忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2022年 10月 20日(木)午前 7時 32分

 昨日は、大胆な大移動を組み込んだお出かけ。朝からアスニー山科に行き、午後は城陽に移動して、落語会に行くというもの。午前9時前に出かけて、自宅に戻って来ると、午後6時でした。そんな1日だったため、ウォーキングは、このお出かけ時に歩いただけ。幸い、山科から城陽への移動時に、時間があったので、少し、城陽でお散歩。何となく、城陽神社というのが、地図にあったので行ってみると、その神社自体は、室町時代創建だったのだけど、その境内は、城陽廃寺跡地でもあった。礎石くらい、目にすることができるか、ちょっと歩いてみたけど、全部、埋めてしまったようで、何も観ることはできなかった。神社の近くに正道官衙跡があったので、そこも行ってみた。こちらは、随分前に行ったことがある。敷地跡は、史跡公園になっている。南門や役所建物跡などには、柱跡が出て来たのか、その位置と思しき所に、実際に木の柱が立ててある。西方に向かい、下り坂になっている。巨椋池が、古代にはあったので、その舟運で、城陽は栄えたのでしょう。神社の傍らに、柿本人麻呂の歌碑があった。この地域を歌ったもの。そういった貴族が、今回、黄紺が歩いた辺りを、かつては歩いていたようですね。昼間は、暑いくらいだったけれど、とっても、爽やかな秋の晴天。いい時間つぶしになりました。
 アスニー山科では、いつものように市民向け公開講演会。昨日は、「社寺の森(鎮守の森)」と題した、渡辺 弘之(京都大学名誉教授)さんのお話を聴くことができました。渡辺さんは、植物学の専門家で、長らく熱帯林の研究をされてきた方。こちらの講演会では、全く出逢ったことのないフィールドを専門にされている。レジュメも、そういったお立場からのものになっているのに、お話が始まると、神社、神道のお話。テーマがテーマだから、外枠から攻めようとの魂胆だったのでしょうが、神仏習合や神仏分離のお話を延々とされてもと思うと、一挙に寝落ち。気がつくと、50分程、経っていた。さすが、大枠のお話は終わり、本題に入っていた。その中で記憶に残っているトピックをメモっておくことにします。「鎮守の鎮は、元来、軍事施設のこと」「森は天然林、林は人工林」「高知の千本山のスギ天然林に苗木を植える、熱帯林に伐採したあと、更新補助作業として苗木を植える、こういった場合は、森なのか林なのか?」「清水、湧水、分水嶺など、水に関わる場所に祠、社が生まれる」「鳥居の傍らなどに定が掲げられているのは、延喜式で不入、禁足を示したもの、要するに伐採を禁じたということ、ということは、伐採を勝手にする者がいたということ」「戦勝記念、創建記念で献木、遷宮・改築のための木材確保のために植林もよく行われた、石清水八幡宮のクスノキは楠正成、同じくクロマツは源頼朝、建仁寺のシナボダイジュは栄西禅師」「明治神宮・橿原神宮・近江神宮の創建に伴い、鎮守の森の造成、明治神宮の森は、実際は林、言いにくいけど、1920年、青年団を動員して植える、しかも、全国からの献木だったため、台湾や朝鮮の木も植えられた、そのため、ごちゃごちゃな環境の木が混在しているため、植生では問題、同じようなことが、橿原神宮でも、こちらは明治23年」「ヤマタノオロチ伝説、、、たたら製鉄の行われた箇所、大量の水と木が要った、また、排出される、八方向に流される(ヤマタ)、ここで失念、これに関わりスサノオが出て来たんだけど、伐り倒すということでだったかな? で、スサノオを祀る神社という流れだったかな?」「社叢の果たす役割、、、伝承・文化を守る、災害避難地、ヒートアイランドから守る、生き物最後の逃げ場、生物多様性に寄与、癒しの森など」「社叢の抱える問題点、、、周辺家屋への落ち葉飛散、カラス・ムクドリなど鳥の騒音・糞害、暗闇での犯罪、ハクビシン・アライグマの侵入など」。前半で時間を使われ過ぎて、用意されたお話が、かなりカットされてしまいました。蘊蓄があり、なかなかおもしろい、他では聴く機会のないものだけに、惜しい印象が残ってしまいました。
 午後の落語会は、文化パルク城陽プラネタリウムでの「城陽で喬介」というおなじみのもの。番組は、次のようなものでした。喬明「金明竹」、喬介「七度狐」「皿屋敷」「刻うどん」。喬明の「金明竹」、ようやく聴けました。携帯電話の注意をしたあとのボケになる話を振ったりと、月日が経つと出てくる余裕、高座度胸のようなものが出てきており、しっかりと成長を感じました。ネタに入っても、いい感じで間が入ってきて、ここでも成長を感じさせてくれました。喬介は、冒頭、「弟子の方が人気がある」とぼやきから入る始末。既に、こちらでも出しているネタを3席。最近、思いがけない新ネタを増やしているので、そちらを聴けるかもの期待は裏切られたんだけど、安定のネタが並びました。が、どうも、最近の喬介に関しては、引き気味。デフォルメが過ぎるというか、初々しいキャラは、最早使えないキャリアになってきたためか、無理からにデフォルメしているようで、自分的には好きになれない、笑えないとなっています。だから、「はてなの茶碗」のようなネタを、どのようにしているか確かめられたらと思ってたんだけど、それは叶わない夢でした。でも、受けてたけどね。


2022年 10月 19日(水)午前 7時 29分

 昨日は、忙しない火曜日。午後に市民向け公開講演会、夜は、オンライン配信の予約、それに、KBS京都で「まーぶる」「おつかれさん」の放送がある日。これは、忙しない。ウォーキングは、午後の講演会の往復、片道1時間×2、それに加えて、出かける前に、ミニミニウォーキングで、普段のウォーキングの量を達成。まず、午後の講演会から。京都文教公開講座「英米文学にふれる」全2回の2回目の日でした。昨日は、同大学こども教育学部教授陸君さんの「米国作家ヘミングウェイの『文学と旅(人生)』」というお話がありました。前回は、全く知らない作家だったけど、今回は、さすが知っていた。けど、「陽はまた昇る」を読むのに苦労した苦い思い出が出て来た。そんなことより、聴きに行くモティベーションは、ヘミングウェイはスペイン内戦に関わったり、晩年、キューバに居を構えたということで、かなり政治的な人物でもあるということ。この期待が、見事に当たったお話でした。それも、思いがけないことから出てきました。前半は、ヘミングウェイの生涯をウィキペディアを使ってのお話。内容は別として、この方法はあかんやろと思い、その後に不安を抱えたのですが、作品紹介を挟んで触れられた本題がびっくりする内容でした。ヘミングウェイは、1941年に3ヶ月、中国旅行しているという問題。内1ヶ月の香港、あとの2ヶ月は、重慶や成都、同行の奥さんはミャンマーまで行っている。「なに、これ?!」と思ってると、中国に残っている資料を探された結果、有名人ということで新聞報道などで、いろいろと残っている。その中から、宋美齢と会談しているもの、これ、どこで撮ったものか、言われてたんだけど失念してる、もう1つは、成都でのものと言われていたと思うんだけど、周恩来と会っているものが出て来た。それら以外は、観光旅行の風情だったけれど、この2つの写真にびっくり。ヘミングウェイにはスパイという噂があるけれど、どうも、それを伺わせるものとの指摘がありました。ただ、どういった諜報活動だったかは触れられなかったのですが、事前に配布された「ヘミングウェイ大事典」の「PM」という雑誌の項目に記された内容からだと、ヘミングウェイは、ジャーナリストとして、この雑誌に寄稿している。日本の戦争計画を探る趣旨のことを書いているようで、日米開戦の可能性に関わるもののようです。国共ともに会っているのは、ソ連の動向を探るということも書いているようです。ヘミングウェイのスタンスは、スペイン内戦でも示された通り、反ファシズム。そのスタンスで、この中国訪問も為されたということですね。それを、ヘミングウェイは、数ある著作で、ほぼ触れていない。僅かに「海流のなかの島々」と言われてたかな、短編で少し触れるに留まっている。それは、冷戦が続くことで、デリケートなことは表に出さなかったということだろうと言われていました。ヘミングウェイは、キューバに入るのは、反帝国主義的なスタンスも持ってたからでしょうから、この態度は、よく解る話ですね。これは、驚かされた内容で、とっても刺激的。スペイン内戦が出てくるだろうと構えていたのだけど、そちらは触れられることなく、日中、日米、それがテーマになるとは、望外の進行となり、大歓迎のお話でした。
 夜は、花園大学人権教育研究会第117回例会にオンライン参加しました。大学内部の研究会を公開してくれています。以前は、直に参加もしたことがあり、テーマにそそられるものが取り上げられるので、しかも、コロナ禍のため、オンラインで参加できるということで活用させてもらっています。昨日のテーマは「文学作品におけるハンセン病表象―松本清張『砂の器』を中心に―」、お話をされたのは、同大学文学部准教授(日本近代文学)の高橋啓太さんでした。冒頭、ハンセン病政策のおさらいをしてから本題に。まず、「近代文学とハンセン病」という項目立てで、「①ハンセン病患者の文学」「②近代文学に描かれたハンセン病」が取り上げられました。松本清張に入る前の大枠ですね。①では、北條民雄、島比呂志という患者で作家の作品の紹介、及び、荒井裕樹による患者の文学に関する評論が取り上げられました。②では、幸田露伴「対髑髏」、島木健作「癩」、スーザン・ソンダク「隠喩としての病い」、小川正子(長島愛生園の医師として勤務経験を持つ)「小島の春」、それに加えて、小川の文を評した木村功「楽土/ディストピアの言説空間」が取り上げられました。それから、いよいよ、松本清張の「砂の器」へ。元々は、読売新聞夕刊に連載された新聞小説。次いで、内田隆三「国土論」を基に、「砂の器」と、水上勉「飢餓海峡」、森村誠一「人間の証明」の3作が、小説としての構造に近似性があることの紹介。そして、「砂の器」に描かれたハンセン病の点検となりました。映画版で、長々と描かれ、映画の価値を高めることになる「巡礼」の場面は、「四國西國巡礼すれば治る」という前近代的な民間信仰的要素が取り入れられている。根本に、ハンセン病を「業病」との考えが存在する。一方、当時巡査であった三木謙一が亀嵩で二人を保護したのは、癩予防法に乗っ取った対応で、これは、近代に入って採られるようになった「隔離政策」に基づく。前近代と近代が交錯するなかでハンセン病が描かれているという特徴を持つ。この小説、殺人事件だけど、その動機が明確になってないという書き方をしているらしいです。「過去が明るみに出るかもしれないという恐れ」と捉えていたのですが、「殺された巡査の存在自体への嫌悪」なのかが、はっきりしないという指摘もあるそうです。小説と映画の大きな違いとして、件の巡礼場面の長さ、そして、父親が生きていると、映画ではしていることだと言われていました。突如、現れた元巡査が、父親に会ってくれと言わせたかった、それが、映画の目ざしたところととれば、ハンセン病が社会的な次元の問題から、親子の宿命の問題に移る、そうすることで、感動が増すという狙いだったのだろうとの見解を紹介されていました。映画化されたとき、ハンセン病への差別が助長されるとの批判があったそうで、そのため、クレジットに、ハンセン病の現実を添える措置で対応したのだけど、同時に、「旅の形はどのように変わっても/親と子の “宿命” だけは永遠のものである」とも書いたそうです。最後に、「砂の器」でハンセン病が取り上げられたのは、「社会的負性」を持つものとして活用されたのであって、「社会的負性」というものは、時代によって変遷をたどるもの、「『砂の器』がもたらす感動と〈社会的負性〉の問題が表裏一体の関係にあることの見極めが肝要」と指摘されていましたが、よく解らなかった。「感動」はあるんだよね。特に「巡礼」の場面を観ていると、長いんだけど、途中で切り上げられない。そんな思い出があります。昔、この映画が放映されたとき、家で友人と3人で観たとき、3人が3人とも同じことを言った記憶があります。だから、「感動」の分析が要るんだよね。社会的負性が挿し込まれているからこそ出てくる「感動」だと思う一方、ハンセン病の理解ができている時代に観たからとも思えます。これが、指摘のあった「時代によって変遷をたどる」ということなのかもしれません。そんなこと考えてしまいました。


2022年 10月 18日(火)午前 6時 9分

 昨日は、朝から映画を観て、更に、博物館をはしごした日。月曜日に行ける博物館、今のところ、京都に2箇所知っていますが、いずれもが大学付属のところ。それと、映画を、うまく組み合わせることができました。その博物館は、先日、門の前まで行き、会期を間違ていたところ、早速、リベンジを果たすことができました。しかし、昨日は雨、夜半から降り出し、1日中、降ってた。でも、さほど強い雨脚ではなかったので、映画館と博物館への移動は、ウォーキングを兼ねて徒歩移動。夕方も、傘さしウォーキングで、普段の1日分を確保。こうやって書くと、順調だったようだけど、映画が、完全に失敗。予告編が終わり、本編スタートというところで、呆気なく寝落ち。これは、酷すぎた。一昨夜、寝られなかったわけではなく、なんか、変調。この1週間程、午前3時台に目覚めても、寝落ちをしてなかった。その方が、変なのかもしれないけど、イベント中は寝てないのです。その反動が出たのかもしれません。だから、自信を持ち、感想などというもの書けるはずはないけど、記録のためにだけ、メモることにします。その映画は、アルジェリアのドキュメンタリー映画「サハラのカフェのマリカ」。サハラ砂漠を行き交う道路に面した一軒家、当然、乾燥しているから、家の形は、大きな長方形。紅茶などの飲み物を出したり、簡単な食事も出す、砂漠の中のカフェ。カメラは、この一軒家に佇む主の姿を追う。入口入ったところにある簡易テーブルの右側に座る女性店主マリカと、客とのやり取りを、終始、カメラが追うというもの。寝落ちしていたので、全体像を述べる資格はないが、客となる人々は、自然と立ち寄った人なのか、仕込みの人なのか、打ち合わせ済みの人なのか、それとも、それらが混在した映像なのかが、判然としないまま流れて行く。何らの仕込みがあったとしても、主となるマリカには知らせてないのかもしれません。マリカの反応を見せるための映画かもしれません。おもしろい試みだけに、迂闊なことを書くのは止めておきます。そういった客たちとの応対に、何らのメッセージが込められていたり、一貫して流れる何かがあるのかは、そんな状態だから判らないまま。不思議な映画です。こないな映画、そんなに入るわけがないと思ってたものだから、そこそこ入っていたのにびっくりした。それも、層を絞れない、幅広い客層、この点でも不思議だったな。
 映画が終わったのが、12時を少し回ったところ。どこかでパンをかじって、昼食のつもりだったのだが、雨のため諦めていたんだけど、上手い具合に移動途中に神社があり、その境内に、また、上手い具合に軒下に腰かけるのにいいところがあり、そこで昼食。移動先は京都産業大学ギャラリー。こちらでの、開館10周年記念特別展「上賀茂神社と賀茂競馬」を観に行ったのです。毎回、案内をいただける有難いミニミュージアム。こちらのギャラリーのアニヴァーサリーだけではない。「賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行われている賀茂競馬が、宮中武徳殿において斎行されていた競馬会が寛治7年(1093)、同社へ移されてから2023(令和5)年で930周年となります」と概要にあるように、競馬にとってもアニヴァーサリーの年のようです。展示は、上賀茂神社に絡む重文に入る文献史料と、競馬に関する絵図、進行に関する覚書、使用された道具の展示、映像では、進行の一切が収められたものが、常時、流されていました。冒頭に、この映像を観たせいか、お道具については、とっても解りやすい。元々、宮中の官女たちによる菖蒲の根の太さを競うお遊びが発端。競った2組が、各々、上賀茂神社と石清水八幡宮に必勝の願掛けをして、上賀茂神社に願を掛けた組が勝った。そこで、競馬を奉納した。その管理が神社に移されたのが930年前ということだそうです。その大元は、なんじゃというお話。呑気な貴族のお遊び。菖蒲自体が縁起物というのは判るつもり。でも、そないなことやってたんだという「へぇ~」が出てしまいました。だから、進行の中に、菖蒲を持ち、それを掲げるパフォーマンスがあるそうです。負けた石清水八幡宮組、どうしたんでしょうね。結構、そんなことで、おもしろいことが判りました。神社関連の史料に、「北条義時知行停止」を認めたものがあったんだけど、出したのが源頼朝。頼朝自身の花押があったので、これには驚かされました。あとで展示品リストで確かめると、「重文」を示すマーク入りでした。展示品の数は少ないけど、なかなかおもしろい展示。ここの企画展は、毎度、講演会など、関連企画を用意してくれるんだけど、今回は、残念なことに、全て先約が入っており、ダメという悲しいことになっています。


2022年 10月 17日(月)午前 6時 25分

 昨日も、気温の高い一日。このくらいがいいね。お出かけ予定を入れていたのだけど、一昨日、考えた通り、ちょっと出かけ過ぎなので止めることにした。予約なしで行けるところって、こういったことが自在にできるから、気が楽ですね。また、今日から予定が詰まっているので、惜しかったけれど、賢明な選択だと思います。家事もできたしね。で、お出かけなしの日曜日となると、朝の「日曜美術館」だけが、時間の制約があるだけで、日に2回のウォーキングだけが、外出時間。さすが、これだけ気温が上がると、ウォーキングをすると汗をかく。かきすぎないから、上手い具合に、身体が動いていることを体感させてくれるから、そういった意味でも、このくらいの気温上昇は有難い。
 昨日の「日曜美術館」のお題は「死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・藤原新也の旅」。さすがに、藤原新也の名前は知っている。だけど、彼が、どのような写真を撮るのか、そういったことは、全く知らなかった。すると、強烈な掴みがあった。この人、屍を撮る、それに、一文を添えて出した写真集が、大きな評判を呼んだということでした。お題にあるように、死を想うこと、それは、生を想うことが判る作品だからこそ、注目されたのでしょう。番組は、藤原新也の生い立ち、家族史、写真を撮る契機を縦糸に、その思い出の地を訪ねる映像を重ねていく。その訪問地は、裕福に幼年期を過ごした門司(MCの小野さんも同伴)、関門トンネルの開通で、家業の旅館業が行き詰まり破産、それで移った大分県の温泉地、結核病棟に入り、そして、亡くなってしまう叔母の入院していた土地。そういった訪問地でも撮った写真も入って行くという構成。今年、その故郷北九州で初の回顧展が開かれるということで、番組の制作があったようです。この人、写真を撮ることを、特に学んだこともなかったように言っていました。東京芸大の油絵科に入っているのですね。そういった経歴が効いたのかもしれないけれど、23歳のある日、思い立ち、朝日新聞社に行き、インド行の交渉したら、10万円とフィルム40本を渡してくれたそうです。今じゃ考えられないことです。それで、25歳で渡航、初めて、ジャイプールで、おばさんを撮る、それが、最初のショット、「命が映った、映している自分も映っている」と、今でも思うというもの。また、それを含めて、アサヒグラフが、13ページの記事を組んだと言います。才能を見出す目、いや、その前に、何か持っていると見る目が、凄い、凄すぎる話です。インドで撮ったのが、屍の作品、それに添えた言葉が凄い、犬が人の遺体を食べる写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」と添えた。これは、衝撃です。藤原新也のメッセージとして、「死がある、だから、より生きようということになる、いつも、プラス思考」と語っていました。次いで、インドからチベットへ、今度は顔を映さない写真を発表。ここで叔母の死のエピソードが入ったんだけど、チベットの写真を撮る背景のようだったんだけど、把握できてないですね。大事なところなのに! ちょっと悲しい。最近の活動では、2011年の香港での反政府デモのとき、香港で撮った作品を、インターネットで配信。翌2012年には、東京で、ハロウィンで騒ぐ繁華街にコスプレして行き、若い人たちを撮り、香港との対比を試みたりしている。そして、2020年は、喧騒から人が消えた街を撮る。最後に、もう一度、生まれ故郷の門司へ回帰。刺激的な活動です。これを、今まで知らなかったのが、かなり恥しいですね。「日曜美術館」って、こういった、今まで自分に欠けていたものを補ってくれるのが、嬉しいですね。
 午後の一時は、あまりなかったんだけど、YouTubeを観てたかな? ロシア系YouTuberさんは、大変です。立ち位置を公にして動画をアップしています。そこから流れてくるロシアのニュースを観ることにしています。TVを観ないものだから、日本のマスコミのフィルターを避けることはできてると思っても、日本に住んでると、どうしても、もう芯の底から日本的発想になってるから、何もロシアの問題だけではなく、いろんな世界から発信してくれるもの、大事にしなきゃと思っています。夜は、旅系YouTuber氏で人気の無職旅氏の帰国2日後の生配信を観た。リアルタイムで観たのは、恐らく初めてと思う。いつも、どの生配信も、アーカイブに残ったのを観るのが常だからね。ヨーロッパ旅の帰国早々の情報を聴きたかった。やっぱ、ホテル代が半端じゃない。ただ、この人、円換算の方が、視聴者に解りやすいと思い、円で言うものだから、前との比較ができない。円安の影響だけじゃなくて、やっぱインフレの影響が出てます。飛行機代が、このあと、どうなるか、その推移を見なきゃならないけど、今がピークのような気はしてるんだけどな。旅系YouTuberさんらは、一斉にではないけど、頑張って、2年半の恨みを晴らすかのように、旅に出てる人、多い。その1つで、先日、キプロスに行った人がいた。相変わらず、明るすぎる、南のキプロスは。そして、都市間移動のバスが走っていたのに驚いた。サービスタクシーってのは、どうなったんだろう。気になったので、ネットで調べると、健在なようだけど、バスとの共存って、できてるのだろうか? もう、自分の知るキプロスが遠くなってはいるけど、あの明るさだけは、変わらない。自然の力は偉大!


2022年 10月 16日(日)午前 7時 29分

 昨日もお出かけ日。かなり続いているので、ちょっと休憩を入れないとと思い始めています。そんななか、昨日は、滋賀県立美術館へ。先週、息子と、DとSを連れて寝屋川に行ったけれど、あの日が雨で順延になってたら、昨日に回るので、回ってこなければ行けるというので、計画していたのが、これ。同美術館でのギャラリートークというもの、まだ行ったことがなかったもので、また、今、行われている企画展は、トークを聴いた方がいいかなの気もあり、行けるということになり、慌てて申込みました。昨日は、とっても気温が上がった日。JR瀬田駅を降りると、上に着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、半袖姿に。でないと、片道約35分の距離を歩くと、えらいことになる予感がしたのです。それだけ暑かった。汗はかいたけれど、このウォーキングがてらの往復は、とっても快適で、いつもの往復よりは、かなり時間を短く感じたほどでした。その企画展は「石と植物」というもの。収蔵品を、そういったお題を切り口にして展示したもの。最近、どこの美術館でも行われているパターンですね。ただ、お題を決め、担当キュレーターを決め、そこからの作業って、大変だなと思う一方、おもしろい仕事ができるものなんだと、このキュレーターという仕事、今更ながら、魅力的な仕事と思ってしまいます。ギャラリートークでは、その担当されたキュレーター氏が、案内していただけたのですが、それまで下勉強をしておかねばならないと思い、2時間前に入館。10分程前に、ギャラリートーク受付へ行くほどの時間をかけて、観て回っていました。各作品ごとに、解説が付いているのだけど、それを、同美術館のキュレーターさんに割り振り、その個性を楽しんで下さいと、入室前の壁に張り出されていましたが、保坂館長、いろいろとやってくれます。また、館長自身も、その解説を担当。群を抜く個性を発揮していたのには、もう驚くしかありませんでした。各セクションの解説は、担当キュレーターさんの文章。そのセクション分けが奮っているうえ、その文章も良かったなぁと、キュレーターさんを直で感じる、なかなか他ではない展示の仕方が、とっても魅力的な企画展だったですね。そのセクション分けは、次のようなものでした。①素材とモチーフ②風景と営み③詩情と抽象④トランススケール⑤島と星。①には、いきなりイサム・ノグチの木の台座に石の彫刻作品「庵治石」と、松延総司の「私の石」がお出迎え。でも、後者は、セメントで石に似せた作品。館内に、このセメント作品が、随所に顔を出す。館外の庭にもゴロゴロしてるらしい。仕切りの向こうは、コンスタンティン・ブラクーシの「空間の鳥」、飛翔を彫刻で表したもの。傍らには、日本画の佳作が並ぶ、こちらは、植物を素材としている。いずれを観ても、黄紺の目には優れものと映る。江馬天江の「竹図」に目が釘付け。左下から中央部へと伸びる竹の勢いに惹かれてしまってました。加納凌雲の「菊図」の中央で大きく花弁を拡げるように咲く菊からは、周りを明るくするオーラのようなものが出ている。水の流れを上から眺め、水に透けて見える水底の石を描いた猪田青以は、イノダコーヒー創業者の兄弟さんだという、作品とは関係ない情報までいただいてしまった。②は、石と植物は風景を構成しているとのコンセプト。日本画の大家(幸野楳嶺、山口華楊、土田麦僊、野添平米ら)から、着物(森口華弘)、信楽焼(神山清子)、竹細工(杉田静山)、洋画(野口重太郎)、アールブリュット(塔本シスコ、岩下哲士、小幡正雄)といった目移りするものが並んだ。敢えて、この中から一品選ぶなら、森口華弘の着物。モノクロっぽい図柄の中に垂れている柳のような枝に芯の通った力強さに惹かれてしまってました。③が難解。抽象画の数々。李禹煥の「点より」は、既視感のある作品。保坂さんは「時間の動き」を感じると書かれていました。そのパロディ作も並べてあった。小沢剛「醤油画(李禹煥)」。李禹煥が岩絵の具を使ったのに対し、同じ絵を醤油で描いたというもの。井田照一の「石と紙と石」も、保坂さんがコメントを描かれていたけれど、観る者の視点を対象化させる仕掛けになっているようだったけれど、その視点をおもしろいと思っても、保坂さんの文章を読むと、混乱は深まるばかり、作家と解説者とのコラボでのインスタレーション作品のようになっていました。現代アートを観るときの、わけのわからない楽しさかもしれません。④との間に、東加奈子映像作品「The Voice of Each Body」「Eternal beloved」の上映。前者は工場で生産される植物と言っていいのかな? 後者は大地の記憶を映像化したのかな? 難解。④は、視点のマジックを見せられているような感じ。岡田修二の「水辺14」は、植物を思いっきり接写した写真を基に描き上げた作品、近寄ってみないと絵画だとは判らないというもの。同様に酒井栄一の「岩はだ」は、最近、注目されている刺繍絵画。これも、近寄ってみて、初めて刺繍と判る。規模の錯覚を狙ったのが、田中孝の「Tree」。部屋の中に大木が生えていました。中央には、車季南の「Flowing」。なんで、この巨大な作品がここにあるのか、素材が麻だからだということだったけれど、スペースを埋めるためのものとしか、黄紺には思えなかった。とまあ、結構、苦しくなってきている。⑤も、同様。取っ掛かりはおもしろいけどね。茨木杉風の「沖の白石」は琵琶湖に浮かぶ白石とよばれる岩のある風景を描いたものだけど、実際は、海底から顔を出した大地の一部ということで、表題の設定が生まれたと言うことでした。岸竹堂の「四季之月図」が、おかげで観ることができました。「星」の括りで仲間入りです。野村仁のアナレンマのシリーズで撮っているのは太陽、太陽は「星」だけど、ガスの塊のはずと突っ込むのは野暮。地軸の傾きかなんかで、南中時の太陽のずれを撮り続け、1枚の写真に仕上げたもの。おもしろければ、屁理屈はよしましょうの気になってしまいます。④⑤は、洒落って感じ。でも、そういった着想も出てくるというのが、今回のテーマかと思うと、それを楽しまなきゃの気になるものです。成功、成功、、、常設展が衣替えするのを観に行くつもりなので、その会期が、この企画展と重なるので、もう1度、観れそう。わりかし、楽しみになってきてます。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「対馬①」が放映された。城壁に、とにかくびっくりした。あんなのが残っていることすら知らなかった。人力で造ったこと考えると、とんでもない事業です。あれ、観光で、ぶらりと言って観ることができるんだろうか? それと、タモリも離れがたい様子を見せていた、入り組んだ入江群の絶景、凄いね。「船越」という言葉の由来、解りやすかった。あとの撮影計画を知らせていなかったタモリが先走った解説をしたものだから、慌てる案内人という構図、この番組の名物も観れたしね。これは、神回の1つだよ、間違いなく。


2022年 10月 15日(土)午前 6時 41分

 昨日は、夜に、コンサートに行った日。そして、午前中は、ウォーキングの途中、弟の家に寄った日。アマゾンで買い物をしたとき、ものが大きめだと、弟の家に送付してもらうのです。単に郵便受けの問題で、そうしているのですが、その品物が届いたということで取りに行っただけ。午後の一時は、夜のお出かけのため、ほんの僅か。タイ系YouTuberの動画などを観ていました。タイからラオスへの陸路移動なんて、興味をそそる動画が印象的。ちょっとは、考えてみたことのあることだけに、興味が行ってしまいます。
 コンサートは、京都コンサートホールであった京都市交響楽団定期演奏会。先月も行った、来月も行く、大阪でのコンサートには行かなくなって以後、チョイスの幅が大幅減になったので、そういったことになっています。今回は、プログラムとソリストでの選択。そのプログラムは、次のようなものでした。「ワーグナー:歌劇“リエンチ”序曲」「ウェーバー:クラリネット協奏曲 第1番 ヘ短調 作品73」「メンデルスゾーン:交響曲 第3番 イ短調 作品56“スコットランド”」。そして、指揮は齋藤友香理、独奏は小谷口直子(京響首席クラリネット奏者)という顔が揃いました。世界的に見ても、女性指揮者が増えています。京都市響は、沖澤のどかが常任に就くことが決まっていますしね。齋藤友香理は、全く初遭遇の指揮者。今回、この演奏会があるまで、存在すら知らなかった。開演前のプレトークに、昨日は間に合いました。それを想定して行くことができました、普通は、忘れていて、ホールに入ってから思い出して慌てるのだけど、昨日は賢かった。おかげで、齋藤さんのトークをしっかり聴くことができました。このホールが、事実上、指揮者デビューとなった思い出のホールだとか、ゼンパーまで歩いて5分のところに住んでる、住んでた? このプログラムは、自分の作ったもの、小谷口さんとは旧知の間柄、そないな記憶に残ることを話されていました。曲目紹介では、「リエンチ」は、ヒットラーが大好きだったトピックだけが、頭に残っています。その「リエンチ」の序盤、気負いなのか、煽るようなアクセントが付いて、先行きの不安を感じたのですが、それ以後は、そないなこともなく、この勇壮な音楽をリード。既に、この時点から、「復活」よりは、いい演奏を聴ける確信が生まれていました。全体像を、しっかり持っているなという印象。各ピースの形、色合いが明確で、フェードアウトして、全体を眺めても、しっかりと絵が出来上がっている。ま、その全体像を描き易い曲目選択だと言えば、そうなんだけどね。その曲目選択を、自分でしたというところがポイントですね。そう言えば、ウェーバーの解説で、「魔弾の射手」そのものと言われていた。暗い森に、ロマンが重なる、そか、そのイメージなのかという感じで、ウェーバーのクラリネット協奏曲を、初めて、いい曲だと思えました。もちろん、小谷口さんのクラリネットが、功績大だったんだけど。狙いだった小谷口さん、特に2楽章の茫漠たるなかにロマンが潜む、そういった「魔弾の射手」の暗い森を思い浮かべることができ、秀逸、お見事だったと思います。それと、クラリネットのイメージって、どうしても、モーツァルトでできていて、そうなると、低音多用でのクラリネットとなっちゃうんだけど、モーツァルトからさほど時間の経ってない時期のウェーバーでは、高音を上手く使っています。いいアクセントとなるんだね、それが。拍手も凄かった、皆さんが、同様の感想を持たれたのかもしれません。アンコールも用意されており、「ベールマン:クラリネットと弦楽五重奏のためのアダージョ」が演奏されました。ということで、とっても満足度の高いコンサート。この演奏会では、オケの配置がおもしろかった。弦が、左から、第1ヴァイオリン、チェロ(藤森亮一さんがトップに入ってた!)、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、そして、コントラバスを、チェロの背後に置いた。従って、左奥になります。黄紺のマイシートにしているのは、2階右サイド後方なものだから、対面に、チェロとコントラバスがあるので、とっても低音を浴びる構造。いつもだと、右奥の隠れた位置にコントラバスがあるのと比べると、圧倒的に低音を浴びれる、これは大きいね。このホールでは、パワーを最もいい感じで受けられる場所と思っているマイシートに、この低音シャワーは、京都市響のグレードを上げてくれました。そないなことをしてくれた齋藤さんに拍手です。
 夜公演ということで、帰りの三条駅までのウォーキングはやんぺ。運賃節約のため、バスを使う。206番に乗ると、七条駅まで行ける。同時に、京都市街地の夜ツアーにもなる。今後は、昼間に、これをすると、インバンドの影響を、もろに受けるコースだけど。時間はかかったかもしれないけど、久しぶりにやちゃいました。ちょっとした夜の楽しみを加えることができました。


2022年 10月 14日(金)午前 6時 11分

 昨日は、博物館のハシゴ3軒をする予定を組んだ。小ぶりの博物館なもので、しかも、アクセスを考えると、3軒を繋げることが可能。それらの移動を、ウォーキングと併せて考えると、いい行程を考え出したものだから、行く前は、その構想に悦に入っていた。ところが、1軒目の受付で不快なことがあり、2軒目は、自分のミスで会期を間違い、来週の月曜日から始まるということで、まだ、やってなかった。これ、我ながら、やってしまうかもという、予定表へのメモの仕方をしていたことが原因。ある博物館に行こうと目安を付けた日は、当然、予定を立てるときは会期は判っているので、メモには、会期終了日だけ記入することにしている。ところがですね、予定表に入れた日が都合悪くなると、会期終了日を目安に、最初入れていた日より後に入れていくつもりで、会期の始まりの日を省いてた。ところが、実際にやったのは、悦に入った行程が思い浮かんだため、最初入れていた日より、前に持ってきてしまったため、会期日より前に入れてしまった。博物館の前に到着して、傍らに掲示されていたポスターを見て、愕然でした。3軒目は、内容が、あまりにも乏しかった。しかも、看板に偽りあり的な内容。でも、これ、そこへ行かないと判らない。つい数日前に、チラシを見つけ、展示の名称を見て飛びついたのが、間違いの始まりでした。でも、そんなの看板に出せば、行っちゃいます。で、その3軒とは、①堂本印象美術館の企画展「山口華楊 ―いのちに心をよせて―」②京都産業大学ギャラリーの開館10周年記念特別展「上賀茂神社と賀茂競馬」③しんらん交流館の展示「柳宗悦がであった土徳~人と自然がはぐくんだ越中富山の美~」。悦に入った行程は、JR円町駅から①へ、この行程は徒歩30分余。これを往復。再び、JRで、今度は丹波口駅で降り、②の傍らにある公園で、パンをかじって昼食。②を出て、徒歩25分余で行ける③へ。あとは、そのときの気分で、京阪七条駅でもJR京都駅でも良かろうというもの。実際は、JR京都駅から帰宅。②は入ってないけど、ウォーキングの量には関係ないので、実際、これだけ歩いて、普段のウォーキングの量に、丁度、匹敵するもので、不快なこと、入れなかったり、内容がなかったりということがなければ、めっちゃ、グーな計画だったのに、思い通りには行かないものです。そんなだから、内容的には、「山口華陽展」に行っただけというもの。でも、この企画展は良かった。先日も、京セラ美術館での「コレクションルーム秋期展」を観に行ったときに、山口華陽の「鶏頭の庭」が気に入り、とても楽しみにしていた。「鶏頭の庭」は植物を描いたものだけど、この人は、西村五雲の弟子ということで、動物画を得意にした作家さんと紹介されていた。確かに、植物ものもあるけど、展示されていたものを眺めていると、正直、動物画の方に惹かれますね。「罌粟(けし)」「葦」という作品に代表されているように思えたのだけど、風も、さほど吹かなくとも、そよそよと揺れたりするけしが、しっかりとした茎を持っていたり、水辺で、決して凛としてはいない葦が、爽やかに、伸び伸びとしていたりと、思いの外、草に強さが出るのが気にかかる。「薔薇」「茄子」では、全然、気にならないんだけど。それを考えると、「鶏頭の庭」の鶏頭が、やたらと凛としていたのと、辻褄が合ってきた。そう思う一方、群生した草花を描いた「萌」などの方が、黄紺的には気に入った。動物画の背景に使われる色合いに通底しているものだから、動物画の名作群を観たあと、もう一度、「萌」を観に行ったほど。植物画では、一番、気になった作品となりました。緑系、黄色系の色合いがくすんでる。それが、独特の雰囲気を出していました。堂本印象美術館は、コンサートでは行ったことがあったのですが、2階中央部の展示室は、全く、覚えてなかったけれど、ここ、いい展示室ですね。決して、広くはないけど、展示されている全作品が、見渡せる範囲に配置されています。ここに、得意の動物画が並んでいました。入口正面に、代表作とされる「黒豹」。遠目からは、何やらがのた打ち回ってるとしか見えなかった黒豹2頭を、俯瞰したアングルから捉えていた。近づくと、そうではなく、独特の動きを見せ、歩き回る豹の姿が見えてくる。俯瞰したアングルというのも、発表当時は、かなりの人気になったとか。もう1つの代表作とされている「仔馬」があった。この絵より、「犢(こうし)」の方が、同じ子どもの動物を描いたものとして、気に入った。身体の質感と表情がいい。動物でありながら、人間の内面を持っているようで、気になってしまうってやつでした。複数の動物を描くとき、相当に配置に気を使っているのが伝わって来る。その気遣いが伝わってこないで、いいな、自然だなと思えるのが、より上質な作品なのでしょうね。そういった意味で、チケットの図柄に使われていた「洋犬図」や、作品リストで名称を見つけられない群れた烏の絵が気に入りました。階下の部屋には、自身の出身校となる京都市立格致小学校に寄贈した「凝視」という作品が展示してありました。京都の市中の学校、先日の京都市学校歴史博物館での講演じゃないけど、明治以来の歴史を持つ京都の学校って、こういった大家の作品を持ってんだよね。これも、その1つ。とまあ、ほっこりする作品群でした。大当たり。もう1回、行こうかなと、まじで思ってる。
 看板に偽りありの3軒目。柳宗悦の名が入っているものだから、そそられてしまいました。ところが、柳宗悦絡みは、入口の挨拶文と、その傍らに一文があっただけじゃないかな? 越中富山が、古来、真宗が盛んだったということで、その地を制作現場していた棟方志功の真宗に帰依する言葉、それと、真宗繋がりで鈴木大拙の言葉と、主として砺波の風景を並べてあるだけの展示でした。柳宗悦は、どこに行ったのか? 民芸の故郷の写真はあっても、民芸品の写真の展示は、ごく僅かでは、看板に偽り、ですね。


2022年 10月 13日(木)午前 6時 49分

 昨日も、お出かけ。しばらく、お出かけばかりが続くことになっています。昨日は、午後から出かけようと思ったとしても、帰りが遅くなるのが嫌だったので、午前中に、軽めにウォーキングをしてから出かけることにした。昨日は、実は、某市民向け講演会に申し込んであったのだけど、抽選で外れ。最近、4タテを食らったんじゃないかな。だから、日が空いたものだから、この秋、幾つか行きたいとピックアップしてあるミュゼの1つを選択。それは、大津市歴史博物館の企画展「大友皇子と壬申の乱」というもの。肩には、「壬申の乱1350年記念」と銘打ってありました。市民向け公開講演会の常連の2つのアスニーでは、アニヴァーサリーなのに、特別企画を打ってないのは、京都だからスルーしてるのかもしれないけれど、滋賀県は、その舞台になっているということで、こういった企画が生まれたのでしょう。日本史に疎い黄紺も、帝塚山大学の講演会のおかげで、今年が、そういった年だということは、しっかりとインプットされていました。ところが、この展示の名称を、ようやく展示場の半ばを過ぎてから理解できました。大友皇子が先に来て、壬申の乱が後に来ている。この展示、半ば手前で、壬申の乱関係の展示は終わります。だから、黄紺は、すっかり展示場の広さを失念していたため、これで終わりかと勘違いしてしまいました。負けた大友皇子が拠点としていたのは近江京。だから、まともに滋賀県になるわけだけど、自害したと言われてはいるのだけど、亡くなった場所は、よく判っていない。そのため、畿内ばかりか、東海や関東にまで、その最期の地を名乗っている所があるわけで、各々に、痕跡があり、物語がある。その関連の展示が1つ。次に、大友皇子が天皇に即位していたとされたのが、明治に入ってから。弘文天皇となるわけだけど、そのときの名称選択に関する展示もあり~の、次いで、陵をどうするかという論議が生まれるわけで、その展示もあり~ので、その展示に、かなりのスペースが割かれていました。さすがに、物証らしきもののありなしもあり~ので、そこにも入れてもらえなかった候補地の展示までありました。公的な議論をしているわけだから、関連の行政文書が、えらく多数、展示されていました。連続2日で、行政文書に纏わり付かれ、文献史料に纏わり付かれてしまいました。近代以降のトピックだったので、さすがに、いい加減にしてくれというか、いい加減にスルーしたい気にさせられてしまった後半だったのですが、前半は前半で、困ったな、正直。想定していたこととはいえ、実際に遭遇すると、嘆きの言葉が出てきます。大海人皇子と後の持統天皇らは、隠遁先の吉野がターゲットになるということで、いち早く、吉野を逃れていきます。それで、時間稼ぎをして、東方の勢力に支援を頼むということになることは、黄紺も判っている。ただ、経路に関しては、日本書紀に書かれている地名探しが行われていて、不確定なポイントもあるようなのですが、この展示は、逃亡コースについては断定的でした。その要所要所にある逃避場所の痕跡、それを示す遺跡を展示するのが、このパートでの柱であったと言えると思います。でも、その遺跡の遺物の展示となると,瓦中心。瓦には興味のなかった黄紺でしたが、帝塚山大学の講演のおかげで、その重要さが判るのだけど、細部が頭に入っているわけではない。形状はもとより、どの場所に使われるものだとか、そういうことは判っていない。ましてや、川原寺様式、山田寺様式ということの意味が把握できていない。当時、瓦は、どこでも生産できたわけではなかったので、ましてや、公的な工房で造られていたということで、権力との関連が読み解けるものということは判ってはいても、それを系統立てて把握できてないものだから、そうは言われてもとなってしまいました。国宝や重文も含まれ、所蔵先を見ると、正に本格的な展示となっているのだけど、やっぱ、難しかったな。夏見廃寺とか嶋宮とか、帝塚山大学の講演で聴いたことのある場所は、その重要さは、ちょっとだけ解るんだけどな。
 大津市歴史博物館に行くときは、いつも、JR大津駅から歩いていきます。片道30分ほど、いいウォーキングになります。長等公園や長等神社の前を抜けると、三井寺。その傍らが博物館。その手前に、大津市伝統芸能館、能舞台があるところです。ここで落語会も行われているので、能舞台を見がてら行ってみたいと、かねてから狙っています。前を通りかかると、数枚、能や落語の公演のチラシを掲示してありました。滋賀県出身の三風や紅雀の名が入った会などがあった。その1つに目を付けています。うまく、予約なり、前売券を買えたなら行こうの気になるもの、見つけました。ようやく、念願が叶いそうです。


2022年 10月 12日(水)午前 6時 32分

 昨日は、いい天気。ちょっとだけ、気温も上がったかな。昨日は、午後に市民向け公開講演会に出かける予定を入れていたのだけど、その行きがてらに、狙っていた博物館に寄ることを計画。講演会の時間を考え、昼食用のパンを買っていき、博物館終了後に、どこかで食べようの魂胆、その博物館は大谷大学博物館。丁度、昨日から、特別展「仏法東帰-大仏開眼へのみち-」が開かれています。先日のキャンパスプラザ京都であった講演会で、この特別展を知っただけではなく、招待券まで頂いたものですから、行こうという気になったものでした。ただ、その講演会でも、この展示についての説明があったのですが、それを聴いていると、文献史料中心の展示という予感がしてしまったのですが、今回の展示に絡めたお話を聴けたもので、なんとなく解るんじゃないかという気で行くことにしました。その予感は当たり、でも、展示しようとしていることは、十分に理解できました。お話を聴いていればこその成果でしょうが、やっぱ、くずし字でなくても、内容の把握は無理。一部の文字と解説で解った気になることができるというものでした。、「①大仏開眼」「②仏教公伝」「③聖徳太子信仰と聖武天皇」の3つのコーナーに分けての展示。①では、東大寺大仏開眼会の儀式を伝える「続日本紀」、これは、講演で、元金沢文庫所蔵で、家康の手に渡り、その後、尾張徳川家に管理が移ったと言われていた重文。ポイントの箇所に矢印表記までしていただいても、解るものではないですね。このコーナーには、「金光明最勝王経」という聖武天皇の詔により、国分寺に安置することが命じられた経文で、もの自体は、金泥で経文が書写されたものだけど、国宝も展示されてたことになります。この大仏開眼が、仏教公伝の200年目。公伝後200年目に、仏教が栄えるとの聖徳太子の言葉を受けたのが、まず②、そして③へと続いていく。公伝を伝えるものは「日本書紀」ということで、幾つかの写本が展示されていましたが、目玉は、京都国立博物館所蔵の国宝。こちらも、「仏教公伝」の文字が書かれているのを確認する程度しかできませんでした。このコーナーには、何点かの「須弥山図」の展示がありました。解説に、須弥山は東方にあると考えられていたことが、日本に流れてきたことと関係があるようだと書かれていたように思います。それが伝来を促す結果となったというようなことが書かれていたとのかな、よう覚えてへんけど。そこで、②に、これを素材とした作品が展示されているようです。③では、聖徳太子が慧思禅師の生まれ変わり、更に、聖武天皇その人も聖徳太子の生まれ変わりと看られるようになったトピックは、先日の講演の目玉だったと記憶しますが、正に、③は、それを扱ったコーナー。生まれ変わり話を伝える史料に加え、聖徳太子像が2点、展示。冷泉為恭筆による「聖徳太子二王子像」は、先日の講演で、確か、お札のデザインの基になった作品だと言われていたはずですが、作品リストを見ると、江戸時代の作品なんですね。こちらの博物館所蔵品だけではなく、様々な博物館から借りての展示だけに値打ちものの史料が出ているのでしょうが、ちょっと猫に小判的でした。よくぞ、講演を聴いておいたものでした。
 午後の講演会が、午後2時開始ということで、それを見計らって出て来たかいがあり、ゆっくりと、鴨川の河原で昼食。陽射しが暑いので、太陽には背を向けて座ることに。かなり寒暖の差が、朝昼ではあります。少し余裕を見てあったのですが、京都学・歴彩館に着くと、会場前に長蛇の列。「資料に親しむ会」があったのですが、昨日は異様な人気。「みなとオアシス登録記念/川の港・伏見港、半世紀前の姿 京都府行政文書“伏見港公園水泳場公開一件”より」と題して、同館資料課の若林正博さんのお話がありました。若林さんも、冒頭で言われていましたが、関心は、「伏見港」にあるのか、「公開行政文書」にあるのか、どちらだったのでしょうか? それを聴いて、黄紺は、いえいえ、「若林人気」ってのがあるのではないかと、こっそりと突っ込んでしまってました。若林さんは、歴彩館の職員であるとともに、伏見の歴史の探求者として、有名人。「歴彩館」という肩書を出されないで、伏見に関する講演では、よく顔を見かけるということで、「この方なら、おもしろいお話を聴ける」というファンが詰めかけたとしても、不思議ではありません。「みなとオアシス登録記念」と謳ってあるのは、川の港としては初めての登録だそうです。大阪には神戸、東京には横浜、京都には伏見だと、伏見港の位置を強調されていました。しかも、その伏見は、一時は首府でもあったわけですから。しかし、その機能が消えても、伏見は宿場町、港町として残り、栄えた。特に後者の地位は、明治以降も続く。水泳場ができる前の、そういった伏見の歴史の振返りが前半。伏見に関する手持ちの史料を、しっかりとお持ちの方ですから、タイミングよく、伏見港の変貌する姿を、絵図を使い、見せていただけます。京橋付近の賑わい、そこへ、蒸気船が現れると、近代の空気が出てきます。旅客は、鉄道の登場で減っていっても、物流の拠点としては繁栄は続いていく。宇治川に堤防が築かれたことで、その出入口として、三栖の閘門が造られたと言われていました。それと、発電所が重要な役割を果たし、その燃料の輸送が大きかったとも。でも、その輸送も、車の登場により減り出す。でも、この発電所用の燃料輸送は、最後まで続いたのであろうということで、伏見港の拡張話へ。その時期の、要するに拡張話が出る前の絵図では、旧港は埋め立てが進み、かなり狭くなっていました。これが、今の宇治川派流の幅のようですね。拡張の原因は、軍需物資の輸送拠点化。その拡張された伏見港の写真を見せていただくと、正に、運動公園がすっぽりと入る、当たり前です、そこを埋めたわけですから。ここで、僅かに居眠り。気がつくと、水泳場ができていました。そのため、終戦後の伏見港の様子は抜け落ちています。水泳場の様態についてのお話もあったはずでしょうが、ダメです。いつものように、肝心なところで出てしまいます。この講演のもう1つの柱、行政文書の公開を兼ねているわけですから、行政文書一般に関わる公開原則について、そして、一部を伏せた文書の紹介となっていました。個人情報など、出せない、特にこういった講演会ではということです。この行政文書というもの、役所内の記録だけではなく、業者による納品書なんかも含まれています。出されてみると、公金の流れの証拠品ですから、残す必要がありますわね。まとめとしては、お立場もあるのでしょうが、水泳場建設を前向きに捉えることを言われていました。短期間であっても、市民への娯楽の供与を担ったという部分ですね、丁度、時代の変化とともに、役割を終え、新たに運動公園へと変貌を遂げたというシナリオです。でもね、今だと、夏場の短期間だけにしか使えないもの作ってとなるのでしょうか。室内プールなどなかった時代ですから、そういった考えも出ていたのかすら、想像がつきません。
 帰りは、お約束の三条駅までのウォーキング。いいお天気だったからか、家に戻ると、Tシャツは、かなり汗で濡れてしまってました。そして、昨日は火曜日ということで、KBS京都の「まーぶる」を、Radikoで聴くことに。昨日は、夜に東京で大きな会を控える日。二葉はタフです。確か、先週、金曜日くらいまで、東京で仕事が続くと言ってたと記憶してますから、その準備も要るだろうに、いつに変わらぬ元気さを示してくれてました。おもしろかったのは、「この落語」コーナーで、めっちゃマニアックなトピックを出してくれていたこと。お囃子に、米朝一門だけに、替えの手があるというもの。「お中入り~」「お時間~」を入れる入れない、「石段」のときに、銅鑼を入れると、鈴や当たり鉦を使う使わないといった類の話です。これは知らなかった。「石段」に違いがあるのは気づいていたんだけど、それが、米朝一門であるか否かだったとは、初耳でした。ましてや、掛け声に違いがあるのは、違いのあるなしすら、知らなかった! ええ勉強になりました。で、有楽町での会、完売だったようですね、凄い、二葉人気!


2022年 10月 11日(火)午前 6時 34分

 昨日は、世間的には、3連休の最終日。午後に開催された落語会に行ってまいりました。上手い具合に、雨が止んでから出かけることができ、また、昼間に雨が降ったようだったんだけど、こちらも、雨が止んだ時間帯に落語会がはねるという運が、昨日はありました。落語会は、この10月に2回行く予定。このあと、もう1回、既に予約を入れてあります。昨日の落語会は、仁和寺の横のお寺での開催、「桂文我 蓮華寺落語会」というものでした。この落語会に行くのは、20年ぶりくらいになります。コロナ禍で、ご多聞に漏れず、中断があったようですが、再開して2回目になるそうです。以前から気になっていた、なぜ、こちらのお寺で落語会が開かれるのか、ようやく判明しました。大阪の池田で文我を、長らく応援されていた住職さんがおられたことは、黄紺も、前から知っていましたし、文我の落語会で、お姿をお見かけしたものでした。その住職さんの実姉の方の嫁ぎ先が、こちらのお寺だと言うことでした。京都の中心部から離れた場所に落語会が、定期的に続けられるわけが、ようやく判ったのですが、同時に知ったのは、その池田の住職さんは、昨年、他界されたことでした。時は無常です。でも、こちらでは、続けておられます、今後も続くようです。そういったお話を聴ける機会に、20年ぶりに行けるというのも、何かの縁のようなものを感じてしまいました。で、この日の番組は、次のようなものでした。笑我「東の旅/発端」、文我「大師巡り」、(中入り)、花丸「厩火事」、文我「音曲質屋」。新しい笑我は初遭遇。「新しい」というのは、まん我の前に、笑我という名をもらった弟子が、文我にはいたからです。顔つきが若々しく、爽やか。スポーツ少年といった風貌、実際は、どうなんでしょう。声が、未だ出来上がってないという印象。それと、叩きのリズムに馴染めなかったのは、なぜ? 時ったま、しっくりと来るときはあったのですが。文我は、昨日も珍品オンパレード。以前は、3席やってたということからでしょうか、長々とマクラを振られたため、気が気でなくなった。でも、2席ということが判り、ホッとしたのだけど、2席にしても長い。1席目では、仏教の歴史を喋り出したものの、未だ始まったところだから、楽しく聴いていたのだけど、統一教会まで出てくると、居心地が悪くなってきました。個々の話題はおもしろいと思っているのだけど、果てのないお喋りという感じで、自分の中で引いていくのが判りました。ようやく、ネタに絡むような話になってきたところで、「太融寺」が出てくる噺をとなると、またぞろ、そこでの落語会の話となってしまう。ただ、聴いている黄紺には、1つ、閃くものがあった。全く、同じフレーズを、以前、文我から聴いていたからです。「太融寺の出てくる噺が1つだけある」と、以前の太融寺での落語会でも、昨日も言いました。でも、以前は、こんなことも言った記憶が残っています。「松鶴師匠が、あるとき、“今日は、珍しい噺をするから、よう聴いときや”と言って出て行かれた噺です」と。でも、昨日は、6代目については触れなかったので、そのとき聴いた噺と同じものかどうかは判りません。でも、「1つしかない」というフレーズは同じだけど、内容的には記憶に残るものはないんだけど、長さは違う。昨日、聴いた噺より、かなり短かったような記憶があります。ネット上で調べると、「大師巡り」は「小咄」と分類されているので、その後、文我が膨らました可能性は残ります。ネット上に記されたと、内容は同じです。放蕩者の若旦那が、放蕩が過ぎるということで軟禁されているのだけど、どうしても遊びに出たい。そこで、魚屋を誘い、大師巡りに行くと偽り、外出許可を得て、お茶屋に行ってしまう。一方、説教する親旦那も、実は遊び好き。設定は「親子茶屋」と瓜二つ。お茶屋で出逢うのも、同じでした。昨日は、花丸がゲスト枠。結構、これ狙いで行ったところがあります。マクラで、宝塚の話をするものだから、その関係のネタをするのかと思っていたのですが、「厩火事」でした。この口演、前半が大仰でないのがいいですね。後半も、そのペースで進むのかと思っていたのですが、流行のデフォルメ調に、あれれれとなってしまいました。全体として看てみると、平均化されてしまうけれど、時系列的に記憶に刻れてしまうのは、後の方。だけど、花丸の口演を聴いていると、身体表現の有機性が素晴らしい。お喋りと、きれいに連動している。間も、うまく絡めてある。計算され尽くしたという印象を持ってしまいました。大仰じゃない前半部が、この点でもいい感じだった。文我の2つ目も、マクラがたっぷり。質屋の話をし出したものだから、「質屋蔵」をするんじゃないかと冷や汗が流れました。かなりの時間が経ってたもので。もちろん、自分的には「音曲質屋」は初もの。題名は、これでいいのかという自信があるわけではない。でも、どこかで、こういったお題の噺を、文我がやってたような気がするだけ。得意の音曲でお金を借りれる質屋という、まことに落語の世界。客は2人でした。都々逸得意と浪曲得意でした。都々逸はまだしも、浪曲にも対応されたかつら益美さんに拍手です。でも、こういったありえない設定のでっち上げネタは、3人、出して欲しいな。でないと、でっち上げが成立しないというのが、かねてからの持論です。と、ちょっと不満を持ったけれど、こういったでっち上げネタ、大好きです。結局、中入りが入ったけれど、3時間の長丁場。本堂は、徐々に冷えてくるため、最後は、トイレの心配もしながら聴いておりました。


2022年 10月 10日(月)午前 6時 39分

 昨日は、タイトな日曜日、そして、雨の日曜日。午後にお出かけ予定を入れていたので、日曜日の定番、「日曜美術館」が圧迫してしまいました。ま、雨だから、いつもの昼前のウォーキングは、あっさりと諦めがついた。関心は、雨の具合。こちらが強い降りだと、夕方のウォーキングも諦めねばなりません。一昨日は、4人でのお出かけが、すっかり疲労を誘い、夕方のウォーキングは諦めたもので、2日連続でダメとなると、うずうずしてしまいます。幸い、雨は、ぎりぎりOKということで、お出かけ先への往復をウォーキングに替えることができました。でも、1日の量としては、いつもの8割行ったかなという程度でした。
 「日曜美術館」の今回のお題は「朝倉摂がいた時代」。朝倉摂、知りませんでした。だけど、冒頭、この日のMC役となった渡辺えりが、舞台の映像を観ているシーンで、出てくる芝居のラインナップを観て、あっさりと、只者ではない舞台美術家だったと納得。芝居は、観てなくても、情報は、絵の世界よりは持っているものだから、こういったアプローチをしてくれると、自分的には解りやすい。だが、今回のテーマはそこじゃなかった。朝倉摂の没後、倉庫に、多くの絵が出てきたことがテーマでした。長女の方が、その倉庫に案内していましたが、一切、倉庫の話はしないまま亡くなったそうです。生誕100年ということで、今、福島県立美術館で、その出てきた作品の展示が行われているということで、番組の柱として、その展示場を訪れた渡辺えりを追うが立てられていました。それに被せるように、朝倉摂の生涯を振り返るという作りになっていました。父は朝倉文夫という著名な彫刻家。朝倉摂自身は、伊藤深水に師事して日本画を学び、若くして新文展に入選。嘱望された作家となるが、父に対する反発もあり、労働者の世界に共感、それが、「芸術家として今を生きる」と考えた。戦後も引き続き、その姿勢を継続。安保闘争にも関わったよう。でも、日米安保条約が結ばれたりで、挫折感を持ったようで、「私はポール・ボブソンの絵を描いて日本画の世界をあきらめた」と言い、演劇の世界へ。安保闘争で交流があった演劇人に導かれたようだとのこと。舞台美術の世界へ活動を移してからは、生涯画家時代のことを語りたがらなかったと言われていたが、絵は描いていた。だけど、それも、70年代になると描かなくなり、倉庫にしまってしまった。それが出てきたようです。父からの手ほどき受けたデッサンは、舞台美術家になっても欠かさなかったそうで、大量のデッサンが残っているようで、その一部が紹介されていました。番組で、紹介された作品をメモっておきます。①更紗の部屋(妹をモデル、都会的、モダンな色合い)②雪の径(日本画、山形の風習で描く?)③うえかえ④街頭に観る⑤歓び(戦時中なのに明るいのが、却ってアヴァンギャルド)⑥黄衣⑥自画像⑦裸婦⑧女⑨寮日雇いの母と子⑩休む人(家を出てからの作品、暗くなるが、それがアヴァンギャルド)⑪群像(キュビスムなどの洋画に関心を持ったのが現れている)⑫働く人(同時代に生きる人に共感)⑬夫婦(意欲だけが先走りしていると批判された)⑭背負う人々(労働者からは、重い荷物を担ぐ人を描いていればいいんだからと揶揄する言葉)⑮女(自画像?)⑯担ぐ人々⑰立話⑱炭鉱風景⑲三人(常磐炭鉱の光景)⑳石炭とスコップ㉑ズリ山㉒部屋1957㉓日本1958(高度経済成長で変わりゆく日本の姿を描く)㉔日本1959-2(東京タワーから落ちる人、ハーフの子どもが描かれている)㉕黒人歌手ポール・ボブソン(ウィーンでポール・ボブソンに出逢う、ここで、私は「ポール・ボブソンの絵を描いて日本画の世界をあきらめた」という言葉が出た)㉖内部への挑戦㉗告発61㉘1963㉙神話の廃墟㉚合わせの外の不幸せ㉛****の外㉜トナカイと時計㉝仲間(各々は孤独な感じを受ける)㉞衝立(谷川俊太郎、粟津潔との合作)。
 午後のお出かけ先は、昨日も京都学・歴彩館。ここに来て、歴彩館に行くことが増えてきています。昨日は、「下鴨中通ブックフェア」併せて、市民向け公開講演会が行われました。「京都のコーヒー文化―百年の歴史を味わう」というお題で、京都府立大学附属図書館館長の小林啓治さんのお話を聴くことができました。京都とは限定されてはいましたが、京都とは言え、大状況のコーヒー事情に呼応して、その一断面を示すものということでのお話でした。正に、看板に偽りなしで進められた講演。コーヒーに関して知らなかったこと多数で、期待を裏切らない、おもしろいお話を聴かせていただけました。まずは、日本人とコーヒーの出会いから始まり、カフェの時代、純喫茶の時代へと推移して行く様子をお話になりました。カフェが人気を博す1920年代というのは、現在では著名となっている大学が、専門学校から大学へと衣替えする時期。コーヒーの普及が、こういった変化に対応していると言われていました。が、世の中は軍靴の響く時代へ。そこで、全く初耳のミニコミ誌っぽい雑誌「土曜日」の紹介話が入りました。「フランソワ」「夜の窓」「築地」という、京都を代表する喫茶店で、その「土曜日」が置かれていたとか。記事を紹介されたのですが、驚くべき内容。婉曲的に戦争遂行を揶揄するものでした。戦中・戦後のコーヒー事情では、1930年代に登場した猪田七郎商店が登場、焙煎業が登場した時期だそうです。戦中は、コーヒー豆自体が入って来ないため、業界は停滞。戦後になると、そういった焙煎業界が活発化。上島珈琲(神戸)が株式会社化。ジャズ喫茶や名曲喫茶の全盛は1960年代。喫茶店は増えても、ジャズ喫茶や名曲喫茶は役割を終えて行く。喫茶店増加の原因は脱サラで経営に移る人が増えたから。それに呼応して、焙煎業者が、豆だけではなく、ミルクや砂糖を抱き合わせて売るようになるばかりか、経営のコンサルタントもするようになったことも背景にあった。1980年代になると、セルフ式コーヒーショップが登場する、ドトールコーヒーが先鞭を切ったようです。この時期に、「スペシャルティコーヒー」が普及と言われたのだけど、この「スペシャルティコーヒー」の概念が判らない。どうやら、コーヒーをカテゴライズして、ブランド化を図る試みのように思えるのですが、当たってるのでしょうか? そのトピックの中で、焙煎の仕方のあれこれ話、「エスプレッソコーヒーでスターバックスが当てた?」話が出てきたんだけど、理解できませんでした。自分に、コーヒー事情の基礎知識がないってことですね。その後は、コーヒー生産者の歴史、アグリビジネスについてですね、これは解る。歴史的に植民地経営の柱になってきたことは了解出来ていますからね。怖かったのは、その流れで出てきた農薬問題。綿花、たばこに次いで、コーヒー生産には農薬が使われているということでした。常日頃、安物のインスタントしか飲まないものだから、急に怖くなってしまいました。もう手遅れでしょうが。トルコなんか、「ネスカフェ」主流なのにと言ってみても詮方なしです。オーガニックコーヒーが語られるわけですね。エクアドル・インタグ地方では、鉱山開発を拒否して、このオーガニック栽培をしているそうです。WEN(ワールドエコロジーネットワーク)を実践している福岡の業者を紹介され、最後に、「京都に喫茶店文化の未来、京都にこんな喫茶店があったら」で締めくくられたのですが、その中で、1点、大事なことを言われていました。現在流行っている大型コーヒーショップは、個と個が交わらない世界だということで、以前からあった喫茶店とは異なると言われていたことです。喫茶店が語らいの場であり、語らいがあったからこそ、文化の発信地ともなっていたが、それが生まれようがない姿へと変わっている現状を指摘され、そうじゃない場を提供する喫茶店があればいいなで、締めくくられました。とっても、いいお話。途中、付いていけなかったのは、偏に己のせいですね。世間から離されていることの証拠でしょう。自戒です。


2022年 10月 9日(日)午前 7時 13分

 昨日は、息子と一緒に、DとSを連れてのお出かけの日。行き先は、寝屋川市にある「地方独立行政法人大阪府立環境農林水産総合研究所 生物多様性センター」。昨日は、こちらで、3歳から小学生までの子どもを対象にした「生物多様性を楽しく学ぼう! 生きものふれあいイベント」があったのです。大阪府立環境農林水産総合研究所が関わったシンポジウムをオンラインで視聴して以後、近くの大阪だということもあり、定期的に出されているメルマガ配信を受けています。その中で、この時期に、毎年、このイベントが行われていることを知りました。去年も、申し込む手前まで行きながら、事情があり断念。息子夫婦で、DとSを連れて行ったのかと思ってたら、それもできなかったということで、今年が初めて。同センターの研究の場でもある草むらや池、傍らに大阪府の開発したコメの品種まで栽培しているところ。そういった自然を確保した敷地を開放して、子どもたちに、その自然に触れ、生物多様性を、実地で学んでもらおうという試み。かなり、準備が大変だったろうという設え。子どもたちが喜びそうな案内板や、作り物を配置してあったりします。香里園駅からバスに乗り行ったんだけど、着いて早々、トイレを借りに入った建物は、このイベントのための展示会場ともなっており、入口には、イノシシの作り物が出迎えてしました。中に入った途端、大きな水槽、魚が泳いでいるものだから、Sは、トイレに行くのを忘れてしまい、「お魚」と言って見とれていました。でも、傍らに置かれていたイノシシには気づいてない。水槽に、建物に入るや目を奪われてしまったのでしょうね。その床には、いろんな動物の足跡で順路を示してくれている。おまけに、それらの足跡が、どういった動物のものかを示す展示では、Dは、喜んで、全部の足跡を確認していました。最後に、もう1度、入ったときは、今度は、生き物を題材にした絵本を読んでくれと、Sにせがまれてしまいました。池の周りの草は刈られ、そこを歩くと、いきなりバッタか何かが飛び跳ねます。受付を済ませ、防虫網や虫かごを借りると、もう大変。Dは、お兄ちゃんだけあり、うまく獲ります。最初、網なしで掴まえたのには、びっくり。えらく、それが自慢となりました。自信がついたのか、飛び跳ねる虫、飛ぶ蝶々やトンボまで獲っていました。何匹か虫かごに入ると、それを持って係の人が待つところへ行くと、虫の名前を教えてくれます。そして、大きな虫かごに移し、また、捕獲に出かけるというもの、これの繰り返しだけで、横にいる我々も楽しくなってくる。そういったことをしていると、稲刈りの体験が始まったというので、そちらに行くと、鎌を使い、ホントにコメのなっている稲を刈ることを指導していただけます。ちっちゃなSもチャレンジ。この日最高のカメラのお時間となってました。刈った稲は持ち帰り可。次いで、干した稲から脱穀体験。瓶と、その蓋を使い、コメだけを分離。Dはできていたけれど、Sは、「引っ張れ」と言われても、それが、よく解っていない。そんなだったけど、楽しかった、DもSも、付いて行った方も。この日の参加者の中で、Sが、一番、年少のように見受けました。参加資格は満たしてるけど、動きや体格を見ると、そうでしょうね。大きなイベントは、もう1つ、地引網がありました。池の中の生物を調べるために使われている網を池に設え、子どもたちが引っ張りました。DやSは、地引網の意味が判らなかったと見え、動きが曖昧。イマジネーションが働かないんでしょうね、マイクでの指示にちぐはぐな動き。お兄ちゃんになったとはいえ、Dも、まだ小学生にもなってないんだから、仕方ありません。でも、獲れた魚を、水を入れた籠に移してもらい、更に、大きな水槽に移していました。そこで、獲れた魚から、ここまで獲れた虫や水生生物についての解説。Dは、一番前で聴いてたけど、何を言っているか解ってないでしょうね。あとで、「ヤゴ」について聞くと、さっぱりダメでした。そんなで、2時間、最後には、急に通り雨に遇ったけれど、大満足。
 香里園駅に戻り、ちょうどお昼なので、駅前でお昼ごはん。いろいろとお店があったはずの一角に行っても、やっぱ、激減してました。そこで、おなじみの中国庶民料理の店へ。大人は生ビール。子どもは、子ども用メニューに餃子。子どもたちが食べ終わってから、ご飯系を注文すると、大変。もうじっとしていない2人。それが解っている息子に、ペース配分がダメと怒られてしまいました。でも、あいつらと食べるご飯は格別です。


2022年 10月 8日(土)午前 5時 36分

 昨日は、夕方まで雨。これで、今日の土曜日は晴れるだろうと、喜んでいた。晴れると、DやSと出かけることになっているから。昨日は、雨のうえ、お出かけ予定はなしと、また、いい日に、降ってくれた。ただ、昨日は、夜に、オンライン配信の予約を入れてあるので、午後の一時は短縮。そこが、ちょっとした変化。そうは言っても、一昨晩、ヨーロッパのカップ戦で、トルコ絡みが4試合あったので、朝は、その情報収集。4試合の内、フェネルバフチェだけが勝った。その相手が、キプロスのクラブ。勝って当たり前の頭。でも、他の試合を見渡せば、コソヴォのクラブに負けるわ、ラトビアのクラブと引き分けてる。いかに、トルコのサッカーが地盤低下してるかが判るというもの。午後の一時は、「ジークフリート」を完走。昨日は、第3幕を観たんだけど、冒頭に、エルダが出てきて、さすらい人とのやり取りがあるのを失念していた。だから、存外、長くかかってしまいました。相変わらず、こじんまりとした舞台。ホリゾントはスクリーンで映像を流すというものだから、言って悪いけど、学芸会の舞台みたい。そこに、ホンマものの歌手が紛れ込んだという風情。当然、ブリュンヒルデを囲む火は、背後のスクリーンに映り出さていた。その中で、さすらい人に導かれたブリュンヒルデが、左サイドから現れる。一方の右サイドからは、小鳥に導かれたジークフリートが現れると、あくまでも、小鳥を使いまくる。正中には、槍で囲われた円形の台。そこに、ブリュンヒルデが横たわると、いよいよ、2人のご対面。小鳥は、こうしてみると、やはり、ヴォータンのお使いになってしまう。そして、長大な二重唱となるわけだけど、一旦は、不安を口にしたブリュンヒルデが意を決すると、音楽も穏やかな空気を流す。ここで流れるのが、「ジークフリート牧歌」の冒頭で使われるメロディ。間違いなく、ライトモティーフとしての名称が付けられてるのでしょうね。で、終わりました。先日の「ラインの黄金」と言い、いずれも、物足りなさが残るプロダクション。いつもいつも、当たりというわけにはいかないものです。
 夜のオンライン配信は、「人文研アカデミー2022 オンライン連続セミナー/草原と中華のあいだ―北方王朝(遼・金・元)の興起とユーラシア東方」の第2回目。昨日は、「契丹(遼)・金の社会と仏教」というお題で、龍谷大学の藤原崇人さんのお話を聴くことができました。珍しい遼や金の仏教事情がテーマ。唐で、仏教が隆盛を迎えるというのは、黄紺も解るところですが、ただ、その唐も、「会昌廃仏」(武宗の仏教弾圧)以後は、学問的仏教の低迷と実践的仏教(禅・浄土教)の隆盛が続くというものだったとか。そのまま、五代十国、北宋へと流れていくそうです。そういったなか、五代の1つ、後晋建国に絡み「燕雲十六州」の割譲が起こります。これは、とっても有名な出来事。そこに、今の北京、当時の幽州が含まれてますが、これが、契丹に、仏教が受容される契機になったとか。契丹のシャーマニズムと齟齬を来さなかったのかという質問が、終了後に上がっていましたが、シャーマニズムで尊崇の対象になっている神に仏がなっただけで、すんなりと受容されただろうとのことでした。支配層に仏教が浸透するにつれ、寺院建築、仏典収集に動くということが起こっていく。おもしろかったのは、北宋と契丹だけではなく、朝鮮の高麗、そして、日本を含めての、仏教に関する交流圏が出来上がってたことが確認できると言うことでした。今になって気づいたんだけど、韓国の誇る世界遺産「高麗大蔵経」は、この流れでかと思い調べてみると、最初作られたのは、時代的にはここだけど、焼失。現在残るものは、元の時代になることが判りました。でも、最初に入ってきたのは契丹大蔵経で、それが、日本にも伝来しているようです。スケールの大きな話です。こういったトピックが出たためか、質疑応答では、平泉と契丹との間で、大宰府を経由しない、両者の交流はなかったのかという質問が出ていました。今のところ、確認はできていないとのお答えでしたが、想像力の膨らむところです。次いで、金における仏教の受容。金は、契丹と北宋を滅ぼして両国の主要地域を領有した結果、契丹仏教と北宋仏教の双方を取り込むことになったそうです。なかでも、禅宗 (曹洞,臨済,雲門)の隆盛が看られるとか。この金朝については、「栴檀瑞像」というインド伝来の仏像の動向が取り上げられたのですが、この仏像は、政権の正当性を裏付ける材料として利用されるほど重要なもの、その背景としての仏教の隆盛を看て取れます。その一方で、仏教の内実、何も、この時代だけではないのだけどという前置きで、この時代の仏教は、現生利益で生きていたようなもので、寺院の腐敗を正そうとする文書が残っているそうで、金では、遼時代の過度の崇仏もあり、遼ほどの過熱ぶりではなかったそうです。いつの時代にも、廃仏が起こるのも、こういった過剰さ、それが腐敗を生んだからではないかと言われていました。日本史と違い、早口でタームが出てきても、仏教関連の特異なものを除いて、耳に残る強みもあり、とっても興味津々で聴くことができました。このシリーズ、おもしろいね。だけど、こんなテーマ、オンライン配信で聴いている人っているのだろうかと思うのだけど、次から次へと質問が上がる。世間は広いです。


2022年 10月 6日(木)午後 10時 41分

 今日は、3日連続のお出かけ最終日。今日は、午後からのお出かけ。少し遅めだったので、昼前のウォーキングは、普段の9割方できたのに対し、帰宅した頃には、結構、暗くなっていた。午後6時を少し回っていました。ま、仕方がないことです。で、お出かけ先は、京都学・歴彩館。今日は、こちらで、天橋立を世界遺産にする会主催の講演会がありました。宮津市が中心になり動かれているもので、2年ほど前から、この時期に、京都市での講演会を企画され、この運動の周知を考えられているイベントです。今年は、既に、3回の講演会が行われており、今日が最終回。黄紺は、残念なことに、スケジュールが合わなくて、今日だけ参加することになりました。今日は、三保松原に倣おうということで、「世界文化遺産 静岡市三保松原の保護」と題し、 山田祐記子(静岡市三保松原文化創造センターみほしるべ)さんのお話を聴くことができました。2年ほど前だったかな、正月特番として「ブラタモリ」でも、三保松原は取り上げられましたね。恥ずかしながら、富士山が世界遺産に指定されたときに、三保松原が含まれていることを、そのとき、初めて知った次第。確かに、古来、富士山を見渡すポイントとして、三保松原の景観込みで歌が詠まれ、浮世絵のみならず、絵画の素材として、富士山とともに、三保松原が描かれていたってことで、文化遺産で納得できます。ただ、山田さんのお話で知ったのですが、歌にせよ、絵画にせよ、幾つかのアングルで、詠まれ、描かれているそうです。そのポイントを紹介するとともに、そのポイントごとの歌、絵画作品を紹介していただけました。「ブラタモリ」でオープニングに使われたポイントは、その一つに過ぎなかったわけですね。そう言われてみると、あのオープニングのポイントとは、広重の「東海道五十三次」に現れる三保松原は違います。広重のそれは、薩埵(さった)峠という絶好ポイントだそうです。オープニングでのポイントからは、カメラでレンズをズームにして撮ると、手前の海岸が消え、海に浮かぶ富士と三保松原を併せて撮ることができるそうです。そんなで、たっぷりと、三保松原の風景を楽しんだあと、山田さんは、三保松原の松の保護に携わることが専門のようで、その様子は、当然、天橋立の松原に通じるということで、表記のテーマが、お話の本体になったのだと思います。この主体となるところで、懸念していたことが出てしまいました。今朝は、午前4時前に目が覚めたままだったため、行く前からやばいと思っていたら、往きの電車で、早々に居眠り。でも、ここでうとっとしたのが良かったと思っていた通り、前1/3のお話は元気だったのに、お話のテーマが変った途端、起きてられなくなってしまった。そんなで、メモるのは、ここでおしまいです。ちょっとだけ覚えている内容を振り返っても、保護にも、いろんな観点があるということ。害虫対策とかいった、今、目の前にあることから、見通しを持った間伐、将来を見据えた新たな芽の育成。実生が基本のようですが、クローンを作ることになる挿し木の技術開発も成功されているようです。とっても、行き届いたお話しぶりで、欠いたところが出てしまったのは、ホント、勿体ない話です。でも、してしまった!
 合間に観たYouTubeは、今、無職旅氏のライヴ配信に釘付け。ケルン、フランクフルト、ヴュルツブルク、ニュルンベルクと回っており、ここまで、ケルンとヴュルツブルクからライブ配信をやってくれました。ケルンはともかくも、ヴュルツブルクを生で観れたのは嬉しかった。今から、ん十年前に、初めてドイツに行ったときに行った町。その後、時を経て、オペラ紀行で、何度か行っている。ブルクとシュロスが共存する珍しい町。石橋の上では、ワインを飲める。黄紺は、暖かな時期には行ってないから、その橋の上で、グリューワインを飲んだ記憶ばかりが残っている。そんなで、気に入っている町なものだから、ギラギラしながら観ていました。カメラをかざして、歩いてくれるだけで嬉しくなっちゃいました。その後は、ニュルンベルクに入ったそうですから、ライブ配信はなくとも、いずれ、動画で紹介してくれることでしょうから、楽しみなので、それを待つことにしましょう。その後は、ニュルンベルクに入ったそうですから、ライブ配信はなくとも、いずれ、動画で紹介してくれることでしょうから、楽しみなので、それを待つことにしましょう。


2022年 10月 6日(木)午前 6時 31分

 昨日は、京都の東西へと出かけた。はしごを、久しぶりにしてみました。しかも、朝から出かけて、家に戻ったときには、午後5時になっていた。こんなのは、年に1回あるかどうかでしょう、最近では。まず、朝からアスニー山科へ、普段は、市民向け公開講演会なのだけど、昨日は、枠としてはそのままだったようですが、弁士付きの無声映画の上映がありました。以前、「滝の白糸」が、同じく弁士付きで上映されたときに行き、弁士付きという試みが嬉しく、また、無声時代の有名映画を観ることができ、大正解だった覚えがあったため、今回も申し込んでみました。しかも、映画は、立ち回りで有名な「雄呂血」。主演は阪東妻三郎。弁士は、前回に続き、遊花さん。しかも、この上映、殺陣の場面で、小嶋勉さんの謡(清経)を入れるという演出。その上、今回も、解説に立たれた京都の文化を映像で記録する会理事長の濱口十四郎さんが、かつての太秦の様子をお話されるばかりか、映像でも、かつての太秦の姿を紹介していただくというサービスぶり。観る前から、映画を観る環境が整いました。「雄呂血」は、元々、「無頼漢」という題名だったそうだけど、お上からダメ出しが出たとか。内容が変わるわけではないのに、余計なお世話です。筋立ては、1人の侍が、讒言により、侍をやってられなくなり、浪人化。でも、その後も、同様の裏切り、讒言が続き、どんどんと零落していく。でも、正義感は持ち続けるが、それが活かされない。むしろ、悪性な者がのさばって行く。それが繰り返されていく、最後に、身をかくまってもらっていた土地の侠客が、侍時代に心を寄せていた女性に暴行ということで、歯止めが効かなくなり、映画史上に残る立ち回りとなるというもの。筋立ては、一方通行気味だったけど、それを承知で見ると、存外、楽しむことができました。撮影は、当時、既に、名を売っていた阪妻にやっかみがあったそうで、京都でするとヤバいというので、奈良で全編、行われたそうです。阪妻は、整った侍時代はそうではなかったのですが、零落した浪人の姿になると、息子の田村3兄弟の面影を観ることができました。中でも、一番上だった田村高廣が、一番似てたんじゃないかな。そんな楽しみもありました。
 アスニー山科を出ると、近くの公園で昼食。前日に買い置きしておいたもので、腹ごしらえ。そして、JRを乗り継いで嵐山へ。行き先は福田美術館。美術館の場所が場所がだけに、渡月橋の脇を通らねばならない。平日の昼間だというのに、ほぼ若い観光客で賑わっていました。僅かに外国人も混じっているけど、日本人観光客です、混むだけで、鬱陶しい。福田美術館は、初めて行くところ。場所からして、浪花千栄子の邸宅があったところかなと思いながら入ることになりました。今、こちらでは、「開館3周年記念 福美の名品展」と銘打った展示会が行われています。ご多聞に漏れず、前後期に分けての展示。既に、会期終了間近ということで、後期に展示されたものだけど観ることになりました。展示室は3箇所に分かれています。第3室の「加山又造展」はともかくも、残りの2室は、正に、こちらのニーズに見合う、名品揃い。今回は、「国画創作協会」の作品を固めて展示してくれたこと、その新しさに触発されたのかどうかは知らないのですが、加山又造や高山辰雄、杉山寧、秋野不矩らの作品も展示されていました。そこに加え、上村松園を初めとした美人画はあるわ、京都画壇のみならず、横山大観や菱田春草ら東京画壇の作品も並んでいました。もう1つの企画が、近松門左衛門の作品集「大近松全集」の付録となった版画とその原画の展示となっていました。第1室に入るとすぐにあったのが、菱田春草「青木に小禽」。花のグラデーションがおもしろい。解説を読むと、これを描いたときには、目を傷めていた。それだからこそ、微妙なグラデーションが出たのかもしれない。紫の花を蓄えた木が凛々しく、しばし、立ち止まってしまってました。第1室の最後に、美人画が4点。上村松園と伊藤小坡が2点ずつ。伊藤小坡は、ここで初めて知った大家。この4点から、敢えて1点を選ぶなら、伊藤小坡の「櫻狩の図」。囁く女、頬を染める女が、春の温もりを演出しています。同じく春の絵、上村松園の「花下美人図」は、かざす扇が、なんで、この大きさなのと躓いてしまった。第1室の長い面2つには、片方が旧のタイプ、もう片方が新しいタイプの日本画。後者には、狙ってた秋野不矩のインドもの2点(ジャイサルメール、廃墟)があったけど、ここだけ、やたら陽射しが強く、他の作品とのバランスを悪く、引いてしまってました。今回の展示の売りになってたはずの杉山寧の「慈悲光」は、黄紺的には響かなかったです。大きいのを、間近で眺めすぎたかもしれません。反対側の並びでは、山元春挙の「蓬莱仙閣図」と竹内栖鳳の「秋渓漁夫図」が並んでいた。山元春挙は、今年、滋賀県美で、多くを観て以後、観る機会が、コンスタントにある。滋賀県美での「山元春挙展」以後の方が、そのスケールの大きさは、日本画随一と思うようになってきています。そういった評価なのは知ってはいたけれど、それが、徐々に、理解できるようになってきた感じ。だって、他の作家さんの風景画を観ていると、いつも山元春挙作品を思い出してしまう。だって、あのスケールには、どうしても及ばないことが判ってきたのです。今回も、スケールの大きさは、聳え立つ山からではなく、雲海から判るというもの。でも、そのスケールの大きな絵が入るには、これでも小さいと思えるキャンパスが気に入らなかった。そういった意味で、もったいない作品。一方の竹内栖鳳の「秋渓漁夫図」が、この日一番のお気に入り。左上から垂れ下がる木の枝、左下に映える草、鋭さがあります。それで、秋を感じます。その間にいる漁夫5人だったかな、この男たちの和かな寛ぎがいい。秋を楽しんでいる。自然に抱かれた長閑な人物、いい光景です。竹内栖鳳の反対側には、冨田渓仙の大きな二双の屏風画「達磨廓然図」。これがでかい。山元春挙、竹内栖鳳、冨田渓仙と並んで、描かれている絵自体は大から小へ、キャンパスというか図体は小から大へ。この不思議。この並び、冨田渓仙が、一番損したという印象を持ってしまいました。第2室に、「大近松全集」の原画が並んでいました。近松の珍しめの作品が、後期の展示作品なのか、それとも、この全集収集作品がそのようなものか知らないけど、現在では遭遇機会の少ないものが多かったですね。その傍らに、鏑木清方、伊藤深水が並ぶという豪華なもの。鏑木清方は3点、「築地明石町」を観てしまった目には、あっさりと眺める贅沢を味わってしまいました。その後に並んだのが、「国画創作協会」の作家さん。今まで、土田麦僊や小野竹喬は観てるんだけど、同人の作品を揃って観たのは、初めてだと思います。小野竹喬のタッチの特異さは、少し慣れてきたかな、その特異さを追いかけるのが、入江波光の宗教画。目が、なんとも異様。そして、最後の壁には、菊池契月の大きな作品「紅葉美人」。狭い展示室には不釣り合いなほど、描かれている女性が大きく、観る場所を選ぶなということだけが残りました。その傍らには、谷角日沙春の抽象画3点で、おしまいでした。小規模な美術館だけど、めっちゃ濃~い内容。黄紺でも知る大家の作品が、次から次へというのは、とっても贅沢な空間。これからも、お世話になることになると思います。外は、大堰川。対岸の緑が、やたらきれいに見えた。「ここの風景、ここまできれいと思ったことってなかった」と思うほど、ベタな嵐山の風景に魅せられていました。


2022年 10月 5日(水)午前 6時 51分

 昨日が、夏の最後の日という情報。この暑さがいい。汗を拭きながら、ウォーキングできるのが、嬉しい。やっぱ、気温は高いけど、乾燥しているのがいいのでしょうね。そのウォーキングを、うまくかませて、昨日から3日間、市民向け公開講演会に出かける予定が入っています。その1日目は、片道1時間、往復2時間、そういった会場にある講演会に行ってきました。もう3年目くらいになると思います。だから、様子が判ってきているので、わりと、この往復が楽しみでもあった。宇治にある京都文教大学の公開講座。今年は、「英米文学にふれる」という統一テーマ。コロナ禍で外国旅行もできない時期なので、外国ものを設定することで、喪失感を補ってもらおうとの意図だとの説明がありました。おもしろいなと思ったけれど、回数は、僅かに2回。えらく減ってしまいました。色々と都合もあるのでしょう。昨日は、「アイリス・マードックとロンドン」というお題で、同大学臨床心理学部教授の中窪靖さんのお話を聴くことができました。ただ、アイリス・マードックと聞いても、「それ、誰?」というのは、黄紺だけではないみたい。冒頭で、そういったお話が出ました。「知らないから行ってみよう」の気持ちで参加したわけなんだけど、そのつもりで、受け入れていただいた、設定された講座だったようです。そのアイリス・マードックの小説に、ロンドンの街が出てくるということで、ロンドン案内も加えようというのが、この講座の狙いだったようなんだけど、進むにつれ、ダメじゃん、これとなって行き、途中で寝落ちしてしまいました。背を伸ばして、固まった状態で、寝落ちしてしまってました。序盤で、アイリス・マードックの情報。でも、写真を見せてもらったことくらいしか、記憶に残っていない。実際、その程度の内容。哲学者の顔を持っているとは言っても、どういった傾向なのか、触れずじまい。前半のロンドン案内も、ガイドブックと、予め配布された地図での解説だったんだけど、ロンドンなんて行ったことないものだから、さっぱり解らない。そんななか、掴みだったエリザベス女王の葬儀関連は、運よく、バッキンガム宮殿を地図で見つけられたので、解った。葬列車のコースを説かれていると、その近くに、ピカデリーサーカス、その先にコベントガーデンがあったり、葬列車の終点は、当然、ウエストミンスター寺院だから、その位置も覚えた。だけど、チェルシーなんて地名が出てきても、目はぎらついても、最後まで判らなかった。その手の地名が溢れてしまいました。もう途中からギヴアップ。後半は、アイリス・マードックの著作5点だったかな、その内容の紹介。そこに出てくるロンドンの地名を、前半のお話と照合するという形で推移していったよう。「よう」というのは、寝落ちしてたから。というのも、概要は、レジュメに、予め記されており、それを読んでも、関心が、全く起こらない作家さんでしたから。サルトルなんかに触発されたような人らしいんだけど、これは、仕入れて行ったのに、そういったトピックは出たのかな? 小説家であり、哲学者、そういったトピックも出たのかな? 触れはされたでしょうが、中味については、どうだったのかな? そんなで、言って悪いけど、こういった展開が読めてしまったから、寝落ちだと言い張りたい気分。ま、市民向け公開講演会、どうしても当たり外れは出てきます。
 火曜日ということで、KBS京都の「まーぶる」が楽しみだった日だったのだけど、今日は、宇治から自宅に戻ってから、ようやく聴き始めることに。目に付いたトピックは、藤山直美の芝居を観に行ったこと、博多落語祭、一之輔を迎える「チャレンジ落語会」といったところか。藤山直美には、ぞっこんというところで、2回目の芝居見物は、上からではなく、最前列の席を確保したというから、かなりの惚れこみよう。「米團治日和」まで聴いていました。藤山直美とは、1度、会ったことがあると言います。学生時代、鶴瓶の追っかけをしていた頃、その鶴瓶に「はり重」に連れて行ってもらった。すると、藤山直美が来ていると言われたため、鶴瓶が、ドン・キホーテで変な衣装を買ってきて、それを着て藤山直美に面会しに行ったというときに、「会った」というよりか「見ている」という話でした。博多落語祭のトピックが出たのは、円楽が亡くなったニュースが出たところで。この落語祭、個々にタイトルが付けれているけど、個人名の入ったものは1つ、それが、「頑張れ、二葉」。以前、このトピックが出たときには、詳細を、二葉自身も知らされていなかったそうだけど、今回は把握してました。二葉は2席、その内の1席でしょうが、文枝の後に出るそうです。これ、凄いことだよ! 「チャレンジ」は、丁度、1週間後。「まーぶる」終了後、東京に向かうことになります。心配する梶原アナに、「間に合います」とは言ってました。ま、順調ならば、ですが。先日の東京から京都へとは逆の忙しい移動になるのだけど、先日のような突発事故が起こらないことを、老婆心ながら願います。こちらは、前座、一之輔1席、二葉2席という構成だそうです。700席の会場には、とにかく、びっくりです。ぴあ主催ということで、ぴあが、プロデューサー役の橘蓮二さんと二葉へのインタビュー動画をネットにアップしているということを知り、覗いてみたのですが、蓮二さんが、ぴあに持ち込んだ企画だそうです。蓮二さん自身が、ぴあの何かに連載を持っているということで、その縁がベースにあったようです。蓮二氏曰く、「二葉と、初めてあったのは、両国で」と言ってましたから、二葉と一花の会ですね、ということは、二葉が、NHK制覇後のことですね。あのときから、蓮二さんのTwitterに、二葉の写真が載るようになったはずですから。蓮二さんの撮った二葉の写真、いいから、いろんな落語好きのTwitterにリツイートされてます。そんなところかな、「まーぶる」ネタは。


2022年 10月 3日(月)午後 8時 12分

 今日も、お出かけなしの日。とっても、いいお天気。ここ数日、気温上昇が看られるが、今日が、一番、上がったんじゃないかな、ウォーキングをしていて、一番、汗をかいたのが、今日でした。でも、乾燥してるのでしょうね、それと、風が爽やかだから、このくらいの気温上昇は、かえって嬉しいくらい。半月程前に、かなり気温が下がったことがあったけれど、その程度で、嫌な感じがしてしまってたからね。その日その日の気温の低さが、これ以後の、更なる下降を連想させるから、嫌なのです。暑さより、寒さが嫌だというのは、もう10年くらいになるでしょう、そうと、はっきりと思うようになってから。自分的には、加齢とともに、確実に寒さに弱くなったの自覚があるもので。
 外出は、いつものように日に2回のウォーキング時だけ。昨晩は、マッチのあった日だから、朝の一時は、そちらを追いかけていたけれど、午後の一時は、しっかりとあった。YouTubeで、大きなもの2本。1つ目は、偶然見つけたもの。でも、なんで、偶然出てきたか、不明なまま。誰かのTwitterを見ていて、リツイートでもしていたのかもしれません。玉川奈々福が、自身で運営するチャンネルを持っていること、すっかり忘れていて、その情報が書かれていたような気がしています。とにかく、覗いてみると、自身の浪曲だけではなく、真山隼人くんの口演も、同時に動画にしていてくれたのです。冒頭、傍らで待機する沢村さくらさんも、時には加わった短いトークが、傑作。隼人くんの物真似節を求め、笑い転げる奈々福さん。だって、2代目天中軒雲月の物真似を求めると、SPレコードの雑音を入れながらするものだから、こちらも笑ってしまった。次いで、現雲月さんの物真似を求められると、顔真似から入ったものだから、今度は、画面の前の黄紺も、奈々福さんが、何か突っ込む前に、声を出して笑っちゃった。なんか、前日の公演(東京での曲師の会)では、奈々福さんが曲師で、隼人くんが浪曲をやったと言ってました。これは、その現場に立ち会いたかったなぁ! で、肝心の浪曲は、次の2番でした。真山隼人(沢村さくら)「俵星玄蕃」、玉川奈々福(沢村豊子)「掛川宿」。
 YouTube2つ目は、これで、3回目となる「ジークフリート」。「Oper Vision」に入っているプロダクションは、小さくても、何か、最低1つは、新鮮なものがあるものという定説(自分が作っただけやけど)、ようやく、大蛇退治の場面で出てきました。ファーフナーが巨人族で大蛇に身を替えているというところでは、松葉杖を突いて出てきたファーフナー、何をしたいんだと思ったら、やおら、その松葉杖を振り上げた。なんじゃ、それ、それで巨人ぶり、大蛇ぶりを表そうとしたんかいと、即座に突っ込んでしまった。また、その衣装が衣装で、松葉杖を持つから、思わず「傷痍軍人」という忘れていた言葉を思い出してしまいました。そんなだから、定説に該当するものは、これではないのです。それは、小鳥でした。小鳥の扱いは、色々、あります。このプロダクションでは、歌手が小鳥として登場し、そのまま歌いました。衣装は、別に小鳥を連想させるものではなく、動きをぶりっ子風にして、小鳥にしてあっただけではなく、小鳥の役目を、人風に描くというもの。でも、それじゃない。ジークフリートは、ミーメを追い払ったあと、両親に思いをはせる歌唱があります。その場面で、小鳥は登場し、まるで人格を持っていそうな振る舞いを見せるものだから、思わず、「母親の化身」に見えてしまったのです。要するに、亡き母ジークリンデが、小鳥の姿を借りて現れ、今後を導く。恐らく、そう思わせる演出だったと思います。黄紺の勝手解釈ではないと思うのです。「Oper Vision」に仲間入りしたわけ、これでしょう。時間の都合で、第2幕の最後で切り上げねばならなかったのすが、これで、ブリュンヒルデと会う場面に期待が出てきてしまってます。でも、「ジークフリート」は長いものだから、ここまでの道のりは半端じゃない、でも、よく我慢しました。ここまで、はっきり言って、つまらんかったのです。そんなで、待ったかいがあったってやつです。やったね!


2022年 10月 2日(日)午後 10時 17分

 今日は、お出かけなしの日曜日。となると、楽しみは、朝の「日曜美術館」。つい先だっても出た名工シリーズの1つと言えばいいかと思える企画。ただ、大きな捻りがある。お題は「伊勢神宮 神の宝 〜いにしえの色をつなぐ手〜」、20年に1度の式年遷宮に向けての準備に集う名工の技を紹介しようというもの。次回の式年遷宮は2033年と、まだ11年も先だが、その準備が始まっている。お宮の建て替えだけではなく、「神宝」と呼ばれる、神のアイテム全てを、新たに作り替える。この番組では、「御神宝の中の御神宝」と呼ばれる「玉纏御太刀(たままきのおんたち)」の試作の様子をカメラが捉えたということです。太刀と言っても、ただの太刀ではないので、様々な装飾が施されている。それを、できるだけ、古代から伝わる状態で再現していこうという試みです。但し、神のものということで、恐れ多いというので、明治期になるまで残さなかった。燃やしたり、土中に埋めていたそうです。ですから、そのようなものが出てくると、大発見となるわけで、実際、その大発見があった。土中に埋められていたものが、お宮の建て替えの際に出てきたそうです。こういった偶然がなければ、実物に触れられない。全て、絵図に記録して伝えられてきたとか。番組では、当の太刀に使われている「唐組平緒」という紐の組み合わせ出てきている装飾、これは、今、この技術を持つ人は、1人しかいないとのこと。材料を植物染料を使い染めるところから始めてました。金属の装飾に覆われた中は木。「用赤木」という、沖縄特産の木。だが、沖縄戦で消滅してしまい、戦後は桜で代用していたのを、今回の試作では、その木材を使うことになったとか。どこから、調達したのでしょう。玉は赤瑪瑙を使っている。従来、北海道産のものを使っていたそうだけど、試作の結果、出雲産を使うことになった。出雲には「焼き入れ」の技術があり、その技術を使うと、古代の玉に看られる「気泡」が、玉の中に入るそうです。今回、こういった紹介があったのは、伊勢神宮で「生きる正倉院展」なる展示が開かれていることに合わせての企画だったようです。そこの展示場には、MCの小野さんが訪ねていましたが、「玉纏御太刀」が、藤ノ木古墳出土の太刀からも、唐から来た太刀からも、その特徴を受け継いだ独特の形状を持つそうです。とにかく、「へぇ~」しか出てこない。匠の技が詰まっているのは、よく解ったけれど、伝統とは言え、信心事とは言え、あまりにもお高そうなものだったもので、ドン引きというか、尻込みというか、全くの他人事としてしか、観ることができなかったなぁ。
 お出かけなしだから、ルーティンにしているウォーキングは2回とも、順調に行うことができたけど、いい天気ですね。今日は、30度くらいいっただろうけど、乾燥しているから、とっても爽快。午後の一時も、久しぶりにたっぷりと取ることができました。トルコ・リーグのマッチが、昨日、あったので、その模様をダイジェスト版でチェック。次いで、「ブラタモリ」の過去の映像が、動画サイトにアップされていたのを見つけてあったのだけど、あっさりと削除された模様。「秋葉原編」に次いで、タモリが「笑っていいとも」をしながらの東京歩きのものが幾つかアップされていたので狙ってたんだけど、あっさりと削られてしまいました。無慈悲な話です。で、諦めかけたときに、さほど古いものではないんだけど、NHKプラスでは映らなかったものを発見、「岩石スペシャル編」というもの。過去映像の中から選んだ岩石がトピックになってる場面に加えて、この時点では、まだ扱ってなかった能登半島の珪藻土のような、未紹介のネタを扱っていました。これは、大正解。次いで、もう1つ。「Oper Vision」のお世話になり、「ジークフリート」の続きを観ることに。「Oper Vision」の配信では、僅かであっても、ちょっとした目に付くものが入っているのが常なんだけど、この「ジークフリート」だけは、まだ、見つかっていない。そうこうする内に、大蛇は出てくるわ、その大蛇を倒す場面が出てくるよと突っ込んでいますが、なんも出てきていません。まさか、このまま? だったら怒るよ、まじで。


2022年 10月 2日(日)午前 6時 39分

 昨日は、午後にお出かけを入れていた日。だから、午前中のウォーキングを、若干、圧縮して実施。結果として、いい天気なもので、ウォーキングの量、時間を、少しでも減らしたくないので、昼前というよりか、朝のウォーキングという感じで実施。いつもの9割ほどをこなすことができた。ここまでは良かったけれど、午後の市民向け公開講演会がいけなかった。午前中がうまくいったということは、疲労も、いつもよりか多かったということか、講演会の前半は、呆気なく居眠りをしてしまった。またしてもかということだから、原因を探っても、こじつけのようにしか思えない。ま、それは置いておいて、昨日のお出かけ先は、京都駅前のキャンパスプラザ京都。ここで、毎年行われている「京カレッジ/大学リレー講座」に行ってきた。既に、夏前から始まり、既に、3回が終わっているが、聴きたいものもあったが、縁がなくてダメだった。恐らく、既に予定を入れていたのでしょう。で、昨日は4回目で、担当は大谷大学。お題は「奈良時代の聖徳太子信仰」、お話をされたのは、同大学文学部歴史学科教授の宮﨑健司さん。大谷大学では、付属の博物館で、「仏法東帰 大仏開眼へのみち」という特別展が行われるということで、その関連企画という意味合いの講演となりました。一方、黄紺的には、このテーマは、帝塚山大学の講演で聴いたり、昨年が、聖徳太子のアニヴァーサリーの年ということで、「日曜美術館」で、太子信仰に関わる美術品の紹介があったので、わりかし馴染みのテーマだけど、なかなか、頭に残らないものだから、それこそ、3回目のワクチン接種をするように「思い出し」のためには好都合かとの思いでピックアップしたものでした。それが居眠りとは情けないんだけど、前半の、仏教伝来に関わって聖徳太子の果たした役割的なトピックの箇所での居眠りで助かった。ここは、太子信仰を生む基礎。具体的に、どのような形で太子信仰が引き継がれていったのか、その土台は何だったのかという箇所は、大丈夫だったのです。そして、そこで聴いたお話は、確かに聴いたことがあった、正に「思い出す」ことができました。基本は、仏教伝来に関わる政争、それに勝利、仏教受容、仏教の交流に果たした役割として、寺院の造営。それで、「日本の仏教の祖」と記されるようになっていく。その地位に被さって行くのが「慧思禅師後身説」。中国の高僧慧思(えし)の生まれ変わりとする思想が出てくるというのです。この生まれ変わりで、どんどんと太子信仰が拡大していく話を聴いたこと、思い出しました。鑑真の渡日にも、この生まれ変わり話が関連があるとの考えもあるそうです。そんなことも言われていました。日本へも仏教伝来は、朝鮮経由なものだから、中国の仏教と差異が生まれてきているという指摘もあったことに対し、この生まれ変わりだと、そういった指摘の払拭にも役立つという点があったそうです。ダイレクトに中国仏教が伝来したというわけですな。聖徳太子の仏教興隆の予言、即ち、「200年後の興隆」の起点とする年が「仏教伝来」の年552年とすると、その200年後となる752年が大仏開眼会。聖武天皇の法名が聖徳太子を想起させる「勝満」からして、ここにも「後身」を看ることができると言います。これも、聴いたこと、思い出しました。こうして、「後身」を繰り返して太子信仰は引き継がれていく。そんなで、聖武天皇ファミリーは、太子信仰で凝り固まっているということで、光明皇后や、娘である後の孝謙・称徳天皇の太子信仰の実際例を挙げておられました。最後には、特別展で出典されるものの紹介があったのですが、かなりの逸品が来るようです。ただ、文書が多いようなので、どの程度、展示物を楽しめるかの自信は、さっぱりありません。でも、参加者全員に招待券を配っていただいたので、まずは行くことが肝心なことと思い直しているところです。
 京都駅前からの帰りは、いつものようにウォーキング替わりとして、徒歩。気温は高いけれど、さすが10月です。陽は、斜めから来てるのですね。穏やかなものだから、身体には堪えないのが嬉しいですね。そして、夜は、「ブラタモリ」の新作「深海編」がありました。コロナ禍で生まれた研究所巡りの一環です。海底で観察したものだけが、トピックとして取り上げられるだけではなく、海底探査の歴史のようなものも、結構、扱っていました。尺の関係で入ったのでしょうが、「ブラタモリ」らしくないものだから、その辺は、ちょっと退屈。でも、深海探査で、初めて判ったことの紹介は、目を見張るものばかり。生物の起源、陸の成り立ちも視野に入って来るトピックは、めっちゃおもしろかったですが、後者のところで、回線状況が悪くなり、固まってしまうという不運。「再読み込み」している間に、聴き逃してしまった大事なことがあったと思うので、早々に、動画サイトのお世話になり、再度、観ることにしましょう。最近、YouTubeではない動画サイトに、ちらほら、古い「ブラタモリ」がアップされてるのを見つけています。そういった昔の「ブラタモリ」を知らない弟に、そのURLを送ったりしています。冒頭のオープニング・アニメが懐かしいね。とりあえずは、名作「秋葉原編」を観ることができました。タモリも若いから、動きも喋りも、とっても軽く、ノリがいい。今の老いたタモリのゆったりテンポは、それはそれでいいけどね。そのテンポを観るにつけ、冒頭のアニメがカットされたのは仕方がないですな。


2022年 10月 1日(土)午前 7時 3分

 昨日は、成功と失敗の日、そして、慌ただしかった一日。今週は、お出かけ日が少ないからと、別に、昨日でなくてもいいのに、朝から出かけてしまった。そして、一昨日に続き、夜に、オンライン配信の予約を入れてあった。それが、慌ただしくなった原因。で、朝からのお出かけは成功したけれど、恐らく、疲れたのでしょう、夜の講演、知らない間に寝落ちしてしまってました。午後6時始まりだというのに、寝落ち。だけど、この午後6時始まりというのが曲者。タイトなスケジュールを組まねばならなくなったからね。もう1時間後からだったら、それまで、もう少し、ゆとりを持って動けたはずだと、一応、思います。出かけたときの往復はウォーキングを兼ね、且つ、夕方のウォーキングも入れると、やっぱ、体力消耗するとうことですね。
 朝からのお出かけは、2軒をはしご。1つ目は、京セラ美術館での「コレクションルーム秋期:(特集)身体、装飾、ユーモラス」。年4回ある収蔵品展の新たな会期が、昨日から始まったもので、行ってしまったのです。だから、「別に、昨日でなくてもいいのに」と、上に書いたのです。展示構成としては、とっても、おもしろい内容だったから、飛びついたようにして行って、大正解だったことは間違いないんだけど、、、、。この収蔵品展は、毎回、同じ展示室を使い行われているので、パート分けの数は同じ。今回は、前の2つの部屋が「秋」特集。題して「月を愛でる」と「自然を捉える」。後者の部屋に入ると、正に秋草に囲まれたようになりました。それだけで、今回の展示は、満足度が上がった。その中から黄紺的ピックアップは2点。宇田荻邨「粟」と山口華楊「鶏頭の庭」。前者は、下部に粟、上部の空に1羽飛んでいるというもの。不思議な感じを持ちました。下部の草は、日本画らしく遠近法が取られていないためか2次元の世界なのに、鳥の飛ぶ上部は3次元の世界に見え、だからでしょうね、鳥の飛ぶ動きすら見えてしまう。となると、その場にいるように、頬をうっすらと風が撫でるように吹いていると思えてしまった。とっても爽やかな風が。宇田荻邨は、三重県立美術館で、今年の前半、企画展があったので、行こうかなの気になってただけに、この絵を見て、行かなかったことを後悔してしまいました。後者は、「鶏頭という変化あるものと、一緒に描かれている変化のない(極めて少ない)石との対比」だと、傍らの説明板に記されてたけど、この鶏頭、やけに凛としている。人間だと、「背伸びをしている」と書きたいくらい。だからこそ、そうでない姿を想像してしまう。「石なんて、そう言えばと言いながら感じるもの」と突っ込んでしまったほど、鶏頭の凛々しい姿が目に付いてしまいました。まもなく、堂本印象美術館で、「山口華楊展」が始まります。いい景気付けになりました。周りの秋草では、木島桜谷「薄」、金島桂華「叢」なんてのが、目立ってたな。そういった中で、楚々とした方を選んでしまった黄紺でした。次の部屋からが「身体、装飾、ユーモラス」の シリーズ。最初は「〈座る〉こと」というお題。明治以降、「座る」という身体の状態で、地位や階層が見えてくる。キュレーターって、発想力の豊かさがないとできないな、羨ましい人たちと、ついつい思ってしまいます、こういった設定をされると。顔の表情、見つめる目、服装、どこに座るか等々で、特に女が座っていると、その属性が気になってしまいます。このコーナーで一のお気に入りは、鹿子木孟郎「新夫人」。椅子に座る女性の指には結婚指環、交差した手の指の先には詩集。でも、西山翠嶂「槿花」や菊池契月「少女」の女は、曰くありげな眼光を見せているが、この作品には、穏やかさがある。ちょっとした成就感と言えばいいかな。確実に、時代は進んでいると思わせられた逸品でした。「身体、装飾、ユーモラス フォルムと装飾」は工芸作品。楠部彌弌「蘭花花瓶」は、薄目の青磁に青い花が浮いている。色合いの組み合わせが、黄紺的には新鮮。(五代)清水六兵衞「黄瀬戸色絵鉢」は、外側がアールヌーヴォー、内側が、生の黄瀬戸。なんじゃと思わせられる表と裏の対比。引っ搔き傷のような模様の入った内側が、より押し。黄瀬戸は観なきゃならないね。「身体、装飾、ユーモラス わたしとあなた」のコーナーでは、2人の女性の身体の配置をテーマにした作品を集めてたけど、ここはスルーします。「身体、装飾、ユーモラス からっぽの“からだ”」が、今回の展示では、自慢のアート作品でしょう。小名木陽一の袋織作品が吊るされたり、床に置かれたりと、そのおもしろ作品が、部屋の半分を占めていました。ルネサンスの名画を、袋織で作ってみたり、リアルな身体表現として、内臓を袋織で表したりしている。この展示があるとは、事前に把握していたが、使われる太目の糸? 毛糸?が原色だとは知らなかった。なんか、夢に観そうな形、感触(実際には触れてないので想像だけど)の異様さが、おもしろい。福田美蘭「誰ヶ袖図」は、ディズニーのキャラクターの衣装やアイテムを、衣桁にかけたり、下に置いたりして、観る者の想像を期待する一方、隅の方に描かれた屏風には、ISの殺戮現場を描いている。「忘れないものと忘れ去られがちのものの対比」との解説に、「なるほど」と唸るしかなかった。志村光広「二つの人格」も気になった。1人と5人が向かい合っている。同じ形の顔5つに左右のシンメトリーの顔が1つ。各々が向き合っている、この向き合った顔が、二つの人格を表しているよう。だけど、その人格は、蠢くかのように変わっていく、うつろいゆく関係性を表しているようで、思わず、見入ってしまった。最後は「身体、装飾、ユーモラス ユーモラス・ボディ」。石原友明作品は、よく解らなかったけれど、鈴鹿芳康の写真は、時間を可視化させたもの。20年がかりの作品でした。ここでも、「おもしろいこと考える人いるな」という言葉を漏らしてしまったな。
 京セラ美術館を出ると、すぐ近くのロームシアターへ。この建物の一室を使い行われている「ローム ミュージック ファンデーション × 新国立劇場 “オペラの扉2022 ~ KNOCKING ON THE DOOR, OPERA EXHIBITION ~プッチーニのヒロインたち”」へ。新国立劇場が制作したオペラの中からプッチーニの作品を紹介するというもの。作品は5つ、各々の梗概、簡単な上演の記録、舞台写真、ヒロインの舞台衣装の展示です。傍らのモニターでは、それらの新国立劇場での公演映像が流されるという小さな展示。毎年、ロームシアターで、高校生向けオペラ鑑賞会、もちろん、新国立劇場のプロダクション、今年は「蝶々夫人」だということで、このプッチーニ企画となったようです。
 ロームシアターの外、公園でパンをかじって昼食。いつもは、図書館の傍らのスペースを使うけど、こちらの方が広くていいですね。そして、MOVIX 京都へ。新たに始まる「メトロポリタン歌劇場のライブビューイング」の前売券を買いに行ったのです。鑑賞日当日購入では、その日は使えないので、予め、近くに行くと買っておかねばならないのです。今回は、福井の友人の分も併せて、とりあえずは、3枚綴り券を2組、購入。今季第1回目は、11月のことで、既に、その友人と日取りを決めています。今季は、かなりの回数、観ることになりそうなんで、お安い前売券購入は必須となっています。
 失敗の夜のオンライン配信は、京都大学人文研アカデミー2022 オンライン連続セミナー「草原と中華のあいだ――北方王朝(遼・金・元)の興起とユーラシア東方」(全4回)の第1回目。アスニー山科に行ったときに、このチラシを見つけたのです。元はともかくも、遼と金は、そうはないだろうと飛びついたのでしたが。その第1回は、京都大学の古松崇志さんが、「天と祖先をまつる――遼・金・元の儀礼祭祀と王権」というお題でお話がありました。但し、内容が膨大になるということで、元に関しては割愛。遼と金を取り扱われました。あっさりと寝落ちしたので、詳細は、レジュメでしか判らないのだけど、「契丹人の天地信仰、祖先祭祀」「女真の祭天―拝天礼、女真の祭天―拝天礼」と、それらの儀礼内容のお話を追いながら、その特徴を出していこうとのお話だったようです。若干、記憶に残るところでは、契丹は、遊牧民としての伝統を引きずり、シャマニズムの色合いを濃く残しているのに対し、中華を押さえることになる女真は、その影響を強く受け、即ち、儒教的要素が色濃く残すというようなことを言われていたと思います。ソウルに李朝の宗廟が残りますが、あれが儒教の祖先崇拝が示す廟の特徴のようで、金にはあるが、遼にはないそうです。このくらいかな、、、そうそう、仏教の受容とか、そういった仏教というトピックは、次回以後の講演で出てくるそうで、今回は、そこをはしょってのお話だと、冒頭で言われていたのを思い出しました。遼と金、国家の概要、簡単な歴史は判るんだけど、その内実は、全く初めて聴くトピックばかりのはずなのに、実に惜しいことをしたけれど、あと、まだ3回あるので、それに賭けることにしましょう。そうだ、カラキタイについては、史料が少ないので、「その質問は勘弁してくれ」と言われてました。これ、黄紺的にも気になってたけど、そこへは入れないようですね。


2022年 9月 30日(金)午前 8時 6分

 昨日も、お出かけなしの一日。でも、夜にオンライン配信の予約がしてあったので、午後の一時が圧縮されてしまったのが、ちょっとした変化。夕方は、雲が多かったけれど、お天気は、ま、いいと言っていいかな。日中は、まだ、気温上昇が看られ、まだ、夏は残っている。日に2回のウォーキングは、通常通りに実施。ここでも、夕方のウォーキングは1時間半ほど、通常よりは早めに済ませたのが変化。午後の一時では、旅系YouTuberの動画に、スウォン(水原)に鉄道で向かうという、コロナ禍前に撮影したものがあったので、それを楽しんでいた。旅系YouTuberの人気って、この動画や、先日観ていたシンガポール&マレーシア旅動画でもそうだったけれど、無職旅氏のチャンネルのようには人気がない。動画を観ていると判ります。テンポですね。長回しはダメですね。そういった趣味に同意できる人って、少数派だということが、よく判ります。同じところをくどく撮る、これは、いくら自分が気に入っていても、イラつくね。それと、ナレーションかな。これも、くどくなく、テンポがいい方が、人気が高い。そんなで、件のスウォンへ行く動画、関空に行く前からテンポが悪い。スウォンなんて、ソウルからすぐだから、韓国入りすると、すぐに現れるだろうと思っていても、それが現れないんだなぁ。鉄ちゃんらしい主さんは、ソウル駅からムグンファ号に乗り、スウォンに向かうという、わけわからんことしてる。しかも、ソウル駅から出たムグンファ号の車窓からカメラを回しっぱなし。ヨンドンポ(永登浦)まで回してたと思ったら、そこでカット。もう次はスウォン駅構内。「このセンスの悪い動画め」と思いながら、でも、スウォンを待った。やっと、スウォンに着いたのに、ここまで来たら、この動画を観続けるのに疲れ、肝心のスウォンは、まだ観れていないというサイテーな話。でも、ムグンファ号に乗るのに、ソウル駅から乗っている。駅ビルは混んでても、駅構内は閑散としている。それでも気がついていない主さん。今、ソウル駅発着は減らしていることくらい、調べてこいよ。黄紺が、コロナ禍前にチャンソン(長城)からセマウル号に乗ったとき、5本に1本しかソウル駅まで行かなかった。完全にヨンサン(龍山)駅発着にシフトしていた。もう1度書きます、「そのくらい調べておけよ」。あと、その動画を止めて、「ブラタモリ」の過去動画の中に、「しまなみ海道編」を見つけたので、それを観た。動画サイトにアップされても、古い「ブラタモリ」は、あっさりと消されてしまうので、チャンスということでのピックアップでした。もちろん、放送されたときに観てるので、2~3回目の視聴です。村上海賊を取り扱ったもの。ほとんどが、能島でのロケ。城郭を思わせる石垣が残っている。大三島を、このトピックだと思い浮かべるけど、この島が出てくるのは最後。瀬戸内ですね、塩が大きな問題になります。ここでも感じたけれど、タモリは、地質のこと、それから派生することは、ホント、基礎ができてる。だから、いろんな話題に即応するんですね。これ、今回も、塩田の原理が出ていたときに感じてしまいました。勉強になりました。
 夜は、京都大学人文研によるオンライン配信。「人文研アカデミー連続セミナー/近現代史中国研究の最前線」と題した行われたものの第4回、黄紺は、都合により、その内の3回を視聴できたのですが、その最終回でした。今回は、石川禎浩さんが、「毛沢東と田中角栄の会談――国交正常化50周年にあたって振り返る」と題したお話をされました。今年が50年目、しかも、この会談が行われたのが、50年前のこの2日前ということでのお題です。リアルタイムで、この会談についての報道を覚えているので、興味津々。お話の焦点は、田中・毛会談の帰り際に、毛沢東から田中角栄へ贈り物として「楚辞集註」が渡されたこと。「なぜ、そのようなものが」というのを解読しようとの試みです。何か、贈り物があったというのは記憶にある。当時の報道では、呑気に、田中角栄が、北京到着時に漢詩を発表したことへのレスポンスだったとか、そういった報道のされ方をしてたけれど、これこそが、この会談、日中共同声明の核心に関わる贈り物だったという流れとなって行きます。発端は、田中角栄が、日中戦争に触れた際、「迷惑をかけた」という表現を使ったこと。「迷惑」というタームは、田中が原稿を基にスピーチしていることから、反対論のあった日中国交正常化に対して推敲を重ねた末に導き出したものと推測できるが、中国側の反応は、スピーチのそれまでとは異なり、拍手からどよめきに変ったと言います。その後の田中・周会談では、周恩来が激怒したと言います。中国語で「迷惑」に相当する語句では、「女性のスカートに水をかけてしまい謝るときに使う」ものだったため、あまりにも軽い表現と受け取られたそうだ。そこで、田中は、周恩来に、日本語の「迷惑」に込めた気持ち、日本語の用法を説いたと言います。記録では、「誠心誠意の謝罪を表します。……この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない。ことばの起源は中国だから。もし、あなたがたにもっと適当な語彙があれば、あなたがたの習慣にしたがって改めてもよい」と応じたとあるそうです。それで、周恩来が、日中による語彙の相違に気がつき、その説明を受け入れた。そこで、手打ちとして、田中・毛会談が設定された。日本側の同席者は、大平外相と二階堂官房長官だけで、日本側には記録は残っていないが、中国側の記録、帰国後の田中の発言から、その場のやり取りが復元されている。毛沢東が、「もうケンカは済みましたか? ケンカをしないとダメですよ」「ケンカをしてこそ、初めて仲良くなれます」と言ったのは、記憶があるけれど、これは、同席した二階堂のリークだそうです。ここで言っている「ケンカ」が、この「迷惑」に関わるやり取りだったようです。そして、「楚辞集註」を渡した。これも、帰り際に、二階堂が、プレスリリースをしていいか、周恩来に尋ねた際、表書きの書の書き手まで紹介していることから、既に、予定されたいたものと考えられるということで、「楚辞集註」であるわけの検討。この中に「迷惑」が出てくるそうで、中国語での使用法を示すためだったと言われていました。それが、毛沢東が言った「ご迷惑の解釈は田中首相の方がうまいそうですね」という言い方に呼応してるのだろうということでした。こういった展開を指し、ここでの日中の指導者のやり取りには、日本側の「努力」と中国側の「度量」を看て取れると、石川さんは言い、今の日中の指導者に欠けるものと指摘されていました。ええ話でしたが、講演後の質疑応答で出ました、会場には、右翼爺さんが来ていました、しかも、複数。前回の「台湾」では、中国大使館の応援団は来なかったのに、今回は来てました。「嫌中」、その裏返しでの「過剰な日本賛美」、でも、石川さん、誠実に応えていました。ご苦労様です。想定内だったでしょうが。


2022年 9月 28日(水)午後 9時 36分

 今日は、当初の予定では、映画に行くことにしていた。そのための、時間的割り振りも、頭に描いておきながら、しかも、チケットをネットで買うために、そのサイトを開けながら、止めた。買う前に、その映画のレビューを観ておこうと、ネットで見てみて、行く気が失せた。その細かなことは、どうでもいいのでメモらないけど、かなり迷って、行かないことにした。今週2回目というのが、影響したのかもしれません。月曜日に観た映画が、黄紺的には、いい出来だとは思えなかったことも影響したのかもしれません。
 そこで、散髪に行くことにした。そろそろ行かないとと思っていたので、いい機会だとの判断。前に行ってから、もう3ヶ月以上経っている。このくらいになると、髪の量が増え、洗髪すると、女の人なんかで髪を伸ばしている人、大変だろうなと思ってしまうほどの量になってしまう。実際、散髪に行くと、切ってもらった髪の量が凄い。残った髪の量よりも、明らかに多い。順番が前の人は5分ほどでカットが終わったのに対し、黄紺は、その4倍ほど、カットにかかった。前の人は、ほとんと髪がなかったけれど。これで、同じお値段かもと思うと、散髪屋が気の毒になった。
 今日は、これだけ。夕方のウォーキングは、この散髪のあとに済ませたので、いつもの夕方のウォーキングに出かける時間には、ウォーキングを終えて、家に戻っていた。そんなでも、さほどメモるようなことをしていないのが、自宅での過ごし方。朝の一時に、昨日、聴けなかった「吉の丞のおつかれさん」の後半を聴いた。前半の1時間って、結局、「吉の丞の三題噺」のお題を取ったくらいで、あとは、天気についての世間話だけやったから、ほぼ後半だけでいいのではという番組構成。その中で、「吉の丞のよもやま話」というコーナーで、毎回、落語家のトピックなんかを取り上げてくれるんだけど、昨日の放送では、なんと米朝商店のグッズ紹介をしてた。先週は、繫昌亭で売られている「落語ようかん」ネタで、今週は、これ。まだ、先週は許されても、今週は、「自分の所属事務所の宣伝やんけ」と、さすが、突っ込んでしまった。米朝事務所チャンネルで宣伝するのは、それが、YouTubeチャンネルを持つ理由だろうから、視聴する者として付き合うけれど、ラジオで、それするかというもので、ちょっと呆れてしまってました。「おいおい、他にネタ、ないんか!」と思ってしまった。あとは、YouTubeで音楽、聴いてたくらいかな。ホント、何もない一日。そうそう、音楽は、ハイドンの交響曲全曲の2巡目に入っています。一応、メモを取っているので、1回目とは違う演奏で聴こうということで聴いています。後ろの方になってくると、大家の指揮者が振る音源も多いけど、それ以外でも、少なくとも3つは、異なった演奏で聴けるんじゃないかな。順番には聴かない、アトランダムに選んで聴くという雑なことをしています。さすが、104曲あるので、1巡目は、途中で、だれてしまったので、間を開けながら、ぼちぼちと進めて行くつもりです。


2022年 9月 28日(水)午前 6時 36分

 昨日は、昼過ぎまでと、その後のお天気が、がらりと変わった日。朝は、とっても、いい天気で、気温も上昇していた。天気予報では、夕方あたりから雨と出ていたけれど、俄かに信じられないほど、いいお天気だった。ところが、近頃の天気予報は当たります。雷が聞こえたかと思うと、雨になった。黄紺宅界隈では、雷は、この一発だけだったけれど、RadikoでKBS京都の「おつかれさん」を聴くと、パーソナリティの吉の丞が、尼崎の自宅を出るときは、凄まじい雨と雷だったと言ってました。一方で、岩井万実の自宅のある大阪市内は、そうでもなかったようなので、西から東へと和らいだようでした。そうは言っても、雨脚は強いと、家内に居ると聞こえたけれど、いざ外に出ると、そんなではなかったので、夕方のウォーキングは傘さしウォーキングで、いつも通りの時間、距離をこなすことができました。
 昨日は、お出かけなしの火曜日ということで、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を、日中は聴いていた。いつものことと言えば、いつものこと。最近は、これがあるから、映画などは、完全に火曜日を避けるものだから、やたら映画に行くのが月曜日になっている。月曜日は、博物館の類が休むから、余計に映画は月曜日になっている。で、昨日の「まーぶる」は、いい情報が聴けた。二葉が、最近、やり出した習い事、それはキックボクシング。まだ、初めて1週間だそうだけど、全く、違和感がなかった。過密なスケジュールで落語をする機会が増え、しかも、独演会や二人会となると、落語1本の口演では済まないわけで、となると、体力勝負ということにもなってくる。これを、嫌というほど自覚した1年じゃなかったのかなと思ってたら、そのまんまを、本人が言ってました。でも、なんで、キックボクシングなのか? 普通のチョイスをしないのが二葉らしいんだけど、別に、他のスポーツでもいいし、ジムに通うという手もあるというのに、キックボクシング。この選択にも違和感のなかった黄紺、実は、キックボクシングと聴いたときに、あるシーンを思い出したのです。マイクロソフトのCMの一場面。扇子を持ち、刀に見立て斬りつける所作のところ、切れが足りないと、そのCM映像を観たときの正直な感想です。37歳の女性、ぼちぼち、筋肉の衰えが出てきているのか、スポーツをしてなかったかで、元々、筋肉がついてないために見られる切れの物足りなさ、これ、本人も自覚したのじゃないかなと、これは、黄紺的勝手な想像だけど、芸にストイックな二葉のことだから、自覚したのかと思ってしまうのです。だと、これを補うために、キックボクシングは、なかなかグーなアイデア。次いで、おもしろ情報が、飛び出しました。視聴者に煽られた形で、手掛けたいネタのトピック。今、覚えるようにしているネタが「まめだ」。秋のネタを強調していたけど、全く、二葉のイメージにはなかったネタ。米朝作品だから、オリジナルティを、東京でも出せるわなとは思ったけど、かなり意外だった。でも、二葉の「まめだ」って、どないな感じになるのだろと思わせただけで、半ば成功ですな。今後、手掛けてみたいネタは、3つ、言いました。「らくだ」「天神山」「初天神」。お酒の噺の極めつけとして「らくだ」と、子どもの活躍する「初天神」は納得。それに対して、ここでも、「天神山」だけは、今までの二葉のネタからすると、異彩を放ちました。「その心は?」と聞いてみたくなる選択。でも、言われてみると、一心寺での墓見での一杯、狐を放してもらうときのやり取り、二葉の口演で聴いてみたくなったなぁ。この3つで、二葉の口演で一番聴いてみたくなったのは「初天神」。とってもポピュラーな前半だけではなく、後半部分も含めた完全版を、師匠の米二は持っているので、絶対、師匠の完全ヴァージョンでもらって、それを覚えて欲しいものです。後半、空間が拡がったところでの、屈託のない親子のやり取りが、二葉に向いてると思うと、これ、聴きたくなりました。もう1つ、貴重な話をしてました。修業時代に住んでたアパートの隣室のお姉さんを訪ねて行った話。これ、二葉は、既に、自身のTwitterで呟いていたので、会いに行ったことは知ってたんだけど、ラジオの仕事と重なったのかと、勝手判断していたんだけど、それは外れ。既に告知しているように、二葉は、今、本を出すための準備に入っているというのは、聴いてはいたが、この訪問が、そのための作業だというわけです。本の出版には、二葉は、文章が書けるのでゴーストライターは不要だろうけれど、内容をプロデュースする人がいるのでしょうね、一緒に内容を検討する人が。そこで浮かんだのが、この企画でしょう。とっても、いい企画です。これ聴いただけで、この本、買います。既に、Twitterで呟いていたように、お姉さんは摺師。こんなこと、二葉は言ってました。「お姉さんとコラボできたら、いいなと思っています」「南座で、独演会やってみたいと思ってるんで、、、」、ここで、すかさず、梶原さんが、「じゃ、ポスター作ってもらったら、いいじゃないですか」と突っ込んだ。二葉も、同じこと考えていたけど、「摺師だけじゃ、作れないよ」と、思わず突っ込みかけたら、2人で、「彫師さんも要るけど、、、」と賑やかに話は弾んでいました。「吉の丞のおつかれさん」の方は、番組編成が変り、二部制に。番組途中に30分間のブレイクアウトが入るので、まだ、前半しか聴けてない。その後半2/3は、パーソナリティの2人は出てこないという構成、どうなってんの? よく判らない!


2022年 9月 26日(月)午後 11時 3分

 今日は、夏の気温に戻った日。でも、乾燥してるからかなぁ、猛烈に嫌な気になってしまう天気でもなかった。ただ、気温が30度を超えてしまってたので、汗はかく、疲労が早く来る、これは仕方がありません。そんななか、今日は夕方から映画を観た日。上映時間が2週間で、今週は夕方、来週は朝だから、いずれも、黄紺的には、あまり嬉しくない時間帯だったのだけど、致し方ありません。だから、今日は、午後の一時を圧縮して対応。午前中のウォーキングまでは平常通りでした。
 映画は、京都シネマでの韓国映画「ポーランドへ行った子どもたち」。朝鮮戦争での生まれた戦争孤児たちを、北朝鮮が友好国に送り、育成を求め、友好国は、それを受け入れたという歴史があるそうです。その1つ、ポーランドで、この問題を、残された記録や証言を基に掘り下げたポーランド人作家の著書を翻案、劇化する試みを持つチュ・サンミ監督が、その戦災孤児を、脱北者の青年たちに重ね、その青年たちのオーディションをする中で出逢った1人の若い女性イ・ソンと一緒に、ポーランドへ取材に出かける姿を追うドキュメンタリー映画でした。まず、ここで取り上げられている事実を、監督自身も知らなかった、もちろん、黄紺が知るわけがないこと。場所が、他でもないポーランドということもあり、そそられてしまいました。実際、子どもたちを迎え入れた施設の院長さんや、指導に当たった教員の生き残りの方たちと会うことができている。子どもたちを迎え入れたときの様子など、子どもたちの生活の様子が、ニュース映像らしきものから、なんらの目的で記録に撮られたのか、私的に撮られたのか、その辺は触れられてはいないけれど、結構、この映画に取り込まれているが、ポーランド人たちに、とっても暖かく受け入れられています。数年で、有効な人材と看做されたのか、帰国命令が出たために帰国するときの涙ながらの別れ、それ以後も続く文通、でも、中味を読まれることで、子どもたちが不利にならないかと、文通を断つといったことも出てくる。それも含めて、とても親身なポーランド人の対応、そのポーランド人との暖かな心の交流が見えてきます。一方、子どもたちが、戦禍のなか不衛生だったのでしょう、体内に寄生虫を持つ子どもが多かったそうで、その寄生虫を分析すると、子どもたちの出身地が、朝鮮半島全土に及んでいることが判ってきました。朝鮮戦争の推移をふり返ると、北が半島南部まで押さえた時期もあることに由来するようです。でも、ポーランドから戻った先は北。これは、結構、衝撃が走ります。映画は、ポーランド人が、手厚く応対したわけも考察します。ポーランドは第2次大戦で、ドイツに侵略されたばかりか、大戦末期の民衆蜂起の際に、ソ連軍が支援しなかったこともありで、とにかく、多くの死者、戦災孤児を出している。その痛みが解る人たちだったことが、北から送られてきた子どもたちにも示したのだろうということでした。ただ、この映画の痛いところは、ポーランドに戻った子どものその後が追えないという点。今の政治体制では、取材などはありえないことです。そこで、脱北経験を持ち、今、一人で韓国内で生活する若い女性を帯同して、その痛いところをカヴァーしようとする構成にしたのだと思います。戦争や政治体制で、肉親と切り離されてしまったという共通項があります。脱北経験が、そのため口を突いて出てしまいます。母親代わりで育てた弟への思いが、口を突いて出ていました。知らなかったことを教えてくれた大事な映画、その一方で、単純に、この問題を追えなかったのだろうかと思ってしまいました。
 短縮された午後の一時では、旅系YouTuber氏を2件、覗くことができた。その内の1本は、おなじみの無職旅氏の動画。チェコ旅の振返りをしていました。チェコとなると、高校生の息子を連れて行った初めての旅だったためか、どうしても気にかけてしまう。今後、細かく分けて動画が出てくるでしょうから、楽しみです。夜は、米朝事務所チャンネルの生配信は、月曜日夜の定番。事務所のチャンネルだから宣伝が多くなるが、その宣伝も、落語会に関するものだから、耳がダンボになっちゃいます。とまあ、途切れなく楽しみました。いい月曜日です。


2022年 9月 26日(月)午前 6時 38分

 朝晩と昼間の気温格差が大きな日曜日。朝は16度、昼間は30度、でも、乾燥しているのかな、日中の気温上昇は気にならなかった。汗も、ほとんどかかなかったからね。秋本番の雰囲気です。昨日は、午後に落語を聴く予定があるうえ、朝は「日曜美術館」を観るので、かなりタイトな一日。ウォーキングは、落語会の往復にすることになった。出かける前は、買い物に出る時間しか取れなかったから仕方がなかったけれど、一挙にまとめて歩くのは、さすがにきつかった。でも、1万5千歩を確保、なかなかやります。
 昨日の「日曜美術館」のお題は、「Be yourself 汝自身であれ 勅使川原三郎」。勅使川原三郎を取り上げるということは、もうダンスとアートの境界なんてないということですね。この番組は、勅使川原三郎が、ベネチア・ビエンナーレのダンス部門で金獅子賞を日本人として初受賞したことを受けてのもののようです。勅使川原三郎という名は、どこかで見かけたことがあるという程度、だから、その仕事内容や仕事ぶりは、全く初めて知ることばかり。徹底して、内面と向き合い、内から湧いてくる何やしらと、対峙していこうという姿勢を貫く人という感じが持てた番組作り。ダンス以外にも、プリント用紙に鉛筆を使いドローイングも、その活動の1つとして観ることができるようだけど、その作品群は、形は取られているが、何やら判らない、描いている自分にも判らない、判らないまま向き合い、そこから感じるもの、考えるものを導き出す。番組は、ヴェネツィア・ビエンナーレ用に制作している「ペトルーシカ」のメイキング映像を軸に、ここまでの作品を紹介したり、愛知県立劇場での「風の又三郎」に向けてのワークショップによるオーディション風景を流したりしてくれるとともに、その都度、勅使川原三郎のコメントが入ったり、根本的な主張が展開されたりするものでした。「ペトルーシカ」の制作では、振付よりか、広報のための写真撮影、照明プラン作りが、多く撮影されていました。特に照明に対する細心の設定は凄まじいものがあります。実際、ヴェネツィアでの公演を見ると、照明が命のようにも見えました。音楽と照明、振付が三位一体のような舞台。愛知でのオーディション風景がなかなかそそられました。内面との向き合うことを主張します。でも、ダンサーは、訓練を受け型を習得しているんだけど、それが、内面を出させない保護の役目をしているのでしょうね、それを壊して、内面を出すことを求める、「リナルド」の有名な音楽に合わせて、壊すことを求めていましたが、その先に、ダンサーが訓練を受けて得て、身に付いてしまっている指先、足先といった身体表現としての美しさが重なることを求めているような気がしました。ニュルンベルクで観たバレエ「くるみ割り人形」で、身体表現の想像もつかない奥深さ、その可能性を知ってしまって以後、ずっと気になっているジャンルなんだよね。そんな黄紺には、まことにもって刺激的な人物に見えてしまいました。ドイツで、もっとバレエを観ておくべきでしたね。だと、もっと拡がりのあることを感じ、書けただろうなと思うと、悔しいね。ニュルンベルクの体験をしておきながら、まだ、そんなこと言ってるというところですね。
 午後の落語会は、ロームシアター京都であった「第362回市民寄席」。耳慣れた演目が並んだ番組だったのだけど、なんせ、文枝が出るというので、モティベーションが高まった会です。もちろん、コロナ禍では聴けてないですから、久しぶりで、生口演に接することができました。その番組は、次のようなものでした。三河「大安売り」、右喬「へっつい盗人」、米二「まめだ」、(中入り)、小染「浮世床」、文枝「別れ話は突然に…」。 三河は、コロナ禍どころか、秋田の住みます芸人で、3年間 、大阪を離れてるから、ホント、久しぶり。すると、どうでしょう、年期が経つというのは恐ろしいことで、とってもしっかりとしたお喋りに大変身でした。もっと大きな噺を聴かせて欲しいなと思えるもの。文枝の口演と並んで、昨日の印象に残った高座でした。右喬は、久しく見ぬ内に、顔の形相が変ってしまったように感じました。ただ、半ばで寝落ち。僅かだったけれど、昨日は、これが2回。少しずつ出てしまいました。もう1回は、「まめだ」でも。その米二は、今月だけで3回目の遭遇となりました。でも、米二の「まめだ」は聴き過ぎ。それが、軽いにしても寝落ちの原因。秋ということになると、ホント、米二の「まめだ」に、よく遭遇してしまいます。小染は、登場すると、ホント、ぎょっとした。だって、どこか悪いんじゃないのと思われる形相、歩様もゆっくり。そこまでの歳でもないのにと思っても、気にかかるのは顔つき。思わず、先代松喬の最後の高座を思い出しました。なので、ふと気になったことが出てきた。この秋、実子で弟子でもある染八との二人会を行うのですが、そのチラシのコピーに「生きてる間に二人会」とあった。それを思い出したのです。小染、具合が悪いんだろうか。いざ落語に入ると、以前の声、調子と同じだったけど、気になってしまいました。ましてや、昨日の三味線が和女さんだったものだから、余計に気になってしまいました。文枝は、マクラで79歳になったと言ってました。マクラは、若干聴き取りにくいお喋りだったので、気になったのは、年齢的な衰えでしたが、これもマクラでの時間帯でのことで、安心しました。題名からして、噺は熟年離婚を取り扱ったと想像でき、その通りでしたが、最後に、きれいな落ちがつくというもの。その落ちまでは、全部、電話のシーン。前半が夫とソウルに赴任中の息子との電話、後半が、帯広に行ってしまった娘と母親の電話というもの。その中で、熟年離婚に至った言い分を、各々が語り、子どもたちが聴かされるというもの。その言い分は、正に文枝の真骨頂。トピックを選び並べるの、めっちゃ上手い。かなりの聴講、79歳、まだまだ大丈夫、元気です。
 そんなで、大満足の午後。外に出ると、岡崎界隈は、かなりの人出。外国人観光客の姿も見られるようになってきています。さすが、この人出では、円山公園を抜けるコースで歩くのは止めた。白川沿いから花見小路、建仁寺を抜けても、多かったなぁ。四条通、信号待ちをしていたら、車は途絶えることはあっても、人の流れは絶えなかった。これから、秋本番、京都は、観光客で溢れそうな雰囲気です。


2022年 9月 25日(日)午前 7時 14分

 昨日は、コンサートに行った日。土曜日ということで、午後に設定されていたので、その時間を挟んでのウォーキング。でも、昨日は、午前中のウォーキングを頑張り過ぎ、コンサート会場への往復をウォーキングと兼ねると、1日に2万歩を軽く突破してしまった。軽く突破なのは、決して喜ぶことではない。このしっぺ返しが来るのを、同時に恐れてしまうのです。そんなわけで、午前中に歩き過ぎのきらいがあったので、コンサートで眠ってしまうのではと不安だったんだけど、これは、危なげなくクリア。でも、往きの電車のなか、半寝だったのに、大丈夫でした。こういった日もあるということですな。
 コンサートの行き先は京都コンサートホール。昨日は、こちらで、京都市交響楽団の第671回定期演奏会があった日。出物が凄い、「復活」が出たのです。これは、金に糸目をつけられないコンサートだけど、チケットは、いつものやつを買うことができた。3番が、広上淳一退任記念で出たときに比べると、今回の方が、売れ行きは鈍かった。これは比較ができると思うから比較してんだけど、3番のコンサート行く人だったら「復活」は行くだろうと思うのは間違ってるってことが判りました。最近の京都市響の定期の入りは、往時の欠片もないんだけど、3番に続いて、今日の「復活」もよく入った。でも、今回は、僅かだったにせよ、空席があった。やっぱ、これでも、3番に軍配だ。でも、3番は、演奏されなかったのです。コロナ禍で、子どもの間での感染が懸念されたのか、潰れました。で、昨日の演奏者をメモっておきます。指揮は、首席客演指揮者の肩書を与えられているジョン・アクセルロッド。黄紺的には2回目です。それに加えて、(ソプラノ)テオドラ・ゲオルギュー、(メゾ・ソプラノ)山下牧子、京響コーラスの皆さんでした。「復活」は3回目となります。関西フィルの定期で出たとき、生涯唯一と思い、聴きに行った記憶がある。幸い、今回を含めて、3回聴くことになったけれど、今回が生涯最後の「復活」になることは、十分あると思っている。なかなか、ライブで聴けない曲。長い、大がかりということなんでしょうね。ロビーに、京都市響の「復活」演奏史を表すポスターの掲示があったけれど、僅か3回だった。長い歴史を持つ京都市響で3回は、びっくりですね。会場入り口にあるギシェで、新たなチケットを買ってたので、開始15分前に会場入りして失敗。プレトークを聴き逃してしまった。いつも会場入りして、これがあることに気づくんだけど、いつもは、余裕があるものだから、聴くことができるんだけど、昨日は、そうはいかなかった。「復活」の前だから、もう少し、時間的余裕が欲しかったけれど、完全に失敗してしまいました。トイレで長い列ができてたので、開演が、若干遅れたのが、結果として嬉しかった。心の準備が、こういった大曲には要るからね。冒頭の激しいリズム、かなり、気合が入ってた。このモチーフが出てくるたびに、そう感じるのだけど、その間が、興趣が上がらない。部分的に指示が出ているのでしょう、音の掴みにアクセントが入るのだけど、音と音とが繋がっているだけという印象で、逆に目立つメロディ、リズムの強調が、うざい印象まで持ってしまう。これ、最後までだったなぁ。ジグソーパズルで、ピースは、全部嵌るんだけど、フェードアウトして眺めると、絵になってないという、そういった例えがいいかな。コーラスも、マスクをしてのものだったからでしょうか、ハーモニーはきれいだなと思ったけれど、迫力という点では物足りなかった。メゾはメゾだったし、ここも、3番同様、コントラルトでないと、悲しい。そんなで、文句、ばっか書いてます。
 夜は、「ブラタモリ」の新作があった。「下北半島編」というもの。大間崎から尻屋崎まで駆け抜けるというもの。この半島、4箇所の部分から成り立っていた。海底の隆起があり、火山があり、元々あった陸地との繋がるところありと、なかなか多様な成り立ち。海流により運ばれた砂が堆積したところが平野だった。むつ市の中心部分だったのだけど、黄紺的には、下北半島に平地があることすら知らなかった。その砂を利用した水産資源がホタテ貝。それを、タモリが、一発で言い当てたときの案内人の反応が、最高。この番組、案内人には、専門家が出てくるということで、ほぼ若い人が出てこないけど、若い人が出ると、普段ないリアクションをしてくれるから、おもしろいね。海流の解析話、おもしろかった。逆流する対馬海流。暖流が、冷たいところに入ると起こる対流、そこへ逆流、海中は大騒ぎの対流の凄まじさの度合いが上がる、これだよ、好漁場の条件! 海の中で起こる対流が、海底のプランクトンを舞い上げるんだよね。野口さんが、ヒバを言い当てたのも、お見事。逆に、タモリが、杉、桧がダメで、なんで、ヒバを思いつかなかったのか、これ不思議。でも、若い野口さん、ヒバを知ってた、これ、お見事。この人、新潟県の出身なんですね、この放送で、初めて知りました。地元での生活が身についている人です。そんなで、全く想像のつかなかった下北半島の成立とは、おもしろいものを取り上げてくれました。次回は「深海」だそうです。何をするんでしょうか?


2022年 9月 23日(金)午後 10時 40分

 今日は、新たな台風の影響なのか、雨の日。ずっと降り続いていたわけではないけど、常に、いつ降ってもおかしくない天気だった。今日は、午後に、市民向け公開講演会に申し込んであったので、それに合わせての時間の流れ。昨晩、トルコ代表のマッチがあったので、朝に余裕がなく、午前中のウォーキングは少なめ、しかも、雨中の傘さしウォーキング。その上、後半は、かなり降りが強くなり、靴の中にも浸み込んで来たため、酷くはなかったけれど、靴下が濡れてしまった。どうしても、1時間ほど、今日のような雨では、靴に浸み込んでしまう。
 午後のお出かけ先は龍谷大学深草キャンパス。大宮校舎も含めて龍谷大学構内に入るのは初めて。今日は、ここで、主催は龍谷大学龍谷エクステンションセンターとなっていますが、同時に、京都市が、毎年開催している「伏見連続講座」の1つとしても行われたものでした。題して、「旧深草町100周年記念/古写真が語る深草の営み~未来に紡ぐ深草アーカイブ」というイベント。前半が講演、後半がパネルディスカッションという構成になっていました。その具体的な内容は、次のようなものでした。講演①「伏見人形のと稲荷かいわい」(深草を語る会北野信義)、講演②「藤森かいわいの思い出」(深草郷神輿保存会会長井上雅晶)、パネルディスカッション「私の記憶をみんなの記憶へ」(パネラー:a滝澤修、b只友景士、c竹場真司、d北野信義、e井上雅晶、f杉田鈴子、g鵜飼実幸、ファシリテーター:若林正博)。このイベント、100周年記念ということで集めた古写真のアーカイブ化に取り組まれた成果発表という性格のものでした。そう言えばという感じで思い出したのですが、市民新聞で、古写真の提供を呼び掛ける記事を目にしたことがあります。鴨川運河関係では、この取組みは、以前から行われており、パネラーのお一人、鵜飼さんが、そういった事業に取り組まれているのは、黄紺も承知していたのですが、今回は、それを、鴨川運河という狭い領域だけではなく、かつての生活を伺い知ることができる写真を集め、それを、未来に残そうということのようでした。実際、ファシリテーターの若林さん、この方は、京都学・歴彩館の職員の方で、伏見の歴史を語る際の顔のような方ですが、その若林さんが言われていたのだけど、1400点も古写真が集まったそうです。その内の700点を提供されたのがaの方。父親の代からのカメラマニアだったことが、また、撮った写真を整理するということに長けてられるのでしょうね、多くの貴重な写真を提供されたそうです。そういった写真を材料にしての講演2題。稲荷大社の起源を、由緒書のようなところから引かれたのには、ちょっと閉口したけれど、今まで知らなかった大事なことがありました。稲荷大社の土地は、元は藤森神社の土地だった。だから、藤森祭の際、深草郷を巡る神輿は、稲荷大社の門前に行き、示威パフォーマンスをする習わしがあった。形の上では、そのパフォーマンスは、わけが判らないで続いているようでもあると言われてたかな。子どもの頃、藤森祭のときに、神輿が稲荷大社に行くということを聞いた記憶があるのだけど、それが、このことだったようです。長い間、藤森祭の神輿3基の1基が、「宮本郷」を巡るというものを知らないで、その1基が稲荷大社を行くものと思い込んでいました。考えてみればおかしな話で、神輿が、他所へ出かけてしまっているのに、藤森神社周囲を巡る神輿があるのを数えてなかったことから起こっていたことでした。それが、「宮(=藤森神社)」の「本(=地元)」になるのを知ったのは、遥か後年のことで、でも、だとすると、子どもの頃に聞いた「稲荷大社に行く神輿」が判らないままだったのが、今日、ようやく判りました。また、井上さんは、土地問題が解決した経緯を、古老に聴いた映像を残しておられて、手打ちは終わっていることも判りました。その藤森祭の名物は掛け馬。TVなどでは上賀茂神社のものが有名だけど、同じものが藤森祭でもあります。それを、今年は、3年ぶりに開催するというので、DとSを連れて行って、あまりの人出に、さすが逃げた。でも、後日、Dは、そのときの様子を絵に描いてくれました。黄紺の大事な宝物です。本物の馬の走る姿は、ド迫力なものだから、僅かの間しか観れてないのだけど、インパクトは大きかったようです。その掛け馬、界隈の道が舗装される前は、神社の外の民家沿いの道を使って行われていたそうで、その写真が残っていました。藤森界隈の古写真を見せてもらえましたが、直違橋通だけではなく、師団街道でもやってたってこと(それを示す古写真には、現在でも残る建物が映っていた!)は、もっと神社から離れたところでもやってたかもしれませんね。でも、深草と言えば、軍隊が出てこなければ、稲荷と藤森という大きな神社、その祭、「あと、ないんかい」と突っ込んでしまった講演2題でしたが、後半では、その突っ込みに応える内容が用意されていました。まずは、aの方は東京在住ということで、リモートで出演。古写真が多く残ったわけから、今回、多くの写真を提供したわけ、また、その持つ意味をお話になりました。もちろ、経歴をお話されるとときばかりか、トピックごとに手持ちの古写真を使ってられたのが印象的。どこかにある古写真、そのどこかを、自分に置きかける大切さを説かれていたのが印象的。未来に繋がる、こういった具体的なブツがあってこそ可能になるのでしょうね。「b」は、龍谷大学政策学部の先生ということで、龍谷大学の深草での歴史を辿っていただけました。GHQ名残りの建物を、深草キャンパス成立当初は使われていた由、そりゃそうでしょうね、でも、バラック跡の写真はなかったと言われていました。「a」さんが提供された京阪深草駅の背後には、今は亡くなった龍谷大学の建物が、しっかりと映っていました。「c」は交通機関担当。現JR稲荷駅は、元東海道線の駅、2つのトンネルができる以前の東海道線の紹介とともに、稲荷駅前の古写真を使いながら、東海道線時代の名残り、鉄道唱歌の顕彰碑落成時の様子を紹介。鉄道唱歌には、しっかりと稲荷駅が入っています。「d」「e」では、稲荷大社、藤森祭の補足的なお話。「f」では、地域の農産物の映った古写真が紹介されました。大亀谷大根、茶畑の紹介でしたが、黄紺的目から鱗は、茶を売る店がある、あったということ。そう言えば、火を使う業界なものだから、火事を出して廃業されたお茶屋さんがあったことを思い出しました。「f」では、仁明天皇陵の古写真の紹介がありました、今や、住宅に囲まれ、場所すらも容易に判らない仁明陵の前は田んぼであったことを見せようとしてピックアップされたようでしたが、黄紺的には気になっていた、周辺の住宅は盛り土の上に成り立っていることを示す石垣が映ってしました。解説では、その石垣、現在、確認できるそうです。これは、「へぇ~」でしたね。「g」では、当然、鴨川運河。その中から1点、貴重な古写真が出ました。遠目に映る京都市電稲荷駅から南の西側道路には、京阪電車を降り、初午で稲荷大社に向かう人の列、それが映った古写真。あまりに多くの参拝者をさばくために、参拝者の導線を作っていたのです。その人の流れの傍らを流れる鴨川運河には船が1漕。舟運の要に使われていた鴨川運河の本来の姿を見せてくれていました。そんなで、もう目は釘付け。すっかりと変わった深草。名神高速道路なんてなかった、旧練兵場跡は水田だった。大亀谷は畑しかなかった、直違橋通は賑わっていた、その一方で、深草には「軍都」というタームが付きまといますが、今日は、その欠片も出なかった。それを含めて深草なんだけどな。一切、出なければ、避けたとしか言いようがないほど、かつては、広大な軍用地があり、進駐軍もいた、それも含めて、深草なんだけどなと思わざるを得ませんでした。


2022年 9月 23日(金)午前 7時 24分

 昨日も、引き続き、気温は下がったまま。でも、ほんの僅か、前日よりは上がってるかなという程度。だって、昨日の昼前のウォーキング後は、着ていたTシャツは、汗で、続けて着る気にはならなかったから。でも、この昼前のウォーキング、出かけるときは、長袖の上着を引っ掛けて行き、一旦、アマゾンでの買い物を、近所のコンビニに取りに行き帰って来てからあと、再度のお出かけのときは、まだ着ていた。それから、僅かだけど気温が上がったのかな? 細かな話だけど。昨日も、結局は、この昼前のウォーキングと午後のウォーキングだけが外出時間。夕方と書かないで、午後と書いたのは、昨日も、一昨日と同じで、夜にオンライン配信を予約してあったから。昨日は、最後まで聴いたけど、かなり看板とすれ違った内容。大風呂敷、しかも、危険な看板を掲げてた。
 そのオンライン配信以外のこと、要するに朝と午後の一時のこと、先にメモっておきます。昨朝は、腰のしびれが酷く、午前4時に起き上がった。3時間ほどしてから、小1時間ほど、睡眠ができ、少しは取り返すことはできたけれど、また、嫌なことが起こってしまった。暑いときは、上布団も敷布団にして寝ることで、この痺れることを避けれてたけれど、それでは、もう寒いから、上布団は上布団として使うと、途端に腰の下がベッドに直接に当たるものだから、こないなことに苦しむことになる。早々に出ちゃいました。で、そないなときは、YouTubeのお世話になります。ま、朝は、トルコの情報収集があるから、さほどの時間はなかったけれど、観ていたのは、シンガポール旅の動画。単純に、空港から電車で市中に移動する動画を観ているだけで、懐かしいものだから、惹き付けられてしまう。そして、行った先はベイフロントの新たな観光スポット。「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」「マリーナベイ・サンズ」というやつ。行く気がないものだから、シンガポールに行っても、これらは頭を巡らない黄紺は、シンガポールに行くと、リトル・インディアしか行かない。でも、動画を観ていて、これ、DやSに見せたら喜ぶだろうな、とにかく、でかくて、形がおもしろいから、あの2人だと喜ぶだろうなと思ってしまい、連れて行きたくなった。その前に、下見にでも行ってもいいかなの気になったものだから、えらくのめりこんでしまった。ミーハーも、いいとこ、です。それと、またまた、Radikoで、KBS京都の「米團治日和」を今回も聴いた。気になるゲストが出ると聴いている。今週と来週は、浅野美希さん。寄席三味線の方で、米團治独演会は、いつも、この人が弾いているはずです。上方唄でも舞台に立たれる方。元府立病院の看護師さんだったというの、初めて知りました。スキー好きが、スキーができなくなり(寒いのが嫌になったと言ってた! そんなの端から判ってるのにと米團治に突っ込まれてました)、狂言を習い、更に、文楽、そして、三味線へとの流れだったそうで、元々は、三味線の心得はなかったそうで、これも、驚いた。この経歴を知れただけでも、この放送を聴いて大正解。お話の内容もおもしろかった。邦楽の心得が、当然のようにしてある米團治との間で、話題は長唄の「越後獅子」。これが入る落語「稽古屋」を演じてみたり、上方唄「五段返し」(寄席の踊りもある!)を演奏して、また、プッチーニの「蝶々夫人」の一部を流して、「越後獅子」が入っているところを聴かせてくれたり、めっちゃ勉強になった。そもそも、長唄「越後獅子」の成立は、何代目かの歌右衛門に由来するトピックもありました。もう耳がダンボになってしまった! もう1つは、以前から聴いているもの、久しぶりにアクセスしてみました。「桂あさ吉内弟子日記」というもの。米朝師宅での内弟子時代の日記を読むというもの。今回、5回分ほどを聴いたけど、1つ、印象に残るものがありました。「仔猫」で、「四谷怪談」をくすぐりに使う箇所があるんだけど、これって、米之助の考え出したものなんだって。これ聴けただけで、大収穫でした。
 そして、夜は、京都大学人文科学研究所の配信。既に、1回、聴いているんだけど、連続4回に渡る講演会を、ハイブリッド開催で行っています。黄紺は、都合により2~4回目を聴けるのですが、その内の2回目、昨日は、人文科学研究所附属現代中国研究センター助教の都留俊太郎さんが、「台湾独立とは何か――ことばの歴史から考える」という、ちょっと刺激的なお題でお話されました。都留さんは、導入部で、「中国大使館の応援団が来られるかもしれないと思ってたのですが、、、」とお話をされるようなお題、だから、こちらも、一体、何をする気なのだと思ってしまい、楽しみにしていました。だけど、混乱もなく、さほど刺激を受けることもなく、これはこれでおもしろいけれど、看板、大きく出し過ぎじゃないって思ってしまいました。お話は、「独立」ということは、政治的、軍事的に独立することではなく、経済的にも、文化的にも独自性を持つという観点から、台湾の個性を表す言葉に焦点を当て、その「独立」と「言葉」を絡ませた実践を行った王育徳なる人物に焦点を当てるというものでした。王育徳は、台湾の国民党政権時代、日本に亡命、台湾独立運動をした人物で、台湾語の辞書、しかも、その辞書で、台湾語のアルファベット表記をした者として、このカテゴリーを実践した人物として、講演の核に据えられていました。「台湾語」というタームが、お話の中で再三再四出てきました。18~19世紀に、中国本土から台湾にやって来た人たちの喋る言葉。この講演では、一切、「本省人」というタームは使わなかった。その心が知りたかったけれど、質問はしなかった。なんか、偉い人がたくさん視聴しているようで、怖気づいてしまいました。その「台湾語」は、閩南語(みんなん)にルーツのある言葉。福建省南部で話されている言葉だそうです。それが、国民党政権により北京語が押し付けられることにより衰退。日本の統治、国民党政権による統治と、上からの強権的政治が続いたためか、北京語の扱いが確定いていくということで、お定まりの「外省人」と「本省人」の対立の構図が浮かび上がってきますね。で、お話は、そこへと行かなかった。王育徳は、「台湾語と日本語と、北京語とのチャンポンである」と、自らのアイデンティティを、「チャンポン」であることに認めており、そのために「台湾語」の重要性を説いています。そこで、王育徳が日本で発刊した台湾語の辞書のトピックへ。そこに、見出しの単語をアルファベット表記をしているというのです。王育徳には、「大衆が読み書きするには最適」との判断もあり、言語運動的な要素も含んでいます。お話は、ここで急展開。この「アルファベット表記」という手法が、どこから来たか、そのルーツ探しのお話へ展開と言うか、横道へと猛進していき、この講演の本筋へと行ってしまいます。そのルーツは、何と、「ソ連におけるラテン文字化運動(1920s~30s中頃)」にあるというのです。話が跳びすぎました。遠い、しかも、「ソ連って、ロシア化を進めたのじゃなかったのか」という知識があるものですから、そう思った。初期のソ連では、同化への批判があり、諸民族の言語尊重姿勢を持っていたとか、それが、スターリン時代に真逆に進んでいったそうです。それに刺激を受けた上海エスペラント協会が、資料提供を要請。ソ連のエスペランチストへ要請し、それに応じた人物がいた。後に処刑されてしまうウクライナのエスペランチストであったヴィクトロ・コルチンスキという人物。ロシア語・エスペラント語辞書を作るという業績を残している人物だそうです。もう1つの注目は、中国語をラテン文字表記に変えようとの動きがあったこと。1933-1950年頃には、中国語諸方言のローマ字化(ラテン化新文字運動)の運動があり、結構なうねりだったようで、魯迅も「漢字の放棄」を訴えているそうです。そこには「大衆が諸方言で書くという夢」があったようです。それが、人民共和国成立後、公用語としての北京語(普通話)の位置が確定することで消えて行くわけですが、こういったラテン文字への転換運動に触発されたのが、王育徳だったとなるわけです。ここで、お話はおしまい。だから、看板で想像したようには行かなかったのですが、講演者の頭の中では、台湾語が、台湾の独自性を主張する柱になる、文字までも独自性を主張することで、「台湾の独立」を思い描いた人物がいたという筋道だったのでしょう。最後には、最近の台湾語使用の動きを紹介されていました。でも、この動きが高まると、またぞろ、「外省人」と「本省人」の対立なんてことが登場しないのか、どうしても気になってしまってました。


2022年 9月 22日(木)午前 5時 1分

 昨日も、引き続き、涼しい日でした。昨日、Radikoで聴いたKBS京都の「吉の丞のおつかれさん」でも言ってたけれど、暑いから涼しいを通り過ぎて寒いまで行っちゃってます。でも、まだ、秋の小口ということで、便宜上、涼しい日と書いておきましょう。窓を開けると寒い、屋内では、冬物のジャージのパンツ、厚めのパーカーで過ごしています。汗を、ほぼかかないものだから、ウォーキング後の着替えもなし。こんなことが、一挙に来てしまってます。去年は、8月の末にはクーラーをかけなくなったけれど、今年は、いつまでクーラーを使うのだろうと思うほど使ってたけど、台風で一変です。ボーっとしてると、電気ストーブに手が伸びそうな気配です。
 昨日は、夜にオンライン配信を視聴するつもりだったけれど、開始5分で止めた。どんなだか、内容が判らないけれど、出ていたテーマが、黄紺的には気に入るかもと思いアクセスしたんだけど、物の見事に外されてしまいました。そんなときは、あっさりと断ち切るに限ります。そんなで、昨日は、お出かけなしの、何もない一日となりました。外出は、ルーティンにしているウォーキング2回だけ。これは、いつも通り。ただ、夜の配信が、そないなことになるとは考えてなかったので、午後の一時を短縮したのを後悔しても、あとの祭り。替わりに、オンライン配信を断ち切ってから、時間ができてしまいました。で、午後の一時は、オペラ配信に終始。まずは、バーミンガムの「ラインの黄金」を最後まで。終わってから、照明が点いてから判ったことだけど、この公演、コンサートホールでのもの。舞台にオケが乗り、円形の舞台は、観客席の前の部分を潰して設置されていました。オケの背後の座席も、わりかしあるものだから、照明が落ちている間は、円形舞台の周りに観客席があると見えていました。巨人族の2人が測量杖を持っていたわけが判りました。金塊を積むときの指標にするためでした。気になったのは、ワルハラ城へ入る場面。別に城が出るとも、そこへ渡る橋が出るとも思ってなかった。ここでも、それまで使ってなかった、上から斜めに射す照明を使い、「特別な場面」を作るのに留めていましたが、これは、それまでの演出のコンセプトを踏襲しているようで、すんなりと入ったのですが、入城となると、円形舞台の周りにいた男女が、這いつくばりながら、神々を下から追いかけるようにして見上げるというようにしていたのですが、その心が、さっぱりと読めないでいます。そんなで、完走しましたが、客席からは、大変な歓呼を受けていました。イギリス人って、こんなのがお好きなのかなとは思ったけれど、黄紺的感想には変化はありませんでした。次で、時間があったので、同じくワグナー作品、ロングボロー・フェスティバル・オペラの「ジークフリート」(アミー・レーン演出)をピックアップしました。これも、「Oper Vision」チャンネルに、最近、アップされたもの。こちらは、オーソドックスな舞台での公演ですね。暗く落とした照明のなか、ホリゾントにスクリーンを設え、森の風景を映すかと思うと、ジークフリートが熊を連れて帰ると、そこに、リアルな熊の映像を映していました。今のところ、映像の変化はそれだけ、そして、舞台上には家具が並び、ミーメの家を表すというもの。家という建物を表す装置なしでとなっているので、森の中に調度品が散らばるといった光景で、ミーメの家内を表していました。冒頭の1時間弱ほどを観たところだけど、ごく普通に進行してるなの印象です。「ラインの黄金」が、かなり特異なプロダクションだったもので、この「ジークフリート」も、何か起こるのかとの目で観てしまうところがありますね。あまり、2つ続けて観る2つのプロダクションではないですね。
 YouTubeでおもしろいものを観た。タイ系YouTuber氏の重鎮「TJ Channel Thailand」で観た「チェンマイ編」。象と戯れるツアーに参加したおり、途中に立ち寄ったカレン族の村の風景が、なかなかのもの。観光化された少数民族の村でないので、素朴で、興趣をそそられてしまい、見入ってしまってました。可笑しかったのは、このカレン族の村にも、タイの子どもたちの「買い食いの文化」が入ってたこと。カレン風デュッカンに袋詰めしたお菓子が並んでたのがそうだとの説明。ちょっと違うけど、ロムサクに行ったときに観た光景を思い出してしまった。学校帰りの子どもたち、バス待ちの間、その子どもたちを当て込んだ店に群がっていた。この買い食いの風景の、この村ヴァージョンが、子どもたちが帰って来たときに起こるのだなとの想像。ひょっとしたら、そのデュッカンの前に、車が到着するのかもとイメージを膨らませてしまってました。この店もそうだったけれど、子どもたちが買い易いように、短時間で売りさばくために、予め袋詰めにしてある。そう言えば、ロムサクでも群がる子どもたちに、どんどんと渡してた。あのときは、袋詰めじゃなかったけれど、素早くさばく手を打ってたようだったけれど、その細かなことが思い出せない。でも、とっても効率よくさばいてたのだけ、覚えてる。そんなで、タイ、行きたくなってきた。でも、まずは韓国と思い、韓国入国時の体制変わってないか、つい先日観たところなのに、また確認してしまった。いつも観るサイトだけではなく、複数確認をしてみると、興味のあるものに出逢った。「韓国入国後1日以内の検査」、問題のこれだけど、「変更の方向で検討に入っている」という情報が1つ。2つ目がびっくり、「これをスルーしてしまう人、多数」。後者の方は、やっぱ、出国時にやばいだろなと思うので、この問題は、韓国人の場合だろうなと、勝手に結論づけました。でも、前者が気になる。こういった情報が流れるということは、実施間近と思ってしまいます。ガセじゃなければね。


2022年 9月 21日(水)午前 7時 15分

 昨日は、台風一過で、見事に、気温が下がりました。昼間から、窓を開けているだけで涼しい、家の中では、長袖のパーカーに長ズボン、ウォーキングに出かけるのも、半袖&短パンでは、休憩&読書をしていると、寒くなってきので、早々に切り上げたほど。日中のウォーキング時でこれだから、夕方のウォーキングでは、端から長ズボンで出かけた。凄いわ、この変化。天気予報を聴いていると、一昨日からは、8~9度、低いそうだ。そうった火曜日、夜には、オンライン配信の予約がしてあったので、午後は圧縮して過ごすことに。空き時間は、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を聴いていたけれど、特段、目新しい落語界のトピックは出てこなかった。話題は、台風にシフトは仕方ありません。
 夜のオンライン配信は、国際日本文化研究センター(日文研)&(一社)読売調査研究機構主催の「サロン音楽に聴くジャポニスム ミカドからチョーチョーさんまで」というイベント。日文研からの案内で知ったもの、peatixで申し込むというもの。読売新聞社が噛むと、慣れないことが起こるものです。概要欄には、「18~19世紀初頭に、日本を題材とした“シートミュージック”(一枚刷りの大衆音楽楽譜や楽曲集)が西洋各国で数多く出版され愛好されていたことは、実はあまり知られていません。日本が西洋でどのようにイメージされ、音楽で表象されていたのでしょうか?」となっていましたが、「シートミュージック」の「シート」って、書生節で売られる楽譜の上等なものと考えればいいようですね。そんな風にして広がった「日本」を題材にした音楽を取り扱うというもの、これも、確かに「ジャポニズム」ですね。幾つか、そういった楽譜を基に、京都市芸大の院生による演奏付きという凝ったイベントとなりました。なお、日文研だか、京都市芸大付属の日本伝統音楽研究センターには、このシートのコレクションがあるそうです。めっちゃ、マイナーなコレクション。でも、それを掘り起こすことで、今まで光の当たっていなかったジャポニズムの側面を知ることができたというわけです。このイベントは、細川周平(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長/国際日本文化研究センター名誉教授)さんと光平有希(国際日本文化研究センター特任助教)さんのトークセッションという形で進んでいきました。細川さんは、日文研の退官記念講演を、オンライン配信で聴いたことがある方。光平さんは、そのお弟子さんで、このシートの掘り起こしをされ、著書にされている、とっても美形の研究者さん。ちょっと細川さんのお喋りの間が悪く、聴き辛いところもあったけれど、内容的には、とても貴重なものを聴くことができました。日本の音楽、いや、音楽を通じて入って行った日本、欧州で知られていった日本のイメージを、段階的に追いかけるという形での進行となりました。①軽業師を通じて入って行った日本のイメージ、題名と楽譜の表紙でだけ日本、音楽では日本を感じない(テデスコ「日本娘ポルカ」、フィッシェー「女軽業師ポルカ」、ピガール「日本の軽技師」)②日本のことば、喜歌劇の流行、、、日清戦争後で日本への関心が高まり生まれた喜歌劇「ミカド」、サリバンは「ゲイシャ」も作曲(ブカロッシ編曲「ミカド・ポルカ」「ミカド・ワルツ」、ジョーンズ作キーフェルト編曲「ゲイシャ・ランサーズ」、ガンヌ「ムスメ」)③お雇い外国人と日本音楽隊、、、陸軍軍楽隊に招請されたシュルル・ルルー(フランス)やディットリッヒ(ウィーン出身)ら、こういった滞日経験のある音楽家が日本音楽を欧州に紹介、日本の洋楽文化である唱歌も紹介されていく、五線譜による作曲であったことが大きい、ディートリッヒはプッチーニにも影響を与えている(ディットリッヒ編曲「日本楽譜」「落梅」、カペレン編曲「小学校唱歌:伊澤修二による日本の旋律」)④蝶々夫人の誕生とその影響(プッチーニ作曲イリッカ作詞「ある晴れた日に」、エドワーズ作曲マクドナルド作詞「蝶々夫君」、マイヤー作曲トリメイン作詞「幸福の蝶」⑤日本への憧憬、、、ラフカディオ・ハーンによる英訳は日本の歌曲にフランス語の歌詞を付けた松山芳野里の活動(ミリガン作曲ハーン英詞「影:ラフカディオ・ハーンによる日本の5つの詩歌」、松山芳野里編曲「日本の特徴的な5曲の歌」、デルヴァンクール作曲クーシュー仏詞「露の世:日本の古き14のウタ」)。①から⑤まで。僅か40年だそうです。40年で、ここまで変わったということです。シートとして残っている、サロンで演奏されていたということなんですね。ブルジョワジーの間に溶け込んでいった日本のイメージの変化、とっても、興味をそそるものでした。


2022年 9月 20日(火)午前 7時 27分

 昨日は、3連休の最終日ながら、台風が来るというので、自重気味に過ぎて行った一日。朝から、晴れるときもあったけれど、昼前からは、天気の怪しさが続く日となりました。台風の影響でしょうね、南からの暑い空気が流れ、まだ、クーラーのお世話にならなければならない日でもあった。そういったなか、昼前のウォーキングは、いつものようにできた。途中、2回、雨が降りかけては降らないという時間があったけれど、大事には至らず、結局は、いつもの時間、距離は確保。雨が降ってもいいように、自宅から遠ざからないコース、傘を持ちながらのウォーキング、途中休憩なしで歩き続けるという、完全雨シフトだったんだけど、大丈夫だった。こういったものです。夕方のウォーキングはどうしようか、やっぱ自重かなと迷っていたところへ、息子から電話。昼食後に、「台風を前にして、出かけられないで時間を持て余していそうなので、、、Zoomで、DとSと喋べる時間、作りませんか?」とのメールを入れておいたのに対し、反応があったのです。すぐにやろうと、相変わらずの無計画。でも、こちらも、何もすることはなかったのだけど、家事の途中だったもので、15分後に開始することにしました。もう、Ⅾはお兄ちゃんになってるから、息子は、Zoomに繋げば、スマホを渡し、Dがカメラ操作するようになっています。そこへ、Sが絡んでくるかと思うと、一人遊びをしている。そんな光景を映すこともあるんだけど、Dのやりたいのは、自分のお気に入りの電車のおもちゃを、なんとかカメラで映したい。それが、なかなかうまくいかないものだから、カメラがぐらぐらしっぱなし。船酔いしかねないので、ちょっと悲鳴を上げてしまいました。そんなことをしているなか、ふと、Dがもらしました。そう、お誕生日が間近なのを、すっかり失念しておりました。判ってんだけど、このZoomの操作を始めてからは、頭から吹っ飛んでしまってた。そこで、お誕生日プレゼント選びをすることに。いつに変わらぬ電車好き、新幹線好きなもので、「プラレール、プラレール」って言うのだけど、それが何か判らない。おもちゃなのは判っているので、アマゾンの画面を立ち上げ、検索スペースに、「プラ」辺りまで入れると、「プラレール」が勝手に出てきて、ものを了解。そこで、Zoomの「画面の共有」機能を使い、実際に、アマゾンの「プラレール」の商品画面を見せながら選ばせることに。「画面の共有」を、こないな使い方ができるとは、、、、ありがたいこってす。これがいいと言った商品をスクショで撮っておいて、最後に、その画像から選ばせるという方法。考えてみたら、こんな方法、Ⅾも知ってしまったわけだから、これから、散々おねだりされそうです。Sは、傍らにいても、さすが、何をしているのか、いまいち解ってないでしょうね。そんなで、お誕生日プレゼントが決定。10月に入ってから、DとSを連れ出すことがあるので、そのときに持っていくことを約束。でも、ものが大きそうなので、困りそうだけど、何とかしましょう。毎回、Zoomでお喋りすると、記念写真タイムをとります。昨日は、珍しく、Sが変顔しない瞬間を捉えて撮ることができました。最近のSの写真は、ホント、変顔ばっか。こないだは、それを、Sに見せて遊んではいたんだけど、まとまな顔が可愛いものだから、残しておきたいんだよね。
 時系列的には、後先になるんだけど、午後の一時は、タイ系YouTuber氏のチェンナイ事情を示す動画、これが、1時間以上の大作。チェンナイ初心者向けの動画だと断っているにも拘わらず、親切じゃない。看板を掲げながら、当人たちは、そのような旅をしたことがないというのが丸わかり。先日も、旅系YouTuber氏が、クアラルンプルのセントラル駅についてのレポートをする動画を観たけれど、迷子になるわけじゃないところで、迷子になったと言って騒いでいる。その原因は、黄紺の目で見ると、全く、初めてのところに行くのに、下調べすらしていない。複数の路線があるなんて、思いもしなかったと見え、結局、混乱して迷子になるところと叫んでる。この手のものが多いような気がしてしまいますね、旅系YouTubeって。そんなで、ぷりぷりしながら動画を観て、というか、そんなにぷりぷりするなら、やめとけと、自分に突っ込んでしまうのだけど、観てしまっています。午後の一時の後半は、オペラ配信。先日から観始めている、バーミンガム歌劇場の「ラインの黄金」。舞台背後に置かれたオケ、その前でオペラが進みます。やはり、その円形舞台で芝居をさせることを主眼としたプロダクション。地下で、隠れ頭巾の効き目を実践させるシーン、これも、そういった舞台上で見せていました。まず、地下を表すため、全体の照明を落とし気味にして、円形舞台の周りに置かれているフットライトを点けるという方法、照明の工夫で対応。頭巾の効用を見せるところでは、低めの台を用意、大蛇では、その台に上がる、カエルのときは、その台をひっくり返し、4本の足の間に身を屈めるというもの。そして、捕獲するときには、4本の足に網を絡ませ上から押さえつけるという方法。ちょっとした工夫での対応で見せるというもの。そう言えば、巨人族は、建築現場の現場監督さんが着てそうなジャケットにヘルメットという、これは、衣装で違いを出していました。これらを、おもしろいというか、頭を抱えるかは、もう趣味の問題なんでしょうね。黄紺的には、全体的に「ヤンキー」的雰囲気にしてあるのに、付いて行けそうでないので、こういった工夫、どうでもいいやの感想、持ってます。
 台風は、結局、「寝ている間に通過する」というパターン。だから、よくは判らないんだけど、雨は降ってたけど、風は強く吹いてなかったというのが、目が覚めたときに感じたものでした。かなりの大騒ぎだったにしては、黄紺的印象では、そうでもなかった台風でした。台風一過、一挙に涼しくなっています。昨日は、TVの台風情報でも言ってたけれど、南風の引き込みが強かったようで、異様に蒸し暑かったもんね。その変化に戸惑っています。


2022年 9月 19日(月)午前 0時 00分

 台風が接近しているらしい。明日あたり、畿内に近づくのか、噺家さんのTwitterを見ていると、予定されていた落語会の中止の告知を出しているところがあった。とにかく、今日は、暑い。恐らく、これも、台風の影響と思われます。雨雲レーダーなんかを見ると、今日も、雨が降るような気配があったが、結局は、傘を持って出かけても、お荷物になっただけだった。そんなで、気にはなりながらも、午後にはお出かけ予定があったが、そのまま実行。京都市のイベントだった、暴風警報が出てないことだけは、念のために確認しておいたけれど、この天気じゃ出てるわけはなかった。ま、判っていながら、用心をしたというところでした。そのお出かけ前に、今日は日曜日ということで、「日曜美術館」を楽しむことに。今日のお題は「伝統で未来を拓(ひら)く 〜第69回 日本伝統工芸展〜」。1年に1回のお楽しみです。去年はなかったような記憶。一昨年の放送を観て、幾つかの受賞作品に目を奪われ、京都での巡回展にまで行った思い出がある。でも、TVの照明で観るのと、展示場の、ほとんど工夫のない照明にがっくり来たものだから、TVだけにしておこう、余程、気になるものがなければ、TVに限るという前提で、今回は観ることにしましたが、今年の感想は、それで十分かな。漆工品は、生で確かめた方がいいかなとも思ったのだけど、いやいや、惑わされないぞと、自分に言い聞かせました。前回同様、受賞作品16点を、全部、見せてくれました。時間の関係もあるでしょうし、番組の制作上、アクセントも必要でしょうから、扱われ方に温度差があるのは致し方ないところ。でも、時間をかけ、中には、MCの2人が、手分けをして工房まで訪ねるのもありだけど、それが、必ずしも、審査結果に対応していないのが、おもしろいですね。NHK独自の視点で温度差が出ている、なかなかおもしろい番組に仕上がっていました。そう言えば、前回もそうでしたね。紹介された16点は、次の通りです。①川邉雅規/硝子鶴首花入「凛然」(現代工芸の作家が伝統工芸に挑む、オーバーレイという技法を使い、ガラスを何度も重ねる、グラデーションに活かされ、また、削ると下のガラスが出てくるというおもしろさがある)②須藤靖典/乾漆蒔絵漆箱「果てしなき」③神垣夏子/籃胎蒟醬箱「幻想」(蒟醤〔きんま〕技法を使う)④新井寛生/乾漆螺鈿蒔絵箱「溢水」(アワビ貝の螺鈿)⑤田中義光/蒔絵箱「凛花」(輪島塗、漆黒の葉に赤い椿が映える、逆光に沈んだ葉、その先端にだけ金粉、それで、葉があるのは判る)⑥佐竹孝子/木綿風通織着物「宙」 (上下の柄をずらす、独特のリズム感が出る)⑦武部由紀子/刺繡着物「仰ぐ」(刺繍の着物、ゴシック式教会の光のさすイメージ)⑧松山好成/唐組帯締「潮騒」⑨満丸正人/木芯桐塑布和紙貼「夕浜」(今年度人形部門唯一の受賞作、何気ない日常の情景、沖縄の漁師を描く、戦前の写真を参考にして制作)⑩般若泰樹/吹分盤(金工、吹分技法による作品)⑪岡原有子/メロンとバナナ、帯飾り(1枚の金属からの「打ち出し」技法、メロンの筋以外をへこませるという製作法)⑫河野祥篁/透網代花籠「朝露」(竹細工、本年度受賞作品で最高の評価)⑬氣賀澤雅人/硝子切子鉢「波瑠璃」⑭林哲也/神代杉網代文様箱「朔望」(屋久杉・神代杉を使う)⑮五嶋竜也/白磁鉢⑯隠﨑隆一/備前白泥混淆花器(独創的な備前、伝統的な備前焼の土である「ひよせ/田土」に、従来使わなかった土との混淆土を使う、素焼きの上に混淆土を貼り付け、それをデザインとして使用)。この中で、一番、現物を観てみたいなと思わせられたのは①ですね。MCの小野さんが、工房まで訪ねて行っているので、製法も詳細に紹介されたからでしょうね。「オーバーレイ」を、実際にみせてもらえたけれど、整形してあるガラスの上に、頭巾を被せるように、新たなガラスを被せていく、こんなこと、よく考え出したものです。色違いのガラスを重ねていくと、色が重なり、微妙な色、その違いも出てきて、グラデーションが可能となる、ありえない着想です。( )内に文が入っているのが、主に工房までカメラが入ったものだけど、入っていないものにも、それこそ、超絶技巧が渦巻いてるんでしょうね。凄いわ!
 午後は、京都市学校歴史博物館へ。最近、ここでの公開講演会の案内を見ないと思っていたら、耐震工事の進行中。この12月くらいには、新たな企画展をしたいと言われていましたが、ということは、常設展だけで開館中なため、関連の講演会がなかったというわけです。が、今年は、京都教育史にはアニヴァーサリーの年、「郡中小学校誕生150周年」だそうです。それに合わせた企画展を出したいのでしょうができない、せめて、先行する形で、今日の講演会がもたれたという次第でした。題して「旧郡中小学校に伝わる絵画」。これは飛びついた。ここの常設展で、番組小学校には、黄紺でも知る大家の作品が寄贈されているということを知っていたからです。それだけ、教育への期待が高かったことの証明なんだけど、じゃ、番組小学校の周縁にあった郡中小学校も同じだろう、一体、どんな大家の名が出てくるか、期待のテーマでした。お話は、同館学芸員の森田淑乃さんと林潤平さんでした。林さんは、いつも出てこられる教育史の専門家。いや、ここの学芸員って、教育史の専門家しか知らなかった。でも、今日は美術史のお話、森田さんは、初めて見る方、というと、この博物館、美術の専門家を学芸員に迎えたかなと想像していたら、ドンピシャ! 所蔵品を考えると、その分野の方が要ります。そんなで、この講演会では、本筋に入る前に、京都の学校史の振返り、その中で郡中小学校なるものの位置付けがされました。これは、林さんが担当。そして、いよいよ、郡中小学校の持っていた作品の紹介、絵画としての注目点、それが、所蔵していた学校に来る契機(これの解明は、かなりしんどい模様)という具合に、お話は進んだのですが、出てきた作品群が、凄い、黄紺でも知るビッグネームが並びました。それらは、以下の通りです。なお、( )内は、所蔵していた小学校名です。①狩野栄信・養信/春景富士図(上段を栄信、下段を養信が担当、下段に並ぶ花や木は、実際にはずれて咲いたりするが、ここは一緒に並べている)(松尾小学校)②伝狩野永徳/雲龍図(崇仁小学校)③高田敬輔/虎図(高田敬輔は狩野派の絵師、京狩野4代目永敬に学ぶ)(御室小学校)④土佐光武/紫宸殿御庭前舞楽之図(嵯峨小学校)⑤富岡鉄斎/魁星図(「立志顕達」との文字が入っていたり、北斗七星(魁星もこれ)が表せられたりしていることから、学業成就の思いが込められている)(嵐山小学校)⑥榊原紫峰/梅に雀図(本日の秀逸)(錦林小学校)⑦小野竹喬/風景図(竹喬が等持院にアトリエを構え、子どもが通っている縁で、学校に寄贈した模様)(衣笠小学校)⑧山口華楊/富士図(山口は動物画で有名)(伏見南浜小学校)⑨長田紅霞/淀の水車(納所小学校)。開演前にレジュメを見て、「まじかよ」と口走ったメンツです。それに見合う作品群にたじろぐばかりでした。


2022年 9月 18日(日)午前 6時 43分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。でも、午前中に、オンライン配信の予約がしてあった。だから、それが終わってから、ルーティンにしているウォーキングの1回目に出かけたため、昼食は、ほとんど午後2時だった。それまで、空腹感を感じなかった不思議。ま、あんまり、普段から空腹感というものを感じたことがないものだから、気にはならない。そんなで、午後の一時が圧縮されてしまったけれど、土曜日の夜というのに、「ブラタモリ」の新作が出ないということで、めいっぱい午後の一時を取り、昨日のマッチのダイジェスト版を観たり、ちょこっとだけ、旅系YouTuber氏の動画を観てから、新作がないなら旧作を観ようじゃないかと、動画サイトにアップされている「ブラタモリ」の「境港・米子編」を観ることにした。とっても、意外性があり、おもしろかったものだから、楽しくって。皆生温泉のホテルの窓から、いい落ちがつくのが最高ですね。しかも、フェードアウトした中国地方の地図も見せられると、その落ちの地形がくっきり。いいものを観ることができました。
 時系列的には逆になってしまったけれど、午前中のオンライン配信は「福井大学 公開講座」。これは、福井の友人に、「こういった公開講座を楽しんでる」と言ったところ、「福井大学もやってたんじゃないかな?」と言ってたので、早速、大学のHPを見ると、ハイブリッド開催のものがあり、且つ、あまり、こういった公開講座では聴けない言語学のお話があったものだから、飛びついてしまいました。「日本語と福井弁~世界の言語の中の日本語と日本語の方言の中の福井弁~」というお題で、同大学国際地域学部講師のヘネシー・クリストファー・ロバートさんのお話を聴くことができました。ロバートさんは、アメリカ出身で、日本語学・日本語教育の専門家。お話は、まず、「語族」からと、壮大な展開。その中での日本語の位置。「アルタイ語族説」から始まり、「孤立した言語群」としての取り扱いがあるとのお話。日本語と琉球語は兄弟、八丈語も、もちろん朝鮮語を含めて「孤立」と表現される一方、所属は不明とのお話、その理由は「資料不足」。古事記以後では、資料が足らない。今後、木簡などの発見が増えて行くと、明確化されるかもしれないとの見解。これは突っ込みどころが多い。1つに、「資料不足」というのなら、逆に、何で「アルタイ語族」かもというのが残るの? 資料があるからこそ、グルーピングが進んでるんでしょと言いたくなった。2つ目は、テュルク系言語の最古の文字史料は、著名な「オルホン碑文」、これ、8世紀だよ。古事記と変わらないじゃん! それで、資料不足はいかがなものか? 3つ目、日本語の特徴として挙げられたのは、膠着語(⇔自立語)、CVパターン(このタームは調べても判らなかったけど、子音が繋がる繋がらないの問題らしい、日本語は繋がらないですね)、あれ? 肝心の母音は? トルコ語は母音に特徴があるのに、なぜ、省くの? 最後の質問コーナーで、これを書いて、「これで、アルタイ語族から分けるというのにはならないのか?」を送ったのだけど、「資料不足」を繰り返されただけで、この母音の問題はスルーされちゃった。それは違うなら違うと言って欲しかったのに、、、、! この語族の問題、とっても関心があるものだから、教えて欲しかったな。後半が方言、そして、福井弁へとの展開。論理的に詰めが丁寧で、方言とは、方言区分、福井弁が含まれる北陸方言の特徴と、徐々に枠を狭めていかれました。ただ、福井という土地の西半分ほどの嶺南は、京阪方言だそうです。方言でも、若狭地方は、越前とは異なるということですね。同じ越前でも、沿岸部の福井市、鯖江らの地域と、内陸部になる大野では異なるということでした。具体的な福井弁の特徴は、そうなのという感じで聴くしかありません。福井弁に、何らの思い入れがあるわけではないので、ここは聴くだけ。ロバートさんが、なぜ、福井弁に、方言に関わるのかというお話が、最後に出されましたが、これがおもしろかったですね。方言というものが、人間関係にどのように関わるかという、方言社会学のお話です。そのため、方言に対する意識調査、インタビュー、観察などをしながら、フィールドが福井ですから、福井の人たちに接しながら情報収集をされているそうです。調査法も例示されていました。福井県内、県外出身者に分けたカテゴリーでの方言に対する意識、外国人在住者(ベトナム人が県内では最多とか)への聴き取り調査とか、おもしろい視点で調査されています。今、考えてみると、ドクター論文作成は大阪大学でされているそうで、フィールドとして福井を選ばれたのかな、いや、福井に居るからという単純な理由で福井をフィールドにされたのかな? いずれにせよ、福井をフィールドに選ばれたわけを聴けなかったことが惜しまれます。これ、質問すれば、スルーされなかっただろうに! 会場には、学生さんも聴いているようだということが判り、講演の組み立ては、その人たちに合わせたもののようでした。それだと、オンライン配信で聴いている者にも、丁度、いいですね。


2022年 9月 17日(土)午前 7時 57分

 昨日は、落語会に行った。今月で4回目となります。しかも、夜公演。週に2回目となる、夜の落語会、これは、コロナ禍では初めてのはず。これがあったため、午後の一時は、かなりの短縮。致し方ありませんが、その午後の一時でも、落語関連YouTubeを主として観ていました。なかでも、ABCラジオのチャネルで、「金曜演芸もん」の動画を観たのが印象的。ゲストに笑福亭喬介が出るというので、飛びついた。最近、喬介が、思わぬネタを手掛け出しているという情報は掴んでいた。「はてなの茶碗」「算段の平兵衛」「立ち切れ線香」と続いた。喬介とのトークのお相手は、上方落語通の桂紗綾アナだから、この試みに飛びつかないわけはないのが、お目当てだった。そういったなか、喬介の話していたことで印象的だったのは、客席の反応。だって、これらのネタが、予め発表してなかったものだから、好事家はマクラで、あれこれと探る、これは楽しい作業。それを承知で、ネタ出ししてないものだから、客は探る。そういった環境を作っておきながら、話者の立場から、客席の反応を楽しんでいるのです、落語家さんは。「立ち切れ線香」は、米團治からもらったからでしょう、それを出すときに、米團治をゲストで呼んだところ、米團治のネタが「稽古屋」。「花街に繋がりそうな噺が出たからといって、その手の噺は出ないと思わないように」と言いながら、お茶屋の花代についてのトピックを触れないわけにはいかないので、マクラでそうしたときの、客席の空気が変ったという話はおもしろい。だって、喬介には似合わないと思えるネタだったからです。考えてみれば、「はてなの茶碗」「算段の平兵衛」も同様ですね。だから、「まさか」が出てしまう。そして、「大丈夫?」と思ってしまいます。そのときの雰囲気、想像できてしまいます。この雰囲気、その空気の中にいたかったなぁ。この番組への登場は、落語会のPRも兼ねているので、新たな会が迫っているということ。またぞろ、喬介カラーに合わないネタが、近々、出て来そうです。何が出てくるか、予想するだけでも楽しいものです。いくらなんでも、芝居噺はないとして、予想を立ててみましょう。「愛宕山」「親子茶屋」「らくだ」の3つを上げておきましょう。
 夜の落語会は、京都府立府民ホールアルティであった「おもしろハッピー落語会 in 京都」。NHKの受賞者3人が出るというのが売り物だった。けど、入りは良くなかった。胡散臭いユニット名が邪魔をしているのか、二葉が入っていても、その功力も通用せずというところ。KBS京都の「まーぶる」で、2週連続で宣伝しても、しかも、九ノ一、雀太も出演しても、ダメだった。それはそれとして、でも、落語会としての質は高いのは、行く前から判っていたけど、やっぱ、このメンバーはいい。その番組は、次のようなものでした。九ノ一「御公家女房」、華紋「ふぐ鍋」、雀太「粗忽長屋」、(中入り)、源太「湯屋番」、二葉「金明竹」。九ノ一は、例の飲料を一飲みしてきたなという感じの登場。でも、二葉に見つからなかったのかとも思ってしまった。NHKの予選が近づいているというので、そこでの演目、時間調整もしているはずと思いながら聴いていたけれど、これじゃ、時間大丈夫? 長いんじゃないのと感じてしまいました。ただ、高座は申し分なしと思いながらも、この九雀による「延陽伯」の改訂版のテキストに出てくる「チラシ」が、いつ聴いても、しっくりこない。今回も、やっぱ、しっくりこなかった。なんでなんやろ? 華紋は受賞ネタを出してくれた。九ノ一のNHKの前に触発されたのかな? 短縮版は聴いたことがあったけれど、フルヴァージョンは初めてのはず。思いの外、濃~いものだった。後半、実際に食べる場面。結局、旦さん、ずるをして、食べなかった。大橋さんだけが食べるというのは、初めての遭遇。濃い演出は数多あるけど、この型をする人、いるのやろか? 雀太は、マクラで感染経験を喋ってくれた。なかなか、陰性にならなくて、また、結構、症状が続いたようですね。復帰後、さほど時間が経ってないけど、雀太の場合、他の理由でリタイアすることがあるから、さほど響かないはずと思いながら聴いてたんだけど、以前に「粗忽長屋」を聴いたときよりも、明らかに長い。なかなか男が、死んだ男を呼びに戻らない。聴かせどころなんだけど、長いと感じさせては、やり過ぎじゃないかなぁ。源太は、コロナ禍前に聴いているけど、随分とイメージが違った。めっちゃ上手い、落研上がりという感じになってた。ましてや、ネタが「湯屋番」なものだから、余計、その印象が強くなった。この具合だと、九ノ一の4人目は大丈夫にしても、源太の5人目は厳しいと思ってしまった。「二葉がトリ」というのは、「まーぶる」で予告されていた。マクラで、例のタクシー運転手のトピック、ラジオでは語れない「ある情報」を付け足してくれました。それにつけても、京都は、二葉にとっては、ホーム感がいっぱい。このタクシー運転手、そして、北山界隈で住んでた頃の隣の子せがれと、ネタになっている。「金明竹」は、最近、やり倒している。トリだから、他のネタかもと思っていたけれど、この「金明竹」、終わってみると、十分、トリネタになっている。序盤の仕込みから、中盤の入れ違い、そして、金明竹の下りと、二葉の口演には変化があったのが、そう思わせられるのでしょうね。なかでも、終盤の御寮人がいい。女性は演じる機会が少ない二葉だけど、「仔猫」のおなべ、「子は鎹」の母親、そして、この御寮人、いずれをとっても、秀逸。御寮人の、微妙に落ちるテンポが凄すぎた。ほんのりと大人の女の色気すら出てる。二葉の「金明竹」を聴いた人が、「″ひょうごの、ひょうごの″が耳について離れない」と書いている人がいたけれど、あの定吉の声と、御寮人のテンポが好対照になってるから、御寮人の色気が出たりするのでしょうね。また1つ、二葉のお薦めネタが増えてしまいました。


2022年 9月 16日(金)午前 7時 20分

 昨日もお出かけ。午後に、市民向け公開講演会に行っただけはなく、夜には、オンライン配信を予約してあったので、かなりタイトな一日となりました。まず、午後の講演会は、滋賀県主催の「花湖さんの打出のコヅチ」という文化財講座。昨日は、「琵琶湖文化館収蔵品にみる四季と年中行事」というお題で、琵琶湖文化館の田澤梓さんのお話を聴くことができました。年明けに、安土城考古博物館で「琵琶湖文化館収蔵品にみる四季」という企画展が予定されているということでの関連企画のようです。琵琶湖文化館自体も再開が日程に上がってきているということも関連があるようです。お話の第1部は、同館所蔵で、企画展の目玉となる、月岡雪鼎(つきおかせってい)の「十二ヶ月図屏風」を扱うお話。月岡姓が気にかかるので調べてみると、月岡芳年は、一説には月岡雪鼎の長男と出てました。大坂画壇を代表する作家のようで、風俗画を得意とする作家だそうです。この屏風絵は、「月次絵」というジャンルの作品で、四季を、更に細分化したもの。中国に基はあるようですが、日本では、平安時代から登場して、やまと絵の一つのジャンルとなったようです。このジャンルの作品には、自然を柱としたものと、人事を柱としたものがあるそうですが、月岡雪鼎は、その両者の混交を試みた作家さんだそうです。12ヶ月分の絵を、順次、チェックを入れるお話があったのですが、またしても、一番の「コズ」となるお話で、今回も寝落ちをしてしまいました。午前中に、頑張ってウォーキングをしたためか、お出かけ時間から眠かったもので、どこかでやるなと思っていたら、ここででした。第2部は「近江八景図」。起源として挙げられたのは2つ。1つは「瀟湘八景」。中国の洞庭湖界隈の風景をピックアップしたもので、これは了解。でも、ここに、「夕照」「晴嵐」等々、「近江八景」にも使われるタームが揃っている。ここまでパクっているとは知らなかった。もう1つ、大事なことは、「瀟湘八景」には季節感がないこと。この系譜が、2つ目の「近江名所図」。元々は、大嘗祭用の「悠紀屏風」って、悠紀が近江固定だったことから生まれた「月次近江名所図」だったそうで、こちらには、その季節感がある。で、「近江八景」だけど、「三井晩鐘」の季節は「春」だそうです。能「三井寺」が「秋」の能だから驚きました。奈辺で、「春」から「秋」に化けたのでしょう。この第2部では、琵琶湖文化館所蔵の「近江八景図屏風」(吉田元陳筆)などが紹介されていました。第3部は、「現代の作品から」ということで、揉み紙作品となる「湖上の春」(松田喜代次作)が印象的。「揉み紙」という手法が、とっても新鮮でした。
 夜のオンライン配信は「京都大学人文研アカデミー」。「近現代中国研究の最前線──現代中国研究センター設立15周年 連続セミナー」という名で、連続的にハイブリッド開催されているもの。黄紺は、オンライン配信を申し込んであるのですが、これ、失敗だったな。あまりに音声環境がよろしくありません。幸い、要点を押さえた、いいレジュメをいただけた(これ、始まってから、チャットにURLが出されて、初めてゲットできた???)ので、それを参照しながら、聴こえないところを補うしか手はなかった。これ、こういったレジュメが、毎回、配布されるわけではないでしょうから、以後の配信は不安だらけです。昨日の講演は、「中国経済の特徴は何か──中国近代史から考える」というお題で、京都大学人文科学研究所の村上衛さんのお話がありました。お話の大部分は、中国経済の研究史。それをふり返り、村上さんら、現代の研究者が、分析の「コズ」にされている「制度」を取り扱うわけを話されていたと言えばいんじゃないかな? ここで使われる「制度」とは、「慣習・常識・規範・秩序・行動パターン」を意味するとの説明が、冒頭部でお話がありました。そんなですから、改革開放以後の中国経済の特徴を知るなんて、狭いエリアを探求の対象にされているのではなく、明清時代から続く、中国経済に息づく特徴を絞り出そうとのお考えなのです。そこに至るためには、研究史が要るというコンセプトだったと思えました。西欧や日本の展開がスタンダードではなく、それらが特殊だったのじゃないかとか、だから、日本と中国経済の特徴を比較するとか、そういった際に、なんとか量とかいう定量分析というのは、それが可能な史料が残っていないとできないのであって、それができるのは、西欧と日本だけだそうで、となると、分析の手として使えないというところからの発想のようです。細部に関しては、理解すること自体、難解なものだったうえ、そんなものをメモることは、大部過ぎてできないけれど、考え方の持って生き方、その柔軟性を知ることができただけでも、このオンライン配信を視聴して、正解だったと思います。こういった先端にいる人のお話を聴いたときに思うことですね、この講演は、間違いなく、その1つだったと思います。


2022年 9月 15日(木)午前 6時 27分

 昨日は、朝からお出かけ。しかも、ハシゴをしてしまいました。朝からのお出かけとなると、定番のアスニー山科。アスニー京都の方は、最近、行ってないですね。同じようなイベントがあるんだけど、関心のないものが続いているので、かなりのご無沙汰です。昨日のアスニー山科は、「御触書にみる江戸時代の京都~享保期を中心に~」というお題で、関西大学文学部教授の小倉宗さんのお話を聴くことができました。「御触書」と聞いて、黄紺などは、「高札」を連想してしまっていたのだけど、そうではなく、今で言う「回覧板」に近いもの。紙に認めた文書のことだそうで、お上から市民に対して周知すべきことを示したものということでした。お話は、「御触書」が出された江戸時代の京都の構造から進み、これが、なかなか大部な内容だったため、肝心の街の生活を知ることになる「御触書」の内容には、あまり入れないで終わるという、ちょっと悲しい進行。京都の町の構造として、よく使われる「洛中洛外」の説明から。「洛中」とは、秀吉が地子(固定資産税)を免除した地域。市中部分が拡大したために、その地子適用範囲が、家光の時代に拡大され、それが「洛中町続」、それと、周辺の山城国8郡の村落を指す「洛外」という構造。「洛外」は、四条室町を基点に、4区分されていたそうです。それらの区域が、更に「町組」に分かれ、その町組に対し、京都奉行所から出された「御触書」をチェックしようというもの。行政の組織も、お話が詳しくありました。京都は幕府の直轄地であり、京都所司代が統括、その下に京都奉行所があり、、、というお話ですが、京都所司代って、幕末には会津藩主が務めるということで高位の役職だとは思ってはいたのですが、江戸幕府のナンバー2だそうです。老中の次という位。実際の御触書点検の中で出てきた京都所司代は、後に老中に出世してました。そういった「御触書」を、全部残している町代がいたそうで、それが、京都の町の様子を知る、大きな手がかりになっているそうです。そういった丁寧な家って、どこかにあるものなんですね。この「御触書」の前提となるお話の後半、若干、居眠り。だって、なかなか、肝心の「御触書」に入らないものですから。具体的に取り上げることができた「御触書」は3点。①新京都所司代赴任に関するもの②それに応じて、妙法院(天台座主を出す寺院、方広寺大仏殿、及び界隈を寺域とする、京都国立博物館から三十三間堂一体を寺域とする広大な寺院があったと聞きますが、その寺のよう)の提出書類③高瀬川近辺の町々に出されたもの。①は、お迎えのため御陵(天智天皇陵)まで迎えに出ることを求められている。また、前所司代の時代に出されていた制札の写しを提出せよというもの。「制札」とは、禁止事項を認めた高札のことだそうで、各寺社に許されていた禁止事項がおもしろいというのでのピックアップ。その内容の一例が②。落書きをするな、寺域で寝そべるな、寺域で牛馬を飼うな、火遊びをするなという、とっても下世話な内容。禁止するということは、そないなことをやらかす輩がいたということですね。③も下世話な内容。高瀬川にゴミのポイ捨てはするな、掃除をした砂やゴミを高瀬川に落とすなというもの。舟運のじゃまになったのでしょうな。そういった市井の暮らしが判るものが取り上げられていましたが、一方で、享保期は政治が動いた時代。国政に拘わる通達も、こういった「御触書」に認められているそうです。今で言う「国勢調査」に相当する調査も行われており、吉宗がデータに基づく政治をしようとしている姿が垣間見えたり、幕府への納入金などには、三井の両替店が使われている、三井が、幕府のメーンバンクぶりを見せていることも判るとか。その一方で、今の市民サービスにも繋がるゴミ問題を扱う③のような「御触書」も出ているということで、現代の政治に繋がるものも、この時期に出始めているというまとめでした。
 アスニー山科を出ると、JRで一駅移動、京都駅へ行けるということで、美術館「えき」KYOTOへ。今、こちらで「シダネルとマルタン展 最後の印象派」が行われているのです。アンリ・ル・シダネルとアンリ・マルタン、いずれも知らなかった。いや、知らなかったからこそ、観ておこうという気になってしまいました。狭い美術館に77点もの作品が並ぶという情報を得ていたので、小さな作品ばかりじゃないか、混み合うと困るなとの気を持ちながら行ってみたのですが、どちらも杞憂でした。狭い通路にはなっていたけれど、レイアウトが上手く、そこそこ人は入っているのだけど、混み合うまではいかなかった。でも、入っているのは、殆どが若い男女、これは驚きました。印象派ですから、最初から最後まで点描。一部、「アンリ・マルタンの大装飾画のための習作」や「家族と友人の肖像」というコーナーではそうではない作品がありました。アンリ・マルタンは、公的施設や個人宅の壁画を多く残しているそうです。風景を描くにも、北フランスから南フランスと、異なった地域を、多く描いてるなという印象。南仏でも、柔らかな農村の風景が続くかと思うと、一転、急峻な崖に聳える教会堂、その崖下の海を描いたりと、変化が多い。お金になること、やってるなの印象。シダネルは、20世紀に入って少ししてから、人物を作品に入れなくなっていったそうです。その心は、説明文にはなかったので判らないまま。しかも、人の気配がするのも、遠目の家に明かりが点いている程度。ストイックと言っていいのかどうかすらも、判断できなかった。2人の作品、途中で気付いたんだけど、共通しているのは、人が入っていようがなかろうが、動きが感じられなかったこと。空気の流れも含めて。印象派の作品ってそうなのかなぁ。動きのあるはずの作品でも、止まっている。瞬間を捉えたと言うと、前後の瞬間を意識してしまうから、書きようが悪いのかもしれないから、どのように把握すればいいか、よく判らないけど、止まってると感じてしまいます。止まってるけど、陽の光、月明かりを浴び続けていると感じてしまう絵ですね。気に入った作品、まずは、2人の逸品と思ったもの。シダネルは「ビュイクール、月明かりのなかの教会」(この作品だけが展示の中で浮いてしまってるような印象、とっても幻想的)、マルタン「野原を行く少女」(体に巻いた花飾りの華やかさが何とも言えない、入口に置かれていて、最高の掴み)。マルタンの作品は、あまり乗れなかったけれど、シダネルは、あと2つ追加。「イゾラ・ベッラ、ぶどう棚」と「サント・ロペ、税関」を上げたいと思います。
 場所が京都駅だったもので、帰りは、ウォーキングがてら歩いて帰ることに。昨日は暑かったけれど、休憩なしで最後まで。おまけに、いつもだと、このコースに、いつも行くマートを入れるのだけど、昨日は入れなかったため、一時なりとも、体を冷やす時間も取らないで完走。汗の量が、思いの外、少なかったということは、乾燥してたってことか、暑くても吹く風が違うということで、僅かでも秋に近づいているということなのでしょうか?


2022年 9月 14日(水)午前 6時 27分

 昨日は、映画に行こうかな、どうしようかなと思いながらも、予定表には、一応、「映画」と入れてあった日。この映画は、必ず観るつもりをしているもので、だけど、お出かけが、最近、多いものだから、躊躇いがあったのです。しかも、その映画、上映期間が流そうと看えていることもあり、今日でなくてもという気もあったので、結局、止めた。昨日が火曜日だということが、判断するときの大きな材料になったことは否定できないですね。しかも、YouTubeの動画で、ここにきて観たいものが溜まってきているということも影響してしまった。そんなで、結果として、昨日は、お出かけなしの一日。すると、いつものように、日に2回のウォーキングだけが、外出時間。あとは、自宅に籠り、Radikoで、ひたすら、KBS京都の「まーぶる」を聴いていた。特に、昨日の放送が聴きたかったというのがあったのが、映画を他の日に回そうという気になった原因。一昨日は、ABCホールで「桂二葉独演会」のあった日。絶対、番組の中で、この会が話題となるはず。ひょっとしたら、梶原アナも、その独演会に行ってるかもしれない、いや行ってるだろう。去年の独演会に行ったと、何度か、番組の中で話してたから。となると、益々、盛り上がるはず。しかも、この独演会には、柳家権太楼師を、ゲストに招いている。その様子も知りたい。「#二葉」で検索をかけると、続々と、独演会の様子が伝わって来てはいたのだけど、生の声で知りたいと思うわね、誰しも。「#二葉」で得たツイートでは、どうやら「仔猫」が、素晴らしい出来だったようですね。番組を見ると、権太楼師との対談をしたあとの高座で、そういった出来というのが、凄いね。ハートの強さを見る思いがしました。番組では、冒頭から、やはり独演会の話題。梶原アナだけではなく、ラジオカー担当の吉野ちゃんも招待されたそうで、梶原アナと並んで聴いていたとか。その梶原アナの声も、会場に流れたそうです。前日に、この会のお世話をしている「さかいひろこworks」のTwitterに、「開演10分前くらいにはお席にお付き頂きましたら、ちょい面白いことが聞こえるかもです」とあったので気になってたら、これが梶原アナの声での出演となったようです。事前に録音してあった、二葉との掛け合いで進める「ラジオ・ショッピング」。会場での物販をしていることを告知する内容。この「ラジオ・ショッピング」を休憩時間に流すというのは、東京の一人会でやっているという情報は掴んでたんだけど、「ここに梶原アナを登場させるか」と、そのアイデアに脱帽しました。場内放送は、中入り休憩時にも流されたそうです。これも、曰くありげに、「さかいひろこworks」のTwitterに事前告知されてありました。でも、この「ラジオ・ショッピング」には台本作成者がいるそうで、かなり周到な準備がされていることに、びっくりしました。気合入っています。二葉のTwitterには、終了後のスタッフの揃った写真が貼り付けてあったけれど、二豆と豊田公美子さん以外のスタッフの多さに、正直、驚きました。事務所を移って以後、落語会には、その事務所は関わらないそうだから、どうしてるんだろうかと興味津々となっています。「さかいひろこworks」って、ここまでの体力、持ってんの? いや、持ってないとできないでしょうね。権太楼師の発言も、梶原アナのメモという形で披露があった。リップサービスもあるだろうが、ウソは言わないだろうしと、そういった気で聴くことができました。でも、よく来てくれた。しかも、濃厚接触者認定明けの際どいところでのスリル満点の展開でもありました。自身の高座では、そのことでマクラを振っての大サービスだったようです。実は、この会のチケット、買いにくいなか、黄紺は買えたのです。「まーぶる」聴取者用先行サービスなんてのをやってたので、試しにアクセスしたら買えることが判ったけれど、買わなかった、そこで止めた。大阪に行くのが嫌だったのと、権太楼師を呼ぶことに興味が惹かれたと同時に、聴きたくもないとの気持ちも生まれたのでした。同じ審査員をしていた文珍の方だったら、行ったかもしれないなとは思ったのですが、これも、実際、そうだったら行かんかったかもしれんけど。なんで、聴きたくもないと思ったのか、後から考えると、よく判らないのです。大阪じゃなかったら、そうは思わなかったかもしれないかなとは思います。なんか、変な気持ち。とにかく、昨日は、どんなだったかが気になって仕方はなかった、だから、「#二葉」で検索かけたり、「まーぶる」を聴きたくなったのでしょう。


2022年 9月 13日(火)午前 6時 41分

 昨日も、落語会に行った日。これで、今月3回目。凄い! 昨日は夜だったもので、午後の一時を短めにしただけ。1週間に2回目となる夜のお出かけとなると、時間配分など、要領を得てくる。昼前のウォーキングまでは、普段通り。午後の一時も、YouTubeで旅系動画を観るのを、ほどほどにして、オペラ配信を観ることに。「Oper Vision」に、「指環」から2本、相次いで公開されたものだから、しばらくは、ワーグナーに浸ることができます。その1本目は、バーミンガム歌劇場の「ラインの黄金」(リチャード・ウィラシー演出)。サムネイル画像を見ただけで、ちょっと引き気味。というのも、現代の夏の海辺を思わせる衣装だったもので、「おもしろそう」よりか「胡散臭そう」が先に立ってしまった。そんなで、若干の躊躇いがありながら、「指環」には順番ってものがあるということでのチョイス。巨人族の兄弟とのやり取りの最中で時間切れになってしまったのだけど、やっぱ、懸念が当たったっていう雰囲気が出ている、ここまでは。舞台の背後にオケを置き、その前に円形舞台が配備されており、装置はなし。その上で、先述の衣装で登場するというもの。3人のラインの乙女は、筒状のバケツのような容器の中に立って歌ってました。アルベリヒは、敷舞台の下から現れ、ラインの乙女とやり取りする。今のところ、簡易舞台の上で装置なし、軽い現代風衣装で、芝居をさせるという演出です。ただ、このあと、このオペラは変化があるので、それをどうするか、それを楽しみにして観ることにします。とにかく、ここまでは、居眠りが出ても仕方なしという具合でした。
 夜の落語会は、久しぶりに行った「第27回しがらくご」(スカイプラザ浜大津)でした。前に行ったのが、確か夏の終わりだと記憶しているので、1年ぶりとなるのかな? なんせ、この落語会の情報が掴みにくい。行くと、次回のお知らせをもらえるのだけど、行かないと、途端に情報が切れる。頼りは、紅雀のTwitterだけなんだけど、黄紺的には、紅雀のTwitterって、そんなには追いかけてないものだから、開催日を把握してなかったり、把握しても、直前で手遅れだったりで、こないに時間が開いてしまいました。で、昨日の番組は、次のようなものでした。歌之助「太鼓腹」、紅雀「青菜」、そうば「踊る手」、二乗「崇徳院」。歌之助は上がるなり、二乗の失態をバラしました。自宅が京都だということで、太鼓の用意は二乗の担当。だけど、昨日は、太鼓は間違いなく持ってきたけれど、自分の着物一式を持ってこなかった。歌之助曰く「ネタ出しをしている“崇徳院”は、紅雀兄さんも自分もするから、(着物を取りに行って)戻ってこなくてもええんやけど、戻ってきました」に、大笑い。だけど、これ、二乗らしいから、余計に笑える。歌之助の「太鼓腹」は初もの。加齢のせいか、覇気という点では、若干の陰りが出てきたかなという歌之助ですが、どんなネタに対しても、器用にこなしてしまう。幇間ものというネタは、歌之助落語にはなかったカラーだけど、楽しく華やいだ雰囲気を作り出してくれました。「青菜」、今年は、行く落語会が少ない関係か、ようやく夏の終わりに遭遇できました。冒頭、「植木屋さん、植木屋さん」から入る前に、植木屋さんの仕事ぶりを入れるというのが紅雀風か。しかも、ミスった瞬間に、「植木屋さん、植木屋さん」と声が掛かる趣向は、秀逸。紅雀の口演は、植木屋さんデフォルメ・ヴァージョンと言えばいいかな。位の違いから出てくる笑いが身上と考える黄紺には、あまり喜ばしいテイストじゃない。でも、この口演、おもしろかった。だって、植木屋さんを、アホに描くのって、紅雀キャラに合ってるようで、紅雀に、それ以外のテイストを求めること自体が間違ってると思ったからです。そうばは、コロナ禍で読書量が増えた結果、藤沢周平作品が落語になると思い、創作。但し、著作権の関係で3年契約を結んだそうです。だから、「3年間しかできない」「その間にやりたおす」ということで、次回のネタ出しも、その内の1つ。2つ作っているそうだから、この会で、2つとも聴けることになります。今回の作品は、借金返済ができず、夜逃げをした家族が残していった婆さんと、その婆さんになついている子どもの触れあい物語。途中、怖いお兄さんが、婆さんを見張り、夜逃げをした夫婦が戻ってこないか監視してるけど、結局、その男絡みのトラブルは起こさないまま、無事に迎えが来るというので、ちょっと肩透かし気味。人情噺に仕上がっているけれど、その婆さんを残していくというプロットに、どうしても馴染めなかったなぁ。そして、問題の二乗。マクラで、着物の一件をお喋り。だけど、尻切れトンボで終わるのが二乗らしい。あやふやな話から、ネタに入ると、一転、かくしゃくとしたお喋りぶりになるのも、二乗らしい。しっかりとしたお喋りなものだから、間に入る定番のくすぐりが邪魔になるほど。せっかくの流れが、それで途切れるのが邪魔だと感じさせられてしまいました。それだけ、筋立て、噺の流れが、しっかりと押さえられた口演だと言えるのです。ならば、数を減らせばいいのにと、くすぐりが入るたびに思ってしまいました。最後は、元のままというのも嬉しかった。縁起が悪いとか言って、下げを省いたり変えたりする人が多いけど、きれいに落ちるので、黄紺的には、本来の落ちが好きなものだから、それが出ると嬉しくなっちゃいます。
 月曜日の夜と言えば、米朝事務所のYouTubeチャンネルで生配信がある日だけど、昨日は、ほんのさわりを視聴しただけ。今日のお楽しみなったけれど、冒頭で、「ABCホールに行っている人の分だけ、少ない」と、二葉独演会とバッティングしていることをネタにしていたのが、傑作でした。これ吉の丞が言うと、横から米紫が「繁昌亭の方も言うたって!」と突っ込んだ。雀三郎・雀太親子会があったのです。それを聴いた黄紺、「しがらくごも入れたって!」と突っ込んでしまいました。でも、繫昌亭は雀太、しがらくごは二乗と、いずれも、二葉と深い関係がある噺家さんが出ているのが、一番、可笑しいところですね。


2022年 9月 11日(日)午後 11時 38分

 今日は、落語を聴きに行った日曜日。午後に、京都府立文化芸術会館に行ってきました。今月2回目、先日も、今日と同じ文化芸術会館だった。3階の和室が、落語会を開くのに格好のスペースなのです。和室で、直に座るということがなくなってしまった生活をするようになってから、こういった落語会でだけ、和室に座るようになったものだから、身体がついていかない。腰を下ろして座ること、そこから立つこと、長時間、座布団の上に座り続けることが、かなり困難になってきている。でも、先日の落語会で経験したからでしょうか、どうした座り方をすれば、少しでも長く、同じ態勢でいることができるかを学習できたので、今日は、先日よりも楽な時間を過ごすことができたけど、座るとき、立ち上がるときは、ホント、気合が要ります。下手すると、足がつってしまう。そんなで、今日の落語会は「京都芸館 南天の会」。以前は、護王神社で、定期的に会を持っていた南天だけど、ご多分に漏れず、コロナ禍で消失。でも、復活の気配らしきことが起こりました。1本目の落語のマクラで、次回、文化芸術会館の予約を入れようとすると、使用希望が多いらしく、思い通りに取れないかことをぼやくと、どうやら、護王神社での会でお世話をされていた方が、今日の会場に来られていたらしく、一時的か、恒常的かは判らないのだけど、来年の1月に護王神社で会をするような話が、中入り休憩時間に発生したようです。これは慶事です。ま、行方を注目することにしましょう。で、今日の番組は、次のようなものでした。天吾「うなぎ屋」、南天「ちりとてちん」、米二「天狗裁き」、(中入り)、南天「算段の平兵衞」。天吾は、コロナ禍の前にも後にも聴けている。その時期に修業期間が重なるというのに、偶然とはいえ、おもしろい遭遇の仕方をしています。この春に聴いたときよりも、溌剌感が素晴らしい。若くて意気がいい。弾けるような口演。ここまで、こういった言葉を並べることのできる若手って、そうはいないでしょう。南天の「ちりとてちん」は、何度か聴いている。前半のべんちゃら尽くしの間に「お誕生日、おめでとうございます」を、しつこく入れる、しかも、その言い方を、各々、微妙に変える業師ぶりは、健在。それを聴けただけで、コロナ禍を生きぬいたかいというものがあります。こういった細かなくすぐりの積み重ねには、腐った豆腐のえげつなさを、大仰に表すのが呼応しているのでしょうね。と考えると、やっぱ、南天落語は、よくできている。米二は、今月3回、遭遇することが確定している。他の2回は、先日の「足上がり」と「まめだ」というネタ出しをされている。が、今日だけ、ネタ出しなしなもので、この2つとバッティングしないことだけを願っていたら、その願い通りになったけど、「天狗裁き」は、米二の持ちネタでは、最多じゃないかな、遭遇経験が。出されてみると、やっぱりとなったけれど、コロナ禍のため、何を聴いても新鮮に聴こえてしまう。今まで気付いてなかったことが1点。次なる人物が夢を聴こうとするときに、米二は、表情で、聴くことを示唆してました。これは上手い。メリハリも着きます。次なる展開は予想できるだろうけど、その表情一つで、「来たか」ということで、笑いが生まれます。いいね、この演出。今までやってたのか、やってて気がついてなかったのか、それとも、ここに来ての新演出? 黄紺には判らないけど、ええもんはええです。このコロナ禍で、同じ文化芸術会館で、米二を、計3回聴いたかな、「御神酒徳利」「足上がり」で、この「天狗裁き」なんだけど、 前の2つのレベルを、かなり上回る口演と看ました。十八番だとは言え、とってもグレードの高い口演を聴け、大満足。トリの「算段の平兵衛」はネタ出し。これを狙って、この落語会を選んだと言っても過言ではありません。「算段の平兵衛」と言えば、米朝師から可朝に伝わり、すっかり月亭のネタになったという印象が強いもの。それだけ、可朝の功績を実感できるネタと思っています。南天の口演は、米朝師から月亭へと伝わるテイストとは異なるものだという印象を持ってしまいました。南天は、細かな描写の補足を入れて行きます。その狙いは、登場人物のキャラ、行動、そういったものを、より活写する狙いと看ました。で、それは、「蒙きを啓く」という感じで、細かな補足的描写が、そのための「明かり」「光」のように思えました。この手は、一つの見識かと思います。幾人かの登場人物を写実的に描くには欠かせないことと思う一方、この噺には大事な「闇」とか「暗さ」が失せて行くなと感じました。この噺は、ピカレスクが主人公です。この物語が生きた時代、社会、言い換えるとヴァナキュラーな世界では、こういった男や女が闊歩しているのが日常だったと思います。円朝ものも、そういった世界を背後に受けたものが当たり前のようにあるのじゃないかな。そういった「闇」が「暗いまま」だった世界の物語が「算段の平兵衛」じゃないかなと思っています。そこに「明かり」「光」が入っちゃうと、物語の世界そのものを消してしまってるように思えてしまいました。按摩の徳さんを出しました。強請にかかります。またぞろ、ピカレスクが増えました。ただ、下げは、本来のものではなく、取り調べの役人を出し、最初は、平兵衛をしょっ引くために出てきたと思わせておいて、捜査の算段の依頼だったという下げにしてました。ここでも、「暗いまま」は許されないものとなっていました。
 今日は、落語会がメーンだったけど、日曜日と言えば、定番のお楽しみ「日曜美術館」のあるはずだったのに、今日は、高校野球もないのに、なかった。これは、肩透かしってやつ。こういったときに逃しがちになるのが、後半の1/4に入る「アートシーン」。この15分間のため、待機しました。忘れなかった自分を褒めねばなりません。その中で、今、東京で、青木繫と坂本繁二郎という同い年、且つ同郷の2人の作品を集めた展示会(アーティゾン美術館)が行われていると紹介していた。東京へは行く気はないけど、その東京での展示後、2人の郷里である久留米でも展示があると言ってました。10月末からが、久留米での会期が始まるようです。これ、国内旅行にしようかなと、俄然、気合が乗ってきています。


2022年 9月 11日(日)午前 7時 4分

 昨日は、午後に音楽会に行った日。従って、午前中は圧縮気味の上、週末ということで、トルコ・リーグのマッチがあった。そうなると、前から押してくる。そんなだったけれど、午前中のウォーキングは、普段の65%ほどは確保。いつもの夕方のウォーキングは、音楽会への往復で充当。併せて、いつもの1日分のウォーキングはできた模様。結構なことです。
 午後の音楽会は、びわ湖ホールであった「びわ湖ホール声楽アンサンブル 第75回定期公演 音楽史の小径~イタリア古典歌曲から辿る~」というもの。びわ湖ホール声楽アンサンブルの定期演奏会は、3度目くらいかな? プログラムを見て、行くかどうかを決めています。今回は、「イタリア古典歌曲」という押さえが、黄紺には効いてしまいました。指揮には、本山秀毅(びわ湖ホール声楽アンサンブル桂冠指揮者)を迎え、アンサンブルSDG+チェンバロのパブロ・エスカンデが入ったコンサートとなりました。そのプログラムは、次のようなものでした。( )内は、各々のソロを歌った歌手です。「J.カッチーニ:アマリッリ(坂田日生)」「C.モンテヴェルディ:私を死なせて(阿部奈緒)」「J.カリッシミ:勝利だ、わが心よ(市川敏雄)」「J.カリッシミ:オラトリオ『イェフテの物語』より娘の嘆きと終曲の合唱(山岸裕梨)」「A.チェスティ:いとしい人の周りに(藤尾知佳子)」「A.チェスティ:コリンドよ、さようなら(山田知加)」「A.チェスティ:歌劇『黄金のリンゴ』より プロローグ(アンサンブル・メンバーで)」「A.スカルラッティ:すみれ(宮城朝陽)」「A.スカルラッティ:ガンジスより陽は昇りぬ(美代開太)」「D.スカルラッティ:恋する蝶のように(阿部奈緒)」「A.スカルラッティ:私は心に感じる(奥本凱哉)」「A.スカルラッティ:オペラ『貞節の勝利』より 四重唱(山岸・藤居・谷口・市川)」「A.スカルラッティ:ミゼレーレ(独唱:熊谷綾乃・阿部・宮城・美代)」「G.F.ヘンデル:緑の木陰で(ラルゴ)(有本康人)」「G.F.ヘンデル:ああ、私の心である人よ(坂田日生)」「G.F.ヘンデル:いとしい森(谷口耕平)」「G.F.ヘンデル:私を泣かせてください(山田知加)」「G.B.ペルゴレージ:歌劇『オリンピーアデ』より終幕の合唱(全員)」。ヘンデルのイタリア語のオペラまで、古典歌曲・歌劇のオンパレード。途中、マイクを持った本山さんが、「関西人なもので、盛りだくさんなプログラムとなりました」と挨拶されていましたが、休憩を入れて2時間半というもの。これだけ揃うと、いい気分。いい気分になり、前半の後ろの方はうとうととしちゃってました。全体的に行って、男性陣の充実が目に付きました。豊かな声、古典歌曲らしい、ノンヴィヴラートの歌唱といい、巧者が揃ってたなぁ。ヘンデルのオペラからは、有名なアリア、印象的なアリアを選ぶサービスぶり。「セルセ」「アルチーナ」「リナルド」と、生で観たことのあるオペラからのアリアもあると、どうしても、そのときのシーンが思い出されます。「セルセ」は歌手陣の動きがスーパーだったしとか、「アルチーナ」の演出は、特に印象的だったしとか、「リナルド」は、歌手にダンスをさせていたしと、思い出しちゃった。そんなことも含めて、正解のコンサート。「このプログラムで、なんで?」と思わせられた満席にも、驚いた。このアンサンブルが、滋賀県に根付いた証拠かもしれませんね。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「恐山編」があった。珍しく、よくTVなんかで観る霊場となっているなんとか寺院&その界隈だけでのロケ。これだけ狭い範囲で1本ができあがったのはなかったでしょう。今でも、地下から酸を含んだガスが噴き出ていた。それも、人がいても大丈夫な程度で。でも、かつては、その噴出量が、もっと多かった。この違いが霊場を作り上げていた。おもしろい! 傍らにある池、きれいですね。ごつごつした岩山との対比が、また、新たな物語を作り出していました。それらを、お得意の地質と対照させての番組になってました。下北半島全体がジオパークになっているようで、次回は、その下北半島全体が取り上げられます。ジオパークだということは、全く、知らなかった。ということは、この辺り、地質や地形で観るべきものがあるってことだから、楽しみです。


2022年 9月 10日(土)午前 6時 14分

 昨日は、かねてよりの狙いの映画を観ようかなと思っていた日。だけど、チケットを買おうかという段になり、止めた。忙しなかったから。というのも、一昨夜は、ヨーロッパのカップ戦が、トルコ絡みだけでも4試合もあった。それが1つ。2つ目は、びわ湖ホールのチケット発売日だということで、午前10時には、PCの前での待機が待っていた。おまけに、外せない家事があったもので、行って行けないわけではないけれど、あまりにタイトと看えたため、あっさりと断念。すると、あとは、何もなしの日だから、ゆったりと、好きなことをしてました。でも、うつけた話で、YouTubeを使い、昨夜の試合の様子を観れば良かったと気づいたのは、夜になってから。午後の一時は、そのため、いつに変わらぬ使い様。但し、時間は短め。一方で、昼前のウォーキングは、いつも通り、しっかりと行うことができました。
 午後の一時は、とりあえずは、旅系YouTuberの動画を観ることに。幾つか観るなかで、必ず入れるのが、韓国系YouTuberさんの動画。昨日は、外食系モッパン動画が中心。内容は、他と違わないのに、やたらお値段が高く、コスパの悪いスンドゥブチゲを食べていた。贔屓にしているロシア系YouTuberさんは、律儀に、ロシアの最新のニュースを流してくれている。旬のネタなもので、再生回数が伸びてました。それら、ひっくるめて言うと旅系動画を観たあとに、オペラ配信を、これまたYouTubeを使って、観ることになりました。新たに観ている、ウィーン国立歌劇場ものです。既にDVD化されているプロダクションの「ウェルテル」。先日、舞踏会からの帰りの場面まで観ていたものの続き。最後まで完走、しかも、途中、居眠りをすることもせずにです。凄い! それだけ、タイトルロールを歌うピョートル・ベチョワが良かったということ。シャルロッテのガエレ・アルケーズは、生で聴くと、発声が気になるだろうなという印象。余計なバイブレーションが気になるということです。衣装が替わったからか、体型は、さほど気にならなくなった。すると、やっぱ、この人、大変な美形。そんなで、一気に、最後まで完走してしまいました。ラスト、歌わないけど、2人の様子をアルベールが眺めているという演出。そういった演出だったっけと、こればかりは気になったので、YouTubeに、ガランチャ版(DVDになっているもの)が流れているのを知っていたので、確認をとると、やっぱり、そうでした。同じプロダクションだから違うわけはないのだけど、全く記憶から飛んでいたので、気になり、やらずもがなのことをやってしまいました。
 夜になって、ようやく、YouTubeで、ヨーロッパのカップ戦の映像を、2本視聴。あと2本は、眠くなり、断念。フェネルバフチェが勝った試合とトラブゾン・スポルの負けた試合を観た。もちろん、10分弱のダイジェスト版。フェネルバフチェは、フェルディ・カドゥオウルがいいですね。ずっと、使われ続けるはずですね。トルコ語で言う「koz」ってやつです。トラブゾン・スポルは、3点も入れられている。その内の2点が、あまりにあっさりと入っていて、同じようなパターン。サイドからセンタリングを入れられて、一発で、それに合わせられてゴールというパターン。いずれも、ディフェンスのマークがずれたため、シュートを放つタイミングが、いとも簡単にできてしまっている。これ、しんどいよ、トラブゾン・スポル。去年のような勢いがないわけを垣間見た気になりました。負けたアンタルヤ・スポル戦では、5点も入れられたわけだから、このディフェンス陣が気になります。おまけに、ストッパー起用も視野に入れられていたドルクハン・トコズが、早くも、今季絶望となるケガをしちゃったしね。残りの2本、今日、観ましょう。だけど、時間あるかな? さっさと観ないと、あったのを忘れてしまいます。最近は、そんなですね。


2022年 9月 9日(金)午前 7時 27分

 昨日は、夜に落語会に行った日。やはり、夜のお出かけは、気を使う。すっかりと、1日の動きが身についてしまうと、それに合うようなお出かけだと、どうってことはないけど、夜となると、勝手が違ってくるのだ。午前中は、いつものようにウォーキング。夕方のウォーキングの方は、お出かけの加減で判断。昨日は、その往復で、ほぼ普段通りのウォーキングができると判断。だから、結局は、午後の一時が短縮されたことになった。YouTubeの動画で、急に気に入ってしまってるのが、タイ系YouTuberの重鎮「TJ Channel Thailand」に上がっている、バイク旅の動画。バンコクから地方都市へ向けて、ひたすらバイクで走るというもの。もちろん、運転しながらのお喋りも、いい感じなんだけど、何よりも、タイの田舎の風景を観ることができるのが嬉しい。一番最近観た動画では、ペッチャブーンに行ってくれていた。もうちょっと行けば、ロムサクじゃんか! ロムサクの街道上にあるバスステーションで乗り換え、ロムサク市内に行く北ではなく南に向かえば行ける町のはずと、思わず、ググってしまった。Radikoでは、KBS京都の「米團治日和」を聴いた。米團治のTwitterを見ると、藤山直美とトークをしたと出ていたので、飛びついたのでした。旧知の間柄だから、米團治の悪行を暴く藤山直美、それを制止にかかる米團治という構図はお約束とはいえ、おもろい。来週、もう1回、続きがあるので、忘れないようにしなければなりません。同じく、Radikoで、ABC朝日放送の「日曜落語~なみはや亭~」にアクセスすると、なんと、桂吉弥「地獄八景亡者戯」(2017 上方落語を聴く会)が流れていた。次週と併せて、この口演を流すとか。吉弥のおっとりとした口調が、とても心地よいものがあります。先日、たまの動画を観たとき、「スターのオーラ」というのは「どれを聴いても、おもしろい」だと言ってたけれど(これは、二葉を評してのもの)、吉弥の口演って、確かにそうですね。この「地獄八景」も、言えてます。ちょっと、落語に景気がついて、夜は、京都府立文化芸術会館の3階にある和室へ。そこであった「第267回上方落語勉強会」に行ってまいりました。なかなかの好メンバー、いい顔付けにそそられて、行こうという気になってしまった落語会です。番組は、次のようなものになりました。八十助「煮売屋」、染八「二人癖」、花丸「くまざわあかね新作Vol.48・お題の名づけ親はあなたです-その129:愛しのマチルダ」、(中入り)、米二「足上がり」、吉の丞「ねずみ」。八十助は、年季明けしたんじゃないかな? でも、修業期間は、まるっぽとは言わないけれど、ほぼコロナ禍と重なっているはず。そんなで、遭遇するのは初めて。仕種、言葉遣いに、師匠八十八そっくりと、とっても嬉しくなる。八十八は、仕種が多い人だと思うけど、それを器用に真似ている。それが、口演と有機的に繋がっている。その真似事ができるだけで、大したものと思ってしまった。今後の活躍に注目しましょう。染八の「二人癖」が聴きもの。珍念スペシャルのラップ挿入だったのです。しかも、それをデフォルメしてた。やってくれます。珍念の編み出した型は、染左が受け継いでいる。一門だから、こちらからもらったのかな? それとも、この2人以外に、この型をする人がいるのでしょうか? 黄紺的には、このラップ、おもしろいと思うのだけど、揶揄する向きもないわけではないので、さほど拡がってないはずとインプットされています。それにつけても、染八は、おもしろさのポイントに狙いを定める目がいい。このラップと、糠だらけの手や腕を、おいしいところとばかりに攻め立てます。本日の新作担当は花丸。以前に、小佐田作品を手掛けています。時々、高座にかけていますね。今回はくまざわ作品。自転車を擬人化した作品。神田山陽もの、小春団治ものを連想させる、その自転車置き場の会話が1つの柱。もう一本の柱は、その自転車の持ち主らの会話。両者の思いが絡む、人情噺になっていました。どんでん返しも用意されている、なかなか凝ったものでした。米二の「足上がり」は初もの。まだ、始めるようになってから、日が浅いはずです。米二の芝居噺自体が少ない。あと「蔵丁稚」しかしないでしょう。そう思って聴いていると、芝居掛りになるのが少なかった。そうだったっけと、久しぶりに聴く「足上がり」なもので思ってしまいました。米朝師の口演で聴いたとき、この商家での場面、番頭と丁稚の会話が始まったときから薄暗さが出ていた。時代が時代だから、そういった空気を出してんだな、それがラストにいい効果をもたらしていたのを思い出します。どうしても、その師匠の高座が浮かんでくるため、弟子は損しちゃいますね。久しぶりに、生で観る吉の丞は、えらく若返って見えました。口演も若々しく聴こえてしまいました。それは言い換えると、全体の空気が明るく爽やかだけど、なんか碧いという印象も。子どもはいい感じなんだけど、その子どもの空気のまま、父親の語りに入って行ってしまってるようで、全体的に一色と思ってしまったのです。以前にも聴いてるのだけど、こんなだったかなと、訝しく思ってしまいました。今月は、少なくとも4回、もう1回加えて5回、落語会に行くことになりそうです。ひょっとしたら、今年は、これでおしまい? 今のところ、10月以後の予定表に、1つも落語会は入っていないのです。


2022年 9月 8日(木)午前 6時 23分

 昨日は、午前中にお出かけが入っていた日。水曜日の午前中のお出かけは、アスニー山科と決まっている。月2のペースで、市民向け公開講演会を企画していただいている。気にならないテーマを除き、行くことが、今や定番となっている。昨日は、「『あいまい』が美しい日本」というお題で、京都産業大学文化学部教授の小林一彦さんのお話を聴くことができた。お題からは、内容が、正に曖昧だったので、以前、こちらの講演会に行ったときに、お世話をされている方に伺ったところ、講師の方は、平安文学の専門の方だということで、行こうという気になったもの。ただ、お題からして、民族主義的な内容も想像されるが、そこは、京都市主催ということで信用しての、参加申込みとなりました。ま、お題からして、誰しもと言っていいか解らないけど、川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演を思い浮かべるもの。案の定、冒頭、スライドを使い、3人の顔写真を見せられた1人がそうだった。あとの2人は、大江健三郎とプーチン大統領。前者は、川端康成とともに、日本で、唯2人だけ、ノーベル文学賞受賞者という繋がりがあるけれど、プーチンは、お話の最後に出てきた。日本文化のヒントになる言葉を発したということでの登場。大事な役割を与えられていましたので、掴みはOKといったところでしょうか。今回は、随分の多くの和歌を紹介していただけ、しかも、名品揃いなものだから、そのお話を聴けただけで良しとできる、そんな印象だったのですが、そもそもの講演の骨子は、とっても分かりやすいもの。ただ、今更ながらという印象を持たなかったわけではありませんが、お話の流れは、さすが専門家です。いい勉強になりました。冒頭の掴みの流れで。川端康成と大江健三郎という2人のノーベル文学賞受賞者の記念講演の比較から、前者は、和歌を多く引いて、しかも、それを、日本語で解説した。お題も、有名なあいまいなもの。それに対して、後者は、英語で、前者の記念講演を引用して、日本的特徴のあいまいさを話題とした。加藤周一は、大江の受賞を指して、「日本文学が世界で受け入れられるようになった」と言ったと言います。そのあいまいさ、ルイス・フロイトも、日本の印象として、既に指摘していた。小野小町の歌でも、これを指摘。そういったお話の中に、ブルガリア人の日本文学研究者の指摘した、日本語の「の」の特徴のトピックが挿し込まれた。「の」があるから、日本語が美しいというものです。何首もの「の」がいっぱい入った歌を紹介されていました。「の」には、同格の「の」というのがあるそうで、それで、幾つも「の」が出てくるのだそう。こういった日本語の特徴をピックアップしていこうというのが、このお話のポイントでした。「言語表現の問題」というタームを使われていました。和泉式部の歌と徒然草に出てくる「ふす猪(ゐ)の床」という表現をピックアップして、動物を使った表現、「さわがし」という言葉の多様な使い方が登場してました。特に、後者については、多くの例を引用。正に、多様な使い方を例示されていました。「戦い」「疫病」にも「さわがし」を使う例ですね。前者は解るけど、後者は初耳でした。そういったお話をされて、最後にプーチンが登場。「日本は、アメリカが原爆を投下したとは言わない」という言葉です。確かに、「原爆が落ちた」と言い、主語を省く習慣がある。「席が空きました」「お茶が冷めました」と、ものを主語にして、人を主語をすることを避けるという言い方も例示されていました。それが、日本語の特徴として挙げることのできる「あいまいさ」だというお話で締めくくられました。終わってみれば、「なーんだ」って内容だけど、そのあいまいさのトピックはいいとして、幾つか挙げられた日本語の特徴、それを例示するために引用された和歌多数、この解説を聴いているのが、とっても楽しい講演でした。
 帰路を、買い物がてらのウォーキングに充て、自宅に戻ると、午後1時過ぎ。そこから、火曜日の夜に放送のあったKBS京都の「桂吉の丞のおつかれさん」を、Radikoで聴いた。火曜日にお出かけを入れたものだから、「まーぶる」は聴けたけど、こちらは無理だったからです。すると、岩井万実が、コロナ感染でお休み。「まーぶる」では、2週に渡り、梶原アナが感染で休んだところ。受難が続きます。その梶原アナと二葉の会話で、陰性になってからも後遺症が残るという話を聴けた。二葉も感染経験者だから、すっかり話がかみ合っていたことを思い出す。Withコロナが、世間で進む一方、身近にコロナが迫ってきている実感を持ってしまいました。先日も書いたけれど、黄紺の周辺でも感染者が出たからね。韓国へ行けるようになる前には、せめて、大阪へ、それを経験してから、国内旅行もしておこうかと思っている今日この頃、聴きたくないことも、どんどんと起こってきています。すると、この計画にも躊躇いが出てしまっています。


2022年 9月 6日(火)午後 11時 24分

 今日は、台風の通過した日。最初に、台風の発生を知ったときには、近畿圏直撃のような予報だったけど、実際は、遥か北の方に逸れてしまった。それが、却って、今日のミスの基になってしまった。今日は、午後に、市民向け公開講演会を聴く予定を入れていたので、午前中は、時間を確保して、ミニウォーキングをしていこうとの計画を持っていた。雲は出ていたけれど、青空も拡がり、陽射しも強く、暑い夏の昼前という印象のなか、計画通り、ウォーキングを実施。これで、すっかり、台風の存在が頭から消えてしまった。少し早めの昼食を摂り、その講演会に出かける。風が強くなってたけど、それで、まだ台風が、頭を過らない失態。しばらく、ウォーキングを兼ねて、最寄駅をとばして歩いてた。そこで、急に、「この風は台風接近のせい」と気づいた。同時に、傘を持ってないことに気づいた。で、一瞬、講演会に行くことを止めることを考えたけれど、出がけに見た雨雲レーダーでは、雲のかかり方はあまりなく、6時間後くらいに、一斉に雨雲が拡がるように出たと思っていたので、恐れるに足らずとの勝手判断。「台風だから、止める」という判断は、あっさりと消してしまい、自分に都合のいいように考え、そのまま行っちゃいました。で、結局、講演会が終わって、会場の外に出ると、見事に雨。結構な降りだったけど、どうしようもない。台風だから雨宿りをしたからといって、小降りになるわけでもなかろうと、濡れるなか駅に向かうことに。行き先が歴彩館だったので、本来なら、帰りはウォーキングをするのだけど、そんな場合ではありません。ホント、久しぶりに、北山駅で地下鉄に乗りました。歴彩館からだと、西側出口を出た方が、雨の濡れ方は、かなり低いはずなのに、完全にうろが来てるのでしょうね、正面から出て、全面、濡れながら歩くというサイテーなことまでやっちゃいました。こういった機転が、ホント、利かなくなっている。幸い、酷い雨とまでは行かなかったのが、不幸中の幸い。自宅最寄り駅を降りてからもそうだった。台風を忘れていたわりには、運があります。
 歴彩館では、今日は、「資料に親しむ会」がありました。以前にも書いたけれど、この会は、もう行かないと決めたにも拘わらず、行きました。次回も行くつもりです。というのも、今回は「東寺百合文書に親しむ ~第 15 巻収録文書から~」というお題だったからでした。「東寺百合文書」は、歴彩館の誇る国宝です。それなりの専門家がいて、その研究の成果の一端でも聴け、普段とは質的にかなり跳ね上がるだろうとの読みを持ったのです。次回も、「伏見港」をテーマに、伏見史のプロと言える歴彩館の職員の方がお話されるというので、外せるわけありません。でも、どうしたのでしょう? ちょっと内容的に乏しいと自省したのかな、歴彩館も。今日の「東寺百合文書」のお話をされたのは、同館資料課の松井直人さんでした。とっても、お若い方ですが、同文書の翻刻作業に従事されている方です。同文書の基本ガイダンスから始まり、「翻刻とは?」という、同館が続けている作業の進め方を紹介されたあと、具体的に、「第 15 巻収録文書」から幾つかの文書を紹介いただけました。「翻刻」は、現物史料のくずし字で書かれた文字を活字に置き換えるだけではなく、最新の研究成果を受け、活字に起こした文書に注釈を添えて行かねばなりません。人物名は地名の特定などの作業です。ですから、翻刻に当たられる方は、イコール研究者ということなのですね。だから、聴いていておもしろい。取り上げられた文書は、「淨祐(織田重治)文書」(織田姓を初めて確認できる文書)「山城国上野荘指図」(現在の上桂地域の荘園の図、桂川の流路変遷が判る)「讃岐国山田郡司牒案」「東寺申状案」(東寺造営関係文書)「金勝院融覚等造営方料足預状」(東寺造営関係文書)「伊予縁親書状」(東寺造営関係文書、山伏が勧進に動いている様子が判る)「若狭国神宮寺正覚院宝栄書状」(東寺造営関係文書)。実は、「東寺造営関係文書」紹介のところで、半寝状態に。おもしろそうなお話が出て来そうなところで、ダメでしたね。そんなで、万事は上手くいかずといったものでした。
 今日は火曜日。雨のおかげで、早く帰宅できたので、あとは、Radikoのお世話になり「まーぶる」を聴くことにしました。帰宅中、二葉のTwitterを見ると、トラブル発生。昨晩は、品川泊りだった二葉は、品川発午前6時40分の新幹線に乗り、京都に入るはずが、新幹線、止まっちゃった。てっきり、台風のせいと思ったのだったけれど、実際は、急患が出たとかのせいだった。放送開始時間には間に合ってました。当然、番組冒頭で、この滑り込みが話題に。KBS京都では、こういった事態に備えているということを、梶原さんが解説していました。どこからでも、オンラインを使い、二葉が参加できるようにとの手配、東京から動けなかったら、KBS京都の東京事務所からの番組参加の手配も済んでいるそうです。それにしても、二葉のスケジュールは凄まじい。日曜日は、大阪で、彦八まつり流れを挽回するライブで歌い、月曜日は、東京で、こはるとの二人会、そのあとが、品川泊りになり、火曜日の朝にとんぼ返り。「こんな芸人に早くなりたい」を地で行っています。そして、明日、水曜日は、繫昌亭昼席で抜擢されて中トリ、夜席にも出る。そういったなか、来春の二葉本出版に向けて、原稿を認めているとか。「どこまで行くねん!」と、黄紺ですら思ってしまう。


2022年 9月 6日(火)午前 6時 17分

 昨日は、夜にお出かけを入れていました。ワクチン接種の影響も一昨日までということにしていたら、これは、いつも通りになり、その予定を実行に移すことができました。1週間ほど前に、インドネシア映画が、京都みなみ会館で上映されることを知ったのです。次週の上映では朝になっているというのを知ったのは、昨日、映画館に行ってから。HPでは、夜の上映時間しか出てないものだから、仕方なく、出かけたくない夜に出て行くことになりました。「復讐は私にまかせて」という映画です。インドネシア映画自体、確か、記憶では1回しか観たことがないというほど、自分的にはレアだったこともあるけど、これがアクション映画らしいということを知ったことが大きかった。確かに、テーマは暴力、とっても、俗っぽい設えの映画で、その暴力も、下世話に下世話に扱われている。一方で、この映画、後味が、頗る良好なのです。ネットで、この映画の情報がないか、観たあとに探してみると、監督へのインタビューなるものを見つけた。すると、その中に、「彼らの愛は、暴力的な世界で生き残れるのか」とあった、それそれ、いい言葉です。主人公2人が、ともに生活を続け、愛を育むということはできなかったかもしれないけど、要するに形には残らないかもしれないけど、彼らの愛は立派に生き残りました。だから、後味が、頗る付きで良好なのだと思います。2人の出会いが暴力、出会いまでのそれぞれの人生で、屈折した体験を持っている。暴力に晒され勃起不全となった男、暴力的に侵された経験を持つ女。勃起不全を承知で結婚する女。女との生活を考え、殺しを引き受ける男。勃起不全のわけを知り、その復讐を果たそうとして、結果、妊娠してしまう女。それを告げられた男は、女を憎み、女の元を去る。ここで、3年という時が経つ。このインターバル的な時間に登場する謎の女。この女もレイプされ、殺されたはずの女。それが、幻のように、主人公2人の前に現れる。謎の女を弄んだ男2人の殺しを依頼され、それを実行する女。謎の女は、堅気の仕事をするようになっている男の前に現れると、ついには、女の過去、暴力で侵されたことのあることを知らせ、姿を消す。そして、2人の再会、、、、で、終わるのだけど、これだけ、暴力が続きながら、後味が良好なのです。序盤は、暴力を表象するように、粗野に粗野に、2人のキャラが扱われている。そのキャラが、次第に落ち着いていくのがいいのでしょうね。2人の真剣さ、愛のために向かう真剣さが、そこに表されていきます。映画のテイストも、次第に普通のものになって行くと言えば、変なのかもしれないけど、尖ったところを消していく手法が、とっても鮮やか。エドウィン監督、只者ではないと思わせられました。撮影は芦澤明子が担当、知らない人だったけど、経歴を見ると、大変な人。クレジットを見て驚いたのは、ハンブルク・ボン班というドイツ・チームの一団が出てきて、その中に共同プロデューサーとして、ファーティフ・アクンの名があった。編集はシンガポールのチームが担当したということは、ネット上の情報で知ったんだけど、このドイツ・チームの役割は何だったのでしょうか? ファーティフ・アクンの名があると、内容に関わるように思ってしまうので、とっても気にかかっています。
 夜に映画を観るということで、昼間は短縮気味。その中で時間を使ったのは、またぞろ、無職旅氏のYouTube動画。新たなライヴ配信がアップされていたからなんだけど、そこで、日本政府が、再入国時のPCR検査結果提出を廃止したことを知った。海外旅行の最大のネックがなくなった。トルコにせよ、ヨーロッパにせよ、障壁はなくなったけど、そういった遠いところへ行く気は、今はない。長時間の飛行機には乗りたくない、トルコは、長時間のバス移動が付きものだから、行く気はない。この措置が撤廃されたら、韓国を考えていた。で、早速、韓国旅行を考えた。でも、止めた。韓国入国後に求められるPCR検査が、まだ残っている。この存在は、最近、韓国に一時帰国した日本在住韓国人YouTuber氏の動画で知っていたが、これが無くならないと行く気はない。行ける日にちまでピックアップしたのに、残念。東南アジアは、ヨーロッパ同様になってるので行けるが、黄紺的には、飛行機搭乗時間が長い。ならば、香港、台湾はとなるけど、こちらの規制は、まだまだ厳しいので行けない。結果、自粛は継続。そんなことをしながら考えた。大阪すら行ってないのに、まず、そこからやろと、自分に突っ込んでしまいました。また、飛行機代も調べてみると、東南アジアは下がってないですね。トルコやヨーロッパは、20年前だったら、普通のお値段という感じで、大変だ。でも、今回の日本政府の措置で、海外旅行は増えるだろうから、徐々に下がって行くのでしょうね。便数も増えるだろうし。せめて、年内に韓国、行けたら、ラッキーと思うことにします。


2022年 9月 4日(日)午後 10時 5分

 Aşı olmaktan sonra bir gün geçti. Daha önce bu kadar kötü saatler yaşamadım. Özellikle gece en ciddiydı. Halsizlik devam ediyordu. Bağlantılar ağrısı olduğundan yatakta uzun sürekli uymak mümkün değildi. Bu sabah ateş 36.9 derecesiydi. Ama gece daha yüksekti galiba. Bu sebeple bugün yemekler almaktan başka dışarıya gitmedim.
 そんなで、厳しい一日。外は、気温が上がっていたようですね。日曜日だから、朝から「日曜美術館」の新作が流れたのは、いい気晴らしになってくれた。「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」というお題。ゲルハルト・リヒターの作品が、日本に来ているというのは、この番組のどこかで聴いていたので、また、作品の紹介があったので、既に、話題の「ビルケナウ」については、予備知識があった。「ビルケナウ」は、ゲルハルト・リヒターの新しい作品。そこに至るまでの経歴が、作品紹介とともに触れられていた。1932年、ドレスデン生まれ。父も叔父も出征、叔父は戦死している。13歳で終戦。終戦時には、進攻してきたソ連兵の残虐な行為も目撃している。すっかり変わる世界。そのドレスデンで絵画を学ぶ。だが、ベルリンの壁ができる直前の東独を脱出、西独に亡命。それは、東独で描かれていた社会主義リアリズムの絵ではなく、西独で、それ以前に出逢ったジャクソン・ポロックの作品を観て「恥知らぬなほどの自由」を感じたから。アンディ・ウォーオールのポップアートに影響を受け、「フォト・ペインティング」という手法(写真をキャンパスに貼り付け、それをなぞる絵画を生み出す、現実なのか幻なのか、観る者の視覚をゆすぶる)を編み出す。この「フォト・ペインティング」の作品としては、「エマ」(娘を描く)「バーダー・マイホフ・グループを素材にした15枚の連作」「マリアンネ叔母さん」(総合失調症の叔母、ナチスにより収容される)が紹介されていました。40代半ば、画風を変える、それが「アブストラクト・ペインティング」、大きな板でキャンパスにこすりつける、最近は、キッチンナイフも使う。その両者の手法を使ったのが、82歳のときに描いた「ビルケナウ」。ビルケナウでの4枚のモノクロ写真(撮影者は囚人、実態を伝えるための隠し撮り)を元に「フォト・ペインティング」の手法で描き、その上に、「アブストラクト・ペインティング」で色を重ねるというもの。「ビルケナウを完成させたあと、自由になった、もう何も完成させることはない」が、描き上げたあとのゲルハルト・リヒターの言葉。この「ゲルハルト・リヒター展」は、東京でのあと豊田に来るらしい。地方の美術館巡りの有力候補なんだけど、行く気になるかだね、自分が。そんなところが溜まってきています。
 午後は、オンライン配信の予約をしてありました。2時間の配信だったのですが、途中で、椅子に腰かけてZoomの画面を眺めているのがきつくなり、半ばからはベッドに横たわり、発言者のお声を聴くという態勢に変更することに。「ウトロ地区ヘイトクライム裁判京都地裁判決後シンポジウム」(主催:一般財団法人ウトロ民間基金財団、京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会、共催:龍谷大学社会的孤立回復支援研究センター〔SIRC〕、グローバル地中海・同志社大学都市研究センター〔MICCS〕)のオンライン配信を視聴しておりました。7月だったかな、違うかもしれないけど、とにかく、ウトロ平和祈念館に行ったときのアンケートに、イベントがあればお知らせいただくようにというしてあったので、ご連絡をいただいたので参加することができました。同館の1階のスペースに参加者らが集まり、また、東京の方はオンラインでの参加という形での進行。途中、マイクの使い方の悪い人がいて、聴き辛い箇所もあったけれど、十分に視聴に耐える配信。内容のしっかりとしたもので、問題の放火事件、広くヘイトクライムを裁く、日本の現状を把握できたつもりになっています。このシンポジウムのプログラムは、次のようなものでした。①事件の経過、裁判の経過報告(時系列)/法廷の論点②京都地裁判決の内容について/豊福誠二(ウトロ弁護団団長)③ヘイトクライムにおける量刑/金尚均(龍谷大学教員)④ウトロ事件から見る排外思潮/板垣竜太(同志社大学教員)⑤判決とヘイトクライム対策/師岡康子さん(外国人人権法連絡会事務局長)⑥ウトロ平和祈念館の意義 田川明子さん(ウトロ平和祈念館館長)⑦質疑応答。このシンポジウムを通じて出ていた主たる話題をメモっておきます。「ヘイトクライムの裁き方、民事裁判か刑事裁判かという問題。前者は完全勝訴という成果もあるが、立証するための資料が膨大になる、後者は、ヘイトクライムを裁く法律がない、政府は国連への答弁で量刑で対応していると言うが、実態はそうではない」「判決文の中に“在日韓国・朝鮮人という特定の出自を持つ人々に対する偏見や嫌悪感等に基づく、誠に独善的かつ身勝手なもの”“、、、、民主主義社会において到底許容されるものではない”といった文言が入り、内容的には“差別に基づく”“ヘイト”からの事件と認定しながら、“差別”というタームを使うのを避けている。しかし、このような文言が入ったのは、大前進な判決である一方、物足りなさの残る判決でもある。被告がヘイトから来ている、再犯も広言しているにも拘わらずに、判決文は避けている」「量刑についても説明がありました、求刑4年、判決も4年でしたが、こういった事犯の先例からすると3年がピークと思えるので、かなり頑張った量刑になっている」「今まで入らなかった文言が入ったのは、被害者が証言に立ったことが大きかったのだろう。判決文で、その証言に応じた文言を入れなければなるのだから、これは、今後の裁判を進める方法を示唆している」「今回の判決は判例とは言えない、裁判例に留まる、地方裁判所の判決であり、あくまでも1つの裁判であって、今後、同じような判決が出る保証はない」「ヘイトクライムを取り上げるのは公益に繋がるものという認識があれば、包括的な差別禁止法が必要と認識になるはず」。ワクチンを打って、しんどいときに視聴するには、厳しい内容だったけど、とっても勉強になりました。ウトロ平和祈念館の入場者数が、先日5000人を突破したそうです。近畿圏以外からの来館者もおられるようです。その一方で、こないな事件が起こるのですから、わけわからんね。


2022年 9月 3日(土)午後 9時 59分

 Bugün 4. aşı oldum. Dün Japonya’da Omicron alt varyantına etkili olan yeni aşı yarım ay sonra kunlanılmaya başlayacağı açıklandığına rağmen aşı oldum. Çünkü yeni aşı nasıl geçmesi şimdi belli olmadığından bekleyemedim.
 てなことで、今日と明日は、自宅に籠ります。だから、身体がなまってしまうと思い、出かける前にミニウォーキングを実施。あまり余裕がなかったのだけど、頑張って時間を作りました。だって、後回しにしてもいいことは後回しにすればいいのだから、たっぷりと時間があるから。ま、お出かけの往復も含めると、1万歩超えていました。とっても、優秀です。
 そのたっぷりとあった時間を使い、「アジアトラベルノート」チャネルのカンボジア&ベトナム編の動画を完走。プノンペンのまったりとした街角の様子など、なかなか観る機会がないものだから、そそられてしまいますね。目の疲れもあり、やはり、感覚麻痺がひどくなるという副反応は、早々に出てきており、長時間、椅子に座ってられないものだから、ベッドに横になり、お尻の痺れから逃れようとしたら、昼寝をしてしまった。2回目は、さすが眠らなかったけれど、そのような時間を取らねばならないというのは、過去の経験で判っているので、焦りはせずに、身を任せるしかありません。あと、オペラ配信を観ました。先日から観ていたウィーン国立歌劇場の「トスカ」を、ようやく完走。2幕のカルロス・アルヴァレスの悪役ぶりを、居眠りしながらだったもので、今回は、しっかりと観ることができました。終幕後、随分と長尺になっているので、飛ばし飛ばし観ていると、ピョートル・ベチョワが宮廷歌手の称号をもらうセレモニーをやってました。ウィーンでも、そういった称号が残ってるの、これで知ることになりました。ドイツではあるのですがね。そんなで、スポットがピョートル・ベチョワに当たったからでしょうか、動画が終わったあとに出てくる参照動画は、ピョートル・ベチョワものが幾つか上がった。その中に、ウィーン国立歌劇場の「ウェルテル」があった。ピョートル・ベチョワが、このオペラを歌ってることを知らなかったもので飛びついてしまいました。ウィーン国立歌劇場のプロダクションは、ガランチャとマルセロ・アルヴァレスの歌ったものがDVD化されているが、あまり好きなものではないけど、ピョートル・ベチョワが歌っているからと視聴することを決意。シャルロッテはガエレ・アルケーズ。名前は覚えてなかったけれど、この人、どこかで観た記憶がある。思い出せない。ピョートル・ベチョワの相手役で、且つ、ウィーン国立歌劇場の舞台に立つのだから、相当知られた歌手のはず。顔立ちが美形であることも得をしているのでしょうが、その顔が小さく見えるほど、ちょっと太り気味。ネット上に上がっている写真を見ると、確かに見覚えがあるというのは、ますます自信が深まる。大変な美形。子どもさんでも産んだのかな、そういった印象を持ってしまいました。それはいいとして、同じプロダクションのガランチャとマルセロ・アルヴァレスの2人より、こっちの方がいい。マルセロ・アルヴァレスでは、イタリアものになっちゃってるからね。舞踏会の帰りの場面で、汗臭くなってはいけないからね。ピョートル・ベチョワとガエレ・アルケーズの2人は、マスネの音楽にすっぽりと収まってくれています。同じウィーン国立歌劇場の舞台では、ガランチャが、ポレンザーニとのコンビで歌った舞台の動画もあるんだよね。また、機会を作って視聴することにしようかと思う一方、このプロダクションじゃという気もある。それほど、ウィーン国立歌劇場のプロダクションは、黄紺には合わないのです。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「石見銀山」が流れた。銀山だけでネタが続くのだろうかと思ってたら、代官所のあった大森町、積出港のあった温泉津港も歩いてくれました。これら併せて、世界遺産だそうです。総合的に見ると、石見銀山の値打ちが、一層、際立ちます。銀の産出量だけでも、大変なものだったはずですからね。次回は「恐山編」だそうです。青森県は弘前しかやってなかったから、どこをするんだろうと思ってた中の有力候補だったけど、でも、取り上げるとなると、どんな切り口になるのでしょうね、興味津々です。


2022年 9月 2日(金)午後 9時 59分

 今日も、お出かけありの日。今日で3回目となる「2022年度同志社大学公開講座/歴史にみる技術と表現」。今日が、夏の部の最終日でした。開講時刻が午後1時10分というものだったので、最初は、戸惑いもあったのですが、3回目となると、そのペースを、しっかり把握できるようになっていました。お出かけ前に家事を済ませ、買い物にも行き、そして、お出かけ準備。お昼ご飯は、興戸駅でおにぎりを2個食す、そして、20分ほど坂を上らねばならないけど、ま、これも、3回目となると慣れてしまいました。椅子が硬いので、2回目からは座布団持参。この一連の流れ、冬の部のときには、すっかり忘れてるんだろうななんてことを考えながら、坂を上っていました。でも、こうやって、段取りを書いておけば思い出すかなとも思うんだけど、さて、来年の2月まで、ここに、そないなことをメモったことを覚えているでしょうか? 全く、己を信用していないのです。で、今日は、「横穴式石室構築技術とその伝播~技術の伝播から見る人とひととの繋がり~」というお題で、河内長野市教育委員会文化財保護課の太田宏明さんのお話を聴くことができました。司会者の方によると、「横穴式石室」に関して知識を得ようとすると、太田さんの著書は避けては通れないほどの方との紹介がありました。横穴式石室を、その特徴を捉えて分類するとき、特に2点に注目をするのだと、導入部で押さえられました。それは、「意匠的属性」と「技術的属性」。前者は、その形やレイアウトといったところでしょうか、石室の数や、石室を繋ぐ通路、上部の形などに違いがあるからだそうです。今日のお話は、後者の方ですから、これは、簡単に紹介されただけで通過。その後者については、「用石法」というタームを使われていましたが、ゆびつな直方体(六面体)の石を、どのように積み上げ、また、その隙間を埋めるか(目地の問題)など、字で表されている通り、「どのように石材を用いて横穴式石室を作っているか」を分類するのだと、その方法を具体的に紹介されました。これって、時々、「ブラタモリ」で城がトピックに上がったとき出てくるあれです。もちろん、今日のお話は古墳時代がテーマですが、石の積み方の考え、積み方による強度とか、その性格は同じはずです。そして、それらの用石法が、どういった地域に多いのか、北九州、吉備、播磨、畿内などの説明がありましたが、ここで、今日は居眠り。その前後は大丈夫だったんだけど、すっぽりと抜けています。でも、お話は、この地域的な具体的な特徴が解っていなくても、その後の大事なお話、ここが、今日のお話のメ-ンだったのですが、そこの理解には、何ら障りはありませんでした。もちろん、解って聴いた方がいいのは間違いないのですが、なくても解るお話だったのです。それらが、どのような形であろうが、「伝播」のお話は解ったのです。もっと細かな分類をされているのでしょうが、解りやすく、「伝播」の姿を2つ紹介されました。「政治的一元供給型」「連鎖型」です。前者は、政治的中心地から周辺地域へと、一元的に人間関係(支配被支配の関係)を通じて伝わって行くというもの。これは、世代を越えて伝わっていき、中心で、変化が起これば、そこから周辺地域へと伝わるというものです。これは、大きな権力が世代を越えて続いた場合に起こるというもの。後者は、そのときおりの人間関係で、伝播が起こるというもの。その時折の関係性を表しているが、世代が違えば、また、そのときの人間関係で伝わったものが採用されるので、1つの地域で、世代間の連続性はない。こういった伝播の仕方をしているというのです。こういったお話だと、どういった形式の用石法を使っているかは話題にしなくても判ります。これで助かりました。で、これ、大変な発見ですね。だって、これだと、黄紺でも解ります。横穴式石室の用石法を調べれば、その時折の連合関係が判ります。権力の大きさ、そういったものも判ってきます。この結論を聴けただけでも、今回、この一連の講座に足を運んだかいというものがありました。しかも、ここまでの2回、聴き取り辛く、そういった意味でも、この講座の選択はミスだったかとまで思っていたのですが、とんでもございません、今日のお話は、お声も明瞭、お話も明瞭、聴く方は素人だということを、ようく解った上でのお話でしたね。
 この同志社大学田辺キャンパスでの講演会のある日のウォーキングは、できれば、行く前にちょこっと、そして、往復を活用してのもの。3日とも、帰りは、最寄駅の手前で降りたり、行き過ぎてから降りたりして、距離を出すのに苦労していました。そうやって確保しても、いつもの、85%ほど。これは仕方ありません。どうしても、午前中がせわしなくなってしまいますから。夕方の方も、結構な距離、歩いて帰ってきますから、そこから改めて、ウォーキングに出かけようとは、さすがに思わないものですから、結果、歩数や距離が減ってしまうことになるけど、この時間設定では、しゃーないね。


2022年 9月 2日(金)午前 7時 4分

 9月になりました。今年の夏は、早くから暑かったので、随分と長い気がします。2年前は、7月末に長雨があり、気温も低いのが続いたため、夏が短かった記憶がある。去年は、8月の末にはクーラーを使わなくなり、そのまま秋になってしまったという記憶。それらに反し、今年は長すぎます。9月の半ば以後に行こうと考えていた散髪も、もう行かなくっちゃと思うほど。暑苦しいだけではなく、髪の毛が増えるにつれ、洗髪も重くなるだけではなく、痒みが出てくるため、そう思ってしまうのです。でも、まだ、3ヶ月経ってないと思うと、我慢と思ってしまうのだけど、この弊害の方が多いと思い始めています。9月20日より前に、散髪に行ったら、その弊害に負けたということです。そんななか、昨日は、午後3時から、Zoomを使い、オンラインでのお喋りをする予定が入っていた。半月程前にしたことの続きということでした。そのため、それに合わせた一日の行動を組むことに。でも、午後3時開始というのは、終わってからのウォーキングの時間の確保だけを頭に入れておけば、障りはないので、なかなかいい時間の設定です。短いながら、午後の一時も確保。朝方から時間の余裕があったので、その時間と併せて、YouTubeでのラオス旅の動画に見入ってしまった。最近、よくお世話になっている「アジアトラベルノート」チャンネルで、南ラオスの旅動画が出ているのを活用させてもらっています。主さんは、タイ語、ラオス語、ベトナム語、英語ができる人。こんな人、いるんですね。そんなだから、何度も旅行されているようで、ようく解った上での旅。言葉って、旅するのに大きな手段だとは思わないけど、要するに、何とでもなるという気があるのだけれど、その逆の動画って珍しいものだから、観てしまうというところがあります。また、ディープと思えるところだけど、結構、欧米系の人も、同じようなルートを歩いている。その連中が、主さんのように言葉ができるわけではなかろうと思うので、若いときに、これを観ると、自分も行ってみたくなったのじゃないかな。ただ、一点だけ、真似できないのが、バイクを使うということ。他のタイ旅動画を観ているときも、よくバイク利用というのがある。観光という意味で、バイクは必需品的な感じがするので、これだけがついていけない。そう思うと、やっぱ、自分には無理かとも思ってしまいながら、観ております。
 Zoomを使ってのお喋り。昨日は、Zoomの立ち上げに苦労。1度、途中で凍ってしまい、再起動をすると、今使ってるPCは起動に時間がかかり、開始時間に遅刻。ま、連絡はしてあったのだけど、30分前くらいから準備をしていたのに、この様は腹が立ったけど、どうしようもなかった。でも、2度目のアクセスも危なかったけれど、なんとかアクセスできて、結局、2時間以上のお喋り。前回も含めて、2年間、喋ってなかったもので、その間の話をするだけでも時間が足らないですね。悲しい訃報も聞きました。2人が一緒にいた職場での同僚が亡くなっていました。しかも、事故らしいというものだったのが、辛いですね。変な言い方だけど、そういう亡くなり方があまりにも似合わない人なので、余計に厳しいものがあります。また、やりましょう。ちょっと、人と喋るのもいいものかなと思えたので。なんせ、人と話す機会が少ないと、なしでいいかと思う方が強かったので、いい転換になるかもしれません。


2022年 9月 1日(木)午前 6時 45分

 昨日は、朝からお出かけ。そして、はしごまでした日となりました。朝は、まず、おなじみのアスニー山科へ。昨日は、「苦集滅道と義経忠臣佐藤兄弟石塔~京と山科を結ぶ道とその周辺~」というお題で、京都女子大学文学部教授の中前正志さんのお話を聴くことができました。「苦集滅道」とは、仏教用語を使った道路名、渋谷街道のことです。古来、山科から京都へ、東山を抜ける道は2つ、1つは現三条通、もう1つがこれ。五条通の僅かに南を通る道。五条まで下って来ると、ここに窯ができたという道です。お話は、この道の名の由来を探すところから。室町中期の国語辞典に相当する「下学集」には、その名が記されているということだけど、それ以前の史料には、「クヽメチ」「久々目路」と出ているものがあるそうで、それも示しておられました。音が似ているということで、仏教用語となる「苦集滅道」が当てられたようですが、それは、現在の大谷本廟がある辺りは、知られた鳥辺野の跡。その関係で、似た音の仏教用語に転じたのだろうと言われていました。従って、「下学集」に記されている三井寺絡みの名の由緒書は、後代の創作だとなります。ただ、元来あった「クヽメチ」「久々目路」の名の由来は、不明だとか。音としても、ちょっと変な名称ですね。次いで、「苦集滅道」の名が出てくるトピックを1つ、「太平記」からピックアップされていました。北条時益という鎌倉執権につながる六波羅探題南方の要職にある人物が、ここで野武士の矢に射られて亡くなったというエピソードでした。ただ、こんなとこに、名前が出てるというだけでした。も1つ、この「苦集滅道」界隈エピソードがピックアップされたのですが、それが、お題の「義経忠臣佐藤兄弟石塔」。馬町交差点近くにあるそうです。これも、ここにこんなんありますというもの。街道の傍らにあるから取り上げられただけど、街道との因縁があるわけでもなしという、ちょっと頼りないお話でした。これでおしまい。ちょっと、頼りなかったなぁ。お題からして、何が話題になるのか興味がそそられたのですが、結局、ほぼなしというものでした。
 アスニー山科を出ると、京阪バスを使い、岡崎へ。昨日は暑い陽射しだったのですが、府立図書館横の公園で、パンをかじって昼食。この公園、こういったときに使うのが定番になっています。そして、京都国立近代美術館の「令和4年度 第3回コレクション展」に行ってまいりました。既に、靉光を目指して行っているのですが、最近の展示のあるある話で、前後期制を採っているため、一部、展示替えがあるので、それを観に行ってきました。なんせ、展示替えは、日本画の大家の作品に集中していたからでした。その中で、3点、目を見張ってしまいました。岸竹堂の「月鴉図」、竹内栖鳳の「枯野の狐」、都路華香の「棒空喝」。「月鴉図」は、雪の積もる木の枝に鴉が停まった瞬間、積もっていた雪が飛び散った様子を描いたもの、瞬間だけど、その前後の姿が見えてきて、動画を観るような作品に驚嘆。「枯野の狐」は、秋の夜半でしょうか、草むらに現れた狐一匹。季節感を味わうとともに、狐のリアリティに魅せられます。「棒空喝」は、達磨大師状の僧3体、いずれもがいかつい。男も傍に寄り付きたくない男臭さのある豪快な姿3対でした。小野竹喬の「奥の細道句抄絵」の展示替えも楽しみにしていたこと。新たに5点が展示されていました。「象潟や雨に西施がねぶの花」なんてのがあった。芭蕉の行ったころの「象潟」は、海の名勝だった、松島に比肩するものとしてということで、確かに、小島が海に浮かんでいた。でも、この作品、昭和51年(1976年)の作品だから、想像上の姿。黄紺的には、芭蕉の句から出てくる「象潟」の姿は緑が先に立っちゃってたけど、この作品は、まず、海に目が行っちゃいますね。あまりに透明な海がベースになるもので、意外な展開がおもしろかったな。「あかあかと日は難面もあきの風」は、赤々と輝く夏の太陽と、秋の涼風との対比。夏の暑さが強いものだから、涼風も、生暖かくないか、心配になるほど。でも、解りやすい絵を描く作家さんです。逆に難解だけど、その磁力の強さを感じさせられたのが、堂本印象の「規範への抵抗」、墨一色を使ったもの。何なんだろうと思わせられ、最後まで何なんだろうで終わったけれど、何が、磁力を持っているのかも判らないままだった。そんなのもありで、絵画を見る楽しみ味わうことができました。「クール、ハード、エロティック——版画におけるフォルムと色彩」のコーナーでは、掲示板に書かれていた「エロチック」な素材というもの、前回よりか多く、見つけることができたような気になっていました。靉光の作品は、判らないまま、だけど、惹かれた作品は、前回と同じだった。陶器・工芸関係は流し気味、三尾公三の部屋もちょこっと拝見で、おしまい。でも、もう1度、日本画のコーナーに戻ってしまってました。
 夜は、オンライン配信にアクセス。でも、明け方の午前3時に目が覚めたままだったので、ここで沈没。アスニー山科での講演会がやばいと思ってたら、存外、持ってしまったため、帰宅後、PCの前で寝てしまったり、そして、このオンライン配信で沈没となってしまったということです。何にアクセスしたかだけ記しておきます。アートエリアb1からの配信で、「鉄道芸術祭vol.0〜10/展覧会の記録をめぐる10の対話 その9 〜瀬尾浩二郎さんを迎えて〜」でした。株式会社セオ商事代表取締役&『ニューQ』編集長の瀬尾浩二郎さんを迎えて、アートエリアB1運営委員の木ノ下智恵子(大阪大学)、久保田テツ(大阪音楽大学)とのトークが中心を占めるものでした。


2022年 8月 30日(火)午後 9時 56分

 今日は、先日から始まった「2022年度 同志社大学公開講座」夏の部の2日目。今日も、朝に、少しだけウォーキングをすると、もうお出かけ時間。自宅から遠いということもあり、おにぎりを、ウォーキングついでに寄ったマートで買い求め、近鉄興戸駅のベンチで食べてから、大学キャンパスに向かうことにしています。興戸駅前に、何か食糧を買い求めるところがあるなんて、端から考えていない。途中、JR同志社前駅を通過するけれど、長い歩道橋の下を見ると、コンビニはあった。探す価値はあるかもしれません。府道沿いが、思いの外建て込んでいるので。ま、同志社のおかげでしょうが、黄紺的には、新田辺を過ぎると、藪の中としか思ってなかったので、開発の凄まじさには驚いているけれど、食事をするなんてことは、ここでも端から除外しているものだから、駅で食べるのが得策ですね。そう思ってそうして、それで満足しています。今日の講演は、「弥生時代にはだれが金属器をつくっているのか~近畿編~」というお題で、同志社大学歴史資料館教授 の若林邦彦さんのお話を聴くことができました。どうも、ここの講演会は、聴き辛い。耳が遠くなってるのでしょうね、ちょっと早口で喋られ、そこに聴きなれないタームが入っていると、お手上げ。そこへさして、前回同様、研究発表会のようなお話の進め方、これで、皆さん、解ってるのだろうかと、どうしても考えてしまう。爺婆ばかりで、聴き辛いこともないのだろうかと考えてしまう。そんなだから、今回も、うつらうつらしながらの聴講なものだから、余計に判らなくなる。でも、何となく判ってきたのは、看板に偽りありで、研究の根本は、あくまでも考古学的発掘調査結果をベースに、どこそこに、青銅器や鉄器を作った跡を見ることができる。そこからは、何々が出てきている。その場所を地図に落とし込み、その分布を見ることで、どの程度の規模の集団で金属器を作っていたかを確認しようという流れだと言えばいいんじゃないかな。集落遺跡の中で、その金属器製作者たちの規模の大きさ、集落の中での分散の度合いで、特別な集団がいたか、いや、金属器製作が、集落内に一般化していたかを判断していこうというのが、スタンスだと看ました。で、その人たちは、どういった集団だったか、社会的な位置付けは、どのように想像できるかといったお話はなかったというので、看板に偽りありと言いたいのです。また、金属器の問題を論じるときって、その原料となる金属を含む岩石の分布図と重ねると、金属器製作のしんどさが出てきます。遠いところから運搬をしなければならないのなら、それだけ多くの人を動かさないといけないわけですから、権力の規模との連関性が問題となるはずです。特に青銅器の場合は、2つの金属を使うわけですから、その運搬が大事な問題となるわけです。そして、一般的には、銅や錫という金属は、鉄に比べると、偏在度が高いと言われています。これが日本でも、なかでも、今回のテーマとなっている近畿地方にも当てはまるのか、若林さんは解っておれらるでしょうが、我々には、その知識がない。前提が違うんだよね。ただ単に、弥生中期には、集落の中で青銅器を扱う集団は少ない、ということは、特定の技術者集団を想定しなければならない(この押さえはあったのかな? 若林さんには当たり前だろうけれど、爺婆にはそうはいかないのじゃないかな?)、それが、弥生後期になると、集団が小さくなるが、替わりに、集団数は増えている。確かに、それで青銅器生産の拡がりは言えるんだけど、その押さえでおしまいじゃ、何か足りなよね! 深入りをしないお話だったと聴きました。あっさりと、今日のテーマじゃないよと言われそうだけど。それもあっての、うつらうつらだったと思います。
 今日は火曜日。お出かけの気が、あまり進まないという日。KBS京都の「まーぶる」を、Radikoで聴くのを定番としているものだから、結果的に、聴くための時間を相当に奪われたことになるものだから、帰宅後は、遅ればせながら、聴くことに。若手噺家グランプリで準優勝になったため、冒頭のお喋りでは、このトピックは、一切、触れないというもの。それだけで、悔しさが表れています。ようやく、「二葉とこの落語」のコーナーで、ようやく触れていました。幾つかのTwitterを見ていると、二葉の高座で、アクシデントがあったことは判っていたのですが、具体的には知らなかったのが、ここで、ようやく判りました。名ビラが落ちたということで、結局、落語に影響があったわけではなかったようです。だから、ガチで負けたということで、余計に悔しいということなのでしょうね。それと、東京での新たなコンペは、共同通信主催だということで、出演者の選定は、全国の好事家の成せる業だそうで、それにしては、上方が、華紋と二葉だけということです。もう、その時点で、辞退すれば良かったのにと思いました。端から、そういったスタンスで、しかも、第1回だと、何か、NHKの覇者ということを使われるだけと思ってしまいます。今回の上方落語協会のコンペも、そういったベクトルが動かないのか、気になっていたことでした。華紋はそうではないかもしれないけど、二葉の場合、ここまで注目度が上がってしまうと、それを利用しようというベクトルが働かないか気になってしまいます。だから、そんなことはなかったにしても、そういった穿った見方ができる、そういったステージにまで上がってしまった二葉は、慎んだ方が賢明かと思ってしまうのです。


2022年 8月 29日(月)午後 7時 52分

 今日は、お出かけなしの一日。特段、申し込んであるオンライン配信もなし。こういった日は、月曜日が、一番多いよう。月曜日は、夜に、米朝事務所チャンネルでの生配信があるのでいいかと思っていたところ、たまたま覗いた米朝事務所のTwitterに、同時刻に配信はするが、今日は収録済みのものと出ていた。そう言えば、先週の生配信のとき、「このあと収録予定」と言ってたな。これ、ちょっとテンションが下がるけど、致し方ありません。だって、新たな楽しみと言えば、これしかないのですから、今日は。となると、日に2回のウォーキングのときだけが、お出かけ時間。今日は、昼前のウォーキングをしっかりしたのか、1万歩に僅かに欠ける数字が出たのに、びっくり。あまりないことだけに、万歩計に傷みが出たのかと思ってしまったほど。旧い方のスマホに入っている万歩計の方も、似た数字が出ていたので、正しかったみたい。だから、夕方のウォーキングは、若干、控えめにして調整。腰に来ては大事ですからね。
 昨夜は、トラブゾン・スポルとガラタサライの一戦があった。ダイジェスト版を観たけれども、なかなかの好試合。さすがに、ガラタサライは、去年のようなことはなさそうですね。トラブゾン・スポルは、エディン・ヴィスチャは肩を手術で、当分ダメなのは判ってるけれど、直前になり、アブドゥルカディル・オミュルとバカセタスが故障。トラブゾン・スポルの誇るスター選手を欠いてということを考えると、今季もいいのかな。黄紺的には、今季は、フェネルバフチェじゃないなと期待しています。これは、贔屓目ではなくて、まじで、そう思ってる。層が厚くなった、これに尽きる。そういった意味では、トラブゾン・スポルは不安が残るね。午後の一時は、このダイジェスト版の動画が1つ。次いで、YouTubeのお世話になり、旅動画を視聴。ディープな旅動画を流してくれている「アジアトラベルノート」チャンネルで、南ラオス旅を端から何本か、観た。何が驚いたかと言って、いや、驚いたんだけど、空港バスに元京都市バスが使われていた。車内には、日本語表記が、そのまま残っていた。広島の市電が、全国の市電の車体を集めているというのを、昔、聴いたことがあり、実際に、広島で確認したことはあったけれど、その海外版です。ビエンチャン市内にも、バンコクのカオサンロードのようなところが生まれようとしているんだって! ま、コロナ禍前の撮影なので、どうなってるか、判らないけどね。タイ資本が入り、ハングル表記が見られることから、韓国人に人気らしい。息子は行ってるんだけど、黄紺は、結局、行かなかった。だから、せめて、この動画で楽しむことにしましょう。主さんは、タイ語ばかりか、ラオス語も喋ってる、いろんなことのできる人が、世間にいるものです。午後の一時、その3はオペラ配信。ウィーン国立歌劇場の「トスカ」の第3幕、これが、前回の続きでした。なんと、「星は光りぬ」を、ピョートル・ベチョワ、アンコールしてました。アリアのアンコールって、そうはないことです。DVDに収録されているもので、2つ、知ってるけど、この動画で3つ目となりました。で、そこまで来て、「?」、やらなきゃいけないことを思い出してしまい、中断。次の機会となってしまったのです。用事を済ませると、時間切れ、午後の一時を終えなきゃならない時間でした。


2022年 8月 29日(月)午前 6時 57分

 昨日は、朝から大忙し。いつものように、朝のトルコ情報のチェック。週末ですから、マッチがありました。デヴなクラブのマッチではなかったけれど、だからと言って、外すわけにはいきません。午前9時からは、「日曜美術館」があります。昨日は、旧作の再放送だったけれど、観てなかったので外すことはできません。それが始まる前には、お出かけ準備を整えておくというのが、昨日の趣向。午後2時から、滋賀県立美術館での企画展記念トークがあるので、それまでに、3箇所に分かれている展示を、もう1度、観ておくには、こういった時間に出るのが得策なのです。それでも、トークが伸びたこともあり、自宅に戻って来ると、もう午後5時半を回っていた。もちろん、この往復には、ウォーキングを込みに考えているので、瀬田駅と美術館の往復は徒歩移動をしたりしているので、通常よりは時間がかかっています。そんなで、完全に一日仕事。でも、昨日は、涼しかった。徒歩移動のときも、ほとんど、汗をかかなかったんじゃないかな、特に帰りは。関東方面は、気温が下がるとの予報は出ていたけれど、変化なしと言われていた中部以西も、同様となったみたい。それとも、関東は、もっと気温が下がったのかな?
 「日曜美術館」は、コロナ禍突入直前に放映された「100年つづく人生のために 〜デザイナー皆川明〜」。先週が三宅一生だったので、珍しく、服飾デザイナーが続きました。三宅一生の方は、追悼の意味もあったのでしょうが。ところで、皆川明、知りませんでした。おかげで、また、新たな作家さんを知ることができました。最初に放映があったときは、同時進行で、東京都現代美術館で、皆川明の作品展があったということで、それに合わせての番組だったようですね。従って、番組の進行は、その展示を、2人のMCが、皆川明とともに巡るというものに、生い立ちからキャリア、作品の特徴などの解説が、その間に挟まるというもの。展示室巡りでは、①洋服の森②原画③長く着た服④絵画作品というコーナーに分かれていました。①では、デビュー後25年間の作品を、制作年をごちゃ混ぜにして展示。それを巡りながら、皆川作品が、洋服のデザインばかりか、様々なテキスタイルを使っていることが要注目で・、そのテキスタイルの制作から、皆川自身が行っていることが告げられていきます。服を作ることのコンセプトは「特別な日常の服」、長く着ることのできる服をの思いは、③のコーナーに繋がっていきます。②では、テキスタイルのデザイン画の展示です。放送では、その制作風景も流れます。その中で紹介された作品は、次の通り。「ソーダワーター(円の中の筋の方向を指定)」「カクレンボ(着る人にはさみを入れてもらう、すると、新たな柄が現れ、全体像が変わる)」「ホシハナ(刺繍/ブランドイメージを確定した作品)」「タンバリン(刺繍/線や柄の間隔が微妙に違う)」「フォレストパレード(37種類のモチーフを組み合わせたレース? 刺繍?)」。③では、それを着ていたときの記憶も洋服の傍らに記して展示、こうなれば、インスタレーションだ。②でも、アイデアの豊かさに圧倒されたけれど、このコーナーでは、宇宙人的です。それが、更に進化します。④では、「はいくないきもの」(詩:谷川俊太郎、絵:皆川明)の原画の展示です。絵が先にあり、それに詩を付けたと、谷川俊太郎が言ってました。不思議な絵が並んでいるのを問われた皆川は、「大人が怖いと感じること、子どもはおもしろいと感じる、だから、浮かんでくることを連続的に描いてみた」と言ってました。キャリアもおもしろい人ですね。元駅伝選手。選手として続けられなくなったとき、パリに渡り、そこで、ファッションショーの手伝いをしたのが、この道に入るきっかけ。帰国後、服飾の専門学校へ、27歳、ブランドを立ち上げる。その頃、バイトをしていた魚市場で覚えた、材料を見る目こそが職人としても優れていることの証、これを服飾の世界で活かし、注目される。生地に注目したという、皆川の制作スタイルが注目を集め、若くして「装苑」の表紙を飾ったとナレーションが入っていました。凄い才能だね、驚きました。
 滋賀県立美術館では、まだ、「塔本シスコ展」が続いています。それを記念してのトークの2回目があり、昨日は、元滋賀県立八日市文化芸術会館学芸員の増井牧子さんのお話を聴くことができました。増井さんは、八日市ばかりか、水口でも、「塔本シスコ展」を開いた方。きっかけは、八日市文化芸術会館に、よく来られる方に教えられたことで、見て、びっくりとなったようです。作品についてのエピソードが、昨日も2つ、明かされました。よくシスコ作品で取り上げられるもの2つ、いずれも、この滋賀県での展示に関わるものだったのですが、「自由の女神達」に描かれている女神は、増井さんを表したもの。もともと働く女性に対するリスペクトの気持ちを持っていたシスコさんが、自分を見出してくれて、こうやって展示会を開いてくれた増井さんは女神だったようです。「エイサー水口」も、よく取り上げられますが、シスコ展の会場で、エイサーの披露があったときの描写だったそうです。そのときの写真も見せていただけ、納得できました。昨日は、孫の弥麻さんや研作さんも、また、水口での展示に当たられた方らも来られていて、発言をされていました。そういったことを考えると、関西での展示場所に滋賀が選ばれたのは、大正解だったってことですね。昨日は、日曜日、そして、会期の終了が迫っているということもあり、この美術館、何度か行ってるけど、最高の入り。山元春挙よりか、アールブリュット展、更に、この塔本シスコ展が上回っていました。前回よりも、かなり多かった。会期の問題もあるだろうけれど、それだけ、口コミで伝わっているのでしょうね。これも、驚きでした。


2022年 8月 28日(日)午前 6時 5分

 連続4日間の市民向け公開講演会の3日目はアスニー京都。今年度の前半期の「京都学講座」は、申込み日を失念していたため、昨日の講演会だけを押さえることができていました。失念していたことに気づいた段階で、狙っていた講座は、早々に受付完了していました。まだ、受付開始後3日目くらいだったけどね、素早いものです、爺婆が主流だというのに! この公開講座は、最新の考古学の成果を聴けるというので、アスニー京都で開かれるもので、人気が高いんじゃないかな? で、昨日については、そういったことから言うと、立ち遅れても残っていたわけですから、今年度前半期の不人気講座なのかもしれません。そう言えば、空席があったもんね。そのお題は「京の地蔵盆」、お話をされたのは、京都市文化財保護課の今中崇文さんでした。今中さんは、確かに、人気の考古学ではなく、民俗資料を担当されているということでのお題。祭や生活習慣の担当で、時期が、この時期に割り当てられたということで、タイムリーな「地蔵盆」を取り上げたと言っておられました。お話の中に出てきた歴史的な問題だけを、先にピックアップしてメモっておきます。京都を中心にした畿内に拡がる習慣ながら、北は東北、南は九州にも、同様の習慣が残っているとか。起源については、1638年(寛永15年)に、子どもたちによる「地蔵祭」が行われたのが発端とか、それに加えて、同じ頃、京の土木工事で、多くの石仏が出てきたため、地蔵の供給ができたからだと言われていました。明治当初の槇村府政では、「石仏撤去」「盂蘭盆会の禁止」といった政策が出たため、地蔵堂の売却が進められ、それで得た資金が、番組小学校作りの資金に寄与されたとか。番組小学校の陰の部分ですね。それに対し、北垣府政は、「盂蘭盆会の禁止の撤回」がなされ、「地蔵会の再開」「地蔵盆という呼称の登場」となったそうで、その後、コレラの蔓延があったことから、供物を使った飲食が禁じられたことから、おもちゃなどの生活物資の配布へとなり、徐々に、現在の姿が出来上がって行ったようです。今回の報告の中心は、2013年に実施された市域の全自治会・町内会へのアンケートの報告で、それを基に、現在の地蔵盆の様子を伝えるというもの。そのアンケート結果というのは、予想されたデータが並ぶだけでしたが、その中で出てきた地蔵盆のトピックは関心の尽きないものですので、それはメモっておこうかと思います。「地蔵盆の日にちは、最近は、土日に合わせて行われることが多いが、元来は8/24、それは、五胡十六国時代に生まれた“三十日秘仏”で地蔵菩薩の縁日になっているから」「お地蔵さんが、町内にないが、地蔵盆を行っているところが、アンケート結果では25%ほどあるが、壬生寺が貸し出し地蔵をしていたり、地蔵画を使ったりしている」「地蔵盆の行事として、僧侶の読経を行っているところが、約半数、特に、どの宗派がとはまとめられない」「その行事の中に、数珠回しというのが、定番だそうだ、言葉から、どのようなものかは察しがついたが、地蔵盆の付きものとは知らなかった」「地蔵に化粧をする映像の紹介があったが、地蔵が地蔵の形になっていたのに、びっくり、子どもの頃の記憶では、大きな石の塊に顔を描いたのが地蔵だったもので、しかも、全身に彩色をしていたのには、再度、びっくりした」、こんなところかな。最後に、京都の地蔵盆の特徴を3つにまとめられていました。「多様な地蔵盆の存在、小浜や舞鶴では定式化している」「都市的性格が強い、特に、旧都市域で伝承されてきた、商業化の進展が看られ、かつて、丸物では地蔵盆フェアが行われていて、福引の景品、お菓子などを売っていた」「大人による子どものための行事という性格、小浜などでは、子どもが準備から関わったり、子どもによる“賽銭の強要”という習慣まである」。コロナ禍ということで、毎度のように質疑応答なしだけど、この地蔵盆だけは外して欲しくなかったな。それこそ、「多様」なんだから、集まった人たちの地元の習慣とか、聴きたかったのだけどね、残念!
 夜は、「ブラタモリ」の新作「境港・米子」というお題。黄紺的には、「米子」と聞けば、大山が思い浮かぶので、それと境港と結びつけるって、どういうことなのと思っていたら、全く関係なかった。境港の根っこの部分が米子市だったからで、大山は関係なし。問題は、境港へと伸びる、番組では「鳥取県の尻尾」と言ってましたが、その伸びた地域がテーマだった。それは、「大きな砂州」でした。また、その「砂州」ができたわけがおもしろかった。人為的要因が大きく関わっている、これ、今までなかったトピックですね。最後は皆生温泉まで続く、壮大な物語でした。境港も、日本海側最大の漁獲高を誇るという面がトピックだと思っていたので、それは、全くついでのものでしかなかったですね。いや~、おもしろかった、意外性では1番じゃなかったかな。


2022年 8月 27日(土)午前 6時 32分

 週末の連続的な市民向け公開講演会の2日目、昨日は、初めて同志社大学の田辺キャンパスに行ってきました。近鉄興戸駅から徒歩22分と、ググると出ていました。実際には、さほどではなかったのだけど、最初、それを見たときは、ちょっとした驚きでした。朝方には家事をしなければならないと思ってた日だったこともあるのですが。とっても、せわしない午前中。一昨夜は、ヨーロッパのカップ戦もあったので、それも追いたいしと、かなりの切迫感。でも、やんなきゃでやったのですが、それはそれで上手く行ったのだけど、それで、かなりの体力消耗、あとの時間に、完璧なまでに影響が出てしまいました。午後の講演会、夜のオンライン配信、いずれも寝落ちも、激しい方にシフト。夜などは、知らない内に、ベッドに横になってました、これで、2回目ですね。そんなで、いいかげんも甚だしいけれど、簡単なメモだけは残しておくことにします。
 午後のお出かけは「2022年度 同志社大学公開講座」。たまたま、同志社大学のウエブサイトを見ていて見つけたもの。今出川校舎や新町校舎に出かけるのと、伏見からだと、時間的には変わらないと思うのだけど、なんか、京都市内と反対方向に動くと、それだけで遠出感が出てしまいます。興戸駅からは、見事に大学までの導線ができていました。丘陵地を切り開いたのですね、かつての姿を知る者としては、感慨深いものがありました。「同志社大学公開講座」は、コロナ禍で、3年ぶりの開催とか。辺鄙なところににも拘わらず、やっぱ、大学のネームバリューは凄い、大勢の爺婆が詰めかけていました。この公開講座にはテーマがあるようで、今年は「歴史にみる技術と表現」、このテーマのもと、今の時期に3回、そして、2月に3回の講演会が予定されています。昨日は、「装飾馬具と仏教美術古代金工技術の継承と断絶」というお題で、京都府教育庁文化財保護課の古川匠さんのお話がありました。レジュメを見ると、渡来人の文化、それに対応する中国や朝鮮半島の文化との対比がお話の柱と看たのですが、お話の冒頭では、同志社賛歌的なトピック(講演者も同志社出身)が入っていたり、金工作品の技術的な解説であったため、聴いているのがきつくなった実感を持った記憶があります。突然の寝落ちではなく、昼間は、お話に反応してしまいました。百済のものや新羅のものでは、とっても有名な遺跡や金工細工の名品も、相次いで出てきていました。それらを細工の仕方で分類されていき、それが、社会情勢と関わっているというお話だったように思うのですが、その細工の分類、違いが、寝落ちのため解っていないため、知らない記号の羅列にしか思えず、正直言って閉口してしまいました。瓦の分析は、帝塚山大学の講座で、すっかり馴染んできているのですが、金工品については、言われてみれば名品の数々があるわけですから、こういった研究もあってしかるべきなのでしょうが、ダメでした。ましてや、お題にあった馬具と仏教美術にまで至るお話はお手上げでしたね。ま、昨日は、同志社大学の田辺キャンパスを体感できたことで良しとすることにしましょう。
 夜は、おなじみのアートエリアB1からの生配信。昨日は、「鉄道芸術祭vol.0〜10/展覧会の記録をめぐる10の対話 その4〜金森香さんを迎えて〜」というもの。1度、予定されながら、金森さんの「体調不良」で延期になっていたもの。なんてことはない、コロナ感染のためでした。その金森さん、お名前を、すっかり失念していたけれど、知ってる人。その活動ぶりが、毎度のように、前の1/3で披露されたのですが、それを聴いていて、完璧に思い出しました。どこで知ったのか、あやしげな記憶では、京都橘大学での講演が配信されたときではなかったかなと思っています。強烈なインパクトを残した方なのに、お名前は残っていない。まことにもって失礼な話。枠に嵌めることは難しいんだけど、アートプロジェクトのプロデューサーと言えばいいのでしょうか? その中で印象に残っていたのが、「障害とコミュニケーション/表現」という見出しで行われた義足のファッションショー。また、それで、生活で義足を使われているモデルさんの存在を知ったのですが、こういった自分には、全くない発想をされる方には、もう畏敬の念しか出てこないですね、そんなでインプットされていながら、そのままになっていた。それを呼び覚まされながら、知らない内に寝落ち。これは、後の1/3で、木ノ下さんと、おもしろいトークが聴けると思ったのにも拘わらず、知らない間にベッドの上になってました。もう、サイテーです。


2022年 8月 26日(金)午前 6時 55分

 昨日から、日曜日まで、4日連続で、市民向け公開講演会の予約が入っています。各々、傾向の違うものと言っていいかな、ジャンルは、1つ以外は同じというのは、これは仕方がない、1つでも、異なったジャンルが入っているというのは、それだけで嬉しいことです。昨日のお出かけ先は、京都学・歴彩館。ここでのイベントに、ちょっと行ってなかったですね、久しぶり感がありました。昨日は、こちらで、「京都学ラウンジミニ講座」があったのですが、普段は、このシリーズ、30分で行われているので行かないんだけど、今回は1時間となっていたので行ってみました。第一、お題が良かった。「ひとびとは川を渡る-江戸時代の川と橋-②」というもので、①は、自分の都合で行けなかったが、この②を聴いて、残念なことをしてしまったようです。お話をされたのは、同館京都学推進課の松浦智博さんでした。近世の交通史を専門にしていて、フィールドは近江だと言われていました。「川と橋」、①では京都、②では近江が取り上げられました。前回は、お話を伺っていると、鴨川に架かる橋を幾つか取り上げられたようです、益々、残念感が強まってしまいました。そして、昨日は、専門にされている近江。近江と言えば、琵琶湖があり、その琵琶湖から流れ出る川は、瀬田川(宇治川)唯一つ。でも、流れ込む川は多い。その中から3つの川、また、その川の流れる、中山道の宿場町との連関性を探るというのが、お話のポイント。その3つの川、及び宿場町は次のようなものでした。( )内が宿場町名となります。合流後天野川となる2本の川(柏原宿)、愛知川(愛知川宿)、犬上川=高宮川(高宮宿)。柏原宿は近江の端、現在はほとんど岐阜県かという地域、高宮宿は彦根の近く、となると、愛知川が、一番、大津よりですね。お話は、各々の川に、橋があったのか、どのような橋があったのか、橋が水量の増加で流失した場合の補修の仕方、橋があった場合に「橋銭」が要ったかどうかといったことの考察を加えて行くというもの。柏原宿の2つの橋の補修は、領主(幕府の直轄領→大和郡山藩)の管轄、可笑しかったのは、地域から領主に対し、補修に使う木材を改めることの依頼、松では、腐朽が速すぎるため、流出頻度が上がり、地元住民は悩まされ続ける。2~3年単位で補修の要があったとの記録が出てくるそうです。それで、「松→栗→桧」へと変わって行ったとか。領主の方も、頻度が下がれば、出費も減るということで応じて行ったようです。そういった補修工事は、誰かが請け負うことになるわけですが、その際は、近江だけではなく、全国的な習慣として「入札」制だったとか。裏はあったかもしれないけれど、制度は、えらく民主的です。こういった領主が補修に当たったのと好対照を見せるのが、あとの2つの宿。愛知川は、砂川(=涸れ川)だったため、さほど、補修が忙しいということはなかったようですが、普段は、歩いて渡ってたろうと言われていましたが、水量が増えた場合には、2箇所にあった仮橋を利用、但し、水嵩に応じて橋銭を徴収して、それを、補修費用に充てていたということです。管理責任は彦根藩だったのかな、ところが、1831年に宿の有徳人(酒造業者)が出資者を募り、その彦根藩の許可を得て常設の橋を架け、そこを、「無銭橋」にしたそうです。これに触発されたようで、高宮宿も「無銭橋」を造った。こちらは、仮橋があった。ただ、それも、川越人足の役を担っていた宿の住民の願い出(どこに?)によったということでしたが、その仮橋、橋の管理をする「橋株」を持った人たちが、「橋銭」を取っていた。いや、「橋銭」を徴収する権利を「橋株」と呼んだようです。ところが、1832年、愛知川の「無銭橋」の翌年です。有徳人(商人)が、「橋株」を買い取り、「無銭橋」にしたとか。愛知川&高宮は、地元の有力者が資金を出して常設の無銭橋を造った点で共通しました。そして、そういった動きに対しては、幕府にせよ藩にせよ、強く規制をするわけではなかったとまとめられていました。そういった動きと、柏原宿との対比という形で、お話はまとまったようでした。若干、緻密さに欠けるかなとも思ったのですが、これはこれで、おもしろかったな、自然に翻弄されながら生きる近世の人たちの生活を垣間見た気がしましたからね。
 講演会終了後、展示室で行われている京都府ミュージアムフォーラム合同展覧会「あやしい・・京都」のガイドツアーがあるというので参加。展示は、既に観ていたのだけど、ガイドの始まる前にも、ざっと1周。展示は大きく2つに分けられると言ってられました。「あやしい」の意味も、それで異なると。前半は「不思議」と読み替えるもの。「なんで、こんな形のものが、、、」という「不思議」を集めたもの、後半が「怪しい」物語、「おどろしい」形のものの展示となっているとの解説。おもしろかったけれど、45分間は、腰に響きました。それが難やね、毎度のことやけど。
 歴彩館への往復は、いつものように、ウォーキングを兼ねるもの。午前中にも、ミニウォーキングができたため、昨日のウォーキングは、かなりしっかりめとなりました。雨が降るかと思い、傘を持って出かけたのだけど、結局、降らなかったようです。歴彩館に着く直前などは、空には黒雲が拡がっていたのですが、歴彩館から出たときには、道路は濡れた気配はなかったですからね。


2022年 8月 25日(木)午前 6時 33分

 昨日は、予定表には、某博物館に行くとしてあったけれど、今週は、お出かけが多いということで、二の足を踏んでしまった。またしても、当日になってから、やんぺを選択。どうも、この傾向が多いですね。その博物館でギャラリートークがあるというので、行こうと考えていたんだけど、そういった付加価値が入っているのに、この展開。映画に行かないときの感じに似てますね。そんなで、昨日は、お出かけなしの一日。夜に、オンライン配信を視聴するつもりをしていたので、こういった日の定番の日に2回のウォーキングについては、午後の部を前へ持ち上げての実施。ウォーキングついでに、某マートに寄ると、いつもの時間よりかは早めであったためか、安売りが多かったな。これは儲けものでした。おかげで、今日は、調理パンを食べる機会が増えそうです。
 そんなで、午後の一時は短め。YouTube三昧というところ。旅系YouTuberや外食モッパンの韓国系YouTuberの動画を楽しみました。日本政府が、外国からの帰国時の陰性証明の提出の見直しに入ったと言います。外国旅行の最大のネックがなくなると、やっぱ、行きたいと思ってしまうので、こういった動画に目が行ってしまいます。外国旅行再開第1弾は韓国に決めているので、外食モッパンなんて動画にそそられてしまっています。ましてや、黄紺の観た動画では、キンパプ天国で食べてた。これは刺激が強い。でも、こういったファーストフード系店舗でも、ザムが来てると言ってた。それに加えて円安の進行は、かなりの割高を覚悟しておかねばならない模様。それでも、行きたいね。Skyscannerで、航空券の値段も、つい調べてしまった。先日、アクセスしたときよりは、安い方に振れていた。やっぱ、旅行者の増加が想定されています。これなら、即決で決めるだろうなのお値段まで回復の様子と看て取りました。外国旅行をするというのなら、少なくとも大阪に行く勇気を持たねばなりません。これが、大きなハードルになるかもしれません。
 午後の一時、後半は、オペラ配信を観ることに。ウィーン国立歌劇場の「トスカ」の続きです。昨日は、第2幕を観ました。だけど、冒頭をちらりと観て、寝落ち。あまりにもあっさりとし過ぎてました。ところが、突然、「歌に生き、恋に生き」で覚醒。殺しの場面なんかは、観ることができたのですが、肝心のトスカとスカルピアのやり取りを聴けてないので、全部、終わってから聴き直すことにしましょう。やっぱ、カルロス・アルヴァレスのスカルピアの風貌と言い、声の凄みと言い、抜きん出たものがありますからね。
 夜は、昨日も、アートエリアB1からの配信を視聴。「鉄道芸術祭vol.0〜10 展覧会の記録をめぐる10の対話 その8〜松村貴樹さんを迎えて〜」というもの。今回も、前の1/3で松村さんの活動の軌跡紹介、中の1/3で展示の紹介。昨日は、木ノ下智恵子(大阪大学/アートエリアB1運営委員)さんに加えて、文(NPO法人ダンスボックス/アートエリアB1運営委員)さんも加わっての案内となっていました。そして、後の1/3がトークという構成は、いつもの通り。松村さんは、ローカル・カルチャー・マガジン「IN/SECTS」編集長という肩書をお持ちの方。今まで発行してきた、同誌の内容紹介で、その活動を紹介されていましたが、この雑誌が、なかなかおもしろそうな視点を持っています。もちろん、黄紺は、昨日初めて知ったのですが、大阪案内(B級文化化した大阪文化に懐疑的視点)があったかと思うと、アートに特化したり、生活文化に切り込んだり、今の時代、冬の時代と言われる出版業界で、この雑誌、売れているようです。だから、このトークに招請されたのでしょう。このシリーズ、前の1/3を楽しみに、観続けることに決めています。様子が判ってきているので、昨日などは、途中からは、夕食を食べながら、且つ、晩酌をしながらの視聴。晩酌のお伴に、中の1/3以後はなります。今後も、そうします。おかげで、昨夜、3週間ぶりに生配信のあったYouTubeの米朝事務所チャンネルの「米印ワールド大喜利」をスルー。後日の視聴としました。


2022年 8月 24日(水)午前 7時 35分

 昨日は、午後に、市民向け公開講演会の予定がしてあった日。これも抽選に当たったもの。この間、ずっと、当選続きです、気持ち悪いほど、続いています。それに合わせて、午前中は、いつもより早めに出かけてのウォーキング。夕方のウォーキングは、講演会場への往来で充当しました。すると、久しぶりに、2万歩超過していました。これは頑張り過ぎです。この2日間、お出かけの関係上、少なめだったため、ま、帳尻が取れたっていうところでした。
 そのお出かけ先は、伏見区役所大会議室。「伏見連続講座特別編・京都を学ぶセミナー“伏見編”」と銘打たれた講演会。「京都を学ぶセミナー」というのは、いつも京都学・歴彩館で行われているもの。それは、京都府のイベント、それと、伏見区が毎年行っている講座とがタッグを組んだもの。お題は「淀川舟運からみた伏見―「旅籠」と「船宿」―」、お話をされたのは、枚方市立枚方宿鍵屋資料館学芸員の片山正彦さんでした。始まってみると、思い出したことがあった。この会場、音響が良くない。話す人の声の出し方で、しっかりと聴こえる場合と、そうでない場合がある。お話をなさった片山さんは、聴こえにくい方。時々、マイクを近づけてお話されると、大丈夫なんだけど、でないと、かなり曖昧にしか聴こえない。これは、黄紺の耳の衰えによることも考えられるけれど、歴彩館なんかでは、こういった頻度は低いので、やっぱ、音響機器にも問題があるのだろうと思ったのだけど、そう考えてると、「前にも、ここで思ったぞ」と思い出したのでした。そんなこともあり、こういった場合の定番、寝落ちはしなかったけれど、うつらうつらとしながら聴いてしまってました。ただ、レジュメが詳細だったため、そのレジュメに沿ってのお喋りだったので、レジュメに、ポイントとなるタームにチェックを入れておいたので、後からレジュメを読み返すと、お話の要諦は判るので、それに沿ってメモを残しておきたいと思います。お題にもあるように、ポイントは「旅籠」と「船宿」の2つ。伏見は、京街道4宿(伏見・淀・枚方・守口)の1つですから、普通に「旅籠」がある。こちらは、本陣や脇本陣もありで、旅客用の普通の宿であるのに対し、船客用に飲食をふるまったり、船主・荷主絡みの仕事、船乗りの休息と、舟運に関わる宿泊施設を意味する。この両者の分布などを、史料を基にして追いかけて行くというのが、前半のお話。落語「三十石」に出てくる宿が「船宿」ですね。船客名簿を作るという作業が出てきますものね。安永年間や天保年間の史料に記されたものによると、「船宿」は、京橋・阿波橋にあったとあるそうですが、それが、徐々に拡大していく。南浜にも出てくるという史料を出されていました。その背景は、舟運の発達があったのでしょうか、「旅籠」だったものが「船宿」になって行くというケースがあったようです。もちろん、「旅籠」にせよ「船宿」にせよ、各々「株」の取得があっての営業だったようですが。そういった「旅籠」から「船宿」への転身組の1つに「寺田屋」あったそうです。レジュメには、「寺田屋」の位置は「南浜」になっています。今の「寺田屋」の位置が「南浜」? この位置についての詳細は、聴き逃しているかもしれません。で、「寺田屋」が出てきたということで、その後の、即ち、三十石船が衰退していく中での「船宿」としての「寺田屋」の変遷が、後半のお話になりました。落語「胴乱の幸助」では、汽車の出現と三十石船の対比が下げになっており、三十石船の衰退を知ることができるけれど、このお話では、まずは、川蒸気船の運行と絡めて、「船宿」の変化が語られていました。1869年(明治2年)に、大坂府が京都府に川蒸気船運行の願い出があったことを伝える史料が残っているそうで、時代が変わっていきます。一方、「寺田屋」は、鳥羽伏見の戦いで焼失したそうですが、1906年(明治39年)には、営業を再開していることが判っているそうです。川蒸気船に替わっても、「船宿」は、川蒸気船用船客のために残っていたようですが、京阪電気鉄道の開通(1911/明治44年)以後は、徐々に淀川舟運自体の衰退が起こっていくようです。そういった中でも「寺田屋」は残って行く。そこに異なった価値、即ち、観光名所としての地位で残って行ったことを、料理組合の広告や伏見町誌を使いながら示されていました。お話の筋立てとしては、わりかし浅薄なもの、そのおかげで、メモることもできるのでしょうね。お話の時間も1時間と短め、このご時世、珍しくなっている質疑応答もありでしたが、相変わらず、そうなると、己の言いたいことを言う人、何を言っているのか判らない爺さんがマイクを持つものですな。
 せっかく、伏見区役所へ来たのだからと、前回も、そうしたように旧伏見港跡へ。そこへ行ってみようかの気にさせる、講演のお題でしたものね。中書島の駅を抜け寺田屋方向に歩くと、そこは中書島遊郭跡。昭和の香りのするスナック群も、随分と減ったものですが、普通の家屋になっていようが、他の店になっていようが、メーンストリートに面する各家屋の間口は、かつてのスナックのまま。まだまだ、面影を感じることができます。ここが遊郭だったことを知らない人が歩いた場合、このスナック群の残り香を見て、遊郭跡とは思わなくても、「造りが変」と感じるだろうかと、毎回、思ってしまいます。でも、感じようと思えば、まだ、感じられるというのが、昨日、歩いたときの感想です。


2022年 8月 22日(月)午後 10時 20分

 今日は、映画に行く日と決めてあって、そして、実際に行った日。最近、映画と予定表に入れておきながら、当日になり、2回、流しているので、ちょっと間が開いたかな、映画。一旦、流すと、他の日に振り替えようかとも、この2回は思わなかった。それなら、端から予定に入れなきゃええがなと思うのだけど、入れたときは、その気になってるのですね。今日も、若干の躊躇いはあったのですが、これは、単に行かないという癖がつきかけていたのかと思うのですが、今日は、再度、映画館の作品紹介の短文を見て、行く気が戻ったのです。出演者に、目が吸いつけられたからでした。京都シネマでの韓国映画「キングメーカー 大統領を作った男」が、その映画。今日は、午後に2回、上映があったのですが、その内の早い方を選択。遅い方だと、終映時刻が午後6時だったので諦めたのだけど、そのため、昼前がせわしない。昨夜は、マッチデイだったこともあり、午前中は時間的余裕がないため、昼前のウォーキングは、「20分も歩いたかなぁ」という程度でお出かけとなりました。原題は「キングメーカー」だけ。邦題の付け足しにもある「大統領」は、キム・デジュンを想定したキム・ウンボム。その参謀として影になり活躍する人物ソ・チャンデとの物語。キム・ウンボムをソル・ギョングが演じるということを知ったため、外すわけにはいかないの気になったのでした。「ペパーミントキャンディー」を観てから、20年以上経っているでしょうが、風貌は、大きくは変わっていない。後半の老け顔などは、無理してメイクしてると感じさせるほど、これは驚いたなぁ。ソ・チャンデ役はイ・ソンギュン。いい声してます。どこかで観たなと思って調べてみると、「パラサイト」を観てないもので、すぐには判らなかったのだけど、「コーヒープリンス1号店」に出てた。このTVドラマも2007年のものだから、随分と時間が経っている。正に、この2人のための映画って感じ。筋立ては、パク・チョンヒを想定しているパク・キス大統領の与党共和党政権に対し、野党新民党の議員として台頭していくキム・ウンボムの姿を追うというのが基本線。冒頭では、インジェ(麟蹄/なんで、こんな山中を選んだんだろう?)の薬局で働くソ・チャンデが、新民党候補をけし掛けるところから。「政策は全うだけど、それでは勝てない」と突っ張った感じで言うソ・チャンデ。このソ・チャンデの手法というのは、「勝てばいい、手段は選ばず、既に、共和党はやってるじゃないか」的な発想で、キム・ウンボム陣営に入り込んでいき、その実績を上げていく。この辺の手法が、ちょっとチャリ気味。実際、田舎選挙に、賄賂三昧、やったらやり返せ的な、当時の選挙スタイルを、半分以上は揶揄ってるんでしょうね、デフォルメしながら。そして、独裁政権などは、お笑いの対象化しており、存分にチャリの材料になっている。植民地時代の日本人を、デフォルメしながら揶揄するのと、スタンス的には似たものを感じます。それだけ、韓国社会の成熟を看る思いがします。キム・ウンボムは新民党内部でも地位が上がってきた頃合いに、1971年の大統領選挙に向けた党内候補選びが、この映画の大きな山に設定されています。決して、党内支持率を確保しているわけではないと看たソ・チャンデが蠢きます。ここはチャリ的要素を残しつつ(新民党総裁の扱い)、対立候補の蹴落としは見せどころ、脚本の力を見せたところ。結果、キム・ウンボムは新民党の大統領候補になります。しかし、その後、政策論争に持ち込もうとするキム・ウンボムに対し、ソ・チャンデは、手練れた裏の手を使おうとし、実際に、キム・ウンボムの知らないところで使ってしまいます(ここが、「使った」のかどうかが、最後に曖昧にされたようでしたね)。袂を分かつ2人。大統領選挙は、不正があったとかは置いておいて、負けますね。ソ・チャンデは、パク・キス陣営で動いて勝たせるという形で活動は続けるのですが、1975年の選挙にも負けます。この選挙の支援も、パク・キス陣営から求められるけれど、「勝つのが判っている」として手は出さずじまいで、2人の関係は切れたまま。そこで、1988年のオリンピックの年に舞台は跳びます。昔、陣営が集ったシクタンで邂逅する2人、でも、この邂逅は、ソ・チャンデの妄想? 映画のラストでは、ソ・チャンデが一人だけで、件のシクタンに座ってました。邂逅のあとだったのか、正に妄想だったのか、曖昧なままで、映画は終わります。観る者は、その後を知ってますから、エンタメとして楽しむことができます。拉致、死刑判決といった重いトピックは、邂逅の場面で語られるだけ。そんなだから、政治的意図を感じようもない映画。素材を、あの時代に求め、それをエンタメとして描く。それを観ることで、評価の固まった時代の上に、その後の展開を経験している韓国民を知ることができます。いつの間にか、並ぶ間もなく、韓国の民主主義は、日本のそれを抜き去った感じになりました。


2022年 8月 22日(月)午前 7時 25分

 昨日は、午後に城陽でコンサートに行く日。しかも、日曜日ということで、日曜美術館がある、それも、朝と夜に。高校野球が決勝だかなんだか知らんけど、邪魔せんようになったから、日曜美術館が観れる。その影響か、編成が変則的。朝のは、先週の夜に放送された新作の再放送で、夜の放送は、かなりの旧作、この編成のわけは知らなくても、観たことのないものを観れるというだけで、こちらは結構なことです。朝の方は、「ウクライナ 子供たちの1000枚の絵 〜北海道・巨大じゃがいもアート館〜」というお題で、根室町に、夏の間だけオープンする赤レンガ倉庫跡にあるアート館、その運営にあたる、現代アートの浅野修さんの活動の紹介でした。また、黄紺的には、新しい作家さん、登場です。アート館には、自作の木作りのオブジェを展示しているけど、今回のトピックは、もう1つの方にシフトしたもの。浅野さんは、カナガワビエンナーレという、国際児童画コンペで入選しなかった作品を譲り受け、展示という陽の目を見なかった作品を、このアート館で展示している。地域の人々も、巨大オブジェの制作や、児童画展示に関わっている。その様子も、カメラは収めてくれていたけれど、今年は、ウクライナの戦争を受け、ウクライナの子どもたちの作品を並べるということをメーンにしている。また、番組には、キーウ出身で、文学者で日本語の堪能なオリガ・ホメンコさんが、このアート館を訪ねる様子も撮っている。オリガ・ホメンコさんは、作品を観るだけではなく、作品を送ってきた子どもの今を探るという役割も担っていました。オンラインで話したり、避難先のドイツ在住者も訪ねて行っていました。現地スタッフは、多くの作品を送ってきた学校の様子をカメラに収め、また、西部に避難している、その学校の教員にも接触、インタビューも行っていました。更に、その教員が、現在、指導している子どもたちの作品を、実物は送れないというので、画像にして送ってもらい、戦争前の作品と並べて展示するということをやってました。その中に1人(オリガ・ホメンコさんがオンラインでインタビューしていた子ども)は、戦争が始まる前にも作品を送っており、また、今回も、新たに画像として送られてきたものにも作品を送ってきていました。この同じ子どもの戦争前と開戦後の作品の並列は、かなり衝撃が走りました。展示作業を手伝ってられた地元の方と思われる人は絶句されていました。浅野さんは、樺太でソ連による進攻を経験していることを吐露されていましたが、その経験が、この展示に思い至ったようでした。
 午後のコンサートは、文化パルク城陽でのもの。「関西フィルハーモニー管弦楽団 第12回城陽定期演奏会」と銘打たれたコンサート。ニューイヤーコンサートも、同じ会場で行われているので行こうとしたこともあったのですが、同日同時刻に京都市響もニューイヤーコンサートを行うということで断念したことがあります。だから、今回が初めて。来年のニューイヤーコンサートは、この城陽の方に行くつもりを、既にしています。また、同じ日かどうかは知らないけど、京都市響は、来年は、ニューイヤーコンサートという名のポピュラーコンサートというプログラムになっているので行かないつもりです。今回のチョイスは、とにかく、プログラムがいい、ソリストがいいということでのチョイスでした。プログラムは、「ドボルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 作品104」「ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 作品27」、チェロ独奏は上野通明、指揮は藤岡幸夫というものでした。ローカルな場所ではありえない顔付けに、メーンの選曲です。近鉄寺田駅に降りたとき、びっくりしました。人が多い、まさか、この人たち、同じところに行くのと思ったら、その通りでした。びっくりしたなぁ! 初めてのホールだったけど、なかなか音響のいいホール。ストレートに生の音が伝わってくるという印象。座った場所も良かったのかな、中ほど右端の席では、そのように思えて、このホールのお宝となるお席と、黄紺の頭にインプットされてしまいました。ドボコンは、2楽章が秀逸。抒情的な中に、朗々と、チェロが歌う、いいですね。ただ、一貫して、チェロに絡んで来る木管が気に入らない。無機質なのです。特に前説で、藤岡さんが、ここには、ドボルザークが胸を焦がした人との永遠の別れが潜んでいると言われてるのにと、突っ込んでしまってました。その一方で、朗々と歌うチェロの音色が最高でした。となると、3楽章などは、その勢いをかって、コンサートミストレスとの掛け合いも抜群と、一気呵成に進行、ええもん聴けました。ラフマニノフは有名曲ながら、そうは出ない曲じゃないかな? 今まで、生では2回かな、聴いたのは。その内1回は覚えているのですが、「日本センチュリーの定期だったかな?」と、詳細はあやしい。でも、これが出るというので行った記憶があります。場所は、シンフォニーホールであることは間違いない。変化をつけた、各楽章に特徴があり、きれいな曲です。相変わらず、木管には乗れなかったけれど、弦が力強いので、また、そのように聴こえるホールなもので、満足しました。「今度、この曲を、生で聴けるのはいつかな」、こういった考えが、また出てしまいました。その裏には、「最後かな」が付きまとっています。
 いつものコースで帰宅、午後6時からのオンライン配信も狙ってたけれど、いつものコースを採用すると、ウォーキング込みになり、家に着くと、午後6時を過ぎていたので、断念。でも、夜の「日曜美術館」には、余裕を持って臨むことはできました。「陶器のボタンの贈り物 三宅一生と陶芸家ルーシー・リー」というお題で、2009年初出のもので、先日亡くなった三宅一生追悼的な放送でした。姜尚中がMCを担当していた時代の作品です。陶芸家ルーシー・リーという人を、初めて知りました。三宅一生が、書店で、ルーシー・リーの作品集を見たことで、直接訪ねて行ったことから交流が始まり、ルーシー・リーが亡くなったときに、遺言で贈られたのが、お題にある陶器のボタン。ウィーン生まれで、且つ、陶芸家としての活動を始めたウィーンが、ナチス色が濃くなっていった時代、ユダヤ人であったルーシー・リーは、イギリスに亡命し、ロンドンにアトリエを構えます。そのとき、生活のために制作したのが陶器のボタン。三宅一生は、出会ってから3年目に初めて、このボタンを、ルーシー・リーから見せられ、そのエピソードを知ったと言います。生活のための制作とは言え、土に対する手の感触を確かめるかのように作っていたのだろうと、三宅一生は言ってました。そして、そういった陶器のボタンを使い、それを活かした服を、三宅一生が制作するというプレゼント。実際に、スタジオでは、MCの女性アナウンサーに着せていました。三宅一生は、ルーシー・リーの作品を集めて展示会も開いたことがあるそうで、その中で、1つのポットだけは展示するかで、迷いに迷ったと言います。バーナード・リーチとの逸話が、そこには潜んでいました。民芸運動にも関わり、登り窯を使い制作をしていたバーナード・リーチの作品に比べて、ルーシー・リーの作品は薄い、あまりにも薄かったからだそうで、その批判を受け、ルーシー・リーに迷いが生まれたときの作品だそうで、その後、ルーシー・リーは、試みを続け、後の独特の厚さの作品が出来上がり、それは、バーナード・リーチも認めたと言っていました。ルーシー・リー作品の特徴のもう1つは、線条紋、縫い物の針と言ってたかな、その針を使い、手書きの線条を等間隔に(但し、手書きなため微妙に揺れている、幅も微妙に異なる)入れて行くといったもの。それに釉薬との組み合わせで、オリジナルな作風が出来上がるというもの。ルーシー・リーは、アトリエに設けた電気釜を使っていたそうで、そこからの作品出しの映像も紹介されていました。


2022年 8月 21日(日)午前 6時 50分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。珍しい方ですね、土曜日に出かけないというのは。実は、某講演会に申し込んでありました。抽選制ということで、行けるかどうかは判らなかったんだけど、連絡が来たと思ったら、抽選の当否ではなく、講師の都合で中止というもので、びっくりというか、これじゃ、受付なんかなければ良かったのにと思っても、どうしようもない。で、何もなしにはなったのだけど、久しぶりに、「ブラタモリ」の新作があったから、ま、我慢しましょう。となると、昼間は、ルーティンにしているウォーキング2回だけが外出時間。昨日は、夕方が怪しい天気だったため、傘を持って出かけたけれど、大丈夫だった。昼前も、雨雲レーダーを見ると、休憩&読書をしていると、雨に遭う可能性があるというので、そそくさと歩くだけにしました。その分、午後の一時が長くなった。そんな一日でした。
 午後の一時は、この間、旅系YouTuber氏(アジアトラヴェルノート)のインドネシア旅を観ていたのが、おもしろかったので、じゃ、いつも、旅系と言えば贔屓にしている無職旅氏の動画でインドネシア編を探すと、あった。ただ、インドネシアに入る前に、香港経由で行っているため、第1回の動画は、全編、香港だった。随分と香港にも行ってないので、つられて観てしまいました。後半は、オペラ配信を楽しむことに。ここまで観ていたローマ歌劇場の「エルナーニ」を完走。毎度、書いてきたけれど、歌手陣の充実ぶりに痺れる、そういった公演ですね、これ。久しぶりに遭遇したアンジェラ・ミードが腕を上げていたのが、驚異と言ってもいいほど、最大のセールスポイントですね。そして、もう1本、観ることにしました。ウィーン国立歌劇場の「トスカ」(マルガレーテ・ヴァルマン演出)をピックアップ。これも、いい歌手が顔を見せているということで選んでみました。字幕は、一切ないけれど「トスカ」は大丈夫ですからね。その歌手陣の顔ぶれは、トスカがカリネ・ババジャニアン、カバラドッシがピョートル・ベチョワ、スカルピアがカルロス・アルヴァレスといった豪華布陣、さすが、ウィーンです。ババジャニアンは聴いていると思ってたんだけど、思い込んでいた公演は、他の歌手が歌ってたので、不確かになっていてはいるんだけど、いずれにしても、黄紺が、その名を知っているということは著名な歌手であることには間違いない。ピョートル・ベチョワは、フランクフルトで、リーダーアーベントを聴いている。現在、最高のテノールの一人であることは間違いない。カルロス・アルヴァレスは、未だ聴いていない歌手で、とりわけ聴きたい歌手の一人。そんなで、この動画を選んだわけですが、1幕の終わりまで視聴したけど、思惑通りの出来で、至極、満足。装置の合理性にも拍手です。1幕と言えば、カバラドッシが、教会堂内で壁画を描いている場面、だけど、ラストには、その教会堂でテ・デウムが歌われる。特段、変化技を使わないのなら、できるだけ、無理のない教会堂内の再現、人の配置、テ・デウム時のコーラス&歌手陣の位置取りは、合理的なものにして欲しい。その上で、合理的なデフォルメをして欲しいと、常々、思っているところなんだけど、このプロダクションは、黄紺の、そういったニーズに応えてくれていたと思います。教会堂のファサードからアプスに至る、縦のラインを、舞台後部に、若干、斜めに取ってあった。右奥が奥深く、左前が舞台前へとシフトする斜め、でも、傾きは浅くしてある。だから、テ・デウムは、右奥から聖歌隊が入ってきて、左前方向に軽く傾いた状態で歌う。要するに祭壇に向かい歌うという形を取っている。この当たり前のことを、舞台に再現してくれています。カバラドッシが描いているのは、側廊沿いにある礼拝所(イタリアの場合だと、有力な家系が押さえている)。ただ、側廊は省き、カバラドッシの仕事場は、デフォルメされており、舞台前面になるように拡げられているといったもの。レイアウトとして、無理がなく、省いたり、拡げたりというデフォルメの工夫も、的を得ていると思えました。「トスカ」は、いろいろと観てきたけれど、こういった合理性を無視するものが多いですね。スカルピアは、テ・デウムを歌うとき、正面を向いて歌っているが、最後は、祭壇に向かい祈りの姿勢を見せるというもの、これも合理的。スカルピアにも祈らせるというのも気に入りました。「トスカ」は救いがテーマですものね。
 「ブラタモリ」は「桜島編」。そこでの生活に的を絞った構成。その中で、黄紺の長年の謎が解けました。黄紺は、学生時代、桜島に行ったことがあるんだけど、鹿屋方向、即ち、陸繋がりになっている東側から入り、桜島の南端の道路を回り、フェリー乗り場まで行くという行程を採ったんだけど、島に入ってから、ずっと、それこそ溶岩がごろごろといった状態だったのが、フェリー乗り場が近づいてくると、それが和らいでくるという不思議。これが、強烈な記憶として残ってたんだけど、その謎が解けました。桜島には噴火口が2つあるのです。北岳は古く、既に、噴火はしていない。だから、風化が進み、緑も増えている。それに対し、南岳は新しく、江戸時代、そして、大正・昭和という噴火で産まれ、これが、今も噴火を続けているから、風化も進んでいない、緑も少ない。だから、ヴィジュアル的に、溶岩がごろごろとなるということでした。しかも、今のように噴煙を撒く散らすようになったのは、戦後からだとか。それを墓地で教えてくれてました。屋根ありの墓地に対して、西南戦争での死者の墓地には屋根がない、噴煙被害を受けないからというわけです。大隅半島に繋がって行く様子などは、写真が残っているほど、新しいこと。ホント、島に入った後の強烈な景観は、忘れることができないですからね。最後は、噴火の予知に関わる京大の観測所で仕上げになっていました。次回は「境港・米子編」だって。海と山とを1回でやっちゃう、その心が読めないから、めっちゃ、気になる。境港は漁獲高が高いから、米子は大山があるから、この2つは、いずれ放送があるだろうとは思っていたけれど、一緒にする? 判らないのです。


2022年 8月 20日(土)午前 7時 00分

 昨日は、朝からのお出かけ予定が入っていた。今週、2回目となります。前回は、アスニー山科だったけれど、昨日は、アスニー京都の方。山科の方は、この間、コンスタントに行っていたけれど、この丸太町通にあるアスニー京都の方は、久しぶり。真夏に入ってからは初めてのような気がします。単に、関心のないテーマの講演会があっただけで、理由はそれ以外にはない。今回も、若干、躊躇はしたんだけど、昨日から始まる4回シリーズの1回くらいは聴いておくかの心で申し込んでありました。そのシリーズは、昨年もあったのだけど、「双京構想連続講座」というもの。「双京構想」って、世間の人は知らないと思うけれど、一部の皇室に京都に住んでもらい、東日本大震災のようなことが東京に起こっても、皇室の血を絶やさないというもの。で、関連の講座となると、皇室絡みのテーマが設えられています。昨年は、皇室行事が、一般にも拡がったとして、民俗学的なテーマ設定が続き、とっても楽しく聴くことができたのだけど、今年は、帝王学に関する史料を、順次提示&解説するというシリーズなため、そこまで皇室ファンではないので、気乗りがしなかったというわけ。とりあえずは、昨日の1回だけということで、時代設定が中世ということも手伝って、申し込んでおいたということです。お題は「宇多天皇の“寛平御遺誡”」、お話をされたのは、京都産業大学名誉教授所功さんでした。京都産業大学のギャラリー展示の関連企画で、以前、お話を聴いたことのある、皇室史のプロの方です。お題にあった宇多天皇は、平安時代前期の天皇、桓武天皇からは4世代あと、祖父が仁明天皇と、世間では知られていない人だけど、子どもの頃、住んでた家の近くに、その陵があったので、自分的には知っている天皇。冒頭で、こういった系図で宇多天皇の位置のお話がありました。2代前の陽成天皇という人が暴力的な人だったため、清和天皇の系統を外してしまったことから、宇多天皇には思いがけない即位になったそうです。その宇多天皇が、後継となる息子の嵯峨天皇のために認めたのが「寛平御遺誡」。お話は、そこに記されていることを、箇条書き風に紹介するというものでした。講演に先立ち、「双京構想」のPR映像(去年も観たけれど、犯罪者が映っている! ええかいな? 他になかったんかいな?)が流されたため、実質の講演時間は1時間余になり、そういった構成にならざるを得なかったと看られます。そこで取り上げられたトピックを拾っておきます。「毎朝、祭祀を行う、、、ここに記されたことで客観化されるという影響力を持つ文書です」「猫の記事は、どんな意味があったのだろうか? 半寝だったため、よく判らない」「侍臣の考えを聴くこと、聖哲なる君主は、必ず補佐に依っている」「学問を務めよ、、、学問とは儒学を指す」「唐の太宗の命で編まれた“群書治要”の学習を怠るな」「賞罰を明らかにすべし、但し、色を形にするなかれ(=感情に左右されるなかれ)」「藤原時平は、女性問題で失脚したが、その能力を侮るなかれ」「菅原道真の高評価」といったところか。半寝で聴いてしまうことになったのですが、要旨はこないなところ。これでは、どうだったんだろう、まともに聴いて良かったと思っただろうか? やっぱ、次回からは行かない心積もりで正解でしょうな。
 夕方、所要があり、弟の家に行った。ちょっと気になってたことがあったので出かけてみたのですが、それで正解。気になってたことが解決しました。そういったことのあと、姪っ子一家全員が、コロナ感染をしたこと、そのため、弟夫婦も濃厚接触者扱いになったとか。初めてです、自分の周りで感染者が出たのは。皆には悪いと思ったけれど、ちょっとわくわくしてしまいました。弟の友人にも感染者が出ているそうです。都道府県により、対応に違いがあるようですね。感染したときには、連絡先を携帯のそれにしておくことの大事さなんかを学習しました。迂闊に、固定電話番号を知らせたため、保健所からの連絡が遅れる傾向にあったとか、そんなことを知ったということです。


2022年 8月 18日(木)午後 11時 34分

 今日はお出かけ日。午後から、滋賀県の文化講座、題して「花湖さんの打出のコヅチ」に申し込んでありました。元々は、びわ湖ホールに行ったときに、お知らせのポスターを、偶然見つけて以来、毎年、お世話になっている講座。今日は、「敏満寺の銅造大日如来像と多賀町の文化財~令和3年度滋賀県新指定文化財紹介②~」というお題で、琵琶湖文化館の和澄浩介さんのお話がありました。多賀町は、多賀神社で、その名は知ってはいるけど、その多賀神社すら行ったことのないところ。そこに、かつてあった敏満寺の遺物、敏満寺自体は、戦国の世、浅井長政や織田信長に焼かれ廃寺となってしまい、その跡地が胡宮神社として引き継がれていると言います。その敏満寺の遺物は、地域で引き継がれているということで残った、それが、今回指定を受けた仏像というわけです。が、その仏像の報告、ここが、この講演の核だったと思うのですが、そこで、あっさりと寝落ち。「胎内仏」という言葉が出ていたようなので、レジュメを見ても、当の仏像が、それに該当するのか、それとも、当の仏像に胎内仏があったのかが判らないまま。こんなことばかりです。あとは大丈夫だったのに、一番のところで居眠りしてしまってました。ただ、レジュメには、「慶派」というタームが出ています。初めて聞くタームですが、なんてことはない、運慶・快慶の「慶」を取っています。その一派の作品ということです。その確認が取れたから、指定されたものと思われます。こういった「慶派」の仏像に限らず、近江は、やはり京都の近いからか、優れ者の仏師の手が関わったという優れた仏像が多く残っていると、和澄さんは言われていました。次いで、お話は、敏満寺の発展を示す俊乗房重源の話題に。この僧侶、齢60を過ぎてから、平家により焼き討ちを受けた東大寺を再興した張本人。大勧進の任を担った人物ですが、その重源が、名だたる寺院とともに、この敏満寺に関わっているというのです。東大寺復興の拠点、即ち「別所」以外に関わった寺院の1つに、この敏満寺が入っています。「別所」には、快慶作品が残っているそうで、そういった関りで、この敏満寺に慶派の仏像が残ったことが考えられるようです。でも、なぜ、敏満寺が、それだけの高位を得ていたのか、その辺の話、聴きたかったなぁ。学芸員さんは、自分のテリトリーだけを探っておられるということなのでしょうが、こういった講演となると、不十分だなぁ、それでは! お話では、期待の方向には行かないで、多賀町内に残る重源ゆかりの文化財の紹介に移りました。ここでも、敏満寺だけではなく、地域として、大変な高僧との縁が確認されているというのに、堀下げないんだなぁ。そうじゃなくて、お話は、多賀大社ゆかりの文化財の紹介へと進んだだけでした。ここに、やはり優れた仏像があるということで、京の仏師の関りが想像できるということですが、近いと言っても、大津じゃないんだから、三重県に接する地域なんだから、「なんで?」が出てきても当然じゃ、ありません? 来年から、この新指定を受けた文化財紹介講座は、パスしようかの気になってきています。前回も、同様のこと感じたからね。
 夜は、昨日に続き、アートエリアB1からのオンライン配信を視聴することにしたのですが、前日よりか、ひどい展開、ほぼ寝てしまってました。昼間と言い、夜と言い、あんまりです。夜など、知らない間に、ベッドで寝てました。昨日よりか酷くなっています。なんでか考えたら、昨日の夜、なかなか寝付けなかったこと、思い出しました。最近は、睡眠時間の確保が進んでるというのに、昨夜は酷かった。ま、それのせいにしておきましょう、でないと、ちょっと酷すぎるので。何があったかだけは、メモっておきます。「鉄道芸術祭vol.0〜10 /展覧会の記録をめぐる10の対話 その7〜稲田浩さんを迎えて〜」というもので、この間続いているトークシリーズの1つでした。稲田浩さんは、『RiCE』、『RiCE.press』編集長との紹介がありましたが、黄紺的には、ともに知らない雑誌です。こちらへ招請されるということは、著名な方と思うのですが、雑誌の名を聞いても、その活動内容を推測できないというのは、甚だ悲しいことですね。お相手は、いつもの木ノ下智恵子、久保田テツのお二人でした。


2022年 8月 18日(木)午前 7時 28分

 昨日は、朝からお出かけが入っていた。ここから連続的に、お出かけ予定が詰まっている。残念なことに、土曜日に予定されていたイベントは中心になってしまったので、よりによって、土曜日が空きにはなってしまったけど、少なくとも来週の火曜日まで、お出かけ予定は入っている。ま、それはそれで嬉しいのだけど、ゆっくりとルーティンにしているウォーキングをしながら、休憩がてらの読書時間が削られることになるだろうなと思うと、ちょっと寂しいけれど、お出かけ予定がないと、それはそれで寂しいから、どちらとも言えないというのが、正しい言い方なのでしょう。
 で、朝からのお出かけ先はアスニー山科。いつも、お世話になっていますが、昨日は、アクシデントがありました。朝から晩まで、一日中、不安定な天気が、ここでの講演会に業を成しました。講師だった河内将芳(奈良大学文学部史学科教授)さんが、定刻に現れなかったのです。お住まいが滋賀県内ということで、豪雨のため、恐らくJRが停まったようですね。講演が終わってから、JR山科駅では、電車が停まったままで戸惑いましたから。それよか、1時間以上前では、半端じゃなかったでしょうから。ただ、黄紺の場合は、京都市内から山科へ向かったわけですから、その被害には遭わないで、ごく普通に行ったものですから、結局、ほぼ50分、待ちました。会場は、11時50分明け渡しだそうで、通常なら1時間半の講演時間が、その2/3になってしまったけれど、仕方ないね。その後の雨の降り方を見れば、普通じゃないから、受け入れるしかないと看ました。講演は、「秀吉の生母大政所について」というお題だったものだから、恐らく希望者が多かったのではないかな? 会場を眺めると、こういった戦国時代ものは、圧倒的に爺さんが多いですね。冒頭では、秀吉の「日吉丸」命名、及び、元旦生まれの根拠となる史料の紹介がありました。後者については、講談での「太閤記」では、決まり文句「オンギャー」で産まれたとあります。いずれもが、寛永年間の史料由来のものだから、かなりの眉唾物。一方、大政所の初出は、秀吉の関白任官に関わってだそうで、かなり遅い時期に出てきた。関白になるためには、盛りに盛った内容を吐露するようですが、大政所の生年に関しては、他の史料との符号が看られ、正確だそうです。大政所の20歳の時の子どもが秀吉だそうです(妹の南明院の墓は東福寺にあるとか、名を取った塔頭まであるそうです、探しに行こうかな?)。そんな遅い時期の初出だから、史料的には、晩年の様子しか判っていないのが大政所。そこで取り上げられたのが、史料に出てくる、大政所の病に関するもの。天正16年の病は重篤だったようで、秀吉は、神仏に延命を願っている直筆の書状が幾つも残っているそうです(ここで花押についてお話があり、秀吉のそれは「悉」だそうです)。赤痢だっと思われるそうですが、無事恢復。でも、秀吉は祈願を立てるときに、寺社に寄進を認めていたのんで、病気恢復後は、その寄進に勤しんでいるのだけど、それが、今回のトピックの本題だったようです。寄進に応じるも、それは寺社の施設の造営に限るとして、それを申し出なかった寺社に対しては、寄進額の減を申し渡しているとか。なんとしても、寺社の造営に躍起になっている。この機を捉えて、大政所を家の先祖にしようとしたのだろうと言われていました。その政治的背景を、最後に言われていたのですが、ここで寝落ち。なんでやねんと突っ込みたくなるほど、最後の最後が消えている。勿体ない、あり得ない勿体なさ、です。
 講演が遅れた分、帰宅も遅れ、お昼ご飯も遅れたけれど、午後の一時は確保できました。おかげで、オペラ配信の続きを観ることできました。ローマ歌劇場の「エルナーニ」です。それにつけても、筋立てに無理があり過ぎ。三すくみで、付いたり離れたり。中後期以後の作品は、その辺りのところが整っていくというのが、ヴェルディの進化ということなのでしょう。その一方で、この時期の音楽の、ブンチャカと威勢のいい音楽があるかと思うと、ハッとする工夫があったりと、それはそれで楽しめます。相変わらず、メーンの歌手陣の凄さに、圧倒され続けています。いよいよラストという手前で時間切れ、毎度のことと言いながら、肝心のところで切り上げてしまっています。
 夜は、アートエリアB1からの配信を視聴。「鉄道芸術祭vol.0〜10」での、新しいお客さんを迎えての生配信。「展覧会の記録をめぐる10の対話 その6 〜渡邉朋也さんを迎えて〜」というお題で行われたのですが、渡邉朋也さんは、山口情報芸術センター[YCAM]ドキュメント・コーディネーターという肩書をお持ちの方でした。このシリーズの常として、前1/3は、講師の活動紹介、中1/3は、現行展示の紹介。後1/3は、トークというプログラム。昨日は、ここまでMC役を務めてこられた木ノ下智恵子さんに加えて、久保田テツ(大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション准教授)さんも登場して、3人でのトークで進行されていっていました。ただ、今回も、集中できていたのは、前の1/3。肩のこりが酷いものだから、また、ここまで何度も聴いてきたお話だからと、中の1/3を、ベッドに横になりながら聴いたが、本当に寝てしまいました。後の1/3は、集中力落ちたのか、また、お話の内容が、電車を使ったパフォーマンスのおもしろさや課題といったもので、それが原因でそうなったのかは別にして、頭に残っていないのが現状。前の1/3にそそられたのとは、大きな違いを出してしまいました。山口情報芸術センターという施設自体、知らなかった。山口市という、いまいち目立たない地方都市に、これだけの活動をする場が用意されているだけで、驚異でした。具体的にインスタレーションの映像を見せていただけたのですが、トピックとしては、そういった映像で示されたのは、過去のインスタレーション作品の再現という問題。ITを使い、凝った仕掛けをすると、その再現が、困難を伴うという問題。PCの進化に伴い、過去のアプリケーションが機能しなかったりするための対応に追われるというテクノロジーの問題だけではなく、著作権の問題が発生するというお話は、とっても新鮮。更に、作家さんが亡くなっていると、制作に当たっていない、言い換えると、詳細を把握できていない遺族との間で著作権交渉をしなければならない難しさ。IT的に無理となると、それなりの対応をしなければ再現できない、作品のコンセプトを最大限活かす、亡くなった作家さんが生きていたら、進化したテクノロジーを使うことは明白だったとしても、そうは簡単に使えない問題が横たわっているということですね。この間、このトークシリーズでテーマとされている、アート作品の保存、アーカイブ化したりすることの、全く知らない側面を聴けて、とっても興味が惹かれました。紹介されたインスタレーションともども、おもしろかったなぁ。


2022年 8月 17日(水)午前 6時 30分

 一昨日に続いて、全く予定の入ってない一日。今日からは、お出かけを含めて、予定表には、何かしら入っているのだけど、昨日は、何もなしの一日。こういった日には、トルコ・リーグが開幕しているというのが有難い。今年は、W杯イヤーだけど、開催場所が暑いということで、11月だったかになったため、リーグ戦も、ヨーロッパのカップ戦も、前にシフトしているので、こういった日は、気になるものがあるだけで、嬉しいものですね。
 何もないとなると、外出は、日に2回のウォーキングの時間だけ。昨日は、気温は高いのは、ここずっと続いているのと変わらないのだけど、ずっと、風が吹いていた。それも、わりかし、いい風なのが、ホント、嬉しい。傍らを歩いていた爺さん2人連れの会話が耳に入った。「お盆過ぎると、変わると言うしな」、なるほど、そういう言い草、ありますね。言葉を聴いたときには、「この気候変動の時代に、爺さんやなぁ」とは思ったけど、実際、いい風に遇うと、「ホンマや」に替わってしまったほどの、いい風が、一日、吹いてたんじゃないかな。少なくとも、夕方のウォーキングのときも吹いてた。
 そんな日だったけれど、火曜日ということで、Radikoの世話になりっぱなしの一日。まずは、KBS京都の「まーぶる」を聴いて、夜は、これまた、KBS京都の「吉の丞のおつかれさん」を聴くという日になりました。すっかり、火曜日の定番となっています。「まーぶる」の方は、梶原アナが復帰して2回目。ホント、二葉とのやりとりがいいですね。この1週間、二葉は、東京との間を往来していたはずなのに、そればかりか、高崎まで足を延ばしてるのに、そういったトピックが当たる前になってるのか、ラジオでは、一切触れなかった。出てきた話題で、一番、スパークしたのが、変なタクシードライバーのこと。これはこれでおもろかったけれど、黄紺のニーズは、落語に関してのおもろいこと、落語家の行動としての二葉の動向。それからすると、不完全燃焼。そういった意味では、「吉の丞の、、、」の方が、おもろかった。横浜にぎわい座出演に絡んでのトピック満載でした。でも、ほぼ月曜日の米朝事務所チャンネルの生配信で聴いたこと。米紫に隙を与えるトークが多すぎる吉の丞です。前日の米朝事務所チャンネルの生配信で予行演習をして、KBS京都での放送に臨んでるという印象。本人も広言していますが。この放送の中で、大文字の生中継をしていたけれど、3年ぶりにできたよう。それも、直前に雨が止むという幸運に恵まれて。それまでが、かなりの降りだったようで、点火に当たる人、たまったものじゃないね。昔は、伏見からも見えたけどね。あの場所、無理だろうか? 左大文字は見えたけどな。右大文字は、思いの外傾いているので、字には見えなかった思い出があるけどね。


2022年 8月 15日(月)午後 10時 34分

 世間は、お盆の真っ只中。でも、外を歩いていても、そういった感じが、全然、しないですね。繁華街というところを歩いてないからかもしれないけど。だから、自分的には、ごく普通の月曜日。お出かけ機会が入りにくいということで、月曜日には、よく映画を観に行くけれど、それも、なければ、夜の米朝事務所チャンネルの生配信だけが楽しみ。しかし、それも、諸事情で、配信時間は、いつものほぼ半分。ちょっと、寂しい。昼間は、いつものように、ルーティンにしているウォーキング2回、これだけがお出かけ機会。昼前は、瞬間的に雨が降った。降り出す、10分も前じゃないときに、スマホで雨雲レーダーを見たところ、そのときは、30分後に降るかなという感じだった。それで動けば、所用も済ませることができると判断したのに、雨にやられた。だけど、全くの通り雨。これは、雨雲レーダーを見たときの予想と同じだった。だから、被害は最少で済みました。夕方のウォーキングも含めて、トピックと言えば、そのくらい。
 家事もこなしながらの時間が、午前中は流れたので、結果的に、午後の一時は短め。前半は、YouTubeで、毎度、お世話になっている無職旅氏の生配信をアーカイブに収納してある動画を観るのに使った。この人の生配信は、午後9時半開始だったかな、だから、生では観たことがない。9月には、ヨーロッパに行くみたい。それを聴いても、羨ましいとは思わなかった。どうせ行けないのだからが、先行してしまってるようですな。YouTuberの生配信と言えば、視聴者のコメントとのやり取りを流すというのが定番だけど、今日は、その中に、「ドイツに初めて行くなら、どこを薦めますか?」なんてのがあった。すぐに、黄紺の頭には「ベルリン」だった。次いで、「人によると、ミュンヘンの方がいいかな」だった。黄紺の初海外旅行は、実はドイツなんだけど、そのときは、「ハンブルク→ミュンヘン→フランクフルト」という流れだった。ハンブルクからいきなりのミュンヘンはインパクトがあったことを覚えている。やっぱ、ドイツでも南北の違いは大きいものがあると思った。ベルリンに初めて行ったのは、それから15年以上してから。最初は、何も思わなかったけれど、観て回るところ、音楽を聴ける機会が多いというので、今はベルリンが一押し。何度も足を運び、街の姿が判って来ると、暮らしやすそうな印象を持ち出したことが大きいかな。こういった印象を持つのがベルリンだから、まずは「ベルリン」と思ったのだと、この問いかけを聴いて思ってしまった。無職旅氏は、はっきりとわけは言わなかったけれど、黄紺と、全く、同じ答え方をしていた。その心を知りたくなったけど、そういう時は話してもらえないものだね。後半は寝てしまったので、半ばから観直したので、他のことをする時間が、更に削られてしまった。
 午後の一時の後半は、オペラ配信。少しだけかじったローマ歌劇場の「エルナーニ」。このプロダクションは、今どきあるかなと思うほどの伝統的なもの。ま、ローマ歌劇場のプロダクションってのは、そういった傾向があるというのは、黄紺の頭に入ってることなので、さして、驚くことではないけど、判っていたこととはいえ、歌手陣が凄すぎる。フランシスコ・メーリにルドヴィコ・テジエは判ってはいたけれど、黄紺の頭にあるよりは、かなりの上出来。凄いなと思っていたら、エルヴィーラが出てきたら、黄紺の頭が混乱。どこかで見たことのあるという既視感が、頭を駆け巡った。最初に歌手陣をチェックしたときにはスルーしてしまってたんだけど、これが、何と、アンジェラ・ミードだった。メトロポリタン歌劇場のコンペで優勝したとかで、同歌劇場の主役に抜擢され、且つ、ライブビューイングにも流されたことのあるお人。まさか、ヨーロッパでも歌ってるとは知らなかったもので、歌手陣の一覧表を見直したときには、ホント、驚いた。しかも、めっちゃ、腕を上げている。これだと、その体躯でも、引手数多になると思うほどの上達。となると、看板が3枚も揃うと、しかも、各々の出来が半端じゃない。アンジェラ・ミードの出来も、いい感じのフランシスコ・メーリやルドヴィコ・テジエと、全く遜色がないものだから、これは聴きものです。「エルナーニ」というオペラは、筋立てに無理があるので、さほど関心はないのだけど、この歌手陣で聴けるとなると、全く別物です。


2022年 8月 14日(日)午後 10時 45分

 今日は、楽しみにしていた日。久しぶりに、息子の家に行ってきました。去年の3月に行ったきりだったので、ほぼ1年半ぶりです。道は判っているんだけど、家の前に来ても通り過ぎるんじゃないかと不安な気持ちで歩いていたので、幾つかのポイントとなる建物を確認しながら歩いてたので大丈夫と思ってたら、息子の家の僅か手前に、この1年半の間に、ベトナム食材店ができていたので、びっくり。間なしに家の前に到着。今日は、偶然、息子が自宅前の側溝掃除をしていたこともあり、通り過ぎることはありませんでした。DとSは、しっかりと覚えていてくれました。Dなどは、買って行ったケーキの包みを渡しても大丈夫かなと思いながら渡しても、しっかりと、片手を添えて持つ賢い行動に、お兄ちゃんになってきていることを、しっかりと確認できました。それだけではなく、ママに渡されたお盆に乗せたコーヒーまで持ってきてくれたのには、再度、驚かされてしまいました。Sは、おむつが取れていた。それを知らなかったので、遊んでた途中、「おしっこ」と言いに来たときには、半信半疑、自分で言えるようになったということは、一人でもできるということとイコール。息子も、Dも、そうだったように、男の子は、自分でおしっこができるようになることは嬉しいらしく、アピールをしたかったのだと思います。息子やDには、手を引っ張って、トイレまで連れて行かれた思い出があるのだけど、Sもそうしたかったのでしょうね。半信半疑だったもので、付いて行ってやれなかったのが、悔しい、残念! このSは、アスリートにしたいくらいの体力の持ち主なものだから、飽くことのないスタミナ、そこへさして、DはDで、身体が大きくなった分、パワーアップしてる。今までだったら、指先でかわすことができたろうに、もう、ダメ。いや、ダメどころか、Dと遊んでて、初めて、「まいった」と言ってしまったほどの力。まじで、「痛い」を連発しちゃいました。Sは、足首を掴んでぶら下げ気味にすると、何がいいのか、キャーキャー言ってる。汗かいて。もう、完全に、こいつらのペースにはまっちゃってました。疲れてしまったけど、めっちゃ、楽しかった。Dが、「動物園に行きたい」というので、ちーとは涼しくなったら、連れて行くことにしましょう。それと、今日の記念写真は、Dのランドセルが届いたというので、それを担いでのもの。「きおつけ」と言って撮った写真、Dの成長ぶりが伺えて、お宝ものになりそうだけど、その横で、Sが変顔してる。何枚撮っても、横で変顔してる。そういえば、前回、あをによしに乗りに行ったときから、Sが変顔ばっかしてる写真が残ってる。その写真を見せると、それが受けるとばかりに、カメラを向けると、変顔ばっか。あー、おもしろかった、君たちは、おもしろい。息子は、1人でおもしろかったけど、今度は2倍になった、いや、それ以上のパワーかな、猛烈過ぎます!
 家に戻ると、もう、椅子に座ってるのが耐えられなくなるほど、疲れてしまってた。YouTubeで音楽をかけながら、ベッドに倒れ込んでしまいました。おかげで、いい気持で、四半時ほど、うつらうつらしてしまったけど、こんなに気分のいいもの、最近、なかったなぁ。最高の日曜日になりました。


2022年 8月 13日(土)午後 10時 33分

 再び、お出かけなしとなった土曜日。明日の日曜日は、DとSに会える日だから、そうは、いい日が続くわけにはいきません。と言っても、今日は、ダメな土曜日。「ブラタモリ」の新作の放送は、間が開いたままだし、昼間に予定していたオンライン配信は、また、いとも簡単に寝落ちしてしまうわで、いいこと、なかったなぁ。ルーティンにしているウォーキングだけは、日に2回、きっちりとできたくらいかな。オンライン配信が昼寝に替わってしまったので、午後の一時は、YouTubeで、旅系動画を観たくらい。昨日に続いて、チェンラーイの様子を観れて、満足。このチェンラーイの動画を流してくれたYouTuber氏は、黄紺の行ったことのないインドネシア旅の動画も流してくれているので、そのさわりだけ観ました。ジャカルタに行った人からは聞いてたけど、ジャカルタ空港の立派さ、大きさに、なるほどと思ってしまいました。その確認ができただけでも、今日は収穫があったな。
 寝てしまったオンライン配信は、いつもお世話になっているアートエリアB1からのもの。「鉄道芸術祭vol.0〜10/展覧会の記録をめぐる10の対話 その5〜矢野優さんを迎えて〜」というお題でのトークを主とするものでした。矢野さんは、雑誌「新潮」編集長という肩書をお持ちの大物。お相手は、おなじみの木ノ下智恵子(大阪大学、アートエリアB1運営委員)さん。うっすらと残る記憶だけ、メモっておきます。前1/3は、矢野さんによる「新潮」の紹介。文芸誌の中で、最古、且つ、継続歴も誇るものとか。知らなかった。中1/3は、毎回と同じ、展示の案内。毎度、木ノ下さん、大変です。後1/3が、お二人のトークという構成。1つだけ、重要な発言、耳に残っています。アーカイブの評価は、後世の人がするものという視点、だから、残す者は、あれやこれやとの詮索は控えるべし。なるほどね、立派な見識で、言われてみると当たり前と思ってしまう、この言われてみればの前に、当たり前と思うことに気づかねばならないのよね。
 今日は、台風が、東海から東方向で猛威を振るった日だったこと、これは、事前に、TVのない黄紺も判っていたけど、昼前のウォーキングで休憩に入り、スマホで、何気にスマホのお天気情報を見て、びっくり。台風の影響が京都にも現れるという情報に、びっくり。空は真っ青。だけど、東の空を見ると、雲が拡がっている。慌てました。この間、何度か、雨に祟られているものでね。休憩がてら、本などを読んでいる場合ではないと、早々に、後半のウォーキングに移り、帰宅の態勢に。雨に降られることはなかったけれど、間なしに降りましたね。これだから、油断も隙もないですね。だから、余裕を見て、オンライン配信に臨んだはずだったんだけど、椅子に腰かけたまま、身体がしなるほどの態勢で寝てしまっておりました。


2022年 8月 13日(土)午前 6時 59分

 昨日は、久しぶりに、夕方にお出かけを入れていた日。だから、それまでの時間は、少し前倒し気味。それは、仕方ありません。一昨夜は、ヨーロッパのカップ戦があったから、昼前のウォーキングに出かける前が窮屈な上に、このお出かけがあったので、二重に窮屈というか、なんちゃらの一時という時間が乏しくなった日でもありました。その僅かな時間は、最近続いている、タイ旅を追いかけるYouTubeの動画にずっぽり。というのも、チェンラーイが出てきたものだから、こちらの目がぎとついてしまいました。驚いたのは、メーサーイとの間を往来するソンテウと言っていいのか、ミニバスと言っていいのか、判らないんだけど、その乗り物が、えらく新しくなってたこと。黄紺の観た動画が、2018年の撮影ということなので、黄紺が、チャンラーイに行った時期とは、さほど変わらないのに、車だけは大きな変化を見せていました。黄紺が行ったときには、白人系の旅行者が多くて、街も、それに合わせた雰囲気で、自分には合わないエリアが多くて、でも、そうじゃないエリアもありで、ちょっと戸惑いの町といった印象でした。この動画を観たあと、隙間狙いのようにして、新たなオペラ配信のつまみ食いをしてみた。今回も、「Oper vision」に流れているもの。ローマ歌劇場の「エルナーニ」(フーゴ・デ・アナ演出)をピックアップ。ヴェルディの中後期の名作群に入る前の作品が出ると、やっぱ、選んでしまいます。おまけに、フランシスコ・メーリ、ルドヴィク・テジエが歌い、マルコ・アルミリアート指揮となると、選んでしまうわね。ローマ歌劇場のプロダクションは、ネット配信のおかげで、幾つか観る機会があったんだけど、概してクラシカルなものとインプットされてるけれど、このプロダクションもそうでした。ほんの僅かを観て、そのように判断するのは早計かとも思わないでもないのだけど、とりあえずは、そうだとのメモを残しておきます。
 夕方からのお出かけ先は、京都国立近代美術館。そうです、2週間前だったかに、失敗したあれです。金曜日の夜間に行くと、入場料が半分で済むと活用しようという魂胆だったのですが、今回は成功。「2022年度 第3回コレクション展」が狙いの展示でした。企画展とともに行くのが常だったのですが、今、行われている「清水六兵衛/九兵衛展」には行くつもりがなかったところへ加えて、この「コレクション展」に靉光が出ていることを知り、これだけは行っておこうとしたわけでした。区分は、いつものようにアトランダムですが、最初の部屋は、数点の西洋絵画と古典的な日本画が置かれている。「西洋近代美術作品選」では、バウハウスで学んだというクルト・クランツの作品。解説のバウハウスに納得のデザイン画。バウハウスで受けた薫陶を踏まえたと看ました。「伝統/革新」というコ-ナーが日本画の世界。森寛斎、今尾景年、都路華香らの、黄紺も知る大家で「伝統」を見せた上で、「革新」を示そうとの試みです。幸野楳嶺門下の都路華香は、観たかった作家さん、初めて観ることができました。「春宵図」はインパクト、強かった。桜吹雪を浴びながら飛ぶ烏、逸品が並ぶなか、えらく映えてました。「革新」では小野竹喬が観たかった。代表作とされているらしい「奥の細道句抄絵」が数点出ていました。なるほど、「革新」ですね。作品だけを遠目で観ていると、どこか西洋絵画風、それが「奥の細道」、解説の英語版を読むと、芭蕉の句の意図するところが鮮明になるのが可笑しい。作品自体は、この英語版で観る方が相応しい感じがしますね。その他、油彩かと思えるような作品も幾つか。この「伝統/革新」コーナーでは、前後期制が使われており、作品が入れ替わるので、また、後期に行くことを計画しています。「クール、ハード、エロティック——版画におけるフォルムと色彩」が、なかなか新鮮。感じたことを、形と色で表そうという試みのコーナーです。冒頭に、アンリ・マティスの作品が並んでいました。お手本のような感じ。「ジャズ」というお題で数点。これで、このコーナーの方向性を了解。頑張って、「エロティック」を想起させる作品探し。でも、よく判らない、これかなと思えるのを、2点ほど、最後の方で見つけて、ちょっと安堵。次の部屋に入り、左に顔を向けると、ありました、恐らく、ここだろうと狙っていたのですが、「靉光と静物画」のコーナー。“still life”(動かない生命)や“nature morte”(死んだ自然)というのが、「静物画」に訳されているとうことも教えていただけたけど、黄紺が、通常はスルーするコーナーだけど、靉光ということで、そないなことをしません。靉光作品は3点、コレクション展ですから、いずれも、こちらの美術館の所蔵、凄いな。「壺に入った花」がおもしろかったなぁ。壺に入ったいるのだけど、壺の中も描かれている。何が起こってるのか判らなかったけれど、それが気になって! そのコーナーの向かい側は、「五代・六代清水六兵衞と河井寬次郎」と「京都の工芸」。前者は、企画展に合わせた展示ですね。京セラ美術館のコレクション展でも、歴代六兵衛が並んでいましたが、黄紺的には民芸運動にも参画した河井寬次郎の作品に乗ります。西洋の陶器を思わせる五代目、形への拘りを見せられた六代目より、素朴派の作品に惹かれてしまう黄紺です。後者は、螺鈿作品が目の保養。最後に入ったのが「特集:三尾公三」のコーナー。「ジャンルを異にしながらも九兵衞と親交のあった画家三尾公三」と、こちらも「六兵衛/九兵衛」絡みだけど、写真を思わせる作品にびっくり。写真週刊誌「FOCUS(フォーカス)」の表紙絵の担当者でもあったとのコメントが記されていたけれど、全く、思い出せませんでした。


2022年 8月 12日(金)午前 7時 26分

 昨日も、長らく続くお出かけなしの日。世間は、祝日なんですね、自分的には、一切、関係ないけど。木曜日だということで、夜には、米朝事務所チャンネルの生配信がある日なので楽しみにしていたら、急にお休み。4人の噺家さんが噛んでいて、急なるお休みとなると、この時節柄、疑ってしまいますね。そんなで、何にもなしの日になってしまいました。となると、正味で出かける時間は、ルーティンにしているウォーキングだけ。この頃、時間に余裕があるものだから、ウォーキング途中の、休憩がてらの読書が進みます。つい先日、読み始めたジャック・ル・ゴフの著作を読了してしまった。1冊、読み終えると、次に読む本を選ぶのが楽しいね。中世繋がりで、ロマネスクに関わるものを読もうかと思っていたところ、阿部謹也の読んでないものが出てきたので、それを選ぶことにしました。つい先日まで、同じ阿部謹也のエッセイ風のものを読んだところだったので、ついでの感覚が優先して、美術史・建築史的なものは、先送りになってしまいました。ま、いつものこととはいえ、その場の勢いで、読むもの、決めています。
 朝の一時&午後の一時で選んだものは、2つ。ともにYouTubeのお世話になっているんだけど、タイを柱にした動画。1つは、北タイの旅動画。黄紺も聞いたことのある、中国の国共内戦から逃れてきた国民党の敗残兵の住み着いた山岳域にある町を訪ねていました。タイの悩ましいところは、文字が判らない、英語が通じにくい、ソンテウが既得権を主張しているというところかな。でも、黄紺の観ている動画の主さんは、タイ語、英語ができるという方。しかも、タイの交通事情など、この国の慣習に精通しているから、自在に行き来している。羨ましい。言葉は、たいした障りにはならないというのは、その通りなんだけど、喋れるのに越したことはないってやつで、羨ましい。他のタイ系YouTuberさんの動画を観ていても、バイクは必須ですね。車の運転ができない黄紺には、羨ましくて仕方ありません。もう1つは、タイ系YouTubeの大手の動画。普段はバンコク住まいのYouTuber氏が、「久しぶりに日本に戻ったら」という動画がおもしろかった。設定が逆転するものって、おもしろいね。YouTubeには随分と多くの動画がアップされているけれど、海外在住の日本人というスタンスからのものというのは、逆を突かれた感じで、えらく新鮮な気分で観てしまってました。途中に、わりかし「ピー」が入るものではあったけれど。
 午後の一時の中心は、オペラ配信のお世話になりました。これが2つ目。アイルランド国立歌劇場の「マリア・ステュアルダ」の続きです。前回は、2幕のエリザベッタとの出会い直前までだったので、いよいよ、このオペラのハイライト的な部分にさしかかったのですが、装置は、引き続き、簡素を旨としたものどころか、終幕などは、学芸会の衣装、小道具といった風情。相変わらず、居眠りをしてしまってたんだけど、そんなものだから、振り返りをする気が起こらなかった、全く、欠片も。「Oper Vision」の配信は、どこかに、何らの捻りが入るものが流れるんだけど、こういった捻りは願い下げにして欲しいものですね。ベルカントものが出ると、観てみようとの意欲が湧いてしまいます。それに動かされてのピックアップだったのですが、外してしまった感、大でした。


2022年 8月 11日(木)午前 7時 2分

 暑い日が続いています。昨日も、お出かけなしの一日。外出は、定番としている、日に2回のウォーキングだけと、変わりのない日だったんだけど、昨日は、午後に、Zoomを使い、オンライン呑み会ではなく、お喋り会を行った日。息子とは、Zoomを使い、お喋りをしたことがあったけれど、それ以外の人とするのは、丸2年ぶりじゃないかな。先日、突然、電話をもらった元同僚とでした。でも、ここに至るまで、ちょっと不安があった。Zoomは、オンライン配信も受け、使い慣れているのだけど、ここまで招待される側ばかりだったのだけど、昨日は、招待する側になったものだから、よく判らない。以前、オンラインでの呑み会などをしていたときは、Zoomではない方法で行っていた。ただ、何度かしている内に、Zoomの安定度が高いということが判ってきており、確実性を考え、Zoomの使用で話がついたんだけど、招待の仕方が判らない。元同僚に招待する側になるように持ち掛けてはみたけれど、これは期待薄だと思っていた通りで、断りの連絡が入ったから、とにかくZoomをいじりながら、できる方法を探した。息子にも電話を入れて、あわよくば2人でお試しをしたかったのだけど、息子の虫の居所が良くなかったのか、早々にあしらわれてしまった。自分で調べていると、予めスケジュールを立てる方法が判りにくかったんだけど、直前に、URLをコピーして招待する方法を見つけたので、ならばできると判断。で、できたんだけど、障害はそこじゃなかった。元同僚は、今まで話をしている中で、「PCには弱い」と言いながら、そこそこできそうと思っていた。また、他の人と、Zoomを使い、招待される側に立ってでも経験済だと聞いていたので、まさか、入口で躓くとは思ってなかった。約束の時間の5分余前に、URLを送ったのだけど、時間が過ぎても、アクセスの兆候が出てこない。おかしいと思っていたら、電話がかかってきた。「PCの立ち上がりが悠長」「時間の余裕を見て立ち上げたんだけど、、、」というお電話。「これって、昔のまんま」と思うと、ノスタルジックな気になってしまった。毎度、使ってるPCなら、立ち上がりの悪いときは、どのくらいかかるか判るはずなのに、きっちりしてないから、予測を立てていない、らしいなと思うと、可笑しくって。ところが、それからが大変。こちらから送ったメールに、招待のURLが書かれてあるのだけど、それがクリックできない状態になってるため、立ち往生。これで、一挙に神話が崩れてしまいました。「コピー&ペイストすりゃ、いいじゃないですか」「どこにペイストすればいいの、検索のとこか?」「えっ?」「一番上に、URL出てるとこ、あるでしょ!」「検索のとこか?」、この人、「検索」から離れない。この押し問答。黄紺の中から、PC上手の地位が音を立てて崩れていきました。あとから聞いて判ったんだけど、ブラウザの上部にスペースが2つあったそうで、なのに、「検査、検索」を繰り返していたようです。黄紺は、「検索」なんて言うわけないから、全く言ってないのに、「検索、検索」というのは、どうしたことなんでしょうね? 「思い込み」「勝手判断」、これですな、「人のふり見て我が身を直せ」、これ、祖母が、よく言ってた言葉、だから、他山の石ではないですね。だけど、「URLの出てるところあるでしょ!」と言っても、「検索、検索」には、ホント、まいりました。
 で、話はとりとめのないもの。最近の状況報告は、既に、電話で済んでいたので。時間が経つにつれ、ウクライナ問題の講釈を聴いたりしてました。ニュースを観ないものだから、こういった機会を捉えて、教えてもらうに限ります。ところで、Zoomって、2人だけだと、時間制限がなかったはずだったのに、40分で切れてしまった。2回目の延長の際、今度は、自分で招待する側に回るというので、その方法を、こちらは、黄紺が講釈をしたんだけど、案の定、電話がかかってきました。「でけへん」。そこで、口ではダメと思い、画面共有を使い、Zoomの立ち上げ画面をスクショして見せたんだけど、「そんな画面、出てこない」「似たものも出てこない」と言う。URLのコピペで融通が効かない人とインプットされてしまっていたので、それ以上、突っ込みませんでした。Zoomの立ち上げ画面を、スクショしてもらい、黄紺と同じ方法で見せてもらってなんてこと、無理ですからね。PCで融通の効かない人って、ここまで、それなりに仕事なんかで使ってるはずなのに、ダメですものね。この人も、Windowを、あっさりと消してしまう、危険な癖を持っていることも判って来ていたので、かなりしんどい。結局、映画の話をしたかったのが、かなりの時間を過ぎてから出てきたものだから、後日、改めて、オンラインでのお喋りをすることになりました。


2022年 8月 10日(水)午前 5時 40分

 昨日も、お出かけなしの日。でも、午後に、オンライン配信の予約がしてあった。それが、3時間半にもなる配信予定だったため、朝から、それに合わせて、時間のやり繰りをして行動。ルーティンにしているウォーキングを、日に2回、通常通りに行えるようにというのが目的での時間配分をして、上手く行ったはずだった。ところが、肝心の配信の音響が良くない。全くではないけど、かなり聴き辛い。イヤホンを使えば、音声環境が良くなくても聴けるのかもしれないけど、もう10年以上前に、イヤホンを使っていて難聴気味になったため、絶対にご法度。幸い、聴力は復帰したけれど、明らかに耳に良くないので、この間の配信でも似たようなことがあったけれど、そのままにしたあった。けど、昨日の配信は聴き辛かった。となると、聴いているのが辛いと、寝てしまう。合間合間に耳を立てても、聴き取りに難がある、また、寝る。これではダメと、半ばで止めました。時間の方が勿体ないと思ったからです。一応、何だったかだけメモっておきます。京都大学大学院人間・環境学研究科公開講座で「世界情勢とエネルギー問題」というお題が付いていたものでした。
 そこで、昨日に関して書き残すことは、火曜日だということで、このオンライン配信の前後で聴いていた、KBS京都の「まーぶる」だけとなります。いつものように、Radikoでの視聴で、ラジオ・ショッピングのような、聴きたくないものははしょって聴くことになりました。今回から、梶原アナが復帰。2週間、休んだことになります。となると、誰もが考えるでしょうが、コロナでしたが、一家全員が感染とのこと。陰性が出たから復帰となっているわけですが、体調的には万全じゃないそうです。後遺症が残るのですね。胸の辺りに違和感が残ったままだとのこと、それに、二葉も同意。二葉も、感染経験者ですからね。「1ヶ月ほど続く」「その間、落語をするのがきつかった」と言ってました。二葉は、確か、いきなり39度の発熱があったことは、Twitterで感染を公表したときに呟いていた記憶がありますが、梶原さんは、38.5度程度と言ってたかな。立派に症状が出てたようでした。それで、先日の二葉独演会も行けなくなったそうで、それを受けて、二葉曰く、予定通り、梶原さんが会場に来ていたら、「舞台に呼び込むつもりだった」と、本当かどうかは別にして、それだと、会場は、一層、盛り上がったかもしれませんね。マクラで、「まーぶる」のことを、二葉が触れたときには、会場から拍手が上がりましたからね。実は、その拍手をし出したのは、「まーぶる」の名を出す前に「KBS京都」と言ったところで、有名なリスナーさんが拍手をし出したのがきっかけだったとか。独特の拍手の仕方をする人だから判った模様。会場には、隣のお姉さんだけではなく、着付けの先生も来られていたとか。この先生の話は聴いたことがありますね。入門後すぐに、着付け教室に通っていたこと、帯の恰好のいい締め方を教えてもらい、それを実践していること、そんなことを喋ってた記憶がある、その先生でしょう。修行時代は、河原町三条のファミマでバイトをしていたそうで、そこに、毎日買いに来ていた、某会館勤務のお兄さんも来るはずだったけど、急に来れなくなった、そんなことも言ってたけど、この京都の会は、二葉にとっては、正に凱旋公演だったことが判り、なんか、ほろっと来ちゃってました。会の雰囲気、ホント、良かったもんね。最後に、放送後の予定を聴いて、びっくり! KBS京都主催でトークイベントがあるのは、以前にも告知がされていたので知っていたのですが、そのあと、東京に行き、朝の6時までの仕事があるとか、「24時間営業です」と言ってました。その話を疑ったわけじゃないけど、午後9時過ぎの時間の入った呟きを、Twitterで写真入りでしてるの見ました。売れっ子芸人そのままです。いえいえ、今、一番売れてる噺家さんです。また、何日かしたら、その東京行きのわけが判明することでしょう。取材を受けたり、CM撮影をしたりなのでしょうが、前回のマイクロソフトのCM撮りには、びっくりを通り過ごしてましたから、もう、何が出てくるか判らないね!


2022年 8月 8日(月)午後 11時 5分

 今日は、予定表には、映画に行くとなっていた。でも、また、行こうとしなかった。こんなのが、2回続きました。そう思って、予定表を見てみると、次のお出かけは、今のところ、金曜日までない。ま、この週末は、濃い2日間を過ごしたから、いいかもしれませんね。そんなだから、今日の映画も、気が失せたのかもしれません。ということで、今日の外出は、ルーティンにしているウォーキングだけ。気温は暑いままだけど、昨日の瀬田行きもそうだったけど、この2日間は、やたら身体が軽い。汗のかき方も、一時のように、猛烈と言うか、過剰と言うか、そうではなく、少し控えめになっている印象。不快感が軽減しているからということもあるように思えます。だから、今日は、いつもより歩いた感じ。万歩計を見ると、殆んど2万歩といった数字が出ていて、びっくり。夕方のウォーキングの最後の方では、腰に来ていたので、歩き過ぎたかもと思い、帰宅後すぐに確認をすると、そんな数字が出ていて、納得です。下手すると、腰にくるので、ほどほどにしておかねばならないのです。
 昼前のウォーキングだけでも、1万歩に、かなり迫っていたので、さすが、昼食後、椅子に身体が吸い込まれる感覚を味わってしまいました。YouTuber無職旅氏のライブ配信が、昨夜あったので、それを、アーカイブに残してあったのを観てたんだけど、1時間ほどの間、始終、ボーっとしながら聴いていました。先日まで行ってきたベトナム旅の簡単な報告をしていた動画だったのだけど、それを観るにつけ、自分の、現時点での判断の正しさを再確認できたように思いました。今のベトナムへの出入りは、コロナ禍以前と同じ状態。結局、日本への再入国時が厄介、面倒くさい。これは、変わっていない。問題は、日本への入国で求められているPCR検査をするところを見つけることと、そこで、万が一、陽性が出たときのこと。前者については、ベトナムや、その前のタイでの様子を聴いていると、やはり、それだけ、日本との往来が多いということなんでしょうね、情報が多く流れている、だから、見つけやすい、しかも、相手の検査場も要領が解っている。タイでは、空港に検査場が設置されていましたし、ベトナムでは、日本語の証明書まで用意してくれたと言ってました。無職旅氏、この件は、タイに行った時も、かなり丁寧に対応してました。ベトナムでも同様だったのですが、今回、違ったのは、「陽性が、もし出た場合」に言及したことでした。タイでは、結局、この人、呑気に構えていたなの印象です。ベトナム滞在時期に、同じような旅系YouTuberが、同じくベトナムで陽性判明が出てしまい、その報告動画を出してるのを観てから、危機感が変わったようです。「隔離があること」「感染者の隔離用のホテルを見つけねばならないこと」「それのためには、それなりの費用が嵩むこと」「そのためには、予め保険加入が重要、クレジットカードに付帯されているものより、いざというときには便利になるはず」、これらを大変と思ってなかったんかいと、突っ込んではいましたが、黄紺とて、こういった具体的なことまで考えてなかった。漠然と、「嫌だ」「面倒だ」程度にしか考えないでいたことを痛感。こういったことを、予め調べたうえでの渡航が大事と、当たり前と言えば当たり前のまとめ方をしてたけど、誰かが遭遇しないと判らないものですな、自戒も込めて、そう思いながら、うつらうつらしながら聴いておりました。
 お出かけなしの日だけど、今日は月曜日ということで、夜は、米朝事務所チャンネルの生配信があったので、これで寛げました。特に、目新しいネタはなかったけれど、独演会をやり終えたところの吉の丞のリラックスした姿が印象的だったかな。ついでに、山村友五郎のYouTubeチャンネルで、米團治とのトークが流れているとの情報を掴んだので、それを視聴することに。2回に分けての配信で、前半は視聴済みでした。こういった他ジャンルの芸能人と対等に話ができるというのは、米朝から受け継いだものですね。「上方風流」のトピックも出てましたが、そこで数え上げられたメンバーの名を見るだけど、圧倒されてしまいます。その2代目に当たる米團治が、その血を受け継いでいるというのが、凄いと思ってしまいました。こういった対談をして、絵になる人って、それこそ、米團治しかいないもの。そう思うと、米團治はグレートな存在だと、ホント、思ってしまいますね。


2022年 8月 8日(月)午前 8時 21分

 昨日は、日曜日だけど、高校野球が始まっているため、悲しいかな、「日曜美術館」はお休み。迷惑な話です。替わりに、余裕を持って、朝からお出かけ。行き先は、滋賀県立美術館。今、こちらで、企画展「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」が開かれています。1つに、その展示を観ること、更に、昨日は、この企画展の「記念講演会:シスコさんの作品と出会って」があったのです。いつもだと、滋賀県立美術館へは、アスニー山科で講演会があったあと、その流れで行くと、スムーズに行けるので、その方法を選んできたのですが、昨日は、この記念講演会に合わせて、講演会開始2時間前に、美術館に入り、展示の方を観てから、講演会に臨むばかりか、欲を出して、常設展「郷土ゆかりの画家(油彩)」「シュウカツ! 休館中の新収蔵作品を中心に」も観てしまおうと考えての行動。肝心の「塔本シスコ展」が、最後の方で、ちょっと急いで観たけれど、もう1回、記念講演会があるので、次回にも観ることができると、そこは割り切って、講演会が始まる前に、2つの常設展も観てしまいました。実際には、講演会が終わった後に、「塔本シスコ展」は再入場したので、若干の急ぎ足だったことの穴埋めはしたような気になっています。
 塔本シスコという名を知ったのは、日曜美術館のアートシーンででした。15分間の中で、現在進行形の展示を紹介するというところで、「シスコ・パラダイス」のインパクトは大きかった。「なんだ、これ」と思うほど、賑やかで、明るい絵、それを、婆さんが描いたというのは、俄かに信じがたい衝撃がありました。その直後、滋賀県立美術館の常設展で、初めて、生で作品を観たのですが、TV画面で見た通り、賑やかで、明るくて、、、それが、一堂に会する展示会まで滋賀県立美術館で観れるとは、そのときは知らなかった。でも、それが、今回、実現しました。シスコさんの描き始めは、画家である息子さんの作品の絵の具を剥がして、その上に描いたものとか。作品紹介の時に、よく見かける「秋の庭」という作品も、そういった素材に描かれたものとか。今まで、描いたなんてことがなかった人が、いきなり、「秋の庭」的な絵を描いて見せたら、プロの作家さんだった息子さんならずとも、ただならぬものを感じたと思います。保坂館長が、展示室前の挨拶的な文章の中で、収蔵品は、指定された分類に分けておかねばならないそうで、シスコさんの作品は、アールブリュットに分類されて収蔵されているそうです。「アールブリュット=障がい者の作品」とインプットされているむきには、俄かに受け入れ難い分類の仕方になるのかもしれないのですが、「正規の美術教育を受けたことのない人の作品」と規定するならば、すっぽりと収まってしまうのが、シスコさんの作品。展示は、時系列的に分類されてあるばかりか、特に好んで描いたと伝えられている山田池公園などは、公園のマップまで掲示され、どの場所で、どの作品が生まれたかまで指し示す丁寧な展示。枚方市内ものでは、長尾駅や枚方総合公園(娘さんの死で制作が頓挫していたときの再起のきっかけになった作品)なんかが出てくると、とっても身近になります。九州ものでは、TVでも紹介された「ふるさとの海」が、1つの壁面を占めるほどの大きな作品。賑やかに、思い出を詰め込んだ目を見張る作品です。九州ものでは、娘さんが鹿児島に住んでいたこともある関係で、桜島が出てきてました。圧巻は、「シスコといきものたち」のコーナー。金魚は、様々な草花の色の鮮やかさが際立ちます。掲示されたコメントに、「隣り合った色の使い方に独特の感性を持っている」と書かれていたと思います。色合いに目を見張るわけを、端的に教えてくれていました。それに続いて、「猫」シリーズも、おもしろい。独特の観察眼で、猫を可愛いという心持ちが溢れています。最後の大きなスペースには、家族やイベントの記録的な作品(自由の女神たち、前田館長と記念写真、エイサー水口、NHKがやってきた)がありました。時を超える作品が、シスコさんの作品によく出てきます。お孫さんと一緒に遊ぶシスコさんは、お孫さんと同世代。「前田館長と記念写真」は、展示されている「ネコ岳ミヤマキリシマ」という作品の前での記念写真の様子を描いたものだということを、後の講演で教えていただいたのですが、作品は、両者が1つになっています。これは、何を超えたと書けばいいのでしょうね? 最晩年は、アルツハイマーを発症していたようですが、制作意欲は消えず、その最後の作品群には「月」を、よく描いたと言います。絶筆だと書かれていた「シスコの月」「月光(雲に入る)」には驚いたなぁ。特に後者、これが最後なんて、信じられない! その部屋には、瓶に描いた作品、着物に絵付けをした作品と、趣向の異なる作品群も展示されていました。
 「郷土ゆかりの画家(油彩)」は、野口謙蔵以外では、黒田重太郎の名を聞いたことがあったかな程度で、相変わらず作家さんの名は解らないのだけど、島戸繁の舟の作品群の中で「雨後の漁港」だったかな、舟が連なるなか、1艘の舟が気になってしまいました。なんでだろう? 色合いかな、すーっと、目が行っちゃった。「シュウカツ! 休館中の新収蔵作品を中心に」の方は、難解なアート系の作品。渡辺信子という名は、もちろん知らないのですが、木枠に布を張り込み、それらを組み合わせた独特の造形に驚かされました。材質が何か気になり、目を近づけて、且つ、作品紹介の掲示まで確認して、布だと判明。張り込みつつ、たわみも作る、おもしろいことを考え出す人がいるものですね。そして、その木枠の組み合わせで作品が出来上がっていました。アールブリュット作品も1つありました。方眼紙に設計図よろしく、緻密に描き入れてある図、もう、頭のなか、かき乱されてしまいます。おもろいなぁ。
 講演は、橋本善八(世田谷美術館 副館長)さんが、「シスコさんの作品と出会って」と題してのもの。今回の展示会を巡回展として実施された、その発端となった世田谷美術館の方です。まず、シスコ作品との出会いから。枚方市のギャラリーで何かの展示があったときに、同美術館の方が招待を受けたときに、ギャラリーの方から「枚方にはシスコさんいる」と聞いたのが、発端だそうです。そんなことあるのですね。で、作品を観て、びっくりとなったというわけです。今回、巡回展にしたのは、熊本は生まれ故郷、岐阜は、シスコさんの好きなキュレーターさん(この方が枚方のギャラリーの方のようです)がいる、そして、滋賀は、アールブリュットの保坂さんがいるという繋がりだったそうです。納得です。次いで、「評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者」(末永照和著)からの引用。その中に書かれている言葉「私たちは、芸術的文化に傷つけられている」、その裏、「標準化されていることから傷つけられていない」作品、そこに、アールブリュットの魅力があるというわけですが、そのアールブリュット同様のことが、シスコさんの作品にはあると言うのです。シスコさんの作品は、自分の中にしまっていた思い出の鮮度が保たれている、その魅力があるとも言われていました。そして、絵画としての魅力として、次の3点を上げられていました。①真正面から描くということ②集合と反復、、、思い出を幾つも集合&反復、また、時空を超えて集合させる③一物仕立てと取り合わせ、、、1つのものだけを描くかと思うと、異なるものを組みあわせる、「前田館長と記念写真」や、TV画面が挿入されたりしている例を挙げられていました。アールブリュットと言うか、素朴派に分類もできるということも言われていましたが、黄紺には、「素朴派」が解らないものだから、言葉だけメモっておきます。
 そんなで充実の一日。今回も、瀬田駅から美術館までは徒歩で往復、ウォーキングを兼ねました。途中、講演会で座っていたので、帰りも腰は健在。暑くても、全く平気な往復となりました。


2022年 8月 7日(日)午前 7時 13分

 昨日は、待望の土曜日。バタバタした感じでと言っても、黄紺は、バタついてないんだけど、主催者の方が、チケットの売れ行きの見通しを間違い、バタバタしてしまった、あの会があった日でした。京都府立文化芸術会館であった「桂二葉独演会」に行ってまいりました。大阪へ行っていない黄紺は、生二葉を聴くのは、一昨年のNHKに出るとき、鴨川の河原で公開稽古をしたとき以来。ラジオやTVでの放送は聴いたけど、変化してるなの印象を持っていたので、京都で独演会があるというので、これは、万難を排して行こうとしたら、チケット販売がバタついたというわけでした。二葉も、ちょっと主催者をいじってました。Twitterで、「完売」報告をしたあとに、「まさか」を入れたとか。客席が新鮮でした。大阪のディープの落語ファンを見かけなかった(だけのようだけど)からか、はたまた、夫婦連れと思える、年配のカップルが多かったのとともに、若い人の姿が目につきました。数にすれば、多いとは言い難いのでしょうが、こんなの、今まで目立たなかった。それが新鮮だなぁと思ってたら、あるディープな落語ファンのTwitterを見たら(だから、黄紺が気づかなかっただけ!)、ファン層の拡がりを呟かれていました。それが頭にあったのでしょう、二葉のマクラや笑いのポイント的なものが、広い層に受け入れやすいものになっているなの印象を持ってしまいました。年配層を意識した言い方があるかと思うと、二豆の家を「ピンポンダッシュしてやってください」と言ったり、これ、なかったよ、以前は、なんてこと感じながら聴いていました。番組は、冒頭で、二豆の「牛ほめ」があり、その後、3席連続(但し、中入りあり)で、二葉の口演、「天狗刺し」「ガマの油」「子は鎹」と続きました。昨日は、午前中、出身大学の京都橘大学で、落語とお喋りしてきてからの、この会。「天狗刺し」に先立つマクラというか、お喋りで、気になったのは、声が跳びかけのかすかすのところで喋っていたところ。「3席、持つかなぁ」とも思ったのですが、「ガマの油」からは、完全に持ち直していました。このパワーには、正直、恐れ入りました。「ガマの油」の下げを言って、立ち上がったときなど、瞬間、身体が揺れたので、パワー全開だった模様。近くの人が「うわっ、ふらついたはる」と、その姿を見て声を出していました。凄みまで感じてしまいました。冒頭で、京都が思い出の地であることを話してくれました。大学、修行時代の地ということは、もちろん知っていたのですが、初めての入門志願をしたのが、ここの3階の和室だったことは、初耳でした。入門時のことは、二葉ばかりか、師匠の米二も、話題にすることがあるので、たいがいのことは聞いていると思っていたのだけど、場所は初耳だったな。お隣さんのことは、「まーぶる」で話題になったそうで、黄紺は知らなかった。プログラムにも、二葉自身が書いていました。お隣さんが、「まーぶる」にメールを送り、それを読んだとき、二葉だけではなく、梶原さんも泣いてしまい、放送事故っぽくなったこと。初耳だったのですが、この2人とも泣いてしまったことがあったということは、その後の「まーぶる」で触れているのは聴いたことはありますね。やっぱ、「まーぶる」を聴いている人が、かなり入っていたようです。それもあったのでしょうね、とっても暖かな雰囲気が、いい感じの会だったな。この、同じ会場で、米朝独演会や、中井吉太郎さんが主催していた伝説的な落語会も聴いたけど、二葉の落語を、お喋りを求め、やって来た人たちの暖かい空気に満たされた、とってもいい感じの会で、それが、二葉にもヴィヴィッドに伝わったのか、二葉の口演が、とてもとても凄かった。そうなんです、凄みを感じました。たっぷりめのマクラからの「天狗刺し」、これは、もちろんフルヴァージョンで。「スピードアップし過ぎてない?」と、映像や音源で聴いたときに感じていたのですが、生で聴くとそうじゃなかった。自分の作り出す世界に釘付けにする、見事なテンポ、リズムでした。このあとの「ガマの油」も同様で、この引き付ける力に凄みまで感じてしまったのです。それに、何よりも、間がいいな。特に、「ガマの油」の方。「ガマの油」は、以前、1度だけ、オンライン配信で聴いたことがあったけど、進化の度合いが半端じゃなかった。前半の仕込みとなるノーマルな口上、お見事。会場から拍手が上がってました。黄紺は、それに乗って、拍手をするのも忘れたほど、見事だった。この仕込みがあるから、半ばの七之助ネタや後半のバラシが生きています。繫昌亭でトリを取ったとき、これを口演したときに、「このネタで!」と驚いたものでしたが、この進化を見ると、逆に納得も納得、でした。この2つに続いて、「子は鎹」というネタの並びが、抜群。声が跳びかけというのが回復したものの、障りが残ってたのは、落とす声。だから、「子は鎹」の父親の声が、この日唯一の残念が出ました。逆に母親が、いいな。母親との対話となったときの、子どもが躍動。ほろりとさせられてしまいました。いや~、いい会。時間にして、2時間ジャストってとこ。前座役の二豆以外、全部、一人でやっちゃうんだから、驚きです。終演後、表に出たところで、内部で拍手が聞こえたので、二葉がロビーに出てきたようです。件のディープな落語ファン氏は、しっかりと、そのときの二葉の姿をカメラに収め、Twitterにアップされていました。黄紺は、一旦、戻りかけたのですが、さすが密な状態を見るにつけ、すぐにギヴアップ。仕方ないね、会場を出るタイミングが合わなかったのを、恨むしかありませんでした。


2022年 8月 5日(金)午後 10時 34分

 今日は、予定していたことが、思い通りに行かなかった日。予定では、午後にオンライン配信の予約がしてあったのだけど、肝心なところで寝落ち。きれいに聴かねばならなかった箇所が欠落。夜には、アートエリアb1からの連続的なトークが予定されていたのだけど、アクセスしようとして、該当のHPを開けると、講師の体調不良で、トークは延期で、今日は配信なしになってた。思い通りに行かない。ま、お出かけなしの日だったこともあり、その合間を使い、ルーティンにしているウォーキングは、2回ともできたが、雨に、今日も祟られた。1日中、降ってたわけではないのに、ウォーキングの時間と雨が重なってしまう。昼前のウォーキングの方は、雨を想定して、屋根のある公園で休憩入りのコースをチョイス。最近、そういった使い方をしなかった公園のベンチで一休みだったけど、そういった時間には雨は止んでいた。おかげで、蚊を何匹殺したことか。夕方の方は、もう雨は止むだろうけれど、念のためにと思い、傘を持って出かけて正解。西の方から明るい太陽の光が射し込んできているのに、随分と長い時間、その状態で雨が降っていた。ただ、昨晩もそうだったけれど、雨が降ると、気温が、僅かだけど下がりますね。これだけは有難い。
 寝落ちしたけれど、途中まで視聴はできていたので、午後のオンライン配信の概要だけはメモっておくことにします。「あきた気候変動適応セミナー」という催し。秋田県立大学秋田キャンパス講堂で行われたもののオンライン配信でした。2018年に気候変動適応法が成立したため、地域の気候変動センター設立が義務化され、そのため、各都道府県で、行政・大学などがスクラムを組んで、そういった組織ができており、今回は、秋田県だけど、その地域の気候変動センターが主体となり、気候変動についての啓発、活動報告、地域独自の適応策&緩和策の紹介などが行われています。岐阜県や茨城県のように先駆的に動いているところは、既に、コロナ禍が始まった頃から、こういった催しを行ってきています。そういった意味では、秋田県は、ちょっと立ち遅れ気味なのかもしれませんが、地域独自の取り組み、独自の課題、これらは、各々、特色があるので、見つけると、その概要を眺め、邪魔にならないようだと、申込みをしています。この催しのプログラムは、次のようなものでした。①講演1「気候変動適応とは」(国立研究開発法人国立環境研究所気候変動適応センター長向井人史)②報告「秋田県における温暖化対策の取組について」(秋田県生活環境部温暖化対策課)③講演2「秋田県内の気候変動影響と適応策」(公立大学法人秋田県立大学生物資源科学部アグリビジネス学科長増本隆夫)。①は、毎度おなじみと言っちゃ、失礼だけど、国立環境研究所のどなたかがお話されるのは、こういったイベントの定番。総論的お話。今日も、適応策と緩和策の概要までは、イラストや映像を使い、黄紺のようなというか、中高生にも解るようなお話をされていたのですが、これまた、毎度、感じることなんだけど、そこから踏み込まれて、若干、具体的なお話に入られると、急激にハードルが上がってしまう。おまけに、お話の後半に入り、時間が気になって来るのでしょうね、はしょり気味、且つ、早口になるという、これまた、定番。そして、黄紺は、毎度、同じような箇所で躓いてしまっています。②も、紋切り型のお話で、スルーするのが定番。聴いてないわけではないのだけど、耳に入ってこない。内容の柱だけ羅列されるだけだから。そういった意味でのスルーなのです。だから、聴きたいのは、今回で言えば③なのです。だけど、ダメだった、これは、己が悪いだけ。今日は、寝落ちしたのがいつか判らないという、抵抗し難い落ち方でした。
 夜はなくなった替わりに、昨日あるはずだった米朝事務所チャンネルの生配信「米印ワールド大喜利」が、今日にスライドして配信があった。おかげで、なくなってしまった配信の穴埋めができたのは有難かった。これもそうだけど、YouTubeは有難い。ここ数日はまっているのが、「アジアトラベルノート」というチャンネル。昨日辺りでも、このチャンネルのことを書きながら、チャンネル名を間違って書いたかもしれない。南タイ旅に次いで、北タイ旅の動画を観ている。南タイの最後は、国境を越え、マレーシアのアロースターを到達点としていたけど、タイとマレーシアの違いが、一目瞭然。マレーシアの方が近代的なビルが多い。だけど、街を歩いていると、時間の流れは、マレーシアの方が悠長で、黄紺は、こちらの方が好きなのです。街並みは、タイに軍配ですね。北タイ旅の方は、黄紺が外したチェンマイからスタート。替わりに、ライス国境に近い地域を回った。いい思い出です。最後、チャンラーイから夜行バスに乗ったけれど、外国で夜行バスに乗った経験って、このタイとトルコしかない。マレーシアもタイも、行きたいね。YouTubeのおかげで、その空白、ちょっとだけ埋めています。


2022年 8月 5日(金)午前 7時 4分

 昨日は、お出かけなしの一日。何か決まったことがあると言えば、木曜日だから、夜に生配信のある米朝事務所チャンネルからの配信を視聴することくらい。でも、この配信も、何でかなかった。今日から始まる慌ただしい日々に先立つ一日は、穏やかにしようというところかな。となると、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけが、外出時間。でも、これが、雨に祟られた。その降った酷い雨が、丁度、ウォーキングの時間帯に重なってしまった。昼前のウォーキングでは、20分間、雨宿りをしなければならなかった。しかも、逃げ場のないところで、酷い降りに変わるのが速かった。何とか、誰もいそうにない倉庫の軒先に逃れることができたけれど、それまでに、かなり酷い濡れになってしまってました。雨宿りをしたときって、スマホで雨雲レーダーを見ると、時間の目途が掴めるから便利です。30分間待てば大丈夫そうとなると、待つ気になります。でも、止みかけると速かった。軒先を出て、1分も経ってないのに、陽が射し出したのには、さすがに速すぎると思ったな。それまでの雨は何だったのと思わざるを得ません。夕方も、ホントに、突然の雨が2回。傘を差す間に、酷い雨になったのです。これだけの急変って、そうはないよ、しかも、同じようなことが2回も! ありえへんことが起こりました。
 朝の一時から午後の一時にかけて、東南アジアをレポートしてくれてるYouTuberの動画三昧。一人は、おなじみの無職旅氏のハノイ。今回もまた、ライブ配信のアーカイブで楽しみました。リアルタイムで、観ることのできるハノイの街角に憧れてしまってました。もう1つは、ディープな旅系YouTuberである「アジアン・トラベラーズ」さんの動画で、この間、追いかけている「タイ南部の旅」シリーズ。南タイは、なかなか観ることのできないエリアなため、もう楽しくって。そういった旅系YouTubeは置いておいて、お出かけなしの日と言えば、落語とオペラ配信を、YouTubeで観るのが定番。落語の方は、次の2本。①六代目笑福亭松喬「近日息子」(1988/12/10  ABCラジオ放送)②金原亭馬九「近日息子」。ともに「近日息子」を視聴。①では、冒頭、胡麻を集める作次郎、続いて近日ビラ、冒頭で、作次郎のキャラを訴えようとの露骨な構成。変なこと言いの男は、「てんぷら喰いたい」「ホース」は、ともになしでした。近日ビラを重点化したものと思われます。②は、東京ものをということで見つけたもの。馬九は初めて。一花の夫ということで、インプットされてはいるのだけど、その口演は初めて。しっかりとした口演だけど、外から眺めているという雰囲気。近日ビラからいきなり入り、トイレのトピックに続くというもの。そして、医者を呼びに行く。しょーもないこと言いの男は登場しないのは、東京版の定番。与太郎ものになっているのも定番だけど、上方版に慣れていると違和感が出てしまいますね。
 オペラ配信の方は、「Oper Vision」の新作。アイルランド国立歌劇場の「マリア・ステュアルダ」(トム・クリード演出)をピックアップ。ベルカントものが流れるのが少ないものだから、候補が幾つかあった中で、やっぱ優先させてしまいます。舞台は現代。コーラスは黒のスーツ姿。男性歌手陣も、似た色合い&格好。女性歌手陣だけが、色付きのデザイン化された衣装。エリザベス女王などは、ユニオンジャックをデザインしたもの。エリザベス女王の時は、まだ、イングランドでなきゃダメなんだけどと突っ込んでしまったけど、ま、大きな問題ではない。マリア・ステュアルダは、たるみがあり、腰ひもで縛りを入れた、特段、形容のできるものではない衣装。1幕の宮廷内は、前半のコーラスは、報道陣の体。照明器具、カメラを持ち込んだ中で展開。その空間自体がスタジオといった雰囲気。コーラスが掃け、器材が掃けた、何もないスペースで、後半は展開。2幕になると、ホリゾントの位置に、森の書割が上から降りてくるという簡易なもの。そういった「現代」「簡易」をコンセプトに、装置は続くものと思われます。歌手陣は知らない人ばかりだけど、各々、充実しています。以下の歌手陣です。(マリア・ステュアルダ)タラ・エロート、(エリザベス女王)アンナ・デヴィン、(レスター卿)アルトゥール・エスピリトゥ、(セシル卿)ジョルジョ・カオドゥーロ、(タルボット)カルム・トルペ、(アンナ)ジャンマ・ニブレイン。この配信とは別途で、ハノーファー市庁舎裏での北ドイツ放送交響楽団の野外公演の動画を、偶然、見つけました。昨年の夏の公演です。なんと、登場した歌手陣の1人が、ネイディーン・シエラだったため、全編、視聴することになりました。「ルチア」「愛の妙薬」「椿姫」などを歌ってたけれど、ネイディーン・シエラは、ドイツで人気があるのでしょうね。黄紺も、ベルリンで、2回、聴いていますからね。


2022年 8月 4日(木)午前 8時 10分

 昨日は、お出かけ日。普段なら、掛け持ちというのは避けるのだけど、先日の京都国立近代美術館ショックがあり、無駄を避けようの気分が支配しており、昨日は、掛け持ちを敢行しました。朝から、おなじみのアスニー山科での講演会に臨み、その後、地下鉄で東山駅まで行き、そこから、途中、程よい公園があるので、パンをかじって昼食替わり、そして、四条大和大路下がったところにあるZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUMへ行くというコースになりました。
 アスニー山科での講演会は、「池田屋事件再考~一橋(徳川)慶喜からの視点~」というお題で、京都女子大学等非常勤講師の中村武生さんのお話を聴くことができました。池田屋事件を扱うということで、予想していたことが当たり、予定数をオーヴァーする応募があり、今回も運よく当選でした。今のところ、落選がないため、ちょっと気色悪くなってきていますが、ま、当選はいいことです。冒頭、池田屋事件は有名過ぎて、研究者は手を着けるのを躊躇う、だから、研究の歴史が浅い、新撰組のイメージが先行し過ぎている、幕末の史料は、着手されていないものが多く、11年前の本を著したとき以後も、新史料が出てきて、訂正しなければならないこと出てきている、これは、今後も続く。それほど、多い。そういったこともあり、お題に「再考」となっているということでした。今回のお題の中心は、一橋慶喜の関わり方。反薩長連合を表すタームに「一会桑」というのがあるそうです。「一」は「一橋」(京都大坂防衛の最高責任者)、「会」は「会津」(京都守護職)、「桑」は「桑名」(京都所司代)。この三者は、仲が悪いが、反薩長で動く、背後に孝明天皇が居るという構図だそうです。新撰組は、会津藩配下で、末端にいるにも拘わらず、一般には過剰に大きく取り上げられているとなります。数年前までだと、この構図すら判ってなかった黄紺、昨日も、桑名藩が出てきて、びっくり。そんなの蠢いていたんだというところでした。「池田屋事件」と言った場合、池田屋襲撃だけを言うのではなく、当時、長州とスタンスを同じくする人たちの一掃事件と捉える必要がある。前後に、そういった出来事が連続的に起こっている。池田屋から逃げた者の追討、連座していると思われる者の居場所が襲撃を受けている。池田屋事件の発端となる古高俊太郎の自白は、孝明天皇への影響力が高かった中川宮(=賀陽宮)家(現御所の南西部に広大な邸宅があった)の焼き討ちだった。慶喜の態度を長州寄りとする説もあるが、事件当日、慶喜は「検見」程度の家来を派遣しているが、数的には少数しか派遣してないのは、そういったときに兵力となる部下は、全て水戸藩士だったため、多数の者を派遣すると、中から長州になびく者たちが出てくることを懸念してのもので、スタンスとしては、会津や桑名と同じ。本来仲が悪い一会桑が、正に権力として成立した瞬間だと言える。池田屋事件の1ヶ月後に起こる禁門の変は、長州が、池田屋事件をきっかけに起こしたと言われることがあるが、長州は、その前から計画していた。長州が、軍を京都市中まで進めえたのは、会津以外の大名は、長州軍をスルーさせたから。この時も、慶喜が、孝明天皇から長州討ちの命を得ている。慶喜のスタンスが見えてくる。池田屋に居た人数は、7~11人と思われる。20人という人もいるが、多すぎる。そして、その顔触れの特定が、ほぼできるようになってきている。これが驚きました。池田屋事件のような有名な事件だから、そんなのは、遥か以前に済んでいるものと思ったからです。11人とすればということで、名前が上がっていました。桂小五郎も入っており、襲撃の際、逃げることができたと言われていました。ネット上で調べてみると、「桂は遅れてきて、その場にいなかったから難を逃れた」説があるそうですが、それは一掃されていました。最近、日記が見つかった川村恵十郎は、慶喜が派遣した「検見」の1人。池田屋に向かったが、既に、会津・桑名が押さえ、現場に近寄れず、掃討に関わり、「大仏下川原」に向かう。「大仏」は、現在の京都国立博物館や三十三間堂を含む一帯の呼称。その南側に北添佶摩の潜伏先と考えられていた家があった。そこに、お龍(竜馬の女)の母親貞がおり、このとき貞が捕縛されている。これは、後のお龍の記述に符合している。細かなお話が続いたのですが、展開がおもしろく、かなり緊張感のあるお話で、とっても楽しめました。
 ZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUMは、先日、「日曜美術館」で放映のあったあと、NHKのHPで知った「辻村史朗−茶盌 TSUJIMURA SHIRO 100 WORKS」という名の展示会があったのです。まず、このミュージアムを知らなかった。祇園に、そないなところがあったとは思えなかったので、受付の人に聞いてしまいました。昨年の1月と言ったかな、最近です、できたの。周囲には、韓国にありそうなお洒落なカフェなんかもできていました。展示は、通常の展示の仕方ばかりか、傍らの机の上、小さなお庭の中にも置かれていました。辻村は、日本の様々な焼き物の再現を試みるとともに、その中で創造性豊かな作品を生み出すという特徴を持っている作家さん。この展示でも、志野、信楽、伊賀、粉引、井戸、備前、黒、赤などが並んでいました。「黒」「赤」という名が、幾つもあったのですが、寡聞にして、この名の捉え方は判りませんでしたが、実際の作品は、その名称に相応しい色合いではあったのですが。好みがあるのでしょうか、「日曜美術館」で取り上げられていたため、刷り込まれてしまったのでしょうか、志野や粉引に目が行ってしまいました。展示室の中央部に置かれていた志野は、番組中に「ようやくできた」と言われていたものじゃなかったかな? 黄紺的には、伊賀と信楽が並んでるのがおもしろいですね。同じ山の真逆の斜面の土を使いながら、どうして、こうも違うのでしょうかね。伊賀の白っぽい色合いが、ごちゃついていると思い信楽に目をやると、今度は、単調さの清々しさがあり、それに飽きると、傍らの伊賀が映えてくるという、いい展示の仕方が、とっても気に入りました。数が少ないので、かなり贅沢なものかと思いますが、現物に触れるのは、いい目の保養ですな。


2022年 8月 3日(水)午前 7時 2分

 昨日も、お出かけなしの一日。暑い一日には変わりなしで、正に、8月の真夏の天気。もう2日連続で、夜中にクーラーをつけた。2日続けて、夜中の2時台に、暑くて目が覚めてしまったからだ。そんなだから、昼間は、半端のない暑さ。でも、ルーティンにしているウォーキングは、日に2回、実施。昨日は、夜に、オンライン配信を視聴する予定があったので、昼前は通常通りだったけれど、夕方は、1時間前倒しで実施。となると、暑さはひどいままの中でのウォーキングだったけれど、暑いなか、時として、和みの風が吹いた。これが、なかなか心地よい。上手い具合に、身体を冷ます効果があったため、暑さのなか、くたびれることもなくウォーキングをすることができました。身体が火照ると汗が出て冷まそうとするけど、この汗が鬱陶しい。でも、僅かでも爽やかな風が吹くだけで、身体を冷ましてくれるから、汗の出が大人しくなる。これが有難い。こういったことが、毎日、起こってくれるといいのですがね。
 夜にオンライン配信があったので、少し前倒し気味に動き、朝の一時はなし。午後の一時の方は、たっぷりめにするために、そういった行動を採ることに。火曜日なもので、昼間に、KBS京都の「まーぶる」を聴き終えたかったのです。でも、昨日も、梶原さんはお休み。コロナ感染かな? ラジオでは「体調不良」としか言わなかったけれど。替わりに、またぞろ、先週と同じ鬱陶しいアナウンサーが登場。二葉に喋らせない、不届きなアナウンサー。梶原さんの呼吸の掴み方の匠ぶりを、こういったところで知ることになっています。そんなで、番組冒頭で、二葉が喋る、この1週間の面白話は聴けなかった。そんななか、博多天神落語会がトピックに上がっていた。黄紺も、つい最近知ったのだけど、このウルトラ豪華版の連続落語会で、二葉が、女性落語家として、初めて出番をもらった。それだけではなく、この連続落語会で、他にはない「冠落語会」になっているのです。そういった会がラインナップがされてることの紹介があったけれど、それが、どのような番組になるかも、二葉自身も知らなかった。キャリアだけだと、トップになる顔付け、でも、それだと「冠落語会」にならない。「文枝師匠らを従えて、、、」と突っ込まれていましたが、ホント、どのようなものになるのでしょうか、黄紺も気になってしまっています。
 夜の配信は、アートエリアb1からのもの。この間、続けられている「鉄道芸術祭vol.0〜10“展覧会の記録をめぐる10の対話 その3〜小崎哲哉さんを迎えて〜”」。小崎哲哉というお名前、書店で見かけたような記憶があるのだけど、どういった人かは知らなかった。前半1/3で、この配信でも、ご自身による、ここまでの経歴を聴いて、仰天。とんでもない方ですね。現代アート関連の情報誌を作ってこられた方とまとめるのが、いいのでしょうね。原稿依頼に応じた著名人の中に、レヴィストロースやアッバス・キアロスタミの名前があった。また、黄紺でも解るキャリアの1つに、あいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーなんて肩書があった。著書の紹介もあったので、早速、アマゾン屋さんで注文してしまいました。現代アート系の本を、一切持ってないものだから、新たな本を買わないをポリシーにしてながら、買ってしまった。概要欄での紹介では『REALKYOTO FORUM』編集長となっていましたが、現在は、京都芸術大学でも教鞭をとられているようです。半ばの1/3は、3回目となる、アートエリアb1で行われている展示を、トークの進行役の木ノ下智恵子(アートエリアB1運営委員)さんの案内で紹介するというもの。そして、後半の1/3が、お二人のトークといったもので、内容的には、軽いお話だったかな。スペースを提供し、鉄道芸術祭のスポンサー役を担っている京阪電車賛歌が続いていたというのが、お話の中心だったと思います。その中で、京阪の「阪」にシフトしているという指摘、なるほどですね。場所が場所だということ、このあと、中之島エリアを見越したプロジェクトがあるということで、「阪」にシフトしてしまうと、木ノ下さんは弁明。木ノ下さんご自身も大阪大学に籍を持つ人でもありますしね。このトークを聴いて、前回は寝落ちして、悔しい思いをしはしたけれど、こういった軽いお話だったとしたら、罪の意識が軽くなりますね。でも、この一連のトークはお宝です。
 実は、この配信が始まる20分ほど前に、昔の同僚から電話が入りました。2年ぶりくらいかな。このメルアドなら大丈夫と言うので、そのアドレスにメールを送っても、音沙汰なし。あったと思うと、変なタイミングでレスがあったりして、何となく疎遠になっていた。コロナ禍になり、人との交流に億劫になっているものだから、自分からはアクションが起こせなくなってきてしまってることも、疎遠になった要因の1つでもあったところへ、この電話が入った。久しぶりだったので、長話になりかけ、上の配信、ほぼ諦めかけたところで、オンライン呑み会をすることになり、そこで、改めてとなり、アートエリアb1からの配信を視聴できるようになった次第。でも、元気だったんで安心できた。緑内障になっているということで、これが、一番、心配だったけど、進行を抑制するしかないなか、うまくコントロールできているようで、ホッとしました。約1週間後、オンライン吞み会です。Zoomの段取りの付け方、それまでに、息子に聞いておかなくっちゃなりません。


2022年 8月 2日(火)午前 7時 9分

 8月に入りました。今年は、暑さが、早くから出てきたため、その疲労が蓄積してきているのが実感できます。まだ、8月に入ったところかと思うだけで、気が滅入ってしまいますね。でも、寒いよりはいいと言ってきたけれど、こう長く続くと、そうでもないかと思い出しています。昨日は、当初、映画を観に行く予定を入れていました。けど、止めました。予定表まで入れるということは、かなり、その気になってたはずなんだけど、日が迫ってくると、その気が失せてくる。よくあることと言えば、それまでなんだけど、結構な頻度で起こりますね。となると、何もない月曜日となると、楽しみは、夜のYouTube配信。昨日も、しっかりと、米朝事務所のチャンネルで、米紫&吉の丞によるトークを楽しんでしまいました。あとは、いつものようにウォーキングだけが、外出時間。でも、この2回のウォーキング、2回とも、途中から疲労が先行してしまいました。2回ともというのはいただけません。熱中症気味ということは、一切ないんだけど、「まだ、こないなところを歩いている」と、何度か思ってしまいました。身体の疲労感のわりには距離が延びていないことで、気が滅入っている証拠ですね。
 昨日は、朝の一時を、たっぷりめに取り、動画サイトを利用して、「ブラタモリ」の旧作2本、「町田編」と「京都鴨川編」を観ました。やはり、2回目は、おもしろさが格別です。「鴨川編」は、地元京都ということで、1回で、十分に情報は頭に入るのだけど、非地元というと、そういうわけにいかない。だから、「町田編」は、生で観たときよりか、今日観た方がおもしろく、「鴨川編」は、その逆でした。「町田編」の緻密な展開に、前回は付いていけてなかったということかもしれません。この中で、瓦の話題が出てましたが、古代瓦については、前回よりか、知識が増えていたからでしょうね、とっても興味深く観ることができました。最後の三多摩一括で東京府編入ということも、ようやく理解できました。主たる案内人さんを、この最後に関わる専門家だったというのも、センシティヴなことを言わせるためだったということが看えてきて、とってもおもしろく感じました。
 午後の一時はオペラ配信。オランダ国立歌劇場の「魔弾の射手」を、まがりなりにも完走。また、寝落ちしてしまったので、今回は、さすが、最初から観直すということをして、判らなかったプロダクションの意図が、見えたかもしれないという気になっています。本来の「魔弾の射手」の物語に、このオペラ制作にあたっている歌手&スタッフの物語を被せたのじゃないかな? 頻繁に出てきていたMCの男が、最後は正体を現しザミエル役であったり、カスパール役のザッペンフェルトが、隠者役をも兼ねるというキャスティング。隠者はどうやらスタッフで言うと、演出家か舞台監督ってところで、話を収めることを担っていたように思いました。そんなで、当たってないかもしれないけれど、自分なりの理解に、一応は達することができ、ちょっと一安心というところです。


2022年 8月 1日(月)午前 7時 23分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。ただ、午後にはオンライン配信でアート系のお話を聴くという予定を入れてあった。そして、朝からは、順調に「日曜美術館」の新作を観ることができた。昨日は、「水木しげるの妖怪画」というお題だけど、さすがに水木しげるは知っている。今年が、生誕100年ということでの登場となりました。水木しげるは、「ゲゲゲの鬼太郎」だけではなく、日本にある妖怪情報の収集家だったことも知ってたけれど、そのフィールドを世界にまで拡げていたというのは、この番組で、初めて知ることになりました。今回は、スタジオ制作でないから、MCの出ないものとなった替わりに、水木しげるの長女(この人、何者? 単なる長女だけではないと看ました)と小松和彦のコメント入りで、その生涯&作品が数多く紹介されました。経歴として紹介されていたことからメモっておきます。「出身地は境港、それを記念して、街角にキャラの銅像」「その中に“のんのんばとおれ”がある、“のんのんば”とは、子どもの頃、水木に妖怪の話をしてくれた婆さん」「昭和18年に召集、ラバウルへ、同じ部隊の中で1人生き残る、水木も戦争で左腕を失う」「戦後、紙芝居屋、更に、貸本漫画家に」「43歳で少年漫画誌にデビュー、この頃から、妖怪の古本集める、鳥山石燕(とりやませきえん/江戸時代の妖怪画家)に関心を持つ」。作品としては、次のようなものが紹介されました。但し、同じ作品で複数回紹介されたものは、出てきた分をカウントしています。①ぬらりひょん(妖怪の総大将)②べとべとさん③アフリカの妖怪たち④塗り壁⑤一反木綿⑥砂かけ婆⑦児啼爺/こなきじじい⑧のんのんばとあとオレ(白うねり、べとべとさん、天井なめ、川赤子、家鳴り/やなり、あかなめ)⑨神秘家水木しげる伝(塗り壁、天狗倒し、しらみゆうれん)⑩震々/ぶるぶる⑪赤舌⑫手の目⑬倩兮女/けらけら女⑭ぬらりひょん⑮小豆洗い⑯がしゃどくろ⑰提灯お岩⑱コロポックル(北海道アイヌ)⑲座敷わらし(東北)⑳野衾(のぶすま/高知)㉑アマビエ(熊本)㉒キジムナー(沖縄)㉓グハ(ニューギニア)㉔ニューギニアの森の霊㉕アフリカの妖怪たち(マリ)㉖シャビの精(マレーシア)㉗ミミ(アボリジニ)。④~⑦は、柳田国男「妖怪談義」から引っ張ったもの。⑩~⑭は、鳥山石燕からインスパイアされたもの。⑮は竹原春泉斎、⑯は歌川国芳、⑰葛飾北斎から、各々、インスパイアされたもの。⑱~㉒は、全国で採取してきたもの。㉓~㉗は、海外取材の成果。
 午後の配信は、毎度、お世話になっているアートエリアb1からのもの。昨日は、「鉄道芸術祭vol.0〜10 “展覧会の記録をめぐる10の対話 その2〜橋本梓さんを迎えて〜”」がありました。橋本梓さんは、国立国際美術館主任研究員という肩書をお持ちの方、確か、以前にもラボカフェに出演された記憶があります。前半は、その橋本さんがキュレーターとして、国立国際美術館で企画されたことの振返り、且つ、このシリーズのポイントとなっている、その記録の仕方、及び、過去の展示の再現(旧国立国際美術館代の展示の再現)での記録の活かし方、そういった視点でのお話があり、半ばで、前回同様、現在、アートエリアb1を使い行われている過去10年間の振返り展の紹介、後半が、木ノ下智恵子(アートエリアB1運営委員)さんとのトークという構成でしたが、橋本さんのお話半ばで寝落ち。後半のトークなどは、全く視聴できてないので、メモをすることができない有様です。ただ、企画された展示というのが、現代アートの粋を極めようかというもの、絵画の展示ならば、図録があれば事足りるだろう記録も、そないなわけにいかない。また、この記録という考え方自体が新しいということは、旧の美術館時代の展示の再現を試みたお話をされていたことから伺い知れました。それにつけても、この人たちの頭の中って、どうなってんだろうかと思うほど、発想の宝庫のように思えてしまう、展示の数々だったのだけは、記憶に残っています。
 夜は、偶然、旅系YouTuberの無職旅氏の生配信が進行中だということを知った。リアルタイムだと途中からになるので、終わるころを見計らって、再度、アクセス。アーカイブで頭から観ようとしました。というのは、今、ベトナム旅行中で、現地からの生配信をしていたというわけです。先日は、ハノイから。昨日は、フエからでした。王宮が残っているということは知っていましたが、時間をかけて観るのは初めて。丁度、王宮の周囲にある堀沿いに歩き、傍を流れる川を渡り新市街まで歩くというものだったけれど、ここはいいね! 以前、無職旅氏の動画で、ダナン、ホイヤンの街歩きの様子も観たけれど、ハノイ同様、観光化され過ぎた姿に引いてしまったけれど、フエはそそられてしまいました。ダナンに、かなり近いという位置関係も、Googleのマップで確かめるなんてことまでしてしまってた。行きたいね。ええとこ、知りました。


2022年 7月 31日(日)午前 7時 3分

 昨日は、一昨日の失敗の戒めとして、お出かけなしの土曜日。土曜日と言えども、「ブラタモリ」の新作の放映もなくで、ホント、何もなしの一日。そんなだから、朝の一時には、動画サイトにアップされている「ブラタモリ」の旧作を1本、観た。「八王子編」だった。生放送で観たときよりも、濃い内容に思え、観直して、正解。甲州街道を使った、二様のクランクというアイデア、頭のいいやつ、いますね。人を貯める工夫が、経済効果を生む、それを街作りでやったというお話。いつものような地形の専門的なトピックは出なかったけれど、川の段丘の利用や、これまたクレバーの治水方法。2つの賢い話、起源はともに信玄だった。2回、観るの、「ブラタモリ」の場合は、大切だね。朝から、いい感じ。
 お出かけなしの日となれば、いつものように、ウォーキングだけが外出時間。昼下がりに、僅かの時間だけ、早めの夕立があったけれど、昨日も、暑い暑い一日。日により、ウォーキングをしているときの調子が違う。暑くても、身体は軽いままの日があるかと思うと、朝から身体が重いとき、夕方のウォーキングに、疲労が出るとき、様々だけど、昨日は、夕方のウォーキングに顎を出し気味でした。でも、平常通り、実施。過不足なしです。
 午後の一時は、旅系YouTuberで、一の贔屓にしている無職旅氏のハノイからのライブ配信をしたものが、アーカイブに入っていたので、それを視聴が、昨日のメーンかな。ライブ配信を、開始15分前にTwitterで予告したと、配信の中で言ってたけれど、そんなの、黄紺には判らないものだから、12時間ほど遅れてから、アーカイブに入っていたのを視聴。だけど、そういった告知にも拘わらず、1時間弱のライブ配信を、リアルタイムで1800人ほどが視聴してたのには、びっくり。人気YouTuberって、すごいわ。内容は、ハノイ市内の中心部でホコ天になっている地域を中心にそぞろ歩くというものだけど、行きたくて、うずうずしている人間には、堪らないものがあるのでしょう、いや、自分もその一人だとの自覚を持ちながら観ています。街歩きの様子を観ていると、すれ違う人の中に、わりかし白人系ツーリストと思える人が多い。無職旅氏曰く、「日本人旅行者は、ほぼいないけど、韓国人旅行者は見かける」と。タイのときは、カオサンのような白人系ツーリストの多いところはノーマスクだったけれど、そういったところ以外は、マスク着用がノーマルだったタイに反し、ベトナムは違った。無職旅氏の目では10%くらいがマスク着用だということで、すれ違う白人系ツーリストは、100%ノーマスク。黄紺は、ホーチミン界隈しか知らないので、ハノイは、とっても新鮮だけど、とっても観光化されています。この過剰な観光化が、黄紺的には、ベトナムは、人気の観光地のわりには、興味を惹かなくなってしまっています。だから、こうして観るのが精一杯ってところでしょうか。午後の一時のもう1つは、これも、YouTubeのお世話になり、落語を聴くこと。昨日は、次の音源・映像を視聴することができました。①春風亭一蔵「粗忽長屋」+師弟対談「一朝×一之輔」②笑福亭喬介インタビュー(聞き手:内海英華)(2022/7/30 ラジ関寄席)③桂文華「井戸の茶碗」(2022/7/24 日曜落語~なみはや亭~)④初代桂春団治「喧嘩の仲裁」(1930年収録、2022/7/24 日曜落語~なみはや亭~)。①一蔵は、一朝門下。かなりやかましい口演。横になりながら聴いていると、やかましいため、上手く聴き取れないため、聴き直したけれど、やかましかった。肩のこる口演でした。②の落語の放送は、喬介の「牛ほめ」だったので、今まで聴き過ぎたきらいがあるので割愛、インタビューだけを聴いた。松竹芸能がテコ入れをしている落語家ユニット「五楽笑人」とか、弟子の喬明のこととか話してました。②③④が、Radikoで聴いたもの。③がお値打ちもの。喜楽館でのライブ録音でした。大阪に移し替えての口演だけど、侍は土浦藩を使っていました。何でだろう? 思いがけない藩が出てきたので、その心が気になりました。そして、茶碗を土浦へ戻った際に、わざわざ持参するというもの。茶碗が割れないか、気になってしまいました。文華は、説得力のあるお喋りぶり、その力量が、いかんなく発揮されており、好演。ええもん聴けたと、この音源を見つけて、めっちゃラッキーな気分になれました。④は、時間が合ったから入れたのでしょうが、あまりにも唐突。なんか、「強情」と被るような展開だけど、後半が聴きづらく、流してしまいました。


2022年 7月 30日(土)午前 7時 13分

 昨日は、もうサイテーな日でした。今週4回目の岡崎へのお出かけ日にしてあったので、もちろん、そのつもりで、朝から動いてたというほど、たいそうなことではないのだけど、夕方から京都国立近代美術館に行くことにしていた。「夕方」からというのがポイントなのです。先日、向かいの京セラ美術館のコレクション展に行ったとき、「清水六兵衛・九兵衛」展に行くのは止めようと決めました。となると、京都国立近代美術館の特別展に行ったときに一緒に観ていたコレクション展を観ることができない。ましてや、京セラ美術館のコレクション展を堪能してきたばかりだったので、京都国立近代美術館の方のコレクション展も気になってしまった。「鏑木清方」展に行ったときには、その関連作品ばかりか、ユージン・スミスに青木繫まで登場で、びっくらぽんだった喜びがあったもので、今回も調べてみたら、1つは作品で発見が、もう1つは開催要項的なところで発見がありました。作品的には、森寛斎、今尾景年らの大家に加えて、未だ観ていない都路華香が入っている。それもいいけど、一番、目に飛び込んだのが靉光の作品が3点も入ってるのに反応しちゃいました。後者は、この美術館、金曜日に夜間開館をしていて、おまけに入場料が割り引かれてるということを知ったのでした。急いで、金曜日には、何がしかの予定が入っているが、よりによって、昨日がボンボシュ! ならば、忘れない内に行こうということで、岡崎4回目、内美術館3回目となるけど、行こうと決めたのが最悪の結果になってしまいました。昨日はやってなかった。今日から「清水六兵衛・九兵衛」展が始まるということで、マスコミなどを対象にした「特別展示日」との掲示があり、それ以外は閉鎖でした。出かける前にHPで確認していたため、美術館前でスマホでHPを見たんだけど、その旨、書いた箇所を見つけられなかった。書いてないってことはないと思うけれど、「書いた者の頭に中に入らないと見つからない」、そういった告知の仕方をしてるのでしょうな。えぐいわ! 結局、電車代を損をして、ただ、引き返すしかなかった。情けないわ、ホント! それで、この損失を補填するために、今日、ちょっと遠出をするつもりだったのを止めることにしました。悲しいことです。
 そのお出かけ前、YouTubeでオペラ配信を観ていたんだけど、あっさりと寝落ち。ましてや、観ていたのが、先日の続きということで、オランダ国立歌劇場の「魔弾の射手」だったもので、さっぱり判らない。いや、まともに観ることができていても判らないプロダクションなのに、寝落ちの合間の記憶では判るわけがなかった。これも、がっくり。そこで、そんなに眠いのならとベッドに横になり、昼寝のつもり。空調をかけて、布団を被っての昼寝がいい感じなんだけど、ほぼ眠れなかった。このアンバランスは、何なの? でも、よくあること。ここでも中途半端。夜は、今度は、YouTubeを使い、バシャクシェヒル・スポルとコンヤ・スポルのUEFA欧州カンファレンスリーグ予備戦の試合のダイジェスト版を観た。こちらは、大丈夫だったんだけど、今朝、起きて、PCを開けると、画面は、そのダイジェスト版が終わったところのまんまになっていた。どうやら、観ながらの寝落ちだった様子。おまけに、そのあと、YouTubeで音楽を聴こうとしても、音が出ない。調べている内に、オーディオデバイスがオフになってた。いつ、そうなったんだ。いや、自分がやらないと、そうならないと思うと、寝落ち前に、何かやったんだね。もう、サイテー。よくも、これだけ、嫌なことが続くね!


2022年 7月 28日(木)午後 10時 33分

 今日は、京都みなみ会館で映画を観た日。今週、2回目の映画となりました。黄紺の都合の良い時間帯に上映されるということで、映画が詰まってしまいました。都合が良いと言っても、丁度、昼食時に始まるというもの。でなければ、朝の早い内か、夕方以後、黄紺の一番避けたい時間帯なものだから仕方ありません。だから、今日は、前倒し気味に動くことにしました。昨夜、チャンピオンズリーグの予備戦もあったことで、なかなか厳しいなか、時間を確保して、午前中のウォーキングをすることができた。時間は短めでも、しないよりはましという感覚でした。昼食も、早めに済ませ、京都みなみ会館へ。今日は、アイルランド・カナダ・ドイツ制作となっていた「ガザ 素顔の日常」というドキュメンタリー映画。パレスチナのガザ地区に住む市井の人たちの生の姿を追いかけたもの。最後のクレジットでは、ガザ・クルーとして挙がってたのは、全てアラブ系の人たちの名前であったように看ました。だから、現地スタッフが、監督の指示に従って、撮影、その対象となる人たちの人選をする実働部隊になってたのかな、これは、あくまでも勝手な想像ですが。幾人かの人たちに焦点が当てられ、その人たちが繰り返し登場するなか、その人たちに関わる人たちにもカメラが向かっていく、その合間合間では、単発的に誰かに焦点が当たるという感じで進行する。そして、最後に、2018年のイスラエル軍によるガザ攻撃時の撮影でまとめられていく映画と言えばいいかな。焦点が当てられた人たちは、次のような人たちでした。「14歳の少年アフマド、彼の夢は漁船を持つ漁師になること、だから、遊ぶ時間も含めて、彼の登場シーンは海辺が多い」「アフマドの父親と出たと思うのだけど、3人の妻を持ち、子どもが20人いる男、メモを見なければ、人数に自信が持てないほどの子どもの数、アフマドについては、勉強ができないと言っている、それに続いて、アフマドの学ぶ学校の風景が映る」「19歳で現実逃避するためにチェロを奏でるカルマ、彼女は、海外留学をして国際法などを学びたいという夢を持っている」「そのカルマもモデルとして参加しているベドウィンの民族衣装をアレンジしたファッションショーを企画する女性、彼女自身にもベドウィンの血が流れている、この女性の自宅だけが、その他の場面に出てくるガザと異なり、ハイソな雰囲気、最後になり、この女性が、イスラエルからの攻撃で、両親を死傷させていることが判る、曰く、大きくなったら兵士になりイスラエルを攻撃することを考えていたが、暴力でない方法でガザの状態を訴えねばと考えるようになった」「タクシーの運転手も、繰り返し登場する一人、彼の車にはカメラが設置されていて、乗客との会話が撮られているが、ガザの状態とは裏腹で、陽気な乗客が乗り込んでくる、一緒に歌ってしまう運転手氏」「救急隊員のおじさんも、繰り返し登場する一人、イスラエルの攻撃を受け、病院に搬送する緊迫したシーンも出てくる、そして、家族が詰めかけ、阿鼻叫喚の光景もカメラは収めている」「イスラエルの攻撃を受け、車椅子生活を送る若い男はラッパー、その録音風景をカメラが収めていた」「タクシー運転手の車に乗り込んで来た舞台俳優の活動は、車の中のシーン以外でも、繰り返しカメラが追っていた、公演のために発声練習をする姿、演じるのはイスラエルによる攻撃時の様子」、繰り返し出てくる言葉は、出口がない閉塞感を訴える言葉。チェロに逃避する女性がいる一方で、日々の生活は活気があり、陽気。相反する雰囲気が表されているけど、どちらもガザであることには変わりはない。外にいる我々は、前者ばかりを考えてしまうけど、後者を伝える映像を観ていると、親近感を感じる生身の人間が見えてくるだけに、余計に、事態の深刻さが伝わってきてしまいました。街の雰囲気は、初めて行ったディヤルバクルのダーカプから南下する道の東半分だったな。人の密集度は、ディヤルバクルよりか、遥かに密だったけどね。そういった意味では、ちょっとノスタルジックな気にもなったけれど、それは、あくまでも街の上辺の光景と限った言い方。圧倒的な軍事力にものを言わすシステムが、ここでも生きている。それを背後で支えている国が、ウクライナでは、軍事力でもの言わすやり方に抗議している。わけわかりません。
 帰りは、いつものようにウォーキングを兼ねて、徒歩で帰ることにしました。日中の一番気温の上がる時間帯だったんだけど、幸いなことに、空は曇っていた。汗は、たっぷりとかいたけれど、これじゃましと言い聞かせて、無事に完走。途中、買い物がてら寄ったマートで、身体を冷やすことをできたのが、大きかったかな。


2022年 7月 28日(木)午前 6時 53分

 昨日は、雨が気になった一日。一昨晩から、傘マークが付いているのに、雨が降りっぱなしというわけではない。だから、この先、どこかで酷く降るのではないかと気になってしまっていた。結局、振り返ってみると、酷い雨というのが、こちとらが出かけようと設定していた時間帯のすぐ前であったから、気が気でなかった。実は、雨降りの日だからこそ、出かけようとしていたんだけど、要するに人出は少なくなることを当て込んでのことだけど、だけど、その雨は、決して酷い雨じゃない、けど、その酷い雨が降った。雷も鳴っていた。そんなだったけど、ラッキーなことに、かなり限られた時間だったため、実際に家を出る時間には、ほぼ止んでいた。その後も、ほぼ降らなかった。傘は邪魔にはなったけど、酷い雨が降り続けるよりは、はるかに有難かった。そのお出かけは午後に当てた。だから、午前中は、いつものようにウォーキングをすることができた。全く、お天気などは気にする必要がないほど、いい天気だった。なのに、お出かけ準備に入ろうかというときに、酷い降りにあったというわけでした。
 で、お出かけ先は、昨日も岡崎。これで、今週に入ってから3回目。まだ、もう1回、出かける予定が入っています。昨日は、日曜日に続いての京セラ美術館。特別展「綺羅きらめく京の明治美術ー世界が驚いた帝室技芸員の神業」に行ってきました。幸野楳嶺らの大家の作品を観ることができるということで、予め、前売り券を買い、楽しみにしていた美術展でした。切り口は、「明治」「京都」「帝室技芸員」の3つ。切り口を変えて、要するに、目先を変え、様々な組合せで、日本画の大家の作品を見せてくれます。キュレーターの方たちは、この切り口を設えるのに、頭をひねっておられるのでしょうね。入口の部屋には森寛斎と幸野楳嶺という、先んじて、帝室技芸員となった2人の作品が配備されていました。この2人をはじめ、順路の前半に配置されている作家さんの作品は、会期中の前後半に分けて展示をするという、お定まりの嫌らしい展示をするため、数も限られているのが腹立たしい。森寛斎の「夏景山水図」を一目見て、「山元春挙?」と思ってしまった黄紺。雄壮な春挙の風景画を思い描いてしまってました。後から判ったんだけど、それもそのはず、森寛斎は、山元春挙のお師匠さん。道理で、この名前、どこかで見ていたはずという記憶と符号が合いました。幸野楳嶺の作品は、描かれている素材が、全て異なっていました。その中でピックアップしたいのは2点。「群魚図」「舞妓鳥籠図」。前者は、せせらぎを泳ぐ魚数匹が群れている姿を描いたもの。水中の魚の質感が判ることから、川の流れ、魚の動きが見えてきます。後者は美人画。もっと、観たいな、幸野楳嶺の美人画。会期後半にも、1品出るそうなため、再訪するか悩ましいところ。次の部屋の前半部は、川端玉章と岸竹堂。これまた、名前を知っている作家さん。特に後者は、作品まで知っている。勇壮な虎の絵。黄紺の知る虎は正面から捉えたものだったけど、「猛虎図」は、虎が2頭描かれてはいても、ともに横から描かれたものだった。興趣が違うな、合わないなと生意気なことを思っていたところ、その傍らの「月下猫児図」が、本日一のお気に入り。木の枝に猫、その枝の先に蟷螂、それを猫は狙ってるけど、細い枝の先、その枝に猫がいること自体、いつ落ちても不思議ではない、緊迫感が凄い。その上には大きな月。月下の出来事です。注釈なしで観たら、「月百姿」かと思うかも。でも、月岡芳年は猫は登場させないでしょうが。この部屋の残りの半分は、望月玉泉と熊谷直彦、そこに、今尾景年が1品紛れ込んでいるというスペース。今尾景年以外の2人は知らなかった作家さん。望月玉泉の衝立に描かれた「唐獅子牡丹図」は、この特別展のポスターだか何だかに使われている作品。驟雨を描いた作品もあったけれど、同様の素材では、熊谷直彦の「雨中山水」に軍配。描かれているスペースは小さいけれど、船乗りと川添いの庵から顔を出す男との会話も聴こえてきそうなところで、山水そのものにリアリティが出てくるところが気に入ってしまいました。今尾景年の作品は、次の部屋に多く展示されていたけれど、気になったのは1点、「躍鯉図」が、やけに目立った。鯉が川面から跳ねあがったところなでしょうか、「躍」という文字が入っていることから、そう勝手判断してしまいました。宙に浮く鯉の姿が、とっても凛々しいのです。同じ部屋に展示されていたのは野口小蘋の作品群、女性で初めて、帝室技芸員に選定された作家さんだそうです。七宝の並河靖之と粟田焼の初代伊藤陶山の作品を挟んで、もう1室、絵画の部屋があり、プラス五世伊達弥助の織の作品が展示されている部屋がありました。絵画は、富岡鉄斎、竹内栖鳳、山元春挙という大家の作品が並ぶ豪華なお部屋。富岡鉄斎の「阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」は、今回展示されている絵画作品の中での唯一の重要文化財。この作品、写実性に富んだ作品が並ぶ中で、唯一、写実性を度外視したもの。岩肌など、簡略に努められている。けど、奇岩群の中の風景だと判る優れもの。誰しもが聴きたくなる説話の世界を描いたよう。イラストっぽい作品と言えば、余計に判らなくなる? 竹内栖鳳は2点、親近感を感じさせる「熊」が目を見張らせてくれる。なんで、そないな描き方が使われたんでしうか、気になってしまう。春挙は1点、「松梅図」。滋賀県立美術館所蔵ものだそうです。となると、観ているかもしれませんね。その判定もつかないほど、もうろくしちゃったようです。春挙の作品は、さすがと思わせるスケールです。山水を含めて風景画が多数、展示されていたけれど、ここまでの迫力のあるものはなかったなの印象です。五世伊達弥助の織の緻密さは、半端じゃないですね。その中から1品選ぶとなると、即答できます、「秋草鶉図掛軸」です。今尾景年の絵画を織で表したものだそうです。今尾景年の原画も、さぞいいものだったろうと思わせられるもの。ススキの茎は強そうだけど、秋を感じさせるものがあります。それを織で表すと考えることすら凄いことだと思ってしまったな。織関係では、二代川島甚兵衞ものがそそられてしまいました。伊藤若冲の綴織額「紫陽花双鷄図」や神坂雪佳の図案を活用した作品が展示されていたけれど、黄紺的には、お気に入りの神坂雪佳ものに魅入られます。「紋織窓掛試織/草花文様」は、デザイン化された草花をシンメトリーに配置されたもの。明治の作品群の中に入ると、とってもモダンに感じてしまいます。「紋織窓掛試織/百花」は、それこそ花を撒き散らかしたように描かれた絵から切り取ったもの。めっちゃ華やかでした。金工師加納夏雄の作品は、刀の鍔などの彫り物、細か過ぎて、黄紺の目には、それを捉え切れないけど、何となくすご技を感じました。陶器は、三代清風與平、初代宮川香山、初代伊東陶山、初代諏訪蘇山が並びました。その中で惹かれるのは、三代清風與平の白磁の作品。模様と地の部分に色合いの違いを感じさせる、素敵なものでした。そんなで、すっかり堪能。腰に、かなり来てしまっていたので、展示室前の広いスペースにベンチを見つけ、しばし腰を休めることに。この京セラ美術館への往復が、夕方のウォーキングを兼ねていたので、五条駅まで歩くことに。白川通、花見小路、宮川町と、観光名所を歩くと、僅かだけど、観光客歩いてますね。中には、外国人観光客の姿も。途中、恵美須神社の境内を抜け、宮川町に入ろうかと思っていたところ、なぜか、恵美須神社が入れなかった。なんで? すぐ近くには、とっても広い更地があり、あの辺りの景観も変わりそうですね。こんなことをしていて、帰宅すると、かなりの疲労。夕飯前の小1時間、ベッドに倒れ込み寝込んでしまいました。


2022年 7月 27日(水)午前 7時 10分

 昨日は、夜に落語会に行った日。だから、昼前はいつものようにウォーキングをして、夕方のウォーキングは、落語会の往復で、それに替えるというタイムスケジュール。しかも、火曜日ということで、午後の一時は、Radikoで、いつものようにKBS京都の「まーぶる」を聴いていた。昨日は、なんでか判らないのだけど、馬場さんがお休みで、替わりのアナウンサーが出ていた。おかげで、馬場さんの偉大さが、よく判った。二葉の良さが引き立つのは、正に、馬場さんあってのこと。上手い具合に、二葉に奔放に喋らせる。昨日の替わりのアナウンサーは、俺が俺がが出過ぎて、替わりだということ、すっかり忘れるキャラ。二葉の喋りに、どんどんと、自分の言い分を被せてくるから、それだけで聴きづらかった。そんななか、新しい情報、知っていたこともあったけれど、記憶のためにメモっておくことにします。二葉の持ちネタの出どころ。「ガマの油」は坊枝から、「佐々木裁き」「真田小僧」「子は鎹」は米紫から、「近日息子」「打飼盗人」は文華から。「ガマの油」「近日息子」の2つが新情報ですね。これらは、ネタをもらうというトピックを、まとめて喋っていたなかで出てきていました。
 落語会は、ロームシアターでの「京都市民寄席」。爺婆が大勢、夜公演に詰めかける。これぞ、伝統の公演と言えばいいかな。四天王花盛りのなかに、円都が混じり、可朝がカンカン帽で踊りながら出てくる、先代南陵も観た、思い出の寄席です。その頃に比べると、落語4席になったうえ、出てくる顔触れも、随分と小粒になりました。その番組は、次のようなものでした。秀都「時うどん」、三語「打飼盗人」、菊丸「借家怪談」、松喬「お文さん」。師匠の文都の口舌が濃厚で、となると、ちょっと上から目線の喋りで避けていた秀都だったけど、昨日のお喋りは、かなり、そういった色合いが薄れてきていたので、これなら聴けるという 印象を持ったのが、ちょっとした収穫。でも、聴いている内に、このくそ暑い真夏に、なんで、冬のネタを出すのか、腹が立ってきた。熱いうどんをすすられるだけで、気持ちが悪くなってきた。「季節には季節のネタでやんなきゃ」と思うほどに、外は猛暑の日でしたね、昨日は。テキスト的には、入りの箇所、仕込みで食べるときに、喋り過ぎない型でした。「打飼盗人」は、東京では「夏どろ」。これは、だから季節もの。寝ている男が裸だから、夏なんでしょうね。三語は、声が気になるなぁ。バタ臭い声と書けばいいのか、なんと書けばいいのか判らないけど、今に始まったわけではないのだけど、そんな中で、一昔どころではない噺をされると、入ってこないんだなぁ。おまけに、この日はマイクを通すものだから、余計に声の特徴がクリアになってしまい、後ずさりしてしまいます。盗人の困りも、ちょっと物足りなかった。金を出してやる気にさせるものが弱かったかなというところですね。菊丸、久しぶりに観ると、ちょっと顔の感じが変わってしまってるように見えました。マクラで、「隣のおじさんシリーズ」という「怖い小咄」、掴みはさすがです。ネタは前半の仕込みは、すんなりと流れたのだけど、後半の怖がらない男は、デフォルメ過多に。その狭間に、大家がチラリと顔を出し、「なんで、借り手が現れないのだろう」的な台詞を言わせる工夫。そして、バラシのところで現れた男は、大家に遣わされた男(下げ)となっていた。大家の台詞に呼応させているのだけど、どうでしょう? 難しいところ。ネタを知っている者からすると、「やりすぎ」に感じるのだけど、そうしないと判りにくいと判断したのかもしれません。それが当たっているかもしれませんが、、、。ここまでの3席に、各々、モヤモヤ感が残ったのですが、それらを一掃したのが松喬、さすがです、完璧な口演だったと思います。御堂筋の由来から入り、「御文章」「お文さん」の解説へと、これだけの蘊蓄を聴いたのって、米朝以後なかったように思いました。久しぶりの「お文さん」、最近では、生喬で聴いたくらいじゃないかな? 噺の流れも忘れているくらいだけど、前の場面まで来ると、その後の場面を思い出していきながら聴いていました。侍に化けた男、丁稚、お花、又はん、乳母はん(実は妾)、見事な描き分けです。なかでも、お花と乳母(妾)の色分けは、お見事。いや~、ええもん聴かせてもらいました。「終わり良ければ、全て良し」とは、正に、この落語会に相応しい言葉です。昔は、京都会館へ往復は、決まって、二条通を使ったものだけど、最近は、なぜか使わない。「なんでだろ」と自分に突っ込みながら、でも答えはないんだけど、そんなことを考えながら、中学生時代から通っていたことを思い出すのも、この往復の定番となっています。


2022年 7月 26日(火)午前 7時 40分

 前の夜から一転して、熱帯夜になった一昨夜だったけれど、よく寝ました。すごい、たっぷり感のある睡眠。一般では、これが普通かもと思ったけれど、黄紺的には、しっかりめの睡眠。そんなでも、昼食後、YouTubeを観ていると、うつらうつらしている。ま、このおかげで、その後に行った映画は寝なかった。昨日は、前からの狙いの映画を観る日だったのです。場所は京都シネマ、日本映画「マイスモールランド」を観てきました。在日クルド人の高校生を主人公にした映画。こんなのが撮られるなんてことがあるのと、その存在を知ったとき、とにかく驚いた。川和田恵真監督は、是枝監督門下で、自身もハーフということでアイデンティティに対する思い入れのある人と知り、余計にそそられことになりました。主人公サーリャは、父親と妹、弟の4人で暮らしている。父親は難民申請中。サーリャは、普通の高校生と同じく、進路を考える時期。日本語指導を、小学校のときにしてもらった先生への憧れからか、小学校の教師になりたいという希望を持っている。高校に通いながら、コンビニでバイトをしている。自宅が埼玉、バイト先が東京という設定。そのバイト先で働く高校生、実は、そのコンビニのオーナーの甥でもある。なんとなく言葉を交わす2人、風貌からして、明らかに外国人であるサーリャに対し、何の拘りもなく接する聡太。その聡太に初めて、自らの生い立ちを話すサーリャ。そういったところへ、難民申請不許可の裁定が下り、就労の禁止、他府県への移動は許可制となってしまう。でも、生活のためと、それまでの仕事を続ける父親。そこは、クルド人コミュニティがあるらしく、同胞ばかりが働く産廃業者。サーリャも、バイトを続けている。聡太との間で、進路の話をしている中で、聡太が美術系大学、それも大阪の大学への進学を希望していることが判る。一緒に行かないかという聡太。その気になってくるサーリャ。そこへ、父親の収監という事態が起こってしまう。仕事をしているところを見つかってしまうのだった。支援をする弁護士に、指示されたことを求められるサーリャだけど、バイトを続けないと生きていけない。でも、それが、聡太の口からバイト先に知れることになり、影響を恐れるバイト先のオーナーから解雇されるサーリャ。聡太の母親は、関わりを恐れて、聡太にサーリャとの関係を無くすように諭す。とにかくは、生きる術を求めて彷徨するサーリャ、同級生のしているパパ活で何とかしようとするが、そこはそれ、アブナイ男との遭遇が待っており、バイトで得たお金で、何とかしのぐサーリャ。その間、弟の行方不明事件があり、そのとき支援してくれた聡太との関係は元に戻っているんだけど、そういった苦情を察してか、父親は、収監覚悟で、帰国(どうやら帰国先はトルコですね)を決意。反発するサーリャ、「自分が連れてきて、今度は置き去りにする」と。でも、支援をする弁護士に父親の腹を教えてもらう。「親が難民申請を諦めた替わりに、日本育ちの子どもにヴィザが出た例を、お父さんは知ってんだよ」と。収監されているところでの最後の親子の面会。ここは、大事なラストシーンということで、それまで、トルコ語、少し、クルド語混じりだったのかな、そういった会話で進んできたのが、日本語で行われました。「未来に掛ける」「未来に託す」的な言葉が結びとなりました。この映画の偉いところ、賛否はどうであれ、結論を出したことと思いました。日本移住の原因となった父親が、子どもたちを活かすベターな選択をする、その原因となった迫害は、己が背負いこみ、それにより、子どもたちには背負いこませないという強い決意で締めくくられていました。無理のない会話が、ラストまで引っ張って行ってくれる映画です。主人公2人の瑞々しい演技が引っ張ります。なかでも、聡太役の奥平大兼が素晴らしい。青年にもなり切っていない、でも、子ども時代は既に卒業している、そういった半端な時代の男の子を演じきっています。それと違和感なく絡むサーリャ役の嵐莉菜の自然体が、一層、2人の会話を瑞々しくしているのでしょうね。凄いわ。冒頭、テロップで、「各々の生活してきた言語3つが使われます」と出ますが、ほとんどがトルコ語。時々、全く聴き取れないセンテンスが出てきたときが、クルド語かなと思うのですが、すぐさまトルコ語に変ってしまうので、クルド語の音を思い出している暇がなかったので、そうかなと思ってしまっています。もし、そういった箇所が、黄紺が聴き取れなかったトルコ語なら、どこでクルド語を使ってんだろうという言葉づかいでした。お祈りの言葉は、アラビア語でしょうからね。それとも、あすこだけがクルド語だったんだろうか? クルド人が主役のわりに、トルコ語が謳歌しているのに、とっても、驚きでもありました。なんで、クルド語でしなかったんだろうね? そのトルコ語で、1箇所、びくりとしたところがありました。自宅から父親が外出する際、サーリャは「ギュレギュレ」で送り出したんだけど、それに対して、父親が応じたのは、なんと「アラーハウスマルドゥク」でした。こんなの、トルコでは、東南部の田舎道で、バスに乗り込んだ女性が、送りに来ていた仲間に使ったのを聴いたことがあるだけで、そのときは、ギョッとして、思わず、その声があった方角をふり返ったほどでした。そういったキャラ付けがされているのか、そこまで深く、監督さんを知ってるわけではないので、黄紺の推測が当たっているか否かの判定はできないのですが、少なくとも、現代の日常生活からして、そういった言葉遣いをされると、一定のイメージが付きまとってしまう黄紺です。第一、父親に対して、出かけるときに「ギュレギュレ」は言うかなぁ。親子の会話というものが判らないので、勝手な判断してしまっています。それとも、「ギュレギュレ」と、サーリャが(敢えて)言ったから、「アラーハウスマルドゥク」と応じたのなら、納得だけど。でも、そんなやり取りしても、観る者には判らないと思うし、、、。日常の別れではなく、もっと大きな別れ、この映画のラストのような別れを表そうとしているのなら納得という意味です。でも、これ、ありうるかも? クルド人コミュニティでの会話も、ほぼトルコ語というのが、このコミュニティに集うクルド人役の人たちの、トルコでの日常だったのでしょうね。黄紺的には、クルド語社会で、トルコ語で話しかけて、クルド語とごちゃ混ぜになった応対をされたのは、1回だけです。ビンギョルでのことで、周りはクルド語ばっかの世界。そこで、クルド語は知らないからトルコ語で話しかけた。すると、最初、トルコ語で応対してくれたのだけど、途中からクルド語に替わったから、変な顔をしてしまうと、横にいた男が、クルド語を喋り続ける男に注意してくれたことがあった。似たことはミディエットであったけど、トルコ語で尋ねたら、クルド語で答えられたため、その時も、横にいた男が注意してくれ、トルコ語に替わったことがあった。ごちゃ混ぜ経験がそのくらいなものだから、この映画を観てて、とっても違和感を覚えてしまいました。監督は、十分にクルド人コミュニティで取材していた上で脚本を書いているでしょうから、抜かりがあるわけではないので、黄紺の知らない世界ということと思います。サヘル・ローズが、親戚のお姉さん役で出ていたけど、台詞はトルコ語だった。クルド語はペルシャ語系だから、そちらでやって欲しかったなとも思いながら観ておりました。とまあ、小ネタも含めて、いろんなことを考えさせる映画ですね。最後に、もう1度、情報を調べてみると、サーリャの家族役全員が、本当の家族でした。


2022年 7月 25日(月)午前 7時 52分

 昨日は、アートにシフトした日曜日。その1つ、もちろん「日曜美術館」の新作があったこと。そして、それが終わるとすぐに出かけて、京セラ美術館に行った。いい天気だったこともあり、美術館の前にある京都府立図書館横のベンチで昼食。辛うじて、日陰に入ったベンチを見つけることができました。その往復が、いつもの昼前のウォーキングの替わり。もちろん、岡崎からの帰りは、京都の観光地経由。日曜日だというのに、観光客はいることはいるけど、少なかった。一時は溢れていた修学旅行生は、欠片も見なかった。夏休みにはしないのか、自粛に入ってしまっているのか、感染者数は半端じゃないですからね。さすがに、朝から慌ただしいと、帰って来ると疲れが出て、PC画面を前に寝落ち。観ていたのは、YouTubeだったけどね。1回、寝落ちすると、元気になるもので、夕方のウォーキングは通常通り。暑いと言っても、乾燥していて、いい風が吹くものだから、汗は、控えめでした。
 「日曜美術館」のお題は「陶の山 辻村史朗」。また、初めて知りました、辻村史朗という作家さん。冒頭、京都の「えき」美術館で、ほんの数か月前に、展示会があったことが映像で紹介があったけど、全くのノーマーク。知らないってことは、損なことですね。辻村史朗は、20代で奈良県の山中に自ら窯を築いて以来50年、作陶を続けてきた人。MCの小野さんが、その山中の敷地を訪ねて、ロケをしたものに、辻村へのインタビュー、奥さんへのインタビューを交えながら、その制作の様子を辿るという構成になっていた。そこで語られたことをメモっておきます。「元来、絵を描いていたが、21歳のとき日本民芸館で観た“大井戸茶碗/銘山伏”に出逢い、陶芸に進む」「その2年後、1200坪の土地を買い、窯、茶室、欲しいものから順に作って行った、現金が必要になると作品を夫婦で売りに行った」「日本の茶碗に挑んできた、自分の唐津、自分の井戸、自分の伊賀、、、を目指して」「ここ2年は、再び、志野焼、“国宝 卯花墻/うのはながき”に魅せられ、それに見合う作品を作りたい」「結果が大事、電気釜で焼いても結果が良ければよい」「最後の窯を閉めるタイミングで仕上がり具合が変わって来る、一人でないと決められるものではない、だから、一人で作り続けてきた」「焼いた茶碗の中から、これはと思ったものなのか、幾つかで抹茶を飲む辻村、気に入るものかどうか、確認しているよう」「3年越に、縁に紅がさした志野が出来上がった、その生まれた志野茶碗で、茶室に招かれる小野さん」、また、凄い作家さんを知ってしまいました。仙人のような生活をしながら、ひたすら作り続けて50年、出来上がったもので、比較的気に入ったものなのか、その敷地内に放置してある、でも、どこに何を置いたか覚えている辻村、でも、時が経つと、それらの作品は、落ち葉に埋もれ、土に埋もれている。奥さんとは、山中に入ったときから連れ添っていたよう。この奥さんが何者なんだと思わせる懐の深さを感じさせます。NHKの番組紹介のHPを見ると、放送では言わなかった情報が載っていました。「えき」美術館では逃したけど、今、京都の「ZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUM」で展示が行われているとのことで、早速、同ミュージアムのHPで確認。このミュージアムの存在すら知らなかった黄紺。とっても行きやすいところにあるので、時間を見つけて行ってみることにしましょう。
 京セラ美術館で行ったのは、収蔵品を展示する「コレクションルーム」。ここでは、年4回、季節ごとに展示品を変えてくれます。今は、夏期の展示が始まったところ。特集「幻想の系譜―西洋版画コレクションと近代京都の洋画」といった副題の付いたものでした。前回もそうでしたが、最初の部屋には、特別なものを展示するらしく、「夏の名品」と称して、2品だけが展示されていました。秋野不矩の「砂上」と中村研一「瀬戸内海」。秋野不矩の作品は、どこかで観た記憶がある。Wikipediaで調べると、インドで教鞭を執ったとあるから、間違いない。でも、どんな作品だったか、覚えていない。「砂上」もそうだけど、「瀬戸内海」も、ともに、女性の裸を描くという共通点があった。中村作品が、戦前の作品だとは、作品だけを観ていると判るわけがない。「砂上」の方は、裸の女性は背中しか見せてないけど、その向こうで戯れる3人の子どもの無表情さが気になった。顔の見えない女性の満ち足りた雰囲気を感じさせるものでした。特別の部屋に次いでは、近代以降の日本の夏を集めた部屋。「海辺の暮らし」と名付けられた展示室、竹内栖鳳、小野竹喬、西山英雄、霜鳥之彦といった、黄紺の知る大家の作品も並ぶ部屋。その中で気に入った作品は2点。樋口富麻呂「往く船」と阪本音彦「寂照」。前者は、「紀元2600年奉祝展」出品というもの。こういった肩書を持つ作品が、こうして日本画を観ていると、時々、見かけますね。抵抗を感じつつ観ていたものだけど、この作品。なんか、空中に浮かんだ天界の人々のように見え、眼差しも強く、意志力のようなものを感じさせる。「紀元2600年」に見合うようにと、こういった作品を作ったのでしょうか。時を経て、そういった記憶が薄れていくと、その眼差しが生き残っていくようで、気に入ったというよりか、気になった作品でした。後者の方は、どこか田舎の集落の一角に、一人の女が、集落を表す細やかとは似つかわしくない白地に青の幾何学模様を描いた浴衣を着て佇んでいる。色のコントラストといい、背後の集落の密な光景に似つかわしくない艶やかさを感じさせる衣装に顔つき。とっても、モダンな感じ。このコントラストが、不思議な空間を作っているように思えたからです。次いで、「近代西洋版画への誘い―THE ZERO COLLECTIONより」と名の付いた、今回の目玉となっている部屋。新たに寄贈された版画の秀作が並んでいるようなんだけど、難解すぎる。18~20世紀の版画作品が並んでいる。20世紀のコーナーでは、ルオー、マチス、ピカソ、ブラックなどという大家の作品も並ぶ。説明文には、版画の様々な手法を書いてくれているが、そういったタームに不慣れなもので、版画作品を観るときに、毎度、困ること。替わりに、前の部屋の作品群の説明文のような、作品解説的なことが割愛されているものだから、さっぱり想像力が働かない。猫に小判とは、正に、このことだね! 次の部屋も「幻想の系譜1 象徴主義 シュルレアリスム ウィーン幻想派 ― THE ZERO COLLECTIONより」と記され。新たな収蔵品の展示。「象徴主義・シュルレアリスム・ウィーン幻想派」といったものに慣れてないこと、夥しい。でも、「象徴主義」のコーナーに、ルドンの「聖アントワーヌの誘惑 第3集」があったとから、想像力が働いた。「聖アントワーヌの誘惑」って、アウグスティヌスも触発されたあれだよね。そういったトピックを知ってないと、想像力が働かない。自分の想像力とルドンの想像力を比較して楽しめばいいということ、ちょっと作品を観る目が判ったようだったけど、ルドンの想像力には辿り着けなかった。「シュルレアリスム」のコーナーの説明文には「夢」「精神分析」などという言葉が出てくる。ミロやダリと並び、ル・コルビュジェの名が出てきて、びっくり。建築物をアートにしただけの人ではなかった。次いで「幻想の系譜 2 北脇 昇・小牧源太郎・今井 憲一」と「幻想」繋がりで、日本人の作家さんの大きな作品が並ぶ部屋。今回の展示の代表作品としてHPに掲載されていたのが、ここにあった。北脇昇の「眠られぬ夜のために」。青のトーンの中に、左上から一陣の光、それに触発された草花1つ、両脇にも草花一輪ずつ、ともに人かと思える姿態になっているという不思議な作品。夢の中の出来事のよう。その横に、同じく北脇作品、「章表」という名が付いている。大きなトルソの横に木が伸び、その先が伐られた枝先に蝶がピン止めされている。アートの自由を訴えたもののようでした。こういったメッセージ性のある作品も、このジャンルの人たちは描くのですね。蝶が人を表しているようです。無機質のトルソ、伐られた木、唯一生命を感じさせる蝶がピン止めとはと思わせるところが、憎い作品。小牧源太郎の作品には仏教にシフトした作品も。その心は推し量ることもできませんでした。最後の部屋は「清水六兵衞 創造のあゆみ」。5代目から8代目(当代)の清水六兵衞の作品が並んでいました。気になるのは、九兵衞も名乗った先代六兵衞。当然、九兵衞としての作品も展示されていました。まもなく、お向かいの京都国立近代美術館で、「六兵衞・九兵衞」展があるのだけど、ここでの展示を観て、諦めました。判らない。当代の六兵衞は、割れ目、凹みを入れた陶器を並べ、オブジェに仕上げるという「CERAMIC CIRCLE-91」という大きな作品が展示されていました。そんなで変化に富んだ作品群。京セラ美術館では、他の展示のチケットを、既に買ってあるので、そのときに、再度、西洋版画にチャレンジしようかなの気でいます。誰かがおもしろいと思うから、こういったコレクションっていうものが存在しているわけだから、それを見つけたいと思ってしまってるのです。


2022年 7月 24日(日)午前 7時 26分

 昨日は、びわ湖ホールでのコンサートに行った日。この7月は、これで、びわ湖ホールへ行くのは2回目。前回はオペラ、昨日は、オペラのアリア集をプログラムにしたコンサート。オペラずいています。昨日のコンサートは、「妻屋秀和 バス・リサイタル」。日本最高のバス歌手の、びわ湖で聴ける嬉しさで、迷わず、チケットを買ってありました。だいたい、本物のバスと言える歌手が、世界的に減の一途を辿っている中で、本物と言える歌手が、日本にいるというだけでも、嬉しいこと。黄紺的には、妻屋さんは、ワイマールの「指環」のDVDで知った方。「ラインの黄金」では、ファーフナーだったかな、スキンヘッドで現れ、見事な悪役ぶりに度肝を抜かれ、「黄昏」では、これまた、ド迫力の悪役ハーゲンで見せ、聴かせてもらってから、日本にとんでもないバスがいることを知ってから、要マークの歌手なのです。びわ湖の「指環」でも、ハーゲンを歌う予定だったもので楽しみにしていたら、コロナ禍で生では聴けなかった。そういったことが、妻屋さんには思い出があります。ピアノ伴奏は、新国立劇場のピアノを担当されている木下志寿子さんとのコンビで開かれたリサイタルのプログラムは、次のようなものでした。(第1部)モーツァルト:「魔笛」より “この聖なる殿堂に住む人は”、モーツァルト:「フィガロの結婚」より “復讐とは、ああ、復讐とは!”、ロッシーニ:「セヴィリアの理髪師」より “陰口と言うやつはそよ風のようなもので”、ベッリーニ:「夢遊病の女」より “ああ、懐かしい大地よ”、ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」より “ああ!我慢するのです、我慢を”、(第2部/オール・ヴェルディ)「シモン・ボッカネグラ」より “惨めな父親の引き裂かれた心は”、「ナブッコ」より “神よ、あなたは預言者達の唇を”、「マクベス」より “息子よ、歩みに注意するのだ”、「シチリア島の夕べの祈り」より “ああ、祖国よ”、「ドン・カルロ」より “彼女はわしを愛した事はなかった!”、(アンコール)ヴェルディ:「アッティラ」より。このプログラム、当初、発表されたものは、リートとアリアが半々だった。それが変更になったのは、アンコールを歌われたあとに、マイクを持った妻屋さんから明かされました。コロナ禍で外国人歌手が来れなくなり、その代演が入り続け、準備ができなかったということでした。前半がモーツァルトとベルカント、後半がヴェルディというプログラム。前半は、普通のリサイタル型式での歌唱。後半は、非常灯を消し、ピアノは、左サイドに動かし、右サイドに平台を積み重ね布を被せた装置が置かれるというセミステージ型式。正面の上部壁には、各アリアの内容を、漢字2文字で表すという凝りよう。「暗殺」「侵攻」などという文字が浮かび、そこに、妻屋さんが、予め録音しておいた台詞が被るというもの。そして、妻屋さんは、平台の装置を使い、演技入りで歌うという趣向になっていました。「シモン・ボッカネグラ」では、フィエスコが、娘の棺を前にして歌い、「ドン・カルロス」では、フィリッポ2世が、玉座に腰かけて、己の悲哀を歌うという風にして進行。びわ湖ホールのスタッフに感謝の念を、最後、マイクを持ち話しておられました。声の力は、予想通り、圧倒的なものがありました。予想通りと書いたけれど、冒頭のザラストロのアリアで、びっくりするほどの迫力で、もう予想を超えていたと書いた方が適切かもしれません。ところが、ザラストロは、思いっきりの低音が出てきます。そこへ来ると、「あれ?」となっちゃった。前半は、こういった思いっきりの低音が出てくると、これが続いてしまっていた。マイクを持たれたとき、「ベルカントで声慣らし」的なことを言われていたのは、ここなんでしょうね。いくら本番に臨むにあたり、発声練習をしても、ままならないということなんでしょう。これが。後半になると、一転して出るんだから、生身の人間の声って、思い通りにはならない、でも、思惑通りになると凄いってことですな。歌唱的に、黄紺的お気に入りを書いておくと、前半はバルトロのアリア。「実際に歌われることあるんだろうか」と思いながら聴いていました。後半は、ザッカリアだな。妻屋さんの声質、思いの外、明るさを感じてしまったってことがあるためかな、このチョイス。「攻め」のあるアリアに、その真骨頂が出てたように思いました。これだけ、一気に歌うのは、かなりの体力が要ると看ました。そんなことも、マイクを持ち言われていましたが、最後が、カバレッタでパワー全開となる「アッティラ」をアンコールとは、恐れ入りました。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「輪島編」がありました。「堅牢優美」が、輪島塗のコンセプトということを手掛かりに、番組は展開。塗を重ねに重ねていく。お椀の縁には布が仕込んである。その仕込みが判らなくなるほど、漆を塗り重ねて行く。これは知らなかった。漆に地紛をこね合わせてあるということで、お待ちかねの地質トピックが入った。輪島だけにある、偶然の地形。地質話は、輪島にいい港を生んだ地形について。北前船が立ち寄り、この漆芸作品を全国に運んだ、その根本となる地形話でした。「優美」の基は、塗り重ねた漆を削り、そこへ金粉を仕込む、人間国宝の作家さんも登場という大サービス。「ブラタモリ」で、ここまで、1つの工芸を掘り下げたもの、なかったんじゃないかな、そか、有田焼以来かな。とっても、おもしろい、興味の惹かれる「輪島編」でした。こういうのを、神回っていうのかな?


2022年 7月 23日(土)午前 0時 6分

 今日は、夜にオンライン配信を視聴するつもりだったので、昼まではいつも通り、午後の一時は短縮、余裕をもって、その時間に備えるという時間の流れ。だから、ルーティンにしているウォーキングは、いつも通り。だけど、またぞろ、靴の買い替えの時期に来て、新しい靴を足になじませるのに苦労しています。今回は、右足の小指が集中攻撃を受けている。一時は腫れあがるほど、その小指が圧迫を受けていた。だから、古い靴が使えなくなる前に、新しい靴を買い、足慣らしをすることにしているが、今回は、ましな方じゃないかな。左足などは、全く影響を受けてないからね。1週間から10日ほどかけて、ゆっくりと足慣らしをします。短縮された午後の一時では、YouTuberの無職旅氏の動画を観ていたら、それだけで寝落ちしてしまった。まだ続いている。ホント、あっさりといい気持になり眠ってしまっています。実は、これが、夜のオンライン配信を聴いているときにも起こった。昨晩は、しっかりと睡眠がとれたのに、こんなの変だろと突っ込んでみても、寝るときは寝てしまう。眠れない日も、しばしば起こるのに、なんでだろ?
 その夜の配信は、アートエリアb1からの定番のもの。今日は、「鉄道芸術祭vol.0〜10/展覧会の記録をめぐる10の対話 その1〜岩渕貞哉さんを迎えて〜」と題して、講演と、その岩淵さんと、カフェマスターの木ノ下智恵子(大阪大学共創機構社学共創本部准教授&アートエリアB1運営委員)さんとのトークを聴くことができました。岩淵さんは、「美術手帖」総編集長という肩書を持つ大物。この後、「10の対話」では、黄紺の知らない大物が、相次いで、ゲストとして登場されるようです。今日の配信は3部構成。まず、岩淵さんによる「美術手帳」の果たしてきた役割を時系列的に紹介されるお話、次いで、この10年間に渡り、アートエリアb1という名の、京阪電車難波橋駅コンコースを使った芸術祭の振返り展(現在、同じスペースを使い行われている)の紹介、残りの1/3が、お二人による美術展、美術館のアーカイブについてのトークといったものでした。最初の「美術手帖」の時系列的紹介は、正に日本における現代アートの歴史そのものだったのでしょうね。固有名詞を聴いても、その人の役割などは、さっぱり解らないものでしたが、中には、赤瀬川原平、李禹煥、中原浩大といった聴いた名も出てきたけれど、その人たちの事跡を説明できない黄紺です。だから、現代アートの時系列的展開など、さっぱり解ってないことを、思いっきり解らせてもらえたということでしょう。そういった現代アートの集大成的なイベントとなる、横浜や愛知のトリエンナーレや、今も続く、「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」といったものは、「日曜美術館」のおかげで、具体的に知っている。「森美術館」の取り上げられ方からして、その位置の大きさも理解はしているつもりです。で、これで終わらなかった、岩淵さんのお話。そこが寝落ちした箇所。「振返り展」は、木ノ下さんの案内。黄紺が知っているのは、最後のコロナ禍での取組みだけ。今の黄紺の目からすると、各々が垂涎の企画。せめて、この振返り展だけでも観てみたいなぁ。ここでも、大阪に出かける勇気の問題となります。最後のトークは、10年余の積み重ねを、どのように残していくかのお話。岩淵さんは、先日の「日曜美術館」をご覧になってたでしょうね、災害により収蔵自体に影響が出てくる時代で、問題の重要さを指摘され、何を残すかという観点に立ち、ハンセン氏病で隔離されていた作家さんの作品を事例としてお話をされていたのですが、黄紺には、よく判らなかった、辛いところです。岩淵さんは、現在、高松市美術館で個展が開かれている鴻池朋子についても言及されていましたが、これが、ハンセン氏病の作家さんと被ったお話かもしれません。結局、聴き取り不能だったようですね。まだまだ、勉強が足らないようですな。


2022年 7月 22日(金)午前 7時 46分

 昨日は、お出かけなしの日だったけれど、オンライン配信のお世話になった日。でも、これが勘違いをしていて、焦ってしまった。夜の配信と思っていたので、のんびりと朝の時間を過ごしていたところ、午前中のウォーキングに出かけようとして、予定表を見て、びっくり。勘違いに気づいたんだけど、その配信、お昼休みを利用してのものだった。ということは、のんびりどころか、いつものようにウォーキングをしていると、その配信に食い込みかねない時間になっていたのでした。結局、午前中のウォーキングは、いつもの8割程度に抑えて、昼食も、配信後に回して、その配信に臨んでおきながら、また、後半に寝てしまっていた。僅か50分の配信なのに、1/4ほどは、ダメだった。一昨日と言い、連続的に寝落ちしてしまっています。で、その配信は、東北地方環境事務所主催の「第2回ランチタイムセミナー」、「気候変動の健康影響と適応策」というお題で、東京大学大学院医学系研究科教授の橋爪真弘さんが、ロンドンからライブでお話されました。ロンドン時間午前4時に配信していただいているのに、寝落ちとは、失礼にもほどがあります。このテーマ、あまりないんだよね。気候変動と健康問題がリンクしている。実際、最後のQ&Aで、その点に触れられていました。掴みとして、洪水被害を受けるダッカの画像を見せられたあと、その後のダッカでコレラが流行したトピックを上げられていました。コレラ患者数と水位のデータが、見事に重なっています。洪水の「曝露人数」なんてデータも出ています。気候変動モデルを用いて、想定された気温の上昇の違いにより、どの程度の人が、被害を受けるかをシミュレートしたものです。具体的な事例を、その後も幾つか紹介いただきました。「熱波」による被害、これは、2003年のヨーロッパの熱波による過剰被害のデータが出ていました。温暖化に伴い、生態系は敏感に反応するということで、その例として、節足動物の生息範囲が拡大することを上げられていました。節足動物に蚊などが含まれ、蚊が生息する地域が変化することで、病原菌などが及ぶ地域に変化が出てくるというわけです。それだけではなく、気温上昇に伴い、蚊の吸血頻度や成長速度も上昇するそうです。マラリヤ原虫の増殖サイクルも短縮化するようです。その他、表にしてまとめられていた気候変動による影響からピックアップすると、自然環境の悪化から発生する難民や内戦によるメンタルヘルスへの影響、猛暑による暑熱関連疾患や死亡、メンタルヘルスへの影響、海面上昇による水質変化からコレラなどの病気の増加やアレルゲンの増加などを上げられていました。そういった影響を受けやすい人たちというのも重要な課題。子ども、高齢者、低所得国、都市部の貧困層といった脆弱な集団がそうだということです、なるほど。次いで、「日本における影響」。テング熱の病原菌を運ぶしま蚊が、日本で生息することから、気候変動により、その地域の変動をシミュレートされた結果を見せていただけました。実際、生息区域の北上が見られ、場合によっては北海道にも達するということでした。マラリヤついては、都市部が増え、また、媒介蚊が夜行性ということで、流行の可能性は低いが、輸入されることで、流行する潜在的リスクはあるとされていました。その後、熱中症関連のお話へと続くのですが、この辺りからダメだったよう。メモが途絶えています。レジュメから想定できることだけをメモっておきます。完全に入ってないのは「緩和策と適応策」という、気候変動のお話では定番且つ最重要な問題。「世界の多くの人たちが苦しんでいる病気は気象に影響されやすい」「コベネフィット co-benefits 温室効果ガスの排出抑制(緩和策)と健康増進の一挙両得」「具体的には、自動車から自転車へ、肉の消費を減らす、特に反芻動物」「緩和策に加えて社会レベルでの適応策が必要」「我々の行いで未来は変えられる」などなど。このお昼休み構座は、全5回。残念なことに、第3回と第4回は視聴することができません。昨日もそうだったんだけど、黄紺が重視している構座と正面衝突しているので、苦渋の選択を強いた結果、そないな予定にしています。参加者の多数は、その筋の方ばかりのようですが、素人にも、とっても解りやすいものが続くだけに、有難く参加させていただいているというのに、情けない。
 午後の一時は、久しぶりに、ネットのお世話になり、落語&オペラを楽しむことにしました。落語の方は、「日曜落語~なみはや亭~(2022.7.17放送分)」が、Radikoで聴けたので、この番組1本を楽しんだ次第。前半は、先日、朝日放送が配信したトークショーで出た桂二葉の「近日息子」と、トークショーの断片。二葉の「近日息子」は聴いてなかったので、これが出ているということで飛びつきました。しょーもないこと言いの男とのやり取り、最初からテンションが上がり過ぎで大丈夫かと思ったのですが、口調で応対を変えるという技を使っています。テキストはそのままだから、何度も聴いているのに、可笑しい。二葉の技量の高さですね。そこへ、1発、強烈なオリジナルなくすぐりというか、しょーもないこと言いの男が言います。それが、二葉が、「天狗刺し」で使ったと聴く、マクラでネタ振りをしてあった物言いを放り込んだものだから、めっちゃ盛り上がりました。これ、新手ですね。断片的に入ったトークで、二葉は「文華師匠からもらいました」と言ってました。黄紺は、文華の「近日息子」は聴いているのだけど、随分と前だから、ネタの割愛加減を覚えてないのだけど、序盤の作次郎のアホさを描く部分の割愛と、終盤の悔やみの場面の割愛が看られます。ということは、作次郎のアホさはほどほどにして、しょーもないこと言いの男に完全に焦点化している構成と言えばいいのかなと思います。「近日息子」の進化が、東京のものとは、かなり異なるので、東京の客が、この「近日息子」を聴いたら、びっくりするでしょうね。番組の後半は、笑福亭羽光へのインタビュー。スタジオでの収録。せっかく羽光を呼びながら、落語をさせないのはあかん。番組でも言ってたけど「二葉に勝った男」なんだから、失礼にもほどがある。二葉の落語を流した後に、羽光へのインタビューって! 黄紺的には、羽光落語は1回しか聴いてないので、聴きたかった! 1回聴いただけで、独特の感性の持ち主とインプットされていますからね。
 オペラ配信は、「Oper Vision」のお世話になりました。オランダ国立歌劇場の「魔弾の射手」(キリル・セレブニコフ演出)です。まだ、冒頭の45分弱しか観てないのですが、さっぱり狙いが判らないプロダクションン。MCが出てきて、英語で進行をしているのか、オペラの枠を作っているのかが判らない。オペラそのものが劇中劇のように観えます。舞台上にカメラを持ち込み、両サイドに用意された部屋、但し、客席からも、その中の動きは垣間見えるのだけど、そこには森の装置などがあり、カメラを通しては、舞台転換にもなるという仕掛け。その部屋から窓を通じて出てきた歌手陣が、真ん中の舞台でも歌う。完全なナンバーオペラなため、アリアだったら「アリア」と背後のスクリーンに出る。そんな具合で進行しています。なお、カスパール&隠者(この2役を兼ねている!)を、ギュンター・グロイスベックが歌っています。進行するほどに、プロダクションンの意図を掴まえることができるのでしょうか? あまり期待できそうにないんだけど。


2022年 7月 21日(木)午前 7時 32分

 昨日は、市民向け公開講演会のはしごをした日。午前中はアスニー山科に行き、午後は、ちょっと久しぶりの京都学歴彩館へというコンビネーション。その間が、丁度、2時間。北大路まで地下鉄で移動し、鴨川の河原でお昼ご飯。日陰にベンチがあるのか不安だったけど、バッチリ。気温が上がったため、お昼時でも、人の出は良くなかったのが幸いしたのか、あっさりと見つけることができました。食後は、河原で読書をしていると、呆気なく時間が来てしまった。北山通を回って行くと、うまい具合に、京都コンサートホールを通るので、京都市響の9月定期のチケットを引き取ることができたと、移動についてはバッチリだったのだけど、昨日は、肝心の講演の最中に、両方ともに居眠り。先日のように、知らない間にベッドに行ってるなどという、わけの分からない寝落ちではなく、うつらとして飛んでる。それが、ともに、判で押したかのように、事例を挙げられている箇所。だから、お話の筋立ては外していないので、判るといえば判る、でも、結論へ直行した感があり、なんか、ずるをした雰囲気で、気色が悪い。午前中でそう思ってたら、午後もそやった。歴彩館からの帰りは、猛暑のなか、いつものように三条まで歩いたんだけど、昨日は、気温のわりに、とっても身体が軽かった。調子がいいのに、この低汰落は、情けない。
 アスニー山科での講演のお題は「鎌倉時代の東寺の造営~朝廷と鎌倉幕府~」、お話をなさったのは、東寺文化財保護課課長の新見康子さん。以前も、この山科でだったかな、お話を伺った記憶がある。とっても、丁寧で、理路整然とお話をされる方という印象が残っていたけれど、そのまんまのお話だっただけに、抜けているところがあるのが、惜しい。冒頭、「東寺が、唯一、平安時代の建物が残っている」と言われていました。言われてみて、ぼんやりと、京都を思い浮かべてみると、あれれ、確かにそうだね、ないよね、残ってないよ、ホントだと、変なところで感心。広い境内、何度も焼失に遭い、その都度、建て替えが行われている、いや、建て替えが行われてないものもある、そういった建て替えを経て、今の姿があるわけだけど、その過程で、どのような力学が働いたのか、誰が関わったのか、それを見て行こうというお話です。東寺の押さえは、もう1つ。元来は官立寺院、その後、空海が密教寺院に替え、現在に至る。この、元来が官立だったということが、時の権力者が関わる大きな要素のようですね。そんなで、選ばれた3つの造営をメモっておきます。①文覚によるもの。創建後の傷みの修復。中でも、金堂や講堂のあった中央部が土一揆により焼失していた。その再建、ただ、再建時に修復されなかったものがあるので、この中央部にスペースができているそうです。門の修理の中でも、蓮花門だけが国宝に指定されているのは、使用木材に旧いものが使われているからだそうです。文覚に勧進を命じたのは源頼朝、また、費用として、播磨国を宛がったのは後白河上皇と、時の権力者が、しかも、朝廷も、幕府も音頭を執っている。②は、鎌倉期の灌頂院の消失と再建に関するもの。九条道家(鎌倉4代将軍頼経の父)の伝法灌頂(阿闍梨位を授けられる儀式)を契機に行われたもの。また、この半世紀後には、後宇多天皇(後醍醐天皇の父)の伝法灌頂を契機に、護摩堂の再建が行われている。いずれも、朝廷が素早い動きを見せており、中でも朝廷と法会が合体して再建が行われている。③は、3代目となる五重塔の再建。ここでも、朝廷と幕府が共同で勧進に関わっている。同時期の泉涌寺の再建でも同様だった。東寺に関しては、時の執権北条貞時が、頼朝に倣い、大部の費用を宛がう措置を講じていました。それだけではばく、鎌倉から熟練の工人まで派遣していました。この後、五重塔は、2回焼失し、現在の五重塔は、寛永年間に、江戸幕府により再建されたものだそうです。黄紺は、京都みなみ会館には行けども、東寺の境内には入ったこともないので、このお話を聴いた以上、行かないとダメですね。国宝だらけ、重文だらけだということ、よ~く解りました。
 歴彩館の方は、ここ数年続く「京都を学ぶセミナー」で、今年は「伏見編」ということで、昨日は、「深草遺跡と列島の弥生時代~考古資料が語ること~」と題して國下多美樹(龍谷大学教授)さんのお話がありました。冒頭、西浦町のNTTの建物前に、深草遺跡を示す高札があるのを示されたのですが、黄紺は知らなかった。既に、戦前から発掘が行われたと言いますから、練兵場のあった時代から、その存在が知られていた重要遺跡だそうです。戦後、軍隊が去り開発が行われるなか、発掘が続けられたそうです。注目されたのは、弥生遺跡に縄文系の遺物が出てきたことという、この発掘の歴史を掴みとしてお話されただけで、この遺跡の重要度が判ったのですが、細かな遺跡や遺物のお話の中身が跳んでしまっているのです。Google Earthを使い、深草遺跡、及び、周辺にある遺跡を示されただけで、この地域の重要さが判ります。また、人の住んだ痕跡が出てくるわけが判ります。東山が南北に連なり、桃山丘陵で終わります。その南は、宇治川が削ってしまったのでしょう。東山と桃山丘陵の途切れるところが大亀谷、かつては、旧東海道線が走り、それ取っ払って名神高速道路の走るところですが、古代からすると、ここは東西を往来する格好の場所。大亀谷には古代人の遺跡が多く出ているそうです。そして、東山から桃山丘陵にかけて高台から流れ出す川が作った扇状地があります。それと、西に流れる鴨川の氾濫原が重なる複合地形なんかな、平地が拡がる。東西の往来の続く道筋があり、京都から奈良に向かう南北の往来もあります。その両者が交差するポイントが、この深草遺跡であり、弥生時代後半では、既に、重要な物流拠点だったろうと言われていました。「弥生時代後半」と言われたのには、びっくりでした。また、日本書紀には、「深草屯倉(みやけ)」の記載があり、「国の直轄地」であったことが判っている土地だということで、それも、交通の要所がなせるものだったということでした。それらを示す遺物が、深草遺跡から出てきているというわけです。炭素年代測定が、より進化して、より正確に測定が可能となり、九州北部には、BC.800~BC.500には弥生式遺物が出てきているそうで、従来は縄文時代とされていた時期ですが、それが、徐々に東進するというわけです。この深草遺跡は、BC.300頃の弥生中期の遺跡になるそうですが、東方では、まだ、弥生式生活の日が浅いため、縄文時代の生活様式が残っている。それが、物流に乗り、深草に入り込んできているというわけです。その個々の証拠の解説があったところで、うつらうつら来てしまってたようで、その辺が跳んでしまっています。銅鐸や玉が、それらを知るメルクマールになるというようなお話をされていたように記憶するのですが、、、。
 講演後、歴彩館の展示室で行われている企画展「あやしい、、、京都」(京都府ミュージアムフォーラム合同展覧会)を観てまいりました。大江山酒呑童子絡みの歌川国芳ものがあるのは定番として、異形の祭祀用遺物や、宇治からは橋姫関連、各地の鬼瓦などの展示を観ることができました。なかなか、おもしろい企画。でも、これだけを観に行くには、展示品が少ないんだよね。だから、毎年、この「合同ミュージアム」企画は、こういった講演会のあとに、見せてもらっています。


2022年 7月 19日(火)午後 7時 52分

 今日は、凄まじい雨が降った日。線状降水帯というのができたようですね。夜半から雨は降っていたんだけど、えげつない雨になったのは、午前11時前だったと思います。最初は、傘さしウォーキングができるかもくらいの気持ちで外に出たのだけど、そんなに時間を経ずして、そんな呑気なことを言っている場合ではないと悟り、引き上げて正解。途中、マートで買い物なんかしている場合じゃないほどの降り。瞬く間に、道路上に水が浮いてしまいました。この時期に、近年続いていた凄まじい降りというのが、今年はなかったのが、来てしまいました。断続的に、これが続き、トータルすると、結構、長かった。夕方のウォーキング時間前にも、えぐい降りがあったので、怖くて、いつものようにウォーキングはできなかった。当然、昼前は無理だったので、久しぶりに、1日1万歩を下回ってしまったけど、今日は仕方がない。結局は、梅雨は明けてなかったという雨が続きますね。この分だと、修正があるかもしれません。
 そんなで、家内に缶詰め状態の1日、でも、今日は火曜日ということで、KBS京都の「まーぶる」を、Radikoで聴いていた。二葉のTwitterなんかを見ていると、昨日は、東京で2つの会を行い、計6席も喋ってた。おまけに、夜の会は午後7時開演と出てたから、終了後、帰阪(したんでしょうね?)、朝9時にはKBS京都に現れるという「そんな落語家になりたい」を地で行く殺人的スケジュールです。おまけに、梶原さんにお誕生日プレゼントを抱えて登場してた。このエネルギーの欠片でも分けて欲しいよ、ホント。リスナーさんも気にしてたようで、この放送に合わせて、多くの問い合わせメールが届いてたよう。「米朝事務所辞めて、どうすんの?」、黄紺的にも聴きたかった。「他のプロダクションには行かない」「フリーになっただけ」という模範的な回答しか喋ってなかった。ホントついてる? もし本当だったら、米朝事務所通しでない方が、仕事を取りやすい、東京方面のお仕事なんかが、そうじゃないかな? 大阪の独演会を自主興行でABCホールでやってるけど、自主興行は、このくらいが限界じゃないかな? それ以上のキャパのある会場での会を計画すると、さすが事務所を等閑にできない。また、興行会社から、会主となる興行を持ちかけられても、事務所通しとなるようなキャパでの計画だと、2つのプロダクションが間に入り、料金が高くなると、客足が鈍る。実際、「米朝事務所を辞める」とTwitterで呟くと、ほぼ同時に、東京での大きな会が2つ、情報解禁になったけど、それを見ると、キャパが大きい。考えてみると、そういった会の設定を、米朝事務所が計画できなかった、しなかった、どちらかは判らないけど、それに問題があるのじゃないかな。二葉の勢いを見定め、その先を見越した計画を立ててさせすれば良かったわけだけど、動いたのかなぁ。舞い込んでくるものの処理だけしかしてこなかったんじゃないかなぁ。ま、ラジオでホントついてるとして考えれば、そういったことじゃないかと、勝手に推測しております。今のスケジュールを眺めていて、フリーになり、こなして行けるとは思えない、落語会の応援をしているSワークスさんに、そこまでのサポート力があるとは思えないことを考えると、裏があると、勘繰りたくなってしまってます。ポテンシャルの高い噺家さんなものだから、その能力を発揮する手を、しっかりと見つけて欲しいものだから、どうしても、注目してしまいます。


2022年 7月 19日(火)午前 6時 47分

 昨日は、びわ湖ホールでオペラを観た日。毎年、「オペラへの招待」と題して、こちらのホールのアンサンブルの歌手陣にゲストを加えて行われる公演。今回は、なんと、ヴェルディ最後の歌劇「ファルスタッフ」が出るというので、とっても楽しみにしていた公演。当然のように、コロナ禍に不安がりながらも、福井から高校時代の友人も参戦。まず、歌手陣などを記しておきます。指揮:園田隆一郎、演出:田口道子、管弦楽:大阪交響楽団、ファルスタッフ:青山貴、フォード:市川敏雅、フェントン:清水徹太郎、カイウス:古屋彰久、バルドルフォ:奥本凱哉、ピストーラ:林隆史、アリーチェ:山岸裕梨、ナンネッタ:熊谷綾乃、クイックリー夫人:藤居知佳子、メグ・ペイジ:坂田日生。冒頭、恒例となっている演出者によるお話。「ファルスタッフ」の位置などについて、とってもまとまったお話がありました。舞台は、中ほどに段差があり、その前後に、長机やバー的設えがしてあり、ホリゾンド全面を使い、画像を投射するという簡素なものだけど、画像が良かったのかな、いつ頃の時代でしょうか、自然の風景だけど、ちょっと古風な雰囲気を出しています。そして、最後の妖精の森の場面では、中央に大木が天井まで伸びて行って、大張り込み。最近の中ホールの公演では、一番いい雰囲気出してたんじゃないかな。演出も、舞台装置同様、テキストをなぞる、オーソドックスなものだったけれど、丁寧で、目の行き届いたもので、とっても好感。やっぱ、「ファルスタッフ」あたりになると、オーソドックスなものでないと、日本ではできないのかなといった感想です。でも、楽しかった。これは、終演後、友人と交わした素直な言葉。作品の持つ力ってやつでしょうね。一旦、「オテロ」で筆を折るつもりだったヴェルディが、80歳を前にして書いた渾身の作品、最後に、ほぼ書いたことのなかったブッフォ系作品で閉じるという大胆さが、凄い。この辺は、田口さんのお話でも触れておられました。書く気にさせたのは、脚本担当のボイートの功績だそうです。そういった意味でも、多才さを発揮するボイートですね。歌手陣では、やっぱ、タイトルロールを歌った青山貴が圧巻。このびわ湖ホールの「指環」のヴォ-タン役で素敵な歌唱を聴かせてくれたことが思い出されます。来年は、「マイスタージンガー」でハンス・ザックスを歌うことが、既に発表されています。その青山貴が目立ち過ぎて、どうしても霞んでしまった歌手陣。その中でピックアップしたいのは、フェントン、フォード、ナンネッタ。フェントンが、えらくしっかりとした歌唱だなと思ってたら、帰り際に、友人が、「フェントンは代役」「清水さんが歌ってた」と知らされ、納得。前日も、結構、代役が出てたので、コロナ禍の影響が出たのかもしれないと、勝手に想像しています。フォードは、登場時には頼りなげなパワーだったけれど、ファルスタッフと対峙する辺りから調子が上がり、観直しました。ただ、力み過ぎのきらいがあったのが、玉にきず。ナンネッタは、とにかくいい動き。ま、そんなところかな。だけど、最後の大フーガ、良かったなぁ。友人が、「オペラの外に出たっていう場面」「“後宮よりの逃走”のラストと同じ」と蘊蓄をかたむけていました。80歳を前にしたヴェルディが書いたのが、この大フーガ。元気です。ヴェルディは、若い頃、かなりフーガを学んだってこと、何かで読んだことがありますね。
 終演後、近くでお茶をしようと、膳所方向に歩き出したんだけど、いつも行っていたカフェは跡形もなかった。目の前の、かつての西武百貨店は更地になっていた。更に、膳所駅方向に歩き、カフェを探すが、結局、1軒もなかった。あったはずのところも閉じていた。かなりの惨状ですね。仕方なく、JRで山科駅まで移動。京都駅界隈は混みあうので、それは避ける意味合いで、山科駅で降りることに。ようやく、パーラー系カフェに落ち着くことができました。ここで、一番、盛り上がったのは桂二葉話。二葉の持つポテンシャルについて、一くさり。あまり時間を取れなかったけれど、オペラというよりか、落語の話題が多かったかな。コロナ禍の進行が激しくなってきているので、再会できるメドは立たないなか、いつものような、「また」と言って別れました。


2022年 7月 18日(月)午前 6時 27分

 昨日は、世間的には連休の1日目。日曜日ということで、朝からのお楽しみは「日曜美術館」のある日。週末に、「ブラタモリ」とこれが並ぶと、テンションが上がります。昨日のお題は「よみがえるミュージアム〜水害から文化財を守れ〜」。災害に遭った文化財の復興作業を主として紹介するものとなりました。番組的には、東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市立博物館が、この秋に再オープンするのに合わせた企画だったようですが、同博物館だけではなく、同じ震災被害を受けた石巻市博物館、そして、水害被害で、数多くの文化財に被害を受けた川崎市市民ミュージアムといった、3つのミュージアムでの復興作業の様子、それと、再展示に向かうときのコンセプトのようなものが、話題となっていました。同様のテーマで、2年前だったかな、民博が特別展を行い、それに合わせて、「みんぱくゼミナール」でも取り上げられていたので、自分的には、全く馴染みのないというわけではないテーマでした。陸前高田市立博物館では、生き残られた学芸員は1人だけ、その方の案内で、再オープンに向けての作業の紹介がありました。海水や汚泥などにまみれた文化財に対して最初にする仕事は冷凍。劣化を防ぐ安定化作業では、これ以上悪くならないことが大事な点。時間が経つと、カビが生えてきたりで劣化が起こっていくので、現状を維持することが大事なようです。その後、脱脂などの余計なものを取り除く作業。中性洗剤に紙系の作品をつけていました。震災後の経験知が執らせている作業のため、ここで行われた作業が文化財レスキューのお手本になっているそうで、国際的にも知られ、学びに来る人たちがワークショップに参加している映像も流れていました。再オープンでの展示の仕方も紹介されていました。つちクジラの剥製は傷ついたままの展示が試みられていましたし、文化財が回収されたときの様子を伝えるために、コンテナに入れたままの展示もあり、東日本大震災の記憶を伝えるという役割を、文化財に担わせようとされていました。この考え方は、この番組で取り上げられた3つのミュージアムが、共通して持たれていたポイントだと思います。きれいなだけが文化財じゃないということですね。人の営み、人の歴史、そういったものも込めての展示、ミュージアムの持つ力ですね。石巻の場合は、元あった建物は解体、場所も変えて、石巻市博物館が再建されたというとですが、特に目を引いたのは、収蔵庫の位置。2階に設け、建物の真ん中の位置に置いたというのが工夫、実際、高台に盛り土しての建設、排水機能も備えられており、収蔵庫入口前には排水溝まで用意されている周到さでした。こちらでも、修復が行われ、被災前の姿と区別できないものもあるかと思うと、欠けたまま、きずついたまま展示で震災の記憶を文化財に込めた展示も試みられていました。川崎市市民ミュージアムは水害での被災。ここは、収蔵庫が地下にあったことが、大きな被害を生んでしまったということでした。被災直後の様子を伝える映像も流れていましたが、すぐにロートレックと判る絵画が無惨な姿を見せていたのには、驚かされます。でも、その周りの作品群は汚泥に沈んでいました。修復のガンはかびやキノコの類。かびは色を持つため、作品に変色をもたらすどころか、根を張り、作品を壊していきます。そういった姿とともに、こちらでは、名品の修復の様子を主として取り上げていました。ロートレック(アンバサデュールのアリスティード・ブリュアン)は完成後の姿だけでしたが、具体的な作業風景を、また、作業に当たられた修復師のインタビューを交えて取り上げられていたのは、安田靫彦の「草薙の剣」。修復には自然素材を使うんですね。この番組では、何度か修復作業は流れていますから、わりかし見慣れた光景だけど、完全には戻らないね。黄紺の目でも、ビフォーアフターの違いが判りました。
 午後は、オンライン配信の予約を入れてあったのだけど、完膚なきまでもの寝落ち。最初の講演が、黄紺的には難解で、これはミスったかなと思ったのがいけなかったのか、気がつくと、いつ横になったのかすら覚えてない内に、ベッドで寝てました。時間にして2時間ほど、最後のパネルディスカッションが終わろうかという時間になり覚醒。予定より半時間余延びていたこともあり、終了時間に間に合った次第でしたが、かすかに、その終了間際で話されていた内容は、冒頭の難解な講演とは異なり、具体的に外来種による影響などが話題になってたので、これなら寝なかったのにと思っても、後の祭りでした。そんなですが、一応、プログラムだけは、記録に残しておきます。「おおさか生物多様性フォーラム 全てのいのちの共生を目指して」(大阪市立自然史博物館講堂でのハイブリッド開催)という催しのオンライン配信でした。プログラムは次の通り。①基調講演「生物多様性に関する世界と日本の動き」(石井実/大阪府立大学名誉教授)②講演「大阪府生物多様性地域戦略の策定にあたって」(花田眞理子/大阪産業大学大学院教授)③講演「大阪府生物多様性地域戦略について」(重光孝保/大阪府環境農林水産部みどり推進室みどり企画課参事)④パネルディスカッション「大阪府生物多様性地域戦略の取組と今後について」(石井実、花田眞理子 、佐久間大輔/大阪市立自然史博物館学芸課長、佐々木正顕/積水ハウス株式会社ESG経営推進本部環境推進部部長、平松和也/大阪府立環境農林水産総合研究所生物多様性センター長)。


2022年 7月 17日(日)午前 6時 57分

 昨日も、午後に、オンライン配信の予約を入れてあった日。それに加えて、夜には、「ブラタモリ」の新作があった日。2つの動かせない予定があると、時間の拘束が気になる。おまけに、午前10時には、気になるコンサートのチケットの売り出しがあった。こうなると、かなり窮屈。しかも、午前中のウォーキングの最中に、雨が降ってきた。家に戻る道の途中で雨が止んだので、また引き返してみると、また、雨。もうダメかと思い、再度、家への道を採ると、また、途中で雨は止んだ。なめてんのか! さすが、嫌になり、そのまま帰途にはついたけど、迂回コースをチョイスで正解。今度は、雨が降らなかったので、ほぼ、いつも通りのウォーキングの量をこなすことができたけど、正に天災ですな、文句の言いようがないのが、腹が立つ。
 午前10時を待っている間、ネット上をうろついていると、目を見張る落語界のニュースが飛び込んで来た。桂二葉が、米朝事務所を辞めるという告知を出していた。やっぱりとは思ったけど、あまり、いい気分がしなかった。というのも、最近の二葉の動きを見ていると、米朝事務所の能力を超えているかのように思えてたから。いい気分がしなかったのは、こういった二葉のような爆発的な売れ方、まだ、今以上のポテンシャルがあると思える二葉のキャラに対応しきれないもどかしさを感じ、いい気分がしなかったのです。Googleの「国際女性デイ」映像、MicrosoftのCMへの起用と、あまりにスケールが大きすぎる。これらは、二葉の持つポテンシャルに目を付けたってことは、十分なリサーチをしている企業のことだから明らか。それに対し、米朝事務所のアナログな体質からすると、限界は、既に超えていた。簡単に言っちゃうと、二葉を売り出すノウハウを見つけられるわけはないと思える、ポテンシャルにすら気づいてないかもと思わせる体質が透けて見えるように思えたのが、腹立たしい。無理もないところもあり、コロナ禍で東京事務所を閉鎖してますから、同情すべき点もないことはないのですが。で、辞めて東京に行ってしまうのでしょうか? 二葉の応援団は、大阪のマダムというのが特徴なんだけど、そういった応援団は、どのような反応をするのかが、今後の注視点ですね。黄紺が、最近、お世話になっているラジオの出演も消えるのでしょうか? そして、どこの事務所に行くのかも、気になる。ここまで来てしまうと、個人では動けないですしね。鶴瓶を支えるような敏腕プロデューサーが背後にいるのでしょうか? 同時に解禁になったかのような情報に、この秋から、東京で、二葉が、東京の人気噺家さんとの二人会を始めます。このプロデュース役が、演芸写真家の橘蓮二となっているのが、気になるというか、東京の落語界に疎いものだから、これが、何を意味しているかが読み解けないけれど、同時期に解禁になったため関連付けてしまってます。何が動き出しているのでしょうかね?
 午後の配信は、帝塚山大学の第479回市民大学講座。毎度、お世話になっている市民向け公開講演会です。昨日は、「壬申の乱―虎に翼を着けて放てり―」と題した甲斐弓子(帝塚山大学考古学研究所特別研究員)さんのお話を聴くことができました。今年は、壬申の乱から1350年というアニバーサリーということで、この講座では、「壬申の乱」をテーマにして、3回のシリーズが組まれていますが、昨日は、その2回目でした。天智天皇が、東宮(大海人皇子)に後継を打診したとき、大海人皇子は辞退して(=大友皇子に譲る)、僧籍に入る許しを得て、吉野に下る。でも、大友皇子は、大海人皇子追討に動く。大海人皇子は、後の持統天皇とともに、予め、そういった動きが出てくるのを想定していたとして、講演の核心に入って行かれました。橿原考古学研究所の発掘の成果として、大海人皇子が吉野で入った嶋宮が明らかになってきているとされているが、甲斐さんは、それに疑問を感じると言われていました。追われるかもしれない身で、それほど明確な離宮に身を置くわけはないというのです。むしろ、発掘調査をしても出てきそうでもないところ、粗末なところへ身を隠したのではと言われ、具体的には、浄見ヶ原神社を上げておられました。この地域が「国栖」にあるというのも、大きな要素だということです。ここで、黄紺の頭には、能「国栖」が出張って来てました。大海人皇子は、国栖に助けられるというのが、大きなモチーフになってるものですから。大海人皇子は、吉野を出ると、東方への逃亡に動きます。山の中を抜けるにしては、都合よく、援助する人たちが現れ、難を逃れていくとなっているそうですが、それらの人たちとの出会いの場は山中の出来事、そんなにあっさりと出会えるはずのない場所での出会いだから、偶然ではない、大海人皇子が動いた、逃亡した経路にこそ、支援者がいたという筋立てです。では、どういった人たちか? 持統天皇は、蘇我氏系列最後の天皇だそうで、その蘇我氏との関係が維持されている、嶋宮自体、蘇我氏の邸跡、小附廃寺からは山田寺(蘇我氏系)系瓦が出ているといったことで証拠立てられていましたが、要するに、この逃亡経路は、大海人皇子を支える人たちがいた「備えの土地」だったいうわけです。大海人皇子に「海人」という文字が入っていることから、「海運」、更に、それに繋がる「陸運」に通じる血筋ということで、そういった人たちの支えも見えてくるとなります。吉野から東方に逃亡を図ったということは、支援者のいることが判っているからとなります。また、甲斐さんは、西方にも支援者がいたはずと言われます。これも「海人」繋がりです。特に周防大島には、聖徳太子や用明天皇に関する逸話が残る地であることから、蘇我氏の影がチラつくということですね。もう1つ、大海人皇子は、天文・遁甲に親しんだ人物だそうで、となると、中臣(藤原)氏との繋がりも浮かんでくる。吉野の逃亡経路近くには談山神社もあることだしと、これも加わる。お題に入っている「虎に翼を着けて放てり」という言葉は、大海人皇子が天智に会いに行ったとき、蘇我氏系の人物に注意喚起を促されて掛けられたものだそうです。今回のお話の支援者問題の核心をなすものとして挙げられたようです。壬申の乱は、ほぼ1ヶ月で、決着がついたそうです。また、持統天皇は、生涯をかけて、支援者に対する感謝を念を忘れないで、それを行動に表していたと読める史料があるとのお話でした。甲斐さんは、この講座で、複数回、お話を聴いている方、「PCができません」と言われる、今どき、珍しい方ですが、レジュメすら、「誰それに作ってもらった」と言われたときには、さすがにのけぞってしまいました。
 「ブラタモリ」の新作は「能登半島編」。奥能登と言われる、能登半島の先端部から3つのトピックと地形話で構成されていました。①白米千枚田②揚浜式塩田③能登の内浦で行われる定置網漁、これが3つのトピック。①と②が外浦と言われる、もろに日本海に面した地域。嵐の中のロケだったけど、あんなの観ていると、冬の恐ろしい光景は想像したくないね。昔、よく、冬に、北陸線経由で信州へ向かったことあったけど、夜行列車だったため、恐ろしい光景見ないで済んだことは、ホント、ラッキーだったこと、思い出してしまいました。①は、めっちゃ細かい棚田。畔作りをしっかりしておかないと地滑りで崩れていくというお話は驚異です。黄紺的には、塩田は、韓国の井邑西方でしか見たことないけど、②は昔ながらの製法。砂の上に海水を撒いていました。それを何度も繰り返して濃度を高めていく、そして、最後に砂と分離する、ようやく、この製法の過程を理解できました。③は、穏やかな海を利用した港、その前の海に広がる定置網漁、SDGsに見合った漁法ということで、世界から注目されているそうです。網に入るように仕掛けておきながら、逃げていく魚も出てくることも含んだ上での仕掛けだそうで、こんなの考えた先人がいたんだね、凄いわ! 次回は、輪島だそうです。黄紺は、能登半島は、親に連れられて羽咋しか行ったことないんだよね。行ってみたいけど、計画しようかと思っている富山界隈旅行(「ミロ」展観に行こうかとの試み)も頓挫しそうだから、無理だね。


2022年 7月 16日(土)午前 7時 30分

 昨日も、お出かけなし、でも、夜にオンライン配信の予約がしてあった。ただ、これが、午後6時開始という、中途半端な設定。午前中のウォーキングはいつも通りだけど、夕方のウォーキングなんて、のんびりしたことしてたら、その配信が始まってしまう。というので、いつもよりは、1時間半以上、早めに出発。おかげで、午後の一時は少なめだけど、その時間を利用して観ていたYouTubeも寝落ちしていたので、メモに残すようなことはない。でも、睡眠不足が襲っています。午前中3時過ぎに目覚めたままの一日になっちゃいました。最近、一日交替で、そないなことが続いています。
 夜の配信は、花園大学人権教育研究会第116回例会、ハイブリッド型式で公開してくれていますので、テーマに関心のあるときにアクセスしています。昨日は、「女性と仏教をめぐる諸問題―龍谷大学ジェンダーと宗教研究センターの取り組み―」というお題で、岩田真美(龍谷大学文学部准教授/ジェンダーと宗教研究センター長)さんのお話がありました。岩田さんは、自己紹介で、寺の一人娘として生まれ、僧籍を継ぎ、且つ、真宗学の専門家、思わず、「いまどき、そんな方がおられるんだ」と思いました。お題を見たとき、どの程度まで踏み込んだお話をされるのかという興味もありつつ登録していたのですが、大学内で表記のセンターを立ち上げられるほどの方です、「腹が座ってる」という印象を持ちました。期待通り、教義と言っていいのか、真宗での言い方が判りませんが、開祖親鸞や、黄紺も知る中興の役を担った蓮如の書き物にまで分析の入る本格的なお話となりました。「宗教はジェンダーを作り上げ、それに正統性と正当性を与える役目を担ってきた」という言葉を紹介されていましたが、大変、印象に残る言葉です。前半は、その龍谷大学ジェンダーと宗教研究センターの設立に至る過程、取組みでしたので割愛、SDGsをキーワードに、学内での目標実現のための取組みの一環とまとめることができるかなと思います。そして、この6月に龍谷大学が行った、今回の講演のお手本となるシンポジウムの紹介がありました。内容は2点、1点目は、西永亜紀子(SDGsおてらネットワーク代表)さんの「お寺の中のジェンダー不平等」。お寺の現場からの声として、ご自身もそうである「坊守(ぼうもり)」問題で取り上げられら事例の紹介でした。「坊守」とは、「住職の妻」を意味する真宗でのタームです。「お寺のトイレ掃除」「おとき(法要で振る舞う食事)の用意、片付け」といった、日常の中で看られる課題の紹介でした。2点目は、戸松義晴(全日本仏教会前理事長)さんの「仏教とジェンダー~教義と現実の狭間で~」。こちらでは、伝統仏教界10宗のジェンダー不平等に関わるデータ紹介、なぜ差別事象が起こるのかの分析の2点を紹介されていましたが、興味を引いたのは後者。聖界の平等性が俗界に反映される反面、その逆流があるという点、その時代のマジョリティに迎合してしまった点、仏教に社会で起こる差別事象を未然に防ぐ力がなかった点といったものがあったからとの指摘でした。差別戒名、ハンセン氏病、戦争協力などを経ての分析ですね。そして、ここからが、この講演の真骨頂。教義の問題に切り込まれていきました。さすが、真宗学の専門の方です。まず、釈尊没後、比丘尼に対し、比丘優越が説かれ出す。それを補強するように、比丘尼により多くの戒めが課せられ、仏陀は男性だったという観念、女性は、梵天王、帝釈天、仏といった「5種」になれないという「五障説」が生まれ、大乗仏教で、それを克服するために出てきたのが「変成男子説」。そうそう、これが出てこないとあかんわね! 能「海士」では、「龍女の成仏」挿話から説き起こしています。ただ、日本に入って来たとき、「障」という文字が「さわり」に通じるということで、女性に内在する煩悩・罪障とされていく。更に、「さわり」は「血穢」「産穢」に通じるということから、泥沼化していくという。この流れで疑問がありました。「血穢」「産穢」に通じる「けがれ」思想だけど、古代からの流れなのか、でも、平安時代からの流れなのか、曖昧なものとして流れたように思いました。「聖と賤」の古代ヴァージョンと中世ヴァージョンを弁別するというのが一般的であると思っていたので、そして、中世ヴァージョンに、この「けがれ」思想が噛んでくると思っていた者として、曖昧に過ぎてしまうと、ちょっとイラっと来てしまいました。で、親鸞の登場です。「五障説」「変成男子説」に触れている箇所は少ないが存在する、一切衆生が等しく救済されると説いているところもあるとの紹介でした。親鸞が結婚していた説も紹介がありました。「坊守」というタームの初出となるようですが、「真宗の一道場の一家主」と定義付けられているそうです。親鸞以後は、親鸞時点では曖昧さがあったものが露骨になっていきます。存覚、蓮如と続いたわけですが、蓮如の文に「三従」が出てきます。「親」「夫」「子」に従えという有名な文言ですね。一方で、蓮如は、女性教化の手も打っていた。これが支えで、近代以後の仏教婦人会の礎となったということですが、その仏教婦人会での活動においても、女性の要望が通じなかったことを、九條武子の活動で紹介されていました。その活動は、現在では、ジェンダー不平等を正す活動の柱にもなっているようです。一方で、教義に関しては腰が引いてしまう事例として、黄紺も、薄っすらと記憶がある、東本願寺が、「経典の中で語られた差別」展を行いながら、「五障説」や「変成男子説」を認めたパネル展示を認めなかったことも紹介されていました。実に、2018年の出来事です。西永さんが、繰り返し言われていた言葉は、仏陀の「自省利他」の教え、これがあればこそ、できる、いやしなければならないという使命感も感じさせる、素敵な講演でした。一方、会主の花園大学は、臨済宗妙心寺派が母体となった学校法人ですよね。禅宗による分析も知りたいですね。真宗の場合は、それこそ、部落解放運動の中で、差別戒名が指弾されたりしたこともあり、こういった振り返り作業が進んでいるのは周知のことでもあることから、ジェンダー不平等の問題にも切り込む姿勢、その素地があると思うのですが、禅宗での取り組みは、寡聞にして知らないので、関心がそそられてしまいました。


2022年 7月 15日(金)午前 7時 00分

 今週は、週末にかけて、お出かけなしの日が続きます。替わりに、木曜日から日曜日まで、オンライン配信の予約が入っています。うまい具合に棲み分けをしてくれたものです。昨日は、夕方に配信があるということで、その配信が終わってから、夕方のウォーキングをするという、ちょっとした変更はあったけれど、特に困ったわけでもなかった。そのオンライン配信以外は、YouTuber無職旅氏の過去動画を観ておりました。視聴者から東南アジア旅行のスナップを募集し紹介するという動画にはまっています。でも、東南アジアと言っても、タイ、ベトナム中心。それに、ミャンマーが加わる程度の投稿。マレーシア、フィリピン、インドネシアは、ほぼゼロ。この傾向は、昨日観た動画でも続いていました。タイと言っても、マニアでない限り、バンコク、プーケットというのがお定まりメニュー。アユタヤは、頻繁に出てきても、スコータイが出てきた例はない。ま、年代が遅い分、アユタヤの方が、しっかりと残っているというところだけどね。バンコクも、AVM中心になっています。東南アジアのAVMって、ゴージャスだし、あまりに自分にはかけ離れてる感じがしてしまい、ほぼ寄り付かない黄紺からすると、異様な風景に見えてしまいます。でも、それこそが東南アジアであることは、間違いないというので、観続けてしまうのですね。
 オンライン配信は、京都精華大学の「アセンブリーアワー講演会」。毎度、時代の先端を行く人のお話を聴けるいい機会。申し込むのを失念することがあり、聴き逃しているいい講演会もあるのですが、今回は、3日前に気がついた。今回は、「アートは世界を救うか?」というお題で、岡田温司(美術史家/京都大学名誉教授/同大学大学院芸術研究科教員)さんのお話を聴くことができました。アート系のテーマにそそられたのがきっかけですが、なかなか難しいお話。タームがカタカナ語ばっかで、ついていくのすらダメだったかもしれにけど、筋立ては明確だったのと、関連アート作品を的確に紹介していただいたことも、言わんとされようとすることが、それで、いい補完になり、なんとかなんとか付いて行ってたかなというところでした。冒頭の「現代の捉え方」は、それこそ現代用語集のようなタームが並んだ。「ポストアポカリプス」「ポストヒューマン」「ノンヒューマン」「マルチスピーシーズ」「アントロポセン/人新世」「キャピタロセン/資本新世」「クトゥルーセン」、さっぱりわからないけど、今後のとっかかりになればと思い、メモっておきます。ま、現代の抱える諸問題、気候変動、パンデミック、戦争やテロ、格差社会を目の前にしてのタームであるそうです。次いで、「アートに関する位置付け」がおもしろい。テーマ立てをする、いやできるわけを説かれました。「アートには何ら使命(ミッション)はない、、、だから意図的に導くものではない、むしろ、あるとすれば自由と解放と定義」「アートは、アジテーションやプロパガンダではない、、、前項の言い換えかな?」「ユートピアの問題ではない、、、ユートピアはカウンターを念頭に置いていますからね、むしろ、アートになじむのはヘテロトピアの混在性」「アートの多様化、多様化するアート、、、それを、小文字のartsと表現されていました」。次に、テーマにアクセスするためのキーワードの分析です。「アート」については、「マルセル・デシャン以後、自明のものではなくなった」と言われていたので、「マルセル・デシャン」を調べました。納得です。「観念の芸術」などというタームが被せられていました。「世界」については、最早、人間中心、西洋中心、男性中心の世界ではありえないということ、これも納得。「救い」については、「ほんの僅かずらし」とか「弱いメシア」(ベンヤミン、アガンベン)とされたのも、納得です。よく囁かれる言い回しですわね。それでもって、「カタストロフィ下のアート」として、4つのポイントを指摘されました。①既存のメディウムに観ることができるというのです。その最初に、「エドワード・バーディンスキー/カリウム鉱山」を上げ、「モダニズムの抽象画とロマン主義の美学の結合」と評されたり、作品の紹介があり、これらの例を捉え、「アントロポセンの美学?」と称され、パラドクシカルなイメージを重ねたり、モダニズムの抽象絵画風写真を絵画にフィードバックさせたり、いやいや、ロマン主義的な美学に裏打ちされた作品に、既に、そのような作品があったとして、印象派の作品を紹介されていました。モネの作品は、大気汚染とともに描かれているという指摘、あのぼやーっとした景色は大気汚染だった! ②ソーシャリー・エンゲイジド・アート。社会参加型のアートのことです。ネレ・アゼベド作品「Melting Men」は解りやすい。氷で作った人形を街角に並べるというもの。温暖化を視覚化しています。Mandy Barker の「Plastic Plancton」は、プラスチック・ゴミを美しく見せる、深海を彷徨っているようで、もっと見たいと思わせるものがある。Tony Capellanの「Mar invadido」は海岸に流れ着いたサンダル(鼻緒は有刺鉄線)で表現した作品。③行為主体が非人間のアート/Nonhuman Agency in Art。これは、最先端の科学技術とアートの合体したもの。科学の方法や技術を使って、人間と生物の関係を探求するバイオ・アートなんかが、これに相当する。ただ、これには懐疑的な目を向けられていました。科学技術のもたらしたカタストロフィを最先端技術で解決しようとしている、宇宙空間に新たな宇宙ゴミを作り出すようなものと指摘されていました。懐疑的な目を提示された上で、むしろ、1960年代に出たアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)の先駆性を紹介されていました(ジュゼッペ・ペノーネ作品)。ミケランジェロ・ピストレット「ぼろぎれのヴィーナス」(豊田美術館)、アルベルト・ブッリのずた袋コラージュなどの紹介がありました。④デザインを巡ってという項目立て。「遺伝子デザイン」「情報デザイン」「デザインベイビー」という風に、デザインという語の氾濫は「優生学」の新たな形と言われ、SDGs下のデザインの理論と実践においても、操作する主体の意図が見え隠れする語の使い方を指摘されていたような気がします。最後のまとめに使われたターム3つ、「ブリコラージュ」(レヴィストロース)「ポイエーシス(制作・生産)」(プラトン、アリストテレス)「対抗空間(カウンタースペース)」(アンリ・ルフェーブル)。各々のタームを理解したつもりというか、前の2つは言っている人からの連想での把握をしたつもりになってるけど、言わんとされていたことに該当するかは不明なまま終わりました。かなり難解。でも、アートというもの、今、何が起こっているかを見せる、考えさせる、これの大きな担い手になっているなと思えるから、興味が尽きないように思っていたところへ、この問題設定に飛びついたわけでした。かつては、演劇にそれを求めていた記憶がありますが、昨今のコロナ禍を待つまでもなく、なんか、その分野では頓挫して幾久しくなったように思っていたため、ええもん知るようになった気になっています。最後のレヴィストロースにせよ誰にせよ、やっぱ、きっちりと押さえておかないとダメだよね、これ、オペラ観てても、同じようなこと思っています。まだまだ、修行が足らないね、最後は自省です。


2022年 7月 14日(木)午前 7時 23分

 昨日は、浪曲を聴いた日。文化パルク城陽のプラネタリウムを会場にした2ヶ月に1回の「京山幸乃浪曲の会」に行ってまいりました。前回は、電車の不通のため行けなくなった思い出のある会です。でも、昨日はダメだった。というのも、夜中の2時半過ぎに目が覚めたまま、その後、二度寝ができないまま会場入り。こないだの落語会の日も、夜中の3時半頃に目が覚めたまま行った。どうも演芸がある日に限って、そんなことが2回続いた。決して、安定した睡眠を取り戻したとは言えないけど、こういったことは減っていることを自覚していたのに、またかの印象は拭えません。で、今回はダメだったので、番組を記す程度にしか書き残せない。「恨みの戸田川」「小鉄の少年時代」「星空解説」「10回記念歌謡ショー」というものでした。昨日は、最後のおまけが付いていたため、前の浪曲2番を連続して行われてしまったのが痛かったですね。「恨みの戸田川」の序盤で寝落ち、そのままで一気に行っちゃったみたいでした。「小鉄の少年時代」など、途中で覚醒気味になっても、知っているネタにも拘わらず、全く筋立てが判らなかった。一方の「恨みの戸田川」というネタは、知らないネタだったんだけど、「戸田川」が入り、序盤、おこも姿の女が声を掛けた男に見覚えがあるというくだりから判断して、「お紺殺し」ですね。落語だと「怪談市川堤」「雪の戸田川」という名で出るネタですな。浪曲ヴァージョンは知らないので、まともに聴きたかった。「星空解説」の担当が、以前の人に戻り、楽しさが恢復。しょーもないこと言いの演芸好きの方のトークは聴かせます。「歌謡ショー」は、浪曲師さんの余興の定番。幸乃さんも、寅さんの衣装で登場。「フーテンの寅」のテーマ曲と、都はるみの曲を2つ、披露してくれました。
 夜は、アートエリアB1からのオンライン配信。ここのラボカフェのお楽しみシリーズ「美術館のいま(14)〜西宮市大谷記念美術館〜」を視聴できました。ゲストは、西宮市大谷記念美術館館長の越智裕二郎さん。進行役は、いつもの木ノ下智恵子(大阪大学21世紀懐徳堂准教授、アートエリアB1運営委員)さんでした。越智さんは、キュレーターとしてキャリアを出発、「南蛮美術館」「兵庫県立近代美術館」「静岡県立美術館」「広島県立美術館」を回られ、広島では館長まで務められた大変なハイキャリアの方。その分、美術館運営を知り尽くしておられる。「言っていいかな」という言葉を口にされることも、何度か、このラボカフェでも、よく出る「美術館の今」の本音トーク的な、とってもおもしろいトークになりました。前半は、「西宮市大谷記念美術館」の紹介。「西宮市大谷記念美術館」の「大谷」さんと、「ホテルニューオータニ」の「オータニ」さんは兄弟だった。これには、びっくり。その大谷コレクションを基に設立。1970年代初頭の美術館と言えば、京阪神では限られた数しかなかった時期の設立。その分、貴重な存在として、現在より、集客力の高さを誇っていたとか。収蔵品は、コレクションが、近代日本画&洋画、西洋美術にシフトしていたので、西宮や阪神間由来の作品を追加購入していき、今年50週年を迎えたということでした。収蔵品中には、滋賀で観てきた山元春挙作品も含まれていました。その後のトークで話されていたこと、「京阪神のキュレーターや総務という担当者間の横の連携が強い」「情報交換が常に行われているという背景があることから、人的交流を基にした展示が可能になっている」「和泉市久保惣記念美術館との交換展示も、そういったことから実現、和泉市久保惣記念美術館も今年40周年」「新たな収蔵では、生々しい金額も」「収蔵場所の共有も進めて行くことの提案」「コロナ禍での運営」などなど。越智さんは、キュレーター出身だということで、何よりも作品に精通している。西宮市大谷記念美術館という規模の小さな美術館にせよ、そんなに長く、こちらの館長さん、やってられるわけではないのに、精通してられる。もちろん、キャリアの中で勤められてきた美術館も同様だから、生々しいけど、実際に根付いたお話だから、とってもおもしろいものとなりました。本来なら突っ込み役の木ノ下さんが、越智さんの展開の速さ、多様さについていくというお話しぶりだったのも、いつもと違う構図。城陽から帰ってきて、こちらの配信までの間隔が短く、且つ、その間に、PCが変調を起こし、この配信ダメかもと思ったときもあったのですが、何とか間に合い、しかも、この内容だから、とってもラッキーでした。


2022年 7月 13日(水)午前 4時 43分

 昨日は、かなりせわしない一日。火曜日は、Radikoで「まーぶる」を聴きたいので、ごちゃついた予定を入れたくなかったのだけど、そうならざるを得なかったのは、自分のせい。日曜日の落語会で忘れた傘を取りに行かねばならなかった。伏見から西陣まで、傘を取りにだけは行きたくなかったので、お出かけ予定のある日で、お出かけに障りがない行程を組めるということで、取りに行けるようにお願いしてあったのでした。しかも、その行程で、普段通りのウォーキングを量的にもこなしたいという、身勝手な発想です。そこで、日曜ぼ同様、二条駅から歩いて西陣へ。今出川大宮下がるで傘を受け取り、烏丸今出川へ。ここで地下鉄に乗り、御池まで2駅。そこから歩いて、京都文化博物館へ。同館映像シアターで行われている「EUフィルムデーズ2022」でのポーランド映画「もう雪は降らない」を観に行ってきました。帰りは、いつものようにウォーキングの量を稼ぐための手を取ると、1日分はOKでした。でも、出かけるときに雨が降っていたため、傘をさして、傘を取りに行ったものだから、雨が降らない時間帯では、手に2本の傘を持ちながら歩くという状態。自分が悪いんだけど、よりによって、こんな日に雨が降るなんてと怒ってみても、詮方なしです。
 で、映画は、前回のグルベッチの映画と比べると、まだ解りやすかったかなと、最後に疑問符を付けねばならない程度の解りやすさでした。映画の概要には、映画の種類分けをしてあり、この映画の場合は「移民」としてあったのが、ピックアップの1つのポイント。もう1つは、せっかくハマり出していたポーランドものだったこと。ただ、この映画、ポーランドのどこかというのは、全く、映画とは関係ない。ただ、ポーランドにそのようなものがあるんだと思わせられた、柵で囲まれ、入口に警備員までいる広大な敷地に一戸建ての家が整然と並ぶ住宅地が舞台。主人公のウクライナからやって来て、労働許可を取った(と断言していいのかは曖昧)男が住む団地風の部屋と、この広大な敷地を行き来するのが、映画の多くの部分を占めるというもので、あとは、ウクライナでの思い出場面とか、夢か幻かというような場面、最後の舞台発表の場面だけだったんじゃなかったかな。多くの場面は、男がマッサージ師ということで、簡易ベッドを抱えながら、客の家を訪問をして、マッサージを施し、客との交流を見せるという映画。この男は、決して能動的に客の相手をするというわけではなく、一貫しているのは、人と接するに控えめで穏やかという姿勢。他国に来ている人間という立ち位置で(と言っていいかも不安)、むしろ、何かわけありかなと思わせられるほど、寡黙。自宅は、家具も少なく、ウクライナ時代、少年時代を思い出している。事実なのか、妄想なのか、でも、事実なんだろうと感じられ出していく。ようやく、この男の背景が見えてきます。この男、プリピャチの出身でした。チェルノブイリに最も近い町ですね。そして、母親を、原発事故で亡くしていたと思えました。7歳のときに事故に遭っています。ベッドに横たわる母親の頭に向かい、子どもの一念は、ハンドパワーで、母親を助けようとしていました。それが、マッサージを生業にしていた背景でした。そのハンドパワーが功を奏したのか、この男、催眠術の技も習得していました。その2つで、客に接する男。接する客は限られた人たち、ちょっと生意気な女の子と2人暮らしの女、夫が薬物に手を出し、やがて亡くなってしまう女(最後の方で、男との関係ができてしまう)、3匹のブルドック? パグ? その手の犬をかわいがる犬好きの女(犬のマッサージを頼む)、オタクの雰囲気の若い男(孫でしょう、薬物を作っている)と住む老婆、元軍人で人にかまわず突っかかっていく爺さん(マッサージを依頼するのは最後に1回だけ)といった面々、あと抜けてる人がいたかもしれないけど、かなり限られた人たち。そういった人たちとの交流が淡々と描かれ、僅かずつだけど、客たちの生活の変化が見えてくるだけと言えば頼りないけど、それが狙いの映画だと思います。そういった客たちが集う舞台発表にも、役割を得てマジックショーを担う男。でも、そのマジックショーの最後、現れるはずの男は、本当に消えてしまった。そして、ラストシーンでは、再び、広大な敷地の住居風景、ブルドックだか、パグだかに逃げられた女は、新たな違う種類の犬の散歩をしていたといった類の日常の風景。ウクライナの男はどこに行ったかは不明なまま。梗概に「移民」と分類されていたので、そういった視点で観る映画なのか、単なる「他者」と看ればいいのか、その辺は、ポーランド社会におけるウクライナという切り口が、どないなものかが判らないので、なんとも言えないところ。黄紺的には、少なくとも、クラクフに行ったときに、ウクライナの近さを思いっきり感じたことだけは確か。でも、その程度なんで、判断に困っています。昨今の戦争で、ポーランドのウクライナ人の受け入れの熱さは、ポーランド系YouTubeで観ているけど、「戦争」というファクターが入っているので、あまり助けにもならないかと思っています。少なくとも言えるのは、とってもソフトタッチな「マレビト」を扱った映画だったなとは思いました。タイトルにある「雪」は、原発事故で降り注いできた「放射能」ないしは「それを含んだ塵」と思えます。クレジットに入る直前、「2025年に最後の雪が降る」と出ましたが、見当もつかない言葉でした。放射能の半減期なら、もっと長いはずだしと、、、。お手上げです。


2022年 7月 12日(火)午前 7時 31分

 昨日は、全く、お出かけもなし、その他の予定も入っていなかった月曜日。こんなの久しぶり。そこで、そういった日の定番、日に2回のウォーキングだけがお出かけ。朝の一時も午後の一時も、しっかりとあったんだけど、YouTube三昧という一日。旅系YouTubeの無職旅氏の動画で、タイ旅の様子を、この間、観ているのが刺激を受けたみたい。コロナ禍以後、初の海外旅行に行ってきたという動画、生配信をしているので、どうしても、この2年余、どこにも出なかったと言っていいものだけに、引き寄せられてしまう。バンコクだけだし、しかも、郊外のピンクのガネーシャに行ったくらいが目新しいもので、あとはバンコク市内の定番と言えるところを歩いているだけなんだけど、それでも、この間のことを考えると斬新なものだから吸い寄せられてしまう。タイでの動画を観ていて、この間のコロナ禍の影響が見られる一方、鉄道網の拡大があったり、新たなショッピングモールが賑わっていたりと、確実に変わっている。マスク着用の様子は日本同様というのも、新鮮だった。カオサンロードだけがダメ。わけは簡単、ヨーロッパ系の旅行者だらけだから。だから、無職旅氏も、カオサンは1泊で引き上げていた。東南アジアあるあるの地帯だから、黄紺は行かない、行っても素通りする地帯。せっかく、東南アジアに来ていて、なんで、ここに集まるのか、いつも訝しげに思ってしまう。でも、そういった地帯も、動画で観ると懐かしさを感じてしまってる。それらに触発され、無職旅氏の過去動画に、「リスナーさんから募った東南アジアのお写真」なんて動画があったので観ることに。更に、タイ系YouTubeの雄TJ Channel氏の動画にもアクセス。タイランド・パスの廃止に関する動画を観て、最近のタイのコロナ情勢を併せて確認。これを観ていて、「やっぱ行けないよな」と思ってしまう。日本再入国72時間以内のPCR検査で陽性が出た場合、10日の隔離が付いてくるということ、単に日本に帰れないだけではなく、隔離があることを強調してくれていた。だから、タイランド・パスに保険加入証明書が要ったのだという的確な指摘に、そんな感想を持ってしまった。日本の再入国がネックなのは、相変わらず変化がないってことだね。マレーシア系YouTubeのKaori in Malaysia!さんの動画も覗いた。在クアラルンプルのご夫婦の動画だ。最新の動画の配信があれば、必ず押さえている大ファンになっているYouTube。最新作は、日本企業の紹介という案件めいたものだったけど、最近は、マレーシアのローカルフードを重点的に取り上げてくれているので、目が離せないのです。黄紺は、タイもいいけど、マレーシアの時間の流れの方が好きなものだから、どうしても、毎回、観てしまっています。逆に、あまり観ないのがベトナム系YouTube。無職旅氏のベトナムの旅動画を観ていると、あまりに観光化の進み方が激しすぎるのが嫌なのです。黄紺が、20年以上前、ホーチミン界隈に行ったときに利用したシンカフェという旅行業者、当時は、それこそカフェの一角に事務机を出し、ツアーを手配していたけれど、今や、全国展開をしているどころか、その成功に目を付けた偽シンカフェが幾つも横行しているというトピック、無職旅氏が紹介してくれていました。彼は、20年以上前のシンカフェを知らないと思うけど、、、。黄紺は、黄紺が行く少し前にベトナムに行ってきた知り合いのイギリス人からの口コミで知った。そんなところが、そんなになってる、このスピードは凄い、凄すぎるから敬遠してしまうのです。
 そんなことをしていたら、疲れてきた。一昨日の夜が眠れなかったものだから、仕方がない。おまけに、昨日は、下半身の痺れがひどく、座ってるのが辛くなり、ベッドに横になるのだが、こういったときのあるある話で、眠れない。昼寝にならない。そこで、夕方のウォーキングを早めに出かけ、弟の家に行き、お喋りをすることに。でも、ここでも運がなかった。お寺さんがお務めに来られると言う。公務員さんでもあるので、仕事が終わってから来られるというので時間が判っているので、その時間前に退散。一旦、顔を合わせると、長男なもので、途中で抜けるのはまずかろうと思ったのでした。なんか、うまく回転しなかった一日だったな。


2022年 7月 11日(月)午前 6時 15分

 昨日は、夕方に落語会に行った日。7月には2回、落語会に行けることになっているけれど、その1回目。今度、新たにオープンした西陣寄席スペースのオープンの日でした。昨日は2つの落語会が予定されていたけれど、1回目は、何と午前11時開演だというので諦めた。後述する「日曜美術館」が終わってから出かけねばならないので、かなりせわしないと判断。九ノ一の会だったので、頑張って行こうかとも思ったのだけど、もう1つ予定されていたのが、智丸の会で、午後4時開演ということだったので、そちらに回ることにしました。会場の福祉施設ひーろーずは、地ビール「西陣ばくしゅ」を製造販売しているところ。今回だけの会場とかだったのだけど、町家をそのまま使っており、30人ほどは入れる部屋を使っての落語会。落語を聴くには、贅沢な空間でした。この会は、1人の噺家さんが、助演なしで3席口演するという設えのようです。智丸の出したネタは、「金太郎(仮)」「腕喰い」「鼓ヶ滝」という変化に富んだものでした。「金太郎(仮)」は、「桃太郎」風設定の新作。智丸の新作はアホげなおもしろさがあるので、3本なら1本はそうだろうと楽しみにしていたけれど、期待通りの出来栄え。「桃太郎なら知っている」「金太郎なら知っている」という子どもに、「本当の金太郎とは、、、」と言って語る「太郎尽くし」であったり、「金」太郎ということで、「銭ゲバ」だったりと、アホげなトピックが連なるというもの。2席目は、一転して、怪談風ネタ。夏に相応しい。この落語会はお囃子なしの会なものだけど、ま、「腕喰い」の場合はと書いて、「入ったよな」と思い出した。その程度なので、入ったとしてもなしでも行けるネタかな。ただ、銅鑼は入って欲しかった。真相が判るまで、わりかし緊張が続く、いや真相が判っても緊張のある落語なもので、その演出には不可欠ですね。特に智丸の口ぶりや表情は、そういった緊張に抵抗するものがあるので、余計に不可欠だなと思わせられました。途中一部、台詞が抜けかけ冷やりとさせられたけど、無事に通過。「金太郎」と、いい対になったネタの選択でした。中入り休憩を挟んで、うまい色変わりになるネタを選択。「伝え聞く 鼓ヶ滝に 来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と西行が詠んだ歌を、和歌三神が姿を変えて現れ添削をするという釈ネタ。ところが、智丸は「たんぽぽ」を最初使わなかった。「白百合」と言ったかな? 孫娘の添削で「たんぽぽ」になった。こういった型があるのでしょうか? 元ネタの講談でも聴いたことがあるけど、いずれも、最初から「たんぽぽ」だった。「沢辺」を「川辺」に替えるのが具合悪いんだろうか? その心を聴いてみたいところです。もう1つ気になったのは、西行という実名が出る噺だから、それ相応の位が要るのじゃないかなと思いました。腹の底を語る、それはくだけてもいいけれど、表の顔は位が要ると思うのですが。たまの口演で聴いたことがあるけれど、たまも、腹の底をざっくばらんに語るという同じ手を使ったけれど、表は維持することで、より可笑しさを引き出してたという記憶が残っています。この西陣寄席の会主は、米二の落語会を幾つか手掛けられている方だということは、「まーぶる」に出演されたことで判明。プロデューサーは弥太郎。さすが弥太郎で、電子機器を活用している。予約画面にアクセスしたときから、そう感じていたんだけど、受付でQRコードを渡されて「プログラムです」と言われたときには、更にびっくり。1回目のびっくりがこれで、2回目のびっくりが、その「電子プログラム」に「次回、桂二葉落語会、本日、先行予約15名限定」と出ていたこと。「まーぶる」出演時、「二葉に出演交渉に来ました」と言ってたの、本当やった、しかも、実現させてました。でも、日程は合わなかった。今やお宝の二葉落語会が、手からするりと抜け落ちてしまいました。3回目のびっくりは、帰りの電車で、もう1度、その「電子プログラム」を見ると、落語会の風景画像がアップされていました。確かに、やられてみると、おもしろい。何方かのTwitterで、同じアプリを使ってでしょうね、「落語クイズ」を出して、応募者を簡単集計をして、会の終わりだかに賞品を出したなんて試みをした会があったと見たことがあったので、落語会の風景も変わるような予感がします。この落語会へは、JR二条駅からウォーキングを兼ねて歩いて往復しました。先日、大谷大学博物館からの帰りに歩いた行程をなぞるようなコース。片道35分程度ですから、程よい感じですね。で、帰り、電車に乗りました。そこで、傘を置いたまま来てしまったことを思い出した。そこで、もう1度、「電子プログラム」を活用。そこに出ている電話番号に電話をかけるということで対応。後日、取りに行くことになりました。雨が降らないと危ないなと思いながら、傘を持って出かけたら、その通りになってしまった。でも、この傘、黄紺から離れない。今回も、保管してもらえることになったからね。
 時間的には前後してしまうけど、ここで「日曜美術館」についてメモっておきます。昨日のお題は「杉本博司 江之浦測候所奇譚」。杉本博司という作家さんは初めて知ったけれど、「江之浦測候所」というのは、一昨日のラボカフェの配信で、目が行っていた。深井厚志さんが関わられたプロジェクト紹介の中に「江之浦測候所見学」とあったものだから、目が行ってしまってたのです。「測候所?」というわけです。相模湾を臨む土地、元はみかん農園だった土地を買い入れ、そこに、生涯をかけて、そして、5000年後になっても残るようにと、石を使った建築物を建てたり、古美術品を配置したり、また、みかん農園時代の作業場を改造して、そこに、昭和の農具、化石のコレクション、隕鉄を展示・保存しているという、そういったものを含めた1つの巨大アート施設を、そのように名付けているのだということが、この番組で判りました。その作業場跡のガラス窓の向こう側には縄文時代の遺物を模した石棒(男根崇拝)が置かれていました。杉本さんは、若い頃は、ニューヨークで写真家として活動していた人、また、同時に古美術商も行っていたと言ってました。そのときの店の看板は、化石の保存場所の入口に掛けられていました。番組の中で紹介された写真家としての作品は、次の通りです。「海景」(古代人と現代人が同じ風景を見ることができるか?)「ジオラマ」(ニューヨークの自然史博物館で剥製を撮影)「劇場」(映画1本分の間、シャッターを開いたまま写したため、スクリーンは白く写っている、映画1本分の時間を写した作品)。測候所内の建築物には、「夏至光遙拝100m」(夏至の日に太陽光が入り込む)「冬至光遥拝隧道」(夏至の日に太陽光が入り込む、アイルランドの古代遺跡に同じものがある)「光井戸」(地上の井戸と地下隧道の井戸を繋ぐ)「石舞台」(実際の能舞台のサイズ、橋掛かりも石)。お庭部分に置かれていた古美術品は、次のようなものです。「東大寺七重塔礎石」(巨石、今年新たに設える)「内山永久寺13重塔」(奈良県の石屋にあったもの、元の形に再現)「日吉大社礎石」(信長による焼き討ち時に残ったもの)「女神像(平安時代)」「春日社」(実際に、春日大社の神を勧請、「銅製鹿像」は背中にのせたものは、ご本人が“現代古美術”と言う杉本作品だが、像自体は室町時代のもの)、最後の「春日社」のトピックのところで、「明恵上人直筆書」「春日曼荼羅」「木彫の鹿像」の3点が紹介されていたけれど、これが、どこに配置されているのかは失念してしまった。これら、測候所内にあるもの以外では、この施設を作るきっかけになった杉本作品として、香川県直島の「アートとして手掛けた神社」の紹介がありました。杉本さんの初めての建築作品だそうです。「光学ガラスを使い地下に光を導く」といった独特の形をとり、これを指して、杉本さんは「古墳と神社の共存」と言ってました。少し抜けた箇所があるようですが、全体像は、しっかりと頭に刻まれました。また、行ってみたくなったところが生まれてしまいました。


2022年 7月 10日(日)午前 7時 25分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。「ブラタモリ」の新作の放映はなしと、ちょっと勝手の違う土曜日だったけど、オンライン配信の予約が1つ、時間的には連続して、オンライン配信を、もう1本、こちらは予約なしで視聴できた。だが、1本目は、まだましだったけれど、2本目の寝落ちが激しすぎた。これは、かなり困った土曜日。その覚えている部分だけでも、せめてメモを残しておきましょう。
 1つ目は、同志社大学一神教学際研究センターの公開講演会「双頭の鷲あるいは国家の婢? -ロシアとウクライナにおける正教会」というもの。お話をされたのは、高橋沙奈美(九州大学人間環境学研究院講師)さん、正教会の専門家です。ウクライナ戦争を、正教会という切り口で読み解くもの、いや、戦争の一断面としての正教会と言えばいいかな、貴重な機会と、とっても楽しみにいていたにも拘らず、肝心のソ連崩壊後、そして、それ以後、即ち、現在の状況に直で繋がる時期について、寝落ちが激しいと、全くのダメ親父だったけれど、ある程度振り返るかもとも思ってる。まず、ルーシの時代に遡るお話から。この辺は、わりかし余裕で聴いていたのですが。ルーシのキリスト教受容時はキーウから。その後、キーウ内部の紛争、モンゴルの侵攻、いわゆる「タタールのくびき」に時代へと入って行くにつれ、正教会の中心は、キーウからウラジミール、そして、モスクワへと移っていく。なかでも、「タタールのくびき」の時代でも、対処法で分かれて行く。妥協的に対応するというか、生き残りのための手とも取れるのだけど、そういった対応したなか、一方のウクライナの教会は、西ヨーロッパとの教会との関係を密にすることで生き延びようとしていく。そして、東ローマ帝国がオスマントルコの攻撃に晒されるようになったとき、コンスタンティノープル総主教座がローマと合同を画策したことに端を発し、モスクワが独立化。東ローマ帝国が崩壊後、モスクワは「第3のローマ」を標榜するようになり、コンスタンティノープル総主教によるロシア正教会の独立認可となる。ソ連による教会解体の時代を経て、プーチンの時代になると、「翼賛的政教関係」というタームを使われていたけれど、権力側の秩序維持の手段と考えられ、教会側からも、それが社会的影響力の拡大と捉えられ、協働関係が生まれて行ったと言います。こういった現代史の中で、ウクライナの教会はどうだったかというと、既に、モスクワの地位が上昇した17世紀に、ウクライナの正教会は、ロシア正教会に組み込まれていたなか、ロシア革命で、独立宣言した事実上の亡命教会としての「ウクライナ独立正教会」があり、ソ連崩壊時に、モスクワも配下にあるウクライナ正教会から独立宣言した「ウクライナ正教会」(この成立は、ウクライナ大統領とコンスタンティノープル総主教が協議をした結果のもの)、これが、先の「ウクライナ独立正教会」とが合同して「ウクライナ新正教会」とが生まれ、これを、コンスタンティノープル総主教座(世界総主教)が認可するという事態になっている。17世紀に、ウクライナの正教会がロシア正教会に組み込まれたときには、コンスタンティノープル総主教座は、カトリックへの対抗として、ロシア正教会に再建指示した間柄からすると、正に、現代の政治を反映したかのような転換を見せているということになります。ロシア正教会配下にあるウクライナの正教会は、一方で存続しているわけですから、教会の分裂が、現在の政治状況を映していることになり、また、ウクライナ人の政治的立場と教会の選択は、相関関係があるとも言われていました。特に、現在の「ウクライナ新正教会」のトップに立つ人物は、正教会の枠を超えるような考えの持ち主で、現代の西欧的スタンスを標榜しているそうです。「ロシア正教会」の総主教の発言の紹介があったけれど、「ロシア軍」に対する祝福はしても「特殊軍事作戦」自体に対する祝福は避けているという微妙な態度を見せているそうです。一方の「ウクライナ正教会(ロシア正教会配下)」は、ウクライナの主権支持、「ロシア正教会」の総主教の態度に対しては反感を見せてはいるが、「断絶」とまでは行っていないそうです。こういった流れと、全く関係ないことなんだけど、おもしろいことを発見したのでメモっておきます。1970年に「アメリカ正教会」の独立承認、「日本正教会」の自治承認ということがあります。まだ、ソ連時代です。「日本正教会」は、ロシア革命時の亡命ロシア人の系譜を引いているのは、黄紺も聞いたことがあるのですが、「アメリカ正教会」は、ロシアがアラスカを領有していた時代の「ロシア正教会」の系譜に入るのだそうです。で、ともに冷戦時代に「ロシア正教会」から離れたということになるようです。
 もう1つのオンライン配信は、よくお世話になっているアートエリアB1からのラボカフェでした。昨日のお題は「企業が取り組む現代アートの活かし方〜街づくり編〜」というもので、森裕一(一般社団法人日本現代美術振興協会)、深井厚志(一般財団法人カルチャー・ヴィジョン・ジャパン)、木ノ下智恵子(大阪大学21世紀懐徳堂、アートエリアB1運営委員)の3人が参加されました。森さんが、現在開催中の「ART OSAKA」の紹介。深井さんが、これまで取り組まれたアートに関するイベントの紹介をされていたはずです。が、深井さんのお話の途中から寝落ち、この配信が終わる時間帯まで覚醒しなかったのです。ただ、「ART OSAKA」の紹介は有難かった。中之島の大阪市中央公会堂と、北加賀屋のクリエイティブセンター大阪という2箇所を会場として行われているようで、各々の会場風景を写したものを見せていただけたのですが、中央公会堂の方は、従来型の美術展といった光景でしたが、クリエイティブセンター大阪の方は、倉庫のような建物に、アート系、インスタレーション系が展示されていました。せめて、こっちだけでも行きたいなぁ。寝落ちしているので、詳細は判らないのですが、こういった催しがあるということを知っただけでも、正解です。負け惜しみなくでです。


2022年 7月 9日(土)午前 0時 20分

 今日は、久しぶりに、夜にお出かけを入れていた日。この間続けていた京都みなみ会館で上映中の「大インド映画祭」の自分的最終日となりました。気がついたのがきわきわだったわりにしては、計4本観ることができました。今日はというか、今回の上映は、ほとんどがタミル映画だったのですが、今日も、その中からの1本、「ルドラマ・デーヴィ」。この映画は、今回の4本の内で唯一の歴史もの。そういったカテゴリーに入る映画は、今まで観てきたことはあるのだけど、偉人伝的な物語って、実際には多いのかどうかは知らないのですが、自分的には観る機会って、ほとんどなかったんじゃないかな、知らんけど。映画の梗概ではタミル語となってたけど、ネットで調べてみると、元々はテルグ語映画だそうです。11~14世紀のデカン高原東部にあったカーカティーヤ朝(初めて聞きました!)の女王の名がタイトルになっています。この人物の君主としての偉大さを描いた映画といえばいいかな。年代記的展開というか、叙事詩的展開というか、トピックが切れてるかと思えば繋がっている、流れてはいるけど、エピソード集的色彩の濃い作品です。まず、史実としても、インドで、女性の君主というだけで、目が行ってしまうほど違和感のある設え。でも、史実。映画では、やはり、この点を突く設えになっています。男子後継がいないため、また、騒乱(国内も、対外的にも)を避けたいがために、父王が宰相と図って、女の子を男として育てるが、思春期になり、男ではなく女だと気付いたルドラマ・デーヴィだったが、国の安定を考え、男として生きることを決意。国には、王の一族でありながら、王位を狙う輩、国内の民を収奪する首長たち、周辺には隙あらば侵攻を考える国がある。そういった敵を向うに回し、帝王学を実践的に学習していく主人公。ときには、女の姿に戻り、抜け道を通り外界へ。そこで会ったのが、部下なのか、一族の男なのかが判らないままだったのだけど、その男との恋物語も。だけど、この男との物語は、最後、大きな役割をするのかと思っていたら、ちょっとだけ働いて、どこかに消えてしまってた、不思議な展開。逆に、正体不明ながら、常に民の立場に立ち続ける男が出てくるのだけど、この男の行動が、敵対するものなのか、主人公側に立つのかを不明なままに作ってある、けど、かなりの強者であることには違わないんだけど、結局、この男が、最後は、主人公をサポートする最強の男として登場します。途中、正体が女だとバレてしまい、国王に推挙されても、結局は、国から放逐されたがため、国が、周辺の機を伺う国により攻撃を受けてしまう。それに立ち向かい、実力で持って王位に就く女の物語と言えばいいかな。ブチ切れ的に流れる進行もさることながら、過剰なデジタル処理に辟易気味の映画でもあり、今回の4本の中では、黄紺的には最低評価。公開されたときのインドの反応は、その逆だったよう。ま、インド的には著名人の物語という点があるんでしょうね。評価をする前提ってやつが違うということでしょうか。
 この映画への往復を、夕方のウォーキングに替えたので、昼前のウォーキングを、普段よりか、僅かながら多めであっても、1日の量としては少な目になりました。「大インド映画祭」のおかげで、ウォーキングの量は減っています。こちらのいい時間に上映があればいいのですが、そうではなかった。午後の一時は、時間的に制約を受けるどころか、昼食後、YouTubeで旅系動画を観ていたんだけど、なんか、座っているのがしんどくなってきた。クーラーをかけているのも、鬱陶しく感じ出したものだから、何か変調とばかりに、クーラーを消して、ベッドに横になると、暑い最中、クーラーもかけないで、1時間ほど眠ってしまってた。思いがけないお昼寝。でも、これで助かった。昼前のウォーキングが堪えたのかなぁ、クーラーが嫌だったのだから、熱中症ではないだろうけど、なんか、変調です。


2022年 7月 8日(金)午前 7時 54分

 この間の雨は、やっぱり台風のせい。だから、梅雨明けは正しかった、それを実感する天気になっています。昨日は、夜にオンライン配信を予約してあったので、少し、いつもの時間の流れを前倒しにしたことが、小さな変化。買い物に行っても、夏に路地で作れる野菜が安くなっている。真っ当なことです。一方、北海道の不作で値段が高騰したままの玉ねぎは、もう1年近く、手が出ない。昼間は、珍しく、NHKプラスを活用してTVを観ていた。遣唐使を扱った番組と、金沢の能楽界を扱った番組を、連続的に観ることができた。前者は、外来文化を扱うということで、ソムリエの方をゲストに迎えてた。真正面から扱ってくれればいいのにと思ってたら、あっさりと寝落ち。国風文化のトピックに触れたばかりだったので観ようとしたのだけど、ダメだった。後者は、加賀宝生を伝える設え。町役者として舞台に上がる人が多いとか。これ、初めて知ったトピックでした。それもこれも、明治維新のなせる業とか。おかげで、加賀宝生の伝統は、今も続く。能面師後藤祐自さんは、金沢の人だと、初めて知りました。息子さんの後藤尚志さんが後を継がれているとか。その後藤親子の面を使い、また、町役者の能楽師さんが出ての「来殿」の上演もありました。おシテは佐野由於、ワキは東京からの殿田謙吉という組み合わせ。菅原道真が、前田家の先祖になるということで、皇居に攻撃を喰らわす本来の姿だと具合が悪かろうということもあり、後場は、貴人姿で道真が現れると改変されたもの。だから、字も変わっている。この後場が始まるまで、このことを、すっかり失念してました。スペクトルな動きを期待できるなと思っていた黄紺には、がっくり、愕然と言えばいいかな。ここまで忘れていた、ここまできてでないと思い出せなかった悔しさと同時に、1度だけだけど観たことのある、この改変ものしょーもなかった記憶があったので、観るの、止めました。
 夜のオンライン配信は、立教大学の21世紀社会デザイン研究科連続公開講演会「ジェンダー不平等・ジェンダー危機からみる国際情勢~パンデミック、ウクライナ、アフガニスタンを事例として」というもの。お話をされたのは、次のお二人、①本学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授倉本由紀子さんと②公益財団法人ケア・インターナショナルジャパン マーケティング部長の高木美代子さん。総じて、学生さん対象といった風情の講演会。お話しぶり、内容で、そんな印象を持ってしまいました。①で、「ジェンダーとは?」といったところから出発。テーマにある「ジェンダー不平等」ということが、具体的に指す内容を示したりしていただいたので、格好の復習に。そういったジェンダー不平等に対する取り組みの振り返りも、きっちりとされていましたが、日本で「国籍法の改正」「男女雇用機会均等法」「家庭科の男女共修」が同時期に成立したのは、国連総会で採択された「女子差別撤廃条約」の批准に絡んだものだったこと、すっかり忘れていたことを思い起こしてくれました。次いで、ジェンダー不平等を知ることができる、様々な指数の説明。そういった事柄の振り返り、なかでもパンデミック期のジェンダー危機は、最近、よく取り上げられる問題。「女性の自殺者が増加、特に無職者・女子高生」「女性に対する暴力の増加」「シングルマザーの失業率の増加」など、社会的危機に直面すると、ジェンダー不平等がクリアになるということですね。②でお話されたのは、ケア・インターナショナルの活動内容。そういった組織、初めて知りました。でも、途中で紹介された画像を観たとき、ケア・インターナショナルのロゴが出てきて、なんか既視感を感じちゃいました。まず、ケア・インターナショナルが女性と女の子にフォーカスする理由を説明されました。同じように支援をして行くと、差別は残ったままという主張を示すために出された、観客席から野球を観る大人と子どものイラスト、これも既視感があったけれど、とっても分かりやすい。途上国の女性・女の子が、特に差別を受けやすいので、そちらにフォーカスした支援こそが、差別をなくし正義を実現するものということでした。という視点を持つ組織ということで、この講演会への招請となったということでしょう。次いで、具体的な事例として、コロナ禍での支援、これは①とかぶるので割愛して、次の2つの事例が目新しい。それが、アフガニスタンとウクライナ。アフガニスタンでは、タリバン政権の復活だけではなく、気候変動の影響で干ばつによる食糧難が起こっている上に、コロナ禍となったという背景で、女性・女の子への圧迫が強まっているという現実。そして、ウクライナ。ウクライナ難民・避難民の特徴として、女性と子どもが大半、これは、男は国外移動できないですからね。「政治難民」でも「紛争難民」でもなく「戦争難民」という定義、先進国の難民という点を挙げられていました。国外へ逃れ周辺国にいる人たちばかりか、国内で避難している人たち、ここでも、女性や子どもにフォーカスした緊急支援を行っているそうです。ウクライナ国内で支援物資の搬送や分配のヴォランティアをしている人の存在は知っていたけれど、そういった人の背後で、支援物資を用意している人々が、この報告で見えてきました。ロシアによるライフラインへの攻撃が、マスコミなどで報告されていますが、それに対する手当に動いている活動ということです。ケア・インターナショナルでは、今、起こっているとだけではなく、戦後も見通したプログラムを考えていると言っておられました。復興支援が待ってますものね。更に、黒海封鎖で問題になっている、ウクライナ生産の食糧が、それを待つ国々に届いていない現実を見据えたお話もありました。食糧危機が起こると価格の高騰が起こり、貧困に晒されている人たちへの支援が急務となります。お話にあったように、ここで、女性や子どもが危機により晒されるということですね。様々な問題を喚起する契機になるということでしょう。具体的な事例をたくさん教えていただいたのですが、もちろんメモしきれるわけではないので、諦めますが、こういった活動の存在を知ったことが肝要。何か知りたくなったときの情報を手繰る糸口を知ることになりました。


2022年 7月 7日(木)午前 7時 46分

 昨日は、午後にオンライン配信を視聴し、夕方から、また、インド映画を観に出かけた日。雨ではなくなると、気温上昇と引き換えになってしまうけど、先日ほどには上がらなかった。こないだ、息子らとあをによしに乗る前辺りから調子の良かった腰の具合が、2日ほど前から変調。立ち上がるのがきつくなっています。電気コードを刺したり抜いたりで、腰をかがめるのが、とっても億劫になっています。辛いわぁ、これ。で、午後の配信は、「2022年度 関西大学 経済・政治研究所 公開講座」を予約してありました。先日の公開講座とワンセットになってるのかな、昨日も、ウクライナの戦争がテーマで、お題は「スムータ《動乱》時代のロシア・ユーラシア~日ロ経済協力の視点から~」というもので、お話をされたのは、関西大学商学部教授の徳永昌弘さんでした。ただ、お話の前半で寝落ち、「これから後半に入ります」とのお声で覚醒するということになってしまいました。レジュメを眺めて見ると、最近、新聞を読まなくなったため、とんと疎くなった時事問題、外交の時事問題を把握してないと、理解が困難なものが連なっている。欧州各国、なかでもイギリスとドイツのロシア頼りとなっている資源問題やら、また、経済制裁でどのようなことになってるか、そして、それと同じ問題で、日本の関与に関して記してあるけど、深く関与していることは判っても、それが経済制裁でどのようになってるか、それがまた、一国の経済へ、どこまで影響をきたしているかが、黄紺の力では難解に過ぎます。後半は、「言語と歴史巡る問題」と設定したお話をされていました。その中で、この件については、ユシチェンコ大統領がパンドラの箱を開けたと。具体的には、「ロシア語の排除」「ウクライナ正教会の統一」といったことです。これを、徳永さんは「記憶の政治」「アイデンティティの政治」と言われていました。「ウクライナ民族主義」という言い方はされていなかったのですが、この言い換えに意味があるのでしょうが、黄紺には解りません。「記憶」というタームが、最近、よく出てくることは気が付いてはいるのですが。それに対し、ロシアでも「記憶法」が制定されている。「ロシアの国益を損なう歴史歪曲の試み」は刑法犯罪化していく。そして、「記憶の政治」から「記憶の衝突」「記憶の戦争」へとなったとなります。そこに、言語の問題が深くかかわっている、衝突のエレメントを成しているというわけです。「ロシア語の第2公用語化を廃止(2014年)」→「ハリキウ、ルハンスク、ドネツク州やクリミアでは、市庁舎を占拠するなど抗議激化」→「ウクライナ政府はテロリストと見なして、行政機関を空爆」といった出来事を上げておられました。ウクライナ問題で、こういったお話を聴いていると、どうしても「2014年」が大きなポイントとなることが、黄紺的にも判ってきています。そういったお話で、このトピック、この流れを取り上げられたのは初めてだったと思います。正直、これを聴いて、「前回はウクライナのシフトしたお話」「今回はロシアにシフトしたお話」と思ってしまったのですが、お二人のフィールドの違いが出ているようにも見えました。「市庁舎や放送局の占拠」を、その原因となるところに問題を感じるにも確かなことの一方、これを契機にロシアの露骨な介入を看るか、どちらを強調するかで印象が変わって来るように思えてなりません。だから、前回、お話しなさった方が、冒頭、「今回の戦争は、まずロシアが武力介入したことを押さえてきます」と、「武力介入」から辿りつくところを探すとされてきたわけも判ったように思えました。言語の問題で、興味あることを言われていました。「ロシア語を母語者の民族的ウクライナ人」の存在です。「民族的ウクライナ人=ウクライナ語母語者」とは限らないということです。ゼレンスキー大統領自身も、このカテゴリーに入るそうで、ウクライナ語をマスターしたのも、さほど遡ることはないそうです。大部なものを用意されていたのですが、時間の関係で、しっかりと聴けなかったのが惜しまれます。後半は聴けていたので、この言語の問題、もっと詳細に聴きたかったですね。新たな糸口を教えていただいたということで、感謝しなければならないお話だったと思います。
 夕方からのインド映画は、マラヤーラム語映画「盲目の目撃者」でした。盲目の目撃者は、名をレイと言い、レイ・チャールズから取られています。盲目のピアニストですが、実は、この「盲目」という点が二転三転するという筋立て。最初は、盲目のふりをして、それにより、安価な家賃で家を得て暮らしているという詐欺師的男。その男が、ある男に妻の誕生日にサポライズとして自宅で演奏をしてくれ頼まれるのだけど、その妻が、とんでもない食わせ者。男を引っ張り込んでいるところを夫に見られたため、男が夫を殺してしまった。その死体が転がっているとことへ、レイが来たものだから、妻は盲目ということで、家内に入れたのだが、レイ自体は盲目ではないので死体、殺人犯も知ってしまう。そこで、警察にたれ込みに行くと、出てきた警察官が殺人者だったため、盲目はウソと勘ずかれてしまう。ここから、レイに対する攻撃、最初は、見える見えないの確認から始まる攻撃が始まる。序のところで、レイと恋する女とのエピソードが入るので、その女がレイのサポートに入るのかと思ってたら、レイ一人での応対、ま、実際には見えているので、それ相応の応対をしているのだけど、半ばで、目に攻撃を受け、本当に見えなくなってしまう。ここで、恋人がヘルプに登場かと思いきや、ここでも出てこない。替わりにサポートに入るのが、最初は、レイの内臓で商売をしようという医師とそれを助ける男女、計3人組。金で動く3人を仲間に入れたレイが、3人と図って悪者男女2人を追い詰めるが、サポートに入った3人組も、2人は可哀そうな結末に、医師はとことんのワルで、金しか考えてない男で、結局、最後は、殺しに関わった女とレイ。その結末を告げないで、場面は、イギリスかな、とにかくヨーロッパの街角に替わり、ここで、ようやくレイの恋人が登場、2人の再会の中で結末が語られるという趣向。ただ、結末が作り話のようにも聴こえるのだけど、映画の一番最初の場面で、それは事実だと思えるようにしてあった。でも、恋人と再会したときは、盲目のピアニストとしてイギリスで活動していたレイ、でも、恋人には、盲目を、再び装っていたけど、盲目じゃなかったという落ちで、おしまい。細かく細かく変化していくので、2時間半は退屈しない。げっぷが出そうなほど、小ネタを使ってくれます。悪者2人、特に女は、とことんのワルに描かれています。とどのつまり、この女とレイの対決映画と言えばいいかな。終わってみて、残ったのは「あ~、おもろかった」だけ、正にインド映画です。


2022年 7月 6日(水)午前 7時 16分

 昨日は、朝からMovix京都へ。そして、夜は、オンライン配信を予約してあったというせわしない一日。火曜日だということなので、頭に中には、KBS京都の2本の番組を聴かねばという日。もう許容範囲を超えた一日。でも、楽しいことばっか。ましてや、Movix京都では、久しぶりに高校時代の友人と再会するというおまけまで付いていた。ま、いつもの、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観る日だったのです。昨日は、「ランメルモールのルチア」(サイモン・ストーン演出)の新演出が出ました。何よりも、ネイディーン・シエラ、ハビエル・カマレナ、アルトゥール・ルチンスキという、旬の歌手が顔を揃えている上に、新演出。これは外せないと、福井から友人も参戦です。新演出は、タイトルロールのネイディーン・シエラの持つ雰囲気に合わせたかのように、現代アメリカのデトロイトが舞台。スコットランドの崩れ出す貴族社会から、斜陽は斜陽でも、こちらは、自動車産業の斜陽でも、斜陽繋がり。それを表す装置、小道具が、回転舞台を使い、細かく入れ替わるもの、観ているだけで、裏方さんの大変さが伝わって来るプロダクション。それと、もう1つ、大きな特徴があった。メトロポリタンでは初めてじゃないかな、舞台にカメラを持ち込み、それを、舞台の上半分に映し出すというもの。カメラからの映像だけではなく、予め撮影された映像を、進行に合わせて流すという手も使ってた。ただ、ライブビューイングを観ている者には、画面に出てくる映像に不満。この手を使われたときは、カメラをフェードアウトしてくれないとあかんのに、これ、不十分すぎる。カメラは、主としてルチアを追いかけてくれるようなっているのに、また、ネイディーン・シエラは極上の演技を見せてくれているのにと思うと、残念感、いっぱいでした。現代に移して、キャストの中で合わないのがライモンド。「牧師でルチアの家庭教師」という役柄を変えないで、そのまま、現代のデトロイトに移すのだけは、かなりの違和感、感じてしまってました。これは、友人も、同じことを言ってました。観終わって思うのも、ネイディーン・シエラの持つキャラや、それに合わせた衣装が支えです。この空気に合わないルチアだと、成り立たないんじゃないかな、このプロダクション。あと、狂乱の場面でグラスハーモニカを使ってました。フルートを使うか、グラスハーモニカを使うかは、歌手のチョイスなんでしょうか、演出家の要請なんだろうか、ずっと気になっていること。黄紺的には、シュトゥットガルトで、今まで、1度だけ、グラスハーモニカを使っていたのに遭遇経験があります。ま、グラスハーモニカの使い手を見つけるだけで、大変でしょうから、こればかりは、歌手なり、演出家の要請があっても、使い手がいないと要請に応じられないこともあるだろうし、勝手判断は禁物です。フルートを使った場合、歌手には、厳密過ぎるほどの音の取り方が求められるのに対し、グラスハーモニカは、そういった意味では、フルートに譲るところがあることは確かですが、なんせ、音の幻想的な雰囲気は極上なものがありますから、グラスハーモニカもたまりません。過剰な血みどろの衣装が、却って、ネイディーン・シエラの美形を引き立たせていたことは間違いないけど、それ、ちょっと違うかもと思い、正常な感覚からすると、引くわね。そないなところもあったけれど、蛇足的なことで、総じて、期待に応えてという言い方しかできない代物でした。自分的には、今シーズン最後のメトライブとなりました。来季のプログラムも、既に流してくれてましたが、今年よりは、数的には多く観ることになりそうなものでした。まだまだ、死ぬわけにはいかないね。
 昨日は、台風による雨の日。福井までJRで帰るものだから、友人は、以前のこともあり、JRの運行状況。幸い、大丈夫そうだったので、いつものように、昼食を食べ、お茶でお喋り。でも、いつもよりは早めに出発。それで正解。黄紺は、別れたあと、いつもの、こういった日と同様のウォーキングがてら歩き出すと、瞬く間に雨。酷い降りではなかったので、ウォーキングを継続。でも、自宅最寄駅2つ手前駅で降りて、歩き出して、 5分も経たない内に、道路に水が浮くほどの強い雨。これ、まいった。でも、動き出したあとだから、そのまま歩くことに。きついウォーキングとなりました。
 夜は、立教大学文学部キリスト教学科主催の公開シンポジウム「現代に生きる芸術、文化、宗教—国際芸術祭“あいち2022”から—」のオンライン配信を視聴しました。立教大学のオンライン配信は、多様な内容を流してくれるものだから、ホント、贔屓にしてしまっています。昨日は、次の方々の報告を聴くことができました。①森美術館館長片岡真実「STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」②愛知県美術館館長拝戸雅彦「間借りする」③現代美術作家奈良美智「普遍的なもの」④立教大学総長・文学部キリスト教学科教授・日本聖公会中部教区主教西原廉太「キリスト教神学の視座からの応答」。冒頭では、司会をされた立教大学文学部キリスト教学科教授加藤磨珠枝さんにより、ご本人を含めて、皆さんの35年前に関係、ニアミスの紹介がありました。皆さん、愛知繋がりで、今回、「あいち2022」をネタに語ろうというものでした。①では、「あいち2022」の芸術監督という片岡さんのお話。森美術館長としても、よくお名前の上がって来る方ですね。「あいち2022」の背景、ここに至るアートの流れの押さえがありました。「現代アートが世界各地に拡大」「西洋の白人男性という主流から世界各地の多様なアイデンティティを持つ多くの傍流が登場してきている」「新しいテクノロジーの発展、活用」「パンデミックで地元の評価、生きることの意味、ウエルビーイングなどへの関心が高まるなどの変化が出てきている」といったことでの「STILL ALIVE」を掲げる「あいち2022」。その後は、各展示会場の紹介となりました。名古屋市だけではなく、一宮市や常滑市などにも、拡大、分散している由、行きたくなりますね。②は、「あいち2022」の前身となる芸術祭を企画・運営してきたお立場から、地域との連携、それがあったればこそ、アート作品を、地域に展示できていく、そして、地域の人に協力だけではなく、アートへの関心を喚起して行った取り組み、成果をお話されました。ある日、突然、オブジェが、道端に出現されては、その地域の人たちは、驚くばかりか、生活への影響も出てきます。そういったことを可能にするために、地域に入り込み、また、地域の人たちの生活の変っていく姿をお話になったと思います。③では、北海道での活動報告だったのですが、完全に寝落ち。廃校を借り上げ、そこをアトリエとして制作に勤しまれるととともに、地域の人たち、特に子どもたちとの交流報告をしながら、アートへの人の関心を報告されてたんじゃないかな、知らんけど、寝てたんで。④は、①でお話された現代アートの傾向を踏まえ、歴史の中で、キリスト教が作家活動を拘束してきた要因の振り返りをされました。その克服が、現代アートの仕事という片岡さんの指摘に呼応するようになってました。曰く、西欧による植民地支配はキリスト教の拡大とは表裏の関係にあったのが、現代においては「北」と「南」の逆転が起きてきている。「北」から「南」ではなく、その逆だというわけです。それに関して、「inculturation」をトピックとして取り上げられていました。「西欧の白人化したイエス像」で描かれてきた美術作品、おもしろかったのは、イエスと同時代と考えられるパレスチナの遺骨を基に、聖書に書かれたイエス像を重ねてのイエス像の再現の試み。「最後の晩餐」図の椅子に座り食事をする不思議、古代ローマ期の風景とすると寝ながらのはずですものね。フェミニズム神学からは、男性中心主義に彩られた聖書批判が上がっているようで、女性の姿でイエス像を描く試みもあるようです。片岡さんの言われていた「STILL ALIVE」に呼応して、お説教っぽいお話があったのですが、こちらは、よく解らなかったので割愛します。報告だけで、時間がオーバー気味だったので、質疑応答やトークはごく短めになったけれど、「あいち2022」のような試みが、それこそ、欧米だけではなく、世界各地に拡散しているという時代になってきているけれど、②でのお話があった延長線上に見えてくるものがあったように思えます。また、そういったお話がされていたと思います。アートが地域に入り込み、地域の人たちの関心を買い、アートとともに暮らす、周辺の人たちも集まり、地価も上昇し、地域の潤い、人々も潤い、そして、時が経てば作品は朽ちて、役割を終える、その長い時間、それもアートだということなんだと思えました。生活と密着し、ほんの少し、生活に変化をもたらし、人々の心に変化を生む、そういった時間の経過も演出する、それもアートということ、教えていただいたように思いました。いいお話を聴けたなというところです。
 「まーぶる」のあった日でもあったので、夜は、ずっと聴いていましたが、マイクロソフトのCMに出たときのロケ風景をふり返るトピックがおもしろかったな。二葉は「大阪弁しかできないんで、それで良ければ引き受けます」と言って出たCM。えらく評判が良さそうです。ゲーム自体が、全く解らない黄紺には、CMのカッコ良さと言われていることが理解できないけど、二葉もゲームは、子どもの頃からしてこなかったので、インタビューで、「どんなゲームされますか」と尋ねられて「花札」と答えたとか。いい度胸しています。また、ロケでも、変なアクセントでの物言い求められたとき「できません」「嫌です」と応じていたようで、「こっちは、毎日新聞で大阪弁のこと連載してるんや」と言ってました。マイクロソフトより毎日新聞を優先させた二葉に、相方の馬場さんもびっくり。このらしさがおもろい。今度、ABC朝日放送でも、また、KBS京都でも、フェミニズム絡みのトークをするそうなんで、これ、なんとかして聴けないものか、頭捻っているところです。


2022年 7月 4日(月)午後 10時 30分

 今日も雨。梅雨明け宣言があったはずなのに、梅雨に逆戻りっていう感じになっている。雨は嫌だけど、気温が和らいでくれたのは、有難い。でも、ウォーキングとなると、雨脚と相談しなければならないけれど、今日は、昨日と違い、傘さしウォーキングは可能だったので、昼前のウォーキングは、通常通り。ただ、夕方の方は、映画を観に行ったので、その往復をウォーキング替わりとしたので、昨日と同じくらいの量にしかならなかった。映画館は京都みなみ会館だったんだけど、映画の上映時間が遅く、往きは、最寄駅から1つ先まで歩き、ウォーキングに替えることができたけど、帰りは、時間を考えると、いつものように歩いて帰るというのは無理と判断、さりとて、往きを歩きで行くとなると、映画上映中の寝落ちが見えているので、それはやんぺだから、仕方のないことです。
 で、映画は、今日も「大インド映画祭」から1本。今日もタミル語映画で「カーリダス」。タミル語だからトルコ語系の言葉は出てこないだろうと思っている黄紺の耳に「Niye」が飛び込んできて、びっくり。同じ意味で使ってた。聴き違いかなぁ、全く、自信がない話だけど、黄紺の耳には、そう入った。ま、それはいいとして、カーリダスというのは、警察で事件を扱う捜査課の刑事の名前。自殺とも、殺人とも思える事件が起こるが、それを担当する刑事の名前。亡くなるのが女性ばかりで、且つ、映画の流れからして変質的な男による殺人事件ではないかという雰囲気が漂っている。格好いい、渋い上司と組み、賑やかし的部下を従えという構図は、インド映画あるあるのもの。一方で、その捜査と並行して、カーリダスと妻との関係がぎくしゃくしている姿を描いていきます。仕事に多忙な夫に対し、疲れて帰宅後は酒ばかり飲んでいる夫に対し不満を持つ妻という、よくある設定。そういった妻の元へ、夫のいないときに、部屋を借りに来る男が登場。使ってない2階の部屋を借りたいと言う。ほぼ夫がいない生活の妻と、結果的に寄宿することになった男との間が気になって来る。近づいていくのだが、捜査の過程を見せられている我々からすると、その寄宿した男こそが、追いかけられている犯人じゃないかの空気が満々としてくる。「これだけの映画かい」ぐらいの気持ちで、この映画を観る時間がほとんどでした。「これは外れ」かと思うほど、その捜査と妻の男関係が描き続けられる。ホント、まさか、この映画が倒叙ものとは、全く疑いすらしなかった。まんまと、罠にかかってしまったけど、これは、誰しもがかかります。ましてや、そのネタバレの直前には、寄宿した男は、カーリダスの上司の息子らしいとなり、且つ、上司が単独で、カーリダスがいなくて、妻だけがいる家に現れるものだから、このどんでん返しがトラップだったのかと思わせる凄いことやってくれるものだから、ますます、この映画の本当のトラップが、一層、気づかないようにしてありました。韓流ですら、また、最近では、エンタメ系の中国映画ですら、ここまではやらないだろうというトラップにかかってしまいました。これは、さすが、見抜けないよ! それほど、卑怯なトラップ、倒叙ものです。そうなって、ようやく了解できました、この映画祭のラインナップ入りしたわけが。
 映画に行く前の一時ばかりか、ちょっと隙間があると、最近、YouTuber無職旅氏の動画を観ていることが多い。なかでも、ハマり気味なのが、視聴者から募った旅のお写真。そのテーマ付けがいいのだと思うのだけど、観てしまってる。「ホテル」は、こぞって、高級ホテルを応募する輩がいて嫌だったけど、「路地」「交通」といった設定がおもしろい。マニアックな人のも楽しめ、ポピュラーなものも、行った人の拘りがうかがえ、そそられてしまっています。この動画が凄いのは、実は、配信動画を眺めることじゃない! 自分の旅ではどうだったか、いや、もっと素朴に、自分の旅をふり返る衝動を生み出すのです。だから、結果的に、YouTubeの動画を観ているよりか、自分の旅写真を眺めている時間の方が長くなっている。別に、無職旅氏が設定しているテーマに沿った写真を、自分のアルバムから探し出そう、自分が投稿するなら選ぶだろう写真探しではなく、単に自分の旅をふり返ろうとする衝動が生まれるのが、凄いのです。おかげで、随分と、昔のお写真も観ることになりました。行ったところに関しては日記を残しているので、それと照合すれば、より記憶は鮮明になるのだろうけれど、そんなことは、現時点では、どうでもいいこと。かつて、自分が立っていたことのある風景を観たくなる衝動ですね。


2022年 7月 4日(月)午前 7時 35分

 昨日は、雨に悩まされた日曜日。梅雨明けのはずなのに、これからあと、雨という天気予報が続きます。お出かけ予定なしだったもので、ルーティンにしているウォーキングをしようとしたが、昼前は許してもらえなかった。ほぼ止んだかなと思ったのに、途中、ひどい雨に遭い、引き返すことに。辛うじて、どうしてもという買い物だけはできただけでも、御の字かもしれません。夕方は通常通り、結果、いつもの8割程度の歩数で我慢しなけれななりませんでした。身体は動くのに、こういった日って、腹が立ちます。でも、昨日は日曜日。朝から、昼から、夜も、TVやらオンライン配信を楽しむことができました。考えてみると、綱渡り的に過ごしてたことになります。日曜美術館は、新作で「現代の超絶技巧」というお題で、それこそタイトル通りの技を持つ3人の作家さんの紹介がありました。1人目は、木彫の大竹亮峯。とにかく、凄かった。今回の3人の作家さん全てに言える言葉ですが。本物そっくりに生物を木彫で作り上げる。本物を解体し、部位の動きを確認して、木彫で再現する。ありえない精巧さです。「眼鏡饅頭蟹」(部位が動ように嵌め合わせてある)「月光」(月下美人を想定して、水を注ぐと花が咲くという仕掛け、“I love you”を“月がきれいですね”と訳した漱石に触発された作品、蝙蝠の羽のイメージのある神代欅という希少な木材を使う、それは、夜行性の蝙蝠を引き付けるために夜に咲くと考えられているから、花弁は鹿の角を使用)「鹿子伊勢海老」(イセエビを作る、本物を解体して調査した上での制作、ひげはクジラのひげを使用)。2人目は、②鉄鍛金の本郷真也。通常は柔らかい鉄を使うが工業用の硬い鉄を使っての制作、熱して柔らかい間に形を作る、その時間、僅か30秒、叩き過ぎると壊れる。「環、瓢箪」(鉄1枚板)「環、岩上にトカゲ」(鉄1枚板)「環、南瓜」「澄、川鵜」。学生時代に観た山田宗美の作品に感銘を受け、同様の作品作りに励む。色は使わないで、色を感じさせるのは、錆のもたらすもの、着色はしない。3人目は、元プロボクサーの木彫の前原冬樹。忘れ去られていくもの、誰かの人生に寄り添ったものを、1つの角材から作り出すという作家さん。「一刻 タイルに兎林檎」(腐りかけたリンゴ、タイル、一緒に掘っている)「一刻 梅蕾」(朽ち際の美学)「一刻 鰐皮ベルト」「一刻、トタンに鎹」「一刻、手に筆」(木目で指紋)。ありえないような作品が並んだ、めっちゃおもしろいもの。世間には、ホント、いろんな技、感性、意欲のある人がいるものです。
 午後は、京都産業大学ギャラリーが、第25回企画展「女子宮廷装束の華」に伴い行った公演「女子宮廷装束~十二単の着装実演~」のオンライン配信を視聴しました。舞台上で、実際に十二単を、モデルに着せるというもの、それも解説入りでとなると、これは貴重な体験と、申し込んであったものです。更に、おまけとして、男性貴族直衣の着付けも、会場から希望者を募り見せてくれるという有難いものでした。お話は元宮内庁首席主殿長・井筒の岡本和彦さん。実際に、宮内庁で着付けを担当されていた方で、この人の解説を聴いているだけで、匠の技を感じてしまうほどのものでした。2つの着付けの間には、岡本さんの貴族の服装についての歴史の講演もありました。既に、展示会場で、十二単というものは、遣唐使が廃止され国風文化へとシフトしていった中で生まれ、「座る」文化に呼応して生まれて行ったものという知識は仕入れてあったけれど、新たに、12世紀以後に「強装束」になったというタームが使われたのは、判らないまま。その後、この服装は廃れ、江戸時代、社会の安定とともに、徳川政権が公家社会の支援が始まり、復古的な環境が生まれてくる中で、天保年間に復活。更に、近代に入り、様式化が進み、特に大正天皇の即位儀礼に対応して整備されたものが、現代に生きている十二単などの皇族の装束だということも、展示会場で知っていたこと。そういったお話に、具体的な細部の展開について、岡本さんは解説してくださったのだけど、装束関連のタームは分からんのです。だから、理解はあまり進まなかった。そういった中でメモっておきたいことは以下の通りです。「12世紀に衣紋道生まれる、山科家と高倉家」(山科家だけではなかろうとは思ってたけど高倉家は初めて聞いた、山科家のように存続してるのだろうか?)「かさねの色目のトピック難解、様々な組合せが生まれたことは判ったけれど、四季によりいろいろの色目を使い、また、同時に多く女性がいても、少しずつ変わるほど、多様な組合せがあった」「年齢によっても、境界があり、色分けがされるというしきたり」「十二単は、少しずつずれて見えるように、上に着るものを小さく作る」「従って、一番上に着る唐衣は“でんち”みたい」、これだけしかメモれない。観ていたときに書いたメモを読んでも、理解できないんだから、どうしようもないね。着付けを見ていておもしろかったのは、重ね着をして紐はどうするのかが気になっていたところ、2本しか使わない。締めたものをほどいて、重ねた方を締めるために使って行くという手を使っていました。でないと、お腹のところがごわごわになり、不格好ですものね。直衣の方は、狩衣を上に着るのだけど、能の装束で言う狩衣は、前の部分をふっくらとさせるけれど、その根本が判りました。前に垂れた布地を、前から紐に入れて行くという手を使うため、前部がふっくらしたように見えるのでした。どなたかが、チャット機能を使い「これが見たかった」と書かれていたけれど、至極、ごもっともなところですよね。そして驚いたことに、袖はめっちゃ長く、袖口をたぐって手で持つとなっていた。だから、それを放すと、だら~んと下に落ちるので、放せない。なんでと思う構造でした。
 夜のオンライン配信は、アートエリアB1からのラボカフェ。昨日は、大阪大学21世紀懐徳堂シリーズvol.5 教育と福祉を架橋する①「ヤングケアラー・パネルディスカッションを開催して」というものでした。タイトルを読んで判らなかったのだけど、「教育」「福祉」という語句があったので、とりあえずは視聴して、ダメと思えば、即、視聴を止めるつもりで覗いたものだったけれど、とんでもありません、とっても勉強になりました。「ヤングケアラー」というタームを知ったのが、何よりもない収穫。「様々な事情で、一般的には大人が担うと想定されている家事や家族の世話を日常的に担っている子どもと若者」を指すものです。それについて行われたシンポジウム(この配信は知らなかったのでパスしてます)のふりかえりという形でのパネルディスカッションだったのですが、ダイジェスト版という感じで、コンパクトに内容、問題点をまとめていただけたので、ある意味、美味しいパネルディスカッションだったかと思います。参加されたのは、岡部美香(大阪大学・人間科学研究科・教授/大阪府教育委員)、村上靖彦(大阪大学・人間科学研究科・教授/同研究科附属未来共創センター・センター長)、榎井縁(大阪大学・人間科学研究科・教授/マイノリティ教育ラボ・代表)の3人に、カフェマスター役の上林梓(大阪大学21世紀懐徳堂特任研究員)という4人の方々でした。岡部さんの報告で驚いたのは、大阪の府立高校生全員対象で、この件についてアンケートまで行われているそうです。回答率は、決して良かったとは言えないようですが、まず、この問題が、そこまでの拡がりを持つようになっているという事実は、驚きでしかなかった。だって、ターム自体を知らない間に、ここまで来てるんだから。3人の方たちが語られたことメモっておきます。「ヤングケアラーは、結果として学習の遅れ、精神的負担、社会関係で孤独に追い込まれている」「ヤングケアラーは見えにくい、ヘルプの発信を、本人がしないことを想定しておかねばならない」「それは、発信すると家族に悪いという心情、自身でやりがいを感じている場合もある、誰かに伝えてうまく行かなかったという失敗体験を持っていることもある、お手伝いはいいことという考えや家族のことは家族でケアするものという通念が残っている」「サポート体制は、ネットワークを作り上げることの肝要さが大事、例えば、学校の教員だけで担えるものではない」「年齢によっては、自分の状況、家族の状況を言語化できないことも想定しておかねばならない」「小さいときからずっと同じ状況だと、当たり前と思ってしまい、ケアが届かない、周りが気づかないケースもある(アル中やうつ病の家族を抱える子どもの例は強烈)」「外国人の子どもの就学状況は2019年まで調査されたことはなかった(彼らの就学は義務でないから)」「ましてや、ヤングケアラーの実態までは」「ところが、言葉の問題など、課題は山積しているので、ヤングケアラーは多い、例として言われていたのは、子どもは日本語を早く覚えるので、通訳の役を親のために担っている」「結果、高校進学にまでたどり着く子どもの割合が落ちる、また、進学しても中退率が高い」。とっても、勉強になりました。思い返してみると、こういった「外国人のヤングケアラー」っていうのは、中国帰国者(残留孤児、残留婦人)が日本社会で問題になった頃に遡るように思いました。同時期に、ボートピープル問題のベトナム人が日本社会に入ってきたこともありました。一方で、個別に、学校や福祉の方で対応が行われていたと思います、特に学校で。それらを括って「ヤングケアラー」というタームで陽の目を見るようになった、社会問題化したということでしょうか。あの中国帰国者やベトナム人が現れたのは1980年代だったですね。それだけの時間の中で、どれだけ多くのヤングケアラーが看過されていたかと思うと、きついお話でした。


2022年 7月 3日(日)午前 7時 8分

 昨日は、昼間に映画を観に行った。今、京都みなみ会館で「大インド映画祭」が行われています。調べてみると、半年ほど前に、他の京都の映画館で行われていたものと同じもののようです。あのときは、気づくのが遅く、1本も観ることができなかったのだけど、今回は、まだ、余裕のあるときに気づきました。全部は観れないだろうが、時間の調整がつく範囲で観に行こうと思っているのですが、昨日は、その1本目。タミル語映画「マンデラ」を観てまいりました。舞台は、最初から最後まで、とあるインドの田舎。トイレもないということで、公共のトイレができたところから始まる。でも、のっけから、誰が先に入るかで揉めている。というのも、現役の村長の息子の異母兄弟2人が、その領分とする南北の地域を背景に、お互いにいがみ合っているからだった。が、その間に立つ村長が元気であればこそ、バランスが保たれているのだけど、そのタガが外れる、次期村長選挙となると、露骨な対立、村の二分が起こるが、票の読みあいをすると、両者同数。ちょうど、その頃、1人の男がIDカードを作り、選挙権を得たものだから、その男の投票で決するという事態になったことで、話が展開していく。その男の名がマンデラ。仕事は床屋。冒頭のトイレ使用で揉めたとき、初使用の任を得た村長が、その中で倒れ、その後の掃除をさせるということで、そのマンデラが初登場。村の中では最下層のカーストであることを、冒頭で印象付けてくれる。いつも助手を1人連れているが、更に下のカーストになるようです。マンデラは、ネルソン・マンデラから取った名前。男は、村の者から様々な呼び方をされたきたため、己の名を忘れてしまっていた。が、郵便局のお姉さん、この人が、この映画のマドンナで、マンデラを助ける役をするのだけど、まず助けたのが、郵便局での貯金をするために必要なIDカード作りだったというわけだ。そこで、名前をマンデラとしてIDカードができて浮かび上がったのが、選挙権のこと。村長の息子、この2人は、選挙に勝つためには手段を選ばない、負けたら負けたで、負けたのはマンデラのためと、殺すことも辞さないワル。とにかくは、マンデラに賄賂攻勢。でも、マンデラは、ものをもらえることは有難いと、気に介さない。助手は、なかなか賢明な男だから、そのやばさを指摘するのだけど意に介さない。挙句の果てに、マンデラ・オークションまで開かれる。負けた方が、その場で、マンデラを殺す準備をしてることを知った助手は、村長が死んだとウソをつき、マンデラを助ける。そんなだから疎まれたようで、このタイミングで、助手が倒れる。助手は、耳から血を流していた。今度は、マンデラの方から救急搬送を、息子兄弟に掛け合うが、見向きもしない。仕方なく、マンデラは投票するからと言い、なんとか搬送してもらったある日、家の近くで、夜中の3時に用をたす女性がいることを知る。男たちが、夜遅くまで酒を飲んでるものだから、そんな時間でしか用をたせないと言う女性。そこで、トイレを作ってくれれば、投票すると持ち掛けるマンデラ。すると、再び、蕩尽合戦が起きる。それを利用して、学校や道路のインフラ整備を持ちかけるマンデラ。村が、どんどんと新しくなっていくが、息子兄弟は、金が底をつきかけてくる辺りで、いよいよ投票日。悪者たちは、負ければ、マンデラを殺す用意をしている。これがラストです。刻々と伝わる投票結果を聴いて、不利な流れと思った悪者が、結果を待たないで、殺し屋を促した。マンデラが殺されては話にならないのだけど、だから、助ける役がいるわけで、それが、郵便局の女性、村長、そして、、、。上映後、この映画の配給をされているNPO法人の方は、「実際には、マンデラのようなカーストの人を助けるために、こんなことは起こりません」ときっぱり。ここまで、下層カーストの置かれている状況をクリアにした映画って、観たことなかったと思います。マンデラも、村人の扱いを当たり前のように思っていると描いています。自らの行動規範としても、何世代にも渡り伝えられてきた通りの行動様式で、疑問も感じないで、不満も見せないで動くように描かれています。そう言った意味で、とっても生々しいです。ちょっと激しい書き方をすれば露悪的にすら見えます。蕩尽の応酬などはコメディタッチで、普通のインド映画の枠に収まるけれど、そこで描かれるインドは、とってもリアル。それを、皆に見せる、これが目的かとも思える映画です。なかなか、観るべき映画に当たった感があります。このあとも、楽しみですな、これだと、この映画祭。いい映画選んでいます。
 京都みなみ会館へ行ったときで、時間的に障りがないときは、ウォーキングがてら歩いて帰るのが定番だけど、昨日はかなり勇気が要った。だけど、敢行。最初の1/3がきつかった。まともに強い太陽を浴び続けるものだから。そこで、くたばるか、慣れるかなんでしょうか、昨日は、慣れることができたので、ましてや、最近の腰の状態も加わり、そして、途中、公園で木陰のベンチで休憩したのが良かったのか、最後は、35度以上もあったろう炎天下を歩いたわりには、身体が、とっても軽く感じながら歩くことができていた。大成功!


2022年 7月 2日(土)午前 7時 33分

 昨日も、慌ただしい一日。午後に映画を観て、夜は、オンライン配信のお世話になったから。1日に2本。予定を入れ、満足に、ルーティンにしているウォーキングをしようとする、どうしても、そうなってしまう。午後の映画というのは、京都文化博物館の映像シアターで行われている「EUフィルムデーズ2022」で上映されたドイツ映画「オライの決断」を観てきました。ドイツのトルコ人社会を描いていた映画だったからです。結果として、よく解らなかったという映画だったのですが、この映画の状況、ドイツのトルコ人コミュニティについて、現実味を持ち、少しは知識がある黄紺でこれなのに、結構、爺婆が詰めかけている。分らん、こないな映画を観ようとするわけが、また、解ったんだろうかと思うほど、やって来ていた。不思議な会場の雰囲気でした。冒頭の舞台がハーゲン、ここで、オライと妻は暮らしている。そして、原因も理解できなかったけれど、両者の衝突。そして、この映画の核となる「タラク」という言葉の発信、発言。「talak nedir」と打ち込んで検索してみると、「İslamlığın kurallarına göre evliliğin sona ermesi, (dinsel nikâhta) boşanma.」と出てきた。「(dinsel nikâhta) boşanma」というのがポイントですね。そか、これを頭に入れて観なきゃならなかったのか、今更ながら、抜け落ちのある黄紺です。となると、映画を観に来ていた爺婆、理解できるわけはない。そのため、オライは、ハーゲンを離れて、ケルンへ単身向かい、そこで働き始める。映画のほとんどは、このケルンでの展開。このハーゲン、ケルンというルールが舞台になっているというのが、ちょっとしたミソでしょうね。決して、所得的には高くない、教養的に洗練されているわけではないという、ステレオタイプ的に看ると、そうなる。これが、オライの「Olay」なんでしょう。この映画の1つ目の言葉遊びが見えてきます。オライのスペルが「Oray」だったので、簡単に、この言葉遊びは観る前から想像できていたこと。「Olay」に「k」を付ければ「Kolay」になる。これは、後半に使われる言葉遊び。そのオライは、ケルンで、イスラームの信徒集団に顔を出すようになります。「タラク」の話をすると、「タラク」の慣習について教えられる。「3回言うと、完全離婚」「それ以後、会うと、それだけで罪になる」「1回言っただけでも、妻に触れてはいけない」など、「dinsel nikâh」が壊れたことの意味するところを説かれる。オライは3回言っているが、「1回」と噓をつく。その辺を見透かしたのか、ホジャは、「ケルンとハーゲンでは習慣が違うかもしれないが」と、こんなことを言う。「そんなのありなの?」と突っ込んでしまった黄紺。そういったときに、事件が2つ起こる。市場で盗みをしたのかな、ある青年を捕まえるが、見逃してやる。コソボ出身の青年だ。そして、出身を聴いてイスラームだと思ったオライは、信徒集団の集まりに誘う。もう1つは、突然、妻がオライを訪ねてくる。そして、これが何の金か判らなかった黄紺なのですが、まとまった金をオライに渡す。妻の愛の籠った金のように感じます。ということは、禁じられている言葉を交わし、妻に触れるオライ。「タラク」の意味が消えて行っていますが、表面上は「タラク」が続いている。終盤、コソボ出身の青年が、ジャーミーの金を盗み、ドラッグの密売の資金にしたことを知ったオライは、それを咎めはするが、妻から渡された金を青年に渡し、ジャーミーに戻すように諭す場面が入ります。また、ドラッグパーティーが、その信徒集団で行われているシーンが入ります。これが、解らない。ホジャも一緒だ。荒れているオライ。ここでかかっている音楽の歌詞が、「Kolay」を繰り返していた。こういった生活の転換は「Kolay」と言っているように聴こえました。オライの生活そのものを射ているようにも聴こえます。翌日、ホジャと話すオライ。「イスラームの良いところは、繰り返しが効くところ」と説くホジャ、それは、オライが、「タラクの約束事を破った、ウソをついていた」と告げたときに言う。一方で、ホジャは、オライに妻との間の大切な金を青年の改悛のために渡したことを知っており、ジャーミーの資金を、オライに貸してやる。それで、妻との約束を果たせと言います。オライは席を立ち、次の部屋に入ると、そこでは、信徒集団らがオライを迎えるというシーンで終わりました。宗規の拘束というよりか、暖かな人間味を感じさせます。で、「タラク」はどうなった? 判らないのです。オライ役の俳優さん、アルダ・トゥランそっくりさん。クレジットに出てきたお名前、トルコ人とは思えないものだったけど、トルコ人なのでしょうね、ドイツ語とトルコ語が交じり合う台詞が上手く流れてましたから。この映画祭のHPを見ると、メフメト・アキフ・ビュユックアタライ監督作品となっています。「アクフ」だろうと思うけれど、記憶に残しておいていい監督じゃないかな、リアルな映像、とっても気になってしまいました。
 夜のオンライン配信は、アートエリアB1からのもの。昨日は、ミュージックカフェの日。日本センチュリー交響楽団presents「ハイドンマラソン」を楽しむための音楽講座「第23回 ハイドン大學」として開かれました。昨日の目玉は、今まで、飛び入りとして参加されたことのあった同楽団の首席指揮者飯森範親さんが講師というものでした。ほぼ、飯森さんの一人喋りだったのですが、途中から、大阪音大大学院で作曲科の在籍される院生も加わるというものでした。前の1/3は、ハイドンの経歴。特に、後で楽譜解説に使われる44番のシンフォニーの背景となる「疾風怒涛の時代」について、詳しめにお話がありました。ハイドンのシンフォニーの短調作品が、この時期に集中しているのが、その証拠。モーツァルトの25番のシンフォニーも、この時期だそうです。ハイドンは、カノンやフーガも、この時期に使っているそうです。44番はホ短調ですが、古典派では、ホ短調のシンフォニーはレアで、次なるシンフォニーは、ブラームスの4番まで待たなければならないとか。中の2/3は、日本センチュリー交響楽団から2人、ユースオケから2人の合同アンサンブルで「作品17-6」が演奏されました。第1ヴァイオリンの西川茉利奈さんが、「ハイドンは難しい」と感想を言ってられましたが、そのわけが、後半の1/3で判りました。飯森さんは、楽譜に書き込みをして、練習に入る1ヶ月前に、団員さんの渡すというお話は、以前されてましたが、そのわけが判ったのですが、それが、西川さんの言葉に呼応したものだったのです。ハイドンの楽譜には、細かな書き込みがないため、演奏法が、幾つも考えられるということで、練習に入ってからでは、そんなことを指示している時間がないということだったのです。そこで、具体的に44番のシンフォニーのスコアを見ながら、書き込みの事例研究となったのですが、オンライン配信では、それが、よく判らないものだから、あっさりと寝落ち。一番、美味しいところの配信、しっかりしてよ、ホント! でも、知らなかったこと知ることできました。黄紺的には、ハイドン・リストを作り、全曲走破に挑んでるところ、あと数曲で、1回目が終わるところまで来ているので、絶好のタイミングではありました。


2022年 7月 1日(金)午前 7時 00分

 昨日も、慌ただしい一日。夜にオンライン配信の予約を入れていながら、朝から出かけて昼過ぎに戻るということをやってしまった。というのも、一昨日、アスニー山科で見つけた1枚のチラシに導かれてしまったのだった。1つには、すぐに忘れてしまうので、忘れてしまわない内に行ってしまおうの気もあった。お出かけ先は大谷大学博物館。2022年度夏季企画展として「仏みほとけの諸相すがた」が行われているというチラシを見てしまったのでした。大谷大学は、懐かしい場所にあります。1年間だけだったけど、この近くに通ったことがある。最近では、歴彩館に行くときは、北大路駅から歩いて行っているので、変わっていることは判ってたつもりだった。けど、大谷大学が、北大路通に面して入口を持つようになってたとは知らなかったものだから、昔ながらの門で門衛の方から聞いて、びっくり。「入口は大垣書店より向こうですか」なんて、わけの分からないことを尋ねてしまった。「そう言えば、ありましたね」とのお答え。お顔が笑ってたので、「変なこと言ったかな」と思ってたら、その大垣書店のあったところに、大学の門があったので、笑顔で対応されたわけが判明。随分と立派なキャンパスを持つようになってました。烏丸通の東側にもキャンパスがあった。完全に浦島太郎になってました。肝心の展示は、さほど広い展示室ではないのだが、3セクションに分かれていた。①如来の相②菩薩の相③明王・天部の相の3つだ。各々が、日本のもの、中国のものだけではなく、「アジャンター石窟壁画模本」「敦煌画模本」もあり~の、チベット仏教の仏画もあり~ので展示してある。日本のものでは、なんと、「当麻曼荼羅」の摸本まであった。②が、ヴィジュアル的に目立つのは致し方ありません。衆生救済を唱える大乗仏教の世界ですから、それを示す菩薩にはヴィジュアル的装飾がある。「千手観世音」然り、「十一面観世音」然り、その上、「化仏」まで付けている。目、手、顔で見ているぞというアピールは、判りやすいことこの上ないですものね。でも、相変わらず、仏画の基本となる仏像の図像学には疎い黄紺ですから、判らないことばっかだったけど、幅の広い収集に、いい目の勉強になりました。
 ついでに、アーバンウォーキングをということで、JR二条駅まで歩いてみた。以前、高麗博物館に行ったときに歩いたときのコースに、途中から合流。なんでかと思うと、原因は二条城。これが立ちはだかるものだから、コースは狭められてしまうということですね。でも、二条城の西側の道はいい。タイムスリップしたような気にさせてくれます。アスニー京都からの帰りに、以前はよく歩いたのですが、最近は、このコースを採らないものですから、久しぶりになりました。
 夜のオンライン配信は、立教大学平和・コミュニティ研究機構主催の公開講演会「ウクライナ戦争についての東北アジアの一視角」。最近、立教大学のオンライン配信のお世話になること、暫しです。お話をされたのは、韓国の北韓大学院大学教授の具甲祐(ク・カブ)さん。韓国語通訳の入ったものでした。講演後は、司会の同機構の石坂浩一さんを挟んで、東京大学名誉教授の和田春樹さんがコメンテーターとして登場されていました。健在なんですね、和田さん。かなりの年齢と思うのですが。具さんの講演は、かなり突っ込んだもの。先日聴いた関西大学のオンライン配信の直近物語ではない、フェードアウトした視点での捉え方が、とっても勉強になったものでした。中には、黄紺的には難解なものも含まれていましたが、ポイントをメモっておくことにします。「今回の戦争は、ブダペスト覚書を破棄したことになる」「ブダペスト覚書の契機になったウクライナの核放棄が、今回の戦争の遠因?(ウクライナの核放棄完了は1996年)」「平和協定そのものの締結に疑念が生じてきている、これは、朝鮮半島情勢に影響が出るかも」「NATOの東進で、ロシアとの間にあった緩衝地帯が減る」「アメリカとNATOのミサイル防衛体制を東欧への拡大、アメリカはINF条約を脱退したり、米ソの協力メカニズムだった相互確証破壊の終焉など、軍備競争と安保のジレンマを引き起こした」「NATOの拡大等を捉え、ロシアは実存的脅威と感じ、2014年の侵攻が起こった、ミンスク協定(議定書)が作られたが、これも、今回、破棄された、平和協定の意味が薄れる」「クリミア半島、マリンスク、オデッサを押さえると、ウクライナは黒海へ出られなくなる、黒海封鎖」「2014年のウクライナ進行で、ポストヤルタ体制が登場した、アメリカは、ロシア・中国というパワーバランスの政治に2つの戦線を抱えるようになっている」「ロシアの侵攻、及び、ウクライナの戦場化は予測された事態、ウクライナが憲法にNATOとEUへの加盟を明記したことで、ロシアはミンスク協定違反と解釈、アメリカはロシアの軍事侵攻を警告したが、ロシアの安保要求を拒否、そして、特別軍事作戦が始まった」「2・21~24の間に、戦争を防ぐ手はなかったのか?」「ロシアの戦争意図は、アメリカの国際関係における体制形成的権力への挑戦、ウクライナの緩衝地帯化、ウクライナ東部とクリミア半島を結ぶ統制地域の形成」「2014年は、原油価格下がったが、今回は違う、2014年のときの経済制裁とは異なる被害を受けている、ロシアは、経済制裁に関する研究を行ったことが想定される」「戦争とインフレが比例しているアメリカのジレンマは、11月に予定されている中間選挙への影響」「ウクライナのジレンマは、人道的危機に対し領土の一部を譲るのかという点、また、ウクライナの外交政策のスタンスが、親西欧なのか中立なのか、ロシアは、ウクライナのNATO加盟は反対、EU加盟は容認のスタンス?」「ヨーロッパのジレンマは、エネルギー依存と安保」「戦争の解決方法、即刻戦争停止(ceasefire)の要求、国境を調整する、終戦なき朝鮮半島停戦協定方式」「米中ロの三角体制の形成で、事案別強大国の合従連衡が起こっていく、、、これ、いまいち解らない、対立の構図がより鮮明になっていくだけじゃないかと思うのだけど?!」「軍拡競争が進む、ドイツの軍備強化、日本・韓国の軍事国家化及び韓米日の軍事協力進行、平和協定の無力化など」「冒頭で、今回の戦争で、国際的に平和運動が高まらなかったわけとして、平和運動が反米的傾向を持つこと(これはおもしろい指摘)、民族主義やポピュリズムが邪魔をした、平和運動が、戦争の停止(ceasefire)を強制できないもの、平和運動のタイムラグ、また、ロシア市民社会の未成長を指摘されていました」。和田さんの言われたことで印象的だったのは、「朝鮮戦争の経験を平和運動に生かさねば」という指摘、それに呼応して、具さんは、朝鮮戦争時の「ストックホルム・アピール」が、アメリカの核兵器不使用に一定効果があったトピックを紹介されていました。お話を聴いていて、タイムリーな展開を把握できてないもどかしさを感じてしまいました。やっぱ、TVや新聞・雑誌などで、きっちりと情勢分析を、自分の目でしないとあかんね。自戒です。「和田春樹が出る講演会なら間違いなかろう」的な人任せは、やっぱあかんね。


2022年 6月 30日(木)午前 7時 30分

 咋日は、とってもせわしなかった日。朝から市民向け公開講演会に出かけ、終わったら、真っすぐ自宅に直行。午後の早い時間にオンライン配信の予約を入れていたのでした。まず、午前中は、アスニー山科での講演会。咋日は、儀式作法研究所代表の岩上力さんの「京の文月から知る暮らしの行事~その感性としきたり~」というお話を聴くことができました。京都に生まれながら、京都の旧い習慣を、存外、知らないことを知った、なかなかおもしろいお話でした。その中で取り上げられた、もちろん文月限定、せいぜい葉月に先立つ慣習を求めるというもの。取り上げられたトピックを拾い上げておくことにしましょう。そういった慣習の狙いは2つ、「家内安全」「無病息災」です。「半夏生(はんげしょう)にタコを食すのは、この日を、田植えを終わらせる目安としたということから。稲が“根付く”ことを求めることが、“タコの足”に繋がったよう」「七夕の基となる乞巧奠は、和歌や裁縫の上達を願うもの、冷泉家で続く」「御霊会は疫病封じ、祇園祭の基、鉾は矛に通じ、矛を66本立てるの“66”は“日本六十余州”で“日本”を表す」「祇園祭の際、“お旅所”に詣でるのは、その間、神がそこに来ているから、期間が終わると、神は八坂社に戻る」「“お旅所”詣は無言詣、これは、結納の際、口上以外一切無言で行うことに通じる」「祇園祭の際、胡瓜を食さないのは、胡瓜の切り口が八坂神社の紋に似ているから、また、鱧を食するのは、“白色”が神の好みであるとともに。“長い”ことが“長生き”に通じるため」「土用は、夏の場合、立秋に先立つ18日間、“土用の丑”は、その間の丑の日、この期間は、土の気が強くなるので土いじり(ガーデニング)をしない、“下鴨神社の足つけ神事”も同様の発想が基」「土用の丑のあんころ餅を食すのは、“甘いもので包み込む”という縁起をかついだもの、“嫁入り饅頭”“葬式饅頭”“産屋餅”も同様の発想、なお、あんころの“ころ”は“ころも”の変化」「おしょらいさん(精霊)=ご先祖を迎える準備が文月の仕事、そして、8/13~8/16に送る、“送り火”となる、浄土真宗ではしない」「7/31~8/1は、愛宕山への千日詣の日、この日に詣でると千日分のご利益を賜ることができる、お札には“火迺要慎”と書かれている、“慎”は特異な字が使われている」。珍しく、質疑応答の時間を取られたので、1つ聞いてみたいことがあったので尋ねてみた。というのも、岩上さんは、元新国劇の役者さん、この講演の冒頭でも、自己紹介がてら、そのお話をされ、前の白板に辰巳柳太郎のお写真を貼られるぐらいだったもので。「辰巳柳太郎と島田正吾が並び立った秘訣は、傍で見ていて何だったか」というのが黄紺の問いかけ。辰巳柳太郎の物真似まで披露しながら答えていただけた。「気が合ったからでしょう」、なるほど、これは、含蓄のあるお言葉と感じました。島田正吾の声色も聴きたかったのですが、こちらは一言だけ。もう少し長ければ、「シマダ!」とどめいていたことでしょうね。晩年の島田正吾、TVで時々見かけたけど、渋くて、カッコ良かったしね。今度、岩上さんに「新国劇をふり返る」なんて講演してもらえばいいのに。アスニー山科に、それだけの度量があるかなぁ!
 午後のオンライン配信は、「2022年度 関西大学 経済・政治研究所 公開講座」というもの。ハイブリッド開催だったもので便乗させてもらいました。お題は「ウクライナ・ロシア戦争の背景と今後の世界」というタイムリーなもの。お話をされたのは、神戸学院大学経済学部教授の岡部芳彦さん。岡部さんは、ウクライナ研究会(国際ウクライナ学会日本支部)会長といった肩書をお持ちの方で、ウクライナの専門家。そんなで、マスコミだけじゃなくて、政治の世界からも、ウクライナ情勢を語ってもらおうと、この間、引っ張りだこの方のようです。ですから、この講演の前2/3は、自己紹介がてら、ウクライナの要人との交流話やマスコミ出演話。恐らく、TV出演が多いでしょうから、多くの人にとっては、その内の幾つもを、TV画面で眺めてきたお話だったのだろうと想像しますが、そして、ここで聴くお話が、そういった体験と重なり、とっても興味深く聴かれてるのは、容易に察しがつくことはつくのですが、TVのない世界で暮らす黄紺には、さっぱり解らない。やたら、延々と続く自慢話にしか聴こえてこない代物で、かなりうんざり。しかも、岡部さんのノリが、日本のものではない、これが、ウクライナ? それとも、その前に浸かっておられたロシア? なんて、そんなことも考えながら、本題に入られるのを待つしかありませんでした。2004年のオレンジ革命で、ロシア寄りのヤヌーコヴィッチからEU寄りのユシチェンコへ。この人が毒物をかけられ顔が変わった人。ユリヤ・チモシェンコ首相は「悪い人」とばっさり。汚職まみれの美人首相だそうです。2010年の大統領選挙では、ヤヌーコヴィッチがチモシェンコを下し大統領に。チモシェンコは、その後、汚職の嫌疑で逮捕。2013年の「ユーロ・マイダン」、「マイダン」が「広場」だとの説明、トルコ語が生きている! ヤヌーコヴィッチ大統領が逃亡した事件。ヤヌーコヴィッチ政権は、非常に権威主義的で、こちらもひどい汚職。300億円かけて、大統領専用のヘリポート建設。ただ、事件の発端は、それまで、EUとの協調路線を執っていた(EUの支援も受けていたが、大統領が私腹を肥やさない方法での支援策をEU側は考えていた)方針の撤回だった。「ユーロ・マイダン」は、途中から過激化。どうなんだろうかな、この運動、どこにでも起こる「煽動集団の入り込み」を想像してしまいました。アメリカの反黒人差別運動が急に暴力行為を行ったり、セルビアの反政府運動が急に過激化したり、どうも煽動集団の紛れ込みを想像してしまいました。ユーロ・マイダンの3人の主役と米国務次官補(ウクライナ担当)の電話会談が盗聴され(そんなことができるのはロシアの諜報機関しかできないと、バッサリ!)YouTubeにアップされたり、米国務次官補が、独立広場で集会参加者にクッキーを配ったりするものだから、ロシアの「陰謀論・プロパガンダ」を喚起する。マイダン政権(移行政権)を「ネオナチ」呼ばわりするようになる。そこで、ヤヌーコヴィッチの逃亡&ロシアへの亡命が起こった。2014年5月にポロシェンコが大統領に。そのポロシェンコを破り、大統領になったのが、現大統領ゼレンスキー。お色気系コメディアンだった時代の映像も紹介されていました。この辺りの略史は、なんとなく解ってたつもり。クリミアでの戦争や東部ウクライナの戦闘は、正規なのに非正規部隊をロシアは展開している。東部のTV局占拠に現れた黒覆面集団もロシアから派遣された的なことを示唆されていました。ウクライナ国内の騒乱に紛れて入り込むロシア軍という印象です。一方、これは双方がと言われていましたが、「プロパガンダ戦争」「上表操作」という言葉を使われていました。プーチンの頭の中については「妄想のウクライナ観」が支配していると。イヴァン・イリインというファシスト思想家の影響が強く、「ウクライナをロシアの外にいることを否定する」考えに支配されており、プーチンの描くウクライナは、黒海への出口も持たない、キーウもウクライナじゃない版図を描いているのだろうということでした。やっぱ、内容が多いのだから、せっかくの講演で一番聴きたがっている箇所はどこかの判断をして欲しかった講演でした。もったいない。なお、音声環境が悪く、レジメのあるところは理解できても、それがない質疑応答は、ほぼ内容は把握できませんでした。


2022年 6月 29日(水)午前 7時 20分

 なんと、昨日、梅雨明けをしてしまった。3日程前から、完全に真夏のお天気だったものだから、それはそれで納得がいくのだけど、こないだ、梅雨入りしたところだよと思ってしまう。僅か2週間の梅雨だったようです。完膚なきまでの気候変動ですな、これ。これで雨が降らないのなら、今度は、渇水で苦労するのが見えている。そんな感じで真夏の一日、今日もお出かけなしの日。一昨日と違い、熱中症もどきのことにはならず、とっても普通に過ごすことができました。先日、D&Sと出かける前あたりから、腰の痛みが取れているのも有難い。僅かだけど、腹筋を鍛えることを始めると、あっさりと、それまであった腰の痛みが消えた。それだけで、ウォーキングが快適だし、日々の動きが楽で、何をするにも快適なのです。これだと、また、日本への入国が緩和されると、外国行けるかなの気になっている。それにつけても、日本の感染者数が減らない。こないだ7千人台になってたかと思ってたら、もう1万に近くなっている。トルコは、増えたと言っても1500人だから、これはひどいと思ってたら、ヨーロッパの増え方も、びっくりした。10万人に対し400人なんてデータを見て、そんな状態になっている。北キプロスは、マスク着用義務復活となっているしね。
 昨日は火曜日ということで、KBS京都の番組2本を、Radikoで聴く日。各々、おもしろかったけれど、落語界情報という点では、なんもないなと思ってたら、「まーぶる」の最後で、二葉が、「CM出演のこと解禁になりました」に、びっくり! 早速、調べてみても判らなかったけれど、そういったときは、いつも覗いているコアな落語ファン氏のTwitterを頼ることになる。末広亭でロケをしたのかな、それとも、似せてセットを作ったのかな? そこで、落語をするという体でのCMでした。二葉が、時々、何をしてきたかを書かないで、東京に行った来たことを呟くときがあるのだけど、そのわけが、数週間後、判明する。今回もそれだった。以前、東京で徹夜をしてきたと呟いていたの、これだったのでしょう。となると、ロケなわけないか、いや、だからこそ、ロケなのかなと、どうでもいいこと、考えてしまってました。「おつかれさん」の方が、情報、多かった。富山での3日間の行程を細かく、言ってました。連続的に、落語会を組まれて、疲れ切ったというトピックです。それと、ウソのようでホントにあったトピック。落語会で、噺家さんの台詞で、「お前、誰や」に名前を答えた客と、「平林」の口演中、舞台に上がり「名前は平林だ」と教えに来た客のこと、作ったやろと思ってしまうネタ、言ってました。どうやら、本当のことらしいです。そのくらいかな。ということは、大したことのない一日でした。


2022年 6月 28日(火)午前 5時 53分

 昨日は、当初、映画の観るつもりをしていた日。でも、もう、朝から出かける気はなし。やっぱ、一昨日の奈良へのプチ旅行が濃密で、まだ、それに浸っているという感じで、行こうという意欲が、さらさら湧いてこなかった。そこで、お出かけなしの何もない1日となった。となると、日に2回のウォーキングは、いつも通り。でも、昨日は、夕方のウォーキングで異変が出てしまいました。ごく軽い熱中症でしょうね、後半になり、様子がおかしくなった。わりかし、風があり涼しいはずなのに、汗が止まらない。それも、ウォーキングの前半は、その真逆で、ほぼ汗が出なかった。いくら涼しい風が吹いてるからにせよ、これも変だった。だから、一変したと言えばいいかな。手持ちのハンカチは、汗で濡れたところがないほど、汗を拭いているが汗は出てくる。マスクをしていることもあり、かなり歩くのが辛い。ウォーキングに出かけるときは、空腹感は全くなかったのに、力が湧いてこないほど、空腹感に満ちている。まだまだ、家に着くのには距離があるところへ、若干、朦朧気味になってきたので、これは、まじ、やばいと悟りました。2年前に、2回、熱中症気味になったことがあるので、様子は判ってる。それに近づいていることは間違いないと思ったので、道端で立ち止まり、マスクを外し、水分を大量補給、そして、横を通る人が少ないところだったので、これ幸いに、しばし立ちんぼをしてました。少し遅かったなとは、後から思ったけれど、これが正解でした。要するに、熱中症って、暑さのため、身体が火照ってしまい、それを冷やそうとしても、汗だけでは足りないほど火照ってしまうということなんですよね。暑さで、体温調整が効かなくなり、汗で冷やそうとしても間に合わず、どんどんと体内の水分が出てしまい、脱水症状を起こしてしまう。こういったディスコースなんでしょうね。これ、1回、経験すると解る。2年前の1回目、いつもなら20分間乗ってる電車内のクーラーで身体が冷え、リセットできて、また、暑い屋外へ出ることができるのだろうけど、そのときは、20分間で汗が引かなかった。結構強めの空調だったのに、おかしいと思ってたら、その後、また暑いなか15分間歩くと、その後は、しばらく動けなくなってしまった。喉の渇きが尋常じゃなかったしね。それで、熱中症が、どないなものか判ったつもりになってる黄紺に、また似たことが起こってしまったのでした。長時間、炎天下歩いたかどうかなんて、関係ない。その日の体調によります。その体調は、把握できない。変調は急に来る。昨日の夕方なんか、無茶苦茶、暑くはなかった、風もあった、なのに、起こるときは起こるって感じなので、変だと思うと、それなりの対応が肝要だと、ようく解りました。でも、そうなったら、「身体を休める」「体温を下げるように努める」「水を飲む、頑張って、たくさん飲む」、これに尽きます。いつか、北キプロスで、また違った意味で、水分補給の重要さを知ったので、常にペットボトルに水を入れて携帯しています。そして、おかしいと思ったら、即、水を飲むことだね。
 お出かけなしの日の定番は、落語とオペラなんだけど、昨日は、落語の方で居眠りの連続。6代目と歌丸の音源&動画を視聴したんだけど、ともに寝落ち。6代目を、まず聴いたんだけど、音響的に悪かったのが災いしたかと思い、ソースを替えてみようとして歌丸にしたんだけど、ダメだった。だから、メモらない。で、気分を変えようと、手持ちのDVDの「ファルスタッフ」に変更。もう、前に観てから1週間以上経っている。その間、観る機会がなかったということ。マエストリ、バーバラ・フリットリと歌える役者を揃えている。ファルスタッフがフォード夫人を求めてやって来るところから観たけど、「やっぱ、このプロダクション、つまらんなぁ」と、ここに来て、以前同様の感想を持ってしまってる。川から上がったファルスタッフの場面もつまらん。ようやく、妖精の森に来て楽しめそうな雰囲気が出てきたところで、時間切れ。この「ファルスタッフ」を観る前に、もう1本、オペラを観ることになっている。昨日、福井の友人から入洛の日の連絡があり、1週間後と決まった。メトのライブビューイングで「ルチア」を観ることになっているので、こちらも、「ファルスタッフ」を観た後に予習することにしましょう。オンライン配信であるかどうか、まだ調べてないので、そこから楽しみが始まります。


2022年 6月 27日(月)午前 7時 13分

 昨日は、久しぶりに、DやSと遊んだ日。黄紺的には、息子の家に行くつもりだったところ、息子から、ミニ旅行をしようとのメールが入った。目的は、近鉄特急「あをによし」に、DとSを乗せるというもの。そのためには、近鉄奈良駅に行かねばならないというので、そこに行くまでが大変。結局、片町線で木津まで行き、そこで乗り換えJR奈良駅へ。京都から、奈良名所に行くには、近鉄電車を使った方が便利というので、JR奈良駅なんて、記憶の中では1回しか行ったことがない。片町線からは、途中、幾つかの駅で近鉄電車に乗り換えることは可能だったんだけど、どうせ、その路線は「あをによし」で通ることになるので、JR奈良駅に向かうことになりました。結果、何十年ぶりにJR奈良駅に降りることができました。まだ木造の駅の時代だったと記憶しているものだから、どれだけ前だか想像するもおぞましいほどの昔に降り立った記憶。なんで、ここへ来たのか、全く思い出せないほど昔です。三条通を歩き猿沢池方向へ。途中、東向き商店街に入り、昼食。息子は、奈良で食事と言えばここと決めているという食堂に連れて行ってくれました。オムライスが美味しい店ということだったんだけど、前日に、ママとオムライスを食べたSは「スパゲッティ」を、食堂に入る前から連呼。迂闊にも、息子が「明太子スパゲッティ」を注文したにも拘わらず、全く反応を示さないS。食べ終わってから尋ねると「辛かった」、でも、美味しそうに、普通に食べていたS、わけが判りません。Dは、毎回食べるという「お子様ランチ」を完食。子ども用にしては結構な量に見えたけれど、完食。食後は、猿沢池の傍らを抜け、興福寺境内へ。阿吽の像を観るほどの時間はなく、結局、公園で鹿に囲まれて、奈良散策はおしまい。近鉄奈良駅構内には、地ビールの自動販売機があると、KBS京都の「おつかれさん」で岩井真美さんが言ってたけど、それを利用させてもらいました。お値段は高いけど、泡が立たないように、コップの角度を2段階で変えるようになってた。それを見ると、ビール代だけじゃないものを感じてしまいました。そこへさして、めっちゃ美味いビールです。地ビールは、名前倒れとインプットされている黄紺には、ありえない美味さではあったけれど、量が少なすぎる。美味しさで割り引いても、コスパは悪いなと思ってしまった。でも、値段はともかくも、美味しいビールを飲みたいという人には、必ず勧めてしまいたくなるほどの美味しさでした。「あをによし」の入線がアナウンスされると、一斉に、ホームに群がる鉄ちゃんたち。多くの鉄は、撮るだけではなく乗ることも楽しむようでした、「あをによし」の場合は。黄紺的には、色を記憶違いをしてはいたけれど、2~3回は、走っている姿を見ているので、その心が腑に落ちなかったけど、鉄には、こういった特別車両は堪らないんでしょうね、そういったことが、直で認識することができました。群がった人たちは、外から、特徴ある車両を追いかけながら写真を撮りまくっていました。外からしか見てないけど、コンパートメントの部屋はゴージャス過ぎました。乗車時間が、もう少し長ければ、黄紺ですら乗りたくなりました。黄紺たちの乗った座席は、窓に向かって並ぶお席。DとSも、お席を1つ確保してもらっていました。一番小さなSが、ゆったりとひじ掛けに両肘をかけて座る姿が可笑しくって。少し体を丸めれば、お席に身体が埋まってしまうほどの大きさなのに、両肘をかけて座るものだから、見ものです。停車駅は、西大寺と丹波橋だけで、京都駅まで乗りました。でも、乗り慣れた路線なため、新田辺駅通過、大久保駅通過となると、既に、終わった感が出てきてしまいますね。京都駅に着くと、普段、行くことのない、一番八条通寄りのホームに入線。すると、こちらにも、カメラを構える鉄と思える人がチラホラ。人気があるのですね、「あをによし」。普段なら、京都駅からはウォーキングがてら歩いて帰るんだけど、DやSがいるということで、折り返し近鉄電車に乗り、途中までお付き合い。既に、車内ではSは寝落ちしていたので、Dとだけバイバイをして、楽しい時間は終わりました。


2022年 6月 26日(日)午前 6時 23分

 週末に入り、翌日には、DとSに会えることになっているので、ウキウキ。外は、梅雨明けのお天気。雨が降るのも嫌だけど、暑いのも嫌。お出かけなしの土曜日だったもので、いつものように、日に2回のウォーキングだけが、外出時間。但し、夜には、「ブラタモリ」の新作が流れる日だったもので、夕方のウォーキングは、前に1時間持ち上げて実施。うまい具合に、「ブラタモリ」の始まる前に、この時間のトルコ情報収集は終えることができ、ゆったり気分で「ブラタモリ」を観ることができた。昨日は、「京都大原編」だった。前半で三千院を出し、声明まで出すというもので、これは嬉しかった。その後、次は、寂光院だなと思っていると、繋ぎに、かなり周到なことをやってくれました。柴漬けを入れ、それに絡めて。大原の地形を触れるとともに、「鯖街道(若狭街道)」のトピックを挿入、赤しそ栽培、大原女とトピックを移し、そこに通底した存在として建礼門院を出し、ようやく寂光院となる運びだったんだけど、この最後に寂光院を持って来るわけ、その場面に来るまで、すっかり失念しておりました。寂光院、火事に遭ってたんだ。そうだった。ようやく、納得。焼けたご本尊の姿は痛々しさが先立ったけれど、胎内仏の存在が判明したということは、災い転じてというやつですね。静かな感動が出る構成に白旗です。
 お出かけなしの替わりに、昨日は、午後にオンライン配信を予約してありますした。毎度、お世話になっている帝塚山大学考古学研究所の配信です。昨日は、「第478回市民大学講座」として、「壬申の乱―大海人皇子のたどった道―」というお題で、大西貴夫(奈良県立橿原考古学研究所調査課長)さんのお話を聴くことができました。6月24日が、後の天武天皇と持統天皇が、東国の支援を頼り、吉野宮を発ち、伊勢に向かった記念の日ということで、それに合わせての企画。「壬申の乱」シリーズを、全部で3回続けるそうですが、その第1回目で、考古学分野担当ということで、昨日の講演が企画されたそうです。2人の道筋は、吉野宮を出て宇陀に向かい、そこから鈴鹿を越え、今の三重県に入ったというルート。それをなぞらえながら、その道筋にある古代遺跡を辿るというお話。そのルートにある遺跡だということは、ルートを指定さえしてもらえれば判ること。でも、お話を聴いていると、各々の遺跡が、2人の伊勢への旅路に、どのように関わったというお話は一切なく進んでいきます。これじゃ、壬申の乱を糸口にして、そのルートにある古代遺跡の紹介に終わりそうと思うと、これは、しんどいと思った。思っただけじゃなくて、身体が反応。睡魔の攻撃には勝てない、これじゃ、勝てるわけはない! でも、最後のまとめがちらりと目に入ったところによると、その穴埋め的なことをされていたようです。でも、眠たくて、見てられなかった。ということで、完全に失敗の巻でした。


2022年 6月 25日(土)午前 7時 39分

 一昨日の夜から、クーラーを入れています。なかなか気温が下がらないものだから、スマホで気温を確認したら、午後9時を過ぎていたのに、28度台だった。「こら、あかん」と、即、クーラーのスイッチ、入れました。つい1週間も前じゃないときに、夜になると冬物のジャージを履いていたのに、昨日、それを見ると、気持ちが悪くなるほど、気温は上昇。完全に、真夏の様相。昨日などは、梅雨の合間で晴れたため、そんな感じだった。で、昨日は、お出かけなしの日だったけれど、夜には、オンライン配信の予約を入れてあったので、午後から前倒し的に動くことで、日に2回のウォーキングの時間を確保。夕方6時以後のトルコ情報確保も、潤沢にこなすことができました。ウォーキングをしていると、屋外では、マスクをしていない人が目立つようになってきました。黄紺は、マスクなしの人とすれ違ったり、人の多いところなんかで、マスクをする手間が面倒なので、常にマスクをしてのウォーキングをしています。暑くなりかけた頃、1~2日は、マスクは鬱陶しく感じたけれど、あとは身体の一部になってしまっています。これは、去年の夏もそうだった。1年目で、すっかりなじんでしまったようです。マスクを顎にしたまま歩いている人、よく見かけるけど、気持ち悪くないんだろうか。顎の下にマスクがあること自体、きしょい! 見るだけで、嫌な感じがしてしまう。
 夜のオンライン配信は、立教大学の21世紀社会デザイン研究科&社会デザイン研究所が主催するもの。これで、立教大学関係のオンライン配信は、2回目となります。今回のお題は「国際社会の危機管理の視点からみるウクライナ情勢」というもの。ウクライナ問題を、しっかりと勉強しようという考えからです。なんせ、TVは観ない、新聞は読まないという生活を送っているものだから、1度くらい、機会を捉えて勉強してもいいかなの気持ちで予約を入れてありました。プログラムは、次のようなものでした。①講演「ロシアによるウクライナ侵攻の国際秩序へのインパクト~国際法の観点から~」(立教大学法学部教授岩月直樹)②講演「国連とSDGsについて」(外務省特命全権大使/広報外交担当兼内閣官房健康医療戦略室次長南博)③講演「人間の安全保障の視点から 難民・避難民問題と戦争犯罪・国際人道法違反を中心に」④質疑応答。①は、国際法の専門家が、プーチンによる戦争、その主張の特徴を語っていただけました。これが、なかなかおもしろかった。せっかく、第2次世界大戦という未曾有の戦争を経験して出来上がってきた戦後の国際秩序の概念をひっくり返すかのような今回の戦争。そのプーチンの語るところは、1つの秩序、しかも、それは、人類が克服してきたと思っていた秩序に回帰するかのような復古調のもの。そう考えると、論理的には筋が通っている、だけど、戦後秩序を経験してきた我々からすると、決して受け入れがたいものではあるのだけど、一貫していることはその通りだという分析です。簡単に言っちゃえば、プーチンの持ち出した国際秩序というのは、今のそれではなく、19世紀のそれだというのです。2つのメルクマールを上げてられました。1つ目は、「国家の基本権としての自己保存権は、他国の領土不可侵権に優越しうる」「他国からの自国領域への攻撃や在外自国民への侵害に対応するため、他国領域における軍事的活動による利益保護を行うことを権利として承認」、他の言い方では、「他国が自国に脅威を与え、安全保障を求めても応じない場合や、脅威を及ぼし続ける場合には、武力によって自国の安全を確保することが自己保存権の行使として認められ、それは当該他国の生存権に優位する」となるもの。2つ目は、「諸国家の間における勢力均衡の維持は伝統的国際法が依拠する基本原理であり、一国が他の諸国の自由を損なうほどに強大化する場合には、それを妨げるために干渉する権利が他国には認められる」というもので、これは、ウィーン会議の原則そのものの考え方ですな。フランス革命が起こる前のフランスの領土は大きかった。だから、ナポレオンという厄介な者が出てきてしまった。「正統主義」で革命前に戻したわけだから、「勢力均衡」で、各国の領土をそれと「均衡」させるために、領土の分捕り合戦をやり「会議は踊った」、あれですね。あの「勢力均衡」を持ち出したんだってこと。冷戦終了後、EUは拡大し、NATOも拡大した。それに合わせて(均衡)ロシアも拡大しなきゃという筋立てです。後先が逆になったけど、1つ目は、東部ウクライナそのものを思い浮かべれば、書き直す手間は不要。第2次世界大戦後は、「基本権としての戦争に訴える権利の否定、武力行使の原則的・一般的禁止」「限定的かつ例外的に許容される軍事的対応としての自衛」が原則化しているので、1つ目に関しては、我々は違和感を感じるということになります。2つ目に対しては、「勢力均衡ではなく国際社会の共通利益に基づく国際秩序」「その役割を担う国連安保理および理事国」という考え方に染まった我々は、これまた違和感を感じてしまう。常任理事国そのものが、こういった国際秩序を壊していくと、戦後の秩序そのものが崩れていく感じがしてしまったわけで、それが19世紀の原理への回帰だったとのお話だったわけです。こないなことを言ってられました。「ロシア外務省はプーチンの演説原稿をそのまま国際司法裁判所に提出」と、要するに、外務省の専門家は、現行の国際法を知らないわけではない、でも、それが言えない、ならば、そのまま出そうということにしたのではと、ありえないことが起こっていることの証左だと言われていました。まとめとして、「国際法のあり方自体に対する挑戦、19世紀的秩序に引き戻そうとするもの」であるが、「国際法というものは、あくまでも仕組み、それを動かす人々の意志が重要」と言われていました。②は、国連でのお仕事が多かった外交官のお話。安保理が機能していないからと言って、国連そのものが機能していないわけではないというお話が、ポイントの1つ。国連には、1950年に採択(朝鮮戦争時に決議、第2次中東戦争で初適用)された「平和のための結集」決議というものがある。この決議の発動によって、「緊急特別総会を開催し、決議を採択することができる」システムになっており、今回も、3本の総会決議が採択されていると言います。また、安保理が機能していない場合、「同志国連合作る」「他の国連機関に頼る」という手があると言われていましたが、じゃ、開戦後4ヶ月が経て、そうなっているのかと思ってしまい、絵空事のように思えてしまいました。南さんは、東チモール大使の経験を持たれていることで、東チモールの独立に至ることの復習をされていましたが、侵攻をしたインドネシアも、侵攻した時期と、それ以後の体制では変化があり、また、アメリカやオーストラリアが動けたということから考えると、ロシア相手に、類比的に考えるのには無理があるように思えました。そして、南さんのお話は、SDGsへ。SDGs採択に関われたからということのお話であると同時に、国連というものの性格を知るケーススタディとして聴けば、首肯できる展開だなと、無理やり合わせて聴いていたけれど、大事な点は、「国連の政府間会議は主権国家の集う“場”であるということ(ウェストファリア条約以後の原則)」「その“場”で国際世論が形成され、主権国家に圧力をかけることはできる」「その“場”に対し、各国国民らが影響力を及ぼすことができる(グレタ・トゥーンベリがその最たる例ということなのでしょう)」ということで、国連を過大評価してもいけないし、過小評価してもいけないというのが結論となっていました。そして、「声を上げることで、ロシアのようなことをさせない、ロシアの考え方を受け入れない態勢を作る」ことが大事だと。③では、「人間の安全保障」という言葉を初めて聴きました。その構成要素は3点、「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」「尊厳とともに生きる自由」。それらが、この戦争で損なわれているという実態の確認、また、それ故に発生している難民の実態、広く、難民問題について言及がありました。難民というタームで忘れがちになるのが「国内難民」ですね。このような被害が出ている背景として、「深刻な国際人道法/武力紛争法違反」というタームを使われていました。戦争にもルールがあるが、それが守られていないというやつです。対人地雷やクラスター爆弾という武器のお話を具体的に上げられていて、そういった「国際人道法違反を止める方法」に進んでいったけれど、どんどんと空しくなって行くばっか、ですね。「これ解ってたら、戦争しないよ」と突っ込むのすら空しくなるばかりでした。ウクライナ戦争そのものに切り込むものでは、そもそもなかった講演会でしたが、黄紺的には、①の分析に興味が持たれました。②③は、言われてみればそうだよな的なことで、判っていることをまとめていただけたかなという内容で、お役立ちであることは間違いないこと。そういったことで、これはこれで、勉強になったと思っています。


2022年 6月 24日(金)午前 7時 5分

 昨日は、雨の不安のない一日、でも、蒸し暑い上に、気温も高い。涼しいはずだった屋内でも、蒸し暑い。ぼちぼち、クーラーのお世話にならなければならない季節となってきました。実際、夜になっても、気温が下がらないものだから、短時間、クーラーをかけてしまった。初の熱帯夜だったようです。一晩中、窓を開けっぱなしで寝た、最初の夜となりました。
 昨日は、お出かけありの日。午後だったので、午前中に、いつもより早めに出かけて、いつもの8割程度のウォーキング。時間を確認して出かけたはずだったのに、のんびりと歩いてたのかな、時計を見て、慌てたけど、予定通り、出かけることができました。昨日は、コラボしが21という、びわ湖ホールの真ん前のビルで、滋賀県文化財構座、題して「花湖さんの打出のコヅチ」がありました。昨日のお題は「延暦寺の阿弥陀八大菩薩像について~令和3年度滋賀県新指定文化財紹介①~」で、滋賀県文化財保護課・県立琵琶湖文化館の古川史隆さんのお話がありました。今回の中心となる阿弥陀八大菩薩像は、高麗仏画だと、この構座の概要に書かれていたので、かなり楽しみにしていた講演。でも、そういったときって居眠りするんだなぁ。開演を待っている間も、暑いなか大津まで行ったからか、結構、ぐったりしてたのが効いたみたい。やばいと思ってた通り、開演直後に寝落ちしてしまったため、この仏画に描かれている阿弥陀如来像と、その下部に描かれた8人の菩薩像の描き方の特徴についてのお話、その背景にある華厳思想の紹介という、このお話のベーシックな部分を聴き逃してしまった。丁寧なレジメをいただいているのだけど、仏画を観るときのタームが判らない、使われている漢字の中には読み方すら判らないものも、ちらほら状態なため、レジュメでのカヴァーは無理。ただ、高麗仏画の特徴として言われている事柄との照合や、似た構図の他の仏画との比較対照をされたときに、その寝落ちしていたときに語られたであろうことが、頻繁の出てきていたので、少しは挽回できています。高麗時代に作られた大蔵経の版木(海印寺/ヘインサ所蔵)は、韓国が誇る世界遺産だということを想起するだけで、高麗時代も、それ以前同様、篤く仏教が保護されていることは、簡単に判るのだけど、じゃ、高麗仏画の特徴はとなると、さっぱり判らない。でも、ここは覚醒していたから、大丈夫でした。高麗が馴染みがないと思われたのか、えらく丁寧に、高麗とはから話されていました。主に仏画に関するポイントをメモっておきます。「高麗時代は華厳思想が東アジアで流行った」「華厳世界の教主が毘盧遮那仏、釈迦、薬師、阿弥陀などの仏国土らが包摂される」「阿弥陀如来の極楽浄土が華厳世界の入口、極楽浄土への往生が重視されたため阿弥陀如来に関する図像が多い」「阿弥陀如来像以外では、水月(楊柳)観音像、地蔵菩薩像の図像が圧倒的に多い」「中心となる尊像を大きく表す傾向」「限られた図像の使い回しが目に付く、元による圧迫が原因か」「表現技法の特徴、原色(朱、緑青など)の多用、細密な描線、金泥の効果的な使用」「1300年前後を境に様式の変化、後半になると、色彩の調和を欠き、金泥の多用や文様の煩雑さが看られる、硬直化した形式主義に」「制作背景や目的で、宮廷様式、寺院様式、民衆様式に分けられるが、延暦寺ものは寺院様式」「日本への伝来のわけは不明だが、西日本に偏在」。これらを踏まえて、延暦寺ものの細部(阿弥陀如来の眉、着衣、袈裟の裾など)から判断して、1350年前後の制作だったろうとの結論でした。1つの基準は、「1320年」との年号明記のある奈良県の松尾寺ものとの比較考証が大きいようでした。また、この阿弥陀八大菩薩像が、延暦寺に伝来されたわけの探求では、箱書に「伝教大師最澄の筆」となっていて、本尊として守られてきたことが判るということでしたが、それは、伝来の事実ではないわけですから、そのように伝えられ大事に扱われてきた図像だということですね。このお話で知らなかったことばっかりだったのですが、1つ、大事なこと知りました。ヘインサにある「高麗大蔵経」は、一旦、モンゴルの襲来時に消失しており、留守府にいた高麗王が、再び制作を命じて出来上がったものが残っているということでした。「毘盧遮那仏」が偉いんやということで調べてみると、これが、密教では「大日如来」になるということで、「密教の本尊」「一切の諸仏菩薩の本地」となっています。ほんの僅かだけど、知識が増えました。もっと以前に知っておかねばならないことでしたね、これらの情報。


2022年 6月 23日(木)午前 7時 30分

 昨日は、午後に京セラ美術館に行った日。最初は、映画を観るつもりをしていて、乗っていく電車まで決めようかというときに、さほど乗り気になっていないことに気づき、ふと、他のことを思い出した。先日、京都文化博物館の「梥本一洋展」に入ったとき、ギャラリートークをされたキュレーターの方が、「梥本一洋の最高傑作とされている作品が、今、京セラ美術館で展示されている」と言われたことを思い出した。「行かねばならないとこ、あるやん」ということで、急遽、予定変更。午前中のウォーキングはいつも通り、そして、夕方のウォーキングは、美術館への往復を充てることで、1日分は確保。で、今、京セラ美術館では、「2022 春期コレクションルーム 特集“絵になる京都”」という展示が行われています。所謂、所蔵品展です。そこに、件の梥本一洋の作品が展示されていました。それは、「餞春」という作品。舞妓さんの赤い着物、背後の鴨川の風景が、青と緑で表されるという、らしい作品なんだけど、背後の風景がごちゃついているようで、あまり好きにはなれませんでした。あと「送り火」という作品もあったのですが、こちらも風俗画。梥本一洋に多い大和絵風のものはなく、ちょっと寂しい気分。いや、周りの作品群に圧倒されたと言えば、いいかな。いきなり目に入るのが、菊池芳文(楳嶺四天王)の「春の夕・霜の朝」。八曲一双の屏風絵、大作です。左に冬の冷たさ、でも、鳥の生命力で、仄かな春を感じさせ、右には、冬から抜け出した早春の風景が描かれていました。その繋ぎは渓流。考えてみれば、時間の流れが、右から左ではなく、左から右に流れているというもの。自然の闊達な営みを感じさせるに十分な秀作だと思いました。昨日は、この絵を観れただけでも、十分、元を取った感じ。「餞春」と同じ部屋には、日本画の大家の作品が並んでいました。春の雨をテーマにした作品3点が気に入ってしまいました。板倉星光(菊池契月門下)の「春雨」は、舞妓が離れへの廊下に佇む構図、細い、長雨と見える雨が降っている。かなり、しるっていう風情が、余計に舞妓の内面に迫ってる。久保田米僊(べいせん/写生派)の「雨やどり」は掛軸に描かれたもの。田舎道の傍らにある蔽いに貴賤・男女問わず、雨宿りをしている。前の道には、雨の中でも歩く人、牛を連れる人が描かれている。その道を行き交う人がいることで、えらくリアリティがある。谷口香嶠(こうきょう/楳嶺四天王)の「實方花下避雨図」。掛軸の縦長という形を活かして、木の下に潜む實方、そこに向かい走り込もうかという下男らしき男は縦に描かれている。雨にたじろぐ姿に、實方の人らしさを感じさせます。縦の動きは意表を突かれてしまいました。竹内栖鳳(楳嶺四天王)「驟雨一過」。雨中、瞬間、飛び立とうとするかの1羽、毛ずくろいをするもう1羽の、瞬間の姿が絵になっている。焦点が2羽の鳥に当たり、また、雨のせいか、背後がぼかしてある。余計に瞬時だと思わせられてしまいます。雨から離れて、気に入った2点。1つは野添平米(菊池芳文・契月の門人)の「内海春色」。瀬戸内の穏やか光景。気温の温暖さまで感じさせます。癒し系作品でした。そして、これまた、本日の秀作、菊池契月(菊池芳文の女婿)の「散策」。着物を着た若い女性が、2匹の犬を連れてのお散歩姿が描かれている。おかっぱ頭に、上部に描かれた風に軽やかに揺れていそうに見える、薄い黄緑の葉を持った枝が、とってもモダンな印象を与えてくれる。2匹の犬が女性を引く力も、なんか可愛い。「帝展」に出品された作品だそうだけど、観た人は、「誰か知らない新人が描いたと思った」というほど、発表されたときには、意表を突かれたと、傍らの解説文に認められていました。至極、納得です。丹羽阿樹子(上村松園門下)の「遠矢」は、若い女性が、大きく弓を射る絵。これもモダンだけど、弓を射るという構図が、モダンさを出すには、あざとく見えてしまいました。目立つ絵だけに、メモっておきます。「絵になる京都1 画家の視点」というコーナーが、続いての部屋。こちらに、梥本一洋「送り火」があったのですが、目に残ったのは、大原を描き続けたという小松均の「夏山」の黒い強い線が印象に残った程度、あくまでも黄紺的にはという話ですが。出品リストに取り上げられていた千種掃雲(そううん/竹内栖鳳&浅井忠門下)の「ねざめ」は、取り上げられていたほどの風情、なかでも、指摘されていた「浴衣の量感」を解らなかったことが、逆に印象に残ってしまいました。「釉薬の彩り 宇野家の作陶」コーナーを経て、「絵になる京都2 鮮彩な工芸」で観た伊砂利彦の「平等院」が、何で、このコーナーにあるのか訝しげに傍らの解説を読み、びっくり! 「ろうけつ染め」とあったからです。もう宇宙的世界です。で、他の作品も、同様にチェック。小合友之助の「山水(比叡山・桂川)」、皆川泰蔵の「京都」、井隼慶人の「祇園祭」も、全部、屏風に設えられた「ろうけつ染め」でした。驚いたなぁ。「絵になる京都 3 光そそぐ風景」が洋画コーナー。浅井忠、鹿子木孟郎、安井曽太郎、須田国太郎、伊藤快彦といった大家の作品が並んでいたけれど、小物が多く、さほど印象に残らなかったのでスルー。「モチーフとしての京都市美術館」のコーナーがおもしろかった。森村泰昌作品があったから。なりきりもの2点、「Fishes (TAMAKI)」「リタ・ヘイワースA&B」。前者は、玉城末一の静物画「魚」に侵入したもの。籠からはみ出したタコになってました。後者は、京都市美術館の古風な階段を活用した美人もの。各々の制作についての森村自身の語りの映像が添えてありました。そして、ラスト、入口でもある部屋、反対側に菊池芳文の大作のある部屋に「魅せる初夏の工芸」コーナーがあり、おしまい。この「コレクションルーム」、年4回、異なった展示をするようです。いいこと知りました。これから、展示替えがあるたびに、お邪魔をすることにしましょう。ええもん、観れます。とっても勉強になります。


2022年 6月 22日(水)午前 6時 43分

 昨日は、朝から雨。夜半になり、雨脚がただならぬ様相。滝のような音がしていた。ここ数年、こういった豪雨系の降り方に出逢うことが多すぎます。幸い、黄紺が、ウォーキングをした時間帯は、ほぼ止んでいたり、傘さしでも、十分にウォーキングができる状態だったので、日頃のルーティンにしているウォーキングは、いつも通りにできた。そんななか、昨日は、朝から鬱陶しい日、1年で、一番、鬱陶しい日と言っていい。恒例の胃カメラ検査を受ける日でした。先日、肩が痛くなり、鎮痛剤を処方していただいたときに、毎年のことだから、掛り付けの医師の方から予約話を持ち出していただいたので、日程は、かなり以前から決まってたけど、日が迫ってくると、嫌なことには変わりはない。今回もそうだったけれど、今まで受けてきたときによくあった、カメラが喉元を通るときの苦しみは、一切なかった。それだけ、しっかりと麻酔が効いているのか、こちらの身体の反応が鈍くなり、それと麻酔が相俟って、何も感じないままだったのかは判らないけど、「これは楽勝」と思っていたところ、頭をかすめるのが去年の検査のときのこと。最後、「終わります」「抜きます」の言葉を聴いてから、えずきっぱなしだったことを。今年は、ラストではなかったけれど、それに近い、だけど、時間は短く、えずきが来てしまった。十二指腸にカメラが入るときって、操作方向が変わるのは、毎度のことだけど、そのとき、食道に管が触れたのを感じたのがまずかった。やっぱ、最初から最後まで無事ってこと、まだ、1回だけです。検査の結果は、今までと同じ、ポリープはあるけれど、悪性ではない、胃炎が起こりやすい構造になってしまってるということで、「ま、毎年、観ておくことですね」で、こちらは終了。胃カメラ検査の前には、エコー検査を受けたけど、ここで、今まで聴かなかったことを3点、言われた。その内の2点について、「今まで聴いてない、初めてのことです」と言うと、「去年の画像には映っているので言わなかっただけです」「気にすることではないです」ということだったけれど、検査後に何か言われると、素人はびくりとする。同様のことだけど、黄紺的には、一番気にする臓器で、それを言われたのが3点目。やっぱ、膵臓のこと言われると、ドキッとする。膵臓炎だけにはなりたくない、だって、経験者なんだもん! 今まで経験した「2大激痛」、その1が膵臓炎、その2が腰の激痛、いずれも救急車の世話になった。そんな経験があるものだから、膵臓には敏感。十二指腸への出口が「広い」と言われたのです。だと、頭をかすめたのは「アミラーゼの出方が多くなる」のではということ。なので、そのまま尋ねました。即座に否定されたので、ホッとしたけれど、そして、前の2点同様、「気にすることはない」とのことでした。加齢によることのようです。パーツごとに、加齢とともに、疲れが出てきているのでしょうか?
 昨日は火曜日ということで、最近の定番「まーぶる、ご陽気に」を昼間、夜は「吉の丞のおつかれさん」を、Radikoを使い聴いた。「まーぶる」の方で出してくれた落語界に関わるおもしろ情報が、とってもそそられた。まず、二葉が、先日、突如、自身のTwitterを使い、トークショーを行うことを告知。あっという間に客席は埋まるのも、最早、定番。黄紺的には、あまりにも突然だったので、「何か話したいことが出たんだろう」「何だろう?」と思っていたけれど、それが判明したのです。二葉曰く「偏差値37の高校」での日々を語ろうというのです。今まで、小出しにしていたトピックを、一挙に全面公開の様相です。その一部でしょうが、番組内で話していたけれど、これはぶっ飛んでいる、確かに。更に、そういった高校時代の同級生との付き合いが続いているというのが可笑しい。横で聴いている馬場さん、笑いっぱなし。こういったガラの悪いエピソードを持っているのが、何かにつけ、二葉の財産のように思えてきます。次いで、昨日は、ゲストに桂弥太郎が出てきた。この度オープンする「西陣寄席スペース」の宣伝をするために登場。そして、弥太郎が連れてきたのが、このスペースの発起人。ところが、この人が、二葉と旧知の間柄だった。というのも、この人、二葉の師匠米二の落語会を、幾つか催行されてる方。だと、黄紺も知ってるかなと思ったんだけど、この番組に出た記念写真を、弥太郎がTwitterに上げている画像に映ってたけど、知らなかった。でも、それで納得。このスペースについて、弥太郎が動いていることは知ってたんだけど、それも、「なんで?」があった。弥太郎が、こういったプロデューサー活動をしようとしていることを知っているというのは、それなりのディープな落語ファンでないと知らないからねと、黄紺は思ってる。落語家さんのブッキングで会の開催ではなく、スペースを用意して、そこのプロデュースをするというのは、正に弥太郎がやりたがっていたこと、そのために、米朝事務所をやめ、自身のTwitterも、噺家としての呟きを止めた男です。でも、それを知ってるのは、限られた落語ファンのはずと、黄紺的には思っている。だから、納得できたのでした。弥太郎曰く、「今日は、二葉さんへの出演交渉も兼ねて来ました」。さすが、この2人に求められれば、出演は快諾でしょう。「おつかれさん」では、吉の丞が、米朝門下の年季明け間のない噺家5人を紹介してました。九ノ一、源太、二豆、弥壱、天吾の5人です。月曜日の「ワールドニュース」で、米紫に、このYouTube動画で喋ったことと同じことを、ラジオでも喋ってると突っ込まれていたので、この話が始まったとき、「1人を5倍にして米紫の突っ込みをかわそうとしてる」と思った。というのも、YouTubeでは、天吾だけを取り上げていたのです。ま、二豆と弥壱はいつも話題になってるので、それに、米朝事務所所属でない一門の2人(九ノ一、源太)を加えて色を着けたというところでしょう。天吾に関しては、やっぱ「孫は可愛い」と見えて、南光が、年季明け早々に、自身の出る番組に出しています。ま、それが、吉の丞が取り上げるトピックなんだけど。そう言えば、枝雀が、自身の孫弟子に当たる南天を、「らくだはん」と呼び可愛がった、枝雀独演会で、南天は「動物園」を出すのが定番だったという、懐かしいトピックを思い出してしまいました。確実に、師匠から弟子へと、こういった面でも受け継がれていっています。


2022年 6月 21日(火)午前 5時 10分

 つい先日まで、屋内に入ると、気温が低く、部屋にはトレーナーなんかまで置いていたのに、今は不要になってしまっています。毎年、6月半ばに起こる変化。急にスイッチが入り、同じ部屋にいると、暑くて仕方なくなる。クーラーをかけるとまではいかなくとも、薄っすらと、そういったことも頭をかすめるようになってきている、そういった気温上昇です。ルーティンにしているウォーキングをするのも、疲労が簡単にやってくる。汗をかく。まだまだ、暑くなるだろうに、今から夏バテ気味。
 昨日は、映画を観る日に充てていた。ヤン・ヨンヒ監督の新作「スープとイデオロギー」を、京都シネマで観てきました。「ディア・ピョンヤン」で衝撃的な出会いがあってから、いつかは出てくるだろうなとも思えていたオモニの物語です。「ディア・ピョンヤン」で、総連幹部だったアボジの本音を引き出し、でも、そのアボジ以上に、徹底した総連幹部だったというオモニの出自に迫る作品です。既に、アボジは亡くなっています。息子3人を北の帰国事業に送り出したことの後悔を口にするという映像を撮った数日後に、アボジは倒れたと伝えられています。今回の映画では、そのアボジの映像が冒頭に出てきます。ちょっとした「ディア・ピョンヤン」の復習でもあり、この映画のネタ振り的なものから始まりました。この映画では、新たな登場人物が出てきます。ヤン・ヨンヒ監督が結婚した夫荒井カオルさんです。結婚をしたという話は、ロームシアターであったトークショーで聴いていました。その荒井カオルさんが、結婚の挨拶に、オモニの家にやって来る、その日に合わせて、鶏丸1匹に、参鶏湯の要領でニンニクなどを詰めて煮込む料理を作る。アボジもオモニも結婚相手には日本人はダメと言いながら、そのようにして迎える光景。その後、何度か、この鶏丸1匹スープを煮込む場面が出てきます。和解の象徴のように見えます。これも、後半のネタ振りと言えば、いいでしょうか。そういった、新たな家族との場面の狭間に挿し込まれるのが、オモニのチェジュドでの「4・3事件」体験。体験は語られるのだけど、オモニが「在日」であるわけが、よく判らない。確か、日本生まれと言ってたように思うのに、何でチェジュドが出てくるのか、その辺は伏せたままに、チェジュドでの体験、そして、それが基で日本に渡航してきている、また、オモニには、アボジではない婚約者がいたらしい。これらが、全て、ネタ振りとして、仕込みとして、荒井カオルさんを交えた新たな家族生活の中で挿し込まれていきます。もちろん、ヤン・ヨンヒ監督&荒井カオル夫妻は、普段は東京住まいで、定期的に大阪に帰って来るというスタイルで、アボジが亡くなってからは、オモニは、普段は一人で住んでいる。そういったある日、韓国から「4・3事件調査団」の人たちが聞き取りにやってきます。コチャン(居昌)事件でもそうだったように、韓国建国時に発生した白色テロ系事件に対する、国家による謝罪、調査、負の遺産として継承していこうという事業が、この「4・3事件」についても行われているのです。そこで語られる赤裸々な体験。オモニは、正に、「4・3事件」の渦中にいたのです。婚約者は、「山に籠る」と言って去って行ったのが永遠の別れとなったということです。終盤、婚約者は山で亡くなったことが判ったとが、ヤン・ヨンヒ監督の口から明かされます。身寄りの人が見つかり、オモニの存在を覚えておられたそうです。しかし、この調査を受けた日を境に、オモニの痴呆症が、加速度的に進行します。ここから、その対策話、介護の姿が、映像の中心になって行きます。そういったオモニを、終盤、ヤン・ヨンヒ監督夫妻はチェジュドに連れて行きます。朝鮮籍の人らにも、韓国入国のための特別ヴィザを発行すると、韓国政府が発表したからです。「4・3事件」の追悼式典に合わせて渡韓する3人。その前に、アニメを使い、「4・3事件」に重ねて、オモニの歴史が振り返られます。これで、全てが判ります。オモニは、「4・3事件」の最も深刻な地域にいた。婚約者が山に向かったとなれば、オモニも危ないということで、日本への密航の手配がなされ、その港まで、18歳だったオモニは、弟と妹を連れ、30㎞を歩いて移動して、船に乗り込み、戦後、戻っていたチェジュドから、再び、渡日した。これが、オモニの歴史だった。でも、オモニの記憶は残っていない。苦しかったことを、痴呆により忘れられる、でも、せっかく戻ってきたチェジュド、複雑な思いが交差します。聞き取り調査に来た人たちが詰める事務所を訪問したとき、ほぼ記憶が消えているオモニに替わり、ヤン・ヨンヒ監督が語ります。「4・3事件がここまで酷いものだったのかと、今まで考えられていなかった」「そのことが、総連幹部として邁進する原動力となっていた」「北に行った息子や家族に仕送りを続けていたオモニを、自分の中で責め続けていたけれど、事件の様相を知れば知るほど、そういった自分の態度に、オモニの態度に、どのように考えればいいのか、困っています」。韓国政府は、亡くなった人たちの墓碑銘を作り、また、凄惨な事件の起こった場所を保存していると、映画で知りました。でも、ここまで大状況に翻弄された人間に癒しにはなるとは思えないですね。実際、亡くなった婚約者縁の人は、その婚約者の名を墓碑銘に刻む登録をしなかったそうです。ドキュメンタリーだけど、構成がうまくできているので、驚きや感動といったものの大きさが、嫌が応にも増していく感じがしました。


2022年 6月 20日(月)午前 7時 4分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。だけど、朝からは、お楽しみの「日曜美術館」の新作が流れ、午後には、オンライン配信の予約を入れていた。だけど、「日曜美術館」は大正解だったけど、オンライン配信は、完全な外れ。何度か、途中で止めようかと思いながら、最後まで行ってしまった悔しさ。ま、最後は、PCの画面には、トルコ・サッカーの追いかけをしていたのが、せめてもの慰め。でも、耳は、そっちに行ってた、音楽かけておいた方が、ストレスにならなかったかも、というところでした。
 「日曜美術館」のお題は、「ジュアン・ミロ 日本を夢見て」という、意外な組合せに驚いたけれど、「ミロは解らない」の思い込みがあるので、好奇心が、さほどそそられたわけではなかった。こう見えても、ミロは、たっぷりと観ている黄紺なのです。というのも、「ゲルニカ」の展示されているソフィア王妃芸術センターでの展示は、「ピカソ・ミロ二人会」という風情だったのです。この2人のための美術館かと、一時は思っていたのだけど、そうでもないらしいですね。でも、黄紺が行ったときは、そうだった。「ゲルニカ」に圧倒されて、ふと目をそらすと、そこには、ミロのふざけたような絵が並んでいるという具合だった。常時なのかは別にして、この2人を並べるわけを、実は、昨日まで知らなかった。それを知ることができただけで、この番組を観た値打ちというものがあります。ミロは、カタルーニャのバルセロナ生まれ。1920年にパリに出てからも、故郷のカタルーニャのモンロッチとを往来しながら制作をしていたが、そういったなか、ボクシングジムでヘミングウェイと知り合う。スペイン内戦が始まると、ヘミングウェイは、義勇兵として参戦したことは知られた話、ミロは、共和国軍支援の活動をするが、フランコが勝つと、ノルマンディーへ逃れ、更に、妻の故郷マジョルカ島に身を隠すといった経歴を持つ。これって、ピカソに通じるものがあります。そこで、「二人会」は納得。画家志望だったミロは、父親に認めてもらえなかったが、チフスに罹ったことで、父親も認め、恢復後から絵に専念。初期の絵は、具象絵画、でも、ミロはデッサンが下手だった。色彩感覚は目を見張るものだったことを看て取った絵の先生が、「目隠しをして触った感覚で描きなさい」と言ってくれた。なんて、凄い先生なんだ! そこで才能が開花、パリに出かけ、そこで、アンドレ・ブルトン、マン・レイに出会い、シュールレアリスムの道へ。番組で扱われた作品をメモっておきます。①アンリク・クリストフル・リカルの肖像(24歳のときの作品、背景に浮世絵、キュビスムの影響)②ンブラナ村(モンロッチ地元の風景、歌川国虎の作品「近江八景」に似る)③花と蝶(火花といった風情、モチーフが各々平面的、葉っぱを正面に向けて描いている、図鑑風絵画)④ゴッホ「草むら」(1本1本描き分けるという細かな日本絵画の影響を示すもの、③が日本絵画の影響を受けていることを示すために)⑤農園(ゆうかりの木の葉っぱ1枚1枚まで細かく描く、ばけつ、じょうろがモデルみたい)⑥パイプを吸う男(カタルーニャの農夫を描く、黄色が煙、ミロらしい絵、削ぎ落した結果、線だけが残っていく、俳句の影響?)⑦****(帽子が浮いてる絵)⑧焼けた森の中の人物たちによる構成⑨スペインを助けよ(切手として制作、描かれている赤い帽子はカタルーニャの帽子)⑩人物たち(1940年の作品? 色彩なし、生命力なし、冨永愛曰く「線を引っ張るとバラバラになる顔」)⑪ゴシック聖堂でオルガン演奏を聴いている踊り子(⑩の3年後、可愛い触覚、優しさばかりを感じる目、黒目が上か左、滞在先のマジョルカ島のパルマ大聖堂のオルガン演奏に癒されての作品)⑫瀧口の色紙に描かれたクレヨン画(瀧口修造は、世界で初めてミロ論書く、1940年のことだった)⑬無垢の笑い(1966年、初来日して、瀧口修造と会う、そして、再来日が、大阪万博のとき、その大阪万博のために描いた作品、76歳、まだフランコ政権時代、640枚の陶板に描いた巨大作品、来日時、万博会場の通路に描き出したときの映像も流れた)。この番組は、MCの2人が、愛知県美術館を訪ねたのものでもあった。このあと、富山県美術館に巡回すると出ていたので調べてみると、この美術部には、瀧口修造コレクションが収蔵されているという縁があったようです。この夏、富山に行ってみるかなと、ちょっとだけ、思い出しています。通過したことしかない町だから、旅先としてはいいところでもあるのですが。
 問題の午後の配信は、京都産業大学ギャラリーで開催中の「第25回企画展“女子宮廷装束の華”」関連企画、シンポジウム「平成と令和の大礼を振り返る」。会場と配信と併せてのハイブリッド開催ってやつです。プログラムは、次のようなものでした。講演①「外部から学んだ大礼」(所功:京都産業大学名誉教授・京都宮廷文化研究所特別顧問)、講演②「内部から支えた大礼」(楠本祐一:前宮内庁掌典長)、③トークセッション「平成と令和の大礼を振り返る」(登壇者:所功、楠本祐一、久禮旦雄:京都産業大学法学部准教授・京都宮廷文化研究所代表理事)というものでした。おもしろくなかったというのは、①でのお話の中心は、京都に都を戻せということ。②では、宮内庁で仕えた現上皇の人柄の素晴らしさ。これを、③でも語り続けるというものだったこと。それはそれで判った話だから、それって、企画展関連のシンポジウムで言うこととは思えず、落胆。もっと、学際的な情報をもらえるのかと思っていた自分が浅はかでした。楠本さんのお話の中で、宮中の儀式で、明治を境にして、更に、戦後、それも、時間が経つにつれ、女性皇族の地位が上がってきているということ。伝統とのすり合わせをしているトピックは興味が惹かれました。そういったお話を聴きたかったのにと、突っ込みまくりでした。


2022年 6月 19日(日)午前 7時 52分

 昨日は、午後にシンポジウムへの参加が申し込んであった日。上手い具合に、午前中に時間が取れたので、いつものようにウォーキングはできた。無茶な気温の上昇はなかったけれど、かなり湿っぽくって、ぼちぼち屋内でも、臨界点を超えて、暑さに耐えねばならなくなりそうです。ここから、3ヶ月、暑さに身を委ねる日々が続くことになるようです。そのシンポジウムは、久しぶりのキャンパスプラザ京都であった、京都橘大学女性歴史文化研究所主催のもので、「考古遺物からみる先史の女性・子ども・家族」というお題の付いたもの。想像を超えるお題に惹かれて申し込んでありました。同研究所のこのようなシンポジウムは、コロナ禍前に1度行ったことがあるのですが、そのときは、確かイギリスやフランスがフィールドだったのですが、えらい変化に頭がついていかないけれど、これはこれでおもしろそいうだったのだけど、昨日は首が痛くて、手術の後遺症による猛烈な肩こりの酷いのが出て、かなりきつくて、特に前半、少しでも肩こりを和らげようと、首をぐるぐると回していたら、それが気持ちよかったのか、知らない間に寝落ちしていて、前半を、あまり聴けていないという情けないことになりました。そんなで、メモれる範囲でメモっておくことにします。プログラムは、次のようなものでした。講演①阿部千春(北海道庁縄文世界遺産推進室 特別研究員/元函館市縄文文化交流センター館長)「縄文時代の家族と母性~北海道の縄文遺跡を事例として~」講演②中久保辰夫(京都橘大学文学部歴史遺産学科准教授)「古墳時代の家族・ジェンダー~近畿地方の事例を中心にして~」③パネルディスカッション(参加者:講演者2名、増渕徹/京都橘大学文学部歴史学科教授。珍しい縄文時代をテーマにした、しかも、北海道の歴史を聴けるということで楽しみにしていた①がダメだったということです。特に、遺跡紹介が全滅の憂き目、後のパネルディスカッションで、家族関係の心性に関わる遺物が話題になっており、でも、判らなかった悔しさが残ります。そういった上でのメモです。「日本列島が大陸と繋がっていた時代、海面が下がっていた時代、でも、津軽海峡は海峡だった、そのため、津軽海峡を境にして生態系が異なる、マンモスは北海道にはいたけれど、本州にはいなかった、替わりにナウマンゾウがいた」「1万5千年前に温暖化に移行、自分の周りにあるもので生活できるようになり定住生活に入った、これが旧石器時代から縄文時代へ入ったときの変化」「定住生活に移行したことで、家族や集団の絆が深まり社会が安定」「足形付土板、これが話題になっていた遺物、子どもの足形(大きさから判断)を押し付けた粘土板、親が子どもを思う気持ちの表れ(垣ノ島遺跡)」「四肢骨の細い人骨、幼い頃に筋萎縮症に罹った人骨、集団内でのケアが想像される(入江貝塚)」「廃棄の場に儀式の痕跡と人の墓、自然界の全てに感謝の気持ちが読み取れる(北黄金貝塚・大船遺跡)」「大規模な共同墓地、祖先崇拝の醸成に繋がる(キウス周堤遺跡)」「広い範囲での交易が確認できる、秋田のアスファルト、糸魚川のヒスイ(ブラタモリでこの交易について言ってました!)」「出土してくる土偶は女性像として作られるが、時の経過とともに性を超越した造形となる、ほとんどの土偶が壊れた状態で出てくる、国宝となった中空土偶の検査で、壊れやすいように作っていることが判明、土偶の故意破壊だとすると、“土偶作り(生)→破壊(死)→再生”という精神性が想像できる」「男性/女性、偶数/奇数、赤/黒、碧/白、このような二項原理があるが、二項対立ではなく二項融合が縄文時代の精神性と思われる」、一応、メモやレジュメを眺めながら寝落ちしていたところも補足してメモってみました。②については、以下の通りです。「1937年にマードックが著した“民族誌からみたジェンダー 性別分業論”の紹介、男性優位労働は力仕事、且つ遠隔地に赴く必要のある労働、女性優位労働は、衣・食を基軸として筋肉労働の要求度が少なく、居住地の近隣で営みうる労働が多い、飛鳥時代・奈良時代の文献精査でも同様の分類ができる」「古墳被葬者にみる女性・子ども・家族、女性首長者の存在が明確、地位の継承もあった、古墳時代の親族関係はキョウダイ原理、エリート層にある父系性に対し、基軸としては双系性、男性被埋葬者の傍らには武器」「埴輪に現れたジェンダー、職掌とジェンダー、更に年齢が密接に関連している可能性、大仙塚古墳では巫女型埴輪が出土」「今城塚古墳の埴輪、外側に配置された男性、内側に配置された女性」。パネルディスカッション用の質問用紙に質問を上げた。寝落ちしたところとは関係がなかったので。彩色埴輪の存在を、帝塚山大学の講演で知っていたからです。縄文時代の土偶で色によるメッセージがトピックになっていたので、埴輪ではどうかと思ったからです。彩色法の違いにより年代測定が行われているトピックをご存知だったので、間違いない回答だと思えるのですが、資料が少ないこともあり、そこまで至っていないということでした。一応。レジュメと記憶、メモに従って、上のようにまとめてみました。振り返ってみると、思っていた以上におもしろいですね。近代の知を相対化するには、時代を飛ばす、そして比較対象することの重要さ、改めて確認させてもらいました。
 キャンパスプラザ京都からの帰りは、ウォーキングがてら自宅まで徒歩移動。かなりきつい。でも、完遂。途中、マートに寄るのも定番。最近、そのコースの途中に、とってもスムーズにトイレに立ち寄れることを発見してあったので、そのトイレを活用。今までは、若干、迂回コースを作り、トイレに立ち寄っていたので、これは有難い。いや、もっと早く気づいても良かったのにと突っ込んでいますが。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「京都鴨川編」。貴船から始まり上賀茂神社、高瀬川、最後は納涼床というコース。賀茂一族の長として登場された方、京都アスニーでお話を聴いたことがあります。そのときも感じたままのお話し上手な方。社家の中までカメラが入っていました。水路が家内まで入っているのは、初めて知りました。高瀬川と言えば、角倉了以、そのお屋敷跡は「がんこ」が買っちゃった。タモリが「がんこ」と店名、言っちゃったけど、「ピー」は入らなかった。昔、ここのお座敷借りて宴会したことがある、懐かしい場所。舟入場が残っているの、初めて知りました。そして、知らなかったこともう1つ、納涼床のために、新たに水路を造ったこと。いつも、ウォーキングで眺めている鴨川河川敷、そういったドラマがあったなんて!


2022年 6月 17日(金)午後 11時 29分

 今日は、美術展を観に行く日。今週、2回目となります。ともに日本画というのが、かつてはなかったこと。今日も、腰の心配をしながら出かけた先は京都文化博物館。今、こちらで、企画展「没後70年梥本一洋 〜優美なる日本画の世界〜」が開かれています。「梥本(まつもと)一洋」という名前を、つい先日まで知らなかった。ところが、京都文化博物館のHPを、何気に眺めて見ると、この名があった。今回の展示の開催趣旨が書かれている中に、山元春挙門下、早苗会の中心人物と出てた。となると、大津市歴史博物館での展示会で、名前を見ているかもしれません。でも、こないな珍しい字が使われていても覚えてなかった。おそらく読めなくて、スルーしちゃった可能性大ですが。そこで、これは、この間、山元春挙を学ぶ機会があったのだから、その門人の作品を追うのは、とっても有難い機会と思い、行くことに決めてあったのです。会期は、7月末まであるのだけど、その間に3回、キュレーターの方によるギャラリートークがあることも、HPで知ったのだけど、その内の2回の日取りが、黄紺的には不安な日だったもので、同じ行くのなら、その日に合わせようと、確実に行ける今日を選んだ結果が、週2回の美術館巡りとなってしまったのでした。で、京都文化博物館に近づくと、様子が変。急に人が多くなってきた。それが、確実に京都文化博物館に出入りしている。修学旅行生が大挙して来たのかと思うほど、その年齢層が若い。でも、同じ若くても、高校生には見えない人たちもいる。博物館まで来て、判りました。今、こちらで、広い展示室を使い、「ジブリ」展を開催しているのを思い出したからです。さすが、ジブリの人気は凄まじい。チケットを買うのにも列に並ぶ、エレベーター前には整理する人まで出ている。思わず、チケット売り場で、「これだけの人、会場に入れるのですか?」とまで聴いてしまった。それほどの人だった。狙いの企画展は、京都の歴史を展示する部屋の一角に設けられていました。傍らでは、祇園祭の展示、今年は、鷹山復活の年ですね。そんなで、ギャラリートーク開始時まで、展示を、半分ちょっとを観て回り、少しは頭に入れておけた、いい時間に行きました。ギャラリートークは、隣の祇園祭関係が前半、ここで鷹山についても、お勉強できました。「鷹」は「鷹匠」を表しているそうですが、その「鷹匠」が誰だか判っていない、在原行平と書いている書き物もあるそうですが、これも怪しいそうです。山の再現に至るお話も聴くことができ、これはこれで、満足。黄紺的にはおまけが先に付いたというところでした。梥本一洋に移ると、冒頭で、びっくりのお話。この企画展、滋賀県立美術館と大津市歴史博物館での展示があるから企画したとか。当初は、3つのミュージアム共同でスタンプラリーの企画もあったそうだけど、潰れたそうです。「なんでや!」と思わず、心の中で突っ込んでました。「3つとも行ってるのに、、、、」でした。ところが、梥本一洋の作風は、風景画を得意とする山元春挙とは、全く違った。後年、伊藤深水が、「湖畔晴日」を観て、風景画を描くことを勧めたそうで、それ以後は、梥本一洋も風景画を描くようになったということですが、それらの作品を観ても、およそ山元春挙とは違う。光を多用し、ぼかしも多用し、まるで印象派の作品を観ているみたいでした。焦点をずらす手法もあり、「それ、コローやんけ」と突っ込んでいました。キュレーターさん、「美人画を描く伊藤深水が、なんで、風景画を勧めたのでしょうね」と、こちらも、至極妥当な突っ込みを口にされていました。京都国立近代美術館の「コレクション展」では、伊藤深水の作品を1点、観ることができたので、これで、伊藤深水の名に触れるのは連続です。2回連続となると、さすが、確認のため調べました。朝丘雪路は、伊藤深水の娘だということを。大丈夫、記憶は間違っていませんでした。で、梥本一洋の作風は、展示では、絵巻物に典型的に見られる「大和絵」を学習したからという作風だと出ていました。王朝物の絵に見られるようなモチーフ、人物の描き方、それに終始していました。その中で、気に入ったのは「月下清韻」、月明かりの下、舟を漕がせ、その上で貴人が笛を吹くというものです。傍らにある説明文には「笛の音が聴こえてきそうです」と書かれていました。全く、同感です。これを、梥本一洋作と知らなければ、平安時代の作品と思ってしまうような作品です。似た構図に、「四季十二趣」という12ヶ月の風情を描いたものの中にありました。ただ、それだけではなく、風景画で看られたぼかしの入った「女人高野」は、かなり趣を異にするもの。女性の描き方など、マニエリスムに足を突っ込んだラファエロにそっくりと思うものがあったり、自分の妻をモデルに起用した「髪」は、いわゆる風俗画ですね。また、梥本一洋は能に造詣が深かったとの解説が、キュレーターさんからあったところで、自身でも演能経験を持つようですが、それを考えると、作品の素材に、結構、能絡みのものが目立ちました。「江口」「夕顔」「竹生島」というように、そのものずばりの名を付けた作品があるかと思うと、「酒呑童子」では「大江山」の詞章を踏まえての描き方をしたそうですし、「源氏物語」との題名の付いた6曲1双の屏風絵では、「賢木」「明石」が描かれていました。前者は「野宮」ですし、後者は「住吉詣」「須磨源氏」ですね。「女人高野」で描かれた「菩薩」など、どの「菩薩」か知りたかったけれど、これなども「石橋」「江口」を連想させます。そんなで、なかなかおもしろい体験させてもらいました。門下と言っても、決して画風が似るわけではないのですね。キュレーターの方、山元春挙系列の作家さんは忘れられる傾向にあると言われていました。春挙自身がそうだという話も、どこかで耳にしたことがあります。なぜなんでしょうか? 竹内栖鳳の系列はそうじゃないそうで、この違いは、どこから来ているのでしょうね。京都に住んでいる関係で、京都画壇に関わる作家さん、観る機会が多いのが嬉しいです。そう言えば、他の美術館でも、もちろん京都のですが、こういった京都画壇の作品の展示が続いているようなので、追いかけたくなってきています。梥本一洋の最高傑作とされている絵は、京セラ美術館が持っていて、現在開催中のコレクション展に出しているはずと言われていました。今頃になり、日本画の世界の奥深さに魅せられつつあります。
 美術館で絵を観たあと、ウォーキングをするのが、かなり厳しくなってきています。でも、我慢して、夕方のウォーキング替わりとして、美術館の帰り道を使い、歩いてみました。その腰の弱点に加えて、今日は、気温上昇が看られ、それだけで、かなり顎を出してのもの。でも、お出かけ前の、若干、短めのウォーキングを併せれば、日ごろと変わらぬ量をこなしていました。


2022年 6月 17日(金)午前 7時 22分

 昨日は、お出かけ予定のない日。ただ、昼食事狙いのオンライン配信の予約が1つ入れてあったことと、午後の一時を潰して、散髪に行くことを決めていた日。最近は、年3回ペースで、散髪に行っている。3ヶ月目に入る前あたりから、髪の毛のボリュームのあり過ぎが気になって来る。洗髪もやっかいだし、第一、毎日、洗髪をしても、頭が痒くなっていく。髪の毛の量に比例する感じがあるから、この辺りから散髪を意識して、都合のいい日を探すのだけど、なかなか手ごろな日が見つからないというか、自分の行こうという意欲とが重ならない。そういうわけで、重い腰を上げたのが昨日だったということ。オンライン配信は、昨年もお世話になり、なかなか素人にも判りやすい内容で専門家の講演を聴ける東北地方環境事務所主催の「ランチタイムセミナー」。仕事のある人は、休憩時間に観れるようにとの配慮で用意されているもの。でも、考えようによっては、また、参加者の肩書を見ると、「休憩時間も働け」「飯食いながら働け」とも取れるセミナーです。今年は、5回シリーズの企画で行われるのですが、ちょっと全ては参加できそうではないので、とりあえずは、前の2回分だけ、申し込んであります。昨日のお題は、「NHK連続テレビ小説“おかえりモネ”から考える森林と気候変動の関係」というもので、宮城県登米市登米町森林組合参事竹中雅治さんのお話を聴くことができました。竹中さんは、“おかえりモネ”の監修にも関わられた方という紹介がありました。“おかえりモネ”というドラマが流れているのは知ってたけど、日本の林業に携わった女性が、そこでの経験から気象予報士の道を歩むという流れだったということは、全く知らなかった。ちょっと後悔したけれど、後の祭りで、ドラマの話を掴みでされても、困ってしまったけれど、そういった者もいるとの前提でのお話でもありました。まずは、ドラマのシーンを活用して、日本や世界の林業の現状のお話とともに、「森林のある山と海は水を介して繋がっている」という「循環」という重要なタームを押さえられました。「丸太の販売価格が落ちている、最高値の半分以下、但し、現在は、ウッドショックの影響で上がり、15.000円/㎥」「日本は森林率が、北欧のフィンランドやスウェーデン並みだが、世界有数の木材輸入国、木材自給率は41,8%」「世界の森林は減って行っている、原因は、森林伐採、アブラヤシの大規模栽培(バイオマス発電)、大規模農園への転換(背後に食糧問題)、森林火災」。次いで、森林の機能・効果のお話がありました。「夏の暑さを和らげる森林、日傘効果、二酸化炭素の吸収」「森林の温室効果防止効果、ブナのような広葉樹を主とする天然林より、杉の人工林の方が二酸化炭素救出力が高い」「夏の暑さを和らげる森林の蒸散作用、植物体内の水が水蒸気として空気中に排出するとき、周辺の熱を消費する」「森林は水を貯える水のダム、雨が降ると土壌に大量の水を蓄積(森林は土壌に浸透する能力が高い、砂漠だとすぐに蒸発してしまう)、樹木の根が水を吸収して長時間に渡り蒸散、その際に熱を消費、結果、気候を安定させる」「森林は土砂災害を防ぐ」「登米町の杉の樹齢分布を見ると、木材資源として利用に適した割合が全体の8割以上になっている、近年植林がほとんど行われていないので20年以下の樹齢の杉が極端に少ない、主伐面積の3~4割しか人工造林が行われていない現状」「再造林が行われていない理由、将来の収益で造林費用が賄えない(冒頭の木材の値段に戻る)、林業経営への関心が薄い(採算性や跡継ぎの問題)、木材価格の回復・安定の見通しがない、造林への補助金が少ないなど」「木材需要の低迷で苗木生産量が低下、今後の主伐が多くになるにつれ苗木の必要量は増してくるのに、苗木の生産量が落ちて来ていて大丈夫なのか」「林業従事者の減少の上に、高齢化が進み、若年者の就業が少ない」「日本の森林の現状と気候変動とのギャップが大きい、林業が経済行為として成立しなければ、森林は温暖化防止などの効果を発揮できない」。講演後のQ&Aで出ていたもので、おもしろかったものメモっておきます。「杉が増えると花粉症への影響が気になるという問いに、低花粉の苗木が増えている、適正な間伐で花粉発生の抑制が可能、、、森林の管理で花粉症対策ができるというトピック、初めて知りました」「苗木を獣が食べる獣害あるというトピック、これ、鹿ですね、苗木の区域全体を囲う措置や、苗木にカヴァーをかけて防いでいるということでした」、その他、「FSC認証」「バイオマス発電」がトピックとして出ていましたが、どういったコンテクストで出てきたかが、うまく把握できていません。勉強の必要があります。そないなことはあったとしても、とっても、よく判るお話でした。このシリーズ、今年も期待できます。
 隙間狙いの落語は2本、①三代目林家菊丸「青菜」(2014/6/8 天満天神繁昌亭~菊丸襲名への道Vol.2~)②柳家小さん「青菜」。①は、菊丸なら落ち着いた「青菜」を口演しているだろうとの判断でピックアップ。たが、この映像、「鯉のあらい」までが収録トラブルで、そこまでは、自宅での収録で補足してのものでした。仁鶴からもらったものだそうです。これを聴いて、植木屋さんを、ちょっとアホげに描くというのは、仁鶴から始まったのかなとの憶測を持ってしまいました。それと、暑いのを表すのに、首筋をかくというものは初見です。②は、東京ものをとの思惑からピックアップ。わさびを頬張るのはなく、替わりに氷を頬張っています。また、「青菜」というタームは使わず、「菜のしたし」を使っています。でも、この口演が、黄紺的理想。植木屋さんと旦さんの住んでる世界の違いから出てくる可笑しさを描く、これが、完遂しています。普通に応対すれば、2人の住む世界が違うから、コミュニケーション・ギャップが出てくるはずとしての可笑しさが「青菜」というネタが、本来、目指したところだと思うのです。それを知りたくて、米朝ものを探したのですが、アップされてなく、替わりに、東京ものを探した結果、いいものに遭遇できました。


2022年 6月 16日(木)午前 4時 27分

 昨日は、朝から大変だった。PCが変調。今に始まったわけではないが、昨日の朝のは、特にひどかった。3時間ほど、何も作業ができばくなってしまった。その間に、ウォーキングでもすれば良かったと思ったのは、かなりの時間が経ってからのこと。そんなで、随分と勝手の違う1日となってしまった。午後には、お出かけ予定が入っていたので、それにも障りが出かけた頃合いに、辛うじて復旧。無事、気を残した状態で出かけることがなかったのが、僅かな救いというところ。昨日は、そんなで、日に2回をルーティンにしているウォーキングは、1回だけ。その1回も、雨に祟られ、散々でした。だから、ついてない日ということですね、昨日は。
 午後のお出かけは、文化パルク城陽のプラネタリウム。こちらで開かれている恒例の落語会「城陽で喬介」に行く日でした。冒頭にプラネタリウム解説が入り、その後に落語会という、独特の進行。落語の方の番組は、次のようなものでした。喬明「動物園」、喬介「壺算」「青菜」「崇徳院」。喬明のネタは、これで3つ目。「犬の目」「牛ほめ」に次ぐもの。黄紺の知る範囲では、あと一つ、「金明竹」を持っているはずなんだけど、未だ、遭遇できていません。ま、それだけ、生の落語を聴けてないということですね。あとから上がった喬介が、虎の鳴き声について、一くさり。まあ、そうしたくなる変な鳴き声を、喬明は出していました。少なくとも虎とは思えない変わった声を出していたのは、黄紺も気づいていたのですが、喬介曰く、「変なんやけど、この男、虎の鳴き声知らんから、直すように言ってない」、確かに! 言われてみて、納得です。噺の中では「ワン」と言ってるくらいですから。これから、この話を聴くと、喬明の「動物園」を聴くのが楽しくなっちゃいます。喬介は、毎度、3席。マクラで、自身のTwitterに乗せていた「迷子の文鳥」の1件を、詳しく話してくれたのが嬉しかった。2時間ほど、格闘していたようです。というのも、文鳥って、野生に返らない鳥だそうで、元々が、日本にいなかったものだから、冬を越せないそうです。そんなことも調べつつ、捕獲に向かったみたいです。また、道路に出て行ってしまうので、危ないこともあったようで、途中、荷物番をしている喬明にかなり怒られながら追いかけていたとか。で、このトピックの落ちは、「師匠の自分がトリを取らないで、弟子の喬明が鳥を獲った」「家に帰ってから食事をすると遅くなる時間になってしまったので、中華街でチキンを食べまくった」というものでした。花◎の仕上がりです。もう1つ、マクラで言ってたのは、喬介がいも好きだということで、喬明が、ある日突然、土やら何やら園芸関係のものを買ってきて、マンションのベランダを使い、苗から育ててるそうです。でも、水やり過ぎて、ほとんどが枯れたとか。そら、そうでしょう。苗床を作り、その上に苗を置いておくだけで育つと聞いたことがあることを思い出しました。噺より、マクラの方を、よく覚えてるんだけど、3席の1つ目に「壺算」が出て、びっくり。しかも、はしょりヴァージョン。そこで閃いた、現在進行中の「若手グランプリ」で出すショートヴァージョンだなと想像して調べてみると、ドンピシャ。でも、喬介は、それを言わなかった。ま、別に言う必要はないけど。情報がたくさん入るネタのはしょり具合は、難産だったんじゃないかな。「青菜」は、以前聴いたときよりも、かなり大仰になってきていた。これは、最近の喬介の傾向。「青菜」の植木屋さんを、アホにしちゃいけないと思うのですが。これは、最近の噺家さんの「青菜」を聴くたびに思うこと。この噺は、旦さんとの階級差、格差で笑える噺にすると、今どきじゃなくなるのかな? 「崇徳院」は、この会で、さほど以前じゃない時期に出したことあったはず。そのときは名演だと思った記憶があったので、よく覚えている。でも、昨日は、ここで寝落ちしてしまいました。午前中の気分の上での疲労が出たのでしょうか? プラネタリウムの椅子に深座りをして、寝る態勢なんてとってなかったんだけどな。そんなで、ちょっと後味が悪くなってしまいました。次回は、10月だそうで、先になってしまいます。


2022年 6月 15日(水)午前 11時 1分

 昨日は、かなり強い雨が降るとの天気予報が出ていた。そこで、狙ったのは、混雑が予想されながら、行きたい気持ちが強く、前売りチケットを買ってあった美術展に行くこと。雨だと、こういった美術展の主流を占める爺婆の足は鈍ると読んだのでした。また、黄紺的には、ルーティンにしているウォーキングが難しいかもしれないとも思い、こういった雨の日を狙ったのでした。行き先は京都国立近代美術館、今、こちらで「没後50年 鏑木清方展」が開かれています。とにかく、「築地明石町」を観たかった。しかも、「浜町河岸」「新富町」と三部作が揃うという展示。これは、黄紺ならずとも観たいと思う人は、わんさかいるはずですわね。しかも、東京での公開に合わせて、「日曜美術館」で番組が流れた。完全に煽ってました。ところが、お出かけ時間辺りになると、雨が止んできた。でも、天気予報からすると、傘を持って出ないわけにはいかない。でも、結局、行きの少しの間、降ってるかどうか、よく判らないなか、傘は使っただけだった。となると、案の定、美術館の中は混んでいた。人影の合間をぬい、タイミングを図って、説明文を読んだりしていました。展示は時系列に従って並べてありました。そう思って観ていると、「築地明石町」の位置は、戦前。丁度、日本が、軍国主義で突っ走る時期が、最盛期に重なっているということが判りました。展示期間がずれて、観ることのできなかった代表的な肖像画「三遊亭圓朝像」、「明治風俗十二ヶ月」「雪紛々」「たけくらべの美登利」「初東風」という、既に知っていた作品、目に付いた作品が、この時期に集中していました。とっても気になっていた「ためさるゝ日」は、それらの10年余前の作品。なかなかしんどい時期に固まっています。それと、もう1つ、関東大震災が、鏑木清方には大きな影響を与えたようです。自らのアイデンティティだった東京の街が灰燼に帰してしまった。その思いから、自らの持つ面影を追い続ける、そういった人だったようですね。戦後になり、更に、一層、社会が変わっていくなか、追い求めたのは瞼に残る明治の東京。だから、観る者には、鏑木清方の目に残る東京の風景に映える人々の動き、感性、社会のルール等々、今とは違うなか、違った目で描かれた絵に同化できるのだろうかと疑問を持ちながら観ることになりました。各々の作品に描かれている風俗を捉え切れている自信が全くないからです。絵の中に描かれている掛軸1つを取ってみても、そこに描かれている図柄に意味があるように思えてしまうのです。だけど、ダメなものはダメなわけで、割り切るしかないんだけど、ちょっと寂しいね。展示品に並べて、年代を押さえるのを失念したんだけど、描かれている時代を反映した東京の古地図も展示されていました。「神田区」「日本橋区」という表記があり、掘割が残る地図です。それを見ると、築地の先は海、その先に浮かぶ月島というもの。それで、「築地明石町」の位置などをチェック。「浜町」は「河岸」が付いているから地形は類推できたけれど、「新富町」も掘割沿い、花街だったことは知られたことだけど、そういった掘割沿いの道を行き交う芸者さんの姿が、パッと目に浮かびます。「築地明石町」に至っては、先は海という「築地」の先端部。これで納得、「築地明石町」の左上隅に船がうっすらと描かれているわけが。樋口一葉関連が、3つか4つあったように、いや、もう少し多かったかもしれませんが、そらんじるほど読んでたように、文芸に親しみ、自身も物書きでもあり、歌舞伎、能といった古典芸能に通じていたのが、手に取るように判る素材が豊富です。「心中天網島」「野崎村(新版歌祭文)」「道成寺」「鷺娘」「隅田川」等々。つくづく、人ごみでない雰囲気で観たいものでした。
 階を1つ上がった展示室では、今年度の「第2回コレクション展」。前にも、何かの企画展に行ったときに、同様の展示があり、とっても充実した内容に魅せられた記憶があるので、今回も外さなかった。幾つかのセクションに分かれていたんだけど、それは、次のようなものでした。「①西洋近代美術作品選」「②“没後50年 鏑木清方展”によせて」「③戦争と写真:W. ユージン・スミス《第二次世界大戦》と《スペインの村》」「④近代工芸の着物」「⑤飾りと装いの工芸」「⑥坂本繁二郎と青木繁」。①と③は「戦争」が切り口。①では、ナチス繋がりで、ベルリン・ダダを代表する作家ハンナ・ヘーヒ、《ゲルニカ》の主要なモチーフを描いたピカソ、そのピカソ繋がりでブラックという3点。②は、鏑木清方1点があり、その繋がりでの展示なんだろうけれど、黄紺の判ったのは伊藤深水のみだった。日本画の世界を抜けると、そこに③があり、びっくり。こちらは、スペイン内乱に取材した報道カメラマン。さすがに、黄紺も知るカメラマン。1つの村に入り込み、同時代を生きる市井の人たちの生活の姿も撮っていました。その部屋を抜け、壁を見て、びっくり。まさかの「青木繁」と出ていたからです。同年に生まれ、同郷の坂本繁二郎と並列してあった。夭逝をするい青木に比べて、長生きの坂本の作品が多いのは当然として、青木繁の作品が、4点観れるだけで御の字。1点は暗くて、よく判らなかった。いま1点はスケッチ、習作かもしれません。残り2点は肖像画。内1点は女性、もう1点は名士風の男。この2点に共通して言えることは、描かれている人物と描き手である青木繁との関係性にイマジネーションを働かせたくなるという、そういった絵になっている。それだけで、凄腕だと思いました。これは、望外の収穫となりました。工芸品は、流してしまいました。映画のポスターも然りです。昨日は、あまり腰への負担を感じずに鑑賞できたと言っても、この辺りで、2時間を経過しようかという時間が過ぎていては、さすがにダメでした。ただ着物の展示は、照明が難しいですね。これは、こういった展示を観る度に思います。悪くはなかったけれど、ムラのある照明に感じてしまい、突っ込んでしまってました。
 そんなで、雨は上がっていたにも拘わらず、まっすぐ帰宅。昨日は火曜日なものだから、帰宅後は、「まーぶる、ご陽気に」を聴き、夜には、「吉の丞のおつかれさん」を聴きまくりました。Radikoのお世話になりっぱなしの1日。でも、夕方には、腰の具合も回復し、傘さしウォーキングを敢行。でも、歩いていると、腰への負担が大きかったことを実感せざるをえなかったなぁ。やっぱ、美術館歩きは、腰には最悪です。で、「まーぶる」を聴いていて思い出したこと、昨夜が、「若手噺家グランプリ」での二葉の出番があった日。これ、考えてみたら、NHKの覇者として出るわけですから、「プレッシャーあるやろな」と思うと、こういったコンペって、単に落語の上手さを競うだけではないということですね。で、その結果を調べると、二葉が1位通過となってました。凄いわ! プレッシャーにも勝ったということですね。ディープな落語ファン氏のTwitterを見ると、繁昌亭近くのカフェを背景にした二葉の、出番前のお写真が出てましたが、プレッシャーに負けるどころか、気合い入りまくりのものでしたから、そういった意味でもスター性持ってるっていうことだなと、再認識しました。吉の丞の方は、「ワールドニュース」で使ったネタを、ここでも使ってたのには失望したけれど、三題噺には、磨きがかかりっぱなしになってきています。めっちゃ、腕上げてきています。「予め、準備してるんじゃ?」と勘ぐりたくなるほどの出来栄えになっています。これはこれで、嬉しいことです。


2022年 6月 14日(火)午前 7時 11分

 週が明けました。月曜日というのは、ここまで、お出かけなしということが多いんじゃないかな。だから、お出かけと言っても、映画に行くことの多い曜日。昨日も、そのお出かけなしの月曜日。となると、いつものようにルーティンにしているウォーキング2回だけが、外出時間。あとは、こういった日の定番、オペラ&落語を、YouTubeなどで楽しむ。昨日は、それに加えて、YouTubeにアップされている「美の巨人たち」を1本、観た。以前、目にしたことがなかったと思ってたら、最近、アップされた有難いものでした。選んだのは「浅井忠作『収穫』」。京都で教鞭を執っていた関係で、京都在住の身からすると、浅井忠の名は頻出する。最近では、山元春挙展に行ったときに、その名を見かけた。春挙の蘆花浅水荘にも姿を見せていたようで、ともに膳所焼の絵付けをしていた。そんなことで、浅井忠を取り上げているというだけで、飛びついた。おかげで、浅井忠の経歴や、どういった立ち位置にあるかが、よく判り、とっても有難いものとなりました。浅井忠の絵描きとしてのキャリアは、正に、明治初年の日本美術界そのものを映し出す鏡のようでした。バルビゾン派の流れをくむ風景画家アントニオ・フォンタネージが、明治9年に、工部美術学校での洋画の教師として来日、その画家との遭遇が、浅井忠の画家人生を決定したということでした。そのフォンタネージから教えられたのが、ヨーロッパのアカデミックな技法。ミレー「落穂拾い」を教えてもらったことが、後年の「収穫」製作に強く関わっていったとのことでした。だけど、日本の洋画は、潤沢な展開を見せたわけではなかった。本格的な美術学校を作れとの申し入れを受け入れられなかったため、フォンタネージは、僅か2年で帰国。入れ替わりにアメリカからやって来たのが、伝統絵画を尊重し、日本での洋画製作を否定したフェノロサ。1889年に東京美術学校が誕生したけれど、初代校長岡倉天心は、それを受け、西洋画科を置かなかったという。それから13年経ってから、ようやく西洋画科が設置されるのだが、その間、浅井忠は、明治美術会を結成し、制作に励むのだが、評判を呼んだ展示を見るために、明治天皇の皇后が見学に来て、その人気が否定しがたいものになって行ったと言います。その明治美術会第2回に出展されたのが「収穫」。油絵で、農村風景、日本の秋を描いた作品。遠景としての風景を描いたのではなく、近い距離で風景を描くという、それまでになかった描き方。フランス留学を経て、京都で後進の指導に入ったそうです。弟子には、梅原龍三郎、安井曾太郎らがいるそうですが、そういった流れになっていること、初めて知りました。いい勉強になりました。番組で紹介された浅井忠作品をメモっておきます。「スケッチ:秋景」「スケッチ:村落風景」「スケッチ:蒸気船」「春畝」、それ以外にも、アントニオ・フォンタネージと比較するために、各々のデッサンを1つずつ、更に、アントニオ・フォンタネージ作品としては「トリノのポー河畔」「風景」の2つが紹介されていました。
 落語は、次の3本。①柳家一琴「位牌屋」(2018/7/8 らくごカフェ柳家一琴の会)②立川談春「寄合酒」(1993年放送“落語のピン”)③月亭文都(月亭八天)「野崎詣り」(2003/11/22 ワッハホール 第8回「月亭八天独演会」)。①は、お世話になっている一琴のチャンネルで知らないネタを見つけたので聴く。吝嗇家の噺だけど、ここまで行くと、盗人になるから、洒落で聴けなくなる度の超した噺。不快で、笑えない。②は、「寄合酒」に旧い型ってのがあるなら聴こうとの思惑で探していたら、偶然、見つけたので視聴。とっても、若い頃の口演。スピード感溢れるもの。店先の鯛を加えた犬を追いかけて、路地に入らない、路上で鯛を奪う。だと、他人が見てるだろうと突っ込んでしまったけど、東京ものはそうなんだろうか? 鯛、鰹節、タラを持って来るまででおしまい。③は、文都は、どういった型でやってんだろうかが気になったのでピックアップ。やっぱ、王道を行きたがる噺家さんです、春団治ヴァージョンでした。
 オペラは、オンライン配信ではなく、自前のDVDで、チューリッヒ歌劇場の「ファルスタッフ」(スヴェン・エリック・ベッヒトルフ演出)を観た。7月にびわ湖ホールで「ファルスタッフ」を観るので、その予習がてらのチョイス。マエストリがタイトルロール、バーバラ・フリットリがフォード夫人、ハビエル・カマレラがフェントンと有名歌手が並ぶ。フォードを歌うマッシモ・カヴァレッティは、このDVDでしか観たことがないけど、存在感が抜群にあり、歌唱も際立つ。ナンネッタを歌うエヴァ・リーボーは、めっちゃ美人と、歌手陣の駒が揃ったプロダクション。装置は、家の枠組だけ、公園は互い違いに置かれたベンチだけ、という具合に、象徴的にデザイン化されたもの。照明を、やたら明るくして、喜劇性を強調してある。以前、観たときは、あまり好感を持てなかったプロダクションだったけど、今回は、そうでもない。なかなか、お洒落なことやってるという目で観てしまっています。フォードとクイックリー夫人がファルスタッフの家を訪ねた場面まで、昨日は観た。下準備はOKというところまでで終了。これから、いよいよ佳境に入ってきます。


2022年 6月 13日(月)午前 7時 34分

 昨日は、いいお天気の日曜日。風が強いけど、とっても爽やか。夕方のウォーキング時など、もう少し、太陽が斜めから射していると、「夏の終わりだな」とも言えそうな感じでした。お出かけなしの日曜日だったもので、ルーティンにしているウォーキングはいつものことだけど、「日曜美術館」の新作が流れたのが嬉しかった。この間、旧作を流したりしていたので、昨日もそうかと勘違いしていて、危なく逃すところだったけれど、大丈夫でした。昨日のお題は「落慶 唐招提寺御影堂 〜鑑真和上と障壁画〜」。アナウンサー氏1人が、実際に唐招提寺を訪ね、そのときのロケの様子をスタジオで、MCの2人が眺めながら進めるという珍しい趣向。この番組、唐招提寺の簡単な説明は入ったにせよ、数ある宝物は置いておいて、御影堂に特化した構成になっていました。初めて知ったのですが、鑑真和上坐像が置かれてある部屋①、その隣の部屋、即ち、鑑真和上坐像に対置できる部屋②は、東山魁夷の襖絵が全面に描かれているのです。ですから、番組は、鑑真和上坐像もさることながら、この襖絵に、かなりシフトした構成になっていました。部屋②には、「濤声」と名付けられた海の絵。「鑑真和上に日本の海を見て欲しい」という思いが込めらえているそうで、描かれている松は鑑真和上を象徴するものとの説明、波は左に進むにつれ穏やかになり、浜辺に至るという構造になっていました。もう1つ見せたかった日本の風景、それが山林を描いたのが「山雲」、霧の漂う山の絵です。部屋①の方は、鑑真和上の故郷中国を描いた「揚州薫風」「黄山暁雲」「桂林月宵」。ただ、東山魁夷は、当初は、中国の風景を描くという構想ではなく、制作中に変更したものだとか。製作が、丁度、日中国交正常化の時期で、中国訪問が可能になり、実際、東山魁夷は、現地を訪れ、スケッチを重ねたそうです。そして、不慣れな水墨画で描いています。それが中国の風景を描くベストだとの考えで、でも、ぼかしは筆を重ねることで生じさせるという水墨画の伝統にはない手を使っているそうで、偶然性を重んじるのではなく、自分でコントロールして描くために、そういった手を使ったとの説明がされていました。鑑真和上像は脱活乾漆造。内部は空洞で、表面に布を貼り付け、その上に木の粉や繊維くずなどを漆にまぜたものを塗って、形を作っていくというもの。ただ、その方法にしては、荒くて不均質になって箇所があるのだけど、そのわけが、模造を制作したときに判ったそうで、へらを使うと、均質になるが、どうやら指先で塗ったことでできる不均質な状態だと判り、これを制作した仏師は鑑真和上の弟子で、鑑真和上の身体に触れたい思いがあったためだろうと、模造の制作者は言われていました。日本にはなかった製作法で、中国からやって来た人たちの技だろうとのことでした。最後に、御影堂は、興福寺一条院塔頭(江戸時代初期)だったことのトピックが入ってました。ここで、知らなかったこと、出てきました。恐るべし、廃仏毀釈です。奈良公園って、元興福寺の境内だそうで、廃仏毀釈で吐き出したということです。となると、やっぱ、興福寺は、凄すぎますね。春日神社は神仏混交では興福寺と一体だったわけですから、凄すぎるでは言い足らないかもしれません。その後、一条院塔頭は奈良地方裁判所として使われていたのが、老朽化が進み取り壊し話まで出てきていたところ、唐招提寺が引き受けたと言ってました。黄紺は、法隆寺もそうだけど、唐招提寺も行ったことがない。小学校の遠足だったかで行くことになってたんだけど、発熱で行けなかった。それ以後、行こうとすらしていない。奈良は行ってないところ、多いので、行かないとダメだねと、改めて思い知らされた番組となりました。
 朝の一時&午後の一時は、お出かけなしの日の定番、オペラ&落語を、YouTubeで楽しむというもの。オペラの方は、随分と間が開いたけど、ルネ劇場の「さまよえるオランダ人」完走しました。歌手陣の充実、指揮の大野和士の卓越さは、以前にも書いたけれど、アニヤ・カンペに、存外、ムラがあるのが判ったり、トルステン・カールが、ここまで良かったのかという発見があったり、前回の視聴時、居眠りでほぼ記憶から抜けていたオランダ人のエギル・シリンスが、いい声していたり、そして、何よりも大野和士が素晴らしすぎると思いました。「オランダ人」は、まだナンバーオペラなんで、繋ぎに繊細になって欲しいと思うんだけど、そのニーズに、見事に応えてくれています。人気の出るはずだと思いました。ただ、このプロダクション、一貫して判らなかった。背後にある全面のスクリーンに加えて、舞台を移動するスクリーン2枚、舞台前面にも透けてるスクリーン(これが出てきていたか自信がないので間違ってるかもしれない!)と、映像・画像を投射しまくりだけど、単なるイメージの投射なのか、それ以外を狙ったものか、さっぱり判らなかった。ま、そんなときもあります。
 落語は2本、1回目は半寝で聴いたため、2回ずつ聴いています。①柳亭こみち(二つ目時代)「転宅」(2009年頃)②柳亭小痴楽「磯の鮑」(2021/9/18 はつかいち文化ホールウッドワンさくらぴあ大ホール)。①は音源のみ、②は、TV局の作った動画なもので、とってもきれいな映像。①は、こみちという噺家、東京で人気があるようなんでピックアップしてみた。既に、おなじみさんとの距離が出来上がっているようで、その前提で始まるものだから、聴きにくいったら、ありゃしない。ま、これは、あるある話で、上方の噺家さんの口演を聴くときは、それはそれで、そういった前提で聴いていることを反省。それが解っていながら、ネタに入っても、引きずって聴いていたため、なじめない口演になってしまった。それと、盗人とおめかけさんとの対話で、2人のどちらが喋ってるのか、同じようなキャラになってるのも気になったなぁ。客との距離感で、人気者だとは判ったけれど。②で驚いたのは、地方の公演で、ディープな吉原噺を、さほどマクラも振らないでやってること。①とは違い、客との距離感を作らないで、噺で、口演で聴かせてる、「凄いぞ、小痴楽」と思う一方、「自信持ってるな」と認めざるをえない、そして、それだけのことあると思わせられた口演でした。与太郎は与太郎だけど、危なさを削りかげん、教え手の落ち着きが抜群、後半のバラシは、若干、テンポアップと、上手い! 小痴楽は、「明烏」を、生で聴いただけだけど、そのときの感動が蘇る、見事な口演だと思えました。


2022年 6月 12日(日)午前 6時 39分

 昨日は、午後に、オンライン配信で市民向け公開講演会を視聴する日でした。これは、普段の生活リズムに障りはなかったけれど、夜に「ブラタモリ」の新作があるというので、午後に講演を聴いたあと、すぐに夕方のウォーキングにかかるという流れ。でも、昨日は、雨の天気予報。昼前のウォーキングは、幸い、天気予報が外れ、雨の降り出しが遅くなったため、雨に遭わなかった。でも、夕方は、すっぽりと雨中ウォーキングとならざるを得ませんでした。久しぶりの傘さしウォーキングとなりました。
 午後にあったオンライン配信は、帝塚山大学考古学研究所がやってくれてるもの。昨日は、「第477回市民大学講座」として、「百済瓦の歴史―周辺国との関係を中心に―」というお題で、同大学考古学研究所長・附属博物館長清水昭博さんのお話を聴くことができました。以前、この講演会で、「瓦」だと色めき立ち、結果、外されたことがあったんだけど、今回は、正真正銘、期待に応える有難い講座となりました。今、同大学博物館では、「古代朝鮮の瓦」をテーマに展示が行われているようで、その関連講座の意味合いもあるものとなりました。まずは、古代朝鮮の歴史、中でも、本講演のテーマになっている百済の歴史について概略話がありました。その百済の歴史を彩る都は3箇所(①漢城、②熊津/ゆうしん、③泗沘/しひ)。各々の変遷に伴い、変化の生まれてくる様々な瓦の特徴を伝えるというのが、お話の眼目と看えました。①の遺跡は幾つかあるようですが、王宮址はオリンピック公園のあるところだから江南、チャムシル(蚕室)の近くですね。これ、知らなかった! ここでは、既に瓦生産は行われており、文様の種類も幾つか出ているとか。瓦当面(がとうめん)は楽浪郡ものに似ているが、文様は違い、銭文(貨幣の形状)で、それにもヴァラエティがあることから長期に渡り使われていたことが推測できる。この文様は「王室の富と権力をイメージ」した文様だそうです。日本に多い蓮華文も、少ないが出土。近いデザインは高句麗にあり、蕾(つぼみ)文、蓮蕾文となっているが、外側が高くなっているという特徴があるそうです。遺跡によっては、北魏系の瓦当文様の系譜に属する蓮華文も出てきており、楽浪系の技術を基層として、百済オリジナルな銭文の瓦が生産される一方、周辺国の影響も受けるという多様性を見せているようです。この点については、獣面文の瓦も出てきているそうで、これなどは、中国春秋時代の風習である「獣」は「神獣」を表し、「人を守る獣」との習慣に則ったもので、更に、線で獣を表現していることから、立体的表現を採る北朝ではなく、中国南朝の伝統を受けているということでした。また、出ましたね。百済と中国南朝との深いつながり、この後も、再三出てきます。②では、ほぼすべてが蓮華文、銭文は引き継がれていないそうで、花弁の先端を膨らませるという特徴があり、これは南朝の影響。ここで、②の時代の南朝との関係を示す証拠をひとくさり。これは、以前の講演でも聴いたお話。有名なというか、発見されてから10年くらい(1983年)に、黄紺自身も行ったことのある「武寧王陵」が南朝との関わり合いを示しているというお話。塼室という構造になっている、要するに、塼(レンガ)を積み上げた墓が南朝に多い形式ということです。宋山里6号墳(円墳)の塼に刻まれた文字に「梁」の文字があり、大通寺の「大通」は梁の年号と、著名な証拠も、しっかりと出てきました。蓮華文の特徴としては、先端部だけが膨らんでいる形状(弁端点珠式)で、このあとの百済の瓦の中心になっていくそうです。また、大通寺瓦は、このあとの③でも出土してきており、同じ職人が、同じ木型を使って生産したことが推測できるそうです。③が百済最後の都、現在のプヨ(扶餘)ですね。旧衙里(くがり)廃寺では、大通寺の木型をモデルに造られた木型を使用しており、扶蘇山城の瓦は、大通寺の木型から少し変化しており、弁端に切り込みが入り、ハード型になっている。扶蘇山城の対岸の王興寺(おうこうじ)の瓦は、若干の変形が看られ、弁端の隆起を円形、三角形にした瓦が出土しているそうです。この寺跡からは、マトリョーシカ仕様の舎利容器が出てくるという大発見があったところです。調べてみると、その舎利容器は国宝になってました。これらの百済の瓦の周辺地域への影響が、このあと続きました。まずは、日本の飛鳥寺。この寺建立には、百済から支援する職人が派遣されていることから、百済仕様の瓦が出てきています。それらを、形状により、宝塚風に「花組」(弁端三角形)「星組」(弁端丸い膨らみ)と分けているそうですが。これは、「作る技術が違う」、即ち「技術者が違う」ことを示しているそうですが、いずれもが、百済の最新の流行を導入したものと言えるとか。新羅月城(半月城)の瓦は百済式の瓦で、大和広瀬(奈良県)から出土の瓦は、この地に「窯があった」ことを連想させているそうですが、飛鳥寺のものとは違い、弁端がV字で、大きいものが出ているそうです。ただ、この形状のものは、ポリョン(保寧、、、プヨ近郊)の寺院跡から似た瓦が出ているそうで、百済王家と大王家との繋がりを連想させるものだそうです。7世紀に入ろうかという時期になると、異なった形状の瓦が登場してきます。「単弁蓮華文軒丸瓦」というもので、③でも出土が看られるが、副都イクサン(益山)地域の弥勒寺跡(実際に行ったことがあるが、行ってから、この寺跡の重要性を知るばかりです!)に多く出てくるとか。日本の百済大寺(山田寺)式に影響を与えたことが考えられているようです。更に、「複弁蓮華文軒丸瓦」も出てきているが少ない。日本でも660年代に創建された飛鳥川原寺で最初に採用されている形状ということを考えると、百済最末期に現れた形状で、百済滅亡のため、数的に少ないようだけど、こうして日本へ、また、新羅にも影響を与えた瓦だそうです。ということで、聴きたかった瓦の話。形状から看えて来る歴史、交流、おもしろい!
 朝の一時、午後の隙間狙いで、YouTubeで落語を3本、アトランダムに選んだ結果、①古今亭菊之丞「権助魚」(新宿末廣亭)②6代目三遊亭圓生「茶の湯」③3代目桂春団治「宇治の柴舟」の3本となりました。①は、「権助魚」の確認。一琴の口演との違いは、下げに関わる箇所、権助の買う魚は、一琴の口演から「サメだけ」なし、そして、下げは「関東一円で取れるか、いや、旦那から二円もらった」でした。もう1つ、細かな違い、権助が戻って来るのが「20分後」ではなく「15分後」でした。②は、上方で口演されているものとの違い探しのつもりだったけれど、違わなかった。このネタって、東京起源? 先代歌之助がやり始めるまで、このネタ持ってる人いなかったはずと、黄紺的には思ってんだけど、勝手判断? でも、こう違わないと移植もののように思えてしまっています。③は、3代目が捨てたネタなため、晩年は生で聴けなくなってしまったネタ。音源が生きてました。そして、この口演、抜群です。とっても若々しくって、テンポがいい。何で、捨てたんだろう? 「有馬小便」は出すと顰蹙を買ってたってこともあったので、捨てたのは解るのだけどね。もとより、持ちネタ少なかったんだから、、、。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「町田編」のあった日でした。話題は「なぜ、町田は神奈川ではなく東京?」というものだったけど、流れの中心は「多摩丘陵」。その南側にへばり付いた平地が、町田の中心となる市街地という構造の不思議を解き明かすというもの。黄紺的には、町田を感じたのは、菊名から新横浜に移動するのに横浜線に乗ったときだけだったな。横浜線に乗り横浜に出たことはあったけど、その横浜線には町田方向には行ったことがないけど、よく南武線とごっちゃになり、菊名に行くたびに、「こっちが町田に行くんだ」と思ってたことだけが、町田の思い出。どうでもいいこと、えらい昔のこと、思い出だしてしまってた。でも、最後、判らなかった。タモリの呟き、聴き取れなかったので、動画サイトで観直すことにします。


2022年 6月 11日(土)午前 6時 52分

 昨日は、平日の午後なのに、びわ湖ホールに音楽を聴きに行った日。そのため、いつもの昼前のウォーキングを、かなり前倒しにして実行。トルコでは、すっかりコロナは終わったで、関連の情報、全く流れていない。第一、日々の感染者情報、ワクチン接種情報など、新しいものが出なくなり10日が過ぎた。6/1以後は、日々の情報は出さない宣言したのもどうかと思ったけれど、その際、今後は週間情報を出すと言っておきながら、梨のつぶてとはこのこと。マスコミも、これについて著した記事なんて見かけない。どうなってるの、ホント、わけわからなさ過ぎです。情報の出し方は、この2年余で、何度か突っ込んだけど、何か、念押しされた感じがしてます。これが異文化ってやつだ。あれだけ、透明性を声高に言った長官殿は知らんぷりです。そんなで、朝の一時はできるわ、午前中のウォーキングの前倒しなんかも、やりたい放題です。
 びわ湖ホールでは、ダネル弦楽四重奏団のコンサートがありました。実は、このカルテット、チケット発売日が迫って来てから知ったもの。同じチケット発売日に、黄紺的には一押しというか、黄紺がそないなことをしなくても評価の高いエベール弦楽四重奏団のコンサートのチケットが発売となっていたのです。ところが、エベール弦楽四重奏団の方は、既に、他の予定で埋まってた日。そこで、同じ日に発売されるダネル弦楽四重奏団に目が行ったけど、知らない。そこで、ネット上に流れている評価をおさらいしてみると、えらく評判がよく、日本公演も繰り返し行っている。ならば、その評価にかけようと、チケットを買ってあったのです。一昨日は、同じびわ湖ホールで、ショスタコーヴィチの作品でレクチャーコンサートまでやってます。夜の公演だったので、そちらまでは行かなかったけれど、とにかく室内楽好きなもので、そんな賭けのようなコンサートに行ってまいりました。プログラムは「1番」を集めたもの、次のようなものでした。「①ハイドン:弦楽四重奏曲 第1番 変ロ長調 op.1-1“狩”」「②ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 op.51-1」「③チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 op.11」、それと、アンコール曲として「ヴァインベルグ:弦楽四重奏曲 第7番より第2楽章」が演奏されましたが、こちらは「1番」ではありませんでした。「1番」集めと言っても、①は珍しい。初めて聴いたんじゃないかな? ハイドンらしい、趣向を凝らし、1楽章の冒頭は狩りの角笛のような感じ。総体としては、機会音楽ですね。「弦楽四重奏」という名称よりか、「ディヴェルティメント」あたりで呼んだ方がいいだろうという曲でした。それはそれで、愛らしい、素敵な曲。この辺りで、既に、このカルテットの内声部の充実というか、堅さ、堅実さ、言葉はどれでもいいが、とってもしっかりしていることに気づいていた。それに、低音が固め、第1ヴァイオリンが自由闊達に動けば、間違いないの印象。その第1ヴァイオリンは、気が乗って来ると、演奏しながら左足が上がって来る。それとともに、のりのりの気分で音が出てくる。一方のチェロは、安定感抜群。これも、内声部の堅さが、チェロの安定感に拍車をかけています。ただ、ブラームスは、もう少し重く、重量を感じさせる演奏の方に惹かれてしまうな。白眉は③、この曲、思いの外、楽しめることを教えていただけた感が強いな。「アンダンテ・カンタービレ」として、つとに知られた第2楽章を持ちながら、演奏機会が多いとは言えない曲。黄紺も、生では30年ぶりくらいじゃないかな? YouTubeに上がっている演奏も、時々聴くけれど、いつ聴いても、知らない内に終わってるという印象。それと、やたら、ダイナミックレンジが気になる。PCの枠では収まらないなという感じなんでしょうね、だから、素通り気味に聴いてるみたい。そういったことを知った演奏でした。一糸乱れぬアンサンブルとは、正に、このチャイコフスキーの演奏のためにあるようなものでした。これは、いいもの聴いた、めっけものでした。いやいや、黄紺が見つけるのが遅かっただけでしょうが。
 昨日は、朝の一時に、落語を3本聴いた。①柳家一琴「権助魚」(2010/3/ 28 らくごカフェ柳家一琴蔵出しの会)②桂米朝「禍は下」③六代目笑福亭松鶴「掛取り」というラインナップ。①と②は比較の目的。ただ、②は偶然見つけたものだから、結果的に、そう言えるだけ。①は、寄席でも、よく出ますね。②は、そうじゃない。この違い、何なんでしょうね。②は、米朝ものという縛りがあるんだろうか。そのわりには、春若、染吉がやってる。ということは、噺家さんに不人気、上方限定で? よく判りません。一琴の口演、ちょっと変形かなという箇所と思ったのがあったので、メモっておきます。そして、他の音源で確認することにします。その箇所というのは、「(権助は)20分で帰って来る」「にしん、スケトウダラ、サメも買う」「サメ、人を喰うやつだ(という下げ)」。但し、下げについては、一琴自身が、「本来のサゲとは違うこの形は、平成13年に52歳という若さで亡くなった古今亭右朝師匠がお作りになりました」と、コメント欄に認めています。②を、偶然見つけたのは、この音源は、YouTubeにはアップされていないと思い込んでいたから。でも、あった。「20年、やってない」「勉強し直した」と、米朝は言っています。そして、この上方版は、「網打ちに行くと出る、それ用の袴を出せと言う」と序盤に入るのがポイントで、「袴」がモチーフになっているのが特徴。題名にも入っている「下」が「袴」と「奉公人」を指す仕掛けになっているからです。こちらは、定吉が買う「魚」は「メザシ、雑魚、蒲鉾」です。③は、上方落語を標榜するYouTuberのチャンネルで見つけたもの。先代松喬が「借金取り撃退法」という名で出していたものでした。「喧嘩」好きの前に、「狂歌」好きの大家を撃退しています。先代松喬オリジナルかと思ってただけに、そのルーツを見つけたということで、大収穫でした。


2022年 6月 10日(金)午前 7時 22分

 昨日も、一昨日同様、映画は行かなかった。一昨日に止めたときに、もう観るのは止めの気になっていたからでしょうね、昨日は、端から計画に入れてなかった。頭の片隅にはあったけど、行かないということから、一日の動きを考えてた。別に、何もお出かけはなかったけれど、夜にオンライン配信で、ちょっとした講演を聴くことを考えてたので、そのために、午後が窮屈になるので、その対策を一番に考えた時点で、映画は吹っ飛んでしまった。ということで、日に2回をルーティンにしているウォーキングは、きっちりと達成。ただ、午後の一時が、昨日は、そんなで短くなり、昨日も、落語&浪曲を聴いた。次の2本です。①二代目日吉川秋水「ぼろ忠」②笑福亭仁鶴「万国島巡り」。ともに、演芸関連の動画をアップされている方のYouTubeチャンネルの動画一覧を眺めてて、気になったものを選んだ。①は、正確に書くと「ぼろ忠の売り出し」とした方がいいのかもしれないけど、この「ぼろ忠」というのが気になった。どこかで、いや、誰かから、こういったネタがあるというのを耳にした記憶があったので、どんなネタが気になってしまった。侠客もので、19歳の若者が、名を売り出すきっかけになった賭場での出来事を描くものと言えばいいか、親分格の男の身なりを勝手に拝借して、賭場に出入り。ついでに金もくすめてきたものだから、それで大勝負に出るという、奔放な物語。ついには、喧嘩沙汰になり、なぜか、突然、国定忠治が出てきて止めに入るという破天荒な展開もありというもの。日吉川秋水、名前は知ってたけど、音源を聴くのは初めて。語り口が、幸枝若に似ている。調べてみると、日吉川家は京山家から分れたとあり、納得。②はレアネタ。仁鶴もマクラで言ってますが、これ、新作なんですね。そこで、これもネットで調べると「三田純一作」とあった。「まめだ」も、そう書かれるが、あちらは噺は米朝の作ったもの。こちらは、どうなんだろう? でも、よくできたネタだと思いました。出立や船出と、節目節目に噺が用意されている。そして、島巡りもして、女護ヶ島に渡るのも、いい流れだしと、よくできてると思いましたが、くすぐりがエロ系なのが気になった。長い噺だということともに、演じ手が続かない基になってるのでしょね。たまが出したことがあるのだけは覚えてるけど、誰か、続く人出ないかなぁ。仁鶴、入門15年目の口演、今から、もう40年以上前の録音になりますね。噺のけりの付け方は、夢落ちでした。ま、仕方ないですね、世界に出て行く噺ですから。
 夜のオンライン配信は、お馴染みのアートエリアB1からのもの。昨日は、京阪沿線カフェとして、 「出町柳で醸す、転生の酒!」というお話を聴くことができました。お話しをされたのは、松井酒造株式会社代表取締役社長の十五代松井治右衛門さん、聴き手に相当するカフェマスターは、京阪ホールディングス株式会社経営企画室事業推進担当の堀田英明さんが担当されました。京都市中に残る酒蔵は、確か、2軒だったと記憶しています。佐々木蔵之介の実家の佐々木酒造とここと記憶しています。以前、佛教大学の市民向け公開講演会で、佐々木酒造の社長さんの話を聴いたことがあり、とっても酒造りにかける篤い情熱を感じたのですが、ここの社長さんも、同様の情熱、感じました。そもそも、黄紺は、出町柳駅の近くの酒蔵と聴いて、その位置が判らなかった。「マンションの1階にある酒蔵」と、冒頭で言われたものだから、歴彩館からの帰りのウォーキングでは、必ず出町柳駅を通るので、場所が判れば寄り道しようかと、ググってみた。なんてことはなかった。出町柳駅よりか、結構、南にあったというか、荒神口の方が近いじゃないですか、それならば知っていました。画像で見せていただいた店構え、記憶にあります。何の店か、それすら知らなかった。それが酒蔵だったとは、驚きです。そんな街中だけど、元来は香住の出だとか。銘柄の1つ「富士千歳」の「千歳」は、香住時代、北前船で、北海道と交易していた名残だとか。江戸末期に京都(河原町竹屋町)へ、だけど、禁門の変で蔵の一部が消失したり、市電のための立ち退きで、出町柳近くへ移動。昭和40年代、近隣で地下工事(京阪電車の地下化)が始まるというので、蔵を伏見に移転、複数社合同で製造。日本酒離れもあり、合同でとなったのでしょう。現在、そのとき一緒した酒蔵は、他に1軒も残ってないということです。どうやら、その1つに、「金瓢」の秋山酒造があったのじゃないかな? 現在、松井酒造では、その「金瓢」を受け継いで生産しているとか。秋山酒造は、三条にあった酒蔵です。黄紺的には、ちょっとした知り合いでもあります。2009年に鴨川蔵復活、これが、今の蔵ということですね。地下50m地点に酒にいい水が出たそうで、掘削業者によると、地下1㎞には温泉の出る場所だそうです。熱源は、何でしょうね。このときに、店頭で見かけるようになった新しい銘柄「神蔵(かぐら)」を造るようになったとか。黄紺的には、この酒蔵の歴史に関心が強くいったけれど、お話は、ここまでが、ほぼ前半。後半は、やっぱ、日本酒離れの時代における販売の工夫、苦労話。上にも書いたように、ここが、情熱の傾けどころ、酒生産も併せてというところでしょうか。特に、コロナ禍での消費の落ち込みは、かなりの厳しさを見せているということもあります。ここの酒蔵、四季生産をしているというのが特徴です。酒造りというのは、寒の仕事ではなくなってきているというのは、初めて知ったこと。温度管理が、完全にできれば可能なわけだから、それをコンピューターに頼るというのが、今の酒生産の方向性のようです。酒をベースにしたリキュール生産で購買層を増やそうとの努力、パッケージなどの売り方戦略、そして、近年の日本酒業界の販路拡大と言えば「輸出」。中国への輸出の伸びに期待がかかるようです。「その土地のものを食するには、その土地の酒が合う」、こういったコンセプトが中国で伸びている、これ、中国で日本食人気が出てきているというトピック、どこかで聞いたことがあるので、いたく納得。従って、いい酒が売れているそうで、輸出量では多いアメリカは、そういった高価な酒ではないので、金額的には中国に期待がかかっているようでした。日本酒の話は、何を聴いても、なかなか興味が尽きないものがあります。黄紺的には、日本酒好きってところがあるからかもしれないけど、いい酒は飲んだことがないものだから、あくまでも話としてしか聴けないけどね。


2022年 6月 8日(水)午後 8時 25分

 今日は、予定表には、映画となっていた。でも、もう目が覚めたときに、気が乗ってなかった。丁度、12時あたりから始まるというので、何と言っても窮屈そうなのが、映画の中身を超えて気になっている。結局、起き上がり、朝の定番、トルコ関連の情報収集をしていても、一向に気分が変わらないので、ヤンペにした。そう決断すると、時間に余裕ができた感が出てきて、なんか、ラハトになれた。この間、こういったときも、出かける方にシフトしていたのに、またぞろ逆戻りです。規則正しい生活が崩れるのが嫌なんだなぁ。
 今日は、おまけに、お昼を食べたあと、贔屓の韓国系YouTuberの動画を観ていて、寝落ち。昼間から寝落ち。なんか、寒いので、目が覚めたら、小1時間、PCの前で、椅子に腰かけたまま寝てたみたい。夜だといつものことなんだけどね。晩酌をしていい気分になり、PC画面を前にして寝落ちなんて、毎度のことだけど、昼食から続いて観ていた動画の途中で寝落ちとは、びっくり。結果、午後の一時が少なくなってしまった。お出かけなしのときは、落語&オペラ配信をYouTubeの楽しむというのが定番だけど、今日は落語だけになってしまった。3本聴いた。全て、音源だけだった。①桂二葉「打飼盗人」②笑福亭松鶴「次の御用日」③桂米朝「雁風呂」の3本。①は、以前から狙っていたもの。なんで、こんなものがYouTubeに流れているのか訝しく思ってしまうのだけど、流れているので利用させてもらった。生でも聴いたことがあるけど、生で聴いたよりか、スピードアップしてる。先日も、鶴瓶とのトークの合間に聴いた「真田小僧」も、やたら速いと感じてしまった。生で聴くよりか、体感時間が違うのだろうか? それとも、コロナ禍で聴けてない間に、二葉の口演スタイルが変わってしまったのでしょうか? 評価されてるのは、従って、黄紺の知らない方ですね。それは置いておいても、イッキョイはある。ぐいぐい引っ張るパワーがある。この夏、2回、京都で生二葉を聴けるので、その辺を確認しながら、楽しめたらと思っています。②は、「次の御用日」の語句探索のために検索したら、見つけたもの。「そうだ、6代目ものがあった」と、今更ながら、己の忘れにたじたじです。で、この口演、めっちゃ、奉行がいい。奉行の懐の深さというか、それが抜群。呂律が回らなくなる以前の音源のようで、いい感じで推移します。で、問題の地名が出てくるのは、事件が起きる前の描写のところで出てくるのは、判ってることだったんだけど、「漢字ものが多い」というのは、「多い」とは言えないんじゃないかなという結論。ただ、6代目版ではとの注釈付きだけど。ただ、この口演、下げが判らなかった。なんで? ③は珍品です。この音源って公開されてましたっけ? 黄紺的には、米朝の公演で、このネタが出ているのは見た記憶はありません。ただ、弟子の先代歌之助が出したのを、確か「聴いているはず」と思っているだけか、「このネタを出す案内葉書をもらったことを覚えてるだけ」なのかもしれないけど、少なくとも歌之助はやってたので、米朝からの流れだとは思ってるんだけど、米朝ネタとしては抜かしてしまうネタですね。現役の噺家さんでは、文三と染雀が持っていますね。染雀が繁昌亭で出したときに、五郎兵衛から「釈ネタはトリネタ」とのクレームがついたというトピックがあったということで、このネタに触れるたびに思い出してしまいます。米朝も「十数年やってない」と、マクラで言っています。そんな口演に立ち会った人たちがいるんですね、ちょっとジェラシーを感じちゃいました。


2022年 6月 8日(水)午前 7時 58分

 昨日は、1日中、気温がさほど上がらなかった日。午後のお出かけは、長袖の上着は持っては出てたけど、半袖のままで過ごすと、途中、休憩のためにベンチに腰を掛けると、長くは座ってられない。風が厳しかったなぁ。夜には、トレーナーを着ていても寒くて、ついに電気ストーブをつけてしまいました。なんか、上がったり下がったりで、気温が下がると、ウォーキング時の軽さが違い、なんか、このくらいの気温が体調に関わる臨界点を上下してるんでしょうね。見事に、気温に呼応して、しんどさが違う。昨日は、午後のお出かけでウォーキングの1回分、朝にも時間ができたので、そこでも、きっちり1回分のウォーキングをしたら、午後の部がたっぷり系だったため、自宅に戻って来たとき、万歩計を見て、びっくり、2万歩を超えてました。疲労度は、そこまで行ってなかったのだけど。
 午後のお出かけは、ちょっと久しぶりの京都学歴彩館へ。昨日は、「資料に親しむ会」のあった日。いつもと同じ時間に行って、びっくりしました。電車の都合で、開場直前に着くはずが、会場に着くと、もう開いている。おかしいなと思いながら会場に入って行って、あっさりと納得。いつもでは考えられない人の入りだったので、係の人が、若干、早めに開場したようでした。このご時世に、補助席、出してたしね。多分、今回のお題に惹かれたんじゃないかな。「資料でたどる京都買物案内」というのが、そのお題。「広告」というタームの成立から始まって、その広告の歴史を、資料でたどるというもの、しかも、京都の資料でというのが惹き付けたようです。宮武外骨によれば、「広告」は、明治5年に「横浜毎日新聞」で使われたのが初出だとか。「報條」「弘め」「公告」などもあったそうで、明治20年以後は「広告」に収斂したそうです。その押さえが済むと、あとは、近世ものの資料から始まり、明治、大正、昭和と時系列的に追われて行きました。その中のトピック的なものをメモっておきます。「天保年間に出た業種ごとの店舗案内で、既に、携行の便利を考えてか版の小さなものが出ている」「明治初年の買物案内の巻末に大坂・京都間の汽車の時刻表が付いている、運賃も」「明治23年発行の“都の名華”は広告取次の会社が発行している、、、、既に、広告を専門的に扱う会社があったということ」「明治42年発行の“京都大観”は、京都の名勝の写真の周囲に広告が掲載されている、、、単なる広告一覧でなく複合的な価値の創出というところか」「大正12年の“万有商報”では、画と広告を左右ページで対称させ読み物化している」「昭和に入ると、地域マップに商店・工場などが描き入れられた案内図の登場、裏面には、それらを一覧表にして電話番号を付け加えている」「年代の特定ができないものだがとして、“電話番号簿”“京都商工人名録”の紹介もあった」「呉服店(百貨店)の広告という括りでの資料紹介、新聞広告と各呉服店の会報誌の紹介、、、会報誌は展示されていたので中味を観たが、商品一覧だけではなく商品紹介などの記事が詳しく載っていた、布地のデザインが素晴らしく、当然、その背後に図案家の存在が見えてくるのだけど、それについての記述は見つけられなかったが、講演の中で、竹内栖鳳が、高島屋の画工室に勤めていたことで、“栖鳳絣”として売り出したことが紹介されました」「村井たばこの看板撤去事件の紹介」「印刷関係資料(商品用にラベルなど)コレクションの紹介」。資料そのものはそそられたのだけど、この講演会は、あくまでも「資料紹介」に徹しているので、「講演内容としてはつまらん」が一貫してあるので、ぼちぼち撤退しようかなの気になってきています。
 昨日は、朝の一時に落語を2本聴いた。①三遊亭圓生「浮世風呂」②三遊亭遊かり「悋気の独楽」の2本。①は、存在すら知らなかったネタだったもので視聴、映像が残っています。これは、なかなかおもしろい、凝ったネタと言っても、「浮世床」と同じ構想。床屋から風呂屋に替わっただけ。冒頭のボケた婆さん以外は、湯舟につかる人たちの点描だけど、これが音曲尽くしになっている。都々逸、常盤津、新内、義太夫(最後に「豊竹屋」の冒頭)、厄払いのパロディ(湯払い、湯尽くし、垢払いで下げ)となっていました。こんなのできる人って、そんなにいるわけではないので、目に、耳に止まらないんでしょう。でも、継承していって欲しいネタです。②は、YouTubeの「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」に、遊かりが度々登場するものだから、この人の落語を聴いておこうとの魂胆でチョイス。東京の「悋気の独楽」は、丁稚に旦那のあとを付けさせ、丁稚が旦那に丸め込まれていると看るや、あとを付けさせたのがもう1人いるとウソを言って、丁稚に喋らせてしまうというもの。遊かりの口演は、キャラが不安定なものだから、ちょっと聴きにくかった。そこへさして、現代的な感覚の物言いが入るから、聴いていてイメージがつきにくいというものでした。ちょっと、しんどい。
 お出かけ前、及び、帰宅後は、ひたすら、RadikoでKBS京都の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」を聴いた。火曜日の定番です。二葉は、「次の御用日」が仕上がったことを話題にしてました。師匠の米二にもらったそうで、そう言われたら、米二が、「めったにやらないレアものです」と、自身のTwitterでか書いてたのを思い出しました。二葉も「師匠は2回くらいしか、やってないネタ」と言ってましたから、レアだけど、持っているということです。梶原さんも、二葉のTwitterを押さえているようで、「よく時間が取れましたね」と感嘆してました。米二も、二葉の都合で、稽古の時間を合わせてくれたそうです。この辺は、米二って、ホント、弟子が売れることを喜んでいるのが、よ~く判ります。「そうだろうな」と思ってしまいます。稽古帰りに呟いたと思える二葉のTwitterへの書き込みは、師匠への感謝に溢れた言葉も、そういった点にあるのだと、いたく納得。「次の御用日」は、「地名が多い」「漢字が多い」ので、「覚えるのが大変だった」と言ってました。「そうなのか」と言われて、「地名」は、なんとなく納得できたのだけど、「漢字」は解らなかったので、また、「次の御用日」を聴いてみます。今度は枝雀にしようかな。黄紺的には名演とインプットされている映像が残っているはずです。それと、「若手噺家グランプリ」が話題に上がってました。「NHKとは違う難しさのあるコンペだ」と言ってました。そこで、NHK対策を振り返っていたのがおもしろい。「アホという言葉を予選では使わないようにした」「マクラを予選と本選では変えた」「予選では、大阪弁辞典に“喜六”が載っているといった蘊蓄を入れた」。一方の「若手噺家グランプリ」では、たまの対策話と共通したこととして、「新作を出す人が増えている」との認識を言ってました。このコンペの客は、コアな落語ファンが多いので、マニアっぽいくすぐりや、新作が効くといったことでしょうね。そういったなか、二葉が出すのは「ガマの油」という古典。さて、2冠達成なるのでしょうか。


2022年 6月 6日(月)午後 11時 8分

 今日は、朝からお出かけ。いつものお昼前のウォーキング替わりにと出かけてみた。お出かけ先は京都産業大学むすびわざ館。こちらのギャラリーで開催されている「第25回企画展 女子宮廷装束の華」に行ってきました。小さなギャラリーだけど、毎度、そそられてしまう展示がされるので、しかも、案内を、丁寧にいただけるものだから、ほぼ欠かさず、行ってるのじゃないかな。企画展が開催されると、その関連イベントとして、シンポジウムなどが企画されることもあり、併せて楽しませてもらっています。今までは、そういったイベントがあるときに、企画展にも入るというのを定番としていたのですが、考えることは、皆さん同じということで、混みあうのが嫌で、ましてや、コロナ禍のおかげで、イベントが、同時にオンライン配信されるということで、ならば、イベントはオンラインで視聴して、そういったイベントのない日にギャラリーにはおじゃましようかと決めました。その1回目でした。今回も、イベントが2回用意されているので、そのイベント開催前に行っておこうじゃないかということで、今日という日を選んでみました。このギャラリーは、月曜日が開いているというのが、もう1つの嬉しいことでもあるのです。「女子宮廷装束」って、一言に「十二単」というタームで表されるものでしょうが、それは、歴史を追うと正確じゃない。今のような格好になったものを「十二単」と呼ぶようで、江戸時代に固まったもののようです。徳川は、御所を大事にしたというか、立てるようなことやったってこと、色々と聴きますからね。それに先行する時代には異なったものがあった、要するに歴史があるということを教えていただけました。装束の形状だけではなく、ヘアスタイル、化粧、また、装束の色。これらが、総合的な変化を遂げているということが、よ~く判りました。装束の個別の名称って、普段使わない漢字や読みが使われるので、解説を理解するというか、難解なことが書かれてあるわけではないのだけど、慣れないターム、文字、読み方が邪魔をして、躓きながら歩いている風情で、内容把握に努めることになりました。「唐衣」の形状、初めて知りました。言葉だけ知ってても、何もならないですね。一番上なのかな、肩衣ですね、早い話が。しかも、上半身をカヴァーするほど、丈が長いものではないことを知りました。色が肝要だということで、草木染の展示があったのも、楽しめたとともに、お勉強になりました。さて、このくらいの理解で、シンポジウムなどのイベントの理解ができるでしょうか? 慣れない、でも、知ってみたいというテーマなもので、不安が残ります。でも、事前に観てないよりか、いいかの気分でいます。
 この往復は、当然、ウォーキングを兼ねてのものだったけれど、今日は、夕方のウォーキングの途中まで雨が降り続いた一日。幸い、細い雨が降り続いたという感じだったので、ウォーキングには障りがなかったのは助かりました。そんなで、自宅に戻ったのも、いつもの昼前のウォーキングから戻る時間と、ほぼ同じ。午後の一時が、一人前にあったということです。今日は、落語1本、長めに旅系YouTubeを長めに、最後はオペラ配信というラインナップとなりました。落語は、桂米助「猫と金魚」(2021/5/20 浅草演芸ホール)。先日聴いた「猫と金魚」が、くだらない、可笑しいというので、他の噺家さんで聴いてみたくなり選んだというわけだったのですが、前半は、相撲をネタにした漫談風マクラということで、あれれと思ってたら、ネタ自体は、かなりショートになってました。YouTubeの動画というのは、よくお世話になっている無職旅さんのチャンネル。ジオゲッサーしかと言っていい程度のファンなのだけど、今日、動画一覧の中に「海外のいい感じの路地」と題して、視聴者から集めた画像を流しコメントを入れるというものにはまってしまってました。地域を限ってないために、それこそ様々な地域が出てきて、中毒気味になったばかりか、自分の手持ちの写真を眺めてみたくなるという副反応を起こしてしまいました。結果的に、この動画を観ているというよりか、自分の旅写真を観ていた時間の方が長かったかもしれません。「路地」という言葉は、黄紺的には韓国に導かれてしまい、まずは韓国からスタートしてしまってました。保寧(ポリョン)とか永同(ヨンドン)なんて、1回しか行ってない町って、行き慣れた街角より、よく覚えてる不思議がありますね。そして、オペラ配信は、さわりだけ観ていた「さまよえるオランダ人」(モネ劇場)を本格的に観るつもりが、あっさりと寝落ち。1つには、ダーラント(アルフレッド・バイター)が、何かの間違いかと思うほど、バスっぽくなかったのでと、人のせいにしてますが、これは、あんまりです。そうかと思うと、エリックが、えらくいいなと思ってると、トルステン・カールだったりと、歌手陣のちぐはぐが気になります。ゼンタのバラードでは、さすがに覚醒。アニヤ・カンペは、生で聴いているだけに、十全とは言えないだろうけれど、その片鱗は観ることのできる歌唱。選んで正解だったと思う反面、プロダクション的にはつまらない。装置も小さな円形の回り舞台くらいで、2幕で、門と思わせるような縦長のオブジェが出てくるくらいで、群像劇的展開になっています。さて、終盤に、何かが用意されているでしょうか、気になっているところです。


2022年 6月 6日(月)午前 7時 15分

 昨日は、お出かけありの日曜日だけど、不満は、日曜日の朝の楽しみ「日曜美術館」の新作の放送がなかったこと。前から判ってたことだけど、NHKプラスで観れなかったり、旧作の再放送をしたり、鬱陶しいことを続けてくれています。一昨日の土曜日は、「ブラタモリ」のない日だったもので、黄紺的週末の楽しみ方に変調をきたしてしまった。だから、午後からお出かけ予定があるにも拘わらず、昼前のウォーキングの時間を、かなり前倒しをして、いつも通りの時間を確保できた。これはこれで、嬉しいことなんだけど、「日曜美術館」がないと、気分的につまらない。
 午後のお出かけは、文化パルク城陽へ。落語や浪曲でお世話になっているプラネタリウムではなく、昨日は、1階下の会議室での講演会へ。城陽市歴史民俗資料館が、春の資料紹介関連事業として開催した「城陽市の最新文化財情報」というお題の講演会でした。こちらでの講演会は、コロナ禍で、2回だったか、キャンセルになったので、ホント、久しぶりです。ここは、キャンセルしかしない、延長して、タイミングを見計らって開催をしないという方針なもので。なかでも忘れられないのが、「奈良電」をテーマにした講演会。沿線都市としての目でもって、このテーマは痺れたんだけどね! でも、ダメだった、延長しなかった。めっちゃ、不愉快な気分になった記憶があるけど、主催者がやらないんだから、受け身のこちとらは従うしかなかった。城陽というところは、木津川と山との間に、多くの古墳があるところ。洛西側の向日市で聴いた古代をテーマにした講演会では、この両者は、巨椋池を挟んで対置しているので、思いの外、1つの文化圏であったのだろうという話を聴いて、いたく納得してしまったことがあった。奈良と京都の中間地点でもある、長池宿は、その絶好の位置で繁栄したと言います。で、昨日のお話は、京都府埋蔵文化財調査研究センターの小泉裕司さん。長年、城陽市教育委員会に勤務をされていて、地元の文化財保護、考古学の発掘をされてきた方、埋蔵文化財センターに移動後も、城陽市内の発掘に関わっておられる方だそうです。お話で取り上げられたのは、小樋尻遺跡の発掘成果。この講演もコロナ禍で中止となったものだそうですが、民俗資料館の展示があったことから復活したそうです。そのため、「2年間分の発掘成果をお話します」ということでした。ところがですね、机上に置かれていた資料を見て、「これはやっちゃうで」と思ってしまったのがいけなかったのか、やっちゃいました。ほぼ全滅じゃないかな。埋蔵文化財の発掘報告あるある話ですが、発掘現場の各ポイントで、何が出て来てとの細かな報告が延々と続く。「だから、どうなの」的なお話は、まとめで、ようやく聴けるというパターン。そこまでにはまらなければ、落ちてしまうというのが定番。昨日は、配布資料を見て、ダメと思ってしまったのでした。井戸、杭址、溝、竪穴建物址、それらの1つ1つから、何が出てく来たのかを、画像付きで見せていただけたんだけど、ダメでした。1つだけ、覚えていることがあります。木津川から水を引いてきたのではないかと考えられる水を通す管のようなものが出てきた話。配布資料を見ても判らないんだけど、その出てきたものから、こないなことをやってたんじゃないかという想像図をスライドにして出されていた。水の流れの両脇に腰かけられるような四阿のイラストでした。水に関わる儀礼跡か祭祀跡かと考えているというお話でした。こういう「へぇ~」が出るお話が続けば、どこかで覚醒したのでしょうが、これ、最後の方でした。でも、発掘する箇所は、全遺跡の僅かのポイント。正に、点を繋げて、面を想像する、再現していく作業ですね、こういった考古学の発掘調査ってのは。これは、講演後、今度は、民俗資料館の展示場での解説があったのですが、こちらでも、同じようなことを感じた。こちらでは、小樋尻遺跡と、巨大前方後円墳である久津川車塚古墳の詳細も展示されてたので、そちらのお話もされたんだけど、巨大前方後円墳のくびれの角が判ったというのが、最新の大きな発見で、これで、形状の再現ができると言われていました。1個の点が判ることで、そないなことになった発掘現場の写真を見ると、石の並びに出っ張りがあり、そこが問題のくびれのようでした。この展示会場でのお話で興味の湧いた点、メモります。「埴輪って、赤く塗っていた」「焼きあがって来てから塗る場合と、焼く前に塗る場合があり、両者には色の違いができるので判る、また、後者の方が色がしっかりと着く、、、まあ、そうでしょうな、でも、塗ってから焼くって釉薬的発想に繋がりますね」「赤い埴輪と白い石を段違いで並べていた、紅白の鮮やかな対比、、、視覚的なインパクトが古墳にあったなんて、びっくりです!」。この久津川車塚古墳や、名は忘れたけれど、その周辺の古墳、それと、廃寺跡、史跡公園になっている正道官衙遺跡などを、一人巡検をしたことがあります。もう15年以上前だったと思うけど。そのとき、強烈にインパクトが残ったのが、久津川車塚古墳。だって、この古墳、JRの線路が縦断して貫通してるんだもの。我が目を疑った、「これ、そうだよね」「貫通してるよね」って! 官衙跡があるってことは、政治的にも極めて重要な土地、やっぱ、上にも書いたような地理的な位置で、かつては欠かせない土地だったことを知ったものだから、こういった展示や講演会に惹かれてしまうのですが、、、。


2022年 6月 4日(土)午後 7時 56分

 気温上昇は看られたけれど、湿度が低く、とっても爽やかな気候の土曜日。夕方のウォーキングなどは、汗をかいてんだろうけれど、あっさりと乾いていく。いい風も吹いてるものだから、ウォーキング疲れなどというものとは無縁。6月の梅雨入り前に、こういったお天気があるって、ウソみたいですな。今日は、土曜日にしては、珍しいことに、お出かけ予定なしの上に、オンライン配信の予約も何もなしの一日。出かけようと思うことはないわけではなかったのだけど、別に、今日でなくてもいいものだから、止めた。2日連続で、夜に出かけたってこともある。わざわざ、週末に出かけなくてもいいじゃないかの気もあるものだから、簡単に止めた。となると、いつものように、ルーティンにしているウォーキングを日に2回するのだけが外出時間。そんなだから、何もなかったけれど、今日は、Sのお誕生日。Sが産まれた日はポーランドにいた。そう思うと、ついでに、Dが産まれたときはセルビアにいたことを思い出す。セルビアに行ったの、もっと前という感覚あるけど、Dの年齢を考えると、そんなに昔じゃないことに、毎度、気づく。DやSと会ったのは、1ヶ月前。どうしてんだろうか? お誕生日だと思うと、一緒に遊んだことなんか思い出されてしまう。ウォーキングのときって、そんなこと思い出しながら歩いてると、とっても時間が経つのが速く感じられてしまう。それだけ、妄想に耽ってるってことですね。
 今日は土曜日で、楽しみにしている「ブラタモリ」のある日だけど、今週は放送がない。だったら、動画サイトにアップされているものを観ようじゃないかと、2本、観た。「松本編」と「横浜・川崎編」です。実際の放送時は、NHKプラスで観るものだから、画面の1/4は観ることができない。黄紺宅にはTVがないものだから、当然、受信料を払ってないものだから、見逃し配信も受けられない。そんな身なものだから、こういった動画サイトは有難い。フル画面で観ることができるから。そんなで、2回、3回と、「ブラタモリ」は観ている。「松本編」って、最近、よく登場する複合扇状地もの。かなり徹底して、松本城を切り口に地形と街の関りを押さえてくれている。国宝五城の内2つ行ってんだけど、ここと松江城だけなんだよね。関西に住んでいながら、彦根城も姫路城も行ってない黄紺です。「横浜・川崎編」は、京浜運河を教えてもらった大切な回でした。つい最近の放送だったけれど、2回目を観ても、楽しいね。
 落語も、YouTubeで、2本、視聴した。①笑福亭鶴二「御神酒徳利」(2015/12/6 稲田観音落語会)②古今亭志ん生(五代目)「庚申待~宿屋の仇討」の2本です。①は、引き続き「御神酒徳利」の探求の一環でのチョイス。上方の噺家の口演なので、何やら、新たな発見があるかと期待をしてのチョイスだったのですが、鶴二、文珍からもらったものでした。ですから、テキスト面での発見はなしでした。②は、気のもんで「志ん生」で検索をしたら引っかかってきた。「宿屋の仇討」と書いてあったので、ま、「宿屋仇」だろうとは思ったんだけど、その前の「庚申待(こうしんまち)」が付いている理由が気になった。所要時間のわりには、「あたま山」ともう1つ、何かのネタをかいつまんでお喋りしてるので、ますます「?」になっていったのだけど、ネタに入ると、「宿屋仇」とは構成が別ものだけど、「宿屋仇」の「仇討ち」のプロットが、そのまま使われているというものでした。庚申の宵に夜明かしをして語り尽くすという江戸の街の風習を枠組みにして、皆が喋り出す。舞台になっているのが宿屋というのがミソ。各自が話をしているなかに、「仇討ち」話をする者がいた。そこで、2階から手が鳴る。上方の「宿屋仇」だと、「伊八~、伊八~」といったところですね。ここで、ようやく「宿屋仇」の噺に合流するという筋立てでした。調べてみると、上方のように旅噺とするヴァージョンもあるようです。これも、調べる必要が出てきました。「御神酒徳利」も調べ尽くしたとは言えない段階で、また、調べねばならない課題を背負い込むことになりました。でも、楽しいです。落語で、いろいろと探求するのって、極楽です。


2022年 6月 4日(土)午前 7時 2分

 お出かけ3連続の3日目も、夜のお出かけ。昨日の行き先は京都観世会館。昨日は、こちらで「第266回市民狂言会」がありました。最近は、年に1~2回、この「市民狂言会」で、観世会館に行くだけだけど、座席の交換が行われていて、びっくり。薄手の素材を使ったからでしょうか、僅かに座りやすくなったという印象。でも、客脚が伸びなかったのにも驚きました。入場料の高騰が影響しているのか、それとも、平日の夜のイベントは、京都ではダメになってしまったのか、、、でも、以前は、それこそ、満席続きだったのにと思いながら、観始めると、役者の違いかなという印象を持ってしまいました。現千五郎の世代になり、昨日の出演者に限って、そうなのかなとは思ったのだけど、地味系にシフトしちゃってます。現千五郎の世代は、人材が豊富かと思ってたんだけど、彼らも、もうアラフィフ世代だもんね。逸平くんを、初めは、お兄ちゃんの宗彦くんかと思い、いやいや、お父ちゃんの七五三さんに、随分と似てきたと思えるような、、、それだけの時間が過ぎてしまったのですね。番組は、次のようなものでした。狂言「①鬼の継子」(鬼:茂山忠三郎、女:山本善之)、狂言「②鞍馬参り」(太郎冠者:茂山逸平、主人:茂山千之丞)、狂言小舞「盃」(茂山あきら)「うさぎ」(茂山茂)「道明寺」(茂山宗彦)、狂言「③鍋八撥」(浅鍋売り:茂山千五郎、鞨鼓売り:山下守之、目代:網谷正美)。そんなにも出ない曲が並びました。なかでも、③はレアもの。黄紺的には30年は観てない代物、従って、これがお目当て。①は、出逢った赤子連れの女を相手に、食べるという脅しでお妻様にしてしまおうかという不届きな鬼が主人公。でも、この鬼、子ども好きだった。また、だからこそ「食べたい」と言う不届きな鬼。だけど、注意力の足りないのが傷でした。荷物と赤子を入れ替えられても判らなかった愚かな鬼でした。アドを務められた山本さん、貴重な忠三郎家の戦力になっておられるのは把握していたのですが、遭遇は初めて。台詞回しのしっかりした方ですね。一方の鬼は、もっと威張ってもいいんじゃないでしょうか。先々代の千作師の鬼の面影がちらついてしまいました。②は、なかなかおもしろい。主従で鞍馬参りをしながら、太郎冠者だけが福を授かったため、それをよこせと言う主。この設定からして可笑しい。散々なぶってからでも福を譲る太郎冠者。主仕えの悲しい性ですね。③は、前観たとき、「最後に浅鍋が割れる」「どよめく会場」の印象が強烈で、千五郎が浅鍋を紐に吊り下げて持って出てきたときから、あれを、いつ、どういうきっかけで腹に巻くのかばかりが気になって! そして、上手く割れるだろうかと、余計な心配をしながら観ておりました。もう1つ、見どころがあるのは、すっかり失念してました。鞨鼓売りは、最後に幕入りをするときに、側転の連続だったの、その側転が始まるまで忘れていました。ここで、ようやく、山下さんが抜擢されたわけが判明。山下さん、狂言師になる前、確か、どこかの劇団にいた人のはず。こういった体育会系技能を、そこで習得したんじゃないかな。棒振りも見事だしと、ええ人が茂山家にはいますね。筋立ては、市での店の位置取りを巡る争い。後から来て、「俺が一番」と言う浅鍋売り、すっぱもどきの男です。目代が出てきて仲裁。網谷さんの声も、すっかり爺さんのそれになってます。そこで、各々の技比べになるというもの。で、側転で鞨鼓売りがはけると、その側転をまねようとして腹から落ち、ここで割れるという趣向。案の定「どよめく会場」、いや「悲鳴に近い」と言えばいいかな。立ち上がった千五郎の下で、無事に「浅鍋は割れて」いました。でも、前に観たとき、腹から落ちたの、正中でだったと記憶してましたが、今回はシテ柱の傍ででした。恐らく、もう「鍋八撥」を生で観る機会はないでしょう。生涯最後の「鍋八撥」でした。
 朝や午後の一時は、落語三昧。1つは、ポッドキャストを使い公開されている「桂あさ吉内弟子日記」の聴いてない分を、全部聴いておこうという試み。あさ吉が、米朝宅で過ごした3年間を記した「日記」というよりか「メモ」を読み上げていくというもの。ごく些細なメモが記されているのだけど、中毒系の配信です。あさ吉は、節目には、これを売りにして、会を設えているほどで、中毒を起こしているのは、何も黄紺だけではないようです。昨日聴いた中には、その会で収録した部分も流れていました。また、ある回では、動楽亭の楽屋ででも収録したのか、雀喜、ひろば、弥壱を前にして読み上げ、各々が感想を述べ合うというものも。ひろばって、枝雀が亡くなってからの入門だったこと、これで知りました。「米朝師匠と枝雀師匠が話されてるのを知らないんです」と。このビフォー世代の雀喜とあさ吉が、急に、えらく格が上がったように見えてしまいました。YouTubeを使った落語の視聴は、次の2本。①古今亭菊太楼「猫と金魚」②桂文珍「御神酒徳利」。①は、よく出るネタながら、聴いたことがないというのでピックアップ。出るわけが判りました。これ、めっちゃ、しょーもない、しょーもなさ過ぎの可笑しさ満載です。逆に、「このアホげな筋立て作った人、偉いわぁ」と思うほど、しょーもなさ満開でした。他の噺家さんの口演も聴いてみます。②は、上方ものを探るということが目的だったんだけど、その目的じゃ、文珍ものは失敗です。奔放にいじる能力を持つ人だから、あくまでも文珍版として聴いておかねばならないということです。で、その特徴は、冒頭の場面は宿屋の出来事、酔っぱらった左官職の男が、後ろから押された拍子に徳利が落ちる。その左官職の男が落ちたことを言いに行くと、占いができるのかと勘違いされる。そこで占う、うまく占いがいったのを聞きつけた宿泊客が占いを頼む、その宿泊客は安芸の男、旗がどうのこうのと言ってたけど、上手く聴き取れてないんだけど、その安芸の男に占いを頼まれ、広島に向かう途中、尾道の宿で荷物改めがある、30両失せたのでと、失せもの話が入ってきて占いを求められる、ここからラストへは、米二版と同じ。冒頭の事件が宿屋でのことにしてあったり、宿泊客が占いを頼み、道行になるという流れは、文珍の仕立ての臭いがしてしまってます。あくまでも推測ですが。八百屋の欠片も出てこないのは、序盤をいじった証拠じゃないかな。そんなで、もうしばらく検証してみます。幾つか気になる音源がYouTube上に出ていますので。


2022年 6月 3日(金)午前 7時 48分

 お出かけ3連続の2日目は、夜の落語会。4月に2回行って以来の落語会、5月は1回も行ってなかった。そんなで、ちょっと久しぶり。京都府立文化芸術会館の和室であった落語会。「第96回桂米二臨時停車の会」に行くのも、何年ぶりになるでしょうか? ネタの並びを見て、行くことにしました。同会館の前にある掲示板には、しっかりと、「桂二葉独演会」のチラシが貼ってありました。既に、通常のお席は完売、補助席が、このご時勢にも拘わらず、売りに出ているということは、昨晩、どなたかのTwitterで見ました。で、黄紺が気に入った番組というのは、次のようなものでした。二豆「宿屋町」、弥太郎「般若寺の陰謀」、米二「牛ほめ」、(中入り)、米二「御神酒徳利」。「御神酒徳利」を米二が出した、弥太郎が聴ける、しかも、ネタが「般若寺の陰謀」、二豆のおかげで気になってしまった、しかも、もらったであろう張本人の米二で「牛ほめ」が聴ける、その二豆は、最近の一押しにのし上がってきている、しかも、ネタが、最近の若手には不人気なネタ「宿屋町」が出る、これだけ揃えば、2500円も高くはないでしょう。まず、二豆、まだ、若干、もっちゃり感が残ってるけど、それは、マクラのときに気になっただけで、ネタに入ると、勢いまで出てきている。とっても自然で、でも、考えてテキストに変化をつけていて、前者の「自然で」が勝っている。米二による薫陶が見え隠れする一方、二豆の勢いも感じました。弥太郎は、マクラで、「米朝事務所を止めた」「仕事が減った」という、ちょっと自虐的なことを言って、さっさとネタに入りました。思わず、「ほな、止めんかったらええのに」と突っ込んでました。そんなで、弥太郎がレア化してるということで、この出番は嬉しかった。「般若寺の陰謀」は小佐田作品、わりと小まめにくすぐりが贅を尽くすかのように入ってるネタ、それが、口演には邪魔にならないか、やりにくいかもとすら思ってしまうネタだけど、やっぱ、弥太郎も年数をかけてるからだろうな、うまく嵌めてるなの印象。口演回数が減り、そういった、ここまで身に着けてきた技が錆びつかないことを祈るばかりです。米二的には、「牛ほめ」のチョイスは、「御神酒徳利」を出すからということでしょう。マクラでも言ってました、「楽だから」と。気になってた「庭の場面」、二豆が入れた「お庭の向こうの風景」は入ってなかった。ごく普通の「牛ほめ」で、下げが「愛宕さんのお札、貼っときなはれ」というものでした。ということは、二豆が入れたオリジナル? だと、おもしろいことしますね。「締め込み」ともども、こういった面で気になる噺家さんになっていくのでしょうか? 「御神酒徳利」の筋立てが、東京でされている口演とは、かなり違った。主人公が八百屋だったので、「占い八百屋」の方の流れかと思い、調べてみると、「御神酒徳利」と「占い八百屋」は、同工異曲的な違いがありました。徳利が失せる経緯が違う、米二の口演では、猫が蹴とばした徳利が水甕に落ちる、それを見た八百屋が、おなごしがいけすかないため、黙っておくというもの。2つ目の占いは、大坂から高砂に向かう途中。その高砂に行くのも、店開きの運勢を占うためというもの。途中の宿屋での占いも、宿屋の金が紛失するというあっさりとしたもの。その後、高砂には行かず、失せもの探しを求めて、人が殺到するものだから、その宿屋から八百屋が逃げてしまい、「今度は、占い師が失せてしまった」的な下げでした。そういった流れだったもので、今、東京でされている大層な脚色とは、重さの違う噺でした。おそらく、元は、米二版なんでしょうね、そこに色付けが進んでいき、重さが増していったのでしょう。ずっと、東京ものに耳が慣れてるものだから、えらく軽い、頼りない噺のように聴こえてしまいました。米二は、「今まで2回出したことがある」「久しぶりにしようとすると、全部、忘れてました」と言ってました。ということは、黄紺的には、米二が「御神酒徳利」を持っているのは知っていたということは、その内の1回か2回ともか、ネタ出しをしてるのを見かけたということになります。そんなだから、アクシデントが発生。宿屋の場面で、金を盗んだおなごしがやって来るとことで、「金を隠した場所」のやり取りを抜かしてしまったのです。抜かしたのが判ったので、「どうするだろうか?」と思い、ちょっとハラハラすると、あっさりと「抜かしましたな」と、噺を元に戻し、抜かした場面だけ喋り、また元に戻り口演を続けるということになりました。長い間、米二を聴いてきたけれど、これは初めて。そういった意味でもレアなもの聴いてしまいました。まだ、黄紺的には、「二葉が止まる」のに遭遇していないのに、その前に、えらいものと遭遇してしまいました。
 この文化芸術会館への往復が、夕方のウォーキングの替わり。昼前のウォーキングは通常で、足してみると、いつもよりか僅かに少なめなウォーキングになりました。でも、帰りの電車、またおかしかった。「人身事故」という言い方ではなく「お客様がホームから落ちた」からとアナウンスしてました。めっちゃ、リアルやないか。この2つに、区別があるのかな、いや、あるから、そう言ってるのでしょうね。ちょっと、聴いて、また、モニターを見て、びびってしまいました。
 後先が逆になるけど、朝の一時&午後の一時を書いておきます。昨日は、落語とオペラをYouTubeで観る時間となりました。落語は、次の2本、①桂文之助(雀松)「般若寺の陰謀」②三遊亭圓丸「心眼」。①は、夜の落語会用に予習したもの、なんせ、長い間、このネタ、聴いてなかったもので。②は、偶然、見つけたもの。「心眼」を、文楽の口演以外でないか、以前探したけど見つからなかったので、遭遇はラッキーとばかりにチョイス。圓丸は、全くの初めて。夢の噺だけど、盲人が、夢の世界では見えてるとする趣向が秀逸なのと、やっぱ、下げがいい。1回だけ、生口演を聴いたことがあるんだけど、誰の口演かを覚えてない。三三と誰かの二人会だったんだけど。休憩時間に、突然、雲助が現れ、「今夜、ここで差別語いっぱいのらくだをやります」なんてこと言ってたのは覚えてるのに、「心眼」の口演は誰だったかを思い出せないのです。でも、こうやって、映像で聴けました。YouTube、最高! オペラの方は、「連隊の娘」、ようやく完走。随分と間が開いたものでした。少し時間があったので、次なる作品を物色。モネ劇場の「さまよえるオランダ人」(ギュイ・カシエール演出)をチョイス。アニヤ・カンペが出ているということで選んでみました。指揮は大野和士です。2005年の上演なので、指揮台の大野和士が若い。実は、まだ、前奏曲しか聴けてないんだけど、大野和士の指揮が、とってもきびきびしたもので、引き締まった演奏に魅せられました。今後が楽しみです。


2022年 6月 2日(木)午前 5時 58分

 昨日、今日、明日と3日連続で、お出かけ予定を入れている。昨日は、しかも2部制。今日からは夜のお出かけと、なかなか、濃~い1週間となっています。6月に入ったけど、梅雨入りまでは、まだ10日ほどあるみたい。昨日のお出かけは、まずは、朝からアスニー山科へ。いつもの市民向け公開講演会。今回のお題は「高松塚壁画古墳発見50年(Ⅱ)~壁画と被葬者の迷宮を中心に~」で、お話をされたのは、関西大学文学部教授の米田 文孝さん。高松塚の1回目が発見に至るお話でした。昨日も、米田さんが言われていましたが、前回は、やがて文化財になるだろうという発見の様子を克明に記したメモを残した方でした。そして、今回は、その内部のお話のはずだったんだけど、こちらも居眠りをするわ、肝心の内部のお話は、その居眠りが過ぎてから始まったのはいいが、すっかり時間切れで、よく判らなかったというのが、正直なところでした。というのも、かなり、高松塚古墳が生まれた時代そのもののお話が長かった。枠組みを押さえて、そこで内部のものの特徴を浮かび上がらせようとの試みだったと思うのですが。飛鳥時代の後半に造られたということで、巨大な古墳時代が終わり、急に規模が小さくなり、方墳や八角形の古墳が現れてくる時代。倹約令的な、巨大な古墳造営が自粛されていく時代(646年に薄葬令)、巨大さを誇示する時代ではなくなる、そんな話を聴いたことがあります。そのことを話されていたのが、薄っすらと記憶に残っています。やがて、火葬墓も現れてくるということで規模の縮小化が図られていく時代の古墳であるということですね。古墳の形態として、石舞台との比較もされていました、大きさだけではなく。横穴式ではなく、棺を上から入れるのかな、そないなことだったような気がするけど、自信がないけど、棺を入れると、ほとんど隙間もないくらいのスペースで、壁画を描くにも2人が入るのが関の山のスペースだということです。その時代は、「文字を使う時代に入っていた」、漢字の漢音、呉音、唐音が、まとめて入ってきた時代で、文化的に大きく変わった時代だと言われていました。また、服装の規定、色の規定が、身分について厳格な時代で、それについて再三に渡り、改定が行われた時代だったと言われていたのだけど、それが、高松塚と、どのような関係があるのか、黄紺の頭には残っていない。ただ、壁画の服装については、改定が短期間で行われるため、服装を拠り所にして年代確定はできないと言われていました。玄室のスペースが狭いため、また、盗掘があったこともあり、副葬品の数が少ない。その少ないなか、出土してきている葡萄鏡や独特の形状の太刀の検証を話されていましたが、外の騒音もあり、よく聴き取れない始末。残念。壁画には、描き忘れと思えるような箇所があるそうで、狭いなか、描かねばならない箇所、軽く見ている箇所が見えてくるようです。おもしろかったのは、壁画に描かれている人物の顔の方向。四方の壁を総合的に観てみると、同じ方向へ流れるように見えると、それを証明されていました。これは、キトラ古墳での試みと併せて紹介されていましたが、入口へ向かい流れ出る「出行」、上に上がる「昇天」というタームを使われていたのですが、当時の世界観に繋がるようで、陰陽五行説に関わる見方なようなのですが、この肝心なところが猛スピードで進まれたものだから、頭が付いていかない。陰陽五行説を説明するのに、最後は、甲子園から阪神タイガースのユニフォームの色へと、話は展開してたけれど、そんな話は解ってるから、肝心な世界観、教えて欲しかったな。このトピックで、そこまでは、なかなか到達できないんだから、受け狙いはいいから! ということで、振り返ってみて、よう分らんかった、それがまとめとなります。半分は、寝落ちした自己責任だけど。
 アスニー山科を出ると、3週間ぶりに瀬田へ、滋賀県立美術館に行ってきました。先日の、蘆花浅水荘の見学会の際、係の方から、「山元春挙」展の、前後半の入れ替えは、「わりかし多い」との声に誘われて行くことにしました。前回、忘れて行った傘を預ってもらってるのも気になっていたことも背中を押しました。このあと、アスニー山科へ行く機会は、1ヶ月ほども先(但し、抽選に当選した場合)で、そのときには、「山元春挙」展は終わってるということで、行くなら昨日だったのです。で、行って良かったですね、正直言って、入れ替え後の作品の方に惹かれました。圧巻だったのは「雪松図」。大ぶりな六曲一双の屏風絵。右隻と左隻に、雪に湛える松の枝が1本ずつ、右隻の松の枝は、左隻の右端に食い込んでいる。春挙に多い、遠景を描くというのとは真逆の風景画、ズームインした絵と言えばいいかな、寒い雪を湛える青い松の力強さが溢れていました。その絵と背中合わせになっていた「深山雪霽鹿図」、こちらは四曲一隻の屏風絵。左上に深山が聳え、右下は、幾千丈という谷へと続く雪景色。その谷へと突き出た僅かな平地に、鹿が1頭描かれている。山深い風景に見とれていると、その鹿は見落としかねないほど小さく描かれている。それほど、雄大な自然の風景だけど、あすこに鹿がいるかいないかでは、その雄大さは、間違いなく違う。むろん、居る方が雄大に見えるのだ。そこにだけ、動物の持つ温もりがあるからでしょうね。この作品が、まだ、若い25歳の時の作品と出てたと思います。「雪松図」は、その十数年後の作品となるようです。墨絵だけではなく、色付けのある作品も多く展示されていましたが、「武陵桃源図」「しぐれ来る瀞峡」の水面の表現は凄技だと、黄紺でも思えました。水の色合いは決して好きではなかったのですが、この水色の微妙な変化で、要するに流れの様子が判るので、静けさが出てきてるのです。音を感じると、同時に空気が流れるのが判るような気にさせられます。めっちゃ、おもしろい体験をさせてもらいました。ということで、行って正解。年間パスポートを持っていると、こういった自在な動きを執れるのが、いいね。傘を受け取り、鍵を返しと、さすが、そのことについては忘れはありませんでした。
 昨日の隙間は、YouTubeで落語を1本、Radikoでラジオ番組を1本聴くことができました。前者は、桂米朝の「次の御用日」。一昨日、二葉がラジオで「次の御用日」を覚えてるところと言ってたので、同じネタをチョイス。売り声が、噺の半ばで入るという構成。噺の途中ということで、若干、短めという印象。枝雀の「次の御用日」は、売り声の箇所に、えらく時間を割いているという印象が残っているのですが。怖いもの聴きたさで、特に、売り声の部分だけでも、二葉の口演を聴いてみたくなりました。Radikoの方は、KBS京都の「桂吉の丞のおつかれさん!」。先週は、配信期間前に切れてしまった残念感があったのですが、今週は大丈夫でした。吉の丞が、えらくいい人に聴こえるのが可笑しくって、毎回、追いかけています。今回は、SNSの功罪の「功」を話すのに、塩鯛が、繫昌亭での口演中に体調不良を起こしたときのことを、そのトピックとして取り上げていたのが、印象に残りました。塩鯛の名前は出しはせずにでの話でしたが、初めて聴く内容があり、とっても新鮮、得した気になってました。二葉にせよ、吉の丞にせよ、噺家であるというスタンスを守ったまま、噺家の世界のトピックを、ラジオで喋ってくれるのが、何よりの嬉しいことなため、聴き続けてしまっています。


2022年 5月 31日(火)午後 8時 38分

 今日は、お出かけなしの火曜日。ただ、夜半から雨。その雨のせいで、朝方は、かなり気温が下がった。思いとどまりはしたけれど、電気ストーブをつけようかと思ったほどだった。もう5月も終わるというのに、変な気候です。でも、その雨が、昼前のウォーキングに出かける直前に止んだ。だから、歩き始めは涼しかったので、薄いジャンパーを羽織って出かけた。ところが、30分もすれば、もう明るい太陽に照らされたために、ウォーキングから戻ると、Tシャツを新しいものに換えねばならないほどの汗。この僅かの時間での気温上昇は、かなりのものがありました。かなり上がりはしたけれど、下がるのも早かった。夕方のウォーキングは、涼しい風が吹き、実に快適なウォーキングをすることができました。
 何もない火曜日となると、朝の一時に落語を1本、長めのものを選んでみました。三遊亭圓生の「遠山政談」。音源は明示されてなかったけれど、落語のあとに、圓生自身によるネタ解題が入っており、それが、途中で切れるというもの。わざと切ってあるのかもしれませんが。それによると、実話を基に、4代目円生の作ったもので、この音源でも「政談」と題が付いていながら、お裁きの場面はなし、そこに入ろうかというところで切り上げてる。それについて、「こういった事件を、遠山が裁いたらおもしろかろうということでの題名ではないか」と言ってました。その事件というのは、子どもの頃のアクシデントから顔に傷やらを負ったおなごしに金をせびる男、女からすると、それでも、相手にされたという嬉しさから金を貸す。その内に孕んでしまった。そこで男は、「産む場所を確保してやる」「そこに入る姿を見られてはいけない」と言い、女を騙し、米袋に入れて、それを担いで行く、その途中に、袋ごと女を川に放り投げるということをやるのだけど、ヘドロの上に落ちた女が助かった。その女の入った袋を見つけた者たちが、儲け仕事になると思い、ヘドロに浸かっていた袋を引き出したからだった。そこで、悪事が明らかになり、お裁きへとなるところだけど、カット。実話というのは、「袋ごと川に投げ込むという事件があった」というところだそうです。あまり感じのいい噺じゃないですね。でも、「親父がやってた」「女の田舎言葉が受けてた」と言ってました。
 火曜日に時間があると、最近の定番、Radikoで、KBS京都の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」を聴く楽しみ。黄紺は、この番組、生では聴かないで、必ず、Radikoで聴いています。日々のウォーキングの時間は変えたくない、Radikoで聴くと、聴きたくない箇所(例えば、ラジオ・ショッピング)はカットできる、この2点の理由で、Radikoにしています。今日は、落語情報として、興味あることを幾つか言ってくれてました。①文之助独演会に出番をもらい、「新婚夫婦のような会話だ」と梶原さんに突っ込まれた会話を聴いて、2人の即妙なる言い合いに感心。打ち上げ会場で、サポライズで、文之助のお誕生会をしたことも笑ってもた。②二葉の新ネタの準備に入ってる頃と判っていた、要するに、繁盛亭で開いている会でネタ下ろしををするというお約束の日が近づいているので、頭の片隅にあったことを、突然、言い出し、且つ、ネタの解説までしてました。黄紺も驚いた。だって、よもやと、考えすらしなかったネタだったものだったから。「次の御用日」でした。売り声入りでするようです。黄紺の知る限りでは、二葉の持ちネタで、夏ものは、「青菜」「子猫」に次いで、3つ目になります。③京都の独演会、先日、一旦は諦め、その後、ぴあで購入したチケットのことですが、それの告知をしてましたから、やっぱ、黄紺の想像した通りじゃないかな。チケット扱いとして名を出してたのは、主催者だけでしたしね。④毎月、大阪と京都で小さな勉強会を始めると言ってました。しばらくやってないネタ、新ネタを繰り返し口演する場にしたいと言ってました。やっぱ、自分では判ってるんだと、そのとき思いました。実際、こういった言い方をしてました。「出して、安心なネタばかりをすることになってしまってる」。今までだったら、ネタ下ろしをしても、それを練り上げる時間や場があったけれど、その時間が取れないほど、急激に世間に知られてしまったために、鉄板ネタ、言い換えると、固まってしまってるネタばかりを出してしまうということなのでしょう。今年に入っても、「崇徳院」「粗忽長屋」「向う付け」をネタ下ろしをしたはずだけど、出せる機会が少ないですね。出番は毎日のようにあっても、かけることが難しい。ましてや、日が遠のいているネタの虫干しなんか、今の二葉のスケジュールじゃ、無理。その中で、時間を取り、やって行こうということでしょう。きっちり、見ています、自分の置かれている状況を。しっかりしてるわ! そして、強いわ! そういった意味でも、興味の尽きない器です。それにつけても、「次の御用日」とは、その大胆さに驚いています。アホは出てこない。丁稚は子どもだけど、出番は、さほど多いとは言えない。今までの二葉のネタの傾向からすると、全くの埒外のネタ。お奉行さんの出てくるネタは「佐々木裁き」以来。夏のギトギトとする暑い太陽、うだるような夏の、しかも昼下がり、これ、どんな感じになるのか、この意外なネタのチョイスに、それだけでノックアウト気味です。師匠の米二は、「次の御用日」はやらないので、誰にもらったのかな、こればかりは、絶対に稽古をつけてもらってるはずだろうし、誰からなんだろう、これも、興味津々です。


2022年 5月 31日(火)午前 6時 32分

 昨日は、映画を観に出かけた日。今週は、夜のお出かけを、2回、予定しているので、止めようかとも思ったのだけど、映画館の示す映画の紹介や、公式HPにまでアクセスして考えたんだけど、それらを読むと、余計に生きたくなり、午後に出かけてしまいました。どうも、月曜日に予定が入っていることが少なく、結果、映画を観に行くことが増えてしまっています。その映画は、京都シネマで上演されていた中国映画「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」。チャン・イーモウ監督の作品は、曖昧な記憶では観たことはないんだけど、さすがに、その名は知っている。ということで、ピックアップしたこともあるのだけど、描かれていた時代が、文化大革命期だということが、黄紺的には大きかったかな。いきなり、主人公の男と少女との出会いから始まる。お互いに、映画のフィルムにこだわりながら、その1本を取り合う場面が続く。しかも、それが、きれいな砂砂漠で繰り広げられる。そのフィルムは、町を巡りながら上映されている、当時のプロパガンダ的な娯楽映画とニュース映画の内の1本。徐々に、2人が、そのフィルムにこだわるわけが判って来る。男は、22号というニュース映画に娘の姿が映っているという話を聞いて、娘の姿を一目見たいのだ。様子がおかしいと思っていたら、喧嘩をして入れられてしまった労働改造所から逃亡し、そのフィルムを探しているのだった。一方の少女は、借り物の電球の傘に使われていた映画のフィルムを、弟が不注意で燃やしてしまい、その補填にするがために、映画のフィルムを盗もうとしていたのだ。事情が判って来ると、自分たちの求めるものの大事さは変わらないんだけど、お互いの求める行為に同情を寄せ出す。少女は、年齢的に、いまいちイマジネーションが乏しいように作ってあるというか、素朴なネイチャーガール的雰囲気、男は、立派な大人なため、少女に同情を寄せる気持ちが大きくなっていくのが、よく判る。そういったときに、事故が起きる。上映の責任者でもあり技師としても動ける男の息子が、フィルムの運送に失敗をしでかし、フィルムが砂埃でまみれ上映が難しくなってしまう。息子が、そういった失敗をしでかすわけが、後からちょっとした意味を持つのだけど、この段階では、上映に向けて洗浄作業に市民上げての作業となる。しかも、そのフィルムが、問題の22号だったため、男は必死の形相。映画フィルムを扱った経験があると言う男は、技師に協力して、いや、ナイフで脅して、洗浄作業に入らせる。ここから、技師の態度が、急に和らぎ、息子の挿話が入り(洗浄液を誤って飲んでしまい障害が残る)、2人に通底するものが顔を出す。いよいよ、作業が完成して、上映となるが、ここで事件が発生。少女に対する嫌がらせに立ち向かう男、思わず、持っていた肝心の22号を渡す。少女は、技師に届けてるのだが、それを知らない男は、少女の家に行き、弟に22号の行方を詰問。男は、映写室に戻ると、22号があるのに気づく。そして、その22号の上映となり、娘の姿を見つける男。僅か1秒だというので、技師は、エンドレス上映にして、娘を見続ける配慮、だけど、これが罠だった。少女も、弟がどやされたというので、男に敵意をむき出す。3人の関係性が、男を中にして変化し続ける。結局、男は捕まり、労働改造所に送り返される。事情を理解した少女に見送られて去って行く男。ラストは、その2年後と出て、改革開放の時代に入ってた。少女を訪ねる男。男の身なりもよくなっている。少女は、立派な娘姿になっている、、、、。この映画、終盤になり、主役の3人のキャラがころころ変わるかのように、変化が激しい。そういった意味では、現代の中国映画らしさを垣間見ることができる。その一方で、一個の人格としてどうなのと突っ込みたくもなりました。でも、その根底にあり通じているものは、家族に対する思い。これだけは一貫しているように看える。それを判らせるために、この混乱を導入したように、ようやく思えてきました。体制やイデオロギー、そして時を超えるもの、それを際立たせかったのかな?
 昨日は、天気予報では、夜半から雨と出ていた。が、実際には、少し早めから降り出した。京都シネマを出ると、雨の降り出し。ひどくないので、歩いてみる。途中、ダメかと思うほどの雨脚になったけれど、逃れようがなかったため、そのまま歩き続ける。すると、ラッキーなことに、雨が止んだ。それをいいことに、京都シネマからの帰宅の定番、ウォーキングを兼ねようと、自宅2つ手前の駅で降車。しかも、雨は大丈夫と思い、ウォーキングの距離稼ぎのために、わざわざ迂回コースを採った。それがいけなかった。最後、マートに入っている間に、また、雨が。今度は、かなり大粒の雨だったけれど、幸い、自宅までの距離がしれたものだったので、助かった。おかげで、通常通りのウォーキングができました。こういった日もあるんだね。
 そして、夜は、月曜日の夜の定番、米朝事務所のYouTubeチャンネルでの配信を視聴。隙間狙いの落語も健在。次の2本を、YouTubeの音源で聴くことができました。①桂歌丸「いが栗」②林家正雀「茄子娘」。但し、②は、寝落ちで聴いた内には入らないので、後日、再アクセスすることにしましょう。ただ、マクラで、浪花千恵子についての喋ってるのが可笑しかったのだけは覚えてる。「あまり知らない」と言って、延々と喋り続けるパターン、しかも、どんどんとレア化していくものだから、可笑しくって。①は、存在そのものを知らなかったネタ。ホラーっぽい田舎噺。いや、民話風の噺と書いた方が適切かもしれません。他の噺家さんの口演での音源は、YouTubeにはなかった。珍品なのかな?


2022年 5月 30日(月)午前 5時 28分

 昨日は、朝から思いがけないことの2連発。愕然ってやつで、1つ目は、忘れていた頃にやって来た「日曜美術館」が、NHKプラスで視聴できないということが起こった。著作権の関係でしょうか、これがある。靉光、上野リチが取り上げられたときにやられた記憶がある。昨日も、珍しい肖像画を取り上げるという、あまりない試みだったので、楽しみにしていたら、やられた! でも、後ろの15分間は、「アートシーン」の最新版を流すので外せない。事前に、特に、滋賀県立美術館の「山元春挙展」が取り上げられることが判っていたので、外せなかった。一旦、これを失念していて、出かける準備をしかけて思い出した。「日曜美術館」にやられたと思ったので、すぐさま、ある美術館に行くことを決めたため、かなり気が、そちらに行ってたため、実に危なかったけど、大丈夫だった。で、美術館に行こうと、京阪電車の駅に着くと、様子が変。また、人身事故で、電車が、全線ストップ。「何、これ!」と、見事に嫌われること、2連発でした。そこで、弟の家へ行き、憂さ晴らしをしようと考えた。そこで喋ってる間に、電車が動けば、美術館に行こうじゃないかと、結局、弟と、1時間半、喋った。弟夫婦が、口を合わせたかのように、突然、「動いてるよ」の声に立ち上がり、結局、行くことにした。電車は、タイミングが良かったのか、うまく乗れたけど、それまでに、かなりの時間、待たされてたみたい。ホームには、日曜日の昼間とは思えない人がいたからね。ここで、ちょっとだけ、運を取り戻したようでした。
 お出かけ先は細身美術館。今、こちらで、「つながる琳派スピリット 神坂雪佳」というタイトルの展示が行われているのです。最近、神坂雪佳の名を、よく見かけるが、そういった時期に、ドンピシャの展示です。神坂雪佳は、琳派の流れに立つということで、琳派ものを、多く所蔵する細身美術館らしい企画です。展示は、3つある部屋に合わせて、3つのセクションに分けられている。1つ目が、琳派の流れをおさらいしようではないかと、垂涎の作家の作品が並んでいました。2つ目が、神坂雪佳の絵画作品、正に琳派の流れに立つことの確認です。そして、3つ目が、これぞ、神坂雪佳の真骨頂となるデザイン画。ここは、図版集として出版されているので、より多くの作品を見せようということで、主たる図版集の各ページを映像に編集して見せることで、より多くの作品を紹介するというスタイルを採られていたことは有難かった。2室と3室の繋ぎとなるスペースには、図版集を出版した芸艸堂が持つ原画の展示まである周到さ。どこからどこまでも堪能できる美術展でした。1室の琳派の大御所たちで展示されていたのは、次の錚々たる作家でした。俵屋宗達、尾形光琳、深江芦舟、渡辺始興、中村芳中、酒井抱一、鈴木其一、中野其明、酒井道一、これだけ並ぶと、これだけを観に行ってもいいくらい、本阿弥光悦は、俵屋宗達の絵に書を認めるという形で参加していました。これらが、ほぼ、この美術館の所蔵品とは凄い! これらの中から一品選ぶとなると、あっさりと決まるのが不思議。鈴木其一「月に葛図」。鈴木其一を、生で観るのは初めて。淡い淡すぎる月に心奪われます、その視界に入る葛が、たまらなくいい曲線。「たらしこみ」という技法が、琳派の特徴の1つだと、解説を読んでて、初めて知ったのですが、この絵で言えば、葛の葉っぱですね。その色合いに対し、圧倒的に淡い月に目が吸い込まれそうでした。2室で、その流れにある「たらしこみ」がきっちりと受け継がれた作品群、ここで、一品選ぶなら、「四季草花図屛風」かな。一双の屏風の右隻の春と夏の順序を逆にしたのが気に入ってしまいました。3室のデザイン画で、その視点の秀逸さを知ることになるのですが、夏の草花は、どうしても季節柄、勢いがいいというので、立葵の背が高いため右端に持ってくることで、屛風絵全体の構図ができあがっていると看えました。その空間配置というのが、デザイン画で目立ったのですが、その片鱗が、この屛風絵に現れていると看たのでした。おもしろかったのは、この展示用に作られたポスターにも採用された「金魚玉図」は、金魚を正面から描くという大胆な構図で目を惹く逸品ですが、その装丁が、また、秀逸。夏に涼を与える金魚ということで、それに合わせて「よしず」風に設えてあるという洒落た手が打たれていました。3室のデザイン画は、どれもこれもという感じで、一品は選びにくい。デフォルメ、単純化、思わぬ色合い、絵師として培ったものが土台になっているとはいえ、その大胆さに舌を巻くばかり。これは、琳派の絵師という名より、黄紺には、代表的な図案家として入ってきていたのに納得させられました。そういった中から敢えて選ぶなら、向付に使われていた「水の図」をピックアップすることにしましょう。そんなで、3室ともに楽しませてもらえました。日曜日だというのに、昼時だったからでしょうか、思いの外、客が少なく、ゆっくりと観ることができたのも、嬉しかったな。
 隙間狙いの落語は3本、変な組み合わせで視聴しています。正に隙間狙いだから、そのときの思い付きでピックアップしてしまってます。①五街道雲助「お菊の皿」②柳家一琴「旅行日記」(2014/9//21らくごカフェ)③桂雀喜「終活のススメ」(2019.3.16 “古典・創作一騎討ち、生喬・雀喜ふたり会~第13回上方落語をきいてよの会” 法輪閣札幌に於て)。①は、思わぬ組み合わせに、思わず、ポチっとしてしまってました。発端は、「江戸もんのくせに知らない」と旅先で言われた若い者が教えを請うことからスタートというのは、上方版と同じ趣向、お菊人気がエスカレートすると、「お上の許した興行」になり、果ては、お菊さん、「酔っ払って登場」するというハチャメチャぶり。「雲助、こんなのやってんだ」と、もう、それだけで可笑しいね。②は、毎度お世話になっている一琴のチャンネルに、古典とは思えないタイトルが付いたものがあったので選んでみた。「新作落語ですが、もう十分古典の域に入っていると思います。先代の古今亭今輔師匠の音が残っています。落語協会では、兄弟子の柳家喜多八師が十八番としてよく掛けていました」とコメント欄にあった。誰の作品かは書かれてない。不明なのかな? なかでも、「喜多八が十八番」に目が行った。確かに、このネタ、アホげで、いい、喜多八好みなのが、納得できました。寄席に使いやすいでしょうね。ええもん知ったの気になれました。③は、コロナ禍で聴けてない、長坂堅太郎作品を聴きたくなり、チョイス。エンディングノートに書き入れていくという趣向。緩い新作は、雀喜の人柄が現れています。そう言えば、最近、落語会の情報を眺めていると、雀喜は新作ばっか出しているように思えます。方向性が固まったのかな。となると、急に、雀喜の口演で古典が聴いてみたくなる不思議。おかしなものです。


2022年 5月 29日(日)午前 6時 43分

 YouTubeで、旅動画をアップし、人気になってる無職旅氏が、近々、旅に出るという。いよいよ、再開かというので、黄紺も、航空券代を調べてみる。高い! 相変わらず、東京は、需要も多かろうが、第一、供給が多いから、大阪発に比べると、かなり割安。てなことで、無職旅氏は断を決したのかと思っている。黄紺も調べてみたが、韓国が論外なのだ。6月半ばから、「羽田~金浦」間が再開されるというので、東京の方は下がるだろうけれど、大阪は後回しの模様。現在、釜山には国際便は入ってないのかもしれない。仁川便は高い。バンコク往復で5万余。クアラルンプルなど、見たくもないという金額、シンガポールも同様だ。その高騰ぶりに比べると、イスタンブル便が10万ちょいで行けるから、お得かと感じています。ま、どこに行くにしても、まだ、絵空事。最大のネックは、日本への再入国。ここが緩和されなくっちゃ、行くつもりは、黄紺の場合は、全くない。やはり、日本の新たな陽性判明者数は多すぎる。これでは、迂闊に緩和されたら困るというデータでもあるけど、外国人観光客の入国を緩和するというニュースが流れていますね。ようやく動き出したって印象は、確かに出てきてますね。
 昨日は、午後に、オンライン配信で市民向け公開講演会の予約を入れていた日。そして、夜は、「ブラタモリ」の新作が流れているというので、それに合わせて動いたので、ちょっと窮屈な動きとなった日。ルーティンにしているウォーキングは外せないからね。で、講演会は、毎度、お世話になっているもの、帝塚山大学の 「第476回市民大学講座」。今回は、同大学考古学研究所の展示で、百済の瓦が出てるということに合わせての企画だそうで、お題は「百済の仏教と寺院」。滋賀県立大学名誉教授の田中俊明さんのお話を聴くことができました。事前に、大部な資料が送られて来たのは有難かったのですが、大部過ぎて、抜き読みしてしまいました。でも、それで、ちょっと解ったつもりになったのがいけなかったのか、うつらうつらしながら聴くという、聴講態度に問題ありとなってしまいましたが、扶餘には、確か3回行っているので、そのとき生で観たところもあり、かなり親近感のあるところなので、なんか解った気になってしまってました。幾つかメモっておきます。「百済に仏教が伝来するのは384年、胡僧の摩羅難陁(マーラーナンダ)が東晋からやって来たことに由来する」「その後も、南朝との関わりで、新たな教義などが伝わって来ているように、中国南部の王朝との関係が密、、、これ、初めて知ったこと!」「仏教伝来は、王都がまだ漢城(ソウル)にあった時代、だが、その地域では、百済時代の寺院跡は確認されていない」「ただ、百済の仏教は、高句麗や新羅とは異なり、国家仏教とは言えず、護国寺院といえるようなものはない」「都が熊津(公州、ゆうしん/ウンジン)時代の百済寺院、大通寺、水源寺は現存しない、西穴寺・南穴寺などは、“穴”が入っているように、山中にあって自然の洞窟を利用した石窟をともなう寺院、、、大通寺址の画像を見せていただいたが、見た記憶があった」「大通は梁の年号でもあるので、梁との関係で造られた可能性がある、、、また、南朝が出てきた!」「大通という刻印銘の瓦片が出ている、、、画像を見せてもらったが、大通の文字は同じ、文字の型があったのでしょうね」「都が泗沘(扶餘、しび/サビ)の寺院、王興寺、定林寺、陵寺、弥勒寺」「泗沘は、中国南朝の都建康の影響を受けて造営された、、、またまた、南朝!」「ただ、その一方で、北斉との交流もあったことが判っており、王興寺の伽藍配置には、北斉の寺院の影響を受けたかもしれないと考えられている」「王興寺は、白馬江を挟んだ扶蘇山城の対岸に位置する、川が苑地だったと考えると、王宮と併せた総合的施設の一角を形成していたと考えられる、百濟王が王興寺に行幸して礼拝したとの記録が残る、2007年に青銅製の舎利容器が発見され、銘に王子のために造ったとあった、寺名通り、王室との関係が深いことが判明」「王興寺、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ百済様式、飛鳥寺造営に影響を与えたと考えられる」「定林寺、現在市街地に残る五層の石塔と石仏坐像は高麗時代のもの、建康に定林寺という寺があったことから、その影響を受けたことが考えられる」「定林寺、講堂の東西から南にかけて、廻廊と考えられていたものが、独立した建物であったことが確認され、それは陵寺・王興寺と同じ」「陵寺、東羅城のすぐ外側、伽藍は中門・塔・金堂・講堂が一直線に並び、講堂の東西に工房や僧坊が配置される典型的な百済様式」「弥勒寺、韓国で最大の石塔、九層だと記憶していたが七層と考えるのが妥当だそう、自分的には、益山から苦労して往復した思い出がある」「弥勒寺、金堂址が三つならぶ特異な伽藍配置、一塔式を三つならべたものとみれば、その変形と看てもおかしくない」。扶餘に 最後に行ったのが、百済文化団地というテーマパークがオープンした直後でした。調べてみると、2006年となっている。ということは、もう15年以上前のことだったことが判明。韓国人と結婚された日本人女性が、そこで働いておられた。韓国あるある話だけど、高敞のドルメンの博物館でも、太白のなんちゃら博物館でも、同じような日本人女性に会ったことがある。扶餘で会った方は、「どこにでもいる日本人ですね」「扶餘だけでも20人いると思います」と言われていたのを思い出す。前日、「保寧で泊った」と言ったら驚かれてしまい、そのとき、昔、在トルコの日本人女性に、「ババエスキで泊ったことがある」と言って驚かれたことを思い出したことも思い出したました。黄紺より少し下の世代の方だったので、「子育ても終わり、社会に出て行かれてんだなぁ」と勝手に想像しておりました。関西弁だった言葉が、やけに懐かしい!
 隙間狙いで、昨日は、落語を1本聴いています。初夏を迎えているのに、なぜか、冬の噺「除夜の雪」を、米朝師の口演ででした。干し魚を紙に包み水に浸けてから焼くと臭いがしないという箇所で、いっぺんに庫裏の風景が、目の前に拡がった気がしました。ついでに寒さも。空間が拡がるのは、同時に、その空間の気温も体感させるものなんですね。ええもん、聴きました。


2022年 5月 28日(土)午前 7時 19分

 昨日は、お出かけなしの一日だったが、夜にオンライン配信の予約を入れてあったので、午後の一時が、事実上取れなかった。一昨夜は、トルコ杯の決勝戦があったので、トルコ関係はサッカー情報収集に時間が取られてしまいました。今季最後のビックマッチでした。あとは、2部からの昇格組の最後のクラブを決めるトーナメント戦が終わると、シーズンは閉じます。今年は、秋にW杯があるので、新シーズンの開幕は早めだけど、これから暫くは、マッチがないから寂しい。ま、そんなこと言っている内に、ヨーロッパのカップ戦の予備戦なんかが始まるんだけどね。
 夜のオンライン配信は、「立教大学ジェンダーフォーラム 第 86 回ジェンダーセッション」というイベント。東京の大学でも、オンラインで何かやってないかを調べた最初に、なぜか、立教を選んだら、即、いいもの見つけてしまった。なんで、立教を選んだんだろう? 思い起こすと、オンライン配信に申し込んだ頃、YouTubeで、春風亭一花&金原亭馬久夫妻を観たからかもしれないと、あとから思っています。それ以外、立教には縁がない。昔、池袋駅西口で、友人に、「この道行けば、立教だ」と、立教の名を聞けば思い出すくらいなのに、縁ができてしまった。昨日のお題は「グローバルな市場・企業とジェンダー・ダイバーシティ」で、お話をされたのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の治部れんげさん。経済記者を務めた経験を持つ、その筋のプロフェッショナルです。ジェンダー平等の観点から、経済界の昨今を視野に入れてのお話でした。話題にされたことをピックアップしておきます。「2015年女性活躍推進法が成立、従業員や管理職の女性比率を労働局に届け出ることを求める、この情報開示が企業の意識を変える一歩となってきている」「ただ、女性活躍推進法は、男女ともに仕事と家庭を両立できる社会を目指すことを趣旨としたもの」「男性の働き方改革が必要だとの意味合いにも拘らず、超高齢化社会を踏まえ、女性に働き、納税をして出産もしてほしいという政府財政と労働市場のご都合主義が見え隠れするので、モヤモヤ感が生まれてきている」「女性活躍は、ジェンダー平等の一部である経済面を担ったもので、2つのタームはイコールではない」「日本的に言い換えると、“男女共同参画”政策の内の経済面を担ったのが女性活躍」「“平等”を忌避する経済界、“ジェンダー”を敵視する保守政治家の産物が“男女共同参画”というターム」「2015年、SDGsの登場で、“ジェンダー平等”が、一躍、流行となる、でも、人権部分が欠落という一種のピンクウォッシュを起こしている」「今後必要なこと、①現状を正確に把握する②本来の目標を見失わない③何のためのジェンダー平等かを考える④世界の変化を知る」「日本の現状、有名になったジェンダーギャップ指数(GGGI)120位の詳細」「これは、世界フォーラムの出しているもの、政治・経済・健康・教育という4分野の総合評価」「各分野で、政治・経済が100位以下で、特に低い」「政治分野では国会議員や閣僚に占める女性比率の低さ、経済分野では類似の仕事での男女賃金差」「日本は、なぜ低いのかではなく、世界の変化がもっと速いという現実、特に政治分野、経済分野での変化は世界の方が速い、日本のネックはケア労働、日本の男性は家事育児時間が少ない」「国際環境の変化、ESG経営にシフト、環境・社会・ガバナンスに配慮した経営、目先の利益など以外に着目し、企業の長期的な成長を目指すということ、これは、リーマンショックの反省から来ている」「日本は、その中の“S(社会)”が弱い、ジェンダーはここ」「巨大な機関投資家はジェンダーに着目して投資先を決めるようにシフトしてきている」「ジェンダー・ダイバーシティ指数に注目しての巨大投資が実際に進んでいる」「その指数として注目がWEPs(女性エンパワーメント原則)、経営者のリーダーシップ、職場のジェンダー平等、自社の正社員だけではなく取引先の状況も査定されている、これは、国連のルールを測定、基準化したものだそうです」「“女性活躍”で測定される女性の頭数のようなことではなく、企業活動全般をジェンダー視点で見直すという考え方がWEPs、具体的に、男女の賃金格差(イコールペイの問題)、暴力やハラスメントへの対応が肝要」「ここで停滞していると、資金調達ができない、欧米アジア先進企業と取引できない」。最後の方で触れられている諸点って、最近、よく耳にするようになってきていることですね。大企業だけの問題ではないですね。取引先も含めて、数値化されてくるわけですから。その具体的な指数としてWEPsというのは、当然、初めて知りました。とっても、筋だったお話、残念なことに、回線状態が悪く、たびたび、音声が聴き取りにくい箇所があり、いい指摘を逃していることと思いますが(司会担当の旧東独生まれの先生とのやり取りが、特に惜しい!)、聴き取れた範囲でこれですから、もう十分、勉強させていただきました。感謝。


2022年 5月 27日(金)午前 7時 9分

 嬉しいことが、1つありました。「予定枚数終了」と出た「桂二葉独演会」のチケットを買えました。この間、Twitterを見ながら判ったことを書いておきます。いきさつは、こうです。上方落語の情報を得ようと、噺家さんだけでなく、これはと目を付けた好事家さんと見える人のTwitterを追いかけています。そういったなか、あるTwitterで、主催者が、追加でぴあにチケットを回したとあったのです。実は、これを書いてる時点で、その追加分も売り切れたので、またまた、主催者はぴあに回すものを追加したと言います。これで、委細が判ったつもりになりました。主催者は、ぴあに回すと手数料が発生するので、できるだけ、自分ところで売りたい。でも、これも、主催者のTwitterで知ったのですが、「電話回線は1つしかない」「チケット発売日は電話が鳴りっぱなしだった」とありました。電話が繋がらないとなると、ぴあに頼る。端からぴあで買う人も多いでしょうから、ぴあで売り切れる。主催者は、ぴあに追加するけれど、数を制限して追加する。買いたい人は、ぴあに走る。電話が繋がらなかった経験を持った人は、ぴあに走る、また、ぴあで無くなる。この繰り返しをやってるようです。黄紺的には、最近の二葉狂騒曲を体感できた気分になっており、失望があったとはいえ、それにも勝る気分になってます。
 昨日は、午後にお出かけ、夜はオンライン配信を視聴するといった日。まず、お出かけから。前々から目を付けていながら行けていなかった京都市京セラ美術館開館1周年記念展というタイトルが付いた「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場ワタシの迷宮劇場」という特別展示です。歴史上の人物や名画の中の人物になりきり、セルフポートレートを出している森村泰昌の作品、1度、観てみたかった。それが、京都で観られるということで、かねてより楽しみにしていたものでした。会期終了も近づいているので、ちょっと窮屈な日だったのですが、土日は避けたい気持ちもあり、昨日を選んだというわけです。展示会場は、上から幕が垂れ下がり、迷路のようになっており、その幕に、森村作品が着けられています。美術館の展示概要に「秘蔵インスタント写真」となっていますから、1つ1つは小さいので、作品数はめっちゃ多いです。わざと画質が落とされてるのかなとも見せる写真ですが、撮る方法で制約を加えているということなんですね、後から知りました。その分、ジェンダーを行き来する森村の姿が、却ってクリアになるということだと思います。画質が落ちるため、レトロな写真を撮るのにも好都合、白黒にすると、今度は、あっさりと時を行き来できます。わりかし、19世紀を感じさせるものが多かったように思えました。なりきり系では、絵画の中の人、実在の人物と、はっきりと判るものは、さほど多くはなかったように思えたけど、見つけると、なんか、クスッと笑ってしまいますね。洋の東西も行き来してました。西ものの方が多いと看ましたが、しっかりと和服、和式の伝統的家屋を背景に撮ったものも含まれています。いろんなところを行き来してくれます、これぞ、森村の真骨頂です。観に来てる人、平日の昼間だというのに、爺婆は少な目。来ていても、爺は、かなりのマイノリティ。多いのは若い人たち。会場の中には、幕の迷路で吸い込まれる箇所があり、そこで、「無人朗読劇」が行われます。時間は27分間と係の方より案内がありました。実は、黄紺が会場に到着した時間帯が、この劇が始まる僅か前だったもので、作品群を観る前に、こちらへ入場。展示概要で、初めて知ったのですが、1994年に森村が自作の小説を自ら朗読したCD《顔》の音源をもとに制作されたものだそうです。円形に組まれた客席の内側に小さな舞台、中央に香炉、会場に入ると、仄かにお香の匂いが漂っていました。周囲にスピーカーが配置され、客席の一角にはラジカセが設えられているというもの、それと、上からの照明で構成されており、朗読は、全て森村が行うというもの。内容は、学生時代のオカルト体験を振り返るといったものかな。いなくなった友人探しをしていて訪ねた尼寺の尼僧に案内された本堂で摩訶不思議なことが起こるといったものでした。また、会場の一角(端っこ)に、幕が裂かれた状態で吊り下げられ、その隙間から中を観ることができるようになっているのですが、そこには、撮影に使った衣装が、また、床には古本が散らかされてありました。中には「ドラえもん」が数冊扇状に並べてあったのですが、その心は、何だったのでしょうか? 大きな絵画作品が来るのかなと、今まで知っていた森村作品がそうだったもので、そういったのが来てると勝手判断していたもので、意外な展示に戸惑ったところもあったけれど、これはこれで楽しい。ええもん観てきました。
 夜のオンライン配信は、ちょっと久しぶりのアートエリアB1からの配信「ラボカフェ」。昨日は、大阪音大主催の「ミュージックカフェ」。お題は「古楽って新しい!?」というもので、三島郁(音楽学/チェンバロ奏者)さんのお話を聴くことができました。司会は学生さんが担当、でも、冒頭の音源が出ないというトラブルがあって以後は、ほぼ三島さんの一人喋り。電子オルガンをチェンバロ音にして、音源とともに、自身でも楽曲の一部を弾きながらの解説というものでした。出なかった音源というのは、ヴィクトリア・ムローヴァの弾くバッハの無伴奏パルティータ、この同じ曲を、時を変えて録音したものを聴かせ、同じ人が同じ曲を演奏しても「違う」ことを実感させることからスタートするおつもりだったのが、トラブル。この配信、よく、これが起こります。「事前に走らせてないのかな」と、毎回、思ってしまいます。で、その「違い」が起こってくるのは、楽譜には指定がないから。そこで、「楽譜を眺めてみよう」ということで、コレルリの同じ作品の違った版を見ると、これも「違う」。装飾音が入ってる、入ってないの違いなんだけど、装飾音が入っていても、メロディー楽器のヴァイオリンには入っていても、通奏低音の方は入ってない。これが普通なのが古楽、「アダージョ」というタームの解説が入りました。現在では、「ゆっくり」「抒情的に」を連想するタームだけど、古楽の世界では「自由に」「即興的に」を意味するものだから、「演奏回数だけ演奏がある」となります。ま、この辺は、知らないわけではないお話。フレスコバルディの楽譜には、通奏低音にも装飾音が入っているけど、五線譜じゃなくて、六線譜や八線譜になってる、現在では、とっても弾きにくい、まあ、そうでしょうな。フランスに入ると、これはクープランの楽譜でのお話だったのですが、「和音表記」ではなくなり、音のずらしが、楽譜上に現れてくるそうで、イタリアとの違いだとか。でも、この楽譜も、装飾音が細かく入っているわけではない。そして、ここからが、全く知らなかったトピック。装飾音の入れ方。どのクイケンかメモをするのを忘れたけど、クイケン一族の1人の書いたものの中に「拍節の階級性」「音楽は民主的でなかった」とあるそうで、音の出し方、指の使い方に、独特の感性が古楽の世界にはあるということでした。弦楽器なんかの「指使い」には、「良い指」と「悪い指」があり、指の指定があり、それも、地域や時代により異なる。しかも、その指定があるために、決して、音楽自体は「滑らかじゃなくなる」、でも、指の指定をしているというのです。「イネガル奏法」というそうで、「不均等な奏法」を意味します。「均等にはしない奏法」だから、クイケンは「民主的でない」と表現したのだそうです。逆に「egales」(“イネガル”の否定部分を取ったターム)と、楽譜に書かれていると「均等」で、書かれてないと「不均等」を意味するそうです。これは知らなかった! 奥が深い、古楽。独特の世界観ですね。最後に、古楽の通奏低音のリズムに、よく用いられたチャコーナ(シャコンヌ)が取り上げられました。新大陸由来のりズムだそうで、それが、現代の演奏に生き続ける姿を、YouTubeに上がっている動画を使ってのお話でしたが、このリズムを覚えて、それらを聴くと、確かに生きてる、そして、生き続けるわけが判る、心地よさのあるリズムですね。なかなか、興味の尽きないお話。聴いてみるものですね、ええもんに当たりました。


2022年 5月 25日(水)午後 8時 32分

 今日は、午後から市民向け公開講演会に行く予定を入れてあった。そういった日は、午前中がタイトになるので、いつもの昼前のウォーキングは短め。毎度、1時間余を目途に歩くことが身についてしまった。それに合わせて動くから、余った自由時間で、Radikoで、KBS京都の「吉の丞 おつかれさん!」を聴いたり、でも、制限時間が来てないのに切られてしまった。めっちゃ、不愉快。もう1つしたのは、京セラ美術館、要するに京都市美術館の電子チケットを買ったりしていた。時間指定までできるようになってたけど、逆に、それに縛られてしまう。前売りを買おうとして、その縛れれるとやばいかもと思い、結局、特別展が始まってから買うことになった。いい美術展が目白押しで、かなり選択してるつもりだけど、詰まってきてしまってる。だから、エイヤーと日を決めたので、チケットを買った次第。
で、お時間になり出かけた先は、大津市内にあるコラボしが21。早い話がびわ湖ホールの向かいだ。今年も、ここで行われる「滋賀の文化財講座“花湖さんの打出のコヅチ”」が、今日から始まった。数年前、びわ湖ホールに行ったとき、湖岸道路を散歩していて、この講座のポスターを知ってから、毎年、お世話になってます。今日は、「滋賀県の誕生と県政150年」というお題で、滋賀県文化財保護課・滋賀県立琵琶湖文化館副館長の井上優さんのお話がありました。この方、いつもなら司会をされている方、講演も聴いたことがあり、確か密教、天台宗の専門家のはずなのに、えらい方向転換。察するに、表記の講演をした方がいいと言いながら、講演する人がいなかったのじゃないかなと、勝手な推測をして楽しんでいました。でも、今日は、ダメでした。前の2/3は、ほぼ寝落ち。冒頭の「滋賀県の誕生」噺くらいは、それも曖昧なものだけど記憶があるけど、その後の公文書の内容、分類などのお話があったようですが、全くダメでした。残りの1/3は、恐らく、公文書ネタだけでは、時間が持たないと判断されたのでしょうね、なんと、想定外のテーマが用意されていました。「大津事件」の史料紹介がてら、その概要と、その後のお話をされました。概要は解っています。だって、有名な事件だし、大津市歴史博物館での公開講座まで聴きに行ってるから、さすがに入っている。でも、「その後」は、全くの初耳話。ロシアの皇太子が斬りつけられたあと、手当のために担ぎ込まれた呉服屋が、ロシア人にとって聖地化していったというトピック、呉服屋は呉服屋で、それをいいことにグッズ販売までやってたとか。聖地化というのは、有名な皇太子の血の着いたハンカチが聖遺物のような扱いを受けて行ったそうです。ロシア皇帝一族って、そういった見方をされていた、言われてみれば、ローマ皇帝の血を引いているわけだから神聖化されても、正教会では、なんら不思議じゃないね、これ! ということで、人を介して、ロシア側(これがどういったところが核になってたか調べたらおもしろいと思ったけどなぁ)が、その呉服屋の買い取りに動き出すなんてことが起こり、その異様さに、日本側も驚き、逆に買い取りに動いたという、ま、それを達成するわけだけど、なんか、やっぱ、異様だね、これ。そのお話を、もっとしてくれたらいいのに、これが本筋じゃないとばかりに、後ろの1/3が当てられたものだから、時間がく、最後はすっ飛ばして、おしまい。残念! 今度、同志社大学主催の講演会で、ロシア正教とウクライナ正教が取り上げられるのに申し込んであるので、とっても、いい動機付けをしていただけました。
 この頃、トルコでは、コロナ禍は終わった感満載なもので、トルコに看るウクライナ問題の追っかけをしようじゃないかと思い始めている。なかでも関心をそそられているのが、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟問題に、トルコが異議を唱えている一件。一方で、同じNATO加盟国ながら、ギリシアとの鞘当ては絶えない、そして、このタイミングで、エルドーアンはシリアへの攻撃を促そうとしている。そんなで、これ押さえてみようかの気にさせられてきている。最大の関心事は、フィンランドとスウェーデンの加盟問題に着地点があるかということなんだけど、それだけにとどまらない、かなり問題は膨らみそうで、絡み合ってるように看えてるので、頭がついていくだろうかと不安。やっぱ、普段から、日本の新聞も読んでおかないとあかんね、何かやろうとすると、ファンダメンタルができてないことに気づくからね。


2022年 5月 25日(水)午前 1時 2分

 夏のような気候になっています。ただ、乾燥しているので、とっても爽やか。暑くても、影に入ると、快適そのもの。こういった気候が、ずっと続いて欲しいと思う、そういった感じです。今日は、1つ、大きな失敗をしでかしてしまいました。日々の予定は、スケジュール表を作り、そこに書き込んでいるのだけど、それを、丁寧に見ないという、悪い癖。今日のように、端からお出かけなしの一日と了解していると、それを見ない。ところが、そこに書き込んでることがある。今日などは、3件も書き込んであった。いずれも、今後のためのもの。内2件は、チケットの購入、他の1件は、市民向け公開講演会への申込み。それらの中で、1件は、スピード勝負といったものだったから、時間を失すると、おじゃんになってしまうものだったから、大失敗となったのでした。それは、京都である「桂二葉独演会」のチケット売り出し日だったのです。今や、プラチナチケット化している二葉の会、それを、しっかりと感じさせてもらった。午前10時発売開始というのは、どこでもある話だけど、これを失念していたため、気がついて、1時間後に、ぴあにアクセスしたら、「予定枚数終了」の文字。久しぶりに、生二葉を聴くんだと勇んでたのに、時間を忘れていたのでは、どうしようもなかった。幸い、他の2件は、大事に至ることはなかったけれど、これは、かなりのショック。
 今日は、その二葉三昧と言っていい一日。火曜日は、KBS京都で「まーぶる、桂二葉と梶原誠のご陽気に」の放送があった日なもので、今回も、Radikoで聴いた。この中の話で、1つ、疑問が解けたことがあった。二葉のTwitterに、「月曜日の夕食を荒神口で食べた」と、店名を出し、食べたものの画像まで載せてあったのが気になってた。京都で落語会があったわけでなし、何か、黄紺の知らないイベントでもあったのかと訝しげに思ってたところ、それについての話があった。月曜日の夕方に、KBS京都の特番の収録があり、また、翌朝(今朝)、京都に来なければならないというので、京都で泊ったということでした。番組のウエブサイトを見ると、その特番、ラジオじゃなくてテレビと出ています。その荒神口の店の話が可笑しかった。京都府立文化芸術会館のそばにあるということで、米朝や枝雀、それ以外の噺家さんのサイン色紙が飾ってあるそうだけど、それを見たときの二葉の言い方が可笑しい。「よう、米朝師匠や枝雀師匠の横に並ぶ色紙書くわ」と、誰かは言わなかったけれど、2人の傍らにある色紙を書いた噺家をディスっていました。となると、途端に「それ、誰?」って気になってしまった。その店、見当がつくので、忘れない内に行ってみることにしましょう。ちなみに、二葉は、顔はささず、自ら名乗りもせずに、ただの客としていただけだったそうで、それを聞いた梶原さん曰く、「今度、行って、二葉さんが来てたこと言っときます」。これ、一番、おもろかった。
 火曜日の夜には、KBS京都で「桂吉の丞のおつかれさん!」もある。こちらも、Radikoで聴いてたけど、晩酌後に聴き出したものだから、あっさりと寝落ち。気がつくと、毎度、終盤にある「三題噺」に入ってた。また、明日、聴き直すことにしましょう。ベッドに横になりながら聴くという、全くのぐうたら生活、そして、ラジオを聴く、長閑すぎます。気候もいいし、あっさりと、時間が過ぎて行きました。


2022年 5月 24日(火)午前 6時 42分

 かなり暑くなってきました。もう外出は、全て半袖姿となっています。昨日は、そういったなか、映画を観る予定にしていた日。一昨夜は、午前3時台に目が覚めてしまい、若干の躊躇はあったけれど、その分、時間にゆとりができてしまったので、行く決断をした。こういったときって、せっかく行っても、居眠りをしてしまわないかが気になってしまう。そんなで、少し、お昼ご飯を早めに食べ、京都シネマまで行ってきました。「教育と愛国」というドキュメンタリー映画。毎日放送の斉加尚代ディレクターが監督を務める作品。本作の基となった映像は、既に放送されているということだったのだけど、既に、TVのない生活をしていた時期の放送なので、その内容を知る術もなく、どのような内容なのか把握していなかったため、観るかどうか躊躇っていたのだけど、先日の巡検に行った際、既に、京都シネマの公開初日に行っていた人がいたので、尋ねてみると、やっぱ返ってきた答えは、「基本的にはTVで流れたもの」「良かった」。後者の答え一つで観に行きました。信頼している人の一言を支えに行ったのですが、やっぱ、内容を突っ込んでおいた方が良かった。ここまで、愚直に、教科書問題を追いかけてる番組がTVで流れ、且つ、映画にまでなるとは思ってなかったのです。黄紺は、内容を、ホント、勝手判断で、学校の中で起こってることを取材したもの、例えば、森友学園で教育勅語を子どもたちに暗誦させていたなんてことが報道されていたのを知っているので、そういった、「今、学校で、“愛国”の名のもと行われていること」の寄せ集め集的映画かと思っていたら、とんでもございませんでした。安倍第2次内閣成立以前から、維新も歩調を合わせ、露骨な政治介入が教育の場に起こっていっている姿を、教科書を切り口に観て行くという、古くて新しい、いや、古い時代には、まだ、抑制されていたことが、奥部もなく露骨に介入してきた姿を跡付けようとしています。これ、知ってたら、恐らく、観に行かなかったんじゃないかな? わざわざ映画館まで足を運ぶことではない、判ってることを整理してくれてることは有難いんだけど、気持ち悪くなるだけと思うからね。戦争の加害責任を声を上げて伝えようとすると、それは、「反日」とレッテルを貼り、それどころか、そういった教科書を採用すれば、圧力をかけていく。場合によっては、右翼までを動かしていく。「新しい歴史」などと言い、「自虐史観」だと規定し、嘘で塗り固めて行く。歴史教科書が神話で始まるって、現代じゃないよね。Yahooニュースでも、日本、日本人を、必要以上、讃える記事が、やたら多いけど、「日本は、こんなに素晴らしい」と妄想の世界に導いていってるって、京都学派の連中が、「文化は高きより低きに流れる」と言って「大東亜共栄圏」を讃えたのと、根は一緒だよね。それを、学校教育の世界でやってる、気持ち悪くて仕方がないから、「観ない」のです。でも、下調べをきっちりしてなかったので、観ちゃった! そして、はらわたが煮えくり返った。それを諦めずに、愚直に映像にまとめてる人がいる。客席も、かなり詰まっている。安倍や菅らと維新は、一衣帯水にむかつく人が集まってんだろうな。そう思いながら、DやSのこと、思い浮かべてた。えらい時代に、生まれてきたね。そんなこと、息子が子どものとき、何も言わなかったけど、息子は、まともな目を持ってる。だから、DやSにも、何も言わないだろうな。そんなことを考えれたのが、唯一の収穫かな?
 トルコ・リーグの2021-22シーズンが、一昨日で終わった。最後は緩んでしまい、2位になったフェネルバフチェに近づかれたけど、トラブゾン・スポルは、正に圧勝の優勝だった。一番意外だったのは、昨季の優勝クラブのベシクタシュが、あっさりと崩れたこと。同じ顔触れなのに、ましてや、ライバルクラブが、さほどいいメンバーを組めてないのが判りながら、ダメだったのは、何で? セルゲン・ヤルチュンという、ベシクタシュにとっては待望の監督が去り、もっと酷かったガラタサライは、ファーティフ・テリム監督まで去った。ガラタサライは、明らかに選手構成に失敗しました。フェネルバフチェは、いい選手がいながら、その選手を見極めることのできた監督の問題だった。イスマイル・カルタルを間に合わせのように起用したら、目が確かだった。トラブゾン・スポルとともに、先を行っていたコンヤ・スポルを捉えて、2位に上がっちゃった。そのイスマイル・カルタルを切ろうとしています。有名監督招請に動いてる。実績無視のフロントですね。どうも、黄紺的には、フロントになじめない。せっかく、イズミルのクラブが2つも1部に入ってたのが、2つとも陥落。替わりに、また、1つ、イスタンブルのクラブが増えた。ウムラニエ・スポルって、黄紺がトルコ・サッカーに親しみだしてから、1部に入ったことはなかった。昇格争いのプレーオフに、更に2つ、イスタンブルのクラブ(イスタンブル・スポル、エユップ・スポル)が入ってるから、もう1つ、増えるかもしれない。いったい、イスタンブルのクラブが最大幾つになる可能性があるのか、8つですね。なんじゃ、この偏り。


2022年 5月 23日(月)午前 4時 21分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、毎度のお楽しみは「日曜美術館」。昨日は、「竹の宇宙へ挑む」というお題で、堺市の竹工芸家の4代目田辺竹雲斎の活動を追いかけるというもの。「アートフェア2022」に出品された新作"wormhall""循環 recirculation "という2つの巨大なインスタレーションの制作過程を追いつつ、田辺竹雲斎家の歴史となる歴代の作品紹介や、そもそも、竹工芸とはどのようなものかの紹介などを絡めながら、番組は進行。竹雲斎さんは、工房を堺に構えてはいるのだけど、原料となる竹は、高知県須崎(すき)市の竹林から手に入れている。竹工芸に相応しい竹林があると言う。具体的に紹介されていた竹は、虎模様の「虎竹」、節と節の間が大きく、黒く、粘りがあり、柔らかく伸びがあるという「黒竹」。それらを工芸に使えるように専用の加工工場(和歌山県)が、次に紹介されました。黒竹の加工場で、こちらも、歴代受け継がれた技術を持っている職人集団。火で炙り、万力で曲げるという作業です。粘り気の出た竹は、竹にある油分が、こういった作業で、黒いつやが出て、柔軟になるようです。こういった匠の合わせ技というのが竹工芸だと、ようく判りました。工房では、お弟子さんが、竹を割いて割いてしていくと、どう見ても竹には見えない、糸のようになっていました、細いものになると。初代の竹雲斎が、20種類の編み方を考案して、それが受け継がれているとか。紹介された作品でメモることのできたのは、次の通りです。「①柳里恭花籃(初代)」1925年のパリ万博出品、銅賞、「②螺旋紋花籃(りんせんもんはなかご)(2代目)」、「③元宵(しょう)(4代目)」、「④Disappear(4代目)」オイラーの曲線を竹ひごで再現、「⑤雲龍(4代目)」作家の腕の見せ所という荒編み、お湯で柔らかくした竹を使う、「⑥海 花籃(2代目)」制作映像で紹介、太さの違う竹を組み合わせた2代目の代表作。冒頭の2つの出展用制作現場は大津市の倉庫。基本は亀甲編み、それを組み合わせて巨大化させていき、荒編みを加えていくという方法のようでした。搬送はパーツに分けて行い、会場で組み上げ、荒編みの調整をするというもののよう。展示が終われば、その場で解体、材料の竹の90%は再利用。こんなことができるんだというほどの巨大さ、自在な形状を観るにつけ、とんでもない可能性を感じさせる技法、そして、隙間から入る光の変化が独特なのが、とってもおもしろい。世の中、凄い人がいると、またまた感じさせてもらえました。「日曜美術館」は、ホント、目を、どんどんと開かせてくれます。
 午後の一時は、お出かけなしの日の定番、落語&オペラを、YouTubeで視聴するというもの。落語は、次の2本、①入船亭扇遊「崇徳院」(2010/7/ 池袋演芸場)②入船亭扇辰「阿武松」。①は、「崇徳院」で検索すると引っかかってくれた。扇遊ものは、さほどネット上に上がってないということで、飛びついてしまった。かなり、生真面目な口演で、ちょっと堅いかな? やはり、ここでも繰り返しを省き、コンパクトに仕上げられている。東京版の型と言えば、いいかな? ②は、入船亭繋がりでのピックアップ。扇辰ものも、ネット上に、さほどあるものではない上に、このネタは、扇辰では初見だったので、いいもの見っけの気になってしまった。山口県内での口演ということで、ご当地に関わるネタのチョイスのようです。後の阿武松の入門秘話といったところでしょうか。武隈とか、尾車とか、どこかで聴いた名が、噺の中の関取衆として出てくるのが嬉しい。
 オペラ配信の方は、先日、視聴を始めていた「連帯の娘」の続き。連帯との別れ、叔母(実際は実母)の下での生活、連帯との再会といったところまで。歌手陣が優れものなのが、この公演の売りだけど、コーラスの人、若い人ばっかというのが気になる。結婚をしようかという女を育てたという経験のある連帯の人たちなんだから、ある程度、年嵩が言ってないと合理的じゃないと思うのだけど、ほとんどが若い。しかも、この人たち、指示されたことしかしていないって感じで、めっちゃ、動きが硬い。コロナ禍の公演なため、全員、衣装に合わせた黄色のマスク。それで堅いと、衣装が浮いてるよと、ずっと突っ込みながら視聴しています。


2022年 5月 22日(日)午前 6時 36分

 一昨日の疲労が取れないままの一日。一昨夜は、寝落ちの連続、でも、やりたいことがあったので、頑張って起きてたんだけど、結局、ギヴアップ。そして、朝も、いつもより遅く、お目覚め。目が覚めても、明らかに、身体に疲労感がある。時々、1日のウォーキングが2万歩超えをすることもあるけれど、一晩寝れば、いつもは疲れが取れてるけど、昨日は、そうじゃなかった。昨日は、お出かけ予定のない日だったので、ルーティンにしているウォーキングをしても、端から身体が重く、あまりいい気分のものではなかった。歩き始めると、歩く前よりは軽くはなったけれど、特に、夕方のウォーキングは、その時間は短く、疲労感が先行。ホント、夜のお出かけは余計だったね。巡検をして、夜にも出かけるという考え自体が、無茶です。その煽りを喰った一日でした。
 昨日は、午後に、オンライン配信の予約をしてあった。でも、これも、一昨日の煽りを受けてしまった。疲れがあるところへ、昼食後という時間帯、これは、寝落ちしてくださいと言わんばかりの設定となりました。一応、ちょこっとだけ、メモっておきます。「みんぱくゼミナール」のオンライン配信です。昨日は、日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念特別展「邂逅する写真たち―モンゴルの100年前と今」関連企画とのこと。民博の現場までは行かないものだから、大元の特別展を観てないなかの講演というか、事実上のトークショーだったのですが、冒頭に、この特別展の企画担当の島村一平(国立民族学博物館准教授)さんから、その趣旨説明があったので、展示の全貌は解るわけはないのですが、その概要は解ったつもり。また、展示された写真の一部は、スライドで見せていただけたので、トークの内容理解に困るというものではなかったのですが、寝落ちしてはダメですな。「100年前の写真と現代の写真家の写真との対比」、これが趣旨です。というのも、100年前に撮られた写真が残っているのだけど、それらは、「標本資料として撮影」「前と横から撮影、骨格標本のよう」「患者はモンゴル人、治療はヨーロッパ人」「撮る方が上位」という、一言で言うと、「オリエンタリズム」というスタンスのものばかり。また、現代でも、モンゴルの写真となれは、人口比では僅か9%に過ぎない遊牧民が撮影対象として紹介されてしまっている。そこで、「モンゴル人の観たモンゴル人の写真」との比較をして、何が違うのか、何がそうさせているのかを検討しようという試み。選ばれたのが、B.インジナーシさんという、国際的にも評価されている現代モンゴルの写真家。トークは、「B.インジナーシの写真の魅力」と題して、次の7項目に関わる写真を紹介しながら、B.インジナーシご本人の解説、それに質問や突っ込み入れ係として、港千尋(写真家、多摩美術大学教授)さんと川瀬慈(国立民族学博物館准教授)さんが参加されてのトークが展開されました。「①ウランバートルの現実(リアル)②若者たちーロックの魂③伝統と近代のはざま④子ども⑤女性⑥ソーシャルディスタンス⑦魅惑のポートレイト」が、その7項目。記憶に残っているなかの、一番インパクトがあったのが⑥。めっちゃ近い。学校の授業で机に並ぶ子どもたちは、身体を寄せ合いながら授業を聴き入っている。何かにつけこうだと言う島村さんの戸惑い経験もお話されていました。冒頭の項目設定で目を引いたものだけに、ここでお目覚めは、超ラッキーでした。そんなで、書けるのはこのくらい。
 夜は、「ブラタモリ」の新作のあった日。「東京湾巡り、横浜&川崎編」。黒船が停泊した位置に船を停めてのトーク、横浜村には、相当な威圧。東京には近づけない、でも、離れてはダメ、且つ、大型船を停泊できる深さがあった、これが、横浜の運命を決めた。「神奈川台場」というものの存在、初めて知りました。 跡を観ることができるんですね。驚いたのは「京浜運河」。これも、その存在を知らなかった。しかも、これ、現役。タモリも「通ったことがある」「とっても穏やか」と言ってました。浅瀬で通れないところを浚渫していく、何とか言う冒頭で振りのあったものを防波堤として使いながら。その通り道になった川崎が発展するという構図でした。最後は、その京浜運河沿いにある工業地帯の風景、そこにある施設の紹介。めっちゃ、お勉強になりました。単に「京浜工業地帯」としてだけしか知らなかった地域の実情&歴史、ようく判りました。やっぱ、「ブラタモリ」は楽しいね。


2022年 5月 21日(土)午前 7時 42分

 昨日は、とってもハードな一日、それだけ、楽しんだということにもなります。午前10時、近鉄伊勢田駅集合で、昔の同僚5人で巡検をスタート。コロナ禍で、この集まりは3年ぶりとなりました。今回のテーマは「ウトロと文禄堤」。伊勢田駅集合ということは、まずはウトロ地区から。このために、黄紺は、2週間前に下見に行ったというわけです。ウトロ平和祈念館で学習してから、地区内を巡ることにしました。祈念館の展示は、既に観ているので、あまり知識を持っていない、最新の状況を展示したコーナーを、今回は重点的に観ることにしました。前回、ウトロ地区の詳細について教えていただけた方がおられなくて、ちょっと、当てが外れてしまいました。質問を用意していたのですが、ダメでした。そういった展示を観ていると、展示の一角にQRコードがあったので、それを読み取り、保存。展示を映像化したものかと思っていたら、帰宅後、再生して、びっくり! 展示に記されているのですが、韓国のバラエティ番組のロケが行われた結果、韓国内で世論が高まり、寄付などが進行したと言います。だから、その映像を観たかったのだけど、そうとは思わないで観たものだから、びっくりしたのでしたが、それだけではなかった。映っていたのがユ・ジェソクだったのです! 韓国語は解らないけど、ウトロ地区に住むハルモニとの交流を描いた映像でしたが、黄紺の関心は、ユ・ジェソクが、番組とはいえ、ウトロ地区に来ていた! 調べてみると、「無限挑戦」という番組でした。「ウトロのお年寄りたちに故郷の食べ物を届けるためにやって来た」という趣向のようです。だから、そのときに使われたクーラーボックスが、祈念館に展示されていたということで納得です。恐らく、これは、他の人は解ってなかったと思うので、このあとメールを送っておくことにします。祈念館を出ると、地区内を歩きました。かつて使っていた立て看板の収容された建物、今回は外しませんでした。外から見ることができました。そして、放火現場を通り、西側の端っこまでと散策。駅への戻りは、表通りを。こちらを通ると、祈念館の案内板が出ています。なぜ、あの場所に、案内板が出ているかも、質問をしてみたかったポイントだけど、今回も謎のままとなりました。次は、近鉄電車に乗り、向島駅へ移動。京都に向かい、右側が文禄堤。観月橋からの道がそうだと知っていたけれど、それらしい風景は、向島駅が近づくと消えていたので、そこから小倉駅寄りに、また、文禄堤が判る箇所が残っているのは知りませんでした。巨椋池の「椋」の字の基になった大木も残っていました。その巨椋池との高低差を感じられるところも、立派に残っています。これはええもん、見せてもらえました。そのらしい風景が消えると、近鉄電車沿いの道を、お喋りをしながら、小倉駅まで歩いて移動。駅近くでお昼ご飯。ここでも、たっぷり喋り、お開き。帰りの近鉄小倉駅に置かれてあるチラシに「旧奈良監獄」見学ツアーが記されてあるのを見て、あっさり「来年はこれ」と決まりました。ま、一応だけど。
 帰宅して、休息。この間に、ユ・ジェソクの出てる「無限挑戦/ウトロ編」の動画を視聴。あまり身体は休まったなの感触もなく、夜のお出かけ。珍しく、京都市交響楽団の夜公演に行くことになっていたのです。京都コンサートホールであった「第667回定期演奏会」、「フライデー・ナイト・スペシャル」と銘打たれてあったけど、ガラガラでした。しかも、若い人が大半。爺婆で成り立っているご時世なのに、大胆なチャレンジとは思うけど、こう爺婆の来にくい時間帯設定では仕方ありません。黄紺が選んだわけは、とにかくプログラム。次のようなものでした。「①モーツァルト:セレナード第12番 ハ短調 K.388(384a)」「②モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 ※カデンツァ=ハインツ・ホリガー」。①は、オーボエ、ファゴット、クラリネット、ホルン各2本という構成、それを指揮者(ヤン・ヴィレム・デ・フリーント)を置いての演奏とは珍しい。大体、木管による、モーツァルトの機会音楽を聴く機会は、まあ、ない! 「13の管楽器」がせいぜいでしょう。さすが、器が大きかった。もっと狭い空間で聴きたいよ。やたら、ホルンは響いてくれるけど、あとの木管6本が寂しくなっちゃいました。②のソリストは、上野博昭(京響首席フルート奏者)、松村衣里(京響ハープ奏者)。有名曲のわりには、生でとなると、聴く機会は少ないということで、こちらも嬉しい選択。でも、正直、体調は万全でなかった。朝からの疲労は、かなりのもの。寝落ちはしなかったけれど、集中力は切れてしまっていました。もう昼間に、この2つを重ねた失敗に気づき出してたけれど、己の年齢を考えなきゃ、ダメだね。京都コンサートホールに行ったときの定番、三条駅までのウォーキングがてらの徒歩での移動は、さすが止めた。久しぶりにバスに乗ったけれど、これを、いつもは歩いてると思うと、自分を褒めたくなっちゃいました。


2022年 5月 20日(金)午前 6時 28分

 昨日もお出かけ予定が入り、一昨日と違い、きっちりと予定通り、滞りなく楽しむことができました。午後に、こういった予定が入るときは、ウォーキングに割く時間確保に、コロナ禍では、随分と困ったものだが、日本と違い、ほぼ終息気配のトルコでは、コロナ関係の報道は、ほとんど影を潜めている。日々のデータの出方も疎かになってきている。もう半月以上前に、リアルなワクチン接種数が出てたのがストップ。定時の数だけが出るようになっている。そんなで、朝の一時ができるものだから、昨日などは、その時間を使い、普段の昼前のウォーキングの6割強くらいを達成できた。ついでに、マートに寄ってくればいいのだから、時間に余裕があると、プラスαが付いてきます。
 昨日のお出かけは、滋賀県立美術館の年間パスポートを持っている会員さん向けの特別イベント。この年間パスポート、めっちゃ有難い。年間2回、企画展に足を運べばとんとん。黄紺などは、もう元を取っている。その上、会員様限定のイベントなんて、嬉しすぎです。「蘆花浅水荘と膳所焼美術館を訪ねて」と題した見学会が、そのイベント。今、同美術館では、先日、首の具合が最悪なときに行った企画展「生誕150年 山元春挙」が行われているが、その関連企画なのです。「蘆花浅水荘」は、山元春挙が琵琶湖畔に建てた別邸。ここの2階がアトリエになっており、制作現場。しかも、その位置が、膳所焼美術館(膳所焼を復興した岩崎健三の窯があったところ)の近く。両者の距離は、徒歩2~3分という距離。昨日、一番多く聴いたフレーズ、「春挙は、絵の具が乾く間を利用して、焼物の制作現場を訪ねていた、そして、絵付けをしていた」、これを踏まえて、前半が、「蘆花浅水荘」の見学。後半が、「膳所焼美術館」の見学といったもの。「蘆花浅水荘」は、ほとんどいじられることはなく、100年前の姿がそのまま残っている。お庭にある、石で造られた段差が、かつての湖畔。舟入が直でできるようになっていた。今、芝生のお庭の向こうの生垣の外に湖岸道路が走ってるだけで、湖が見えている。でも、そんなものがなければ、見事な湖を借景にしたお庭が広がっていたことでしょう。幸い、写真が残っているので、見せていただけました。会場から声が上がっていました。ある廊下には、舟から上がってきたことに呼応するように、天井が舟を上から被せたようになっていました。舟底を模した天井ということです。そういった遊び心、洒落た試みのいっぱい詰まった屋敷です。2班に分かれて、解説を聴きながら、邸内を見学したのですが、覚えているものだけでもメモっておきます。「庭を見渡せる座敷には、二畳の床の間、寝転べる広さにしてある、そして、寝転んで庭が見えるように、じゃまになる角柱がない(思わず、今はなき大阪能楽会館の取り外しの効いた目付柱を思い出した)」「素材を活かす数寄屋作り、縁側に面したスペースの天井には、細めの、しかも太さがほぼ一定の木がそのまま使われている」「座敷の襖の引手の装飾、満月、半月、三日月、他の部屋には雀の形をした引手もあった、その部屋は、全てが竹で設えてあった竹の間」「竹の間の傍らの中庭には、切り口が四角形になる竹が植わっている」「庭の置物に、明治維新で壊された膳所城の瓦、柱石が置かれている、柱石には水が溜められ、その水面に映る月を楽しんでいた、その月を観ていたのが傍らの茶室、その茶室には、雪見障子ではなく“月見障子”が設えてあった、横スライドで障子の一部が動く」「茶室が、全部で8つあるという、1つは、帝室技芸員だったことで、天皇用に作り、入口を“貴人口”と呼んでいた、但し、天皇は来ていない」「1つの茶室の天井が“薩摩杉のうずら杢”と言われたのに、びっくり、“牛ほめ”に出てくる言い草です、ほんまもの見れ、ガッツポーズです!」「1階は全て和室だが、2階は洋間が2つ、その1つがアトリエ、春挙は、ここで亡くなった」。もっと、いろんなおもしろいお話をされていたはずなんだけど、絞り出せるのは、このくらいかな? 「膳所焼美術館」では、お点前をいただきながら、膳所焼についての説明を、館長さんかな、とにかく美術館の方からしていただきました。大津市歴史博物館でお勉強済みなんで、これは解りやすかった。古膳所焼と復興膳所焼、古膳所焼の窯は各所にある、なかでも話題に上がっていたのは、大江焼と、石山寺の背後にある国分にあった窯でした。昨日、一番の苦しみは、この時間帯。というのも、足腰の痛みがあるうえ、左足の剥離骨折跡が座り方で痛むので、最早、黄紺は、和室では、まともに座れない。そこへお点前を出されては、どうしようもない。胡坐すらかけない。我慢しないで、椅子に座ればよかった。数が少なかったので畳に座ったのは座ったのだけど、この状態のうえに、立つのが大変なのです。美術館の展示は、2階が古膳所焼で、思った通りの褐色、黒色とダークな色合い。中には、黒地に天目茶碗なんてのもあった。1階は復興膳所焼で、且つ、春挙の絵付けしたもの。大部な絵画は、雄大な風景画を描くのを得意とした春挙だけど、こういった絵付けは、可愛らしいというのが特徴。この感覚の違いが同居できたのは、どうしてでしょうか? 傍らには、狂歌に絵が添えた色紙、その絵が春挙の軽い絵ということで、焼物の絵付けと通じるものがありました。今一つ、傍らには、健在なりし頃の膳所城の入った小屏風。膳所城も、坂本城同様の湖水に突き出た城でした。そんなで、2時間余のお楽しみ。現地へは、JR石山駅から往復しました。ローカルな京阪電車に乗るのも一興かとも思ったのだけど、経費節減を考えると、JRでした。石山界隈は、「兼平」の謡蹟があるので、それを求めて歩いたことがあったけれど、湖岸方向は初めて。そういった知らない街角を歩くのは楽しいものがありますね。「晴嵐」なんてのが町名にまってました。そう言えば、通り過ぎた京阪電車の駅名も「粟津」でした。こんなのを見つけると、めっちゃ嬉しい。「ぜぜ(膳所)がないので歩いたら見つけた」とは、いい洒落が出来上がりました。落語のパクリやけど。
 隙間狙いで、朝方、落語を1本、YouTubeに上がってる音源で聴きました。米朝「七度狐」です。実際は、「煮売屋」手前の、空腹の言い草談義から始まっていました。ちょっとだけ、「東の旅」という連作があることを説くため、「発端」の叩きまでサービスしています。米朝師の口ぶりからして、大阪以外での口演と看ました。何やら、現在の噺家さんが省いているものを見つけるのがあるかを楽しみにしてのチョイスだったのですが、このネタだけは、見事に、そのまま伝わっています。それを確認できました。


2022年 5月 18日(水)午後 8時 3分

 今日は、気温が、一気に上昇。朝方は冷え込んでいるんだけど、そこからの気温の上がり方は、なかなかのもの。この間、そんな日が途絶えていたので、ちょっと戸惑います。上がっては下がり、また上がる。久しぶりに、半袖シャツでウォーキングをすることになりました。夕方のウォーキングだけだったけど。一気に上がったからか、高い気温に弱いからか、いっぺんに疲れる、ウォーキングの疲れ方が違うのです。どうやら、臨界点というのが、昨日と今日の間にあるらしい。
 今日は、午後に城陽へ出かけ、おなじみの浪曲を聴くことになっていた。ところが、思わぬアクシデントで潰れてしまった。なんてことはない、近鉄電車が止まってしまったのです。架線がどうにかなったという構内放送が入り、且つ、「復旧の見通しは立っていない」ということだったので、会自体が、何らの手を打ってるのではと思い、会場に電話を入れてみた。止まっていることは知っていた。でも、「演者さんは来られています」ということで、これは、予定通り始めるなと思い、ま、そりゃそうでしょうね、爺婆集めの会だから、電車に乗ってまで来るのは少数派なんでしょう。それも、あっさりと頭をかすめたので、キャンセルしました。JRを使えば行けることは行けるんだけど、かなりの遠回り。奈良線は本数が少ない。行けても、開演後だと、この会は、京山幸乃さん1人しか出ないから、浪曲は2番しか出ない。その1本が、一部でも欠けるのは嫌だと判断、あっさりと断念しました。夕方になり、近鉄電車のHPを見ると、午後2時15分だったかに運転再開となっていた。1時間半ほど止まっていたことになる。架線に何やらが飛来して止まってしまったみたい。架線に何かが起こると、そうは簡単には処理できないだろうの考えは正しかったですね。また、毎回、城陽の会に行かれ、その様子を呟かれている方のTwitterを見ると、何の注釈もなく、いつものように呟かれていたので、何事もなかったように始まり終わったみたいですね。ですから、黄紺の判断は正解だったということで、ちょっと安堵しています。でも、この機会しか、浪曲を聴けない身としては、なんと不孝なんでしょうね。
 結局、そのまま自宅に戻り、午前中にできなかった家事をすることに。明日も明後日も、なかなかタイトな予定が入っているので、これで、一息がつけたのは、怪我の功名というところ。暑い中をうろついたので、既に疲労気味。昨日、外出から戻ってきてから、Radikoで、毎度、火曜日おなじみのKBS京都の番組2本をはしごで聴いていた。「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」と「桂吉の丞のおつかれさん!」です。二葉の方の前半2時間分は、配信期間が短いものだから、既に昨日の内に聴き終えていた。今日のお出かけ前に、吉の丞の方の1/4ぐらいまでは行けていたので、思わぬ時間を、家事だけではなく、このRadiko聴取に充てることにした。おかげで、配信期間を気にしないで過ごせるようになった。二葉が個性爆発させるのに対し、吉の丞はお利口さんな語りが続いています。でも、三題噺、めっちゃ、うまなってる。もう、米紫に突っ込まれることはないでしょう。一方の二葉のお喋りを聴いていると、随所に偏差値37が顔を出す。読めないだろうなと思える漢字が読めない、説明したいことが頭にぱんぱんになってるけど、それを言葉化できない。確かに「37」を思わせる。お勉強は苦手だったんだろうなと思う。最近は、「お勉強できない=何もかもできない」だけど、昔は、これが「=」じゃなかった。だから、「得意なものを選ぼう」「好きなものを探そう」という言説が可能だった。それに基づいて作られてきた教育のプログラム。でも、「お勉強できない=何もかもできない」だと、そういった言説が通用しない。でも、二葉には、この言説が生きている。立派過ぎるくらい生きている。絵が描け、文章が書け、感性豊かな落語をするんだもの。そんなことを、二葉のお喋りを聴いてると思ってしまう。だから、また、次の週を待ってしまってます。


2022年 5月 18日(水)午前 6時 37分

 昨日は、朝からMOVIX京都へ。メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観るためでした。今週は、新演出の「ドン・カルロス」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)が上映されています。黄紺的には、デイヴィッド・マクヴィカーのプロダクションは、既に、フランクフルトで観ていること、歌手陣に、そんなにもそそられないという点が、マイナス要素、でも、フランクフルトで観たものはイタリア語版、今回はフランス語版、これは大きい。ということで、福井から高校時代の友人が来るなら観ようと考えていたら、やっぱ、作品の魅力、上演頻度のレアなフランス語版ということに惹かれたようで、来るとの連絡があり、黄紺も行くことに。で、正解でした。というのも、フランクフルトで観たものとは、全く異なる、一から作り直したというプロダクションだったので、勝手判断で、大事な新作を逃すことになるところでした。それだけではなく、レアなフランス語版を観て、友人と、あれやこれやと話をできて、今まで気づいてなかった「ドン・カルロス」を楽しむことができ、そういった意味でも正解でした。まず、キャストなどを記しておきます。(ドン・カルロス)マシュー・ポレンザーニ、(王妃エリザベート)ソニア・ヨンチェヴァ、(エボリ公女)ジェイミー・バートン、(国王フィリップ2世)エリック・オーウェンズ、(ロドリーゴ)エティエンヌ・デュピュイ、(大審問官)ジョン・レリエ、指揮はパトリック・フラー、ヤニック・ネゼ=セガンが急なる体調不良での代演です。装置は、教会堂の後陣を思わせるようなカーヴを見せる屋内。壁に、ほぼ等しい広さで区切られ、各々の区画には、聖書物語(かな?)からのレリーフが設えられてある。間のインタビューで明らかになったのは、カタコンベにヒントを得た壁の造り&装飾で、閉塞感を表すものとして使ったとの説明。それを聞くまで、黄紺は、こういった壁を持つ教会堂ってものが、スペインにあるのか、ドイツだと、即刻、否定をするのだけど、何せ、スペインは北部をうろついただけなものだから、自信がない。スペインは特異だという頭があるからね。で、困ってたところに解答がすんなりと提示されました。ということは、スペインを表すのは、天井から吊り下げられた香炉に他ならない。サン・チャゴ・コンポステーラの教会でのクリスマスのミサで観たあれを想起させる香炉だけが、スペインを指し示すことになっていました。そういったスペースの一番奥は上下に開閉できる構造。外の世界の書割が出たりしていました。黒を基調とした配色も、確かにスペインを引っ張り出します。衣装は、その黒を基調として、スペイン風をアレンジしたものと看ました。フィリッポの部屋で騒動が起こる場では、上から磔刑から降ろされる巨大なイエス像が吊り下げられていました。各々が罪を告白し、悔い改めをする場に合わせてのものと思われます。前後してしまうのですが、異端審問の場では、大群衆は、壁のレリーフが開き、そこに人が並んでいたり、舞台にも群衆を出し、ただ、行進っぽいものは小規模なもので、1列に罪人を警備の者とともに歩かせたり、国王夫妻を登場させたりという程度のもの。フランクフルトのプロダクションを、この行進では想起させるものでした。それとともに、舞台上では、骸骨風マスクの被り物を付けたダンサーが1人、マイムのような、ダンスのようなパフォーマンスをするというものでした。囚われたドン・カルロスをロドリーゴが訪ねる場面は、前面が房の内という設えにするため、上から鉄格子が降ろされて来ていました。だから、舞台の奥、即ち、鉄格子の向こう側から銃を持った男が現れ、ロドリーゴを撃ちました。その後に、2人のデュエットが入ったのに対し、友人は、「あんなのあったかな?」と疑問を出していました。黄紺も、「そう言われれば、、、、」という気にはなっていました。気になるラストは、初めて観るもの。ドン・カルロスが剣で刺されます。その時点では、既に、背後が開き、真っ白な照明が、そこに当たっています。修道士ではなく、カール5世そのものは、既に、その開いた後ろの壁を外れるように、舞台後方左部分に出ています。その真っ白な照明の中からロドリーゴが現れ、刺されたドン・カルロスを抱きかかえ、幕となりました。亡くなった2人が天上で再会したという風情でした。ここまで、明確に、このオペラの結末を表したのは、黄紺的には初めてです。よく判らん、どのように理解すべきかは、観る者に託されるというのが、通常の演出のところに、明確に答えを提示するというプロダクションだったことになります。友人と話していて、また、幕間のバックステージでのインタビューでも言ってましたが、こうして、フランス語版で観てみると、歌唱は、かなり繊細になります。黄紺は、声的に無理があるということで、敬遠気味に臨んだマシュー・ポレンザーニは、このフランス語版にこそ生きるドン・カルロスだったように思えました。歌手陣では、黄紺は、生で聴いたときに失望してしまったソニア・ヨンチェヴァが、マシュー・ポレンザーニとともに、このキャスティングの中で光っていました。それだけではなく、ソニア・ヨンチェヴァの立ち姿が良く、美人度が上がった印象。そのことを友人に伝えると、「出産が済んでスリムになってきた」と言ってました。舞台を離れていたことを知らなかったので問いただすと、コロナ禍の間に出産を終えたそうです。出産自体、コロナ禍では大変だったでしょうが、上手く、2つの時期が重なったものです。フィリッポ2世のエリック・オーウェンズ、ロドリーゴのエティエンヌ・デュピュイの2人は、役に対し、声が高め、軽めという感じで、友人と一致。エリック・オーウェンズは、端からきついと思っていたので、驚きはなかったですね。エボリ公女のジェイミー・バートンは、ガランチャの代役。「ルサルカ」で評価されての抜擢だったと聞きます。確かに、声はいい。友人曰く、「ガランチャ、聴きたかった」を2回、言ってました。今回、一番、2人の話題になったのは、このエボリ。確かに、ジェイミー・バートンでは華がありません。それが要る重い役柄です。有名な罪を悔いるアリアでは、「私の美貌が邪魔をした」とまで、テキストに入っていますから、華が欲しいということです。ジェイミー・バートンに問題を感じたのは、サラセンのリズムでのアリア、重たかった。「指揮者、もっと煽ってよ」と思っても、追従するだけで、めっちゃ失望。ここでも華がなかった。そのエボリ、フィリッポとの姦通を告白します。それが、「舞台で表される」と、友人は言います。サラセンのアリアのあと、フィリッポ夫妻が現れ、バレエが入ると(フランス語版の大元は入る、今回はカット)、いや、「バレエは、そのために入れた」と、友人は言ってましたが、確かに、2人して舞台からはけると、そういった解釈が出てきて、後のアリアのテキストと合いますね。エボリは、悔い改めのアリアで、一転、「エリザベートとドン・カルロス支援に回るのが悔い改めの証」と言います。まず、このフレーズ自体、「あったかな?」と思わせられたのですが、実際、それをしたことを、エリザベートに告げる場面が用意されていました。ロドリーゴが亡くなったあと、市民のなだれ込みがありますが、そのどさくさ紛れに現れたエボリは、エリザベートに「これは、私が仕組んだこと」「この隙に、ドン・カルロスを逃します」と告げます。これ、実は、記憶があるのです。どこかで、これ、観た記憶があるのですが、そのときは、何のために出てきたのかが判らなかった。多分、ハンブルクでじゃなかったかな? ハンブルクのはフランス語版でしたから。通常は、エボリは、悔い改めのアリアを最後にして、お役御免になりますから、その後に出てこられると驚きます。そんなで、友人と話していて明らかになったのは、 フランス語版には、現在、知られてない箇所があったのだろう。それを見せてくれたのだろう。何も、バレエが入る入らないだけが、フランス語版であるか否かの基準じゃないってことと、フランス語版、イタリア語版という、大きな分け方だけではなく、同じイタリア語版の中にも、幾つかの版(ミラノ版、モデナ版などあるそうだと、友人は言ってました)があり、推敲が重ねられ、よく知られる、一般的に「イタリア語版」と言われるものが出来上がったということのようです。エボリについて、我々は気がついたけれど、気がついてない箇所がある可能性はありますね。
 午前10時30分上映開始、終了は午後3時半を回っていました。映画館に入る前にパンを食べてはおいたんだけど、お腹が空いた。でも、変な時間ということで、カフェに入り、お喋りがてら、軽食で腹ごなし。そこで、エボリがどうのこうのなどの話をしていたわけです。そんなで、昨日は、満足にウォーキングができなかった。帰りがけには、いつも、京都シネマに行ったときの戻りに使う方法で、少しはウォーキングに当てたけど、それでも、普段の2/3くらいだった。ま、これは仕方ありません。


2022年 5月 17日(火)午前 6時 2分

 週が明け、まだ、少しだけど、肩の痛みと戦っています。薬をもらいに行ったのが、確か、先週の月曜日だから、長々と引きずっています。完全に、元に戻ったと、まだ言えないな。発端となった塊のような痛みの大元には、その塊が残ってるから。一時は、左肩に回るかとも思われた時期があったのだけど、それは大丈夫なみたい。薬をもらいに行く前には、数日、ひどくなるかどうかを見極めていた時期があったから、彼これ10日ほどは、これに悩まされていることになります。酷い話です。でも、昨日は、痛み止めを飲まないで過ごすことができました。十分に我慢できる範囲だったからです。
 昨日も、お出かけなしの一日。朝から、一昨夜は、マッチのあった日だから、それを追っかけ。でも、トルコ・リーグも、残るところ、あと1節になってしまった。今年は、W杯が秋にあるので、来季の開始は早いようだけど、でも、マッチがないのは寂しくなるね。トラブゾン・スポルの優勝が決まり、降格するクラブも固まり、ほぼ消化試合になってるけど、マッチがあるだけ、嬉しい。昨日は、昼前のウォーキング前、それを楽しんでいた。
 午後の一時は、YouTube三昧。昨日は柱が2本。1本は、「桂二葉チャンネル」で、喜楽館の1週間振り返りを、きっちり視聴することにした。再度、端から観たので、二葉の傍らにいる人が判った。石川さんという、二葉が、いつも「スタッフ」と呼んでる人だった。この人が、どういう人か、黄紺には、まだ判っていない。どこかで、好事家に会う機会があれば伺おうと思います。よく、この人の名前が出てくるものだから、ディープな落語ファン氏なら知らないわけはないと思います。一昨日、この動画の生配信を観たとき、飛び飛びだったこともあったんだけど、後半は半寝で観ていたので、実に間違った理解をしていたことに気がついた。第一、傍らにいる人を男だと思ってた。そういった女性の声を男声と聴いているという、これ、朦朧としていたのでしょうね。そして、この生配信している部屋って、石川家じゃないの? 配信の途中、「帰らなあかんし」と二葉は言ってるけど、「それ、自分のことやないか」と、簡単に判るのに、そうは思ってなくて、二葉家から配信してると思いながら視聴していた。これ、半寝以上やん! こうやって、同じものを観てチェックしたから判ったけれど、結局、寝落ちしてるときって、毎度、こんなんだということ、ようく判りました。
 午後の一時②ですが、いつものようにオペラ配信を楽しみました。引き続き「連帯の娘」です。一昨日は、かなり寝落ちしたので、間違いないところから始めようとしたんだけど、結局、高音9連発まで聴いただけ。あまり時間がなかったということだったけど、今度は、しっかりと観ることができた。すると、寝落ちしながらも記憶に残った、主役3人の良さが、半端じゃない。やっぱ、「ドニゼッティ・オペラ・フェスティバル」って、レヴェル高い、めっちゃ。特に、マリーを歌ってるサラ・ブランチ、とってもスター性を感じます。声が出る、ヴィジュアル的にも目立つ、動ける、マリーの雰囲気作ってると、まあ、申し分ない。なんせ、ジョン・オズボーンの相手役するんだから、既に名の知れた歌手かもしれない。今日、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを、高校時代の友人と観る予定になっているので、尋ねてみることにします。この男、最新のオペラ情報持ってるものだからね。そんなで、この「連帯の娘」、とっても楽しんでいます。
 夜は、月曜日ということで、YouTube「米紫&吉の丞㊙ワールドニュース」をアーカイブで視聴。ピッコロシアターでのざこば一門会が話題になってたとき、ご無沙汰の同ホールの独特の構造を、話の必要上、米紫が説明していたとき、思いっきり、今の閉塞した自分の行動が詰まらなくなった。ピッコロに行きたくなってしまいました。完全に、自分的には行けない、行かない外の世界になってしまってる。二葉の喜楽館の配信もそうだったけど、外の世界を、落語を通じて追体験させてもらってるということなんだね。そして、一方で、どんどんと、その外の世界に出かけることが億劫になって行っていることを自覚しています。今週は、そんななか、自分のエリア内だけど、出かける機会が多い週。でも、そこから外へと出かけられない。


2022年 5月 16日(月)午前 6時 46分

 肩の異常は、終息に向かっています。ようやく、そう思えるようになってきています。昨日は、かなりの恢復を自覚できたので、朝食後に飲んでいた痛み止めを飲むのを止めてみた。さすが、午後の後半になると、発端となった辺りに、塊のような痛みが増して来るけど、我慢できる程度。痛み止めを飲まないで、この程度なら御の字。さすが、夜中に痛みが増して、睡眠に影響が出ることだけは避けたいので、夕食後には服用。今回は、痛みが和らぎ出してからの進み方が、極端に遅い。その自覚があるものだから、あっさりと痛み止めの服用停止には踏み切れないでいます。
 そないな日曜日のお楽しみと言えば「日曜美術館」。昨日は、沖縄返還の日ということで、お題は「失われたときを求めて〜沖縄本土復帰50年」。今、東京国立博物館では、特別展「琉球」が行われているそうです。多くの文化財が戦争で失われていますが、琉球王家は、明治初め東京へ移住をしたりしているので、戦前に本土に持ち込まれた文化財は、戦災を逃れているということで、それらは展示が可能。それと、もう1つ、「未来へ」というコーナーが、その特別展では設けられ、戦争で失われたもの、でも、傷つきながらも回収されたものを基に復元修復されたものも展示されているということです。番組では、主として、後者に焦点を当て、復元の様子を取材したり、復元に当たった人たちの証言を集めていました。その際、役立ったと紹介されていたのが、鎌倉芳太郎の撮った記録写真。それらを基に、研究者、様々な分野の作家が集っての復元作業だったようです。復元関連で紹介されていたものは、①円覚寺の鬼瓦(首里城の横にあった王家の菩提寺、その屋根にあった、とっても立体的な形状、“仏師の支援受けて瓦職人が作ったようだ、手抜きがない、労を惜しんでない”と復元に当たった瓦職人夫妻)②円覚寺総門にあった仁王像(総門自体は戦後再現されている、そこに本土からから来た仁王像があった、13の木片が残っていたことで、身体の幅、奥域がそれらから判った、木片の年代測定で、室町時代の木だと判明、京都の仏師集団が作ったようで、同じものが石川県にあることが判り、それを基に復元、寄木作り)③御後絵(「おごえ」、琉球王の肖像画、鎌倉芳太郎の写真を基に復元、「色」についての語りを聞き逃してしまった! 写真は白黒だからね)④絵画(木や鳥を描いたもの、琉球の絵師の制作過程を残すことも、復元作業で行う)。特別展の展示品で紹介されたものの中からメモできたものは、次のようなものでした。①首里那覇港屏風図②王冠(現存するものは1つだけ)②簪(金の細工、内部は空洞)③国王の装束(中国風絵柄)④琉球漆器(螺鈿細工、ユーモラスな竜の細工)。ドイツに行くたびに思うこと、また、思いました。戦争なんかしちゃ、ダメだ。人類の遺産が消えていく、、、。
 昨日は、予定では、午後に映画を観に行くつもりだった。昨日の午後に1回だけの上映、通常の映画館での上映だったもので、いつものように、朝方の定番の作業が終わったところで、チケットをオンラインで買おうとして、即刻、断念。座席は残っていたんだけど、混み具合が半端じゃないということで、止めました。人ごみに入るのが、とっても億劫になってる証拠です。映画を観たいという気持ちが、一気に吹っ飛んでしまった。そのため、急に余裕ができてしまった。午前中に、ちょっとした地域の仕事を済ませば、自由時間だらけ。ゆったりと、ルーティンにしているウォーキングができたのが、嬉しかったな。
 午後の一時は、新たなオペラ配信が、「Oper Vision」にアップされているので視聴。ドニゼッティ・オペラ・フェスティバルの「連帯の娘」(ルイス・エルネスト・ドナス演出)です。概要欄に載っていたキャストを、しっかりとチェックをしないで、動画を観出したら、冒頭のクレジットに「ジョン・オズボーン」と出たから慌てた。そないな強烈なメンバーが出ていることを知り、狂喜乱舞。当然、そこに合わせてあるわけで、キャストのことだけど、マリー(サラ・ブランチ)の若々しさが新鮮だし、シュルピス(パオロ・ボルドーニャ)の安定した歌唱が際立つと、とっても、見もの聴きもののプロダクションとなっています。装置は、ゴーギャン・タッチのパネルが背後に並び、その中でも、主役2人の似顔絵がでかでかと描かれているというもの。なのに、マリーの登場で、シュルピスとのデュエットの最中に居眠り。気がつくと、ジョン・オズボーンの高音9連発まで行ってた。さすが、これはあかんやろということで観直すと、主役3人が、半端ないキャスティングだと、改めて認識した次第。ええもん、配信してくれます、有難い!
 夜は、YouTubeの「桂二葉チャンネル」で、二葉自身が、この1週間の喜楽館での受賞ウィークの振り返る生配信を観た。この1週間配信を続けた楽屋風景を観ながら、誰か(冒頭が欠けたものだから不明)とお喋りをするというもの。何やらしながらの視聴だったもので、飛び飛びだったので、改めて、今日にでも通しで観ようと思っているところ。アーカイブに残してるでしょうから。GWで飛び回り、直後から、このウィーク、そして、それが明けた普通の月曜日の今日、「落語を3本する」と言ってました。凄いわ、売れるということは! それが、ホント、落語で売れてるというので、嬉しさ一入です。上方落語協会も、喜楽館1週間の直後に、今度は繫昌亭で出番を宛がうという、露骨な集客作業に出てる。さすが、大阪です!


2022年 5月 15日(日)午前 7時 29分

 肩の具合は、徐々に快方に向かってるのかな、快方に向かってるにしても、今までに比べると、かなり遅々とした進行。だから、安心に繋がらないものだから、ずっと、痛み止めを飲んでる。ただ、一昨日同様、日に2回に減らすことはできている。それも含めて考えれば、快方という自覚が湧いてきます。でも、まだ、うがいがしにくいのは、間違いない。幸い、今回は、うがいをできないというギリギリまで行ったけれど、何とかすることはできた。それから比べると、やっぱ楽になってる。左肩に回るかなという気配を感じてたわりには、今のところ、気配だけで終わりそうです。
 昨日は、お出かけのない土曜日だったんだけど、午後にオンライン配信を予約してあった。よくお世話になっている帝塚山大学考古学研究所主催の回市民大学講座です。有難いことに、今年度は、引き続きオンライン配信をしてくれます。昨日のお題は「瓦工房の民俗」というもので、帝塚山大学文学部講師の西連寺匠さんのお話を聴くことができました。お題に「瓦」と入っていたもので、飛びついた講演でした。こちらの市民講座を聴いていて、瓦の重要性、瓦から様々なことが判るということを学習したものだったからです。でも、完全にすかされてしまった講演でした。途中で、止めようかと、本気で考えたけれど、瓦産業という、なじみのない業種に焦点が当たっているという点で、これはこれで貴重かと思い聴き続けることに。でも、正直、つまらなかった。というのも、近世、近代の瓦生産に携わる人たちの姿を、主として、現代の聞き書きをして特徴を並べるに過ぎないという内容だったからです。その上、フィールドとされた2つの地域(奈良県生駒郡斑鳩町神南、近江八幡市八幡町)が選ばれたわけも定かにされないで進行。ただ、近世に、既に、瓦生産が行われていたということでのピックアップ。瓦生産と言えば、お話の冒頭で言われていましたが、三州、石州、淡路という、日本の3大産地があります。淡路に関しては、「ブラタモリ」で、その工房にまで出かけて行っていたのを覚えていますが、そういった全国展開をしている産地ではなく、地元エリアを対象にした生産販売を続ける地域を選んでの調査の意味も示されないまま、この2つの地域についてのお話がされていました。よく判らん、その心が。ま、瓦に適した土が出るということなんでしょうが。そうだ、そういった土の話が出てなかったな、成分分析とかの話が、これはペケポンだよ! 「神南」は大和川と龍田川の合流地点、その川の舟運も瓦生産を促したのでしょう。「近江八幡」は元城下町、掘割で知られた地域ですが、あの堀って、城のお堀だったって、初めて知りました。その堀を舟運に使い、瓦生産が発展したとか。だから、掘割に沿って、瓦工房が並んでいたようです。盛んだった頃の風景が目に浮かぶような地域ですね。お話から出てきた内容をメモっておきます。「瓦生産は、地域全体を巻き込む地場産業だった。農家の人たちは、薪の伐りだし、運搬、工房の下働きで職を得ることができた」「神南の人は、何らかの瓦の仕事に関わっていた」「近江八幡の農家は、田を掘り土を提供すると、水を引くのに好都合となっていた」「双方ともに、地元に根付いた職人だけではなく、流しの職人の活動が確認できる。神南の場合は、そういった人たちをバンクと呼ぶ」「双方に、聖徳太子信仰の跡を確認できる、これは、太子が、初めて寺院を建立したとして建築の祖と崇めたのだろうと推測されていました」「近江八幡のかつての工房跡が、現在、瓦ミュージアムになっている、これはお宝情報です!」。ま、この程度にしておきます。
 昨日は、朝の一時&隙間狙いで、落語を3本、YouTubeで聴くことができた。次の3本です。①柳家一琴「居候」(2011/3/ 13 らくごカフェ)②桂米紫「真田小僧」③三遊亭兼好「干物箱」(2020/06/28配信“落語教育委員会”第二夜)。①は、偶然、知らない題名が付いているものを見つけたので聴いてみた。居候ものの噺のマクラ的なもの。その大元の噺なんでしょう。これを適当に短くしてマクラに使ってるのかな。ただ、聴いたことのないフレーズもあり、メモっておく。「(ご飯がもらえないから)魚の骨が刺さったと言い飯をもらう」「豆腐を買いに行き厠で落とす、硬い豆腐はバウンドして戻って来る(硬い豆腐しか食べさせてもらえない)」。②は、桂二葉の「真田小僧」の大元ということで聴いておこうとの思惑。米紫襲名4年目、入門21年目での口演です。先日、鶴瓶とのトークの合間に二葉のした「真田小僧」が、えらくせわしなかったもので、大元はどうだか気になっていたところで聴けてラッキーだったのですが、おおもとは、さほどせわしなくなかった。となると、あのスピードアップは二葉オリジナルだと了解。③は、コロナ禍で中止になった落語会をフォローするために制作された動画。他の噺家さんの動画もあるので、なくならない内に聴くことにしましょう。
 夜には、「ブラタモリ」の新作が放映されました。東京湾に残る川の痕跡、おもしろかった! 「澪筋」というターム、初めて知りました。川は消えても、痕跡を残す、それを知って。江戸時代は埋め立てをしている。また、現代の船舶の航路もそれに沿っている。旧東京川ネタだろうとは思っていたけれど、こういった味付けをされると唸るしかなかった。それと富津岬、存在そのものを知らなかった。砂嘴なんてものが、東京湾の入口にあるとは、びっくりだった。その溜まった土砂の先にあった海堡もお台場も土砂の溜まった浅瀬を活用していたとは、これも、びっくり。第一、海堡なんてものの存在すら、知らなかった。その先をタンカーが走る、そこは、もう深い、澪筋、「へぇ~~」の連発!! ホント、おもしろかった。


2022年 5月 13日(金)午後 11時 22分

 肩の具合は、若干、快方に向かっている気配。昨夜は、痛み止め薬の効果で、睡眠は大丈夫だった上に、昨日と同じく、今日も、その痛み止めは、朝食後に服用したあと、昼は抜いた。すると、昨日だと、夕方になると、首から背中が硬直したようになってきた。痛んでくるので、緊張が高まり、そういった状態になるのだけど、今日は、そうはならなかった。依然と痛み止めが効いている感じが続いたのだ。でも、夜が怖いから、夕食後に薬は飲んだけど。そんなで、まだしばらくは、続くのかな、この嫌な時間が。
 そんななか、今日は、朝からお出かけ。今日は、アスニー京都の市民向け公開講演会の予約ができていました。このあとしばらくは、このような予約を入れていない、また、その予定がないということで、それを頭に入れての往復。今日も雨だったので、JR二条駅から往復することにしました。ホント、雨の日が多いね。今日のお題は、「王朝絵巻『葵祭』の奥深さ」というもので、一般財団法人賀茂県主同族会理事長/賀茂競馬保存会副会長の堀川潤さんのお話を聴くことができました。「賀茂県主同族会」は、上賀茂神社&下賀茂神社の社家となる賀茂一族をまとめる組織、現在、会員450名おられるそうです、その頂点に立たれている方です。上下に賀茂社が分かれたのは、756年頃とか。その賀茂社は、全国に16社ある、祭礼に勅使の来る神社の1つだが、毎年、勅使が来るのは3社だけ。春日祭、岩清水祭、そして、賀茂祭(葵祭)だということです。現在も、この勅使は派遣されており、天皇は、宮中で「勅使発遣の儀」を行っている。特別の色合いと言われたかな? 御引直衣という衣装を、天皇は着て、その儀式に臨むと言われていました。政教分離なので、この儀式は、天皇家の私儀に属するものということです。それを迎えるのは、かつては、賀茂一族から出ていた宮司、その紋が二葉葵。桂二葉が、自分の名が入っていると言って愛用している紋所ですね。賀茂社の由来は、能「賀茂」に、その縁起が本説になっているので知ってるつもりだったのですが、聞きようによっては、えらくエロいと、この縁起を聞くたびに思ってしまうのだけど、今日も、そのお話をされていたけれど、周りの爺婆は、どのように聴いていたのかな? だけど、その縁起には川は出てきても山はでて来ないはずなんだけど、「神山」という霊峰が、賀茂社にはあるってこと、初めて知りました。これは、陰陽道が入ったからだろうと言われていました。賀茂祭は3部構成、これ、知られてないですね。もちろん、黄紺も、正確には知らなかった。行列だけではなかろうとは思っていたという程度ですが。「宮中の儀」「本殿祭/社頭の儀」「路頭の儀」です。最後の「路頭の儀」というのが、行列で、一般的に「葵祭」と言われているもの。今年も、「路頭の儀」は中止になったということです。だからと言って、賀茂祭が休止になったわけではないと言われていました。神事になるものは、コロナ禍でも絶えることなく続いているということです。そんなこともあり、特別サービスで、勅使を迎える儀式について、詳細にお話しいただけました。ほぼ門外不出的な画像も見せていただけました。お祓いと言っても、儀式に参列するものが、自らを浄めることから始まるのだそうです。その仕方もご披露いただけました。神と向かい合う身は禊をしておかなければいけない、確かに道理です。神饌についても触れていただけました。内陣や外陣ばかりか、お庭にも神饌が置かれるようです。また、賀茂社にも遷宮というものがあったそうです。でも、国宝に指定されてしまっているため、壊すことができないから、遷宮というしきたりは続けられないということです。伊勢神宮の遷宮というのは、毎度、耳目を集めますが、あすこの社殿は、国宝になってないからできるのだということです。納得です。ところが、お話が佳境に入り「斎王」がテーマになったところで、居眠り。一番、気になっていたところかもしれません、このトピック。そういったところに限りというのが、定番化してしまっています。ただ、1点、覚えてることがります。斎王は天皇家の女性がなるもの、これが本来の姿です。なかには、生涯を斎王に捧げた女性もいたそうです。ただ、現在では「斎王代」と呼ばれ「代」が入っているのは、現在では、民間の女性が斎王になるので、その文字が入るそうです。祭りの変遷も教えていただけました。元来は、賀茂一族の神事だったのは平安遷都までで、それ以後、幕府の援助が入ったり、応仁の乱で衰退し、江戸時代の元禄年間に復興。勅祭という姿は維持されたとか。しかし、幕末、奠都のため中断。復興後も、太平洋戦争で中断。1953年に復興。1956年からは斎王代列が、路頭の儀に加わり、現在に至っているそうです。「葵祭」の呼称は、江戸時代の復興後に出てくるもの。徳川の「三つ葉葵」に引っ掛け「葵祭」という呼称の登場となるようです。などなどです。知ってるつもり、実は知らないの典型、黄紺は、1度だけ、上賀茂神社の本殿に入ったことがあります。姪っ子の結婚式が、そこで行われたためです。その前に、今日のお話を聴いておけば、中に入る心構えも違ったでしょうが、今や時すでに遅しです。
 自宅に戻り、午後の一時として、YouTubeの「米朝事務所」チャンネルで、米印ワールド大喜利」を観るも、半ば以前で寝落ち。結果として、いいお昼寝になったわけだけど、心づもりが、これで、完全に破綻。雨降りということで、夕方のウォーキングもできたかと思うと、いいタイミングで昼寝をできたわけです。その一方で、心づもりをしていたオペラ配信の視聴がぶっ飛んでしまいました。ま、そんな日もあるかというところです。


2022年 5月 12日(木)午後 10時 47分

 肩の状態に、大きな変化が看られないまま、時間ばかりが過ぎて行ってます。一応、痛み止めは効いているんだけど、それが切れると、また、同じような痛みが戻って来る。今日は、朝に1回痛み止めを飲み、昼は省いてみた。朝食と昼食の間隔が短く、6時間は空けて飲めの指示があるものだから、そうしてみた。夜も、痛みがあっても早い時間に飲んでしまうと、夜中に痛むと、これは嫌だと思ってしまうのです。昨日は、このコントロールがうまくいき、4日ぶりに、しっかりとした睡眠がとれた。天井を見て横になる際は痛みが伴うのだけど、なんとか我慢できる程度。そして、上向きになると、その痛みはなくなり、とってもラハトな気分。やっぱ、背中をベッドに全面付けて横になるのは、身体が休まった感じがします。それに、かなり気を良くしてたんだけど、あくまでも痛み止めのおかげでしかなかった。これ、いつまで続くのだろうかとか、右肩が治まると、今度は左肩に回るのではとの不安も過ります。この辺が判らないものだから、余計にストレスが溜まります。
 そんななか、今日の午後、久しぶりに京都学・歴彩館に行ってきました。今日は、こちらで、京都学ラウンジミニ講座「近代『西陣』の生活文化史 -伝統産業をつむぐひとびとの実像-①」のあった日。講師は、同館京都学推進課の杉本弘幸さんでした。こちらで、職員の方が講師となり行われる講座は、ほぼ同館所蔵の資料紹介で、あまり突っ込んだお話を聴けないなか、この人だけは違うと思っている方。近代の労働問題を専攻されている方で、研究者のスタンスを持っての問題の設定、講演をされる方と思っている方で、且つ、誰もが知っている、でも、その内実は知らない西陣に焦点を当てられるということでのピックアップ。2回続きの講座で、次回が女工さんにスポットを当てられるようなのですが、既に予定が詰まっており、今日だけの参加となったのですが、なんせ寝てない。1日、眠れただけでは回復できないほど寝てなかった悲しい結果が、この時間に出てしまいました。ですので、その合間に残った記憶とレジュメとを頼りに、メモを残せる可能なものだけを書き残しておくことにします。「まずは、西陣の由来、西陣の範囲という鉄板ネタからスタート」「西陣という名称が生まれる以前から、この地域には織物業があった。御所に近いということから、その関係の職人がいた。でも、平安末期から、朝廷の工房維持に困難が生じた頃に、民業としての織物業が発生したのが、西陣織の由来のよう」「応仁の乱後、世の中の安定とともに、大舎人座ができ、やがて、その大舎人座が将軍指定の織物所に」「江戸時代には、京の着倒れとして煽られる」「明治以降は、近代化が図られ、西洋の織機が導入される」「友禅染についても、かなりのスペースを割かれたのですが、ほぼ全滅なので割愛」「友禅染について割愛してはならないこと、1件、日本画壇の絵師たちが、西陣織を含めて、下絵制作に関わっているという事実。幸野梅嶺や竹内栖鳳といった名前が出ていました」「西陣の貧困というテーマ、一部の上得意を持っている以外は、零細な家内工業だったことが原因」「児童労働も多く、また、工程が細分化されているために、労働組合を結成しにくかった」「労働問題が顕在化しなかった要因の1つに、ムラ社会構造にあることも大きい」「現在、機械織とIT技術の導入で革新的な展開、しかし、それができるところや、海外移転をして操業を続けられるところが残っている」「需要の減が大きい、着物からの脱却が一般化したため」。ここにも、貧困の裏に潜む格差の問題がありました。その一方で、西陣織は残った。何度も繰り返されていましたが、海外移転で生き残っているようです。
 歴彩館への往復は、毎度、ウォーキングを兼ねてのもの。幸い、肩の痛みが酷くなってない時間帯に当たったので、順調にやり遂げました。それよか、また、雨が降っている中のウォーキング。さすが、鴨川縁を歩く人はごく少数。最後の方で、降りが強くなり、若干、戸惑いもあったけれど、無事、最後まで歩けました。


2022年 5月 12日(木)午前 8時 15分

 一昨夜から昼過ぎまで、ひどい目に遭ってしまいました。一昨日、今までにないほど、痛み止めが効き、これは、快方に向かってるところへ、痛み止めを飲んだかと思ったのは、全くの勝手判断だった。夕食後に薬を飲まなかったため、夜中に痛み、もう天井を見ては寝れないほどまでになってしまった。明け方、クッキーを口に入れ、薬を飲んだけど、ほぼ効かなかった。そんな状態で、朝から夕方までお出かけ。お昼ご飯を食べたときに薬を飲んだ。午後1時15分くらいだった。それが効き出したなとの自覚が出てきたのは、午後3時頃だった。2軒目のお出かけ先を出ようかという時間帯でした。でも、今度は、長持ちしないな。もう午後8時には、かなり、痛みが復活していた。痛いので、真っすぐ前を向いて歩けないのが、ホント、辛い。でも、信号を見たり、人とすれ違いそうになると、目を上に向けねばならない。痛いので、思わず、顔をしかめる。視界不良になり、3回、倒れかけた。そんなだから、後半は、かなり後悔した。こういったときの傾向として、経験的に判ってるのは、熱っぽくなる。実際には、昨日は、2回、体温測定を受けたけど、平熱だった。でも、痛んでいるときの酷いときって、発熱してるんじゃないかと思うほど、熱っぽい、身体が極端にだるい。「間違いなく来た」と確信してから3日目になってるから、ぼちぼち峠を越してくれてもいいんじゃないかと思い始めてんだけど、さて、どうなるのでしょうか?
 お出かけ①は、アスニー山科の講演会。昨日は、「琵琶湖疏水と山科」というお題で、琵琶湖疏水アカデミー 代表の小森千賀子さん。小森さんは、元小学校の教員、早期退職をして、子どもたちへの情報発信、そして、研究者の道にも入られ、現在は、京大の大学院に籍を置いておられる方。司会の方は「生涯学習のお手本にような方」と言われていましたが、とんでもない、実証的研究に勤しみ、研究者の目を発揮されたお話をしていただけました。琵琶湖疎水アカデミーの活動の様子の紹介、琵琶湖疎水略史からお話から入られ、その中で、北垣知事の言葉が、この講演を最後まで貫通する重要性を持っていた。第1疎水ができたとき、「その水量250個(個=立方尺)の内30個を山科に供する」というもの。琵琶湖から蹴上までの途上にある山科に疎水の恩恵を約束したことになります。だけど、これが果たされなかった。そのため、山科各村からは、水の配分を求めて陳情が起こっているほどだった。それは、蹴上発電所の水に供されたというわけでした。第2疏水ができると、その傾向がより明確になる。第2疏水550個の内500個が発電に、残り50個は蹴上浄水場へと行ってしまい、途中の山科には回ってこない。発電用水は、発電に使った後も使えるということで、鴨川運河(伏見へ流れる)方向や、疏水分線(哲学の道を流れ北に回る疏水)の水量は確保される。今回、初めて疏水分線の水の使用目的を知りました。若王子の水車、堀川に流す水、御所防火用水だったそうです。これだと、完全に京都市中にシフトしている。そのわけも明確にされていました。疏水建築費用です。似た時期に造られた安積疏水、那須用水では国庫100%支出だったそうですが、琵琶湖疏水はそうではなかった。上京・下京に宛がわれた奠都の際の復興資金(京都が寂れないようにと宛がわれたもの)と、上京・下京の税金が、資金の半分を占めていたことがあった。これが1つ。もう1つが、発電による収入が大きいということで、そちらに優先されたものにようです。そのあおりを食らった山科。地形から米作がしんどいところだということを示されました。これ、めっちゃわかりやすい。四ノ宮川と音羽川という2つの川は伏流していることを地形図で示されると、ここが複合扇状地になっていることが判った。山科盆地の中部から南部にかけては、そのため水が要る。この琵琶湖疏水に期待がかかったわけだ。実際、音羽村、小山村、大塚村では、激しい水争いが繰り広げられたと言います。それが解決するのが、洛東用水と東山用水。ただ、お話の中では。昭和30年のデータを出されてましたが、この2つの用水路の歴史をもう少し詳しく触れて欲しいものがありました。用水路ができて水問題に解決が進んだのか、用水路は完成していても、疏水から分水される量が少なく不十分な状態が続いていたのかが判りませんでした。昭和30年と言えば、もう山科が宅地や工場用地として、大きな変貌を遂げる直前のような時代だから、取り上げられる時期としては遅すぎるように思えてしまいました。でも、山科に特化したお話、興味津々で聴くことができました。疏水の歴史は、こういった市民向け公開講演会では出るネタですが、この山科に焦点を当てるというのがおもしろいです。終りの方では、利水の1つ、小学校の水泳授業の使用話をされていました。もちろん、これも、山科に特化したお話の1つとなっていました。
 お出かけ②は、滋賀県立美術館。人身事故の影響で、往復にJR利用がきついなか、楽しみにしていた日だったので、根性で行ってまいりました。新たな企画展「生誕150年 山元春挙」が始まっていたからです。既に、大津市歴史博物館で、少しはお勉強済みだったので、予測がついた展示。この展示を見て回る時間帯が、まだ、痛み止めが効き出してなかったもので、それが観る目にも影響したのか、ちょっと照明が落とし気味だったこともあり、観ること自体が辛いなかの鑑賞。風景画家で、深山幽谷の荒々しい自然の様態を描く人という印象を持っていたため、そして、大津市歴史博物館で観た、僅か4点の春挙の作品にさほど関心が行かなかったため、どちらかというよりか、そういった作品に捻りが入ったというか、変わり作品の「ロッキーの雪」の雄大さは目を見張ったけど、ここでも松が出てくる不思議。少し春挙からすると素材的に変わり作品に興味が出ました。「山上楽園」という色変わりのある作品、「義士の面影」という人を感じさせるものが印象に残りました。存外、意外だったのは、膳所焼への絵付けへのものが3点と少なかったことでした。「名品展」も続いていたので、前回、観てなかったものを求めてだけ歩いてみたけれど、どうしても、アールブリュットものに目が行ってしまいました。あのとげとげの陶器(澤田真一)が新たに加わり、もう1つ、細密画のような作品(坂上チユキ)、これ、青インクを使ってるのが、何とも不思議な感覚に導かれてしまいました。
 美術館を出た辺りで、ようやく痛みが治まり加減。で、いつものように、瀬田駅まで歩いて戻ることに。混みあうJRだったけれど、クーラーが効いていたのが嬉しかった。一挙に、痛み止めのおかげで、身体が軽くなったようで、これまた、いつものように、自宅最寄駅1つ手前で降りて、ウォーキングもでき、朝の出がけとは、全く異なる気分で帰宅できました。


2022年 5月 11日(水)午前 6時 58分

 肩から背中、首も少し含まれた痛みが、更に酷くなっている。よくぞ、部屋を改造して、ベッドにしておいたことか。でも、ベッドに腰かけてから横になるまでが、一苦労。ゆっくりと身体を下す。痛みが出るので、どんなときでも、常に身体が緊張状態。その緊張に、ちょっとでも触ると痛みが走るものだから、横になること一つをとっても難しい。横になっても、身体の態勢を整えようとしたり、寝返りをうつのも大変。この間、夜がきつかった。これはダメと思い、医者に行くことに。既に、2年半程前に、こういった事態に陥ったときのための準備がしてある。病院は遠い、大きな病院だから、すぐには診察してもらえるわけではないということで、鎮痛剤で、黄紺に効くのが経験的に判っているので、その処方箋を予め書いてもらってある。それを、近所の掛りつけ医に照会してもらってあるので、その医院に行けば、即、薬が手に入るという準備をしてあるので、「行こう」と決断。これでは、生活に支障があり、ストレスが溜まるばかり、我慢をしている場合じゃないと考えました。道を歩くのは大丈夫。同じ態勢を取り続けられるので、安心な態勢を取っておれば、行くら歩いても大丈夫だけど、視線は、常に地面に向いている。その態勢が、緊張に包まれている身体に、最も痛みの出ない態勢なんだけど、信号などを見ようと、上目遣いになるだけで、「痛ッ」。目を動かすと、顔の筋肉が動き、それが、首から肩、背中の筋に繋がっているものだから、痛いのです。だから、道を歩くのが危なくて仕方ない。車が横を通ったり、横断歩道を渡ったりするときの視界が、極端に狭くなってしまっているのです。急に体を捻ったりなんて、考えるだに恐ろしいため、とにかく慎重に歩くことを心掛けていた。午前中に医院には行ったんだけど、強い薬のようなんで、胃を傷めてはと、実際の投薬は昼ご飯まで待つ。食後を徹底するようにして飲むことにしています。で、今回も効きました。効き出したなと感じ始まるまで、いつもよりか、時間がかかったように思ったけれど、効き方は、今までで、一番大きかったかもしれません。医院に行ったついでにした昼前のウォーキングと、夕方のウォーキングでは格段の差。今回は、境目を感じなかったけれど、気がつくと、身体の緊張が解けている。強張った感じから、いつものようにリラックスしている感じ。これを味わえれば、十分、嘘みたいに、身体が軽くなった感じ。何も考えずに、首を回しても、身体を動かしても、OKです。でも、薬が効いている間だけかもしれないなとは思っていながら、晩ご飯後に薬を飲まなかった。その時間帯は、全く元に戻ったかのようだったから。それで、また、夜が酷かった。昨夜は、身体を横にしてしか寝れなかった。天井を見て寝る態勢すらとれなかった。午前3時過ぎに、横になってること自体が、痛みを生み、ストレスが溜まるだけなので、起き上がってしまった。そして、ここで、お腹に少し入れてから薬を飲むことに。夜が明けだしてから、じわじわと薬は効いてきているようだけど、酷い、酷すぎる。
 午後の一時は、最近、火曜日の定番になっている、KBS京都の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」を、Radikoで聴いた。4時間番組という長時間なため、Radikoでは、前後半の2つに分けて配信してくれてる。その前半を、午後の一時の楽しみにしました。残りは、昨晩、起き上がってから聴くことになりました。ここで、二葉の、この1週間の落語会体験を話してくれることが、自分的ツボ。今回は、東京での親子落語会のレポートが、傑作。二葉は、子ども相手の落語会は、あまり乗り気でないと言っているにも拘わらず、その落語会の主役であった桂宮治に誘われたからということで、東京芸術劇場の舞台に上がり、「うんこ小咄」をしたというから、これは凄い! 子どもたちの悲鳴、想像できます。次いで、「天狗刺し」をしたそうで、子ども用には、いいチョイスと思ってたら、なんと、子どもから口演中に声がかかったという。その対応も傑作、押し問答的になったところを、最後は「うるさい」と言って、中央突破をしたと言ってた。宮治の呟きを、二葉がリツイートしてるのを、先日見ると、「子どもも大爆笑」と書いていたわけが、これで、ようやく判りました。しかし、宮治と二葉が揃う落語会って、鮮度抜群、ですね。
 午後の一時は、もう1つ。お出かけなしの日の定番、オペラ配信です。コヴェントガーデンの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(ダミアーノ・ミキエレット演出)。アントネンコとヴェストブルックの組み合わせ、アントニオ・パッパーノの指揮ということで、飛びついた。半ばで寝落ちしてしまったけど、最後まで完走。最初の場面と最後の場面が同じというプロダクション。舞台は回転舞台。家の内と外、その間にある壁を使うというものだから、ミサに向かう場面で教会は出てこない。マリア像を担ぐ行進で、その場面を表している。そんなだから、舞台装置に合わせているところがあるけど、テキストに忠実な舞台環境と言えばいいかな。それにつけても、群衆が、南イタリアの雰囲気でない、トリドゥの母親って、もろにゲルマン系の雰囲気。どこでも起こる痴情のもつれ話にしたかったのかな。そして、期待通りの2大歌手の共演は、お見事に尽きます。黄紺的には、2人とも生で聴いてないんだよね。ヴェストブルックの方は、いずれは、その機会がありそうだったけど、アントネンコなんて、その可能性の欠片すら感じなかったな。今は、遠き思い出です。


2022年 5月 9日(月)午後 10時 54分

 2日程前からかなぁ、右肩の肩甲骨の脇が痛み出しています。元々、頚椎の手術の後から痛んでいるところ。痛みというよりか、強烈な肩こりと言った方が適切で、これが、手術後は四六時中続いている、休むことなく。そのこりの状態が酷くなり、尋常じゃなくなってきている。特に酷いと感じ出したのは、昨晩から。ベッドに横になっても、右方向に寝返りがうてない。左腕を支えに使い、なんとか、右を下にして横になることができた。黄紺は、これまた、手術の後遺症で、全身に痺れがあるのだけど、特に寝る場合は、ベッドの接触面で痺れが酷くなる。中でも左腰の痺れが酷いものだから、右を下にして寝ないと、短時間で目が覚めてしまう。家を改造して、ベッドを入れたのはいいのだけど、このベッドと、その痺れる腰の相性がいいとは言えないのです。そこで、右を下にするような格好で寝る癖がついているのだけど、それが、簡単にはできないということだ。今回は、肩甲骨の脇の痛みが、まだ、首の方には、ほとんど上がってきていないので助かっているけど、この後、そうなるかもと思うと、かなり不安。それまでは、鎮痛剤の世話にはならないでおこうと、今のところは考えている。こういった怪しげな痛みは、幸い、去年は1回だけだったので安心していると、出ますな。一応、記録を取っているのだけど、去年は薬物には頼らないで済んだ。この1年10ヶ月は薬物使用はしていない。だから、今回も、その範囲内で済んでほしいんだけどな。歩いたりしていて、背後からの車なんてのが、やばい。ただでも、普通には回らない首がダメになってるから、アブナイ。首を回すと、肩甲骨の脇に筋が繋がってるものだから、ただじゃ済まないのです。
 そないななか、今日は、昼間の中途半端な時間帯に映画を観てきた。マークしてあったバングラデシュ映画「メイド・イン・バングラデシュ」、場所は京都シネマです。ベンガル語の題名は、どのようになっているかは知らないのだけど、英題は「Made in Bangladesh」で、邦題はそのまんだけど、これは、なかなかしゃれている。映画の舞台は、ダッカの縫製工場で、バングラデシュの女性の安い賃金で、世界中の衣類が作られているということを踏まえているからで、その業界の労働実態を描いた作品だから。クレジットに、「実話に基づいている」と出たので、ネットで調べてみると、ダリヤ・アクター・ドリという実在の女性の労働闘争を踏まえているそうで、彼女自身も、監督、こちらも女性ですが、ルバイヤット・ホセインと共同で内容を検討したと出ていました。主人公は、その縫製で働くシムという女性。工場で火事が起こり、生活の不安を抱えるとき、再開前の工場に行ったところ、閉め出され帰ろうとすると、シムを呼び止めたのが、労働者権利団体(事務所にはフェミニズム関連の書籍も並んでいた)のナシマ・アパ。インタビューを受け、社内の実態を伝えるための写真撮影を依頼されることから、両者の交流が始まる。シムの労働環境を知ったナシマ・アパは、労働組合の設立を勧め、シムに、そのための方法を伝授し、法律書を読むように渡すばかりか、生活の援助も申し出る。シムが法律書を読み、仲間を説得する姿がいいですね。シム自身が法律書を読むことで、確実に成長する姿を観ることができるからです。そのシムには、夫がいるのだけど、仕事がないのか、いや、シムが働いているのをいいことに仕事をしてないという風情。そして、お定まりの男社会。バングラデシュのヴァナキュラーな雰囲気にイスラームの要素が加わっているのでしょうね、それが、この物語の、もう1つの課題になっている。働かないで、男であるというだけで、威張る夫。シムが電話をしているのを見ただけで、夫にちくる社会、また、それを聞いて、シムに暴力も辞さない夫。働いたら働いたで、労働組合設立に動くシムを邪魔する夫、男の言うことを聞けとだけで、仕事を止めさせる(=労働組合設立を止めさせる)ように動く夫。これって、男自体をダメにするね、また、社会にとっては、いいことないなと、こういった風景を観ていると思ってしまいました。会社側の嫌がらせは、こういった筋立てでは定番、それを切り抜けていく主人公とその仲間、仲間自体も未経験の領分に入るため、足を引っ張る。この辺りは、お定まりの流れかと思ってみていると、今度は、もっと巨悪が現れた。設立書を受け付けたはずの管轄の役所が動かない。もっと上の筋から圧力がかかっていた。企業と結託する官僚という図式です。ところが、この映画の最大のいいところが、ここで発揮されます。そういった世間の闇に精通して、それにも対処できるノウハウを持っているだろうナシマ・アパは、労働組合設立文書作成までしか出てこないのです。それまで、いろいろとアドバイスをしてきたナシマ・アパは出てこない上に、シム自身も、ナシマ・アパに頼ろうとする欠片すら見せないで、物語は進んでいきます。要するに、いよいよ、設立のための本番の動きをする、これは、シム自身と、それを後押しする仲間(彼女らは一緒に付いていくだけど、居るだけで力になります)でだけの仕事になっているのが、この映画最大の感動です。「あっ、最後までやりきっちゃった」と思うと、呆然としてしまうほどの感動がありました。この最後の動きをするとき、それを知った夫は、力づくで止めようとします。でも、それを振り切って家を飛び出すシムの頭にはスカーフがなかった! このあとラストまで、シムの頭には一切スカーフなしで演じられます。このことは、言葉では、何も触れられません。でも、お役所の女性係官やナシマ・アパは、ともにアチュックでした。その直前の工場に出かける場面では、普段より、しっかりとスカーフを着けていたシムの頭にはなかった。この過剰なカパルから一挙に向かったアチュック、正確には把握できないもどかしさがあります。何度か、家内で祈りをするシムの姿も映されていました。「一挙に解放された姿」を見せようとしたのでしょうか? 「一挙に」は、縫製工場の問題も、家庭内の問題も、バングラデシュの社会が持っている問題も「一挙に」の意味で書いています。捻り出せるのは、こないなところなんだけど、とっても不安。この映画のいいとこ、もう1つ。映像が素敵です。シムの生活の様子を表すために必要なバングラデシュの風景が、まことに的確に表されている、存外カラフルなのが意外な印象、結婚式の場面では、子どもたちの素直な姿に、カメラはフォーカスされていました。
 京都シネマへの往復は、ウォーキングを兼ねるのが常。毎度、慣れたコースなのに、帰宅すると、疲れがどっと出てしまった。肩が痛むので、椅子に身体を預けるのが憚れるのだけど、午後の一時で落語を視聴していると、知らない間に寝落ち。この頃、慣れているはずのウォーキングで、こういったことが頻発気味。そないななか、聴いた落語は2本。①10代目柳家小三治「金明竹」②柳家一琴「一目上がり」(2016/1/24 らくごカフェ柳家一琴の会)。マクラなしで始まった①、これはあかんやろという名人芸に圧倒されました。上方で出る「金明竹」と、全くと言っていいほど、同じテキスト。東京のネタを、そのまま上方に移植されたことが、よ~く、判った口演でもあった。②は、小三治の弟子ということで、時間を考えてのピックアップ。それにつけても、よく出来た噺と思ってしまう。この音源を聴いて、一琴は、教えられたことを守り通そうとするのを良しとしているなの印象でした。


2022年 5月 8日(日)午後 10時 49分

 自分的には関係ないけど、GW最終日となった日曜日。お出かけなしの日曜日の唯一の楽しみは、朝方の「日曜美術館」。今日の新作は、「まなざしのヒント メトロポリタン美術館展」というお題。大阪でもあった「メトロポリタン美術館展」でやって来た作品を幾つか取り上げ、西洋絵画の見方をお勉強しようというもの。毎回、かなり木っ端難しい内容を送ってるわりには、今日の試みは。えらくへりくだったもの。その構成は、美術史が専門の東京大学の三浦篤さんの解説を聴くというだけではなく、描き手の視点として漫画家の荒木飛呂彦さんのコメントも聴くというもの、それはそれでおもしろい試み。進行は、3つのテーマが用意されていて、そのテーマごとに1~2つの作品が取り上げられ、その後、MCの2人、ゲストの2人が組み合わせを変えながら、同じテーマで、異なった作品を鑑賞するというもの。テーマは、次の3つ、「A.宗教画」「B.ヌード」「C.風俗画」。Aで取り上げられた作品は、①フラ・フィリッポ・リッピ/玉座の聖母子と二人の天使(赤い服は愛、青いマントは天の真実、円光、キリストは正面を観ていて、賢い顔/知恵、それが書物を持つことで強まる、聖母の指先やキリストの足の指先に込めた気品、伏し目に描くことで空間を支配している)②カルロ・クリヴェッリ/聖母子(この絵にも赤と青、十字円光、リンゴは原罪、ゴシキヒワは無垢を表す、羽を広げることで十字架に見える、十字円光と呼応、背後にも十字を描いている、悲しそうにうつむいている姿は受難を示す)③ヘラルト・ダーフィット/エジプトへの逃避途上の休息(青い服、リンゴ、逃避の姿も描き、2つのずれた時間を同じ画面に描いている)④ディーリック・バウツ/聖母子(赤くない服、約束事を敢えて外している、約束事があるからできる)。Bで取り上げられた作品は、⑤ルカス・クラーナハ(父)/パリスの審判(パリスと3美女〈ヘラ、ビーナス、アテナ〉、3人のヌードを描くのがメーン、理想的な美を人体と考える「人間中心主義」が見える、ポージングがおもしろい、ありえないポーズをするとファンタジーになる、メリーゴーランドのように回転しているように見える、鎧の男、馬も含めたポージング)⑥ジャン=レオン・ジェローム/ピグマリオンとガラテア(自ら作った彫刻に恋、彫刻が人間になってしまってる)。Cで取り上げられた作品は、⑦ジョルジュ・ド・ラ・トゥール/女占い師(青年を騙して金品を盗もうとする場面、上から見ると円になっている、回転している)⑧ジャン・シメオン・シャルダン/シャボン玉吹き(生のはかなさをシャボン玉は表すとされている、見方により違う受け取り方ができるようになる、イメージの多義性と言い、現代に近づくほど、その傾向が出てくる)。ついでに、ウエブ上にある、この特別展の出品表を見てみると、まあ、凄いね。カラヴァッジョは来てるわ、フェルメールもだし、黄紺の好きなヤーコプ・ファン・ライスダール、フランソワ・ブーシェ、カミーユ・コローなんて序の口、美術史の中で太字で出てくる作家が並んでおりました。その中で、選ばれたのが8作とは、驚きです。その8作品の中だと、⑦は、生で観てみたいね。どこかのTV番組で、誰かが、「これが、日本で観れるか」と言ってたけど、風俗画の傑作だもんね。でも、大阪に来たときは行かなかったのです。これだけの銘品が来ると、コロナ禍では、逆に行けないよね、誰しも行きたいと思うと考えたら、行けなかったね。
 午後の一時は、ネット上で配信されている「桂あさ吉内弟子日記」を聴いていたら、途中で寝落ち。これは気を変えねばの思いから、オペラ配信を視聴することに方針転換。コヴェントガーデンの「マハガニー市の興亡」を完走しました。これ、パルマ版と違い、猥雑さがあるのがいい。匂うような欲望、それが出ています。アンネ・ゾフィー・オットーなどは、それに相応しいキャスティングだとは思わないけど、そういったテイストを狙ったプロダクションだということが判れば、かなり満足度は上がるというもの、です。嵐の後の後半部では、装置が変えてありました。コンテナを3段に重ねたという風情。そのコンテナが横開きになっており、そこが小舞台という感じ。それが3段。1段目の屋根の部分が、2段目コンテナ前の舞台&通路になっているという構造になっていました。がくんがくんと寝落ちをしては目覚めていたので、全体の流れは判っても、細部が不明なところがあるので、観直しの要はありと考えているところ、です。


2022年 5月 8日(日)午前 6時 4分

 この週末は、珍しいことに、土日の両日が、ともに予定が入ってない。これって、いつ以来かと思ってしまう。無理して、先日のGWの最中に映画に行ったように、観たい映画はあるけど、それは京都みなみ会館でないので、ダメ。どうしても、土日の京都シネマは混んでそうだから、あっさりとボツだから、この土日は、何も入ってない。天気はいいのに、勿体ないけど仕方ないと思ってたところに、閃いた。2週間程先に予定されている、昔の同僚との巡検の下調べをしようじゃないかと思い立った。宇治のウトロ地区に平和祈念館ができたということで、それを核に、その地域の巡検、プラス、その近所に残る文禄堤を歩こうとの計画だ。毎年、お世話をしてくれてる人がいて、その人がいるから、毎年続けられてるんだけど、その人が、先日、下見をしてくれた。ところが、当の祈念館のオープン前、確たる情報も得られないで歩いたけれど、「観るものが見つからなかった」とのコメントが流れてきていたので、それを思い出した。そうだ、祈念館はオープンしているはずと思い、ウエブ上でチェックすると間違いない。祈念館自体は、巡検当日には、必ず入るだろうから、入らなくてもいいとしても、周囲の情報だけでも得られればと思い、とりあえずは、祈念館目指して行ってみることにした。近鉄伊勢田駅、この駅に降りるのは、何年ぶりだろう。ん十年前は、ここに2人、友人が住んでいたけど、2人とも東京に行ってしまった。内1人は、以後の消息を知らなくなってしまっている。そんなで、よくお邪魔をしたものだったが、あれから、かなりの時間が経ってしまった。駅の周囲も、もう覚えてない。もっと長閑だった印象だけど。平和祈念館は、奈良に向かって右方向。大久保方向に行くと自衛隊のあるところ。この辺りに、戦時中は、飛行場があり、その建設に携わるためにやって来た朝鮮人たちが残った地域、それがウトロ地区。Googleマップの指示で動いたために、大変な遠回りをしてしまったけれど、結果的に、それが良かった。土地勘ができ、祈念館の周辺が、どのようになっているかが判って、結局は入った祈念館の展示を観たり、案内役の方とお話しできました。祈念館のある場所が、ウトロ地区の最も東。地区は、ほぼきれいな長方形をしているので、その短い辺の1つの隅に建設されていました。敷地内部には、かつての飯場を移築して整備も施し、内部には、かつての地区の写真が展示されている建物と、3階建ての展示館がある。1階は喫茶室兼談話室兼勉強部屋兼集会所といったスペース。2階が常設展、3階が特別展といった配置。さほどスペースがあるわけではないけど、とっても、効率のいい展示。朝鮮統治と渡日といった大状況から、そういった中でのウトロという小状況が判る構成。もちろん、ウトロの場合は、戦後が大変ですから、今まで、黄紺などは、マスコミの報道で断片的にしか知らなかったことを繋ぎ合わせるには、まことに有難い展示となっていました。受付のボランティアの方に、巡検のスポットを尋ねると、「よく判らないので、館長さんに取り次ぎます」と言われ、さすが、びっくり。そないなエライ人が出てこられては、黄紺はたじろいでしまう旨を伝えると、「じゃ、展示室におられる方に尋ねられれば」と言っていただいたため、この展示室で、最大の目的、巡検スポットを教えていただきました。①ウトロ地区の範囲②火事現場③残っている飯場跡④かつての看板の倉庫(外から見ることができるかの確認を忘れてしまいまった!)⑤新しい集合住宅⑥デイケアセンターを教えてもらえました。それを受けて、教えていただけた場所の確認をしてきたけれど、暑かったぁ。②は、放火跡です。典型的なヘイトクライム跡ですが、そのままにされているそうです。野外展示になります。実際、現場に行ったけど、2軒が全焼で、1軒が半焼というやつで、酷い姿を晒していました。祈念館の対極に位置する角にあるのが飯場跡かな。飯場跡候補は、もう1箇所あった、どちらかか、両方ともかは、黄紺には判らない。そして、もう1回、地区の逆方向まで歩き、ウトロ地区にお別れ。
 帰りは、汗をかきながら、ウォーキングを兼ねて、JR小倉駅まで歩いてみた。Googleマップで27分と出たので、いい距離との判断。途中、伊勢田神社を通ったのはいいけど、この神社内、2箇所に渡り、道路が突っ切っている。社殿など、寸断する道路に沿ってと言ってもいいくらい、際々を貫いている。宗教施設に対するリスペクトの欠片もないような感じ。それにつけても、伊勢田から小倉にかけて住宅が途切れない。そういった住宅街の中にJR小倉駅があった。新しい駅だけど、なんで、こんなところに駅がと思ってしまった。新田駅と宇治駅の中間でスペースを取れるところに選んだのかな、不思議な駅でした。
 距離的には、さほど歩いたという印象じゃないのに、ホント、疲れた。気温が上がると、ここ半月ほど、そないな日になると、ウォーキングで疲れる。加齢のなせるわざとはいえ、1年前と、この疲労度が違うような印象。PCの前に座って、少し時間が経つと、あっさり寝落ちしてました。完全にぐったりしながらだったから、かなりの疲労。でも、ここで寝落ちしたおかげで、体力が恢復し、夕方もウォーキング。普段の8分目くらいだったかな。終わって、万歩計を見ると、2万歩を越えてしまってました。夕方は、ごく軽くするつもりが、歩きすぎてしまってました。


2022年 5月 7日(土)午前 7時 12分

 昨日は、GWの谷間の金曜日。今年のGWは、これで、2回の谷間があったことになる。この2日が休めるかどうかで、えらい違いが出てきます。黄紺には関係ないけど。この谷間の日に、オンライン配信の予約が入れてあった。それも、午前中の配信だったもので、ルーティンにしているウォーキングに障りが出るということで、その配信が始まる前に、若干、ミニになるかというウォーキングをしておいた。朝の一時を取れるほど、時間に余裕があったものだから、このウォーキングも可能だった。で、その配信というのは、同志社大学神学部・神学研究科公開シンポジウム「戦争と同志社」というもの。ウクライナ危機を契機に、足元の歴史を見つめ直そうとの試みです。同志社だけではなく、ミッション系の大学は、戦前、苦汁の日々を送ったことが知られています。要するに、戦時体制に組み込まれていった歴史です。それをどのように受け止めるのか、幾度となく語られていたことでしょうが、それを、この時期に考え直そうという試みです。今回のシンポジウムの柱に、カナダ在住の有賀誠一さんをオンラインで迎えられたことを上げることができます。基調講演「戦争と同志社─ 有賀鐵太郞の時代から現代まで ─」というお題にもある通り、戦時下の同志社で教鞭をとられた有賀鐵太郞を間近で見ていた証言者として、息子の有賀さんに、このテーマで語っていただくという企画にそそられました。有賀鐵太郞はキリスト者であると同時に、特にオリゲネス研究の大家でもあるお方。テーマも気になるわ、知られた人物を切り口にしているという点にそそられてしまったわけでした。有賀さんのお話は、時系列的に、父親の事蹟を辿って行かれました。有賀鐵太郎は、15歳で第1次世界大戦に遭遇、17歳で大病を患い生還をした経験を持つことから、若い頃から生きる意味を考えようとしていた。同志社を卒業後、アメリカに3年間留学。だが、帰国した大学では、確実に軍国主義が高まっていく。アメリカで自由主義を学んできた身には、そぐわない軍国主義だが、学内では、確実に配属将校の発言力高まっていく。1935年、湯浅八郎が総長に就任、同志社事件に巻き込まれ、1937年に辞任、アメリカへ亡命。有賀鐵太郎は再留学して、帰国した時期。湯浅総長の後を継いだ牧野総長は、抵抗から妥協へというスタンス。1941年には、大政翼賛会的な日本基督教団が成立。配属将校ばかりか、軍国主義に染まった職員、学生の圧力も相当なものだったよう。有賀鐵太郎は神学科主任の要職。抵抗しなかったわけを、「同志社を守る」という一点だったのだろうと誠一さんはコメント。一方で、小学校の教員から頼まれ家内に神棚が設えられてあったけれど、拝まなかった。ここで、姉さんの挿話を紹介されていました。学校で神棚のあるなしを教員に手をあげさせられたときの挿話。こういった圧力があった。学校の罪過も大きい。父親の本心を知る挿話として、アメリカから持ち帰ったSPレコード、持っていただけで、敵性国家を讃えるものとして、ただでは済まなかったものだということで、紹介されていました。一方で、学徒動員、実際、戦死して戻って来る学生、神学科の祈祷会を「戦勝祈祷会」と称して、特高などの矛先をかわしていたとか。そういったなか、タイプの異なった総長のもと、同志社人が守ろうとしたものはキリスト教そのものと言われ、信仰は残った。軍国主義が奪いたかったものは残ったと評価されていましたが、この点、及び、この辺りのスタンスに関しては、講演後、コメントを出された吉田亮(同志社大学社会学部教授)さんから検証の要を指摘されていました。戦後になると、軍国主義から民主主義への転換。進駐軍の要請で、新教育勅語の草案作成に有賀鐵太郎は協力したそうです。実際は、この草案作成が、教育基本法の作成に生きたということでした。これは、知らなかった。こういった進駐軍幹部やユダヤ教の従軍ラビとの交流を紹介されていました。その後、同志社に神学部が誕生。旧大学令の法制の下で成立した唯一の神学部だそうです。有賀鐵太郎自身は、学部長に就任するも、京大からの要請を受けた学長により学部長を解任され、有賀鐵太郎は同志社を去り京大に行くということでした。そういった戦後のなか、復員してくる学生、様々な体験を口にする学生、当然、送り出した側を非難する声も出てきたわけで、有賀鐵太郎は弁解の言葉を吐くことなく、ただ謝るだけだったとの証言が残っているようです。誠一さんは、有賀鐵太郎は絶対平和主義者だったと規定されていました。フランスのユグノー派教会のトロクメ牧師(ル・シャンボン教会でユダヤ人を救った牧師)との交流、その一方で、ディートリヒ・ボンヘッファー(ルター派牧師、神学者)のように、平和を実現するために、ヒトラー暗殺計画に加担し失敗、処刑された牧師の行動も紹介されていました。そして、戦争の時代の日本と現在のロシアの相似性、また、後から戦争の時代の同志社人を批判することはできるだろうが、我々もまた、70年後の人たちに批判されないことをしなければならないとのメッセージとともに、戦時中の日本にもアメリカ人の心の痛みを知っていた人、アメリカ人の中にも日本人の心の痛みを知っている人がいたことを忘れてはならない、有賀鐵太郎は前者の人だったとまとめられるとともに、現に、ロシアでも、身を潜めながら、反戦活動をされている人がいると、実際に連絡を取り合っているロシア人を紹介されていました。ロシア人YouTuber氏が、自身のチャンネルで、その具体的な活動の様子を紹介されていることを思い出しました。講演後は、吉田さんの鋭いコメント、更に、司会の方を交えての鼎談、質疑応答と続きました。その中で上がっていたトピックをメモっておきます。「戦時中の総長に対する研究は進んでいるが、教員についての研究は遅れている」「戦争協力についての反省は、回顧録といったもので究明の要あり、有賀鐵太郎の場合は、選択肢の限られた中で残すものを考えたのだろう」「妥協を重ねたことへの後悔がある、だから、皆、戦争に協力をしてきたことを踏まえての発言の要がある」「日本基督教団は、1967年に声明を出している」「自由があると切迫感が乏しくなる、声を上げられない人に替わって、声を上げることが肝要」「キリスト教系大学(上智、立教、関学、同志社/明治学院、西南学院)は、各々、同様の対応、究極の選択を突き付けられた、戦後の対応は異なる、同志社は弱い部分がある(具体的に喋ってもらいたかった!)、時代に乗っかる傾向があり、キリスト教系大学が民主化に協力しなければならないという点が先行し、反省が足らない」。仏教の教団も、同様の検証をされていると聞きます。宗教は、人の心に食い込むだけに、こういった検証は極めて肝要な話です。そういった意味では、ウクライナ危機は格好の契機になったということです。いいお話を 聴くことができました。知らなかったことも多数、勉強になりました。
 昨日は、朝の一時も午後の一時も取れたが、まずは朝の一時としての落語の視聴から。次の2本です。①笑福亭仁鶴「大名将棋」②笑福亭仁鶴「兵庫船」。仁鶴もの2本、選択しました。①は釈ネタです。南斗くんで、何度か、聴いていますが、落語での口演って、生では文我でしかないと記憶します。我が儘な殿さん、我が儘を通り過ぎたバカ殿と言ってもいいくらいのキャラ、それを諫める老家臣という展開、「世も城下外れで焼き芋屋をしてみたい」が下げでした。②は、何か珍しい物言いが入っていないかを楽しみに聴くと、ありました。所尋ねで「川尽くし」、謎かけは茶化すものだけで、「一の字」はなし、替わりに、「ねずみ数尽くし」が入っていました。「川尽くし」の方は初物だったけど、「ねずみ」の方は、聴いた記憶があります。誰だったんだろう? 生寿が修業時代に、変わったフレーズを入れた記憶だけが残ってんだけど。これだったのでしょうか? 判らない!
 午後の一時は、新たなオペラ配信。と言っても、作品は同じ、「マハガニー市の興亡」です。コヴェントガーデンの映像で、カスパー・ホルテンのプロダクションです。ライブビューイングで上映があったもので、黄紺的には観ることのできなかったものだろうと考えているものです。おもしろい趣向のプロダクションです。逃亡者3人は、トラックで逃げてくるという冒頭。そのトラックが後ろ向きに停まってるところからスタート。でも、それ、回転舞台になっている。荷台の部分が、3面が開くようになっていて、そのトラック自体が、舞台内舞台となっているという仕掛け。1回目として、嵐のところまで行ったけど、ここまで、その舞台内舞台、及び、その周辺に小物を置いて、全て展開されています。一方で、歌手が弱い。ジミー(クルト・シュトゥライト)はいいとして、アンネ・ゾフィー・オットーのベグビックはガラが悪くない、そりゃそうだろ、アンネ・ゾフィー・オットーだもの。ジェニー(クリスティーヌ・ライス)は、娼婦だよと突っ込みたくなる、いい声してるけど。と言いながら、このオペラはそそられる。最初聴いたときは、クルト・ヴァイルの音楽になじむのに慣れてなかったけど、今は、これでなきゃになってしまってる。ということで、少なくとも、パルマのものよりは、楽しめています。


2022年 5月 5日(木)午後 9時 8分

 初夏のような気温上昇に戻った子どもの日、待望のDとSと遊ぶことができました。でも、これが、心配していたことが起こり、計画は失敗だったかな。昨日も通ってみた藤森神社のお祭りに連れて行こうとの思惑で、2人にお祭りというものを見せたかったので、声を掛けてあったのです。このお祭りは、5日が本祭。黄紺の思惑では、5日ではなく、その前の日の方がいいと踏んでいたのだけど、ま、それは、混雑を考えてだけのことなんだけど、連れてくる息子が、持病が出てしまい、体調不良だったもので、今日になったのでした。5日に混雑が起こるというのにはわけがあります。単に本番というだけではなく、この日だけの特別イベントがあるからなのです。「掛け馬」というやつで、馬の曲乗りという神事があるからで、それを目指して、人が集まる。それが判っていたからで、息子も判ってるはずだからと思っていたのだけど、体調不良で今日になってしまった。もう、神社に向かう道からして、人出が普通じゃない。裏道を抜けて神社には上手く入れたのは入れたのだけど、もう、その神事会場は、とんでもない人出。おまけに、到着した時間が、正に、その神事が始まろうかという時間。でも、なかなか始まらない。別に時間を合わせて行ったわけではないのだけど、始まりそうだからと、観れそうな場所を確保。Sを持ち上げる。腕の力が息子ほどないので、肩車ができない分、抱えているのが大変。息子と交替しながら持ち上げる。Dの方は、背が低い分、大人の隙間から観ることができる。馬のお祓い、乗る人のお祓い、馬場のお祓いと、一応は放送が入る。いよいよ、馬に走る感覚を覚えさせるために、何も技をしない素掛けが行われるが、めっちゃ速いものだから、ほんの一瞬。「おんまさんが来るよ」と言ってても、ほんの一瞬、見せるだけという、とんでもないスピード。放送を介して、「速すぎる」との指導が入っている。で、結局、息子が、この辺まで来て「行こ!」とギヴアップ。でも、その馬場横を離れて移動するだけで、大変。ようやく神社の中央部に来て、たこ焼きと焼きそばを買って食べる。Sを抱えてた分、手が震えている。たこ焼きの入った入れ物を持ってるだけで、だめ。Dにたこ焼きを細かく切ってやろうとしても、それが、満足にできない始末。食べたら、もう、退散。途中、2人に、お面を買い、スマートボールをDがして、おしまい。逃げるように退散しただけでした。凄かった。行くのじゃなかった。4人で、たこ焼きと焼きそばしか食べてないものだから、電車で伏見桃山まで移動。そこまで行けば、祭りからも離れ、店も多いということでの移動。昼からお酒を出していて、DやSが食べれるものも出すお店、ここって、前にも、Dを連れて、息子と3人で行ったことのあるところ。驚くほどの大食を、Dが見せたことで、よく覚えている。そこで、大人はビールを飲み、DやSは、お寿司を手づかみで食べることに。気温が上がったから、昼間の生ビールは、頗る上手い。息子は、GW前に沖縄に行ったようで、かなりカルチャーショックを受けたよう。僅か1泊で行くとは勿体ない。どうやら、飛行機に乗りたいみたい。ええおっさんが、DやSみたいなことを言ってる。次の次の週末には、DとSを連れて、仙台に行くとか。目的は、DとSを飛行機に乗せること、それと、仙台と福島の往復をして、東北新幹線に乗ることだそうで、これも1泊だとか。完全に乗り物マニア3人旅。そうやって、息子と喋ってると、Dは、Sに声掛けをしながら、仲良く、息子のスマホで動画を観ている。とても面倒見のいいお兄ちゃんぶりを見せるDに、びっくり。とっても、いい風景でした。今日は、これで、おしまい。夢のような、幻のような時間、だったな。
 帰宅後は、酔いもあり、昼寝、こんな時間に寝ていて、夜、眠れるかが心配。そんなで、何もできなかったけれど、その替わり、朝の一時があった。YouTubeで落語を視聴した。次の2本。①桂米朝「崇徳院」②笑福亭仁鶴「鳥屋坊主」(NHK上方落語の会)。①は音源だけのもの。映像も、もちろんあるのだけど、両方ある場合は、音源だけのものを選ぶ傾向。なんか、頭の中でイメージが広がる方を良しとする傾向にあります。最近、耳慣れたネタ、口演であっても、米朝ものを聴くべしと再認識。ここに戻り、そして、他の噺家さんに向かう、これだと思っている。実際、「崇徳院」の場合、繰り返しが多いものだから、それが苦に聴こえることがあるけど、この音源を聴いていると、各々の繰り返しに意味があることが、よく判る。必然性を感じるのです。ということは、それだけ、見事にドラマが出来上がってるってことですよね。細かなテンポの揺らし方が、ホントに上手い。人物の心情に寄り添うと、そうなるなの揺れで、個々に必然性を感じてしまってました。なお、下げはカットされていて、「おめでたい」ことでと終わるヴァージョンです。②は映像です。今や、当代松喬くらいしか手掛けてないんじゃないかな、このネタ。テキストの中に、時ったま、判らないものが出てくるけれど、もう題名からして、予想される展開が待っています。そして、これ、旅ネタです。長閑で、アホげなネタ。決して、廃れていいと思えないネタです。そんなことを思ってたら、先日、どこかで、二葉が「旅ネタを持ってない」と言ってたの、思い出した。「これ、二葉に合うかも」と思ったら、坊主繋がりで思ったのは、「八五郎坊主」の方が、もっと合ってるかもと思ってしまった。だと、またぞろ、雀太兄やんにもらえば、丁度、いいじゃないと、そないなところまで、思考が跳んでしまってました。で、仁鶴の口演って、こういった田舎の噺、合いますね。素朴ななかにも、鳥を絞め、酒盛りをする男が生き生きとしている。いいもの見つけたものです。


2022年 5月 4日(水)午後 8時 28分

 GWの真っ只中、天気は恢復、とっても、気持ちのいいお天気となりました。世間では、行楽地に出ているのでしょうね。トルコは、シェケル・バイラムに入っているから、日本と、休暇続きが重なる偶然。同じような感覚で、新聞なんかを読める不思議です。そないないいお天気になると、ルーティンにしているウォーキングが、頗る気持ちのいいものになる。2回のウォーキングは、従って、満足の行くもの。夕方のウォーキングの行程に、このGW期間中が祭と重なる神社を通ってみる。明日、息子が、DとSを連れて、祭というものを見せに来ることになったので、軽く下見のつもりだった。丁度、3年前には、Dが、偶然、神輿と遭遇したことがあったけど、まだ、走るという行為自体がぎこちなかった頃なので、覚えてるわけはなかろうから、ここは初めてとなるはず。Sは、そのときは、まだ生まれてなかった。その年の6月生まれだからね。そんなこともあり~で、下見。夕方だったからかなぁ、小さな子どもや大人は、ほぼいなかった。少年少女が健康的に集う場になっていた。けど、テキ屋さん、よく我慢したものだと思う。屋台一式の維持も大変だろうに。で、明日が楽しみで、気分高揚のいい感じになっています。
 午後の一時に加えて、朝の一時を使い、今日は、Radikoで、火曜日に放送のあった「桂吉の丞のおつかれさん!」(KBS京都)を、全部、聴いた。と言っても、お喋りの合間に流される音楽やCMはカットしながら、でも、全部、聴いてしまった。吉の丞が、かなり慣れてきたのか、岩井万実さん相手に、時々、ため口交じり、あくまで「交じり」だけど、そういった口調でお喋りするようになってきているのが、可笑しくって。当初は、「三題噺」を作るのに時間がかかってると、米紫に突っ込まれていたので、その実態を聴こうという感じで聴き始めたんだけど、岩井万実さんの受け答えがいいからでしょうね、全体的にほんわかムードの進行になっているので、聴いてしまう。この前まで聴いていた、二葉の出ているラジオとは、かなりテイストが違うというのも、楽しめてる大きな要素と思っています。そして、両方とも、落語家という部分を全面に出してくれてるところが、聴こうという気になる最大の原因でしょうね。放送を通じて、落語人気が出てくれれば、それに越したことはありません。東京で、伯山人気に火が付いた大きな要因の1つに、ラジオがあると言いますよね。二葉の人気も、早くからラジオに出してもらってたからということもあるでしょうしね。いやいや、そもそも、キャリアの浅い二葉に目を付けた制作側の鑑識眼に敬意です。いくら優れたタレントも、そのタレントに気づく、それも、好事家以外の人が気づくかで変わってくるのでしょうね。その気づかせる力量も、タレントの内かもしれないけどね。
 オペラ配信も欠かしていません。噺家さんの出てるラジオを聴いてるため、落語自体の視聴よりか時間があれば、オペラ配信の方を選んでしまっています。パルマ王立劇場の「マハガニー市の興亡」完走しました。そんなに、メモを残すほどのことがあったとは思えないプロダクション。丁寧に、テキストを追いかけるというか、なぞるようなプロダクションだったいうことです。「Oper Vision」でリストアップされると、どうしても、何やしらを期待してしまいますものね。「マハガニー市の興亡」という作品自体が、上演頻度の高いものではないということからでしょうか、レアものというほどではないですが。ま、イタリアでの上演となると、レアになるのかもしれませんが。そこで、YouTubeの検索欄に、このオペラの名を入れてみると、4月下旬にアップされたものを見つけました。コベントガーデンのプロダクションです。概要欄に、何も書いてないので、最後のクレジットを観てみることで、その動画についての情報を得なければならなかったのですが、どうやら、コベントガーデンのライブビューイングを録画して流しているのではないかとの疑いを持ちました。そして、英語版です。もちろん、原作はブレヒトだし、作曲もクルト・ヴァイルだしということで、ドイツ語上演が原則だと思うのですが、黄紺は、この作品だけは英語版に手を上げます。やっぱ、この作品は、大量消費社会を揶揄するものです。発表されたのが、調べてみると1930年ですから、もろに1920年代のアメリカの現実を目の当たりにしてのものだから、これを、ドイツ語でやられると、勘が狂っちゃうというやつで、黄紺は、映画版を支持してしまうのです。原典をないがしろにしてしまう物言いですが。だから、アブナイ動画かと思いつつも、だからこそ、早々に観ておかなくっちゃの気になっています。次に観るのはこれだと、あっさり決めてしまいました。


2022年 5月 4日(水)午前 7時 24分

 GWの間は、ひっそりとしてるつもりだったのが、昨日のお出かけと、もう1つ、予定が入ることになりました。DやSと会うことができそうなのです。そんなで、急に気持ちの軽くなっている黄紺。昨日のお出かけも、人ごみは嫌いなため、本来なら祝日なんて避ける映画。でも、イラン映画だったため、これは、混まないだろうの勝手判断。その判断、正しかったな。GW明けが、わりかし混みあった予定が入っているので、ここで行けると助かるという思惑もあったのでした。この映画が夕方。丁度、お昼辺りにも上映があったんだけど、昼食時間が変則的になるし、ルーティンにしているウォーキングも、いつも通り取れるだろうかの不安もあったので、そういった生活のリズムの狂いが少なくなる時間を選択。ですから、昼前のウォーキングは平常通り、夕方のウォーキングは、映画館の往復を兼ねさせれば、バッチリということになりました。とにかく、生活のリズムが崩れるのが嫌になってしまっています。
 で、問題の映画は、イラン映画「白い牛のバラッド」。最近のイラン映画、以前、日本で公開されたものよりか、かなり色合いが変わってきている。厳しい制約の中の制作というのが以前の印象だったけど、制約が柔軟になってきているという印象が出てきています。扱う素材、当局への刺激、宗教的には寛容化の傾向、社会問題に食い込む刺激の強そうな内容まで、かなり変化が看られる。そのため、今まで見なかったようなストーリーが生まれ、表現のおもしろさ、工夫も感じられる。そこに、イラン独特の政教不分離体制が絡んできたりするものだから、独特のテイストが出来上がってきているなと感じています。この映画もそうだった。主人公ミナは、夫を冤罪で処刑されてしまったシングルマザー、聾の娘を育てている。もう1人の主人公は、ミナの夫の死刑判決を出したときの判事レザ。ミナは生活が楽ではない。義父は、義弟をミナのもとへ行かせ、処刑の賠償金目当てのことを言わせている。そこへ、レザが、亡くなった夫に借金があったと言い現れる。レザを家に入れたため、それまで親切にしてくれていた大家が立ち退きを求めてくる。それを知ったレザは、自分の家を明け渡して、それをミナ親子に貸す。そんな風にして、2人の交流が始まっていく。その一方で、レザは、判事としての自信を失い、退職を申し出ている。息子は、地位のある父親の力に頼ることを嫌い、自立を考え軍隊に入り、その後、亡くなって戻って来る。失意のレザは、薬物中毒になり、体調を崩したとき、ミナに助けを求め、その後、介護が要るということで、ミナの家で逗留するようになり、2人の間が深まっていく。ついには、夜、紅を引き、スカーフを外し、ミナは、レザの休む部屋に入っていく。レザは、相変わらず、自分の身分を言えないままの状態。その一方で、ミナも義父が孫の親権を求めて、裁判を起こされる。どうやら、こういった場合、イランでは、女に不利なのが普通のようだけど、レザは、判事仲間を通じて、ミナの勝訴へと導く。そこで、義弟から電話が入り、怒りから、レザの正体をミナに告げる。正体を知られたことに気がつかないレザ。2人は、勝訴を祝う食事をミナの家でするというのがラスト。ミナは、紅を引きます。そして、温めたミルクをレザに渡す。そのミルクを、若干の躊躇いを見せながら飲むレザ、、、、。黄紺は、レザが、そのミルクが、どのようなものか判っていて飲んだと看ています。伏線が2つあります。1つは、2回出てくる紅を引く場面。もう1つは、ミナがいない場面で食卓の上にあった細長い小瓶をレザが取り上げる場面。そのときは、その小瓶が何かは、観る者には判らないので、これは、そうだろうとの想像を搔き立てているだけですが。レザは、だから、ミナの心を全て知り、ミルクを飲むということでしょう。それを示すのが、呑む前の若干の躊躇いだったのだと思います。娘を聾にしてあるのは、大人の会話を聴かせないためでしょう。でも、ミナに子どもがある方が、親権問題もそうだけど、それだけではなく、ミナとレザの関係を描くときの膨らみが、全く異なってきますね。ネット上で、この映画のコメントとして書かれているものの中に、この少女は、イランの表現の不自由の暗喩だとあった。なるほどねという感じ。もちろん、死刑制度の問題性を告発する性格がある一方、レザには、その必要性も言わせている。これは、レザの苦悩でもあるけど、その「論議の自由さ」を訴えるという意図が看えてきている。また、裁判が不公平に行われていること、コネ社会であること、そういった告発もありで、イラン社会の持つ問題性を描く作品。ベルリン映画祭のコンペにノミネートされた作品ですね。監督の1人が、ミナ役のマリヤム・モガッダムというのも、知って、「へぇ~」でした。
 昨日は、この映画を観たことと、もう1つは、KBS京都で、「桂二葉と梶原誠のご陽気に」を聴いてしまった。Radikoで、端から聴くつもりだったけど、前の2時間分が、リンクの張り間違いが、Radikoのサイトにあったため、後半を生で聴き、夜、前半を聴くという変則的なものになってしまった。前半で、恐らく、無学での鶴瓶とのトークを話題にしていると想像していたので、それを早く聴きたかったのに、不具合のため、後回しになっちゃいました。文珍独演会のことも言ってくれてました。これも、狙いだった。文珍は3席出したそうで、その1席目の後の出番だったとか、これ、緊張するだろうな、ましてや、東京の国立劇場の舞台。そういった話を聴いた梶原さんが、「二葉さんの話を聴いていると、出てくる人が、どんどんと、誰もが知ってる人になって来てる」、これ、いい表現ですね。サクセスストーリーって、正に、こういったことなんですね。今日は、「桂吉の丞のおつかれさん!」を、Radikoで聴く予定、すっかり、ラジオ志向となっています。


2022年 5月 3日(火)午前 6時 43分

 昨日の天気は変。今日は晴れるのかと思いきや、またしても、夕方に雨が降った。僅かの時間だったのだけど、昨夜は、オンライン配信をライヴで視聴したかったもので、いつもよりか、1時間余、早めにウォーキングに出かけたら、ドンピシャ、途中から雨。雨までにはいかないと思い、ましてや、天気予報では傘マークはなかったはずとの思い込みで出ると、この様でした。雨雲レーダーを、降り出してから、若干経ってから見ると、雲のかかっている時間がさほどではなかったので、ウォーキングは続行。この判断が正解で、雨は、半時間弱で止んだ。しかも、霧雨のような感じだったので、正解でした。ま、運が良かったのと、いいタイミングで雨雲レーダーに頼ったのが良かったみたい。しかし、最近、雨が多い。そして、昨日も、気温は、さして上がらない。屋内では、確実に電気ストーブが要る。たまたま、近くのマートで弟の嫁さんに会うと、開口一番、「寒いねぇ」だった。やはり、「ストーブが要る」と言ってました。
 夜に時間を残しておかねばならないということで、午後の一時は短め。昨日も、一昨日に続き、オペラ配信に時間を充てました。「マハガニー市の興亡」の続きです。「興亡」の「興」の部分を観たことになるのかな。人が集まってきて、商売がうまく行くと言っても、最初の3人がやった商売というのは売春宿。ま、町が発展すると、人が集まり、それで繁栄するというのが、このお商売だから「興」を表すにはもってこい。ただ、昨日も、オペラ配信は半寝の状態で観てしまった。そないな場面だけど、あまり猥雑な印象がないのが惜しい。それと、時たま入る映像が、大都会の風景を映し出すのが、とっても違和感がある。だって、逃亡者3人が一から町を造ったという設定なのに、大都会はないよなというところ。そして、登場人物のアメリカ人らしいバタ臭さのような、ギトギト感が薄いのが不満。黄紺的には、手持ちのDVDにロサンゼルス歌劇場ものがあるんだけど、このバタ臭さ、軽い上に猥雑という空気感が沁み付いているものだから、それが基準になってる分、あとから観るプロダクションに分が悪くなってしまいます。昨日は、ハリケーン来襲辺りまで観たかな、ま、そんなところです。
 夜の配信は、鶴瓶が、無学(元6代目の自宅)でのトークライヴ「無学鶴の間」の生配信を観たかったからです。20年以上続く「無学の会」の模様替えなのか、別ヴァージョンなのかは判らないままなんだけど、新たにオンライン配信をする第1弾が、無料公開されるというのが、昨夜だったんだけど、原則、従来の「無学の会」もそうだったように、トークの相手はマル秘。でも、昨日は、漏れていた。ゲスト自身が、自分の予定表に「まだ内緒やねん」と書きながら、同じTwitterに、この配信を予告するサイトを紹介する呟きをしてたから、誰にも判るちゅうねん! そのゲストが桂二葉でした。鶴瓶と二葉の関係を知る者からすると、垂涎の企画。鶴瓶も言ってたけど、「俺の追っかけしてたやつやで」「そいつをゲストに呼ぶなんてことってある?」、だからこそ、アーカイブに残るのを知っていながらも、ライヴで観ようというのでした。これ、有名な話だもんね。二葉は、鶴瓶の追っかけをすることで、落語に出逢い、落語家になろうと思ったわけですし、二葉の師匠米二は、その辺の事情を聴かされていたので、二葉の入門を許すときに、鶴瓶に相談の電話を入れたのも知られた話。そんなで、この二人の組み合わせは興味津々。新たな話題は出なくとも、この2人のトークがあるというだけで、上方落語のファンとしては見逃すことができないのです。構成は、前が、立っての漫才風トーク、中が、二葉の落語で「真田小僧」、後が、座ってのトーク。トピック的には、聴いたことのあるものばかりだったけど、中には、でないものもあった。可笑しかったのは、長吉の出の鶴瓶、駒川の出の二葉、よく似たところの出だけども、もう1人、平野界隈の出がいた、それが鶴光。だから、この2人は、地元のスターに憧れた。鶴瓶は鶴光に、二葉は鶴瓶にといった具合だ。今後の活動の告知で、びっくりの会を二葉が言ってました。秋に、昨年同様、ABCホールで独演会をするそうで、そのゲストが柳家権太楼。今、体調を崩していることは、その告知に合わせて、鶴瓶が言ってたけど、そのオファーを受けたということは、今後、復帰が予定されていることで、何よりなんだけど、NHKのコンペでは、二葉に対し批判と絶賛ということで強い印象を与えてしまった柳家権太楼だけに、プラチナチケット間違いなしです。しかし、二葉のキャリアで、権太楼を呼ぶという発想自体が驚天動地、です。この辺があるから、二葉人気があるのでしょうな。また、権太楼も乗っかってやろうの気になるのでしょうね。大阪復帰の第1弾にしようかな?
 昨夜は、YouTubeの「米紫&吉の丞㊙ワールドニュース」でも、この鶴瓶とのトーク配信が話題に上がっていた。こちらの生配信と被っていたようで、リアルタイムで、双方を観ていた人が「今、終わりました」なんて、書き込みをしていた。今週末かな、BS朝日で放映される、二葉を取り上げた番組の広報用のサイトを読み上げるなんてこともしてました。「ワールドニュース」では、二葉ネタをスルーする傾向が無きにしも非ずだったんだけど、視聴者が、チャットに書き込むものだから、スルーできなくなってきて、トピックでも取り上げるようになってきた感があります。米紫は、二葉のTwitterにアップされている5月の予定表の数まで数え上げて、トピックにしていました。今日は、KBS京都で、二葉の出るラジオがあると、黄紺的にも、二葉の追っかけ的な動きをしてしまっています。ここまでのスターが、上方落語から出るということはなかったものだから、しかも、落語からだからね、だから、どうなっていくのか、これは、上方落語ファンの1人として見届けたい気に満ちているところです。


2022年 5月 2日(月)午前 6時 45分

 気温が下がっています。GWに入ってから、気候が不順。雨が降ったり、気温が下がったりで、外出時には厚手のトレーナー、屋内では電気ストーブのお世話になっている。こないだ、あんなに暑かったのにと言っても、冷える日が、これで2日続いた。そういった日曜日、朝一番で、トルコのサッカー情報を開けたら、トラブゾン・スポルの優勝が決まっていた。最近、好調のアンタルヤ・スポルが相手だから、ひょっとすると、引き分けで優勝が決まるのかなと思ってたら、ホント、そうなりました。黄紺は、20年ほど前、ヨーロッパのカップ戦があった日にトラブゾンにいたことがあったのだけど、朝方まで人が騒いでいた。そうなんだろうね、いや、優勝だから、あんなものじゃないでしょう。トラブゾンは狭いから、集まってくるところが限られてるだろうから、メイダン辺り、大変でしょう。で、日曜日の朝と言えば、お楽しみ、昨日は、特にお楽しみだった「日曜美術館」、お題は「うつくしき理想を描く 鏑木清方の“築地明石町”」。鏑木清方、知らなかったけど、「築地明石町」を見て、びっくり。京都で、その特別展が用意されていることも知り、早速、前売券まで買っちゃった。現在は、東京国立近代美術館で特別展が行われているようですね。それに合わせて、MCの2人も同美術館を訪れての制作。気の毒に、MCのお二人、あまり使ってもらえてなかった。「築地明石町」の発見、同美術館への収容、鏑木清方の没後50年を期しての特別展のようです。そのおかげで、番組でも取り上げてくれたというわけです。番組では、「築地明石町」以外の作品も紹介されていましたが、その経歴、活動が紹介されながらのものだったので、まずは、そちらの方からメモっておきます。「1878年、東銀座で生まれる」「23歳の時に泉鏡花に出逢う、意気投合して、鏡花作品の口絵を依頼され、交友は鏡花の死まで続いた」「1901年、烏合会を結成、日本画の世界へ、初期は、同時代の風俗を描く」「途中から、浮世絵の表現になびいていく、その様式美を取り入れる、浮世絵の世界観も取り入れる(季節感、人に現れる)」「関東大震災の影響が看られる、大震災で失われた伝統的風景を描く」「戦争の影響も大きい、失われたものへの憧憬」「鎌倉で晩年過ごす、住居跡に記念館(鏑木清方記念美術館)、アトリエも再現されている」。取り上げられた作品全ては押さえられなかったけれど、メモできた範囲で、ここに記しておきます。①築地明石町②ためさるる日(長崎丸山遊郭の遊女の足先に踏み絵)③墨田川遊舟(大名の遊山舟)④佃島の秋(しじみ売りと女性)⑤嫁ぐ人⑥一葉女史の墓(一葉を愛読、「たけくらべ」の主人公美登利を込めて描く幻想性の高い作品)⑦遊女(火鉢にもたれかかる、鏡花の小説からインスパイアされた作品)⑧曲亭馬琴(馬琴は晩年失明、字を教えている、明暗の表現、毛までリアル)⑨花ふぶき・落葉時雨⑩浜町河岸(少年時代過ごしたところ)⑪新富町(小学校のときの通学路、花街があった)⑫春雪(終戦翌年の作品、武士の妻)⑬朝夕安居(明治20年代の築地、少年時代を過ごしたところ、絵の中で生き直すかのよう)。①について、、、築地明石町は外国人の居留地があったところ、少年時代の憧れの町、でも、大震災で倒壊してしまった、日本画の伝統に則り、リアリティに富む、大事なところをきっちり描き、他の箇所は遊びが入っている、背後の帆船や傍らの朝顔がそう、朝顔の葉が黄色くなっているから季節は秋、羽織の押さえ方を見ても秋だと判る、モデルは清方に弟子入りした女性だが、そのままは描いていない、髪型は、明治30年頃、鹿鳴館の様式、背景を「縁蓋(えんぶた)」という手法を使っている、マスキングの手法、着物の柄や履物まで精緻を極めた描き方をしている。⑩と⑪の2幅を併せての3部作。展示は、左から⑩①⑪という順。ネットで調べると、①の購入者が、清方に、⑩と⑪の注文を出したと出ていました。でも、何と言っても、①が際立ちますね。そして、②も、京都に来るようなんで観てみたいな、特に。そんなで、朝からテンション上がってしまいました。
 午後の一時は、オペラ配信のお世話になりました。「さまよえるオランダ人」完走しました。最後まで、バレエの人たちと絡みながらの進行。だから、前回観た「パルジファル」がそうだったように、これは、「2人オランダ人」&「2人ゼンタ」って言い換えることができるということです。ただ、このプロダクションの場合は、相互に補完し合う関係だったということができるでしょう。それは、ここまでで判っていたこと、肝心の装置に大きな変化があるのが、このプロダクションの特徴。ロープが船を表すモチーフとして、一貫して使われていたが、最後に、ついに、そういったロープを張った上に船が設えられ、そのロープの張り方の調整で、船を上下させるという大規模な装置が登場してきました。これは、圧巻! それにオランダ人が乗り込む(先にダンサー、ついで歌手)と、ロープを張らせ、上へと上がり消え去るというもの。すると、そのあとを追い、ゼンタ(ダンサーの方)が宙づりになり、人々が見やるなか、幕となりました。歌手の方のゼンタは、逆に階段を下りていく、誰にも見られることなく、これが同時展開で、幕でした。バレエの同時進行と、この大規模な装置、これに目が行くということで、「Oper Vision」に取り上げられたのだと思います。次いで、「Oper Vision」の最新版に入っていたのが、パルマ王立劇場の「マハガニー市の興亡」(ヘニング・ブロックハウス演出)。黄紺は、このオペラ、お気に入りなものだから、これがアップされてから気になってて、早速のアクセスです。パルマというイタリアで、この作品が取り上げられるのも、気になって仕方がなかったのです。ナレーター役はイタリア語で、毎度、舞台のどこかに出てきて、メガホンで口上、歌手の方は、ドイツ語でというもの。逃亡者3人の登場は、背後の壁を突き破って、車に乗り登場、ベグビック役の歌手(アリサ・コロオヴァ)は台詞部分が弱いかと思ってると、とってもいい声、ファッティ(クリス・メリット)は線の細いテノール、三位一体のモーゼス(ゾルタン・ナジ)は爺さんの仕立ててある。ジェニー・ヒル(ナジャ・ムチャンタフ)の「アラバマの月」は、やはりいい歌、ただ、歌手にすれた感が乏しいのが寂しいけど、この人もいいお声、で、ジム(トビアス・ケッヘラー)の登場まで視聴。序盤の顔見世が終わるまでで、時間切れとなっちゃいました。ただ、前奏曲もそうだったけど、クリストファー・フランクリン指揮のオケ、もう少し強いリズムを打って、荒れた感出してほしいね。とりあえずは、そんなところです。


2022年 5月 1日(日)午前 6時 38分

 昨日は、一転して、快晴。しかも、からっとした、いいお天気。気温も、そんなに上がらず、誠に春らしい。トルコ・リーグは、いよいよ大詰め。一昨日、フェネルバフチェが負けてたら、トラブゾン・スポルの優勝が決まってたんじゃないかな? ま、フェネルバフチェは勝ったけど。マッチのダイジェスト版を観たけれど、選手が固まり、欠場する選手が、固まった中にフィットしようと動く、これが決まってきたようで、これ、監督の目だなと思ってしまう。週末は、このトルコのサッカー情報を追いかけることができるので、楽しいね。昨日は、午後にお出かけを予定していたが、昼前にもウォーキングをしておきたくて、時間を確保。短めだったけれど、気候がいいので、ついつい長めに歩いてしまい、出かける時間との間隔を失念しまったほど。大事には至らなかったけど、野放図に、何も考えないで歩いていました。
 午後のお出かけ先が京都大学総合博物館総合博物館だったもので、三条駅から、ウォーキング替わりに歩くと、30分見当なものだから、スーパーでおにぎりを買っておいて、鴨川畔で食べることにして、その時間を確保して出かけた。こういったときは、丸太町橋付近で食べるのが定番。歴彩館に行ったときの逆コースを歩き、荒神橋を過ぎた辺りで東に道を取れば、京大までは簡単に行ける。京大周辺も変わったものです。目当ての博物館も、新しい建物だった。向かいの西部講堂周辺も、すっかり様変わりしています。昨日は、こちらで開かれている特別展「文化財発掘Ⅷ/埋もれた古道を探る」関連ということで、講演会が開かれたのでした。その内容は、①伊藤淳史(文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター)「中世白川道とその周辺-京大構内の発掘成果から-」②千葉豊(文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター)「近世・近代の白川道-発掘成果・江戸時代絵図・近代測量図-」③特別展の案内(講師のお二人が案内に立たれました)。司会の方によると、申込多数で抽選になったとか。だから、黄紺は、またしても激戦を勝ち抜いたことになりました。こんなとこで運を使っていいのかと思うほど、強運です。5月のアスニー山科も、激戦かと思っていた講演会も、既に、当選連絡をいただいています。でも、そういったときに、これが、居眠りするんだなぁ、昨日もそうだった。出がけから、なんでか判らないけど、欠伸ばっかしてたから、やばいなと思ってたら、あっさりと寝落ち、ほぼ、全編、居眠りだったんじゃないかな。その合間合間で記憶のあること、いいレジュメをいただいているので、僅かな記憶と、レジュメを結び付けて、メモを残しておこうかと思います。そもそも、特別展に記された「a埋もれた古道」とは何か、なぜに「b埋もれた」のか、また、どうして、それを「c探る」ことができたのかが問題です。「a」が、講演のお題に入っている「白川道」、京都七口の1つ「荒神口」から琵琶湖畔の「坂本」を結ぶ道。現在では「山中越」と呼ばれている道。黄紺は、毎年、11月の法事で、その琵琶湖側出口を少しだけ、弟の車で走るという縁のある道。琵琶湖の舟運を考えると、日本海に抜ける大事な道の1つであったでしょうし、講師の方のお話では、この道を使ったのは、比叡山関係の人たちが、利用度では最多だったろうということでした。今の山中越も、比叡山ドライブウェイにも繋がっていることを考えると、納得です。「b」のわけは、幕末に尾張藩が、この道の一部を含んだ土地を手に入れ、藩の屋敷を建てたからだということで、白川道は寸断されてしまいます。江戸時代には、発掘の地層から明確なのは、轍の跡。それだけでも、この道の利用度が判ると言われていましたが、なのに、幕末、京都の動きが気になったのか、京都の各所に武家屋敷ができていったとか。具体的に言われていたので覚えているのは、京大から言うと今出川通の向こう側には土佐藩、逆方向の近衛道には福島藩(これは、要るわな!)。寸断されたため、今出川通が代替の役目を果たしたのだろうと言われていました。考えてみれば、侍のやりたい放題だったと思う反面、所有権を持っていた吉田神社、「なんで、売ったんや」と突っ込みたくなるところです。「c」は、いとも簡単。その尾張藩の屋敷跡が、現在の京大本部キャンパスの西半分で、建物の建て替えがあると、考古学の発掘調査ができるので、白川道の発掘が行われ、その調査記録があるということです。講師のお二人も、その調査に関わった方々だったといいうわけです。上に書いたように、京大の周辺の風景も変わり、医学部の建て替え、時計台にはホールができています。黄紺の知るだけでも、そんなところが思い浮かぶわけですから、その時折に発掘が行われているだろうことを考えると、調査資料の蓄積があるということで、今回の特別展が企画され、黄紺も、その恩恵に与ったことになったのに、居眠りとは情けないけど、ま、「a」「b」「c」の基本は押さえられてるということです。その尾張藩屋敷を購入したときの実測図が京大に残っています。正確に書くと「第三高等中学校学校(三高の前身)」が、大阪から移転してきたときに確保した用地になります。そのときに敷地の実測をしたというわけで、そこには、1箇所だけ、尾張藩の屋敷跡が描かれているそうですが、もちろん、建て替えがされ、跡形も残っていないそうです。展示案内では、大きな「山城國吉田村古図」(18世紀後葉~19世紀初め)が目玉。各戸の敷地内に納税額、納税先が記されているというもので、歴史地理学では、使用価値が高いもので、しばしば引用される有名な古地図だそうですが、初公開だとか。ここに、白川道が入っているということもあり、②のお話で解説がありました。考古学の成果との対照です。すると、道沿いに側溝があり、地図内のその側溝との間にあるスペースの位置から野壷が並んで出土している。その発掘写真も見せていただけていますが、これは、めっちゃリアル。道行く人の姿まで目に浮かんでくるようでした。展示解説では、この「古図」に記されている塚、二本松、川などの検討結果の紹介もありました。医学部の一角には、土地購入がされたままの姿が残っているそうで、そこだけが、建物建設される前に盛り土が行われず、そのわけも、信仰の対象の場だったからのようでした。白川道の曲がり方もそうだけど、古図に描かれた川跡が、見事に、そのままの曲がり方で道路になってるとか。ここで、「ブラタモリ」が登場。「ブラタモリで言っている通りで、曲線には謂れがある、そのまんま、です」と説かれていました。中世の発掘品の解説では、道ができる以前の古代のものも展示されていたのですが、東国で見られるものが出てくるということで、白川道ができる以前から、やはり、交通の要諦だったからこそ、白川道ができたということの証明にもなるだろうとのこと、納得です。周辺には、中世では、貴族の屋敷跡があったようで、その遺物も展示されていましたが、講演では、中世の白川道に続き、その周辺の遺跡の発掘調査も紹介されていたのですが、これは完全に記憶から飛んでいる。鴨川以東には、貴族の別荘的屋敷があったということは、こういった講演会で知ったことだけに、その補充となるようなお話だったはずなんだけど、ダメですな。展示では、大量のかわらけが並んでいました。大きさ、形状で、年代特定の決め手になろということ、言われていました。ですから、そういったかわらけと一緒に出土しただけで、年代特定ができるそうです。「へぇ~」ですね。そんなで、めっちゃ不十分だけど、記憶に留まっているのは、このくらいかな?


2022年 4月 30日(土)午前 7時 5分

 黄紺には無関係なGWが始まった。けど、昨日は雨、それも、かなり強い雨が降った。夕方には上がったけれど、スマホの温度計を見ると13度台だった。そんななか、お出かけなしの一日だったため、せめてルーティンにしているウォーキングはしたい、けど、雨ということで、昼前は、傘さしウォーキングを試みた。最初は、そのまま行けるのではと思ったんだけど、雨脚は強くなった。気が付くと、ズボンの裾が、めっちゃ濡れてる。で、半ばで断念。それでも、5000歩くらいは行ったかなと思い、スマホに付いている万歩計を見ると、「1歩」と出てた。まるっきし、万歩計が機能してなかった。2つの万歩計アプリを入れてるのだけど、もう1つは「0」と出てる。全く反応してない。アプリに異常よりか、スマホの異常を考えねばならない事態に。ズボンが酷い目に遭っているばかりか、スマホまでとなると、めっちゃ気分の悪い雨中ウォーキングとなってしまった。夕方は、丁度、雨上がりの中でのウォーキングだったけど、風が強くて、気温以上に寒かった。家内でしか着てなかったトレーナーを着て出ても、足りなかった。ウォーキングが進んでも、身体は、一向に温まる気配がなかったな。でも、スマホの方は機能していて、こちらの歩数はカウントしてくれていた。ちょっと、一息ってところです。でも、外が寒いということは、家内はもっと寒いということ。電気ストーブを強にして使っています。今は4月末だよと言ってみても、そう言えば、毎年、1回は、この時期、こういったことあるよなと、納得。
 昨日は、朝の一時も持てた日だったので、久しぶりに、YouTubeに上がっている「美の巨人たち」より「ヤコポ・ティントレット作最後の晩餐」を観た。ルネサンス期の画家を取り上げたものは、この番組で観るのはお初かもしれない。とにかく、動画がアップされているのだけでも有難いので、消えないうちにと視聴することにしました。ティントレットは、ヨーロッパの博物館に行けば、定番の画家だけど、その位置付けなんかを勉強したことがなかったので、格好の番組となった。内容をメモっておくことにする。「ティントレットはヴェネツィア派を代表する画家、ティツィアーノの弟子だけど、あまりの上手だったために嫉妬され、あっさりとティツィアーノの下を離れている(2人の著名な作家がそのような関係だと知らなかった)」「ティントレットという名称は、父親の職業=染物職人(ティントーレ)に由来」「サン・ロッコ信者会(教会)はティントレットで埋め尽くされている、“栄光の聖ロッコ”“キリストの磔刑”“羊飼いの礼拝”など、ここでの仕事ぶりでサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の仕事が舞い込む」「そのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の仕事の前年に、ドゥカーレ宮殿大評議の間の壁画“天国”、これはキャンパス画としては世界最大」「アカデミア美術館にある“聖マルコの遺体を運ぶ”は、背景に聖マルコ広場を置いているが、それはセバスティーアーノ・セルリオの“建築書”の挿絵を参考にして描く、精緻で、実際の生活を演劇のシーンのように描くのが特徴と言える」「“最後の晩餐”はサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂に描かれた作品、斜めのテーブル、あわただしさのある給仕たち、それらを天使が見守る、左上端の明かりから全体が浮かびあがる、もう1つの光はイエスの頭部から、それらからできる影が目立つ、それを描くために、ティントレットは、粘土で小さなモデルを作り、そこに様々な角度から光を当て検討した結果が、光の位置、そこで、実際にできる影を参照しながら影を描く、召使の配置はテーブルのイエスの位置からうず巻き状に配置、斜めのテーブルは、より多くの人を登場させる舞台装置、使徒や召使が自由に動いている日常生活の一場面を描いている、そこから出る躍動感、ルネサンスを抜けたマニエリスム」「最後の晩餐をモチーフにした作品は、ダ・ビンチの作品がそうなってるようなテーブルの配置、使徒の配置が定番だったのを、ティントレットは崩した」。1592~1594年の作品だということで、こういった絵が出てきてるの、納得ですね。あのカラヴァッジオと重なる時代ですものね。
 午後の一時の定番は、落語とオペラ。今日は、前者に替えて、radiko でKBSの「桂吉の丞のおつかれさん!」を聴いた。CMや音楽をすっ飛ばし、最後まで行こうとしたら、呆気なく、途中で時間切れ。でも、幸いなことに、吉の丞の三題噺が終わったところで切れるという奇跡。米紫が突っ込んでたように、この三題噺、出来栄えは極上なんだけど、時間かかり過ぎ。相方の岩井万実の声が癒し系なんで、時間繋ぎのお喋りを聴いてられるけど、でなかったらアウトと言えるほど、時間、かかり過ぎ。番組の進み具合は、同じ日の昼間にある二葉の番組に、若干、軍配は向くような内容だったな。それにつけても、ラジオ、おもしろいね。特に知ってる噺家さんがDJやってるのって、端から親近感が持てるので、聴いていて楽しい。新しい楽しみ方ができたけど、radikoで聴くと、配信期間があるので、聴きたい2つの番組が、同じ曜日にあるのが腹が立つ。と言っても、詮方なしで、これからは、うまい時間の使い方考えないといけません。
 もう1つのオペラ配信、「さまよえるオランダ人」の2回目。やっぱ、バレエと並行して進むというのは続いているけれど、黄紺的には関心が向かないのは続いています。となると、居眠り。船の感じを出すための上から何本も吊るしたロープのモチーフ、いい感じで、それだけで、このオペラの雰囲気出してます。ハノーファー州立歌劇場のプロダクションは、このオペラから「海」のモチーフを、一切消して、物語に普遍性を持たせるようにしてたのを、ふと、そのロープを眺めながら思い出してしまいました。


2022年 4月 29日(金)午前 6時 15分

 世間では、GW直前になっている。黄紺的には、これは、結構、迷惑で、迂闊に外出すると、人ごみに巻き込まれるだけだからと、出かけるのなら、その前後に回さねばならない。そして、GW期間中は、ひっそりと世間を避ける、これに限ると考えている。その最後の平日、要するに、今日から、その鬱陶しいGWが始まるので、今の間に出かけようと、昨日は、狙いの映画に行ってきました。それは、京都シネマで上映されているフランス映画「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」、原題は「Deux」と、とってもシンプル。邦題になると、説明的になってしまってる。テーマは、同性愛者、この映画の場合は、女性の同性愛者の老い。1人の女性マド(レーヌ)は、他界はしているものの夫のあった身、男女1人ずつの子どももいる。彼らは、母親の愛する女性ニナの存在は知らない。もう1人は、旅行関係の仕事をしていたようで、こちらは独り身。その2人が、モンペリエ(黄紺は素通りしてしまった後悔の詰まった町)らしいんだけど、そこのアパルトマンの同じ階にある別々の部屋を借りている。ニナの部屋には、調度品らしきものが見当たらなかったので、マドの子どもも、各々、結婚して家族を持っているということで、事実上、マドの部屋が、2人の生活の場と看えた。2人は、人生の最後を、2人の思い出の地ローマで過ごそうと計画している。そのためには、マドが、自身の子どもたちにカミングアウトして、そのアパルトマンを引き上げる、本当のわけを告げねばならない。今までできていなかったことが、容易くできるわけではなく、マドが躊躇い、言い出せないでいたことをニナが知り、喧嘩状態になっている最中に、マドに異変が起こった。脳卒中で倒れ、命には別条はなかったけれど、言葉を失い、意識も朦朧とした状態になり退院してくる。ここからが、映画の本題。老いとともに、いつ訪れてもおかしくない事態が発生。そのとき、2人の関係を、身近な者、この場合は、マドの娘と息子だけど、その2人が知らない、それどころか、今の時代、話としては受け入れられたとしても、いざ身内となると、しかも、実母がとなると、容易く受け入れられることでない。ニナは、喧嘩状態の中で、こういった事態に至ったことの後悔、近づこうにも近づきがたいなか、映画らしい、70代の女としては、ちょっと子どもじみたと見えることをすることで、マドへ近づこうとする。当然、普通じゃない状況が生まれてくる。介護の仕事に雇われていた女を追い出したとしても、その女は変さに気づいていただろうしと、それまでの日常が崩れていきます。直接介護もできないという忸怩たる思いに苛まれるニナ。この映画の映画らしい導きが、ここで用意されています。マドが、身体の状態にしては、マドの記憶を、無意識の中ながら行動で表すことがあるという点。そこに愛の深さを看ることもできると言えばいいかもしれない。その一方で、変さに感づいた娘は、母親のアルバムをしらみつぶしに調べていき、事態に気づく。決定打は、弟のいる前で、娘の子どもが、アルバムの中から、マドとニナがローマで撮った写真を見つけ、それを口にしたことで、弟も、母親が父親に愛情を示していなかったこととリンクしちゃった。もう、このアパルトマンに置けないとなってしまう。ここからがラストに向かう入口。こうなればと、関係を告げに、マドの子どもの家に向かうニナ。それを避けるように、マドを老人ホームに入れてしまう子どもたち。でも、マドの状態は悪くなる一方。マドの無意識の記憶の中に残る、ニナの電話番号。それが契機で、マドの連れ出しを図るニナ、マドの足取りの軽さに目を見張るマドの娘。ラストは、衝撃を与えるというよりか、今後の2人の未来を想像することを期待する形で終わるように作られている。監督はイタリア人の若手。舞台はフランス。で、この映画のシナリオになるのが、黄紺的には意外だった。日本の映画だったら、こういった環境の中で生きるレズビアンのカップルって、題材になるだろうに、それが、イタリアやフランス、更に付け加えれば、ニナ役はドイツの大女優だとすると、西欧の感性が凝縮されているとすると、黄紺的には意外な印象を持ってしまったのです。最早、こういったテーマが、それらの国で取り上げられるなんて過去のものだと思っていたからです。今、これを題材とすれば陳腐だと受け取られるのではないかと思っていたものだから、意外だったのです。そこが、一番、勉強になったかな? 上映時間になり、周りが暗くなる前に首を巡らして、びっくり。小部屋ながら、そこそこ入った客席の大半は女性で、男は、黄紺ともう1人しかいなかった。なんで? この映画に関して、一番の衝撃がこれでした。
 帰りは、京都シネマからの帰りの定番のコース。慣れた道ながら、帰って来ると、えらく疲れていた。PCの前に座り、夜のトルコのサッカー情報収集をしたら、ぐったり。椅子にもたれて、しばし眠っていた。それほど、疲れてた。なんでだろう? 時々、こういったことがあり、やっぱ、体力的衰えは、どうしようもないね。そういったこときは、起こってきたことに抗うことなく、眠ることにしています。逆らわない方がいいかなと思ってしまっています。


2022年 4月 28日(木)午前 6時 59分

 昨日は、お出かけなしの一日。となると、ルーティンにしているウォーキングを2回をするのは当然、一昨日に比べると、僅かに気温が下がっただけで、ウォーキングに快適さが戻ってくる。夜には、オンライン配信を聴こうか聴こまいか、迷った日でもあった。午後7時配信開始だったもので、その時刻までに、これこれができてたら視聴しようとしていたら、際どくセーフ。でも、聴きだすと、半ばでダウン。相変わらずのことを繰り返しています。朝方から昼間にかけては、一昨日、放送のあったKBSラジオの「桂二葉と梶原誠のご陽気に」を、radikoで、4時間分を聴くことにチャレンジしてみた。但し、ニュースや交通情報、ラジオ・ショッピングのように、radikoで聴くには相応しくなかったり、聴く気のないものははしょりながらだけど、初めて、通しで聴いてみた。1週間前にも書いた記憶があるんだけど、二葉が落語を話題として取り上げてくれてるところが、存外、おもしろいものがあったので、昨日は、通しで聴いてみようとの気になってしまいました。配信期限もあるので、それを睨みながらとなりました。おもしろいのです。昔、米朝がパーソナリティで、小米(枝雀)や朝丸(ざこば)が賑やかしで出てたりしてたのを、兄弟で、熱心に聴いてたけど、あーいったラジオのおもしろさ、感じました。これ、続けよかと思っています。それだけではなく、同じ火曜日の夜には、吉の丞がパーソナリティになっている番組もあるので、そちらもradikoで聴けるので、狙っています。先週分は、一部聴いていて、こちらも行けると思ったものですから。コロナ禍で噺家さんに遭遇する機会が少ない黄紺には、そういった機会を持てる嬉しい時間です。
 そんなわけで、時間を、radiko聴取に時間を割いたのが、午後の一時だったのだけど、それだけではなく、オペラ配信も楽しみました。「パルジファル」で寝落ちした部分の再視聴、完了しましたが、「2人パルジファル」の仕掛けは分からないまんま。ただ、確認できたのは、「2人パルジファル」のきっかけ。パルジファルは白鳥を弓矢で射ったというので騒ぎになるところで、初めて登場しますが、その騒動が起こる前に、白装束の年配のパルジファルは、そろっと舞台に出ています。そして、騒動になり若い方の役者の扮するパルジファルが出てきていました。それだけではなく、舞台奥に見える中庭(2幕の舞台)では、「3人目のパルジファル?」が出てきて、殺した白鳥の腸を割くという場面を用意していました。その「3人目」は、そこだけに登場するというものでした。だから、「2人パルジファル」の場面というのは、登場場面から母親の幻(クンドリー)の誘惑が始まる前までとなります。で、どうだというのだということで、場面の様子をメモるだけしかできないね。分からないんだもの。もう1本、新しい配信が、「Oper Vision」で始まっているので視聴することにしました。マンハイム国民劇場の「さまよえるオランダ人」(ロジャー・ヴォントベル演出)で、ワグナーものが続きますが、配信がそうなってるだけ。冒頭、マンハイムの劇場が映るのが、嬉しかったな。ここでは、「パルジファル」「神々の黄昏」といった、ワグナーの大作を観たりしています。このプロダクションの特徴は、明確です。バレエが同時進行的に入るという点です。これ、黄紺、あまり好きではありません。生では、ベルリン国立歌劇場の「タンホイザー」を観ている。これ、サーシャ・ワルツものだけど、煩わしかった。なんでかというと、複線で物語を伝えようとしていると思うからなのです。オペラ配信でも、何か観た記憶があるけど、同様の感想持った記憶がある。ま、完走はするつもりだけど、仕掛けが、早々に判ったもので、ちょっとがっかり、かな?
 夜の配信は、アートエリアB1からのもの。昨日は、国立国際美術館×大阪大学×アートエリアB1・エクスチェンジ企画「感覚の領域と経験をめぐる対話~美術と認知行動科学から~」というものがありましたが、冒頭に書いたように、半ばで寝落ちしています。プログラムは、一応、書き残しています。ゲストによる、短めのプレゼン2本に加えて、その後、おなじみのカフェマスターである木ノ下智恵子(大阪大学21世紀懐徳堂准教授)さんも入り、トークが行われるというもの。ゲストのお二人と、そのプレゼンの題名は、次のようなものでした。①安來正博(国立国際美術館上席研究員)「感覚の領域 今“経験する”ということ」②佐藤宏道(大阪大学名誉教授)「感覚の領域をめぐる対話」。①では、現在、国立国際美術館での特別展の紹介がありました。その特別展のお題が、講演のお題になっていますが、これが、頗る付きにおもしろかった。コロナ禍でなければ、間違いなく行きますね。インスタレーションの新作、お題に沿って作家さんの創作した新作を展示しているというのです。黄紺は、その筋の作家さんには明るくないですが、キュレーターである安來さんが、気になる方を選んだと言われていましたから、この筋のトップランナーということでしょう。だから、観てみたい! 取り上げられた7人の作家さんは、次の通りです。今村源(鉄のワイヤーのキノコ、元は、屋外の海岸に展示したものを、今回は屋内展示、場所と作品の関係を問いたい)、大岩オスカール(日系ブラジル人、在ニューヨークの作家、ニューヨーク隔離時の作品で、隔離の中で、空想の中の旅をして、その風景を描いたり、記憶の中の風景を描いている)、藤原康博(過去って何だろう?という問いかけで、記憶の肌触りを表現、シーツで自然の風景、段ボール箱に石膏を入れた作品は雪山のよう)、中原浩大(本を作る、展示室っぽくない部屋に置かれた本、事務机の上に作品である本を置く150頁の本に同じ図柄、但し、色が違う円を描く、めくるということも1つの経験、それも作品)、伊庭靖子(映像作品、映像と絵画の組み合わせで、視覚のトリックを狙う)、名和晃平(特殊なインクを使い描かれた放射状の線、見る角度でインクが玉虫色に見える、ドットを並べた作品も)、飯川雄大(ワイヤーに繋がられたバッグ、ワイヤーが他の場所に繋がっている、種明かしができないと言われた客の行動で変容する物体、置き忘れたかのようなカバンの展示)。各々、画像を交えながらの解説だったけれど、生では、どんな印象を得るか、気になって仕方なかった。観てみたい。なお、中原浩大という名を聴いたとき、記憶の中にあるような気がしたら、アールブリュットを観に行った滋賀県立美術館で、その隣で、ひたすら子ども時代の作品を並べてあった、あの作家さんでした。トークの中で、触れられていたので思い出しました。②以後がダメだったんだけど、脳科学の専門家で、脳の構造から解きほぐし、人間の感情と脳の構造の仕掛けのお話だったとは思うのですが、ダメでした。1つだけ覚えているのが、有名な画家の配色の割合は似ているというトピック、その中で、そこから離れているのがシャガールだと言ってられました。だから、シャガールは、赤緑色盲だったんだろうと推測できると言われていたことは覚えています。後半のトークも、ほぼ同様だったので、割愛です。でも、①を聴けたら、御の字でしょうと、あっさりと居直ってしまっています。


2022年 4月 27日(水)午前 6時 34分

 昨日は、また、雨が降った。天気予報が、昼前辺りから傘が並んでいた。先日の雨は小雨が続いたけれど、昨日の雨は、わりかし強め。嫌な雨です。そういった一日、朝からMOVIX京都へ。今季2回目となる「メトロポリタン歌劇場ライブビューイング」を観るためのもの。そして、2年ぶりに、福井から高校時代の友人が、それを目指して、入洛しました。まず、オペラから。「ナクソス島のアリアドネ」(エライジャ・モシンスキー演出)でした。黄紺は、勘違いをしていた、メトロポリタン歌劇場は、この50年ほどの間に、このオペラのプロダクションとしては、3つのプロダクションを持っていると考えていたのですが、2つの間違いでした。DVDで言えば、ジェシー・ノーマンがアリアドネを歌い、キャサリン・バトルがツェルビネッタを歌っているオットー・シェンクものと、デヴォラ・ボイトがアリアドネを歌い、ナタリー・デセイがツェルビネッタを歌っているものの2つです。後者が、昨日、観ることができたプロダクションです。黄紺は、このデヴォラ・ボイトの出ているプロダクションを、エライジャ・モシンスキーものではないと思い込んでいたので、もう1つあると思ってしまっていたのでした。それが判ったのは、ツェルビネッタの衣装。とっても、派手目の柄、色合いのものなので、あれは、ナタリー・デセイが着ていたことを、はっきりと覚えていたからでした。で、今回のキャストは、アリアドネをリーゼ・ダーヴィドセン、ツェルビネッタをブレンダ・レイ、作曲者をイザベル・レナードが歌うというもの。観る前の歌手についての思い込みは、一番の狙いはイザベル・レナードだった。ズボン役の似合う、最高のメゾの1人、この人の作曲者はそそられるものがありました。だから、一番だった。ブレンダ・レイは、生で聴いている歌手、しかも、このツェルビネッタをミュンヘンで聴いている。フランクフルトではルチアを聴いている。コロラトゥーラとして、最高の技法を持っている人。アメリカ人だけど、フランクフルトのアンサンブル出で自力を発揮し、今や、メトロポリタン歌劇場の常連化しつつある人。でも、黄紺的には、技量は認めるけれど、パワーに物足りなさもあるという認識がある。フランクフルト歌劇場は、数多く行っているので、お席により、その判定基準が黄紺にできてるものだから、そう思ってしまっていました。もう1人のリーゼ・ダーヴィドセンは知らなかった。ところが、開演前に、友人が言うには、「この人が楽しみ」「売り出し中」ということだったので、楽しみが増えた。アリアドネというか、前半は歌手という役で、出番は僅かだったけれど、でも、その僅かの出番の歌唱を聴いただけで、只者ではなかった。友人の薦めは間違いなかった。ということで、知らなかった歌手が、えらい実力の持ち主だと判ると、もう鬼に金棒でした。黄紺的結論、このリーゼ・ダーヴィドセン、とんでもない歌手だと思いました。歌唱力、めっちゃある、動ける、しかも、自然体で動ける。立ち姿がいい。来季は、イザベル・レナードのオクタヴィアンで、「ばらの騎士」を歌うそうです。この人のマルシャリンは、こうなると聴きたいよ! ライブビューイングのメニューに入れてくれるだろか? そのイザベル・レナードは、序盤、低音がよくなくて、ちょっと不安さを見せたけど、きっちりと修正。やっぱ、黄紺の眼鏡に狂いはなかった。ブレンダ・レイのパワー、これは、録音の加減もあるだろうから、判断のしようがない。これだけは、ライブと、そうでない場合とでは違う。ただ、最高音が上がり切らなかったのは、この人にしては不覚。それと、ツェルビネッタを観てきた経験で、上背があるツェルビネッタに慣れていない黄紺には、マイナス要因になってしまった。これは、友人も言ってた。でも、これ、本人の責任じゃないよね。同じプロダクションで、同じ衣装で、ナタリー・デセイを観ているのも、ブレンダ・レイを観る目には損させていました。めっちゃ動けて、めっちゃ表情豊かな人に対して、何とも我儘なことを書いてしまっています。1つには、フランクフルト出身の歌手というと、急に身内感まで出てきて、好き放題書いてしまいます。この公演の指揮はマレク・ヤノフスキ。正直、「まだ生きてるんだ」と思ったほどのベテラン指揮者。渋かったけど、このオペラのお遊び心という観点で言うと、物足りなかった。濃厚、且つ、洒落っ気の欲しいところですものね。歌手陣では、音楽教師のヨハネス・マルティン・クレンツレが味わいがあり、惚れこんでしまい、その旨を、友人に言うと、この人も著名で、ドン・アルフォンソなんかがはまり役だそう、とっても納得でした。それと、今回は歌わないんだけど、執事役はヴォルフガング・ブレンデル。上手い! MCを務めたマシュー・ポレンザーニのインタビューに応じて、「歌うのは止めていない」「インディアナ大学で教鞭を取っているので、3ヶ月、大学を休めないのが原因で、歌う機会が減っている」と言ってました。このお役、元々は、トマス・アレンだったけど、その代役も豪華だった。やっぱ、メトロポリタン歌劇場は、いい歌手、揃えます。これが、2年間。お休みだったってのは、自分的にも大きな損失だったことを、再確認でした。
 友人は、福井を離れたのは、今回が初めてとか。いつも、オペラを観たあと、近所のタイ料理屋で、お昼を摂ることが多いのだけど、密が想定されるお店なんで、昨日は、あっさりとやんぺ。三条通の某ラーメン屋が、外から見てみると、密そうじゃなかったので、そこで昼食。黄紺も、息子やその家族以外とは、初めて外食。そして、カフェへと、初めて尽くし。日本も、陽性判明者数の減が、再び看られ出してるけど、トルコと比べものにならないほど多いので、神経使っちゃいます。友人は、2年前同様で、くたびれたところもなく元気でした。仕事は、まだ、続けているようで、「来なくていいとは言われてないから」と言ってました。ネット上のオペラ配信の情報をやり取りしたり、落語の話は、毎度の定番。同じ福井県でも、若狭は関西圏、越前になると関東圏になってしまい、上方落語の情報に疎くなる、これは、毎回聴く話。そんなで、よく上方落語情報を、メールで送っています。桂雀太の落語会が福井でもあるようで、予約を入れていると言ってましたが、よく地方の落語の好事家さんが、落語会を開かれるケースがあると聞きますが、福井でも、そういった方がおられるそうで、その雀太招請をされる方は、春風亭一之輔を、かなり前から招請されていた方と同じ方だと言ってました。友人が予約に走ったのも、黄紺からは言われるは、福井での開催主が、その方だということだったからのようです。「おもしろハッピー落語会」の開催も、福井であるので、それも予約を入れているそうです。小浜での開催は、フルメンバーなんだけど、福井の方は、二葉と九ノ一がお休みですね。でも、代演メンバー(紋四郎&笑利)も、なかなかいいのでと推薦しておきました。残るのも、雀太と華紋ですから、何不足はないでしょう。コロナ禍が、この状況なら、今度は、「ドン・カルロス」のあるときに再会できます。黄紺一人だと、どうしようかと迷っていたキャスティングなのですが、友人が来るなら付き合うつもりのプロダクションと考えています。


2022年 4月 26日(火)午前 6時 24分

 新たな週に入り、雨が上がったのはいいけど、気温がえぐく上昇。もう、ウォーキングに出かけるときは、半袖のTシャツになりました。でも、家の中は、そうではない。6月の半ばまで、それが続くのが、毎年のこと。そこで、いきなり逆転が起こり、クーラーの使用を考え出すといった具合。まだ、屋内だと、ストーブも入れたりすることがあるくらい、冷える。一昨晩は、思いっきり寝られなかった。その前の晩が眠れた完全なる反動。夜半、一旦、寝落ちをするのだけど、午前1時台に目が覚めたあと、二度寝ができないのだ。睡眠障害の典型的な姿。以前だと、そこで酒を呑み、頑張って寝ようとするのだけど、今は止めているけど、この間、こういった睡眠障害が復活傾向なので、久しぶりにアルコールのお世話になろうかという気が、一昨晩は起ってしまったけれど、呑みたい気が強いわけではないので、押さえることが簡単にできるけど、この間、同じことが続いているので、そうした気持ちが呼び覚まされてしまう。1日中、辛い。昼間に、何かしようとすると寝落ちするのだけど、じゃ、ベッドに横になり、少しでも眠ろうとしても、うつらうつらするのが関の山で、眠れない。また、そういった時間帯に熟睡しても、昼夜逆転が起こるので、それもよくない。要するに、夜に睡眠時間を確保できないのがダメということ。コロナ禍で、生活のリズムが出来上がるとともに、睡眠障害は収まり傾向にあったのに、悲しいね。
 そんなで、午後の一時が楽しめない。端からオペラを観るのは除外、寝てしまうのが落ちだから。そこで、YouTuber無職旅氏の動画を選択。トルコ旅の動画をアップされていたので観ることにしたのだけど、冒頭の画面にガラタ橋の画像を使われていたのくらいしか覚えてないほど、簡単に寝落ち。ならば、同じ無職旅氏のジオゲッサーの動画を観る。こちらは、まだ、覚えている。「それ、ベルンや!」なんて、ベルンに行ったことないのに判ったの、覚えてる。なんでやろ? どうやら、「首都しばり」のものだったようで、スイスだとは判ったから、「ベルンや!」と思ったみたい。それと、「国境しばり」では、「ペーチェって書いたある、それ、ハンガリーとクロアチアの国境!」と突っ込んだの覚えてる。どなたかが、「ハンガリーとクロアチアの国境」と書き込んだので、その辺りを探すんだけど、無職旅氏、「ペーチェ」を知らないから、地図に出てても、どんどん離れていく、「ペーチェって出てる!」と突っ込む。こういった感じで、わりかしエキサイトしながら観てたのに、その直後に寝落ち、わけわからん。そこで、先に書いたように、ベッドに横になるけど、ダメだった。今度は落語と、次の3本を、うつらうつらしながら聴いた。ま、メモっておくくらいで、いつもにように、中味のメモは省くことにします。うつらうつらなもんで。①桂米朝「貧乏花見」②桂吉朝「七段目」③三遊亭圓生「鰍沢」(1967年)。めっちゃ、豪華なラインナップ。この3本を、うつらうつらなんて、失礼にもほどがありますね。


2022年 4月 25日(月)午前 3時 18分

 昨日は、小雨が、朝から、ほぼ一日中降った日曜日。夕方にお出かけがあったもので、朝から降られると、それだけで鬱陶しい。ま、日曜日ということで、朝の楽しみ「日曜美術館」は、きっちり観ることができたことは、何よりも嬉しい話。お題は「写真で冒険 京の町〜京都国際写真祭2022〜」、あれれ、これ、知ってる。街中で、このポスター、よく見かけている。でも、その値打ちが判ってない黄紺は、素通りだったみたい。改めて、この写真祭の重さを教えていただきました。この写真祭は、1ヶ所ではなく、街中の各所に展示場所があり、それを回りながら楽しむというもの。その幾つかを紹介していただけたのですが、ぽっと出の者が、入場可能なのと思った場所ばかり。①誉田屋(帯問屋)でイサベル・ムニョス&山口源兵衛②建仁寺塔頭「両足院」で奈良原一高展③京都文化博物館別館でギイ・ブルダン展④出町桝形商店街でプリンス・ジャスィ展(ガーナ)⑤京都市美術館別館でアーヴィング・ペン展。①の「山口源兵衛」は、誉田屋当主。イサベル・ムニョスは、スペインの写真家。山口源兵衛を、奄美の泥染めの泥につけ、その後の頭の写真を展示。番組の最後では、山口源兵衛自身が、本業の帯屋の職人の協力を得て、帯に仕立てる工程を紹介してました。②では、奈良原一高が僧侶の日常を写した作品を展示。禅の世界を、1969年の帰国後に撮ったもの。観る者に解釈の余裕を与える作品群。③はファッション写真家の作品、展示に趣向が凝らされており、展示板の隙間からも写真が見え、複数の写真の関係に想像力が巡るようになっている。④では、商店街のものを送り、ガーナで撮影し、それを焼き付けた布を商店街に垂れ下げるという展示。作家は、「共感覚」をテーマに貧困・絶望の中にある豊かさを伝えようとしている。この写真祭では、毎回、アフリカの作家の作品を展示することにしており、前回の作品が、商店街の店に残る。⑤は、ポートレートの古典。背景を消すパネルを使うのが特徴。番組の途中では、この写真祭の発起人となった人も登場。アルル国際写真祭を日本で実現させようとした。アートの民主化も狙いと語っていました。また、展示法にも趣向があるということで、その設計をされた方も登場されていました。展示されている作品は重要そうだし、展示法のユニークさに惹かれる写真祭なんだけど、単純に、我々も入らせてもらえるのかが気になってしまったのですが、ウエブサイトで調べると可能なようですね。
 そして、夕方から、ロームシアター京都へ。週末の3日連続のお出かけの最終日でした。一昨日に行った「オーケストラ コンサート」のパート2というもの。このコンサートも、京都では聴く機会のない新日本フィルが聴けるというので行ってまいりました。友人の娘さんが、このオケにいたんだけど、フランスに戻っちゃったので、オケでの演奏姿は、結局、観る機会を失してしまいました。指揮は角田鋼亮と、前回と同じ。この日も、朝岡聡がナビゲーターとして登場しました。そのプログラムは、次のようなものでした「J.シュトラウスⅡ世:美しく青きドナウ Op.314」「R.シュトラウス:交響詩“ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら” Op.28」「G.マーラー:交響曲 第1番 ニ長調 “巨人”」。時間の関係でしょうか、冒頭に「美しく青きドナウ」が入るというもの。今年は、既に「巨人」は聴いているから、どうしようか迷ったのですが、僅か2ヶ月ほどの内に2回も聴けるというのも、何かの縁だろうということで行くことにしたんだけど、「ティル」が、変化があり、表情も豊かで、この曲、楽しいものなんだなと思わせてもらったんだけど、「巨人」は平凡だったというか、頑張るところだけ頑張る、全体的には流したかなという印象で、先日、京都市響で聴いた広上指揮のダイナミズムには降参だったんじゃないかな? 「ティル」でもそうだったんだけど、どうも、活躍してもらわなダメなホルンが不安定で、最近、珍しい現象だったな。トロンボーンの強奏が一の活躍だったなという印象は、「ティル」も「巨人」でも言えることだったんじゃないかな。そうそう、「ティル」を聴いたのは、10年余前だったかな、ミュンヘンで、バイエルン州立歌劇場管弦楽団のコンサート以来。これ、忘れられないのは、指揮をしたクルト・マズアが、もうよぼよぼで、指揮台に上がるまで介添まで付くものだから、聴いている方は、演奏どころか、最後まで立ってられるかが気になってた。そんな思い出があるものだから、忘れられない。だから、どうしても、「ティル」を聴いていると、そのときのクルト・マズアの姿がちらついていけません。「ティル」の物語にも思い出があります。北ドイツのメルンなんて小さな町が、亡くなったとされる土地の1つ、ここにはティルの石像があったな、観たのは、もう数十年も前ですな。もう1ヶ所、亡くなったという言い伝えがあるのがブラウンシャヴァイクだったかな。最初に行ったときには、こちらも石像があった記憶があり、でも、2回目に行ったときには見つからなかった。そないな思い出も頭を駆け巡りながら聴けるのも、まあ、有難いことかな。


2022年 4月 24日(日)午前 7時 40分

 週末3日連続お出かけの2日目。昨日は、珍しいことに、夜のコンサートに出かけた。毎年、この時期に行われる「ロームミュージックシアター」に行ってまいりました。実は、今日も、こちらの公演に出かけるのだけど、1日に幾つかのコンサートが予定されるなか、黄紺は、毎年、止めどがないということで、1日に1本のコンサートを選ぶと決めている。行きたいコンサートがあっても、1日に1回と決めたら守ります。今回は、昨日が悩ましかったけど、1度選ぶと、後悔しないと決めている。でないと、せっかく選んだコンサートに行く気持ちが暗くなるから。そこで、昨日、選んだのは「オーケストラ コンサートⅠ 木・金・弦 3人の名手による協奏曲の祭典」ということで、コンチェルトを3本並べるというプログラムが組まれていました。そのプログラムは、次のようなものでした。「①W.A.モーツァルト:歌劇“ドン・ジョヴァンニ” K.527より 序曲」「②W.A.モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」「③J.N.フンメル:トランペット協奏曲 ホ長調」「④P.I.チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲 イ長調 Op.33」。3人のソリストは、主催者のロームファンデーションの奨学生経験を持つ人ばかりというのが、このコンサートの特徴。その3人は、次のような人たちでした。(クラリネット)吉田誠、(トランペット)菊本和昭、(チェロ)横坂源。そして、角田鋼亮指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団、ナビゲーターに、毎年のおなじみの朝岡聡がつくというものでした。②は、有名曲にしては、遭遇機会の少ないということで、プログラムに入っていたのが嬉しい。バスクラリネットを使っていると、朝岡さんの解説。黄紺は、この曲を聴くと、題名は思い出せないけど、ある韓流映画を思い出す。とっても効果的に使われていた韓流らしい映画だった。災害を受けた人たちの再生の映画だったけれど、その心の傷を癒す音楽として使われていた。だから、作り過ぎを感じると、とっても嫌味を味わうので困るのだけど、残念ながら、この演奏で、そのように感じちゃいました。気にすると気にさわるので、後半は聴き流すことに。③も有名なものながら、なんせ、トランペットのソロなので、遭遇機会が稀。黄紺は、数十年前に、名手モーリス・アンドレで聴いたのが、なんとも強烈に残っている。おおらかさ、長閑さ、突き抜ける勢い、何を取っても、名手のそれだった。東京文化会館の空気までが頭に残っている。そんなで、もはや幻化しているものと比較するものだから、えぐい比較だけど、小さく、こじんまりとまとまってる演奏に聴こえてしまいました。④も思い出があります。これも、ピエール・フルニエで聴いたことがある。しかも、同じ場所で。もちろん、数十年前だから、京都会館の時代。これも、鮮烈。ピエール・フルニエの演奏スタイルが、予想に反し、かなり強いタッチの演奏だったもので、印象が濃い。このコンサートの狙いだった横坂源は、そのときの印象よりか、濃淡がある。いや、古い演奏の記憶は、強いタッチだけを覚えているので、実際は、この濃淡があったのだろうと、逆に推測する始末。要するに、横坂源の演奏スタイルの奥深さ、余裕を感じました。各人、短いアンコール曲を用意、吉田さんは、藤倉大の超絶技巧曲を、菊本さんは、「白鳥の湖」から、横坂さんは、なんと「鳥の歌」でした。
 昨日は、お出かけ前の午後の一時に、「パルジファル」を、一旦、完走。再度、1幕だけでも、もう1回、観ようとの魂胆で観直しています。新しい発見は、奥と向かって右サイドは、外が見えるようになっている。そこに設えてある装置が、なんと、2幕の中庭の風景でした。ですから、アモルファスが、魔物にやられたときのことを語るくだりでは、魔物たちが、外側を闊歩するということをやらしている。愚か者の話題が出ると、年配の方のパルジファルが、部屋の後方を歩いたりと、えらく丁寧な作りになっています。でも、まだ、自分的には、「2人パルジファル」の謎は解けていません。引き続き、探求をしていくつもりだけど、解るかなぁ、全く、自信はないな。


2022年 4月 23日(土)午前 7時 00分

 この週末は、3日連続でお出かけ予定が入っているが、昨日は、その1日目。金曜日の午前中のお出かけとなると、それは、アスニー京都での市民向け公開講演会。昨日は、「〈車争い〉の系譜~落窪物語・枕草子・源氏物語~」と題して、京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授の山本淳子さんのお話を聴くことができました。山本さんのお話は、何度か、こういった機会で聴いているのですが、とっても歯切れがよく、平安時代の王朝文学を解りやすくお話しいただけるということで、ひと際、楽しみにしている講演会。主催者も、それが判ってるらしく、「人気の、、、」「申込みがすぐにいっぱいになりました」との前置きをされてから、講師紹介をされるほどでした。冒頭で、テーマを選ぶとき、「いただいた日にちが、葵祭に近い」ということで、 「車争い」をテーマに選ばれたとか。黄紺は、能のおかげで、「車争い」と言えば、六条御息所と葵上との鞘当てを思い出します。能「葵上」では、ついに、六条御息所が、葵上に対し、生霊となり後妻打ち(うわなりうち)をする事態にまで発展する。それが、すぐに思い出されるのですが、そのような「車争い」は、平安文学で、色んなところに使われているプロットだそうです。その系譜を、「落窪物語」「枕草子」を追いかけ、その系譜が「源氏物語」で、どのように受け継がれているのかということを検証しようというお話であるとともに、「源氏物語」の「車争い」の記述に、「源氏物語」を、誠に優れた作品だと言えるポイントが詰まっているという流れとなりました。そのための準備として、お話の序盤は、「車争い」の「車」、即ち「牛車」の解説を、絵図を用いながらしていただけました。「後ろ乗りで前降り」、これ知らなかったというか、考えたこともなかった。「牛車にも、装飾などで、カジュアルなものもある」、これが、お話の大きなポイントになっていきます。ただ、黄紺は、ここで、うとうと。午前3時台に目が覚めたものだから、どこかでやるとは思っていたのだけど、序の部分で出てしまった。昨日は、あと1回、午後の一時を使い、「FUTBOL HABERLERI」を書いていると、半ばで寝落ち。時間にしては僅かだったけど、もう我慢できないほど、睡魔に襲われてしまってました。ただ、史料を使いながらのお話に入られたときの節目が、覚醒に繋がり、助かった! 「落窪物語」は、継母のイジメの物語だということぐらいの知識はあるのだけど、それだけ。この物語、主役の落窪の姫のネーミングから凄い! 「落」「窪」という字を当て、「いじめられどん底だ」的なネーミングだとか、これはこれで、えぐい! でも、いじめられるだけの物語ではなかった。「シンデレラストーリー」だという表現が当てはまり、その境遇から救い出してくれる王子様が登場するのです。大納言三位の中将道頼がその人。悪役は、落窪の継母である北の方に、北の方の叔父である典薬助、この男、落窪の姫を襲うなんてこともやってる。問題の「車争い」は、王子様とシンデレラが結婚したあとに起こる。従者たちは、イジメを覚えているものだから、争いごとを仕掛け、まんまと、その争いごとに勝ち、溜飲を下げるというものだそうです。しかも、これが2回ある。1回目の場所は清水道。石礫を投げつけ、道の傍らに寄せ付け、脱輪までさせてしまう。2回目は賀茂祭、即ち、葵祭。このプロットが「源氏物語」と同じというか、継承される。典薬助&北の方の車に喧嘩を仕掛けさせ、典薬助が怒って出てくると、長扇で冠を跳ばせ、髻(もとどり)が小さく禿頭が露わになるようにさせ、恥をかかせ、周りの人の笑いを誘わせる。車に逃げ帰ろうとすると、蹴りを入れるわ、また、その騒動の間に、北の方の車体に細工を施し、屋形が下に落ちてしまい、北の方にも恥をかかすという無茶をするものでした。「枕草子」は、清少納言の現認した車の「割り込み」を認めた箇所の紹介。こちらは、「源氏物語」のネタ振りになっている。既に止めてある牛車の車列に、後から来た高貴な家の牛車と見える一団がやってきて、既に停めてある牛車を次から次へと追い払う、要するに「割り込む」姿の目撃証言を認めてあるのだけど、割り込まれる車というのが、割り込む車に比べて、いかにもカジュアルな車だということで、こういったところにも身分の格差が看て取れるという観察眼を、清少納言が発揮しているというところだそうです。これが、本題の「源氏物語」でも出てくる。六条御息所は、亡き東宮の妻で斎宮まで設けている身分で、光源氏に恋焦がれている。関係も長きに渡っているが、その関係が疎くなっている。葵上の存在が大きくなるのに反比例して関係が疎くなっている。でも、光源氏の姿を一目見たいということで、お忍びの体で賀茂祭に出てくる。要するに、カジュアルな牛車でやって来ている。そこへ、葵上一行が遅れてやって来て「割り込み」をしようとする。狙いは、カジュアルな車。そのターゲットにされたのが、六条御息所の車だったというわけです。ただ供人らは顔見知りだから判ってしまった。「正妻」の車が「愛人」風情の車をのかして、何が悪いと割り込んで行ったことで「車争い」となるということです。「割り込み」は「枕草子」のまんま、供人が血気にはやるのは「落窪物語」のまんまです。この騒動のクライマックスで「源氏物語」の真骨頂が出ます。表現の方法が、ここで変わるというのです。ナレーター的に現場中継をしていた語りが、一転、六条御息所視点でレポートし出すということが起こる、そういう表現法に変わる。その原文を紹介いただけました。恥を感じ、世間体が崩れていく、それを六条御息所の目で語り、更に、大事なのは、それでもなお、光源氏への思いを語る切なさが出てくるというわけです。これは、凄い! で、これを境に、六条御息所は、心を患ったかのように、生霊となり、後妻打ちまでやっちゃう。この心の動きに必然性を感じざるをえないものになって行く。至極、納得。おもしろい! 正に、期待通りの内容でした。
 帰りは、いつものように、ウォーキングを兼ねて、自宅最寄駅の1つ手前駅で降り、且つ、マート経由の迂回コースで帰宅。昼食前に、昨日はすることがあった。7月のびわ湖ホールでの「ファルスタッフ」のチケット取りの作業です。今回は、福井からも高校時代の友人も来るので、併せてチケットをゲット。発売日だったのですが、中ホールを使った公演は、全席同一料金だから、ソールドアウトにさえなってなかったらいいという狙いは当たり、あっさりとチケットをゲットできました。でも、売れ行きはいい方ですね。やっぱ、「ファルスタッフ」の魅力でしょう。解ってる人は、頑張って買うはずですものね。昨日は、びわ湖ホールで、大事なコンサートのチケット発売開始が重なった。黄紺だけ用には、あと2枚、チケットを買いました。そして、午後の一時。YouTubeで噺家さんのチャンネルの梯子と言っても、2軒の梯子。「月亭八光の八ちゃんねる」「【落語の東西】 笑福亭べ瓶でっせ!」のお世話になりました。いずれも、他の噺家さんを呼び、2人でトークをする動画があったのでのピックアップでした。前者は、桂小文枝のアブナイ話を聴き、次いで、月亭八方(親子対談)とは「楽屋ニュース振り返り」をしてくれてました。八光は、こういった著名人を呼べるのが強み。後者は、意外な人選、桂吉坊とのトーク。「深山隠れ」トークに入りかけで、時間切れとなってしまいました。トークのテーマも、全く想定外のものですな。


2022年 4月 22日(金)午前 5時 7分

 昨日は、お出かけなしばかりか、何の予定も入れてない一日。そして、昼頃から雨の降った一日。一旦、降り出してからは、ずっと降っていた。ルーティンにしているウォーキングは、いつも通り実施。昼前は雨に遭わなかったけれど、一応は、危なそうだったので傘持ちウォーキング。夕方は、完全に傘さしウォーキング。でも、さほど強い降りじゃなかったものだから、何ら問題なし。そう言えば、夜に視聴した米朝事務所チャンネルの「米印ワールド大喜利」でのお題に「小雨」がなってたほど。一昨晩は、トルコ杯の準決勝1試合があったので、昼前のウォーキングに出かけるまでは、それにかかっていた。トルコ杯のダイジェスト映像も、YouTubeにアップされるので有難い。トルコ・リーグの方は、TV放映をしているベイン・スポルが、ダイジェスト版を流してくれてるから、それを観て、試合の様子を把握できている。この映像って、トルコのTV局が、繰り返し流してるやつですね、ニュース映像として編集したもので、これをネットにアップしてくれてるのは、ホント、有難い。
 午後の一時は、こういった日は、落語&オペラを楽しむというのが定番だけど、昨日は、落語で変化技。落語自体は視聴せず、上方落語界を知らしめる動画を観ることにした。「【落語の東西】 笑福亭べ瓶でっせ!」チャンネルに、「上方四天王・笑福亭松鶴一門の真実」「上方四天王・一門の真実 五代目桂文枝一門」というシリーズもの2セットにはまってしまったのです。べ瓶は、鶴瓶の一番末の弟子。下に弟子が入っても、止めてしまったので、一番下から脱出できない噺家。破門から復帰後、東京に活動の拠点を移している噺家さん。そういったキャリアだから、東京ネタも気にはなるのだけど、まずは、上方の師匠を招いての一門を語る的動画にはまってしまった。6代目松鶴を、直弟子が語るということは、これまでもよくある話なのですが、鶴二が語っているというのが、この動画の新鮮なところ。というのは、鶴二という噺家さんの口演って、まあ、聴きに行かない黄紺には、その口を通じて6代目ネタを聴く機会がほぼなかったので、却って新鮮になってしまっています。鶴二は、6代目の弟子の一番下だから、兄弟子全員を振り返ることができるのが大きい。鶴瓶が、6代目に稽古をつけてもらってないというのは、有名な話だけど、鶴瓶以下の弟子は、皆、そうだそうです、鶴瓶が特別な話ではないということです。あとの弟子は、松葉(7代目松鶴)より上の兄弟子に稽古をつけてもらうのが習わしになってたから、6代目はつけてないとなるそうです。だから、鶴二は、松葉から10本も前座ネタをつけてもらったと言ってました。鶴瓶も、松葉から「江戸荒物」をもらっているそうです。黄紺は、鶴瓶が入門して日が浅いときに「牛ほめ」を聴いてるのですが、それも松葉からかもしれないなと、勝手な想像を巡らしてしまってました。そんなで、鶴二の初高座は、テープで覚えた「平林」、すぐ上の兄弟子鶴笑は、「(たたきなしの)発端」だったそうで、これも松葉からだったそうです。そんな話を、6代目の口真似を入れながらしてくれてました。文枝一門を語ってくれたのはあやめ。あやめは、高座はで、結構、師匠の思い出を語る方なので、わりかし知ってるつもりだったけど、そんなのは、ほんの欠片でしたね。べ瓶が言ってて、そうだと気付いたことですが、四天王の直弟子で女性はあやめだけですね。6代目にも女性の弟子がいたそうですが、これは、全く知らなかったことでしたが、続かなかった結果、あやめだけが残ったのだそうです。師匠文枝も、考えながら、迷いながら育てていたようで、吾妻ひな子を引き合いに出し、あやめに三味線の稽古に行かせたそうですが、あやめは、あくまでも噺家を目指すとして、途中で止めてしまったとか。そういった中で新作をしてみて、文枝もその手があったことを認めてくれたようで、前座に起用して、新作を所望することもあったそうです。この辺の文枝の迷いは、全く初めて聴く話でしたね。後年、文枝の十八番「船弁慶」を聴いてもらったときのことは、以前、あやめから聴いている、いい話です。確か、茶臼山舞台(天王寺にアヤメが借りていたマンションの一室に落語用の舞台があった、懐かしい!)まで、文枝が来て、聴いてくれたのですね。身体でリズムを取るかのようにして聴く文枝、その身体が止まると、あやめの口演のリズムが崩れたところ、あとで注意された箇所と重なるという話は、実に素敵な話です。直の上のふくし(廃業)、直の下の坊枝が、あやめの替わりに師匠からの殴られ役だったというのが可笑しい。でも、1回だけ、頭を張られた大失敗をしでかしたことがあり、そのときは、運悪く、脇にその2人がいなかったというのも、おもしろいね。べ瓶にYouTube動画の収録を約束しながら忘れていて買い物に出かけていて、慌てて収録場所に現れたため、普通のおばさん格好で収録というのも、あやめらしい。落語会のメール予約を入れても、当日行くと、抜かされていることがままあったことを思い出してしまいました。あの格好で街ですれ違っても、ほぼ判らないだろうなと思いながら視聴。久しぶりに、6代目を、先代文枝を、直に感じる話、感謝、感謝です。
 オペラ配信は、「パルジファル」(ハンガリー国立歌劇場)の続き、2幕の後半から3幕半ば過ぎまで、途中、またしても、うつらうつらしながらの視聴は、もはや定番。前回見たとき気が付いた「2人パルジファル」に変化。クンドリーが、パルジファルの母親に扮して誘惑にかかる前に、若い方のパルジファルは退出、あとは、白装束の年配のパルジファルだけとなってしまいました。3幕、鎧兜に身を包み、聖槍を持って現れたときは、そういった装束を脱ぐまでは、どっちだろうと思いというか、ここでも、1人しか舞台に出てこなかったので、どっちだろうと思ったのですが、やはり、年配のパルジファルでした。その心は、何なんだろうか、判らない。「愚者」から「知を持つ、感情を持つ」パルジファルへの変化を表してる? かもしれない、その微妙なところなんだなぁ。1幕と3幕は屋内という装置になってるけれど、2幕は、周囲を建物に囲われた中庭という設え。中央に、大木が1本、色仕掛けの女どもは、この木の上に群がる一団もいる、クリングゾルもここから歌う、だから、大木が魔物を象徴してるかのような設えなんだけど、クリングゾルが槍を投げつける場面でも、クリングゾルは、その木に登っており、木の背後から、色仕掛け要員の女5人(だったはず)が横並びに槍を持ち、じわじわと舞台前に迫ってきて、その瞬間、槍が飛んでくる軌跡を表すというもの。飛んでくる先にパルジファルが立ち手をかざすと、槍はストップモーションで、その軌跡を保ったまま止まります。単純にヴィジュアル的に見栄えのする工夫には感心させられちゃいました。そんなだから、寝落ちしてしまっていた1幕では、「2人パルジファル」はどのようだったかの確認の必要性を痛感しています。3幕は、あと少しで終わるので、終わったら、再度、冒頭から観直すことにします。


2022年 4月 21日(木)午前 6時 4分

 昨日は、午前中にお出かけ予定を入れていた日。水曜日の午前中のお出かけと言えば、アスニー山科の市民向け公開講演会に行くのが常。昨日は、その枠で映画会がありました。「活動弁士による生の語りで無声映画上映」と銘打たれたもので、取り上げられた映画は「瀧の白糸」、活動弁士は遊花さんでした。上映前には、京都の文化を映像で記録する会理事長の濱口十四郎さんから、短い解説が入りました。溝口健二監督の出自から、その後の略歴、主演の入江たか子の紹介などがありました。「入江たか子をご存知の方は?」と手を挙げるように促されたので、黄紺は、名前くらいだけど知ってるので手を挙げたのですが、黄紺の視界には、どなたも挙げてられなかった。濱口さん、「少しはいらっしゃるみたい」と言われていたので、黄紺の視界内の印象と同じで、びっくり。爺婆の多い参加者でそんなものなんですね、世の中って。「瀧の白糸」という題の付く物語は知っていたけど、内容は知らなかった。濱口さんは、泉鏡花の原作で、「義血侠血」という小説を映画化したものと説明されたのだけど、その字は判らなかったので、後で調べて、納得、映画の内容に合っています。ついでに納得したのは、「瀧の白糸」という物語の存在を知っているのは、新派の演目にあるからでした。新派でも、当然、観てはいないけど、さすが、新派と規定されると判る。入江たか子演じる主役の瀧の白糸は、地方回りの水芸の芸人、その女が乗った馬車の車夫に惚れた。その車夫は、生活費&学費稼ぎのために車夫をしており、やがては学業を積み世に出ることを夢見ている男。この相手役を演じたのが、岡田時彦という、当時の人気俳優。こちらは、黄紺の知るところではなかったけれど、これも、濱口さんの解説でびっくり。岡田茉莉子の実父だった。弱冠30歳で亡くなっているという方です。実直な青年の似合う、この映画の役柄に似合う俳優さんですね。物語の展開は、終わってから、濱口さんが言われた言葉では「テレビではできませんでしょう」、司会の方は「何とも言えない、身に沁みます」、いずれもが正解と思いました。今どきの物語ではないのは確か、これはと思った男に、女がかける、そのために、苦難に遭い、ついには殺人まで犯してしまう。それで得た金を男に渡す。男は、支援を受けて検事に出世。その検事としての仕事が、貢いでくれた女を担当するというもの。かけ離れたエリアで生きる2人が、最後まで愛を貫き通す、それが悲劇を生む、確かに、今どきの話じゃない。男が検事として現れるのだろうと読める展開、だけど、実際にそうなると、涙が出てしまった。ここで、愛を貫き、このシテュエーションに解決をもたらす手はあるのかと思ったからかもしれません。でも、この物語の結末は、全てを満たすものと思えてしまいました。男は、小細工をすることを良しとしないことこそ、女の気持ちに応えることと思います。女も真実を伝え、検事として全うさせることが男に報いることと信じます。それは、女を死罪に導くことになります。検事として職責を果たし終えることこそ、女が求めていることと感じ入った男は、それを選び、実際、女は刑死することになります。満足して、己の命を全うしたことになります。それを見届けた男は生きていくことができなかった。最後に自分に与えられた金が殺人に関わるものだったからだけ? ではないですね。でも、男の死を、女は知ることができない。この流れが、心を、一番打つ物語でした。遊花さんの活弁が、とっても素敵で、聴きごたえがあるものですから、余計に気分が盛り上がったのだと思います。いいもの、見せて頂けました。旧い映画を観るのも、いいものですね。なんか、心に沁み入った企画だったな。
 いつものように、帰りは、ウォーキングを兼ねるものだから、帰宅すると午後1時半頃だったかな。それから、「FUTBOL HABERLERI」の作成。一昨日は、トルコ杯の準決勝第1戦のあった日。トラブゾン・スポルは、トルコ・リーグと併せて、こちらも制覇しそうな勢いです。KBS京都の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」の最新版で聴いてなかったところをかけながらの作業。この番組、京都府知事が出てくるなんてところを省いたりできるので、Radikoで、遅れて聴くというの、とっても、お薦めです。落語ネタ以外でも、二葉のトークがおもしろい。これから、中毒になるかもしれません。そういったなか、YouTubeで落語を1本、視聴。お時間に合わせて、林家正雀「不孝者」をピックアップ。「木乃伊取り」に続く噺です。正雀の無骨なお喋りぶりが、この色っぽい噺に向かうところが可笑しくって! だから、決して「不孝者」というネタの最良品とは思わないのですが、それは始まる前から判っていること。以前、三三の口演で聴いたことがあるけど、めっちゃ、女が色っぽくって、旦那の心が動くのが手に取るようでした。その三三からもらったたまの口演でも聴いたことがあるけど、たまは、マクラで、「三三兄さんのようにはできない」と、それは、自分に合わないと照れながら言っていたのが可笑しくて、よく覚えています。その手の話を、正雀が持っていること自体、可笑しい。「視聴者からのリクエストがあったのでやります」とマクラで言ってからスタートしたのが、正雀流照れなのかもしれませんね。


2022年 4月 20日(水)午前 6時 47分

 一昨夜も、不安定な睡眠。前の晩と、全く同じようなことが起こった。晩酌をして寝落ち、でも、午前1時台に目が覚めて、おしまい。さすが、一昨晩は、お酒を吞むなんて気にはならなかった。そういった意味では、平常に戻ってるのだけど、そのまんまという状態。昨日も、幸い、お出かけなしの日にしたものだから、影響は出なかった。でも、予定表には、落語会が1つ入ってた。でも、この状態で、夜の落語会は無理と、あっさりと予定表から削除。元々、行くかどうかは、当日の気分で決めようの考えだったから、さほど悔しさはない。だって、迷う根拠は、夜のお出かけになるということだったから。その夜までは、到底、持たないの判断です。そこで、そういった日は、いつものように、YouTubeのお世話になり、また、radikoのお世話になりと、PCのお世話になりっぱなしの一日。もちろん、ルーティンにしているウォーキングは、怠りはありませんでした。
 落語の視聴は3本、でも、3本目は、ほぼ寝てしまっていた(こういったときに寝て、ベッドでは寝れない!)ので、メモを残すことも割愛、だから、結果的には2本でした。これは、radikoのお世話になりました。「日曜落語~なみはや亭~2022/4/17放送分」からの2本でした。①笑福亭喬介「七度狐」②笑福亭呂好「手水廻し」というもの。①は、何度か聴いているのだけど、進化していました。いつまでも、べちょたれ雑炊を食べ続ける喜ぃ公というのが特徴の喬介の口演だけど、この録音、時間を指定されてたんじゃないかな、だから、若干、はしょり気味だけど、このべちょたれ雑炊ははしょらないものだから、なんか、噺が崩れかけてる感じがして、喬介の「七度狐」では、飛び抜けて引いてしまってました。「せっかく、いいのに、、、」という思いが強かった。最後も、いじってる。村人は出てこない、自分たちで、またまた麦畑にいることに気づくというものでした。②は呂好だけど、この人、修行明けの頃に感心した腕前が強く残ってんだけど、それから比べると、若干、衰退気味のように感じてしまう。なんとなくスムーズさに欠けちゃってるようで。小石に躓きながら前に向かってると言えばいいかな。そうなると、生真面目な口演が煩わしく感じてしまってました。Radikoでは、KBS京都の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」の最新版を4割ほども聴いた。というのは、先週放送分の一部を、初めて聴いて、これ、わりかし、二葉の噺家としての活動を喋ってることを知り、丁度、池袋演芸場に出てきたところだから、それ、喋るだろうの予測をしたもので、外せなかったのです。すると、ドンピシャ! YouTubeの「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」では出てなかったトピックが、幾つも出ていたのが嬉しかったな。「昼の部のトリの桂歌春に挨拶をしたら、“ども、ジジイです”と返された」「着替えはロビーで(若手の噺家さん、どこで着替えてるのか、余計なことながら気になってたら、やっぱ、そうだった! それだけ、池袋の楽屋は狭い)」「NHKのことを話題にして、しかも、春風亭昇也に勝って優勝したと言った(これは、東京の客に大受けでしょうな)」「招請をした小痴楽が交通費負担、だから、この日は、池袋のためにだけ東京に行っている」「その小痴楽は、福岡からの戻りで、結局、この日は、二葉が帰ってから楽屋入り」「東京にも、部屋借りるとまで言ってた、今回の池袋だけではなく、東京での手応えを感じてる様子」なんてことで、かなり気分が良かったようですね。落語という切り口で、正にサクセスストーリーが繰り広げられている姿を眺めるのは、清々しさを感じます。二葉のファン層の大事な部分を占めるマダム層(と二葉は言うが、要するに大阪のおばちゃん)が応援するのって、これなんでしょうね。自分たちにはできなかったサクセス、この子だったらやるかもと。多くのファンが、NHK受賞で涙したというのは、ここなんでしょうね。この池袋演芸場に、京都から出かけて応援に行った人がいましたが、その方も、そうだったかも? メッセージを局に送り、そのように書いていた人、きっと、そういったマダムのお一人じゃないかな?と、勝手に想像しながら聴いていました。
 オペラ配信は、一昨日の続きで「パルジファル」(ハンガリー国立歌劇場)。このブダペストの歌劇場は、皇妃エリザベートも座ったという。黄紺も、ここで、オペラ、2本、観ています。これ、一生の宝ですが、ここの「パルジファル」、ようやく、まともに観ました。結局、続きを観ることにして、最後まで観てから、もう1度、頭から観ようと考え観ていると、なんか、おかしな感じ。1人、登場人物が多い。「????」。2幕になっても、そうだった。で、判りました、これ、「2人パルジファル」だった!! この「2人〇〇」というのは、記憶の限りでは、今まで3回あります。「ボエーム」で2回、1回は、ベルリン国立歌劇場での「2人ロドルフォ」、カールスルーエでの「2人ミミ」、それと、「オネーギン」。生ではワルシャワ、DVDではヴァレンシア、この2つ、同じ プロダクションなんだけど、「2人オネーギン」です。今回の「2人パルジファル」は、役者が若いパルジファルを、年配の歌手が、その周囲で歌うというもの。歌手も、舞台に、白っぽいスーツを着て出ているといったもので、「2人ロドルフォ」のときのように、歌手が袖で歌うというものではないものです。「2人オネーギン」は、若いときのオネーギンを歌手が歌い、老いたオネーギンを役者が、この「パルジファル」同様、白っぽいスーツ姿で演じてましたが、それに似たテイストと、今のところ看ています。そういった意味で、やっぱ、冒頭から観た方が良かったかもしれないなと、ちょっと後悔していますが、2幕も半ばまで来ているので、もう後戻りはできないなの気でいるとことです。やっぱ、「Oper Vision」で取り上げるプロダクションって、何かあるんだよね。続きが楽しみになってきています。


2022年 4月 19日(火)午前 3時 27分

 一昨晩は、息子とD&Sで4人で会食したものだから、なんか興奮気味。どうも、DやSと会うと、楽しくって、気分が高揚してしまう。帰ってきた段階では、お酒の勢いで、あっさりと寝落ちをしてしまい、PCを前にして眠ってしまってた。で、午前1時半にはなってなかったと思うけど、目が覚め、やり残したことがあったようだったので、再び、眠っていたPCを起こし、何やらやり出したら、やたら、酒が吞みたくなった。もう、ここ何年かは、決まった量しか吞まないし、ほぼ、呑みたいとも思わない。でも、一昨日は、吞みたいと思った。これも、いい気分で高揚気味だったことの結果だったよう。何か、楽しくって、呑みたくなっちゃいました。で、いつもだったらというか、いつも以上に呑んでるのに、今度は、眠たくなって横になる。でも、とっても浅い睡眠。簡単に目が覚め、もう次が眠れないので起き上がり、PCをいじってる。また、眠たくなってくる、横になる、また、同じで、結局、2回目の起き上がりで、もう朝の5時半くらいになってたので、起き上がってしまってました。あいつらの威力は凄いものがあるね。
 そんなで、1日中、ボーっとしてしまってました、昨日は。幸い、全く予定が入ってなかったので、慌てることはなく、のんびりと1日が過ぎて行ったな、なんて、穏やかなんだろうね、これも、2人のおかげです。一昨日から、気温が下がってきていて、相変わらず、家内は気温が低いものだから、まだ、電気ストーブをつけている。少し厚手のジャージを着てウォーキングに出かけても、暑くて困るということもなかったな。家に戻ってきて、しばらく経つと、またぞろ、ストーブが恋しくなってしまってたな。何もない日は、最近は、落語&オペラ配信というのが相場だったが、昨日は、落語を聴くというよりは、YouTubeで落語家の追っかけ的なことやってた。最近、はまってるのが「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」。このチャンネルの登録者は万単位、凄いわ。今まで、あまり関心の向かなかった噺家さんだった桂米助の落語愛を感じるチャンネルがおもしろいのです。芸協の幹部という看板があるので、取材もしやすいのか、選ぶ題材が核心的で、狙いを外してないのがいいのです。最近では、芸協の番組解説までやってる。そんななか、上方落語も取り上げてくれているのは、黄紺的には嬉しい限り。鶴瓶との親交が厚いということで、鶴瓶の出た末広の余一会もカメラを持って入り込んでるし、なんせ、大物だから、誰もダメと言えない分、我々は、とっても有難い動画にありつけています。そんななか、神田伯山の襲名秘話は、気になっていたことを、きっちりと伯山自身に語らせていたのは、とっても嬉しかった。神田伯山という大名跡がお蔵に入ってたわけも判っただけではなく、譲られた際に、一挙に10程の名跡を預かることになったトピックは、全く知らなかったことだった。鶴瓶が落語をするようになったトピックは、弟子のべ瓶に語らせていました。これも、知らなかった。昨日は、二葉の池袋演芸場出演を追っかけてくれていた。これは、どハマり! 既に、二葉が東京に行った日の隙間狙いのようなところで、二葉へのインタビューで1本、動画を撮っていて、2週間程前だったかな、アップしてあったり、今回の池袋出演の前には番組紹介で、きっちり、二葉を取り上げていたり、とても手厚く、二葉を扱ってくれているのは嬉しい限り。それを、東京の幹部がやってくれてる、もう、完全にツボです、それだけで。この最新の動画で聴いた、遊雀による二葉評も良かったなぁ。それだけで、遊雀落語の凄さを、却って聴いた気になってしまってました。このトピック、昨夜の「米紫&吉の丞㊙ワールドニュース」でも取り上げていました。米朝事務所のYouTubeチャンネルでです。
 オペラ配信は、新たなものです。YouTubeのチャンネル「Oper Vision」は、ホントに有難い。つい最近、配信の始まったハンガリー国立歌劇場の「パルジファル」(アンドレアス・アルマシ・トート演出)を観ましたというか、前の晩に不規則な睡眠で、これは無茶でした。「パルジファル」の前奏曲は、聖性さの極み。うっとりしていると、前奏曲が終わり、幕が上がると同時くらいに寝落ち。現代っぽい広間、装飾もほぼない無機質な印象を与える正面の奥に、ガラス戸を思わせる壁があり、向こう側、即ち、舞台奥が見えている。スクリーンなのかもしれない。気が付くと、もう聖なる儀式の場面に入りかけていた。舞台奥からコーラスが入り、単調だが、同時に聖性さの極みと言える音楽が、ここでも流れる場面です。びわ湖ホールでの公演では、この音楽作りが、黄紺的には気に入らなかったことを思い出します。そういったところだけ、記憶にあるほどの寝落ちだから、もう1度、観なければなりますまい。そのまま続きを観てから、再度、冒頭から観ようかな、それとも、一気に振出しに戻るか、それは、只今、思案中です。


2022年 4月 18日(月)午前 4時 37分

 昨日は、お出かけの日曜日。1年と1ヶ月半ぶりに大阪府に入りました。京阪特急に乗るのも、恐らく、それ以来だから、なんか、乗っただけで緊張。交野市の私市にある「交野市立いわふね自然の森スポーツ・文化センター」であった落語会に行ってまいりました。題して「星の里いわふね落語会」。桂南天がブッキング担当で、毎回、2席聴けるということで、以前からマークの付きっぱなしの落語会だったのですが、初めておじゃまをすることになりました。朝からは、日曜日のお楽しみの「日曜美術館」もあり、一昨夜は、フェネルバフチェの試合もありで、めっちゃ世話しかなったけど、無事、お出かけは気残りなしに出かけることができました。そして、落語会の帰りには、DやSと一緒に食事会、至高の1日となった、そないな1日の記録です。
 まずは、「日曜美術館」から。昨日のお題は「美は語る 激動のウクライナ」。ロシアの剝き出しの暴力に晒されているウクライナの芸術を見せるという試みです。ここで紹介されたものをメモっておきます。NHKのアーカイブスを網羅しての番組、それに加えて、現在のウクライナを前にしたアーティストの活動も紹介されるというものでした。中には、番組を観る内に気がかりになっていたこと、これらの遺産は戦火のなか、大丈夫なのかという不安、でも、その不安は現実のものでもありました。それらを含めてメモると、、、冒頭で取り上げられたのは「スキタイ」。アルタイ地域からの出土品としてシカの装飾品、西への拡張後、ギリシアとの交易で富の集積が看られた時代、古代ギリシアにも、その記録が残っているのは有名な話、番組では、ヘロドトスの言葉が紹介されていました。そして、ギリシア人の職人に作らせたというスキタイの至宝、黄金の胸触り。9世紀には、キエフ・ルーシの登場。かつては、「キエフ公国」と言われていたルスの登場です。そして、東方世界を象徴する正教の導入。それに伴う、教会堂の建設。布教をコンスタンティノープル大主教から任された拠点教会、それらに付けられたのが「聖ソフィア」という名の付いた教会だとは知らなかった。ポラツク、ノヴゴロド、キーウの聖ソフィア聖堂が、それに該当するそうです。キエフ・ルーシは緩やかな連合体、東スラヴと言われるロシア、ウクライナ、ベラルーシと言った地域を束ねていた。その連合体の礎となったのが、彼らの物語、それは、文字の伝搬に伴い年代記が作られたから。客観性を持つとなる書いたものが生まれたということですな。興味を引いたのがリビウ、ポーランド統治下に入った時期、地域で生まれた独特の文化。カトリック、正教会の儀式を受け継ぐ「合同教会」なるものが生まれた結果、教会の儀式、美術に影響を与えたそうです。カトリックの立体的彫刻が導入され、イコンに口づけをするという習慣が出てきたと言ってました。ヨハン・ピンゼルという作家を紹介されていました。木彫のキリスト磔刑像、激しく体をよじる聖母マリア(ピエタ)像、イサクの犠牲といった作品が紹介されていましたが、ヨーロッパ中の様式を受け継いでいるが、中心ではなかったので大胆な表現が看られ、正にリビウだから生まれたものと評価されていました。文化の「多様性」に替わる「多層性」というタームで評価されていたのが印象的ですね。そして、現在の戦禍下の出来事に関連して、ウクライナの国民的画家の作品が損失を受けたトピックに移りました。マリア・プリマチェンコという作家さん、初めて知りました、と同時に、衝撃の走る作品です。切手のデザインにもなったウクライナの国民的画家だそうです。思わず、塔本シスコさんの作品を思い出していました。ギャベのデザインにも通じるかもと思える、ほのぼのと心暖かな作品です。戦火と真逆の作品が消失したというものでした。となると、途端に気になったのは、正教会は大丈夫だろうかということ。中には、世界遺産となっているものもあるはずですよね。スキタイや正教会関係は、お題を見たところで、あっさりと思い浮かぶけど、それ以後って、抜けています。そういったことも知ることができたきっかけというのが、無残な戦争の産物とは、何ともいたたまれないことです。
 次に落語会の記録です。番組は、次のようなものでした。天吾「つる」、南天「へっつい盗人」、吉の丞「試し酒」、南天「貧乏花見」。3人の噺家さんの口演を聴くのは、いずれもコロナ禍以後では初めて。とっても嬉しい顔ぶれ、それだけのブランクがあっても、コロナ禍なんてあったのと思わせるほど、親しんできた噺家さんだったんだとの思いは、吉の丞と南天にはしました。でも、天吾は、コロナ禍以前では、百年長屋で1度聴いたきりだったもので、思いっ切り有難かった。口舌爽やかな噺家さんだとの印象が残っていましたが、一層の磨きがかかっていて、その磨きがかかり過ぎなのが、逆に気になったほど。半ばから、頭の上をスピード満天で通り過ぎるようになってしまってました。程よい息抜き、言い換えれば、いわゆる「間」というやつですね、これがどうなってるのというほど、流れてしまってることに気づいたからでした。南天の「へっつい盗人」は、初期の頃から手掛けているネタですね。これに遭遇するたびに、ラストをカットする心が判らないままということが気になり、昨日も、どないにと思いながら聴いていると、やはりカットでした。はしゃぎ回るアホのトドメの一発の場面が、半ばでカットされてしまうのって、幸枝若の浪曲じゃあるまいしと突っ込みを入れたくなります。吉の丞は、約5年ぶりに、この会に登場だとか。サービス満点で、営業ネタっぽいマクラを振ってから、なんと「試し酒」に突入。えらいはり込んでくれました。久蔵のキャラ付けがいいものだから、それに隠れてしまってるけど、大宮はんの格を、いまいち上げることができれば、一層に、久蔵のキャラが際立つのにと思いながら聴いておりました。ただ、酔い方は、塩鯛の絶品の口演の残像がじゃまをして、どうしても没頭できないなと思っていると、あれれ、4合目はスルーで了解だけど、5合目も、あっさりと行っちゃった。これ、はっしょたの?と思ってしまったほどの口演でした。そうだったっけと、繰り返し、頭の中がぐるぐるしてました。南天の「貧乏花見」は、初遭遇のはず。古風な型が残っていました。冒頭、長屋の連中が、花見に行こうかというきっかけ話からスタートしてました。そういえば、これらのフレーズ、最近聴かないけど、以前はよく聴いたなの記憶。でも、この辺から、疲労が出てきてしまい、うつらうつらしながら聴いてしまってました。メーンと思っていた口演になると、毎度、これです。冒頭の古風な型を残したことも含めて、南天らしいアレンジがないなと、記憶に残っている範囲では思ってしまった口演で、且つ、花見に行き、持ってきた肴やおちゃけのトピックでやり合ったあと、ここでも最後までやらずに終わっちゃった、またしても、あれれでした。
 落語会が終わったのが、午後4時5分、息子らとの待ち合わせは午後6時。その間の2時間を、どないにして過ごすか、考える間もなく、あっさりと解決。会場の前に流れる天野川沿いに遊歩道があったので、ウォーキング。途中、道沿いにある公園で読書となりました。ところが、読書を終えて立ち上がるときにスマホを確認すると、息子から電話が入ってた。なかなか繋がらなかったけれど、繋がってから判ったのは、早めに出かけたので、待ち合わせの前倒しを求めるものでした。この辺りが、息子の欠点、時間の見通し力に欠けるものだから、後から慌ててる。子どもの頃から治りません。こちらは、2時間後を想定して動き出してるから、今更言われても修正不能なところにいました。で、当初の打ち合わせ通りで再会。「近くの公園で遊んでた」とD。会うまでには焼き肉屋に行こうということだったそうですが、黄紺的には想定外、だって、いつでも、判で押したように寿司屋に行くものだから、そうだと思い込んでいました。焼き肉屋にびっくりしたからでしょうか、あっさりと寿司屋に変わってしまいました。DやSは、どっちでも良かったみたい。驚いたな、手づかみだけど、Sは、一人で寿司を食べるようになってるし、Dは、黄紺の食べられないいくらを、ばんばん食ってる。食べるのが飽きてしまうと、息子のスマホで、SはYouTubeを観てた。いい風景です。そう言えば、Dの薄い上着はフェネルバフチェのカラー、冬物はトラブゾン・スポルのカラーの上着を着てるのが、めっちゃ嬉しい。「あれ、買ってやったっけ」と尋ねてしまってました。もちろん、黄紺の記憶通り、ノーだってけど、この黄紺カラー、嬉しかったな。


2022年 4月 17日(日)午前 7時 47分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。でも、午後に、オンライン配信を2つも視聴した日でもあった。これがうまい具合に、「1つの終了時刻=次の開始時刻」だったものだから、連続して、3時間もPCの画面とにらめっこ状態でした。いずれも、YouTube画面を使ったものというのは、珍しい。1つ目は、みんぱくゼミナールで、昨日は、「古代オアシス都市における人びとの暮らしと宗教――カフィル・カラ遺跡の発掘調査から」というお題で、寺村裕史(国立民族学博物館准教授)さんのお話がありました。中央アジアのどこかにあるオアシス都市遺跡についてだから聴きたいというだけで申し込んであったのですが、実際、聴いてみると、なかなかそそられるものでした。まず、この遺跡は、ウズベキスタンのサマルカンドの遺跡であるアフラシアビ遺跡の南部に位置している。正確に書くとというか、このお話で、初めて知ったのですが、現在、新市街と言われているのは、ソ連時代に築かれた市街地で、旧市街がティムール時代のもの。アフラシアビ遺跡は、モンゴルが、13世紀に入ってくるまで2000年間栄えた都市」だそうで、旧市街より古いサマルカンドの都市遺跡だということになります。各々は、微妙に位置が違うけれど、いずれもが、シル川とアム川に挟まれた地域。で、このカフィル・カラ遺跡というのは、化学的な年代測定で、イスラームが、この地に入る直前という710年頃に、何らかの理由で起こった火災で消滅した都市遺跡だそうです。「カフィル・カラ」というのは、一目で、しかも、ウズベクだから、これは、トルコ語系タームだと察知したつもりでしたが、アラビア語で「異教徒」「城」を意味すると言われていて、あれれとなってしまったのですが、確かかめることもできず、気になったままです。遺跡の中心にはシタデルが残っています。城壁で囲まれ、出入口は一ケ所だけという完全防備。その門から真っすぐに伸びた道の正面にある部屋は、王のものと考えられ、そこから出土したのが木彫り板絵、ゾロアスター教の遺物、それは、ゾロアスター教の女神である女神ナナーが描かれ、板絵の最下段には火を拝む姿が描かれています。板絵に描かれている楽人の持つ楽器は、正倉院御物に出てくるそれら。京都市芸大のオンライン配信で勉強させてもらったことがお役立ちです。箜篌(くご)、覚えてましたよ! 木彫り板絵以外にも、宝飾品が祭壇上に一段と高い棚の溝から出てきており(焼けるときに大事なものを隠した?)、銀製首輪にはガーネットも使用され、金製品も出てきているそうです。埋められた時期も710年頃と出ているようで、正にイスラーム化直前の時期です。ここで住んでいたソグド人(太っちょ安禄山が思い浮かびますね)の宗教はゾロアスター教だったので、ドンピシャ、合っているようです。食糧庫跡(柱跡6本、アーチ型の天井があった? 2層構造の建物)には、穀物としては麦や粟、豆類、にんにく、クルミ、動物骨としては鳥・羊(1番多い)・牛が出ており、当時の食糧事情が判ります。大甕もあり、ワインやオリーブ油が入ってたと言われてたかな? こういったものが、何百年も残ることは珍しいことだそうで、遺構の上層に火災層があることから、それらが焼け、炭化したから残ったということです。シタデルが、ある時期に焼けていることになります。炭化木材で年代測定をすると、7世紀後半~8世紀前半と出たそうで、めっちゃ、微妙なときですね。高校の世界史の教材を使い、一般向けに、当時の状況を示されていましたが、この地は、ササン朝と唐が向き合っていた7世紀、アッバース朝が急成長をする8世紀、そして、751年にはタラス河畔の戦いがあるという激動期。しかも、この遺跡からはゾロアスター教の遺物、火災、となると、こういった激動期で戦で焼かれたか、この都市の住民が、自ら火を放ち退却したか、いずれかだろうと言われていました。コロナ禍で、発掘や分析が中座したままだと言われていましたが、正に、現在進行形の発掘の紹介話で、大満足!!
 2つ目は、アートエリアB1から配信のラボカフェ。お馴染みの配信ですが、なかでも、昨日はお楽しみのシリーズで、「美術館のいま(13)〜千葉市美術館〜」というテーマで、カフェマスターの木ノ下智恵子(大阪大学21世紀懐徳堂准教授、アートエリアB1運営委員)さんと山梨絵美子(千葉市美術館館長)さんのお話を聴くことができました。自分的には、千葉市美術館というのはツボで、何かにつけ出てくる美術館なのです。先日の「国芳と芳年」でも、「またかよ」と思ったのですが、コレクションのいいもの、企画展の充実で、要マークの美術館だったもので、正にツボだったのです。東京文化財研究所から千葉市美術館館長に就任された山梨さんから、まず、千葉市美術館の紹介から、お話は始まりました。同美術館は、元来は、黒田記念館、黒田清輝ものを収集するところから出発したそうです。コレクションの3本柱は「浮世絵/見返り美人の菱川師宣が房総出身だからだそうです」「近世絵画/鈴木其一、曽我蕭白、福田美蘭、桂ゆき、柳原義達の名が出ていました」「房総を扱った作品」。前二者で、よく話題に上るのですね。田村一村ものも持ってたはずと思っています。次いで、今年度の展覧会を紹介されていましたが、これは割愛。その後のトーク、また、質問に答えてという形で、山梨さんがお話されたことがおもしろかったですね。「市民サービスとしての展覧会が中心になり、収蔵品の修理が後回しになってしまっている美術館の現状」「完成されたものだけ見ている/ここで言われたエピソードがおもしろい、金木犀の香りをトイレの香りと言った子どもの話、作りかけている姿を見ていない、途中を見ていない、だから、作家が描いたことを考えることができる“作りかけラボ”を企画、過程のイメージ化を図り豊かなイメージ力を養う展示を用意、館内制作を見せ、その作品を収集」「文化財研究所の事業として日本美術年鑑の作成がある、美術作品の記録を作ると、それを検索すると、どこにどんな作品があるか判り、いつ、どこで、どのような企画展があったかが判る」「黒田の湖畔/解剖学的人体表現、油彩、1900年のパリ万博出品、後の奥さんがモデル」、もっとおもしろい話を聴いてたはずだけど、聴き入っていてメモってない、そして、すぐ忘れてしまい、いい話だったという記憶だけ残る。そんな、ダメなことを認識してしまっています。木ノ下さんの引き出し方がうまいのでしょうね、山梨さんが、どんどん調子が上がっていく、よりおもしろいお話が出てくるという印象のトークでした。


2022年 4月 16日(土)午前 3時 57分

 昨日は、午前中に、アスニー京都での市民向け公開講演会を聴いた日。新年度初めての講演会、年度替わりは、余裕を持って設定されてるのでしょうか、こちらでの講演会は、ちょっと間が開いた感じ。冒頭の挨拶であって、初めて知ったことなのですが、毎年、同じ方に講演をお願いしているとか。そうだったのかなとは思うけど、何度目かの遭遇であることは間違いない方、京都市歴史資料館館長&(公財)京都市埋蔵文化財研究所理事長&京都産業大学名誉教授の井上満郎さん。この方の人気なんでしょうね、また、平安京の専門家だから、こういった講演会に集まって来る爺婆が、いかにも喜びそうなテーマ。昨日は、「桓武天皇の渡来人の母 ~高野新笠の生涯~」というお題でした。これは、黄紺的にもツボ。「高野新笠」を取り上げるなんて、正に、ツボの中のツボです。冒頭、井上さんは、こういった話をすると、よくある民族派の人たちによる謂れなき言いがかりについて一言。実際に、井上さんも被害を受けた経験をされているようです。「私の話を聴きに来るような人で、そないな人は、今日はいないでしょうが」との釘を刺すことは怠りなく口にされていました。同様の被害は、このような「渡来人」をテーマにされた他の講演会でも聴いたことがあります。確か、伏見区連続講演会でだったんじゃないかな。そのときの先生は、「事実なんだから」「史料にそう出てくるんだから」と、思い出しても腹が立つといった感じで話されていたので、よく覚えています。それに次いで、井上さんの講演会で、毎度出てくる話題が、この日も出てきたところで、この講演会の筋立てが読めました。「平安京」には、なぜ、地名が付いてないのか? 「平安」を求める願いが、この都建設には込められている。奈良時代は、混乱、争闘の時代、それを引き継いではたまらんとの思いが込められているということで、そこに、渡来人が、どのように関わったか、関わらせようとしたかということですね、筋立てというのは。そこで、まずは、高野新笠が、渡来人系であること、それを史料で示されました。日本後紀に「帝(桓武天皇)の外戚」は渡来系と記されていることが示されました。高野新笠の父親は和乙継(やまとのおとつぐ)がその人です。また、高野新笠の諡の由来を認めた続日本紀にも、渡来系の言い伝えに相応しい字を当てていることが記されています。次に、おもしろいネタ振りがありました。それは、桓武天皇の女性関係。皇后以下27人の女性が記録に残っているそうで、子どもを残した女性たちだけが名が残っているから、実際には、もっと多くの女性がいただろうと言われていましたが、とにかく27人の内7人が渡来系と確認できます。これは、異様に多いそうです。先帝光仁天皇にも1人の渡来系女性が確認できるが、それ以前にはなかった、また、桓武以後は減少ということで、桓武が突出している。これは、明らかに、渡来系という自らの出自を強く意識していることを示している。それはなぜか、それが、「平安京」のネーミングに関わっているということで、奈良時代から長岡京を経て平安京と変わっていく時代の政治環境、紛争の、政争の絶えなかった日々の振り返りが行われました。藤原仲麻呂、称徳天皇と道鏡、藤原種継暗殺事件といった事件の紹介、それに加えて、詳細は省きながら、系図を示し、失脚をした人々の名を挙げておられました。それだけ、多くの政争が繰り広げられたということの例示でしたが、そういった政争から離れた人たちとしての、渡来系の人たちの起用、それが、桓武が「平安」を取り戻すための手段だったというわけです。従来、政権に関わった人たちの切り離し、それを目的としての起用、それによる政権の維持を画したのだろうということでした。多くの史料を用意されていましたが、時間の範囲では、そういった内容に留まり、また、想定範囲内の筋立てを、様々な史料を見せ、お話しいただいたというところでした。久しぶりに、うとっともしなかった1時間半、やっぱ、ツボに真正面からはまったときは覚醒しているようです。
 アスニー京都からの帰りは、いつものように、自宅最寄駅1つ手前で降りて、更に、狙いのマートを組み込む迂回コースを取り、ウォーキングをしながら戻ることに。古い靴に変えても足が痛むので、なんか疲れてしまい、午後の一時を使い、家事をしようと考えていたことを取り止め、主に、ラジコのお世話になり、今まで聴いたことのなかった、KBSラジオ「桂二葉と梶原誠のご陽気に」を聴いてみた。最新の放送の4割ほども行かなかったけれど、途中、ラジオ・ショッピングぽい箇所は鬱陶しいものがあったが、それは、番組の本筋とは考えなかったら、めっちゃおもしろかった。わりかし、二葉が落語ネタ、落後界ネタを喋ってるのが、気に入ってしまいました。なかでも、三味線の豊田公美子(「とよくみさん」と言い慣わしています)さんネタが傑作。ダブルマッシュとして、髪型を揃えたお姉さんとのトピックは、二葉のTwitterで、時々紹介されるものだから、仲の良さは知ってはいたけれど、正に、新ネタでした。こないだの日曜日、高砂でラジオの仕事をしてから、奈良の米朝一門会に駆け付けたとき、吉弥とトリの南光の間に滑り込んだことは、Twitterを見ていて目を見張ったことだったけど、そのあとの話が傑作。そのときの三味線がとよくみさんだったようで、仲良しの2人は、鹿と戯れに行き、近鉄奈良駅構内の立ち飲み屋で飲んだという、相変わらずの2人だなぁと思い聴いていると、あとは、とよくみさんが酔っぱらって、もうハチャメチャ。これは笑った。二葉が受賞して、売れてるのを、周りに言いふらすよとくみさん、嬉しいのでしょうね。このラジコで聴く前には、YouTubeの「ヨネスケちゃんねる」で、池袋演芸場で、小痴楽がトリをとるときに、女性日替わり枠を入れたことを話題にしていたのを観ていた。その中で、それを組んだ小痴楽自身が、その特別枠について語り、そこで選ばれた5人の女性噺家の紹介をする中で、当然、二葉の紹介が入ってるのだけど、マジ顔で、二葉の分析、良さを紹介する小痴楽の語りが聴きものです。リズムの良さを強調してました。そないな動画を観た後だったので、余計に、とよくみさんの酔態、傍らで面割れして困る二葉という構図が浮かび上がり、おもろくて、おもろくて!


2022年 4月 15日(金)午前 5時 56分

 昨日は、午後に、大津市歴史博物館で、企画展「蘆花浅水荘と山元春挙画塾」関連講座「陽炎園・復興膳所焼とその時代 -古典復興と近代デザイン運動のなかで」を聴きに行った日。これがあるので、先日の日曜日に、本体の展示を観に行ったのでした。昨日のお話は、滋賀県立陶芸の森陶芸館学芸員の鈎真一さん。黄紺的関心は膳所焼。これが、今回の企画展と、どのように結びつくかは、その企画展を観ているから判ること。復興膳所焼の絵付けという作業を、山元春挙がやってた。そういった繋がりだけではなく、明治の膳所焼に関わった人たちが、こういった地域でサロンのようなものを作っていたのでしょうね。まずは、元来の膳所焼について。17世紀、膳所藩で生まれ、茶陶中心の焼物、藩の御用窯というわけではなかったと言われていました。遠州七窯の1つとして数えられ、流れとしては、初期には高取焼風で、その後、美濃焼風、更に、京焼風へと、テイストを変化させて行ったとそうです。幾つか、当時の作品を画像で見せていただきましたが、ぱっと見、信楽風もありましたが、膳所焼は、やはり、黒っぽいのが特徴ということです。その後、一旦廃れ、同じような土地に、梅林焼・雀ケ谷焼・寅吉焼といったものが生まれたそうですが、どうも、うとうととしていたようで、これらの位置付けが、よく判らなかったのですが、これは、このお話のテーマである「復興膳所焼」ではなさそう。その「復興膳所焼」というのは、1919年(大正8年)に、岩崎健三が、陽炎園を建て、それこそ、問題の山元春挙らの協力者を得て再興したもの。遠州好みの、そして、京焼風の絵付けをしたものを特徴とする、そういったものが、この「復興膳所焼」だということです。そこに、山元春挙が関わった。その作品の幾つかは、企画展に展示されていましたが、絵付けの絵が、陶器に大きめに描かれていたのに目が行きましたが、それが特徴だと言われていました。作陶には、伊東陶山や清水六兵衛といった京焼の作家の協力があったそうです。また、絵付けは、当時の美術界の動向も併せて反映したそうで、西欧の流行だったジャポニズムが、日本に跳ね返り、更に、時がアールヌーボーに入って行くと、また、その影響を受けたということで、「復興」と言って、古いまんまの膳所焼が復活したものではなく、時代も反映したものになっていると言われていました。要するに、ハイブリッドなものが「復興膳所焼」と言ったところなのでしょう。ここで、びっくりの名前が出てきたけれど、言われてみれば、至極、納得。京焼の絵付けの影響を受けているなら出てきて当然のお名前、浅井忠に神坂雪佳が、絵付けのデザインを提供していました。なんか、結びついていくなぁ、この間、覚えた有名作家が繋がっていきます。
 講演が終わると、ロビーにある視聴覚資料を1本、鑑賞。この日も、大津市歴史博物館への往復は、ウォーキングを兼ねて、JR大津駅から歩いたのでしたが、途中、山王祭の貼り紙があったもので、丁度、ドンピシャのタイミングだったもので、映像選びで、迷うことなくチョイス。日吉神社の祭りですが、ヴィジュアル的におもしろい祭りです。神が影向して、新たな神を産み落とし、そして、また、去っていく、この物語を、様々なパフォーマンスで見せるというもの。最後は、船渡御まである、さすが、湖国の祭りです。日吉神社の祭りだから、正に地元だから、貼り紙を見かけるはずです。で、その往復で、とんでもない失態。先日、歩いたばかりなもので、ググることもなく歩いたのだけど、そこで失敗、往きのことですが、どんどんと山中に向かってたので、さすがおかしいと思い、ようやくググって、失敗に気づいたので、帰りは、長等神社前で、念のためにググってから歩くことに。長等公園入口から長等神社って、目と鼻の先にも拘わらず、途中で曲がってしまったもので山中に向かってしまってました。それにつけても、新しい靴が、足に合わない。問題が1つ解決すると、また、新たな問題が出てきて、痛くて痛くて。
 お出かけ前の隙間に、落語を1本、YouTubeの音源を聴いた。桂雀三郎「うし相撲」というもの。「なんじゃこれ!」と思い、飛びついたもの。「雀 落語」で検索したら、こんなのが引っ掛かってきた。中島らも作品でした。マクラで、「雀さんせいアルカリ落語」で生まれた作品だと言い、中島らも作品の「けったいさ」も紹介してくれてる、正にお宝音源です。また、破天荒ならもらしさの出てるネタで、うしに鬘をかぶせ、毛を剃り、相撲取りに設えてしまうというもの。無茶苦茶なネタやけど、あまりの破天荒さに、残しておいて欲しい作品と思ってしまいました。


2022年 4月 14日(木)午前 7時 42分

 昨日は、お出かけなしで、且つ、オンライン配信の予約も入れてない、何もない一日。にも拘わらず、この2日程は、睡眠障害が、若干、復活気味。そこへさして、マッチもなし、トルコのコロナ情報収集は薄目だしということで、明方から、自由時間がいっぱい。だから、YouTubeの世話になり、たっぷりめの演芸を楽しむ時間になった。午後の分も含めて、ここにまとめておくことにします。①宝井琴梅「河内山宗俊~丸利の強請~」(第65回政五亭講談寄席)②神田松鯉「河内山宗俊 卵のゆすり」③木村若衛「河内山宗俊伝:直侍の巻」④一龍斎貞水「鉢の木」⑤桂福丸「元犬」というのが、そのラインナップ。講談&浪曲では、河内山宗俊ものを拾ってみた。「天保六花撰」なんて呼び方をする。「六歌仙」に倣った物言いだけど、こちらは、盗人・悪人6人組、その中で、知ってるのは河内山宗俊ぐらいじゃないかな。歌舞伎で取り上げれるので、その筋立ては知らなくても、名前は知っている、さすがに。但し、二代目松林伯圓の創作で、講談から歌舞伎へと流れたようですね。落語の「らくだ」なんかと同じ流れですね。で、きっかけは、②を見つけたけど、このネタ、松鯉さんが、よく寄席で取り上げていることを、件の「伯山ティーヴィ」で知ったから。その前に、琴梅さんの口演を見つけたので、①を先に視聴した。こちらは、動画。でも、録音状況が悪く、常時、ザーザーとノイズが入るものだから、鬱陶しくて仕方がないけど、琴梅さんが聴けるとあり、忍の一字。「丸利」は道具屋の名前。その店で、店の番頭の目がそっぽを向いているときに、小道具を盗み、無くなっていることを言われると、強請に入るというもの。それと、②は、よく似ている。これも、卵屋へ、茹で卵を持ち込み、あからさまに盗んだ振りを見せ、それを指摘されると、卵を土間に打ち付け、生卵じゃないことを示し、強請に入るというものだけど、実は、こちらは、その目的が、強欲な卵屋を懲らしめるとなっている。だから、そういった茶番を企て、溜飲を下げるという、チャリっぽいネタだから、寄席にかけやすいということと判明。浪曲ではどうかということで、③を選んだ。ついでに、木村若衛の口演に接する機会ができるというわけです。木村若衛は初めて聴いたのですが、さわやか過ぎる声にびっくり。浪曲特有の声でないのが特徴で、それが人気を呼んだようですね。黄紺的には、普通の、でもいい声で十分なんだけど、それにつけてもさわやか過ぎるという印象で、頭の上を流れてしまいそうで、逆に集中力が要るものと感じました。ネタの方は、どうやら、つまみ食いの典型というテキストになっている。しかも、ええところ取りを2本やらかしていて、それをくっつけたネタだから、元ネタになる講談を知らないと、わけわからんという代物、ま、浪曲あるある話だけどね。娘を大名屋敷から取り返すにが前半、どういった謂れで、こういったアクションがあるのかは、これを聴いただけで、浪曲全盛期には判ったのでしょう。後半が、タイトルにある直侍こと、片岡直次郎が登場。前半とはブチ切れた状態で、登場してくる。片岡直次郎は「天保六花撰」の1人ですね。その片岡直次郎が、河内山宗俊と兄弟分となる話。これも、上辺を撫でたようなテキストということは、これだけで、十分だったのだろうと推察できます。琴梅さんもの、木村若衛ものの河内山宗俊ものは、他にもあったんだけど、前者は音が悪い、後者は、テキストにまいったので、また、後日に回したところ、④が目に入ったのでチョイス。「鉢の木」の物語は、同名の能があることで知ったという経験を持っているけれど、昔から知られた話だったということは、それ以後知り、己の無知さを知ることになった思い出の物語。最明寺時頼と、物語では出てきますが、執権北条時頼のことで、水戸黄門よろしく、諸国漫遊をする。その諸国漫遊のきっかけからスタート。その最明寺時頼と出逢う鎌倉方武士佐野源左衛門尉常世は、能では、偶然の出逢いとなっていますが、講談では、佐野源左衛門尉常世はどうしているかと、予め、相手の身分を知り、自分の身分は隠し、旅の僧として、一宿を請うとなっていました。また、時頼は、鉢の木を燃やしたところで、己の身分を明らかにしていました。はっきり言って、能の筋立てに軍配だと思いました。「いざ鎌倉」となり、執権姿の時頼が、「ぼろ武具、やつれた馬に乗った武者を探せ」と言い、見つけられた佐野源左衛門尉常世が、そこで、初めて、執権と知るといった方が、遥かにドラマチックですものね。⑤は、喬介で「元犬」を聴いたところだったのでチョイス。上方の噺家さんの口演って、福丸ものしかなかった。逆に東京の噺家さんの音源は、結構あるという現象に驚かされました。やはり、犬の特徴尽くしだったけど、以前ほどには嫌味に感じなかったのは、福丸だったから?
 全くの予定のない日の定番のもう1つは、オペラ配信。リセウの「リゴレット」完走です。装置のコンセプトは、ずっと同じ。山場の殺しの場面は、また、舞台が持ち上がり、上が屋外、下がスパラフチレの家という構造になっていました。ノックは足踏みで、入口は、床に付いた蓋という具合。ただ、照明が暗く、殺しの場面は、よく判らなかった。ラストは、その上がっていた舞台が下がり、床に付いた蓋から、スパラフチレがジルダを担ぎ出して来るとなっていました。このプロダクション、おもしろい照明を使ってるなと思う反面、肝心の場面が暗くて見えなかったりするという欠点も持っているという不具合もありました。特に、舞台が上に上がった、その下の場面が判りにくかったな。コロナ禍での公演です。コーラスの皆さんは、マスク着用のまま歌ってました。大変だ!


2022年 4月 13日(水)午前 4時 28分

 昨日も、25度以上まで、気温が上がった。半袖で出かけてもいいんだが、まだ、その感覚に慣れてないものだから、どうしても上に薄手のものを引っ掛けてしまい、結局は暑い思いをするということを繰り返してしまっています。昨日は、午後にお出かけを予定していたので、午前中のウォーキングは、ミニ系にならざるをえなかった。ま、仕方ありません。短めでもウォーキングができるのが有難いと思ってしまう。でも、気温が上がったら、それに比例して、ウォーキングによる疲労も大きくなってくるのは事実で、後半、靴が足に合ってないこともあり、顎を簡単に出すようになっています。で、お出かけは、文化パルク城陽プラネタリウムでの落語会「城陽で喬介」の日でした。コロナ禍のなか、大阪には行かないことにしている黄紺には、まことに有難い落語会。2ヶ月に1回のペースで開いてくれていますから、この状況下でも、この2年間、落語を聴き続けることができました。今月は、まだ半分も経ってないのに、昨日で、2回目の落語会。既に、もう1回、予約を入れているのがあるので、月に3回も落語会に行くという記録ができるようです。これだけ行けるので、実は、予定表にはもう1回、メモってあるのですが、躊躇していますというか、恐らく行かないだろうな。コロナ禍で、すっかり生活の感覚に変化が出てしまっています。落語会の番組は、次のようになりました。喬明「牛ほめ」、喬介「花色木綿」「ぜんざい公社」「元犬」。喬明が、この落語会に登場するのは2回目。前回は、華やかな色合いで、ちょっと子どもっぽい着物だったけど、それに比べると、かなりシックな、大人の雰囲気の着物で登場。背が高く見えました。ネタは師匠の得意ネタだけど、喬明が、このネタを持っていること、全くの未確認だったもので、びっくり。確か、入門1年を経ったはずだけど、落語ファン氏のTwitterを眺めていると、「犬の目」と「金明竹」しか出てこないものだから、これは、いくらなんでも少ないよなと思っていたところへ、いきなり「牛ほめ」が出たので、びっくり。聴きなれたネタだけど、なんか、喬明で聴くと、慣れてないなと思う箇所と、そうじゃなくって、ちょっと野放図に言い放ったりするところが、なんか、可笑しくって! そう感じながら聴いている者がいることに、喬明は気づいてるかな? 喬介の方は、短めのネタを3席。なんとなく、弾けてないなと思ったら、わけが判りました。3席目のマクラで、客の入りが少ないのを、ずっと気にしていたことを独白してました。確かに、少なかった。スタッフに、オミクロン株の影響で、どのイベントも、客足が減っていることを聞き、ちょっとは和んだようでしたが、黄紺は、オミクロン株もあるかもしれないけど、木戸銭の値上げの影響かと思ってたんだけど。トルコのように、感染者が減るどころか、またぞろ増えてきている日本では、警戒感が強いからというのも事実でしょうね。平日の昼間ですから、足を運ぶ爺婆には影響が出てるのは確かでしょう。「花色木綿」で、「1席目だから仕方ないな」と思ってたら、途中で居眠り。この会場は、迂闊に背もたれにもたれると、そのまま沈没してしまうけど、昨日はそれでした。 2席目で「ぜんざい公社」で、およよとなり、ここでも、途中に寝落ち。確かに、最近出てなかった睡眠の不安定が、一昨夜に出てしまったから、体力がなくなっている今、危ないなと思ってたら、まともに出てしまいました。1、2席目が軽いネタだったもので、今度はと期待したら、なんと、あろうことか「元犬」でした。喬介が「元犬」を持っていること自体、知らなかった。人間になってから、色々と犬時代の習慣、癖が出てしまう部分を、大幅に改変。「鴻池の犬」を取り入れたものとなっていました。最後には、鴻池のクロまで登場、それを落ちにするというもの。本人曰く「米朝一門の人にもらった」「後半は使えないと思った」と言っていました。確かに、同じプロットの繰り返しが続き、飽きてしまう点がありますね。落語会としては、喬明の1席が付いたから、喬介は短め3席で辻褄が合ってるかと、この短め3席を、自分に納得させることにしました。
 隙間狙いで、神田伯山をゲストで呼んだYouTube「ヨネスケちゃんねる」を観てると、「伯山襲名秘話」なんてアップされていて、正に「秘話」に相応しいエピソードを語ってくれていました。正確には、公表しているので「秘話」とは呼び難い話だけど、内容的には、そう呼んでも良さそうなもの。伯山という名跡は、先代の弟子で、前座修業をしたけれど、そこで廃業してしまった人が持っていた。師匠松鯉さんも、松之丞の真打昇進に考えてたようだったそうだけど、発端は、松之丞から名前のことを切り出したときに、阿吽の呼吸で、松鯉さんは「伯山か」と応じたそうで、その松鯉さんが仲介をして、元講釈師で、現在は実業家として成功されている方と直談判をしたときのことも語ってくれていました。驚いたのは、その人、伯山を預ってただけではなく、多くの名跡も預っていたそうで、それらを、全て引き継ぐことになったと言っていました。その中には、桃川派の留め名になる「如燕」も含まれていたと言います。それらの名跡も公表したようで、このエピソードは、「桃川如燕」のWikipediaにも記されていました。伯山復活の経緯は気になっていたので、これは、とっても得難い動画でした。


2022年 4月 12日(火)午前 6時 15分

 週が明け、暖かというよりか暑い日が続いています。昨日は、お出かけなしの一日。でも、一昨夜は、フェネルバフチェとガラタサライのダービーマッチがあったので、朝の一時はなしで、「FUTBOL HABERLERI」を書いていた。ダイジェスト版の試合経過を観たけれど、フェネルバフチェの優位のまんまの試合でしたね。予想されたこととは言え、最早、ガラタサライの惨状は気の毒になってしまっている。さすが、下位4チームには入らないようだけど、そのすぐ上から脱出できない。完全に、シーズン前に掲げた若返りの失敗。年齢からして勘定に入ってなかったはずのライアン・バベルが、大事なところで起用される始末だから、手駒がないんだね。鳴り物入りだったはずの若いルーマニア人の2人はダメ出し、救世主にするつもりだったゴミスも、以前、ガラタサライにいたときに比べると、明らかに動きが悪い。そりゃそうでしょう、35歳だよ、過大な期待はダメなはずなのに、してしまってるっていうのが理解できない。それに対して、フェネルバフチェのイスマイル・カルタル監督、よくやってんじゃないかなぁ。この人、腹座ってて、見極めの判断力があるなと看ています。前回、フェネルバフチェの監督をしたときには見なかった姿だなと思っています。勝てるメンバー構成、見つけたもんね。クレスポをボランチの軸に、ミハ・ザイッチを、もう1本の軸に据えるという見極めが功を奏している。その裏では、メスト・エジルを切り、ルイス・グスタボやホセ・ソーサという実績ある選手も切っちゃった。そんなで、あれよあれよという間に、2位に上がってしまった。フロントは、来季には有名監督を迎えるための繋ぎ、要するに、今季は、半分死に体だったのが、ここまで盛り返した監督、どうするんだろうな。
 少し時間があると、最近は、「伯山ティーヴィー」なるYouTubeチャンネルを観ている。神田伯山がトリをとる新宿末広亭の楽屋風景を動画にしてくれているので、半ば中毒のようになって観ている。それを観ていると、師匠の神田松鯉、姉弟子の神田阿久鯉も出ているので、講談が多く出る席になっている。それを目当てに来る客の中に、何と、中村七之助がいたときに、伯山は、知らないで「中村仲蔵」をかけるという偶然に、びっくり。どうやら、カメラ番頭の噺家さんが見つけたのかな、終演後、インタビューまで撮っていた。同じ日には、将棋の渡辺名人も来ていて、こちらもインタビューを撮っていた。ま、考えてみれば、繫昌亭も沢田研二がよく来るというから、そういった著名人が客席にいても、全然、おかしくないんだよね。このチャンネルを観ていて、気になったことがあった。「天野屋利兵衛」に「男でござる」という名台詞の入る抜き読みだけではなく、もう1つ、よく口演されているものがあるということを知り、昨日の午後の一時の一発目に、それを選んだ。松鯉さんの妹弟子に当たる神田昌味の動画がアップされていた。題して「赤穂義士外伝~天野屋利兵衛雪江茶入れ~」というもの。雪江茶入れという名の付いた器を、浅野の家臣が失くしたと思い、腹切る運命と知った天野屋が、身代わりを申し出るという話。その腹の決まった姿を知り、浅野との強り絆が築かれていったという物語。「男でござる」を際立たせる機能十分なるネタですね。午後の一時、もう1本は、②柳家喜多八の「一つ穴」。まずもって「一つ穴」というもの、全く知らなかったので選んだ。お妾さんの噺。疑いを持った本妻さんが、そのお妾さんの家に出かけて行くという豪胆な噺。すると、そこには、狙い通り、旦那がいた。わけのわからない言い訳をする旦那とのやり取り、狼狽するお妾さんという構図を楽しむ噺になっている。このシテュエーションって、とっても上方的だけど、江戸の噺なんですね。おもしろい!
 午後の一時の、もう1本の柱は、オンライン配信のオペラ。新たに、リセウの「リゴレット」(モニク・ウエイグメイカース演出)を選んだ。「Oper Vision」からのピックアップです。先日、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングで「リゴレット」を観たところなんで、「リゴレット」が続くことになりました。装置は簡素で、様式化したもの。上下に移動する舞台が設えられてあり、端の部分を残し上下することが可能になっている。1幕の宮廷の場面は、その端の部分を残し、内側を沈めた状態にして、広間を表すというもの。リゴレットの家になると、上に移動させ、斜めに長く続く階段を設える。その階段は、舞台を貫き、浮いた下の部分にも続くという姿。マントーヴァが忍んで来るのは、その下の階段から、床を抜けてというもの。ジルダの「慕わしい名前」を歌うときは、その長い階段だけに薄い青めの照明を当て、そこにジルダは腰を掛けながら歌うのだけど、とっても、いいシルエット。衣装は、逆に時代考証をして、それをデザイン化した風情で、装置のコンセプトとは好対照にしてあるというのも、目に付く。とりあえずは、ジルダがさらわれるところまでは、そんな感じ。歌手がいいですね。なかでも、マントーヴァのセミール・ピルギュ、調べてみると、ロイヤル・オペラのライブビューイング2015-16年版に出てるので、多分遭遇しているはずだけど、全然覚えてなかったけれど、今度は、間違いなく覚えることになりますね。張りのある、伸びもある、とってもいいお声。ジルダのアイグル・キスマトゥリーナもいい、若々しい、楚々とした雰囲気、いい歌唱と揃えば、十分です。調べてみると30歳でした。マリンスキーで歌ってますね。いい素材見つけてきたっていうのに、戦争で、活躍の場、どうなるのでしょうね? この2人が目立つものだから、リゴレット役のマルクス・ブリュックの影が薄くなってるけど、この人も十分でしょう。役者が揃うと、やっぱ、そそられてしまいます。さすが、リセウといったところです。


2022年 4月 11日(月)午前 7時 17分

 この頃、気温の上昇が著しいんだけど、昨日は、更に一層上がった。そういったなか、朝から出かけようかと計画していた。というのも、日曜日だというのに、「日曜美術館」は新作を流さないことが判っていたから。でも、気が付きました。1時間番組ながら、前の45分と後半の15分に分かれてんだな、この番組。前の45分は、そうであっても、後の方は新しいはずということを忘れなかった。リアルなアートシーンを教えてもらえる、と言っても、全国の美術館の特別展からのピックアップを流すので、ほぼ行けるわけではないのだけど、今、全国で、どのような試みがなされているかを観るだけでも楽しいものだから、僅か15分といえども外せないので、それが終わってから出かけることにした。お出かけ先は決まっていた。大津市歴史博物館。ここの企画展に合わせて開かれる講座に抽選で当たり、近々、それがあるものだから、それまでに、本体の企画展を観ておこうの魂胆であった。今までは、そういった場合は、講座当日に、本体の企画展も観ようと考えるのだけど、同じことを考える人が多いので、混みあう。これが嫌で、別途、日を設定することにしたのでした。だから、別に他の日でも良かったし、ましてや、日曜日だと混みあうのが普通だけど、ここの企画展は、そうはならないだろうの読みで、日曜日だというのに出かけてみました。黄紺は、大津市歴史博物館に行くときは、ウォーキングを兼ねて、JR大津駅から徒歩で往復することにしている。片道30分の見当だ。大津赤十字病院、長等公園、長等神社を経由していくのだけど、長等神社辺りまで来ると、どんどんと人が増えてくる。黄紺が歩いてきた方角へと歩いていく人も増えてくる。まさか、黄紺と同じ所へ行く? なわけはないだろ? でも、ますます増えてくる。9割以上は三井寺だろうとは思ったけど、桜も終わりだというのに、その心が判らないまま、三井寺に。もう車が数珠繋ぎ。寺の関係者が、何人も出て交通整理に当たっている状態でした。確かに、10割がた三井寺に行き、そこから傍らに向かったのは、1~2人ってところでした。パンを買って行っていたので、途中、三井寺境内か、どこかで食べようと思ってたんだけど、そないな状態なんで食べることができなかったけれど、博物館下方に、手ごろなベンチを発見で事なきを得ました。で、肝心の企画展は「山元春挙生誕150年記念企画展/蘆花浅水荘と山元春挙画塾」というもの。滋賀県所縁の画家を扱ったもの。滋賀県には、黄紺も年間パスポートを持っている県立美術館があるのに、なんで、ここでと思ってたら、本体の山元春挙展は、今度の土曜日から県立美術館で始まる。こちらは「画塾」となっている。それに、山元春挙が膳所に建てた別荘でいいのかな? 蘆花浅水荘もテーマに組み込んであるというのが、こちらの企画展のミソ。そういったことで、山元春挙の作品は、掛軸に描いた絵画4点と、あとは、膳所焼に絵付したものとか、小物の絵に賛が入ったものが結構あった、同様に、清水風外の竹細工に賛が入ったものとか、全体として小物中心という感じ。山元春挙という作家、評価が高いのは風景画だと、この企画展の紹介には記されているけど、掛軸の4品の中には、西洋絵画からの影響を受けたと看られる「洋婦人」なんてタイトルの付いた作品もあったけれど、グラデーションを使ったりと、素材ばかりか描く手法にまで西洋風が入っているので、ちょっとびっくり。山元春挙門下の作家さんは「早苗会」という作家ユニットを作ってたようで、そこに集った人たちの作品を集めたというところでしょうか。その作品の素材により、コーナーが分けられていました。「風景画 春挙スタイルの継承と応用」「早苗会の動物表現」「人物画 独自路線の本領」「春挙の狂歌遊び」「岩崎健三による膳所焼の復興 陽炎園」「清水風外の竹細工」「山元春挙・早苗会関係資料」といった分類でした。一部を除き、掛軸に描かれた作品が多数を占めていたのですが、つくづく、掛軸に描くということの難しさを認識。人物画は、掛軸には描きやすいのは、黄紺でも判る。縦と横の比率は、圧倒的に縦が勝るものだから、そういった素材を選んだ場合は、問題はないのかもしれなけど、そうではない場合は、いかに、実際の風景を切り取るかが勝負の分かれ道。同じ風景を描いたものでも、この縦のラインを意識させるような作品に目が行ってしまうことを、この企画展で確認できたように思えました。そういった展示作品の中にあった「驟雨」という名の付いた川俣公邦の作品は、縦のラインが生きる雨を選んでいる。とっても目に付いた作品だったけど、雨に打たれる琉球の家屋、人々に、なんかバランスの悪さを感じてしまいました。正に、縦と横の組み合わせといった組み合わせの妙味を観たという意味では、この企画展で、一番目に入った作品だったけど、雨が降っているのに、普通に歩いている人にアンバランスを感じたのかなぁ。琉球だからスコールで、濡れて行こう的な構成なのかもしれないけど。でも、目に付いたの、これくらいでした。あと、岡文涛も「長尾鶏」の鶏の派手さに目が行ったけれど、その周りに描かれたものが窮屈そうで、、、。「長尾」で縦が生きてんだけど、残りの空白とのバランスが気に食わなかった。笑ったのは、柴田晩葉の「夜這い猫」、猫がほう被りをしていた。しかも、縦を意識して、頭を下方左向きにしてあるのが、いかにも夜這い。動物画で判らなかったけれど、気になったのがもう1つ、植中直斎の「犬娘の正月」。犬の擬人化なんだけど、これは何なんだということです。知らない世界が隠れているようで気になりました。それだけなんだけど。最近、美術館に行く機会が増えているけれど、足の踵ばかりか、浮腫んで来るのか、足全体がだるくて辛いので、集中力が続かないので困ってる。腰よりも、足が悲鳴を、先に上げてくるのがきつい。そんなこともあり、インパクトが弱いと気もそぞろになってしまいます。第一、この大津市歴史博物館から歩いて戻らねばならないから大丈夫かと不安が出てきたけど、映像資料を観がてら腰かけていると、恢復が早く、歩いて戻るには障りはなく、それどころか、自宅最寄駅1つ手前で降りて、更にウォーキングを付け足すことすらできました。
 このお出かけに、結構な時間を要したので、自宅に戻ると、もう夕方。夕方のトルコのコロナ情報収集時間までは、若干時間があったので、桂二葉のラジオ出演(日曜落語~なみはや亭~ 2022/4/10放送分)を、ラジコで聴けた。「上方落語を聴く会」で演じた「天狗刺し」を流したあとに、インタビューが20分ほどあったかな。師匠米二を選んだわけを、「自分の言葉で喋ってる人」「落語の上手い人」と言ってました。今まで、二葉が米二と出逢ったこと自体、「奇跡」だと思ってたけど、「修正せなあかん」と思いました。かなりリサーチをして、「二葉らしい目で分析してる」と思えたからです。「男とか女とか、そんなこと言わない家庭で育った」とも言ってました。弟くんのことも思い起こすと、二葉の育った環境、一層に気になりました。インタビューをしたアナウンサー氏曰く、「先輩の男の噺家さんが、二葉は、我々と同じテキストを使いやってるのが凄いと言ってた」と言った点が、ポイントを突いたいい言葉。それに加えて、「女性特有の甲高い声を巧みに使っている」ことに繋がるようなことも言ってた。最高の分析ですね。ラジコの画面の傍らに、落語繋がりということで、「内海英華のラジ関寄席」(2022/4/9放送分)のリンクが貼ってあったので、落語を1本聴きました。桂春若「一文笛」(2022.1.31 神戸新開地・喜楽館)でしたが、あまりいい口演と思えなかった。自分の言葉で置き換えようとしている努力はかうのだけど、それが、却って不安定になってしまっている。聴いていて、元のテキストとの祖語を感じるのでしょうね。人情噺には、この不安定さは居心地を悪くさせます。ということで、残念。


2022年 4月 10日(日)午前 6時 27分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。イベントが目白押しな土曜日に、お出かけなしとは珍しい。気温の上昇も著しく、あっさりと春も終わりに近づいたという感じで、気温が上がった。桜も散り出している。風が、ちょっとでも吹くものなら、桜吹雪が素晴らしい。でも、桜の木を見上げると、葉も出てきているので、中途半端な季節。花が散り切ってしまうと、新緑が目立つようになるのだけど、その前ってところです。トルコでは、コロナ禍は過去のものという雰囲気になりつつある。日本が、感染者数が下げ切らない内に、また増加に転じてきているが、トルコは、そうはなってない。イギリスやオランダのような、再上昇の気配も看られてない状態。だから、昨日のように、お出かけなしの日となると、トルコのコロナ情報収集は、正にデータ集めだけ、ましてや、天候不順がトルコでは続いているため、金曜日のマッチが延期されてしまったから、サッカー情報の収集も、ほぼないので、午後の一時だけではなく、朝の一時までできてしまった。そこで、動画サイトを活用して、今朝は、講談&浪曲ともども、久しぶりに「世界ふしぎ発見!」の過去映像を観ることにした。うまい具合に、外国ロケものを見つけたのも大きかった。「ポンペイ」を扱った回だった。そればかりか、噴火の犠牲遺跡として「群馬県嬬恋村鎌原」が取り上げられていた。「ブラタモリ」でも取り上げられた「天明の大噴火」の遺跡だ。前の2/3がポンペイ、後の1/3が鎌原という構成。ポンペイ関係で新鮮だったことメモっておきます。「79年のヴェスビオ火山で、山の上部は吹っ飛んでしまい、現在の姿に、犠牲になったポンペイは夏のリゾート地だった」「パン屋の跡やテルモポリウム(今のバールのよう)跡、神棚のようにして商売の神様を祀っている、メニューと思えるものも残る」「ポンペイレッドと言われる赤みを帯びたモザイクが特徴」「横断歩道まであった」「公衆浴場(テルマエロマエ)、着替え用の棚があったが女性用の棚の方が広い、水滴が落ちないように天井に筋を入れている、浴場用の水、水を引くための水道管が残っている、貯水槽に貯めて水を引く設備、青銅製の水量調節の器具」「テルモポリウムでは、ガルム(魚醤)で調理、フラミンゴの舌が珍味として出されていた」「悲劇詩人の家には猛犬注意のモザイク画」「馬の石膏像を再生することに成功、馬はアラブ種で金属製の馬具を使っていた」「新発見/馬車の車輪、4輪の馬車、結婚式・祭りといった儀式用乗物」。
 講談&浪曲の方は、次の3本。①旭堂南海「赤穂義士の銘々伝/矢頭右衛門七」②五代目一龍斎貞丈「赤穂義士伝銘々伝の内 倉橋伝助」③松平国十郎「南部坂雪の別れ」。南海さんの口演を見つけたのをきっかけに、講談&浪曲で、赤穂義士ものをピックアップ。①では、赤貧の生活を送り、且つ、父親も志半ばで失ったが、仇討の心を失わなかった矢頭右衛門七の物語。わりかしポピュラーなネタとして、講談会で、よく耳にするもの。②は、全く、ネタの存在すら知らなかったもの。遊興の余り勘当となり、身を寄せた地で厚くもてなされ、跡継ぎの話をもらうまで行くが、身分を明かすと江戸に戻ることを勧められる。このあと、この身を寄せた床屋の老夫婦が出てこないのが寂しいが、江戸で足軽として取り立てられた浅野内匠頭長矩の屋敷で見せた弓術の腕前から士分に取り立てられ、そこで、それまで名乗っていた倉橋伝助の名は仮名であることを告げ、事情を話すと、浅野内匠頭長矩が、両親との再会の便宜を図ってくれる。その厚情に恩義を感じ、、、となり討ち入りに加わるということなんでしょう、話は、親子の再開話で終わります。前半との祖語があるだからでしょうか、旭堂で出す人、いないですね、黄紺が聴いたことがないだけかもしれませんが。じゃ、次は「南部坂雪の別れ」だとばかりに、検索すると引っかかってきたのが③。松平国十郎という浪曲師を知らなかったけれど、YouTubeにアップされているくらいだから、相当の人だろうということでチョイス。すると、とんでもない美声。あっさりと納得。「南部坂」は、いろんなヴァージョンがあるので、この口演のポイントをメモっておきます。戸田らを疑い本心を言わないで暇乞いに来たと言う、大石は旅日記と言ったかな、戸田に連判状を預けて帰っていく、寺坂の知らせで預かりものを開き事態を知る、寺坂の語りが入ると言った流れ。これと同じ流れを講談で聴いたことがある。特に、寺坂の語りが入るのが特徴だけど、南海さんだったような気がするんだけど、違うかもしれない。寺坂の語りが入り、25分程度で収まっているということは、前半をコンパクトに収めているはずなんだけど、はしょった感が、全く残らない、好編集のテキストと思います。いい台本に美声、とってもええもん見っけというところでした。
 午後の一時は、オンラインでのオペラ配信。ジュネーブ歌劇場の「エレクトラ」を視聴したが、やっぱ、退屈だった。あっさり寝落ちしてしまい、観直しもしなかった。これ、なんで、「Oper Vision」チャンネルに取り上げられたのか、ホント、判らない。今年2月の上演とテロップに出ていました。
 夜は「ブラタモリ」の新作。「江戸の大名屋敷」がテーマ。ホテルニューオータニのお庭からスタート。あすこも大名屋敷跡だったとは知らなかったけれど、皇居周辺の広い敷地を持つ建物は、各々、元大名屋敷と看て間違いないということですね。特に拘っていたのが「紀尾井町」の「井」。井伊家の上屋敷と中屋敷って言ってたっけ、2箇所も回っていました。それだけではなく、「彦根編」の映像まで使い、井伊家が、どれだけ徳川に厚く信頼されていたかを補足。2つ目の敷地跡は、現在、何になってるのかな? 大名屋敷の後は、参謀本部として使われていたそうで、ここに標準点が置かれたわけが、それで納得。測定法まで披露してくれていました。次回も、続編をすると言ってましたから、今度はどこへ行くのでしょうか? トゥクトゥクを、今回も使用するようですが、前回、エンスト起こしちゃったけど、今回は大丈夫だったのか、そないなことも気になります。


2022年 4月 8日(金)午後 11時 34分

 今日は、全く予定の入っていない一日。しかも、最近は、とんとトルコのコロナ情報収集には、時間がかからないものだから、自然と、時間的に余裕ができている。朝から、短めだったけれど、3本も落語を聴くことができた。次の3本だ。①三遊亭竜楽の落語「締め込み」(2014/1/4 東京都千代田区内幸町ホール)②桂枝雀「野崎詣り」③柳家一琴「牛ほめ」(2012/9/16)。①と③は、この間のこだわりが、まだ続いている。③は、全く成果がなかったけれど、①にあったと言っても、この口演は、前のないものだった。そして、後ろに酒をふるまうというのがあった。ただ、マクラを聴いていると、かなり、志ん朝ものと同じだったので、ネタに入ってからもそうかなと思っていたら、あっさりと空き巣に入るところからだった。この竜楽の口演がいいのは、夫婦げんかがスリムになっている点。ポイントは、盗人が仲裁に入るところだと言わんばかりの構成に拍手。となると、蛇足と考えていた酒を振る舞う場面もありかなの気になってしまいました。②は、「枝雀寄席」での口演。枝雀の、このネタって、ピンと来なかったものでチョイスしたんだけど、弟子の雀三郎の口演とも異なるので、雀三郎への伝わり方が気になってしまいました。「伴」ではなく「友」を張ったり、棒杭の掴み方も横に抱きかかえるようにしたりと、枝雀オリジナルが、かなり炸裂しっぱなしで、オンリーワン的テキストになっています。で、ラストは、小さいとからかわれるところまで。そのあとのやり取りはなしというものでした。
 午後の一時は、新たなオペラ配信と、動画サイトを利用して「ブラタモリ/高松編」を見直すのに使った。オペラ配信は、ジュネーブ歌劇場の「エレクトラ」(ウルリッヒ・ラシェ演出)です。既に、1週間程前から、YouTubeにアップされていたので、時間を作れるのを楽しみにしていた動画だったのですが、始まると、なんか、呆気なく期待通りではないことに気が付いてしまった。だって、装置がつまらん。楕円形をした円盤状の板が舞台真ん中に据え付けられ、それが、傾きを自在を変えていきます。その円盤の縁の部分が、ベルトコンベアになり動かせることができる。だから、歩く格好で動かないってことができる仕掛けがある。円盤の中央部には、上下移動可能な、大きな筒状の建物と言っていいのか、違った言い方をしていいのか判らないものがあり、それも上下する。上がってしまえば、円盤が残るだけ。その上で、大した動きを伴わない動きがある程度で、芝居をするわけでもなしという風に見えてしまったものだから、早々に半寝状態で観ることに。振り返ってみても、再度、観てみようの気は起ってこない。ちょっと外れの気分になっています。「ブラタモリ」の方は、なんで、県庁所在地でありながら、ここまで扱われなかったかと思うほど、上質な出来栄えだった「高松編」を観てみました。やはり、最初に観たときのいい感じを、もう1度、味わうことができました。高松は行ったことがないもので、行ってみたくなりました。屋島は、上まで、どんな感じで登れるのかななんて、行くつもりになって観ていました。海城もいいし、栗林公園はいいしと、やっぱ、なんで、ここまでやらなかったのか、不思議ですね。
 隙間狙いで観たYouTubeの動画で嬉しいものを、1つ観ました。かなり熱心に観ているマレーシア系YouTuber氏(在クアラルンプル)は、最近、モッパン動画を、よくアップしてくれるんだけど、今日観たのは「客家麺(ドライ)」でした。動画内部でも言ってましたが、「客家麺」は、さほどポピュラーじゃないみたい。黄紺的には、クアラルンプルの中華街の外れで、1回だけ食したことがある。その向かいには、ロティチャナイを出していたインド屋さんがあったんだけど、今は、その両方がなくなり、全く違うビルになってしまっているけれど、かつては、食事をするのに、とってもローカルな雰囲気がありいいところだったんだけど、そこで食べた「客家麺」は、大事な記憶でもある。当時でも、さほど目につくわけではなかった「客家麵」を汁なし、ドライで食べたことがあるもので、その時の記憶とともに、周囲の町の風景も思い出してしまい、うるうる来てしまいました。動画で上がっていたのは、老舗での食事風景。黄紺の食べたものよりかは、具沢山だったな。やっぱ、マレーシアは、フードコートのようなところに、幾つも異なった店が出るというのがいいんだなぁ、その雰囲気に、こよなく惹かれるものだから、マレーシアが、とっても懐かしく思えてしまってました。行きたいなぁ。黄紺的最後のマレーシアは、ジョホールバルです。せめて、このYouTuber氏の動画で慰めるしかないね、悲しい現実です。


2022年 4月 8日(金)午前 6時 41分

 昨日は、映画を観る日に当てていた。別に来週でもいいんだけど、上映時間が、自分にとって、一番、動きやすそうな時間帯だったものだから、昨日までに観ておきたかったのでした。要するに、普段の午後の一時に相当する時間帯に、できるだけ、すっぽりと収まるのが、生活のリズムが崩れないで、有難いと感じてしまうのです。で、映画は、京都シネマで観たイラン映画「英雄の証明」でした。借金を返済できないで刑務所の入ることになったラヒムという男が主人公。2日間だけ許された仮釈放期間の物語。その時間を使い、借金の返済をしようとする。婚約者が拾った金貨を、最初は、金に換えて借金の返済に充てようとするが、その交渉がうまく行かなかったり、換金のレートが気に入らなかったりしている内に、そういった行為を思いとどまり、拾得物として警察に届けたため、一躍、マスコミに取り上げられ「英雄」化されてしまう。「善意の服役者」として扱われ、慈善団体が音頭を取り、借金返済用の資金集めをしてくれたり、不足分を補うための職業紹介もしてもらう。だけど、一方、SNS上で、その行為を揶揄するものが流れ、本当の拾得物なのかという疑念が出てくる。この辺り、映画を観る者には、映画の流れ通りのようにも観えるし、でなくて、誠もっての善意にも見える、曖昧にしたまま進行していく。紹介された職場に行くと、SNSの情報もあることから、ファクトチェックの正確さを求められてしまう。実際には、拾った金貨は、落とし主が現れ、その落とし主に返されているのだけど、落とし主の所在が曖昧になってしまい、証言にも立ってもらえないため、元妻に偽の落とし主の身代わりになってもらったりするものだから、余計に混乱が深まる一方で、SNS上では、あらぬ情報が流され、その流出源を、借金の返済先の男だと思い、そこで喧嘩までやっちゃい、その動画も流されてしまう。SNSをうまく使い、混沌が深まっていく様子を表しています。善意の運転手も、主人公に寄り添うように動いたり、でも、最後は、SNSの恐ろしさから、その運転手と仲たがいをしてしまったりと、ここでも、SNSが巧みに使われている。この映画、カンヌのグランプリを取った映画だけど、観念猛烈先行という映画になってないのがいい。実は、黄紺は、カンヌのグランプリ映画は観ないことにしています。あまりにも度外れた観念先行の映画ばっか選んでると考えてるからで、でも、この映画が、カンヌのグランプリを取ったって知らなかった。映画館に行って、初めて、大きく掲げられていて、びっくり。でも、チケットをオンラインで買ってあったため、時すでに遅しで観るしかなかったから観たんだけど、でなかったら、観てなかった。でも、その失敗が良かった。この映画、観念的なところはあるけれど、それを、とっても、判りやすく、日常の中に置き換えている、映画は、そうでなくっちゃと思わせる趣向になっている。ただ、人の多く出てくる映画は苦手な黄紺には、ちょっと辛いところもあった。うっすらと居眠りしたのが、まずかったのかもしれないけど、いえいえ、そうでなくても、ダメなものはダメだったかもしれないけど、映画の眼目、観念的な部分、ま、映画の趣向という部分は外してないつもり。「揺れ動く境界」と言えばいいかな、この映画のポイント。「英雄か詐欺師か」という境界を揺れ動かすのは、やっかみや妬み、そういった圧力が、社会化されると、現代のSNSのようになってしまう。SNSだと、顔が見えないから、圧力が強くなるばかり。そういった外的要素で揺れ動くばかりか、当事者の内からも揺れ動かしている。主人公が、偽の証言者を立てる下りで、それは解りやすい。そんなで、境界は、いつも揺れている。そういったなか、主人公がぶれない、言い換えると、境界という線引きを無化するものが描かれています。それが、息子との関係。これがあるものだから、周囲、要するに社会が揺れているように見えてしまう映画でもある。いつも不確実なんだけど、それを確実だと生きたり、その確実ってと相対化しようとしたりする社会に生きる我々を投射されているような感覚に陥ったと書けば、格好いいかな?
 朝方、少々、時間があったものだから、YouTubeで落語を聴く時間を持てたので、志ん朝の「締め込み」を聴いた。すると、また、ここまでピックアップしてきたものとは違うものでした。この口演では、「空き巣の勧め」「空き巣の仕方」が冒頭に入っています。要するに、盗人に入る男は頼りないから、でも、「眼鏡屋盗人」のような度新米話はないんだけど、で、「空き巣くらいからやれ」という指示が入っていました。「これは、二豆の口演に近い」と思わせるもの。でも、びっくりがあった、酒をふるまわれる場面の前で終わったのです。だから、これまた、二豆がもらったテキストと違う。「締め込み」を追いかけて追いかけてして、なかなか目的地に到達できないもどかしさがあるものだから、この探求、止められないね。


2022年 4月 7日(木)午前 6時 31分

 昨日は、朝からアスニー山科へ。新年度第1回目の市民向け公開講演会があった日でした。今回こそは、抽選外れになったかと危惧してたのだけど、今回も当選。こちらでの運の強さが絶大なるものがあります。というのも、昨日のお題は「高松塚壁画古墳発見 50 年~秘蔵写真が語る苦難の発掘 40 日~」というもの。さすがに、「高松塚」の名が、お題に入ると、競争が激しいのは言うまでもないことなので、今回こそはダメかもと思った次第。会場には、間違いなく50年前の報道を知っている人ばっかりでした、予想通り。お話をなさったのは、奈良県立橿原考古学研究所研究員・関西大学大学院非常勤講師の森岡秀人さん。森岡さんは、そういった肩書より、重大な役割をされています。この方、高松塚古墳の発掘に当たった調査員の1人でした。だから、お題に「秘蔵写真」なんていう文言が入っていたのです。今回初めて知ったのですが、発掘に当たっていたのは、関西大学の考古学班。森岡さんは、その1人で、当時20歳の学生、2回生だったそうです。もちろん、このような大発見が起こるとは思いもしないで発掘に当たっていたところの出来事だったそうです。前半は、発見30周年を記念して作られた発見の様子、過程の再現映像を見せていただけました。現場におられた方たちは、証言者として登場し、再現映像は、松竹芸能のタレントさんが演じるというもの。樫原考古学研究所が、この世紀の大発見を伝えるために、英語版まで作っているそうです。発掘のきっかけは「生姜穴」。これ、初めて知りました。生姜の保存用に掘る穴、そんなのがあるのですね。そこで、当地の農家の方が、穴に何やらの遺跡を思わせる石が出たことから。その場所が、円墳と思しき土地の傍らだったため、調査が始まった模様。ましてや、その円墳は、江戸時代には、一時、文武陵と考えられていた時期もあったというもの。そこで発掘に着手したわけで、えらい原始的な発掘の姿が再現されていました。もっと、専門的な道具や発掘の仕方って、いくら50年前とは言え、なかったんかいと言いたくなるもの。ツルハシ、シャベルなんてものぐらいしか使ってないんだもの。丁度、盗掘抗があったので、それを追いかける形で発掘をしていったと言われていました。そして、石室らしきところに至り、僅かにできた隙間から覗き、びっくりとなったかということでした。基礎的な資料を集めるために、1週間だったか緘口令が敷かれ、自宅にも戻ることも厳禁、情報が、一切漏れないようにしての調査。そして、世紀の発表となった。リアルタイムで、当然知ってるけど、大変な騒動だった。その後の人出の対応もされたようで、「声が枯れるほど説明しました」と。その後は、国宝級の発見ということで、国へと移管。関西大学は手を引くことになります。この中で、森岡さんの貢献があります。メモ魔と言われ、発掘の一部始終をメモに残していたからです。「100年経ったら、文化財」とまで、恩師に言われた貴重なメモ。このような発見が想定されているのなら、それだけのメモを取ることは必須でしょうが、そうではなかった発掘だからこそ、その価値は嫌が応にも高まります。白黒だけど、写真も撮られていました。それが、お題にあった「秘蔵写真」です。ですから、再現映像を、今度は、その写真を通じて、再度見せていただけたというわけです。そないな貴重な方が講師とは思いもせず、高松塚古墳に関する、この50年間の考証の結果の報告を聴けるのだと思い込んでいたものですから、これは、望外のお話を聴けた講演会だったのですが、その「秘蔵写真」を観ながらのお話のところで、不覚にも居眠り。サイテー、です、いつもながら、肝心要で寝てしまうのです。それに、ご本人の生証言が被さる、またとない機会だったのにと突っ込んでも、済んでしまうと元には戻れないですね。でも、生証言の一部でも耳にできたことは確かで、この企画、大ヒットですね。
 自宅に戻ってから昼食を摂るのは、いつも通り。YouTubeの「伯山ティヴィー」で、襲名披露興行の楽屋内を観ていたら、いつの間にか、居眠り。よく寝ます、正に「春眠」です。外は、暑いくらいなのに、家内は冷えるものだから、薄っすらと暖房を入れていると、とっても心地よいものだから眠ってしまいます。そこで、同じくYouTubeの世話になり、もう少し集中した方がいいということで、落語を視聴。次の2本を選びました。①春風亭柳枝(八代目)「締め込み」②三遊亭小遊三「崇徳院」。①は、一昨日のリベンジ。寝落ちした半ばより聴くことにしました。柳枝は、とっても明るい高座。このネタに、とっても合っている。昨日も書いたように、前のない構成だけど、この明るさだと、前を入れる必要はないや、今まで蛇足だと思っていた、「盗人の仲裁」にはない部分を活かせていると思えました。その明るさが、盗人に乗り移り、こいつだったら、酒を振舞うなんてことありかと思わせられたのです。名人芸ってやつですな! いい音源に出逢ったものかな、です。②は、東京ではどうなってるかのチェック目的でのピックアップ。流れは、上方版のまま。繰り返しのカットは、この方が合理的と思います。また、熊五郎(名前もこのまま)は、報告にはお店には行かないと、ここでも繰り返しをカットするスタンス、ということで、上方版よりは短くなっています。志ん朝ものは、結構長いので、テキストが、どのようになってるかチェックの要があるかなと思っています。単に、マクラが長いだけかもしれませんが。小遊三の、ちょっとぶっきら棒的口演が、最近、気に入っています。これも、ネタに合ってるかなという思いで聴き始めたけれど、その狙いが当たった好演でした。


2022年 4月 5日(火)午後 8時 21分

 今日は、全く、予定を入れてなかった一日、そして、再び、気温が上昇、今度こそは、この状態が続くそうだと、立ち話をした隣の家の人が言ってました。確かに、一日中、明るい陽射しのあった日だった。この頃、明るくても風が冷たかったりしたものだから、一安心です。桜も満開、正に、春爛漫、です。ということで、ルーティンにしているウォーキングは2回、順調にこなしはしたのだけど、またぞろ、新しい靴が足に合わない。大体、2~3ヶ月で、履きつぶしてしまうので、新しい靴を買うのだけど、買うたびに、当たりが良いか悪いかで、運命が変わる。今回は、正解と思ったんだけど、そうではなかった。変なところに、豆粒のようなマメができて、これが痛い。擦れ方を減らそうと工夫はしたのだけと、完全ではない。もう1つの足では、小指が詰まり、甲の端っこも擦れて痛い。そのため、履きつぶさないで残してあった古い靴を出してきたのだけど、さすが、マメは擦れ方がましになる程度だから、効果は、完璧じゃない。ということで、苦しんでいます。
 午後の一時は、最近の定番、落語とオペラだけど、あまり時間が取れなかった。雑用があったため、皺寄せが来てしまった。落語は、二豆の口演を聴いてから気になっているネタ2本をチョイス。①桃月庵白酒「牛ほめ」(2012/12/14 横浜にぎわい座) ②春風亭柳枝(八代目)「締め込み」で、探索を試みてみた。①は、東京版の「牛ほめ」のチェックということでのピックアップ。東京は、与太郎ものだった。白酒の描く与太郎は、随分とアブナイ、いや、与太郎ってそないなものかとは思うけれど、どうも気になる、滅入る方にだ。父親が教え手で、小遣い稼ぎを指南するという構図。掛け軸の箇所はなし、これは、白酒の演出の可能性がるので、他の音源のチェックの要があります。思いの外、東京の噺家さんによる「牛ほめ」が多いのに、びっくりしています。与太郎は、父親に指南を受ける以前にも普請ほめをしていたり、娘ほめもやっています。これは、上方版をそのままなぞっていますが、これが入ると、与太郎でいいのかと思ってしまいました。②では、いきなり盗人が盗みに入るところからスタートだから、「盗人の仲裁」と同じで、二豆の口演で入っていた前の部分はなかった。二豆は、マクラで「東京の噺家さんとネタ交換をした」と言ってましたから、他の噺家さんで、前の部分を入れる人がいるのではと思えるので、他の音源のチェックが要りますね。ただ、この音源を聴いていて、半ばで寝落ちしてしまってたので、「盗人の仲裁」にない「締め込み」に至る過程のチェックができていないので、また、聴き直す必要があります。いろいろと、ディテールのチェックをさせる口演だったということは、類まれなる口演をしてくれたんだと、二豆に感謝です。
 オペラは、先日来、視聴してきたフェニーチェ劇場の「ルイザ・ミラー」完走しました。芝居をさせることにこだわったプロダクション、だからと言って、人物設定や物語に、解釈という点で新機軸を出したというものではありませんでした。だから、これは、歌手のいい歌唱を楽しみ、つまらないと言っちゃ身もふたもないけれど、でも、そう思ってしまう筋立てをしっかりと押さえた音楽作りは、花◎ものでした。これは、冒頭から感じていたこと、それと、ヴェルディの音楽が良くて、先日、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングで観てきた「リゴレット」の音楽って、親近感を湧かせるものだけど、なんか、取ってつけたような音楽の流れのようで、こちらの方が、とっても自然な流れになっているように思えました。中期以後の名作群には入らない、本作品や「スティッフェリオ」は、線引きを2本、前に持ってくれば名作群の仲間入りできるのにと思ってしまいました。


2022年 4月 5日(火)午前 7時 41分

 昨日は、朝から京都工芸繊維大学美術工芸資料館に行った日。今、こちらで、開館40周年記念企画展第4弾として「牧野克次と霜鳥之彦 ―洋画家の多彩な顔―」というものが開かれているということで、行こうの気になった日でした。ここは、大学キャンパス内にあるということで、日祝にお休み、月曜日に開けている珍しい美術館。以前、こちらで、ミーシャを観ることができたとき、この大学の開校当時の情報を仕入れた。開校時の中心的役割を担ったのが浅井忠。その浅井忠に招請を受けたり、また、浅井忠の下で薫陶を受けた人を掲げた美術展ということで、気になり行く気になっていたのでしたが、ちょっと外れでした。「洋画家」と銘打ってあるので、以前のこちらでの企画展のように、浅井忠のような作品を並べてくれているのかと思い行ったのですが、その期待が外されたという印象。牧野克次関係は、彼がアメリカ留学時代、当地で活躍していた実業家?に請われて行った建築家としての顔を示す展示。これは、洋風の建築に、内装は、大名屋敷もさもありなんと思えるような和風の施しをしたものの設計図や遺族に伝わる写真による、その成果の紹介が大きなスペースを占め、あとは、洋画を志す以前は、日本画を目指していたということで、その頃の作品。デッサンの勉強のために描いたと思われる静物や風景のスケッチが展示されているに留まり、洋画はなかった。替わりに、浅井忠の大作が展示、日本画の教えを受けた守住貫魚の作品が展示されていたので、ちょっと、あれれとなってしまった。一方の霜鳥之彦は、小ぶりの油彩画が多く展示されていたけれど、なんか、カンバスの上部が詰まったアングルが多く、馴染めませんでした。カメラを構えたとき、その持つ手が、いつも、僅かに下に傾いたような視点で描かれているもので、ダメだったなぁ。それと、もう1つのジャンルとしては、雑誌の表紙絵のようなデザイン画が展示されていたけれど、あまりそそられませんでした。これらが、1階に展示、2階の展示室にも、続きがあるのかと思っていたら、とんでもありません、これで、おしまい。びっくりしたなぁ、、、どこかで、この展示のチラシを見たとき、期待しちゃったのは何だったのと突っ込んでしまってました。が、2階には、とっても、嬉しいご馳走が待ってました。観たかったけれど、展示期間は終わったものと思い込んでいた「ヨーロッパの演劇ポスター ポーランド、ドイツ、ブルガリアを中心に」は、終わっていませんでした。2年前だったかな、京都国立近代美術館で予定されていた「ポーランド映画ポスター展」は、コロナ禍で陽の目を見ることはありませんでした、確か。その穴を埋めてくれるものと期待していながら、気が付いたのが遅く、会期が合わないと諦めていた展示は続いていました。どこで、思い違いをしたのか、判らないんだけど、1階での失望の埋め合わせは、これがあれば、十分です。おまけに、ポーランドだけではなく、ドイツはドイツでもDDRものですよ! 更に、「日本国内では現在まで、ブルガリアのグラフィックデザインを主眼とした展覧会はごく稀であり、当館においても今回が初めての展示となります」とのコメントのあるブルガリアものが含まれていました。これ、嬉しかったなぁ。社会主義時代の3国のエンターテイメントを支えていた劇場のポスター、映画ポスター同様の楽しいものが並びました。旧DDR地域を、ドイツのオペラ紀行をする中で歩くようになりました。そこで知っていったのは、この社会主義体制下の地域では、こういった公共サービスの類に入るものが充実してたようだとの実感です。西側のように陽ではないかもしれない、派手さというよりか、地味で慎ましやかだったかもしれないけど、エンターテイメントはあった。基層はしっかりとあったのだろうと思えるようになったのが大きいのかもしれない。その時代のポーランドの映画ポスターは観たことがあるので、そのオペラ紀行での記憶と重なると、嫌が応にも、この企画は楽しく思えました。歌劇や芝居を誘うポスターが並んでいた。「アイーダ」や「ヴォツェック」といった知られた歌劇があるかと思えば、結構、知らない作品も上演しています。西側のような商業ベースで作品のチョイスをされているわけではなかったでしょうから、結構、知らない作品が並んでいたりします。歌劇でこれですから、演劇では、なお一層、知らない作品が並びます。これは、3国ともに共通して看られました。また、珍品というものもあります。「サヴォイの舞踏会」「ルナ夫人」なんてのを目にすると、自然と顔がほころんじゃいました。今のドイツの作品選びに似てるかな。公的援助が多いドイツでは、コロナ禍では、残念ながら稼ぎを優先させる傾向を見せてはいますが、それまでは、意欲的な作品を並べる傾向がありました。演出も斬新だし、啓蒙と言えば言い過ぎかもしれないけど、文化を牽引していくといった印象でしたが、正に、この展示で看る作品選びが、そのスタンスのように思えました。従って、それに見合うポスターのデザインです。作家の名前も残っており、人気のというか、評価の高い作家さんもいたようですね。あと、もう1室の展示室がありますが、そこでは、異なった展示が、もう1つ。「長谷川潔版画作品展」というものです。リトグラフに独特の手法を用いた作品だそうですが、リトグラフ自体が解ってない黄紺には、その製作法を説明されても、全く解らない。なので、作品だけを鑑賞。背景の黒のグラデーション、描く対象物の黒のグラデーション、それで、対象物の質感などを表そうとしていました。わりかし、目に残る作品群でした。
 外は、とってもいいお天気。この資料館に行くときは、往きは、地下鉄の松ヶ崎駅から歩き、帰りは、ウォーキングを兼ねて、高野川沿い、やがて、合流後は、鴨川沿いを歩くことを定番としています、まだ、2回目だけど。丁度、春爛漫、桜満開という絶好の環境。ただ、昼食時ということで、弁当を持ち、川沿いに人が溢れていました。合流後の河川敷は、いつも、歴彩館からの帰りの定番コースだけど、それまでの高野川はなかなか歩かない、ましてや、こちらの方が素朴だから、良かったな。もう、大満足!
 帰宅後、雑用をしていたため、午後の一時は、落語を1本聴いただけ。笑福亭仁鶴「牛ほめ」を選択です。二豆の口演で気になった箇所があったので、それを確認したかったので選んだんだけど、失敗。仁鶴は、描け軸の箇所すらカットしてました。あれれ、それ、省きすぎやろ! で、失敗。あと、確認できそうな音源なさそう。東京の噺家さんの音源の方が多いようなんで、そちらもチェックしてみます。
 夕方のウォーキングがてら、正月以来となる弟の家に行ってみた。黄紺の育った家でもあるのだけど、満開の桜も眺めることが、この時期に行けばできるからです。随分と大きくなりました。夜にはライトアップしているとかで、弟の嫁さんが、その写真を見せてくれましたが、めっちゃ派手派手しかったな、ライトアップって! 姪っ子の子ども2人が、昨日から3日間、泊っていくそうです。パパが仕事の関係でいないから、可能だそうです。弟夫婦は、大変だろうけど、嬉しい3日間となりそうでした。丁度、その子ども2人と入れ替わりに、帰宅。少し見ない内に、子どもは変わるね。お姉ちゃんは、えらく声が低くなってたし。弟くんは、顔つきがお兄ちゃんになってました。


2022年 4月 3日(日)午後 10時 45分

 雨模様の日曜日。夕方から雨というのが予報だったと思ったのだけど、昼前のウォーキングが終わろうかという時間に、もう降り出していたけど、日中は、時々降るといった感じだったよう。夕方のウォーキングも、順調にこなすことができました。今日は日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」は、邪魔されることなく観ることができました。今日のお題は「神はその手に宿る 復元師 繭山浩司」。古美術、特に陶磁器の修復のプロ中のプロの仕事を紹介するものでした。実際に登場されたのは、繭山浩司とその後継者の息子さん。2人の共同作業で、2つの陶器の修復の様子が紹介されました。1つは、藤田美術館所蔵の青磁の花入、「無傷なら国宝級」と称される逸品だけど、ずたずたに修復痕がある。漆を接着剤として使い、その接着面に金泥を塗り装飾してある。そればかりか、耳付けが欠けてしまい修復不能ということで、欠けたままにしてあるが、そっくりな重文の花入には鳳凰があしらわれていることから、これもそうだったのだろうと、その復元までやっちゃう。接着剤を剝がすばかりか、割れた面に食い込んだ漆まで掻き出し、余計なものは全て除いてから修復してしまう。青磁らしく、釉薬のかげんでできる泡状のもの、光沢まで再現してしまう。割れる前の状態そのものと見えるまでこだわる凄わざです。もう1つは、爆笑問題の太田光が持ち込んだ、向田邦子愛用の蕎麦猪口の修復。これも粉々と言っていいほど、割れていたものをくっつけたものの解体から始まる。向田邦子は、あえて茶渋からできた色合いを敢えて残していたと思われるので、それも割れたことで剥がれてしまった部分ができていた。それまで再現しちゃってました。ちょっといつもと異なった材料を扱った新作でしたが、これは、これで斬新、おもしろいものを見せていただけました。
 今日は、ちょっとした雑用をこなしていたこともあり、午後の一時は短めだったけど、フェニーチェ劇場の「ルイザ・ミラー」の続きを観ました。権謀術策横行の時代に紛れ込んだ恋物語。知られた貴族の物語ではないからか、下世話な田舎でぶいぶい言わせている輩の話かと思ってしまい、あまり好きになれない作品だけど、歌手がいいと、聴き込んでしまうものですね。ここで、歌手陣を記録しておきます。(ルイザ・ミラー)ダリナ・タコヴァ、(ロドルフォ)ジュゼッペ・サバティーニ、(ワルター伯)アレクサンデル・ヴィノグラドフ、(ヴルム)アルチュン・コチニアン、(ミラー)ダミアノ・サレルノ、(フェデリカ)ウルスラ・フェッリ。
 ワクチン接種が、この前の月曜日だから、今日で、丁度、1週間目。忘れかけていたのに、忘れさせないのがモデルナアーム。ようやく、一昨日から出ているのですが、前回に比べると、大層なことではありません。遅れて出て来るのも、前回同様。だけど、かゆさは、格段に楽。これが出て、ようやくワクチン接種が終わったのかなの気になりました。日本では、再び、陽性判明者数が増に転じています。欧州ほどには下がらない前に反転が起こっている。トルコは、まだ下がっているのに、早々に増に転じたかというところ。何がこうさせているのかが、気になります。タイや韓国が多いというから、そちらのルートなんだろうか、知らんけど。


2022年 4月 3日(日)午前 7時 7分

 寒暖の振幅の大きな日が続きます。昨日は、気温の下がった一日。昼前のウォーキングなどは、真冬同様の厚手のパーカーを着てのものになったけど、さすがに、ウォーキングの最後の方では暑かったので、午後の遅めのお出かけ時には、その格好は止めたけど、一昨日から風が冷たく、嫌な気候が続きます。今日は、また、雨が降るようだと、昨夜の天気予報は言ってた。そないななか、昼間では、平常の時間が推移、むしろ、トルコのコロナ情報収集は終わった感が出ていて、日本の感染再拡大とは違った雰囲気、マッチも土曜日からだしと、朝の一時ができたので、YouTuberで落語を楽しむことができた。次の3本です。①柳家一琴「三人無筆」 (2010/4//25 柳家一琴根多おろしの会inらくごカフェ)②柳家小満ん「奈良名所」③三遊亭百生「貝の村」。①は、大阪の「向こう付け」に当たるということでの選択。主人公の名は甚兵衛、だから、与太郎ではなかったのが意外だった。上方では、アホを与太郎寄りのキャラにするものだから。構成は、弔いから帰ってきたところからスタート、「帰り際に帳場を頼まれた」「えらいことになった」と言って家に帰って来る、あとは流れは同じ、最後に、無筆の弔い客が来たので誰も書けない、そこで、「お前は来なくっていいと遺言に書いてあった」というのが下げ。②は、上方では口演する人がいないネタが東京で生きていたとびっくりで、飛びついた。百生の音源もアップされているので、その辺から東京に持ち込まれ残ったのかな? 「東の旅」の「発端」「野辺」をなぞっています。だから、大坂から出発、「東の旅」のルートを辿り、野辺から奈良へということで、「煮売り屋」の箇所はなし、替わりに「宿屋町」的な箇所が少し入り、あとは奈良の名所尽くし。肝心の「奈良の名所尽くし」の箇所は短いものだった上に、「三十石」の発端部分の「京名所」的流れだから、おもしろくない。この音源のような構成にして、ようやく一幅の噺になっているというところ。そんなだから、上方では消えたものと想像しました。でも、資料的な意味で、貴重な音源であることは確かです。③は、じゃ、百生の音源も聴こうかとしたら、えらいものが目に入った。「貝の村」(「貝野村」と表記することもある)は、現在、生喬が持っているが聴いたことがない。昔、6代目の口演をラジオで聴いたのが、唯一の遭遇経験。もちろん、このネタの末尾に当たる「手水廻し」は、嫌というほど聴いているが。だから、本体の筋立ては、皆目覚えてなかった。田舎から出てきて行儀見習いに来ていた女と、その女を受け入れた大店の若旦那が恋に陥る噺でした。そこで、大坂と田舎の交流が噺になっていくという枠組みができて、「手水廻し」へとなっていくということでした。これまた、超貴重な音源です。
 午後のお出かけは、久しぶりの生落語。「第3回 蓮池院落語会〜にまめのこまめ 京都編」という会。蓮池院は、黒谷さん(金戒光明寺)の塔頭。山門の脇の蓮池の傍らにある塔頭、境内は、桜が満開、人が多かった。当然、往復はウォーキングを兼ね、三条から徒歩でとなると、岡崎を通った。凄い人の出でした。なんか、イベントもやってたこともあり、コロナ禍である最中なのが、また、吹っ飛んでいました。で、落語会、番組は次のようなものでした。二豆「牛ほめ」、智丸「鬼の面」、二豆「締め込み」。二豆は米二門下で、二葉の下。ちょっと重たい、古風な口調で、大丈夫かなと、入門当時の口演で思っていたけど、「やかん」の口演を聴いて以来、払拭したなの気配を感じたので、この落語会は行ってみようの気になった。すると、その狙いは当たった。二乗、二葉に次いで、3人目の米二門弟も優れ者に成長する気配まで出てきていました。気になっていた口調の欠片も出てなかった。「牛ほめ」はネタ下ろし。米二門下定番の前座ネタなので、この時期にネタ下ろしとはと、びっくり。冒頭の舌禍の箇所から、既に、そのもっちゃり、重たい口調が消えていたので、以前の不安は消えてしまいました。すると、おもしろい部分が入っていた。池田の場面で庭ほめをするところで、その外の風景を描く場面が入ったのです。初めてです、何十回と聴いている「牛ほめ」で、初めての経験でした。ネタ下ろしということで、教わったままと仮定すると、原形を喋ってくれたと考えられ、この部分は、「仕込み」「ばらし」に無関係ということでカットされるのでしょうね、通常は。帰り際に、二豆本人に確認すればよかったと、あとで思ったのだけど、時、既に遅しでした。「締め込み」は、出されてみて、そう言えば、どこかで出していたことを思い出した。「東京の噺家さんとネタ交換をした」と言っていましたが、誰とは言わなかった。でも、これ、上方の「盗人の仲裁」、それをもらわないで、東京への移植&改作版を選んだのか、二豆は考えているはず。そういうことに、人一倍、頭の回る貴重な若手噺家さんです。なにせ、関西学院大学古典芸能研究会部長さんでしたからね。「盗人の仲裁」に前と後が付くというのが「締め込み」、これ、珍しい。移植されると、多くの場合は、徒らに刈り取りが行われ、味気ないものになるのだけど、これは付け足している。今までは、「変な改作」だと思っていたのだけど、この付け足し、前と後がリンクしていることに気づかせてくれたのが、この二豆の口演。前の方で、「眼鏡屋盗人」で出てくる度新米の下っ端盗人風のキャラ作りが行われ、だからこそ、夫婦喧嘩の仲裁に出てくる、そして、喧嘩の仲裁という功を積んでくれたということで、酒を振舞われる、付け足しの後の方の展開になるというリンクです。その人のいい盗人、やりたかった、それを受け止める夫婦もやってみたかった、これが、黄紺の想像した二豆の頭の中。そう思わせる口演に看えました。「できた!」ってやつです。これは、この先、楽しみな噺家さんです。米二門下、三者三葉、ええ噺家が揃いました。ゲストの智丸、ひょっとしたら、二塚さんを最後に観た「落語芸術大学」以来かもしれません。新作も聴きたかったのだけど、「鬼の面」という意外な噺が出てきて、これはこれで驚いた。こういったネタにも興味を示すのか、いやいや、智丸色かな、こういったネタ選びも、なんてこと考えながら聴いておりました。面の取り換えをする主人が、あまりにアホげに見え、好きとは言えない噺だけど、滑稽ネタの間に挟まると、うまく収まりますねということで、流れとしてはありかと、ちょっと「鬼の面」の自分的評価が上がりました。


2022年 4月 2日(土)午前 6時 57分

 昨日は、映画でも観に行こうかと考えていた日だったんだけど、前の2日間が濃すぎた、実際、思った以上に身体に負荷がかかっていた。よく寝ます。一昨夜などは、宵の口から、寝落ちをしては起き上がり、また、寝落ちしてと、晩酌をする前から、そないなことが起こっていた。身体もそうだったけど、ハートの方も、たっぷり感があった。満たされ過ぎ、もう、お腹いっぱい。そういったときは、その余韻に浸ることが、一番。出かけるなんてチョイスは、朝起きたときには消えていました。そんなで、久しぶりに、何もない日、ワクチン関係を除くと、こういった日が少ないね、何かしてるから。だから、久しぶりに、ルーティンにしているウォーキングを、日に2回、ゆっくりとできました。おまけに、トルコのコロナもサッカーも、収集すべき情報は激減なものだから、もう、朝っぱらから時間に余裕ができたものだから、午後の一時どころか、朝の一時までできてしまった。「おはよう落語」なんていうYouTubeの配信があるけど、昨日の黄紺は、正に、そのフレーズのまま。昼前のウォーキングに出かける前に、落語を3本も聴いてしまった。偶然、3本ともに上方落語になってしまってました。ラインナップは次の通り、①桂文之助「親子茶屋」②桂文我「月宮殿星の都」③笑福亭仁鶴「向う付け」。①は、こういった組み合わせってあったっけの気でチョイス。軽いタッチで、流れるが如きというのが、文之助の口演でらしさが際立つとき。でも、このネタでは、あまり好意的には慣れなかった。慣れないときでも、その感性に合わすべしと思ってるのが文之助落語なんだけど、このネタでは、そのスタンスが当てはまらなかった。なんでだろう? 変化がありすぎるネタ、その変化が眼目のネタだからでしょうか? なかなか難解。②を選んだのは、「月宮殿星の都」を、文我だから、ちょっと違うかもと思ったからでした。このネタ、はではでしいタイトルのわりにはおもしろくないので、変化があるのかという期待からのチョイスでした。すると、ネタに魅力が乏しいと思ったのか、マクラで十二支の小咄を入れたり、天空から材料を取ったくすぐりを多用したり、工夫が見えた口演。やっぱ、目ざとい文我は、ネタ自体に物足りなさを感じたのでしょうね。おかげで、このネタでは、最高の出来栄えと思ってしまいました。なお、入りは鰻の昇天を使っていました。③が、なかなかのお気に入りになってしまった。仁鶴の口演って、平板な口調、平坦な流れという印象で、時として、それが退屈になってしまうことがあるけど、これは、そういった特徴が、実に、ネタに生きている。この長閑なアホがいい、えてして危ない系に陥りやすいアホが、そうではない、大阪のアホ感が満載なのです。ゆったりとした時が流れています、いい間があります。めっちゃええもん聴いてしまった感、残りました。「喜ぃ公が十一屋に行く前に、たどん屋ら登場、逆さま事のトピックが入り、喜ぃ公が登場、ご寮人との対面、ご寮人はそそくさと退場、それで、うっかり感を出そうとしている、喜ぃ公家に帰る、斎場へ」という流れでした。
 午後の一時は、オペラ配信を観るつもりだった、観たんだけど、その前に、何気なく、「神田伯山襲名&真打披露興行」絡みのYouTube動画(伯山がギャラクシー賞をもらったもの)を観てしまい、延々と続くものだから、延々と観てしまった。夜半に観た分を併せると、披露パーティーの準備から、新宿末広亭での10日間、浅草演芸ホールでの初日まで観てしまった。少なくとも、鶴瓶、文枝の出た回は、以前にも観ているのに、再度、観てしまった。毒蝮や爆笑問題まで口上に並んだり、高田文夫が松村邦洋と漫才で末広の舞台に上がってます。嬉しかったのは、亡くなった貞山が口上に並んでる姿を観れたこと。先代伯山の思い出話なんか、やってくれてます。顔立ちが、ちょっと痩せてるかなという印象、でも、ごく普通の風景だったのを観ると、惜しいね、ホント。円楽は、末広亭でも並び、浅草の初日でも、口上に並んでました。円楽も休養中だから、貴重な映像になってしまってます。ちょっと、この楽屋風景って、中毒性があるので、このあとも、時間があれば観ちゃいそう。
 で、オペラ配信は、以前、頭だけ観て、いい歌手陣、いい指揮者に恵まれてるから、これはと思ったもの。フェニーチェ劇場の「ルイザ・ミラー」(アーノード・ベルナード演出)です。舞台は簡素。斜めに上から下まで板が立てかけてあるという風情、その板に映像の投影かな? 群衆、人の顔が見えるという、抽象的なもの。そこで芝居をするという進行、マウリツィオ・ベニーニ指揮のオケが冴え、歌手陣の充実が、このプロダクションを支えています。と言いながら、ほぼ半寝で推移したものだから、もう1度、観直さねばなりません。


2022年 4月 1日(金)午前 0時 27分

 今日は、思いがけない日となってしまった。何も予定を入れないで、ましてや、昨日、美術館で足腰、踵に疲労が溜まりで、そないな気にもなれなかったところ、朝の8時過ぎに、息子から電話が入った。明日に予定していた、、、ここで、かなりの地震、多分、初めて経験すると言っていいほどの地震、揺れでは、阪神淡路大震災ほどで(ということは、さほど大きなものではない)、それよか、巨大な怪物が、こちらへと走ってくるような大きな地響きを感じました。そういった地響きで恐怖らしきものを感じたのは初めて。京都市伏見区と亀岡市が震度4になっていました。近くを走る断層からずれてることから、阪神淡路大震災のときに揺れは、さほど大きなものではなかったし、また、自宅の瓦が飛んだ台風19号のあとの地震も、こんなものかと思ってたけど、今回の地響き的地震は、気持ち悪かった! で、落ち着いたので、元に戻ると、息子からの電話で、明日に予定されていた保育園の休園が中止になったため、DとSの面倒を看る必要がなくなったというものだった。せっかく楽しみにしていただけに、衝撃が走った。「で、今日は、大丈夫なん?」と尋ねると、「今日は、自分が休めるから、リニア・鉄道館に行く」「行きたい?」って言うものだから、速攻で、その話に乗っちゃいました。「リニア・鉄道館」って、名古屋市内にある鉄にはたまらないミュージアムだそうでした。先日、DとSと一緒に梅小路へ行ったところだったので、短期間に似たところへ行けたのです。息子は、Dと2人で、以前に1度、新幹線で、しかも、宿泊を付けて行ったことがあるそうです。但し、Dは、前のことは覚えてなかったけれど。丁度、今のSの年齢ぐらいのことだったとか、ということは、Sは、大きくなったら覚えてないかもしれないな。今回は、車で行ってきました。名神、第2名神を使うと、1時間半くらいかな、名古屋まで、そんな時間で行けるなんて、初めて知りました。おまけに嬉しいことに、リニア・鉄道館はウォーターフロントにあるものだから、濃尾三川の河口部を横断するものだから、3つの大河を、しっかりと目に収めることができました。これも、嬉しかったな。三川を渡り切ったところで高速を降り、そこにあるサービスエリアで昼食。黄紺自身は車を運転しないものだから、サービスエリアなんて、日本で入るなんて、何年ぶりだろう。そういった施設は、トルコと韓国で行くものと、黄紺的にはなっているものだから。リニア・鉄道館も、すぐ近く。名古屋臨海高速鉄道あおなみ線という電車、初めて知りました。その駅と直結してました。これは、DもSも、喜ぶわ。兄弟そろって、鉄道好き、電車好きです。新幹線のいろんな型別の車両や、懐かしいL特急「しなの」の車両を初めとして、何種類もの実物の車両が展示されており、中に入れるものだから、2人は大喜び、Sは、何度も何度も、車両の中を小走りに走るものだから、それを追いかけるのが大変。もう、Sはテンション、上がったまま。走り回りすぎ、前のめりに倒れること、2回。でも、こういったときって、絶対に泣かないね、にこりとして立ち上がって、また、走り出してました。お兄ちゃんのDは、意味も解らないで機械を触ってみたくなる。説明は関係なく、触って動くのがいいらしい。運転体験なんてのは、息子に付き添われて楽しむのが、毎度の、こういったところへ行ったときの定番らしい。梅小路に比べると、コンパクトな印象はぬぐえないけど、目の前にある車両の迫力は大きい、いいところです。3時間以上、遊んだかな、午後4時過ぎに、現地出発。帰りは、かなり気温が下がっていました。鈴鹿山系を走っているときの外気温は9度なんて出ているときがあったほど。最後は、息子宅の近くの電車の駅で降りて、DとSにお別れ。帰りの車の中では熟睡していた2人も、その頃にはお目覚め、しっかりとバイバイをしてくれました。楽しかったなぁ、めっちゃ。


2022年 3月 31日(木)午前 7時 54分

 ワクチンの副反応から、前2回同様、3日目となった昨日、解放されました。足腰の痺れが普段通りとなり、熱っぽい感じは消えました。あとは、注射痕が、少し痛むのくらいかな、モデルナアームは出ていない、今のところ。発熱するということが、最近、経験しなかったものだから、ワクチン接種が原因と判っていても、いい気のしないものでした。だから、大人しくしてたってとこでした。一昨夜は、おかげで、よく眠れました。その前が、苦しんだ分の反動もあったのでしょうね。
 そこで、昨日は、出かけることにした。ある美術展に行く計画をしていたのだけど、気が付くと、その美術館、日曜日が休館で、月曜日は開けている。ならば、月曜日で空いている日に行けばいいだろう、まだ、会期はあるようなのでと判断、替わりに、最近まで、行きたいけど、混んでそうだから止めようの気でいた美術館の特別展を観に行くことにした。それは、京都文化博物館で行われている「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」。歌川国芳、月岡芳年が、タイトルに掲げられると混むだろうと、誰しも思います。ましてや、ポスターには、国芳の「相馬の古内裏」の骸骨絵がデザイン化されて使われている。国芳を知らなくても、この絵見ると、そそられてしまいます。そんなで、我慢しよう。こないだの岸田劉生展も我慢したじゃないか、有名病になると、会場の混雑に巻き込まれ、ただでも、黄紺の腰には厳しい美術展巡りに、一層の厳しさが加わるとの考えからです。でも、「日曜美術館」が、よりによって月岡芳年やっちゃったものだから、あの血みどろの絵、どんなだろうとか、上野の戦争現場まで足を運び模写までしたという絵って、どんなだろうとか、思っちゃったのです。いやいや、ここまでなら、まだ、我慢できたかもしれないけど、「月百姿」には打ちのめされたものだから、もう我慢できなくなっちゃいました。すると、平日の昼間なのに、安の定、混んでた。しかも、爺婆どころか、存外、若い人の姿が多かった。浮世絵って、年齢違わず、人気があるのか、やっぱ、国芳、芳年といったネームヴァリューが大きかったなの印象です、展示されているのは国芳一門の作品というもの。だから、国芳ものが、一番多い。そして、国芳門下で一番人気の芳年が次ぐといった展示傾向でした。この特別展の概要を見ると、企画協力欄に名古屋市博物館とあります。同博物館のHPで調べると、同様の特別展を数年前にやってました。そこからの借り物のようですね、今回の特別展。で、その展示構成は、次のようなものでした。①ヒーローに挑む②怪奇に挑む③人物に挑む④話題に挑む⑤「芳」ファミリー。①では、国芳出世の基になった武者絵が並びました。源頼光もの、その一族の活躍もの、鵺退治、宇治川合戦、南総里見八犬伝、忠臣蔵、弁慶もの、川中島合戦等々、芝居や読み物で、誰もが知る人物が闊歩してました。その合戦の様子をデフォルメする上手さ、物語の面白いところを切り取る上手さが際立ったんでしょうね。②が、今回の目玉。ここに、あの髑髏絵があり、且つ、落合芳幾と月岡芳年が手がけた「英名二十八衆句」が、特別な囲いを付けて展示してありました。いわゆる「血みどろ絵」です。人を殺めた瞬間、血がほとばしる絵、血の滴る生首をぶら下げる絵の類が並んでいました。中には、角度を変えて見ると、雨が降るのが判ったり、血糊がてかったりと、手練手管を使っています。国芳の血みどろ絵も併せて展示されていました。子弟揃って、得意ジャンルだったのですね。③美人画・役者絵の類が並んだコーナーだったんだけど、「しぐさ」や「気持ち」をまとっての表現がおもしろい。芳年の絵に「かゆさう」「暗そう」といった「~そう」ものとか、同じく芳年ものに「おしゃくがしたい」「洋行したい」といった「~したい」ものがあり、これは笑うしかなかった。④は戯画もの。世相を風刺するもの、話題となった見世物を描いたもの、雀を擬人化した絵は、大阪歴史博物館の浮世絵の特別展だったかなで観ています。このコーナーの最後のセクションに「安達ケ原」として、黄紺などは知っている「一ツ家」ものが並んでいました。何かで話題になったのかな、芝居なんかで、、、? その中に、芳年の「月百姿」が、この展示で初登場、「孤家月」となっていました。でも、月は描かれていません。月明かりの下、老婆が四阿に入りかけているという絵、幾つか出ていた「月百姿」で一のお気に入りになってしまいました。⑤は、国芳ものもあったけど、ほぼ門下の絵師の作品が並んでいること、幕末ものもあったけれど、明治期に入ってのものが多かったこと、従って、時事もの、「よこはまもの」という新しい社会を素材にしたものが入っていました。ここに、「日曜美術館」での紹介された芳年の「西郷隆盛切腹図」が入り、「月百姿」から「高倉月 長谷部信連」「四条納涼」「信仰の三日月」「吼噦(こんかい)」が出ており、「月百姿」には入っていないけれど、月が印象的な「東名所墨田川梅若之古事」が展示されていました。「高倉月」は以仁王絡みのようで、「四条納涼」は、「日曜美術館」で絶賛していたものですね。足元の水の冷たさが伝わってきます。「信仰の三日月」は山中鹿介が兜に三日月を付けています。「吼噦(こんかい)」は「釣狐」です。老狐が、「やれ嬉しや」と言って、月に向かい吼えている場面ですな、これ。「東名所、、、」は、梅若伝説を描いたもの、しっかりと「隅田川」と重ねています。「孤家月」一品だけかと、でも、「これ観れて、良かった」と思ってたら、思いがけず、最後にありました。狙いが当たり、ホッと安堵、腰のだるさ、何よりも、2時間立ち続けで、すっかり左足踵が悲鳴を上げていましたが、ここまで我慢したご褒美が待っていてくれました。最後に、もう一度、「月百姿」を、全部眺めてから、会場を出ました。


2022年 3月 30日(水)午前 7時 49分

 ワクチン接種2日目。副反応が出た。一番、顕著なのは、2回目に続き、足腰の痺れ。前回は、それも副反応だとは知らず、それと気づくのに遅れを取ったが、今回は、その経験が生きてるけど、これが、悲しいかなきつい。机の前に座り続けるのが苦しく、何度も、ベッドに寝転がることがあった。夜は夜で、痺れがひどく、一昨夜は、3時間半ほどしか寝ていない。注射を打ったところの痛みは、前回並み。腕を上げるのに困ることはなかった。まだ、モデルナアームは出ていない。前回出たのも、3日ほどしてからだったと記憶する。発熱は、1回目並みかと思っていたら、昨日の午後になり、37度を突破。最高は、37.3度だから、可愛いものだ。前回は37.6度が最高だった。1回目などは、37度を突破しなかった。そんなだけど、朝方や、買い物にだけ外出したんだけど、その出がけに、ごく軽い悪寒があった。だから、熱は、もっと上がるのかとも思ったのだけど、そんなではなかった。夜半に入り、身体の感じが変わり、副反応も収束に向かっていきました。前回までもそうだった。昨夜は、もう足腰の痺れは消え、しっかりと睡眠がとれた。そういうわけで、一昨日から、自宅待機を続けている。一昨日は、接種の前後にウォーキング替わりを入れたけど、昨日は、ホントに、買い物に出ただけ、しかも、1回で済ませた。Dが、1回目の接種を、先週の土曜日に受けたそうで、副反応なしだそうだ。順番が来ると、自分で腕をまくり、待機していたそうだ。それ、できすぎやろ! そのDとSの面倒を、今度、朝っぱらから観ることになった。Dの入院時に、丸1日、付き添って以来。楽しみだけど、今度は病人じゃないから、うまく相手できるやろか、、、、?
 そんなでは、1日、自宅でしていたことは、PCの画面を眺めているということだけ、替わりに、読書をしようと思っても、目を休めさせたいからNG。そういったときは、足腰の痺れを癒すことを兼ねて、ベッドに寝転ぶのが一番、ないしは、YouTubeの音源だけものを、ラジオ替わりに聴くということをして、時間が経つのを待つしかなかった。3回の接種の中で、足腰の痺れが、一番ひどいので、接種の翌日で、一番、苦しんだんじゃないかな。その中で、メモっておきたいのは、落語と、オンライン配信で聴いたシンポジウムについて。前者は3本、①柳家一琴「てれすこ」(2015/6/14 らくごカフェ柳家一琴の会)②三遊亭兼好「陸奥間違い」③桂米團治「子は鎹」というラインナップ。①は、毎度お世話になってる一琴のチャンネルに入ってたはずとの狙いで選出。とにかく、最近、聴いたことがない。ひろばが持っているのだけど、遭遇経験がない。あとは、持っている人、知らないんじゃないかなぁ。ただ、思い入れのあるネタ、円都が、晩年、よく出してたから。頭の先から高音で「すてれんぎょ」というフレーズが、まだ、耳に残っている。あと、先代の歌之助も持ってたな。そんなで、一琴のチャンネルに入っているのを知ってたものだから、いつかはの気持ちでいたもの。記憶に残る円都の運びと、全く同じだと思います。貴重な音源です。②も珍しい。YouTubeにアップされているのを知るまで、このネタの存在すら知らなかった。ウェブ上で調べると、釈ネタで、ひょっとしたら、兼好だけしかやらないかもしれないようなことが書かれていた。でも、めっちゃ、おもしろいネタ。使いの役を仰せつかった田舎出の権助が、2度に渡り、人間違い、聴き間違いをしてしまい、話が大きく大きくなってしまい、ついには、徳川の将軍まで出てくる。上方ネタは、「はてなの茶碗」でお天子様が出てくるけど、さすが、江戸噺です、出てくるのは将軍様でした。③は、演者とネタの組み合わせが気になっていたもの。これは、YouTube上の音源だけではなく、リアルタイムで口演がされているものだから、飛びついた。子どもが母親の元に留まるヴァージョンで、通常演じられるものとの祖語はない。米團治、誰からもらったのかな、ざこばから? ただ、この口演、あまり感心できない。詰めて詰めてという感じで、間を入れて、余韻を持たせながら進行できないものかと思ってしまった。今まで聴いた米團治ものでは、最も評価しにくい口演です。ま、そんなものにも当たることがあるのがYouTube。以前も、歌丸の、古~い、何とも言いようのない音源に当たったことがあったから、こういったこともるとうことか。
 オンライン配信は、同志社大学主催で行われた国際シンポジウム「文化遺産の持続的発展ー観光とまちづくりの結びつきから」というもの。シンポジウムの司会を担当された河島伸子さんを座長とする「JSPS課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」の報告会といった様相。ただ、テーマが、「文化遺産と観光」といったものだったことで、コロナ禍と衝突され、当初、予定されていたインバウンドを想定したアンケート調査などができず、予定変更されてのまとめになったようですが、「観光」がテーマではきついですわね。プログラムは、次のようなものでした。①基調講演:「イタリアにおける文化遺産の活用:発展と今後の課題」(グイド・フェリーリ/IULM大学[ミラノ]准教授、同大学文化産業と複雑系研究所長)②パネルディスカッション(八木匡/同志社大学教授/文化経済学、村中元/一般社団法人キタ・マネジメント事務局次長、矢ケ崎紀子/東京女子大学教授/文化観光、土屋正臣/城西大学准教授/文化財・博物館学、河島伸子/モデレーター/同志社大学教授/文化政策学)。①は、明らかに②で話題にされたこととは、内容が異なる。イタリアの文化政策の特徴(移入の多さで学校政策・文化政策に影響が生まれたというトピック、もっと具体的に聴きたかった)、コロナ禍での変化、観光資源の分布、著名な観光地ヴェネツィアの現状の一端(土産品は中国製というフェイクには笑ってもた! 豪華客船で聖マルコ広場乗りつけなんてことがあったんだって! 今は禁止、テーマパーク化した観光の負の効果が経済効果を上回っている、納得)、時差や映像のクリア度を考え、録画でのものでした。②の冒頭で、河島さんが、文化財の本質的価値と、経済的価値&社会的価値を弁別し、それらの関係についてがテーマなんだと触れられていました。だったら、そういった講演依頼を①でしなきゃと思いましたが、日本とイタリアの祖語を防ごうとして、イタリアの文化政策全般のお話が、①で多かったのかなと、好意的に言えば、①については言うことができます。②では、パネラーの中から、短めの報告がありました。八木さんは、アンケート調査報告。ここで、インバウンド対象のアンケートを入れたかったみたい。替わりに、ネットを使いされたのかなぁ、かなりのサンプルのクロス集計を報告されてました。バーチャルツアー映像を見せて、どのような層が、文化財に、どのような反応を示すかを調査したもの。層としてカテゴライズされたのは、「高級ブランド志向」「堅実志向」「アウトドア志向」「低価格志向」など。結論めいたことだけメモっておきます。高級ブランド志向、アウトドア志向、低価格志向、中古志向は「体験の共有」を、堅実志向、オリジナル志向、倹約志向は「歴史的価値の体験」を目的として動く。「体験の共有」って、「皆が知ってること、知っておこう」「有名なもんやから、知っておくべき」的なことと勝手理解しました。村中さんの報告、「実は、これを聴かせたかったから、このシンポジウムやってんじゃないの」と思うほどの内容だったし、パネラーから賛辞が出ていました。実際に、パネラーの皆さんでツアーを組まれたようです。愛媛県大洲市の取り組みです。古民家の改修、文化財の補修、それらを使った観光資源に企業の誘致、街作りにも貢献、ついには、2人で1泊160万円のお城ステイまで。大洲市と言えば、あの「おはなはん」の町。その「お」すら出てこなかった。一時、大洲は、それで売ってたよね。だけど、今は昔ってとこで、荒れた古民家の画像を見せられ、事業達成後の現状の姿を見ると、この試みの凄さが判りました。こういった、文化財と観光資源のドッキング、それによる街おこし、街作りをテーマに、このシンポジウムがあったってところでしょうか、当然、そこに至る、また、今後の問題点も語られていました。文化財の所有者は県外、相続の問題とか、生々しいお話も出ていました。この大洲の取り組みを知っただけでも、このシンポジウムを視聴した価値はありましたね。あと、土屋さんが、熊野古道の再生、世界遺産登録に向けての古道整備に関するヴォランティアの活動報告もありました。


2022年 3月 28日(月)午後 9時 4分

 今日は、3回目のワクチン接種を受けた日。2回目が、9月22日だったので、6ヶ月経過しているということで、2週間程前に接種券が届いた。2回接種をしているので、ここで止める手はないと、即刻、予約。京都市では、黄紺が2回目を受けた直後、即ち、9月末から、オンライン上だけで予約が可能になった。それまでは、オンラインで登録はできても、その後、電話がかかってくるのを待たねばならなかった。ネットを使えない人に配慮して不公平感を持たせないようにしたのでしょうか? 知らんけど。でも、ネット予約が可能になって、全くもって、あっさりと予約は完了。でも、接種希望者が減ってるのでしょうね、前回の接種のときまで、毎日、接種が可能だった会場も曜日指定していた。副反応のことを考えて、あとが空いてないとダメなんで、今日を指定、且つ、2回目までがモデルナだったので、続いてモデルナを指定すると、検索結果として出てきた会場は1箇所だけ。偶然、2回目までと同じ会場となった。しかも、時間指定についても、対象者のカテゴリーがあり、空いてれば、どの時間でも可ではなかった。幸い、狙っていた時間辺りを指定できた。そんなで、会場に行くと、空いているという噂とは真逆で、目いっぱいの人。ま、京都では最大の集団接種会場と思われるので、それだけ、人の多さを感じたのかもしれない。今回も、アレルギー反応が、人生で1度だけ、明確なものが出たことがあるため、医師に事情説明。今回初めて、「待機時間を15分ではなく30分にされますか」と尋ねられた。2回目までで問題はなかったので、30分は辞退しました。それで気づいたのですが、接種後の待機場所には、「30分待機用座席」の貼り紙があった。前回までは、気づかなかったのか、なかったのか、今更、知りようもない。政府は4回目を検討しているようだけど、どうなんだろうと思ってたら、最近のトルコのコロナ情報収集で、時々、見かけるようになってきているのが、日本でオミクロン亜種と言われている変異株の流行話。ドイツやオランダ、イギリス辺りで、陽性判明者数が、またぞろ増加に向かっている。オミクロン株の範囲内の変異株なため、強力ではないけど、更に一層、感染力は高まっているよう。日本は、下降化が続いているけど、トルコやヨーロッパの下降化に比べると、そのスピードが鈍い気がしているところへ、また、遅れて、亜種株が入ってくると、再び、怖い数字が出てきそうですね。世間的なことはいいとして、自分的には、夜半に入り、副反応らしきものが出始めてきているのが判る。注射痕の痛みは、1回目が、一番強いですね。でも、少しずつだけど、痛みは増してきているのと、ごく軽く熱っぽくなってきたかなという程度だけど、出始めてきています。ま、明日は、のんびりしましょう。
 いえいえ、接種を受けたのは午前中だったので、帰宅時に、わざと、一駅前で降りて、ミニウォーキングがてら、狙いのマートに寄ったくらいが、身体を動かしたことくらいで、あとは、自宅でごろごろ。あまりPCの画面ばかり見ているのもと思い、YouTubeを使い、落語の音源を聴き、でないと、ベッドでごろごろ、何もしないで、ごろごろ、普段、ほぼしないことだけど、ごろごろ、でした。おかげで、落語は長編もの、聴いちゃいました。①春風亭一之輔「居残り佐平次」②柳家三三「五貫裁き」③柳家喜多八「文七元結」。江戸落語の名作3本、しかも、喜多八は亡くなってしまったけれど、リアルタイムで聴けるか、つい最近まで聴けた噺家さんばかりで選んでみた。廓噺って、女郎に遊ばれる噺もあれば、逆に弄ぶ噺もある。後者の典型例が①。刺し込みが、結構決まるので楽しいのだけど、それらを含めて、人の当たり方、言葉の感覚が現代仕様になってるのを、強く感じた口演でした。そんなものだから、一昔前の口演が懐かしく思えてしまいました。②は、YouTubeに上がっている三三ものの長編ネタとしては貴重なもの。今回、聴いてみて、お裁きものにしては、裁かれる内容については、ごく僅かしか時間を割かない、そもそも、事件としては大岡さんが出てくるようなものじゃないほど、小ぶりのもの。だから、噺の中心は、吝嗇家徳力屋が、どのようにして懲らしめられるかを眺めるというもの。そんなだから、あまり演じ手がいないのかな? 知らんけど。上方では、確か、小佐田センセの手が入った脚本で、南光が持ちネタにしているはず。でも、そこからは、ほとんど広まっていないんじゃないかな? 弟子の南天は、人に合いそうじゃない噺ですしね。③は、喜多八を聴いてみたいなと思っていたところで、見つけた。この辺りにくると、さすがに疲れてきて、半ばが吹っ飛んでしまったので、聴き直しました。金を借りて、吉原からの戻り、即座に身投げを発見する、この即座っていうのが、いい。そこに、絶妙の長めの間を取る。一挙に、物語が、それまでの流れを変えてしまう。身投げを助け、50両を投げつけて去る、そこで、一転して、文七のお店への戻りになり、夫婦げんかにはならない。夫婦げんかは、事態の推移が判明してから、この流れでの夫婦げんかって、滑稽さが増しますね。居眠りのおかげで、2回、聴くところも出たけど、「お肴を」というところで、2回とも、ぐっと来てしまった。喜多八の独特の滑舌が、やたらリアリティを与えてくれます。亡くなるの、早すぎるよ、ホント!


2022年 3月 28日(月)午前 0時 28分

 今日は、とっても気温が上がった日。1週間程前にも同様のことがあったので、その範囲内のことかと思うけど、5月の陽気と言えば言い過ぎかな、でも、そう言いたくなるほどの日曜日。日曜日と言っても、高校野球のために「日曜美術館」の新作が奪われてしまった。替わりに、動画サイトにアップされている「ブラタモリ」を2本観た。「南紀白浜編」「小豆島編」だったのだけど、後者は、最近では最優秀作品だけど、あっさりと寝落ち、せっかくの秀作をなんてことをと思っても、寝たのは自分。怒りを、どこにも向けられない。「南紀白浜編」も、なかなかのもの。温泉編の粋が詰まってる感じがして、ライブで観たとき以上に評価してしまってました。
 で、午後にはお出かけ予定を入れてたんだけど、ちょっと遅めの時間帯だったので、昼前のウォーキングは、途中の休憩なしで敢行。思い通りの時間で動けました。その午後のお出かけ先は、京都学・歴彩館。今日は、こちらで、「北山あおいフェスティバル・フラワーフェスタin北山 連携企画」と称して、京都府の企画制作もの映画「海の京都」の上映があったものだから、それを観に行ってきた。ちょっとした旅行気分に浸れるんじゃないかと思ったのでした。題名が示す通り、京都府北部が、この映画の対象、海を持たない福知山や綾部が入ってたのはご愛嬌と思えばいいというもの。それらを含めた7地域を、各地域に当てがわれた有名人とともに歩むという趣向のPR映画。そんなものだろう、えらく金かけてると思いながらも、コロナ禍で行けない近郊旅行の気分で行ってみようの気になったのでした。7市町を巡った7人のクリエーターたちと市町の組み合わせは、次のようなものでした。「伊根町 × 井浦新(俳優・写真家)」「京丹後市 × GONTITI(ミュージシャン)」「福知山市 × 茂山逸平(狂言師)」「綾部市 × 池坊専好(華道家)」「舞鶴市 × 日比野克彦(アーティスト)」「宮津市 × 北山一成(アートディレクター)」「与謝野町 × 堀木エリ子(和紙デザイナー)」。この中で、黄紺の行ったことのある市町は、伊根、京丹後(旧網野町、旧久美浜町)、綾部、宮津といったところ。海の風景がいいですね。入り組んでるみたいで、舞鶴なんて、そのために軍港ができた、戦後の引き上げ港にもなった。遠巻きに陸地が見える風景って、見ごたえがあります。久美浜もそうですね。そないななか、伊根は、やっぱ、舟屋が見せてくれます。その上、映像としても、一番映えてた。余計な地元の案内人が、クリエーターとされた人たちに付いて解説しながら歩く映像が多いものだから、観ていて、おもしろくない。その解説も、音響が悪く、うまく拾ってくれてない。拾えば、邪魔なだけかもしれないけど。むしろ、判らない方が映像に集中させてもらえるというもの。逆に、一番、印象のないのが福知山。観るべきものがないのか、編集が悪いのか、逸平くんが、島田洋海と演じる「柿山伏」が多くを占める展開となっていました。一番まとまってたのが、先ほど良かったと書いた伊根か、与謝野で、丹後ちりめん工房訪問がメインの映像かな。お金をかけているわりには、短い割当時間に詰め込み過ぎで、わけが判らなくなってる場面多数といったところで、外した感の強いものとなりました。もっと、のんびりと紹介してくれるもの、ないのかね?
 YouTubeを使い、長めの落語を、1本聴く時間もあった。前々から狙っていたもの、柳家小三治(十代目)「備前徳利」をピックアップです。動画の時間が長く、敬遠していたのだけど、その時間にすっぽりと嵌りそうだったから選んでみました。すると、マクラが長い、ま、お好きな人には、たまらない小三治らしさが詰まってる。ネタ自体の長さは、22~23分といったところ。地噺とは言い切れないけど、かなり、それに近い。下げが秀逸な分、笑いの少ない噺。それに文句を垂れても詮無きこと、どういった展開になるか、ちょっとした緊張感がある。それが、小三治の技なのでしょうか。このネタ、他では聴いたことがないと思ってたら、小三治オリジナルの復古ものだと、ネット上に書いてる人がいました。ま、珍なるネタを聴かせてもらえた、それに感謝というのが、黄紺の感想かな。


2022年 3月 27日(日)午前 7時 43分

 週末に入り、「ブラタモリ」も「日曜美術館」も、新作がないという悲しい現実。おまけに、午前中から、また、雨が降った。ひどい週末になっています。雨は、傘さしウォーキングが可能だということで、普段の量のウォーキングはできた。でも、ずっと歩きっぱなし。途中に休憩することができない。ぼちぼちと、いい気候になりつつあるので、休憩がてらの読書もしたいけど、できない。ただ、午後に、オンライン配信での市民向け公開講演会の予約を入れていたのが、救いでした。それは、帝塚山大学考古学研究所主催の「第472回市民大学講座」。昨日は、「古代国家防衛の視点からみた紀伊・道成寺」というお題で、帝塚山大学考古学研究所特別研究員の甲斐弓子さんのお話しを聴くことができました。取り上げられたのが「道成寺」というのが気になった。能や文楽・歌舞伎の題材となっています。その道成寺が、古代史と関係があるの? この帝塚山大学で取り上げられるテーマというのは飛鳥時代や奈良時代、そういった時代に道成寺があったのと、何も知らないものだから、そう思ってしまい、これは逃せないの気持ちで申し込んでありました。寺伝には、文武朝、大宝年間に勅願寺として建てられたとあるそうです。開祖は義淵とあるそうです。ところが、勅願寺であるならば、当然、書かれていて然るべき正史である「続日本紀」に、その記載がない。また、造営に功のあったとされている紀大臣道成という人物を確認できないと、寺伝に疑問があるのです。ところが、この寺には、以前から、白鳳期から奈良・平安時代の瓦が出土することから、その時期には、寺院があったことは判っていたところに加えて、昭和53年からの発掘調査で、文武天皇創建の大官大寺(飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院)出土の軒丸瓦と類似した軒丸瓦が出てきたというのです。瓦というもの、この間のお勉強で、その技術、資金からみて、簡単に作れるものではなく、集中的に作られ配分されるものだと学習できていますので、これは、勅願寺の証拠だと言われても、疑問は感じなくなっています。では、なぜ、造られたのか、この時期に。天皇による創建ならば、その意図があるはずということでの詮索です。まず、狙いとしては、お題にも出されていた「国家防衛」「軍事目的」だということを、繰り返し押さえられていました。1つには。寺院には軍事目的があるものだという点、これも、中世から近世の話としては、随分と「ブラタモリ」で出てきたトピック。寺院の広いスペースを使い、軍団の駐屯が可能になるということですね。これが、古代にもあったということです。そもそも、古代寺院などというもの、誰それと恣意的に造れるものではなく、朝廷の許可がないと造れないもの。そこに、国家防衛という目的が噛んでくるというわけです。もう1つは、道成寺の位置。紀伊水道に臨もうかという位置。紀ノ川の下流域には和歌山があり、紀ノ川を通じて、大和と繋がっている。その紀ノ川の北側には、海会寺(かいえじ、泉南市、立派で官衙に近い遺構、瓦から四天王寺との関りが看られ、国との関りを示している)が北の防衛を担当し、反対の南の防衛担当が、日ノ御崎から道成寺のラインだというのです。白馬山脈が東にあり、その谷あいに開けた平野、要するに扇状地だ、そういった環境で道成寺は高台に位置している、正に防衛の拠点という体裁を整えていると言われていました。では、その必要性です。何から守るのか? 対外的なこともあっただろうが、時代が時代、国内の争闘が浮かんできます。壬申の乱後の防衛がそれだと言うのです。文武期の、そういった観点の動きを続日本紀から拾われて、そういった環境であることを証明しようとされていました。少し、ピックアップしておきます。「巡察使を諸国に遣わしている(699)」「人を遣わし薬師寺造営の司を任じている(701)=鎮護国家目的の寺院造営」「天皇自ら紀伊国に行幸(701)」「紀伊国賀陀(加太)に駅家(厩)を設けた(702)=淡路の渡る港、軍事目的」。一言で書けば「鎮護国家思想」に満ちている。それに加えて、道成寺の伽藍配置についても触れられていました。外敵に備えるところにある大宰府観世音寺式だということでした。それを図面で説いていこうとされたときに、急にお腹に異変、ここが抜けてしまった! 無念、、、以上のことから、道成寺は、文武期に防衛目的で造られた、寺伝の記述は正しいのだろうという結論を導かれていました。実際には勅願寺でありながら続日本紀に記載がないのは、他のことを大義名分にして、軍事のためを隠す目的があったのかもとか、紀大臣道成は、道成と名乗ることが名誉であって、他に使う名を持っていたのではないかとか、想像の世界でお話はされていましたが、これらは、あくまでもその範囲のお話として聴いておりました。てなことで、名を知る道成寺が、思わぬ創建のされ方をしていたことを知り、なかなか美味しい講演を聴けたかなというところです。
 YouTubeを使った落語の視聴は、たっぷりめを2本、①桂米朝「代書」②桃月庵白酒「富久」。①は、言わずとしれた貴重な音源のフルヴァージョンものです。「昭和15年の設定でやります、40年以上前に戻ってください」的なことを、マクラで言ってますから、1980年前後の音源ですね。この時期になると、フルヴァージョンは、滅多に出てないはずですから、「貴重」と書きました。ましてや、米朝師は、3代目に伝えてから「代書」をする機会を減らしていましたから。でも、以前に聴いたのと同じだとは思えなかった音源です。「やりにくい」わけについては触れてませんから。前に聴いたのは、そうではなかった。2人目の書家の先生の部分が、えらく短く感じました。4人目と関係するということで刈り込みをしたのかなとすら思ってしまいました。もしそうなら、卓見とは思いましたが。それにつけても、いい下げですね。今回も、フルヴァージョンを聴いたときのお定まりの感想を持ってしまいました。②は、誰のにするか迷って、白酒に。あまり好きになれなかったな、残念だけど。幾つかのパートに分かれる噺だけど、それらが有機的になってないようで、ブチ切れた噺の寄せ集めっていう印象を持ってしまいました。どうも白酒ものには、最近、辛口になってしまっています。


2022年 3月 26日(土)午前 5時 57分

 かなり、暖かさが回復してきました。薄手のパーカーを着てウォーキングに出かけると、暑いくらいになっています、昼前のウォーキングだけだけど。夕方だと、その格好で、丁度いいくらいかな。昨日は、午後に、ちょっと長めのオンライン配信を予約してあったので、若干、窮屈になったけど、ルーティンにしているウォーキングは、ごく普通にすることができた替わりに、落語を聴く隙間の時間はなかった。僅かに、旅系YouTuberの動画を観たことくらいが、僅かの隙間という日でした。
 昨日のオンライン配信は、かなり専門的なもの。ただ、テーマが朝鮮史だったもので、ひるまず予約を入れておきました。何をやろうとしているかぐらいは解るだろうの気分でしたが、オンラインは、身分も、身なりも隠してくれるものだから、その筋の専門家の世界を覗かしていただきました。「京都大学大学院文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター比較文化遺産額創成部門シンポジウム」という大そうな名前が付いている、これに怖気づかなかった己の向こう見ずさが恐ろしい。で、そのタイトルが「大正二年度朝鮮古蹟調査を探る」というもの。気になったのは、この調査記録が、植民地時代のもの。それを、京大が主催するということは、調査報告書など、関係生資料を持っているからなんだろうな、なんで? そないな関心もありで覗いてみたくなりました。概要欄には、「その後の楽浪郡や高句麗研究に大きな影響を与えた」とあります。ということは、その調査対象は、今の韓国ではなく、北朝鮮から中国にかけてのものと想像できます。気になてしまったのが、怖気づくどころではなくなったということですね。そのプログラムは、①趣旨説明:吉井秀夫(文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター長)②報告1:早乙女雅博(東京大学名誉教授)「関野コレクションからみた大正二年度朝鮮古蹟調査」②報告2:吉井秀夫「写真からみた大正二年度朝鮮古蹟調査」③討論:早乙女雅博・吉井秀夫ほか。細かくまとめて残せるような内容ではないので、このシンポジウムの趣旨、そもそも、問題になっている調査とは何かということをメモっておきます。主管は、朝鮮総督府が執っており、朝鮮各地の古蹟の学術調査を行っているのですね。地方から、やれ、こういった遺跡がある、発見されたとなると、こういった調査が入ったようです。関野貞、鳥居龍蔵、今西龍といった学者の名前が上がっていました。こういった人たちは、ここで問題になった調査だけではなく、朝鮮各地を調査に巡っていることが、早乙女さんの報告で明らかにされていました。そして、報告を朝鮮総督府に上げねばなりません。遺物・復命書・ガラス乾板(写真の)といったものが提出され、これらは、現在、韓国中央博物館の収蔵となっており、ウェブ上の公開が進みつつあるということでしたが、問題は、この調査に関わった機関(東京帝国大学、京都帝国大学)や、調査者の元に、図面・焼付写真など(遺物を含む)があるというのです。早い話が、写真は、原版となるガラス乾板は朝鮮総督府に収め、それから作った焼付写真を確保する、それどころか、遺物などは、総督府に収めた以外のものを、早い話が、関わった機関&人たちが山分けをしちゃった! それが、東大と京大に受け継がれ、その調査が、ここまでなされずに、でも、史料としては使い続けられてきていた。個人の保管したものまであるようです。ありえへんこと、やってるんですね、戦前の、しかも、植民地だという意識が見えてきます。が、史料としては、第1級のものですから、そないな突っ込みはいいとして、それを、どのように活かしていけばということで、ここでの報告者2人は頭を痛めているということでのシンポジウムとなったということです。早乙女さんなどは、東大を退職されていますから、自分のあとのことを気にされながら、引き続き調査を続けられているということでしたし、吉井さんも、同様の不安を口にされていました。ただ、この調査先に凄いところが入っている。楽浪郡は、それと聞けば、その重要さは判ったけれど、高句麗関係は輯安(しゅうあん)ものが入っている。「輯安」って、聞いたことなかったもので知らなかったから、最初は聞き流してたんだけど、進むにつれ、判ったのは、ここが、長寿王が平壌に都を移すまでの都だった。ということは、長寿王は、広開土王の息子だから、あの有名なのがあるところじゃないか! 「なんちゃら安」だとは知ってたつもりだったけど、ここだった。えらいところの史料が含まれてるから、皆さん、色めき立ってんだということで、ようやく、後半になり、このシンポジウムの大事さが判った次第。そういった史料を持つ東大と京大の研究者が、その保管されている史料の整理と公開に向けて努められるとともに、史料の精査もされている。総督府に収められたものは、韓国側の精査が進んでいるそうで、既に公開されたもの、公開に向けて作業が進んでいるそうですが、日本に保管されているものは進んでいない。それに向けて、史料の整理をされているのが、発表者のお二人ということです。大学に保管されているものだけではなく、個別に保管されていたものもあるようでした。韓国側の現状については、Zoomは便利で、韓国在住の考古学者の報告があり、元東京国立博物館館員だった方からは、持ち帰った考古学史料の分析結果の報告もありで、その重要さが、どんどんとクリアになっていきました。早乙女さんがまとめられていましたが、こういった調査が、今回話題になった調査だけではなく、幾つもあるようです。テーマに「大正二年」と断ってあるのは、それを意味しています。有名な碑文のある輯安は、現在は中国領ですから、中国側での調査結果も出ているとか。ゆくゆくは、日中韓の学者が成果を持ち寄り照合するという作業になれば、高句麗の実相が、よりクリアになるでしょうが、その基になるところが進んでいないということですね。日本側のフットワークが、最も悪そう。だから、こういったシンポジウムが行われているということですね。


2022年 3月 25日(金)午前 7時 17分

 昨日は、随分と悩みながら、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングに行った日。「リゴレット」(バートレット・シャー演出)があったんだけど、新演出とは銘打ってはあっても、同じプロダクションを、ベルリン国立歌劇場の公演では観ているしと、行かないつもりをしていたのでした。でも、朝方から、ライブビューイングって、この2年、観てなかったため、うずうずしてしまい、結局、観に行くことにしてしまった。1つには、キャスト面で、聴きたい歌手がいたってことが大きかったのでしょう。ところが、行って、正解。同じバートレット・シャーものでも、ベルリン国立歌劇場のプロダクションとは違いました。一番の特徴だった殺しの場面のコンセプトは同じものでしたが、方法は変えていました。そんなで、行って、正解だったというわけです。オペラ紀行のメモは残しています。自分の記憶だけだと、確実に薄まっていきます。すっかり忘れてしまう場合もあるので、メモを、直後に取ることの大事さを、再確認もできました。「装置は、至って判りやすいもの。常時、公爵の館の広間を表す装置はそのままで、リゴレットの家になると、2階建ての作り物が、左サイドからスライドで出てきて、また、スパラフチレの家の場面では、似たような2階建ての作り物が、右サイドからスライドして出てくる仕掛けになっており、、、」とメモっています。スライド型の舞台を使っていました。これは記憶にも残っていたのだけど、実際、メトロポリタンの舞台では、回転舞台になっていました。流行のあれです! 回転舞台の一方の壁を高くして、その壁が前に来たときには、その壁を背景に、全く異なった装置を配備できるというやつで、今回の場合には、そこにリゴレットの家、スパラフチレの店を設えていました。そうすると、舞台を回転させるだけで、貧富の差も見せることができるという趣向です。宮殿内部の正面には、扉があり、奥の間に通じるという趣向。ジルダを誘拐してきたとき、アルマヴィーヴァが、その女をジルダと気づいたとき、侍女たちが、アルマヴィーヴァのお相手をさせるために衣装を着替えさせるという場面を用意していたのですが、そのときは、アルマヴィーヴァは、回転舞台の外に立ち、舞台を回転させます。壁の隙間から、ジルダを徐々に生着替えをさせる(侍女により)様子を見せていくという手を取り、最後は、その扉の向こうに、2人を消えさせていました。それは解りやすく、ジルダにとっては、さらわれてきた先が、自分が恋する男の屋敷だったことで驚くとともに、困惑の中でも受け入れるという状況をうまく表せてるようで、その直後の、リゴレットとジルダのデュエットが生きてきます。で、問題の殺人の場面です。ベルリンのプロダクションでは、このようにメモっています。「スパラフチレとマッダレーナが、対策を協議するデュエットがあります、スパラフチレの家で。すると、そこへ、ジルダが入ってきて、2人には見えない体になっていて、スパラフチレが殺しに用意していたナイフを、スパラフチレに握らせ、一旦、外に出て、扉を叩き、誰も開けないのに、ジルダは勝手に中に入り、一瞬、スパラフチレと対峙します。その瞬間、スパラフチレは、自分が手にナイフを握ってしまってる(ジルダが握らせたままですからね)ことに気がつきます。次の瞬間、ジルダの背後にいたマッダレーナがジルダの背中を押し、スパラフチレはジルダを刺してしまうというもの。3人の意志を、見事に表現する場面、、、」。まず、このシーンの特徴は、ジルダが、筋立て、場面設定を無視して、ずかずかと、スパラフチレとマッダレーナのデュエットの間に入り込み、スパラフチレの手にナイフを握らせるという点です。それで、自分は、自分の意志で殺されに入るということを示します。これは生き残りました。このプロダクションの最大の見せ場ですからね。ただ、その前後をいじっていました。スパラフチレの店の2階にマッダレーナが客を引っ張り込む部屋があります。客としてやってきたアルマヴィーヴァが来る前に、問題のナイフは、ベッドの下に隠されます。こいつがカモだとの表現と看ました。でも、隠されたまま。でも、スパラフチレとマッダレーナの協議のデュエットの中で、スパラフチレが、それを取りに行き、下へと持ってきておきます。それを、ジルダが取り、スパラフチレの手に握らせるというものでした。次いで、殺しの場面ですが、ここは、通常の演出になっていました。宿を求めに男装のジルダが来る。1回目の扉をたたく音で中に入り、そこで歌います。マッダレーナは何もしません、傍らに立っているだけです。2回目の扉をたたく音の直後、ジルダはスパラフチレの方に歩き出すと、スパラフチレが刺すというものでした。扉をたたくという仕草を、2回ともジルダはしない、全て、効果音でだけです、第一、2回目は、もう中に入っていますから、そんなことはできません。そのときのアルマヴィーヴァの位置は、その店の外です。店の外に、もう1軒、スパラフチレの家があるという体になっていました。これだけ、違和感、感じたなぁ。「そないな金持ちなんかい!」と突っ込んでしまいました。そんなで、殺しの場面は、牙が削がれた印象は否めないものになってたな。一方、宮殿の装置となると、回転舞台を使った分、広がりが出てきて、豪華さが出たことは間違いありません。貧富の差が、よりクリアになるという効果が出ていました。横スライドにすると、どうしてもちゃっちぃ印象が出てしまいますからね。ですから、ベルリンのプロダクションでは、その辺のコンセプトは、あまり重視されてなかったのだと思います。その他と書くには大きなことですが、バートレット・シャーとピーター・ゲルブ総裁(2年間見ない内に老けました)との対談が特別映像として流された中で、時代設定としてワイマール時代にしたと言っていたのですが、確かに、衣装はそうかなと思えたのですが、その効果が、舞台に現れていたかと言うと、ちょっと解らなかったなぁ。人間関係の緊張という意味では解るような気もしますが、大きな効果があったかなぁとは思ってしまいました。で、歌手陣ですが、黄紺が、一番、気になっていたのは、リゴレットを歌うクイン・ケルシー。当初は、ベルリンと同じだろうと思っていたので、最大の関心事は、この人でした。コロナ禍で流されたパリ・オペラ座のプロダクション(クラウス・グート演出)で、この役を歌っているので知った歌手。歌唱もいいけど、風貌がいい。リゴレットは当たり役のようで、今回、メトロポリタンで聴けるというのが、最大の関心事でした。すると、もう、最高、期待通り。ピョートル・ベチャワは言うまでもない名テノール。知らなかったのは、ジルダを歌ったローザ・フェオラ。まだ、30代半ばの歌手のようですが、ぱっと見、若くもあり、そうでもなさそうな印象。他の人の目には、ジルダ、どのように映っているのでしょうか。キャリアを見ると、大舞台を踏んでいます。中音域のきれいな声質の人で、ジルダ歌いにしては、高音は普通かな、という印象でした。楽々と最低音を出したスパラフチレのアンドレア・マストローニ、コントラルト的な声質のマッダレーナのヴァルドゥイ・アブラハミヤンと、粒は揃ったキャスティングでした。それと、すごい印象が残ったのが、ダニエレ・ルスティオーニの指揮。すっごい、ドラマに合わせて、歌手陣を含め、音楽をコントロールしていた。いや、乗せていたと言った方がいいかもしれません。注目の人と思いました。
 終わったのが、午後1時半。そこから、久しぶりに、アーバン・ウォーキング。二条通まで行き、鴨川河川敷に降り、丸太町橋へ。そのたもとで昼食。丸太町通を東進、黒谷さんへ。ここの塔頭の1つ蓮池院を探しに。1週間後に、ここでの落語会に行くので、下調べ。ここへの往復が、ウォーキングにいい距離だとの判断で、目的地に選定。戻りは、岡崎に向かい、ロームシアターでチケットの引き取りで、おしまい。夕方にも、2回目のウォーキングで、1日分の歩数を確保に成功でしたが、アーバン・ウォーキングは、気温が上がったからか、疲れました。その疲労のわりには、夕方のウォーキングは体が軽かったので、気温のせいだと思っています。
 夜は、久しぶりに、アートエリアB1からのオンライン配信で、「ラボカフェ/阪大院生ゼミナールカフェ」の vol.3「多様な日本語―地域から世界まで―」を聴きました。カフェマスターの村上正行(大阪大学全学教育推進機構 教授)さんのもと、次の3人の院生の発表を聴きました。①相川大知(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程 1 年)②冷羽涵(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程 1 年)③蔡真彦(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程 1 年)。①は、「方言の命令表現」というお題を、山梨県西部方言を例にしたお話。②は、「日本語がうまい学習者の特徴」というお題で、③は、「ことばを学びあう異文化交流」というお題で、タンデム学習についてお話がありました。タンデム学習、これ、トルコ語でやれば、トルコ語の上達できるんでしょうね。日本語の話せるトルコ人と話す、要するに、K氏と話してたようなことですよね。確かに、トルコの文化、一番、仕入れたときだったですからね。それに対して、②の「うまい学習者」というお話では、文化の問題は検討の対象外で、流暢さや正確さが問題にされていました。トルコ語で喋っているときの経験で、流暢に喋っていても、通じ合わないことがあるんだよね。それが、文化の違いだと思うし、また、トルコで日本語の話せる人に「上手い」と感じるのは、流暢さなどもさることながら、日本で覚えた日本語だと感じたときの共生感て、大きいんだけど、そういったお話は②では対象外みたいだった。③の守備範囲なのかもしれません。言葉の問題って、なかなか、おもしろい。ちなみに、外国人で日本語を学習している人口の多いベスト3は、「中国人」「インドネシア人」「韓国人」だそうです。
 隙間狙いの落語は2本、①桂枝雀「あたま山」②三遊亭圓生(六代目)「八五郎出世」という、いずれも名人もの。ただ、①は、会場で無許可で録音した音源のようで、音質が悪い。違った音源で聴き直した方がいいと思います。②は映像付きで、円生がノリノリでの口演の様子が伝わる、超名演。この円生は凄すぎます。


2022年 3月 24日(木)午前 6時 34分

 昨日は、午前中に出かけ、午後からは、普段の生活に戻るという流れ。そのお出かけとは、アスニー山科での「特別講演会」。テーマに不満がなければ、月2回、出かける。人数制限があるので、申込み多数で外れになる恐れがあるけど、まだ、そういった外れは経験していない。昨日も、当たりの連絡が来るまでは、どうだろうと思わせられたテーマだった。それは、「古墳に副葬された玉類の諸様相~大和地域を中心に~」というもの。聴講にやって来る爺婆は、「古墳」なんてタームに弱いから、やばいんじゃないかと思ってしまうのです。黄紺も、以前は、ほぼ関心の埒外なテーマだったけれど、向日市で古墳の講演を聴いてから、そそられるようになっています。それに、帝塚山大学の講演会が拍車をかけてくれています。昨日のお話は、関西大学文学部日本史・文化遺産学専修教授井上主税さん、井上さんの経歴紹介で知ったのですが、この方も、韓国留学の経験をお持ちでした。最早、この分野で研究者になろうかという人で、韓国留学経験者が増えています。今や、朝鮮半島と日本列島って、1つのフィールドとして研究を進めて行くことが定番なのでしょうね。数年前、大阪歴史博物館での展示「渡来人は、どこから来たのか」(この名称もハングルで併記してあった!)を観に行ったとき、ホント、韓国の考古学の成果が判ってないと、日本の考古学は読み解けないなと痛感しました。これは、韓国サイドでも言えるように思えました。その韓国内での発見との照合ネタも、僅かですが触れていただけたのですが、講演の主流は、古墳内部から出てくる玉類の分類、分析が眼目のもの。ただ、玉類の分類は、さすがになじみのない話。関西大学に移られる前には、樫原考古学研究所で研究生活を送っておられたとかで、その頃に行われていた作業のお話は、気が遠くなります。発掘調査報告書を紐解き、その中に出てくる玉類の記録を引っ張り出し、それを、形状、色合い、素材、制作年代などで分類し、その分析をするわけですから、大変。大きな古墳で、玉類が多く出てくる場合だと、1万個以上も出ているそうです。その成果のつまみ食い、それをさせていただいた報告でした。玉類の素材は、様々な石。その石の生産地も調査の対象となっており、石の発掘跡の特定作業も行われているようで、この岩石は、どこで採れる、日本では採れない、いや、韓国では無理とかというお話が飛び交いました。この石の話でおもしろかったのは、最後の方で触れられたヒスイ。これ、朝鮮半島で採れない。でも、有名な国宝中の国宝、新羅の王冠には付いている。勾玉が幾つも付いている。黄紺も、40年前に慶州国立博物館で現認してきています。そのヒスイの成分分析も、当然、行われている。それが、「ブラタモリ/糸魚川編」で紹介されたヒスイでした。糸魚川のヒスイは、縄文の時代から採掘されていたとか、番組内で言ってたような記憶ですが、あのヒスイ。へぇ~です。お話の前半は、時系列的に、出てくる玉類の分析話。古墳時代中期(4世紀末~5世紀)に至るまでは、メノウやヒスイといった石で作られた玉類で占められるそうですが、その中期以後になると、そこへ、金属製のものやガラス製のものが出てくる。これは、渡来人がやって来る時期と符号するということで、渡来人のもたらしたものであろうとの推測。古墳時代後期前半(6世紀前半)になると、様々なヴァリエーションの登場する時期だけど、古墳時代後期後半(6世紀後半)になると、石製の玉類が減るといいます。金属製やガラス製が中心をなしていくそうです。特に大きな古墳で、こういった傾向が強くなるとか。黄紺も、その名を聞いたことがある藤ノ木古墳(斑鳩町)や牧野古墳(広陵町)が、その代表例だそうです。その一方で、中小の古墳では、ヒスイのような石が残るそうです。飛鳥時代(592~ )に入ると、舎利荘厳具などに玉類が用いられたりと、玉類の用途に多様性が出るそうで、同様のことが、韓国の扶余王興寺や益山弥勒寺(行きました!)の舎利荘厳具(マトリョーシカ風)にも言えるそうです。といった時系列的まとめを経ての知見は、次のようなものでした。「玉類の副葬古墳は、古墳前期前半の下池山古墳や桜井茶臼山古墳から、桜井茶臼山古墳は、国産の鏡が出てきた画期的な古墳でもある」「外来系玉類の出現、古墳時代中期後半に朝鮮の三国時代の玉類が出現、銀製空玉やメノウ丸玉がそれ、後者は南インド製、これらの玉類は新羅や百済から流入、大和地域の南部の渡来人と直接に関わる被葬者の古墳から出てくる」「後期古墳時代、大型古墳且つ渡来系被葬者埋葬の古墳に金属製玉類が多く出てくる、“多く”と言っていいかと“25%”の割合の評価に躊躇されていましたが、金属製玉類の出土は出自に関わってであり、階層に関わるものではないようだとの見解を出されていました」「その一方で、後期古墳時代には、大型古墳にガラス&金属製玉類が多く、中小古墳に石の玉類が多いという傾向も看られるということで、金属製玉類の持つ意味の時期的な変化も言われていました、となると、まとまった傾向の影が薄くなってしまった!」。かなり、細かなお話。聞いたことのある古墳名であっても、それが、どのような分類をされているものか、特徴は何か、また。古墳が時系列的に、どのような変化を持ち、玉類以外の副葬品の傾向など、全く解ってない身には、かなりハードなお話となりました。そんなでありながら、韓国考古学にも通じられている方なので、もう少し、そちらにシフトしたお話も聴きたかったな、解らんかったと思うけど。このご時世、韓国ネタを聴くだけでも、心が洗われそうに思えたので、そのような感想を持ってしまったのでした。どうやら、この講演会は、来月に予定されている「高松塚古墳発見50周年記念講演会」の露払い的に用意されたんじゃないかと、勝手に想像しています。でも、申し込んではあるけど、それに外れたら、さっぱりわやと思ってしまっています。
 隙間狙いの落語は2本、①六代目笑福亭松喬「算段の平兵衛」(1994/7/16 道頓堀浪花座/第8回松喬独演会)②林家彦六(八代目 林家正蔵)「頭山(あたま山)」。①は、米朝ネタを松喬がする中でも、珍しいんじゃないかなと思い、ピックアップ。三味線は桑原あい子(内海英華)と、奥様が書かれているコメントに記されていたんだけど、録音技術がまずく、松喬の口演を邪魔するほどの音量で入れているので、その箇所が聴き辛いという欠点を持つ音源。そないな不満もあったけど、何が嬉しいかと言って、この口演、ラストまでノーカットでやってくれてる。平兵衛をゆする男が登場してくる。黄紺も、文都の口演で聴いてはいるので初めてではないのだけど、米朝師も含めて、ここはカットするのがしきたり化してます。そのわけは、この音源を聴くべしです。つまらない、しかも、放送禁止用語で下げとなっているで、出ないのです。そういった意味で。貴重な資料にはなります。②は、なかなかおもしろい音源。彦六の滑稽噺、滑稽ぶりが、そそられてしまう口演です。人情噺を聴くよりも、彦六の技、巧みさを、明確に知ることができます。お囃子も入り~ので、なかなか凝ったものになっています。ただ、噺の中心は、頭の上での散財、それを、散々見せつけて、下げに持っていくという趣向でした。上方での趣向とは違うなと思いました。でも、いいもの聴けたの実感の大きな音源です。


2022年 3月 22日(火)午後 8時 24分

 昨日の余韻が、しっかりと残っている3連休明けの火曜日。思い出そうとしなくても、ずっと、胸の中が暖かい感じがしてる。可愛いなD。字を覚えたからと言って、何か気になると、字を読もうとしたり、電車に関して、知らないことが目に入ると夢中になってる。子どもはいいなぁ。そんなのを、横で眺めていると、ホント、ほっこりしてしまう。だから、今日は、何もしないことにしていたんだけど、してしまった。1つには、夜半から雨で鬱陶しいかったこと、そんな日に限って、朝方のトルコのコロナ情報収集はウクライナに取られてしまい、めっちゃ影が薄くなってしまっている。また、うまい具合に急減期に入っており、コロナ関係は、もう健康記事の一角にしか出てこない。さすが、日々のデータは扱いは大きいけれど。火曜日というのに、月曜日にマッチがなかったため、サッカー情報収集もめっちゃ薄い。W杯欧州予選プレーオフ前なもので、日曜日までに試合を固めたため、そんなことになってしまった。それで、鬱陶しい時間が長くなってしまったため、木曜日に行こうかと思っていた映画に行った。京都シネマで上映中のジョージア映画「金の糸」。でも、前半に寝てしまった。同じシチュエーションで続く会話劇に、早々に身体が反応してしまった。幸い、筋立ては外すことはなかったのだけど、何ともはや、この重厚そうな映画を浅薄に観てしまったことか! 主人公は、79歳になった女性、生業は作家。その女性の娘の姑(この関係は帰宅後、映画の概要を見て知った)にアルツハイマーの気配があるというので、その作家と娘の住む家に引き取る話からスタート。そういった時期に、偶然、作家の女性のもとへ、かつての恋人と言っても、既に、その男性も車椅子生活をするご老体だけど、その男性から電話が入る。映画は、この3人の会話劇で続きます。主人公と姑は室内で、主人公と元彼とは、最後まで会うことはなく電話での会話。寝てしまっているので、なんで、このタイミングで、電話がかかってきたわけが判らない、また、その2人が、どうして別れたのか、そもそも2人の関係の詳細が判らない。一方の女性2人の会話は、どうも嚙み合わない。その嚙み合わない会話が続く。その噛み合わない居心地の悪さのわけは、姑が、旧ソ連時代の共産党の幹部だったという経歴を、主人公は知っているということが、寝落ちするまでは判らなかった。その件と、かつての恋人と、どのような関係があるのかも、判らないまま。要するに、映画の枠組みを捉える前に寝てしまっていたようなのです。これも、そのきっかけが判らないんだけど、男性がTVに出ている場面が出てきます。その前には、TV出る出ないを電話で話し合っていた。で、主人公は、TVを観る。そこへ、姑が入ってきて、そのTVに映る男を思い出し、「そう言えば、この男、あなたのところに、よく通ってきてたわね」と口走ったのがきっかけになり、過去に、その姑と主人公の表面に出てなかった関係を、主人公が知ることで、己の人生を切り刻んだ旧ソ連時代の惨い仕打ちの張本人が姑だったことが判る仕掛け。家を出て彷徨する姑、既に、アルツハイマーの進行が著しくなっており、過去の思い出の場面、幹部として秀でた活動をしていたことを想起するなか、彷徨を続けます。行方の判らなくなった主人公と元彼の爺さんの電話での会話が、この映画の締めでしたが、この到達点は、黄紺的には、報道の中で知っていた。だから、そこに至る過程を知るがために観に行った映画なのに、この無惨過ぎる展開、どうしようもありません。
 帰途、MOVIX京都に寄ることにしました。メトロポリタン歌劇場のライブビューイングの3回券を買いに行くのが目的でした。先日、メトロポリタン歌劇場によるネトレプコ追放を報道で知り、そこで初めて、このライブビューイングが復活をしていることを知り、その旨、福井の友人にも連絡を取り、コロナ禍の中でも行くのならの打ち合わせも終わっています。福井の友人は、実際に思惑を立てても来れるか、いや、その気になるかは別問題だけど、京都に住む黄紺には、移動のリスクが福井からするとゼロに近いので、その分、行けるだろうということで、この3回券を買いに行ったというわけです。「ランメルモールのルチア」「ナクソス島のアリアドネ」は絶体行くとして、あと1つは、どれか行くだろうと考え、3回券を買った次第。2年前に、際どいところで、「オランダ人」か「アグリッピーナ」を観たのが最後でした。福井の友人は、その2つは、もう観てないので、それ以上、会ってないことになります。さて、コロナ禍は、ライブビューイングの上映期間と、どのように絡むのか、それで決まってきます。
 隙間狙いの落語は2本、YouTubeで視聴、次の2本です。①桂枝雀「矢橋船」②林家正雀「大どこの犬」。①は、YouTubeで「船」で検索したところ出てきた。枝雀の、このネタって、ピンと来なかったのでチョイス。問答のところを、「考えるふり」を入れて、うまく間を詰めている。これ、手ですね。なんか、とってもさわやかで、長閑な「矢橋船」です。②は、毎度お世話になっている正雀のチャンネルの一覧を眺めていて、聞いたこともないネタがあったので、時間の長さも都合がよかったので選んでみたんだけど、きっちりとコメント欄に、上方では「鴻池の犬」と書いてくれていた。でも、こないな題名付けているのなら、設定を江戸に替えてやってんのかと思ったけど、そうじゃなかった。鴻池の犬に、くろはなってた。しかも、弟の犬は、江戸から大坂へ、その兄を訪ねて行ってる。さん喬は、これを、ロードムービー仕立てにしたけど、それもなしで、進行。全体的に、何かにつけ、カットしています。だから、この辺も余計なことしていない。ま、よくある、上方からの移植版で骨抜きにされたものの1つでした。ネット上で調べてみると、彦六の正蔵が移植したと出てた。道理で、正雀が持っているはずです。


2022年 3月 21日(月)午後 11時 14分

 今日は、黄紺的には待望の日。Dと息子と3人でコンサートに行った日。Dとの2人連れのつもりだったところへ、息子も行くということで、慌ててチケットの買い足しをしたコンサート。幸い、時節柄、端っこの席を取っていたため、買い足しの席も、当初買ってあった席の隣に並べることができ、3人並んで聴くことができました。行先はびわ湖ホール、ということは、黄紺的には2日連続となりました。もちろん、偶然の産物ですが。おかげで、昨日、事前にお昼ごはんを食べる場所の下調べをすることができました。びわ湖ホールへは、普段は、JRを使って行くのですが、2人の移動のことを考え、京阪電車で行くことに。すると、電車好きのDは、初めて乗る大津線(黄紺的には「京津線」と言った方が通りが良い)に興奮気味。見たこともない京阪電車の車両が嬉しい、見たこともない駅の名前を読んで喜んでる、そうなんです、字を覚えて、駅の名前を読んで喜んでいるのです。逢坂山辺りになると、坂に弱い電車は、曲がりくねりながら進むやら、浜大津駅直前には、路面を走るので、またまた嬉しい。立ち上がってキョロキョロするものだから、カーヴの多い路線なため、その姿を見ているこちらが、冷や冷や。浜大津で乗り換えると、また、知らない京阪車両に出逢えて、もう一度、嬉しい。ホント、鉄の素質あるわ! 昼食場所確保のために、島ノ関駅で降りる。ここからだと、歩いても近い上に、僅かだけど湖畔散歩がいい。曇り空だったけど、この時間だけ陽が射してくれた。遠くに雪をいただく伊吹山まで見えた。「比良暮雪」はダメだった。息子に「近江八景って知ってるか?」と聞いても「ノーだった」けど。そんなで、コンサートは、「子どものための管弦楽教室/オーケストラと遊んでみよう!」というもの。会場には、子どもがいっぱい、こんな風景もいいものです。MC付きで、指揮者の藤岡幸夫も噛んでくるという進行。プログラムは、次のようなものでした。「アンダーソン:舞踏会の美女」「ヘンデル:水上の音楽より アラ・ホーンパイプ」「ベートーヴェン:交響曲第5番“運命”より第1楽章」「モーツァルト:トルコ行進曲(ピアノ・ソナタ第11番 第3楽章)」「宮川彬良:シンフォニック・マンボNo.5」「ハイドン:びっくりシンフォニー(交響曲第94番“驚愕”より)第2楽章)」「ブラームス:ハンガリー舞曲第5番/指揮者体験コーナー」「リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲」。オケは関西フィルハーモニー。チェロのトップに向井航さんが座ってたのには、びっくりしました。他にも、こういった子どもを対象としたコンサートがあるのを知っているのですが、このプログラムを見たとき、一番、分かりやすいかなと思い、選んでみました。更に、何年も続いていることから来る、様々な演出がされてあります。楽器紹介、ボディアクションを組み込んでみたり、指揮者体験コーナーがあったりとします。でも、Dには、まだ早かったみたい。一応、しっかりとは座っておれる子どもだけど、退屈になってくると落ち着きがなくなっていく。普段の生活とは、あまりにもかけ離れてたみたい。それもこれも経験だと、黄紺的には折り込み済み。でも、最後は、黄紺の腕先を枕に寝落ちしてました。それはそれで、可愛くって! 寝落ちしてもいい、小さい頃に音楽会に連れて行かれて、寝てしまってたという思い出さえ持ってくれてたらいいなというのが、黄紺的思惑。そういったときに、ほんまもの聴いたことあったんだと思い返してくれたら、いいなと思ってしまうのです。帰りは、最寄り駅の石場からの逆戻り。一気に、京都市役所前駅まで行き、地下街でお茶、Dは、美味そうなアイス。ご飯は麺類、デザートはアイスが定番のDです。Dは、近々、ワクチン接種を受けるそうです。子どもも2回接種だそうです。そう言えば、黄紺も、3回目接種が近づいています。接種券が到着してすぐに予約をしました。息子は、もう1ヶ月半前に3回目を受けたそうです。副反応は2回目よりはましだったと聞いて、ちょっと安心してしまいました。黄紺と同じ、モデルナ3回組のはずです。うまく行けば、Dの2回目接種の翌日に、また、Dと会えることになりますが、副反応が大きいと、止めないといけないので、小さいといいんだけどな。Dに会えないとなると、またぞろ、Sとも会えない。二重に悲しくなってしまいます。だから、祈るしかないのかな?


2022年 3月 21日(月)午前 6時 4分

 世間は3連休、その2日目の日曜日。日曜日の楽しみと言えば、「日曜美術館」なんだけど、昨日は、選抜高校野球中継のため、お休み。オリパラと言い、迷惑な話です。人の楽しみが奪われてしまいます。替わりに、朝の内に「FUTBOL HABERLERL」は完成。隙間に落語を1本聴けた。笑福亭三喬(現七代目松喬)「仏師屋盗人」。出てもいいのに、演じ手の少ないネタ。松喬は、先代から「大喜利や」と言われてたと伝わってきてるけど、このネタなんか、正にそうですね、でも、それを聴いて喜んでる黄紺なのですが、、、。でも、松喬の泥棒ネタを聴くと、癒しになることは請け合います。のほほんとした気分になれます。
 昨日と今日は、コンサートに行く日。昨日は、びわ湖ホールでの「佐藤晴真チェロ・リサイタル」に行ってまいりました。恐らく、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクールに次いで、ステータスがあると言える「ミュンヘン国際音楽コンクール」の覇者のコンサートだということで、外せませんでした。そのプログラムは、次のようなものでした。「メンデルスゾーン:チェロとピアノのためのソナタ第2番 ニ長調 op.58」「シューマン:アダージョとアレグロ op.70」「武満 徹:チェロとピアノのための“オリオン”」「ショスタコーヴィチ:チェロとピアノのためのソナタ ニ短調 op.40」と、若干、短めだけど、なかなか意欲的なプログラムでした。ピアノは加藤昌則という組み合わせ。めっちゃ、トークの上手な方です。シューマンと武満の作品は、短めですから、前半がメンデルスゾーン、補佐がシューマンで辻褄があっている。後半は、ショスタコーヴィッチに武満があしらわれているという粋な組み合わせ。前半がロマン派ど真ん中、後半が20世紀と、棲み分けもできている。このプログラムの魅力もさることながら、いきなり驚きました。いやぁ、鳴る、鳴る、徐々に、それが当たり前になっていったけれど、驚かされました。そのパワーを味わっただけで、元を取った感じ。そして、歌います。こうなれば、鬼に金棒です。シューマンのアダージョや、あろうことか、ショスタコーヴィチの1楽章などで、その腕を発揮してくれます。しかし、このショスタコーヴィチの曲はおもしろい。冒頭の楽章や、3楽章のメロディーラインを聴いていると、ロマン派の曲かと思ってしまう。ところが、複数楽章は、打って変わって野性的という、とってもおもしろい曲でした。だから、その対比を楽しめる曲ですが、この演奏で、唯一不満だったのは、この対比。もう少し、デフォルメしても良かったんじゃなかったかな。加藤さんのピアノの方は、それを意識してたように思えたのですが。閑話休題的に入った武満作品は、こうなると、いいタイミングで並べたもの。プログラミングの妙を感じました。見事に和の世界です。篠笛の演奏をイメージしてしまってました、当たってるかどうかは、知らんけど、勝手な妄想かもしれないけど、自分的楽しみ方、です。ピアノは鍵盤だけではなく、指で弦を弾くという奏法もありでと、なかなか、武満らしい。なお、アンコールは2曲、「シューマン:献呈」「加藤昌則:花詠み人」でした。後者は、作曲家加藤さんの曲でした。
 夜、朝方の番組は高校野球に化けてしまったけれど、ひょっとしてと思い、夜の「日曜美術館」の後ろの1/4を観ると、黄紺の勘がドンピシャ! 「アートシーン/展覧会情報」は新作でした。タイミングのいい展覧会情報を流すわけですから欠けないのではという勘が当たったということでした。ブリジストン美術館がアーティゾン美術館に衣替え、黄紺はスルーするつもりの細見美術館の漆工芸展などの紹介があったけれど、どこかで、カンディンスキーが出てきてたぞ。この1週間で2回目のカンディンスキーでした。


2022年 3月 20日(日)午前 6時 49分

 昨日は、雨交じりの一日。幸い、ウォーキングには支障はなかったけれど、夕方のウォーキング時には、霧雨のような細かな雨が、一部、降った。でも、雨雲レーダーを信じて、傘なしで出かけても、なんとか大丈夫だった。気温は、元に戻ったまま。一昨日、城陽に行ったときには、冬の間、着ていたジャンパーを着て行ったら、やっぱ、もう、その季節じゃないって感じで、違和感感じちゃった。だったら、どのような格好をして外出をすればいいのか、よく判らない、とっても中途半端な気候になってしまっている。今日から2日連続で、コンサートに出かけるのだけど、どうすればいいか、困っています。
 昨日の午後は、オンライン配信での市民向け公開講演会を予約してありました。コロナ禍のおかげで、オンライン配信を続けてもらえている帝塚山大学考古学研究所主催の市民大学講座。今年度最後だったからだと思いますが、今後の予定が、最後に触れられていましたが、4月からもオンライン配信を続けると言われていました。とにかく気になっていたことのアナウンスがあり、喜んでいます。で、昨日は、「夏見廃寺出土塼仏の制作とその背景-持統朝の仏事-」というお題で、いつも、この講座の司会を担当されている清水昭博(帝塚山大学考古学研究所長・附属博物館長)さんのお話がありました。清水さんは、帝塚山大学に来られるまでは、樫原考古学研究所におられたそうで、学生時代から、この研究所に入られたあたりで研究対象にされていたという「塼仏(せんぶつ)」を切り口にして、持統朝を読み解いていただけました。なかでも、題名にある通りに夏見廃寺出土の塼仏が切り口になっていました。塼仏とは、金属で型を作り、それに土を宛がい形を取ったレリーフ状の仏像のこと。それを、何枚も壁に並べるのだそうです。そういった小さめの塼仏とともに、壁の中央に配置されただろうと想像される大型多尊塼仏が、夏見廃寺から出てきているそうです。そもそも夏見廃寺とは、名張にあり、その遺構から、問題の塼仏が出てきているのだそうです。その遺構跡の様子、出土してきている瓦などから創建時期の推測、文献史料「薬師寺縁起」に出てきている昌福寺との照合(結論は同じ寺)、その「縁起」に創建者と記されている「大来皇女」の妥当性の評価(無理だとの結論、でも、何らの関りがあっただろうとの推測、実際には、伊賀臣や夏見忌寸によって建立されたようだとの見解)、出土してきた塼仏について(主に金堂に使用されたことが出土した場所から判る、使用法は上に書いた通り、大型多尊塼仏には銘文があり、その中にある「甲午年」は仏像の様式からみて持統8〔694〕年と判断できる)。で、ここからがおもしろかった。塼仏の出土してくる寺院、例えば、当麻寺や、奈良時代になると唐招提寺や興福寺で出土していることから、いずれも天皇家と直接・関節の関りのある寺院であることから、陽刻原型の保管元が天皇家・国家であったと推測できるということで、この夏見廃寺も天皇家との関りが推測でき、先ほどの年号から持統天皇との深い関係が浮かび上がってくるというのです。そこで、「持統8年」は、どのような年であったか? 持統天皇が藤原に都を移した年で、大型多尊塼仏は遷都という記念すべき事業の完成を契機に制作されたものではないか。しかも、仏像なわけだから、仏教的意図も孕んでいる。そこで、その頃の持統天皇の動向チェック。①持統6年に天武のために繍仏(しゅうぶつ、タペストリー)を薬師寺に寄進②持統7年に天武のための無遮大会(むしゃだいえ、法会)を開催③吉野宮に頻繁に行幸していることに注目する(吉野は、持統天皇にとっては、天武との思い出の地)。こういったことから、天武により始められた藤原京の造営、だが、天武は、それを見ずして亡くなった。それを悼み、天武への思慕を募らせた持統の姿が浮かび上がってくるというのです。ですから、夏見廃寺も、そういった中で、天武のために造ったことも考えられ、塼仏は、その奉納のために安置されたと推測できるというものでした。「また、出たぞ!」という、持統と天武の仲睦まじい関係。これが、古代史のお話を聴いていると、頻繁に出てくるので、以前、動画サイトに上がっている「歴史ヒストリア」でお勉強したほど。今回も、最後に来て、そのお勉強が役立ち、すんなりと入ってきました。「塼仏」という全く知らなかったタームから、思いもしない展開、おもしろかったぁ!
 隙間狙いの落語は2本。①春風亭一朝「中村仲蔵」②入船亭扇遊「巌流島」という、なかなか、我ながら渋い選択。①は、一朝での口演を見つけたということでの選択。すると、自分の知っている「中村仲蔵」とは違い、さほど思いつめた空気を出さない。前半、苦悩する仲蔵の姿は、女房とのやり取りぐらいかな。上方に行こうとすることはするんだけど。むしろ、仲蔵の工夫エピソードがクローズアップされている。むしろ、その工夫に焦点が当たった美談物語になっていました。「へぇ~」ってとこで、他の噺家さんの音源も当たってみたくなったな。下げは、「煙にまかれる」「もらったのは煙草入れ」という正蔵ものを継承。②は、久しぶりに扇遊に辿り着いた。「巌流島」というネタだったこともあり、即決。上方の「桑名舟」です。斬られかける男が、余計なことしますね! 無茶な侍と思える一方、余計なことするからだと思ってしまう。だから、あんまし、好きになれなかったな。「桑名舟」でもそうだったっけ? 文太、たま、まん我の持ちネタだとインプットされてますが、、、。東京ではポピュラーなネタなのに、上方では演じ手の少ないネタなため、聴く機会の少ないネタなので、この口演で聴いた「良からぬ流れ」があったかなぁ、いやあったかもと、いまいちおぼつかない。扇遊の口演で気に入ったのは、助けに入る侍の落ち着き、いいなぁ、この落ち着き、だから、いきり立つ侍を、あっさり騙せるんだと、納得。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「温泉スペシャル」。今まで、温泉20箇所を回ったと言ってました。そんなにあったっけと思う一方、話題に何度か出てくる玉川温泉に行ってたこと、すっかりと忘れてしまってました。温泉絡みの話題の復習といったところでしょうか、内容は。この新作で、一番、興味が惹かれたのが、ロケ地となった大田区内の銭湯。源泉を掘り当てて、それを売りにしている銭湯。真っ黒の湯にびっくり。嬉しかったのは、温泉の回となると、何度か登場された超美形の京都府大の先生を観れたこと。番組で、温泉が出てくると、「この先生出てこないかな」と期待するのは、黄紺だけではないでしょう!と、おっさん気分で観てました。


2022年 3月 18日(金)午後 10時 12分

 今日は、朝から雨、ずっと、雨だった。特に夕方は、雨脚が強くなったんじゃないかな。久しぶりに、ズボンがかなり濡れてしまいました。そんななか、午後にお出かけを入れていた日。それに合わせて準備をしながら、出かけようかという時間になり、頭には、なぜか10分遅く出るようになってた。不思議な頭をしています。余裕をみて、お出かけ時間を設定していたおかげで、遅れるということはなかったけれど、先日は、20分早く、動いてしまったことがあった。このときも、用意万端、時間の設定をしながらなのに、何か変な動きをしてしまってます。危ない領域に入りつつあるのかもしれません。そのお出かけに合わせて動いてたんだけど、なんか出かけるまではせわしなかった。もっとゆっくり、久しぶりにガラタサライが拍手を受けるような試合を、バルセロナ相手にやったのに、ゆっくりと情報収集する余裕がなかったな。結果は負けたんだけど、この間のガラタサライの成績、ひどいもんね。だから、こないなことがあると、よくやったと讃えたくなるの、解るなぁ、ま、それほどの不成績だってことだけど。この敗戦で、来季のヨーロッパのカップ戦への参戦クラブ数が減らされてしまいました。今季は、このガラタサライとフェネルバフチェが年越しをしたけど、この数年間の出来、悪いから、こうなるの時間の問題だった。昨季は、シワス・スポルが頑張って、持ち堪えたんだったよね。
 で、午後のお出かけ先は、文化パルク城陽プラネタリウム、ここであった「京山幸乃、浪曲の会」に行ってまいりました。コロナ禍で唯一、浪曲を聴き続けることができている、とってもありがた~い会です。幸乃さん、ここで会をされるようになってからも、腕を上げてるなと思います。浪曲の腕もさることながら、マクラとなるお喋りも、随分と達者になったなと思います。落語と同じで、ここんとこで客席との距離を詰めたり、空気をほぐしたりと、それが上手く行くかで、肝心の浪曲の受け取られ方まで変わってくるでしょうから、そういった意味で、腕上げています。今日は、先日、文楽劇場であった「浪曲名人会」の際の楽屋風景を点描してくれていました。三原佐知子、松浦四郎若の両御大が病み上がりだとか。お話しぶりでは、佐知子師匠の方が症状は重かったと感じてしまいました。お二人とも、個性があるので、まだまだ浪曲界には貴重な、大事な存在です。コロナ禍だと、こういったお話がないと、なかなか情報が入ってこないものだから、そういった意味では、ありがたいお喋りでした。で、ネタは、「喧嘩坊主/前編」「玉川お芳」でした。もちろん、曲師は一風亭初月さん。「喧嘩坊主」は、祐天吉松もの。人を殺めて、処刑されるところを助けられ、僧籍に入るというところから、どうなったのか、寝てしまってました。浪曲は、マイクを使うから大音響のはずなのに、眠いという感覚を経ずに寝てしまってました。完璧な寝落ちです。祐天吉松は、南海さんの続き読みで、全編、聴いているんだけど、覚えてないので、ここで取り上げられているのが、どこかは、さっぱり判りません。ただ、始められる前に、「よく出るのは後編、レアなところをやります」と言ってられた。後編って、子どもに会いに来るところ? ん? それって、野狐三次? もう、ごちゃごちゃ。小圓嬢師は、その子どものところだったような気がするんだけど、、、。幸枝若師でも聴いたことあると思うのだけど、判らない。結局、前後に分かれていると言われても、見当がつかない黄紺、です。寝るのが悪いのです、自業自得ってやつですね。「玉川お芳」も、以前、幸乃さんで聴いているんだけど、覚えていないので、初物の気分で聴いていると、御所桜というお相撲さんの名に覚えがあるから、聴いているのは間違いないです。題名になっている人物は、最後にちょろっと出てくるだけ、だから、これも、長い物語の一部かもしれません。口演の中心は、東西の大関の対抗意識を背景に、片方の大関に指し違えを根に持たれ殺された行事の娘と、もう1つの大関との恋物語を絡め、静岡の商人と任侠との対立を前面に出した話になっているのだけど、肝心の玉川お芳が出てこない、でも、気が付いたら出ていた。出ていた経緯が思い出せない、ぼやーっとしている内に出てたという感じでした。「玉川お芳」というネタ、講談からのもののようです。だから、いつものことで、ええとこ取り、したんでしょうね。ところが、話の全体を知らない者には、「ええとこ」が解らないということなんでしょうね。こういったことが多発の浪曲です。
 ところで、この城陽での会、ディープな落語ファン氏とお会いできる楽しみというものがあります。黄紺同様、落語だけではなく、演芸というより広いフィールドに関心をお持ちの方がおられます。やはり、鶴太問題、文鹿問題、探ってみたかったので、お会いした途端、「教えて欲しいことあるのです」と言いました。鶴太問題は、「判らない」「人に聞いても判らない」と言ってられました。黄紺と同様に唐突感はあるようですが、以前から「やめたい」を口にしていたようですが、そのわけは判らないということで、謎のままです。おもしろいキャラだけに、「勿体ない」は出ざるをえないですね。文鹿問題は、協会にいないことのメリットを言われていました。入ってないと困るではなく、入ってなくともできることがあるということですね、ま、文鹿ほどの実力者になると、理解できます。思いのままに、己のパフォーマンスをアピールしたい、また、できるとの自信の表れがあるのかもしれませんね。退会してやっていけるかの自分試しもあるようで、期間を決めて再検討する余地も考えているそうです。


2022年 3月 18日(金)午前 6時 45分

 昨日は、一昨日まで、全く予定なしの日だと思ってた。ところが、1つのメールがそうではないということを教えてくれました。時ったましてしまうこと、予定を入れながら、それをスケジュール表に入れ忘れることが。正に、それ。昨日も、気候変動関係のシンポジウムに視聴予約を入れながら、直後に、メモをしなかったんですね。配信についての詳細を知らせるメールをいただき、自分のミスに気が付きました。それは、「茨城県地域気候変動適応センターシンポジウム―2021 年度活動報告-」というもの。茨城県も、この活動に前向きに取り組んでいる県ですね。特に、茨城大学の活動が目立つんじゃないかな。そのプログラムは、挨拶を除いてメモると、次のようなものでした。①活動報告1「水害リスクの地球温暖化影響の評価と地域での豪雨被害対策強化に向けた取り組み/那珂川・久慈川流域での水害リスクの気候変動影響評価」(茨城大学大学院理工学研究科・理学野准教授若月泰孝)②活動報告2「エンドファイト活用による気候変動に適応する持続的な生産技術~茨城町でのテンサイ栽培を例に~」(茨城大学農学部 教授成澤才彦)③「iLCCAC設立3年の成果と展望」(茨城大学地球・地域環境共創機構准教授田村誠)④「茨城県における適応策について」(茨城県県民生活環境部環境政策課主事川上奈央)⑤まとめ(茨城県地域気候変動適応センター長/茨城大学大学院理工学研究科・工学野教授横木裕宗)。このシンポジウムは、先日の宮城県のセミナーで出てきた内容もあり、且つ、構成が素人にも解りやすいものだったこともあり、理解が、かなり進んだものとなりました。配信トラブルがあり、①と②が入れ替えるなんてこともあったシンポジウムでしたが、迅速な対応、司会の方の仕切りの巧みさで、結果としては、冒頭のトラブルも帳消しになったシンポジウムでもありました。①は、流行りの数理モデルを使ったお話。3年前の台風19号(個人的にも憎い台風!)の実際のデータを使い、これから将来予測のために使う「大気モデル数値シミュレーション」を走らせてみて、実際の被害状況と照合するという、前提となる作業がおもしろい。「再現計算」と呼んでおられました。その1つの「氾濫解析モデル」に打ち込むデータの一部を紹介されていました。数理モデルを使うというのは、今や定番でしょうが、その作業過程の一部でも示されたのが、黄紺的には初めてのことだったので、興味津々。土地利用や土壌分布をモデル化して数値に変換したデータだったり、河道断面情報は、どこからもらったと言われてたかな、そういった情報をデータ化したものだったり、降水関係の情報だったりが入力され、「河川水深」「河川流量」「氾濫水深」なんて情報を引き出す。そういった「再現計算」で、要するに将来予測の使いうるかの点検をされているわけですね。これが合うんだなぁ、もちろん、合わないと、将来予測に使えない。気候変動で起こりうる降水量の変化などの情報を、今度は、「2度昇温」の場合、「4度昇温」の場合で、計算させてみると、両者の場合の当該河川の「河川水位」が判り、それで、浸水地域地図が作成できるという仕組み。これを、茨城県内の主要河川で試みた内容の報告でした。若月さんの報告には、もう1本、柱がありました。「市町村の防災担当者向けアンケート調査」という試みです。実際の避難というときの行動様式の分析、それが、防災対策の徹底との相関性を分析したりするとともに、平時での防災教育の取り組みをお話しされていました。②は、テンサイの栽培の可能性を探るということで、気候変動に適応していこうという取り組みの紹介でした。こういったお話はありがたい。テンサイ栽培というものに関わることは、黄紺的には生涯ないと思うけど、そこに現れている適応策の可能性を知るということは、他分野での適応策を考える上での目安になると思うと、それらの試みの1つ1つ知ると、気候変動の実際、それの問題の大きさを知ることに繋がると思うので、できるだけ多くの実践例を目にしたく思ってしまってます。テンサイ栽培は、北の寒冷地だというくらいは、黄紺の頭にもインプットされてるが、日本では、その圏外となる茨城県で、テンサイ栽培が行えないかを探った研究の紹介でした。気候変動で気温上昇が予測される。ならば、それに適応できる作物の確保が待たれる、その中で編み出された作物のお話になりました。これを可能にするのが、昔、生物の授業で聴いたことのある植物の根っこに、植物と共生する微生物。それを総称して「植物内部に共生する微生物(植物共生菌)」=「エンドファイト」。そういった中で、テンサイの生育促進や環境ストレス耐性(この場合、耐暑性)を付与するエンドファイトの共生を試みようというもので、その栽培実験を行うと、見事、その狙いとなったという報告でした。更に、よくは判らなかったのですが、特定の微生物を付与すると、根圏に、その微生物がコアになり、特定の微生物を集めるネットワークができるのじゃないかとの仮説を立て、それの実現に努力されているとか。奥が深い、よう分からんけど! ③は、正に活動報告ですから、適応センターのお仕事が見えてくるので、柱だけをメモります。「農家気候変動認知調査」「水稲の収量予測、これにも数理モデルが使われている、当たり前か、最早」「水稲の白未熟粒発生予測、宮城県のセミナーで学習した白未熟粒が出ました、おかげで躓きなしで前へ進めた」「農業、主に水稲の適応策、短期で対応できるもの、そうでないもの、時間軸で選択が1つできる、対応に要するコストも大事、品種を変えてしまうとなるとコストが大変、ただ、効果の幅があるところが悩ましい、スマート農業というタームを知った、省力化・精密化や高品質生産を実現するために衛星データや気象予報を利活用する農業のこと」「豪雨予測と水害リスクの推定、海面上昇などの浸水影響予測、②の報告がこれ」「台風19号の避難調査、市町村防災担当者向けの災害対策アンケート、県内小中学校へのアンケート調査、幾つか、アンケートの実施をされていますが、全国的には先駆的なものだったようで、茨城県で使われた様式がモデルになっているようです、そういえば、京都府の適応センターのセミナーでも、アンケートがトピックに上がっていた」「海面上昇の影響予測」。④については、僅かだけのメモになります。気になったところだけ、行政の方のお話は、あまり盛り上がった関心を持てなかったもので。「茨城県の温室効果ガスの排出量が産業部門で全国平均の2倍、鹿島臨海工業地帯を控えているため」「あとの質疑応答で出てたんかなぁ、茨城県って、東京圏ということで、分類では目立たないけど、個人の温室効果ガスの排出が多い県だと、それは、一戸建ての家が多いから、一戸建てを求めて茨城県から東京圏に通勤する人のいる一方、農家も多いということの表れのようです」「行動経済学の手法にナッジというものがある、人により行動を起こさせるようにする手のようだと理解しました、適応策をより多くの人に執ってもらうためにというコンセプトです、Vtuber“茨ひより”のTwitterを覗いてみた、これ、いろんな意味で驚いた! こんなのやってんだという気持ちと、大丈夫かなぁという複雑な気持ちです」。こないなところかな、通過したことしかない茨城県だけど、このシンポジウム、おもしろかったな、これ書いていても、おもしろいもんね。ええ勉強させてもらったと、やっぱ、解りやすかったということに尽きますね。解らないことが残ると、それを確かめたいと思えるときと、諦めが先立つときがある。先日の宮城県は、後者だったもんな。そんなで、充実の2時間でした。
 昨日は、隙間狙いは、落語も入れたけど、序だけ聴いて寝落ちしたから、メモるのはやんぺ。オペラの方も隙間狙いに活用。先日来の「アルチーナ」を完走。これは、オペラ・マニアの友人に、どこかで紹介する気になりました。「Opera Visionに取り上げられた理由を探ってみなはれ」というメッセージ付きで、友人、気が付くかな? 新たに1本、オペラ配信にも着手、ほんの冒頭だけ視聴して、かなり優れものの演奏、歌唱だと判断、字幕がないけど、最後まで行こうと決めています。それは、フェニーチェ劇場の「ルイザ・ミラー」。詳細は、次回、ここにメモったときに書くことにしましょう。


2022年 3月 17日(木)午前 6時 35分

 昨日は、かねてから狙いの一日。アスニー山科の特別講演会に被せて、瀬田まで足を延ばし、滋賀県立美術館にも行こうという企て。1ヶ月ほど前にも、同じようなことをしたんだけど、同美術館には、そのときに決めた「再訪」を実現するとともに、新たな展示も始まっているということで、アスニー山科での講演会がある日を待っていたのでした。まず、アスニー山科での講演会ですが、昨日は、普段と異なり、地元にシフトしたテーマが取り上げられました。「山科における小学校の歩み」というお題で、地元生まれ、且つ、地元に暮らしている鏡山次郎(ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会事務局長)さんのお話を聴くことができました。鏡山さんは、教員経験だけではなく、科学センターにも勤務経験を持たれている方との紹介がありました。黄紺的関心は、京都の番組小学校以外の、その周囲の地域での小学校が、どのようにして生まれていったのかという点。番組小学校については、京都市学校歴史博物館が、かなり熱心に取り上げてくれたおかげで、知ることができたのですが、その周辺の小学校(郡中小学校と言うらしい)についても、講演会で、同博物館は取り上げてくれてはいたのですが、スケジュールが合わなくて聴けてないもので、昨日は、いい機会とばかりに申し込んでありました。途端に、こういったテーマになると、客足が落ちます。これはこれで、歴史が扱われるのですが、爺婆は、有名人や、有名な事件が噛んでないとダメなようですね。お話の対象となった小学校は、現山科区限定、でも、元来は宇治郡だったことから、郡内の醍醐村校については、現在は伏見区に入るということで、その創立話だけで、あくまでも山科限定でのお話となりました。校数の変化、それが3段階に分けることができるという、上手いところに目を付けられ、その展開の目安とされました。1872年には2校、1931年には4校、1969年には13校と変化していきます。最初の2校が、勧修小と東野小(後に山階小と改名)。それが明治5年(1872)ということは、番組小学校とほぼ変わらない。ということは、お話にはなかったのですが、京都府令は、対番組小学校だけを対象にして出されていたのではないということだったのかな? この地域の背景としては、寺子屋活動があり、結構な数があったということ、それを受けての陳情があったと言われていましたから、番組小学校と同様の教育への熱意が醸成されていたということなのでしょう。ちなみに、勧修小と同時期に醍醐村校が誕生したということで、東野小が、ちょっと遅れてようです。勧修小は、勧修寺内の山科宮の御殿が使われたりしたそうですが、その近くにあった寺子屋が、そのまま移るということで生まれたようで、やはり素地が、しっかりとあったということなのでしょう。東野小も、西本願寺の山科別院の建物を使い始まったと言いますから、こちらも気合が入っています。その後、文部省の施行規則などが出たりして、学校の諸設備の充実、教育課程の提示など、教育行政的なお話、校旗・校章の制定、校舎の配置図といったものの紹介があってから、第2段階へ。京津線の開通に伴い、また、国鉄東海道線の山科駅の移動により、北部の都市化が進み、農家であった地域に都市化が押し寄せることによる人口増加が看られたことに対する学校数の増加といったことでした。更に、第3段階の戦後、三条通が国道1号線になったり、外環状線の整備、湖西線の開通などで、更に著しく変貌を遂げる山科、そういった中には、山科鐘紡工場の移転に伴う山科団地の誕生など、人口の急増期を迎えたことで、学校増が図られて行くとなります。ということで、山科の近代史をかいつまんで聴いている、そういったお話でした。最後は、校章フリークといった感じのお話になっていましたが、各々が、わりかし似通っているのがおもしろい。学校増加は、イコール、既存の学校から分かれて生まれていくため、似るということが起こっており、系譜を辿るようなお話にもなっていました。
 JR山科駅から瀬田駅までは4駅。瀬田駅からは、毎度のように、ウォーキングを兼ねて美術館までは歩いて往復。往きが、だらだらの一方の登りなものだから、毎度、飽きてくるけど、仕方ありません。そして、これも、毎度のように、公園内に入りかけのところにある四阿で昼食。で、美術館のお目当ての第1は、企画展「人間の才能 生みだすことと生きること」の再訪。展示品を、もう1度、観たかったこともあったんだけど、作品の制作の様子を撮影した映像の上映が、2箇所で行われているので、それを観るのが最大の目的。1本は、日本の作家さんの制作風景。「百鬼夜行」の鵜飼結一朗さん、通っている施設の壁にも作品を描いていた。掘立て小屋状の建物、そのまま美術館に持って来て欲しいものです。「日曜美術館」でも話題になっていた岡﨑莉望さんの線を描くスピードは、確かに、自分の頭にイメージが出来上がっているようなゆったりとしたもので、且つ、驚いたのは、描き始めと描き終わりがイメージされているという点は驚きです。今回初紹介だと言われてる上土橋勇樹さんのPCの扱い方は、逆に猛烈なスピード。それで、やはり、イメージの先行を感じてしまいます。その一方で、レタリングをするときの緻密さと、迷いのない線に、その描いている姿を観て、驚くばかりでした。もう1本は、視覚障がい者によるドローイングの制作風景。こちらは、ポーランドでの制作風景を撮ったものです。描いている人の描いているときの言葉、それが併せて作品だと思いました。何人かの作家さんがいるんだけど、中途失明者とそうでない人がいるのかなと思いながら観ていました。皆さん、色を理解しているようでしたが、その絵の具の扱いに違いがあるように思えたのと、形の捉え方に違いがあるように思えたからでした。そういった映像を観て、再度、展示を観ていて、前回、解っていなかったことを発見。施設で、美術教育を受けた人たちの展示コーナーに、その教育を受けたときの作品が展示されていたのが解ってなかった。形を捉える稽古で作られた作品を、作家さん4人分、並べてあった。同じ手本を、どのように4人が描いたというものです。そういった形の捉え方をする人たちが、創作した作品が、背中合わせの位置に展示されているという、展示の妙に気づいていなかった。それを知って、作品を観ると、小笹逸男さんの「集う猫」は、どのように考えればいいのでしょうか? 展示の妙が解ってなかったときに観たときとは違い、この構成、個々の猫が、作家の頭には、どのように浮かんでいたのかと思うと、何が何だか解らなくなってしまったな。2つの展示室の間にある休憩室に、澤田真一さんの作品の3Dスキャナーをして再現したレプリカが置かれていました。「触れてもいい」とのメッセージがあったので、そうしてみました。感覚のマヒした黄紺の手にも、しっかりと、あのつぶつぶの突起物、感じることができました。このアールブリュットの展示室は、TVでの紹介があったのか、また、口コミで拡がったのでしょうか、平日の昼間とは思えない人出に、正直、びっくり。あとの展示室とは、その人出が違うことから、間違いなく、アールブリュットを目指して来館者多数というところでした。黄紺もその1人だったわけですが、2つの「名品展」も観てまいりました。「名品展①」は、常設の小倉遊亀コーナーと日本画の所蔵品。小倉遊亀作品慣れてくると、各作品の工夫、西洋絵画的手法とかを、解らないままだけど探そうとしてしまっています。小倉作品以外の所蔵品では、前回に続きの展示の沢宏靱「牟始風呂」に、目が行きます。前回に続きだけじゃなくって、貴重な民俗風景と思えるというのが大きいかな。滋賀ならではの陶芸作品が3点。清水焼の清水卯一は、滋賀に窯を持っていたと書かれていました。五条の街中での制作ができなくなったからでしょうね、その作品「鉄耀水指」は耀変もの。絵画作品では、大部な屏風絵、襖絵の展示は目を引きます。池田遙邨「湖畔残春」、茨木杉風「近江八景図」と、滋賀ならではの作品。「近江八景」を探したけれど、8つ全部が判らない、、、! 毎度、「石山秋月」が出てこない黄紺です。岸竹堂の大作が2品「保津峡図」「猛虎図」。「保津峡図」は、正に分水嶺に立った気分にさせてくれる大作、虎の図の定番は、「水」「竹」と併せて描くの構図だそうです。「名品展②」は、20世紀の抽象画やポップアートの展示。ドイツ以来のカンディンスキーに遭遇、いつ観ても、何を描こうとしているのか、判った試しがありません。一旦、ドイツに来てからロシアに戻り、再び、ドイツに来て、すぐにバウハウスで教鞭と執ったと解説されていました。その時代の作品だそうでした。ロイ・リキテンスタイン「泣く女」は、以前にも、どこかで観ている。「マリリン」も持っているこの美術館は、アンディ・ウォーホルものを蒐集しているのか、今回は「フラワーズ」を展示、「ズ」ですから10点だか、ありました。その傍らに、アールブリュットの収蔵品、小幡正雄の段ボールに描かれた、ほのぼのアート。中央には、楽しい作品も。ロバート・ラウシェンバーグ「カードバード・ドア」や赤瀬川原平作品も。その他、周囲には、ピカソと篠原有司男、元永定正以外は、アメリカの抽象絵画、「色の濃淡による緊張」とか、そういった解説もありだったけど、勉強が足らないことを実感。この「名品展②」は、もう1回、観る機会がありそうなんで、そのとき、もう1度考えながら観ることにしましょう。
 こういったお出かけ日だったにも拘わらず、昨日は、正に隙間の落語2本を視聴しています。①春風亭柳朝「宿屋の仇討ち」②林家正雀「大師の杵」というもの。①は「宿」で検索すると引っかかってきた。伊八、万事世話九郎、43人、巴寝といった、上方からのまんまが残っているのが嬉しいやら、可笑しいやら。もちろん、宿は、前夜が小田原宿で、事件は神奈川宿となっていました。3人の巴寝のあとに、相撲はなく、いきなり刃傷沙汰の話題へと突入していってました。柳朝は、このネタ合うだろうなと思い飛びついて、大正解。テンポが、実に心地よい口演です。②は、題名だけ知っていて、内容は知らないということでのピックアップ。地噺です。短いネタのため、「鷺」の小咄を入れたりで時間を延ばしていました。大師は弘法大師空海、「食うかい」なんてダジャレも出てくるわというくだらなさが、いい! 女に惚れられた空海、逃げる空海、逃げられた、追いつけないと悟った女は自害、そこで菩提を弔う空海というもの。下げが解らなかった、2回聴いても解らなかった。なんでや!


2022年 3月 16日(水)午前 5時 56分

 昨日は、お出かけなしの一日。でも、一昨日と違ったのは、午後にオンライン配信のセミナーを視聴することになっていたことと。一昨日よりは、1時間余、早く目が覚めたこと。でも、昨日も、午前5時を過ぎてからのお目覚め。また、睡眠が、わりと取れてる日が続いています。お天気は、春の陽気が続いていたんだけど、ようやく、夕方のウォーキング時間には、少し下がってきたような感じ。まだ、3月中旬なんだから、午後あたりまでの気温だと、それこそやばい。
 午後に入ったオンライン配信のセミナーというのは、「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」で仕入れたもので、宮城県環境情報センター主催の「令和3年度環境学習セミナー」です。2018年に気候変動適応法が制定されたことを受け、各都道府県に続々と、気候変動適応センターが設立され、その事業の1つに、こういったセミナーが開催されています。大概は、その法に基づき、これまた設立された国立環境研究所気候変動適応センターから講師を招き、気候変動の概要を講義してもらい、後半には、該当都道府県の緩和策&適応策を報告するというもの。当然、緩和策&適応策は、各地方の様々な状況で異なるので、地方ごとに開催してもらうと、具体的にどのような問題があるのか判り、気候変動による影響を実感できるのだけど、その報告の仕方で、聴く者としては、えらく差がある。参加者の肩書などが表されているケースがあるのを眺めていると、それこそ、行政の担当者、科学的知見をお持ちの方と思えるなんちゃら研究所や試験所などという肩書も見えることから、その道のプロが集まるように見える。それにしては、前半での講義が、そういったプロには判り切ったことのように見える。その一方で、各地方の緩和策&適応策、その前段階で、取り上げられることもある、気候変動による災害などの影響といったお話になると、急激に細かく、前提を共有されている方に向けてのものとなることとなる。ここで、二股に分かれる。それを、とっても解りやすく、映像や画像を使い、説いて下さるパターン、これだと、前半の気候変動の実態話とバランスをとれるんだけど、問題は、もう1つのパターン。そんなに詰めて、細かく、あれもこれも詰め込んで、そりゃ言わねばならないことがあるんだろうけど、そういったときは、開催の方法を考えなさいと突っ込みたくなるものが、結構ある。前者の、とっても、専門家も一般人も視野に入れて、しかも、繰り返し企画をされたりで、その熱意を感じさせられる代表格が岐阜県、はっきり、県名書きます。後者の方が多いなの印象。先日の京都もそうだったし、昨日の宮城県も、こちらだな。なんか、アリバイ作り的な印象を、後者には持ってしまいます。まだ、こういったセミナーを開くだけ、いいかの気持ちはあるので、ディスるつもりはないけど。長々と、一般人としての考えを書いてしまいました。で、昨日のセミナーのプログラムは、次のようなものでした。①気候変動適応ってなんでしょう-気候変動適応の基礎-(国立環境研究所気候変動適応センター副センター長吉川圭子)②宮城県の農業関係試験研究機関の取組(宮城県農業・園芸総合研究所笹原剛志)。①のお話のポイントを拾っておきます。「気候変動適応法」「日本の年平均気温、日本の暑かった年のベスト3がこの3年間」「熱中症搬送者数の推移」「近年で、災害をもたらした気象事象」「将来予測/世界の年平均気温、4度上昇予測と1.5度予測を比較するグラフ、これが載ったのはIPCCの“政策者向け”報告書だと、初めて知りました」「気温上昇と気候変動リスク、気温の上昇程度により、カテゴリーごとに出てくるリスクを対照させている、これ、とっても解りやすいいい表です、これもIPCCの“政策者向け”報告書」「宮城県の気候変動予測/年平均気温、年降水量、コメ収量、水質の変化、海岸の砂浜消失率、感染症を媒介する蚊(天狗熱を媒介するヒトスジシマカがよく話題に上ります!)・熱中症・熱ストレス超過死亡、海面水温」「気候変動の影響と適応策/水稲(白未熟粒)、シロザケ、土石流・地すべり」。②が解りにくかったお話。詰め込み過ぎやちゅうねんと、突っ込んでしまってました。その内容の項目立てだけはメモっておきます。「みやぎ環境税なるものがある、それに基づく事業の紹介だったようです」「露地野菜は、温暖化の影響を受けるということで、出荷時期を視野に入れた品種の選定を行われているようだけど、各野菜の播種期や需要期が解ってないから、その具体的な意味が理解できない、品種の選定でのお話で、温暖化の影響で、高温障害が出ていることに対応するものもあり」「LEDによるキクの開花時期調整技術、開花時期のばらつきや高温障害に対応するものらしいんだけど、LEDで花の反応のある波長を選べ、それを調整しながら照射することで調整ができるんだって! 詳しく聴きたかったな」「ブドウやリンゴが、高温のため着色不良を起こすので、それも、LEDを使い調整を行うというもの、これも詳細聴きたかった、こないなことできるってことから知らないものだから」「高温に強いイネ作り、白未熟粒がここでも出てきた、2回も出てくるところを見ると、かなりの大きな問題のよう、なんせ、コメどころ宮城県ですもんね、素人にも解るように丁寧に教えて欲しかった!」「温暖化で出てきている病虫害の変化、拡大、こんなの流されると解るわけがない!」「雑草の駆除問題、豪雨による播種期のずれ対策、これは分からん!」とまあ、解らないこと、多すぎ。で、詰めすぎって書きたくなりました。解らないと眠たくなる、出来の悪い学生そのまんまでした。あまりにも①と②の内容のレヴェル格差、大きすぎます。だから、対象がどこやねんと突っ込みたくなりますね。
 昨日は、時間に余裕があったので、落語もオペラも、YouTubeのお世話になり、楽しむことができました。落語は2本、①柳家一琴「粗忽長屋」(2010/9/8 柳家一琴蔵出しの会inらくごカフェ)②柳亭市馬「厄払い」。①は、「粗忽長屋」に口演による変化がないかを見たくてチョイス。すると、序盤、人だかりができているところで、早々に「行き倒れ」と言っているのに対し、人の輪の内に入って、初めて「行き倒れ」という言葉が出てくる違いがあるのに気づいた。後者の口演がこれで、当初、「乞食のお産」だと言われて人の輪の内側に入るというもの。でも、これは使えないだろうと思えることを、一琴が言ってたおかげで、変化、要するに、旧い型を知ることができた気になっています。②は、「茗荷宿屋」と出ていたので選んだら「厄払い」だったが、そのまま聴いたというもの。アップしている人、何を考えているのか、こういったフェイクはひどいものです。東京の「厄払い」は与太郎もの、今回も、それに馴染めないまま、推移。でも、昔の民俗に浸れるから、このネタ、好きなんです。
 オペラ配信は「アルチーナ」の続き。オペラ・ノースの配信です。ようやく、違和感が出てきていたわけが判りました。1つは、魔法アイランドという設定だけど、その部分を演出で出していないということ。となると、人間喜劇的に、男女関係のもつれを追いかけることに絞ることになる。このプロダクションが、「oper vision」で取り上げられたわけが、ようやく判りました。そんなで、違和感のもう1つとも繋がります。このオペラに出てくる登場人物が2人、省かれているのです。アルチーナに魔法で動物に変えられてしまった男と、それを探す少年(ずぼん役が歌うのが常)、この2人が出てこないのに、ようやく気付きました。ここでも、「魔法」がカットされているのです。そして、この2人を省いても、筋立てに影響は出てこない! 冒頭から感じていた違和感を、ようやく言葉化できました。となると、余韻が欲しくて、あと20分もないところで切り上げ、最後は、別の日に観ることにしました。


2022年 3月 15日(火)午前 5時 54分

 昨日は、全く、予定の入っていない月曜日。となると、最近の定番、YouTubeのお世話になり、落語を、オペラを視聴するというもの。夜には、米朝事務所チャンネルのライヴ配信もありと、完全にコースが出来上がっている。そんなだけど、1つだけ違ったことがあった。黄紺的には、午前6時を過ぎてから目が覚めるということは、なかなかない、それだけ、睡眠時間がたっぷりというわけではなく、午前4時台のお目覚めが普通。5時台になると、よく寝たとなる。6時を過ぎるなんて、爆睡中の爆睡。ところが、ここ3日ほど5時台で、大体、そないなことがあると、睡眠時間が多すぎとして、4時以前に目が覚めることがあるんだけど、昨日は、なんと6時を過ぎていた。丁度、季節も、急に春になったものだから、「春眠なんとかだな」と、起き上がりながら考えてた。でも、そうなると困るのが、朝方に定番化している、トルコのコロナ情報収集と、一昨日はマッチデイだから、そのチェックがある。そこへ皺寄せ。皺寄せになったからと言って、ウォーキングの時間を短縮するわけにはいかないということは、午後の一時に食い込むという流れ。ま、そんなで、落語&オペラの時間に障りが出てしまうということで、ま、調整弁になってるってことです。
 落語は、①六代目笑福亭松喬「宿替え」(1971/10/2 第59回角座落語会)②桃月庵白酒「粗忽長屋」。①は、松喬公式チャンネルに入っていた音源だけど、これを選んだのは、松喬が「宿替え」なんて出したのって、全く記憶がないから。奥様が書かれているコメント欄には、なんと、「入門3年目二十歳の松喬」と書かれていました。ますます、そそられて聴き入ってしまいました。まだ、松喬ではなくて鶴三の時代です。京橋のダイエーであった「島之内寄席」で、その頃の鶴三を聴いているけれど、なぜか「勘定板」しか思い出せない。複数回「勘定板」を聴いたことは覚えてんだけど、それ以外のネタは思い出せない、ひょっとしたら、その中に「宿替え」があったかもしれませんが、自分的には「宿替え」は、枝雀の専売特許のようになってしまっていて、入り込む隙間すらない。で、この音源、ところどころに、後の松喬の声に似た箇所があるので、そうなんだろうと思うけど、知らされないで聴いた場合、それに気づくかなと思うほど、声質まで違う。間が良くないんでしょうね、えらくせわしなく聴こえてしまいます。まして、新しい家に遅くになって到着したときの言い訳が、とっても細かく細かく説明するというもの。こんなの聴いたことないと言える、細かさ。だから、他の噺家さん「宿替え」も当たる必要を感じてしまっています。その細かなところを、一気呵成に喋るというもので、一層、せわしなくなってしまっていて、びっくりです。若々しいと言えば、そうなんだけど。でも、この時期のものから残ってるんですね。お弟子さんには、とんでもない財産でしょうね、そう思いながら聴いておりました。そんなで滑稽ネタを聴いたので、その筋のネタということで②を選択。この白酒の挿し込みが、らしさが出ていて、いいですね。もう、マクラから、雰囲気出している。博多の天神落語祭での口演のようで、白酒節にびんびん反応しているのも、また、聴いていて気持ちのいいもの。そう言えば、二葉が、どこかで、このネタを仁福からもらったと言っていた。その口演も興味津々です。でも、聴く機会は、ないだろうな、この状況下では。
 オペラ配信は、少し間が開いた「アルチーナ」。ノース・オペラの公演です。前にも書いたように、装置や動きなんてところに面白みが、あまりない。しかも、かなり不揃いと見える歌手の配置なんかもあり、あまり舞台上の動きにそそられないものだから、音楽にのみ関心が向かうというもの。歌唱がいい、オケの雰囲気がいい、何よりも、ヘンデルの音楽がいい。春の昼下がり、ボーっとしながら聴くには、最高です。と思いながら聴いていると、案の定、うつらうつら、そういう状態で聴いておりました。爆睡をしながら、まだ、うつらうつらくるかと、信じられない事態です。そう言えば、夜の米朝事務所チャンネルの配信も、あと10分というところくらいまでは覚えてるんだけど、最後は、完全に寝落ちしてました。ホント、春眠です。今朝も、午前5時を過ぎてから、目が覚めたしと、最近、ちょっと変ですね。


2022年 3月 14日(月)午前 7時 42分

 昨日は、お出かけなしの一日だったけれど、午後にオンライン配信の予約がしてあった日。それだけだと、午後の一時にすっぽりと、それが挟まるだけなんだけど、昨日は日曜日。ということは、朝から「日曜美術館」を楽しむ日なため、結構、窮屈になってしまった。オンライン配信が午後1時開始というのが響いてしまいました。ま、それは、仕方がないとして、昨日の「日曜美術館」の新作は「名もなき写真のチカラ 写真家 浅田政志」というお題で、東日本大震災とも絡む内容となっていました。浅田政志という写真家は知っていました。観てはいないけど、「浅田家のなんちゃら」という映画があったからです。存在は知っていても、名前くらいだな、知ってるのは、だから、ま、どういった活動をしている写真家なのかは、全然、知らなかったので、いいお勉強にはなったけど、いつものように、目をぎらつかせて観たというものではなかったかな、「日曜美術館」でも、そないなこともあります。実際の家族を、架空の成りきり姿で、毎年、写真と撮るというのが、この人を有名にさせたらしい。この番組の冒頭でも、今年の企画として、淡路島に架かる橋の袂で、その成りきり写真を撮るところからスタートしていた。テーマは、言うまでもなく家族。家族の写真を撮るきっかけとなったのは、専門学校の課題で撮った写真、兄弟で同時期にけがをして、母親の働いていた病院に入院したときの、病院での家族写真。今、水戸芸術館で、「私の家族」という新作を発表しているのだけど、そこに写っている写真は、家族と題しながら家族が映っていないで、カメラで、今まさに家族写真なんでしょうね、写真を撮ろうとしている瞬間の写真。その一人の男性を写すことで、その男性の家族を想起させ、家族を普遍化させる試みのような作品。そういった写真も、家族写真。そういった家族写真に強い思い入れを持つようになったのが、東日本大震災の被災地でボランティアをしていたときのことと、その紹介があったのだけど、このエピソードが、なかなかいい話。1つは、八戸市に行ったら、もっとひどいところを助けてやってくれと言われ、野田村に入ったこと。次の、野田村で、流されて汚れた写真の泥を拭き取る作業をしている人に会ったこと、一緒に作業をさせてもらうことで、写真の、なかでも家族写真の重みを知ることになったと言ってました。この番組に、3度ばかり、野田村の小学校で記念写真を撮るシーンが出てくるんだけど、その縁があることが、この挿話の紹介で判りました。水戸芸術館に展示されている写真は、「私の家族プロジェクト」と題し、また、家族写真を撮って欲しい人を公募して、各々のエピソードを尋ねながら、その家族の思いが詰まった1枚を撮ろうという試み。それを、2つのケースで番組内で紹介していました。その1つ目が、先ほどのカメラを覗く1枚、この男性は写真館の2代目、先代は現役で息子とともに写真館で働いているんだけど、多くの家族写真を撮ってきたアルバムが残っている。ここにも家族。2つ目のケースは、酪農農家に嫁いだ女性の応募に応えたもの。夫は、結婚を機に、家業だった酪農を継ぎ、自身も酪農で働いている。そこで選ばれた1枚は、家から牧場への道端で撮影。家業だったため、いろんな家族が通った道、その道を見ると、家族の姿が、自然と見えてくる、その道に私もいるという1枚。小学生の写真もそうだったけれど、個々の思い出や内面にあるものを汲み取るのが上手いわ、それを写真に詰める、そうなんだよね、思いを詰めるアイデアが、上手いわ。自分には、そんなことは思いもつかないけれど、撮った写真を見せられると、そこに詰められたものが溢れ出るような、そんな印象を持ってしまいました。そりゃ、話題になるわ、この人、映画にまでなるわ、才能ですね。
 午後の配信は、京都産業大学ギャラリーの企画展「京都大原・魚山大原寺 勝林院と僧坊—京都産業大学 大原東部の調査成果—」に合わせて行われた講演会②「本尊納入仏の修理と発見」でした。前回は、ついでに、その企画展を観るべく、会場で生で聴いたのですが、昨日は、自宅でのオンライン配信を視聴することにしました。これから、もし、こういったハイブリッドな公開講演会を続けてもらえるのなら、講演会当日は、企画展を観るのは混みあうので、講演会とは別の日に行き、講演会そのものは、今回のようなオンライン配信に頼るのがベストだなと思っています。で、お話をされたのは、修理の実務を担当された八坂寿史(美術院工房長)さんでした。とにかく、腹籠りの仏像の修復作業のお話なんて、そんなには聴けるものではないので、とっても楽しみにしていたもの。それにしては、終盤、居眠りをしてしまい、途中で強制終了してしまったのですが、、、。まず、胎内仏の状況からお話がありました。胎内仏って、幾つもあるようで、それらがカテゴライズされているようで、それに合わせると、今回修復に当たられた胎内仏は、結構、レアな特徴を持っているようです。胎内仏と外部の仏像の目線を合わせたものや、外部の仏像の胸に置けるように、内部に足場が組まれたものや、配置場所の種類は幾つかあるようですが、地震などを想定して、安定性を考え、膝頭が開くようになっていて、その奥に固定されているのが多いなか、こちらの胎内仏は、右大腿部の外側が開くようになっており、不安定と言えば不安定で、でも、頻繁に出し入れをするには格好の場所だけど、やはり安定性重視が多く、こういった胎内仏は、八坂さんにも珍しいどころか、初遭遇だと言われていました。しかも、胎内の位置も、ど真ん中だったことから、重要度の極めて高いものだと推測できるとか。また、出し入れをする機会の頻度が高かったのだろうと推測されていました。仏像の形状や推測できる工法を考えると、平安中期の作と思えると言われていました。具体的には、右腕を別に作り突き刺す作り方、顎を上げた形、胸のシルエットで判るそうです。このお話を聴いて、ここまでの分析が行われ、その集約された結果を基に、また、新たな仏像の修理、場合によっては、復元作業が行われているということを知っただけでも、大収穫でした。ちょっとした削り跡を観て、使っていた工具を類推できるそうです。それは、工法の推測にもお役立ちです。そういった世界の一部を垣間見せていただけるお話ともなっていました。修理痕なども、どのような修理が成されていたのか、そもそも、なぜ修理が必要になったかも、その修理痕からも推測できるようです。仏自体とは別に、下にある台座の方は、万福寺仕様と言われると、黄紺も判るのです、これ、江戸時代ですよね、京都文教大学での市民向け公開講演会で聴いたこと、蘇りました。光背も江戸時代の形状だけど、蓮弁、蓮肉は鎌倉時代と、修復が細かく成されている。その度に、形状の特徴のお話がある。匠の目です。修理の方法は、復元ではなく、修理に出された姿で返すことが基本と言われていました。漆が使われているところは、漆で接着する。しかも、日本産の漆で、元々、製作されたときには、外国産の漆はあるわけではないから、そして、昔の瞬間接着剤、膠は使わない。漆は、点付けで行うと、その画像も見せていただけました。修理を請け合った場合、一番、気を使うのが虫穴だそうです。点々と虫が食った穴が開いています。そのため、迂闊に持ち上げると、それだけで崩壊してしまうそうです。内側が空洞だらけになっているということですね。そこには、そうしたことが判らないように、樹脂と木粉、絵の具を混ぜたものを挿入し、補強するとか。補強後は、固まるのを待ち、元の姿になるように削る作業が、黄紺の目にも、ウルトラ細かい作業。そういった修理を行いながら見えてきたこととして、基本は「仏師は作る様式があるので、それに則り作る」というものだから、それにしては変なところがあると、如来は金色で作るものとの約束事があったにしては、金の跡が見つからないので、頑張って探したと言われていました。すると、金箔が1箇所残っていた。それから、輪光背(金色)があったのでは? 仏体自体にはなかったのではと言われていました。こういった、仏制作の約束事もおもしろい。群像の一体の可能性も指摘されていました。しかし、それも、金色がルール。ただ、小さいので省略化が行われていう可能性もあるということでした。彫刻の省略、水晶の省略、金箔の省略で辻褄が合うと、要するに制作のコンセプトに統一性があるということ、なるほど、奥が深い! で、ここで、メモが途絶えている、寝落ちです。もう、サイテー、です。なんで、こないな、おもしろい話で寝落ち?と、自分に突っ込んでしまいました。でも、振り返れたところだけでも、おもしろいですね、このお話。ひょっとして、この講演が、後刻、YouTube配信があるかもしれないので、そのときに補充することにしましょう。


2022年 3月 13日(日)午前 7時 12分

 一昨日から、見事に気候が変わった。特に、昨日は、気温が上昇。20度を上回ったみたい。そのため、お出かけは、完全に春の姿。一挙に、変わりました。来週には、Dを音楽会に連れて行くんだけど、その頃にはと想定していた格好を、昨日のお出かけで採用するとは、予想だにしてなかった。そのお出かけは、京都コンサートホール。京都市交響楽団の定期公演会に行ってまいりました。ところが、こちらが、朝から大慌て。いつも、こういったお出かけ予定があるときは、朝方に、出かける先にHPがあれば、それを使い、時間の最終確認をして、自分の、それに向けての動きを計画するんだけど、そこで愕然となってしまったのです。昨日のプログラムは、当初、マーラーの3番が出るというので、チケットを買ってありました。2日公演なので。2日ともチケットを買おうかとすら考えた。ひょっとしたた、人生最後のマーラーの3番かもと思ったからです。でも、止めた。で、結果、正解でした。3番には少年合唱団が出るんだけど、ここがコロナ禍の影響で出演できない。「ここへ来たか」と思ってしまった。この公演でやばいと思っていたのが、確かイギリス在住の歌手藤村美穂子が、来日できないかもと心配していたので、そっちだとありうると懸念していたんだけど、「ここへ来たか」でした。新たなプログラムは、次のようなものとなりました。①尾高惇忠:女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」「子守唄」(合唱:京響コーラス)②マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ:藤村実穂子)③マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」。指揮は、このコンサートを最後に、常任指揮者兼芸術顧問の地位を退任する広上淳一。ロビーには、広上の大きなパネルが用意され、開演前のトークで、曲目紹介というよりか、退任挨拶的なものとなっていました。退任ということで、3番という大曲を選んでみたが、「その演奏が叶わなかったけれど、替わりに恩師の曲を演奏できるのも嬉しい」と言っておりました。ここで、女性コーラスが登場、藤村美穂子は、②を替わりに歌ってくれました。3番よりは、長く歌ったんじゃないかな? 確か、YouTubeで、3番のソリストをしている動画(スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートだったと記憶しているんだけど、、、?)がアップされているので、そちらで我慢しましょう。②は、正直言って、このコンサートまでは、そんなに聴こうとしてた曲じゃなかった。聴いていても、知らない内に終わってるという、いささか印象に残らないマーラーの曲とインプットされていたもので、仕方がないから、藤村美穂子を聴けるのだからで納得をしてたんだけど、その藤村美穂子の歌唱が良かったのか、4&5曲目が良かったぁ! プログラムに載っている歌詞を見ると、4曲目が「真夜中に」、生死は神の手の元にという感じの歌詞、5曲目が「私はこの世から姿を消した」で死後の姿を描いたもの、共通性は聖性な点。崇高な響きを伝える歌唱にしびれるものがありました。藤村美穂子の歌唱は、10年ほど前に、大阪で聴いたときに比べ、明らかに声は落ちています。それを感じたのは、コロナ禍直前のメトロポリタンのライブビューイング「オランダ人」。中低音域を、メゾなのに弱くなっていたのです。口先で歌っているような感じで響きが落ちるのです。えらく変わったなと思ったものですが、昨日の歌唱も、基本的にはそうでした。だが、この人、声質的にはメゾだなと思うけど、高音がいい。それは、昨日も確認できた。「オランダ人」もそうだったから、そのときのまんまの歌唱だったわけだけど、その中低域も気にならないほど、聖性さに満ちた歌唱に、2曲で魅せられました。③を聴くと、やっぱ、「広上は役者だな」と思ってしまいました。この印象は以前からのもので、最後の定期でも同様でした。うまく盛り上げ、うまく鎮め、とろけるところはまどろみ、とろける、暴れるときは、目いっぱい頑張る、そういった広上には「巨人」がなじんでいます。昨日の席がステージのすぐ傍らの席しか取れなかったもので、京響のパワーを全幅で受け止めることができなかったのが惜しまれました。ただ、残念だったのは、そういったお席だったからでしょうね、第4楽章で、定型枠内と感じさせられたのが惜しいね。もっと暴れて欲しかったな。この曲は若いんだから、青春図なんだから。アンコールも、定期にしてはあり~ので、お祭り色のコンサートでした。
 終演は午後5時前、2時間半近くを要した演奏会。それから、いつものように、ウォーキングを兼ねて三条まで歩き、家に戻ると午後7時前。「ブラタモリ/小豆島編」は、もう間近に迫っていました。この新作がおもしろかった。再び、PCの調子が悪く、途中、何度もくるくるが入り、跳んでしまったけれど、内容は、ほぼ掴んだと思っています。小豆島って、火山活動でできた島だったのですね、全く知らなかった。しかも、その火山の痕跡の珍しい地形を観ることができる、大変なところでした。できたてのプレートが他のプレートの下に沈み込み、まだ、熱いままだから、上のプレートを突き破って(貫入して)噴き出した。そんなこと、想像だにしなかったことの痕跡を見せてくれていました。そういったときに、何気なくタモリが発し、字幕で補足が入るタームが出るときって、珍しい地形を紹介してくれてるときで、タモリがのりのりの時なんだよね。前回の「高松編」もスーパーな出来だったけれど、この「小豆島編」も同様でした。おもしろい、おもしろい!


2022年 3月 12日(土)午前 7時 20分

 この週末のお出かけ予定は、昨日と今日の2日間。昨日は、先週に続き、朝からアスニー京都へ行き、市民向け公開講演会を聴きに行った。ところが、日本時間午前5時から、UEFA欧州リーグのマッチが始まった。ということは、終わるのは、午前7時前。一応、出かける前には、情報を手に入れておきたかったが、こういった肝心なところでよくあること、PCの動きが、極端におかしくなった。もう古くなっているPCなもので、かなり重くなっているところへ、何かの更新作業なんかが絡んでくると、もう大変。昨日は、ガラタサライがバルセロナ相手に頑張った試合の情報は、結局は、昼過ぎに戻ってきてから。でも、ゴミスのゴールという情報が飛び込んできたときは、ちょっと盛り上がってしまってました。オフサイド判定でゴールの認定はされなかったけれど、最近、ヨーロッパの戦いが芳しくないもので、久しぶりのヒットかと思ったのですが。でも、結果は引き分けだったけど、それでも、驚きの結果です。特に、今年のガラタサライが、あまりにもの不成績なものだから、よけいに驚いています。で、アスニー京都での講演会は、前回に続き、京都歴史回廊協議会(立命館大学/花園大学/佛教大学/京都嵯峨芸術大学)との共催。花園大学名誉教授新間水緒さんの講演「『方丈記』の世界」を聴くことができました。さすが、有名な作品が取り上げられると、集客力は凄いですね。普段見かけない爺婆世代じゃない人も散見できました。黄紺的にとっても、それこそ、高校時代に古典の授業で聴いたことも、ほとんど忘れており、でも、有名な作品だとはインプットされている程度なものだから、とってもお勉強になりました。新間さんのお話が、とても解りやすかったからでしょうね。パワーポイントを使うわけではなく、白板に、何やら書かれるわけでもなしで、レジュメを丹念に押さえられるだけで、理解力が上がるというお話。振り返ってみると、全く無駄のない、論理的なお話が、そうさせたのだと思います。まずは、著者鴨長明の生涯から。「とっても、大変な時期だった」と冒頭に言われましたが、全く、その通りでした。丁度、後白河院、保元・平治の戦い、平家滅亡、源氏の政権という激動期、この時期は、鴨長明の居る京都は、災害にも見舞われた時期だったようで、これはえぐい時代です。間違いなく、人生観に影響を与えただろうなと思わせられました。「末法思想」が、そのため拡がった。確実に鴨長明の心性にも、それが入っているということです。お話で取り上げられたことをメモっておきます。「下鴨社の禰宜の家計の出、でも、10代で父の死、下鴨社の後ろ盾を失う、20代で騒乱&災害に遭遇、30~40代で世情落ち着き、鴨長明自身は歌道に勤しみ、評価も受ける、50代で出家、この時期に『方丈記』著す、60代で没」「『方丈記』は方丈の庵の記録、『記』は漢文の文体の一つ、『記紀文学』の『記』のようです、事実をそのまま記し述べる」「漢文のしきたりに倣い5段構成、①人と栖の無常について考察していくことを提示②人と栖の無常の実相、都の災厄を通じて③出家した経緯を述べ、我が身と栖を回顧④方丈の庵での生活の素晴らしさ⑤『方丈記』の核心」。ということで、第5段全文の検討に入られました。「主体である鴨長明の『身』が己の『心』を省察するという、『身』と『心』に分ける二分法、人生を振り返り、また、今、仏道に勤しみながら仏の戒める執着があるのでは? この閑居生活も執着なのではないか?」「『方丈記』以外では用例のない『不請阿弥陀仏』の解釈、こちらから請い願わずとも救ってくださる仏への念仏」「『かたはらに舌根をやとひて念仏を唱える』、『六根清浄』の『六根』の1つ『舌根』、衆生に煩悩を起こさせるもと、でも、念仏を唱えるには、その『舌根』に頼らねばならない」「『両三遍唱えて止みぬ』は、念仏を唱える躊躇い」「出家者でありながら執着があるのではとの突き詰めをして、念仏に頼ろうとしたが、その念仏を唱えることも躊躇われる、そこまで突き詰めている、凄い洞察!」「この問題に解決を与えたのが『数奇』と『山地広野の修行』ではないか? 『数奇』は『風雅にささげる』といった意、これが『出離解脱』のスタート、一心不乱に、何事にも拘泥せずに修行に没入することだと考えたのか? これが、執着についての随想・評論文集の『発心集』に見えるところから、ここに辿りつき、生涯を閉じたのではないか」、鴨長明って、凄いね、己を、追い込んでいきます。「方丈記」って、こんなにまでの哲学書だとは知らなかったなぁ。おもしろい! また、かなり専門的なお話だったけれど、分析の詰めの繊細さも教えていただけた素敵なお話でした。
 自宅に戻り、またまた、PCと悪戦苦闘。なんとか、ガラタサライの健闘情報をゲット。「FUTBOL HABERLERI」を作り上げることができました。いつもの、10倍くらいの時間がかかったかもしれません。やっぱ、Windowsの更新をやってたようで、夜半になり、少しはましになり、今朝から復調しています。でも、この更新が、いつも、時間のないときに起こるものだから、あせります。一旦、情報をゲットしてあれば、あとの処理は、他のPCを使う手もあるのだけど、オンラインになってるものを、更新中の可能性があるときには外せないのがきつい! で、僅かにできた隙間に落語を1本、桂枝雀「貧乏神」を選択。鬱屈としたときには、枝雀に限るとの思惑での選択です。小佐田センセのけったいな噺、これ、口演、難しいだろうなと、ついつい思ってしまう。南天以外に受け継げる人いるだろうかと、そないなこと考えたけれど、いい噺家さん、思い浮かばなかった! 実際、持ちネタにされてる噺家さんいると思うけど、ごめんなさい。でっちあげワールドですから、このでっちあげをしたときには、統一イメージを演出しなければなりません、オペラでも、なんでもそうです。これはイマジネーション要ります。一貫したお喋りの技術が要ります。それが、生半可ではできるわけがないと思ってしまうのです。


2022年 3月 11日(金)午前 6時 40分

昨日は、一昨日に続き、お出かけなしの一日。でも、昨日は、午後にオンライン配信の予約をしてあった。かなり難解なものというか、こんなのあるかと思えるような内容と、とっても、知らなかった大事なことを教えてもらったという、全く相反する成果のものでした。それは、国立環境研究所気候変動適応センター主催の「令和3年度第6回気候変動適応セミナー」というもの。科学者、行政の人を中心としたセミナーだから、解るわけないだろと思う反面、その人たちは、知らないで議論しているのという内容でもありました。テーマは「山」でしたが、そのプログラムは、次のようなものでした。①講演「気候変動・人口縮退下の里山林での適応策」(名古屋大学大学院環境学研究科教授香坂玲)②講演「気候変動を踏まえた治山対策」林野庁森林整備部治山課治山対策官野澤智明)③パネルディスカッション「森林・林業分野における気候変動適応に向けた課題について」(①②の講師、国立環境研究所から司会、所長)。①については、事前にレジュメが送られてきた。目を通してみたが、まさか、何を言っているか判らない内容になるとは想像だにしてなかった。というのも、そのレジュメには、「A国東半島宇佐地域世界農業遺産原木シイタケ生産の適応策」「B松阪市における緩和・適応策」「C志摩市における適応策」「D国立公園における適応策」と、4本の具体定な事例が上がっているものだから、各地で、気候変動により、どのような変化が起こり、何に困り、それに対して執られた適応策は、どんなもので、その成果と課題というのが、筋道なんだろうなと思うのだけど、事実、②では、そのようなお話になっていったのに対し、①は、そうじゃなかった。第一、レジュメを読んでも、そういったディスコースで書かれてない。何のお話をされるのかが見えてこないと思っていたら、案の定、お話は、全く解らなかった。第一、お題の中にある「世界農業遺産」というタームは、初めて見るもの。想像力を働かせて、何か特異な農業が行われているのだろうと思っても、それが、こぼれるように出てきたのが、最後の方で、聴いている者は知っているが前提で話されているようだけど、全国規模で参加者がいるのに、解ってんだろうかという疑問が出てきた。②のお話を聴いてからは、解ってるわけねえだろうと思ってしまいました。気になるので、ちょっと調べてみました。国東半島は、降水量が少ないため、ため池を作っている。そのため池が、幾つも繋がっている。景観的にもおもしろい地域ってことです。シイタケ栽培も、レジュメをしっかり読み返すと、適応策として異なった品種の栽培を行っているとか。クヌギ林を伐採してため池を作り、それを維持管理するのが生きていく大事なことなのは解るのだけど、それとシイタケ栽培が結び付けられないから解らないみたい。木の伐採があるから景観に影響する、そこへさして、人口減、高齢化が絡み、維持管理の問題が出てくるのか、、、? それに、気候変動が、どのように絡むのか? それが見えてこないから、適応策を言われても解らないのでしょう、しかも、農業用のタームをぼんぼん放り込まれるものだから、更に解らなくなってるみたい。しかも、森林環境譲与税という優遇策を使ってという維持管理というトピックが、あとの③で、大きな話題になっていたのだけど、そないな税制、知らないよでは、無理ですな。Bは、茶生産に関わる取り組みらしい。茶生産は、宇治茶のおかげで解るんだけど、お時間の関係でしょうか、取り組み体制のお話をはしょりながらされたので、さっぱりダメでした。CとDも素通り状態で解るわけない。自分の解らなかったわけの分析ですね、こう書いていくと。それに対し、②は解った。内容的にも、とってもおもしろかった。言われてみれば解るタームだけど、「治山」というターム、初めて知りました。災害で崩壊を起こした山を元に戻す、戻すことで、次なる災害を防ぐ、また、災害は起こしていないが、危なそうな山を補修して、災害を未然に防ぐ作業、それが「治山」です。そのための方法を、具体的にお話しいただけ、且つ、そういった「治山」事業を展開することで、どのような効果が現れるかをデータで示していただけた、これは興味津々。だって、木が植わっている、草が生えていると、山が崩れない、これは、知識として持っていることを、どのような効果があるかを数値で示してもらえたのだから、結論だけを知っていることの内実が判ったわけだから、おもしろいのは当然。ちょっと、その具体的なお話、メモっておきます。「山腹工/崩壊した山腹に横たわる倒木を除き水の流れる溝を作り山地を復旧させる」「治山ダム工/荒廃した泥流を安定化するために小型のダム作る」「保安林の整備/間伐を行い、陽が下まで入るようにして下草の育成を喚起する」「このような補修をすることで、山地の復旧にかかる時間が短縮される、通常100年かかるところが20年余で元の姿に戻る」「木の根が張ると、縦に杭効果、横にはネット効果がある」「治山事業による効果、伊豆地方の例、1958年の狩野川台風時の事業効果が、2019年の東日本台風には災害は発生せず」「気候変動で山地崩壊の激甚化が起こっている、堅いはずの尾根部からの崩壊が起こっている、そのため、土砂量が多くなり、山地災害が同時多発的に起こる、また、今まで浸食を受けたことのないコアストーン(巨岩)の流出が起こっている、それだけ深い箇所まで流出が起こっている証拠」「未然の防止策として、航空レーザー測量を行い、危険個所の把握、このデータは公開していると、後の質疑応答で答えられていました」「近年の災害事例、その治山事業例の紹介があり、また、災害が激甚化するための対策を立てる予算、組織のトピックが取り上げられていたけれど、作業例は、冒頭にメモったことが基本、それの組合わせだったり、高度化であったりするということでした」。これは、解りやすく、で、知らなかったことばかり、しかも、災害の頻発が判ってるだけに、関心をそそるお話だったので、これ、こないなプロの集まりだけではなく、一般でも周知して欲しいものでした。
 午後の一時は、このオンライン配信が占めてしまったので、僅かの隙間狙いでの落語&講談は2本、①一龍斎貞水「百萬両宝の入船」②笑福亭呂鶴「天神山」(2014/4/3 NHKラジオ深夜便)。貞水師の口演、久しぶりです。ネタの題名からして、紀伊国屋文左衛門ものと判断してチョイス。いい感じのお客さんという反応に貞水師がいいノリを見せてるなの印象。荒れる海を前に船頭探しに奔走する紀伊国屋の若旦那。荒くれ男を前にした若旦那の台詞廻しに気品があるのが際立ちます。②は、珍しいもの見っけでチョイス。呂鶴は、ネタ数が多くないから、いや、持っていても、なかなか出さないから、レアものです。「天神山」を、ネタ出ししてるのって、見たことあったっけとまで思ってしまいます。解説のくまざわさん、先代文枝からもらったと言われていました。ま、そうでしょうね、この世代がもらうとなると。最後は、下げまで行かなくて、「いい春のお話でした」で切ってしました。


2022年 3月 10日(木)午前 7時 24分

 昨日は、朝から、全く何も予定の入っていない水曜日。ウクライナ問題のあおりで、コロナ情報も減り、朝からの時間的拘束も少なく、そこで、すっかり失念していたことに手を着けた。つい数日前、「あなたの申し込まれていたオンライン配信の期間は間もなく終了」との、とっても親切なメールのおかげで、忘れていたことを思い出したので、忘れない内に視聴しようとの判断です。視聴したのは、滋賀県立大学のオンライン配信。「世界遺産の理念と彦根城の取り組み」というお題で、同大学人間文化学部地域文化学科准教授の金宇大さんのお話を聴くことができました。これで、世界遺産絡みで、天橋立、宇治茶に次いで、3つ目の講演を聴くことができました。この配信、3つに区分して、計1時間ほどのもの。この区分が、上手くお話の展開に合わせてあったので、とっても解りやすいもの。1つには、既に、他の2つの講演を聴いているという経験が生きたのだと思います。「①世界遺産に関する基礎知識」「②世界遺産誕生のプロセスと理念」「③世界遺産登録を目指す彦根城の取り組み」、これが3つの区分でした。全体を通じて、新たに知ることができたことの中で、メモっておきたいものを残しておくことにします。「世界遺産には登録基準がある、それを個別に具体事例を上げて説いていただけた。イスタンブル歴史地区は、価値観の交流を示す遺産」「ハロン湾は地質学的・地形学的評価基準で認定されたのは解るんだけど、あすこ、カルスト地形なんだって! だから、あすこの奇岩は石灰岩」「世界遺産登録の地域間格差(ヨーロッパ偏重、宗教建築偏重、前近代までを偏重など)是正のために、グローバル・ストラテジーが執られる、それが、産業遺産、20世紀遺産、文化的景観という視点」「シリアル・ノミネーションという観点での視点、単体ではなく、1つのストーリーでまとめての指定、日本の例として“長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”を上げられていました、黄紺的には、マレーシアの華人街の指定(マラッカとジョージタウンが一緒になり指定を受けていること)を思い出していました」「世界遺産登場のきっかけは、アスワンハイダム建設によるヌビア遺跡群消滅の危機を救う運動、エジプト政府がユネスコに救済を求め、それに応じることで“人類共通の遺産”という認識が生まれた」「この流れは、ヴェネツィアとその潟を救い、ボロブドゥール寺院の確保へと繋がる」「世界遺産条約は、元々は、自然遺産に重点を置いたものからスタート。その礎になったのがIUPN(国際自然保護連合)、それがIUCN(国際自然保護連合)にと改称。そこに、文化遺産の保全の考えを合流させて、条約は成立、1972年、ユネスコ総会でのこと」「現在、天守を擁する城が12あり、彦根城はその1つ、全てが、国宝か重要文化財、建て直しなしの天守閣2つだけで姫路城と彦根城、黄紺は、松江城と松本城しか行ったことがない、ちょっと悲しい」「日本の最初の世界遺産暫定リストに入った文化遺産の候補の内、彦根城だけが登録されていない、鎌倉は落選、姫路城が、早々に登録されたのが、彦根城が置いてけぼりになっている原因」「国宝四城でまとめての登録を目指した時期もあったが、国宝四城の有機的繋がりでもってのストーリーは難しく、脱退、単独登録目ざす」「彦根城は、武家文化の総体を伺える、逆に、城郭以外の資産を含めたシリアルノミネーションで1つのストーリーを構成するのが難しいので、中堀の内を資産と絞って登録を目ざす、彦根城の価値は、軍事的拠点としての城ではなく、政治的な拠点・文化的な拠点としての価値、庭園、重臣屋敷残る、“一期一会”というタームを広めたのは井伊直弼ということからも判る茶道の文化が息づいている」。彦根城は、「ブラタモリ」でも扱われ、その価値は口端に上ることが多いにも拘わらず、改めて知ったことが多くありました。ホント、近くに住んでいながら行ったこともない。ここは、有名な能舞台もあるので、前々から行かねばと思いながら行ってないことを、恥じました、お話を聴いて、その価値の高さ、よ~く判りました。それと、天守の残る城で行ってない10の城、行ってみたいな。わりと四国に多いですね。そのリストには入ってないけど、先日の「ブラタモリ」で観た海城の高松城も含めると、四国城郭探訪ツアーなんて、いいですね。
 午後の一時は、いつものように落語とオペラ。落語の途中に居眠りをしたり、オペラの途中に、メトロポリタンのライブビューイングが再開していることを知ったため、単に、ふと気になり調べたら、再開してたので、慌てただけなんだけど、それで、結果、オペラ配信の視聴時間が削られてしまうことになってしまいました。落語は3本、次のようなものでした。①桂しん吉「スシ24の魅力」②桂しん吉「若旦那とわいらとエクスプレス」③林家正雀「きゃいのう」。①②は、前日に続きの視聴。3本ある「惜別トワイライトエクスプレス篇」を、創作順とは、全く逆の順序で聴くことになりました。①は、食堂車に特化した物語。そこに至る蘊蓄に熱が入ってました。また、どっちだったかな、ラストラン目前で、2回もトワイライトエクスプレスに乗れたことのレポ-トがおもしろい。やっぱ、好きが伝わる、そういった情熱のこもった話って、何を聴いてもおもしろいものですね。黄紺は鉄じゃないけど、鉄道好きなことには変わらないので、そういった意味でも、しん吉の熱のこもったマクラと本体の「古典」落語に魅せられました。そのわりには、②の途中で居眠りをしてしまってましたが。③は、短い時間でとなると、いつもお世話になる正雀のチャンネル。安定の口演だから。どれを聴いても安心して聴けるものだから、ついお世話になっちゃう。マクラで、「金語楼作」だと言い、「先代小せんからもらった」とも言ってました。芝居に関わる末端の役者を扱った噺です。主人公の惚けた、そして、地方の出という雰囲気が、とってもいい感じだけど、一方で、哀れさも感じさせるネタですね。ネタの存在は知りながら、初めて聴くネタでした。オペラの方は、オンライン配信でのもの。イギリスのリーズにあるノース・オペラの「アルチーナ」(ティム・アルベリー演出)です。魔法をかけられた島での男女のやり取りを描いた作品、黄紺的には、ドレスデンで、スーパーなプロダクションを観た記憶のある思い出の詰まったヘンデル作品。ところが、この配信を観て5分も経たない内に、「やめようか」と思ってしまいました。ヨーロッパの歌劇場のプロダクションでよくある、現代の家具が、雑然と置かれた舞台で、背後のスクリーンに映像で島、海が投射されており、登場人物のキャラの姿形とは無関係にも見える歌手が跋扈するというもの。芝居と歌唱だけで見せよう、聴かせようというコンセプトで作られたもの、えてして、この類、捻りがなく、それだけで終始してしまうと思っている黄紺には、敬遠する気持ちしか出てこなかった。だけど、せっかくのヘンデル、しかも、思い出多き「アルチーナ」だからと思い、前へ進んでいます。ただ、歌手は、姿形を気にしなければ歌唱は上手い、それは感心しています。1つだけ、変わった演出、ブラダマンテに付いて魔法の島にやって来るメリッサをズボン役に歌わせている点。でも、この人、小柄。ここでも、姿形は無視したキャスティングしてます。ブラダマンテは、男装の役だからと言っても、あまりにも上背のある歌手だから、余計に小柄なのが目立つ。ま、そんなところです。


2022年 3月 9日(水)午前 5時 48分

 昨日は、午後にお出かけを入れていた日。京都府立京都学・歴彩館であった「資料に親しむ会」というおなじみの会なんだけど、ここに行くときって、わりと、午前中がタイトになってしまうのが、恒例。一昨夜は、マッチがあったので、その情報収集を、朝にしてしまうのを習慣づけていることで、どうしてもタイトになってしまう。皺寄せは、ウォーキングのための時間。主として、歴彩館の往復時間だけが、ウォーキング時間になりがちなため、往復にかける時間を増やそうとするのだけど、一時に増やすと、疲れるだけなので、程を考えてすると、どうしても、1日単位で看た場合、普段よりは少なくなってしまう。ま、覚悟のうえで、出かけるのだけど。で、歴彩館でのイベント、昨日のお題は、「画譜・図案集に親しむ~明治時代のデザインブック~」というもので、同館資料課の藤本恵子さんのお話がありました。冒頭で、「江戸時代の続き」と言われていたので、何かの都合で行けてないお話の後半部分だったようです。「画譜」も「図案集」もスケッチブック状のものに描かれたデザインブックといったところでしょうか。明治以降のそれとの比較ということで、江戸時代のものの特徴を振り返っていただけたのは有難かった。18世紀以後、出版が盛んになったそうで、内容的には、明清の画譜が入ってきたことで、それに触発を受けたということのようです。流派の伝承のために、絵師を対象にした教本として流布したそうです。ですから、何かの作品というものとは、目的が異なるものです。流派に分かれ、伝承を大事にするということは、発展性に乏しいと対峙するもので、流派の衰退に繋がったという考え方を目にしたことがあるけれど、「画譜」の意味合いを知ると、そないなことを思い出してしまってました、当たってるかどうかは、知らんけど。事実、明治維新となり、大名勢力など、権力をパトロンとしていた絵師たちは、たちまち生活に困る。御用絵師があぶれるということは、様式への拘りを持つ絵師たちの没落を意味する。新たな活動場所の確保に奔走する人々。彼らの需要が無くなり、狩野派の様式美から円山四条派の写生を活かす絵画が求められるようになる。一方、ジャポニズムのなか、日本の絵画、工芸品が人気を博すと、画家による工芸品のための写実的な絵手本が求められようにもなる。また、この時期は、廃仏毀釈で破壊された文化財の調査が高まり、結果的に古代の意匠が集約されたと言います。そこで、明治期の画譜の特徴が現れてきます。工芸のための図案となる画譜が育まれる。著名な作家さんが、そういった画譜を残しています。一方で、そういった工芸とは切り離した図案に価値が出ていたということで、図案集が出てくるといったことでした。黄紺も知るような著名な作家さんが、工芸品にアイデアを提供しています。そこで、そういった作家さんの画譜の紹介があったのですが、この肝心なところで居眠り。でも、いつものように、会場の一部を使い、その画譜が展示されており、開会前に眺めていたことで、内容は解っている。その上、いいレジェメを用意していただけているので、そこで取り上げられた作家さんの名前だけは残しておくことにします。幸野楳嶺、今尾景年、鈴木松年、渡辺省亭、竹内栖鳳、菊池芳文、谷口香嶠、浅井忠、津田青楓。また、専門職の図案家としては、神坂雪佳、上野清江、長谷川契華、古谷紅麟。その他、紹介のあったのは、図案集各種でした。この中で、浅井忠は、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で、何かの企画展があったときに、何点か、その作品を観る機会を得ています。また、神坂雪佳を取り上げた特別展が、近々、京都の某美術館であるので、これを縁に観に行くことを決めました。そんなで、世界が拡がって行きます、嬉しいな!
 隙間狙いの落語は1本だけ視聴できた。桂しん吉「社長誘拐事件」です。しん吉が、自身のYouTubeチャンネルで公開しているもの。コロナ禍の中だけ限定で立ち上げたチャンネルのようです。自身の鉄道落語の一部を公開してくれています。このネタは、「惜別トワイライトエクスプレス篇その3」と認めています。繁昌亭で収録されたもので、口ぶりからすると、ネタ下ろしという印象なので、その会場に黄紺もいるはずです。誘拐犯の要求は、トワイライトエクスプレス廃止を止めろというもの、鉄の心意気ってやつが詰まった佳作です。この連作、他にもアップされているので、また、覗くことにしましょう。


2022年 3月 8日(火)午前 7時 6分

 昨日は、午後にオンライン配信の予約をしてあり、そして、夜は、毎度おなじみの米朝事務所チャンネルの生放送を楽しみに、時間が過ぎて行きました。そんなだから、お出かけなしの一日としての時間の流れ。日に2回のウォーキングは、いつも通り。で、そのオンライン配信は、大阪市立大学附属植物園が、大阪府立環境農林水産総合研究所生物多様性センターと共催で行った「第2回里山を考える研究会」です。全くの素人でも解るのかなぁという不安な気持ちで、でも、「里山」というタームに導かれて、参加予約を入れておいたもの。環境農林水産総合研究所から、メールで送っていただいている案内で、このイベントを知りました。そのプログラムは、次のようなものでした。①近畿大学の里山を巡る活動と教育(近畿大学農学部教授 松本光朗)②「龍谷の森」における市民協働型の里山管理と環境教育(龍谷大学政策学部里山学研究センター 谷本岳人)③里山に広がる獣害(特にイノシシ被害)の実態について(大阪府立環境農林水産総合研究所生物多様性センター主任研究員幸田良介)④木質バイオマス発電がもたらす里山の新たな可能性(TJグループホールディングス株式会社取締役辻本眞由子)。①と②は、キャンパス内に里山を抱える大学の、その里山を、どのように扱っているかのレポート。いずれも、2本の柱を立ててのお話だったと思います。大学ということで、環境教育に役立てているというのが1本目、もう一つは、その管理に市民と共働で当たっているというお話だったと思います。黄紺的には、②が、とっても親近感の覚えるお話。というのも、最近、滋賀県立美術館に行くことがあり、その隣に、ここで話題となった龍谷大学のキャンパスがあるからです。確かに、同美術館も、その里山を切り開いたあとに造られた公園地域に中にあり、龍谷大学側ではない方には、滋賀県立医大もある。ここも、何かの都合で行ったことがあり、知っている場所ということが大きかった。龍谷大学では、当初、里山として残っているところを、グランドに活用しようとの計画があったところ、職員の署名活動で、里山を残すことの判断を学長か、理事長かは知らないけど、そういったトップがしたことで残ったそうで、そりゃ、その里山を、教育活動、保全活動に熱が入る根本がある。いい話を聴きました。お話のあと、Zoomを通じての質疑応答のなか、市民の立場として保全活動に関わっている方のお話も聴けました。リタイアされた人たちが、社会貢献的に、参与される方が多いようですね。おもしろそうだなと思ったのですが、最近の踵の様子を考えると、黄紺的には、手遅れだと悟らずにはおれませんでした。一方、近畿大学には農学部があるということで、同学部主催で「里山構座」があること、メモっておきます。早速、ウエブで確認すると、なかなかおもしろそうです。よくお世話になっている帝塚山大学の近くです。両方とも、京都から行けそうだから、射程範囲に入れておこうかの気になってしまいました。③④のお話が、おもしろかった。③では、イノシシで具体的なオファーを受けてのお話だったようですが、イノシシばかりか、シカ、そして、なんと、アライグマ(こんなのが日本の里山にいるんだ! 外来獣じゃねぇか! 20年ほど前から現れているそうで、大繁殖して獣害をもたらしているそうです! びっくり!)と3本立てでお話がありました。野生動物の被害として、4点を上げられていました。「A農林業被害」「B人身被害」「C生活環境被害」「D生態系被害」です。Aでの具体的なお話では、大阪府では、この3つの動物により、8割を占めているとか。Bは襲われるというもので、了解。Cが興味津々。近年、動物由来感染症(人獣共通感染症)が増えているというお話です。コロナ然り、HIV、SARS然りということです。自然破壊が進み、人と動物の不要な接触が増えたのが、大きな要因だそうです。なるほど、自然破壊が、関与しているのですね。更に、動物と人間とを媒介するマダニ媒介性の感染症の増大が怖い問題だとか、動物と直の接触でなくても間に立つのがいる! Dは、シカの凄まじいい食い荒らしの画像に震撼。このトピックは、どこかの県のオンライン配信で聴いたこと、思い出していました。下草を食べ尽くし、木の幹、皮も食べる、森林の風景が一変します。生態系の変化、納得です。いずれの動物も、モニタリングを行い、生息分布を調べ、対策に当たられるというのが、幸田さんらのお仕事の1つのようで、その方法、調査結果もお話されていましたが、その中で、怖いトピックを1点、メモっておきます。大阪で、豚熱の流行とイノシシの生息状況が対応しており、流行すると、イノシシが減となるということで、じゃ、獣害が減っていいじゃないかではなくて、それが、養豚業に影響を与えるかもしれないという観点に立つと、とんでもないことです。飼育されている豚に感染すると、一巻のおしまいです! そういった意味でも対策が肝要。獣害対策の3本柱として、「E個体数調整」「F被害の防除」「G生息環境管理」を上げられていました。Eは捕獲ですね。Fは、防御柵などを準備することですが、適切な設置とメンテナンスの重要さを言われていました。おもしろかったのは、植物園に設置された電線を張るという防御方法。前まで来て立ち去るイノシシの映像を見せていただけたのですが、仕掛けの根本、知りたかったなぁ。Gは、生息地となる場を作らないということで、具体的には草の除去作業の大事さを言われていたと思います。どうしても、Eに偏る発想で動くので、この3つの手を総合的に考えて行うことを奨励されていました。④のお話は、黄紺的には、全く知らなかったお話、バイオマス発電って聞いたことはあるのだけど、具体的に、どのように進められているのか、初めて聴くお話に興味津々となりました。お話をされた辻本さんの会社は大東市にあり、植物園も、黄紺的には、トルコから帰るのに苦労した例の台風で大きな被害を受け、そこで出た倒木の処理で、お世話になられたようです。お仕事の内容の筋立てを見ると、とっても合理的にできている。こういった環境に関わる仕事で、こういった筋立て思いつかれる方って、頭いいなって思ってしまいました。「木質廃棄物(倒木とか、公園の樹木の伐採とか、、、)・森林未利用材(間伐材とか、、、)の資源化」「(そういった木材を回収してきて)バイオマス発電を行う」「(そこでできた)バイオマス電力を供給する」といったお仕事です。特に、資源化された木材を回収した相手に電力を供給することで、「地産地消」を実現するというものを行われているという企業でした。植物園は、大阪市立なため、大阪市が電力消費については契約があるので、「地消」とはならなかったようですが、その価値を認識しての、この講演会への招請となったようです。どのようなトピックが出てくるか、そないなこと知らないで、「里山」というタームにだけ引き寄せられて参加したオンライン配信でしたが、とっても正解でした。知らなかった、でも、知って得をした、大事なこと知ったというお得感ですが、それを得られた感がいっぱいのものでした。
 隙間狙いの落語、昨日は、ABC朝日放送ラジオの名物番組「上方落語を聞く会」をラジコで、お時間に合わせて2本、聴くことになりました。その2本が、凄い! ①桂二葉「天狗刺し」②桂華紋「ふぐ鍋」。これ、ともに、NHKのコンペで大賞を取ったネタじゃないか! ①では、二葉のいっきょいを、②では、華紋の業師ぶりを堪能しました。あと、文三の「莨の火」、方正の「?」(ネタを把握してない)、吉弥の「崇徳院」が残ってるのだけど、もう無理かな、配信期限が終わってるかもということで、残念!


2022年 3月 7日(月)午前 6時 41分

 一昨日から一転して、気温が急下降した日曜日。午後にお出かけを控えつつ、朝から、日曜日のお楽しみ「日曜美術館」。昨日は、前半の3/4もさることながら、後半の1/4が、いつもと異なり、美術館1箇所に絞ったもの。それが、滋賀県立美術館だったもので、いつも以上のお楽しみとなりました。実は、数日前、滋賀県立美術館のメルマガで、この放送は告知されていたものですから、待ち構えていました。MCの小野さんが、同美術館を訪ねて、館長の保坂さんが、今回のアール・ブリュット展のキュレーターをも兼ねられたということで、その案内役を務めるというもの。黄紺は、今月に、このアールブリュット展を観に、同美術館を再訪問することにしているので、いい予習にもなりました。15分間という短い放映時間だったのだけど、作家さんの制作現場にもカメラが入り、その活動の様子を知れたことは、大きな収穫。ひょっとしたら、黄紺が、次回に残した館内での映像投射で知ることになるものかもと思いながら、でも、初めて見る制作現場だったもので、とっても刺激的なものとなります。保坂さんは、「アールブリュット=障がい者の作品」となっていることに対する疑問を提示するだけではなく、アートとは何かを問い直すことのきっかけにして欲しいなど、相変わらず挑発的な言葉を出してくれていましたが、なんせ限られた時間なため、そういった考察に供するために、用意された様々な展示までは紹介されなかったのは致し方ないとは言え、勿体ないなとは思いました。DVDジャケットらしき作品が多く展示されていましたが、そのなんとかさんの作品群というのが、この展示での公開が、初めてのものだったとか。アールブリュット作品の探索に、引き続き努められていることの確認にもなりました。で、前半は、「開館!アジア最大のアートスポット 香港 M+美術館」と題して、新たに開館された香港の美術館の紹介でした。美術館の全体像を紹介しつつ、コーナーごとの特徴をカメラは追っていました。案内役は、同美術館の日本人キュレーターさんとNHK香港総局長さん、その人たちと、NHKのスタジオを結ぶ二元中継で、番組は作られていました。展示室で紹介されたものは、主に、次のようなものでした。「①1960以後の香港の視覚文化」「②ライフスタイル・チェンジャーとしての日本のデザイン」「③シグギャラリー/中国現代美術」「④アントニー・ゴームリー/8万体の土のフィギュアー」。これらの展示の空隙をぬいながら、デジタルアートの紹介もあり、最後には屋上庭園に出て、建物の壁面を使ったデジタルコンテンツの紹介もありました。①~④の中で紹介されたものは、以下のようなものでした。「①ランプシェイド、ネオンの収蔵庫、九龍の街角に書かれたカリグラフィー・アート、原寸大のアパートの再現」「②三輪自動車、全自動電気炊飯器、“寿司店1988”と題して、実際の寿司店“きよ友”の移築、倉俣史朗のデザイン、たまごっち、使い捨てカメラ&その自動販売機、栗田穣崇考案の絵文字」「③ジャンウェー(張偉)と文化大革命プロパガンダ作品(社会主義リアリズム、笑顔でおれないのに笑顔が描かれる)との対比、1990年代のジャン・シャオの作品(家族の悲惨な記憶を隠すことが中国人のアイデンティティ)、アイ・ウエィウエィ作品“ホワイトウォッシュ”=白いペンキで塗られた土器のツボ、それは伝統的文化と産業化の対立を描いている」「④目2つ、自立、手の大きさサイズという3つの条件で、人形を市民に作ってもらい、それらの人形を作った人のポートレイートとともに展示、また、見に来た人のメッセージも展示」。おもしろそうな美術館です。香港は、もう20年以上、行ってないな。これに合わせて行ってみたくなりました。
 午後は、大津市歴史博物館の「れきはく講座」に、久しぶりに行ってきました。こちらは、大津事件の講座に、1度だけ行っただけ。ずっと追いかけているわけでもなく、たまたま講座の予定を眺めて行こうとするもの。今回は「蝉丸」の名に惹かれて行くことにしました。そのお題は、「関蝉丸神社下社の歴史と信仰 -江戸時代を中心に-」というもので、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程の西川雄也さんのお話を聴くことができました。関蝉丸神社は、旧東海道沿いにある二社から成り立っている。上社と下社ということだけど、これらを合わせて関蝉丸神社と呼ぶようになったのは、近代になってから。江戸時代には、上社は関大明神、下社は関清水大明神という旧名を、各々持つようで、下社にある「関の清水」、及び、説教者と呼ばれる芸能者・民間宗教者に免許状を発給する本山という役割を果たしていたというのが、このお話のポイントとなるようでした。芸能信仰となれば、蝉丸の謡からの連想となるのでしょうが、だったら、そもそも蝉丸の名が冠せられるわけは?という問題が出てきます。興味が湧いてくるところです。古代・中世の史料では、この神社は、近江と山城の境界にあり、且つ、逢坂にあるという交通の要所にあるということで、「坂神」として出て来るそうです。蝉丸に関しては、その実在は確認されていないそうです。伝承としては、有名な歌は、10世紀半ばの「後撰和歌集」に出てきており、12世紀前半の「今昔物語」には、盲人の琵琶の名手として出ているそうで、古くから逢坂に住んでいたとの伝承があるようだとのことで、これが「坂神」という道祖伸と合祀されたのだろうと言われていました。江戸時代になると、下社の発展が看られるそうです。まあ、大津の街により近い坂に入口辺りにありますからね。で、その下社に関わる人たちとして、次の4グループが確認できるとのこと。①氏子としての大津町の人々、鎮守社として祀る②兵侍家(ひょうじや、逢坂関の関守の末裔、関所鎮守としての信仰、神社の経営・管理の担う)③近松寺(きんしょうじ、三井寺五別所の1つ、神事や法事での読経を行う、下社のあった関寺が近松寺に寄進されたという由緒もある)④説教者(東海から中国・四国地方の芸能者、芸能伸蝉丸への信仰、免許状・由緒巻物を受け取る)。そういったなか、寛永期(17世紀前半~半ば)に変化が出てくる。病気平癒信仰の流行を背景にして、「目にまつわるもの」が出てきており、これで、神社が繫栄したという。それにともない社地が拡張されている。その社地が現代のものだというのだけど、その拡張された場所が、三井寺領であり、そこに関の清水がある。この関の清水が眼病平癒と関係があり、そこから盲人の蝉丸へと連想が膨らんでいったようです。その蝉丸が琵琶の名手だった。繋がってきました。18世紀前半の正徳期には、近松寺が神社から兵侍家を追放します。そして、その後、説教者への統制が高まったと言います。文政年間(19世紀前半)には、その統制強化の中で「芸道祖神蝉丸」が出てきます。明治期になると、神仏分離で、今度は、蝉丸が後退、替わりに、記紀神話に登場する神である豊玉姫命が登場してくる。時代を映しています。ただ、由緒の見直しのなか、「坂神」「道祖伸」が、再び注目を受け、神社の統合を免れ、1個の神社として存続が可能となったそうで、しかも、「国史顕在」が認められ社格も上がったとか、そこで、明治の規範に合うように由緒も整えられ、それが、現在に至っているとか。なんか、時代の空気に振り回されていますね。これが、小さめの神社の本当の歴史ってやつなんでしょうね。蝉丸も生き残り、いや、蝉丸のおかげで、神社として存続が叶ったということなんでしょう。地の利ってやつかな。講演中、うつらうつら状態で、記憶に濃淡があったんだけど、しっかりとしたレジュメを用意していただいていたので、その淡い部分が強化されると、濃い部分と、きっちりと繋がりました。大津まで行った甲斐があったけど、ここの会場の椅子、堅いんだよね。座った瞬間、ダメと思い、係の方に助けていただきました。おかげで快適に講演を聴くことができました。今度、行くときには座布団持参することを忘れてはいかないと思うけど、先にも書いたように頻繁に行くわけではないので、忘れてしまいそうです、これが不安材料。
 この大津市歴史博物館への往復をウォーキング替わりと考えて、わざわざ、大津駅からアクセス。でも、昨日は、帰りの時間、雨模様。おかげで、自宅最寄り駅1つ手前で降りてウォーキングをすることができなかった。雨雲レーダーを眺めての判断は正解だったとはいえ、ちょっと残念、でも、天には勝てないね。


2022年 3月 6日(日)午前 6時 8分

昨日は、一昨日の息子からの電話で、一転して、朝からのお出かけ。DやSと一緒に、梅小路にある京都鉄道博物館に行くことになったのです。梅小路京都西駅ができてからは、初めて、あの界隈を通りました。以前、アーバン・ウォーキングといって、街中の各地を歩いていた頃は、駅はできてなかった。だから、息子が子どもの頃に連れて行ったことはあるけど、最寄りの駅は丹波口駅だった。それに比べて、駅の前に博物館の入口があり、息子の話によると、大阪の西九条にあった同様の博物館と統合したため、その博物館からも車両を持ってきたとか。蒸気機関車から新幹線まで、実物の車両が置かれている。昔の西九条の車両が並んでいるだけ的なのも迫力があったけれど、新しいだけあり、明るい、いろいろと遊べるようになっている。もうDなんか、走り回って、次から次へと、ボタンを押すと動くものを梯子をする、それを、同じところでも繰り返す。踏切が一のお気に入りらしくって、何度、繰り返し行ったことか。Sも、その内、慣れてきたのか、D同様、走り回り、ボタンを押しては、「動いた」と言って、同じことを繰り返す。疲れました。あいつらは、疲れというものを知らない、ちょこちょこと走り回る。普通の博物館歩きにプラス、ちょこちょこと走り回るのを追いかけるのが入るものだから、疲れること、半端じゃないけど、楽しかったぁ。Dが、どんどんと手を引いて連れていくものだから、もう楽しいよ。食堂に、早めに行って昼ごはん、めっちゃ、高いのに、びっくりさせられました。インバウンドでも来るのかなぁ。館内放送、外国語も流れていた。運転体験に当選をして、その座席に着いて、1回、運転したところで、時間切れ。次なる予定に向かうため、慌てて、バイバイをして、駅に急ぎました。
 うまい具合に、昨日の市民向け公開講演会は、アスニー京都だったために、2駅だけ山陰線に乗って、二条駅から歩けば良かった。開演時間間近に着いて、椅子に腰かけたら、その椅子に身体が吸い込まれそうに感じてしまった。それまでの疲れが、どーんと出てしまい、まるで、疲労回復、休息をとるために、アスニー京都に行ったみたいで、そのまま寝落ち。息子ら3人も、帰りの電車、寝てたとか。同じです。だから、8割以上は聴けていない。その講演会とは、「京都市考古資料館文化財講座連続講座“鎌倉時代の京都第2回”」として、京都市文化財保護課の鈴木久史さんが「中世京瓦ヒストリー、中世の幕開け」というお題でお話をされました。帝塚山大学の考古学講座を聴いて、古代の瓦話の奥深さ、また、しっかりと聴けば、瓦話も解らないわけではなく、そこから知れることの大事さを考えると、なかなかおもしろいとインプットされたものですから、かなり楽しみにしていたのですが、瓦話だけは、瓦についての形状などから読み解けるものの解説をしっかりと聴けてないとダメなもの、それが、すっかり吹っ飛んだものだから、いいレジュメをいただいているにも拘わらず、推論となるところが解読できない。瓦話の痛いところでもあるのですが、結論めいたことは、レジュメから読み解けるのと、僅かに残るメモから、こちらに、お話の結論めいたところだけを引きずり出しておこうと思います。「古代律令期の瓦生産」では、瓦生産の始まりから。588年の飛鳥寺創建に関わり始まった。だから、瓦は仏教を象徴するものとして、国家管理で生産されたため、官営瓦工房が誕生した。「11世紀~12世紀代の宮殿の瓦」で、内裏の一部、大極殿院・朝堂院の修理、再建に関わる遺構出土の瓦から判ることとして、従来通りの官営工房系の造瓦所生産ものとともに地方の工房生産ものが出てくる。この後者の瓦は、修理担当官の任国から調達をしたものに加えて、更に、それだけではない地方の瓦が出て来ることから、「交易瓦」の存在を看て取れる。「交易瓦」は、その存在は、東大寺は法勝寺に関わる文献史料からも判ること。そこで、官営工房に対する管理が緩やかなものになってきていること、一定、自由な注文を受けるようになっていたことが判る。「貴族の邸宅~築地の瓦~」では、天竜寺の敷地となった亀山殿の遺構から出た多くの瓦から、出てきた瓦の色合いから、それらの瓦の使われ方、葺き方を推測するというお話。瓦の形状、その形状により時代の判定や使途の類推が行われてたのだけど、これが判らかなかった。でも判らなくても理解できたことがあった。土塀の上であろうが、他の素材の上に瓦を乗せる目的は、雨水の浸透を防ぎ、下の素材を守ることだから、雨水が浸透しないよう、下へとうまく流す方法を考えて、瓦を組んでいく。瓦は一部重ねて組んでいくということくらいは、現代の家屋を見ていても判る。現代の積み方でも波打つように積むのは、雨水を流す工夫だと知りました。すると、出土してきた瓦に、焼成したときとは異なる色の変化が出てくる。重ねられて下になった部分は日焼けをしない、これは、さすが解る。そういった当たり前のことから判る色合いの違いや瓦の形状を判断、また、絵図と見比べて、築地で使用された瓦だとの判定が導かれたようです。「文覚上人による東寺復興瓦」では、1190年代に東寺が復興されたときに使用されたと考えられる瓦が出てきているということで、それを手掛かりに、その時期の瓦についての考察です。特に、ここで出てくる瓦は、どこの工房で生産されたかが、その形状から想定できるというのです。凄いね、考古学って。平安京造営時に操業開始を想定されている官営工房だけではなく、播磨国林崎三本松瓦窯でのものだというのです。また、その窯跡の調査も、既に成されているとか、有名な窯のようです。ただ、この窯が、東寺との関りがあるのか否かは、今後の課題だそうですが、特定の地方の窯から多くの瓦が来ているという事実が、何を指すかは気になるところです。でも、京都の官営工房は、ここでも生きているということは、もう1つの重要な事実です。だから、中世に入っても、それ以前から続いていた貴族の邸宅などに、そういった工房から瓦は供給されるという枠組みは引き継がれていたということになります。政治の中心は鎌倉に移っても、京都は、都であり続けた、旧来の伝統を継承しているということが、瓦という切り口でも判ると言われていました。それに対して、京都以外でも、瓦生産が活発化していることも判ったこと。一方で、南都の仏教寺院に所属していた瓦職人が、活発に、諸国に進出していたことも判っているそうで、彼らは、出張生産で、各地に進出していったようです。それとともに、14世紀頃からは、瓦の裏に署名入りのものが出て来るそうです。この署名入り瓦のトピック、「ブラタモリ」のどこかでやってましたね、どこだったかが思い出せないし、いつの瓦かは思い出せないけど、その始まりが、その時期だそうです。それだけ、技術に自信のあるもの、技術の向上、品質の統一が生まれて行ったようだと結論付けられていました。


2022年 3月 5日(土)午前 5時 8分

 昨日は、時間に追い立てられた一日。そないな日程を立てることが間違っているとは思いつつも、おもしろそうなもの見っけの気になり、それを覚悟で動いたけど、なかなかなものがあった反面、ラッキーな面もあったこともあり、思い描いたほどのタイトさではなかったかな? そんなで、時系列的にメモっておくと、まず、朝からアスニー京都へ、いつものように、「アスニー特別講演会」へ。昨日は、京都歴史回廊協議会(立命館大学/花園大学/佛教大学/京都嵯峨芸術大学)との共催で行われた講演会で、「どのように京都の人たちは水道を使うようになったのか? ―大正前期における生活用水と公共性―」というお題で、京都大学文学研究科講師白木正俊さんのお話を聴くことができました。現在のような水道が、京都に出来上がったのは、いつか、また、それが、どのような経過を経てきたのかを跡づけるというもの。ポイントは「公共性」、市民のためにもなり、行政のためにもなる(とどのつまりは市民の利益に跳ね返ってくるということなのでしょうね)、この双方の幸せが出来上がると、公共性なるものが成立するというお話、それを水道という、切り口で観てみようとの試みでした。京都の水道と言えば、黄紺でも、頭にピンと来るものがある、「琵琶湖疎水」「蹴上浄水場」です。ですから、お話も、ここからスタート。田辺朔郎の名前が出てきました。水道事業となると、田辺朔郎の弟子筋の人たちの功績と言った方が正しいようです。で、水道の目的、その普及の仕方はというお話に繋がっていきます。この水道の水源は、第二疎水の方だそうです。第一の方は、飲料水ではなかったということです。上水道の必要性は、感染症。外国への扉が開くと、同時に、こういった困ったものも入ってきた。当時の水源は井戸だったため、不衛生な水が使われており、流行の源となっていたことの解消に繋がると同時に、安定した水量の確保にも繋がる。ところが、井戸は無料、水道は有料ということで、どのようにして、水道を普及させるかが問題。その手は、給水の仕方と料金体系。各戸専用給水だけじゃなくて、共用給水のシステムも採用。皆で使える安全な水という手と、大規模需要のある事業所などには計量給水にするが、小規模需要の一般家庭などには、放任給水をする、要するに使い放題にしたというわけで、普及を図り、その成果も上がったと言います。使用に関しては、かなりの啓発活動、低姿勢な活動が行われたとか。1912年4月と言われたかな、京都の水道の使用が始まりました。そういった活動とともに、普及を後押しする要因があったと言います。それは、西陣の腸チフスの流行、大正天皇の即位の大典が京都で行われるということで、衛生政策の一環として、熱心なキャンペーンが行われたこと、そういったことが実を結び、普及の実が上がったそうです。ところが、上がれば上がると、新たな問題が生じます。それが、放任給水という料金システム。いくら使っても同じ料金なら、無尽蔵に使う、「濫水」が起こったようです。水の供給が不安になるほどの事態になったようで、当然、行政では財政への圧迫が看られだし、1920年に水道使用条例の改正が行われ、計量給水の一本化に至るというわけで、使った分量に応じて支払うという応能主義に立った料金体系が出来上がったということで、これで、財政面での安定が確保され、余剰金を作り、やがて、松ヶ崎浄水場の建設の運びとなるとか。より安定した水道水の供給が高まるというわけで、衛生面の安定は言うまでもなく、市民の幸せと行政の幸せが繋がるところで、公共性の確保が成立したという流れでした。こういった流れのお話の間を詰める資料などを示していただき、それはそれで細かなお話になってしまうんだけど、でも、筋道は、ごく解りやすいもの。今まで、疎水話は、舟運から始まる産業の活性化話へと展開していくものだっただけに、今回の講演会は、大事なものながら、今までで抜けていた隙間を埋めていただけた、ありがたいお話でした。
 この講演会は、いつもより10分程早めに終わったのが、タイトさを若干解消してくれました。午後2時から、オンライン配信での講演を聴く予約をしてあったのです。いつものように、アスニー京都からの戻りは、ウォーキングも兼ねているため、それもやりたいけど、時間は大丈夫かの心配はあったんだけど、この10分が、少なくとも、その倍の効果はありました。ですから、余裕をもって、午後のオンライン配信に臨むことができた。それは、京都府と京都市が主催するというたいそうなもの。視聴対象を、「京都市内を中心とした京都府内の飲食店・宿泊施設等の観光事業者等」となっていましたが、最後の「等」があるから、一般市民でも良かろうとの判断で申し込んでありました。「食の多様化への対応セミナー」という看板が上がっていました。ダイバーシティ、です、流行りです、この言葉。それを「食」に絞るというテーマ、どないな話になるか、惹かれますよね。観光都市京都で、インバウンドが地に落ちた今、来るべき恢復時に備えて、今こそ、その準備をする時だというのが、府と市をして、スクラムを組ませたようです。そのプログラムは、①京都におけるインバウンドの動向について(京都市観光MICE推進室)②WITHコロナでも!今日から無理なく始めるフードダイバーシティ(フードダイバーシティ株式会社代表取締役守護彰浩)というものでした。②の半ばで、寝落ちしてしまっているので、また、食の多様性の基本情報、各事業所の心得、対応の仕方に対するサジェスチョンをするというセミナーですから、黄紺的には、どうでもいいことも、多々あるので、自分の知識欲に都合のいいことを主としてメモっておきます。「UNWTO(国連世界観光機関)発表の史料では、コロナ前の水準の近づくのは2024年の見通し、それでも、コロナ前の64%の回復予測、回復ペースは、カリブ海地域、欧米は先行、アジアは遅れている」「ムスリム観光客は、コロナ前の6年間で、3.3倍の増」「守護さんは、ダイバーシティをネタの金儲けをしている人、情報が金になる、正にそれ、この講演の前には、高野山や善通寺で講演をしてきたと言われていた、思わぬところにニーズってあるものです」「サステナビリティという持続可能性を意味するタームが、旅を作るコンセプトの1つになってんだって! 環境に配慮した旅とかが人気になってきている」「ベジタリアンが多いのはインド、なんか聴いたことがあるような、、、でも、28%という数字を見て、びっくり!」「台湾のベジタリアン率も高い、14%。食堂には、素食と掲げてある、それがベジタリアンを意味するが、それは、五葷(ごくん)も含んでいる、オリエンタル・ベジタリアンと言えば、この台湾のベジタリアンを意味している」「ムスリムのハラールに相当する禁忌がユダヤにあり、これをコーシャという、豚と鱗のない魚(エビ、カニ、貝)はダメ」「ヴィーガンとベジタリアン、前者は、卵やミルクまで食さない」「ヴィーガン料理は、様々な人たちに切れるカード、様々なアレルギー、様々な宗教・主義信条、健康志向、サスナビルに対応できる」「ヴィーガン・レストラン検索用のアプリ(Happy Cow)がある」「多様な客を迎えるコツとして、どういった対応をしているかを明示したポリシーサンプルを明示することが肝要、自分とこが対応できるサービスと対応できていないことを明示すること」「世界一のヴィーガン・レストランの評価を受けたレストランが自由ヶ丘にある、菜道という名のレストランで、一般客にも人気」など。とっても、実用的なお話。知らなかったことも多く、ためにもなるお話ってとこでした。
 夕方、コロナ情報の収集をしていると、息子から電話。今日、SとDと一緒にお出かけすることになりました。それが、うまい具合に、黄紺の予約してあった市民向け公開講演会会場にアクセスしやすいところということで、それも行けるという、まことにもって、嬉しい土曜日になっています。これに、「ブラタモリ」の新作が加われば、最高なんだけど、また、パラが始まったので、お休み。残念!


2022年 3月 4日(金)午前 5時 48分

 昨日から、この週末にかけて、4日連続で、お出かけ予定が詰まっている。昨日だけが違い、あとの3日は、いつものように市民向け公開講演会。重なるときは重なるもの。その中で違う昨日は、びわ湖ホールでオペラ公演にお出かけ。この3月初旬というのは、毎年恒例となっているワグナーのオペラを観ることができるありがたい日。来年で、最も上演が難しいと思えるものを最後に、主だったワグナーのオペラが、びわ湖ホールで完結する。その前年は「パルジファル」だった。これは、ワグナー最後の作品だし、色々と物語のある作品だから、こちらの方が最後かとも思っていたのだが、逆になってしまっています。1年後は、「ニュルンベルクの名歌手」です。せめて、1年後までは生きていなければなりません。自分的には、「パルジファル」は、ドイツで5回観ている。日本では初めて。でも、今回の上演は、コロナ禍のため、セミステージ形式と銘打たれたけれど、早い話が演奏会形式。去年も、コロナ禍ということで、「ローエングリン」の上演もそうだった。その形態を観て、最近、「演奏会形式」と出ていても、かなり手が込んだものもあるのだけど、演奏会形式に僅かに色を着けたという程度だと判ったのか、それとも、「ローエングリン」は知っていても、「パルジファル」って何なの的なところがあるのか、全くの不入り。事実、ここまで毎年観ていた、黄紺の元同僚家族もパスをした。高校時代のオペラ好きの友人もパスをした。そないなことが、あちこちで起こったのでしょうね、このワグナーものが続いていて、「パルジファル」でそうなるかと、かなり寂しくなってしまいました。黄紺的には、ワグナーのオペラで、一番、観たいと思う作品なために、余計に、なんか不快な感じがしてしまいました。「パルジファルを何と心得るのか」と! で、その配役等は、次のようなものでした。アムフォルタス:青山貴、ティトゥレル:妻屋秀和、グルネマンツ:斉木健詞、パルジファル:福井敬、クリングゾル:友清崇、クンドリ:田崎尚美、聖杯守護の騎士:西村悟・的場正剛、小姓:森季子、八木寿子、谷口耕平、古屋彰久、クリングゾルの魔法の乙女たち:岩川亮子、佐藤路子、山際きみ佳、黒澤明子、谷村由美子、船越亜弥、アルトの声:八木寿子、構成:伊香修吾、装置:松生紘子、照明:原中治美、映像:高橋啓祐、音響:小野隆浩(びわ湖ホール)、合唱:合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、沼尻竜典指揮京都市交響楽団。舞台は、オケピットのところまでせり出し、先端部に歌手が座る椅子が配置され、床は白一色。その上で、小道具は使わないで、まるで能のような動きだけを加えるということで統一されていた。その背後にオケ、更にその背後、即ちバックステージを開放し、そこをも舞台の続きにしたというところ。敷舞台が階段状に並べられ、左前から右後ろに向かい、幅のある白線が引かれているので、そこを、何かに使うのかと思っていたけど、全く使わなかった。その舞台の上から垂れ幕上のスクリーンが、左右対称に10枚、5枚ずつが、前後に並べてあり、森のような具象的なものから、葉や鳥などデザイン化されたキャラクターが現れたり、全く抽象的な3Ⅾ画像を動かしたりして、物語は進行。一番の注目は、クリングゾルが槍を投げる場面。その直前に、そのスクリーンに、左から右にかけ太い矢印が映り、その直後、クリングゾルが槍を投げる格好をし、パルジファルは手を上に上げ、受ける格好をするといった具合で、ここでも小道具を使わないで表現していました。3幕で、クンドリが、パルジファルの足を洗う場面では、クンドリは、椅子から立ち上がり、パルジファルの方を向き、膝まづくといった仕草を見せるだけで、パルジファルは、自分の椅子の前で立ったままで、その洗うという場面を表現するというもの。だから、4階サイド席で十分でした。音響的には十分だし、動きは、このような最小限のもので表していたので、狙いが当たったことで満足。歌手陣は、キャスティングを見たときの不満だったグルネマンツですが、今まで聴いてきたよりは、パワーはあったけれど、やっぱ、本当のバス的な声は、妻屋さんに軍配。だから、ほんのワンシーンだったアムフォルタスとティトゥレルのやり取りの場面の歌唱が、この公演一番だったのじゃないかな? 妻屋さんは、グルネマンツを歌わないのかな? クンドリの田崎さんは、声にムラがあるな。低音域になると、極端にパワーが落ちる。今回はバックステージ開放だったので救われたけれど、黄紺的には評判の悪い、びわ湖ホールの背後の壁だと、キンキン声になったかもしれないなと思いながら聴いていました。それも、2幕以後で、1幕は、とんでもない人をクンドリに持ってきたなと思うほど、不出来でした。そういった不満を持ちつつ、総体としては悪くはないと思わせたのは、タイトルロールの福井敬の緊張感のある歌唱だったと思います。何度か聴いてきたけれど、この人の声って、どんな役柄が合うのかと思ってたけれど、声質的には、所謂、典型的なヘルデンテノールではないけれど、この緊張感は只ならぬものがあると思わせられました。それを、全幕を通じて、質が落ちないのだから、やっぱ、評判になるだけあります。問題は、沼尻さんです。2幕、3幕は申し分なく、特に、2幕のような活劇パターンになったりすると、上手いなぁ、クンドリの色仕掛けのような色のはっきりした場面の音楽作りはうまいなぁ、ドラマを心得ているなぁと思え、また、この日の京都市響が、よく鳴る、ワグナーの濃密な音に痺れさせてもらえたのに、1幕はいただけなかった。静謐な音に、聖性なる音楽になってなかった。どうして、こんなに無味乾燥なの、どうして、こないな単調な音楽になってるのか、それ探しをしながら聴くハメに。結論は、インテンポに過ぎたんじゃないかな。聖堂の場面、繰り返し、同じリズムが続く、それに色彩を着けることの難しさなんでしょうね。逆に言えば、それだけ、ワグナーの音楽って難しい、奥深いってことでしょうか? そんなで、恐らく、生涯最後のパルジファルになったかなという寂しさを持ちつつ、でも、あの京都市響の音を聴けたこと、これは宝だなと思いながら帰途に着くことになりました。午後1時開始、大ホールを出たところで時計を見ると、午後6時13分という長丁場でした。


2022年 3月 3日(木)午前 6時 56分

 昨日は、この1週間ではこの日だけという、全く予定の入ってなかった日。ただ、昨日も雨が降った。ところが、この雨、まことに都合の良い時間帯に降ってくれたものだから、日に2回のウォーキングには、支障がなかった。丁度、午後の一時の時間帯に降ったのでした。だから、いつも通りの時間帯が流れて行った。ただ、ちょっとした変化は、一昨日、息子から、PC用のスピーカーを買えばというメールが入ったので、ウォーキング途中に、家電量販店を入れて、直で買えないものかを見に行った。アマゾン屋さんで買えば、手ごろな値段だと思ったけれど、すぐにでも欲しかったので、直で買えれば、それにこしたことがないという算段。でも、似たものはあったけれど、息子に教えられた方が安かったので、昨日買わないのなら、安い方がいいやということで、あっさりと断念。これだけが、いつもと違うことをしたことになっただけ。
 午後の一時は、最近の定番、YouTubeを使っての落語の視聴と、手持ちのDVDの視聴。落語は2本、林家花丸の音源が、YouTubeにアップされているのを、この間の検索で知っていたので、2本とも花丸もの。①「厩火事」②「うぬぼれや」というラインナップ。①は、記憶が定かではないけど、生で聴いたことがあるような感じがしているもの。近頃は、上方でも「厩火事」は、噺家さんの間で、大人気。いろんな噺家さんが手掛けています。そんなだから、「花丸もか」と思った記憶があるような感じがするので、聴いたことがあるのかなと思ってしまっているのです。この人、丁寧な人だなと思ったな、この口演聴いて、改めて。しつこくない程度に、テキストの補強がされている。最も、いいなと思ったのは、前半の場面、兄貴の嫁さんが、傍らで聴いているという描写を入れていた。一挙に、空間が広がるどころか、女の亭主に対する甘えた気持ちが大きくなる。「見てみぃ、内のやつも笑とるやないか」、この台詞、めっちゃ秀逸です。更に、通常の下げは入れて、それで終わらず、それをぼやきに兄貴の家に女が来ているところで終わった。「兄さん、内の人、こんなこと言いますねん」、これが入ることで、兄貴が、「またか」という気持ちが増幅され、微笑ましさ度が上がりました。②は新作ですね。これも、聴いたようで、聴いてないようで、えらい無責任な話だ。主人公は、「寝床」の困った旦那そのもののうぬぼれや。人に意見をされても、それを励ましとか、己への評価と読み替えてしまう、都合のいい人というか、困ったちゃん。それが、どんどんとエスカレートしていき、ついには海洋生物までもが困るという内容。気になったので調べてみると、「超古典落語の会」で発掘・脚色された小佐田作品でした。ただ、このネタが発表された会には行ってないかもしれないなと思えてきた。その一方で、阿か枝を、この会で聴いた記憶がある。彼は、毎回出てたわけではないので、やっぱ、行ってるのかなぁ? で、花丸は、今も、このネタ、時々出してんじゃないかな? それだけの価値のあるネタと看ました。
 オペラの方は、件の「パルジファル」。今日のびわ湖ホールでの公演の予習のつもりで、時間があると観ていたというわけ。でも、日が迫ってきていたので、この3日間は、たとえ寝落ちしようが、前に進めていた。昨日も、少しはしたが、一番眠らなかったけど、ちょっとだけ寝ていた。「パルジファル」は、ワグナーものでは、特に観たいと思う作品なのに、寝てばかりいた。今日の公演、同じことにならないかが心配です。黄紺が観ていたのは、バーデンバーデンでのプロダクションなんだけど、これ、昨日、改めて、ニコラウス・レーンホフのプロダクションだと知った。誰のものか、すっかり失念していて、これだけのメンバー集め、しかも、バーデンバーデンでのフェスティバルなのだから、知られた演出家だろうに、解ってないぞと思い、確かめると、その名があり、びっくり。ホントに、うつけた話。「パルジファル」を生で観るときには、必ず、このDVDで予習をしていたので、何度も、観ているはずなんだけどね。さて、いよいよ、びわ湖の「パルジファル」です。コロナ禍のため、昨年同様、セミステージという名のコンツェルタンテ。それを考えて、一番お安い、要するに、舞台なんて見えなくても我慢できるということで、4階サイドのお席。音楽だけ聴いてることになるので、寝ないかだけが不安なのです。


2022年 3月 2日(水)午前 6時 21分

 昨日は、夜にお出かけを予定していた日。だから、夕方までは、いつものペース。だけど、昼前まえから雨。少しは降られたけれど、昼前のウォーキングは、いつも通りにできた。うまい具合に、休憩時間を、ほぼ取らないで、ウォーキングを続けたのが正解。やばいという降り方になったのは、家に帰りつく僅か前でした。でも、午後の雨は、音だけを聴いていると、しっかりとした降りじゃなかったかな。午後の一時は、あとがつかえてはいたけど、ウォーキングを急いだ分、バランスが取れた。落語とオペラというありがたい時間となりました。落語は、次の2本、①柳家権太楼「お菊の皿」(TBSラジオ”ビアホール名人会” 1990年頃か?)②柳家一琴「魂の入替」(2016/7/10 らくごカフェ柳家一琴の会)。①は、先日、寝落ちをしたための、再チャレンジ。上方の「皿屋敷」を、かなり刈り込んでいます。簡単な謂れが語られ、皿屋敷に向かうところから、ほぼ始まったと言ってもいいような印象。狙いは、後半とばかりの所業です。無駄を、一切省いて、エッセンスだけを残そうという、移植のときによく看られる形の1つですね。②は、全く情報のないネタが上がってたのでチョイス。落語らしいと言えば落語らしんだけど、魂の幽体離脱を扱った古典らしい。離脱するところまではいいんだけど、戻るときに間違うというドタバタ劇、変な噺です。ま、貴重なネタを聴けて、感謝というところかな。
 オペラの方は、これで3回目という「パルジファル」。昨日は、第2幕だったんだけど、また、寝落ち。それもそのはずで、音量が、あまりにも低く、聴いている、観ている気がしないのです。DVDを観るために使うのはPC、以前、息子が使っていたものなんだけど、DVDにもよるんだけど、やたら音量が低い。この「パルジファル」もそのカテゴリー。あまりにひどいので、息子にメールを入れて確かめた結果、このPC本体には、ボリュームはなしとのこと。いっそのこと、スピーカーをPCに付けたらと言ってきてくれたのはありがたいけど、そういった変化技、すぐには、思い浮かばないんだよなぁ。それで音量問題が解決するなら、やってみようかの気にはなってるんだけど、今までのPCでは、未経験のことです。
 夜のお出かけ先は、ロームシアターのノースホール。ところが、ロームシアターに3つ目のホールがあることを知らなかった黄紺は、「北」と言えばメインホールとしか思い浮かばず、また、人の流れがあったものだから、そちらに行ってしまった。大変な人の流れ、雰囲気が、黄紺が申し込んであったイベントとは、明らかに違ったけど、それが「川中美幸コンサート」だと判るのに、ちょっとうろうろしてしまい、結局、下のチケットカウンターで聴いて、判った。地下2階にノースホールってありました。しかも、ちょっとした学校の体育館くらいの広さのホールが。小劇場系の芝居をするには広すぎるけれど、もう少しの客の入りが見込める芝居ならできそうな空間でした。そこであったのは、「伝統芸能入門講座〜芸能の在る処〜 能楽編」というイベント。今年度3回開かれ、1回目の文楽は、この存在を知らなくて、2回目の松竹新喜劇は、スケジュールが合わなくて、ようやく3回目に行けました。しかも「能楽」で行けたというのは、ラッキー。そんな内容なものだったため、夜のお出かけだったのだけど、出かけて行った次第。プログラムは、①講演(森西真弓/大阪樟蔭女子大学名誉教授・元『上方芸能』編集代表)②トーク(片山九郎右衛門、森西真弓、木ノ下裕一)。①では、能舞台の推移として、現行の能舞台の構造、能楽堂以前の能舞台(西本願寺に能舞台が2つあること、いや、実際には4つらしいと九郎右衛門師、これはびっくり!、京都の能舞台では、関西セミナーハウス内の能舞台が駿府から移築された由緒のあるものなどを紹介されていました)、勧進能の広がり(大衆文化としての能楽というお話だったと思うのだけど、式楽化した能楽には触れないでお話を進められたものだから、いまいち入ってこなかった、一方で、旦那芸として謡が拡がるお話も、でも、それは謡であって、能楽そのものの大衆化ではないと思うのだけど、質疑応答でも聴く気にもなれなかった点、一方で、興行の形態として稽古能の出現で、日常の娯楽化していく点を押さえられていたので、お話の流れもありかと思ってしまった、この辺のお話、能楽の専門家を呼んで欲しかったな!)、近現代の京都能楽界が3つ目の柱(太閤平での奉太閤三百年祭奉納能で時間切れ、明治期に能楽界がピンチ、その復興に努められたトピックは、岩倉具視に関する講演で聴いたお話だったけれど、東京に偏重していたのを、こういった京都でのイベント開催で救ったということで、この奉納能を挙げられ、時間切れで割愛された東本願寺の親鸞聖人大遠忌能を挙げられたのでしょうが、東京のような能楽界そのものが生き残るような活動には触れられなかったのも気になったけれど、ここも、能楽の専門家に話して欲しかったな、なんで、京都の能楽界が生き残ったのかを! 丸太町にあった旧の観世能楽堂の存在については、トークの中で、九郎右衛門師から紹介があったけれど、その由緒も知りたかった、明治期の危機と絡めて)。森西さんは、お名前は聞いていたけれど、初めて、お話を聴くことができました。勉強家の方だと思うけれど、もう1度、書いておきます。こういったイベントでは、能楽なら能楽の専門家を呼んで欲しい、でないと、隙間が見えて仕方のないお話でした。隙間をスルーしていいのか、そこに、大変なことが隠れていたり、隙間を埋めてないため、誤解があるかもしれないという疑問が湧いてきます。そんなため、九郎右衛門師、困ったんじゃないかなぁ。最初から、九郎右衛門師だけにしておいて欲しかったというプロのお話でした。京都観世会館の創立に関わる博通師と先代井上八千代夫妻の苦労話、能舞台の維持管理の難しさ、これは興味津々。まず、舞台そのものが、京間の寸法だから、例えば、東京の舞台よりは広い。知らなかった。京都観世会館ができてから、板2枚分隙間ができるほど、舞台の板が収縮した。表面のコーティングするための維持が半端ではない苦労話も、凄かった。能舞台そのものについても、蘊蓄が凄い。背景が老松の羽目板になっているのは、「松平=徳川」から来ているのだろう、それ以前の羽目板には、梅が混じってたりするものがある。背後に羽目板ができることで、「隠す」部分ができたことで、演出が豊かになった(このイベント、最高の言葉!)、羽目板のない野外公演では、お囃子は音が変わる、他の音が混じるので、屋内での公演に移行することで、その演奏スタイルも、今のように変化したのだろう(これも、言われてみれば、今まで気づいていなかったのが、可笑しくなってしまった)、謡文化は屋内のもので、そこから素舞台、謡本の文化が派生し、それが、能舞台そのものの屋内化を導いて行ったのだろう、衣装は、自然光で見ると、色合い、輝きが異なってくる、半屋外は、そういった点で、衣装が映える、詞章そのものを動きであらわすと「あてぶり」になってしまう、新作能を演じるときのポイントで、そのために、先にあったテキストの削除、また補筆をして、完成させていく。「阿古屋」(世阿弥自筆)の復曲をしたとき、これは、上演してないだろうという感想を持った、上演していたら、入っていそうもないテキストが残っている、恐らく、世阿弥も、この自筆本を基に、削ったり補ったりしながら一曲の能に仕上げて行ったのだろうと思えた(これも、素晴らしい、凄い!)、「鷹姫」(イェーツ原作)の上演映像を見せてもらえました、ごく一部でしたが、九郎右衛門師の新作の型付けや、「阿古屋」の復曲話を聴くと、やっぱ、こういった新作能も観ておかないとダメだなと、大いに反省してしまいました。九郎右衛門師って、こないに核心をついたお話が湯水のように出てくる方だと、初めて知りました。そういった意味でも記憶に留めておかねばなりません。このイベント、森西さんには悪いけど、九郎右衛門師だけで良かったんだじゃないっすか! そうそう、ジェンダーフリーにも触れられていました。「この面では100年遅れてます」とも。若い人の体型と衣装は解っていたけど、若い人の顔が小さいので困っているとも言われていました。能面って、顔より小さくないと収まりが悪い、観ていて。その指摘です。実は、この衣装の件と能面の件は、ジェンダーフリーにも通じる課題ですよね、九郎右衛門師のことだから、お分かりだと思っています、間違いなく!!


2022年 3月 1日(火)午前 6時 7分

 3日連続の市民向け公開講演会のお出かけが終わり、昨日は、お出かけなしの一日。でも、夜には、YouTubeでのオンライン配信が2本、重なった。もちろん1本は、月曜日ということで、米紫&吉の丞による「㊙ワールドニュース」の生配信があった日。でも、こちらはアーカイブがあるので、食事がてら、ないしは食後の楽しみ。昨日は、これが終わった途端、寝落ちしてしまったみたい。気が付くと、PCはスリーブ状態になってしまってた。ひょっとしたら、終わらない内に寝落ちしてたかもしれません。トピックが終わったあと、何やら落語会の宣伝をしてたのは覚えてるんで。この生配信と、全く同じ時間帯に、福丸が出る生配信があったので、そちらを優先しなければならなかったのです。こちらは、アーカイブなしということで、夜7時からの1時間、これに専念しなければならないということで、それができるように、昼間の行動も合わせた。この午後7時からの時間って、その日の午前中に出た、トルコのサッカー情報とコロナ情報の収集に充ててる時間なため、いつも、「㊙ワールドニュース」はアーカイブで観るようにしている。ところが、昨日は、それができなかったということで、午後の行動に制約がかかってしまった。実は。今日もそれ。今日は、珍しく、夜にお出かけを入れているので、致し方ない。ちょっと変則的な時間の流れが、この2日間、支配するのです。生活のリズムが固まってしまっている今、こういった変則的なことが、やたら大きな問題に感じてしまってます。嫌な感じすらしてしまう。だから、夜に予定は入れたくないから、避けてしまう傾向にあるのだけど、この2日間は入れてしまった。で、その福丸が関わったオンライン配信というのは、高エネルギー加速器研究機構(KEK)が配信する「落語と科学の相互作用」というオンラインでのイベント。先端科学に関わる研究者と宇宙落語なんてのをやってる福丸との対談というものです。これで4回目、気が付いたのは、前回だから、これで2回目の視聴となりました。前回は、量子力学の若い研究者との対談だったので、よく判らないまま、福丸も、さすがに難解だったようで、かなり当惑気味だったのですが、昨日の対談相手は天文学者。国立天文台 水沢VLBI観測所長の本間希樹さんということで、かなり話は弾み、かなりおもしろいものとなりました。本間さんは、ブラックホールの撮影に世界で初めて成功した方。お話をされる背後には、その画像が置かれていました。当然、まずは、対談のネタは、ブラックホールとはということから。「入ったら出られない」「すっごい重力、要するに吸い込まれて行ってしまう」、こういった言説は、黄紺も聴いたことがある。それがなんでかということ、これが、地球なんか、太陽もそうだけど、内側が熱いから、内側から圧力を外へかけているから、引力(重力)とバランスがとれているから、今の状態が保たれている。「水蒸気が吹き上げることと同じですね」と、こういった相槌を打てるのが、さすが福丸です。だから、星が死ぬと、この内側からの圧力がないから、重力だけとなってしまう、要するに吸い込まれるだけ、点になっていくというところがブラックホールなんだそうです。その臨界が、要するに、そこを越えると吸い込まれてしまう、「事象の地平面」というそうですが、これも、福丸の方から言い出してました。ブラックホールの出てくる落語を作ったときに調べたそうです。その外側に集まってきている粒子やガスが光を放っているので、その内側=事象の地平面を越えると光も出てこれないから、ブラックホールは真っ暗、でも、その周りは光があるので、それを撮ると、光の環の中に暗いブラックホールが映る、その撮影に成功したと言われていました。それが難しいのは、遠くにあって地球から見ると、あまりにも小さいからと言われていました、それを何かに例えてください、これは、福丸のいい突っ込み、「月に置いたテニスボール」をカメラで捉えるようなものと応じられていました。その撮影に活躍するのが、電波望遠鏡、本間さんは、その専門家。電波を捉え、それに着色したのが、背後に置かれていたブラックホールの画像でした。そうだ、これも、福丸が言い出したことですが、「ブラックホールがあれば、その逆、ホワイトホールというのはあるのか」という問いには、理論上はありうるということでした。吸い込まれるのではなく、外へと吐き出す形になる空間ですね。ブラックホール落語を作ったとき、ホワイトホールも使って落ちにしたそうです。聴いてないな、「生駒のオーロラ」しか、その手の福丸の新作は聴いてないもので。もう1つ、話題になったのは、きっかけは、本間さんが天文学研究の始まりのトピック。「ダークマター」。銀河全体の重量とその中の天体の重量に差があるというのです。重量が測れる話をされていたのですが、そのときは解ったつもりになってたんだけど、もう、頭から吹っ飛んでる、でも、判るということを言われていたのは覚えている、第一、判るからこそ、そこから問題が出たわけです。差が判らない、研究を始めて随分時間が経つが、判らないと言われていました。人によっては、小さなブラックホールで、我々の周りにも存在しており、それがあるからこそ、こうして、我々が生きてられる何かがある、それがなければ重力のバランスが崩れてしまい、生きてられないということのようです。最後は、また、ブラックホールに戻り、ブラックホールの中の時間や空間というのは、恐らく、外の世界と違うだろう、その原理も、福丸は、きっちり付いて行った、凄い噺家です、もし、ブラックホールの中に入ると、ノーベル賞の3つや4つは取れる発見はあるだろうけれど、それは内側に入らないと判らない、また、内側に入り発見しても外には伝えられない。めっちゃ、おもしろいお話です。これは、おもろかった。
 そんなで、午後の一時は、短かった。でも、今週は「パルジファル」を観る週だということで、手持ちのDVDで視聴。先日は寝落ちしたということで、1幕のアンフォルタスが出てくる辺りから観ることにしたんだけど、また、寝落ち。気が付くと、1幕の終盤、パルジファルを連れて、グルネマンツが祭式に誘う、同じ旋律が繰り返される場面、あちゃー、でした。またしても、寝落ち。これじゃ、本番に間に合わないよ。とりあえず、今日は、パルジファルとクンドリーの一騎打ちを観ることにしましょう。


2022年 2月 28日(月)午前 6時 37分

 週末3日連続で市民向け公開講演会を聴いた最終日。だけど、そのお出かけ前に、昨日は日曜日ということで、お約束の「日曜美術館」の視聴。昨日のお題は「大阪中之島美術館〜蒐(しゅう)集もまた創作なり〜」。開館してたんですね、それに合わせての新作です。行きたいけど、大阪は、コロナまみれということで、2年間行っていないので、こういった番組でだけ楽しむことにしている。だから、一端でも知れることが嬉しい。昨日は、MC2人が揃って、大阪まで出張、しかも、ナイトミュージアムの時間帯での収録。横っちょに、国立新美術館が見えてたので、そう言えば、隣に造ってましたねと、ようやく中之島美術館の位置を把握、行かれんけど、場所だけは知っておいて損はない。この美術館建設話を軸に、その流れで収蔵品の銘品ばかりを集めた特別展が開催されているので、併せて、代表的な作品の紹介となりました。建設に至る経緯、今回初めて知りました。山本發次郎コレクションが、大阪市に寄贈されたことがきっかけだったようですが、芸術には無理解な政党が牛耳る世界が大阪なもので、ここまで引き延ばされていたようですね。でも、よく造ったものと、そういったお話を聞いて、正直思いました。山本發次郎の子孫に当たる方たちからの寄贈に触発され、高畠コレクション、田中徳松コレクション、サントリーポスター・コレクション、具体美術協会と寄贈が続いて、逃げられなくなったのじゃないかな? 東洋陶磁美術館も、安宅コレクションだしと、ええもん、もろてます、大阪市は。動かな仕方ありませんな。佐伯祐三作品に出会ったことが、蒐集の出発点だと言ってました。この番組のお題にもなっているのが、山本發次郎の言葉だそうで、孫にあたる方の証言があったけど、絵心の豊かな人ですね、凄いわと思わせられました。佐伯祐三作品は、「美の巨人たち」でお勉強ができていたので、その生涯は、記憶に残っている。若干30歳で亡くなったのでしたね、「郵便配達夫」は、やっぱ、黄紺にも、強烈な印象を残していました。収蔵品で取り上げられたものをメモっておくことにします。①ヘリット・リートフェルト/アームチェア(デザインの収集、生活の中の芸術を集めるということで、①②③が、その代表作)②コロマン・モーザー/アームチェア③倉俣史朗/ガラスの椅子(デザインを芸術に高める、見る角度でバラの数が変わる)④アメデオ・モディリアーニ/髪をほどいた横たわる裸婦(モディリアーニは、裸婦を描いたのは1年程、世界に30数点しかない内の1品、蒐集のきっかけの1つ)⑤白隠慧鶴/維摩像(墨跡にも強い関心)⑥佐伯祐三/煉瓦焼(運命の出会いとなった佐伯作品)⑦佐伯祐三/壁⑧佐伯祐三/街角の広告⑨佐伯祐三/郵便配達夫⑩慈雲飲光/不識(達磨画賛)(墨跡、強い線が佐伯祐三に通じる)⑪三輪田米山/有治人無治法(墨跡)⑫宸翰(しんかん)2種(作品の紹介というよりは、作品の疎開・輸送の口実に使う、疎開の3週間後に邸宅全焼、佐伯作品など、疎開に間に合わなかった作品も多かったとか)⑬ヤノベケンジ/ジャイアント・トらやん(作家の寄贈、巨大なロボット)⑭マリー・ローランサン/プリンセス達(高畠コレクション)⑮モーリス・ド・ヴラマンク/雪の村(高畠コレクション)⑯岡田三郎助/甲州山中湖風景(田中徳松コレクション)⑰吉原治良/作品(具体美術協会の寄贈、〇を描いている)⑱吉原治良/作品⑲アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック/ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ(㉔までサントリーポスター・コレクション⑳?㉑?㉒清水正/カネボウ化粧品㉓伊藤憲治/海抜1000mの涼風ナショナル ルームクーラー㉔山名文夫/資生堂化粧品。この㉔までのリストを、できるだけ正確に記そうと、中之島美術館のHPにアップされている展示リストを見ながら、メモを作ったのだけど、それを見ていると、エゴン・シーレ、カンディンスキー、クリムト、アルフォンス・ミュシャ、エミール・ガレなどなど、黄紺でも知る名前が踊っています。今度、京都での特別展に行こうかと思っている森村泰昌ものもある。ですから、一部を観て、喜んでただけ。行きたいなと、気持ちだけは、ここに認めておきましょう。
 昨日のお出かけ先は、JR丹波口駅近くにある京都産業大学壬生校地むすびわざ館。今、こちらで、「京都大原・魚山大原寺 勝林院と僧坊ー京都産業大学大原東部の調査成果ー」という企画展が行われており、それに合わせて、講演会が2回予定されてるんだけど、昨日は、その1回目。「勝林院の歴史と最新の調査成果」というお題で、実光院住職天納玄雄さんのお話を聴くことができました。勝林院と言えば、浅井長政が姉川の戦いで織田信長に敗れたあと、この勝林院に送った文書が見つかり、NHKが、そのための番組まで作った寺ということで、黄紺も、その番組が、動画サイトにアップされていることで観たこともあり、これはと思わせられ行ってまいりました。でも、話題としては、その話は、一切触れられないまま、でも、しっかりと、展示室で、その書状の現物、観てまいりました。それはいいとして、昨日のお話は、寺院の歴史、その調査結果の報告といったもの。寺院の場所は、大原、三千院の近く。開基は、藤原道長にも繋がる源氏の血を引く寂源。比叡山の天台宗の系統の寺院。この勝林院と來迎院を中心にした僧坊の総称として魚山大原寺と称する寺院。山麓部にかけて、尾根筋に、石垣跡が散見できることから、かなりの数の僧坊が、界隈にあったことが想定されているそうです。1186年には「大原問答」と呼ばれる討論会が起こなわれ、法然が自説を唱えだすと、傍らの阿弥陀仏が光り出したことから、法然の勝ちが極まったという言い伝えがあるとか。その様子を伝える「法然上人絵伝」の実物だか、模写ものか覚えてないけど(ひょっとしたら、単なるイラストだったかもしれない)、展示室で観ることができたけど、そのような描写がされていました。この勝林院を有名にしているのは、声明道場的な位置付けがされている点。1406年の法要で、声明を中心にした法要が営まれたという記録が残っているようで、声明の歴史は、かなり古いと言われていました。声明に関しては、この寺院の目玉なんだけど、その伝承の系譜(これは昭和になって作られたと、展示室の実物の傍らに書かれていたと記憶しています)の紹介以外には、講演の中では触れられることがなかったはず、はずというのは、歴史のお話始まったところで、レジュメを見た黄紺、「退屈そう」とちらりと、頭を掠めたのを覚えていて、その後、記憶が飛んでいるので、またぞろ居眠りをしてしまってました。確かに、レジュメに書かれている年表を、今、見ても、よう分からんのです。調査結果のレポートで覚醒。御本尊の阿弥陀仏の3Ⅾ撮影、透写をすると、体内仏が3体確認され、各々の調査も報告にありました。その内の一体には由緒書も出てきて、その内容の紹介もあったけれど、事実とは異なるということだったので、カット。平安仏、鎌倉仏、そして、幕末ものだと言われていました。前二体は「化仏だったのではないか」と言われていました。「化仏」というターム、初めてでしたが、ものが小さいことから、仏像の光背に配置される小さな仏像じゃないかなと思って聴いていて、帰宅後調べると、当たってました。その小さな仏に後二者には仏壇状の箱に入れて体内に入れられていました。平安仏は、どうやら、15世紀の火災をも生き抜いてきた仏像のようで、手などに欠損があり、それを修復したそうです。体内に欠損部の一部も出てきているので、修復が可能だったようで、その様子が、第2回目の講演のテーマなようなので、今度は、もう企画展は観ているので、オンライン配信で申し込んでおきました。こういった調査に、学生さんも参加して、あの浅井長政の文書の発見などにつながる文書の掘り起こし(TVで観たけど、数が半端じゃなかった!)や、フィールドの調査(これが石垣などの確認に繋がっているよう)をしているそうです。めっちゃ、羨ましい。そんなの学生時代からできるって、いいな。質疑応答では、声明に関して質問が集中。声明には楽譜がある、これ、企画展の展示にありました。企画展は、皆さん、終わってから観るものだから、それ知らないで、黄紺も、その関連の質問してしまった。來迎院と勝林院と、声明に2つの系統があったんだけど、今は、部分に若干の違いがあるけれど、ほぼ違いは判らない。近代以後、特に昭和以後と言われてたかな、音楽的に覚えやすくなってきている。かつては、雅楽・舞楽とともに唱えるということもあったようだ。音の高さを取るための笛がある。その笛の穴の指定、箏の弦の指定を記したメモ、要するに楽譜が残っている。テンポ&拍子については3種類ある、自由拍子、定曲と言って決まったテンポのもの、破曲と言って両者の組み合わさったもの。長さについては情報はない。かつては、もっと速かったことが想像されている。一般の信者さんと唱和する習慣はない、明治以後、トイレや風呂の建て増しをされていることが、幕末の図面と比べて判っているので、どうやら、それは、声明を学びに鎌倉仏教系の宗派の僧も来ていたことが想像されている。こんなところかな。普段聴けない密教系の寺院の内側を垣間見た感じがして、いい時間となりました。
 隙間狙い&夕食後の楽しみとして、昨日は落語&講談を3本視聴。①桂米團治「片棒」②旭堂南湖「近江(越の海)勇蔵」(甲賀市人権教育推進協議会甲南支部「ふれあいじんけん寄席」)③桂米團治「稲荷俥」。①は「片棒」を検索していて、米團治ものを見つけてあったので、「そんなネタ、持ってんだ」という意外性でチョイス。すると、これが、とんでもはっぷんの改作もの。米朝家に移し替えているから、めっちゃおもろい。兄弟3人の名前は実名で出てくるわ、家名は中川だし、また、口演がアルカイックホールでのものらしく、尼崎ネタも放り込みで、大サービス。これ、聴きものです。②は、偶然見つけたもの。南湖さんのお懐かしい姿を見ただけで感激。越の海勇蔵を近江の人に移し替えての口演、だから、聴いていて、越の海と言わないか、名前が出てくるたびに冷や冷や。でも、講釈師は間違わない、これは徹底してますね。③は、①がおもしろかったので、米團治で聴いたことのないネタをチョイス。こちらは普通の展開。でも、①の余韻が残っていて、いい感じで聴くことができました。


2022年 2月 27日(日)午前 6時 7分

 週末の3日連続の市民向け公開講演会へのお出かけ2日目です。昨日も、お出かけ先はアスニー京都。但し、午後。これは助かる。週末だけではないけど、サッカー情報収集のある日は、単純に確保しておかないといけない時間が多いものだから、せわしなくならないかという懸念がある。ま、最近は、ウクライナ問題の報道にシフトしているので、コロナ情報の収集には時間がかからないので、時間には余裕ができてきている。しかし、トラブゾン・スポルが強い。今、ヨーロッパのリーグ戦で、首位で、最も、先を走っているクラブなんだって。一昨夜の試合、今、最も勢いのあるクラブの1つ、カイセリ・スポル戦は、ダイジェスト版を観てるだけで、スリリング。2点のビハインドを逆転するんだから、凄かった。最後は、完全なハンドでしたね。それはいいとして、昨日の講演会は、「京都市考古資料館文化財講座」として行われた講演会、連続講座「鎌倉時代の京都第1回」がありました。今、同名の特別展を開いているということでの連続講座。これ、隙間なんですよね。平安時代末期清盛なんかが蠢く時代から、室町時代までが、すっぽりと抜けた隙間のような扱いになっているということで、それに焦点を当てようとの試みです。副題が付いていて「鎌倉時代の京都~“八條院町”を中心として~」というもの。お話をされたのは、京都市埋蔵文化財研究所の上村和直さんでした。「八條院町」とは、塩小路通側の京都駅前。この辺りは、ポルタ(地下街)が造られたとき、京都劇場界隈が整備されたときなどに、発掘調査が行われ、鎌倉時代の遺構が出てきているということで、その発掘調査結果の報告を聴いて、当時の街並み、生活の様子、生業などを知ろうというものでした。一昨日と違い、昨日の講演会は、かなり居眠りしてしまったけれど、幸い、解りやすいレジュメが、抜けているところを補い、また、具合のいいことに、発掘現場の画像を見せながらのお話の部分は、ほぼ大丈夫だった関係で、お話の骨子は外してないつもりです。「八條院町」に「院」が入っているのは、平安時代後期、鳥羽天皇息女藤原暲子親王の御所・院庁・御倉があったから。その後、東寺に寄進されていることがポイント。国宝「東寺百合文書」に詳細な記録があるということを意味します。そして、問題の鎌倉時代には、商工業の中心として栄えたことから、職人たちのまた、東寺で働いた人、農民もいたようで、そういった人も含めた生活の様子が知れるということのようです。発掘された場所は、「八條院町」の北東部「左京八条三坊十四町」、そこで出てきたのは、掘立柱の塀・柵により仕切られた小規模な住居跡。塀・柵を立てるための支柱跡には、石が詰められているそうで、そのことから支柱跡だと判るとか。それらの区画内には、柱穴・井戸・水溜め・土杭などが出てきており、中には、トイレの遺構かと思われる凹みもあるそうです。家内にトイレがあったんだ! 例の糞べらを使う絵図を思い出すものだから、ちょっと意外な印象を持ってしまった。土杭は、ゴミ穴が大部分なようで、中からは土師器が出てきたそうです。おもしろかったのは、ここから。こういった発掘の結果と、文献史料と照合しようという試みです。東寺百合文書に納税記録が認めてあることから、具体的に、その場所に住んでいる人を特定できるのです。ただ、遺構は「左京八条三坊十四町」の一部ですから、それを、史料の記載と合わせるという作業の紹介がおもしろかった。結果、豆腐屋さんとか徳次郎さんらが住んでた住居跡だったことが判ったということでした。近隣には「阿弥」という名を含んだ人の名が幾つもあり、これは東寺関係か、とにかく宗教関係の人だろうと言われてました。黄紺的には「阿弥」は職人だと思ってたので、ちょっとしたお勉強にもなりました。その後、出土品の紹介をされていたのだけど、2度目の居眠りで、さっぱり記憶に残ってないけれど、レジュメを見ると、銭貨鋳型(これだけ僅かに覚えてる)、鏡鋳型、刀装具鋳型、仏具鋳型といった鋳型が出土していることで、職人街ということなんでしょうね。来週は、瓦を切り口に、引き続き「鎌倉時代の京都」を説かれるそうです。「古代の瓦話はよくあるけど、中世の瓦話は珍しいですよ」と、司会をされている京都市考古資料館館長さんが、聴く者を煽るようなことで、昨日の講演を閉められました。
 この講演会に出かける前、正に隙間狙いで落語を1本、YouTubeで視聴。林家正雀に「大仏餅」という20分もかからない動画を視聴しました。「大仏餅」は、三遊亭圓朝作の三題噺。「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」というのがお題。「袴着の祝い」は、今の七五三。火事に焼き出された親子は、元は大店の主人親子、それを助ける、昔の知りあい、その偶然の再会から噺はスタート。大事に残していた茶器が縁で素性が知れるという展開。短い噺ながら、いろんなプロットが詰まっている。昔の三題噺は、お題が粋ですね。最近のものは、お題のイメージの拡がりがしょーもない。題を出す客のイメージが貧困だからしょーもない。そないなことを思いながら聴いておりました。
 夜は、オリンピックでブレイク期間に入っていた「ブラタモリ」が、嬉しい再開。昨夜は「高松編」。県庁所在地で、まだやってないところの1つ、四国では、ここだけやってなかった。屋島もあるし、栗林公園もあるのにと、かねてから思っていた町。切り口は「海城」でした。高松城が「海城」だとは知らなかった。しかも、今も、その雰囲気を残している。これを知っただけでも、これを観た甲斐がありました。そのようにして残ったわけが宇高連絡船、なるほど、納得です。栗林公園は、タモリがべた褒め、そうしたくなるの解ります、見事な大名庭園ですね。逆扇型をした扇状地というトピックも斬新、今までなかった地形を取り上げてくれました。そして、ずっと画面に入っているのだけど、なかなか話題にしてくれないので、気になって仕方なかった屋島は、最後に残してあった。見事な山城跡があるのですね、これも、知らなかった! でも、ここが火山だというトピックは出さなかった。なだらかなけったいな姿の火山、触れて欲しかったなぁ、取り上げて欲しかったけど、そこまでやると、時間的にパンクするってんで割愛したのでしょう、残念!


2022年 2月 26日(土)午前 6時 47分

 週末に入ってきました。この週末は、3日連続で、市民向け公開講演会の予約を入れてあるので、お出かけが続きます。なかなか変化に富んだテーマを楽しむことができるようになっている、充実の週末です。おまけに、ようやく、寒い寒いところから脱出できました。昼間、その講演会から戻るときって、ウォーキングをしていると、暑いくらいになってた。その同じ格好で、寒さに震えあがったのが、つい数日前だから、変われば変わるもの。でも、ありがたいっす。で、そのお出かけは、朝から、行き先はアスニー京都、おなじみの「アスニー特別講演会」があった日でした。しかも、昨日は、19世紀フランスの社会史というありえないテーマ。こういった市民向け公開講演会に集まってくる爺婆は、外国の歴史嫌いだから、人が集まりにくい。主催者は、その辺を気にするのでしょうね、人が集まる日本史絡みばっか、おまけに、センシティブなテーマは避ける。文学も、有名古典が絡むと人が入るが、僅かでもずれると、急に人が減る。だから、あまりやらない。黄紺も、健康とか、そないなテーマになると避けるのと、どう違うんだと言われるかもしれないけど、とにかく数で考えてるみたいですな。ならば、なんで、昨日は、なんで、そういった鉄則めいたことを外したのか、現に極端に不入りだったんだけど、そのわけは、共催という形だったからだと思います。昨日の場合は、「大谷大学との連携講座」となっていました。ですから、アスニーだけで決めていない、これが狙いどころです。時々、定番のテーマからずれてるなと思えたときは、ま、これですね。昨日ほど、見事に外してくれたことって、そうはないですが。おかげで、黄紺の好物にありつけた。そんなで、昨日のお題は、「医薬品からドラッグへ~19世紀フランスの阿片を中心に~」というもの。阿片のことは解らないけど、「医」がテーマで、「19世紀フランス」と言えば、おおよそは流れが読めるのだけど、阿片が切り口になっているというのが新鮮、楽しい時間を過ごすことができました。お話をされたのは、大谷大学准教授の渡邊拓也さんでした。まず、お話は、阿片の登場から、BC.4500年頃のメソポタミアが初出だそうです。黄紺の頭には、ポピーの原種が、確かアフガニスタン辺りにあるんじゃなかったかなという記憶があったので、メソポタミアは、至極、納得。古代での記録のお話が幾つか出てきたけれど、その使用目的が、その後のお話の掴みになる。鎮痛効果があるので「医薬品」として登場し、その目的で、ずっと使われていくわけですね。水銀や砒素も、そういった「医薬品」の仲間だったお話も、しっかりと挿し込まれていました。そして、イスラーム圏での展開があるはずだけど、これも小出しに口にはされたけれど、関わると煩瑣になるからでしょう、お話は、いきなり17世紀に飛びました。ま、ヨーロッパだけで追うならば、それで十分だとのお考え、それで十分と、黄紺も考えます。17世紀は、知の転換期ですから、そこで、すぐに何かが出てこなくても、近代の展開話を、17世紀から触れられるという感性は首肯できるもの。その17世紀に、阿片チンキが登場したという。阿片の持つ毒性を消したもので、投与の対象が拡がったというのですが、感染症のコレラ、梅毒、肺結核の治療薬に使われたそうですが、使用頻度が上がることで、医療事故の頻度も上がっていく。一方、有効である点がありながら、その中毒性にも目が向けられていったようです。イギリスでは、時あたかも、産業革命で登場した労働者が、安価で入手できるということで、彼らの中に蔓延し、危機感が募りながら、実際に、阿片の使用に関して法的規制が執られるようになるのは、かなり遅く、1868年に初めて薬事法の改正が図られ、阿片の使用は有資格者に限るとされたことだったと言います。それに反し、フランスは、産業革命が起こるのが遅いにも拘わらず、1845年には、法規制が執られ、医師の処方箋がないと買えないとなっているように、対応が早いと言われていました。一方で、イギリスと違い、お酒の値段が低かった関係で、阿片に手を出す人も少なかったということでした。では、この英仏の違いが、どこから生まれたのかということで、「公衆衛生」概念の誕生話へと入って行かれました。近代に入ってもなお、衛生環境が悪かったのは知られた話。ところが、衛生観念が、ようやくヨーロッパに生まれてくる。18世紀頃からだと言われていました。初出は17世紀だったんじゃないかな、検疫制度の芽生えが発端だと、何かで読んだことがある。渡邊さんは、解りやすく、ナポレオン3世治下のオスマンによるパリ大改造を例に採られていました。この大改造の背景に衛生管理があったと。突っ込みを恐れて、治安面の配慮による点もあったと、抜け目なく触れられるあたり、きっちりとした方です。2月革命直後ですからね。フランスで、「公衆衛生」という考え方が浸透し始めるのが1820年台と言われていました。腸チフス、結核、コレラ、梅毒といった疫病対策、労働環境の改善に目が行き、1840年代には、社会問題(社会病理)解決へシフトしていくことが背景にあったのが、1845年の法規制だそうです。ただ、このお話を聴いて、1845年というのは、1830年代に完成したと言われているフランス産業革命を背景に、労働者による選挙キャンペーンが盛んで、ときの政府(7月王政)は、それに対応しないで混乱を深めていた時期。そういった時期に、1845年の法規制が突出してる。対応が良すぎると思えてしまい、何が、危機感を煽ったのか、いまいち不明瞭な印象です。イギリスに比べて、規制が早かったのは、こういた背景に加え、伝聞情報によるのだろうと言われていました。一番の根本に、「国民国家の形成」と「人口概念」を持ってこられていました。「強い国家、強い国民を作る」「人口は国力の目標」「背景に18世紀以降の重農主義」「こういったことから、人々の健康増進を目ざす」「実際、この頃から、産婆が手を洗うようになった」と展開されていました。ですから、「個人のため」ではなく、「公衆の安全のために規制する必要があった」と、法規制による目的を提示されていました。19世紀という枠に、すっぽりと納まったお話。実は、こういった展開は読んでなかった。読んでいたのは、最後に「ドラッグ」に関する2つの捉え方に関わる問題。「非難の対象」であると同時に、「ケアの対象」でもある。前者が先行するきらいがあり、マスコミによる煽りもあると言われていました。街を歩いていて、ぎょっとしたことがあるんだけど、「薬物中毒更生施設建設反対」のステッカー。後者のための公の施設を建てようという動きがあると、周辺住民が、前者の考えで反対運動をするというやつで、正に、こういった現況を触れられたお話だったのですが、そういった心性が生まれてくる時代が、19世紀じゃないかと想像していたもので、衛生観念、市民道徳といったディスコースになるのじゃないかと予測していた黄紺だったため、「人口概念」のお話でまとめられたので、「そっち行くか」と思ってしまってました。でも、社会史はおもしろい。いいお話、聴けました。大満足!
 自宅に戻ると、まだ、午後1時を回った頃合い。お昼ご飯を食べても、午後の一時は、普段並みにあった。そこで、YouTubeを使い、落語を2本と、手持ちのDVDでオペラを観た。前者は2本、①柳家さん喬「片棒」 ②柳家権太楼「お菊の皿」(TBSラジオ”ビアホール名人会” 1990年頃か?)。①は、「片棒」が気になってたから。菊太楼のテキストと変わりませんでした。だから、定番が判り、2日連続で聴いた甲斐があった。ただ、さん喬は、2人目をヤンキーのお兄ちゃん風でキャラを作っていました。文之助の口演は、やはり東京ものをベースにしてるのかなぁ? 木遣りは変えてはいたはずですが。②は、東西比較のつもりでチョイス。東京の噺家さんで、このネタ聴いてるんだけど、すっかり展開を忘れてるんで選んでみたんだけど、前半で、見事に寝落ち、また、後日、聴き直します。もう30年前の音源になるようだけど、権太楼の声、今と変わらないことだけ、頭に沁みついている不思議??? 実は、DVDで観たオペラも同様だったのです。びわ湖で、間もなく観ることになっている「パルジファル」(バーデンバーデン祝祭劇場)を観たんだけど、序奏しか覚えていない、凄まじさ。ワルトルート・マイヤーがクンドリーを歌っているのだけど、登場してきたときだけ、観た記憶がある程度の爆睡でした。そう言えば、講演会、居眠りしてなかった。パワー切れも、いいところですな。


2022年 2月 25日(金)午前 5時 29分

 昨日も寒かった。当初、木曜日から、少しは暖かになるという天気予報が出ていたはずだったのが、気が付くと、後ろにずれていました。今日くらいからのようです。だから、外に出るのが億劫になるけど、ルーティンにしているウォーキングをするためには、身体が温まるまでは、忍の一字です。昨日も、風があったものだから、温まるまでには時間がかかった。そんな日だったけれど、昨日は、全く、予定の入ってない日。そこで、前からと言っても、1週間程前から、昨日は、散髪に行くと決めていた。結局、予定表は空白じゃなくなった。散髪は、4ヶ月ぶりくらいじゃないかな。髪が濃いものだから、かなりのボリュームになってたんだけど、冬場は寒さ凌ぎになるので、なかなか行こうとしないんだけど、頭を洗うのが面倒になってくるものだから、行こうという気が起こったけど、何かしら予定が入っているので、ようやく、昨日に入れたということだったのです。だけど、すぐに忘れてしまい、昨日の朝など、間もなく「パルジファル」の公演があるから、その予習に当てようなどと呑気なことを考えてて、そういうときって、ふと、思い出しますね。思い出さないときもあるけど、昨日は、上手い具合に思い出した。これが、頭を洗っているときに思い出したら、悔しいだろうなと、くだらん想像をしてしまいました。でも、髪が少なくなると、頭を掠める風が、一段と強烈になってしまった、覚悟の上とは言いながら、夕方のウォーキングが、なかなか厳しいものになりました。
 そんなで、昨日の午後の一時は、隙間狙いの落語を聴くことに。ホントに隙間狙いだったから、細切れに、短めのネタを選ぶことに。次のようなものでした。①古今亭菊太楼「片棒」②林家こぶ平(現正蔵)「一文笛」③笑福亭竹三「木津の勘助」(2018/10/1 湯島天神参集殿)④笑福亭鶴笑「夏の医者」⑤三遊亭兼好「黄金の大黒」。①は、一昨日のリベンジ。寝落ちした箇所を覚えているので、そこから聴いてみました。このネタ、3人の息子の描き分けが難しいと思うのは、1人目と2人目と、かねてから思ってました。3人目は、吝嗇キャラで行けばいいわけで、問題は前の2人。だって、2人とも、豪華な通夜、葬式を言うわけですから。その内容は違うけど。それを、菊太楼は、見事に表現してました。登場からして、キャラを見せつけます。幇間風に登場して、色っぽい通夜を主張するというもの。何か、黄紺と同じような構造と捉えているようで、嬉しくなっちゃいました。その2人目が、人形ぶりを入れたりで、文之助との共通項だなと看たのですが、東京では一般的なのか、確かめる必要があるなと思っています。②は、確か、米左だったと思うのだけど、正蔵が、米朝のもとに「一文笛」をもらいに来て、稽古をしてもらっているという話をしていたことを思い出したことからのチョイス。なかなか噺に緊張感があり、いい口演だなと思う一方、駄菓子屋、一文笛、茶店、没落士族といったレトロな装置が揃っているにも拘わらず、正蔵の口演を聴いていて、さほど古い世界の噺とは思えないような感じがした。なんでだろうと考えて思い至ったのは、兄貴のキャラ付けかなと思いました。兄貴風をふかしているようなキャラと思えないのが、古さを感じさせないのでしょうね。まだ、こぶ平の時代なので、今、聴くと、異なった印象を持つかもしれないでしょうが。③は、鶴光の東京での弟子って、羽光しか聴いたことがないということで、チョイス。鶴光は、東京に行ってから、風土に合わせて、講談から落語化しやすい噺を、どんどんと仕入れていくけれど、これも、そういったネタ。竹三は、名前は押さえてはいるけれど、全くの初遭遇。口演は、かなり生真面目な感じであるとともに、落研経験者かなと思わせる達者さがあるけど、聴いていて、とっつきにくい印象。ここが、落研経験者と思ってしまった点。変にこなれていて、どや感を感じたからでしょうか? ただ、聴いている人たちがいい空気を出しているという印象もある。需給バランスはいいってことかな? 取って付けたようなくすぐりを入れて、落語の雰囲気が出るようにしているのは、鶴光の所業? おそらく、鶴光だから受けるというところもあり~の、いやいや、独特の間を使い笑いを得ているのかもと思ったり、確か、鶴光の口演の動画もアップされていたので、そちらも聴いてみようかな。そんなことを考えて聴いていました。ネタの流れは、このネタの出所である南鱗のものでした。④は、冒頭は映像、その光景を観ると、「日本の話芸」で流れたものと看て、狙い通りと思ったのだけど、すぐに静止画像に変わってしまった。これを静止画像にしてはいけません。音だけだと選んだ意味がない。座布団を使い、何やらやらかしてくれるのを観たくて選んでいるのだから。結局、最後まで静止画像。なんじゃ、これ! ⑤は、東西比較をしたくてのチョイス。兼好は、自分の中で、最近、評価が降下気味だった。早口に過ぎ、サブリナル効果のように入るくすぐりが入れば、それも効果的かと思うのだけど、でなければ、聴き辛くて敬遠気味になってたのだけど、このネタだと、そういった口演でもいいかなとの判断でのチョイス。他にも、このネタ、東京の噺家さんでも聴けるの中でのピックアップ。すると、この音源では、早口は過剰ではなかったと、黄紺には思え、逆に、えらく好感を持てました。東京版のテキストはこないなものなのかな、とってもいい詰めと言えばいいのかな、前半の長屋の連中のわちゃわちゃに無駄がない。だから、とってもいいテンポで噺が進む。それに、兼好の口演が合っている。なかなかいい音源です。下げまで、やってます。上方ものと、下げは同じでした。すっごく、大家さん、長屋の連中が楽しそうな雰囲気の出ている口演だから、下げが秀逸に聴こえてしまいました。


2022年 2月 24日(木)午前 6時 56分

 まだ、寒い日が続いています。お出かけなしの一日、でも、午後には、オンライン配信の予約をしてあった日なんだけど、昨日の朝は、午前3時過ぎに、目が覚めたままだったため、ほぼ前半がボツといった情けないことになった日でもありました。こんなのが、2日続いてしまった。最近、居眠りという点では、ちーとはましだったのになと、あっさりと元の木阿弥になっていることに、悲しくなってしまっています。それ以外は、順調。ルーティンにしているウォーキングは、万全なのにね。
 その問題のオンライン配信は、民博が、毎年、この時期に行っている「みんぱく映画会/みんぱく映像民族誌シアター」というイベント。コロナ禍のため、十三のシアターセブンでの対面式とオンライン配信を併用して実施してくれています。毎年、民博は、映像資料を、4本だったかな、DVD化して、国公立の図書館などへ配布しているのですが、それを、このイベントで公開してくれるだけではなく、監修に関わった方を呼び、映像で取り上げた世界をテーマにトークをしてくれるという、とっても嬉しい企画。ところが、その告知が遅く、今回も、気づくと、他の3回は、きっちりと予定は詰まっていた。去年も、そうだったことを、執念深く覚えている。悔しさが大きいものだから、しっかりと覚えている。そしたら、今年もだった。特に、今年は、バリが取り上げられていたので、悔しさは一入高いのです。で、昨日のテーマは、「インドの染色職人カトリー ~カッチ地方の絞り染めと更紗~」、トーク・ゲストは、監修をされたお二人、同館准教授上羽陽子さん、国際ファッション専門職大学准教授の金谷美和さん、それに、MC役として、同館教授の南真木人さん。南さんも、ネパールが専門だから、いい取り合わせです。このイベントは、前半でDVD上映、後半がトークという流れ、この前半で沈没してしまったので、詳細が判らないまま、トークを聴くというハメになっちゃいました。「カッチ地方」は、インド西部、パキスタンとの国境地帯、紛争地域ではなく海寄りの地域です。となれば、インド西部の乾燥地帯ですね。砂漠も拡がる地域ですが、年間降水量が400㎜と言われてましたから、ちょっとだけ、ましなのかな、でも、とんでもない乾燥地域です。すぐ近くがパキスタンだということで、映像を目にしたところで、すぐに気になるのが、そこに出てくる人たちの宗教。出てくる人たちの名前で、あっさり解決、いきなり「ハーキムさん」では、さすが、判ります。イスラームですね。で、ここからあとは、映像の中でごく一部覚えていること、及び、トークで話されていたことをメモっておきます。「カトリーは遊牧民? その生活域から僅か7km離れたブジ?という、この撮影の拠点となった都市はヒンドゥー、生活様式が全く異なる」「染めには2種類あり、絞り染めと木型をプリントする2種類」「絞りの場面は記憶に残っているが、とっても細か、女の仕事だった」「絞り染めは縁起のいいもの、結婚式の衣装、男の頭の被り物に使われている、値段は、素材、絞りの数で異なってくる、型染めの方は、都市の愛好家の関心を買っている、これは、現在の話か?」「工程は、全て手作業、この映像の監修の中心だった金谷さんは、手仕事が、今もなお続いていることに関心を持たれたことから、この地域に入られた」「染めの工程は、全て化学的に説明がつく、そういった化学的知識を、親方は持っている。具体的に、南さんが指定した作業光景を、その専門である上羽さんが化学的に解読されていた」「両面に木版で型を押すというのは、世界的に珍しい、牧畜民にとって、布を使うとき、どちらの面が出てくるか判らないので、両面は便利、ただ、それを作る技術面が難しい、しかし、両面にすることで色が深まる、使っていると輝きが出る」「カトリーはクシャトリアのなまり、それで職人は珍しい、クシャトリアは高いカーストですからね。だから、元はヒンドゥー教徒、400年ほど前に改宗して、ムスリムへ、戦争が原因ではないかと推測されていましたが、一族の救いのためにヒンドゥーの人も残っている」「色のシンボリズムが話題になっていました、青は、ムスリムは好むが、ヒンドゥーでは吉ではない、黒、濃紺はダメと言われてたけど、これは、どちらの人なのか? 緑はムスリムにとり天国、但し、色には両義性もあるときもあり、地域により異なる場合もある、白は聖なる色、特に男性、清浄を表す、女性が使うと寡婦を表す、真っ白にする、これは漂白の技術がなかった時代には凄い色という認識、確かに、羊毛も木綿も白ではない、その白も、両義的な色でもあり、ネパールでは服喪の色にも使われる、真っ赤は吉祥の色で、結婚式の女性の衣装の色」「絞り染めを指す“バンダニ”という語は、“括られたもの”を意味する“バンド”というサンスクリット語由来のもので、ここから“バンダナ”が生まれている」。映像の撮影は2006年、1990年代後半から、インド政府が保護経済からの自由化、グローバル化に進む、また、2001年のインド西部地震後の変化の渦中だった、また、インド政府が手工芸を奨励、保護をする政策を出していった時期になる、その変化をお話しなさっていたのですが、うまく把握できていない、また、水を求めての移動が、その後起こっており、井戸の掘削などにお金が要る状況になることによる変化、また、都市での、こういった布に対する関心の高まりでの変化もお話されていましたが、上手く把握できていないので、メモは止めておくことにします。そんなで、中途半端にすらなっていないメモで、後から読んで、このイベントを思い出せるのかなという不安が残ります。
 隙間狙いの落語は4本、短いもの2本に、それよりか、ちょっと長めを2本、視聴しました。①桂二葉「つる」 (2019/11/7収録)②桂二乗「写真の仇討」 (2019/4/4収録)③林家正雀「兵庫船」④古今亭菊太楼「片棒」。①と②は、ラジオ深夜便「上方落語を楽しむ」の「聴き逃し配信」で聴いたもの。米二門下の精鋭2人、この組み合わせでの口演は、生で、いずれも聴いています。特に、二葉の「つる」がいいのは、頭に沁み込むほどのもの。アホがいいと、二葉は言われ、黄紺的にも同感なのですが、その代表作といったネタです。解説のくまざわあかねさんが、口演終了後、「勢いがありますね」と、台本棒読みの勢いのない語りを入れていましたが、言ってることは大正解、ここは、「いっきょいがある、ほんまに」と言って欲しかったな。二葉の高い声が生きています、教え手の落とした声との対比が、余計にアホがアホになっています。ただ、単なるアホ声じゃないのが、いいですね。その「いっきょい」が乗り移ったかのような二乗の口演。この人、端正な語りに秀でているけど、ここまで「いっきょい」感じたの、なかったなぁ、グラデーション的に高揚していく。なのに、なんてしょうもない下げなんだ! ③は、「鮫講釈」でなく「兵庫船」とあったのを見つけたので飛びつきました。最後は、確かに講釈になるけど、前半の流れは、上方の「兵庫船」のそれを踏襲してました。生で「鮫講釈」として聴いた口演があるんだけど、そのとき、問答なかった記憶があるのですが、、、。「鮫講釈」の音源が、YouTubeに上がっていれば確認できるのですが。③は、菊太楼という人、名前は聞いたことがあるのだけど、実際の口演は聴いたことがないということでのチョイス。だけど、1人目の息子が語り終わったところで、寝落ち。また、聴き直します。


2022年 2月 23日(水)午前 6時 3分

 昨日は寒かった。この冬一番の寒さじゃないかと思ったほど、寒かった。気温が低いうえに、風が強かった。ずっと、北からの風が吹いてたんじゃないかな。この冬、強烈に寒いと思える日用の格好で出かけたんだけど、それで、耐えられない瞬間があった。風が、隙間がほとんどないはずなのに、あちこちからジャンパーの中に入り、セーターを潜り抜けて肌に直で風が当たったんじゃねえかと思った瞬間が、この冬一番、震え上がった瞬間でした。
 昨日は、午後にお出かけ。京都学・歴彩館での「京都を学ぶセミナー/洛東編」の最終回に行ってきました。このセミナーは、コロナ禍で延期されたもの。元々は、9月末にあったもの。今年で、こないなこと、3回目くらいかな、もっとあったかもしれません。昨日のお題は「古代の山科と大宅廃寺」、「洛東編」と言っても、ここまで全て、東山の西側がテーマになっていたけれど、最後に来て、唯一、東側に移りました。お話をされたのは、京都橘大学教授の増渕徹さん。古代史で、且つ文献史料を研究の対象にされていることですが、お話の中には、随分と考古学的発掘の成果を盛り込まれたものとなっていましたと書けば、しっかりとお話を聴けたかのような書き方になってしまってますが、その実は、もう、行きの電車の中で眠くて仕方ない。迂闊に車内で眠ると、寝過ごすこと間違いなしと思ったものだから、ずっと、スマホをいじっていたほど。お話が始まると、予測は当たってしまったのだけど、お話の骨子は把握できてると思います。詳細に関してはダメだし、そないな頭で聴いているものだから、コンテキストで判断できる状態じゃないものだから、出てきたタームからコンテキストの把握ができれば、頭に残る、全く頭に入って来そうじゃないと、再び、睡魔に負けてしまうの繰り返しでした。爆睡をしていたわけではなかった。お話の中心の大宅廃寺、名神高速道路を挟んで、京都橘大学と斜めで向かい合っている位置だと言われていました。その両者が、いかに隣接しているかは、こういった言い方をされるほどでした。「うちの大学は機会を見つけては拡張しているが、下手すると、大宅廃寺の遺構が出てきて、キャンパスとして使えなくなるかもしれない、学生の実習にはいいかもしれないけれど、、、それを考えて、拡張しなさいと、事務局には忠告している」と言われるほどの距離にあるようです。考古学の調査は、建物の建て替えが好機なのは知られているけれど、ここ、名神高速道路の傍らということで、その工事に先立ち発掘が行われ、かなりの伽藍配置があったろうことが、既に、以前から知られている遺跡のようで、更に、近年の発掘(中学校の建て替え)で、データが積み重ねられているそうです。東西の位置で言うと、旧奈良街道に沿った位置。これが、大きなポイントのようです。今でも、狭いながら、外環状線と並行で、自動車道として生きています。この道、やがては宇治へと迂回して宇治川を渡り奈良に向かっていたはず。そうなんです、古代の山科は宇治郡なのです。かつては、巨椋池があったので、宇治まで行かないと渡れなかったはずですね。だから、宇治と山科は一体だった! 今だと、奈良街道から外環状線を経由して(しなくても行けるかもしれない!)国道24号線に入ると奈良・明日香に向かえるわけですから、ここは、古代の幹線道路。やがて、山科から琵琶湖方面へと行けば、舟運を使い北陸に抜けられるわけですし、また、古代には近江に都も置かれたこともありで、ますます重要度が増してきます。出土する瓦の特徴を見ると、興福寺のそれと同じだそうで、こちらで瓦造りに使われた型が、このルートを通り、奈良方面へと伝えられたと想像できるということでした。この大宅廃寺が、山階寺ではないかと考える説があるそうです。山階寺は、藤原鎌足により創建された寺。その両者を結びつけることの検討がなされていたのは記憶があります。ただ、増渕さんは、大槻里と呼ばれた辺りに山階寺があったと考えられておられるようで、隣には、陶田(すえた)という地名も残っていたり、こういった焼き物にも精通していたことも判ると言われていました。そうだとすると、大宅廃寺は、藤原氏の本拠そのままではないかもしれないけれど、何らの関連はあるようですね。その辺の詰めは、まともに聴いても解からなかったかもしれません。この山階寺のトピックは、アスニー山科での講演で出てきたようなので、全くの初耳ではないのですが、専門家は、山階寺なんて、どないなものか知ってるだろう的なスタンスから話し始められるものだから、まるで古代史に弱い黄紺的には、ハードルが高すぎます。だから、何を話そうとされているのかは解っても、その筋道を立てる細かな話になるとお手上げとなってしまう状態でした。これらが本筋なんだけど、ここからあとは、レジュメを眺めながら、思い出したことをメモっておきます。「京都へは2つのルート、山科盆地の北を抜け三条へ向かう街道、東山を越える渋谷越と滑石越」「京都にとっての山科、外国使臣の郊迎の地、貴族の狩猟・隠棲の地(四ノ宮に名が残る)」「山階寺は、鎌足の家(陶原家)に仏堂を造ったのが起源、これから、平城京造営時に興福寺へと発展」「山階寺以外にも、法淋寺のような白鳳期創建の寺院が山科にはある」「大宅廃寺出土の創建の瓦が、法淋寺のような近隣の寺院、藤原京造営時に供給されていることから、広範な瓦供給のキーステーションになっていたように看える」「宇治郡の白鳳寺院は個別の存在でありながら、相互に技術提供や瓦の供給を行い、相互に緩やかな連携体制を取っていたことが想像され、その連携の中心に大宅廃寺があり、しかも、大宅廃寺の造営と藤原京の造営は繋がっている」「こういった連携体制の背後に、藤原不比等を中心とした人的ネットワークが想定できる」「藤原不比等は、蘇我氏系の女と婚姻で結ばれており、それを通じて渡来系官僚を引き寄せていたことを考えると、そういった人脈が寺院造りに深く関わっていたのではなかろうか」「文献史料に出てくる大宅寺、山階寺、勧修寺についての検討は、よく判らなかった、一番困ったところ、ただ、“興福寺橋”という山階寺との関連を連想させる橋の表記が、突然、近世の史料に現れてくるというトピックは、聴いた記憶がある、最後にその探索をされていた」。
 この歴彩館の往復が、いつものウォーキング替わり。昨日は、帰りに、歴彩館の並びにある京都コンサートホールへ。3月の京都市響定期のチケットをオンラインで買ったので、それを引き取りに行ってきました。先日、この引き取りを行わないままだったので、当日になり真っ青になったのを思い出し、傍まで行ったので寄ってみることに。このときに、この冬一番の瞬間的寒さを感じてしまったのでした。あの辺り、吹きっさらしなものだから、余計に強烈だった。鴨川の河原に降りてのウォーキングは躊躇われるかとも考えたのですが、その辺りを通るころには、風は収まっていたので、普通の冬に戻っていて、大助かり、無事、ウォーキングを行うことができましたとさ。
 隙間狙いの落語は2本、聴いたつもりだったのだけど、2本目は冒頭で寝落ちをしたので、割愛、1本だけ、メモっておきます。桂よね吉の「稽古屋」です。この組み合わせ、聴いたことなかったので、選んでみました。「色事根問」の部分は、顔と芸だけで、稽古屋に向かいました。全体として、好感が持てない口演。稽古屋という洒落た空間にがさつなアホが来るというミスマッチのおもしろさは、そのバランスにあるのだと思うのですが、この口演、客席の反応から察すると、広い会場、ないしは、素人客の雰囲気がします。だからか、がさつ過ぎる。気になるバランスが崩れてしまっている。かなりあざといという印象。ミスチョイスを後悔してしまいました。よね吉で、こないな感想持ったことなかったので、かなり残念、です。


2022年 2月 22日(火)午前 0時 20分

 今日は、とっても寒い一日。寒かったけれど、ここ数日我慢をすれば、時期が時期だけに、これが、この冬の寒さの最後かなと思い、我慢に我慢。でも、一旦、その寒さを経験してしまうと、次に出かけるのが億劫になる寒さでした。その寒さのなか、今日は、午前中にお出かけ。京都みなみ会館で映画を観てきました。1週間に1度くらいのペースで、映画を観てしまっているけれど、観たいと思えるものがあるということだけで、無理して観ているわけでは、決してない。今日観たのは、「街は誰のもの?」というドキュメンタリー映画。舞台はブラジルというのが、そそられた原因。それと、路上アートを、この映画の中で追いかけているというのに、そそられてしまったので、観に行きたいと思ったのだけど、満足度では、かなり低かったな、正直なところ。結局、題名そのまんまだと気づいたところで、意気消沈でした。公式サイトを見ると、路上アートにもカテゴリーがあり、その分別の仕方は、なんとなく解るのだけど、映画の中では、その分別用に使われるタームが説明なく使われるので、混乱どころか、解らないので嫌な気分になってしまう。法的に大丈夫なんだろうかとか、そんなのとは無関係に、市民たちに、その路上アートが受け入れられているのだろうかと気になる。こんなのは、夜間に描かれるのが相場かと思っていたのに、昼間、しかも、カメラを回しながら描いている。傍らを、市民が通り過ぎても、振り向きもしないものだから、日常のことなんだと思うけれど、それは、諦めかもしれないので、勝手判断は禁物と思いながら観る。すると、ある壁に描いていると、隣のガソリンスタンドの男が、「そんなことしてると警察を呼ぶぞ」と怒っている。あっ、やっぱ、そういった感性も生きていることが判るが、どちらがマジョリティかの判断はつかない。かと思うと、サンパウロから離れた郊外の都市では、路上クリエーターたちを、街の人たちが歓迎している。そこでは、路上アートのフェスティバルでも開かれようとしている雰囲気。怒りの声を発していたガソリンスタンドの男たちとは異なった感性が。そこにある。ただ、路上アートの様々を追いかけるというよりは、そういったことが行われている路上がテーマなものだから、淡々と路上アートの描き手を追いかけるシーンが続くものだから、眠くて仕方なく、ついには制御不能に、寝落ちしてました。うつらうつらしながら観ていると、そういった路上アートの描き手を追いかけるばかりか、スケートボードに戯れる人たちを追いかけるシーンも多い。インタビューも試みている。思いの外、自分たちの気持ちや感情を言語化している、それができることが驚異に思えてしまいった。日本で、同じような遊びをしている人たちは、連中よりは豊だろうけれど、これだけの言葉は持っていなかろうと思ってしまってました。そうかと思うと、都心部で繰り広げられる、社会的政治的なメッセージを掲げ、デモなどのパフォーマンスをする集団を追いかけている。共通するのは、全て、路上ということ。路上という共通項で集められていても、その路上の分類がなされていないことに疑問を感じるようになっていきました。都心部の路上と高速道路の下を走る路上では、同じ路上でも違うだろうと思ってしまったのですが、また、ブラジルの路上と言えば、サッカーボールを蹴る風景だろうがと思うのだけど、それは、一切、出てこなかった、但し、覚醒していた時間帯という制限を入れねばならないのが悲しいところだけど、でも、撮ってないんじゃないかな、知らんけど。そう考えると、同じ路上でも取捨が行われている。路上の分別をしないのは「街」という括りかなとも思ってしまうのだけど、だったら、拾い上げるものが限定的過ぎやしないかと思ってしまってました。路上の問題を扱うときの切り口に「公共性」というキーワードがあるように思っています。この映画だと、路上アートに区分があるのは、そういったことを反映しているのかと思うのだけど、この映画で言えば「警察を呼ぶぞ」という声が、それを表しています。黄紺的には、このテーマでは、気になる思い出があります。かつての韓国では、ソウル駅の地下街には店が拡がり、店に関与しない人たちも集まっていました。つい7~8年前までの動物園前駅界隈の風景もそうです。そのちょっと前には、天王寺公園から、整備の御旗で、そこをねぐらにする人たちが一掃されました。正に、この映画の題名そのものを示す出来事でした。ソウル駅前の地下も一掃されました。「公共性」とは、「皆のものだから皆で使えばいいじゃなかい」と「皆のものだから、個が勝手に使うな」の違いが、いつも存します。韓国では、その変化を目の当たりにしたということです。後者の考え方が消えたソウルの街には、今でも、例えば広蔵市場には、路上に屋台が並びます。ここは一掃されていない? ある在ソウルのYouTuber氏が、この市場の取材に行ったときに口にしました。「皆、同じ屋台だ」と。1つのコンセプトで、市場の屋台街が作られていることを指摘し、勧進元がいることを示唆していました。これは、第3の「公共性」です。「皆のものだから、皆のために、皆の利益になるだろうことを作り上げる」という「公共性」なんだろうけれど、、、、。この映画、お題の元にばらまいた感がある一方、ばらまくほど、自身を持って収集をしきってないなという印象があり、ならば、その仕分けの目はなんなのと問いたくなる映画です。しかも、それを前面に出さない、これは、ずっこい。なために、満足感が生じなかったんだろうと思いました。
 帰宅後は、家事もあり、なかなか時間を取れなかったんだけど、落語を30分だけ聴こうとして、「六代目笑福亭松喬落語公式チャンネル」にアクセスすると、「松鶴噺」(2003/11/13 新宿紀伊國屋ホール 笑福亭松喬独演会)と題した音源がアップされていたので、セレクト。東京での初独演会のときの音源だそうです。奥様の書かれたコメントでは、東京独演会は、澤田隆治氏との縁で生まれたものだそうです。松喬は松喬で知りあい、和歌山放送のアナウンサーだった奥様は奥様で知りあった結果、生まれた会だったそうですが、その第1回の初っ端の口演が、この音源だとか。当日は、澤田氏の縁で、ゲストが立川談志。恐らく、名刺替わりに、この噺を冒頭に据えたものと推測しました。内容は、内弟子修行時代の車に関わるもの。同じような話は、鶴志が、よくやってましたね。鶴志の時代も、松喬の時代も、更に、挿話として紹介された廃業した花丸にも、同様のエピソードがあるようです。弟子は変わっても、松鶴は、同じことを繰り返し、弟子に難題としてぶっかけていたことになります。今や、鶴志でも聴けなくなったわけですから、とっても懐かしい気にさせてもらいました。感謝、です。


2022年 2月 21日(月)午前 6時 25分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。でも、朝には、お楽しみの「日曜美術館」の新作の放映があり、午後には、オンライン配信の予約がしてあったので、時間が経つのが、実に速い。むろん、それらの合間に、ルーティンにしているウォーキング2回が入るわけなので、確かに、経つのが速く感じられてしまいます。まず、「日曜美術館」からメモっておきます。昨日のお題は「シスコ・パラダイス〜塔本シスコの人生“絵日記”〜」。これは、楽しみな人を取り上げてくれました。既に、世田谷美術館での展示時に、この「日曜美術館」の後半、美術展紹介で触れられており、思わず、目を見張ったものでした。また、それが、グッドタイミングで、滋賀県立美術館で、シスコさんの作品が展示されていた時期に、TVで紹介された直後くらいに行き、生々しい印象を持ったところへ、実物を観たものだから、余計に印象付けられてしまっていた黄紺に、念押しもいいところの、この新作。経歴は、ある程度は知っていたので、知らなかったことをメモっておくことにします。「46歳のときに事故でご主人を亡くしている」「その2年後、自身が、脳溢血、左半身にマヒが残る、リハビリがてらに石彫に挑む、それが美術の世界へと導く」「83歳のとき、娘さんが50歳で亡くなり、それ以後、絵を描けなくなったときがあった」「(この人の作品名に“枚方”が付くのがあり気になっていたのだが)晩年は枚方の団地の長男宅に住む、山田池公園の近くとのこと」。シスコさんの故郷が熊本だということで、この展示が、熊本市現代美術館で行われたのに合わせて、この新作が制作されたのでしょう。MCの小野さんが、同美術館に赴いただけではなく、故郷の宇城市まで訪ね、思い出の絵の素材となった土地を歩き、シスコさんの絵に描かれている風景を知る人にインタビューを行っていました。その巡回が、この夏に滋賀県立美術館に来るそうなので、楽しみで楽しみで、、、Dを連れて行って見せようかなと思っています。黄紺もDも楽しめそうな作品、それがシスコさんの作品じゃないかな? で、昨日、番組で紹介された作品をメモっておくことにします。幸いなことに、熊本市現代美術館が展示リストを、ウエブサイト上にアップしてくれているので、正確にチェックできました。①ふるさとの海②桜造幣局の桜(息子とシスコ2人の通り抜け、うさぎが楽しい気持ちを表している)③秋の庭(最初の作品、真ん中の青い色の植物が映える)④桜島(娘の出産で鹿児島へ、病院に行く途中に噴火に遭遇、星が噴火口から飛び出している)⑤金魚 大和錦の産卵(水中と空が溶け合う、生き物のパラダイス)⑥七夕の朝 きれいな髪になるように(孫と並んで髪を洗っている、時間に縛られていない)⑦山田池の春(いつも散歩するところ、一角に描かれている古い木は自分の未来)⑧山田池の春シスコとハト(ちょっと離れたところにいるハト)⑨シスコの女神(リハビリ時に作った石彫)⑩タチアオイ(花が枯れるところもきれいと思っている)⑪紙粘土の人形⑫枚方総合体育館前のコスモス畑(悲し気なシスコの顔、娘の死後の復活作品)⑬ミアのケッコンシキ(孫の福迫まやさんの結婚式、明るさが戻ってきている)⑭想い出 ソコイビまつり(故郷の公民館に飾る、ソコイビは「底井樋」=川底に樋を通し農業用水を確保する、それが完成した記念の祭り、長期に渡り途絶えていた祭りの貴重な資料ともなった、2003年にその祭りは復活、父の姿を底井樋の絵に描く、背中にシスコ、いい印象の残っていなかった父親を83歳で描けた)⑮ウマイレガワ(田畑に入れて農作業に使役して汚れた馬の体を洗う、その水辺の光景、川は大野川、ムツゴロウが上がってくる様子が描かれている)⑯90才のプレゼント(90歳の誕生日にもらった花束)。シスコさんは、1500点ほどの作品を残したそうです。未整理のものも多く、それも映像で紹介されていました。炬燵の板の裏、段ボール、瓶(カニの装飾)、子どもの頃の思い出をスケッチに残していました。何とか、保存して欲しいですね。こういったシスコさんの作品も、一種のアール・ブリュットと考えれば、いいのかな? 知らんけど。でも、そういった定義付けなんてものは、どうでもいいこと、観て、何かを感じさせてくれることは間違いない作品ですね。
 次に、午後のオンライン配信です。「京都精華大学 アセンブリーアワー講演会」のオンライン配信を予約してありました。昨日は、「True Colors Fashion─ファッションデザインと多様性を巡る対話」と題して、次の3人の方のトークを聴くことができました。金森香(「True Colors FASHION」プロデューサー/一般社団法人DRIFTERS INTERNATIONAL)、山口壮大(「True Colors FASHION」ファッションディレクター/スタイリスト、ファッションディレクター)、進行役としての蘆田裕史(本学副学長、デザイン学部ファッションコース 教員)のお三方でした。黄紺的には、ファッションを切り口にしたデザインの消費社会での役割的なお話を伺えるのではとの期待でしたが、それは、その期待以上の質を持った内容となったと思いました。正直、このトークでの具体的なテーマを把握していませんでした。というのも、お題に記されている「True Colors Fashion」だの「True Colors Festival」といったタームの意味、知らなかったのです。でも、そのタームを知らなかっただけで、その中身は把握していました。何かで紹介されたのを目に止めたのか、知っておりました。「義足のファッションショー」、これを、何かで目にしたことがあったからです。正に、そのショーをプロデュースしたのが金森さん、それに関わったのが山口さんというわけだったのです。正確に書くと、概要欄に、「“True Colors Festival(トゥルーカラーズ フェスティバル)”は、パフォーミングアーツを通じて、障害・性・世代・言語・国籍など、個性豊かな様々な背景を持つ人たちと一緒に楽しむ芸術祭です。誰もが居心地の良い社会の実現につなげる取り組みとして2019年より実施されています」となっており、そのプログラムの一つが「True Colors FASHION」となります。義足や車椅子など身体に寄りそう「テクノロジー」をファッションに取り込む試みですが、そういった「テクノロジー」を理解させる手として、おもしろい事例を上げられていました。「眼鏡」です。義足のランナーが、健常者の大会に出ると、それの適不適が議論されるが、「眼鏡」をかけて大会に出ても、誰も問題にしない。この「眼鏡」化する試みと言えばいいかもしれません。でも、義足や車椅子といった「テクノロジー」を「眼鏡」化する場合には、それを使っている方が、当然、モデルになるわけで、身体化している「テクノロジー」を把握することが、ファッションを成り立たせるために、徹底したモデルとデザイナーとかコーディネーターとの対話の肝要さを説かれていました。デザイナーらは、そういった「テクノロジー」が、どのように身体化しているか、それは、個々により違う、正に、「個性」が、そこに詰まっているわけですから、その詰めのための徹底した対話が行われていたことが話されていたところまでは良かったのですが、具体的なモデル、それに伴う作品の紹介、解説の段になり、昨日は、ここで居眠りが出てしまった。電器ストーブに対面して暖を取りながら、PCの画面を眺めようとすると、この頃、毎度のように寝落ちしてしまっているのが判っているのに、いい心持ちになれるもので、やっちゃいました。ここで、強制終了です。でも、これも、おもしろかった。めっちゃ、内容の詰まった、濃いお話だし、こういった人たち、凄いなって思ってしまう。お話聴いてるだけで、頭の体操になる、発想が、実に豊かで、柔軟なんだもの。
 隙間狙いで、落語を1本、これが、スーパーな口演だった、しかも。古今亭志ん生「浜野矩隨」(1956年)です。「浜野矩隨」は、南華さんの講談でしか聴いたことがなかったもので、これで検索。一番、時間が合ってたものを選んだのが志ん生もの。凄いわ、この口演。もう、凄いわの言葉しか出てこない。さほど、時間をかけないで、やりとりをします。冒頭の問屋と矩隨、半ばの矩隨と母親、後半の矩隨と問屋。簡潔なんです、言葉のやり取り、それで、事態を呑み込ませる緊迫感満載、間にも、当事者の息づかいが聴こえてきそうな迫力があります。そして、末尾でくだける。もう、神がかりの口演です。


2022年 2月 20日(日)午前 6時 39分

 昨日は、気温は穏やかだけど、午後から雨。冬の雨って、なんか、鬱陶しい。早く、暗くなるし、微かな温もりすら奪われた感があるので、気が滅入ります。せっかく、陽が長くなってきているのに、逆戻りしたみたいな夕方だった。昨日は、オンライン配信の二部制と、贅沢な一日なんだけど、その分、ルーティンにしているウォーキングにしわ寄せが来てしまった。そのため、朝方にウォーキングと言っても、いつものように、時間を取れたわけではなく、これで、雨がひどいと、夕方のウォーキングも消えるかもと心配したんだけど、傘さしウォーキングで、いつものウオーキング相当の量は弾き出すことができたとはいえ、1日単位で看ると、いつもよりは少なめというのは、致し方なかった。
 二部制のオンライン配信、午前の部は、京都府&京都文教大学地域協働研究教育センターの主催で行われたシンポジウム「宇治茶の文化的景観 地域フォーラムin京田辺市」。宇治茶の世界文化遺産登録の推進を考えて続けられている一連のシンポジウムの京田辺市編です。毎回、この関係のイベントは、宇治茶について知ることが多く、ファンになっています。ですから、関連イベントは、時間が許す限り、視聴を続けています。昨日のプログラムは、次のようなものでした。①講演「世界遺産の動向からみた宇治茶の文化的景観」(京都府立大学文学部歴史学科准教授上杉和央)②パネルディスカッション(パネリスト:(一社)京田辺市観光協会副理事長・仲井芳東園代表仲井敏雄、京田辺玉露生産組合長・山下新壽園園主山下新貴、京田辺市経済環境部農政課課長出島豊清、上杉和央、コーディネーター:京都文教大学副学長森正美)③宇治茶(京田辺玉露)の淹れ方講座(仲井敏雄)。①では、まず、世界遺産とはというお話から、本題の、宇治茶が、世界遺産に相応しいかを説くお話へと入って行かれました。中でも、文化的景観としての宇治茶というのが、お話のポイント。宇治茶の特徴と、その茶畑、茶農家、茶工場とで作り出す景観が一体のものとのお話とまとめることができます。緑茶の品質を確保するためには、ベストなタイミングでの摘採の必要があり、そして、摘んだあと、素早く発酵(酸化)を止める措置を執らねばならない。茶畑と荒茶にする茶工場の近接が求められる。また、手摘みというのが特徴の宇治茶(特に、碾茶と玉露)、また、個人持ちの茶工場が多いということで、茶工場で処理できる量しか摘めない。同じ場所に茶畑を持つと、一度に摘採期になり摘めない。だから、摘採期に、適切に茶工場で処理できるための茶園配置になることで、茶園が分散、しかも、茶工場に近接した地域にとなる、これが、景観で判るというわけです。宇治茶の産地は、ぐっと固まっていると。それが、茶生産地としての必然の景観だというわけです。分散させることにより、合理的な摘採ができ、茶畑ごとに品種を変え、時期をずらすことを可能にしているというわけで、また、ちょっとした地形の変化、傍らに竹林があるだけで、品質が変わるので、それを活用することで、様々な茶生産が可能だとのお話も出ていました。こういった宇治茶の生産形態が景観に現れているように、プランテーションでの生産の景観は自ずと変わって来るはずです。大規模農園での生産となると、緑茶の生産自体が難しいことから、紅茶生産となるわけで、紅茶生産は、発酵させるのを、むしろ遅らせるくらいだと言われていました。ですから、プランテーション生産の茶畑は茶畑で、そこは完結した景観を示すことになるはずですよね。こういった分散型の経営といったことを、過去の史料を当たり、また、現在進行形でもあるということで、茶農家に聴き取りに入った記録を、紹介もされていました。ICOMOSという、世界遺産の準備に当たる機関では、テーマ別研究をして、世界遺産に欠落している文化財についての調査をして報告を出しているそうで、そこには、茶生産が上がっているそうです。具体的に、アジアの茶生産が指摘されているようで、ワイン生産が、同様な経過を経て、世界遺産登録され、その箇所が11ヶ所に上っていると言いますから、これは、そういったお話を聴いて、かなり半信半疑だった宇治茶の世界遺産登録って、ありそうかもの気になってきました。京田辺は、茶の種類では玉露のメッカだそうです。玉露は、被いを被せて日光を遮る中で生まれてくるというお話は、この一連のイベントで学んできましたが、分散した茶畑の狭間に水田があるというのも、茶生産の一つの景観を作るピースだそうです。稲を刈り、米を取った残りのワラこそが、その被いに使われたと言います。コンビネーションこそが文化的景観を形成しているようです。解りやすくて、内容も興味津々、いいお話聴かせていただけました。②では、パネラーが一人ずつ、自己紹介をしながらお話をするというもの、その中で気になったのは、山下新貴さん、まず、若い、爺さんが、茶生産で名を馳せた方だったようで、ご自身でも、巧妙な茶の品評会で受賞の数々をされている方。生産者の実地に立ったお話の中で、グーグルアースを使った茶畑の分布を見ながら、それと茶の品種の分布を説明を伺うと、合理的な判断が働いていることが、ようく判り、これ、とってもそそられてしまってました。そして、③は、毎回恒例のもの。お茶の、真っ当な淹れ方って、面倒でムズいですね、これ、毎回、この講座を視聴するたびに思ってしまっています。
 午後のオンライン配信は、「みんぱくゼミナール」の視聴、久しぶりです。最優先にしている配信の1つですが、久しぶりということは、テーマに因るもので、決して抜かしていたわけではありません。で、昨日のお題は「遙かなる山々、アンデス文明探求40年の軌跡」、お話は、関雄二(国立民族学博物館教授)さんでした。この講演は、関さんの退官記念を兼ねてのもの、そういったわけで、ご自分が、アンデスで当たられた発掘の成果をまとめて、お話をされるというもの。その内容は、文明の起源を探るという壮大なものとなりました。冒頭では、日本のアンデスでの発掘の歴史を紐解いていくというものから、その中で、ご自分の位置を示され、そこから、やおら、濃~い発掘話へと展開されるという流れでした。その骨子は、従来型の文明の成立のディスコースとして語られてきた、農耕の発展、余剰生産物の出現、そこに、権力の出現や神官の登場、宗教が確固たる地位を築いていくという物語では、説明しがたい考古学的成果のお話でした。説明しがたいとなると、新たな説明が要るわけで、その見通しまでが、この日のお話だと言えばいいかな。まず、コトシュ遺跡の発掘。チャビン遺跡を発掘したフーリオ・C・テーヨ(先住民の研究者)の期待だったアンデス文明の母体、どこかに、その起源があるはずということで、その1つの候補がコトシュだった。土器制作以前にさかのぼる神殿が出てきて、先チャビン期のものと推定された。「交差した手のレリーフ」の出てきた遺跡。同じような建物が繰り返し造り替えられていた、上へ上へと、同じような場所に、新たな大きな建物が建てられており、それを、関さんは「神殿更新」と名付けられた。しかも、この社会は、従来の経済基盤論では語れない平等な社会だった。その後、発掘に当たられたワカロマ遺跡も繰り返し造り替えられていた。更に、そのワカロマと同時期の、しかも、さほど離れていないクントゥル・ワシ遺跡を発掘すると、様相が違った。一番高い中央部(神殿の真ん中)に墓、人面金冠が出てくるわ、、頭蓋変形(選ばれた人に、生まれてすぐに変形処置、「特別な人たち」を意味する)がされているわ、そういった立派な墓が4つも出てきた。明らかに平等ではない。副葬品には、暖流でしか取れない貝、金はアマゾン源流で採れる砂金だと考えられるので、交易で手に入れられていたようだと推測できた。問題は、この2つの遺跡に生まれた違い。ところが、両者は、類似した生活環境だから、環境の違いでは説明できない、天水農耕をしていたので、そこから権力の成立は説明できない、戦争の証拠はないので、そこからも権力の成立は説明できない。そこで編み出された考えの背景になる事実は、祭祀建造物への投資が大きいが協同作業が行われていた、余剰生産物のコントロールも見られない(大規模倉庫のようなものが出てこないということか?)、工芸品のコントロールは緩やか、交易への比重もさほど大きくない、軍事の痕跡なしということで、編み出されたのが、イデオロギー(宗教)で生きていた社会というテーゼ。イデオロギーへの投資が大きく、イデオロギーに関連した手工芸品や、その原材料を交易で入手していた(奢侈的財政)。イデオロギーが権力を成立させるというメッセージとなります。従来型の、「下部構造の成立の上に上部構造が成り立つ」とは相容れないメッセージとなります。もう1つ、遺跡の発掘の紹介がありました。それはパコパンパ遺跡で、先の2つの遺跡と同じ時代のもので、左右対称の造りで、対称線の中央から貴人の墓が出てきて、そこには、金製品、頭蓋変形といったものが確認できているが、クントゥルワシのような交易品は出てこない、替わりに銅製品が出てくる(銅の生産、銅山も発見されていることから、銅と権力構造との関係が推測できる)。ここでの注目は、神殿のために使われている石材。ここでも、神殿更新の痕跡が確認でき、新旧石材の混在が特徴だと言います。その心は、社会的(集合的)記憶だと考えられると言われていました。旧来のものに馴染みながら、新たな要素を持ち込む、「記憶の継承」を、石材で表象しようとしたのではないかと言われていました。逆に、この混在が看られないクントゥル・ワシ遺跡は、「記憶の隠蔽」と考えられるとまとめられていました。いや~、おもしろい。めっちゃ、刺激的です。従来の権力論で説明できない事態を目の前にして考察を深められる、この推理、まるで、ドラマを観ているみたいです。冒頭、「神殿の時代が何千年も続く、他にない文明だった」「アンデスと言えば、すぐに想起されるインカ帝国は、スペイン人が入って来る前の僅か」、正に、その社会を読み解かれようとする、とっても興味の尽きないお話でした。


2022年 2月 19日(土)午前 7時 17分

 昨日も、引き続き、お出かけなしの一日。でも、午後の一時の時間帯に、すっぽりと納まるオンライン配信を予約してあった。そんなで、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけが、お出かけとなった日。一昨日と違い、気温は回復、風も止みと、ウォーキングをするには、ありがたい環境。でも、変わり映えしない、変化を感じるわけのない一日となった。で、オンライン配信というのは、気候変動絡みのオンライン配信でした。週に何回か、気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)にアクセスして、こういったオンライン配信があるかないかをチェックするのが、結構、ルーティン化している。気候変動だけではなく、それに絡まって来る、様々な社会問題が見えてくることもあり、押さえようとしているのだ。そもそも、このサイトにアクセスすると、関連の情報を得られるということを知ったのも、気候変動に関する、京エコロジーセンターの配信の中で教えてもらったこと。昨日は、京都気候変動適応センター主催の「京都でいま、何が起きているのか!?-京都における気候変動影響とその対応に向けて-」と題した、オンラインでのシンポジウムが配信されました。A-PLATのサイトで知ったばかりか、登録後、たまたま、ウォーキング途中に区役所に寄ったときには、このイベントに関するチラシが置かれていることに気が付きました。そんなで、地元京都がテーマになっているということで、普段とは、異なる興味関心もあった配信となりました。そのプログラムは、次のようなものでした。①基調講演「気候変動影響と適応に関する科学的知見」(国立研究開発法人国立環境研究所社会システム領域副領域長髙橋潔)②適応センターからの報告「京都における気候変動影響‐自然生態系・農業・伝統文化産業に関するヒアリングでわかったこと」(適応センター長安成哲三)③パネルディスカッション「京都における気候変動影響と適応に関する課題」(京都大学大学院農学研究科教授白岩立彦、京都府立植物園技術課長平塚 健一、京都大学名誉教授/公益財団法人京都市都市緑化協会理事長森本幸裕、髙橋潔、安成哲三)。①は、気候変動の概要を、資料を使っての解説。その中で、自分的にメモっておきたいことだけメモります。「日本で既に起こっている現象/米の白濁化やみかんの浮皮症という品質低下、テングネツの媒介生物のヒトスジシマカの分布の北上、ニホンジカの生息域拡大、サンゴの白化」「気象モデルを使った将来予測/同じシナリオだと、昇温は、緯度の高い方が、また、夏より冬の方が大きい」「年平均気温1.28度/100年 これを京都限定で観ると2.1度/100年と、全国平均を上回る上昇」「自然植生では、絶滅リスクの高まる品種がある一方で、生息域の拡大が起こる品種がある」「品質重視の場合、適応(品種の変更や作付け日の移動)なしだと深刻なコメの収量低下が予測される」「各自で執れる暑熱対策/緑のカーテンや打ち水」「テングネツの媒介生物のヒトスジシマカ対策/蚊の発生源となる水たまりをなくす、蚊取り線香の使用、屋外では肌を出さに服装」「2018.11 気候変動法の施行、これで、地域気候変動センターができてきた、国立環境研究所が気候変動適応センターの役割、A-PLATでの情報発信などの基」。②では、①の最後のお話を受けて、京都で生まれた適応センターの役割と、そのお仕事の紹介というもの。このお話をされたセンター長さん、あまりPCに詳しくない、そのため、画面共有が、なかなかままならなかった。これも、残しておきたいトピック だけをメモっておきます。「昨年度の事業報告/府内の高校、事業所、個人へのヒアリング」「稲作面での変化/高温による登熱不良で品質の低下、暑熱による作業への影響、高温栽培米の栽培開始、病虫害の増加」「茶業/凍霜害(気温上昇が早いため寒の戻りで被害)、日焼け、病害虫の増加」「京野菜・果実/日焼け・結実不良、長雨での生育・着色不良、病害虫の増加」「歴史があるため、多様な流通経路を持ち、気候変動の影響で材料確保が難しくなっても、他の経路での確保ができているという強みがある」「後継者不足の伝統産業に拍車がかかってしまっている」「桜の開花時期の変化、庭園への影響などから、観光への変化」。③では、まず、パネラーの方が、自己紹介を兼ねて、簡単なレポートをされました。白岩さんは、農業の専門家、具体的な作付けへの影響の変化を、解りやすい分布図で示していただけました。縦軸に「対応困難/対応が進んでいる」、横軸に「気候変動が主要因/複合的」という分布図です。それにより、農業の分野ごとの実相が判るというものです。「新たな病害虫」「風水害」は、いずれも「+」度が高く、「気候変動が主要因であり対応が難しい」ものに入り、「凍霜害・着色不良・結実不良」は、「気候変動が主要因、でも、少しは対応が進んでいる」、「水稲の外観品質低下」は「気候変動以外にも要因が大きく、対応も進んでいる」となっていました。これは、解りやすい、問題の整理にお役立ちです。森本さんは、「生物多様性の損失、気候危機に賢く対応」を掲げ、具体的に「地域雨庭の推進」についてのレポート。雨を、何度も使い、溜めることで、問題解決への貢献を考えるというものですが、この人の知見って、このあとの意見交換でも、一番、異彩を放ってたかなと思えるものがありました。平塚さんは、ヒアリングを受けた側としての報告、倒木の実態、その再生にかかる時間、希少植物の被害などをお話されていました。で、意見交換でメモっておきたいことを認めておきます。「京都ならではの問題/一番茶、京野菜という質を重視する風土、そこへの被害が気になる、対応するにも、生産者の高齢化が気になる」「(観光の目玉になっている)苔庭は、最早、自然にできるものではなくなってきている、桂離宮で適応策を実施している、庭の精神を含む継承が肝要で、集中的対策は被害をかえって大きくする(このトピックは森本さんから)」「生産緑地制度(宅地であっても農地として使うと税制面で優遇される制度)/豪雨緩和対策になる、農地や庭園は保水機能もあり、多面的機能を持つ、ただ、農地の維持と高齢化社会が表裏になっている、ということは、単なる気候変動への適応策では済まない側面がある(これも森本さんが言い出しっぺ、とっても含蓄のある指摘ですね)」「ソメイヨシノは開花日の変動が看られる、紅葉は遅くなり、落葉までが早くなっている、美しい紅葉になりにくい、その期間が短い、一方で、シクラメンの地植が可能になっている(白岩さんのお話は、毎回、具体的で超解りやすい、黄紺的には、シクラメンの越冬が難しいことを体験済なもので、めっちゃ、気候変動を実感できるお話でした)」「炭素減によるリスク評価/企業が行うことを求められているが、大企業は対応できるし、また進んでいるが、中小は進んでいないどころか、できるのか (これって、SDGs全般に言えることですね、進める技術や資金だけではなく、頭の中の問題も、このシフトじゃないかな?)」「農業を守るという考え方をベースで進めるのか、その枠を超えた適応は可能なのか、その検討は?(これは、質問の中から出てきた秀逸な議論のテーマ、ここで盛り上がりそうなメンツでしたが、時間切れでした)」。シンポジウムで、進んでいく中で、カオスになりそうなと言えば大仰だけど、議論らしくなるって、まあ、ないことなのに、このシンポジウム、その雰囲気。それだけ、参加者の知見の高さ、感じました。そういった意味で、おもしろい。地域気候変動センターの活動と言った面では、他府県の、こうした配信を、幾度か観てきているので、京都は、決して進んでいるとは言えないけど、この配信、おもしろかった。いい勉強になりました。
 あと、隙間狙いで、落語を1本聴いたんだけど、ほぼ熟睡しちゃったので、メモるのは止めておきます。そんなで、今日も、オンライン配信が待つ、そういった週末です。


2022年 2月 18日(金)午前 6時 43分

 昨日は、お出かけなしの一日だけど、午後にオンライン配信を視聴することにしていた日。この配信が、普段の午後の一時に、すっぽりとはまる時間帯にあったため、ルーティンにしているウォーキングは、いつも通りに行うことができたんだけど、昨日は、思いっ切り、寒かった。特に昼前がえぐかった。天気はいいんだけど、風だけは勘弁して欲しい。夕方は、やはり凪なんでしょうね、昼前と、大変な違い。昼前は、フードを被り、なんとか凌ごうとしているのに、きっちりと隙間から入って来る。夕方は、フードを付けていると、途中から暑くなってきて、脱いだくらいだった。その替わりに、小雪がちらつき出した。なんじゃ、それ。おまけに、この間、踵を上げて歩いていたため、左足の変なところに豆ができているようで、歩きにくい、疲れる。そんなで、わりかし、ウオーキングでストレス溜まってしまっています。
 午後の配信は、京都市立芸術大学の「令和3年度後期第7回 Online伝音セミナー」というもの。「伝音」は「日本伝統音楽研究センター所」の略です。昨日は、「平等院鳳凰堂に響く天上の音楽」というお題で、同センターの所長の渡辺信一郎さんのお話を聴くことできました。本当かどうかは知らないんだけど、藤原頼通は、ここに浄土を具現化し、そして、阿弥陀如来と自らを糸で繋ぎ、僧侶の読経のなか、亡くなったと聞いたことがあります。その鳳凰堂の壁には、天上の音楽を奏でる雲中菩薩が居並んでいます。手には、様々な楽器、箏、曲頚琵琶、腰鼓、揩鼓(かいこ/鼓の皮を摺って音を出す)、箜篌 (くご/ハープ状の楽器)、羯鼓など。そういった楽器を使った音楽は、どないなものだったか、それをメーンに、そのような音楽が、どういった歴史で形成されていったのか、それが、お話の骨子でした。ポイントは、遣唐使が、中国の音楽を、楽器を持ち帰ったことに由来しています。ですから、中国の宮廷音楽の成立、歴史という、全く聴き慣れないお話にはなったのですが、幸い、日本史とは異なり、人物名、王朝名(五胡十六国時代の王朝名を含む)、地域名などを聴いても、まだ、中国史なら解るということで、背景は解る。でも、これも解らない、ましてや、中国の音楽史なんて初耳という人には、解ったものじゃないと言えるようなお話だったんじゃないかな、知らんけど。日本が、中国から受容し、その後、主流となった音楽は、西涼楽と亀茲(くちゃ)楽の系統に属する音楽。では、西涼楽とは、4世紀半ば、五胡十六国時代、河西涼州地方において、胡楽系の亀茲楽と秦声とが融合して成立した音楽。この時代の華北と言えば、中国史上初めて、胡族が華北に国家を建設した時代。胡族の持つ遊牧系の文化と漢民族の農耕文化の融合が看られた時代。音楽の世界でも、「ええもんはええ」的な感じがあったのでしょうか、融合というよりか、胡族の文化優勢という印象を受けました。一方の秦声とは、山西省・陝西省にかけて、13弦の箏で生まれた音楽で、秦の蒙恬が作ったと言い伝えられているももの。日本の箏は13弦だから、この系統に繋がる楽器。河西涼州の「河西」は「河西回廊」を意味するから、西域への入口、華北と西域の接続地域と言えるから、正に異文化の混交により出来上がったということになりますね、これ。嘉峪関壁画や敦煌壁画に描かれている楽器は、雲中菩薩の手にする楽器と同じだそうです。えらいところと同じです。更に、唐の玄宗の時代には、西涼楽から胡部楽への変化が看られると言います。より西域にシフトしていく、王朝音楽です。翻って見れば、唐に先立ち、南北朝という分裂時代に終わりをもたらした統一王朝隋には、たっぷりと胡族の血が混じっている、その隋と血縁関係にある唐王朝の示した必然かもしれません。遣唐使藤原貞敏が入唐したのは、正に、こういった時期だったということで、日本に持ち帰る音楽は、胡部楽一色になったものだったということです。最後に、そういった音楽を再現されている方が、京都市立芸術大学におられるということで、その再現映像を見せていただけました。舞踊も交えて、再現できる史料があると言われていましたが、そこで見せていただいた舞踊は、雅楽とともに披露されたもので目にしたことのあったものでしたが、音楽の方は、その雅楽のイメージとは異なり、全くの癒し系の音楽。PCに向かい、作業をするときなどにBGMにしてみたいような、いい感じのものでした。これを知ったのも、いい勉強になったし、第一、今まで聴いたこともなかった中国の音楽史、これ聴けたの、大正解でした。この伝音セミナーで、雅楽系の講演だと避けてきていたのですが、こういった東アジアという視点を持ち込むと、歴史そのもののお勉強になることが解り、スルーするものではないことを実感、そういった意味でも、いいお勉強になりました。
 その他の時間を使い、落語を聴くことにしました。次の3本です。①古今亭志ん生(五代目)「千両みかん」②春風亭小朝「池田屋」③三遊亭金馬(三代目)「錦の袈裟」。①は、上方からの移植の様子を知りたくてのチョイス。志ん生は、マクラで、「上方の珍しい噺」「いい噺なんで聴いてもらいたい」と言っています。上方もののエッセンスを受け継ぐといった趣向で、テキストの細かな刈り込みが、各所に看られます。若旦那から病の原因を聞き出すところ、問屋でのやり取り、みかんを持って帰ってきてからといったところで看られる一方、「みかんを見つけねば磔になる」というプロットをやけに使っています。一番あっさりしている問屋でのやり取りとのバランスが悪すぎるように思いました。あっさりと見つけ、値段も、いきなり千両と言ってました。若旦那が3袋、みかんを残すのは同じだけど、番頭の分がなく、婆さんにとなってました。これ、おもしろくもあり、つまらなくもありですね。「番頭の分がないからどろんした」と、下げを引き出すのにはいい改変、「番頭の苦労に報いる」という点が消えてしまうのに、落胆が、一方で出てしまいます。これ、難しい選択ですね。「千両みかん」は、東京の噺家さんの口演が、わりかしYouTubeに上がっているので、他の人が、このまま受け継いでいるのか、それとも、上方回帰しているのか、ちょっと興味が出てきました。②は、小朝ものを、ここまで聴いてきてなかったのでチョイス。恐らく、古典じゃないだろうと思いつつのチョイス、その勘は当たり。池田屋事件を地噺で解説といったもの。となると、小朝は、得手でしょう。マスコミにもてはやされるだけの感性と話術の持ち主ですから、思いのままに引っ張って行ってくれます。聴き手の方も、池田屋事件は知っている、それを見透かしたかのように、蘊蓄を並べ、現代感覚のくすぐりを挿し込んでいく。最後は、近藤勇の処刑の場面となっていました。③は、「錦の袈裟」指名で検索、名だたる東京の噺家さんの音源がYouTubeで聴けるなか、名人金馬をチョイス。この人、ホント、歯切れがよく、明晰、陽の噺をしてくれます。その上で、客と一緒になって、噺の中でバカをしている男どもを眺めるという目も見せている、正に名人芸です。ええもん聴くつもりで、ええもん聴けた、いや期待以上のええもん聴けた、清々しい音源です。


2022年 2月 17日(木)午前 6時 42分

 今週は、お出かけ日が少なく、予定では、日曜日に映画に行ったのと、昨日、アスニー山科へ市民向け公開講演会を聴きに行くだけ。あとは、自宅待機だけど、今日から3日間は、上手い具合に、オンライン配信の講演会やら何やらを視聴することになっているので、ま、外の世界とは繋がっているというところ。昨日のアスニー山科は、月2回のペースで行われている特別講演会のあった日。昨日は、「魏志倭人伝を深く読む」というお題で、阪南大学国際観光学部教授の来村多加史さんのお話を聴くことができました。題名から察する通り、卑弥呼絡みのお題だったもので、応募が多いのだろうとは思っていたけれど、やはり、そうだった。係の方が言われていました。「今日、お越しの方は、ラッキーな方です」と。無事に、抽選で勝ち残った人たちというわけです。黄紺は、今のところ、こちらで抽選になったと言われたときは、全て、当選している運の強さを、ここまでは発揮しています。ボチボチ、危なそうです。4月には「高松塚古墳発見50周年記念」の講演会が予定されているので、そろそろ、外れそうな悪い予感がしています。で、昨日のお話。本題は、邪馬台国の位置を認めた「魏志倭人伝」の箇所を、細かく検証をしていこうというもの。黄紺は、ちょっとした豆知識の仕入れ的な気での参加ですが、古代史好きの人には、たまらないのでしょうね、こういったテーマ。その本体のお話に入る前に、この記述が看られる時代の東アジアの変化を、地図での確認があり、また、中国の史書についての解説がありました。これは、さすが、黄紺は解るので、そういったお話があったということだけ、メモっておきます。そして、本体の邪馬台国への道程。だが、その序盤で居眠り。山科まで行く電車の中から眠かったので、どこかで起こると思ってたけど、ここで出てしまった。昨日は、軽いものだった上に、帯方郡から対馬辺りまでが飛んでるだけなので、不幸中の幸い。「対馬」「壱岐」と渡り、「末盧(まつら)国」に行っている。次の「伊都国」に直で行けば良さそうなものなのにと言われていました。「末盧」は「松浦」に繋がるということで、今の唐津。復曲能に「松浦佐用姫」ってありますが、その「松浦(まつら)」ですね。そして、「伊都国」。「郡使往来」などの記述があることから、この地に、邪馬台国の出先機関があったのかもしれないと言われていました。後の「大宰府」からの連想のようなことでした。福岡県糸島市にある平原遺跡が、この「伊都国」の王墓だそうです。そして、福岡に相当する「奴国」。「2万余戸」の人口を持っていたとの記述があるということでした。邪馬台国の九州説も畿内説も、ともに、「奴国」は福岡で一致しているとか。問題は、このあとの「不弥国(ふみ)」から。更に、そこから「水行二十日」とされた「投馬(つま)国」となると、畿内説では、九州を飛び出してしまう。九州説が苦しくなるところです。ただ、この「投馬国」は、人口が「奴国」を凌駕する「5万余戸」となっているので、それだけの人口を抱えるのはということで、「出雲」と「吉備」が候補に上がっているようです。「出雲」だと「つま」の音が隠れているようでもあります。でも、海流の関係で、「二十日」もかかりそうもないようで、そう考えると、「吉備」が浮上してきそうだということでした。瀬戸内海は、潮の流れが激しく、日数を要するので、記述に応じた地になるだろうとのこと。そこから、「水行10日」「陸行1ヶ月」で邪馬台国到着となっているのが原文。更に、「傍国21ヶ国」、なかでも、邪馬台国と敵対していた「南にある狗奴国」の位置は、この道程での記述には、常に方角間違いがあると考えると、南は東になるので、関東地方にあった国ではないかということでした。次いで、邪馬台国の政治などの記述に関する読解。「倭女王遣大夫難斗米(なしめ)」絡みの検討。帯方郡の太守に願い出て、魏の皇帝に拝謁を求め、それに応じて、帯方郡は、案内役を同道させて、難斗米と副使の都市牛利を魏の皇帝の元へと送ったというトピック、そないな記述があるなんて、全く知りませんでした。来村さんは、その道程も推測できるということで地図まで用意されていましたが、お時間の関係で割愛、おかしかったのは、持って行った贈答品が貧相だったという点。でも、さすが、魏の皇帝、お返しは、その身分に応じたもの、それに、倭王用に「親魏倭王金印と紫綬」、難斗米と都市牛利には「銀印青綬」があるそうで、「金印」は、「志賀島金印」に匹敵するもので、これらが出てくると、「邪馬台国論争」に決着がつく代物です。更に、「銅鏡百枚」が渡されている。これは知ってたけど、ここで出てくるとは知らなかった、だから、なんで、「銅鏡百枚」が話題になっているのか、全く解ってなかったってことが、自分にも判った次第。それらを手渡すときは、銀印のような家臣に渡すものは、目の前の本人に渡したが、金印は、魏の皇帝の家臣が、帰国に際して同道し、直で卑弥呼に渡すことになったと言われていました。でないと、もし、使節の2人が裏切り、自分が「倭王」だと名乗り、金印をかざされることを懸念したのだろうということでした。冊封の心得ですな。ここで、ほぼ時間切れ、邪馬台国のその後、2回目の使節派遣、卑弥呼没後の国内の乱れ、狗奴国との争闘、援軍派遣といったトピックははしょりながら、箸墓古墳については、レジュメには用意されていましたが、これは触れることなく終わられましたが、内容が豊富なため、これは仕方ないことで、了解です。それにつけても、如何に、自分が、古代史に疎いかが、よ~く判りました。抽選に当たって、そういった意味で正解でした。古墳のことと言い、確かに、古代史は、判らないことが多いだけに、想像力の世界が拡がる分、そそる部分があるからなんでしょうね、人気があるのは。そういったことも、改めて認識できたいいきっかけになった思いです。
 この講演会から、いつものように、自宅最寄り駅1つ手前で降り、マート経由の迂回コースを採りつつのウォーキングをして、自宅に戻っても、まだ、午後1時半にもなってなかったので、午後の一時を確保できました。その時間を、YouTubeを使い落語と、ネット上で、何を使っているのか判ってないのですが、とにかく音声配信をしている配信で、追いかけているものを聴くことにしました。まず、落語は2本、①六代目笑福亭松喬「にわか心中」(1993/10/16 トリイホール)②古今亭志ん朝「三年目」。①は、松喬公式チャンネルにアップされている、松喬にしては珍しい新作、でも、擬古典ものです。偽装心中を起こして、通って来る男との縁を切ろうとする遊女と勘当された若旦那の物語。「辻占茶屋」「星野屋」「品川心中」にも出てくる、偽装心中プロット。この新作が、弟子連に受け継がれていないのは、その二番煎じ的なところ、また、そこに至る筋立てが無理があるところへ、無理強い的にぶち込んだ「橋尽くし」があるからでしょうね。賑わいが邪魔だと言い、東横堀、道頓堀、西横堀を移動するのを「橋尽くし」で表そうとさせる書き手の意図が嫌らしいと感じてしまいました。ただ、人に合うのだろうかと思われた松喬の心中もの、これが頗る付きでいい、これは大きな収穫。くだけた噺もいいけど、シリアスな雰囲気も聴かせるものがあります、さすがと唸っちゃいました。②は、このネタ、上方では米紫がするのだけど、米朝の音源もあるのかな、だったら、上方起源なんでしょうが、いまいち判ってないなか、志ん朝の口演を聴いてみることに。こういった噺を聴くと、マクラからして、なぜか、志ん朝って、家父長的雰囲気を持つ人だなと思ってしまう。若い頃、あのNHKの何だったっけ、あれに出てた頃って、若者代表って感じがあったので、それとのギャップに当惑してしまうんだけど、マクラの底に流れるものや、病床に瀕する妻への声掛けに、そう思ってしまうのです。それがあるから、このネタが映えるのかな、そないな印象の確認にもなった音源でした。「落語ではない音声配信」と、上に書いたのは、「桂あさ吉の内弟子日記」のこと。あさ吉は、吉朝の弟子だけど、この一門全員が、大師匠の米朝宅で内弟子修行をしている。その3年間につけていた日記を公開している番組です。毎回15分程度、週1のペースで配信しているのですが、黄紺は、1回ずつではなく、一定数溜めてから聴くようにしている。これ、結構、はまってます。メモ程度の日記なんだけど、もう28年程前の内弟子修行の雰囲気が知れるのが、黄紺にはツボとなっています。あさ吉は、よくマクラで、内弟子修行時のエピソードや、それ以後にも垣間見てきた大師匠家の生態をおもしろ可笑しく聴かせるのが上手で、結構、黄紺内ではお楽しみに入っていることもあり、初回から、全て聴いています。先代文我の姉さんが十三で経営していた針治療の店に通う米朝や、かなり脳天気で、さもありなんと思わせる、あさ吉の自己評価とか、大ママとのやり取りなど、短いながらも、1つ1つのエピソードが楽しみで、次に何が出てくるか、それを楽しみながら聴いています。昨日は、4回分をまとめて聴いたので、1時間余も、これ、楽しんじゃいました。


2022年 2月 16日(水)午前 5時 21分

 昨日も、一昨日に続き、お出かけなしを選択。だから、一昨日と似た時間が流れたんだけど、なんか、段取り良く動けない質なものだから、おたおたしている内に時間が経ってしまう。この期に及んでも、まだ、時間が足りないと思っている。その一方で、昨日は、この時期にしては暖かで、いい感じのお天気なものだから、おたおたすると、ストレスがたまる。せっかく、こないないい日なのに、うまく使えない、うまく楽しめないことにイラつく。やはり、そういった質なんですね。せわしなくしてないとダメで、でも、それで、時間に追われるのが嫌ときている、考えたら、人間ができてないってことですかな。
 そんなで、日に2回のウォーキングは、通常通り。踵を下すのが怖くて、大丈夫かなと思いつつも、上げたまま歩いている。昨日あたりからは、変な筋肉痛も、かなり緩和されたものだから、ついつい上げて歩いてしまってた。午後の一時は、一昨日と同じ、落語とオペラ。オペラは、昨日は、ネット上に配信されているものを利用させてもらった。選んだのは、スウェーデン王立歌劇場の「イオランタ」。チャイコフスキーの作品だけど、これは、出ないな。オペラ自体、観たのも、一昨年だったっけ、コロナで、一斉にロックダウンに入ったとき、メトロポリタン歌劇場が、手持ちの映像を流してくれたときに、この作品が出たことがあったので、そのときに視聴しただけ。ドイツでのオペラ紀行をしていたとき、毎回、各歌劇場の公演の様子にチェックを入れて、スケジュールを組んでたけど、そのときにも、これ、見たかなぁ? 「マゼッパ」は出たので、これは、しっかりと押さえたんだけど、「イオランタ」の方は、あったっけ? それほど、公演はレアなはずです。メルヘンチックなオペラで、いいと思うんだけど、世間的には、そうではないのか、中途半端な長さなものだから、上演しにくいのかもしれません。2本立てにするには、相手を見つけにくい、1本上演だと、ちょっと短いとなってしまうところは、あるね。このプロダクション、イオランタは盲目の姫というのがポイントで、それを解らせる手法は、周りの者にスマホを持たせ、写真を撮り合うというもの。だから、時代は現代に置いている。隔離されたところに城があるということから、背景に山岳の書割が据えてある。その前に、緑の豊かなスペースが用意されており、その奥手にはアーチ状の小橋、時代を飛ばしながら、なんか、リゾート地の雰囲気で、場の特異な環境を表そうとしている。台本に寄り添った装置に演出というか、特段、拘りは見えてきてないと断言する自身がないのは、半寝で観ていたから。一応、男が、イオランタが盲目だと気づいたところまで行ったんだけど、せっかくの演目だから、次回は、前に戻って観ることにしましょう。
 落語は2本。①笑福亭松鶴「質屋芝居」②三遊亭圓生「猫怪談」と、大御所2本でした。①は、米團治のTwitterを見てたら、動楽亭の昼席で、このネタを出したと書いていたので、「そうだ、YouTubeに、このネタ、上がってたかな」と思ったのがきっかけで、検索すると、引っかかってくれた。松鶴の音源があるというこちは、昔から知っていながら、実際に耳にするのは初めてでした。どうやら、録音環境はスタジオじゃないかなぁ、そないな空気が、端から流れている。松鶴は、そういったときに、丁寧過ぎる口演になってしまうきらいがあるんだけど、そうでもない、堂々とした口演。正に、堂々としたという形容が最適。口の回転がスムーズなので、若い頃のものと思われるのだけど、威圧感というか、迫力のある口演で、圧倒されます。これは、繰り返し聴きたくなっちゃう。惚れ惚れとするものがありました。②は、何となく見つけたもので、こないな噺があったとは知らなかったもので、こちらの時間とも合ったので、飛びついた。なかなかおもしろい。与太郎ものだけど、ところどころ、喜六が入るというキャラ。円生の与太郎ものというのも、そうはないかもしれません。孝行者の与太郎、養父の死が解ってないところは、典型的な与太郎さん。そこで、大家さんが世話をして弔いを出してやる。町内の人も、孝行者だと知っているので協力。でも、実際に出てくるのは、棺桶の片棒を担ぐ協力をする甚兵衛だけ。ところが、この甚兵衛さん、とんでもない怖がり。それをからかうのは、喜六的キャラの与太郎。結構、考えてる。夜中に棺桶を担ぎながら歩く場面が、とっても、可笑しいのです。そこへ、魔性の猫がいたずらをするという、それだけの噺。恐らく、長い噺の一部じゃないかなぁ。甚兵衛さんが怖がって、おもしろがる与太郎は、からかうのを楽しむというのを聴かせるというだけの噺で、悪さをする猫(らしきもの)は、いったい、何なのだと思ってしまうので、一部じゃないかなと思ったんだけど、じゃ、他に、これに続く噺があるのかと思っても、端から知らなかった噺なもので、判ったものではない。せっかくのおもしろい噺なのに、そういった意味で、中途半端な印象を持ってしまいました。


2022年 2月 14日(月)午後 11時 12分

 週明けの月曜日、映画にでも行こうかという気もないわけではなかったのだけど、昨日も行ったしというこことで、あっさりと却下。となると、気分的には、ゆっくり、ゆったりとしていたいということ。お出かけは、日に2回のウォーキングだけというのは、定番。も一つの定番は、こういった日にと、オペラ配信だけど、今日は、手持ちのDVDで、オペラ鑑賞。断捨離をしたときに隠れていたのを見つけたDVDを観ようじゃないかとなった次第。また、それが、超レアもの。恐らく、DVD化は初でしょう、そう思いながら買っておきながら、おいてけぼりにしておいたのが、陽の目をみたということです。ものは、コルンゴルトのオペラ「ヴィオランタ」(ピエール・ルイージ・ピッツィ演出)。何か情報がないか、ネットで調べてみると、このオペラ初演の指揮を執ったのは、ブルーノ・ワルターだとか。1916年の初演で振っているそうです。奇しくも、コルンゴルトも、ブルーノ・ワルターもユダヤ人ということで、後年、ともにアメリカに移るという共通性があります。このDVDは、ピンカス・スタインバークの指揮。この人も、アメリカのピッツバーグ響の常任を長く務めたということで、ひょっとしてと調べると、この人もユダヤ人だった。DVDに収録されているプロダクションは、トリノ歌劇場ものだけど、プロデュース時に、その辺りを狙ったいるなの印象を持ってしまいました。が、オペラ自体の舞台はヴェネツィア。謝肉祭を背景に、かなり濃密な女性の心象風景を描いた作品と言えばいいでしょうか。しかも、ピンカス・スタインバークの指示が行き届いているのか、かなり濃~い歌唱が、どろどろの心の奥底を垣間見せるものとなっています。タイトルロールを歌うアンネマリー・クレーマー、妹の死に関わるため拘りを見せながらも、その男に惹かれてしまう人妻の濃密なキャラを見事に表現しています。その妹の仇ともなり熱に浮かされる男アルフォンソを歌うノーマン・ラインハルトも、高音続きの難役をこなし、更に、一断の優れものが、ヴィオランタの夫役のミヒャエル・クプファー・ラデツキーの歌唱。主役3人の力量は半端ではないですね。いいDVDです。1時間半ほどの作品なもので、1回で完走。途中で、居眠りも入りながらの鑑賞とはなったけれど、珍しいものの値打ちは解ったつもりになっています。
 隙間狙いの落語は2本。①桂米朝「田楽喰い」(1977/4/21 大阪厚生年金会館)②桂吉朝「厄払い」でした。①は、原型は、どういったものだったかを知るためのチョイス。「ん廻し」のところで、どないな言い回しが使われてたんだろうかとの興味で聴いてみると、これが、なかなか難解。今では判りそうなものは、なかなかない。どんどんと改変は進んでいっていると思うけど、黄紺の知る古い型と言えども、この音源を聴くとそうでないのが判る。いっそのこと、ここで収録されている口演のテキストをそのままで使おうという噺家さん、現れないだろうかと、天邪鬼的な考えも出てきてしまいました。このネタ、雰囲気を押していくことができるかなと思えるので、そういった難解なものを、わざと入れる手もありかなと思ってしまいました。②は、季節ものとして聴こうじゃないかと、題名で検索をかけて、見つけたもの。吉朝の口演を聴いていると、もう、吉朝の口演ですら、旧態による口演と見ざるをえないほど、言葉って変わって行っている。そういった貴重な証拠ともなるんじゃないかな。最後に来て、びっくりがありました。下げを省略したのです。その心は奈辺にあるのだろうか。アホの行動に対して、いい締めになると思うので、下げのカットは、自分的には、かなり信じられないものでした。


2022年 2月 14日(月)午前 7時 14分

 昨日は日曜日、オリンピックは続いているけど、「日曜美術館」の邪魔はしないようで、日曜の朝の楽しみは確保。昨日は、先週の続編で「オルセー美術館 II月の肌触り」というお題が付いていた。先週の、太陽、昼間から、月、夜がテーマになり、それに関する作品の紹介がありました。それらの幾つかは知っているものはあることはあるのですが、解説を聴きながら聴いていると、いずれもが魅力的に見えてきました。それらの作品についてのメモを残しておきます。①エドゥアール・マネ/オランピア(夜の女、源氏名がオランピア 娼婦を描くことが批判され、容姿も批判、のっぺりとした描き方、化粧が崩れているとの批判、胸、首に筆跡が残る、前回よりテーマになっていた「現実」の女を描いた、③との対比が著しい、若い画家に刺激を与えた作品)②フランソワ・ポンポン/フクロウ(今回の狂言回し役その1、ポンポンは、去年、京都市美術館で特別展やってたのに行かなかった、こうやって解説を付けられると後悔!)③アレクサンドル・カバネル/ヴィーナスの誕生(発表された当時もてはやされたのは、こういった作品、①との対比が著しい、ヴィーナスは神だから裸でも批判されない、ヌードの王道が描かれる、マネと対照的で、実は、こちらの方が官能的)④ファン・ゴッホ/自画像⑤ファン・ゴッホ/星降る夜(夜の変化、それは、ガス灯の普及で明るくなり、散歩もできるようになった、そこで、夜を描く作品が出てくる、これはアルルの夜景、ガス灯の明かりが光の帯、それを水面に描いている、川辺にはカップル、平面で収まりきらない筆跡)⑥エドガー・ドガ/ダンス教室(オペラ座に通い詰めたドガの代表作、ありのままの稽古風景、背中を搔いたりイアリングを気にする気の緩んだ女もいる)⑦ジャン・バティスト・カルポー/ダンス(100年間、オペラ座の正面を飾っていた石の彫刻、神話がテーマと言われているが市井の男女の雰囲気)⑧ジョルジュ・スーラ/サーカス(馬の上の立つ女、光が全面に放っているような雰囲気、小さな点で描かれているため、そのように見える、オレンジ、赤、黄色といった色を混ぜないで点で描くと色のあざやかさを強調できる)⑨エドガー・ドガ/アプサント(地味なテーブルの一角に腰かける男女、疲れた女、不機嫌な男、おしゃれをしてきたイアリングだけが光っている、女の前にはアプサント、それは後に販売が禁止される安ものの酒)⑩フランソワ・ポンポン/白熊(③の近くにあり、次の⑪ともども狂言回しの役割その2)⑪アリスティード・マイヨール/地中海(白い女の彫刻、狂言回しその3)⑫エドゥアール・ヴュイヤール/ベッドにて(優しい線、穏やかな夜)⑬ホイッスラー/灰色と黒のアレンジメント - 画家の母の肖像(画家の母一人が椅子に腰かけている、モノト-ンの一角に色が入る)⑭ギュスターヴ・モロー/ガラティア(裸の女神が木?に寄っかかっている、神話、空想の世界に拘る、足元に海の生物)⑮アンリ・ルソー/蛇使いの女(月が左上にくっきり出ている、右に熱帯の植物、真ん中に立つ女は漆黒の体、目だけが光る、木から地面から蛇、奇妙な鳥もやってきた、葉っぱを1枚ごとに丁寧に描いている、ルソーはパリ植物園に通いスケッチをして、この作品の素材にした)⑯セザンヌ/リンゴとオレンジ(まん丸過ぎるリンゴとオレンジ、テーブルクロスが白だけじゃない、視点が複数、観たものを単純化、あちこちの角度から観たものを1つのキャンパスに描く、ピカソ曰く「セザンヌは我々を守ってくれています」、正にモダンアートの夜明け)。前回からのコンセプト、19世紀後半以後の市民のありふれた生活を描くが追いかけられ、それと対比して、それまで高評価を得ていた描き方に則った作品の紹介もあり~ので始まり、作品は、どんどんと拡散していく雰囲気、それほど、当時の生活の変化は大きかったのでしょう。同時に、通過していく時代だなという印象も持ってしまいます。ま、その後を知っているから言えることかもしれないけど、独占化の進む資本主義下でもがく人々を描き切れないことを自覚したときに、新たな表現を生むことになっていくのでしょうか。セザンヌが、その繋ぎになる作家なんですね。これ、最大の収穫かもしれません。19世紀のフランス絵画を観ていて、どうしてもついていけてなかったというか、自分で勝手判断的な理解すら生まれなかった作家が、クールベとセザンヌだったんだよね。そして、ピカソの言葉で、びっくり。先日、滋賀県立美術館で観た小倉遊亀作品の解説の中に、「1枚のキャンバスに複数の視点を持ち込む描き方は、小倉遊亀はピカソの作品から学んだ」とあったのですが、更に遡れたことを知ることができ、ようやく、セザンヌが、黄紺の頭の中に根付くことになるような気がしてきました。丁度、学んだところだったので、このトピックは、正にツボにはまっちゃいました。「繋がった」と言葉を漏らしてしまってました。ええわぁ、日曜美術館、また、新しいことを、いっぱい学べました。
 午後は、京都みなみ会館に映画を観に行ってきた。今、こちらで、「エクストリーム!アフリカン・ムービーフェスティバル」と題して、ウガンダ映画3本が上映されているのを見つけ、早速行ってきました。昨日は、その内の1本で、「誰がキャプテン・アレックスを殺したか」を観ることができました。元々は、一地域で作り、上映するということで作られた作品のようで、映像も粗いもの。それが、安っぽさを出してくれている、そこへ、全編、DJが入るというもの。映画には台詞があるのだけど、それに被せるようにDJを入れるという趣向に、びっくり。確かに、映画で、何をしているのか、よく判らないのだ。それを補うこともあり、且つ、観る者を煽るという役割も持ち、解説までやっちゃう、だから、活弁とは違い、正にDJなのだ。それがあっても、筋立てが判らない。画面では、同じようなことが繰り返されているとしか思えない黄紺、迂闊にも居眠り。これだけ騒がしい映画なのに、居眠り。余計に判らなくなった。判らなくても、映画の、独特の雰囲気に触れられただけでも、良しとしましょう。CGを多用、爆破場面、銃撃された人からは血しぶきが上がる、全て、CGを使う。だから、小型カメラと、それを編集するPCさえあれば、映画を作れる。YouTuberの乗りと同じなのかもしれません。低予算で、好事家というか、仲間を集め、役者やら、スタッフやらに振り分ければ、映画はできる。そういった感じだと、これからも、いろんな世界の映画を観ることができるかもしれません。でも、ウガンダの乗りには、なかなかついていけてない自分を知ることになったので、あとの2本は観ないだろうな。
 夜、就寝前に時間があったので、落語を2本、YouTubeで聴いた。3本目は選んだことは選んだんだけど、端から寝てしまってたので、メモにも残さないことにします。2本というのは、①桂米朝「寄合酒」②瀧川鯉昇「武助馬」。①は、普段出ないところが残っているのかという気で聴いてみたくなったけど、なかった。でも、今更ながら、こういった軽い噺の米朝の口演って、いい。軽い噺には、普段よりスピーディーに喋るのが、米朝の特徴だと思っているのだけど、そこには、計算された、間の緩急があるのに気づく。名人芸とはこのことですな。米朝の軽い噺の最高傑作「阿弥陀池」を、また、聴いてみたくなっちゃいました。②は、やっぱ、鯉昇ものだからのチョイス。この人のマイペースで進めるマクラは、黄紺のツボになっています。客の反応とは無関係に進める、我が道を行く的なマクラがツボです。このネタ、とっても馬鹿げた噺、それを、生真面目に、マイペースで進める口演って、やっぱ、鯉昇らしさが出ている。「蛙茶番」と言い、こういったお下品なネタがあるのも、お江戸の噺なんだよね。いいもの、2本も、寝る前に聴けました。


2022年 2月 13日(日)午前 6時 40分

 どうも、踵の具合が、よくありません。以前ほどではないけど、歩いていると、痛みが出てくる。それで、昨日は、ルーティンにしているウォーキング2回ともを、踵を上げて歩くという、かつて11ヶ月間続けたことをやってみた。昼前のウォーキング時は、さほど負担を感じなかったので、以前のことがあるので、それようの筋肉が付いているのかなと、勝手判断。だけど、2回目の夕方のウォーキング時は、きつかった。アホなことに、最近、歩いてないからと、一番坂の多いコースを歩いたものだから、足への負担が大きい。この坂の多いコース、多いだけではなく、かなり勾配があるものだから、やはり下りがきつい。そんなで、かなり顎を出してしまったウォーキング。左の踵が痛むものだから、その脹脛やら、足の甲だのの筋肉に負担が来てるのでしょうね。そう言えば、以前も、慣れるのに、何日かかかったのを思い出した。11ヶ月続けたということは、その状態で外国行ってるんですから、根性、あります。この踵が痛むときの、一番の不安は、もう1つの踵に負担が来ないかということ。人間の身体って、うまくできていて、バランスが取れているのを、普段は感じないけど、左踵をかばうと、どうしても、右踵にしわ寄せが来ているのが解るものだから、これが、最大の不安。前のときは、大事に至らなかったけれど、右もダメとなると、歩けなくなる、続けていたウォーキングを止めると、運動不足が待ち構え、その先は推して知るべしだから、不安が付きまとってしまう。前のときよりは、今のところ、穏やかな痛みなのが助かっています。この先、どうなるかは分からんけどね。
 で、昨日は、昼間にオンライン配信の予約があった日。午後2時~3時半という時間帯、ホント、ありがたい。いつもの午後の一時に、すぽっとハメればいいだけなので、生活のリズムが崩れようがないのが、嬉しいのです。その配信は、帝塚山大学考古学研究所主催の第469回市民大学講座。コロナ禍のおかげで、オンライン配信が続いています。3ヶ月ごとに、開催形式を考えられているようで、この3ヶ月はオンラインでのみ開催とされています。昨日は、「陶邑と渡来人」と題して、元奈良大学教授の植野浩三さんのお話を聴くことができました。渡来人絡みのテーマを据えられると、黄紺的ツボなんで、楽しみにしていた配信でした。ところがいきなり、「へぇ~」が出ちゃいました。「陶邑」って「すえむら」って読むこと、知らなかった。「陶」 は、この字で「陶器」を含めた「焼き物」を表しているようで、「須恵器」を、この場合は意味していることからの読み方のようです。古代史に全く疎い黄紺は、「須恵器」って、とっても素朴な土器のことだと思ってましたが、とんでもないことで、そういった素朴な土器から、大陸や朝鮮の先進的な作陶の技法が伝わることで生まれた焼き物を意味するそうです。赤っぽい、それこそ初期の土器とは、はっきりと一線を画すもの。須恵器は、ロクロを駆使している、いや、須恵器になって、ロクロは初めて使われるようになった。「たたき技法」と言って、成形をするとき、外側から箆(へら)を当てる。それにより、様々な文様が生まれる。更に、手書きの複雑な文様が残っているそうです。高温で焼いて、そのあと、窯を閉じて空気を断つと、還元が起こり、灰色になるという技術を使っていた。堅くなり、強固なものとなるようです。初期の赤っぽい土器とは大きな技術的違いがある、とっても高度な技法のようです。それができるためには、高温にできる窯が要るということで、この須恵器の時代の窯を、窖窯(あながま)と言い、斜面に横穴を掘り窯とするもので、形状は、いわゆる登り窯と似ているが、規模が違い、且つ、房に分かれていない。確かに、登り窯は、斜面に房を連ねている姿を見ることができますね。斜め上がりの形状は似ていても、それとは違うと言われていました。須恵器以前の古い窯と比較するために、神戸市出合遺跡にある窯跡を紹介されていましたが、この窯は、ほぼ傾斜がなく、規模も小さく、出来上がった土器も、須恵器のように堅くないそうです。須恵器を作っていた窯跡遺跡が陶邑古窯跡群。百舌鳥古墳群の南部にある泉北丘陵の一角を占める遺跡。その丘陵の斜面に多くの窯跡が残り、須恵器が多く出土しているようです。この辺りの粘土は大阪層群と呼ばれる地層に属し、焼いたときにボロボロにならない粘土、焼き物に適したものだそうで、それを見極める目を、当時の人たちは持っていたということになります。そこで、次に、そういった窯跡から出土した須恵器の形状比較、それは、時系列的にも分類できるようで、その具体的なお話が、大庭寺遺跡と小阪遺跡の2箇所の出土品を比較しながらなされたのだけど、昨日は、ここで、薄っすらと居眠り。形状の細かなお話が、睡魔を呼び起こした模様。でも、比較の結論のところでは覚醒していたので、お話の流れは押さえられています。一方で、須恵器の技法は、渡来人のもたらしたものなものですから、渡来人の動向とも、お話はリンクしていました。その結論めいたことは、まず形状から押さえると、文様や形状に多様性があるのが、第1段階の早い時期のもの。これは、須恵器を伝えた渡来人が、故郷での焼き物生産を、そのまま持ち込んだ来たということ。ところが、第2段階と区分される時期になると、その形状、文様に取捨選択が看られ、特定の文様、形状に特化していくのです。同じようなものが大量に出土するとなれば、需要の多さに対し応えるかのように、手の込んだものは減っていく。面倒な技法は省かれるということです。それは、この作陶に関わる渡来人度の減、倭人の増を意味している。倭人の拙い技術でも大量の需要に応えられるように、文様、形状の作りやすいものに絞っていったのではないかということでした。経済的要素が深く関わったということですね。また、そうさせているものが想像できるとして、この須恵器生産に関しては、当時の政権が関与したことを示唆しているのではと言われていました。須恵器という焼き物の技術のほか、渡来系の文化は、数多くあるわけですが、そういった先進的文化を獲得していく進取の考え方については、政治や外交、文化といった面で、東アジアの一角の倭国としての地位の確立を考えてのものだったのだろうということでした。この考え方、巨大古墳の造営の講演を聴いたときも言われていたこと。飛鳥の宮殿についての講演を聴いたときにも出てきた。古代国家が成立し、近隣諸国と肩を並べようとする心性が見えてきます。この講演でも、この押さえが出てきたということは、現代の古代国家読み取りのキーがそこにあることが伺えたように思えました。この帝塚山大学の講演、毎回、興味をそそられるのだけど、日程が、なかなか合わなくて困っています。そういった中で出会えた講演、また1つ、いいお話を聴けました。


2022年 2月 11日(金)午後 8時 7分

 世間では、今日から3連休。その恩恵を受けて、今日は、黄紺のそそられるイベントがあった。偶然、京都市絡みのイベント申込みサイトで見つけ、無事、当選ということで行ってまいりました。行き先は上京区総合庁舎、イベント名は「上京文化絵巻第8巻」。上京区内在住の文化人を講師に迎えて、そのお話を聴けるというもの。以前、1度、行ったことがあり、この庁舎のすぐ近くに住んでられる冷泉さんと、かつては、そのお隣に居を構えられていた山科さんという、かつての貴族のお二人の、各々のお家の歴史を聴かせてもらったことがあった。さすが、上京区と思ったけれど、そういった土地柄か、文化人も多くお住まいなんでしょう、でないと、こういった趣旨のイベント自体が成り立たないはずですもんね。で、今日は、能楽シテ方金剛流職分家の種田家の四代目当主種田道一さんを迎えてのもの、お題は「能を楽しむ」という、ど直球。直球過ぎるお題と、そして、種田さんは、演能には、幾度か、お若い頃から接しており、かなりの腕者であるのは承知しているんだけど、こういった講師を務められているということは、黄紺の情報網には引っかかってきてなかったもので、そういった意味でも、申し込むときに、若干、躊躇したことは事実。でも、申し込んだからと言って参加できるわけではないイベントなので、申し込んでおいたら当選の通知。これは、一つの出会いかもの気持ちで行ってまいりました。結論は〇です、お花を添えたいくらいです。ただ、冒頭、「今日は建国記念日」「神武天皇から2600何年」に、ちょっと、絶句。そないなスタンスでお話されるのかと、がっくりと来ると、いきなり眠くなってしまった。どうやら、それは掴みだったのが、覚醒してからのお話の雰囲気で判ってきました。お話の組み立ては正攻法、能は5組に分類されるのは、ちょっとした能に関心ある人は知っていること。その順でお話をされました。まことに正攻法。しかも、その5組に、各々、仕舞を添えられたのです。これは、凄い、実直すぎます。一気に、そのお人柄が知れるというものです。となると、冒頭は、脇能ですから神さんの出てくる能ですから、その掴みに使われたのです。天照大神を引き出し、天鈿女命の逸話を出し、能の話に繋げようとされたようでした、ようでしたというのは、それを確認する前に寝てしまってたから、です。そんなで始まったお話、取り上げられた仕舞&舞は、次のようなものでした。①神舞「高砂」②仕舞「八島(屋島)」③仕舞「羽衣」④仕舞「桜川/網ノ段」⑤神楽⑥仕舞「土蜘蛛」。①~③が、その数字のままでグルーピングされていますが、④と⑤が4番目物、⑥が5番目物となります。4番目物は、いわゆる「雑物」ですから、物狂いものの「桜川」と神楽の2つを取り上げていただいたものと想像します。これを取っても、実直な方ですね。実際には、①と②で居眠り。覚醒したのは、どうやら修羅物と思える仕舞が始まっているという辺り。「八島」というのは、謡の詞章を聴いての、黄紺の判断です。ま、間違うほど、能に疎くはありません。①と⑤は、録音されたお囃子を流しながらの舞でした。あとの仕舞は、ご自身が舞いながら謡われていました。そのため、息が上がってくるのは致し方ありません。お若い頃から、とってもいい声の持ち主の種田さんですが、さすが、お声が擦れがちになるのは責めるわけにはいきません。ですから、①②で、お話をされた内容は把握できてないのですが、「八島」の仕舞が終わってからのお話は判っているので、そこで、結構、興味のあるお話を、しかも重要なお話を、軽いタッチで話されるものですから、とっても好感を持ってしまった黄紺だったのです。それらを、メモっておきます。「源氏は武の人たち、平家は文の人たちだから、おもしろい」(確かに、忠度の和歌、敦盛の笛と、すぐに頭を過る)「(雪の小面の写しを見せながら)横から見ると、小面は髪が3つに分かれている、ノミの跡で作家が特定できる、面と顔の間にものを挟み、面の受けを調節する、上を向いていたり下を向いていると表情が変わるから、能のすり足は、調節した面の受けを安定させるためのもの、面が舞台上を平行移動するようにする」「色(赤、紅、緋)ありなしで、女性の年齢を表す(これは有名な話)、装束から扇子から全てで揃える、この色ありは、既婚でありかどうかは関係ない(確かに「井筒」の女は既婚者でも色ありだ)」「羽衣のような天から降りてくる話は、世界にあるようで、外国で共感を生む、でも、どこにも、天からおじさんが下りてくる話はない(これは、笑った! 考えたこともなかったことを突っ込む種田さんの感性、気に入ってしまった)」「桜川は世阿弥の傑作、若い人なら恋人を探し、若くない人なら、子どもを探し、狂う、それが物狂いの能、結婚した男を探す能はない(これも、笑った! 羽衣と同じ突っ込みが入るのが心地よい!)、物狂いの場面の詞章に雪月花を入れる、網ノ段では扇を網と見立てている」、そして、「土蜘蛛」では、まさかの蜘蛛の糸サービスまでありました、もう、最高の贅沢!
 Dと息子と一緒に稲荷山に登った後遺症が出てきています。踵が痛むのです。ウォーキングをしていると後半に出てきます。だから、踵を上げて歩いているときがあります。もう経験済みなんで、踵を上げて歩いても、さほど負担感はないけど、踵なんてもの、下ろして歩くのが楽なのに決まってます。だから、毎度、痛みを感じ出すと、気分もボズック気味になっちゃいます。今日は、講演会が終わり、40分余の距離の駅まで歩いて、ウォーキング替わりにしてたときに出てきた。帰りには、自宅最寄り駅の1つ手前で降り、マートにも寄ってから帰るつもりをしてたんだけど、その時点で諦めました。大事を取ったってことです。そんなで、ちょっと困っています。ウォーキングは普段通りやりたし、でも、いつもの時間をかけると、後半がダメなんだよね。


2022年 2月 11日(金)午前 6時 37分

 昨日は、当初、お出かけなしとなっていた日。ところが、2、3日前から気になることができてしまい、急遽、四条の銀行に行こうという気になった。ならば、銀行関連のアイテムが要るので、心覚えのところを探すのだかが、肝心のものが見つからない。銀行絡みのものはそこと、頭にインプットされてあるものだから、いざ、ないとなると、かなり混乱。バクバクするほど。大切にしておくと、却って、墓穴を掘ることがあるが、正に、それ。断捨離をしたという頭があるものだから、間違って、捨ててないかということが、最大の不安要因。それとも、そのとき荷造りをして処分してないものの中にあると、これは事だとの認識はあったが、凹んでいても仕方ないので、まずは、断捨離をしたときに梱包して、そのままにしてるもの、即ち、捨てないで残したものは、梱包にしたままにして、必要なものは、そこから取り出し、また、そこにしまう、すると、自分が亡くなったとき、そのまま処分してもらえるからという具合にしてあるのだけど、その中に入れているのではと探したが、ない。そのとき、こないな考えが閃いた。梱包にした理由のもう1つ、断捨離直後、部屋の改造をしたため、その梱包状態のまま、業者に保管に出したではないか、そないなところに銀行ものを入れておくわけはないという、とっても単純なこと。それで、一層、気が滅入ったけれど、ん? 部屋の改造? これで、ようやく思い出せた。改造してもらう部屋に保管場所を置いておくことに、道義的責任を感じて、もう1箇所、新たな保管場所を作ったじゃないか、この新たにしたこと、これがいけないんですな。以前に決めていた保管場所は覚えていても、そして、そこを、最初に探していたときに気づいていたことなんだけど、一部が、新たな保管場所に移ってなかったから、余計に混乱してしまった。で、ようやく見つけました。この間のハラハラは、半端じゃなかった。で、1箇所に固めた。新たな保管場所に、その場所、息子に言っておかなくっちゃなりません。亡くなったとき用にも必要だけど、また、この場所を忘れたとき用に。今回のことがあるので、また、忘れてしまいそうだから。
 それで、昨日の午後は、四条まで出かけ、銀行へ。気になっていることを調べてもらい、ついでに、ちょっとした生活資金を引き出してきた。ホント、久しぶりの四条。と言っても地上を歩いたのは、ごく僅か。地下の方が、人が少ないから。今更ながら、四条通に地下街を作らなかったアホな、保守的な京都の商売人に感謝。コロナ禍で、密のない空間が100万都市のど真ん中にあるのですから。この銀行への往復が、いつもの1回目のウォーキング替わり。家に戻って、ちょっとした休憩を挟んで、夕方のウォーキングもばっちりで、ルーティンにしているウォーキングは、結果として、いつも通りとなりました。こう考えると、ウォーキング・マニアになってしまってること、よく判る。いつも書くように、身体が動いているという実感が、たまらないのです。
 隙間狙いの落語は2本。①三遊亭金馬(三代目)「仙台高尾」②古今亭志ん朝「反魂香」、「高尾」繋がりでの2本です。①は、全く知らなかった噺。地噺です。仙台の殿さんが、高尾を見初めて囲い者に、でも、高尾は「夫のある身」として、これを拒む。その「夫」が島田十三郎、おっ! 出た、上方のというか、春団治の「高尾」に出てくる「島田じゅうざ様」ではないか! 後半、謡が入る、それが、めっちゃくちゃに上手い。プロの能楽師以上だよ、金馬の謡、ホントに上手い。ただ、下げが勿体ないほど、くだらないのが惜しいな。そこで、東京の「反魂香」は、上方の「高尾」だろうと狙いを付けたら、ドンピシャ。陰陽のマクラを振って、そのマクラが続きそうなところで、一気にネタへ、その切り替えしが見事も見事も、これだけ聴けただけで、この音源見つけた価値ありです。しかも、これ、鳴り物入り、志ん朝の口演で鳴り物入りがあるのは知らなかった。芝居掛かりになるわけだが、そこんとこも、決まるなぁ、これは、聴きもの、です。となると、この2本、めっちゃグレードが高かった。それを、あたふたとした、ホントのホントの隙間狙いで聴いちゃ、いかんね。


2022年 2月 10日(木)午前 7時 13分

 昨日は、2ヶ所を梯子するという、お出かけ日。まず、午前中は、アスニー山科での講演会、そして、山科まで行く日まで残しておいた滋賀県立美術館が午後というコンビネーション。アスニー山科での講演会は、毎度、お馴染みのものだけど、新年になってからは、その内容からして避けたため、2月に入ってからが、今年の1発目となりました。「特別講演会」と銘打たれたイベント、昨日のお題は「発見された平安宮殿舎~『源氏物語』『枕草子』に見える登華殿・弘徽殿~」というもの、お話は、すっかりファンになっている京都先端科学大学人文学部教授の山本淳子さん。とにかく、解りやすく丁寧なお話に、とっても好感を持っています。そして、源氏物語の専門家ということで、平安時代の王朝内部の様相を伝えていただけるのが、とっても、黄紺のツボになってしまっています。冒頭、最新情報として、考古学の成果を紹介されました。新聞というものを読まない身の上ゆえ、最新情報と言われても、ピンとこない、そんなだから、落語を聴いても、タイムリーな挿し込みを理解できないんだけど、登華殿・弘徽殿の一部が発掘されたというものが、真新しい情報でした。この2ヶ所は、正に、天皇の私的空間清涼殿に連なる後宮の一角、王朝文学にも登場するということで、文学と考古学上の発掘とを照合するという、とってもそそられることが、お話の骨子となっていました。その中で取り上げられたトピックをメモっておくことにします。「清少納言は、登華殿からの景色を認めている、三交代制で勤務をしている貴族たちが、傍ら(発掘された箇所に相当)を行き来する光景など」「考古学的調査では、登華殿に沿って築地塀があったとなっているが、そうなると、登華殿から貴族の往来する光景は見えなくなってしまう、文学との齟齬が出てくるというので、築地塀の下部の地層調査の結果を照合すると、築地塀は、清少納言の生きた時代、紫式部の生きた時代からは、約100年後に造られた可能性が高くなり、無事、清少納言の記述が生きてくるようになった」「弘徽殿から登華殿に居並んで、藤原道長を迎える公卿の姿を、清少納言は記述しているが、その場所が、正に発掘された箇所に相当、清少納言は、定子に仕え、道長と敵対する道隆側の人物ということを考えると、登華殿から道長の動向を観察していた中で、こういった光景に遭遇したと思われる」「源氏物語で、酒に酔った光源氏が彷徨しながら、登華殿の一部が開いていて朧月夜との邂逅が生まれるのも、この発掘された箇所でのこと」「名を教えてと言われた朧月夜が読んだ歌に入った“草の原”という語句が、その後、歌合せで知らない者がいたことを、藤原俊成が咎めたことから、源氏物語が、その後の貴族の必須アイテムなっていくきっかけをつくることになる」。おもしろかったですね。平安朝の内裏で起こったこと、物語で紡がれたエピソードの舞台が、考古学的成果と繋がると、その生々しさは半端ではないことを教えていただけたと思えました。お話も上手いし、何よりも、わくわくしながら内裏での出来事に思いを巡らせられている姿勢が伝わってくるお話なものだから、聴く者の関心を掻き立てます。いいお話でした。
 山科からは瀬田へ移動。滋賀県立美術館に行ってまいりました。昨年の6月に再オープンしてから、3回目の訪問です。毎回、瀬田駅から徒歩で往復、片道40分弱は、ウォーキング替わり。この期間は、前から続く常設展と、1月末に始まった新たな企画展が重なるという美味しい時期。これを機にと、年間パスポートを手に入れてしまいました。まず、前から続く常設展は2つ、「①昔の滋賀のくらし」「②野口謙蔵生誕120年展」、それに加わった新たな企画展が「③人間の才能 生みだすことと生きること」、これらが、3つある展示室に分かれて展示されてありました。①の傍らのコーナーには、この美術館建設のきっかけになった「④小倉遊亀コーナー」も用意されています。黄紺は、④から始め、①②③の順で巡回。④は、毎回、異なった作品を観れるようになっているので、かなり目が慣れてきたところへ、小学生用に、ラインの画面に似せた解説掲示が用意されてあったため、丁度、黄紺にとっては、そういた記述の方が判りやすいものだから、すっかり、その解説を読んでいると、早々と、腰の痛みを気にしなくてはならなくなってしまったほど、ためになりました。小倉遊亀という人、とんでもないテクニシャンなんですね。日本画家でありながら、西洋の絵画技法を応用している。昔、日本画を嗜む知人に、その両者の違いを教えてもらったときに、真っ先に、その知人が言ったのは、日本画は輪郭を取るということ、これをしないで描くという手を、小倉遊亀は採ってみたり、影を付けてみたり、絵の具の濃淡でグラデーションを入れてみたり、敢えてアングルを変えて、同時に2つのアングルを使い、1つの物を描いてみたり(ピカソからのヒントだそうです)、背景を描かないで、絵の具のグラデーションで、どのような場所かを気づかせる描き方をしたりと、その解説を読んでいると、おもしろくておもしろくて、Dを連れて行って見せてやりたくなりました。でも、まだ、早いかな? こういった試みを続けていただけるようだと、2~3年のちには、ホント、連れて行くぞの気になってしまってました。①も、企画としておもしろいもの。絵画を通して、昔の生活を知ろうというもの。しかも、滋賀県の昔を描いたものを中心にという試み。①でも、④と同様、小学生用の解説が添えられているうえ、昔の物を吹き出しを使って解説するという丁寧さ、美術作品のこういった展示、新しい試みで、気に入ってしまいました。①の広報にも使われていた沢宏靭「牟始風呂」が、やはり目立ちました。大きな桶に人が入り、サウナを味わう、そないなものがあったとは、これは知らなかった。②では本物が展示されている「梅干」も、昔の生活を知るために展示されていました。着ている着物の違い、傍らにある道具の解説付きです。その他、道具で取り上げられていたのは、「唐箕(とうみ)」は、籾殻を飛ばす道具(牟田雉村の「滋賀の里」)、「稲架木(はさき)」や「稲架杭(はさく)」という稲を干す道具、後者は、田んぼに杭が並んでいました。これは知らない、珍しい光景を観ることができた。美術館のある地域を田上というそうですが、その地域で使われた手拭い、三巾前垂なども解説が入っていました。②は、全く知らなかった作家さん、新しい人を知れるチャンスは、何も「日曜美術館」だけではありません。生で観れるという有難い機会と期待していたコーナー。既に、②で「梅干」の素朴な素材でありながら、何やら強烈な色使いが気になっていました。黄色っぽい色が、えらく目に残ります。「村の子供」も、中央に立つ男の肌に、同系色が使われています。そういった色のおもしろさ、素朴な素材が特徴なのかなと思っていると、この展示で、最も気になった作品、帝展で特選になり、国の買い上げになったため、今回は、東京の国立近代美術館から出張してきていた「霜の朝」が、無彩色系で彩られている。デフォルメ気味に描かれている霜の白さが目に残る。それだけではなく、この作品、畔を歩く人の左へ向かう方角が、えらく強調されているように見える。静かな朝の田園風景に動きを入れているように見えることで、風や陽が感じられる、その田園の空気を感じさせる作品になっているのに、驚かされました。その隣にあった「水村雪後」は、逆に静の作品なものだから、やたら、「霜の朝」の空気感が目立ってしまいました。時系列的に言うと、その後の作品となる「白梅」「草千里」「朝」となると、具象から抽象へとの変化を見せているもの、よう解らんかったというのが、正直なところ。そこら辺りで、ぶちっと切れたように展示は終わります。若干43歳での死だったようです。
 ③は、この美術館の館長に、リニューアルオープンを機に就任した、注目の人保坂健二朗さんの企画によるもの。東京国立近代美術館時代、キュレーターとして、アール・ブリュット展を企画されて評判となった人だけに、とっても期待大なるものでした。とにかく、驚きの連続でした。その中でも印象に残ったものをピックアップしておきます。小久保憲満は、大画面に細かく街の姿を描き綴ったもの、その拘りと、持続性に圧倒される。澤田真一の焼き物が、黄紺的には、一のお気に入り。とげとげが、ハリネズミのように出ている焼き物、ものは顔の形になっているものもあり、得体の知れない生物体であったり、生物かどうかもわからない物体でも、どれもこれも、とげとげが付いている。これ、プリミティヴアートと一緒に並べて置いたら、絶対に、アール・ブリュットだとは判らない。藤岡祐機の作品も度肝を抜く。小さな紙切れにハサミを入れ続け、櫛状のひらひらを作るというものだけど、そのひらひら1本は、髪の毛より細いように見える、不思議な形状を生み出していました。井村ももか作品は、お手玉状の袋に、ひたすらボタンを縫い付けたもの。これ、可愛いんだなぁ。そんなのが固めて展示されてあるから、一層、可愛い。冨山健二作品は、線を組み合わせたもの。その線を、何やら自分の中ではルールがあるのか、組み合わせていく。交差するところにもルールがあるのか、不思議の模様が生まれる、フェードアウトして眺めると、何とも言えないおもしろい形が出来上がっている。鵜飼結一朗作品は、恐竜やら何やらを、びっしりと描き詰めてある、その賑わいというか、ぎっしりと詰まった空間に目を見張る、これも凄い。ドットを描き続ける喜舍場盛也作品、PCを駆使して、映画のポスターもどきやチラシもどきのデザインを描き続ける上土橋勇樹作品、アールブリュットと分類される作品とともに、アールブリュットか、そうでないかという二項対立を曖昧化する作品も展示されているのもおもしろい。障がい者が絵画教室などで「描き方」的なものを学んだ作品という類の物が、それに相当する。小笹逸男「集う猫」、澤井玲衣子「パリのチェリー」といった作品。それらの最後に、中原浩大「Educational」という作品が展示されていた。この作家さんは、アールブリュットの範疇に入る人ではない、正規の美術教育を受けられている方。ただ、この人の幼少期から描き続けた作品、日記の類が、全て親御さんが保管をしていて、それらを、一堂に並べたもの。そういった展示だと判ってきたとき、とっても多くの子どもの手になる作品を眺めながら、「どういった順に並んでいるのか」「幼い、一番最初はどこか」、それを気にしながら歩いている自分に気づき、「あっ」と声を上げそうになりました。タイトルにある通り、人は、どのようにして「描く」という作業で、「社会化」されているか、それを「教育」という言葉で題にしているわけだけど、「それを考えろ」というメッセージを発信した作品だと気づかされたのです。インスタレーション作品です、気づくと、次に出た言葉は、「やられた!」でした。で、考えたのが、それを考えるには、もう腰がギヴアップ、映像資料や、映像作品も、全部、観れてないので、もう1度、行こうということ。年間パスポートがあるので、活用させていただきます。また、山科へ行く機会があると思うので、そのときに行くことを決め、昨日は、ここまでとしました。いやぁ~、おもろい、ホント!


2022年 2月 8日(火)午後 8時 3分

 今日明日とは、お出かけ予定の入っている日。今日は、午後の時間帯にお出かけだったため、午前中のウォーキングは、少し短め。第一、ウォーキングの取れる時間も、1時間15分くらいだったかな。途中、買い物もあったので、時計と睨めっこをしながらのウォーキングとなってしまった。どの辺から戻りに入れば、予定の時刻に戻れると考えるのだけど、大概は、その予定の時刻に際どいところで戻るのが定番。どうも、時間を余して、ゆっくりと出かけるということが、未だにできない。時間ってないという感覚、いつになったら、自分の中から消えるのでしょう。
 で、お出かけ先は京都学・歴彩館。年が明けて2回目じゃないかな? 以前ほどの頻度で、行ってない気がするだけではなく、今後も、頻度は高くない。イベントがないわけではないのだけど、こちらのスケジュールと合わない、イベント自体に関心がない、珍しいことに夜に開催とか、行かない要素が繋がるからだと思います。そういった中で、今日は行った。今日は、「令和3年度第7回資料に親しむ会」がありました。これは、歴彩館の館員さんが、同館所蔵の資料を、テーマを設けて紹介されるイベント。テーマはおもしろいのはおもしろいのだけど、研究者ではないため、資料の紹介+α的な掘り下げが浅いものが多いので、止めようかと思いつつも、今日もテーマに惹かれて行ってしまいました。今日のテーマは「映画館の上映ニュースに親しむ~戦前京都の洋画興行の紹介~」というもので、同館資料課の藤原直幸さんのお話でした。内容は、ちょっと看板に偽りありで、京都の洋画公開を旨とする映画館の歴史、それも、松竹系映画館に絞って紹介するというもの。映像資料があり、それも見せながらのお話かと、勝手に想像していたのは、自分の責任とせよ、ちょっと勝手が違った。そんなだから、途中で、また居眠りが出てしまい、1時間の予定の講演が、実質は、その3/4ほどの時間で終わってしまい、その半ばで居眠りだと、お話を、まともに聴けていない。よくあることとは言え、またしても、である。そういった中で、メモに残せることを書いていくことにしましょう。松竹という会社、最初は、「まつたけ」と読ませていた。なんとならば、「松」と「竹」の付く2人が始めた会社だから。ともに、「まつ」「たけ」と読む名だったからと、これ、知らなかった。京都の最初の洋画興行館は松竹座。でも、これ、映画館として建てられたのではなかったんじゃないかな? いくら、今日のテーマが洋画興行に限ったとはいえ、松竹座の沿革は語って欲しかった。その後に続いたのは、京極映画劇場(これ、後のSY京映って言われてたような記憶、そうならば、新京極を四条から上がったところ)、弥栄会館(祇園にあったのは記憶がある、後の祇園会館の前身?)、文化映画劇場(河原町蛸薬師上ル、あったようで、、、S35年まであったというから見ているはず)、松竹劇場(戦後は京都ピカデリー、松竹座の南)、階上映画館(三条河原町にあったアイススケート場の階上部、アイススケート場に記憶がないけど、その辺りで映画館と言えば、後に東宝公楽ができたところ?)、京都長久座(西陣、京都の映画館の発祥は西陣じゃなかったっけ? マキノなんとかさんが作ったんじゃなかったかな、知らんけど、でも、何か映画に縁のある街なんだけど、欠片も触れられなかった!)。確かに、松竹座の画像を見せてもらったのは嬉しかったけど、、、。オケピットがあるものって、黄紺的には初見だった。ちらっとだけ、前身のトピックが出たけれど、露骨に触れないようにしていたな、このお話をされた方。肝心の資料は、結局は、各映画館の出した案内やらパンフレット。パンフレットと言っても、B5版ほどの大きさのわら半紙に印刷したもの、それを見せてもらった程度だったのも、肩透かし、実際には、そないなものしか残ってないのが本当のところかもしれないけどね。お話の後半は、こういった映画館での上映の歴史(但し、戦前だけ)を追うというお話だったけれど、ここが、全て飛んでしまっています。レジュメを見ても、松竹の経営の変化とか、あまり好奇心が起こりそうな内容じゃない。1点だけ、詳細に話されたのかなぁ、この後半に入る前にも、大きなトピックだから出てきてましたが、松竹座の火事というのがそれで、ここは、しっかりと聴いておきたかったポイント。そういったことがあったということは、昔、聴いた記憶がある、母親からだったろうか、覚えてないけど、火事があったということは知ってた。S12年のことだそうです。その頃は、映画の専用館になってたはずなのに、再建された、黄紺もお世話になったことのある松竹座は、およそ映画館という雰囲気じゃなかった、完全に劇場仕様だったのは、なぜなんだろう? これは気になる。ということで、すごすごと帰ることになってしまいました。
 昼食をとりながら、1本だけ、短い落語を、YouTubeで聴いたことくらいが、書きとどめておくこと。しかも、半ばで、僅かだったけど、うとっと来ている。この短い噺でそれかよと、自分に突っ込んだのは、柳家一琴「夏どろ」(2013/6/15 柳家一琴がらくごカフェでお蔵になった噺をやる!)。上方の「打飼盗人」です。東京では、「置泥」とも。盗人に入られた家人は、死にたいを口にする男、盗人の方が、それでビビるという展開。最後は、「季節の替わり目に、また入ってくれねえか」という下げで、「夏」を意識したものになっていました。マクラでも、このネタは、一旦、覚えて、合いそうにないから止めたネタと言ってたけど、その辺で、そう思ったのか、また、それを、年を経て、手掛けようとした心は、触れていない。その辺、聴きたいものです。ネタ理解には、格好の美味しい話なのにと思ってしまいました。


2022年 2月 8日(火)午前 6時 23分

 昨日は、お出かけなしの月曜日。更に、オリンピック開会中ということで、NHKプラスには、全く期待の持てない日が続くという嫌な季節。自ずと、関心はトルコに向かう。いつもそうだけど、うまい具合に、トルコ・リーグが再開してくれた。コロナ情報収集だけだと、こう感染拡大が進むと、鬱陶しいこと限りがないので、サッカーで遊ぶ必要があるけど、フェネルバフチェは不甲斐ないし、ベシクタシュも、昨季の影も消え、ガラタサライに至っては、降格圏間近だから、さすがに華やかさに欠ける。こういったビッグクラブに、金がないんだろうな。他のクラブでも、うまい具合に選手を見つけてくると、簡単に肩を並べるどころか、上回るチーム作りができてしまうご時世になってしまっています。トラブゾン・スポルとコンヤ・スポルという上位2クラブが飛ばすから、どんどんと差が開いていく。それでも、試合がないよりはいい。
 そんな日だから、いつものように、お出かけは、ルーティンにしているウォーキングだけが外出時間。あとは、PCの前に座り、YouTubeを眺めている時間が多い一日。昨日は、落語絡みの動画ばかりを観ていた。午後の一時は、まず、一昨日の夜、ライブ配信のあったアーカイブものを、時間をかけて視聴。ものは、桂二葉もの。彼女のチャンネルで流されている「<一週間ふりかえり!>NHK新人落語大賞受賞記念ウィーク!」を、全編、視聴した。この1週間、楽屋の様子を中心に配信したものを、最終日の夜、それを、スキップしながら眺めつつ、弟弟子の二豆とともに喋るというもの。ただ、彼ら2人は、動画を観ながら喋ってるんだけど、その動画の音声が、よく聴き取れないものだから、1度、視聴している動画を思い出しながら、2人の突っ込みや補足めいた語りを聴かねばならないという、なかなか難しいもの。だけど、つくづく思いました。この2人だけではなく、筆頭弟子の二乗を含めて、仲が良いです。7日間の内、初日は、ほとんどの映像を消してしまったので、6日余の映像で、2人で盛り上がっているのは、口上で司会をした二乗が、どれほど間違うか、関心がそれなんだから、それが可笑しくって。それを観れたのが、この配信を観た最大の収穫じゃなかったかな。おもしろ口上は数あったけれど、かなり深く心に残ったのは、文之助の口上で、師枝雀を引き合いに出して、二葉を褒める言い方だったようです。確かに、心に沁みるいい言葉でしたもんね。師匠米二の口上を、どなたかのTwitterでは、素敵なものだったということだったのですが、YouTubeの配信では、はしょり気味だったので、感想を聴きたかったんだけど、やはり身内は触れないな。照れってやつですね。それにしても、米二の楽屋での嬉しそうな顔が印象的でした。長年、落語を聴いてきたけれど、あんな穏やかで、嬉しそうな顔って、普段、見せないよなと思ってしまいました。最後の高座で、「仁福・二葉二人会」を告知していたけれど、まだ、新たな企画が出来上がってるような口ぶりでした。この動画で、初めて知ったことメモっておきます、覚えているものだけだけど。「仁福と英華は中学時代からの知り合い」「文之助は、二葉がいないところでは、二葉のことを、によによと言っているらしい」「英華は寄席の太鼓も打てる」「こういったお祝いの会では、自分の手拭い、ないしは、それに近いものを渡して祝いとする」「雀太は自分の作ったオリジナルTシャツを渡し、福丸は手拭いを渡していた、ともに熨斗付きでした」「一花は、10年に1度と言われるほどのスーパーな前座だった、初めての繁昌亭でも動いていた」「健枝郎は、5年間、文枝のもとにいて、ようやく修業が明けた」、こんなところかな、思い出せるのは!
 YouTubeを使っての落語鑑賞は、2本、次のようなものでした。①林家正雀「肝つぶし」②春風亭正太郎「佃祭」(2017/9/17 めぐろパーシモンホールでの「第7回春風亭正太郎の冒険」)。①は、「肝つぶし」が、東京にもあるらしいと勘づいて探すと、円生ものがあったんだけど、お時間の都合で、収録時間の短い正雀の口演をチョイス。正雀自身も、マクラで「珍しいものを聴いていただきます」と言っているので、東京ではそうなんでしょう、だから、黄紺的にも「あるらしい」という程度の認識だったのは正解だったようです。夢のくだりがあっさり系、呉服屋の女は逃げて来るというのではなく、単に訪ねてくるといった具合。妹の訪問が唐突、そう訪問という設えだから、取って付けた印象です。更に、恋患いの男との因縁話が、やたら唐突。振りがないというわけで、とっても不自然。上方ものをおもしろくない方へ、無理からに改変しているといった印象でした。持ち帰った噺家が、うろ覚えで持ち帰ったんじゃないかなと思わせるものです。演じ手が、そんなだから少ない、だから、いじられないで、そのまま伝承されているといったところじゃないかな? 勝手な想像だけど。②の正太郎は、(9代目)春風亭柳枝を襲名した大立者。NHKでも、ごく最近受賞した人ですよね。評判上々だったわりには、聴いたことがなかったので聴いてみることにした。「佃祭」を選んだのも、時間の都合がよかったからだけの理由。この噺は、前後半で大きく雰囲気が分かれるけれど、前半が、かなり大味で、情緒に乏しく、「なんで、この程度で」と、正直、思ってしまった。そうなると、つい居眠りが出てしまい。後半が途切れ途切れに。でも、その隙間に聴いた賑やかな雰囲気が、とってもいい。ここか、この人の持ち味はと思わせられたけれど、音響環境のいいとは言えない動画だったもので、聴き取りにくい欠陥があり、完全な覚醒には至らなかったんで、せめて、この後半だけでも聴き直しましょう。でないと、いい印象が残らないんで。
 夜も、落語絡みが続いた。米朝事務チャンネルの、米紫&吉の丞による「㊙ワールドニュース」が、月曜の夜の楽しみ。ここでも、二葉の話題が上がってました。米紫は、ゲストとして呼ばれているので、そのときの話をトピックとして語ってくれていました。1週間の楽屋風景ではカットされていたというか、配信をしているのが二葉自身だから、カットしたのでしょうが、自分が選んだ噺家さんで、番組を組んだからでしょう、二葉が出演者に、お土産を用意していたようで、嫌らしい話、その中身まで披露してました。チョコレート、手拭い、風呂敷だったそうで、風呂敷が入ってたので盛り上がり、しかも、かなりいいものだったそうで、一層、盛り上がっていました。最後に、米紫が、ぽろっと、「小鯛のときは、なかったな」と、可哀そうに、連続して記念興行があったために、比較されてしまう小鯛。そのトピックに、どうしても、「差し入れを、楽屋で配らず、家に持ち帰ろうとしていた」というトピックが重なってしまい、またまた、可哀そうな小鯛です。末っ子キャラですね、小鯛は、ホント! それと、吉之丞は、行くと言ってながら、都合で行けなかった替わりに、きっちりと、楽屋風景の配信を観てました。あの京都からの移動、きっちり話題にしてました。この男も、実生活ではお兄ちゃんのはずなのに、吉朝一門では末弟になったからか、末っ子キャラが身に付いてしまってるので、米紫とのトークでは、そのキャラが出てしまってるので、おもしろいんだな。毎月曜日が、この配信のおかげで癒されております。


2022年 2月 7日(月)午前 5時 37分

 昨日も、午後は、びわ湖ホールに行く予定が入っていて、一昨日同様の流れで動けばよかったのだけど、1つだけ違った。それは、日曜日の朝には「日曜美術館」の新作が出るということ。やはり観たい、ということは、朝に1時間、それに回さねばならないということで、かすかすの動きになってしまった。早い話が、一昨日、午前中にしたウォーキングが、全部、吹っ飛んだということ。でも、替わりに、びわ湖ホールからの帰り、いつものように、自宅最寄り駅1つ手前で降りたまでは、一昨日と同じなんだけど、そこから迂回コースを採り、少しでも足らないウォーキングを補充することに。それでも、足りないことは足りなかった。
 そんなで、まずは「日曜美術館」のメモから。「オルセー美術館 I太陽の手触り」が、昨日のお題。来週と併せて、「オルセー美術館」を取り上げようとの試みです。オルセー美術館って、元駅舎なんですね。そう言えば、ベルリンのハンブルク現代美術館もそうだった。開館は1986年と言ってました。道理で、その名前を聞き出したのが新しいと思ってました。納得、です。で、外国へ、容易には行けないなか、誠に有難い企画。この番組で、取り上げられた作品群をメモっておくことにします。①エドゥアール・マネ/草場の昼食(ピクニックなのに女性は裸、それまで裸の女は女神を描くときにのみ使われていたが、女神ではない都会の女が裸なため、発表時、批判に晒された、しかも、奥の女は荒っぽい描き方、背景もそうだ、“現実を描こうとしている”が今回のテーマだけど、その掴みには格好の作品)②エミール・ガレ/海藻と貝殻のある手(ガラスのオブジェ、海から古代の手の彫刻が上がったと設えてある、貝や魚が着いてきている、外光の当たる位置に展示、この作品が狂言回し的に番組では使われていた)③ピエール・オーギュスト・ルノワール/ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会(大きな樹の下は人でごった返す、前の男の背中の丸は木漏れ陽の一瞬を捉えている)④ギュスターヴ・カイユボット/床の鉋かけ(職人が床を削っている、高層階の部屋の床、光で古い床と削ったばかりの床を分けている)⑤クロード・モネ/サン=ラザール駅(駅の光に魅せられる、駅の近くに部屋を確保して描き続けたほどのお気に入り、青、白、ピンクが躍動して、光を表している)⑥ギュスターヴ・クールベ/オルナンの埋葬(故郷の葬式を描いた、実在の人物を描いている、素朴な人を素朴なままに描いている)⑦クロード・モネ/レジャー用のボートとセーヌ川(セーヌに浮かぶヨット、揺れる水面を描く)⑧カミーユ・ピサロ/エラニーの教会(ピサロが晩年を過ごした村、太陽が村に降り注ぐ)⑨クロード・モネ/青い睡蓮(モネの終の棲家となったジネルミーの庭、ジャポニズムの影響のある庭、池にある睡蓮を描き続けた)⑩ジャン・フランソワ・ミレー/春(通り雨のあと、空には二重の虹、その周りにピンクの光、小道には水溜まり、木の下で雨宿りをする男が1人いる)⑪エドゥアール・ヴュイヤール/公園(泥絵の具を使う、日だまりの穏やかな風景、木陰で婆さん休んで居るが周りには一緒に来たであろう家族の姿、足元の模様はまだらに反射する太陽の光)⑫ポール・ゴーガン/アレアレア(生の太陽を求めてタヒチへ、2人の女と犬が描かれている、その白い衣に光の気配、月の像に祈る人々、水の広がりは色のパッチワーク)。19世紀ものを集めた美術館だから、これだけのものを見せてくれるということですが、印象派中心でした。エミール・ガレ、ギュスターヴ・カイユボット、エドゥアール・ヴュイヤールって名前、知らなかったっていうことは、今まで目にしていても、スルーしてたんでしょうね。そう思っただけで、勿体ないという言葉が口をついてしまいます。
 そして、午後はびわ湖ホールへ。昨日は、こちらで「びわ湖ホール名曲コンサート」と題して、(Vn)竹澤恭子、(Vc)宮田大、(Pf)田村響という3人の人たちによるコンサートがありました。宮田大、田村響のお二人は、散々、お名前をその目にし耳にしながら、遭遇経験のなかった人、なかでも、宮田大を聴きたかった。そんなこともあり、大ホールを使った室内楽のコンサートは、基本としては避けることにしていても、行ってみようの気になってしまいました。このコンサートは、そもそもは、コロナ禍で中止となり、ようやく実現したものでした。そのプログラムは、次のようなものでした。①ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より第三曲「月の光」②ラフマニノフ:『幻想的小品集』より第二曲 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」 op.3-2③ラフマニノフ:『14の歌曲』より「ヴォカリーズ」 op.34-14④ラフマニノフ:『パガニーニの主題による狂詩曲』 op43より「第18番変奏」⑤ラフマニノフ:ロマンス イ短調⑥チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ op.34⑦チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調「偉大な芸術家の思い出に」 op.50。①②がピアノ独奏、③④がチェロとピアノ、⑤⑥がヴァイオリンとピアノ、⑦がピアノ三重奏というもので、①を除いて、ロシアもので固めたプログラムとなりました。このホール、以前から、歌手の声を聴くとき要注意だったのだけど、ピアノにもそうですね。ペダルを踏み強奏をすると、音は濁るは、拡散するはで、聴きづらいものがあります。ヴァイオリンには、とっても敏感に反応するのに、チェロに対しては寛容、そんな感じの響きで、それらが合わさると、なかなか大変。演奏者が、ホールの加減を体得するのに、そのため、時間がかかるといった感じになったんじゃないかな。①など、逆に強奏はご法度的な曲になったときは、頼りなく聴こえてしまう。早い話が、歌わない、情緒に乏しくなってしまう。これが、どこまで演奏者の責任なのかは判断ができない。ヴァイオリンは、だから、演奏者のパワーの入れ加減、ギアチェンジの加減が、如実に判る。チェロは、腕なんだろうなとは思うのだけど、とっても、よく鳴るのに、ホールが、如何ほど貢献しているかも知りたい。ということは、他のホールでも、一番、聴きたくなったのは、宮田大ということになります。ソロとデュエットは、比較的小品が並んだ。ちょっと、⑦の前に顔見世というところ、いや、ちら見世程度の小品が並びました。④は、有名曲のおいしいとこ取りという作品ですね。で、メーンディッシュは、そないな響き方の異なる3人の演奏、序盤は、上から、天蓋を被せて、一まとめに、強制的にしたいほど、ピアノと弦2本のバランスが悪かった。ピアノが、あっちゃ向いてしまう音の流れ。それを、何とかするため、天蓋を被せて逃げないようにしたくなった。ヴァイオリンとチェロのパワーのバランスも良くなかったしと、かなり引いていた。それが、その天蓋を外しても良くなったのが、変奏の部分に入ってから。チャイコフスキーが技の限りを尽くして、遊んでくれます。ワルツ辺りから、ぐんぐんと固まって来る3つの楽器。バランスも、頗る良くなった。いいところで、いい感じになってくれた。もうフーガは最高でした。で、終盤、冒頭で出たメロディがめぐって来ますが、ここの強奏で、再び、ピアノが、そっぽを向いてしまったな。叩きつけるような強奏は、さすがに、このホールは好かないようですね。でも、中盤から終盤まで、一期一会の気合がまとまる、いい感じの演奏に満足いたしました。演奏後は、3人の方たちが、各々、マイクを持ってご挨拶、それで判ったのだけど、2日前にびわ湖ホール入りして、このコンサートに備えた練習に入られていたそうです。田村さんなど、まだ、肩で息をしながら喋ってられたほど、長く、そしてパワーを求められる大曲です、このチャイコフスキーは。アンコールも、そのチャイコフスキー。ピアノ曲「四季」より「10月」を、ピアノ三重奏用に編曲したもの。この曲の案内で、竹澤さんが、「パリにいた頃観に行ったバレエ“エウゲニー・オネーギン”に使われた思い出の曲です」と言われたので、ピンときました。「あすこの場面でしかない」と。そうです、レンスキーが、決闘の前に歌うところ、ドンピシャ、でした。すすり泣く、宮田さんのチェロ、最高!


2022年 2月 6日(日)午前 6時 17分

 週末に入っていますが、この土日は、2日ともに、びわ湖ホールに行く予定が入っている。いずれも、午後の同じ時間帯に入っているので、この2日は、時間の流れは、よく似たものになるはず。昨日の朝は、トルコ・リーグが再開したのだけど、コロナ情報収集に時間がとられなかったもので、ゆっくりと、朝方、ウォーキングもできた。下手をすると、びわ湖ホールの往復にだけしか、ウォーキングに時間を取れなくなる恐れがあるので、これはラッキー。ただ、昨日は、いい天気だけど、気温が低い。びわ湖ホール近くまで行くと、さすがに湖面を吹き抜ける風は強いものがあるので、なかなか厳しいものがあったけれど、2月の上旬だから、仕方ないのは仕方がない。で、昨日は、びわ湖ホールで行ったのは狂言会。びわ湖ホールでは初めてでしょう、また、狂言だけの会って、最近は、京都の市民狂言会に年に1回ほど行く程度なんで、楽しみにしていた。でも、行く前からやばいなと思ってた。家を出る前から、やたら眠い。それを、狂言鑑賞の時間まで持ち越した。結構な居眠りをしてしまった。その狂言会は、「おうみ狂言図鑑 2022」というもの。滋賀県を題材とした新作狂言を、毎年1作、発表するという試み、もう10年も続いているそうです。びわ湖ホールに足を運びながら、そういった試みに目が行ってなかった。おそらく、チラシなんかは見てるんでしょうね、でも、行こうとしてなかったということだと思います。今までは、どのようにされていたのかは知らないのですが、そういった滋賀を題材にしているということで、昨日のびわ湖ホールでの公演だけではなく、あと2ヶ所、県内で公演が起こなわれています。京都の茂山家があり~の、その茂山家は、元来は井伊の殿様のお抱え狂言師だったということで、滋賀とは縁が深い、しかも、滋賀には、歴史的にも、様々な出来事があり~ので、素材には事欠かないということで、これだけ、長く続いているということですね。その番組は、次の3番でした。「蚊相撲」「金藤左衛門」「聖問答」、それに、冒頭に、逸平くんの解説が付きました。この解説は大丈夫だったおかげで、逸平くんの上手いお話を聴くことができました。聴きながら思いました、逸平くんって、今のDくらいのときから知ってる。茂山狂言会で小舞を舞い終わったら、会場からどよめきが漏れたことがあった。そんなに小舞が解るわけではない黄紺の目にも「上手い」と思ったものでした。子どもの頃から、何でもできる人って印象が強い。解説もおもしろかったなぁ。決め言葉を用意してました。狂言を楽しむには、「驚かない」「突っ込まない」、上手い言葉です。そして、狂言のルールをそのまま受け入れてください。「(直面での演技を説明しながら)この顔を見ても女だと思ってください」とか、出来すぎの解説でした。「蚊相撲」は近江が舞台だったとは、完全に抜かしていました。主があきら、太郎冠者が山下守之、蚊の精が増田浩紀という配役。当初の予定では、丸石さんが蚊の精と発表があったのですが、変更と告知があったので、何か、間狂言の仕事でも入ったのかなと勝手な想像を働かせていたところ、その丸石さんが、この狂言の後見につかれていたので、びっくり。何があったのでしょうか? 「金藤左衛門」は、能の会でもよく出る曲。山賊が襲ったはずの女に逆襲されてしまうお話。山賊が千五郎、女が逸平という組み合わせ。これが、逸平くんが、解説で言っていたお役。休憩を挟んでの「聖問答」が、今年の新作。「あやめ十八番」という劇団の堀越涼という人の作品。この方、花組芝居に在籍していたとあったので、古典に造詣の深い方と想像されます。演出は茂山童司とあった。現千之丞ですね。さすが、先代千之丞、あきらと、血がつながっています。配役は、次のようなものでした。甲:茂山宗彦、乙:茂山茂、丙:島田洋海、丁:茂山千之丞。冒頭、2人の聖(丙・丁)が出てくる。丙は聖徳太子の生まれ変わりと言い、甲と乙が、難題を出しても、あっさりと答えてしまう。おまけに、超能力も持ち、自在にものを動かすので、もう一人の聖(丁)の出る幕がない。そんなで、甲と乙が、一計を案じて、答えのない問いかけをすると、混乱して変な動きをし出した丙は、ついには固まったまま動かなくなってしまった。この辺りから、台詞が判らなくなった。落語を聴いていても、挿し込みで入るくすぐりが判らないことがあるのと同じで、会場では笑いが起こっているのに、それに付いていけないのです。テレビとか観ない黄紺は、世間からずれてしまっていて、世相を切ったギャグなんかが判らなくなってしまっているのですが、正に、それに遭遇してしまったようでした。だから、筋立ては判っていても、落ちに相当する部分が解らなかったという悲しい結果になってしまいました。童司くんの演出は、なかなかの優れもの。照明を巧みに使った登場の仕方、また、照明や音響を使い、超能力を見せたりもしてくれました。台詞と動きは、基本は狂言のもの。そこに、それに違和感がない程度の新たな所作を付け加えるものだから、とっても楽しめるものでした。島田さんの風貌が、お公家風でもあるのが、うまいキャスティング。居眠りだの、世間から外れているとか、そんなのがあったにも拘わらず、楽しんでます。これで、それらがなければ、申し分なかったのでしょうね。ところで、茂山家の役者を確認しようと思い探索している内に、茂山家の系図に辿り着いた。すると、なんか、変。変なはずです、千三郎の名がなかったからです。慌てて、茂山千三郎で検索すると、茂山家を離れていました。先々代の千五郎の嫡男の1人なのにと思い、更に探求。過去の出来事化していたので、もう事件の詳細は不明なままだったんだけど、不祥事があったようですね。そこで、現在は、フリーランスで活動をされているとか。でも、狂言って、一人でできないよなと思うし、息子さんもおられるようで、しかも、靭猿で舞台デビューもされているようなんで、いいのかなぁと思ってしまいました。
 隙間狙いの落語は1本、でも、えらいもの見つけてしまいました。林家たい平「紙屑屋」(2008/10/10 横浜にぎわい座の独演会『天下たい平』)です。東京にも「紙屑屋」があるらしいということで、検索をしてみて見つけたものでした。コロナ禍のなか、手持ちの動画を公開してくれていたのですが、これが、花火を表すのに、逆立ち気味に飛び上がって音を出すアクションを見せてくれるものだったのです。たい平落語を代表するネタですよね。その部分だけ、TVで観たことがあったのだけど、ネタが判らなかったのが、ここにきて判明。とんでもない収穫でした。恋文、浄瑠璃本、歌舞伎の真似事が入っていました。ところで、花火はどれだったっけ? 肝心なことを忘れてしまってます。


2022年 2月 5日(土)午前 0時 14分

 またしても、睡眠に変調。昨夜は、PCの前で寝落ち。最近、とみに大きなっている。空調だけではなくて、電気ストーブを点け、暖を補強しているものだから、そのストーブ近くで腰かけたまま、寝落ちが、毎日のように起こってしまっている。昨夜は、それから覚醒するまでの時間が長かったのかな、だから、引き続き、ベッドに横になるということをしなかったため、寝るタイミングを外したみたいで、なかなか眠れなくなり、結局、しばらくしてから横になっても、めっちゃ眠りが薄く、2度寝は、あまり時間をとれなかったため、一日中、眠たかったために、その被害を被る日でもあった。午前中に行った講演会、午後の一時に選んだ「フィガロの結婚」(ハノーファー州立歌劇場)の視聴、いすれも、かなり眠ってしまい、あまり成果なしの日となってしまった。
 講演会は、アスニー京都でのもの。「京都光華女子大学との連携講座」という看板を掲げた講演会でもありました。お題は、「万葉集を読む~夫婦の愛、親子の愛」と題して、京都光華女子大学キャリア形成学科教授・リベラルアーツセンター長・図書館長の朝比奈英夫さんのお話を聴くことができました。文学にシフトしたテーマになると、途端に客足が伸びないというのが、こちらの講演会の特徴ですね。取り上げらえた歌人は、大伴旅人、山上憶良、大伴家持。旅人と家持は親子、どっちがどっちかを忘れていても、親子という関係であるのは判っている。ところが、大伴旅人と山上憶良は、九州の地で、同じ時期に働いている。旅人は大宰府の役人、長官職に就いていた人だ。憶良の方は、筑紫国守として、似た地域に赴任しており、九州という土地で、この2人の有名人は知り合っている。旅人は、家持を大宰府にまで同道しているので、倅の家持は、ここで憶良と会っている可能性ありだそうです。だから、今日は、3つの愛を取り上げられていましたが、旅人、憶良の関わるとことでは、夫婦の愛の歌と家族&子どもを思う歌、それと、恋の相聞歌です。前二者の背景は判り、それぞれの歌を取り上げるという段になり、全く記憶が途切れています。寝てしまってました。相聞歌は、家持と、やがて結婚をすることになる坂上大嬢の交わした恋の歌です。相聞歌だから長くて、29首のやり取りで成り立っているので、その歌の構成から凝っているとか。しかも、中国の小説「遊仙窟」を模していたり、「朧月」は、平安時代以後は、美を見出すのだけど、それを先取りするかのような表現があったりしていて、しかも、その、当時では斬新だった表現を、相聞歌の中央に配置するなど、かなり意識しての配置があったりで、恋の歌の盛り上がりを示しているそうです。そんなで、この相聞歌を、2人の結婚記念の歌ではないかと言われていました。そういった言葉の使用、歌の配置で、感情を、より深く表現しようとの考えを示す、万葉集の凝り方を教えていただいただけでも、寝落ちがあっても、十分に記憶に残るものになりました。
 また、今日も、二葉ネタを書いてしまいます。すっかり、二葉コレクターになってしまった気分です。今日も、繫昌亭昼席の楽屋風景をアップしてくれていました。今日から、前座で二豆が登場ですが、カメラマンの役割は九ノ一が担ってました。客も、その動画を観ている人が多いようで、二乗に声をかける人、そうではなくても、口上で、二乗が嚙むところを期待している人が、二乗がしくじるのを待っている。すると、わざとではなく、待たれていると、余計に緊張した二乗は、噛み噛みになってしまう。我慢できなくなった、本来は、口上では、主役は喋らないと決まってるものだけど、二葉までが突っ込むという賑やかなものになるから、客席、大喜び。行きたいよ、繫昌亭、羨ましい! 今日のゲスト役はかい枝。「三十石」を出し、舟唄を、幕内から歌う役を二葉に依頼するという、行き届いた配慮。かい枝から渡されたメモを見ながらの二葉の舟唄が流れると、甲高い声だから、客席は大爆笑。二葉のネタは「佐々木裁き」。今日は、もにょもにょはなかったようです。明日は、いよいよ、師匠の米二の登場で、一門全員が揃いますね。これは見もの、です。二葉コレクターは、これだけではありません。たまたま「二葉 動画」でだったかな、そんなので検索したら、テレビ大阪の情報番組で流れた二葉密着取材でできた映像を見つけた。確か、この月曜日に密着取材がありということは、繫昌亭昼席の記念ウィークに合わせて取材をして、即刻、オンエアしたようです。どなたかのTwitterで、オンエアがあるということを知ってはいたのですが、テレビがないものだから諦めていたところ、見つけてしまったのです。一番、印象に残ったのは、実家なのか、自宅なのかは判らないけど、自分の部屋というコメント付きに部屋の書棚に、落語の本がいっぱいだったこと。めっちゃ、凝り性ですな、二葉って噺家。結局、鶴瓶の追っかけから落語を知り、師匠の米二に至る流れは必然だったかなと、ようやく思えるようになりました。吉之丞が吉朝を知ったのと、二葉が米二に至ったのは奇蹟だと公言していたのだけど、どうやら奇蹟ではなかったようですね。そういった二葉紹介者として、今一つ、手に入れたものがある、コレクター度が上がります。「女性自身」に二葉が特集されたということは、二葉自身ばかりか、取材を受けた米二も、Twitterで呟いていた。「7ページ」に渡っていると、米二が書いていたものだから、そないな大部なものなら、買ってやろうじゃないかの気になってしまったのでした。本屋自体が消えて行っているので、どうすればいいんだと、昨日一日は買えなかったんだけど、なんてことはない、コンビニに売ってるじゃないということで、アスニー京都からの帰り道にあるコンビニでゲット。すると、これが、まとももまとも。「女性自身」って、こないに丁寧な文章を、誠実に書くんだと、関係者が聞くと失礼なと思うほど、いい記事です。過不足なく伝えてくれているという仕上がりぶり。これは、お金を出してまで買って、正解でした。


2022年 2月 4日(金)午前 6時 4分

 昨日も、お出かけなしの一日。ただ、昨日と違い、午後に、オンライン配信を視聴することを考えていたのが違っただけ。朝は、存外、早めに、トルコのコロナ情報収集が済んだためと言って、早めにウォーキングに出るわけにはいかなかった。というのも、今度、Ⅾを連れて、オケのコンサートに行く計画をしているのだけれど、そのコンサートのチケット発売日が昨日で、発売開始時刻の午前10時まで、自宅待機を強いられたのです。おかげで、コロナ禍のなか、頃合いのお席を確保。それは良かったのだけど、夕方になり、息子からメール、「僕も行く」、なんじゃ、それ、行くなら、続きの席が買いやすいように、発売日までに言ってくれと、こないだ会ったときに念を押し、更に、一昨日、同じ内容の念押しのメールを送ってるにも拘わらず、時間を、かなり過ぎてからメールを送ってきた。この手のことが多いので、本気で、こいつ仕事できてるのか、不安になります。幸い、端っこの席を買っておいたおかげで、横の席を買え、3人並びになれたけど、縦の位置ではベストの席を買ってあったので、ホント、際どかった。
 ま、それはおいといて、その時間待ちをしている間、YouTubeで観ていたのは落語絡みのものばっか。1つは、桂二葉のチャンネル。今週は、NHK受賞記念の興行が、繫昌亭昼席で打たれていますが、その楽屋風景を、新たにチャンネルを作り、毎日、配信してくれているので、それを視聴。一昨日は、夜に、二葉と一花の二人会が大阪であるのを知っていたので、それが終わってからの編集になるだろうから、朝になってから観ることにしていたので、いいタイミングでもあった。一昨日は、一花が、昼席に出るってこともあったのか、密を避けるようにとのお布令が出ているそうなんだけど、噺家さんが楽屋に詰め掛けていた。勢朝や出丸、染二、由瓶といった顔を確認しました。米朝事務所のチャンネルで、行くと言っていた吉之丞は、逆に来てなかった。二番太鼓では、なんと、内海英華が太鼓を打っていた。カメラを回している二葉の恐縮が伝わってきました。でも、毎日、内海英華のTwitterも、この楽し気な楽屋風景を伝えてくれる。まともに、仁福をいじったり、からかったり、毒づいたりできるのは、英華だけだから、二葉チャンネルで観ることができる動画とはテイストが違うのが嬉しい。ちらっとだけ、楽屋から映る各噺家さんの高座風景も、普段、観ることができないから、とっても、嬉しい。この日のカメラマンも弥壱。口上で、スペシャルなアングルを見つけて、とっても見やすい。ところが、何かのミスで、音声が乱れるのが悲しいけど、こういったミスが入らないと、弥壱らしくない。二葉は、この日は「打飼盗人」、その楽屋から捉える、下げ直前の口演、勢いあるな、凄いわ。併せて、4日目の様子も観た。最後に、「仔猫」を出して「もにょもにょ」をやってしまったと言っていたので、編集のテイストが下がっている。九ノ一がカメラマンを喜々として動いているにも拘わらず、3日目までの浮き浮き感に乏しい動画と感じていたら、そういうことやったようです。お客さん、そのもにょもにょも、半ば以上に期待してきているから、喜び、ハラハラしてたことでしょう。英華さんではなく、色物さんはチキチキジョニーだったから、このお二人は、第2楽屋室にいたようなのも、雰囲気、変えていました。口上は2階から撮っていました。絵的にはいいんだけど、音の拾いが悪いので、どっちもどっちです。仁福への突っ込み、ボケが、よく聴き取れないのが惜しい。そして、お兄ちゃんにダメ出ししながら、そのダメさのところカットしちゃってる。美味しいところなのに、、、。
YouTubeでは、その他、落語を2本、①蜃気楼龍玉「臆病源兵衛」②三遊亭兼好「悋気の独楽」というラインアップ。①は五街道弥助時代のもの。このネタ、知らなかったけれど、同門の噺家さんの音源ばっかが、YouTubeに上がっている。金原亭ばっかということです。となると、志ん生のネタなんだろうか? 調べねばなりませんね。蜃気楼龍玉の口演が、あまりにも良かったので、連続してピックアップすることになった。「臆病源兵衛」なんて、全く知らないネタ。中心となる人物が入れ替わっていく、少々、変わったネタ。珍しいネタを聴いたぞとは思ったんだけど、東京の落語を聴きなれている人には、そうじゃないのかな? ②は、東京に入ってるんだということでのチョイス。最近、早口すぎるので、若干、閉口気味だったけれど、兼好ものにした。上方の序盤の特徴であるおなごしの語りがない。替わりに、丁稚に、旦那の後をつけさせたりする。でも、あっさりと旦那に見つかり、取り込まれてしまう。お妾さんの家に独楽があり、それをもらう丁稚。店に戻った丁稚はうそをつくのだけど、また、あっさりとばれてしまうという流れ。基本構造は変わらないけど、おなごしの濃い語りを、移植するとき避けたかったのでしょうね、そないな印象を持ちました。この口演では、兼好の早口は気にならなかったので、これは得した気分です。
 午後のオンライン配信は、京都市立芸術大学の日本伝統音楽研究センターの行っているセミナー。昨日は、「新内節の梅川忠兵衛」というお題で、日本伝統音楽研究センター共同研究員の細野桜子(新内志賀桜)さんのお話を聴くことができました。新内節の三味線奏者でもある細野さんは、三味線2丁を弾くことで見本を見せながらのお話となりました。よく時代劇映画なんかで観る、三味線を爪弾きながら歩く新内流しを聴くと、新内だとは判ったつもりでいるけれど、じゃ、一中節や常盤津、長唄、端唄、小唄などと区別せよと言われても、よく判らないのが、正直なところ。例えば、新内節って、静かに、しんみりと歌い、奏でるものと考えていると、語り中心で推移したり、チャリもありとなると、黄紺には、これが新内節で、それはなんちゃらとは、容易に区別できないのです。でも、それは系統図らしきもので示されただけで、識別するメルクマールのお話がなかった。ニーズを外れたという印象だけど、お話の狙いは、そないなことではなかったようだ。新内節は、2本の三味線伴奏で歌うもの、それすら知らなかった。その三味線の手を詳細にお話されてたんだけど、覚えているのは、副旋律を弾く「上調子」と呼ばれる三味線の細かな手は楽譜にも表せるものではなさそうということ。お稽古用に、らしきものは作るけど、それでは、繰り返しで退屈なので、細かな手を、しかも変えながら即興で入れていくと言われていました。一言で「ジャズ的」との言い方、判りやすいのですが、実際の音で聴くと、識別の難易度は高すぎ、です。かなりの寝落ちもあり、よく解らなかったというのが、正直なところでした。それと、「梅川忠兵衛」を取り上げられたのは、三味線の手を観るのに良いとは言われてたので、そういった観点でチョイスなのは判ったのですが、新内節での「梅川忠兵衛」として、テキストといった台本構成の特徴とか、知りたいと思っていたお話はなかったようです。ようですというのは、再三再四、寝落ちをしてしまったからです。


2022年 2月 3日(木)午前 6時 8分

 昨日は、全く、予定の入ってない一日。となると、日に2回のウォーキングだけが、外出時間。これも、いつも通り。違うのは、ウォーキングのコースだけ。昨日は、いい陽射しだったけど、休憩がてらベンチに座っていると、僅かに風を感じてしまう。それだけで、寒いので歩こうとしてしまいます。昨日は、午後の一時を使い、ネット上に上がっている個人ラジオを聴くことにした。たまたま覗いた桂雀太のTwitterに、以前からやっているネット上のラジオ番組に、桂二葉をゲストに招いて、NHKのコンペ受賞に関して話しているものを見つけたからです。録音したのは1/6となっていましたから、配信開始もその辺りだと、1ヶ月近く気づいてなかったことになる。これはぬかった! 雀太と二葉は、ネタの伝達ということで、深い繋がりがある。今回の受賞ネタとなった「天狗さし」もそうだし、以前には、雀太テイスト満載の代表作品「上燗屋」も、このルートで流れた。「上燗屋」を、二葉の口演で、初めて聴いたとき、冒頭で、雀太からもらったことが丸わかりのフレーズがあるため、すぐに、そのことに気づいたのはいいけど、直観、「無謀」と腹の中で叫んでしまった。だけど、終わってみると「無謀」ではなかった。二葉の落語になっていたのには、驚かされた。独特の感性の噺家さんだとは認めていても、これは、とんでもない逸材と確信したきっかけでした。それもあり、雀太と二葉という流れはおもしろいとインプットされている黄紺なため、この2人が、受賞をテーマにして話すというだけで、耳がダンボになるのに、気づいてなかったのが悔やまれた。そこで、この音源の聴取を、昨日の午後の一時で優先させたのでした。ネタをもらったときの挿話や、実際のコンペ前日の偶然、2人が出逢った話や、当日、メイク室で権太楼と一緒になったトピックを含め、コンペが終わるまでは、おもしろい話が続いた。特に化粧室の偶然が、「天狗裁き」のくすぐりを入れるきっかけとなった挿話は、これは大ヒット。このくすぐりは、雀太のものだったのか、二葉のオリジナルかが気になっていたので。雀太の「天狗さし」は聴いたことがあって、そのくすぐりは入ってなかった記憶があったのだけど、なんせ、アイデアマンの雀太のことですから、黄紺が聴いた後にも、どんどんをいじっていく人だから、どっちなんだろうと思っていたら、二葉のオリジナルでした。スーパーヒットのくすぐりだと思っているのだけど、メイク室では迷っていたと言ってました。そこで、権太楼に「天狗さしって、どんなネタ?」「天狗裁きとは違うの?」と尋ねられ、腹が決まったと言ってました。「天狗さし」は、東京ではやらないでしょうし、上方でも、近年は手掛ける人が増えてきているけど、それまでは珍品だったからでしょう、そういった会話となったのでしょう。ところが、コンペでの受賞が決まってからのトークが、二葉も、ちょっと困り気味、そう聴こえた。雀太は境界を生きる人なのは、ディープな落語ファンは知っているのだけど、事実、しばらく休んでた。おいおい、躁の方にシフトしとるやないかという内容になってしまってました。雀太のTwitterの押さえは、放映直後は、きっちりやったんだけど、コンペ当日はやらなかった。誰か、フライングをしでかさないか、黄紺的チェックを入れたことは入れたんだけど、雀太をぬかった。そういった話題でした。米朝事務所からも、お願いの電話が入ったトピックから、話題が膨らんでいったりと、ちょっと境界をまたぐようなお喋りが続くものだから、対応にこまったのか、寡黙になる二葉、もう1人のトークの参加者との応対が続くとなってしまってたので、後半は、ちょっと、ハラハラしながら聴くハメになってしまってました。
 午後の一時の後半は、ハノーファー州立歌劇場の「フィガロの結婚」の続き、3幕を観ることになりました。また、半ばで居眠りをしていたので、フィガロの素性が判る辺りは、全く記憶がないので、また、その辺から観直すことにします。相変わらず、シルエットがいいので、観直すことがやぶさかではないのです。
 隙間狙いの落語は1本、時間的にも短めのものだから、正に隙間狙い。蜃気楼龍玉の「駒長」を聴いた。五街道弥助時代のものだけど、龍玉の口演を見つけたということでの視聴、また、ネタも知ってはいても、聴いたことのないものだったので、とっても都合がよかった。美人局の企てをして、美人局をしている女と罠にかかるはずだった男が出来上がってしまうという可笑しさを狙ったネタ。罠にかけられる男は大坂者、この男のキャラがいい、優しさ全開って感じのキャラに仕上げているものだから、これだと、美人局やってる場合じゃないとなるという仕立てにしている龍玉の口演が、素敵すぎます! 隙間狙いなんて言うには、勿体なさすぎのいい音源でした。


2022年 2月 2日(水)午前 6時 42分

 筋肉痛が、最もひどくなるだろと思っていた火曜日、その覚悟があったからか、それほどではないなの実感。階段を下りるのは、さすがにきつい。ま、それでも、手すりがあれば、安全だから、この程度は覚悟の上と受け入れていました。そんなことを気にしなくてはならないのに、昨日は、お出かけ日としてしまいました。1日遅らせば良かったというのが、正直なところだけど、時間ができたという気が大きかったのか、お出かけを選んでしまいました。行き先は、今週も京都シネマ。オミクロン株蔓延のなか、映画館も少ないのかと思うのだけど、そうでもないね。上映される作品の人気度にこそ、客足は比例しているとしか見えないというのが現状のように思えます。日々、追いかけている繫昌亭の方が、かなりヴィヴィッドに、オミクロン株に反応しているようです。映画は、鹿児島テレビ放送製作のドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」。地元出身の芸人松元ヒロを追いかけたもの。黄紺は、まだ、トリイホールのあった頃、自分のスケジュールが合えば、年に1回のペースで公演を、同ホールで行ってくれていたから行っていた。きっかけは、繫昌亭で、福笑が、松元ヒロを呼んで、事実上の二人会を出してくれて、初めて、その存在を知り、ぶったまげた。政治漫談もさることながら、たまが読み上げる、打ち合わせなしの新聞記事を、その場で、早口でネタにするという技。その両方で、単独ライヴを聴きたくなり、トリイホールに通い出したのでした。毎年、東京では、紀伊国屋ホールで公演を行っているんだけど、この映画、その公演で取り上げられたネタを、糸口に掘り下げを行ってくれていることが1つ。政治風刺ということから、TVを去り、舞台に専念化したこと、冒頭では、鹿児島テレビ放送のおえらさんに、松元ヒロをTVでは扱いにくいわけを語らせているから、その専念化にリアリティがある。そういった舞台にかける準備の様子も、カメラは捉えてくれる。家庭内でネタを作っている様子、家庭内が映ると、必ず出てくるのが奥さん。気風のいい方。パントマイムをしていた方ということで、この人も芸人さん。稽古用に、専属のスタジオを持っている。直前には、演出担当の人や音声など、具体的なサポートされる方たちを交えて、稽古が続く。鹿児島実業の陸上競技部の出身で、且つ、スポーツ推薦で法政大学に進んだという経歴も、初めて知った。その陸上競技部の監督を訪ねるシーンも用意されていました。推薦を受けながら、入学後、さほど日を経ない内に、ケンカをして退部してしまってました。迷惑を受けた先生だったけれど、玄関に、松元ヒロの色紙を飾ってくれていました。芸人としての経歴も辿っていました。黄紺は、福笑との共演以前は松元ヒロを知らなかったのだけど、「ニュースペーパー」というユニットが売れたことは事実だし、それは知っていた。そこから、ともに脱退した昔の仲間も映画に出ていたけれど、結局は、スポンサーの顔色を見ながら、ネタを作っていかねばならないことが嫌での脱退だったようです。そのときのマネージャー役とは、ごちゃごちゃがあったのでしょうが、その人の死の悲しさも、ネタにしていました。ネタの中には、本から取材をした人の紹介をすることもあります。筋ジストロフィーで体がほとんど動かない人の紹介をするネタ作りに苦しむ様も、印象的なシーン。この人の視点は一定だということを垣間見せます。松元ヒロの定番ネタと言えば「憲法くん」、映画の最後の方で、このネタの一部が披露されていました。岡山県での公演だったけど、舞台の背後には、スローガンの垂れ幕が。故郷、鹿児島での公演も映されていたけれど、こちらは、そういった垂れ幕はなかった。そういった一般公演と、「憲法を守る」という主張を持つ団体や労組の集会に呼ばれることの多いのも事実。黄紺は、演芸会の空気のなか、その口演を聴きたいから、そういった集会的公演には行ったことがない。昨日も、映画館は、このコロナ禍で、ほぼ満員。実は、この行かない集会的公演に来ていそうな人たちで埋まっているように感じてしまいました。芸術とか、芸事至上主義的なところがあるものだから、そういった空気、好きくない黄紺、です。「憲法くん」的主張は支持してんだけどな。
 狙いの映画、満足のヒロ節で、気を良くして外に出ると、まさかの雨。霧雨だったけれど、降り続けるのか心配になり、雨雲レーダーで確認すると、30分ほどすれば、雨雲は去って行くと出たため、そのまま、予定通り、ウォーキングを兼ねる際のコースへ。すると、15分程先まで歩くと、地面は濡れてない。局地的な雨だったようで、助かりました。予定通り、自宅最寄り駅2つ前で降りて、買い物がてらのウォーキングも大丈夫でした。
 隙間狙いの落語は、桂米朝 「天狗さし」を1本。「天狗さし」は、二葉が、NHKのコンペで使い、古風なネタが、すっかり広まってしまったということで、原型を辿ることにしました。鞍馬山から降りるまでは、現在でも、ほぼ、そのまま演じられていると思います。「それを、あんたに聴きに来た」というフレーズの出てくる冒頭の場面、天すき屋の準備とかは、そのままだったため、逆に驚き。その後が違った。坊主を捕まえて、京の街に降りてきたところで、よく似た格好の人たちと逢い、「五条の念仏刺し」で落とすというもの。ということは、降りてきてからのごじゃごじゃは、オリジナルなものと判り、それが判り満足してました。二葉の受賞となった口演を、細かく分析しているサイトを発見したので、ようやく二葉の口演の一端を知りました。評判になったマクラで挿し込みのネタ振りや、こりゃ受けるやろと思った「天狗さし」に「天狗裁き」を挿し込む手を知ることになりました。「これは満点やわ」と思わせられてしまったのだけど、その二葉の受賞を記念する繫昌亭昼席が、今週です。二葉がトリを取り、好きな噺家で番組を組む昼席です。また、その様子を、動画として公開してくれてます。この手法は、神田伯山がやり出し、宮治も引き継いだもの。それを、上方では、たまが、ちらっとやり出したのを、二葉が、本格的にやってくれています。そのために、YouTubeに自分のチャンネルまで作っています。ところが、1日目は撮った映像を消去してしまい、口上だけをアップ。本格的な第1弾は、2日目からとなったんだけど、それが昨日。それを観ていると、二葉のスケジュールは殺人的。午後2時までの4時間、京都のKBSでライブ放送、もう、朝から着替える時間の割愛を考えて黒紋付を着ている。午後2時と言えば、繫昌亭昼席の開演時間、そこから、中入り明けの口上に間に合わせねばならない移動がある、しかも、京都から大阪へという。なんと、新幹線を使っていました。おまけに、この日は、週間ポストの密着取材が入ってるからと、新大阪駅からは、ワンボックスカーのタクシーをチャーターまでしていた。傍らには、「部長」と呼んでいるマネージャー付き。二葉のラジオ出演には、マネージャー付きだとは知ってたけど、生で観ると、二葉が大物に見えてしまった。で、「部長」、、、、あれれ、「こいつか」、二葉に「ダサい」と呟かれた米朝事務所の部長でしょう。小鯛との二人会を企画したのはいいけど、「チャンピオンカーンバル」と名付けて、二葉に、ダサいと一蹴された人、でしょう。その風景から、到着後は、自ら、カメラを回し、楽屋にいる二葉チョイスの噺家さんが映る。昨日は、盟友華紋が口上の司会をする予定だった日、でも、まんの悪い華紋、濃厚接触者になってしまい、出演できない。代演はしん吉、これも、恐らく二葉のチョイスでしょうね。司会は福丸。また、この司会が、抜かりないのは言うまでもないけど、めっちゃ上手い、おもろい。仁福をいじりながら、乗せまくっていました。雀太の口上は、前日のよね吉の「じじい」ネタを引き継いでいました。かなり、「じじい」ネタを喋って発散していたのでしょうね、仲間内で、そんな雰囲気です。繫昌亭に第2楽屋というものができていることは知っていたのですが、そこでくつろぐ雀太と福丸の会話も良かったな。決して、変なべんちゃらを言わない雀太ですから、そのまんまでしょう、「お客さんがええ」「これですべるようではあかん」とまで言う客、恐らく、二葉を観たくて、聴きたくてで来た人ばかりなのでしょう。小鯛のウィークで話題になった団体さんとはわけが違うということですな。その団体さんがキャンセルした1階の空席に、2階の、それこそ、小鯛を応援しに来た客を1階に移したら、めっちゃ雰囲気が盛り上がったと言います、その雰囲気が、昨日の場合は端からあったということでしょう。この動画、後半は、前座で出ている弥壱が、カメラを回しています。第2楽屋の風景もそうでしたが、このカメラがいいんだなぁ。カメラに映る噺家さんと弥壱の間の上下関係が出ていて、それも、とっても、穏やかでいい関係の上下関係が出ている。出番の用意をする二葉にも、当然、カメラは向かいます。二葉が「ネタ、何にしようかな」と呟きながら動いています。しばらく経ってたから、今度は、出番が迫り、大鏡の前で着物チェックをしている二葉に声をかけながらカメラを向けます。「姉さん、ネタ、決まりました?」「うん、子は鎹にする」、緊張が伝わったのか、カメラは、無言のまま、二葉を追います。これ、良かった! 弥壱のリスペクト、二葉には風格すら感じさせました。ええもん、撮ります。あと5日、楽しみができました。


2022年 2月 1日(火)午前 5時 28分

 週明けの月曜日、予想通り、筋肉痛が、じわりと出だしている。一昨日の稲荷山行きが響いてきている。いくら、毎日、ウォーキングをしていても、上下に動くと、ウォーキングでは使わない筋肉を使うものだから、こういったことが起こる。韓国旅行で、山に登ることが、よくあるんだけど、数年前から、ガクンと難しくなってきているとの自覚があるものだから、登りで苦労したり、翌日の筋肉痛は、想定内だけど、Dの方が元気だったというのは、想定外だったなぁ。そんなで、リハビリの月曜日は、お出かけなしの一日。ルーティンにしている日に2回のウォーキングは、いつも通りだけど、昨日は、夕方のウォーキングを少し上へ上げた。早めに出たのだ。というのも、夜7時から配信予定のトークを聴こうとの思惑があったから。同時刻の配信開始の「米朝事務所アカウント」チャンネルの生配信ではなく、高エネルギー加速器研究機構(KEK)主催のトークイベント「第3回 落語と科学の相互作用」の生配信。桂福丸が様々な研究者とトークを行うというもの、そんなのがあるということを、最近知ったもので、第3回となる配信から視聴することにしたのです。福丸が、出身大学の京都大学で、「宇宙落語」と称する自作を披露したという情報は、以前、キャッチしていたのだけど、それを縁にして、こういったイベントのMCを務めるようになっているようです。毎月、生配信があるようなので、今後も活用させてもらおうかと思っているのだけど、相手は、物理学の最先端を行く人を相手に福丸が喋るというだけで、ちょっと遠慮したくなる、それも事実だけど、ちょっと怖いもの聴きたさでアクセスしてみました。昨日は、KEKが大学院教育も兼ねているということで、現役の院生3人、総合研究大学院大学生の青木優美さん、中島樹利菜さん、西森早紀子さんとのトークが配信されました。おかげで、文系の福丸、福丸といえども、たじろぎながらトークを進めるという、普段は観ることのできない光景を観ることがおもしろいものだったので、変な楽しみのあるものです。3人さん3様で、研究の方向は、未知の世界、狙い通りの発見があるなら、それこそノーベル賞もののことをやってる。KEK自体が、素粒子といった宇宙の成り立ちにも関わろうかという実験器材なわけで、それを、日々活用しながら研究されている方ばかり、いくら易しくお話しいただいても、テーマがテーマ、福丸が、きわきわでついて行っている内容に、こちとら、そうは解るものではないけど、どのような分野を取り扱っているかのさわりくらいは解ったつもり。序盤は、大学院大学への入り方など、ちょっとどうでも良さげな話題になってたけれど、後半は、各々が研究されていることを話されていたのが良かったですね。それにつけても、若いっていいものです。それを、黄紺も、若いときに気づいておけば、もっと違った人生を生きたかもしれないなと思ってしまいました。
 短めの午後の一時は、YouTubeのお世話になり、落語三昧。いずれも短い噺ばかりで4本、聴くことになりました。①柳家一琴「鷺とり」(2011/4/4 らくごカフェ柳家一琴の会)②六代目笑福亭松喬「相撲場風景」 (2000/7/23 ワッハ上方 演芸ホール/第一回三喬独演会)③古今亭志ん朝「蔵前駕籠」④桂歌丸「鍋草履」 (1999/7/26 収録)。①は、毎度お世話になっている一琴のチャンネルで見つけた気になる口演。だって、「鷺とり」って、東京にはないと思ってたので。あとで調べて、移植版があるそうです。その移植版を聴いてないので、当たっているかどうかは判らないのだけど、一琴の口演は、流れが上方ものと全く同じなので、現在の 上方ものを、自分でアレンジしたのではと、勝手に考えてしまいました。雀と鷺、この2つが噺の骨子。場所とか必要なものは江戸に移し替えている以外で、目につく違いは、お江戸の雀の役割を大坂の雀が担う。ここで、一琴のネイティヴな大阪弁が生きる。南京豆を撒いても逃げなかったり、下げは、思いっ切り、アホげに作ってありました。布団を拡げて助けた坊さんの頭がぶつかるまでは同じだけど、そのとき、火花が飛び、その火花で江戸が大火になるというもの。それはそれで、突飛なのでおもしろいものでした。②は笑福亭の定番かと思い選んだ。何か知らない箇所が出てくるかもとの期待だったんだけど、思わぬ発見をしてしまいました。先代松喬って、ほとんど、このネタ、やってなかったようです。奥さんが概要欄で書いてるし、マクラでも、ご本人が、そう言っている。それを、弟子の初めての独演会でする心を知りたいと奥さんも書いてるけど、確かにそうですね。でも、とっても完成度の高い噺に仕上がっている。マクラから相撲話なものだから、どこからネタに入ったか判らない。よく口演されるものとの境目なんてない。そう考えると、実に優れものの「相撲場風景」になっています。でも、期待の、何か知らない箇所というのはなかった。境目のところは、松喬のオリジナルというのが判る内容だったもので。③は、まだ聴いてなかったことに気づいてのチョイス。これも、広く言えば吉原ネタ。吉原に人力で乗り込もうとする男を、維新の落ち武者が狙うというもの。めっちゃ時代を感じさせるもの。そんなで、男は工夫する。それだけの噺だけど、わりかし気に入っちゃいました。④も、ごく短いネタ、いや、短すぎると突っ込んだほど。だから、この音源、歌丸の長々としたマクラを聴くと言ってもいいくらいの音源。外題から、結末が予想されちゃいました。最初、若いころの音源に当たったもので、以前に、嫌なテンポだったもので、後年のものに切り替えたんだけど、そないな配慮も不要なほど、ネタは短かったですね。


2022年 1月 31日(月)午前 7時 51分

 はや、1月も末になっている。その日曜日。と言えば、「日曜美術館」が朝のお楽しみ。昨日は、「激動の時を生きた浮世絵師 月岡芳年」というお題、またしても、知らない名前が出てきた。番組内で語られた言葉を振り返ると、かなり有名な人らしい、けど、黄紺は知らない。冒頭、血塗られた顔が出てくる、インパクトあり過ぎ、です。これは、「血みどろの絵」と表現されていた。以下、取り上げられた作品をメモっておきます。①「解題百撰相」(戦国時代の武将に重ねながら戊辰戦争を描く、顔が描かれないで頭上を弾丸が飛ぶ、頭の上で砲弾爆発した侍の鼻を大きく描く、泥の中に倒れこんだ瞬間を描く、前のめりで血を吐く姿を描く、光秀の家臣が赤い鬘を被っていたり、信長の側近が経典を巻き付けていたり、首を2つぶら下げている侍を描いているのは、戊辰戦争をつぶさに観ていることから来ている描き方)②西南戦争の戦闘場面を描いた絵(右端の西郷の姿から左端の戦闘場面へと続く絵巻的展開の絵、戦争の様子をヴィジュアルにとして伝える役割が浮世絵にあった、現地に行かないで描く、新聞記事、伝聞などを基に描く、女性兵士、失くなっていないのに戦死の風景、船上で西郷の自決といった事実と異なる絵もあり、事実より先に描いておいて事実が追いつくとすぐに発表)③藤原保昌月下弄笛(笛を吹く貴族を描く、物語の絵も描いた)④縦2枚に連ねられた絵(「芳涼閣両雄動」急勾配を描く、「平惟茂戸隠山鬼女退治之図」水面に映る鬼面、「魯智深爛酔打壊五臺山金剛神之図」仁王の像、「松竹梅湯嶋掛額」火の見櫓に昇る八百屋お七、「寛僧都於鬼界嶋遇康頼之赦免羨慕帰都之図」断崖の上から叫ぶ俊寛)⑤月百姿(最晩年の作品、「卒塔婆の月」卒塔婆と言えば小野小町、「玉兎 孫悟空」、「大物海上月 弁慶」船弁慶をモチーフ、「源氏夕顔巻」、「姥捨月」松の傾きで捨てる男の辛さを表す、「田毎ある中にもつらき辻君の かほさらしなや運の月かけ」夜鷹、「烟中月」、「盆の月」、「たのしみは夕顔たなのゆふ涼 男はてゝら女はふたのして」夕顔のもと夕すずみをする家族の団欒、「?」畳に映る影で満月を表す、「はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子」小舟の上に女性はかなわない恋に絶望する女を描き水面に輝く月光だけで月を描かない)⑥再現、「稲葉山の月」を新たに刷り直した、信長が美濃に攻めたときの姿、タイトルの部分(布目を通しての特殊な刷り)、正面刷りも特殊な刷り(鎧の部分、角度を変えると光る)。これも、凄い絵師です。現代漫画の一コマと言われて見せられても、あっさりと肯いてしまいそうなものです。大胆、強烈、そういった形容句が口をつきます。また、一つ、えらい勉強させてもらった。
 隙間狙いの落語は2本、①柳家小せん「秋刀魚火事」(2020/10/22 第111回板橋落語会)②林家正雀「開帳の雪隠」。①は、寝落ちのリベンジ。吝嗇家の噺でした。②は、ごく短いものをとのことでチョイス。気になっていた噺。米朝の口演でも音源がアップされていることも見つけてあるので、東西比較ができるなと思っています。雪隠で金を儲ける噺。それ自体がネタになるのでしょうね。
 昨日の、メーンイベントは、実は、これから書くこと。Dと久しぶりに会いました。最初は、Dを迎えに行くつもりをしていたんだけど、行き先を聞いた息子が付いて行った方がいいということで、連れてきてくれました。で、行き先は稲荷山。インバウンドが戻ってこない内に連れて行きたくなったのでした。でも、昨日は日曜日。人出が多く、がらすきの稲荷山を登るというわけには行きませんでした。Dは、身長が伸びたためか、えらくスリムに変身していました。元旦に、Zoomで顔かたちは見ているのに、全然違ったな。これでは、一人で街を歩いていたら、他所の子どもにしか見えないなと思ってしまった。普段、ウォーキングはしていても、上下の運動をしてないものだから、上るのが大変。それを見越して、息子がやってきた。Sを一緒に連れてくればいいのにとも思ったのだけど、無理との判断が正解。黄紺などは、Dが、途中で顎を出したら、背負って登ろうかとも思ってたけれど、それは無理。最後まで、Dの方が元気だった。もう追い越されてしまいました。結局、最後の周回コースに入りかけて、Dは「もういい」と言うので、引き返すことに。「四辻」がポイントかと、稲荷山に詳しい息子が、当初言っていた通りになりました。このポイントからは、息子が言うには、あべのハルカス、梅田のビル群も見えると言って、指さしてくれたのですが、確かに方角はそうだけど、そうかと思っただけ。でも、抜けた高さのビルを確認はできました。昨日は、天気予報では曇りだったんだけど、それが当たらないで幸い。見通せるほど、晴れていました。だから、歩くと暑くて。下りは、数年前、勢いをつけて山下りをして踵を傷めた思い出があるので、慎重に。2人に、かなり遅れてしまったけれど、これは仕方ありません。体重を思いっきり足にかけて歩くのは、あれ以来、NGなのです。マスクをして、暑いと感じると、余計、きついものです。下に降りると、電車に乗って、伏見桃山へ。大手筋にある居酒屋へ。子ども連れで、初めて入る居酒屋。Dは、お昼ご飯も食べ、四辻でソフトクリームを食べ、ここでお寿司を食べ、完全に食いすぎ。大人二人は、昼間からビールで乾杯。普段、ビールを飲まないものだから、美味いね。いつもだと、お昼寝時間にこないなことをしているため、Dが落ち着かなくなってきたのを潮時と、出ることにしました。いい午後でした。今度、音楽会に連れて行くことを約束して、お別れ。いい感じに育ってくれています。Sにも会いたいな。


2022年 1月 30日(日)午前 6時 6分

 昨日は、お出かけなしだが、オンライン配信を予約してあった日。それが、午後の一角を占めたのが、ただのお出かけなしとは違った。その配信とは、京都文教大学の行っている「宇治茶文化講座2021」の第6回が、「日本茶輸出の最前線」というお題で行われたものでした。その内容は、①講演「2021年度 米国における日本茶の状況 JFOODOの活動」(武田三/JFOODO日本食品海外プロモーションセンター)②トーク&お茶の淹れ方体験(古川嘉嗣/株式会社古川製茶取締役、森正美/京都文教大学副学長)。宇治茶関連の配信、これで3回目かな。なかなか知らない、おもしろいお話を聴けるというので、時間が合えば登録しています。今回は、茶の輸出がテーマ。まず、①で触れられたことをメモっておきます。「緑茶輸出は右肩上がり、2021年は過去最高で、その約半分はアメリカ、EUへは緩やかな上昇」「輸出先国でアメリカに次ぐのは、台湾、ドイツ、シンガポール、香港、、、」「アメリカ向けは74%が抹茶、業務用(ハーゲンダッツ、スターバックスなど大手チェーンへ)」「アメリカの緑茶市場の39%が日本からのもの、今後の成長も見込める、ただ、店頭では埋もれ気味、輸出のほとんどは業務用」「アメリカ市場では、コーヒーとは比べられないほど、市場規模が小さい」「アメリカで日本緑茶は、この5年間で、販売量は約1.3倍、販売金額では2倍、有望な市場」「緑茶の飲用頻度が高いのはミレニアル世代」「ミレニアル世代は、商品の生産過程や生産者のストーリーなど、商品の背景情報を重視する」「SDGs/ESGsに対する意識は全世代で高まってきていて、中でもミレニアル世代に高い」「マインドフルネスへの関心が高まってきていて、特に外出がままならない昨今、関心が高まる」「電子商取引/ECの成長が著しく、コロナ禍で一層関心が高まり、茶の市場でもシェアが高まっている」「日本茶にはテニアンが豊富に含まれていることから、マインドフルネスに有用」「日本茶にテニアンが多いのは“覆い”という栽培工程を持つから」「2021年度の戦略、ターゲットとするアメリカの“ミレニアル世代+頭脳労働者”に、オンライン施策を通じて“日本茶=マインドフルネスビバレッジ”のコンセプトを浸透させて、ECサイトでの購入に繋げる」。最後の戦略については、具体的に、スマホを使ったプロモーションサイトを見せていただけました。状況分析から、販売戦略に至る、マーケティングのお話、おもしろい! こういった、日本茶の輸出の最前線に立たれるお話を受けて、そういった海外ニーズに対応して、茶生産農家は、どのように動いているか、それが②。マインドフルネスにつながるオーガニックでの茶生産を試みられている古川さんのお話も、正に最前線のお話です。欧米、特にEUへの輸出となると、オーガニックでないと無理。お茶を求める購買層自体が、かなり知的な層という印象を、お話を聴いて思えたのですが、いや、EU全体が、既に舵を切っていると考えた方がいいのかもしれないし、今後、どのように動くかを考えると、その流れでしかないのだから、そこに焦点化していかねばならないということでしょう。現時点で1割、来年、再来年と1割ずつ、オーガニック栽培を増やしていく計画だそうですが、日本で、オーガニック栽培の認定を受けるのには、時間がかかるという点があるのが背景にあるのと、実際、オーガニック栽培を可能とするためには、虫の被害対策との関連で、慣行栽培(従来型の栽培)をしている畑とは分けねばならない。現に、古川さんの畑が分散していることから、オーガニック栽培が可能になっているとか。両者を並んで栽培すると、虫の被害が、慣行栽培の茶畑に影響が及び、えらいことになっちゃうということのようです。虫の被害は、気温が上がると大きくなるので、早稲の茶を用いるという方法を採ったり、慣行栽培とは異なる肥料を使ってられるようです。有機肥料の中には、魚(にしん、かつお、骨粉など)を肥料として使うのが慣行だそうです。思わず、「牛の丸薬」に出てくる「干鰯」が頭をかすめてしまったけれど、もっとお値段のかかる魚を使っていますね。ただ、オーガニック栽培の茶は、味が落ちるとの認識があるので、それとの戦いでもあるとのお話でした。おもしろいですね、これ。ましてや、普段、そうは聴けないお話なものだから、とっても、新鮮なのがいい。とても、満足度の高いものでした。
 残りの午後の一時は、オペラ配信。ハノーファー州立歌劇場の「フィガロの結婚」の続きです。2幕のケルビーノのアリアから観直しました。冒頭ののけぞった演出に比べると、そのような驚くような演出は、まだ出てきていない。わちゃわちゃ感が出ていて、おもしろいことはおもしろい。アル中に仕立ててあるからか、コンテッサが、かなり下世話なキャラになっていることと、下僕らを登場させて、リアルな本寸法的雰囲気もある、ま、だから、わちゃわちゃ感が出ているのでしょうね。村の女たちは、だから、一層に下世話と、合理的。結局、2幕の終わりまで。なかなか前へ進みません。
 隙間狙いの落語は3席、次のようなラインアップ。①柳家一琴「磯の鮑」(2013/9/15 らくごカフェ柳家一琴の会)②古今亭志ん朝「首ったけ」③柳家小せん「秋刀魚火事」(2020/10/22 第111回板橋落語会)。①は、前日のリベンジ。今度は、しっかりと聴けました。与太郎が吉原へ行きたいというので、周りの者がからかうところからスタート。吉原のしきたりを教えられて、そのまま先へ先へと、教えられたことを喋ってしまう、仕込みとばらしの噺だけど、そのしきたりが細かく入っているのが、ちょっとした民俗資料的で、おもしろい。でも、与太郎ものは、引いてしまいますね。②も吉原もの。これが、なかなかいいネタ。そのわりには知らなかった。女郎にコケにされた男が、腹いせにご法度の向かいの店に入り、これ見よがしに、あらたな女郎のなじみになる。ある日、吉原で火事だというので、見物に行くと、コケにした女郎が逃げてきて、お歯黒どぶに浸かったところで、当の男と目が合い、下げになるというもの。コケにするとか、これ見よがしとか、そういった噺になると、志ん朝の口演は、最高度に聴かせますね。いいわ、この音源。③は、偶然見つけた知らない噺だということでピックアップだったんだけど、これが、またしても寝落ち。また、今度、聴き直します。


2022年 1月 29日(土)午前 6時 39分

 昨日は、今年になって初めて、アスニー京都に行った日。おなじみの「アスニー特別講演会」があったからですが、昨日は、「鈴鹿山麓混成博物館共催/聖徳太子歿1400年」と銘打たれたイベントでもあった。2月22日が、その日だそうで、近江に、聖徳太子関連モニュメントが多いということで、「近江の聖徳太子文化の魅力」と題した講演会が開かれたというわけです。講師は、NPO歴史資源開発機構主任研究員の大沼芳幸さん、以前も、アスニー京都での講演を聴いたことがある、とっても、語り口のいい方で、聴きやすい記憶があったのですが、昨日も、正に、その通りになりました。 まず、「近江に多いと言われるが果たしてそうなのか」と実証されるところから、お話は始まりました。大正時代に認められた全国の社寺総覧的な本に記されている聖徳太子縁起を持っていたり、聖徳太子の作ったという言い伝えが寺の建設、また、仏像の制作に残っている寺社のピックアップ作業をデータで示されると、確かに、近江が群を抜いている。大阪や奈良と言った、著名な聖徳太子絡みの建築物が残っている地域を、遥かにという形容が付いてくるほど抜けていました。で、お話は、聖徳太子が近江で何をしたかではなくて、近江に聖徳太子縁のものがあるのかを問題にされていました。聖徳太子伝説的なものは全国に散らばっているわけですから、なぜ、それが近江に多いかが問題なのです。聖徳太子が、1つのデザインのようにして、没後、各地に現れてくるという事実があります。これは、「日曜美術館」でも聖徳太子絡みの作品を紹介したことがあったので、よ~く解っているどころか、そのくらいの知識は持っているつもり。確かに、仏教に関わって、大きな功績を残したことは事実。それが肥大化する過程を追っていただけたのが、昨日のお話でした。近江の聖徳太子の特徴として、次の点を上げられました。①聖徳太子開基伝説のある寺院は、圧倒的に天台宗寺院が多い②それらの寺院は山に建っている③聖徳太子制作と伝えられる仏像は圧倒的に観音が多い④渡来人の文化と重なる。①に関しては、驚きの「転生」話で権威付けが進んでいきます。「南獄大師慧思(中国天台宗祖智顗の師)→聖徳太子→最澄」という「転生」という思想だというのです。「慧思→聖徳太子」は、鑑真が渡日の際、当時、横行していた私渡僧対策として考案したもの。最澄はとなると、南都仏教対策で、最澄自身は智顗の弟子であり、慧思は聖徳太子に転生しているから、自身は聖徳太子の弟子となると言い、南都仏教からの圧力に抗したと言います。それが、時を経て、「弟子」から「転生」へと、話が盛られてしまったというわけで、天台宗に聖徳太子縁のものが多くなるという次第。③に関しては、天台宗は、加持祈祷で現世利益をもたらすという主張を持っています。それに関わり、現世利益をもたらす菩薩としての観音が活躍し、庶民の間で観音信仰が人気となるのは、黄紺でも知っている。その観音には三十三変化という得意技がある。これは、様々な形で、衆生の前に現れ功徳を垂れやすい、これが、聖徳太子にも応用されたということです。その現世利益となれば、②と関連してくる。山、そこで生きる人、また、そこを源とする水の世話になる人、キーワードは「水」、その開発技術となれば④が絡んでくる。若狭方面から琵琶湖を経て抜けやすい地理的環境であったため、渡来人が多い、この近江は。このネタは、帝塚山大学のオンライン配信による講演で聴いているので、黄紺にもピンと来るトピック。最後は、そういった山にある、湖東の聖徳太子縁の寺院を、それらの寺院の持つ縁起のイラストを交え、しかも、何十年に一度という秘仏の紹介もあり~の、素敵な山中の風景の中に佇む寺の画像を、たっぷりと見せていただけました。黄紺は、湖東の寺院周遊、まだ、ほんの僅かしかしてないので、そそられてしまいました。思いがけない「転生」話に驚きいっぱいのお話、楽しいです、これだけ、知的に刺激されると!
 帰宅しても、まだ、午後1時半。これは、帰り道は、自宅最寄り駅1つ手前駅で降りて、しかも、買い物がてらに迂回コースを取り、ウォーキングをしながら帰って来るもので、こないな時間になるのだけど、午後の一時は普通に取ることができたということ。ただ、朝っぱらから出かけて、ウォーキングもたっぷり目に取ったため、ここで、寝落ちの連続だったけれど、それを承知でメモっておきます。次の2本です。①三遊亭圓生「文違い」(1978年)②柳家一琴「磯の鮑」(2013/9/15 らくごカフェ柳家一琴の会)。いずれも、吉原もの。①は、女郎を間に、騙し合いの連鎖という噺。女郎が、男3人の間を渡り歩きながら騙し騙されの物語。女郎が騙されるというのが痛快だったのかなぁ、それだけ、騙された男が多かったことかという印象。そう思うと、あまり好きにはなれない噺です。②は、「祝いのし」の移植版かと思い聴いたのですが、そうではなかった。珍品のようです。しかも、与太郎が吉原に行くという噺。これ、半ばで寝落ちしたので、流れが判らないので、また、聴き直します。
 午後の一時、もう1つは、「フィガロの結婚」(ハノーファー州立歌劇場)の続き。冒頭の驚きの場面ほどには、その後は、驚きがない。舞台全体のシルエットが、なかなか素敵。ちょっとした影絵的なシルエットに、衣装はテキスト通りを若干デフォルメした程度に留めたのが、いいバランスを為している。ケルビーノに、かなり卑猥な動きをさせているのが、動きとしては、最大のデフォルメ。2幕に入ると、コンテッサはアル中でした。酒瓶を口にくわえながらベッドでふて寝しながら、アリアを歌っていました。ただ、その後、2幕の終わりまで寝落ち。だから、実質的には、あまり進んでいない。これも、そのアル中のアリアから、もう1度、視聴することにします。


2022年 1月 28日(金)午前 5時 53分

 昨日は、結果的には、全くお出かけなしの日になった。というのも、一昨日、急に出かけようかの気になったのだけど、それを思いとどまった結果なのです。事の発端は、笑福亭生寿のTwitterでの呟き。更に、その伏線があった。火曜日に、「城陽の喬介」の会場で出逢ったディープな落語ファン氏との会話。先日の「小鯛・二葉の会」のトークで聴いた話を伺ったのだ。今週は、小鯛の噺家新人グランプリ受賞記念ウィークが繁昌亭で行われているのだけど、昨日の木曜日に70人の小学生の団体が入っている。その他にも、17.8人の団体も入っている。今週までは、繁昌亭は定員の半分で興行を行っているから、定員は105名、その内の大半が、受賞ウィークの意味が解っているとは思えない団体客、それは、せっかくの興行なのに、小鯛が可哀そう。しかも、小学生は、下校時刻の関係で、中入りで帰ってしまう。70人の席が空席に替わるというのです。これは、ひどい話。そんなので、よく団体予約を受け付けたものだと、怒りは繫昌亭に向かっていました。ところがです、その話を聴いた日の晩、生寿が呟いたのです。生寿は小鯛と同期で、その関係で、記念ウィーク特有の口上の司会を務めるということもあったのでしょう、「完売だったはずが、大変なことになっています。助けてください」と「超拡散希望」の文字を添えて呟いたものだから、ましてや、その前提があったものだから、これは、可哀そう過ぎる。一生に一度しかない出来事なのにと思うと、1人分でも助けようの気になったのです、一旦は。コロナ禍のなか、ついに大阪に行こうとまで考えたのですが、断念しました。というのは、この週初めから、今度の日曜日にDを連れ出す話が進んでいることと照らし合わせたのです。ここまで我慢をして、感染防止のために大阪行きを慎んできて、1年近く会ってなかったDと会える日が近づいてきているのに、万が一、感染でもしてDと会うことはできないと思うと、自重するしかなかった。ごめんの気持ちです、繫昌亭へ行けなくて。
 そんなで、普通の日となると、定番の日に2回のウォーキング、あとは、午後の一時のお楽しみに尽きる一日。前半は、落語の視聴、後半はオペラ配信、その間には読書といった日となりました。落語は2本、①春風亭一之輔「猫久」②4代目三遊亭萬橘「普段の袴」をピックアップ。①は、「猫 落語」で検索をすると引っかかってきたもの。「猫久?」という感じで、全く聴いたことのないネタでした。不思議な展開ですね、猫のような男が題名になっているけれど、噺のきっかけだけを与えるだけに登場、また、噺の展開も、序盤を聴かなかったら良かったというもの。要する、大層なことが始まるのではと思わせぶりたっぷりだけど、噺には関係ないという、ずっこい展開。猫と呼ばれる男の意外な行動を聴いた侍の反応を、おもしろがった江戸っ子が真似をして、上手く行かないという、ありふれた展開に驚くしかないネタでした。噺の骨子は、仕込みとばらしというもの。テイストは上方風だけど、侍が出てくると、そうではないわね。②は、逆にポピュラーなネタを探していて、そのニーズにあった噺。萬橘ものを、YouTubeの動画で視聴するのは初めてと思います。きつつき時代に、円楽一門の定席お江戸両国亭で聴いたことがある。これも、①同様に、仕込みがあり、ばらしがある展開と言えばいいか。これも、侍が出てくる噺でした。結局、侍繋がりのネタを、今を時めく2人で聴くことになりました。
 オペラ配信は、「ラ・チェネレントラ」を完走。再会の場面となる最終幕から。バレエの人たちのダンスは、絶えることなく続きました。徐々に慣れてくるにつれ、人が出過ぎて困ったなと思える場面もあったけど、これが、このプロダクションの持ち味。でも、2幕では上手いなぁと思ったけれど、3幕に入ると、冗長にも観えてきてしまった。現金なものです。残りが30分ほどだったので、時間があったということで、もう1本、選んだ。ブッフォものが続くけど、最新作の配信があったので、飛び付いた次第。この1月20日に上演された、ほやほやの新作。ハノーファー州立歌劇場の「フィガロの結婚」(リディア・シュタイアー演出)です。冒頭、ちらっとだけ、歌劇場の外観が映った、それだけで、うるうるきそうになっちゃいました。ついでに、贔屓にしていたトルコ人経営のホテルのこと思い出した。ドイツのホテルで、顔を覚えられている数少ないホテルなのです。そんなことはどうでもいいけど、このプロダクション、何かやってくれそうです。冒頭、ラストシーンから始まり、暗転、序曲が始まり、そのラストシーンから抜け出したスザンナが道案内するかのように、オケピットの周りをうろうろ、やがて幕が開き、横スライド形式の舞台の幕が開く、そこに吸い込まれていくスザンナという流れ。装置は、特段、珍しいとは言えない。衣装もそうだ。ただ、バルトロとマルチェリーナの相談の場面となると、舞台が横スライド。合理的だ。冒頭とは違う場面だからね。この細かな場面転換を、この先も使っていくのだろうかと思ったところで、時間切れ。オペラ紀行の後半では、このハノーファーとブレーメンに行くのが楽しみだった。だって、凝ったプロダクションを期待できたからね。これも、こないな感じで始まってくれたから、したり顔の黄紺なのです。先日の「トスカ」のときのように、時間があれば、一気に観てしまいそうです。


2022年 1月 26日(水)午後 11時 5分

 今日は、午後に映画を観ることにしていた日。今、京都シネマで「ペルー映画祭」が行われている。ペルーの映画は、確か、観たことがなかったはず。南米では、ブラジルやアルゼンチン映画止まりなものだから、観ておきたいと思ったのだけど、パンフレットを見ると、ドキュメンタリーものが多く、テーマを見ても、さほどそそられるものが見当たらない。映画の紹介文を眺めても、そそられないのだ。でも、この機会を失うとという思いで、1本をピックアップ。ちょっと無理からのピックアップということだったからかなぁ、かなり居眠りをしてしまって、これだと、無理しなければ良かったと、あとで後悔。そないな映画だけど、メモっておくことにします。映画の題名は「くもり空の下で」というもので、3人の女性の、全く異なる3人の生きる姿を描いたもの。1人目は、梗概を見ると、「アマソンに暮らす」十代の少女となっている。アマゾンかどうかは判らなかったけれど、ジオゲッサーやってる風に、ぱっと見的に言うとミャンマーの風景。その地方都市の郊外住宅地といった風情。だけど、それが、物語に影響しているとは思えない内容。家に寄留することになった叔父、その若い男が気になる少女、なんとなく、でも、意識して近づいていく。それを感じた叔父、ある日、スコールのなか、濡れたまま家に帰ってきた少女に、タオルを渡す叔父、長椅子に腰かけ、佇む2人が、やがて関係を持ってしまう、それだけの物語。2人目は、一転して、都会。ハイキャリアらしい中年の夫婦。冒頭で、妻の方が一人でいる姿が映り、何やら薬を飲むが、何の薬を飲んだのかは判らない。次いで、夫婦が産婦人科の医師を訪ねて、子どもができないことを相談している、ん?、あの薬はピル? ここで寝落ち、気が付くと、妻が、誰かわからない男と喋っている。子どもを作れない苦悩を語っている。どうやら、以前、子どもがいたようだけど、事故死させていたよう。でも、なぜ、この男と、そないな話をしている? しなだれかかろうとする女、、、、この2人の関係が判らないまま、終わってしまった。3人目は、アンデス山中に暮らすケチュア語を話す女性、初老という年齢。突然、息子が帰って来る。立派な青年になっている。何をしたのか服役していたと言う。ただ、模範囚だったようで、服役期間を短縮されたと言う。息子の風貌から判る年齢からして、そないな長期の服役とは思えない。息子は、ケチュア語で応対するかと思うと、スペイン語で話す。ケチュア語を忘れてはいないけど、普段はスペイン語を使い慣れているよう。普段は、母親は、一人暮らしのよう。町に出ると、娘がいるらしく、街角の電話で娘と話し、息子のことが話題になっても、息子が戻ってきていることは言わない。娘の方は、息子が服役して釈放されたことを知っていて、「訪ねて行ってないか」と尋ねるのだけど、母親は「来ていない」と答えている。その辺の心は、軽い寝落ちを、ここでもしたからか、判らずじまい。そして、何かあったという記憶はないけど、また、息子は去って行き、母親は一人になるという物語でした。その辺りに経緯があったのかもしれません。何かあったとしたら、寝込んでいたということで、なかったならば、そうではなかったということですね。とまあ、実にひどいですね、己の姿が。これだったら、民博の映像資料じゃないけど、ドキュメンタリー映画の方をチョイスしておいた方が賢かったね。
 あまり時間もなかったけれど、隙間狙いの落語の視聴も、少しだけどできた日。3本ともに上方落語でしたが、そのラインアップは、①桂まん我「替り目」②笑福亭松鶴「初天神」③笑福亭喬龍「手水廻し」(2020/9/22 正光寺)。①は、喬介の「替り目」じゃない「替り目」を聴きたくなりピックアップ。でも、テイストが、まん我なのに、喬介と五十歩百歩的口演に聴こえた。今の言葉が入ったり、感性が入るということです。そうでないレトロなものを、まん我で聴けるかと錯覚してしまった我が身の不幸、でした。②は、6代目の「初天神」ってと思ったのが、ピックアップの動機。この音源、玉置宏がMCをした番組の録音です。危ないけど、消されない内に聴いておこうということもありでのピックアップでした。玉置宏の語りを省けば、正味20分を超えないもの。それで、最後までやってます、「凧あげ」って、6代目、言ってました。言い換えがあっても、この言い換えは言い換えとは気づかないね。そんなだから、全体的にはしょってます。フルヴァージョンの音源って、残ってんだろうか、気になってしまいました。③は、現松喬の口演かとおもってアクセスすると、その前に喬龍が出てきたので、飛びついた。後から出る松喬の方は、音声がひどく聴いてられないけど、この喬龍の高座は大丈夫という、変な配信。おかげで、喬龍の口演を聴くことができました。コロナ禍のため、こないな形で、初遭遇となりました。教えられた通りを懸命に演じているという段階です。そう思えるということは、落研の嫌な手垢の付いてないといことかなと思いながら聴いていました。


2022年 1月 26日(水)午前 6時 54分

 昨日は、当初、午後に落語会に行く予定だけが入っていたところ、急に、3日程前に、連絡が入り、オンライン配信で、大学での授業の一環として行われる講演を聴けるようになったため、とってもタイトな一日になるところだった。だったというのは、そう予想していて、そうはならなかった。雪のおかげです。今、トルコは、大変な雪。イスタンブルなどは、交通量も多いことがあり、完全にマヒ状態のようだから、その関係のニュースが先行して、コロナは背後に追いやられてしまっているということで、朝方、時間ができてしまった。だから、オンライン配信が、午前9時開始だったにも拘わらず、それより前に、いつもの昼前のウォーキングの8割ほどを、できたくらい。で、余裕をもって、オンライン配信にも臨めた。この配信、先日も、同様のものを視聴したんだけど、今回もそそられるテーマが用意されていました。京都精華大学で、ウスビ・サコ学長自ら「自由とは何か」をテーマに講義を行っている、その一環のものです。昨日は、「アートと自由」というテーマで、京都大学名誉教授で同大学芸術研究科教員の岡田温司さんの講演があり、更に、学長だけではなく、大学時代岡田さんの指導を受けられた同大学副学長の蘆田裕史さんらも加わっての意見交換も視聴することができました。講演を、「自由を奪われてきた人たち」「レイシズム」をテーマに絞り、それに、どのように美術が関わってきたかを扱い、キリスト教美術の負の側面を紹介していただけました。扱われたモチーフの1つ目は、旧約聖書の創世記の物語にあるノアの3人の子どもの内ハムを呪い、奴隷になることが定められているとしたエピソード、もう1つは、アブラハムの子どもイシュマエルを産んだハガルとを追放したエピソード。これが、その後の、絵画で、どのように扱われてきたのかを追いかけるというのが、お話の骨子。取り上げられた絵画では、「TOマップ」の3区分にノアの3人の子どもが配置され、中には、ハムをムスリムとして描いているのがあったり、ミケランジェロの描いた「システィーナ礼拝堂壁画」、カラヴァッジョに先行する作家モレットの「ノアの泥酔」、20世紀のジェームズ・ティソの「ノアの泥酔」と、時代を飛ばしながら紹介されることで、刷り込まれが続く姿が紹介されました。モデスト・ブロコスの「ハムの償い」では、世代が進むにつれ、肌の色が、段階的に黒から白へと変わるという「償い」が表されるという強烈なものもありました。優生学思想が重なっているものですね。ハガルとイシュマエルも同様で、「サン・イシドロ大聖堂のタンパン」、「教訓化聖書」では、ハガル母子の追放を、ユダヤ人追放と同じ図像で描き、ニコラス・マースの「ハガル母子の追放」に描かれたハガルはロマを表す帽子(平たい帽子)を被っていたりします。ルカ・ジョルダーノの「ハガル母子の追放」、アントン・マリア・エスキベルの「荒野のハガルとイシュマエル」のハガルも肌の色が浅黒い、カミーユ・コロー「荒野のハガルとイシュマエル」、ジャン・フランソワ・ミレーの「荒野のハガルとイシュマエル」と、こちらも、時代に関係なく、このモチーフが、繰り返し現れます。次いで、「肌の色」というトピックが、既に、2つのモチーフにも出ていたことから、そのトピックに焦点が当てられました。エチオピアの女王シバの肌の色が、逆に白いピエロ・デッラ・フランチェスカの「ソロモン王とシバの女王の出会い」では、連れてきた召使いも白い肌です。同様の「シャルトル大聖堂外面彫刻」、ジョットの「キリスト嘲笑」や「ノートルダムのいとも美しき時祷書/キリストの鞭打ち」といった作品では、キリストを打つ者として黒人が描かれ、パオロ・ヴェロネーゼの「聖ジュスティーナの殉教」も同趣旨の描かれ方、マッテオ・デ・パチーノの「黒い脚の奇跡」、イシドーロ・ビロルドの「黒い脚の奇跡」というおぞましいものまでありました。なんせ、黒人が生きたまま脚を切り取られている図柄ですから。蘆田さんは、そのコメントで、「白人の若い、やせ型、、、が美しいとされている」という現象を想起すると、最近、よく耳にする「ルッキズム」に触れられていました。何気なく「美しい」という言い方、それは、「好きの集成」であって、美しいとされてしまっている、客観的な基準にいつの間にかすりこまれている、そんなのは客観的基準でも何でもないんだけど、これが繰り返し起こることで、背中合わせに排除が起こるということですね。刷り込みの業ですが、このキリスト教美術に現れたものを、そういった類比で捉えたお話をされていました。サコさんが、おもしろいこと言われていました。絵画は、視覚情報として残されているため、そこに描かれているものは、そこに描かれたものは「ある」と解釈していくことになってしまう。アプリオリに、描かれたものは存在するということですね。排除される者、されるべき者が黒い肌をしているという絵ならば、「黒人は排除されるべき者」と、観るものは疑わないということを言われようとしたと解釈しました。そして、こうも言われました。アートで作られたものなら、アートを通してなくすことはできるのか? これは唸った。質問を受けた岡田さんも、考え込まれてしまってました。おもしろかった! 図像学が好きなものだから、もう興味津々でした。1つ、質問を入れました。「チェンストホヴァで黒い聖母を観たことがあるのですが、どのように考えればいいのでしょうか?」、岡田さんの回答は、「地母神信仰との交わり」があったのではとの指摘でした。「黒い聖母信仰」が、ヨーロッパの各所にあることをご存知の上での回答でしたから、そうなのかもとは思いました。
 午後の落語会は、おなじみの文化パルク城陽プラネタリウムであった「城陽で喬介 in プラネタリウム」でした。初めて、喬明の落語「犬の目」を聴けました。患った男のキャラが安定してないのが、ちょっと気になったけれど、それを埋めても上回ると思ったのが、医者のキャラ、これがいい。口をとんがらがしたような喋りぶりが、患者をあしらっているというか、軽くいなしている雰囲気が出ていて、気に入っちゃいました。こういった喋り方って、喬明しかできないかもしれません。俄然、「金明竹」をやるそうですから、聴いてみたくなりました。喬介の3席は、「動物園」「ねずみ」「替り目」。「動物園」は寅年だからのチョイス。喬介の「動物園」は珍しいですね。「ねずみ」は、この会に、初めて行ったときに出したネタ。実は、この「ねずみ」に入るマクラのところで寝落ちしたみたいで、ほぼ「ねずみ」は聴けていない。ほんの僅か、途中で覚醒したときに入った記憶だけで、「ねずみ」だと判る程度。もったいない! このあと、中入りが入り、恒例の「冬の星座」が入ったおかげで、「替り目」は大丈夫だった。喬介の「替り目」、聴きたかったのです。ネタにしているのを知っていながら、しかも、いろんな会で出しているのを知っていながら、聴けてなかったもので。喬介らしくないネタですものね。お酒のネタだし、夫婦ののろけが入るかと思えば、嫁ぐ娘への情愛も出てくる、どれをとっても、今まで、喬介の扱ったネタには見受けられないもの。とっても、漫画チックに描こうとしていました。いや、過剰にと言っていいくらい。だから、夜の遅い、世間が寝静まった雰囲気は、全くなし。そこでの、ぐずぐずのおやっさんを期待してもダメ。だから、テキストの可笑しさを追いかけたと言えば、いいかな。それを解った上で振り返ってみて、やはり、散々聴いてきた「替り目」が邪魔をして、喬介の口演を受け入れられない黄紺なのです。


2022年 1月 25日(火)午前 5時 45分

 昨日は、お出かけなし、オンライン配信も受けないという一日。黄紺の予定表には、先に予定されているオンライン配信を受けるための予約開始日が1件入ってただけ。だから、お出かけは、日に2回のルーティンにしているウォーキングだけ。一昨日のウォーキングが少なめだったため、取返しを狙ったんだけど、さほど伸びたとは言えなかった。トルコのコロナ情報収集、サッカー情報収集が、わりとあったので、それなりにタイトな一日。サッカーは、国際マッチデイを前に、この1週間に、試合が2つ組まれた。Jリーグもそうだったけど、コロナ禍で、降格なしで行ったシーズンが出たため、クラブ数が増え、結果、試合数が多くなっている。元に戻す作業中なんだけど、トルコ・リーグは、まだ、1部だと2つ多い構成。毎年、1月はブレイク期間だったけど、そうはなってないのが現状。そこへさして、気候変動の影響を受けたのか、雪に悩まされている。イスタンブルが大雪だということで、開催が不安視されていた「ガラタサライ vs トラブゾン・スポル」戦も、無事に開催。それにつけても、ガラタサライが酷い。ゲドソン・フェルナンデスが、まもなくやって来るので、修正はされようが、あまりにも勝てない。ベシクタシュも、勝てない時期があったし、フェネルバフチェも、すっきりしない。ビッグ4の内3クラブまでが、成績不振で、監督更迭を経験している。有力クラブばっかが、優勝争いをしているというのも新味に欠けるけど、それらが、軒並み不振だと、おもしろくない。フェネルバフチェに勝ってほしいけど、そんなに弱いチームに勝っても張り合いがない。結局は金の問題と、補強面での目の付け所が狂っているからでしょうね。それを考えると、トラブゾン・スポルの補強が上手い。弱いところを押さえ、伸びるなら、思いっきり伸ばそうの狙いが当たりに当たっている。あぶれた中でも、現役、過去の代表選手までがレンタルに出されるほどの充実ぶりで、独走態勢も納得させるものがあります。フェネルバフチェなんか、トルコ人選手3人は、アイクト・バユンドゥル、イルファン・ジャン・カフヴェジ、セルダル・アズィズって名前を見ると、いずれも代表の肩書を持つ。となると、外国人選手の補強がうまく行ってないというところ。やっぱ、フェネルバフチェだけではないけど、お金がないんでしょう。この間、やたらレンタル移籍が増えている。お試し期間としてのレンタル移籍、いい選手だから、来季もレンタルでとなっても、出す方は見抜いているから、レンタル料が高騰すると、途端に手が出さなくなってしまう。手を出しやすいのが、トルコ・リーグで活躍する選手たち。実績があり、安い。そこに、ビッグクラブが、ちょっと多めのギャラを用意すればいいんだから、動きやすい。そういった選手を集めれば、使えなくても、他のクラブの力が落ちるという考え方があるのではと思ってしまう。売る方は売る方で、金になるから売るという関係性が出来上がっていますね。徒然なる、トルコ・リーグ私見です。
 午後の一時は、オペラ配信を楽しんだ。1幕まで観ていたボローニャ歌劇場の「ラ・チェネレントラ」の続きを観た。機械仕掛けの人形ぶりのバレエの人たち、従者には役者が入っているのかな、そういった人たちによる小物の出し入れで、場面転換を行うと同時に、人のいる空間と、ひそひそ話のような人のいない空間を、うまく分けている。舞台の広さは同じままで、照明で空間の広さを調整しないで、その空間の広さを出しているなの印象。その切り替えが上手く、観ていて、情景が判りやすく、1幕で、ちょっと退屈かと考えていたオペラが、急に楽しくなってきた。1幕では、わざとらしいバレエも、逆に楽しさを支える重要な要素に観えてくるから不思議なものだ。3幕に入り、クライマックスに入ったところで、時間切れになったんだけど、嵐の場面も、バレエで表していたのが印象的。歌手陣では、タイトルロールを歌うキアラ・アマルが上手い。超絶技巧の歌唱ばかりか、根本となる通る声が魅力。ちょっと仔豚ちゃんが入っているけど、贅沢を言うものではありません。「ラ・チェネレントラ」は、いいDVDがあり~の、生でも、シュトゥットガルトのスーパーなプロダクション&コーラスの見事な役者ぶりを観て~のなもので、目が肥えてしまっているので、どうしても辛口になってしまうけれど、このボローニャ歌劇場ものも、そこそこ楽しんでいます。残りを観れるのは、明日かな? 今日は無理そうだから。


2022年 1月 24日(月)午前 7時 48分

 昨日は、今年初めて、生の落語を聴いた日。1月の下旬に入って、ようやくです。ロームシアターでの「第359回市民寄席」に行ってまいりました。八十八の襲名披露も兼ねたもの、それはそそられるということでのチョイスです。その番組は、次のようなものでした。 八十八・仁智・米平・文華・春若(司会) 「ご挨拶:口上」、あおば「いらち俥」、文華「阿弥陀池」、仁智「出前持ち」、(中入り)、米平「正月丁稚」、八十八「景清」。「口上」には、兄弟子の米平、同期の文華、それに会長と、とっても合理的な顔ぶれ。春若は、この口上のためにだけの登場。さすが番組編成委員長、です。同期は、別に、銀瓶、わかば、それに、止めた瓶太。「はやかぶの会」なんて、懐かしい会の名が出てました。「口上」が冒頭に置かれるという珍なる番組編成。改めて、あおばが登場。若いと思っていたあおば、「いらち俥」で、後半は息が上がっていました。単なる、運動不足? 誰にもらったのでしょうか? 微妙に違う箇所が入ってました。コロナ禍のため、文華は、ホント、久しぶり。ラッキーなはずだのに、昨日は、ここで居眠り。「過ぎし日露の戦いで」の直後に寝落ちしたみたいです。会長で覚醒。「出前持ち」というネタ、ネタ出しのところで、よく見かけてながら、初の遭遇で、バンザーイの気分。前半のまぜっかえしは、頗る付きでおもしろいんだけど、後半になると、かなりのトーンダウン。先が読めてしまうきらいがあるので、そう思ってしまったものと思います。「正月丁稚」を、生で聴けるのは、やっぱ、嬉しいものがあります。ホントのホントの季節限定なので、これに当たったことに、感謝しなければなりません。八十八の「景清」は久しぶりじゃないかなぁ。聴き進むにつれ、口演する八十八の周囲に、知らない間に、大きなケージが見えてしまいました。関わろうとしても関わることができないというか、関わらわせはしまいというオーラが出ていたからじゃないかな。言葉を換えるなら、定次郎の孤独と言えばいいかな。そう思わせる力が、八十八の口演にあったからでしょう。終盤、興味のある改変をしていました。雨が降ります。雷の怖い甚兵衛さん、定次郎を放り出して逃げてしまうというのが、通常の型、でも、八十八は、そうはしなかった。観音さんが、姿を消すと、定次郎が、傍らに倒れている男に気が付く、それが、甚兵衛、と同時に、目が見えるようになっているのを、2人で喜び合う。これは、いい改変ですね。ここまで、周りに人がいるとは判らないようにしてあるので、定次郎に、まるで、スポットライトが当たったようになっているという効果も残ります。何よりも、2人で喜び合うというのが、いい。八十八も、当然のように、そこで切り、アホげな下げとなっても、余韻が残るという仕掛けになってました。
 昨日は、雨の日だったけど、いつものように、岡埼から円山公園、清水坂を抜けての観光コースをウォーキング。でも、昨日は、時間がタイトに動いたため、この往復だけがウォーキングの時間。だから、辛うじて、1万歩を超えた程度の大人しいウォーキングとなっちゃいました。
 タイトになった原因の1つは、おなじみの「日曜美術館」を、2回観たことが入る。先週、津波情報で、番組が飛んだので、1週間遅れの再放送がないため、旧作で、且つ、黄紺の観ていなかったものが再放送されたので、夜の放送も観たため、日に2本、観ることになった。朝の方は新作で「天使か悪魔か 建築家 白井晟一」。また、新しい人を知りました。丹下健三のようなモダニズム建築が人気の時代に、それとは逆行する建築を残した男の作品を追いかけるというもの。番組は、映画監督紀里谷和明が、白井の巨大な作品「旧親和銀行本店」を訪ねた映像に、白井の経歴、作品を重ねていくという作り。京都の商家で生まれ、若くして父親を亡くしたため、姉の嫁ぎ先へ。その支援で、ハイデルベルク大学に留学、ヤスパースの指導を受けたことがあるということで、元々は、畑違いの人、労働運動にも関わったり、パリに来ていた林芙美子と恋に落ちたことも紹介されていました。その後の変化については、詳細は触れられなかったけれど、帰国後16年、秋田で、初の建築の作品(秋ノ宮村役場)を残します。その間に、独学で建築を学んだとだけ触れられていました。「旧親和銀行本店」(長崎)は、3期に分けて建てられたもの。3期目の塔状の建物が異様だけど、元は背後に丘があったため、それに添えて造られていた、所謂、自然と一体化した建築だった。表の角に時計が配置され、周囲の建築風景とミスマッチにも観えるわりきれなさがある、1期、2期の建築は、商店街に面しているが、アーケードで全面が見えない造り、調和してない、最初からそのような造り。最後の方で、その仕掛けが判る。アーケードを除くと、きのこ雲状の建築になっているのが見えてくる。屋内のカウンターの空間にも、きのこ雲状の中2階が設えられてある。その中2階の空間には、外の時計のところに上がるために設えられたと同じ階段が付けられている。この「きのこ雲状」というのは、戦後の「水爆実験への抗議」の意思を込めて構想した「原爆堂」計画が、広島で実現できなかったのを、この長崎で実現したもの。白井は、「思想を形にする」という建築家という顔を持っていた。銀行内の家具、調度品も、白井が指示、悪趣味にも見える空間支配。西洋思想を抜きたいという白井の意思の現われが、そのような空間を生み出した。4階ホールには日本庭園(これはびっくりさせられる!)、最上階は展望台を兼ねている。この建築以外で紹介されたものは、次の通り。若干、抜けているものもある。「旧松井貯町役場」「NOAビル」「松濤美術館」「滴々居(自宅)/雨漏りの滴」「浮雲荘(温泉旅館)/林芙美子の作品から名づける」「四同舎」「旧雄勝村役場/内部にギリシア風柱」「試作小住宅/民家、家具も白井がデザイン、東京の学校に通う子どもための家として秋田の医師が注文」「小平の家」「奥田酒造店」。
 2本目も異色の作家さん、もちろん、初めて知る名前でした。「コルシカのサムライ NIPPONを描く 画家・松井守男」というお題。日本を離れ、コルシカで、着物姿で制作に励む作家さん、今は日仏の間を行き来しているとの紹介があったけれど、番組の中心は、コルシカの光と似た光があるということで、松井の気に入った家島での制作を追いかけるもの、時はコロナ禍のもの、日本滞在中、コルシカに帰れなくなった松井は、この家島で創作に励んでいたのでした。その姿だけではなく、家島の人たちに迎え入れられ、島の子どもたちとともに制作に動いたりする姿でした。経歴として紹介されていたのは、次のようなもの。武蔵野美大を出て、パリに遊学。多くの作家の集うパリでは目が出なかった。面相筆に出逢い、それで描き、描き終えたら死ぬつもりで描いた作品「遺言」(1985年)で、世に認められる。「地獄を描いていたら天国を描いていた」、本人の言葉。晩年のピカソと5年間交流があったとか。ピカソの作品に「光を感じる」と言ったことが縁だったと、松井は言ってました。55歳でコルシカへ、13年前から日仏を往来。家島に来るきっかけは、「光の森」という作品(襖絵)を神田明神に描いたところ、神田明神の禰宜さんが、父親が禰宜をしている家島神社でも襖絵を描くことを求められたこと。そこで、その製作が、この番組のハイライトになっていました。13幅の襖絵、白い紙に白い油絵具で、竜の放つ白い光を描いたものだから、カメラが捉えられない。最後の完成作品は、特殊なカメラで、全容を紹介していました。家島には、国生み神話があるけど、その山が、巨大な採石場と化している、そういったことをモチーフにした作品だということでした。その他、家島神社の祭礼用に、子どもたちが描いた絵(クレヨン使用)に、その絵を消さないように、アクリル絵の具を使い、上描きした作品2つ「海の神の恵み」「火の神のエネルギー」。子どもを指導するときの言葉が良かったな。最初、利き手で描かせ、次に逆の手を使い描かせる、「より集中するだろう」。着想が、作品が、ぶっ跳んでいます。いろんな人がいます。これだから、アートの世界はたまんないところがあるんだよね。


2022年 1月 23日(日)午前 6時 48分

 この週末は、京都市主催の催しのお世話になるという予定が入っています。昨日は、京都市交響楽団の定期演奏会。いつも、オンラインでチケットを買い、コンサートホールやロームシアターの近くに出かけた際に、引き取っておくという習慣にしている。当日引き取りも、もちろん可なのだけど、同じような人がいると、それを引き取るだけで、時間がかかってしまうので、予め引き取るようにしている。ので、こういったコンサートがあると、朝の内に、チケットを出かける際に使うカバンに入れておくのも習慣になっている。ところが、昨日は、それをしようとすると、チケットが見つからない。やってしまったかと思いました。だって、そういった習慣になっているので、まず、頭をかすめたのが、失くしてしまったということ。完全に、自分を信用していない。オンラインで買ったときに送られてくる確認メールを探す。確かに、買っている。ところが、そのすぐ近くで、2週間ほど前に行ったニューイヤーコンサートと、今日行く予定の市民寄席のチケットも買っており、こちらのチケットは、同時に引き取り、市民寄席の方のチケットは手元に残っている。なのに、京都市響定期の方のチケットはない。ただ、ある方のチケット2枚を引き取った直後に、ない方のチケットを予約した記憶がある。でも、そういった記憶って、自分に有利な方に作ってしまうことも、過去に経験したことがあるので、自分を信用できない。もう、朝から暗澹たる気持ちになってしまった。だから、腹を決めて、会場まで行き、引き取り場所に行って、「失くしてしまってるかも」と言うことにしようと決めた。ダメなら、ウォーキングに、北山まで出かけたと思えばいいかの気で、でも、嫌な気分、当たり前だわな。そんな気分で、昼前のウォーキングをしていたところ、ほぼ終わりがけのところで、急に、頭に閃いたことがあった。オンライン・ショップって、オンライン上に購入記録、載せてないやろか、いやいや、マイページ的な。個人の購入履歴を用意しているかもしれないと閃いた。ホント、突然、閃いた。早速、PCを開けてみると、予想がドンピシャ。となると、判るはずと、こわもので、該当のコンサートランを開けると「引き取りまだ」というようなことが書かれていた。これで、朝からのもやもやが解決。一つ、賢くなりました。マイページがあるということ、知りました。
 「第663回定期演奏会」のプログラムは、次のようなものでした。①シベリウス:交響詩「フィンランディア」 作品26②シベリウス:交響曲第7番ハ長調 作品105③エルガー:チェロ協奏曲ホ短調 作品85④エルガー:序曲「南国で」 作品50。前半がシベリウス、後半がエルガーという取り合わせが目新しくって、それに惹かれて、このコンサートを選んだようなもの。この日の指揮者井上道義らしい、凝ったプログラミング。チェロ独奏は、当初、ズラトミール・ファンと発表されていたのが、ご多聞に漏れず、来日が不可能ということで、上野通明に変更。それはそれで、聴きたかったソリストだったので、このご時世を考えれば、文句はございません。でも、井上道義、元気でした。確か、ガンを公表していたはずでしたよね。プレトークでは、相変わらずのスタイルで、ちょっと危なっかしいお喋りもという雰囲気だけど、75歳に思えない身の軽さがあります。演奏は、②と④を、しっかりと練習したなの雰囲気。逆に、①は、演奏しなれているので、ちょっと流したかなという印象を持ちました。シベリウスのシンフォニーは、2番が有名すぎるけど、自分的には、最近、1番が気に入り、YouTubeでピックアップして、聴くことがあるほど。2番以後では、この7番と4番が、コンサートでは出ることがあるけど、どれを聴いても、北欧の自然の厳しさが歌われているようで、2番ほど起伏に富んでいない。そういった曲想で、4番は、その昔、東京都交響楽団の演奏、指揮はパーヴォ・ベルグントという組み合わせで、スーパーな演奏を聴いており、生涯の財産になっているのだけど、7番は、恐らく、コンサートで生で聴くのは初めてじゃないかな? 4番に比べると、厳しさは和らぐけれど、傾向は似たものと頭にあるものだから、つい、その気で聴いてしまうけれど、そういう頭があるからかもしれない、えらく弦の響きが優しい。井上道義も、プレトークで、黄紺の記憶と同じようなことを言っていたのに、えらく優しい。これが、とっても印象に残った。こういった音を出してくれると、自分から進んで、7番も聴いてみたくなると、いい経験させてもらったという印象が、強く残りました。特にヴァイオリンに拍手です。④は、存在すら知らなかった曲。北の国イギリス人のエルガーが、南国を見ると、こうなるのかと、そういう気になってしまった。頗る付きの喧騒、何を見て、聞いたら、こういった音楽になるのか、人々の陽気さ? 街の喧騒、空気の開放感、日照り、フェスティバル経験と、「?」が、幾つも続きました。でも、判らなかった、いや、それらを綯い交ぜにしたごった煮的な喧騒感いっぱいの、おもしろい曲だったけれど、終盤手前で、日の暮れを想起させるかのように、ヴィオラのソロが入る。これ、良かったな。小峰航一さん、いい音楽、奏でてくれました。コンサートの掉尾を飾る、引き締まった、でも、喧しかった演奏に満足。③は、このコンサートでのお目当ての曲なんだけど、上野道明という人、「なんで、そんなに出来上がった演奏するの」、これが、その演奏を聴いて思ってしまった。だから、際物的まで言えば言い過ぎだけど、何かやらかしてくれるという、そういった期待感が生まれてこない、若いのに、今から、そないに整った演奏して! これが、もう1楽章で出てしまってました。エルガーは、どうしても、デュ・プレの演奏が耳に焼き付いているため、それとの比較になってしまうので、こう書かざるを得なくなってしまいました。ニューイヤーコンサートのときもそうだったけれど、コンサートへ、客が戻るには、まだまだ時間がかかるようです。月2回公演を満杯し続けていた京都市響の定期とは思えない、寂しい入りだったけれど、黄紺的には、この時期だからこそ、ハードルを下げて、この定期演奏会には通い、生の良さを体感しようとする気が、実際のコンサートに出かけると、より高まったいきました。
 隙間狙いの落語&浪曲、昨日は4本。①桂米朝「始末の極意」②柳家一琴「蛙茶番」(2019/2/17 らくごカフェ柳家一琴の会)③二代目広沢菊春「徂徠豆腐」④林家正雀「かつぎや」(七福神)。①は、先日の「鉄砲勇助」で味をしめて、フルヴァージョンを聴こうというもの。でも、聴いたことのなかったものはなかった。最近、ショートカットされているのが多いので、聴いてないのがあるかと思ったのだけど、それはなかった。カットされることが多いのは、汁物を作るのに鰹節・菜っ葉をせしめるくだり、一銭玉2個で、1個が賽銭に、残りの1個で飴玉を買い、子どもの家に上がり込み、食事から煙草・漬物までせしめるくだりというところか。②は、短めのネタということで、久しぶりに、お下品なネタをピックアップ。③は、広沢菊春の名を見つけて飛びついた。真山隼人くんの口から、何度も、この名前を聴いていて、その口演を聴いたことがなかったから。うまいですね。節の上品さと、啖呵のわざとらしい下世話な口調の落差が、お見事です。④も、時間に合わせて短めのものをということでピックアップ。正月ネタなんですね。「正月丁稚」風でもあり、「けんげしゃ茶屋」ほど大きなネタではないけど、テイストは、それと同じ。呉服屋の「ごふく」と、「七福神」とで落とすように運ぶ、短いネタでしたが、黄紺的には、こういった商家の旧いしきたりの入ったネタ、大好きです。


2022年 1月 21日(金)午後 8時 31分

 今日は、雪の一日。自宅の一部には、雪は、夜半に積もったままの状態で、一日が過ぎた。おそらく、今冬一番の寒い日だったかもしれないけど、どうやら、体が寒さに慣れてきていますね。スマホで確認する気温ほどには、寒さを感じてないのが解るのです。昼前のウォーキングなど、雪の中の傘さしウォーキング。ほぼ、傘をさしてたんじゃないかな。夕方も、まだちらついていたけど、傘さしをするほどではなかった、でも、降ってた。京都の南部で、これだけ積もるのだから、市内の北の方へ行っただけで、積雪量は違って来るはずなので、こんなものじゃなかろうと想像しながらのウォーキングとなっていました。今日は、お出かけなしの一日だったので、ホント、助かりました。何もないのだから、嫌なら外に出ないでいいのだから。日々、トルコの情報を追いかけてると、どうしても、お天気情報も目に飛び込んでくる。最近は、雪の情報に溢れかえっている。サッカーの試合も延期になったのも出てきている。それが、マラテヤだとか、シワスなら、だろうなで済むけど、ガジアンテップでの試合だったのには、目が点になってしまった。イスタンブルも降り続いているみたい。学校の閉鎖とか出ているので、コロナ禍のことかと思うと、そうじゃなくて雪。夏は、洪水で大変だったしと、世界中、どこもかしこも、気候変動の影響が、凄いわ!
 今日は、午後の一時が、かなり狭められてしまった。というのも、一時、消えてしまうのでは、ま、そないなことはないとは解っていても、そう思わせるほど薄くなっていたコロナ情報が、最近、オミクロン株のせいで、めっちゃ増えている。日に2回のコロナ情報チェックで、初めてじゃないかなぁ、夕方に収集したもの全てに目を通せなかったのって。それも、多くの量が残ったもので、それをチェックするのに、かなりの時間、午後の一時を活用したということで、狭められてしまった。結局、落語を2本、視聴しただけだった。但し、その内の1本を聴きながら、丁度半ばで居眠りをしたため、そこのところから聴き直したので、2本半というところが、時間的には正しい。その2本は、①桃月庵白酒「山崎屋」(2018/3/6 銀座博品館)②三遊亭圓窓「そば食い地蔵」。①は、以前、白酒で検索をしたときに見つけてあったもの。「山崎屋」というネタは、聴いたことがあったはずだけど、全く覚えてないこともあり、ピックアップしたんだけど、先日の「五人廻し」でも、あまり好感を持てなかったのだけど、ここでも、そうだった。生で聴いた「松曳き」が抜群だったもので、それだけではなく、「真田小僧」も良かったし、そういった滑稽系とは、同じ滑稽風味でも違う系の「犬の災難」も気に入ったしと、ライヴではいい思い出しかないんだけど、どうも、録音ものになびかないのです。急ぐような感じの早口になじめない。となると、白酒お得意の挿し込みが煩しくなるから、悪循環。②の方は、全く、偶然に見つけたもの。YouTubeでの円窓って、お初だと思います。ネタも、存在すら知らない代物なもので、飛びついた。噺は、どこかの民話から採取したオリジナルなものの雰囲気が漂います。古典ですと言われても、そのまま納得できるものという言い方をすると、創作物のようですが、勝手判断で言うと、そうなのかなと思っています。熱心な信仰を寄せる蕎麦屋夫婦に、地蔵が、人の姿になり客として、その蕎麦屋に現れる。その日以後、客足が伸びるという流れ。もう1度、現れ、そのときには、出て行った倅の姿を見たといって、老夫婦の気を和らげてくれるのだけど、倅は、既に亡くなっていたものだから、老夫婦は、地蔵ではないかと疑念を抱き、礼を言いに出かけると、、、という流れ。北海道の噺としています。珍しいもの聴けました。ウエブ上にある落語のサイトには載ってなかった。ということは、黄紺の想像が当たっているのかな?


2022年 1月 21日(金)午前 6時 41分

 昨日は、お出かけなしの一日だったけれど、雪が降るわで、なかなか大変だった。どうしても、雪となるとひるんでいけないですね。構えちゃうというか。そないな一日だったのだけど、昼間には、市民向けオンライン配信を観ることにした。コロナ禍でなければ、対面での公開講演会となるのだけど、今年は、全面、オンライン配信を続けてられます。京都市立芸術大学の日本伝統音楽研究センター主催の、名付けて「伝音セミナー」。Facebookでの配信は珍しんじゃないかな? そのお題は「曲(芸)弾きを聴く」というもの。このお題を聞いて、すぐに頭をかすめたのが、文楽の「関取千両幟」での曲弾き。文楽にも、もっとあるのなら、それを視聴できる、またとない機会と、わりかし勢い込んで参加することになりました。講師は、同センター特別研究員の薗田郁さんに、コメンテーターとして、同センター講師の齋藤桂さんも加わってのトークも、少しだけありました。内容は、同センターの持つ音源、YouTubeにアップされている動画などを使い、「曲(芸)弾き」を、従前系列的に示していただけました。まずは、紹介された、興味の尽きない数々をメモることにしたいと思います。①長唄三味線/大薩摩「筑摩川」・三味線斗り合いの手尽くし(六代芳村伊十郎、十三代杵屋六左衛門、杵屋浅吉/後四世杵屋佐吉)②地歌三味線/曲鼠/作物・手事物(富山清琴)③義太夫三味線/人形浄瑠璃「関取千両幟」より魯太鼓曲弾き(八代目竹澤弥七、映像には鶴沢寛八の名が流れていた!)④津軽三味線A(白川軍八郎)⑤津軽三味線B/津軽三味線即興曲「岩木山」(高橋竹山)⑥寄席芸の三味線/一挺にて二挺の三味線曲弾き(徳永里朝)、鼓胡弓の音入れ一絃琴(富士松ぎん蝶)⑦八人芸/歌舞伎下座囃子「八人芸」⑧寄席色物芸の曲弾き/楽器の曲弾き(高木東六/横山ホットブラザース)、三味線曲弾き&缶たたき(本田恵一・玉木貞子)⑨寄席浪曲(国本武春)⑩海外の音曲芸(Roy Ckeark)。こういった芸能の音源&動画の紹介の間に話されていたことをメモっておきます。「曲弾きとは? 演奏(音楽)そのものと演奏方法の両様がある」「即興と曲弾きが組み合わさることがある、誰もが聴いたこともない即興でも、型の組み合わせの即興、これが即興の妙味、聴いたこともないものの即興ではなく、受け止められるけど、他の人にはできないと思わせるのが即興の妙味」「曲弾きのパターン、スピードと難しい指使い」「正倉院宝物や敦煌の壁画にも、曲芸と曲弾きと思しき絵がある、琵琶状の楽器を頭の背後で弾くといったものなど、齋藤さんがギターを使い真似をしてくださいました、楽器の裏側を頭に当てないと弾けないのを証明」。自分的に嬉しかったのは、寄席芸を紹介していただけたこと。横山ホットブラースの若かりし頃の高座姿は、凄いわ! 最後は、笛から風船を出したんじゃなかったっけ? 端折られたので、観ることができなかったのが、残念だったけど、目の正月させてもらった気分になってたら、武春さんまで出てきた。超嬉しかった、です。
 隙間狙いの落語も聴けた日でもあった。上方もの2本です。①六代目笑福亭松喬「池田の猪買い」(1992/11/10 第175回恋雅亭/神戸風月堂)②桂雀司(現桂文我)「掛取り」(枝雀寄席)。①は音源だけ。いつもの松喬チャンネルに収納されているもの。晩年の松喬は、やってなかったんじゃないかな、このネタ、そないに思い、ピックアップしてみた。テキスト的には変化のないものです。この人、どの時代のものを聴いても、声が安定していますね。年代を伏せられてたら、いつ頃の口演が見当がつかない。②は、若かりし現文我の口演。すごいメリハリがあり、「枝雀寄席」で出番をもらうに値する口演。浄瑠璃も上手いし、芝居も決まるしと、なかなかスーパーな高座です。若干、今、よく出るのと違うところがあります。死ぬ真似をした去年のことの振り返りで、香典は、大家ではなく別の人が出している、いもを棺桶に差し入れるトピックが入るという点です。掛取りは、順に「相撲、浄瑠璃、歌舞伎」好きとなっていました。


2022年 1月 20日(木)午前 7時 17分

 昨日は、市民向け公開講演会に行った日。でも、行くまでが不安だった。一昨夜、眠れなかったのです。この1週間で2回目。睡眠が、再び、不安定になっています。お腹の調子を崩した日が前回、あのときは、あまりに下痢が続くものだから、興奮状態になってしまって眠れなかった。あれはあれで、納得。でも、一昨夜のはひどかった。一旦、PCを前に寝落ちしたのはいいんだけど、毎日のようにあることだからね、でも、そのあとがいけなかった。午前1時半頃に、横になったら、ひどい腰の痺れ。これで眠れないと思い、早々に起き上がった。痺れも落ち着き、眠い感じになったので、横になったら、今度は眠れそうもない。そんなで、だいぶと横になってたけれど、諦めて、そのまま寝てない。結局、午前1時半から寝てないものだから、大丈夫か、行くだけ無駄という気でいたんだけど、昨日の講演は、特に聴きたいと思っていたお題だったもので、エイヤー、です。行きました。結論から言うと、途中、僅かに眠りかけたところがあった。確かに、僅かに飛んでいる、記憶が。だけど、僅かだったし、昨日は、あっさりと覚醒して、結局は、98%は大丈夫だったと胸を張れるくらい。ひどい睡眠障害にしては、なかなかやると思えてならないのです。で、その講演会は、おなじみの「京都を学ぶ/洛東編」、今日のお題は、「登り窯の受難~清水焼と五条坂の戦中戦後~」というもの。講師は、立命館大学教授の木立雅朗さんでした。もちろん、場所は、京都学・歴彩館、今年初となりました。清水焼については、アスニー京都の講演で聴いたことがある。それは、窯の考古学調査の報告をきくというものでした。現代において、使われなくなり放置されていた窯の掘り出し。調査に当たられた方、「考古学の発掘で、初めてポリバケツを掘り出しました」と言われていたのが、とっても印象的なお話だったもので、よく覚えている。昨日のお話も、五条で発達した清水焼は、多くの観光客を吸い寄せるが、ちょっと悲しい歴史があり、五条坂の風景の変化とも関係があるという、そういったお話となりました。最後は、コロナ禍で、インバウンドを期待できない五条界隈のお話にまで及ぶ、この講演は、きわめて現代的な問題なのです。冒頭で、五条界隈の焼き物の歴史から。粟田焼というのがあったというのは、黄紺も承知している。粟田口界隈は、江戸時代、東海道の表通り、そこに発達した。売れたのでしょうね。それが、五条坂にも影響を与えたようです。17世紀のことだそうです。清水焼は、その頃は「音羽焼」と言われていたとか。音羽の滝の音羽です。その水が流れてくる音羽川の作った谷にできた高低差を使い、登り窯を作ったそうです。その音羽川の位置が肝心、恥かしながら、この講演で、初めて知った。五条坂の南側。だから、窯元は、その界隈に集中した。街中に窯があるというのが、清水焼の特徴でもあるけれど、それは、そういった成立事情があった。そういった中で、粟田焼が脱落するのが大恐慌のとき。輸出で成り立っていたため、衝撃が大きく、脱落をして、清水焼が残ったそうです。そして、今や、京焼の代名詞までになったということですが、この清水焼にも運命のときがやってきます。戦時中、疎開道路が作られることで、要するに、今のような幅広の五条通の出現となることがあったわけだけど、これは、五条通の南側を拡げるという事業となったため、音羽川までの区域が接収となったため、幾つもの窯がなくなったそうです。しかし、道路の幅の関係で、接収された土地から返却された土地があったそうで、その返却された土地に窯があったところは残った。その代表格が清水六郎兵衛さんちだそうです。お話では、土地の接収以前を再現した「京都明細図」の点検を、詳細にされていました。こういった窯元に大きな影響があったものだから、この話題になると、必ずや出てくる再現図です。戦後の、かなりの時間が経ってからの制作だということで、どの程度、史料として正確かの点検をされていました。地積図との比較をするという作業です。でも、かなり正確なんじゃないでしょうか、素人の目には、そう見えました。次いで、かなりの時間を取られていたのが、小説に表された五条坂ということで、澤野久雄という小説家の紹介です。聞いた記憶があるようでないような感じのする小説家ですが、京都を題材にしての小説を多く残しているなかに、かなり窯元を取材しての作品が残っているようです。「滅びゆくもの」という視点が、それらの小説にはあるようですが、いよいよ、それが目の当たりになる事態へと続きます。高度成長期は、一方で公害に対する関心が高まった時期、街中で煙を出し続ける時代ではなくなります。それに先立ち、電気窯、ガス窯も出てきています。時代が変わっていく、それに、清水焼も晒されてしまいます。1973年、京都公害防止条例が出され、万事休すとなるわけです。それが想定された時期に、無煙の登り窯が作られるということもあったようですが、その窯も1980年にボヤを出し、続行不可能になったとか。登り窯の時代は終わってしまうのです。登り窯は、多くの作家さんの作品を同時に焼きます。それに対して、電気窯などは、個別に焼けます。そういった特徴も、時代の変化で足枷にもなったようです。時代が、いろんな角度で終わったということです。最後に、2020年を新たな受難の年として取り上げられていました。インバウンドで、大盛況だったのがコロナ禍で途絶えてしまっている五条坂の様子について触れられたあと、登り窯の長短所をまとめられて終わられました。確かに公害を出すが、登り窯での作品をなぞらえるようにプログラミングをしながら制作するのが、現代の作風となっており、登り窯の作り出す、意図して作るもの然り、いや偶然の産物的おもしろさは、焼き物として替え難いものということなのでしょう。それと、登り窯で焼くのは、たいそうなことです。でも、それで、1つのコミュニティが出来上がっていたことも事実。それが、焼き物の街の姿だったはずです。こればかりは、その核となった登り窯が消えては、変化を余儀されざるをえなかったとまとめられていました。悲しい歴史です、時代に翻弄された歴史を思うと、なんか、愛おしくなりますね。
 昨日は、隙間狙いで、1本だけ、それも、えらく貴重な音源を見つけてしまった。橘ノ圓都の「うんつく酒」です。ネタも珍しい、おまけに円都もんとはすごい。このネタは、生では、染左の口演で1回だけ聴いたことがある。ネタ出しをしているのでは、宗助時代の八十八が持っているということは判っている。音源では、米朝で聴いている。八十八は、その音源からでしょう。但し、音源は公開されていません。黄紺の聴いたのはラジオでです。そんなレアなネタだから、筋立て、全く、覚えてなかった。「どうんつく」という人をけなす言葉を、田舎の酒屋相手に使ったら、袋叩きに遭いかけた。そこで、「運の付く」いい言葉だと口上を言い立てて逃れるというのが核となっている噺で、あまりおもしろくない。受け継ぐ人が希少というのも、そこから来ているのでしょうね。円都もの、聴いたことのない音源をアップしている人、います。今少し、活用させてもらいますね。


2022年 1月 19日(水)午前 3時 47分

 昨日は、朝の9時からオンライン配信で、とっても興味の尽きない講演を聴くことができた。京都精華大学による配信なのですが、同大学では、全学部1年生の必修科目として「自由論」を設置し、ウスビ・サコ学長自ら「自由とは何か」をテーマに講義を行っているということで、その講義を、更に、オンラインで公開しようという試みです。外部の著名な講師を招き、講演を聴くとともに、サコ学長とのトーク、質疑応答も加わるというメニューでした。で、昨日、招かれた講師は、総合地球環境学研究所所長山極壽一さん。霊長類の研究家だそうです。その講演のお題は「自由と平等の進化的基盤—暴力の由来をめぐって」、中でも、霊長類で、人間が進化していく中で獲得してきたことから、自由、暴力を解き明かそうとの試みに、気はそぞろになるほど、興味がひかれたものでした。同じ霊長類の仲間のゴリラは、胸をたたく行為=ドラミングで、「暴力」をイメージするようになっている。果たして、そうなのか? ヒトは道具を使う、その道具を狩猟のために使い、狩猟具を戦いのために使うという仮説があり、戦争は人間の本性というが果たしてそうか? こういった問いかけから出発。霊長類が集団生活をするわけのお話から始まったのだけど、その後の、同じ霊長類でも、社会の構造が、父系と母系に分かれるという結果だけしか、思い出せない。人類は、とにかく、類人猿とともに前者に分類されている。その類人猿と人類を分かつのは、同じく食物を分配したり、共食、共同保育といった共感能力を持ちながら、食物を、その場で食べないで、しかも、必要以上に得て、それを仲間に持って帰り、共に食べた。ここに、食行為の社会化、情報の共有があると言います。この共感能力の違いは子育てにあると言います。ゴリラの子育てと人類の子育てには、随分と違いがあると言います。そこで、ゴリラと人類の赤ちゃんの比較話へ。人類は、「早い離乳と遅い成長」という特徴を持ちます。離乳が終わると排卵が始まり、新たな子どもを産むことが可能となる。要するに、草原に出た人類は捕食の対象となったために、多産化していく必要で種の保存を図った。子どもの成長が遅いのは、脳の発達を優先させて、身体の発達を遅らせたため。進化に伴う脳容量の増大に伴うものですね。そして、群れて、小さな子どもを共同で保育するという習慣を獲得していった。やがて、言語を獲得する。これで、共感と対話が結び付き、想像力と創造力が高まっていく。集団間の暴力は、食糧生産・定住化が始まり、他の霊長類には見られない高い帰属意識があったからだと言います。定住化による境界の出現があり、死者儀礼の登場が見られていたなか、死者につながるアイデンティティを育んだりしていったことに起因すると言っておられました。だから、高々、1万年余り前のことだと。こういった人類とはと言ったお話を踏まえ、一気に、現代の分析に援用。人間の社会は、「移動する自由」「集まる自由」「対話する自由」によって共有されてきた。だから、自由と平等を考える際、その認識として肝要なのは、「人間の社会は高い共感力により作られている」「共感は共同体の外へ広がりにくい」「暴力は共同体のきずなを強めるために使われる」「複数の文化をつなぐ新たな倫理が求められる」「地球環境問題はその触媒になる」と展開され、シェアとコモンズを増やすこと(具体的には、医療・教育・交通・経済の構造などについて話されていました)の必要性を説かれたのですが、最後にきて、かなりトーンダウンの印象。壮大な人類の歴史を語っても、落ち着き先は、語られることの多いものじゃないのかな? でも、進化の様子は、論理的に解明されて行っているということを知ったことは、自分にとって大事なことだったことは間違いありません。
 午後の一時は、落語とオペラに充てました。いずれも、YouTubeのお世話になっています。まずは落語から。次の3本です。①五代目柳家小さん「松曳き」(1977/4/19 小山亭)②林家正雀「親子茶屋」(2020/6/11 おどりの空間黙容亭)③六代目三遊亭圓生「鰍沢」。①は「粗忽」の続きのつもりでのチョイス。思いの外、動画のアップが少ない。白酒は、生で聴いているからと、小さんを選んだが、これが、どうしたのでしょう、えらい暗い。録音の加減なのかもしれないけど、聴くのも辛い暗い音源。粗忽者をお笑いにするものが、これでは、もう真逆な雰囲気と、途中で止めようかと思ったほど。替わりに、終わってから白酒の音源にアクセス。すると、端からご陽気な空気を出していて、安心して、冒頭で切り上げはしたけれど、こないな音源もあるのだと思うしかないですね。②は、東京の噺家さんで、このネタするなんて聞いたこともなかったもので、飛びつきました。すると、コメント欄に、このネタを手掛ける東京の噺家さんは正雀だけと出ていて、納得。マクラを入れても20分もしない口演。なんか、くしゃっと押しつぶしたような構成。無駄がなさ過ぎるのです。だから、隙間を埋めていたようなものを押しつぶしてしまったという印象を持ってしまいました。上方から移植する際、無駄と思ったものをカットしたのでしょうね、それの功罪というか、罪、罪って感じでした。お茶屋に上がってのお遊びは、忠臣蔵の七段目、大石内蔵助の茶屋遊びを真似るとなっていました。ただ、お囃子を入れないでの口演のため、物足りなさが残る。運びは、上方のまんま。間の刈り取った結果が、そういうことになってしまったというところでした。「鰍沢」は、冬の噺で検索をかけて以来、懸案のネタ。この音源、どうしたことか、ラストの緊迫したところになると、客が、おかしな笑いを出すため、いっぺんに、緊迫が緩んでしまう。それが、3度ばかり入った。客席全体で、そのようなことが起こるので、腑に落ちないままでした。黄紺は、このネタ、若かりし三三で聴いた思い出がある。そのとき、誰かが「心眼」を出してた。こちらは、誰の口演だったか思い出せない。でも、「心眼」と「鰍沢」だと、円朝特集? 「鰍沢」というネタに遭遇するたびに、このことを思い出します。
 オペラ配信の方は、ボローニャ歌劇場の「ラ・チェネレントラ」(エンマ・ダンテ演出)。コロナ禍での公演を、YouTubeで流してくれている。1幕までしか、まだ、観れてないけど、バレエの人たちとのコラボという様相。バレエの人たちは、ゼンマイ仕掛けの人形となり、ダンスだけではなく、道具の出し入れも行う。舞台は、背後に、上下二段になった窓付きの壁、その前のスペースを使い、道具の入れ替えで、物語は進行というもの。コーラスの人たちも人形ぶりで動くといったもの。そういったバレエの人たちだけを観ていると、楽しい振付だなとは思うのだけど、それを、歌手が絡むとなると、それでどうなのとなってしまう。結果、さして、おもしろくないのです。おもしろくしようとして、ちょっと空回りってところかな。先日の「ボエーム」は、1幕が終わった時点、先が気になり、その後は、一気に、最後まで完走してしまったけれど、こちらは、先を観ようというのに、腰が重くなってしまっています。


2022年 1月 18日(火)午前 6時 57分

 昨日は、映画を観る予定にしたいたのだが、前夜、猛烈な下痢に襲われ、かなり意気消沈。この頃、時たま、毒物でも食したかのような下痢に襲われることがある。それを「毒物」と書くのは、腸が変調をきたしてたら、考えられないことが起こるからだ。正に、毒気のものが、お腹から追い出されれば、普通に戻るから。入ってはいけないものが、お腹に入ってしまった感じで、それさえ出てしまえば、通常を取り戻す。昨日も、そうだったけど、その前がえぐすぎた。そのため、興奮状態となり、なかなか眠れなかったものだから、映画行きは止めようの気だったのだけど、昨日は、なぜか、観る方にふれてしまった。その映画は、中国映画「こんにちは、私のお母さん」、京都シネマでの上映でした。黄紺は、最近、韓流映画を想起させるような筋立てにのめり込んでいる中国映画の追っかけになっています。その網に引っかかった作品。突然の事故で亡くなった母親に会いに、1980年の世界に行くって、韓流でありそうで、最早、韓国では、もうなそうな設定が、中国映画で生きている。それを観たくて、映画館に足を運んだ次第。1980年にワープするのだから、その方法などに、何か仕込みがあるんかと思えば、そんなの拘らない。何のことはない、突然の事故死をした母親の死の床で悲しんでいると、ワープしちゃうというもの。そして、1980年の世界に天から落ちてくる。これがワープだけど、このあっさりモチーフが、終盤のどんでん返しにお役立ち。でも、ワープした先が1980年の中国というのがおもしろい。中国映画で、その時代を振り返っての描き方って、覗いてみたくなる。大きな工場で働く人たちの生活、工場長や、党員らしき地域のおえらさんも出てくる。わりかし滑稽味をもって、からかう雰囲気で描いているのがおかしい。コネや権力を使い、地位を得たり、見合い話を進めたり、そのための女性ピックアップをしたりと、軽いタッチで、恐らく蔓延していたであろうことを描いている。工場内でのバレーボール大会で盛り上がり、TVを買うのにケンカしている、手に入れたTVを、皆で見ている、とっても懐かしい風景、その中で、繰り広げられるB級的展開。若かりし母親と出会う主人公。実の父親ではない男性との縁談話を応援する。その男は、工場長の倅。権力で風を切るという側面を持つとともに、気弱な本性も持ち、主人公と親しくなったことで、応援を求めるが、うまくいかないドタバタ、ついには、シシババネタまで仕込んである。しょーもなと思わせるネタで話は展開する。わざとらしい不良が出てきたり、その不良の1人と主人公が親しくなったりと、こちらもB級といえば上等過ぎる展開。そういった軽い軽い雰囲気の映画で、実は、母親には、3年間、秘めた恋人がいた、ここで、ようやく実父の登場で、いよいよラストかと思える辺りから、ある伏線に張ってあったことで、物語は急展開、最近の中国エンタメ映画の王道、どんでん返しが始まります。この映画を観た人のメモを見ると出てくる涙、涙のシーンの始まりです。伏線は、様々な箇所に仕込まれていました。主人公の女を演じた俳優さんが監督、脚本まで務めた作品だそうです。しかも、実話に基づくとなっていましたから、この映画の主人公のように、母親を、急な交通事故で亡くされたものと推測されます。その急な死を迎えた人が、その母親の死を受け入れるモラトリアムを描いた作品と言えばいいかな。このラストを観れたこと、そして、明るく長閑な1980年の生活を描いた映画を観れたと思えば、B級以下と言ってもいいような筋立ても、逆におもしろいね、楽しめるものです。やっぱ、旬だわ、中国のエンタメ映画。
 この京都シネマへの往復は、いつものように夕方のウォーキングを兼ねてのもの。昼前のウォーキングも通常通りしたため、昨日の総歩数は2万を超えてしまった。これ、久しぶり。京都シネマに行くときは、昨日だと昼前のウォーキングを控えめにするんだけど、昨日は、暖かめで気持ちが良かったのか、少し多めになった結果でした。


2022年 1月 17日(月)午前 0時 7分

 今日は、冬場にしては暖かな一日。ウォーキングをしていても、ポケットの外に手を出していても、大事ない有難い気温の上昇。こういった日が続いてくれればと思うけど、そうはいかないんだよね。今日は、朝からショックなことがあった。「日曜美術館」がカットされてしまった。黄紺の楽しみなのに、それを奪ったのが、トンガでの火山爆発。1000年に1度という大爆発の影響を受けてしまった。、TVは、津波情報を流し続けるため、カットの憂き目に。Eテレまで動員して情報流すのだから致し方なしでした。この朝の1時間のゆとりは、結局は、隙間に落語を聴けたことかな。まず、それのメモから。2本聴けました。「粗忽」繋がりで選んだ2本は、①柳家一琴「粗忽長屋」(2010/9/8 柳家一琴蔵出しの会inらくごカフェ)②古今亭志ん朝「粗忽の使者(尻ひねり)」。「粗忽長屋」の方は、多くの噺家さんが、YouTubeにアップしているので、敢えて、いつもお世話になっている一琴から選らんでみた。最近、上方でも手掛ける人、いと多しのネタ。よくぞ、こげんなアホげなこと思いついたと思うネタです。それに対して、一琴の口演は、生真面目さが出ちゃう感じかな。もっとリラックスすればいいのに。②は、逆に、思いの外、YouTubeに出てないので、必然的に大御所に。これが、また、いい! 超絶技巧の江戸っ子です。ライブ録音だから、客が、もうひーひー言ってるのが、また、たまらない。やはり、志ん朝は凄いに尽きる逸品です。
 今日の午後は、オンライン配信の予約がしてあった。京エコロジーセンターと公益財団法人京都伝統産業交流センターの共催で行われたイベント/クロストーク「気候変動×京都の伝統産業」というもの。そのプログラムは、次のようなものでした。講演が3本、そして、参加者とモデレーターとのトークというもの。講演は、①「京都の自然と私たちの暮らし~『木』が私たちに教えてくれる身近な地球温暖化問題~木を通して発見!京都に根付いていた【SDGsの教え】」中川典子(銘木師/【株】千本銘木商会専務取締役)②三木表悦氏(京塗師表派、四代表悦)「魅力ある工芸ってなんだろう。漆を中心に工芸を考える」③伊勢武史氏(京都大学フィールド科学教育研究センター/森林生態系部門森林育成学分野准教授)「身近な自然と私たちの未来:人と自然のかかわりはどうなる?」。モデレーターは、京エコロジーセンター館長の新川達郎さんでした。①の講師中川さんは、海援隊縁の材木問屋酢屋の系譜の流れを引いている方、ずっと銘木を扱う問屋だそうです。黄紺的には、そもそも「銘木」というタームすら知らなかった。日本は、森林率では、世界的には高い国ながら、森林自給率が低い国だということは、ぼんやりとは判る。南方やら北方やらから木材の輸入大国だというくらいは知っている。だが、森林率が高いと言っても、最近は下がってきているとか。それは、1つに東日本大震災、もう1つは、最近の多発する自然災害が原因とか。京都の北山杉の生産も激減しているそうです。また、高温多湿の夏が続くため、木に水分が多く含まれ、それが減るまで待っていると、自ずと伐採時期が遅れるとも。従来の時期に伐採すると、木材の中に水分が多く残り腐ってしまい、材木にはならないそうです。こういったところで、気候変動というエコ話と結びついてくる。こういった変化の時代に、木材生産を維持していくためには、木に対する認識を広めて欲しい、木の文化を伝えていって欲しいと言われてました。②はウルシといった「塗料」の紹介といったお話でした。「防水性、耐久性を持つことで使われてきた」「鉄器に漆のコーティングをすると錆びるのを防げる(メンテナンスに有用)」「自然の中から採取可能なものだから、環境を守っていると手に入れられる素材」。観た目の美しさもあるけれど、実用性の高いものとの、新たな知識を得られたように思えました。工芸品としての価値は言うまでもないものだけど、三木さんの作品も、その特質を活かした優れもので、とってもいい目の保養をさせていただけました。塗り方で変化をつけ、それに光を反射させ、得も言われぬ美を創造された作品、とてもじゃないけど、漆ものとは思えない逸品揃いでした。③の講師の方は、森林生態系のモデリングを専門とされ、それに基づいて環境問題の将来を予測されている方。またしても、出ました、数理モデルを使い、シミュレーションを行う業界の方です。生物学の専門で、且つスパコンを操り、将来の予測を立てる、それに基づき、今、何をなすべきかを提言していくということを専門とされている方です。「生態系サービス」という、初耳のタームを教えていただけました。「自然の恵み」と言い換えられるもの。昔の生活は、その自然の恵みの中で行われていた。言い換えると、光合成と呼吸が釣り合っていた。それが、カーボン・ニュートラルの「ニュートラル」の意味。それが、産業革命以後、人間が崩していったから、元に戻して行こうとしているから、「カーボン・ニュートラルを目指す」となっている。木材建築は長い寿命があるから推奨されている。寿命が来て処分をされるのは遠い先、これは、温暖化の抑制に繋がる。ブルーカーボンでも言われること、処分までに時間がかかるものは、負荷となるものは先送りできるから、光合成の有難い部分だけを活用できる。これで、崩れたニュートラルを取り戻そうという考え方。「生態系サービス」の中に「文化的サービス」というのが入っている、自然の恵みとして、多彩な生物と出逢えることで、人間の文化が豊かになっているという考え方を指します。その考え方を活かす試みとして、自身で取り組まれた「外来種生け花」の紹介がありました。外来種と言えば排除と、現代ではなってしまいがちだが、古来の外来種を上げると、およそ、そうとは思ってられないものが入って来る。稲、桃、梅、孟宗竹、、、そういった外来種が取り込まれ、また、日本の文化も成長してきたというわけで、外来種生け花の考案となったというわけです。若干、凸凹はあったとは言え、そこそこおもしろいお話。それらを踏まえてのトークが、そのあとあったのですが、今日は、ここで寝落ち。終わりの挨拶直前まで寝ていたため、全く判らない、です。3本のお話をまとめるのは、至難のわざ。どうなったんだろうと、無責任に思うことしかできませんな。


2022年 1月 16日(日)午前 6時 49分

 昨日は、朝と午後の2回、トークと講演を聴いてきた日。午前9時に家を出て、家に戻ってくると、ほぼ午後5時半だった。黄紺的生活では、あまりないこと。実は、朝のトークを、すっかり失念していて、午後の講演会を申し込んでから、朝のそれに気が付いた。そのときは、午後の方にキャンセルを入れようかと思ったのだけど、移動方法に工夫をして、問題は解決。移動は解決したのだけど、行ってから、失敗だったと思ってます。オミクロン株によるコロナ感染拡大ということで、ちょっと過剰な対策を執られたため、寒いのを越えてしまった。特に黄紺の手は、寒さに猛烈に弱いため、冷たいどころか、痛い領域へ。そんなで、聴いてられるかい、換気は良くても、寒さで体に異常が出るじゃないか、バランスてものが、ものにはあると思うのだけどな。お話をされている方は、ギヴアップできない、それが判るから、寒いからと逃げるわけにはいかない。まいった。そのため、あまり、午後の講演会についてのメモは残せないので、午前中の方を、頑張ってメモることにしましょう。
 そのトーク・イベントは、「びわ湖ホールプロデュースオペラ ワーグナー作曲“パルジファル”プレトーク・マチネ」というもの。3月に行われる「パルジファル」を前にしたイベント。毎度、オペラ公演があるたびに開かれるのですが、今回は、ちょっと省エネ。1人、足りない、お試し演奏がない、でも、「パルジファル」の話を、ワーグナーの話を聴けたのだから、文句は慎まねばなりません。出演は、沼尻竜典(指揮/びわ湖ホール芸術監督)、岡田暁生(京都大学教授)、舘脇昭(司会:びわ湖ホール総括プロデューサー)の3人の方でした。記憶に残ったトピックを拾い上げると、、、「これは、ワーグナーを教祖とする新興宗教だ」「両脇の幕は、宗教的儀式、1幕の最後は、ピアノだと黒鍵を使わないハ長調で書かれている、それで、純粋性を表している、繰り返し流される単純なメロディは鐘の音」「コラールを思わせる音楽が儀式の場面で使われている、アガペーの音楽、メンデルスゾーンの5番のシンフォニーを思い起こすと沼尻さん」「槍は男性器を表している」「それを奪われたアンフォスタスは、女の誘惑に負け、男性的機能を失った者と考えられる、ここにもワーグナーの純潔への拘り」「クンドリーはマグダラのマリア」「男ばかりが出てくる、女性もボーイソプラノっぽい」「6度の幅を持つ音を多様、これなど、ラヴェルやドビュッシーらを想起させる、フランス音楽に通じる」「ワーグナー音楽で使われる半音階の進行は誘惑や煩悩を表す(トリスタンとイゾルデで多用され無調的音楽になってますね)」「幕間の時間は永遠の時間、どれだけ時間が経っても変わっていない、そして、槍を持って帰って来て変わる」「19世紀は梅毒が猛威を振るった時代、愛と死は、それを踏まえて捉える必要がある、行為に及ぶということは、命懸けだということ」「シューベルト、シューマン、この2人は梅毒に罹患していたと言われている(早死にと発狂はそういうことだったのですね!)」、メモってみると、なんか、バラバラ。ホントのメモになってしまってます。時間のこともあるけど、触れて欲しかった、パルジファルのキャラ設定、それに対峙するクンドリーやアンフォスタス、更に、グルネマンツの存在辺りは、あまり出て来なかったのは仕方ないですね。それと、ワーグナーが「指環」を書いたあとに、これを書いた、その精神構造を知りたかったな。
 午後の方は、「京都府庁旧本館旧議場土曜講座」。びわ湖ホールから京都府庁への移動をしたというわけです。そして、歴史的建造物ということもあったのでしょうか、バランスの悪い環境となったのかもしれません。で、昨日のお題は「『平家物語』を深掘り」というもので、講師は團道代さんでした。お話は、安徳天皇の即位(1180)から平家の滅亡となる壇ノ浦の戦い(1184)まで、これは、お題にあるように「平家物語」に認められていることの追っかけ。更に、事後として、壇ノ浦から生きて戻ることになった人たち、安徳天皇の弟(母違い)になる守貞親王の系譜、これ、天皇家の正統になっているのですね。というのは、この守貞親王の弟(同じ母)が後鳥羽上皇であるため、こちらの血統が排除されたためだそうで、平家の血は、ここに残っている。建礼門院らの女官のその後もお話されていました。建礼門院は、生涯、大原にいたのではなかった。当時としては、長期に住み続けられる環境ではなく、また、お付きの女官が早逝したので、知己を頼り市中にお引越し。最後は、現高台寺の場所だそうです。宗盛や高清の最期もありで、平家の壇ノ浦での生き残りがあり~のとともに、源氏が、一旦、平家に実権が移ったなか、生き残った、要するに頼朝が助命されたトピックが、源氏のその後の伏線になっているようだけど、細かすぎて、よく解らない。で、最後に、頼朝の妹坊門姫の系譜が、鎌倉4代将軍頼経に繋がるトピックが、最後の方で触れられていました。なんか、こうやってメモっているのは、最後の方の寒さにふるえながら聴いていたものばかり。肝心の後白河天皇が出てくる丁々発止のやり取り辺りは、よく聴く話、でも、覚えてない、ここで聴いても、また忘れてしまう的な感じで、聴いては、すぐ消えてしまっている。謡にも造詣の深さが垣間見える講師の方だったので、時たま、それが入る、「通盛」は、ここで出てきたのか、「清経」はここだったのかと思っても、もう、直後に、どこだったか忘れている始末。あかんね。


2022年 1月 15日(土)午前 6時 19分

 昨日は、浪曲を聴きに行った日。午後に、これが入るものだから、それに合わせてのタイムスケジュールでした。行き先は、毎回、同じで、文化パルク城陽のプラネタリウム。そこで、2ヶ月に1回開かれている「京山幸乃浪曲の会」が、その会。曲師は、これまたお馴染みの一風亭初月さん。そして、番組も、2席の内1つはネタ下ろしと、自分に負荷をかけての公演です。幸乃さんは、まだ、年季明けしてないんじゃないかな、その時期から、こういった会を定期的に開いてもらえるのは、ホントにラッキーなお話。だから、そのような負荷は、ぜひ被って、大きく成長して欲しいものです。音感のいい人なんでしょうね、節を、安心して聴いてられますものね。そして、昨日は、いいことありました。やはり、高座自体の慣れが、あまりあるわけではないため、マクラが弱かった。自分の気持ちを高めるのも1つ、客との距離を作り上げる、空気を作り上げるということで、とっても大事なこと。1人会だから、誰かがやってくれるわけでもなしだから、自分で作って行かねばならないマクラ。まずは、大きな声で、少し長いかなと思うことから始めればいいのにと思っていたら、昨日は、自分で、「ちょっと長く話してしまいました」というくらい、どうしたのでしょうか、えらい変化、「化ける」なんて表現があるけど、マクラに関しては、この「化ける」でした。特に、2席目の「R1の予選に出たときのネタ」には、びっくり。それに出ただけでも、びっくりだったのに、いくら、師匠に勧められたからと言って、出れるものじゃなし、ましてや、1回戦通過だそうです。そして、そのネタを聴いて、「そりゃ、通過だわ」と思わせるもの。過去も現在も含めて、先輩浪曲師の物真似、それが、うまくできてる。見台から消えてしまったり、後半、何を言っているのか判らなくなったり、手に癖がある師匠の口演だったり、これ、おもろい、浪曲知らなくても、おもろい! 幸太くんも、R1に出て、1回戦通過したそうです。かなり、気合を入れて出場しているとか、どんなネタ、やってんでしょうね。浪曲なんだろうか、もっと、違うこと、で、好みの化粧はしてんだろうか? 幸太くん、ネタ、持ってそうだから、観てみたくなりました。で、肝心のネタは、「一力茶屋」「寛永御前試合」の2つ、そして、お馴染みの「冬の夜空」を、繋ぎとして見せていただけました。「一力茶屋」は、赤穂義士ものを持ってないことで、ネタ下ろしに選んだということです。1月に、これを出すとは、遠大な計画です。幸乃さんの目には。この1年目ではなく、もっと先を見ているのでしょうね。「仮名手本忠臣蔵から取ったものです」との前講釈を入れてから、ネタへ。ネタに入る前からヤバいと思っていたことが現実に。やたらと眠かった。一力茶屋で遊興に耽る大石、それを諫める浪士仲間、ここで切れてる、気がつくと、寺坂(でしたっけ?)吉右衛門がお軽を斬りかけている。落語の「七段目」ならラスト直前。でも、このネタ、「七段目」全体をカヴァーしてたんじゃないかな? もちろん「仮名手本忠臣蔵」の方ですが。だから、居眠りしても、ま、なんとか聴けた。危なかった! そんなで、このネタ、誰からもらったのでしょうか? 上方の浪曲師さんで、これ、やってる人、遭遇したことないものだから、そのように思ってしまいました。大きなネタという印象です。赤穂義士ものを初めてするにしてはとの印象です。講談で言えば銘々伝的なものかなと、赤穂義士ものをすると言ったときに、勝手に思ってしまってました。「寛永御前試合」の方は、以前、幸乃さんで聴いている。奈々福さんが、「仙台の鬼夫婦」という外題でやっているネタです。頼りない夫、剣術抜群の妻、その妻に、剣術で負けた夫は修行に出される、修業3年、また、負ける、また、修業ということで、ようやく腕をあげて帰って来る夫というもの。痛快な物語。それに相応しい声の伸び。余計に、痛快になります。そんなで、いい気分だったけど、プラネタリウムのなか、ちょっと暖房が控え目。外は、もっと寒かった。今のところ、今冬一番の冷え込みでしょう。自宅の近くには、夜半に降った雪が、昼前のウォーキングに出かけた時間帯にも残ってたくらいだった。そんなで、1枚、余分に着込んでのお出かけとなった寒い日でした。


2022年 1月 14日(金)午前 7時 12分

 まず、昨日、書ききれなかったオンライン配信のメモから書いておく。そのプログラムを、再掲すると、次のようなものだった。「大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)オンラインセミナー」というオンライン配信。そのお題は「感染症対策を振り返る」で、その内容は、第1ステージ/CiDER科学情報・公共政策部門各ユニットからの考察「科学的情報に基づいた感染症知識の向上にむけて」(行動公共政策チーム①行動経済学ユニット/大竹文雄②人間科学ユニット/三浦麻子&平井啓)(情報分析チーム③数理分析ユニット/池田陽一&佐々木健志④社会技術ユニット/岸本充生&村上道夫)、第2ステージ/経済学者による鼎談「コロナ政策の論点と振り返り」(⑤大竹文雄/大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授、⑥小林慶一郎/慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科教授、⑦仲田泰祐/東京大学大学院経済学研究科・経済学部准教授)。既に、④辺りまでメモった。⑤では、分科会での医療関係者と経済関係者との考え方の違いをまとめていました。感染対策の目的の違い(感染対策で経済的損失が出れば経済の専門家で考えればよいという医療の立場、医療の専門家だけでは政策は決められるものではないとの経済の専門家)、検査に対する考え方の違い(検査では陽性判明者を見つけ、それ以外の人たちに費用をかける必要性はないと医療側、陰性証明もまた情報価値があり、それが経済の活性化に繋がるという経済側)、行動規制の強化に関する違い(感染拡大のリスクに応じての行動規制を図るべきという医療側、感染リスクや医療崩壊という情報で行動変容は起こるという経済側)、医療提供体制についての違い(医療提供体制の拡充はできないという医療側、役割分担と集約化で医療提供体制の拡充は可能という経済側)、ワクチン接種へのインセンティブの違い(金銭的インセンティブで動く人は少ない、また、そういった方法を、他のワクチン接種で採ったことがないという医療側、利他的動機で動く人はいるが、それでも動かない人には、金銭的インセンティブも必要という経済側)など。これを、経済側を代表する方が言われているということです。⑥は、うまく、お話をまとめることができない。力の限界です。だから、メモがバラバラなものになってしまいます。短期的にバランスを欠いたトレードオフが生まれてしまっていた(社会活動の制限により自殺者まで生んでしまった、一般医療に制限が加わり、不十分な一般医療で亡くなった人が出てしまった、コロナ医療が拡充してしまい、結果的に不十分な治療しか受けられない人が出てしまった)、第5波の経緯を見ると、医療逼迫という情報が行動制限を喚起したと思える、「この医療逼迫の適切な情報伝達」は、このセミナーの大きなエレメントじゃなかったかな? ガバナンスに問題ありとの指摘(組織的な問題としては、縦割り思考、国民は自分たちほど考えていないという倫理的不整合な思考、司令塔の不足、お願いベースでの政策の実行)、医療制度に問題点を既に抱えていたのが露呈した(人員や病床の補充が迅速にできない体制そのものが課題、大量の受診控えが起こり医療経営に打撃を与えたということは、平時の医療の効率の悪さを露呈したことを意味する=過剰受診により医療経営が成り立っているという事実が露呈した)、長期的な展望を示さなかった(政府や専門家の責任、時間が経ってから長期戦というメッセージを出すようになった)。⑦が、黄紺的には白眉のお話だった。これで、もやもやとしていたことが氷解したのです。この仲田さん、日本で初めて、コロナに関する数理モデルを開発した人です、その後、幾つかの数理モデルができ、照合することができるようになったと言いますが、その開発ができたのは、2020年12月だということです。気象予測や気候変動に関しては、それこそ、昨年のノーベル賞で有名になった気象モデルがあります。それと同じように、コロナの感染者数予測など、今後の展開を予測する数理モデルがなかったということで、この仲田さんが作ったと言われてました。そして、そのモデルから出た予測情報を基に、日本政府も政策決定に当たっているということです。マスコミを通じて、国民は、日々の感染者数に右往左往しているわけですが、政策決定、専門家会議の人たちは、それを眺めながら議論をしているというわけです。これ、おかしいなと思い始めたのは、トルコの4月頃、いや、トルコでは大きなピークだったけれど、それに先立つ日々の保健省長官の対応を追いかけていて、国民には、日々のデータをTwitterで示しながら、感染動向を呟きながら、同じところを見てないぞという気がしてきていました。今回のオミクロン株による感染拡大などは、オミクロン株対策を言いながら、もう入ってから先の遠い視線を感じていました。いや、もっと言うと、感染拡大は起こるもの、「ヨーロッパの拡大後、2~3週間後に起こるもの」と、感染拡大を待ち構えているといった発言も、専門家会議委員の口からは漏れてくるわ、いざ爆発の兆候が出始めると、ピークは2月上旬と、そないな発言までリークされていました。これは、トルコでの話だけど、数理モデルを基に専門家会議は進んでいますね。保健省の役人は、それを基に、先の政策立案、必要なアイテムを揃え、周知用の方法も、それこそ、行動心理学のサポートを受けながら考えています。その日本版、その張本人だということです。仲田さんの報告では、どのタイミングで、政策担当に情報を、どのようなものを流したかのお話でした。そこで、おもしろい話題が出てきました。第5波、去年の秋口から、日本では、下降が進みました。これは、数理モデルの予測が外れたといえるほど、大きな下降だったそうで、その原因として、仲田さんが上げられたのは、デルタ株の再生産数、これを高く見積もっていた点。これ、この前のシンポジウムでヒントになるお話出ていましたね。デルタ株は感染力が強いので有名になったけれど、感染者の誰しもが、次の人に感染させるわけではないということが判ってきているようです。だから、1人当たり、感染させる人の再生産数が上昇しても、全体でならすと、感染させない人がいるわけだだから、再生産数はさほど上がらないとなるわけです。これが1つ。もう1つは、「医療逼迫」という情報が出ることによる、自主的な行動制限が、思いの外、大きいということです。これは、このセミナーで繰り返し触れられていたポイントですね。この2点が、数理モデルを狂わしたそうです。いや、モデルは狂わしていない、データ挿入に、イレギュラーがあったということですね。これ、おもしろい。こういったことを知りながら、政府の対策眺めてみるのもおもしろくなってきました。なお、仲田さんらは、日々のデータを、政府に出すだけではなく、HPを使い、広くアクセスできるようにしています。こういった点、抜かりないわ、凄い!
 で、ようやく、昨日の記録。昨日は、お出かけなしだったけれど、また、新たなオンライン配信の予約をしてあった。京都精華大学の「アセンブリーアワー講演会」、年に何回か著名人の講演会が、学内で開かれているようで、それを、一般にもオンライン配信で公開するという有難いもの。昨日は、デザイン学部客員教員を務める髙田唯さんによる講演会「特別だけど、特別じゃない、デザイン」というお題の講演会がありました。黄紺は、雑食系なもので、いろんなテーマに関心が向いてしまってるけど、このデザインというのも、昔からの好物。以前は、柏木博の著書を、よく読んだものでした。冒頭で、自らのキャリアというか、デザインを勉強するまでのお話がありました。次いで、グラフィックデザインのポイントに、お話のポイントが移って行き、そこで、ご自分のデザインの方針、発想、伝えたいことが盛り込まれていたような気がしますが、その柔軟な思考に圧倒されるものが続きました。同じものを見ても、それを捉える感性で、対象物が輝いて行きます。それを聴くだけでも楽しい時間となりました。「わかりやすくする」という項目では、ナイチンゲールは、デザインの素質を持っていたというお話。クリミア戦争に従軍しているとき、死者の多くは戦死者ではなく感染症だということを、本国に知らせ、対策の指示を出すよう求めるために、ダイヤクラムを使い、死者数を報告し、感染症による病死者を知らせた「ナイチンゲールのコウモリとバラの花」のトピック、杉浦康平の「時間地図と味覚地図」のトピックは、アイデア一つで、視覚的でないものを視覚化する試みの紹介です。「時間」とか「味覚」という見えないものを、線やイラストを使い視覚化する試みです。髙田さん、杉浦康平に、かなりはまったと言われていました。「気づかせるようにする/気づかれないようにする」、踏切の黒と黄は前者、清掃を環境デザインと捉えると後者となります。この環境デザインという表現自体が新鮮ですね。アフォーダンスというタームを、初めて知りました。「相反するものを持つ、これがデザイン」は、ここから導き出された言葉です。「デザインは工夫すること」、ここで、出たのかな? 沖縄をテーマとした芝居のポスターに、デザイナーであった父親に「基地を入れたら」と言われたというお話をされていたのは。どうも、脈絡が思い出せない、個々のそそられるトピックばかりが、頭に残っている。そそられ過ぎると、メモを取るのを忘れてしまってますね。「活版再生」のトピックもおもしろかった。活版印刷機を使い、デザインを作り、その結果、印刷関連一式を譲られ、それも生業にしているというお話です。活字を活かしたデザインも、髙田さんの活動の1つのようです。こういった廃れていくものに、おもしろいと思える心が羨ましくあり、その技を学ぶために、都内に残る活版印刷屋を回り、技を眺めながら学ぶ、この心が凄いと思ってしまいます。それでも、粗野なデザインをおもしろいと思い、それを求める心もそそられるお話で、これを「天然のグラフィックデザイン」と呼び、街に溢れるデザインを探している。わけのわからない空間のおもしろさを発見し、それを、自らのデザインに取り込んだりと、貪欲です。「ゼミナール」というトピックでは、東京造形大学での授業の風景を紹介することで、デザインの多様性を知ることを紹介されていました。ジュースの紙パックも、「誰かがデザインをしているはず」、これは、言われて気づいたこと、あの狭いスペースに詰まった情報、それをトレースする授業。ガムは口で作る彫刻、スポーツ新聞の切り取り(美しいとは思えないものから美しいものが出てくる可能性)、ベビー麺の2つとない形を使ったレタリング、中吊り広告の文字だけを排除、こういった試みを、自分のデザインに活かしたものも紹介いただけました。この辺までくると、もう凄いの上に行ってしまってます。「言葉のこと」では、「とりあえず」を「まず」へ言い換え、「良い」と「佳い」の違いのお話、日常の中に、感性を磨く材料は目白押しだということでしょうか! 「肯定的思想」では、有名な料理人が、コンビニの弁当を選ぶ喜びを語る姿に感動したトピックで驚かされ、次いで言われた言葉に、びっくりすると同時に、あっさりと首肯してしまった。「こういった考え方が、戦争をも遠ざけるのでしょうね」。最後に、「見えないものを見えるようにする、気づいていなかったことに気づく」という言葉を出されて、講演は終わりました。コロナ禍というタイミングで聴いたこともあったからかと思うのですが、なんか、ほっこりしました。感性の豊かさという言葉でまとめるには、あまりにも秀でたものに出逢ったという印象です。世の中、広いです。徒に加齢だけが進んできたと、自分に置き換えると思ってしまうのが、寂しいけどね。


2022年 1月 13日(木)午前 8時 5分

 昨日も、お出かけなしの一日だったけど、午後に、しかも長めに、オンライン配信を受けるよう手配が済んでいた日。こういった予定が入っていると、時間の過ごし方に苦労しているのだけど、昨日は、朝、目が早く覚め過ぎて、おかげで、ゆっくりと時間が流れて行きました。早々に、トルコのコロナ情報の収集が終わったので、もう朝っぱらから、オペラ配信のお世話になってしまった。ボローニャ歌劇場の「ボエーム」の続きです。1幕を観ただけで、工夫が見えてきて、且つ、その工夫が気になることもあり、時間ができたとなれば、速攻で、オペラ配信をチョイス。1幕で気になっていたことの自分なりの結論が出ました。わざとらしく鍵を落とすミミ、見つけても見つけたと言わないロドルフォ。後者は、もう、お約束とばかりに、どのプロダクション観ても、やってるけれど、前者の方はやってない。それが気になった。黄紺が、最後まで観てからの結論は、ミミは、「男漁り」に来たというもの、「光を貸してください」と言いながら。そこで、思いがけず、純な出会いをしてしまった。プッチーニは、ミミの娼婦性を消そう消そうとしますが、このプロダクションは、それを掘り起こそうとしました。3幕は、エロチック街に設定。売り専どころか、その街娼までいるという場所に設営。そこを平気で歩いている女ミミ、ムゼッタも、そこの女なのでしょうね。4幕では、ムゼッタは堅気の格好をしていたけれど、ミミは、スパンコールのついた衣装で出てきた。最後の念押しですね。近松と同じで、遊女の恋に誠が似合わないからこそ、物語が成立するというやつです。カルチェラタンの雰囲気も、このコロナ禍で命知らず的だけど、コーラスの人たちは、皆さん、マスクを着けて歌うという難行をされていました。でも、こういった群衆場面でこそ、演出家の腕が判るというものだけど、間違いなく、グラハム・ヴィックは大物です。もう1つ、4幕に拘りがあります。季節を夏としていました。そして、1幕と同じ場所だけど、1幕の散らかった状態ではなく、そんなの、冬に、みんな燃やしたよという状態になっていて、調度品は、ほぼゼロの状態で、ミミの死が演じられます。ラストは、ロドルフォが、ミミと並んで座っていながら、ミミの死に気づかないというもの、気づいた途端、ロドルフォは、外へ駆け出して行ってしまう。それを追う仲間たち、ミミの遺体だけが、舞台に残るというものでした。この最後の演出の心は、何なんだろう? いい答えは、まだ浮かんできていません。これは、楽しんだ。やっぱ、いいものに出逢うと、心から嬉しくなっちゃう。オペラは、底が深いわ、ホント!
 ちょっと久しぶりに、YouTubeで落語を聴いた。2本を、「狸」繋がりでピックアップしてみた。①桂米朝「狸の化寺」②林家正雀「田能久」。「狸の化け寺」は、そんなに出るわけではないけど、幾つか聴いているなかで、米朝ものは聴いていないこともあり、選んでみた。古風な噺ですね。田舎での普請に出かけた土建屋の一団。集団で宿泊に充てる荒れ寺での物語。荒れている内に悪々い狸の棲家になってしまってた。だから、そこを宿にする男たちに悪さをするという噺、それに立ち向かう土建屋の男たちというほど、格好はいいとは言えないけど、その戦いの半ばで下げになる。その後が気になってしまいます。田舎、土建屋、その辺を意識したお喋りに圧倒される。そういったつもりで聴いていると、軽~いダジャレを入れてたりと、その辺が可愛くもあり、可笑しくもありという口演。②は、狸は出て来ないけど、音が同じという符牒を持つ男が出てくる。人間を食らおうかといううわばみ、それを騙す旅人、騙されるうわばみは、その名前を聞いて、食べるのを躊躇う。それが題名になっている。わざとらしいけれど、それが可笑しい。民話から採られた噺のよう。これも上方由来だけど、上方の噺家さん、今、誰かやるかなぁ。先代の歌之助の口演で聴いた記憶はあるけど、あとは思い出せない。でも、誰かで聴いている。それほど、レアものだけど、東京では出す人がいるようですね。
 午後のオンライン配信は、先日の大阪大学の配信の一環のもので、「大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)オンラインセミナー」というもの。そのお題は「感染症対策を振り返る」。そのプログラムは、次のようなものでした。第1ステージ/CiDER科学情報・公共政策部門各ユニットからの考察「科学的情報に基づいた感染症知識の向上にむけて」(行動公共政策チーム①行動経済学ユニット/大竹文雄②人間科学ユニット/三浦麻子&平井啓)(情報分析チーム③数理分析ユニット/池田陽一&佐々木健志④社会技術ユニット/岸本充生&村上道夫)、第2ステージ/経済学者による鼎談「コロナ政策の論点と振り返り」(⑤大竹文雄/大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授、⑥小林慶一郎/慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科教授、⑦仲田泰祐/東京大学大学院経済学研究科・経済学部准教授)。①は、コロナ禍の中で、政府が発信した行動様式のメッセージの出し方の振り返りです。こういった行動社会学ないしは行動心理学者が控えているというのは、1年前の大阪大学発信のシンポジウムで知ったこと、その分析付き繰り返しです。そればかりか、このチームの人たちは、コロナ禍の中での人々の行動様式調査を個人レヴェルで追跡しています。「利他的なメッセージ」というのが出ていましたね。これ、トルコでもそうだった。「愛する人のために、、、」ってやつです。その中に、「~控えて」を失くし、損失を書かないというのがポイントだそうです。繰り返すとダメという結果が出ているようです。一番効果的なのは、「利己+利他・利得」メッセージと言ってたかな? 更に、他者と比較したより意味のある情報が効果が上がるとか。試みとしては、それに、誰のイラストを添えるかというものも実施していたそうです。ただ、それは無関係だったとか。また、一斉休校時に、一時的に下がった学力が、休校後には上昇したという分析結果が出たということも言ってました。②はリスクコミュニケーションの話です。行動様式を判断するために、人をグループ化、これを、セグメントに分けるという言い方をされてました。それに応じて、どういった行動様式を持つ人は、コロナ禍で、どのような情報の受け取り方をするのか、行動はどうここでだったかの検証です。これ、なかなかおもろいんだけど、メモるの、大変。「過剰警戒・社会防衛」というセグメントの人たちは、感染することに強い警戒を抱き、ハイリスク者を警戒、中国由来を信じ、PCR検査は全員必要と感じている人たちは、既婚者で、別居の子どもがいる確率が高く、専業主婦・主夫、無職の割合も高い、TVの情報を信じ、TVに出ている人の言うことを信じやすい、自粛警察的な動きをしかねない、感染嫌悪が高い、ワクチン接種意向が高い、とまあ、こういった分析結果を、セグメント4つを挙げてのお話でした。おもろいけどなぁ、思わず、自分は、どのセグメントに入るか考えてしまった。そういった分析をすることで、情報発信の仕方、適切なリスクコミュニケーションのあり方を追求しようという試みです。まとめで言われていたこと、正しい情報発信をしても、行動に影響を与えることは困難だと言います。行動に変容が起こらなければダメですわね。難しいわ! ③は無理です。数理分析の仕方のお話ですから。こんなのは、結論聴くしか、手はありません。分析の仕方の検証なんて判るわけないだろ! 今は、第6波と言われているけれど、第2~5波までの分析では、部分波に分かれ、1つの部分波が治まりかけると、次の部分波が出てくる、それが治まれば、波は治まるということで、緊急事態宣言は、第5波の場合、功を奏さないで、ワクチン効果が功を奏したのだろうとの分析でした。ここで使われた数理モデルでオミクロン株の感染拡大を予測されていました。感染拡大からピークアウトは早そう、日本では、1月末にピークが来そうと言われてました。④では、大規模集会での感染リスクがテーマでした。実際、オリパラのブレーンだったようですね。また、プロ野球やJリーグの感染対策に貢献されている方のお話でした。入国時の検査は、どこに設定するのかではなく、することで効果が上がるという分析、、、、ここで、ギヴアップです。今日の「GUNLUK」に回します。


2022年 1月 12日(水)午前 4時 59分

 昨日は、全く予定の入ってない一日、しかも、夜半からの雨が、夕方まで降り続いた。これ嫌ですね。出かけるときに降られるのも鬱陶しいけど、お出かけなしで、且つ、何も予定の入ってないときに外出することを躊躇わせる雨って、嫌ですね。結構、家内で聞いている雨音が大きいと思えたので、昨日は、ウォーキングは無理かと思ってた。だから、昼前のウォーキングは、傘さしで、いつでも変更ができて、必要な買い物だけは致し方ないので、それだけでもできればくらいの気持ちで出かけた。外に出ても、家内で聞いていた通りの強い降りだったもので、そう決めて出かけ、頭の中に、変更ポイントを決め、そのときの雨の様子、ズボンの濡れ具合、道路の水の浮き方、そんなで判断しようと考えて、出発。ところが、雨脚の強かったのは、最初の少しだけ。だから、チェックポイントをクリアして行くにつれ、降りは穏やかになってきている。最初から、これだったら、傘さしウォーキングのつもりでコースを採ったのにと思っても、こればかりは致し方なし。結局、結果論だけど、いつものウォーキング1回分に比べると、明らかに多めに歩いてしまってました。逆のこともあるのだから、こないな日もあるわということで、納得。
 この頃、できればだけど、マッチデイの翌日の「FUTBOL HABERLEL」は、試合の様子になるのだけど、それを、昼前のウォーキングに出かける前に仕上げておこうとしている。意味はないけど、朝、加齢のためか、目が覚めるのが早いものだから、朝方に時間があるということかな。でも、試合情報を集めるのは、なかなか時間がかかるというもの。フォーメーションの記録をとっても、配信先で異なるものだから、どれが妥当か、今までの経験知で判断をしなければならない。こちらの経験知にフィットするものに、すぐに出逢えれば、それでいいのだけど、そうはいくとも限らないと、他を当たらねばならないので、余計な時間がかかるというもの。クラブのHPに、早々に試合の記録を載せるところもあれば、そうではないところもある。ひどいところだと、勝ったときと負けたときでは、HPへの掲載を変えてくるところが、存外、多い。各クラブのHPは、クラブにより濃淡が激しいのだけど、各クラブ、質が揃っていると言っていいのがTwitter。これは、結構、利用させてもらっています。昨日は、これに、結構、時間がかかったな。フェネルバフチェが、アダナ・デミル・スポルに負けた試合だけど、負けた方は、絶対に相手のゴールシーンや、得点者の画像を載せないもの。しかも、勝ったアダナ・デミル・スポルのHPは死んでいる。これはひどい、去年のまんま。Twitterは生きているので、そちらを探すといった具合。なかなか、どうでもいいことに、時間をかけてしまっています。
 午後の一時は、旅系のYouTubeを視聴していたら、居眠りをしていた。何を観ていても、眠いとなると寝てしまってる。わりと寝たみたいで、結果として、午後の一時が圧縮されてしまった。だから、オペラ配信に集中。昨日は、ボローニャ歌劇場から2本、視聴しました。1つは、先日来観てきた「アドリアナ・ルクヴルール」を完走。もう1つは「ボエーム」(グラハム・ヴィック演出)をピックアップ。この2つとも、字幕はイタリア語のみ。でも、前者は、オポライスがタイトルロールを歌い、後者は、スター演出家のプロダクションというのが、ピックアップの動機。まず、「アドリアナ・ルクヴルール」ですが、正直、第4幕までは、簡略化と言うか、省エネと言うか、節約気味の舞台装置であったため、コロナ禍だから無理言っちゃいけないの気分で、オポライスも付き合うのに頑張ってるなの印象だったのだけど、その最終の第4幕を観て、己の考え違いを恥じ入りました。4幕で、マウリツィオを出さなかったのです。全て、アドリアナ・ルクヴルールの思いなしだった、毒が回り、前後の判断もままならぬものになってしまった、そういった光景を描いているように見えました。これで、省エネ的プロダクションの落とし前を付けたという印象が残りました。マウリツィオは、舞台裏で歌うだけ。嘆くアドリアナ・ルクヴルールを抱きしめるのは、いつも、お付きとして傍にいるミショネだけ。このプロダクションで、初めて、ミショネの役割に目が行きました。ミショネの心の中を見せてくれたように思えました。この切なさを描くのだったら、オペラ全体を通して、そういった描き方、歌唱があってもいいのにと思った最終場面、いや、最終の最終は、そうではなかった。背後の幕が上がり、組まれた足場の上に並ぶ役者たち、アドリアナ・ルクヴルールの最後の舞台といった雰囲気の仕上げ。並ぶ役者、7人いたかな、真ん中の1人を除き、最後までストップモーションなんだけど、真ん中の1人が、最後の最後、拍手をします。男であるのは判るのですが、最初は、ミショネかと思ったのですが、その背後の幕が上がる直前まで、アドリアナ・ルクヴルールを抱きかかえていたので、そこへ回るのは不可能。だったら、誰? このプロダクションでは、現れなかったマウリツィオ? それとも、コメディー・フランセーズのパトロンとしてのブイヨン公? それが、遠目なものだから判然としないまま。そして、この場面を入れたものだから、ここまでの物語自体がフィクションで、アドリアナ・ルクヴルールが主演を演じた舞台だったのではとも思える。いや、そういった、フィクションとノンフィクションの境界を曖昧にすることが目的だったのか、こう考えると、なかなか奥深いプロダクションとなります。観る者に、その判断は委ねたのかな? そういったスタイルのプロダクションかもしれません。「ボエーム」の方は、時間の関係で、1幕の最終まで観ています。装置に特徴があると言っても、現代の若者たちの部屋という設えです。インテリアから、置かれている小物まで。もちろん、衣装も、それに合っている。工夫だなと思ったのは、蝋燭の明かりで、ミミの登場を見せた。テキストそのまんまで見せたという点。真っ暗状態になってから、照明を、徐々に上げて行って、暗闇での2人を見せ、暗闇のまんまだと認識させる手法を使っています。ありそうで、黄紺は、初見です。で、その中で、四つん這いになり、床を探すロドルフォ。お約束の、ミミの気がつかない内に鍵を見つけ、ポケットに仕舞い込むロドルフォ。ミミもミミで、わざと鍵を落とした。この落とした位置と、ロドルフォの見つける位置が離れているのはご愛敬か! で、暗闇のなか、四つん這いで探すふりのロドルフォ、椅子に腰かけて探すことをしないミミの手に、ロドルフォの頬が触れる、これも初めて。そこで、「冷たい手」となる仕掛け。その後、簡易ベッドを拡げるなんて演出まで入る。確かに、端から、双方ともに、相手をゲットの気合十分と見える演出だから、自然なのかもしれないけど、ちょっとぶったまげたな。そこへ、先に出て行った仲間からせかせる声が掛かるという趣向。グラハム・ヴィック、なかなか技巧派ぶりを見せてくれているので、先が楽しみです。なお、1幕ラストのハイCのウニゾンは聴けなかった。やるのかなと思えるロドルフォの声だったのだけどな。


2022年 1月 11日(火)午前 6時 54分

 昨日は、世間的には3連休の3日目。黄紺にとっては、休日らしい雰囲気を、ウォーキング時に感じる程度の一日。感じると言っても、交通量が、朝方は少ないかなという程度。自分的には、午後に長時間のオンライン配信を予約してあったので、それに合わせて、かなりタイトになってしまった。お出かけなしの一日のルーティンにしているウォーキングを確保するのにあくせくしておりました。そのオンライン配信とは、大阪大学シンポジウム「COVID-19から学ぶ -大阪大学における感染症研究のミッション-」というもの。1年程前に、似たようなシンポジウムがあり、解らないこともありながら、得ることも多かったということもあり、今年も申込んでありました。その主たるプログラムは、次のようなものでした。①第1セッション「日本におけるCOVID-19の現状と対策」(脇田隆字/国立感染症研究所所長)②第2セッション「COVID-19から学ぶウイルスとの共存」(松浦善治/大阪大学感染症総合教育研究拠点拠点長・特任教授)③パネルディスカッション「CiDER3つのミッションの実現に向けて」(手代木功/塩野義製薬株式会社 代表取締役社長、武藤香織/東京大学医科学研究所教授、藤井睦子/大阪府 健康医療部長、脇田隆字/国立感染症研究所所長、松浦善治/大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授、モデレーター:忽那賢志/大阪大学大学院医学系研究科教授)。このイベントは、大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)が果たすべき役割を周知しようという試みらしいが、なかなか、その意味も理解できない黄紺、どうやら、この間のコロナ禍で、感染症の専門家、アカデミアの領域、臨床の領域で、そういった分野の人材不足が痛感されたようで、その拠点として、大阪大学がなろうという試みのようです。後半のパネルディスカッションで言われていたことで知ったことですが、ちょっと前までは、微生物分野の病気は、抗菌剤の登場で、最早済んだ分野との扱いだったようで、それを新たに研究するなどは無駄という感覚が支配していたことが、今回のパンデミックで、日本が立ち遅れた原因だとの分析があるようです。また、そういった無駄感は、製薬会社の分野でもあり、言われてみればなるほどというやつで、感染症というもの、流行ると困り、薬品が求められる、流行らなければ求められない、要するに売れない、金にならないということで、撤退が進んだ結果が、今回、日本の製薬会社が、大きな遅れを来たしてしまった原因だと言います。このパネルディスカッションに登場された塩野義製薬だけだそうです、感染症の薬品の研究を続けているのは。社長さん言ってました、「株主総会で叩かれる」「金にならないことをすな」と。そういった浮かび上がった問題点に対して、共通認識を持つ、その対策を考えるとして持たれたシンポジウムとも言い換えることができようかと思います。①②の講演は、ともに序盤は、サルにでも解かるお話、ところが、いざ、ウイルスの構造なり、対策のために作られている組織、これは、研究機関、行政の組織、どれをとっても難解どころの話ではない。完全にお手上げ。だって、たんぱく質の名称を、英語で、略称で上げられて解かるわけがないでしょ! そんなでまいりました。ただ、黄紺にも解る話でメモっておきたいことがあるので、それだけを記録しておこうと思います。①では、「コロナの感染は、ある人から感染した人が5人いても、その内の4人は感染させるわけではなく、1人だけがクラスターを起こしている」「外国のクラスター対策は、感染者の濃厚接触者を調べるのに対し、日本の場合は、その感染源を辿るという後ろを振り返るもの」「高齢者のワクチン接種状況と陽性判明者数には相関関係があったことがデータで判る、そこからワクチン効果があることが判る」「日本は他国に比べて、サーベランス情報の収集に当たる人材が不足しており、かなり遅れをとった(有名になった手書きの情報伝達をしていた件もありますね)」。②では、「人類を襲った伝染病の振り返り、天平の疫病以外にも、アントニヌスの疫病、ユスティニアヌスのペストなどからの振り返り」「古代エジプトにポリオ感染者を思わせるレリーフが残っている」「日本でもポリオの大流行があった(これは記憶がある)」「C型肝炎、輸血による感染の制圧」「コロナウイルスの感染はヒトの歴史とともにあった、自然宿主のコウモリなどから中間宿主となるラクダや牛などを経てヒトへ感染してきていた」「One Herthという考え方、生態系が健全でなければ全ての生物は生存できない、気候変動から密漁・乱獲や抗菌剤の乱用まで生態系を脅かしている」「ヒトの身体には、100兆個もの細菌、カビ、ウイルスが生きていてバランスが保たれている、マイクロバイオーム」。シンポジウムで、新たに登壇された方々が、シンポジウムの冒頭で、短めの報告をされています。それを、次にメモっておきます。手代木さんは、「アメリカでのワクチン早期開発の背景として、ワープスピード作戦を執る、有力な開発に巨額の投資、トランプの裏の顔として高評価されていました」「予め国家体制を整えていた、政府・アカデミア・規制当局・製薬会社の連携」「逆に日本は、それらが遅れていた、東日本大震災で進みかけていたことが頓挫してしまった、審査担当官に訴訟リスクがあるのも日本が遅れをとった理由の1つ、これは諸外国にはない制度、そう言えば、日本のワクチンの承認が、諸外国の承認を待っているかのように見え、けったいやと思っていましたが、これだったのですね!」「感染症関係の薬品・ワクチンは消化器と同じ、消火器を備えていざというときに備えるスタンスが、薬品・ワクチンにも必要、既に、イギリスは実行している、これが為されると、製薬会社も感染症関連の薬品・ワクチン開発に積極的になれる」。武藤さんは、医療社会学という視点でのお話、「リスクコミュニケーションの視点に基づき、為政者は情報発信をしなければならない、最初の情報源に/わかったこと、わからないことを正確に伝える存在に/正直で信頼に足る存在に/苦痛への共感を示す/行動を促せ/相互に尊重する」「検体や情報を、一元的に集約・分析する仕組みが不在だったので法改正」「差別的発言の予測と是正、コロナ対策禍として女性の負担増に目を向ける」「少数者の視点、障がい者や非日本語生活者、子どもへの情報保障、感染拡大でも障がい者などの生活レベルの低下を起こさせない権利」「患者・市民からの声を活かす、実際、感染者の職場復帰に困難さが出ていた、隔離経験者の実体験を次の政策に活かす」。こういった立場で、行政に関わる人たちがいることを知っただけで勉強です。また、日本も進んだものと思ってしまいます。藤井さんは、大阪府の振り返りです。「第4波で医療逼迫が起こった」「第5波では、死亡率・重症率が下がっている、ワクチン効果」「オミクロン株の重症者は、まだ出ていない」「現在のPCR検査能力は、4万/日」「ワクチン効果の1つに、高齢者施設でのクラスターが減」。4時間の長丁場、難解な点も多々あったのは事実だけど、このシンポジウムの趣旨は了解できたように思えています。また、それは、この2年間で見えてきた日本の課題だということでしょう。それに対して動き出そうとのキックオフミーティングだという設えのパネルディスカッションだったいうことでしょう。勉強になりました。


2022年 1月 10日(月)午前 5時 54分

 昨日は、今年初めてコンサートに行った日。こういった今年初めてシリーズ2つ目です。京都コンサートホールであった京都市交響楽団の「ニューイヤーコンサート」に行ってまいりました。黄紺は、京都市響が、ウィンナワルツやポルカでプログラムを組むなら、「ニューイヤーコンサート」には行くことに決めています。まだ、3年目やけど。一昨年は、正に、そのニーズに合ったプログラミング。知らないワルツやポルカがいっぱいあって、そんなのを聴くのが楽しみなのです。ところが、昨年は、コロナ禍だったけど実施されたのは良かったけれど、いわゆる名曲コンサートのプログラム。ドイツでも、その手のプログラミングで行われたニューイヤーコンサートに行ったことはあるけれど、日本では嫌。京都では、関西フィルが、城陽市でニューイヤーコンサートをするので、そちらに乗り換えようかと思ったんだけど、乗り換えなかったということは、中止だったか、こちらもウイーンじゃないプログラムだったかもしれない。よく覚えてないけど、何かとバッティングしたのかもしれない。要するに、そんな昔のことは覚えてないのだ、行かなかったことだけは覚えている。今年は、ちょっと躊躇った。というのは、半分ほどがウィーンで、その他は名曲コンサートであり、但し、プッチーニを置かれたため、ま、許そうというので行くことにしたコンサート。指揮に大友直人(京都市交響楽団桂冠指揮者)を、また、市原愛をゲストに迎えたコンサートのプログラムは、次のようなものでした。①ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲②ヨハン・シュトラウス2世:トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214③ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」 作品410④ジーツィンスキ:わが夢の町ウィーン⑤スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲⑥ビゼー:「アルルの女」組曲第2番から「ファランドール」⑦ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲⑧ワルトトイフェル:ワルツ「スケートをする人々」 作品183⑨プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「わたしのおとうさん」⑩プッチーニ:歌劇「ボエーム」から「わたしが町を歩くと」⑪J.ウィリアムズ:「スター・ウォーズ」から「王座の間とエンド・タイトル」。前半で、ウィーンものが並んだとは言え、有名どころばかり。⑥までが、前半なんだけど、その⑥だけが、ウィーンものではない。それにつけても、ウィーンものと言っても、決して、カールマンものは出ない。カールマンものだけで、プログラムを組んだりするドイツが思い出されて、コロナ禍が悔しくなる。一昨年のコンサートでは、広上淳一が指揮をしたんだけど、そのときもそうだったけど、サービス満点で、指揮者が、途中、マイクを手にお喋りをしてくれる。オケの女性団員は、めいめいの衣装で登場される、中には着物で演奏されている人もいるという、特別ヴァージョンのコンサート。①は、オープニングの定番。②も③も、定番すぎるワルツにポルカ。②を聴くと、その昔、東京文化会館で観た二期会のオペラ「こうもり」を思い出してしまう。アデーレが、ご主人様ロザリンデの服を、勝手に着込んで舞踏会に出かけていくというところを、舞台上でやった。生着かえという趣向だ。そのときに使われたのが、この曲。若杉の指揮だったように覚えている。これから、舞踏会に出かけていくうきうき感が、その生着かえで出ていて、秀逸な演出だった。栗山昌良だったな。いつも、この曲を聴くと、とっても昔のことを思い出してしまいます。④も思い出の曲。初めて聴いたの、フランクフルトでだった。その後、フランクフルトに行ったときに、それを聴いた店を探したけれど、判らなかったな。そういった思い出も蘇ってきます。⑦も、東京文化会館で観た二期会のオペラの思い出がある。初めて、全曲を聴いたときでもあった。1度、聴いたら口ずさめるメロディが、幾つかあった。後年、このオペラが初演された当時、その直後、街を、そういったメロディを口にしながら行き交う人が出たという大ヒットオペラだったと知り、なんか、追体験していた気になってしまった。昨日は、帰り道、この曲ではなく、⑨の方を口ずさんでいました。でも、⑦と⑨を、ドイツでは、生オペラでは、各々1回ずつしか、観ていない。⑦はハノーファーだった、⑨はフランクフルトだった。各々の舞台、覚えている。⑨を口ずさむと、タイトルロールを歌ったルキッチのカーテンコールでの姿が浮かんできていました。いいな、こういった思い出に浸れるのって。コンサートのラストは、これまた、定番の「ラデツキー行進曲」。手拍子を打ちながら聴いていた黄紺の頭に、今度、「ニューイヤーコンサート」に来るときは、まずはⅮを連れてこようということが浮かんでました。でも、来年の京都市響の「ニューイヤーコンサート」のプログラムは、黄紺的基準からは外れているので、来年だったら、違うオケだなと、勝手に予定を立てている黄紺でしたが、来年度の京都市響の予定を見ていると、子ども用に作られたコンサートもあるので、それにしようかと目算を立てたりしていました。
 この京都コンサートホールへの往復は、毎度のようにウオーキングを兼ねている。でも、このコンサートが終わったのは、午後4時半。冬至から半月経ったおかげで、少しは陽が持つにせよ、三条駅に着くころには、すっかり暗くなっていた。昨日は、暖かな日だったので、ウオーキング後半は、もう体が火照ってしまい、最後の頃は、上に着ているジャンパーの胸元を軽く開けねばならないほど。こんなのが続いてくれると、有難いんだけど、まだまだ、そうはいかんね、まだ、1月の半ばにも達していません。


2022年 1月 9日(日)午前 7時 46分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。但し、午後に、オンラインでの講演会の予約を入れてあった。だから、それに合わせて、1日の予定を組み上げねばなりません。朝方から、トルコのコロナ情報収集とマッチの結果の把握、「FUTBOL HABERLERI」を書き上げた。とっても、スムーズに進行。トルコ・サッカーでは、相変わらず強いトラブゾン・スポル、オミクロン株の拡大の縮図と言えるトルコのサッカー界では、感染者が急増している、そないなニュースが駆け巡っている。
 オンライン配信は、関西大学が音頭を取り進めている「第38回かんだい明日香まほろば講座」。古代史の基本を学べ、最新の問題点の対立点も学べるということで、かなり期待の配信。昨日は、「万葉人と古代の葬送」というお題で、講演2本に加えて、その講演者にコーディネーターの方が加わってのトークというプログラムが組まれていた。①「“万葉集”の“挽歌”と葬送儀礼の間」(井上さやか/奈良県立万葉文化館指導研究員)②「律令国家形成期の墓制~火葬に見る造墓理念の変革~」(西光慎治/明日香村教育委員会文化財課調整員・関西大学非常勤講師)③パネルディスカッション(井上、西光、今井邦彦/朝日新聞)。ところが、①で90%ほど居眠り。古代の葬送歌を、万葉集からお聴きできるという機会を失してしまいました。僅かに残る記憶からメモっておきます。大部なレジュメをいただいたのですが、万葉集からの引用は、黄紺の処理できるものではないのです。「挽歌は、万葉集を構成する3つの内の1つ」「挽歌は、棺ひくという葬送儀礼時に詠む歌」「中国の文選にもあるが、文選では、作者が死者に成り代わって書くという形式」「生前の本人作歌や数十年後の追和も含む、移葬時の歌も含まれる」「天皇挽歌は天智天皇と天武天皇に限られる、崩御前や数年後の供養時のものも含まれる」「皇子への挽歌、万葉集の中での最長の歌は高市皇子挽歌、柿本人麻呂作」「火葬を示す歌もある」くらいが拾えるところです。②は、中尾山古墳の紹介、且つ、そこから見えて来る葬送の様子といったお話でしたが、中尾山古墳については、帝塚山大学のオンライン配信による講演で聴いたことがあったため、とっても理解がしやすいものとなりました。同古墳は、高松塚古墳の近くにあり、明日香地域の世界遺産登録が目ざされているなか、発掘調査が行われた模様。その結果紹介が、大部を占めるものとなりました。「飛鳥は計画都市、飛鳥駅周辺は黄泉の地域」「中尾山古墳は文武天皇陵ではないかと看られている」「3つの尾根の真ん中の尾根にあるとことから中尾という名が付いたようだ」「過去の発掘で、既に沓形石造物が発見されており、八角形をしていることも判っていた、それが、新たな発掘でより鮮明になった」「八角形が3層になっている、角には135度の形をした自然石が使われている」「墳丘部には鎌倉時代の盗掘跡があり、そこから掘り出されたと考えられる土砂が下方に流れている、その流れているなかに沓形石があった」「下の2層は石積み、一番上の墳丘部は土盛り」「外周の石敷きも3段になっている」「沓形石の配置については、墳頂部にはあったが、その配置は、8つの隅なのか、中心部なのか、それも、8つ、4つ、2つという配置が考えられているが特定には至っていない」「石郭内部は、開けた直後は壁面が光っていた、また、壁面には水銀朱が塗られていたと考えられる、90cm四方という狭さから棺を納めることは不可能、そのため、火葬骨埋葬と考えられる」「明治時代、この地域で出土した蔵骨器がここのものと推測されていたが、鎌倉時代の盗掘あとの隙間からは、出せない大きさなもので、それではないことが判明」「天井石や床石に使われた石材は近隣から運ばれたことが考えられるが、側石に使われた竜山石は播磨の方から運ばれたと考えられる」「八角形の意味するところ、“圀”という字が示すように、“クニが八方に拡がる”の“八”に通じる。大君が国の隅々まで統治していることを示すもの」「八角墓は機内で5基、内4基が天皇陵」「火葬墳と火葬墓は違う、前者は墳丘を持つ、後者は、碑文程度の目印だけがある、前者は、目立つことから政治的モニュメントとしての役割を持つ、中尾山古墳は火葬墳」「天皇陵そのものに仏教思想は確認できない」「元明、元正は、唐の薄葬思想の影響を受けている」「聖武以後は復古的な陵墓思想となる」「薄葬化に伴い、納棺儀礼が石郭とは別の場所で行われるようになった、首長権継承儀礼が喪葬儀礼から分離されていくようになる」「納棺儀礼が分離されることにより飲食儀礼も他の場所へ、施設内へと移っていく」「閉塞儀礼、挙哀儀礼(意図的に泣く)も分離、後者は施設内へ」「そういった変化の過渡期の古墳と位置付けられる」。古代の葬送儀礼の基本も知ることができました。それと、律令国家が成立していく、言い換えると、天皇を中心とした集権体制ができ上っていく中で、墳墓の役割が終わっていく姿も見えてくるように思えました。万葉集の役割で、おもしろいトピックを聴けました。「文化遺産の創造=国家威信の発揚」ということです。中国の正史を真似たような日本書紀の成立にも通じるかと思います。国際社会の中で生きた古代国家の姿が、そういった面からも確認できるようです。おもしろいトピックがもう1つ。柿本人麻呂って、万葉集にだけしか出て来ないのですね。歌の神様的な扱いを受け、神社に、その名を刻むのは、後代のこと。「西の旅」にも出てきますね。同時代の史料には、他に名前がない。想像されるのは、ペンネームかもというお話、そそられてしまいました。山部赤人も、似たようなことを言われていました。歌に出て来る地名、これは、本人と関りがあるだろうけれど、それ以上を特定するのはフィクションに過ぎないと、梅原猛の著書も話題に乗せながらのトークでもありました。古代史に疎いものだから、いいお勉強だけど、居眠りはあかんね。


2022年 1月 7日(金)午後 11時 56分

 今日は、今年初めて、映画を観た日。数日前まで、全くノーマークの映画だったのだけど、偶然、映画館の情報を調べているなかで、「中年女性の同性愛と、、、」というフレーズを目にしてしまった。しかも、韓国映画で、女性の同性愛を扱った映画、これは衝撃が走ってしまい、予定表に書き込みました。京都シネマで上演されている「ユンヒへ」という映画です。実は、予定表に入れながら、今日、観るのは大変だった。午後の時間帯に観たいとなると、朝方のトルコのコロナ情報収集にメドがついてないといけない。これが、大変。1週間前から始まったオミクロン株による感染拡大が、あまりにも酷いものだから、さすが、この間、激減していたコロナ情報が、わんさか出て来る。それを読み切ることができるかというほどの多さだった。それにメドがつけば、午後1時過ぎ上映開始のこの映画を観ようじゃないかと決めて、コロナ情報収集を始め、ぎりぎりでゴーサインを出すことができました。とっても静かな映画でした。話の発端は、小樽からでした。そこに住む1人の女性が、かつての恋人に出した手紙がきっかけでした。かつての恋人は、韓国の地方都市(どこだか判らなかった、残念)に住んでいる。今は、離婚して、自分の手で娘を育てている。その結婚が、どのようなものであったかは、最後に判る仕掛けになっているけど、尋ねてくる元夫の言葉からして、無理強いの結婚、ないしは同性愛者だということの隠れ蓑的な結婚だということが、容易に察知できる。その送られてきた手紙を、娘が見てしまう。高校卒業間近の娘は、卒業記念の旅行を母親にせがむ。そのふりで、元の恋人に再会させようとの魂胆。そして、その旅行を実現するのが、この物語の中盤以降、舞台は小樽。娘の恋人も、それに合わせて小樽入り。ちょっとした狂言回しだけど、母親の恋があったと似た世代。2つのカップルをシンクロさせているようにも見える。一方の小樽にいる女の日常も描かれる。伯母(木野花がやってるってキャスト一覧を見るまで気が付かなかった)との二人暮らし。彼女と別れてから、日本に来てからのことが、その日常生活を描かれる中で振り返られる。この女性は、結婚をしていない。親戚の男子に、交際を勧められると、真剣に怒るところから、自分の本心を貫いていることが判るけど、仕事先の動物病院にペットを連れて来た女性に、ほのかな気持ちを伝えられたとき、「日本に来てから韓国人であることを言っちゃダメと言われたことがある」「あなたも、本当のことはお腹に収めておかないといけないことがある」とたしなめる場面が用意されています。かつての別れが苦渋のものであったことが示唆されるとともに、己の気持ちを押さえに押さえて来た彼女の歴史が浮かび上がってきます。韓国だけではなく、日本の社会が持つ同性愛に対する目が、同時に浮かび上がります。娘が、相手の女性の伯母に会いに行き、結局、当の2人の再会が実現します。そのときの2人の会話は、「久しぶりだね」だけに留め、2人の会話は描かないという手を使っています。2人が会うことできたということが、大きなトピックだと言いたいのでしょう。小樽にいる女性のその後は、ほぼ描かれません。伯母と一緒に居るところだけでした。いつまでも、2人のかつての気持ちの中で生きている慎ましやかな人生のようです。韓国に戻った女性のところへは、元夫が再婚の報告にやってきます。それまで、元夫との再会には、強張った顔で応対していた彼女の顔が、初めてほころびます。ハグまでします。逆に夫は泣くばかりです。この穏やかさが、かつての生活にあったなら、離婚なんてなかったという気持ちだったのでしょう。でも、女性にとっては、元夫に対する相容れない気持ちから解放された瞬間でもあったようでした。元夫に対する申し訳なさのようなものもあったのかもしれません。そこへと追いやった家族に怒りが、ここでぶちまけられます。写真館を営み、娘の相手も良くしてくれる兄だけど、どうやら、世間体を考え、無理やり結婚させたようでした。その怒りを露わにした、いや、できたと言うべきかもしれません。欧米の同性愛者を描く映画からすると、とってもソフトに見えます。いや、それが、その辺のしんどさを表しているようです。カミングアウトの難しさ、居所のなさ、ましてや、2人の恋が進行していた20年前では、深刻度が違ったことでしょう。そういった目で観なければならない映画です。登場人物は、皆さん、真剣に生きています。その真剣さが受け入れられない、しんどさを描いた映画です。
 お昼を食べる時間にだけ、隙間が生まれたので、落語を1本、YouTubeで聴きました。柳亭市馬「掛取り」という、ちょっとずれた季節ものということでのピックアップ。市馬なら、得意の喉を聴かせるものを入れてるはずとの思惑で選んだところ、ドンピシャ、大当たりでした。借金取りは3人、順に、狂歌、ケンカ、三橋屋というもので、「三橋屋」というのは、三橋美智也ファンの借金取りというわけで、三橋美智也の持ち歌尽くしで、撃退しようというものでした。3人ですから、ましてや、三橋屋なんてのを出すものですから、下げに行くなんてありえない展開で、それどころか、聴く者、誰もが求めてないですよね。


2022年 1月 7日(金)午前 6時 4分

 昨日は、再び、お出かけなしの一日。天気が良くなく、雨や雪は降らないけど、冬特有の曇天の寒空に終始。自ずと気温が下がる。天気予報だと、この土日には回復するらしいので、今は我慢のときです。そういったことを考えるのって、例年だと、1月末の一番寒いときなのに、今年は早いよ。既に、零下なんてのも経験しているしと、寒い冬です、今年は。そんなで、昼前のウォーキングの定番、休憩&読書の時間なんて、持てたものじゃない。去年までは、そうは言っても、外で我慢しながら読書してました。家内にいる時間を減らしたいもので。でも、今年は、その我慢ができない。また、一段と加齢が進んだ証拠ですな。だから、昨日は、午後の一時の一角を読書に当てることに。あと少しで終わるというところまで読み進んでいたことから、読み終えてしまいたいという気があり、イレギュラーなことをしてしまったけれど、これを定番化するのもいいかも? ウォーキングをしている間は、身体が火照ってくるのだけど、火照った状態が、立ち止まると長続きしないね、こう寒いと。
 昨日は、朝方のトルコのコロナ情報収集にサッカー情報収集に、随分と多忙を極めた。だって、オミクロン株の勢い、凄いんだから。完全に、ヨーロッパの後追いしています。日本は、もう1つ、遅れるのが常ですね。日本も増えて来てるけど、増加の本番は、まだ先でしょう。増え方が、まだ、ましだもの。でも、それに合わせて執ったのが、隔離期間の短縮。無症状だと、日にちで切って、隔離期間を終わるなんて項目もあった。これじゃ、単なる風邪やんけと思ってしまった。確かに、新たな死者数は、新たな陽性判明者数の急増に対して、新たな死者数は増えていない。だから、蔓延しても大事には至らないって様子。こういったことが、2~3日前から話題にされていた。マスコミは、政策の変化を先取りをしているようで、そのような記事が出るのかと思わせられています。でも、数を見ていると、さすが、穏やかではおれないほど、増え方が凄まじい。1日1日、データを見るのがはばかれるような雰囲気になってきています。日本は、蔓延防止策で対応しているんで、従来のまんま。トルコと行き方が違う。分かれ道のところにいるので、結果が、どうなるかに注目したいですね。
 午後の一時は、そんなで、圧縮気味になったので、落語を2本聴いた程度。その2本は、①三遊亭小遊三「天災」②古今亭志ん生「心中時雨傘」。①は、東西比較の意味合いで検索をかけると、ポピュラーなネタのため、音源は、幾つか、YouTubeにアップされているなか、小遊三ものをピックアップ。似合ってるかなという気で選んで、正解。勘はピッタリでした。紅羅坊奈丸の家を訪ねるところから始まったので、びっくり。冒頭から、カットが入った。ま、奈丸先生宛の手紙に、やって来たわけが判るからというところでしょうが、無頼の男のキャラを際立たせるのに、前があった方がいいのにと思ったのですが、手紙で、それも判るだろ、やりすぎだよというのが、カットの狙いでしょう。その後の流れは同じだけど、下げに至るラストが違う。上方の「天災/前妻」でなく、「俺とこは盆栽の間違いだ」と、「天災/盆栽」のダジャレで落としてました。②は、マクラで「円朝作品」と言っていますが、そういったネタ、久しく聴いてないということでチョイス。実は、この音源、CDで持っている。この音源と同じく「上」の部分だけ。「下」も、YouTubeにアップされているようなので、探してみようと思っています。筋立ては、すっかり忘れていたけれど、道すがら、男に暴行を受けるところから、噺はスタートするところで、円朝ものって、こういった物騒なトピックがプロットになっているの、多いのじゃないのと、かつて思ったことを思い出した。そういった社会だったのかも? それを助ける男、それが成れ染めで夫婦になる経緯が描かれるのが「上」です。それも、ちょっとステレオタイプ的な展開で、あまり好きにはなれない。「下」は、もっとわざとらしい模様。そんなネタだけど、やはり、志ん生の口演がいい。平板なお喋りだけど、そこに落ち着きがあり、噺の展開は急だけど、世の中のゆったりとした空気、現代とは違う時間が流れる空気が伝わってくると、自然に、情景が浮かび、噺の世界に没入させられてしまってる。名人芸ですね。円朝の世界というよりか、志ん生に世界に浸る音源です。


2022年 1月 6日(木)午前 6時 48分

 昨日は、新年初のお出かけ。年末から続いた引きこもり生活が崩れました。まだ、先まで続くはずだったんだけど、失念していたことを、ふと思い出してしまった。ま、よくある話です。忘れることも早いけど、時々、忘れていたことを思い出すときもある。こちらの方が少ないため、冷や汗をかくこともあるけど、そのときは、あっさりと諦めることにしている。忘れは、もう、どうしようもないので。でも、今回は思い出した。1月早々から、行ったことのなかった美術館「えき」KYOTOで、「能面100展」という特別展が始まっているのです。どこかで、チラシを見つけたもので、さすが、気になってしまったのです。この京都駅にある美術館、今まで行ったことがなかった。伊勢丹の中にあると考えればいいのだけど、そうは思ってなかった黄紺は、大階段側から行くことにした。だいたい、伊勢丹の仕組みが判ってないので、「7階」と場所が書いてあれば、大階段側から行ってしまう黄紺なのです。以前は、下のカフェとか行ってたんだけど、引きこもり生活では、一切、関係ない。更に上にある法務局も、もうパスポートの更新はないだろうから、縁が薄いと感じるところです。今回の能面展は、金剛家、篠山能楽資料館、マーヴィン・コレクションを集めたものでした。目玉は「雪の小面」、金剛家の保有する逸品です。展示は、能の1番目もの(神もの)から順に進み、5番目の鬼もので終わり、途中、マーヴィン・コレクションの中から「紀州徳川家伝来鶴蒔絵面箪笥十一面」と、金剛家コレクションから能装束2点(唐織、縫箔)が入るだけで、全面、能面尽くしというものでした。こういったときって、展示の相場は、女面が多いものなんだけど、それが、わりと控えめ。それも、本面とされる面はあることはあったけど、比重は、あまり大きくない。しかも、金剛家が噛んでいるにも拘わらず、孫次郎は1点だけ、これは、ちょっと寂しい。「雪の小面」との比較がしやすかろうという思惑が働いたのかな、小面が、あと4点ありました。出目家もの2点、伝赤鶴もの1点が含まれていました。そんなのと比較すると、「雪の小面」って、大人しいなと思う反面、上品です、何よりも。小面って、口元に色気と言えばいいけど、黄紺的にはエロいと思えるものがあります。あくまでも、黄紺的表現では。でも、「雪の小面」は、それが薄いと看ました。むしろ、孫次郎や若女的と言えばいいかな。展示されていた若女が1点、それも出目家もの。この若女、口元は、「雪の小面」より、他の小面っぽかった。孫次郎も1点あった。これも出目家。孫次郎は難解です。「おもかげの孫次郎」のおもかげは見る影もないというのが、通常の孫次郎。黄紺は、本面として使われる女面では、一番、整っている、安全、落ち着いている、そないな言葉が出てきます。それは、裏を返せば、ドキドキ感が減るということ。展示されていた孫次郎は、確かに、そういった風情でありながら、小面のエロさを、ちらりと見せてました。増も3点あった。いずれも、癖のある増だった。小面などからすれば、年増的というほど年嵩を増やすとダメなのかもしれないけど、その年嵩の幅で言えば、3点ともに、ちょっと幅は拡がってんじゃないのという印象を持ちながら観ておりました。増から、一挙に瘦女に飛んでしまうものだから、深井がないではないかと歩き回りました。どこかで観た記憶があったからです。そうなんです、紀州家の能面箪笥コーナーにありました。女面シリーズからは外れているという、不思議な展示。珍しい面が多く展示されていた一方、深井が「女面コーナー」に1つもないというのは、如何なものか! 女面の比率の割には、尉や小飛出、大飛出、般若なんてのが、目立って多かった印象。小牛尉、三光尉なんてのは、面の名称に、作家の名が入ったもの。小牛の作った小牛尉、三光坊が作った三光尉なんてのがあるだけで、嬉しくなっちゃいますね。伝が付いてたけど、小牛尉は、一段と目立つ、落ち着き、ふくよかさのある面。三光尉は、記憶に残らなかったけれど、そんなで、小牛尉は、頭に刻みこまれてしまっています。面の名として、とってもレアなものが、わりかし多かったんじゃないのかなぁ。鼓悪尉、重荷悪尉は、専用面だけど、なかなか見れるものではない。悪尉癋見なんてのがあるかと思えば、「不動」なんて名の付いた面があった。真角、生成、釣眼、大顰などと言った、現在の演能などでは使えないかもと思える面も出てきました。あまり広くない会場、客もパラパラ。さすが、正月明けです。観るには、まことに程よい状態でした。
 美術館が京都駅構内だったので、往きは電車、帰りは、ウォーキングを兼ねて徒歩でというのは、この地域に行ったときの定番。その途中で、ようやく、5日にしてオープンしたマートに寄ると、完全に正月は明けたのを実感。このウォーキング、車の通る道を通らねばならないのが欠陥。1時間はかかるので、迂回して、排気ガスを避けるのもきつい。マートにも寄りたしとなると、どうしようもないのです。思いの外、この美術館行きがスムーズに運んだので、ウォーキング替わりの歩いての帰宅をしても、まだ、外は明るかった。それとも、冬至が終わり、はや2週間。明るくなってきているということかもしれません。
 隙間狙いでの落語、次の2本を聴いた。①入船亭扇遊「突き落し」(1992/10 TBSラジオ・ビアホール名人会②柳家一琴「火事息子」(2011/4/9 らくごカフェ柳家一琴の会)。①は、ラジオ放送の録音のようですね。それを堂々とYouTubeにアップしている、危ないけど、出ているもので、消えない内に視聴させてもらった。「突き落し」というネタを知らなかったことと、扇遊の口演というのが嬉しい。噺の序盤で、上方版の「棟梁の遊び」だと判明。でも、「棟梁の遊び」の進行なんて、頭に入っていない。確か、6代目の音源が残ってるはずだけど、受け継いでいる人、いないでしょう。そんなで、聴く機会が、その音源しかないものだから、頭に入ってないのです。で、聴いてみて、これはやらないわと、納得。ひどい噺です。吉原に行き、金を踏み倒そうという噺で、その踏み倒し方が、笑えないよというもの。そんな噺だけど、扇遊の口演が、抜群。もう40年も前の口演だけど、最近の扇遊の口調のまんま。こないに若いときに大成していたのかと思わせるもの。前のめりにもならず、華やかさもある、とってもいいものです。生扇遊は、大阪でも聴いてるんだけど、この人のネタと言えば、「天狗裁き」しか思い出せない。横浜と浅草だったはずと、「天狗裁き」に関しては場所まで覚えてる不思議、です。②は、30分ちょい時間があったので、お世話になっている一琴のチャネルに、これがあったはずということで、ピックアップ。「火事息子」は初めてではないのだけど、筋立ては忘れてたということがあってのピックアップだけど、印象としては、有名なネタなわりには、好きになれなかった印象だけが残ってたけど、その印象は正解だったと、この一琴の口演を聴いても思いました。火事好きが基で、勘当された大店の若旦那。ある日、火事の風向きで、実家に火が及びそうだということで、その実家の屋根に跳んで行くと、不器用な番頭が目張りをしているのを見つけ、それを助けてやる。番頭の勧めもあり、両親に再会。建前を貫こうとする両親だが、徐々に本音が見えてくるという人情噺なんだけ、噺が単線で、先が読めてしまう、お涙頂戴的な構造と看てしまうのです、黄紺は。三代目桂三木助の型での口演だと、一琴は概要欄にメモっています。冒頭の夢の部分がそうだと、どこかに書いてありました。そこだけなんだろうか? 気にはなるんだけど、気にするほど、追いかけたくなるネタじゃなしで、このまんまになるんでしょうね。


2022年 1月 5日(水)午前 6時 38分

 昨日も、同じような日が続いています。年末から、しばらくは、そのような時間が続くかと思っていたのだけど、正に、その真っ只中というところです。でも、ふと、忘れていたことを思い出し、特に、何もなければ、それを実行に移そうかと思い立っています。このあと、また気が変わってしまうかもしれないのだけど。そんなで、日に2回のウォーキング時だけが外出の時間。一昨日と違い、ずっと曇り空。時ったま、太陽が顔を出すけれど、その時間はとっても短い。冬に、よくあるお天気です、嫌なお天気です。街は、いつものようにはなっているけれど、夕方のウォーキング時に寄ったマートは、まだ、開けてなかった。一方で、2日に開店を繰り上げたなんてところがあるかと思えば、定休日でもないのに、5日からというマートが、黄紺の周りで2軒ある。まさかと思い、寄ってから気が付いた。去年までもそうだったか、これが思い出せない。1年経てば、そうかなと思い一方、しっかりと覚えているマートもある。黄紺的重要度で、それは変わってきているのかもしれません。
 トルコでは、感染拡大が進んでいる。完全に、ヨーロッパの後追い。毎度のことだから、専門家は予想してた。この感染拡大は、もろに、トルコ・サッカー界にも及んでいる。5日には、ドーハでスーパーカップがあるんだけど、なんで、コロナ禍で、わざわざ、外国で試合を組むのか、全く解せない。いい金儲けの話だったのでしょうね。対戦するベシクタシュとアンタルヤ・スポル双方に、感染者が出ている。まともに、試合できるのかなと思うほど、ベシクタシュがやばい。今季の序盤にも、似たことが、ベシクタシュで起こったのが思い出されます。そんなだけど、もう書き尽くしたのか、トルコのコロナ禍情報は減っている。それは、黄紺的に、自由時間が増えるということ。かつては、収集作業に、かなり振り回されてたことを思うと、この感染拡大で、なんでやねんと突っ込みっぱなし。昨日は、朝から自由時間ができたわりには、午後の一時になり、いざオペラ配信の時間に当てようかというときに、雑用に追われ、結局は、オペラ配信はカット。「美の巨人たち」を1本と落語3本を視聴して、自由時間は終わったのでした。
 「美の巨人たち」は、「ヘンドリック・ウィレム・メスダグ“①パノラマ・メスダグ”」。まずもって、ヘンドリック・ウィレム・メスダグという名前を知らなかった。名前からして、オランダ人だというくらいは判るけれど、いつの時代の人かは、全く判らない。ましてや、「ハーグに、、、」「1つの絵だけを展示する美術館」などというナレーターが入ると、衝撃が走る。「1つの絵だけ」で判らなかった黄紺、ハーグには、2回、行ってんだけど、そのときにチェックした中に、そんなの引っかかって来なかったよと、ホント、衝撃だった。「1つの絵だけ」というのは、パノラマ画でした。そないなジャンルがあったなんてことから知らなかった。となると、黄紺が、ドイツで、ドレスデンなどで観たパノメーターというのは、それのパロディだったのかと、ここでも、知らないことの情けなさを知りました。ヘンドリック・ウィレム・メスダグは海を描き続けた画家。ハーグに住み描いたとなると、スヘフェニンヘンの海岸となるわね。その何とも穏やかな風景を描いたのが①。黄紺も、ハーグに行った1回目、そのスヘフェニンヘンに行った。この名前、とっても発音しにくいと思ったら、ネット上に「スケベニンゲン」と覚えろとあったので、細かな発音は合ってないかもしれないけど、忘れない名前になっている。黄紺の行ったのは、12月の末。厳冬の北海。零下何度というなかで、ハーグ市内からトラムに乗り行ったけど、あまりにも残酷な姿を見せていた海にたじろぐばかりでした。寒いのと、海の色の灰色の恐ろしさに負け、そそくさと帰りのトラムに乗ったのを覚えています。そのときの光景とは似ても似つかぬ、穏やかな海岸を描いています。それが、360度見渡させる美術館です。パノラマ画は、19世紀に流行ったもので、主に、歴史物語、英雄を描くのが常だったのに、ヘンドリック・ウィレム・メスダグはそうではなかった。日常の風景を描くことをモットーとしたのでした。元々は、家督を継ぎ銀行家になったのだけど、画家の心が忘れられないで、後に転進。それには、妻の支援が大きかったとか。作風はハーグ派(と言われても解らないけど)のもので、自然をありのままに描く、それに、抒情的、知的解釈を加えるのが特徴だそうです。師匠はウィレム・ルーロフス。紹介された作品をメモっておきます。②平底に船と馬③夜と月光④キリストの磔刑⑤水車小屋⑥妻シーンチェ⑦レンガの山⑧ブリュッセル近郊⑨北海の磯波⑩漁師の妻たちと浜辺の船⑪二艘の船と大時化の海⑫モネ/睡蓮(パノラマ画)⑬大嵐のあと(1894.12 オランダを嵐が襲う、その後、パノラマ画を自ら買い戻し市に寄贈)。問題の①は、⑨がパリで評価されたあと、「終わりのない絵を描いて欲しい」という依頼を、ベルギーから受け、縦14.5m、横120mの作品を描いたもの。パノラマにして不自然でないよう、ガラスシリンダーの中に入り下絵を描く。それに紙を貼り写し、それを基に下絵を描く、更に、それを拡げるという過程を経て、4ヶ月で完成したもの。また、この展示には。照明はなく、天井から自然光だけを使い、展望地点からパノラマ画の間には、自然の砂などを置くという演出がなされている。こんなものがあるんだと、早速、美術館の位置をググってしまいました。スヘフェニンヘンに行くトラム沿いじゃないかな。建物だけは、見てるかもしれませんな。オランダは、大鉄橋を渡りたくて、ぼやーっと計画はしたことあったけど、結局、つまみ食いだけだった。そんなだから引っかかってこなかったのでしょう。残念、もう行けないね。
 落語は、次の3本。一昨日、寝落ちした松葉ものを探したのだけど、見つけられなかった。えらことしてしまいました。でも、後の祭りとは、このことですな。で、その3本は、①笑福亭松鶴(六代目)「猫の災難」②春風亭一之輔「夢見の八兵衛」(春風亭一之輔 10日間連続落語生配信 第2幕 第六夜)③桂米朝「鉄砲勇助」。①は、玉置宏がMCをしていた番組の収録という、ちょっとやばい音源。「東京は犬でする人もいる」「犬でしても、東西のくすぐりは同じ」という解説が入っています。黄紺的には、「犬の災難」は、生白酒で聴いている。この松鶴の若々しい声が懐かしい。ちょっとテンポが速め。若い分、勢いを感じます。貴重なもの聴けました。下げは、「悪事災難逃れますように」。これにも変化があると、解説が入っていました。②は、コロナ禍で寄席が中止になったのを受けて、その10日間、自分の出番の時間に生配信したもの。色物さんにも出番があったようだけど、アーカイブではカットしています。東西比較が目当てだけど、東京で「夢八」をするのを知らなかったので、飛び付いてしまった。内容的には、今の上方で出るもの。冒頭の八兵衛の夢話や、番をする家に連れて行く箇所、それまで番をしている人がいたりと、細かなところでは変化しているけれど、噺の中身自体、前後の入れ替えとかはない。首吊りの喋りは戯画化しているのも違いますね。ま、一之輔の演出かもしれないけれど。その辺の確認には、誰か、東京の噺家さんの口演を見つけねばならない。これが難題かも? ③は、「鉄砲勇助」の最後まで聴けるかもと思いピックアップしたんだけど、その勘が、見事に当たりました。初めて、下げまで聴いた。最後に鉄砲勇助が出てきました。いや、最後の主役は、その息子でした。散々、ホラ話をした男、ウソの名人という鉄砲勇助に勝負をしようと出かけるが、出て来た息子に、あっさりと尻尾を巻いてしまい逃げ帰る。あまりにもあっさりなんで、それまでは何だったんだということで、その前で切られるんでしょうね。そして、ラストは、大きな桶を作る竹を取りに行く話で下げとなる。このホラ、あまりおもろない、そないなことも、この終盤はカットされるのでしょう。1人くらい、やってってもいいのにと、フルヴァージョン、誰か、若い噺家さん、やらないかなぁ。


2022年 1月 4日(火)午前 6時 53分

 昨日は、一昨日の時間をコピーしたような一日。大晦日から元旦にかけての冷え込みを考えると、まことに有難い、穏やかな天気。となると、日々のルーティンにしているウォーキングも、気持ちがいい。昼前のウォーキングでの定番、休憩&読書が、時間の尺でも復活。それだけ、ゆったりと日向ぼっこがてらという、いい時間。最近は、ウォーキングをしていて、疲労を感じないものだから、特に昼前は明るいので、時間が伸びるのが定番化している。某神社に入ってみる。いい人出です。あとで書く落語の視聴記録をメモっていて、知らないタームが出て来たので調べるなかで知った蘊蓄。初詣って、昔はなかった。「恵方詣り」はあったけれど、恵方は、年により異なるから、同じところへは行かない。それが、毎年同じところに行くというか、行くところは同じところにある。これは初詣。電車が通るようになり、恵方とは関係なく固定化が進んだということで、全く、近代のもの。1つ、賢くなりました。
 昨日も、家にいるときは、トルコ関係でPCに向ってないと、同じくPCで動画を視聴している。昨日は、朝方から時間がたっぷりめにあったので、まず、某動画サイトに塊のようにしてアップされている「美の巨人たち」から「ジョルジュ・ルオー“傷ついた道化師”」。この番組、1つに作品を取り上げる。そことの関連で、幾つもの作品が紹介されるが、あくまでも中心は、1つの作品を読み解くためのもの。その一品が、「①傷ついた道化師」だ。3人の道化師が描かれ、真ん中の道化師は、手を傷めている、それとも、それと関連してか心を傷めたか、傍らの2人の道化師の表情が穏やかなのに、目が行くという作品。このあと、時系列的に作品の探求が進み、結局、ここに至るわけのようなものが判るという構成です。②聖顔(大変な篤信家だったそうで、多くのキリスト像を描いているとか、また、ステンドグラス職人をしていた時期もあり、その特徴である太い黒い線での造形という試みが、ここに挟まる)③辱しめを受けるキリスト④ルノワール/ふたりのサーカスの女⑤ドガ/フェルナンド・サーカスのララ嬢⑥スーラ/サーカス ⑦プゥロ夫妻(華やかさはない、醜いものばかりを描く、夫妻は成りあがった小金持ち、卑しさが滲み出る)⑧裁判官(人が人を裁く傲慢さは醜い)⑨鏡の前の娼婦⑩悲劇的な道化の顔(33歳のときの作品、悲しい顔、水彩絵の具で描く、心にあるものを、そのままを描けるので、①との対比、①は60歳を超えてからの作品、①には優しさがある、色彩も明るくなっている、油絵でじっくりと時間をかける、人間にやさしい目を向ける、神との対話、仲間を描いている=傷を分かち合える仲間)⑪優しいベルナール(明るい色彩、笑顔の道化師、80歳過ぎの作品)。サーカスを描き続けた作家ルオー、当時、サーカスは市民の娯楽として活況を呈し、④~⑥のように明るい、楽しい画風で描かれるのが多いなか、ルオーは醜悪な作風、⑦~⑩は、正に、そういった時代の作品。それが年を経て変わっていく、老齢に達し、①⑪へと変わるルオー。底に深い信仰心。
 オペラ配信は、前日の続き。ボローニャ歌劇場の「アドリアナ・ルクヴルール」。居眠りをしたこともあり、2幕の冒頭から観直すことにした。すると、凝った装置であることが判って来た。衝立状の装置の周囲に、暖簾上の布を円弧上に連ねて、その奥側が庭を想像させるようになっている二重構造になっていた。だから、アドリアナ・ルクヴルールとブイヨン公妃との睨み合いが、そういった装置で行われていることが判り、己の至らなさを発見した次第。ただ、ブイヨン公妃の描き方が、黄紺的には不満。登場したところから、結構、醜悪な印象を与える。キャラ的にはそうなんだけど、なんか、公妃という肩書に合わないんだな、歌唱も含めて。難役だとは思うけど。これが、ずっと気になる。そんなで、かなり戻ったので、3幕に入ってはいるのだけど、まだまだ続いて行きます。そうそう、ミショネが大根に見えてきてもいる。それも、気に入らない点。ま、これも、難役だけどね。
 落語は2本。①柳家小さん(五代目)「御慶」(1977/1/2 新春寄席)②笑福亭松葉(七代目松鶴)「隣の桜(鼻ねじ)」。いずれも、半ばで居眠り。①は、その部分から聴き直すことができたが、②は時間切れだったので、また、今日にでも聴き直すことにしましょう。①は、NHKラジオで流されたものを、そのままアップしているような音源。この小さんは、凄いの一言に尽きる。おっとりと構えての虚けた味しか知らなかったもので、これは、驚異の口演です。勢い、声の通り、張り、これが、ホントに凄い。富くじに当たった男、その後を描くというおもしろい趣向のネタ。夫婦のやり取り、大家さんとのやり取り、その後の友だちとの出会い、どれをとっても、聴かせる。小さん、最高の口演です。この下げに「恵方詣り」が出て来たので、ネットで調べて、「初詣」の蘊蓄に出逢った次第でした。②は、何か、珍しい音源が上方ものでないか調べていて見つけた。松葉ものは、さほど聴けそうもないので、この音源は有難いと、飛び付いたんだけど、沈没してしまいました。





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