり薄着で暮らしている黄紺ではありますが。


2020年 12月 16日(水)午前 6時 4分

 昨日も、お出かけなしの一日。しかも、予報通り、一段と寒くなっています。一応、昨日と今日が、底だとは言っていますが、掛け値なしに寒い。昼前のウォーキングに出かけても、寒いので休憩どころではない。去年まで、真冬でも、休憩がてら読書の時間を持っていたのですが、急激な寒さに体がついていけてないのか、全くダメというか、端から諦め状態。一応、いい場所で、腰かけてはみたのですが、座った途端に冷え込みが沁みてきた。ウォーキングで温まった体の冷え方が、あまりにもあっさりとしていました。これはいかんと、夕方のウォーキングは、着こみました。セーターとダウン系ジャンパーだけは、まだでしたが、あとは完全に真冬の装束。昨日の京都が「6’0~2’0」でしたから、ほぼ真冬だと思うと、逆に、ちょっと気は楽に。これ以上は、そうはないはずと思えたからです。
 トルコ保健省のデータがおかしいです。黄紺が、ずーっと、「陽性判明者数」だと思っていたのが、そうではなく「症状の出ている人の数」だったのが、最近の驚きだったこと。欧米の、また、日本のデータの出し方に捉われていたのか、日々出される数字は、「陽性判明者数」だと思い込んでいました。ただ、なぜか、「陽性」というタームを使わないで、「事件」「場合」という意味しか出て来ない「vaka」を使い続けていたのが、今から思うと、ペテン的な使い方をされた大元のように思えてなりません。一方で、日々の被験者数を、検査能力を誇示するように、日々発表されますから、その数に比して、感染者が少ない、陽性判明率が低いと認識していました。それが、ここへ来て、データの出し方の変更が行われ、マスコミの追求もあったようで、新たなデータの出し方で使われているタームの意味合いにも説明が、きっちりなされたよう。そこで初めて、真の陽性判明者数が出たものだから、びっくり。それまで「陽性判明者数」と思っていたものは「発症者数」であったことで、「陽性判明率」は、1桁増えてしまいました。被験者数が日本を圧倒するにも拘わらず、陽性判明率は日本を上回っています。そんなで、今までチェックしてきていた統計資料はなんだったのと、意気消沈してしまってたのですが、ここにきて、ヒュリエット紙の書名記事(セダト・エルギン名)に、黄紺を後押ししてくれるものが出ました。黄紺がおかしかったのではなく、データの出し方に問題ありというもので、視点が黄紺と同じ。しかも、「意図的」に「データの出し方が変えられた」疑惑まで書いています。「vaka」というタームが使われたのですが、これが、どないにでもなるものだから、黄紺のような思い込みが出てしまうし、疑惑も出てしまう、使い分けも可能にしてしまう。さすが、データいじりはしてないだろうと思っていましたが、その出し方で疑惑が出ると、「いじりと同じやん」的に思えてきています。これはまいったですね。
 オペラ配信は、昨日の続き、「フィガロの結婚」完走です。簡素系装置は最後まで続きました。後半の前半は、伯爵邸内、このときは、2枚の板を開き、舞台を広く取る工夫、後半の後半は、夜の庭の場面。となると、今度は、2枚の板を上からぶら下げ、自在に動かし、隠れる場所を作ったり、次から次へと替わる登場人物の関係性を見せるための小道具にもなっていました。やはり、作品の力が高いのでしょうね、ありそうなプロダクション過ぎて、途中でもいいから止めにしようかとも思っていたプロダクションを、最後まで観届けてしまいました。マルチェリーナ役のモニカ・バチェリが「歌える役者」だったからでしょうか、最終場面では、指揮者とやりあう場面まで用意されていました。おまけに、普通は省かれるマルチェリーナのアリアまで入るサービスぶり。やはり、「フィガロ」は楽しい。


2020年 12月 15日(火)午前 6時 47分

 昨日は、お出かけなしの寒~い一日。ホント、寒くなりました。天気予報通りです。天気予報では、「ダウンを用意しておいてください」「真冬の気温です」と言ってたけれど、その通りになってきています。TVのない黄紺の家ですが、Youtubeを使い、NHKのニュースを観たり、これは、コロナ禍の中で、リアルな日本のニュース、ニュースの伝え方を知りたくて覚えたもので、おかげで縁遠かった天気予報だの、スポーツ情報を知るようになりました。それだけではなく、NHKがというか、他の放送局もやっているかを知らないだけかもしれないのですが、とりあえず、NHK-TVが、ネット上で配信していることを知り観たりすることも出てきています。ですから、TVがなくて唯一困っていた「ブラタモリ」の視聴も、これで観れるようになりました。ホント、最近、これに気付いたもので、「ブラタモリ」で言えば、「白川郷編」からですね。「城崎・豊岡編」は、次の「天橋立編」と組んで取り上げるだろうと思っていた待望の放映だったから、間に合って嬉しさが、一段と高いものがありました。ガッツポーズもの、です。黄紺にとっては、城崎も、天橋立も、数少ない家族旅行の思い出の地です。玄武洞に行ったときに、母親が「柱状節理」という言葉を使ってたのと、あの風景だけは覚えている、だけど、あれを観に行くわけ、ましてや、どうやってできたかなんて、長いこと判らなかった、ただ、「柱状節理」という言葉だけが、頭に残って行きました。「天橋立編」でも、やって見せてくれると思う「股のぞき」も、母親が「やってみぃ」と教えてくれてやってみたのだけど、そして、狙いの風景を観たのだだけど、それが、なんなのか、ずっと解らなかった。でも、「股のぞき」をしたこと、そのとき観えた風景は覚えている。その前後で、母親が講釈を垂れてるんでしょうね、おそらく、でも、そんなことは、一切、覚えていない。傍らには、父親もいたはずですが、そのとき、父親が、何か言ってたとか、いたことも覚えていない。そんなだけど、玄武洞や天橋立は、子どもの黄紺にインパクトがあったってことなんでしょうね。
 寒いなかでも、ルーティンとなるウォーキングは、いつも通り。ダウン系の防寒具は出してない黄紺は、先週くらいから着出している厚手のジャンパーを引っ掛けてのお出かけ。ウォーキングは、出がけに寒くても、歩いている内に体が温もってくるからいいんだけど、昨日は、陽が出てなかったどころか、霧雨のようなのが降り出したりしたものだから、それが、たまたま屋根付き公園のほん近くだったもので、雨宿りがてら休憩に入ったけれど、寒くて、ものの5分も座ってられなかった。霧雨のなか、フードを被って、続きをすることになりました。座っているよりは、歩いている方が楽ってやつです。夕方の方が、気温は高かったかもしれません。いや、夕方は、もっと寒いという思い込みが、そうでないと、そのように感じるのかもしれません。でも、雨は上がっていたのは有難かった。相変わらずの暗闇ウォーキングでしたが、後半は、街中を歩いたので、ま、前進あるのみってことにはなりませんでした。
 オペラ配信は、新しいものとして、チューリヒ歌劇場から案内をいただいた「シモン・ボッカネグラ」狙いだったのですが、いざ配信を受けようとしたら、「あなたの国では観ることができません」のメッセージが出ました、しかもドイツ語で。これ、ときったまあるんだよね。サッカーの国際試合と同じで、放映権が制約されているのでしょう。サッカーの方では、トルコ・リーグの試合のダイジェストは観れるのですが、チャンピオンズリーグの試合や、代表の試合は、同じメッセージが出ます、こちらはトルコ語で。そんなで、選び直し。同じサイトで、観ることもできるのがあるというので、ピックアップしてみました。ジュネーブ歌劇場の「フィガロの結婚」(トビアス・リヒター演出)です。キャストの中に、伯爵をイルデブランド・ダルカンジェロが歌うと出ていたからです。あとの歌手は知らない人ばかりだったのですが、ダルカンジェロとのバランスはとっているだろうの観測です。演出家の名前を聞いたような聞いてないようなだったもので、まずネット上のデータベースのサイト(こないな利便性の高いものがある!)で調べても、よく判らない、キャリアの欠片も出て来なかったので、次は、ウィキペディア(ドイツ語版/日本語版には項目立てがない)のお世話になると、どこかで聞いたはずのキャリアが出てきたのですが、それはいいとして、えらい情報を掴んでしまいました。「指揮者にしてオルガン奏者のカール・リヒターの息子」と書かれていたのです。知らなかったぁ、大変な2代目です。しかも、ジャンルが、全然、違う。フランツ・コンヴィチュニーの息子が、ペーター・コンヴィチュニーだと知ったときの驚きを凌ぎました、この驚きは。で、観始めると、以前、このオペラ配信で観たガーシントン・オペラのプロダクション(ジョン・コックス演出)にテイストが似ている。簡素系演出で、衝立2枚を扇状に開き、その前に、簡素な小物を置いての進行、軽さを出すことで、物語自体のコミカルさも併せて醸し出そうというスタンスのものでした。ですから意外性の乏しいものと思えたのがいけなかったのか、居眠り時間、多しです。そんなで、前半まで終わったところですが、冒頭の興奮が持続してないのが情けないところですね。


2020年 12月 14日(月)午前 5時 57分

 昨日は、恐らく、今年最後となる落語会。ロームシアター京都であった「柳家小三治 柳家三三 親子会」に行ってまいりました。この時節柄、小三治を、京都で聴けるとなると、放ってはおけませんでした。その番組は、次のようなものでした。小はぜ「浮世根問」、三三「雛鍔」、小三治「錦の袈裟」。前座役の小はぜは、全くの初遭遇ということで、ネットで調べてみると、はん治の弟子で、現在二ツ目ということ。ちょっと地味系、でも、しっかりとした口調で温め役をこなしてくれました。客席は、落語初心者が多数を占めるという空気が出ていました。それを測定させる力の持ち主ということでしょう。主役2人は、1席ずつということで、ゆったりとマクラを振り、ちょっと長めのネタを出すというお約束の展開。まさか、国宝に2席はやらせないだろうし、三三2席に国宝1席もあるかなの予想でしたが、ゆったりめの三三のマクラで、一切を了解。「雛鍔」は、小まっしゃくれた子どもが出て来る噺なもので、三三は、学校公演話をマクラに持ってきました。学校公演が話題に上ったときは、客席に合わせたのかなとも思ったのですが、聴いている内に、なぜか本寸法のように思えてきて、その勘は当たりでした。黄紺的には、「雛鍔」を生で聴くのは、初めてだと思います。志ん生お得意ものという印象の強いネタ。上方では聴けない噺としてピックアップしてくれたのかもしれません。父親の冒頭の語り、大店の主人の登場がいい感じなものだから、子どもの小まっしゃくれたキャラが、いい感じで映えます。貴重な体験をさせてもらえました。中入り明け、久しぶりに聴く出囃子(二上りかっこ)が鳴り出しても、なかなか出てこない。会場の空気が、これだけで張り詰めるのが判るのが、とっても心地よいですね。マクラ、何を話したかな、思い出せない、すぐ忘れていいとは言っていたのは思い出されます、但し、ここへ来たことは忘れないようにと、そのまんまになっています。そうそう、遊びってことを話してた。それが、まさか、そのまま、ネタに入るとは思ってなかったら、入っちゃった、しかも、教育団体主催というのに、吉原のネタを。そう言えば、その主催者に絡めて、自身が、教育関係者の家庭の出だと言ってたので調べてみると、父親は小学校の校長だった。ネタの口演に入ると、やはり80歳です。その御年で、「錦の袈裟」を出すだけで、もう十分と思いました。ホントの間かどうかが判らないというか、そうじゃないだろうという間が開いてしまいますから。特に、このネタのアホらしいほどの洒落っ気、いや洒落のつもりがアホかいなという趣向には、陽の空気感とか、勢いの出るテンポが欲しいのですが、そこが、その不思議な間が入ると、どうしても息苦しくなってしまいましたから。そんなで、80歳の小三治を聴いたことを財産にしたいと思いました。黄紺が、初めて生小三治を聴いたのは、目黒名人会での真打昇進&襲名披露興行のときでした。ネタは、「時そば」。その直後には、入船亭扇橋の真打昇進&襲名披露興行でした。こちらは「御神酒徳利」だった。その扇橋は、もういないのですから、今、小三治を聴ける有難さを噛みしめながら聴いておりました。この時節なのに、よくぞ遠出をしてくれました。感謝です。
 帰りは、まず観世会館に行き、市民狂言会のチケットを買いに行ったのですが、コロナ禍以後は扱っていないと、空振り。せっかく買いに行くことを覚えていたのに、そういったときにこうなるというやつです。で、その足で、円山公園から清水へウォーキングをしてみることに。この京都の観光コースが、どないになっているかを観たかったのです。夏前だったかに歩いたときは、人影が、見事に消えていましたが、今度は、そうではありませんでした。午後4時半を過ぎていたので、もう薄暮状態だったので、減っているはずの観光客がうろうろ。いや、減っているはずで、これかの状態でした。年配の人はほぼいない。いても、地元の人っぽい。二年坂は、まだしも、産寧坂になると、もう普段通りじゃないかな、だから、逃げるようにして帰ることにしました。清水寺には向かわないで。夜、NHK-TVでコロナの番組やってましたが、その中で、県を越えた移動のなかで、若年層の連中が感染を拡大させているというデータを紹介していましたが、正に、その現場を見てきました。観察はいいけど、こちらに飛んできていないことを願うだけです。逆に、番組を先に観ていたら、こないな危険な観察ウォーキングをしなかったのにと思っても、後の祭りでした。もう少し、少ないと思っていた黄紺だったのです。界隈のお店の人、大変です。来てもらわないと儲からないし、来られるとやばいしと、気の毒な話です。そんなで、落語会のいい後味が、呆気なく吹っ飛んでしまいました。


2020年 12月 13日(日)午前 7時 10分

 昨日は、京都府国際センター主催のオンライン研修会に参加しました。以前、同センター主催のトルコ絡みのイヴェントに参加して以来、イヴェントがある度に、案内をいただくので、時間の調整ができ、もちろん関心のあるテーマだけですが、そういったときに、時たま参加しているものです。と言っても、そのトルコのイヴェント以外では、今回を入れても3回ほどなんですが。今回は、研修会ですので、その筋の専門家ばかりが集まられることが予想されたので、申込みの際、じゃまだと、空きがあったときのみ参加を認めていただくようにとのメッセージを入れておきました。そのテーマは、「外国につながりをもつ高校生の進路と在留資格」というもの。定住にせよ、一時的にせよ、日本に住む外国籍、ないしは外国から帰国した日本国籍の高校生の問題を扱っているのに、興味が惹かれたのでした。早晩、外国人労働者の導入をしなければならないはずと考えられる日本の今を観たいというのは、かねてからの願望。ドイツのトルコ人に関心を持って以来、そのアナロジーとして関心が生まれたものです。コロナ禍で中止になりはしましたが、民博は、今年、正に、それを目標にして、ドイツのトルコ人をテーマにしたシンポジウムを組んだほどでした。ここで、「デュースブルクでのモスク建設」という講演を聴いて、その10日後に、そのジャーミーに行こうと計画して、デュースブルクに行っているはずだった。余計なことが思い出されてしまいました。昨日の研修会のプログラムは、次のようなものでした。講演①「外国籍の高校生の進路と取り組み」(NPO 法人多文化共生教育ネットワークかながわ理事長高橋徹)講演②「在留資格の壁 神奈川の事例報告」(NPO 法人多文化共生教育ネットワークかながわ理事笹尾裕一)というもので、最後に質疑応答がありました。①では、誰でも解る的な概要のお話。やはり、首都圏の方です、様々な形で入ってきている外国人の数が違います、そういった外国人が家族を伴い、日本に在住、子どもたちの在席数だけで、桁が違う学校があることを聴いて、まず驚かされました。その手始めは、在留カードを見て、その在留資格の把握を知ること、それにより、卒業後、就職を希望しても、できるできないがあるとなっているというお話。学校によっては、「多文化教育カード」といった生徒の個人情報を記録し、進路保障などに役立てる文書を用意されているところもあるとか、ますます、進んでいるという印象。もちろん就職するのも、職種の問題があります。公務員になる場合には制限があるのは、黄紺も知るところ。進学の場合は、奨学金の問題が出てきます。かつての育英会、今の日本学生支援機構だったかな、これも在留資格で制限があるため、該当しない場合は、経済的問題で行けなくなってしまいます。就職では、ここでも在留資格により、チャートのようなものが頭に入ってないと指導ができないので、そこが詳しい研修材料となりました。幾つか、講演のなかで覚えたことをメモっておきます。「家族滞在」という在留資格があるのですね。父親が大使館のシェフで、その家族の場合なんかがそうで、父親の在留資格とは違う場合。「永住者」の場合も、「永住権」の条件が崩れた場合、その家族に影響が出て来たり、「定住者」では、子どもが大人になった場合、「家族滞在」という地位が更新される保障はないという不安定な位置に置かれたり、などなど、やはり、在留資格を把握することの肝要さ、日本の入国管理の厳しさを知ることになりました。②では、具体的な実践例を学ぶというもので、事例研修というお話でしたが、学校の教員だけではなく、法律の専門家である弁護士との連携、その間を繋ぐコーディネーターとしての、お二人のような方、また、財政的支援体制を執る教育行政といい、神奈川県、凄いなの印象が残りました。門外漢が立ち入ったことに、ちょっと後ろ髪が引かれつつ、でも、こういった事実を、一般人も知らないといけないよなの気分も出てきました。日韓夫婦を前面に出した韓国系Yutuberご夫婦の韓国人奥さんの在留資格更新動画でも、ずるするヤツがいる反面、真面目に日本で生活する人たちには、負担となる法の壁、それを、最大限に大きく、厚くする日本、どこまで、持つのかなと思いましたが、やはり行き着く先は、そこでした。いい勉強させてもらえました。
 この研修会は、Zoomを使ったもの。おかげで、Zoomの機能も、少しずつですが覚えてきています。ここ2回の、息子やD&SとのTV電話も、Zoomを使っています。息子が、画面に映るDの顔に加工したりするものだから、Ⅾは大喜びでしたが、昨日のようなZoom会議でも、ご自分の画面に犬のお写真を使っておられる方がいましたから、黄紺も、今度はチャレンジしてみようかなの気分です。シャレにならないのでは話にならないので、トルコの風景写真なんかを使いましょうか。昨日は、そんなで、自宅でのことでしたので、日々のオペラ配信を楽しむことはできなかったのですが、もう1つのルーティンのウォーキングは平常通りと、あとはいつものお出かけなしヴァージョンの1日となりました。


2020年 12月 12日(土)午前 5時 30分

 昨日は、実に久しぶりに浪曲を聴いた日。京都では、なかなかない浪曲を聴ける、とってもありがたい企画がありました。城陽文化パルク/プラネタリウムでの「京山幸乃浪曲の会」です。喬介の落語会を続けている狙い目抜群の企画をする人がいるようで、幸乃さんに目を着けています。幸乃さんは、まだ修行中の身ですから、凄い観察眼をお持ちの方がいるようです。黄紺的には、一心寺でのデビューか2回目くらいのときに、1回だけ聴いています。3年目と言いますから、コロナ禍を考えれば、遭遇機会は致し方ありません。正直言って、隼人くんや幸太くんを、初めて聴いたときの衝撃というか、インパクトはなかったのですが、ホント、大阪には行かない黄紺にとっては、千載一遇の機会ということで、この会があるということを知った途端に、予約を入れてありました。その番組は、次の通り、いずれも曲師は一風亭初月さんでした。「寛永御前試合」「プラネタリウム解説/冬の夜空」「会津の小鉄/小鉄の少年時代」。幸枝若師に衝撃を受けて入門した幸乃さん、関東出身の方ということを知り、その勇気に感服です。やっぱ、幸枝若節は特異だし、更に台詞に特徴があるうえ、べたべたの大阪弁、よくぞ、入門を考えられました。一心寺で聴いたのは、何だったか思い出せないのだけど、そういったいかにもという幸枝若節の入ったものではなかったという記憶があり、やっぱ、避けてるのかなの印象を持った記憶が残っています。この会の1つ目、「寛永御前試合」も、黄紺的には、幸枝若師では聴いたことがない。ネタ出しは、これだけだったので、このネタも、聴いてみると、幸枝若節という強い個性を感じなかったものですから、やっぱ避けてるのかなの印象。「寛永御前試合」は、「仙台の鬼夫婦」です。奈々福さんお得意のネタなもので、このネタと言えば、奈々福さんが思い浮かぶほど。そんなで、フラットに聴いてみると、一心寺で聴いたときに比べて、節が、とっても安定されているという印象、これは、大丈夫と、失礼ながら思ってしまいました。放蕩三昧の夫に武芸で勝つ妻は、夫に修行を命じ、武士としての心得を植え込んでいくという、男女逆転の展開を滑稽に聴かせるもの。筋立てだけでおもしろいものですから、それに加える薬味としての脚色はこれからとして、何よりも節の安定が気に入った口演でした。間に入ったプラネタリウム解説は、今や、黄紺には楽しみの1つ。でも、昨日は、極端な寝不足の日だったものだから、この時間帯、リクライニングシートはいけません。うっすらとかく自分の鼾で目覚めること3度ばかり、すっかり星座はふっと飛んでしまいました。休憩を挟んだ2席目は、な、な、なんと「会津の小鉄」。幸枝若師十八番のネタ、です。侠客ものだし、べたべたの大阪弁の台詞だし、きざみって言うのだったかな、ハードな技巧を求められるネタでもあるしと、冒頭、ネタを告げられたとき、正直、びっくりしました。でも、関東弁が顔を出すのがご愛嬌に思え、更に、変化のある節も完走、迫力、ありました。勢い、感じさせました。幸太くんの小生意気な個性とは、全く異なった個性を持った浪曲師ということで、これは、幸枝若師一門、春だわ! 初月さんの支えも大きかったのでしょうか、躍動する三味線を聴いて、ふっと、そないなことが頭を過ること、ありました。幸乃さんからすれば、初月さんは、もう「初月師匠」と呼ばれていました。そうか、もう、それだけの時間が経過したということなんですね。ここでも、時のうつろいを実感してしまいました。
 城陽文化パルクの往復は、電車を替えるのを定番にするようになりました。帰りは、ウォーキングも兼ねようとの魂胆で、降りる駅も、自宅の最寄り駅の1つ手前の駅。更に、若干迂回コースを採り、1日分のウォーキングを充当できるのかなという判断です。どうしても、午後のお出かけの際は、昼前のウォーキングを諦めるか、短縮しなければならないものですから。当然、暗闇ウォーキングです。駅を出たときに、既に午後5時を回っていましたからね。そこから、小1時間、この2日、この夕方のウォーキングに疲れを感じてしまっています。昼前は、途中に休憩を入れるのですが、さすが暗闇ウォーキングでは、ダメです。だから、歩きづめというのが影響しているのでしょうね。でも、このくらいでと思うと、体力が落ちてきていることを感じないわけにはいかない、今日この頃です。


2020年 12月 11日(金)午前 4時 45分

 昨日は、お出かけなしの一日。そして、とっても寒くなった一日。空調の効きが悪くなったんじゃないかと思ったほど、冷え込んだ。朝方がひどかったもので、最近、夏と違い、睡眠障害とは言えなくても、睡眠時間が減り、結果的に起き上がるタイミングが早くなっているものだから、寒さが、よけいに堪えます。定番のウォーキングは、しっかりとこなすのは、いつものこと。昼前のウォーキングは、陽射しもあり、昼ご飯用に買ってあったパンを持って出かけたら良かったと気が付いたのは、休憩がてら、某公園でベンチに腰掛けていたとき。そろそろお腹も減ってきたから帰ろうかと思うのだけど、この陽射しが嬉しいから、今しばらく日向ぼっこがてら座っていたいと思ったとき、それが閃きました。そこまで来ないと閃かないのかと、自分に突っ込みながら、予めパンなどを買っているときは、そうすべしとインプットしたのですが、次回、同じような状況で、このことを思い出せるかに自信のない黄紺です。夕方は、いつものように暗闇ウォーキング。そないなときに、コース取りを、思い付きで変えてはいけないですね。2回も、それをしてしまい、不安のなか歩いたのですが、幸い知ったところに出て修正できました。なかなか、利便性のある道を見つけました。近所でありながら、あまりウォーキングには使わないところなもので、まだ、こういったところが残っています。果てさて、もう何年、ここに住んでるんだとは思いますが。
 イギリスでワクチン接種が始まりました。TVでは、カナダも承認は伝えても、その前に、バーレーンでも承認は伝えない、いや、カナダのついでに伝えたところもあるかもしれません。案の定、イギリスで、ひどいアレルギー反応が出たみたいですね。これは、ファイザー社製のものと、まず出てきますが、ドイツのビオンテック社の開発で、ファイザー社の販路にのっているとは言わないですね。ましてや、開発者は、在独トルコ人夫妻だとは言わない。トルコでは、このお二人、持ち上げています。トルコが、中国製ワクチン導入だということで、気になるので、ちーとは、その情報を集めるようにしています。トルコが導入するシノバック社だけではなく、シノファーム社製のものも実用段階に入っていますね。いずれも、中東や途上国で人気のようですね。これって、単純に安いということがあるのだろうと思っていたのですが、それがあり、且つ、不活化ワクチンだということがあるようですね。トルコでは、それが、最重要ポイントだと言ってます。言い換えると、長年の経験知として、情報の蓄積があり、安全性が一番だということです。ただ、トルコは、数の問題があるので、ファイザー社製の導入交渉も続けているようです。日本の報道で、ワクチンの種類について、どのくらいの報道があるのかな? 一般的なニュースでの話です。ネットでたぐれば、今の時代、いろんな情報を掴めますが、マスコミの扱うニュースで言った場合、どうなんだろうと思ってしまいます。mRNAって、新しく、安全性のある技術だそうで、でも、経験値がないようですね。このリスクがあるのかないのか、フェーズ3の治験だけで大丈夫なんだろうかと思ってしまいます。一方で、感染拡大が爆発的に進んでいる。2つが同時進行だから、予期せぬリスクがあっても、特に遺伝子に働きかけるようなリスクがあるのかなんて、1年もかけないで判るわけがない。だから、とりあえずは、高齢者優先でスタートってとこなのかなと考えたりしてしまう。高齢者はリスクが多いから、順番は先となっているけれど、高齢者にリスクがあっても受け継がれない、そないなうがった見方をしてしまうのです。もっとも、ワクチンの違いなど、いくら丁寧に説明してもらっても、理解できそうな代物とも思えないのが、悲しいところですね。
 オペラ配信は、「ねじの回転」の振り返り時間に当てました。特に前半があやしいと思っていたので、重点的に観直したのですが、ほぼ収穫なし。観直すと、わりと観ていたことが判ったからです。でも、思ったこと。このオペラ。もっと、いろんなプロダクションを観てみたいと思いました。おもしろいわ、このオペラ。ブリテンの音楽は、場面場面の緊張や緩和、展開の妙などを、筋立てとともに二人三脚で表しているようで、かなりの優れものであることが、観直すと、余計にクリアになった気がしました。ですから、今回、観たのは、オーソドックスな印象を持ったもので、奇抜系の、何やら得体の知れないプロダクションで観たいなの気が起こってしまったのです。生でも観てみたいですね、でも、もう無理ですね。日本では、ましてや、関西では無理ですね。


2020年 12月 10日(木)午前 6時 17分

 昨日も、市民向け公開講座に行ってきました。これが、因縁の京都教育大学環境教育センター主催のもの。前回、日程を間違い、同センターに行ったところ、人影が見えず、愕然とした、あの講座です。ですから、今回は、日にちをしっかりと確認、もう前日から確認と、準備お怠りなく出かけると、確かに、今度は、人がいた。で、安心なんだけど、ちょっと不安が過る。というのは、確かに、受付があり、そこに人はいるのだけれど、人はそれだけ。参加者がうろついていてもいいのに、人影が少なすぎる。とにかく、受付で参加証を提出し、前回の非礼を詫び、何気なく、会場から人の声がするので尋ねました。「もう始まっているのですか」「はい」、また、やっちゃいました。開演午後2時だと、チラシで確認したのでしたが、その後、開演午後1時半に変更されていたのです。ほぼ15分遅刻でした。「なぜ、あとから変更するんだ」と言ってみても始まらない、話は佳境に入ってしまっているのですから。このがっくり感が糸を引いたのか、また、途中からだから解らない、なんか、ずっと、そのままで終始。お話は、どうやら、ゴミ問題でも、ゴミ処理場を造るときに生まれる、地域住民との協議を扱ったもの。あまり興味のないゴミ問題だったのかもしれません。そういったテーマを社会学的に分析するってのが。人間の行動分析、だからと言って、行政は、法令に則ったこと以外はできない、住民は住民で、ヴァナキュラーな感情を持っている、それを前面に出てきたとき、なかなか理論的に対処できなくなってしまう、そこへさして、南青山のような住民エゴが入ると、わけがわからなくなる、そういったことだから、これを学問するのが、おもしろい人にはおもしろいのでしょうね。そんなで、またしても不完全燃焼。今週は外れだったり、自分から外し、しかも、追いつこうとしないものだったりと、不運が続きます。
 会場の環境教育センターは、大学本部の方ではなく、付属高校の横っちょ、さすが、これは間違わなかったのだけど、その入口への道の傍らに、深草師団の残骸があることに気づきました。傍らには、その標識まで設置されています。他に、この手のもの残っているのでしょうか、ちょっと気になっています。教育大学の本部の方は、米軍キャンプ跡ということは、あすこも、師団跡なんでしょうね。そうそう、聖母女学院には、帝冠様式って言っていいのかな、見事な師団本部跡が残っています。さすが、この界隈は、かつての軍都跡です。そんなのを横目で見ながら、昨日のウォーキングに替えた会場への往復の復の方をスタート。昨日は寒かったですね。でも、歩けば温まるはず、会場は暖房が効いているはずで、厚着は避けたのですが、会場は会場で、時節柄、ドアは開けっ放し、しかも、換気が、この上なくいい、それを受けての出発だったものですから、温まるまでの時間が長く、結構、耐える時間を要したウォーキングになりました。
 パリでの試合、結局、翌日回しになり、既に、試合は終わっています。先ほど、この件の日本の報道、ネットで見ただけですが、ようやくまともになっていますが、丁度、1日前、問題発生後の日本の報道は、ひどかった! 「トルコ紙が騒いでいる」「トルコのクラブが一斉に反発」と、まるで、トルコだけが怒っている、騒いでいるという論調に、辟易としました。黄紺は、トルコの報道で、リアルタイムで追いかけていたのですが、一番の衝撃は、パリ・サンジェルマンの選手が、主審と話している姿。それを、バシャックシェヒル・スポルの選手が取り囲んでいる。選手が一体になり、問題を追及している姿でした。なのに、日本の報道は、まるで解っていない。黄紺も、事件発生後、間違った解釈をしました。「審判に抗議するウェボに対しレッドカードが出され、それに怒るウェボ、それを制するあまり、問題発言が起こった」と勝手解釈をしてました。だって、国際審判なるもの、ましてや、サッカーの試合で差別発言が問題になっている昨今、普通の注意ぐらいで出て来る言葉じゃないだろうと思っているからです。でも、そうじゃなかった、問題発言が先で、それに抗議するウェボ、それに対し、主審がレッドカードを出したんですね。こりゃ、ダメだわ。件の第4審判だけではなく、主審も同じ、です。選手たちが主審に向かっていったわけが、これで判明です。パリ・サンジェルマンの選手も、バシャックシェヒル・スポルの選手もが、主審を取り囲んでいたわけが。これでは、試合になりません。公正な試合など、できるものではありません。バシャックシェヒル・スポルの選手が引き上げ、パリ・サンジェルマンの選手も同調する、当然の行為にしか見えてこないです、黄紺には。それを、日本の報道は、えぐいね、ホント!! ベンチスタートだったデンバ・バが、防寒具を着て、主審に抗議している姿も大きく映っていましたね。彼は、「なぜ、白人には白人と言わないんだ」と言っていたそうです。それを、主審に言わなければならないことが起こったということです。主審は、問題の所在が掴めてなかったということです。これでは、試合にならんわ。


2020年 12月 9日(水)午前 6時 27分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴いた日。最近、やたらと歴彩館に行っています。それだけ、そそられる講演会があるということです。コロナ禍で休止したこともあったのですが、最近は、去年並みで、講演会が予定されています。昨日は、その1つ、「京都を学ぶセミナー【洛西編】第7回“竹の歴史・伝統工芸から竹を科学する”」がありました。お話をされたのは、京都府立大学大学院教授古田裕三さん。「洛西」だから「竹」という連想が働いたのか、はたまた、このシリーズに、1回も自然科学分野からのお話が組まれてなかったから入ったのか定かではありませんが、会場に行くまでは、内容の把握に戸惑いがあった講演会でもありました。内容は、「洛西」でなくともいいお話、内容も、竹に特化するものでもなく、いよいよ、竹かとなったときには、時間切れでと、かなり外れ感の強い結果となりました。その最後の時間切れになったところが、講演者の本業とされるところのようで、最新の業績の紹介の中に、それこそ、一般人の及びもつかない発想が張り巡らされているようなことくらいしか判らないまま推移。これは、いただけなかったな。前半は、環境問題のお話。地球温暖化防止に化石燃料を使わないで、建築資材として木材を使う効用のお話、「な~んだ、竹じゃないかの」と思ったのがいけなかったのか、またしても、居眠り。かなり、生意気な居眠りです。そして、後半が、それですから、しかも、この先生、おもしろいお話をされているようでしたが、やたらめったに滑舌が悪く、日本語の聞き取りに苦労する始末なものだから、前半の環境問題は、ターム慣れがあるから、こちらも想像というものが働くので、なんとかヒアリングは行けてましたが、後半の、最先端技術のお話に入ると、我々用にお話されているのでしょうが、黄紺は白旗でしたね。
 ということで、すごすごと退散、近来稀に見る、すごすごと逃げるように、歴彩館を後にしました。もちろん、歴彩館の往復は、ウォーキングを兼ねていますから、帰りは、いつものように三条駅まで歩くことに。そして、これまた定番ですが、丸太町橋の袂のベンチに腰掛け、休憩がてら読書と目論んだのですが、到着時間が午後4時少し前、まだ、陽が落ちてなかったけれど、ここからが、冬の陽射しは釣べ落としどころではない、瞬く間に冷え込んでしまい、こちらも、早々に退散。なんか、逃げ足ばかりが早いお出かけとなってしまいました。
 朝、起きて、PCを立ち上げ、サッカーの結果を見るのが楽しみなのは、いつものこと。水曜日の朝に、それがあるということは、チャンピオンズリーグの試合があったということ。スコアを確認するのですが、いや、試合途中かもしれないので、それようのサイトを立ち上げると、様子がおかしい。試合が、前半12分で停まったまんま。調べ出すと、「スキャンダル」という文字が、まず、目に飛び込んできた。正に、ジャンルの出来事のようで、勝手に、サイトが更新された。で、様子が判りました。パリでの「パリ・サンジェルマン vs バシャクシェヒル・スポル」の一戦。バシャクシェヒル・スポルのピエール・ウェボ・コーチ(コーチになってた!)が、どうやら審判に立てつきレッドカードをもらった際、第4審判(この試合はルーマニア審判団)が差別発言をしたことで、紛糾。「This negro」と言ったと出ています。それを、どうやら、パリ・サンジェルマンの選手も聞きつけたようで、ネイマールやエムバペも審判に詰め寄ったものだから、試合が停まってしまってました。オカン・ブルク監督は、選手を引き上げさせ、パリ・サンジェルマン側も、同様の措置で協調という、前代未聞の出来事となっています。バシャクシェヒル・スポルのバシュカンは、「第4審判を下げない限り試合はしない」とコメントしたようで、UEFAはそれに応じたようですね。それにつけても、パリ・サンジェルマンの選手と、バシャクシェヒル・スポルの選手が、一緒になり、主審を取り囲む画像は異様としか言いようがありません。正に、スキャンダルです!


2020年 12月 8日(火)午前 6時 13分

 昨日も、お出かけなしの一日。しかも、とっても、暖かな一日。この間、暖かな日が続いていますが、昨日は、その中でも随一だったのじゃないかな? ずっと、日向ぼっこをしていたいという気になってしまいました。となると、週明けにもなったので、一番緑の多いコースを、昼前のウォーキングに当てるのは、最早、お約束。土日は、人が溢れる公園も、のんびりとウォーキングを楽しむ人、ジョギングに精を出す人はいても、人で大賑わいということはありません。夏だと、日陰を探すのに苦労するのですが、この季節になると、いくら暖かくても、日陰は、ダメということで、空きベンチに座り放題です。夕方のウォーキングも、暖か。出かけるときに、着て出るものに工夫が要らないのが、面倒でなくて、いいですね。
 トルコのコロナ関連の情報を追いかけていると、最近は、ワクチン一色の様相。日本でも、ワクチンの報道はありますが、まだまだ先といった感じで、ファナティックな印象がない。だけど、イギリスの接種開始のニュースは、NHKも取り上げていたけれど、かなりフライング気味だし、アメリカもそうだし、ロシアもそうだ。ロシアなんか、先行することで、自国㏚だなんて、うがった報道もあるようで、そういう報道をする日本のマスコミにも、なんか、揶揄している感があり、やたらと政治臭がしてきます。一方で、感染爆発に音を上げている証拠かとも思えます。トルコも中国製ワクチンを使う、その効用が話題になっているという風情。やはり、トルコでも、中国製というだけで警戒感があるようで、なぜ、中国製でなければならないのかが、やたら取り上げられている気がします。中国製ワクチンの第1団が、インドネシアに到着した話題なんか、日本で知っている人って、どのくらいいるのかな? 中国以外で接種が始まる第1陣になるのでしょうね。中国では、未認可で接種を始めているという、珍しく、普段は伝わって来ない情報まで流れてきている。ワクチン狂騒曲って雰囲気があります。トルコでは、不活化ワクチンだということが強調されています。調べてみると、世界で先行している、早々にフェーズ3までいったワクチン候補の中に、不活化ものは、中国製のものしかない。そこが、トルコの付け目らしい。そういったワクチン報道が、加熱するトルコを、また、フライング気味に接種を認可する国を見ていると、感染拡大の政治責任を、起死回生の一発的に解消しようとしているかのように思えてしまいます。外出禁止令を出し、我慢を強い、それが理解できる人たちはいいとして、そうじゃない人が大勢いるなか、その我慢を持たせる手がワクチンに見えてきています。副作用が出なくて、うまく行けばいいのですが。これこそ、インシャーラー、です。神に祈るのも憚れる、コロナ禍、果たして、通じるものはあるのでしょうかね?
 オペラ配信は、一応、「ねじの回転」を完走。居眠り部分の振り返りは、とりあえずは行わずに、最後まで観ようじゃないかの心得です。情景描写が、まるで映画音楽のように感じられてきました。いや、もっと、アイデアがあり、精緻だから、なんちゃらみたいという言い方は、不適切かもしれません。ショスタコーヴィチの「ムチェンスク郡」にも通じるなと思うと、「ブリテン凄いぞ」と呟かざるを得ませんでした。これ、男は男で、女は女で、だけど、女は男に嫉妬するという構造と考えればいいのでしょうか? やはり、この後半でも、程度の差はあるにしても、居眠りしてしまっているから、構造が判っていない黄紺なのです。しかし、それにつけても、歌手にとっては、大変なオペラです。いくら、覚えるにしても、急激な音の低下や、特殊なスラーなんかが付いているものだから、歌いにくい、覚えにくいだろうなと、同情してしまいます。そんなで、「ねじの回転」は、おもしろいを再確認、やはり、振り返りの時間が要りますね、まだ、理解がおぼついていないようですから。


2020年 12月 7日(月)午前 7時 14分

 昨日は、お出かけなしの一日。当初は、伏見区が企画した講演会に行くつもりをしていたのですが、コロナ感染拡大で中止になってしまいました。オンライン配信に切り替えるという手は採らず、後日、講演の内容を小冊子にして、参加申込み者に配布すると言います。お役所としては、オンライン配信の方が、講演を聴けない人が出ると判断したのでしょうね。小冊子を作る予算はあったのかなと、余計な心配をしてしまいました。それで、結果としては、暖かな陽射しを、いっぱい受けた、結構なウォーキングを、ゆっくり楽しむことができました。ホント、昨日は暖かな日でした。昼前のウォーキングはもとより、夕方のウォーキングに至っては、もう後半になると、薄っすらと汗ばみすらしていました。
 そこで、のんびりした日になったのですが、夕方、いつものように、トルコ・サッカーの情報を集めていると、携帯が点滅。息子から、オンラインでのTV電話のお誘い。息子一家は、10月の末だったかな、引っ越しをして新しい家に入ったのですが、そのお披露目を、オンラインでしようとしてくれたのです。スマホを持ちながら、家の中の案内。スマホのカメラ越しでは、配置は判っても、広さが伝わってきません。言葉で教えてもらって、頭の中で想像する、おかしなものです、映像が目の前にあるのに、やたらと狭く見える。これだったら、わざわざ引っ越さなくても、前のマンションの方が広いんじゃないのと思えるから不思議なものです。で、言葉で聴いて、納得。その動く周りを、DとSの二人がうろうろ。まだまだ、何が何やら解ってないSにうろつかれると、画面越しにでも、ハラハラさせられてしまいます。Dと違い、圧倒的におとなしいというのが定番になっていたSも、きっちりと動き出しています。これまでとは違った姿を見せられるものだから、余計にハラハラなんでしょうね。Dは電車がお気に入り。見るたびに、新幹線の図柄入りのシャツを着ていたり、生意気に「連結」などという言葉を覚えてしまい、それを、平気で使うものだから、びっくりさせられたり、どんどんとお兄ちゃんになっていきます。線路に乗せた電車を走らせ、自分でトンネルを作って見せてくれました。名付けて「Dちゃんトンネル」だそうです。Sもトンネルができるようになったそうで、息子が、「Sくんトンネル、見せてぇ」と言っても、Sは無視、結局、次回のお楽しみになってしまいました。そうなんです、Dは「ちゃん付け」、Sは「くん付け」なんです。単に、そう言った方が、呼びやすいだけですが。
 オペラ配信の方は、新たに、ガーシントン・オペラの「ねじの回転」(ルイザ・ミュラー演出)をチョイス。ブリテン作品では、黄紺的には、ベストの2つの1つだと思っているもの。もう1つは「真夏の夜の夢」。ホモセクシャル的傾向が色濃く、居心地が悪くなってしまう「ビリーバッド」や「ベニスに死す」などは、そういった心情を喚起する力があるという意味では、佳品だと言えると思います。「ピーター・グライモス」は、ドラマが不条理にシフトするものだから、こちらも居心地の良くない、そういう意味では、佳品なのでしょうか。となれば、上演頻度が、ある程度あるブリテン作品は、優れものばかりとなっちゃう。イギリスが生んだ、パーセル以来の大作曲家とされるわけですね。この物言いを思い出すたびに、なんで、エルガーをすっ飛ばすのと、いつも突っ込みますが。「ねじの回転」は、ホモセクシュアルが、もろに扱われた作品ですが、この作品、ホラーの要素が入るものだから、直球じゃない、変化球的な作品となっているのに、魅力を感じるのだと思います。もちろん、それに合った音楽だということですね。かなり居眠りをしながら観てしまっているのですが、やはり、よくできた音楽だと、とにかく多彩です、音楽が。そして、このプロダクション、ホラーを意識してか、それが解りやすい装置。お屋敷も立派、窓の外は、このお屋敷が立派そうな点を補完するかのように、草が生い茂っており、お屋敷の格が上々だと思わせられるのですが、その一方で、壁のささくれた汚れが、ホラーっぽい。半透明のガラス、それも汚れがあるのだけど、その向こうに亡霊を出したりと、これまた、解りやすい。そんなで、楽しんでいます。恐らく、居眠りをした辺り、もう1度、観ることになるだろうなといったところで、まだ、亡霊のわけは判ってないところで停まっています。


2020年 12月 6日(日)午前 7時 49分

 昨日は、映画を観た日。但し、映画館に観に行ったのではなく、「山科区人権映画のつどい」(京都市東部文化会館)に行き、映画を観てきたわけです。12月の第1土日は、人権週間の週末ということで、京都市内の幾つかで、こういった催しがあるので注意していたところ、今日、黄紺の住む伏見区でも、講演会が企画されていたので、テーマがおもしろそうに思え、京都市のHPから申し込みをしようとしたところ、この山科区の催しが目に留まり、こちらも申し込んでおいたのです。すると、伏見区も方の催しは、コロナ感染拡大で中止、一方の山科区は実施となりました。東部文化会館は、初めて行ったのですが、広くていいところ、ドイツの小都市の文化会館的ホールのそれと、規模は変わらない、座席は、間違いなくいいというか、ドイツ、悪すぎ。で、この催し、映画に先立ち、深田麗美氏(京都リップル代表)の講演「バリアフリー上映について」と、人権擁護委員の高原保幸さんの「人権擁護委員の仕事の紹介」がありました。高原さんのお話は、業務紹介でしたが、深田さんのお話というのが、実は、あとの映画上映とセットとなった、この催しのメーンの企画だったということに、映画を観て判りました。この映画会、「バリアフリー上映」の実践をしてみせる、紹介する、それをメーンに、「こどもしょくどう」という、これまた子どもの人権を考えさせる映画を上映したものでした。「バリアフリー上映」、字幕が付くのは、聴覚障がい者用で、これは了解、更に、それに副音声が付き、場面の情景を補足していくという、視覚障がい者向けの操作が施されているのです。当然、台詞の声が入りますから、副音声を付けるときには、その台詞の声と被らないように、でも、役者の顔の表情の説明が要ります。それを、ほんの僅かずらして入れる、もう完全に匠の業です。しかも、顔の表情など、「解釈」が入ります。これがおもしろい。自分の感じ方とずれたりするときが、ままあるものだから、これが「やかましい」と感じるのではなく、「参考になる」と思えて、もう興味津々。そのお仕事をされたのが、講演をされた深田さんでした。深田さん自身は、音の生活を持たない方、生後1年で、聴覚を失ったと紹介されました。そういった作業の意味についてお話があったのですが、申し訳ないけど、お話以上に、現物のインパクトが凄かった。こないな映画の見方があったのか、これ、一般の映画館でも、いろんな映画でも試みて上映して欲しいなと思いました。上映の途中、目を閉じてみました。視覚障がいを持つ人の状況を追体験できます。黄紺の場合、既に情景を観ていましたから、その情報が入っていたものだから、その情報が閉ざされてしまうと、さすがに煩わしくなってしまいましたが、今まで、全く知らなかった世界を体験でき、その体験ができた、させてもらっただけで、もう、山科まで行った甲斐ってものを感じてしまいました。大正解、です。映画は、どういった状況かの説明を省き、母親に、更に父親に捨てられた姉妹2人の窮境に気付いた子どもが、その境遇をなんとかしようと奔走する物語で、唯一、この唯一も余計なことかもしれないと思ったのですが、唯一発せられるメッセージは、「気づき」の問題。「気づくこと」「気づいたら動くこと」、子どもは、社会的なルールを知らないのだから、それは、大人の問題だというメッセージが出されました。それが、奔走した子どもの声として出される、そこでした。ほぼ子どもだけで動く映画。常盤貴子が、主人公の子どもの母親役で出ているんだけど、その「気づき」を、子どもからぶつけられてしまいますから、完全に子どもの映画。それがいい、ですね。
 東部文化会館への往復を、昨日のウォーキングに替えてみました。往きは、山科駅から歩き、これは所要20分余、帰りも歩いてみました。ググってみると、向日市歴資料館からの時間と似たものでしたから、敢行を決めたのでした。山科と市内部との間には東山連峰があるので、道選びが要ります。北から、三条通、新十条通、大岩街道、万畳敷経由となるのかな。選んだのは大岩街道。外環状道路を歩いていると、山科って、見事にアーバンな雰囲気が出てきているなの印象があるのですが、それが切れ、ようやく郊外へ出たかなと思うと、もう名神高速道路、都会化がすごい地域です。ダンプばかりが通る、名神の側道を歩き、やがて大岩街道に合流するというコース。さすがに、帰宅すると、疲労感を感じ、暫し、椅子でぐったり、やたら、眠い。あれだけ歩くのだったら、もう少し、環境のいいところを歩きかったね。向日市からの戻りの方に、軍配は上がります。格段にとまではいかないけれど、長閑さが、もう少しありますもんね。


2020年 12月 5日(土)午前 6時 34分

 昨日は、予定では、某大学が、オンラインで発信する講演を聴くつもりをしていた日。でも、いざ開演間近になり気が付いたのは、申込みが必要だったのに、それをしていなかったこと。要らないはずだったのにと言ってみても、その大学のHPを開けると、申込みの要が書かれていた。今更、手遅れなため、あっさりと断念。今でも、要ったかなぁと半信半疑。申込日が来る前に、講演会に気付くと、予定表に、その旨、書いておくのが黄紺の習慣だと突っ込んでも、同じようなミスに心当たりがあるもので、途端に、自分に自信がなくなり、あっさりと断念となるわけです。替わりに、じゃ、いつものようにオペラ配信を楽しもうと、丁度、新しい演目探しだったもので、控えのメモを見ると、愕然、見落としに気が付いたのです。もう1週間前に配信が始まっているのに、観ようとすらしてなかったのです。その配信は、短期限定公開だったもので、ダメ元で、HPにアクセスしてみる。すると、超ラッキーなことに、配信が、昨日いっぱい的なことが出てきたものだから、歓喜。黄紺には、まだ、運が残っているようです。その配信とは、シュトゥットガルト州立歌劇場の「カヴァレリア・ルスティカーナ」(バルバラ・フライ演出)。シュトゥットガルトが、新たな対策が出たことを受けて再開したオンライン配信のラインナップの1つです。キャストを調べて、この日、2度目の歓喜。サントゥッツァをマリア・ヴェストブルックが歌っているではありませんか! シュトゥットガルトは、ここまで超一流の歌手は出ないのですが、出てました。ひょっとしたら、コロナ禍のおかげかもしれません。そうそう、そうなんです。この公演、コロナ禍以後のものでした。先日のチューリヒ歌劇場の公演同様、ここでも、感染防止の観点から作られたと思わせられたプロダクション。コーラスは、舞台に出さない。替わりに、群衆をしめす役者(バレエ?)を、ごく少数出す、これじゃ、まるで、能のテイストだと突っ込んだくらいの象徴劇になっていました。三方が壁という舞台、灰色の殺伐感が上々の装置。その壁、上下に分かれていて、それぞれに側廊が付いている。壁で囲まれた舞台半ばに大きな階段。それが、斜めに、しかも傾いているという意味深なもの。この階段が、実は、回り舞台になっており、有名な間奏曲のときにだけ、1回転します。階段の傍らに、既に顔を出していた草むらが、階段の下には生えていました。この草むらが、何かを象徴しているのでしょうが、殺伐とした印象の装置が与えるものとは、何か違う、生命なるものを感じさせます。単なる草むらに、観ていて空気が和らぐってところがあるので、サントゥッツァを取り巻く空気との相似形を観る思いです。殺伐感を与える壁、照明の上手い使い方で、多くの時間は壁の表面を見せないのですが、どの場面だったか思い出せないのですが、表面を浮かばせる照明に切り替えると、その表面は、ヨーロッパに行くと、よく見かける落書きになっていました。すると、その壁が、ベルリンの壁に見えてきてしまいました。劇場で観ていたドイツ人には、そう見えたのじゃないかな、少なくとも。通い合うはずの人と人とを、人によって遮った壁、サントゥッツァを取り巻く状況の象徴のように見えてきました。階段の上で、歌手は、ソーシャル・ディスタンスを取りながら歌います。時々、役者(バレエ?)が、2人の組合せ2組で、ゆっくりと階段の下や傍らを、また、壁の上段の側廊をゆっくり歩きます。その内、1人は、サントゥッツァの放置したバッグから、コンパクトのような小物を盗みます、また、2人組で歩きながら、急に、相手の頭をぶったり、時には殴り合いをしたりします。これで、シチリアの風土を表しているのか、それとも、シチリアなんてのは取り払って、単に、大衆を表しているのか、ま、どちらかでしょう。シチリア的空気は、音楽が、十分表しているということで、後者かもしれませんね。といった象徴劇風プロダクション、です。舞台に大勢を出さない、出せないという環境の下で、作り出されたプロダクションなのかなぁと、黄紺は思ってしまいました。ヴェストブルックのやさぐれた雰囲気は上々、オランダ人らしい大きな体躯、その一方で、ベビーフェイスといった特徴を持つのが、黄紺などは嬉しい歌手なのですが、年齢を感じさせる一方で、かえって出てきた、もちろん上手なメイクのおかげがあるのでしょうが、そのやさぐれ感が気に入ってしまいました。そのヴェストブルックとバランスをとるように、他の主役陣もいい歌手が揃っていました。黄紺の知らない歌手ばかりだったのですが、名を記して健闘を讃えたいと思います。(トリドゥ)アーノルド・ルトコウスキ、(ルチア)ロザリンド・プロウライト、(アルフィオ)ディミトリス・ティリアコス、(ローラ)イダ・レンツロヴ。
 あとは、ルーティンとなる日に2回のウォーキングで出かけただけ。いつもの一日。昨日も、昼前は、陽射しがよく、格好のウォーキング日和。こんなのが続くといいのですが。その暖かさがあったからでしょうね、陽が落ちてからの夕方のウォーキングも、寒さ知らずで推移。そういった意味で、有難い日でもありました。


2020年 12月 4日(金)午前 5時 32分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴いた日。昨日は、館長特別ミニ講座「鴨川の渡河と橋」がありました。お話は、同館館長の金田章裕さんでした。鴨川に架かっている橋を、歴史的に押さえるというお話。その前提として、鴨川の流路について、知らなかった情報をいただけました。鴨川という川は、扇状地にできた網状流で、今の川の流れは、昭和10年の鴨川の大氾濫以後、再現を防ぐために、流路に段差を作って以後のもので、それまでは、雨量が増え流量の急増が起こるようなときを除くと、今の賀茂川と高野川の合流地点辺りで、小さな川が流れこんできて、それより下流が、今の流路をほぼ流れていたと言われていました。ただ、流量が増えるとき以外は、鴨川は歩いて越すものであったため、橋ができるのは存外遅いとか。その初出は、平安時代の9世紀だそうです。その橋は、11世紀に九条坊門小路に「唐橋/韓橋」という記録があるので、名称が初出のものと同じなので、この場所だったのだろうということでした。丁度、平安京の南東隅の入口にも相当したそうです。で、このあと、歴史的な文書資料、ないしは絵図を使い、橋を追って行かれたのですが、黄紺は居眠り。1時間の講演でしたから、居眠りをしたら早い。部分的に判っているのは、鴨川には中州が多かったので、2つの橋で1組になっているケースが多い、三条大橋と五条大橋が、規模が違うというくらいです。歴彩館は植物園の隣だから遠いんだなぁ、でも、居眠り。よくある失敗を、昨日もしてしまいました。
 歴彩館への往復は、いつものようにウォーキング替わりにしているように、昨日もそうしました。京阪電車が、淀駅で人身事故があったとかで、午前中は、かなりの影響が出ていたようですが、その影響も、個人的には受けずで、結果的に、ウォーキングにも影響は出ませんでした。ただ、不運なことに、帰りのウォーキングは、黒雲に追いかけられ、ついに抜かれてしまいました。最初は、陽が射し、暖かな、いい感じのウォーキング日和だったのですが、いつものように、丸太町橋近くで、ベンチに腰掛け、休憩がてら読書でもしようかしたところで、黒雲に追いつかれ、急激に気温が下がり、風も出てきたことから、体感温度は、更に急降下。座っている場合ではなく、慌てて動き出すと、追い抜いた黒雲は、情け容赦なく雨までもたらしました。幸い、フード付きの厚手のパーカーを着ていたので、何とか難はしのげたのですが、なんか、せっかくの講演で居眠りをした罰を受けたような天気の急変でした。家に戻ると、存外早い時間だったのですが、もうおしまいにしました。時間があるからといって、何かをするわけでもなく、あっさりと1日が終わるという、何と、味気ない日だったのでしょう、振り返ってみると、余計に、その味気なさが沁みてきます。


2020年 12月 3日(木)午前 7時 27分

 昨日も、お出かけなしの一日。しかも、陽が射し、わりかし暖かな日でした。となると、日に2回のウォーキングは、定番のこと。特に、昼前のウォーキングは、嬉しい時間帯。休憩時間として公園での読書が進みます。昼前の時間に、そうやって読書をしていると、傍らでは、保育園児が遊んでいる。乳母車の親玉のような特製の車に乗せられ、連中はやってきます。その保育園児に占領された公園の空いたベンチに座り、読書です。陽射しと子どものはしゃぐ声が清々しい。DやSのことを思い出しながらの時間になるので、清々しいと感じられるのです。夕方も、冷えなかったなぁ。相変わらず、陽が落ちてからの時間帯でのウォーキングなんだけど、冷えなかった。これが、一番、助かります。丁度、近所の保育園前を通ると、お迎えの時間。自転車に乗せられ、また、車に乗り、連中は帰って行く時間帯です。それだけではなく、道が混むので、できるだけ裏道を通るのが、この時間帯の注意事項。となると、暗いうえに、更に暗くなるので、足が速くなりますね。
 今、読んでいるのは、ルネサンス期のウルビーノを著したもの。小都市ながら、ルネサンス文化の花開いた山中の都市。20年ほど前に2回ばかり、イタリアを旅したことがあるけれど、このウルビーノには行けなかった。ラヴェンナやサンマリノと組み合わせて行こうとしたら、行けなかった記憶があります。結局、ラヴェンナ優先、且つ、ロマーニャ優先で、ウルビーノは没になってしまいました。その頃の記憶だと、やたらアクセスが難しくて、時間のなかった旅だったもので、消えてしまった残念感が残っています。その代わりに入れたフェッラーラが素晴らしくって、ちょっとだけ元を取った気はしたのですが。まだ、フェッラーラが世界遺産になる前だったと思います。ウルビーノ関係をここで読んだのは、もう一度、フィレンツェの歴史関係を読む手掛かりにしようというもの。一方で、ウルビーノは、チェザーレ・ボルジアに荒涼を受けますから、ロマーニャ関係も捨てがたくなってきています。その旅行で、イモラも入れられなかったんだよね。ウルビーノもイモラもダメで、替わりにフェッラーラとフォッリ、ファエンツァが入った、わりかしマニアっぽいこと考えてたと、思い出しても思ってしまいます。
 オペラ配信は、「オルフェウスとエウリディーチェ」のリヴェンジ。1時間半ちょいの長さですから、完走するのは容易かったので、居眠り時間になってしまっていたところの落穂ひろいを試みてみました。時代や場所の設定を取り払ったプロダクション、その上で、ヴィジュアル的に、主人公2人の内、やはりオルフェウスの心情を、抽象的にではあるけれど、追求していったものとなっていました。鏡を使っているのか、カメラを使っているのか、どちらにも見える壁に、舞台上の様子を映し出したり、半透明のスクリーンの裏で、ですから、ヴィジュアル的には、動く影が見えるのですが、それにより、オルフェウスの心の中を見せるというもの。かなり幻想的で、洒落たものと言えばいいかな。このテイストが評価されたのかな、黄紺がお世話になっているYouTubeチャンネルは、期間限定で、新しいプロダクションで、且つ、斬新さが、何かしらあるものを集めてくれていますから、何か、そういったものが入っています。そういった意味で、このプロダクションの目新しさを求めると、そうなるかなといったところです。肝心のクレバッサですが、ヴィジュアル的には申し分のない歌手ですが、手持ちのDVDでは感じなかった発声に難を感じてしまいました。不自然なバイブレーション、これ、生で聴くと、もっと気になるでしょうね、それと、音程が正確じゃない、これも、DVDでは感じなかったこと。一方の主役エウリディーチェを歌ったエレーヌ・ジルメッテは、とっても安定した、そして、しっかりしたお声。この2人のデュエットは聴きものでした。抜群のバランス、下を歌うクレバッサの支える声のバランスは絶妙でした。そんなで、立派にリヴェンジ果たせたかなというところでした。


2020年 12月 2日(水)午前 8時 13分

 昨日は、お出かけなしの一日。トルコのコロナのニュースを追いかけていると、思いの外、時間がなくなり、結構、せわしない一日。今日は、ゆっくり、何々ができると思っていたことが吹っ飛んだ一日でもありました。でも、ルーティンとなる日に2回のウォーキングは、しっかりと楽しみました。昼前のウォーキングは、いい天気で、これは、ゆっくりと休憩がてらの読書ができると、一番、リラックスできるコースを選択。もう、身体がほこほこ状態になるほど、いい陽射しだったのですが、腰かけて間なしに曇り出した。途端に冷えだすから、12月だということを思い知らせました。最後は、寒いので立ち上がるという想定外の展開。夕方は、それに懲りて、少し厚着にして出かけたのですが、今度は寒くない。厚着をしていたから、そう感じなかったのではなく、明らかに空気が違った。気まぐれな天気です。
 トルコが、「やらない」と、保健省長官が、再三再四言っていた外出禁止令を、新たに出しました。ここまでの感染拡大を見ると、致し方ないかなと思えます。10日程前に、週末の外出制限を出し、もう少し様子を観るかと思っていたのですが、動きが早かった。制限内容の骨子が流れ出したのは、ホント、前日遅くなってからではないかな? 明日の閣議で、ここまでの内容が出るかもしれないとの情報が流れたのが、そないな時期だったので、報道機関も思いの外感のある内容だったのかもしれません。この動きの速さと同時進行しているのが、日本政府の動き。ホント、ダメやね。「Go To なんちゃら」から東京をどうするかで、どんだけかかってるのでしょう! アホか、あいつらってところで、危機管理がなってないね、今更じゃないけど。その一方で、トルコでは、ワクチン報道で、何とか国民の気持ちを繋ぎとめようとしているのが、ありあり。日本のワクチン報道の比ではないですね。特に国産ワクチンへの期待が大きい。日本は、米英のワクチン報道ばっか。中国製、ロシア製(昨日だったか治験の結果発表があったはず)ワクチンについては、欠片も報道してないのじゃないかなぁ。ワクチンだけど、トルコの識者の見解報道を見ていると、抗体の持つ期間って3ヶ月だと言ってますけど。再感染率は、予防とかするだろうから、最初の感染リスクよりは低いとは思うけど、そないなことを考えると、今度、いつトルコに行けるか、いつオペラ紀行に行けるかではなく、もうダメだな、自分には、そないな時間は残ってないなと、ほぼ諦めしかない。いつか、アンカラのこの街角を曲がる最後の時がやって来るんだ思っていたのだったけど、コロナで、それを強いられるのが悔しいから、もう1度、あの街角を曲がりに行きたいと思っているのですが。
 オペラ配信は、新たに、パリのオペラ・コミークの「オルフェウスとエウリディーチェ」(オーレリアン・ボリィ演出)を観ているのですが、これが居眠りばかり。せっかく、超美形のマリアンヌ・クレバッサのかっこのいい男装を観れるのに、とんでもないことをしてしまっています。クレバッサの男装って、完全に宝塚の男役トップのお姿。黄紺は、このクレバッサが、ベルリン国立歌劇場に出ているのを知っていながらすっ飛ばしたことがあるという不届きな人間なのですがと、自分で「不届き」と書きながら、その実、後悔もしていないところがあるのは、いくら美形でも、まだ白内障の手術をする前だったので、よく観えなかったはずと思うと、そうなってしまいます。白内障の手術を、もっと早くしておけば良かったとは思うものの、それは、あくまで終わってから言うもの言い。だから、後悔はしていない、はず。この配信、終了間際なんで、とにかく一旦最後まで行ってから、振り返りを考えてみようかと思っているところです。


2020年 12月 1日(火)午前 7時 43分

 昨日は、落語会に行った日。今月初めての落語会。先月、城陽で喬介を聴いて以来となりました。昨日は、コロナ禍以後に行き出した貴重な落語会。スカイプラザ浜大津であった「第16回 しがらくご」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。そうば「普請ほめ」、紅雀「さかさま盗人」、二乗「ふぐ鍋」、歌之助「花筏」。いつもだったら、躊躇うだろうなという番組。聴き慣れ過ぎているというネタが並んだため、そう感じてしまうのですが、この貴重な時期に、米朝一門の精鋭噺家さんの落語を聴ける機会と、楽しみにして行ってまいりました。これで3回目となった会ですが、出て来る噺家さんが、次から次へと異口同音に、「皆さん、どうしたんですか」的な物言い、入りが、いつもより多いどころか、始まって以来最高の入りだったようです。「普請ほめ」は、「牛ほめ」の牛の出て来ない短縮版。こないだ「かもによラジオ」(華紋と二葉がYouTubeを使い配信しているトーク)を聴いていたら、この短縮版を始めたのが、南天だったか紅雀だったか言っていました。黄紺は、時間があれば牛を出して欲しい派。「このアホ、そこまでやってる」というのが、可笑し過ぎるから。このアホ、アホの中でも、ちょっと特異。だって、頭の回転が良さげなアホですもの。表の門の一件も然り、そこへきて、牛の一件まで入って来るのが傑作です。そないなことを、「かもによ」でも言ってました。そんなで、この落語会のように、さほど時間を気にする必要のないところで、「普請ほめ」をするのは反対なのです。いや、そうばは、そもそも「牛」入りを持ってないのかもしれませんね。表の門の一件も省いてましたから、とっても薄味のものになってしまってました。紅雀は、なぜか「打飼盗人」という言い方をしません。だから、ついつい聴かないネタと思ってしまいます。確かに、「さかさま」にはなりますが。既に、この辺から、危ないぞと思っていた居眠りが始まっています。最近、夏のときのように睡眠時間を確保できず、毎日5時間くらいの睡眠が、ずーっと続いているものですから、危険信号が、開演前から出ていたのです。ましてや、夜のお出かけは、最近、滅多にないのが、その危険度を上げていたのです。で、出てしまいました。正に、「さかさま」に成り出す辺りから、夢現で、ダメでした。二乗の「ふぐ鍋」って、聴いたことあったっけと、開演前は思っていました。もちろん、このネタを持っていることは知っていたのですが、遭遇経験に疑問を持っていたのですが、マクラを聴いて、確信しました。二乗は、マクラの使いまわしが激しいので、そのマクラを覚えていたのです。ふぐ屋でのバイト経験話です。おもろいマクラなんだけど、使い過ぎです。やっぱ、誰がやっても、大橋さんです。これを聴くと、このネタは林家のものと思ってしまいますが、吉朝テイストいっぱいですから、吉朝から米二と移ってきたのを受け継いでいるのでしょうね。でも、二乗の「ふぐ鍋」、おかしい。いつもの端正な噺ではない気がしました。体を左右に動かしすぎ、前かがみの姿勢に老けたなぁと思うと、お喋り自体に居心地の悪さを感じてしまいました。トリは歌之助。歌之助の「花筏」は、遭遇機会が、かなり多いネタです。「今日は、これがトリか」と思ったとき、この聴き過ぎがじゃまをして、行くのを躊躇った最大の原因。聴き過ぎなのに、動楽亭の昼席に行くと「花筏」が出たり、誰かの会にゲストで出ると「花筏」を出したりするものですから、遭遇というよりか衝突っぽい状態なものですから、躊躇うのです。で、案の定、千鳥ヶ浜親子の辺りで、沈没となりました。「花筏」を聴いていて沈没するときって、いつも、ここですね。嫌なわけじゃないんだけど、疲れてしまった頃合いが、ここなんでしょう。夜のお出かけは、久しぶりのうえ、えらく冷えていたので、警戒はしていたのですが、帰りが寒かった。JR大津駅までの、寂れた店の並びが、寒さを、余計に増幅していました。


2020年 11月 30日(月)午前 6時 40分

 昨日は、オンライン上のイベント2つの梯子をすることになりました。これは、初めてですね、梯子となると。1つ目は、京エコロジーセンターが、今行っている企画展示「環境教育の環(わ)」の関連イベントで、Zoomの限定配信で参加するものでした。具体的には、青年海外協力隊として、世界で活躍していた元隊員の方たちが、当該の国の紹介と現地での活動(環境教育)ついてのお話をされるというものでした。お話を伺えたのは、次の3名の元隊員の方でした。2016年度フィジーに派遣された田中翔子さん(京都市職員でもあります)、2016年度東ティモールに派遣された城戸大樹さん(大学卒業直後の派遣)、2015年度エルサルバドルに派遣された田中美佳さん(環境関係のお仕事を辞めての派遣、帰国後も環境関連のお仕事)。イベントの進行は、まず3人の方のお話、各お話には、チャット機能を使い、その都度、質問の受付があり、お答えもしていただけました。最後は、司会者(京エコロジーセンター職員であり元キルギス派遣の隊員)のもと、3人の方に、チャットで参加の視聴者も加わってのトークとなりました。何よりも、まず、派遣されている国がおもしろい。その国の様子、生活をお話していただけるだけで、聴いていると楽しい。そこへさして、環境教育という共通の話題を経験されているということで、とっても興味を掻き立てられるイベントとなりました。フィジーでゴミの分別の指導に当たられたり、東チモールの環境汚染の進行の様子、それを踏まえた啓発活動、エルサルバドルでは、子どもたちにゴミ処理場見学を企画されたりと、いずれのお話も新鮮。だって、3国ともに、途上国というカテゴリーに入るわけですから、先入観として、ゴミ問題って、先進国の専売というところから聴いてしまうもので、何を聴いても新鮮なのです。エルサルバドルって、まともなゴミ処理場を持ってるんだ、これだけで、びっくりでした。東ティモールで、ゴミ問題が話題に上がっているんだ、話題に上がっているというだけで、失礼ながら新鮮でした。逆に、フィジーの長閑さ、無頓着さも、そうかなと思いながら、新鮮な印象を持ってしまいました。この3人の方たちのいいところは、若干、早い遅いはあるのですが、若い内に、海外経験を積まれていること、それに伴う、世間の広さに基づく視野の豊かさを感じさせてもらえたこと。城戸さんが言われていました、「コミュニケーションって、言葉だけじゃないんですよね」、凄いな、これ。あとのお二人も、一斉にうなずいておられました。若いときに行った方がいいと思いながらも、エルサルバドルに行かれた田中さんが、「タイミングを持てたときに行く」と言われていました。行こうという気が起こったら、そのタイミングで行け、そこでは躊躇うなということでしょう。フィジーに行かれた田中さんは、周りに随分と反対された、「でも、行って良かった」、その意志とタイミングを外さなかった凄さに感服です。実に微笑ましく、聴いている者には楽しい時間でした。若いって、いいですね、ホント。
 このオンラインでのイベントが、午前中。10時半開始で2時間あったということで、昼前のウォーキングは、このイベントが終わってからスタート。1時間余歩いて、ルーティンをこなしたのはいいのですが、かなりタイト。夕方からは2つ目のイベント参加のつもりだったため、夕方のウォーキングは繰り上げました。ですから、毎日の昼間ののんびり時間は、ほぼなしで、ここもタイト、止むを得ません。このウォーキングも、途中休憩なしで、1時間余。家に戻ってきたら、次のオンライン配信開演10分前でした。
 2つ目は、アンサンブルSDGのコンサートの生配信を観よう、聴こうというものでした。このユニットについては、詳しいことは知らないんですが、関西圏の古楽器の演奏団体です。生配信は、日本キリスト教団神戸聖愛教会からのもので、「聖愛のバッハ vol.3“人声に在るバッハの深奥・ソロカンタータの魅力”」というコンサートでした。このコンサートの存在は、びわ湖ホールでの「マタイ」があったときに知りました。指揮を本山秀毅さん(大阪音大学長)がされ、ソリストにびわ湖ホールのアンサンブルの方が出演されるということで、告知のチラシをいただけたのです。何よりも、「ソロカンタータ」尽くしというのに惹かれてしまいました。神戸までは行けない、でも、オンライン配信があるということで、この生配信に参加することにしたのでした。そのプログラムは、次のようなものでした。もちろん、全て、J.S.バッハの作品です。①Ich habe genug BWV82 私は満ち足りている(バス)②Jauchzet Gott in allen Landen BWV51 全地よ、神に歓喜の声をあげよ!(ソプラノ)③Vergnügte Ruh', beliebte Seelenlust BWV170 満ち足りた憩い、愛しき魂の悦びよ(アルト)④Ich armer Mensch, ich Sündenknecht BWV55 なんとあわれなこの私、罪の奴隷のこの私(テノール)。そして、出演者は、次の皆さんでした。(ソプラノ)乃村八千代、(メゾソプラノ)益田早織、(テノール)川野貴之、(バス)五島真澄、(管弦楽)アンサンブルSDG、(指揮)本山秀毅、そして、②と③の間に入った休憩明けに、曲目解説を含んだお話を、小栗献(日本キリスト教団神戸聖愛教会牧師)。なお、④の終局だけにコラールが入りますが、これは、ソリスト4人で歌われました。黄紺は、トルコ・サッカーやコロナの様子をネットで追いかけているとき、よくバッハのカンタータを聴きながらしています。コーラス部分には、ときとしては、読んでいる内容によりいらつくこともあるのですが、こういったソロのアリアやレシタティーヴォは、完全に癒し系ですから、自分を落ち着かせるときに、こちらに替えます。それらばかりを並べられると、完全に時間が停まりました。ちょっと歌手の方に凸凹はありましたが、贅沢を言ってはいけません。教会での演奏会というのもいいものですね。最後のコラールは、「マタイ」で、ペテロが、3回「イエスを知らない」と言ってしまい、慟哭したあとに歌われるものと同じです。終曲としては、何とも演出効果抜群、いい時間をいただくことができました。とまあ、お見事な「With コロナ」の1日でした。


2020年 11月 29日(日)午前 6時 49分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴いた日。「NPO法人さらんネット」が主催された「失われつつある嵯峨嵐山の文化遺産」をいうお題での講演会が持たれたのです。このNPOは、名前が、その活動を示しています。「さ」は嵯峨、「らん」は嵐山を指す言葉。この地域の活性化&保護の活動をされている。以前に1度、確か小松和彦の講演会を企画されたときに、おじゃまをしたことがあり、今回も、お題に導かれて行ってまいりました。この3日連勝の講演会行脚、いずれも、京都の地域活性化に繋がるという偶然が生まれました。①鞍馬②久多③嵯峨&嵐山といったラインナップとなりました。お話をなさったのは、同法人の運営委員をさなっている金久孝喜さん。造園業に長年関わって来られたそうで、日本庭園の専門家です。また、この講演が、とっても精緻なもの。構成自体は、誰しもが思い浮かべそうなものだけど、じゃ、誰しもが手を着けるかというと、着けないでしょうね。それほど、時間と手間をかけ、画像と映像を集め、いかに、嵯峨&嵐山の伝統的風景が損なわれて行っているかを示していただけました。それだけの根気の要る仕事を、長年、そうなんです、長い時間をかけて、変移を追われていますから、時間がかかっている、そういったことをやってみようという方ですから、それを伝える意志も強く、パワーポイント作りも、実に精緻、また、破壊の分類の手際も素晴らしいものでした。そのお話の中に、「景観」という語句を、1度も使われませんでした。この語句を使うと、全て、この言葉で済んでしまうからでしょう。「景観」が守られるということは、どういったことか、それが「破壊の分類」だったと思います。「新しい建物」が建っていく。それにより「田園風景の喪失」が起こり、大文字焼「鳥居形」の「視点場の喪失」が起こる。「樹木」、なかでも、この地域を象徴する「竹林の喪失」、これを空中写真、過去の写真との比較をしていただけます。とっても実証的。こういった流れで、お題に沿ったお話が続いた1時間半でしたが、1つ、腑に落ちないことがありました。「破壊の分類」の1つに「この界隈が外国人に買われている」というもの。「外国人」、即ち「中国人」だそうですが、把握されている幾箇所の土地について、しかも、その箇所説明について、「落柿舎の横ですよ」といった強調が入る言い方をされていましたが、具体的な場所、画像まで用意されてのお話でした。外国人の土地取得に法規制がない、いやあっても適用されていないことがおかしいというもの言いでした。なんか、聴いていて、かなりの気持ちの悪さ。今、嵯峨&嵐山の景観保護のお話じゃなかったっけ? 外国人が土地取得をして、景観を無視したようなことをしている、この2つが、直で繋がる事態なら、お題に適うものですが、お話の様子は、そうじゃない。「外国人の土地取得」=「景観破壊」、嵯峨&嵐山といった伝統地区で外国人、なかでも中国人の土地取得は悪であるとの物言いでした。これって、所謂、「嫌中」の物言いです。だから、聴いていて、気持ち悪くなったのだと思いました。それ以外のお話が精緻を極めたものですから、余計に確信犯っぽく聴こえ、気持ち悪さが感じられたのだと思います。恐らく、この団体の講演会、今後は行かないでしょうね。でも、すぐに忘れるからね。実際、その場に行ってから、気が付くなんてこと、起こりそうですが。
 週末に入ったということで、チューリヒ歌劇場のオペラ配信のお世話になった日でもありました。しかも、1日で、オペラ1本、完走しました。「チャルダーシュの女王」(ジャン・フィリップ・グロガー演出)だったからだと思います。ジャン・フィリップ・グロガーのプロダクションは、丁度、昨日も書いていたように、ドレスデンで観た「アルチーナ」が、とにかく素晴らしかった。同じドレスデンでは「シモン・ボッカネグラ」も観ていて、この回転舞台の使い方が、匠の技で、こちらも魅せられたこともあり、とっても期待していたもの。タイトルロールがアネット・ダシュだということも、期待を、一層高めていました。これも、コロナ禍以後の公演、今シーズンのものです。そのお楽しみは、あっさりと崩れたというか、呆気にとられてしまう、想像を超えた展開となりました。このオペラから、ハンガリー&ブダペスト、オーストリア&ウィーンの要素を取り払ってしまったのです。で、無国籍にしたのかと言えば、そうではなく、クルーズ船で、外洋を旅するものですから、タイ系の人が出て来るやら、南太平洋の島に上陸しての結婚証明書へのサイン、嵐に巻き込まれ氷山に激突、挙句の果ては、地球を飛び出し宇宙人の登場と、破天荒過ぎます! クルーザーを使っているものですから、「タイタニック」のモチーフ、何度、使うんだというくらい、出てきました。その一方で、音楽は、チャルダーシュが流れ、ワルツが流れるものですから、視覚と聴覚が喧嘩状態が終始続いてしまった。だから、めっちゃ居心地が悪い。そこへ来て、アネット・ダシュが、近所のおばさんみたいになっていた。ホントに、近所にそっくりのおばさんがいる! いつの間に、そないに老けちゃったのと、まじで突っ込んでしまいました。ドイツ語圏では、上演頻度最高の作品だからこそ、こないなプロダクションを出せるのかな、いや、こないなプロダクションを出さないと、ここまで有名な作品には人が来ないのかなと思ってしまいました。デュッセルドルフで、このオペレッタ観たとき、隣のドイツ人のおっちゃん、一緒に歌ってたもんな。「止めて」と言おうかと思いつつも、「そんなに、楽しいんかい」と思ってしまい、逆に微笑ましく思えてしまい、そのままにしたことがあります。そこまで浸透している作品だから、観る方も刺激を求め、出す方も、そのニーズに応えているのでしょうか。これも、一種の退廃かも、です。ま、この作品自体が、最後のハプスブルク帝国のあがきのようにも看えますから、それでいいのかもとも思ってしまいます。


2020年 11月 28日(土)午前 5時 36分

 昨日は、京都アスニーへ講演を聴きに行った日。ここ3日間、同じような日々が続きますが、その中日。昨日は、「アスニー特別講演会」として、「京都市文化観光資源保護財団“京都の文化遺産の保存と継承”講座/京都市左京区『久多』-生活文化の継承-」と題して、京都芸術大学教授・京都市文化観光資源保護財団専門委員会委員の伊達仁美さんのお話を聴くことができました。「左京区久多」、京都に長年住みながら、全く聞いたことがありませんでした。それが興味を引きました。わざわざ、こうしたところで取り上げられる、京都の知らないところ、しかも市内、但し、左京区や北区は福井県まで伸びているから、知らないところが多いのは判ってはいたのですが。それが、一昨日、たまたま「鞍馬」のシンポジウムに行ったところで、偶然、「久多」の名前が出ました。どういったコンテキストだったかは覚えていないのですが、とにかく出た、「左京区最北端の地域」といった言い方で。やはり、先の先、地図がレジュメに入っていたので、確認できました。丁度、東側に朽木村がありましたから、とんでもなく北です。その地域の特徴、紹介、保存に関わるお話でした。全く知らない黄紺のような聴衆用に、格好の入り方をしていただけました。保存・紹介を兼ねた久多の名物「花笠踊り」のDVDを冒頭に見せていただけたのです。それは、久多の風景から入るものでした。祭の地となる神社を巡り歩くものですから、それらを全部回ると、自ずと久多を知ることになりました。もう、自然いっぱいの、とっても素敵な風景、緑が目に沁みる光景ってやつです。完全に絶句。また、祭用に作られる花笠が、精緻で素朴で、これがたまりません。8/24の夜に行われる踊りの奉納がメーンでした。ふらふら揺れるだけといった踊りです。唄は室町歌を伝えているものだそうです。それが、文化財登録の大きなポイントだったようです。もう掴みは完璧。それに続いて、お話の中心は、有形無形の久多の文化財の紹介となりました。久多は林業と農業が暮らしの源ということで、そういった生業に関わる道具の収拾・保存・展示を紹介いただけました。そして、後半は、小学校の現場や久多地域での紹介用に作られたキット作りの紹介。民博絡みの活動のようで、枚方の鋳物なんかも、その対象になっているとお話されていましたが、パッケージにして、それを持参すると、どこでも㏚ができるというもの。久多の場合は、伝統芸能や民俗道具を紹介する紙芝居映像を作られていました。それも紹介していただけました。題して「久多の久太郎」。この中に、もう1つの目玉行事「松上げ」が映っていました。どこかで観た記憶のある風景。花背などにもある伝統行事だそうです。そちらの映像でも観たのでしょうか、それとも、他府県? 素朴で勇壮、エンタメとしても満点の行事です。講演の最後に、「久多はいいところです」「皆さんも、ぜひ行ってみてください」「京都バスのなんちゃら停留所から7kmです」に、会場、大爆笑となりました。お話の中で、安曇川水系の地区だとあり、納得。高校時代の友人が、京都の街中を引き上げ、水系が滋賀県になるところに居を移したなんてことを言ってたのを思い出しました。昔、王城の地京都には穢れた水は流せないと、葬礼(この際「そうれん」と呼びましょう)を、京都でありながら滋賀の方に出さねばならない土地があったと聞きました。久多は、その移動の必要もなかったということになりますね。終演後、質問は、コロナのためになしだったはずなのに、直で、講師の方にしたおっさんがいたようで、また、親切に、講師の方が、マイクにスイッチを入れ直して答えて下さいました。子どもたち(いるんだ!)は、スクールバスに乗り、滋賀県の学校に通っているそうです。行ってみたくはなりましたが、車のない黄紺は、往復7kmを歩けば行けるのでしょうが、さすが二の足を踏んじゃいますね。
 この講演会は午前中にありました。久しぶりの午前中のお出かけは、生活のリズムが狂うので、とってもビビりましたが、うまく交通整理ができ、無理なく行き戻ることができました。帰りは、自宅の最寄り駅一駅手前で降り、買い物も兼ねて迂回コースでのウォーキング。これで、結構な時間を使ったので、もういいかと思いながらも、やはり夕方になると、うずうず。結局、夕方も、ほぼ一人前のウォーキング。それだけ、うまく時間の交通整理ができていたことの証明でもあります。その上、午後は、オペラ配信も楽しめました。シュトゥットガルト州立歌劇場が、閉鎖時期に配信をすると連絡をしてくれたのは良かったのですが、既に、始めてからメルマガを送ってきたものですから、昨日いっぱいで終了というものがあったので、でも、講演会に申し込んでいたものですから、ほぼ諦めていたのですが、なんと1日で完走しました。「アルチーナ」(ヨッシ・ヴィーラー、セルジオ・モラビト演出)でした。このプロダクション、コース取りを変えれば観ることができたのですが、チョイスしなかった記憶のあるもの、それが配信で観ることができるというので、できるだけ観ておきたかったのです。しかも、キャストを見ると、アリス・クートが出ている。シュトゥットガルトは、ここまで著名な歌手は出ないので、びっくししたこともあり、観たかったのです。演出のお二人は、この歌劇場の主のような方たち。「夢遊病の女」のプロダクションは評判を呼び、ベルリン・ドイツ・オペラも買っています。ポイントは、主役アルチーナのキャラの設定。黄紺が、以前、ドレスデンで観たジャン・フィリップ・グロガーのプロダクションは、「魔女」性に焦点を当てた優れものだった記憶があります。それに対し、このシュトゥットガルトものは、「女」性に焦点を当てていました。その焦点化に、演出家の腕を認めることができました。ですから、アルチーナは、薄衣の格好だけで出て来たり、舞台上での物着ではTバックを晒すという演出まで入っていました。アルチーナ役のカテリーヌ・ナグレシュタットは、その妖艶なキャラ作りも良く、はまり役ってところでした。装置は、古びた城のイメージなんでしょうか、でも、19世紀風の建付けといった感じの壁だけの屋内に、正面の壁が、大きく額縁状に繰りぬかれているもの。ですから、前の舞台の後景ともなれば、出入りにも使えるといったもので、特段、意味を見出せるものではありませんでした。全体としての流れとしては、そういった装置を使い、濃厚な芝居をするというテイストのものでした。夕食の時間も使い~ので、完走。ヘンデルの常、複雑な筋立ても、キャラ作りがいいと、外すことがないということが、よ~く解ったプロダクションでもありました。


2020年 11月 26日(木)午後 10時 16分

 今日は、京都市左京区役所であった「左京区シンポジウム“鞍馬を知ろう!”」に行ってまいりました。「鞍馬の文化発信プロジェクト“あっ、それ鞍馬だ”」と銘打たれていましたから、区内の名所鞍馬活性化ということなのでしょうか。先日、京都学・歴彩館に行ったとき、案内のチラシを見つけ、参加申込みを行ってあったものでした。左京区役所の大会議室を使ったイベントでした。そのプログラムは、次のようなものでした。①講演&実演「能における義経」(講師:観世流能楽師林宗一郎)、②シンポジウム「鞍馬の歴史・文化」(鞍馬火祭保存会会長:三宅徳彦、鞍馬寺学芸員:曽根祥子、京都市歴史資料館学芸員:野地秀敏俊、司会/京都市歴史資料館主任・学芸員:宇野日出男)。林宗一郎さんは、京観世職分家林家の現当主と言っていいかな、いきなり地謡2人を従え、「屋島」の仕舞を披露。そして、題名通りの能について紹介。時系列的に、「鞍馬天狗」「橋弁慶」「烏帽子折」「正尊」「船弁慶」「安宅」「摂待」「屋島」。言われてみて、初めて気づいたのですが、義経が成人後のいいところというか、兄頼朝とうまく行っているところはないのですね。「屋島」は、義経が亡霊となって現れて来る能ですから、その範疇には入りませんから、確かに、ない。しかも、「船弁慶」と「屋島」以外は、現在能ばかり。「船弁慶」は、「風流能」の範疇で、所謂、ショーアップされた曲。典型的な複式夢幻能って、「屋島」だけですね。その「屋島」も、修羅能の中で、マイノリティの「勝ち修羅」ってやつ。そないな詰めた話まではされませんでしたが、おもしろいきっかけを与えていただけました。世阿弥は、義経に、自分の姿を重ねるところがあったのではと言われていました。最後に、やはり「鞍馬天狗」は外せないということで、装束を着けて仕舞を見せるだけではなく、所謂、「物着」を見せていただけました。通常の「物着」は、上着を替える程度ですが、この講演では、サービス満点。一から着るところを見せていただけました。いろんなところで、ワークショップの経験を持たれているのでしょうね、サービス精神溢れるお話でした。ところが、後半がダメだった。途中で、係の方が気づかれ、修正されたのですが、登壇者の一部の方の声が、こもってしまい、何を言われているのか聴き取れない。マスクをしたままのお話なものだったため、加減を知らない人は、聴き取れようが、取れなかろうが、お構いなし。すっかり居眠りタイムになってしまいました。その中で、少しだけ記憶に残っているものをメモっておきましょう。①義経と鞍馬が結びつき出したのは江戸時代から、②鞍馬寺前の宗教的集落として、かなり違った姿を持っていたらしい、③杉の伐り出し、次いで、更に奥の地域から集まる杉の集散地としても栄えた時期がある、④鞍馬と言えば豊かな森林だが、黄紺宅の屋根を飛ばした台風の影響で、森林が大きな被害、⑤それに加えて、鹿の害が大きく、森林の体をなさなくなってきてしまっている、⑥専門家の話だと、里山としての恢復力は、まだあると言われている。シンポジウムは埒外感が残り、満足感はいまいちのイベントでしたが、京都は、全国レヴェルのネタが満載です。日本史の苦手な者には、こういったイベントが、ホント、ありがたい。明日、明後日も、同様のイベントに申し込んでいます。
 往きは、行った記憶が1回しかない松ヶ崎駅から行ったのですが、左京区役所は、京都工繊大学より南にあるもので、昨年、同大学構内の博物館から、ウォーキングがてら三条駅まで歩いたことを思い出し、今日も敢行。前半がいいですね。普段通ることのない高野川沿いを歩きました。鴨川縁と違い、河原の遊歩道は狭い。でも、滅多なことでは行かないところなので、嬉々として歩くことができました。丁度半ばで、出町柳に到着、ここからは、歴彩館からの帰りと同じコース、河原の遊歩道も、ぐんと広がりました。丸太町通下の橋を通る直前、お一人様でしょうか、コンビニ弁当を、ベンチに腰かけながら食べてるおじさんがいました、もう、そういった時間でした。暗闇迫る鴨川縁も、なかなかいいものです。


2020年 11月 26日(木)午前 6時 36分

 昨日は、お出かけが多い日々の谷間の一日。先週の3日連続のお出かけに続き、今週も、今日から3日連続ですから、正に谷間と言える日なのです。となると、今の間にと家事はあるし、日に2回のウォーキングをしっかりとしたいわで、結構、せわしない一日となってしまいました。でも、曇天だから、寒々しいので、そのウォーキングが、いまいち。ポケットに手を入れ、肩をいからせって感じなものだし、休憩のために公園で本を読んでいても、長続きがしない。寒いだけではなく、冷え込むものだから、トイレが近くなる。座って、休憩しているより、歩いている方が楽となっては、休憩にはなりません。ここでも、せわしなかった。
 オペラ配信は、「フィデリオ」に戻りました。休憩時間での、MCによる種明かしの途中から観ることになりました。後半は、番号付きの帽子の配布、その番号の場所への移動から開始。客への案内は、ロッコの役回り。フロレスタンが、ようやく登場。危機一髪で、ラッパが響きます。そして、お約束の「レオノーレ3番」が挿入されると、客の背後に潜んでいた囚人役の人たちが蠢き出します。オケに向かい歩き出し、そこへ届いた人たちは、オケに向かい手を差し出し、届かない人たちは、その場で、忙然とオケ方向を眺め立ち尽くし、ラストへ。歌手陣は、オケの前に並び歌い大団円かと思いきや、レオノーレとフロレスタンが歓喜の歌を歌い出すと、それまで、オケに向かっていた人たちが、その手を引っ込め、失望感で逆方向に歩き出し終演となるというもの。最後は、何かを暗示しているのでしょうが、それが解らない。何なんだろう? 歓喜じゃいけない? 何が満ち足りないのだろうか? まだまだ、これだけで満足していてはいけないということなんだろうか? ん~ん、難解。最後は、謎を残しましたが、オペラの可能性を、ふんだんに見せつけたプロダクションに、ヨーロッパの凄さを感じさせられました。バーミンガムでは、以前に「ヴォツェック」で、同様のプロダクションを発表し、好評を博した第2弾がこれだったそうです。「ヴォツェック」なら、同じテイストですね。社会的な被抑圧者を描いたものですから。次は、「ゾリダーテン?」なんて、考えてしまいました。役者としてだけではなく、コーラスにも、普段は、歌劇場では歌っていない人たちの参加があったようです。休憩時間のインタビューでは、オペラは初めてという人もいました。そうなんだよね、日本では、オペラ初心者には、定番のオペラを、オーソドックスな、換言すれば古風な演出で見せねばならないという信仰にも似た考えが跋扈していますが、そうじゃないんだよな、そそられるプロダクション、それがおもしろければおもしろいほど、口コミ、今だったら、ソーシャルメディアを使い、評判が拡散していく、これが、いいんだけどな。そう思うプロデューサーが、まず、いないわね。楽しい思いをさせてもらうと、最後は、憂国の志士になってしまうのが、日本の現状です。
 食事をしながら、お酒を呑みながら観るYoutube動画は、最近、「無色旅」さんのGeoGuessrを使ったゲーム実況ばかりを観ています。Googleマップを使い、指定された場所を当てるゲームです。旅系Youtuber氏は、コロナ禍で干上がった日々を送るなか、このYoutuber氏は、このゲーム実況を、動画配信の柱の1つとして再生回数を稼ぎ続けるという優れもの。単純に場所当てですから分かりやすい。黄紺は、旅好きだけど、凝り性だから、行った国が少なく、あまり、こういったゲームには不向きなんだけど、そんななか、画面に出て来る看板に書かれている文字や中身、家の形、歩いている人の顔形、生えている木の形などから、一緒に類推してみるのが楽しいものだから、観てしまいます。でも、このYoutuber氏の難点は、完全なる理科系人間だということ。旅が好きだからと言って、文化、言語、歴史が、からっきしダメ。政治や宗教は掘り下げると視聴者が離れると考えているのが出過ぎていて、あえて踏み込まないスタンスが、余計に文化音痴に見せてしまっているのが、なんともやるせない。そこから入らなくって、なんで、世界中、旅したのって突っ込んでしまっています。でも、そういった人種って多いのも判っているつもり。だって、自分の周りにもいるので、それも、それが普通だから。「カーバ神殿も知らないの?」「ウムラートが付いているのはドイツ語だけじゃないよ」「運河と見てオランダと決めつけるなよ」、、、突っ込みどころ満載だけど、旅経験って恐ろしいもので、車の形状で判断したり、ドメインで判断したり、学ぶことも多数。Youtubeって、「個」対「個」だから、これでいいんですよね。だって、突っ込みを人前で言うと、変な奴と看られたり、営業妨害になったりするけど、一人で呟くのは、全く非難の外ですから。あとは、自分が満足できるかで、過不足あっても満足できればいいのですから、また、突っ込みも、ときには楽しからずやですから。いや、そうすることで、自己満悦を求めているだけかもしれませんね。「ハジって出てたからメッカを想定しなきゃ」って、完全に自己満悦、ですものね。


2020年 11月 25日(水)午前 6時 6分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴いた日。「江戸時代の京都案内記に親しむ」というお題で、「資料に親しむ会」という講演会がありました。お話をされたのは、同館資料課の合田淳さん。江戸時代になり、社会が安定したこともあり、国内旅行が盛んになったことは、東京に行ったとき定番にしている浮世絵の博物館に行ったときに知ったこと。江戸名所図絵的な作品の中に浮世絵が使われているため、観光案内となる書籍の展示があることで、江戸時代の観光ブームがガイドブックの販売まで行ってたことを知りました。江戸にあって、京都にないわけがない、ということで、この講演会になったわけですね。京都には、伝統的な寺社仏閣があるということで、それを目指してやってきた。ところが、江戸時代の神仏詣りというのは、別に「ブラタモリ」の伊勢編を持ち出すまでもなく、遊興を兼ねてのもの、いや、遊興目的が主で、神仏詣りは口実的なもの。同中のお楽しみは、上方落語の旅ネタで、十分に判っていること。そんなで、ガイドブックがふんだんに出版されていた。それを、手持ちの所蔵品の紹介を兼ねてのお話でしたが、これが、講演としては、生真面目すぎて、おもしろくなかった。「京童」「京雀」という名のガイドブックから始った具体的紹介。なかみの面白話を期待していたのですが、高々、人気名所、観光地をランキングが紹介されたぐらいで、ガイドブックの羅列的な紹介に終始、各書籍を画像紹介を丁寧にしていただけたのはありがたいのだけど、こちとら生の古文が読めるわけではなく、まいったなぁと思うと、半寝になってしまいました。そんなで、不完全燃焼に終わった講演会。1時間弱で終わったので、歴彩館に行くときの定番、往復をウォーキングに替えたため、ゆったりと鴨川縁を歩くことができました。昨日は、一昨日と違い、暖かかった。いつも丸太町橋の近くのベンチに座り休憩するのですが、昨日は平日だったため、川縁を歩く人も少なく、いい感じでした。結構、長めに本を読んでいると、途端に気温が下がった。空を見上げると、知らない内に太陽が、えらく下がってました。ほとんど、向かいのビルに隠れようとしてました。時計を見ると、午後4時15分、そんなに早くに、こないになるのかと立ち上がりました。
 昼間に出かけると、もう、それだけで終わってしまうことになってしまいます。朝方に、トルコのコロナを追いかけ、夕方にトルコのサッカーと2回目のコロナを追いかけで挟むと、必然的に、その間に入るお出かけは窮屈になってしまっています。お昼ご飯を食べないわけにはいかず、ウォーキングを外すと、フラストレーションが溜まるものだから、何とか時間を確保しようとすると、窮屈になるという日々です。晩酌をしなければ、いいのですがね。最近、お腹の調子がいいものだから、もう3週間は、休肝させてない。それだけ、飲むと、後がダメ。オペラ配信なんか、まあ、観れたものではない。だから、昼間に出かけると、それでおしまいになってしまってます。昨日が、正に、その典型でした。


2020年 11月 24日(火)午前 6時 49分

 昨日は、4日ぶりに、お出かけなしの一日、世間は、3連休の最終日でした。日本でも、感染拡大が深刻になってきていますが、この3連休は業をなしたと思われますので、2週間後辺りに反省が出るのでしょうね、おかげで、大阪は一層行けなくなりました。大阪が、東京の感染者数を抜くなんてことが、この3連休にありましたからね。で、普通の一日のお出かけは、日に2回のルーティンとなっているウォーキングだけ。屋内にいると、さほど感じてなかったのですが、昨日は寒かった。気温が著しく下がったというのじゃなくて、風が吹いてましたね。ですから、休憩がてら公園で読書をしていると、寒くて。でも、黄紺が利用した公園で、黄紺と同じことしている人がいて、なんとなく嬉しかったな。でも、その人の格好は、冬装束でした。防寒具を着ながらでないと、もう厳しくなってきています。でも、歩いていると、暖かくなるものですから、夕方のウォーキングも、懲りずに、今までのまま。歩き出し5分間の我慢であることは確かなんだけど、その5分が耐えられなくなると、いや、なりそうな季節になってきました。
 夕方のウォーキングから帰って来ると、いつものように、トルコ・サッカーとコロナ情勢を探す時間帯、これが定番。それをしていると、息子から電話。TV電話のお誘い。Zoomを使って、初めてのTV電話。今までは、ウエブ上にあるサイトを使ってたのですが、前回、息子の方からの映像が届かなかったなんてアクシデントがあったもので、Zoomを使うことを提案。先日のZoomを使った講演会視聴ののために、アプリケーションをダウンロードしてあったので、早速、活用してみました。映像のクリアさがあるので、なかなかいい感じです。ただ、2人とも会員になってないので時間制限があるのは仕方ありません。息子は、先日、引っ越しをしたので、その家内の一部を見ることができました。もちろん、息子の傍らにDとSが控えていました。先日、息子が送ってくれた2人の画像では、意外にも、変化の激しい時期に来ているSの方に、あまり変化が看られなかったのですが、昨日の2人の姿を見ると、Sは別人のよう。やはり、そういった時期です。「あ」という声だけだったけれど、Sが、自分の意志を表す声を初めて聞きました。Dとは、かなり違った声質のように感じました。小さいから、そんなに変化はないはずなんですがね。Sは、Dと比べて、明らかに落ち着きがない。その替わり、関心がいっぱい。黄紺に、手持ちのおもちゃを見せたくて、他所の部屋から持ち出してきて見せようと並べるんだけど、そこは、カメラに映らないところ。なかなか、忙しい男です。息子らは、夕飯を済ませていたけれど、黄紺はそうではなかったので、徐々に空腹、お酒を飲み出すと、残していたコロナ情勢の把握に障りが出るということで、お酒も我慢、でも、我慢した甲斐があり、2人の元気な姿を、たっぷり、じっくり眺めることができた、嬉しい一時となりました。
 オペラ配信は、週末に流れるチューリヒ歌劇場の配信の続き。ウエブ上に書かれているものでは、配信が終わっている時間帯でしたが、実際には流れていたので、「マリア・ステュアルダ」(ダヴィッド・アルデン演出)完走することができました。この公演も、コロナ禍以後のもの。オケとコーラスは別室、舞台上に群衆を出す場合には、歌わない、マスク着用、カーテンコールは、ソーシャルディスタンスを取りながら、客席はフルで入れるというアンバランスさに、今回も驚きではなく、呆気に取られてしまいました。客席だけではなく、ロビーの混雑が想像されるものですから、かなり引いてしまいましたが、ディアナ・ダムラウを聴けた、観れたのは、とってもありがたいこと。他の主要歌手も充実してました。とりあえずは、記しておきます。エリザベス女王(サロメ・ジチア)、レスター泊ロベルト(パオロ・ファナレ)、ジョルジョ・タルボット(ニコラス・テステ)。ダヴィッド・アルデンものは、「ユグノー教徒」を、ベルリン・ドイツ・オペラで観ています。記録に残しているのは、それだけなんですが、なんか、抜け落ちがありそうな感じもしています。湾曲を付けた壁に囲まれたなか、照明を駆使して、人影を、その壁に映したり、死をイメージさせる露悪的な小道具(骸骨)を使ったり、スコットランドをイメージさせる小道具(ヒースを想像させる敷物)、権力をイメージさせる小道具(巨大な馬)などを投入して進行するというもので、何か特別な仕掛けがあったわけではないプロダクション。一番印象に残ったのは、壁や群衆の衣装が無彩色で壁に移る影も無彩色に対し、三角関係の主役3人の原色の衣装が際立ちます。恐らく、ラストで、マリア・ステュアルダの衣装を真っ赤にしなけらばならないことからの着想と思えましたが、これが、なかなかいい。それと、無彩色の色合いに濃淡を付ける照明の技が際立ちました。このオペラを観るときに思うこと、山場が早すぎるということ、2幕に両シテとも言える2人の対決が来てしまいます。そして、誰もが知っている結末に進むわけですから、3幕以後の引っ張りが大変だなと思ってしまうのです。やはり、今回も、同じことを思ってしまいました。生では、同じディアナ・ダムラウのタイトルロールでの演奏会形式(ベルリン・ドイツ・オペラ)でしか遭遇してない作品ですが、フルのオペラを観たいとも思うのですが、ここんところを引っ張る力が要るから、遭遇してもなとも思ってしまうオペラですね。


2020年 11月 23日(月)午前 7時 39分

 昨日は、この週末3連続お出かけの最終日。びわ湖ホールでの葵トリオのコンサートに行ってまいりました。これで、ほぼ3週連続で、びわ湖ホールに出かけたことになります。また、ほぼ1週間後に、大津に出かけることになりますから、大津でのイベント頼りで生きてる実感です。葵トリオは、小川響子(ヴァイオリン) 伊東 裕(チェロ) 秋元孝介(ピアノ)といった3人のユニット。第67回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ三重奏部門第1位という華々しい肩書を持っています。黄紺は、昨年だったかな、同じびわ湖ホールでのコンサートで聴いたことがあるのですが、最近の若い演奏家たちの室内楽を聴くと感じる、精緻なアンサンブルを持っている、素晴らしいユニットだと思いましたので、今回も、飛びついたコンサートだったのですが、コロナ禍のため、会場が、小ホールから大ホールへと変更になりました。中ホールどまりにしてくれたらと思ったのですが、そうではありませんでした。プログラムは、「オール・ベートーヴェン」で、次のようなものでした。「ピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調 op.11“街の歌”」「ピアノ三重奏曲 第2番 ト長調 op.1-2」「ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 op.97“大公”」。葵トリオを初めて聴いたとき、3人に糸が繋がれていて、その糸を1人の人間が束ねて持っており、それを右に動かせば、3人が、一斉に、その糸の動きに従って動くといった精緻さを感じたものでした。そのアンサンブルは健在。ただ、大ホールだからということで、雰囲気が違う。どうしても、楽器の大きさに比例するのでしょうね、音が抜けてしまう。だからと思い、チケットを買うときに、前の方で、左寄りの席を押さえてありました。ヴァイオリンがフォルテで弾くときには、それほど気にはならないのですが、緩徐楽章で、しかもピアノになると、弱い立場がヴァイオリンになってしまってました。ベートーヴェンのトリオですから、どうしてもピアノ中心になり、ときとしては、弦2本は、オブリガードの役割を担わせるという感じになってしまいます。となるため、どうしても秋元さんのピアノが目に付きます。秋元さんのピアノには、初めて出会ったのは、最近、ご無沙汰のカフェモンタージュでのこと。幣さんのコンサートの伴奏という形で登場されたとき、わりかし驚いて、たまたま、そのコンサートに来ていた知り合いに教えられ、兵庫芸文での秋元さんのコンサートに出かけた経験を持っています。ですから、トリオ以外でも、秋元さんのピアノは2回聴いている勘定になるのですが、一段と音がきれいになっていました。それにうっとりとする一方、なんか、大胆さとか、意外性に物足りなさを感じてしまいました。そう感じると、トリオ全体が、まとまり過ぎているのではと思えてしまったコンサートでした。小さなホールだと、細かなデリカシーも見えてきたのでしょうが、それは、この器で求めても詮無し、ですね。3階から上は、さすが閉めていましたが、ソーシャルディスタンスを取った席に、人が埋まっていました。大阪でもコンサートがある(あった)と、先日、「マタイ」のときに会った元同僚は言ってましたから、両方に来た人もいたかもしれませんね。えらい人気です。なお、アンコールは、同じくベートーヴェンの1番のトリオの第4楽章が演奏されました。
 びわ湖ホールへの往復は、一昨日、「詰めてくださ~い」を聞いた有名観光地最寄駅を通ることなりました。人出は、若干減かなと思いましたが、このご時世とは思えない人、人、でした。過去最多の感染者が出ているというのにと突っ込みながら、それが解りながら、出かけている自分があるのですね。出かけなければ、余計なことも知らなかったはずなのに、です。びわ湖ホールからの帰りは、毎回、自宅最寄駅の1つ手前駅で降りてのウォーキング、昨日も敢行。真っすぐ自宅へと向かうのではなく、ちょっと迂回するとあるマーケットへ寄るのも、定番です。家に戻ると、丁度、いつも夕方のウォーキングに戻ってくる時間帯でしたから、あっさりと一日が終わってしまいました。


2020年 11月 22日(日)午前 7時 35分

 昨日は、京都アスニーでの講演会に行った日。「令和2年度 京都市埋蔵文化財研究所 文化財講演会:五条坂の登り窯-京焼 今むかし-」が行われました。その概要には、「東山山麓の五条坂は、かつて京焼の一大産地でした。講演会では2019年10月から2020年2月にかけて発掘調査を実施した道仙窯の調査成果を中心に、京焼の登り窯の構造や五条坂の焼物生産の歴史をふりかえり、京焼の未来を考えます」と書かれていました。冒頭、その趣旨を、より詳しく、また、「京焼」という用語を用いるために、略史を、この講演会のコーディネータでもある、木立さんからお話がありました。黄紺などにとっては、「清水焼」と言った方が馴染みがあるのですが、京都には、かつては、幾つもの窯があり、中でも粟田焼(粟田口焼)が一大勢力であったこと、今も、窯は1つだけど残っていること、清水焼にも2系統あるということを踏まえて、「京焼」という用語を使うということでした。この窯の歴史的なことは、ぼんやりとは解っていたつもりだったのですが、既に、ここで、知らなかったこと、しかも、驚くべき知らなかったことが出てきました。登り窯だったことは、そうだろうなと思っていたのですが、その場所です。全く市中にあったのですね。東山の分け入ったところに窯はあるものと、勝手に、ホント、そう思っていました。そんなものでしょう、登り窯が街中にあるなんて、普通は考えないでしょう。でも、あったのです。それが、命取りになります。煤煙が出ますから、公害問題となり、これで、登り窯が消えて行ったのです。もちろん、産業的には、電気窯など、替わりの窯が出てきますから、継続はしていくのですが、そりゃ、登り窯に哀愁は残ります。窯業に詳しいわけではありませんが、登り窯の魅力は、語られることも多く、そんなものだと、黄紺も思ってしまっています。が、もう、京焼では過去のものになってしまっているのです。その登り窯を調査し、その記録を残し、しかも、考古学的な調査が入ったのです。それだけではなく、市中にあったわけですから、その仕事に携わる職人さんのコミュニティがあったはずだということで、民俗学的・文化人類学的調査が入ったというのです。それらの調査、これは、京焼の知名度、影響力を考えると、信じられないほど遅れていると、木立さんは言われていました。有田焼や瀬戸焼と比較されていました、そういった研究、また、文化行政からの扱い度といった観点から比較されると、正に、知名度、影響力からして、京焼は低いですね。確かに、「ブラタモリ」の有田編で観た扱いとは違いますわね。そういった観点で、3本の講演が組まれました。次のようなラインアップとなりました。①「五条坂の工房と登り窯を歩く-語りと写真測量から考える京焼今昔」(早稲田大学:余語琢磨)、②「京焼の登り窯を掘る-道仙窯・浅見五郎助窯・井野祝峰窯-」(公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所:岡田麻衣子)、③「五条坂の今昔と考古学-京焼登り窯発掘調査の歩み-」(立命館大学:木立雅朗)。①の余語さんは、窯業研究のプロ。外国の窯の調査にも入っておられるそうで、その技術を生かしての調査。3D画面として、登り窯を記録していこうという試みです。実際に撮られた画面も見せていただけました。この余語さんのお話の後半が。問題の民俗学的・文化人類学的調査。「道仙ロージ」の調査です。「ロージ」、即ち「路地」です。五条通からロージを抜けると、そこは、職人街だったのです。「楽只苑」のあった場所に「ロージ」があり、それを抜けた、即ち北側の地域です。これも知らなかった、そないなところに「ロージ」があるとすら知りませんでした。②が、登り窯の考古学的発掘調査報告です。調査に入られた登り窯の画像を観て、ホント、びっくりです。こないなものが、五条通の少し入ったところにあったなんて! 山麓などに登り窯がある場合、その傾斜を活用して窯は作られるでしょうが、街中なため、傾斜を作らねばならない、それには、煉瓦はもちろん、多くは、不要となった捨てる焼き物が、大量に出土。また、窯は拡張されたり縮小されたり、それは、窯業製品の需要に対応していることも判って来たり、特定の作家さんだけが使うのではなく、様々な作家さん、業者が、同時に窯を利用していたことを示すものが出て来たり、これは、1度に、多くのものを焼くため、その支柱や入れ物(各々には名前があります)に、名前が刻まれているのだそうです。③は、正に総括的なお話。五条という街の歴史、将来を考えさせるものでした。五条通は、北側だけが、昔の風景を受け継いでいることは、さすが知っていました。強制疎開のため、南側は取り壊され、今のような広い五条通が出現するのですが、元々は、今の北側の店舗群の前にある歩道程度が五条通だったということは知りませんでした。それと同時に、焼き物関連の家屋、窯も取り壊しの対象になったようです。やがて、残った窯も、公害防止ということで停止、窯はすっかりゴミの山に埋もれてしまうのです。そこへさして、現代のインバウンドが、五条通を変えて行きます。ホテル建設で、残っていた登り窯に被害が出てしまったり、取り壊しの対象になっていき、調査は、その消えて行く窯とのスピードを競うようにして進んだようです。そこへ、コロナ。外国人が消えてしまった五条通。なんか、ここまで聴いていると、感情移入してしまいました。街が生き物のように見えてきたからです、それも、人間に振り回され翻弄された生き物のように思えたからです。総合的に、素晴らしい講演会でした。小さい頃、祖母に連れられ、陶器市の並ぶ、この界隈を知っているからでしょうね、まだ、その頃は、登り窯が稼働していたと思われます。「ロージ」には、窯焚きの職人さんたちの生活があったと思われます。そういった、子どもの頃の心象風景と被ってしまったのだと思います。まことに得難い経験をさせていただけた講演会でした。
 京都アスニーに行くために乗った電車は、京都でも有数の観光地の最寄り駅を通ります。その駅で、こないだまですかすかだったのに、昨日は、多くの人が乗ってきました。背後から聞こえた駅員さんの声、このご時世に聞けるかというもの、「詰めてくださ~い」、瞬間、耳を疑いました。ニュースを見ると、「Go To なんちゃら」見直しが出ているご時世に、この言葉、ありえません。そんなで、帰りの電車は、違う電車を利用。こちらの方が、電車代がかかるのですが、そないな場合ではありません。でも、京都アスニーからの帰りは、京都の都心部を避けては帰れないのが傷。こちらも、さほど変化なし。「3連休は、出かけないように」、その時期にお出かけ予定を入れてしまってた黄紺も、同じ穴のむじなですな。


2020年 11月 21日(土)午前 7時 50分

 昨日から、この週末は、3日連続で、お出かけを入れています。まず、昨日は、文化パルク城陽へ。喬介の落語を聴きに行ったとき、予約を入れておいた「プラネタリウム構座」へ行ってまいりました。プラネタリウムのスペースを使った講演会が、年に何度か企画されているのです。コロナのため、今年度は、あまり企画できないと、関係者は言っておられましたが、昨日は、ばっしりと実施。大阪府教育庁文化財保護課の飯塚信幸さんの「世界遺産“百舌鳥・古市古墳群”の魅力に迫る」というお話を聴くことができました。この秋、向日市の講演会に続き、大阪初の世界遺産についてのお話を聴くことができました。いや、そういうトレンドだからこそ、2回も、この古墳群について知る機会ができたということでしょう。お話の前半は、世界遺産とはというもの。これは想定通りでしたが、これが入ると、肝心の古墳についての時間が減ってしまうから、ちょっと不満。世界遺産の種類など、また、登録へ至る道は、それはそれでおもしろいのだけど、狙いはそこではないのだからと、突っ込んでしまいます。その中で、世界遺産条約が生まれたきっかけが、エジプトのヌビア遺跡の水没の危機からだったということを知りました。これは、収穫。アスワン・ハイダムなんて、懐かしい名前が耳に入りました。もう1つ気になっていたこと、この世界遺産ってものが、日本で流行り出したのと、実際に世界遺産登録をされている年を見比べた場合、ずれがあるのが気になっていたのですが、日本が、世界遺産条約を批准したのが、確か1992年と言われていました。条約が生まれてから20年ほどしてから批准しているんですね、日本は。それがなぜかのお話はなかったのですが、これで謎のわけが判りましたから、感謝です。後半は古墳群について。こういった講演ですから、向日市のときのような、細かな、実証的なお話は期待しても無理なものは、端から解っていたのですが、それにしても薄いものだったな。2つの古墳群の位置、形状、集中具合、規模の大きさ、葬送儀礼、そして、世界遺産としての価値が、お話の柱と言えばいいでしょうか。その中で、この古墳の巨大さや集中度について、それらの位置、即ち、海から見える高台、幹線道路と言える古道沿いにあるという位置から、やはり見栄、外国への見栄的な役割を持っていたことを示唆されていたのが印象的でした。この考えって、定説化しているのだなと、勝手に考えていました。もう1つ、興味を引いたのは、宗教的な儀礼を、頭頂部で行っていたことが想像されるというお話。出土品、儀礼に使っていたのだろうという想像されるものが、その頭頂部から多く出土してくるというものでした。その具体的な品、それの使用法など、聴きたかったなぁ、飯塚さん、考古学がご専門だから、そういったことに詳しいはずなんでしょうから。最後に、仁徳陵などを知るためのスポット紹介をされて、おしまい。やはり、場を考えての抑制したお話内容に終始しました。これだと、いくら日本史に弱い黄紺でも、フラストレーションが残ります。だからと言って、堺まで足を運び、実地で勉強しに行くというご時世でもなしで、残念なこととなりました。このプラネタリウムに行くと思い出すのは、座席がプラネタリウム仕様になっているということ。背中を椅子にもたれさせると、後ろに下がるようになっています。天井を見なければならないですからね、プラネタリウムでは。この講演会でも、パワーポイントを使い行われましたが、スクリーンは、さすが真上ではないのですが、上向き加減。おかげで、ちょこちょこ居眠りが出て、自分のいびきで目が覚めること、3度ほど。でも、レジュメを見ると、内容を思い出せたということは、密な話でなかった証拠ですね。
 講演会が午後2時開始、終わり、下の人の集まるスペースに降りながら時計を見ると午後3時半過ぎ、そのくらいのスパンでの講演会でした。寺田界隈は、昔の田舎イメージが払拭され、とってもきれいなベッドタウンと古民家の棲み分けができているところ。全体としても、清潔感抜群だなぁと思ってしまうものだから、往きは近鉄電車で行き、帰りは、20分ほど歩くとあるJR城陽駅まで行くことにしました。そして、単線だから、行き違い待ちが多いうえ、宇治回りだから時間がかかるのですが、時間の心配がないものでしたから、のんびりとJRの旅としました。そして、ウォーキング時間確保ということで、最寄り駅の一駅前で降りるのも、こういったときの定番。自宅に着くと、もう真っ暗。あっさりと、一日が終わってしまいました。


2020年 11月 20日(金)午前 7時 30分

 昨日も、お出かけなしの一日、しかも、思いっきり、気温が上がった一日。TVの天気予報では、昼間は、半袖で出かけられるほどとまで言ってました。確かに、薄着で、でも、この時期だからと、その気になれず、秋向きの格好でウォーキングに出かけ、汗が、簡単に滲んでしまいました。これは、昼前のウォーキングだけではなく、夕方のウォーキングもそうだったので、かなりの気温上昇だったのですね。このくらいが、ホント、ありがたいね。寒いのが、年々、苦手になってきているものだから、そう思ってしまいます。ということで、日に2回のウォーキングだけのお出かけは、いつもの通り。ただ、昼前のウォーキングは、家事もあり、暖かな日のお楽しみ、公園での読書はカット。これは、仕方ありません。夕方は、もう暗闇の中をウォーキング。人が、ほぼ通らないところを歩くのにも、やはりほどがありますね。急に車が入って来たりしますから。
 コロナの感染拡大が、急を告げています。冬が近づけばと言われていた通りに進んでいます。日本もさることながら、トルコの拡大も、ここ数日、半端でない増え方です。黄紺は、日々、サッカー界の動きを追っている関係で、モニタリングと思い、トルコ・サッカー界の1部リーグにしぼって、新たな感染情報が入れば、把握するように努めています。毎日のように、陽性判明が報告され、そして、選手は隔離生活を強いられます。クラブからは、何らの形で公表するのが義務付けられているようで、選手何名、スタッフ何名との発表があります。審判に陽性判明が出た場合には、トルコ・サッカー協会が発表します。いずれも、プライバシーに関わるということだからでしょうね、名前は伏せたままです。こういった視点が、トルコで普通になってきていますね。EU加盟問題浮上とともに、こういった点が、とってもヨーロッパ基準になりました。時々、感染者名が漏れてくるときがあります。1つは、代表に召集された選手が、故国でのルーティンとなる検査で陽性が出たときと、選手個人が、ツイッターなどを使い、自らの感染を公表したときです。その数が、どんどんと増えているのです。選手構成に困るほどになっています。出場可能な選手確保について、トルコ・サッカー協会は基準を設けていて、それに抵触すると、試合は延期になります。ハタイ・スポルのケースが、これですね。ところが、基準に達しない場合、試合を行わねばならないから、これは大変です。現時点だと、ベシクタシュが、正にこれですね。黄紺的実感だと、今季の優勝とか、順位というのは、最早、実力や、監督の采配とか以前の問題になってしまっているように思えてしまっています。如何に、感染者を出さないか、です。いや、これだけ、感染者が出ても、試合を続けている事態に違和感を感じ出していると言った方が適切でしょう。一方、TVのスポーツ・ニュースで観る、日本のサッカー場の風景、スタンドに客が入っているのに、ドン引きしてしまいます。そう言いながら、座席制限を解いてしまっている映画館に行くのだから、黄紺も変なことをしてしまっています。今日からの週末、お出かけが決まっています。止めようとは思っていない自分がいます。4月なら行かなかったはずと思います。人の緩みには厳しく、自分の緩みには優しくなっている、やはり、これですね、原因は。そこへさして、季節が、ウイルスを増長させているということなのでしょうね。
 オペラ配信は、バーミンガム・オペラ・カンパニーの「フィデリオ」(グラハム・ヴィック演出)です。これが、また、凄いプロダクション。冒頭、MCが現れ、しかも、そこは、観客が詰めかけるテント前、テント前ですよ! MCが喋っていると、プラカードを持った人が、カメラとの間を横切る、「なに、これ」的な雰囲気は、もう、これだけで伝わってきます。そうなんです、このプロダクション、黄紺が、ワイマールで観た「オネーギン」同様のコンセプトのプロダクションだったのです。休憩所で芝居が始まり、「フィデリオ」は、ジング・シュピーゲルだから、芝居が入ります、芝居が、オペラが、客に紛れて始まり、客を引き連れ、物語が進行していくというやつです。途中休憩になり、ここで、初めて、MCが種明かしをします。大テントの中で繰り広げられる、このオペラには、200人もの出演者がいるというのです。しかも、市民が、多く、エキストラとして参加しているそうです。オケは規模を縮小しての演奏、その横にはコーラス、ですから、囚人たちは歌いません、その人たちが、役者も紛れているかもしれませんが、基本、市民なのです。囚人が戻されるときなどは、会場の下を流れる下水道への柵を外していましたし、実際に、そこへ降りて行っていました。リハの映像を、種明かしついでに流してくれていましたが、グラハム・ヴィックの陣頭指揮での姿に、完全に憧れてしまいました。さすが、スター演出家です、凄いことを考え、実行に移すものだと。ワイマールに比べて、規模の大きさが違いますが、こういったプロダクションが考え出されるだけで、やはり、ヨーロッパは凄いね、ホント。いつまでも、古色蒼然たるプロダクションに満足している日本との彼我の違いの大きさにたじろぐしかありません。


2020年 11月 19日(木)午前 7時 5分

 昨日は、お出かけなしの一日。今週末は、予定が詰まっているため、とにかく自重。でないと、せわしなくていかないものですからね。行きたいところはピックアップできているのですが、それよりか、家にいる方が落ち着くと思ってしまう、今日この頃です。昨日も暖かな一日、いや、一段と暖かくなったと言えばいいかな、家内にいても、空調を切ったままという時間が長くなっていました。ルーティンとなるウォーキングは、当然、いい感じですることに。ホント、公園で休憩がてらの読書に没頭してしまいます。新たに、イタリアの歴史紀行といった本を読んでいます。イタリア・ルネサンス関係の本を読み続けていて、ここ2回は、それから離れていたため、頭をイタリアに戻すための選択です。奥さんが運転して、車でイタリアを回るという結構なご身分の方の文章です。イタリア在住の方ですから、食事など、そういった生活習慣に詳しいのが、いいところ。そんなのを読んでいると、自分がイタリアに行ったことが思い出されてしまいます。イタリアには、「2回+α」行ったことがあります。「+α」というのは、トルコに行くとき、アリタリア航空だったため、当時、往復ともにローマで泊まらねばならなかったのを、却って好材料として選んだのでした。少しだけ入ったので、「+α」です。おかげで、そのときにアナーニに行けました。自分的「アナーニ事件」と呼んでいる悲しいことのあったときです。町から駅までの9kmを歩かねばならなかったという、悲しい思い出です。あとの2回の1つは、ローマ、アシジ、フィレンツェ、ミラノという王道のルート。ミラノが大雪で、飛行機がキャンセル。翌日のローマ発の飛行機に替えてもらい、5時間かけてミラノからローマに移動した思い出があるのですが、あれだけ積もっていた雪が、ボローニャとフィレンツェの間のアペニン山脈を越えると、嘘のように消えたのが忘れられない。本の著者夫妻は、ここを車で越えている。蘊蓄が入り、古来の難所だったため、越えやすい峠が、正に歴史的な街道になったとか。もう1回は、黄紺が行ったあとに世界遺産となったフェッラーラと、既に世界遺産だったラヴェンナ界隈、ロマーニャ地方なんてところを、うろうろ。こちらは、えらくマニアックな旅でした。本の著者は、このラヴェンナに、運転手付きで公的車両を使い、行ってます。このラヴェンナの歴史的位置、モザイクの素晴らしい壁画のある教会の蘊蓄は続きます。でも、今の街に関しての蘊蓄はなしに、納得。ここは泊るところじゃなかったなぁという思い出が蘇ってきます。行くまで、知らなかったよと、当時思ったものだなんてことも、蘇りました。本を読みながら、暫し、目を止め、思い出に浸って、ボーっとする時間が入るものだから、また、その時間がいい、温いと、余計に気持ちがいい時間となります。
 オペラ配信は、「真夏の夜の夢」を完走。でも、またぞろ居眠り。村芝居の記憶が、ほぼないものだから、熟睡系の居眠りだということで、村芝居を、もう1度、最初から観ることにしました。壁は布を使い、壁役の男は、隙間を手に持つというもの。2人の恋人役は、大きな人形を使いました。これが見せどころかな。ここは、オペラのパロディになっているはずだがと思いながらを聴いていても、判ったのは「ルチア」のパロディくらいかな? フルートさんが演じるから、フルートのオブリガードが入るとなれば、「ルチア」です。ヴェルディが入るはずなんだけど、探している内に、村芝居は終わってしまいました。マインツ歌劇場で、このオペラを観たとき、若い人が詰めかけていた。若い人たちが来るプロダクションって、おもしろいに決まっているというセオリー通り、とっても素敵なプロダクションでした。周りにいた若い人たち、この終盤の村芝居の場面になると、正に身を乗り出すというのはこれだというくらい、舞台に惹きつけられていたのが、何ともいい感じで、このオペラを思い出すと、そのマインツ歌劇場の客席風景までもが思い出されます。モンペリエのプロダクションを観ていて、大変なミスを犯しました。オベロンは、やはりカウンター・テノールでした。なんか化粧の仕方で、勝手に女性だと思ってしまいました。それと、ブリテンの少年愛趣味って、何も、インド人の男の子を取り合うオベロン夫婦だけではなく、何を言ってるんだと思いました、もう、舞台には少年がいっぱいじゃないか、そうです、ボーイソプラノに割り当てられた妖精、これだ、ブリテンのやりたかったのは、これだったのだと、今頃になり気づいている黄紺です。2度観をしたので、次の作品を観る時間まではありませんでしたが、次の作品探しをする時間を取ることはできました。「フィデリオ」で良さげなのが2本見つけてあるので、とりあえず、その1本を観ようじゃないかと決断。週末には、チューリヒ歌劇場のオペラ配信がありますから、「フィデリオ」の間に「マリア・ステュアルダ」が入ってしまいそうです。


2020年 11月 18日(水)午前 7時 51分

 昨日は、ようやく映画を観に行く気になりました。京都シネマで、フランス映画「パピチャ 未来へのランウェイ」を観てまいりました。これは外せないの気があったからでしょうね、朝から「行くぞ」の気で、それに合わせての動きをして、でも、最後に慌てて行くことになりました。慌ててというのは、この頃、1ヶ月に1度、同じミスをしているのではないかな? 寄り道をしないで、直で目的地に行くときに立てるタイムスケジュールに、何やしらミスるのです。出かける時間を決めても、それを知らせるタイマーのセットをミスったり、タイムスケジュールを作るとき、時間の算出をミスったり、そんなで、最後に大慌て、です。この映画を選んだのは、アルジェリアが舞台だということ、そのアルジェリアを、イスラーム原理主義が吹き荒れた時代を舞台にしていること、それを描いた監督や出演者がアルジェリア系の俳優さんで占められていること、そういった点に関心が行ったのでした。主人公ネジュマと、それを取り巻く友人たちは、寄宿生活をしている女子大生。夜、その寄宿舎を抜け出し、ディスコへ行ったり、また、そこのトイレで、自分のデザインして作った服を売ったりして、奔放な生活を送っている。まず、この女子大生の会話の撮り方が素晴らしい。その会話をする女子大生役の俳優さんの演技か素か判らないような会話もいいしと、そこで圧倒されます。このテンポ、撮り方に変化を持たせ、状況の変化を表す手法も抜群の監督さんです。このメニア・ムドゥールという女性監督もアルジェリア在住経験者。その女子大生たちの奔放な姿を表すと同時に、それを隠れながらやっている、トイレで服販売は普通じゃない、それで、この映画を取り巻く環境も、同時に示してくれます。そして、それが、この映画を貫くテーマ。イスラーム原理主義が跋扈するなか、服の強制圧力が強まり、また、各所でテロが行われているなかでの、この女子大生の動きだったのです。事実、ジャーナリストと思われるネジュマの姉も、ネジュマのすぐ背後でテロに遭います。その撮り方もすごいなと思わせるもの。アルジェリアの伝統的衣装に使う布に関わる、ネジュマ姉妹とその母親の会話でネタ振りをされた直後のテロです。そのテロのときは、ネジュマを撮り、ネジュマに焦点を当て、その背後で、だから、焦点を外したぼやけた絵でテロを表します。この才走った映像は迫力満点、テロの起こったときのネジュマの衝撃に焦点が当たっているのですから。そういった原理主義運動とファッションショーを対峙させ、物語は進行していきます。果たして、この状況で可能なのか。その進行の中に、その原理主義で女性が抑圧されていくだけではない、社会全体が持つ女性の地位、それに向き合うネジュマ、友人たちが描かれるのが秀逸。原理主義の受け売りをする男、親切心からでしょうね、国外への移住を薦める恋人、彼は、それを実行する手まで打ちます。それが、結局、男への従属であるということを、ネジュマは看破してみせます。妊娠をしている友人は、兄に違う男との結婚を用意されています。等々と、原理主義の運動が、テロが、日常生活に潜む危うさの極端化に過ぎないことを提示しているようでした。ファッションショーは、でも、開かれました。これで終わるわけはないだろうと思っていたら、やはり、終わりませんでした。でも、それに、どのように、この映画は始末をつけるのだろうと思っていたら、この映画には、「希望」を伝えるシーンが用意されていました。但し、「希望」が「希望」になるかは「未知」ですが。「未知」は、見えてないだけに「希望」となるということかと思えました。アルジェリアの原理主義は、特にえぐかったという記憶があっただけに、かなりきついことは覚悟はしていたのですが、確かにかなりのものがありました。そういった映画は、敬遠されるのかな。客は、黄紺を入れて6名。おかげで、感染拡大のなか、余裕のソーシャルディスタンスでした。最近、映画館では、およそ人の座りそうもない場所に席を取りますが、そんな必要は皆無の状態で、これは嬉しいことではありました。
 昨日は、この映画を夕方に観ました。日に1回の上映が、その時間でしたから、そうなっただけです。ですから、午前中は、ごく普通の午前中。昨日も暖かな一日だったもので、緑の多い公園での休憩&読書が、ゆったりとできました。とってもいい気持ちです。いい感じだから、どうしても、公園で佇む時間が長くなりますね。これが、続いてくれるといいのですが。夕方のウォーキングは、映画館への往復で替えることになりました。いつも、京都シネマからの帰りは五条まで歩き、四条通の喧騒を避けるのが、黄紺の定番です。


2020年 11月 17日(火)午前 6時 39分

 昨日も、お出かけなしの一日。映画でも行こうかなと思っていたのだけど、早々に行く気がなくなってしまった。出不精というか、何とかしてという気がなくなってきています。となると、日に2回のウォーキングだけが、外出の時間。かなり気温が上がったので、格好のウォーキング日和。緑の多いコースを選んだのはいいけど、昼前は暑くて。見栄え関係なく、少しでも涼しくなるように工夫して歩くことになりました。夕方のウォーキングでは、それに懲りて、いつもとは逆に、薄着をしてのウォーキング。もう、それで十分でした。休憩で読書時間に充てるときも、日陰を探して座る場所を選んでたくらいだった。温すぎる。夕方のウォーキングのとき、慣れない靴のお試し、第4回目。もう試すのも、勇気がいるほど、痛む。でも、馴染まないときって、毎回、このくらいだからと、自分に言い聞かせてのチャレンジ。その甲斐あって、かなり馴染んできました。もう、勇気なんてものは要らないようです。でも、最後まで、左足の親指が馴染んでくれないので、もう少しの我慢が要るかもしれません。そうなんです、いつも左足です。前から気付いているのですが、左右の足が違うからなのでしょうね。靴裏が減ったりするのも、いつも左足からだからね。
 オペラ配信は、チューリヒ歌劇場の「ボリス・ゴドノフ」を完走。結構、途中、居眠りをしてしまっているので、振り返りをしたいのだけど、短期限定公開、しかも、長いオペラのため、そないな時間は取れないままの完走。バリー・コスキーのアイデアにしてやられた感じ、です。昨日、「一人コロス」と書いていた男、実は、ひょっとしたらという気が、ほんの僅かにあった「白痴」でした。この、今や死語となっている語句が、このオペラには生きています。西ヨーロッパでは、「阿呆」「愚者」と呼ばれるあれです。エラスムスが「神」にしてしまったあれです。ですから、昨日、観ていたところまでは「歌わない」役でした。それが歌い出した、もちろん「白痴」の歌うところで。昨日、「複眼的」に歴史を観るなんてことを書きましたが、オペラの「内」にあり、即ち、オペラの登場人物に、既に「外」部の目が用意されていたことを、見落としていました。「白痴」を登場させないプロダクションもあるといったことを聞いたことがあります。どういったコンセプトで、そのような手が使われているのかは知りませんが、黄紺が目にしたことのあるプロダクションでは、歌うところで出すというものでしたが、このバリー・コスキーものでは、冒頭から最後まで、「白痴」の目を意識させられていたことになりました。ところで、この「ボリス・ゴドノフ」は、今年の9月下旬に上演されたものだと判りました。オケとコーラスが、普段の練習場と思われる場所で演奏、それがリモートで、劇場で映されていたのは当たっていました。ソーシャルディスタンスを取りながら着席していました。が、最後、客席にカメラが回って、びっくり。確かに、客は、全員マスク姿。でも、フルで入れてました。カーテンコールに現れた歌手陣は、舞台上でソーシャルディスタンスを取っているのに、客席はフル。このアンバランスに唖然。こりゃ、再爆発するわ! 歌劇場でクラスターが出たろうとは言いません、このスタンスが危険だと思いました。オペラだけではなく、コロナに対するスタンスまで見せていただけ、この配信、グッジョブ、です!
 昨日は、オペラ配信を、もう1本、結構、時間を割くことができました。「ボリス・ゴドノフ」の配信終了時間が迫っていたので、いつもオペラ配信を観ない時間帯に観たため、普段、オペラ配信に使っている時間帯に、もう1本、観ることができたというわけです。それは、モンペリエ歌劇場の「真夏の夜の夢」(テッド・ハフマン演出)。ブリテンのオペラです。元になるシェークスピアの台本がいいこともあり、ブリテンものでは、一のお気に入りオペラです。でも、あまり上演がなく、黄紺は、生では2本、兵庫芸文の佐渡オペラとマインツ歌劇場の中ホールの公演がそれで、あとは、DVDになっているロバート・カーセンのプロダクション(リセウ歌劇場/バルセロナ)だけしか、観たことのない作品です。それらと比べて、このモンペリエのプロダクションには、明らかに違うポイントがあります。妖精の王オベロンはカウンター・テノールが歌うものと思っていたのですが、このプロダクションでは、メゾが歌っています。そういった選択肢もあるんだと、初めて知りました。でも、これやっちゃうと、ブリテンの同性愛趣味が吹っ飛んでしまいます。特に少年愛的モチーフを入れたがるブリテンの趣向が消えてしまいますよね。それを消したかったのかな? かつて、カストラータが歌っていた役をメゾが歌い、それを、カウンター・テノールに移すというのは観たことがあったけれど、元々、カウンター・テノールに作られた役を、ズボン役に回すという試みです。妖精の王の超越性は、ズボン役の方が出ると考えたのかな? 倒錯性を、どのように感じるのかの問題なのか、全く、的外れの想像なのか、よく解りません。アイデアとしておもしろいポイントがあります。パックは歌わない役で、通常は、歌手ではなく役者さんを使いますが、そのパックを、このプロダクションでは、常に宙吊りにしています。これは、おもしろい試みです。そして、ちょっとだけ歌わせるという試みも、用意。いろいろとやってくれます。パックのミスで、人間関係が大混乱したところまで行けましたから、あとは、それを解いて、村芝居となっていくはずです。


2020年 11月 16日(月)午前 6時 56分

 昨日の日曜日、暖かな一日でした。すっかり、いい気分の、何もない一日。ルーティンの日に2回のウォーキングに、まったり。昼前のウォーキングでは、木陰のベンチに。暖かな陽射しにひるんだのか、まともに陽を受けるベンチは避けたほど。もう、それで十分どころか、休憩がてら本を読んでいると、やたら眠気に襲われて、困ったほど、それほど、いいお天気。家に戻ると、昨日の昼前は、さほど、ウォーキングに時間を当てなかったのだけど、完全に汗ばんでいました。夕方も同様。陽も落ちているのに、しかも、いつもだったら、夕方のウォーキングには、少しばかりの厚着をして出るのに、昨日ばかりは、昼前と同じ格好で出かけながら、家に戻ると、また汗ばんでいました。いや~、結構な一日でした。そないにいい日曜日だったからでしょうか、TVのニュース映像を観ていると、結構な人出。第3波だというのに、呆気に取られてしまいました。なめてかかったような人出ですね。ワクチンなんか、簡単に来ないよ。日本は、アメリカ製とイギリス製のワクチンと契約しているそうですが、先行しているアメリカ製ワクチンの保存には、マイナス70度だか80度の保存庫が要るそうですね。そんなの病院で持っているなんてのは、ごく僅かだそうで、輸送となると、余計に大変だろうにと思ってしまう。フェーズ3まで行っている、もう1つのワクチンは中国製。だからでしょうね、日本では報道もされてないんじゃないかな? 考えてみれば、コロナの発生場所は中国だから、最も早くから、ウイルス自体、更に抗体を持っていただろうから、ワクチン開発競争では完全に有利なはず。ハンデキャップ競争なんだから、中国製を確保するというのが、最も理に適っているのだけど、そこに政治が入るものだから、歯牙にもかけられていないようです、日本では。なのに、この人出。冬には感染拡大が起こる、北海道で爆発しているのが、何よりも証拠のはずなのに、あの人出。なめてますね。トルコの、ここに来ての拡大も、えぐい。毎日、サッカー・クラブのどこかで陽性判明が報告されている。完全にトルコ全体の縮図になっていると思えるので、押さえ続けようとしています。今、感染対策のトレンドは、屋外の喫煙禁止、その取締り。ヒュリエット紙の署名記事に、マスクを外すのは、喫煙時だけではなく、飲食時にもするだろうにとの突っ込みが入ってました。もう1つのトレンドが、HESコード。自分は感染者でない、濃厚接触者でないという証明、ですね。その証明をしないと、入れてもらえない、乗せてもらえないということになっていっています。スマホ、全員、持ってないと思うのだけどな。スマホ会社の回し者のような対策法。報道画像を観ていると、街角に、ベレディエでしょうね、テントを張って、HESコード登録指導キャンペーンをやってました。登録の仕方を表示して、解らない人には、登録を教えましょう、替わりにやりましょう、そういったキャンペーン・ブースです。もし日本で、同じような対策執ったとき、このキャンペーン、やるだろうかと考えてしまいました。トルコだからだろうなと思ってしまうのです。そないなことやってるとは知らなかったけれど、その画像観て、これはトルコだからだと思ってしまっています。県知事が、県警本部長、県保健所長同道で、取締りに当たるのも、トルコだからだと思います。マスクをしていないおっさんに、「アービィ」「アルカダッシュム」「ヴァタンダシュム」と声でもかけているのかな? そして、事を説明し、反則切符を、自ら切る、そういった姿が想像できてしまいます。あぁ、トルコ、行きたい!!
 オペラ配信は、いよいよチューリヒ歌劇場の強烈3連発の第1弾のお世話になっています。「ボリス・コドノフ」(バリー・コスキー演出)です。まず、この公演、コロナ禍以後の最新映像じゃないかな? だって、オケピットとコーラスは別室からの映像での参加です。それが、舞台上のスクリーンに映るところからスタートです。ですから、群衆場面でも、一切、コーラスの人たちは、舞台上には出てきません。歌声が聴こえるだけ、です。舞台脇にでもモニターが仕込んであるのでしょうか、それを睨みながらの歌唱になっているのでしょうね、舞台には歌手が出てくるだけです。それと、複雑な装置を動かす裏方さんが黒子で出ますが、これは致し方ありません。休憩が入るまで、ボリスの錯乱場面までですが、そこまでは、どこかの資料室といった風情。書架に、大量のファイル、書籍が置かれています。それが、いろいろと動かされての進行でした。ユニークなのは、もう1つあります。「一人コロス」と名付けたい一人の男が出ます。歌いませんから「コロス」と呼ぶのは不適切かもしれないのですが、物語の進行を眺める存在であるとともに、時には進行に関わりますから、機能的には「コロス」っぽい。この物語には、歴史を認める男が出てきて、それを見て、グレゴリーが偽ドミトリーになることを思いつきます。ここに、ボリスを外から眺める目が1つありますが、更に、もう1つ、グレゴリーも包摂した物語を眺める目を用意したと看ました。それにプラス、このオペラを観る我々の目があります。そういった複眼的に歴史を見させることで、歴史の対象化、相対化を、より図った、そういったプロダクションかと看ました。黄紺は、生で「ボリス・コドノフ」は観ていますが、そのニュルンベルクでの体験は、ペーター・コンヴィチュニーのプロダクションだったのですが、いわゆる原典版を採用しており、女性の出番が極端に少ないものでしたが、このバリー・コスキーものは、リムスキー・コルサコフらの手の入ったもの。どの版かとの特定できる力はありませんが、とにかく女性が出てくるものです。そのマリーナ(オクサナ・ヴォルコヴァ)、グレゴリー(エドガラス・モントヴィダス)、そして、イエズス会の修道士ランゴーニ(ヨハンネス・マルティン)の絡みが、めっちゃうまいです。もちろん、タイトルロールを歌うミヒャエル・フォッレは言うまでもなく、シュイスキーを歌うジョン・ダザクも上手いなぁ、、、さすが、チューリヒ歌劇場ですね。


2020年 11月 15日(日)午前 7時 54分

 昨日は、びわ湖ホールで音楽を聴いた日。「特別公演 本山秀毅×びわ湖ホール声楽アンサンブル“マタイ受難曲”」というコンサートです。「マタイ受難曲」が、生で聴けるということで、先週のレクチャーともども、速攻で行くことを決めたコンサートでした。出演者は、次の通りです。指揮:本山秀毅(びわ湖ホール声楽アンサンブル桂冠指揮者)、びわ湖ホール声楽アンサンブル、福音史家:清水徹太郎、イエス:津國直樹、児童合唱:大津児童合唱団、管弦楽:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団。大ホールを使い、ソーシャルディスタンスをとった公演。このホールの1階の座席でのコンサートって、初めてかもしれません。下から見上げて、少なくとも3階までは詰まっていましたから、大成功のコンサートです。「マタイ受難曲」の魅力は絶大です。舞台上もソーシャルディスタンスをとるということでしょうね、オケピットを閉ざして、その上に、指揮者とアンサンブルの皆さん。本来の舞台が見えやすいようにと、オケピット上の舞台は低くしてあり、本来の舞台に上がるために、指揮台の左右に階段が設えられてありました。舞台正中に、ソリストのお二人、児童合唱団はオケの後ろ、一番後ろの位置でした。アリアは、アンサンブルの人たちが、交代で、短いものを除き、ソリストの位置まで移動して歌うというもの。ピラト役の歌手は、ソリストの傍らに座り待機という姿勢を採りましたが、後の皆さんは、毎回、移動してのものでした。「マタイ」は、様々な登場人物が出て来るということで、入れ代わり立ち代わり、歌手にソロが割り当てられることができるのがいいですね。アンサンブルは。ソロ歌手の集団なわけで、コーラスじゃないわけですからね。ただ、コーラスが、こういった「受難曲」にはウエートを占めていることも事実。現有メンバーでは、さすがに少ない、ましてや、コーラスを2つに分けねばならないというのが「マタイ」ですから、アンサンブルの卒業メンバーを加えて、ボリュームを確保していましたが、限りがあるため、やはりボリュームに満足できたかというと、物足りなさは残りましたが、これは致し方ありません。ですから、児童合唱団が入ると、とってもいい感じに聴こえてしまいました。でも、絶妙のタイミングで、繰り返し挿入されるコラールは、2つに分かれているコーラスが併せて歌いますから、これはなかなかのもの。バッハって、すごいなと思わせられる、重要なポイントですね。オケは、古楽を専門にされているものではなかったのですが、ヴァイオリンは、弓の持ち替えで済みますから、柔らかめの響きに終始していたため、それはやられていたのでしょう。それ以外では、通奏低音として、大きな役割を持つヴィオラ・ダ・ガンバは、専門の方が入られていました。ちょっと自己主張が強いぞと思わせられる演奏でしたが、とってもいい彩となっていました。ソリストでは、期待通り、清水さんがさすがの出来栄え。先日のレクチャーで見た楽譜の複雑さにびっくりした黄紺ですが、そこはプロです。清々しいエヴァンゲリストを聴かせていただけました。ソロを受け持たれたアンサンブルの皆さん、本山さんの指導が強く入っているのでしょうね、頑張ってノンヴィブラートで歌ったいただけました。ちょっと人により凸凹が出るのは致し方ありませんね。聖々たる気分に浸ったん十年前の「マタイ」経験、クリアに覚えています。それ以来の生「マタイ」、申し分のない気分、もう、3回目はないだろうなと、自分に言い聞かせながらの帰宅の途となりました。
 開演が午後2時、びわ湖ホールを出ると、午後5時を過ぎていましたから、もうJR大津駅までの道は、夜道の雰囲気。昔からある道を辿って大津駅まで行くのが定番。これが、片道20分、いつもでしたら、一駅前で電車を降りて、ウォーキングに替えるのですが、この時間ではできた相談ではありませんでした。しかも、前日の靴のお試しで、痛みがまだ残っており、大丈夫な靴を履いて出かけても、演奏中は、暗さをいいことに、ずっと靴を脱いでいなければならないほどだったため、いくら意欲があっても、ウォーキング替わりに一駅前での降車なんて、とんでもないことでもありました。そんなで、昨日は、「マタイ」だけの一日。でも、それで十分、、、堪能いたしました。


2020年 11月 14日(土)午前 7時 43分

 昨日は、予定では、映画を観に行こうか、どうしようかと考えていた日。どうしようかというのは、もう一つの有力候補があったからで、結局は、そのもう一つを選んでしまった日となりました。映画は、他の日でも行ける、もう一つはそうじゃないというのが、最終的判断。しかも、わざわざ出て行かなくても済むというのも、大きかった。それは、「国際日本文化研究センター」の「第54回 国際研究集会」の基調講演が、Zoomを使い、一般に公開される日だったのです。テーマが「帝国のはざまを生きる-交錯する国境、人の移動、アイデンティティ」という、かなりそそるものがあったので、基調講演に続く研究会にも申し込んだのですが、こちらは、研究者のみの参加ということで参加はかないませんでした。一般の者にも解りそうな内容かと思い、申し込んだのですが、象牙の塔の壁は厚く、拒否されてしまいました。で、基調講演は、兵庫県立大学の陳来幸さんの「帝国崩壊後の在日華僑と在日台湾人」というもの。陳さんの叔父さんが陳舜臣という関係の在日台湾人としての、ご自分のルーツを辿るようなお話だったはずです。はずですというのは、居眠りをしてしまったからです。それも、早々に。ですから、内容は、よく判らないのです。でも、幾つか記憶が残っていますし、自分の欠けていた部分も指摘されたようなところがありました。戦後、日本国籍を持っていた、即ち、日本国臣民だった台湾人は、「中国」籍となった。パスポートなどが要る場合は、「中華民国」籍になるけど、放置しておくと「中国」籍だった。この問題は「朝鮮」籍の話では、よく聞くことでしたが、台湾人については、正直、考えたことがありませんでした。その「中国」籍とされた人たちの半数以上が台湾人だった。こういった宙ぶらりん状態を余儀なくされる、しかも、「帝国のはざま」で起きた諸問題を取り上げるのが、この研究会の趣旨だったのです。だから、聴きたかったのですが、、、。何も、台湾、朝鮮だけではなく、満州絡みもあるでしょうし、中国残留孤児・婦人などが、これに当たりますわね、そういった問題に関わった文学や映画、マスコミの応対等々、おもしろそうなテーマが並んでいたのが、この研究会と看たのでした。陳さんのお話は、陳家を通じて看える、戦後の華僑の動き、なかでも、2つの中国への絡み方、在日華僑の動きが、台湾出身者=中華民国支持、大陸出身者=中華人民共和国支持とは、単純にはならなかった様相を伝えられたようです。これは、あくまでもレジュメを通しての想像ですが。
 そんなで、不首尾に終わったZoomを使っての視聴、でも、おかげで、Zoomなるものを使うことになりました。今まで、オンライン呑み会をするときには、使ったことがなかったものですから、純粋に初体験。アプリケーションをダウンロードしなければならないので、ややこしいかなと思っていたのですが、あまりにもあっさりとダウンロードでき、講演会に参加をできたので、Zoomを使って、誰かとオンライン呑み会をしたくなっちゃいました。真夏には、何度かやっておきながら、その後は、とんとご無沙汰ですから、Zoomを使うと、機能が多く付いているので楽しそうと思っちゃいました。ただ、Zoomを使えそうな友人をピックアップしなければなりませんが。息子で試す手がありますね。
 不首尾に終わった効果その2は、オペラ配信に時間を割こうと思ったこと。昨日は、講演会だけにしておこうと思っていたのですが、そんな具合だったもので、こちらに回ることに。ウィーン国立歌劇場の「カヴァレリア・ルスティカーナ」完走です。ラストの部分を残していたのを、全部観たということです。また、1つ発見です。舞台の構造は、昨日書いたように、前後で上下に分けてあるのですが、サントゥッツァの立ち位置が、基本、下だということに気が付きました。階段を上がり、上の舞台には上がるのですが、考え事をしながら下に下りて来たり、教会への階段に佇んでいると、子どもにものを投げられたり、有名な間奏曲では、教会への階段も上がりきり、教会堂の扉を開けるまでは行くのですが、また、下に下りてしまいます。この社会での、サントゥッツァの位置を表すのに使われているのも、さすがと思わせるプロダクションですが、そのため、民衆の出るスペースが狭くなってしまったことは否めません。上のスペースが、教会への階段を使っても狭いのです。この階段に、群衆を立たせることで、ボリュームは出るのですが、いかんせん狭いもので、とっても窮屈。これって、シチリアから離れてしまうなと感じてしまいました。今日から、いよいよ、3週連続で、週末は、チューリヒ歌劇場のオペラ配信を観ることができます。うまく時間を使わないと、週末は、お出かけ予定が詰まり気味ですからね。


2020年 11月 13日(金)午前 6時 54分

 昨日も、お出かけなしの一日。いつものように、そういった日の定番、日に2回のウォーキングだけが、外出時間。昼前のウォーキングは、思いの外、気温が下がっており、もう冬の感じでした。特に、昨日の昼前のお出かけのときは、陽が出ておらず、しかも、一番緑の多いコースを採ったからか、余計に寒々としたなかのウォーキングとなりました。緑が多いのは気持ちはいいのですが、ごちゃついてないだけに、なんか寒い。見通しのいいところに出ると、見晴らしはいいのだけど、風が吹き抜ける感じがして、風が吹いてなくても、寒い。これって、真冬の感じですよね。途中から、陽が射してきたので、頃合いの場所で腰かけ、休憩がてら本を読んでいると、いつの間にか、日陰になっているという運のなさ。でも、このコースは、森の中を歩いている雰囲気があり、Dを連れて歩いていることを妄想しながら歩くのも、なかなかいいものです。Sが大きくなったら、2人を連れて歩く? これは、大変です。でも、その頃には、Dが助手としてSに心配りができるかもしれませんね。これも、妄想の一つでした。昼前の寒さ経験で、夕方は、それよりか気温は下がっているはずと、少しだけ厚着をして、ウォーキングに出発。だけど、これは勝手判断でした。昨日は、夕方の方が、気温が高かった。そういったときって、苦にはなりはしなかったけれど、でも、なんとなく体を重く感じてしまうという、勝手なものです。足の痛さを考え、新しい靴のお試しは、連日敢行することを控えたため、ウォーキングが、何とはなしに速い。もう、夕方のウォーキングは、休憩を入れないようにしていることもあり、わりかし後半になると、疲労感を感じてしまうことがあるのだけど、前日よりは、スピードアップしているなと感じた途端、余計に疲労感を感じてしまいました。
 トルコ・サッカーで、えらいことが持ち上がっています。一昨日のトルコ代表とクロアチア代表の一戦、その前後半のブレイクアウトの時間に、クロアチア代表のドマゴイ・ヴィダに陽性判明が出たとの知らせが入り、前半は試合に出ていたドマゴイ・ヴィダを交替さえ、試合を続行。未だクリアになってないのだけど、その一報は、当然、クロアチア側には入っていたけど、その時点で、トルコ側には入っていたのか、とにかく、前半は、ドマゴイ・ヴィダがプレーしているのだから、トルコ代表選手と接触はあったはず。しかも、ドマゴイ・ヴィダはベシクタシュの選手だから、試合前には、ベシクタシュのお友だちと旧交を温めていた。現トルコ代表監督のシェノル・ギュネシュは、元ベシクタシュの監督だったし、現在はイングランドでプレーしているジェンク・トスンは、元ベシクタシュのエースFWだったことから、この2人とはハグまでしている。微笑ましい姿ではあるけど、いざ陽性判明となると、えらいことです。クロアチア代表の他の選手は、陰性だったということで、スウェーデン代表戦に向け、ストックホルムに向かったのかな、もう? でも、検査時点では陰性でも、その後、何時間も同じ空間を共有しているわけだからと考えると、ストックホルムに行っていいのかなと思ってしまう。大変なのは、トルコ代表然り。急遽、関係者のPCR検査の実施、これを書いている時点で、トルコ・サッカー協会のHPには検査結果の発表は載っていませんが、TRTの速報で、「全員、陰性」が出ていますので、とりあえずは大事に至らなかったようですが、ドマゴイ・ヴィダの感染は、ベシクタシュにクラスターが起こっている可能性も疑われます。前日には、選手3名を含む4名の陽性判明が発表されたところでしたしね。もう一つ、トルコ代表とクロアチア代表の試合、前半で中止にすべきだったのではないかという、もっともな意見を吐く識者もいます。そこで、トルコ・サッカー協会は、どの時点で、この感染情報を知ったかですね。クロアチア・サッカー協会の動向も、きっちりとレポートして欲しいな。
 オペラ配信、フェニーチェ劇場の「セヴィリアの理髪師」完走しました。やはり、アルマヴィーヴァ伯爵の大アリアはカットでした。となると、オペレッタ同様、大団円はあっさりとで終わりました。こういった有名オペラの定番的プロダクションを、有名な歌劇場で観るというのは、老舗の味ですね。この路線を追求するのもいいなと思わせられた、ちょっとした味な経験をさせてもらった思いがしています。次いで、新しい配信をチョイス。今度は、ウィーン国立歌劇場の「カヴァレリア・ルスティカーナ」(ジャン・ピエール・ポネル演出)です。ガランチャが、サントゥッツァを歌っているというのでマークしてあったもの。でも、なんで、ウィーン国立歌劇場ものが、Youtube に流れているのだとも思いながら、実際に流れているものは利用させていただくの心得で視聴することにしました。コメント欄には、スタッフらの情報が書かれてなかったもので、いざ流れ出して、これが、ジャン・ピエール・ポネルのプロダクションだと知り、もう興奮です。舞台右に教会。階段で前に下りられるようになっており、その教会の左側に通りが奥に向かいあり、そこに、シチリアの家屋が並び、ホリゾントにも、家屋群の書割があり、ローカルな雰囲気を出しています。その通りと教会の前方を、一段と低くして、スペースが作ってあります。ですから、前後で上下の舞台があるといったもの。いい感じですが、一つだけ、気になるのは、通りに連なる家屋の内、最前方のトリドゥの母親の家の隣が、アルフィオとローラの家というもの。トリドゥは、お隣さんの家の女と懇ろになったということになりますから、やり過ぎ感が出てしまいましたね。それだけが文句です。そして、いい演出がありました。サントゥッツァを妊娠しているという設定にしていました。お腹をさする場面を用意して、それを表していました。これは、グッジョブ、です。それと、サントゥッツァを見る世間の目を、強烈に意識させる演出も、なかなかいい。子どもたちまで、サントゥッツァにものを投げつけます。教会は、当然ですね。さすがと唸らされるもの、早くも満腹感を味わっているところです。


2020年 11月 12日(木)午前 6時 24分

 昨日は、お出かけなしの、ごく普通の一日。となると、ルーティンの日に2回のウォーキングだけが、お出かけ。新しい靴に慣れねばならないのだけど、両足の小指が腫れあがってるのか、なかなか痛みが取れない。一昨日は、歴彩館からの往復がウォーキング替わりだったので、さすがに怖くて、問題の新しい靴を試すことが躊躇われたので使わなかったのに、足の痛みが、完全にはとれていない。で、とりあえずは、昼前のウォーキングは、旧来の靴。先がめげかけているだけなので、未だ使えるのだけど、この靴が使えなくなるまでには、新しい靴に足が慣れねばなりません。こういったことが、新しい靴を買うたびに起こるので、そのためのシフトを取り、2足予備の靴はあるのだけど、予備を履きつくしてしまうとダメなので、毎回、この苦しみを経なければならないのです。幸い、旧来の靴を履いてウォーキングをしても、痛むところには影響がないので、昼前は通常のウォーキング。でも、寒い。冬装束にするには、まだ早い、だけど、寒い。歩いていると体が温まることを想定しながらの格好だから、歩き始めがきつい。昨日は、その歩き始めに陽が出てなかったもので、ホント、寒々しい。でも、まだ、この季節だから、しばらくすると、ほっこり、です。そないになってきてから、陽が出て来るという、間の悪い話だけど、でも、出ないよりは出てくれた方がありがたい。途中休憩も、陽当たりのある場所を選ぶように、いつしかなっています。夕方のウォーキングでは、意を決して、問題の靴を履いてのお出かけ。もう動き出しから、小指が痛む。特に左足がきつい。痛みは慣れると、自分に言い聞かせて歩き出し、いつ引き上げてもいいコースにしようなんて考え歩き出しながら、慣れると、存外歩けた。やっぱ、痛みは慣れる。でも、時間が経てば悲鳴を上げるだろうと思っていても、結局、それらしき悲鳴は上げることなく、思い描いていた最長コースを歩くことができました。が、下り坂はいけません。前に重心がかかると、思わず「痛い」と声を出した途端、横を通りかかった女性が、びっくりして声をかけてくれました。申し訳ないので、事情を説明していると、なんか、様子が変。この女性、親切すぎる! 「おっちゃん、気ぃ、付いてへんの」「あれ、、、?」、姪っ子でした。仕事帰りに、保育園に急いでいるときに、黄紺を追い越しかけた。そのタイミングで、さっきの「痛い」を言ったため、気が付いたようで、びっくりさせられました。簡単に事情説明。完全に笑われました。そして、「迎えに行かないといけない」と、急いで去っていきました。腹の立つ靴のおかげで、姪っ子と会えました。ま、いいこともあったってことかな。
 オペラ配信は、引き続き、フェニーチェ劇場の「セヴィリアの理髪師」、周りのオペラ好きの友だちとは、「散髪屋」と呼んでいる、定番のブッフォです。昨日は、時間はあったのですが、やはり、ラストを残して切り上げました。いよいよ、これから嵐の夜の場面に入ろうかという直前で切るという、黄紺定番のやり方。美味しいところは取っておこうという、子どもじみた趣向、です。このプロダクション、ホント、お定まりの進行で、なんら目新しいものって感じないのですが、安定のおもしろさって、こないなものを言うんだという、正にお手本のようなプロダクション。舞台全体を小さく見せているのも、いい雰囲気作っています。大オペラじゃない、ホント、痴話げんか的な、小さな話ですから、それで十分、そういった心得が支配しているのが、いいですね。そして、そのプロダクションに合った「歌う役者」たち。フランチェスコ・メーリが、こないにコミカルな動きができるなんてと思ってしまいます。さて、ラストの大アリアを歌うでしょうか? ハイC入りですから、なかなか歌わないんだよね、これを。そんなで、ラストを残したってことです。それは、今日のお楽しみです。


2020年 11月 11日(水)午前 7時 4分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴く日。「京都を学ぶセミナー/洛西編」の第6回「洛西が生み出した日本庭園の魅力」と題した講演会がありました。お話をされたのは、京都芸術大学非常勤講師の町田香さんでした。洛北や洛東地域と並び、有名寺院の並ぶ洛西、その庭園に絞ったお話をお聴きすることができました。洛西の庭園は、広く分布するなか、妙心寺地域と嵯峨野に、特に集中しており、日本庭園の評価として重要ポイントの「眺望」という観点からして、誠に申し分のないところ。嵐山や、その下流域の桂川界隈の光景が、その役を十二分に果たしていると言えますね。そういった洛西地域の諸庭園を、時系列的に、その特徴を押さえていくというのが、今回のお話の趣旨。結果として、どこかに特化したお話ではなく、総花的な、ざっとした略史的なお話を伺えたと言えばいいかな。平安京が開かれたことから、この地に天皇や貴族の離宮が造られたのが、この地域に庭園が生まれるルーツ。近世には、八条宮家が知行地としたことから、その山荘文化が花開きはしたが、それらの多くは、現存していない。その跡地利用という感じで、禅宗寺院が、そういった庭園跡を受け継ぎ、そこで生まれた禅的趣向で造られた庭園が、現在の洛西を代表する庭園となっていると言います。例えば、天龍寺の庭園は、後嵯峨天皇・亀山天皇の離宮亀山殿の跡に造られたものとか。この時代に入ると、州浜をイメージとした水平面での作庭だったのが、石組を使い、垂直方向への伸びを感じさせる作庭法が採られるようになるそうで、その作庭術を代表するのが、黄紺も、その名を聞いたことのある夢窓疎石。臨川寺や西芳寺(苔寺)が、これに該当する庭園を持つ寺院。庭園の構造が上下に乖離し、より立体的な庭園が出来上がるのだそうです。下の池を伴う、従来型の水平的な庭園と、石組を用い、上部に位置する亭が生まれたり、正に、上への伸びを背景に生まれた枯山水。こういったものが生まれてくる時代なわけです。西芳寺には、今、残っている庭園より上に、もう一つ、別の庭の部分となる亭を持っていたとか。次いで、江戸時代の洛西の庭園案内は、観光的要素が入ったものでしょうか、名勝を記した「図会」に基づき、洛西の庭園紹介となりました。その中で目立つのが、妙心寺の庭園。塔頭も多く、それらが庭園を持つといった具合で、庭園の集中が看られるようになったようです。近現代では、小川治兵衛や重森三玲といった作庭家の活動が紹介されました。大河内山荘庭園や東福寺方丈庭園、松尾大社のお庭は、こういった作家さんの作品だと知りました。存外新しいものなんですね、これらの有名庭園。確かに、時系列に押さえていただけ、それなりに新たな知識が増えたことに感謝しなければならない思いの一方、個々の庭園解説が、それにより薄まってしまったのは、致し方ないところ。なかなか、聴くことのできない貴重なお話を聴けたわけですから、十分だったのですが、何となく物足りなさも感じたお話でした。相変わらず、マイクを通しての声が聴きとりにくいというか、耳が悪くなってきたことから、そうなっているのか、完全には聴き取れなかったお話でもありました。
 歴彩館での講演会の往復は、いつものようにウォーキング替わりというのは、昨日も同じ。講演終了時間が午後3時ということで、まだ早かったものですから、また、鴨の川原で読書をと、2日前と同じ場所に腰かけて、本を読みだす前に、ギヴアップ。風があり、気温も低く、耐えられたものではありませんでした。2日間で、こうも違うのかと思う寒さにやられてしまいました。もう、そそくさと引き上げるしかなかったなぁ。
 朝一番で、メールを開けると、嬉しい知らせが、チューリヒ歌劇場から届いていました。再び、コロナの感染拡大で、ヨーロッパではロックダウンの再現ですから、それに呼応して、期間限定の、しかも、スーパーなオペラ配信をやってくれるのです。実は、ロックダウン再びのニュースを聞いたあと、密かに期待していたこと。既に、幾つかの歌劇場にチェックまで入れていたのですが、時期が早かったのか、どこも、そういった情報を流していなかったところへ、この朗報が舞い込んできました。ミヒャエル・フォッレの歌う「ボリス・コドノフ」、ディアナ・ダムラウの「マリア・ステュアルダ」、アネット・ダッシュの「チャルダーシュの女王」といったラインナップに震えました。早速、オペラ好きの友人に「卒倒しそうな」と、ちょっと大仰な言葉を付けて、転送しておきました。各々が、短期間の公開なもので、時期を外さないように気を付けねばばりません。ロックダウンに入り1週間経ちましたから、他の歌劇場でも、同じ試みを発表しているかもしれません。黄紺の点検が早すぎたかもしれないので、再チェックの要かもしれませんね。


2020年 11月 10日(火)午前 7時 17分

 昨日は、お出かけなしの一日。午前中は家事に時間を取られ、えらくタイトな時間。ウォーキングも、1時間を確保しただけ。しかも、新しい靴のお試しとして、先日、買っておいた靴を履いて歩くと、これが大変。黄紺の足の形がおかしいのかなぁ、4回買ったら3回は、これが起こる。特に左足が合わないのです。もう履いたときから、左足の小指がしっくりと来てなかった。爪の伸びが、少しでもあると、窮屈になり、やがて、そこが腫れてくるような感じになってくる。ウォーキング半ばで、それまで大丈夫だった、右足の方にも、痛みが忍び込んできた。だから、最後は両足が痛い。新しく買った靴が悪いのではなく、足が悪いみたいなのは、4回に3回と書いたけど、もっとひどいかもしれません。最初から普通に歩けたら、ホント、ラッキーだと思ってるくらいだから。ですから、新しい靴を買うと、こういった試練が待っており、足が馴染むのに1週間くらいはかかる。4足ほど前だったかな、馴染むのに、もっと長くかかったことがありました。今に始まったわけではなく、以前、韓国旅行に行く日に、新しい靴を下ろしたら、旅行中、ずっと痛くて、そのときは連れがいたため、痛いというたびに突っ込まれていた記憶があります。昨日の痛みは、わりかしひどく、靴を脱いだあとも、ずっと痛みが続くほど。夕方のウォーキングは大丈夫だろうかと思ったのですが、靴を替えたら、痛みはしないけど、やはり1時間も歩くと、脱いだあと、腫れぼったさが出てきました。そんなで、ウォーキングに関しては、いい気分じゃなかった一日になってしまいました。
 最近観たYoutoube動画で、びっくりしたもの一題、気になっているもの一題を書いておきます。1つ目は、フィリピン系Youtoube(在マニラ)。旅系や外国もの系は、発信者が、日本に引き揚げている場合、ホント、苦労しているのが、この業界だけど、逆に、現地に生活の拠点を持っていたり、居残った人は、従来通りの発信を続けられています。その居残り組の動画です。マニラ湾の夕陽スポット紹介動画だったのですが、あるスポットで、日没時間待機中に雨が降ってきた。仕方がないので、海岸沿いに並ぶファーストフード店の軒先に避難。海岸沿いの飲食店って、マニラであろうが、どこであろうが、似た光景ですね。ところが、そのYoutuber氏が避難したお店の表示にハングルが書かれている。「ん?」、その横っちょには、どこかで見かけたキャラのイラスト、でも、まだ、気づかない黄紺。もう、Youtuber氏のお喋りどころではない、目を凝らして、ハングルを確認、な、な、なんと、「カン・ホドン」、横のイラスト、観たことがあるはず、カン・ホドンの顔を大きくした2頭身のイラストだったのです。ちゅうことは、カン・ホドンのお店? ちゅうことは、カン・ホドンって、フィリピンでも人気なの? すごい! それとも、夕陽の名所ということは、普段なら、韓国人観光客が詰めかけるってこと? 疑問が、いっぱい。そう言えば、「カンホドンチキン」って、聞いたことある。そこで、「カン・ホドン フィリピン」でネットで検索をしてみると、「カンホドン・白丁」なるブランド名で、フィリピンにも、お店を展開していることが判り、納得できました。でも、どうして「白丁」という語を使ってるのだろう? 新たな疑問も湧いてしまいました。2つ目のYoutubeは、旅系動画の有名氏の運営するもの。旅に出られなくとも、今まで撮りだめしてあった映像&画像を駆使して、再生数を稼ぎ続ける凄腕のYoutuber氏が、最近始めたのが、「街角当てゲーム」。こんなのがあったんだと、そのゲームに感動。こないなものを生み出す能力って、全く埒外なものだから、敬意を表したくなるくらい。Googleの街角ビューイングを使い、「街角」を当てさせるといったもの。街のちょっとした表示、通りにある道路標識なんかが、最高のヒント。文字は、大きな糸口。しかも、ヒントを限定するため、街角ビューイングを使える範囲まで制限がある。これ以上進めないという技まで用意されています。しかも、ゲームをする人に、問題の範囲指定、地域とか、そういった指定も用意されています。それをして遊べば、旅動画の代替になるというので発信しているのですが、また、そそられている人、もちろん、旅好きのYoutuber氏がゲームをするわけですから、問題として出てくる街角ビューイングを観ながら、お喋りの中で蘊蓄が入るのが、またそそられるのでしょうね、再生数も多い秘訣ですね。
 オペラ配信も快調。ローマ歌劇場の「ボエーム」完走です。4幕に入っても、スタンスは同じ。それで、十分でした。「ボエーム」が、ますます好きになってしまいました。そして、新しい配信もピックアップ。同じイタリアから、フェニーチェ劇場の「セヴィリアの理髪師」(ベピ・モラッシ演出)。選択理由は、フランチェスコ・メーリがアルマヴィーヴァ伯爵を歌っているから。メーリが、ベルカントを歌っているというのが、最大のポイント。黄紺は、生で、「トロヴァトーレ」のマンリーコを聴いたことがあるけれど、大津でですが、そういったオペラの歌手でスタートしたのではなかったのだということで、「発見」とばかりに飛びついたプロダクションです。確かに、声は、軽い、ベルカントの声です。「へぇ~」ってところで、チョイスに大満足なところで、只今、進行中です。2007-08シーズンの記録映像です。


2020年 11月 9日(月)午前 7時 47分

 昨日も、講演を聴く日。昨日は、京都学・歴彩館であった「京都の出版社に聞く」という講演会に行ってまいりました。今回は、「法律文化社」という会社が取り上げられました。お話は、同社代表取締役兼社長田靡純子さんでした。「法律文化社」は、黄紺の近しい者が、著作を出版したことのある出版社ということで、これは捨てて置けないということで行ってまいりました。同社は、社名の通り、法律関係に強いというか、その関係の雑誌を出したことが出発点というお話でした。戦後の新しい法体制に見合う雑誌という意欲を、それだけで感じます。立命館大学の方が始められたそうで、沿革のお話では、特段、同大学との繋がりのお話は出なかったのですが、黄紺の知り合いも立命館大学関係者だったもので、一瞬、そういったことを想像してしまいましたが、単なる、勝手判断でした。その出版物の紹介が、即ち、同社の沿革話になるのですが、このお堅い分野を柱に、しかも、いくら大学が多いとはいえ、京都という地で、ここまで生き続いてこられたかは、ひとえに、大学生の教科書となる出版物を、一貫して出されて来たことです。黄紺の知人が出した著作も、あまりにも特異な分野だったのですが、教科書として使用されるということでの出版でしたから。このお話は、とっても、身近に感じられたもの。このお話がおもしろかったのは、教科書としてのニーズというポイント。自分の著作を買わせたいがために出版するという方もあったでしょうが、大学生の理解といった観点で「売れる書籍」を出版するという観点に立つと、やはりニーズに沿った出版物を出していかねばなりません。特に、大学生の質的変化、それは、数的変化に比例していることでしょうが、それに応じた内容を作ることで、そのニーズに見合っていくということです。1991年の「大学設置基準」が変わったことが、その大きな曲がり角だと言われていました。その後に出された書籍に関する解説をお聴きし、終了後、展示に出されていた当該の書籍を手に取り、びっくり。田靡さんは「高校4年生」的といった言い方を去れていましたが、「これって、分野を限って書かれた高校の教科書」と思ってしまいました。総花的で、深みのない、だけど、今どきの大学生は、これほどのことも教えてやらないとダメかな、新聞をきっちり読んでおけば、なめられていると感じないかなといったものでした。一方で学術書を出し続け、一方で、大学の教科書としてニーズにあったものを、敏感にリサーチして生き抜いてこられたしたたかさを看た思いがしました。終盤、田靡さん個人のお話をされました。これが、2つ目におもしろかったこと。1977年入社だそうで、その頃の女性社員への扱いって、こういった知的な業界とも思えない、世間と同じといったお話に、興味津々。沿革は、正直、黄紺的には退屈なお話だったのですが、出版物の変化のお話と、この個人的経験のお話は、秀逸。いいもの聴けたと、満足でした。
 京都学・歴彩館に行くときは、その往復をウォーキングに替えます。普段よりは、少し短めになりますが、その日はそれで事足れるとしているため、午前中は家で、オペラ配信を観たり、読書の時間。普段通り、歴彩館から三条までのウォーキングのときにも、夕暮れの鴨の川原で読書。上野千鶴子の書く、メキシコへの移民話、先住民話、それに、フェミニズムが被って来るから、頗る付きにおもしろいものだから、こういった風に時間を、ちょっとでも編み出せるようだと読んでいます。フェミニズムはともかくも、中南米の移民、先住民関係のものを追いかけたことがないものだから、空隙を埋める、正にツボに入ってしまっています。オペラ配信は、ローマ歌劇場の「ボエーム」の2幕&3幕を視聴。4幕の冒頭で切りました。黄紺は、変な癖があり、あと少しというところで、よく切ってしまいます。わりかし気に入っているプロダクションのときって、そうするかな? もう1日、楽しみたいという心です。おいしいものを残しておく、子どもの発想です。そう、このカラカラ浴場での公演、なかなか、達者なプロダクション、です。装置は、一貫して、背後に無造作に置かれた数枚のパネルだけ。もちろん、テーブルのような小道具は省いてのこと。そのパネルがスクリーンになっていて、情景や、歌詞に見合った映像が投影されるといった具合で、物語は進行します。その映像は、ときとして、スクリーンがパネルだけではなくなることがあるのがおもしろい。2幕のカルチェラタンでは、背後のカラカラ浴場の遺跡にも投影して、空間に拡がりを見せますし、3幕の雪は、パネルだけに映すと逆に変ですね、といった具合の巧みな映像と、もう1つ、2幕の群衆の動かし方が、ホント、達者。子どもの動かせ方、群衆と、主役の男女の絡み、群衆が物語に絡んで来たり、上手いものです。黄紺は、群衆の動かし方に長けた演出家=上質な演出家と考えています。ペーター・コンヴィチュニー然り、です。そういった具合で、楽しいのです、このプロダクション。カラカラ浴場での屋外の公演だと舐めてかかってはいけないものです。あと少し、残した終幕、今日のお楽しみになりました。


2020年 11月 8日(日)午前 6時 17分

 昨日は、びわ湖ホ-ル小であった「“マタイ受難曲”レクチャー」に行ってまいりました。これは、11月14日の演奏会に先立つプレイベント。実際のコンサートに先立ち、コンサートの演奏曲目を解説しようという試みです。有料の講演会に行くことは珍しいのですが、「マタイ受難曲」についてということで、今回は特別として、チケットを買ってありました。講師は、びわ湖ホール声楽アンサンブル桂冠指揮者の本山秀毅さんでした。本山さん、大阪音大の学長さんになっておられるのですね、知りませんでした。「マタイ受難曲」自体、長大だということもあるのでしょうが、なかなか実演への遭遇機会がありません。黄紺も、ん十年前に、NHKホールで、ヘルムート・リリンクの指揮する演奏を聴いたことが、1回だけあるというもの。ペーター・シュライヤーがエヴァンゲリストを歌うという豪華版、とっても素晴らしい演奏で、黄紺の記憶に残る名演奏です。拍手が鳴り止まなず、オケもコーラスも引き上げても、拍手が続き、ついには、ヘルムート・リリンクが帰らせてよとばかりに、冬だったものでコートを引っ掛け出てきて、ようやく客の興奮に応えていたという記憶があります。そんな思い出のある「マタイ受難曲」が聴ける、ならば、そのプレイベントまでいただいちゃおうということでした。また、この講演が大正解。バッハは凄い、それを、改めて認識させていただけた講演でした。前半は、キリスト教、そのイエスの受難とは、旧約と新約の違いとかといった、基本からのお話だったもので、最初は、外したかな感がありました。あまりにも解りきったお話だったからです。ただ、後半の楽譜を観ながらのお話に繋がるポイントがありました。「マタイ受難曲」の構成についての部分です。もちろん、「マタイ伝」から採られているわけですが、それだけではないというお話。1つには、繋ぎその1として、ピカンダーという詩人の書いた自由詩が使われているということ、繋ぎその2として、皆が知っているコラールが使われているということ、この2つは大切です。その1では、ちょっとした感情表現や情景描写の増幅が可能になりますし、言葉の補足にも使えます。その2が、更におもしろい。コラールは、一般的な讃美歌ですから、少なくとも、公開当時、これを聴くと、皆さんが知ってるどころか、歌えるというものを挿入することで、受難劇に同調できる効果、感情移入ができる効果が出てきます。これは、今、日本で、ましてやキリスト教徒の日常に慣れていない日本では、考えられない、想像を超えた情感を喚起したであろうことが考えられます。そういった効果を考えての差し込みだというわけです。後半は、いよいよ楽譜、音源、更に、本山さん自身がピアノを弾かれながらの解説、これが、おおしろかった。バッハは、楽譜に仕掛けを施していました。音楽的効果だけではなく、本山さんは「修辞」と呼ばれていましたが、音符の並び方に「十字」を入れ、「十字架」を連想させたり、アルファベットを「数字」に置き換え、その「数字」に見合う音符を使い、作曲をしたりすることを、「修辞」と呼ばれていました。そないなことやっていて、且つ、音楽的に、それだけ聴いている者にも感動を与えるものを作る、仕掛けが判れば、より敬虔なバッハの姿勢、聴く者に緊張を与える、そういった作曲法を、バッハは、「マタイ受難曲」で執っているのです。3度/6度とハモるとされている和音は「愛」の、半音での下降音型は「受難」「埋葬」「十字架」のといった具合にメタファーが盛り込まれているかと思うと、「疎外」を表す特異な音型があったり、、、テキストとの照合で、そういった手法が浮かび上がってくるのでしょうね。「涙」を表す音型も、随所に確かめることができると言われていました。また、皆が知っているコラールの音型を、そのままではなく、一定間隔を開けながら取り込んでいたり、敢えて不協和音を使い、場面や言葉の「強調」をしたり、などなど、いやぁ、技巧の粋が盛り込まれ、自らの信仰告白として作曲したと言える作品だということが、よ~く判りました。ますます、実演が楽しみになってきました。
 午後2時開始ということで、休憩を挟み、午後4時終了というタイムスケジュール。昼間に、京都から大津に出かけるということで、毎回、こういった日は、昼前のウォーキングは、ほぼ諦め、びわ湖ホールとの往復を使い、ウォーキングに替えています。その支えにしているのは、帰るとき、自宅最寄駅から1つ手前の駅で降り、歩いて帰るようにしています。昨日は、雨降りの日。いつ降り出すか判らないお天気だったのですが、ホント、細い雨しか降らなかったということで、ほぼ傘さしなしでも歩くことができ、予定を完遂。少し少なめだったのですが、一応のウォーキングと言えることができました。ですから、自宅に戻ると、もう午後6時といったところ、あっさりと1日に終わってしまいましたが、バッハのお話に満腹、いい一日になりました。


2020年 11月 7日(土)午前 8時 3分

 昨日も、お出かけなしの一日。一昨日の失態があった結果、今週の月曜日から金曜日まで、完全自宅待機の週となりました。天気が良かったから、それはそれで、いい週となりました。その前のお出かけと言えば、法事で大津方面に出かけたわけですから、遊びに出かけたというのは、もう1週間も前に京大へ行ったきりになります。いつしか、11月の1週間が過ぎています。そんなで、昨日は、相変わらず、日に2回のウォーキングだけが外出。昼前のウォーキング、途中まで陽が陰っていたけれど、気温は低くなく、ましてや風もなく、休憩がてらの読書が心地よい。上野千鶴子の外国暮らし、旅行に関し書いたエッセイを読んでいます。メキシコ滞在は、留学でも遊学でもありませんでした。期間限定の招請教授としての滞在でした。かなり旅慣れてるという感じで、全然知らなかった側面なもので、思わず読み続けてしまいました。外国に関する認識、外交旅行に関するスタンスに、かなり共感できるものがあるからです。そういった経験を拒む人たちに読ませたくなるような著作です。外国に出かけることを拒む人って、必ずと言っていいほど、言葉のできないことを言い訳に使います。人気旅系Youtuber「無職旅」氏も言われていますが、「言葉がさほど大したハードルではない」「できるにこしたことはないが」、後者は付け足しですね。「お愛想」としての言葉ですね、人気Youtuberとしての。黄紺などは、「そりゃそうだけど」と言って、ちょっと軽蔑の目を向けてしまいます。だって、「言葉ができない」って言い切ることって、エスノセントリズムだと思っているからです。早い話が「差別者」という目で見ているからです。「言葉ができない」と言ってしまえば、高々、「だったら(行きたければ)、自分で勉強すれば」ぐらいで済み、ましてや、「差別者」的な目で見られるとは思っていない浅はかさが見えてきます。だって、「言葉」って、「コミュニケーション」の手段であって、「コミュニケーション」って、1人ではできないこと、「相手」がいるはずです。その「相手」が見えていない。「言葉ができない自分」しか見えていないから、エスノセントリズムだというのです。こちらがうまくコミュニケーションを取れなければ、相手が取ろうとする、その「相手」の「存在」が見えていない、見ようとすらしていない。「相手」の「存在」すら見えてないわけですから、「相手」を一段と低く見るといった「通俗的な差別」より始末が悪い。「差別」という言葉が気に入らなければ、「究極の自己中」と言えばいいかな。「言葉ができない」と言って逃げた人の顔が浮かんできました。幾人もいますね。知的と思っている人、多数です。自分の中に壁を作る人たちです。こういったことを考えているとき、シリアで出会った人たちのことを思い浮かべることが、よくあります。あと、初期の韓国旅行の際、急遽、帰国便を手配するために航空会社へ電話をしたときのことを。前者は、「コミュニケーション」は「ハート」だという経験です。後者は、片言ほど相手に伝わるということで、各々、「言葉」に関する経験です。この黄紺の妄想は、別段、上野千鶴子の著作に書いてあることとは、全く関係はありません。旅に関するスタンスに共感したため、読む手を止め、黄紺が、勝手に妄想を膨らませていたことを、メモったに過ぎないのです。
 オペラ配信、昨日は、結構な時間を割きました。ザルツブルク復活祭の「パルジファル」、最後まで行き、ちょっとだけ、振り返りもしました。かなり個性的なプロダクションでもあるので、ザルツブルク復活祭だし、ティーレマンだし、きっと、これを観た人が、何か書いていると思い、ネット上の書き込みを探すと、案の定、見つけました。2つほど見つけたのですが、好意的な論調でした。でも、解ったようには書いてはいても解りきっていると思えるようなものには出会えませんでした。難解なプロダクションです。黄紺には解りません。アンフォルタスとクリングゾールを同じ歌手(ヴォルフガング・コッホ)が歌います。2人を同一視するとか、そして、内に存する両面を表すとしても、更に、それを操るフリークスの男が判りません。この男が、2幕冒頭で、クリングゾールとクンドリーを支配している素振りを見せます。ですから、2幕の争闘は、この男の指示のもと、パルジファルに仕掛けられたと看えます。アンフォルタスからクリングゾールへの入れ替わりを、2幕冒頭で指示したということでしょうか。1人の人間の両面とすれば、二元論的色彩は薄められても、今度は、新たに、フリークスの男とパルジファルという新たな二元論が出てきてしまいます。イエスも2人出てきます。3幕では、クンドリーが、パルジファルの足を洗う替わりに、パルジファルによるクンドリーへの洗礼が施されますが、その少し前に、イエスは背後で野垂れ死にをします。そして、ラスト、汚れた格好のアンフォルタスに対しては、聖槍をかざし傷を癒すなどという場面は用意されていなくて、新たな若い男、クンドリーにより連れてこられた男の腹に聖槍が突き立てられるのですが、聖痕ができないので、グルネマンツの従者かな、そういった男により、身体に塗料が塗られ聖痕が作られ、十字架刑の格好をさせられ、クンドリーには、無理やり、その十字架刑の格好をさせられた男を拝む格好をさせ終わります。パルジファルは、傍らで立っているだけ、でした。これでは、わからん! 物語の外に誰かがいるようには感じるんだけど、その誰かも見当がつかない。誰か、教えて! 3幕で、舞台に配置される彫刻には、ミロのヴィーナスといったギリシア・ローマの神像があるかと思うと、仏像までありました。神は死んだ的な宗教の相対化を企図しているのでしょうか? 「指環」のあとに出た「パルジファル」を、「指環」的指針に戻そうとしたのだろうか? 判らない! そんなで、判らないまま、終わりました。そのため、屈託のないオペラを観たくなり、新たにローマ歌劇場の「ラ・ボエーム」(ダヴィド・リヴァーモア演出)を観始めました。1幕だけ観ましたが、カラカラ浴場での公演です。メモは、また、明日以後に。


2020年 11月 6日(金)午前 7時 5分

 昨日は、大失態をしでかした日。楽しみにしていた京都教育大学の市民向け公開講座のある日だと思い込んでいて、実際、会場まで足を運び、その場で日にち間違いをしていたことに気付いてしまったのです。間違いが、一日早ければ良かったのですが、一日遅れでした。去年も、お邪魔しているので、会場に着くと、どの建物かが判っているもので、中に入ると、なんかおかしい。人がいないのです。建物自体に、人の気配がないのです。入口横の管理人室は、扉が開けっ放しのまま。でも、中には誰もいない。これから、催しがあるというのに、人の気配がないのもさることながら、管理人がいないというのは、さすがに変だと思いました。すると、目の前に、公開講座のポスターが貼られていた。やっぱ、あるじゃないかと、まだ気づいていない黄紺。ポスターを読んでも、1回目は気づかないボンクラ。もう一度、周囲を見回してみる。中でも、管理人室がもぬけの殻というのだけは、納得がいかなかった。受付の準備が整っていないということは、ありうる話。でも、これからイベントが始まろうとかというときに、管理人室が空というのは、黄紺に異様に映ったので、再度、ポスターを見る。ここで、ようやく気づきました。昨日は、11月4日ではないということを。参加証が郵送されてきていたので、出がけに確認もしていたのにと思い、それを、カバンから出し確認。こちらも、日にち確認をしてなかったようです。あまりにも、情けなくて、、、。人影のないことをいいことに、声をあげてしまいました。「あまりにも、情けない」「ひどい」と。がっくり、でした。実際、「地震予知」のお話を聴けると、楽しみにしていました。特にトルコ沖で地震が発生した直後でしたから、モティベーションが、とっても上がっていました。ひょっとすると、アナトリア界隈のプレートの様子などの、トルコ関連のお話が聴けるかもと、期待もしていました。今週の平日の予定はこれだけにして、これだけを楽しみに暮らしていたのにって、ホント、そうだから、単に間違っただけではなく、そういった予定の立て方自体も崩されたことに対する慟哭でした。どうしようもなく、そのまま帰宅。なんか、どこかへ寄ってから戻る気にもなれない衝撃だったから、です。
 時間に余裕ができたので、結局、家で本を読むことにしました。普段なら、Youtubeを観たりするのでしょうが、普段らしくないことをしようということです。オペラ配信も、止めました。普段そのままだからです。家では、普段、読書はしないので、読みかけの現代演劇の本を読み上げることにしました。80年代から90年代初頭に活躍した小劇場の劇団に関するコメントが連なる、そういった懐かしい記述を読むと、ようやく落ち着いたかな。
 ウォーキングを日に2回は、いつも通り。昼前は、全く普段通り。夕刻は、せっかく時間に余裕ができたのだからと、いつもよりは早めに出発。陽射しのなか、今度は、外で読書をしようじゃないかと、新たな本を手に出かけることにしました。昔買っていながら読んでなかった上野千鶴子の著作です。珍しく、旅について書いている著書があるので、それを持って出かけることにしました。そうだ、彼女、メキシコに留学だったか、遊学のためか滞在していたことがあったことを、歩きながら思い出しました。先日、生でお話を聴き、久しぶりに、彼女の書いたものを読んでみたくなった気が遠のかない前にということでのチョイスです。
 あまりいい日とは言えなかった昨日から今朝にかけて嬉しかったのは、トルコ・サッカーの朗報です。2日続けて、ヨーロッパのカップ戦で勝ったのです。バシャクシェヒル・スポルは、マンチェスターユナイテッドをくだしました。シワス・スポルは、アゼルバイジャンのカラバフというクラブをくだしました。サッカーでの朗報って、単純に嬉しいものですね。グッドタイミングの勝利です。


2020年 11月 5日(木)午前 6時 9分

 昨日も、自宅でゆったり、まったりとしていた一日。でも、家事にも勤しまないとと思い、午前中は、頑張ってしまいました。自ずと、ルーティンとしてのウォーキングの時間に影響が出ます。しかも、陽が雲に隠れると、気温は急激に低下。そのため、昼前のウォーキングは、休憩不十分で、逃げるようにベンチから立ち上がりました。腰かけたときは、ぽかぽかだったのに、あっという間のことでした。夕刻のウォーキングは、いつもより早めのスタート。でも、陽が落ちるのが早い。呆気なく暗闇ウォーキングになりました。今日から週末にかけて、お出かけ予定を入れているため、この3日は、自宅待機にしてみたわけですが、あっさりと3日は過ぎて行きました。最近、お腹の調子がいいものだから、毎日、決めた量だけの晩酌が続くものだから、日による変化もなし、従って、生活のリズムが一定。晩酌をしないと、眠気がゆっくりにしか来ないものだから、夜更かし傾向になるのだけど、そうではない日々なものだから、判で押したように、同じような時間にダウン。ひどいときには、気が付くと椅子に腰かけたまま、知らない間に眠っている始末。そういったときって、暖房をつけてるから、まあ、風邪はひかないでしょうが。もう、暖房が欠かせないようになっています。寒さに弱くなってきているので、冬に向かう季節が、時とともに嫌いになっていっています。ましてや、家の改造で、生活の中心の部屋を板の間にしたものだから、冷える。冷えが体に沁みますね。足元の暖房器具を買うことを考えていたのですが、まだ、手つかずです。どうしよう? 改造にお金かけたから、我慢できるところまで我慢です。
 アメリカの大統領選、トランプが勝つんだろうか? 巷間言われていた一の激戦州のフロリダで勝ち、ペンステートでも勝ったようで、かなり頑張っています。黄紺など、あれだけの金持ちってだけで、且つ、言いたいこと言う人って、それだけで嫌なんだけど。安倍なんか、血統を見ただけで、嫌になります。主張を見なければならないのでしょうが、主張以前に、嫌になるんだけど、そうはならない人って、たくさんいるみたいです。そして、威勢のいい人、信用しないことにしています。政治家って、アジテーターって特性が要るのかもしれないけど、なんか、気持ち悪いんだよね。都構想も、中身を見る前に、橋下の自信満々の威勢良さが気持ち悪くて、鳥肌が立ったくらい、です。そうそう、自信満々っていうのも、嫌いなファクターです。仕事をしていても、自信満々にもの言う人って、信用してなかったもんね。そんなで、トランプが勝つのだろうか? アメリカの大統領が、世界を決めるとなっている現代世界、アメリカ国民が、それを決める世界のシステムが、嫌いです。2度までも、そのシステムの中で、トランプを選ぶのかと思ってしまいます。だから、ますますアメリカ的価値観を遠避けたくなります。
 オペラ配信、「パルジファル」は絶不調、居眠りばかりしています。断片的に記憶に残るところは、当然あるわけですが、それから判断して、もう一度、元に戻ろうの気が起こらないプロダクションということで、結局、外れの烙印を押してしまっています。でも、一応、最後までは通そうとは思っています。3幕半ばまでは、一応来ています。


2020年 11月 4日(水)午前 6時 59分

 昨日も、お出かけなしの一日。となると、ルーティンとしている日に2回のウォーキング時以外は、自宅でゴロゴロ。いつもの時間が過ぎて行きました。昼前のウォーキングに出かけようと思い、靴を履きかけ思い出しました。今まで履いていた靴がくたびれてきていることを。念のために調べてみると、靴の先がはがれかかっているだけではなく、靴の裏も薄くなっている。ウォーキングに使うので、長持ちをするようにと、靴底が厚くて、しかも軽くて、値段の安いものを買ってあるのですが、それでも、靴の裏が薄くなっている。一昨日の雨の日に履いていて、水が入って来ていたわけが判りました。剥がれかけている先っぽだけにしては、水が入り過ぎだったわけが判明。こりゃダメと、その靴を買った店を通れるウォーキングのコースに、直ちに変更。そのウォーキングで、昨日が祝日だったことを知りました。すっかり失念していて、通りかかった公園などの人出が、普段と異なり、土日のそれだったからです。しまったと思っても、手遅れ。靴を買うコースに入っていたからです。案の定、店は混雑。でも、普段、ほぼ採らないウォーキングのコースを歩けたので、文句は止めておきましょう。夕方のウォーキングは、前日同様、午後5時半をメドに出発。少しは明るいところを歩こうと、同じ住宅街でも、前日のような高級なところを止めました。家が大きいと、その地域は暗くなります。陽が沈むにつれ、その暗さは深まります。距離感は判るようになったのですが、休憩なしで歩くと、やはり後半、疲れますね。腰に疲労がたまり、それが、嫌な腰痛を起こすからと、半ばに休憩を取るようにしていたわけですから、慣れるか、それとも、慣れなければ、時間帯の変更が要るかもしれません。
 イズミルで大地震があり、日本でも、その後の経過が、連日、報道されています。トルコの報道も、まず地震報道です。おかげで、その煽りを食って、コロナの報道が減っています。第一、保健省長官もイズミル入りして、腰を落ち着け、陣頭指揮に当たっていますから、そうならざるを得ません。日本の報道を観ていて、気になる点があります。なぜ、「トルコとギリシアの間のエーゲ海」で発生というのでしょうか? 「トルコ沖」とは言わないのが不思議で。確かに、トルコの沿岸部に張り付いているギリシア領の島々とトルコ領との間ではありますが、そんなこと、日本の報道を観る人は知らないよ。地図をTV画面を観た人、疑問に感じないかなぁ、それに一々説明するなら、そないな表示もありでしょうが。死者数を見ても、トルコ国内の方が、圧倒的多数。だから、ギリシアで亡くなったり、被害を受けている人は、島嶼部の、しかも、トルコにへばり付いている島嶼部の人たちだと伝えるべきだと思うんだけどな。すると、震源地がクリアになると思うのです。
 オペラ配信は、新たなソースに移っています。ザルツブルク復活祭フェスティバルの「パルジファル」(ミヒャエル・シュルツ演出)です。このフェスティバルに、ドレスデンが引っ越し公演をするようになってからのもの。従って、ティーレマンが振っています。春のオペラ紀行に行ったとき、復活祭間近の時期に重なると、ドレスデンは、本体がお留守になっています。それを逆手に取り、「ヘンデル・フェスティバル」なる企画が行われ、飛びついた記憶があります。1幕を終わったところまで進みましたが、かなりの居眠り。クンドリーなどは、かなり記憶から跳んでいますから、ひどい居眠りをしていたようです。外は暖かなのに、家内は冷えるものだから、暖房を入れると、居眠り発生です。夕食後も、お酒も手伝い、よく椅子に座ったまま居眠りをしてしまったますが、この昼下がりも同様です。もう一つ原因を上げれば、1幕で活躍するグルネマンツ(シュテフェン・ミリンク)が物足りないからです。ルネ・パペらの歌唱に慣れていると、ダメだと思ってしまったのが、命とり、です。歌唱が物足りないと、無機質の装置が嫌になります。命とり、その2です。そんなですが、少しは、振り返りながら、先へ進もうかと考えているところです。なお、タイトルロ-ルは、亡くなったヨハン・ボータ。黄紺は、ベルリン・ドイツ・オペラで、彼のローエングリンを聴くべく、チケットを買ってあった、その年に亡くなりました。ですから聴けずじまいに終わったスーパーな歌手です。映像で観ると、デカいにも程があるほどの巨体ですね。まるで、小錦です。これが業をなしたと思ってしまいますが、確か、癌だったんだよね? 違ったかな?


2020年 11月 3日(火)午前 6時 44分

 昨日は、朝から雨の一日。でも、寒くはならなかった、ちょっと不思議な一日。家の中で、雨音を聞いていると、そこそこの降りのように聞こえるので、ルーティンにしているウォーキングは無理と、早々に諦め気味。雨でも、傘さしウォーキングを想定してしまうのですが、それも叶わないと看て、昼前のウォーキングの時間には、家で読書の時間に充てることに。でも、昼ご飯のことを考え、買い物に行かねばならないので、仕方なく外出。すると、雨音を聞いていて想像していたより、降りが優しい。そこで、わざと遠目のスーパーに買い物に行き、同時に、短めの傘さしウォーキングに替えようと考え歩き出し、た。風がなかったおかげで、なんとか計画を完遂。雨の降り方によっては、途中で切り替えることができるようにしてあったので、安心して歩くことができました。夕方は、明らかに小降りになっていたので、いつものようにウォーキングを敢行。家を出るのを午後5時半と決めて動き出したものだから、もう端から真っ暗。ましてや、人通りの少ないコースを採ったこともあり、暗くて、どの辺まで来ているのかが、よく判らない。主として住宅地ばかり歩いてたものだから。自ずと足が早まります。それと、距離感が判らないというのは、疲労感を感じやすいですね。でも、結局、1時間以上のウォーキング。お出かけは、これだけ。
 「NHK新人落語大賞本戦」の結果が、某Twitterに流れているのを見ました。ミニコミ誌のTwitterでしたから、今年は、結果をオープンにしていいようですね。結果は、「それ、来るか」というものでした。実力がないというのではなく、「出すかなぁ」と思っていた羽光が優勝だったもので。今年は、女性噺家3人、即ち、ファイナリストの半分が女性ということで、注目度が否が応でも上がった年じゃなかったかな。だから、「出すか、出さないか」どっちだろうというのが、一番の注目点でした。女性3人の中から出すなら二葉だと考えていました。あくまでも、当日の調子は別にして、です。こればかりは、会場に行かないと判らないですからね。ぴっかり☆と紫は、少なくともファイナリストになるのは3回目ですから、鮮度が落ちます。そこへ、二葉のインパクトが大きいから、です。NHKの方が、「女性3人から」的なメッセージを出していると感じて、審査員は、「敢えて外すんじゃないか」と予想していました。となると、評判の小辰だろうか、市弥ではなく小辰かなと思っていました。黄紺的予想では小辰が本命でした。羽光は、マイナーな魅力、マニアの魅力的な噺家さんなので、ここには来ないと思っていたのです。東京の笑福亭ということで、話題性もあったことはあったのですが。ファイナリストに入れただけでも、NHKの英断だと思っていた黄紺は、ここまでだろうと思っていたら、この人を選んじゃいました。正直、実力とは関係なく、一番意外性のある選択だったと思います。もし、上方枠で米輝が出ていたら(但し、米輝が予選に登録したかは知りませんが)、お互いに消しあうことになったろうなと、そないなことを想像してしまいました。ファイナルの放映、TVがないものだから、誰かに録画を頼むことにしましょう。先ほど、二葉のTwitterを見ると、「普段通りしゃべれなかったのが情けない…」と呟いていました。何か、やらかしたのかもしれないと思い、余計に、放送を観たくなっちゃいました。「何か、、、」と思わせてしまうのも、二葉の魅力なんですから。その二葉と紫の新大阪への帰還を、お三味線のお二人が迎えに来られていたようで、写真が載せてあるのだけど、マスクで、誰か判らへん。お一人は、寺西さんのように見えるのですが、もうお一人は、全く判らない(+_+)、でも、いい光景です。
 「ブラタモリ」の「網走編」を観ました。嬉しかったことがあったので、メモっておきます。網走刑務所のトピックが出るのは、これはお約束ですね。黄紺が、網走に行ったん十年前にはなかった博物館が映っていました。それと、網走港で終わるのかと思っていたら、時間をみると、まだ、ある。出演のお二人も、エンディングは港と思っていたようですが、そうではなかった。ここからが嬉しかったところ。オホーツク文化を取り上げてくれたのです。北海道には、アイヌ以外にも少数民族がいるという言葉までは出なかったのは惜しまれますが、オホーツクを囲むように、1つの文化圏が存在していたことを放映するというのは、画期的なことじゃないかな? それこそ、ん十年前に網走に行ったときに、北方民族博物館なるところへ行き、初めて、その存在を知り、とにかく驚いた記憶があります。少数民族に関する展示と、せいうちの巨大な剥製、これ、未だに記憶に残っている博物館です。網走は、この博物館、前を通った刑務所だけではなく、網走湖の風景が、日本で観た最も美しい風景と思っている黄紺です。
 オペラ配信は、「ドン・カルロス」完走です。ボックス型の舞台、そこに投影される映像、出し入れされる小道具と新しい部屋、背後の壁が上がりひな壇が出て来たりでの場面転換で推移。色調を無彩色にしてあるのは、スペインの、あの時代の宮廷着の色合いに同調したものと看ました。パリ版で、時間が長い分、その色調に慣れていったのが、このプロダクションの唯一の収穫かもしれません。なんか、アイデアが出ないので絞り出した苦肉の装置って言うと、しばかれるかな? ま、凄すぎる歌手に、目は、そのおかげで行ったことは間違いありませんが。パリ版での上演ということがそそったのでしょうか、よくぞ、集められたものだと、終わってからも、そこに行っちゃいますね。


2020年 11月 2日(月)午前 7時 2分

  昨日は、11月の第1日曜日。この日は、毎年、法事のある日。弟の車に乗り、琵琶湖を見下ろすいい位置にある霊園に行ってまいりました。一段の暖かな日曜日の午後、屋外に1時間ほどいるため、毎年、気になるお天気。でも、昨日は絶好でした。いつもは、単に弟の家で車に乗り、裏道を通り、霊園との間を往復するだけなのですが、昨日は、弟が、草津に用事があると言うので、最初、出かける前に、その旨、メールをもらったときには、大津歴史博物館まで送ってもらい、同博物館の企画展を楽しんでこようかと思っていたのですが、草津での用事というのは、その間、待つというほどでもないと言うもので、それなら付き合おうかと思ったのが、黄紺の判断ミス。湖岸道路というのは、びわ湖ホールの近くしか知らないため、しかも、日曜日の交通事情なんか、知る由もないもので、車で帰れるならと考えてしまったのが、判断ミスでした。草津と言っても、近江大橋を渡る程度なのですが、その道に入るのが大変なこと、その逆も大変なこと。こんなだったら、石山回りで京都に帰った方がいいのではと言うと、宇治川沿いはいいけど、宇治に入ると、もっとひどい状態かもということで、実に久しぶりの逢坂山越え。でも、逢坂山に入る前は混んだけど、あとはスムーズに。これはラッキーでした。その逢坂山越えを、弟が解説。「自転車で越えると、、、」、黄紺は、そないなことを考えたことはありませんが、「越えるとき、京都側からがだらだらの長い坂が続くので大変」と。確かに、浜大津側からだと坂が短い、京都側は、勾配は緩いが、とっても長い。かなり、大津から京都って低いところにあるのが、よく判りました。これで、閃きました。疏水が、自然の高低差だけを利用して造られたわけが。思わぬ副産物でした。そんなで、いつもなら、午後4時前には帰り着いているのが、1時間以上遅く、帰宅。考えてみると、昼前にミニウォーキングをしたけれど、このお出かけがあったため、ルーティンとしているウォーキングができていない。もう暗くなっていましたから、急いで着替え、ウォーキングに出発。時々、時計を見ながら歩くのですが、時間より、自分の描いたコースを優先した結果、1時間を超えてしまってました。これで、満足。やはり、身体を動かさないと、なんとなく落ち着かないですね。結局、昨日は、これで、おしまい。
 ただ、1つ、残念なことがありました。昼前のミニウォーキングに出かけているときに、所用で、車で京都に来た息子が、Dも一緒だということで、黄紺宅に寄ってくれていたのです。Dを見せてやろういうことだったようです。黄紺は。ウォーキングであろうが、何であろうが、外出時は、もちろんスマホを持ち歩いてはいますが、バイブレーションまでスイッチオフにするようにしているので、ほぼ、電話が入っても気づかない。第一、滅多に電話なんかかかってこないので、それでいいやの気なのですが、これがいけなかった。電話を、何度かかけてくれたようなのですが、気づかないままで終わりました。あとで電話のことを知り、こちらから電話を入れ、事が判明、、、で、がっくり!! 会いたかったなぁ。


2020年 11月 1日(日)午前 7時 42分

 昨日は、再び、普通の一日。秋晴れが続きます。陽があるときと、落ちだす頃との寒暖の差が、一層大きくなってきています。昼前は、たっぷりとルーティンのウォーキング。陽を背に受け、休憩がてら読書をしていると、実にいい気分。今、戦後の演劇史といった本を読んでるのですが、95年頃に出た岩波新書ですが、これが、黄紺のまばらな知識の隙間を埋めてくれるから、実に、読んでいておもしろい。90年代初期までしか押さえられてないのは、発行された年を考えれば致し方ないのですが、でも、黄紺的には、それ以後の芝居の面白みが減ったように思えるので、それで十分の気持ちで読み始めています。状況劇場のネーミングも、サルトルからだったのですね。唐十郎がサルトルにかぶれていたのは、何となく記憶にあったのですが、劇団の名前まで使っていたのは、これで知りました、嵐山光三郎は、唐と初対面のときに、それを指摘したとか。凄いね! その状況劇場の初期の公演の描写に、さもありなんと思うのですが、客も舞台と同様にアングラの雰囲気、たっぷりに、思わず声を出して笑ってしまいました。澁澤龍彦や土方巽が、客席にいたり、当然、そこにいたはずの横尾忠則の描写する文が紹介されていたりで、完全にツボに入ってしまってます。まだまだ、読み始めなんで、先が楽しくて、待ち遠しくって、そないなノリで読んでると、時間の経つのが、やたら速い。夕方のウォーキングは、昨日から、時間の持ち方を変えました。夕方は、もう早々に暗くなるので、途中で休憩&読書を入れるのを止めにすることにしました。だと、陽が落ちてから出発しても大丈夫ですからね。本が読みたければ、出発時間を後ろにしたから、出発前に、家で、その時間を割こうと方針を変えました。外の読書に慣れてしまっているので、そうしようと思えば、その日だけ、夕方のウォーキング開始時間を早めればいいわけですからね。何年も、そうしてきたのですが、家の改造をして、椅子に、常時座ってられるので、家で読書をするときの苦痛がなくなったのが大きいかな、この判断をするに。でも、出発時から、ほぼ真っ暗は、つまらんね。だって、周りが見えない、だから、ひたすら歩くだけになってしまうので。距離感も減退、必然的に足が速くなります。
 オペラ配信は、「ドン・カルロス」続行中です。パリ版ですが、バレエは、一切省かれています。特徴を削いでしまうのは如何なものかと思う反面、実際に、ハンブルクでパリ版を観た経験のある黄紺は、実体験からして、その経験後から、致し方なしとするプロダクションに理解を持てるようになりました。なんせ、長いからです。「まだ、こないなところやってる」、これ、ハンブルクでの生の感想です。ペーター・コンヴィチュニーのプロダクションで、それこそ、いろいろやってくれましたが、その印象の前に「長い」が、黄紺の口から出てしまいます。不勉強で、ハンブルクがパリ版で上演していると知らないで、行ってから気が付いたもので、お腹が減ってしまいまいったことも影響しているかもしれません。だって、午後4時開始で、終わったのが午後9時を回っていたのですから。歌劇場からの帰り道に食事をしようとか、何か買って帰ろうの予定が崩れて行ったのですから。日曜日だったと記憶しています、だから、ハンブルク中央駅にあるスーパー頼り、駅のパン屋、駅前のケバプチが、頭にチラつきながら、オペラを観ていた記憶が、パリ版となると蘇ってしまいます。それはさておき、豪華メンバー5人が集うプロダクション、ソロもいいけど、いろんな組合せで、デュエットなりテルツェットなりが聴ける。Cenetteyim です! なかでも、カウフマンとガランチャの絡みって、ありそうで、なさそうじゃ、ないかな? あと少しで、完走というところまで来ているところです。


2020年 10月 31日(土)午前 7時 23分

 昨日は、京大であったシンポジウムに行った日。京都大学人社未来形発信ユニット主催第4回全学シンポジウム「Queer Visions in East Asia―アジア人文学からクィアを考える」というものです。昨年、どこかで、この催しを知り、フェミニズム関連のイヴェントということで、しかも、黄紺でも知る著名な研究者のお話を聴けるということで行ったことで、今年は、メールで案内をいただき、昨日のシンポジウムを知ることになりました。今年は、上野千鶴子さんが出るということで、これは行かなきゃということで行ったのですが、今年は、コロナ禍でオンラインでも同時配信するということだったのですが、やはり生の方がいいと、会場まで足を運ぶことにしました。そのプログラムは、次の通りでした。なお、恐らく、このイヴェントの企画をされたものと思われるミツヨ・ワダ・マルシアーノ(京都大学大学院文学研究科教授)さんが、司会を担当されました。①「クィア・シネマとは何か」菅野 優香(同志社大学大学院 グローバル・スタディーズ研究科准教授)・対談者:シモーヌ深雪(シャンソン歌手・DRAG QUEEN)②「街場論『新宿二丁目』 歴史に観るQueer Visions」伏見憲明(街場論『新宿二丁目』著者・ゲイバー「A Day in the Life」経営者)・対談者:ミツヨ・ワダ・マルシアーノ③「インターネット性差別CMはなぜ炎上したのか?」上野千鶴子(東京大学名誉教授・日本のフェミニズムの先駆者)・対談者:河口和也(社会学/ゲイ研究 広島修道大学人文学部教授)④オープン・ディスカッション参加者:菅野優香、シモーヌ深雪、伏見憲明、上野千鶴子、河口和也、座長:ミツヨ・ワダ・マルシアーノ。5時間の長丁場、内容も多岐にわたり、とってもまとめられるものではありません。幸い、オンライン配信のアーカイブが残っているので、それを参考にまとめようかと思ったのですが、音声の具合悪く、会場で聴こえにくく、諦めてしまったところは、こちらでも同じことといったところで、判らないところは判らないままってところがありますが、ちょっとだけ、メモっておきます。①では「クイア」というタームについての解説をしていただけました。「変態」というのが、一番いい邦語になりそうです。お話の中心は映画分析。作品分析に入る前の、映画製作の枠組みのお話がおもしろいもの。「異性愛イデオロギー装置としてのハリウッド映画」に、得心も納得もしました。アメリカ的価値観の押し付けが嫌で、ハリウッド映画だけは観ないと決めて、黄紺は、ん十年が経ちます。それに対置するクイア・シネマ、ニュー・クイア・シネマのお話に進んでいったのですが、、、まとめられない。②の伏見さんのお名前は記憶にはあるのですが、その程度だったのですが、ゲイ研究だけではなく、出版活動で幅広く活動されている方。自身の経歴を触れられるなかで、ゲイの社会的な扱われ方の歴史も振り返っていただけました。そして、自身の著作「新宿二丁目」の紹介。内藤新宿(「ブラタモリ新宿編」に詳しい)の成立から始まるお話が興味深く、早速、アマゾン屋さんで注文してしまいました。現在のような姿になった社会的背景がおもいしろいお話でした。③では、まず、主に地方公共団体の作っCM映像の紹介から。それを手掛かりに、フェミニズムの目指してきたもののお話だったと言えば、あまりにもあっさりとしたまとめ方になるでしょうか? その中で印象に残るものを幾つか、、、。有名なコピー「私作る人、僕、食べる人」に抗議に行った人に対する会社側の反応は、今、聴くと、滑稽でしかないと聴こえます。それだけ社会が変わったということですが、時という立ち位置により、価値観が変わるというポイントですね。「何が性差別に当たるか」のチェックポイントに、「男女の項を入れ替えたら成り立つか」を上げてられました。これは、分かりやすい。アートにおける「視線の政治学(ジェンダーの非対称性)」もおもしろい。描く男と描かれる女の主客は交替がないというもの。男が戦ってきた「表現の自由」は、客体としての女性を、どこまで露出できるかというものというまとめも、おもしろい、、、等々。アーカイブを観ると、止まらないですね。④は、会場(オンラインも含む)からの質問に答えるものと、パネルディスカッションになると、相場は決まっているのですが、このパネルディスカッションは、役者が違いますね。登壇された方にはお約束の展開だったのかもしれませんが、トランスジェンダリズムとフェミニズムが齟齬をきたしているというお話。これ、初めて聴くことですし、内実が判らないので、これから調べてみることにします。刺激がありますね。先端を歩いておられる人たちのお話。フェミニズムは、結構、追いかけていたのですが、やはり、時代が経ち、知らないことが山積みです。とりあえずは、上野さんの著作で、古いものから読み返す作業をしようかなの気持ちにはなりました。
 昨日は、丸々、午後が、このシンポジウムに、時間を使ったものですから、ウォーキングもままならない一日。そこで、三条駅から京大までを、徒歩で往復することで、それに替えました。午前中のミニウォーキングを加えると、万歩計は、1万歩を優に超えていました。


2020年 10月 30日(金)午前 6時 3分

 昨日も、ゆっくりとしたお出かけなしの一日、しかも、絶好の秋晴れで、暖か。そうなると、昼前のウォーキングが、実に心地よい。それを最高に生かそうと、街中ウォーキングよりは、開けた、しかも見晴らしのいい公園が入るコースを選んでしまいます。2日連続で、同じようなコースを選んでしまいました。日向を選び、腰を掛けるところを探し、しばし読書。とってもいい時間です。いいところなんで、休憩というよりか、日向ぼっこをしながらの読書目的です。昨日は、いいスポットが幾つもあるので、場所を変えてまで、日向ぼっこをしていました。だから、外を出ている時間が長くなります。夕方のウォーキングも、陽が落ちない内にと早めに出かけても、昨日の夕方は、昼間と違い、風が出てしまってた。となると、秋の夕暮れは釣べ落としと、うまくいったもので、急激に陽が落ち、気温が下がる、そこへさして風は、いけません。歩いているときは、全然いいんだけど、ちょっと腰かけると、ダメですね。露骨に冷えました。
 コロナの勢いが、トルコでもそうですが、それ以上に、猛威をふるっているのがヨーロッパ。春の封鎖ほどではないにしても、それに近い措置が執られました。早晩、そうなるかなというデータが、日々出てました。ですから、案の定という印象です。TVのインタビューで、フランスでしたが、「マスクもしない人が悪いのよ」と判りやすいコメントを、そのTV局は流してましたが、啓蒙というポイントが、よく語られますね。裏を返すと、勝手判断で緩んじゃう、我慢できない人たちということになるのかな。トルコの情報を集めていると、マスクもしないで、大混雑のイスティクラルを作っちゃうのもトルコ人、ベレディエの言うことは正しいと思ったら、それを、しっかりと守ろうとするのもトルコ人、この乖離が、ヨーロッパでは、どうなんでしょうね? 権利意識とか、トルコとは違うでしょうから、乖離と言っても、トルコと同じようには扱えないと思いますが。先ほど、メールを開けると、早々に、チューリヒ、シュトゥットガルト、メンヘングラードバッハ&クレーフェルト(2都市で1つの組織)各歌劇場からメルマガが入っており、内容は、公演の中止を伝えるもの。チューリヒだったかな、「劇場では感染なるものが出ていないのですが」という無念さが滲み出る文言がありました。こうなったらということで、その場合のリスクを下げようと、オペラ公演は避け、歌手のリサイタル、最大でも演奏会形式の公演に、チューリヒの場合はしていたのですが、いざ休止となると、ダメージは大きいでしょうから、無念さは解ります。なかには、オペラ公演を発表していたミュンスターの劇場のようなところもありました。つい先日も、「魔笛」だったかな、公演のお知らせが届いていました。再演もので、なんとかというところだったのでしょう。ベルリン・ドイツ・オペラは、レポートリーと呼ばれる、こちらも再演もので、歌手は、おそらくアンサンブルだけでという公演が俎上に上がってたと思います。その矢先、です。鬱屈たる気分になりますね、このニュースだけは。
 あまり時間を取れなかったのですが、パリの「ドン・カルロス」、少し進みました。オペラ配信です。このプロダクション、設え方が、かなり変わっています。そそられるというものでは、今のところないので、おもしろいとは書けないものですが。三方を壁で囲んだ閉鎖空間で、物語は進みます。1幕の、ドン・カルロスとエリザベートの遭遇を描く場面では、ずっと舞台に映像が投影されていて、古い映画を観ているような雰囲気にされていました。映像というのは、古い映画が見せるムラを見せるだけのものですが。エボリ初登場の場面、侍女たちが集う華やかな場面ですが、侍女は、全員、フェンシングをする格好で、エボリも、その衣装で現れます。その心は、「?」です。こんなだと、大群衆の集う火刑の場面って、どないなものになるのかという、ちょっと怖いもの観たさで、期待してはしまいますが、さて、どんなものになるでしょうか。今日は、観る時間があるかな? かなり、難しそうです。


2020年 10月 29日(木)午前 6時 32分

 今週は、先週と異なり、お出かけ控え気味の週。息子とのお出かけは、遊びに行ったわけではないので、お出かけとは言えないもの。ということで、昨日も、お出かけなしの一日。となると、日々のルーティンをこなすだけ。でも、午前中は、たまには家事をし~の、ウォーキングもし~ので、結構、せわしない。にも拘らず、一人前に、しかも、新コースの開発までしてしまったウォーキング。今まで歩いていた2つのコースが繋がらないかと試みたところ、思いの外、あっさりと繋がりました。これは、なかなかいいコースが出来上がりましたが、問題はトイレ。どうも、歩き出すと、トイレが近くなるものだから、トイレの確保が、うまくできないと、なかなか普段の定番コースの仲間入りは、難しい。だから、今のところ、2軍的なコースかな。いい公園に繋がるので、いいコースなんだけな。これが、昼前のウォーキング。夕方は、ウォーキングに出かけようと、郵便受けを開けると、1つの封書が入っていた。普段、郵便の来ない銀行からだったもので、その場で開封。すると、自動振り込みが、口座に残金が少なくできないとの内容。「こないだ確認したはず」という記憶は、「こないだ」じゃなかったみたい。慌てて、振り込みができるように、当該の銀行が入るコースに変更。ゆっくりと、陽が暮れる前に、休憩がてらの公園で読書をと思っていたあてが外れてしまいました。ある特定の振り込みにだけ使っている銀行口座って、これがあるからと頭に入っている内はいいのだけど、やっぱ抜かしますね。
 お出かけなしの日の昼食後は、いつも、PCの前で動画を観る時間。そこで、いつもは、Youtubeでの動画配信、なかでもオペラ配信を観ているのだけど、昨日は、市民向け公開講座の動画配信を観ることにしました。時節柄、いつもと違い、こういった方法を採るところが出てきています。直の参加と動画配信を並立させたりと、いろいろと工夫がありますが、昨日アクセスしたのは、「京都大学春秋講義 令和2年度秋季講義」の生配信に登録をして、参加証となるIDなどを送ってもらっていながら、まだ観てなかったものです。こちらは配信だけ。2本がアーカイブにあるので、その1本を観ようとしたのでした。同大学人間・環境学研究科教授船曳康子さんの「発達障害の実体は何だろう」という、そそられるお題。しかし、冒頭でお話された「発達障害」というタームは、本来は行政用語というところまでは判ったのですが、どうも、この配信、生で聴くよりは、目の前にレジュメを送り付けることができるということで、やたらと講義録的な画面が続き、目が疲れてしまう。となると、あっさりと居眠り。目が覚めると、そんなだから、さっぱりと付いていけない。で、断念。後日の挑戦としました。もう1本の方も後日回しで、急遽、オペラ配信に切り替え。こんなの、なんで流れているのか解らないほど、超豪華メンバーの揃うパリ・オペラ座の「ドン・カルロス」(クルズィストフ・ワリコウスキ演出)。なんせ、タイトル・ロールをヨナス・カウフマン、エリザベートをソニア・ヨンチェヴァ、フィリッポ2世をイルダル・アブドラザコフ、エボリ公妃をエリナ・ガランチャ、ロドリーゴをルドヴィコ・テジエ、これは、凄い、凄すぎる。しかも、やはり、パリでの上演だから「パリ版」ってやつ。5幕のフランス・グランド・オペラ形式で、フランス語で歌われるというもの。男声陣はともかくも、ヨンチェヴァとガランチャは、この役は初めてじゃないかな? アブドラザコフなんかは、パリで歌うことが多いようだから、「パリ版」には慣れているでしょうが、カウフマンは「パリ版」はどうなんだろうか? 「改定パリ版」的なイタリア語の5幕ものは、DVDがあるのだけど、、、。ルドヴィコ・テジエも、その可能性がありますね。ネット上のデータベースで調べてみると、2017年に上演されたものと出ました。DVDにはなってないですね。となると、この配信は、、、? よく判らないのですが、流れているので、利用させてもらっています。まだ、エボリの登場までしか観ることができてないもので、レポートは明日以後とします。


2020年 10月 27日(火)午後 11時 8分

 今日は、息子とともに、家の用事でお出かけ。それに合わせて、休暇を取ったため、息子は、午前中に人間ドックに行き、その足で、京都にやって来るということで、午後に待ち合わせ。実際には、更に30分遅れでの到着。暖かだったため、息子が来るまでに、自分で用意のできることを済ませ、余った時間は、近くの公園でお休み。ちょっと遅めのお昼を摂るサラリーマンたちで溢れる公園で、密を避けながらくつろいでいました。それから、結局、息子が到着しても、先に、肝心の用事を済ませるのに1時間近くかかったため、お昼ご飯は、お預け。ようやく、午後3時前に、開いていた店に入り、昼食。狙っていたイタ飯屋は、既に休憩時間に入っておりダメで、運よく開いていたベトナム屋さんへ。ホントなら、車で来ていない息子と、昼飲みをしようかと相談していたのですが、簡単には見つかりそうな時間ではなかったため、そのベトナム屋さんへ。遅めのお昼を食べに来ていた人や、ベトナム人の集団が入っていて、ちょっと望外に人が多く、躊躇ったのだけど、空腹感もあり、そのお店に。ランチとともに、ビールを飲みました。料理もうまく、いいお昼になったのですが、その食事中に、息子に職場から電話が入りました。休暇をとっている者に電話を入れるとはと思いつつ、電話に出た息子の表情が、えらく真剣なので、緊急事態発生を察知。あとで聞いてみると、大当たり。職場で欠員ができ、急なる配置転換。昨日、出勤した時には、そういった可能性はなかったのにというほど、急なことだったようです。おかげで、DやSと遊ぶ時間がなくなるとぼやく息子。今年度中は、多忙さから逃れておれるはずだった思惑が崩れてしまいました。その息子が、黄紺と会うついでに、PCを持って来てくれました。黄紺の2台目のPCがダメになったので、そないな話をしたところ、自分の使わなくなったPCを回してくれたのです。と言っても、そのPCは、元々は黄紺の買ったもの。でも、ダメと思ったPCが、新しいPCを買ったら、急に元気になってしまったため(これが先日壊れたPC)、買ったばかりで使わなかったPCを、息子に回したのでした。それが、今回里帰りをしたことになります。ですから、息子は、重いPCをカバンに入れ、人間ドックに行き、且つ、京都までやって来たというわけです。とりあえずは、DVDを観るのに、新しいPCを使うつもりなのですが、今、使っているPCが、最近になり、急激に老けた感じがしているので、新しいPCを主にするかもしれません。タッチバットも現役と言ってましたから、ちょっとそそられてしまっています。
 今日は、それだけの一日。お酒を飲んで帰っても、まだ午後5時にはなってなかったのだけど、かなり眠い。机に向かい、PCを開けると、更に眠くなり、結局は、また椅子の腰かけたまま、居眠り。夕方のトルコ・サッカー情報集めをしている最中に居眠り発生でした。目が覚めると、缶酎ハイを1本開けて、また飲み出した。最近の酒量としては、多すぎる。でも、お構いなしに飲んだのですが、なんの気なしに、Youtubeで、ネーデルランド・バッハ・ソサエティの「マタイ受難曲」にすると、頗るいい感じ。2時間半以上、全部、聴いちゃいました。古楽器の和かな響、ノンビブラートの歌唱、いいですね。こういったわけの解らない、時間の過ごし方したのは、久しぶりです。飲みたいときに飲み、好きな音楽を聴き、時々、居眠り。贅沢な話なうえ、息子とも話せたしと、なかなか素敵な一日でした。


2020年 10月 27日(火)午前 6時 38分

 4日連続で、お出かけなしの一日、昨日も、絶好の秋晴れでした。しかも、一段と、気温が上昇。外に出かけるのが、快適。とってもいいウォーキング日和となりました。土日ではないと、公園に行っても、穏やかです。コロナのおかげで、確実に、それ以前に比べて、公園に出てくる人が増えましたね。微笑ましくもあり、喧噪が生まれ、迷惑でもありです。でも、迷惑と感じないのが、保育園児のお出かけ。乳母車の親玉のような車に乗せられ運ばれています。空き地や公園を使い、遊ばされています。どうしても、Dの姿と重なります。もう半年もすると、Sもお世話になるはずです。もう2ヶ月、生のDとSに会ってないなぁ。子どもたちを眺めていると、どうしても、一緒に遊べない子が、一人はいますね。先生方、大変だなぁと思うと同時に、Dはどうなんだろうと思ったりします。秋晴れで、太陽が降りそそぎます。でも、ちょっと歩いたからと言って、ちょっと汗ばんだかなと思っても、日陰のベンチを選ると、急激に体が冷えてくることを、この間学んだため、端から日陰は避けるようになりました。それでも、僅かの時間が経てば、温もりが心地よくなります。完全に秋です。真っ只中、です。
 一方で、変わり映えのしない毎日。刺激は要らないのだけれど、ちょっとした知的刺激を受けると、これが、なかなかいいものです。昨日は、そんなちょっとした刺激を、オペラ配信からもらいました。何やらやらかそうという印象に溢れていた、ヘルシンキのプロダクション。いろいろと目新しいところがありました。2幕から最後まで完走しました。「紡ぎ歌」を歌う女たち、何やら回していますから糸車だと思っていると、アップになると、ろくろを回し、粘土をこねて陶器作りをしていました。その傍らで、TIME誌を読みながら懸命にメモを取るゼンタ。一方、彼女も絵筆をとる。とっても知的な女性という雰囲気。そして、やがて、意気投合する二人、二人の共通項は、この美術趣味と見せているようでした。回転舞台が回り、二人がベッドインしたところで、回転が止まります。ここまでの二人だけのシーンで、多用されるのが、舞台上でのカメラ。最新の流行です。舞台上にカメラを持ち込み、それを、舞台上のスクリーンに投影するという手法。このプロダクションの場合、カメラマンは、ゼンタとオランダ人で、交互にハンディカメラを手渡しながら、相手の姿、ときには自撮りを交えます。スクリーンは、舞台全体と言えばいいでしょうか。これは、このシーンの様子を映し出すだけではなく、記録的な意味合いがあることが、最後に判ります。舞台に敷かれたマットの上に横たわる二人、ラストシーンに入ったことを示す合唱が始まります。合唱は舞台裏で歌われ、舞台上では、前奏曲のときに表された、オランダ人の放蕩三昧を表すようになります。最初は躊躇っていたオランダ人も、最後は仲間に加わっていくものですから、この先の収拾はどうするのかと思い観ていると、なんてことはありません、オランダ人の夢でした。傍らに横になるゼンタ、そのままで、オランダ人は過去の己の姿を夢に見たというシーンが描かれました。それを恥じ入るように、ゼンタを遠避けるオランダ人、ついには、ゼンタを隣の部屋へと追い出し、鍵をかけ、オランダ人は拳銃自殺をしてしまいます。慟哭するゼンタ、じゃ、ゼンタは? そう思っていると、シーンが切り替わりました、回転舞台を使った切り替えです。そう言えば、これ、冒頭のシーンだと気づきました。船上のパーティと観てしまっていたシーンです。ただ、違うのは、正中に大きなモニターが置かれ、今しがた、オランダ人の物語映像の上映が終わったという雰囲気。モニターの傍らに立つゼンタが呟きます。「私はオランダ人を忘れない」と。それを受け、パーティ会場にいた人たちが歓声を上げ、やがて、それがフェードアウトして幕というものでした。ですから、舞台上の舞台、芝居の中の芝居として、オランダ人の物語が上演されたことになりますが、その物語の中のゼンタと、それを観るゼンタは同一人物にしか、黄紺には見えませんでした。そのゼンタは死なないで生きたままです。となると、このプロダクション、どのように捉えればいいのか、、、難解です。オランダ人の死は、通常、死ねないで彷徨っているわけですから、「死ねた」「救われた」「ゼンタの犠牲的な愛」というディスコースで表されます。確かに、「オランダ人の死」はありました。でも、その死は、ゼンタのひたむきさ、純さに対し恥じ入るかのようなものと描かれたように看ました。それが「救い」だと言いたいのだろうか? だと、ゼンタが身を捧げることで、全うさを取り戻したオランダ人となる、それだと、ちょっと安っぽくない? ならば、どのように考えればいいのか、どうしても、コヴェントガーデンの「ドンジョバンニ」で、「地獄」を見せてくれた奥のあるプロダクションを呈示したカスパー・ホルテンなものですから、何かあると思ってしまいます。これは、大きな刺激でした。同時に、掴みどころのないものに遭遇してしまった居心地の悪さなるものが、澱のように腹に溜まってしまいました。


2020年 10月 26日(月)午前 6時 14分

 昨日の日曜日、前から狙っていた博物館に出かける予定を入れていました。特別展の終了日も近いということで。行っとかなきゃの気持ちでした。朝、起きたときは、そんな気持ちでいました。時間的にも、ゆとりがありそうだったのですが、時間が経つにつれ、どんどんと盛り下がる展開。先週のお出かけが濃いものがあったせいだと思うのですが、じわじわと時間が経つと、もういいやの気に変わって行ってしまいました。以前なら、毎日、どこかに出かけておかないと、なんか寂しさのようなものを感じ、逆に出かけないと、落ち着かなかったのが、逆転してしまっています。一応、この水曜日か木曜日に、そのお出かけ予定を入れておきましたが、また、その日の気分で決めることにします。
 そんなで、昨日も、普通の一日、加えて、最高の秋晴れ。一昨日に比べて、風がないので、ウォーキングをしていると、ちょっと暑く感じるけれど、休憩がてら読書をしていると、実に心地よい。だから、いつもよりか長めの休憩。暖かいと、人間だけではなく、またぞろ虫も生き返ってくるみたいで、昼前の休憩時間、足元に草が生えてると寄って来るので、ベンチを移動しなければなりませんでした。ちょっとした気温の変化で、まだ、夏の名残が出てきます。でも、日陰で休憩していると、体が冷えてきてしまう。この辺は、完全に秋です。ルーティンにしているウォーキング、昨日も、滞りなく実行。この平凡さに爽快感を感じています。
 いつもは、昼食後の午後のひと時、オペラ配信を楽しむ時間に充てているのですが、昨日は、小劇場の配信映像を観ようじゃないかと、メルマガ配信を受けている「少年王者館」という名古屋の劇団の動画を観ることにしました。もう随分以前になりますが、東京に行ったとき、噂に聞いていたこの劇団の公演があるということで、新宿のなんちゃらという劇場に観に行き、衝撃を受けた劇団です。レトロな空気、言葉遊び、メッセージ、かなりアンダーグラウンドの雰囲気も帯びさせた芝居が気に入ったのですが、なんせ、名古屋の劇団。知っている人は知っていても、簡単には観る機会がない。その後、大阪公演も、新たな芝居が書かれると、その内の何回か1回の割合で行われるようになってはいたのですが、なかなか黄紺のスケジュールが合わず、結局、その新宿での公演以外では2回、ですから計3回しか観ることができていないのですが、ずっと気には留めている劇団。いずれかの公演に行ったときに、メルアドを書いてアンケートを出したようで、メルマガが届いています。そこに配信について書かれてあったので、そこにアクセスしたというわけです。ところが、コメント欄にも書かれてあったのですが、配信用に撮ったものではなく、自分たちの記録用に撮ったものとみえ、映像と音声が、かなり厳しい。台詞が、満足に聴き取れない、でも、なんとか我慢と想像力で観ていると、辛うじて解る。自分探しの芝居のようで、「I kill(生きる)」という芝居。題名からして、野田秀樹の「キル」を連想しちゃいましたが、どちらの公演の方が先なんでしょうか? 「キル」は「斬る」&「kill」と「着る」の駄洒落でしたが。で、そこまでは良かったのですが、案の定、昼下がり、お腹もいっぱい、いつもの居眠りが出てしまうと、さすが、こないな状況で、この芝居を観るのは、無理。とりあえず、昨日は、そこで断念。とってもアンダーグラウンド的テイストで気にはなっているので、どこかで、再チャレンジする意欲はありますが、もう一度、居眠りをすると、諦めるだろうな、、、。台詞が判りにくいというのは、言葉遊びを多用する芝居では、きついものがあります。
 そこで、いつものオペラ配信に戻ることにしました。こちらは、映像&音声ともに安心できるものをチョイス。新たに選んだのは、フィンランド国立歌劇場の「さまよえるオランダ人」(カスパー・ホルテン演出)。カスパー・ホルテンのプロダクションというのが魅力ですし、ゼンタを、カミラ・ニルンドが歌っているという、なかなかビッグな公演です。カスパー・ホルテンものと言えば、コヴェントガーデンの「ドン・ジョバンニ」という優れものがあります。その期待を裏切らないかのように、もう前奏曲からして見せてくれました。オランダ人が「さまよう」ようになった原因、神の怒りに触れた原因と言えばいいでしょうか、それを見せました。放蕩を重ねるオランダ人という設え方です。バレエの人とオランダ人の絡みで、それを表していました。船もどこかのパーティ会場的様相、船の乗組員もパーティ会場に集う男女といった風情。その中に、オランダ人は紛れ込んでいました。ダーラントは、若作りの明るい衣装で、パーティ会場のMC的存在。そのパーティ会場には、絵が客席には背を見せて吊り下げられています。それが、何を意味するのか、不明。女と放蕩を繰り返すオランダ人を描く場面(前奏曲)の冒頭、必死に絵筆を持つオランダ人だったので、その描写と関係があるものと思われますが、その関係性は、1幕では不明でした。そうなんです、幕間を取るプロダクションです。そういったプロダクションがあってもいい作曲の仕方を、ワーグナーはしていますが、実際に接したのは始めてとなります。これだと、トイレの心配は要らないのですが、、、。で、いよいよ紡ぎ歌が始まったところで、時間切れ。ですから、ゼンタ登場前で切らねばなりませんでした。ゼンタの扱いは、予想は立ちますが、既にらしさのある、これまた優れもののプロダクションであることは、間違いないですね。


2020年 10月 25日(日)午前 7時 34分

 今日も、お出かけなしの一日。しかも、秋晴れの一日。ルーティンのウォーキングが、一段と楽しく感じられた日。昼前のウォーキングは、土日に行くのは避けていたコースを、敢えて採ってみました。というのは、グランドなんかがあり、土日を利用して、スポーツを楽しむ人が出て混みあうのではと、毎度避けていたのですが、とっても開けたいいところなので、このお天気ならいいだろなと思ってしまい、また、どのくらいの人出かと、怖いもの見たさの気分で行ったのですが、やはり外さねばならない季節です。人が多い。うるさい。密まではいかないかもしれないけど、所によっては、そう言える。いいところですが、やはりダメかと、それを確認しただけでした。それを知ってか、平日に見かけるウォーキングに来る人、ジョギングに来る人、ほぼ見かけなかったから、知ってるんだ、やはり。密になりそうなところじゃない、ちょっと離れたところにも、人の行き交いが多そうと、普段来る人は避けているなの印象でした。夕方のウォーキングは、もう午後5時を回ると、急に陽が落ち、暗く、そして、気温が下がります。これが、真冬になると、もう1時間ほど早まるのですから、お昼の時間の使い方が、めっちゃタイトでせわしなくなっていきます。ですから、生活のリズムの組み換えが要るのですが、なかなかできないため、前へ前へとウォーキングに出かける時間を持ってきているところ。組み換えは考え中です。1年前にしていたこと、すっかり忘れてしまってますからね。
 桂二葉という女性噺家は、上方落語のディープなファンの間では、何かと話題に上がることが多いのですが、何とNHKのコンペの本戦に進出することが決まり、また話題ができました。そこいら辺にいる普通の女の子が噺家になった、だから、まず、「何で?」が出てきます、次に、それで選んだ師匠が桂米二、ここで、また「何で」が出てきます。だって、普通の女の子、たとえ落語を知っていても、桂米二には至るものではありません。渋すぎるのです。黄紺は、この二葉が米二を知ったことと、吉の丞が吉朝を知っていたことを奇跡と呼んでいます。それほど、2人が結びつかないのです。次に、二葉の落語は上手いのです。特に、アホ、子ども、強情っぱりの男、そないなキャラが上手いのです。よく言われることですが、落語は、「男が演じるために練り上げられてきた芸能だ」と。当たっていると思います。ですから、先駆者露の都、それに次ぐ桂あやめも、それに苦労し、それに対応する噺を作ったり、ネタ選び&口演を編み出してきて、成功していったのですが、最近は、ちょっと様相が変わり出しています。東京では、ぴっかり☆落語。この東西併せて最高の美形の噺家さん、番台から風呂場を臨む噺「湯屋番」で成功したり、上方では、団姫、紫という噺家さんの登場で、しっかりとした語り口を持った噺家さんが出てきて、雰囲気が変わってきました。「男もすなる噺なるものを女もすなる」となってきました。でも、「女もすなる」が残ってしまいました。そこを超えたのが二葉だと思っています。普通の女の子が、普通に、従前の落語を演じ、成功したと思っています。語り口、間、テキスト、そういった伝承されてきたものを、そのまま受け継ぎ、オリジナルな差し込みは控え気味で、しかも、「白木みのる」ばりの声で。二葉の落語を聴いていると、女が消えて、もちろん男ではない、独特の世界が出てきているようで。師匠米二が言います、「聴き終わると、なんか、ほこりするような笑いが出てくる」、言葉通りではないですが、そないなことを書いていたと思います。「二葉のアホはおもしろい」とまで、ツイッターに書いたことがありました。二葉は、絵が描けます、文章が書けます、だけど、どう見ても、その辺を歩いている普通の女の子。おもしろいと思うのは黄紺だけではない証拠は、二葉の落語会の集客力は凄いものがありますから。黄紺などは、動楽亭での勉強会には行かないことにしています、あまりにも混みあうからです。もちろん、コロナ前の話ですが。コンペでは、上方落語協会主催の「噺家グランプリ」で、2回、ファイナリストになっていますが、受賞はありません。これは、予選を審査する先輩噺家には評価されて、マスコミ関係者が審査するファイナルで外れたということです。マスコミの審査員は落語を知らないこともありますが、目立つ噺家がいたことの影響があるかもしれません。が、NHKがやってくれました。今年は、東京の笑福亭が上方枠で本戦に出場する(羽光)ことになったため、上方落語協会所属では、2人だけを選びました。これって、上方落語協会主催のコンペだったら、優勝か準優勝です。おもしろいことに、もう一人は紫です。NHKは、今年の本戦の「話題作り」だからでしょうか、東京からはぴっかり☆を選んでいますから、本戦出場者の半分が女性噺家さんです。
 オペラ配信は、「スペードの女王」完走です。なかなか、気に入ったプロダクションとなりました。装置については、昨日、書きました。どんどんと、抽象的な舞台がストーリーに馴染んでくるという、素晴らしさを味わってしまいました。問題の、気になる婆さんの死に方に、拘りを感じました。元気な婆さんにしてあったこととも通じるものを見せました。この婆さん、もうろくして過去にだけ生きているのではなく、現役感を出そうとしてたのです。カードの秘密は、この婆さんの過去の恋の思い出ですが、この婆さん、まだ、色恋では現役という設え方でした。ですから、拳銃を向けられても平然としています。「あんたみたいな男には興味はないわよ」という風情を見せ、「そんな男に教えられるわけないわ」的薄ら笑いすら見せます。しかし、その直後、倒れ、亡くなります。ですから、婆さんの死は、拳銃を突き付けられてのショック死ではなく、何らの突然死という描き方となっていました。これだと、「元気すぎる」と気になっていた婆さんのキャラに統一感があります。おもしろい、実に! そんなで、大満足のプロダクション、歌唱も良かったしと、値打ちものでした。


2020年 10月 24日(土)午前 6時 16分

 今週は、月曜日から濃密な日が続きました。月曜日には新たなスマホが入り、火曜日は歴彩館で講演、水曜日は二部制で、昼前にコンサート、午後に京都女子大学の公開講座、木曜日は、午後に喬介の落語会、夜が市民狂言会と、振り返ってみても、こんなの、ここ半年、なかった濃密さ。しかも、偏りがない。一方で、日々のルーティンにしているウォーキングとトルコの情報収集は入れることができましたが、残念なのは、読書とオペラ配信を観る時間は消えました。これが、お出かけの替わりになったということになります、時間の使い方では。最近、遭遇機会の減っている落語会が入り、年に1回行くかなという狂言会が被り、人生で3回目かもしれない、ハープのコンサート、これまた、コロナのせいで激減している大学の公開講座とまあ、よくも、こないに多彩なイベントが、僅かの日にちの中に入ったものです。ちょっと、お疲れ。お出かけがないと、何か変な気分です。うまい具合に雨、出かけようにも出かけられないけど、ウォーキングはしたい。丁度、昼前に止みかけたので、軽いウォーキングをしようかと出かけたら、雨雲レーダーには雲の欠片も映ってないのに、また、雨。最近のパターンです。止むと見せて、止まないパターン。これはダメと折り返し、丁度、家に戻る辺りで、止んだ。さすが、もう一度出かける気にはならず、結局、消化不良のまま。やっと、夕方のウォーキングで、通常に戻りました。もう、その時間帯になると、昼間で雨だったのがウソみたいないいお天気。生暖かだったのですが、風が邪魔をしてしまった。休憩しながら読書をしていると、風が気になり落ち着かなかったですね。寒く感じて。ここいら辺が、夕方、です。
 ここに来て、再び、睡眠障害が復活しています。そのため、生活のリズムが狂い出していて、昼間に眠たく、夜は、早々に居眠りを始めてしまい、気が付くと、1時間以上、椅子に座ったまま眠っている。じゃ、横になろうとすると、寝つきはいいのだけど、夜中に目が覚め、そのまま眠れない。二度寝用に、以前のように、お酒は飲まないようにしているので、簡単には二度寝はできない、実際、もう一度、横になっても寝つけないから、また起き上がる。そして、結局、そのままってことが、ほとんだ。だから、また、昼間から眠い。同じです。だから、この間の濃密なお出かけで、昼間に、あまり居眠りが出なかったと言っても、出てはいるのですが、自覚している睡眠障害のわりにはということでは、出てないのです。せっかく、夏あたりは、睡眠が戻ってきた、夜中に起き上がることがあっても、週に1度あるかどうかみたいまで恢復していたのに、元の木阿弥です。ついこないだまで、眠れていたので、新しいベッドが来てからは、慣れないのか、夜中に目が覚めても、その都度、眠れていたのに、最近では、夜中の3時台に目が覚めると、ほぼ諦めますね、ここ数日は、それが、毎日続いています。きついわぁ、ホント。
 昨日は、その寝不足の被害を、オペラ配信を観ていたときに被ってしまいました。久しぶりだったのに、モスクワ国立スタニスラフ音楽劇場の「スペードの女王」、なかなかいいプロダクションなのにと思い出したところなのに、無念な話です。いいなと思い出したのが、エンタシス風の円柱が並ぶにしては、床の材質、調度品替わりに置かれる椅子なんかが、とっても無気質なものにしてあるのが、徐々に、心に浸みだしているのです。ヘルマンがリーサの部屋に忍び込んでいくシーンから、そのように思え始めました。どろどろと、ストーリー展開がしてくると、その方が、しっくりときたのでしょうね。ヘルマンが、恋なのか、金なのか、混沌としていく、この後、それで悲劇が生まれて行くことを思うと、これが妥当だよと思ってしまいました。物音に気付いた婆さんが、説教を垂れに来ますが、この婆さん、このキャスティングのいいところなのか、問題なところなのか、また、同じこと感じてしまいました。およそ、このあと、ショック死をしそうとは思えない元気な婆さん、でも、すごくいいコントラルトの声をしている。で、まだ、死んではいません。リサの部屋の場面から、ダイレクトに舞踏会の場面に入ったのには驚かされましたが、円柱の並ぶ回り舞台、両脇だけじゃなくて、隠してあったホリゾントの列柱にも照明が当たると、ペテルブルクの舞踏会に見えてきました。うまいものですね。そして、エカテリーナは出さなかったですね。上手幕内に女帝がいる体での演技となっていました。ありそうだけど、黄紺的には初遭遇ですね。しかし、チャイコフスキーの音楽は多彩、堪能しているはずが、かなりの居眠りの中の出来事です。


2020年 10月 23日(金)午前 7時 20分

 昨日も二部制の日。2日連続で二部制とは、このご時世では、ありえないことをしています。昨日は、午後に落語、夜に狂言と、一昨日とは、一味違う二部制というのが、嬉しいですね。まず、昼間の落語会は、「城陽で喬介」というもの。去年も行った文化パルク城陽にあるプラネタリウムのスペースを使った落語会。大阪には行かない黄紺に、喬介落語を、京都で聴ける貴重な落語会。今回も、出番は喬介たった一人。喬介だけを聴けるというプラス面の一方、お囃子なしというマイナス面のある会、その番組は、次のようなものでした。「看板のピン」「佐々木裁き」「崇徳院」。喬介登場の前に、10分間だけのプラネタリウムのサービス。運悪く、昨日の夜は雨の予報でしたが、夜空の様子を解説していただけました。そして、喬介の登場。冒頭の長めのマクラを聴くだけでも、新鮮に響きます。師匠の独演会で披露した、兄弟子喬若との漫才が、今、喬介のYoutubeチャンネルで流れているそうです。師匠からの要請だそうです。近況を伝えるマクラから、いきなり「看板のピン」へ。喬介の「看板のピン」って、あまり聴いた記憶がありません。どの噺を聴いても、喬介の描くアホはかわいい。下げは変えてました。落研の先輩現南龍の使っていた下げの変形と、終わってから言ってました。高座から降りることなく、続けて2席目へ。ところが、噺に入る辺りから、えらく眠い、完全に睡魔に襲われてしまい、あまり聴けなかったのです。最近、再び睡眠障害が出ているため、その餌食になってしまいました。この2席目が終わったところで、中入り。これで救われました。立ったり、トイレに行って、体を動かすことで覚醒することに成功。「佐々木裁き」もそうだけど、この「崇徳院」も、喬介の口演で、何度か聴いている。だけど、この「崇徳院」が、格段に進化。素晴らしいテンポ、熊はんの熊はんなりの焦り、嫁さんの入れ込み具合が、その見事なテンポで、ぐいぐいと迫ってきました。今までの、ちょっとくすぐりを入れすぎて、ちょっと振り回されている感が一掃されていました。喬介、ここまで来ちゃったかと、進化ぶりに拍手三昧です。睡魔に負けて挫けていたのを取り返せたかな、最後を、最高の気分で終えると、やっぱり、そういう気になってしまいますね。年明けには、今度は、学生時代からの仲間の南龍との二人会が、この城陽で開かれることになりました。
 落語会が終わると、JRを使い二条まで移動。奈良線は、宇治経由ですから、随分と時間がかかるって印象です。でも、これが、夜の狂言会のある京都観世会館に移動する、最も交通費が安く上がり、ウォーキングもできるという一石二鳥のコ-ス。二条駅から京都観世会館までは50分ほど歩くので、ウォーキングとしては、いい距離ですが、雨降り。でも、御池通は、途中から地下を歩けるので、少しは助けられました。狂言会は、伝統の「市民狂言会」。観世会館に行くのも、狂言会に行くのも、久しぶりでした。その番組は、次のようなものでした。狂言「水掛婿」(宗彦)、狂言「夷毘沙門」(茂)、狂言小舞「小原木」(七五三)、狂言小舞「栗焼」(あきら)、狂言小舞「鮒」(逸平)、狂言「六地蔵」(千三郎)。狂言では、爆笑もの二題で、祝言物を挟むという構成。初番目に置ける曲が2つ並ぶ場合って、祝言物の方を後にするのですね。あまりない番組かもしれません。「水掛婿」は、代表的な夏の曲。だって、水を取られた腹いせに、舅と婿が、水や泥を掛けあうのですからね。そこへ現れた嫁は、どちらの味方をするのか、これも、笑いのツボになっています。「夷毘沙門」が、この会の目玉。黄紺的には、初めての遭遇です。なかなか出ないのです。出ないにはわけがあります。お囃子が入り、人手がかかる、さほどおもしいものではない、こういった要素が絡むと、出ない。これも、正にそれ。登場人物は3人だけですが、地謡が要ります。お囃子は太鼓入りです。設定は、なんせ、夷と毘沙門が、嫁を求めて有徳人の元へ名乗りを上げるのですから、それだけで滑稽の極み。だけど、お互いが張り合って言い合う内容なり、舞を見せるときの地謡の文句が、判らない。ですから、掴みはいい、また、祝言物としての雰囲気はある、けれど、あとが、今では判らなくなってしまっています。しかし、2人もの人物が、同一格で舞を舞う、なかなかない狂言です。生涯唯一の遭遇機会だったかもしれません。両シテという感じの曲でしたが、シテは夷(茂)のようです。毘沙門は千五郎という組み合わせでの上演ですが、兄弟二人の割り振りは、お二人のキャラでの仕分けって思ってしまいました。なお、有徳人は忠三郎と、現茂山両家のトップ3人での上演でした。「六地蔵」は「仏師」の多人数版。1人で騙すか、3人で騙すかの違いです。スッパ3人が、舞台と橋掛かりを走り回って、田舎者を騙します。スッパのボスが千三郎だったのですが、前に観たときも、このお役、千三郎だったことを思い出しました。「チョイ」と印を結ぶところで思い出してしまいました。田舎者は網谷正美。お歳を召されました。声が痩せたなって感じてしまいました。「水掛婿」の舅をされた丸石やすしも、脂っけがなくなった雰囲気、「夷毘沙門」の地謡に出られた松本薫は、終わって立つとき後ろから支えられていましたと、「三笑会」のお三人、そういったお歳になられました。第一、正義の千作は、もういないのですから、能狂言を観るようになって、大変な時間な時間が経ったことを実感させられました。10歳頃だったかなぁ、小舞を舞って、あまりにも決まる姿に、会場をどよめかせた逸平が、この会では、小舞の難曲「鮒」を舞うのですからね。


2020年 10月 22日(木)午前 6時 25分

 昨日は、実に久しぶりに二部制の一日。昼前にコンサート、午後には講演会という流れでした。まず、コンサートは、京都コンサートホール小で行われた「京都北山マチネ・シリーズ」の第3回「美しきハープに魅せられて」といったもの。福井麻衣さんのハ-プを、格安で聴けるということで行ってまいりました。福井さんは、黄紺も、そのお名前を知る著名な方、福井さんの単独のコンサートを聴くのは、初めてのことだと思います。そのプログラムは、次のようなものでした。「J.S.バッハ(M.グランジャニー編曲):無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ」「A.アッセルマン:泉 op.44」「C.ドビュッシー:前奏曲集第1集より第8番“亜麻色の髪の乙女”」「F.ゴドフロア:妖精の踊り」「C.ドビュッシー:2つのアラベスクよりアラベスク第1番」「黛敏郎:ハープのための“ROKUDAN”よりⅠ.アダージェット Ⅱ.レント Ⅲ.アレグレット」「D.ワトキンズ:ファイヤー・ダンス」「チャイコフスキー(E.ワルター.ギューネ編曲):歌劇「エフゲニー・オネーギン」の主題による幻想曲」。それに、誰の曲かは覚えてないのですが、「アリアドネの踊り」と言われたと思いますが、おもしろいアンコール曲が加わりました。曲と曲の間に、短い曲紹介がてらのトークが入るというコンサート。ハープ単独のコンサートって、20年以上前に、吉野直子のコンサートに行ったことがあるくらいで、レアな経験。第一、黄紺の頭の中に記録されているハーピストの名前って、この2人くらいしかいないんじゃないかな? あと、お名前を失念してしまったメトの日本人ハーピストだけですね、特定できる人って。オケの中でしか、最近は聴いてなかったもので、ハープの音色に、最初は戸惑いました。ペダルの関係でしょうか、えらく響く、黄紺の想定している音色と違う。残響が多すぎることによる戸惑いでしたが、冒頭のバッハ演奏で、特に、そういったスタイルを採られたからかもしれません。「泉」「亜麻色の、、、」「妖精、、、」と、ハープの持ち味が生きた曲が並び、また、雰囲気も、1つずつ変わる並べ方が嬉しいですね。ここまでが前半。後半にもドビュッシーが1つ。やはり、ドビュッシーの曲は、ハープへの編曲がしやすいってことでしょうね。黛作品は、お箏の有名曲を使ったもの。2曲目の「レント」が、短い棒を弦に当て、音色に変化を持たせるという一種の曲弾き。会場が、耳をそばだてて、音色の変化を楽しみました。最後は、「オネーギン」のモチーフを使ったもの。前奏曲、村の舞踏会、大ポロネーズ、森の中の散歩、再度、村の舞踏会と流れて行きました。アンコール曲は、更なる曲弾き。足に鈴、左手でボンゴと、ハープを弾きながらの他の楽器も演奏するというもの。いいプログラムに、1時間はあっと言う間。昼前のひと時は、簡単に終わってしまいました。
 コンサートが終わると、次の講演会開始まで3時間あるということで、ウォーキングがてら歩いて移動。京都コンサートホールから京都女子大までの徒歩での移動は、根性も要ります。トイレだけ気にしながらの移動を心得て、敢行。いつも三条駅まで歩くとき通るスーパーで、お昼ご飯を買い、公園で食事。暖かだったため、いい感じ。その公園で時間を取ったのと、鴨川の河原で、1回10分ほどの休憩を取った程度で、1時間半、歩きました。今出川橋と荒神橋の中ほどから河原へ降り、四条大橋手前まで河原を歩き、そこからは大和大路へ。グーグルマップの指示に従い歩くと、今まで知らなかった道を歩けるから、いいですね。少し早めに会場入り。休憩も要りますから、ちょうど良かったかな。
 「京都女子大学人文学会公開講座」が、その行き先。中国経済をテーマにした2本の講演を聴くことができました。①中国企業の海外進出と対外直接投資(京都女子大学助教姜紅祥)②中国・温州企業家ネットワークの繁栄と限界(龍谷大学教授辻田素子)というラインアップでした。ところが、1時間半のウォーキングは、開演前に休憩を取ったくらいでは、間に合いませんでした。①が完落ち。開演前にいただいたレジュメを観て、これは、黄紺にはダメだと思ってしまったからでしょうね。難解な経済学用語のオンパレードだったのです。実際のお話は、そうではないなと思いながら聴きだしたのですが、居眠りに入ってしまったため、あとでレジュメを観ても解るわけではなしということで、メモすることもできません。それに対し、②の方は、①の終了後、休憩が取られたからでしょうね、復活することができました。温州って、全く、どこか判りませんでした。レジュメに載っていた地図を見て、そう言えば、あったかな程度の知識で聴いていくことになりました。改革開放後という時期設定でのフィールドでのお話。温州出身で、海外で活躍する人たちが、特異な経済活動をしているというのです。「温州人」ということでの人的繋がりでの融通が効き、それが強みになり、経済活動に有効に働いているというのです。それを、主として、場所的フィールドで言えばヨーロッパで調査に当たられた結果のレポートといった講演でした。黄紺は、ヨーロッパを歩いていて、それ相応の規模の中国人街と言える地区を2箇所知っています。オランダのデンハーグとローマです。その中のローマのテルミニ駅近くの中国人街は、この温州人の溜まったところと聴いて、びっくり。何も知らないで歩いていました。日本で言えば「近江商人」という言い方がありますが、そういったニュアンスだそうです。そういった温州人街に足を運び、インタビューをして、統計を出し、その気風、気骨をデータ化するという研究です。ここでも、こないなことをしている研究者がいるんだと、驚きとともに、嬉しくなっちゃいました。こういった研究者と出会うと、いつも感じてしまいます。冒頭から、気になっていたことがあったので、思い切って、手を挙げ、質問をしてみました。温州は知らなかったのですが、温州は浙江省だと聴いたからなのです。浙江商人と言えば、中国の歴史の中で、特異な経済活動をしてきた人たち。商業活動で、地名が付いて語られるって、それだけで特異なこと。ですから、温州商人という言葉で語られる特質は、講師の方がフィールドとされた時期だけのことではないはずと思えたからです。いや、改革開放後の活動とは、また異質な活動があるのなら、それとの違い、また連続生のようなもののお話があっても良かろうと、これは冒頭から気になっていながら、そういったお話が欠片も出てこなかったからでの質問でした。黄紺も、浙江商人が目立った経済活動をしたという事実は知ってはいたものの、その実態の知識があるわけでもないので、わりかし無責任な質問でしたが、率直に応えていただけました。浙江商人の特異性はその通り、でも、温州は、同じ浙江でも、他の地域とは違う。それが歴史的なものとの連関性を調べる必要性を感じているが、そこまでは手が出せていないというものでした。ということは、気にして良かったってことで、納得。的外れの質問じゃなかったことで、ホッとしました。
 終わって外に出ると、もう暗くなっていました。こういった講演会では珍しく、終了時間が午後5時半でしたから。往きのウォーキングのおかげで、講演会のあったキャンパスは清水五条駅の方が七条駅に向かうより近いことを覚えたため、結局、京都女子大学に行きながら、著名な女坂を歩くということなしでした。いい道なんですが、少しでも距離の短い方を選んでしまったというわけです。やっぱ、暗くなっているのと、昼間、歩いたのが大きかったですね。


2020年 10月 21日(水)午前 6時 26分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴く日。この間続く「京都を学ぶセミナー【洛西編】」の第五回「蚕の社の歴史―祈雨の神から養蚕の神へ―」がありました。講師は、京都先端科学大学教授の鍛治宏介さんでした。嵐山にある「蚕の社」という名の神社、嵐電の駅名にもなっています。名前からして、また、地域性を考えると、どうしても秦氏との関連を考えてしまい、古代史絡みのお話になると、期待を持ち臨みました。恐らく、同じような人たちが多かったのではないかな。だからか、会場は、市松模様ながら、満員の盛況。でも、講師は近世の専門の方、しかも、冒頭で、きっちり念を押されました。「秦氏のお話をするものではありません」と。で、お話の流れは、「蚕の社」こと「木島神社」に残る古文書を総ざらいして、問題の神社が、どのような役割を果たしてきたのか、「蚕」から連想される「養蚕」「絹布」との結び付きは、如何にして生まれたかを解き明かそうというものでした。当該神社は、続日本紀にも現れる古いもの。でも、古い文書には、「蚕」を伺わせるものは出て来ない。古代においては、むしろ「祈雨」の神を祀るとしか出て来ない。中世においても、然り。ここでも、「蚕」を思わせるものはなく、「祈雨」に加えて、「性愛」「学問」「命」の神という、新たな性格が加わり、多様性を帯びてきている、が、「蚕」は出て来ない。「近世」に入ります。江戸時代に入ると、「観光」なるものが成長していく。これは、様々な観光案内書が刊行されたということぐらいの知識は持っていました。それを使い、この木島神社を探すと、入っているのですね。延喜式どころか、続日本紀にも載る歴史の威力なんでしょうか。でも、江戸前半期のものにも、「水」に関わる記述と、挿絵を見ても、「蚕」を匂わすものもなく、現在残っている同神社の様相とも違う。この神社の名物の「3本鳥居」なんかも出て来ない。ところが、「1780年刊」の「都名所図絵」に変容が確認されるのです。木島神社再興に寄与した神主神服宗夷(姓は「はっとり」と読む)が、元豪商三井家の手代だったことから、三井家の支援を受け、その寄付で、社殿の造立が行われ、その「図絵」に、その痕跡が表され、そこに、今見ることができる、同神社の姿が現れ、その一角に「蚕」を思わせる末社が現れてきていました。ですから、「蚕」は三井家絡み。商売として扱う絹布の繁盛を願ったのでしょうか、奉賀帳などの史料も残っています。それが、やがて定着し、まるで古代からあったかのような風説で固められていく明治時代の神社案内の史料には、その風説から、西陣の職人さんにとっては縁起がいいということで、神輿担ぎをしたりと、接触が高まっていったようです。確かに、秦氏とは縁も縁もありませんでした。まさか、三井家の繁盛が絡んでくるとは、呆気にとられるしかありませんでした。おもしろいお話ではあったのですが、このストーリーは、「蚕の社」というきれいなネーミングにシミを付けられたようで、、、?! 昨日は、午前3時過ぎに起きたままのお出かけになったものですから、半寝になることは、覚悟の上、そして、確かに、そのようになりながら、お話を聴くことになりましたが、筋立てが、いたって単線系だったため、半寝でも、しっかりとストーリーは、頭に入りました。
 終わって帰りかけると、後ろから声がかかった。久しぶりに、弟が出てきてました。腰のヘルニアに悩まされているため、自重気味だとか。黄紺は、脊髄の手術をしたとき、周りの病床は、ヘルニアだらけだったため、「さっさと手術で削ってもらえ」が、簡単に出てきます。手術をびびる人ばかり見て、結果、楽になり帰って行きます。だから、そういった言葉になってしまいます。はっきりと写真に映っている、原因が、だから判っていて、なんで、痛みを我慢するのか、解らないのです。そんな痛みを抱えながら、自転車に乗りながら来てました。電車やバスで座ったり立ったりよりは、楽は楽なんだろうけれど、だったら、さっさと手術をと考えてしまいます。そないな弟を見送って、歴彩館で行われていた「仮面」と題する展示を観て、これが、小規模のものながら、いいもの。嵯峨大念仏狂言の使用面、おかげで、初めて観ることができました。韓国のマダン劇用面、魔女ランダの面といった有名なものも揃っていました。素敵なコレクションです。その後は、毎度の三条駅までのウォーキング。鴨川に出ると、河原を歩くようになり、時間が短く感じられるようになりました。
  このお出かけのため、また、オペラ配信はお預け。それどころか、寝不足のため、夜、2時間ほど、PCを前に居眠りをしてしまったようで、それどころではありませんでした。軽く空調をかけていたおかげで、うたた寝をしても安心です。迂闊に風邪をひけないご時世ですから、油断は禁物です。


2020年 10月 20日(火)午前 5時 31分

 昨日は、新しいスマホが来る日。オンラインショップで予約したものが発送されたということで、近くの店舗を受取り場所に指定。同時に初期設定をしてもらうという段取りにしてありました。息子などは、自分で初期設定から、データの移し替えをやっていますが、黄紺は、全くダメ。スマホの使い方もままならないのに、そないなことはできるわけがありません。新しい機器が来ると、面倒なのは、今までの経験知として、データの移し替え、時間を、やたら食われたという記憶が残っています。今回は、それには時間がかかったという印象どころか、えらくスムーズに行ったので、気持ち悪いくらいだったので、作業完了後、「確認をお願いします」と言われ、覗いてみると、案の定、メールが移っていない。でも、クラウドから取り込んでもらい、あっさりと解決がしたのはいいのですが、うまく移らなかったのは、旧い方のスマホが、ほぼ機能不全に陥っていたせいにされてしまいました。そうなんです、この2週間、スマホが、ほぼ使えてなかったのです。電車の接続状況調べるのも、メールを書くのも、PCを使いやってました。電話がかかってくると、相手に切ってもらわないと、切れない。こちらで切るには、電源を切るしかないという状態で、しかも、徐々に、電源を切るのも、ままならない。初期設定作業中も、再起動の必要があるときは、お店の人ではできなくて、黄紺が、この2週間培ってきた、その機能不全のスマホの電源の切り方を駆使して、替わりに再起動しておりました。黄紺には、原因が判らなかったのですが、店の人はプロですね、恐らく落としたときに着いたと思える凹みを、簡単に見つけてしまいました。旧いスマホは、2回落とした記憶があるのだけど、その後は、ずっと普通に動いていたものだから、落とした傷なんてものがあるとは思ってもみてなかったもので、わりかし驚いてしまいました。そんなで、新しい安物のスマホが来ました。自分でアプリを入れると言っても、乗り換え検索用アプリ、QRコード読み取りアプリ、Yahooアプリ、万歩計アプリ、PDFファイルを見るアプリ、こんなものかな。お店では、ラインの移行ガイドのシートをもらったけれど、友だちの少ない黄紺には、ラインは不要なので関係ない。そんなで、結局、データ移行がスムーズだったので、さほど時間がかかってないかなと思ったのですが、店にいたのは1時間半はいたのじゃないかな、結構、かかるものですね。パスワードで困ることもなくだったのですが、余計な時間は、旧いスマホのせいくらいで、それだけ時間が要るということでした。
 このことを、夕方に設定。お店までは歩いて行き、戻りは、買い物を兼ねて、ちょっとした迂回コースで、夕方のウォーキング替わり。昼前のウォーキングは、出かけようかという時間帯に雨。すっかり諦めかけたのですが、せめて買い物だけはと、間をおいてから出かけかけると、雨が止んでる。ならばと、時間を考え、短縮形でのウォーキング。雨も降るともなく、そこそこの時間、歩くことができ、満足。ウォーキングを短縮形にすることになったため、わりかしとゆっくりと、トルコのコロナ状況を追うことができました。医療関係の記事で、だいぶと賢くなったかもしれませんが、すぐに忘れてしまうので、ダメなんだけど、インパクトの強いものは残っていく。亜鉛って金属、体に必要だけど、人によっては、糖尿病の原因にもなる話って、コロナ関連で知れるなんて、思ってもみなかったことです。この数日、お出かけやら、タイトな時間で、オペラ配信を観るのが滞っています。今日から3日間もせわしなくなると思うので、「スペードの女王」の続きが観れなくって、ちょっと不満。でも、何もかも手に入れようというのは、ダメかも。時間には制限があるもの、また、こないなこと言っています。


2020年 10月 19日(月)午前 7時 41分

 昨日は、お出かけなしの一日。いつものルーティンをこなしていると、あっさりと一日が過ぎています。何をしていても、タイトな時間を過ごすのが癖になってしまっている黄紺です。そういった時間を過ごすのが好きな人もいるでしょうが、黄紺は、決して好きなわけではないですね。やりたいことがある、今だったら、トルコのコロナ状況を追いかけていると、今まで知らなかったトルコが、いっぱい見えてくる。ホント、トルコについて、いっぱしのこと解っているつもりでいたのが、大きな音を立てて崩れていきました。教育制度一つにしても、新たな知識になりましたし、教育にかける親のスタンス、繊細な行政サイドと、教育という切り口一つをとっても、大変な勉強になりました。昨日などは、検査チームの活動を伝えるルポというか、ルポになる証言集的署名記事に出会いました。検査チームって、PCR検査をするだけではないらしいのは判っていたつもりです。3人1チームで構成されており、その内の1人は医師だという情報は持っていました。保健省長官は、この検査チームが自慢です。この活動が、今、ヨーロッパ各国で看られる再爆発、いや、第1波を数倍上回る大爆発ですよね、そうはなってないトルコを支えるものと、長官は自負しています。そのチームの活動、構成者を知ることができ、トルコ人気質が滲み出て来ていると感じてしまいました。知識として知った点は、どういった人が関わっているかが判ったこと。歯科医、助産師、町内会長といった人たち。検査はもちろん、隔離措置から指導、疫学調査、その情報から濃厚接触者の追求、隔離後の投薬、訪問指導&観察(日が細かく決められていると長官は言ってましたね)などとなります。対人仕事です。当然、軋轢が起こる場合があります。関わる方(検査チーム)と関わられる方(感染者・濃厚接触者)という、人の生の感性が出てきます。ここに、らしさを伺うことができます。言葉で表すと、恐ろしい「格差」ということになるのでしょうが、知性、感性の落差、ウィルスとの闘いは、人間との闘い、人間同士の闘いに看えてきました。一種のサヴァシュ、です。いや、人間が作り出してきた社会とのサヴァシュかもしれません。そういった「格差」を生み出したのは、他ならぬ人間自身なんですから。寒くなってきています。屋内の閉じた空間での生活が増え出すと、感染が拡大すると言われていた通りのことが起こってきています。感染拡大の要素が、大規模な社会的流動性から、閉鎖空間の拡大へと移ってきているということですね。トルコのルポで、これまた興味のあるものがありました。取締りは、その対象が屋外です。ないしは、カフェやロカンタ、AVMといった、人の往来のある屋内の空間です。取締りの抜け落ちは「個人所有の空間」です。即ち「家」です。ここまで取締りは及びません。「家族内感染」は、それでも想定内です。疫学的にも、日本でも話題になっています。が、専門家氏の注意喚起は、この「個人所有の空間」に、多くの場合、今まで「人の往来のある屋内外の空間」で行われていたことが持ち込まれているというのです。「家族間の交流としてのお宅訪問」、これは常なるトルコですから、これは、控えるようにとの指摘は、以前から出ていましたが、今まで外でやっていた友人たちとの食事、飲み会、宴会の類が、「ホームパーティー」といった形で「個人所有の空間」に持ち込まれている、これがヤバいというのです。これ、都会ですよね、なかでも、ヤバいのがイスタンブルだとの指摘です。アンカラではなくて、イスタンブルがヤバいと言われると、なるほどと思ってしまいます。文化が変わる、これは「With コロナ」になり思っていたことですが、また、それに、1つ追加です。
 ところで、今日、新しいスマホが来ます。今のスマホは、今や、ほぼ時計替わりにしか使えない状態になっているからです。2日ほどで手に入るというオンラインショップの表示に騙されて予約を入れたら、2週間かかりました。なめてます。新しいスマホは、息子に選んでもらった安物です。黄紺のスマホ能力を、PC能力並みと勘違いしていた息子は、当初、いい機能を持った機種を言ってきてくれたのですが、能力を知った途端、安物でも十分と、今日手に入る機種を選んでくれました。ようやく、スマホを使い、メールを打てます。電話をかけても、切るのに電源を切らなくても済みます。あとは、、、、あんまり、すぐに思い出せません。こないな具合なものですから、安物で十分なのです。息子が、知らない間に、アイフォンからアンドロイドに替えていましたから、今度は、使い方、覚えます。でも、問題は、息子は、もう仕事に復帰してしまっているため、自在に時間を割いてはくれないでしょうから、先のことにはなるでしょうね。


2020年 10月 18日(日)午前 8時 15分

 昨日は、向日市文化資料館で行われた「令和2年度市民考古学講座講演会“百舌鳥・古市古墳群とその時代”」に行ってまいりました。主催は、同資料館ではなく、向日市埋蔵文化財センタ-の方です。お出かけ前に、いくら同資料館のサイトを見ても、催し案内に出てないので困ったのですが、この講演会、事前申込制で、その返信をもらっていたので、安心してお出かけ。冒頭での挨拶で知ったのですが、かなりの申込みがあったようで、黄紺は、抽選というハードルを潜り抜けていたのです。しかも、当選者全員がやって来たそうです。それを聞いて、古墳時代のことなど、全く予備知識のない者が聴いていいのか、聴いて解るのかと、本気で思ってしまいました。簡単に、ビビってしまいます。古代史マニアっていますからね、そんなのに焦点合わせた講演だと、全然、手が届きません。中学生相手くらいのレヴェルが、黄紺には妥当です。お話をされたのは、京都橘大学教授一瀬和夫さん。元大阪教育委員会で、実際に、考古学発掘に携った経験を持つ、この道のプロです。世界遺産登録の資料作りにも関わられたのでしょう、序盤は、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録された経緯のお話。ここで、かなりギヴアップ気味になったのがいけなかったのか、前半の目玉となった同古墳群の画像を使ったお話で、居眠り。解らないところへさして、更に解らないお話がやってきたってところ。画像を見せていただいて聴く用語になじめず、お手上げ状態だなと思ってしまったのが、明らかなる居眠りの原因。休憩時間で、やっぱ無理だったかと放心気味だったのですが、後半は、古墳から、これだけ多くのことが見えてくるのかと思わせられるものとなり、正に開眼。分析力から、ちょっとしたロマンを感じてしまいました。それらを、メモっておきます。①百舌鳥古墳群、古市古墳群、更に、生駒を越えてからの奈良の古墳群、その東端に、邪馬台国説のある古墳群、これが、ほぼ一直線に東西に並びます。それと、古代の道が重なるのです。その道に至る道、川もあります。河内湾から川伝いにアクセスできます。住吉津(「住吉」を「すみのえ」と読むのは能のおかげで知っている)からも道がある。上町台地とも繋がる道も、全部、その道に繋がっている。そこに、巨大古墳群は並ぶのです。朝鮮半島のような遠いところからも来たことでしょう。大和への道すがら、巨大古墳群を見た人たちは、どのように思ったでしょうか、想像に難くありません。②百舌鳥古墳群は海に近いです。大王の館や倉庫があったことが想定されます。そして、その館や倉庫の周辺の低地に耕作地があり、農村が続いているといった具合に、大王を中心に集落があったことが遺跡からも判ってきています。更に、そういった生活の場であったことからの必要アイテム、それは、古墳建造にも要るものを作るのが、少し東に離れた山岳部。ここにも、古墳が連なっているということで、集落の存在が看て取れ、「陶邑」という名が残っています。「すえむら」と読みます。「すえ」は「須恵器」に通じます。ということは、それを作るために要る薪が手に入る山林際に、そういった集落があったことで、この地域は「手工業エリア」となる。それを含んだ「生活圏」を想定することができるというわけです。巨大古墳を造る労働力の調達、分業体制の差配、農耕集団の統率、どれをとっても、大王の権力を想像させるものです。③古墳と地形の関係。やはり高台の端に造られたようですが、巨大古墳は環濠を持っています。濠には水が要ります。掘った土は、例にもれず盛土として活用できます。仁徳陵で、濠の深さは10mもあるそうです。巨大な盛土には、それだけの掘削が要ったということですね。その水は、高台の端の下の谷を流れる川の水を取り込むそうです。また、掘削途中に雨が降り、また地下水脈を掘ってしまうと、せっかく掘った場所に水が溜まりますから、その水がはけるように、水路が造られていた跡も確認できるそうです。問題は、川を取り込んで濠を造るメリットです。農耕を支配できるということになります。一石二鳥です。「生活圏」の中心にいる大王の権力の、正にコズですね。農業を支配して、その生産物を収奪して、手工業者集団に食料を提供する、そして、生活物資の差配から果ては武器の生産・管理をしていたなんてことを想像しちゃいました。④前方後円墳は、方形と円形を組合せたことからユニークなわけです。円い古墳、四角い古墳は、世界中にあっても、両形を組合せたところにオンリーワン的要素があることくらいは、さすがの黄紺でも知ってはいましたが、その形状の特徴なんて知っているわけはありませんでしたが、とってもおもしろいお話を聴けました。設計図は同じで、マイナーチェンジをしていたというお話。履中陵から応神陵は、方墳部が高くなります。正三角錐の底辺部を切り取った形に変えているそうで、それに円墳部を合わせたため、繋ぎの部分の変化と方墳部の高さが変わった。更に、応神陵と仁徳陵の違いは、方墳部を引き延ばしただけ、その引き延ばしが、仁徳陵を世界最大にしたということで、基本的な設計図は同じとなるわけです。これを、3つの古墳の平面図を重ねた資料をいただけたものですから、黄紺にもあっさりと理解できました。⑤前方後円墳は権力の象徴だったというお話。大王の許可が要ったようで、許可の取れなかった豪族は、円墳やホタテ型などになるそうです。では、同じ前方後円墳でも巨大化した時期を見ると、これが固まっている。場所も①でメモっているところです。そこから、国際的な意味合いを言っておられました。大王の地位を国際的に認知させる手段として使ったのではないか、となると①に戻り、大陸や朝鮮からやって来た人たちの目に付きやすい場所に造ったわけが判るということです。そして、国際的認知をされると、用済みということで造らなくなった。確かに、無理して造る必要がなくなれば、造る手間、多くに人を労役に駆り出し、多くの物資の調達をしなくていいのなら、しませんわね。⑥この古墳群をめぐる「生活圏」モデルを、乙訓界隈にも当てはまるというお話、めっちゃ斬新。旧巨椋池の発掘で、農村跡と考えられる遺跡が出てきているそうです。そりゃ、やがて巨大な水溜まりができる低地ですから耕作には適地です。発掘が、さほど進む場所(元池の跡ということから)ではないですから、今後、考古学的発掘が進むと、もっと農村跡が出てくる可能性を言われていましたが、では、大王に相当する豪族はどこにいたか、それが、乙訓地域の古墳群で、もう1つ、手工業エリアとなる古墳群は、城陽から宇治にかけての山間部に残るものではないかと言われていました。これは、驚きの仮説です。でも、ありそうと、このお話を聴いていると、そないに、あっさりと同意してました。いや~、おもしろかった! 馬の話とか、舟の話とかもされていましたが、黄紺の頭には無理なところは、無理してメモを残さないことにします。韓国ともども、考古学の発掘、分析が、かなり進んでるなとは、いつしか、大阪歴史博物館での「渡来人」と題する考古学資料の展示で知ったつもりでしたが、要するに、完全にボーダレスになってるなと思ったようなお話も出ていましたが、よく解りませんでした。残念ですが。序盤から、前半は、どうしようかと思ったほどだったのですが、後半良ければ全て良しにしておきましょう。大正解の講演会、大満足でした。
 昨日は、朝から雨。向日市文化資料館に向かうときは、ほとんど諦めていたのですが、何を思ったのか、資料館を出ると、いつものように、家まで歩いて帰ろうの気分に。往き同様の降りだったのですが、風がなかったので、そないな気になったようですが、これが正解でした。歩き出して15分で、雨が止んだのです。しかも、最近の雨と違い、一旦止むと、もう降りませんでした。昔の雨ってそうだったのに、最近の雨は、何度も何度も降りに戻ります。ですから、「今日は、昔の雨や」と呟きながら、気分は上がりました。自然と足が速くなりました。家に着くと、丁度6時くらいだったかな。これで、ウォーキングも敢行、いい一日に、結果としてはなりました。


2020年 10月 17日(土)午前 7時 21分

 昨日は、映画を観る日。この頃、2週間に3本という感じで観ています。それだけ、手ごろな作品があり~の、他所へ行くことがない~のということですね。昨日の映画は、久しぶりにシネコン(MOVIX京都)での映画、日本映画「スパイの妻」です。ヴェネチアで受賞したということで、一躍知られた映画。黄紺も、それで知ったのですが、クレジットで「NHK」と出るので、なんでか調べてみると、なんてことはない、NHKで放送されたものの劇場版だったということを、今になって知りました。TVで評判になり、映画化されたのが、更に国際的に評価されたってことなんですね。それにしては、内容が新鮮。戦争映画、明確に「反戦映画」と言っていい作品ですが、そのアプローチに、関東軍による「生体実験」をプロットに使い、人道的観点から、それを国際的に告発するためアメリカ密航を企てるというなんて発想が使われる映画って、なかったのじゃないかな。その分、リアリティに欠けるきらいがありますが、そんなのはいい、映画らしい、映画でできることをしている、そういった印象を強く受けました。コンセプトは、明確に「反戦」。恐らく評価を受けたのは、タイトルロールの妻のキャラだと思いました。甥っ子が拷問を受けることを厭わない、それを「戦略」としてまで使っている。普通の映画だったら、ここで頓挫です。重大な事実を知った、裏の裏の手を取るため、甥っ子の拷問は想定内。あとでネタ晴らしをすれば、甥っ子は感激するとまで思っているかもしれない、気丈夫というか、狂気にも似た感性が看えます。彼女の中では、夫への愛なのか、人類への愛なのか、両者が混在なのか、いや、後者の前者への従属なのか、はたまた、その逆なのか、どれなのでしょうね? どれなんだろうかと思わせるところに、狂気に似たものを感じさせるのでしょう。夫の方も、それを思わせる節がありますね。ですから、2人は共振している。妻の「お見事」という台詞が異彩を放つところ、そこは、その共振が強烈に振れたところだと思いました。この「お見事」は2回出てきます。これ、ヴェネチアで上映されたときの字幕が気になりました。英語字幕を想定して考えてみました。1回目は「Good job!」でしょうね、2回目は「Perfect!」ないしは「Excellent!」でしょうか。「Perfect!」の方がいいかな? 神戸大空襲も、素晴らしいモチーフになっています。ほんの数秒の場面で十分でした。やはり、アプローチ、構成、キャラ作り、お見事という言葉が出てきました。
 MOVIX京都では、館内放送で、コロナ対策を訴えていましたが、席の制限は解除されていました。これは、先日行った京都シネマでもそうで、京都みなみ会館だけが、使えない席表示が続いています。緩和措置が出たからでしょうか。横並びが気持ち悪かったので、離れたところに、周りに誰もいない席があったので、その空席に座って観ることにしました。第一、スクリーンのある6階に上がった時点で、呆気に取られていました。同じフロアに、もう1つ、スクリーンがあったのですが、そこでは、よりによって「鬼滅のなんちゃら」という、黄紺でも知る流行りの映画を上映するものだから、若い人でごった返していました。しかも、開演時間が、2つのスクリーンがほぼ同じ、更に、チケット切りが同じところで受けねばならない。「鬼滅のなんちゃら」が大混雑になっても、他山の石でいいにしても、それを、一緒に体験しなければならなくなっちゃいます した。実際には、その列には並ぶことはせず、誰もいなくなってから入りました。ですから、一番最後に入りました。また、その指示(2つのスクリーンが同じチケット切りだとの)を、大声で、映画館の人がするという、これまた、ありえない光景。チケット切りも手渡し、こんなの、まだ、やってんだというもの、でした。はっきりと決めました。コロナ終息まで、どないないい映画があっても、2度と、MOVIX京都には行かないと。既に、手遅れだったら、サイテーですが。
 映画が終わると、ほぼ午後5時。昼前のウォーキングは通常通りだったのですが、それから帰ってからだと、ウォーキングをしにくいということで、そのままアーバン・ウォーキングをすることに。この辺りから冷えだしたのかな。昼前のウォーキングをしたときよりは厚着で出かけたのですが、帰宅すると、もう体のほっこり感よりは冷えてる感が先行するようになっていました。夜半に入ると、雨も降りだし、冷え込みは一層強まり、正に天気予報通り。寒いのが嫌な黄紺には、迷惑な季節が、徐々に本格化し始めています。


2020年 10月 16日(金)午前 6時 18分

 昨日も、お出かけなしの普通の一日。朝から、毎日、トルコ保健省長官のTwitterと、保健省のサイトを当たるのが日課。報道機関は、この時間帯はCNNトルコ。前日の後半のコロナ情報を掴むことができます。夕方、ウォーキングから戻り、夕飯前に、トルコ・サッカー情報を探したあと、その日の前半に流れたコロナ情報を、今度はヒュリエット紙で追いかけることにしています。国や地方公共団体からの情報ばかりか、専門家の分析、市民への啓発的な情報を掌握することができます。記録として残そうと、各記事を、ワードに貼り付け残しています。もちろん、全文に目を通します。保健省長官の定例会見なんてものは、大部なものとなり、よくぞ文字に起こしてるなと思う分量です。映像も流れていますが、医療・衛生、教育、行政などのタームが解らないものですから、聞き取れるものではありませんし、第一、メモを取るとなると、書いたものに限ります。一昨夕、保健省長官は、専門家会議のあと、記者会見に臨んでいます。それを文字に掘り起こしたものを、全てワードに貼り付けると、なんと13頁にもなり、びっくりです。閣議後の会見や、この専門家会議後の会見では、毎度、こないな分量となっています。それを読み、メモを残すことが、日々のルーティンの1つになっています。今、ヨーロッパ各国では、感染者の増加が、再び著しくなり、外出規制が執られたりしているなか、トルコも増加傾向にありながら、その増加度は、かなり抑えられています。これは、かなり自慢なようですね、保健省長官の口の端に、それが伺えます。特に自慢が、検査チームの数、その迅速な対応、濃厚接触者の追求、掌握、隔離指示&指導&後追い、これらが、増加傾向にありながら、ヨーロッパ各国のような著しい増加に至っていないと分析していますね。検査の費用、その後の措置は、公費負担だということも、自慢の種ですし、自慢するだけの内容です。様々な制限措置を設けているのもトルコらしいです。その取締りの徹底さもトルコらしいです。驚きは、その取締りを、警察官やお役人だけではなく、県知事や警察本部長といったお歴々が顔を揃えて、街歩きをしているというところ。直に、ソカック・インサンに注意喚起をして、時には罰金の切符を切っています。もちろん、パフォーマンスなんだけど、そのパフォーマンスで、事の重大さを示すのも、とってもトルコらしい。一方で、そういった報道機関は、政府に右にならえ的なものを流していますから、ソカック・インサンの本音が見えてきません。ぶつぶつが見えてこない。ないわけないと思うんだけど、見えてきていない。その辺が力不足ですね。
 ルーティンのウォーキングは、ごく平常通り。夕方のウォーキング途中、公園で休憩&読書をしていると、昼前のウォーキング時と同じ格好をしていては、もう寒いですね。2日続けて、寒くなって、読書を止めねばなりませんでした。ついこないだまで、陽の落ちるのが早くなったと言ってぼやいていたのですが、今度は寒さ対策が必要になってきています。週末は冷えるそうですから、要注意です。
 もう一つのルーティンのオペラ配信は、新たに、モスクワ国立スタニスラフ音楽劇場の「スペードの女王」(アレクサンデル・ティテル演出)を観ることにしました。オペラ配信を観出した頃から、既にリストアップしてあった、待望の配信です。動画は、これだけしかと思い込んでいたため、ここまで残してあったものですが、先日、検索をしてみると、存外流れていますね、この演目。但し、字幕なしですが。このモスクワからの配信は、字幕が、事の外、優れもので分かりやすいもの。この5月だったかな、1回のオペラ紀行で、2回も「スペードの女王」を観ることになっていたのですが、しかも、いい歌手、スター演出家のプロダクションだったのですが、コロナにやられてという曰く付きの演目でもあります。昨日は、オペラ配信用の時間があまり取れなくて、まだ、素敵な女声デュオのある場面の半ばまでしか観れていませんが、どうやら、このプロダクションの装置は、回り舞台の上に円柱を立て、その上に小物を出して変化を出す方針らしい雰囲気。舞台の両サイド、回り舞台の外の更に端っこには、同じ形の柱が、今度は列柱となっています。ちょっとギリシア・ローマ的香り漂う装置です。そういった柱の間や前を人々が歩くのが、冒頭のペテルブルクの公園、回り舞台の柱の間に机や椅子が置かれているだけなのが、女声デュオの場面といった具合です。これだったら、全編、これは使えますわね、対応できますわね。賢いというか、ずるいというか、、、。ロシアものって、ロシア語歌詞が字余り的で、独特の雰囲気となるのがいいな。ショック死をする婆さんが、存外若い雰囲気にしてあるのが意外です。コントラルトのいい声をした歌手(エレナ・ザレンバ)が歌っていますから、あの低い音が楽しみになってきてはいますが、若いのが気になっているところです。


2020年 10月 15日(木)午前 4時 58分

 昨日は、お出かけなしの普通の一日。秋晴れのいいお天気で、ウォーキングには最高。気温も高く、一時の寒さは消えています。また、週末には、その冷え込みが来るとは、天気予報では言っています。でも、これからは、そうなっていくのですから、昨日のような暖かな日があると、ラッキーだと思わねばなりません。ルーティンにしているウォーキングには、まことにいいお天気。昼前にウォーキングをしていると、今、そういった季節なのでしょうね、河原や公園で伸び切った雑草の刈り込みが行われています。夕方のウォーキング時には、もう作業終了ということでしょう。先日の台風が来ようかという、ちょうど雨が降り出した時間帯にも、作業が続けられていて、驚いたことがありますが、時期だから、済ませてしまわねばということだったのでしょうか。黄紺も、親から受け継いだ土地の草刈りを、息子と、たまにしますが、刈るのはいいとしても、刈り取った草の処理が大変なんだよね。河原や公園に刈り取った草を放置しておくわけにはいきませんから、それを、トラックまで運び、しかも、坂になった河原なんて、大変な作業です。そんな作業の横の公園で、その公園までは作業は入って来てなくて、前の河原で作業がされていたのですが、生草を刈り取ったときの独特の臭いが、どうしても鼻をつきますね。逃げ出すほどではないのですが、そんなにいいものではなですね。普段は感じる機会がない、独特の臭いです。夕方は、既に10日ほど前に刈り取りが終わった公園で、休憩&読書。刈り取りが終わると、虫もいなくなるだろうというのは、大きな間違いですね。かなり減ってはいますが、逞しいもので、相変わらず、厚いズボンの上から刺してくれます。
 もう1つのルーティンのオペラ配信、マッシモ劇場の「蝶々夫人」を完走しました。装置は、通しで同じものを使ったということは、ずっと、舞台後方には舞台があり、その手前には、簡易長椅子が置かれたままの進行。2幕冒頭では、舞台の幕がスクリーンに変わり、そこに映像が投射されました。旧い映画仕様の映像で、男女の別れを描いたもの、あまりに単純な映像に、唖然。「ある晴れた日に」では、そのスクリーンに眩しい太陽が映るという、これまた単純。極めつけは、「ハミングコーラス」でもスクリーンに投射が始まったので、悪い予感がしてしまいました。シンクロナイズドスイミングをする女性が、ずっと続き、これまた、「ハミングコーラス」が台無しに。大砲の音で知るエブラハム・リンカーン号の到来を、電話で知るという、もう大胆としか言いようのない演出にも、唖然。1つだけ良かったと思うのは、「ハミングコーラス」時に、問題の映像を観るのは、蝶々さんだけではなく、けばい衣装を着けた女性たちも。そして、「ハミングコーラス」が終わると、右手から水平が出てきました。それを待ち受ける女性たち、その中に、蝶々さんも混じるという光景が作られていました。アメリカ兵を待つのは、蝶々さんだけじゃないよとのメッセージ、これはありうる、いい目の付け所です。蝶々さんは自害をします。今まで観てきたプロダクションでは、ピンカートンが、「蝶々さん」と叫びながら駆け込んでくると、判で決まったようでしたが、このマッシモのプロダクションでは、「蝶々さん」の叫びは舞台奥で歌われ、ピンカートンは舞台には出て来ないまま、替わりに、ピンカートン夫人が現れ、傍らに座らせてあった子どもを連れ去るという、かなりえぐいもの。この自害から最後まで、スズキは、ずっと舞台奥で見守っているというのも、今まで観たことのない演出。で、結局、舞台の中の舞台は、何だったのでしょうね? 舞台上で行われている芝居が降りてきているという演出意図かなと、ちょっと期待を込めて観ていたところもあったのですが、そういった気配を、最後まで感じさせることろはなく、で、一体、何だったのかとなります。フイ・ヘの歌唱が素晴らしかっただけに、こないなプロダクションでは、気の毒になってしまいました。突っ込みどころ、満載です。「怖いもの観たさだったら、観れば」と言いたくなるプロダクションでした。がっくり。こういったときに居眠りしないんだなぁ。できないか、突っ込みどころが多くて、、、?!
 夜中に、起き上がってしまいました。また、夜中に目が覚め、眠れないのです。腰の痺れも出ているので、起き上がるしかないのです。ちょうど、トルコ代表の試合があるからいいやと、楽観的になったのですが、TRTでのライブ、TVの方でしたから、ラッキーとも思っていたのですが、やはり外国では観れないと、画面に出てしまいました。ならば、TRT①のラジオ放送で間に合わせようと考え、番組表を見ると、中継は入ってない。TV放送があるから、ラジオでは流さないということなんですね。今、後半に入ったところで、セルビア代表に2点目を入れられました。これは、フォトマッチ紙のライヴ情報を追いかけているので判るのですが、欧州選手権本戦出場を果たしたトルコ代表が、ネーションズ杯では散々です。オザン・カバク、チャーラール・ソユンジュ、カーン・アイハンが離脱が効いているのかな。マフムト・テクデミルがストッパーに入らないといけなくなってしまってますからね。マフムト・テクデミル、最近、バシャクシェヒル・スポルでもストッパーに入ったことないんじゃないかな? そんなで、代表はピンチです。シェノル・ベイ、どうするのだろうね? アップしようとしたら、ハカン・チャルハノールのゴールが決まりました!


2020年 10月 14日(水)午前 5時 18分

 昨日は、京都みなみ会館に、映画を観に行った日。最近のお出かけの中心は、確実に映画にシフトしています。ただ、映画を観る場合は、結構、我が儘なもので、選り好みが強いうえ、例え、選った映画でも、午前中の上映だと行かない、最近だと、夜も避けたい、そういった我が儘に適うと、観に行くということで、いいなと思った映画でも、それに適わないとスルーしている映画って、結構、あると思います。そないななかで、微妙な時間の上映だったため、行けたら行こう、次週だと、上映時間が後ろにずれるので、好都合だけど、いろいろとお出かけ計画の多い週だから、諦めるかもと思っていた映画に行くことができました。以前、みなみ会館に行ったときの予告編で知った映画です。ドキュメンタリー映画「ようこそ、革命シネマへ」が、それ。チラシなんかで題名を知っていたのですが、予告編を観るまでは、内容のイメージの全くなかった作品。「いきなり本編からの上映」というのが、時々あるけれど、こういった映画の出会いがあると、予告編の大事さが身に沁みます。スーダンの映画人を追うドキュメントです。軍事政権下、もう30年も、公的な場での映画上映が許されていないスーダン。それ以前から、既に、ドイツ、ソ連、エジプトで映画の勉強をしてきた映画監督らは、亡命を余儀なくされるか、政治犯扱いされるかという苦難を経験しています。そういった経験をした4人の映画人が、スーダンに戻り、交友を再開し、なんとか、公共の場で映画上映を試みる姿を追いかけたドキュメントです。それだけの時間が経っていますから、皆さん、齢を嵩ね、結構な年齢の4人の男と、彼らの組織した「スーダン・フィルム・グループ」に詰める1人の女性(この人の紹介はなかった)。彼らは、車に機材を積み、村の広場で小さな映画上映会はしているのですが、首都ハルツームで、かつての映画館を使い、映画の上映を試みようとします。その活動を追うのが、この映画の本筋ですが、その過程で、映画上映が禁止となったあとの各人の様子が語られ、そして、リメイクをされたものでしょうか、彼らの作品の一部が上映されたり、その内の1本の映画の撮影風景を、自分たちで再現したり、旧映画館の傍らでサッカーを楽しむ人たちに、映画に関するアンケートを取ったり、そういった姿を描いていきます。クレジットが、フランス語で入るので、フランス人が制作に関わってはいるのかもしれないのですが、監督もスーダン人です。若い世代の映画人です。活動エリアがフランスなのでしょうね、でないと制作できないでしょうしね。4人の爺さんの映画にかける思いが、穏やかな語り口だけど、また、冗談交じりに言える齢だからこそ、逆に、思いが伝わります。廃墟となった旧映画館に打ち捨てられたフィルムの山、一方で、自分たちの事務所に保管しているフィルムを手にする彼らの姿、上映をしようと、野外映画館のスクリーンを清掃する姿、彼らは、世が世なれば大御所となっている人たちのはずですよね、そう思うと、やるせなさが募ります。不思議と、ドキュメンタリー映画を3本連続観ることになりました。全く異なったテイストの映画の3連続です。それぞれ沁みた映画でした。このスーダンの映画は、その3本の中で、多くの人に観てもらいたいという点では、1番ですね。ただ、上映映画館を眺めると、京都は、最後の方でしたが。
 映画が終わったのは、午後1時半過ぎ、外はいいお天気、ということで、昨日も、ウォーキングがてら歩いて帰ることに。そして、前回と同じ公園で、休憩&読書。日陰に入らないと、暑いくらいの気温でした。結局、家に着いたのは、午後4時を回っていました。暫しの休憩、でも、ウォーキングは、普段の半分程度しかしたことになってなかったので、休憩後、再び、ウォーキングに出かけることに。体を動かすのが、とっても心地よい季節なものだから、そういった気になるのでしょう。天気が良かったものですから、いつもより日没が遅くなったようでした。
 休憩の合間にオペラ配信を楽しむことに。でも、あまり時間は取れなかったけれど、マッシモの「蝶々夫人」、さわりで期待したのに、それが外れだったようだとの認識に至りました。1幕の装置に期待させられ、でも、それの使い方に「?」が付いてしまったということです。1幕が始まると、舞台後方に舞台があり、その前、即ち、舞台前方に簡易的な長椅子が並び、そこに水平が座っていたのです。劇中劇的展開を、瞬間、期待してしまったのです。ゴローが、水平相手に日本の習慣を教示しているという風情で展開します。ピンカートンとシャープレスのデュエットは、客席部分で推移、やがて、蝶々さんの登場、当然、舞台の上。水平たちと舞台下から見上げるピンカートン、ここまではいいのですが、結婚式となると、蝶々さんとピンカートンを、同じレヴェルで扱わなければならなくなります。すると、蝶々さん、お付きの女性たちも、客席に下りてきてしまいました。2人だけになっても、客席のスペースを使い、ラストは、そのスペースの傍らに敷かれたマットレス(それもちゃっちい)に2人がお床入りとなりました。舞台は、何時閉まったのか、下りたまま。ひょっとしたら、ちょっとした可能性は残っているとは思うのですが、これで、もし、1幕で使われた舞台が出てこなかったら、よく解らない演出となると思います。一方、主役3人がいいですね、歌手陣のことですが。フイ・ヘの蝶々さん、ブライアン・ジャッジのピンカートン、ジョヴァンニ・メオニのシャープレスです。スズキは、1幕は活躍の場がないですから、2幕以後の様子を観なければ、なんとも言えません。と言うのも、ようやく、まだ、1幕を終わったところだからです。


2020年 10月 13日(火)午前 7時 48分

 昨日は、基本的お遊び用のお出かけはなかったのですが、先週、裏切られた京都市の胸部検診を受けに行ったことが、普段と違ったところ。最寄りの区役所及び同支所で行われています。伏見区役所で受けることにしました。往復が、いいウォーキングになるかなのチョイスです。さほど混むわけでもなくだったのですが、これを目当てにしている人って、結構いるのですね。次から次へと検診を受けに来る人が絶えませんでした。受付で申し込みをして、ごく軽い問診を受け、あとは撮影の順番待ち。受付で字を書かねばならないとうのが、毎度、苦手です。普段、生で字を書く機会が激減していますから、いざ書くとなると、右手の軽いマヒが業をなし、とっても字が乱れてしまいます。毎度、「すんません、手が不自由なもので、字が汚くてすみません」、これを言うのがじゃまくさい! でも、申し訳ないので言うことにはしています。問診票には、既往歴を書かされます。こういったとき困ります。「膵臓」も「頸椎」「脊髄」も漢字で書けないからです。少しでも知らないことがばれないように、解らない漢字が少ない「膵臓炎」だけ書いておきました。こういったときは、絶対に「ジフテリア」は書きません。法定伝染病だから、何を聞かれるか判らないからです。「胆嚢炎」も書けないですしね、もちろん字がですが。わりかし、えぐい病気ばかりです。そんなで、胸部検診は、わりかしあっさりと終わりました。頃合いよりは、少なめだったですが、ちょっとしたウォーキングにもなりましたしね。夕方のウォーキングの方は、少し早めに出発。でないと、休憩がてらの読書ができません。昨日は、気温が上がったので、外での読書は快適ですからね。だけど、暗さには勝てないということでです。読んでいた本のラスト部分だったため、読み終わり顔を上げると、公園にいた人たち、皆さん、もう引き上げていました。もう5時半になると、そないな状態です、京都では。
 ルーティンにしているオペラ配信の方は、昨日は、ミスだらけ。「ナブッコ」を1日で観てしまったため、新たな配信探しに入ったのですが、演目を、配信では観たことがなく、且つ、候補リストには複数入っているということで、「蝶々夫人」と演目を先に決め、次いで、ローマ歌劇場ものと決め、いざ配信を立ち上げてみて、「あっ!」。以前観ようとして、映像を観た途端止めたものだったことを思い出したからです。1度は観ようとしていたのを、すっかり失念。今回も、止めました。理由は簡単です。カラカラ浴場を使った野外公演だったからです。野外ものは、そりゃ、ロバート・カーセンのプロダクションで「イル・トロヴァトーレ」なんて、そそられるものはあることはあるのですが、基本、半分、観光的な性格のものですから、ありきたりのものが多いと看ています。だから、せっかく観るのだったら、そうじゃないものを、ましてや「蝶々夫人」のようなポピュラーな作品は、他にも動画が上がっていますから、端から避けました。そこで、「蝶々夫人」で検索をしたところ、リストには入ってなかったミラノ・スカラ座ものが見つかりました。マリア・ホセ・シリ、カルロス・アルヴァレスの名が並び、「オーッ」。早速、キャストのチェック(記録のため書き上げています)後、いよいよスタート。浮世絵が障子をデザイン化したスクリーンに映っては消えていきます、まず、ここで一発目の「もやもや」、でも、続行。スズキが2人の侍女を連れて出てくるところが、ちょこちょこ歩きで、二発目の「もやもや」が出たため、「ん?」。ピンカートンとシャープレスのデュエットに入ると、ちょっとしたいい演出が入ります。スズキが持って来たお茶を捨て、2人がウィスキーを飲みます、、、ここで、「もやもや」のわけが判りました。このプロダクション、観ている! それどころか、このDVD持っている! ここまで来て、ようやく、それがはっきりしたのでした、サイテー!! そう言えば、マリア・ホセ・シリがタイトルロールを歌っているというのに目を着けて、DVDを買ったのを思い出しました。ですから、入口で気が付かねばならなかったのでした。そこで、この2つ目の「蝶々夫人」もやんぺ。今度は、リストにあるマッシモ劇場のプロダクション(ニコラ・ベッロッファ演出)にしました。さっさと、こちらにしておけば、こないな回りくどい失敗をしなくて良かったのです。こちらも、フイ・ヘ主演ですから、たいしたプロダクションです。フイ・ヘは、今、東洋人歌手で蝶々さんを歌う最高の歌手ですものね。ヴィジュアル的に蝶々さんを観るなら、この人であることは、誰も否定しないくらいじゃないかな。黄紺は、生では、「トスカ」をベルリン・ドイツ・オペラで歌ったのを聴いています。スカルピアを、ブリュン・ターフェルが歌ったときのはずです。そんなで、ようやく、ここに落ち着き観始めたのはいいのですが、余計なミスに時間を取られてしまい、ほんのさわりだけです、まだ。でも、ちょっとした趣向があり、なんか楽しめそうな雰囲気を感じています。とっても楽しみです。


2020年 10月 12日(月)午前 7時 38分

 昨日は、お出かけなしの1日。ようやく、朝からの秋晴れ。気温も上がりました。雨が続いていたときは、ホント、寒かった。一気の気温低下が激しくて、体がついていっていませんでした。暖房を入れようかとまで考えていたのですからね。となると、ルーティンにしているウォーキングとオペラ配信は、しっかりと時間を取ることができました。昼前のウォーキングに出かける前に、スマホでメールをチェックをすると、アマゾンで注文していたDVDが着いているというのが判り、急遽、引取り場所に指定したコンビニが、コースに入るようにとのコース変更。前日、びわ湖ホールからの戻り、一駅前で降りて、ウォーキングに替えた道筋と、半分ほど被ってしまいました。日々のコース選択は、日々、散らすように考えて、コース設定をしているのですが、ま、こういった日も出てきます。夕方のウォーキングも、コースを考えたとき、お酒の肴になるようなものを、晩ご飯に用意をできる店を経由しやすいコースを考えながら、途中、歩きながら、どうもお腹の調子が良くないので、晩酌を止めよう、ならば、コースを変更してしまおうと、マイナーチェンジ。でも、肴のことを考えないつもりで、帰り道寄った店の売り物をを見ていると、我慢できなくなり、肴になるもの買ってしまい、お腹はいいかの気分で、晩酌してしまいました。そんなで、ウォーキングを楽しめた一日、こうでなくてはいけません。
 昨日は、わりかし時間があったので、オペラ配信で、オペラを、丸々1本、観てしまいました。前回に続き、パルマ王立歌劇場の「ナブッコ」(ステファノ・リッチ演出)。これも、配信期間が終わりに近づいていたということでのチョイス。ここまで、幾つも、イタリアの歌劇場の配信を観てきましたが、いずれもオーソドックスな演出で、かなりがっかり度が高かったもので、ポピュラーな作品であればあるほど、そういった傾向が強いため、わりかし、この配信を選ぶのには躊躇があったのですが、ところが、すっとこどっこい、このプロダクションは違いました。ドイツの歌劇場でなら、よく観る手合いというか、時代設定、場所設定を、完全に外してしまうというものに、びっくり。装置も、工場の跡地の空間に装置を設えたという風情で、その装置も、船腹内を模したのではと思える装置があるかと思うと、別の場面では、単に折りたたみ椅子が並べてあるだけだったりするかと思うと、宮殿内を表そうとしているかのような装置が置かれていたりと、何でもって統一性を持たせているのかが、最後まで見えてはこなかったのですが、次は、何が、どのように使われるのかという興味は続き、それなりに楽しませてもらえたのが、一気に観てしまった最大の要因だと思います。ただ、何がやりたいのかは、掴めないままだったのですが、登場人物たちが、ユダヤ側なのか、アッシリア側なのか、それを、敢えて曖昧にしているようにも看える、いや、これは、黄紺の理解力不足の為せる業なのか、そういったところがあるのを、どのように把握していいのか、それに、終始困ったプロダクションでもありました。ましてや、「ナブッコ」は、台本に無理がある作品ですから、その曖昧さを導入されると、ホント、混乱してしまう。もし、それが狙いだったら(この可能性はあると思います)、一体、その狙いは何か、読めないのです。そういった、考えても判らないプロダクションって、癪にさわる一方、考えこませられるため、どんどんと引きずられてしまうんだよね、そういったプロダクションでした。そういった興味とともに、歌手陣の充実が素晴らしかったですね。誰も知らない歌手ですが、歌唱がいいので、主役5人のキャリアを、ネット上にあるデータベースで調べてみると、いずれの歌手も、蒼々たるもの。世界は広いわ、この言葉が、口をついて出てきました。その歌手陣を記して、記憶に残そうと思います。ナブッコ(アマルトヴシン・エンクバート)、イスマエーレ(イワン・マグリ)、ザッカリア(ミケレ・ペルトゥッシ)、アビガレージ(サイオア・ヘルナンデス)、フェネーナ(アンナリサ・ストロッパ)。


2020年 10月 11日(日)午前 7時 18分

 昨日も、朝から雨、でも、昼前には、ようやく上がりました。丁度、出かけるタイミングだったため、久しぶりにすっきり気分。お出かけ先は、びわ湖ホール、久しぶりのコンサートです。小ホールを使い、「<びわ湖の午後57> 郷古 廉×横坂 源×北村朋幹 ピアノ三重奏」という、なかなかそそられる顔ぶれのそろったコンサートがありました。とにかく、若い、その3人のコンサートです。そのプログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン:ピアノ三重奏第5番 二長調 op. 70-1 “幽霊”」「ヘンツェ :室内ソナタ」「ブラームス :ピアノ三重奏第1番 ロ長調 op. 8」。古典派の大作曲家の作品で、20世紀の、しかも後半のヘンツェの十二音技法の曲を挟むという、なかなか魅力的なもの。3曲を通じて、一番、インパクトがあったのは、ヘンツェだったかな? ベートーヴェンの演奏が、微温的というか、わりかし頼りなく推移した、責任は、横坂源にあると思うのですが、そんなだったため、十二音技法は、強烈に耳に突き刺さりました。功績は、郷古廉のヴァイオリン、勢い、切れが、耳に突き刺さりました。アンサンブルと言った点では、ブラームスの3、4楽章かな。ようやく、このブラームスで、横坂源が目覚めたって感じでした。「幽霊」の1楽章冒頭のソロを聴いたとき、ブラームスの1楽章の、これまた冒頭にあるソロ、大丈夫かと思うほど、勢いを感じなかったものですから。大丈夫でした、ブラームスでは。でも、彼の歌うような、感じのいい演奏を聴いてきているので、これでも物足りなさを感じていたのが、曲が乗せたかな、ブラームスの後半に入り、全開ってところかな。所謂、終わり良ければ全て良し的とまでは言い切れない気持ちもありますが、それに近い気分です。アンコールは、HPで発表と、まことに今どきの方法(コロナ対策という意味ですよ)で、「ロベルト・フックス: ピアノ三重奏曲 第1番 ハ長調 op.22 より 第2楽章」と判明。えらいもの聴かせてもらえました。暗さと重さが気になってしまいました。フックスを調べてみると、今まで交響曲が取り上げられたことがあるので気が付いていなかったのですが、室内楽曲がそこそこありますね。Youtubeなんて便利なものがありますから、探索することにしてみましょう。市松模様の客席でしたが、満席。チケットの売れ方も早かったですしね、知ってる人は知っている、若い音楽家を代表する人たちですからね。ただ、それにしては、満足度は、イマイチだった、そないなコンサートでした。
 びわ湖ホールへの往復は、最近は、大津駅から歩くことが定番となっています。昔の東海道の一角を通るコースが気に入っています。現代の表コースを通らない道を、ググったところ表示されたのが発端です。でも、片道20分くらいなので、ウォーキングに替えるには短すぎます。特に昨日は、午前中は雨でしたから、ウォーキングをする気もなくでしたので、昨日も、家の最寄り駅の1つ手前の駅で降りて、しかも、買い物用に迂回コースを採り、ウォーキングに替えたところ、いつもほどではなかったですが、それに近い歩数が出て、満足。家に着くと、少し早かったですが、いつもの夕方のウォーキング終わりに近い時間。あっさりと、1日が終わってしまいました。


2020年 10月 10日(土)午前 7時 48分

 昨日も、1日中、雨。台風が、南海上にいてるからだそうです。直撃はなく、でも、南海上を東進するので、ずっと雨が降り続いていると、天気予報は伝えています。雨の強さというより、こう降り続くと、ルーティンにしているウォーキングを、傘をさしてもやろうという気が起こりません。そういったときは、敢えてお出かけです。この1週間のどこかで観ようと計画している映画2本があるのですが、その1本を観ることに、あっさりと決定。これで、外に出る理由ができました。選んだ映画は、ドキュメンタリー映画「パヴァロッティ太陽のテノール」。不世出のテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの生涯を、貴重な映像&画像や証言を使い、後付けた作品です。黄紺的には、歌手を始めとした芸術家は、そのパフォーマンスを楽しませてもらえば十分で、その私生活はどうでもいいというスタンス。そのパフォーマンスの背景を知ることができるという大きな利点もあるとともに、多くはスキャンダラスな覗き見的なものだから、逆にパフォーマンスが汚されてしまうこと多々ですからね。殊に、パヴァロッティは、「三大テノール」公演などの派手なパフォーマンスが多く、その派手さ、手の広げすぎ的なところが、彼の歌唱より目立ち、晩年のオペラ人としての歌劇場での活動が見えてきてなかった(もちろん黄紺的にですが)だけに、さほど好感を持ってなかったのでした。ですから、ま、観ておこうかな程度の気で出かけた映画だったのですが、とってもしっかりとした映画、著名なロン・ハワード監督が指揮をしたからでしょうね、ドキュメンタリー映画としては、最高の質を持ち、それにともない、パヴァロッティ総体が看えてきて、黄紺の見てきた側面だけではないと思えたことは、自分的にも大きな収穫でした。彼は、モデナ出身なのですね。ちょっとモデナづいています。合唱団に入っていた頃の映像まで出てきたのに、いきなり驚かされます。それだけで、資料の掘り起こしが、只ならないと感じますものね。一気に、この映画への集中力が高まった瞬間でした。やはり、声の魅力が大きかったのでしょうね、出世が、とっても早い、おまけに運も持っている。コヴェントガーデン(ここへ行けるのが凄いですものね)で、ディ・ステファノの代演で出たのが、スーパーな脚光を浴びるの大元、やはり、代演というのはチャンスを掴む糸口です、言い古されたことですが。結婚は2回、いずれの奥さんも登場されます。亡くなったときの奥さんは、公式HPによると、現在、パヴァロッティ財団、同博物館を統轄されているようで、その奥さんの協力が大きかったようで、貴重な映像が出てきた基のようです。前妻さんの証言は、家族のこと、家庭でのことといったパヴァロッティの私的な姿を伝えてくれることになりました。また、3人の娘さんたちの証言も、それでもらえたのじゃないかな。パヴァロッティの名が挙がるのは、もちろん、その実力です。「連帯の娘」のハイC9連発の映像も流してくれました。歌唱映像の中では、黄紺的には最高のお宝映像となりました。そういった実力以外にも、辣腕マネージャー、ロック畑のプロデューサーがいたのですね。言われてみれば、あの派手な活動は、そこですよね。そこに、パヴァロッティの慈善事業を支援の思惑が絡んでくることで、規模が、更に大きく、派手になったということでした。ダイアナ妃との交流、U2のボノとの交流、これらが、その中から生まれてきたと伝えてくれていました。ドキュメンタリー映画としての素晴らしさとともに、パヴァロッティのパフォーマンスを、映画の中で伝えるには、古い映像からいい音を引き出さねばなりません。音源が良ければ、再現も容易いことでしょうが、逆に難しいものが出てくれば出てくるほど、その音源の価値が上がるというものがあったはずですが、どれをとっても、いい音。とっても嬉しいことであり、気になったので調べてみると、やはり、その筋の超の付くプロによる再現技術が駆使されてました。この手の映画には、音響の大事さを押さえた点、これも、とっても素晴らしい映画となっているポイントだと思えました。京都シネマでの上映だったのですが、映画が終わり、ビルの外に出ると、雨はかなりの小降りに、これで、もうおしまいかと期待したのですが、だめでしたね、その後も、雨は降り続けています。
 普段のウォーキングをしなかった分、時間があったので、オペラ配信の時間を確保することができました。「二人のフォスカリ」の終幕だけでしたが、完走しました。冒頭に、ゴンドラのレースを楽しむヴェネチア人の風景が描かれます。素敵な合唱ですね。黄紺は、この合唱、「海賊(イル・コルサーロ)」に入っていると勘違いしてました。このパルマのプロダクションではバレエが入るというサービス満点のもの。その中で、悲劇は悲劇へと、やはり盛り下がりました。タイトルロールの2人が2人とも、最後には死んでしまうのですからね。でも、黄紺的には、好きな演目に入っているというもの。貴重な映像に感謝です。しっかりとした字幕も付いていましたから、とっても贅沢させてもらいました。


2020年 10月 9日(金)午前 7時 8分

 昨日は、台風の影響でしょうね、ずっと雨、おまけに気温が低い一日。寒さに、とんと弱くなってしまっているため、この冷え込みで気が落ちてしまっています。特に、家の中が寒い。長袖のTシャツに薄いとは言えないトレーナー、その上に薄手のジャンパーを羽織っているのが、定番。上半身は、これでいいのだけれど、足元が冷える。膝辺りも、ひいやりとしている。まじで、暖房を入れるタイミングを測ろうとしています。空調を入れたので、去年まで使っていた暖房機を2階に上げてしまったので、我慢をしているけど、去年までなら、薄らと暖房を入れていたかもしれません。そんななか、ルーティンにしているウォーキングを、なんとかやってみようと努めてみました。昼前は、いつも使っている近所の銀行ではなく、4~6番目に遠い銀行(各々、同じくらいの距離)の中で、一番使わない銀行に行くのだと決めて、それをウォーキング替わりにしてみました。3番目までの銀行だと、あまりにも近いので除外したのです。外は、結構な降りだったので、往きの途中で後悔、普段のウォーキングのコース内でもあるのですが、雨のおかげで、普段感じない距離感を感じてしまいました。「こんなに遠かったっけ」という感覚です。家に戻ると、靴下も濡れていたということは、ズボンの足元辺りは、かなり濡れていたので、部屋の中で干さねばならないほど。夕方も、似たような降り。でも歩き出すと、昼前と違う。そう、風がないのです。これならと、普段のコースを傘さしで歩くことに。途中休憩なしは、歩き出す前から決めていたため、ウォーキング開始時間を後ろにずらしたため、もう暗くなってからのお出かけ。雨の上に暗いというのは、ホントに、単に歩いているだけ。つくづく、ウォーキングって、開放感があってこそ楽しめるものだと痛感。街中感の強いコース、且つ車の少ない住宅多めのコースをチョイス。これも、雨除けと暗さ対策、ちょっとでも、気分を和らげられる環境を求めてのコース選択でした。家に戻ると、確かに、昼前と違い、ズボンの濡れ具合、ほぼ感じない程度でした。
 オペラ配信は、新たにパルマ王立劇場の「二人のフォスカリ」(レオ・ムスカト演出)を選びました。以前からピックアップしながら観てなかったところ、配信期限が迫っていることに気づき、慌てて視聴。このヴェルディ作品、中期の名作群に入る前のもので、最も渋いもの。ドミンゴも、バリトンで歌うようになり、早々にピックアップしましたものね、ヴェルディ・バリトンの中で気になる作品であることは確かです。でも、出ませんね。ドミンゴは、コヴェントガーデンで歌い、ライヴビューイングでもラインナップ入りしたので観ることができましたが、それ以外では、DVDで観たことがあるくらいの作品です。ドイツのオペラ紀行用に、各歌劇場のスケジュール・チェックをしている中で、ワイマールが出していたのを、1度だけ見かけただけで、あとは見たことがない、そこまでレアかと呆れるくらいです。渋すぎる、よく言えばそうなるのですが、この作品、先へ進めば進むほど、盛り下がる、どんどん暗くなっていく、重たくなっていく、これが原因でしょうね。第一、スタートからが暗い、そこから、更に暗く、重たくなっていくわけですから、上演もしにくいのかもしれません。ヴェネツィアのドージェ(元首)が、政敵に仕組まれた息子への嫌疑を、立場上、救えない、ようやく救える証拠が出てきて、救えるときには、息子は死んでしまっているというもの。冒頭から、息子は、あらぬ嫌疑をかけられ囚われた状態からスタートしますからね。「二人のフォスカリ」とは父と息子を指すものです。短調のメロディを駆使して、その親子や息子の妻の嘆き、政敵の憎らし気な心情を表していく渋さがいいとは、なかなか思ってはもらえないようです。真ん中に円形板が用意され、その周辺の隙間の背後に壁を設えてあるだけと、単純化して書くとそのようになる舞台。その壁に映像を投射して、場面転換を図ったり、真ん中の円形板の周囲に、上から鎖を垂らして囚われの場を表したり、壁から橋状のものが降りてきて通路を作り出したり、また、照明を駆使して、その壁を見えなくしてしまったり、かなり匠の技を感じます。上手い場面転換、それを、僅かな装置で見せる技です。このプロダクションだけではないですが、ホント、照明の技術って、古いプロダクションと違いますね、格段の向上を果たしたなと、このプロダクションでも、またぞろ思ってしまいました。


2020年 10月 8日(木)午前 8時 32分

 昨日も、お出かけなしの一日。いいお天気は、昼頃まで。台風が近づいてきているということで、夕方から雨。気温も下がってきています。昨日は、午前中に、ちょっとしたアクシデント。京都市が、無料の胸部検診、要するにレントゲン検査をしてくれているというので、一昨日、申込みが要るかと思い、担当部署に電話を入れたところ、その必要はなく、ついでに詳細を聞き、それに従い、昨日、指定された場所まで行ったところ、「今日は、やってない日です」、、、? 一昨日、電話で聞いたのは、いったい何だったのでしょう。粘ってみても意味がないので、帰るしかありませんでした。歩いていったので、ウォーキング替わりとなるかと、自分に納得させ、でも、時間が余ったからと、散髪に行くことにしました。今週のどこかで行こうと思っていながら、一昨日は、あっさりとスルーしていたので、いい機会と思いました。そんなで、うろうろしていたら、結局、昼前の歩数を、万歩計で見てみると、普段と変わらない、要するに、ウォーキングをしたとは変わらない数字が出ていました。夕方は、天気予報では雨となっていたので、それを信じて傘持ちウォーキング、しかも、屋根付き公園を通るコースを採用、それがど正解。休憩がてらの読書をして、暗くなりすぎて、本など読んで場合じゃないと、再び屋根の下から出ると、きっちりと雨が降っていました。傘持ち、屋根付き公園、黄紺の動いた通りに、お天気が反応したというわけです。夕飯用の買い物をしてスーパーを出た頃には、雨は本格的になっていましたから、天気予報も大当たりでした。
 昨日、トルコのコロナ情報を追いかけていて、えらく感動してしまいました。トルコは、学校再開、対面式授業再開ということで、とってもデリケートになっています。日本やヨーロッパ各国は、オール・オア・ナッシング的な学校再開ですが、トルコは、段階的再開という手を採りました。まず、小学校1年生だけからスタート、しかも、保護者の希望(感染を心配する保護者は行かせたくないという希望)を尊重し、「登校させない」という選択肢もありというスタンスでスタート、実際の登校率は80%弱というデータが出ています。そのスタンスの第2段階に入ろうというところに来ています。第1段階で、登校した生徒の間で問題が発生しなかったということを受けて、対面式授業を拡大しようというわけです。新たに追加されたのは、残りの小学生(2年生~4年生、小学校は4年制)、中学8年生(中学校は4年制、トルコは学年は通しでカウント)、高校12年生(高校も4年制、ここまでが義務教育)、中学生と高校生は受験を控える学年だけが再開ということです。第2段階でも、まだ登校しての対面式授業をしない学年が残りました。対面式授業をしないということは、遠隔教育を受ける、TVやPCを使っての授業を受けるとなります。当然、ここで問題が生じます。EBA(教育情報ネットワーク)の配信する情報を受けられない生徒が出てくるはずです。教育省長官は、「機器のない家庭、あっても兄弟姉妹が多いと使うことができない子どもがいるはず」と言います。そこで、学校に通える範囲の地点に支援センターを置き、そこに必要機器を配備しました。でも、トルコを歩いていると、それでは間に合わないだろうという地区があるのは知っています。遠距離バスに乗っていると、ありえない場所、街道にぽつりと立ち、バス待ちをしている人を見かけます。多くは、事前にバス会社に予約を入れている人で、バスは停まりますよね。近くの村から、バスの通る街道まで出て待っている人たちの子ども、孫は、機器を持っているのだろうか、第一、オンラインに接続できるのだろうかと考えてしまいます。いくら長官がいいことを言っても、抜け落ちがあると思い込んでいました。黄紺が思うくらいですから、トルコでなら誰でも判ること、きっちり手当をしていました。「mobil EBA aracı」というものを知りました。「araç」という単語が入っているので、すぐに思い浮かぶのは「自動車」ですが、この単語、広い意味で「手段」を指す意味もあるので即断は禁物と調べてみました。すると、1つの画像が出てきました。村の広場に、椅子を置き、その上にノート型のPC、小学校低学年と思える子どもが、地面に座り、そのPCを観ています。全部で3人いたかな、その広場の一角にセダン型の自動車が1台停まっていました。その腹に「EBA」の文字がくっきり。やはり「自動車」でした。この自動車にPCを積んで、村を回っているのです。そして、自動車に電波キャッチの機材を積んでいるのでしょう。EBAの流す映像は、キムリックの番号とアクセス用の「国指定暗証番号」がないと観ることができません(ハッカーを警戒しているようだと判明)が、サムネイルや予告版映像を観ると、手の込んだアニメーションを使っています。企画、シナリオ、アニメーションの制作と、それ1つをとっても、大変な労作と看ました。コロナから半年、これだけのものを用意したことに、ただただ驚き以外はありませんでした。でも、ここで、いくら手間暇をかけても、子どもたちに届かないと意味がありません。それが、あの自動車でした。感動、しちゃいました。
 オペラ配信は、昨日、トルコの教育関連の情報を追いかけていたので、結局は、「イル・トロヴァトーレ」の最終幕だけでした。少し変わったところがありました。アズチェーナは眠ってしまうところで、一旦はけ、マンリーコが処刑に引き出される、通常は連れだされるか、処刑台に引き上げられるかするのだけど、このプロダクションでは、ルナ伯爵に刺されます。それが舞台右半分、そのときには、既に、縦の仕切り(炎の映像が映ります)が、左端から中ほどにまで動いてきていて、その左側にはけていたアズチェーナが現れ、ホリゾントにも、アズチェーナの母親が現れ、復讐のなったことを宣し、幕となりました。結局、縦と横の仕切りは、ごちゃついたってことかなと、ここに来て思ってしまいました。カーテンコールでは、黄紺の思った通り、ルドヴィコ・テジエへの歓呼は一番、フランシスコ・メーリは少し落ちていたということは、録音の問題だけじゃなかったようでした。でも、いい歌手が揃うと、やっぱ、いいわ。字幕なしだったけど、十分に堪能。このパターンだと、ネット上にいろいろとそそられるものがあるので、また、探してみます。


2020年 10月 6日(火)午後 10時 59分

 今日から3日間、予定では、お出かけなし。いい天気だし、出かけるのには、これ以上ないというお天気。でも、相変わらず、遠出をする気がないので、映画や講演会、落語のない日は、いつもの繰り返し。お出かけの日を固め、また、お出かけなしの日も、なんとなく固めたいので、昨日の映画も月曜日に行ったのも、日曜日に出かけるつもりだったから。この3日間の内に、散髪に行こうと思っています。年齢にしては、やたらと髪の毛が多いため、日が経つと、どうしても行かねばならない。頭をシャンプーしているだけで、確実に重たくなってきている、だから、じゃまくさいので、散髪に行かねばと思い、思ってはいるのだけど、行くのが面倒、余計な時間を取られてしまうのが嫌と、ついつい後回し。3日間のどれかと思いながら、あっさりと1日目は終わってしまってます。
 昼前のウォーキングは、最近開発した新コース。と言っても、既存のコースの変形。でも、そのコース内に、トイレを見つけ、これで、このコースは鉄壁化、利用頻度が上がるはずです。「ブラタモリ」のロケ地になった地点なのですが、ピンポイントで、どこになるかを特定したいのですが、新しいコースを見つけてから、そのポイントが揺らいできています。新しい候補地が出てきてしまったのです。毎回、このコースを歩くと、息子家族を呼びたくなります。DやSが走り回るのに、格好の場所だからです。ちょっとだけ、息子に行ってみたのですが、息子は連れて行ったことがなかったもので、息子自体が、どのような場所か把握してないんだなぁ。そんなだから、覚えてないでしょう。そう思いながら、そのコースを歩くと、また、DとSは喜ぶはずと、同じことを思ってしまってます。夕方なんか、休憩がてら立ち寄る公園で座っていると、なんだか肌寒いですね、もう。つい1週間前くらいまで汗をかきながら歩いていたはずだったのに、急だもんね。今日など、朝に晩は、重ね着をしてしまっています。暖房を入れるのも、時間の問題かもしれません。最近、暑さよりか、間違いなく寒さに弱くなってきていますから。
 お出かけなしとなると、オペラ配信の時間を、ゆっくり取れます。レアルマドリードの「イル・トロヴァトーレ」の2幕と3幕を観ました。舞台は、三方を壁に囲まれ、その中に平台が敷かれているというもの。舞台前方左側に、常に火が燃えています。平台の左側には、方形の切込みがあり、そこの大机が出て来たり、ケージのようなものが降りてきたりと、ちょっとした変化に使われています。周囲の壁に下方部が、野球場のベンチのようになっており、コーラスの人たちが、そこに詰めて歌うことが、結構、あります。幕開けと3幕冒頭の、フェランドの歌唱のときなどです。背後の壁の前にせり上がりが設えてあり、アズチェーナの母親の話が出てくると、そこにその母親が現れたり、子どもが亡くなった話が出てくると、舞台前方に、子どもの亡霊らしきものを歩かせたりと、ちょっと過剰な補足が入るのが特徴です。また、画面分割的に、正面から見て2分、4分といった分割が、2幕、3幕に入りました。その意味が解らないのです。そこへさして、4分されてしまうと、正面からみると十字架に見えるから、厄介です。計算してるはずでしょうから。そんなで、結構、頭を使っちゃうプロダクションです。録音が良くないため、正確には、歌手の調子は判らないなか、その前提で、敢えて書くと、アズチェーナを歌うエカテリーナ・セメンチュクが、主役4人の中では落ち、フランシスコ・メーリもいいとは言えない、惜しいことですが。ルドヴィコ・テジエとマリア・アグレスタが、良すぎるのかもしれません。ルドヴィコ・テジエは、圧倒的にいい。こういういい出来の姿を観ると、生で聴きたくなります。ルドヴィコ・テジエは、遭遇経験がないのですよ! マリア・アグレスタは、とっても線の細そうなレオノーラを見せてくれています。切々としたマンリーコへの思いが痛いですね。これで、最後の大胆行動に合うのだろうかとも思いはしますが、さて、どうなるでしょうか? ルナ伯爵との対決が楽しみです。レオノーラは、黄紺的には、どうしても、カバイバンスカを基準に判断してしまいますね。オペラって、やはり、歌手が一流、プロダクションに考えさせられると、引き込まれてしまうものです。人に教えたくなる配信です。


2020年 10月 6日(火)午前 5時 3分

 昨日は、映画を観る日。以前から観たいと思っていた映画、お出かけを分散させるため、ここまで引っ張ってあったのですが、上映期間も終わりに近づいている昨日、ようやく行ってまいりました。京都みなみ会館で上映中のオーストラリア映画「大海原のソングライン」が、それ。今から15年ほど前だったでしょうか、民博での特別展で知った「海の民」、現在では中国南部(と言っても、性格上沿岸部)も含めて言うようですが、当時も、また、この映画でも、出発点としては台湾としていましたが、その地域を出発した「海の民」が、太平洋、インド洋を航海し、東はイースター島、北はハワイ、西はマダガスカル、南はニュージーランドに至ったと言います。現在、太平洋やインド洋、東南アジアの島嶼部に住む人たちのルーツです。黄紺の仕入れていた知識では、オーストラリアの先住民アボリジニは、これには含まれず(彼らはグレートジャーニーの子孫)、問題の「海の民」はオーストラリアには上陸していないと思っていたのですが、オーストラリアの東岸べりに連なるサンゴ礁の島嶼部には入っていたようです。そこで、恐らく、オーストラリア大陸には先住の人がいるという情報を得て、大陸部には入らなかったと看られます。これは、イースター島まで行った「海の民」が南米大陸へ、また、マダガスカルまで行った「海の民」がアフリカ大陸へは向かわなかった理由に合致することじゃないかな? 今、そういった島嶼部に住む人々は、その末裔。ルーツは同じ。それを逆に辿り、各地に散らばった人たちを訪ね歩き、彼らの音楽を取材どころか、コラボさせちゃおうという試み、それを映画にしたものです。編集の技術を駆使して、それを映像として見せてくれるのです。しかも、ロケ場所は、そういった人たちの住む地域の自然の残っているところ。海、ジャングル、川、山、常に大自然がバックです。イースター島の人、台湾の先住民、パプアニューギニアの島民、マダガスカルの人らが、スクリーン上でコラボするんですから、とっても夢のある映画です。だって、彼らのルーツは同じなんですから。出発は5千年前と、映画では言ってました。最後に到達したのはニュージーランドで、映画では800年前と言っていました。黄紺の知識では千年前と入っていましたが、後ろへ持ってくるようになったのでしょうか、マオリ族の人たちですね。なぜ、一番遅くなったか、かの民博の特別展で書かれていました。緯度が高くなると、海の荒れ方がきついので、なかなか越えられないのだそうです。でも、越えちゃった人たちの末裔がマオリの人たちだと知ったときは、言うに言われぬ感動が込みあがってきたのを覚えています。距離的には、北の果てハワイに行ったりする方が大変なはずと思うと、この海を越える難しさに思いが至りました。映画1本作るのに使われた労働量も、また、大変なものです。企画が上がっても、よくぞ、実行に移したものと思われる映画、文化人類学に興味のある人だけじゃなくて、一般の人たちにも観てほしいな、この映画。めっちゃ、お薦めです。平日の昼の映画館、ついこないだまで、若い人が詰めかけていましたが、爺婆中心に戻っています。大学が再開したからでしょうね。それだけ、若い学生さんたちも映画を観てたんだと、いや、時間があると、みなみ会館で上演するような映画を観るんだということを知りました。「はちどり」なんかは、若い人たちでいっぱいでしたもんね。
 上映が終わったのは、まだ、午後2時。時間がたっぷりとあるので、ウォーキングがてら歩いて帰ることにしました。向日町から歩いて帰ったことを考えると、その2/3程度ですから、楽勝ですね。向日町からの戻りもそうですが、後半からは、普段のウォーキングのコースに入ってしまいますから、そうなると、あっさりと戻ってきた感が出てきます。向日町からの帰りは、もう夕方でしたから、できなかったことを、昨日はやってみました。勝手知ったる地域に入ると、ちょっとだけ迂回すると手ごろな公園があることを思い出し、そこで休憩&読書をすることに。陽射しの下でも、さほど暑くないものですから、いい気候になりました。横のベンチでは、おっさんが昼寝をしていました。読書に没頭していたら、いつの間にか、おっさんは消え、でも、乗ってきたであろう自転車だけは、そのままでした。なかなか、いい時間でした。家に戻り、家事をしてからは、なんか歩き足りない気がしたもので、暗くなりかけた時間帯に、再度、ウォーキング。映画館に行く前には、ウォーキングの時間を取れなかったから、歩き足りない気がしたものと思われます。でも、疲労がたまったのかな? 晩酌をすると、えらく睡魔に襲われ、結局、夜中に起き上がることになり、こないな変な時間に、バッハのカンタータを聴きながら、これ、書いています。そんなで、オペラ配信はお休みの日となりました。


2020年 10月 4日(日)午後 10時 31分

 今日は、京都府立京都学・歴彩館で講演を聴く日。「琵琶湖疏水研究会」と題する講演会でした。どういった団体が主催されているかが判らないままのお出かけ。「疏水」のことを教えてもらえるなら、地元のことだから、さほどお手上げではなかろうの気分で出かけてまいりました。講演は2本。①史料とフィールドワークから見る琵琶湖疏水(小森千賀子/琵琶湖疏水アカデミー)②少しディープな疏水案内 往時の痕跡を求めて 琵琶湖から鴨川まで(安田勝/琵琶湖疏水アカデミー)。②は、取水口から鴨川への注ぎ口までを、かつての姿を求めてのロード講演。黄紺の知る疏水というのは、全体のごく一部なもので、ほぼどこがどこやら判らない場所の画像を見せられ解説をしていただいても、全く馴染めず、結果は居眠り。勉強不足です。でも、世間の者は、そないなものと、ちょっと逆切れ気味。それに反して、①は興味津々。疏水の機能として上げられた、次の諸点が伏線。「機械運転(工業用水)」「舟運」「農業用水」「水車精米」「防火用水」「飲料水(上水道)」「衛生(下水道)」「水力発電」が、それらです。これらの中で、あっさりと納得するのが「舟運」と「上水道」「水力発電」かな。「水車精米」は、言われてみると、時代が時代だしと納得、ですが、「工業用水」だの「農業用水」だのと、水利を言う場合の定番の用途は、頭から吹っ飛んでいましたから、この指摘は新鮮。当然ながら、時代の推移につれて、機能面での比重は変わっていきます。まず、そのお話。水車は消えますわな、工業用水も、変化をして、現在は1社だけ、その社名を聞いて、納得。現在は水道水としての活用がメーンで、知られたことですが、水力発電は生きています。そういった変化のなか、コンスタントに活用され、今も生きているのが農業用水。これは、全く、黄紺的には死角。京都の近代産業化の礎としての疏水というイメージがありますから、これは、全くの死角でした。しかも、現在も健在というのですから驚きです。その1つについて、フィールドワークの映像を含めて紹介いただいた「洛東用水」は、驚きでした。山科と醍醐両地区の農業用水提供に貢献した、しているというのです。①では、もう1つのお話がありました。京都府に残る疏水建設の資料を使ったお話。建築に関して受け取られた領収書を調査して、資材調達や工事関係者の実態などを明らかにしていこうという試み。ホント、こういったことをしてくれてる研究者がいるのですね。そういった作業の積み上げが、記憶の彼方にあることを蘇らせてくれるのだと、ここで、感動しました。そんなで、行ったかいというものを感じさせていただいた講演会、家からの往復は、歴彩館に行くときの定番、ウォーキングを兼ねてのもの。ここで体力を消耗するからと、いつも、それ以外の時間でのお出かけは控え気味。というほど、使える時間は、昼間に出かけると残ってないものですから、こないなものかなと納得しています。考えたら、ホント、これだけの日でしたね。これも1日、でないのも1日ですか。


2020年 10月 3日(土)午後 10時 16分

 今日は、お出かけなしの一日。週末のお出かけが、わりかし多いので、土曜日に家にいると、ちょっと変な感じ。コロナ騒動後、初めて講演会や落語会に出かけたときって、お出かけが珍しいことだったのに、いつしか、お出かけがないと退屈感が出てきてしまっています。でも、出かけると、時間がタイトになり、きついんだけど、でも、出かける方を選ぶようになってきています。「With ころな」らしくなってきたのかもしれませんな。で、休みの日となると、ルーティンをこなすだけとなります。雨とは無縁の天気が続き、昨日ほどの晴れ方ではなかったけれど、ちょっと夏に戻ったかの気温が、かえって心地よく、2回のウォーキング。夕方は、暗くなるのが早くなってきているので、若干、早めに始めました。そうすると、休憩がてらの読書を、しっかりとできます。もう午後6時には暗いですからね。夜の方が長い季節に入ってしまってるのだから、当然と言えば当然。読書は、ルネサンス期のイタリアの抗争を追いかけています。同じような出来事を、違った角度から、要するに違った本で追いかけて、少しずつ判りかけてきています。本丸としてターゲットにしているポイントはないのですが、ゆくゆくは、ルネサンス論を追いかけられればいいのですが、頭がついていかないね。もう1つ、意外性のあるイタリアの宗教改革が重なってくればおもしろいんだけどなぁ、ミケランジェロと新教思想なんてのは、ちょっとだけかじったけれど、手持ちの本じゃ無理かなと諦め気味。同時期に起こっている、コンスタンティノープル陥落も攻めてみると、また、ルネサンスがおもしろくなるんでしょうが、まだまだ未熟です。ビザンツ関連の本は、わりかしあるので、押さえようと思えば、わりかし収穫があるとは計画は立てているのですが、なかなか、そこまで行きません。トルコのコロナに捕らわれすぎてしまっていますから、最近は。
 オペラ配信は、「サロメ」を完走です。またぞろ、居眠りが入ったので、振り返りながらの完走となりました。2時間もかからないオペラにしては、振り返りが多い。反省しきりです。サロメの踊りが済むと、サロメのおねだりになります。このボローニャ歌劇場のプロダクションでは、ヘロディアスが、酔ったヘロデから鍵を抜き去り、それを、誰にも渡すことなく、また、誰も、ヨハネのいる岩盤の裂け目に降りることなく、鍵を渡された者が降りたとして観ることになります。ですから、ヨハネの首を刎ねるときも、チク、チク、チクと、時計が刻むような音楽が流れ、ドサッという感じの音楽が流れるだけです。その時間になると、背景が暗くなり、ホリゾントを隠してしまうような、仮面のような作り物が現れます。ヨハネの首が持ってこられようかとなると、その仮面の如き大きな作り物は消え、替わりに、巨大なヨハネの顔が、岩盤の下から上がってきます。岩盤でできた床面の一角に上向きになったヨハネの顔が現れ、その上にまたがり、サロメは歌い続けます。「キスをする」というテキストが入っても、サロメは、実際にはキスをすることなく、顔のまたがったまま歌い続けます。ですから、かなり象徴的な舞台、装置となっていたと言えばいいかな。テキストと装置、動作、それらが組み合わさり、1つの物語、筋立てが判る仕掛けですね。そういったコンセプトのプロダクションのお手本的なものと言えばいいかな。次のオペラ配信にも入りかけています。次なる作品は、レアルマドリードの「イル・トロヴァトーレ」(フランシスコ・ネグリン演出)です。以前から目を着けていたもの。なんせ、ルドヴィコ・テジエ、フランチェスコ・メリ、マリア・アグレスタが、顔を揃えているものですから。まだ、冒頭のフェランドと兵士の場面しか観てないのですが、かなりの工夫が入っています。それが、どのように生きていくのか、今後の楽しみです。


2020年 10月 3日(土)午前 7時 22分

 昨日は、見事な秋晴れ。雲が、全く出ていませんでした。気温も高め、こないな日に、遠出をしてみたいとは、頭の中では思っても、実行に移す気は、全くなしですね。「Go to なんちゃら」で、東京が解禁されたからといって、ニュースに取り上げられていましたが、そこで取材を嬉々として受けている御仁を見ると、「バッカじゃない」としか思ってない人種です、黄紺は。ですから、お出かけ予定のない日は、淡々とルーティンをこなすだけで、精一杯。日々、タイトな時間を過ごしているものですから、淡々が肝心なのです。ウォーキングでは、最近、新しいコースを開発しました。それが嬉しいので、昼前のウォーキングはそれ。夕方は、日に日に陽が落ちるのが早まっています。ボチボチ、夕方のウォーキング時間を考えなさなければいけません。
 ドイツの劇場からのメルマガ攻勢が、再開しています。以前ほどの濃密さではないですが、一時、途絶えていたことを考えると、何はさておき喜ばしいこと。ですが、芝居優先で、音楽関係、ましてや、オペラは、ごく少し。そんななか、ベルリン・ドイツ・オペラから「10月はオペラ月間」と題するメルマガが届き、目が行ってしまいました。疑心暗鬼で、詳細を確認すると、コンツェルタンテ(演奏会形式)での上演でした。精一杯かもしれないですが、そういった形でも、オペラに接する機会が出てくることは、嬉しい限り。ルチオ・ガッロがタイトルロールを歌う「ファルスタッフ」なんてのが、ラインナップに入っていました。フォード夫人をアネット・ダッシュが歌うというのも魅力的です。ベルリンに住んでいたら、行くかなぁと、思わず、想像力が働いてしまいました。黄紺は、フランクフルト放送交響楽団(5月にはコンサートに行く予定だった!)のYoutubeチャンネルを登録しているため、よく、その動画を観る機会があるのですが、ここ半年に収録されたものは、涙ぐるしいものがあります。公開の演奏会ができない間は、団員の方たちの個別の演奏、オケとしては小編成の演奏、当然、無観客。最近、ようやく客を入れてのコンサート風景が流れていますが、日本のオケのコンサートと同じで、舞台上のオケは、間隔を離し、客席も離してある。演奏曲目は、それに合った編成の古典派もの中心。それを動画で見せられると、なんか、やるせないですね。コンサートって、モーツァルトがあれば、ワーグナーもある、ドビュッシーもあるから、楽しみが増すわけで、劇場も、芝居があり、コンサートがあり、バレエがありで、オペラもある、この彩の豊かさが楽しいのですが、どうしても、ここまで来たかという嬉しさより、寂しさの方が先行してしまいますね。逆に、日本で、クラシックのコンサートは、元に戻すのは可となったようですが、それはそれで、引いてしまう。TVで、野球の応援風景を観ると、自分は、野球好きでも行きたくないと思ってしまいます。黄紺が、大阪へは行かない論理と同じです。この躊躇と齢を重ねることの競争になっています。
 オペラ配信は、「サロメ」を本格的に観たのはいいのですが、よくある半寝での鑑賞。舞台は、アクリルっぽい材質を使い、床一面が岩盤にしてある。その裂け目に上から鎖が2本垂れ下がっていて、その鎖にヨハネが吊るされているとなります。ユニークなのは、常に、槍を持った兵士を、最低4人、舞台上に配置してあり、物語の展開の焦点になるところに動かすというもの。ヨハネが引き出されるときには、岩盤の裂け目に槍を向けるという具合で、4人が揃って同じ格好で動くようにしてあるため、舞台空間を埋める役割も持っており、見栄えがします。ホリゾント上には、大きな真ん丸の月といい、空間配置への心配りは、プロだなと思わせるもの。サロメの踊りでは、奇術師のように、布切れを取り出していき、衣服を脱ぐ様子を表し、最後には、ヘロデに体を触らせて終わりです。布切れのアイデアはいいとして、最後の工夫は、なかなかグーです。ただ、その場に、ヘロディアスもいました。あれれれ、でした。昨日は、あまり時間がなく、このサロメの踊りが終わったところまで。続きは、今日のお楽しみです。グロイ場面、どうなるのでしょうか?


2020年 10月 2日(金)午前 8時 10分

 昨日は、落語会に行く日。このご時世には珍しく、週に3回も落語会に行けた内の3回目。昨日は、5月の「第350回市民寄席」(ロームシアター)の振替公演。先日に続き、大ホールでの実施となりました。その番組は、次のようなものでした。遊真「大安売り」、阿か枝「お血脈」、岐代松「新まんじゅうこわい」、米團治「猫の忠信」。遊真は、いつ聴いても、安定したお喋り。一番最初に聴いたときに、既に、そう感じてしまった記憶があります。「大安売り」を、繰り返し部分では笑いを取ろうという気がないが如きお喋りなのですが、きっちりと負け方自体で笑いを取っていました。これは、間違いない腕の持ち主かと思ってしまっています。阿か枝は、正に鉄板ネタ。マクラでは、閻魔の前に出た3人の亡者という、これまた鉄板の小噺。上方では、あまり出ないネタということで、興味津々という空気が会場に出ていました。岐代松は、マクラで、十三ネタを振るのは定番、京都だからと言って、加減をしたり、ノリが悪くはなく、正に定番。ネタに、黄紺的には関心がありました。岐代松が、新作っぽいネタをする、これだけで、関心が高まります。古典の「饅頭怖い」のパロディかと、勝手に想像していたのですが、冒頭で、間違いだと判明。根問ものの雰囲気で始まり、2人で、この半年ばかりを振り返り、本題へ。片方の男が旅に出て行ってきたと言い、手土産を渡します。それが、様々な饅頭。その饅頭の謂れを語るのが本題。そこに使われるのが、最近の時事ネタ。これをやられると、黄紺はお手上げ。テレビを観ないものですから、解らないネタが多数。特に芸能ネタは、からっきしダメですからね。「世相を切る」なんて、大そうな言い方を、岐代松はしていましたが、そんな大そうなものじゃないでしょう。かなり、がっかりネタでした。トリは社長。社長の「猫の忠信」は初遭遇です。かなり自分色の強い仕上がりぶりに、社長の地力が伺えました。このネタで、自分色を出すのは並大抵ではありませんしね。ぐいぐいと引っ張るパワーを感じさせる、そういった口演は、確実に、この噺の展開、この先、どうなんだろうという聴き手の意識をくすぐります。それだけに、そのパワーは有効なのです。それを見せられる、これは、半端ないお喋りだということです。その引っ張っていく感を大事にするため、テキストのすっ飛ばし、意識してのカットではないすっ飛ばしは散見してしまいましたが、ま、いいかという感じ。先日、米朝チャンネルの、しん吉との対談で、たまたま、このネタについて喋るところがあり、その部分をどうするか興味がありました。穴から覗くときの手と目の組合せです。3人が覗きますが、3人のやり様を、全部変えていました。へぇ~、でした。気になったのは、ラスト。猫が正体を現したとき、体をフラフラさせ過ぎたのは、なぜでしょうか? これは不思議以上で、気になりました。斬新だったのは、おもしろい挿入があったところ、猫の語り、即ち鳴り物が入るところが緊張とすれば、そこが終わった部分は、緩和、しかも、一挙なる緩和に移ります。そこで、社長は、猫が元の姿に戻り、三味線と戯れる様子を描きました。あれ? 三味線は、上に架かってたんではという突っ込みは置いておいて、これは、緩和に色を添えるおもしろい挿入。同時に、社長の優しい眼差しを感じさせるもの。これ、誰もやってないんじゃないかな。これも、見事な自分色、です。ということで、結構な刺激をもらった口演、これを聴けただけで、お釣りが来るというやつです。終演は、午後8時半過ぎ。「京都市民寄席」にしては、ちょっと早いかなというところ、退場について案内をした主催者側の人、次回から元のホールに戻すと言ってました。落語は、座席を詰めてもいいというガイドラインに沿ったものと思われますが、次回は、元々行くつもりはなかったのですが、「正解だった」と思ってしまいました。
 この夜のお出かけがあったので、昨日のウォーキングは、昼前の1回だけ、ロームシアターまでの往復を、夕方のウォーキングに替えました。オペラ配信も、新しいのを選んであったので、そのさわりでもと思い、冒頭の20分弱を観てみました。新たに選んだのは、ボローニャ歌劇場の「サロメ」(ガブリエレ・ラヴィア演出)。イタリアの歌劇場でR.シュトラウスをという観点でのチョイスです。


2020年 10月 1日(木)午前 8時 17分

 昨日は、お出かけなしの一日、しかも、絶好の秋晴れの一日、でも、お出かけはしない一日。だから、ルーティンにしているウォーキングが、最大の楽しみ。特に昼前はいいですね。気温も、結構上がっていながら、この時期って、一旦、上着を羽織るようになってしまうと、そのまま出かけてしまうものだから、暑くて仕方がない。でも、脱ぐと、持って歩かねばならないから、我慢して着たままのウォーキング。腕まくりをして、前のチャックを開けてと頑張っても、暑いものは暑い。だから、夕方のウォーキングは、上着なしで出ればいいのに、昼前とは、気温は下がっているはずとの思い込みで、結局、羽織ったままのウォーキングと、どうでもいいことに右往左往。公園で、休憩がてら読書をしていると、虫が寄って来てかないません。もうましになる頃と思っていても、気温が上がると、奴らも活動的になるのかなぁ。できるだけ、草が、周りに生えてないベンチを選ぶのですが、奴らは許してくれません。生地の厚めのズボンの上からも、平気で刺してきますね。虫にも剛の者がいるってことでしょうか。
 毎日、トルコのコロナの感染状況を追いかけていて、ようやく、この3日ほどで変化が看られ出してきました。専門家が「9月下旬から下降に入る」と言われていた通りに進みつつあります。となると、原因分析をして指摘されていたことも当たりということですね。アンカラが爆発的に増えていたようで、アンカラの都市としての特徴把握で説明されていました。役人の町、行政の中心ですから、アスケリ関連の手続きに地方から人の移動があったなんてことが指摘されていました。機能面で成立をしている町だということが、改めてクリアになったわけで、町自体の魅力、歴史なり、文化なり、そういった魅力に乏しい、だから、休暇になれば他所に出かけ、感染の流入、流出のコズになる。やはり、ご多聞に漏れず、このご時世でも、お出かけは盛んだったということですね。いや、控える人もいてこれというところでしょうか。で、その山が過ぎると、言い換えると、休暇からの戻り、感染、拡散、それが一段落するというのが9月下旬、ぴったりだったというわけですが、ホント、生真面目に感染拡大防止策を考えています。行政サイドの施策ばかりを追いかけているなの反省もあるのですが、それに従わない人がいるということは、単なるアホなのか、意思のある人なのか、それが見えてこないのが、痛い。前者は、どこにでもいますから、その対策が肝要なのは解るのですが、問題は後者。まず、トルコの場合、いるのか、おれば、どういった主張なのか、知りたいのだけどなぁ。ドイツやアメリカで看られた反発は、報道などがあったので知ってはいるのですが、トルコは看えてきてないのです。でも、コロナは、ここまでの築き上げてきた各々の文化を崩していきますね。結婚披露宴やその前夜のお祝い(クナ・ゲジェシ)や割礼のお祝いの宴などの制限、こういった伝統的な文化に噛んで行ったり、フレキシブルな労働時間が入ってきたり、安全証明がなければ行きたいところへも入れなくなったりと個人の管理が進んだりと、価値観が変わっていきます。個人の管理の大事さと引き換えになるのが命の大事さですから、比べちゃいけないものを比べさせられてしまう、これはきつい。日本でも、10万円の給付金配布のとき、一斉にマイナンバーカードを使い、手続きが行われていれば、どれだけの作業量の減になるか、それを金額に換算すれば、どれだけの生活苦に悩む人を救えたかを考えると、やはり、ここでも比べちゃいけないはずの比較をしてしまいます。パラダイムが崩れていきます、ホントに!
 昨日は、時間があったので、オペラ配信はしっかりと楽しめました。ピアチェンツァ歌劇場の「アロルド」を、もう1度、1幕半ばから観直しました。そこで、はっと気づいたのが、「遅いよと」、自分に突っ込みを入れながら気づいたのは、「スティッフェリオ」の改作の舞台として、アロルドを十字軍士にしたわけです。「十字軍士」、即ち、「キリスト教世界を守るために戦った兵士」だからです。スティッフェリオは、敬虔なプロテスタントの牧師、その牧師が、最後に、聖書の言葉を引用して、即ち、キリスト教の倫理観で持って、妻、そして、妻の夫(不倫相手を殺してしまっている)を許すというところで幕となります。この結末に持っていくキリスト教的倫理観を活かすためには、「キリスト教のために戦う」アロルドが要るというわけですね。このプロダクション、動きとか、そないなところでは特筆すべきことはなかったですが、装置、衣装のアイデアだけでも観る価値、ありますね。おもしろい着想です。それに加えて、この稀有な上演に、いい歌手を揃えられたっていうのは、黄紺のように居眠りをしてしまい、もう1度観ようという者には、有難いことでした。


2020年 9月 30日(水)午前 7時 12分

 昨日は、落語会に行く日。林家染太がブッキング担当で、毎月、京都で行われている会に行ってまいりました。金閣寺近くの「アートギャラリー伝々」であった「第126回 伝々寄席」がそれ。7月に次いで行ってまいりました。ゲストが誰かで行くか行かないかを決めているのが、自分的落語会枯れの中で、この落語会に行くときの基準。そのゲストが、昨日は笑金、亡くなった三金の忘れ形見、です。まだ、修業時代なのに、突如として師匠が亡くなったわけですから、心情的に応援したくなる噺家さん、その笑金がゲストなら行かないわけにはいきません。その番組は、次のようなものでした。染太「いらち俥」、笑金「狸賽」、染太「鹿政談」。開演10分前になっても、客は2人。ところが、勝手知ったる客は、直前にばたばたとやって来て、あっさりと客席を埋めてしまいました。常連さんがいるようです。染太の1つめのネタが判ったとき、しげしげと高座の強靭性の確認をしてしまいました。だって、このネタ、飛び跳ねネタですから、その下に来る高座を心配してしまいます。殊に、染太の体重を考えると、気にならないわけにはいきません。体重の重い染太が、電車(市電ではなく)とのすれ違い辺りでは、何度もジャンプをしましたが、強い高座でした、びくともする気配を見せませんでした。それが大丈夫となると、次なる心配は、染太の体力、ジャンプを見せてしまうと、それを続けねばならないのが、このネタ。汗だくになりながら、思いの外、体力が続くのに、びっくり。お喋りより、体の動きばかりが気になった口演でした。次いで、笑金の登場でしたが、久しぶりに見て、「お兄ちゃんになったなぁ」、だって、この人、かなりの童顔だったもので、「おっさんが入ってきた」というより、そういった表現の方が合うのです。自己紹介がてら、「吉本」の話。彼は、吉本出身だとは知ってましたが、その元は、芸人さんじゃなくて社員さんだったのですね。そこまでは知りませんでした。自作を出すのかなと思っていたのですが、なんと「狸賽」。ばりばりの古典になっていました。ということは、まだ、噺家さん口調になってなかった時期だけしか知らなかったということになります。口舌爽やか、間も心得ながらの口演、めっちゃ上手くなってました。この成長ぶり、三金に見せたいな、ホント、そう思ってしまいました。そして、この成長したお喋りで、今度は、笑金の新作を聴けば、一味も二味も違うだろうなと、次なる遭遇が楽しみがなりました。そして、嬉しいのは、冒頭に、この人必ず、「三金の弟子笑金です」と言ってくれること。胸がほっこりとしてしまいます。最後は、染太がもう1席。繁昌亭での独演会を控えていることから、そこでネタ出しをしているものを出すんじゃないかと思っていたら、ドンピシャ。「鹿政談」以外は、「ほうじの茶」と「一文笛」。なんとなく、「一文笛」と決めかかっていたのですが、ここは外れました。口演はゆったりと、この噺の雰囲気に合うなの感じで聴いていたのですが、テキストをはしょったのか、抜かしたのか、さっさと終わってしまったと、口演の調子とは真逆でした。これだと、「端からお奉行さん、着服横領撲滅狙いで、このお裁きやってる」という雰囲気で、六兵衛さんのことは副次的な話題となってしまうなぁと思ってしまいました。さほど長い噺ではないのですから、噺自体もゆったりと進めればいいのに、ですね。
 この落語会に行くときはと言っても、まだ、2回だけですが、その2回とも、JR「円町」駅から歩いて行ってきました。片道約35分、これは往復の平均という数字、というのは、京都の街は、北が高く、南が低いですから、往きの方が時間がかかるということです。烏丸通なんかを歩いていては感じられないほど坂を感じます。目で確認できるほどの明らかな坂です。ですから、京都盆地って、北が高いだけではなく、東も高いということですね。その道の往復を、ウォーキング替わりと考えているのです。うまい具合に、お天気はいいですし、ウォーキングするには、格好の気温ですから、7月の時よりは、かなり楽な行程でした。時間が中途半端なので、2回とも、平野神社境内でパンなどを食してから会場入りしています。
 あとは、いつもの時間、夕方のウォーキングを、そないな形でできたので、昼前のウォーキングと併せて、きっちりと1日のルーティンはこなせました。もう1つのオペラ配信は、お出かけがあるとお休みがルーティンですから、少し余裕のあった時間は、珍しく家で読書。これまた、珍しいもので、ロレンツォ・デ・メジチの政治活動ではなく文学活動を認めたなんて箇所のある本を読んでおりました。今は、入手不可能な珍品でしょうな。


2020年 9月 29日(火)午前 7時 24分

 昨日は、3日ぶりのお出かけなしの一日、おまけに、典型的な秋晴れの日。乾燥もしているので、快適でした。でも、一昨夜は睡眠障害が出てしまい、もう午前3時には、諦めてというか、フェネルバフチェとガラタサライの試合やってる最中と、そないなことが頭をかすめたのがいけなかったのか、目が覚めてしまい、起き上がってしまいました。すると、時間を間違えていて、試合は後半に入っていましたから、結局は、半分の実況中継を聴いただけ。印象としては、ガラタサライがまとまってきたかなという感じで、フェネルバフチェの方は、チーム構成を思案中という印象。まだ、補強は続いていますから、でもリーグ戦は始まっていますから、悠長なことを言ってられないはず。ベシクタシュもそうですね。一昨日は、セルゲン・ヤルチュン監督がコロナから復帰しましたが、大差の負け。欧州での戦いの時点で、もう遅いと思っていたのに、まだ進展が少ない。さっさと、GKを決めないと。そういった意味で、ガラタサライは、ファーティフ・オズテュルクを獲得したのは賢明でしたね。完全に間に合わせになっている。トラブゾン・スポルもその思案中組。抜けた分の補いができるのか、積極的な補強ですが、当たり外れがありますからね、補強というのは。ということで、始まったばかりですが、トルコ・リーグの試合を追いかけられるだけ、喜ばねばならないですね。
 昼間は、何もない日ですから、ルーティンにしているウォーキングを、いつも通りに。夕方は、若干早めに切り上げ、Dのお誕生日を祝うテレビ電話のはずが、そのことを、息子が、すっかり失念していて、結局、40分以上遅れの、しかも、息子の方からの映像が、うまく伝わらなかったため、音声と映像を、別々の回路を繋げることで解決。Dは、相変わらず、カメラの前に来ると、おちょけます。いろんな変顔のヴァージョンを持っているだけに、笑わせられてしまいます。実際のお誕生日は、今日。ですから、前夜祭ってところかな。Dが生まれたという連絡を、黄紺はセルビアで受けました。初めて、Dの姿を見たのは、移動中のバスの中でした。バスの中でWifiが使えるとは思ってなくて、なかなか気づかなかったのに、虫が知らせたってやつですね、何気にネットに繋げてみると繋がった。となると、メールのチェックに入りますよね、そこに、Dの画像が入っていたのでした。この先も、決して忘れない情景です。
 お出かけなしということで、こちらも3日ぶりにオペラ配信のお世話にもなりました。新たに、ピアチェンツァ歌劇場の「アロルド」(ピエル・ルイジ・ピッツィ演出)という珍品を観ています。「スティッフェリオ」の別ヴァージョンです。「スティッフェリオ」が、プロテスタントの牧師の妻の不倫を扱った際物だったため上演ができなくなり、設定を十字軍時代に移して改作されたのが、この「アロルド」。ですが、近年、「スティッフェリオ」の方が上演されることになり、逆に「アロルド」の方が上演稀となっているということでの「珍品」扱いです。いずれにしても、上演頻度は低く、黄紺も、フランクフルトで出たときに、これを逃すと生涯の失策とばかりに観た記憶がある作品です。時期的には、ヴェルディ中期の名作群に入る直前の作品ですから、なかなか渋いもので、手持ちのDVDで、タイトルロールを歌うホセ・カレラスは、彼の最高パフォーマンスだと思っている、なかなか思い入れのあるオペラです。ピアチェンツァ歌劇場のプロダクションは、その辺を意識してか、十字軍士のお話なのに、衣装や装置を見ていると、明らかに「スティッフェリオ」を意識しています。その中で「アロルド」が進行するという、不思議なプロダクションです。寝不足のため、かなり居眠りをしたので、もう1度、1幕途中からでも、スキップしながら、最終幕に入ろうかと思っています。総じて、派手さのない、慎ましやかな雰囲気も、「スティッフェリオ」風味の歌唱、そんなですから、元に戻ろうかと思っています。


2020年 9月 28日(月)午前 4時 48分

 昨日は 向日市文化資料館で講演を聴く日 。「令和2年度文化講演会 戦国時代の物集女と乙訓・西岡」の第3回「信長・光秀の時代と物集女氏」(講師:大阪市立大学教授仁木宏さん)でしたが、この間、お世話になっている、連続的講演会の最終回でした。この講演会は、同館が開いた特別展に合わせて、本来は企画されていたもので、春に実施されるはずだったものが、例に漏れず、コロナのため延期されていたもの。その間に、肝心の特別展は終わってしまっていたのですが、講演会は実施されるという変則的なことになったのですが、そもそも、その特別展自体が、今年の大河ドラマに合わせて企画されたものだけあったため、ドラマ放映は続いていますから、変則であって変則でない、だけど、年内に実施しないと大河ドラマは終わってしまうということで、司会者の方は、「今年中にやりたかった」と言われていました。今までの2回が、黄紺的には慣れないお話ながら、解りやすいもので、興味をそそられるものだっただけに、昨日の講演も期待して臨み、見事に、その期待に応えていただけるものでした。まず、掴みは、大河ドラマのタイトルにある「麒麟」、地元の乙訓にとっては、「本当に、麒麟は来たのだろうか」という問いかけ、これは、信長の上洛、細川が、この地を統治することに変化が起こるという、時代の激動期の波を、まともに被った乙訓にとり、その波が〇だったのか、×だったかの問いかけです。これを目ざしてのお話、目標の設定を、掴みで表し、その問いかけにきれいに答えるというお話になりました。主催者からの要請もあり、特別展で展示された史料を使ってのお話、古文書が次から次へと出てきました。それを追いかけることで、お話のテーマが、きれいに展開していくという、構成も素晴らしい講演でした。第1部は「戦国時代の乙訓・西岡と物集女氏」ということで、信長が入洛する前の地域の姿で、この間の2回の講演が予習となっていますから、黄紺も理解力が付いていたか、スムーズに入ってきました。戦国時代には、寺社の荘園が多い、この地域において、横の連携をとるということで台頭してきた土豪、それを「国衆」と呼ぶそうですが、そういった人たちと連携の「国一揆」というそうですが、そういった秩序が出来上がっており、「戦国」の世のイメージと異なり、極めて安定した地域だったようです。これは、毎度、言われていましたし、この講演でも強調されていました。守護の細川氏(足利将軍支持時代)に対しても、国衆による対処で安定していた時期となります。第2部は「三好長慶時代の変化」。三好長慶は、その地域の秩序を踏襲する、即ち、国衆集団を公権力の一部に取り込み、安定した統治を築いたということでした。第3部は「明智光秀と細川藤孝の実像」。これは、このあとの変化のネタ振り的なお話。政策に当たる政治家の人となり、政策の変化は、その個性に由来するという視点です。こいつら、がめつい、財をなすのに、手段を選ばない的な資質を持つということを表す内容でした。各地でのトラブル報告といった内容で、細川が、信長の了解を得ずして、寺社や国衆の領地を占有しようと試み出しているというわけです。そして、本題となる第4部「長岡藤孝の西岡“一職”支配とは」ということで、信長が上洛して、将軍を駆逐する、その間に、細川が足利家を裏切り、信長に寝返るということがあるわけで、大功労を信長に立てた、その褒賞として、桂川以西の全面的な支配権、要するに「一職」支配を手にする時代に入ることでの変化です。第3部で触れられていた人物像が大手を振って現れてくるというわけです。最初は、従来の支配権を容認するような妥協策を執っていたようですが、徐々に本音が現れだします。その代表的な事例が、第5部「藤孝による物集女疎入暗殺~新解釈は可能か」となるわけです。従わない者は殺す、これが、物集女疎入(宗入)の暗殺だったということです。「新解釈」というのは、細川家文書に頼らないで、この事件を読み解くということで、暗殺した側の都合で、しかも、時間が経ってから書かれた文書は事実を伝えていないというお話で、これは、第1回目の講演からやり玉に上がっていたポイントですね。更に、このお話では、疎入は、信長の家臣という身分を持っていたのではないかとまで言われていました。藤孝が、怖もので、信長に暗殺報告をしている節があると言ってられました。第6部は、その後日談的お話、「細川氏の丹後移封」、細川がいなくなったあと、元には戻らなかったというもの。上からの一元支配は、一旦出来上がると、戻ることはなく、また、この間隙をぬい、天竜寺が一職支配を願い出ようとしたが(願い出の案文が残っている)、願い出たとしても相手にされるわけのないものとなり、細川(一時的に長岡姓)を境目として、中世が終わり、近世の社会システムに入っていったというわけです。これが、「麒麟」と言えるのか、これが、冒頭の問いかけだったわけです。特に、地元の視点から見ると、安定が崩れ、混乱が、そして、上からの一元支配が良かったのかとなるわけです。いやぁ~、時代の転換期などという大きなテーマを見据えた、しかも、それを体現した地元を見据えてのお話、面白かったぁ、大収穫となりました。
 講演会が終わり外に出ると、僅かに午後4時を過ぎていた。とってもいいお天気、これで、歩いて帰らない手はありませんでした。これで、連続講演会3回とも、雨に遭わないで、ウォーキングがてら歩いて帰ることができました。但し、昨日も、5日前同様、同じところで道を間違い、余計な迂回。ググればいいのに、今日は間違うわけはないという、変な自信がダメですね。家に着くと、いつもの夕方のウォーキングから戻るよりは少し早い目かなの時間、あっさりと1日が終わってしまいました。昨日は、お出かけ前に、すったもんだして、新たなスマホの注文作業をしていたため、お出かけ前のウォーキングも買い物もできずじまいだったもので、ホントに、あっさりと1日が終わってしまいました。


2020年 9月 27日(日)午前 6時 38分

 昨日は、落語を聴く日。9月では 2回目 になります。昨日は、京都ロームシアターでの伝統の落語会「京都市民寄席」です。その 番組は次のようなものでした。三実「熱血家族(桂三枝作)」、風喬「金明竹」、春若「抜け雀」、(中入り)、米平「胴斬り」、八方「阿武松緑之助」。 この公演は、いつもと違って、 コロナ対策のため、メインホールでの開催。大きなホールなんで、2階席までを使った公演。従来の収入確保にはやむを得ないことですし、ソーシャルディスタンスという点では、申し分ない会場でした。「熱血家族」は、ネタ出しで見かけたことはあっても、遭遇は初めて。せっかく、三実を出すのだったら、彼のオリジナルな新作を聴きたかったですね。三実の独特風味の落語は捨てがたい魅力がありますから。でも、伝統ある「市民寄席」には不釣り合いという判断が働いたのかな。家族の中は、皆が芸能人らに入れ上げているという、落語ならではの設定。その設定だけで、笑えるネタでした。風喬の「金明竹」は、以前、どこかで1回聴いた記憶があります。なんか、物足りなさを感じた記憶があったけどと思いながら聴いていると、判りました。例の最後の客の話を聴く御寮人、1回聴いて、定吉を叱り出したからじゃなたっかな。繰り返しを避けるため、もう1回聴くのを省いているからと思います。しつこいのではなく、あっさりし過ぎると感じてしまうみたいです。春若の「抜け雀」は初めて。人に合うだろうと期待をしていました。でも、黄紺的にはイマイチでした。聴いていて、なぜ居心地が悪いのだろうと考えてしまいました。1つには、この落語会の音響が大き過ぎるのも、その要因だろうなと思いました。開演以来、気になってたことでしたが、ここに来て、業をしたという感じ。侍2人の品格を落とすように感じました。あれだけの技持ちの侍なわけですから、枯れても残る品格が大事です。春若の口演も、それを保証するものが足りなかったこともあるのでしょうが、それをパワーアップさせてしまったと思いました。米平の落語は久しぶり。この頃、遭遇すると紙芝居ばかりでしたからね。マクラで「筍」を一くさり。えらいサービス。侍が出てくるからということでしょう。そう言えば、侍ネタが続いたんですね、珍しい。さすが、口演はしっかりしています。冒頭の場面で暗さが足りなかったのだけが、不満。ちょっとした間の問題かなと思いました。麩屋に行く前に、うだうだを入れて、気分転換、こんなのも、余裕があって、いいな。もっと、米平落語を聴きたくなりました。八方落語も久しぶり。「阿武松」は釈ネタ、上方の噺家さんで、持ちネタにしている人、いないんじゃないかな。地噺っぽいネタですが、これは、八方向き。そういった地のお喋りは天下一品ですからね。因縁の武隈との取り組み前になると、浪曲が入りました。幸枝若に習っているそうです。「これがやりたかったから」なんてことを入れながらの浪曲、幸枝若節が心地よい、上手いですね。八方は、長唄も稽古してたりと、芸達者というか、芸能好きです。いいもの聴いたという印象、最後に、いいもの聴くと、落語会全体のグレードが上がったように感じるものですが、正に、この落語会がそうでした。
 ロームシアターに行くと、帰りは、普段だと五条辺りまでウォーキングをして帰るのですが、家事があり、そのまま帰宅。落語会に行く前も時間が取れず、ウォーキングをしてなかったものですから、一昨日に続き、ウォーキングができませんでした。今週は、少しハードに歩いた印象があったため、いい体休めになったかもしれません。


2020年 9月 25日(金)午後 9時 35分

 昨晩からの雨は、今夕まで降り続けました。しかも、かなり雨脚の強いもの。そのため、早々に、外出は諦め気分。雨が降る日は、映画に限ると思い、金曜日から始まる新たなタイムスケジュールを調べると、運の悪いことに、観たいと思う映画の上映時間が気に食わない。朝が早いか、夜かなのだ。朝の方は、調べた時点で、間に合いそうもない、そないな勝手なことをして、気に食わないのです。そこで、腹を決めて、手持ちのDVDを観るかと、そのために使うPCにスイッチを入れると、入らない。コードをひねくり回したり、黄紺の頭で思い当たるとをしても、ダメ。仕方がないので、弟に見てもらうことに。でも、雨がひどいので、「雨がましになったら持っていくわ」と、さほどまじではなかったのがいけなかったのか、実際、午後になり、雨脚が衰えたので持って行ったのですが、PCの解体って、なかなか難儀なこと。あっさりとスイッチ辺りを開けられて、簡単にチェックをしてなんてことはできない相談と言われ、実際、PCの解体ショーを見せてくれましたが、途中で、簡単に諦めました。これ、無理。実際、スイッチが現れたにしても、交換部品なんか、手に入るものではないと、かなり解体が進んだときに言われ、諦めました。薄幸なPCです。買ってから、あまり時間が経ってない頃に、どうやらハードディスクに不具合があったのか、強制終了がしばしば。そのため、次のPCを買うと、機嫌を直し、使い勝手がいいものだから、せっかく買ったPCを、たまたまPCを買おうとしていた息子に回すと、さほど日を経ないで、また、元の木阿弥。結局、更に新しいPCを買うのですが、それが、今、使っているPC。おかげで、件のPCは、常に2軍扱い。昨日までは、第3のバックアップ場所と、DVDを観るためにだけ使っていたのです。黄紺が、今まで手にしたPCの中で、機能的には一番なのに、そないな扱いしか受けてこなかった薄幸のPCの、悲しい最後でした。でも、内部のハードディスクは生きていました。それだけが、救いってやつですね。そんなで、今日は、弟の家でぐだぐだしただけ。夕刻、万歩計を見て、びっくり、5千歩台でした。全ては、雨がいけないのです。今日は、この時間帯まで、オペラ配信すら観ていません。時間があったはずなのに、1日が終わってみれば、こないなものですね。


2020年 9月 24日(木)午後 10時 51分

 昨日、行かなかった映画を、今日に回したつもりが、朝起きたら、端から行く気なし。全く映画の予定とか、そんなの関係なく動いてしまいました。週末は、申込みや前売り券を買ってあったりで、そないなことはできないけど、なんか、外に足が向きませんでした。時間時には、余裕があったので、行ったからと言って、何も困らなかったはずでしたのに、ま、こんな日もあるか、です。で、結果的に、何もなしの一日。台風は、結局、来なかったし、これから秋晴れが続くかと思い、天気予報を観ていると、きっちり、西から低気圧が攻めてきてました。結果、夜半から雨、明日も続きそうで、嫌ですね。でも、ウォーキングをする時間帯は大丈夫だったので、普段のルーティンは、ばっちし。粛々とこなしました。
 オペラ配信も、「フィガロ」を仕上げることができました。やっぱ、いい「フィガロ」に当たると、そもそも「フィガロ」自体がたっぷり感のあるオペラですから、ほんと満腹感がありますね。ダ・ポンテの台本がいい、モーツァルトの音楽が決まっているとなれば、おもしろくないはずはない、でも、そうじゃないのがあるってことは、言わずもがな、です。終幕の冒頭、バルバリーナの短いアリアがあります。バルバリーナまでアリアを与えるなんて、モーツァルトは小癪なことをすると、毎回思うところなんですが、今日は、あっという声を上げ、けど、なんで、今まで気づかなかったのかって思うことに、気づきました。あれって、バルバリーナへのサービスより、遥かに大事なことがあった、そうなんです、露骨に短調のメロディに持ってきているところが、ミソ! あれだけで、深夜、それも、知られちゃいけない、密会の場を出しちゃってるのですよ、ホント、こんなこと、なんで、今頃まで解らなかったのか、、、。やっぱ、モーツァルトは、天才だったってことですが、その頭の中に入るのは、凡人には難しいってことでした。4幕になると、どうしても期待してしまうマルチェリーナとドン・バジリオのアリア、せめて、マルチェリーナのアリアでも残して欲しいなと、これは、いつも思うこと。今日もそうかと思っていると、突如として、2つとも入ってびっくりしたことがあるけど、あれって、どこで観たときだったか、複数回あるはずなんだけど、全く思い出せないのです、これって、悔しいですね。このオペラの主役スザンナ、全てのアンサンブルに参加して、アリアが1つだけ、それも、フィナーレ前の最後の最後のアリア、バルバリーナにも、マルチェリーナにも、ドン・バジリオにまで先行されて、最後に、やっとアリアが入る。これも、モーツァルトの天才ぶりですね。やきもきしながら、しっかり者のスザンナが、ようやく掴む、その気持ちにぴったり。そう、ようやく、なんです、だから、アリアも、ようやく、なんです。獅子奮迅に動いた、その喜びが、その設定だけで滲んで来てしまいます。観ている者、感情輸入してしまいます、うまい!! 明日から、また、新しいオペラ配信に入ります。黄紺が、DVDを持っていないオペラを見つけました。それも、現代作品、バロック作品といったジャンルではないものです。巣ごもり用だけではなく、配信は行われていますから、それをチェックしていると、わりと多くの配信を見つけてあります。URLのチェックと配信期限だけは、押さえるようにしておいて、その一覧の中から選べるようにしてあります。これほどまでに楽しませてもらえるとは思っていなかったですね。最近、手持ちのDVDを観ている時間などは、全くない始末です。


2020年 9月 23日(水)午後 10時 1分

 今日は、前からの予定では、京都シネマで映画を観ることにしていました。丁度、台風接近で、雨だと、天気予報で言ってたので、屋内で遊んでもらえるといういい予定だと思っていました、寝る前までは。ところが、昨晩は、寝つきが良かったのだけど、最近、とみに増えている、夜中に目が覚め、二度寝なり三度寝ができなくて、結局、午前3時過ぎに起きたまま、寝ることができずじまい。最近、お酒で眠るきっかけ作りはやめていたので、その気が、すっかり失せてしまい、結果的に寝られなかった。これで、あっさりと断念しました。おまけに、雨だと言ってたはずのお天気が、頗るいいものだから、これは、台風は明日だなと、一旦は勝手判断で、とにかく、今日は止め、行くのだったら明日としました。で、とにかく、今日はお出かけなしにしたところ、その後、天気予報、台風情報を見ると、京都は関係ないですね、台風には。そないなことが判ると、映画はやんぺの気分になっています。じっとしてるのがいい、また、この週末には出かけるし、たまたま、来週には、チェックしてなかった落語会が開かれることが判り、1週間に3回も落語会に行けることだし、じっとしていたいが勝つ模様です。
 ですから、淡々と、台風の影響か、夏の一日だったですが、いいお出かけなしの一日になりました。しっかりと、ルーティンのウォーキングは、平常通りに行え、金曜日じゃないから、道の閉鎖はないということで、お目当ての公園で休憩&読書もできたし、1週間前までは、草茫々だった公園は、すっかり草刈りが終わり、広々とした公園に様変わりしているのを見つけたりと、なかなかいい一日でした。おまけに、午前3時過ぎに起きたままだったため、とってもゆとりのある一日。たっぷりと、オペラ配信も楽しめました。居眠りをした最後の15分ほど、「清教徒」を観直しました。観直して、大正解。見事に「ハイD」を出してました。人間の業じゃない大技です。それを、居眠りですっ飛ばしてたかと思うと、情けないったらありません。ホント、観直し、大正解、です。新たな配信にも、たっぷりと入りました。ガーシントン・オペラの「フィガロの結婚」(ジョン・コックス演出)です。「フィガロ」を観たいなぁと、何となく思い調べていると、配信期間があと僅かという、この公演を見つけたのでした。2回に分けてですが、もう3幕の結婚式の場面の入口まで観てしみました。これだけ、一気に観てしまう「フィガロ」はおもしろいのです。オーソドックスな演出ですが、ツボは心得ているわ、歌手が芸達者、オペラを解っている、安定した歌唱力となると、幾度となく観ている「フィガロ」でも観入ってしまってました。おしゃれだったのは、「もう飛ぶまいぞ、、、、」で、ケルビーノを送り出すフィガロが、その記念に髭を剃ってやりながら歌いました。「セビリアの、、、」を、見事に意識したもの。やられてみると、至極、納得。でも、今まで観たことのない演出でした。こういうの、好きなんだなぁ。出ても当たり前のこと、なかなか気づかないけど、気付く人がいると尊敬の念を抱いてしまいますね。


2020年 9月 23日(水)午前 4時 58分

 昨日は、講演を聴く日。向日市文化資料館の「令和2年度文化講演会 戦国時代の物集女と乙訓・西岡」の②「西岡・乙訓の城館と物集女城」という講演を聴きに行ってまいりました。講師は、大山崎町歴史資料館館長の福島克彦さんでした。物集女城の役割を、その形状から探ろうというお話。黄紺的には、耳慣れない武士の館、屋敷というものが、どのようなものであったかということで、時代は、平安時代から戦国時代というところをターゲットとされていました。そもそも物集女城という城の調査で、その形状が方形をしていることが、このお話の大きなポイント。お話は、そもそも中世において、武士の館、屋敷というものがどのように捉えられているか、学説を追うというところからスタートしました。そういった中で、こういったお話に慣れない黄紺にとり有難かったというか、イメージを掴みやすかった学説がありました。武士の居住空間を模式図にしたもの。中心に館、屋敷があり、その周囲に、主人の支配権が貫徹している直営田があり、更に、その外側に武士の支配権が希薄な荘園があり、地頭が設置されている地域が広がる。これって、逆に言えば、昔から受け継がれていた荘園の中に、荘園領主(京都は寺社が多いというのはよく聞きますね)から租税を免除された武士の支配領域が存在していると考えればいいわけですよね。この構造を、頭に入れておくと、後に続く畿内の方形館の役割のお話が解りやすくなりました。武士というのは、武装集団であると同時に土地を持ち、その土地で働く農民を使役するとともに、その武力で守る(それで経済基盤を確保できる)ということだということでしょう。その方形館ですが、形状が方形であるというだけではなく、その周囲に堀があり、その堀を掘った土を盛った土塁で囲まれているというものです。余談として入った、その盛土の仕方に2通りあるというお話、おもしろかったな。堀側から盛る場合と、堀側を最後に盛る場合で違いがあるという話。こないなことまで、考古学は探求していることが驚きだったのですが、その違いに、びっくり。堀側から盛る場合は、出来上がる土塁の幅は無計画ですが、堀側を最後に盛る場合って、予め土塁の幅を想定して、計画的に盛っていることになります。京都の土塁が、これだそうです。さすが土建屋の大将秀吉ですね。で、学説一覧が終わると、いよいよ発掘から得られた、畿内各地の方形館の図をもとに、方形館の役割を探るお話になっていきました。桂川近くの革嶋城跡、福知山の上ヶ市移籍、同じく大内遺跡、亀岡の犬飼遺跡、岡山の新見荘屋敷跡などが例示されていきました。その中で、福島さんが強調されていたのは、防御的(軍事的)性格を見出すというよりは、生活空間としての場という点。周辺の租税管理をする場、自分の支配の及ぶ地域の租税管理だけではなく、周辺の荘園の管理という役割を担う、要するに政所的役割を担う、そういった場だったからこそ、土塁や堀で守らねばならなかったのではとまとめられていました。この辺りで、タイムアップどころか、かなりの時間超過、肝心の物集女城に、このお考えを当てはめての考察までは行けませんでした。発掘調査についてのコメントは、若干されましたが、肝心の論点へ行く時間がなく、尻切れ状態は、もったいない。でも、黄紺が接してこなかった日本の城館のお話、批判能力も何もない状態ですから、鵜呑み的に、ただただおもしろいもの聴かせてもらってる感で、いっぱいでした。
 外に出ると、午後4時には10分ほどあるというお時間、時間は十分、ただ、お天気が、文化資料館に入った頃より、かなり雲が広がっているので、こういったときに活用と、雨雲レーダーで確認、たとえ降ったとしても激しくはならないだろうと判断、で、昨日も歩いて帰りました。前回は新鮮だったので、時間が早く早く感じられましたが、慣れは疲れを招きます。「もう、ここまで来てる」は、「まだ、ここか」に変わってしまうと、気分の問題として疲労を感じやすくなりましたが、無事、完遂。2時間近くかかってしまいました。
 昨日は、この最後のウォーキングを想定していたので、お出かけ前は、超ミニウォーキング、足慣らしって感じでの昼前のウォーキング。オペラ配信は、いつもの午後の時間がなくなったので、寝る前に時間があったので、その時間帯に充てると、せっかく「清教徒」のラストなのに、そのラスト15分は爆睡。観客の大きな拍手の音で目が覚めるという、情けない結果。もう1度、そこだけ観てから、次のに入ることにしましょう。最後のウォーキングで疲労がたまったからだろうと思っていたのですが、また、夜中に目が覚めました。最近、続きます。ですが、今日は、腰のしびれがひどく起き上がるしかありませんでした。夜中に目が覚めても、ぐだぐだしている内に寝てはいたのですが、しびれが出ると、ぐだぐだしていることすらできないですから。そんなで、変な時間に、これ、書いています。睡眠をとるためのお酒、長い間、その必要がなかったものですから、飲んでなかったですが、今日ばかりは飲まなければならないかもしれません。


2020年 9月 22日(火)午前 7時 54分

 4連休の3日目、世間は動いているようですが、お出かけなしの一日。その世間が動いているというのを、昨日は、一番感じた日じゃなかったかな。別に、どこかに出かけたわけではないのですが、ウォーキングに出かけると、その辺を走る車の数が違いました。幹線道路だけではなく、ちょっとした抜け道まで、車がいっぱいでした。コロナ対策もあり、電車ではなく、車で出かけようとした人が多かったのでしょう。でも、出かけた先では密になるのは同じだと思うのですが。ちょうど、うまい具合に涼しくなったものですから、お出かけを誘うのでしょう。また、1週間ほどしたら、感染者が増えることでしょう。かく言う紀紺も、2/4のお出かけとなります。行き先は密じゃないけどやはり電車が怖いね。そんなで、昨日のお出かけは、ルーティンにしているウォーキングだけ。お天気が良く、涼しいものですから、実に快適。でも、まだ、昼前のウォーキングのあとは汗ばみ、着替えが必要でした。
 オペラ配信は、「清教徒」の続きでしたが、途中、結構な居眠り。お酒も飲んでないのに、椅子にゆったりと座りながら観ていると、いい気分になります。「清教徒」って、長いですね。二転三転するからなのでしょう。ようやく、最後の逆転手前まできました。考えてみると、「清教徒」は、今までアンカラで、1回観ただけ。ドイツのオペラ紀行の準備のため、各歌劇場のスケジュールを眺めていても、今、配信されているシュトゥットガルトでの公演以外は、目にした記憶がありません。シュトゥットガルトでは、「ノルマ」は、実際に観ていますし、前にも書いたように「夢遊病の女」は評判になり~のですし、ベルリーニに頑張ってくれてる感じがしていますが、あとの歌劇場では、出ないなぁ。黄紺的には、エッセンで「異国の女」を観ていますが、あれは、人生を、もう1回やっても、出逢えるどうかが判らない代物ですから、例外とすれば、ホント、少ないんだなぁ。歌手の問題だろうなと、勝手に考えてはいます。


2020年 9月 21日(月)午前 7時 45分

 昨日は、一日中、ほぼ陽の当たらない日曜日。おかげで、すっかり秋の気温。お出かけなしの一日だったので、日に2回のウォーキングにだけ外出というのが、定番。昼前のウォーキングは、短パン、半袖で大丈夫だったのですが、さすがに、夕方のウォーキングは、短パンでは出られなかった。でも、公園で、休憩がてら本を読んでいると、長ズボンの上から蚊に噛まれてしまいました。そういった中途半端な季節です。そんななか、ルネサンス関係の本を読んでいて、おもしろいことを知りました。「デカメロン」で判るように、ルネサンス期は、ペストの大流行のあった時期。「死の舞踏」のモチーフが流行するのも、その影響。疫病の拡散は、海上貿易を通じて進んだので、港で封じ込めようとした。「検疫」の始まりです。そういった知識までは持っていたのですが、ここからが新しく仕入れた知識。港で「40日間」の「隔離」を行ったから「karantina」と呼ぶようになった。「quaranta」(40)というイタリア語から来たというわけです。「検疫」は、海上帝国ヴェネツィアから始まったと出ていました。「karantina」は、トルコ語で「隔離」を意味するということは、最近、覚えたての単語だったもので、「ギャッ」と声を上げてしまいました。トルコ語では「検疫」という意味にも使うようですから、そのまんまです。となると、他の言語でもそうだろうと思い調べると、ドンピシャ、英語では「quarantine」でしたし、ドイツ語で「Quarantäne」、フランス語で「quarantaine」でしたから、完全に横並びです。ちなみに、トルコ語で「隔離」を意味する単語に、もう一つ「izolasion」を使います。「isolation」という、トルコ語の場合はフランス語からでしょうが、ヨーロッパ系の単語も使っています。その使い分けですが、外国からの入国者の「隔離」に「karantina」を使うのは、正に「検疫」ですが、もう一つの使い道が、村などの「封鎖」のときにも使っています。「izolasion」の方は、「自宅待機」の「隔離」に使っています。そういった使い分けをしています。トルコのコロナ情報を仕入れるなかで、随分と医療衛生関係のタームに接することができました。せっかくだからと、心覚えに簡易辞書を作っています。自分なりの辞書で調べると、早いですからね。
 トピックは、そのくらいの、何もない一日、オペラ配信のお世話になる時間は、たっぷりとありました。新たに、シュトゥットガルト州立歌劇場の「清教徒」(ヨッシ・ヴィーラー&セルジオ・モラビト演出)を観ています。ヨッシ・ヴィーラー&セルジオ・モラビトのプロダクションで、同じベルリーニの「夢遊病の女」の評価が高く、DVD化されたり、ベルリン・ドイツ・オペラが買ったりしているということで、注目の配信。でも、「夢遊病の女」のような、突飛な読み替えはないですね。むしろ、装置や衣装から時代性を取り外しだけというものになっています。それよりか、なんか、主役の2人(エルヴィラ:アンナ・ドゥルロヴスキ、アルトゥーロ:ルネ・バルベラ)の歌唱が、イタリア臭ぷんぷんなのが、魅力的な公演です。ドイツで、そういったテイストに出逢うと舞い上がるというやつです。1つ目の狂乱の場まで観ました。まだ、狂乱の場があるという贅沢なオペラ、後半が楽しみです。


2020年 9月 20日(日)午前 7時 12分

 昨日は、京都学・歴彩館であった講演会に行く日。「琵琶湖疏水鴨川運河施設群」土木学会選奨土木遺産認定記念講演会「鴨川運河の魅力を探る」がありました。お話をされたのは、近畿大学理工学部社会環境工学科教授の岡田昌彰さんでした。講師の方は、土木遺産選定に関わられた方、但し、鴨川運河や京都の舟運を、専門にされている方ではなく、産業遺産と景観を専門にしていると言われていました。おもしろいことをやっておられます。世の中には、つくづく、様々な専門の方がおられるのだと思いました。フィールドは、イギリスだそうです。イギリスなら、インナーシティの問題とも重なり、事例研究をするのに、事欠かないことでしょう。お話は、土木遺産とはという、昨日のそもそもの発端となるテーマから。聞き慣れないものですが、もう20年の歴史があるそうです。そこに登録されたからと言って、指定文化財のように、手を加えられないなんてことはないそうですが、鴨川運河の価値が認められたことには変わりはないでしょう。一つの産業遺産なわけですから、その歴史的価値の確認になります。昨日は、鴨川運河の成立や目的といったお話ではなく、今、残っている鴨川運河にかかる橋の形状的特徴を、主としてお話になりました。ただ、専門外だなと、黄紺でも解るミスもあり、いただけない箇所もありましたが、見慣れた運河に架かる橋の説明を聞くのは、楽しいこと。七瀬川が鴨川運河の下を流れているのって、言われてみると、それしかないのに、今まで知りませんでした。三之橋は、はっきりと位置を間違っていました。かつての橋の欄干が放置されているところがあるなんて、、、そないなお話も出ていました。運河をアピールする手として、名古屋の中川運河を例示されていました。「ぶらたもり」で紹介されたので、黄紺も、その存在を知っていましたが、鴨川運河とは、残念ながら、環境と規模が違いますね。中川運河の取り組み紹介を観て、これは、正に、インナーシティ問題解決の取り組みだなと思わせられ、ちょっと、違うな、これが、鴨川運河の目指すところかなとは思ってしまいました。ま、それが判るだけで、ありがたいレポートです。そして、最後に、ヨーロッパの運河の紹介。もう、自分的には、これだけで、1本の講演を聴きたくなりました。ハンブルクは、遠くなりけり、です。あの運河界隈を歩いていた時間が、最後の外国になるのでしょうか。関係のないところに、思いは飛んでしまってました。冒頭の紹介で、期待していいことと、そうでないことを弁別できたので、ま、いいかなという講演会でした。
 京都学・歴彩館に行くときは、その往復の道をウォーキングに当てるというのは、いつものこと。昨日は、いいお天気だったこともあり、それを踏襲。普段は、鴨川岸には降りないのですが、昨日は、降りてみました。先日の二葉の落語を聴きに行ったとき、久しぶりに河原を歩き、やっぱりいいなと思ったからです。あのときは右岸でしたから、帰り道は左岸になるということで、ちょうど、バランスがとれました。落語なんてことをするのは、やはり右岸ですね。そんなで、家に戻ると、もう夕飯どき、あっさりと一日が終わってしまいました。昼間に出かけたため、オペラ配信も割愛といった具合で、ごくあっさりとした一日となりました。世間では、4連休なんですね。観光客がいたのかな、京都市内の人出がありましたからね。


2020年 9月 19日(土)午前 8時 42分

 昨日は、お出かけなしの一日。ずっと、朝からの曇天。天気予報を見ると、傘のマークが連なる、しかも、蒸し暑い。この気温が高いというのを歓迎してたはずなのに、それが続くと、うんざりしてくる。どうも、嫌な一日。お出かけの日の定番、日に2回のウォーキングはこなしたのだけど、2回とも、曇天にたたられてしまった。昼前は、まだ雨は大丈夫だろうと、傘なしで出かけ、さる広場で、休憩&読書に入りかけたとき、雨雲レーダーを見ると、ヤバい。そこで、慌てて休憩の切り上げ。ところが、結局は降らないまま。そこで、家の近くの公園を通ったとき、替わりに、ここで読書をしようと、ベンチに腰かけると、ポツリ。また、慌てて家へ、急ぎ足、でも、ポツリは一瞬だけだった。夕方は、雨上がりだったので、また降るといけないと思い、傘持ちウォーキング。でも、雨上がりだったため、休憩用のベンチが使えないので、歩くだけ。屋根付き公園には行かず、もう歩くだけと決めてのウォーキング。昼前と似たコースになるということでのチョイス。雨は、結局、ほんの2分くらい、優しいのが降っただけ。でも、夕方の雨で、気温は一変。また、涼しくなりました。長袖の上着をはおらねばならなくなりました。そうなると、雨が降るまでの気温が懐かしく感じてしまう。勝手な話です。ホント、何もない一日って、天気のことしか書くことがない。「北京の空は今日も青かった」という言い草を思い出しています。こないな言い草なんて、誰も解らない時節だけどね。
 時間があったこともあり、「ウリッセの帰還」完走できました。ユニークな舞台作りが印象に残るプロダクション。円形舞台が3重になっていました。中心の円は動かず、そこに、指揮者が、ハープシコードを弾きなから振ります。傍らにハープとバスのヴィオラ・ダ・ガンバ。その周りの2重の円は、回転方向が自在で、2つの円が、一緒に回ったり、反対方向に回ったりで、その外側にも、小さなスペースが用意されていました。オケの他のメンバーは、回る舞台の基壇部に、幾つかに分け配置。歌手は、その基壇部も使い~の、舞台上も使い~のと、自在に動き回り、物語は展開しました。マンハイムの舞台は知っているだけに、この円形舞台を、どこに設えたのかが、気になってしまったのですが、黄紺的結論は、オケピットと座席前方を潰したとしたのですが、当たっているでしょうか。とにかく、このユニークな舞台を観ているだけで、値打ちものの、プロダクションです。そして、観ていながら思ったこと。同じモンテヴェルディの作品で、「ポッペイア」の方が、よく出るわけが判りました。恐らく「オルフェオ」も、そうじゃないかな。出ない2つは、ほとんどが、レシタティーヴォだからです。アリアやコーラスが少な過ぎます。同じような時間が、ずーっと流れていると、やはり変化のある方に引かれますわね。


2020年 9月 18日(金)午前 8時 26分

 昨日は、京都みなみ会館で映画を観る日。中国映画「凱里ブルース」を観ました。京都みなみ会館に貼ってあるポスターが気になり、ネットで調べてみると、更に、何やら気になり、同館での上映最終日となる昨日、行ってみることにしました。ロケ地は、ビー・ガン監督の出身地らしいのですが、ローカル色たっぷり、それどころか、台詞に「ミャオ族」なんてのが、普通に出てくる地域、とっても魅力的なところです。そこに住む一人の男の物語。女医のいる診療所に寄宿し、どうやら、刑務所から出てきたらしい。それも、兄貴と慕う男の身代わりで、刑務所に入ったよう。その兄貴の息子は、無残な殺され方をしているため、それに同情してのものらしい。刑務所から出てくると、妻は亡くなっており、弟は、息子をほったらかしにして、遊び回っている。挙げ句の果てに、その息子を売り飛ばしたのか、姿が消えた。弟は、あの年齢になると売れないとは言うが。そこで、主人公の男は、その甥を探しに凱里に行くことに。その話を女医さんにすると、昔、生き別れた恋人に、約束のものを渡すことを頼まれます。さ、ここからが、この映画のハイライトです。予習の段階で、「40分の長回し」、要するに、ワンカット40分というシーンに入るのです。旅の場面です。最初は、バンド演奏に行くトラックの荷台、バイクに乗り換え、凱里の対岸の小さな街で、2人の女に出会います。カメラは、主人公をおいてけぼりにして、女が渡しに乗ったり、主人公を乗せてきたバイクの男との会話をして、理髪店で働く友だちを誘いに来ると、主人公の男は、そこで、シャンプーをしてもらい、男も、一緒にバンド演奏を聴きに行きます。そのバンドは、最初に男を乗せた男たちという具合、そのバンドで、男が歌い、再びバイクに乗り、船着き場まで送り届けられるまでが、ワンカットでした。途中、カメラは、車やバイクを追いかけるために、バイクでしょう、車では通れないところを、カメラが走りますから、そのバイクへの乗り降りがあり、揺れる舟への乗り降り、特に降りるときは、後ろ向きに降りています。すっごい段取り、です。おまけに、バイクの男と舟に乗る女との関係を匂わすネタふりがあり~の、バンドマンのネタふりがあり~の、そうした展開の妙や撮影テクニックだけではなく、この旅が、現実なのか、夢なのか、そこが曖昧なのです。そうしたテイストになっている、まことに不思議な長回し、です。男は、理髪店の女に、まるで、妻に再開したような口の利き方をしています。バンド演奏を聴いていたとき、男は、女医さんから預かったカセットテープも、女に渡してしまいます。そうそう、その前に、男は、理髪店の前に立つシーンが用意されており、その瞬間、カメラは、舟に乗りに行く女を追いかけるようになるので、主人公役が、段取りミスをしたのかと、そのときは思ってしまったのですが、違いました。バイクの男は、最後に、甥っ子の名を告げて去って行きますしね。但し、そこがラストではありません。しっかりと、主人公は凱里に行き、ラストとなります。ごくあっさりとしたラストです。いや~、不思議な雰囲気に捕らわれる映画です。抒情が残ります。それには、長回しされる街の風景、渓谷に家が建て込んでいる風景が、篤く関わっているのでしょうね。これは、注目されるわ、ホント。胸の奥底に、何かが残ってしまう映画ですね、それがまた、不思議です。
 この映画を観たのが、夕方。だから、昨日は、夕方のウォーキングとオペラ配信は割愛。午前中は、家事に時間を取られ、短めのウォーキングだったため、昨日は、歩数にすると、1万3千弱でした。そもそも、木曜日という日は、トルコのコロナ情報収集が大変な日と、相場が決まってるのです。水曜日の夜に、保健省長官が、定例の週間分析をした会見をしますので、話題が豊富な上に、学校関係、ワクチン関係の大きなニュースがあったため、とっても時間の制約を受けてしまう日だったのです。


2020年 9月 17日(木)午前 7時 46分

 昨日は、5日ぶりに、お出かけなしの一日。そして、少しだけ、夏に戻ったと言っていいかな。ほんの少しだけ。ここ数日、急過ぎるくらいに、秋に向かっていたので、逆にありがたいですね、この戻り。一昨日などは、夜には、長袖の上着、長ズボンを出してこなければならなかったですからね。そないに、急に変わらなくていいやないかと、季節の変化に突っ込みを入れていたほどでしたから。お出かけなしになると、ゆったりと、日に2回のウォーキング。休憩がてらに立ち寄った公園では、ゆっくりと読書もできました。夕方のウォーキング時は、もう午後6時になってしまってました。すっかり静かになった公園には、もう誰もいなくなってしまってました。かなり、薄暗くなってしまってましたからね。でも、一昨日、ちょうど、その時間に、鴨川の河原で、二葉の落語を聴いていたのです。午後6時だと、「青菜」が始まった時間帯です。あれから、どんどんと暗くなり、二葉の姿が見えにくくなっていきました。幸い、近くに街灯があったので助かりましたが。そないなことを、暗くなった公園で思い出していました。そして、家に戻り、パソコンを立ち上げ、Youtubeにアクセスすると、米朝チャンネルに、二葉が、弥太郎と暗闇のなか、トロッコ保津峡駅なのかな、人のいない駅を探索していました。2日続けて、二葉に縁がありました。これだけが、トピックとして書ける平凡な一日。
 オペラ配信の方は、十分に、時間をとることができました。ローマ歌劇場の「トスカ」を完走。1幕の装置に感心した以外は、特徴のない、オーソドックスな推移。ローマを舞台にした作品ですから、同歌劇場にすると、鉄板中の鉄板でしょうから、そのオーソドックスさが売りとなると言えると思います。期待のオクサナ・ディカは、えらく大きくなったという印象。あまり動き回る役柄ではないですが、それにしても、動きが重い。ラスト、どうだろうかと不安がいっぱいでしたが、ジャンプしました。兵士たちが、飛び込んだあとを眺めるという演出で幕だったのですが、思わず、その光景を見て、飛び込んだオクサナ・ディカに、何か大事が起こったのではないかと思ってしまったな、まじで。しかし、相変わらず、声のパワーは、群を抜くものがありました。サンタンジェロ城からヴァチカンが望めるという書き割り、この劇場で観ると、格別でしょうね。次いで、もう一つ、新しい配信をピックアップ。マンハイム国民劇場の「ウリッセの帰還」(マルクス・ボ-テ演出)。オペラ紀行でお世話になっている劇場からの配信を見つけました。この劇場では、「パルジファル」「黄昏」「エレクトラ」「オネーギン」「タンクレディ」「ヘルクレス」といった、重厚な作品、気になる作品を観ているので、懐かしさがつのります。しかも、このプロダクション、冒頭の3神の議論の場を、ロビーで上演してました。しかも、パペットまで使う、凝ったもの。懐かしい劇場、しかも、ロビーや、客席に向かう階段まで映してくれました。エピローグがそれで、1幕から舞台に。古楽器のオケも舞台に乗せ、それを取り込んだように、装置が組まれていました。これはおもしろそう、です。「ウリッセ」はオデュッセイアのこと。貞節な女性の鏡ペロネペイアの物語です。


2020年 9月 16日(水)午前 7時 56分

 一昨日、何気にスマホをいじっていて、おもしろいツイッターを見つけました。桂二葉が、自身のツイッターに、「あしたの夕方5:45頃から公開稽古します。場所は、京都は鴨川の丸太町橋と荒神橋の間、西側!換気抜群!」と出ていました。確か、以前にも、一度、同じような呟きを見ながら行けなかったことを思い出しました。うまく時間が空いてたので、即決、行ってみました。京都で、落語を聴ける機会は少ないですし、ましてや、二葉ですからね。二条大橋のたもとから河原に降り、河原を歩いて行くと、指定された辺りに、突然、浴衣姿の二葉が視界に入り。あっさりと場所が判りました。ちょうど、ベンチがあり、そこが客席替わり。そこに座れなくなると、二葉が用意した布(普段舞台に敷いているもの)が、前の草地に広げられ、そこも客席に。高座も、その草地に布が敷かれ、上に座布団が置かれただけというもの。最終的には、15人余の人が集まったかな。二葉の口演したのは、「佐々木裁き」「青菜」「佐々木裁き」。そもそも、この「公開稽古」を企画したわけが、冒頭のお喋りで明かされました。NHKのコンペの第1次予選に通り、次なる予選会に出るための、正に「稽古」をしたかったのです。それを人前で。だから、「公開稽古」、そのまんまの主旨でのものでした。そのため、番組も、「佐々木裁き」が2回入っているわけです。ですから、この2回の「佐々木裁き」は、10分だか、11分だか、コンペの時間に合わせた短縮版。確かに、「佐々木裁き」は、二葉の持ちネタの中のベスト候補の1つ。刈り取りがうまくいくかと思い聴くことになりました。聴いてみて、2回ともに、同じ感想を持ってしまいました。時間か気になってる、これです。速くはない、けど、普段と違い、溜めを持って喋ったり、間を取るだろうところを急いでしまってるという印象を持ったからです。「時間に納めたぞ」「何とか、その時間に合わさないと」の意識が、お喋りに出てしまうのでしょうね。コンペは、「自分との闘いという顔を持っているということなんだなぁ」と、つくづくと思ってしまいました。間に入った「青菜」は、二葉の口演では初もの。恐らく、師匠米二からもらったそのままを口演したものと思わせられましたが、これがいい。「青菜」の原点を看た思いがしました。古今、噺家さんにも、客席にも、人気作品ですから、いろんな口演を聴いてきました。美味しいくすぐりが用意されていますから、そこにターゲットを付けて、笑わそうの意識が勝ってしまう口演花盛りというところでしょうか、その一方で、南天やたまの口演のように、風情を大事にしようという、デリカシーに富んだ口演にも遭遇できるようにもなっています。そういったなか、二葉の口演を聴き、新しく考えさせられたのは、植木屋さんの酔いを感じさせることの大切さです。旦さんに酒をふるまわれ、ちょっと緊張気味の植木屋さん、慣れと、酒のほろ酔いで、緊張のたがが緩み、下世話になっていく、饒舌になっていく、これを描いたのです。その口演を聴いて思ったのは、これが、米朝が「青菜」を口演するときの心だったのだろうということ。その心が、米二を介して、二葉に蘇った、その姿、目撃できたということでしょう。お酒をふるまわれた植木屋さんが、お庭について語る口調の落ち着き、抜群に心に沁みました。またしても、二葉落語に、いいもの見っけの気分です。終わったのが、6時半過ぎでしたから、最後の方は、もう二葉の姿は霞んでしまうほど暗くなっていました。横を鴨川が流れ、人が行き交い、草地では子どもが遊んでいました。落語だけではなく、こうした企画を思い付けるユニークさは、ホント、二葉ならのことです。
 昨日は、これがあったため、夕方のウォーキングは割愛。昼前だけになりましたが、会場までの往復は河原の散歩になりましたから、ちょっとしたウォーキング替わりにもなりました。短いですけどね。但し、丸太町駅からでなく、三条駅との往復をしました。昼間は、時間があったので、オペラ配信は、ばっちり。新たに、ローマ歌劇場の「トスカ」(アレサンドロ・タレヴィ演出)です。オクサナ・ディカがタイトル・ロールを歌っているということでのチョイス。オクサナ・ディカのトスカは、ドレスデンとベルリン・ドイツ・オペラで聴いています。特に、ドレスデンで聴いたとき、つくづくと、いい歌手で聴かないとダメだなと思わせられた思い出があり、それ以後、熱心に有名歌手を狙うようになる、そのきっかけを与えてくれたことになりました。そんなでのチョイスだったのですが、あとの主役2人、カヴァラドッシ(ステファノ・ダ・コッラ)とスカルピア(ロベルト・フロンターリ)が、オクサナ・ディカ並みではないのが寂しいな。アレサンドロ・タレヴィのプロダクションは、とってもオーソドックスですが、1幕の教会堂の装置の工夫に、脱帽。堂内と判る重厚な造り。でも、祭壇方向とも、ファサード方向ともとれる工夫、様式からすると、バロックものかと思うのだけれど、色合いや照明は、バロックの明るさではない、堂内は、柱も椅子もないから、だだっ広いスペースだけになっていて、右端に、側廊に沿っているはずだが、側廊はないけど、礼拝の間への扉があり、アンジェロッティが身を隠す場に使われ、あとはだだっ広いスペースの右側にマリア像、左側に、カヴァラドッシの作業場となっていました。装置では、リアルな堂内ではないものを用意して、オペラの進行に必要なものを置けるようにしてあり、それが、うまく納まっているのです。リアルに作れば、絶対に置けない場に、マリア像はあり、カヴァラドッシの作業場があるのです。また、外からの出入りのときに使うスペースを使い、テ・デウムが歌われても、違和感を感じさせないようになっていました。これって、職人技です。ホント、舞台芸術の世界は、奥が深いわぁ。


2020年 9月 15日(火)午前 8時 23分

 昨日は、久しぶりに落語を聴いた日。スカイプラザ浜大津7階スタジオであった「しがらくご」に、前回に続いて行ってまいりました。大阪に行かないことにしている黄紺には、米朝一門の若手精鋭落語家を聴ける貴重な機会です。その番組は、次のようなものでした。紅雀「始末の極意」、二乗「癪の合薬」、歌之助「試し酒」、そうば「大峯詣り」。紅雀は上がるなり、いきなり政局の話。こないな話題を、マクラで喋れるというのが、紅雀の強みですね。頓着しないというか、怖いもの知らず的な点が持ち味です。ネタの「始末の極意」は、紅雀の若い頃に随分と聴いた記憶がありますが、その頃以来聴いてなかったですね。テンポ抜群のお喋りは魅力的です。最後、指を離していくところで、それまでに失敗していった友だちの名前を上げていくアイデアは、初めて。秀逸です。聴き慣れたネタに新味が出ました。二乗の「癪の合薬」は、「またか」と言うほど聴いてきたネタ。春秋の専売かと思っていたため、この季節、どうするのかと注意していると、きっちり夏の終わりヴァージョンに衣替えをさせていました。以前に聴いたときより、一層のリズム感の向上に感心しきりの口演。歌之助の「試し酒」は、この会でのネタ出しで、持ちネタにしていることを知った新鮮なもの。それだけに期待が大きかったもの。結果は、期待の過大を反省ってところかな。気になったのは、低い声が飲み込むようになってしまってること。それにより、声に変化が出るというよりか、飲み込み過ぎて、聞き取りにくくなってしまい、どうしても気になってしまいました。それと、久蔵のキャラなんだけど、横柄だけど、人は悪くないなという印象与えましたが、田舎者度がいまいちで、都々逸を出していく場面など、そういったテキストになっているから、そういったお喋りになってるという風に聴こえてしまいました。あれ、田舎者風味が出てると、意外性があり、可笑しみが増すのですが、、、。それにつけても、「試し酒」を持ちネタにする噺家さんが増えたものです。「金明竹」などとともに、噺家さんに人気のネタになっています。そうばの「大峯詣り」も、気になっていたネタ。ときどきネタ出しで見かけていたもの。だけど、そうばしか出してないので、新作かと思っていました。が、そうではありませんでした。上方では「百人坊主」、東京では「大山詣り」というネタです。噺の筋立てが、「百人坊主」とは微妙に違うので、「大山詣り」の筋立てを調べてみると(聴いてはいるのだが覚えていないので)、こちらの移植版ですね。「大山」を「大峯」に変えたということで、主人公も熊五郎となっています。東京では、さほどレアなネタではないですが、大阪では、なかなか出ない、持ちネタにしている噺家さんも少ないネタです。米朝ネタなんだけど、千朝や米二もやっとないはずです。米団治もやってないはず、やっても人に合いません。雀三郎、塩鯛、雀太くらいが思い浮かぶ程度です。「大山詣り」は、一之輔の襲名披露のとき、池袋で聴いたときのインパクトが強く、なぜ、そうだったのかを考えさせられました。というのは、そうばの口演を聴いて、「百人坊主」の方がいいな、またぞろ、噺が東京に移植され、いじられどころがまずいなと思ってしまったのです。「算段の平兵衞」と同じ空気が欲しいなと思っているネタで、ふかの源太の粗野さ、周りの人たちの対応の粗っぽさ、これを包む空気が、いっぺんに出るなと思えるからなのです。ところが「大山詣り」は、出発を、江戸にしてしまった。登場人物に変な枠を作ってしまったもので、噺の空気を作るのが大変。風呂場の騒動も、取って付けたようになったしまってる。そないなテキストになってしまっているので、登場人物の描き方で、噺の空気を編み出して行かなくなってしまってるんですね。それを、一之輔は、見事にやって見せてくれたから、おもしろかったどころか、「大山詣り」の問題点が見えて来なかったということだったということが判ると同時に、残念ながら、そうばには、そこまでの計算した人物の捉え方を伺うことができませんでした。そうばは、東京の噺家さんと交流があるので、そういった中からもらったのかな。持ちネタにする人が少なく、また、米朝一門なんだから、「百人坊主」の方を手掛けて欲しかったな。
 昨日は、この落語会に行ったため、夕方のウォーキングは割愛。日に1回のウォーキングになりました。でも、大津への往復で、かなりの補充。ウォーキングは、それで良かったのですが、夜のお出かけは久しぶりだったため、固まっている生活のリズムが崩れるのが嫌ですね。ですから、その被害を少なくすることができる昼間に、出かけるようにしていますが、昨日は仕方ありませんでしたが、やっぱ、帰宅が午後10時はきついです。それから、トルコ関係の情報収集をしたり、軽い補食を摂ったりすると、体にも良くないうえ、就寝時間もずれます。規則正しい生活を続け過ぎて、1日狂っただけで、簡単にボヤキが出てしまいます。
 逆に、昼間は時間があったので、オペラ配信はばっちり。「シピオーネの夢」を完走。かなり居眠りをしながらでしたが。筋立ては、小スキピオの夢の中の世界。それが目覚めたところでおしまいというものですが、夢の中味が難解、抽象的というか、アレゴリー劇っぽいものですから、よく解らない。たから、上演しにくいということなのでしょう。ところが、モーツァルト、ラストに、強烈難度のアリアの2連発を用意。あまり、技巧的に優れものとは言えない歌手だったものですから、かなり粗が見えてしまいました。オペラ配信では、珍しいものを観れる、その典型じゃないかな。そないで、また、新しいもの、探します。


2020年 9月 14日(月)午前 8時 31分

 昨日も、講演会に行く日。昨日は、向日市文化資料館であった「令和2年度文化講演会 戦国時代の物集女と乙訓・西岡」シリーズの第1回目「最後の物集女城主 物集女宗入の伝説と足跡」という演題のお話を聴くことができました。お話をされたのは、大本山清浄華院史料編纂室研究員の松田道観さんでした。今の向日市界隈を、西岡地域と言い、そこに、戦国時代に、物集女城があり、土豪物集女氏がいたということくらいの知識しか持たないで、聴きに行ってまいりました。物集女という地名は、京都の人間には、わりとポピュラーで、街道の名に取られているからだと思うのですが、気になってしまったということもありますし、戦国時代と言えば、京都の西を守るという重要な位置だったからでしょうね、三好や細川と言った有名武将を生んだ地でもあることから、興味関心を引いたのだと思います。その物集女氏最後の城主物集女宗入に、主として焦点を当てたお話、古文書の紹介が中心となり、黄紺的には、かなりハードなものとなり、しかも、耳が悪くなったのかなぁ、言葉がこもり、聞き取りにくく、かなりしんどいものとなりましたが、幸い、詳細なレジュメを用意していただいたので、振り返ることが、辛うじてできそうです。まず、掴みは、一つのお像、誰のものだったか判らなかったお像、しかも、それが、お話をされた松田さんのお勤めになるお寺に安置されていたことから、調べられることになり、それが物集女宗入のものだと判り、それをきっかけにして、この日のテーマに関わる研究に入り込んで行ったというお話、抜群の導入であるとともに、その調査で判ってきたこと、なぜ、そのお像が、松田さんのお寺にあるのかというお話は、滅んだ物集女氏のその後を示唆するものでした。まず、物集女氏の初見、素性、台頭の概略。戦国時代の物集女氏に連なる人名の初見は1422年と、さほど古くない、また、土地柄、公家や寺院の領地が入り組んでいた(この話は城陽市の講演会で聴いた)ため、西岡地域をまとめる者の必要性(用水権などの揉め事処理)から、台頭してきたようで、三好の配下に入っていたところ、細川がとって替わり、物集女氏は、その細川に従わなかったために、最後の城主となる宗入が惨殺され、一族や連なる人たちの離散が起こったと考えられる、これが、歴史的な推移だとされているので、まずは、それを史料的に後付けるお話をされました。細川側からの史料では、宗入の殺害はかなり大きな出来事として書かれているのに対し、殺害を伝える客観的史料は、さほど多くなく、ましてや、「成敗した」的な細川側史料の書き方ではないことは注目しなければならないと言われていました。信長に、桂川以西の支配が認められた細川の支配に従わない姿勢を続けた宗入が、目の敵にされたようですね。次いで、「語られる宗入公」というテーマで、江戸時代の軍記物作品に現れる宗入、これは、かなり好意的な記述が多いと言われていました。その次のテーマは、「地域の伝承」として、社寺の開基や中興に関わった物集女氏の姿です。これは、西岡地域に残る、また、かつてあったことが判っている社寺の縁起などから判る物集女氏というお話でした。松田さんは、僧籍にあるということから、位牌などの調査もされ、かなり、物集女氏が、このテーマに関わっていったかを明らかにされました。次いで、「家系図の中の宗入公」として、その後の一族の後付けです。宗入誅殺を受けてのことで、離散だけではなく、物集女姓も捨てているケースもあるなか、ないと考えられていた、同じ物集女の旧家の中から、一族に連なる方を見つけられました。宗入直系ではなく、兄弟の子孫の方だと判った糸口も位牌でした。最後に、冒頭のお像の移動探索は、まるで推理小説のようだというくらいは判ったのですが、中味は、聞き取りにくく、ギヴアップ状態でした。全く埒外の人間には、アクロバティックとも思える史料駆使に、ただただ驚きました。松田さんのいいのは、歴史的にしっかりと事実探求されるだけでなく、伝承や説話という、事実をねじ曲げてもOKの、ちょっと胡散臭さのあるものに、眼を向けられているので、お話に膨らみが生まれ、楽しく拝聴させていただきました。ただ、聞き取りにくかった。
 向日市文化資料館を出ると、ちょっと躊躇ったのち、ウォーキングがてら、歩いて帰ることにしました。グーグルで検索してみると、所要1時間半。午前中は、このお出かけがあったことがあり、ウォーキングができなかったことを思い出し、敢行の選択。以前1回歩いているので、距離感はあったので、それが裏目に出るかもと思っていたのですが、実際には逆でした。体が軽かったのと、やはり、いい季節になりつつあるということでしょう。最後は、普段のウォーキングのコースに合流。あっさりと終わってしまったなというのが、家に着いたときの実感でした。
 いつもの夕方のウォーキングの時間より、少し早めに帰れたこともあり、夜半、オペラ配信を観ようとしたのですが、早々に居眠り。もう一度、最初からかな。新しい作品は、フォニーチェ歌劇場の「シピオーネの夢」(エレナ・バーバリッヒ演出)。モーツァルトです。超レア作品です。まず、このオペラを、実際に上演したのが信じられない。なぜかは、明日、メモることにします。


2020年 9月 13日(日)午前 8時 43分

 昨日は、京都市学校歴史博物館で講演を聴く日。今、同博物館では、企画展 「近代京都の自然教育のあゆみ―SDGs達成のために―」が行われており、その関連講演会として、「『自然』とはいったいなんだろうか?」という演題で、和崎光太郎 (浜松学院大学短期大学部准教授)さんの講演がありました。和崎さんは、元同博物館の学芸員、「京都の学校史の第一人者」との紹介がありました。黄紺も、2度ばかり、お話を聴いたことのある、この道のスペシャリストです。まずは、「自然」という言葉自体の掴み方、概念規定というお話、「自然」に似た言葉としてある「環境」という言葉との違いを入れることで、よりクリアになっていきます。ポイントは、翻訳語であること、「自然」は、「人間のコントロールが効かない物的世界の全てのもの」、「環境」は、「主体のまわり」となります。この概念規定のお話がおもしろく、言葉は、時代により変わっていくものながら、使う人間は、そうではないと恣意的に使っている滑稽さを指摘されていました。その「自然」が、教育法規で、どのように使われているのか、まず、教育基本法からでした。そこには、「自然」は大切にする対象で、「環境」は保全する対象となっています。その「自然」という言葉を、我々が脳内に取り込むのは、意外と早く、取り込み先は、幼稚園、保育所、家庭いずれかで、小学校に入る前に、既に「自然」という言葉を取り込んでいるという話でした。その年齢で、山や川、そういったものを引っ括めて、「自然」という言葉で置き換えるようになっているということです。ということで、幼稚園教育要領の点検に入られました。要するに、「自然」という話を取り込む時期に、幼児教育の場で、どのような指導が行われようとしているかの点検です。2017年に、幼稚園、保育所、こども園という、3つの施設での、3歳児以上の教育内容が統一されたそうです。そのまとめどのように、次のようにされました。「自然とは何か(物理的、認識的に)」に対しては、基本的に触れるもの、たまに活用されるもの、大きく、美しく、不思議。音、形、色などがある。季節により変化するもの。愛情や、畏敬の念の対象になる。「自然とは何か(効果)」としては、活用すると、豊かな生活体験を得られる。伸び伸びと体を動かして遊ぶと、体の諸機能の発達がうながされる。親しむと、豊かな心情が育ち、それが道徳性を培うことにもつながる。触れあうと、様々な事象に興味や関心を持てるようなる。大きさ、美しさ、不思議さなどに触れると、心が安らぎ、豊かな感情、好奇心、思考力、表現力の基礎が培われる。正に、「自然」は万能神のような存在とまとめられていました。それらを支える知は何か、これは、この講演の目的ではありませんから触れられはしませんでしたが、当然、それが気になってきますよね。教育って、やっぱ哲学だわと、当たり前のようなことを、またぞろ考えてしまいました。講演のあと、企画展を観ることに。「自然」の概念が定着していない時期からの展示となると、拾い上げるのが大変な編集です。前半は、どうしても理科教育の展示が多くなりますね。半ばから、林間学習や災害についてなど、変化が出てきます。疎開というテーマも、これに関わってきました。最後は、環境教育での締め。学芸員さんの労作です。より多くの人たちに観ていただきたい展示でした。
 この講演会が昼間、午前中は、家事に時間を取られたこともあり、ウォーキングができてなかったため、帰りの電車に乗るのも、博物館の最寄り駅から1つ先まで歩き、降りたのも、自宅の最寄り駅の2つ手前にして、ウォーキングをすることにしました。そないなことをしていると、自ずと時間が食われ、昨日は、オペラ配信は割愛、仕方ありません。新しい配信をピックアップはしてあるのですが。


2020年 9月 12日(土)午前 7時 36分

 3日連続で、お出かけなしの日、こうした日が、すっかり板に付いてしまいました。いつものように、ルーティンをこなす一日。2回のウォーキング、いつものようで、いつものようでなかったのが、ウォーキング。昼前のウォーキングでは、トイレを当てにして立ち寄った公園で、トイレに行く道が閉鎖、そう言えば、ちょうど1週間前だったかに、同じところで同じことがあった。今回は、理由が明示されていました。その内容を見ると、毎日のことではないので、単に運が悪いということなのでしょう。金曜日がダメだったということを、とりあえずは覚えておくことにしておきましょう。ひょっとしたら、曜日とは無関係かもしれないのですが。夕方のウォーキングは、雷雨にバッティング。ぼちぼち、ウォーキングに出かけようかという時間に、凄まじい雷雨。つくづく、この頃の雨の降り方は違うなと思いました。完全に、熱帯のスコールの降り方です。昔、イスタンブルからの帰り、トランジットで街に出ると、遭遇したスコール、あれです。いつも、傘を持って出るのを忘れ、それを後悔はしたものの、「傘があって助かるんかい」と突っ込むほどの、凄まじい降り、あれです。近くの建物に逃げ込んだり、駅や公園のちょっとした休憩所で雨宿りしてました。懐かしいです。シンガポールとクアラルンプルの思い出です。あまりにも激しく降るので、雨で、向こうの方が見えにくくなるほどの降り、音が耳に残っています。あの降り、音です。仕方がないので、オペラ配信を観ていると、その音が、完全に、雨の音に負けていました。顔をしかめていると、今度は雷の音がまじっている。慌てて、ネット回線を外す黄紺。家では、有線を使い、ネットに繋げているので、雷は天敵です。家の近くに雷が落ちなくても、どこかで雷の影響を受けると、有線の場合はヤバいと言うので、慌てます。雷が止んだかと思うと、繋ぐ、間なしに、また、雷の音、また、外す、これ、繰り返したものですから、オペラを楽しむという雰囲気では、ありませんでした。「美しきエレーヌ」が、あと少しだから、新しいオペラ配信に入れると考えていたのですが、このおかげで無理になってしまいました。でも、雷雨だったので、激しい降りも長続きはせず、1時間ほどで止みました。おかげで、夕方のウォーキングは、普段よりは遅めのスタートで敢行。ウォーキングに使う時間も、普段通りにできました。ま、ウォーキング途中に降られるよりはましかな、ということにしておきましょう。この雨とは関係なく、涼しいままです。一切、空調のお世話にはならなかった一日です。ウォーキングから汗をかいて戻っても、何もしないでも、自然に汗はひき、クールダウンできます。湿気も、そないにないのじゃないかな、だから、汗の引きもいいのでしょうね。
 3日連続で、お出かけなしのあと、今日から3日連続で、お出かけ予定が入ってます。ちょっとわくわく感が出ています。1回は落語会も入っています。久しぶりの落語会が入っていることも、関係しているかもしれませんね。


2020年 9月 11日(金)午前 8時 23分

 またまた、涼しい朝、いや、昨夜の冷え込みは、かなりのもの。秋の到来と思っていいのかな。昼間も、そないに、気温は上がらずという感じでしたし。でも、ルーティンのウォーキングをすると、まだ汗でシャツは、毎回、交換しなければなりません。そこまで、急降下しているわけではないですね。ずっと、ウォーキングを続けてた経験で、シャツの交換が要らなくなるのは、9月末とインプットされています。昨日は、天気も不安定。2回のウォーキングは、いずれも傘持ちとなりました。昼前は、要らなかったかと思ってたら、家に辿り着く5分前に、かなり強い降りになり、自分の見通しに、肝心。夕方のウォーキングでは、歩き出しだけ、雨が降りました。念のために、屋根をある公園に行ったので姿すが、その後は、雨に遇いませんした。結局、あとは傘持ちウォーキングとなりました。
 コロナ騒動になってから、噺家さんも、Youtubeを始められ、丹念に追えないほどの数のチャンネルが生まれたようです。少し始めては中座されてしまったりしているものもあるのですが、黄紺が、必ず追いかけようとしているのが、米朝事務所をチャンネル。米団治社長は、ITに強いわけではないのだけれど、これがトレンドだということが解っていて、えらく熱心に旗降りをしています。「会社の人らが当惑している」という言い方は、今やネタ化しているほどです。それを、技術面でサポートする、なんちゃらリーダーが弥太郎。噺家になる前の仕事が、IT関連だとか。この話、こうした活動が始まるまで、全く知りませんでしたし、このキャリアを聞いたとき、とっても意外な印象を持ってしまいました。弥太郎は、文学や演劇に造詣の深い噺家さんですから、どうしても、そういったイメージを持っていなかったようです。企画面のサポートは米紫が動いているようですね。それと、吉の丞。関テレとのコラボ企画のMCも米紫ですし、あの企画でも、ゲストとして、目を引くトークができる噺家さんの筆頭と言ってもいいくらいの活躍を見せているのが、吉の丞ですし、この二人、こうした活動のコズ的存在と言って間違いないなと思えます。その米紫と吉の丞が出ている動画で、一つ、目を引く一門ニュースを流してくれました。千朝の上方落語協会への復帰というもの。びっくりして、ネット検索をしてみたのですが、全く引っ掛かって来なかったので、最新情報だったのか、誰も関心がないかのどちらかでしょう。大物です、でも、関心がないかもと思ってしまうのは、地味だから、です。米朝直系では、すずめ(三林京子)以外では、これで、皆さん、協会に入ったのかな。1年ほど前に、宗助の加盟のときにびっくりしましたが、今回もびっくり。もう入らないのかなと思ってたものですから、逆に、この時期に入るって、何かあるのかなと思ってしまいました。宗助の場合は、八十八襲名とリンクしているかもと思っとしまったものですから。米朝事務所、東京の事務所を閉鎖するという情報も、米二から流れましたから、何かして、頑張らねばとなっているのでしょうね。それを、噺家さん自身でやってるのが、やってるって感じで、「事務所があぶない」がネタの範囲であって欲しいものです。
 オペラ配信は、引き続き「美しきエレーヌ」。ホメロスの描いた古代ギリシアの、あのパロディです。パリスがエレーヌを奪い去っていく物語のパロディです。パロディですから、わざと漫画チックに描くのはいいのですが、どうも、このプロダクション、歌手陣が弱い。ローズンヌのプロダクションは、全く初めてなもので、もう少し、高い水準かなと、勝手に思ってたもので、ちょっとがっくり。でも、珍しいものなので、贅沢を言っている場合ではないのですが、スパルタ王などという重要な役割あたりで、がっくりくるものなもので、かなり弱いということです。オッフェンバッハものは、ドイツでは、なかなかかからないもので、生で観たというのは、オペレッタでは「天国と地獄」だけです。フランス語によるオペレッタって、やっぱり敬遠されるのかもしれません。コミック系の歌劇場でも、出てないと思います。黄紺が、チェックを入れるコミック系歌劇場は、ベルリンとライプチヒだけなんですが。


2020年 9月 10日(木)午前 8時 53分

 えらく涼しくなりました。急降下って感じです。空調は、全く要らない、夜などは、蒲団を被ってないとダメというところです。天気予報を観ていると、上空に、えらく冷たい気団が張り出しているようです。おまけに、どんよりとした天気、太陽が遮られています。まさか、このままとは思えないのですが、とりあえずは、ありがたいことです。
 9月は、末に、Dの誕生日です。そないなことを思っていたら、昨日、息子から、Dが、飛び上がらんばかりに万歳をしている画像が送られてきました。一人で、晩ごはんを完食できたからだそうです。最初、単に「完食を喜んでます」的なことが書いてあったので、何か大食いでもしたのかと思ったのですが、そうではなく、食事中に、じっとしていて、親に食べさせてもらうことなく、完食できたからだそうです。本人曰く、「4歳までは食べさせてもらうねん」だそうで、この言い方一つに、一番、4歳間近と感じてしまいました。
 で、昨日は、普通の一日。しっかりと、ルーティンの日に2回のウォーキングをしました。若干の変化は、先日の凄まじい雷雨のとき借りた傘を、ウォーキングついでに、弟の家に返しに行き、弟と喋ってきたことくらいかな。黄紺は、ラインというものをしないので、そのやり方を教えてもらっていました。大津に講演会などに行くと、コロナ追跡システムにラインが使われているので、聞いてみたわけです。普通のメールで十分だと思っていたので、ラインには手を出してなかったのです。功罪の「罪」の方も教えてくれました。その話を聞いて、ようやく、勘違いをして登録してしまったインスタグラムの仕掛けも判り、かなり怖くなってしまい、やっぱラインは止めですね。もう、インスタグラムの方で、個人情報を取られてしまってるので、手遅れですが。だって、登録も何もしていないのに、自分ではですが、黄紺の知人のインスタグラムのアップデート連絡が入ってくるので、気持ち悪かったわけが判り、余計に気持ち悪くなってしまったのです。
 オペラ配信は、「モーゼスとアロン」完走しましたが、筋立ての大枠は判っても、細部が判らず、梗概で確認しなくてはなりませんでした。字幕が悪かったのか、テキストが難解だったのか、黄紺の理解力が低いのか、恐らく、その全部がないまぜになり、解らなかったのだと思います。そこへさして、バリー・コスキーのプロダクションが難解とくれば、解らないで当然。梗概を読み、細かな進行が判っても、どの場面が、何を表している場面かが、解らずじまいでした。ギヴアップ、です。悔しいので、他に配信されてないか探すと、一つ見つかったので、いずれ観てみようかと思っています。次に、ローザンヌ歌劇場の「美しきエレーヌ」(ミシェル・フォー演出)に入っています。「モーゼスとアロン」で困ってしまったので、今度は、一転してオペレッタにしたのはいいのですが、字幕が頗る悪い。ドイツ語字幕で、日本語への自動翻訳機能を使うと、そのドイツ語字幕に重なり、且つ、日本語がめちゃくちゃ、だから、日本語もドイツ語も解らない、わけの解らない、字幕なものですから、こちらも、梗概を取り出し、それを見ながら、筋立てを追うことになりました。オペレッタの筋立ては、複雑な場合が多いので、途中でギヴアップしないように頑張ります。


2020年 9月 9日(水)午前 9時 19分

 昨日は、京都学・歴彩館であった講演を聴く日。「京都を学ぶセミナー/洛西編」として続いている連続講演会。昨日は、その第四回として、「御紋付道具拝領の意味-江戸時代の清涼寺-」という演題で、京都外国語大学准教授村山弘太郎さんのお話をありました。「御紋付」というのは、京都の寺社で見かける「菊の御紋」のこと。その「菊御紋付」及び「葵御紋付」の諸道具が、清凉寺に多く残っていることから、そのわけを追及するというのが、この講演会の趣旨。ほとんどが、江戸時代のものということで、自ずと時代を絞ったお話になると同時に、前者は朝廷から、後者は幕府から拝領したものであるわけで、そうしたものがあるということのわけを探るというものでした。「清凉寺の歴史と内部構造」という、このテーマの前提となるお話のところで、見事に居眠り。でも、ここが吹っ飛んでいても、この講演は筋立てが単純なものだっただけに、何の苦もなくポイントを把握することができました。この「歴史と内部構造」で肝心なのは、清凉寺といというところは、真言宗系と浄土宗系2つの宗派が、内部にあるということ。寺務としては、真言宗系が上に立つことになっていたようですが、浄土宗系は、蓄財力に強く、寺務経営の実を担っていくようになっていくという背景、これが、この講演のアクセントになっていきます。一方、どのような形で、御紋付道具の拝領が行われ、また、拝領を受けるわけを観る場合、葵御紋付道具の場合が、とっても解りやすいものでした。俗っぽくなると、宗教の話は解りやすくなります。有名寺清凉寺の出開帳人気は大きく、江戸城まで出開帳に赴き、そこで、葵御紋付道具を拝領したそうで、それまでするのは、1つに「お墨付き」となるものをいただくことになるわけです。「自己の権威化」という言葉を使われていました。また、出開帳を各所で行いながら江戸城まで行くと、蓄財に役立つわけです。このスタンスが、菊御紋付道具の拝領にも当てはまるようですね。この拝領の趣旨と清凉寺の内部構造が重なると、この講演の流れが読めます。「争論」と言い、江戸時代に繰り返された真言宗系と浄土宗系の主導権争い、そこに、自派の権威付けに使われたのです。もちろん、蓄財得意の浄土宗系の裏技的行為ということになるでしょうか。終盤、争論の具体例を用意されていたのですが、時間がなくなり、かなり急がれたため、頭がついて行きにくくなりはしましたが、流れを外しようのない解りやすいお話でした。最初、清凉寺がテーマということで、中世のお話を期待していたため、若干、聴くノリは良くなかったのですが、いたって俗っぽいお話だと判ってくると、居眠りの目も、しっかりと開きました。
 この歴彩館は、入口に、立派なサーモグラフィを置かれています。入って行くと、モニターに、自分の姿とともに、体温が表示されるというもの。黄紺の体温は、毎度「35,1」と出ます。ところが、思い出してみると、あの熱中症まがいの経験をした日は、「36,3」と出たのでした。思わず、あのとき「高いな」と呟いてしまいました。暑いなか、平熱が「35」度台なものですから、ちょっと上がりすぎと思ったのでしたが、それが案の定となったわけです。こういった歴彩館のように、ヴィジュアル的に確認できないときに、入口で検温された場合には、聞くようにしています。だけど、「36,3」は、あのときだけですね。ですから、自分の体調を数値化できた気になっています。やっぱ、あの日の前後3日ほどは、おかしかったですものね。息子のところで、おかしくなり、息子に説教されたのも、そこですものね。ということで、昨日は、体調は万全。帰りは、いつものように、三条駅までのウォーキング、数字を見ていて、気分もいいのか、体が、えらく軽く感じられ、途中、予定変更、ロームシアターに立ち寄り、チケットの引き取りまでやってきました。さすがに歩きすぎ、そのウォーキング疲れが出て、夕食前に、椅子に座りながら居眠りをしてしまいました。昨夜は晩酌をしたこともあり、時間があるからと、無理からに、夜半にオペラ配信を観ようとしたら、見事、全編、寝てしまいました。全編というのは、「モーゼスとアロン」の残り40分ほどのことです。ですから、まだ配信期間終了にはなってないはずですから、今日の昼間に観ます。涼しくなり、秋の気配の出た夜は、居眠りにもいいようです。


2020年 9月 8日(火)午前 7時 9分

 昨日は映画を観に行った日。5日ぶりのお出かけとなりました。京都シネマで観たのは、イギリス映画「オフィシャル・シークレット」。イラク戦争開戦にまつわる実話を映画化したものです。米英が足並みを揃えて、イラクのサダム・フセイン政府が大量破壊兵器を持っているとして、起こした戦争ということは、現在では判っていることですが、その開戦直前、まだ、国連で多数派工作をして、何とか国連決議を上げることを、アメリカが模索をしていた時期、1つの秘密文書を目にした諜報部職員が、それをリークして、米英政府が、無理からに戦争を起こそうとしていることを暴露しようとします。これが、物語の発端。秘密文書というのは、小国に圧力をかけて、国連決議を上げようとしているもの。そこには、戦争を仕掛ける意味も何もない、脅しにも似た圧力をかけて、多数派工作をしている姿。そないなことをしてまでも戦争をしようとしているイギリス政府への憤りからのリークでした。人を介して、オブザーバー紙の記者の手に渡り、それが記事になります。メールの文がそのまま掲載されたことから、内部告発と判り、犯人探しが始まり、その圧力に耐えられず、主人公は自白。そして、訴追と進むなか、主人公の夫が、クルド系イラク人だということで、その夫への嫌がらせも始まり、すんでのところで、強制送還措置に遇いかけたりします。主人公を補佐するのは、人権派弁護士。主人公の無罪だけではなく、国家の犯罪をも暴こうという意欲は力強いものがありますが、それとて、主人公の確固たる信念に支えられてのもの。周りを固めていく弁護士、法務長官の心変わり、戦争遂行を可とする発言の裏を探る弁護士、それを助ける記者、国家の犯罪を確信していきます。一方で、開戦後、大量破壊兵器の存在など確認されなかったのは、周知の事実。訴追された主人公の公判場面がラストになります。この映画、ニュース映像をも取り込んでの進行となっていますから、ブッシュ米大統領、ブレア英首相も出てきますが、最後に、公判から出てくる主人公その人の囲み取材の場面で終わります。サスペンス映画としてだけ観ても、実におもしろい展開、それが実話なだけに、何をか謂わんや、です。
 この映画を観たのが、真っ昼間。そのため、昼前のウォーキングはせわしなく、買い物に合わせて、何とか時間を確保、夕方のウォーキングの替わりに、京都シネマを出たあと、京都芸術センターに寄り道をしたあと、わざと二条駅まで歩き、ウォーキングに替えることにしました。おかげで、日々のウォーキングに近い歩数を確保。そのくらい歩きたい、体が動いているという実感を味わいたいと思うからなのです。
 そないな変化のあった日だったもので、オペラ配信は、就寝前に。お腹の具合が良くなかったため、晩酌をしないと、夜半にオペラ配信を観る時間を確保できます。「モーゼスとアロン」の続きでしたが、モーゼスとアロンの2人の場面の最後辺りから始めてみました。群像劇に入る直前からです。もちろん、前日の居眠りを取り返す目的です。ファラオ配下にいるヘブライ人の苦悩を救うにしても、そのヘブライ人から信頼を得なければならない場面が続きます。モーゼスは、まるでアロンの操る人形のような進行です。アロンの一言一言に反応する群衆、十二音技法で書かれていますから、コーラスの人たち、大変。そこへ、バリー・コスキーの細かな指示が入るものだから、更に大変。ようやく、ヘブライ人を説き明かし、脱出に動き出すと、場面が変わり、脱出後となります。シナイ山に上がり下りて来ないモーゼスを待つ群衆と、それをなだめるアロンの掛け合いが、また始まります。その途中までで切っているところですが、観ながら、ふと気づいたのは、衣装。群衆は、現代の普段着。ところが、モーゼスがアロンは、居住まいを正した姿。特に、モーゼスはシルクハットまで被っている、まるで、手品師と口上言いといった具合。その見方、当たってるかな、確かに、モーゼスの使う技は、手品師、香具師の雰囲気を醸し出しているので、当たってそうな気がしてしまっています。バリー・コスキーのプロダクションって、宗教を揶揄する傾向があるというのが経験知なだけに、余計に、そう捉えてしまうのですが、では、このオペラで、それを使う心は? そこがポイントかな、そないな感じになってきています。


2020年 9月 7日(月)午前 8時 17分

 台風の接近のピークに入っているようです。幸い、京都は雨が降っているのと、やたら涼しいというくらいの変化です。昨日の昼間から、時々、雨脚が強くなるかと思うと、止んだりの繰り返し。午前中は、念のためだったけれど、傘を持ちながら、ウォーキングは普通にして、結局は、傘を使わないままというところでした。夕方の方は、一旦は、ウォーキングを断念するほどの降りながら、買い物だけはしなければと出かけ、その買い物が終わると、雨脚が弱まっているので、傘をさしながら、少しだけ歩こうかと歩き出したところ、傘さしウォーキングをしても、全然支障なく、ウォーキングができるものだから、いい気になり、どんどんと遠くまで歩き続けると、その内、雨は止んでしまった。ですから、若干短めではあったけれど、通常のウォーキングをすることができたと言っていいと思います。だから、雨が、本格的に降りだしたのは、夜半に入ってから。夕方のウォーキングから帰ってきたときには、シャツを変えねばならないほどの汗はかいてはいたけれど、空調を入れて、体を冷やすまでもなく、自然にクールダウンできるほどの涼しさに、もう、その時点でなっていました。家にはテレビがないので、映像とともに、リアルな台風情報を得てないけれど、ネットに流れている台風情報を見ると、7日だけど朝が、京都に住む者にはピークかなと思っています。だから、これで終わってくれるとありがたい。今日は、雨だからと、お出かけ予定にしているのですが、あまりに雨がひどいと、さすがに気が失せてしまいますからね。そんなで、昨日は、台風の様子を眺めながら、なんとか、ルーティンをこなした一日でした。
 オペラ配信は、「マイスタージンガー」の残りと、新しいもの。新しい方は、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「モーゼスとアロン」(バリー・コスキー演出)です。こちらは、配信期間が長かったものですから、他の配信を先に入れていたのですが、いよいよ、こちらも配信期間の終了が近づいてきているということでのチョイス。全く初めて観る作品だし、シェーンベルクのオペラ自体を、初めて観ることになりました。そもそも、このオペラが、オペラ紀行をしようと、ドイツの歌劇場のスケジュールを調べているときに、入っているのを見かけたことはないですね。コミッシュ・オーパーは、軽めのオペラが上演されるものと思い込んでいると、こういった作品が入ってくるので、びっくりさせられます。モーゼスはモーゼで、旧約聖書の出エジプトの物陰です。舞台は、丸い大きな照明が、幾つも天井に並んだ、そして、床には敷き舞台が置かれているだけの簡素なもの。冒頭のモーゼスのモノローグの場面で、最初、モーゼスがくるまっていた絨毯だけが、舞台にはありました。神意を伝えるために、モーゼスは、いろんな奇跡を起こすと、聖書に書かれていることから、そうしたエピソードが挿入されるものですから、仕掛けがあり、また、奇術でおなじみの技が披露されたりします。やがて、在エジプトのヘブライ人に脱出の勧めを説く場面に入ると、もう、ここは群像劇。正に、バリー・コスキーの腕の見せどころ。さすがと唸る腕を見せてくれているのですが、この辺りで半寝に入ってたもので、もう一度、観ることにしましょう。若干、配信終了までは、まだ日にちがありますからね。しかも、「マイスタージンガー」のようには長くないですから。
 この配信は、Youtubeを使ってのもの。Youtubeの動画を観ていると、傍らに、お薦め動画一覧が出てきますよね。オペラを観ていると、他のオペラやクラシック音楽系のお薦めものが並ぶのが常なのに、昨日は、映画が入っていた。ひょっとしたら、その前に、ある古典的な映画を、Youtubeで観ることができないかを調べたため、その関係で、映画が出てきた可能性はあるかもしれません。ただ、調べた映画は、イタリア映画なのに、一覧に出ているのは、モノカラーの日本時間。そのサムネイル画像に惹かれて、画像をクリックすると、映画の題名がアルファベットを使い書いてあり、配信者の名前を見ると、ハングルで書いてある。もうわけが解らなくなり、とりあえずアルファベット表記の方を読むと、映画名は、日本語をローマ字表記にしたもの。更に、その前に書いてあるものを読むと、「鈴木清順」と読めた。ハングルを読むと、普通の韓国人の名前みたい。で、ひょっとしたらと思い、今度は、ハングル表記の名前をクリック、その配信者の流す動画一覧を見ようというわけです。そしたら、黄紺の「ひょっとしたら」が当たりました。韓国人の日本映画マニアの投稿でした。鈴木清順、小津安次郎作品が、見事に並んでいました。これはお宝サイトと、すっぐにブックマークに入れておきました。オペラ配信は、巣籠もり対策として、多くの作品が流されました。そればかりか、流していいのかな、でも、投稿時期を見ると、随分と経っていることから、大丈夫なのだろうと、勝手に判断しているものも、結構あることはあるので、まだまだオペラ配信は尽きることはないでしょうが、ここに、新たな楽しみが加わりました。小津安次郎作品の独特のテイストには、なかなかなじめない黄紺ですが、鈴木清順作品は、総ざらえしたいですものね。いや~、偶然とは言え、人生、拡がっていきます。


2020年 9月 6日(日)午前 8時 43分

 涼しい朝です。これで、2日連続です。台風の影響なのでしょうか、それとも、9月だからでしょうか。いずれにしても、嬉しいです。今朝は、そうでもなかったのですが、最近、寝起きが悪くなっています。朝、目が覚めても、なかなか起きられないのです。若い頃から、寝起きが良く、睡眠時間に関係なく、目が覚めると、すぐにでも起き上がれたのですが、最近、横になったまま、ぐずぐずとしている。なかには、そのまま、再び、眠ってしまうことも、しばしば。寝起きがいいと言うと、血圧が高いのではと心配されたりしたのだけれど、そないなことはなく、また、低すぎもせずなので、寝起きが悪くなったこととも関係はないでしょう。睡眠時間を、平均して、確保できるようになったことと、何か関係があるのかもしれません、この2つは、同じように進行したいるような気がするからです。そんなですから、明け方、早い時間に起きているということがなくなってしまっている今日この頃で、全く人並みの生活をするようになっています。コロナ効果で、規則正しい生活をしてしまうようになったからかもしれませんね。
 昨日も、その規則正しい生活そのもの。日に2回のウォーキングは欠かさず、但し、昼前は、朝のネットチェックに時間を要したため、端から、公園での休憩&読書をカットするということでのウォーキングとはなったのが、ちょっとした変化。わりかしカラリとしたお天気だったもので、汗だくにならず、簡単に蒸発したのでしょうね、そんなものだから、不快感がなかったものですから、気がつくと、1時間半、休憩を取らないで歩き続けていました。腰の疲労、負担を考えて、途中休憩を入れることにしていながら、こないなことをしてしまったのは、ちょっと反省なのですが、それだけ爽快だったということなのでしょう。夕方は、普通のウォーキング。同じような時間帯に、夕方のウォーキングをするものですから、最近は、家に戻る頃には、すっかり陽が落ちてしまっています。家々に灯点し頃が、戻ってくる時間です。冬場は、途中に、休憩&読書を入れると、暗くなってしまうので、3時半には出なきゃならないのは辛いなぁなんて、早くも、冬場のウォーキングを思いながら歩いております。
 昨日は、9月第1土曜日、本来なら、この土日に彦八まつりがあるところだということで、繁昌亭チャンネルを使い、上方落語協会が、「オンライン彦八まつり」を生配信していました。6時間連続生配信ということでしたので、これは観てられない、アーカイブに残すだろうということで、生で観ることは断念。夜になってから観始めています。総合司会が、小春団治&三扇という珍しい組合せ。小春団治は実行委員だったかもと思ったのですが、三扇は、そうだったのという記憶。珍しい替わりに、地味じゃないかとも思ったのですが、濃くないから、逆に、総合司会としては、いい人選。生国魂神社からのレポーターの坊枝が、相変わらずのいらんこと言い、この「相変わらず」のというのが、いいんだなぁ。竜踊りは、2人だけという寂しいもの。笑いをこらえながら踊る文昇は、兄弟子坊枝のいらんこと言いで、いじられていました。も一人は呂翔、変な組合せですが、その「変」なのが、また、いいな。そんなで、ここしばらくのYoutubeの楽しみができてしまっています。生電話で、ざこば直撃なんての、やってましたが、夜の繁昌亭では、彦八まつり記念落語会があり、そのざこばと鶴瓶との生トークがあったようです。仕切り役が米団治と、めっちゃ奮発した顔合わせ。それに先立つ落語が、二葉、鶴笑、米団治の3人というラインナップ。目を引くのが、二葉の抜擢。「ここに、二葉を持ってくるか」「すげぇ~」と、感嘆の声を上げてしまいました。この番組考えたん誰なんでしょう、それも知りたくなってしまいました。こないな番組組まれたら、米団治社長、奮闘せざるを得ませんな。
 オペラ配信は、昨日は、たっぷりめ。昼間と就寝前に、「マイスタージンガー」でしたが、居眠りも、かなりしてしまいました。3幕のザックスの家内が、舞台いっぱいに設えられていたのに、ちょっとびっくり。こないな大きな家かのかと思ってしまったからです。逆に、4幕の歌合戦の場は、2幕の舞台から、中央にあった大きな像を取っ払った設営だったもので、窮屈な印象ということで、黄紺のイメージとは異なる舞台になっていました。あと少しで、完走というというまで来ています。居眠りしたところ、振り返りたいのですが、そろそろ配信が終わりそうなので、無理かなと思っています。


2020年 9月 5日(土)午前 9時 23分

 昨日も、お出かけなしの一日。となると、ルーティンをこなし、一日2回のウォーキングは、ばっちりかと、、、いうわけにはいきませんでした。ウォーキングはできたのですが、夕方の方で、どえらいアクシデントが。さる公園で、休憩がてら本を読んでいました。すると、雨がぽつりと落ちてきたのですが、少しの間は、濡れていても大丈夫という可愛らしい降りだったのですが、途端にがらりと変わり、いきなり雨自体が大粒に、且つただならぬ激しい降りに変わったものですから、びっくり。ずぶ濡れになると思うと同時に、単なる雷雨ではなく、恐ろしい台風が近づいているとインプットされているものですから、いよいよ、その雨が来たと思い込んでしまいました。とりあえず、ラッキーなことに、弟の家の近くにいたものですから、傘を借りに行くことにしました。「しばらく雨宿りをしていったら」と、弟の家で言われたのですが、台風の雨だと思い込んでいるものですから、どしゃ降りのなか、早く帰った方が賢明と、逃げるようにして帰ったのが、完全に失敗。途中、子ども2人を保育園から連れて帰る姪っこに会ったのだけど、ゆっくり立ち話をしている場合じゃない。でも、上の子が弟に傘を着せながら歩く姿に、ちょっと感動。Dも、Sにしてやるんだろうなと、ちょっと先の姿が思い浮かびはしたのだけど、ゆっくり浸っている場合でない。必死に歩き、ズボンはびしょ濡れ、持っていたポシェットも、びしょ濡れ。道路に水が浮くほどの降り、側溝に流れようとする水が多すぎて、側溝に入りきらないものだから、完全に、道に水が浮いている。その中を歩かねばならないものだから、ついに靴の中もびしょ濡れ。とにかく、凄まじい降りでした。家に着くと、下着以外は、全部着替えねばならないほどでした。一息ついたところで、さぞや、近畿一円、大変な降りだろうなと思い、雨雲レーダーで確認をして、「あれれれれれ?」、「単なる雷雨やん」、がっくりきました。「しばらく雨宿りをしていったら」という言葉を、素直に聞いていちら、ずぶ濡れにならなくて、弟の家に寄って行く姪っこ親子にも、ゆっくり会えたのに、もうサイテー、です。こないな細やかなことが、昨日の最大のトピック。
 あとは、トルコ代表が、まさかの敗戦、ハンガリー代表のフリーキックに、ウーウルジャン・チャクルが見送るしかなかった姿に、残念感よりか、あまりにも見事なフリーキックに、目を見張ってしまったこと、それと、選手構成をいじったことが印象に残りました。中盤の両サイドと右サイドバックは、お試しなのかどうか、ボランチのハカン・メルト・ヤンダシュの起用は、ちょっとびっくり。シワスでの試合だからかとも思ったのですが、先発に入れたので、やはり期待が大きいのかな、イルファンジャンに替えての起用ですからね。確かにいい選手なことは間違いないことですが、いきなりの起用だったので、びっくりしました。ボランチのもう一人、守備的選手の方に、ディフェンダーのカーン・アイハンを置きました。今まで、マフムトの位置に、敢えてディフェンダーを置いた、頭には、フランス戦があるのかな、欧州選手権のパリでの試合で、マフムトが効いてなかったですから、ディフェンダーを持ってきたのかと思う一方、シェノル・ギュネシュが、オカイ・ヨクシュルを召集しながら、ここに置かないのに、ちょっと疑問を感じます。黄紺的には、「この位置のスペシャリストがいるやん」となります。トップにブラク、これは、シェノル・ギュネシュのこだわりとしか言いようがないな。ここだけ、時間が止まっています。それにつけても、グルベッチ・シフトの選手構成になったものですね。セルビア戦ではいじるのかな、その起用を見ると、シェノル・ギュネシュの真意が判るかもしれないですね。
 お出かけなしとなると、オペラ配信はばっちりということで、「マイスタージンガー」の2幕に入っています。真ん中に中庭、その中央に大きな像、右側にザックスの仕事場、左側にポーグナー邸、古典的な舞台のシルエットが素敵です。かなり居眠りをしながらの鑑賞、ザックスを歌うゲラルト・フィンリィの歌唱が抜群。ここがいいと、舞台がしまりますね。今日は、3幕に入るということは、ザックスのモノローグがあるってことです。楽しみやわぁ、居眠り注意です。


2020年 9月 4日(金)午前 8時 6分

 大きな台風が接近しているそうです。そのあおりなのか、昨日は、一日、どんよりとした曇り空。おかげで、気温の上昇は抑えられていましたが、地方によっては、40度超えが出たようです。大きな台風は、第2室戸を引き合いに出して、テレビで、その強さを教えてくれています。黄紺的には、台風の恐ろしさは、伊勢湾台風の方が強烈だったな。第2室戸は、両親が家にいなくて、祖母と弟の3人で家で耐えていたら、上空を通過していったの記憶で、その家に3人しかいなかったという心細さが、強く印象に残っています。腹の立つ台風と言えば、一昨年のタンカーが関空の橋に激突した台風。あのとき、トルコにいて、帰ってきたら、黄紺宅の屋根が損傷を受けてたってやつ。トルコからの帰りも大変だった、生々しい記憶があるものだから、腹立たしさ一番の台風です。
 ニュース映像を観ながら、そないな昔話を思い出していた一日、ごく普通の一日でしたが、毎木曜日は、トルコのコロナ情報の把握に、とっても時間のかかる日。トルコ時間の水曜日の夜に、保健省長官が、1週間のまとめ的な会見をするものですから、大量の情報、会見に先立ち、閣議では、新たな方針も出ますから、その把握にも時間が要ります。その中で、一番ぎょっとしたのは、現在の感染者増を「第1波の第2ピーク」としたこと。まだ、「第1波」の最中なんです。これから、第2波が来るのだと教えてくれてます。もちろん、秋冬と、気温が下がり、感染者増が見込まれることを想定してのものなのでしょう。この提示って、なかなか勇気の要ることだな、よく言ったな感を持ちました。まだまだ続く長い闘い、褌の緒を締めよ的に発破をかける意味合いとして理解されれば、効果抜群というところでしょうが、一方で、まだまだなの的な疲弊感を喚起する可能性もあり、逆に投げやり的行動を生んでしまいかねないと思います。どこの国も、規制が緩和されただけで、気持ちまで緩んでしまって、今の事態を招いているわけですから。トルコの報道映像などを観ても、黄紺の周りを観てても同じで、マスク一つを見ても判ります。細心の注意を払ってる人、そうでない人、同じですね。人間の気の持ち方との闘いという気がしてきました。ワクチンや特効薬がないのですから。
 トルコのコロナ情報把握に時間を要すると、自ずとタイトな時間に振り回されます。でも、日に2回のウォーキングは確保。でも、いずれも、アクシデントが発生。昼前では、休憩&読書をするという公園、いつも通れるエリアがカパル、警備員まで立ち、入れない箇所を作っていました。おかげで、そのカパルのエリアにトイレがあるので、焦ってしまったのが、そのアクシデント。夕方のウォーキングでは、夕陽が射し込んでいるのに、雨が降りだし、やむなく避難しやすいコースに変更。うまく雨は、あっさりと止んだため、変更後のコースでも、休憩&読書の公園を使うことができました。暗くなりかけているなか、おもしろいところに差し掛かったようで、気がつくと、40分も本を読んでいました。
 オペラ配信の方は、小1時間、時間を確保できました。新たに、グラインドボーン音楽祭の短期間配信のお世話になっています。予告で、絶対に外せないと決めていた、ダヴィッド・マクヴィカーのプロダクションによる「ニュルンベルクのマイスタージンガー」です。1幕途中までしか進んでないのですが、舞台は、教会堂を、前後に仕切り、奥を祈りの場にして、前方を、そこに続く空き空間としていました。別に教会堂内部の構造として不自然ではなく、また、前方の空間を使い、マイスターたちの寄合など、芝居をするのには、都合が良く、解りやすいのはいいのですが、冒頭の合唱は祈りですから、舞台後方で歌わざるを得ません。それが、残念。あのど迫力の合唱が好きなもので、その迫力を、わざと削いで、距離感を出す工夫になっていた(見事な演出家と指揮者の共同作業!)のが、黄紺的には、ちょっと悔しかったな。そないで、まだまだ序の口までです。


2020年 9月 3日(木)午前 7時 20分

 昨日は、映画を観る日。それに合わせての行動。映画は、京都みなみ会館でのインド映画「War」。2つ連続で、インド映画を観ることができるとは、あまりないことで、かなり嬉しいのです。昨日の「War」は、先日の映画とは違い、バリバリのスパイ・アクションもの。しかも、舞台が、国際テロ組織を相手にするということで、インド以外がいっぱい出てくるという贅沢なもの。クレジットに、ジョージアでのロケと出ていたので、そないな場面あったかと思うほど、もう、頭の中が整理できないほど。終盤には、北極海でのロケ、砕氷船まで出てきました。味方と敵の組み合わせが、二転三転し、誰が味方で、誰が敵なのか、黒幕は誰なのか、それを判らなくしてある巧みな展開、卑怯とも思える手まで用意してあるのですが、その手を出すための伏線は、きっちり敷いてあったことは、確かに敷いてあった。ネタふりってやつで、なんで、こないなところに、こないなプロットが入るのかとか、流れからおかしくないと思える展開が挿入されているのかとか、このプロットは使ったから、もう使わないだろうと思い込まされたりとか、巧みです。2人の主人公の1人の右目のエピソード、イタリアのアマルフィ海岸でのロケ場面で、主人公2人が、別れて戦うようになるところ、悪役のボス的存在の男の整形エピソードなんかが、これに該当します。アクションものお定まりの戦闘シーン、イラクの場面は、どこでロケをしたのでしょうか、最後の教会堂内部(これがジョージアでのロケかな)での戦闘シーンなど、どこまでがCGで、どこまでがそうじゃないのか、セット崩しも、めっちゃ大規模だし、おなじみのカーチェイスも、なんと、北極海の砕氷船から車が飛び出して始まるという、びっくりな展開。しかも、カーチェイスは、氷の上での雪原を使うという斬新さ。カーチェイスを観なれた者をも唸らせる力がありました。フィンランドやスウェーデンがロケ地に入っていましたから、その辺で撮ったと思わせられます。悪役の狙いは、ミサイルで、インドの使う通信衛星の破壊を狙い、そこから生じる通信網の空白を利用して、インドに軍事攻撃を加えようというプロットも、スケールが大きい。いや~、おもしろい2時間半でした。エンタメ映画はインドに限ります。
 映画は、夕方の時間帯に観ました。もちろん、夕方のウォーキングはカット。帰宅すると、いつもの夕方のウォーキングが終わる時間を、僅かに過ぎていました。ちょうど通勤客の帰宅時間帯とバッティングするので、嫌~な感じがしていたのですが、幸いラッシュにはぶつからないで帰ることができました。この映画館に行くのに、わざわざ遠回りをして行くことで、ちょっとしたミニウォーキングにはなり、昼前のウォーキングを併せると、歩数的には、大幅な減にはならず、日頃のレベルは確保できたかなというところです。
 こうしたお出かけがあり、トルコのコロナ情報が多めだったので、かなりタイトな時間にはなったのですが、オペラ配信の時間を取れました。但し、「ランメルムーアのルチア」の残り場面からだけでしたが。ちょうど狂乱の場直前で切ってあったものですから、とってもいいところから。すると、このローマ歌劇場のプロダクション、なんと、狂乱の場で、グラスハーモニカを使っていました。黄紺は、生ではシュトゥットガルトで観たときに遭遇してますが、時々というよりか、たまにあることです。ま、珍しい楽器ですから、そうは頻繁にないということなのでしょう。だからでしょうね、このローマ歌劇場の映像、ルチアの歌唱もそうだけど、グラスハーモニカの演奏を、頻繁に映していました。手元ばかりで、どないな奏者なのかは、ついには判らずじまいでしたが。最後まで観て、やはり、歌手のレベルが高いところで揃っているからこそ、無機質な装置は生きるのだ、歌手の歌唱力の高さが、どろどろ劇を巧みに表すからこそ、装置の無機質さが調和するのだという、頭で解っていることを、目の前に提示してくれた、何かお手本のようなプロダクションだったなと思わせられました。そうした意味で、いいプロダクションをピックアップできたと、自画自賛です。


2020年 9月 2日(水)午前 9時 18分

 昨日は、午後に4時間も、オンライン飲み会をした日。8月に2回、オンライン飲み会をした元同僚と、3回目の飲み会を実施。きっかけは、前回の飲み会の際、韓国映画「はちどり」が話題になったため。既に、前回の飲み会のときには、「はちどり」を観ていた黄紺が、この映画をべた褒めしたことから、「じゃ、自分も観てみたい」「観たら、また喋ろう」となったのでした。案の定、元同僚も、「はちどり」にはまっていました。やはり、映画の持つデリカシーが魅了します。映画の舞台になった時期の韓国も話題に上がりました。サンス(聖水)大橋の崩落という、大きな手がかりがありますから、イメージを掴みやすいですね。韓国人だと、もっともっと、あの時代がクリアに蘇り、自分の人生を反映させて、あの映画に没入することになるでしょう。黄紺的イメージでは、やっちゃったか感が、橋の崩落の衝撃とともに起こったのを覚えています。崔洋一監督が、韓国に語学留学をしたときのドキュメンタリー番組で、自分が借りているアパートの安普請を見せてくれたことと、あの崩落がオーバーラップする、黄紺です。今の韓国と違い、経済成長を急いでいたという印象が残る時代、それが、あの映画の背景にあると思っています。主人公の家庭のぎすぎす感、なかでも、父親が一方的に主張を押し付ける、あれって、古くさい家父長的体質に、世間の忙しさがミックスしたものでしょうしね。家族の分析を、一くさり、元同僚はやってました。そんなですから、関係性が破綻しているかのようで、主人公の病気のときに示した父親の慟哭や、サンス大橋崩落のニュースを知ったときの主人公の狼狽ぶり、そこに残る家族のこだわりに、「家族のあるべき姿」へのこだわりの残滓を言ってました。主人公に大きく影響を与える仙人のような女性、黄紺は、「デウス・エクス・マキナ」のようで、賛否のあるところだと思っている登場人物で、少なくとも、あの映画では特異すぎる人物なので、登場させることの可否から考えねばならない存在だと思っているのですが、元同僚は、おもしろいことを言い出しました。かつての韓国のソダン(書堂)のようなところで働く女性、書棚には、マルクスの本が並んでいた(これは見落としてました)ことなどから、民主化運動に関わったりしたことがあり、当時の韓国社会を批判的にとらえ、自身は、就職して韓国社会に入る、なじむ、そういったことができないでいる女性ではないか、その生き方、知性のようなものが、主人公との関わりに現れてきたのだろう。ソダンのような知を磨く塾に働くわけを、そのように捉え、実際に、あの塾のような場所を、韓国で訪問したことがある、「え~っ、あるんや」と、黄紺はびっくりさせられました。となると、不思議なことが出てきます。あの両親が、なぜ、そないなところに、娘を通わせたか、です。単純に、普通の塾としか思ってなかっただけかもしれないのですが、ま、それもありかと思いながら、それにしては、特異な塾です。塾の経営者と仙人のような女性とは、決して同じスタンスの人物とも考えなくともいいような描き方もしてましたが、でも、あれだけ中国の古典が並ぶのは、やはり、経営者も特異なところが見えてきます。映画を観たあとの検討は、いい映画に当たれば当たるほど、尽きるものではありません。あとはコロナ話から、政局分析の蘊蓄などを聴く時間になりました。真の飲み会なもので、黄紺は、水割りを用意。途中、かなり眠たくなりましたが、ここで打ち切り昼寝をすると、夜の睡眠に障ると、我慢、すると、頭は冴えてくるものですね。
 この飲み会で煽りを受けたのが、ウォーキングとオペラ配信という日々のルーティン。オペラ配信は諦めました。ウォーキングは、2回することはできましたが、若干短めに。そりゃ、昼間に、ごっそりと4時間もの長い時間が取られれば、致し方ありません。コロナ情報の収集が、なかなか時間のかかる日でもあったことから、オンライン飲み会以外は、かなり時間に追ったてられた一日でもありました。


2020年 9月 1日(火)午前 8時 40分

 暑い暑いと言い出して、1ヶ月が経ち、もう9月になってしまってます。暑い日が続きながら、今年は、7月後半の長雨で、暑いと言ってから、まだ、1ヶ月しか経ってないのだから、ありがたいと言えば、ありがたい。相変わらず、コロナは続いているし、気がつくと、日本だけではなく、ヨーロッパで、また増えてきている。トルコでも、完全に、第2の山が上がったり下がったりで、結局、上がってくる。ま、この繰り返しだろうと、当初言われていたような流れになってきていますね。いくら言われても、我慢できない人はいるようで、簡単に緩み、緊張が長続きしないのでしょうね。どこの国でも、似たようなことが起こっていると考えていいのかな。相変わらず、黄紺は大阪に行く気にはなれず、ましてや、ドイツのオペラのスケジュールなんてもの、見向きもしなくなっています。ドイツの歌劇場からはメルマガが届くのだけれど、削除はしないまでも、特定のフォルダに、ほぼ読まないで収納しておくだけ。恐らく、時間が経てば、削除してしまうのでしょうね。トルコでは、新学年が始まり、テレビやネットを使った授業が始まり、3週間後には、生徒を登校させるというスケジュールになっているけど、最悪のタイミングにかち合ってしまってます。前年度の打ち切りは潔かったのですが、今度は、その手は使えない環境。たとえ学校を再開したときの対策は、校内的には配慮に次ぐ配慮なんだけど、登下校に使っている車、あれ使うのでしょうかね。街を走るドルムシュ状態で密なんだけどなぁと思ってしまっています。ネット環境を持たない子どもには、サービスステーション的な場所を用意するようなんだけど、そのポイントの管理や集まってくる子どもの指導とか、うまくできるのかとか考えてしまいます。黄紺が街を歩いていると、石を投げてきたような地域は、明らかに経済的にきついところ。すぐに、東南部のある都市の一区画が、頭をかすめるのだけど、あの地域の子どもは、うまくカバーされるのだろうかと、考え込んでしまいます。そんなことより、果たして、もう一度、トルコに行くことってあるのだろうかと、そないなことを思うことすら、たまのことになってしまってます。この数年、トルコに行くたびに、「いつか、終わるときが来る」「いつも曲がるあの角も、2度と曲がることがなくなる日は、いつかは来る」と思いながら、いつも、アンカラのある街角を思い出していたのですが、そう思って曲がった去年の10月が、その最後だったのかもしれません。ウルスの街角、毎回、必ず通る街角だったから、そう思うようになってしまいました。イスタンブルの、しかも、カドゥキョイのいつも通る街角があるのに、なぜか、黄紺の頭には、ウルスの街角が浮かんでしまうのです。
 で、昨日は、夕方、ウォーキングに出かける準備に入ろうかという時間帯に、雷雨が来ました。雨雲レーダーで確かめると、2時間ほど、雨が続くようだったので、一旦、ウォーキングは諦めて、珍しく家内で読書。そうすると、小1時間で、雨は、あっさりと止み、たちまち夕陽がさすなんてことに。ならばと、かなり時間は遅くはなっていたのですが、ウォーキングに出発。おかげで、日に2回のウォーキングは守りきれました。昼前のウォーキングも、家の用事もあり、短めだったものですから、運がありますね。幸い、暑いなか、ここ1週間ほどは、熱中症かもと思える事態にはなってないのが、嬉しいところ。今から考えると、同じような変なことが続いた数日は、やっぱ、熱中症だったのでしょう。ウォーキングをしていても、あの数日は、あっさりと顎を出してましたしね。それを、単に暑いから、動きが鈍くなっているだけ、まだ、そんなに歩いてないのだから、熱中症とは関係ないと思い込んでいましたものね。息子に、状態を言ったら、「それって、典型的な症状や」、そう言って、以前、たまたま通りかかったところで、熱中症で固まってしまい立ち尽くすお年寄りを、母親と二人して助けたときの話をしてくれて、すっかり納得しました。黄紺の症状も、確かに熱中症やと。但し、黄紺は固まりはしてないけど。あれから、ウォーキングに出かけるときには、無理からに水分を身体に入れてからにしています。それをするだけで、全然違いますね。以前、トルコで北キプロスに向かおうかというときに、水分不足で恐ろしい目に遭ってから、丁寧な水分補給は怠ってこなかっつもりが、時の経過とともに、杜撰になってしまった結果が出てしまったということなのだと、自戒しております。あのときも、息子に説教まがいのメールをもらい、それに従うと治りました。「毎日、水を2リットル飲め」、このフレーズまで覚えているのに、ぬかりがあったということになります。
 昨日は、お出かけのない一日だったもので、3日ぶりに、オペラ配信、楽しみました。新しい配信は、ローマ歌劇場の「ランメルムーアのルチア」(ロベルト・アバド演出)です。以前から、ローマ歌劇場チャンネルの動画一覧の中で、ずーっと気になっていたもの。ここまで、幾つか、ローマ歌劇場のお世話になってきていますが、いずれも、オーソドックスなプロダクションばかりだったのですが、この「ルチア」のサムネイルは、明らかにそうではなかったからです。抽象的な装置、それに目が吸い寄せられていたのでした。大きな箱と板の組み合わせで作られた装置に装飾はなし、それに、照明を組み合わせた、簡素で無機質なもの。正に、どろどろ劇に対置する装置と言えばいいですね。衣装は、19世紀の富裕なブルジョアってところでしょうか。動きに、何か特異なものがあるわけではありません。歌手陣の水準がまとまっており、高いものですから、装置といい調和をきたす進行。無機質な装置が、見事に生きています。敢えて、狂乱の場の手前で切り、楽しみを残してあります。優れものの主役歌手陣は、次のようなラインナップです。(ルチア)ジェシカ・プラット、(エンリーコ)マルコ・チャリア、(エドガルド)ステファノ・セッコ、(ライモンド)カルロ・チグニ。


2020年 8月 31日(月)午前 8時 5分

 昨日は、大津で、市民向け公開講座を聴く日。びわ湖ホールの前にある「コラボしが21」であった滋賀県立近代美術館主催の「滋賀近美よもやま講座8月号」に行ってまいりました。昨年度は、2回寄せていただいた講座でしたが、今年は、コロナのために、昨日が初めてとなりました。昨日は、「ミュージアムって何だろう? ~ICOM博物館定義から考える現在と未来〜」という演題で、同美術館学芸員の古沢ゆりあさんのお話を聴くことができました。お話は、ミュージアムの定義について。お話は、どこをターゲットにされるのかなと、黄紺自身、把握できてなかったのですが、昨年、京都で開かれたICOM(国際博物館会議)での、規約改訂論議のお話。正に、国際機関による根本的定義議論の解説に終始しました。このミュージアムの定義に、SDGsが色濃く反映された改訂案が出されたもので、大きな議論となり、本来なら、最終日に投票が行われる予定だったのが、時間延長をしても、投票にすらならず、その後、今年に入り、関係委員会の委員や同会議の会長まで辞任に至っているそうです。改訂案文を見せられ、SDGs絡みでの文だと判ったとき、あっさりと納得できるものだと思い、そこから、SDGsの精神が、案文に、どのように反映されてるかのお話に入られると、退屈になったのか居眠り。外の暑さ、内部の涼しさで、どうしても、内部ではいい気持ちになるため、ちょっとした緩みが、居眠りを誘ってしまいます。お話の冒頭で、アンケートを取られました。「ミュージアムってどんなところか」「ミュージアムはどんなところになっていくだろうか」、ミュージアムの現在と未来についての問いかけだったのですが、ICOMの論議とは、およそ異なった意見に終始。特に、2つ目の問いかけに対する答の方とのずれがあったようですね。そんなで、ちょっと外した感の残る講座。でも、世間では、こないなことが進行中なんだということを知れたのは、自分的には嬉しいことは嬉しいことだったのですが、だからと言って、あまり知的刺激を受けた感はありませんでした。ここにも出てきたか、SDGsってことだったからでしょうね。帰りは、1週間前の大津からの帰り同様、自宅の最寄駅より1つ手前の駅で降りて、ウォーキング&買い物。午前中も、時間が取れず、ちょっとした買い物に出かけただけだったもので、貴重なウォーキングの時間に当てました。自宅に着いたのは、いつもの夕方のウォーキング終了時間に似たもの、少し早めくらいでした。
 ところで、ようやく、新しいベッドを慣れてきています。睡眠時には、空調を送風状態の弱にすると、大丈夫そうです。しかも、上半身だけ、ふとんを被っておくのが、いいみたい。そして、夜中3時以降に、目が覚めると、空調を切り、窓を開けると、外気がいい具合になっています。でも、ベッドが暑く感じられたら、身体とベッドの接触面積を減らせばいいことを思い付き、横向きになり休むことです。これだと、背中から腰一面に感じる暑さを回避できています。おかげで、この2日間、睡眠時間を確保できていますが、まだ、慣れてないためか、2階の和室が恋しくなります。これからも、雨が降ったりして、気温の上昇が抑えられた日なんかは、2階で寝ることにしましょう。


2020年 8月 30日(日)午前 8時 51分

 昨日は、京都でコンサートに行く日。高校時代の友人が、所用があり行けないということで、チケットをいただきました。京都コンサートホールであった「京都市交響楽団 第648回定期演奏会」でした。ご多聞に漏れず、舞台上の密を避けるということで、曲目を変更しての実施。当初は、「バラの騎士」組曲が出る予定だったため、行く予定にしていたのですが、変更。でも、指揮者が阪哲朗ということで、迷いながらチケットを買ってなかったところへ、友人から連絡をもらい、とってもラッキー。その変更後のプログラムは、次のようなものでした。「ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲”四季”全曲」「レスピーギ:組曲”鳥”」。ソロ・ヴァイオリンは、新たに特別客演コンサートマスターに就任した石田泰尚という布陣でした。いただいたチケットには、コロナ対策の注意書きが入ってました。目を引いたのが、入場時間と退場順が指定されていたこと。入場時間は、15分幅の指定だったので、これはミスるとややこしいと、お出かけ時間を計算して予定が立てていたのですが、あっさりと単純ミス。よくある失敗、でも、あってはならない失敗。家から駅までの時間を入れないで、スケジュールを作ってました。でも、余裕を、2段階で見ていたため、入場時間の15分枠に入ることができました。この入場時間の指定で、一番懸念していたのは、入口付近で、自分の入場時間待ちの人が溢れ、結果的に密が生ずるのではと想像していたのですが、京響ファンは賢いですね、そないなうつけた人は、ごく僅か。皆さん、会場入りへの時間を、うまく計算しておられました。先日のびわ湖の公演では休憩が入ったため、その時間、ロビーで、マスクを外し、大きな声で喋る和服の一団を見かけましたが、この公演では休憩なし。となると、トイレが不安。ましてや汗だくでの会場入りですから、到着後、かなり水を飲み、会場内は空調が効いているということで、その不安がありました。でも、先日来、熱中症気味のことが起こっているため、水分補給は欠かせないということで、腹を決めました。トイレを我慢できなくなれば、抜け出すと。でも、それも杞憂に終わり、コンサートが始まると、すっかりトイレのことなどは忘れてしまってました。「四季」は、阪さん、オケの皆さんと一緒に登場し、ハープシコード席へ。そのお席、ほぼ客席に向いている。オケへは背中を向け、ソロ・ヴァイオリンとコンタクトを取りやすくしてあるという、ちょっと珍しい趣向。ですから、演奏のきっかけは、石田さんが出しているかと思うと、ハープシコードの途切れたところでは、阪さんが出すという変則的なものでした。「四季」全曲を、生で聴いたことって、初めてかもしれません。こうした機会がないと、プログラムに「四季」が出てると、行かないですからね。ところが、この「四季」が、なかなか気に入ってしまいました。最近の鋭角的な音を掴むようなスタイルでないのに、まずそそられてしまいました。まるで、アンティークなセピア色の古い写真に映った風景を眺めているような時間になりました。「春」なんて、霞がかかっていて、ゆっくりと霞が薄れていく、そういった長閑さを味あわせてもらったってところでした。もう一つのレスピーギは知らない曲。だいたいレスピーギは聴かない、ヴァイオリン・ソナタ以外は。標題から予想されたように、幾度か、鳥のさえずりを思わせる箇所があり、おもしろいものを聴かせていただけました。これはこれで、楽しい時間だったのですが、2曲ともに、オケの編成の小さいもの。室内オケの公演のようで、さすがに、それが気になると、寂しさが込み上げてきます。京響は、席数を減らしたのを、公演回数を増やすことで対応しています。京響は、京都市立なので、会場も京都市のものなので、そういった対処法を採ることができています。それに反し、公立でないオケは大変です。この先、どうなるのでしょうか。帰りは、いつものように、三条駅まで、ウォーキングがてら歩いての移動。午前中のウォーキングは、そのため、若干控えめにしておいたのですが、トータルでは、久しぶりに2万歩に迫るものとなりました。午後の時間を、コンサートで使ったため、オペラ配信はお休み。新しい配信は選んであるのですが、今日も、午後からはお出かけを入れていますから、その新しい配信に接するのは、週明けになりそうです。


2020年 8月 29日(土)午前 8時 16分

 昨日は、雨が降ったこともあり、気温の上昇は、若干おさまったということで、この2日間、睡眠に苦労したこともあり、慣れないベッドを捨てて、元の2階の和室でお休み。この2日同様、眠いから寝ようとしているのに、寝つきが悪いということで、新しい生活を引きずりはしたものの、あとが違った。夜中に、1回、トイレで目が覚めた以外は、熟睡。3日ぶりに、健やかな睡眠がとれ、自分的には大満足。最初、横になったとき、背中と腰の感触が嬉しかったな。やはり、原因はこれでしょうか。これから、しばらく併用してみることにします。最終的には、ベッドに慣れないとダメですからね。でないと、やがて出るであろう腰の痛みのときには、2階は無理ですからね。
 そんなで、昨日は、久しぶりに、雨に気づかう一日。昼前のウォーキングは、まだ雨が降ってるなか、スタート。雨脚が、わりかし強かったこともあり、屋根付き公園を含むコースに。その屋根付き公園で読書をしている間に、うまい具合に雨は止み、後半は傘は手持ちでのもの。夕方のウォーキングは、雨雲レーダーで確認すると、途中、雨に遭うかもしれないけど、雨量は多くなさそうなので、大胆に傘なしでスタート。ところが、週に1回ほどのペースで活用する公園で休憩後、再スタートというタイミングで、少し雨が降ってきた。雨雲レーダーを信頼して、コース変更せず歩くと、いつの間にか、雨は止んでいました。雨宿りができる場所を想定しながら歩くことは歩いていましたが、結局は杞憂に終わりました。こうした平凡な一日が大好きになってきています。
 オペラ配信は、たっぷりめに観ることができ、「妖精の女王」完走しました。この作品、オペラというイメージとは、少し異なる作品だと、結論づけられることを知りました。音楽劇といった方が、より内容に相応しいのじゃないかな。芝居に音楽が添えられているからです。おなじみの「真夏の夜の夢」の登場人物は、全て役者さんで、もちろん歌いません。台詞劇、音楽が入り、それに合わせての動きだけですから、役者さんです。歌唱は、芝居を進行させる人たちではなく、ギリシアの神々たちが担うというもの。このプロダクションでは、タイミング良く、バレエも取り入れていました。また、元の鞘に戻った2組の結婚とオベロンの誕生を祝う最後のパートが長く、このオペラの最後の1時間余りは、そのシーンです。もちろん、職人たちの芝居も含んでです。ですから、パックの悪戯から起こるドタバタは、それまでに済んでいますから、この最後のパートが、やたら長く感じてしまいました。昼間と寝る前の2回に分けて観たのですが、昼間の方は、空調が気持ち良く、居眠りをしながらというもの、これは相変わらずでしたが、バロック・オペラの響きは、天国気分になってしまうものですから、仕方ないですね。なお、このプロダクション、ウィリアム・クリステイ指揮啓蒙主義時代管弦楽団がオケピットに入るという贅沢なものでした。


2020年 8月 28日(金)午前 9時 36分

 家にやって来た新しいベッドのおかげで、黄紺の日常が、小さく変調です。一昨日の夜は、ベッドの上が暑くて困り、睡眠不足気味、しかも、いつもより、そのあおりを受けて、1~2時間遅く、起床。そこで、昨夜は、空調を送風状態にして横になると、確かに、前の夜のような暑さは回避、これで寝られるかと思うと、寝つけない、寝ても、すぐに目が覚める。そのまま、ゴロゴロしていると、気のせいか、やたらと体がむず痒い、まるで、ベッドに敷いた敷布に反応して、アレルギー反応を起こしているみたい、空調からの風が体に当たり、心地は良いのだげれど、なんか体を冷やしているみたいで、やたらトイレが近い、いや近いというか、再三目が覚めるものだから、目が覚めるたびに、何かトイレに行っておかなくては、次寝られないのではと感じさせる程度で、トイレが気になる。かなり、自分の思いなしのところが大きいのだけど、そんなで、なかなか寝つけない、すぐに目が覚めるの繰り返し。夜中の3時半頃に、「昨日は、ここから寝れた」と思い、空調を止め、窓を開けると、雨が降ったせいか、涼しい風が入ってきたので、これが最善と思ったのでしたが、相変わらず熟睡していない、けど、何となく眠ってたみたい、でも、目が覚める、トイレも気になるで、気がつくと、午前8時を過ぎていました。ちょっとは寝ていた感は、その時刻で判りはしたが、しっかりと睡眠をとれた感はゼロという状態です。最近、こうしたことがなかったのに、完全に、以前の状態に戻ってしまいました。ベッドが来ることで、そうなってしまったので、昨夜くらいの涼しさなら、端から2階の和室で寝た方が賢いかなと思い始めているところです。
 で、昨日は、当初は、歴彩館での講演を聴きに行くという予定を入れていたのですが、取り止め。週末には、2日、お出かけするのは間違いないので、普通の日にしたくなり、取り止めました。これは、最近の傾向ですね。行かない替わりに、ゆったりと、ウォーキングついでに読書をする、オペラ配信を観る、そちらの時間を、たっぷり確保し、トルコのコロナ情報を、ゆっくりと押さえる、これがいいのです。
 そうそう、トルコ・サッカー界について考えることを、今日はメモっておきます。25日の夜、チャンピオンズ・リーグの予備戦で、ベシクタシュが、あっさりと敗退しました。今年は、コロナのため、一発勝負です。PAOK相手だったのですが、予想された敗退でした。試合後、セルゲン・ヤルチュン監督は、「補強を急ぐべきだった」と言ったそうですが、敗因の分析は当たっていると思うと同時に、「そないなこと、前もって判ってるはず」「こないなメンバーで、チャンピオンズ・リーグの試合に、よく行ったな」と突っ込まざるをえませんでした。今、トルコのサッカー、どんどんとヨーロッパ・レベルから離されて行っていると看ています。お金がないのです。ましてや、コロナで、余計にお金がない。いい選手を取れない。完全移籍では無理なので、短期のレンタルをする。新しいシーズンのメンバーが固まるのは、移籍市場が閉まるぎりぎり。手持ちのいい選手が、高値で売れそうなら(買い手はアラブ諸国)、ぎりぎりでも売らざるをえない。そんなだから、セルゲン・ヤルチュン監督の言葉が出るのは必然で、ヨーロッパで勝てない。補強の様子を見ていると、その辺は、既に視野になく、同じような経済状態のクラブが集まるトルコ・リーグで勝てれば、格好がつくという補強ばかりですね。フェネルの補強なんて、爺さんばかり。とにかく、この1年しか考えてない。トラブゾンから獲ったホセ・ソーサとフィリップ・ノヴァクって、今、35歳だよ。バシャックシェヒルが優勝できたのは、そうした爺さんがいるけど、そうじゃない、旬のぴかびかの選手もいる、これなんだよね。エディン・ヴィスチャ、イルファンジャン、マフムト、この3人がいるだけで、煌めきが違います。でも、このバシャックシェヒルでも、やはり爺さん抱えてる、この分、ヨーロッパで戦うこと、厳しいですね。来年からは、トルコのクラブは、チャンピオンズ・リーグに、ダイレクトに参戦できなくなります。今年のバシャックシェヒルが、しばらくの見納めってところです。シェノル・ギュネシュが監督をしていたときの強かったベシクタシュ以後、急激に進む、トルコ・サッカーの現況です。
 オペラ配信は、珍しいパーセルの「妖精の女王」(ジョナサン・ケント演出)、グラインドボーンのプロダクションです。初めて観るオペラです。出ないというほどまでは、レアではないですが、黄紺は初めて観るオペラです。ギリシア劇のように、コロスが使われています。台詞が、やたら多いというのが、大きな特徴です。お話は、「真夏の夜の夢」ですから、まあ、判るかな、あぶないかなといったところです。グラインドボーンの配信は、短期間なもののうえ、このオペラ、長いということで、気合いを入れて観始めたら、またしても、いい気分で居眠り。逆戻りすると、ぶち切れるかもしれないので、先を急ぎ、時間に余裕があれば、再度、観ることにしましょう。


2020年 8月 27日(木)午前 9時 14分

 昨日は、待望のベッドが来た日。前日に、ショートメールで、配送時間は「12:00~14:00」と知らされていたため、昼前のウォーキングを、休憩なしでのものに切り替え、自宅で待機。すると、昼ご飯を食べ終わる前に、フライング気味に、業者から電話が入った。「住所通りに来ているのですが見当たりません」、目印となる建物を言うと、「その前にいます」と言う。慌てて外に出ようとすると、家の前に、黄紺が気づかない内に、大きなトラックが停まっていました。家の前から電話をされていたよう。表札の文字が薄くなっているので、気づかなかったようでした。「15分くらいで終わります」と言いながら。セッティングに10分もかからなかったのじゃないかな。助手さんは、どこの国の方かは判らなかったのですが、外国の方でした。想像していたよりは、僅かに小ぶりで、部屋の隅に、おかげできっちりと収まりました。ベッドが入ったため、コードの関係で、今まで使っていた机を90度回転させて、部屋のレイアウトは完成し、一連の部屋の改造事業が、ここで完成したことになりました。いろいろと動いてくれた息子に、完成なった部屋を写真に撮り、報告。これで、ラハトな夜を過ごせると思いました。ところが、実際はそうではなかった。既に用意をしてあったマット類、敷布類をセッティングして寝ると、前夜まで安らかだったはずの、但し、堅い板の間だったため、背中と腰が痛かったけれど、涼しいという意味では安らかだったのに、暑いのです。暑さは、ここまでの暑さとは変わらないはずなのに、暑い。暑くて、目が覚めました。空調をかけると、今度は寒い。何でだろうと思い、はっと気づいたので、前日までのように、板の間に直に寝てみて確かめ、自分の考えたことを確かめてみると、大当たりでした。板の間に直に触れると冷たい、この冷たさが、背中と腰は痛いけど、暑さを和らげてくれていたのでした。しばらく、板の間で寝ていたほど、暑かった。どうしましょう。課題ができてしまいました。
 このベッド関係以外は、いつもの一日。夕方のウォーキングは、直前に雨がぱらついたので、念のために、屋根付き公園が入るコースに変更、傘も持ち出かけたのですが、結局、ウォーキング途中には、雨は降りませんでした。雨雲レーダーで見ると、どうやら、近くを、雨雲はかすめて行ったようで、ぱらつき程度で済んだようでした。
 オペラ配信は、「トリスタンとイゾルデ」を最後まで、かなり居眠りをしながらの完走です。3幕は、3面がコンクリート壁って感じで、奥の壁には、丸い照明器具を、大きな鋲を打ち込んだように、幾つも設えられていました。トリスタンは、顔面に、金箔のようなものを、ケロイド状に貼り付け、傷を表していましたが、装置といい、2幕までと同様、古典的な前衛芸術といった感じがして、最後までなじめないままだったので、今度は、リピートするのは止めておきます。プロダクションの意図が、黄紺には見えてこなかったためです。読み替え演出、抽象的な装置、現代思想を投射したらしき演出などで、よくあると言えば、それまでなんですが、実際に当たってしまうと、ちょっと腹が立つ。自分が理解できないだけなのかもしれないのに、腹が立ちます。ま、我が儘と言えば、我が儘な話です。


2020年 8月 26日(水)午前 8時 45分

 昨日は、お出かけなしの日。週末から月曜日にと、お出かけが続いたので、今や、お出かけなしとなると、ほっこりしてしまいます。ちょっと出かけると、たちまち、一日がせわしなく動くようで、お出かけの楽しみと、このせわしなさが、表裏の関係になってしまってるのです。お出かけなしの日の、ルーティンをこなすだけで、時間がいっぱいいっぱいという感じがあるのだからでしょうね。昼前のウォーキングで、某高架下の公園で、休憩に入り、スマホを取り出すと、珍しくショートメールが入っていた。中身は、今日、待望のベッドが届く時間を知らせるもの。注文してから、4週間ほど経つのじゃないかな、ようやくやって来ます。そこで、ここまでの寝方最後の日となることで、端から板の間で寝ようかと思ったのですが、2階の暑い部屋で寝るのも最後かと思い、最初は2階で、夜中に目が覚めた時点で、板の間に移ることにして、両方の最後の夜を過ごすことに、そして、狙い通りになり、ちょっとした感慨にふける朝になっています。
 今、上方落語界では、米朝事務所主催の「米朝まつり」、繁昌亭の「米朝ウィーク」と、桂米朝没後5年祭が行われています。神道の家の出だった米朝なものですから、その習慣に則った催しです。もちろん、大阪での話ですから、黄紺は行くつもりはないのですが、噺家さんのツイッターなどで、その様子を知ろうとはしています。そういった中で、行けない、行かないことで、一番残念に思っているのが、米朝直系で、普段、大阪界隈に居住してない噺家さん、事実上、噺家活動から引いてしまっている噺家さんも、この機に高座に上がっているのを観れないことです。具体的に言うと、米蔵と米裕のお二人です。お二人とも、繁昌亭の方に出るのですが、米裕の方は、番組の中に、端から「坊主漫談」と書かれていたので、落語はしないんだなと判っていました。実際、黄紺も、「坊主漫談」として、繁昌亭の高座に上がったのを観たことがありますから、その様子は判っています。そのお喋りぶりで、「坊主はもったいないで」と思わせられたものです。黄紺は、米裕が、噺家として、将来を嘱望されていた時期、仕事が忙しかったかして、落語を聴いてない時期なもので、リアルタイムで、米裕の、そういった時期を知らないもので、「坊主漫談」を聴いて思っていました。一方の米蔵も山梨に行ってしまう以前の記憶がないのです。ざこば(当時朝丸)、朝太郎、歌之助(当時扇朝)、小米(当時すずめ)、米太郎、、、この辺りの直系の噺家さん、全部、若い頃、まだ前名だった頃、聴いた記憶が残っています。扇朝時代の先代歌之助や早世した米太郎を聴いているというのは、かなり自慢なのですが、だから、聴いているはずなのに、米蔵だけ、記憶に残っていないのです。米団治が、そのツイッターで、米蔵の来阪の姿を載せてくれています。御年80になっているそうで、とっても元気な様子。繁昌亭のツイッターだかに、米蔵は「看板のピン」を口演したとか。その情報だけで満足しておきましょう。「米朝まつり」の方は、米朝事務所主催ですから、事務所所属の一門の噺家さんだけ登場されます。繁昌亭の方は米朝事務所に入ってない、朝太郎、勢朝、吉坊、雀太らに触れることができ、直系がトリをとるということで、勢朝は、トリで、例の「歌合戦」を出したようです。その替わり、上方落語協会に入ってない噺家さん、南光・南天師弟や紅雀らを観ることができないものですから、結局、両方を押さえなきゃならないのかと思うと、雀々と文我は、両方とも入ってないことに気がつきました。なかなか、複雑です。
 通常の日に戻ったということで、オペラ配信を観るのも、再開。モネ劇場の「トリスタンとイゾルデ」、結局、頭から観ることにしました。装置は、古典的な前衛芸術のようです。1幕は、切れ切れになった帆が垂れ下がってるようなもの。布かと思っていたら、中から光りました。果たして布だったのか、布に見せかけた照明だったのか、あからさまに前衛芸術っぽい。2幕の装置も、テイストは同じ。舞台真ん中に、木を盛り込んだような大きなオブジェ。これも内から光りました。それだけではなく、木のオブジェ同様の格好をした人たちが、作りものに紛れていて、それが木の部分と見えていたようで、それを蠢かせるなんて、ますます前衛芸術っぽい。そないな舞台です。イゾルデ(アン・ペテルセン)とブランゲーネ(ノラ・グビッシュ)がいい感じです。イゾルデは、低音が、ちょっと寂しいのがマイナス点だけど、中高音の強さが光ります。トリスタン(ブライアン・レギスター)は動けない、年齢が嵩み過ぎですから、ちょっとなじめないでいます。モネ劇場と言えば、指揮はアライン・アルトゥノウル(名前からしてトルコ系ですね!)ですが、何度も聴いた彼の指揮では、一番いいかな。主人公二人の心の闇をえぐるものがありますね。ワーグナー聴いている感が半端じゃないものを出しています。


2020年 8月 25日(火)午前 8時 39分

 昨日も、お出かけ。昨日は、息子からの頼まれ事があり、それをするために、京都市内中心部へ。その場所が、謀ったように、京都シネマのごく近くなものだったので、今週のどこかで観る予定にしていた映画を、ついでに観ることにしました。午前中にウォーキングをしていると、息子から電話。「もう行った?」と言うからには、かなり気になっている様子。段取りを説明すると納得。より納得するのに良かろうと、黄紺が、調べものをして判断するのではなく、そないに気になるのなら、自分の目で確かめたら良かろうと、調べものを画像にして送ることを約束しました。こうしたときの、記録としての画像って、スマホだからできることで、便利な話です。京都シネマでの映画は、インド映画「きっと、またあえる」でした。エンタメ系インド映画は、内容を選ばず、入れ食いするのが黄紺のボリシー。今一本、インド映画が、現在上映中なので、近日中に行くつもりというインド映画好きです。「きっと、またあえる」の筋立ては、いたって簡単。大学入試に失敗した息子が、絶望のあまり、死のうとして、大ケガをしてしまい、集中治療室に担ぎ込まれたところ、両親の昔の学生時代の仲間が集まり、励ましのために、病床の傍らで、昔話を語ってきかせるとというもの。久しぶりに観た青春グラフィティものです。学生寮でのバカ騒ぎ、寮対抗のスポーツ大会、月並みですが、いいですね。息子が病院に担ぎ込まれた両親は、寮生活をしていた仲間同士、ただ、その後の結婚生活での価値観の違いから、今は別居生活。その夫婦の行方も絡み、青春時代の思い出の物語は、寮対抗戦の結末へと向かっていきます。その対抗戦で使う姑息な手が、ちょっとくだらなさ過ぎるのはご愛嬌として、まことにもって解りやすい、単純な展開だけど、インド映画の枠に入っちゃうと、これが楽しいんだなぁ。歌は挿入されても、ダンスは、ラストまでお預けというのは珍しいけれど、だからと言って、不満なわけでなしというところでした。2時間半、たっぷりと、浸らしていただきました。やっぱ、インド映画は楽しいね。
 家に帰ると、いつもの夕方のウォーキングが終わる時間と、似たような時間だったけど、少し早め。おかげで、夕食後に、オペラ配信を観ることができました。新たな配信は、モネ劇場の「トリスタンとイゾルデ」(ラルフ・プレガー演出)。久しぶりのワーグナーものでしたが、晩酌をしたあとのオペラは、まずいです。ほとんど居眠りしていたので、今日、もう一度、最初からかな?


2020年 8月 24日(月)午前 8時 39分

 昨日は、コロナ騒動後、初めてコンサートに行く日。チケットを持っていながら行かなかった大フィルのコンサートはありましたが、あれは、そもそもコロナ前に買ったチケット。昨日のコンサートは、コロナ以後、コンサートなどが再開となって以後、手に入れたチケットでもあります。もちろん、大阪へは行きませんから、これは大津でのコンサート。びわ湖ホールであった京都市交響楽団のコンサートです。但し、これも、コロナ以後に、曲目変更を実施してから、発売されたものでありました。当初は、マーラーの1番と10番のシンフォニーが演奏されることになっていたのですが、それでは、舞台上のソーシャルディスタンスを保てないということで、マーラー特集ということは崩さずに曲目変更を行い、コンサートは開かれました。そのプログラムと出演者は、次のようなものとなりました。「ベートーヴェン/マーラー編:弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調”セリオーソ”(弦楽合奏版)」「マーラー:交響曲 第4番 ト長調 ”大いなる喜びへの讃歌”」。指揮:沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)、メゾソプラノ:福原寿美枝、管弦楽:京都市交響楽団。「セリオーソ」の弦楽合奏版は、多分、生でなくても、初めての遭遇と思います。1楽章のような、激しい音の刻みは、4人での方が、音が研ぎ澄まされますから、明らかに原曲に軍配かと思うのですが、緩叙楽章になると、音の厚みというよりか、音のざわつき感と言えばいいかな、えらく趣が変わります。それを聴くと、これもありだな感が出てきて、貴重なものを聴かせてもらった感もあり、このチョイスは成功だと思いました。生で長い間聴いてない10番は聴いてみたかったことはそうなんですが、時節柄、受け入れざるをえません。4番のシンフォニー、関西では、なぜか出ないんだなぁ、なかなか。先年、どこかのオケが出したと思ったら、何かわけがあったのか、逃してしまってます。そういった縁の薄い曲なものですから、この曲目変更は、黄紺的には、わりかし嬉しかったもの、、、なのに、1楽章と2楽章で、居眠り。ほとんど、眠気を我慢した記憶がないということは、急激に、体が求めたんでしょうね。「セリオーソ」が終わり、休憩まで入っているから、熱中症気味にぐったりしたのではないと思うので、単に眠たかっただけ? ショックだったわぁ。3楽章で覚醒したとき、居眠りに気づき愕然としてしまいました。4楽章のソロは、ソーシャルディスタンスをとるということからでしょうか、2階の左サイド席の端に立ち歌われました。そのため、その界隈の座席は空席に。贅沢な話です。黄紺は、4階席だったので、館内の様子が見渡せる位置でしたが、入りは良かったんじゃないかなぁ。皆さん、待ってたってことですね。舞台上では、握手をしてしまったときもありましたが、沼尻さん、自ら肘タッチのお手本を示して、相変わらず、お茶目です。
 会場では、久しぶりに、昔の同僚と再会。コロナ騒動になる前、コンサートに行くと、よくお会いしていたのですが、巡り合わせが悪かったのか、会ってなかったので心配していたのですが、元気そのものの様子を見て、一安心。息子さんが、プロの歌手で、現在、ドイツに留学中なので、その消息を聞くのも、会ったときの楽しみ。今はベルリンとハンブルクの間にある、黄紺の知らない町に滞在して、研鑽を積まれているというお話が伺えました。先日、4時間ものオンライン飲み会をした元同僚といた職場での同僚でしたので、新たなオンライン飲み会の日取りも決まっていますので、そこで、昨日会ったことを話題にすることにしましょう。
 帰りは、自宅の最寄り駅の1つ手前の駅で降りて、昨日も、ウォーキングに。午前中は、家の用事がありウォーキングができなかったため、敢えて、そないなことをして、ウォーキングをするという手を使いました。ただ、びわ湖ホールへ行く途中から、履き慣れた靴なのに、指が痛み出し困っています。こないなことってあるのですね。我慢しながら、ウォーキングするって、なんか変ですが、ウォーキングを優先させちゃいました。帰宅すると、いつもの夕方のウォーキング終わりと似た時間。オペラ配信の楽しみは、そのため、2日間、お預けになってしまいました。


2020年 8月 23日(日)午前 8時 22分

 昨日は、午前中、所要があり、息子宅へ。これが、今、唯一、大阪府に入るとき。ホントは、入りたくないけど、致し方ありません。DとSに再会。Dは、先日会ったときと変化はなかったのですが、Sの変化の大きさに、びっくり。ほんの僅かの間に、顔下半分が別人に。それだけ、お兄ちゃんになり、精悍な顔つきになっていました。子どもって、ツボにはまると、こないなことが起こるのは知りながらも、その変化の大きさに、驚かざるをえませんでした。Dは、持って行った「お絵描きタブレット」が気に入ったようで、好き勝手に使っていました。ただ、使い方が粗っぽいものですから、タブレットの寿命が、早くも気になってしまいました。数を覚えたようで、手を使っての表現に驚かされてしまいました。相変わらずの新幹線好きは続いているようで、テーブルの上には、新幹線の連結車両、着ているTシャツは、マニアックな古い新幹線をデザインをしたもの。「連結」なんて言葉を使われると、それだけで、びっくりです。Sは、黄紺の持って行ったカバンが気になるようで、気がつくと、カード入れが出ていたので、大慌て、油断も隙もありません。ただ、昨日も、軽い熱中症らしき症状が出てしまい、DやSの相手に、なかなかなれなかったなぁ。家から駅まで5分弱、息子の家まで、最寄り駅から15分、それだけ歩いただけで、異様な汗、やたら渇く喉、やがて、頭がボーっとし出してしまいました。先日の歴彩館で起こったのと、全く同じでした。水分補給をして、少しの間、ぐったりとしていると治まりはしたのですが、同じようなことが続くと、嫌なものです。息子に、先日のことも含めて、目の前で起こったことを言うと、熱中症についての講釈をしてくれました。いつの間にか教えられることの方が勝るようになってしまってます。帰りには、症状が出たとき用のゼリー状ドリンを持たされ、車で駅まで送ってくれました。
 黄紺は、その足で、京阪三条駅経由で、京都学・歴彩館に移動。昨日も、こちらでの講演会に行ってまいりました。「京都府ミュージアムフォーラム 京都まるごとヒストリー ~丹後から山城まで博物館大集合!~」開催記念の講演会がありました。講演の演題&講師は、次のようなものでした。①「中世京都と戦乱・一揆」(国際日本文化研究センター助教呉座勇一)②「令和の大嘗祭:主基地方風俗歌・屏風歌と京都への思い」(JT生命誌研究館館長・京都大学名誉教授・京都産業大学名誉教授永田和宏)。①の講師、呉座さんは、自分的には、日文研の講演会で、毎回、司会を務められていることで、おなじみの方。弟から聞いた話によると、「応仁の乱」の研究で名を馳せ、テレビでも、よく見かけるお顔だそうです。ソーシャルディスタンスを取りながらも、会場に詰めかけた人の多さも、それだけ売れた顔ということが、大きな原因だということでしょう。主催者によると、展示に、中世が少なかったので、呉座さんをお呼びしたそうです。お話は、中世京都。冒頭に、いい押さえがありました。中世京都は「攻めやすく守りにくい」。物質の補給ルートが2箇所あり、即ち、若狭から琵琶湖の水運を使ったルートと大坂からのルート。但し、これらのルートを遮られてしまうと、京都は兵糧攻めになってしまうということを指しての言葉でした。このポイントが、各所で効いてきます。まず、中世京都の荒廃を知ることとなる一揆のお話、飢饉が続き、徳政を求める一揆が起こるが、その実態は、略奪行為の横行、そのため、治安の低下からがら空き状態になると、更に、略奪が進むという凄まじい状況、そういった時期に応仁の乱が起こる。山名&細川の両軍は、市中で、東西に陣をはり、強固な守りを敷いたため、長期戦化した応仁の乱、必然的に、自軍の補給路確保&敵陣の補給路の遮断を狙うため、戦いは郊外でのものに。そのため、郊外の武士たちが、応仁の乱に引きずり込まれて行ったということで、洛西地域の西岡衆が取り上げられました。ここで居眠り、完全にスルーです。レジュメを見ると、そういった過程で、西岡衆内部の団結が強まり、自治組織「惣国」が生まれて行くという、お話の流れだったようです。次いで、西陣と東陣という、応仁の乱で対立した両軍の本陣の姿へ。その地域、その強固ぶりのお話になりました。その強固ぶりに、難を逃れた、朝廷に仕えていた機織業者の陣内への移住が、伝統的な西陣織に繋がるというトピックも入れていただけました。東陣は、終始、琵琶湖ルートを掌握していたのに対し、西陣は、尼崎&大坂の掌握を続けられなかったため、衰えて行ったそうです。応仁の乱による、更なる荒廃、一方で強固な東西の陣内ということで、京都に住む公家や庶民の避難が始まって行きます。避難場所は、戦乱を避け、戦いのない郊外か、強固な守りの陣内へとなり、京都の荒廃が一層進み、結果として、京都が、上京と下京に分かれてしまうとなるわけです。両者を繋いでいたのは、室町小路だけだったようです。これを頭に入れて、狂言「月見座頭」を観ると、この狂言で描かれる風流に、たまらない魅力を感じてしまいます。最後に、興味ある点に触れられました。荒廃が進み、権力の存在が消えてしまうと、庶民は、自分たちで自分たちの身を守らねばならない。そこで生まれてくる「都市住民の地縁的共同体」が「町」で、「町衆」が、自治と自衛を始めていった、それが、後世の京都の文化の担い手になっていくというわけです。「町」は、こうした悲惨な状況が生み出したものだということを知っておいていただきたいというのが、まとめの言葉だったかと思います。祇園祭しかり、番組小学校しかり、この「町衆」の力は、京都の文化では強く語られるわけですから、素敵なまとめだったかなと思えました。
 ②は、令和の大嘗祭に設えられた屏風に、四季の歌を、万葉仮名で添えられた永田和宏さんから、その歌はばかりか、大嘗祭用に提出された風俗歌と風俗舞歌の披露と、その様式、そして、心のお話が前半。永田さんは、奥さんの河野裕子さんともども、長年、歌会始の選者を務められていたこともあり、現上皇夫妻との交流もあることから、お二人の歌の紹介、それらの歌に込められている、お二人の被災地への思い、戦争への思いをお話いただけました。印象に残る言葉があります。現上皇は、象徴として、初めて天皇に即位された方、これを、生涯をかけて追求された方というお話です。その点が、確かに強く反映されているということが、紹介していただいた歌で判りました。
 歴彩館からの帰りは、昨日も、ウォーキング替わりに、歩いて三条駅へ。この間、このルートを歩いたなかでは、体が一番軽いものがありました。ということは、大丈夫だと思っていても、やはり暑いなか歩くリスクというものを、体が表していたということですね。真夏日の午後、汗だくになりながら歩くと、体が動いているのを実感できて爽快だと言っていた数年前からすると、目を覆うべくもない低汰落かと思いますが、それだけ、加齢が進んだということなんでしょう。歩き始めてすぐの異様な発汗、クーラーの効いたところに入っても、なかなか体が冷えない感覚、異様な喉の渇き、いずれもヤバい兆しです。昨日は、結局、朝の9時半に出かけ、帰宅は午後6時半になっていました。最近にない、長いお出かけ。オペラ配信は、すっかりお預けとなりました。夕方に、雷雨があり、黄紺は、幸いなことに、ちょっとした事故で、電車が止まっていてくれたので、ほぼ雨には遇わなかったのですが、おかげで、久しぶりに涼しげな夜を過ごせました。毎日、こないな夜ばかりだといいのですがね。


2020年 8月 22日(土)午前 7時 58分

 昨晩、PCに向かっていたら、あまりにも眠たかったのでしょう、作業途中で、無理矢理、PCを閉じ、板の間に、セーター1枚だけを敷き、横になったのは覚えているのですが、背中やいろんなところが痛いので、何度も目が覚めながら、朝まで、7時間以上、寝てしまいました。晩酌で、久しぶりに日本酒を飲んだせいでしょうか、最近、ルーティンの2回のウォーキングに、やたら疲れを感じるからでしょうか、最悪環境でも、そないな時間の睡眠がとれている。以前には、なかったことです。変わったことって、これくらいかな、この24時間で。あと敢えて書くなら、2つあります、小さなことが。夕方のウォーキングに出かけようとしたら、息子から用事を頼まれ、そのため、急遽、今日、息子の家へ行かねばならなくなったことが1つ目。タイミングよく、D用におもちゃの用意があったので、それを渡せると思ったら、Sには、何も用意してなかったので、それは可哀想と思い、夕方のウォーキングのコースを変更して、いいものを、Sに買ったけど、結局は、Dの遊び道具になってしまうかもしれません。もう1つは、その夕方のウォーキング途中、公園で休憩中、スマホいじりをしていると、先日、オンライン飲み会で、4時間、喋り倒した元同僚からメールが入っており、「ハチドリ」を観たということでしたので、またまた、近々、オンライン飲み会をすることになりました。恐らく、再来週にすることになるでしょう。そないなところかな。
 オペラ配信の方は、「ヴェニスに死す」をラストまで。居眠りをしながらだったのですが、振り返って観直そうの気が起こらず、とにかくラストまで行ったぞというところ。ただ、このプロダクションのヴィジュアルが素晴らしく、まるで映像か、ペープサットを観ている雰囲気、これが一貫してました。それに、主人公がターゲットとする美少年は、これまたヴィジュアル的に申し分なく、しかも、ダンサーを起用して、踊らせるというアイデアが採られ、主人公の心象風景を、より濃密化しているかのように見えたのは、大きいですね。次は、ワーグナーをピックアップです。


2020年 8月 21日(金)午前 8時 23分

 昨晩は、この夏、ここまでで、一番の寝苦しかった夜。暑くて、夜中に、目が覚めました。すると、体のそこかしこから、汗が滲んでいました。これはヤバいと、速効で、階下の板の間に避難。板の間だというだけではなく、さすがに階下の部屋でも暑くて、ついつい体が涼を求めて、ひいやりする板の上に動くものだから、何度も目が覚めることの繰り返し。空調をかけると、逆に冷えすぎるのが怖くて、我慢我慢の夜でした。あと少しで、暑さが落ち着くと、テレビの天気予報が言ってました。今しばらくの我慢です。どうやら、落ち着いた頃に、ベッドがやって来そうです。
 昼間も、昨日は、暑かったですね、いや、毎日だけど、熱中症気味になり、2回もぐったりしてしまいました。その1回は、昼間のお出かけのとき。昨日は、京都学・歴彩館でアップ講演会に行く日でした。以前、電車に乗ってから中止を知った講演会が、昨日に延期されたのでした。講演は、「シベリア抑留、引揚から舞鶴への生還 -ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)登録5周年記念-」講演会シリーズの「第3講 史実の継承 世界へ未来へ」というもので、長嶺睦(舞鶴引揚記念館学芸員)とレ・アルトゥル(舞鶴市国際交流員)というお二人のお話を聴くことができる講演会でした。昨日の講師の一人レ・アルトゥルさんはウズベク人、ということは、抑留されていた人たちが労働につかされていたウズベキスタンと日本の交流のお話がテーマというもので、それを知ったとき、正に狂喜したのですが、どうも、おかしい。完全に脱水症状気味になっており、ヤバいと、トイレの水道水をがぶ飲み。講演が始まる前の水分補給は控えることにしているのですが、もちろん、トイレを警戒してのことですが、昨日は、そないなことを言ってられないと、腹を決めてのがぶ飲み。それで、ちーとは落ち着きはしたのですが、昨日は、なぜか、空調の効いた部屋に入っても、いつもと違い、なんか、体が冷えて行くのに、やたら時間がかかるという印象。歴彩館に行くのに乗った電車でも、同じことを感じてたのですが、歴彩館でも、同じことを感じてしまいました。効くのがスローでも、時間が経つと、さすがに体は冷えてはきたのですが、同時に、体が重くなってきて、もうダメ、開演の挨拶辺りから朦朧としてしまいました。「ウズベキスタンが始まったぁ」は覚えているのだけど、完全にダウンしちゃいました。さすがに、最後に、「ウズベキスタンについて質問、何でも受け付けます」と言われたため、ウズベキスタンのイスラーム度を知りたくて、クルバン・バイラムの様子を聴いてみようかと思ったのですが、ずーっと、ダウンしていた者としては、あまりに失礼と思い、手は上げられませんでした。そして、最後に、ウズベク人の講師の方の種明かし。朝鮮系ウズベク人だったのです。風貌が、講演会場に溶け込んでいたのに、種明かしをされるまで気づかなかった、おバカさかげんに、我ながら恥ずかしくなりました。そないな状態だったもので、歴彩館の展示会場で、府下の博物館の名品が展示されているのを、解説付きで案内をしていただけるということで、それに参加していくことにしました。目玉は、先年の大嘗祭で使用された屏風。四季を彩ったもの、その傍ら4箇所には、万葉仮名の詩が添えられていました。恭仁京跡から出た3世紀の鏡や、歴彩館自慢の東寺百合文書、エリザベス女王歓迎宴の献立表など、古代から現代に至るまで、時系列的に展示されていました。地域的にも、北の由良川の図があるかと思えば、南の巨椋池干拓図があったりと、様々。その中で、黄紺の一番興味を惹いたのは、今の園部町地域の自由民権運動、何と、独自の憲法草案を創っていました。中身、どんなんかなぁ、めっちゃ気になってしまいました。でも、そういったものがあったってことを知っただけでも、どえらい収穫でした。歴彩館からの帰りは、若干、躊躇はしたのですが、かなり快復もしていたので、いつものように、三条駅まで、ウォーキングがてら歩くことにしました。途中の公園で、休憩がてら、スマホいじりをしていたこともあり、歴彩館からの所要時間は、1時間15分弱。いつもは、1時間弱ですから、ちょっとペースが落ちていたようです。
 2回目のぐったりは、その1日の疲労が、背景としてはあったのかもしれないのですが、黄紺は、毎日、夕方のウォーキングが終わったあと、トルコ・サッカー情報集めと、トルコのコロナ情報集めの2回目をすることにしています。昨日は、家に戻ってくるのが、いつものウォーキング終わりよりは早いだろうということもあり、午前中にしていた1回目のコロナ情報集めのチェックを、途中までして、歴彩館に向かったため、それを夕方に残しておき、その夕方の作業に入りました。木曜日の朝のニュースには、毎水曜日夜に行われる、トルコ保健省長官の1週間のまとめ会見の記事が出て、これが、毎回、大部なもののうえ、一昨日の会見が、今までで、量的には最大だったため、午前中では読みきれていなかったのでした。要するに、昨夕のチェックは、いつもより、量的には異常な状態になっており、そのチェックに根を詰めてしまったのが、大きかったのか、これから、新たなコロナ情報集めに入ろうかというところで、ぐったり。椅子に体が吸い込まれるように、ぐったりしてしまいました。自分のいびきで、目が覚めましたから、短時間にせよ、眠ってしまってました。幸い、半日前に、大部のコロナ情報が出ていたこともあり、この時点での新たな情報は少なく、その作業から解放されることになりました。根を詰めてしまうということは、それだけ、自分の関心が向いているということになるでしょうが、コロナを切り口にすると、ホントに、トルコのこと、知らなかったこと多くて、目から鱗ってやつです。それが楽しくて、追っかけ続けています。昨日は、そんなで、オペラ配信には、手が届きませんでした。ま、仕方ありませんね。


2020年 8月 20日(木)午前 8時 2分

 昨日は、高校時代の友人と、オンライン飲み会をした日。先日、所用で、黄紺宅に来てくれたのですが、家内に居ながら、ラジオをかけっぱなしにしていたため、それに気づかなかった友人です。会えるはずが会えずじまいだったため、じゃ、オンライン飲み会ということにしました。も一つわけがあります。この間、メールのやり取りをしていて、その友人の次女が、長いフランス滞在を終えて、日本に戻ってきたと思ったら、僅か2年程で、またフランスに戻ってしまったと聞いていたものですから、ぜひ、オンライン飲み会の手法を使ってもらえればと思ったのでした。と実行に移すことが、あっさりと決まったのでしたが、ここで、問題が発生。友人のPCにはカメラが内臓されてないことが判り、一旦は断念。ところが、この友人は、PCに長けていた。タブレットに付属しているカメラをPCに接続することを思いつき、しかも、接続したときに、カメラを起動させるアプリも見つけ、オンライン飲み会をできるようにしてしまったのでした。実際に、それでやってみると、なかなかいいカメラで、黄紺が映る姿よりは、細部がクリアに出ていました。そんなで、午後2時からスタート。ちょっと昼飯どきを過ぎていたのですが、黄紺は、せっかくの機会だからと、時間を調節して、飲む時間にしました。お気に入りのチャムチ・サラダに、ちくわを切り刻むと、結構な量の肴となり、日本酒をいただくことに。黄紺よりは飲める口の友人ですが、昼飲みは正月限定ということで、お酒を飲んでいたのは黄紺だけ。この友人が、黄紺の友人の中では、一番付き合いが長い。幼稚園の2年保育の入園式で、一つ離れた席に座ったのがきっかけですから、とんでも長い付き合い。そんなで、昨日は1時間半のお喋り。日々の過ごし方、コロナは、どうしても話題の華、友人は、フランスに戻った娘を訪ねる旅行を計画しながら、コロナのために、潰れてしまったそうです。飛行機も、宿も押さえていたと言いますから、コロナは、ここでも、罪なことをしています。娘さんがいるのはメスです。ルクセンブルクから入ることになっていたと言っていました。そうなんだよね、正に、ロレーヌ(ロートリンゲン)を象徴する位置にあるのです。ナンシーからメス入ったときに、メス駅の列車の行き先表示に、ルクセンブルク、ザールブリュッケンと出ていたこと、インパクトありました。駅舎は、完全にドイツ風と、メスの思い出が、黄紺の頭の中で、一気に拡がりました。5~6月のオペラ紀行では、ザールブリュッケン行くことになってたのにと、黄紺もぼやきが出てしまいました。
 昼間のいい時間、さほど、量的には飲んだわけではなかったのですが、オンライン飲み会が終わると、小1時間、昼寝をしてしまいました。そして、慌ててウォーキングへ出発。日に2回のウォーキングをこなすことができました。オンライン飲み会でも話題になっていた黄紺の体調ですが、昨日がピークだったようです。昨日が境目かと思っていたのですが、今朝起きてみると、左肩の痛みは和らぎ、右肩も、危なそうで危なくはならずじまいで終わりそうかなの雰囲気で、腰にも回るかもと心配していたのですが、要するに兆候を感じないわけでもなかったのですが、それも、大事にはなってないので、かなり楽観的になっています。毎回、この程度ならいいのですが、、、。今のところ、痛み止めのお世話にもなっていません。でも、異常を感じる間隔が短すぎます。7月の後半におかしくなったときに、そう感じたのですが、今回は、1ヶ月も経ってないっていうのは、あんまりです。
 オペラ配信は、昼間が、そないな調子で推移したので、時間は取れないかなと思っていると、2日続けて、夜半に観る時間を確保できました。昼寝効果が出たのでしょうか。晩酌は、1日の酒量を考えるとできなかったことも大きいのでしょう。「ヴェニスに死す」の続きですというか、ほとんどスタートというところでした。主人公が出ずっぱりという進行、これを歌う歌手は大変です。量が半端じゃないうえ、メロディ覚えるのに苦しむだろうし、歌詞と合わせるのが、もう大変。観てるだけで、疲れてきます。また、進行は、その男の回想、心象風景の点描というもので、観てるのが、かなりきつい。これは、進行だけではなく、ブリテンの音楽も。てなわけで、このオペラ、ライブで観るのはきついなぁという印象が出来上がってきてしまってます。しかも、回想の軸にいるのが、美少年なわけで、物語的にも、かなり違った雰囲気のオペラです。そうした、あまりない雰囲気を醸すオペラというところが人気なんかなぁと、いい機会なものですから、ちょっと頑張って観ています。


2020年 8月 19日(水)午前 8時 29分

 久しぶりに、涼しい朝です。熱帯夜から開放されると、何と清々しいのでしょう。その一方で、明らかに苦々しい朝にもなっています。またぞろ、肩に痛みが出てきているのです。異変に気づいたのは、昨日の夕方のウォーキングのとき。四六時中、異様な肩の凝りに悩まされている黄紺なのですが、その凝りに、一部分、違うひどい痛みを感じるようになり、これは、またしても兆候かと思い始めたのが、始まりでした。案の定、ウォーキングから戻り、手洗い&うがいの際、顎を上に向けるのに苦労してしまいました。辛うじて、うがいはできるので、まだまだ序の口な痛みです。昨夜は、腰の不安が出てなかったので、2階の和室で横になることはできました。でも、左肩に痛みが出ているため、左側への寝返りが、かなり難しい。ゆっくりと、痛みをこらえながら、辛うじて寝返りはうてるので、こちらも、まだ序の口といったところです。今のところ、右肩には痛みは出てないと言っていいかというところ。腰も大丈夫かなと思うので、これだけで済んでくれるのを、祈るしかありません。この前、痛みが出たのが、1ヶ月程前でしたから、痛みの発生間隔が、どんどんと短くなっています。苦々しいこと、その2があります。この2日間、ウォーキングをしたあとの疲れがひどいですね。特に夕方のウォーキング後。軽い熱中症なのかもしれません。一昨日は、椅子に腰掛け、しばらくぐったりとしてれば、あっさりと治ったのですが、昨夕は、やはり肩に痛みがあるからか、不快感が取れた感じがしなくて、嫌~な感じになっちゃいました。えいや~と、動き出すと、動けはしたのですが、気の悪いことが続きます。
 そないな鬱陶しいことのあった一日でしたが、お出かけなしで、ルーティンをこなす一日。定番の2回のウォーキングをこなしただけといった日となりました。だけど、夕方のウォーキングをしていて、感じたのは、陽がくれるのが早くなったこと。毎日、似た時間にウォーキングをするものだから、そないなことが、よく判ります。夕方の6時半では、もう薄暗い。思わず、「もう夏至から2ヶ月も経ってしまってる」と、呟いていました。ついでに。「トルコには行けないかな」とも、頭の中で思ってしまってました。希望より諦めが、先行するようになってしまってます。
 こないな普通の一日だったのですが、トルコのコロナ情報が多くて、オペラ配信に当てる時間に、若干、障りの出た日でもありましたが、モデナ歌劇場の「ボエーム」は完走。最後まで、オーソドックスな展開。演出担当のレオ・ヌッチも、カーテンコールの際には姿を現していました。元気、元気。4幕だけだったので、次なるネタ探しで、ピックアップしたのが、短期間配信のグラインドボーンの「ハムレット」。リマインダー設定で、「配信開始」のメールが届いていたので、リンクをクリックして、動画サイトに飛んだのですが、「あなたの国では、このコンテンツはご覧いただけません」のメッセージが出て、びっくり。今まで、幾つか、グラインドボーンからの配信のお世話になってきているにも拘わらず、このメッセージです。グラインドボーンのチャンネルをチェックすると、配信一覧に「ハムレット」はカットされていたので、何らの権利関係があるのか、ダメなんだとなりました。上演機会の少ない演目だけに、惜しい話です。黄紺的には、「ハムレット」に嫌われているところがあります。メトロポリタンが「ハムレット」を配信したとき、配信時間を間違い、1幕だけしか観ることができなかった思い出がありますからね。仕方がないので、新たな演目として、選び直したのは、英国ナショナルオペラの「ヴェニスに死す」(デボラ・ワーナー演出)。ブリテン作品です。オペラ配信のおかげで、未知のブリテン作品を観る機会が増えています。トーマス・マン原作で、映画にもなった作品です。映画になると、マーラーのイメージになってしまい、このオペラが始まると、当然、ブリテンの音楽が出てくるので、単純に戸惑いますね。この作品も、少年愛が出てくるどころではなく、テーマそのもののようです。ブリテンのこだわりは、すごいものを感じてしまいます。まだ、ほんの序の序。これからが楽しみです。


2020年 8月 18日(火)午前 8時 23分

 昨日は、オンライン飲み会をした日。ちょうど2週間前にした、昔の同僚との再会です。前回は、スムーズに入れたのですが、昨日は、映像が出るのに時間がかかり、映像が出たかと思うと、黄紺からの音声が入らないということが起こってしまいました。こういったときの定番、ブラウザの再立ち上げ、PC自体の再起動を求めると、バッチリ、再起動で復活できました。その再起動を待つ間、ヘルプで起こりうることを確認していると、ブラウザを選んだり、Windowsの更新が重なったりすると、音声が出ないことがあるそうなので、あとから確かめてみると、入室前に、何やらの指示が出て、それを受け入れるクリックをしたと、相手は言ってました。これで、息子との交信を除くと、3回目のオンライン飲み会となり、トラブル発生の様相、対応が判ってきました。とにかく、不具合があった場合、カメラとマイクのチェック、何かをいじったら、ブラウザの再立ち上げ、で、ダメなら再起動で、今のところ、全てに対応できています。こないなことを考えると、Zoomを使った方が安定しているのかなと思ったりし出しています。1度、誰かと、Zoomを使う機会があれば、その辺を確かめることもできるのでしょうが。その修復に10分くらいかかったかな、午後1時入室で始めて、4時間設定の「終了まで10分」のメッセージが出ても、喋り続けていました。そもそもは、「マルモイ」を観たあとの感想を言い合うことを、話の契機にと予定した飲み会。黄紺は、地味で崇高な辞書編纂作業をエンタメ過ぎる扱い論、これは、観た直後から言ってきたこと、そないな話をしておりました。元同僚は、識字の問題を、辞書編纂作業と並行して取り入れていたこと、韓国語という一つの言語を作り上げていく意味あいが入っていたこと、この2つを高く評価していました。一旦、映画の話になると、これは、奥が深い。元同僚は、この巣籠もり時代、映画三昧の日々を過ごしているようで、多いときには、「日に3本観ることがある」と言うものですから、思わず「歩かないと体壊しますよ」と、最早、労りレベルを突き抜けた突っ込みを入れてしまいました。今まで、時間がなく観ることができていない名画の数々、それらを、網羅的に観ていてるようでした。そうそう、「オアシス」を誉めていたなぁ。ムン・ソリより、話はソル・ギョンクに向くという不思議な展開になり、心の中では「逆やろう」と突っ込みながら、聴いていると、ソル・ギョンクものでは、「力道山」は観ていて、「ペパーミント・キャンディ」を観てないという、ここでも、またまた、不思議マーク。黄紺が「ハチドリ」を高評価している、でも、おじさんの客が少ないと言うと、あっさりと、次回のオンライン飲み会の約束ができ上がりました。映画以外では、コロナ話、それに関わる報道姿勢の話、柄になく、日本のワイドショーを、元同僚は、よく観ています。テレビのない黄紺は、ひたすら聞き役。おかげで、テレビで、何が流れているか、何が話題になっているか、そのごく一端を教えてもらえました。お互いの昔話は皆無、これは珍しい、仕事関係の抽象的な話と、それに絡む映画がないかと、また、映画に戻って行きました。時間切れが迫ってきて、芝居話に突入。寺山修司の名前が出ていたとき、「ザ・寺山」なる映画を薦めることを抜かしたのが、後の後悔。でも、知らせたからと言って、レンタル屋さんに、まあ、ないやろなということで、追いメールのようなことはしないでおきました。お喋りが続くと、酒量も進みます。ワインをボトル半分、これを目安にしていましたが、少し超えてしまいました。これは反省。昼間に飲み会をしてますから、終わると、いつもは、夕方のウォーキングに出かけている時間。昨日は、午前中に、通常通り、ウォーキングを行っていることもあり、止めることも考えたのですが、存外、酒の回りが鈍かったこともあり、アルコール飛ばしにいいかと、1時間くらいの予定で、ウォーキング。でも、お酒を飲んだあとの、しかも、炎天下のウォーキング、あまり誉められたものではありません。家に戻ると、しばらくすると、かなりぐったりしてしまい、危険信号。空調のしっかり効いた部屋で、おとなしくしていると、ものの10分ほどで快復したので、事なきを得ましたが、やはり、ちょっと無茶したかな感が残りました。食欲は出ずじまいで、でも、ヤバいと思い、無理矢理、お腹に入れたってところでした。
 昼間にオンライン飲み会をしたので、オペラ配信は、珍しく夜に。一昨日、途中で居眠り発生ということで、「ボエーム」の1幕半ばから開始。ミミとロドルフォとの出逢い直後からです。夜11時を過ぎても眠気が出てこなかったので、結局、3幕の最後まで観ました。とってもオーソドックスなプロダクション、2幕のカルチェラタン、ここは難しいですね。このプロダクションだと、パリではなく、どこかローカルな都市の繁華街の風情だったなぁ。3幕も、宿営地が判るとの装置、シックな装置を打ち破るムゼッタのかき回し声が欲しいところでした。イタリアの歌劇場って、こうしたオーソドックス系のプロダクションが多いのかなぁと、オペラ配信を観ていると刷り込まれて行くのだけれど、それでいいのかと、ドイツ慣れした頭は思ってしまっています。


2020年 8月 17日(月)午前 8時 36分

 毎日のニュースで、最高気温の高い都市が上げられ、その中に、毎日と言っていいほど、京都の名が入っています。ただでも暑いのに、もう、それを見るだけで、余計に暑く感じてしまう今日この頃、昨日も、暑かった。でも、日に2回のウォーキングは欠かさない日々。外から帰ってくると、しばらくは、空調をかけないことにしています。家の内側は、外に比べると、若干気温が低いのと、汗を、たっぷりとかきたいから。体内の水っけを、できるだけ出したいと考えてしまうのです。そしてから、体を冷やす、この時間を確保するようにしています。10日ほど前までは、空調をかけるまで、かなり時間をかけていました。それだけ、家内は気温が低かったのですが、今はいけません、いくら低いと言っても、外気との差が、この暑さのために、ぐーんと縮まってしまってますから、ヘタすると熱中症になるので、ひとしきり汗をかいたと思うと、冷やしにかかっています。昨夜は、昼間の気温の上昇のわりには、夜間、涼しい風が入りましたね。おかげで、2階の部屋から降りることなく、一晩を過ごせました。熱帯夜のなか、涼しいと感じる、僅かの風を感じるだけで、健やかな睡眠をとることができます。
 ウォーキングの途中立ち寄ったスーパーで、野菜の値段を見ると、あれほど高騰していたのが、普通に戻っていますね。ニンジンなどは、値段が下がるばかりか、一袋に入っている本数まで増えています。がために、ニンジンを買うと、ニンジンばかり食べ続けねばなりません。滅多にお世話にならない、ネット上に溢れる料理レシピのサイトで、ニンジン料理を調べてしまいました。そんなのを見ても、手持ちの調味料や調理器具に限りがありますから、適当にアレンジできるものを選ぶようにして、なんとか切り抜けています。昨日は、久しぶりに、玉ねぎを買えました。1ヶ月ぶりくらいじゃないかな。昨夜は、おかげで、久しぶりにオニオンスープを作ることができました。
 オペラ配信は、モデナ歌劇場の「ボエーム」(レオ・ヌッチ演出)をピックアップです。イタリア最高位とまではいかないけれど、それに続くグループに入るかなと思う歌劇場の配信を、偶然、見つけました。超有名歌手レオ・ヌッチが演出担当というのも、気になってしまいました。ブリギッテ・ファスベンダーやロランド・ビリャソンのように、演出家としてのキャリアを積んでる話は聞いたこともなかったので、怖いもの見たさ的なところがある一方、ピアチェンツァやマルセイユの歌劇場とも共同製作と出ていましたから、単なる怖いもの見たさでは終わらせるわけにはいかないでしょう。1幕は、広めの部屋で、照明が時の経過を示す細やかな流れ、ただ、ミミの登場辺りから、うすら覚え、ということは、いい気持ちになったのでしょう。ロドルフォの歌手が、いかにもイタリア・オペラという雰囲気がいいなあという印象があるから、ミミのせいにしておきましょう。キャリアを見ると、ミミ歌いなんだけどなぁ、ニコレ・カーがマイブームな最中だから、誰が出てきても、ダメかもしれないなとは思っています。幕間の解説のおかげで、居眠りによる飛びがあまりないのが救いですね。ところで、モデナは、雪ばっかりを見てきたという印象が残っている町。ボローニャから、元旦、しかも、大雪のなか行ったことのある町。駅から、こちら方向だろうと目をつけ、雪でずぼずぼになりながら、ようやく、世界遺産のドゥオーモにたどり着いた記憶。うまい具合に、元旦のミサ挙行中、こっそりと入り、ミサを聴いてたんだけど、寒くて寒くて、逃げるようにして引き上げたのがモデナ。そのモデナのドゥオーモ前広場などを、開演前に、しばし映し出してくれている動画に、いたく感動です。雪に埋もれていた姿しか見ていなかったものですから、映像で見る広場の広さに、びっくりです。そないな20年前の記憶も、見事に蘇らせてくれています。で、モデナと言えば、ランブルスコ、どこかでゲットできないかなぁ、、、。


2020年 8月 16日(日)午前 8時 18分

 2~3日前、少し気温がましな夜があったのですが、一昨夜、昨夜と、またまた、強烈な熱帯夜でした。相変わらず、2階の和室にて、一旦は寝るのですが、必ずと言ってもいいほど、計ったように2時間後に、目が覚めます。そして、2階の部屋の猛烈な暑さに耐えかねて、下の改造した部屋に移らねばなりません。まだ、ベッドが来るには日にちがあるのです。でも、恐ろしいもので、板の間に、座布団とセーターを敷いて寝るという態勢に、体が慣れてきているため、寝苦しさが、かなり減り、幾度となく、目が覚めていたのが、わりかし連続的に、睡眠が取れるようになってきています。それにつけても、不思議に思ったのは、あんなに暑く感じる2階の部屋で、2時間、眠ることができるってこと。そのあとは、もう暑くて暑くて寝られないわけ。あっさりと、結論を出すことができました。寝る直前まで、しっかりと空調の効いた部屋にいるため、体が、相当冷えているので、暑さに耐えることができており、寝ている2時間の間に、すっかり解凍が終わってしまうということです。それで、はたと思い当たったのは、テレビニュースで言ってたこと。熱中症にかかる人は、睡眠中に、即ち夜に多いということ。そのメカニズムは、これだと思えるようになりました。ですから、夜中に、暑さで目が覚めたとき、「暑い」と思ったら、我慢せずに板の間に直行することにしています。わりかし、頭で理解すると、行動に移す質なもので、、、。ま、今は、お盆真っ最中なんだから、暑いのは仕方ないけど、ベッドさえあればと、言っても仕方のないことを呟いてしまってます。
 そんなで真夏の土曜日、日に2回のウォーキングは、通常通り。昼前のウォーキングでは、通常の土日は避けるコースに向かってみました。「ブラタモリ」のロケ地になったところが含まれるコースで、いい公園になっているため、週末の人出が多いので、いつもは避けるのですが、この暑さのなか、特に年寄りは避けるはずという読みで行ってみると、ドンピシャ、平日の人出以下だったかもしれません。替わりに、若い人たちが野球の試合。何かの大会かな、まともなユニフォームを着た選手たち、放送まで入っていました。大会本部的なところでは、検温までやっとました。炎天下での検温、いくらコロナとは言え、何か違和感を感じてしまいました。人出が少ないと、日陰のベンチを確保でき、そこで、休憩&読書ができるからいいのです。昨日は、正に狙い通りでした。
 オペラ配信を観る時間も、たっぷりと確保できました。躊躇したのですが、「ルチオ・シルラ」を、最初から観ることにしました。居眠りをしてないところは、3度目になるところも出てきました。昨日も、若干、居眠りが入ったのですが、前2日のように、筋立てどころか、登場人物の関係性が判らないなどという、とぼけたことにはならず、昨日は、ばっちりでした。「シルラ」は「スラ」のことで、マリウスの政敵、要するに、共和制ローマ末期の政争を背景にした人間模様です。そうした、時代背景をすっ飛ばし、現代の無機質な住居を、回り舞台の上に設えて、物語は展開します。背景を除けば、単なる男女問題にパワハラが絡むだけですから、こうした装置が生きてくるという、いかにも、21世紀的プロダクション。2幕に入ると、それまで、全く使われていなかった住居の1階部分が開き、そこには、多数のモニターが設えられていました。2階部分で見られる人間模様を映したり、登場人物の顔を大映しにしたりと、複眼的に、物語の進行を観るようになります。最近の流行りです、その手は。貴重な作品、それを舞台にかけた貴重なプロダクションです。しっかりと観なきゃダメなのに、失敗ばかりですね。もう、大丈夫でしょう。このモネ劇場での公演、指揮者がしっかりしているので、モーツァルトの音楽が、とっても素敵に聴こえています。一番捨てがたく思えた要素で、捨てなくて良かったと思えているところです。


2020年 8月 15日(土)午前 8時 6分

 昨日は、ある博物館に出かけようかと、計画表には入れながら、何もない日にしたくて、取り止め。一昨日に、オンライン飲み会という、自分的には大きなイベントがあったので、その後遺症ですね。静かにしておきたい、何もない日にしておきたいと思うのですが、じゃ、今日明日という週末の日を使い、その博物館に行くのかという見通しはないなぁ。今度は、後ろの月曜日にも、新たなオンライン飲み会を予定しているので、その前は、じっとしておきたいと思ってしまうのです。わりかし、細かく予定が入ってきています。そのため、ちょっと違ったところへ行きたくて探してみて、気になるところを見つけながら、結局は、尻込みをしてしまう。如何に、この巣籠もり生活が板に付いてしまってるかということですね。「Go to キャンペーン」のお世話にはならないけど、同じ京都府内、せめて滋賀県内で、ごくミニなショートトリップなんての、やろうかなという気はあるのだけど、別に暑いからなんてのは気にはならないのだけど、そこで止まってしまいますね。計画を立てるのが、ホントなら楽しいはずなんだけど、しないですね。その自覚があるものだから、もっと気楽に行けそうかもと思い、京都国立博物館というビッグなところではなく、近郊都市の小さめの博物館を探したり、京都市内でも地味な博物館を探してみて、ようやく見つけた博物館だったのです。このご時世、特別展も引き上げた博物館もあるのかなと思うほど、見つけにくかったなか見つけたけれど、行かないという選択を採ろうとしてしまっています。これが、「With コロナ」時代のスタンスになりつつあります。今や、大阪でのイベントって、探すことすらしてないですものね。既に、予定表に入れていた、大阪でのイベント、場所を見ただけで、削除です。最初の頃は、自分には、さほど時間が残ってないのだからと、こういった事態に対する残念感があったのにと思い出しますが、もう、すっかり諦めだけです。昨日も、ウォーキングをしながら、昨秋のトルコのことを思い出していたのですが、何気に、イスタンブルでバレエを観ていたとき、近くの席にいた母娘が、まるで家でテレビを観るように、ずっとお喋りしながら観ていたので、さすがに迷惑なもので、注意したことという、よく、そないなことを覚えていて、全く関係のないウォーキングの最中に思い出すなと、自分に突っ込みを入れてしまっていたのですが、はたっとしました。そないなどうでもいいことをしたり、言ったりして、思い出すのが、日常なんですね、が、今や、その中で思い出すことしかできなくなってしまってるのですね。したり、言ったりは、できない、となると、人の記憶ってすり減って行くものですから、やがて思い出すことすらなくなってしまうかもしれないということになります。それ、嫌だなぁ。そないなことがあり、ロシア系Youtube(在ミンスク)を観ていて、別に、こちらのチャンネルでなくてもいいのですが、なぜか、こちらの動画を観ると、強く感じさせられてしまうのですが、日本に行きたくても行けない状況下で、せっせと、日本在住時代の思い出をネタに動画配信をする、しかも、切り口の豊富さが、このYoutuber氏の気が出てしまってますから、この記録することの意味を噛み締めさせてもらえたなの気になっています。今、新たなトルコを知ることができる、そないな気持ちで、トルコのコロナ情報を記録する意味も、そうした発想を持ててるから続けられてるのかなぁと思い出しています。と同時に、コロナ騒動が終息するというときがあったとき、何が、こだわりとして残るのか、そないな不安もあります。実際にトルコに行ければいいのですが、やはり、時間との競争ですね、これは。
 最近、新しい空調が入り、ラハトな椅子が入りで、よく椅子に座ったまま、知らない間に、居眠りをしてしまってます。昨日は、オペラ配信を観ながら、そして、遅めの夕食後、Youtubeを観ながらと、どうも、PC画面を観ながらばかりです。「ルチオ・シルラ」、どうしようかな、登場人物5人なのに、関係性が把握できてない、ということは、ほとんど沈没ということやね、もう一回、頭から? これも、かったるい、演目、変えようか? 思案中です。


2020年 8月 14日(金)午前 8時 23分

 昨日は、昼間に、高校時代の友人らと、自分を入れて5人で、オンライン飲み会を行った日。一応、仕切り役となったのですが、その準備をしようと、PCを立ち上げたところ、PCが、Windowsの更新を始めたから、真っ青。そう言えば、シャットダウンをするとき、更新というメッセージが出ていたことを思い出し、またしても、気の利かない自分の頭に呆れ、ただ時間を待つしかないので、スマホから、「遅れる」旨のメールを用意。こちらから、「招待」の「URL」を送るという時間になっても、まだ、更新を続けているようだと、「URL」の替わりに、それを送る用意をしていたのですが、ぎりぎり、終わってくれました。慌てて、飲み会の部屋を作り、「招待」の「URL」を送付。少し待つと、先日、40分かけて、練習をした男が入室、次いで、福井から入室、が、音がおかしい。こちらからは聞こえているのだけど、向こうはかすかにしか聞こえない様子。電話で調整していると、東京から一人、京都の北山の奥から一人と入って来るのだけれど、これらの二人は、声だけしか聞こえてこない、「カメラを確かめて」の黄紺の声に、何やらいじっていたらしい二人、でもダメなので、「最初からのやり直し」「再起動がいいかも」で、これは、福井の男にも要請、結局、これが効を奏し、無事に、5人の顔が揃いました。結局、カメラやマイクをいじったら、やり直しはまたは再起動やなということでした。あと2人にも、声をかけたのですが、横浜の男は、手術直後でダメ、もう一人の京都の男は、「やめとく」と、か弱い声で辞退。それを電話で聞いたあと、世間話を、延々30分も喋ったのですが、何か引き気味なため、今回は断念。一応、その二人のことは、冒頭に黄紺から報告。5人であろうが、7人であろうが、顔を揃えるのは5年ぶりのこと。5年前に別れたとき、東京の男が、また、「京都に来たら連絡する」と言ったのが、仕事が忙しくてできないまま、ここまで来てしまっていたのでした。考えたら、こないな方法で、顔を会わせることができたのは、全くコロナのおかげ。オンライン飲み会なるものが流行り、その方法も多様なものがあるなか、「コピー&ペイスト」を求めても、「えっ?」という男を含めても、そのオンライン飲み会が可能な方法を知ったおかげってやつです。話題は、やはり、久しぶりだったということで、最近の状態について。黄紺のように、5年前と変化のない者は対象外ですが、変化のあった男の近況が話題の中心になっていました。そして、時節柄、コロナのことも。そんなで、ちょうど2時間でした。「昼から飲むと、ようまわるわぁ」と、別に「飲み会」と言っても、飲むのはお酒でなくてもいいのですが、ロング缶ビール2本&水割り2杯をあけた者が、横になりだしたのをきっかけにお開きとなりました。次は、年末か正月です。オンラインでできるなら、以前、お盆と正月に集まっていたことを続けることができます。ホントにいい手を思いついたものです。
 昨日は、これが、午後のひととき。ですから、いつものように、日に2回のウォーキングはできるはずだったのですが、昼前のウォーキングは休止。毎朝追いかけている、トルコのコロナな情報がヘビーだったことと、オンライン飲み会で食べる酒の肴を作るのに時間を使ってしまいました。ちなみに、黄紺は、安物のワインを飲んでいました。ボトル半分以上飲んだため、夕方のウォーキングに障りが出るかと思ったのですが、少しだけの昼寝でウォーキングに出かけることができ、夕方は、普通のウォーキング。でも、昼から飲んだため、お腹は減らず、夜はインスタント焼きそばだけで十分でした。夕方のウォーキングで、もう少し、空腹感が出るかと思ったのですが、ダメで、いつものように食欲の出ない黄紺です。そうそう、オペラ配信を、夕方のウォーキングの前に観ようとして、実際に観たのですが、全編、居眠り、ですから、また、初めから観ることになるでしょう。ものは、新たな配信で、モネ劇場の「ルチオ・シルラ」(トビアス・クラッツァー演出)でした。


2020年 8月 13日(木)午前 8時 31分

 昨日は、午後3時過ぎまで、いつものペース。午前中には、定番のコースをウォーキング&買い物。天気も、全く真夏そのもの。その後のお出かけは、京都みなみ会館へ。映画を観に行ってまいりました。ところが、これが大変だったのです。天気予報では雨の時間帯になっているのだけれど、その気配を感じさせないものだったので、傘も持たずに出かけると、もう最寄り駅に着くまでに、おかしな雲行き。京都駅に着いた時点で、どえらい降り。駅を出ようとすると、瞬間的に止んだのですが、5分ももたずに、また、えらい降り。雨宿りをしていたのですが、上映開始時間が迫っていたので、えいやーと飛び出したため、びしょ濡れ。あと2分の辛抱でした。そしたら、ほぼ濡れないで、しかも、時間に間に合ったのですが。我慢ができなかったものですから、びしょ濡れの状態で、2時間以上ある映画を観ました。水の浮いていたズボンは、その間に乾きましたが、シャツとカバンはダメでした。幸い、空調の効き方が優しかったため、寒さに震えるということなしに観ることができました。観たのは、韓国映画「はちどり」。新しいみなみ会館の座席は、さほど多くはないところへ、半分にしていたとは言え、満席でした。若い人が多かったのが目立ちました。韓流映画に多い、おばさんたちは、たまたまかもしれないのですが、ほぼ見なかったんじゃないかなぁ。ですから、初っぱなから、居づらいところを我慢して観るハメに。確かに、普通の韓流映画にある明るさ、派手さ、エンタメに富んだという映画ではありません。古い例えを使うと、ATG系映画の香りを感じました。一人の中学生の女子が、恋愛(ガールズ愛を含む)、友人、家族、病気、塾など、自分の見える範囲の中で、周りの人間の揺れに戸惑い、自らの揺れにも、途方に暮れたり、少しずつ、自分というものが見えていく姿を描き出していく映画です。その少しずつは、時には、一進というよりは、一退を繰り返しているときもあれば、一退かと思っていると一進になっている、そういった細かな揺れを、実に、巧みに捉えていきます。エピソードの放り込み方、変化の付け方のデリカシーが素晴らしい。一人だけ、主人公の周りに、揺れない人物を出します。漢文塾の講師です。漢文塾なんてものが、韓国にあるのを、初めて知ったのですが、この講師の女性に、主人公は、初めて心を開きます。漢文の定型句を教えるなかで、主人公の心を捉え、タイミング良く心に刺さる漢文を出してくれた講師に惹かれて行きます。大学生が講師をしているという設定ですが、何やら仙人のような雰囲気を持ち、何でも包み込むかのようなキャラに仕立ててありました。この講師の女性、主人公に、1度だけ、はっきりと、しかも、具体的に、主人公に行動の規範になることを言います。兄に殴られることがあると聞かされていたからか、「殴られっぱなしじゃダメよ」「殴り返さないと」。実は、この言葉が交わされたときの邂逅が、この二人の邂逅の最後になります。ある事件が起こります。実際にあった出来事が、物語に取り入れられています。その日、立ち退きを要求され、ピケを張っていた場所の幟が引きちぎられていました。このエピソード、気になるのだけど、解らないのです。で、事件が起こります。主人公の女の子、感情を乗せて物言いすることを覚えたんだろうか、日常に起こる、小さなこと、それらに揺れ、生きていく中学生の女子、映画の始まったときに比べて、映画が終わるときには、少し成長したように見えました。なぜ、そのように見えたのでしょうね。小さなことかもしれないけど、そういった細かな経験を積んだという事実からかもしれません。仙人のような講師の言ったことを理解するのは難しいかもしれないのですが、言葉と言葉で繋ぐ人との関係を持つという得難い経験をしたというのが、何かしら感じる成長を表しているのかもしれないですね。素晴らしい脚本、主人公の中学生、仙人のような講師、この二人の俳優さんのインパクトは強いものがあります。観終わったあと、この映画が、各国映画祭で高い評価を受けたのは納得できたのですが、だからと言って、人気が高いわけが判ったわけではありませんでした。その後わけを解明するのも、なかなかハードなことかもしれません。正直言って、こないな映画が、人気になるんだぁとの思いです。
 あと、オペラ配信も、きっちりと観たかな、空調のおかげで、かなりいい気持ちになり、居眠りをしながらのもの。ですから、飛んでしまっているところは、ダイジェスト気味に観直すなんてことになってしまいましたが、「道化師」を最後まで。結局、このプロダクションの目立った点というのは、草むらの中に、一座用の舞台を組んだってことでした。その草むらを設えるということから、舞台が始まったものですから、その逆が用意されてるかもと思いながら観ていたのですが、それもなく、人の動きに気になることもなしで、推移。装置以外では、普通の「道化師」でした。このプロダクション、ボローニャとジュネーブの共同製作ということでした。最近、Youtubeで検索するとき、歌劇場名でするのではなく、作品名ですると、思いがけないないプロダクションに遭遇できます。そもそも、オペラ配信を観るようになったきっかけが、コロナ対応での劇場側の提供を観るようになったため、どうしても、歌劇場からアプローチをしていたのですが、発想の転換って、やっぱ必要ですね。この「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」も、そのようにして見つけたものでした。思わぬイタリアの歌劇場のプロダクションを観ることができたり、ホセ・クーラのように、自分が出演した公演の映像を公開してくれている歌手も、そこそこいることも知りました。中には、明らかに著作権に問題ありというのも含まれているのが、嫌なところでもありますが。


2020年 8月 12日(水)午前 8時 21分

 真夏日が続きます。7月末まで続いた長雨が懐かしいです。なんで、こんなに極端から極端に移るのでしょう、ホント。ここ3日間、夜、一旦は、2階の部屋で寝るのですが、毎日、計ったように、1時間半~2時間で、目が覚め、もう暑くて暑くて、その2階の部屋では寝てられなくて、下に降ります。改造した部屋は板の間ですが、まだ、注文したベッドが来てないものですから、本来なら寝るのは無理なのですが、無理から寝に行きます。座布団とセーターを敷布団替わりにして、横になっています。寝心地は、とっても悪いです。迂闊に寝返りをうつと板の間に転がり、あっさりと目が覚めます。そないな態勢なため、頻繁に目が覚め、朝になると、やたら背中が痛い。でも、暑い2階には戻る気にはなりません。下の部屋に戻ったからと言って、空調をかけるというわけではありません。空調をかけなくても、ラハトに眠れるほど、2階の部屋との温度差があります。特に、改造にあたり、断捨離した効果が大きく、ものがなくなっただけで、気温が下がったような感じがしています。去年までと、窓は変わったわけではないのに、この3日ほどの暑い熱帯夜でも、空調の必要性は感じないですね。ご近所の空調が、深夜でも働く音が、かすかに聞こえてきますが、「断捨離すればいいのに」と、余計なことを考えたりしています。でも、ただでも、昔の手術の後遺症で、ひどい肩凝りが常態化しているので、一晩寝ただけで、背中が痛むというのは辛いものがあります。ベッドが来るまで、まだ2週間近くあります。その頃になると、熱帯夜が和らいだなんてことだと、ホント、シャレになりません。あの長雨のときに、さっさと購入に行っておけば良かったと思っても、完全に後の祭りです。
 昼間は、いつも通りの一日。日に2回のウォーキングは、暑さに関係なく、定番です。一つだけ、変化があったのは、黄紺の知らない間に、高校時代の友人が来ていたことでした。京都市交響楽団の定期会員になってる友人が、行けないからということで、チケットを譲ってくれたのです。このあたりで持って行くというメールはもらっていたのですが、日時を指定してなかったので、警戒をせずに、室内で、ラジオをかけていた時間帯に現れたようで、昼前のウォーキングに出かけようかとしたら、玄関に封筒が入っていました。慌てて、お礼のメールを入れるとともに、会えなかったので、オンライン飲み会のお誘いのメールを入れたところ、やはり、オンライン飲み会って流行ってるんですね、「テレビで話題になってる」「元の職場ではZoomを使い会議をやってるらしい」と、興味津々。実際には未経験ということでしたので、この間、オンライン飲み会をしたとき、相手に送った段取りメモを送っておきました。この友人のパソコン度は、先日の友人のように、「コピーして」で「えっ?」てなことはないとは思っているのですが、、、。第一、Zoomってのを知っているのだからと、勝手に想像しているところです。どんな反応が返ってくるか、こちらも興味津々、いや、ドキドキものでもあります。
 オペラ配信は、昨日も通常通り。「カヴァレリア・ルスティカーナ」を最後まで観たあと、ここで止めるなんてことは止めました。「カヴァレリア・ルスティカーナ」のプロダクションのコンセプトが判ったように思えたからでした。このイタリア、南イタリア色の濃厚なオペラから、そういった地域色を取り除き、純粋に男女のどろどろ物語にしようとしていたことが見えたと思えたからです。衣装も、サントゥッツァとトリドゥの母親は、黒一色、色彩から生まれるイマジネーションを、一切拒否するスタンス。群衆は、街を歩くと見かける普段着って感じ。これは、トリドゥら主役も同じ。装置が貧相にしてあったのも、余計なものを出さない、余分なものを排除するスタンスと見えてきました。ま、よくあるコンセプトと言えば、よくあるものです。それを、「カヴァレリア・ルスティカーナ」でやろうというのは、わりと勇気が要りますよね。も一つ、このプロダクションの特徴は、イエスの受難を、何ヵ所かでモチーフに使っていること。この物語、復活祭という時期設定があることと関係があるのかもしれません。ゴルゴダの丘へと、十字架を担ぎ歩くモチーフが、2回も使われていましたし、ラストのトリドゥの母親の慟哭は、まるで聖母マリアを連想させるもの。ただ、何かの絵画のモチーフを使ったのではないかと想像させるシーン、どの絵画か、黄紺には解らないのです。ですから、手掛かりを掴めず、このプロットの意味するところを掴めないままです。この辺が、完全に、客になれないところで、明確な温度差を感じずにはおれない点ですね。次いで、2本立て公演の2本目、「道化師」(セレナ・シニアグリア演出)です。こちらは、序曲を使い、舞台作りから始まりました。新鮮なのは、野原に舞台が設えられるというもの。でも、逆に、その方がリアルな感じがしてしまいました。「ありそう」ってところです。ネッダの色シルヴィオが出てきて、ネッダとのやり取りのところで切っておきました。佳境に入る手前で切ると、怒濤の如く、終盤へなだれ込めますからね。「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァを歌ったソニア・ガナッシ、「道化師」のトニオを歌うステファノ・メオ(アルフィオも歌ってました)が、いいですよ。ねっちょりとまとわりつくようなヴェリスモの極致の雰囲気です。


2020年 8月 11日(火)午前 7時 10分

 昨日は、午後2時までは、いつもと変わらぬ時間が過ぎて行ったのですが、その後が違いました。昨日は、息子の家に行く日になっていたのです。ぼちぼち、息子が、自在に自分の時間を使える期間が終わりに近づいているということで、DやSの顔を、今の内に見ておこうという思惑が働いたのです。いつも、二人の昼寝明けの時間を狙って行くのですが、昨日は、ちょっと早めに着いたのか、Dは、まだお休み中で、Sは、目覚めたところ。元気に動き回る二人が揃うのに、若干、時間を要しましたが、動き出したら出したで、こちらは、目が追い付かず、困ってしまう。いつの時代であっても、子どもは、何をやり出すやら判りません。Dは、背が伸び110cmになったと言い。そう言われてみると、伸びた分、ほっそりとした感じ。どんどんと、お兄ちゃんになっていきます。Sは、完全に、赤ちゃん顔から脱出。そのため、えらく顔つきが変わりました。そして、足元がしっかりしたため、Dに比べて、かなりおとなしいSも、よく動き回るようになりました。Dは、多動な、お祭り男的な質なため、黄紺が行くと、テンションが上がり、走り回り、大きな声を出していました。小さいときに比べると、まだ、ましになった方かな。そんなで、2時間ほどいたかな、最後は、前回同様、自転車に乗ったDが、途中までお見送り。今度、いつ会えるやろか、息子が忙しくなると、なかなか会えないものですから、別れ際、思わず呟いてしまいました。それにつけても、暑い。息子の家への往復だけで、かなり疲れます。今、大阪府に入るのは、このときだけなのですが、それで、また神経を使います。往復の時間滞は、うまく混雑する電車を避けることができたので、気は休まることは休まりました。
 昨日のオペラ配信は、息子の家に出かける前に、さほど多くはなかったのですが、確保することができました。レッジョ・エミリア劇場の「カヴァレリア・ルスティカーナ」(エンマ・ダンテ演出)です。イタリアのローカルめな歌劇場で、ディープなイタリアが舞台のオペラということでのピックアップ。プロダクション自体は、ボローニャ歌劇場のもので、オケピットにも、そのボローニャ歌劇場のレジデンツのオケが入っています。モデナが、大きな町としては、一番近いのですが、モデナではなく、ボローニャから入っています。歴史的遺物と言える見事な歌劇場なのに、このプロダクション、えらく貧相。装置が、学芸会用に作られたかのよう。そこに、何やら仕掛けがあるのかもしれないのですが、その前に、黄紺の体が反応してしまい、半寝で観てしまってます。「道化師」との二本立て公演ですが、場合によっては、止めようかとすら思っているところです。


2020年 8月 10日(月)午前 7時 17分

 真夏日が続きます。気温が上がっても、お出かけがない日は、いつもと、変わらぬ時間が流れます。日に2回のウォーキングは、いつもの通り、コースは、買い物の都合と、そのときの気分で変わります。昨日は、郵便物を取りに行く必要があったため、伏見郵便局を通るコースを、2回とも組み込まねばなりませんでした。ところが、日曜日のため、大変な混雑、2回とも、諦めることにしました。ソーシャルディスタンスをとりながら並んでいるのか、郵便局の外まで並んでいるのですから、時間のムダと、あっさりと諦めました。ですから、また、今日のウォーキングも、似たコースを採らねばなりません。そうしている内に、引き取りに行くのを忘れてしまわないか、これを、一番心配してしまうので、早めに早めに取りに行くようにしています。郵便物の中身は、びわ湖ホールでの、月末のチケットですからね、忘れるわけにはいきません。
 昨日、セルビア系Youtube(在ベオグラード)を観ていて、えらく勉強になりました。大規模なデモの様子ばかりか、そのデモに参加した人に、デモの原因を尋ねるというものだったのですが、そのデモは、コロナ騒動と関連しているというのです。セルビアのコロナ対策は、えらく厳密に行ったという様子も、そのチャンネルで教えてもらっていたのですが、その対策、また、発表されたデータというのが、全て、現在の独裁政権の権力維持に利用され、データも、情報操作されていると言っていました。データで、感染者数が低い時期に選挙を行った、そのための厳しい措置が対策として採られた、おまけにデータ改竄もなされていたようだというのです。セルビアの政権って、まだ、そういった体質を持ち続けているのかと、思わず突っ込んだのですが、客観的な目で観ることができる外国人の立場のYoutuber氏が出されているもので、その通りなんだろうと思っています。もう一つ、勉強になったのは、デモの様態です。1日目と2日目では、明らかに違ったと言われていました。1日目は平和裏に、2日目は暴力的にという具合でした。このチャンネルでも、やはり出たかというお話がされていました。大規模なデモに、極右なり極左なり、また、違った観点で暴力目的な集団が加わって来ていたということです。本来のデモ目的とは、主張も手法も異なる集団が加わり、大規模な行動を利用して、暴力行為を図る連中です。目的は、暴力による騒乱状態を演出することということになるでしょうか。この話は、ドイツ系Youtube(在ベルリン)でも、反コロナ対策のデモなどが、そのチャンネルで報告があるときも、必ず、こういった輩のような集団の紛れ込みが伝えられているのと、同じ現象です。そういった行為が増えると、一般市民には、デモの主張は入りにくくなるでしょうし、また、警察などによる規制も強くなるでしょうから、変な方向に流れていきます。いや、その変な方向に流れるようにしていると思った方が、的を得ているのでしょう。自分たちの言い分通りになればいい、力が全てであるとか、人類の歴史の中で淘汰してきたはずと思っていた論理が、まかり通るように仕向ける、そないな人、集団が、当たり前のように出てくるとは、昔は思っていなかったなぁ、、、。コロナの政治利用も、セルビアだけの話ではないですよね。日々、データを追いかけているトルコで、データの改竄まで行われているとは思いませんが、現政権は、うまく政策の成果を埋め込んでいきます。コロナとケマル、エルドーアンの三位一体のように、黄紺には見えてしまっています。トルコ人は、どう考えているのだろうか、こういったときにこそ、トルコにいて、率直な感想、聴いてみたいものです。
 毎日のオペラ配信、「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」を完走しました。第4幕が、黄紺は居眠りをしながらになったのですが、それまでの、小キーテジの町の猥雑な賑わい、さすがにチェルニアコフです。大集団を動かせるのは、名演出家の代名詞みたいなものですからね。「町が消える」、これを、舞台上で表現しなければならないというのが、このオペラのミソですが、チェルニアコフは、市民を、舞台奥に眠らせるという手を使いました。2幕を、大きな造りの屋内での喧騒にして、そこにいた市民が眠るとしました。そこへ、窓からタタールがなだれ込むというもの。やがて、彼らは、散々荒らし回ったあとに、舞台奥に向かい、呆然とします。あるべき町がないという光景です。4幕は、グリーシカとともに逃れてきたフェヴローニャが亡くなるまでを描き、幕となります。その亡くなるフェヴローニャが、最後に、幸せになるはずだった光景が描かれると、このプロダクションではなっていました。このプロダクションを観た人が、ブログにレポートされているのを拝見しましたが、その方は、「天国での再会」と書かれていましたが、それでは、ラストシーンが説明できないですね。貴重な演目、チェルニアコフの素晴らしいプロダクション、とっても印象的でした。リムスキー・コルサコフの音楽もいいです。ただ、「パルジファル」になぞらえたコピーだけは、おふざけだとしておきましょう、センス、悪すぎます。


2020年 8月 9日(日)午前 7時 20分

 昨日は、京都学・歴彩館で講演を聴く日。昨日は、「京都を学ぶセミナー」の「洛西編」第三回として、「三好から明智、細川へ ー主家を渡り歩いた洛西土豪ー」と演題でのお話を聴くことができました。お話をされたのは、京都橘大学教授の野田泰三さんでした。「土豪」、戦国時代に、農民の中から出てきた侍です。そういった土豪の家系が、今も存続しているということ、また、その家系についての史料が、歴彩館の誇る国宝「東寺百合文書」の中に見つかったということで、このお話となりました。お話の大半が、その史料解説、どういった状況の中で、該当の家(郡の中路氏、下桂の中路氏)はどうした、それを後付けながら紹介されるお話。細かな名前が出てくるものですから、まるで、筋立ての複雑なドラマを観ているようで、黄紺の頭の回転に合わず、かなり苦労。途端に、睡魔が襲ってくる。でも、こうした話って、多少飛んでも、ついて行けるからありがたい。こうした土豪が、今の洛西の地域に勢力をはる三好なり細川の配下に入っていきます。その中で、興味を引くのが細川。細川は、領地が変わっていく殿さん、洛西から丹後、肥後に行ってからも、1回変わっている。それに対して、件の土豪も付いていくのですが、嫡男は、先祖伝来の土地を守るのに残るそうです。その様子も後付けられるそうで、その残った家系の末裔が、今でも、地元に続く中路家となるようです。また、洛西に中路姓が多いわけだそうです。これは、洛西の有力土豪の神足氏にも当てはまるようです。「神足」って、土豪の姓に由来するんだと、このおかげで知ることになりました。この講座、切り口が「地域」なため、様々なジャンルのお話を聴けるのが魅力なのですが、こうした地元史のお話が出ると、人気爆発。このコロナの時代に、いくら、座席がソーシャルディスタンスを考え、設えられているとはいえ、満杯状態には、さすがにびびりました。前回の「15年戦争」がテーマだったときとは、えらい違いましたし、なぜ、おっさん度が上がるのですかね、不思議なところです。いつものように、歴彩館への往復にウォーキングを組み込み、昨日の定番のご近所ウォーキングはカット。時間を有効に使うと、いつもは遅めになる夕飯の時間も、自ずと早まるので、これ、なかなかいいですね。
 オペラ配信も、ばっちり時間を確保できました。新たに、オランダ国立歌劇場の「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」(ドミトリー・チェルニアコフ演出)を観ることにしました。これまた、珍しいオペラです。貴重な公演ということで、DVD化されているプロダクションです。以前からチェックを入れながら、なじみがないということで放置していたのですが、配信期間が終わりに近づいているということでのピックアップです。DVD化されたときの売り文句が「ロシアのパルジファル」だそうで、どうやら奇蹟物語なようなのですが、「パルジファル」のような雰囲気、空気というものは、今までのところでは出てきていません。フェヴローニャとフセヴォロドの出逢い、その二人の結婚と進んでいます。前者の装置が、チェルニアコフの美術家としての才能も感じさせる素敵な森の風景。彼は、いつも、演出だけではなく、装置まで、自分でやっつけ、その両者で魅力的なものを提供してますから、とんでもない才能ですね。鶴、熊、山羊を、人の姿で表したというのもアイデアです。そういった動物たちに囲まれた森で、フェヴローニャを歌うスヴェトラーナ・イグナトヴィッチが抜群に映えます。このオペラの大きな推進力になっていますね。いよいよタタール軍の進撃を知らせるラッパが鳴りました。切りどころと考え、そこで、中断にしたのですが、その後の展開が気になります。叙事詩的趣を持つのが、ロシアのオペラの特徴ですから、今後の展開が楽しみです。


2020年 8月 8日(土)午前 7時 22分

 昨日は、予定を入れていたときには、仏教大学四条センターでの公開講座が入っていたのですが、先日の一件で、無駄足を踏んで覚えたものですから、削除。替わりに、何か入れようとはしたのですが、別に、他の日でもいいものだったので、結果的に何もない普通の日にしました。一昨日も出かけたし、今日も出かけるしと、最近は、敢えて連続的に出かけることを避けるようになっています。コロナ効果の一つです。となると、いつものように、日に2回のウォーキングというルーティンをこなすというもの。昨日は、昼前のウォーキング途中に、ちょっと久しぶりに、弟の家に寄ってみました。歴彩館で、公開講座の予定表が置かれており、まだ、当館のウェブサイトには掲載されていないものが含まれていたので、弟用に1部、余分をもらってきてあったのを持って行ったというわけです。弟は、早朝から、サイクリングで奈良の近くまで行ってきたと言ってました。元気な話です。話題は、どうしても、珍しいのか、黄紺宅の改造が主たるもの。そんなで、小1時間、上がり込んでしまいました。そうそう、弟も落語が好きなもので、DVDに収録した上方落語や、最近、放映のあった一之輔落語も、話題に上がっていました。アーカイブから、吉朝、枝雀、米朝の放映があったそうですね。枝雀、米朝のネタは思い出せたのに、吉朝のネタを思い出せたない弟、聴いてから、さほど時間が経ってないはずなのに、大丈夫かなぁ。黄紺宅には、テレビがないから、そうした話を聞けるだけで、満足。ましてや、話題に上がるのが、この3人では、満足度が違います。
 夕方のウォーキングの途中、休憩&読書のために公園に寄ったときに、メールを見ると、高校時代の友人からメールが入っており、コンサートのチケットをもらえることになりました。京都市交響楽団の定期演奏会のチケットなのですが、最初の予定では、「バラの騎士」組曲が出るということで、チケットを買うつもりだったところ、「バラの騎士」では、舞台上が密になるということで、密にならない、要するに小編成の曲でプログラムが作られての実施となり、ほぼ止めにしようとは思いつつ、指揮が阪さんなので、ちーとは後髪が引かれていたので、ありがたい話になりました。あとは、チケットの受け渡しが、うまく行くかですが、ま、大丈夫でしょう。
 で、昨日のオペラ配信は、「放蕩児の遍歴」を最後まで。主人公を放蕩に誘い、変な仕事を持ちかけ、主人公に大損をさせる男は、何てことはない、悪魔だったのですね。放蕩を続ける主人公に、ひたすら愛をそそぐ女性により、ようやく目覚める主人公、でも、時は、既に遅しというものでした。ドタバタの部分は、かなり引きずり回される感のある音楽なのですが、静かに、しんみりとのストラヴィンスキーは、なじみにくいところがありました。まだ、勉強不足を実感させられました。でも、珍しいオペラを観ることができ、感謝です。こうしたオペラ配信、ポピュラーな作品ばかりか、レアな作品も、随分と並んでいます。プロダクションの様々を観るのも楽しい、著名な歌手を観ることができるのも楽しい、知らない作品を観ることができるのも嬉しい、オペラ配信のありがたいところです。


2020年 8月 7日(金)午前 7時 46分

 昨日は、京都学・歴彩館であった「ミニ講座共催特別企画 シベリア抑留、引揚から舞鶴への生還 第4講」に行ってまいりました。これは、先日、同館であった講演会に行った際に知った講座。第3講に間に合ったのですが、急遽、中止になったいわくつきの講座。電車の中で、中止に気づいた講座のことです。怖いので、昨日は、同館のウェブサイトで確認後、家を出ることにしました。この講座は、舞鶴引揚記念館所蔵資料である白樺日誌など570点の資料が、「舞鶴への生還」として、歴彩館所蔵の「東寺百合文書」とともにユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)に登録され、今年で5周年となるのを記念して、企画されたもの。昨日の第4講は、「次世代へ語り継ぐ世界の記憶(世界記憶遺産)登録5周年特別企画”東寺百合文書”と”舞鶴への生還”」と題して行なわれ、次の方々の出演がありました。(歴彩館資料課)若林正博、(舞鶴引揚記念館学芸員)長嶺睦、(高校生報告/京都会場側)府立鴨沂高等学校京都文化コース生徒、(高校生報告/WEB高校生報告/舞鶴会場側)舞鶴引揚記念館高校生語り部、日星高校レスリング部。まず、世界記憶遺産となっている2つの文書を、「高校生向け」に解説。黄紺には、ありがたいスタンス。歴彩館が、国宝を所蔵していることは知ってはいましたが、それが、平たく言えば、荘園に関わる文書だとは、初めて知りました。東寺の寺領だった地域の記録でした。後半は、高校生が出演しての活動報告。鴨沂高校生は、西陣空襲と建物疎開の跡を報告、日星生は、抑留されていた人たちが、ウズベキスタンで労働していた関係で生まれた、レスリング交流について、また、語り部の生徒たちは、活動の感想を話してくれました。平和学習って、抑留、空襲、疎開という問題が、焦点化されてしまうのですね。ま、今回は、「舞鶴への生還」がテーマということから、致し方ないのかな。高校生の質疑応答の中で、舞鶴の空襲が話題になったときに、舞鶴の海軍基地が出ていました。舞鶴という街の成り立ちのところでも、海軍は出ていましたね。京都市内でも、昨年、「ブラタモリ」でおなじみの梅林さんから、「軍都深草」を聴いたところだったもので、いいネタがあるのにと思ってしまいました。そないなことを考えながらの2時間。今、外部の人から刺激を受ける機会が、ほぼゼロ状態なわけですから、ホント。ありがたい催しでした。最近、歴彩館への往復は、電車賃節約も考え、いずれも、ウォーキングがてらの移動にしています。往きで40分、でも、こちらは2回に分割になるので、さほど疲れや暑さは感じないのですが、帰りは、歴彩館から三条駅まで歩くので、小1時間を要します。昨日は、予想最高気温38度、でも歩きました。日影を選ぶと、かなり楽、でも、そうでないと、汗がマスクの中でむれるものだから、人混みを通らないときは外すと、かなり楽ということで、歩きぬきました。歴彩館に行くときの定番だけど、さすが、昨日は、電車の冷房がありがたかった。そんなで、昨日は、毎日のウォーキングの替えを、こういった形にしました。ただ、オペラ配信を観る時間を確保するのは無理でしたね、お出かけ前にキープしたかったのですが、家の用事もしないといけなかったので、昨日は、端から諦めていました。


2020年 8月 6日(木)午前 7時 1分

 昨日は、市民向け公開講座を聴くはずだった日。だったというのは、予定していて、先日と違い、実際に会場まで行き、そこで、初めて休止を知ったからです。行き先は仏教大学四条センター。コロナのため、こういった公開講座の再開は、まだだろうと思っていたところ、京都学・歴彩館でのものが再開していると知り、じゃ、他はどうかと思い調べたところ、この公開講座一覧を見ると、休止のものも多かったのですが、幾つかは、休止にはなってなかったもので、それはやってるのだろうと思ったのでした。通常、そう思いません? ところが、そうではなかった。入り口に、「9月末まで閉鎖」の貼り紙。だったら、京都アスニーのように、ウェブサイトに「公開講座は当分お休み」のメッセージ出しておいて欲しいものです。そんなで、完全な無駄足。先日のことがあるので、昨日は、自宅を出る前にもチェックを入れたのに、この悲しい話はありえないんじゃないかな。仕方がないので、久しぶりに、京都市の中心部を歩くアーバン・ウォーキングに切り替え。ついでに、ロームシアターに行き、先日、予約を入れたチケットの引き取りにも行きました。家に戻ったとき、万歩計を見ると、1万歩を超えていましたから、ウォーキングとしては十分な成果だったのですが、やっぱ、自分の時間を奪われた感は残るわね、そりゃ。
 そんなで、結局、普通の一日になりました。夕方にもウォーキング、これは、いくら暑くなっても、変わるわけではありませんでした。オペラ配信は、新たに、グラインドボーン音楽祭の「放蕩児の遍歴」(ジョン・コックス演出)。ストラヴィンスキーの作品ですが、知られた作品ではなく、黄紺も、初めて観るというもの。20世紀の作品としては珍しいナンバーオペラ。擬古典的作品というカテゴリーに入るものですね。独立したアリアがあり、デュエットがあり、繋ぎにはレシタティーヴォが、通奏低音としてハープシコードが入るという徹底ぶり。筋立ても、ブッフォ的内容。相続で大金を手にした男が、都会に出て遊興三昧、正に、題名通りの展開。マザーグースという名の売春宿の女将が出てきたり、トルコ名を持つ男女が出てきたり、いろいろと遊んでくれます。最初は、何が始まるのか、不安げに観ていたのですが、わりかし引っ張られてしまってます。一気に2/3ほど観てしまいました。
 家の中が、どんどんと暑くなっています。いいタイミングで、空調を入れたものです。この2日間、完全に熱帯夜。夜中の2時には、かなり落ち着いた一昨夜に比べ、昨夜などは、明け方に、少しだけ落ち着いたかなという程度。朝6時に起きて、暑いなと思うのですから、正に熱帯の朝ですねと思いながら、実際の熱帯で、もう、その経験はできないなと思えてしまってます。マレーシアやタイの田舎、行きたいね、ホント。


2020年 8月 5日(水)午前 7時 51分

 昨日は、息子が来てくれ、先日注文した家具の一つを取りに行ってきました。ついでに、もう一つの家具は、かなり先にはなるのですが、その家具のために必要な付属品を買っておくのも、昨日やっておかねばならなかったこと。いくら家具が配送されてきても、それだけでは使えないので、予め用意をしておこうということでした。最近、家具など買ったことのなかった黄紺よりは、結婚をしたときなどに、家具を揃えたことのある息子の方が、こういった買い物には明るいので、正におんぶにだっこ。要りそうなものは、自分が使うわけではない息子の指示に従うだけ。昨日、引き取りに行き手に入ったのは椅子。椅子はあったことはあったのですが、身体に痺れのある黄紺には、座り心地が身体に合っていないとダメなのです。今まで、短時間座る程度の硬い椅子しかなかったもので、板の間に改造した部屋では、使い勝手が、頗る悪かったのです。工事が終わってから、硬い椅子を使っていたため、できるだけ早く欲しいということで、黄紺的には最善と思った椅子では、引き取りまでに、時間を要するために、我慢ができず、ちょっとした妥協をして、早く手に入るようなものを注文してありました。組み立ても、息子がやってくれました。知らない間に、家には電動ノコまで揃え、こういった仕事は、全部引き受けているとか。親は二人とも得意じゃないのに、いつ覚えたんだろうかと考えてしまいました。できない親を持つと、自分でやるってことですね。あんなのに頼っていては、いつまで経っても埒があかない、ならばってところなのでしょう。もう一つの方は、配送も組み立ても、業者の方にやってもらえるので、息子に来てもらうことはないので、一連の改造工事絡みは、これで一段落かな。で、実際、昨日、半日、新しい椅子で生活をしてみたのですが、嘘みたいにに楽です。背もたれも、しっかり付いているものを買ったものですから、PCを使いながら、映像を観るときなど、ゆったりと、場合によっては、PCから距離をとりながら、そして、メガネを使い、画面を眺めることもできるようになり、かなり、生活のスタイルに変化が出そうです。
 午前中に現れた息子は、もう午後2時頃には帰っていきましたから、そこからは、日常生活が復帰。従って、ウォーキングは、夕方の1回だけ。これは、仕方ありません。ルーティンの一つ、オペラ情報はばっちり。昨日で、「アグリッピーナ」を完走することができました。宮殿となった舞台装置は、そのままで、アグリッピーナが、ネローネを皇帝に就けようと動く意志として、その意志を象徴するかのように、階段状になっていた舞台上に、オペラハウスを思わせるような建物が、途中から設えられたのが、新しいことで、あとは、列柱を倒したり、床がめくれ上がったり、件の建物壊しがあったりと、登場人物の心情に応じた変化が加えられるというものでした。そうなんです、登場人物の心情を表現するのに、劇場の座席が必要とかということではなく、そこにある「もの」を使い、心情表現をしてみようのコンセプトかなと、黄紺には思え、後半の古代宮殿への模様替えをしやすい、何やら奇抜なもの、それが、劇場の座席という装置だったのかなというのが、黄紺的把握です。キャラ設定でおもしろいと思ったのは、やはりネローネ。マザコンで、俗っぽいお兄ちゃん、目の前のことしか考えないアホぼんキャラ。これは、とってもありうる、なるほどというもので、そうしたキャラで、いろいろと遊んでくれてました。そうした意味でキャラの一貫性では、優れもののプロダクション。ポッペイアが、ちょっとキラキラ系だけど、しっかり者の可愛い系の女、それに対し、オットーネは、生真面目男、一緒になったら、ポッペイアの尻にしかれそうタイプ。クラウディオは凡庸さを強調、でも、色には目がない中年。アグリッピーナはアグリッピーナだけど、悪どさは、あまり強調してなかったかな、狡猾さを前面に出すことが大きなキャラ付けでした。やはり、ヘンデルは楽しい。プロダクションにより、彩りも変わりやすいのかな、複雑な筋立てがネックだけど、「アグリッピーナ」のように、既に理解できているものは、素直に、オペラを楽しめますね。


2020年 8月 4日(火)午前 8時 31分

 昨日は、午後の時間を使い、オンライン呑み会をした日。昔の同僚と、5月の末か6月の初めに、電話で話した際、1度やろうという話になりながら、その後、音信が途絶えていたのが、ここに来て、ようやく実現しました。PCには、さほど長けた人ではないはずと、インプットされていたものですから、事前準備と言えるほどではないですが、先日も、高校時代の友人に、練習と称して、この呑み会へのアクセスに40分もかかったことがあり、ちょっと心配していたのですが、URLを送っただけで、時間になったら、入室を知らせる音が入ったため、びっくり。何ら支障なく、始めることができました。聞いてみると、既に、オンライン呑み会の経験者だったのでした。ですから、カメラやマイクのセッティングとか、必要なことを理解していました。実に3時間半、喋りました。コロナのこと、映画のことが多かったかな。知らない間に、レンタル屋さん、それも、かなりマニア向けコンテンツを置く店をキープしているようでした。オンライン呑み会に入る前から、PCの前に座っていたものですから、最後の方は、お尻の痺れがひどく、黄紺の方から、終了をお願いしました。その間、黄紺は、日本酒を、コップに2杯、最近にない酒量でした。空調のおかげで、生ぬるい日本酒が、ひときわ、黄紺の口には美味に感じました。ちかみに、肴は、ピーマン・サラダと平天にしました。
 午後1時から始めたわけですから、終わったのが午後4時半。ここに、普段にはない時間を使ったのですが、昨日は、ルーティンも、通常通り、こなすことができました。うまい具合にというか、久しぶりに、前夜の睡眠時間が短く、結果的に、時間に余裕ができたわけです。日に2回のウォーキング、オペラ配信も、ばっちりというわけです。「アグリッピーナ」、後半の序盤、ポッペイアとオットーネが仲直りする場面半ばまで進みました。ポッペイアの歌唱が、幾つも重なっていく場面に入ったため、その歌唱を分散して楽しもうとの魂胆で、変なところで切りました。ここまで観てきたことで、メモらねばならないことを書いておきます。劇場の座席が装置だったのですが、アグリッピーナが、ポッペイアをそそのかすシーンで、その座席を、どんどんと寝かして行き、次のクラウディオがポッペイアに言い寄るところで、舞台が回転。座席の背後を使い進行。アグリッピーナがやって来ると、また、回転。すると、座席は取り払われ、ただの階段に変化。そこに、列柱が2本立ち、2幕が始まると、列柱は6本に、ホリゾントが、半分開けられ、その奥には、お庭の書き割り、完全に、古代の宮殿風景に変貌していました。となってしまうと、このあとは、変化がないのかな、そないな予測です。2つ目は、歌手陣について。黄紺のミスで、アグリッピーナの家臣の1人はカウンターテナーでした。それを書きたいのではなく、歌手陣の質が、総じて高いのですが。ただ、1幕ラストのオットーネのアリアは、メトライブで聴いたイェスティン・デイヴィーズの素晴らしい歌唱が、耳に残っているため、それと比較すると、ちょっと寂しく感じましたが、あれは、特別な歌唱だから、比べること自体が間違っているかもしれませんね。グランジ・フェスティバルって、黄紺的には未知の音楽祭だったものですから、マークの必要性高しと、こういった面でも、新たな情報を得られたなの気分です。


2020年 8月 3日(月)午前 5時 51分

 昨日は、京都シネマで映画を観る日。沖縄テレビ制作のドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」を観てまいりました。感染拡大のなか、無謀かと思いながら、行ってみることに。「菜の花」というのは、このドキュメンタリー映画の主役の名前、本名だそうです。石川県の中学を出て、沖縄のフリースクール系の高校に通った女性の記録です。県外の高校に行ったのは、いじめがためにだそうで、出ることが、まずあり、次に沖縄を見つけたというキャリアになるようです。彼女の目を通して見える沖縄が、どのように映るのか、それを期待して行った映画だったのですが、映画の作り方が、ちょっと強引で、辺野古の状況を軸に展開していく沖縄の現況を追いかけるのが、アプリオリにあり、それに、菜の花さんの言動を合わせていくという感じで、黄紺が期待していたとは、主客逆の展開を見せた映画となっていました。そのような期待を持たないで観に行ったなら、また、違った感想を持ったかもしれないなとは思います。彼女の実家は旅館、そこに泊まりに来ていた、地元の新聞社の記者が、菜の花さんの書いたものを見て、文才があると看て、「菜の花の沖縄日記」という連載コラムを依頼。最終的には、それが、1冊の本になるまでの分量となります。映画の構成のスタンスを見て、思わず、いい素材があるのにと突っ込んでしまいました。でも、久しぶりに沖縄問題を扱った映画を観ました。そして、こういった機会を活用して、自分の頭をリフレッシュしないとダメだなと痛感しました。それを確認できただけでも、観に行った値打ちってあるのでしょうね。
 この映画を観たのが夕方。それ以外は、普通の日だったのですが、昼前のウォーキングを終わり、昼御飯の用意をしたところ、昼飲みをしたくなり、ワインを飲んでしまいました。いい気分で、オペラ配信を観ていると、居眠り。単なる居眠りならいいのですが、そうしたわけにはいかず、座っていた椅子から転げ落ち、右顎を、したたかに床に打ち据えてしまいました。20年ほど前、息子とクアラルンプル市内を歩いていて、足元の鎖に足をかけ転倒したことを思い出しました。あのときは、顎から地面に叩きつけられ、その衝撃で、歯を2本も折ってしまいましたが、今回は、そのとき打ったところから、右に7~8cmずれたおかげで、そこまでの衝撃を受けなかったようで、歯は助かりましたが、口の中を切ったようで、うがいをすると、口腔内がしみてしまいますし、上唇が、長い間、痺れたままです。時間が経つにつれ、傷は大きいぞの実感を持つようになってきています。テーブルの上にあったお皿が1枚落ちただけで、あとの被害はなかったので、いったい、どういった崩れ方をしたのかが、よく判りません。半ば、身体が崩れたところで気づき、もう次の瞬間には、顎を床に打ち付けていました。お酒でいい気分になっただけではなく、空調で、更にいい気分になっていたのでしょうね。
 そんなで、事故ったオペラ配信ですが、新たにグランジ・フェスティバルの「アグリッピーナ」(ウォルター・サットクリフェ演出)を観ています。装置が、劇場の客席という、なかなかユニークなもの。しかも、階段状の座席部分が回転舞台上に乗っているというもの。ですから、その座席が横向きになったり、反対向きになったり、反対向きになると、座席下の空間も使いながら、オペラは進行することもあるプロダクションです。そうした装置を使う心は、、、残念ながら、黄紺には、まだ判っていません。いえいえ、最後まで行けば判りそうとは、今のところ、思えるような感じがしてません。1ヶ月近く前に、デヴィッド・マクヴィカーのプロダクションで観たばかりのオペラなものですから、見通しが効いてしまうため、自分のできそうもないこと、難しいことが見えてしまうのです。まだ、ポッペイアが出てきた辺りまでしか観ていませんが、そこまででメモの要ることを書いておきます。このプロダクションでは、ネロは、カウンター・テノールが歌っています。カウンター・テノールが起用されているのは、ネロ以外ではオットーネだけで、アグリッピーナの腹心には使ってはいません。さて、このあと、何かそそられそうな、何かしらの工夫があるのかな。


2020年 8月 2日(日)午前 7時 15分

 また、普通の日に戻りました。1日2回のウォーキングは、通常通り。真夏の様相になってきているため、陽射しを避け、しかも、虫も避けようとなると、もう普通の公園だと、なかなか手頃な休憩&読書の場がなく、結局、雨の日に利用することにしている、屋根付き公園がベストだということで、昨日は、2回とも同じ公園を活用。さすがに、ウォーキングのコースは変えましたが。真夏になったと言って、新たな空調が入ったからと言って、でも、空調を使う時間は、ほんの僅か。断捨離ってしてみるものですね。部屋から、ものがなくなるだけで、風通しが良くなったからでしょうね、涼しいのです。毎年だと、6月の後半辺りに、気温が上がると、一挙に室内気温も上がり、なかなか下がらない。そのため、寝苦しい夜が待っているという状態になっていたのが、嘘みたいに室内温度が上がらないのです。せっかく新しく空調入れても、使う機会は少なさそうです。ま、冬に活躍してもらうことにしましょう。
 最近、「黄紺の部屋」の掲示板に、時々、アラビア語による広告が付くことがあります。全く読めないので、内容は把握できてないのですが、同じものが付いているわけではありません。息子に、その旨伝えると、ターゲティング広告という言葉が返ってきました。利用者の履歴に応じた広告が出てくるとか。そう言えば思い当たることがあります。旅行頻度が高かった時期に、黄紺が利用した旅行会社の広告が、しつこく出たのに、最近は、とんと見かけません。なるほど、履歴に対応しています。でも、なんでアラビア語なんでしょう。確かに、トルコ関係のサイトは、頻繁に見ているけれど、トルコ語の広告でない不思議です。中東という括りに、トルコも入っていて、こないなことになっているとしか考えられないですね。だったら、細かいようで、雑な話です。
 オペラ配信は、「ねじの回転」完走しました。観ている途中、なんかしんどくなり、昼寝を挟むと回復、無事に完走しました。ブリテンのオペラには、同性愛趣味が挿入されていることを書いていましたが、それを探すどころか、まともに、物語の本筋に取り入れられていました。「ビーター・グライムス」にも入っていた「少年愛」というプロットが使われていました。日本的言い方を使うと、「この世に思いを残した」幽霊の男女、その二人の相克の原因が、男の少年愛。男は、死んだあとも、件の少年への思いを持ち続け、夜な夜な幽霊となり、少年のもとに現れる、それに業を煮やす女、なかなか日本の物語に出てきそうな筋立てです。ブリテンは、能「隅田川」にインスパイアされ 、オペラ「カリューリヴァー」を作ってますが、あれも幽霊の話。但し、あちらは、少年愛ではなくて、母親の愛でしたね。この「ねじの回転」、不条理劇と言えば、その類いに入るでしょうが、幽霊を使うという着想に変化があるので、観やすいという印象を持ちました。「ピーター・グライムス」や「ビリーバッド」の持つ重さがないからだと思いました。音楽的には、とってもファンタジックで、「真夏の夜の夢」を想起させるもの。子役が2人登場します。なかでも、件の少年役は大役。ブリテンの複雑な音楽に合わせての歌唱に加えて、かなりの演技力が求められるというもの。これは、プロダクションに依らず、筋立て上、求められざるを得ないということです。オペラ配信では、まだ観ぬブリテン作品が他にも上がっていますので、この「ねじの回転」のおかげで、そちらも制覇する意欲が湧いてきています。


2020年 8月 1日(土)午前 8時 50分

 昨日は、空調交換の工事があった日。時間指定がなく、朝9時には時間のメドを知らせる電話が入るという話が、空調を注文したときに聞かされていたのですが、実際に連絡が入ったのは、午前8時過ぎ。「1時間ほどしたら寄せていただきます」というもの。これは、ありがたかった。ずっと待ってるの、嫌ですものね。工事は、2時間近くかかりました。古い室外機の撤去から始まり、当然、室内機も要らないため、撤去。古いものだっただけに、運ばれるのが気の毒なくらい。室外機は、屋根の上にあったものですから、2階の部屋から外に出ての作業、そして、取り外し、処分。その持ち運びが、気の毒だったのです。重い室外機を持ち、下まで運ばれるものですから、見ていても冷や汗もの。室内機も重そうで、この仕事、大変です。心配していた電源も、電気系統のチェックで問題なしで、ホッとしました。言われて、初めて気づいたのですが、空調用に、専用線が引かれていました。あとは取り付け。先日、息子と、室外機を、簡単に置けるように、断捨離をしておいたので、作業には、何ら支障はありませんでした。ちょうど2時間かかったものですから、空調の使い方なんかを点検していると、もう、午前中のウォーキングをしている時間はなく、あっさりと諦めることに。ま、仕方ありません。昨日は、ようやく真夏の雰囲気が出てきた日だったものですから、その日に、新しい空調が入るとは、めっちゃグッドタイミング。そうそう、空調が整ったのだからと、これまた、息子に付き合ってもらい、先日見に行った、改造した部屋用の家具の注文が、次の作業と思い、ネットで注文。思っていた色とは違う色のものを注文してしまうというミスを犯し、慌てはしましたが、それも、無事に解決したのですが、配送日は4週間も先。この家具は、部屋の広さを測定して行かないという致命的なミスを犯したので、先日下見に行ったときに注文できなかったというわけでしたが、そのとき買った椅子も、すぐには手に入らなかったわけですから、それよりか大物家具なら、同じように、手に入るのに時間がかかるという認識に入らねばならなかったのですね。いや、家具の注文って、そないなものということを知っていれば、部屋の改造作業に入ろうかという時期に、既に、下見&注文をしておけば良かったということを、今ごろになり気づいた次第です。空調の方は、今年は、売れ行きが芳しくないということで、スムーズに取り付けは終わりましたが、こちらも、家具同様に動くべきだったのです。改造工事に入る前、息子が、何度となく断捨離のために来てくれ、ゴミを車で運んでいました。そのとき、ちょっと足をのばし、家電量販店、家具量販店に寄り、取り付けや配送までの時間を聞いておけば良かったということです。世間知らずもいいところです。息子は、今、新しい家を建てていますので、それに必要な家具は、今から下見、場合によれば注文までしておけばいいんだ、ホント。
 午後からは、通常の日に戻りました。夕方のウォーキングは、いつも通り、オペラ配信も、ばっちりです。そのオペラ配信は、新たに英国ノース劇場(リーズ)の「ねじの回転」(アレッサンドロ・タレヴィ演出)です。ブリテンもの大流行りです。ブリテンの代表作品でありながら、観るのは初めてとなります。幽霊の出てくる物語ですが、今のところ、音楽が、やたらとファンタジックです。ブリテンは、彩り豊かな音楽を紡ぎますが、これもそうだと言えますね。そして、ブリテン作品には、必ず入っているという同性愛趣味が、どこで出てくるか、それを見つけるのが楽しみの一つとなっています。先日観た「ビリーバッド」なんてのは、タイトルロール役のキャラ設定からして、そうだったという、強烈なものは、今のところ、感じてはいないのですが。


2020年 7月 31日(金)午前 7時 33分

 昨日は、ひどい日となりました。午後に、京都学・歴彩館である講演に行く予定で、朝から、それに合わせて動いてました。そして、実際、出かけました。その往きの電車の中で、講演の詳細を確認しておこうということで、同館のHPを開けると、休止の告知。「緊急に施設の安全点検を実施する必要が生じたため」と、そのわけが書かれていて、日付は昨日。確かに「緊急」に説得力は出てきますが、その告知には、来館してしまった人を対象に書かれていたために、驚きが膨らみました。 慌てて電車を飛び降り、とにかく、このご時世、都会の真ん中に佇むのは危険と、ウォーキングがてら歩き出し、結局、一番安価な方法で引き返すことに。そんなで、急遽、午後の2時くらいから、普通の日に戻ってしまいました。この辺から、昨日も、降ったり止んだりのお天気。降ったら降ったで、その降り方が半端ではない。最寄の駅に着いたときには、傘がありながら、歩き出す勇気が出ないほどの雨。いつまで続くのでしょうか、もう8月です。
 当てが外れて、ようやく帰宅して、それならと、「眠りの森の美女」に邁進。カラボスに意外性があったため、この先、何やら起こるかもと思っていたのですが、そうした期待はムダでしたが、これぞ、王道というプロダクションですね。オーロラ姫が出てきて、眠りに入り、リラの精が、宮廷の人たちを眠りにつかせるまでは、しっかりと描かれるのですが、王子が出てきて、オーロラ姫と会うまでが、とってもあっさりだったのには、びっくりでした。ワルシャワで観たときも、似た感覚を持った記憶がありましたが、それ以上のあっさり感。リラの精に導かれて城に向かう時間をたっぷりととった、DVDで観るマリンスキーのプロダクションに憧れてしまいます。城に着いても、誰も眠ってないし、オーロラ姫は舞台上にいなくて、リラの精が呼び込むと、袖から出てきて、王子と会います。ですから、目覚めさせる場面は割愛させるという趣向。「ここで想像してね」というスタイルでした。ま、主は、そのあと続く祝宴の場面ですから、お任せもありかというところです。バレエって、いつも思うのですが、主役が出てくると、華がありますね。また、華を感じさせる身体能力を感じてしまいますから、うまいことしたものです。足を上げるときの弧の描き方一つの違いで、動きが大きく見えます。ぶれない軸に、手足の動きが絡むと、美しさが増します。そうしたものを強調するようにと、振付の工夫がなされているのでしょう。まだまだバレエに未熟なもので、観る目を養う必要を感じます。すると、もっともっと楽しく観ることができるのでしょうね。そんなで、「眠りの森の美女」完走しました。王子役のダンサーが、エムレ・ベレズオウルの若い頃似だったのも、印象に残っちゃいました。
 そして、夕方は、傘さしウォーキング。昨日は、講演会の帰りに、アーバン・ウォーキングを入れるつもりだったのがポシャってしまったので、頑張って、傘さしウォーキングを入れたというわけです。でも、お出かけ機会が減ってるなかで、それを、一つ奪われたのに、あまり腹立たしくないんだよね。感染が拡大するなか、これで良かったかもと思うところがあるのかもしれないし、日常生活に戻ったという安心感はあるのかもしれないですね。ちょっと、不思議な感覚です。


2020年 7月 30日(木)午前 7時 23分

 昨日は、ほぼ1日を使い、断捨離。息子の融通が、ぼちぼち効かなくなるので、最後と言ってもいい、大きな断捨離をしました。幸い、雨は降らないわけではなかったのですが、大きな邪魔にもならずにできたのですが、処分するものを見て、息子が抵抗。DやSも乗る車に、そないな汚れものは乗せたくないということで、黄紺も、仕方がないと思い、昨日は、レンタカーを借りました。断捨離をする場所が判っていたので、どないなものを捨てることになるか、判っていたと思っていたので、車を出すことを頼んだとき了解済みのはずだった、これは、黄紺的思惑。結局、判ってなかったのです。逆に、トラックを借りたので、その荷台には、気楽に処分品を積むことはできました。ましてや、ゴミ処理場に持って行ったあと、雨が降ったため、荷台の汚れを流してくれましたから、結果的には、正解だったかなというところです。あとは、そのトラックが自家用車替わり。前回、息子が来てくれたときに、目を着けておいた家電量販店に行き、空調を買いに。新しいものに、この際、交換しようというのです。幸い、梅雨明けが遅く、比較的気温の低い日が続いているので助かっているのですが、いざ空調を買ったからと言って、工事にすぐには来てもらえるものではないはずだから、このあと気温が上がると困ると思っていたのですが、何と明日に交換の工事に入ってもらえることになりました。早すぎる、まだ、涼しいよと突っ込みかけたほどの早さ。店の人曰く、「今年、売れてないんですよ」、これは知りませんでした。なぜなんでしょうか、コロナに関係するとも思えないし、やはり、長梅雨のせいなんでしょうか、でも、黄紺的には、嬉しい話です。小さな家電製品をもう一つ買い、また、2階の生活している部屋でPCを使いやすいようにと、電源コードも買い~ので、家電量販店をはしごしてしまいました。更に、もう一軒、改造した部屋が、和室から洋間になったので、それに見合う家具探しです。迂闊に、部屋のサイズの計測忘れがあったため、小物は注文、大物はカタログだけを手にして、後日注文ということになりました。あーした家具店って、在庫が、すぐにあるわけではないのですね、ものによっては、3週間も待たねばならないものもあり、びっくりでした。それだけ、人気商品ってことですね。仕方なく、急ぎで欲しかったものですから、好み的には、その次に来るのを注文することにしました。お疲れでした、なかなかヘビーな一日、息子のDのお迎え、大丈夫だったでしょうか。「これやったら、車で来るんちごた」「電車の方が早いんや」とぼやきながら帰って行きました。その息子が、来るときに、ほとんどSの映像、一部Dの映ったDVDを持って来てくれました。いつもは、Youtubeにアップ、特定の者だけが観ることができるURLを送ってもらうのですが、今回、同じ方法を採ると、Youtubeに「不当なコンテンツ」との表示が出て、観ることができなかったためです。なぜ「不当」になったかは、ま、原因は、息子も言ってましたが、黄紺も納得しました。Sが、裸んぼで動き回るものが入っていたからですね。YoutubeのAIは、それを見逃さなかったということなのですが、一般に公開してないのだから、はじく必要がないのにと思うんだけどなというところです。「クレームつけたら」「じゃまくさい」と、あっさり却下。ま、うまい具合に持ってくるついでというものがありましたから。その動画で可笑しかったのは、初めて自転車の前乗りをするときのもの。完全に、固まっていました。Sは、こうしたとき、抵抗の意志は、固まるというのが最大の表現手段かもしれません。Dだったら、どうだろ、実際には、どうだったのだろうと、性格の違う兄キのことを想像してしまいました。というわけで、昨日は多忙な一日だったため、オペラ配信はお休み。よく働きました。


2020年 7月 29日(水)午前 7時 52分

 昨日は落語を聴く日。大阪には行きたくない、だから、京都&大津で、気になる落語会があれば行こうとしています。2週間前に、米朝一門の噺家さんたちの大津の会に行き、あれに次いで、コロナ騒動後、2回目となりました。昨日行ったのは、金閣寺の近くにある「アートギャラリー伝々」、そこで行われた「伝々寄席」に行ってまいりました。夕方のウォーキング代わりと考え、円町から歩いて往復。あまり歩かない場所なため、新鮮なことは新鮮でしたが、京都の街中は、北から南へと下がっているため、往きは、やたら坂が気になってしまいました。片道、所要35分、いい距離です。会場は、町家を利用した、いい雰囲気。この会のブッキングは林家染太、昨日は、弟弟子の染吉をゲストに喚んでの会となりました、その番組は、次のようなものとなりました。染太「刻うどん」、染吉「禍は下」、染太「堪忍袋」。和室の襖を取り外し作られたいい会場。地域寄席としては、抜群の会場じゃないかな。その和室の雰囲気と、染太のキャラが合わないのが、何となく可笑しい。染太でも、複数回聴いている「刻うどん」から。漫画チックな描き方なのを、よ~く覚えています。この客席は、ホームだからでしょうか、十分に、この染太テイストの口演を受け入れていました。となると、何度か聴いていても、その場におれる楽しさ、嬉しさが湧いてきます。陽気な染太に対し、染吉は、真逆のキャラ。しかも、陰に引っ張った空気を出しながらの登場だから、余計にコントラストが出ていました。しばらく見ぬ内に、ダイエットに励んだのか、頬骨がくっきりしていたためか、余計に陰に見えたのかもしれません。「禍は下」は、東京の「権助魚」。東京ではよく出るネタですが、上方では、米朝ネタながら、一門で演じる噺家さんも、さほどいるわけではないもの。噺の展開がおもしろいのにと思ううえ、妾ものでありながら、噺の本筋は、そこではなく、定吉に焦点化されていくのも、落語らしいと言えば落語らしい。染吉は、それを見透かしたかのように、定吉がいい。魚が解らないのに、最後の言い訳は、実に立派。この口先だけ男という生意気さが、きっちり感じさせられ、可笑しくて。グッジョブってところです。染太の「堪忍袋」は、初遭遇のはずです。マクラで、自らの夫婦関係の話をして、その実話入り落語をすると予告してから、ネタへ。こういうネタって、オーバーアクションなどを持ち味にする染太には、格好のネタですね。夫婦の言い合いからスタート。のっけからハイテンションのスタート、これが続きます。そして、最後に、きつーい、ハイテンションが入りますから、途中、緩む時間が欲しいネタです。夫婦関係で、それを表して欲しかったな、そないに思いました。でも、楽しかったぁ。お約束の実話は、デブネタでした。これで、今月は、2回、落語会に行けました。でも、今のところ、次に行こうかという落語会が見つかっていません。そないな落語ロスの日々が、今後は続きます。
 オペラ配信の方は、オペラではなくて、バレエを観ています。コヴェントガーデンの「眠りの森の美女」です。ライブビューイングで公開されたものです。映画館に、足を運ぼうかと思いながら、自重した作品。それを配信で観ることができるというわけです。とっても豪華な衣装、オーソドックスな振り付けかと思いきや、カラボスが女性になっていました。これは初めてのことです。と言えるかというほど、多くのプロダクションを観たわけではないので、あくまでも自分的にはということです。オーロラ姫を、日本人のダンサー(金子扶生)が務めるというもの。そう言えば、ワルシャワの「眠りの森の美女」でも、そうでした。オペラで経験できてないことが、バレエでは経験できます。でも、今のところ、まだ出てきていません。オーロラ姫が眠りに入る少し前までしか観ていませんから。


2020年 7月 28日(火)午前 7時 17分

 咋日は曇天ながら、雨が降らなかった一日。いつ降るか判らない空にしては降らなかった。ですから、黄紺的には、ルーティンをこなすだけ。一日2回のウォーキングですが、その1回ずつに、ちょっとびっくりのトピックがありました。まず昼前のウォーキングであったこと。「ブラタモリ」で紹介されたポイント幾つかが、黄紺の日々のウォーキングのコースに入っているのですが、その1つに行き、びっくり。黄紺のウォーキングと言えば、必ず、途中に、休憩がてら読書ができる公園ないしは、それに匹敵する場所があり、その場所には、トイレがあるというのが、絶対的条件。そのお目当てのトイレが、「崩れやすくなっているため使用禁止」になっていました。雨で、地盤や建物自体の耐久性が落ちたと掲示があったのですが、そのトイレは、ある建物の1階部分にあるということは、その建物自体が危ないってこと? まさか、その建物が崩落する危険性があるってこと? そのわりには、周辺への立ち入り制限がないので、ま、それは大丈夫かと思い直しはしたのですが、その建物にもしもがあったなら、全国的ニュースやなぁと思いながら、これからも、そのコースを利用することになるのでしょう。夕方のウォーキングでは、ついでに買い物に行き、びっくりでした。この2、3日、近くのよく利用するスーパーの野菜の値段が、やたら高いので、ウォーキング・コースに入っているスーパーでは、野菜の値段が一番安いかなと思っているところに寄ってみて、びっくりだったのです。ここも、高い。ひどいのになると、1週間前の倍になっている。季節の野菜が買いやすい値段になってきていたのに、逆戻りしている。そもそも、一番安いと思ってたところでそうだから、近くのスーパーで高いのは、当たり前で納得。かいわれ大根のような工場で生産されているものは、年中変わらない値段のままだったので、間違いないですね、長雨、大雨の影響が、もろに出たってことでしょうか。7月末になっても、梅雨明けをしないものですから、そりゃ、野菜の値段に影響が出ても仕方ないということでしょうか。
 今朝、午前4時過ぎに目が覚めてしまい、仕方がないので起き上がり、スマホをいじると、昔の同僚からメールが入っていて、ちょっとびっくり、そして、またかぁの嘆息。「タクシー運転手」という、世間で有名になった韓国映画が、以前会ったときに気に入ったようだったので、「マルモイはいかがですか」とのメールを、10日前に送った、そのレスだったのですが、黄紺が送ったメールには、「まだでしたら、あと1週間、上映してますよ」と書いてあったのに、10日後にメールが来て、「終わっていました」って、なんか、変じゃないですか。メールが迷子になっていたか、あとはどうしたのでしょうか。前者は考えにくいというのは、このずれと似たことが、以前にもあったためで、困ってます。昔だったら、この「ずれ」を、面と向かって指摘しただろうなと思います。飲みながら、よく意見交換をしたものでした。某駅前の寿司屋を潰したのではと軽口を言っていたほど、よく飲んだものでした。ですが、今、この「ずれ」を言ったものか、考え込んでいます。1ヶ月半ほど前に、オンライン飲み会をする約束をして、日時の連絡をしてもらう手筈になっていたのですが、それ以後、なしのつぶて。でも、今朝着いたメールに、「オンライン飲み会しませんか」と書かれていました。かなり大きなな「ずれ」に、困惑は深まるばかりです。この際、前のやり取りは反古にして、こちらから、日時を指定して、違うメルアドにも送ってみました。スムーズな応対が来るのを願うばかりですが、でなかったらと思ったり、スムーズに行えても、日にち通りにできるだろうか、また、できたとき、この「ずれ」のこと、昔のように面と向かって言っていいものか、悩ましいところで、わりかし困ってしまっています。
 オペラ配信は、「エウゲニ・オネーギン」完走しました。装置は、一貫して、草むらと木立は出したまま、村の舞踏会も決闘も、その上で行われたましたが、さすがに、サンクトペテルブルクの舞踏会は、その草むらの上に、クラシックな部屋の装置が組まれ、照明で、周りの草むらと木立は隠すというもの。この2つ目の舞踏会では、ダンスのための音楽が2つ入ります。1つ目は、有名な大ポロネーズですが、このプロダクションでは、この曲が、ほぼ間奏曲として使われ、後半部で、オネーギン、舞い戻ってきた姿を出すというもの。ですから、装置で出された部屋は、舞踏会の控え室的なもの。2つ目のダンス音楽で、舞踏会場から、踊っていた人たちがなだれ込み、グレーミン夫妻の登場となりました。更に、最終場面では、オネーギンが歌い出したところで、再度、2つ目のダンス音楽を入れて、コーラスの人たちははけ、装置も解体され、草むらの上で歌わすというもの。その心は掴みかねています。ユニークだったのは、「これが運命だったのか」とオネーギンが歌ったところで、音楽を止め、2人の抱擁&ラストキスを入れて、慟哭の下降メロディで、タチアナが背後に走り去るというものでした。この演出は初めて、です。確かに、劇的といえば、最高に劇的な別れになりました。終わった瞬間、客席からは、「オーっ」という声が上がりましたが、あれは上げたくなります。黄紺も、その場にいたら、思わず上げていたでしょうね、それほど、別れが劇的になっていました。あすこまで、二人の抱擁がないということは、タチアナにタメがいるんだよね、それも、ばっちり、やはり、やってくれます、バリー・コスキー。ホント、この人のプロダクションには、外れがない。そのバリー・コスキーものを、惜しみなく配信してくれるコミッシュ・オーパーに深謝、深謝です。


2020年 7月 27日(月)午前 8時 10分

 昨日も、雨の一日。雨の降り方を眺めながら、お出かけのタイミングを図っています。この1週間は、1回しか出かけてなかったもので、ある博物館に、週末にでも行こうかと考えていたのですが、なんか、面倒になってしまい、結局は、行かずじまい。雨のせいだけじゃなくて、やっぱり、出る習慣が減ると、億劫になってしまってます。特に、博物館のように、一定期間、いつでも行けるようなところだと、「また、今度」にしてしまいますね。昼前のウォーキングは、たまたま、雨が止んだときに出かけるタイミングにはなったけど、いつ降りだすか判らないような状態だったため、途中、休憩&読書ができる、屋根付き公園へ。いつも行く屋根付き公園は、正確に書けば、電車のガード下、昨日行ったのは、道路の高架下。本当の屋根ではなく、そないなところなため、雨よけには困らないというわけ。最近読んだ本に、とってもおもしろいテーマが出てきました。人文主義という言葉を放り込むと、ルネサンスと宗教改革は通底している。でも、イタリアの文人や芸術家と、宗教改革って、頭の中で結びつかないものだったのだけど、それは、やはり、イタリアはカトリックの天下というイメージが強いのが原因だと思うのですが、でも、考えたら、サヴォナローラが出たわけだから、一概に、それを批判的に観るだけではなく、その逆で、シンパシィを感じた文人らがいても、全然おかしくないというコンセプトで書かれた文を見つけ、それがおもしろくて。やはり、サヴォナローラ絡みの本や、シンパシィを感じた文人らの業績を著したものを読んでみようと、また、新しい関心が生まれ、なかなか、この分野から脱出できないままです。14~16世紀関係ばかり読んでいると、現代の問題を書いたものに、憧れてしまいます。バルカンやスペイン、フランスの現代関係ものを読もうと積んであるのですが、なかなか手が着けられそうもありません。
 オペラ配信は、新たに、ベルリン・コミッシュ・オーパーの「エウゲニ・オネーギン」(バリー・コスキー演出)を観ています。オペラ配信を観始めた頃からリストアップをしていながら、まだ手付かずだったもの。そろそろ配信期間が終わりそうということで、取り上げることにしました。やはり、バリー・コスキーは、ホント、多才で、多彩な舞台を見せてくれます。この「オネーギン」は、具象の極致のような素敵な装置を用意してくれました。回転舞台を使い、舞台上は、一面の草むら、めっちゃリアル、背後に木立、そこを抜けて、村人たちが現れたりするものだから、ますますリアリティーが上がります。照明が素敵で、太陽光で煌めくばかりの草むらの緑が、とってもきれいだし、木立の深い緑も見せてくれます。この装置&照明は、ホントに凄いものを感じさせてくれます。タチアナが手紙を書くのも、その装置のまま。その冒頭、陽が落ちて行く場面は、当然、照明の活躍するところ、暗くなると、今度は、正先に、ちょっと範囲を広めにとるサスだけとなり、その中で、タチアナが歌います。照明に顔が映らないようなタイミングを作ったりして、タチアナの心理を表したり、芸の細やかなことったらありゃしない、考え抜かれた演出に、バリー・コスキーの凄さを看る思いがしました。朝になるところでは、一挙に、昼間の照明に。タチアナが、手紙を書き上げた満足感も、同時に表現してました。そんなで、オネーギンが、手紙の返事がてら、講釈を垂れるところまで観ました。変化の多いオペラですから、どないな技を用意しているか、もうわくわくもののプロダクションです。


2020年 7月 26日(日)午前 8時 43分

 昨日も、一日、雨。「GUNLUK」「FUTBOL HABERLERI」の更新でトラブり、結局は解決できないままになってしまったのですが、そのために、午前中は、ほぼPCに向かうことで潰れてしまい、雨が小降りになったタイミングを捉えてのウォーキングを断念。家の用事があったので、外出はしたのですが、もう、お昼時になっていたため、その流れでの、傘さしウォーキングもなしでした。夕方は、雨の降りがひどいため、いつもウォーキングをしている時間帯に、家で読書の時間に充てると、これがおもしろく、外を降る雨の音が小さくなっても、そのまま、読書を継続。気がつくと、午後6時。さすがに、ウォーキングなしの一日は耐えきれないと感じ、また、幸い、雨も小降りになっていたため、そこから、小1時間の傘さしウォーキング。でも、家に戻ってから、万歩計を見ると、昨日は1万歩は越えていませんでした。ま、仕方ないわね、昨日の雨じゃ。腰への負担も和らいだかもと思う一方で、家で、椅子に腰かけて、PCにばかり向かうのも、かなり腰に負担をかけてもいるようだし、一番、自分的には、和室で柱にもたれて、何かをしているのが楽。でも、これには、難点が二つ。一つは、椅子に腰かけていても同じなんだけど、お尻の感覚マヒがひどいため、長く座っていると、お尻が痺れてくる。もう一つは、和室なものだから、立ち上がるのに苦労するということ。ひどいときは、階段まで、座ったまま、身体をずらして行くと、椅子に腰かけた状態になれるので、その姿勢で立ち上がるようにしています。家を改造して、1階の部屋には和室がなくなり、畳の上に座り、柱にもたれるなんて姿勢をとれるのが、2階の部屋でしかなくなって以後、なんか、改造した部屋は、まるで仕事部屋の雰囲気。出かけて行く職場の部屋で、生活をする、何となく温もりを感じる部屋は、完全に2階の和室になってしまいました。ずっと、これでもいいやの気分、それを打ち破ったのが、この1週間でした。今回は、2階への昇降に障りは出なかったので、大変なことにはなりはしなかったのですが、去年の7月のときのような、最高度の痛みが出た場合、膝とか足は動いても、それらを動かすだけで、腰に響いたので、怖くて、また、危なくて、2階に上がることなど無理だと思います。となると、やっぱり、最初の計画通りにしなければならないのに、また、それが判っているはずなのに、息子から連絡が入らない、催促の連絡をしても、まだ、腰の状態が不安なものだから、作業に入れない、このジレンマ。それを見透かしたように、今朝、目が覚めて、メールを開けると、息子から「いつ、行こ?」と、メールが入ってました。ようやく、家の改造第1弾の最終章に取りかかるのですが、息子には、「水曜日にお願い」メールを送ったのですが、腰の回復との競争になりました。
 一方、雨のおかげで、グラインドボーンの「セビリャの理髪師」、最後まで行くことができました。しかも、居眠り部分があったため、そこまで戻ってから観ることに。既に書いたように、装置や衣装は、色に統一イメージが施されているのが判る、でも、どの時代の、どの様式のとか、どういった趣味のものか、言葉化できないで困っているのですが、そういったこだわりはあっても、それが、筋立てに食い込んでるとは思えず、ただただ楽しく、小ねたを積み上げていったといったプロダクションでしたが、最初の方は、笑いを取りに行くあざとさのようなものを感じていたのですが、慣れると、どんどんと深みにはまるってやつで、どんどんと、楽しく、おもしろくなって行きました。歌手陣に、やはり、ダニエラ・デ・ニース、アレクサンドル・コルベッリが並ぶ舞台には、この二人とバランスが崩れては、楽しさ、おもしろさが崩れますから、芸達者な人たちを迎えていました。黄紺的には、アルマヴィーヴァを歌ったタイラー・ステイトンが要マークでした。


2020年 7月 25日(土)午前 8時 13分

 まだまだ、梅雨明けならざる一日。どんよりと曇ったまま。そして、夜半からは、強い雨。でも、昨日は、ウォーキングは、通常通り、できました。昼前は、全く普通に、但し、傘を持って出はしたのですが、使うことはなく。夕方の方は、雨雲レーダーで確かめてみると、強めの雨が来そうだということで、端から途中休憩なし、読書なしのつもりでのお出かけ。買い物目的でのウォーキングに徹して出かけたのですが、そこまでのシフトを敷かなくても良かったと思う雨脚でしかありませんでしたが、ま、そないなこともあるわと、あっさりと納得することにしました。
 なんか、昨日もそうだし、一昨日もそうだったんだけど、ちょっと少なくなってきていた、トルコのコロナ関係のニュースが多くて、それを把握するのに、やたらと時間を割くことになってしまいました。医療関係の用語は慣れてきており、また、こちらの想像力の範囲内で、何とか収まるような内容ですね。学校教育関係も、何とか、その範疇に入ってるかなと思っています。でも、トルコの学校制度を把握してなかったことを痛感しています。随分と前に、学校制度が変わったときに、しっかりと情報把握をしなかったことが、ここに来て、ツケが回ってきたなと痛感しています。大学入試に統一試験が行われていることは知ってはいたものの、その実態、保護者の熱の入れよう、周りの目、これらは、ホント、今回初めて、学習したなの思いです。確かに、トルコの都市部には、塾が多いですから、そういったところから、教育熱というものを感じながら、受験当日の雰囲気にまでは、想像力が働いていませんでした。同じような統一試験が、高校入試にも採用されていることは、今回知ることになりました。入試関係だけではなく、教育専門チャンネルがあるのですね。そう言えば、ちょっといいホテルだと、多チャンネルのテレビが入っており、何気にチャンネルをいじっていると、それらしきチャンネルを観たことがあるのを思い出しました。それを、教育省が差配しているというのでしたなら、オンライン配信を使わなくても、場合によっては可能だし、補助的手段程度に使えますわな。これは、こうした緊急な事態が発生すると、まことに有用。多くの国では、オンライン授業をしようとしても、送る方も、送られる方も、そういった事態に慣れてないものだから、そのためのスキルを積み上げるだけで、大変なエネルギーを消費しているようですね。スペイン系Youtuber氏(在バルセロナ)がレポートされていたことを、こちらにメモったことを、思い出してしまいました。日本の某大学では、大学構内立ち入り禁止措置が執られているため、学生ばかりか、教員も立ち入ることができないため、オンライン講義をするための教材を、大学に送らねばならない。この話を聴いたとき、ならば、教員が自宅から動画配信をして、オンライン授業をすればいいのにと思ったのですが、それは、何か理由があってダメなそうで、結局、配信元になる大学へ、授業の替わりとなるソースを送らねばならない。となると、映像は重くて送れないため、全て画像にしたもの、即ち、講義ノートを送り、それを配信していたとか。学生は、喋りでの説明は、一切、受けられないで、講義を受けるのだそうです。これは薄っぺらなと、黄紺が、直感的に思ってしまったということは、教える側なら、簡単に判るでしょうから、配信する講義ノート的画像作りは、半端ない労苦があるだろうと思えてしまいました。まだ、教育関係は、誰しもが、学ぶ立ち場なら経験しているので、ちーとは、想像力が働くのですが、金融&財政関係の情報は、ホントに苦手。まず、新聞を購読していた頃から、その関連の情報は、まあ、読まなかった。いや、読んでも解らなかった。ですから、トルコの仕組みを理解しようとしても、無理、その上で、コロナ対応で、様々な措置が執られると、余計に無理。そんなで、財務省が執る支援措置を、なかなか把握できないでいる黄紺です。このコロナのどさくさ紛れに、エルドーアン、アヤ・ソフィアをジャーミーに戻してしまってます。目立つ、分かりやすいことをします。タイミングが今なのと、思ってしまいますね。やはり、コロナで、権力基盤が強化できたの認識を持っているのでしょう。確かに、コロナを、上手く使ってきたもんね。
 そのトルコの1日単位の陽性判明者数を、日本のそれが上回りました。検査数が、全然違うのに、超えるって、無茶苦茶やん! 陽性判明率が恐ろしい。さすがに、日々のウォーキングですれ違う人たちのマスク度、上がってます。このマスク度の上がったり下がったりは、見事に、感染者数の上がったり下がったりに呼応してます。如何に勝手判断をする人間が多いかを、如実に示していると思えます。オペラ配信の方は、トルコのコロナ情報把握に、時間を取られた上に、肩や腰の痛みが終息かと思っていたのが、大きな間違いで、薬の服用を止めると、かなりの戻りがあり、昨日の昼間は、こうしたときの一つの症状でもあるのですが、上半身が熱っぽくなる状態になり、椅子に座っているのが、かなり辛くなり、ちょうど1時間、昼寝を余儀なくされてしまいました。これはいかんということで、もう一度、痛み止めを飲んだため、熱っぽさは取れ、そのあとは普通になったのですが、これでも、余計な時間を取られ、結局、オペラ配信のための時間が狭められてしまったというわけです。「セビリャの理髪師」、ダニエラ・デ・ニース、アレクサンドル・コルベッリという二人の歌える役者を中心に楽しい舞台という範囲のプロダクションで、今のところ、何やら斬新なという点は見当たらないかな。ダニエラ・デ・ニースが、一回り大きく見えてるのは、気のせい? それとも、より体育会系にシフトしたなと見えるせいなんでしょうか? アレクサンドル・コルベッリの扮装が、彼の出演し、DVD化されている「ドン・パスクワーレ」のときのものに酷似していると看ているのは、黄紺だけでしょうか。





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