忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2023年 8月 26日(土)午後 8時 49分

 今日は、びわ湖ホールでのコンサートに行った日。明日は明日で、同じ滋賀県内での落語会に行く予定なので、コンサートに行く前に洗濯を済まそうと、朝から忙しい。終わると、軽い買い物。軽いけど、既に真夏のお天気。身体を冷やせつつ、昨晩から今朝に集めたトルコの情報を読む。ようやく、キプロスで起こっている最新のトラブルの詳細な解説を見つけた。キプロスには、まだ、イギリスの管轄下のエリアがある。軍事基地が置かれているそうで、イギリスの統治は、こないな形で残っていた。そのエリアと、今回の問題のピレ村は、すぐそば。「4つの主権が超接近しているエリア」だと、セダト・エルギン氏は書いている。が、その途中で、時間切れ。「主権」と書いているのは、あくまでもトルコ人の書き方と、押さえておかねばならないけれど、事実上はそうであることには変わらない。
 今日のびわ湖ホールは、「<マーラー・シリーズ>沼尻竜典×京都市交響楽団」というコンサート。びわ湖ホールの芸術監督を退いてからも、このシリーズは続いている。今日は、交響曲 第7番「夜の歌」が演奏される日。マーラーを贔屓にしている黄紺なんかには、待望の曲。8番や「大地の歌」という大掛かりなものを除けば、2番「復活」や3番(これらも大掛かりだけど)より演奏機会は少ないでしょう。それは、6番や9番に比べてもレアだということ。今日の客席が、それを表していた。なかには、地方から駆け付けた人もいるだろうに、入りは、かなりひどかった。黄紺の体調も悪かった。朝から動きすぎ。しかも、暑いなか、JR大津駅から、よせばいいのに、最短コースではなく、滋賀県庁前を抜け、島の関駅から湖畔に出て、びわ湖ホールに向かった。時間的に余裕があったので、久しぶりに、このコースを歩いてみようの気になったのだった。炎天下で考えることじゃなかった。歩いていて、やたら腰が重い、椎間板ヘルニアとは関係ない重さ、腰がこれだと、全身倦怠感、後から考えると、またしても、軽い熱中症を起こしてたんだね、これ。やたら、喉が渇いたのも、その症状だったんだけど、今日のプログラムが7番だったもので、水のがぶ飲みができなかった。85分程の演奏時間というのが普通だもんね、だから、喉の渇きが、完全に癒えてないのにも拘わらず、水を飲もうとしなかったのも、反省材料。結果は、しんどいまんまで、コンサートの本番を迎えた。身体が重いと、目も重い。開演前、誰もいない舞台に、沼尻さん登場、そう言えば、去年の6番のときも、同じことがあった。原因は、当日券を買う人が列を成していたから。今日の7番でも、同じことが起こったそう。そこで、時間調整に沼尻さんが登場となったわけだけど、この辺は、前芸術監督と会館側の阿吽の呼吸というところでしょうか。また、沼尻さんはトークが上手いからね、ソフトで、いい冗談を入れて、ホント、上手。そして、始まった。今日のコンマス席には、なんと、豊嶋泰嗣だった。時ったま、これがある。平易な始まり方、テノールホルンが、若干、不安定だけど、耳障りというほどではなかった。この平易な音楽、7番の変化、耽美性、激しさ、そういったものを意識させる。いい演出です。何よりも、今日の京響のパワーは凄かった。指揮者の動きにも、めっちゃ反応する。今日ほど、京響って、めっちゃ上手いと思ったことは、今までなかったなと思うほどの極上の出来。なのに、熱中症だったのでしょうね、身体がついていかなかった。3楽章までは、寝たり起きたり。4楽章で、少しはましにはなったけれど、まだダメで、完全復活は5楽章だけとは、あかん。今日ばかりは、身体が冷えて困るという感覚の欠片も感じなかった。バッグには、いつもウインドブレーカーを入れてあるんだけど、今日は、全く要らなかった。開演前は、休憩がないなか、冷えて行ったら、バッグからがさごそ出すの嫌だなと思ってたけれど、全くの杞憂に終わった。だけど、5楽章の演奏、凄かったなぁ。興奮を掻き立てる技に長けている沼尻さんだから、ここにパワーをぶつけ、緩急自在に音楽を操る、それに乱れることなく、合奏を見せる京響に感動すら覚えてしまった。4楽章までを、しっかり聴けていたら、もっと良かったんでしょうな。終わった途端。久しぶりに「うぉ~」という声が上がった。でも、このご時世、声を上げた人、思わず上げちゃったんでしょうね、語尾がディクレッシェンドになってました。黄紺も、知らない内に声を上げていたかもしれません、だから、人のことをとやかく言う資格はないね。来年は何番だろう? コーラス入りを避けるなら、9番? 5番も未だだったように記憶するんだけど。さて、どうでしょうか。


2023年 8月 25日(金)午後 9時 47分

 今日は、朝からお出かけ。更に、ハシゴをした。この頃、ついでに行けるところは行くことにしている。お出かけ回数が多いということがある。また、季節が季節なんで、1回で済ませた方が良かろうということだ。だから、朝からのお出かけというのは、そういった機会に使っている。今日は金曜日ということで、朝からのお出かけはアスニー京都。市民向け公開講演会に行き、午後は、そこからウォーキングを兼ねて、堂本印象美術館へ徒歩移動というもの。移動時間が、丁度、昼時ということで、最近は、この時間を使い、何を食べるかを楽しみにしている。今日は、前から目が付けてあったタイ・カレーの専門店。ほぼ円町の交差点近くにあるのを、先日、みつけてあった。派手な宣伝というものをしてなく、表に、ちょろっと出ているだけというお店。下手すると、やってないかもしれないと思わせる店だったので、ダメな場合のことも考えていたが、大丈夫だった。とっても、洒落たインテリア。隠れカフェの雰囲気。若い男女が店を切り盛りされていた。お昼のメニューは3種類だったか、もう少しあったかもしれないけど、目が行ったのは3つ。「グリーンカレー」「レッドカレー」は、タイ・カレーの2大メニューだけど、3つ目が「イスラム・カレー」となってたのには、とてもそそられたけど、初めてのお店ということで、定番のグリーンカレーに。ライスとおかず(チキンに片栗粉をまぶして野菜とともに炒めてあるのかな? お味はタイというよりか中華という印象)がワンプレート、他にサラダも付き、カレーは、別の器に出てきた。ナンプラーが隠し味のようで、タイ風味を覚える。辛さは控えめ、甘さも控えめ。サラサラで、ご飯は、一瞬、インディカ米かと思ったけど、違うと思うほど、微妙な米で出てきた。黄紺の知るタイ・カレーは、カレー味がもう少し大きく、甘さ控えめではなかったので、ちょっと違和感は残ったけれど、ナンプラー風味が嬉しかった。あとのカレーも試しに、また行かねばなりません。今出川通の西の方、これで、東から、インド屋さん、韓国料理屋、タイ・カレーの店と、いいお店が散らばっています。
 アスニー京都の講演は、双京構想連続講「京都ゆかりの歴代天皇②」という副題の付いたもので、今日は「平安前期の天皇と京都」ということで、京都産業大学准教授の久禮旦雄さんのお話を聴くことができました。前回の混みようが半端なものじゃなかったので、今日は、パイプ椅子に座ってもいいように、座布団持参で行くことに。今日の久禮さんと、前回の所さんは、こういったテーマになると、必ずと言っていいほど、呼ばれる方なんで、何度目かの遭遇になっています。が、所さんは、老害が出てるかと判断、今後は行かないと決定。だから、このシリーズ、歯抜けの講座になるけど、ま、聴いても、さほど歯抜けは変わらないだろうと考えた次第。今日の守備範囲は、一条天皇から院政期まで、最後の方では、平家や源家に連なるトピックが出てきて、次回への繋ぎとなっていました。出てきたトピックを、メモっておきます。「一条天皇は、紫式部の時代、言い換えると、藤原道長の時代と重なる。摂関期と被るということ」「摂政と関白の違い、外戚の用語解説」「一条天皇は、文学、歌舞音曲に長けた人物、がために、政には弱いというイメージができてきた」「摂政関白は、天皇の決定を代行・補佐する役割、陣定という公卿の諮問会議には参加できない」「道長は、メンタルに問題があったようで、宮中への出仕が途絶えることがある、そんなこともあり、一条天皇との共同での統治というところ」「道長は子どもが多いが、頼道は少ない」「後冷泉と頼道の子どもとの間には子どもがいなくて、遠い系統の藤原氏の女子との間の子どもが天皇位を継いだ、それが後三条、摂関家からの離反」「後三条天皇が、早々に譲位をして、院政を考えたとする考え方もあるが、院政は堀河天皇と藤原師通の相次ぐ死で白河上皇に権力が集中したときからと考える」「白河上皇は、摂関家から白河別業を献上され、そこに法勝寺を建てる、費用として荘園の寄進が盛ん、同じ頃に、鳥羽に公家が邸宅を構えるようになり、平安京の姿が、これで、随分と変わった」「天皇家や摂関家の変遷を追いかけながら、そういった中で関わってくる武士の各家の端緒に関わるトピックを挟まれていたが、覚えてられなかったが、1つだけ、インパクトがあったのは、島津が秦氏の血を引くというもの」「荘園の寄進などで、公家が太っていく、権力を増していくトピックも、権門の推移に大事なトピックと聴いたけど、これも、具体的には頭に残っていない、、、残念」、ということで、途中、うつらうつらしている時間もないわけではなかったので、怪しいものになってしまってる。レジュメを見ても、あまりメモってなかったり、史料中心なものだから、お話に100%ついていけてなかったものかと思っている。荘園が絡むと、急に苦手意識が出てしまい、なかなか受け付けない、眠くなるということなのでしょう。そんなところです。
 堂本印象美術館は、立命館大学の前。今は、こちらで「大好き 印象の動物・鳥・昆虫」という展覧会が開かれている。堂本印象の作品の中から、表題にある作品をピックアップしようかという試み。堂本印象の作品は、京都国立近代美術館のコレクション展で観るくらいで、なんか、大部というか、たいそうで、何やら型らしきものがあるようで、とっつきが、いまいち良くなかったので、このテーマなら近づけるかと思い、行くことにした。その考えは正解だったな、それは間違いない。相変わらず、型にはまってると感じる作品もあったことは確か。一番、大きな作品が並ぶ2階の展示室で、それを強く感じてしまった。「乳の願い」という目に付く作品も、この構図って、不自然な牛と人の配置を観るにつけ、自由闊達というよりか、何かに拘束されたものと観てしまう。「楠公父子」なんて、語り尽くされた桜井の別れ、描かれ尽くされた素材だから、馬の首の傾げ方だけを観て、型通りと観てしまう。小さめの作品だと、「葡萄と栗鼠」なんて作品は、気に入ったものだけど、葡萄に意味があるようだと知ったり、その枝の屈曲も、これ、よく観るよなと、お約束事のなかで描かれていて、その枠を超えるほどとまでは思えなかった。そういった目で観てしまう作品が多かったことは、正直なところ、そうなんだけど、2階の展示室で、そういった縛りのようなものから解放されてると思ったのが「寿梅図」。枝の自由奔放に伸びてる姿に力強さを感じたものですが、それだけではなく、自由さに惹かれたことは事実。そう思って観ると、隣の「雲収日昇」は、技術先行という印象が勝ってしまう。実は、「寿梅図」とは違う感覚で気になったのが「印象案双鶴吸物椀」。鶴の羽を松葉と見立てたデザインが秀逸。そんなことを思いながら階下に降り、第2展示室へ。ここが、今回の展示のハイライトでした。「鷺」を固めたコーナーが抜群。「動物」「植物」を並べた、今回の展示で、初めて、生々しい生物性を感じた、ほんまものの、生の生き物を感じた。「囲われている」とか「作家目線」を感じるものとは違った。それに比べると、若干、劣るにせよ、同様の感覚に捉われたのが、兎2題、「兎春野に遊ぶ」「兎(三思図)」。岩崎弥太郎との関係で描いたそうだけど、そんな狭い人間関係じゃないですな。大自然の一角を描いてます。最後に、これらの作品を観れる配置は、間違いなくラハトになれます。今後、ギャラリー・トークの日も残ってるようなんで、それに合わせて、キュレーターの方から作品解説を聴くのも一興かなと思える、なかなか楽しめる展覧会でした。


2023年 8月 24日(木)午後 9時 22分

 今日は、お出かけなしの木曜日。天気は、少し穏やか。しかし、午後に、えらい強烈な雷雨があった。「雷」より「雨」が強い雷雨。やっぱ、最近の雨の降り方は違うという降りだった。そんなで、夕方のウォーキングに障りが出るかと思い、傘を持って出かけ、使わずに済んだ。雨のおかげで涼しかったけど、雨の強さは、気色が悪い。だから、いつものように、お出かけなしの日の定番、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。午前中のウォーキングは、ごく普通。途中の公園で、休息だけではなく、読書もゆっくりできたしと、何もなかった。問題は、夕方の方。傘を持って出かけたウォーキング。半ばでトイレのある公園を目指したところ、そこへ着こうかという頃合いに、急に、腰に疲労、お腹に力が入らない、そういった状態になった。丁度、1週間前、繫昌亭からの帰り、ウォーキングをと千林駅まで歩いたときと同じような感じだった。頭を掠めたのは、水はともかくも、アイスもだった。身体に力が入らない感じになり、エネルギー補給を身体が求めているという感じ。1週間前は、熱中症なんだろうか、エネルギー切れだろうか、どっちだろうと思ったんだけど、今日は、気温は上がってないし、となると、エネルギー切れみたい。1週間前と同じ昼食だったというのは、偶然の一致だろうか。今日も、ググってみて、帰り道で、一番近いコンビニに行き、アイスを買い、近くの公園で食べた。ウォーキングも、もう少し遠回りをするつもりだったけど、断念。そのまま帰った。でも、万歩計を見ると、15000歩を、ほんの僅か超えていたので、ま、いいかだけど、これで、顎を出していては、あかんな。
 午後の一時は、まずは、昨日、収集したトルコの情報で読み切れてなかったものを読む時間に充てた。2日程前に発生した北キプロス警察と国連軍の小競り合いの原因を、黄紺贔屓のセダト・エルギン氏が、ヒュリエット紙の署名記事で解説してくれていた。これで、ようやく、何が起こっていおるのかが判りかけた。こんなの、トルコ人の中でも解る人、どのくらいおるねんと思うような内容だった。問題の村の名は初耳だったし、そこが、ギリシア人、トルコ人が混住している村だということ、グリーンライン内にある村だから、そういった混住が続いているようだと知った。そこへ道路を敷く。その道路を敷くためには、グリーンライン内に入らねばならない、そこへ入った、それを国連軍が止めに入った。そういうことらしい。工事に入ることを、事前通達をしていたかどうかとか、そんなことは不明なままだ。セダト・エルギン氏は、冷静な対応を求める書き方。しかも、今、ギリシアとの関係がいい感じなのにとの思いが行間に読み取れるような気がした。後半は、先日の「ルサルカ」の続き。外国の王女が出てきました。なんと、変身したルサルカと同じ衣装、ヘアスタイルにメイク、マリリンが2人となりました。この2人目のマリリンは、王子同様、銀幕のスターと考えたらいいんだろうか、それとも熱きファン、熱き取り巻きと言えばいいんだろうか? メイク用の鏡の前で化粧をしていたから、やっぱ、スターなんだろうか? いずれにせよ、王子との関係が進むが、この王子、王女ともに、薬をやってる。薬中だったルサルカが、憧れの王子の下に来たけれど、その王子も薬中だった、これ、どうしたらいいの? 怒ったルサルカは、ついにはナイフを持ち、王女に切りつけに行くという凄まじいジェラシーを見せる。でも、それも果たせなかった。でも、その乱闘の中で、王女のメイクに変化。それまでなかった、顔の各所に隈取が。どのように、それを着けたか、判らなかったけれど、鬼の形相に見えた。ここで幕。失望の内に、王子の下を去っていくわけだけど、ここまで観て、思わず、PCに収納してある「ルサルカ」の梗概を立ち上げ、読み返した。この読み替え、かなり深い詠み込みをしている。楽譜の読みも凄いと思う。王子と王女の華やかな舞踏会に替えて、映画の撮影シーンが作られていが、これがミュージカル仕立ての映画なものだから、王子役の歌手はダンスを求められていた。これが、音楽との組み合わせが、頗る合っている。場面繋ぎの音楽と歌手の動きなど、ホント、凄いわ、ピョートル・シュトルツェル。この人、大人数を動かせる、数少ない演出家だと、一人で思ってんだけど、確かに、できる人だと、改めて感心しながら観ております。


2023年 8月 23日(水)午後 9時 29分

 今日は、暑いことは暑いんだけど、ちょっとましと言える暑さ。それは、昨晩から現れていた。気温が、いつもより低かったのかな、夜中に起きて、クーラーをかけようなどとは思わなかった。最近、ベッドに就くときは、クーラーを消すんだけど、夜中に目が覚めると、ほぼクーラーを入れる。ふとんが熱くなっていて、眠れないのだ。クーラーをつけても、なかなか治まらないが、ちーとはまし。朝までつけている。外気温は下がってるので、送風状態になってても、それだけでありがたい。軽い熱中症みたいなのを経験しているので、やばいかなと思い、そうしている。電気代の問題じゃないからね。
 今日は、午後に市民向け公開講演会に行く日だった。年に2回に分けて行われる「2023年度 同志社大学公開講座」が、今日から、夏の部が始まったのだ。昨年度に行ったので、今年度分については、メールで案内をもらえたので、漏れは起こらなかった。主管となっているのが、同じ方のようで、今年も、テーマは古代が中心のよう、名付けて「歴史の中の象徴と儀礼」。冬の部を併せて、計6回の講座が組まれているけれど、ラインナップを見ても、全部じゃないかもしれないけれど、このお題で、古代史関連が並んでいる。今日は、「縄文土器のカタチと取り扱いにみる象徴性」というお題で、国立歴史民俗博物館准教授の中村耕作さんのお話を聴くことができました。そういう風に書くのが、実はしびれてしまっています。ほぼ、全面、寝てたのです。冒頭部分も、よく覚えてないほど。かすかに、話されていた内容で判ってるのは、縄文土器の様々な形状、出土場所などから、それらの使用目的を探ろうというもの、系統立てることができればやろうとの試みのようだった。スライドには、次から次へと、縄文土器の形状を分類して映されていたように思うのだけど、、、。レジュメも、そういったスライドのまんまだから、推察の欠片もできない。結局、遠い田辺キャンパスにまで寝に行っただけに終わってしまった。去年の第1回目もそうだった記憶があるけど、同時に、あのときは、お話された講師の方の声、喋り方、マイクの使い方、そのいずれかが悪く、聴こえにくかったという言い訳ができたけれど、今日は、そういうこともなく、なのに、寝落ち。堅い椅子だったもので、少しましなものに替えてもらい、いい感じになったのも悪かったかもしれない。備え付けの椅子だと、痺れて寝てるどころじゃなかっただろうしね。
 同志社大学田辺キャンパスは、京都からだと、近鉄電車を使わねばならない。興戸駅から坂を上っていく。この道を行く人は少なく、途中のJRの同志社前から来る人が多い。ということは、大阪方面から来る人が多いのかなと、いつも思ってる。田辺に親戚があるものだから、奈良電の時代から、よく利用した電車だ。でも、新田辺までは、なんとか見れたけど、それから奈良よりは、子ども心に「怖い」と思った。だって、新田辺駅を出ると、雑木林の中を抜けるように電車は走るか、田畑の中、いや、田畑は見えたっけ? そんなところだったけど、それを開拓したんだね。凄いことです。帰りは、ググると32分と出るので、ウォーキングがてら、近鉄新田辺駅まで歩くことにしている。今日は、少し雨が降ってたけど、歩く方向は明るかったので、これ以上降らないと決めつけて、敢行。それで正解だった。開発された中に、記憶に残る田辺の昔の風景が残ってる箇所があるのが嬉しい。そんなで、情けない日だったな、今日は。


2023年 8月 22日(火)午後 9時 29分

 今日は、午前中にコンサートに行った。午前11開演、そして、1時間余で終わるコンサート。京都コンサートホール小で、毎月のように開かれているコンサート。若手の有望な音楽家を起用している。そんなで、お値段もリーズナブルということで、爺婆が、圧倒的に多い。今日も、満員ではなかったが、右サイドの端っこくらいじゃないかな、空席だったのは。ピアノのソロということで、なるほどと納得。「京都北山マチネ・シリーズ Vol.14」という名のコンサート、そして、本日のお題が「3つのピアノ・ソナタ」、演奏は、高校生で日本1位になったという逸材という触れ込みにそそられてしまった吉見友貴。まだ、ボストンの大学で学ぶ若い演奏家。そのプログラムは、次のようなものでした。「ベルク:ピアノ・ソナタ ロ短調 作品1」「ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(改訂版)」「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110」。初っ端が、ベルクの作品とは大胆。どの音に焦点を合わせて聴いたらいいんだろうと思いながら聴き続けて行っている内に、存外、まとまってるなという印象。激しく叩きつけるような演奏、でも、音楽は、不思議に安定して聴こえる不思議。これ、ベルクなのと思ってる内に終わってしまった。ここまでは元気だった。前の席の人の頭が、隣の席の人にくっつきかけてた。朝から、よく眠れるんだと思ってたら、次のラフマニノフで、自分も、同じことをしてた。但し、通路脇の席だったため、その通路側にうなだれていたので、隣の方の迷惑にはなってないはず。ラフマニノフのソナタは苦手だからかなと思ってたら、次のベートーヴェンでもやっちゃった。1時間だから、取り返す間もなかったけど、アンコールが2曲、1曲は、ショパンのマズルカだとアナウンスがあったけれど、2曲目は、何もなかったけれど、やっぱ、ショパンかもしれない。これが、抜群に良かった。マズルカのつかえるようなリズム、ムーディーというか、雰囲気が出てる。2曲目などは、鍵盤の上にベルベットを敷いて演奏してるんじゃないかと思ったほど、ピアノであってピアノじゃない空気が出てる。寝落ちしてない時間帯で記憶に残る演奏とは、まるで異なるテイスト。ここで、コンクール1位のわけが、しっかりと解った思いがしました。名前を忘れないようにします。
 終わると、丁度、昼食時。爺婆の金を使わせて、地域の活性化に寄与するコンサートを目指してるのかと思ってしまったが、食べないわけにはいかない。いつものように、ウォーキングがてら、三条駅まで歩くつもりだったので、出かける前に食べログで調べておくと、出町柳駅傍にタイめし屋があると出たので、ガッパオを食べれると決めつけておいた。ところがだ、コンサートホールを出る前に、ググってみると出てこない。他のグルメサイトで確認を取ろうとしても出てこない。ということは、潰れたのかなと思い、食べログは、そういった意味で要注意と思ってるのが先行してしまってるので、なくなったと決め込んだ。だとすると、インド屋さんに行こうか、いやいや、この間、2回も、インド屋さんに行ってるじゃないかと考え、ならば、もう、この際、まだ行ってなかったファラフェルを食べに行こうと決めた。もう10年程前から知っていながら行ってないこと自体、おかしいんだけどね。ランチメニューにファラフェルを据えたものがあったので、それにしたけれど、高いよ、ここ。確かに、本場のファラフェルだと思ったけどね。カイロで食べたファラフェルに次ぐ、いい味出してた。いかにも、ドイツで食べるファラフェルが、パッチもんだと思えた味だったから、味はグーなんだけど、高い! ドイツだと、3.5EUROくらいで食べれるの、それが、ポテトとコーヒーが付くけど、1380円はあかん!
 あとは、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を聴いただけの一日。二葉が、今日は、落語について、とってもいい話を聴かせてくれた。国立劇場での「TBS落語研究会」に出演したトピック。自身のTwitterでも、出たことは報告してたけど、番組が凄かったのが印象的だった。確か、この会、グレードが高かったはずとは思ってたんだけど、思ってた以上のグレードのよう。「皆一緒の楽屋で着替えられなかった」という緊張感。トップは、マクラも言わないで噺に入ることもあると、教えてもらってるのに、うんこのマクラを振って、様子見をする、二葉のメンタルの強さにびっくり。Twitterに、「一二三」で写真を撮ったのを載せていたけれど、三三は出番があったから納得だけど、一花も一緒に映ってたので、「あれれ」と思ってたら、笛で来てたそうで、だから、「親友」から情報を仕入れたり、尋ねたりしていながら、その通りにはしないメンタルの強さも、しみじみ。大入り袋が出たというので、わざわざスタジオまで持ってきて、梶原さんに見せていたけど、中を開けた梶原さんが、びっくり。ものを聴いて、黄紺も驚いた。金額じゃない、「百円札」が入っていた、それも、ピン札の。この粋さに、圧倒されてしまったな。そりゃ、「小三治しか聴かねぇ」なんて御仁が闊歩するという噂は、こういう主催者の計らいを聴いただけでも、納得しちゃいました。ええ話です。


2023年 8月 21日(月)午後 8時 59分

 今日は、お出かけなしの月曜日。でも、朝は、トルコ・リーグが始まったので、忙しい。夏だからか、試合開始時間が午後9時45分になってるので、朝5時に起きると、まだ、試合はやっている。一時、聴けなくなっていたTRTも聴けるようになったので、実況中継を聴くことができる。今朝も聴けた。すると、後半ロスタイムに、ベシクタシュが同点ゴールを喰らってやんの、いい朝です。前日の、ガラタサライとトラブゾン・スポルの試合の後半の後半くらいは聴けた。そのあとは、Being sporが、Youtubeチャンネルを持っていることに、最近、気が付いたので、チャンネル登録しておくと、簡単に、試合のダイジェスト版を観ることができる。これって、マッチのあと、トルコのTVで、散々、流れるやつですね。そんなで、週末から週明けは、実に楽しい。最近は、金曜日から月曜日まで、マッチを組むようになってるので、週の内4日も、これで楽しめるというわけだ。
 お出かけなしということで、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。午前の部は、いつも通りだったけど、夕方、ウォーキングを始めようかという時間になり、明日、明後日が、洗濯をしにくい時間設定になってることに気づき、急遽、洗濯の時間に。その後、ごく軽くのウォーキングをしただけとなった。でも、なんか、しんどかった。歩くのに、気持ちが、前へと行かなかった。また、軽い熱中症だったかもしれない。こないだも、繫昌亭から千林まで歩いた途中、同じようになり、あのときは、コンビニに入りアイスを買って凌ぐことができた。ふーっと、力が入らなくなる感じ、前へと気が向かない感じ、そんなことが、時々、起こっています。そういうときは、無理しないが一番と思い、あっさりと引き上げた。従って、万歩計を見ると、11000歩を、僅かだけ上回った程度だったけど、仕方ないね。
 今日は、午後の一時を、しっかりと確保することができた。この間、忙しなくって、せっかく収集してあった、CNNトルコとヒュリエット紙の記事を読めていなかったので、まずは、それを片付けた。半分が、北キプロス警察と国連軍の諍い、あとの半分が、コロナの新しい変異種エリス株に関するもの(ドイツの情況に関するものも含む)。前者は、トルコ人も様子が判らないのでしょうね、北キプロス大統領が、CNNトルコに出て、問題の所在を説いていた。よく判らないというのが結論。グリーンライン域内の道路工事を、いかなる理由があっても、国連軍の了解なしにやっちゃあかんと思うねんけどな、これが感じたこと。エリス株って、日本も感染者が出ていると、WHOのレポートにはあるそうだけど、その関連の報道って、日本でやってんのかな? TVのない生活になると、この辺が痛い。
 午後の一時の後半は、Youtube「Oper Vision」チェンネルで、久しぶりに、ここにアップされているオペラを観ようとした。まとまった時間が、最近、全然取れてなかったので、これができてなかったんだよね。だから、この間、さぼってた期間にアップされた新作をピックアップ。リストを作っているので、そちらに転記。作品だけではなく、歌手、指揮者、演出家もチェック。目立ったものがあれば、そういった人たちの名も、そのリストにメモっておく。結構な数のオペラがアップされていた。その中で、いの一番でピックアップしたのが、ピョートル・シュトルツェルのプロダクション、もう1つ、オリビア・ピのプロダクションもあったが、やっぱ、ピョートル・シュトルツェルでしょう! ものは、オランダ国立歌劇場の「ルサルカ」。このメルヘンを、えらいものに仕立ててしまった。ルサルカは、薬中の娼婦。舞台は、立ちんぼの娼婦が出る下町。いや、もっとひどいかもしれない、ギャングのような男がうろついているから。そこに、1軒の場末の映画館がある。どうやら、その映画の世界に入ってしまうということかなと思いながら、小1時間ほど観ると、王子は銀幕のスターで、ルサルカは、マリリンを真似たようなメイクと衣装を着けた女性に、イェジババの魔法で変えられている。2人が会うのは、映画のスタジオ? それとも、映画の中? 魔法をかける場面が、怪しげな美容院の地下で行われる。この美容院では、端からイェジババが客の応対をしている。その客も魔女。とにかく、めっちゃ、怪しげな雰囲気出てる。さすが、ピョートル・シュトルツェルの熟練の仕事です。このあと、外国の王女とか、どんな風に扱うのか、とっても、わくわくしながら、登場を待ってるところ。こういった読み替えを、どうのこうの言う人がいるけど、それは、頭が堅いだけと思ってます。そんな人が、このプロダクション観たら、卒倒しちゃうよ。だって、薬中のルサルカの腕には、しっかりと注射痕まであるんだから。狙いが当たると、実にいい気分です。


2023年 8月 20日(日)午後 8時 19分

 今日から、再び、「日曜美術館」の新作が流れるようになり、日常が戻った感じ。今日は、「アートする身体」と題して、義足アートを手掛ける臼井二美男が主役。更に、それだけではなく。臼井さんとの接触もある、美しい義足を追求しているデザイン・エンジニアの山中俊仁さんの作品紹介もあった。臼井さんは、義肢制作をする技術者が本業。その臼井さんが手がけたという義足装着者のファッションショーが、序盤、流れていたけれど、それ、どこかで観たことがある。義肢にデザインを施し、衣類との調和を図る、アートとしてのファッションショーだとの印象を、かつて持ったことがある。どこで、いつ、どのようなきっかけで目にしたのかが思い出せない。番組では、義足装着者でもあるイラストレーターの須川まきこさんの描いたイラストを、実写化する試みがなされていました。須川さん自身が、そのモデルとなり、義肢を制作するのは臼井さん、スタイリストが付き、衣装を整える。撮影は臼井さん自身が、カメラを構え、山中さんの東大構内のスタジオを使うというもの。「踊る足」ということで、6本の足を備えた須川さんが、カメラに収まっていました。しかし、おもしろいことを考える人がいるものです。日本で最初にアスリート用義足を導入するという仕事をやったのが臼井さんなら、北京五輪で、義足ランナーが走る姿を観て、そのデザイン化に取り組んだのが山中さん。パラリンピックでの観る陸上競技の選手たちが使ってるあれです。山中さんは、身体の動きを可視化した作品を紹介されていました。人の身体は、外部からの力が入ると、それに反発する力が働くということを可視化したり、遠隔操作で、装置を付けた人の動きを真似る(?)装置と言っていいのかな、自身がないけど、そういった身体の動きをテーマに作品を発表されていたということで、美しい義肢をかかげて、作品を研究されてきた方でした。ホント、いろんな人がいる。アートに踏み込んでいくと、人間の発想の豊かさ、その大きさにたじろぐばかりです。
 午後は、華頂大学主催の公開講座に行ってきました。コロナ禍の前に、1~2回、行ったことがあるので、今年度の開催にあたり、メールで案内をいただけました。同大学では、来年度から生活情報学科が開設されるそうで、その㏚も兼ねて、今年は、その学科に着任予定の先生方による講演というラインナップになっています。内容が、そんなだから、解るかどうか、不安だったもので、とにかく、様子見に、第1回だけ申込んでみました。すると、昨今のITが、いかに、マーケティングに食い込んでいるか、恐ろしくなるほどの食い込み方に、ホント、驚いた。終盤は、「これから」のお話になると、さすが、ついていけなかったな。アバターとか、ブロックチェーン、NFT、メタバース(Metaverse)なんて話になると、ダメ。分からん。そんなだったけど、ちょっとくらい解ったかなと思える、そして、おもしろいなと思ったことを、メモっておきます。「マーケティングの推移/狩猟的マーケティング(狙いを定める)、農耕的マーケティング(ファンを増やす)」「タッチポイントが増え、ウエブサイトに頼る時代ではない、古い世代は、PCからスマホへ入ったからウエブサイトに拘るが、そうではない世代が主流になってきている」「検索をされたときに、上位に出てくるかどうかが勝負、検索が入ると、1秒以下でのオークションが行われている、勝ったところが最上位に出てくる」「検索用語の入れ方で結果が異なってくる、ピンポイントでの検索結果を出す手をユーザーは心得ている、それに合わせてのオークション参加ということか」「スマホのユーザーは、スクロールは3回までと想定、それ以上はスクロールしないから、そこまでに出てくるかが勝負の分かれ目」「グーグルマップを使いこなそう、グーグルは、自身の地図に情報が多く入るので、無料で情報書き込みを求めている、店舗のオーナーは情報を入れないとダメ、入ってないだけで低評価されてしまう、混み方情報は、スマホが店に入っているかどうかで出ている、ということは、GPSを使って情報収集して、それを地図に反映しているということか! これは、サクラで情報書き込みをしてないかの監視の役目も果たしている(店の者が書き込むと同じ端末が同じ場所にいる頻度が上がる)」「スタバとかマグドのHPは思い浮かばない、でも、新商品の情報を知っているのは、SNSで流れているから知ってしまっている、だから、HPにアクセスしてもらうことではなく、店に来てもらうことという戦略、こういったことを“UX(User Experience)”と言うと言ってられた」「深いサイトではなく、広くて浅いサイトを作ることが大事、会社全体のサイトではなく、支店ごとのサイトが有用だという例を上げておられた、“lit.link”の有用性を説かれていた」「専門特化が進んでいる、猫のキャラクターグッズが、キャラクターという括りではなく、猫がレザーを着ているグッズはレザー商品で、TシャツへのキャラクターへのデザインはTシャツという括りで売る、SNSの力で、それで売る方が売れる、スノーボーダーに商品を販売してもらい、コミュニケーションを用意、これもSNSの力」、こんなところかな、メモることができるのは。あくまでも、自分の力の範囲でのこととして。ものの売り方には関心がある方だけど、もうITが、完全に吞み込んでしまってる。店の混雑情報なんて、そんなに深く考えたことなかった。お店検索を、グーグルマップで検索すると、知らない間に、そんな情報が出るようになってた。あれ、リアルタイムなんだね。いつも、この時間帯はこうだとの情報が埋め込まれてるのかぐらいしか考えてなかったね。そうそう、口コミ情報に悪口が書かれていた場合、できるだけ早く書き込みを入れた方が、それを否定する情報が上に出てくるんだって。遅れると、いつまでも、悪口だけが残ってるということになるし、否定する書き込みがあっても上に出てこないから、ますます残ってしまうそうだ。そういったこと知らないで、店の経営って、成り立たなくなっている感じ。息子なんかも、店探しのときに、すぐに、それを見てるしね。韓国でも、それやってたのには、笑ってしまった。息子が、お昼を食べようと言ったとき、偶然、目の前にソルロンタンの店があった。辛い物を食べさせていないDには良いので、「ええのがあるで」と、その店を言うと、あっさりと否定、「評価が良くない」と。そんなことを思い出しながら聴いておりました。これ、おもしろいシリーズになりそうなんで、次回からも申し込むことにしますね。


2023年 8月 20日(日)午前 7時 39分

 昨日は、思わぬハシゴとなった。思わぬというのは、最近、外ればかりが続いていた大津市歴史博物館の講座が、2回連続で当たったのが1つ。前回当たったので、今回は無理だろうと思ってたら、当たった。当たらない可能性が高いから、先日の京都文化博物館のシンポジウムで、急遽、告知された講演会、これが、また、上手い具合に、大津市歴史博物館の講座と時間がずれている、掛け持ちが可能だったので、もしも、当選しても行けるので、申し込んでおいたら当たった。こないなこともあるんだね。でも、ハシゴをしたから、余計な体力を、朝から使ったこともあり、いずれの講演でも居眠りが出てしまったから、満足度は不十分という結果。もちろん、自分のせいだけど。
 午前中の京都文化博物館は、講演会「少女たち展ができるまで—学芸員ウラばなし」というもの。星野画廊コレクションを使っての、表題の展覧会が、今も続いているが、こんな追加イベントまで企画されるということは、好評なんでしょうね。お話をされたのは、先日のシンポジウムでは司会を担当されていた植田彩芳子(同館主任学芸員)さん。この展覧会を担当された学芸員さんが、その展覧会のウラを話されるという嬉しい企画、これは行かねばならないと、時間がずれていたことを知ったとき、正直、喜んだ。植田さんは、枩本一洋展のときのギャラリートークでも、しっかりとした日本画の専門家という印象を残した方だったので、聴いて損はないと思い出かけて行った。お話は、居眠りで、若干、飛んではいるが、「少女たち展」が出来上がるまでのお話。冒頭、当然、星野画廊についてのお話がありました。これは、シンポジウムで、植田さんが紹介もされていたので、復習というところ。展覧会に出す作品は、星野さんと上薗四郎(笠岡市立竹喬美術館 前館長)さんが行われ、その後の、各作品のチェックから植田さんと、この展覧会が行われる福島県立美術館と高知県立美術館の学芸員さんが加わって行ったと言ってられました。作家さんの名も、知られた名も入っているが、そうでないものも多いこともあり、作品の入っている箱、箱書き、作品自体、裏、額など、そういったことのチェックもしながら、各作品に添えられた解説を書いていくそうです。また、作品のサイズを測り、展示の配置、レイアウトを考えていくというのも、学芸員の仕事。それを受けての、具体的な展示作業や、図録の編集といった仕事のレポートがあったようなんだけど、この辺を居眠りしたようです。作品解説は、このイベントの趣旨ではないということで、系統だったお話は避けておられたけれど、話のついでに出さないわけにいかないので、大事なコメントもいただけました。その辺がおもしろかったな。いい椅子で、興味のあるお話、いい気持になり過ぎちゃったみたいです。最後に、会場で流されていた星野夫婦のコメントが流され、若干、時間を余しての質疑応答。1つ、いいこと話されました。京都文化博物館は、購入はしない、所蔵品は、全て寄贈で成り立っているそうです。そう言われれば、気になるのが、星野コレクション。画商でもあるわけですから、売る作品もあるでしょうが、売らない作品もあるようですね。第一、画廊で企画展をされてるほどですから。画廊での展覧会って、ハードルが高いかなと思い、まだ、星野画廊の中には入ってないのだけど、ご夫婦ともに、結構なお歳だから、今の間に行っておかないとあかんなというのが、しっかりと思ったことでした。
 京都文化博物館は、三条通に面していることもあり、界隈のお店で昼食。そして、地下鉄と京阪を乗り継いで、上栄町で下車。前にある踏切は通りながら、初めて降りる駅。無人駅ながら、トイレがあったのには驚いた。そして、歩いて20分以上で、大津市歴史博物館へ。ここで開催されている「れきはく構座」に行ってまいりました。昨日は、こちらで、企画展「発掘された大津の歴史」関連講座ということで、「大津市の遺跡発掘② 古墳~平安時代」というお題で、3名の大津市の文化財保護課職員の方が、お話をされました。その詳細は、次の通りです。①南滋賀遺跡出土の「独楽/コマ」について(植田敬)②今宿遺跡の発掘調査結果から(山崎公輔)③穴太遺跡の調査結果から(岡田有矢)。既に書いたように、寝落ちをしたのが①と③。特に①の展開は掴めないほど。そんなで、メモれる範囲で記録を残しておく。なお、いずれの調査場所も、湖西という位置にある。①では「独楽」が目玉。鉄の芯を、独楽と判る形状にした木に打ち込んだものが出土した。木製でも、水に浸かるような位置にあると、こうやって残るのですね。遊具か、祭祀用に使われたものと想像されているそうだ。となると、どうしても渡来系文化に思いが行く。近江は、言うまでもなく朝鮮半島との交流の深い地ですわね。②の目玉は「単弁六弁軒丸瓦」が出たこと。この形状の瓦が、現在は大津市に併合されている旧志賀町では、初めての出土となったそうで、新聞ネタにもなった、重要な発見があったそうだ。帝塚山大学のオンライン配信で、随分と瓦については勉強させてもらえたおかげで、この出土の重要さが、一挙に見えて来た。瓦は仏教寺院と離せない遺物。また、瓦制作には、強い権力の存在を窺わせる。瓦工場なんて、当時、どこにでも作れるものではない。特定の場所で作られ、その瓦の形状で、その場を特定することが可能。こういったことを学んだ。そんなで、瓦の話になると、頭がついていく。出て来た軒丸瓦は、形状的にレアなものだそうで、既に出ているものでは、園城寺前身寺院跡でしか出ていない。同じとなると、話は解りやすい。似た地域で同笵(同型)のものが出ているということで、また、場所が場所ということで、大津京との絡みで造られた古代寺院があったのではないかとの想像が働くと言われていました。同笵のものでも、微妙に形が違う。それは、木型なもので、使えば減っていく。それを使えるように、若干、手入れをする。その跡を追えば、その微妙な違いで、時系列を作れる。そんなおもしろいお話も聴けました。③の調査で出て来たものの目玉は「金銅製花文帯金具」。そのデザインは、渤海で、よく出てくるもの。渤海使は、知られてないが、かなりの回数、日本に来ている。時代は平安時代の話だ。同じ形状の金具が出ているのが済州島だということで、かなり広い商業圏が存在したことを想像させる。一方、穴太遺跡の近くを北陸道が通ることから、外国から入ってきたことは、十分に行えるようだ。壮大な国際交流の跡ですね、これは。新たな発掘調査結果を聴くのって、京都以外では、なかなかないこと。結果を見て、いろいろと想像力たくましくして結論を導く話は素敵です。そういった意味で、いい経験をさせてもらった一方、寝落ちは、ここでも残念。


2023年 8月 18日(金)午後 9時 9分

 昨晩は、びっくりするほど、寝た。寝落ちもしたうえ、ベッドに移ってからも、そのまま、朝を迎えたようだ。涼しかったということもあるかもしれない。台風以後、夜が涼しいのだ。それも、頃合いだったのかもしれないけど、繫昌亭からの帰り、千林駅まで歩いたのが堪えたらしい。そんなことがあったので、今日は、出歩くのを控えめにしようと決めた。今日は、椎間板ヘルニアの治療を受けている病院に、午後2時という予約が入っていたので、午前中は、まあ、普段通りだったけど、その時間帯のウォーキングは、普段よりは小回りのうえ、公園で休憩&読書にした。読書は、もろに「ユーゴ紛争」を扱ったものを読んでいる。ユーゴ滞在経験を持つジャーナリストが、何かが起こると感じ、現地入りして取材したもの。背景を解説したり、時系列的に出来事を追うというものではなく、生の取材記録、メモのようなものだから、生々しい。堪えきれず、途中で切れてしまいそうな予感が、スロヴェニアの独立の箇所で感じているから、これからあと、えぐさが増していったと、俗に言われている地域の紛争を追いかけることになりそうなもので、そう思ってしまっている。病院の方は、今、飲んでる薬の効きようを報告するというもの。効果は出てきてはいるが、まだ、痛みは残っている。やはり、薬の切れ目、言い換えると、朝方と夕方に痛みが出る。朝だと、起き上がり、ベッドから降りてうろつくときは、痛みはないが、一旦、椅子に腰かけ、30分なら30分座っていて、立ち上がると痛みが出る。もちろん、最初の1ヶ月のように、生活ができない、しにくいということはないけど、痛む。それが、ウォーキングをするために出かけるまで続いている。だから、毎朝、ウォーキングに出かけるときは、痛みを耐えて歩き出している。押さえたからどうかなるわけでもないのに、この間、ずっと、痛む箇所を押さえながら歩く。このあたりまでで、2階へ行くために階段を上がるのは恐々。5~10分、ま、10分までには、普通に歩けるようになる。痛みも、基本、忘れてられる。このあとは、椅子に腰かけようが、そこから立ち上がるのに、痛みが出るわけではない。薬が効いている間は、ヘルニアになっていることを忘れてられる。前に病院に行った頃は、薬が効いている間は、痛みが消えていても、ずっと患部に違和感があったままだったけど、それは消えた。腰を屈めたりしない以上、痛みなんかは感じない。夕方の痛みは、昼間の薬の効用が残っているので、朝方に比べると楽だけど、だからと言って、調理中に、ごみを捨てたりするのに、身体をひねったり、屈めたりすると、これはダメ。そんなことを、医者に話した。薬の効用が出ているということで、3ヶ月が、一つのメドのようだ。和らいできたときの薬の飲み方を教えてもらった。それは、気になっていた服用している薬の詳細についても聴くことになった。2種類の薬を飲んでいるが、1つは、神経の痛みを和らげるもの、これは続ける必要がある。もう1つは、痛み止めのようだ。こちらは、試しに飲むのを停止して、それでも行けるかどうか試すことができる。痛みが小さくなっているからと言って、神経の様々な機能を損なうものではない。神経の痛みを和らげることに特化したものだそうだ。ただ、副作用はある。痒みが出たり、吐き気がする人がいると言われてたかな。ま、今のところ、それはないので続けるに問題はない。黄紺のヘルニアは大きいものではないので、これで行けそうだと診ておられるようだ。実際、その見立て通りに進んでいるように感じている。効く薬があるということは、安心を生みます。福岡旅も行ってこれたので、いよいよ韓国だな、いや、タイ・バーツがたくさん手元にあるから、タイにも行っておかねばならない。そう思って行ったマレーシア旅行、帰ってきたら、逆にマレーシア・リンギド、増えとった。シャレにならない。この安心を手に入れるには、時間がかかった。ここで、これ来るかというタイミングだもんね。
 病院から、近くに住む弟の家に寄ってみた。今日は、夫婦ともに揃っていた。また、病気の話、病院の話。横で聴いていると、夫婦の会話がかみ合っていない。片方が外すと、次は、もう一方が外す。大丈夫かいなと思ったけれど、結局、外してるのは、相手の話を、最後まで聞いてないから。やっぱ、人の話、聞かないといけない。弟夫婦の会話を眺めていて、そう思った。加齢で、集中力が失われてるのでしょうな。片方が言ってる内容に、全然、違う話で応答するって、これやね。しかも、外れているのに気づかないで喋り続ける。自分もやってんだろうね。人の振り見て我が振り直せ、おばあちゃんが、子どもの頃、よく言ってた、今頃、役に立っています。


2023年 8月 18日(金)午前 8時 9分

 昨日は、久しぶりに、繁昌亭の昼席に行った日。週半ばに、お出かけがないなということで、何気なく覗いた繫昌亭のHPに、今週は「怪談噺ウィーク」と銘打たれており、中トリに出る4人の噺家(福笑、団四郎、八十八、染雀)が、表記通り、交替しながら怪談噺をするという趣向。しかも、そのネタまでが出ている。昨日は、八十八の番で、何と「怪談市川堤」となっていた。このネタ出しがあるのは、昨日だけ。トリは福笑ということで、絶好の組合せということで、これは行かねばの気になってしまいました。チケットを買ったのは3日前じゃなかったかな。大阪へ、原則行かないので、チケットは、ぴあで買うしかありません。今、繫昌亭昼席の開演時間は午後1時半ということで、それに合わせて、午前中は、若干、軽めのウォーキング。昨日は、余裕があったので、公園で読書もできた。昼席の番組は、次のようなものでした。弥っこ「ん廻し」、愛染「子ほめ」、染雀「音曲風呂/踊り“せつほんかいな”」、呂竹「始末の極意」、八十八「怪談市川堤」、(中入り)、マグナム小林「バイオリン漫談」、団四郎「コンビニ強盗」、笑丸「掛取り軍記」、福笑「鹿政談」。弥っこは、自分の会で見せるにこやかさはどこかへ置いてきた感じで、なんとなく堅い印象。その堅い雰囲気での高座になると、いくら、噺が達者でも興が醒めてしまう。生真面目さが、そのまま出てしまってた。歌を2ヶ所入れるという部分でオリジナリティを出し、基本は、伝統的なもの、その方が、おもしろい。愛染は、久しぶり度が高いせいか、えらく歳を重ねたように見えてしまった。低い声が出るようになったように思え、それを、上手に使ってるなと思いました。今まで、ほとんど聴いてこなかった噺家さんだったけど、この声質だと聴けるかなと思いながら聴いていおました。自在な表現と、以前の印象に比べ、幅が広くなったなぁという言葉が出てしまいました。染雀は、義太夫節のマクラを振るものだから、「豊竹屋」を想定していたら、違った。小噺と言えるものを喋ってから踊りを添えました。呂竹こそが、ほんまもののレア動物。前の2人の高座と比べて申し訳ないけど、呂竹の口演になると、登場人物だけじゃなくて、それらの人々がいる空間に拡がりを感じられた。ネタのせいかもしれないけど、いい感じの呂竹、「もっと落語会に出てよ」と声をかけたくなった。しばらく聴かない内に、「女風呂の呂」という、お約束のフレーズを言わなくなっていた。これは、残念だ。「市川堤」は、今や、八十八でしか聴いていない。今では、あとは、佐ん吉ぐらいしかやってないかもしれない。黄紺的には、ここ15年程では、八十八以外では、可朝の口演でしか聴いていない。照明を暗くしたり、幽霊(染雀)を出したりと、いい趣向。でも、幽霊に台詞を与えた。染雀がダメというのではないけれど、八十八だけでやって欲しかったな。そして、決め台詞を言ったあとに、「おしまい!」は、八十八のお約束。マグナムは東京からの来演。伯山TVの動画では末廣亭の舞台に立ってるものだから、なんか、変な感じ。でも、有難い。この人を知ったのは、横浜にぎわい座の舞台だったってこと、遭遇の度に思い出す。団四郎の新作が、抜群におもしろい、また、すっとぼけた団四郎の口演も抜群。現代版「打替盗人」。強盗に入ったコンビニで、次から次へと強盗グッズを買わされていく。ええネタ、手に入れました、団四郎! 笑丸は避けている噺家さん。一人よがり的な高座は、勘弁してほしい。ただ、「掛取り」の改作は、そこそこのいい出来。講談を入れ、人形ぶりの踊りを入れたりしてました。やっぱ、この人、体操経験があるから、身体能力が高いから、人形ぶりは見せます。そして、福笑。最近、そこいらでかけている「鹿政談」に遭遇できた! 千朝がやってる時代劇テイスト、それを、「大衆演劇」テイストの臭さと言ってやってた。そうだろうなとは思ってた想像が当たった。千朝はお奉行に、福笑は塚原出雲にやらせてます。客の入りは、福笑のトリ、怪談ウィークと銘打たれたわりには、少なめ。おかげで、後半は、マイシートに座って聴くことができました。
 繁昌亭を出たのが、午後4時15分頃。曇り空のもと、いつものように、千林までウォーキング。雨まで心配してたけど、大丈夫だった。結構、腰に来てしまった。椎間板ヘルニアが出たというわけではないけど、疲労が蓄積してくるのが判るウォーキングとなった。もう千林駅に着くと、某所に軽く寄ったこともあり、午後6時丁度。疲労がたまったのか、晩酌をすると、呆気なく寝落ちしてました。


2023年 8月 16日(水)午後 9時 52分

 台風一過の木曜日。またぞろ、暑い夏の日に戻った。台風のせいで、曇り空が続いたので、晴れ渡った日というのは、ちょっと間が開いたかという印象。昨日を洗濯日と考えていたら、台風でダメだったので、今日は、絶対的な洗濯日。そして、今日は、夕方から始まるオンライン配信の予約をしてあった。がために、午後の一時は短縮。そう思うと、急に横になりたくなった。午後にもウォーキングをしたかったので、目覚ましをかけて、横になると、きっちり昼寝の態勢に入ったけれど、目覚ましのおかげで、事なきを得た。余裕をみて、その午後のウォーキングに出かけたけれど、洗濯ものの取入れに時間がかかり、今度は、オンライン配信を知らせるアラームが鳴り、大慌て。忙しなく動いたため、今日のウォーキングは、若干少なめ。15300歩余と、万歩計には出ていた。
 オンライン配信は、佛教大学が行った「特別講座と鑑賞ツアー」と銘打って行われた、大文字関連企画。その名も「京都五山送り火の謎」というもの。対面参加の人たちには、講演後に、有料で食事会があり、講師付きで左大文字鑑賞ができるというもの。黄紺は、もちろん、前半の講演だけをオンラインで視聴した。お話をされたのは、同大学歴史学部教授の八木透さんでした。お話の8割方は、「お盆とは」「迎え火と送り火」「大文字の歴史(足利義政が義尚追悼のため行ったのが初めて、義尚の墓がある相国寺に大文字山は向いている、でも、それは1回だけで終わり、江戸時代に復活、銀閣寺か相国寺の僧が復活という説)」「送り火は、5つだけではなかった(“一”という字があったというのは聴いた記憶あるのだけど、“い”とかなんとか、10~11あったそうだ、常時ではなかったため忘れられたり、廃仏毀釈で途絶えたりしたとか)」「なぜ“大”なのか? 六波羅蜜寺の万灯会の影響か、そもそもは、中国伝来の“五大”の思想」「現行の五山の紹介」「最近の傾向(神聖視する風潮は新しい、行政との関係や観光ではないというスタンスが影響)」、そういった、比較的解りやすく、内容的にも平板なものが続いたのだけど、その後が、なかなか難しく、でも、興味をそそられるお話へとなった。民俗学が専門の先生のようで、ここで、急に専門的になっていった。「送り火」のルーツを辿り、その後の展開を追いかけようという、なかなかそそられるお話。ここで、「松上げ」という行事が持ち出されたのには、正直、唐突感があった。最後まで聴いて、その唐突感は解消したけど。「松上げ」と言われても、すぐにはピンと来なかったが、画像を見せてもらい、あっさりと納得、既視感がありました。確かに、同じように火を使う行事で、似たような時期に行われる。「松明」を使う行事には2通りがある。「柱松系のもの(松上げ)」「十二灯系のもの(大文字)」がそれら。「柱松系」は、元来、死者供養・鎮魂を目的とした火の行事であったところへ、修験道の影響が入り、更に風流化・競技化していった。「十二灯系」は、万灯籠の影響が入り、更に風流化した模様。意味付けとしては、「十二灯系」には、死者供養的性格が残ったが、「柱松系」は、本来あった、そのような性格が薄れ、村内安全・病気平癒・火伏せ・悪疫退散といった性格へと変って行ったようだとのお話でした。最後に、NHKの大文字に関する番組を流そうとされたため、かなり急がれたため、内容把握が難しいこともあったが、おおよそは、その辺かと思っています。「風流化」というのが、おもしろかったですね。室町期のことと言われていた。言い換えると、「派手」「おもろい」「色彩豊か」「楽しませる」、そういった言葉が出てくるのが「風流化」。能にも同じ傾向が出てくる、時も同じだ。そういった心性に興味が行ってしまいます。それだからこそ、大文字は、人を引き付ける力があるのでしょうし、「松上げ」も同様に目を見張らせるのでしょうね。もっと、じっくりと聴きたかった内容。それにつけても、民俗学のお話は痺れます。思わぬ、刺激が降ってきます。


2023年 8月 15日(火)午後 8時 57分

 今日は、台風の一日。様子が、台風らしくなったのは、夜半から。朝は、とてもじゃないが、外に出る気にはならない状態。全く久しぶりで、外出なしで、丸一日、家の中にいた。しかも、ずっと、PCの前に座ったまま。一応、台風の位置くらいは把握しておこうと、2度ばかり、NHKプラスで、直に気象予報士さんの解説を聴いたが、状況の生放送は、岡山から鳥取と、えらく西の方にシフトしたものだ。最初、この台風情報が流れたときは、完全に関東に行くものと思ってた。前の台風が九州だし、新しいのは関東と、近畿地方には運のいい話だと思ってたのに、来ましたね。また、きっちりと、台風情報を押さえてなくて、昨日、息子の家に寄ると連絡したら、「台風が来る日」とレスが入り、慌てた。そこまで近くに来てるんやと思ってなかった。由瓶も、開催するか否かの判断をしたと言っていたから、世間では、それが当たり前だったみたい。福岡旅で凝りてるはずなのに、しかも、直後なのに、あまりに世間からずれていました。
 しかし、有難いことに、今日は火曜日だった。4時間も、ラジオが流れる日。しかも、昼の日中に。でも、リアルタイムで聴くことはしなかった。いつもの癖で、音楽が流れることがあったり、ラジオショッピングが流れたりするところをカットできるので、今日も、Radikoで聴いた。さすが、ラジオショッピングのところは飛ばしたが、音楽やらは、そのままにしておいた。だって、半ばからは、ベッドで横になりながら、明かりも小さくして聴いていたから。それよりか、聴く段になり、二葉はスタジオに来れてるのかが気になった。その時点では、電車は、全面ストップだと思ってたので。でも、京阪は動いていた。阪急も動かしていたようです。特急は運休で、時間をかけて来なければならなかったらしいけど、大阪方面から来る、吉野ちゃんも、ADのなんとかちゃんと、出町柳で待ち合わせて車でスタジオ入りしたと言ってました。出町柳駅前のいつものお店も開けていたそうです。そうだな、昔、台風の頃になると、電車は走っていて、淀と八幡の間の鉄橋にびびってたこと、思い出しました。そか、私鉄は、今も動かそうとするんだと認識。そう言えば、先日の九州で感じたこと、JRが計画運休するのは当たり前のようになってる現在、新幹線は動かそうと頑張ってると思った。存外、動かすんだと思った。今日も、「広島~博多」だったか「岡山~博多」は止めてないはず。見極めが良くなってきたのかもしれませんね。数理モデルを使い、台風の進路がかなり正確に読めるようになり、それに呼応した対応をしてるようだなとの印象を持てたのが、こないだの福岡旅だった。ちょっと勉強した気分です。あとは、鶴見良行の本を読んだことかな。亡くなったのが1994年だそうで、だから、東南アジア事情として書かれているのは、当然、それ以前。だから、その時代の、最先端を行っていた東南アジア観として読むと、勉強になる。「先進:後進」の対立項の中で、「後進」の実際を捉え、「先進」の上から目線が如何ほどのものかを伝えようとしている、その手法が、とっても泥臭い。歴史的存在だと思い、読むことにはなるんだけど、今にも残ってる二項対立だろうし、それはそれで追及の目を落とすわけにはいかないけど、その歴史的価値としての目も落としてはならない。そんなで、読んでみようと思い、それで正解だったな。その前に読んでた、現代東欧史も1990年辺りで大変身。その時期に、リアルタイムで、どのように捉えていたのか、それを押さえようとした。過去に著された、その時期の同時代史を読む、そのおもしろさに、最近、惹かれています。次は、ピンポイントでのユーゴ紛争に焦点を持って行こうとしています。


2023年 8月 15日(火)午前 4時 10分

 福岡に行くと、台風にぶつかり、京都に帰ってくると、また、台風に遭っている。2つ目の台風なんか、関東に行くのんとちゃうのんと突っ込みたくなるほど、予想進路の一番西、いや、それよりか西を通過するみたい。香川・岡山辺りに行くらしい。そんなで、台風が心配されるなか、昨日はまだだろうということで、午後にあった落語会へ行った。寝屋川のアルカスホールであった「ゆうへい独演会 in ねやがわ vol.13」。笑福亭由瓶は、寝屋川市点野在住の噺家さん、定期的に、地元で落語会を開いている。コロナ禍以前は、1日に、由瓶の落語を、2~3席も聴くなんて、暑苦しくて嫌だと思ってたが、コロナ禍で落語に飢えると、その暑苦しさが、やけに懐かしい。そこで、行くようになり、今回が2回目。1階のギャラリーで行ったり、今回のようにホールで行ったりしている。その番組は、次のようなものだった。慶治朗「月並丁稚」、由瓶「うなぎ屋」「るーびっくきゅうぶ」、(中入り)、吉弥「高津の富」、由瓶「除夜の雪」。慶治朗は、由瓶に稽古をつけてもらってるらしい。あとの由瓶の高座で言ってた。そんな縁での出番らしい。意外な結びつきがあるのですね。慶治朗が、ネタに入り出すと、すぐには判らなかった。「月並み丁稚」は、落語らしいバカバカしいもので、いいネタだと思うのに、出ないですね。まずは、それをやってみようという気に、1票というところです。それだけではなく、いい口演。しっかりとした語り口は認めても、滑稽ネタの空気はどうかなと思ってた慶治朗だったけど、お気に入りのものになってる。達者な人やなの印象を残してくれました。由瓶は、まずは、稽古をつけたトピック。慶治朗だけではなく、秀都も来たとか。それをマクラに、慶治朗につけたネタをしますということで、そのネタが気になった。すると、喜丸テイストの詰まった「うなぎ屋」だった。同期の歌之助の「うなぎ屋」も喜丸からだったはず。黄紺的にも、「うなぎ屋」は、喜丸ものがベスト。それを、由瓶を経て受け継ぎたいという意志、いいですね。だけど、由瓶のそれは、喜丸ほど、かわいいおやっさんよりは、ごっつさが出過ぎだなと思ってしまいました。この口演の後半と、吉弥の口演の中ほどが、昨日は寝落ち。ごっつさが気に入らなかったみたい。由瓶は、2席連続で登場。ネタ出しにしていた「夏休み日記(由瓶 作)」は、姫路でやってみて、すべったということで撤回。そこで出てきたのが、気になっていたネタ。私落語的なもので、落語会によんだ菊丸が、上手に、ルービックキューブを全面揃えた、それを喜んだ娘さん、だけど、それをいじってしまった由瓶、ぐちゃぐちゃにしてしまった。そこで、娘への威信回復のため、ルービックキューブの稽古をして、短時間で全面揃えを見せるというもの。目玉は、舞台上で、由瓶自身が、全面揃えを成し遂げるというパフォーマンス。そういうネタだったのかと、納得。吉弥は、この位置だと、軽めのネタかと思ったら、何と「高津の富」。だけど、マクラで、阪神ネタを喋り出したため、高座への関心が急降下。ネタに入ったあと、からっけつのおやっさんが、ほらを突き倒したあと、要するに、場面が高津神社に移ってから、再び、寝落ち。ソフトな語り口に、いい気持ちになったのかもしれません。最後は、由瓶の季節外れの「除夜の雪」。気を変えるには、いいネタの並びだけど、真夏のネタじゃない。真逆だからこそ、選びがいがあったのか? あっさり言えば、平板だった。唯一、盛り上がったのは、伏見屋に若御寮さんが亡くなったとの知らせがあった箇所。だから、静謐な語りの部分は、平板で、空間の様子がクリアになってなかった。やっぱ、由瓶は、がちゃがちゃ騒がしいほどが、いいのかな。
 昨日は、落語会が終わったら、息子家族と合流することになっていた。家へ行こうかと考えていたのだけど、台風で雨が降るかもということで、最寄りの駅で車で待っていると連絡を受けた。合流後、久しぶりの寿司屋へ行く。Dとは、コンサートに行って以来、Sとは、その前以来だったから、Sの変化の大きさにびっくり。パパやママと、普通の会話をしている。聞き手の方から、いろいろと想像力を巡らさねばならない会話じゃない。これは、驚いた。子どもの変化は、ちょっとした時間で、大きく変わるけど、今日のSの変化は、強烈なインパクトがあった。Dの方は、散髪したてだった前回に比べると、髪が伸びてたのが印象的。可愛いな、この二人。次に会うのは、もう、夏が終わった頃なんだろうかな?


2023年 8月 13日(日)午後 8時 50分

 今日は、映画を、午後に観に行った。珍しい映画だったので、映画好きの昔の同僚を誘った。同じ、京都在住だったもので。狙いは、そのあと、飲もうじゃないかということだった。同僚は、行く気があったのだけど、外せない所用が入ると、そちらを優先させなきゃならないということだった。自治会的な仕事だったので、日曜日はだめだろうなと思ってたら、案の定、仕事が入ったと、一昨日、連絡が入り、飲むことはなくなった。そこで、元同僚が出てこれるなら、夕方からの上映を観て、そのまま飲みに行けると考えていたが、1人で行くのなら、別に、その時間に行く必要はないと、今朝になってから気づき、早めのお昼を食べ、映画に行ってきた。行き先は京都文化博物館。この間、同博物館のお世話になることが多いということから、この博物館の売り物、日本映画のアーカイブから、定期的に上映をしてくれてんだけど、初めて行こうと思ったのだ。今、こちらの上映会では、「子どもと大人の眼差し-子ども映画特集」というものを行っている。その上映スケジュールを見ていると、「風の中の子供」(清水宏監督)の出演者の中に「爆弾小僧」とあった。これは、当時の映画で、「突貫小僧」と並び有名だった子役じゃないかと思い、映画がどうのこうのといことは、全く判らないなか、その出演作だということで、観に行きたいと思ったのだった。日曜日の昼間ということで、多くの人が来るのかと思ってたら、そういうこともなく、爺婆だけで、客席が、ぽつぽつと埋まってた。だが、確かに、爆弾小僧は出てきたというか、完全に主役だった。自然な演技で、演技以前のものを感じる。子役として名を馳せたというのは判るのだけど、フィルムの状態(デジタル化してるでしょうが、元フィルムの状態)が良くない。ノイズが入り、台詞自体が、最早聴き取りにくい。耳が良くないと言ってもいい具合になってきている身には辛い。話が判らない。自宅に戻ってきてから、ネット上に流れている作品紹介を観て、あらすじが、思いもかけない部分が出てきて、びっくり。聴き取りにくい、筋立てが、しかと解ってない。となると、居眠りが出たこともまずかったようだ。だから、元同僚も、来なくて正解だった。ここのアーカイブによる上映は、保存状態が良くなく、視聴に堪えないのがあるということを、インプットしておきます。
 この京都文化博物館への往復が、今日のウォーキングの1回分。帰りは、買い物をしながら、五条まで歩き、また、午前中に、丁度、そのくらい歩いていたので、今日のウォーキングは、12500歩ほどだった。昼間の暑さは、「熱さ」と書かねばならないほどの強烈さだったから、そのくらいでいいかなの気分です。今日は、高校野球のおかげで、「日曜美術館」の新作はなしだし、おまけに、夜の再放送もカットされてしまった。だから、なんか、不甲斐ない気分だけが残ってしまったな。夕方、映画から戻ってきて、Youtubeで、昨日のサッカーのダイジェストを観てるまでは良かったけれど、韓国系Youtuberの動画を観てたら、また、寝落ちしてた。なんか、変です。明日、久しぶりの落語会に行くんだけど、大丈夫かなと思ってしまってます。


2023年 8月 12日(土)午後 8時 53分

 今日は、静養の土曜日。旅行明けの昨日も出かけたので、今日は、休養日に充てることにしていた。空いている土曜日なんで、昼間の落語会に行っても良かったのだけど、明日以後も、お出かけ予定を入れていることから、やっぱ、休養だよなと判断。それで、正解だったでしょう。洗濯日にしなければならなかったこともあったしね。どうしても、洗濯日は忙しなくなってしまうので、こういった、お出かけなしの日は、有効活用しなければならない。となると、外出は、ウォーキング時だけ。午前中に、以前同様の量をこなしてしまったので、夕方は、若干控えめ。でも、土曜日だと言っても、「ブラタモリ」が流れない日は、寂しい。なんか、夏休みに入ったようで、1ヶ月ほど、新作は流れていない。その前に、詰めて、新作を流してくれてるなと思ってたら、きっちりと辻褄合わせのように、休暇に入っちゃった。タモリの年齢を考えると、毎週、コンスタントにというのは無理だけど、密な時期と、そうじゃない時期を、きっちりと分けるというのは止めて欲しい。ロスの気分になっちゃう。「日曜美術館」も、高校野球の時期はお休み。こちらも、新作ロスになっちゃってる。罪な高校野球だわ。
 そんなで、今日は、旅行中に流れていたYoutubeの動画の新作を追いかけるつもりだった。ところがだ、昨日始まったトルコ・リーグの開幕試合のダイジェストを観て、桂文治の繁昌亭出演時の動画、韓国系Youtuberの動画を観ていると、あっさりと寝落ち。またぞろ、勝手にお昼寝タイムに入ってた。PCの前で、夕飯後、晩酌もするので、寝落ちということは、始終と言っていいくらい、ある。けど、最近、この昼食後がやばい。夜と、同じことが起こってしまってる。じゃ、この際、ベッドに横になって、もう少し寝ようとする。ベッドに横になると、楽なんだけど、今日は、寝なかった。いや、既に、十分、身体が求めた睡眠は取ってしまったということなんでしょうか。だから、結局、旅系Youtuberのマカオ旅の一部を観ただけだった。船で、香港から入る、その様子を動画にしてくれていた。上環にあるフェリーターミナルから船で入っていた。橋ができているので、それで行くのかと期待してたため、なんだと思ったけど、でも、一方で、自分も、このフェリーに乗ったことがあるので懐かしくもあった。人混みは、黄紺の行ったときと、同じ姿。橋の効果で、ここの人混みは減ってるのかと思ってたら、あっさりと外された。相変わらず、大事な足の役割を持っていた。「入境」には、以前同様、パスポート・コントロールがあった。これも、どのようになってるのか気になってたが、前と同じ模様。しかし、カジノを抱えるホテル群の電飾はケバイ、ケバすぎる。こういった地域と、ポルトガル村的な観光地を除けば、古い中国が、香港より残ってると感じたのは、もう30年近く前だ。返還半年前のことだから、変わってんでしょうね。この動画、続きが楽しみです。もっと時間があれば、いや、寝落ちさえしなければ、しっかりと、それ以外のマカオを観れたんだけどね。


2023年 8月 11日(金)午後 9時 31分

 昨日、午後8時頃、自宅に戻った。京都に戻ると、台風の欠片も感じなかった。あの3日間は、何だったんだろうと思ってしまった。結局、予定していて行けなかったのは福岡県立美術館。ここのコレクション展で、日本画を観ると、旅行中の美術館巡りにバランスが生まれたんだけど、ま、芳年&芳幾を観てるから、贅沢かもしれない。替りに、福岡城観光に行くことができたからね。だけど、今年で、国内のショートトリップは3回目となったけれど、ずっと、京都に住んでる身として、どこへ行っても新鮮だわぁ。地方の美術館巡りをコンセプトに動いているので、いわゆるの観光地も、自分流の観光地も外してしまってる。今回も、北九州市に行くなら、ここの産業遺産を観たいと思った。筑豊に回り、石炭採掘関係のミュージアムもあるし、積出港だった若松港も観たかった。黒崎の飲み屋の主人と喋ってて、戸畑も港だったらしい。そして、すっかり失念していたのは若戸大橋。これが完成したとき、記念切手になった記憶がある。調べてみたら、記憶に間違いはなかった。八幡製鉄絡みの施設には入れないらしいけど、ミュージアムのようになってるところがあるらしい。太宰府も行ってみたいしと思ってたし、今も、思ってる。映画を観た福岡市総合図書館では、京都文化博物館が、日本映画の収集活動をして、また、公開をしてくれているが、こちらの図書館では、対象をアジア映画として、収集&公開活動をしているということを、現場に行って、初めて知った。これを目指して来てもいいなと思ったほど。置かれていたチラシに心奪われてしまってました。それにつけても、福岡城&大濠公園って、いいとこだよね。西新って、随分とお世話になったけれど、あすこ、もう海に近いんだね。いや、福岡城には海を観る櫓が残ってたから、あすこの近くまでが海だったのでしょう。福岡ドームも、西新の近くだったようだ。福岡、いいよ。名古屋に行ったときも、広島に行ったときも、同じこと言ってた。実際、今年中に、もう1回ずつ、名古屋と福山は行くかもしれない。そんなこと、考えてます。
 今日は、午後にお出かけ予定が入っていた。旅行明けだから、休息の日にできればと思ってたけれど、普段、外ればかりの抽選に当たったのでした。大津市歴史博物館の市民向け公開講座の抽選結果が、何と当選だった。しかも、競争率の高そうな講座だったから、2倍、驚いた。だって、大河ドラマ「どうする家康」関連講座と銘打たれた講座だったのですから。今日は、「徳川家康と大津の寺院」というお題で、同館の学芸員五十嵐正也さんのお話がありました。大津市内の有名寺院、延暦寺、園城寺(三井寺)、石山寺を取り上げると、案内には書かれてあったのですが、それに加えて、西教寺も取り上げられました。さすが、身体に疲労が残ってたのでしょう、ある程度、予想はしていたのだけど、それが丸当たりで、前半は居眠り三昧。レジュメの見間違いもあり、何をお話をされているのか、暫し、判らなかった。もちろん、覚醒したときのこと。レジュメの見間違いに気が付いた頃合いから、お話の持って行き方が判って来た。豊臣、徳川と、権力の座が移っていく中で、各々の寺院が、どのような時期に、豊臣から徳川へとシフトしていくかを、史料を見つめながら追いかけようとの試みだった。特に、延暦寺は、信長に焼き討ちに遭っているということで、史料の精査が緻密だったこともあり、しかも、ここで寝落ちをしてしまってたんで、覚醒したとき、余計に判らなかった模様。片桐且元のような、豊臣から徳川に移った武士の動きなんかが、1つのリトマス試験紙のようなアイテムになっていたり、所領の問題や争論の裁許とか、権力に関わり、各寺院が、どのような動きを見せ、扱われてきたのかが、細かく追われていった模様だけど、そういった細かなお話が、こういったテーマで扱われるのねという程度で、内容に関して、あまり興味は注がれなかったため、寝落ちして、解らなかったと言っても、あまり落胆も出ない講座でした。ま、こないなこともあるわなということで、あっさりと納得です。ここの講座へは、いつも、JR大津駅から徒歩で往復することで、ウォーキングをした気になっている。片道30分程なんで、猛暑と雖も、さほどきついとは思わない。むしろ、昨日まで福岡市内を、台風のおかしな風に煽られながら歩いていた身には、なんとも不思議だった。「博物館から見えるのは琵琶湖だよな」と、頭の中で確認している始末でした。


2023年 8月 10日(木)

 朝は、ホテルのチェックアウト時間まで待機。台風が、できるだけ遠くに行ってから出ようとの考え。予定していた美術館が開いているかどうかのチェックを入れると、全部、休館としか出ていない。仕方ないので、そういった情報が流れてないというか、出ていたのを見つけられなかっただけかもしれないけど、とにかく出てないとして、それならば、開けてるかもしれないと考えて、そこへ行ってみた。昨日も行った福岡市総合図書館での映画を、今日も観ようと考えたのだ。ドキュメンタリー映画だったので省いたのだけど、ドイツの議会内での女性議員を追いかけたものなので、期待をしていたが、昨日と違う表玄関の様子。ダメでした。そこで、地下鉄で、西新から大濠公園へ移動。そこから、福岡城址を観光しようと考えたのだ。でも、それ以後の予定は、なんもなしだったので、駅ホームの休憩室で、スマホを頼りに、行き先検討をしようとして、とりあえずは、開ける可能性があると踏んでいた福岡市美術館をチェック。というのは、総合図書館の横の福岡市博物館に「午後1時から開館」と書かれていたので、同じ市立の施設だから開けないかと思ったのだ。すると、「12時から開館」と出てた。すると、そないな休憩室でゆっくりしていると、福岡城址を観て回る時間があやしくなると思い、早速、出発。城内に「平和台陸上競技場」があったのを見て、「平和台」という土地が、この辺りだと知った。ということは、この辺りに野球場があったってこと? その向かいには、黒田如水(官兵衛)屋敷跡というのがあった。広い。やっぱ、有名武士の城です。天守跡も高い。但し、天守閣はあったかどうかもあやしいらしい。数は多くはないけど、歩いている人、全部、外国人だったな。
 開館時間少し前に福岡市美術館に到着。それを待ち構える人の多さにびっくり。開館後の人の流れで判ったのだが、「香取慎吾個展」が行われていたからだった。黄紺が行ったのは「コレクション展」。これが、大きくは2つ、各々が3つのセクションに分かれているという展示。2つの区分というのは、「①近現代美術」と「②古美術」。①は、更に「aコレクションハイライト」が「福岡市美術館のスターたち」「美術散歩にでかけよう」に分かれ、「b時代で見る美術 1940年代」、「c山好きな画家たち」という構成。②の方は、「a東光院のみほとけ」「b懐石のうつわ-向付・鉢・酒器」「c夏休みこども美術館2023 うつくsea!すばらsea!」と分かれていた。コレクション展だから、手持ちの作品を、いろいろと公開しようということだから、このような展示になってるのだと思うけれど、目先が変わるおもしろさを、堪能させてもらったという感じ。実は、情報収集の段階で、①に目が行ってしまってたけれど、確かに、①は楽しんだけど、②の迫力は、ホント、素晴らしかった。「東光院」という寺院の仏像一式が、この美術館に寄託されているそうで、それを、ローテーションを組んで、常時、展示されているようだ。ご本尊は平安時代、その周りを囲む十二神将立像は南北朝時代の作。それが、非常に素晴らしい保存状態で展示されているものだから、見事な迫力。その向かいにある部屋の陶器の展示も、ええもんばっかという感じ。松永コレクションという括りだそうなんだけど、ここの部屋も、このコレクションをローテーションを組んで、展示しているようだ。地域柄、高取焼、唐津焼といった焼物が多かったけれど、それらに拘らず、いいものはいいという感じで、志野もあれば、黄瀬戸なんてのも、備前から景徳鎮もという具合。染付もあることはあったが、そういった系の色合いでない、シックなものに惹かれた。「c」は、子どもに見せるようの展示。海にまつわる作品集。作品リストを見ると、なんか、難しい名が付いていた。観た順序は、①の方が先だった。①が狙いだったのは「c」があったから。ここに、吉田博の版画が、10枚以上出展されていたから。山登りを、とっても楽しんだ人だったらしく、様々な山が描かれていた。その中で、一番のお気に入りは「冨士拾景 朝日」。最終的には摺師の技ということになるのかもしれないけれど、富士山と麓に拡がる野の風景のコントラストがいい。それを際立たせているのが。クリアな富士の稜線と雪の白さ。「雨後の穂高山」では、陽の当たる木の色合いが、有名な船の浮かぶ波間に映える光と同じ色。それ以外の波の色は、野の風景の色合いを用いている。なんとなく、色使いのパターンが判ってきました。「カンチェンジャンガ」三点は、同じ型を使ってるのかな? 吉田博以外では、畦地梅太郎の作品、田崎広助の作品が並んでいた。前者は、登山者である自分を漫画チックに描いているのが微笑ましい。後者は、色の組合せで山を描いてるような印象を持ってしまったんだけど、だからどうなんだと考えてしまってた。またまた、展示の順序が変な書き方になってしまったが、順番で言うと、「a」の「スターたち」で始まり、「c」、「b」、「a」の「美術散歩」。「スターたちは」は、正に、その名の通りの作品が並ぶ。ルイ=ジョゼフ=ラファエル・コランの「海辺にて」、ポール・デルヴォー「散歩する女たちと学者」という知らなかった作家の作品も含めてだったが、知っている作家が凄いから、同じく凄いんでしょう。シャガールの「空飛ぶアトラージュ」、ジョアン・ミロ「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」、サルバドール・ダリ「ポルト・リガトの聖母」、アンディ・ウォーホル「エルヴィス」、ジャン=ミシェル・バスキア「無題」、草間彌生「夏」。コランは、黒田清輝なんかの先生だったそう、覚えておきます。ミロをおもしろいと思った。なんか、とっても楽しそうなんだもの。こうして観ればいいのかと、ミロ鑑賞の手引きになるような作品。「エルヴィス」はご承知の作品。そういった大家の作品に囲まれ、中央に置かれた草間彌生作品、ここでも水玉模様が、海底に生えた植物状のオブジェにちりばめられてありました。「美術散歩」の広い部屋は、現代アートが並ぶというもの。北九州でも観てきた白髪一雄作品があると、なんだかホッとする。田部光子の「ヤマトタケルノミコト」なんて、近くで観ると、わけのわからない渦が巻いてるように見えるけど、遠目から見ると、その渦が揺れながら巻いているように見え、不思議というか、滑稽なまでの動きを、幾つもの渦が見せていた。藤野一友の「抽象的な籠」は、縦に寝かせた女性の首から下は、標本を展示するように骨格、及び、その中に居る人々という、不思議な世界。不思議過ぎて、記憶に残っちゃう。アンゼルム・キーファー「メランコリア」は、いかにも廃物という感じの飛行機に、デューラーばりのタイトルが付いていた。戦争批判だろうか? 大竹伸明の「WEB」は、油をしみこませたような木材が重ね、前へと膨らませた大きな作品、何だかた判らないけど、印象に残る。最後に展示されていたのが、インカ・ショニバレCBE「桜を放つ女性」。頭が地球儀、アフリカの衣装を着た女性がライフルを構え、ライフルの先から桜の木が出ているというもの。ライフルというから攻撃的なコンセプトなんでしょう。我々がアフリカらしいと思ってる衣装というのは、かつての植民地支配の中から生まれてきた。搾取のシンボル的なものとの解説が書かれていた。そこに桜木が絡むというのは、どういった了見なんだろうね。難解です。白髪一雄があった大きな部屋に置かれてある作品群、白髪一雄が無作為のおもしろさを追求したというのが頭にインプットされてるものだから、そういった目で見ると、現代アートの色遊び的な作品があると、どうしても、作為のようなものが感じられてきて、白髪一雄の狙った意味合いがクリアになってきて、そこから観てしまうから、この広い部屋に安定感を感じてしまってました。田部光子の「ヤマトタケルノミコト」も、そういった安定感を構成していたのが、不思議な感覚ですね。「b」は、「1940年代」という難しい切り口、戦中と戦後、その双方を含んでる。どうなんだろう、ここに展示されている作品、後者にシフトしているような印象を持ってしまいました。前者に入るのは、冒頭にあった村井誠の「Cite 2」くらいだったかもしれません。それも、解説に、そのように書いてあったからということだけ。牛島憲之の「赤坂見附」や、伊藤研之の「湖」なんかの色調は明るいしね。そうなんだと思いながら歩いていると、目が、違うものを見つけていた。「溶鉱炉」という題が付いていた。TVなんかで見たことのある溶鉱炉を、熱した鉄が流れる様子そのまんまが見えたからだ。なんと、吉田博の作品だった。洋画を描いていたのが版画をやり出したなんてことを、どこぞに書いてあったのを読んだことがあったけど、実際には、初めてだった。その横に並んだのが、棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」。縦長の大きな作品が10枚並んだ。さすがと思わせる、コンパクトに押さえる身体のラインが、人物の特徴を掴まえ、それに見合う顔、その表情が、いずれも個性的、と言っても難しいものじゃなくて、ごく自然な和らぎ、寛ぎ、怒りなどを表している。お見事、楽しい。となると、他の作品に人物が描かれていると、なんか、肩がこっちゃった。松本竣介の「彫刻と女」なんか、真っすぐな勢いのある線で描かれた彫刻台に向かい合う女を描かれると、強い意志が強すぎて、ちょっと引いちゃいました。でも、1940年台だぞと自戒の気を持ち、引き締めるようにしながら鑑賞。そんなで、鑑賞順序とは異なる記し方をしてしまったけれど、ホント、多彩な作品を見せてもらい、感謝。コレクション展って、こういう楽しみ方ができるので、楽しいね。それが狙いで、地方美術館巡りをしたくなったのだから、正に、ドンピシャ。帰りの新幹線まで2時間強あったので、どっかに回ろうかとも考えたけれど、これにておしまいにしました。たっぷり感があったということは、腰が悲鳴を上げているということに被ります。
 そこで、とりあえず、博多駅まで行き、どこぞで昼飲みをしようと決定。うまい具合に、駅の地下に食堂街があり、「浜飲みセット」などと書いた看板を発見。結局、お酒とつまみは追加したけど、2000円ちょいで、いい気分。そして、店を出た途端、愕然。向かいに韓国料理屋があった! ここで飲めば良かったと思っても、最早手遅れ。最後にやっちゃいました。少し時間があったので、改札に入ってからアイスを食べてから乗車。あっさりと、京都に向かうことになり、福岡旅行、終了となりました。


2023年 8月 9日(水)博多から

 ホテルに朝食が付いてない値段設定のときって、ほぼ朝食を付けたことってなかったんだけど、今日は、お値段がリ-ズナブルだったもので、ダメ元で付けてみた。お試しってするものだね、元以上だったかもしれないと思える内容。泊まったホテルの名前、覚えておきます。台風については、朝方から夕方まで、あまり変わらなかったんじゃないかな。雨はあまり降らず、風は、所謂、突風という感じの風が、1日中、吹いていた。朝方の状況だと、午後の移動は、大変だろうなと思ってたら、昼過ぎには、薄日まで出てたのには驚かされた。まず、朝は、黒崎駅午前8時31分発の久留米行きに乗り、博多まで移動。黒崎駅には、いろんな電車が入ってくるんだけど、行き先をみても、さっぱり判らないものだから、スマホで調べたまま、乗るしかなかったけど、なんか、旅してる感が出たな。博多からは、地下鉄空港線で西新(にしじん)へ。福岡市総合図書館に向かった。今日から、こちらで、「EUフィルムデーズ 2023」の福岡編が始まっているのです。京都では、この上映会を、期間の半ば以後でしか観ることができなかったので、ここで観れてないものを観ようとの狙い。今日観たのは、スウェーデン映画「タイガーズ サンシーロの陰で」。イタリア・サッカー界の裏側を描いた実録もの映画。スウェーデン人の青年マッティは、インテルに青田買いされる。マッティは、子どもの頃から、インテルに憧れ、インテルでプレーすることを夢見てきたから、正に夢がかなったという出来事。でも、その夢を夢と観るには、あまりに、現実からはかけ離れていた。トップチームの下部組織では、上に上がるための競争、負ければ売却されていく。チ-ムプレーに貢献していては生き残れない。チーム内での足の引っ張り合い。選手管理も厳しい。フロントも、そうした管理も、売却価値を気にしてのものだったりして、非人道的なふるまいが浸透しきっている。そういったなか、アメリカ人選手と仲良くなったマッティは、同じスウェーデン人女性と知り合う。かなり、関係は進むのだけど、そういったスキャンダルを嫌うクラブ側は管理を強化。サッカーを取るか女を取るかを迫ってくる。一旦は、サッカーを取る決断だが、その苦しさに耐えられなくなったマッティが道路を走っているとき、トラックに引っかけられてしまうが。一命を取り留める。だが、スキャンダルを恐れるクラブ側は、マッティは、てんかん発作持ちとして処理しようとする。イタリア入りした母親も、それに口裏を合わせることに協力を申し出た。アメリカ人選手と知り合い、外の世界を知るようになり、彼女とも出会い、サッカーの世界しか知らなかったマッティに、大きな変化が決定的なものになり、ついに、彼が執った行動は、それがラストシーンだった。実話だそうだ。マッティは、サッカーを辞めたそうだ。話としては、そうだろうなと思えることだけど、マッティの成長、ひょっとしたら、離れていった父親からの、親離れ的な物語とも看ることができるなという印象でした。
 映画が終わると、昼食はなしということにして、大濠公園に移動。とっても素敵な公園、福岡城跡なんですね、知らなかったぁ。その公園内にある福岡市美術館へ行ったのだけど、表に貼り紙。「午後1時から休館」と出てました。もちろん、台風を警戒してのことだけど、公園を散策する人たち、公園内のスタバを探しに来た韓国人旅行者の一団を見るにつけ、かなりの違和感。だけど、閉まっているという事実から考え、明日行く予定にしていた美術館で、台風下でも開けてそうなところを考えると、地下鉄駅近く(実際には駅上のビル)にある福岡アジア美術館に行くことにした。地下鉄中洲川端駅へ移動。初めての者には難しい駅だったが、無事到着。予想通り、開いていた。今、こちらで「世界水泳選手権2023福岡大会記念展 水のアジア」という特別展が行われている。「日曜美術館」でも紹介され、今回の美術館巡りにリストアップしてあったところ。博多入りの決定打となりました。この特別展では、アジアの8人のアーティストの作品の展示。TVでも紹介されていた、ムルヤナ[インドネシア]の海底の風景を毛糸で表した作品、ジュン・グエン=ハツシバ[ベトナム]の、海底で走らせる力車の映像作品は、確かに圧巻。それに加えて、アフザル・シャーフュー・ハサン[モルディブ]の砂絵ア-トは、見とれてしまった。次から次へと、描き、消して、また描く、この繰り返しを映像に収めたものだから、アニメーションを観ているような気にされるものでした。テーマが「水」ということだったため、水滴の形の変化をスクリーンに映すキム・ヨンジン[韓国]の作品、安聖惠 / 峨冷.魯魯安[台湾]の作品は、自らの先住民というル-ツを辿る大がかりな作品も印象に残った。ル-ツとなる村は、水害で流されたようで、自らの記憶に残るイメージを形にしたもの、それに、古老の語りを被せるインスタレーション。もう一つ、気になったのが、山内光枝[福岡]の映像作品。自らのル-ツを掘り起こすもの。語りは韓国語というもの。植民地時代の釜山在住日本人の記憶を掘り起こすものでした。今日は、これでおしまい。そのまま、中洲のホテルに入り、近くの手頃な店で晩ご飯に出かけたのと、アイスを買いに出かけただけでした。さすがに、暗くなってからは、台風らしくなってました。わりと、外国人が多い。台風も、いい土産話になるのかななんて考えながら、眺めておりました。


2023年 8月 8日(火)北九州八幡から

 京都発7時42分発ののぞみに乗り、一躍、九州へ。台風にもめげず、九州に向かいました。小倉に、10時8分に到着。小倉駅が、思いの外、大きくなかったのが以外、日豊線に乗り換え、一駅目の西小倉に移動。ここに、小倉城があるのを、初めて知ったけと、その向かいあった位置にあるビルに、北九州市美術館分館が入っています。今、こちらで「アルフォンス・ミュシャ展 アール・ヌーヴォーの華」展が行われています。ポスターに書かれているキャッチコピーは「この夏、ミュシャに会える。」。会ってまいりました。「圧巻の500点」なんて、コピーも書かれているものだから、焦ってしまった。狙いの本体は、分館ではなくて本館の方だから、そちらに皺寄せが来ちゃいそうということで、焦ったのだったけれど、それは杞憂。実際には、1時間半も要しないで観ることができました。原因は、デザイン帳の執筆をしたため、それを見せるということで、大部な展示となったのでした。京都の「えき美術館」で観たものと重なる展示も、一部あったことはあったけれど、被って興ざめということはなかったのはありがたかった。冒頭は、サラ・ベルナ-ルの公演ポスターから。その関連の作品が、ちょっと少なかったかな。サラ・ベルナールものだけではなく、演劇などの公演ポスターで当てたにも拘わらず、もうちょっと、展示があっても良かったのじゃないかな。広告関連のデザインものは、それなりに集まっていた。それに加えて、ミュシャは、6年間のサラ・ベルナールとの契約が終わると、しばらくして、アメリカに渡ったようで、そこでパトロン探しがてら、オファーに応じていた。そこでスポンサーを見いだし、念願のチェコスロバキアに戻り、民族の支えとなるような作品を発表していくとの流れ。そういうストーリーを追いかけるというのだと、それでいいのかもしれないけれど、サラ・ベルナールとの協同作業となる前、また、評判を喚んでから、請われて描いた作品辺り、薄かったように思ってしまいました。とまあ言いながら、ミュシャに会えたのは、結構なこと。
 本館への移動には、バスに乗るんだけど、これが、1時間に1本ということで、待ち時間を活用して、持って行ったパンで昼食。小倉城を眺めながらの昼食。バス移動は30分弱。最後になり、急坂を登ったのには、びっくりした。広島現代美術館に行ったのと、全く同じ光景、建物自体は、磯崎新の作品だそうです。足の便を考えると、とっても悪い。車がある人にはいいだろうけれど、でない人には困るところにあります。案の定、中はすかすかでした。平日の昼間としてもなと思ってしまいました。今、こちらで、「北九州市制60周年記念 芳幾・芳年ー国芳門下の2大ライバル」という名の展覧会が行われています。今回の福岡旅行の発端となるものです。コロナの最中、京都で、師匠の歌川国芳との展覧会のあった月岡芳年でしたが、今回は、兄弟弟子の落合芳幾との組合せ、とにかく飛びつきました。入口脇に、いきなり「英名二十八衆句」があったのには、びっくり。「血みどろ絵画」といっやつで、二人の共作。古今知られた斬殺事件を描写するというもの。血の滴るものばかり。血が流れてないと思うと、生首を口にくわえていたりというもの。入口脇に、わざわざと囲ったようにして作ったコーナーが展示場所。血みどろ系は、もっと描いてるはずだけど、コレクターの趣味でしょうか、このコーナー限定でした。多かったのは、歴史もの、武者もの。作品の中で、ここまで多くの割合を占めてるのかなと疑問を持ってしまったけどね。「国芳・芳年」のときは、そうではなく、もっと風俗画が多かったと思う。武者ものの目玉として、国芳と芳幾師弟がいずれもが描いた「太平記英勇伝」、それと芳年の「芳年武者无類」がそれ。観ていると、黄紺の目にも、芳年のオリジナリティが目立つ。なかでも、義経ものが秀逸。義経は身軽だったというイメージがあるからか、とってもダイナミックな動きとして捉えられるもの。後半部分の目玉は、芳幾の関わった「東京日日新聞」や、芳年の関わった「郵便報知新聞」といった報道写真ではなく報道用の版画作品が主流。芳年の「西郷隆盛の最期」も、このコーナーに入っていた。その間に、風俗画(芳年の「東京自慢十二ヶ月」が見せます)や、他の作家も含めた横浜画が配置されていた。その間隙を抜い、保昌の月明かりのもと笛を吹くってのがあった。これは見もの。黄紺も知る芳年の代表作です。そして、最後の手前に、お約束の「月百姿」が、10点ほどあった。その10点ほどは、あまり黄紺の関心を引かないものが多かったかな。「卒塔婆小町」を題材にした作品、前に観たとき同様、顔と違い、体が元気過ぎる。そうしたなか、「千代能」の風情、いいですね。抜きん出たものと、勝手に判断。そして、最後のコーナーに、二人の肉筆画が数点ずつ。いずれも、保存の問題だと思うのだけど、全体的に暗くなってたのは残念なことでした。最後、立ち去るときに、一番、振り返ったのは保昌でした。風が吹く、その風の音に遮られながらも、笛の音は聞こえたように思いました。本館では、もう一つ、展覧会があった。「コレクション展1 特集 具体 白髪一雄 ー尼崎市コレクション」。同館のコレクションを、尼崎市所蔵の白髪一雄作品に合わせたものに、プラスアルファされた展示でした。白髪一雄は、初めて聴く名前、いい勉強になると思い、入ってみた。白髪一雄が、前衛芸術家集団の具体美術協会(具体)の中心メンバーだったということで、同館が、その作品を所蔵しているらしく、両者併せての展示となったようです。とにかく、何が描かれているのかが判らない作品ばかり。すると、白髪作品の紹介文を読んでいると、何が描かれているかを観るのではなく、如何にして描いたかが問題なようだった。人間の意図から外れた偶然性に依拠した描き方、それがおもしろいとされたようだ。天井からぶら下がったロープにぶら下がり、足に絵筆をつけ、その跡が作品となる。そこで、ハタって思い当たったことがあった。ア-ルブリュットの作品をおもしろいと思う感覚に似てるということ。通常の感性を持った人間が、それとは異なる感性を追い求めている、これですね。だから、その跡観て、おもしろいと思うかどうかでいいのだ、これが、´この手の作品の楽しみ方だと悟りました。ええこと、学べました。プラスアルファは、モネ、ルノワール、草間彌生らの作品でした。草間彌生の作品も判らないけど、なんか、楽しくなるね、不思議な感覚が残ります。しばらく、腰を休めて、美術館を出たのは、もう午後4時を、結構、回ってた。25分程歩き、JRの枝光駅に到着。黒崎駅まで移動して、駅前のホテルへ。八幡の繁華街らしいところだけど、駅前は、かなりのシャッター街。夜ご飯のつもりで入った店が、定食屋じゃなく、飲み屋だったので、そこで飲みながら、主人に教えてもらった。かなり、寂れてしまったようだ。そんなことをしている最中に、明日のコンサート中止の連絡が入ってしまった。やっぱ、台風は強いね。


2023年 8月 8日(火)午前 4時 57分

 ますます、台風情報がシヴィアになってきている。大雨を警戒するように呼び掛けている。新幹線の動き具合が気になるところ。計画運休というタームを、よく聞く。JRは、かなり慎重になるようになっているから、どうしようもなくなる前から、そういった措置を執るのが、今や当たり前になってきている。現時点の推測情報だと、9日の午後から10日の午前まで、止めるのじゃないかと言われているので、そのまんまだと、移動には障りは出てこない。停滞するようだと、往きは大丈夫そうだけど、帰りがヤバい。帰洛翌日の午後には、予定が入っているものだから、予定通りに帰って来たい。夜行バスに替えるという手もあるんだけどね。それは、もう少し、様子を見てからの判断にしましょう。とにかく、そういった予測情報からすると、今日の福岡県への移動は大丈夫そう。もう端から、大きめの傘をぶら下げて行こうと考えている。問題は、9日の午前中に、八幡から博多に移動するつもりなんだけど、これが止まらないかが心配。ま、JRが止まっても、西鉄があるので、そちらの方への期待を持つことにしようと考えている。今になって、2日とも博多泊にしとけば良かったと後悔している。でも、博多は、ちょっとだけ知ってるけど、北九州市は知らないからと、わざとそうしたのが、問題となるかもしれない。この旅行は、美術館巡りに、コンサート、映画が加わったものなので、名所めぐりなんてものは、最終日に、時間があれば筥崎宮に行こうかと思ってるくらいだったから、雨の影響は最小限だと思ってる。ほとんど、頑丈な建物内で過ごし、各々の間の移動時間も短いからね。一応、息子に、ごく簡単な旅程を連絡して、確か、ほぼ同時期に鹿児島旅行をすると言ってたので、「もう鹿児島?」なんて書いて、メールを送ったら、「2日前に直撃することが判ってたからキャンセルした」と返って来た。思わず、「賢いなぁ」とレスを送ってしまった。すると、別メールで、ほぼ全額返ってきたので、また何処か行く時に取っておきます」と書いてきた。おまけに、最後に「明日から、急遽、名古屋旅行です」だって。やっぱ、賢いわ、黄紺より。
 昨日は、旅行前ということで、予定は入れなかった月曜日。日に2回のウォーキングだけが外出。万歩計を見ると、16700歩となっている。目標の17000歩は、まだ達成できてない、もちろん、復帰後だけど。そして、昨日もお昼寝。やっぱ、疲れるんだね。今日から旅行だよと突っ込んでも、雨だから歩かないか。昼食後、三遊亭王楽のYoutubeチャンネルに、柳家三三のロング・インタビューが動画になってたので、それを観てたのだけど、第4回目は寝落ちになってしまってた。連続して4回目まで観ようとしたことは、おもしろいということの証明なんだけど、身体がギヴアップしてしまったということなんでしょう。
 そんなで、2泊3日の予定で、今日から福岡県の旅です。最大の目標というか、この旅行を計画したきっかけは、「芳年・芳幾展」を観ようということから始まってます。ビートル号に乗り、釜山へ入ろうという当初の計画は、椎間板ヘルニアでおじゃん。行けそうかなと思い始めたときには手遅れだった。今月下旬にしようかとも思ったのだけど、台風の確率が高いだろうと、このお盆前にしたら、呆気なく台風とぶつかった。サイテーです。九州交響楽団のコンサートを聴けるということで、チケットを買ってあるために、旅行の中止もできず、今日に至っています。さて、無事に帰ってこれるのだろうか? 変な旅行、ばっかだ。


2023年 8月 6日(日)午後 11時 34分

 今日は、お出かけなしの日曜日。旅行前ということで、控え気味にしていたけれど、ニュースを観ていると、旅行日の九州が、台風の影響で大変な雨の予報。台風は、沖縄のあと、日本からは逸れて行くものと思ってた身には、青天の霹靂。どうしようと言っても、コンサートのチケットは買ってあるし、ホテルの無料キャンセル期間が、丁度、終わったところだしと、行かなければならない状況になってしまってるところへ、この情報。一番懸念されることは、JRが、どこかで停まってしまわないかということ。早々に運転休止にするのが、昨今のJRなものだから、それで立ち往生だと、どうしようもない。鉄道さえ支障なければ、動き倒す旅行ではないので、いいかなとも思ってるんだけどな。
 お出かけなしの日曜日と言えば、楽しみと言えば「日曜美術館」なのに、またぞろ、高校野球の犠牲になってしまった。これひどいわ、毎度、春と夏になるとこぼす愚痴なんだけど、高校野球などに関心がない者もいて、それにより煽りを喰ってる人間がいるってことに、誰も気づいてないのでしょうね。朝だけかと思ったら、夜の「日曜美術館」の放送時間も、高校野球の犠牲になってた。なんてこと! どこまで傷めつけられるのでしょうか!
 そんなで、楽しみの欠片もない日曜日。日に2回のウォーキングは、完全復活。朝は痛むけど、歩き出すと、痛みは治まるのが判ってるので、痛くても構わず、動き出している。今日は、洗濯日でもあったので、それにプラスして、ウォーキングをすると、普段よりは疲労が溜まるのはいつものこと。おかげで、今日は、午後の一時は午睡の一時となりました。いい気持だった。ベッドに横になると、寝てしまうかどうかが、瞬時に判るものだけど、今日は、思った通りに寝てしまった。それから、夕方のウォーキング。夏至が過ぎて、もう1ヶ月半も経ってしまってるから、ウォーキングが戻るころになると、この頃は、目立って暗くなり出している。秋分の日の方が、夏至よりは近いんだから、そうなるわね。早いわ。せめて、何かしようということで、NHKプラスを利用して、久しぶりにNHKスペシャルを観た。ウラン鉱を売った男がテーマだった。今日は、広島の日だということで、アメリカの原爆の開発を実現させたウラン鉱を売ったベルギー人商人を追う番組になっていた。ベルギーというのがミソ。コンゴを植民地にしていたことから、純度の高いウラン鉱を扱った商人がいた。最初は、使い道のなかったウラン鉱だけど、コンゴ産は、あまりにも純度が高かったために、何かに役立つだろうと、先行投資で開発していた。コンゴで生産された鉱石を、一部、ベルギー本国に移送してあったため、ベルギーがドイツに占領されたとき、ドイツが接収した。それが、戦後、ソ連が押収して、ソ連による核開発を実現させたとか。他のウラン鉱は、アメリカに渡った。だから、このベルギー商人の扱ったウラン鉱は、米ソ双方に渡ってしまったことになる。戦後を演出した、いや、現代政治を演出してしまった男ということになってしまいます。本人は、ここまでを想定していたとは思えないのですが。とまあ、全く知らなかったエピソード。こうした番組、いまや、NHKの独壇場になってしまってる。以前は、民法にも良心的な報道番組があったんだけどね。


2023年 8月 6日(日)午前 8時 10分

 昨日は、午後にお出かけ予定を入れていた日。但し、予定表に入れておきながら、申込みが要るのにも拘わらず、ずっと放置していて、数日前に、昨日の予定表を見たときに、申込み済みを表すようにしている「★」が付いていないので焦った。忘れていたこともあるが、若干、他のお出かけ先と迷ったことがあったのも事実。そんなで、判断を後回しにして、そのことを忘れてしまっていたようだ。よくあることだけど、数日前に判ったときには、全く迷わなかったけれど、予定表には、しっかりと「要予約」と記してある。ほぼ直前過ぎて、ダメかと思ったら、予約ができた。こんなこともあるんだね。こんなことで、諦めたこと、1度ならずある。このシンポジウムの開演が午後1時半だということで、午前中に1時間ほどの予定で、ミニウォーキングに出かけた。一昨夜は、久しぶりに、クーラーなしで寝ることができたけれど、太陽が上がると、いつもと同じ。午後のお出かけ先からの帰り、2駅分、ウォーキングの足しにしようと歩いたので、昨日の万歩計は12700歩余となっていた。最近は、このくらいで満足する傾向。でも、午前中のウォーキングのあと、キンキンのクーラーで身体を冷やしたが、結局、午後のシンポジウムの前半は寝落ちしてしまってた。もう、体力が落ちる一方だわ。
 午後のお出かけ先は文化博物館。昨日は、こちらの企画展「発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより」の関連企画として、シンポジウム「近代京都絵画史研究を振り返る:京都、むかしがたり」があった。これが、自分的美術史関連の初のシンポジウムだと思う。そのプログラムは、次のようなものでした。①講演「京都の近代日本画再評価と星野画廊」(上薗四郎氏/笠岡市立竹喬美術館前館長)②座談会/上薗四郎、榊󠄀原吉郎(京都市立芸術大学名誉教授)、廣田孝(京都女子大学名誉教授)、星野桂三、植田彩芳子(司会:当館主任学芸員)。①の講師、上薗さんは、竹喬美術館の学芸員から館長にまでなられた方、以前、どこかで、お話を聴いたような聴いてないような、、、。「竹喬」とは「小野竹喬」、「国画創作協会」のメンバー。こんなことが、すらすらと判るようになった。エライ! 星野画廊も、国画創作協会の作品を収集したということで、その辺の話が聴けたのかな? それすらも判らないということで、早々の寝落ちのようです。自分的には、この「国画創作協会」という組織だけど、反骨なのか、保守なのか、これが判らないので、どういったテイストでお話されるかが、とても気になるのです。ここに加わった作家さんの作品を観ていただけでは、その判定ができないのです。小野竹喬や野長瀬晩花の絵を観ていると「革新」と観えるけど、村上華岳や入江波光を観ると、そうじゃないしね。ちなみに、パネラーのお一人、ちょっとボケてるかと思うと、しっかりとしたことを話されていた榊󠄀原吉郎さんは、メンバーの一人、榊原紫峰の縁の方だそうだ。お話は司会の方が、トピックを振り、指名された方が答えるという形式だったが、ボケてる方が約1名、話の内容はいい話だけど、どんどんと逸れて行ってしまう。それを、気遣う星野さんが突っ込んで、軌道修正する。戻ると、上薗さんや、廣田さんに出番が回ってくる。でも、廣田さんの声は聴き取りにくい、この方、元は、京都市美術館(現京セラ美術館)のキュレーターさんだから、京都市の裏話を、よくご存知だったのに、そのため、情報を、しっかりと得られなかったのが残念。この展覧会の主役でもある星野さんが、この座談会をリードされていったという印象。京都の美術界を支えてきた大物感が滲み出ていました。その星野さんと共同して、今回の企画展を仕切られたのが上薗さんだったそうだ。国画創作協会の作家さんを熟知しているということで、そのお役に当たられたみたい。そうそう、それで判ったことだけど、講演の冒頭で、星野コレクションの特徴として、名前に左右されず、いいと思ったものを収集、紹介する。甲斐荘楠音や岡本神草なんかは、星野さんが発掘されたようなものだそうだ。秦テルヲに至っては「星野画廊の顔」とまで表現されていました。それとともに、「海外に渡った画家の作品」と表現されていたかな、そういったジャンルもお得意だとか、それで、判った。今回の企画展のラストのセクションに「日仏画家の競艶」となってたわけが。企画展の流れとして悪くはないけど、ちょっと違和感があったものだから、気になってたことが氷解しました。京都市美術館にせよ、京都国立近代美術館にせよ、企画展がなされると、それに、かなり手持ちの作品を、星野画廊は提供しているようですね。それで思ったことなんだけど、そういった展覧会に行くと、所蔵先を確かめながら観るんだけど、その中に「個人蔵」というものに遭遇することが多いのだけど、それが、そうじゃないかなと思えました。今は、公立の美術館のキュレーターさんが、民間の画廊と懇意にすることはできない世の中になってしまってるけれど、以前は、企画展のコンセプト、出品なんかに関して、相談を受けたり、提案されたりする関係じゃなかったのかな? この座談会に並ばれた方々、皆さん、いい爺さんになってるけれど、若い頃から、喧々諤々やり合いながら、京都の美術シーンを演出してきたのだろうなと思わせる空気を感じたな。そか、こういった調子で、美術界は動いてるんだと判ったような気になりました。展覧会の企画となれば、どうしても収集品の問題、展示の設えと話になり、そこから前提となる金の問題となる。バブル期以後は、どこも大変みたい。国画創作協会の作家の中では、村上華岳は破格の扱いだそうで、華岳1品を買うのなら、幾つもの作品を買える。そういった中から発掘、そこに星野画廊は貢献したのでしょうね。華岳は高いけど、華岳の名を冠した美術館はないけど、小野竹喬のものはある。いや、国画創作協会の作家の中で、その名を冠した美術館は竹喬美術館だけ、これ、上薗さんの自慢なんだろうけど、言われてみるとそうですね。この収集話では、京都市美術館が突っ込みを入れられていました。京都は、伝統的に作家さんが、多く輩出したので、収集する時間のスパンが長い、だから、古くていいものを、多く持っているが、その後のものの収集を怠っている。他の美術館は、そのスパンが短く、また、美術界が狭いから、収集に躍起にならねばならないけど、所蔵品が、既に多くある京都市美術館は、それをやってこなかったという、厳しい突っ込み。廣田さんも、あっさりと肯定されていました。竹喬美術館などは、設立されたとき、その所蔵品が少なく、大変だったみたい。国画創作協会の作家さんに手を拡げていくことで、収集作業を行っていったと言われていた。そして、よく知らなかったこと、しかも、よく聴き取れなかったけれど、気になったのは、竹内栖鳳記念館の件。僅か10年程で閉じてしまった美術館という認識だけしかないけど、収集品が散逸するなか、お値段にも影響を与えたようなことを話されていたけど、判らないのです。そんなで、この世界が、どのように動いてきたのか、その一端に触れられたようで、とっても満足。この間、日本画の奥深さにはまってしまい、いろいろと訪ね歩いてきて得た情報、作品に対する認識も増えたおかげで、しっかりと、お話に付いて行けました。榊原さんの話がそれた中で、琳派の系譜を、だらだらと喋られ、星野さんに止められていたけれど、でも、そこで出てきた作家の名前、全部、判ったぞと、ちょっと胸を張って聴けていました。


2023年 8月 4日(金)午後 9時 51分

 今日は、朝からお出かけ、そして、ハシゴをした。水曜日と同じパターン。弟にも会ったので、ここも水曜日と同じ。但し、お出かけ先は、山科の方ではなく、アスニー京都の方。弟は、山科も京都の方も、自転車で来るものだから、短パン姿。今日は、講師が人気なのか、お題に惹かれたのか、大変な入り。だから、空調も強めに効いたようで、短パン姿には効いたと言ってました。「双京構想連続講座」という、京都がぶち上げている構想なのか、妄想かは知らないけれど、そんな名前も付けられていた講座。全部で、この冠講座は5回あるそうだ。去年は、1回聴いて止めたもの。今年はどうしようかと思いつつ、1回目に行ったというわけ。今日は、こうした講座のスター講師と言えばいいかな、京都産業大学名誉教授所功さんのお話を聴くことができた。お題は「平安前期の天皇と京都」。ところが、所さん、やっちゃいました。時間を間違えていた。前説のような挨拶があったので、大きな穴にはならなかったが、開演時間が遅れたのは事実。で、お話は、わざわざ、所さんを呼ばなくてもいいお話。高校の日本史の授業は、全く覚えてないが、その程度のお話。長岡京、平安京の成立も、中学校レヴェルかもしれない。道鏡とか、相良親王などという遷都に至る過程で出てきてもいい名前は出てこなかった。それよりか、「京」「都」という字の意味とか、それに類する語である「宮」の字義が先行。そして、桓武天皇から薬子の変までの概略。その後、内裏と大内裏の仕組みのお話へと移った。でも、時間がない。所さんのお話を聴いてて、一番、新鮮なお話。そんなの聴いてどうするのと言う人がいるかもしれんけど、天皇祭祀に、とっても詳しい。平安時代の祭式ばかりか、その後の変化、それが、現代の天皇家の司式に至るまで、言えない話も、いっぱい持ってるはず。だから、それと、内裏の構造が、どのように関ってるか、これだよ、あなたしかと言っていいくらい、聴ける人はいないかもしれない分野。なのに、時間がないので、よく判らない内に終わってしまったな。その一端は見せてもらえてはいたんだけど、そんなものじゃないでしょと突っ込んでしまいました。そんなで、もう所さんが講師となる回はやんぺにすることは、間違いないですね。
 終了後、しばし、弟とお喋りして、お別れ。昼飯を誘ったんだけど、乗ってはくれず、一人で、近くの韓国料理屋でお昼。今日はテンジャンチゲ定食。日本では、「定食」が付いてないと、ご飯もパンチャンも出てこない。テンジャンチゲに、芋が入ってたり、エノキが入ってるのは経験済だけど、油揚げが入ってたのには驚いたけど、濃いめの味噌味、たまんないねぇ。前回、このお店でキムチチゲを食べたとき、カツオ出汁を入れていたという特徴があったけれど、今回は入ってなかった。その方が好きなため、正に、このテンジャンチゲは、グッジョブと言いたくなる美味。一人飯でもいけるメニューが、まだまだあるので、ここで、一通り、いろんなもの食べることを目指そうと思っています。
 そして、そこから歩いて20分弱、京都府庁の西方向にある中信美術館へ。2度目となります。先日、京都国立近代美術館に行った際、こちらの新たな企画展を知らせるポスターが目に入り、アスニー京都から歩いて行ける距離なものだから、行くことにしたのでした。前回は、「石本正」という、明確な目標があったのですが、今回の企画展は「京都中央信用金庫所蔵品展 風水に涼む」というもの。「涼」を掲げた展覧会が、これで、2連発になってしまいました。ただ、狭い美術館で、同時に「坪井明日香作品収蔵記念特別展示」もありで、一瞬、こちらも「涼」なのかと思ってはみたけれど、どう見ても、そうとは見えない陶器の作品でした。知っている作家さんは1人だけ、池田遙邨。京都国立近代美術館のコレクション展でも、池田遙邨ものをたくさん観てきたところ。続くものです。こちらでは1点、「滝」という作品。遠目から見ると、長く落ちる滝が、あまりに直線すぎるので、目をしかめながら近づいていくと、周りの岩々が、くすんだ色で区分けされたように描かれている。決してリアリティのあるものではない。真ん中中央の岩の上に鹿が1頭、とってもあどけない顔。それを確かめて、1、2歩下がると、滝の流れる勢いが見えてきました。力強い流れでした。勢いを感じました。直線的過ぎると言ってたのにと、思わず思ってしまったけれど、背後の岩々に対しては、この直線でないと、この勢い、流れが出ないと思ってしまったなぁ、作家の腕の凄さを認識してしまってました。他の作家さんは知らない人ばかりだけど、解説板を読んでいると、いずれ劣らぬ大家ばかり。いい勉強させていただきました。池田作品の反対側には、國府克作品が3点、風景画ばかりで、中国の漓江(りこう)、富士山、ガンジス。黄紺的には、漓江かな。わざと、横幅いっぱいに、あの桂林の山の風景を描き、川にせり出して描く技ありの逸品と思いました。その横にあった関主税の「山湖」の淡さが好対照。この2つが並んでることで、引き立て合う効果がありますね。この部屋の上の階に、坪井明日香作品が展示。富本憲吉門下の作家さんで、調べてみると、現在の京セラ美術館で、この人の名を冠した展覧会が行われていた。目に付いたのは2点、1つは、この人、タモリみたいに地層好き。地層のモチーフが出てくるのが可笑しいと言うか、おもしろい。それと、もう1つ、布という、陶器とは相容れそうもないものを陶器で作っている。これもおもしろいけど、そこで気が付いた。地層と布って似てるよね。ぐにゃぐにゃ繋がりで。そんなのを、陶器で表現しようとは、ユニークな方です。2階のもう一つの展示室で、一番「涼」を感じたのは、木村秀樹の「Grid ´07 8-12」というアート系の作品。細かな格子戸の上から水を垂らし続けているという風情だもの、当然だわね。そういった意味じゃないと思う作品だろうけれど、でも、ここに展示しているということは、キュレーターさんは、黄紺と同じことを考えた? 気に入った作品は、「涼」を感じるのか、微妙な感じはしたけど、微妙というのは、感じれる絵でもあると思ったから。それは、野々内良樹の「常鶲(じょうびたき)」。常鶲とは、調べてみて鳥の名だと知った。その常鶲が2羽、俯瞰した位置から、その傍らにある葉っぱとともに描いてあった。すると、常鶲の周りは、地面になるかと思うのだけど、全面緑一色という作品。描く素材を、画面の上半分に寄せるようにしてあるというのが、風の通り道に思えるときがあった、観ていて。なるほど、「涼」かと、、、。こうやって、いろいろと想像力を巡らすのが、ホント、楽しい。日本画って、やっぱ感性が近いんじゃないかと思うけど、時間の経過で判らなくなっているところもあるかと思う。ひょっとすると、近いどころじゃないかもしれないしね。こういった怪しい状況で、いろいろと想像力を巡らすことこそ、怪しいかもしれないけどね。なんか、西洋絵画と違う目で見ているような実感はあるね。この辺、もっと深めることができればいいんだけど、なかなかムズイことなんでしょうな。


2023年 8月 3日(木)午後 9時 12分

 今日は、休息の木曜日。お出かけなしにして、この間、たまっていたトルコ情報で読めていなかったものを読むことに。久しぶりにコロナに関する署名記事が出ていた。ワクチンに関する陰謀論を振り返り、それを論駁する専門家の言葉を並べるというもの。今まで、何度か繰り返されてきたものだけど、この時期に、この記事が出るのはなぜかが、気になってしまった。その前日には、コロナの全変異株に有効な抗体が見つかったというものが出ていたが、「?」のまま読んでしまったけれど、この2つが続いたことから、感染者が増えてるのかなとか、そんなことを考えてしまった。サッカーでは、ヨーロッパのカップ戦が始まってるので、それも追いかけている。ま、いつものことだけど。移籍市場が閉じる寸前に、また、移籍選手が揃うことになるので、こちらは、様子見。フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュの3クラブに関しては、東スポ・大スポ的記事が多すぎる。フェイクなのか、アドバルーンぶち上げなのか、鬱陶しい、はっきり言って。そう思って、のんびりしていると、その中に本当が混じってるから、厄介。トラブゾン・スポルの補強情報となると、かなり正確。噂が出た段階で、かなり真剣交渉に入っていると考えていい。こういったことは経験知というやつです。
 お出かけなしということで、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。昼前のウォーキングは、ごく順調。身体も軽かった。ゆっくりと読書もできたしと、満足のウォーキング。でも、万歩計を見て、びっくりした。9400歩にもなっていた。今の自分にはやり過ぎ感、満載。しかも、この気温でだ。案の定、昼食後、PCの前で寝落ちしてしまった。そこで、ベッドに横になれば良かったのだけど、その教訓が生かせず、そのまま、PCの前に座り直し、トルコ情報を読んだ。そして、夕方のウォーキング。歩き出しても、何か、おかしい。身体が、前へ進む感じがしない。重い。一応、頭に、ウォーキングのコースを入れてあったが、そのコースを思い浮かべ、そのときに自分のいる位置を思い描くと、嫌~な感じがした。そんな歩けるかいと、自分に突っ込んでるようだった。気持ちも前を向いていない、これは、ダメと判断。歩いている先に公園があったので、そこまでは歩き、あとは、ベンチに座り、スマホいじり&読書をすることにした。結果、それが良かったようだ。やっぱ、ごく軽い熱中症だったかもと思っている。昼前のウォーキングから戻って来てから、やっぱ、変だったのねと思った。でも、夕方なんで、木陰のベンチで寛いでいると、歩くことを止めたときの、軽い不快感も消えた。だから、そのまま引き返すのではなく、少し大回りをして帰ることにした。もう、この時点では、先ほどまでの、気が進まないという感じでもなく、身体も、前へ進む感じがした。だから、それで正解だったのでしょう。ちょっとした不調を感じたら、休むことだね。今日は、それができた! エライ!


2023年 8月 3日(木)午前 7時 45分

 昨日も、朝からお出かけ。そして、もう1軒、回った。そして、帰りに、ちょっと迂回してマートに寄った。本人は、ウォーキングも兼ねてのつもりだったが、炎天下のなか、歩くのは危険でした。家に帰ると、ぐったり、Radikoで、まだ聴いていなかった「吉の丞のおつかれさん」を聴いたけど、途中で居眠り。これはいけないと、ベッドに横になった。とっても楽だった。熱中症ではないと思うけれど、ダウンをしたことは間違いない。来週、大丈夫かと、またぞろ、不安になってきている。
 朝のお出かけ先はアスニー山科。昨日は、「お触書にみる江戸時代の京都―天明・寛政期を中心に―というお題で、関西大学文学部教授小倉宗さんのお話を聴くことができた。昨年も来られているからでしょうか、また、お題が人気を呼んだのでしょうか。予定時刻前に開場があったようで、いつもの時間に行くと、人出が違いました。去年も聴いたよなと、聴き出してから思い出したのですが、「お触書とは?」からスタート。そのためには、江戸幕府の京都統治の仕組みから始まったものですから、結局、その時間が長く、用意されていた、肝心のお触書の内容については、えらくはしょったものとなりました。そうそう、行政の仕組みと同時に、大事なのが、「天明・寛政期」について。「天明」は、飢饉だの、大火で聴く元号、「寛政」は、「寛政の改革」で習った元号。1780年代、1790年代と思えばいいそうだ。そして、改元の動機が大火。その時期のお触書を扱おうということだから、大火の様相も触れられた。宮川町の空き家から出火したのが発端、それが、京を焼き尽くした。鴨川を越えて飛び火したそうだ。風のせいだと言われていた。市街図と大火の被災地を重ねた地図を見せてもらったけど、これはあかん。全滅とまでは言わないけれど、それに近い。飛び火は、もう1回している。もう1回、鴨川を越えていた。逆に吹いたわけだ。宮川町周辺は、四条から五条の間しか燃えてないのに。そんなだから、御所も二条城も焼けた。天皇も公家も被災、避難。その避難場所の話もされていた。話が拡がるのは楽しいが、焦点がぼやけて行く。だけど、ここで、いいこと、教えてもらった。前から気になっていた、聖護院に御所があったというトピック。聖護院前の説明版に、確か書いてあったはず。それが、判った。2年間、仮御所になってたそうだ。ついでに、話が拡がり、門跡寺院の詳細も解った。聖護院や青蓮院(ここも皇族の避難場所の1つ)が格が高いわけも教えてもらえた。肝心のお触書は、高札を思い浮かべてはダメで、今の回覧板に相当するもの。それが、京都の旧家から大量に出てきており、それを、全て、活字に興されてるそうだ。この話も、去年聴いている。で、ようやく史料を読むお時間に。「京都の出火が、東北の飢饉などと並べて、大災害だと述べている」「御所や二条城の瓦礫処理に人足の提供を求める、年貢の石高に応じて人数が割り当てられている」「各皇族の避難場所を記したもの」「松平定信自らが、再建のため二条城入りしている」「皇族の避難場所を吉田山から覗き見する輩がいるので、吉田山入山禁止」「禁裏の棟上げ式のときに、庶民に餅まきをしている(皇族と庶民の距離が近い)」「節分時には、御所の内侍所への参詣可」「(同じく)仮御所だった聖護院への参詣可」。後半は、天皇と庶民の距離が明治以後とは異なる、おもしろい史料を見せていただくことができた。時間配分は無茶苦茶だったけれど、横道話も、それなりにおもしろく、肝心のお触書も、おもろいものをピックアップしていただいてたもので、こちらも、おもしろく聴かせていただいた講演会でした。いつか、この先生で、連続3週間くらい講演会組むと、話す方も、聴く方も、安心できるのじゃないかな?
 講演終了後、地下鉄で東山三条まで移動。近くの気になっていたネパール料理屋で昼食。1週間で2度目となるネパール料理となった。手ごろで、美味しくて、お腹は十分となる、結構なことです。で、行き先は細見美術館。今、こちらで「琳派の扇絵と涼の美」という展覧会が開かれているのです。いきなり、俵屋宗達や本阿弥光悦ものが出て来たが、いずれも、劣化が進み、何が描いてあるのかが、よく判らない。だから、同じ並びにある鈴木其一の「桜花返咲図扇面」が、やたら優れものに見えた。返咲は秋を指すようで、お互いにそっぽを向いてる、紅葉と桜という構図。相互に凛としていると思わせるのは、さすがだ。背後に「扇面貼交屛風」が置かれているが、どうも、これらの作品にそそられない。1つ1つの扇絵を観ると、さほどそそられないからだ。 そんなのを一緒にすると見栄えがするという考えが潜んでるというのは穿った見方か? この「扇面貼交屛風」には、酒井抱一や中村芳中のものが並んでいた。大家に対し、失礼なことを書いてしまった。扇図は、なかなか難しい。団扇にしてもそうだ。キャンパスに当たる扇や団扇が、独特の形をしているからだ。素材の配置、空間の使い方、扇や団扇の枠の線との組み合わせという点で、そう思える。大柄な花や葉の描写の方が得なような印象を持った。空間配置という点で、小物、線の強いものを描くのは、より難度が上がりそうな気がする。鈴木其一ですら、困ってそうな感じをしてるなと思ってしまった。そういった意味では、斎藤一蒲の「扇面貼交屛風」だったかなぁ、逆手に取った扇の絵があった。その枠の線を強烈にアピールしながら描いてるものだった。鳥やせせらぎというものが、素材になってたけれど、でも、一方でやり過ぎ感が出てしまうから、余計に難儀なジャンルだと思った。そういった作品が並ぶなか、中野其玉の「元禄踊図押絵貼屛風」が、押絵ということからでしょうか、扇の枠に制約を受けない作品が展示されていたため、何か、拘束から解き離れた感じ。とっても、リズムを感じ、開放感が、一層、高まっていた。お題に、「涼の美」と入っているのは、後半、扇に捉われないで、でも、扇繋がりでの作品展示となっていた。作品の狭間を埋めると言うと、大家に失礼だけど、神坂雪佳の小ぶりの作品が、幾つも展示されていたのは有難かった。その中で、目が行くのが、鈴木其一の「糸瓜に朝顔図」。画面中央に大きな糸瓜がぶら下がる。その傍らを、ひゅるひゅると伸びる朝顔、凄いこと考えます。糸瓜が大きくて、若干、引いてしまうところも無きにしも非ずだけど。喜多川相説「秋草図屛風」だったんだろうか、しっかりとメモを取っていなかったので、違うかもしれないが、山本光一の「四季草花図屛風」だったかもしれない、とにかく、草花を描いた屏風だったんだけど、白い、細かな花が、まるで、蝶々が飛ぶように細かく描かれている作品に目が行った。もう1つ、大きな屏風で、草花を描いた作品も印象に残ったんだけど、思い出せない。左端にあった水仙が目立ったのが印象的だったんだけどな。でも、これないとどうなるか、いや、要るのかななんて考えながら観ていた。酒井抱一や鈴木其一が、これだけ多く観ると、逆に印象が遠ざかってしまう。神坂雪佳もそうだったな。どうも、記憶があやしい、やはり、作品リストを入口でもらい、それに、あとで見て判るメモを書いておかないと、こうやってメモることもできない。せっかくのものを観て、書いておかないと記憶の彼方に行くのが嫌なんで、こうやってメモるのだけど、それもできないというのは、なんか、悲しいね。その瞬間、楽しんでるだけになるもんね。


2023年 8月 2日(水)午前 8時 1分

 昨日は、朝からバタバタ。洗濯日だったこともあり、それを終えると、その足で、三条まで出かけ、京都文化博物館に行った。太陽の照り付けが、ホント、えげつない。その中を歩く観光客の皆さん。ご苦労さんだなと、いつも思ってしまう。「かに道楽」のメニューを眺める観光客、上には、巨大なカニ、こんな風景、どのように映っているのでしょうね。既に、オンラインでチケットを買ってあったが、次回の特別展も、おもしろそうなんで、同じようにしてチケットを買おうとすると、買えないので、窓口で前売券を買うついでに尋ねてみた。今回の特別展は、「関西テレビが入ってるからだと思います」とのお答え。博物館独自の方法じゃないことが判った。前売券は、相変らずの手売りで、しかも、現金のみというアナログさ。国立も京都市立もオンライン販売しているというのに、京都府は遅れとる。そう言えば、例の腹立たしい件も、府の対応だけが、国や市と違ったことが思い出され、また、腹が立った。けど、文化博物館の窓口の方、いつも、いい感じ。応対してもらう度に、前もそうだったことを思い出す。丁寧、穏やか、言い過ぎない、、、。
 京都文化博物館では、今、「発掘された珠玉の名品 少女たち —夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより」が行われている。日本語のお題は「少女たち」だが、英語のお題は「Women」となっていた。観終わって、英語の方が、親切なお題だと思った。そういった意味で、若干、看板通りではない。それは、半ばまで疑いを持たなかったが、秦テルヲの作品が出てきたり、なんと、先日、TVで再会したばかりの、甲斐荘楠音の「畜生塚の女」が出るに至っては、「少女たち」は、難しかろうと思ったのだ。TVと言えば、同じ番組で、星野画廊のご主人も観たところだ。展示の章立ては、次のようになっていた。①明治の少女たち②四季のうつろいの中で③大正の個性派画家たち④歴史画に見る少女たち⑤夢見る少女たち⑥慈しむ母として⑦モダンガールズ⑧日仏画家の競艶。章立ても、異なったカテゴリー分けが並立してあったり、「少女たち」と銘打たれていても、無理やろという突っ込みが要るものがあったりで、ま、1つの目安かと思いながら、途中から見ると、それはそれで役に立つというもの。そして、冒頭の挨拶文の中にあったが、超有名な作家は出てこない。そういう風には書いてあったが、そうでもないのだけど、120点余の作品の多くは、確かにそうじゃないかも。キュレーターさんが、ご丁寧に、全作品にコメント、新たな作家さんが出てくると、作家さんのプロフィールも用意してくれてた。おかげで、全行程を終えるのに、2時間半はかかってしまったが、それを読んでいて、共通して認められること。知らない作家さんが出てくるが、その人が、誰に付いて学んだか、師匠に当たる作家さんでは判らない人はいなかったと思う。それだけ、黄紺も知る人の弟子筋に当たる人ばかりだった。だから、決して知られていないというわけではない作家さんたち、但し、中には。作者不明だったり、名前は判っていても、その人のプロフィールは判然としていないというものも、結構、あったんじゃないかな。さすが、作品優先、目利きの星野画廊だけはあるということでしょう。だから、こういった展覧会がある。印象に残ったことをメモっておきます。冒頭、岡本神草の「拳の舞妓」が特別扱い。甲斐荘の作品かと思わせる雰囲気の舞妓。この絵の再生に至る物語に星野画廊が関わったこともあり、この扱い。納得でした。①で目立ったのは、笠木治郎吉の作品。ノスタルジーを誘う作品、どこかで観たぞと思い、狙いを定めて調べると、ドンピシャだった。2年前、京都国立近代美術館であった「発見された日本の風景 美しかりし明治への旅」展のポスターに使われていたのが、この人の作品だった。教科書にも載せても良かろうかという事細かな表現。②には、北野恒富があった。「初姿」という小ぶりの作品だ。各所で観ることのできる、林司馬や岡本大更も出てくるが、いまいち、思い出すことができない。木村斯光もあった。そういった名の知れた作家と違い、セミプロ的なプロフィール紹介をされていた平山成翠の「憶い」が気になった。遠景の風景はいいとして、その方向を向いた背中に、何か語り掛けているようなリアリティがあったからだと思う。③に、秦テルヲがあり、甲斐荘の作品があった。中でも、秦テルヲの「渕に佇めば」は、この展覧会一番の作品じゃないかな。緊張感が凄まじい。④には、久保田米僊が3点あった。中でも、「静法楽舞」が印象に残る。静御前の舞を描いてるわけだが、デッサン力が素晴らしい。演能風景を描いているようで、身体つきは、かっしりしているが、それを制するかのような気品に溢れている。「紫式部之図」は、観ている者と紫式部の距離が、かなり遠い。執筆への没頭を表しているのかと、勝手な妄想を膨らましていました。⑤、野口謙蔵に霜鳥之彦が、ここに入っていた。でも、関心は、野田英夫と谷出孝子。この2人、カテゴリーを越えても登場する。前者は、若干30歳で亡くなっているということから、後者は、黒田重太郎の縁戚の男性を結婚・離婚の経験を持っているからという、あんまし作品とは関係ないところで、興味津々。⑥のお題となると、最早「少女たち」は苦しい。秦テルヲの仏教画の如き、母子像に目が行く。家族を持ち、子どもを持つようになり、作風が一変したんだって。そうなる前の作品のとんがった印象と比べられる展示は、グッジョブです。⑦の冒頭に、粥川伸二「娘」、このコーナーを象徴するかのような、凛とした女性。ここに入ってた下村良之介、この人の作品も、京都国立近代美術館のコレクション展で観ているはず。でも、この作品は、漫画を観ている雰囲気。中村善種の「街路樹の中の女」が、なかなか秀逸。建物と道路という境界に、どこの女性か、名付けられない人物の介入が観られる不思議な作品。世間と一体化しているようで、そうでもない、女性の内面を表しているのか、社会的な地位を表しているのか、展示品一番の問題作じゃないかなぁ。中西利雄の「赤いスカーフ」も印象的。モダンを絵に描いたような赤のインパクトが大きい。⑧では、ポスターを見るたびに目が行っていた太田喜二郎「花摘図」。点描の作品で、印象派真っただ中というもの、このコーナー立ての存在が判り、ようやく納得できました。それ以外では、引っ掛かるものがなく、流してしまった。ここにも、霜鳥之彦ものが1つ、そか、この人のキャリアだと、このコーナーに入るわなと思った程度の印象で、冷たい対応。もっとメモを残したけれど、こちらの能力の限界が来たので、この辺にしておく。かなり、腰に来ていて、疲労困憊。そのまま、真っすぐ帰宅。横になれば、そのまま寝てしまいそうな雰囲気だった。別に我慢したわけじゃなかったが、「まーぶる」を聴いていたら、そのままになってしまった。昨日も、東京のスタジオからの出演だった。夜に、武蔵小杉で独演会を控えていると言ってた。相変わらず、凄い、走り回ってる。東京にも自宅を構えるようになったようです。秋の神戸での会が「凱旋」となってたほど、東京にシフトしてしまってます。


2023年 7月 31日(月)午後 10時 19分

 今日は、お出かけなしの月曜日。となると、お楽しみは、夜のYoutube生配信だけ。もちろん、米朝事務所チャンネルのもの。あとは、ルーティンにしている日に2回のウォーキング。このように書けるの、久しぶりでしょう。まともに、そういった書き方をしても許される、かつての日常が戻ってきました。相変わらず、朝方は股関節が痛むが、これも、かなり和らいでいる。朝のウォーキングに出かけるときが、一番、厄介。薬の関係があるのでしょうね、一番、薬が切れる時間帯に当たるのでしょう。ここだけは、どうしようもない。でも、日により違うが、10分くらい歩けば、痛みを忘れて歩ける。この繰り返しなものだから、このままずっと投薬を続けねばならないのか、それが気になる。今日の万歩計は「16.270」を指している。しかも、ベッドに倒れ込んでいない。但し、昼食後や、ウォーキングのときの休憩&読書では、居眠りをしてしまってるけど、これも、大したものだ。先日まで、ベッドで休息をとるのが当たり前だったのと比べると、大したものとなる。
 午後の一時は、福岡県旅行の資料を印刷する時間に充てた。スマホにもしものことがあると、国の内外問わず、お手上げだろうと、ホテルや鉄道、今回だと、映画やコンサートにも行くので、そういったことの資料も用意した。スマホが元気なら、かばんの中に眠ってることが多いけど。咄嗟に調べ物をするときは、紙の方に頼るんじゃないかな。だって、そこを観れば、あることが判ってんだから。かばんの中は、必要なものを出したあと、マレーシア旅行から帰ったそのまんま。いつものことだけど、今回ばかりは、そのかばんの中を見るために、僅かに腰をかがめるのすらできなかったから、放置は、そういった意味で致し方なかった。かばんの中身を替える際に、しなければならないこと、外国帰りのときだけど、外国通貨の勘定。入れ替えるときは、新たに入れる通貨の勘定、確認して、袋にメモってる数字に間違いないか、ここで、もう1度、チェックを入れる。でも、今回は国内旅行だから、マレーシアのリギッドだけの勘定。予想をしたことだったけど、袋に書いてある数字より増えていた。クアラルンプルで、2回、両替した途端、現金の出方が減ってしまった。それだけじゃなくて、自分の傾向として、現金が手元にないと不安が出る。よく、旅系Youtuberの動画を観ていると、「残ってたお金を使い切りました」とか、「あと、これだけ残ってるので、ジュースでも買います」なんて物言いが出てくる。そのたびに「信じられな~い」が出てしまう。そういったYoutuber氏は、お金をうまく使い切った、これだけしか残っていない、それをアピールしてんだけど、それができないのです。だから、残る。「また、来るから」という気持ちがあったけど、今となっては、そういった機会もないに等しいから、ま、息子への遺産と考えることにしようと思ってます。タイ・バーツもシンガポール・ドル、いえいえ、韓国ウォンなんか、すっごいある。行けばいいんだけど、行くと、また増やしてしまうかもしれんね。


2023年 7月 31日(月)午前 7時 16分

 昨日は、相変らずの猛暑の日曜日。朝からは、日曜日定番の「日曜美術館」を観て、午後には美術館に行き、夜は、先週観ることができなかった「日曜美術館」の再放送を観て、それに続いて、桂二葉がMCを務める文楽の番組を観て、それと被るYoutubeの生配信を半ばから視聴してなんて、計画を立てていた。午後9時までは、その通りに進んだけど、そのあとがいけなかった。NHKプラスは、文楽はNGなんかなぁ、それとも、二葉も含めて、出演者の誰かがNGなのか、流れなかった。そして、Youtubeの時間になった。 そんな時間の流れだったので、「日曜美術館」を観ながら、晩酌をしたため、ここで沈没。こちらも、序盤しか視聴できなかった。なんか、消化不良やわぁ。
 「日曜美術館」の新作は、なんと、「妖しく、斬新に、そして自由に 大正画壇の異才・甲斐荘楠音」というお題。今、東京ステーションギャラリーで、京都国立近代美術館であった展覧会が巡回開催されているのに合わせての放送でした。現場に、MCのお二人と、この展示を企画されたなんちゃらさんに加えて、なんと、森村泰昌が加わった。やっぱ、言葉が鋭い、いい言葉が出てくる。それだけではなく、甲斐荘の作品を使い、セルフポートレートを公開するという、めっちゃお得な回となった。もちろん、会場でのロケだけではなく、いつものように、それに被せて、甲斐荘の経歴が触れられるだけではなく、時代劇の衣装コーナーでは、北大路欣也までも登場。自身も、その衣装のお世話になった思い出とともに、幼い頃、父親市川右太衛門と甲斐荘が打ち合わせをしていたときの思い出も語ってくれてました。かなりの神回と言っていいんじゃないでしょうか。取り上げられた作品をメモっておきます。①横櫛(顔が気になる、メイクがモダン、目の周り、目に星を入れる、“美人画の新しい境地”と村上華岳が評価)②桂川の場へ③毛抜き(毛抜きでひげを抜く。自画像のよう)④秋心⑤幻覚(踊る女)(燃え上がるような赤)⑥島原の女(京の女)(含みのある笑み、手には簪、着物に桜の柄、リアルで幻想的、森村泰昌が成りきったのがこの作品、森村曰く「揺らぎ」をテーマにした作品と感じた)⑦春宵(花びら)(森村曰く「暴走している、ドラッグクィーン、リアルさを超えている、“島原の女”以上に暴走している」)⑧女と風船(土田麦僊により“穢い絵”と言われ展覧会への出品を拒否される)⑨裸婦(ヌードモデルの写真を基にリアルに描く、星野画廊主人「女性ヌードのスケッチ、形を捉えて内面を描く、匂いまで出す」⑩籐椅子に凭れる⑪白百合と女⑫春(屏風絵、明るい、華やか、怪しさはない、西洋画のリアル、森村曰く「にくたらしい絵、屏風絵に屏風絵を描いている、顔は甲斐庄、自身で演じている」)⑬時代劇衣装⑭畜生塚(嘆く21人の女性、未完、回顧展で展示、ピエタ像やマリア像など西洋絵画のモチーフで彩られている、森村曰く「ざわめきの美学、違ったものがこすれあう、不快な音ではなくざわついている」)。
 午後に出かけた美術館は京都国立近代美術館。こちらの企画展ではなく、「令和5年度 第2回コレクション展」に行ってきた。今、「走泥社」が企画展で取り上げられている関係で、それに合わせて、こちらのコンセプトも前衛がテーマ。富本憲吉、北脇昇以外は知らかなかった作家さんばっかり。ほぼ「ふーん」といった感じで通り過ぎてしまってたけれど、最後に関東大震災100年いうことで、池田遙邨の連作スケッチ《大正12年9月関東大震災》が展示されていた。前後期に分けてだが、手持ちの156点全てを公開するそうだ。通り過ぎた感のある箇所は、「①西洋近代美術作品選」では、ミロが取り上げられ、ほぼ観た記憶のない彫刻作品が1点展示されていた。「②歴程美術協会からパンリアル、そしてパンリアル美術協会へ」、「パンリアル」というタームは聴いたことがある。「汎リアル」だったということ、初めて知りました。いきなり展示されていた山崎隆「風景(戦地の印象)」が強烈な印象、今回の展示で最高のインパクト。水墨画だよねと、何度も 目をこらしてしまってた。荒々しい墨の筆致の表す荒涼感にそそられてしまってました。こういった風なんだと、気になったものだから、同じ山崎作品を眺めたが、タッチが、この絵とは違った。リアルすぎたり、抽象が進み過ぎてたりと、こういった頃合いの作品には出逢うことはなかった。山岡良文の作品名に2つ、「シュパンヌンク」という題の付いたものがあった。「Spannung」だよねと、アルファベット表記を確かめると、そうだった。「緊張」というよりか、対峙するように、ぱっと見、コラージュのように見えるが、その色合いが、ミロ的なものだから、「Spannung?」となってしまってた。そうなんですよ、この②で観た作品、全てとまで言うと、言い過ぎかもしれないけど、〇〇的作品と感じてしまったのは、うがち過ぎ? 「③フラジャイル:修復、治癒、再生」は「???」の世界。アートのお部屋です。竹村京の「修復された」シリーズは、一番の「???」でした。壊れた小物を、半透明の紙に包んであるというものが、幾つも並んでるんだもの。「④染織の前衛 1960年代の志村光広、中野光雄、麻田脩二、田島征彦」と「⑤戦後の工芸団体―新匠工芸会」「⑥日本洋画の“前衛”の頃」という3つのコーナーが、同じ部屋に展開。ここに富本憲吉の北脇昇もあった。伊砂利彦が、ドビュッシーの作品をお題とした型染の作品を作っていたのが気になった。「“前奏曲Ⅱ”のイメージより2. 枯葉」の達者さより、「1. 霧」に惹かれてしまった。型紙を使い、どうして、このもやもや感を出せるのかが気になったからだと思う。北脇作品は、なぜだか「眠られぬ夜のために」を思い出したが、それは、色合いがそっくりだったから。あの大きさが欲しいと思った。がために、不思議感が感じられそうでダメだった。最後に、池田遙邨作品が始まる傍らに、なぜか「⑦開館60周年企画“拝啓、きょうきんび”」と題したコーナーがあり、藤田嗣治作品が3点、「横たわる裸婦」「メキシコに於けるマドレーヌ」「タピスリーの裸婦」があった。この3点では、「横たわる裸婦」の眩しさ、光に吸い寄せられてしまってました。次に観る機会があれば、「タピスリーの裸婦」かもしれないけれど。池田遙邨の連作は、震災直後のほぼ東京をスケッチしたもの。今の報道写真のようだ。なじみのある場所が、次から次へと出てくるが、ほぼ荒れ野だった。だから、どれも似た絵が並ぶ。その不気味さが、震災の恐怖を伝えています。残り半分が展示される後期も行くことにします。
 「日曜美術館」の再放送は、「永遠なるサグラダ・ファミリア 〜“神の建築家”アントニ・ガウディ〜」というお題に、びっくり。現地ロケで、建築が進むサクラダ・ファミリアの現状レポート番組かと、勝手に想像したら、その部分もないわけではなかったが、これは、今、東京国立近代美術館での展示に合わせてのものでした。会場に、MCのお二人に、解説者+常盤貴子が鑑賞しながら、それに、ガウディの経歴、現地のロケを被せるというものでした。サクラダ・ファミリアの進行と同時並行的に、ガウディが設計した幾つもの建築物を見せてもらえたのが収穫だが、サクラダ・ファミリアのあの形を編み出した力学的証明のような「垂らした縄」を鏡に映す展示が秀逸。それと、常盤貴子もおばさんになるということが判ったのが収穫だったな。ちょうど、いい晩酌の友になる番組でした。甲斐荘の番組では、聞き逃したくないとメモを取ったけれど、ガウディは眺めてられる不思議、でした。


2023年 7月 30日(日)午前 6時 24分

 昨日は、久しぶりに、大阪での落語会に行く計画をしていた。桂千朝の会が、太融寺であるということで、以前からマークしてあった。ところが、先日、アスニー京都に行ったとき、1枚の貼り紙を見つけてしまった。迷った。迷ったときは、迷う内容で判断するのではなく、違う要素を放り込んで考えるという自分内ルールを適用。距離、交通費、イベントに支払う金額で判断すると、あっさりと落語は却下。京都だし、交通費は安いし、そして、無料のイベントだったから。それは、同志社大学人文研主催の第107回公開講演会「東南アジアの山の民・海の民・街の民―小規模生産者たちがつくる経済と社会―」。同志社に人文研があるのも知らなかったし、こういった公開講演会があるのも、もちろん知らなかった。また、テーマが良かったのが、落語会と迷ったというわけだった。そのプログラムは、次のようなものでした。①講演「インドネシア・カリマンタンの野に生きる:小農たちの栽培作目の選択」(林田秀樹/同志社大学人文科学研究所教授)②講演「太平洋のフロンティア世界を生きる:サンゴ礁のマルチな漁法」(赤嶺淳/一橋大学大学院社会学研究科教授)③講演「デジタルで生きる街の民:タイのeコマースのいま」(中井教雄/広島修道大学商学部教授)④討論(講演者、モデレーター:大泉啓一郎/亜細亜大学アジア研究所教授)。①では、前半、東南アジア諸国の産業構造の変化を取り上げられていた。GDPで観ると、第1次産業は、明らかに右肩下がり。既に、第1次産業は主力産業ではないどころではないほど低い。それに対して、その下がり方は、産業従事者数で観てみると、やや緩慢というところ。東南アジアが、世界経済を牽引するとまで言われるほど、第2次産業、第3次産業の勢いは上がっているのが、こういった形で現れていることを示すとともに、実態を見せてもらった。そのことに時間を割かれたため、肝心の本題、パーム油生産農家がお留守になり、すっ飛ばされるものだから、何をしたいのかが、よく判らなくなってしまった。フィールドが、インドネシア側のカリマンタン。マレーシアと並ぶパーム油の世界的な生産地。インドネシアは知らないが、マレーシアで、クアラルンプルから北方に向かう高速を走っていると、アブラヤシばっかという風景を見ている身には、大農場経営の商品作物作りとしか見えてなかったが、インドネシアのそれとしてお話をされたのは、「小農たち」とある。この辺の経営の実態を知りたかったが、それはなかった。④で、林田さんは、25h以下でという条件でアフラヤシ畑を作れるようになっていると言われてたが、それが「小農」?と思ったが、その辺は、断りはなかった。外国人労働者が、ここにも入ってるのかと思ったが、「インドネシアは、出す方」とばっさり。だと、そんなに広い土地、どのように経営しているのか、ますます気になってしまった。飛ばしに飛ばされたお話で、これが言いたかったのかと思ったのは、中国という大消費地を目指していたが、生産過剰になり、アブラヤシ畑の経営が行き詰まっている。しかも、アブラヤシの寿命が尽きてきて、植え替えの時期に来ている。そんなことわかってるやん、計画的にしてないのかよと思ってしまったけれど、それも困った要素。そこで、「小農たち」の工夫して、なんとか現金収入を得ようとしている工夫を、この講演では見せたかったみたい。都市近郊で、果物栽培への転換が出ているそうだ。「小農たち」が、自分たちだけで、経営ができてれば、コロナ禍で儲かってるはずだよね。供給減で、価格の高騰があったからね。マレーシアは、外国人労働者を当てにしているはずだから、出荷が捗々しくなかったはずだから、チャンスのはずなのにと思ってしまったのだけど、そんなトピックは出なかった。なんか、ピントがぼやけたような報告だった。②は、序盤、「エビと日本人」を紹介されたり、「ウォレス線」のトピックが出てきたり、サンゴ礁の特徴を話されたりと、随分と回り道。落語のマクラじゃないんだから、そんなに、これから話そうとする、南の海の雰囲気を伝えてくれなくともいいのにと、突っ込みたくなる展開。ようやく、本題の「マシン島」に到達。フィリピン領だけど、マレーシア領海との際にあり、問題の南沙諸島に近いところ。ここでの海の民の漁業が、お話の主題だった。あれれと、ここまでの流れで思ってたため、こちらの集中力を欠いてしまった。中国という大消費地を控えて出荷される乾燥ナマコのための漁や、これも、中国目当てのハタ漁の紹介だと言えばいいのかな。漁の制約がありながらも、中国市場が頼りの漁業、①にも中国の影がチラついたが、こちらはまともに出て来た。そして、終盤は、中国の市場風景、魚の食し方へと、話はトラヴァーユ、、、!? ③は、一転、コロナ禍を契機に変換を見せたタイ企業のIT化の進行の実態を、ファッション業界の工夫で見せていただけた。お話の骨子は、そういった風にまとめることは、あっさりとできるのだが、その具体的な内容は、IT技術の詳細を追いかけてるわけでない身には、半ばから、完全に頭が付いて行かなくなった。ましてや、流通のディテールなんて、IT化以前から解ってないものだから、イマジネーションが働かないという具合で、かなりどころではないお手上げ状態だったけれど、東南アジアの流通の詳細を研究してる人がいるということ自体が驚きだった。そう感じること自体が、もう時代遅れなんでしょうね。タイのスクンビット辺りは行ったことがないけど、YouTuber氏のおかげで映像で知ってるので、④で話されたことは、さもありなんだけど、難解で無理なテーマでした。①~③まで、問題の立て方はおもしろかったのだけど、限られた時間の制約のなか不十分だったり、旅番組的な内容だったり、太刀打ち不能と思える内容だったりと、考えてみたら、交わりようのないテーマを並べただけじゃないかと思ったりで、不満もあったけれど、東南アジアのこと聴けるだけで、嬉しいイベント。民博ぜみなーるに足が遠のいてしまった今、こういうの、もっとないかね。


2023年 7月 28日(金)午後 9時 46分

 今日は、予定としては、午前10時に歯医者の予約が入っていただけだった。そこで、歯医者での治療が終わったら、その足で、どこかに出かけようと思い立った。丁度、ある博物館の企画展の会期が終わりかけていたので、そこへ行くことにした。行き先は大谷大学博物館開館。昔流に言えば、「烏車」の前。今の言い方で言うと、地下鉄「北大路」駅出てすぐ。そこで、明日まで、同館20周年記念と銘打たれた「2023年度夏季企画展/賀茂の歴史と信仰」が行われているのだ。テーマは、とっても気になる。それだけだと行きたいが、展示内容を想像してみると、文献史料ばかりが並んでいる。素人には、結果だけ教えてくれればいいよという気でいる者には、敷居が高い展示だと考えていたので、ここまで行ってなかった。でも、お題が気になるものだから、行ってしまったのだけど、やっぱ、想像通りだった。江戸時代の史料中心だった。賀茂一族の系図を見せられても、勅使派遣の由緒ある神社だということを示す史料、但し、写しだったが、それを見せられても、そうなんだというか、そんなの聴いたことがある。結論だけ聴いたことあるで、おしまい。結局、賀茂一族内部の争闘ということになるのでしょうね、神社の運営に関わり起こる争い、それが、賀茂一族内部で分れた家々が争い合う。これも、それの詳細な争いを示す文献史料を見せられても、判らないだけじゃなくて、そういった争いがあり、この文献が示すように手打ちが行われた、その結論だけで十分だ、素人には。ましてや、「枕草子」や「源氏物語」に記述のある葵祭を示されても、そんなの判ってること、ましてや、江戸時代の写本で見せられても、感激はしない。ちょっとくらいあるやろと思ってた絵、ないことはなかった。江戸時代に復活する葵祭の様子を描いた屏風と、「源氏物語」の「車争い」を描いた挿絵くらいじゃなかったかな。やっぱりと呟いても、行ってしまった自分が悪いのよ。でも、1つだけいいことあった。それは、入口横に、大学の学生さんが、この展示に合わせて作った映像が楽しめた。「展示品のダイジェスト版+今年の葵祭の記録」というもの、正直、これだけ観れば十分と思った。そんなで、腰のこともあるので、足早に回り、さっさと切り上げることにした。ここで、まだ12時になっていなかった。帰りは、ロング・ディスタンスのアーバン・ウォーキングも想定していた。でないと、北大路まで出かけた意味がない。ちょっと迷ったけれど、今日は、二条駅まで歩くことにした。そして、途中、手ごろな食事をする場所があればしていくことにした。この考え方が、コロナ禍真っ最中のときとは、完全に変わった。だから、最近、こういった出かけてついでに、外食をするようになった。ちょっとした気分転換にもなるしね。ググってみた。あまり大学の近くでは食べたくなかった。食べてから歩くのが、ウォーキングのほとんどというのは避けたかったからだ。そういったなか、今出川智恵光院にカレー屋さんを見つけた。インド・ネパール料理と出てたので、日本のカレー屋チェーンじゃないことが判ったので、前まで行って、そこで判断することに。主に、大宮通を南下。今出川通近くまで行ってから、智恵光院通へと移動。角にありました。今、ネットで調べると「ビカシューマハル」という名のお店。「インド・ネパール」を掲げているけど、メニューの書き方なんかを見ると、ネパールだな。日替わりカレーの付いたランチを注文。かぼちゃカレーが美味かったな。甘い味の入ったナンも食べさせてくれる。居酒屋のようなノリの店員さんたち。こんなのも含めて、日本化した本場もののカレー屋さん。美味しくて、お値段もリーズナブル、近くに大学があるので、若い客が多かった。お昼時に、うまく潜り込め、いいもの食べさせてもらいました。そんなだから、博物館の失敗感は、すっかり帳消し。こういうお出かけ、いいね、これからもやってみましょう。ウォーキング時間は、1時間くらいでしょう。最後は、やっぱ疲労が出てしまう。暑いこともあるけど、これじゃ、福岡旅行が心配です。実際、帰宅後、またぞろ、軽い昼寝をしちゃいました。でも、これが、いい気持ち。こんなで、あっさりと1日が終わってしまった。呆気ないけど、ネパール屋さんの印象が、しっかり残る、いい日でもあったな。


2023年 7月 28日(金)午前 7時 16分

 いよいよ、欧州のカップ戦が始まった。いきなり、ガラタサライが、リトアニアのクラブと引き分けなんかしたりで、「落ちたものだ」と呟いたら、今度は、フェネルバフチェが、モルドヴァのクラブを一蹴。ホッとしているところ。この2つを追いかけて、ベシクタシュとアダナ・デミル・スポルが、この戦いに登場する。この2つの試合で、どのような結果が出るかで、今季のトルコのクラブの実力が窺える。新しく入った外国人選手を観るのも楽しみ。発掘品は登場するのか、キム・ミンジェのような選手が隠れているかもしれません。
 昨日は、相変わらず暑い一日。夜には、一昨日同様、オンライン配信での講演会参加を申し込んであった。但し、昨日は、午後7時開始ということで、さほど、他へのしわ寄せが来ないはずだったが、午前中のウォーキングを、過剰にしたため、すっかり、こっちの思惑を外してしまった。午前中だけで、ほとんど9500歩を歩いていたため、午後の一時で、YouTubeを眺めていると、座ってるのがきつい。横になると、1時間余、眠ってしまったみたい。とっても解りやすい身体です。疲れることに対し、たちまち、その補充のことを考えるようです。
 夜のオンライン配信は、「日文研×読売Bizフォーラム東京」というもの。2度ほど、お世話になったことのある講演の配信です。昨日は、「絵葉書にみる近代日本の中国表象」というお題で、劉建輝(国際日本文化研究センター教授)さんの講演があり、その後、劉さんと戦暁梅(国際日本文化研究センター教授)さんとのトークセッションがあり、最後に、井深太路(読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員)さんの司会で、オンラインで寄せられた質問に答えるという1時間半のプログラム。残念だったのは、劉さんの講演時間に比して。使用資料が多く、それを、じっくり観る時間がなく、それに伴う、それらの説明がはしょり気味だったのが惜しまれます。戦さんも、同様の趣旨で、日本近代史の研究者さんで、貴重な中国の文献史料の探査もされている様子が垣間見え、この人にも、同様の趣旨での講演をしていただきたくなるコメントを聴くことができました。日本近代の心性を、郵便絵葉書を通じて炙り出そう、しかも、そこに描かれている中国を精査して、どのように中国を観ているか、しかも、近代以後の変化する日中関係の中で、それらが、どのような変化を見せて行くか、劉さんは、幾度か言われていたけれど、ご自分の専門は日本近代、それを知るために、絵葉書に辿り着いたということで、その分析を披露していただけたようです。また、そういった絵葉書の史料的価値に目を付け、日文研が、収集に動いているそうで、収集ばかりか、アーカイブとして、順次、オンライン上で公開していっていると言います。絵葉書、もちろん、郵便制度とともに歩むものだけど、そもそもは、ドイツが発祥地だそうです。その絵葉書文化が、大衆的人気を発するきっかけは日露戦争。それで起こった絵葉書ブームに乗っかり、美人画、記念事業に関わる絵葉書などが発達する、それに伴い、日本の印刷技術の発展が著しきなったり、絵葉書をテーマにした博覧会まで登場したそうです。そこへ、文展・帝展・二科展という美術の世界も噛んでくる。出展する作品を絵葉書化するということで、多くの絵葉書が生まれたと言います。確かに、メディアの発達が未だ未だの時代では、格好の広報・宣伝活動になります。そこで、劉さんは、それらの中から、中国の表象をカテゴライズされた。どのように中国が描かれているか、そこに観る近代日本の心性となるわけです。「大正時代に観る中国趣味」という項目立てでは、「近代」達成した自信、但し、その背景には、長閑な風景の残る蔑視の感情が潜んでいる。でも、それだけではなかった、失われた「伝統」への郷愁も看て取れると言われていました。この作品が多いようですね。同時に、それは、周辺の異文化に対する関心もあったろうということでした。背後には、ツーリズムの発達で、行ける外国ということなんでしょうか。これは、谷崎や芥川の作品に現れる中国趣味と歩を一にしているとの指摘もありました。この辺も聴きたいんだけど、この講演の守備範囲じゃないということで割愛。おもしろかったのは、描かれている中国人女性の服装。清の衣装を着た「古装」、民国になり変化を示す「時装」、それと、1930年代以降現れる「旗袍・チーパオ」(所謂「チャイナドレス」、この時代に生まれたもの、伝統衣装ではない)。だから、描かれている女性の衣装で年代が判る、どの年代を描こうとしているかが判る。そして、戦争画の分析へと入られました。日清戦争時から戦争画を組織的に描かせていたようで、いろんな展覧会に行くと、時として、戦争画に出会う。TV番組でも戦争画を観ることはあっても、さすがに、戦意高揚的なものは、ほぼ流れないが、著名な画家が、戦争画を描いてきたと言う事実があり、戦後、その責任を問われた。藤田嗣治がフランスを行ってしまったのは、それが原因と聴いたことがある。軍人軍属の出す郵便は無料ということもあり、絵葉書が流行する。描かれている絵は、戦闘場面、戦争の跡、広報活動を描いたものより、各地の自然・人文風景を描いたものが6割だそうだ。吉田博や吉田初三郎(俯瞰図)といった作家の作品も見せていただけた。非戦争的な絵が、かなり多いということがポイントのようで、平和と友愛の演出が看て取れると言われ、戦意高揚と銃後を安心させる演出的な側面とジレンマの存在、画家の内的な要請、職業的な慣習もあったろうという、そこには、聖戦への協力と非協力のはざまの厳しい感情もあったろう、中国の表象、認識に寄与はしている一方、歪曲もあっただろうといった分析をされていました。メモは、ここまでにしておきます。戦さんが、文献史料の中から、絵葉書について記したものを紹介されていたのだけど、日本の印刷技術の卓越さを記した文が記憶に残ったかな。中国の絵画を、日本の印刷技術を頼り出版しようとしたものでした。とっても、興味の惹かれる問題でした。戦争画については、気になってたことなんで、個別の作家の追っかけもやって欲しいな。既に分析されている方もおられるでしょうが。


2023年 7月 27日(木)午前 7時 56分

 昨日も暑い一日。かなり、その過ごし方に慣れてきている。アスニー京都に行ったときの軽い熱中症の経験が生きている。それを頭に入れ、お出かけなしの一日、ルーティンにしているウォーキングを2回、以前よりは、若干短めに実施。昼前は、マレーシア旅行以後、初めてのコース。かつては、定番のコースだったのに、直線的なコースのため、股関節痛を考慮に入れ、ここまで控えていたコース。昨日も、それを選んだからと言っても、フルでのコースよりか、僅かに短めにしてのコース取り、しかも、歩き出しは、昨日も、かなり股関節痛が出ていたけれど、この間の経験知で、慣れるだろうの予測。時間はかかったけれど、予測通り、慣れたので、狙いのコースを歩くことができた。でも、できたと調子に乗り、階段を、普通に上がろうとすると、嫌な重みが、股関節に出るものだから、普通には断念する。まだ、そこまでだが、随分と楽になったとは思っている。午後のウォーキングは、いつもよりか早めに出発。夜に、オンライン配信でのシンポジウムに予約を入れていたのだ。でも、この午後のウォーキングは不首尾に終わった。20分程歩いたところで、いきなり、強烈な雷鳴。雨は降ってなかったけれど、いきなりの雷鳴に驚いた。空を見ても、すぐに降るとは思えなかったけれど、雷鳴は嫌なので、直ちにコース変更。歩いて近いところに、屋根付き公園があったので、そこへ逃げ込み、様子伺い。その間、読書の時間を得ることができた。「ユーゴスラヴィア現代史」を、引き続き読んでんだけど、第2次大戦時のバルカン情勢を、全く解ってなかったことを痛感。ブルガリアやルーマニア、ハンガリーは、枢軸国側についてました。ブルガリアの膨張主義は、バルカン戦争で判ってたんだけど、それが引き継がれてたんですね。そういった中でのユーゴスラヴィア地域、難解すぎて理解不能になるほど、細かい。民族自決、反ナチ、南スラヴの統合、いろんな思惑が絡みます。結局、雨は降らなかった。雨雲レーダーを見ると、真っ赤だったんだけど。そんなで、昨日のウォーキングは、ほとんど15000歩となりました。まだ、発症前には戻ってないのが、悲しい。
 夜の配信は第4回大阪大学CiDERシンポジウム。お題は「新型コロナは“5類”になって何が変わった?変わらない?」。ハイブリッド開催であったものを申し込んであったのです。そのプログラムは、次のようなものでした。①講演「2類相当と5類はどう違う」(大竹文雄/大阪大学CiDER 副拠点長)②講演「医療現場・職場での感染症対策 これまでとこれから」(忽那賢志/大阪大学感染制御学 教授)③「学校での感染症対策 これまでとこれから」(友川幸/信州大学教育学部准教授)④「ポストコロナに必要となる職場・学校でのメンタルヘルス対策」(佐久間篤/東北大学精神神経学分野 助教)⑤パネルディスカッション「どうする 新型コロナ“5類”」(パネラー:講演者、正木義久/日本経済団体連合会ソーシャル・コミュニケーション本部長)。①では、2類と5類の違い。法的拘束力が発生するか否かが、大きな違い。緊急事態宣言やマスク着用のお願いなどというものが横行したが、そうした基本的人権の制約に関わる指示、いやお願いだったな、それが出せるのが2類。パチンコ屋にお願いしておいて、実際は、従わなければ云々なんてことができるということですな。②は、そういった判断の背景となった資料の紹介。こういったトピックが消えて行ったので有難かった。オミクロン株の登場というのが、後から考えると大きかったようです。我々は、感染者数で一喜一憂していたけれど、感染力もさることながら、致死率を問題にされていた。確かに感染者数の増え方は大きなものがあったが、感染者の中の致死率が、大きく下がった。致死という観点での毒性は、大きく下がっていました。ワクチンの実際も報告があった。これも、オミクロン株で変わっていた。感染防止という観点では、オミクロン株になると、70%台になっていた。登場時に、90%を超えるなんてことが報告されて驚かれていたが、そこまで下がっていた。だから、これも、感染者数の拡大につながったようだが、一方で、重症化防止には役立ったことは間違いない。ここからも、致死率の低下が生まれたということ。現在の感染の実態は、拠点観察。指定された病院のデータの分析で傾向を把握。但し、1週間遅れで実態把握がなされている。が、ここでも、数理モデルを使った、傾向予測がなされており、その予測データと、過去の実態データを重ねたグラフを示されると、両者は、ほぼ重なっていたので、時差の問題は、大したことではないそうだ。また、これは、トルコの報道で知ったと記憶してんだけど、下水調査、排泄物の中に潜むウイルス調査では、リアルタイムでの感染の実態が把握できているので、益々、時差の問題は軽いものだということでした。更に、興味を惹かれたのは、一般の市井の人々で調査した既感染者の調査。これは、驚いたね。40%を超えていた。自覚しているか別にして、それだけの人が感染していた。しかも、オミクロン株への感染の場合、1年程、免疫力があるそうだ。そういったことを総合的に観て、5類移行となったそうだ。一方で懸念されることとして話されていたのは、薬の問題、治療の問題。5類に入ると、有料となっていく。特に薬がえぐい。感染して、重篤化するわけにはいかない、率直に思えるお値段でした。せめて、高価な薬剤だけは、政府負担にしないと、えぐすぎる。資料を示され、忽那さんに話されると、とっても信頼してしまいます。③では、教育現場の実態調査、④では、災害発生時の社会心理が取り上げられました。③は、長野県をフィールドにして、丹念な聴き取り調査がされていました。④は、東日本大震災時の調査が生きています。研究に関わる方には、千載一遇の機会です。それを、後世に活かしていこうということになります。⑤は、ここに来て、見事に寝落ち。ダメだね、相変わらず。でも、このciderの取り組み、そして、市民向けのシンポジウムで、広く情報公開していこうという姿勢は、ホント、有難い。半年後に、新たなシンポジウムが用意されているそうです。


2023年 7月 26日(水)午前 8時 34分

 昨日は、珍しく、夜のお出かけ予定が入っていた。ロームシアター京都での「京都市民寄席」のあった日。京都での夜公演ということで、前売り券が買ってあった。それに先立ち、昨日は、次回の「京都市民寄席」のチケット発売日だったが、買えなかった。なんせ、鶴瓶に二葉が揃うとあって、完全にプラチナチケット。そんな顔付けすんなよと、突っ込みたくなる組み合わせ。ただでも人気の会なのに、それを煽るような顔付けは、迷惑です。そんなで、近くの美術館経由でロームシアターに行くことも考えたが、止めた。別に、そんなに頑張らなくても、時間はあるだろうの考え。そこで、夕方までは、普通の日だった。午前中は、お酒と調理パンを、若干、安く買えるマートの往復を、ウォーキングに読み替え。夕方のウォーキングの読み替えは、ロームシアターへの往復の行程。それで、11700歩余の数字が、万歩計に出ていました。ちょっと少なかったな。体力増幅には、物足りないですな。そして、午後の一時は、火曜日ということで、Radikoのお世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴いていた。聴きものは、二葉が落語について語るところ。だと言っても、芸論をしないのだが、昨日は、まともに、取り上げた。で、その言いたかったこと、語り手である自分が、落語に出てくるキャラクターや、台詞、言い回しに対するスタンスだと言ってました。そこが、ええかげんだったり、ぶれたら、語る言葉が嘘くさくなると言ってました。現代のコンプライアンスに合わないと思う言葉のカット、カットできにくい場合の対処法だけではなく、噺そのものに臨む姿勢の大事さを説いてました。そこが曖昧だと、聴いている人には判ると言い切っていたのが、とっても爽やかだったな。驚いたのは、自分なりにカットしている台詞が、すらすらと出てくること。もちろん、その前後を含めてなのだが、これはプロ根性を、しっかりと見せて頂けたと思えた。そうして、噺の中の世界の人物とキャッチボールをしてる、嘘のない自分とキャッチボールをしながら語っている、その姿勢があるから、二葉落語がおもしろいのかなと思えました。たいした噺家です。
 「市民寄席」の番組は、次のようなものでした。りょうば「普請ほめ」、喬若「ちりとてちん」、枝三郎「洗足」、米団治「崇徳院」。りょうばは、この「普請ほめ」を、確か「しごきの会」のときにネタ下ろしをしたんだよね。初ものでした。前半の仕込みのところでは、瞬間、枝雀を観た思いがあった。初めての経験。ということは、リズムと言い、流れの自然さと言い、とっても聴きやすい好演。喬若は、冒頭、松坂似を使ってました。ぼちぼち賞味期限切れにならないか、心配になりました。だけど、この「ちりとてちん」が秀逸。前半の旦さんとのやり取りは、カット気味。美味しいとばかりに引っ張る口演が多いなか、逆だったなぁ。詰めて詰めて進めて、最後のクライマックス場面は、多めに取るという趣向。しかも、濃淡自在な口演があったことを、瞬間、忘れてしまってました。喬若は、もっと聴く機会があってもいい噺家さんですね。枝三郎は、自身が京都出身だということで掴みはOK。太秦出身だということ、初めて知りました。そして、脳梗塞体験、このトピック、聴きたかったんだよね。後遺症が残ってないか、気になってたところだけど、表面的にはらしいものは確認できなかった。本人も言ってましたが、早期に対応できた幸運を説いていました。ネタは珍品だけど、メモくらいしか残ってない噺じゃないかな。だから、「手水廻し」を入れて補っていましたというか、殆んど「手水廻し」だった。トリは、東奔西走でお忙しの米團治。枝三郎が「両巨頭の息子さんに挟まれて」とのコメントを入れたからか、米朝の息であることを強調するマクラ。丁度、ネタにも都合がいい。米團治の「崇徳院」は初もののはずだけど、鳴り物が入った。熊五郎が歩き回る最後の日、賑わいを出すために鳴り物を入れるという、初めて聴くヴァージョン。恐らくオリジナルでしょう。床屋では、1回目には歌を詠まないで、2回目のときに詠ませ、床屋に、「この人、こんなことばっかりやってる」と言わせていました。ちょっとした変化技が入ったけれど、下げは、本来のもの。やっぱ、この方がいいね。帰り道、大声で喋るご婦人方、「挟まれたとゆうたはったから、***が息子さんとちゃう?」と喋ってた。「***」に、りょうばが入るのか喬若が入るのか、気になってしまったけれど、尋ねるわけにも行かず、気になったまま。でも、枝雀の息が誰かが解ってないことだけは確か。そんなものなんだね、世間というやつは!


2023年 7月 24日(月)午後 11時 35分

 完全に暑い夏になってしまっている。ま、7月も下旬に入ってるのだから、仕方がありません。今日は、予定表には、何も入ってない月曜日。となると、楽しみは、夜の米朝事務所のYoutubeチャンネルである生配信だけ。と言って、それは、午後7時スタートだから、いつも、トルコの情報収集の夜の部をしている真っ最中だから、アーカイブで観ることにしている。丁度、夕食の晩酌の友となることが多い。となると、昼間がまる空き。最近、午後のお出かけが多く、そのお出かけ先を組み込んでのウォーキングということが多かった。どうしても、出かける準備等で時間が要るため、午前中のウォーキングにしわ寄せが来てしまうのだ。今週は、わりと時間を自由に使えそうなんで、定番のウォーキング、午後の一時を楽しもうを計画していた。8月の旅行に照準を絞り、腰の具合も、かなりいいので、体力回復を考え、また、土曜日の軽い熱中症に凝りて、その対策を念頭に置いてのウォーキングをやってみようと、意気込んでいた。午前中は、所要もあり、それを組み込んでのウォーキング。所要と言っても、郵便局に行くことくらい。その内の1つは、旅行期間中の郵便配達を止めてもらうための手続き。そんなことを組み込みながらウォーキング。身体は軽いのだが、また、股関節の具合は、ほぼ気に掛けないでいいくらいまで恢復してきているので、通常のウォーキングをすればいいのだけど、暑いこともあり、持続性に欠けますね。疲労が早く来る。もうぼちぼち、以前のペースで歩ければと思いつつ、いや、真夏は、去年もあごを出し気味だったじゃないかと、自分に突っ込みを入れていた。結局、午前中のウォーキングは8500歩。ま、普通だね。ところが、計算が狂ったのが、このあと。計画があったわけじゃなかったが、何か、午後の一時を楽しもう、Youtubeの動画の視聴が溜まり気味だしと思い、まず、韓国系Youtuberのモッパン動画を観だしたところ、なんと、お腹も膨れたところだったのか、ウォーキングの疲労が、クーラーに癒されたのか、PCの前で寝落ち。お酒も、何も飲んでないのに、寝落ちとは、、、、(>_<) 午後の一時は、昼寝に化けてしまった! それなら、いっそのこと、ベッドで寝ようと思うと、今度は、何か、腹が立ってきた。こんなけ眠ると、何もできないじゃないか、せめて、何かをしようと、明日にする予定だった洗濯をすることに。何かしたを形で表さないと、気が済まない寝落ちだったというわけです。その後、夕方のウォーキングで、時間のことを考え、セーヴ。本日のウォーキング、ほとんど15000歩。結果的に、まだ、元に戻っていない。もう一踏ん張りだね。
 午前中のウォーキングの際、休憩&読書の時間を取れたのだけど、1つ、いい知識を得ることができた。自分の持っていた先入観を反省することがあったのだ。読んでいるのは「ユーゴスラヴィア現代史」。その中のボスニア人の記述。黄紺は、ボスニアというのは、元来は、セルビア人なり、クロアチア人といったスラブ系諸民族で、オスマン帝国の支配下で、イスラームに改宗した人々だと思っていた。だから、歴史的には、オスマン帝国の侵攻後に生まれた歴史の浅い民族だと思っていた。かつて、日本の報道では、彼らのことを「イスラーム教徒」という言い方をして、民族という区切りでない、異なったカテゴリーを持ってきて表現するという不自然なことをしていたことが、自分の頭にこべりついていたということなんでしょうね。だから、「ボスニア人」というタームが使われるようになっても、単に「イスラーム教徒」から変換が行われただけだったのだ。そうではなく、黄紺の読んでいる本では、オスマン帝国の侵攻以前から存在するボスニア人が描かれていた。そのボスニア人たちが、オスマン帝国の侵攻に伴い、イスラーム化した人たちと、キリスト教徒、それも、カソリックと東方教会系に分かれて行ったそうだ。数では、イスラーム化した人たちが多いのかな、これは、黄紺の勝手な想像。でなければ、イコールという姿で、イスラーム教徒という間違った表現が取られなかっただろうと思うからなのだが、当たってるのかな? これは、勉強になった。それを踏まえて、ユーゴ紛争というものも読み解かねばならないのかもしれませんね。


2023年 7月 23日(日)午後 9時 54分

 今日は、Dと一緒に音楽会に行った日。京都東部文化会館という山科にあるホールで、京都市交響楽団が、子どもたちを対象にしたコンサートを開いてくれたのだ。昔は、京都市内の小学校のグランドなんかを巡回してくれていたコンサートが、今では、各地域にできたホールを利用して、子どもたちを対象としたものになっている。題して、「ZERO歳からのみんなのコンサート2023/世界の音楽祭巡り」というもの。黄紺が、息子一家の最寄り駅まで迎えに行って、Dと2人連れで行くつもりで、チケットを買ってあった。だけど、息子が送って行く、自分はコンサートには行かないで、どこかで待っていて、その後、また合流して、ご飯でも食べようと言う。ま、迎えに行く手間が省けるので助かるが、どうも、よく判らないことを言う。京都東部文化会館は、以前、1度だけ行ったことがあるが、ウォーキングがてら山科駅から歩いて行ったので、電車で行く方法が、よく判ってなかったが、椥辻駅から歩けばいいと、ネットで調べて判った。大阪方面から来た2人連れと、中書島駅で待ち合わせ、六地蔵駅で乗り換え。この不便な乗り換えを、Dに体験させてやるのも、この会場を選んだ、大きな理由。なんせ、電車が好きな子どもだから。会場は、確かにゼロ歳児から子どもも多かったが、意外だったのは、大人の人たちも多かったこと。でも、ずっと泣いていた赤ちゃんもいて、なかなか味わえない雰囲気。京都市響の皆さんは、指揮の太田雅音さんを始め、全員、楽団グッズのTシャツを着ての演奏。そのプログラムが凄い。名曲揃い。①モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲、②ヴェルディ:歌劇「椿姫」第1幕への前奏曲、③ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇「こうもり」序曲、④ヨハン・シュトラウスII世:ラデツキー行進曲、⑤エルガー:変奏曲「なぞ」から「ニムロッド」、⑥ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。太田さんがMCも務めるんだけど、どうも大人向きって感じ。世界の音楽祭と言って、子どもには無理だよね。しかも、名曲と言っても、説明するとやばいものが入っている。①は「女はこうしたもの」と、「女は尻の軽いもの」というお話だし、②は高級娼婦の純愛物語だし、③は不倫が、1つのプロットになってる。③では、オペレッタの内容に触れられたけれど、こうもりの復讐劇とだけで止まるしかない。①②では、決して、内容には入れない。欠片でも触れられない。凄い、プログラミング。④では、塚本江里子さんによるボディパーカッションが入るという趣向がやってくれました。そこまで、退屈そうにしていたDが、ここで完全復活。それから、Dの態度が変わった。⑥を前をしっかと向いて聴いていたのには、驚いた。将来、ワグネリアンになるのかな、こいつ。そのあと、アンコールとして、ドボルザークの「スラヴ舞曲」が演奏されたが、迫力のある⑥に比べて、叙情的な曲はどうかなと思うと、聴いていた。去年、びわ湖ホールへ連れて行ったときは、黄紺の手の上に頭を置いて眠ってしまったDだったけど、大きな変化。終わってから、「今年は、寝ぇへんかったな」と言うと、「去年より、短かったから」と言っておりました。そして、「また、連れて行って」と言ってました。音楽会は、年1くらいで連れて行こうかと思ってるので、その反応の変化が楽しみです。
 終演後、メールを開けると、三条駅で待ってると、息子から連絡が入っていた。MOVIX京都に行ったときに見つけたセマウル食堂を、往きの電車の中で提案しておいたら、それに乗っかるということだった。だけど、実際に行ったのは、その手前にあるアサヒ・ビアレストラン。久しぶりだった。混むので入りにくいお店、でも、ほんの僅か、待っただけでは入れそうだったから、急遽、変更となった。息子とは、DやSを連れて、よく昼飲みしてるなと思う。子どもらも、慣れているので、普通のレストランに入る気分で入る。多分、大きくなってから、なんて親だとかなんとか言うのでしょうね。そんなのも、聴いてみたいね。ドイツ風のビアレストランということだけど、ザウアクラウトは、酸っぱさがなかったのは、大きな欠点。息子に、「何が足りないか解る?」と尋ねると、あっさりと「酸味」。ま、ドイツに、一緒に行ってるから即答。フィッシュ&チップスも頼んだので、ザウアクラウトを指して、「これはドイツの名物」、フィッシュ&チップスを指して、「これはイギリスの名物」と、Dに教える。「名物って、いろんなところにある有名なもの?」と言ったかな、Dが、「名物」を、きっちり理解したのには、驚かされた。思わず、頭をなでなでしながら、「賢いこと言うなぁ」と言ってしまった。ちょっとしたことの物言いで、僅かの間の成長が判る。しょっちゅう会えない身には、こういった形で成長が判るのは、ホント、嬉しいこと。息子の愚痴も聴いたしと、とっても家族孝行しながら、自分も楽しんだ一日でした。だけど、今日の暑さは半端じゃなかったな。


2023年 7月 22日(土)午後 9時 52分

 今日は、大失態というか、夏に負けたというか、どっちもなのかもしれません。午後にお出かけ予定を入れていた。もう10時半頃には、お昼を食べ、お出かけ用意に入らねばならないというタイムスケジュール。それまでに、ウォーキングがてら、日本酒の、ちょっと安いマートに買い物に出かけた。途中、短い休憩時間を入れて、1時間10分程だったかな。そして、予定通り、準備をして出かけた。お出かけ先はアスニー京都。今日は、「アスニー京都学講座」と銘打たれ、考古学研究所や埋蔵文化財研究所が主催するもの。今日は、「発見?!淀津 桂川右岸の調査から」と題して、京都市埋蔵文化財研究所の松永修平さんのお話を聴けることになっていた。ところが、到着して、椅子に腰かけると、どうも様子がおかしい。かなりへばっている。軽い熱中症の可能性があると思い、手持ちの水を飲んだ。そして、着けていたマスクを外した。これは楽だった。そう感じたと同時に、マスクを取っただけで、えらく楽になったので、やはり熱中症だなと思った。椅子に腰かけ、ぐったりとするしかなかった。こういうときに横になれれば、どんなに楽だろうと思ったが、ク-ラーが効いていたので、その内、身体が冷え、恢復するだろうということで、ヘルプは求めなかった。後から振り返っても、その程度の症状だったと思う。その内に、講演が始まった。聴いてはいたが、集中できないでいると、その内、眠ってしまった。半ばで取られる休憩時間まで眠った。そして、後半も、9割がた眠った。でも、その居眠りのおかげで、体力は恢復したようだ。帰路も、すっきりした感じではなかったが、問題なく移動できたが、ホームで待つ時間、電車の中、今日ばかりは座りたかった。午前中のウォーキングがてらの買い物で、感じたことがあった。この真夏の暑さだったのに、えらく発汗が少ないことが気になってたのだけど、今日、初めてと言っていいくらい、昨年同様の汗をかいた。だから、これだと、熱中症は大丈夫だろと思ってた矢先だったので、結構、ショックだった。昨日、聴いた講演で、真夏の前に運動をしておくことの大切さを説かれていた。それで、汗をかくトレーニングができると。このトピック、新鮮だったので、よく覚えているから、自分にひっそうって考えてみた。丁度、真夏になる前に、今まで同様のウォーキングができなかった。それが響いたのかと思ってた。すると、上手い具合に発汗があったので、最近、歩く量を増やすことができるようになり、それがトレーニングになり良かったと思ってた矢先だった。まだ、発汗が足りない、もっと汗をかけということなんでしょう。どこまで祟るのか、椎間板ヘルニア! 歩けなくなって、身体に影響が出るとは思ってたが、これも、その1つなんだね。くそっ、腹立つ!
 幸い、今日は、夜に「ブラタモリ」の新作「山形編」が流れたので、気分的には救われた。県庁所在地で、「ブラタモリ」で取り上げられたない所として残ってた山形。残ってた所がつまらないというわけではないのは、佐賀や高松ではっきりしているので、山形も楽しみにしていた。東北は、あまり行ったことないしなと思ってたら、いきなり山寺が出てきた。ここは行ってんだな、なぜか。ここの門前町が早く、その後に、今の山形の町が築かれていったと言ってた。山形が紅花で有名だったとは、全く知らなかった。山形城は大きいし、旧県庁の立派だしと、意外なことが続いた。今は、郷土資料館になってる旧県庁、ここは行きたいと思った。見学できるんだろうか? 恐らく、この山形ロケと、一緒に撮ったと思われる、次回作「松島編」は、1ヶ月先の放映だって! この1ヶ月の間は、「ブラタモリ」ロスになる。でも、この1ヶ月間に、何があるのだろう? 女子W杯は、地上波でやらないみたいだしと、そんなこと考えちゃいました。でも、「松島編」やるなら、「象潟編」も作って欲しいな。無理かな?


2023年 7月 22日(土)午前 8時 6分

 昨日は、朝からお出かけ。そして、それが終わると、もう1つ、行った。2つが、行きやすかったから。家からだと、後から行った方が、かなり遠いということで、朝からのお出かけに合わせた次第。しかし、真昼間を歩くのは、昨日は、特にきつかった。丁度、梅雨が明け、正に、真夏。それを、見事に体感させられてしまった。自宅に戻ると、午後3時を回っていた。3時半頃だったと思うけど、家内は、外に比べて涼しいんだけど、外気の暑さを考えると、ここ最近、暑さに対し鈍くなってきている気がしたので、クーラーをかけ、ベッドに倒れ込んだ。それまでは、まだ、元気が残っていたが、一旦、ベッドに倒れると、5時過ぎまで起きる気になれなかった。ホントのダウン。軽く眠ったかもしれない。クーラーの冷たい空気に触れないように、できるだけ、窓に身体を近づけていると、とってもいい気持ちになってしまっていた。こんなので、8月に福岡へ行く計画を実行に移してるけど、大丈夫かなぁと思いながら、うつらうつらしておりました。
 朝からのお出かけ先はアスニー京都。こちらの市民向け公開講演会で、今回は、珍しく気候変動が取り上げられた。お題は「気候変動と熱中症」、お話をされたのは、一般財団法人日本気象協会環境・エネルギー事業部環境解析課主任技師の工藤泰子さんでした。この講演には、京都市保健福祉局や京都の気候変動適応センターも嚙んでるという催しだったため、関係者が多く、アンケートも多いという代物。気候変動適応センターのアンケートなど、このあと2週間経ってから記入して送ってくれというもの。回収率を、どの程度に想定しているのか、聴いてみたくなりました。で、お話の前半は、当然、気候変動の解説。データから、気候変動の実際を認識させるという定番のスタート。都市の気温上昇の激しさ、ヒートアイランド、地球温暖化の仕組み、京都の場合という具合に進み、熱中症の問題へ。哺乳類の身体の特徴から入られるという問題立てが、素人には新鮮。人間は、なぜ毛皮を着てないのか? サバンナに出て、太陽の照り返し受けるようになったため、効率的な放熱のため、毛皮が退化、発汗作用ということで対応するようになったとか。馬と人間だけが汗をかくそうだ。しかも、動物を追いかけると、毛皮のある動物は熱中症で動けなくなり、捕獲がしやすくなった。がために、人間は、蛋白質の接種が増え、その結果、脳が発達をして知恵が着いて行った。このディスコースは、初めて聴いた。へぇ~が、一番出たところ。暑くなると、心臓は、心拍数を増やし、体内の熱を、皮膚表面の毛細血管に送り放熱。だから、暑いと、顔が赤くなる。汗は、血液から作られ、それが汗腺から出てくる。そういった仕掛けで、身体を冷やしている。だから、汗をかかないといけない。放熱のために身体が頑張り過ぎる場合、要するに気温が上がり暑くなったとき、オーバーヒート気味になってしまう。心拍数が上がり、大量の発汗で、脱水するわ、ミネラルが出過ぎてしまい、こむら帰りが起こったり、立ちっぱなしのために、眩暈なんかが起こる。これが、熱中症の仕組み。だから、これを防ぐためには、身体の中で生み出す熱を減らす、外から入ってくる熱を減らすということ。そういったことで、熱中症対策を説かれるというお話。やっぱ、理詰めでわけをお話しいただけると、なんでこうなるのを納得して、行動に移せるという利点がありますね。知らなかったことも、結構、出てきたお話の中で、最悪のことを知らなかった。暑さというのは、脳の蛋白質に影響を与えるということ。また、脱水は、どろどろの血液を作るため、脳梗塞や心筋梗塞を起こす。こういった病気は、冬に多いと思うと、大変な考え違いだと言われていた。京都市の作った熱中症をアピールするパンフレットには、脳の断層写真を載せ、これを示すというショッキングなことをしています。それだけ怖いこと、ようく判りました。己の認識不足、大きかったですね。
 円町界隈で昼食を摂り、嵐山へ移動。つい先日、「橋本関雪展」で行ったところの福田美術館へ。そんなだから、ホント、「橋本関雪展」には、よく間に合ったことと、再認識。くそ暑いのに、嵐山界隈は、観光客でいっぱい。連中がいなければ、もう少し、暑さもましかと思ってしまう。当たってるでしょうね。福田美術館は、新たに「竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」という展覧会が開かれているのです。「生誕140年」「没後90年」と銘打たれている展覧会。竹久夢二は、ん十年前、その生地の岡山の美術館で、一生分の作品を観たんじゃないかと思ってるので、わざわざいいかの気もあったんだけど、いくら有名な作家さんとは言え、その名を冠した展覧会が、そうはあるわけではなしとの気分で、行こうとしたものだった。さほど広いとは言えない展示会場だが、明らかに、1階と2階では、満足度が違うんじゃないかな? 岡山の美術館で観たときは、特徴ある顔立ちの女性、どちらかと言うと、大正時代の新しい感覚の女性像を描いた人というイメージとともに、雑誌に、多くの絵を提供しているというイメージがあった。岡山の美術館では、随分と多くの雑誌用に描いた作品を観た記憶が残っていた。そういった、黄紺のニーズに合ったかのような作品が展示されているのが2階だった。デザインと言っていいような作品が多数。雑誌の挿絵、楽譜のイメージにあった絵、着物柄の洒落たデザインのセンスの良さは、期待に違わぬもの。これらの中では、「女十題」が、最も、お気に入り。下の階の掛け軸画のように、全身を描いてない、少ない情報で、画題に見合った絵を描くといった点が気に入ったのと、掛け軸の作品とは異なり、リアリティが増しているようで、描かれている女性への親近感が増すという風情。描写も細かい。ん十年前に観た記憶では、圧倒的に上の階の作品だったと記憶している。でも、「長崎十二景」は、趣味に合わなかった。この2つの作品の違いは、お題の通り、「女」にカーソルを合わせるか、「長崎」に合わすかの違いなんでしょうね。夢二は、圧倒的に女性を描かした方がおもしろい。下の階の掛け軸では、10頭身くらいの女性を描いている。着物を着ているからでしょう、身体の線を出さない。真っすぐな線が、とっても不自然に感じてしまう分、理想化され、デフォルメを進めたような気がした。なんせ、表情に特徴があり、目が利いています、どの作品も。目にやられるんだよね、夢二作品は。珍しく、風景画なんてのも展示されていた。女性は舞妓が多い、大正ロマンのシンボルですよね、先日の茨木のキリシタンの講演の中でのお話、大正ロマン主義が、初めて舞妓を描いたというトピック、とっても役立ちました。


2023年 7月 20日(木)午後 9時 43分

 今日は、午前中に、医者のハシゴをした。2週間前に受けた大腸ファイバー検査で切除されたポリープの検査結果を聴きに行く日だったもので、すぐ近くにある、もう半年以上通っている皮膚科の医院にも行くことにした。5週間程の間隔で行くことになっているのが、上手い具合に被ったのだった。それが終わったあとに、そこから行きやすい美術館のどこかに行こうかと、昨日まで考えていたが、止めた。昨日、歩きすぎたのでしょうね、昨日は楽だった股関節が、またぞろ逆戻り。だから、ちょっと余裕を見てのお出かけ。痛いので、確かに、昨日に比べて、明らかにスピードが落ちているのが悔しい。朝から、そんな状態で、今日はまずいと思い、さっさと、美術館はやんぺ。そんな気分で医者通い。ポリープは、色合いから見て、悪性ではなかろうとは思っていたので、気は楽だったが、即、結論を言われなかった、ほんの僅かだけ、ドキドキしてしまった。でも、セーフだった。市の行っている大腸がん検査を受けて、潜血反応があったということなら別だけど、マイナスが続くようだったら、次の大腸ファイバー検査は3年後と言われた。弟などは、毎年受けているので、そのくらいのペースが普通かと思っていたが、3年後だった。ま、生きてたら、また、お世話になることになります。一応、3年後の予定表には、入れておきました。次いで、皮膚科。ベッドに横にならねばならないのが、困ること。前回は、こちらのペースを尊重してくれたが、今回は、ゆっくりと介助はしてくれるのだけど、そのゆっくりは、俺のペースじゃなかった。自分のペースで、時間をかけてもできることは、絶対に、自分でするというのは、大事なことだと認識しました。終わって、そのまま帰りかけて、時計を見ると、まだ、お昼ご飯には早いということで、近くの弟の家へ。弟は出かけていたので、弟の嫁さんとお喋り。話題は、いつものように健康問題。こんなのばっか。その内に、弟が帰って来た。また、健康を話題にした話が始まった。ホント、これが主流。ようやく、帰り際に、昨日、行ってきた滋賀県美の話。マルセル・デュシャンの便器ネタで盛り上がり、アンディ・ウォホールの「キャンベルスープ」で、更に盛り上がりました。
 喋り過ぎで、自宅に戻ると、午後1時を回っていた。お昼を食べ、読み残しのあった、昨日の新聞記事、もちろんトルコのだが、それを読むと、なんだか、座ってるのがきつくなった。この頃、背筋が落ちてきてるからでしょうね、PCを前に机の前に座り続けるのがきついのだ。ま、長く座り過ぎということなんだけど、これ、結構、辛い。そうだ、グラーツ歌劇場のニューイヤーコンサートが流れていた。あまり、いい演奏ではないなと思ってはいたが、横になりながら聴くことに障りはなく、ごく短時間だけど、うつらうつらしてしまっていた。今日は、なんでか眠い日。皮膚科の医院で待っていたときも、うつらうつらしていた。せっかくの時間、読書は、ほぼ進まなかった。今、コブレンツのどこだろう、野外ステージで、ウィーンの音楽を連発してくれてる動画を流してるけど、こっち、かなりいい演奏。題して、「美しきラインでのワルツ」。夏に、こんなのやってんだね。さっき、ロープウェイが映ってたから、ホント、ラインの際なんでしょう。結局、そのロープウェイに乗る機会はなかった。今度はと思いながら乗っていない。で、あとは、明日、明後日の予定を考え、早めの洗濯日にしたことかな。何もない一日、でも、バタバタしてた一日。そんな印象。


2023年 7月 20日(木)午前 8時 37分

 昨日は、朝から、丸一日、出かけていた。股関節の状態も良く、あとは疲労でやばくならないようにだけ心がけていた。でも、夕方、帰宅して、万歩計を見てみると、15000歩を超えていた。ま、それくらいは行くだろうなとは思っていたが、いざ、その数字を見ると、やり過ぎという印象。でも、午後は、滋賀県立美術館に行き、いつも同様、ウォーキングがてら、瀬田駅から美術館の往復を徒歩移動したのだから、続けると、そうなるし、でも、大丈夫そうだから、やっちゃいました。ということで、午後は、久しぶりの滋賀県美、朝からは、これまた、マレーシア旅行前以来となるアスニー山科の市民向け公開講演会。HPを見て、行けなかった日々のラインナップを見て、寂しかったね。これだけ、行けなかったんだと思うと、きつかった日々が蘇ってしまった。で、昨日のアスニー山科、「古墳を築く」というお題で、京都橘大学名誉教授の一瀬和夫さんのお話を聴くことができました。でも、途中、かなり居眠りしてしまったので、きっちりとした筋道を覚えてるとは言い難いものがある。とにかく、古墳の構造の変化を、延々とお話されました。古墳の被葬者や、副葬品、形状の問題、特に規模の変化の持つ意味、地勢的な意味とか、そういったことをテーマにしたお話は、幾つか聴いたことがあり、おかげで、ちーとは、日本史に疎い黄紺にも古墳に関する基礎知識の欠片くらいは着いていたけれど、構造、形状の変化に絞って、延々と聴くというものは、それはそれで得難い経験と思い聴いていたのだけど、ダメだった。冒頭、形状と規模の変化にだけしぼって、ざっと通していただけた。応神、仁徳あたりで巨大化の極があり、それ以後は縮小化を辿り、推古くらいになると、ちっちゃい、火葬がどうのというトピックは出てこない。なんせ、形状と規模限定だから。要するに、こういった展開なのです。形状の変化も、八角形が出てくるのだけど、それを最後に古墳時代は終わる。わけには触れないのは、それがトピックじゃないからという具合。こうした徹底さは、めっちゃ、プロだと思わせられる。古墳の話をされる先生方、ホント、全国の古墳が、全てカテゴライズされている。これは、ホント、凄いよ。卑弥呼の墓だと言われている箸墓古墳は、平地に造られた前方後円墳。だから、盛土でできているため、大規模工事になったようで、それ以後の、界隈の前方後円墳は、少しでも盛土をしなくてもいいように、尾根の先端部に造られるようになった。そういった前方後円墳が続くが、これだと、周囲に堀を造ると、斜めになってしまうため、水を溜めるということで難儀なことになってしまう。そのため、そういった地形を使った前方後円墳の堀には、堀の各所に壁を作り、低い方へと水が流れないようにしてあるとか。そこで、再び、平地に戻っていく。堀も二重のものを造ろうかという大規模化が進む時代とも重なるので、大土木事業になるのは、端から覚悟のことだから、そうなっていったようだ。それが目的だった時代があった、必要とされていた時代があったというトピックは、向日市の講演会で聴いた。そして、斜面に造られた時期の後円部の角度のことを言われていたが、平地になると、盛土が大変だから22度までと言われてたかな。なだらかになったということだけど、それに伴い、規模も大きくなったようだ。高さでびっくりさせられないということか。後円部の先頂部に棺を納める石室があるのは、黄紺も知るところだったが、これの発掘は控えていると言われていました。今の技術だと、石室を壊してしまいそうなので、将来、その技術が進んで可能となれば行ってもらうものとのスタンスが、とっても雄大な事と思えた。今できることと、できないことの弁別、研究者です。前方部分の先端部の角度の問題とか、その部分の長さの問題、くびれのところに何やらあるのが、通例の型だそうで、その変化話になると、ダウンしている分、皆目判らない。どうやら、そういったところや、周囲の堤の部分には、埴輪が多く埋められていたようですね。だから、周辺には埴輪を焼く窯があったはずとのこと。古墳を斜面に造っていた頃が、登り窯を作るには格好の場所だったが、平地に造るようになると、盛土の斜面を使いながら焼いてたそうだけど、堀から上がったすぐの場所の傾斜ができるからということで、登り窯を作ってたようです。埴輪に関しては、どういうところから出てくるということで、埴輪の役割とか、形状、色彩の問題とかは、この講演の埒外、徹底してます。そういった細かな形状や配置なんかを考えていくと、ましてや、巨大古墳の形状が似ており、マイナーチェンジで造営が進んでいたということは、同じ設計図があったのでしょうと言われていた。そういった結論部だけは聴いた記憶があるけども、こういってディテールを話されたあとに、そう言われると、説得力がある。だけど、全く伝承通りには進めていない。そういったことは、今にも通じる感性のようです。古墳周辺の地形にちょこっとだけ触れられたことだけど、仁徳陵って、古墳の位置は変わることはないけど、海岸縁は変わるので、今と違い、もっと海に近い、ほとんど海沿いにあった模様。何度も、古墳の形状の見本として出てきた垂水の五色塚古墳同様の地理的環境にあったようです。海から見晴らしがいい、なるほど、見栄えを狙った巨大古墳ならではだと思い、聴いておりました。畿内の古墳だけではなく、関東の古墳なんかも出てくるお話。居眠りが残念。
 終了後、8月の旅行用の切符を、山科駅の販売機で買おうとしたが、お金がないことに気づき、銀行を検索しようとしていると、横を、弟が通り過ぎた。やっぱり来てました。開演前に探してはみたのだけど、判らなかった。弟も、同じことを言ってました。そして、無事、銀行を発見、切符も発券。それから、瀬田へ移動をして、滋賀県美へ。こちらも、椎間板ヘルニアで行けなかった講演会、常設展があったけど、こうやって行けることは、ホント、嬉しいこと。展示は、すっかり模様替えされていた。まずは、企画展の「今森光彦 里山 水の匂いのするところ」から。今森光彦という写真家は、もちろん、今回、初めて知った方。前回の川内倫子に、すっかりはまったものだから、同じ写真展ということで、とっても楽しみにしていた。写真の世界で著名な木村伊兵衛写真賞や土門拳賞も受賞している。それらは、さすがの黄紺も知っている。自然を、特に、湖西の自然を中心に撮られた写真の展示だった。人は、出てくることは出てくるが、扱いは小さい。自然の一コマに過ぎない。人の活動に焦点というよりは、自然と共生しながらも、自然に抱かれているという感性か。なかでも、棚田の風景が抜群。縦長の4双と言っていいのかな、4つに分かれたと書いた方が適切かと思うけれど、黄紺の目には屏風と見えたものだから、敢えて、そういった書き方をしたい、俯瞰気味に撮った棚田が、飛び抜けたピカ一だった、自分的趣味で書けばということだが。羽ばたく虫、地べたを這う虫、水溜まりで死んだ虫、落ち葉に同化したようなカエルなど、生き物へのまなざしも深いものがある。羽を羽ばたきの瞬間を撮ったものあった。シャッタースピード内で撮れる羽ばたきだったようだ、昼間の写真だったから。そう、この人、時間を動かすことにも怠りがない。陽の光で、様々な姿を見せる棚田を始めとした自然の風景。終盤には、山から下りてきて、湖水上で働く人々、親交のあった人を追いかけたそうです。近江八幡の水郷の風景写真もあった。展示された写真は、1980年代から、遅いものでも2005年以前のものだったので、今森さんの最近の活動、写真家としての活動が気になったと同時に、ここで撮られた光景の今が気になってしまった。最近の活動に関しては、別室にあった。自然をテーマにした切り絵の展示だった。常設展の「小倉遊亀コーナー」は、とっても新鮮。今まで、その一部は観た記憶があるが、これだけまとめて出るのは初めてじゃないかな。先日まであった「小倉遊亀展」でも出てなかったしね。「少将滋幹の母」と「細雪」の挿絵が並んだ。それに加えて、大きめの作品が3点、これらも、記憶がなかった。「童女」「春日」「夏の客」の3点。「春日」だったかな、床を描かないで、足元にばらまかれたもので、床を意識させる描き方に、唸っちゃいました。常設展「湖国めぐる美術の旅」は、名物化している地元シリーズ。でも、景勝地琵琶湖を持っているというのは強いね。生活の場としても、大事な場所だから、画題は豊富となります。知名度で言えば、池田遙邨が抜けた存在か。「日吉三橋」の展示。次いで、野口謙蔵(五月の風景)、野添平米(健掛渓谷図)、安田謙(雪景伊吹山)、島戸繁(湖畔夕照、彦根城/玄宮園)といった作家さんは、この美術館で覚えた人たち。そういったなか、黄紺が惹かれた作品が2点。川島浩「野洲川」と仁志出高福「津田江の帰帆」。前者は、遠目に観たときに、蛇行した川面に映える陽の光に、とっても描かれている区域以上の拡がりを感じさせられ、迷わず1票。その右横にあった後者は、引っ掻き傷のような描き方と、ぼやかした帆船が組み合わさると、なぜかリアリティを感じさせるものになっているのに、何度も見返してしまいました。色合い違う、この2点が並んでいたのが、好印象を与えたのかもしれません。企画「SMoA Collection – 近現代美術Ⅰ – ネオ・ダダとポップ・アート」を最後に観たが、これが、最高におもしろかった。現代アートの先駆けとなった先人たちの作品を並べてくれている教科書的な展示。黄紺も、名前を聞いたことのある有名人ばっか。マルセル・デュシャン、ジャスパー・ジョーンズ、ジョージ・シーガル、ロバート・ラウシェンバーグ、アンディ・ウォホール、クレス・オルデンバーグ、ジェームズ・ローゼンクイスト、ロイ・リキテンスタイン、ジム・ダインといった面々。マルセル・デュシャンの「ヴァリーズ」という作品が傑作。「ヴァリーズ」だから「カバン」、カバンの中に、それまでに、発表したきた作品のミニチュアが入っていた。きっちりと、小さな便器まであったのには、笑ってしまうしかなかった。アンディ・ウォホールは、著名な「キャンベルスープI」があった。「マリリン」だけじゃなくって、これまで持ってたとは、初めて知りました。これは、もう1回は、観る機会があると思うので、そのときに、また記すとしましょう。


2023年 7月 18日(火)午後 9時 53分

 今日は、朝一番で、胃カメラ検査を受けた日。いつもだと、6月下旬を目標に、予約に行くんだけど、今年は無理だった。一番、股関節に痛みが出る時間帯。ましてや、検査当日は、薬を飲めない。飲んでも、検査時間には効いてないだろうが。だから、「痛い、痛い」を連発しながらでも、歩いて15分程の距離にあるかかりつけの医院へ行けるようになってからと、後回しにしてあった。そんな状態だから、少し余裕を持って出かけた。やっぱ、この時間帯は痛い。予想通り、「痛い」と口を突いて出る。でも、この頃、「痛みは慣れる」の範囲内で、到着する頃には、痛みは和らいできている。ま、このくらいまで恢復したということなんですね。実際、検査を受けてみて、飲み薬を飲んだあと、ベッドの上で身体を回転させることを求められたが、それもできた。だから、ここまで日延べをしてきて正解だったということでした。検査は、楽だった。今までで一番だったかもしれない。喉に噴射される麻酔薬が、今年から変わったと、看護師さんが言われていたが、効き方が速く、また、強かった。だって、唾を飲み込めない、そんなぎりぎりまで麻痺をしていた。さすが、それで安心した。機材の不具合があったようで、胃カメラを、2回出し入れをされてしまったが、2回とも大丈夫だった。となると、余裕。管が、喉に当たり掛けると、自分で、喉を使い呼吸をすると、喉や食道が拡がることを覚え、自力で応対できるという、今までなかった経験もでき、苦痛という苦痛はなかった。もちろん、胃から十二指腸へとせせこましい箇所を管が経り巡るわけだから、気持ちのいいものではないが、それが苦痛とはならなかった。これだと、来年から、よりラハトな気分で、胃カメラ検査に臨める。結果は、変化なし。胃カメラ検査の前に受けた腹部エコー検査も、変化なし。大腸ファイバー検査を受けて、ずっと気になってたことを、医師に尋ねた。「大腸のポリープがあると切除するが、胃の場合も切除しなくていいのか」という疑問だったけれど、あっさり、「胃と大腸は違う」ということだった。放置しておくと悪性のものとなる大腸のポリープとは違うということだったので、一安心。これで、検査、検査と続いたけれど、一応、終了のはず。今週、大腸ファイバー検査の結果を聴きに行ってから、終了と断言できるだけど、フライングは禁物ですね。
 検査後、30分間は飲食は禁止。そこで、自宅方向には歩いたけれど、かなり迂回して、日陰のある公園へ。そこで、読書をして、時間待ち。結局、自宅に戻ったのは、検査後、1時間以上経っていた。丁度、読みかけていた「戦後の東欧史」、読了。1つ前に読んだ東欧関連の著作に比べると、外から観てる感で覆われたもので、ま、読み始めて、さほど経ってないときに、それが判ってきていたので、そうだとは思ってたけど、肝心の体制崩壊の対する詰めが甘い。これじゃ、年表を文章化しただけじゃないかと、最後は突っ込みを入れながら読んでたな。
 今日の予定表には、午後には、どこかのミュージアムに行くつもりだった。その候補を絞るなか、ネットで内容確認に入ったところ、「本日は休日」と出てたので、びっくり。改めて考えてみると、今日は、祝日明けの火曜日だった。ということで、これは軒並みダメ。辛うじて開いているところもあったが、それは、近くにまで行く日があるから、そのついでに行くつもりなので、却下。となると、たくさん詰まっていた予定表が、すっからかんになってしまい、なんだ、火曜日なんだからと、RadikoでKBS京都の「まーぶる」を聴くことにした。今日は、二葉は、東京のスタジオから出演。これは2度目となる。昨日が、巣鴨で落語会、明日は東京でTV、夜も東京、明後日も東京で仕事と言ってた。ホント、本拠が東京に移ったみたいだから、東京のスタジオからの出演だった。話題は、先週の繁昌亭の記念ウィーク中心。Twitterを見ていると、1週間皆勤という人もいたが、似た人も、投稿してた。逆に、この機会にと、初めての繫昌亭どころか、初めての生落語という人もいる。こういった人たちを引っ張り込むには、ホント、この1週間の記念ウィークというのは、パワーを発揮します。ましてや、二葉を聴こうという人たちが集まってるから、空気は抜群だから、ええとこ来たと思ってもらえるはず。そうなんだよね、初というときに、そういう体験できれば、それを体感していると判るのは、幾つぐらいなんだろうねと、Dを繁昌亭に連れて行くタイミングを考えてしまってる黄紺です。クラシックのコンサートは、毎年連れて行って、どっかで解るかもと思ってたんだけどね。難しいところです。


2023年 7月 17日(月)午後 9時 35分

 暑い日が続きます。クーラーのお世話になりっぱなしです。絶好の洗濯日和ということで、朝一番に選択。そして、普段通りのウォーキング。9000歩近く、昼前のウォーキングで歩きました。今日は、午後に4時間という長丁場のオンライン配信を予約してあったので、ウォーキングは、午前中だけしかできないということでの企み。でも、ごく普通に歩けた。体力の恢復は十分と看ました。そして、午後のオンライン配信は、京大人文研アカデミー2023シンポジウム「もう一つの〈キリシタン信徒発見〉―1879年茨木・千提寺とフランス人宣教師」というもの。ハイブリッド開催ということだったので、オンライン配信を選んだ次第。取り上げられたのは、大阪の茨木市内の隠れキリシタン。黄紺は、かつて、高槻で勤務したことがある関係で、この茨木のことについては耳に入って来ていた。だけど、それって、もうん十年前のこと。今になって、こういった形で、シンポジウムが持たれることに、なんでだろの疑問が湧いた。馴染みのあるトピックだということだけではなく、そういった疑問に引き寄せらえて予約を入れてあったのでした。そのプログラムは、次のようなものでした。①平岡隆二(京都大学人文科学研究所・准教授)「禁教・潜伏・発見:キリシタンの3世紀(1614‒c.1920)」②マルタン・ノゲラ・ラモス(フランス国立極東学院・准教授)「パリ外国宣教会の“古キリシタン”探訪―マラン・プレシ神父の千提寺村発見を中心に―」③桑野梓(茨木市立文化財資料館・学芸員)「聖地と呼ばれた千提寺―遺物からみるキリシタン発見、その後―」④高木博志(京都大学人文科学研究所・教授)「再考、1920年、茨木キリシタン遺物の発見」⑤参加者への質疑応答。日本史の教科書でお馴染みのフランシスコ・ザビエルの肖像画は、この茨木のキリシタン遺跡から出て来たもの。それだけではなく、長崎などの著名な隠れキリシタン遺跡からは出てこない、形ある立派な遺物が、この茨木から出てくるという。③で、その辺りが詳細にレポートされたのだけど、確かに、えらいいいものが出てきている。京、大坂の近辺にありながら、それらを維持できたって、どういうことって、素人考えでも思ってしまう。が、そのわけは不明なままだそうだ。この地にキリシタンが多かったことは、高山右近のお膝元ということで、至極、納得なんだけど、ま、それが禁令後も残ったということなんでしょう。で、それが、禁教が解かれたあと、判ったわけが新鮮だった。知られているように、浦上で、隠れキリシタンが名乗り出るということがあった。それを受けて、ここだけではなかろうとの探索が、外国からやって来た宣教師らにより行われた。イエズス会の宣教師などは、その先端に立っていたようで、探索に当たっていた。一方、ある偶然が、この地に隠れキリシタンがいたことを証明付けるものの発見に至る。「マリア」名の入った墓碑銘の発見だった。それが糸口で、探索が続けられ、様々な発見に繋がるという構図だったようだ。大正年間のことだったようだが、まだ、その頃にも、警戒から、名乗り出ることなく、隠れの地位を守っていたということだ。ようやく見つけた隠れの人々の証言、更に、開かずの蔵などが開けられることで、大きな発見につながっていったということで、ザビエル像も、そういった中から発見されたものだそうだ。今回、それだけなら、今まで判っていたことだけど、そういった探索に当たったイエズス会の宣教師が残したメモ等が、フランスで発見され、より詳細な事態が明らかになったことで、こういったシンポジウムの開催となったということだった。ですから、このシンポジウムの核は②のレポート。ラモスさんは、「私は、日本史の研究者です」「初めてフランス語の文献を読むことになりました」と言われていたけれど、こういったフランス人の日本史研究者がいることで、一挙に、新たな研究の地平が開かれたようでした。そういった、ここに至るまでの過程を教えていただき、新たな発見の紹介となる②が白眉となったのだけど、肝心の核心で寝落ち。いつものように、核心部になると、こういったことが起こってしまいます。そんなで、そこは判らないまま。だから、それ以外でおもしろかったのは、「マリア」名の入った墓碑銘の発見をした人物、及び、その背景が説かれた➃。大元には、大正ロマン主義があった。時空を超えた作風。与謝野鉄幹・北原白秋・吉井勇・木下杢太郎らの見せた異国趣味、南蛮憧憬がある時代。これと、祇園の舞姫・舞妓の発見というのが、合わせ鏡になっていると言います。舞妓が画題になるのは、それ以後だとか。時空を超えちゃってるわけで、超えて、両者を結び付けた。これが、桃山文化・琳派顕彰と国画創作協会の桃山風画題の盛行が被ると言われていました。土田麦僊、入江波光の名前が出てくるとは、全く思いもよらぬこと。竹久夢二の「邪宗渡来」も、この部類だという。そういった空気を東大で吸った天坊幸彦なる人物が茨木中に赴任してきて、その教え子が、墓碑銘の発見者だというのです。南蛮趣味と隠れキリシタンが、こういった形で出逢い、そして、茨木での隠れに対する探索が深まって行ったと言います。まさか、こんなところで、日本美術史のお勉強をするとは思わなかった。国画創作協会というのは、折に触れては出逢うターム。小野竹喬のように明らかに、作風が、それ以前の日本画とは異なるというのは解りやすかったんだけど、決して、作風は一貫していない。閥とも思える日本画の世界で新機軸に走ったとは言え、作風が一貫していないのが気になっていたグループに対し、理解を深める一助になりそうです。全てをカバーできたわけではないが、解る範囲で楽しめたシンポジウム。そして、拡がりのある報告に、かなりの満足。4時間というのは、いかにも長かったけれど、内容の詰まったものとなりました。


2023年 7月 16日(日)午後 11時 13分

 この頃、出かけることが多かったので、今日は、お休みの日曜日。朝には、「日曜美術館」があるし、ヒュリエット紙の署名記事の読み残しもあったので、そういったことに時間を使い、ウォーキングも、ゆっくりとしたいし、ついでに公園で休憩しながらの読書もいいしと、ま、天気が良かったので、そんな時間を使うことができた。そして、今日は、この夏、初めてクーラーを使った日。まだいいかの気もあったのだけど、気温が上がったことは確か。でも、ウォーキングをしても、着替えをしなければならないほどは、汗をかいてない。ということは、暑さを感じなくなってると思い、これは、クーラーをかけた方が賢明と判断したのでした。クーラーを入れると快適だけどね、入れてから、入れるべきだったと思ってる。世間の物言いとずれてる。そこに危険の芽を見たというところでしょうか。
 今日の「日曜美術館」のお題は、「友よ!我らの美しき野は... 画家・三岸節子と長谷川春子」。三岸節子の方は、どこかで見かけた名前だなとは思うのだけど、たとえ見かけていても、どのような作家さんだとは、皆目知らない。ということで、また、新たな作家さんを知るいいきっかけになる放送となりました。冒頭、三岸節子の生前の映像が流れ、女性画家として生きていくことが並大抵じゃない時代を生きてきたことを吐露していたが、正に、そういった時代を生きてきた2人。三岸の場合、足に障害があったことから、親戚が癒えに来ると蔵の中に隠されたとか。それが、エネルギーの基になったようです。①を観た長谷川は、バラの花束を持って、三岸を訪ねて来たそうで、そこから始まる2人の交流。長谷川は、三岸よりは10歳上で、梅原龍三郎門下、パリに留学経験も持つ。2人とも裕福な家庭の出であったそうだ。だけど、2人の交友関係を、戦争は、無残に引き裂いてしまう。戦争協力者となった長谷川は、消極的な三岸を「非国民」と罵倒したと言います。戦後、女性画家としては、唯一、戦争協力者リストに載ったことから、事実上、作家生活ができなくなったようでした。そういった2人の活動を振り返りながら、作品を紹介する番組構成。MCの小野さんは、三岸の専用美術館のある尾張一宮、長谷川が戦争画を残している筥崎宮をも訪ねるという、奮迅の活躍。紹介された作品をメモっておきます。①三岸/自画像(20歳の作品、虚ろだけど空っぽじゃない、挑戦的な目、自分らしさを出せない時代に描く)②三岸/花③長谷川/妖しいゆめ➃三岸/室内(和室ではない室内。色調が限られている、絵の具の不足?)⑤長谷川/黒き巴里女(フォービスム風)⑥長谷川/無題(留学を終えて戻って来たころの作品、甥が形見分けでもらい保存)⑦長谷川/俳優の像(1933年、描くのが女性という逆転と、白人をアジア人が描くという逆転)⑧三岸/月夜の縞馬(1936年、七彩会に出品、縛られた縄が縞になる、縛られた女性)⑨長谷川/大東亜戦婦女皆働之図(筥崎宮が保管、半分は靖国神社が持つ、25人の女性画家共同制作、軍需工場で働く女性を描く、女性が男性の仕事をする、充実する雰囲気、女性の社会参加が実現、画家として認められる)⑩三岸/祝祭(大東亜共栄圏を寿ぐ)⑪三岸/静物(終戦後すぐの個展に出品)⑫長谷川/源氏物語絵巻53帖(筥崎宮に残す、最晩年の作品、60歳過ぎに筆をとる7年かけて制作、これの完成2年後に亡くなる、享年72歳、葬儀に三岸が訪問)⑬三岸/さいたさいたざくらがさいた(長谷川没の翌年1968年にフランスへ、20年間滞在、帰国後3年かけて制作、93歳で完成、アトリエの横にあった桜の老木、翌年没)。
 日曜日の夜は、毎度、午後9時半になると、YouTuber無職旅氏のライブ配信を視聴している。1時間という長さだけど、そのまま寝落ちすることが多いのだが、今日は大丈夫だった。昨夜は爆睡したからでしょうね。無職旅氏は、釜山旅行2泊3日から帰ってきたところ。聴いていると、2泊3日と言っても、実質観光は、丸1日。そんなタイトな日程で、どこを選んだのかというと、なんとまあ甘川文化村(カンチョンムナマウル)とチャガルチ市場だった。ま、抱き合わせやすいコースだけどね。チャガルチ駅前からバスに乗れば行けるので、そう言える。3日目には、朝5時半に、ソミョンの宿を出て帰ってる。なんとまあ、露骨な、行ってきたぞと言いたい旅なんでしょう。そんな旅動画をアップし続けてるので、そろそろあいそつかしをしようかと思うのだけど、替わりがないので、観てしまう。釜山を観たけりゃ、「わぼいそ釜山」というチャンネルを観れば十分なんだけど、なぜか、観てしまう。YouTubeって、ホント、変な毒性を持っている。自分でも、知らない内に、同じカテゴリーの入るチャンネルを取捨選択してしまってる。どこに基準を設けてるのか、自分でも不思議がいっぱいだ。韓国系YouTuberなんか、山ほどいるのに、ごく限られたチャンネルしか観ないしね。どういうことなんでしょうね?


2023年 7月 16日(日)午前 8時 12分

 昨日は、コンサートに行くという予定が入っていた。開演が、午後2時半、しかも、会場が京都ということで、午前中に、しばし時間ができたので、ごく軽めのウォーキング&買い物。ドライの酎ハイを買えるマートに行った。この間、NATO首脳会議があった関係からか、関係のニュース、舞台裏を書く記事が多く、ちょっと、お手上げ状態。スウェーデンの加盟問題に関し、やっぱ、アメリカの根回しが強かったのかな。NATO首脳会議のときに、トルコ・ギリシア首脳会議が行われたのも意味深。EUと絡めてくると、どうしてもネックになるのがギリシア。そのギリシアとの関係が、ここ数ヶ月はソフトに推移。なんか、できすぎ感が出てきてしまった。アメリカの根回しがあり、且つ、東地中海の小さな問題よりも大きな問題に目を向けてるという印象。なんか、その辺の署名記事を読んでいると、ロシアにとってのトルコって、ヨーロッパに繋がる頼み綱的に看えてしまった。実際は、そうなのかもしれないけど、その表向きの動きで、今後も推移して行くようなら、このウクライナ問題って、大きな地殻変動を喚起したことになるなと思ってしまってます。
 昨日のコンサートは、京都市交響楽団の定期演奏会。昨日は、今年から、定期のプログラムに取り入れた演奏会形式でのオペラ上演。演奏されたのは、R.シュトラウスの楽劇「サロメ」(作品54)。その歌手陣などを記すと、次のようになります。沼尻竜典(指揮)、田崎尚美(サロメ/ソプラノ)、福井敬(ヘロデ/テノール)、谷口睦美(ヘロディアス/メゾ・ソプラノ)、大沼徹(ヨカナーン/バリトン)、清水徹太郎(ナラボート/テノール)、山下裕賀(ヘロディアスの小姓/メゾ・ソプラノ)。ちょい役でも、名だたる歌手を揃えた布陣での公演。神奈川フィル、九州交響楽団との共催ということでの効果でしょうか。これだけの顔触れを集めた公演なのに、失態は自分の方にあった。というのも、売り出し時間を失念していて、買おうとしたときには、いつも贔屓にしていた席は埋まっていたため、結局、買ったのは、舞台背後の席の傍ら。これでは、歌手の声は響かない。背中から聴くことになっちゃった。そないななか、パワーを見せつけてくれたのが、主役の3人。福井敬なんか、抜けたテノールが少ないからか、様々な役を歌ってるけれど、ヘロデ的役柄、要するに、キャラクター・テノールが、一番合ってんじゃないのと思わせられる出来。その上を行ったのが、サロメを歌った田崎。時々、ノンヴィヴラートで歌うという技には痺れました。サロメという、「狂」の字の付く女を表す、いいアイデアです。と思っても、思うだけじゃない、それをやっちゃうということが、素晴らしい。残念なのは、場所柄、歌唱のディテールが判りかねるのが、玉に傷。沼尻の指揮は、冒頭の緊張感を作り出すことに、失敗。かなり、頼りなげな展開になりかけたんだけど、徐々に恢復。ヨカナーンが、地上に出て来た辺りから、只ならぬ空気を出すのに踏ん張り出した。そのおかげで、サロメの踊りは完璧。ここぞとばかりに、各パートが弾けだした風情。特に、パーカッションのチームが素晴らしい演奏を聴かせてくれました。オルガンまで導入されてるんですね、「サロメ」って。沼尻は、要所を外さず、起伏に富んだ音楽を紡ぎ出す人とインプットされてるけど、正に、それを見せてくれました。前方から聴きたかったなぁ。
 昨日は、このコンサートに行く頃には、薬が効き、とっても普通に歩けたということで、大胆なことをしてしまった。往きは、かなり股関節に配慮したけれど、終演後も快調だったので、コンサートホールからの帰りの定番、京阪三条駅まで歩くということにチャレンジ。このコースは、いくらでも逃げ場がある。常に、バスが、傍らを通っているし、鴨川沿いに出ると、京阪電車にも逃げることができる。この安心感があったのか、最後まで歩けました。さすがに、終盤は、疲労を感じてたけどね。それよか、半ば過ぎまで、身体が軽くて、「こんな感じ、久しぶりだよ」と思いながらのウォーキング。長い距離を歩いてなかったので、スタミナに不安じゃなくて、十分に休養をとったから身体が軽くなってた、そんな感じだった。帰宅後、万歩計を見ると、16000歩を上回っていた。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「行田編」。「行田って足袋しか知らねぇ」と思ってたら、そのトピックは、やはり、後半に出て来たけれど、出方が、全く知らなかったこと。現在の行田って、武家街の「忍」と商人街の「行田」でワンセットになった町で、日光街道と中山道に繋がる宿場があった行田の方に、スーパー産業が登場した。それが足袋だったってことで、その名前の方が生き残ったとか。一時、シェアは70%に達してたそうで、もう独占状態だったよう。前半は、古墳がテーマ。これは、全く知らなかったけれど、こんなところに稲荷山古墳があったと知って、至極、納得。国宝となった刀の搬送の往きと帰りの違いが傑作だった。それにしても、見栄えのする、いい古墳がいっぱいだ。行ってみたくなったね。


2023年 7月 14日(金)午後 10時 28分

 今日は、朝からお出かけ。最近、出かけると、京阪三条駅を利用している。京都文化博物館に行くにも、美術館のある岡崎、そして、今日行ったMOVIX京都も、この駅が最寄駅。今日は、今季最後のメトライブビューイング。つい2週間前に「ドンジョバンニ」を観たところということで、福井から高校時代の友人は来なかった。モーツァルト・マニアにしては、「魔笛」の新演出(サイモン・マクバーニー)が出るのにサボるのは、どうしたんでしょうか? 既に、予告編で、かなり斬新なものということが判っていたので、とっても楽しみにしていたプロダクションでした。舞台中央に敷き舞台があり、その四隅がワイヤーで吊ることができる。だから、四隅の引き具合で、どのような姿にでも吊り下げることもできる。しかも、敷き舞台の周りにもスペースがあるので、吊った敷き舞台と異なる舞台空間としてのやり取りが可能で、そればかりか、オケピット前を通ることも可能、オケピットから階段も付いているので、そこからの出入りも可能と、何でもできる舞台構造。プロジェクションマッピングを使い、舞台背後のスクリーンはもとより、小道具を重ねてスクリーンを作ったり、舞台前面に下した透明のスクリーンに、映像や画像を映し、歌手とのやり取りにも使い、且つ、その操作をする人間を、舞台袖に出す、効果音も、アナログで、その音響担当も、反対側の舞台袖に出すという、ちょっと、メトロポリタンでは考えられないプロダクション。ドイツでも、ここまでするのって、ブレーメンかなぁなんて思いながら観ていました。更に、衣装からすると現代だけど、一部、かなり凝ったメイクに衣装を使っていた。夜の女王は、婆さん。車いすに乗りながら、例のアリアを歌うなんて、誰も考えたことないんじゃないかな? 3人の童子も、爺さんメイク、あばら骨も見える痩せた爺さん。モノスタトスはイケメンの歌手。3人の侍女を含めて、あとは、それらの役と比べると、現代人の変わりのない恰好だったんじゃないかな? そうそう、パパゲーノは、身体にペンキを塗りたくったかのような衣装だった。そんなだから、筋立ていじりをするのか、思いがけないラストが待ってるのかと思いきや、スムーズに終わった。敷き舞台の上に立ったザラストロが勝ち、黒い衣装を着けた夜の女王一味が、その敷き舞台で圧殺されようかという感じで負ける。極めて明快な結末を見せていた。フィナーレでは、起き上がった夜の女王が、ザラストロと一緒に、大合唱の一員になってました。完全な敗北、屈服と看ました、その光景を。では、ザラストロの勝利は、何を意味するのか、勝たせねばならなかったのは、歴史的事実だからでしょう。それは家父長制だと看ました。「魔笛」に、そないなメッセージが入っていたとはという感じなんだけど、実は、字幕を見ながら、気になっていたもの。書き換えなんだろうかとも思ったけれど、いや、潜んでるのに、気づいていなかった。それを気づくようにアピールしてたってことかな? 男の一団がザラストロの神殿。女の一団が夜の女王一味。爺の姿をする童子って、気になるな、ともに神の領域だよ。男のタミーノに導かれ試練を受けるパミーノ。女をディするような歌詞も気になっていた。それとともに、老いた夜の女王というのは、女と同時に、老いたる者も圧殺する? 近代主義の持つ顔、家父長制で、男女格差が生まれる。生産第一主義で排除される人たち、エイジズムも出てくる。爺は童子とともに神の領域だったのに、そういった光景を、高らかに示して見せた。晒して見せることで、対象化、批判できるということか! 時間が経つにつれ、そういうことだったんだと思えるようになってきた優れもののプロダクション。「ドンジョバンニ」に次いで、考えさせられるプロダクションが続きました。メトも、変わってきたのかな? 友人の話だと、今までのような古典的な作品には、若い人はそっぽを向き、客の入りが悪いらしい。逆に、新しいオペラが人気だとか。その煽りを喰らい、来季は、9公演中、何と、3本も新作。友人は、「その内の1本くらい観に行こう」なんてこと、言っておりました。歌手陣を記しておきます。(パミーナ)エリン・モーリー、(タミーノ)ローレンス・ブラウンリー、(パパゲーノ)トーマス・オーリマンス、(夜の女王)キャスリン・ルイック、(ザラストロ)スティーヴン・ミリング。なお、指揮は、「ドンジョバンニ」に次いで、ナタリー・シュトゥッツマンでした。この中でピカ一は、ローレンス・ブラウンリーだった。安定したいい声、そうだ、タミーノって、この落ち着いた歌声が相応しいんだと、納得の歌唱でした。エリン・モーリーは、「ドンジョバンニ」では、MCを務めていた。泰然自若と、余裕のある歌声、大物感、たっぷりです。キャスリン・ルイックは、演技が抜群だし、中低音のしっかりした夜の女王は、そうはいないんじゃないかな。ただ、今日は、残念なことに、ハイFが上がり切ってなかったんじゃないかな。モノスタトスのブレントン・ライアンは、今後、どこかで、その名前を見る人じゃないかな。何かにつけ、申し分のない歌手。イケメンだしと、言うことなしでした。
 終わると、しっかりと1時半を、かなり回っていた。そこで近場の韓国料理屋で昼食。最近、ようやく、一人で外食するようになっている。このお店は、2週間前に、友人と昼食を食べたところ。そのとき、辛いのが苦手な友人に、「これなら大丈夫」と勧めたテンジャンチゲが辛かった。確かにテンジャンチゲは、辛くないというわけではない。たまに、コチュなり胡椒を使い、辛さを出しているのに当たることがある。一応、友人には、その旨、断ったんだけど、辛かったらしい。そこで、それが気になり、どんな味なのか、確かめに行ったというのが、正直なところ。で、辛かったのかと言うと、「辛かった」。しかも、あとに残る辛さだった。辛さ自体は酷くはないのだけどね。コチュの辛さなのか、胡椒によるものかが判然としなかったが、黄紺的には胡椒かなというところ。それよか、味噌味が濃かった。これも、あるんだよね、韓国で。自分的には、日本の味とは異なる分、なじみにくい面がある。前回食べたキムチチゲにせよ、どうも、このお店、ちょっとクセのある味付けですね。こうやって、ついでの食事というもの、なかなか楽しいものがあります。今後も、活用させてもらうことにしましょう。


2023年 7月 14日(金)午後 10時 28分

 今日は、朝からお出かけ。最近、出かけると、京阪三条駅を利用している。京都文化博物館に行くにも、美術館のある岡崎、そして、今日行ったMOVIX京都も、この駅が最寄駅。今日は、今季最後のメトライブビューイング。つい2週間前に「ドンジョバンニ」を観たところということで、福井から高校時代の友人は来なかった。モーツァルト・マニアにしては、「魔笛」の新演出(サイモン・マクバーニー)が出るのにサボるのは、どうしたんでしょうか? 既に、予告編で、かなり斬新なものということが判っていたので、とっても楽しみにしていたプロダクションでした。舞台中央に敷き舞台があり、その四隅がワイヤーで吊ることができる。だから、四隅の引き具合で、どのような姿にでも吊り下げることもできる。しかも、敷き舞台の周りにもスペースがあるので、吊った敷き舞台と異なる舞台空間としてのやり取りが可能で、そればかりか、オケピット前を通ることも可能、オケピットから階段も付いているので、そこからの出入りも可能と、何でもできる舞台構造。プロジェクションマッピングを使い、舞台背後のスクリーンはもとより、小道具を重ねてスクリーンを作ったり、舞台前面に下した透明のスクリーンに、映像や画像を映し、歌手とのやり取りにも使い、且つ、その操作をする人間を、舞台袖に出す、効果音も、アナログで、その音響担当も、反対側の舞台袖に出すという、ちょっと、メトロポリタンでは考えられないプロダクション。ドイツでも、ここまでするのって、ブレーメンかなぁなんて思いながら観ていました。更に、衣装からすると現代だけど、一部、かなり凝ったメイクに衣装を使っていた。夜の女王は、婆さん。車いすに乗りながら、例のアリアを歌うなんて、誰も考えたことないんじゃないかな? 3人の童子も、爺さんメイク、あばら骨も見える痩せた爺さん。モノスタトスはイケメンの歌手。3人の侍女を含めて、あとは、それらの役と比べると、現代人の変わりのない恰好だったんじゃないかな? そうそう、パパゲーノは、身体にペンキを塗りたくったかのような衣装だった。そんなだから、筋立ていじりをするのか、思いがけないラストが待ってるのかと思いきや、スムーズに終わった。敷き舞台の上に立ったザラストロが勝ち、黒い衣装を着けた夜の女王一味が、その敷き舞台で圧殺されようかという感じで負ける。極めて明快な結末を見せていた。フィナーレでは、起き上がった夜の女王が、ザラストロと一緒に、大合唱の一員になってました。完全な敗北、屈服と看ました、その光景を。では、ザラストロの勝利は、何を意味するのか、勝たせねばならなかったのは、歴史的事実だからでしょう。それは家父長制だと看ました。「魔笛」に、そないなメッセージが入っていたとはという感じなんだけど、実は、字幕を見ながら、気になっていたもの。書き換えなんだろうかとも思ったけれど、いや、潜んでるのに、気づいていなかった。それを気づくようにアピールしてたってことかな? 男の一団がザラストロの神殿。女の一団が夜の女王一味。爺の姿をする童子って、気になるな、ともに神の領域だよ。男のタミーノに導かれ試練を受けるパミーノ。女をディするような歌詞も気になっていた。それとともに、老いた夜の女王というのは、女と同時に、老いたる者も圧殺する? 近代主義の持つ顔、家父長制で、男女格差が生まれる。生産第一主義で排除される人たち、エイジズムも出てくる。爺は童子とともに神の領域だったのに、そういった光景を、高らかに示して見せた。晒して見せることで、対象化、批判できるということか! 時間が経つにつれ、そういうことだったんだと思えるようになってきた優れもののプロダクション。「ドンジョバンニ」に次いで、考えさせられるプロダクションが続きました。メトも、変わってきたのかな? 友人の話だと、今までのような古典的な作品には、若い人はそっぽを向き、客の入りが悪いらしい。逆に、新しいオペラが人気だとか。その煽りを喰らい、来季は、9公演中、何と、3本も新作。友人は、「その内の1本くらい観に行こう」なんてこと、言っておりました。歌手陣を記しておきます。(パミーナ)エリン・モーリー、(タミーノ)ローレンス・ブラウンリー、(パパゲーノ)トーマス・オーリマンス、(夜の女王)キャスリン・ルイック、(ザラストロ)スティーヴン・ミリング。なお、指揮は、「ドンジョバンニ」に次いで、ナタリー・シュトゥッツマンでした。この中でピカ一は、ローレンス・ブラウンリーだった。安定したいい声、そうだ、タミーノって、この落ち着いた歌声が相応しいんだと、納得の歌唱でした。エリン・モーリーは、「ドンジョバンニ」では、MCを務めていた。泰然自若と、余裕のある歌声、大物感、たっぷりです。キャスリン・ルイックは、演技が抜群だし、中低音のしっかりした夜の女王は、そうはいないんじゃないかな。ただ、今日は、残念なことに、ハイFが上がり切ってなかったんじゃないかな。モノスタトスのブレントン・ライアンは、今後、どこかで、その名前を見る人じゃないかな。何かにつけ、申し分のない歌手。イケメンだしと、言うことなしでした。
 終わると、しっかりと1時半を、かなり回っていた。そこで近場の韓国料理屋で昼食。最近、ようやく、一人で外食するようになっている。このお店は、2週間前に、友人と昼食を食べたところ。そのとき、辛いのが苦手な友人に、「これなら大丈夫」と勧めたテンジャンチゲが辛かった。確かにテンジャンチゲは、辛くないというわけではない。たまに、コチュなり胡椒を使い、辛さを出しているのに当たることがある。一応、友人には、その旨、断ったんだけど、辛かったらしい。そこで、それが気になり、どんな味なのか、確かめに行ったというのが、正直なところ。で、辛かったのかと言うと、「辛かった」。しかも、あとに残る辛さだった。辛さ自体は酷くはないのだけどね。コチュの辛さなのか、胡椒によるものかが判然としなかったが、黄紺的には胡椒かなというところ。それよか、味噌味が濃かった。これも、あるんだよね、韓国で。自分的には、日本の味とは異なる分、なじみにくい面がある。前回食べたキムチチゲにせよ、どうも、このお店、ちょっとクセのある味付けですね。こうやって、ついでの食事というもの、なかなか楽しいものがあります。今後も、活用させてもらうことにしましょう。


2023年 7月 13日(木)午後 9時 27分

 昨晩、映画から帰ってきて、酎ハイを飲みながら、ヒュリエット紙の電子版のチェックを入れていたら、PCの前で寝落ち。これだから、夜のお出かけはダメなんだな。もう、身体が、お眠り時間になっている。映画を観ている時間に眠らなくって、まだ良かったと言うことが、せめてもの慰め。そんなことを思いながらも、昨日の映画は良かった。時間が経っても、いい映画観た感が続いている。このジレンマ。いろんなものを、それこそ生で観たり聴いたりしたいけど、自分の生活リズムを壊したくないとの気持ちのジレンマ。結局、昨夜、チェックを入れてたものは、今朝になってから読んだり、また、昨夜できなかったことをしたりということで、朝からずっとPCの前に座り過ぎ。でも、外は雨が降ってたから、それしかできないし。仕方ないことです。
 結局、強弱はあったけど、ずっと降ってたという、雨の一日。今日も、京都文化博物館での「EUフィルムデーズ2023 映画でつながるヨーロッパ」に行った。予定では、今日が最後になるはず。今日の映画は、ベルギー映画の「模範社員」。プログラムのカテゴリー分けでは、「越境して働く、社会の中で生きる」となってたので、移民とか難民といった人たちの物語かと思い、ピックアップしたんだけど、全く関係なかった。主役の女性イネスのオフィスに、1人の若い黒人女性が現れるところから、物語はスタート。そこから、その日の夜までの物語。イネスが女性であるため、職場で、昇進や昇給で、不当な差別を受けているということが、そのボヤキから、簡単に判る。新たに入った女性は、知り合いのつてで入ってきたようだけど、言い渡された仕事は、文書をシュレッダーにかけるというもの。それがテーマかと、俄かに信じがたかった。今のベルギーで、それがテーマになるかと思うと、そう思った。だからからか、この映画では、会社の男どものキャラを、かなり滑稽味を持たせて描いている。仕草、言葉遣い、キャラ付け、そういった全般に渡っての演出。で、この映画で、何をやりたいのと思い出した頃合いに、1つの思わない出来事が発生する。昇給を求めに、社長と談判中、社長が、イネスに言い寄ったときに、この2人には男女関係があったようなんだが、その態度に、衝撃的に、近くにあったブロンズ像で、イネスが殺してしまう。音に驚いて入って来た新入り、でも、イネスは、死体の処理を手伝わす、また、新入りの女性も、それを手伝いだすということになる。そこから、その死体が見つかりそうになると、他の社員を殺し、監査役の女性が、社内の不審な様子に疑問を持つと、射殺をするなどと行ったことが、連続的に起こり、その都度、その死体を隠したり、また、死体の処理を、2人で工夫したりしていく。なぜだか、ビルの地下には、化学薬品庫に処理場があるものだから、そこに死体を運び溶解させて処理していくというシーンが続く。それを、コミカルに進めていくという、かなりブラックな展開。観ていて、決していい感じがしないことがないというのが、この映画のおもしろいところ。終盤は、たまたま、この会社の経理に不審なところがあると調査に入っていた警察官に、事件が発覚。で、万事休すかと思えば、罪を、かつて、新入りの女性を学生時代にレイプした大学教授になすりつけ、しかも、地下の化学薬品庫&処理場を爆発させ、証拠を消して、しかも、会社の隠し金のありかを、たまたま見つけたイネスが、金を山分けにして立ち去るというもの。映画に出てくる気になる女性たち。イネスは45歳、独身、子どもなしなのかな? 社長と男女の関係あり、それを、今も心待ちにしている気配がある。でも、会社内で露骨な差別を受けている。白人。新入りの女性は、この会社の清掃の仕事をしている女性の娘、与えられた仕事は、イネス以下の単純事務作業、そして、黒人、但し、ブリュッセル生まれ。女性の警察官、産み月の大きな腹、いつ産まれるか判らない、そういった時期に働いている。財務調査に入るという知的な仕事、白人。年齢的には、イネスと変わらないというもの。監査に入っていた女性、異変に気付いたために、イネスに射殺される、白人。仕事は知的なもの。差別の重層構造をディする、女性労働の実態をディする、そう言ってしまえば、えらく簡単に見えてしまう、映画の構造だけど、この映画を観て、連続的に出てくる殺しと死体遺棄を、不快に思えない。ギャング映画に出てくる殺しとも違う。「あら、殺しちゃった」「また、やっちゃった」とだけ思う。映画全体を包む空気、ギャグ映画とだけ観るには勿体ない気もするけど、この映画の設定自体が、最早、大時代過ぎて、単純なギャグ映画と観れるということなんだろうね。そこに、彼我の違いがあるのでしょうね。でも、そんな単純な見方でいいのかとも思うのだけどな。


2023年 7月 13日(木)午前 8時 22分

 昨日は、珍しく、夕方からのお出かけ。だから、昼間は、普通の生活。洗濯日にも充てたが、それが虚けた話で、午前中にやってしまうつもりが、その時間になると失念。ウォーキングに出かけて、半ばで、変だと気づいた。「あれ? 今日の予定は、これじゃなかったんじゃないか?」と。ま、こんなんやね、もう、ずっと。半ばまで来ていたが、体力温存&時間確保のため、ウォーキングを切り上げることに。その合間に、「まーぶる」を、全部聴けてなかったので、聴いていた。「まーぶる」の後半で、黒紋付に着替え、繁昌亭の大賞受賞記念の会に駆け付けた日の放送だ。自身のTwitterに、京都駅で新幹線に乗り込む直前の写真を公開、それでは黒紋付だったので、これなら、KBS京都での放送は、これでやってたということは判ったんだけど、放送の冒頭では着てなかった。放送のどこかで着替えたんだと思い、どこのタイミングで着替えたか、注意しながら聴いていたが、判らなかった。それだけ、不自然に長く、二葉の声が途絶えた時間がなかったということ。慣れてるだろうからとは言え、凄いことだと、感心しちゃいました。
 夜のお出かけは、京都文化博物館での「EUフィルムデーズ2023 映画でつながるヨーロッパ」。昨日は、ウクライナ映画「ルクセンブルク、ルクセンブルク」を観た。ウクライナものだったからか、いや、口コミ的なもので、おもしろいと噂が拡散していたからでしょうか、結構な入りに驚かされました。会場には、ちらほら、ウクライナ人と思しき人の姿もあり、先日の、オーストリア映画とは、かなり違った雰囲気。そして、めっちゃおもしかった。もう1度、仕掛けが潜んでないか、いや、そんなことでなくても、じっくりと鑑賞してみたい、素敵な作品でした。双子の兄弟コーリャとヴァーシャの父は 2人が幼いころに家を出て行ったきり一度も戻っていない。が、突然、その父が外国で入院していて先が長くないとの知らせが届き、最終的には、遠いルクセンブルクへ、2人で車に乗り出かけるというもの。ロードムービーかと、紹介文を読んだときは思ったんだけど、そうではなかった。確かに、車で向かうのだけど、それは、さほど時間は取られず、そこが核心ではなかった。冒頭、子どもの頃の思い出が描かれる。ここが大事な場面。子どもにとり、父親って、どんな存在かを見せてくれる。デフォルメされているということ、子ども視線で見る父親って、拳銃をぶっ放してまで、子どもを救うためには、汽車まで止めてしまう。いや、父親だけではなく、親族が、手に手にライフルを備え、車を連ねて子どもを救いに出かける。その中心に父親がいる。でも、その父親が、いなくなった。子どもの頃に。そこから、場面は、一挙に20年後になる。双子の1人は、ミニバスの運転手、全くうだつが上がらない。父親のカッコよさには程遠い。母親は、他の男を家に入れている。小遣い稼ぎに麻薬の売人をしている。それで稼いだのか、いい車を持っている。それが自慢らしい。もう1人の双子は警察官。と言っても、あまり成績のいい警察官ではないらしい。家庭を持っているが、マスオさん状態のようで、妻にえらぶられている。兄弟の麻薬の売人という情報が入ってきたときに、家庭で妻にぼろくそに言われ、かねてより、兄弟が言っていた、ルクセンブルクで入院しているという実父の見舞いに行くことに同意。ここで、ようやくロードに出るが、ここが中心ではないから、あっさりめにルクセンブルクに着く。領事館の人の支援を得て、父親にたどり着くが、既に亡くなっていた。しかし、遺体を見せてもらったところ、実父ではなかった。落胆する双子を慰めるために、領事館の人が食事をごちそう。その合間に、電話が入り、麻薬の件はどうなったと警察官の男のスマホに入ったのを、たまたま見てしまった男の方は、ここで逃走。後で、スマホの通信記録を見て、兄弟が消えたわけを知る男。仕方なく、一人でウクライナに戻る。そこで立ち寄ったガソリンスタンド。そこで働く老いた男が給油する際に見た手。何も台詞は入らないが、遺体確認で実父でないことが確認できたのが手でだったので、それで、その老いた男が実父であると確信したのでしょう。言葉はかけないが、カメラの追い方で、男は確信していると見えます。だが。言葉をかけないで立ち去り、しばらくして車を止め、カセットテープを取り出します。音楽を聴くのかと思うと、そのケースの中に入ってる、1枚の葉っぱを取り出します。その葉っぱこそが、父親の思い出。冒頭の場面、救い出された子ども、車で帰るのでしょう。その車の中で、父親が、双子の1人に与えた葉っぱだったのです。その葉っぱを見ながら男が、手を握り、もう1度、開けると、葉っぱは、粉々に。これがラストシーンでした。涙腺、刺激されちゃいました。ここで、初めて、冒頭の子ども時代のシーンで、父親や親族が、まるで、ギャングみたいに、銃をぶっ放してたわけが判りました。何をしても、子どもを助ける、それを、子ども視線で描いて見せてくれたってことが。そうだな、自分の父親は、子どもの頃は、入院してたので、そういった銃をぶっ放すほど強い、カッコのええとこ見てないけど、息子や、ましてや、DやSには、そうなのかもしれないと、そういったイマジネーションが働くと、余計に切なくなってしまう映画。グッジョブ、めっちゃ、いい映画。成長した双子の出来のあまり良くない姿の描き方、その背後にあるウクライナの、なんともなくいい感じの長閑さ、いや、ええかげんさが、たまらなくいい。それに被さる、ロマ音楽の混じるBGMもええしね、東欧や、これって感じで、ええもん見せてもらいました。


2023年 7月 12日(水)午前 8時 52分

 昨日は、空きの火曜日ということで、どこかのミュージアムに行こうと思っていた。候補は、幾つかあったんだけど、既に前売券を買ってあったこともあり、別に、会期は長いのだけど、それに決めてあった。それは、京セラ美術館の「ルーヴル美術館展 愛を描く」。先日、コレクション展に行ったことで、この展覧会が、大変な混みようだが、平日の午後は大丈夫と、係の方に教えてもらっていたので、一応、オンライン上で時間予約もしておいたが、実際には、それを使わずに入れた。予約時間は午後3時半、この美術館は、午後6時まで開けているので、これで十分だろうということの判断だった。そんなで、午前中は、ゆったりと普通の生活。ただ、スウェーデンのNATO加盟問題に決着がついたので、その関係の情報が多く、それをこなすのに時間が取られてしまったけれど、ミュージアム行きには、全く障りはなかった。つい数日前から感じてた、大統領のものの言い方、言葉では表現できない、何やしら微妙な変化が出ていた。アメリカが、積極的に動いているようだし、直前には、アメリカと外相同士が、1日に2回も電話会談をやってた。NATO事務総長の言葉も楽観的だったのも、そういった気配に拍車をかけた。アメリカが動いてたので、F16配備に関し、アメリカが前向きな態度を出すだろうとは思ってたが、驚いたのは、カテゴリーが違うはずの、ましてや、埒外のはずのアメリカが、トルコのEU加盟を積極的に支援するという言辞。そのためか、カテゴリーの違うはずのEU議長までリトアニア入りして、大統領と会談を持った。スウェーデンが、トルコのEUを積極的に支持すると言っても、ギリシアがうんと言わないとダメなことなのに、この件とバーターにすること自体が驚きとなった。関税の問題、ノーヴィザ渡航へ話は進むそうだけど、一部でうんと言って、あとは無理だよになりそうなことがバーターになるの、なんか釈然としない決着です。ここで、うんと言って、穀物搬出期限が来てしまってるの、大丈夫やろかとか、ウクライナ絡みの展開も要注意という感じになった。それはそれとして、午前中は、短めのウォーキングと、短くしたからできた時間を使い、公園での読書。ただ、ポズナン事件(暴動)やルーマニアの政変に関する記述が気になってしまってるが、東欧の戦後史のふりかえりのために見つけた本を読んでいます。
 京セラ美術館は、確かに平日の午後は、心配要らなかった。と言っても、昨日は、股関節痛の調子が悪かったので、きついことはきついんだけど、そういった時期に行ったということで、覚悟済み。しかし、最後まで来て、出口にあった長椅子に、しばし座ったまま、動けなかったな。とにかく、昨日は、ミュージアム遊びにはいい体調ではなかったことだけは確か。この展示内容は、東京での展示に合わせて、「日曜美術館」で放映があったので、覚えている分にとっては、とっても解かりやすく、親しみを感じてしまった。冒頭にいきなり、ブーシェに迎えられたのには、びっくり。今回の展示、時系列的に並べるのではなく、テーマに沿い、作品がピックアップされ、それが置かれている。いきなり、ブーシェの「アモルの標的」がお出迎えの最初のコーナーは「愛の発明」。これを始めに、キリスト教的愛が出てくるまでは、古典古代の神話に取材した愛の姿を視覚化した絵画が続く。その中には、ワトーの「ニンフとサテュロス」があったりしたが、ワトーが出てくるのは、ここではないだろうと却下。ワトーと言えば、後半にあったコーナー「優雅な牧歌的な恋愛~フランス流の誘惑のゲーム~」に出てきてしかるべきと思ったのだけ、確かに、そこでは「庭園で戯れる貴人たち」のモチーフの作品はあり、且つ「ワトーとともに知られた」という紹介文があったのだけど、そこには、肝心のワトーがなかった。ワトーものが今いちだという不満は残ったな。男性の暴力的な愛の形に対して、女性の愛の姿として、魔法というコードが入ってきた。「リナウド」のモチーフが絵画として扱われたりしていた。思わず、リナウドを慕う女のアリアを口ずさんでしまってたな。こういった形式の展示なため、時系列的に追えるというものではなかったが、展示されていた作品は、17~19世紀前半のものからピックアップされていた。コーナーは、更に、「死が二人を分かつまで~恋人たちの結末」「愛の勝利」と続いた。後者では、ウスターシュ・ル・シュウールの連作が並んでいた。アモルの生涯を扱っていた。次いで、現れたのが、新たなテーマ「キリスト教の神のもとに」。キリスト教の愛に関わる挿話、これに見合った作品が判りやすい。「放蕩息子の帰還」に関わる作品が、他の挿話に比べると、多く出ていました。「聖家族」「殉教図」「マグダラのマリア」と、通り一遍のモチーフが並び、古典古代の展示に比べると、これしか手はないのかもしれないけど、ちょっと「ありきたり感」が支配してたな。最高におもしろかったのは、その次。大きなコーナー立てとして「人間のもとに~誘惑の時代」。その1として「室内と酒場~オランダ絵画における愛の悦びと駆け引き~」。「愛の発見」とともに、企画されたキュレーターさんの熱量を一番感じたオランダ風俗画の世界だ。「日曜美術館」でも、同様の熱量だったように記憶する。ミハエル・スウェールツの「若者と取り持ち女」は、売春宿での掛け合い場面、ヘラルト・テル・ボルフの「粋な兵士、または、男性から金を渡される女」は、個別売春的な場面。都会に出て来た女の生計の手段だったのでしょうか? サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの「部屋履き」は、「日曜美術館」で話題になった問題作。人は出てこないが、浮気に現を抜かす空気感が出ているもの。めっちゃ、おもろい。そして、「優雅な牧歌的な恋愛」のコーナーを挟んで、ついに到達、フラゴナールの「かんぬき」。エロティシズム、満載やわ、ホント。光の当て具合が、二人とも、待ちに待った逢瀬であることを演出しています。過剰とも思える演出だけど、男のかんぬきに掛かる手、法悦に満ちた女の表情からすると、その過剰さが必要に見えてしまう。えぐい、えぐい! その横に展示されているのが、何ともはや、洒落ているというか、ずる賢いというか、ブーシェの「アモルをささえる三美神」。この絵が支えるエモーショナルな姿こそ、フラゴナールの世界だと言わんばかり。その右背後には、これまたエロいブーシェの「褐色の髪のオダリスク」。AVじゃないのと思えるような構図。でも、女の顔全体が、その構図に合わない印象。でも、敢えて、そうしてるんでしょうね。当時の風俗からすると、それでいいのだと看るしかないなと思っておきます。「夫婦の幸福の演出」に次いでのコーナーも意味深、「結婚の絆か? 愛の絆か?」、でも、ブルジョア道徳が顔を出してきます。最後の大きなコーナー立てが「19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇」となっており、いよいよ家族の肖像的な作品群に向かうのかと思ったら、あにはからんや、そうではなかった。「ロミオとジュリエット」「フランチェスカ・ダ・リミニ」といったモチーフが出てくるかと思うと、ホモセクシュアルを臭わすような、クロード・マリー・デビュッフの「アポロンとキュバリス」なんて作品もあり、混乱のまま終了でした。「ルーブル美術館展」と言って、こういった物語を骨子にした展示ってなると、大元の美術館には、その骨子に沿える作品が多くあるのだから、仕上がりが、とっても充実したものになります。正に、キュレーターの腕の見せどころというやつですね。全部で、1時間20分の鑑賞。このくらいの時間で、昨日は、完全に、腰が悲鳴を上げていたな。そろそろ、地方美術館巡りを再開しようかと思ってる身には、かなりの衝撃。そんなだから、ちょっと歩いてみようかとも考えてたんだけど、あっさり諦め、そのまま帰ることにしましたとさ。


2023年 7月 10日(月)午後 10時 57分

 週明けの月曜日は、多くの場合がそうであるように、お出かけはなし。椎間板ヘルニアで困るようになってから、映画情報を集めても行けないという癖がついてしまい、ぼちぼち行けるのにも拘わらず、チェックをサボってたら、衝撃の走るニュースが飛び込んできた。京都みなみ会館が、9月だったかな、閉鎖するというのだ。確かに、1人や2人で見たことが何度かあるので、大丈夫かと思ってたら、その懸念が当たってしまった。いい映画館なんだけどなぁ。そのまま、誰か、引き継いでくれないかなぁ。せっかく、コロナ禍を生き抜いたのにと思ってしまう。
 特に予定がないので、ウォーキングを再開したいと思い、腰痛、股関節通が出る前に歩いていたコースを歩こうかと試みたが、途中で断念。某公園に差し掛かると、疲労を感じてしまい、日陰のベンチで読書。「東欧革命」関係の本を読んでると、おもしろくて。ウォーキングどころでもなくなったこともあり、それ以上を歩かないで引き返すことに。でも、午前中のウォーキングだけで、7200歩歩いていた。でも、今日は、股関節の具合は、あまりいい状態ではなかったので、これでも歩きすぎたかと、数字を見て驚いてしまった。そのため、夕方は自重気味。結局、ここでも読書に時間を割き、「東欧革命」の本、最後まで読んでしまった。次は、時系列的には逆になるのだけど、「戦後の東欧史」をテーマにした本が家にあったので、それを読むことにした。結局、帰宅後、万歩計を見ると、12000歩を僅かに下回っていた。ここ1週間ほど、たくさん歩いたかなと思うと、このくらいだ。腰&股関節、疲労、総合的に見て、これを目安に、徐々に増やしていこうとすることにしましょう。もう少し歩けないと、旅には出かけられないからね。
 その旅だけど、ちょっと具体化させつつある。外国は、時期尚早ということで、前から考えていた、福岡から釜山に渡るという旅は無理と考え、せめて、この旅の発端となった北九州美術館には行こうと、策を練った。そこで思い出したのが、ディープな音楽ファン氏が言ってられた「国内オケ行脚の旅」。となると、九州交響楽団。手ごろなコンサートがないか探すと、1つあった。それに合わせての福岡県の旅、2泊3日を考案した。美術館は、北九州美術館で「芳年・芳幾展」と「ミュッシャ展」を別々の日に観て、股関節痛に備える。もう1つの美術館は、念願の福岡アジア美術館で、アジアの気鋭のアーティストのアート作品を観て、体力に余裕があれば、福岡県美術館のコレクション展を観る。残りの時間は、北九州工業地帯の跡を確かめる。旧八幡製鉄、若松港なんかを狙うことにしましょう。ドイツに行ってから、近代産業遺産に惹かれてしまってるのです。計画は成ったが、コンサートの関係でお盆休み直前というのが、大きなダメージ。早めに準備をして行けたら行くことにしましょう。切り離された韓国は、秋に狙うことにします。年内に、もう1度は行っておきたいからね。


2023年 7月 9日(日)午後 11時 40分

 今日は、雨模様の鬱陶しい一日。ただ、そうは言っても、むしむしという感じではなかったのは有難かった日曜日。午後の遅めからは、京都文化博物館へ映画を観に行ってきた。椎間板ヘルニアで、映画は、すっかりご無沙汰。そんなことにも気が向くようになってきたってことは、かなり快方に向かってきた証拠。今、飲んでる薬が、2週間を過ぎてから、かなり効力を発揮してきているという実感が出てきている。
 日曜日だということで、朝のお楽しみの「日曜美術館」は、今日は、MCの小野さん一人で長野県まで出かけたのかな。そのお題は「だるまさんの魔法 絵本作家かがくいひろし」。子どもらには買ったことがないけど、知っていることは知っている絵本「だるまさん」の作者かがくいひろしを取り上げた。絵本は知っていても、作者の名前は、今回、初めて知ることになった。かがくいひろしの経歴がおもしろい。1976年に東京学芸大学。姉が、障害を持っていて、幼くして亡くなったことから、障害児教育の道に進む。その教員生活でのユニークな取り組みが、残された映像で紹介されていた。30代で人形劇に、40代で絵本に取り組むようになった。50歳で***新人賞を得て、「おもちのきもち」という絵本でデビュー。52歳のときに、代表作「だるまさん」を出す。2008年11月出版、爆発的な売れ行き。「だるまさんの」「だるまさんと」という続編も出版。54歳で教師を辞める、2009年4月に専業作家となる。その後、間もなく、膵臓がんで亡くなる。絵本作家としての実働期間は、僅か4年間。「だるまさん」を出版した当時の担当編集者沖本さんの手には、制作途中の草稿が残る。ただただ、「へぇ~」としか言いようのない生涯。徒に生きている我が身と、思わず比べてしまってました。作品の端っこは知っていながら、全く、その背後にあるものを見てこなかった身の程知らずに、驚くばかりです。
 映画は、「EUフィルムデーズ2023 映画でつながるヨーロッパ」という催しで流れた映画。このイベントが、毎年のように行われているのに、なかなか冒頭から押さえれていないというのが実状。いつしか、ドイツ在住トルコ人の作った難解な映画を観たときも、ほぼ終わりかけで気が着いた記憶。今回も、オーストリア観光局メルマガに紹介されたのを見て、初めて知った。というのも、今日見たオーストリア映画「アイスマイヤー曹長の選択」が、この映画祭で上映されるということで、映画祭自体の紹介が掲載されていたため知ったというわけ。こういった映画祭で、何本もの映画が上映される場合、黄紺的関心は、「セクシャリティ」と「国境を越えた人口移動」。これに関わる映画をピックアップする。今日も、その類の関心でのピックアップだった。今日の映画の特殊性は、軍隊という男社会内での同性愛者という問題。男社会であるために、同性愛志向であることの隠れ蓑になれるとばかりに居丈高に男を前面に出す指揮官。新兵の教練役で、猛烈にパワーを見せつけるという年配の男。但し、根っからの同性愛者であるとの自覚があるにも拘わらず、結婚をして子どもまである。そもそも軍に入ったのは、息子が同性愛者であることを知った父親に勧められてのものだった。だから、その男は、男を出すためにパワーを見せつけるという風になっていた。その男が目を付け、やがて結ばれる相手となる男は、訓練を受ける新兵。仲間の間では、同性愛者であることは知られてしまっていた。この2人の惹かれ合い、更に、仲が深まっていく様は細かくは追われないのが、なんとなくもどかしい。仲が深まれば、妻にも疑いの目を向けられる。秘密の関係、偽装とも見える結婚、しっくりいかない結婚生活、、、言い古された言説が、この映画でも繰り返されるので、「モーリス」と、どこが違うねんと、突っ込んでしまってました。あっちは全寮制寄宿舎、こっちは軍隊、その違いだけやないか。何か、新しい視点を投げかけてくれてるかもという期待は、あっさりと消えたけど、この停滞が、問題の持つ深さを表しているのかもしれませんね。この映画祭、あと1~2本、観るチャンスがあると思っています。


2023年 7月 9日(日)午前 7時 10分

 前日に寝過ぎたためか、一昨夜は、寝つきが悪く、4時間程でお目覚め。暑かったからかな? 熱帯夜ってやつだったかもしれない。ようやく、朝から、普通の食事ができた。腰痛もそうだけど、この「普通」ってのが、ホント、ありがたい。昨日は、洗濯日と考えていたのと、胃カメラ検査の予約をしに行こうと思ってた。これは午前中に済ませ、午後にはミュージアムに行くことにしていた。だから、わりかしせわしない。せわしなく動くと、体力が落ちているので、ベッドに寝転がる。変な癖がついてしまった。椎間板ヘルニア以前は、ほぼ昼間に、ベッドに寝転がるなんてことしなかったのに、最近は、すぐにしたがる。腰にはいいかとは思うのだけど。胃カメラ検査は、いつもだと、2~3日内に行うことが決まるのだけど、今回は珍しく、再来週になった。朝一番だから、2つのアスニーに行く予定がなければ、いつでもいいんだけどね。
 午後のミュージアムは、京セラ美術館の「2023 夏期 コレクションルーム」。ここの展覧会は混まないというのが嬉しい。傍らで行われている「ルーブル美術館展」は、大変な人出だった。入場制限を採ってましたね。嫌やでぇ、前売りチケット買ったがな。フラゴナールなんかのロココ絵画が来ると言うので、買ってしもたがな。混みそうなのは敬遠するのだけど、「鏑木清方展」で免疫ができてしまい、混みそうな展覧会も行こうとしている最近の黄紺です。秋の「竹内栖鳳展」も、やばいかと思いながら行く気になってます。この夏期のコレクション展には副題が付いていた。特集「人間国宝 稲垣稔次郎 ―遊び心に触れて―」というもの。と言われても、相変わらず、ものを知らない黄紺は、稲垣稔次郎と聞いても、さっぱり解らない。中に入って、初めて染織の作家さんだと知ったが、作品は解りやすいものだけど、その作品が、どのように作られているのかが判らない。着物に染められたデザイン作家という部分は解るけど、その模様、柄を、型を作って、それを使い染められているようなんだけど、その工程なんかは皆目判らない。どこに優れた技が使われているのかが、判らないまま。解説には、キーとなるタームが使われているため、それのイメージが掴めないため、外国語を読んでるような感じになってしまった。そんなだから、展示されているものの技術的なことと関係なく、図柄として、また、絵画的な作品(特にこれの制作過程はチンプンカンプン)は、もう絵画として鑑賞するしかなかった。そういったなか、「二匹の虎」「一匹の虎」という、虎を描いた作品に目が行ってしまった。デフォルメされ、図案化された虎だけど、毛並みとか、姿形、顔つきに表情があり、温もりがあったりするものだから、とんでもない人だということは解ったつもりだ。写実的に表現している「東寺の朝市」のような風景画もあれば、「平家物語」を題材として連作では、焦点化やイメージの拡がりに匠の技を観た思いがしたけれど、ぶっ飛んでいたのは「ひよどり越え」。山を駆け降りる軍勢、崖の先で見守る義経と思しき武将、山を表す木々の配置、このバランスが、凄い、凄すぎました! これは、強烈なインパクトのある作品だったな。次の部屋は、何と、上村松園が8点、集めてあった。中でも目玉は、「人生の花」の、同じ構図の作品が2点、同時展示されていること。若干、幅広の掛け軸を使ってる方が、袖口を伸ばしているので、より落ち着きがあり、且つ、幅広のスペースが生きており、安定感がある分、1対の女性の関係性、内面が、しっかりと現れているように思えた。この2点が目立ち過ぎて、あとの作品の目くらましになってしまってました。中央の工芸作品のコーナーを過ぎると、今度は、「夏の女性像」のコーナー。美人画の上村松園に引っ張られて、女性限定の夏の風景になったようです。ここで取り上げられた作家は、全て知っていた。それほどの大家の作品を、一堂に会したとうことなのでしょう。伊藤小波、西山翠嶂、梥本一洋、野長瀬晩花、菊池契月、秋野不矩いう豪勢な展示。西山翠嶂の「槿花」はおもしろい作品。髪の毛と眉毛、それに眼だけが際立つのだけど、身体は、背景に溶け込んでいきそうな淡い色。その背景も、人物の周囲は、身体との区別が判る程度の淡い色。まるで、生身の人間を描こうとしても描き切れない女性の位置のようなものが伺いしれて、切ない。だが、そんなに好きになれない作品。女性の目線に、何となく違和感を感じるからでしょうが、そもそも、それは何でだろうか? 菊池契月の「少女」も、モガが和装をしたという風情だけど、目線の先は何を見てるのだろうと、その目線を観ているだけで不安が出てきます。その隣が、海辺で水着姿で寝転ぶという秋野不矩の「砂上」、かなり距離感を感じる作品を置いている。次いで「夏をとらえる」というコーナー。こちらは、日本画だけではなく洋画も混在していた。目立つのは、山元春挙の「山上楽園」、やっぱ、この人の風景画は、誰よりも増して雄大です。その隣の小松均の「夏山」も、なかなかのもの。無彩色で描かれ、山の稜線が太い黒のラインで描かれており、離れて見ると、とっても雄大な風景画に見えた。少し先には、浅井忠の印象派に刺激を受けたとも思える「グレーの柳」。どんつきには、木村秀樹の「Lavender Mist」、青を重視した作品だけど、どのようにして描いたんだろうかと、考えても判らない作品。幾重にも青を重ねてるんだけど、その下に、白があるものだから、どのような重ね方をしたのだろうかと考えると、重ねてあることを意識させられてしまう。とっても、気になってしまった。中村研一の「瀬戸内海」は、先ほどの秋野不矩作品とともに、昨年の夏にも、展示されていた記憶。伊藤久三郎の「合歓の木」は、俯瞰図だということが判るまで、ちょっとの間があった。判った途端、世界が広がった。同時に夏を実感できた。調べてみると、シュールレアリスムの画家となっていた。また、新たな作家さんを知ることができた。他には、北野恒富や黒田重太郎といった、黄紺も知る作家さんの作品も並んでいた。最後のコーナーは「漫画的表現のいま・むかし」というもの。富田渓仙の「大津絵絵巻」で、「へぇ~」、こんなの描くんだと、ちょっと驚いた。大津絵そのものだったから。神坂雪佳の作品もあった。能に取材した「小督」、画面を上下に分割した描き方がコマ送り的だということでのチョイスらしいが、むしろ、神坂雪佳の大和絵の雰囲気の作品に、ここでも、「へぇ~」が出てしまった。その傍らには、横尾忠則の「責め場」、これが、何で、ここにあるのかは判らずじまい。イラスト作家時代の作品だからでしょうか? だと、あの時代の作品は、全部、このコーナーに並べなきゃならない。背中の位置にあった山本容子作品だけは、コーナー名を、そのまま受け入れることができたけど、アリスの物語を知らない身には把握が困難でした。いや~、おもしろかったな。充実の作品群です。
 夜には、「ブラタモリ」の新作「佐野編」が流れたが、あまりにも地味な内容に唖然。「地方局の番組だよ」と突っ込んでたな。地場産業訪ね歩きっていうもの。黄紺的には、佐野と言えば、能「船橋」の舞台と思ってた。万葉集の歌が基になっているので、昔から知られた、言い方を変えれば要衝の地だったのでしょうね。確かに、佐野城という、全く知らなかった城の重要性は、よく判ったけどね。それにしても、北関東の地方都市は、知らない。次回も「行田編」、また、同じ範疇に入る。行田って足袋しか、思いつかないよ! そんなこと、今や、地元の人間以外だったら、爺婆すら知らないよ。驚きのマニア旅が続きます。


2023年 7月 7日(金)午後 11時 25分

 今日は、椎間板ヘルニアの治療を受けている大病院の予約を入れていた日。午前11時半の予約だった。そんなで、そのためのお出かけまでは、自宅待機にした。NATO首脳会議が迫っているため、トルコの周辺が騒がしいということで、その関連の情報を集めているが、多分、トルコは、スウェーデンの加盟に同意はしないだろうという感触だが、つい先日まで、それを100%の可能性でそうだろうと考えていたが、今は、少しだけ軟化している。エルドーアンの口調が、若干、含みを持たせたような物言いに変わってきているからだ。ここに来て、大統領再選に際しての外相交替の意味も掴めないでいる。自分の感触なんて当てにならないとは思っているのだが、、、。そういった騒がしい情報を集めていると、やたら眠い。だから、僅かの時間を取り、ベッドに横になってた。今日は、午後にも同様のことがあった。何でだろう? PCの前に座り、Youtubeの旅系動画を観ていても、居眠りするどころか、椅子に腰かけていること自体が、きつくなってしまうのだ。ましてや、昨夜の睡眠は。自分的には十分なものだから、足りないということはないはずなんだけどな。今日に始まったことではなく、最近の傾向です。
 診察は呆気なかった。薬の効き具合を聞かれたので、効いていることは効いているが、柔らかな効き方で、前に使っていた薬の方が楽だったと答えた。これはそうだからね。でも、前の薬に関しては、大病院の医師も不安なことを言われた。それは解ってんだけど、でも、痛みのコントロールという点では、そう言わざるを得ないのが現状。胃潰瘍を誘発する、これは、聴いて知ってたが、腎臓にも良くないと言われた。効くということと同時に、恐ろしい副反応を持っている。「きついようだと、併用しては下さい」「今の薬は、薬品会社も、使用開始後、3週間で効き目が出て来ると言ってるので、(効き目があるのなら)引き続き、使用して様子を見て下さい」ということで、今度は、同じ薬を使い、1ヶ月半後に経過報告に行くことになった。思わず、「普通の生活に戻れるでしょうか」と尋ねてみた。頷いておられたので、それを信じるしかないね。この分だと、福岡&韓国旅行はダメだね。せめて、北九州市美術館だけでも行こうかどうか、考え出しているところです。それか、どっか、他のところで、1泊2日の旅行を企画しようかとも考え出している。充てはないけどね。それで、恢復具合を試してみたい気が出てきている。
 今日は、夕方にオンライン配信の予約をしてあった日でもあった。仏教大学の講座の無料配信があったので申し込んであった。ここの市民向け公開講座は、全て有料になったので、最近はご無沙汰してたのだが、無料講座が配信されるということで、また、お題も気になるものだったので、申し込んであった。「七夕×和歌文学~31文字に想いを込めて~」というお題で、同大学文学部教授の土佐朋子さんのお話を聴くことができた。通常講座の「『万葉集』を読む」の特別ヴァージョンとして、この公開講座が企画されたようだった。毎回、聴講されている方々はテキストをお持ちのようで、それを傍らに置きながらの聴講だったようですが、幸い、取り上げられた歌や漢詩を、パワーポイントで映していただけたので、安心して聴くことができました。山上憶良、大伴旅人の歌、それも、七夕を歌ったものを解説いただき、そこから導き出された結論が、とっても素敵なまとめになるという、これは、とっても楽しい講演となりました。柿本人麻呂の歌が、七夕を盛り込んだ初ものだそうだ。もちろん、中国の影響を受けている。万葉仮名では、その影響で、天の川は「天漢」と書いているそうだ。中国の漢詩の伝統だと、織女の方が天の川を渡り歩いて行くということで、そういったものが、万葉集では多いそうだ。七夕が、宮中の行事に採用されることで、奈良時代に、七夕を扱った和歌なり漢詩が登場するようだ。そのことが、当時の人々の感性、生活を変えていくというのが、この講演の趣旨と言えばいいかな。その理解のために、多くの和歌や漢詩が紹介された。長屋王宅や藤原房前(不比等の息)宅なんかで、貴人が集まり、それこそ和歌三昧の時間を過ごしたようで、そういった中で詠まれたものや、山上憶良と大伴旅人の場合は、大宰府勤務が同時期だったために、そこで歌壇を形成していたということだった。特に、その時期に、旅人の妻が死没したこともあり、七夕になぞらえて、亡き妻を偲んだり、友の悲しみを託したりする歌が生まれたようだ。そういった歌の数々を紹介したあとで、「言葉を得ることで感情に気づく」「七夕を知り恋ふという気持ちを知る」と言った経験を、当時の人たちはしていったんじゃないかと言われた。そか、感情が先ではないってこと、こういった外来の文化を取り入れた際には起こりうるんだと、とっても重要なことを教えてもらった。それが、よりにより「人を恋ふること」だったとは、かなりインパクト、ありましたね。


2023年 7月 7日(金)午前 7時 21分

 昨日は、大腸ファイバー検査を受けた日。その準備は、一昨日の朝から始まっていた。3食指定された食事、下剤を飲むことも指定されていた。でも、この下剤が効いたのは、昨日の朝になってから。1800ml飲まなければならない下剤を飲む前に、ほとんど、お腹の中のもの出ちゃっんじゃないかな。だから、本番の下剤を飲んでからが楽だった。慌ててトイレに駆け込むということもなく、一旦、トイレに入ると、なかなか出られなくなったり、トイレを出たかと思うと、そのまま逆戻りなどという、前回あった、苦い経験は、ほぼなかった。それよりか、心配だったのは、自宅から医院までの間でトイレに行きたくなったときのこと。今の足腰だと、迅速に動けない恐れがある。そんな話を、弟の家に行ったときに話すと、それなら、車で運んでやろうということになった。でも、これも、大丈夫ということで、待機をしてもらってはいたが、断った。そんなで、至ってスムーズだけど、一昨日の朝から準備に入っている分、普段、空腹感というのを、あまり感じない身にも、空腹感は襲ってきた。昨日の朝からは絶食だったもんね。一昨日の指定食を併せると、もう完全にお腹の中、空っぽ。確かに、検査には好都合だけどな。そんなで、無事、歩いて医院に到着。うまい具合に、下剤の効きも峠を越していた。検査時間は予約がしてあるので、その時間通りに検査へ。前回と異なるのは、検査に当たる医者は同じだけど、開業されたということで、ちょっとやり方が違った。検査時間中の嫌な感じを避けるために、軽い麻酔を効かせてくれるということ。こういった方法があるということは、弟から聞いていた。とっても楽だということなので、事前にお願いしておいた。検査室に入ると、点滴を打たれた。てっきり、それが麻酔だと思ったのに、一向に寝ないので、後から点滴を打たれた、恐らく麻酔医と思われる方に聞くと、それは生理食塩水で、その管に麻酔を注射したということだった。そか、医者が、「眠ってもらいます」という言葉以後は記憶にないから、そこで、管に注射されたようだ。麻酔医と思しき方が、管のところにおられたのを覚えている。20分程だったと、検査に当たった医師は言っていた。完全に終わってからのお目覚めだった。大腸ファイバー検査って、さほど苦しくはないけど、気持ち悪いんだよね。それに、やっぱ、肛門が痛い。それをなしにしてもらえたのだから、やっぱ、麻酔は有難い。ただ、途中の進行が判らないのが、玉に傷だけど。しばらく経って、医師から説明。前回、確か3個、ポリープが残っていると言われたはずなのに、1個+αだった。1個は摘出。6㎜だったそうだ。生検に回されるというのは、前回同様。2週間後の検査結果を聴きに、もう1度、医院に行かねばならない。そんなで、大腸ファイバー検査は終了。弟の家が近いので、帰りに寄って、弟の嫁さんを加えて、大腸ファイバー検査談義。ついでに、黄紺の椎間板ヘルニアも話題に。弟の足腰の痛みが最後の話題。こうして振り返ると、医者や病気の話ばっかでした。ポリープを切除したので、昨夜から3食、再び、指定食。昨夜などはスープだけだった。コラーゲンスープ、とっても、微妙な味で飲みにくかった。丼に、ほぼ1杯の量。飲みづらいものだった。あとの2食はお粥。夕食からは、普通食でOK。お酒もいいと、この落差が、逆に怖い。それだけだったのに、昨夜は爆睡した。それも、寝る準備もしないで、ベッドに倒れ込んで寝てしまっていた。ここまでの疲労って、最近にはなかったこと。大腸ファイバー検査で、疲れたの? なわけないと思うんだけど。


2023年 7月 6日(木)午前 7時 28分

 昨日は、今日、大腸ファイバー検査を受けるということで、丸1日、空けてあった日。というのは、前回と、事前の過ごし方が違うのだ。1つには、前回は、検査が夜だったこともあり、下剤を飲むのは当日の昼食後からだった。が、今回は、検査が午後になった。最初、その予定が入ったとき、下剤を飲むのは当日だけなんだろうと思った。特別な食事も、その日の朝だけとなるのかと思ったのだが、説明をしていただいた看護師さんだったかな、とにかく、説明を聴いて、びっくり。前日丸1日、特別食、それだけではなく、朝食後と夕食後に下剤を飲めと言われたのだ。下剤の効き方がいいと思ってるものだから、それだと、前日を空けておかないとまずい。そのため、急遽、検査日を変えてもらい、今日となったのだった。だから、昨日は空けた。そして、指示通りに、朝食後、下剤を飲んだ。既に、その時点で、トイレを済ませていたからか、全く、お腹が動かない。昼食後は、下剤を飲まなくてもいいので、昼までに、お腹が動かないのなら、家でじっとしている必要はないと判断。その通りになったので、行こうと思い、行けてないミュージアムが溜まっているので、会期が迫っているミュージアムを選んだ。外は雨だったが、この時間が空くのは嬉しかったが、万が一、お腹がおかしくなっても、行き先を変えやすいという利点もあるところを選んだ。そのミュージアムは泉屋博古館。今、こちらで、企画展「歌と物語の絵 -雅やかなやまと絵の世界」が行われているのです。屏風や掛け軸などに描かれた歌や物語の世界を展示してくれている展覧会です。主として、江戸時代に描かれたもので、それ以前の南北朝期などに描かれたものも展示されていた。元々は、土佐某の作品が出ているということで行こうとしてたんだけど、最近、観たくなっていたものが出て来てた。その一番観たかったのが「柳橋柴舟図屏風」(伝土佐広周作)。作品の名は、展示で、初めて知ったんだけど、何かで、「宇治」を描いたものが出てると知ったのが、これだった。「宇治」の描き方って、1つの型があるってことを知り、それを、実際の屏風図で確かめようとしたのだ。川、橋、それに相応しい水車、柳、それに加えて、宇治と言えば芝舟、もう1つ大事なのは、「宇治=憂し」ということで、人の賑わいがない、人を描かないというのがポイントだそうだ。確かに、この作品も、人は、全く描かれていなかった。そのわりに、金で描かれていたので、矛盾してるようにも思え、且つ、作りが大まかなため、「憂し」の印象よりは、描いた宇治のアイテムで、宇治を示しているような作品だった。だから、余計に、「宇治を表す型」を確認でき、こちらのニーズに合ったってところかな。その傍らにあった「秋草鶉図屏風」(土佐光貞作)が、この展示で、絵画としては、ベストでしょう。というか、絵画として観た場合、あまりそそられなかった作品が多く、正に、展覧会の表題に沿った作品群として観れば、それはそれでおもしろいのだが、絵画としてはそうではなかったなか、これは秀でていた。秋草に戯れる鶉、この鶉に暗喩があり、夫婦を示したり、「深草」を示すらしい。空中を広く取り、左右の上部に山が宙に浮かせて描かれているのだが、ここだけ戯画風に描かれているため。余計に下部の草むらの写実性が光るというものだが、山の扱いが中途半端な印象。右の山は形状からして、比叡と大文字なんだけどな、左右から圧がかかった形になってるのが、気になった。「紫式部観月図」(狩野常信作)、「玉取図」(狩野益信作)、「楊貴妃・楼閣図」(源琦作)の、掛け軸3点も上質な作品。特に、3枚で1点となる「楊貴妃・楼閣図」の右端に架かる「雨夜の密会」的な絵の茫漠感が、中央の楊貴妃の肖像画の傍らだからか、際立ってしまってた。この3つが、ともに、能関連の作品、順に「源氏供養」「海士」「楊貴妃」となる。こうした能関連作品は、他にも観ることができた。この3点の掛け軸は、間違いなく能を意識してただろうが、他の作品は、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それらは、「浮舟図」「是害房絵巻」「大原御幸図屏風」「源氏物語画帖」「源氏物語図屏風」「伊勢物語図屏風」というもの。後ろの3点は、その一部に、能の素材となるものが含まれるという程度だ。能で言えば、「碁」「葵上」「杜若」などが連想された。「浮舟図」を除き、ごちゃごちゃ感が拭えなかったけどな。それは、「竹取物語絵巻」もそうだった。エピソードを詰めすぎといったところ。そんなで、描かれているエピソードを見つけたり、傍らの解説と照合する楽しみはあったとは確か。ここの展示は、数が少ないので、もう1つの数の大きい展示である青銅器の展示も観ようかと思い、係の方に尋ねると、展示内容は変わってないということだったので、スルーした。展示品は、超一級なんだけど、腰のことを気遣うとともに、もう1箇所、昨日は、行きたいところがあったからだった。
 実は、家を出る前に、あるディープな落語ファン氏が、Twitterに、桂二葉の呟きをリツイートしていたのを見つけたからだった。そこには、京都丸善の売り場に、「桂二葉本」を取り上げているコーナーがあるというのだ。写真も付いていたので、そこへ行きたくなった。そして、そこで「桂二葉本」を買うことに決めたのだった。これも、その落語ファン氏が、早々に手に入れた「桂二葉本」を読み呟かれている内容に惹かれてしまったことが大きかった。「これを読むと、昔のことが思い出され、胸がいっぱいになります」という趣旨のことを書かれていたのだ。また、東京の二葉応援団の方のTwitterでは、内容の充実を呟かれていた。ここまでの呟きで、とっても信頼を寄せているお二人が、そんな呟きを出されるというのは間違いないものと判断、購入を決めたのでした。京都丸善が、場所を変えて、広大な売り場を抱えているというのを、おかげで、初めて知りました。太い柱の壁の1つに、そのコーナーを見つけたので、恥ずかしかったけど、写真を撮っちゃいました。そして、買いました。なんとなく、対面レジで支払うのも恥ずかしかたので、自動支払機を使い購入。ここまで、少し読んだけど、内容が詰まってる。いいライターさんに恵まれたようで、構成がしっかりしていて、これはいい仕上がりです。ディープな落語ファンが褒めるだけのことがあるものです。


2023年 7月 4日(火)午後 10時 58分

 今日は、椎間板ヘルニアによる痛みが、一番、穏やかな日だったかもしれない。昨日も、朝は穏やかだったのだけど、ライブビューイングの休憩時間にトイレに立ったときは、痛みでまいったからね。でも、限られた時間でトイレに行かねばならないので、股関節が痛むのにも拘わらず、歩いたな。今日も、朝は穏やかで、昼間の穏やかで、これだと、朝一番に起こなわれる胃カメラ検査に申し込んでも大丈夫なみたい。今日は、今までで、一番暑かった日じゃないかな。でも、まだ、クーラーを入れていない。暑い外から戻っても、あまり汗をかいてない気色の悪さがある。世間では暑いと言ってるのに、そこまでではないと感じてる自分は、大丈夫だろうかと思ってします。明後日が大腸ファイバー検査の日で、今回は、もう前日から下剤を飲むようにとの指示だから、明日、明後日は出かけること不可ということで、今日は、ミュージアム2軒をはしごした。移動時間は、ググると30分だったので、炎天下、歩いてみた。それでも、腰は、今のところ大丈夫。おまけに、朝からは洗濯日にしたので、結構、動いたんだよね、でも、大丈夫。ま、結構なことです。
 1軒目のミュージアムは美術館「えき」KYOTO。京都駅に入っている伊勢丹の7階にある、小ぶりのミュージアム。今、こちらで「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」という展覧会が行われている。渡邊庄三郎を切り口にするなんて、これは飛びついた。広島まで行った「川瀬巴水展」で、散々、渡邊庄三郎の名を目にした。「日曜美術館」の古い放送回の動画で、川瀬巴水ばかりか、樋口五葉ものを観たときも、確か、この人の名前が出てきたと記憶している。大正・昭和期の「新版画」という領域をプロデュースした人、版元として、それを販売して広めた人として、必ず出てきた人。当然、西洋絵画の手法も取り入れているのだけど、そもそもは、西洋絵画を観ていて、これを木版画にするとおもしろいのではと思ったのが発端だったらしい。そんなで、展示の序盤は、外国人作家の作品を木版画にしたものや、外国人で、木版画の技法を学習した作家の作品が並んでいた。扱う素材なんかが、存外、おもしろみがある。動機づけが生まれれば、そういった作品に相応しい作家のリクルートとなるわけで、鏑木清方門下の作家さんが、それでリクルートされた人が多いみたい。伊東深水しかり、川瀬巴水しかりなのだ。前者が美人画で売り、後者が風景画で売ることになるわけだけど、川瀬巴水が、この世界に入ろうのきっかけとなったのは、何と、伊東深水の「近江八景」を観てだそうだ。おかげで、8枚とも展示されていました。黄紺的には「堅田浮御堂」「矢橋帰帆」の2点以外は、響かなかったのですが、、、。伊東深水は、やっぱ美人画という定評通り。気に入ったのは、「現代美人集第二輯/こたつ」、品というか位というか、それを感じさせるお姉さんがこたつで待つ男なんて、どんな位なんだろうかと思ってしまう。「現代美人集第一輯/岐阜提灯」の女性もいいな。てきぱきと仕事をやれる仲居さんかな、大人の女ですね、両方とも。そういった作風とは相容れない「泥上船」には、びっくりした。プロレタリア作家かと思わせられる、船で力仕事をしている人たちを描いたもの。一色で刷られてるのかな、シルエットのように見える。川瀬巴水は、まず、版画で行くと決めるきっかけになる塩原ものは、1点だけ。「塩原おかね路」が展示されていました。それ以後は、東京もの、旅ものがないまぜになり展示されていた。数では、群を抜く多さだった。1年の間に、2回も、これだけの川瀬巴水作品を観れる幸せよです。2大代表作とされる「芝増上寺」と「馬越の月」は、間に「東京二十景 新大橋」と「東京二十景 御茶の水」という、これまた名作とされる2つを挟んで展示されていました。「旅みやげ第三集 出雲松江」3連作も再会。これを観ていて思うのは、夜の風景画、モノトーンにならざるを得ない雪景色がいいなと思ってしまう。「日本風景集Ⅱ 関西篇 京都清水寺」では、清水寺を描くのに、わざわざ光の薄い時間帯を選んで描いているのって、やっぱ、本人もそう思ってたのかな? ちゃっかり、舞台に自身を挿入させているほど。雪景色では、これも再会ものだけど「日本風景集 東日本篇 弘前最勝院」の静けさ、誰もいない感以上の静謐さがいい。同門の作家さんでは、他に、笠松紫浪(「霞む夕べ 不忍池畔」と「春雨 湯嶌天神」の後景の淡い色合いに目が吸い寄せられてしまった。濃淡で遠近感を出す手法ですが、その薄い色合いに痺れた)の風景画、名取春仙と山村耕花の役者絵、小原祥邨(「孔雀」が欧州で人気を博したそうだけど、黄紺的趣味は「桜に木莵」「月夜池辺べの狐」「金魚鉢に猫」、各々、主役の動物の存在感や、池の細やかな描写に引き立つ主役に魅せられた、この展示で、この人を知ったのは大収穫!)の花鳥動物画が印象的。そこに、出さないわけにはいかないという感じで、吉田博ものが2点、西洋絵画を思わせる「猟師の話」と、絶品の「瀬戸内海集 帆船 朝」。後者を、生で観れた幸せは例えようのないものがあります。更に、樋口五葉ものが2点、「浴場の女」「化粧の女」の展示がありました。「髪を梳く女」を、広島で観ているので、これで、樋口五葉ものは、生で3点になりました。もっと、まとめて観れる機会、ないやろか? 主役の渡邊庄三郎に関しては、単なるプロデューサーじゃないですね。摺師と、いろいろと色合いを出すための試みをしたりと、制作自体に、深くかかわった姿を知ることになりました。傑物ですな。
 2つ目は、京都産大ギャラリーの展示を観に行って来ました。先日の配信は、あっさりと寝落ちをしてしまったけれど、そもそもの根本となる展示を観に行ったというわけです。第27回企画展「京の河川絵図~水とくらし~」というのが、その展示。川に特定した古地図の展示、おもしろくないわけはないもの。桂川、鴨川、木津川、宇治川といった河川を記した絵図やね。なかなか、そこに書き込まれた地名を観るのが楽しみ。でも、なかなか、これが読み取れない。字が崩れてることもあるけど、照明の関係、字の大きさの関係で、黄紺の目では読み取れないのだ。それを懸命に読もうとする、それが楽しい。何とか、読み取りができると、嬉しさ倍増。そんなことを想定して、わざわざ、ポイントとなる箇所を引き延ばしてくれている。それを見ると、中には「禁裏」へと引き込まれる運河も看て取れました。京都市文化財研究所による桂川右岸の発掘紹介もあった。あのあたり、暴れる川に悩まされながらも、利水という意味では利便性が高いため、古くから集落があったようですね。現代では、巨椋池が消えてしまってるので、イマジネーションが、なかなか働ないけれど、あれば、水運としての活用で、今と、かなり違った社会が展開されていたことが想像されますね。三川合流も、ずっと時代が下ってから、現在の姿になったはずですものね。オンライン配信での講演は、完全に寝落ちしたけれど、展示の方は、とっても楽しませてもらえたかと思います。


2023年 7月 3日(月)午後 9時 55分

 今日は、MOVIX京都で、メトライブビューイングを観る日。椎間板ヘルニアが出てから、行けるかどうかが案じられていたが、手術なんてことはなく、じわじわと薬も効いているということで、行くことができました。今回も、福井から高校時代の友人もやってきた。実は、メトライブビューイングは、今季、黄紺は、もう1回行くことになっているのですが、友人は、7月に2回はきついということで、今シーズンの上映では、今日が最後とするそうです。ただ、次回の上映予告が流れたところ、新演出が、メトロポリタンのプロダクションとしては、桁違いに場違い感があったので、結構、揺さぶってみたのだけど、決意は堅いようです。で、今日も、新演出という大出血サービスの「ドンジョバンニ」。さほど前でない時期に、演出を変えたはずなのに、また、新演出となった今季。どういった裏事情があるのか、ちょっと気になります。今回のプロダクションは、イヴォ・ヴァン・ホーヴェの手掛けたもの。黄紺的には、初の遭遇だと思う演出家。人の動かし方が、とっても理にかなったもの、特に、ドンジョバンニがツェルリーナを誘惑し、それで騒動になると、レポレロに濡れ衣を着せるところなど、これほど、見事に仕上げて見せたのはなかったと思います。そんなプロダクションだったのだけど、根本的なところで、黄紺はノーを突き付けてみたいと思ったのです。場所は問わず、時代を「today」にしたのが、ポイント。だから、身分という、このオペラの1つの構造は崩してしまっています。それは、キャスティングに現れていました。明らかに身分の低いツェルリーナに東洋人歌手、マゼットに黒人歌手を起用して、この2人との違いを人種と置き換えていたという点が1つ。この歌手の起用は、あとの2人の女に対する歌手の起用でも現れていたから、この人種というコードを持ち込むキャスティングは当たっていると看ています。これは、 友人とも、あっさり合意できました。ドンナ・アンナに、楚々とした雰囲気を出せる歌手を当て、ドンナ・エルヴィラには、年上という年齢で差別化を図るだけではなく、楚々としたとは縁のないキャラを出せる、但し、下品ではないキャラを出せる歌手を起用してたので、間違いない。もう1つは、友人が突っ込んでたんだけど、1幕のドンジョバンニ邸での宴会で、3種類の音楽の使い分けで身分の交差を出すというモーツァルトの手練手管の場面、ここは、全て、コーラスの人に同じダンスをさせることで、身分の交差を除去してました。こういった身分という要素を取り払うことで「today」にしているのです。じゃ、そういった時代設定にすると、ドンジョバンニのキャラはどうなるのか、あっさりと「性犯罪者」となってしまう、そういったキャラの男が罰せられる物語にしたのが、このプロダクションのコンセプトだった。で、それがノーだというのは、簡単なことです。ドンジョバンニのような男が、今の世で闊歩していたら、その通り、「性犯罪者」でしょう。そんなの見せられて、おもしろいと思う? これが、黄紺的主張です。そうじゃなくて、時代が、昔だからこそ、ドンジョバンニに、いろんな物語を被せるからこそ、おもしろ、可笑しく、このオペラを観ることができるのであって、「性犯罪者」が、罪を重ねていく姿を見せられて、何がおもしろいのだ、エンタメにならないよと思うのです。そういった構造のプロダクションだったもので、ドンナ・アンナはおとなしく、慎ましやかで、父の菩提を弔うことに熱心な女性に描かれており、ツェルリーナも、金や地位に揺さぶられ動きかけるが、それを悔いる女で、マゼットに心を寄せる女だしと、いわく有りげなキャラ付けとは程遠い仕上がりぶり。従って、ドン・オッタービオは、かっこよくドンナ・アンナを支える、いい感じの男にされているため、2つ目のアリアが、とっても聴きごたえがあったな。そのあとのドンナ・アンナのアリアも、切実な思いの籠ったものなんだけど、友人は、ダ・ポンテは、テキストに、「結婚を1年先にしているじゃないか」と息巻いていました。そんな楚々とした女でいいのかと言いたいのです。ツェルリーナに対しても、薬屋のアリアのあと、モーツァルトは、余韻を取るため音楽を終わらせないのは、「わざとらしいいちゃつきをさせるためなんや」と、これまた、息巻いていました。歌手陣のレベルの高さは特筆ものです。メモっておきます。(ドンジョバンニ)ペーター・マッテイ、(レポレロ)アダム・プラヘトカ、(ドンナ・アンナ)フェデリカ・ロンバルディ、(ドンナ・エルヴィラ)アナ・マリア・マルティネス、(ツェルリーナ)イン・ファン、(ドン・オッタービオ)ベン・ブリス、(マゼット)アルフレッド・ウォーカー、(騎士長)アレクサンダー・ツィムバリュク。なお、指揮はナタリー・シュトゥッツマンでした。
 終了後、近くの韓国料理屋で、遅めの昼食。1週間に2度目となる韓国食。今日は、スンドゥプ・チゲを選択。今日も、カツオの出汁を使ってた。2回連続は、頻度が高すぎる! 2皿出たパンチャンの1つが、何と、今日も「オイキムチ」。これ、あかんやろ、頻度高いやろ。韓国でも2回連続って、ほぼないのに! その後、お茶をして、しばし歓談。そして、秋に、東京で、新国立劇場で「シモン・ボッカネグラ」を観る話が持ち上がった。スケジュールとしては、びわ湖ホールで「こうもり」を観て、その足で上京。翌日、昼間は、寄席にでも行き、夜に、東京にいる友人と会う。その翌日に「シモン・ボッカネグラ」を観ようというもの。ピンポイントで動くなら、今でも行けそうなので、この話に乗った。ただ、新国立劇場のチケット代が、思いの外高いのがネック。さて、実現するか、どうなんでしょうね。


2023年 7月 3日(月)午前 8時 9分

 本格的な夏になってきた。陽射しが違う印象。でも、まだ、クーラーのお世話にはなってない。でも、時間の問題という予感。昨日の日曜日、一昨日の余韻で、1日が過ぎて行った感じ。息子と話したり、Sと遊んでいたので、写真は、食事のときに撮っただけ。その中で、いいのを息子に送った。パターンは決まってる。Sは変顔をしてなかったら、満面の笑顔。それに対して、Dは、お兄ちゃんだけあり、普通にしてると、表情が豊か。その中から、いいのがあったので、それを送った。そんな日曜日だけど、定番の朝のお楽しみ「日曜美術館」は逃さなかった。そして、午後は、オンライン配信の予約をしてあった。でも、爆睡。最近、減っているZoomでの配信だったけど、眠ってしまった。欠片もメモることができない始末。一応、何だったかだけは書いておく。京都産業大学ギャラリー 第27回企画展「京の河川絵図~水とくらし~」の関連企画の講演会。「江戸期の絵図で読み解く“川と暮らし”~鴨川、桂川、宇治川を中心に~」というお題で、京都産業大学現代社会学部教授の鈴木康久さんがお話をされたのですが、、、。これを聴いて、企画展にも足を運ぼうとの魂胆も、えらいことになってしまった。企画展の会期は、あと1週間。どうしよう?
 昨日は、ウォーキングもどきのことを試してみた。オンライン配信で眠ってしまったのも、やはり1ヶ月のブランクは大きく、ちょっと動くと、疲労が重なって来るみたい。そんなことを感じ出したので、ウォーキングの真似事をし出している。体力が落ちていると感じるので、それを優先順位で、先に持ってきてしまってる。だから、その後は眠くなるというリスクを抱えているというところ。昨日で、万歩計を見ると、9700歩になっているから、今の自分には歩きすぎの感じ。夕方は、近くの公園まで行き、読書をしてただけで、そこまで行っているということは、昼前は、今の自分には歩きすぎたということのようです。
 オンライン配信が不調に終わったので、一昨日、観ることのできなかった「ブラタモリ」の新作「木曽三川編」。これは待望のネタだった。最近、タモリの年齢を考えてか、おいしそうなネタをアップしてくれてるような印象を持ってんだけど、ついに来たかの印象。日本の治水利水という局面では、まずは外せないだろうの地域。なぜ、治水が大変なのか、地形から押さえてくれました。それに、上手く、歴史民俗学的なトピックを絡ませていく構成が素晴らしい。濃尾平野自体が、西に傾いているネタは、1度、「名古屋編」で出してますよね。桑名舟の存在に重ねての扱いだったと記憶しています。黄紺も名を知る養老断層、それが作り出した地形。洪水が起こりやすい原因なんかも、地形から説いてくれる。そして、輪中が出てくるという流れ。でも、輪中ができたからと言って、それで安穏とできなかったという流れが凄まじい。輪中の奥の深さを見せてももらえた。さすが、「木曾三川」がお題に上がると濃いわぁ、濃すぎました。
 時系列的には逆になるが、「日曜美術館」の内容をメモっておく。昨日のお題は「“クォ・ヴァディス”の秘密〜シュルレアリスム画家北脇昇の戦争」。久しぶりに、スタジオでの録画でした。北脇昇、この人は忘れられない経験のある作家、だけど、「シュルレアリスム」という分類は知っていても、彼の不思議な絵の背景は、全く知らなかった。だから、とっても有難い番組、そして、とっても勉強になった回となりました。黄紺が圧倒されたのは、京セラ美術館のコレクション展で観た「眠られない夜のために」という、とっても幻想的な作品。番組では、この作品の消息は、全く埒外だったけれど、「クォ・ヴァディス」を糸口に、北脇昇という作家を解き明かそうというものでした。戦争に翻弄された人生、創作活動だったようです。そのため、戦後も、戦争に左右された美術界、そして、自分の行動を問うかのような作品が、「クォ・ヴァディス」だったようです。経歴、及び、取り上げられた作品をメモっておきます。住友財閥に繋がる出自、1930年、津田画塾(津田青楓)に入る。プロレタリア運動に関わる。津田青楓が「犠牲者」(小林多喜二の犠牲)を描き、津田が官憲に拘束され、日本画に専念すると、津田の下を離れる。シュルレアリズムへ。福沢一郎「女」は、マサッチョ「楽園追放」をモデルにした日本へのシュルレアリズムの紹介者となる作品。シュルレアリズムにも弾圧。終戦までの2年間は絵筆を置き、安治川の住友の関連企業で働いていた。戦後、日本美術会に参加、協力者は追放すべしとアンケートに回答。1947年、戦争中の絵を出品、民主的活動として、各地で美術教室、藤田嗣治は、この時期、日本を去っている、晩年のアトリエはきょうとの廣誠院。①クォ・ヴァディス(会うたびに違って見える、終戦の4年後、作品の意図を語らないで亡くなる、⑬のモチーフを援用、右に嵐、左に労働運動、それを眺める背中の男は本を持つ、挫折なのか、希望なのか? 復員兵らしき男=北脇?、本を持つ男=知識人、視線の先=赤旗を掲げる労働運動〈立ち止まっている〉と嵐 、北脇の挫折? 最後の油彩画、カタツムリと男の影の方向の違い、男は前はカタツムリの中だったかも、そこから出てきた男、知識人の不安、考える知識人)②意象(国家が文化を管理することを批判)③独活(うど)(切断面から血が流れる、壁に移る木=不安)④空港(飛行機&空港に見立てる植物)⑤因数分解(図式絵画、木とか花と組み合わせている)⑥影(観相学シリーズ)⑦形態学のために(アブラナの影=人物〈ゲーテ〉、植物が成長につれて形態を変える)⑧文化類型学図式(高山岩男の主張をもじる、福沢は美術協会への弾圧を警戒、だが拘束、シュルレアリズムと共産主義の拘束を疑わられる 釈放後、福沢らは戦争画を描く)⑨周易解離図(易を図式化で対応)⑩鴨川風土記序説(平安京変遷図)(4人で共同制作、協働が求められる⑪屏風(戦時中を振り返る、高村光雲&金子光晴の生き方が紹介される)⑫*物線⑬福沢一郎/世相と群像(右=嵐、左=嵐に向かう人、本を持つ福沢)。とにかく、メモった。あとから読んで、解るだろうか?


2023年 7月 2日(日)午前 7時 57分

 昨日は、突然の予定変更。当初は、土曜日でも混んでなさそうな美術館に行くつもりをしていた。会期の迫っているものもあるので、土曜日も使おうかの気になり、ぼちぼち出かける準備に入っていたところに、電話が入った。息子からだった。ほぼ1ヶ月前に誕生日を迎えたSへプレゼントを渡すことができてなかったので、週末ごとに行けるかの問い合わせをしていたが、うまく合わず行けてなかった。この週末に限って、時間が空いているのに、問い合わせをしてなかったら、息子の方から電話があったってこと。美術館は、後日でもいいので、予定変更となったのだった。慌てて、近くの大きなスーパーに行き、Ⅾにも何か持って行ってやろうと思い、買い物に行き、いいものをゲット。大きなスーパーにも、駄菓子の類を売っていたので、それを、Sの分も含め買うことができ、準備はOK。ついでに、傍らにマッコリの大きめのペットボトル入りが売ってたので、それも買った。
 雨だから、荷物が大変。アマゾン屋さんで買うと、段ボール箱が大きすぎる。でも、中を開けると持ち運びが不便なので、大きな箱のまま持って行ったものだから、大変なことになった。最寄り駅で、いつものようにケーキを買う。ロールケーキに余計な包装をしてもらわなかったら、うまく肩にかけていたバッグに収まった。午後2時に、息子宅に到着。肝心のSはお昼寝。Ⅾは、あろうことかお勉強。先取り勉強をしてた。1年生なのに、2年生で習うという九九のプレ学習をしていた。昨日の午前中に、本屋に行き、適当なドリルを買ってきたそうだ。S用には、4歳児に見合うものを買ってあったが、Sは自分のものと誇示はするが、中身が判ってないから、あとは置いたまま。そんなで、Sとばかり遊んでたな。プラレールを動かして見せたりしてくれてると、息子がやって来て、職場の苦労を聴かされた。Sは2人に相手にしてもらえなくなったので、気が付くと、どこかに行ってしまってた。そんなで、昨日は、息子と一番たくさん喋ってたみたい。かなり大変そう。どうするんだろう? 話を聴くぐらいしかできないもどかしさ。相変わらず、子離れをしていない残り火を感じてしまった。Dはお勉強が好きみたい。それも、算数が。新しい知識が、手っ取り早く増えて行くことの快感を感じてるみたいで、ホント、テーブルの前に長く座ってた。気が付くと、正座をしてたのに、めっちゃびっくり。小さい頃の落ち着きのなさが信じられない。逆に、Sがうろうろと、落ち着かないけど、この前会ったときからは、Sの変貌ぶりの大きさにびっくりした。お喋りをしていると、会話らしくなってるのだ。言葉のキャッチボールが続くのだ。言葉の出るのも遅い方で、ここまで口の重かったSにしては、大変貌だった。Dが、椅子の高さを測るなんてことを、なんでかやり出したら、「測る」ということで、メジャーを持ってきたSにびっくり。もちろん、使い方は判ってないけれど。でも、測ることに要るものと判ってるのが凄いよ! でも、あとは、メジャーが、スイッチを押すと、一挙に巻き戻ることがおもしろく、それで遊ぶのに、散々、付き合わされた。座ってる態勢から、ぱっと立ち上がるのが、今の黄紺には危険なアクションだったけど、Sと、それで遊んでるとおもしろいものだから、結構、動いてな。幸い、今朝起きても、腰は大丈夫だったので、一安心。そんなことをしていると、息子が、晩ご飯の場所を予約に入った。最初は「鳥貴族」、先日行ったそうで、そこに予約を入れようとすると、5人はお席がない。同様のことが、黄紺も行ったことのある沖縄料理の店もそうだった。あと1軒もダメだった、結局、前回と同じ寿司屋へ。たっぷり食べて、おしゃべりをして、でも、話題の中心は息子の職場の話だから、DとSは2人で遊ぶ時間が多かったかも。お酒も呑んで、腹いっぱい。昨日は、電車を乗り過ごさずに、無事、帰宅。えらい! そんなん、久しぶりや。


2023年 6月 30日(金)午後 9時 51分

 今日は、朝からお出かけ。そう、朝から出かけられるようになったのです。昨晩、夕食を食べ終わったのが遅く、そのため、薬を飲む時間も遅くなったからか、いつもほどには、朝、股関節は痛まなかったのが幸いしたようだ。薬が、一時的に痛みを抑えるのではなく、神経痛自体を弱めるという作用をしてくれてたのなら、飲み続けるモティベーションが上がるのだけどね。そんなで、今日は、ヘルニアで行けてなかったアスニー京都に行くことができた。おまけに、そのあと、ハシゴまでした。自宅に戻り、万歩計を見ると9500歩、なかなかだ。これだけ歩くと、帰宅後は横になりたくなる。今日もそうで、小1時間ほど、昼寝をしてしまってたようだ。こんなで、明らかに体力が落ちている。恐ろしいもんだね。1ヶ月、ぐだぐだしてたら、あっという間に、1万歩も歩いてないのに、疲労を感じてしまっている。昼寝までしてしまってる。だからと言って、頑張って、前のようなウォーキングを再開すると、その時間帯は動けても、あとが恐ろしいと思うので、徐々にだね。焦らないことだね。
 アスニー京都では、「京まなびミーティング」との共催と言っていいのかな、今日は、「八幡神と古代の王権」というお題で、学校法人立命館理事補佐/京都市社会教育委員会議議長の本郷真紹さんのお話を聴くことができた。本郷さんは、以前も、こちらの講演会でお話を聴いた記憶がある。とっても、お話の上手な方。八幡神は源家との繋がりというところから、勲しの神というイメージが強いが、本来は、初めて聴いたタームだけど「二所宗廟」として、伊勢神宮とともに、江戸時代までは皇祖神とされてきた神。ついでに、この皇祖神に関し、おもしろいことを言われていた。元来の皇祖神は三輪の神。それが、アマテラスにされていったのは、持統天皇の創り出したフィクション。太陽神と天皇家を一体化して創り出したものだろうと言われていた。それで、能「三輪」で、後シテが三輪明神なのに、天岩戸の神話が出てくるのかが判った。八幡神のルーツというトピックは出なかったけれど、八幡神と言えば宇佐、九州だ。その宇佐と大和朝廷が結びつくのが、大隅・日向遠征、隼人平定という戦いだが、これに、八幡社の祢宜が、神軍を率いて参戦。戦後、多くの戦死者を出したことで、仏教の慣習に則り放生会を行っている。八幡社と放生会って、ここから結びついている! 能「放生川」は、石清水八幡宮の放生会を扱っている。天平年間になると、新羅との緊張、天然痘の破壊的な流行、藤原広嗣の乱と、危機的な状況が続くなか、朝廷と八幡神との繋がりが強化されていくようです。聖武天皇による、仏教保護、仏教を柱にした国造りが強化されていく時代。各地に国分寺も建てられていく。宇佐に近い、太宰府の守護神という地位を持つようになる。八幡神の託宣が、政治を動かしていくまでになっていく。聖武天皇の体調の悪さにも、八幡神が食い込む機会が大きくあったようです。大仏建立でも判るように、神仏祈願で乗り越えようとの意欲が読めますもんね。やがて、出家をする聖武天皇、仏教への篤い帰依、そのなかで建立された東大寺に勧請される八幡神、神宮寺が造られていくというわけです。正に、神仏習合が進んでいく姿そのものです。この時代の諸事件に関わる託宣を、細かく押さえられていきました。そうなると、それを逆用しようかいう偽託事件が出てきたり、ついには道鏡の登場、天皇になろうとした道鏡事件にも宇佐八幡は関わっていくようですね、日本史では有名な話のようだけど、限られた時間ですっ飛ばして行かれると、日本史に疎い黄紺には、厳しい。今日のお話は、八幡神が王権強化に、また、ときの政治に深く関わっていたことを教えていただいたけれど、それは、一方で、仏教を国造りの柱に据え、それを実現していく天皇の姿を教えてもらったというお話だったと思います。聖武天皇の仏教への思い入れの強さは、この人が出てくるたびに出てくるので、かなりインプットされているのだけど、鎮護国家としての仏教、天然痘という破壊的な疫病対策、そういった社会的な思惑だけじゃなくって、天皇自身の体調問題があったことは、初めて聴いたトピックだったので、とっても新鮮。この環境は、神仏が食い込むわけだと、思わず、合点が行ってしまってました。
 講演が終わったのが11時半。そこから、びわ湖ホールでの「フィガロの結婚」のチケットを購入。午前10時が売出し時間だったんだけど、ここまで我慢。階段を使わなくていい席、そして、通路際のお席残ってるやろかと思ってたけれど、うまく、最後尾の端っこの席をゲット。実際の公演がある時期には大丈夫だと思うのだけど、でも、この時期に買うとなると、気になってしまいます。そして、お昼を食べようとしたが、お金を持って出るのを忘れてた。なけなしの千円札で、イコカにチャージしたのを後悔。ずっと気になってたアスニー京都近くの韓国料理屋を思い出したからだった。店の前に貼り出してある値段表を見ると、「1200円」あれば定食が食べれる。小銭を数えると「1200円」あった。そこで店に入った。最初に聴いたのは、「値段は税込みですか?」だった。恥ずかしかったけど、仕方なかった。「税込み」だったので食べることができた。「キムチチゲ定食」にした。お昼のメニューには、汁物が、これとテンジャンチゲ定食だったので、黄紺の体内ルールは、そういったときは、「まずはキムチチゲを食べる」だ。キムチチゲが基本だと思うからだ。定食だから、何かパンチャンが付いてくるかと期待したが、キムチの盛り合わせだけだった。ペチュキムチ、カクテキ、オイキムチの3種。全て、浅漬け風。ということは、オイキムチはNGだけど、食べた。やっぱ、キュウリのテイストがいっぱい。ごはんをほおばり、4本のオイキムチ、食べたよ! キムチチゲは、酸っぱい味がしたので、パンチャンのキムチじゃない。凝っている! 食後、その話をすると、「熟成させたキムチ使ってます」、こだわりのキムチチゲでした。でも、黄紺の好きなキムチチゲでなかった。というのは、これは、韓国でも、時々あるのだけど、カツオの出汁を使い、醬油を味付けに使っている味だったから。単に好みの問題だけど、黄紺の好みではない。具だくさんで、豚肉も、わりかし入っているのだけど、甘味が出てなかった不思議。辛さはコチュの辛さと言いうよりか、胡椒の辛さという印象。そして、ほんのり、味噌が入ってた。だから、テンジャンチゲと言われても、そのまま受け入れてたかもしれない。どうやら、店の主人(韓国風に言えば「社長さん」)は、ニューカマーの韓国人のアジュマと看たんだけど、当たってるかな?
 午後は、銀閣寺道にある白沙村荘橋本関雪記念館へ。橋本関雪展、これで、3館制覇、コンプリートです。間に合いました。ここの展示は22点だけど、それだけではなく、ここのお庭巡りができ、アトリエに使っていた板の間の画室には上がれる。これで、1500円(嵐山でのコンビチケットで100円引きになって1400円)は、決して高くない。手ごろとは思わないけど。どうやら、3館の展示、主要作品は、所属している美術館では展示しないという方針。ま、その方が変化が出て楽しい。そういったなか、幾つか観た「玄猿」の大元かどうかは知らないけど、最高傑作は、ここのじゃないかな? だって、猿は木に停まっているけど、その木が、全く目に入らないは言い過ぎかもしれないけど、目が猿にばっか、行っちゃう。何でだろうと考えた、さすがに、で、結論、身体が、とっても有機的に設えられていると観えるからだった。そして、この「玄猿」は、カップルの猿を描いている。これが補完し合っているのが強み。目線は1本よりか、2本の方が強いもんね。ましてや、カップルの猿と思える描き方だから、余計に、その目線は強化される。「玄猿」という一連の絵で、これを見せられると、「もう一丁」となるわねという佳品です。動物画では、「五花斑馬」に描かれた馬の自然体が良かったな。でも、その馬がくつろぐ木立は、相変わらず、気に召さないのです。「玄猿」と並ぶ逸品は「後醍醐帝」と看ました。後醍醐帝が、吉野から脱出するとき女装をして、それを試みたという挿話を題材とした大部な作品。これだけの眼差しを浴びたら、女装をしてもバレるやろという構図だけど、周りにいる人たちとの距離感が素晴らしいから、天皇に対して見せる畏敬の念が、それを天皇としているかどうかは別にして出しているのに、感服。今回、3館で観てきた作品の中で、構図としては最高傑作じゃないかと思ってしまったな。それにしても、多才なんでしょうね。多彩は多才だということなんだと思います。会期に間に合った幸せです。最後は、お庭のおまけまで付いていました。


2023年 6月 29日(木)午後 11時 12分

 今日は、朝から働いた。洗濯日にしたかった昨日、一昨日の2日間を、お出かけ日にしたため、後回しにしたので、今日は、絶対に外せなかった。干場が2階にあるので、股関節の痛い身には辛い仕事。干すと片さねばならないから、また、2階に上がらねばならない。強烈なときは、1段上がるだけでも、脚が突っ張り、電流のような痛みが走ってた。それを考えると楽になっているが、それでも、まだ、脚が突っ張ることがある。さすが、今は電流が走るような激痛は起こらないが、それでも、痛い。12段あるのかな、その最後の方になると、突っ張ってくるね、今でも。前の住人が、階段に手すりを付けてくれていたのが、今は、ホントに有難く思う。それから、かつて歩いていたように、ウォーキングをしてみた。もう1ヶ月も歩いたことのない道だった。普通に歩くことのできる幸せって、このことだと思った。うまく薬が効いていた時間帯だから、普通に歩けた。帰宅後、万歩計を見ると、9000歩を超えていた。歩きすぎたと思ったら、昼食後、Youtubeを観ていたら、そのまま寝落ち。時計を見て、びっくり。1時間以上寝てしまっていた。寝るなら横にならないと、腰への負担軽減には物足りないので、とっても勿体ないことをしてしまった。そう思うと、急に横になりたくなり、また、テレマンの「ルカ受難曲」をかけて、横になっていた。そろそろ、クーラーが要りそうな気配ですな。
 今日は、午後4時20分開始のオンライン配信に申し込んであった。すっかり失念していて、つい先日気がつき、ぎりぎり申し込みができた。京都精華大学が行っている、各界の有名人、いわゆるトップランナーと呼べそうな人を講師に迎えるというもの。今回は、写真家の川内倫子さん。これは外せない! 滋賀県立美術館で観た「川内倫子展」で、衝撃を受けたからだ。個々の写真のきれいなこと、思わぬ被写体、でも、何よりも素晴らしいと思ったのは、映像作品も含めた展示全体がインスタレーションになっていた。展示の終盤、それに気づいたときは、ホント、「すげぇ~」の声が出てしまった。そんなで、今日の講演会は外せるものではなかったのです。実は、正確に言えば、講演ではなく、写真家の濱田祐史さんが聞き手になり、川内さんから、ここまでの活動、その表現について聞き出そうというもので、トークショーと言うのが正確ですね。この人、大学を出て間なしに出した写真集で注目されたようです。その後、イギリスのブライトンのコミッションを受け、新たな制作に入っていた。写真の技術的なことは、全く解らないが、アナログからデジタルへと移る時代に当たったようですね。確かに、滋賀県美で観た作品でも、光に向けカメラを向け、効果的な作品が展示されていたけれど、そりゃ、技術的な裏付けなしではできないことのはず。注目を浴びたと思われる「UTATANE」と同じ2001年に出した写真集「HANABI」なんてのは、光に立ち向かうような作品。何かに触発されて撮った写真を、プリントしてから観て、そこから対話が始まると言っていた。「無意識の対話」と名付けたポイントがここにあるようですね。その対話から導き出せる自分というもの、それが、今日のテーマのようですが、そもそもは。名が知れることで、コミッションが入ってくると、確かにきっかけは与えられるが、そこで、目にする何かが創作意欲を搔き立てるみたい。「murmuraition」(2010)では、先ほどのブライトンでのことだが、土地の人たちには、ごく当たり前の定刻になると「飛び立つ鳥」を気にして制作が始まっている。それに先立つ「Cui Cui」(2005) は、ほぼ同時期に爺さんが亡くなり甥が生まれたことを契機にして、自分の家族を被写体に選ぶことになる。この作品の一部は、滋賀県美で観ている。出産を契機にして、傍らの子どもを観ながらだということで、撮影法が限定されるのを活かしたり、そういった時期だからでしょうか、オファーをもらったのが、写真と絵本のコラボ。これには、テキストを挿入したとか。滋賀県美の展示「M/E」は、出産後、初の海外への規模の大きい取材だったアイスランドで、地球の息遣いを知ることで感じた「この場所に活かされている、この土地とともに生きている」感を作品にしたと言ってたけれど、それを、展示会全体で表す構想力、想像力の凄さには驚かせられたものでした。とっても感性の豊かな方、想像力の豊かな方、真摯な生き方をしている方、それが、作品全体に現れているように思えた、とっても楽しませてもらったイベントでした。


2023年 6月 28日(水)午後 11時 8分

 今日は、椎間板ヘルニアで、一旦諦めた美術館行きを敢行した日。というのも、2つの美術館を巡らねば、行った意味が半減するというので、かなり股関節、腰には厳しいだろうとの判断だったが、この1週間、新しい薬にも慣れ、日々、薬の効き方が判って来たものだから、それに合わせて動けば、大丈夫だろうの判断が生まれてきた。会期も迫っているしということで、今日、それを実行に移した。行き先は、福田美術館と嵐山文華館の2つの美術館。2つの美術館を巡るため動く伏見から嵐山は、結構、遠い。そのアクセスで効率のいいJRを使うのだが、JR「嵯峨嵐山」駅が、2つの美術館まで、ちょっとある。行けないと思ったときは、この距離を歩くのが嫌、インバウンドで溢れかえっている嵐山を歩くだけで、ゾッとしていた。今日も、なんで、こんな場所に作ったんだと、ボヤキながら歩いてました。渡月橋のすぐ脇だよ。確かに、外国人観光客が迷い込むということもあるだろうし、実際、そういった人たちが鑑賞に入ってたけど、あんな場所を確保するという発想って成金的と思ってしまう。この2つの美術館と、更に銀閣寺の近くにある白沙村荘橋本関雪記念館と併せて、3つの美術館で「橋本関雪展」が行われているのです。著名な作家の作品を、集中的に鑑賞できるということで楽しみにしていたもの。それが紆余曲折で行くことができました。だけど、今日は、行こうの気持ちはあるのに、ボケてるんだなぁ、肝心の薬を飲むのを、朝食後すぐに忘れてしまった。この時間のずれが大きい。だって、遅れた分、それだけ効いてくるのがすれてしまうわけだからね。それなのに、自分が設定した時間で動こうとしたのはいけない。この間、課題は、決めた時間で動けるかどうか。時間に、自分の体調を合わすって、とってもムズい。だから、歩きながら、ホント、何度、「痛い」を口に出してしまったことか。これが多かったわりには、痛みに慣れるのと、薬が効き出すのが重なったのでしょうね、急に歩けた、まともに。うまくエレベーターを使い、階段を避けることもできた。そんなで、嵐山に到着。平日だったからでしょうね、日本人観光客が、圧倒的少数。いても爺婆のカップル。ほぼ道を歩いていて、日本語を聴かなかった。でも、混んでたという状態じゃなかった、あれでも、だから、黄紺の行った時間帯、嵐山観光のチャンスですな。最初に福田美術館へ、ここでコンビチケットを買い、次いで、嵐山文華館へという流れ。毎回、この道は、さすがに名勝、圧倒されてしまう。それぞれ、キャパの大きな美術館ではないが、この福田美術館の1階部分を観ただけで、次行けるだろうかという腰の状態。休憩を入れて2階の展示室を、ようやくこなして外へ。ここで、大堰川縁に腰かけ、持って行ってたパンを昼食としてかじった。これが正解だった。食べる間は、じっと座ってる。屋外で食べている、前は嵐山、精神的なものもあるのだろうか、食べ終わり立ち上がると、それまで重く、いつ大きな痛みが出るかもしれないと思ってた腰や股関節の状態が恢復してた。だから、嵐山文華館は、頗るスムーズ。2階の和室の大広間でダウンするんじゃないかと、行く前から難関視していた、この大広間も、あっさりとクリア。だから、やったねの気分。でも、帰宅後、腰を休めるには一番と、ベッドで横になり音楽聴いてました。2時間は、そうしてたんじゃないかな、そのくらいのアフターケアが、今の自分の身体には要るということも学習できたように思います。でなかったら、きついでしょうね。そのときに聴いていたのは、Youtubeで見つけたテレマンの「ルカ受難曲」。「passion」で検索を入れたら、引っかかってくれました。
 で、橋本関雪、今まで、有名な作家だから、名前はもちろん知ってはいたが、遭遇機会の、あまりなかった作家さん。そんなだから、どのような絵を描く人か、解ってなかった。ぼんやりと、水墨画かなぁ程度だったので、今回の機会を逃したくなかったという気持ちがあった。そのぼんやりと持ってた印象が、観たあとに当たってたと、正直、思った。とにかく、いろんな作風の絵があった。影を使ったりという西洋絵画の手法を取り入れたものもあるかと思うと、インドネシアの女性を描くという描く素材も多彩。美人画も描けば、動物画も描く。でも、基本は水墨画を得意とし、中国の画風、南画というジャンルなのか、あまり自信がないけど、とにかく、しっかりと中国画を学び、自身でも多くのそういった作品を描いている。山水画が多く展示されていたが、山の描き方、木の描き方にそそられず、自分的にスマート感なんてものを感じられなかったと言えばいいかな。そんなだから、生意気に、冬の雪に山や木々が隠された作品がいいなと思ってしまった。その中の逸品が「諸葛孔明」。六曲一双の大部な作品。三顧の礼として知られるモチーフが描かれている。雄大な冬の風景の一部に馬に乗った3人の男、いずれかが諸葛孔明なんでしょう。天下分け目の戦いに挑む策士といえども、小さいねぇ、この風景の中では。雪で、諸葛孔明の切迫感も表している。反対側の展示まで身体を引かねばならない大作でした。福田美術館の2階の、黄紺が腰を抱えながら不安を持ち眺めた展示室が、今日のハイライトとなるコーナーだったのでしょうね。特に佳品とされるものが並んでたんじゃないかな? 1つの壁に並ぶ動物画。猿、手長猿が得意だったんだって! 「玄猿」というお題の作品が幾つかあった。人気が出て、同じモチーフのものを頼まれたようで、似た作品も並んでた中で、目が行ったのは、「玄猿」でありながら、毛並みが白い猿を描いたものがあった。輪郭線を取ってないから、ぼかしのグラデーションで「白」を出していた。普通の手長猿を描いた毛並み、どうしたら出るのだろうと思ったけれど、この白い猿の描き方にも驚いたなぁ。背景のぼかし具合、動物と一緒に描く草花などで、季節や時間を表す技術に圧倒されたな。そういったなか、一番気に入ったのは、夜の時間で描かれた動物画2点にくぎ付け。「雨後狸」「朧夜図」。前者の狸の眼光の鋭さだけでも、夜を感じさせます。後者は、日本画でよく見かける90度くらいに鋭く曲がった枝に停まる梟の凛とした姿に魅せられました。この動物画の背中の位置に大作2点。「猟」「木蘭」がそれら。前者は、お題そのまんまの絵。馬にまたがった2人の猟人が獲物を狙う。獲物じゃなくて、猟人が目立つ。特に上方の猟人。画面いっぱいに描かれているため、上部が窮屈そうに見えるが、一方で、そのために疾走感が出ている。「木蘭」は、中国の故事を基に描かれたものだけど、休憩する女木蘭の表情、身体つき、どうみてもモダンに過ぎる。これも、六曲一双という大部な作品のため、かなりフェードアウトして観ないと、全体の把握がムズい。でも、接近しても、離れても、目が行くのは木蘭の、場違いなモダンな姿。どっかで観たぞと思ったら、この企画展のチラシに木蘭の姿だけがくり抜かれてました。嵐山文華館の方の1階では、頭を悩ましてしまった。「人物山水十二題」などを眺めていると、そこにか描かれている植物、動物のどれ1つを取って見ても、何らかの隠喩なるものがあるようで、どのようの捉えていいのか、混乱するばかり。橋本関雪が、よく素材として使う、中国の物語が解らないと、描かれていることが判らないのと同様だ。2階の大広間では、西山翠嶂との共作で、「扇面貼交屏風」なんて、お遊び的作品もあり~ので、ちょっと楽しさが欠けたけれど、相変わらず、多彩な画風が闊歩。ここだけじゃなくって、大津絵の手法の作品があったりという具合だった。その中で、目が引くのが、これまた中国の故事を題材にした「閑適図」。各モチーフの連関性が気になってしまった。繋がっているようで、繋がっていない。いや、その逆か! それが人と人との関係性を表しているのか、画材の持つ意味を、そのように説いているのか、これまた、なかなか、ムズい。それを見透かしたように、背を向ける右の男。これが、この展示嵐山編の掉尾を飾る作品でした。せっかく、嵐山の2つの美術館を観ることができたので、会期が迫ってきているので、近々、銀閣寺まで赴き、あともう1館の展示も観ることにしようと思っているところです。


2023年 6月 27日(火)午後 10時 58分

 今週は、色々と、予定表が詰まっている。2~3週間前だと、予定が入っていても、自重することが、幾つかあった。とても無理と、端から、入っていても諦めたり、諦めるのを当日まで待っても、結局は無理なことを思い知らされることもあった。でも、今は、予定表に入っていると、以前のように、ウォーキングと組み合わせるということはしないけれど、行き方なんかを工夫すると、あっさりと、今の状態で行くことができるのだ。明日などは、一旦は諦めた某美術館に行ってこようと考えている。で、今日は、久しぶりに、京都学・歴彩館に行ってきた。ここで、毎年行われている「京都を学ぶセミナー」があった。今年は「宇治編」で、既に、1回あったそうだが、逃してしまってる。今日は、「宇治を描く―『源氏物語』・歌枕・名所図―」というお題で、宇治市源氏物語ミュージアム館長の家塚智子さんのお話を聴くことができた。家塚さんは、室町時代の専門家。「源氏物語」の時代となる平安時代ではないが、その「源氏物語」が、どのように読まれていったのか、そして、どのように広まっていったかのことは取り扱うことができると言われていた。宇治は、言うまでもなく「源氏物語」の「宇治十帖」の舞台。光源氏は出てこない、息子の薫を取り巻く人たちの物語だ。そんなで、序盤に、そういった人たちの系図も押さえられていました。冒頭では、宇治の基本を話された。やはり、宇治川は話題となる。流れが速いということが、万葉集で歌われている。その宇治川には橋が3つ。瀬田唐橋、山崎橋と並んで、宇治橋があった。その橋のたもとに祀られたのが「橋姫」。外敵の侵入が、橋を通じてないようにと祀られたものとか。それが元だったとは、全く知らなかった。そういった名の女性に関わる故事なんかがあるのかと思っていました。和歌の話の中で、興味がそそられたのが、「ちはやふる」という枕詞って、「神」にかかるだけじゃなくって「宇治」にもかかるのだそうだ。「荒ぶる」から出てきたものだろうということだ。宇治川を指すということです。暴れ川だったということで、巨椋池が遊水池の役割を果たしていたというトピックも、その関わりだし、伏見城が、桃山台地の端っこに建てられたというけど、その先は、宇治川が削ったのでしょうね。明治天皇陵の前に立ち、見晴らしのいい場に立つと、宇治川の凄まじい力にたじろぐもんね。次いで、「新古今和歌集」に出てくる宇治をピックアップ。「憂し」と「宇治」の掛詞、宇治橋の「絶える」というイメージ、「橋守」「橋姫」からのイメージといったもので、これが、その後のイメージを導いて行くと言います。「源氏物語」に出て来る宇治では、魚を獲る仕掛けである「網代」、及び、それに関わる音のイメージ、でも、この途中から、完璧な寝落ちに。レジュメを見ると、かなり「源氏物語」について展開されている。しかも、その後に、「宇治を描く」として、この講演の本題となるテーマに入って行かれているが、ほぼ判らない。ただ、その中で、宇治を表すモチーフとして、「平等院」という定番はそうだろうけれど、「川」「橋」「網代」といったものと並んで「水車」が入ってた。ここまで出なかったのに、レジュメを見ると、その後に出てきていた。「平等院の扇の芝」、「頼政」絡みの宇治の定番のモチーフ、ようやくだけど、さすが、外されませんでした。それに加えて、全く知らなかった宇治を示唆するモチーフとして「槙島の晒」が出ている。「晒」は、「布の晒し」だそうで、それが、宇治の定番の風景だったそうです。これだけ、指標となるイメージ、タームが出てくると、絵を観ると「宇治」と察知できるようです。なんか、わけのわからないことになったけど、部分的にためになったことは確か。でも、勿体ないことしてるね。
 歴彩館からの帰りは、いつもだと、三条駅までウォーキングするんだけど、さすが、今日はダメ。隣が、京都コンサートホールなので、チケットを1枚買い、地下鉄に乗り帰路へ。替わりに、一駅手前で下り、家から往復するには遠いマートに寄って帰ることに。でも、それでも、帰宅後、万歩計を見ると、1万歩を超えていた。今の自分には歩きすぎだったためか、夕方、PCの前に座っていると、きつくなってしまい、しばし、ベッドに横になることに。そのときに聴いていたのが、RadikoでKBS京都の「まーぶる」。二葉は復帰していたが、いつもの覇気までには恢復してなかったな、大丈夫だろうかと思ってしまった。特段、気になる落語界情報はなく、7月に出版予定の「桂二葉本」の話題が多かったかな。内容を聴いていると、買おうかなの気になるもの。夜には、「吉の丞のおつかれさん」も聴けた。火曜日を満喫です。


2023年 6月 26日(月)午後 9時 24分

 今日は、大腸ファイバー検査の予約を取りに行こうと考えていた日。そもそも、この時期に予約を入れに行かねばならなかった。半年前に、もう1度、検査を受けるように指示されたのだった。大腸に、まだポリープが残っているので、それを取るということが目的で、新たに異常が出てないかの検査でもあるということでの指示とインプットされていたが、腰痛騒ぎで、日延べはやむを得ないかと考えていた。そんな話を、先日、弟の家に行って話してると、弟自身の経験として、ポリープは、1年で、急に大きなる場合があったということで、既にポリープがあるのなら日延べは得策ではないということで、腰、股関節の具合が悪ければ、車で送ってやろうと言ってくれたので、当初の予定通りの日に、予約を取りに行くことにしたのだった。検査を受ける病院は、とにかく下剤を飲まねばならないので、途中にトイレを確保できるところを選んであった。その安心感から、前回は、スムーズに病院へ行くことができた。ところが、その病院へ行くと、想定外のことが起こっていた。受付で、半年開けて、外来できた理由を告げると、担当の先生は、自身の開業のため、ここにはおられない。その後、大腸ファイバー検査をできる医師は補充されてないので、大腸ファイバー検査自体を、今はやってないというのだ。実は、半年前に、担当医が開業するという話があるとは、検査結果を聴きに行ったとき、そのとき外来の診察に入っておられた医師から聴かされていた。だけど、そうなった場合に、補充がされないとは聴いてなかったので、びっくり。とにかく、外来で来なさい。検査を担当された医師に診てもらいたかったら、紹介状を書きましょう、これが、半年前にあった話。そんなで、検査に当たられた医師が開業された話は意外ではなかったけれど、補充がない、検査自体をやってないには驚いた。そこで、紹介状を書いてもらうことにして、その新たな開業場所を教えてもらった。紹介状を書いてもらってる間に、外来に行くためには予約が必要、その予約はウェブ上でできると、受付の人が教えてくれたので、予約を入れた。その段階で、70分後の予約が取れた。2つの病院の間を歩くと30分と看て、その予約で大丈夫と考えたのだった。自分の股関節が痛むのを横に置いて考えてしまってたけれど。思いの外、ちゃっちゃと紹介状を書いていただけた。医師、看護師、受付の皆さんに感謝、です。股関節に痛みが出るのに、頑張って歩いた。35分前に病院を出発、着いたのは、予約時間の約10分前。考えてみると、ググらないでも、最短のルートを歩いたみたいだった。ウエブ予約とか、ウエブ問診票記入とか、えらくIT化が進んでいる医院だと思ったけれど、実際は、そうでもなかった。予約をQRコード化しているのに、それを読み取るわけでもなく、直近に入れた予約だから、PCに立ち上げてる一覧に、黄紺の名が出てなかった。それで戸惑う受付の人たち、「30分前に入れた予約だから更新してみてください」と、こちらが言わないといけなかった。おいおいと突っ込みそうになった! 「あった!」と和む、受付の方の顔が印象的だった。あとは、スムーズに予約完了。グッズをもらい帰ってきたら、すっかり、午前中を使いっ切ってしまってました。万歩計を見ると、既に、この時点で8000を超えていたので、午後は、ベッドに横になり腰を休めることにした。そのお伴は、スイスのJ.S.バッハ協会の演奏する「クリスマス・オラトリオ」でした。もちろん、Youtubeのお世話になった上でのことは言うまでもないこってす。
 お昼を食べながら、旅系Youtuberのアップした北京短期滞在旅行の動画を観たけれど、中国のIT化、噂に違わず、凄いね。ホテルでデリバリーを頼むと、注文品は、ロボットが届けてくれる。到着すると、部屋に備え付けの機器が反応して音が鳴る。地下鉄は、切符を買うのは、現金では無理。特別なブースに行かなければならない。また、買うときには、IDカードが要って、顔認証まで撮られる。そして、至る所にカメラがあり、人の管理が凄まじい。レストランでの支払いも、専用アプリにクレジットカードを紐付けしておかねば払えない。最後に効くのは現金だけど、それを使うにしても、店員さんの好意で、店員さんのスマホで、その店の品物を買ってもらい、その店員さんに現金を渡してました。自分的には、中国へ行くことには、さほど関心はないけど、このIT地獄で、生きて行けるかのチャレンジはしてみたいなと思ってしまった。でも、かつて、英語が通じにくい国だからこそ、自分ができることを観てみたいと、タイの地方に行こうとした、そういったレベルじゃないね、今の中国を歩く方が、桁違いにレベルが高そうに観えてしまったよ! そういった意味で、とっても楽しく、その動画を観ることができました。


2023年 6月 25日(日)午後 9時 14分

 今日も、お出かけ予定が入っていたが、それを、恙なく実行できた日。腰というよりか、完全に、右脚の股関節の付け根が、歩くたびに痛むのは、昨日と同じ。実際、お出かけに出る前、今日は、食糧補充が必要だったので、最寄りのマートまで出かけた。片道5分ほどの程度の距離だけど、これを迂回して行くことで、歩く量を増やしたが、これが、いいウォーミングアップになったのか、実際、お出かけ時刻になり歩き出すと、その前に歩いたのとは、微妙に楽になっている。痛みに慣れるというやつなんでしょうね、この数年、腰や首や脚の痛みに悩まされてけれど、この痛みは慣れるものという経験知を得たことも確かだ。それで調子に乗り歩いていいのか、自重していいのか、よく判らないんだけど、とにかく、徐々に歩くことが楽になっていくことは確か。それまでに、どれだけ時間を要するかで、ストレスの度合いも変わってくる。そんな状態だから、昨日に続いて、今日も、市民向け公開講演会に行くことができた。この分だと、一旦は諦めた某ミュージアムの企画展、会期は、まだ残ってるので行こうかの気になってきている。先延ばしにしている胃カメラ検査も受ける気になってきた。予定との調整で、再来週に受ける計画だ。大腸ファイバー検査の申込みは、明日に行くつもりだ。恐らく、実際の検査は、7月の半ばから後半になるはず。弟が車を出すことも言ってくれてるので、こちらは大丈夫でしょう。胃カメラの方も、朝一番での検査なので、不安が残るが、頑張って行こうとしたら行けるかなの気になってきている。なんせ、こちらは、胃に何も入れることができないから、痛さとの勝負になるので、躊躇いの方は、こちらの方が大きいのだ。そんなで、医者通いの心配ばっか。ま、たまたま、重なってしまったのだけど、あまりいいものが重ならないね。
 今日のお出かけ先は京都市学校歴史博物館。こちらで、今日まで「学校でみる絵の中の子どもたち」という企画展が行われており、その関連イベントとして、講演会が行われたのだった。お話をされたのは田島達也(京都市立芸術大学美術学部/美術研究科教授)さん、お題は「日本絵画と子ども―まじない・教訓・愛玩」でした。絵画史の専門家のお話を聴ける、これはとっても嬉しい機会。ましてや、この博物館、著名作家が、京都の市立学校に寄贈した作品を所蔵している。当然、その中からテーマに沿って作品がピックアップされ、そういった作品のお話も聴けそうと、願ったり叶ったりのイベントでした。日本絵画の中で、子どもを描くというのは王道ではなかったと言われるなか、でも、子どもが描かれないわけではないので、そういった描かれた子どもが、どのような視点で描かれているかの分析。「画面の一部、脇役として描かれる」、絵巻や風俗画の一部として、仏画の従者として、遊女とともに描かれる禿というのが、それに当たる。「従者」「禿」の分析をして欲しかったが、なかった。「家族の一員として描かれる」、家族像とか母子像が、これに当たるが、日本画の世界では少ない分野と言われていたが、浮世絵に「母子像」を描くというものが多くあるそうだ。実際、誰の作品かメモるのを忘れたが、子どもを寝かしつける母親、その子どもは夢を見ているという姿が描かれたものなど、ついぞ浮世絵で見たことのない世界だった。「子どもだけが描かれているもの」、童形像仏画や童形の神仙という表現で、「菊慈童図」を見せられたが、こういった例が出なから、神の領域の子どもという括りの話が出なかったのは、いかがなものなのかな? 子どもの肖像画は、亡くなった子どもの供養の意味から描かれた。「唐子図」という領域が日本画の世界ではあるそうだ。田島さんは、その専門家だそうだ。中世から近世まで、いろんな場面で出てくる唐子。独特の髪型(モヒカンのような)、衣服も中国風(異国風の方がいいかも?)。「異形の姿の子ども」という括りをして欲しかった、すると、「神の領域の子ども」というトピックで括れたのにな、残念! 浮世絵の子ども絵というジャンルをレジュメに書かれているが、メモも残してない、何だったんだろう? 次いで、テーマは「子どもの表現のされ方、また、どのように受容されていたのか」。「子どもへの模範」「供養」「吉祥画」「かわいさを愛玩するものとして」の4点を上げておられたが、前の2つはいいとして、「吉祥」というタームが出てきたら「神の領域の子ども」を出さなきゃ! 「愛玩」とレジュメに書いてあったので、秘かな期待を持ったけど、要するに「稚児を愛でる」「少年愛」「同性愛」に踏み込むのか、そういった秘めたる作品を出すのか、それとも、知られた作品に暗喩として隠れているものを見せてくれるのか、ちょっと勝手にスパークしてたけど、一人盛り上がりに終わってしまった。という意味で、盛り上がりに欠けるお話だったな。最後に2つ、「子ども描かれた私の好きな絵」と、企画展で展示されている作品の中でのお薦め品をお話されていました。その中で、特に印象に残ったのは、前者で紹介された三谷十糸子の「朝」、これは、黄紺も痺れちゃった。ええもん、見せてもらった、これは。いろいろと突っ込みどころがあったので、終了後、講師の先生に質問しようかと思ったら、わけのわからない、答えようのないことを喋べり続ける爺さん(確か、この爺さん、以前にも同じことしてた!)のため、断念。アリエスの影響で、子どもの分析が、日本史の世界でも進んでると思うのだけど、それが、全然、生きてないような口ぶりに、かなり愕然とした内容でもあったな。
 終了後、展示室へ。いきなり、谷口香嶠の「公助受父笘図」。これは、田島さんのお薦めでもあったけど、今回の展示では一番目を引いた。こんなに大きな作品と思ってなかったこともあったかもしれないけれど、父子の間のただならぬ緊張感、笘を振り上げる父親の迫力が凄い。その背後に並ぶ「錦絵修身談」の中に、何と、月岡芳年ものが一品あった、「楠木正成の忠」というお題。桜井の別れが題材だった。その他の「錦絵修身談」の作品は、芳年の弟子となる水野年方や富永年親ものだったのに、1つだけ、芳年だった! 思わず、小さくだったけど、声を上げてしまってたな。田島さん推薦ものの1つ、久保田米僊の「園児遊戯図」「唐子遊戯図」は、かなり劣化が進んでいたが、特に前者の子どもたちが列を作って遊ぶ姿が無邪気で、記憶に残る作品。ポスターに使われたのが、板倉星光の「わらべ」。菊地契月門下だそうだが、穏やかな空気が流れる逸品です。それ以外でも、黄紺でも知っている、伊藤小波、木島櫻谷の作品もあった。作家さんの系統図も展示されており、知らなかった作家さんも、大家に繋がっていることが判り、思わず見返すなんてことの続いた展示。ここは、何が出て来るか判らない、そんな絵画が、たくさん眠ってるはずです。今後が楽しみなんだな。新たに、日本画専門のキュレーターさんも入られてますしね。


2023年 6月 24日(土)午後 10時 24分

 週末に入った。4歳になったSに、プレゼントを買っておきながら渡せてないので、その時間を取ってもらうよう、息子に連絡を入れたが、ダメだった。土曜出勤だそうだ。そんなで、仕方ないね。でも、そろそろ、誕生日から1ヶ月が経過してしまいそう。こないだ行ったとき、その話をするのを、すっかり失念するというボケたことをやらかした自分が、一番悪いんだけどな。そこで、予定表に入っていたことを実行に移すことにした。最近、腰痛を考え、ずっと自重していたアスニー京都に行くことにした。新たな薬を服用するようになり、歩けないほどではないが、歩くと痛い、だけど、気合があれば、それを乗り越えられる、この状態で、行こうという気になったのだから、乗り越えようの気が出てるんだということで行ってみた。すると、歩くと、痛みは慣れてくる、和らいだように感じられる、これができた。慣れるまでには時間がかかったけれど、患部の痛みは、最後は点のようになっていた。だから、消えてはいないのだけど、力は入れはしないが、普通に歩けてた。そんな風に、痛みとの闘いは、まあまあだったのだけど、お出かけ先でやらかしてしまった。まず、アスニー京都だから市民向け公開講演会なのだが、今日は「京都学講座」、京都市考古資料館が中心となり運営されているもの。今日は、「発掘調査成果から見る仁和寺」というお題で、京都市埋蔵文化財研究所の渡邊都季哉さんのお話がありました。ところが、前半は沈没してしまっちゃんだなぁ。新しい薬に睡眠誘発作用があるらしく、じっくり人の話を聴くなどという環境では、誘発されてしまったみたいね。居眠りのきっかけは覚えてる。レジュメの資料を使いながらお話をされていたんだけど、それがどれか判りにくい、もういいやの投げやりな気になったところまで覚えてる。既に、身体が、居眠りモードに入ってたんだろうな。そこで、そういった態度になってしまったのでしょうな。ただ、覚えてることがある。仁和寺は、歴代の管主は天皇家の者が、明治になるまで務めていた。そういった意味では、同じ真言宗の東寺に似通っている。この寺は、平安時代の創建ながら、京都あるある話で、応仁の乱の際、焼失。しばらくは放置されていたが、江戸時代になり、徳川家光が金を出し再興。それもこれも、管主が天皇家に繋がるということが大きかったみたい。現在残っている伽藍を始めとした、この寺の威容は、この時に造られたもの。だから、考古学的な発掘は、焼失前と後に区分される。黄紺が眠ってしまったのは、前の方だったから、平安時代の遺構とかの発掘成果を聴き逃してしまったことになる。だいたい、ええ方を逃すのがお定まりのようです。後半は、あまりおもしろいとは言えなかった。土塀脇の水はけを良くするために土管を設置するための工事の際、掘ったなんてもので出てくるのは、塀の強度を図るための工夫程度だったから。でも、境内の南西部拡大のエピソードで、少しはおもしろくなり、最後に、遼廓亭と名付けられた茶室についてのトピックがおもしろかった。門前にあった尾形光琳の屋敷から移設したものだそうで、その茶室の姿形を観ると、織田有楽斎宅にあったものをモデルにしたことが判るとか。有名人の名が出ると、急に引き寄せられてしまいます。また、茶室近くに、不自然な姿であった塀跡が出てきたトピックも、おもしろかった。勝手出入口的な門を往来する人たちを観ないで済むようにしたという工夫だったとか。でも、話題としては小さめ。やっぱ、前半がハイライトだったんでしょうね。
 夜には、「ブラタモリ」の新作「関ケ原編」が流れた。東西両軍の陣営配置、西軍の地形を活用した軍の配備、戦略、地形を活用した東軍の逆襲、そして、小早川の裏切り、それを想定したかのような陣取りの位置と、地形と戦を組み合わせた、この番組ならではの作りになってた。恐らく、南海さんも観てるだろうと思うので、これを、どのように評価するか、聴いてみたいな。「関東」「関西」の「関」が、「関ケ原」の「関」だとは知らなかった。それと、「不破関」って言うのは、この関ケ原のことだと、初めて知ったことも嬉しかった。次週は、「待ってました!」と声を掛けたくなる「木曽三川」。これはやるだろうとは思ってたけれど、「名古屋編」で、ちょっとだけ触れたから、あれでおしまいかもと思ってたら、そんなで済むわけないよと言わんばかりの新作です。「治水と利水」、この相反するかのようなテーマに取り組んで来た、その足跡を見せてくれるんじゃないかな、楽しみだなぁ。


2023年 6月 23日(金)午後 9時 44分

 昨日、大病院での診察を受け、新たな薬を飲むことになった。痛みやら痺れやらを抑制する薬だと、薬局でもらった解説には書いてあった。専門医が、「薬で散らす」という判断して出してくれた薬だから、早速、その効果が出てくるのかと期待した。昨日の夕食後、初めて服用。だけど、昨日は、以前から飲んでた痛み止めを、朝に飲んでいるので、それまで同様、まだ、その効果内にあるからだったのでしょうね、とっても楽だった。また、睡眠誘発作用があるのか、よく眠った。この十分な睡眠は、腰にはいいらしくて、夜中にトイレに立ったとき、朝、起き上がったとき、えらく楽だった。でも、ここまでだった。いつものように、朝方は、机の前に座り、PCからトルコ情報を得て、それが終わると、大概はYoutube三昧。今日は、旅系Youtuberで、初めて観たのだけど、北京大興空港を紹介する動画があったのだけど、なかなか北京に着かない、前説のような、そこまでの映像ばっか。そうこうしている内に、午前10時になり、びわ湖ホールの記念行事的なコンサート「オペラ・ガラ」のチケット発売時間ということで、今度は、それに係った。そんなで立ち上がると、「いてててて、、、」、痛い。強烈な、電流が走るような痛みというわけではない。でも、この10日近く、痛みがましになってきた期間にはなかったもの。外出することを躊躇ったんだけど、食糧の買い出しと、もう1件、所要があったものだから、外に出ないわけにはいかない。歩く。歩くことを妨げるほどの痛みが出るわけではないが、歩くたびに患部が痛む。とっても不快、そこばっかに気が行く。ストレスが溜まる状態。もう用事だけ済んだら戻ろうかと考えたけれど、それだと憂鬱なだけだからと、いつも読書をしている公園が近くだから、そこで読書をすることに。そこまで足を伸ばす、僅かの距離だけど、痛む不快感と公園に行く爽快感と秤にかけて、公園を選んだのだけど、そういった選択が可能な痛みなのだ。痛いのを我慢した歩けば、それを晴らしてくれる爽快感を味わえると思えば、まだ無理ができる痛さなのだ。だから、余計に腹が立つ痛み。そういった中途半端な効き方をしてくれてます、新しい薬。これを、2週間続けて、様子を観るというのが、昨日の診断だった。これを繰り返している内に、痛みが、徐々に治まってくれればいいのだけど、単に、ここまでしか用をなさない薬だと、めっちゃ嫌なことだよね。しかしながら、痛いのは嫌だね、ホント。
 今日の午後は、立教大学で行われた「緊急シンポジウム: ChatGPTの衝撃/人間は知的創作活動を続けることができるか―生成AIをめぐる法と政策― 」のオンライン視聴に申し込んであった。噂の「ChatGPT」について、最新の着目点、何に関心を向ければいいのかを知りたかったので申し込んであったけれど、寝てしまった。というのも、音声環境が悪く、音が割れて聴こえたり、声質により聴き取れなかったりと、そういったことのため、止めようかと思ったけれど、でも、せっかくだからと聴くことにしたけれど、ならば、気楽にベッドに横になりながら聴こう、これだと、痛かった腰にも良いだろうと思ったのが、ダメでした。午後の、とってもいい眠りとなった。やっぱ、薬に睡眠誘発作用があると、ここでも思った。せっかくなので、夕方も、同じ痛みを感じながら、昼前と同じ公園で読書。「ベルリンの壁崩壊」の本、呆気なく読了してしまった。凄い、スピード。壁が崩れ、東独の総選挙でも、西独の保守政党と連携した、要するにコール首相派が勝っても、ドイツ統一へと、すんなり流れたわけではなかった。この細かなこと、いい勉強になった。ゴルバチョフの思惑、ドイツから経済支援を引き出したいという思惑が統一事業に絡まってくる。EU設立を急ぐフランスのミッテランは、同時に大ドイツが出来上がることに不安を持っている。独仏蜜月関係って、その後のことなんだね。サッチャーは冷ややか、コールを小ばかにしたようなところもあったそうだ。唯一と言ってもいいほど、コール支援に動いたのはブッシュだったそうだ。でも、この段階で、ゴルバチョフは、ソ連再建を第一に動いている。ソ連崩壊が、もう間近に迫って来ているのは、今の我々は知っているだけに、このあと、ソ連は、どのように展開したのか、機会があれば復習したいものです。リアルタイムで観てるんだけどね。黄紺的には、頸椎の手術をして、自宅で静養してた時期にソ連崩壊が起こったと、それは、しっかりと覚えてんだけど、そのとき、ソ連に、何が起こったのか、思い出せないのです、細かな展開を。


2023年 6月 22日(木)午後 8時 29分

 今日は、整形外科医に書いてもらった紹介状持ち、大病院に行った日。夜半から、かなり強い雨が降り、そのために出かける時間も、まだ続いていたが、道中、運のいいことに小降りに変わった。歩き出してからものの2~3分で、ズボンが濡れてしまったほどの雨だったが、病院に着いた頃には、それが、すっかりと乾いているという運の強さだった。受付をせずに、直接診療科に行けた。手筈が整っているという具合で、さほど待つ間もなく診療へ。既にMRの写真は送られているので、それで話が進むと思いきや、ここでもレントゲンを撮られた。✕線を浴び過ぎじゃないかと思ったけれど、今回は頸椎も撮ってくれた。これは、頗る嬉しい検査。MRで撮るようなところは、変化が起こってなかったこと、また、この30年で変化が出なかったことで大丈夫だと思ってたけれど、加齢で頸椎の骨格に変化が出てないか、気になってたので、これを確かめてくれたことは嬉しかった。でも、背骨も腰も、頸椎も大丈夫だった。頸椎以外については、整形外科医も同様の所見だった。となると、結局は、椎間板ヘルニアだとなるわけで、その具合を、専門医が診て、どう判断するかを聴きたかったところだったが、基本的には、整形外科医が呟いたことと同じだった。整形外科医は、「もっと狭くなり、ここ(神経の束の部分を指し)が見えないほどまでの人がいますよ」と言ってました。要するに、「あなたの場合は、さほど重症じゃないですよ」と示唆したのだったけれど、これが耳にあるものだから、黄紺的最悪のシナリオは「薬で散らす」という見立て。その最悪を言われてしまった。普通なら、それは、「椎間板ヘルニアの中でも軽症」ということで喜ばねばならないことだけど、根本的治癒ではないわけだから、いつ、また、同じことが起こらないか判らないということを意味する。進行性があるものかどうか尋ねた、「判らない」という答だった。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。進行して、やっぱ手術が必要となったとき、加齢が進み、手術に耐える体力との相談なんて無意味なことになって欲しくない。今だったら、まだ大丈夫だろうにと思ってしまう。でも、決して、医師は「手術という方法もあるのだけど」なんて言い方しなかった。「この程度なら手術の必要なし」のスタンス、整形外科医と同じようなことも言ってた。「精髄内部の神経の束を圧迫が進んでいる人もいます」「あなたの場合は、そこまでは行っていない」、確かに、MR写真をみると、脊髄が、べこっとへこんだように映っているが、脊髄内部の神経の束にはへこみはかかるかな程度で止まっている。そんなで、「手術の選択肢」をちらつかせられない以上、強引なことを専門医相手に言えず、それに従うことに。痛み止めではない、神経に働きかける薬を出された。この効果を観るために、2週間後に、再度行くことになった。どういう具合になっているのかの説明を尋ね忘れたが、「徐々に楽になってきているでしょ?」と言われた。確かにそうなのだ。最初の3週間と比べると、この1週間余は、確かに、それまでと比べると楽なのだ。今日も、2階に上がろうとして、2段目で、脚が突っ張りかけ痛みが走ったが、最初の3週間に比べると、痛みは小さい。かなりと付けてもいいくらい。1㎝の段差を降りるのに、叫び声を上げていたが、それは、この1週間は、ほぼ皆無だ。病院へ行くのに歩き出した頃は、患部に響いたが、その響き方は、以前とは違うし、歩いていると痛みは忘れられる。これは、痛み止めが効き出す時間帯だったことや、歩くことで痛みに慣れたこともあるだろうけれど、痛みを忘れるなんてことは、以前はありえなかった。「まだ、1ヶ月ですからね」とも、医師は言っていた。長いスパンで看ると、痛みへの慣れが進み、もっと楽になっていくということなんだろうか? いずれにせよ、普通の生活に戻れること、そして、2度と、あのような激しい痛みが出てくれなければいいだけなんだけど、「臭いものの元を絶たない」でいいのかと思ってしまう、不安いっぱいの黄紺です。
 帰り道に、弟の家に寄り、報告。手術になると、大病院に近いものだから、何かと世話になるだろうしと、椎間板ヘルニアだと判った時点で、その旨伝えておいたからだ。こんなことになり、毎年6月に受けている胃カメラと、半年後の再検査を通告されていた大腸ファイバー検査を、今回の事態を受け、申し込みができないでいることを話題にすると、胃カメラの方は、朝一番で行われるので、こればっかは、朝方の痛みと相談しなければ行けないので、ボヤキだけで終わったが、大腸ファイバーの方は、下剤との対決という側面があるので、自宅から病院まで迅速に動けるように、車を出したもらえることになった。有難い。1つには、弟も、先日、大腸ファイバー検査を受けたところで、大腸ポリープというもの、短期間で成長する場合があるので、時期を指定されているなら、できるだけ、それに従った方が賢明と考えたようだ。ま、検査日までに、もっと痛みが和らいで、自在に足腰を使えるようになってれば、その必要はないんだけどね。とまあ、いろんなところに影響を及ぼしている椎間板ヘルニアです。


2023年 6月 21日(水)午後 8時 46分

 今日は、久しぶりにお出かけを入れていた日。そして、それを、恙なく実行できた日。この1週間、日増しに、痛みが和らいできている印象が出てきている。この1ヶ月間、自重に自重を重ねてきた結果が出てきているのか。痛み止めを飲み続けることで、そういった効果が出てきているのか、その原因は判らない。でも、頭には、MR検査で撮った写真が、しっかりと残っている。あの脊髄の神経が括れた姿は、目に焼き付いているから、なんで、こういった展開になってきているかが、素人目には判らない。この1ヶ月、よく耐えました。この時期になり、ようやく大病院に行ける。明日が予約が取れた日だ。5月22日が、ペナンで発症した日だから、ホント、丸々1ヶ月で、行くべき病院に辿り着けることになる。痛みが和らいできていると言っても、今日のようなお出かけも、恐々で、あくまでも痛み止めが効いている時間帯という気楽さで、のほほんと出かけることができたとはいえ、やっぱ、駅の昇降にはエレベーターを使っている。階段の昇降は、やはり怖い。あの足が突っ張るときに起こる激痛は、ホント、えげつないからね。家の敷居、僅か1㎝の段差に、足を下すときに起こる激痛は、凄まじかったからね。とにかく、明日、専門医の見立てを聴くことになるけど、どんな話が出てくるのか、自分的には、手術で、さっぱりしたいと思ってるので、怖いものなしとは思ってるのだけど、想定外のことって出てくる可能性ってあるのかな。むしろ、薬で散らせとか、この程度なら、腹筋を鍛えれば乗り越えられるとか言われる方が、自分的には怖いんだよね。
 今日のお出かけは、文化パルク城陽プラネタリウム。「城陽で喬介」という、おなじみの落語会。同じ会場であった京山幸乃の浪曲は、とてもじゃ耐えられないというので、当日、キャンセルを入れたことを考えると、今日、行って帰ってこれたというのは、正直、夢のようだった。で、落語会の番組は、お楽しみの「星空解説」が冒頭に入り、その後、喬明「犬の目」、喬介「つる」「借家怪談」「近日息子」。喬明の「むかっと来るクイズ3連発」に次いで、この会では2度目となる「犬の目」を聴いてて、すごく上達してると思った。身体の中から台詞が出てきているから、ちょっとした手の動き、身体に入っている力のバランスが、とっても自然。これ、理屈じゃなくって、身体で覚えたってやつですね。何度も何度も、ネタを、人の前で口演する中で、身体が覚え込む。マクラのクイズにしても、喬明キャラに合っていて、客席席との距離も、自ずと出来上がるというもの。いいな、いいなと思ってたのに、途中でダウン。これが、「借家怪談」まで続いてしまった。そこまでで印象に残ってるのは、大須演芸場出演の話。そう言えば、喬介は、Twitterで、泊ってるホテルの朝食ネタや、東京の円菊に可愛がってもらってる呟きをしてたなと思い出しました。ほのぼのなのに、その後を覚えとらんのです。「借家怪談」後に中入り休憩が入ったので助かった。おまけに、マクラが長澤社長ネタ。これは、覚醒にもってこいでした。出石&城崎に、長澤さんとべ瓶と3人で行ってきたと行ってたけど、そんな組合せがあるんだと、その人間関係にも興味津々となってしまったな。そして、「近日息子」が秀逸。滑舌は、決して良かったとは言い難かったけれど、勢い、流れ、これが、このネタの真骨頂だとばかり、めっちゃ流暢に噺を運ぼうとしている、その姿勢に感銘を受けてしまった。テキストが、普段聴くのと違うのは、恐らく師匠の松喬からもらったからじゃないかと思ったのですが、当たってるかな? しょうもないこと言いの男が隣町の住人だとしたのは、初めて聴いたんじゃないかな? 
 お出かけ前に、Youtubeの王楽のチャンネルで、春風亭一花をゲストに迎えてのトークを視聴した。最近、二葉との組み合わせで、馴染みが出てきた噺家さんだということが、チョイスのきっかけだったけれど、視聴していて、存外、一花のこと、知らなかったなと思った。よねすけチャンネルで、夫の馬久と一緒にインタビューを受けたのを視聴したときに得た情報くらいしか持ってなかったってこと。一番、以外だったのは、馬久も一花も、同じ立教大学出身だということは知ってたけれど、2人とも落研じゃなかった。一花が演劇部出身だと言ってたのは、高校のときかと思ってたら、それが大学で、馬久の方も映画研究会だったとか。一朝への弟子入り志願のことは詳細に語られていたけれど、一朝が入門を認めたわけが抜けてたな。これ、一朝という噺家さんを知る上でも聴きたかった情報。女の弟子を取ってこなかった一朝が考えを変えたわけを知りたいのです。そして、一花が語られるときに、必ず出てくる「スーパー前座」という評価は、ここでも語られてたけれど、それは、入門前に和食割烹の老舗で働いてたことの影響かと、自己分析しておりました。このチャンネル、いいゲストが続くので、しばらく追いかけてみます。


2023年 6月 20日(火)午後 8時 28分

 少し前までは、今日あたり、某美術館に行けたらいいなという、淡い希望を持っていた。だけど、電車の乗り換えや、歩く距離などに鑑み、諦めてしまっていた。ひょっとして、当日になると、その気になるかもとも思ってたけど、一旦、断念を決めたら、その気にはならなかった。ま、火曜日だから、のんびりと「まーぶる」を、Radikoで聴いてれば、自ずと時間は流れて行くという気安さがあるものだから、そういった復活は起こらなかったのでしょうね。だから、Radiko三昧の日に決めたと思ったんだけど、そこに、誤算が2つあった。「まーぶる」で、主役の二葉が、またしてもダウンしてしまったことが1つ。もう1つは、自分の思考から、夜に、オンライン配信での講演会を予約していたことを、すっかり失念してしまってた。そんなで、美術館に行かない選択のあと、結構、ぐちゃぐちゃの日になってしまった。
 「まーぶる」の第一声は、毎度、二葉が務めるのに、今日は梶原さんだったので、「あれ?」と思った瞬間、種明かしがされた。また、二葉が発熱でダウンしたそうだ。今日は、本人のTwitterにも、その旨が、一切、出ていない。重症なんでしょうか、それよか、ショックが大きいかもしれない。2週間前だったかな、そのときも発熱でダウンしたところ。売れっ子の悲しさってやつかもしれません。お休みと知ったとき、咄嗟に、「代理は米紫だと、いいがな」と思ったら、その勘がど正解だった。けど、聴き出して、自分に突っ込みを入れてしまった。「昨晩、散々、聴いたところや!」と。月曜日の夜は、Youtubeの米朝事務所チャンネルで、米紫と吉の丞のトークを聴く日だから、連続になるのだ。そればかりか、火曜日の夜は、吉の丞の「おつかれさん」があるので、この2日間、この2人ばっかにとり憑かれてしまってることになる。そこまで、暑苦しいことしたくないなと思いながら、結局、「まーぶる」、ラジオショッピングなど、いつものカットするところ以外は、全部、聴いてしまった。二葉が出演できないことが判ったのが、今朝になってからだったようで、米紫は大変。番組でも言ってたけど、結果的に3本の掛け持ちになってしまった。動楽亭昼席、ツギハギ荘の南天の会と言ってました。そんなで、番組の進行は、いつもの流れ通り。それが判ってくると、途端に「この落語」で、米紫が何を言うか、興味津々だったけど、完全に肩透かし。マクラでネタにしているエピソードの紹介をやってました。「噺家の名前いろいろ」というやつで、歌々志が都んぼを、梅田駅で呼ぶくだりの入っている話です。あれれと思いつつも、代演やからしゃーないなと手を打つことにしました。ほぼ同年齢2人のおっさんの話って、2人とも上手やけど、意外性、ないわぁ、ホント。
 この間読んでた「ベルリン」を読了したので、この際、「ベルリンの壁崩壊」に関する本を読んでおこうと思い、引っ張り出してきた。復習というスタンスで読み始めたけれど、リアルタイムで知っている出来事だけに、おもしろくて仕方がない。ハンガリーが国境を開いた裏に、コールからの働き掛けがあった。ハンガリーも自立するには、西独の支援がないと動きが立たないということで、話に飛びつくという構図。コールも、党内、国内の地位が不安定で、賭けに出るようなスタンスも垣間見える。ゴルビーは、とにかく重荷下ろしが先決だった。経済力がないのに、冷戦で軍拡に熱心になったツケが全部出てしまったので、重荷を下ろさないと、ソ連自体が崩壊する。ゴルビー最後の東独訪問は、あっけないもの。東独のなんちゃら記念日に訪問したけれど、ホーネッカーはボケてるし(事態の認識まであやしかったらしい)、それを知ってるゴルビーは、さっさと帰っちゃった。そのホーネッカーが、なぜだか、クルト・マズアの意見を聴くようにとの指示を出したそうだ。クルト・マズアは、軍を動かすとどえらいことになるとのアドバイスを伝えたと記されていた。クルト・マズアが、そこまでの役割を果たしたとは知らなかった。そんなで、めっちゃ、おもしろいのです。


2023年 6月 19日(月)午後 9時 16分

 今日は、月曜日に行けるミュージアムに行くつもりであった日、だけど、行かなかった。朝から、その気になっていて、でも、うっかり朝食後、痛み止めの薬を飲み忘れ、1時間程してから飲んだため、効き出すのが、後ろにずれたため、昼食を、若干早めに摂り、そのあと行こうと考え、その準備で動いていた。そして、確かに、そのように動き、せめて、昼食を食べながら、Youtubeを観ようとしたのが、誤算だった。三遊亭王楽のチャンネルを観たのだけど、普段、ほぼ観てなかったのに観て、ゲストの顔ぶれにそそられてしまい、しばらく観ている内に、一挙に行く気が失せてしまった。別に、帰って来てから、続きを観ればいいかとも思ったのだけど、そう考えているときには、急にお尻が上がらなくなっていた。腰痛が悪化したからではなく、全く気分の問題。で、その動画なんだけど、桂文治を、最新の動画では呼んでいたので、そそられてしまった。芸術協会に出番があるのかな王楽は? その関係で懇意にしてるのかなと思いつつ、伯山TVなどで撮る楽屋風景で出てくる文治が、結構、癒し系キャラなものだから、この動画に引き寄せられてしまったみたい。文治襲名して、もう10年だと言っていた。以前にも襲名裏話的なことは聴いたことがあったが、より詳し目に解説してくれていた。でも、さすが、桂派宗家的な名だから、根回しが大変だったみたい。落語協会にも、また、上方落語協会にも、挨拶に回ったそうだ。正確に言えば、挨拶というよりか、了解を求めるようなものだったんでしょうね。この人もNHKの覇者なんだね、そのときのネタが「平林」だと聴いて、これは驚いた。有名なエピソードらしく、王楽の方から突っ込んでた。「鈴ヶ森」も、文治テイストいっぱいのネタだそうで、そういった前座ネタで評判取れるというのは、実力者の証なんでしょうね。次いで、もう1人、ピックアップしようとして、動画一覧を眺めていると、林家あずみなんてのが目に入った。瞬間、今から10年ちょい前かな、あずみが、入門して、さほど時間が経ってない時期だと思うんだけど、横浜にぎわい座の林家たい平独演会で遭遇したとき、なんで、この人が、三味線漫談という芸をするのか、とにかく不思議な感じがしたのだったことを思い出した。だって、美形と言っても、モデルのような姿態からして、似つかわしくない。しかも、京都出身だと言ってた。第一、三味線漫談でたい平の弟子って、どういうことと、何か、混乱させることばっかだったから、とにかく、よく覚えている。そんなで、引き寄せられるようにして、観ると、1回目は、10年間同棲していた男が詐欺師だったというわけのわからない話なため、めっちゃ、おもろい。2回目にして、ようやく入門に至るわけが判った。たい平と、一緒にラジオ番組をしていた縁があるそうだ。元々、タレント活動をしていた人だった。東京は、このパターン、多いんだよね。演劇関係とかね。上方は、最近、NSC崩れが増えてきてるけどね。そして、この人、入門するまで、三味線未経験だったとか。噺家さんが、色物さんを弟子に取るのは、先代円歌が、橘之助(元小円歌)を取って以来の珍事だそうだ。橘之助は、三味線も、踊りもできて入ったそうだから、ずぶの素人で入った稀有の存在だと、自分で言ってたけど、それだけ、苦労もあったのでしょう。たい平は気遣いの人とという評判は耳にしたことがあるけど、師匠からは、ホント、ディテールまで口うるさく指導されたようです。これも、師弟には前史があることが判り、至極、納得。これも、おもろかった。
 もっと続けて視聴しようかと思ったけれど、あとは、せっかくだからベッドで静養に充てた。小1時間ほど、昼寝をしたかもしれない。昼間の気温上昇は、半端じゃない。そういう季節ですね。でも、朝晩は。気温は下がるのが嬉しいね。今日、夕方、またまた、近くの公園で読書をしていて、はたと気が付いた。もう夏至が迫ってるってこと。ということは、もう数日後には、昼時間が短くなるんだね。時間の経つのが速すぎる。それ、やだね。腰、早く治さないと、もう、自分には時間がないよ、どうしても、そんなこと、思ってしまうな。


2023年 6月 18日(日)午後 11時 00分

 真夏の暑さになっている、この3日ほど。窓を開けっぱなしにしているのが、当たり前になってきた。毎年、この時期に、涼しい屋内も、急に暑くなるものだが、正に、その時期に差し掛かってしまった。でも、まだ、クーラーのお世話になるには早い感じだけど、さほど遠くない時期に世話になるのでしょうね。
 今日は、のんびりとした日曜日。完璧ではなかったけれど、痛み止めが効いたことが確認できたので、日本酒を買いに行った。安いところが、今の自分には遠いと思えるので、最近は日本酒は自重気味だったので、今日はチャレンジすることに。ヤバいと思えば、途中で引き返せばいいんだという気持ちで出かけたら、わりかし、あっさりと行って来れた。帰り道で寄った公園など、毎日のように行ってたけれど、マレーシアから帰ってきて、初めてじゃないかな。そこまで行く勇気がなかった、そんなに遠くはないのだけど、やっぱ自重していた。夕方は、近所の公園に読書に出かけたから、今日も、2回、外出することになったけれど、戻ってきて万歩計を見たら、8400歩にもなってた。やっぱ、日本酒の安い店は遠いということだった。
 日曜日なので、「日曜美術館」がお楽しみ。今日は、「マティス 幸せの色彩」というお題。東京都美術館で、「マティス展」が行われているということで、MCの2人だけではなく、会田誠(美術家)、朝吹真理子(作家)、リト(葉っぱ切り抜きアーティスト)と、3人ものゲストも出演。さすが、マティスは大物です。紹介された作品をメモっておきます。①赤の大きな室内(78歳、画家のアトリエを描く、右の窓?ポップな色彩、左の窓?モノクロ、色彩を咲かせる草花、筆数を減らした描き方、床には動物の毛皮の敷物、赤を多用)②読書する女(25歳、長女を出産したパートナーを描く、写実的)③自画像④豪奢、静寂、逸楽(30代半ば、色彩が変わる、点描)⑤豪奢Ⅰ(37歳、ヴィーナスが浜辺に立つ、塗り残しも目立つ、前時代的な描き方を抜ける)⑥ダンスⅠ(ラフな描き方、これは傑作だ!)⑦ピカソ/アヴィニョンの娘(⑥と同じ制作年=1907年)⑧夢(1935年、マティスの助手=女を描く)⑧夢のための習作(モデルのスケッチを繰り返す、眠りと覚醒の狭間、手が溶けているところに感じる心地よさ)⑨金魚鉢のある室内(マティスのアトリエ、窓際に金魚鉢、青の中の赤=金魚、セーヌ川も青)⑩コリウールのフランス窓(抽象画のよう、窓の外は黒、35歳コリウールで、戦火を逃れるためコリウールへ、そのときの心境か、⑪とは随分違う)⑪コリウールの開いた窓(色彩豊か)⑫マグノリアのあるテーブル(1941年、ガンで生死の境から復帰、∴、身の回りのものを描く、晩年の傑作、70枚ほどのデッサンを基に描く、筆数は少ない描き方、丸いのは鍋)⑬ジャズ(1947年、20作の連作、絵筆を使えない時期、色紙を切り抜くコラージュ、下絵をほぼ描かない、色の混じりがない、色たちが集まってきている、シンプル、削ぎ落された、余白が考えさせる)⑭南仏ヴァンスの礼拝堂(設計、内装すべてを手掛ける)。「そのまま描くのではなく、観たときの衝撃を描く」、これが、とっても印象に残った言葉。ようやく、マティス、野獣派と言う人たちのこと、ちょっと解かった気になった番組だった。驚いたのは⑬、京都国立近代美術館で、これ観てる。観たときは、「マティスって、コラージュをするんだ」と思ったくらいだったけれど、時系列的に大事なことを教えてもらえた。晩年、それまでのように描くことができなくなったマティスが、創作意欲が衰えず、表現法を変えた中で生まれた手法だというとでした。この作品が、幾つものミュージアムにあるのは、どうしてなんだろう? せっかく、マティスを観たんだからと、動画サイトにアップされている「美の巨人」シリーズの中に、マティスがあったので観ることにした。こちらは、⑭に特化されていた。「日曜美術館」では言ってなかった情報が、少しあった。この礼拝堂は、ドメニコ修道会のものとして作られた、礼拝堂の設計の依頼に来たのは、同修道会の修道女なんだけど、その女性、マティスが死の境から生還した病院の看護師さんなんだって! その偶然に歓喜したマティスは、無償で、この仕事を引き受けたと言ってました。壁画の聖書物語も、聖母子像、ドメニコ像も、顔の輪郭しか描かれていない、それは、観る者の想像に任せたということだそうです。描かれる対象は、キリスト教の物語で語り尽くされたものだから、個々に持つイメージが違う、それを踏まえ、観る者のイメージに任せるということだったらしいと言っていた。いいタイミングで、2つの異なった番組を観れたということは、とっても有難いことでした。
 「ベルリン」を読み続けている。著者は、建築の専門家なので、時代が進むにつれ、そちらにシフトして行ってるという感じで、徐々にとっつきが悪くなってきている。そういったなか、またしても、トルコ語の勉強になることがあった。フランスかぶれの文化人のおかげということなんだけど、ブランデンブルク門の前の広場は正方形だったので、「カレ」と呼ばれていた、、、あれれ、ちょっと待てよ、「カレ」ってフランス語由来だったということ、初めて知りました。ポツダム広場は、元八角形だったそうで、「オクタ、、、」と呼ばれていたそうだけど、ドイツ語では「アハトエック」だって! 「八角形」って、ドイツ語じゃ「8つの角(つの)」って言うの、これもおもろかった。そのまんま過ぎるやん! ベルリンが形成されていくにつれ、Fridrich Strasseが、メーンストリートの様相を呈してくる。これは、東西ベルリンに分かれたときは、境界になった。チャーリーズ・ポイントもこの上にある。鉄道の東西の境界はFridrich Strasse駅だった。今、駅前には、その当時のチェックポイントが、ミュージアムとして再建されている。毎日、少しずつ賢くなっていく感じが、嬉しいね。得ることの多い本です。


2023年 6月 17日(土)午後 9時 40分

 今日は、午後にお出かけ予定が入っていた。そして、夜は、「ブラタモリ」の新作「吉野編」が流れる日ということで、朝から、少しテンションが上がってたけど、腰の具合が、パッとしなかったな。日によって違うのは、この間の経験知となっているけど、今日は、痛み止めの効き具合に、ちょっと困った。安心して歩けるまで、いつも以上かかった。2時間半はかかったかな。そんなで、午後からのお出かけ予定に不安が出た、少しだけだけど。午後の予定は、これは腰痛が出てから申し込んだ市民向け公開講演会。会場が、伏見区内だということで、安心感があったというのが大きかった。コミュニティプラザ深草図書館という、初めて中に入った京都市立の図書館が会場。ここで、市民向け公開講演会って、今までなかったのじゃないかな、知らんけど。今日は、「開館20周年記念事業」と銘打たれていたので、ひょっとしたら当たっているかもしれない。「伏見・深草 悠久の里」というお題で、宇野日出生(元京都市歴史資料館研究員)さんのお話を聴くことができた。宇野さんは、紹介の中で、滋賀県の神社で宮司をされているとあり、「ん?」と思ったけれど、徹底した学者さんでした。文献史料に則ったことからしか、事実と断定しない方でした。神社の由緒書は、信仰に基づくものとバッサリ、事実認定の相手にはされない方でした。神官職の方に悪影響が出ないかと思うほど、スタンスの明確な方、また、そういう人でないと、京都市主催の事業には呼ばないわね、単なる杞憂に終わりました。ただ、この人、伏見のことについて、京都市発行の歴史書に執筆をされているようだけど、伏見の、ましてや深草地域のプロパーじゃなかった。どうやら、神道の習俗、行事などのルーツ探しをするのが本業と看ました。だから、お題にも出ている深草の扱いが他所行きという印象。深草で押さえられたのは、「秦氏の有力な根拠地」というのが、まず出てきた。稲荷大社があることから、それは言うまでもないこと。そこで、渡来人に関して一くさり。土木、信仰、水田耕作、、、いろんなものを持ってきた。騒乱の時代に、大挙して入ってきたのだろう。彼らの信仰の跡が稲荷社。広く、神社の成立について、おもしろい言い方をされていた。この辺が神道の専門家らしい。自然崇拝があった。山や岩など、それらを、「人の住む世界に来てもらう」、要するに「勧請」したのが神社だと。近世のトピックスとして上げられたのが、領主が多い、庄屋が多い土地ということから、肥えた土地だったという点。それだけ、水争いも激しかったということは、宇野さんが書かれた文の中にありました。そして、近代は軍都深草という顔。それで栄えた土地ということですね。深草について触れられたのは、この3つじゃないかな。あれれと思ったからか、その後、居眠りをしてしまったので、無責任なメモは書けないけど。むしろ、後半の1/3ほどは、深草は、北隣の稲荷に引っ張られてたろうということで、稲荷社の広範な拡大話になっていたと思う。ご神体とは、どんなものか、こんなのできるのはさすがだと思ったけど、それの販売をする。それが、本地垂迹で稲荷社にあった仏教寺院愛染寺が行っていたとかという話をされていたように思うのですが、、、自信がないところ。その販売の仕方が、薬の販売と関わりがあったよう。この薬の販売話のところは、ほぼ完全にダウンしているので、いい加減なことを書くのはダメなんだけど、伊勢神宮の訪問誘致運動のときに御師がしたようなことと同じなんだろうかと、ボヤーっとしながら聴いていた記憶が残っている。おもしろそうなトピックなのに、もったいないことしてるね、ホント。
 「ベルリン」で、今日は、2つの発見をした。ベルリンに「動物園前駅」が2つある不思議が、ずっと気になっていた。「Tiergarten」「Zoologioscher Garten」の2つだけど、この2つ、S-Bahnの駅では並んでるんだよね。その謎が解けました。「Tiergarten」の方は「動物園」ではなく、「猟場」だったと出ていた。ここに計画的に道を造ったのが放射状道路だとか。その南端を走るのが「Unter den Linden」だそうです。王宮から見て、その先に造られた離宮が「Schloss Charlottenburg」となるそうだ。この辺りが、黄紺が、ベルリンに行ったときの拠点にしているところですな。もう一つは、「jandarma」の語源が判ったということ。ドイツとは関係ないトルコ・ネタ。Google翻訳にかけると「憲兵隊」と出てくるけれど、日本語にはいい単語がなさそうだから、そのまんま「ジャンダルマ」と言うことにしているが、トルコ語のようであって、そうでもないような響きだとは思ってたけれど、フランス語でした。「近衛兵」という意味合いの語だそうです。プロイセンには、フランスかぶれの君主がいましたね、その流れで、このフランス語を「近衛兵」に充てたんだって。思わぬところで、トルコ語のお勉強になりました。
 「ブラタモリ/吉野編」は、地味におもしろかった。金峯山寺との関連で桜でなければならないわけを押さえ、桜が吉野に向いていたということを、地質学的に押さえる流れは見事。次いで、今度は地内町の仕組み、特徴、更に、花見と言えば秀吉となったのだけど、この花見がおもしろかったね、エンタメに満ちていた。最後は、桜守で、地味に締めるというのもNHKらしかった。「ブラタモリ」は、各編、おもしろみが違うのがいい。ロケ先で左右されるのだろうけれど、それなりのテイストが作られているのがいいですね。次週は「関ケ原」だそうです。わりかし、意表を突かれた感じだけど、突かれてみると納得するだけに、可愛げのある番組です。


2023年 6月 16日(金)午後 9時 26分

 今日は、のんびりと、完全休養日。この2日間、この間ではできなかったことをしたこともあり、今日は、のんびり日に充てた。午後になり、明日も、お出かけ予定が入っているので、洗濯を、今日の内にしておこうの気になった。明日、洗濯日にするのだと、午前中になるだろうから、せわしなくなるのと、肝心の腰が、思い通り、大人しくしてくれる保障はないなと思うと、急にする気になった。前回の洗濯日も、夕方に回した。気温上昇があるので、これでも十分。明日の朝には取り入れることができる。動いたかなというのは、この時と、昼前に、近くの公園に読書に出かけたくらい。半袖短パンで、日陰で、のんびりと読書するには、とってもいい季節。ドイツ繋がりで、今は「ベルリン」に関する本を読んでいる。知らないことが、いっぱい出てくる。エーフライム博物館で、「ベルリン」を冠した展示を観たことがあるが、それは、30年戦争以後を対象としていたので、それ以前の歴史は把握できていなかった。王宮のあった辺りが出発点だろうとは思ってたけれど、シュプレー川沿いに生まれたツインシティが出発点とは知らなかった。博物館になっている聖ニコライ教会が核となる地域だったんだろうなと、堂内に展示されている考古学的遺物を観て、そうは思ってたけれど、そちらが「ベルリン」、もう一つの片割れが、今の「博物館島」、ここは中州、こちらが「ケルン」という名だったそうだ。「ケルン」は、フランス語では「コローニュ」だから、「colonia」から来てることになるから、ライン川沿いの有名なケルン同様、「ローマ時代の植民市」が大元らしい。その辺のことは、判ってないと、本には書いてあった。勉強になるわ、そやけど。そのツインシティが合体して「ベルリン」になった。30年戦争後に、荒廃した地の再建の中で、その後の王宮の基ができて、ウンター・リンデン・シュトラーセができるというのは、博物館の展示で出ていた。入口は、もちろんブランデンブルク門。ここで、肝心なこと抜かしてたのに気が付いた。展示には示されていたはずだろうに、抜かしてた。門ができるということは、壁ができるという当たり前のことを。本を読んでて、城壁のことができてきて、そらそやになってしまってました。虚けた話です。それと、もう1つ、大変なこと抜かしてた。ベルリン王宮は、空襲で跡形もなく破壊されたと思ってたが、これ、完全な思い込みだった。だって、今、何もないもの。でも、そうじゃなかった。破壊されたけれど、壁とか、残ったものがあった。どのくらい残ったかは、その時期のベルリンの記述まで進むと判るのでしょうが、とにかく、今の時点で判ったのは、「残ったものを破壊した」ということで、跡形もないということ。戦後、王宮のあったところは東ベルリン。ブランデンブルク門に壁があったんだから、その場所は東独。ロシア革命後、なんちゃら大聖堂が破壊されたのと同じだ。そんなで消えてしまった。エーフライム博物館の展示の最後の部屋だったように記憶しているが、間違いかもしれないけど、王宮内部の写真が展示されていた。等身大の大きさにして、王宮を示していた。恥ずかしい話だけど、ベルリン王宮というもの、それまで、全く意識してなかったもので、強烈なインパクトを受けた記憶がある。入口の門と、王宮への路は残った、けれど、肝心の王宮が消えた、これがベルリンなんだよね。まだ、1/3くらいしか読んでないけど、この本、10年前に読んでれば、ベルリンに対する思い入れ、もっと深くなったんだろうね、抜かったね! でも、なんで、あの位置に門を設けたんだろう? あの方向、シュパンダウ方向なんだよね。ドイツ帝国では、ベルリン北西の要衝として要塞があったシュパンダウ。ルドルフ・ヘス収容の要塞があったシュパンダウ、本に載る古地図にもシュパンダウは出ている。そのシュパンダウとの関連が想像されるんだけど、どうなんだろう?
 わりかし寝たきり生活の時間を多く持った。同じのんびりするなら、徹底しようじゃないかということ。そういった時間を持ってきたので、ここ数日、痛みのコントロールが、上手く行ってるのじゃないかと思っている。今日も、叫び声を上げたのは、今のところ、1回だけだしね。寝たきり時間では、Youtubeにある落語の音源をかけておいた。筋立てが跳んでるときには、うつらうつらしてたみたい。そういったなか、メモっておきたい口演が、幾つかあった。①文枝「生中継・源平」②文珍「不動坊」③歌丸「竹の水仙」。①は、屋島の合戦、扇の的の現地にTVのレポーターが派遣されるというもの。時を超えさせる着想、キャラの設定のおもしろさ、講談の修羅場語りが入り乱れる佳作。②は、テキストは、誰しもがする通りなんだけど、客を惹きつける硬軟自在の距離感がいいのでしょうね、引き込まれました。とっても、重厚な仕上がりと看ました。③は、安定感抜群の語りは言うに及ばず、上方で聴いたことのない設定に驚かされた。三井から大黒制作を依頼された甚五郎が神奈川の宿で泊まるとなっている。その後の展開は、上方と同じ。このネタ、上方で落語化されたものが東京に移ったはずのネタなんで、宿に入ってからの展開が同じなのはそれだからでしょうが、単純に大津を、他の都市にせず、「三井の大黒」と繋げたかったのでしょうね。噺が始まったときには、「三井の大黒」を口演するんだろうと思ってたら、思わぬ展開になってしまいました。


2023年 6月 15日(木)午後 9時 20分

 ここ数日、腰の具合が安定している。うまく、痛み止めを飲みながら、コントロールできていると言えばいいかな。どのタイミングで飲めばいいかが判っているので、その時間に飲めば、夕食の時間帯に準備とかで動かねばならないときは、ある程度、覚悟が必要だが、それ以後は、ほぼ動かいないから、何とかなる。そして、その夕方以後の痛みも、1週間前なんかと比べると和らいでいるので、十分、耐えることができる。動くと、その後は、ベッドに横になる時間を取るというのが功を奏しているのか、叫び声を上げるような痛みは、ほぼ出ていない。あくまでも、ほぼだけど。昨日の大阪までのお出かけをしたからと言って、若干、脚や腰に、昨日には感じなかった疲れのようなものを感じたかなといった程度の変化なので、かなり気を良くしている。そんなだから、今日も、前売券を買ってある美術館に行くことにした。今日は、京都市内だったので、往復に時間がかからないので、昼ご飯を食べてから出かけた。午前中は、買い物の要もなかったため、Youtubeで音楽をかけ、ベッドで静養して外出に備えた。行き先は京都国立近代美術館。今、こちらで、「Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」展が行われているのです。現代アートのお勉強にと思い行ったのだが、あまり、お勉強にはならなかったみたい。何も響かなったのです。ショックやわぁ、これだけの回顧展が開かれるくらいだから、それなりの評価があるはずだと思うので、頑張って探そうとしても響かなった。知った名前が1つだけあった。三島喜美代、「日曜美術館」で紹介された婆さんアーティスト。現時点では、ホントに婆さんだけど、やることはぶっ飛んでるお方。その若かりし頃の作品。コラージュものだった。4階のコレクション展にも、三島の作品はあったことを思い出した。そか、ここに出てるので、補う意味で、4階にも展示されたのかと、ようやく判った。これもコラージュ作品だった。岐阜県立美術館で展示されていた作品も、大きく言えばコラージュだったよね。「日曜美術館」で観たときは、鉄骨アーティストのような印象だったんだけど、作風は変化しているということなんでしょうが、コラージュになると、とんと響かない、判らないのです。1964年の「現代美術の動向展」の展示作品だった。この人の作品があるということは、他にも、たくさん、現在では名を馳せているアーティストが揃っているのでしょうね。こういった回顧展となると、現在、残っていて展示できるのでなければならないうという前提条件がある。となると、必然的に絵画作品主流となってしまう。また、各年度の展示の紹介文(これは当時使われたものだと思われる)で、目玉っぽく書かれているポイントと、実際に展示されている作品とが合ってればいいけれど、これが、そうは上手くは行ってなかったんじゃないかな? 素材の斬新さを評価するような目玉ポイントが書かれていれば、やっぱ、展示作品は、それに合わせて欲しいものです。絵画作品が主流となると、表題が「現代美術」となっているのに突っ込みを入れたくなってしまった。そういった時代を知る展示なのかもしれませんな。従って、インスタレーション的な作品は、観られないわけだし、そんなのなかったのかと思うと、年度ごとの解説を読むと、決して、そうではないのが判る。要するに保存できてないのだ。そもそも保存などできない代物だったのでしょう。そのため、各所に記録映像を流してくれていた。その中で、1つだけ、気になった年があった。最後の方の作品だったと思うけど、解説に「時間を意識させる、、、」と書かれた掲示物の傍のスクリーンだったので、それに見合うインスタレーションじゃないかと思ったんだけど、「作りかけ」や「散らかした」様子が作品として映っていた。これくらいかな、響きかけたのは、、、あとは、解らんかった。そうそう、1969年のところには、李禹煥の作品もあったけど、この人の作品、いつ観ても、端から解るわけないと思ってしまうけど、やっぱ、今日も同じだったな。3階での鑑賞後は、今日も4階に上がりました。コレクション展です。既に1回行っているので、若干、躊躇してしまったけれど行ってみた。すると、1つ、賢くなったことがあった。世界的に有名な作品、デュシャンの「泉」は、1964年に再制作されたものを購入したものだということ知ったことです。そりゃ、レディメイドですから、容易に再制作できるよね。また、そうすることで、作品の意味が、より出てくるようにも思える、洒落た試みです。それを知ると、「泉」の傍らに並んだデュシャン作品、衣紋掛け、スコップなどが並んでいるのが、全て、再制作されたものを並べてくれていたことが判明。1964年と言えば、3階の展示で並んだ作品が、最初に展示された時期じゃないですか。見事な呼応展示です。そう考えると、北大路魯山人の作品を、次の部屋で展示したのも、関連させたのかな? なんか、そんな気がしてきたぞ。呼応し合っている、展示そのものがアートになっている!!
 今、もう1つ、どうしても行きたい展覧会がある。京都市内の美術館でのものだけど、これが、昨日今日の展覧会と比べて、一番の難物だと思っているので、後回しにしたということなのだが、もちろん、腰に難物ということ。会期は7月上旬まであるんだけど、1週間後には、大病院の診察が待ち構えているから、その後に持って行くと、ほぼ絶望的かなと思ってる黄紺にとって、行ける時間は限られている。身体を張ってまで行くかどうかだね。でも、痛いの嫌だしと、今のところ、、、gitmekten vazgeçmem gerek (>_<)


2023年 6月 14日(水)午後 10時 30分

 今日は、かねてからの狙いだった、大胆なことを実行に移した。大阪の中之島美術館に行ってきた。コロナ禍の中で開館したこともあり、行くのは初めて。ここまでも、行きたくなるような展覧会があったのだけど、我慢していた。でも、今回は我慢できなかった。うまい具合に、コロナに対する警戒感も緩んできたこともあり、前売券を買ってあった。調べてみると、4月11日に買ってたから、2ヶ月も前になる。GWは、さすが行く気はなかったが、その前に、行こうとの計画があったが、予定が詰まっているときに無理していかなくてもの気持ちで、6月という、会期の後半に回したら、腰痛だ。一旦は、諦めていた。6月25日が最終日だからだった。22日が、予約してある大病院に行く日なので、その後は、そこで、どうなるか判らないので、たとえ行くにしても、そこまで引っ張るのはダメだと思ってた。となると、僅かな希望は今週。行けるか、この1週間ほど、自分の腰の具合と相談していた。先日のワクチン接種の日に、買い物がてら歩いたのも、その相談の1つ。あのときで8000歩だった。痛みは、効き出すまでの時間が、日により違ってくるが、2時間待てば、目星がついてくる。それ以上待つにしても、目星がつくというのが、この間の経験知。痛みがコントロールできれば、6時間ほどは心配ない。患部に痛みを感じながらでも、また、スピードを落としても、歩けることは歩ける。一方で、中之島美術館へのアクセスを調べると、京阪の渡辺橋駅から近いことが判った。実際、5分とかからなかった、地上に出れば。だとすると、痛みがコントロール下に入って来たぞと感じたら、もう、そのときに出発すれば大丈夫と踏んだ。渡辺橋駅は地下駅なんで、これが苦労したけどね。昇降には階段を避けるも大原則。ところが、この駅、エレベーターに困った。ほとんで行ったことのな駅だったので、これに手間取ったことは確か。でも、地上に出ると楽だった。美術館でも、階段が使えないというのは、そうなってみると、バリアフリーを掲げてあっても、不十分だということが、よく判った。階段を避けて歩いていて、その先に階段がないという保障はないからね。エレベーターが、結構、判りにくいところに、駅も美術館もあった。これ、結構、ショックだったな。でも、たどり着きました、「佐伯祐三~自画像としての風景」展。黄紺が行こうというくらいだったから、平日なのに賑わっていた。「鏑木清方展」より密じゃないのと思ってしまった。中之島美術館ができた大元は、この佐伯祐三のコレクションだと聞きますね。それに、日本の各地の美術館所蔵の佐伯祐三ものを集めたのだから、行かない手はないと思うのは黄紺だけではないでしょう。解説にも書いてたけど、本格的に画業に専念して、僅か4年数ヶ月で亡くなるというのも衝撃だ。それから、もう100年近く経ってしまってます。どうしても、パリを描いたということ以外だと、自画像くらいしか知らなかったが、今回の展示は、それだけではなく、2回の渡仏の間の帰国時の作品を集めているというのが、特徴らしい。それが、びっくり、東京で居を構えたのが下落合。解説には、中井駅の北側と書いてあった。ここで、中井が出てくるかと思った。傍らに地図が用意されており、どの地点での作品かということを表してくれていた。ま、「落合」を掲げる以上、中井駅から下落合駅の間にポツが付いていることが多かったが、一番外れは、今の、新宿区と中野区の境界だと思えるところにポツが付いていた。「そこ、俺が住んでたとこだよ!」と突っ込んでしまった。あの界隈、お屋敷や瀟洒な家が多いのだが、そこまでと言える家屋は、作品の中には見えなかったが、目白にかけて坂の多い地域、それを、上から見ている風景が、えらく印象に残った。佐伯祐三は大阪出身、北野高校出身ということで、帰国時に大阪の風景を描いている。「滞船」と題されたシリーズだ。その船は安治川に繋留されていたものとか。ポストの描き方が特徴的、空間の捉え方、キャンパス全体に占めるスペースの与え方、その分割の仕方が計算されている。直感的なのかもしれないけど、その感性は一貫しているように思えた。静物画も、若干だったがあった。それら観ていると、白の使い方が巧みだと思えた。絵の具を塗る強さや、独特のすすけたような白、その濃淡、これですよね、パリの風景を描いていても、多用される茶、緑といった色合いに、白に変化を付けることで、独特の色彩感覚を提示してくれます。佐伯祐三と言えば、壁に貼られたポスターの文字、引っ搔くような線、そういった書体の文字でなくても、文字が入るだけ、この人の作品、めっちゃ引き締まる。線の描き方や面の捉え方は、間近で観ると、いろいろとデフォルメされている。ポスターの細い、引っ搔くような文字も、実はデフォルメされた文字。今まで、TVなんかを通してしか観てこなかったため、そんなこと解っていなかったが、そんなポスター、実際にはないやろ的なものばっかだけど、それで、街の質感が極上のものになってるってこと、今日初めて知った。モランの教会なんか、手で枠を作ったかのように、柱の線は湾曲している。そこまででなくても、パリの街角の家々の柱も、そっと湾曲させている。キャンパスの中に、とっても収まりがいいように描かれているというのは、生で観ないと、さすがに判るものではない。「煉瓦焼」も、間近で観ると、とっても二次元的な作品。これも、生で観て、やっぱ「来て良かった」と思える瞬間だった。そういった中で、間違いなく、「壁」は、圧倒的な存在感だった。逆に、もっと圧がある作品だと思っていた「郵便配達夫」は、えらく可愛い作品に思えた。絶筆かもしれないとの圧が、自分の中にあったのかもしれなかったかなと思ってしまった。逆に、死期が迫る中で、こんなに可愛く思える作品を、よく描けたなと思えたほどだった。同時期に描かれた「黄色いレストラン」「扉」の重厚さと、知らずの内に見比べてしまってたのかもしれません。結局、混んでたこともあったが、ゆっくり時間をかけて観ることは避けていたが、それでも、間に10分の休憩を入れて、80分程かかったかな。今の自分としては上出来です。帰宅後も、静養に努めたからか、今のところ、腰に問題は生まれていない。この分だと、明日も、前売券を買ってある展覧会に行こうかの気になってきている。ま、それはいいとして、念願の佐伯祐三を、生で、これだけ多く(全部で約140点)観ることができた。有難いこってす、ホント。


2023年 6月 13日(火)午後 8時 30分

 昨日、ワクチン接種を受けたので、今日は休養日。と、定番の設定だったけれど、今回は、過去5回と比べて、明らかに副反応が違っていた。昨日、自宅に戻り、倦怠感が出たり、節々が痛くなったり、発熱が看られたり、自分的定番の副反応の出方が、明らかに鈍かった。でも、午後11時前にベッドに横になると、腰の痛さが酷かった。痺れの方が強く出るのだが、今回は痛みに悩まされた。この間、腰痛に悩まされて以来、ベッド上で味わった、一番酷い痛みだったと言える。寝返りをうつのが大変。足の持って行き方で痛みが変わる。これはいつものことなのだけど、昨夜は、身体の態勢を、どのように持って行っても痛かった。僅かに痛みの出ないポジションを見つけるが、黄紺は、全身に痺れがあるものだから、一晩中、同じ姿勢で寝るわけにはいかない。態勢を変えることで、下になっていた箇所の痺れを和らげるということをしなければならない。その変えるポジションが2つだけ、辛うじて。いや、正確に言えば、大丈夫なのは1箇所だけで、その痺れが和らぐのを待つ間だけは、なんとか耐えられるポジションが、もう1つあったということ。この時間は、眠れなかった。でも、3回くらい、これを繰り返したかな、それで、なんとかいけた。これでも、ホント、上出来だと思った。朝起き上っても、腰は痛い。そして、明らかに熱がある。この時点で、36.9度だった。平熱よりは1度高いので、かなり熱っぽい。これは、大変だぞと、正直、そのとき思った。だが、そのあと、夕方まで、ホント、楽だった。一番強く、副反応が出る時間帯なのに、そうじゃなかった。夕方には、また熱っぽくなったけど。で、判った。昨日の副反応の出方が遅かった件も含めてだ。要するに、腰痛のために服用している痛み止めの薬が、副反応を抑えてくれてたのです。痛みを止めるだけではなく、解熱作用もあることは、ネットで、薬について調べてるので判ってるから、これですな。最初の接種を受ける前には、予め解熱剤を買いに走ったが、その頃は、多くの人が接種に行ったので、いいと言われていた解熱剤は手に入らなかった。実際、接種後、なんとか我慢できる範囲だったので、その後、解熱剤を揃えることなんて、全く、頭から吹っ飛んでた。それが、変な話だけど、腰痛のおかげで、6回目の接種にして、一番楽な副反応に遭遇できたということだった。
 そんなだったけど、昼間は、ベッドに横になってることが多かった。幸い、今日は火曜日。4時間も、KBS京都が「まーぶる」を流す。黄紺は、毎度、Radikoで、歌とかラジオショッピングは飛ばすので、そこまでは長いことはないけど、十分にお守りをしてもらえた。一花、三三との会のマクラで喋った、独特の感性と言えば聴こえはいいけど、わけのわからない話を披露していた。けど、一番のニュースは、本が7月4日に発売されるということ。「桂二葉本」というのがタイトルだそうで、雑誌のノリだと言っていた。楽天では、予約受付中だと、リスナーからコメントが入っていたので、アマゾン屋さんで調べると、こちらも予約受付中となっていた。買うかどうか、判らんけどね。Youtubeでは、引き続き、古今亭菊之丞で「唐茄子屋政談」「たちきり」を聴いた。前者の若旦那って、あまりにも情けないダメ人間に描かれていた。そんなものなんだろうか? 染丸一門の描く幸助みたいなダメ人間だった。後者は、情緒に欠けていて、結構、ショックだった。そんな菊之丞って、今まで聴いたことがなかったから。幾つか連続的に聴くと、こういったこともありということなんだろうか? 弟子の雛菊って、大阪の噺家さんと共演したりしているので、名前を知ってたけれど、だからか、この人も大阪出身だと決めつけていたことに気が付いた。愚かな話。ついでに、菊之丞の経歴も探ってたら、奥さんは、NHKの知っているアナウンサーだった。へぇ~、だった。


2023年 6月 12日(月)午後 9時 36分

 今日は、6回目のワクチン接種の日。接種券が届き、予約ができるようになり、すぐに予約がしてあったもので、腰の具合がどうのという段階ではなかったので、できるだけ、1日の内で、最も早い時間帯に接種を受けられる日を選んだ。もう、接種を受ける人が減ってきているということで、午前中の接種という会場はなかった。個々の開業医で接種をされているところではあるかもしれないけれど、ネット予約できて、集団接種をしているようなところでは、午後1時というのが、最も早い時間帯だった。その中で、簡単に行けるというところで選んだのが、東寺の近くの病院。その病院の接種予定日と自分のスケジュールを照合して、一番早く受けられる日が今日だった。黄紺は、副反応が大きい方だと思っているが、それが消えるには、丸2日を見ている。だから、午前中に受けておきたいのだ。すると、接種を受けた日と、その翌日を開けておけば大丈夫だと思っているので、早い時間帯を探すのです。1時間で15人を予定して予約を取っているようでした。15人が済んでも、25分もかかってなかったんじゃないかな。明らかに50歳未満と思える人は、その内1人だけで、あとは爺婆ばっか。中には、付き添いと一緒だったり、更に車いすで来られていた方もいた。ま、自分も、その1人なんだけどね。東寺界隈って、京都みなみ会館しか、ほぼ行ったことがないから、様子が、よく判らない。結果、この間、一番避けていた階段の昇降をしなければならないという、愕然としたアクセス。「ブラタモリ」でやってた「九条通は曲がってる」を確認して、「なるほど」と喜んでいたまでは良かったが、九条通の北を歩くか南を歩くかで、運命が分かれてしまったな。家の階段の2段目で、脚が突っ張る痛みで叫び声を上げてるのに、、、! 幸い、見事に痛み止めの効いている時間帯に行けてたのが助けになった。小さな病院だったので、特定の時間、個人病院がワクチン接種に充てているというのと、同じような感じだった。一番、接種前に不安だったのは、痛み止めの薬を飲んでるということ、ワクチン接種に障りはないかということ。これは用意万端、お薬手帳に貼り付けるようにもらったメモを持って行った。事情を、医師に説明すると同情されてしまった。そして、OKだったので、安心して接種を受けることができた。今のところ、注射の場所が痛くて、腕を上げにくくはなっているが、倦怠感や腰痛、痺れといった副反応は出ていない。ま、本格化するのは、このあとのことだとは思うけど。
 痛みがコントロール下に入っているということで、今日も、一昨日同様、最寄り駅の一駅前で降り、お酒やパンを安く買えるマートに寄って帰ることにした。この病院への変則的な往復の歩数は8000を僅かに超えてしまっていた。一昨日の7500余をも上回ってしまった。明日は、副反応と向き合いながら自宅静養の日に充てているので、そこで腰も静養できるだろうとは思ってるけれど、歩いた感じでは、一昨日よりは楽だった。これがいいこととして押さえればいいのかは、不透明だけどね。そんなで、お出かけ前や帰宅後は静養の時間とした。ネット上に公開されている音声配信「桂あさ吉内弟子日記」を、一挙に10回分くらい聴いた。その7割強は、既に聴いたもの。昨日の続きで、Youtubeで古今亭菊之丞の「片棒」「棒鱈」も聴いた。「棒鱈」は、半分以上、寝てしまってたようだ。聴けた分では、どうしてもさん喬のスーパーな口演が、耳に残ってるものだから、比較してしまってた。「片棒」は、ノリの落語だと、つくづく確認。ちょっとでも、演じようとの邪念が入ると、そのノリに出ちゃうんでしょうね。難しい噺です。これで、4本連続で、菊之丞の口演を聴いたけれど、ホント、達者だ、この人。改めて感じ入った。今のところ「寝床」がベストだと思ってる。「妾馬」も音源が出ているので、それも聴いてみることにしましょう。


2023年 6月 11日(日)午後 9時 35分

 腰の具合は、一喜一憂の日となっている。1日か2日、いい感じがあったかと思うと、その後はいけないという感じが繰り返されている。この3日は、1日交替ってところ。今日は、良くない日。昨夜から雨だったこともあり、外出がしにくかったのが幸いだった。朝、トルコの情報収集したあと、日曜日の定番「日曜美術館」を観たあと、しばし、ベッドに横になった。買い出しに行きたかったのだけど、この具合だと、最寄りのマートに行くのが関の山と思ったからだ。午後は痛みはコントロール下に。そんななのに、段取りを間違った。雨が上がったので、いつものように、近くの講演で読書することにした。ボーっとしながら、明日のことを考えていた。明日は、6回目のワクチン接種の日。午後1時に予約を取ってある。接種後は、副反応がお約束だから、動きたくない。接種前のことを考えると、今日の調子だと、動きづらいかもしれない。そう考えると、明日に予定していた洗濯を、今日に回した方がいいのではと思い出した。だったら、外出前に考えろよと、自分に突っ込みを入れた。想定外の動きが増えることになるので、腰への負担が気になる。特に、2階に物干し場があるのがきつい。とにかく、階段の昇降が、腰には、一番堪える。何度、階段の途中で悲鳴を上げたことか。痛みがコントロールされていても、階段だけは別なのだ。それだけ、負担があるから考え込んだ。でも、することに。明日、接種場所へ、時間に遅れないで行けるやろか、、、不安。
 「日曜美術館」のお題は「現代アートはわからない?」。今、森美術館で行われている展覧会「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」を、いつものMC2人、及び、ゲストの尾上右近&光宗薫の2人、2組が歩きながら鑑賞するという構成。紹介された作品をメモっておく。なお、【 】内は、展示で「教科区分」されたもの。【国語】①ジョセフ・コスース/1つと3つのシャベル(実物と写真と言葉でシャベルを展示、コンセプチュアル・アート)②森村泰昌/肖像(双子)/1989(セルフ・ポートレート、現実の娼婦の姿、男性の性的欲望を描いたというマネの「オランピア」への入り込み、描かれた人物に森村が成りきる、いつものパターン、対になった作品の1つは、もう1つの30年後の作品、そこでは、娼婦が芸者に、山高帽を被った紳士が黒人になっている、越境するポートレイト、それは場所、性、人種、社会的地位だけではなく、時をも越境、さすが!)【社会】③ヨーゼフ・ボイス/?(黒板、東京芸大での講義のときの黒板を保存したもの、考えそのものが芸術=社会彫刻、カッセルで7000本の樫の木植える=行為を通して環境問題を訴える=社会彫刻)④宮島達男/柿木プロジェクト1995~(ヨーゼフ・ボイスとの対話のとき学生で司会担当、社会彫刻に似ている、被爆地長崎の追憶)⑤アイ・ウェイエイ/漢時代のツボを割る(ツボが割れるまでの連続写真、表情、変わらない、国家権力に目を向けさすインスタレーション、別の活動として、四川大地震の子どもの犠牲者をネットで公開=これも国家を問うインスタレーションでもあった)⑥アイ・ウェイエイ/Remember(地震でなくなった子どもの母親の言葉、ドイツで公開)⑦ヴァンディー・ラッタナ/爆弾の池シリーズ(カンボジアのアーティスト、ベトナム戦争時の爆弾の跡=池)⑧イー・イラン/TIKAR ***(マレーシアのアーティスト、東南アジアの植民地支配の歴史、テーブルクロスにテーブルを描く、テーブル=欧州からやってきた、明るい色彩が意図とは正反対なのが印象的)【算数】⑨マリオ・メルツ/夢***(バイク、ハンドル=角、変わるもの、フィボナッチ数=変わらない真理)⑩宮島達男/Innumberable ****(細かな多くの数字が変化し続ける作品、数字=声明の循環、法華経から採る)【総合】⑪ヤン・ヘギュ/***(展示にために創られた作品、韓国のアーティスト、鈴の音、回転するパフォーマンス、地球のエネルギーの循環を表す)⑫宮永愛子/boot of **(白い靴の彫刻、ナフタリンで製作 ∴ 時間とともに無くなっていく、失われていく形、変わりながらあり続けることを気づかせる?)。「コンセプチュアル・アート」「社会彫刻」、聴いたことのあるターム、基礎のお勉強させてもらったという印象。⑤⑦⑫には、驚かされたね。紹介された数が、僅か12で、3つもの衝撃。①③のお勉強に、既知の②がある。めっちゃ、クォリティー高いよ、この展覧会。現代アートの啓蒙的な役割を果たそうとの展覧会なんでしょうね、それに、今を繋げることも考えている、森美術館の展覧会って、ホント、斬新で、凄いと思ってしまうけど、これも、その1つですね。
 ベッドに横になる時間では、今日は、落語を聴いていた。かなり、Youtubeから音源や映像がかられてしまったけれど、まだ残っている。三遊亭圓生の「五人廻し」「能狂言」、古今亭菊之丞の「寝床」「火焔太鼓」を聴いた。圓生はともかくも、菊之丞のクォリティーが高い。特に「寝床」が気に入ったな。市馬とのカラオケ体験のマクラから、よくできている。いよいよ旦さんの浄瑠璃が始まるかというときの客席の描写が、お江戸の口演ではないのですね。それとも、それが菊之丞、いえいえ、円菊、いえいえ、志ん生からの伝統なんだろうか? 気になるな、これ。


2023年 6月 11日(日)午前 7時 54分

 昨日は、予定表に、シンポジウム出席の予定が入っていた。申し込みを、かなり以前にしており、その参加票も送られてきていた。簡単に電車に乗って行けるところで、電車を降りてから近いところだった。また、開催時間帯が午後という設定。これ以上ない好条件。だから、腰の痛み具合によっては、行くつもりをしていた。ただ、一昨日は、調子が良くなかった。その前日は快調だった。そんなだから、朝になってみなければ判らないというのが、現状だ。すると、どうだ。昨日は、具合が良かった。3日前の再現だった。その日よりも良かったかもしれない。朝起きて、椅子に腰かける。その後に立ち上がるときで、その日の運勢が決まるようなのが、ずっと続いている。ここは、痛いのだけど、その痛さの度合いで、ある程度見当がつくのだけど、昨日は、かなり楽だとふんだ。痛みが穏やかでも、昨日は、出かければ出かけようと思ってたので、朝食後、直ちに、痛み止めを服用。それが、早々に効いたのか、その後、ほぼ痛みなしの一日。歩いても、それも、家内でではなく、アスファルトの上を歩いても、ほぼ痛みを感じずに済んだ。だからと言って、力を入れて歩くことはしないのだが、ソフトな歩き方は守ってるが、調子に乗り、帰りは、一駅前で降り、その駅から近いマートに寄って帰った。ま、それも想定内のことだったので、出かける前は、ベッドに寝ころび静養に努めてたんだけど、それで、帰宅後、万歩計を見ると、7500歩を上回っていたから、3日前の6500歩を超えたことになる。これで、今日、腰はどうか、それによっては、痛みがコントロールできておれば、ある程度、歩くことができることになるはず。
 お出かけ先は、京都駅前のキャンパスプラザ京都。昨日は、こちらで、京都橘大学女性歴史文化研究所主催のシンポジウムがあった。毎年、この時期に開催されており、スケジュールが大丈夫なら参加をしているもの。今年のテーマは「歴史の中の女性を読み直す―女性史研究のいま―」。プログラムは、次のようなものでした。①講演「日仏女性史研究のいま」(渡邊和行/元京都橘大学文学部歴史学科特任教授・奈良女子大学名誉教授)②講演「日本中世女性史研究の軌跡~脇田晴子・田端泰子氏を中心に~」(細川涼一/京都橘大学名誉教授・元学長)③講演「女性史総合研究会発足の頃、橘女子大学、そして今」(西野悠紀子/女性史研究者・女性史総合研究会委員)④シンポジウム(3名の講師+司会/野田泰三/本学文学部歴史学科教授)。①では、女性史という視点が現れたのは、フランスの場合、いつかというのに、関心が行ったが、めっちゃベタだった。これだった、自分でもできると思った、詳細な資料を除ければ。ポイントは1960年代後半、アメリカで言えば公民権運動、フランスでは5月革命等々、世界で、既存の価値観が崩れていった時期、ときあたかも、フランスでは、アナール学派が登場してくる。社会史というタームが、史学の世界を席巻する時代。この両者がタッグを組んだかのように、女性史の視点、フェミニズムというものが登場する。わざわざ、問題提起をしていただくこともなく、判ってること。それが①だった。②の講師、細川涼一さんという講師が、黄紺的目玉だった。かつて、日本の中世における賎民史を追いかけていて、おもしろい論考に出逢った方、しかも、一度は、しっかりと基本を押さえておきたかった脇田晴子さんの業績、それに加えて、アスニー山科で講師に来られている関係で知っていた田端泰子さんの論考の比較、とっても、そそられたにも拘わらず、ここで居眠り。詳しいレジュメを用意されているので、また、後日、読んでみます。ここまでのお二人のお話に、高群逸枝の名が出ていた。「原始、女性は太陽だった」的な発想で、高かったはずの母権が、南北朝期の家父長制の確立で下降していったという「下降史観」というタームを、細川さんが使われていたのは、ちらっと記憶に残っている。③でも、その辺が出てきていた。繰り返し、戦前の女性史研究の振り返りが出てきたのが、この3本の講演の欠点。避けて通れないのは判るんだけど、もう少し交通整理して欲しかったな。③での振り返りが判りやすかったかなと思うと、高群逸枝は出たとばかりに、もやもやのままスルーしちゃった。②でもそうだったが、井上清や石母田正の名が頻繁に出てくる。日本史に疎い黄紺には、大家であるのは知っていても、その業績、スタンスなるものが判らないので、どうもついていけなかった。しかも、③では、肝心の女性史総合研究会の箇所では時間がなくなったから、曖昧なまま。脇田さんの腕力の強さのような個性が印象に残ったかな。それだけ、女性史に熱い気持ちを持たれていた方とは思えたけれど。どうやら、脇田さん、田端さんというお二方が橘大学におられたことがあるということが、この研究会発足に寄与してんじゃないかな、そんな印象を持ってしまいました。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「大阪梅田編」が流れた。扱った場所にしては、えらく地味におもしろいものだった。丁度、元梅田貨物駅跡の整備をして、貨物線に大阪駅ができたところが、周辺の再開発で、地面を掘り起こしている最中というのが、番組制作のきっかけじゃないかな。梅田の地下、地層を観ることができるという好機会を捉えた模様。それと、大阪駅地下街の凸凹道を併せた。そうなんですよ、この凸凹、前から気になってた。答えは地盤沈下だった。そうなんだよね、国道2号線の陥没で、えらい事故が発生したことあったよね、凄惨な事故だったからか、番組では触れてないで、地下街の凸凹や、大阪駅のホームに残る痕跡で見せていた。そして、梅田じゃなくて、堂島駅が大阪駅だったら、日本にも、ターミナル駅に行き止まり駅ができたってことだよね、惜しいね、これ! 今あれば、いい観光名物になるのに。タモリが地下街を歩くとき、厳戒態勢を敷いていたのが気になって。そのためか、タモリが早足になってたみたい。えらいところで、ロケをしてた。おもろかったけどね、いろんなことが気になって。


2023年 6月 9日(金)午後 8時 29分

 今日の予定表には、アスニー京都での市民向け公開講演会が入っていた日。でも、これは、早々に諦めた。昨日の感じでは、行けるかもなんて、呑気なことを考えていたが、昨夜、寝る時間辺りから、特にベッドに横になってからはっきりとしたのだが、やたら、股関節界隈が重かった。大体、ベッドに横になると、一番、リラックスできるのが定番だったけれど、かなり身体の向きを考えてないと、その重い感じが抜けない。夜中、トイレに起き上がったときも、痛みこそしないが、患部の重さはかなりのものがあった。歩くのが辛く感じるほどの重さだった。朝起きたときも変わっていない。でも、そうしたときは、椅子に腰かけると楽になるのも定番。確かに、今日もそうだったけれど、今日は、その後、椅子から立ち上がり歩き出すのが、昨日は何だったのかと思うほど、きつかった。叫び声を上げること、幾度とあった。痛み止めを飲んでも、それが、なかなか効かない。椅子から立ち上がるたびに、もう恐怖感まで出てくる。最悪の状態に近かった。そんなだから、午前中はできれば外出したくなかった。それこそ、ベッドに寝たきりでいたかったが、食糧調達が要ったため、そろそろ歩きで、一番近いマートに行くことに。今日は、この我慢して、僅かの距離を歩いたのが良かったみたい。家に戻ってくる頃には、かなり痛みは引いていた。これは、歩くことで痛みになれたではなかった。その場合は、一旦、椅子に腰かけた場合、再度、立ち上がったときには、また痛みが出るが、今日は、その後は、痛みはコントロール下に入ったので、普通に歩けるようなっていたので、助かった。昨日は、この間、調子が良かったので、皮膚科の医院に行き、弟の家にも行くという、多くの量を歩いた。確か6500歩を上回っていたはず。それが、堪えたのかなぁ。どうしても、そういう風に原因を探そうとする。もし、そうだとすると、調子がいいと言って、そのくらいは歩かない方が良いとなるからだ。ま、そんな状況だったので、朝から出かけてアスニー京都へ行くなどとは、もっての外だったとなる。午前中は、そんな具合だったので、午後には、どこかで時間を取り外に出たくなった。痛みが治まっている内に、屋外の空気を吸っておきたい願望だ。できたら、お酒や調理パンを安く買えるマートに行きたいと、遠出がやりにくくなってから思ってたので、狙っていた。実際、あわよくばと思い、午後4時頃に出かけた。患部に軽い痛みを感じはしたが、このくらいだった行けるかもとの気持ちがあった。でも、半ばも行ってないところで断念した。逃げ場がない、これがネックに感じたからだ。昨日くらい、身体が軽ければ、そういった発想も浮かばなかったろうが、やはり軽くにしても痛みを感じながら歩いていると、事が大きくなってから、そのときどうするという考えが、頭を掠めてしまった。そんなで、折り返すことが可能なポイントで、近くの公園に行き、読書をすることにした。「ドイツ統一戦争」の続きだ。デンマークとの戦争を読んでいると、やっぱ、スマホを取り出し、ハンブルクの地図を見てしまった。なんせ、アルトナはホルシュタインだったんだから。アルトナ博物館で、ここまでがホルシュタインだった、要するにデンマークだったんだから、それを知ったときは、ホント、びっくりした。それを、丁度、出てきたときに、地図で実感したかったからだ。ハンブルク港の水利権など、どうしてたんでしょうね、アルトナって、現在、世界遺産になっているハンブルク港の、ホント、すぐ横だもんね。そう言えば、ハンブルク中央駅前に「ホテル・モルトケ」ってあった。初めて観たときには、マジでのけぞった、そして、笑った。そして、アルトナがデンマークだったと知ったときにも、このホテルのこと思い出していた。キールが軍港として栄えるのって、プロイセン領になってからじゃなかったっけ? とにかく19世紀なんだよ、キールの重要性が出てくるのは。ひょっとしたら、ドイツ諸邦との緊張が高まったデンマーク時代のことかもしれんけどね。キール運河も、ここに架かる橋も、ともにドイツ時代のようですね。ドイツ産業遺産の代表格だもんね。普墺戦争にも、ちょっだけ入ってんだけど、ハノーファー、カッセル(ヘッセン)、ザクセン、バイエルンは、オーストリア支援だったんだって。だから、プロイセンは、こういった諸邦とも戦争してるそうです。こういう、ドイツ諸邦間の組合せを知りたかったもので、この本、めっちゃ、ツボに入ってます。
 そのお出かけ前の午後の一時は、ベッドでの静養に充てていた。すると、軽い昼寝をしたようだった。Youtubeでかけておいた三遊亭圓生の口演の内、「三年目」はフルで聴けた記憶だけど、「唐茄子屋」の方は、かなり跳んでいる。第一、筋立てが思い出せない。この昼寝で寝て、夜は大丈夫だろうかと、以前なら思ってたけれど、最近、特にマレーシアから帰って来てから、とにかく、睡眠時間が、人並みに取れるようになっている。それまでだと、5時間、睡眠時間を確保できれば良しとしていたのが、7,8時間って、普通になっている。最近、痛みと闘うという感じで、嫌なことばかり続いているようだけど、嬉しいこともある、それが、このこと。どこまで続くんだろうかとは思ってしまうけれど、今のところ、途絶えることがないのが、ホント、嬉しいのだ。


2023年 6月 8日(木)午後 8時 54分

 今日は、痛みについては、この間のことを考えると、一番楽な日だったんじゃないかな。でも、肝心なときに、かなり強烈な痛みが出てしまった。悲鳴を上げるような痛みが出たのは、このときだけだった。毎日、朝、ベッドから起き上がるときは、普通に歩ける。ただ、患部は、猛烈に重い。しかし、痛みと言うものではないから、普通に歩ける。これは、朝でなくても、ベッドから立ち上がるときは、毎度、同じだ。そんな感じなんで、痛みで辛くなったときの逃げ場はベッドになっている。でも、その患部の重さも、椅子に腰かけると引いていく。今朝もそうだった。で、今度、トイレに行くなりしようとして立ち上がると、悲鳴を上げるほどの痛みが走るのが、この間の定番。だから、トイレに急に行きたくなったりしたときには、とっても危険だと思ってる。動けないのだから。そろそろ歩き出しても、脚が突っ張って、激痛が走る、これも定番。それが、今日はなかった。そろそろ歩き出しても歩けた。今日は、調子いいぞと思うと、痛み止めを飲む時間を遅らせるようにしている。30分でも、1時間でも、後ろへ持って行ければ、痛み止めの効いている時間が、後ろにずれ込む。そして、できれば、日に1錠で済ませたい。整形外科医から、現在、服用している痛み止めは、潰瘍を誘発する事例があると聞かされているので、できるだけ、回数を減らしたいのだ。今日も、それで、遅らせることを考えた。実際に、そうした。そうした場合、飲む時間から痛み止めが効き出すまでの時間を読んだ上で、飲むことも、同時に考えておかねばならないのだけど、今日は、それに失敗。今日は、午前中に、皮膚科の医院に行こうと考えていた。ちょっと距離があるので、今の自分には厳しいと思ってたので、行けてなかった。でも、痛みの原因が判った。そして、痛み止めで、上手くコントロールできているということで、今日は行こうと決めていた。それを痛み止めを服用してからの時間を見計らってから動き出すのではなく、朝の定番、トルコ情報の収集が終わった時点で動き出そうとした。痛みに合わせるのではなく、こちらの行動に合わせたのがいけなかった。いざ、準備をしようとしても、痛いのだ。服を着替え、持って行くものを用意する、何をするにも痛いのだ。ちょっと体を捻じるだけで痛む、手を伸ばすだけで痛む、ま、いつものことだけど、ついに立ち往生した。台所に置いてあるマスクを取り、玄関に向かおうとしても、最悪の脚が突っ張るというのが止まない。これじゃ、歩くなんて、到底無理。仕方なく、なんとかベッドのところまで来て横になった。腰への負担を軽くする最善の手だからだ。自分で、外出する2時間前には痛み止めを飲むというのをルール化していながら、それを怠った罰ですね。効き出す時間は、日により違う。日によっては、20~30分で効くときもある。今日など、朝から具合が良かったから、その最短時間で行けるだろうと思ってしまったんだな、アホが。30分ほど、ベッドで寝ていて、腰が軽くなったので起き上がると、さっきまでのは何だったの状態だった。普通に歩けた。アスファルトの上を歩いても、患部に響くことも、かなり小さかった。こんなして、ホント、一喜一憂する日々です。これ、まだ、半月、いや、それでは済まない時間、耐えねばならないなんて、嫌ですね、全く。
 皮膚科の医院に行ったついでに、近くの弟の家に寄った。弟は、年に1回の大腸ファイバー検査に行っておりいなかったので、弟の嫁さんとお喋り。話の中心は、黄紺の腰。ま、ちょっと、誰かに聞いてもらいたくて寄ったというところもあるので、付き合ってもらって感謝。この往復、そして、近所への買い物、併せて、今日の歩数は6500を超えていたこともあり、夕方は、ベッドで寝たきり時間を設けた。そのお伴に、Youtubeで「ボエーム」をかけておいた。フルで全部聴いた。古い音源ながら、リマスターしたようで、いい音だった。ミミをヴィクトリア・デ・ロスアンヘレスが歌うもの。ロドルフォはユッシ・ビョルリング。知らないテノールだったけど、いい声してます。ロドルフォにうってつけだと思った。ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレスは、可愛い声をしてますね。ただ、微妙に上ずるのが玉に瑕。指揮が、なんと、トマス・ビーチャム、これには驚いた。プッチーニなんか、指揮してたんですね。全く、イメージが合わなかった、もちろん、自分が知らなかっだけなんだけどね。


2023年 6月 7日(水)午後 8時 47分

 今日は、一昨日に受けたMR検査の結果を聴きに行く日だった。何も判らないということが起こると嫌だなとは思っていた。そうなると、頸椎の検査を求めねばならないか、でも、今回は、頸椎とは関係ないだろうと思ってた。なんせ、バトゥー洞窟に行ったあとの腰の具合の変化が、そもそものきっかけだったけれど、あのあと、快方に向かったしな、あれは関係なかったとしたら、頸椎が噛んでくるのか? でも、この2週間、一番、腰に負担のかからないベッドに横になるという姿勢が楽なことは確かなので、頸椎とは思い難い。判らないで、理学療法でお茶を濁す、これだけは嫌だと思ってた。そしたら、あっさりと、黄紺の目にも判りやすく、原因が判った。「これが神経の束です」と言われた縦のライン、1箇所、見事にくびれてました。そう言えば、頸椎に腫瘍が見つかったときも解りやすかったなと、咄嗟に思った。あのときは、膨れていたけれど、今回はくびれていた。「椎間板ヘルニアです」、ちょっと予想はしてたけどというか、これ以外の病名は知らないから、これしか思い浮かんでなかっただけだったけど、そうだったのかと、あっさりと受け入れるしかなかった。頸椎の手術で入院したとき、周りはヘルニアの患者ばっかりで、黄紺の手術よりか、かなり軽い手術と看えたため、それ以後、「ヘルニアなんて、手術すれば治るじゃん」と軽い見方をしているので、即座に、「手術ですか」と言った。それは、前のめり過ぎ。整形外科の医師が言うには、手術も含め、椎間板ヘルニアを専門にしている医師の意見を聴き、聴きたいことは聴いて、決めなさいとのことで、紹介状を書く病院選びになった。弟の家の近くの大病院の名が、まず上がった。確かに万全かもしれないと言える大病院だ。けど、脊髄は微妙だということは、頸椎の手術をしている関係で、余分な知識が入っている。整形外科系の病院でより、脳神経外科系の病院で受けた方がいい、となると、黄紺が頸椎の手術を受けた病院が、かつては、脊髄に関してはセンター的な役割を果たしていたので、その病院の名も上げてみた、また、その病院から他へ移り、現在は、その医師が中心となっている病院が、脊髄のセンター的な役割を担っているようだとの情報も持っていたので、その病院も上げてみたが、その2つは遠い。いずれも他府県になるのが、ネック。そういった話をしているとき、弟の家の近くの大病院には、「脊髄外来」があると言われたのが大きかった。そか、脊髄を専門的に扱われている病院だったらいいかの気になったので、そちらを紹介してもらうことにした。ところが、大病院は、予約をとることからして面倒。いまどき、ファックスで問い合わせ、回答に、下手すると、1時間半から2時間かかると言われたので、一旦、帰宅。夕方の診察時間に、予約日時を聴きに行くとともに、紹介状をもらいに行くことになった。結局、その大病院の予約日は、半月後だった。ということは、まだ、そんなけ、いや少なくともだ、今の生活続けなければならないのかと思うと、うんざり。もし手術となれば、また、そこから待たねばならない。後手やで、これ! 7~8月に予定していた「福岡&韓国旅行」は、絶望的になってきた。それよか、今月25日終了の「佐伯祐三展」、行けへんやないか! 前売券、買ってあるのに! そこで、考え方を変えようと思った。痛いのやから、痛いのをコントロールしたらええ、それで、ヘルニアが進行することもなかろう。それで、日を見つけて、行くことにした。他のイベントも、行ける範囲で行くことにした。要するに、昨日までは、原因が判らない、鬱屈とした気持ちでへこんでたけど、原因が判ると、対処法、慣れる法を模索し始めたってことです。だから、今日も、2回目の整形外科医院に行った帰り、僅かだが遠回りをして、この間、行ってなかった公園に行き、そこで読書をすることにした。そこから家に戻るのは、普段だとなんてことはないけど、今の自分にはきつい。その足で、自宅に入り、木の上を歩くと、途端に腰が楽になる。そか、アスファルトは、それだけで、今の自分に業をしてくれてること、ようく解りました。でも、まだ、中之島美術館に行くという考えは消えてないぞ。


2023年 6月 6日(火)午後 8時 45分

 涼しめの火曜日。相変わらず、鬱屈とした日々。腰の痛みがコントロールできているので、痛みで叫び声を上げるということは、ほぼなかったと言っていいかな。昨日今日と、痛みのコントロールが、上手くいっている。土日なんかは、そうではなかった。効くことは効いたんだけど、効くまでに時間がかかったりして、ちょっと不安になる時間があったのだけど、この2日間は、そうではない。昨日、結構、歩かざるを得なかったが、昨日と、同じ具合で推移しているということで、また、午後から雨が降るという予報だったので、今日の午前中は、平坦な道で行ける最寄りの公園で読書することにした。家内でするのと、気分が、全然違う。今日は、その公園で、婆さんが、砲丸投げに使うような重そうな球を放り投げる練習をしていた。幾つもの球が用意されていたので、黄紺の知らない競技があるのかもしれない。1ヶ所に向かい、下手投げをしていた。カーリングのような競技かもしれない、知らんけど。その傍らで読書。「新宿二丁目」を読了したので、今度は、ドイツ統一に関する本を選んでみた。以前から、統一の過程、特に、戦争のある1860年台における西南ドイツ諸邦の動向が気になっていたので、これで判るかもとの期待を込めてのチョイスだ。とっても、正攻法に、1848年の3月革命の顛末から始めてくれているので、期待をもって読み進めることができるだろうと、今のところ思っている。
 火曜日だということで、Radikoの世話になる日。KBS京都の「まーぶる」を聴く日だ。マレーシアで聴こうとしたら、「あなたの地域では聴けません」と、メッセージが出た。当たり前のことなんだけど、それが出るまで聴けると思ってた、己の情けなさに笑ってしまったこと、思い出した。今日は、二葉は、東京のスタジオから出演。この2日間、東京にいて、また、今日も、夜に落語会があるということで、この措置に踏み切ったよう。こういった事態に対処できるように、「まーぶる」のスタッフは、以前から用意しているというトピックは、番組内でも紹介していた。二葉が、新幹線なんかで移動中でも対応できるよう、手配もされているそうだ。そして、今日の落語会が、“「一」花、「二」葉、「三」三”の会だと紹介があった。そか、この日だったのですね。投書については、京都のスタジオにいる梶原さんが読むということになっていた。今の時代、同時並行的にオンラインで投書を見ながらってことをしないんですね。台本も、予め、ペーパーで、二葉の手元に送られてきたと言っていました。なんでか判らないけど、アナログな話。放送は、いつもと変わらない。何も言わなければ、2人とも京都のスタジオにいるみたい。Zoomなんかを使ってたら、音のずれが出てきそうだと思うのに、2人は顔を見ながら話していると言ってたけど、そういったずれもないから、ホント、断りがなければ、同じスタジオにいると思ってしまう、いい状態でした。話題的には、そのリモート出演だということが大きなスペースを埋め、落語界に関わるネタはなかったな。二葉は、「仔猫」の紹介を延々としていたけど、おなべをブサイクな女を強調するのは、働き者というキャラとの対比とか、人情噺として捉えているとか、ネタに対するスタンスを入れてくれたことぐらいが、そそられたくらいだった。
 痛み止めの効き方がいいので、夕方には、ちょっと遠めのマートまで買い物に行こうかと考えていた。別に、食糧の調達は、午前中に終えていたので、必要性はなかったが、どこか目標を定めて、歩いても大丈夫かなと思ったからだった。そのマートへ行くと、そこでしか買えないものがあるので、それを口実にして、この1週間、歩いてない距離を歩こうかの気になっていたが、止めた。時間を間違った。効き目が薄れてくる遅めの時間を、その時間に設定したのが間違いだった。やはり、徐々に、痛みの不安が顔を出してくる。椅子に座り、立ち上がる、少しずつ歩き出す、最も、危険な場面の1つだけど、ここに軽くであっても痛みを感じ出すと、やっぱ、この間、守ってきた「動かない」を崩す勇気が失せてしまった。ま、明日、検査を受けての所見が出るので、無理しないにこしたことはないのだけど。その一方で、ちょっとだけ、明日以後、所見の結果、歩くことができなくなることを想定して、今の内に歩こうかとも思ってたんだけど、止めた。


2023年 6月 5日(月)午後 9時 25分

 週明けの月曜日、この日を、週末に入ると、待っていた。埒の明かない痛みから、少しでも早く解放されたくて、とにかく、医者に行き、精密検査の手配をしてもらおうと考えていたのだ。この1週間を振り返ってみると、整形外科医のあるところまで行くのも、億劫になってしまうほど、外に出てなかった。それこそ、毎日、ベッドに横になる時間を確保して、腰への負担を和らげていた。そんなだから、医者に出向く時間を測り、痛み止めを飲んだ。土曜日あたりは、痛み止めの効き始めまで、わりかし時間がかかったけれど、今日は大丈夫だった。どうしても、歩くときには、一番の患部と思える股関節に痛みを感じる。医院の待合室の椅子は、今の黄紺には低いので、どうしても座ったり、立ち上がるのに慎重になってしまう。これなら、我慢できそうな痛みの範囲内と判ると、腰に体重をかけて行く。足の踏ん張り方一つで、立ち上がるときの痛みが変わってくるので、それを見極めるのに、どうしても時間を要する。2回目になったということで、医師は、精密検査の段取りをつけてくれた。幾つか、MR検査のできる病院を紹介してくれたが、距離が近いところ、電車に乗っても、最寄りの駅から近いところ、タクシーを拾っていくことも考えたが、タクシーの乗降を想像すると、できるだけ避けたい。そんな話をすると、こういった患者に慣れている医師は、理解を示してくれた。そんな心遣いだけで、こういったときは頭が下がる。大病院は、アクセスがいいんだけど、検査まで日にちがかかる、これは医師のアドヴァイス、至極、納得。そこで、電車は乗るが、10分も歩かなくていい位置にある病院を手配してもらった。幸い、今日の午後に検査を受けられるという。父親が、最期を迎えた病院でもあったので、気分的にもラハトでおれるのは有難かった。手持ちの痛み止めが無くなりかけていたので、処方箋を書いてもらった。この激痛に効くのかと思う薬なので強い薬だとは思っていたが、潰瘍を誘発する事例があるので、他の薬を紹介されたが、途端に効かなくなるかもという恐怖があるので、その旨を告げた。確かに、以前、処方してもらった薬が効かなかったことがあったので、確実に効く薬が欲しいと告げた。もう1つの薬も、副反応を出す事例もあるので、「慣れていて効くことが判ってる方がいい」という最終判断で、手持ちと同じ痛み止めを処方してもらった。医院からの帰り、薬局に寄り、食糧補充のためマートに寄り、これだけでも、この1週間では歩いたことのない量だけど、今日は、まだまだ大変な日。洗濯物が溜まっていたので、MR検査に行く前に、それを片付けた。こんなことをしている内に、今日は、痛みが楽に感じられているのに気が付いた。いや、動いたからか、痛みに慣れたのでしょうね。昨日までだと、それでも痛かったのだけど、今日は、「慣れたみたい」と言える。ちょっと不思議な印象。MR検査には、早めに出かけた。30分ごとに区切っての検査体制を敷いているようだったので、早めに行き待つことにした。また、そうした方が、とぼとぼ歩きなものだから、遅れないだろうとの安心感も生まれる。MR検査は20分ほど。幾度となく受けたが、ガリガリ音は、いい感じがしない、誰しもそうだろうけれど。結果を聴きに行くのは、元の整形外科医に、明後日に行くようになっている。帰宅後、万歩計を見ると「8千歩」を超えていた。けど、痛みは和らいでいる、明らかに。夕方になると、毎日、痛み止めを飲むタイミングを測っていたけれど、この分だと、今夜は飲むことを割愛できるかもしれない。今になって、どうしたんだろう? でも、夜、立ち上がると、やはり、突っ張るような痛みが出る、が、少しだけど和らいでいる。これは、朗報なのか、一時的なものか、単に、痛み止めが、たまたま長めに効いているだけなのか、それは判らない。明日の朝になれば、どっちか判ってるのだろうか、そんなで、一喜一憂しております。


2023年 6月 4日(日)午後 8時 19分

 寝たきり生活継続中の日曜日。外の気温は上がってるようだけど、屋内は涼しい。今日などは、厚めのパーカーを着たほど。足も冷たいしと、腰だけじゃない変調が起きてなければ良いのだがと、つい思ってしまった。幸い、日曜日なんで、朝、「日曜美術館」があった。再放送だったが、観てないものだったので良かった。そのお題は、「アートと音楽 坂本龍一×日比野克彦」というもので、2013年に放映されたもの、もちろん、坂本龍一追悼の意味を込めての放送だ。お相手の日比野克彦は、岐阜県立美術館の館長になってますが、当時は、既に就任していたのでしょうか? この番組自体は、東京都現代美術館で、同名の坂本龍一プロデュースでの展示が行われたことで、その会場を巡りながら、2人で語り合うというものだった。ここで紹介された作品をメモっておく。①セレスト・ブルシエ=ムジュノ(フランスのアーチスト)/クリナメン v.7(水に浮かべた器がぶつかる音、その光景がヴィジュアル的にも楽しめる、音はガムランに近い、水の動きという偶然に任せている)②坂本龍一&**/collapsed(自動演奏する2台のピアノ、壁に哲学者の対話がレーザーで照射、それに呼応してピアノが鳴る)③ワシリー・カンディンスキー/?(音楽を聴いて色彩を、描く、音楽は「浄夜」?)④パウル・クレー/ホフマン物語(音楽を聴いて描く、オランピアの物語)⑤大西景太/Forest and Trees(デジタルで絵を描く)⑥大西景太/data Matrix....⑦ジョン・ケージ/4分33秒の楽譜(「休め」だけ、無音の曲、その間に聴こえる音に耳を澄ませる)⑧マノン・デ・プール/2度目の4分33秒(ジョン・ケージの楽譜を「演奏」した様子を映像作品とした、そこに何を聴くか、人それぞれが耳を開く)⑨大友良英/with without records(ターンテーブルの森)⑩ヨーゼフ・ボイス/?(社会彫刻)⑪バルトロメウ・****/?(樹の電位を測定、その光合成でできる電位差で音楽を作る、自然の声を聴く)⑫クリスティーネ・エドルンド/楽譜(植物の化学的変化を音に置き換えた)。①は、ヴィジュアル的に解りやすくできているので、一の推し。③が、目からうろこ。カンディンスキーの絵の見方が判った瞬間でした。そして、④で、クレーもそうだったのかと、納得。⑦⑧で、黄紺的に、ジョン・ケージに惹かれる人がいることを知ることができた。これは、めっけものでした。やっぱ、各々、アートというもの、誰かがおもしろいと思うところあるんだね。ちょっと言葉を添えてもらうと、納得できるかは別にして、おもしろいなとは思える。坂本龍一のおかげで、いい世界を知ることができたな。
 今日は、食糧の買い出しの必要がなかったので、これだと、陽に当たる時間がないということで、午後の一時の一部を、昨日も行った公園で、読書をすることにした。出かけるときは、痛み止めの効いているときを選ぶんだけど、少し歩き、ベンチに腰かけてるというのは、今の自分の身体にはよくないと看え、公園からの帰りは、往きの楽さが減じてしまう。股関節にじんわりと痛みを感じる。歩けないとかそんなことではないけど、痛み止めが効いているときを選んでてもこれかと思うと、痛み以上に嫌な気分になってしまう。かなり、へこんでるなと思ってしまうけど。「新宿二丁目」も、あと少しだ。終盤の、サブカルチャーなんかとの混淆ネタや、「平凡パンチ」の果たした役割ネタが、秀逸。落ち着いた筆致が素晴らしく、文章のスタイルにも惹かれてしまっています。そして、寝たきり生活の友Youtubeでは、今日は、Aix-en-Provence 2021で上演された「フィガロの結婚」(ロッテ・ド・ビア演出)を聴いた。ベッドに横になりながらだから、音だけというのは勿体ないけど、これは仕方ない。座ると、それだけで、腰に負担がかかってるのを実感できるから、こうした寝たきり状態の時間を作ってるんだから。とにかく、週が明ける明日、医者に行き、現実を訴えてきます。そうしな、しゃーない、ホント!


2023年 6月 3日(土)午後 9時 39分

 寝たきり生活、4日目。昨日、痛み止めを飲むのを、一時停止して判ったことを受け、今日は、薬が切れそうだなと判った時点で服用した。すると、ホント、効く。この安心感は大きいね。でも、いつまで薬物に頼らねばならないのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。寝たきりにしたからと言っても、急激な変化が生まれるわけでもないということから、今日は、ちょっとだけ、変化をつけてみた。一番近くのマートへの買い物は、食糧の買い出しだから仕方のないこと。これを、昼食に合わせて出かけた。昨日までだと、1日の外出は、これでおしまいだった。ま、昨日は、土砂降りの一日だったから、それも致し方のないこと。それに対し、今日は、とってもいいお天気。外出時に、乾燥もしているようで、いい風も吹いていた。家内で、じっとしているのに、さすがに鬱屈としたものを感じ出していたので、夕方、外に出てみることにした。いつも、ウォーキング時にしていた外での読書をしようと思い立った。一番近くの、屋外でベンチのあるところへは、腰に最悪の階段の昇降が必須なので、いくら近いと言っても、止めた。家内での2階への昇降で困ってるのに、わざわざ階段を使うなど、とんでもないのだ。そこで、少し距離はあるけど、平坦な道を歩けば行ける公園にベンチがあるので、そちらを選んだ。この公園、夕方は、陽の当たるところ、陽の当たらないところ、いずれにもベンチがあるので好都合。公園に着くと、丁度、杖を突きながら、ゆっくりと散歩されている人がいた。その歩みを見ていると、やはり腰が痛そうに見えた。先日、息子と会ったとき、杖を使うことを勧められたが、脚が突っ張ったときの痛さは、そんなもので和らぐなんてものじゃないので、杖を使っておられる方を見かけると、むしろ羨ましく思える。それで、少しでも間に合うのだろうなと思えるから。本は、この間、「新宿2丁目」という、伏見憲明著の本を読んでいる。ゲイの街を、様々な角度から分析している都市民俗学と言える著作だ。黄紺は、元新宿区居住者でもあるから、この辺に土地勘があることも、内容の理解を進めてくれている。それと、初期の「ブラタモリ/新宿編」でもらった知識が役立っている。だって、いきなり、内藤新宿なんてタームが出てきても、予備知識がなければ、全然、判らないよね。それと、新宿末広亭が、この本で出てくる「要町」に相当するようで、あの辺の異様な賑わいも知っているだけに、臨場感が抜群だ。あの辺は、2丁目なのか、3丁目なのか、よく判っていなかったが、3丁目だそうだが、その混然となるわけも、これを読んで判った。その3丁目と2丁目の間にある、ちょっと不釣り合いな大通り、その不釣り合いさのわけも判った。先日、福井の友人が来たとき、新宿末広亭の話をしたときに、ついでに、この界隈の話に及んだ。2丁目の只中に道楽亭という、毎日、落語会を開いているカフェがある。バーと言った方がいいのかもしれない。東京の友人を訪ねてのツアーのときに、こういった界隈を、落語会のついでに歩こうやないかという話をしていたのだ。そういった意味では、グーなタイミングで、この本を読んでることになる。はてさて、そういった行ってみたいところは多いけど、果たして行けるのだろうかと思ってしまう、今日この頃だ。マレーシアから、いきなり強制終了は、さすが痛い。ディクレッシェンドしながら、弱って行くことを想像していた身には、満足に、国内旅行もさせないで終わらせられるのかと思うと、鬱屈した気になってしまう、この10日間だ。
 今日は、「ブラタモリ」デイでもあった。新作「種子島編」が流れた日でもあったが、某動画サイトに流れている「東寺編」「山科編」も観た。いずれも、おもしろい。「種子島編」は、知らないことばっか、いい勉強になった。それだけではなく、あまりに風光明媚な映像に感嘆すること数回。近隣の島との成り立ちの違い、鉄砲伝来だけじゃなく、鉄砲制作までやってたトピック、めっちゃ新鮮だったなぁ。次回は「大阪梅田編」、何、するんだろうね、墓場? 闇市? 曾根崎心中? そんなことくらいしか、思い浮かばないよ。でも、「梅田」は「埋田」なのかなとも思ってしまうけど、検討外れ? いずれにせよ、知ってるところだけに、余計に興味が湧くね。


2023年 6月 2日(金)午後 8時 35分

 寝たきり生活3日目。この2日間、調子が良かったので、どの程度、快方に向かってるかを知りたくて、痛み止めを飲むことを止めてみた。夕方まで、ちょっとだけだが、楽観的になってた。痛み全体が、少し縮んだという印象だった。同じようなことをしたとき、同じような箇所に痛みが走るんだけど、いずれも、寝たきり生活をする前に比べて、小さめになってた。だから、楽観的になってたけど、午後になってから、それが、徐々に疑問に変わっていく。椅子から立ち上がるときに、激痛が走った。気を許していて、普通に立ち上がったからでしょうね。そこまで恢復してないのに、大丈夫と勘違いして、すっくと立とうとして失敗。次に2階へ上がるのは、ほほ変化なしだった。やっぱ、上がるのは厳しい。左足を先に乗せ、次いで、右足を引き上げるのだが、そのときに、突っ張ってしまうという、この間の一番の痛みが出る。どうして、突っ張るのか、これが、ずっと疑問。足の向きで楽にならないか、この間、幾度となく試してはいるのだけど、今のところ解なしだ。これが、もし判るようだと、だいぶと楽になれるのにと、痛むたびに思ってしまう。降りるときは、昨日までは、普通に降りれたが、今日は、慎重を期して、1段ずつ降りることに。一番、厳しかったのは、唯一の外出。さすが、マートに買い出しに行かないわけにはいかないので、一番近いマートに行った。帰ってくるまで、右脚が突っ張りかげんで痛い、もちろん、患部の股関節が、横からも後ろからも痛んだ。だから、ホント、そろそろ歩き。昨日の買い物時は、ほぼ普通に歩けてたから、痛み止めの効果は大きいと思わざるを得なかった。でも、家に戻り、家内を歩くと、痛みはない。そか、道路の硬さが、脚にはいけないようです。この僅かな違いに、微妙に反応して痛みが出ているようです。医者に、1週間後と言われたけれど、ま、それまでに痛みが治まれば御の字なんだけど、この分だと、治まるなんて、考えられないよと、ついつい思ってしまう。
 寝たきり生活の友は、RadikoとYoutubeの音声。雑多なものは省いて、メモっておきたいものだけ、メモっておく。Radikoで、ラジオ大阪の「hanashikaの時間。」を聴いた。内海英華と笑福亭鶴二がMCをする最新版。普段は聴かないが、米朝事務所のTwitterに、桂米左がゲスト出演するというので聴く気になった。その後は流していたが、用は済んだとばかりに、途中で切ってしまった。米左の落語は、あまり聴こうとしないのだけど、笑福亭べ瓶のYoutubeチャンネルにゲスト出演して、師匠米朝について語った米左の喋りが、とっても、いい感じだったもので、聴いてみたくなったのだ。弟弟子の団朝、八十八と3人会をするというので、その広報として出演したのだけど、この落語会、気になってたもので、ちょっとした情報をもらえて、聴いてみて良かった。この会、今までなかったもので、ましてや、直弟子さんは、お山の大将的なところもあるので、誰が言い出したのか、それとも仕掛け人がいるのかと思ってた会。すると、あっさりと答えが判った。米朝事務所主催の会だった。だから、言い出しっぺが事務所の方だった。「社長が替わったから」というのは、米左の言だったかな、それとも、聞き手2人の内のいずれかが、そういった感想をもらしたのか、忘れてしまったけれど、ま、当たりでしょうね。こういった仕掛けができるようになれば、第2の桂二葉は出さなくて済むような気がしてしまったな。トリが2席、他の2人が1席ずつ。トリに当たった噺家に、他の2人が、幾つかネタを出し、トリが番組を決めるというシステムだと言ってました。米左は、トリで、季節外れの「不動坊」を出すそうだけど、これは、年季明け時に師匠につけてもらったネタだそうです。米朝門下では、この年季明けのネタは、弟子からお願いできるそうで、余程のネタが出ない限りは、教えてもらえるそうだ。その米朝事務所が、Youtubeで、米朝の過去の音源の配信を、昨日、始めた。続けるのかどうかも判らないので、「始めた」と書いていいのかは定かでない。とにかく、昨日始まった配信は「算段の平兵衛」。早速、聴いてみた。で、びっくりした。フルヴァージョンだったからだ。米朝の口演で、「算段の平兵衛」は聴いているけど、徳さんの出てくる前で切り上げていた。ま、落ちが良くない、判らないからでしょうが、徳さんの存在を臭わせて終わるものだから、気になって仕方のない終わり方。ずっと、そのヴァージョンでやってたのかと思いつつ、月亭文都は、落ちまでやってるのを聴いたことがあるので、やっぱ、最後までというのがあるのだとは判ってたが、米朝の音源があるのは知らなかったもので、とっても有難かった。だから、米朝事務所は、配信の冒頭(続くと仮定してだが)に持ってきたのかと思ってしまった。あとは、ファドを聴いてたな。「ファド」で検索して、上がってきたものから適当に1つ選んだって感じ。メモるのは、このくらいかな。


2023年 6月 1日(木)午後 8時 59分

 今日も、丸1日、寝たきりの日。昨日、医師の指示を忠実に守った結果、その前日とは打って変わった状態になったので、これは継続する必要があると判断した。また、そうすると、痛み止めも、今まで以上に効いているように思う。朝と夕方に飲むようにしている。薬局の指示では、「6時間、開けなさい」となっているので、もっと飲むことも可能だけど、かなり強そうな薬なので、また、今や、そこまで回数を増やす必要もなくなったように思うので、日に2回の服用にしている。そうなると、痛みを感じる機会も減ってきている。だから、家の中では、階段を昇るとき以外は、通常の歩行が可能になってきた。ただ、少しの間でも、椅子に座り立ち上がるときは危険なことには変わりはない。一番の患部と思える右股関節の痛みは、明らかに痛み止めのおかげで、痛みが弱まっているという感じ。バランスを崩して、思わぬ箇所に力が入ったりすると、「ギャッ」となることはある。かなり少なくなったとは言え、右脚側面から前面に掛けて突っ張るような激痛も、「激」まで付かなくとも、痛みが走ることもある。そんなだから、寝たきり状態を、今日も続けねばと思い、途中でも止めようとは思わなかった。明らかに、椅子に腰かけているよりは、ベッドに横になってた方が、腰に良さそうと実感できるからだ。
 横になるので、PCの画面は観ることはできない。観れるようにする勇気がない。余計なことをして、またぞろ痛み出すことを警戒してしまってる。だから、PCでYoutubeを立ち上げ、音楽を聴くということにしている。午前中は「H-moll Messe」(The English Concert版/Harry Bicket指揮)を聴いた。午後は、「Tosca」で検索すると、思わぬものが引っかかって来た。ハンガリーのYoutuberがアップしてたんだけど、2019年公演のミラノ・スカラ座のプロダクション(ダヴィッド・リバモア演出)。さすが、歌手が凄い。タイトルロールがネトレプコ、カバラドッシがフランチェスコ・メーリ、スカルピアがルカ・サレシという、超豪華版。フランチェスコ・メーリの声が、カバラドッシにしては明るいなと思ったけれど、2幕のルカ・サレシ、3幕のネトレプコが、特に素晴らしかった。ルカ・サレシは、今季のメトライブビューイングの「椿姫」で、初めて聴いた、いや、この人を聴くために「椿姫」を観に行ったけれど、役柄が違うとはいえ、このスカルピアが、圧倒的に勝っていた。こういったヒールの似合うバリトンって、魅力的ですな、ホント! ネトレプコより目立ってた。そんなだから、スカルピアの出ない3幕で、ネトレプコが目立ったものと思われます。音声だけで聴いていたので、さすが、終わったあと、映像確認を、飛ばしながらしておいた。1幕の教会堂内部の場面、えらく手の込んだことをしている。装置の入れ替えを頻繁に行い、場面に合わそうの魂胆。通しで観ていて、落ち着くんだろうかとすら思ってしまった。この細かく、装置を動かすってこと、3幕でも確認しました。2幕はどうなでしょう? なかなか、いじることのしにくい設定、流れのオペラなんで、こんなことで工夫を見せたかったのかなと思ってしまったな。スキップしながら観て、そんなこと書くの失礼かもしれんけどね。


2023年 5月 31日(水)午後 8時 32分

 今日は、腹を決めた。今まで、執ってきた行動、考え方は間違ってたと。昨日の医者の言葉が、きっかけだった。黄紺は、ここまで頸椎部の何らの異常で、首・肩から始まった痛みが腰や膝に波及して歩けないことを経験してきた。これが、今回、業をしたと思ってる。要するに、そのときは、問題個所は頸椎であり、腰に痛みが出ても、腰に問題があるわけではないので歩こうの方針を採ってきて、確かに間違いではなかったことは判ってる。それと混同してしまった。今回も、歩くことで、体力の維持も大事だを実行に移してきた。昨日も、わざわざ遠いマートを選び買物に行ったほどだった。こういったことを、マレーシアから帰って来てから採り続けてきた。その一方で、ベッドに横たわったあとは、腰が楽なのも判っていたのに、止めなかった。これが、結局、恢復を遅らせるどころか、悪化させたようにも思えるようになった。昨日、医者に、「動くな」「歩くな」を言われた。体力の維持より、腰の恢復を優先させ、体力の恢復はそれ以後だとのメッセージをもらった。今朝、起床時、ベッドから降りると、普通に歩けるのは、いつも通り。でも、歩けるんだけど、腰の重さは、これまでにはなかったもの。案の定、PCの前の椅子に腰かけ、いざ、立ち上がろうとすると、今までなかったほど動けなかった。少しずつ足をずらしながら歩き出すのだけど、それも、ままならなかった。トイレにも、まともに行けない。2回目は、ここまでなら楽になるのだけど、1回目と変わらなかった。これは、えらいことだと思った。2日前、メトライブビューイングに行った日だけど、快方の兆しのようなものを感じ出したのとは、大変な違い。その日も、昨日も、歩こうとしたということがあり、実際、余計に歩いてしまっていた。これが、悪化させたのは、最早、明らかだと思った。この時点で、今日は、予定表に2つ入れてあった1つを止める決断。アスニー山科から城陽という掛け持ちの予定だった内、予約不要のアスニー山科の方をカットする決断。そして、時計を午前11時にセット。その時点での状態で、キャンセルの電話を入れることを決め、ベッドに横になった。途中、トイレに立つが、状態は変わらない。もう、午前10時半で、早々に決断、「無理だ」「行けない」「もっと悪化する」と思えた。電話を入れた。そして、ベッドに横になった。結果、午前中はベッドの中だった。最初は、Radikoで「吉の丞のおつかれさん」を聴き、それが終わると、YoutubeのEasy Listeningをかけておいた。ずっと、うつらうつらしていた。横になると、身体は睡眠を求める。やっぱ、腰だけじゃなくて、身体が休息を求めているように思えた。昼食は、昨夕のマートで買ってあるので、外出の要はない。このときだけ起き上がり、旅系&韓国系Youtuberの動画を観た。それが終わると、また、ベッドに横たわった。朝食後、痛み止めも飲んでるせいか、頗る腰の感じが良くなった気になった。痛み止めも効いてのことだから、過剰に評価をするのは禁物だけど、腰の重さが消えていくのが判った。そこで、午後もずっとベッドの中だった。午後5時20分に、Youtubeでかけていた「Mathew Passion」(アルノンクール版)が終わるまで寝ていた。結構、この午後の時間も、うつらうつらしていた。夜になって寝れるだろうかと思うほど、寝てしまった。それだけ、腰も休息を求めているのかと思うようにしている。ベッドに腰かけて本でも読もうかと思ったけれど、せっかく腰を休ませるなら、座るという行為を避けた。寝ると座るでは、腰の負担が、大きく異なることは、この間、実感できているので。明日から、また予定表には何かしら入っているが、たとえ、腰が快方への兆しを見せても、止めようかと考えているところだ。特に土曜日は、大阪まで行こうかと考えていたので、こちらは、確実にキャンセルのつもりだ。そんなで、しばらく養生に努めます。歩きながらの考えは、完全に払拭するつもりです。


2023年 5月 30日(火)午後 10時 27分

 明け方は、まだ雨が降っていた。洗濯日と考えていたので、ちょっと、目が覚めたとき、嫌な気分。でも、それ以上に、腰の痛みに変化がないのが判ると、嫌だった。そこで、洗濯を終えたら、医者に行くことにした。1週間経って、ずっと同じ状態はあかんやろと、さすが、思うようになっていた。それを決めたら、Youtubeで動画を観ている場合じゃないと思い、その動きを採った。それで良かったな、医者で、レントゲン撮影を、2回に分けて撮ることになったため、時間がかかったので。痛みの大元と考えてたのは、股関節。しかし、それだけではなく、脚の前面の筋が突っ張るようになる激痛も訴えておいた。とにかく、まず、股関節の撮影。結果は、きれいだった。「ここの箇所の骨と骨の間が狭くなり、よく痛みが発生するものだけど、あなたの骨は大丈夫です」「腰の神経痛だと思われるので、腰の撮影もしましょう」ということで、2回目のレントゲン撮影。かなり丁寧に撮られたので、技師さんの目にも判る異常があったのかなとも思ったのだけど、こちらも異常なし。そこで、医師は、「もう1週間、様子を看ましょう」「コルセットをしてもらいます」「痛み止めも出します」と、様子見をする間の処置も指示してくれた。痛み止めは、既に持っている由を伝えると、それを使うようにとの指示。で、痛みが消えれば、それで良しということで、おしまい。でも、痛みが消えなければ、1週間後、再訪して、精密検査の段どりをつけると言われていました。MR検査となるようで、そうなるのかと、言われてみて、びっくり。理学療法で、お茶を濁すというのが、整形外科のあるある話だと思ってた身には、逆に、驚いた次第。でも、いい医師にかかったかなの印象を、今のところ、持っています。でも、そういった精密検査を受けないで治ってくれることが、嬉しいのですが。
 医師の指示では、動かない方がいい。腰に負担をかけないのは、立つ、座るよりは、横になるということなので、火曜日と言えば定番のRadikoで「まーぶる」を聴いていたのだけど、これはベッドに横になりながら。でも、途中、お昼寝タイムに入ってしまった。そのため、夕方、買い物に行ったあと、1時間ほど、遡って聴くことになりました。実は、この「まーぶる」、気になっていた。二葉が、この間、扁桃腺炎でダウンしていたものだから、出るのだろうかとか、復帰するなら、このタイミングなのかなとも思ってたので、とっても気になってた。二葉のTwitterを、事前に眺めても、復帰については、何も出てなかったので、気になってたのだ。6割くらいの調子まで戻ったと言いながら、出演していた。声だけでは判らなかったけれど、どうなんだろう、恢復してるのだろうか? 1度、ラジオに出ると、そうは休めないと思うのだけどな。つい2ヶ月ほど前にも、声が出にくくなったりで、頑丈な身体を求める以上に、仕事をセーヴした方が賢明なような気がした。人気の神田伯山が、地方の仕事は、週に1回と決めたと言ってたのが思い出されてしまいました。「この落語」のコーナーには、小梅ちゃんがゲストで出ていた。気の置ける同期の小梅ちゃんにヘルプを求めたのでしょうか? とってもアットホ-ムなコーナーになってたな。二葉が傍らにいるからか、小梅ちゃんのリラックスしたトークが、とってもいい感じ。これは、ヒットだったな。そんなで、何もなかった分、余計に腰のことばかり気になった一日でした。


2023年 5月 30日(火)午前 7時 29分

 昨日は、メトライブビューイングを観る日。福井から高校時代の友人も観に来るというので、頑張って出かけて行った。腰の状態が、この間の様子を考えると、僅かながらも変化が出始めたかなという感じで、少し和らいだ気持ちで出かけたが、映画館では、友人もびっくりするような激痛に襲われてしまった。朝方感じた快方への希望は、あっさりと覆ってしまった。昨日は、5時間近く上映時間があるということで、休憩が2回あったんだけど、そのときと終映後が大変だった。立ち上がるのは簡単だったけれど、その後、右脚が突っ張った感じになり激痛が走るのは、この間、苦しめられてきたこと。休憩時間には、トイレに行っておかねばならないものだから、痛くても歩かねばならないから、このときも困った。終映後、いつもだと、お昼を、一緒に食べるのだけど、もう午後3時前になることが、予め判っていたので、黄紺は、映画館に行く前に牛丼を食べておいた。友人は、休憩の合間にパンを食べたと言っていた。そんなで、終映後は、いつも行くカフェへ。MOVIX京都から烏丸通のカフェまでは、黄紺の身体にはきついと看た友人は、近くを行ってくれたけれど、敢えて烏丸通のカフェまで行った。ホント、ゆっくりだったけれど、歩いた。というのも、この間、ウォーキングらしいものをしていないので、身体のなまりが心配なのだ。このことを話すと、有人もいたく同意。心覚えがあるようだった。だから、ゆっくり歩きに付き合ってくれた。ほぼ通常のスピードに戻るのに、随分と時間がかかった。そんな風になったからと言っても、痛みは残るが、この間の経験知で、痛む足の付け根の部分を、外から押さえてると、若干、痛みが弱まることが判っているので、そうすれば、ほぼ通常のスピードに持って行けた、カフェに着くころには。そこで、しばし歓談。昨日は、オペラ、鉄道ネタに負けず、健康ネタが多くを占めてしまった。東京在住の友人が、肝臓の手術をしたと言う。前から懸案であった、一緒に東京へ行き、オペラや落語会に行くとともに、その友人を訪ねることを、早々に行わねばの気持ちで一致した。大事には至ってはいないようだけど、そういった大きなことがあると、気になってしまう。できれば、この秋にでも実現したいものと一致したが、「腰が良くなったらの話やけどな」という、情けない注釈が必要だった。
 オペラは「ばらの騎士」(ロバート・カーセン演出)だった。このプロダクションは、既に、ルネ・フレミング、エレナ・ガランチャの組合せで観ているが、今回、有人ともども、大いなる関心は、侯爵夫人を歌うリーゼ・ダーヴィドセン。同じメトライブビューイングで、昨季、アリアドネを歌い、めっちゃ推しの歌手と認識したのでした。他の主役級歌手は、オクタヴィアンがサマンサ・ハンキー、オックス男爵がギュンター・グロイスベック、ゾフィーがエリン・モーリー、ファニナルがブライアン・マリガンという布陣。そして、指揮がシモーネ・ヤングという大物。だけど、シモーネ・ヤングはライブビューイングに登場は初めてらしい。記憶にないはずだ。途中の解説では、20年程前は、結構、メトロポリタンで振ってたらしい。ということは、ハンブルク時代が、その空白期間になるわけで、納得です。フレミング&ガランチャ版でも、エリン・モーリーは歌っていたとか。すっかり忘れていました。でも、昨日は、しっかりと記憶に残るいい歌唱。サマンサ・ハンキーとともに、安定感抜群の歌唱に、とっても好感を持った。エリン・モーリーは、「魔笛」でも、パミーナを歌うそうなんで、楽しみです。ギュンター・グロイスベックは、言うまでもなく、当代最高のバスと言っていい歌手。声はいいんだけど、この人のオックス、わりかし真面目人間に見えてしまう。助平親父と看ても、小物に見えてしまう。なぜなんでしょうね? 問題のリーゼ・ダーヴィドセンは、正に期待通り。1幕のモノローグ、めっちゃ上手かった。難点は若いことかな、実年齢を知らないけど、役柄にしては若く見えるのが惜しい。それと、大柄過ぎること。ノルウェー人だから致し方ないけど、サマンサ・ハンキーより、頭半分くらい、大きかった。舞台は、第1次世界大戦前に移し替えられていた。ウィーンの没落といった意味では、この設定は無理ではないのだけど、、、。ファニナルは武器商人で成り上がった者。武器がモチーフに使われている。使用人が武器を持って出てきたり、2幕のファニナル邸の壁画は、ギリシアの黒絵で、合戦場面を描いたり、ラストは、背後の壁を開き、高射砲を脇に戦闘姿の男たちが立ち並ぶといった光景を作っていた。こういった「戦争」イメージって、前に観た「このプロダクションであったっけ?」と、2人で話していたのですが、2人ともボケてるのか、記憶にはなかった。「少なくとも、ラストの場面はなかったよね」では、一致。ひょっとすると、ウクライナを意識して、日常のバタバタの背後で動く戦争を表したかったのかなとも思ってしまってます。だったら、ロバート・カーセンのコメントを入れて欲しかったなと思うのですが。正直、無理からそうしたんじゃないかとの印象が拭えないプロダクションだったな。ロバート・カーセンものでは、感じたことのない印象ですね。
 梅雨入りしたらしい。昨日も、雨だった。その雨のなか、友人と別れてから、五条駅まで歩いてみた。烏丸通のカフェに行ったのと、同じ狙いだ。カフェを出るとき、嘘みたいに、腰の痛みが消えていたからだ。チャンスと思い、少しで歩こうとした。歩こうとしたらスピードを上げて歩けたが、ゆっくりめに歩いてみた。雨だったが気にしないことにした。歩けること自体が嬉しかった。自宅に戻り、椅子に腰かけPCをいじり、トイレにでも立ったときは、またぞろ激痛が走った。結局、快方への希望は失せてしまったが、昨日は、楽な時間帯もあったと、いいことは覚えておくことにしたい。


2023年 5月 28日(日)午後 10時 2分

 今日は、予定の入ってない日曜日。一応、大阪でもいいから、何か良さげな落語会がないかは確かめてはみたが、これは見ただけ。腰が同じ状態だから、行く気は、ほぼないのだから、ホントに、見ただけだった。このまま治らなかったら、もう動楽亭やツギハギ荘での落語会は、生涯行けそうじゃないな。これは、コロナ禍で行けなかったのとは、わけが違う。腰の痛みは、今日で、丁度、1週間目となる。せめて、このくらいで終わってくれよと思ってたが、和らぐ気配の欠片もない。だから、週初めのどこかで、1度は、医者に掛かってみようとは思ってる。期待してないので、付き合い方を考えた方が得策と、頭の転換を図ってみている。今日の昼前には、ちょっと遠めのマートまで買い物に行ってみた。いつも酎ハイの買い出しをしているマート。歩き出しても、なかなか痛みは和らがなかった。痛みは慣れてくると和らぐもの、これがセオリーだが、これが、どんどんと遅れて行っている。そこで、ちょっと違う手を採ってみた。高めの椅子に腰かけていると、座っているときは楽なんだけど、いざ立ち上がり、歩き出すのが大変。右脚が突っ張るような感じになり、激痛が走る。だから、なかなか歩けない。数日前はそうじゃなかった。悪化しているのかもしれない。そこで、今日は、午後の一時を、PCで音楽を流しながら横になることにした。横になり、腰の負担を解消し、その後、立ち上がるときはラハトなため、これを試してみた。昼寝になりかけたが、この状態からの立ち上がりは、やはり楽だ。歩ける。ついでに、ごく近くのマートにある100均へ買い物に行ってみた。軽く痛みは出るが、端から普通に歩けた。どうやら、椅子に腰をかけてるだけで、腰に負荷がかかり、それだけで、痛みが出たりしているようだ。そんなで、ここしばらく、何もすることのない時間帯があれば、ベッドに横になり、音楽を聴くことにしましょう。ウォーキングは、当分、お預けですね。
 そんななか、本日唯一の楽しみは「日曜美術館」だった。今日は、旧作の再放送の日だったが、黄紺の観てなかったものだったので救われた。「東北に届け 生命の美 〜アメリカ人コレクター 復興への願い〜」というお題で、伊藤若冲を発掘したというアメリカ人コレクターのジョー・プライスさんが、東日本大震災に触発され、自らの江戸絵画コレクションを被災地で巡回展示した様子を追いかけたもの。黄紺も知る有名作品は、この人の下にあったんだと知るきっかけになりました。取り上げられた作品をメモっておきます。①長沢芦雪/白像黒牛図屏風(黒牛に白犬が寄り添う、白象の背に2羽のカラス)②鈴木其一/群鶴図屏風(傍らに抽象画のような水の流れ、屏風の折り目も表現の1つ)③伊藤若冲/葡萄図(プライス・コレクションの発端)④伊藤若冲/旭日雄鶏図⑤伊藤若冲/鷲図⑥伊藤若冲/鳥獣花木図屏風(小さな升目に分割、行きとし生けるものの楽園、ろうそくの明かりで見ると動物たちの息遣いが聞こえてくるよう)⑦呉春(松村月渓)/柳下幽霊図⑧伊藤若冲/伏見人形図⑨竹田春信/達磨遊女図⑩森狙仙/猿図(見上げる猿、その先に蜂)⑪岩佐又兵衛/遊女***⑫山口素絢/美人に***⑫長沢芦雪/虎図⑬葛蛇玉/雪中松に兎・梅に鴉図屏風(雪の中の静寂に聞こえる声)⑭不詳/簗図屏風(やなの上で飛び跳ねる鮎、9種類の金箔、明かりを変えて変化を見ると金の反射の仕方が変わるのが判る)⑮鈴木其一/貝図⑯山口素絢/夏冬白鷺図⑰不詳/紅白梅図屏風。ネットで調べると、プライス氏は、この4月に亡くなり、それ以前に、コレクションの何割かが、出光美術館に売却されているそうです。その中には、著名な⑥も入っているそうです。


2023年 5月 27日(土)午後 10時 7分

 今日は、以前から、ある市民向け公開講演会を聴きに行くことになっていた。だが、マレーシア土産を、DやSに渡しに行くことに替わった。明日の日曜日が空きだったので、息子に都合を聞いたところ、今日にしてくれとのことだったので、急遽、変更。息子と会うと、必ずと言っていいほど、仕事上のボヤキを聞かされる。去年から今年にかけ、なかなか職場が大変なようなので、ちょっとでも負担を掛けたくないので、こういった日程設定には協力するつもりというのが、黄紺のスタンス。朝10時半に来てくれということだったので、それに合わせて出かけた。電車の都合で、10分程前に到着。黄紺のカバンには、マレーシア土産だけではなく、この間、買ってあった絵本も入っていた。その1冊が「聞き耳トーマス」。実は、この絵本、昨日、アマゾン屋さんから届いたところ。桂雀喜原作、あおきひろえ絵&作という、近頃、上方落語界で話題の絵本だ。雀喜の新作落語を、あおきさんが、絵本に移し替えたもの。その過程で、雀喜も関わったことが、あとがきに記されていた。あおきさんは、言うまでもなく、ツギハギ荘のオーナーさんとしても知られた方。落語マニアの絵本作家さんが、雀喜の新作落語を聴いて、行けると思ったのでしょう。黄紺も、雀喜版の落語は聴いている。大人が喜ぶくすぐりは、絵本用には書き換えられていた。その辺を、相談しながら、絵本版の「聞き耳トーマス」が生まれたようだ。早速、DとSに読み聞かせた。Sには、まだ無理なようで、半ばで離脱してしまった。Dは解ってたみたい。でも、読み聞かせをしていて、ちょっとした言葉遊びも、小1は慣れてないってことが、ようく解った。落語って、そういった意味で、イマジネーションの塊だね。絵本は、当然、絵が付いてるわけで、イマジネーションを導きやすい作りにはなってるが、言葉遊びとなると、ほぼ絵は助けにならない。そんなことを考えながら、読んでやっていました。今日は、息子に、スマホの中の写真の取り出し方を教えてもらうのも、大きな課題。なんせ、旅行中に、黄紺の不注意で、手持ちのカメラを失くしたため、ずっとスマホで写真を撮ってきたので、それを取り出したいのだ。USBコードを突き刺すという方法が、上手くいかなかったこともあり、第一、スマホの操作が、全く解っていないものだから、事前に、教えてくれとヘルプを出しておいた。いつも、息子には言っています。「PCと違って、父さんは、スマホに関しては、その辺の爺さんと変わらんから、ホント、なんも解らん者に教えるように教えてな」と。すると、やっぱ、解ってないなと思い知らされる方法を教えてくれた。で、帰宅後、早速、実行。マレーシア旅行の写真の取り込みに成功。暇なときを見つけて、まだまだ残る、数多の写真を、スマホからPCに移せたらと思う、今日この頃。今日は、ママはお出かけ。Dに「ママは、どこへ?」と、2回も聴いてしまった。Dの答えが同じだったから、「これ、さっき聞いたぞ」で、2回目だったことを思い出す始末。こういったボケてることに、Dは、いつか気づくのでしょうな、それが、やだね。Sは、黄紺に、激しい腰痛があるにも拘わらず、ぶら下がって来る。こいつも、そろそろ4歳だから、体重を掛けられると、腰が悲鳴を上げそうになる。幸い、歩き出して時間が経ってからだったので、Sと繋いでる手を離さなずに済んだ。でなかったら、Sは地面に、どしんと落ちてた。いつか、やっちゃいそうで、腰が痛いのを嘆くしかない。困った腰だ。息子が、6回目のワクチン接種の日だったので、黄紺は、Dとともに、待ち合わせ場所で待機。腰の悪いので、Sは、息子が接種場所に連れて行ってくれた。ごく日常の風景が嬉しい。しばし、Dとは、学校トーク。息子夫婦が心配していた学童にも慣れて来たようだ。やっぱ、環境が違うと、慣れるのに時間を要するようだ。最後の手は、黄紺と嫁さんで分担して、Dの面倒を見ればいいの考えがあったので、さほど気には病んでなかったけれど、そういった言葉を息子から聞くと、安堵する。Dの話によると、嫁さんが、週2で行ってるらしい。Dは、晩ご飯のおかずのつまみ食いもしてるらしい。楽しそうだったので、何よりだ。合流してから、近くの寿司屋に行った。Dが、まだ乳母車に乗ってた時代に行ったことのある寿司屋。そのことをDに言うと、驚いていた。席に着いてから、スマホに残してある、そのときの写真を見せてやった。Sも「見せて」と言うので見せてやると、「僕は?」と尋ねる。「君は、まだ生まれてない頃!」、そうなんだからそう答えると、Sはボーっとしてた。そういった時期があることを、Sは理解できてないんじゃないかな? いつも、パパとママ、そして、Dと一緒だと思ってるんだろうな、、、可愛い!! 今日は、これだけ。十分です。楽しかったぁ。


2023年 5月 27日(土)午前 7時 54分

 腰の痛みは継続中に、変わりはない。ずっと座っていると腰には、全く負担がないので、それをいいことに座り続けていると、立ち上がるのが大変という状況は相変わらずだ。ただ、そのときの痛み、歩き始めたときの痛み、その大きさ、継続時間に、結構な差異がある。薬を飲んでると、それが短い気がする。座っている時間が長いと、痛みの継続時間は長い、そんな状態だ。今日の最悪は、午後の講演会の帰り。歩く距離は、普段なら短いものだけど、それを、顔を上げて見定めたときの長さはなかったなぁ。階段下りるのはいいのだけど、上がるのが厳しい。一段一段、手すりを持ちながらだ。電車から降りるときは、前の駅を出たら、すぐに立つ用意、これを怠ると、下手すると、激痛のなか歩かねばなりません。いや、歩けないよ。
 にも拘わらず、朝から出かけた。朝は、まだ、調子が良かったから、家を出るころには、普通に歩けた。家内で、トイレに行くときは激痛が出るが、もう、トイレから戻るときは、普通に歩けてるという状態だったので、そんなで行くことができた。まず、アスニー京都の市民向け公開講演会へ。今日は、「鎌倉幕府と京都」というお題で、同志社女子大学現代社会学部教授の山田邦和さんのお話を聴くことができた。山田さんは、鎌倉時代を「京・鎌倉時代」と呼ぼうを提唱されている方。そのわけが、最後に判るという、お話の構造として、とってもおもしろいものだったという印象。今日も、会場に来ていた弟と、全く一致。冒頭の掴みが、掴みじゃなくて、そこに立ち返ってくるというもの。1つは、京都のスケール、鎌倉時代の京都と言えば、平安京の左京&区域外といったもの。でも、同時代の鎌倉や奈良・平泉と比べても桁違いにでかい。2つ目は、「鎌倉幕府はいつから?」という問いかけ、そんなの「いいくに」に決まってると思ってる頭には、新鮮な問いかけ。実際、諸説あるそうで、頼朝が東国独立国家の主に推戴される「1180年説」、守護・地頭補任勅許が出て鎌倉が軍事権を掌握する「1185年説」(同年に壇ノ浦があった)、頼朝が征夷大将軍になる「1192年説」なんてのがあるそうだ。最後の説が通説ということになります。その後は、承久の変関係の資料紹介が進んだ。承久の変は、鎌倉と京都の朝廷の相克事件だから、北条義時や政子の、朝廷に対する考え、スタンスが読み取れるということでの探索が進む。激を飛ばす政子、鎌倉一の戦略家は大江広元という挿話が入る。大江広元は、元貴族だから、朝廷の動きを知っている、勝ち方を知っていた。政子は政子で、御家人を動かす手、それは、朝廷の矛先が義時憎しではなく、鎌倉幕府そのものに向けられてるとして奮い立たせている。そして、大江広元の指示で、京都に攻め入る。が、決して、朝廷を廃そうとの試みはせず、後鳥羽政権下で冷や飯を食らっていた後の後高倉・後堀河親子を、新たに即位させ、朝廷は存続する。こういった、鎌倉幕府の態度を踏まえて、山田さんは「幕府とは?」との定義づけをされる。「①軍事政権(武士が中心)」「②貴族政権(朝廷)の一部とは言えない自主性を持つ」「③政権と呼べる行政機構を持つ」「④長は、征夷大将軍のような武家に相応しい称号を持つ」「⑤王権(天皇、朝廷)と京都の軍事的守護者」の5点を上げ、これらの点が適用できるかで、幕府と呼べるかどうかの点検をされたが、平将門、平泉の藤原政権は、⑤を満たさないから却下となる。では、鎌倉はどうか? ①~④は、具体的なことは別にして、黄紺にも同意できる。問題は⑤、後には、六波羅探題の存在で、あっさりと〇なんだが、では、いつからとなると、山田さんは、粟津の戦いで木曽義仲が敗死したあと、頼朝の代官として範頼と義経が京都に入り、後白河法皇に拝謁、京都の治安維持の権限を与えられた事件を捉え、それが起こった「1184年説」を採ると言われていました。「いい国作ろう」ではなく「いい橋作ろう」だと、語呂合わせもバッチリでした。
 黄紺は、ここで引き上げるつもりだった。腰の不安を抱えるため。ところが、弟が、大谷大学の講演会も、近いから聴きに行くという。黄紺もピックアップしていたが、帰ろうとしていたのだ。でも、目の前で行くと言われたら、行こうになってしまった。アスニー京都の前にある、気になっていたうどん屋で昼を食べて、弟は自転車で、黄紺は、円町まで出て、バスに乗ることにした。これが失敗。当初は、烏丸通まで歩き地下鉄がいいかと思ったのだけど、歩く距離が短いからと円町を選んでしまった。金閣寺に行く人、立命の学生で、バス停はいっぱい。バスには、修学旅行生まで乗ってた。とんでもない混雑、バスだから揺れる、その度に、腰に激痛が走る。ようやく到着すると、ホント、開演直前だった。
 イベントは「2023年度 大谷学会春季公開講演会」だった。コロナ禍で、久しぶりの開催だそうだが、行ったどころか、こういったイベントがあるのも、今回、偶然知ったのが、初めてだった。講演は2本。「①皇帝聖武と沙弥勝満」(宮﨑健司/大谷大学教授)「②日本の中世社会をどのように考えるのか?」(上島享/京都大学大学院文学研究科教授)の2本だった。この2本の講演、弟が、より困っていたが、残響が大きく、その対策がなされていないため、うまくマイクを口に近づけて喋れる人を除いて、かなり聴き取りにくかった。そんななか、把握できていそうな箇所をピックアップして、メモっておくことにする。①では、聖武天皇が、皇太子の夭逝、長屋王の変、痘瘡などの災禍、藤原広嗣の乱を経て、仏教への帰依を進めていく様子を触れて行かれ、やがて、国分二寺建立、廬舎那大仏造立、そして、自身の出家となる。ただ、かなり寝てしまっているので、詳細は判らない。途中、聖徳太子の転生のトピックや、武則天の影響というトピックも入ったようだが、そのコンテキストは、寝ていたため判らないまま。小耳に挟んだだけで終わってしまっている。②は、日本の史学界で、「中世」という時代区分が認定されていく歴史から始まり、上島さん独自の「中世」区分へと進まれた。それは、10世紀中ごろに発生した天慶の乱(平将門の乱)以後とするというもの。中世600年、従って、前期300年、後期300年という考え方。その境界は1268年。フビライの国書が太宰府に届いたときとする。とってもユニークな考え方と思われると同時に、壮大な考え方。東アジア、ユーラシア大陸の歴史の中で読み解いていこうとするもの。安史の乱以後に起こる唐宋変革と、日本の歴史は「共振」「離脱」を起こしているというのだ。「共振」では、権力の多分化・分権化、固有文化の成熟が起こり、「離脱」では、王朝交代(易姓革命)の非実現が看られるというのだ。即ち、10世紀の混乱で、東アジア各地で見られたことが、日本では起こった、起こらなかったことがあったというのだ。しかし、双方ともに、東アジアの変容により説くことができる。将門は「易姓革命」を意識していたはずと言われていた。この国際的な枠組みとの比較を受け、新たな時代が生まれたとする考え方なんだんだけど、それ以後は、新たな時代で、どのような変容が看られたのかというお話。ここで、また、寝落ちしてしまっているので、レジュメを頼りにチェックをしておく。「国制機能の縮小(元日儀礼の変化、夜の生活文化の転換/源氏物語の世界、内裏の火災の頻発化)」「権力の多元化・多権化(天皇が祭祀主宰者としての側面を強める、道長による院権力の出現で、天皇・院・摂関という三権からなる王権構造へ、天皇の地位と個々の人間としての天皇の分離=易姓革命思想からの離脱)」「大規模造営の時代(白河・鳥羽の開発)」といった中世前期とされる時期に生じた新たな事象をピックアップされていました。この講演会が終わってからが大変だったことは、冒頭に書いた。大谷大学は、地下鉄北大路駅から僅かの距離、これを歩くのに一苦労だった。第一、会場のホールを出ること自体に時間がかかっていた。ずっと、このままなんだろうか、こういった考え方が、頭を過り出しているのも事実です。大丈夫かなぁ。


2023年 5月 26日(金)午前 7時 42分

 腰の痛みは弱まる気配を見せず、続いています。痛み止めも効いてるのか、よく判らない。その程度の効きようかもしれない。それで、少し弱まったところで、ごく軽く歩くと、痛みが和らぐので、普通に歩けるようになる。結局、これを繰り返しているようだ。一番、いけないのが、長時間、座っていて、立ち上がろうとして立ち上がれない。ここが、めっちゃ痛い。もう4日目となるのかな、きついです。
 そんなことになろうとは知らず、1ヶ月半程前に、美術館の日時指定付き前売り券を買ってあった。普通、この腰で行かないよと、自分に突っ込んでも、日時指定だから、下手すると、ボツになってしまうと思い、行ってきた。京セラ美術館という名になっているけれど、岡崎の京都市美術館のことだ。涼しく、いい季節、それほど、びっくりするほどの外国人観光客は歩いてなかった。でも、きっちりと白川に沿って歩いている観光客がいる。偶然、紛れ込んだ人もいるだろうけれど、それだけじゃない。彼らは、白川沿いの情報を持って入ってきていると睨んでいる。岡崎へ行くときは、最近、その道を採ることが多いので、通ると、毎度、同じことを考えてしまっている。今、こちらの美術館で、「マリー・ローランサンとモード」が行われているのです。副題には「1920年代パリ、女性たちは羽ばたいた —ココ・シャネル、マドレーヌ・ヴィオネも活躍」と付いていました。マリー・ローランサンの作品だけでは少なすぎるので、同時進行したモードの展示も併設して、1920年代の「狂騒の時代」を示そうとする内容でした。マリー・ローランサンの作品は、生で、何度か観たことがあるが、パステルカラーの色彩、没個性的な表情の女性、新しい時代の女性像というのが、特徴のように思える。マリー・ローランサンが描く女性というのが、1920年代という独特の空気を持つ時代に即応している、ならば、同時代の作品、中でもモードの世界に、マリー・ローランサンとも接点があった(ココ・シャネルは、自画像の制作依頼までしていた)というモード界のスター、ココ・シャネルと組み合わせようじゃないかという方針の展示でした。ココ・シャネルが、そして、この時代が、女性をコルセットから解放して、身体に優しい現代の服装なるものが生まれる。ココ・シャネルは、帽子からスタートしたらしい。そして、洋服へと進出。こういった時代性を知ると、ココ・シャネルを扱った映画、観ておくべきだったと、この辺で反省の念が湧いてきていました。そういった服装、アイテムを持った女性を描いたのが、マリー・ローランサンだった。色合いが、何よりも、その空気を引き出せますよね。ココ・シャネルのデザインで、腰に絞りを入れるのは、少したってからの新しいモードだったそうです。絞りが入ると、より身体のラインが出てきます。これも、時代性を表しているように思えました。マリー・ローランサンは、一躍、時の人になるので、アートの他のジャンルも放っておかなかった。そういったなか、舞台芸術の分野にも進出する、同様に、ココ・シャネルらも進出するということになる。文学の世界からは、ジャン・コクトーも進出してくる。ピカソなんかも、こういったうねりに関わっていたようだ。音楽の世界からはプーランク、サティなんかもいたようだ。バレエの世界では、セルゲイ・ディアギレフの名が上がってた。錚々たる顔ぶれだ。プーランクの「牝鹿」は、マリー・ローランサンの装置・衣装で上演されたということで、かなりのスペースが取られていました。1930年代に入ると、時代が変わるからでしょうか、マリー・ローランサンの作風にも変化が。パステルカラーに、黄色や青と言った有彩色のクリアな色彩が入ってきたり、背景との差異がクリアな色使いになってきたりしていました。ニコル・グルーとの交流に、結構なスペースが割かれており、解説文には、二人の同性愛関係を臭わすような部分もあり、納得。ちょっと数が少なかったかなとも思ったけれど、やっぱ、1920年代の空気が伝わるような設えが良かったのでしょうね、数の少なさを補うことのできていた、感じのいい展覧会でした。
 腰が悪いので無理、無茶はせず、ロームシアターで購入済のチケットの引き取りに行き、気が着くと、次回の市民寄席のチケットが発売になってたので、直で買うことにしました。えらい売れ行き。米團治人気かなぁ、危うく、買いそびれてしまうところでした。りょうば、喬若と並び、枝三郎が珍品を出すという趣向もいい番組。こちらは7月公演です。


2023年 5月 24日(水)午後 10時 49分

 さすが、昨夜は熟睡できた。マレーシアの最後の3日間の睡眠が不十分だったこともあり、帰りのクアラルンプルからの飛行機は、腰がひどい状態と言いながら、睡眠は取った。でも、所詮、機内のことだから身体の疲労が取れてるわけがなく、昨夜の熟睡に繋がったようだ。朝、目が覚めると、腰だけじゃなく、身体全体が軽かった。これで、腰も快方に向かうのかと思ったが、起きてから、普段に戻り、トルコの情報収集を、PCの前に座り続けていて、何気に立ち上がると、目覚めたときのようにはいかなかった。結局、元の黙阿弥という感じで、家内をそろそろ歩きをしないといけないという状態。それこそ、昨日、帰って来て以後の状態と、ほぼ変わらなかった。そんなことだったが、既に、痛み止めの薬は、今回も効いてくれることが判ってたので、朝食後、服用すると、昨日以上の効きよう。痛みの酷いときは、最低6時間は服用を待てということなのだが、12時間経っても、今日は、2回目を飲まなくても良い。夜中に、トイレででも目が覚めたとき困ることがあってはいけないので、就寝前には飲む必要はあると思っている。
 昨日に比べると、気温は少し上がったけれど、まだ涼しい。どうやら、雨が降ったのを契機に、気温が急降下したらしい。前線が通過したということなのだろうが、この変化の大きさも、気候変動の1つじゃないかと思うほど、以前に比べると大きな気がする。天気は良く、爽やかだから、頗るウォーキングには適してるのだけど、今日は、それを目的に外出するのは控えた。腰への負担が気になるのだ。でも、遠目のマートに行ったり、弟の家へ行ったりと、意識して、必要な外出を作り、そのついでに歩いた。結果、普段のウォーキングの量の7割ほど歩いた。これは頑張ったと言うよりか、慎めと、自分に言った方が賢明かもしれない。今回は、一旦は収まり掛けながら、痛みは復活したどころか、大きくなってしまったのだから。弟の家へは、ちょっとした土産を持って行った。弟は、ランカウイへ行ったことがあるので、ちょっとはマレーシアに知識があるけど、もう25年程前の話。黄紺が、息子と行ったときよりも前じゃないかなぁ。でも、知らない世界ではないので、話はしやすい。でも、話題は腰を始めとした、旅行中の体調不良問題。弟も、黄紺と同時期に、しまなみ海道を走ってきたようだが、自転車でだが、黄紺同様、体力の衰え、それから来たと思われる体調不良を起こしたと言っていた。1歳違いだから、ま、兄弟ともに、同じような道筋を歩んでるということですね。弟の家に行ったあと、歯医者に行く予定をしていたので、せっかく、茶菓子を出してくれたのを我慢していたところ、弟の嫁さんが、「リンゴジャム作ったから、味、みてみる?」との言葉に、思わず、口にしてしまい、「あちゃー」「アホや!」。結局、新しい歯ブラシを下してもらい、歯磨きをやり直し。とにかく、こんなことばっか、です。今の今まで、頭の中にあったことが、瞬時にして消えてしまってる。
 今回の旅行中も、ある程度のリスクは折込み済みだったが、幾つも、大きなことから小さなことまで起こしている。ペナンの空港まであったハンカチが、クアラルンプルで無くなってるの知ったのが最後かと思ってたら、今日になり、大物が発覚。これも、自分が気を付けてれば起きなかったはず。しかも、気にはしていながら、そのときに対応策を講じなかった責任があることを、重々、痛感。もう、ないやろな! 息子にも言われました。「韓国旅行のとき、危ない思てたんや」と、間近で、危なっかしい姿を観かねてた模様。そんなことを言いながら、7月には、福岡&韓国旅行の計画を進めねばと思い始めている。大丈夫かいなと、自分に突っ込みたくなります。


2023年 5月 24日(水)午前 8時 21分

 昨朝、午前6時59分のランディングで、関空到着。当初の予定では、関空のローソンで、何か買い、場合によっては、お酒も呑みながら、朝食に充てること考えてた。でも、それすると、simカードの入れ替えができないな、だとすると、やっぱ、朝食は、改装中のレストラン街へ行かねばならないかと思ってたが、それは、激しい腰痛で、あっさりと却下。幸い、お腹は日本仕様になってたみたいで、空腹感が出てなかったので、家までもった。とにかく腰が痛かったので、ゆっくりと歩いてたら、空港では、最後になったようだった。同じ飛行機に乗ってた人は、ずっと前で入国手続きは終わってた。税関では、Visit JapanのQRコードを使うのだけど、simカードの交換は、手のマヒがあるので、機内でするのはまずいので、スクショを撮っておいた。噂で、スクショでもいけると聞いていたので、それを信じていたら、その噂は本当だった。いけた。これで、手書きをしてなくても良かった。なんせ、手書きのためには、カバンから筆記具を出さねばならない、そんなこと、腰の状態でできるわけがなかったので、これは、ホント、助かった。帰る方法も、一番、乗り換えの少ないバスを使うことにした。はるかを使う手もあった。乗り換え数が同じだったが、お値段が違うので、バスを選択。また、これが、上手い具合に、出発時間が、とっても頃合いだった。バスに乗るのにも一苦労。運転手さんや、前に座ってられた方が、「引っ張りましょうか」と言ってくださった。感謝です。なんとか、上がれました。1時間半弱で京都駅八条口に到着。降りるときも、待ってもらった。とにかく、時間がかかる。ゆっくりと歩かないと、腰に響くのだ。電車は、一駅前に降りる態勢に入り、大丈夫だった。途中、マートに寄り、食材を購入。腰の状態は、帰宅後から、痛み止めが、軽く効き出すまでが、今回の腰痛のピークになるんじゃないかな。腰を曲げるのが、ほとんど難しい状態、家内で歩くのも、ゆっくりとでないと歩けなかった。だから、とにかく最低限のこと、荷物を置いて、食べ物を用意して、お酒も、取り出せる場所にあるものしか飲めない、迂闊に床に落とすと拾えない、そんなで、ようやく、普段のポジションにつけた。よくぞ、家を改造しておいたことか! ホント、こういった状態を想定しての改造だったのだから、それが役立った。あとは、作業机の上のPCを、1日中、つけっぱなし。途中、お酒で、寝落ちも、その椅子に座ったまま。おかげで、不自由はなかった。某動画サイトで「ブラタモリ/山科編」、Youtubeで「米紫&吉の丞㊙ワールドニュース」の最新版を観て、あとは、Radikoで、「まーぶる」を2週間分を聴いた。望外の嬉しさは、「まーぶる」の先週分を聴けたこと。これは、聴取期限が終わってるだろうと思ってたからだ。Simカードの入れ替えも、自宅で。安心してできた。すっかり慣れているので、あっさりとできた。これだと、機内でもできるじゃないかとも思ったけれど、念には念をというやつで、自分の手のマヒを侮ってはいけないと、即座に、その考えは却下ですね。とにかく、寒い。帰る日などは、まだ、気温は低めだったけれど、やっぱ、熱帯とは違うというか、昨日の京都の気温、異様に低いよ。マレーシアでの体調不良は、結局、身体に柔軟性がなくなってるからだと、今は思ってる。そして、夕方、職場で、仕事の合間に、息子が電話をしてきてくれたのが、いつもに増して嬉しかった。体調不良の実際を、100%伝えてなかったため、帰りのバスが、フリーWi-Fiだったので、そこからメールで送っておいたこともあり、電話をくれた。メールで書いたことの繰り返しだったけど、声を出して、誰かに聞いてもらえるというのが、何よりの癒しだった。幸い、昨夜は、ベッドで熟睡できた。目が覚めると、腰が軽くなったような気がした。日にち薬かもしれない、ま、そうだろう。しかし、今回の旅行ほど、苦しんだのは珍しいね。これが、3年間のツケってやつですな。


2023年 5月 13日(土)午前 7時 58分

 昨日は、朝からお出かけの入っていた日。金曜日で、そういった予定というのは、アスニー京都での市民向け公開講演会。昨日は、予想通り、入りが多い。皆さんに人気の講師が出るということで、そういった事態。アスニー山科に、この講師の先生が出られうた折には、満員札止め、開演間近に来た人は、帰らねばならなかった。キャパが大きな会場のため、そこまでは行かなかったけれど、普段よりは出足は早い、入りは多いはという事態。その人気講師は、京都先端科学大学教授の山本淳子さん。お題は「“源氏物語”の登場~藤原道長と紫式部~」だった。来年の大河を見据えてのお題設定でしょうが、山本さんは、正に“源氏物語”の専門家。道長が、源氏物語の登場を後援したわけを追求しようというもの。これ、紫式部の創作じゃなかった。手本となる人間関係があった。それも、リアルに進行中の人間関係が映し出されていた。桐壷帝を挟んだ桐壷の更衣と弘毅殿の女御の関係は、時の一条天皇を挟んだ中宮定子と中宮彰子の関係にそっくりだというのだ。2人の女の身分、その低い身分の方に気を寄せる天皇、身分が高い方は、高いどころか、実力ナンバーワンという権力者。紫式部が「源氏物語」を書いたのは、中宮定子が、出産を機に亡くなり、失意の一条天皇を癒すために、清少納言が第2次「枕草子」(定子回想録というもの)を書いたあと。紫式部は、道長の息女である彰子に仕えていた。正に、目の前で起こったことを、物語に移し替えている。ただ、ライバル関係にあった彰子の父親道長は、定子の没後、怨霊体験から恐怖におののき、定子に批判的だった貴族層も最悪感に苛まれた。道長の兄弟は、感染症で、相次いで亡くなり、生き残った道長に権力が転がり込んだという話は聞いたことがある。それを妬んだ道長の兄の息子兄弟(=定子の兄と弟)が、無理な挙兵で流罪になったため、定子は出家。だけど、一条天皇の要請で定子と復縁。この過程を、貴族層は批判したと言う。一条天皇は、定子への追慕の気持ちがあるということで、定子の死の記憶が、時代の共有する記憶になったと言います。そういった背景を受け、鎮魂の物語を作れば、一条天皇の心を癒し、その天皇の悲しみの気持ちを理解できる若い后を育てることができるという考えが出てきたのではということでした。更に、中国の史実、それを伝える作品を連想させる表現が、「桐壷の巻」に出てくると紹介された。楊貴妃と玄宗皇帝の物語を扱った「長恨歌」を連想させる表現が出てくる。漢学者の娘である紫式部には朝飯前の技です。「長恨歌」には、世の乱れに繋がったラヴロマンスを批判的にとらえ、後世の教訓とするとしている考えがあるそうだ。それを、定子と一条天皇の関係にも適用しようとしているようだという見解。もう1つ、中国史上の女性を、定子は連想させる。后の身から、一旦、出家しておきながら、后に戻った、しかも、要請されて戻った女と言えば、この定子の出家話が出たときに気づいておかねばならなかった、そうです、則天武后。定子は「尤物(ゆうぶつ/世に災いを及ぼしかねない絶世の美女)」だとする考え方だ。しかも、中国からの連想、紫式部お得意の技です。紫式部は、ここまでのことに、更に、自分の人生を重ねた。まとめて、紫式部的手法を、次の4点とされた。①「枕草子」の定子回顧・美化に反対②文学に託して権力を諫めるという儒教的風諭(漢学者の父からの影響)③「源氏物語」の主題の1つである「後見なき女の悲劇」というリアズムが描かれている➃夫を亡くしたという紫式部自身の喪失体験から来る視点、愛という煩悩に捉われるという仏教的視点。道長の思惑と、紫式部の視点を、最後に、次のようにまとめられていました。自分のため・世のために、定子の魂を癒すとともに、息女彰子のために、一条天皇を振り向かせようとしていた道長、漢学の教養に準拠して、人生の浄化(カタルシス)を求めていた紫式部の視点が合体した、それが「源氏物語」の登場だとされたのですが、最後は、時間切れで終わってしまったので、メモを読んでも、判らないのが残念! 「源氏物語」が、これほど生々しいものとは、全く知らなかった。紫式部の全く空想の世界じゃなかったっていうことが、ようく判りました。
 終了後、ロビーに出ると、弟が立っていた。黄紺がいるはずということで待ち構えていたというわけだ。最近、アスニー京都では姿を見てなかったもので、来てるとは考えていなかったが、これも、講師効果のようでした。弟は、もう5年程、いや、もっと前だったか忘れたけれど、以前から、山本淳子さんがいいと言ってた。だから、飛んで来たのだと思います。弟は、毎度、自転車で来るものだから、ほんの僅かの立ち話だった。マレーシアに行く話は、既に言っていたので、ちょっとしたボヤキを聴いてもらった。帰宅後は、旅行前の最後の洗濯、この日に合わせて溜めておいた。多すぎても困るし、少なすぎても面倒だしと、いつも、旅行前に頭を捻る、最後の洗濯の日を。荷造りは、前日に、ある程度してあったが、それを完成。韓国旅行のときに使った小さなバックパック、お土産を入れるスペースあるだろうか? DとSにはTシャツを買うことで、何とか僅かなスペースで済むように考え、先日、2人のサイズを聴き、メモってある。バックパックに入らないときを想定して、布製のバックを入れてある。街歩きにも使えるので、最後は、これに入れようと考えている。毎度のこと、弟家族の土産も買うつもりなんでね。そんなことをしながら、今日、予定していたメトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観に行くことを断念する決断をした。黄紺がスケジュールを失念していて、「ファルスタッフ」を観れるのが今日だけだったのだけど、夕方には家を出て、前泊のホテルに移動しなきゃならない。今日は、夜に「ブラタモリ」の新作が出るから、それまでにホテルに入るか、終わってから自宅を出るかのどっちかだけど、できるなら、ホテルで観る方が楽だ。出発を翌日に控えているので、無理をする年齢ではないということで。だから、「ファルスタッフ」を観ること自体が、重くのしかかってきていた。ミヒャエル・フォッレのタイトルロールが観たい、聴きたいが一方であるから、余計にストレスが溜まっていた。でも、止めようかというアイデアが浮かんできたとき、一旦、浮かぶと、それに流れた。そして、いざ、決断をすると、ふっと肩の力が抜けたようになったので、自分的にはいい判断だったと思えている。時間に追い立てられないで動けるからでしょうね、ミスも減るだろうしと思うと、そういうラハトな気持ちになれたのだと思っています。韓国旅行は3人一緒だったけど、今度は、全く一人での海外、3年ぶりだからか、マレーシアは慣れているはずなのに、えらく緊張している。韓国旅行のときは、Dに対する責任感が重圧を生んでいた。今度は、3年間の空白は大きいと思うからなのか、緊張が出てきてしまっています。まるで、初めて、その国に行くようです。クアラルンプル入りだったら、ここまでの緊張はなかったろうにと思ってるのですが、でも、現地に着くと、ガラリと気分は高揚するとは期待しているのですがね。


2023年 5月 11日(木)午後 10時 41分

 今日は、かつての職場の同僚たちと巡検。黄紺を入れて、参加者は4名。常連の1人が、闘病中ということで、欠席。大事に至らなければいいのですが。以前の常連だった方、お一人は卒業ということらしい。そんなで4名。皆さん、大阪府内在住者、その人たちが京都に来てくれた。去年、別れるときには、奈良刑務所跡の見学ということが決まっていたが、その後、星野リゾートの管理下に入り、跡地見学はできなくなってしまった。たまたま、アスニー京都であった刑務所のあと、少年刑務所になっていたんだけど、そこでのボランティア活動をされた方のお話を聴いたときに、見学がダメになった、星野リゾートが押さえてしまってる、そんなことを聴いたので、その日の内に、お世話をしていただいている方に連絡。幸い、既に情報を掴んでいたようで、新たな行き先探しをしたなか、今日のお題を考えた人がいた。「祇園界隈散策」というのが、今年の巡検のテーマ。このお題を考えた人の話だと、大学が京都だったため、祇園界隈に来ないわけではなかったけれど、ゆっくり散策をしたこともなかったので、この際、やってみたかったと言っていた。そんなで、とってもべたな内容。大和大路を上がり、新橋通へ。辰巳大明神界隈では、外国人観光客のウォーキングツアーに出会ったり、男女のモデルさんを使い、なんかの撮影をプロの人たちがやってたりと、さすが、著名なスポット。黄紺的には、最近、岡崎から京阪電車への移動の際、この横にある巽橋を抜けることが多い。今日も、巽橋を渡り花見小路へ。今度は、南に下がり、一気に建仁寺入口まで南下。手前の祇園甲部歌舞練場横の八坂会館はホテルに変身中。歌舞練場の前で、そのことを、散々、ボヤいておりました。建て替えるわけではないので、そこまでぼやくかと思いながら聴いていました。建仁寺には入らないで、安井の金毘羅宮へ。久しぶりに行ってみたくて、黄紺が誘った。ところが、境内は、大変な人。「縁切り、良縁」を求めて、多くの人がやって来ては、絵馬に願い事を書いたり、何か、よく判らない抜け穴があったりと、驚いた。中には、ハングルで書いた絵馬まであったので、韓国語の堪能な1人が読んでくれた。その後、建仁寺境内に入ったけれど、屋内には入らず、しかも、宮川町の歌舞練場はなくなり、一帯は更地になってることを告げると、先へは進まず、引き返した。花見小路からの路地を回ることに。普段は、そんな面倒なことはしないから、これで、ようやく祇園情緒を味わえたかな。そして、目指したのは漢字ミュージアム。名前は知ってたけど、場所を知って、びっくり。あの場所、学校があったところだよね。すっかり衣替え。石ビルの隣です。石ビルには、カフェもレストランもなくなっていた。この漢字ミュージアム、とっても楽しめる。漢字の歴史、漢字辞典の歴史だけ、展示を読んでいても楽しい。2階の漢字で遊ぼう的な展示は、一層、楽しんだ。漢字の方言? 地方により、接する機会に違いのある漢字。家内の調度品を漢字で書けばとか、子どもも、大人も楽しめる内容になっていた。あとの3人が終わってるのに、黄紺だけ、しつこく観て回ってました。ここで、もう午後1時前だったので、食事となった。ググってみる、アジア・キッチン系の店があったが、狭すぎた。近くの韓国料理屋は、お仕事は夜のよう。ま、場所柄、夜に照準が合っている。珉珉は定休日、ググると出てきた挽肉と米のお店は満員。結局、四条京阪前の菊水に。普段は、高めだし入らないのだけど、もう仕方がなかった。でも、食べてみて感じたけれど、コスパ、いいんじゃないかな? 自分のイメージが変わったな。これだと、DやSを連れてでも入れそうという感じ。覚えておこう。ここで、気が付くと3時過ぎまで、喋ってた。1年ぶりだから、仕方ありません。昔は、毎日、顔を突き合わせていたのだから。1年後の企画は黄紺が引き受けた。まだ、1年先だから、ゆっくりと考えます。
 解散後、帰宅途中で散髪。「暑いところへ行くので、多めにすかして下さい」と言うと、「どちらへ?」、マレーシアと答えると、ずっと、同業者で、仕事を切り上げてマレーシアへ移住した人の話を聴かされた。マレーシアは、そういった人の行く国としては一番人気とは聞くけれど、具体的には初めてのこと。これはこれで、おもろかった。散髪屋の親父、ツボにはまると、よく喋る。以前は、近所の眼医者の話題で盛り上がったことがあった。ツボにはまらなければ、全然、喋らないんだけど、はまると止めどがない。いいことです。帰宅後は、荷物の用意をした。明日にするつもりだったけれど、中途半端な時間だったもので、やっちゃおうの気になってしまった。これで、楽になった。simカードの入れ替え練習が、できるようになったかな?


2023年 5月 11日(木)午前 7時 41分

 昨日は、午後にお出かけを入れてあった。その前にやっておかねばならないことがあった。マレーシア旅行の航空機のチェックイン手続き。14日前からできるとは、全く知らなかったのだけど、事前に、オンライン・チェックインが可能かを調べて判った。それが、どうやらアプリをダウンロードしてするのが良かろうとの判断。スマホのPC画面を使い試みても、かなりできそうな感じがしたけれど、今から考えると、自分が上手くできなかっただけかなとは思うが、上手くいきそうでないと考え、ネット上に出ている当該航空会社のチェックインに関する記事を読み、アプリをダウンロードしてから、それを使ってするのが順当そうと思った。でも、上手くいかなかった。1つには、一昨日、登録を済ませていたのを忘れてしまっていたために起こったトラブルで時間を取られたこともあるが、新たな登録をし直しても、前へと進まなかった。予約している航空機が出てこないものだから、予約番号を間違ってるのかと思い、それらしい数字&記号を順に入れていったら、アクセス過多で門を閉ざされてしまった。その内の最初に使った数字&記号が合ってたはずなのに反応しなかった。ここで、かなり困ってしまった。そこで、頼るのはPC。一昨日、PC画面で上手くいかなかったのは、スマホを使いPC画面を見ていたという可能性があると思った。だから、PCを使いPC画面を出してみた。ログインも何も関係なかった。幾つかある数字&記号で、一番可能性が高いと見ていたものを入れ、名前を入れただけで、反応。あっさりと、できてしまった。今の今まで四苦八苦してたのは、一体、何だったのだろうか、またしても、入口に辿り着くのに苦労して、辿り着いたら、あっさりと完了のパターン。いつも使ってるメルアドにきっちりと、搭乗券も送られてきてたしね。そうだよ、航空会社からスケジュール変更で、そのメールアドレスに連絡が来てたじゃないか、旅行社から回っているとしか考えられないのだけど、それで、スムーズに動いているのに、何をバタバタしてるのか! ホント、入口に立つのが分らん。幾つか入口があり、ものにより入口が違うものだから、どの順番で、その入口を回って行くかで、結果が変わってくるので、こちらのストレスの溜まり方が違ってくる。帰りの飛行機のチェックイン手続きまでできちゃった。搭乗券も、手元にある。何で、アプリどうのこうのになったのか、どうやら、これは勘なんだけど、今回使う航空会社が、国により対応が違うのじゃないかと思っている。他の国では、アプリでするのがスタンダードだけど、日本はそうじゃない、そのようだと思っている。Grabも、そないな噂があるので、アプリをダウンロードしてあるが、どうも動きが変なので、そうじゃないかと疑い出しています。周りに情報交換できる人がいればいいんだけど、いないしね。こういった旅行に関心のある人がいても、今まで、与えることはあっても、ま、もらうことはなかったな。コロナ禍前に、よく行ってたトルコ、韓国、ドイツ、トルコは、かつて、トルコ友だちと、よく情報交換し合ったものだけど、韓国とドイツは、完全に黄紺オリジナルだもんね。与えるばっかです。
 昨日の午後は、「佐竹裕介先生の音楽講座」というイベントに行った。以前に、1度、行っているので2回目となる。全4回シリーズで、生演奏を交えながら、音楽史を教えていただけるもの。会場は、旧烏丸車庫跡の京都北文化会館。佐竹さんは、京都在住のピアニスト、京都市響にも籍を置かれているはず。だからでしょうね、演奏も、京都市響のメンバーである田村安祐美(ヴァイオリン)と神吉正(コントラバス)のお二人の出演となっています。田村さんは、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を聴きに行ったことのある方ですから、贅沢なイベントと言えます。今回のテーマは「ベートーヴェンは何を考えたのか/卵が割れた瞬間」。主役は、ずばりベートーヴェン。楽譜研究も変わるのはベートーヴェンからだという話を聴いたことがあるけど、大きな節目となった、そのわけを解説していただけました。冒頭、前回の復習。「神は偉大だと思っていた時代」という表現を使っておられた。伝統の中で、形式を尊重した中で独自性を発揮した時代。その特徴として、①時間による緊張と弛緩②音の高い低い③中心音の存在、これらが美しい音楽を作る要素だった。それに対して、ベートーヴェンは「オレは偉大」と主張し始めた。「人間の意志」を音楽で表現し始めたと言われていた。新しい点は、次の4つ。①とにかく伝統を破る②人工的に音楽を組み立てる③和声機能を大げさにする④演奏効果の解放。①に関しては、「破ることそのものが目的だった」とまで言われていた。だからか、楽譜に、やたら書き込んでいる。作曲意図、過程がクリアになる。これは、楽譜研究の講演で聴いたこと。②の手法としては、「動機労作/動機に分解して巨大な構造物を作り上げる」「最小単位の素材(動機)から“人為的に”巨大化構造物を作り上げた」「陥没楽句/突如“障害”として現れる異質の要素、人間の意志を表現しやすい」という点を上げておられた。③では、「T トニック(弛緩、安定)」「D ドミナント(緊張、不安定、解決したい欲求)「S サブドミナント(やや不安定)」といった和声の3つの機能を、大げさに引き伸ばすなどの手法を使った。ここでも「意志」が顔を出す。④として、具体的に、次の諸点を上げられていた。「極端な音量の差・広い領域(ピアノの進化に対応している話はよく言われる!)」「演奏者の名人芸(特にピアノ)(スポーツ的要素とまで言われていた)」「いびつなリズムをしつこく繰り返す、聴き手にストレスを与える」「同音連打のモチーフが多い」「短調の曲が多い/長三和音に比べて短三和音の方が不調和感を感じさせる」。こういったことで、ベートーヴェンで個の主張が生まれ、音楽は芸術になった。これ以後、作曲家には個性が求められ、百花繚乱の景色が生まれて行く。それがロマン派の音楽、そして、20世紀と入って行き、最早、個性も消費尽くされた感まで出てきてしまっている。個性の時代が幕を開けたが、ベートーヴェンが西洋音楽の寿命を縮めたとまでの評価も。確かに! こういったお話の最後に、3番のシンフォニー(英雄)の第1楽章を流し、スライドでは、次から次へと変化していくベートーヴェンの主張を出していくという、素晴らしいことをしていただけた。「ここで〇〇調に変わった!」「陥没楽句が現れた」という調子で、めっちゃ、おもしろかった。確かに、転調の仕方で、雰囲気がごろッと変わるのが判るし、ハ長調っていうのが、とっても安定感、安らぎを与える、でも、つまらない感も出るとかが、よく判った。そして、後半は生演奏。次のようなラインナップでした。「ハイドン:ピアノ・トリオハ長調Hob.XV:21より第3楽章Finale(Presto)」「ベートーヴェン:ピアノ・トリオ第2番Op.1-2より第4楽章Finale(Presto)」「ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番“春”Op.24より第1楽章」「ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番“クロイツェル”Op.47より第1楽章」「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番Op.110より第3楽章」「ベートーヴェン:6つのバガテルOp.126より1曲」。
 帰りは、二条駅に歩くか三条駅に歩くか迷った結果、ググって1時間を超えなかった三条駅を選択。珍しく、鴨川を北大路から右岸を歩いた。夕方だから日陰になるものだから、左岸に比べると、圧倒的に右岸の方が多い。見える風景も異なるので、たまには右岸もいいね。御池通まで行き、困った。迂回しなければ上へと上がれなかった。二条通で上がっておかなければならないこと、覚えてられるかな?


2023年 5月 9日(火)午後 10時 1分

 今日は、マレーシア旅行前最後のゆっくりとした一日。Radikoの世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴きながら、最後の準備をした。ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけが外出時間というのは、昨日と同じ。そんなことをしながら、やっぱ、3年間のブランクは大きいと思ってしまっている。体力的な衰えを、最も心配していたが、これが、今のところ、そうではなさそうと思っている。ただ、熱帯の暑い気候に接すると、その心配していたことが噴き出すことも予想できなくはないけど、行く前は、思ったほどくたびれてないなの実感。出発が迫り、テンションが上がってきているため、身体の不調を感じにくくなってるのかもしれないけどね。そんなことより、すっかり感覚がずれてしまってる。つい2日程前に、ウォーキングをしながら、大事な郵便物が、旅行期間中に来ればどうしようと思い出した。ある封書が届いたため、そういったことを気にし出した。もう、それだけで変なんだけど、郵便受けを片付けて行った方が、人の出入りが減るので安全かなぁなんてことを考えてる。すると、そんなときに、大事な郵便物なんかが来ればどうすればいいんだろうか、こんな風に考えて、あれれ、これって、今まで、どうしてたのだろうかと考えて、ようやく、ブランクが埋まった。ボケが進んだだけかもしれないけど、今までだと、1ヶ月程前から、郵便物の一時的な配達停止願を出しに行くタイミングを図っているのが、そんなこと、すっかり失念してしまってた。慌てて、出かけて行った。これで、安心だが、ちょっと大事めの封書が来たら、等閑になったままかと思うと、すっかり蒼くなってしまってました。それとは次元の違う話だが、完全にスマホ中心で動いているのが、鬱陶しくて仕方がない。先日来、simカード問題で四八苦したが、simカードを使うということは、スマホを使いこなさねばならないということだけど、黄紺的には、普段だと、メールの確認をしたり、ウォーキングのときの休憩時間を利用して、噺家さんのTwitterをチェックするくらい。あとは、グーグルマップのお世話になり街歩きをするくらいが、スマホを使うってこと。ところが、いざ海外旅行となると、スマホがないとやってられない。韓国旅行のときは、出入国に、随分と振り回され、それで覚えたのは、同じことを、どうしてもPCを使ってやろうとしてしまうんだけど、世の中は、スマホ仕様で動いている。だから、同じことを、PCですると思い通りに動くとは限らないということ。黄紺は、手先にマヒがあるものだから、スマホは、できるだけ使いたくない。同じ事ならPCでやってしまおうとするが、あくまでも基本はスマホでという考え方で、世間は動いてるってことが嫌でならない。マレーシア鉄道のチケットの手配は、PCでいけた。simカード問題で困ったはずなのに、まだ拘っていた。次に、長距離バスのチケットを取ろうとしたが、失敗。原因は不明だけど、勝手に、スマホを使えということだろうということで、アプリをダウンロードして取ると、成功。でも、その取れたという画面がチケットなのか、それが、チケットの引換券なのか、不明確。予想では後者のよう。このどっちだろうというのは、ドイツで、オンライン・チケットが普及していく過程で経験してる。マレーシアでは、経験がないから判らないのだ。旅系Youtuberの無職旅氏が、丁度、マレーシア旅行(ほとんどがペナン)の動画を、昨日だか、最終回をアップした。それを観ていて、航空機へのチェックインをオンラインでしたと言ってたので、ここで、また、同じだ、黄紺の乗る航空会社のオンライン・チェックインをチェックしておかないといけないこと、失念していたことに気が付いた。そんなこと、この時期になればやってたはずと、己に突っ込んでも仕方がないけど、慌てて、チェックに入ると、良かったぁ、、、。コロナ禍で、黄紺の乗る航空会社は、オンライン・チェックインを基本としていた。空港で対面でしようとすると、手数料を取ると書かれてあった。そういえば、そういった航空会社があるって情報、なんかで読んだ記憶が蘇って来たけれど、それが、今回の航空会社も含んでたのだった。そこで、詳細を見ておこうと、ネット上で該当航空会社のチェックインに関する記事を探すと、やはり、書いていた、この件を。しかも、その方法として、アプリのダウンロードを推奨していた。となると、また、スマホでやれということかと、がっくり。推奨している場合は、スマホを使うに限ると、今や黄紺の頭にはインプットされてる。記事には14日前からチェックインを受け付けてるとなってた、えらいこっちゃ、もうじき出発やでと慌てたのだけど、まだ、やってない。ついでに、帰路のチェックインまでできそうな時期に来ているちゅうねんと、またぞろ、自分に突っ込んでいます。なんか、旅を心待ちにするというのじゃなくって、ストレスが溜まることばっかが出てくる。それが続くと、慣れてると思ってるマレーシア旅行が、不安いっぱいになってくるよ、やだよ、それ!
 今日の「まーぶる」は、いい感じじゃなかった。なんでだか、気がつかなかったんだけど、梶原さんが、地雷を踏んじゃったみたい。この「地雷」って表現が当たったかのように、二葉の不機嫌さが、しばし際立った。それが長引くものだから、聴いていて、いい感じがしなかったというわけだ。まともなやり取りになるはずのところでも、要らぬ突っかかりをしてた。せっかく、「探偵」で、変な、でも、笑えるシーンを見せたところなのに、何たるさんたるちーやという印象だった。二葉を見始めて、こんなに感じが良くなかったのは、お初ですな。


2023年 5月 8日(月)午後 9時 17分

 GWが終わり、急に気温が下がった。もう、つけることはなかろうと思っていた電気ストーブがないと、屋内ではじっとしてられない。どうも、気温の変化が大きすぎる。マレーシア旅行前なもので、体調には敏感になっている。夕方、右耳の聴こえが悪くなり、数年前のトルコ旅行を思い出した。中耳炎になり、耳の聴こえが悪いまま、トルコへ行った。自分の話している言葉もボーっとしているのに、トルコ語が聴き取れるわけがない。トルコ入りの序盤はリハビリ期間が必要なのに、そういった助けにもならない始末。いつものような会話ができるようになったのは、ホント、旅行も終盤に入ってからだった。どうして、こうも外国へ行こうかというときに、耳が悪くなるのか。大丈夫やろか? 一方、今日は、雨も上がったので、いい洗濯日和だった。気温が低い分、風があったので、乾くのには問題はなかった。そんなで、お出かけも控えることにしているので、今日の外出は、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけ。今日は、いつも買ってるインスタントコーヒーが、いつものお店で手に入らないものだから、普段行かないマートまで買い出しをするためのコースを採用。と言っても、コース的には、マイナーチェンジに留まるのだけど。狙い通り、そのマートで買うことができました。ラッキー!
 午後の一時は、音声配信をしている「桂あさ吉内弟子日記」を、数回分、聴いた。溜まってしまっていたのを、ようやく、最新回の配信分まで聴くことができた。あさ吉が、米朝宅で住み込みでの修行をしていたときにつけていた日記を読むだけの配信なんだけど、貴重な、内輪からの証言ともなるので、もう100回以上にもなっているが、全部聴いている。3年間の修行の最後の1年に、既に入っている。吉弥が、もう一緒に修行に入っている時代となっている。これを聴きながら、マレーシア旅行の資料作りをした。もう終わりかなと思っていたら、保存したつもりになっていた都市のものが見当たらない。どうやら、狙いを定めただけで、「保存作業は今度」と、そこで止めてしまったようだった。作った上で消すということはないだろうから、そう判断した。ということは、作らねばならない。そんなことをしていると、いいものを見つけた。クアラルンプルで気になっていたスポットが「リトルインディア」として紹介されていたのだ。20年以上前に、マスジッド・ジャメから歩いて行けるところのインド人街は、整備されてしまい、光物を売る地域に変貌し、店名にだけと言っていいほど、インドを知るということが減った。少しだけ残った屋台とインド食のレストランくらいかなになってしまったのだけど、空港バスがセントラル駅に近づいてくる辺りが、どうもインドの匂いがしてならなかった。バスの窓から見ると、そのように見えたので、1度、行かねばと考えながら等閑になってたところ。そこを、「リトルインディア」として紹介するものを見つけたのだ。これは、有難かった。これを見なきゃ、自分が気にしていたことすら忘れてしまっていた。幸い、セントラル駅の脇だから行きやすい。早速、メモを作った。今回のマレーシアが、恐らく、最後のマレーシアだろうと思うので、特に観たいものがあったわけではなかったクアラルンプルを、コースに組み込んだのだったが、単なるノスタルジック・ジャーニーにはならない、大事なポイントができました。知らない内に、めっちゃインスタ映えするポイントもできてるようで、それもメモっておきました。明日、もう一度、漏れがないか確かめて、それらを印刷して持って行きます。明日が、こういったことをする時間が取れる最終日になるので、というのは、そのあとは、お出かけ予定があるので、そんなことを、ゆっくりとできないものだから。


2023年 5月 7日(日)午後 8時 45分

 今日は雨の一日。GW期間の天気予報が、見事に当たった。最初と最後が雨だとの予報だった。この2日間だけは、予め予定を入れていた。最初がコンサートで、今日が落語会だった。ともに、チケットを買ってあったり、予約を入れてあったりした。今日の落語会は、西陣寄席スペースの会。西陣の古い商家を使っての会。初回の智丸の会にだけ行ったことがある。ネットで調べてみると、2回目が二葉の会、3回目が天吾と希遊の会。初回のもう1つは、九ノ一の会だったから、とっても、上方の若手からのセレクトとしては優れもので、共感できるもの。初回に行ったときは、運営に関わっている弥太郎も会場にいたけれど、今日はいなかった。ノウハウができたから、弥太郎は撤退したのか? 聴いてみたかったけれど、ちょっと、そんな雰囲気じゃなかった。スタッフの方たち、元気に動いておられたけれど、落語界に詳しそうな人たちには見えなかったから、止めた。弥太郎のTwitterで点検したけど、この会のことは、一言も呟いていない。初回のときは、地ビールなんかが販売されていて、そういう関係のお店を利用されたようだったけれど、今回は、染織関係のお店、染めることがお仕事だったようで、トイレを借りるときに通った座敷に、その関係と思しきものが置かれていた。主催者が、米二の落語会のお世話を、よくされていた方と、ラジオで、二葉が言ってたので、好メンバーが揃ってるのじゃないかな? よく解かっておられる方なんでしょう。今日は二部制で、二豆と源太の会だったので、これまたレベルが高い。ただ、今日の二人だと、迷うことなく二豆を選んだ。考えてみると、ともに関学の出身だ。源太は落研、二豆は古典芸能研と違うのがおもしろい。どうしても、源太は、落研癖が抜け切れてないというマイナス部分があることと、二豆には、1ヶ月前に不義理(発熱のためドタキャン)をしていることもありで、「迷うことなく」選んだというわけだ。全く1人で3席、ネタも増やし続けている二豆のことだから、何が出るか楽しみだった。そのラインナップは、次のようになった。「牛ほめ」「五光」「悋気の独楽」。とにかく、このキャリアで、マクラに変化をつけて喋れるというのは大きい。それだけ、いろんなことに興味があり、知識も豊富だということなんでしょう。そこへ来て、二葉ネタを振れるというのは、大きい。弟弟子の特権ですな。誰もが知るようになってしまったからこそ、できるようになった二葉ネタ。「最近は探偵もやってます」で、ドッと、客席は来るのですから。TVの力は恐ろしい。ここで、初探偵で、二葉が「生尻の匂いを嗅いだ」ことまでは触れない。これが上手い! いいセンスしている。あくまでも、話題の1つの借用で、自分が主人公だというスタンスを維持する姿勢というか、感性が気に入った。「牛ほめ」は、去年の黒谷さんの会で聴いている。聴いたことのないフレーズが入り、色めき立った「牛ほめ」だったが、その後、米二の「牛ほめ」を聴いたときには入らなかったので、二豆オリジナルだったようだけど、それを確認したかったのに、その辺で、軽く居眠りをしてしまってた。絶好の確認の機会を、自ら潰すという情けないこと、やっちゃいました。「五光」は珍品だ。黄紺も、生では文我で、1回聴いただけじゃないかな? 自信ないけど。でも、あと演じ手というと、米平くらいしか知らないもん。だから、ネタが始まっても、何のネタか、なかなか判らなかったほど。「悋気の独楽」の前で、このネタを振り返り、花札自体を、若い人たちは知らないだろうから、「五光」というネタが判らないだろうという話をして、初めて、「五光」のマクラで、語源のトピックを振ったわけが判明した。そういった意識で、「ポン酢」「すだち」の語源ネタを振ったんだ! 二豆の頭の中に入るのが、とってもスリリングだ! 天吾の、ちょっとした哲学的なマクラと言い、米朝一門の若手、楽しみな人たちです。二豆が「五光」を持っていることすら知らなかったものだから、何から何まで新鮮だった。「悋気の独楽」の方は、年季明けすぐに持ちネタにしていた記憶。師匠の米二はしないので、誰からもらったのか、ずっと気になってるのだが、未だに判っていない。やっぱ、古いネタだからでしょうか、それとも、ネタとの相性の問題なのでしょうか、二豆の昔の口演で気になっていたもっちゃり口調が復活してました。だから、艶っぽいところは微塵もなしだったけど、そういった噺にしたけりゃ、それはそれで追及してほしいのだけど、そんななか、二豆スペシャルが出ました。2回目の独楽回しのとき、またしても、旦さんの独楽はお手掛けさんの独楽に当たります、途端に「嫌い!」という台詞が入るのは定番。でも、二豆は、それに続いて「好き!」を入れたのです。これはお初だけど、これは、考え違いですね。「嫌い!」に「好き」を込めないと、あかん。言葉化すると、これは野暮ってやつです。言いたいことは解るけど、でも、台無しになっちゃうよ、それじゃ。終演後、Twitter用のお写真が撮られました。帰宅後、Twitterを観たんだけど、うまい具合に顔出ししてなかった。二豆の口演中も撮影されていたようで、隣の人は映ってるけど、黄紺はセーフだった。映ろうと立ち上がる人多数のなか、隠れ遊びには顔出しは不要ですな。
 今日、実は、大きな失態をした日でもあった。だって、曜日の感覚をなくしていたため、今日が日曜日だということを失念していて、「No Life, No Art」「日曜美術館」を見落としたのだ。NHKの番組表を見て、将棋の番組があることを知って、初めて、今日が日曜日だと知った次第。あかんね、ボケちゃってるわ。


2023年 5月 6日(土)午後 9時 57分

 GWは続く、今日は土曜日という感覚が吹っ飛んでいる。「ブラタモリ」の新作も流れないので、益々、その意識はない。替りに、昼ご飯を食べながら、某動画サイトにアップされていた「下北沢編」の半ば過ぎまでを観た。スズナリや本多劇場は映ったけれど、駅前劇場は健在なんだろうか? 駅前の風景が、駅が地下に潜る前の写真と比べると変わっているので、気になってしまった。生で観たときは気づかなかった点。そして、前に観たときも不自然に感じたことの確認ができた。タモリは、下北沢に住んだ経験がありながら、冒頭では30年ぶりに来たとか言ってる。ということは、住んでたのは30年前? それにすると、最後に映る再開の画像を、どのように理解したらいいのか、困惑。でも、また、どの劇場でもいいから、あの界隈で、また、芝居、観たいね。
 今日は、午後にお出かけを入れた。しかも、行き先は大阪市内。先月、繁昌亭に行ったから、ちょっと免疫ができており、これだけは行きたいと思ったら、即決だった。4~7日の内ということで、今日を選んだ。とにかく、旅行関係にメドを立てたかったので、今日にした。明日は、予定が入ってるから、今日行かないと、行けない。最初は、午前中に行こうかとも思ったけれど、午前中は、普通にウォーキングをして、早めにお昼を食べて出かけることにした。行き先はツギハギ荘。もちろん、コロナ禍以後、初だ。不安が的中、川べりから曲がるポイントが判らなかった。最後は、ググる始末。1筋間違っていました。表には、ラクゴリラのメンバーから送られた新装開店ばりの飾り物が立て替えてあったので、角を曲がると、すぐに判ったけれど、その角まで行くのに困ってたというわけだ。それと、SNSで、何度か見返る、今回の展示用のイラストが貼りだされてあった。黄紺の前に入る人もいた、中からは声がする、その1人は二葉の声だった。もう中に入った途端、作品に出あう。そう「豊田チラシバザール」に行ったのでした。三味線の豊田公美子さんは、もう1つの顔を持っている。今、上方落語の会の7割のチラシの制作をしているという顔を持っている人であることは、黄紺も承知していたけれど、7割と、今回聞いて、ホント、驚いた。その作品を、このツギハギ荘を借りて展示するというので、行きたかったのでした。2階は、普段、落語会があるスペースばかりか、楽屋に使われている部屋1つにも、廊下にも階段にも、鴨居からもぶら下がっていた。1000点などという恐ろしい数字が、この間、噺家さんのSNSに踊っている。それだけのチラシを観ることができるということでもある。古いのは、米朝、枝雀、吉朝のチラシからあった。1階の土間に、豊田さんからのメッセージがあった。知らないことも書かれてあった。元々、米朝事務所でバイトをしているとき、チラシを作らしてもらったのがきっかけだそうだ。その時期が、大川貴子さんに入門した時期に重なるとか。「む雀発見」のチラシがあったので、「この頃から作られてたって、知りませんでした」と、傍におられた豊田さんに、思わず、お声をかけてしまいました。やはり、この十年余の作品が多いので、目にしたものが多い。それらを観ていると、豊田さんの作品は、決まったパターンがないことに驚かされる。フォントを工夫、イラストを入れるかと思うと、写真やイラストなしの文字だけだったり、写真のレイアウトも型に収まっていない。そして、会の雰囲気に合わせた色使い、レイアウト、文字の配置と、自由自在。だから、いろんな噺家さんからの注文が来るのでしょうね。襲名披露ものがあるかと思うと、「ビバ、佐ん吉」のように、年季明けすぐの噺家さんに合わせたポップなものもある。ベテランの噺家さんの雰囲気を表す、重厚なものもある。アトランダムに展示されている中で、2階の普段楽屋となるスペースでは、同じ会のチラシばかり集めるという趣向も見せておられた。歌之助の「長寿の会」、「米紫の会」が目を引く。「長寿の会」は、一貫して、歌之助の顔に白髭を生やさせるというイラストを付けているということで、バックも、イラスト調で、毎回統一。米紫の方は、米紫の格好つけたポーズで毎回統一しているということで、一挙に並ぶと、とっても見ごたえのある展示になってました。2階のキッチンを使い、九ノ一がチャイ屋をやってたけど、どうも、落語家さんと親しくなりたい落語ファン氏(誰か判明しました、そのとき撮ってた写真をSNSで見かけたので)が、二葉も含めて、取り巻いていました。こういったことをするのが好きな人もいるってことも事実ですね、前から。結構、観に来る人が絶えなかったですね、それだけでも、凄いことですね。
 今日の目的を達成させ、さっさと帰らず、そのあと、先月の繫昌亭昼席後にできなかったことをした。あの日は、結構な雨だったもので、定番の千林までのウォーキングを断念したのだった。そこで、今日は敢行。これも3年ぶり。終盤のコースは、芸術創造館で芝居を観たときに歩いたんだけど、それはごく一部だったけど、今日はフルヴァージョン。心配だったのは、コースを覚えているかだった。グーグルマップのお世話にならないで歩き通せるか? 最後の最後で失敗。ゴールはスーパー玉出千林大宮店にしてるんだけど、ホント、最後にきて間違った。判らなくなり、グーグルマップのお世話になってしまいました。しかし、スーパー玉出、閑古鳥が鳴いてたね。あんな値段つけてて、売れるんだろうかと、客が来るんだろうかと思ってしまいました。昔とは違ったな、恐るべし、コロナです。


2023年 5月 5日(金)午後 9時 42分

 GWが続いている。黄紺的には、出かける場所がなくなって困っているが、丁度、マレーシア旅行前だから、いい。予定表には、幾つか書入れはあるのだけど、別に、他の日に回してもいいものばかりだから、実行には移せないまま。従って、外出は、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけ。その内の1回は、布のナップサックが売ってないか、心当たりの店を、2ヶ所、コースに組み込んだけど、ダメだった。エアアジアで、マレーシアに行くものだから、荷物を持って行けない。先日の広島旅行と同じリュックを担いでいくつもりなもので、嵩張るものを中に入れることができないものだから、詰め込むことが容易い布製品を探すことになったのだけど、ダメだった。普段使ってる肩掛けカバンならあるんだけどね、布製で。こっちは、簡単に売ってるけどね。そんなで、また探してみます。
 今日も、午後の一時は、マレーシア旅行の準備。ちょっと細かに調べ出して、今まで、よく判ってなかったことが判ってきた。前回、タイピンに行ったとき、ほぼ街の中心部に、池を囲んだ感じのいい公園があった。そこは、かつての錫鉱山の跡地だということだった。掘り尽くして、その跡地に水が溜まった。それが公園の中核をなす池だった。それがだ、タイピンはイポーより西北方向だけど、イポーの南部に凄まじい数あることを知ったのだ。グーグルマップで見て、ホント、驚いた。イポー界隈で地方の小ぶりの町はないだろうかと、そんなたわいのないことを考えて、グーグルマップを見ていた。すると、池だらけ。ベルリン界隈も、地図を見ると、似たような感じだが、あちらは氷河湖、それよりか、細かく水たまりがある。数が凄い。錫鉱山に掻き集められたのは華人だから、イポーやタイピンは華人の街だということは、以前、行ってるので判ってたつもりだけど、それと符合して、もっと周辺の地形に目をやらねばならなかったのだ。それを、今頃になってやることで判ってきた。移動手段としての鉄道を押さえてしまってるので、今更変更がしにくいのだけど、せめて、そういった町に行けないだろうかと、思案中。マレーシア旅行っていうのは、多分、今回が最後だから、なんか心残りだなぁ、そんなことを思いながら、作った資料の、ひとまずの印刷までやっちゃいました。そんなことをしていて、アロースターのホテルに、到着時間を知らせなきゃならないのを思い出した。すっかり抜かしてました。マレーシアでは、珍しいことですね、これって。四六時中、ホテルには、人がいるわけではないと、予め連絡があった。しかも、日本語も添えて。この辺が、アジアだね。ホテルに、常時、人がいるわけではないというのは、ヨーロッパあるある話だから、驚きはしないけれど、アジアでは、そうはないというか、黄紺的には初めてじゃないかな? 第一、事前に予約を入れるっていうこと自体なかった。でも、コロナ禍を経て、これだけ、ネット社会になったわけだから、予約サイトのお世話にならないと、変に看られないかと思うので、せっせと予約を入れました。同じ、予約を入れるのなら、直前の方が安いかなとは思うのだけど、そろそろ、そういった旅行は卒業だねと、生意気なことも考えてしまっています。第一、今回、関空近くで前拍までするんだから。航空券買ったときは、関空で寝るつもりだったんだけど、己の年齢、考えてしまいました。


2023年 5月 4日(木)午後 10時 28分

 昨夜、家に帰ってから、また呑んだ。Ⅾの卒園祝いのときもそうだったけど、息子一家と食事をして、お酒も吞んで帰ってくると、気分がいいものだから、気が緩むというか、大きくなってと言う方が正解なんだけど、そんなで、また呑んでしまう。昨日は、酎ハイのロング缶を、1本開けたけど、飲んでる最中に寝落ち。何をしてたのか、思い出せない。ヒュリエット紙をチェックしながらだったのか、何かYoutubeで動画でも見てたのか、全然、覚えていない。2時間ほど、座ったまま寝てたようだった。気が付くと、目の前にある缶酎ハイが重い。それだけ残っていたのだ。すぐに横になると、これが勿体ないと思ってしまい、椅子に座り込んで、吞みだした。また、気が大きくなり、酎ハイの残りだけだと物足りなくなった。コップを持ち出し、今度は、日本酒を呑んだ。だから、昨夜は、イスタンブル・サライでビールとラク、家で、酎ハイと日本酒を呑んだことになる。夜中、呑みながら何をしてたんだろうか? よく覚えていない。別に、朝起きて、酒が残ってるわけじゃないけど、普段と比べると、3倍くらいの量を呑んでしまったかもしれない。そのため、朝の起床時間は8時頃だったかな。いつもなら、朝6時を待って、CNNトルコのチェックをしているから、2時間の遅れ、しかも、「GUNLUK」も書いてないうえ、昨夜はトルコ杯の準決勝1試合があったから、そのチェックも要る。遅れたうえ、いつもより、トルコに関するチェック量が多かったため、これが、午後の一時を圧迫。ほぼなくなったけれど、どうしても、やっておきたかったこと、さっさとやれよと、自分に突っ込んでたから、やっておきたかった。Simカード関係の最後の詰め。既に、スマホのsimフリー状態にできているのは、こちらに書いたけど、アマゾン屋さんで買ったマレーシア用のsimカードをアクティヴにしておかねばならないのだ。買ったsimカードの袋の中に入っていた小さな紙きれに、そのURLが書かれていた。ただ、ずっと不安だった。自分の買ったsimカードを特定する数字なり何なりが判ってなかったため、できるんだろうかという不安があった。だから、「さっさとしろよ」と、自分に突っ込みを入れていたのだ。でも、そんな不安は、呆気なく解決。URLを打ち込み、現れた画面に、「あなたのカードの数字を打ち込んでください」と書いたところに「カードの裏にある」と書かれてあった。小さいので気づいてなかっただけだった。黄紺の目では読めないほど小さい。スマホで写真に撮り、それを大きくして、ようやく読めた。それと、アマゾン屋さんで買ったときの「注文番号」がシフレ替りになっていた。あとは、使用開始日の日付を打ち込めばおしまいだった。これで、使えるはず。今日、何かしたって書き留めるのは、これだけだな。それだけ、何もしてない。一つには、昨日の楽しかった時間を思い出してたからだと思います。
 夕方に、昨日、撮った写真からピックアップして、6枚の写真を、息子に送った。折り返し、今度は、Dの撮った写真が送られてきた。とにかく、Dは、ずっと、カメラとPiTaPaを大事にしていた。撮りたくて仕方がない、使いたくて仕方がないという感じだった。ズームの使い方を、黄紺にレクチャーまでしてくれた。釜山で撮った写真は屈託のないものだったけど、今や、誰が撮ったと言わなければ、小学校1年生が撮ったとは思えないものになっている。送ってくれた写真で、えらく気に入ったものがあった。パパとママを撮った写真。足元が切れてるのが惜しいのか、だからいい感じなのかは判らないんだけど、これがいいんだなぁ、息子に写真を撮られて、軽く照れてる感じが出てて。電車を撮ったのもあったけれど、的を外さず、考えて撮っている。こりゃ、カメラをプレゼントして、大正解だったなと、一人で悦に入っています。


2023年 5月 4日(木)午前 9時 52分

 昨日は、息子一家と出かけることになった一日。GWに、DやSと遊びたいとメールを送ったら、昨日になった。乗り物好きの2人のために、いろいろと一家で出かけているということで、「こんなんどう?」とメールを送ると、採用となった。京阪三条駅集合、京阪京津線に乗り浜大津へ、この路線は、以前、Dと一緒に乗っている。坂を上り下りるスリリングな路線で、Dは、よく覚えていた。浜大津からは坂本へ。この路線際にある三井寺方向に行くときは、最近は、JR大津駅からウォーキングがてら歩いているので、この路線に乗るのは、ん十年ぶり。坂本駅界隈のカフェで昼食。グーグルマップで見つけて行ってみたくなっていたお店、大正解。ケーブル駅までが、とってもいい風情だったのは覚えていた。ちょっと距離があるけど、それを楽しめるのがいいですな、この界隈。丁度、バスが着いたところで、思わぬ長い列に並ばねばならなかったけれど、1回で乗車できた。日本最長のケーブルカー路線。背後に琵琶湖が見えるけど、大混雑の車内のため、Dは見えなかったみたい。Sは荷台のようなところに座って笑顔いっぱい。山頂駅から徒歩5分ほどで延暦寺入口、入場料1000円で断念、時間的には、この断念が正解だったかも。そこで、バスに乗り叡山ロープウェイ乗り場へ移動。ガーデンミュージアム比叡に入るか、ここでも、またまた入場料の高さにたじろいだけれど、今度は入った。とっても、いいところで、入って正解。だって、陶板のフランス&オランダ絵画が、各所に配され、その絵画に描かれた世界が周りに拡がってるのだから。水連のある池まであった。また、いい季節で、花が咲き乱れている。しかも、植え方が上手なため、一面、同じ色の花が咲いているかと思うと、配色や、花の形も、上手くレイアウトして植えられているものだから、その中を歩くのが、とっても楽しい。半ばにあったカフェでアイスやジュースも。テラスからは、絶景が見えるという仕掛け。京都タワーが、存外近くに見えた。ということは、奥の方に見えるのは八幡、その背後は大阪、これだけ楽しめると、入場料は、決して高くなかった。その出口前に叡山ロープウェイ乗り場。このお出かけが決まったとき、GWだし、ここの混み具合が、一番不安だった。でも、ガーデンミュージアムでも感じたのは、GWにしては、無茶、混んでないということ。そんな話を息子夫婦としていたら、このロープウェイも、1回で乗れた。Dとは、釜山で乗って以来のロープウェイ。釜山は海の上を走るロープウェイだったけれど、今度は山。ただ、ロープウェイの中は人でいっぱいだったから、小さな2人は、外が上手く見えてなかったかも。次は、叡山ケーブル。ここも1回で乗れたけど、待つ間は並ばねばならない。ここで、体力のあるSが地面に座ろうとする。珍しいなと思ったら、ケーブルの中では寝てしまってた。疲れたみたい。そんなことをDと言ってた、その1分後には、Dも寝ていた。八瀬からは叡山電車。座れなかったので、臨時電車を1台、やり過ごした。すると、ラッキーなことに「ひえい」が入線。このプラレール車両を持っているDは大喜び。座れるにも拘わらず、出町柳駅到着まで、運転席の後ろに陣取り、窓ガラス越しに見える電車の進行方向を眺めてました。当然、出町柳駅では2人の後ろに「ひえい」を入れて撮影会。但し、Sは、またまた寝ていた。ぐったりするSの横で、笑顔満面のDが映るという構図。ここで、もう午後4時。で、晩ご飯も食べて行こうとなり、でも、それには早いということで糺の森のお散歩へ。すると、人の流れが多い。逆方向なのだ。出町柳へ帰っていくという感じだったので、あれれと思っていたが、昨日は、この糺の森で流鏑馬神事があったようで、観覧席跡があった。歩きながら、ご飯の場所を検討。息子が、クンピル店に行きたいと言い出した。もう、その情報を仕入れていた。食べるスペースがあっても狭いと考え、それなら、イスタンブル・サライに行こうじゃないかとなった。念のために電話を入れる。午後5時半から、でも、予約でいっぱいと、一旦言われたけれど、午後7時までなら入れるということで、5時半から7時で予約。バス停「糺の森」から三条河原町へ移動。パン屋と輸入食料品店で買い物をしている間にお時間。久しぶりに、イスタンブル・サライに行ってきました。辛いのが苦手な子どもとママのことを考えて、アジュ系のものを避け、且つ、このお店ぐらいしか置いてないものを注文。メネメン、ヤプラク・サルマス、ビベル・ドルマス、パトゥルジャン・ケバブ、ウスパナクル・ピデ、カリデシュ・ギュヴェッチ、ウズガラ・キョフテ、メルジメキ・チョルバス、料理は、こんなところだったかな。Dに、ヤプラク・サルマスの表面がてかっと光ってるので、「これ何やと思う?」と、ダメ元で聞いたら「オリーブオイル」と答えたのには、ホント、驚いた。びっくりの小学1年生です。「ヤプラクは葉っぱです、何の葉っぱや思う?」、これは、さすが無理だった。大人でも答えられたのは、息子だけだった。以前に、食べてるから知ってたはずです。メルジメキ・チョルバスを口にしたDに、「これは、何から作ったスープ?」と聞くと「豆」と即答。これも、驚いた! DとSの口に合うやろと思い選んだものばっかだったけれど、ケバブやキョフテは、僅かにピリッと来るような味付けだった、お店の味付けですね。それで心配だったけれど、子どもとママは大丈夫だった。良かった! お約束の午後7時に引き上げる。息子一家は、生意気に、「座って帰る」と、別に普通車両でも座れるのに、プレミアカーに乗って帰って行きました。いい一日、これで、すっきり気分でマレーシアに行きます。


2023年 5月 2日(火)午後 9時 7分

 今日も、お出かけなしの一日。もう、マレーシア旅行の資料作りを優先しないとダメな時期に入っているので、やっぱ、それにメドをつけてから遊びに行こうの考え。今日も、それで行った。ま、火曜日なので、Radiko三昧になれる日なこともありで、それで納得。日に2回のウォーキングは、いつも通り。ということで、午後の一時は、Radikoを聴きながらの作業。スマホが使えなくなったということを想定して、ホテルの地図や「歩き方」に載っていない観光地を抜き出したり、あわよくば、イポーなんかからは、近郊の知らない町に行ってみたいと思い、探索。「歩き方/マレーシア編」は、出来が良くない。前から思ってること、これだけ、都市を削っちゃダメだよね。「トルコ編」のように、眺めているだけで、知らない土地を放浪しているという気にならない。ロンプラのマレーシア編も似た感想を持っているので、参考にしたのかなと、勝手に思っている。イポーやタイピンは、錫鉱山で栄えた町、華人が多いとなるのだけど、他にもあるだろうと期待をして探索。すると、イポー南部にカンパーという町を見つけた。ここも錫鉱山が、かつてはあったようだ。その跡を後世に伝えるミュージアムまである。行ってみたいね。電車だと30分、恐らく、イポーの近郊バスターミナル辺りからバスがあるのじゃないかな。今のところ、詳細は不明。今回は、20年前に息子と行ったときのコースをなぞるようになるものだから、ちょっとだけでも、変化も挿し仕込めたらと我儘なことを考えてるのだ。アロースターも、今回行くことにしてるんだけど、もう少し、イポーやタイピンで、ねちっこく攻めてみても良かったかもしれないと思い始めている。鉄道の切符を押さえてしまったので、日程が固まってるので、その範囲内で動けるところを探しているというところです。グーグルマップで移動の検索をしても、所要時間が変。そんなに長くかかるわけなかろうという答ばっか、出してきます。
 Radikoで聴いたのは「ま-ぶる」、なんか、元気そうにしてるんだけど、どこか、今日の二葉は、心身万全じゃなかった雰囲気。東京4日連続泊が堪えてそうなことを、Twitterで書いてたことの延長なのか。ホームシックにまでかかっていた、これはラジオの中でも言ってた。最近、落語をしている回数って、完全に東高西低ですもんね。東に引っ張られてしまってる。ディープな落語ファン氏のTwitterなんかを見ていると、大きそうな会が続いている。京都では、春秋座で、一之輔との二人会なんかがあるとの告知も出ていた。行こうかと思っていたけど、今日の様子だと、痛い感じがして、控えてしまいそうな空気に包まれている。1点、おもしろいことを言ってた。数日前の木馬亭の会で、二葉が、東京では、ほとんど出してないはずの、いや関西でも少ないはず(黄紺は数少ないその内の1回の目撃者)の「青菜」を出したという情報は掴んでいた。そのことをツイートする人たちが、何か判らないけど、何かがあったと匂わしてくれていた。そのわけが、今日の放送で判明。去年、共同通信社主催で行われた全国落語家選手権だったか、正確なコンペの名は忘れたけれど、それに選抜された9人の内に二葉が入った。「9人の内2人しか上方の噺家出てへんのに、全国やて」ということも言ってたけれど、最大のひどい話は、二葉の口演に対し「江戸の風が吹いてない」と言った審査員がいた。これは、直後に流れた。二葉は「こけた」とツイート。によによ応援団のTwitterでは、完全に切れていた。それが伏線で、この木馬亭の会で、二葉は、「見台なし」で「青菜」を口演。その冒頭に「江戸の風を吹かします」と言ってから「植木屋さん」とやったらしい。この木馬亭の会主が、「江戸の風が吹いてない」と言ったご本人だったからだそうで、そのように言ったということだった。この一連の因縁を知っている人には受けたそうだ。それが、Twitterの何があったのと思わせるツイートだったと判明。二葉は、気が強いから、このくらいのことやるから、喝采を受けるのでしょうね、東京の人も、よく解ってる、二葉の気質を。


2023年 5月 1日(月)午後 9時 51分

 GWの谷間の月曜日。多い人は、9連休になるらしい。全然、関係ないけど。お出かけを控えることを、GW期間中は考えていながら、ちょこっと予定表にはメモが入っている。月曜日にやってる美術館なんてのに行こうかなと。でも、まだまだ、開催期間があるのだから、無理しないで、間近に迫りつつあるマレーシア旅行の準備が先と、あっさりと決断。なかでも、問題のsimカード問題の解決に当たらねばなりません。アマゾン屋さんで注文してあった、シンガポール&マレーシア用のsimカードも、昨日、到着したこともあり、今日は、これにメドを立てようと思った。でも、かなり手強かった。中途半端で引きづりたくなかったので、夕方のウォーキングは断念、そこまでもして気になることが、その段階でできてしまったってこと。先日、甥っ子や弟に掛け合いながらも、この2人からsimカードを借りるのを断念。また、弟が、simカードを入れ替える様子を横で見ていて、手にマヒのある黄紺には無理かもとも思える細かな仕事だったことで、1つの決断。日本で買えば、同じものをマレーシアで買うよりは倍以上するということを承知で、それをアマゾン屋さんで、買うことにしたのでした。そうすることで、実際に、simカードなるものを現認するどころか、自分で触れて使い方を覚えるメリットを考えると、授業料として、その倍以上というお値段も、譲ることができると考えたのだ。それが到着したので、とにかく、simロック解除をしようじゃないかと考えた。どの機種でもそうなのかということすら知らないが、とにかく、黄紺の持つ機種は、他社のsimカードを挿入しないと、simロック解除ができない。そこで、サイズの確認をして切り取ったsimカードを挿入しようとしたが、予想通り、半端じゃない難しさ。小さいトレーの上に乗せるだけで難しいんだけど、問題は、うまく乗っても中に入ってくれないのだ。カードを取り、トレーだけを挿入しようとすると、すかすか入る。スマホの向きの上下の間違いは、先日、弟がやらかしていたので、それは間違っていないのに、入らない。いくらやってもダメなので、試しに取り出してあった、元のsimカードを入れようとしたが、全く同じ反応で入らない。これは大変なことになったと思った。simロック解除どころか、そのままだとスマホが使えなくなってしまう。ウォーキングどころではないと思ったのは、このときだった。そこで、simロック解除用のパスワードを控え、解除の仕方・確認の仕方を、PCから自分のフリーメールのアドレスに放り込み、問題のsimカードを持ち、弟の家へ急いだ。運の悪いことに、この時間帯だけが雨だった。弟は、黄紺の目の前で出し入れをしたので、ここへ駆けつけるのが一番と判断した。幸い、弟は家にいた。そこで、まず、マレーシア用のsimカードを入れてもらうことに、、、そこで、「あっ!」と声を上げてしまった。弟の手にあるsimカードが、黄紺と違い、表裏逆になってたのだ。思い込みっていうのは恐ろしい。なんてことはなかった、それで、あっさりと入った。電源を入れる。「ロック解除」の文字が、ここでパスワードの入れ方で、再び、弟の手に頼った。これも、黄紺の思い込みができなくさせていた。電話アプリを使い、確認もでき、無事、「simフリー」になりました。simカードの説明書には、使用時間をオンラインで登録すれば、そのまま使えるそうだ。日が来て、simカードさえ入れ替えれば、その段階から使えるそうだ。ごくたまに起動しないことがあるそうで、そのときの対策も書かれてあったので、それも、弟と確認。こういった設定に関するアクセスというの、Wifiでネットにアクセスしていると、設定で出てこないものがあると知りました。スマホに関する常識というものが、黄紺にはないので、ロック解除用のパスワードをもらうところから、四苦八苦したけれど、普通だったら、あとは使えるはずです。1月の韓国旅行のときにやっとけば良かったとは思うけど、あのときは、息子がなんとかsimカード問題は解決してくれるだろうと思ってたけれど、結局、乗ってはくれず、結局は、自分で解決しなければならなくなった。弟の力を借りながらでも、できたぞ! 息子にドヤ顔、見せるつもりです。


2023年 5月 1日(月)午前 8時 11分

 昨日は4月最終日、ずっと曇ったままの日曜日。気温も上がらずといったところだったが、先日のように冷えるとまではいかない。ウォーキング途中の休憩&読書が、このくらいが、一番いい感じ。もう陽が出ると日陰を探すようになってきていたからね。昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、日に2回のウォーキング時だけが、外出時間。金土と、2日続けて、午前中から出かけたので、洗濯ができてなかったから、それをしなければならなかった日でもあった。お楽しみの「日曜美術館」は、しっかりと新作を流してくれた。昨日のお題は「ポケモン工芸化 大作戦!」、国立工芸館が、おなじみのポケモンを、漆芸、陶芸、金工などの工芸の人間国宝から若い人まで、その技でアレンジしてみようという試み。これは、おもしろかった。ポケモンって、とっても奥の深い設定があるということも知らなかったけれど、それが説明として付け加えられると、技の凄さが増していきました。いつものMCの2人が観て回るシーンと、松丸亮吾というタレント?なのか、全く知らなかった人も観て回るシーンが交叉しながらの進行。この松丸亮吾なる男が、とってもポケモンに詳しいものだから、作品に込められた仕掛けを読み解いていってくれるものだから、ポケモンの奥深さが見えてきたのです。こういったMCに、いい人、呼んでくれました。おかげで、この展覧会のおもしろさが、とっても、よく解りました。紹介された作品は、次の通り。①池本一三/湖のほとりで(エナメル染料ふきつけ、それを削る)②吉田泰一郎/シャワーズ(金工、ポスターにも使われている)③満田晴穂/自在ギャラドス(自在置物、ここまで実際に居るものを再現してきたが、今回初めて、想像の世界のものを制作、江戸&明治時代の人が龍を作った気持ちが判った)➃枡本恵子/ロコン/信楽壷(陶芸、ロコンと壷が合体)⑤桂盛仁/帯留ブラッキー3点(金工、人間国宝、動物をモチーフにしたものを制作、金属を使い象嵌も使用、ブラッキーは眠りが最も難しい、その眠りを月の光のエネルギーをもらい眠っている姿に、月の光を輪郭にするためにブラッキーを黄色で包む、めちゃ可愛い!)⑥池田晃将/未知文黒影茶器(漆、アンノーンという暗号を螺鈿で、とっても細かいので、そのパーツはレーザーカット、その文字を松丸亮吾解読していた!)⑦池田晃将/電線光還中次(漆、角度が変わると色が変わる)⑧田中信行/無題(漆、ポケモンの技「かげうち」をモチーフ、乾漆の技法)。
 午後の一時は、マレーシア旅行の準備をするつもりだったが、トルコ・サッカー情報集めをしていたら、時間がなくなってしまった。せめて、マレーシアへの入国、日本への再入国の条件について、もう1度、集めておかねばならないと思っていたので、それをしたくらい。マレーシアも日本も、何も要らないということの確認だった。5月8日からは、日本入国に関してはそうだとの発表が出ていたので、その確認をした。Visit Japanは、税関申告の簡素化には使えるということだったので、マレーシア旅行を登録はしておいた。そしたら、あとは質問項目に答えるだけで良かろうと思えるので。マレーシア入国に際しては、なんちゃらというアプリを入れておくことを推奨と書かれていた。このアプリ自体の効果が解ってないのだけど、Youtuberの無職旅氏が動画の中で、アプリの設定とか何かが面倒で、半ばで投げ出したと言っていた。かなり、スマホとか強そうな人なのに、そんなことを言っていた。そのマニュアルが、ネット上にアップされているのを見つけたけれど、そんな感じがしなかったけれど、実際に操作すると、その意味が判るのでしょう。でも、実際に、マレーシア滞在中に、提示を求められたことはなかったということだったので、「推奨」は、そのまま取っていいんだと、ラハトな気で、このアプリには臨もうと思っている。うまく使えそうなら、ダウンロード頑張り、そうじゃないと思えたら、それなりの対応をすることにしましょう。その無職旅氏が、新たなペナン旅行の動画をアップしたので、それは必見と思い観ることにしている。直近で、このような動画を参考できるのはありがたい。それを観ていると、まだまだ歩きが足りてなかったなと思う。前に行ったとき、とっても、欧米系の旅行者が多く、それようのカフェやクラブが、中心部で目立ったので、どうしても避けたい気になるのがジョージタウンの中心部だったんだけど、うまく、そういった箇所をスルーした動画になっているのに好感を持った。庶民的な華人街は、唯一無二と思える良さがあるんだけど、一方で、そういったところも目立つので、今回も、ペナンでの時間は抑制気味なんだけど、無職旅氏のような歩き方をすれば、なかなかいいじゃんの気になってしまっています。


2023年 4月 30日(日)午前 8時 15分

 世間的には、GWが始まった。自分的には、昨日と最後の日だけに予定が入っている。あとは、行っていけないわけではないが、人出が多そうだから控えようかの考え。人出がましと判断すれば、谷間の平日に出かけるかもしれない。昨日は、またまた朝からのお出かけ。9時半に家を出て、自宅に戻ると、もう午後6時を回っていた。びわ湖ホールと滋賀県立美術館をハシゴしたのだ。膳所と瀬田は近所だから、2つをくっつけようというアイデアが出たときには、ちょっと喜んだけど、こう1日がかりになってしまっては、どうだったか? しかも、びわ湖ホールのコンサートが、決して満足の行くものではなかったこともあり、上手くやった感は失せてしまっている。しかも、帰りは雨が降ったしね。週間予報によると、GWの両脇が雨だそうだ。きっちり、黄紺が出かけると決めている日にだけ、雨が降るとか。昨日は、そんなで、2つのハシゴをするだけで、ウォーキングの量はこなしてしまっていた。もちろん、瀬田駅からの往復は徒歩移動という定番のことをしてである。2万歩を超えていたのには、ちょっと驚いたけどね。
 びわ湖ホールのコンサートは、「びわ湖の春 オープニング・コンサート」。1時間弱のコンサートを、この2日間でてんこ盛りにしようとの企画。最初の頃に比べると、コロナ禍もありで、随分と数が減ったけれど、継続されています。今年は、新芸術監督を迎えたこともあったので、滋賀県美と組み合わせることができると判ったときに、チケットを買う気になった。阪さんが就任することよりか、自分的にはプログラムも気になっていたのが大きい。副題に「ウィーンの風」と付け、このオープニング・コンサートで、いかにもらしき曲を並べ、なかでも、日本ではそうは聴けないカールマンが入っていたのだ。それを含めてのプログラムは、次のようなものでした。①J.シュトラウスⅡ世:『ヴェネツィアの一夜』より 序曲、“ほろ酔いの歌”②ジーツィンスキー:ウィーン、わが夢の街③J.シュトラウスⅡ世:『踊り子ファニー・エルスラー』より“シーヴェリングのリラの花”④J.シュトラウスⅡ世:『こうもり』より“チャールダッシュ”⑤カールマン:『チャールダッシュの女王』より“ハイヤー山こそ我が故郷”⑤J.シュトラウスⅡ世:『騎士パズマン』より“チャールダッシュ”。オケは京都市交響楽団、ソプラノのソロは中嶋彰子という布陣でした。何が不満かというと、②のあとに、びわ湖ホール館長と県知事が出てきて、阪さんを加えて喋り出したのが長かったのだ。20分くらいは使ったでしょう。館長さんが替わったのがまずかったかな? この日もロビーにおられた前館長さんなら、こんな間の悪いことしたかなぁと思ってしまった。2つ目は、席が悪かったのかなぁ、2階の左隅のかなり後方だったんだけど、オケのパワー弱すぎ、京響で、そう感じたのだから、中嶋彰子は、物足りなさすぎ。特に、②が最悪。とっても楽しみにしていた、最もウィーンらしい曲なのに、全然、ダメだった。そのあとに、しかも、20分の余計なお喋りを入れたものだから、幻滅もいいところ。⑤で、中嶋彰子の声は持ち直したけれど、正直、びわ湖ホールに付き物のマイク使用噂を勘ぐってしまった。3つ目、こういったイベント的コンサートの常として、客のマナーの問題。未就学児を連れてきちゃだめでしょ! 子どもと一緒に親がお喋りしちゃ、ダメでしょ! 折込み済みといえど、やられちゃうと不快なことには変わりはない。なお、アンコール曲は「J.シュトラウスⅡ世:ポルカ“ハンガリー万歳”」だったと、HPに出ていました。そか、ハンガリーものでまとめたってことですね、、、ウィーンじゃねぇ!
 滋賀県美は、昨日から新たな企画展が始まったのでした。「小倉遊亀と日本美術院の画家たち展 横山大観、菱田春草、安田靫彦、前田青邨、速水御舟ほか」というものです。この美術館は、小倉遊亀作品の寄贈が発端と聴いています。地元の作家として、滋賀県美の誇る所蔵品となっています。常に、展示室の1つには、「小倉遊亀コーナー」があるほど。年4回の入れ替えで、所蔵品は、全部、観ているかもしれませんが、今回、9年ぶりだそうですが、小倉遊亀を主人公に、なお且つ、日本美術院を舞台に活躍し、しかも、日本美術院長も務めたということで、今回のテーマ設定となりったようです。4点以外は、全て滋賀県美の所蔵品で賄われていたことに、まず驚きです。大家の作品が並んでましたしね。「第1章 日本美術院の再興とそこに集った画家たち」がそれです。日本美術院の歴史も、ちょっとお勉強でしたけど、岡倉天心没のビフォーアフターで、同院の様子も変わったとか。より開けた組織になっていったようです。横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山といった名が並ぶなか、朦朧体という没線彩画を一番よく表しているのは、西郷孤月の「隅田の花」に思えた。単に、日本画特有の輪郭線が薄く、背景に溶け込んでいく木や家が幻想的に見えただけなのかもしれないけど。この描き方、もっと奥が深そうなんだけど、把握できなかったかもしれないのだけど、絵の観方を教えてもらい、有難かったという印象。菱田春草ものって、恐らくそんなに観てないと思う。すぐに思い浮かばないからね、その雰囲気が。そういったなか、「雪の山」に関心が行った。最小限の線を組み合わせるだけで、表題の姿が迫ってくる。凄いデッサン力、です。公募が行われるようになってから登場してくるのが、今村紫紅、速水御舟、小茂田青樹、安田靫彦、小林古径、前田青邨といった名前。今村紫紅と小茂田青樹は知らなかった名前。でも、残りの大家と並ぶのだから、これまた大家なのでしょう。安田靫彦は、主役の小倉遊亀の先生。この人の作品で有名なものは、第3章のコーナーに並んでたけれど、そういった意味では、初期の作品が、第1章では並んだということのようですが、素材は似ている、タッチも似ているということで、パット見で判ります。この人の描く顔が、小倉遊亀の人物画に影響を与えていること、間違いないですね。このコーナーでは、以前にも観ている速水御舟の「洛北修学院村」に再会。暗く、蒼っぽい風景画だけど、前回は何に惹きつけられたんだろうと、今回は、蒼さを観ただけで、スルーしちゃった。むしろ、背後に置かれていた素描の方に目が行ってしまってました。横山大観の「鳰之浦絵巻」は、10mもある長大な絵巻。琵琶湖に船出をして、移ろい行く風景を描いたもの。湖岸や島といった陸地よりか、鳥の飛ぶ湖が魅力的。落語で言う「間」ばかりを観ているといった風情。長大な作品だからこそ、そういった空間に目が行くのでしょう。それも描いていることになるのでしょう。富田渓仙ものが2つ、「宇治川之巻 木幡」と「列仙」。この人の作品、対象物をいじったり、デフォルメしたり、いろいろと遊んでくれるので、おもしろく感じると、ツボのようになりそうと、前者では思わなかったけれど、後者で思った。それを観ていた目で、小林古径の「竹取物語 難破」が引き立ってしまった。俯瞰した位置で船を捉えている。波に囲まれた船。その波が写実的でなく、波を図案化したようなデフォルメのされ方をしてる。でも、それが難破船を取り囲み、揺れるのです。おもしろい絵でした。第2章が、主役のコ-ナー。かなり狭い空間を敢えて作り、そこに質的に似た作品を固めている。1つずつのスペースは、さほど広いわけではないので、似たものを集められるというコンセプト。この展示が気に入った。そして、そのおかげで、やたら小倉遊亀作品が輝きを増したように思った。外部から借りてきた作品以外は、既視感があるのだけど、揃うと、いい化学反応が起こったように思えました。そういった意味で「第2節 作風の確立」と名付けられたコーナーが秀逸。2つの「家族達」のデフォルメされた身体つきと表情、それらは、「娘」「美しき朝」「画人像」とともに、とってもモダンな印象、これらが揃うと空気が変ります。「舞妓」「径」「姉妹」が揃ったコーナーは、空気が和む、角を曲がるだけで空気が変る、それだけのパワーが、作品にある上に、この3つが揃い、倍加している。「径」は、ポスターやチラシに使われた目玉作品、東京芸大所蔵の作品だそうです。リズムがあるので、色彩と併せて、暖かな雰囲気が伝わります。今回だけしか観ることのできない作品なので、しっかりと目に焼き付けておきました。このコーナーには、「月」もあったしと、いいコーナーでした。静物画も多く並んでいたけれど、解説が欲しかったな。常設されている「小倉遊亀コーナー」では、詳しい解説があり、様々な試みを静物画でしていることが判ってるだけに、ちょっと残念な気持ち。「第3章 花開く日本美術院芸術」では、日本美術院の画家の内、昭和期に制作された作品群が展示されていた。ここに、安田靫彦の「飛鳥の春の額田王」「卑弥呼」があったわけだ。ここにも、冨田渓仙ものが2点「嵐峡雨罷図」「雲上鶴図」があり、この人の作品、おもろいぞとなり、上に書いたことを再確認に戻ったりしていたのだけど、戻ろうとすると、「径」が目に入るものだから、立ちどまってしまうなんてことをしてしまってました。今後、この企画展のギャラリートークや関連ベントにも行こうかと思っているので、また、ゆっくりと観ることにしましょう。滋賀県美では、以前にも観ている常設展「百華爛漫」を、もう一度、観て回った。その傍らの「小倉遊亀コーナー」では、「小倉遊亀の弟子たち」となっていたので、こちらに入ってから常設展に向かったけれど、言って悪いけれど、あまりにもの違いに驚いた。黄紺の目にも、ぱっと見で違うのです。そんなで、「百華爛漫」に集う作品群に敬意。ここに伊東深水ものが1点あるんだけど、やっぱ、福山で観た作品よりか、親近感の湧く女性ですね、こちらの方が。そして、それが、この人の描く女性だと思ってるから、福山の作品に関心が向かなかったのだと、再認識できました。


2023年 4月 28日(金)午後 8時 59分

 今日は、いい天気。気温も上がった。暑くなりそうだけど、何を着て出ていいか、よく判らなかった。薄着をして出るというときに困っている。半袖のTシャツにウィンドブレーカーでも引っ掛けて出れば、良かったかな。そんなGW直前の平日、朝から出かけて、今日もハシゴをしてしまった。今日は金曜日ということで、朝からのお出かけ先はアスニー京都の方。そして、ウォーキングがてら徒歩移動で、途中、程よい公園を見つけ、そこで、パンをかじって昼食。これは、最近の定番。これを計画していて、雨が降ると困るけどね。こないだの水曜日が、正にそれだった。今日の公園は、ツツジが咲き乱れ、トイレもありで、言うことなし。当てもなく歩いていて、ふと右を向くと公園が目に入り、そこを利用させてもらった。行き先は、堂本印象美術館だった。そんなで、とっても文化的な一日。帰りにもウォーキングがてらの徒歩移動を入れたら、もう十分に、一日分のウォーキングの量をこなしてしまってました。
 アスニー京都は、もちろん市民向け公開講演会。今日は、「賀茂競馬930年~歴史と継承~」というお題で、一般財団法人賀茂県主同族会理事長&賀茂競馬保存会副会長の堀川潤さんのお話を聴くことができました。堀川さんは、去年だったか、こちらで、お話を伺い、とってもわかりやすい、素敵なお話をされたため印象に残っていたら、きっちり「ブラタモリ/鴨川編」に出ておられた。NHKも目利きです。まず、お話は、上賀茂神社の成り立ち、由緒から始まりました。これは、能「賀茂」に出てくるので、余裕で聴くことができます。しかし、知らないことも多い。「現上賀茂神社は、鎌倉時代の社屋のレイアウトそのまま」「廃仏毀釈までは、社内に5つの神宮寺があった」「八咫烏が賀茂一族の源とされている、別雷神命の母神の姉玉依日子が賀茂県主の祖」「賀茂氏は賀茂川流域に、秦氏は桂川流域に勢力を張る、両氏の紋が似ていることから、賀茂氏も渡来系であったのだろう」「勅祭というのは3つだけ、賀茂祭(葵祭)・春日大社の祭・石清水八幡宮の祭、今でも、天皇から勅使が来る、元公家が勅使になっているようだ、天皇家の私費から派遣されている」「競馬の記録としては1093年のものが最古、だから、今年で930年目、元来は宮中行事、言い伝えでは、宮中の女官が菖蒲の根合わせをした結果(石清水か賀茂かで女官が競った)、賀茂に来たと言うが、堀河天皇の勧請だったと取った方が良かろうとの見解」「しきたりに陰陽道の影響が多く残っている、立砂など例示されていた」「本来は、葵祭とは別物だったのが、旧暦から新暦への移行の際、くっついてしまった」「上賀茂神社が、全国に持つ荘園から出馬していた」「そのために、競馬で走らせる馬を決めるために、5月1日実施の“足汰式”が行われていた」「2頭を走らせ競わせるが、1頭を先に出させ、1馬身遅らせて、次の馬をスタートさせる、1馬身を目安に縮まったか開いたかで判定する」「和鞍の鐙は足を乗せるだけ、洋鞍のように先に留め金が付いてないので危険度が高い、競馬で使うような長い直線の馬場で稽古していないので、人も馬も慣れてないので危険」「馬は地方競馬で使われていた馬を使用、しかし、コロナ禍で休んだ分、人も馬もブランクが、どのように出るか不安がある」「競馬当日の動き、流れで居眠り、、、、!」「伝統の継承の難しさは、この競馬にもあるようでした、一族の中からも人材確保に苦労されているのでしょうね、やっぱ、危険を口にされ尻込みの傾向があるようです」。去年は、同日に行われる藤森神社の駆け馬を、DとSを連れて観に行ったけど、もうド迫力だった。速い、とにかく速い、そして、馬は大きい、それが疾走するんだから、ド迫力となる。賀茂の競馬も観たいけど、簡単には観れるものではないから、TVで観るのが関の山かな。
 堂本印象美術館では、特別展「生誕100年記念 堂本元次DOMOTO Mototsugu: A Centenary Retrospective 1923-2010」が開かれているというので行ってみた。黄紺的には、堂本元次という作家さんは知らなかった、「堂本」が付いているので、堂本印象縁の人なんだろうと思っていったら、「懸空寺」を描いた人でした。その絵、題名も知らなかったけれど、知ってる絵だったので、急に親近感を感じてしまった。解説を読むと、堂本印象の弟子であり、娘婿ということで、納得。作風も、師に倣い、師が抽象画を描くようになると、堂本元次も抽象画に手を染めたそうです。そういった作品も展示されていました。ただ、堂本元次は、抽象画を描いている時期に中国に行く機会を得てから、再び、抽象画を描くのを止めたとの逸話も記されていたのだけど、この中国を描いた作品の中に、黄紺の知る「懸空寺」もあった。この絵は、大同石窟の岩肌を削って造られた寺院。フェードアウトしたら、それこそ雄大な光景が拡がるんだろうと想像力を、嫌応なしに働かせてしまう力がある、素晴らしい作品だと思います。この中国を描いた作品群に、名作を多いように感じました。名作じゃないね、そんなの分らんので、いい感じと思えたと書き換えておきましょう。「水路を来たる」「美しく映ゆ劉家峡」「木満ちる山湖」、これらは、いずれも水が引き立つもの。前二者の水面に映る船なり家々なりが、強烈に迫って来る。逆に3つ目の作品は、青っぽい色をくすませて多用することで、静謐感を全面に漂わせていました。その隣に、代表作の1つ「土匂う里」があった。この人、クリーム色系の絵の具を多用することが目に付くなと思ってたんだけど、これも、その内に入った。途端に、ここまで明るいのかな、この里と思ってしまう。傍らに、この作品用に使ったスケッチも2つ展示されていた。入口で、いきなり「花映りて水匂う」で、ほぼ白で表された桜のインパクトに圧倒されたが、その後の風景画に多用されるクリーム色系の色合いに、明るすぎないを連発。学校の先輩田口壮との交流を示す書簡が展示されている傍らに置かれていたスケッチブックに出会うと、ようやく等身大の風景画を観ているようで、落ち着いた。それどころか、デッサン力の凄さに舌を巻くばかり。色塗らない、こちらの方がいいよと、このときは思った。メーンの部屋には、先ほど書いた中国作品が並ぶんだけど、その対面に、自身のものも含めて、学校時代の同輩&先輩(この中に田口壮の作品「喫茶室」もあった)の作品が並んでた。そこにあった堂本元次の作品「海風渡る老松」(東福寺退耕庵所蔵)が、この日一番の佳作、もちろん自分的にだけど。堂本元次19歳のときの作品でした。右斜め上から、海風に晒されている松2本の絵でした。正直、痛いと感じた、この絵。だって、傍らの解説に「出征を意識した」と書かれていたから。実際、その後、学校の卒業が早められ出陣します。19歳の青年が、こんな絵を描くか! 胸中、いかばかりか、、、痛い、痛すぎる。その並びに、下村良之介の「憩う人」があった。これ、驚いた。だって、昨日、京都国立近代美術館のコレクション展で、下村良之介の特集が組まれていたのを観たところだったのだから。堂本元次と同期でした。なんという縁。こういったことが続きます。数珠繋ぎで、作家さんが結び合わさって来る。絵の中身ではなく、そういった人の縁、その繋がりに接する偶然、運の強い話ですね。


2023年 4月 27日(木)午後 9時 19分

 今日は、一転して、晴れた。そして、気温が、元に戻った。暑すぎることはないので、いい感じに戻った。でも、まだ、昼間でも、屋内では電気ストーブが要る。陽が射さないから、屋内は暖まってくれない。ま、どこかで、あっさりと臨界点を越え、今度は、暑くて仕方のないときが来る。もう4月末だから、そういった季節に、ほんの僅かだ。それ考えると、電気ストーブを使っているのが変に思えてしまう。今日は、出かけようと思えば出かける先は用意できてたんだけど、明日も、また、お出かけ予定が入っているので、今日は自重。のんびりとした一日、お出かけは、ルーティンにしている日に2回のウォーキング時だけ。ウォーキングついでに買い物も済ませてしまうものだから、出かける用事はないのだ。昼前のウォーキングは、日本酒補充コース。日本酒だけを買うマートがあるんだけど、そこを通るコースを採用。このときばかりは、リュックを背負い、ウォーキングに出かける。他は、いつも、最近は肩掛けのカバンだから、リュックは、ホント、このときだけだ。夕方のウォーキングは、調理パンを買うのはここだけというマートが入るコースを採用。外で昼ご飯を食べるとき、よくパンをかじっているが、そのパンを買うのが、このコースを採るとき。なんか、買い物優先で、今日は、ウォーキングのコースを選んでました。
 午後の一時は、この間、観てなかったYoutubeの動画を観るのに、まず使った。贔屓の旅系Youtuber氏無職旅さんが、ソウルからライヴ配信をしたのを観てなかったので、それを観た。いつも、ライヴ配信をするときは、Twitterで告知しているようだけど、Twitterというものをしないから、急なる配信を、Twitterで呟かれても、リアルタイムで把握できない。ま、リアルタイムで観れるかどうかは別にして。それで、気が付くと、アーカイブに2本も、45分ずつのライブ配信映像が入ってたので、それを観ることにした。1本目は明洞、2本目が仁寺洞から、各々配信していた。ま、旅系Youtuberの配信の定番は、街を歩くというものだから、各々の街角を歩くんだけど、特に明洞などは、人通りを多いものだから、映像が乱れる。それを避けようとすれば、おなじみの場所を避けねばならないというジレンマの支配した配信だった。ま、いきなりびっくりした、地下鉄明洞駅に近いところから始めたもので、「それ、恥ずかしいよ」と突っ込んでしまった。そんな人の多いところで、しかも、もう日本人観光客も多いだろうに、カメラをぶら下げながら、喋りながら歩く、これ、ようやるわ、さすが、生業がYoutuberなんだからこそ、できるんだね。こういったライブ配信は、結構、他のYoutuberたちもやってるので、京都の街を歩いているとき、インバウンドが増えてきてるので、連中の中にはYoutuberが混じっててもおかしかないから、このライブ配信ってのをやってるのいないかなと思いながら歩くことがある。昨日行った岡崎は、平安神宮があるから、インバウンド天国だからいるんじゃないかとも思いながら歩いてんだけど、今のところ、それらしき輩は見ていない。ただ、変な格好で自撮りして、インスタ映えを狙ってるなと思える連中は、幾人か見ている。まだ、その程度だ。だけど、皆さん、スマホを片手にググりながら歩いてますね。そんな光景を見ると、やっぱ、マレーシアで四六時中スマホを使えるというのがまともだと思えるのです。そこで、今日、アマゾン屋さんで、マレーシア用のsimカードを注文しました。同じものをマレーシアで買うと、半額とは言わなくても、かなり安いのも知った上で注文した。まず、それを使って、simロックを、完全に外そうと考えている。次に、マヒした手で、細かな作業が可能か、その稽古もしたいと思った。設定に関して、何か取扱い説明書が付いておればラッキーの気もある。それくらいのことを考えると、値段の高さは、その月謝と考えることができると思い、あっさりと決断。あと、もう1つ、やったのが、7~8月のどこかで、福岡&韓国旅行を考えていることは、既にメモったが、これをするためには、当然、ビートル号か関釜フェリーに乗らねばならない、福岡県界隈で行きたいと狙っているミュージアム以外のミュージアム探しをしなければならない、釜山かソウルか、帰りの飛行機のお値段を知らねばならない、九州交響楽団のスケジュールも調べた方がいい、そんなことをやらかし出していた。まだ、マレーシアの準備ができていないのにだ。その中で、幾つか決めたことがある。ベースになることだ。船はビートル号を使おう、これは、値段の問題、関釜フェリーを使うと、ホテル代が1泊浮く、でも、その分近く、関釜フェリーの方が高い。年齢を考えると、ホテルに泊まる方がいいに決まってる、この2点を考えると、簡単に結論が出た。朝9時出発というのは、25年程前と同じじゃないか、午後の便もあるようだけど、朝便で行こう、これも決めた。美術館は、今のところ、もう1つ、福岡県立美術館のコレクション展がいいかなと思った。先日の広島旅行で腰がやられたにも拘わらず、相変わらずミュージアム探しをしたが、あとは筑豊炭田絡みのミュージアムが狙いだと思ってる。直方、田川といった炭鉱で名をはせたところには、関連のミュージアムがあるようだ。飯塚にはなさそう。大牟田界隈までも行きたいんだけどね、これは欲張り過ぎかも。「その後の炭田跡」というのは、とっても気になるテーマなもので、関心は、どうしても、この方向に向かってしまいます。まだまだ、情報は足りないので、時間をかけて探しましょう。マレーシアも気になるけど、こちらも、やらなくっちゃと、やる気、満々だね。時期は、航空券のことを考えると7月かなと考えている。8月後半、お盆明けも候補だけど、台風が頭を掠めるので、尻込みしちゃいますね。


2023年 4月 27日(木)午前 6時 37分

 一昨日に続き、昨日は雨の日。午後遅くになり、雨が止んだかなというところ。しかも、気温は下がったまま。雨が上がり、どうなるかというところなんだけど、今度は、急上昇? かなり、身体には厳しい日が続いていることは確かだ。そんなでも、昨日は、朝からお出かけ、且つ、ハシゴをした。水曜日の朝からのお出かけとなると、定番のアスニー山科が行き先。昨日は、いつもと違う趣向、講演ではなく、弁士付きの無声映画の上映があった。普段、アスニー山科で行われている月1の映画会には行かないんだけど、この講演会枠で行われる映画会には行っている。今回で3回目となる。試しに行った1回目が満足度が高かったことから、以後、行くようにしている。今回は、小津安二郎監督の「出来ごころ」という作品。映像の用意、及び、上映前の解説は、京都の文化を映像で記録する会の濱口十四郎さん、活動弁士は遊花さんと、おなじみのメンバーだが、このお二人のお話とパフォーマンスが素敵だから、続けて行くようになった。小津作品は初めて観ることになった。1度は、観ておかねばならないと思いながら、ここまで観てこなかったので、ホント、いい機会と思った。濱口さんが言われていたけれど、活劇中心だった映画に、庶民の何気ない生活を表す、それを始めたのが小津安二郎だったと言われていた。この物語は、喜八という男が主人公。背後に大きくガスタンクが映る長屋のような下町が舞台。その風景だけで、産業化が進み出している東京の片隅で、貧しさに耐えながら生きている庶民の生活が感じられる。喜八は、男手で一人で子どもを育てている。10歳くらいかな、子どもは。突貫小僧という名をもらった子役。撮影場に出入りしては遊んでいた子どもに、監督が演技を付けたと、濱口さんが言われていた。その家庭事情は明かされないまま。隣に若い次郎という男が住んでおり、喜八は、いつも、その男とつるんでいる。仕事も、同じ工場。そういったところへ、職場を首になり、行き先のない女春江が現れる。春江の設定も、それだけで、どこの誰かも、筋立てには関係ないとばかりに明かされないまま。話の本筋は、喜八が春江に惚れるが、春江は次郎に気持ちが傾いている。でも、次郎は、春江にはそっけない。頑なまでにもそっけないので、この男に、何やら過去でも隠されているのかと想像したりもしたが、そういうことも明かされないまま。でも、春江が身を寄せている、近所の食堂の女主人おとめ(飯田蝶子)が世話を焼き、春江と次郎を引き合わせようと、その世話を喜八に頼むようになり、喜八は荒れてしまう。酒浸りで、仕事も行かない喜八、倅とぶつかり、親子喧嘩。でも、子どもの訴えに怒りきれない喜八。そんな風に、親子の距離が縮まるなか、子どもが病気になり、医者にかかる。子どもは恢復するが費用の工面で暗礁に。そこで、次郎が、その工面のために蟹工船に乗ると言い出す。それを制して、喜八そのものが蟹工船に行くことになり、実際、北海道に向かう船に乗り込むが、子ども恋しくて、海に飛び込み家に戻ろうとするで終わるが、元の映画には、その後があったらしい。とまあ、こういった筋立てなんだけど、正直、頼りなかったが、主役たちに触れられない部分があるというのが、どうにも気になった。頼りないという感想を、それで持つ一方、こういった描き方に関心が向いてしまった。小津作品って、こういったものなんだろうか? 喜八というキャラを、小津自身が気に入っていたらしく、シリーズ化したとのお話もあった。それも含めて、何か、不思議なワールドですね。有名な「東京物語」、どこかで観ようかな?
 2つ目の行き先は京都国立近代美術館。こちらの「2023年度 第1回コレクション展」に行った。この週末から「Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」という名の新たな展示が始まるということで、それに合わせて、「現代アート+α」的な展示がされていた。冒頭の「西洋近代美術作品選」には、クルト・シュヴィッタースとマックス・エルンストというダダ的な作品。その横の「生誕100年 下村良之介/星野眞吾」も同様の作品が並ぶが、あまり響いてこない。下村作品の鳥をモチーフにした、でも、機械を思わせるような形に目が行ったが、その形状に、ちらっと気になった程度。星野作品にある厚紙を使い、立体的絵画作品が並ぶも、その形状に関心が行くわけでもなく、円をモチーフにして、それを、重ねて、重層的な空間を作り出している無彩色作品に目が行った程度だった。真ん中の広い展示室が、何と「芸術とは何かを考えさせる、ふたつの問題作─赤瀬川原平《模型千円札》とマルセル・デュシャン《泉》」というお題が付いており、入口の両脇に、黄紺でも知る、2つの「問題作」が展示されていた。いずれも、写真でしか見たことのなかったもの、それを、この美術館が持っていたとは! 特に、マルセル・デュシャンの「泉」は、世界的に有名なものだけに、ホント、驚いた。外に出てから、慌ててスマホで調べると、世界に幾つかあるそうだ、確かに、その中に京都国立近代美術館の名もあった。でも、考えてみれば、この作品は、既製品にサインをしただけだから、幾つも作ることはできる、それも、このコーナーをお題になるということかもしれませんね。赤瀬川原平は、裁判になったものですよね。それが、国立の美術館に展示されている。これだけでも、インスタレーション作品になっている。これに触発されたかのような、紙幣をモチーフにした作品が、傍らに並んでいました。これが片面、その対面が、マルセル・デュシャンの作品群という構成。マルセル・デュシャンものは、一見、ガラクタに見えるけど、何らの思惑があるんでそうな、黄紺的には、何か特別なものには、残念ながら観えませんでした。一方の壁の紙幣群には、紙幣と国旗を組み合わせた安星金の作品が判りやすいメッセージが見え隠れする。一角には、ここにも出ました森村泰昌もの。「森村千円札」というお題の付いた作品では、夏目漱石の顔が、徐々に森村泰昌の顔に変って行ってました。3つ目の部屋は、いつも工芸もの中心となっているが、「特集:北大路魯山人」「1963年作の工芸」「麻田浩の“現代美術の動向”後」の3つのコーナーが用意されていた。頭の混乱のあとには、北大路魯山人は有難かった。漆芸作品もあったが、多くは陶芸作品。各地の陶器になぞらえた作品群。こちらに志野があるかと思えば、こちらには、信楽、伊賀、織部、備前などが並ぶという展示。黄紺的には、織部と並ぶ信楽&伊賀が、お互い引き立て合っていて良かったな。志野の薄いグレーの釉薬も魅力的。「1963年」というのが、京都国立近代美術館の誕生を表しているはず。その中に衣紋掛けがあったので、あるはずと勝手に決めつけ近づくと、ありました! 志村ふくみ作品(紬織着物「嵯峨野」)。この人の、微妙なグラテーションは、どれを観ても惹き付けられてしまう。滋賀県美で覚えたことです。傍らに着物が、もう1点、小倉建亮の作品(訪問着「朝」)。絞りが入り、刺繍まで入っている、それでバランスよく仕上がってる、手の込んだ技に目が釘付けになってました。麻田浩は、初めて知った名前。ほとんどがエッチングによる作品。自然の一角をデザイン化したように、勝手にイメージ化しながら観ていました。最後の部屋、及び出入口周辺が「所蔵品にみる“現代美術の動向”展」。ここにも麻田作品が1点、知った名前は三島喜美代。でも、ずっと「????」のまんま。現代アートは、ざーっと観ていて、目が付いたものに吸い寄せられていくという見方をするんだけど、総じて、なかった、残念! 頭で理解しようとした、真ん中の部屋は、別ものという印象。替わりに、工芸が癒してくれました。


2023年 4月 26日(水)午前 7時 45分

 昨日は、ずっと雨の一日。おまけに、気温が低い。冬ズボンを、今更、もう一度出すのが嫌だったから、夏もので出かけたけれど、冷えた。だから、上はジャージを着て、その上にウィンドブレーカーまで着て出かけた。昨日のお出かけは、朝から。そして、家に戻ったのは、もう薄く暗くなっていた。みっちり1日、遊びに出かけていたことになった。お出かけ先はMOVIX京都。となれば、メト・ライブビューイングのあった日。昨日は、「ローエングリン」の新演出(フランソワ・ジラール演出)が流れた日。上映開始が午前中10時、終了が午後3時10分という長丁場。昨日も、高校時代の友人が福井から来ていたので、終了後は、いつものようにお茶をしてから帰ってきた、その帰りも、傘さしウォーキングをしながら、マートにも寄りということをしたため、帰りの時間が遅くなったということでした。「ローエングリン」が、メト・ライブビューイングで流れた記憶がなかったので、自分の記憶違いかと思っていたが、友人も、同様のことを言っていた。ただ、2人ともボケてるところもあるので、自分たちの記憶を信じてなかったのだけど、この記憶は、どうやら正解だったようだった。というのは、ブレイク時間を活用して、メトロポリタン歌劇場のラジオ放送のMCが、過去の「ローエングリン」の上演を紹介するというコーナーがあったんだけど、それで判ったのは、直近のプロダクションとして紹介されたのが、メトロポリタンにしては、かなり前衛的な舞台で、とっても抽象的なもの。近年、とっても旧式のプロダクションへの回帰が看られるため、こういったライブビューイングには流さなかった。だから、メトの「ローエングリン」のイメージが湧かなかったということでしょう。でも、今回の新演出は、いわゆる伝統的なものというわけではなかった。舞台上方に、大きな穴が開いた天井が被さっている。大きな穴の先には、映像が流されるのだけど、天体が流されるのが特徴的。月が映るということで、穴の下はシェルターということみたい。地球が、何らのことで破壊が進み、そのシェルターに潜む人たちの物語という風情。ローエングリンがやって来るのは、その大穴の向こうから。最後は、その大穴の前で止まって、幕となりました。3幕のベッドルームは、上から垂れ幕を2枚下ろし、前後の境を付けることで、別室の雰囲気を出していたのが変化と言える程度で進行。コーラスは130人出したと、どこかのブレイク時間のときに言ってた。その多さでだか、舞台の後方に固定した位置にしていた。歌手の動きは多くないというのも特徴かな。そんなだから、設定が特異というくらいが目立ったということか。そんななか、一番に目立ったのは、コーラスの人たちの衣装。磁石が、衣装の合わさる箇所に着いているらしく、それを活用して、裏地の色を見せるということをしていた。白・黒・赤・緑の4色だったか、黒なしの3色だったか失念しているが、場の雰囲気や筋立てに応じて色を変えるということをしていた。色の違いによりメッセージを送るということは、何ら珍しいことではないけど、衣装の裏地を使っての表現は目新しいもの。あとは、ラストのこと。オルトルートは、隙間を抜け、はけるというもの。エルザの方は、新たなブラバント公を出したときに、倒れ込んでしまい亡くなるというパターン。オルトルートを、どのようなつもりで、そういった動きを執らせたかが不明なのだけど、エルザとの対比での捉え方を導き出せてない。指揮はヤニック・ネゼ=セガン、相変わらず、テキパキとした音楽。歌手陣では、ワグナー歌い手ではないピョートル・ベチャワがタイトルロール。DVDになっているドレスデン(そのはず)のプロダクションで歌ってるけれど、そこからは、かなりの進化。いや、今回のプロダクションの中では、一番のワグナー歌い手だと見えたかもしれません。それ以外の歌手陣は、次の通り。(エルザ)タマラ・ウィルソン、(オルトルート)クリスティーン・ガーキー、(テルラムント)エフゲニー・ニキティン、(ハインリヒ)ギュンター・グロイスベック。グロイスベック以外は、名前を聞いても判らなかったけれど、クリスティーン・ガーキーは、「指環」の新演出のときのブリュンヒルデ。顔を見て判った。でも、ブリュンヒルデがオルトルートを歌うというのは、他にはないんじゃないかな? オルトルートは、メゾが歌うくらいだから、低い音があるので気になったけれど、立派に出ていました。ピョートル・ベチャワに次いで、大きな印象を残しました。グロイスベックは、今、一番、活躍している本格的なバス。ただ、もう少し、重量級の動きをして欲しかったとは思ったけれど、声質は十分ですね。この人で文句を言うようだと、今や替えがいないな、バスには。エルザとテルラムントは、ちょっと線が細いんじゃないかな。タマラ・ウィルソンは、体躯が凄い、膝をつくと、自分だけでは立てないほどの体躯のしては、線が細かったな。そんな「ローエングリン」でした。MCはクリストフ・マルトマン、この人も、年齢を重ねたちゃったな、ドン・ジョバンニを歌うときはメイクを頑張らなくっちゃならないね。
 友人は、午後6時台の列車で帰るというので、それまで、四条烏丸界隈のいつものカフェでお喋り。鉄でもある友人に、先日の広島旅行で気になった鉄の話で盛り上がりました。オペラのトピックは、カフェを出てから、えらく気になることを、その友人が言い出したため、雨の中、しばし立ち止まって歓談。トピックは、「ドン・ジョバンニ」のラスト。6重唱カットと演出の関係という、とってもおもしろい話になりました。落語のトピックは、福井の「雀太・二葉二人会」のこと。この会のネタの情報を持ってなかったので、有難かった。雀太は「天王寺詣り」と何か、もう1つは忘れた。二葉は「金明竹」「打飼盗人」。同じ会場で、萬橘も聴いたと言ってました。福井は、とっても気になる噺家さんが行ってるという印象。それだけ、福井に、落語に通じているディープな呼び屋さんがいるということなのでしょうね。


2023年 4月 24日(月)午後 9時 35分

 気温が下がっている。屋内にいると、ずっと、電気ストーブを強めにして使い続けた一日。外出時は、トレーナーを着て、更に、ウィンドブレーカーを上に着て、丁度、良かった。こう変化が大きいと、その変化に付いていけないね。お出かけはなしの日だったもので、マレーシア旅行の準備。Simカードの問題を片付けたくて、simフリーにしおこうと、今日は弟の家に行くと、またぞろ講釈が始まった。古い話や、関係のないeSIMの話までし出すけど、肝心のニーズに入らない。いや、他のことを喋っている内に、そのこちらのニーズを忘れてしまってるから、始末が悪い。関係あるかなぁと思いつつ、カードの大きさの話をし出したので、もし、関係があっては困ると、黄紺のスマホのカード入れを出して確認をしてくれた。simカードは扱い慣れているというので、傍らで見てたけど、これは、大変なことだと思った。手続きとか、作業内容とか、そんなの全部判っていても、自分にはできるだろうかと、いつも思ってしまう。手のマヒには、難敵なんてものじゃないということを、目の前で証明してくれたようなもの。空港でカードを買って、その辺で交換して、使えないかなと思ってたけれど、それは、手先の器用な人の言う言葉だと思った。更に、息子が、韓国行きのときにsimカード交換を嫌がったのが、設定の問題。最近のカードは、「入れさえすれば使えるようになる」なんていう物言いを聴いたことがあるけど、そんなにまともなスマホを買ってないものだから、カード自体に、ヴィヴィッドに反応するスマホとは思ってないので、となると、カードを入れたは、設定で立ち往生なんてことになる可能性もあるなかで、カード自体の交換で躓いて、投げ出しそうだな。結論的に、アマゾン屋さんででも、カードを買って、日本で試してみようかと思ってる。お高くなっても、授業料だと思えばいいかと思えるようになった。ま、その気になったことだけでも、弟の話に付き合い、その出し入れの作業を、目の当たりにできただけで、良しとしましょう。そんなで、simロック解除の手続きはできていないから、まだ、黄紺のスマホはsimロック状態なのです。
 ホテルは、予約し始めていることは、昨日、書いたが、今日も、その続きをやった。黄紺は、ここまで、booking.comをほぼ使ってきたが、実際、それで間に合っていた。それが、1月の釜山旅行の際、ササン界隈のホテルが、booking.comで芳しくなかったもので、釜山の宿は、agodaで予約を入れた。場所とお値段、その最優先すべき点で、この釜山のときは、両者に差を感じたものだから、それから両用で行こうと考えた。名古屋も三原も、それで宿を押さえることに慣れてきた。ただ、地図がいいのと、慣れているということで、どうしても、booking.comを先に見る。それで、十分と思えるものがある場合は、そのまま予約したりしているが、待てよと思える要素が、少しでも出た場合は、agodaも利用する。面倒くさがりなのに、こういったマメなことをしている不思議だ、自分に突っ込んでりゃ、世話ないね。クアラルンプルは、やっぱ、見向きもせずに、チャイナタウンで押さえた。より都会的なブキットビンタンなんてのもいいのだろうし、全く知らないところに敢えて取る手もあったかもしれないけど、恐らく、これが最後のマレーシアになるだろうのつもりで、行程も組んだ、そうなんです、クアラルンプルを入れたかったから、日数を延ばしたんだから、となると、やっぱ、チャイナタウンが基点だよねと思ってしまうのです。初めてクアラルンプルの街中に着いたのが、その外れだったことが大きいね。夜の10時半頃、お互いに情報交換して、同じバスに乗った日本人は散らばって行きました。だって、あのとき、今の空港が開設して2週間後、誰も、空港からのバスが、それも乗り継ぎで、どこに着いたか知らなかったのだから。その情報がなかった。その中のお一人、確か、クアラルンプルのトランジットで南アに行かれる方だったけど、「確か、向こうの方がチャイナタウンだったと思うんですがね」と言われたのが、唯一の情報だった。あのときの心細さが、その一帯を、その後、何度も歩いたけれど、懐かしく思い出すんだよね。だから、その辺に拘る黄紺なのです。その近くで、前歯2本を折ったこともあるしね。先日も、その話を息子としたら、息子は、つれあいに、「急に、消えてん」と言ってました。あのときと、同じ言い方や、それ。また、そこ、行ってきます。


2023年 4月 23日(日)午後 9時 58分

 今日は、珍しく、お出かけなしの日曜日。そんな日なのに、朝のお楽しみ「日曜美術館」が再放送だった。だから、後半1/4の「アートシーン」だけを観ることになった。そう言えば、先週の「アートシーン」で、「芸術家たちの南仏」展が、今、首都圏のどこかで開催されていることが紹介されたとき、どこか気になるところを巡回すると出てたなと思い、番組のHPを調べると、何と「ふくやま美術館」だった。そか、それで気に留まったんだということ、思い出した。この美術館のある一角は、お城公園でもあり、幾つかの博物館が揃う文化ゾーンになってた。以前、福山に行ったときは、反対側の駅前しか行ってなかったので、今回、この場所を知って、驚いたんだけど、とっても行きたい「草戸千軒」の名を取った博物館があるから、再訪を期して帰ってきたのだけど、「芸術家たちの南仏」展が、この秋、ここであることを知って、俄然、再訪が実現しそうな気になってきた。
 午後の一時は、マレーシア旅行の準備に入ることにしていた。今日は、もう鉄道の切符も買ったので、それで、コースが、かなり拘束されてしまったので、ましてや、今回は、航空券のお値段の関係で、ペナンが基点になるので、拘束度が高いので、もうホテルを押さえちゃおうの気になった。まずは、到着日のジョージタウンだけど、1度行ってるので、距離感は判ってるつもりだけど、地理的な詳細を、歩き方の地図どころか、グーグルマップを見ても、よく判らないのです。迂闊なところにホテルを押さえると、空港からのバスを降りたとしても、そこまでの距離が長くては困る。ましてや、翌日には、早々にバターワースに渡り、移動しちゃおうの思惑もあるから、その船乗り場へのアクセスも頭に入れておかなくてはならないということで、空港バスが、どこを通るのかを把握しようとしたが、これが、わりかし難航。丁度、Youtuberの無職旅氏が、この作業をやった直後くらいに、この空港からの移動の動画をアップしたんじゃないかな、運のない話だ。こういった情報を調べると、コロナ禍が業をしますね。情報の混乱があるうえ、欲しい情報は流れていない。市内から空港へ行くときのバス乗り場くらい書けよ、そんなことくらい思いつかないのかと思ってしまうほど、丁寧さの欠けるものが続く。ようやく、空港バスの運行会社のHPを見つけ、市内の発着場所の名をゲットしたことで、ググることで判明。船乗り場近くだった。ということは、これ調べて良かった。中心部まで歩いたら20分できかないんじゃないかな? 次いで、そのバスのコースが判れば思い、グーグルマップに記載のあるバス停にカーソルを当て、そこを通るバスのナンバーを確認すると、バスの経路が判明。中心部は通ってなかった。これで、ようやくホテル探しに移れると思ったら、他のこともしていたため、あっさりと時間切れ。他の作業というのは、simカードの問題が1つだった。黄紺は、今まで、外国に行ったときは、1月の韓国を除き、ホテルのWi-Fi頼りだった。でも、ホテルのWi-Fiがあっても、ネットにアクセスできないこともあった、ドイツでも、3週間いると、少なくとも2回はあったんじゃないかな。偶然、駅にWi-Fiがあったりして助かったり、連泊するホテルがダメなときは、ミュージアムの前に行き、内側から漏れてくる電波をキャッチしたこともあった。それで、ぎりぎり行けてきたけど、コロナ禍で変わったと思っている。もう3年前の感覚は通じないと思ってるので、常時、使えなきゃ苦しいと考え、simカードを使うことを、今回は考えている。そこで、先日、simロック解除手続きをした、できた! だけど、まだ解除には至っていない。黄紺の契約している携帯電話の会社じゃない会社のsimを入れた上で操作して、初めて解除となると、取扱説明書には書いてある。がために、今日まで、マレーシア用のsimを買ったときに作業をしようと考えていたが、じゃ、どこでsimカードを買うのかが問題になる。到着後に買うなり、それまでに予約をしておき引き取るか、どっちかだろうけれど、その場合は、そこで、初めてsimフリーになったことが確認できることになる。これは心もとないと、今日になり、思い出したのだ。そこで、いいことを思いついた。別に外国用のsimでなくても「他社」のカードであればいいのだから、日本の他社でいいじゃないかと、当たり前のことを思いつき、早速、弟に連絡。でも、捕まらなかった。この件は、どうなるか、結果は明日以降になった。もう1つ、試みたことがあった。「grab」のダウンロードを試みたのだ。これも使い方を、ネットで探すと、あった。そこでチャレンジ。でも、様式が、ネットに上がってるのと違うのが気になったけど、猛進してしまった。やっぱ、スマホはできない人です。手にマヒがあるから、変なところに触れてしまう。それに気づかないというのが最悪。その意識があるものだから、スマホ画面上で、思わぬ動きをされると、簡単に動揺してしまい、立ち往生。そんなで、一旦、ダウンロードした「grab」のアンインストールしてしまいました。恐れすぎかもしれないけど、ホント、スマホは苦手。


2023年 4月 22日(土)午後 9時 53分

 今日は、午後にコンサートに行くことになっていた日。ついでに、その近くのミニ展示を観てこようの計画を立てていた。コンサートは、ロームシアター京都で、午後1時半開演だということで、午前中のウォーキングは、僅かだけど短縮。午後のコンサートの往復に買い物を入れたからか、ウォーキングの量は、目標通り、いつもと変わらなかった。お天気はいいが、2日前のことを考えると、低め。このくらいが、ちょうどいい。あの暑かった福山は、もう臨界点を超えてしまってたなの印象だ。
 今日明日と、「ローム・ミュージック・フェスティバル」が行われています。黄紺は、毎年、1日に1つだけコンサートを選び、行くことにしている。今年は、今日の土曜日だけ行くことにした。明日は、そんなにもそそられるコンサートがなかったので、無理していくことはないと、空きにした。で、今日のコンサートは、「12人のスペシャル・チェロ・コンサート」というもの。若手の有名チェリストが12人も集まり、アンサンブルを披露するという、このフェスティバルでなければ、思いつきそうもない企画。辻本玲、伊藤悠貴、遠藤真理、小野木遼、香月麗、上村文乃、佐山裕樹、髙木慶太、長谷川彰子、森田啓介、 横坂源、渡邊方子という12人。コンクールの入賞経験を持つ人、多数。ホント、日本は、次から次へと、若くていいチェリストが出てくるから、こういった企画ができるのでしょうね。そのプログラムは、次のようなものでした。「E.H.グリーグ(W.トーマス=ミフネ編):ホルベルク組曲 Op.40」「G.フォーレ(W.カイザー=リンデマン 編):パヴァーヌ Op.50」「D.ポッパー:演奏会用ポロネーズ Op.14」「J.シュトラウスⅡ世(W.トーマス=ミフネ 編):喜歌劇“こうもり”序曲」「N.A.リムスキー=コルサコフ(小林幸太郎 編):交響組曲“シェヘラザード”より“若き王子と若き王女”」「W.カイザー=リンデマン:12人のためのボサ・ノヴァ〈ブラジル風変奏曲〉Op.7b」「H.ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番」。ヴィラ=ロボスは、こういったコンサートの定番曲だけど、編曲者の名が入っていないカイザー=リンデマンの作品も、そうかな、楽器の使いに工夫もあるので、恐らくそうでしょう、要するに、この2曲が、この編成の専用曲で、あとはそうじゃない。だから、編曲の腕で、演奏を聴く段になると楽しみが変わるのでしょうね。プログラム的には、わりかし有名曲が並び、未知の曲でも、とっても耳当たりのいいものばっかり。「こうもり」は、当たり障りのない編曲という感じだったけれど、ソリストに変化を持たせる編曲なんてのがあったのと比べると、平易。でも、元の曲が素晴らしいから、誰も、つっこみはしないだろうけれど。ポッパーから3曲が、小人数で演奏。ポッパーが4人、残りの2曲が6人ずつの演奏だった。全員の演奏でも、座る位置を変えてのもの。だから、曲が終わるたびに移動があるという変わった音楽会。冒頭の曲で、辻本玲が、トップの位置に座ったので、さすがN響のコンマスに、アンサンブルの責任を取らせたかと思ったけれど、そうではなかったみたい。曲では、専用曲が強い。聴きがいがあったな。ヴィラ=ロボスは有名曲でもあるので、聴く機会が、今までもあったが、カイザー=リンデマンは初遭遇。ノリのいいリズムに、手拍子や手でチェロの胴体を叩く音を入れたりで、とっても楽しい。そのノリにのっかってる、いいリズムにテンポ。この最後の曲は、「練習に力、入れたんじゃないの、特に」と思うような出来栄え。そんなだから、耳慣れたメロディーに、最後の締めがいいというプログラミングの妙で、いい演奏会だったんじゃないかな。こういった若き名手を集めてあるので、入れ替わりソロが出てくる編曲ものになっている。その中で、際立ったのが辻本玲の楽器。このストラディバリウス、何度、聴いても、いい音が出る。ホールも、サウスホール、昔の小ホールだから、この編成にはベスト。とっても迫力というものを感じさせる演奏で、終始パワーを感じながら聴くことができました。
 コンサートが終わると、向かいのみやこメッセに行った。ワクチン接種以来だ、ここに入ったのは。表には、キャンピングカーのケバブ屋も出ていた。トルコ人じゃないと看たので、相手になりに行かなかった。みやこメッセに行った目的は、ここの地下で、「京都の大学ミュージアム特集1 京都工芸繊維大学コレクション―浅井忠と近代京都のデザイン」というお題のミニ展示が行われているから。タイトルにあるように、出品物は、全て、浅井忠ものだった。しかも、絵画作品が3点、入ってた。お題が「デザイン」なので、それらは、オマケと言えばいいかもしれない。その1つは、浅井忠を、フランスでヘッドハンティングして、京都に招請した、なんちゃらさんの肖像画だった。だから、それ以外は絵付けした作品ばかり。前にも見たことのある「大津絵」を使ったものも出ていた。半ばからは、浅井忠が、祇園石段下に開設した九雲堂で扱われたものとなった。この店を開設して、間もなく浅井忠は急死するんだよね、そのトピックも、解説には認められていました。この展示室、狭いけど、見張りの人、いなかった。「大丈夫だろうか、浅井忠ものだよ」と突っ込まざるを得なかったな、こればかりは!
 夜は、「ブラタモリ」の新作「下北沢編」を観た。かつて、お灸やお茶の街とは知らなかった。鉄道のトピックは、マニアックだったけど、とってもおもしろかった。第2山手線なんて計画があったなんて、びっくり。黄紺が、最後に下北沢に行ったのが、丁度、小田急線が地下に入った直後。新宿から小田急線に乗り、そろそろ下北沢かというときに、電車が地下に潜ったものだから、おったまげた思い出がある。小田急線の線路跡の利用の仕方も、おもしろかった。ついでに、タモリの住居跡も見せてもらえた。そんなで、下北沢で、何をするのかと思ってたら、とってもそそられるトピックが用意されていたのでした。


2023年 4月 22日(土)午前 7時 39分

 昨日は、午後に歯医者、夜に市民向け公開講演会に出かけるという予定が入っていた。それを、いずれも後悔した。原因は、広島旅行で疲れ切ったため。近所の歯医者に行くのも、だるかった。ウォーキングに出かけると、身体は軽く動くんだけど、一昨日の新幹線での車内のまんまでいたいの気分なのだ。固まったまま動かない、あの姿勢で、できれば居たいの気持ち。この2日間で、完全に、マレーシア旅行のテンションが下がった。10日間は失敗だったか、日数を少なくしても、疲労感は増すかもしれないのに、この少ないという言葉に惹かれてしまう。3年間のブランクは大きいね。ますます、衰えていることを、嫌が応にも知ることになってしまったってことですな。でも、1日が終わってみると、いつもより、僅かだが、多めに歩いていた。不思議な充実感。疲労を感じることが、マヒしたのかなぁ、、、しょうもないこと考えてしまってます。
 夜のお出かけ先は京都大学。今夜は、こちらであった「京都大学春秋講義」に行った。オンラインでの配信が、後日だがあるというのだけど、行きたくなってしまった。それが、運悪く、旅行の翌日となってしまったのだ。国際科学イノベーション棟5階のシンポジウムホールであったイベント、「気候変動が豪雨に及ぼす影響と適応」というお題で、防災研究所教授の中北英一さんのお話を聴くことができた。こういった市民向け公開講演会で、気候変動がテーマとされることは少ないということで、オンデマンドでの配信もあったのだが、申込みをしてしまっていたのだ。中北さんは土木の専門家、そういった観点からの防災に関わっておられる方。まずは、COPの活動紹介から、その最新の報告書の目立った部分の紹介。適応策と緩和策についての解説。各シミュレーションを出すために使われているPCの紹介と、オンライン配信でも、必ず、こういった前置きが入る。いきなり本題といかない、これは、このような市民向けでなくても定番のようだ。ただ、その中で、そそられたのが、データ化しにくいのだが、お題に関して、気候変動が豪雨に関わっているのかという問いに関して、COPの報告書では、明示を避けていると言いながら、「私は」との前置きで「その10%は影響を受けていると言える」と言われていました。実感としてはそうなんだけど、わけも言われていたがデータ化が難儀と言われていた記憶。前置きで、「いつもの話だ」と思ったことと、音響環境が万全ではなかったこともあり、この辺で、ボヤーっとした時間帯がなかったわけではなかったけれど、本題の箇所では完全覚醒。日本で豪雨が起こるときというのは3パターンあるというお話から。敏感に本題に入るぞを感じ取ったのだと思います。完全に動物的反応です。①台風②局地豪雨(梅雨、秋雨)③ゲリラ豪雨の3パターン。それがなぜ起きるかを、入道雲の出来方から解説していただけた。雨が降る原理、それが豪雨になるわけ。「空気は気温が上がると軽くなる」「空気は気温が上がるとより多くの水分を含む」「固体から気体に変わるとき、こういった変化、何て言うのでしたっけ、そういったときに熱が生じる、気温上昇だけではなく温度が上がる要素がここにある」「冷たい空気が入って来ると、空気がひっくり返る、これが大気が不安定ということ」、、、こういった基本的なことを紹介していただけた。こういったトピックになると、基本が大事。でも、それが気候変動でどうなるという流れは、そのときには解りながら聴いていたつもりでも、あとになり、自分では復唱できないのが、自然科学音痴の成せるところのようで、結論だけしかと言っても、全部を覚えてるわけでもない。いや、結論は、むしろ、いろんなところで聴いているので知っていること。台風は数は減るけれど、スーパー台風が出てくる。台風は、東寄りに動く。梅雨前線は北上、気温上昇4度モデルだと北海道までカバーすると言われていた記憶。相変わらず九州西部は豪雨に見舞われる。北陸の雪量は減るかもしれないが、ドカ雪がある。これを、気候変動モデルで1時間単位でデータ化されている。だから、「208Ⅹ年9月12日」というように、1桁台は明示せず、「2080年代」の「9月」には、このような気候配置になるということが出てくる。これをCG化していくと、雲の動き、海流の様子が判るので、台風の予測なんかが、簡単にできるようになっているのだ。ここ17年間の話だと言われていました。今までは過去データを基に、政策立案がなされていたが、今や、PCモデルを基に政策を立てることが、法律化されているそうです。それだけ、そのモデルの精度が上がったということですね。実際、CG化された映像を見せていただけたが、日々の天気予報で雲の動きをTVなんかで観ることができるが、それが「208Ⅹ年」まで、1時間ごとにデータ化できる時代になってきているのだ。凄いわ! 地球全体のデータ作りの粗い目ではなく、国土の小さい日本用にメッシュを細かくするというトピック、使われているPCについて、「1番でなくて2番でいけないんですか」というトピックは、必ず出てきます。でも、蓮舫の発言のおかげで、この気象モデルの話が、とても身近に感じられますね。時間の関係で、かなりすっ飛ばされましたが、最後の方で、大事な押さえをされていました。適応策・緩和策の基本となることでしたが、尻無川の水門の映像はビビるものだったけれど、あれ、できてから60年目に役に立ったそうです。高潮の凄まじさ、それを食い止める巨大水門、60年間は存在していただけ、でも60年目に機能した、そのときの映像でした。オペレーターは震えたそうです。急に設えても間に合わない、事が起こってからでは始まらない喩えでした。伝統的社会が持っていた霞堤、輪中堤といった先人の知恵も紹介されていました。同じ喩えとして。いやぁ、いいお話。狙い通りの講演会、すっかり、身体の疲れのこと、忘れてしまってました。


2023年 4月 20日(木)

 広島旅行2日目の記録。朝、8時前にホテルをチェックアウト。三原港を観てから、舟入櫓へ。前日、街歩きをしていて、偶然、その入口を見つけた。見つかるだろうかと心配していたけど、これは有難かった。ただ、櫓に上がってしまうと、石垣自体は見えないから、上から道に見当をつけて降りてみた。すると、前夜、街歩きをしていて通った箇所もあった。暗くて見えなかったようだ。駅の北側に行き、天守が、よく見えるところを歩く。こちらは整備され、一部、再現もされている。西側の道が西国街道だった。かつては、賑わったのでしょうな。電車を、予定より1台早め、午前9時27分発の糸崎行きに乗ることにした。それでも、余裕を持って、チェックアウトしたおかげで、堀の前のベンチで寛ぐことができた。電車は、糸崎で乗り換え、尾道で下車。めっちゃレトロな駅でびっくり。街のイメージに合うように残してるのだろうか。 北口は、更にレトロ。店もない。そこから、15分ほど歩いて、なかた美術館へ。「フランス近代絵画コレクション/パリの馨り」という展示が行われているということで行ってみた。「アイズピリの初期作品を中心に、フランスの近代絵画の軌跡を辿る」と、概要に書かれていた。主として、20世紀のフランス絵画を観ることができたが、アイズピリという作家を知っていたわけではない。今回の広島旅行に西洋絵画を観る機会を作ろうとの考えからだ。展示室は、5つのセクションに分かれており、そんなに展示数は多くはなかったけれど、上へ上へと上がっていく展示室の配置が良く、美術展自体も気に入ってしまった。いきなり、ユトリロ2点のお出迎え。「ナチュアの鐘楼」「パリのマラケー河岸」。いずれも地味な作品。傍らのアイズピリの「パリ ・ セーヌとノートルダム」が目立つ配置。べたな素材だけど、油彩の筆の使い方が、常に上にはね上げるようでおもしろい。アイズピリが、あと3点、同じ部屋に。「骨董屋」は、近くで観ると、何が描いてあるか、よく判らない。でも、女性の顔が引き立っている。アイズピリとの親密性を伺える。この作品が、ポスターに使われてたんじゃないかな、何となく、その気持ちが解る気がしたが、偏に女性のいい表情からでしょうね。あと2品は、マリオネットの人形の絵。この人形の顔つきが、男性の生身の人間にも使われてるような気がしたな。第2室では、アイズピリものでは「横たわる裸婦」が目立つ。おへそのラインの、若干デフォルメされたくびれが、この女性のリアリティを増してるように思えた。これは秀逸。バラを、たくさん観た日だったけれど、モイズ ・ キスリングの「薔薇」の盛った感が良かったなぁ。赤が映えます、その盛った感に。傍らには、ルオーやブラマンクも。第3室がビッグ過ぎました。コロー、ルノワール、マリー・ローランサン、シャガール、ピカソ、藤田嗣治と並んだ。久しぶりのコロー、「雌牛のいる風景」と、動物がいました。そういった有名人が並ぶなか、知らなかった作家ジュール ・ パスキンの「婦人」が気に入った。娼婦を描いたそうなんだけど、ぱっと見では、そうは思えなかった。ミミって、こないな女性?なんて、想像力が働き、気になってしまったのでしょう。藤田嗣治の「花束」も、こういった作品群の中に入ると東洋を感じてしまいました。第4室の一角は、「植物画の世界」として、バラの品種を克明に描いたアン ・ マリー ・ トレクスリの水彩画が並び、その他のスペースでは、アイズピリの息子ジル ・ ゴリチの作品が4点あったけれど、ピンと来なかった。ここにも、マリー・ローランサンものが1点、今回観たマリー・ローランサンは、いずれもぼやけていない、だから、頼りないという印象が続いてしまった。最上階の第5室は、主役のアイズピリばかりが8点。その中で、特に気に入ったのが、「水差しの花」「マンドリンのある静物」。前者は、花が1つだけブルー系で、あとは違うのが気になって仕方がない。後者は、マンドリンをはじめ、浮いたように見える黒い線に惹かれてしまってた。いずれも、ちょっと不思議な絵だけど、そこにあるものを、自然に受け入れさせる存在感があるのです。おもしろい作品です。こうして、振り返ると、記憶に鮮明に残ってる。それだけ、濃密な時間を過ごせたということだと思います。
 尾道駅の北側は、昼食に適したところではないので、そのまま電車で福山へ。駅までの道は、坂下をぐるりと回るようだったけれど、噂には聞く、見事な坂の街を垣間見ることはできました。福山は、一転、大都会。逆に、うまくいい食堂を見つけることができず、避けたかったラーメン屋へ。仕方ありません。暑かったしね。この福山で行ったのは、お城のある公園の一角にあるふくやま美術館。こちらで、2つの展示を観ることになった。1つ目は特別展「近代美人画 百花繚乱 -松園、清方、深水、夢二- 培広庵コレクションを中心に」。正直、これだけの美人画が並ぶと、皆、同じに見えてきてしまいます。でも、そういった中で目に入って来るのは、特異な構図だったり背景だったり、素材なんかもそうかな、というような差別化が図られているものか、名前に惹かれてしまってるか、でなければ、余程、目立つかということなんでしょう。展示のセクションは、次のように分かれていたのだけれど、セクション立てから判るように、同じ作家が、どこにでも現れるという展示となっていました。「①近代美人画誕生~江戸から明治へ~」「②歴史・古典文学に登場する女性たち」「③特別な日の装いと日常の中の女性美」「④女流画家が描く女性美」「⑤関東画壇と関西画壇、こだわりの美人画」。そんなで、アトランダムに記録に残しておきたいものをメモっておきます。「女性画家三園」という言い方があるそうだ。「上村松園」「島成園」「池田蕉園」がそうだ。上村松園以外は知らなかった。島成園は、大阪の画家なようで、このコレクションの主は、かなりのお気に入りだったようで、展示されている作品数が、かなり多かったが、黄紺的には、数的には少なかった池田焦園に惹かれた。この展覧会で、一番の収穫とすら思っている。夫婦で美人画を描いていたそうで、夫の池田輝方との共作も発表している。この展示でも「春秋図」「お夏」の2点があったけど、いずれも、焦園ものに軍配。特に、「お夏」は、夫の描いた狂いのお夏ではなく、それを、傍らで見つめる2人の子どもを描いた焦園の筆力が圧倒していた。岡山が近いということで、近隣の美術館からの借用ものも含め、竹久夢二ものが数点、展示されてたけれど、これだけ並んだ中に入ると、竹久夢二の個性は際立っていた。すぐに竹久夢二だと判る、女性の顔立ちばかりか、着物の模様も、個性がある。竹を描いた着物には驚かされました。菊池契月ものが2点あった。どうも、菊池契月は、犬を連れて散歩する女性のイメージが強く、その2点ともにおとなしく、他の作品の中に埋没していたのが残念。伊藤小波ものは、当然、各所で目にすることができた。この人の描く女性も、腕の際立つものがありますね。「秋の夜」という作品だったかな、心の内が現れているようで、ため息をついてしまってました。紺谷光俊、北野恒富、山川秀峰が、繰り返して出てきた。覚えておくようにしよう。幸野楳嶺が1点だけ「今様官女図」、これが素晴らしかった、有力なベストワン候補。位格というか、貫禄というか、単なる美人画ではなかった。逆に、伊東深水ものは失望を誘った。上品で、繊細な作品を観てきた目には、そういった今までインプットされていた伊東深水ものとは方向性が違うように見えてしまったからだと思います。失望だったのは枩本一洋の「古代美人」もそうだった。この人の大和絵の美人を観てきているだけに、そうなったのかもしれない。上村松園ものは4点、黄紺的一押しは「京美人之図」、「桜可里能図」は、HPに上がってる画像で観る方がそそられた。鏑木清方ものは4点、甲乙つけがたしの佳作が並んでた。最後には麻痺状態。これが当たり前状態に入ってるんでしょうね。でも、帰宅後、この特別展を知らせるHPにアップされてる美人画を観ると、やっぱ異空間にいたことを思い知らされています。でも、腰との闘いに入ってた身には、長居ができなかったのが惜しまれます。
 同美術館では、もう1つ、観たい展示があったのです。別料金だったけれど、特別展のチケットで割引で入れました。「春季所蔵品展」です。こちらには、特集展示「大正アート・デモクラシー」というお題が付いていました。それが第1室。竹久夢二の描いた雑誌の表紙絵が展示されていたりで、一気に、表題の雰囲気が出来上がります。広島に来て覚えた名前、南薫造の作品も並ぶ、傍らには、岸田劉生、安井曾太郎、梅原龍三郎といった大家の名も。岸田劉生の作品には「麗子十六歳之像」なんてのがあった。娘麗子を描き続けたということですね。有名な「麗子像」しか知らなかったため、成長した姿にびっくり。そういった中で目を引いたのが、池田遥邨の「みなとの曇り日」。大きく広がりを感じる爽快感のある作品。それと、吉田博の版画2点「光る海」「雨後の夕」。川瀬巴水を観てきた翌日だったので、この偶然は嬉しかった。現代版画として知られた作家として、川瀬巴水展でも名が出ていたので、ここで出会えたのは、とってもありがたかった。思わず写真を撮ってしまってた。納得の情緒溢れる逸品でした。第2室が「日本近現代美術」。冒頭に、鹿子木孟郎「フランス風景」、萩須高徳「パリ風景」、児島虎次郎「ベルギー、ガン風景」と並んでいのが、威圧感抜群。萩須高徳は、京都で展示会があったとき、行かなかったことを後悔。児島虎次郎は、大原美術館の創設者の支援を受け、且つ、大原美術館の作品選択に貢献した人物でもあるとか。鹿子木孟郎の作品は、くすんだ色合いだったり、萩須高徳の描いた建物は定番過ぎていたりで、自分的には、児島虎次郎の作品の明るさ、瑞々しさが気に入った。第3室は「西洋近代美術」。ここでも、ユトリロ、シャガール、マリー・ローランサンがあり、最近、よく出会うフォービズムを代表するヴラマンク、アルベール・マルケ、アンドレ・ドラン、イタリアからはジャコモ・バッラ、ジョヴァンニ・セガンティーニらの作品が展示されていたけれど、名古屋から出会いが続くフォービズムに慣れてない。ブリュッケまで行っちゃうと付き合えそうと思えるのだけど、なかなかとっつきにくいのが、現状。20世紀初頭の湯水のように湧いたニューウェーブ、それだけで、関心はあるのだけど、個々に詰めていけてないね。まだまだ勉強不足、これだけ、フォービズム攻撃に晒されると、ホント、その勉強不足にまいってしまう。今年度の京セラ美術館のランナップに「未来派」を集めた展示が入っているので、それに、せめて間に合うように勉強しておきたいね。これだけ、取り上げる機会に出会ってるということは、それだけ、そそられる何かがあるとの前提で看なきゃいけないと思うので。腰が悲鳴を上げるなか、最後は自戒の時間となっていました。生きてる間に、自分の意見なり、見識というものを、これらに持てるんだろうか、そんなことも考えてしまう。
 外の気温は25度を超えていた模様。16時台ののぞみで帰ることにした。もう、腰が限界をかなり越していたので。乗車まで30分余あったので、暑いなか、せめて天守閣近くまで行こうと階段を上った。あわよくば、草戸千軒ミュージアムにもと考えていた自分が怖くなるほど、腰がダメだった。新幹線のホームに上がり、酎ハイを1本買い、ホームで待ってる間に飲んでしまった。寝るとヤバいと思いながら、水替りと思い飲んだ。のぞみに乗り、座席に着く。もう、その姿勢で京都まで動けなかった。固まってしまってた。今回の美術館巡り、一つの試みだったけど、この方法は身体に悪いことが判った。もっと、身体を労わらないと、楽しいことも楽しくなくなってしまうな、これ、実感。反省しきりです。やっぱ、記憶が、終盤になるほど、薄い。それは、偏に疲労に比例している、これは間違いないからね。


2023年 4月 19日(水)

 広島旅行1日目の記録。この日は、広島駅近くで、2つの美術館巡りをした。1つ目は広島県立美術館。こちらで、2つの展示を観た。1つが「川瀬巴水展」、この展示があることを知ったのが、今回の旅行の直接的なきっかけ。雪の降る増上寺前を傘をさしながら歩く女、初めて観たとき、ホント、圧倒された記憶がある。東京と名を替えるも、江戸の雰囲気を残した姿が、好んで描かれたかのような素敵な版画、いずれも引き込まれた記憶。それを、生で観ることができる、観ないわけにはいかないでしょう。後で知ったのだけど、全国を巡回しているようです。でも、近畿地方は三重県でだけ、それも終わったから、今回、広島に来て、正解。元々、鏑木清方の弟子。伊藤深水の作った版画に触発され、自分も、手を染めたことが版画で当てるきっかけとなった。川瀬巴水の活躍に、常に出てくるのが、版元の渡辺庄三郎。その才能に目をつけ、生涯、支援を続けたと言います。このトピック、今回の展示でも、時系列を貫く、大きな軸になっていました。それに、もう1つ、よく言われるのが、関東大震災のビフォーアフター。手持ちの版画、素描を失い、ゼロからの再出発、これも、川瀬巴水を語るとき、必ず出てくるトピック。実際、作品で観ると、全体としての明るさが出たかなと思った。ビフォーの作品は暗い、暗さの中に、何かを見つけようとしているかのように暗い。アフターは、明るさが入ってきたので、作品が多様化したような印象を持った。旅に出て、各所で仕入れてきた素描を基に作品を描く。晩年、文化庁だったか、お役所が、川瀬巴水の新版画と呼ばれる技を映像に残しているので、それも、資料として、時間を短縮して編集したものを流してくれていたけれど、下絵を元に、そのタッチ、雰囲気を活かす、彫師に摺師一体の技は、凄いね! その作品の総合プロデューサーが版元、渡辺庄三郎の仕事。その総合プロデューサーに見出だされたのが、やっぱ大きかったということなのでしょうね。渡辺庄三郎は、風景を描ける絵師が欲しかった、それに見合ったのが川瀬巴水というところです。雨や雪が描かれている作品に、どうしても目が行っちゃいます。それに反し、木々の緑や富士山に代表される山を描いた作品とは、クォリティに差があるように感じ出していた。そういう思いが、先へ進むにつれ、強くなる。ところが、いつもすることだけど、一通り観ると、もう一度、気に入ったもの、気になるものを観に戻る。そうじゃないものは、近づいて観に行かないものだから、最初、順次観ていたときと、作品との距離が生まれる。しかも、目を凝らしてはいない。そういったときに、映えるように観えたのが、件の木々の緑と富士山だった。そか、距離が要るんだ、これらは。明るい系も、そうした方が映えるということが判った。この展示のラストは、何と、スティーブ・ジョブズのこと。川瀬巴水の作品を25種類ほど手に入れているそうで、そのリストも展示されていた。なお、新製品の発表の際、ディスクトップ画面には、樋口五葉の「髪梳ける女」を使ったということで、その作品も展示されていた。これは、嬉しいオマケだった。
 広島県立美術館で、もう1つ、展示を観た。「川瀬巴水展」のチケットで入れたこともあるけど、黄紺的地方の美術館巡りの真の目的はこちらなのです。所蔵作品展「生誕・結成記念特集/新収蔵作品展」が、同時開催されていたのです。入口すぐの部屋が「ウエルカム・ギャラリー」と名付けられた、とってもお洒落な展示。全展示のダイジェスト版と言えばいいかな、いや、目玉なのかな、どっちでもいいけど、インパクトが強い。まず、靉光があったのに、動転。ここで動転していてはいけなかったことが、後半に判明。えげつなく際立ったのが、児玉希望の「七面鳥」。大作だし、3匹の七面鳥の身体の拡がりに圧倒されるかと思うと、いい目つきしてるんだな、こいつらが。この展示で、児玉希望という人、しっかりと覚えてしまった。後からも、目に付くもの多かったという印象。経歴欄を見て、驚いた。川合玉堂門下だった。川合玉堂は、岐阜に縁があるということで、前回の地方美術館巡りの岐阜県立美術館で、幾つか観ることができ、今回は弟子筋の作家さんに魅せられるって、いい繋がりです。更に、今回の広島行きで覚えた南薫造と奥田元宋(生誕110年ということで、特集展示が行われていた)、それに、平山郁夫や、金工の清水南山らの作品が展示されていた。そして、1室が、な、な、なんと、「“青騎士”刊行110年 カンディンスキーとドイツの芸術家たち」。京都の「ルードヴィヒ美術館」も、これから始まったのに、また、ここでも、こっから始まった。いいときに行ったものですが、これらを所蔵しているというのが凄い。この美術館の実力を知った思いです。カンディンスキーは、いつ観ても、なんのこっちゃと思ってしまうけど、でも、ぱっと見でカンディンスキーと判る。何かのコンセプトを持ち描いてる証拠なんだろうけど、判らないのです、自分的には。パウル・クレーは知ってるけど、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、ライオネル・ファイニンガー、カジミール・マレーヴィチといった作家さんは、どこかで観てるんだろうけど、作品を観ても既視感がなかったけれど、更なる感動を生んだのは、エーリッヒ・ヘッケルの作品が1点(木彫りのある静物)があった。ブリュッケだ! 刺激的な色、プリミティブアートからヒントを得ただろう木彫り、懐かしい、ドイツ、行きたいよ! その次の部屋が「靉光と新人画会の作家~戦時下の創作と交友~」というもの、入口正面に「帽子をかむる自画像」がお出迎え。更に、靉光の作品が10点はあった。この数だけで圧倒されてしまう、大変なコレクションですね。静物画を見かける機会が多い靉光だけど、こういった人物画が、ここでも、数では劣るけれど、やっぱ目が行きました。独特のくすんだ色合いに肌の色がクリアになるからかなぁ、知らんけど。第3室が「生誕110年、奥田元宋心象の山水」。奥田元宋、初めて知った作家さん。申し訳ないけど、ここに同門の児玉希望の作品も展示されていたのが嬉しかった。「ひるさがり」に、とってもライヴ感を味わった記憶。奥田元宋については、三次に専用美術館があるそうだ。川合玉堂ばりの岩肌が記憶に残ることもあり、また、広島に行く機会があれば、要チェックだ。最後が、「新収蔵品」の部屋。ここでも、児玉希望が1点、工芸の作品が多かったが、最奥に重文が1点、鎮座していた。柿右衛門様式の伊万里だった。
 広島県立美術館を出ると、太田川方向に戻り、徒歩で移動して広島市現代美術館へ。途中、太田川河畔のベンチで、持って行ったパンをかじって、昼食。この行程、最後にびっくりした、現代美術館は山の上だった。その道、警官が立っていたので、道は、間違っていないか確認した。それほどの道だった。この現代美術館、リニューアルオープンということだった。「ピカソ展」の近くであったけれど、こちらを選んだ。「Before/After」という再開記念の特別展が行われていた。建物の性格上、展示は2ヶ所に分かれている。1つ目の展示館は、お題に沿ってのものだけど、よく判らなかった。個々の作品に目が行っても、その背景にあるコンセプト、それらが共通に持つお題との連関性、そういったものが、自分の目では見えてこなかった。田中功起のインスタレーションが、1つの部屋を占めてあった。生活品と映像を組み合わせたユニットが、部屋の各所に散らばっている。傍らには、その設営を、作家とともにするキュレーターたちの様子が映し出されている。何度目かの展示のようだけど、この作品をアーカイブに残してあると起こる劣化のことが記されていた。そのことを作家と対話しながらの作業だったかな、そんなことが書かれてあったけど、チンプンカンプンだった。ただ、各所に置かれたモニターに映る映像は、何気に気になった。生活品を放り投げたり、たわませて、手を放したりと、生活品の本来の使用目的とは異なるアクションを人間が仕掛けている、そのときのものの動きを追いかけていて、その映像に使った生活品がモニターの傍らに置くという展示だった。他の大きな部屋には、多くの作家さんの作品が置かれていた。木の足を少し見せたぬいぐるみは、目隠しをされていた、文化財の修復技術を使い、生の人参をコ-ティングしたり、原爆ドームを想起させる鉄板作品は、表面を腐食させることで原爆ドームが朽ちて行ってる現況を表しているかのようだった。映像作品も難解。2つの画面が同時進行するというもの。イラン系アメリカ人?が、学生として、各戸訪問をして、最近見た夢を尋ねる映像、その学生が、最初出発した山の中の核施設を彷彿とさせる施設内の映像が、もう1つのもの。1人の研究員の行動を追うというものだけど、緊急ベルが鳴ったときに、その研究員が、別行動で資料室に入り、ある書籍の1ページを破り取るというものなんだけど、よく判らない。その施設では、トカゲの夢の研究をしていると言ってたかな? 映写されている部屋の外には、学生が訪ね歩いた人たちの肖像写真という展示。だれか、さわりでも解説してくれぇ~!! 2つ目の建物に入ると、とにかく覚えているのは、森村泰昌の「アインシュタイン成りきり写真」があったので、こちらは、既存の有名作家の作品を、お題に照らして展示するのかと思ったんだけど、違った。その奥から始まったのは、原爆投下後の広島だった。そういった意味の「アフター」だったのかと、納得もしたけど、でも、現代美術館に期待していたものとは違うとも思った。でも、広島でないとできない展示なんでしょうね。
 現代美術館を出る目安を午後4時に置いておいた。広島駅までの時間が20分、丁度、頃合いの電車に乗れるからだ。夕方を移動時間と設定。電車の中で、休息しようの考え。別に、夜に予定を入れてなかったから。電車で、約70分の移動で三原到着。三原港近くのホテルに投宿。1泊4000円以下で、且つ、朝食付きなんてホテルを見つけてあった。三原に泊まることになってから、三原について調べた。すると、おもしろいことが判った。三原駅、三原城の天守跡の上に造られていた。まじかと思ったけれど、ネットには、三原駅構内から残る天守跡に出る階段まで、画像が出ていたので、俄然、スパーク。駅に着いた途端、そこへ行った。本当だった! 新幹線ホームの下に石垣が残ってるし、石垣をくり抜いて、駅の外に出るようになってた。こんなのあり? 港も漁港があるのと思っていたけど、そうじゃなくって、客船用、瀬戸内の島に船が出ているのだ。因島、大三島という、黄紺も知る島だった。通勤客、通学客を乗せる船、生活航路だった。それで、また、嬉しくなってしまった。ええとこ来たって。夕飯は、その港近くで見つけた、超レトロな定食屋さんに入り、ここでも満足でした。


2023年 4月 19日(水)午前 6時 19分

 昨日も、お出かけなしにした一日。今日明日と、広島に行くのでね。再度、行き先確認をすると、やっぱ、抜けていた。どこかに気になってたことだったので調べ直した。京セラ美術館なんかでもそうだけど、企画展とともに、同時並行で、所蔵品展がある。その所蔵品展を抜かしていた。それも行くとなると、1日に3つの美術展に行くようなことになってしまう。2つでも、腰が悲鳴を上げるのに、3つとは、、、! ちょっと無茶覚悟での出発です。
 旅行関係では、切符を買いに行った。ネットで買えないかと思ったけど、結局は、切符を取りに行かねばならない。ないしは、乗る直前に引き取る。これ、あかんやろと思ってしまった。一昨日、マレー鉄道の切符を買ったけど、PDFで切符、出てきたよ。ドイツ鉄道もポーランド鉄道も、そうだったのに、なんや、これ。12.3年前に、フランス鉄道でTGVの切符買ったときに、駅で引き取ったけど、それ以来だ。そうだったら、直で買っても変わらないので、みどりの窓口のある駅まで買いに行った。前には、インバウンドの4人組が買っていた。どうやら、ネット予約の引き取りのようだった。なんで、JRはしないんだろうと、ちょっとだけ考えた。改札があるからだろうか? でも、タッチ式の改札があるから、そこにQRじゃ、ダメなんやろか? ちょっと待てよ、クアラルンプル・セントラルは、改札があったようだけど。そう言えば、コンサートのチケットも、発券は窓口でやってる。ん? 最近、京都市関係の施設は、Eチケットを始めた、有料で! やればできるのに、他は、やってない。謎は深まる。映画館も、発券を求めるところと、一部、QRで入場できるところと分かれてるぞ。どういうこと?
 そんなで、外出は、この切符を買いに行ったのが、夕方のウォーキングも兼ねて。昼前は、せっかく、いいお天気で、これは、いい読書日和になると思い、休憩に入ったら、本を持って出るの、忘れてた。こんなものだね。あとは、昨日は火曜日だから、RadikoでKBS京都のラジオを聴いていた。「まーぶる」では、落語界の新しい情報と言えるものは出なかったんじゃないかな。ただ、新しいステッカーが出来上がって来たからかなぁと思ってたけど、端から、二葉のテンションが、若干、上滑り気味だったのが気になってたら、最後になり、ようやく、そのわけが判った。AERAの取材が、4時間、ずっと入ってたということが明かされて、ようやく、すっきりした。傍に、ずっといて、写真も撮ってたと、梶原さんが紹介してました。「どこまで行くのか、桂二葉」、また新たなステップを上がった。芸能とかとは関係ない、こういったマスコミが、正に「時の人」という感じで、お堅いイメージのAERAも動いたということなのでしょうか。これは、記事になったときに買わねばなりません。夜半からは「吉の丞のおつかれさん」も聴いた。先日、奈良で「三題噺」をしたときのトピックを、米朝事務所チャンネルに次いで使ってた。「三題」が「二題」になったことです。やっぱ、このチャンネルをリハーサルに使ってる。


2023年 4月 18日(火)午前 8時 9分

 今週は、週半ばで、1泊2日の旅行を入れているので、とりあえずは、それまでは、お出かけは止めようとの決意。予定表には、映画だの、美術館だのが入っていたが、後ろに回した。それで行けなくなっても、何でもかんでもはダメということで諦めることにした。そういった割り切りが大事だと思うのです。だから、昨日は、何もない月曜日。夜に、米紫&吉の丞によるYoutubeの配信があるので、生ではなく、いつものようにアーカイブで観ようだけが、月曜日らしいところ。雨も止んだし、のんびりとウォーキングをするのに良かったが、雨のためか、気温は下がり気味。午前中のウォーキング時は、ジャージの上に薄いウインドブレーカーを着て行ったくらい。ま、時間が経ち、真昼間は20度くらいには上がったようだったが。その頃は、冷える屋内で、電気ストーブのお世話になりくつろいでいたけどね。
 先日あったことで、1つ、書き忘れたことがある。土曜日に京都コンサートホールに行ったとき、ディープな音楽ファン氏と、偶然、会った。2ヶ月程前にも、同じ場所で会った。ディープさは、半端じゃない方だから、いろいろと刺激をいただく。今回の話題は、海外には行けていないということ。なんせ、ゲッツ・フリードリヒのプロダクションの「指環」の最後の公演(ベルリン)に行かれた方なので、黄紺と話が合うのだ。黄紺も、つい、ペンテコステのときにドイツに行こうと動いてたことを話してしまった。一方、その方は、おもしろいこと言われていた。東京じゃない町のオケを聴きに行っていると言われてた。海外は、まだ自重するなら、国内で聴く機会のなかった、ないしは少なかったオケを聴こうじゃないかというアイデア、思わず、黄紺が実行に移している地方の美術館巡りに似ていると思った。今週の広島では、同じ試みはしなかったんだけど、7、8月に北九州を狙ってるが、それについては、九州交響楽団と広島交響楽団については調べてある。だから、ホント、似たことをされてると思った。ただ、ドイツの話はしたけれど、国内の試みは黙って、お話を伺うに留めたけど。名古屋や札幌にも行ったようなことを言われてたな。となると、あと、どこがあるかなと考えてしまった。山形に群馬、仙台、静岡、金沢、これだけかな、プロのオケがあるのは。但し、神奈川フィルと千葉交響楽団は、首都圏だから除外してるけど。オケの追っかけを主として、美術館巡りを従にする? どっちでもいいから、こういった地方巡り、ほん好きです。ドイツでも、ベルリンやミュンヘンを狙うのもいいけど、コトブスやケムニッツなんかで観るの、大好きなのです。それと、同じ感覚だと思っています。
 午後の一時は、1ヶ月先に予定しているマレーシア旅行の準備。大そうなことではなく、今回初めて利用するマレー鉄道の切符をゲットしたこと。バスも乗りたしということで、両用で行くつもりをしている。バスは、当日ないしは前日購入でもいいが、鉄道は、初めての利用なので、今から購入できるのなら押さえておこうと考えたのだ。ポーランド鉄道を利用したときも、ネットにお世話になったけど、購入について、詳しく書いてくれてる方を見つけた。コロナ禍前の情報だったけど、とっても助かった。この辺は、既に、こちらに書いたはず。PCの不調で、やっぱ、登録ができてなかった。回復したPCで、あっさりと登録完了。ドイツ鉄道のように、余計なことを聞いてこないので、チケットの購入も、流れに乗っかり、あっさりと買えた。だけど、1つ、心臓に悪いことがあった。最初は、バス移動を考えていた「アロースター~バターワース」間の移動も鉄道にしようと思い立ち、出発地と到着地を入れると、解なしと出たとき。なんでと、しばし動揺。しかし、1つのアイデアが浮かんだ。まさかと思いながら、ウエストコースト線の時刻表を開けてみると、判った。イポー方向からアロースターへと走ってるのが、ウエストコースト線なのだが、バターワースへ行く路線は引き込み線だということが。だから直では、アロースターとバターワースの移動はできないのだ。乗り換えればいいのだけど、それは面倒だしと、その間の移動はバスで仕方なしと判断することに。前にアロースターに行ったときは、バスでバターワースから入り、イポーへ向かうバスに乗った。だから、インもアウトもバスだった。20年も前のことだけど、街歩きの記憶は、ほとんど残ってないけど、バス移動は覚えている。街中で降りた場所と乗る場所が同じだったと記憶している。中心部に入ると巡回コースを取っていた記憶が残っている。これ、ちょっとだけ厄介。ま、現地で尋ねればいい話だけど、バスで行くということをしていれば、降りたところを目印に乗る場所も見当がつくが、鉄道で入るものだから、乗り場自体から探しにかからねばならないのが、面倒なのだな。そんなことが、頭をかすめたついでに、アロースターって、何があったかなと思ったもので、ネットや歩き方を読んで遊んでしまった。イポーやタイピンに比べると、西北部では印象の薄い町がアロースター。今回も、行き先に入れるかどうか迷ったほどだけど、行けば思い出し、20年前と比較できるかもと思い、行き先に加えたら、急に、気になるきっかけを与えられてしまった。そんなことで調べていると、なぜか、マハティール元首相の生家跡だけ、やたらクリアに覚えてることに、びっくりしてます。それと、関空発の飛行機が、朝早いので、前泊をしようかと思っている。最近まで、関空内で一晩過ごすつもりだったけど、自分の年齢を考えると、端がこれではいけないと考え、方針転換。どうやら、貝塚で泊まるというのがいいようだと思い始めているところだ。そんなことをしていたら、あっさりと午後の一時は過ぎてしまいました。一応、広島行きの最終チェックもしておいたので、安心して出発できるはずです。


2023年 4月 17日(月)午前 7時 47分

昨日は、午後にお出かけ予定を入れていた日曜日。昼までは、いい天気だったんだけど、また、午後に雨が降り、一旦は止んでも、また夕方から雨。最近、雨が多いわ。日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」は、しっかりと新作を流してくれた。お題は「よみがえる伝説の画聖・明兆(みんちょう)」。明兆、初めて聞く名前だった。でも、この人、東福寺で絵を描くことを任されていた僧だそうで、今、東京国立博物館で行われている「東福寺展」の目玉となる作品を残した方。同時代の雪舟は有名だけど、こちらはそうじゃないと言ってたから、一安心。取り上げられたトピックをメモっておきます。①「大涅槃図」(1408年、57歳の作品、仏涅槃図〈中国〉が手本、だが下部の動物の描き方が違う、下から見上げることを想定して描いているので、臨場感があり、身近さを感じさせる描き方になっている、こういった絵に入らないのが常なる猫が入っているのを、久保田米僊の「明兆大涅槃図制作と猫の図」は猫を入れたときの光景を再現、傍らにいた猫を絵に入れてやろうというもの、釈迦を等身大で描き臨場感を出しているのは、他の寺との差別化)②「五百羅漢図」(35歳の作品、1幅に10人×50で500、日本の最古級の羅漢図、掛け軸の軸木に建長寺の五百羅漢図を参考にしたと記す、中国の羅漢図は色彩豊かなのに対し、日本のものは中間色だが、この絵は色彩豊か、見本は1幅に5人だが、これは10人、詰まることで色彩が豊かになる、「裏彩色」という手法、大きな模様は裏から彩色、彩が豊かになる手、第20号図では動物に乗りお出かけ羅漢、極彩色)③「達磨図」(蝦蟇鉄拐図とともに描かれている、グラフィックな線、顔輝〈中国〉の作品が手本、人物も木も同じ線で描き同じ仲間感を出している、禅宗は、中国では元明の交替で衰退、一方、日本は隆盛、そのため日本では自由度が高まり、中国のものをそのまま継承しなくても良いという考え方が出てきた中で生まれた作品④白衣観音図(等身の観音、三角構図、70歳台の作、顔は丁寧な線だが、それ以外の衣や岩の線はやぶれかぶれ的、アバンギャルドな作品、雪舟が見ている可能性がある)④住吉広行(江戸時代)「自画像(明兆作の摸本)⑤東福寺について(応仁の乱の戦禍逃れる、九条道家による造営、開祖円爾が中国から文物を持ち帰る、東福寺のネーミングは「東大寺+興福寺」から1文字ずつ)⑥明兆について(淡路生まれ、東福寺で仏画を描き兆殿司と呼ばれた、山門の天井や柱の絵の制作、江戸時代は仏画と言えば明兆という扱いを受けるほど著名だった、晩年、南明院〈東福寺塔頭〉の住職に、1431年、80歳で没)。東京国立博物館での展示終了後、京都国立博物館でも展示があると、テロップで出ていた。これは行かねばならないな。なんせ、東福寺は、子どもの頃の遊び場だったからね。
 「日曜美術館」が終わると、午前10時で、午後のお出かけがあると、とってもタイトになってしまう。昨日も、その例で、いつものように、昼前のウォーキングは、かなりミニにして実施。そして、出かけた先は東寺。伏見に住みながら東寺には行ったことがない。傍は、何度も通っている。だって、すぐ近くに京都みなみ会館があるのだから。子どものころ、近所の子どもが、よく「弘法さんに行ってきた」と言ってたので、随分と昔から知っていたことになるけど、境内に入ったのは、ホントに、昨日が初めてだった。国宝とか重文かは知らないけど、五重塔は隅っこだが、中央に金堂や講堂があるが、その周囲は何もない。京都や大阪の他の寺院と雰囲気が違う。こればかりは、国宝だと知っている御影堂は隅っこにあった。御影堂や塔頭は横並び。塀と入口だけが見えているから、雰囲気が違うような気がした。行き先は、大日堂と、申し込んだときに言われた。何と、御影堂と対面の位置あったので、これには驚いた。その大日堂内で、昨日は、「第56回東寺宝物館文化講座」があった。こういったイベントを、東寺が行っているというのは、今回初めて知ったのだけど、それは、その宝物館で、今、特別展「弘法大師行状絵巻修理完成記念 東寺と弘法大師行状絵巻– 深き徳 高き志 –」が開かれており、その関連企画として、本講演会があるということを知ったのでした。従って、お題は「東寺と弘法大師行状絵巻」、お話をされたのは、東寺文化財保護課長の新見康子さん。東寺の文化財のエースですね、この方、少なくとも3度目だと思います、お話を聴いたのは。そんなで、新見さんが講師だということで申込んだというのも事実。で、お話は、まずは、この絵巻の概要。弘法大師の生涯を絵と詞書で表した全12巻もので、南北朝時代の制作。ということで、既に先行する絵巻があった。3点挙げておられました。大覚寺もの、安楽寿院ものなどを挙げられていたように思います。だから、東寺のものは、先行するものと、内容的には重なるのですが、オリジナルな箇所が4つあると言われていました。そして、この絵巻に関しては、その制作について、東寺百合文書(京都学・歴彩館の誇る国宝)に、その詳細が認められており、巨勢行忠ら描いたと人物まで特定できてるとか。また、12巻が、その内容に関して、四字熟語にして段分けがなされている。黄紺でも知る、この絵巻の有名な段には「渡海入唐」と名が付いているそうです。そのまんまですが、これに関しては。日本史の教科書で馴染んだ、大海を船で渡る遣唐使船の絵ですね。詞書の出筆者の名も判っている。青蓮院門跡やお公家さんら貴人の名が並んでいました。そういった概要のあとは、主な絵巻の段を、巻ごとにピックアップして解説していただけました。宝物館の展示は、ご多聞に漏れず、3期に分けての分散公開なものだから、これは有難かった。誕生、修行、入唐、中国での学習、帰朝、その後の活動&能力、入滅、高野山信仰といった内容。その内、講演終了後行った宝物館では、「渡海入唐」「誕生霊瑞」「図像写経」「東大寺蜂」なんかを観ることできた。お話の最後は、今回の修理について。8年掛かったそうで、費用は9300万余だそうです。凄い! もちろん重文だから税金が回されてるということ。築地明石町3点セットの3億にも反応してしまったけれど、こちらは額は、それよか少ないけど、修理だよと、思わず突っ込んでしまってたけど、「日曜美術館」で、修理について流れたことあって、そのとき知ったけど、とんでもない技術だからね、しかも、8年だということで、考えてみると、納得かな? 宝物館には、重文が幾つもあった、仏像中心だけど。明時代の仏像もあった。顔の表情が、全然違うね。で、圧倒されたのは、やはりでかいということで千手観音像に尽きます。こんなの見せられると、やっぱ、金堂や講堂に入らないとあかんね。新たな特別展なんかがあったら、それに引っ掛けて行ってみることにしましょう。先日、酒を飲んだ昔の同僚も、「京都に住んでながら東寺に行ったことがなかったけれど、行かねばならないことがあり行ってみて、びっくりした」と、Zoomで喋ってた頃、言ってました。ホント、国宝だらけなところですからね。インバウンドの人たちも、若干、東寺に流れて来てました。それを見るにつけ、英語の解説の少なさに唖然としてしまったな、これはあかんね、イエローカードもええとこです。考えてみたら、昨日は、東福寺と東寺という、京都の名古刹のお世話になった日となりました。こんな日もあるのですね。
 東寺からの帰りは、京都みなみ会館からの帰りと同じ、ウォーキングがてら歩いて帰ることにした。出発が違うということで、違う道を通ることで気分を変えようとしたが、平行に走ってるようで、道が、微妙に、そうではなかったみたい。いつものコースに比べると、僅かだが距離が伸びたという実感。宝物館に入っている間に雨が降り、この歩いている間は大丈夫だった。傘持ってなかったし、助かった。自宅直前で雨が降り出し、家に入ったところで、まともな降り。ここまでラッキーなことはないという雨だった。


2023年 4月 16日(日)午前 7時 59分

 昨日は、朝から雨、ずっと雨が降っていた。そんなに強い降りではなかったが、止むことはなかった。そのためか、気温は低め。午後のお出かけを考え、でも、できないほどの降りではないので、いつもの2/3ほどのウォーキングを、傘さしで敢行。別段、足元が濡れて困るということもなかったけれど、ついでにマートに寄ると、雨の効果はてき面。土曜日だというのに、普段の土曜日の半分も客は入ってなかった。おかげで、ゆっくりと買い物ができた。
 午後のお出かけ先は京都コンサートホール。昨日は、京都市交響楽団の定期演奏会があった日。ホールのHPを見ると、チケット完売となっていた。コロナ禍前は完売が続いていたという京都市響も、コロナ禍の影響を、もろに受けていた。いいプログラム、演奏者にも拘わらず、惨憺たる入りだった。コロナ禍が落ち着いてきていても、その状態は、大きくは変わっていなかったが、ついに完売の文字が。最近は感染者が、またぞろ増えてはいるが、政府の発表は大きかったですね。それに加えて、正に、絶好のタイミングで、新常任指揮者のお披露目となるコンサートだったのだ。沖澤のどかというブザンソンの覇者を、しかも、女性指揮者を迎えたということが大きかったのか、最近、見たことのなかった入り。完売とは書かれていたが、わりかし来てなかった人がいたな、どういう加減か知らないけど、固まって空席があったりしていた、でも、それを差し引いても、大変な入りには変わりはなかった。黄紺も、昨日のプログラムだったら、普通は行かないだろうと思うのだけど、このお披露目コンサートというのに惹かれてしまい、早々にチケットは買ってあったのです。沖澤さんの指揮は、同じ京都市響の定期で聴いているので、初めてではなかったのだけど、やはりお披露目となると、プレミアが付いてしまいますね。そのプログラムは、次のようなものでした。「メンデルスゾーン:序曲“ルイ・ブラス”作品95」「メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90“イタリア”」「ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90」。プレトークに間に合うように行ったつもりが、席に着く時間には、もう始まっていた。客席を見渡しても、明らかに、これまでのプレトークとは、えらい違い。これは、明らかにお披露目効果です。沖澤さんも、お喋りが上手なものだから、これは、これに味をしめるご仁が多いのじゃないかな。黄紺は、間違いなく、その1人です。「ルイ・ブラス」などという珍品については、既にお話が始まっていたので、この曲をピックアップした心は聴けなかったけれど、「イタリア」は、こういったお披露目に相応しい明るさがあるということでのピックアップ。ついでに、その明るさとは真逆なのが、ドイツの寒さ。ライプチヒやベルリンが馴染みの町なようだけど、青森出身でも寒いと言われていた。黄紺も認めるよ、それ。息子と行ったときのニュルンベルクの寒さに縮こみ、ミュンヘンでの春の雪に震えたこと、思い出してました。ブラームスの3番については、おもしろいこと言われていた。冒頭の3音「F-As-F」は、ブラームスの親友ヨーゼフ・ヨアヒムの座右の銘「Frei aber einsam」に引っ掛け、「Frei aber froh」の略だそうで、この新しい出発に相応しいとして選んだということでした。この言葉遊びを、音名に替えるという作曲家のお遊び、これ、時々、やるんだよね。トークの最後には、プライベートなお話も、京都に来てから、1歳の子どもさんが歩き出したそうです。こういったトピックが入ると、ますます聴きたくなりますね。演奏は、前の2曲が、常識的に言えば際立った。とってもバランスがよく、整った演奏。無難にまとめたという小さい表現ではない、整った音楽を聴かせてもらった。ところが、ブラームスが問題作だった。トークで、師のキリル・ペトレンコから伝えられた「マイニンゲンの伝統」に応じて演奏すると伝えられていた。この演奏の特徴は、1楽章に際立ち現れ、次いで、第4楽章に現れていたと看ました。音がテヌート気味で、細かなフレーズでの抑揚が付いて回り、そんなだから、音楽が大きく、フェルマータが意図的に長めだったりと、かなりいじってた感があった。が、ために、音の流れがよろしくない。流れという点ではそうだったけど、これ、大きな音楽って言っていいのか、くさいだけじゃないのか、とまあ、頭の中は混乱しまくりだったな。そのため、家に帰ってから、YouTube様のお世話になり、誰のでもいいやの気分で、ブラームスの3番を聴いてみた。やっぱ、耳に馴染みがあるのは、流れとうねりだったな。そんなで、目指そうとしていたことが見え隠れしたけれど、問題作のままでした。前の2つに比べると、オケともども、とっても力入ってるなの印象は、しっかりと伝わっていました。昨日は、左サイドに座席を確保していたんだけど、明らかに、音は右サイドよりいい。弦の低音部の位置が正面に見せる席がベストですね。昨日の配置だと、右サイドでは、きっと低音部が、視覚的だけじゃなくって、耳にも隠れてしまう。でも、右サイドのファンなのです。だって、指揮者やソリストが出てくる姿が見えるのが、自分的にはいいのです。
 帰りは、雨のなか、いつものように傘さしウォーキングをすることができました。鴨川縁の遊歩道も、歩く人はまばらというのがいいね。思ったほど、足元は悪くなく、いつものように出町柳から最後まで、鴨川縁を歩くことができ、満足。


2023年 4月 15日(土)午前 7時 52分

 昨日は、朝からお出かけ、しかも、ハシゴをした。先日の水曜日に続いてのこと。頑張ります。以前は、ハシゴをしないで、分けることをモットーにしていた。毎日出かけることが大事と考えていたため、ハシゴをしないで、出先を確保することに努めていたが、最近は、考えが変わった。効率よく回り、交通費を節約しよう、お出かけがなければ、それはそれで、ゆったりとした午後の一時ですることがある、そういった考えになっているのだ。で、昨日のハシゴは、アスニー京都で市民向け公開講演会を聴いてから、ググると徒歩20分と出た中信美術館へという流れだった。まず、アスニーでの講演会、昨日が、新年度の第1回目。去年だったか、それは、「この人に決めている」と司会の方が言われていた。実は、もう一人、新年度開始早々に喚ぶ講師は決まってると、黄紺は看ているのですが。その1人目は、井上満郎(京都市歴史資料館館長/京都市埋蔵文化財研究所理事長/京都産業大学名誉教授)さん。「くそベラ」の講演を、3回も聴いてしまった方だ。今回のお題は「紫式部時代 日本の国際環境―遣唐使廃止の実相―」。紫式部を持ってきたのは、来年の大河があるからと、井上さんらしい、ざっくばらんさ。この辺が人気の秘密。要するに、遣唐使が廃止されて国風文化の隆盛なんてことは、日本史に疎い黄紺でも、学校で習ったのを覚えている。そういった「国風文化」なんて、あったのかという問題の建て方を、井上さんは、冒頭でされました。「源氏物語」の中に「大和魂」というタームが出てくるが、これが、巷間言われているような「国風文化」に通じるものか、いや、そうではなかろうとのお考えを示されていきます。「大和」を敢えて出すということは、そうではない「外国」を意識した使い方。「唐風」を意味する。「唐」は、何も王朝を示すだけではなく「中国」を表す漢字。そういった先進的な中国風教養を積み、日本の実情に応じる才覚を示すのが「大和魂」だった。「実務」に長けていることを表すものと言われていた。「源氏物語」と同時代の「大鏡」にも同様の使い方を見ることができるそうだ。そもそも、遣唐使が廃止されたのは、そのときにリーダーに指名されていた道真が、中国の政治状況に関する情報を集めていて(交易に関わる商人を仲介人にして中国から情報収集していたとか、さすが切れ者です!)、混乱が起きており、かつての唐ではないとの認識を持ったためということだった。そういった国家規模の交流だけではなく、交易という形で、両国の間には交流が拡大していた。それに、結構、時間を取り、史料を紹介されていた。こういった中国情勢の変化、民間の交流、これが、お題にあった「国際環境」の意味するところであったようです。ただ、交易に関しては、既に養老律令で、基本、政府が管理。具体的には、交易品は、まずは政府が買い上げる、残ったものを売ることができる。そんな無茶なと思える規定でも、交易が拡大していったということは、それでも旨味はたっぷりあったのでしょう。そんなだから、役人どもは、それこそ私腹を肥やす、いい金づるとしていた由。それを羨む公家の日記も出ていた。新安沖沈没船のエピソードも、ちらりと、この辺で出てきた。あれは、井上さんも触れられていたけれど、天龍寺造営の資金集めだったわけで、あのように沈んでも、遭難することは折込み済みで交易は行われていた。それだけ、儲かった。具体的な交易品目も記した史料も用意されていました。こんなもの言いも、遣唐使廃止のビフォーアフターで言うと、確実に、アフターの方が交易規模は上がっていると。これが国際環境の①、次が、既に少し出ていた中国の混乱の様子。唐の衰退&滅亡から、五代十国の混乱、それによる、中国の文化の混乱で、日本の文化を評価するというトピックまで出てきた。朝鮮半島も、後三国時代から高麗の建国と、こちらも激動の時代。そういった時代に、源信の「往生要集」が、中国で受け入れられたそうです。日本の書籍が輸出された初めての例だろうと言われていました。これが②です。最後に、③として、紫式部のキャリアから窺い知れる想像できること、これは、全く知らなかったことで、めっちゃ斬新だった。父親が、越前に赴任をしたキャリアの持ち主で、紫式部自身が、それに付いて行っている。赴任先は武生、そこは、当時、外に開かれた土地ということで、紫式部は、確実に外国を知っているはずということでした。父親が、渡来した中国人と詩のやりとりをした記録があるそうで、その場に同席している可能性まで想像を広げられていました。紫式部を切り口に、9世紀末頃、そして、それ以後の時代の、日本を取り巻く状況を語るというもの、なかなか、おもしろうございました。
 中信美術館は、京都府庁の西側に位置したところにあった。この美術館を知ったのは、先日、京セラ美術館に行ったとき。今、こちらでも、「石本正 ~線に込める想い~」という展示が行われていることを、その京セラ美術館で知ったのです。いわゆる関連企画ということでの開催。展示品は約45点、ほとんどが、こちらも石正美術館所蔵の作品でした。入館無料で、且つ、目録もいただけるという展示に感激。また、観覧して気づいたんだけど、京セラ美術館の回顧展と補完しあった展示になっているということ。京セラ美術館の展示は、数が多かったけれど、幾つか、あれっと思ったところがあった。それは、「足りない」と感じたこと。舞妓が名物だと言っても、作家の変化を観ることからすると、この分野、もう少し展示があってもいいんじゃないかと、解説文を読んでいて思ったことがあった。その1つが、ヨーロッパ訪問で影響を受けたというにしては、その関連の作品が「足りない」と思った。次に、晩年、草花を描くということが多かったと言うにしては、またしても、その関連の作品が「足りない」と感じた。もう1つが、女性裸像の常に似通った胸の描き方、裸の女性の立ち方、その姿勢が画一的、横臥した裸像とは違い、何か、定式があるかのように感じたが、それを解らせてもらえなかった、ここにも「足りない」を感じていた。敢えて、もう1つ書くと、横臥した女性裸像の姿勢、表情、唯一、気に入ったのが「雪国」「伊豆の踊り子」の2人を描いたものだったもので、決定打的作品に遭遇しなかった。これも「足りない」と思っていた。最後のは、あくまでも個人の感想だけど。それらに、答えをもらえたのだった、この美術館で。展示作品は、僅かだが、コーナーが3つに分かれていた。1つ目が、正に草花ばかり集めていた。鶏頭、糸菊というものが、ここでも多かった。京セラ美術館には芥子があった記憶。いずれも、直に立つ。背景に濃い色彩を使った、他にもよく観かけるものがある一方、この展示会のお題にもある「線」でだけ描き、花の部分だけ着色という作品が目立つ。花に着色、それに加えて、縦にぼかしの着色がされているものもある。これが、とっても気になった作品群。華やぎを感じさせるからだ。生命力が伝わってくるからかなと想像していました。2つ目は、京セラ美術館の「高原」という作品で目立った太い輪郭を使った「静物」作品が気に入った。器に入った果物、その器に手触り感を描き込んでると思えたからだ。3つ目が、女性裸像の秘密。絵画は2つだけで、あとは、全て素描。その素描が問題の作品だった。インドの寺院にある女性像、あの豊満な女性の素描様々だったけど、この素描を見て、石本作品の描く女性の胸がぴったりだと見えた。いや胸だけではなく、身体全体の感じがこれだと思ったのだ。展示されていた2つの絵画作品も、例外なく、そういった体躯だったが、1つが「萌」というお題が付き、もう1つが横臥という姿勢で「佳人」という作品。片目が腕で隠れているからか、観えている方の目の力がやけに惹きつけるものがある。横臥の姿勢が自然体で、目力のおかげか、生身の女性を感じさせる。こういった作品を、京セラ美術館で観てきたけれど、これが決定打だと思えた。とっても有意義な時間だった。京セラ美術館の回顧展を観た人は、絶対に、この美術館に足を運ぶべきです。ここへ来て、ようやく全貌が観える、そういう風に感じたのでね。


2023年 4月 14日(金)午前 8時 2分

 昨日は、お出かけなしの木曜日。最近、出かけることが多く、また、週末の予定も詰まっているので、こういう風に、週の半ばにお出かけなしの日が入るとくつろげる。しかも、時間の縛りも大きくないから、ゆったりできる。そういったはずというので、ゆったりと、午前中には、自然いっぱいのコースをウォーキングしようと思っていた。玄関までは、そのつもりだった。だけど、玄関に目に付くように置いておいたものに目が止まった。忘れないようにと、わざとらしく目立つように置いている封書。郵便物が来たとき、忘れてはいけないものを、そのように、わざとらしい置き方をしている。だけど、このとき気が付いた封書、先週末に来ていたはず、要するに税金の納付書なんだけど、だから、この週明けには払っておこうと思い、目に付くようにしていながら、木曜日の朝まで知らんぷりをしていたことになった。わざとらしくしておいても、そう見てない自分がいるのだ。それが、突如、わざとらしく見える時がきたみたい。これって、実は、珍しいことではなく、日常茶飯事的なこと。ここ何ヶ月だと、毎朝飲まねばならない薬を失念してしまうのだ。そこで、テーブルの傍らに小ぶりの椅子を置き、その上に目立つように真っ黒の袋に入れてあるのに忘れる。そこで、最近は、食事前に、テーブルの上に置くことにしている。じゃまだと気になれば忘れないだろうの思惑からだ。でも、忘れることがある。もう、わけが判らない。そんなことがあるものだから、玄関にわざとらしく置いた封書も忘れていたみたい。それならそれで、ずっと気にならないのかと言えば、そうではなく、今朝のように、突如、気になる時があるのだ。そのため、即、税金の納付をしなきゃならないと、銀行を優先してしまった。となると、行って行けないことはないけど、自然いっぱいのコースは、コースとしては、えらく不自然なものとなってしまうので、断念。久しぶりだったのに、、、でも、こんなものです。
 午後の一時は、来月に予定しているマレーシア旅行の下準備。先日は、某観光地を調べたけれど、準備は立ち遅れている。交通機関のチケットを買おうかと思い、そのためには、行程の詰めをしようと考え、簡単な日程表の作成にかかると、何か変。日にちを、手で数えてしまった。頭で描いていた日数が、1日多かったものだから、日程表の間隔が違って見えたため、航空券予約のメモと睨めっこ、己の勘違いでした。そこで、2日いるつもりだったある町での滞在を1日とすることで対応。それを固めておいて、今回、初めて、鉄道の長距離移動を導入しようと思っているのだ。コースが、息子と行ったときのものと重なるので、ちょっとした差別化ということで思いついたのだ。クアラルンプルからの郊外電車で1時間、西のクラン、南のセレンバンまでは、鉄道を利用したことはある。これらは、ドイツだとSバーン相当だから、ICやICEに相当する列車に乗ろうの魂胆だ。そこで、路線情報の収集という、一番の基礎から出発。ネットでポーランド鉄道のことを調べたときも、ホントに嬉しい情報を流してくれていた人がいたことを覚えているので、ましてや近場のマレーシアだと、絶対に同じような人がいると思ってたら、いました。コロナ禍前の情報というのは、時節柄、仕方がないが、基本的なこと、教えてもらえた。日にちも決まり、切符の買い方も判ったということで、早速、実践に移った。実は、ここから先は、迷った。というのも、この作業をやる前から、PCがストライキ気味。でも、大丈夫だろうのノリで始めて、会員登録的なことをしている最後の詰めで、サボタージュどころか、本格的なストライキに入った。やっぱ、強行突破は無理だと知れた。チケットは、まだまだ残っているので、急ぐことはないが、やっぱ、お金が動くときは、PCが正常な状態でやらないとダメですな、当たり前のことを再認識です。今のところ、同じ道筋を往来しなければならないので、往きをバス、戻りは鉄道でを基本に組もうと思っている。他のサイトを見ていると、鉄がいますね。バンコクからシンガポールを鉄道旅している人いますね。それの発展形が、やがて、ビエンチャンから中国へと行くという夢があるということは、ディープな旅系Youtuber氏「アジアトラベルノート」さんの素晴らしい動画で教えてもらった。もう黄紺には、時間がないので、実現は無理だけど、タイ南部の鉄道旅やラオスの高速鉄道旅なんて、やってみたかったな。


2023年 4月 13日(木)午前 7時 42分

 昨日は、朝からお出かけの日、しかも、ハシゴをした日でもある。朝からと言えば、定番のアスニー。昨日は山科の方。そして、帰りに、地下鉄で3駅乗り、東山へ。行き先は京セラ美術館。山科と岡崎って、この距離だから、よく組合せるようになっています。そんなで、まず、アスニー山科の市民向け公開講演会から。昨日は、「2022年の考古学の総まくり」というお題で、森岡秀人(奈良県立橿原考古学研究所研究員、関西大学大学院非常勤講師)さんのお話を聴くことができました。森岡さんは、学生時代に、高松塚古墳の発見に関わった方、そのときに認められたメモは、文化財的価値を持つと言われていると聞きます。昨年は、高松塚古墳発見50周年ということで、それに関わるお話をされましたが、今年は、大きく変わりつつある考古学の今を紹介していただけました。お題に該当することが、お話の本筋なわけですが、その前提として知っていなければならない基本的なことも含め、お話があったので、それも併せてメモっておくことにする。日本史に疎い身には、そういったベーシックな情報を書き留めておくことも大事と考えるからだ。「現生人類の出現は約4万5千年前」「縄文人の骨格はがっちり系、渡来人の骨格は顔が長い」「旧石器人は、作業場と廃棄場(ゴミ捨て場)を分けていた」「削った石器の屑が飛び散った場所の中心に作業する人間がいた」「そういったことから狩猟・採集民の居住キャンプモデルが考えられている」「ゲノム解析も進み、系統樹ができている、それによると、縄文旧石器人と弥生旧石器人は近しい関係だが、沖縄の旧石器人は異なる」「旧石器人は遊動生活、非定住で、1週間ほどで移動していたようだ、旧石器の中には、部分的に磨製のものもある」「縄文人は二重瞼、弥生人は一重」「土偶は99%女性、座産型土偶が出てきている、その場合は、手を後ろに回した姿になっている、その方が出産が楽だから」「渡来系はA型血液が多い」「渡来系の本来の中心は、今の山口・福岡、広がりは東北南部から九州」「縄文時代の矢鏃の形状の変化は時の変化に対応している、その分析が進んでいる」「環境論と考古学事象の発生モデルの結びつきの研究が進んだ」「炭素年代測定が進化して、それと、年輪から判ることを併せ、年単位での判定どころか、月単位での判定も可能になってきている、更に、その先も言われていた」「九州の弥生人が、太陽・月の運行を基に暦を持っていたという仮説が出た」「古墳の規模を考えるに、古墳の体積、言い換えると盛土の土の量の比較という考え方が出された、平面図の比較より、権力規模の比較に役立つ、土の量を比較することで、そこに供された人々の規模も判るというコンテキスト」「権力の象徴として、古墳・鏡・甲冑・馬具の連関性の研究も進んだ」。とにかく、いろんな分野というか、分析手法のアイデアの出し合いという感じで、考古学的探求が進んでる由、その一端に触れた思い。お話を聴いたあと、レジュメを、再度、読もうとしたけど、解らなかった、全体的に。だから、このメモも、中途半端なものしか書けない。
 京セラ美術館では、「日本画家・石本正、絵画一筋75年の全画業をたどる」という展示会が開かれているので、行ってみた。石本正、この展示会がなければ知らなかったかもしれない。そういったことで、知らない大家を観に行こうとしたということかな。知らない作家さんだから、どんな作品が出てくるか楽しみ。幾つかの章立てが行われているが、多くの作品は、石本正の故郷島根県浜田にある石正美術館所蔵のもの。先日の講演会には、そこの館長さんが来られていた。黄紺は、都合で行けない、次回の講演会の講師は、その館長さんとなっている。同館の協力で成り立っている展示会だ。全編を通じて観ると、かなり変化の大きな作家さんだったが、「第1章 画家となる 1920~1949年」は習作を集めたもの。やはり、著名な作家さん、この時期のデッサン力は半端じゃない、そして、人物の表情の豊かさが秀逸。率直な内面を窺い知ることのできる表情、後の作品の技巧的な表情とは異なる率直さに好感が持てた。中には、伊藤若冲を模したかのような「軍鶏」という作品もあった。「第2章 画家としての挑戦 1950~1963年」、ここに出ている作品の変化が、とっても大きい、それだけ、多様な試みを行いつつ、自身らしさとなる画風に収束していくという姿を跡付けることのできるコーナーと言えばいいかな。出世作とされているのが「五条坂風景〈五条坂〉」。その下絵になる素描も3点だったかな、それらも含めての展示。坂に連なる家々に夕陽が当たる光景を描いたもの。他の作品でもそうだったけど、各家の姿が、ボードゲームに使われそうな、のっぺら坊の形で連なっている。その壁に反射する光が、幻想的に描かれている。「旅へのいざない」や「二人」は、19世紀のフランス絵画を観ているよう。特に、後者は、ダンス・マカブルからヒントを得た作品と解説にはあった。「高原」は、輪郭を太く取り、色合いと言い、表情と言い、東欧を連想させられてしまった。かなり西洋絵画の造詣が深かったようなので、様々な試みのヒントにしていたようだと思われます。「双鶴」「紅土の丘」「桃花鳥(とき)」といった鳥を描いた作品など、主体となる鳥だけではなく、その背景が、しっかりと描かれていたり、金だったりと、全体的な色の圧が大きい。これって、これ以後の作品全般に言えることじゃないかな。「第3章 中世ヨーロッパと舞妓の画家 1964~1973年」からが、らしさが表れてくるところ。ヨーロッパ訪問の時期と舞妓を素材として描く、なかでも裸の舞妓という名辞矛盾したかのような作品が登場する時期が重なるというのだ。前者としては、ストレートに「ポンテ・ベッキョ」「サン・マルコ寺院 ベネチア」として出てくるみたい。舞妓は、その裸像だけではないが、やはり、そうは言っても、裸像は、その特異性から目が行くが、もう一つ、これらの舞妓には、視線が下向きだという特徴がある。どこかの寺の仏像の視線に魅せられ、使い続けたと解説にあったが、周りを舞妓の作品に囲まれ、全員の視線が下向きになっている展示室は、さすが異様だった。そして、舞妓の手が白塗りではなく黒っぽいものも。「竹林の七賢人」に模した「早春賦」だったかな、その作品に際立っていました。解説には、地方出身だということを表そうとしたとか、そんなことを書いてたような記憶。これらの一連の舞妓作品の中に、ポスターで使われていた「のれん」があった。確かに、気品といった意味では際立っている。なかでも、のれんを掻き揚げている右手に惹かれますね。でも、視線は下向き。生身の人間という気も、一方ではしない。その典型が、左右1対となっている「舞子裸婦〈舞子裸像〉」、似た作品が他にもあったが、いずれも同じ印象を持った。縦長で、胸を露わにした舞妓立像。裸像の1対でありながら、2人の舞妓の胸の形状が極似、個性を削ったかのように感じた、立ち姿も同様、表情と着物は変えてある、だから、まるで仏像を観ているようだった。それに反して、横臥している裸の舞妓像には、有機体としての生命、身体の温もりがある。秀逸なのが、何というお題が付いていたかな、川端作品の「伊豆の踊子」と「雪国」の主人公の横臥の姿。そういった印象の最たる作品だった。いずれの作品も読んでないので、共感できるか否かは判断できないが、ひょっとしたらできないかもしれないけど、そういった自分の中の印象との比較という楽しみが出てくるだろうと思わせられた。だから、両様なんだなぁ、通しで観ていると。川端康成との親交も深かったようで、相互に認め合う関係だったようだ。もう一人、有名人の名が出ていた。秋野不矩だ。「第4章 花と裸婦 1974~2000年」「第5章 絵をかくよろこび 2001~2015年」には、その親交を窺わせる作品もあったが、このコーナーは、ちょっと付け足し感のあったコーナー。舞妓の裸像に溢れていた濃いコーナーからすると、晩年を楽しんでいるといった印象でした。ま、誰しもそうでしょうが。回顧展ならではじゃないかな。そして、出口には、絶筆となった未完の「舞妓」で締めくくられていました。この京セラ美術館での展示の関連企画で、中信美術館でも石本正作品の展示があるそうなんで、明日、近くまで行くので覗いてみようかと考えています。そして、秋野不矩の名が出てきたところから、専用美術館が、故郷の浜松にあることを知りました。石本正の浜田とともに、地方美術館巡りの候補地に仲間入りさせました。拡がるねぇ、世界が。


2023年 4月 12日(水)午前 7時 27分

 昨日は、午後に、気温上昇が激しかった。もう午前中のウォーキングからして暑かった。洗濯日だったので、洗濯をしてから歩き出そうとしたんだけど、もう、その時点で、気温の上昇が普通じゃないというので、上着を薄くしてから出かけた。それでも、下に来ていたTシャツは汗に濡れていた。昨日は、午後にお出かけ予定を入れていたので、全体的に、少し時間を持ち上げていたのに、こんな感じだった。昨日は火曜日だったので、KBS京都のラジオを聴くのも楽しみなため、「まーぶる」の1/4強は、出かける前に聴けた。Radikoで聴くと、リアルタイムではなく、番組進行中でも、冒頭から聴けるのでありがたい。残りは帰ってから。その頃には、二葉のTwitterには、どこの銭湯か知らないけど、一風呂浴びて、その銭湯の前で自撮りした写真が載っていた。
 お出かけ先は、久しぶりの京都学・歴彩館。昨日は、こちらで「資料に親しむ会」があった。どうも、この会は、内容的に乏しいものが出ることがあり、基本的には行かないことにしているが、昨日のお題にはそそられてしまった、「歌川広重が描いた京都」というもの。そのように感じたのは、なにも黄紺だけではなかった。そのような予感がするときは、1本早めの電車に乗っていくことにするのが定番なんだけど、それでも、開場を待つ人の多さには驚かされた。過去最多です、黄紺の行った中で。お話をされたのは、同館資料課の大瀧徹也さんでした。まず、冒頭は、広重の経歴から。火消同心の家の出で、一旦は家督を継いだそうです。だけど、絵心が買ったのでしょうね、家督を20台で息子に譲り、自身は絵の世界に。歌川豊広の弟子で「広」の字をもらったようです。安藤広重の方が、黄紺的にはなじみがあるのだけど、安藤姓は本名で、絵師としては歌川姓だということで、近年は歌川で統一されているということも、日本史に疎い者には新鮮。次いで、お題の背景。「江戸の人が京都を描く」背景、そして、「広重ブルー」の背景です。前者としては、旅行ブーム、これ、よく出てきますね。やはり、広重の生きた江戸後期、文化文政の時代って、黄紺でも解る、安定した社会、豊かな社会を映して、文化の爛熟した時代、ゆとりがでてきたのが、こういったブームがやってきます。多くの旅行ガイドブックも出た時代だということは承知していた。それを煽ったのが、神社仏閣への参拝には通行手形が出たということで、伊勢参り、なかでも、おかげ参りは多くの人を惹きつけたということです。「ブラタモリ/伊勢編」を観るまでもなく、その辺の知識はある。後者は「ベロ藍」という合成化学顔料の普及だそうです。初めて聞くターム、「ベルリンブルー」「プルシアンブルー」からの派生語とか。その青を、広重は上手く使った。そういった押さえのあと、本題の「広重の描いた京都」の検討に。「東海道五拾三次之内」で当てた広重、それを受けての「京都名所之内」の発表となるそうで、売れっ子となった絵師の次回作だったようですが、広重の京都訪問の日記とかはない、残ってないそうです。周りから攻めてみても、広重が、実際に京都に入っていたとしても、滞在期間は2日と想定されると言っておられました。そこで、出てくる謎。「京都名所之内」として発表したものには10枚あるそうですが、それが、四季に分かれている。短期間の滞在で描けるわけがない。そこで、ぱくり疑惑が出てくる。その検討に入られました。真っ先に取り上げられたのが「淀川」。三十石舟を描いたもの。それと、「都名所図会」を見比べると「あれぇ?」、そっくり。舟の格好から向き、船頭の姿まで、そっくり。違うのは、背景が省略されていることくらい。「都名所図会」に描かれている淀の水車と思しきものや、川の流れとして描かれている筋などが省かれ、えらくすっきりと、焦点化した描き方。センスは、遥かに広重が勝る。これです、この広重の描いた京都の絵図、他にも「都林泉名所図会」も参考にされ、パクられているけれど、広重の絵の方が、魅力がある、それも、黄紺の目にもそう見えるということは、かなりの絵心の違いということでしょう。そういった10枚の作品で「祇園社雪中」だけが、参照してない、パクってないと、ようやく言えるようです。これも、描かれている八坂の鳥居の向きなんかは、パクリの気配がないわけではないとも見えるようですが。そういった風に、個々の絵を、その元になる絵との比較をしながら、お話を進められて行き、同時に、広重の優れた絵のセンスを教えていただけるというもので、とっても、そそられる内容で、普段の「資料に親しむ会」の内容、質とは比べものにならないものでした。こんなのに遭遇しちゃうと、また、この会、外せなくなってしまったなぁ。
 帰りは、いつものように三条まで、ウォーキングがてら徒歩移動。後半は、鴨川河畔を歩きます。もう、最高の気分。そういうときって、同じようなペースで歩いているにも拘わらず、実に、時間が短い、そう感じてしまうものですな。


2023年 4月 10日(月)午後 8時 55分

 朝晩が冷える。今日もそうだった。暖房のお世話にならないといけない。お天気はいいし、それはいいんだけどね。今日は、午後に映画を観に行った。丁度、午後の一時に、すっぽりと収まりそうな時間に上映があったので、昼前は、少し早めに出かけたけれど、いつものようなウォーキングができた。手加減なしだった。午後のウォーキングは、映画館の往復で充当。今日も、京都みなみ会館だったので、その帰りの方に、その徒歩移動を当て、往きは電車で行った。前回は、往きの方をウォーキングに替えたのでしたが。で、映画は、中国映画「崖上のスパイ」。最近、俄然、エンタメ映画が面白くなってきている中国映画、今回はスパイものということで、いっぺんに目が行ってしまった。実は、先週からピックアップしていながら行かなかったのは、上演時間が朝一番だったので敬遠していたら、うまい具合に、今週に入り、午後に回った。ちょっと我慢した効果が出た思いです。中国のスパイ映画となると、設定が気になるが、時代設定が1930年代となると、ヒール役は日本、しかも、この映画、舞台が満州だというのに、余計に惹かれてしまった。そんな設定の映画って、今まで知らなかった。中国ではあるのだろうけれど、日本での公開というのはあったのだろうか? しかも、この映画、なんと、チャン・イーモウ監督作品。あの「紅いコーリャン」の監督だと言っても、黄紺は観てないのです。名声だけはかねがねというところだ。主人公のスパイは男女2人ずつの4人、その内2人は、夫婦。その夫婦には、どのような経緯かは出てこないのだけど、生き別れた子どもがいることが、冒頭、触れられる。この4人は、ソ連で訓練を受けてきて、落下傘で満州に進入、ハルピンを目指すところからスタートするが、迎えを装った一団の連中は、実は、彼らの進入が漏れており、冒頭から血なまぐさい。が、これが、この映画を象徴するエピソードとして描かれていると言える。全編、この映画、日本の手先になっている満州国の特務機関、これがヒールで、主人公のスパイたちを追い詰める。その仲間の中にも裏切り者が入っている。彼らも、進入直後に、手荒い歓迎を受けたことから、情報が洩れているということを知りながら行動しなければならない。一方の特務機関の中にも、スパイ側からもスパイが送り込まれている。特徴のある顔だちや性別により、人の見極めをしようとするんだけど、入り込んでくると、ホント、これが判らなくなってくる。それだけ、地味に、手が込んでいる。そう、この映画、カーチェイスも用意はされているが、心理戦のように、かなり地味。そういった中に、拷問シーンが入っており、年齢制限がある映画だというわけが、これで判明。黄紺も、目を薄めて観る羽目になったけれど、すっ飛ばすと、難解な流れなので、お手上げになっちゃうので、薄目。かなり、重層的に、お互いの策の練り上げができているのがおもしろいところだけど、結果、それで判らなくなってしまう場面も。ただ、この映画の一番嬉しいのは、どこで撮影してるのだろう、オープンセットにしては大掛かり過ぎだし、だったら、そういったところが、実際に残ってるということになる。中国は、深センしか行ったことがないので、よく判らないのが悲しい。ハルピンで撮ったんだろうか? この映画そのままの風景が残っているのなら、これは、ぜひ観てみたいものです。調べてみても、この件は判らなかったのだけど、中国国内では大ヒットした作品らしい。こういったテイストが好みなのか、なかなか渋いね。


2023年 4月 9日(日)午後 11時 8分

 朝の冷え込みが半端じゃなかった日曜日。電気ストーブだけではなく、ついに、空調にまで手が伸びてしまった。そして、また、夜になると冷え込む。こんなのが、3日程続いている。今日は、午後にお出かけ予定を入れていた日曜日。朝は、当然、「日曜美術館」を観る。今日のお題は「まなざしのヒント ルーヴル美術館展」。あとで、京都でもあるルーヴル美術館が、既に、東京で始まっているようで、それに合わせた新作。講義形式のお勉強スタイルで、ルーヴル美術館の名品に親しもうとのコンセプト。メーンの講師は東京大学大学院の三浦篤さん、それに、画家&脚本家の大宮エリーと池田理代子という顔ぶれ。生徒役は、いつものMC2人に、小沢一敬と深川麻衣も加わった。設定された講義は「A:16世紀神話画」「B:17世紀オランダ絵画」「C:18世紀ロココ絵画」。Aで取り上げられた作品は、①ヴェネツィアで活動した画家「アドニスの死」(アドニスはヴィーナスが見初める、イノシシに襲われ死ぬ、気を失うヴィーナス、そのヴィーナスには夫がいる、神話画は、現実には無理なことを見せてくれる、アモル/キューピッド=愛をつかさどる神で、天使と似た姿で描かれるが、光輪がなく黄金の矢を持っているという違いがある、幼気な存在がいることで悲劇性が増している、顔の表情を見せない人物ばかりなため、観る者の想像を喚起する)②フランソワ・ジェラード「アモルとプシュケ」(プシケーは人間の女性、アモルの存在を見ていない、恋を知らない少女のよう)③フランソワ・ブーシェ「アモルの標的」(アモルしかいない、ハートに突き刺さる矢ということで愛は成就、愛は成就したから矢は要らないと矢を折っている)、Bはオランダ風俗画を取り上げたコーナー、ここで取り上げられた作品は、④サミュエル・ファン・ホーホストラーテン「部屋履き」(宗教改革で、オランダでは宗教画の描かれない時代、また、官能的な絵が描かれないで暗示的な表現に留める、人が描かれない作品ながら愛を描いたもの、女物の部屋履きを脱いで外に出て行ってしまっている、魂の浄化を暗喩するほうきは放り出されている、貞節を表す鍵は鍵穴に挿したまま、女性の後ろ姿が描かれている画中画は同時代のヘラルト・テル・ボルフの《父の訓戒》という作品で娘のいけない情事を戒めている場面を描いたものだとかで、とっても意味深なもの、そういった光景を覗き見しているような絵)⑤ミハエル・スェール「若者ととりもち女」(ビジネスとして若い女性を紹介しようとしている左の婆さん、女を買いに来た右の若い男)⑥ダヴィッド・テニールス「内緒話の盗み聞ぎ」。Cで取り上げられたのは、⑦ニコラ・ランクレ「水浴の楽しみ」(ピクニックに来た貴族たち、色彩が明るい、軽やか、人間の愛を解放して描こうとしている、豊かな生活を率直に表現、ロココは生きる喜びに溢れている、それに対しバロックは疫病などで人生の儚さを感じさせる、色彩の軽やかさはロココの特徴で、絹の光沢を巧く描くのが重宝された、コルセットから解放された服、結婚してから恋愛の自由を持つ、戸外での遊びは描かれるのはロココからで印象派の前触れ)⑧ジャン=オノレ・フラゴナール「かんぬき」(下着姿の男性、華やかな衣装を着た女性、恋愛作法が消え、貴族でない男性と貴族の奥様、待ってたという女性)。これは、さすが、京都に来たとき行こうと、既に決めてあったものなので、自分的にも、いいお勉強、させてもらえました、それにつけても、⑧は強烈な絵だ!
 午後は京セラ美術館へ。ただ、往きの電車の中で、やたら眠い。やばいと思いながら行ったけど、やばいなんてものじゃなかった。音声が籠ってるので、それが、きっかけだった。後からQ&Aになったときは、音響が悪いなんて、微塵も感じなかったので、講師の方の声質が業をなしたのか、ダメだった。そのため、居眠りか聴こえてないかという時間になってしまった。イベント名だけは記しておく。今、こちらで開かれている展示「生誕100年回顧展石本正」の関連イベントとして行われた記念講演会「日本画家・石本正、絵画一筋75年の全画業をたどる」。お話をされたのは、建畠晢(京都芸術センター館長・埼玉県立近代美術館館長)さんでした。この展示会で、初めて知った名前石本正、個人の名を冠した展示会が開かれるくらいだから有名人なんだろうと、この展示会の前売り券が買ってあるので、その前のお勉強という意味で行ったのだけど、結果は、まるでペケでした。


2023年 4月 9日(日)午前 8時 12分

 昨日は、夕方から映画を観に行った日。土曜日に、映画を観に行くということが珍しいんだけど、昨日の場合、上映後に、監督+川村健一郎(立命館大学映像学部教授、監督の大学の師)さんのトークがあるということで、土曜日を選んだ次第。映画が、評判の「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」ということで、人出を心配しながらも、映画好きの元同僚を誘ってみた。レスがなかったので、映画の題名ないし、内容を調べて、これはと思い、スルーされたのかと思ってた。だが、前日に、急にメールが入った。で、一緒に行くことに。Zoomでは喋ったこともあったんだけど、直に会うのは3年ぶりだった。そんなで、午前中のウォーキングは通常通り、夕方のウォーキングは、上映のあった京都みなみ会館への往きに歩くことで充足。いつもは、京都みなみ会館からの往復の帰りにはウォーキングにするのが定番なってるが、コースは逆だったので、こういったときに、新たなルートが見つかり、喜んで歩くと、失敗の元。行き先には、横断歩道がなかったりと、そんな失敗をしながら到着。京都みなみ会館では見たことのない入りだった。終わった映画から出てくる人、また、新たに映画を待つ人で溢れていた。「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」は、立命館大学出身の金子由里奈監督の作品。そのため、同大学のキャンパスを使っての撮影。大学のぬいぐるむ愛好会的なサークル、通称「ぬいさー」で出会った人たちの物語。主人公は、とっても繊細で心優しい男子大学生七森。ただ、恋愛ができない、恋愛とはと感じているクイアな部分を持っている。冒頭、ある女性に告白されても、それに対応できない。その七森と、偶然、出会うのが麦戸という女子学生。2人で連れ添って出かけた「ぬいさー」の部室。その部室には、壁一面にある棚には、大小様々なぬいぐるみが置かれている。そして、部員は、ぬいぐるみを手に、そのぬいぐるみに喋りかけている。喋ることで、自分の中に抱えている何かを出している。その話したいことを、誰かに話せば、聞いたひとを、きっと傷つき傷つけてしまうと、話したいことを、ぬいぐるみに向かい話している人たちだと判る。七森は、冒頭、告白され、うまく対応できなかったとき、偶然、足元に落ちていたぬいぐるみを、家で洗い、家に置いてあったことから、このサークルに共感する。実は、この映画の冒頭、七森が告白を受けているのと同時進行で、歩道橋の上で子どもたちがほたえている。そこから、偶然、ぬいぐるみが落ち、放置されるというシーンが用意されており、そのぬいぐるみを、七森が拾うとなる。これ、見事な掴みで、子どもから成長するにつれ、社会化されていく中で、様々な「社会のルール」を得ることで、窮屈な生き方を強いられる人たちが出てくることを象徴させているのでしょうね。七森もその一人、「ぬいさー」に集う人たちは、そういった人たちだった。麦戸は明るく、快活そうに見える女子。七森との関係に、何か変化が出てくるのかと、冒頭の進行では思わせられるのだけど、このあと、麦戸の出てくるシーンは、麦戸が、ずっと、家に閉じこもり、ぬいぐるみに向かい喋り続けるシーンばかりが続く。なぜ、そういった状態になったかは、この映画の最後で明かされる。そういった風に、麦戸が表に出なくなってる間に、七森の傍らに現れるのが、「ぬいさー」に入ってきた白城という女子。彼女は、部室にやって来ても、読書をしているだけで、ぬいぐるみに喋りかけることをしない。他では活動的で、ジェンダー差別的な社会を受け入れつつ、でも、それに疲れ、その休息所と考え、「ぬいさー」にやって来るという学生。その白城と七森の関係が進む。おどおどとしながら告白をする七森、何か、自分が恋愛ができるかどうかを試してみているようなところもある。白城を、七森として好きなんだろうけれど、恋愛に自身がない自分におどおしながら恋愛している。結局、白城の家に行っても、白城に誘われても、男女の関係になれないまま。白城には別れを宣告されてしまう。この辺の白城の言葉が、あとのトークでは重要なようだが、うまく把握できていない、また、思い出せないのが悲しいところ。その白城との関係が進む後半部辺りで、引きこもった麦戸のマンションを訪ねる七森も描かれる。大学にやって来なくなった麦戸に、講義ノートを届けてやってたのだ。そこから再起をする麦戸。初めて、大学に戻ってくるとき、校門で白城に会い、そこまでの色々を振り返る二人、ここも重要な会話があったんだけど、具体的な言葉が思い出せない。そして、ラスト、麦戸が、今度は、白城との関係が結べなかった七森が、自宅に引きこもると、今度は、麦戸が、七森宅を訪ね、二人の会話となり、ここで、麦戸が引きこもったわけが語られるという仕掛けになっている。お互いに、社会に翻弄され、傷ついた姿で語り合うというシーン。ここで、ぬいぐるみにしゃべりかける大事な意味が語りつくされ、そのままエンディングへ向かうのかと思うと、最後、部室のぬいぐるみ目線で、白城の声が重なる。「ぬいぐるみに話しかける人はやさしいとは限らない」的な、ここまでのことを混ぜ返すかのような物言いで終わる。白城も、他の部員同様、とっても繊細。ぬいぐるみに話す人とは異なった繊細さを持っている。だから、解決法は、それだけじゃないよ、ないはずだよとでも言いたいのかもしれない。アフタートークでは、白城の、白城なりの優しさに満ちた言葉が、各所に溢れていると言ってた。そう言われてみると、気になって仕方がない。最後の言葉も、正確に思い出せない。もう一度、観なきゃならないかもしれない。映画の後は、近くの居酒屋で飲むことに。息子らと以外では、初めて、コロナ禍後では居酒屋に行った。映画を肴に、人生振り返りの話だった。「また、マレーシアから戻ったら、連絡します」と言って別れた。家族やお隣さん以外で、じっくり喋る機会がなかったものだから、喋り方忘れてました。これ、気になってたけど、やっぱ、忘れてたね、反省もしなきゃならないことがあった。


2023年 4月 7日(金)午後 9時 47分

 今日は、繫昌亭に行くことになった日。でも、朝から強めの雨が降っていた。午前中には、先日の続きということで、歯医者の予約もあったのだけど、ミニウォーキングをするくらいの時間を取ろうと思えば取れたけど、雨音を聞くにつけ、出かけようとは思わなかった。それで正解でしょう。一番、雨脚が強いと感じたのは、繫昌亭を出ようかという時間。午後4時過ぎの天満界隈だった。いつもなら、昼席のあとは、千林までウォーキングをして帰宅するというのが定番だけど、とんでもない降りだった。天満橋まで歩くのも、裾が水でダメにならないかを気にしながら歩かねばならなかった。だから、結果、今日は、一切のウォーキングはなしとなった。1週間前の発熱騒ぎのときは、当然、できなかったので、最近、ちょっとへこみ気味。どうも、身体を動かす、それでもって、また、自分でも、身体が動いているのを感じる、それができないというのが、嫌だね。実は、今日も、繫昌亭からの帰りの電車で、やっぱ、おかしいよねと、熱っぽい。帰宅後、検温をすると「36.4度」と、微妙なところ。1週間前ほどの熱っぽさじゃないから、こんなところかと思うと、やっぱ、歯の治療が発熱の原因と考えるのが妥当のようだ。人騒がせな話だ。もちろん、今日も、麻酔が切れると痛む。我慢の範囲内なんだけど、まあ、1日は、治療を受けた左側の歯を使い、ものを噛めない。人間の身体って、ホント、バランス良くできていて、途端に、食事がまずくなるからね。それに、熱っぽさが加わると、あまりいい気分にはなれない。これが、あと2回あるかと思うと、鬱陶しいな。
 繫昌亭は3年ぶり。変化があった。チケット売り場が変わっていた。輪茶輪茶庵の入口のあったところに移動。輪茶輪茶庵がなくなったというのは、随分前に聞いていたが、新しい姿は初めてのはず。事務室になり、それの外側がチケット売り場と合理的。前のチケット売り場背後の狭いスペースは倉庫になったと、スタッフの方が言われていた。提灯の付け替えも、3年前に済んでたかな。トイレ前にボード貼り出しは知ってるから、済んでたのでしょうが、提灯には「上方落語協会」と名前が入っていた。座席が変わったのは知ってるから、そんなところかな。一番太鼓は、名乗りなしで叩き出した。見たことのない顔だったので、これも、スタッフに尋ねた。笑生だとの答えだった、知らないわけだ。ロビーは、僅かだけど、広くなったかな。置いているものが少なくなっただけでしょうが。新たに、上方落語協会の歴史を記したボードが掛かっていたので、端から端まで眺めた。こんなのを見ると、身が引き締まるものですね。会場は、最前列の中央だけが、今もカパル。演者から距離が近すぎるということなのでしょう。ぴあで買ったので、席は選べなかったのだけど、黄紺の席は、その後ろ、実質、最前列。中央だから、首の曲がりの悪い黄紺には強敵。だから、中入り後は、お気に入りの18番のお席に。空いていたので、喜んで、後ろから2列目の端っこに変更できました。番組は、次のようなものでした。とにかく、色物を含めて、今日はいい顔付け、だから、背中を押されたと思っている。遊真「真田息子」、眞「手水廻し」、のんき「桜の宮」、ナオユキ「漫談」、しん吉「駅名選定委員会」、銀瓶「短命」、(中入り)、幸助・福助「漫才」、生喬「犬の目」、鯛蔵「湯屋番」、鶴笑「立体西遊記」。遊真は、元々、達者な人だったけど、そういった意味で、腕を上げている。前座という格ではない。その一方、器用貧乏的で、売りとなる、何かが欲しいな。眞の「手水廻し」は、人に合わないと、始まった途端に思ってしまったのがいけなかったのか、ここで、本日唯一の居眠り。勝手判断だったかもしれない、失礼な思い込みかもしれない、それを確かめないと、生で聴いた値打ちというものがないと、反省。のんきは、上がるや、「ちょうず、そのものです」と、自分の顔形で、スーパーな掴み。思わず、声を出して笑ってしまった。そして、やおら、「季節に合わせたネタを」と言ったので、この位置だから、「貧乏花見」の序だろうと思ったら、なんと「桜の宮」だった。松之助の口演を受け継いでいるはずだから、何やら、聴きなれないフレーズが出てくるのを待ち構えたが、空振りだった。でも、疾走感溢れる口演に好感が持てました。それだけで、春の空気が出るからね。しん吉のこのネタ、題名を、時々、見かけてたんだけど、もちろん遭遇はお初。大阪環状線各駅が集まり、大阪万博に向け、横文字のセカンドネームを考えようというもの。だから、全編、各駅にちなんだエピソード尽くしというネタ。よくできたネタ。時間が足りず、終盤は、かなり駆け足になった模様、ゆっくり聴かねばです。銀瓶は、ミスをやっちゃいました。遊真が、既に使ったマクラを使ってしまった。客席に、一瞬、おかしな空気が流れたの、ご本人は気づいてないんじゃないかな? 黄紺と同じ列の席に、女子大生の2人連れがいるのに、「短命」とは、、、。この2つで、トホホ、でした。ここは「宿題」「天災」なんかを出して欲しかったな。イエローカードは、生喬にも。ベテランがやれば、ここまで違うかという「犬の目」を聴かせてもらえたのはありがたいが、所詮は「犬の目」だから、ここは1つ、得意の寄席の踊りを奮発してほしかったな。その不満を補ったのが鯛蔵。実にテンポが良く、リズミカル。これは、上方落語ののりじゃなくて、お江戸の「湯屋番」ののりだと思えた小気味良さ! しかし、今や、鯛蔵も、この位置に出て、立派に、その責を果たすようになったのですね。トリは、お待ちかね鶴笑。前半で、気になっていた落語体操を、客席を巻き込んで披露というか、指導してくれた。ラヂオ体操第一のパロディ体操、要するに、古典落語のシーンを挟み込んでいくという趣向。そして、後半は「西遊記」、他のネタも聴きたかったけど、3年ぶりの繁昌亭には、ふさわしく見えました。これを、再び観れたと思うだけで、感無量でした。


2023年 4月 7日(金)午前 8時 40分

 昨日も、お出かけなしの一日。夕方からは雨が降り出した。一昨日の天気予報では、夜から雨で、朝も雨のはずだったんだけど、夜には降ってたみたい、というのは、朝、地面に濡れたところがあったので判ったんだけど、でも、日中は降らなかった。洗濯をしなきゃならない日だったので、降らなくて正解。ただ、もう履かないだろうということで洗濯した冬ズボンは、夕方までには乾かなかった。そんなで、ルーティンにしている日に2回のウォーキングは、通常通りできたんだけど、夕方は、途中から傘さしウォーキング。傘を持って出かけて正解だったけれど、霧雨だったので、濡れても大丈夫という降りだった。
 昨日、大決断をした。朝のウォーキング時に、セヴンに寄り、今日の繁昌亭昼席のチケットを買ったのだ。コロナ禍になって以後、初だ。先月、初の大阪市内で芝居を観に行き、名古屋にも行った。再来週には広島、来月にはマレーシアで、大阪行かない手はないと、えらくアクティヴになってしまってます。今週は、一昨日も、ここで書いてたけど、韓国に行ってたかもしれないウィーク。それで出かけたのが、先日のワクチン接種証明書申請がてらの京セラ美術館だけでは、あまりに寂しいという気が、朝になり強くなってしまい、そういったときのために、今週の予定表には、2つ、落語会をピックアップしてあった。1つ目は、あっさりとボツにしてしまったけれど、2つ目は活かそうの気になったのだ。そう思ったら、気が変わらないように、セヴンに行き前売りチケットを買った。買えば、行かないことはないはず。これで、コロナ禍前のような落語会詣でを再開するつもりは、ない。まず、夜には行く気は、全くない。生活のリズムが崩れるのは、もう嫌だからだ。ようやく、コロナ禍のおかげで規則正しい生活が確立して、睡眠障害が出る確率が減った。これが嬉しいので、崩したくないのだ。だから、その気になったときに、昼間にいい会があれば行こうという程度の再開と思っているので、通常、落語会は、今までのように、京都と大津中心で回して行こうと思っている。昨日、もう1つ、いいこと、思いついた。地方美術館巡りの旅の候補に、7~8月を想定して、北九州を狙っている。同市の美術館で、「芳年・芳幾展」があるのだ、東京であったのが、なぜか、北九州でもあるので、狙っている。まだ、先なので、頃合いを見て、他の行ってみたい美術館をピックアップしようかと思ってたところ、「そこまで行ったなら、国境が越えやすいなじゃないか」と閃いたのだ。出るのは、下関と博多と2ヶ所あるから、それこそ、北九州以外の美術館で見つけた美術館の位置で、下関出発か、博多出発を決めればいい話だしと、これは、とってもいいアイデア。これなら、単純な韓国旅行じゃないから、1月に行った韓国旅行を上書きしてしまわないかという不安を解消してくれるんじゃないかと思えた。これが出ると、ほぼ確定でしょう。帰りは、釜山から飛行機で十分だしと、、、決定だね。
 午後の一時は、「Oper Vision」で、新たなオペラをピックアップ。日本の新国立劇場の「ボリス・ゴドノフ」(マリウシュ・トレリンスキ演出)がそれ。新国立劇場ものが、このYouTubeチャンネルで流れるのは、「カルメン」に次いで2本目じゃないかな、いや、3本目かな。この「ボリス・ゴドノフ」も、マリウシュ・トレリンスキ演出というところに、まず、目が行っちゃう。黄紺的には、生で、ワルシャワで「蝶々夫人」「エウゲニー・オネーギン」を観ている。メトロポリタン歌劇場のライブビューイングで流れた「イオランタ」も優れものだった。ということで、何をしてくれるのだろうという楽しみのあるプロダクションだが、居眠りが先行、また、やってしまってます。が、特徴的なものは、頭に入っている。縁を、全部、蛍光灯で囲んだボックスが3つ。奥へ長い長方形型のボックスの一面には壁の装飾があり、ドアまで付いているので、部屋を想定して配備される。宿屋の場面では、ここから出入りをしているが、そこから、ボックス以外へのスペース、他の2つある、正方形型のボックスへも入りながら進行。この正方形型のボックスには壁はない。長方形方ボックスの残りの3面にも壁はない。照明を消せば、これらのボックスの縁だけが光っているという状態。舞台背後中空にも横に拡がった長方形型ボックスがあり、そこに、冒頭の群衆が現れる。ボリス・ゴドノフの格好は、うだつの上がらない浮浪者風。戴冠されるが、その帝冠は、いかにも、お芝居用といった冠。宿屋の主人は、場末のクラブの踊り子みたいだし、坊さん2人は、真っ白のコート状の衣装、グリゴリーも同様の衣装。そのグリゴリーは、官憲に追われそうになったとき、坊さんに助けられたような設定になってた。これが、当然、気になる。グリゴリーが、モスクワを目指そうと決意する、グリゴリー初登場の場面は、すっかり寝てしまっていたので、このおかげで、もう1度、観直してみる必要を感じているところだ。


2023年 4月 5日(水)午後 8時 57分

 今週は、特に定まったお出かけが入っておらず、行く気になれば行こう程度の予定が入っている。そういった1週間だと、以前から判って来ていたので、実は、ここに、今年の2回目の韓国旅行を入れる、心づもりにしており、航空券も調べていた。黄紺は、通常の韓国旅行は、月曜日から土曜日までの6日間を使うとしている。実際調べてみると、月曜日出発というのが、存外、お高いというのに気づき、若干、後ろにずらした方が良さそうだと思ってた。幸い、土日にも、固い予定は入ってなかったので、融通が効くなとまで知っていながら、行こうという気になれなかった。これが、今まで書いてきた、1月の旅行の上書をしてしまいそうだということ。そんな迷いの結果、止めたということだったので、いざ、その旅行日になっても、残念感が出ないね。確信を持って止めたからやなと思う、この2、3日だ。行く気になれば行こうと考えていた1つが、昨日行った京セラ美術館。あとは、映画2本だ。その内の1本は、来週の上映時間の方が、黄紺的にはありがたいので、そちらに回すことになりそう。もう1つは、じゃ、これ、今週中に行っておこうの腰が上がらない。直近になり、ぐずついてしまうというやつになってしまってる。こうなると、行かないだろうな、経験上。そうそう、大阪市内の落語会もピックアップしていた。世間的にも緩和の空気のなか、自分も、それに乗っかろうということで、予定表には入れてあったが、これも、腰が上がらないね。滋賀県に行くのには、フットワークは軽いんだけど、大阪は、未だに行けていないのです。こんなところなんで、今週は、ずっとぐずついてしまったままじゃないかな? 多分。
 今日は、曇り空のままで、夜半から雨という天気予報だったけど、夕方のウォーキング時に、途中から降ってしまった。傘を、迷った挙句、持って出なかったため、マートへの寄り道の手筈が狂ってしまった。ま、何かあれば買っておこうのスタンスで行くつもりだったので、生活に響くわけではない。出がけに見た雨雲レーダーと、半ばで休憩のため、公園のベンチで腰かけながらに見た雨雲レーダーとの違いに、びっくりしたね。慌てて、休憩を切り上げたんだけど、雨にやられてしまった。まだ、こんなところを歩いているのに、雨脚が速くなったと思いながらのウォーキングは、嫌なものです。昼前のウォーキング時は、暑くもなくいい感じで、休憩&読書ができたしと、とっても順調だったのにと思っても、夕方も、そうなるわけでもなしです。今日は、午後の一時を始め、何かをしながらのときの大半は、Radikoのつけっぱなし。最初は、「まーぶる火曜日」を、昨日の内に、全部聴けてなかったので、それを堪能して、それ以後は、「吉の丞のおつかれさん」にずっぽりとというお時間。落語界情報としては、二葉が、佐賀に行って落語をしてきた話と、吉の丞が、こぶくろの曲をかける前に、ちょうばとの因縁話を言ってたくらいかな? ちょうばの話にしても、これ、以前に、本人から聴いたことのある、わりかし知られた話だしと、新鮮さがあったとは言えなかった。こうやって振り返ると、たいしたことがないね、今日は。昨日の不気味な申請に行ったトピックのようなもの、そんなに、毎日続いてもらっても変だけど、なんもなしというのも、退屈なものですな。


2023年 4月 5日(水)午前 8時 58分

 昨日は、お出かけなしにすると、一昨日、考えていながら、朝方、ワクチン接種証明書英訳版の取得手続きを調べている内に、どうせ、やらなきゃいけないことと、ならば、体調は普通に戻ってるんだからと、そのために動いた。1月に韓国に行ったとき、釜山で搭乗手続きをする際に、想定外のことだったんだけど、ワクチン接種証明書の提出を求められた。関空を出るときもそうだったけど、入国先の書類が整っているかは、出国時にチェックするというのが、定番のようだったが、それは、経験して知ったこと。幸い、釜山では、日本語を解するスタッフさんだったので事なきを得たが、これが、そうでなければと思うと、とっても怖いことと思い、日本のワクチン接種証明書の点検は、マレーシアでされることを想定して、英訳版の必要性を感じているからだ。マイナンバーカードはないので、直で申請しなければならない。区役所で手続きができるだろうと思ってたら、そうじゃなかった。この件については、京都市のHPを見ないと判らない。「京都 ワクチン接種証明書」で検索すると、一挙に、ポータルサイトの関係ページに飛んだ。必要書類はこんなところだろうというもの。交付は、全て郵送ということで、切手を貼った封筒を用意すれば、あとはコピーを用意するだけ。申請場所は、京都ホテル(ホテルオークラ)の北側のビルの6階。急場の場所確保に、市役所の向かいの手ごろな場所を見つけたのが、6階のフロアだったのだろうと、勝手に想像して出向いた。ビルの入口に入る。えらい狭いと感じたのが、ちょっと変な体験の始まりだった。6階に上がり、エレベーターが開くと、前に警備員が立っている。この申請場所のための警備員だった。用件を聞かれ、そうだと答えて手を伸ばした先は、狭そうな部屋の入口、その先は壁で仕切られており、その内側は、完全に遮断されている。異様に思えた。たかが、書類申請だけのための場所に、警備員が立ち、この露骨な遮断は、不気味だった。似た場所が、頭を過ったが、そこは、もう少し開けていた。それは、テロを警戒して、高層ビルの上の階に入っていた在イスタンブル日本総領事館。壁の向こう側を呼び出すには、壁の手前に設えてあるベルを押さねばならなかった。すると、扉が開き、係の人が出てきたが、開口一番、「予約をされていますか?」に、びっくり。予約が要ったんだ! 目にしたポータルサイトには、申請場所は書かれていたけど、予約は書かれてなかったと思ったけれど、「えっ、要るんですか!」と言うと、「空いてますから、いいですよ」と言ってくれた。2つ作られている、取調室のように、周りが壁で囲まれた小部屋。普段、区役所で、書類の申請などをする雰囲気ではない。銀行で融資を受ける話をするような空間、しかも、閉塞感が半端じゃない。こんなところで暴力に訴えられたら、もう2度と娑婆の空気は拝めそうもないという場所。書類の点検をしながら、余計なことも聞かれた。「どこへ行くのか」「いつから行くのか」、ビビってたので、文句も言えず、答えてしまった。書類は揃ってたので、あっさりと受付は終わったが、受付証をもらえるえわけでもなく、闇に葬られても、どうしようもない。終わると、入口を出て行くだけではなく、その入口のところで、こちらが、エレベーターに乗り込み、扉が閉まるまでお見送りを受けてしまった。丁寧なのか、下に間違いなく降りるのか確かめているのか、これもビビった要素の1つだった。マイナンバーカードを持ってない者は、あやしいと思われてんだろうか? きもいところでした。
 ビルを出ると、歩いて岡崎に移動。気温の上昇が大きく、半袖で歩いている人も見かけた。疎水縁のベンチで、持って行ってたパンをかじっての昼食。傍らを通る、内外の観光客は、立ち止まっては、疎水、桜、東山を入れて、写真を撮っていく。現代の山紫水明だ。せっかく、外に出たんだからと、京セラ美術館に行ったのだった。ここで行われている「2023 春期/コレクションルーム 特集“魅惑の昭和モダン”」展に行った。毎度お世話になっている、同美術館のコレクション展だ。既に、1ヶ月程前から始まっていたのだが、何かのついでを待ち、まだ行ってなかったのだった。冒頭のお部屋に、春の名品として、菊池芳文の大作「春の夕・霜の朝」があったが、左双の冬が、よく判らず、スルーをしてしまったが、その向かいにあった丹羽阿樹子の「ゴルフ」の新しさに見とれてしまってた。着物を着てのゴルフ姿。とてもインパクトがある。縦長なため、女性の背が高く見え、余計にモダンな印象。今、この絵が、ポスターになり、京都市内の各所に展示されています。丹羽阿樹子という人、体調が悪く、若くして筆を折った人とか。でも、これと、名作「遠矢」も展示されていた。こちらは、第3室「私たちは“モガ”」に展示されてあった。周りが、モガばかりだったので、さすがに、この絵も居心地が良さそう。1年近く前に、この絵を、初めて観たとき、あまりの斬新さに、周りから、完全に浮いていたもんね、そのときは第2室の出口横だった。丹羽作品は、もう1つ、第2室「新時代を彩る人々」に「夕涼み」があったが、これが、一番、おとなしく、特に、この部屋には、菊池契月の「散策」があるため、余計に、そう見えました。「散策」は、今回の展示のお題なら出ているだろうなと予測させるもの。名品中の名品。犬2匹を連れる、モダンな空気を漂わす女性、その上に、風にそよぐ枝が、その雰囲気を醸成するという優れももの。黄紺の頭には、もっと、犬に、女性が引っ張られているとあったけど、「そないなわけがないよ、この女性が」と、自分に突っ込んでしまってました。この第2室は、片方の側面に日本画、今一つの側面に洋画が並ぶというレイアウト。日本画の中で、際立って目立ったのが、梶原緋佐子の「帰郷」。京都駅に佇む女性を描いた縦長の作品、縦長なため、視点の先に何があるのか判らない、描かれていないため、必然的に、その周りにあるものではなく、正に、これから帰る故郷が想像されてしまう。また、その表情がいい。周りにある作品(中村大三郎「ピアノ」、太田聴雨「種痘」、池田遥邨「雨の大阪」など)に、あまり関心が行かなかったもので、この作品にばかり、目が吸い寄せられてしまっていました。一方の洋画は地味と思えたが、その中で、一回りをして、遠目から見直したときの市ノ木慶治「或る日の画質」に、風が吹き抜けていた。近くで観ると、キャンパスに向かう少年の目つきにばかり目が行ってたんだけど、遠目からだと、それが気にならない分、窓から入る夏の風、結構、涼やかな風が感じられた。第3室に行くと、女性ばかり。菊池契月が、ここにも一品「友禅の少女」、こちらの女性は、ちょっとおとなしめ。その横に、由里本景子の「単衣の乙女」、あれ、同じタッチの作品を観たぞと思い、端から観なおすと、もう一品ありました、「望遠鏡」。この人の描く女性が、もっとも爽やかな印象を持ってしまった。シュッとしてたという印象。この部屋を出て、作品リスト観て、びっくりして探しに戻ったのが、秋野不矩の「紅裳」。これは、「へぇ~」としか声が上がらなかった。「こんな絵を描く人だったんだぁ」という意味でだ。このあとは、工芸が続いた。「工芸のモダニズム 金工と陶磁」「工芸のモダニズム 漆」、金工や漆、苦手です、金工はともかく、漆の良さが掴めない。解ってないのです。次いで、現代アートの部屋「VOCA展 30周年に寄せて」も、おもしろいと思わなかった。アートは、琴線に触れるか否か、触れるものはなかったので、足早に通過。むしろ、アート系と言っていい「進化する工芸」が、黄紺的にはおもしろかった。ここでは、岐阜以来気になっている、どうして作ってるのかと思わせられる、想像の超えた形状の陶磁器に目が行っちゃいます。黒川徹「3つの胚」と木野智史「凪(捻)」がそうでした。毛糸を編み合わせた作品(酒井沙織「うえのほうのおしごと」)も、労作であると同時に、こういった素材で大きな作品を作ろうとする着想の豊かさに目が行っちゃってました。そんなで、ちょっと、前半部に関心ばかりが行った展示。いつものように、気に入った作品を、再度、観てから、展示室を出ることに。「帰郷」の女の目に送られ、「或る日の画質」の風を感じながら。


2023年 4月 3日(月)午後 11時 58分

 昨晩は、変な寝方をしてしまった。日曜日の夜は、午後9時半から、無職旅氏が、Youtubeでライブ配信をするので、こちらは、アーカイブではなく、生で視聴することにしている。自分に、それができる時間帯に、この配信を設定しているからだ。だけど、晩酌は終わっている時間なため、画面を観ながら寝落ちすることが、ままあるんだけど、昨日は、ほぼ冒頭しか覚えてない。あっさりと寝落ちしたみたい。それで目が覚めたのが、午前1時40分を少し過ぎてた時間。それだけ、PCを前に、椅子に腰かけて眠ってたみたい。この状態で寝た最長時間かもしれない。で、横になった。でも、今度は眠れなかった。仕方なく起き上がる。もう、フェネルバフチェとベシクタシュとの一戦が始まってた時間帯だった。その経過を追うのもいいかと思い、何気に、TRTのHPをクイックすると、TRT1へ繋がった。ここ1年以上になるかなぁ、トルコからのラジオが繋がらなくなってから、だから、しばらく、ライヴのサッカー中継を聴いてなかったので、びっくりした。全く、何事もなかったかのように、以前と同じように聴くことができた。まだ、できたことが半信半疑の気でいるものだから、調子に乗り、次も聴こうとすると繋がってないなんてことになりそうな気でいる。それにつけても、酷い試合。10人になったベシクタシュに、4点も入れられてしまった。シェノル・ギュネシュって、選手の見極めがいいのかな、結局は、それが成功の原因なのかもしれません。ベシクタシュが、じわりとフェネルバフチェを射程圏内に入れてしまいました。
 熱も下がったので、今日から、定番メニューのウォーキングを再開。発熱で外出を控えたのが、いい休息になったようで、今日は、身体が軽かった。そんなだけど、お出かけは、明日までは慎もうと思っている。予定では、この月火は、映画に行くつもりだったのだけど。映画を入れる前は、この1週間が、だだ空きだったので、一時は、韓国旅行と思ってたんだけど、結局、1月の韓国旅行の上書きになってしまいそうなんで、実現することができなかった。この分だと、次の韓国旅行は、秋にずれ込みそうだと思い始めている。その内、年内には行きたいんだがと言ってるかもしれないけど。それだけ、1月の韓国旅行のインパクトが、自分的には大きかったということなんだと思います。
 お出かけなしにしたので、こういったときに、再来週の広島県紀行の準備をした。ほぼ資料が出来上がっていたが、確認をすると、やはり細かに不足なところが出てくるもの。それを補充して、最後は印刷した。スマホが、万が一、傷んだらと思うので、こういったアナログなことをします。手持ちの印刷物を持ってるだけで、安心感が出ます。YouTubeの動画でも、この広島行を補充してくれる動画を見つけたので、それを視聴。一層のモチベーションが出ました。この旅行のきっかけになったのは、偶然、1つの特別展を見つけたから。そこから膨らみますね。1つ掴まえると、次を知ることになります。映画を観に行くと、新たな映画情報を得るように、ある美術館での企画展なんかを知ると、自然と、新たな展示の情報を得てしまいます。既に、北九州と四日市で、そそられる美術展に行こうの気になってるものが出てきています。この地方美術館巡りって、今更ながら、いいこと思う浮かべたと思う、今日この頃です。
 そして、夜は、月曜の夜の定番、米朝事務所のYouTubeチャンネルにアクセス。米紫&吉の丞のおもしろトークを視聴。その中で、改めて知ったのが、三味線の豊田公美子さんのチラシ・ギャラリー。今まで制作してきた落語会のチラシの展示会を開くというトピック。これは行きたいと、まじで思った。大阪市内環状線内側となる「ツギハギ荘」での開催、どうしよう、考えどころですね。


2023年 4月 2日(日)午後 9時 23分

 引き続き、発熱が続いているため、何もできなかった日曜日。もとより、予定が入ってなかったので、悔しい気持ちは湧かないが、でも、気になる発熱。朝、目が覚めると、やけに熱っぽい。昨夜の様子だと、もう今朝には、熱はなくなってるだろうの気だったもので、結構、嫌な気分になった。でも、検温をすると「36.5度」だった。一安心だったけど、この熱っぽさは、その後の上昇を予感させ、正直、気持ちが悪かった。でも、結局は、昼間、上がっても「36.8度」止まりだった。存外、意外だったけれど、結果オーライでありがたいと思うことにした。で、結局、この発熱は何だというのが、一番の問題。検査キットが100%じゃないというのは、今更ながらのことだが、弟の嫁さんが、感染したとき、医者にかかったとき、その検査キットは信頼できるものだから、再検査をして確かめる必要はないと言われたそうだ。それからすると、クリアな「陰性」が出た身には、何と言えばいいのか。そんなことを、昨日、息子と電話で喋ったら、息子は、「単なるインフルじゃないの」と言ってた。ということなのかなぁ。合理的な物言いであることは確かだから、そう思うことにしている。でも、自分では疑いがあるのか、外出は控えている。幸い、食料は、冷蔵庫に確保できていたので、外出の要はないのが助かるが、身体は、完全になまる。これが鬱陶しいけど、だからと言って、微熱があるのに、わざわざ外出するのもいかがなものと、途端に常識ってやつが頭をもたげてしまう。仕方がないので、今日も、夕方から飲むことに。ウィスキーの水割りにラクの水割りと、普段、飲んでなかったものを飲んで、差別化を働かせているが、意味のない話だ。
 時間があるけど、やっぱ、熱があるので、PCに向かい、ボーっと動画を観てないと、疲労感が出てしまう。が、結局、再来週に行くことを、急に決めた広島県美術館巡りの資料作りをしてた。三原城ってのが、小早川隆景が建てたものと知り、俄然、スパークしてしまった。講談のおかげで、こういった武将にも関心が行くようになった。中国筋は、著名な武将が闊歩する地なんですね、ま、ゆっくり考えると、誰がどこかは別にして、戦略の地だったということでしょうか。また、三原城が海城だったことを知り、ここでもスパーク。「ブラタモリ/高松編」で、海城の魅力にはまったので、このタームは刺激的だ。「船入櫓」なんてのがあったと知り、またぞろ、スパーク。そんなことをしながら、遊んでたんだけど、その他、「ブラタモリ」の動画も観た。昨日の「汐留編」があやしかったので、速攻で観ておこうとした。幸い、動画がアップされていた。ようやく、汐留の位置が判り、その役割も判った。溜池の役割も判ることで、汐留の必要性も判った。浜離宮の再訪も、現在の汐留区域が埋め立て地だということの延長で出てきたトピックだった。大名庭園のもったいぶった趣向に、チラリズム、凝ったことしてくれます、大名ってのは。海と庭園、このマッチングには、さぞや公家どもは驚き、そして、喜んだことでしょう。線路跡のことも判った。東京駅から羽田へ向かう新線ができるということでした。廃線は、汐留と大井埠頭を結ぶのが、元の役割だったということからすれば、納得。でも、そうなると、タモリも言ってたけど、モノレールの立場はどうなるのだろうか、気になってしまいました。「ブラタモリ」は、もう1本「佐賀編」を観ました。とっても、優れものだったので、いいお勉強になるものが詰まってるのが「佐賀編」でしたしね。平野を意識した街作りって、日本じゃ、レアでしょうから、余計に興味津々となってしまったのです。
 今日は、日曜日ということで、当然、朝のお楽しみ「日曜美術館」のお世話になった。時系列的には、逆になってしまったが、メモを認めておく。今日のお題は「重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史」。重文ばかりを集めた東京国立近代美術館の展示会に合わせた企画だったようで、とにかく、ええもん見せていただけました。この番組で取り上げられたのは、次のような作品でした。①狩野芳崖「不動明王」(最初の重文、狩野芳崖は40歳で明治維新、新しい日本画を模索、《狩野派+西洋画/西洋の絵の具も使用》といった作風、この絵では、火炎がなかったり、洞窟で奥行きが出ていたり、輪郭線に色がついていたりしている、59歳の作)②狩野永徳「獅子図」③横山大観「生々流転」(水の一生を表す長大な作品、ラストは龍に変身、そして、天に帰る、菱田春草ととも西洋画の空気を表現、そして挑んだのが朦朧体=輪郭線なし、「朦朧」は元々は批判の言葉、1967年〔翌年明治100年〕指定、発表後44年、異例の速さでの指定)④狩野芳崖「悲母観音」⑤上村松園「母子」⑥鏑木清方「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」⑦高橋由一「鮭」(洋画としては初指定、元々、狩野派の絵を学ぶ、幕末から維新への変換期の関心=西洋画の特徴を継承している、縄のリアリティが素晴らしい)⑧岸田劉生「礼子像」(服の毛糸のリアリティ)⑨青木繁「わだつみのいろこの宮」(1969年に指定、25歳の作品)⑩青木繁「海の幸」(22歳の作品)⑪萬鉄五郎「裸体美人」(⑫の翌年、フォービスムをいち早く取り上げる、美術学校の卒業制作、黒田清輝の指導受けるが、作風が合わず、⑫に対抗したようにして制作、題材が似ている、画家がモデルを見上げているのに対し、⑫は画家は見下ろしている)⑫黒田清輝「野辺」(⑪の基、師匠に当たる黒田の作品、画家がモデルを見下ろしている)⑬浅井忠「収穫」⑭岸田劉生「道路と土手と塀」⑮黒田清輝「湖畔にて」⑯高村光雲「老猿」(1999年指定、取り逃がした鷲の羽を手に持つ、シカゴ万博〔1893〕展示用、政府の依頼、1m以上ある栃の木から作る、指定が遅れたのは、工芸を置物的捉え方をすることがあった、美術と工芸の中間的作品だと捉えられ指定から落ちる)⑰萩原守衛「女」(⑯より先に指定、ロダン的、西洋的、国際的スタンダードで選ばれる)⑱鈴木長吉「十二月の鷹」(シカゴ万博出展、2019年に指定、職人との合作、チームとしての作品、24人の技を結集)⑲鈴木長吉「鷲置物」(工芸で初の指定、シカゴ万博出展、長吉1人で製作されたということで、⑱より指定が早かった)。重文は、明治以後68点だが、未だ、国宝の指定はなしだそうだ。


2023年 4月 2日(日)午前 8時 35分

 昨日の土曜日は、朝から歯医者に行き、午後は落語会、夜は「ブラタモリ」の新作と、充実した1日になるはずだった。だけど、歯医者に行ったあと、その足でウォーキングに出かけたところ、その途中から、身体に変調が現れた。昨日は、気温の上昇が激しかったので、最初は、暑さにやられたのかと思ってたが、やけに身体がだるい。腰辺りの節々が痛い。要するに熱っぽさがあったのだ。家に戻って来る。外の気温とは別で、屋内は冷えている。これは、前日までと同じで、電気ストーブを入れたが、「強」にしないと落ち着かない。それだけではなく、身体を電気ストーブ間近まで持って行こうとしていた。さすがに、外で味わった気温と、いくらなんでも違い過ぎることをしているのでおかしいと思い、検温。「36.5度」だった。自分的には、これは発熱だった。平熱は「35.9度」なものだから。でも、この時点では、午後の落語会は躊躇していた。が、その15分後くらいに、トイレに立った。すると、軽く悪寒を感じてしまったので、再度、検温。「37.1度」になってたので、万事休すだった。即、二豆の蓮池院落語会だったので、二豆にメールを送り、キャンセル。小さい落語会だったので、申し訳ない気持ちいっぱいだったけど、仕方がない。次いで、電話を2本。3日前に食事会をしているので、一緒にほたえまくったDとS、それに、息子夫婦は大丈夫か、気になったから。3日というのは、潜伏期間としては、あまりにぴったりのベスト・スパンだからね。その前日には、黄紺は映画館に行ってるので、そこで感染してたら、息子家族に感染させてる可能性があるので、とにかく、大丈夫かを確かめたかった。電話がつながったのは、しばらくして、2本目の電話の内容も伝えることができるようになってからだったが、息子の家族は大丈夫だったので、一安心。2本目の電話は、弟の家へ。弟夫婦が、年末から年始にかけ、感染をしたり、その疑いが出たというので、検査キットを買っていた、まだ残っているということを言ってたのを思い出し、持って来てもらうことを頼んだ。弟の嫁さんが、家の前の郵便ポストに放り込んでくれた。戸越しにしか会話はするわけにはいかなかったが、現状を伝えることはできた。で、それを使った結果、人によっては検査結果が判りにくいという話を聞いたことがあるけど、黄紺の場合は、とってもクリアだった、「陰性」。ま、これで、感染してないということにはならないと言われてるけど、ひとまず一安心。だと、発熱の原因はとなると、歯の治療が境い目だったもので、それが原因かもしれないなと思っている。麻酔をして、歯石を取るといった治療だったんだけど、そう思うと、抜歯じゃないよと突っ込みを入れたくなる。そんなで発熱するかなぁ。治療後、麻酔が覚めると、治療を受けた歯に、軽い痛みは出てたけどね。ま、これは想定内と、医者には言われてたけど、発熱までは言ってなかった。そうなると、「陰性」に疑いをかけたくなってしまってるのが現状。熱は、昨日の午後には「37.8度」まで上がったが、夜に、熱っぽさがほぼ取れたので、再度、測ると「36.5度」まで下がってたが、今朝、起き上がると、またぞろ熱っぽい。朝は「36.5度」、この分だと、時間が経つにつれ、上がりそうな気配を感じている。
 そんなで、楽しみにしていた落語会に行けず、腹立ちまぎれに、昼間から飲むことに。昼飲みは久しぶり。晩酌もしたしと、完全に酒浸りの日になってしまった。その勢いで、再来週、広島県の美術館巡りをすることを決め、ホテルも押さえた。広島市内の2つの美術館、三原市内で宿泊、尾道市内と福山市内で1つずつ美術館に行く計画、正に、地方の美術館巡りをすることになります。
 「ブラタモリ」の新作は「汐留編」だった。汐留って、昔、貨物駅があったところだよね。今は、ウォーターフロントで、高層ビルが立ち並ぶ地域。貨物駅に繋がっていた線路を使い、JRの新線ができるそうだ。かなりお酒が回っていたので、どこに繋がる路線が覚えてないけど、地図では縦に走ってたので、埼玉方向からの新たな路線になるのかな、知らんけど。汐留は、字からして、海水が入っていたことを示すと言ってた、先は溜池に繋がってる、運河があったのかな、これも、よく覚えていない。浜離宮を再訪していた、初期の「ブラタモリ」の「鷹狩」を扱ったとき、確か、海から入ったのじゃなかったかな、だから、再訪。でも、なんで、再訪したんだろう、これも、覚えていない。どこかで、もう1回、観なきゃ、こら、ダメだね。半寝で観てたみたいだ、これでは。


2023年 4月 1日(土)午前 7時 45分

 昨日はお出かけなしの日。相変わらず、朝晩は冷え込むというのは続いているが、午後になってからの気温の上昇は、特に大きかったのじゃないかな。午前中は曇ってたけれど、昼頃から、えらくいい天気になり、それに伴い、気温も上がったみたい。夜に、オンライン配信で講演会を聴くという予定が入っていたので、午後の一時が、ちょっと窮屈になったので、Youtubeで観たいものをピックアップした程度。旅系Youtuberとしては、ベスト2と思っている「無職旅」「しげ旅」、各々、長めの動画を視聴。韓国系Youtuber氏のモッパン動画は、韓国のお勉強にもなる。
 夜のオンライン配信は、みんぱく公開講演会「『目に見えないもの』と生きる――食からみたヒトと微生物のかかわり」。3年前、ドイツのトルコ人を扱いながら、コロナ禍でボツになったという記憶が残っているもの。今回は、皮肉にも、コロナ禍をヒントにしたテーマ設定となっていた。そのプログラムは、次のようなものでした。①趣旨説明 「『目に見えないもの』と人類社会」(国立民族学博物館准教授奈良雅史)②講演1 「人類と微生物の共生:パプアニューギニア高地の事例」(東京大学教授梅﨑昌裕)③講演2 「発酵文化人類学:微生物から見た社会のカタチ」(発酵デザイナー小倉ヒラク)④コメント 「見えないものから見直す食の意味」(国立民族学博物館教授宇田川妙子)⑤ディスカッション(奈良雅史×梅﨑昌裕×小倉ヒラク×宇田川妙子)。①の奈良さん、めっちゃ滑舌が悪く、聴きにくいお喋り。「目に見えないもの」と人との関係というものを、パンデミックにより意識させられたこと、また、「食」というものは、「目にみえないもの」との関係なくしては完結しえないことの確認、それにより、このテーマ設定という趣旨説明。それを、奈良さんご自身のフィールドの中国でお話されました(専門は回族とのこと)。香港の養鶏農家が、鳥インフルの発生により、中国からの輸入が増えたことで、一旦は衰退したのが再生したが、養鶏農家コミュニティーの在り方が変わった。血縁から地縁重視の社会へと変換していったことや、プーアル茶の拡がりとの関係があるとのこと、運搬の仕方の特異性によりプーアル茶の誕生秘話的なお話をされていたのだけど、時間切れで急がれたため、判らなくなってしまった。②が、意外性もあり、とってもおもしろかった。人類の進化から多様性が生まれた背景話からスタート、この冒頭から、めっちゃ気になるお話。ホモサピエンスへの進化は20万年前(ちなみに、人類誕生は700万年前になってるそう)、高々8000世代前(この言い方がおもしろいね!)、これだけの間に、今の我々のようになっちゃった。進化の場はアフリカ。だから、人は暑さに強い。人の多様性は、気候に適応してきたのと、文化を持つことで適応してきた結果。そういったなか、現代の我々からして、奇異に映る食生活をしている人たちがいる。この例の先に、このお話のフィールドが出るんだけど、その前に、おもしろい例が並んだ。「エネルギーの70%を乳・乳製品で摂る牧畜民」「動物性食品に強く依存する極北民」「アルコール飲料を主食とするエチオピア農民」、そして、「サツマイモを主食とするパプアニューギニア高地人」。梅崎さんは、そのフィールドに入り調査をされたとき、現地の食生活そのままをすると、体調が崩れたと言われていた。お腹に変調をきたすばかりか、蚊に刺されると、そこが化膿してきてしまった話を紹介されていた。日本から持っていた腸内細菌に替わり現地の細菌に取って代わるのが原因とのこと。我々は、集団ごとに固有の腸内細菌と共生しているようなのだ。パプアニューギニアでは、400年前に北側にある火山が爆発して、大量の火山灰が降り積もった。そこへ、300年前に、コロンブスが持ち帰ったサツマイモが入り、栽培が始まった。地質に見合う食材が入り、その結果、食の安定により人口が増え、生態系が変わり野生生物資源の減少が起こった。サツマイモにもいろんな種類があり、パプアニューギニアで栽培されている。多い人は、日に2㎏も食べる人がいるので、サツマイモの種類に変化がある方が食生活が楽しいのが背景とか。現代人の感覚からすると、明らかなる偏食、特にタンパク質摂取が少ない。が、我々だと、筋肉量が低下、身体機能の低下、更に死へと繋がるような食生活をしているが、パプアニューギニアの高地人は、身体が低たんぱく適応をしているため、元気に生活をしている。これには、腸内細菌が関与している。ここから医学的なお話。排泄物である尿素からタンパクの材料を作る細菌が腸内にいるそうです。パプアニューギニアの高地人の糞便調査で確認するそうです。現代人は、消化の良いバランスの取れた食生活をしたり、抗生物質の大量摂取などで、この腸内細菌を絶滅に追い込もうとしているとも、最後に言われていました。③は発酵のお話。その起源では、おなじみの、古代エジプトのワイン作りの絵が登場。樽に人が入り、足でブドウを踏みつぶしている、あの絵です。それだけ、人の食文化と発酵は深くて長い付き合い。発酵とは、大きなものを、人間に有用な菌が働くプロセスと定義されていました。具体的なお話では、インドのコルカタ以東はカビの天下。以西は、気候の関係もあるのか、カビがなくなるそう。糀は、日本の発酵カビ。「糀」という文字自体、日本にしかない。これが、和食のベースになっている。その食文化のいろいろを訪ね歩いておられるのが小倉さんのフィールドのようでした。④では、自然界が人間中心で動いてきた、だから、こういった「目に見えないもの」との共生に目を向ける必要があるという、定番のお話でしたが、これ、要ったかなぁ。その前提で、このイベントが設定されてるんだから。それだと、③で、小倉さんの食紀行の具体例、聴きたかったなぁ、もっと。冒頭の、赤倉だったかな、雪原に唐辛子をまき散らす画像、インパクトあったしね、あんなの、もっと紹介して欲しかった。そんなで、満足度高しの講演会。久しぶりに、民博主催ものを聴いたけど、やっぱ、文化人類学はおもしろいね。みんぱくゼミナールが、オンライン配信止めちゃったので、なかなか、こういったイベントに接触できてないので、とっても嬉しいイベントとなりました。


2023年 3月 31日(金)午前 8時 15分

 昨日は、珍しく、夜にお出かけを入れていた日。相変わらず、朝晩の冷え込みが大きいので、変なところにお出かけを入れてしまったと、その内容と関係なく思ってしまってた一日。朝などは、5度くらいだったんじゃないかな、いずれにせよ、暖房は要る。いや、気温が上がった昼間も、屋内は冷えているので、少なくとも電気ストーブはつけている。昨日は、夜の方が、冷え込みはましだったかな。昼間は暖かくなるので、昼前のウォーキングには、とってもいい季節。桜も満開だしね。毎年、1枚は撮る「今年の桜」は、先日、京都シネマに行ったときに撮った、五条大橋際、鴨川右岸の桜並木。朝晩の冷え込みが、桜を持たしてくれてるのでしょうね。
 午後の一時というか、楽しいことをしたというより、昨日は、時間があったので、スマホのsimロック解除に取り組んだ。マレーシア行きが決まり、スマホが、常時使えないとダメというご時世になっているので、航空券を買ったことをきっかけに後回しはダメとばかりに始めてみた。海外でスマホを使えるようにするために、幾つか方法があるけど、どの方法がいいかと考えると、自分の機器を使えるということ、費用がリーズナブルであることを考え、simじゃないかと判断。だから、正月明けに韓国に行ったとき、息子に、それをやってもらいたかったのだけど、実現しなかった。ルーターを借りるという手を、息子は選択。確かに、複数の人間で海外へ行くときには有効。Wi-Fiを飛ばしてくれてるわけだから、ルーターを持つ息子の傍らにおれば、楽々使える。確かに、一人じゃなければ有効だけど、一人じゃお高い。実際、ルーターを持ち歩かねばならない。そんなに大きいものではないけど、持ってること自体が不安。旅系Youtuber氏の「しげ旅」の動画を観て覚えたのがeSIM。でも、調べてみると、限られた機種でしか使えない。スマホに疎い黄紺は、それこそ、いろんな機能を持たせても使えないと思い、年寄り用的な機種を買っているため、安い替わりに、こういった機能を知ったときに困る。結局、simに関しても、simフリーという機種でもなかった。これも、そうした機能を持つ機種をさえ買っておけば、今回のことはする必要すらなかったのだ。で、取り組んだ。2ヶ月ほど前に取り組んだ際は、入口に行きかけて躓いた。でも、クリアできそうな予感はあった。で、一昨日、再度、チャレンジすると、その入口近くまですら、なかなか行きつけない。うろうろしながら、こういったスマホ機能の変更の問題って、スマホ自体の操作で取り組まないとダメだと認識するまで、ちょっと時間が要った。PCで方法を探し、PC上でなんとかできないかと、スマホの苦手なため、そちらに逃げて行ってしまい、やっぱ、スマホ自体でしなきゃならないことを、再認識。それで、一昨日、機種の機能変更をするスタート地点画面に到達できるようになってた。そこを、再度、見つけるのに時間を要したけれど、そこに行くと、リクエストを検索すると、あっさりと、「simロック解除」の手続き画面に行けた。控えに取ってあるパスワードを持ち出し書き込んで行くと、あっさりと本チャンの画面に。「製造番号」などというものが要った。これまた、スマホ関連グッズを調べると、10桁くらいの数字が出てきた。それだと思ったけれど、「1」を罫線と混同しそうな書き方をしてあったので、念のために、電話ダイヤル機能で調べられると指示があったのでやってみると、手元の数字とドンピシャ。これが、最後の壁らしきもので、あっさりと手続き終了。受付メールも届いた。電話ダイヤル機能を使い、「simロック」状態を確認する方法も覚えた。あとは、実際、simカードを挿入してのことなんで、今はできない。状態確認をすると、確かに「simロック」はかかったままになっている。なんとか、できそう。振り返ってみると、操作自体は、いたって簡単だった。でないと、誰でもができないよねと、今となっては思えるけど、入口までが大変だった。機能変更のときには、どこへ行けばいいかが解っただけでも、大成長だ。Amazon屋さんで注文しておいた「地球の歩き方/マレーシア編」の最新版も届き、いよいよ、マレーシア旅へ、気分が高まってきています。そのまえに、来週、予定が、全く入ってないので、国内旅行をしようかなと思い始めている。先日の名古屋&岐阜旅行に味をしめてしまってます。
 夜のお出かけ先はロームシアター京都。ここのノースホール(地下のホール)であった「“いま”を考えるトークシリーズ Vol.20<百瀬文映像作品上映+トーク>」というイベントが、昨夜あった。百瀬文のアート作品を上映し、その後、ご本人と京都大学総合生存学館(思修館)特定准教授の篠原雅武さんとのトークがあるというもの。案内を見て、難解そうだったけど、身体論的な内容と判断、ダメ元気分で応募してあったけど、ダメだった。上映された映像自体はそそるものがあったということは、多少は理解できてたってことかな。でも、その後がいけなかった。夜に難解なトークに行くものではありません。体力が持たないということで、もうお休み時間に引きずり込まれてしまい、特に冒頭は、お互い探り気味に話されるものだから、本筋に入って行かないもどかしさがあり、こちらの体力が根を上げたものと思っています。だから、上映された映像のメモを、あっさりと書くことに留めておきたいと思う。1本目は「シングル・チャンネル」。冒頭に「堕胎罪」、最後に「堕胎幇助罪」の条文が流れ、それに関わる2人の女性の往復書簡をいう形で映像が流れる。1人は、ポーランド在住の女性、もう1人は、そのポーランド人女性のブログを読んだ日本人女性フミ(百瀬本人を表していると思われます)。その2人の女性を、百瀬本人が演じ、その往復書簡の文章が英語で読まれていくという形で進行する。ポーランドでは、ホテルの一室で撮影、その高い場所から、窓外から眺めるデモの光景というもの。デモは、ポーランドで施行が決まった堕胎禁止に反対するもの。日本人女性のシテューエーションが、よく解らなかった。ここでも居眠りしていた可能性がある。2本目は「シングル・チャンネル」。ベッドに横たわった女性は聴覚障害を持つ。顔は映さず、手話で動かす手と首から下の仰向けに寝た身体だけが映っている。奥の机で作業していた同居人と思われる男性、会話の内容からして健常者のようだ。お互いの意思疎通の不具合を、女性が責めるという会話内容だったかな。1本目は、身体に対する国家介入が進んでいく現実を表し、よく言われる「身体は誰のもの?」的な問いかけをしているようだったけれど、また、2本目は、身体と表現の関わりを扱い、顔の表情という表現手段をカットすることで、言語、更に音を伴わない言語にまで、特化することで、身体の関わりを追求したようには思えたけれど、全く、個人の感想です。それとの付き合わせができないのは、居眠りのせいです。あかんね、これじゃ、自分から参加を放棄しちゃってる。


2023年 3月 30日(木)午前 8時 25分

昨日は、一昨日になり、急に予定が詰まった日。それまでは、何もない、お出かけなしの日だった。それが、先日、息子に、Dの卒園祝いに、晩ご飯をご馳走しようと言ってるのに、音沙汰なしだったので、問い合わせると、ならば、この日はどうかとなってしまった。相変わらず、無計画な息子らしいんだけど、その無計画さは、今さら言っても直るべくもないので、急に予定が入るという日になった。だから、午前中のウォーキングは、何か、DやSに持って行ってやれないか、そういったお土産探しを兼ねてのものになった。小学校に入ることになるDには、英語カルタとして、Sには、いつもとように、駄菓子にした。詰め合わせという便利なものがあったので、いつものように、細かく選ぶという手間が省けたけど、なんかなおざり感が出るので、次は、詰め合わせがあってもやめよう。食事会の場所は、息子が選んだ、串カツ専門店。もっとゴ-ジャスな店を想定してたので、肩すかしを食らった気もしないではないが、子どもには、判りやすい店がいいという息子の言葉に従うことにした。結果オーライで、DもSも、楽しんでくれたみたい。串カツと言って、なんか、違った、衣の感じが。店も、ちょっとおしゃれな感じで、「串カツ」とイメージと齟齬を来していた。ママは、年度替りで転勤。なんか、凄まじい職場だったようで、ごっそりと転勤しちゃうそうだ。持ち帰り仕事で、男ども3人だけで、よく追い出されていたもんね。息子も、年度が替わり、今までやったことのないお仕事とか、そうそう、ママもそうだと言ってた。年度が替わり、泣く人、喜ぶ人がでるようだけど、さて、この1年、この人たち、どう出るのでしょうか。Dは、昨日まで、卒園式が終わっても保育園に行ってたそうだ。「寂しいな」と言っても、ピンと来てないのかな。「3日から、学校行く」というので、びっくりしたら、学童が始まるそうだ。そのことは、Dは解ってなかったみたい。Sにも、「Dがいなくなるよ」「寂しいな」と言っても、こちらも解ってなかった。たちまち、今日からいないのに、どうするんだろう。朝になって、きょとんとしてるか、構わず走り回っているか、覗いてみたい気分になった。カメラを向けると、またまた、おんぶポーズを見せてくれた2人、それだけではなく、「抱っこもできる」というので、どうするのか見たくなったので、「やってみて」と言うと、Dが、Sの後ろに回り、お腹を持って抱き上げていた。もちろん、たくさん写真を撮った。PCの壁紙になるのが、また増えた。結局、2時間半ほど、店にいた。子どもは寝る時間なんだろうけど、眠たそうな素振りは、全然、見せてなかった。替りに、こちらが、電車で爆睡。またしても、降りねばならない駅で降りることができなかった。最近、続いていることだけどね。
 そして、昨日、マレーシア行の航空券を買った。クアラルンプル往復が高いので、まだ、マレーシアはダメかと思ってたんだけど、なぜか、ペナン往復にすると、激安になった。20年ほど前に、息子と行ったときのコースをなぞることになると思う。クアラルンプル往復だと、東海岸を考えてたんだけど、ペナンなので、ダメだと思った。イポーから山中を抜けてコタバルへ行くバスは、一応、調べてみたが、昼間1本、夜行1本だったので、戻りのこともあるので、行かないのが無難だと思っている。コタバルには、ほぼ関心がないけど、その南にあるクアラトレンガヌが、黄紺的に一番行きたいので、コタバルへ行こうと思ったのだけどね。それとも、イポーからクアラトレンガヌへは、ダイレクトで行けるのだろうか。半島中央部の山越えのルートを、詳しく知らないから、頑張って調べる値打ちがあるかも。あと、スマホのsimロックの解除、これが、できるかどうか、スマホに弱いので、めっちゃ自信がない。どこかで、息子にヘルプを出さないとあかんかもと思っているところだ。


2023年 3月 28日(火)午後 9時 22分

 今日は、朝方が冷え込んだ、昨日同様、電気ストーブだけつけたら、なかなか暖まらない、いや、冷え込みが進んだようになっていく。だいたい、午前7時過ぎくらいが、一番冷え込むんだけど、その時間になると、思わず空調をつけた。昼間は、そこそこ上がった。19度まで行ったみたい。昼前のウォーキングでは、歩いていると、自ずと暖まるので、午後に出かけるときに、どうしても、薄着になってしまう。今日は、風が冷たく感じてしまった。幸い、その後、穏やかになった感じで、ホッとした。やっぱ、こういった日は、着脱可能なものを羽織るなり、持参するということ、やらんとあかんね。
 今日は火曜日で、いつもなら、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を聴く日なんだけど、1週間の流れを考えると、今日、お出かけを入れた方が得策と判断、京都シネマで映画を観てきました。フランス映画「メグレと若い女の死」。シムノンの作品として知られるメグレ警部もの。黄紺は、推理小説好きだけど、このメグレ警部ものは読んだことがない。とっても有名なキャラ、小説なんで、メグレのキャラなど、ちょっとは知っている。えらい大柄である、奥さんが、推理に貢献するなんてこと、でも、そんなところなんで、しっかりとしたイメージがないということで、観ようと思った。イメージ・ギャップが起こるほど、中途半端に知っているわけではないので、そう思ったのだ。筋立てについては、傾向は、一切知らなかった。だから、全く素で観ることができた。勝手な予想として、地味なんだろうな、フレンチ警部のような緻密さはないだろうけれどと思ってたけど、地味だという予想は当たった。それに、最初から最後まで徹していた。舞台は1953年ということだったかな、もう少し古いものかと思ってた、確かに、調べてみると、メグレの登場は1930年だから、推理小説の黄金時代に絡む人だけど、戦後も創作活動が続いたので、別段、変化があったわけではない様子。1人の若い女性の死からスタート、誰かも判らないところからスタート。どうやら、地方から出てきた若い女性が、アパルトマンに1人で住んでいるが、誰かに宛がわれた住まいのよう。なんか、その部屋の構造を観ていると、ミミを思い出した。被害者の女性も、ミミと同じように、誰かの世話にならないと生きていけないような境遇、地方からの出でパリで生き抜くための手ということなんでしょうね。もう1人、準主役的に、地方から出てきた若い女性が出てくる。万引きを咎められたことから、メグレと知り合うことになる。この女性が、囮役をも引き受ける大事な役柄。この女のメグレに協力しようという気になる心底のようなものが、もっと描いて欲しいなとも思ったのだけど、地味に推理を働かせ、犯人にたどり着く傍流的な流れは割愛されている。ひたすら地味に推理が進んで行くという流れ。メグレの自宅での夫婦の会話、なにげない会話の中に、メグレがヒントを感じるものがあるように仕組まれているのは、原作のテイストなんでしょうが、決定的な役割までも与えてないというのが、ポイントなのか否かは、黄紺の持つ知識量では無理。殺人事件の底にあるクイアな人間模様、シムノンって、こういったプロットを使うんだと思ったら、ネットで、この人の一生を読んでみると、とんでもない遊び人。そうなんやと思ってしまい、あっさりと納得。世界中にファンが多いというのは、そういったことをカヴァーした結果だったのか、知らなかったぁ。映画が地味な印象を与えたのは、白黒映画ではないけど、全体の色調が、モノカラーに近い印象与えるような設えになっていることもあるのでしょうね。二昔前くらいのフランス映画って、こんな感じだったかもと、無責任な想像を働かせていました。次回作ってあるんだろうか、原作は山ほどあるんだけどな。もしあったら、また、観に行くでしょうね。このテイスト、中毒性を持っていそうな感じがしました。でも、久しぶりの映画でした。やっぱ、映画界も、ご多聞に漏れず、コロナ禍の影響なんでしょうね、制作自体が減ったという印象で、単純に、その影響で、観ようかという映画が減っているということは確かだね。


2023年 3月 28日(火)午前 8時 12分

 雨が上がり、お天気は回復、いい感じの月曜日。満開の桜が、少し散り始めている。今年は、早く咲きすぎたけど、一昨日に続き、昨日も冷え込み気味だったので、少し持つかもしれません。昨日はお出かけなしで、午後にオンライン配信の予約が入っていた日。ルーティンにしている日に2回のウォーキングは、いたって順調。買い物をする必要がなかったので、昼前のウォーキングには、自然いっぱいのコースを採った。満開の桜の木の下での休憩&読書は、この季節のお約束のもの。花見をするために、どこかの老人養護施設が、車に爺婆を積んでやって来ていた。傍らでは、地べたに何かを敷いて花見をしている爺婆集団もいた。近くからは、クラシック・ギターを練習する爺さんがいるという具合に、完全に老人天国になっていた。桜に責はないけど、普段はないノイズが聞こえていた。
 午後の配信は、国立環境研究所の社会対話・協働推進オフィス主催のもので、「IPCC・AR6統合報告書オンラインイベント“執筆者と深掘り!気候変動の最新知見と、これから”」というもの。気候変動に関する政府間組織「IPCC」による第6次評価報告書(AR6)の統合報告書が出たことを受けて、実際に、その報告書の執筆に関わった人たちを迎え、その報告書のポイントを説くとともに、意見交換、質疑応答をするというもの。この報告書は、気候変動関連の講演などを聴くと、必ず出てくる代物。世界の気候変動の知見を知る、最もベーシックで、且つ、新しいもの。3つのセクション(科学的知見、適応策、緩和策)全てに、日本は研究者を派遣して、世界に貢献している国だと言われていました。実際の作業は、世界の最新の論文を精査して、最先端の知見を集め、方向性を打ち出すというもの。ということは、今まで、幾つも視聴した関連の講演、シンポジウムで、知識として少しは解っていたつもりだったが、果たして、最新の報告書を聴いて理解できるか、素人にも理解できるようにお話していただけるかということの不安を持ちつつ、この配信に臨みました。お話の内容、個々については解らないわけでもなかったのだけど、限られた時間で、うまく掻いつまみ過ぎたお話をされたので、黄紺的には、流れ過ぎちゃって、何がポイントなのかが、とっても掴みづらかったというのが、正直な感想。そのプログラムを、まずメモっておきます。①AR6統合報告書について、3つの作業部会の各観点から執筆者による解説「WG1:自然科学的根拠/地球システム領域上級主席研究員江守正多」「WG2:影響・適応・脆弱性/気候変動適応センター副センター長肱岡靖明」「WG3:気候変動の緩和/社会システム領域領域長増井利彦」②AR6統合報告書の横断的解説として、上の報告者に加えて、新たに2人の研究者(社会システム領域主幹研究員久保田泉、地球システム領域領域長三枝信子)参加(ファシリテーター:甲斐沼美紀子)③ディスカッションと質疑応答(司会:江守正多)。出てきたトピックをメモっておきます。「1850~1900年の気温に比べて、2011~2020年の気温は、既に1.1度上がっている」「その責任は、人間の営為によるもの」「年最高気温、年平均土壌水分量、年最大日降水量、各々の変化は、温暖化が進むことで変化が看られ、極端現象が増加している」「1.5度を超えた場合、一気に上昇してしまうとは考えてはいないが、そのようなことが起こるという論文も出ている」「海面上昇は、1.5度上昇が達成できても、今後、数千年続く、でも、温暖化を低く抑えれれば、将来の海面上昇も相対的に低く抑えられる、ただ、臨界点のようなものがあり、それを超えると、南極氷床が不安定化し海面上昇が加速する可能性は否定できない(このトピックが一番新鮮で衝撃的なもの!)」「1.5℃の残余カーボンバジェットはもうすぐ使い果す、現在の排出量が続けば2030年ごろにほぼ使い果す、現在のインフラを従来通り使い続ければ1.5℃を超えるということ(それはそうだろうけれど、具体的数値が出ると衝撃が走る!)」「1.5度達成されなかったら? 自然生態系と氷河への影響は大きい、熱や強い雨の影響が出る、1.5度と2度でも違う様相が出る(具体的に詳細を聴きたいところ!)」「将来世代の経験する温暖化は今の選択に懸かっている(今、産まれたばかりの子どもは、温暖化の影響を受けることが、今の大人より大きいという、当たり前と言えば当たり前のことだが、思わず、DとSが思い浮かんでしまった)」「日本の温室効果ガス排出量は、2010年以後、減少が続いていたが、2021年には増加に転じた、これはコロナ禍のため」「脱炭素社会の実現のためには、①エネルギー消費量の削減、②使用するエネルギーの低炭素化、③利用エネルギーの転換を総合的に進めていくことが重要であるが、それとともに、④ネガティブエミッション技術の導入が不可欠になる、炭素ガスを出さないではなく、炭素ガスを減らす技術のこと、植林・再植林、バイオ炭、土壌炭素貯留、湿地・沿岸再生(ブルーカーボン)などの技術がある(これ、知らないことがいっぱいある、ブルーカーボンも聴いたときの新鮮さがあったしね)、ただ、これをすれば地球規模で減らすというものは、まだ出ていない」「供給側の対策だけではなく、儒要側の対策とを組み合わせることの重要さ、需要側対策は、不確実性の高い供給側技術(CO2除去対策等)への依存度を下げることにつながる」「需要側の対策では食品ロスの減、インフラ整備(自転車専用道路を整備して自転車で行きやすいスーパーにするなど)、地方の小中学生啓発が立ち遅れている、断熱のいいビル、、、、」「森林減少、食い止めることが重要(プラス吸収源の拡大)、東南アジアでの生産を知ることが肝要、商品の裏側を見ると、森林との関連を知ることができる(パーム油を知ることができる)、これも需要側の対策」「SDGsにも貢献する気候変動対策が表にまとめられている、報告書には(どこかで、具体的に聴かねばならない項目)」「将来的には、例えば、食糧生産地を減らして植林に向かうということが起こるかもしれない、、、この辺りのパラダイムを崩すような具体策を、三枝さんが幾つか挙げられていた、メモれなかった、残念!」「炭素税が低いので、意識が変わるのかと思える、制度設計の問題」「国際関係、協力の態勢は、パリ協定以後、変化してきている、コロナ、ウクライナ戦争で、国際協力の大事さが高まってきている、気候変動対策は包括的に、緩和策と適合策を」「レジリアンスについては、①今、めいっぱい②追加③変革(住む場所を変える何か)の3つの方法がある、今は①の段階、今、できるところから」「日本の石炭火力発電、2000年以後建てられたものが、今の半分、要するに作り続けてきた、早急にシャットダウンが重要」「アンモニア混焼は最近出て来たことと話題になっていたが、初耳」「日本政府が閣議決定したGX、水素、アンモニア、原発に言及、需要側の対策が強調されていない」「先進国は2040年に目標達成しないと2050年の目標は達成できない」。まだまだ、メモり足りないが、このくらいが限界。適応策についても、人間の脆弱性と生態系の脆弱性とは相互依存関係にあるというお話があったと思うのだけど、メモりきれていません。また、どこかで、この報告書の解説があると思うので、そのときに回しましょう。まずは、1回目としておきましょう。素人は、同じ話を何度も聴く内に身に着きます。この気候変動の問題は、その範囲内のことと思えるので、そうすることにします。


2023年 3月 26日(日)午後 8時 26分

 今日は、1日中、雨の降った日曜日。雨のときはと期待した「日曜美術館」が旧作になることは、事前に判っていたが、アートシーンの方も、今日は、NHKプラスでは観ることができなかった。アートシーンの方では、初めてじゃないかな。そんなで、そのために時間に縛られていたはずなのに、事前に判っておれば空けることができたろうに、判らないから、結局、時間に縛られてしまい、ホントなら、午後のお出かけ前に、傘さしウォーキングでもしておけたのに、そんなでできなかった。だから、今日のウォーキングは、量的に少なめ。いつもの85%ほどかな。
 午後のお出かけは、今日も滋賀県。8日間で4回、滋賀県に行ったことになる。凄い、確率。今日は、1週間前同様、びわ湖ホールだったけど、今日は、音楽ではなく、狂言を観に行った。1年ぶりかな、「おうみ狂言図鑑 2023」というものなんだけど、普通の狂言会とは異なり、上演される狂言3本の内1本は、滋賀県を題材にした新作狂言を上演するというもの。そんなで、ここびわ湖ホールだけではなく、県下で、ここまで、3ヶ所で公演を持ったようです。それだからでしょうか、去年もそうだったけど、客の入りが悪い。茂山の狂言では考えられない入り。今年などは、小佐田センセの新作だという、大きな看板を示しても、これだった。これじゃ、茂山も小佐田も、効果なしですな。世間って、そんなものかもしれないけど。今日の番組は、次のようなものでした。「磁石」「梟」「琵琶姫(新作)」。「磁石」は、近江が舞台ということで、以前も、びわ湖ホールで観た記憶があるのだけど、いつだったか、全く覚えていない。30分ほどかかる曲だから、尺的に、番組に入れるのにいいかもしれません。配役は、(磁石の精)千之丞、(スッパ)逸平、(宿の主人)増田浩紀という布陣。この狂言、展開に意外性があり、好きな狂言。刀を抜くすっぱも珍しいけど、そうなんです、小悪党的なすっぱが常だけど、このすっぱ、最初は、小悪党の類型に入る動きをするが、半ばで、人身売買をする悪党であり、田舎者が逆らうと刀を抜く。でも、ここで刀を抜かないと、この話ができないから、仕方ないんだけどね。滋賀県も、坂本の市で、スッパが目を着けたところから、事実上、この話はスタートします。その前に、道行が入るのも、風情がある狂言ですね。「梟」のキャストは、(山伏)宗彦、(兄)あきら、(弟)鈴木実。解りやすいということで、外国での公演に、よく使われる曲だということを、何かで読んだことがある。梟が人に憑くという展開は、奇抜すぎます。鳴き声で、何かが判りやすい鳥だということもあるのでしょうね。あまりにも、アホげさが、堪らない曲です。「琵琶姫」の配役は、(富士山)千五郎、(淡路島)茂、(琵琶姫)千之丞、(竹生)島田洋海。琵琶姫を、富士山と淡路島が取り合うという筋立てで進行していく、主に。富士山は、体格が良くてマッチョ自慢の男。頭に富士山を付けている。逆に、淡路島は、狩衣に直衣姿で貴族キャラ。国の始まりであるとともに、歌枕として頻繁に使われるということから、そういったキャラ。いよいよ、姫の判断、でも、引き分け。しかも、姫は婆さんだと知った2人が逃げてしまう。そこで、主役だと思ってた2人の競争相手が引っ込んでしまうとなる。この狂言、ここでどんでん返しが用意されていた。残った2人の女性だけで、狂言は進む。だから、主役は琵琶姫と言える、ん、そう言ってもいい。しかも、婆さんの竹生と琵琶姫は、衣装交換をしていたという仕掛け。婆さんは、本当は、侍女の竹生で、竹生と言って、男2人の前にいた女が琵琶姫だったというわけ。「ラ・チェネレントラ」の、王子とダンディーニの衣装交換だ、これは。婆さんの姿を琵琶姫と思い逃げ帰った男2人の本性見えたりというわけだ。小佐田センセ、やってくれます。そして、最後は、姫と竹生とによる笑い止め。いい終わり方です。演出は茂山童司と出ていました。演出のときは、この名を使い続けるようですね、もちろん、千之丞です。狂言の型を使い、台詞の言い回しも狂言のまま、そこへ、現代のギャグを挿し込む。それが無理なく収まってる。脚本もさることながら、演出の妙もあるのだと思います。正に、グッジョブです。マッチョの千五郎、お公家風味の茂、この兄弟は、自分のキャラにも見合う、いい味出してました。佳作も佳作。上演を続けてほしいなと思わせられた逸品でした。


2023年 3月 25日(土)午後 11時 1分

 昨日は、朝方が雨。夜から降り続いていた。気温も低め。お出かけが、午後に予定していたこと、また。洗濯を考えていたということもあり、雨だと判ると、鬱陶しいね。幸い、午前9時頃だったかな、雨は止んだ。でも、また、雨が降ろうとしているのか、ずっと、曇り空、しかも、雨を感じさせる曇り空だった。土曜日なのに、「ブラタモリ」の新作は流れない、今日の「日曜美術館」も、高校野球のせいでお休み。雨ならあるようだが、新作じゃない。週末の楽しみが奪われてしまった。両日とも、お出かけ予定があるけど、土日の定番が、双方ともにないとは、腹の立つ話。時々、これがあるんだなぁ。憎いは高校野球。高校野球で盛り上がる話を聞くと、これと裏腹のことだと思うから、あまりいい気がしない。
 午後のお出かけ先はアスニー京都。昨日は「京都学講座」のあった日。「令和4年度 京都市考古資料館後期特別展示連続講座」の第2回目として、同資料館館長の山本雅和さんのお話を聴くことができた。山本さんは、この京都学講座の司会を、毎回、担当されているのでおなじみの方。昨日は、そのため、司会と講演と、完全に独り舞台となりましたが、そのお題は「深堀り! 聚楽第」ということで、普段より多くの人が詰めかけました。やっぱ、聚楽第は人気、謎の多い城だということもあるのでしょうね、ましてや。秀吉の建てたものですから、人気があるのは当然ですね。「聚楽第」は「じゅらくだい」と読むものだと習ったけれど、最近は「じゅらくてい」と読むそうです。「聚楽亭」と書いたものが出てきているそうで、「てい」でまとまっているそうです。で、その意味は「屋敷・邸宅」だそうですが、実態は「城」なのに、「第」を使ったわけは、秀吉は征夷大将軍になってないから。京都で城を造るには、その肩書がいるからだそうで、二条城は、征夷大将軍になった家康が建てたから「城」を名乗れるそうです。まず、押さえられたのは、聚楽第の歴史、秀吉が天下人になった時期に重なります。それは常識だろうが、細かなことを押さえていただけました。本能寺の変・山崎合戦(1582)の翌年(1583)、本拠となる大坂城築城開始。京都には妙願寺城を築く、その3年後(1586)に聚楽第築城開始。翌年(1587)に完成。1591年には、秀吉は、関白の地位、そして、この聚楽第も、甥の秀次に譲る。秀吉は伏見へ。だが、1595年には秀次失脚、自害させられた。それに伴い、聚楽第を破却。秀次縁の者は、全部、殺されたわけですから、破却も辻褄が合う。この意図的に壊したというのが、今日、判らなくさせている大きな原因。放置して荒れるに任せたなんかとは違う。残らないようにしたのだから。しかも、推定地が市街地なものだから、考古学的発掘が容易にできない。秀吉の造ったものだから、徳川の世になれば記録が残らないと、条件が良くない。しかも、存在したのが短期間だから、記録も限られている。そこで、推測する手として、地形、地名からの判断できることを挙げられていた。変な地形、ありえない高低差を見せているところが市内にあるんだって! 地名は、幾つも挙げられていたけど、おねを指す高台院、蒲生氏郷を指す飛騨殿町なんて、めっちゃ新鮮。「五番町夕霧楼」で知られる「*番町」という名称は、聚楽第勤務の武士の宿舎のあったところを指すとか、へぇ~としか言いようがない。文献史料も、僅かだが残っている。その1つが、ルイス・フロイスの書き残したもの、これはおなじみのもの。おもしろかったのは、殺された秀次の家臣が、堀の深さや周りの距離といった数的記録を残しているのがお役立ちなんだけど、計算が間違っており、うまく合わないとか。もう1つ、大事な資料が絵図。確かに、洛中洛外図の中に聚楽第が描かれているのがあるというのは観たことがある。実際、その画像を見せていただいたが、黄紺が観ているというのは、三井記念美術館蔵のものなんでしょうね。でなければ、堺市博物館蔵のものだと思います。実物を見てなくても、写真か何かで観ているのだと思います。天守がある。ものによっては、北の丸があるのとないのとがある、これまた、不思議だけど、最後に、その謎に答えらしきものを出した、妥当かどうかは判らないそうだけど、おもしろいことを考え出した学者がいるとか。秀次が、身の危険を感じ出し、増築、堀を増やすとか、そういった対策を講じ出していた可能性を出されたのがそれだそうです。僅かだけど、考古学の成果もある。西陣ハローワーク建て替えのときとかに発掘できたそうだ。幾つもある予想図の内で、新鮮な想定で作成されたものが出てきている。衝撃波を与えて。その振動が、どのように地中に伝わるかを測定して、地層の様子を作成するもの。PCを使った解析力が上がったことで可能となった手法だそうで、それでできた想定図に見合うところから、石垣が出てきたそうだ。ただ、これも、おもしろいことを言われていた。掘削中、水が出て大変で、その水を、ポンプで吸い上げての作業だったとか。だから、破却をするときも、その水に悩まされた結果、壊すのを躊躇った結果、残ったのじゃないかと想像されていた。それだけ、破却の凄まじさが判るということ。また、その衝撃波を使って作成された想定図では、北の丸は、確かにある。また、西の方角、南の方角の堀が、繋がっておらず、複雑な形状をしていることを捉え、秀次が、やはり危険を察知して、補強をしようとしたが、それが完成する前に、要するに、中途半端に補修作業が進んだところで、自害となったのではとの説を唱える学者さんがいるそうです。但し、それも、あくまでも衝撃波を使った想定図が正しい城のレイアウトを表しているとしてのお話。最終的な答えは、発掘調査を待たねばならないのだけど、それが、容易にできない現状と、最後は、ここに来る。実に悩ましい。また、その悩ましさに輪をかける問題が浮上しているそうです。その複雑な堀跡辺りに、江戸時代、いい土だというので、土を掘り出した跡らしき地域(採土場)が出てきているのが、余計にややこしくしているそうだけど、これも、考古学的発掘が進むと解明できるのだがと言われていました。その地域には、現在、土屋町という、そういった想像を裏付けるような地名が残っているのも、大きな可能性を示しているとか。おもしろい! 推理ドラマを聴いているようでした。時間の関係で、聚楽第の主として東方向に拡がっていたと言われている武家屋敷跡の発掘調査報告はカットされました。これ、確か、後陽成天皇の行幸とも関係あるんだよね、東方向と言えば御所方向で、行幸を迎えるということで、武家屋敷を配置したという話を、どこかで聴いた記憶があるので、このカットは残念。こちらの発掘も、少しは進んでいるということも聴いたことがあるもので期待の内だったのです。続編として、この武家屋敷跡についての講演、やって欲しいね。


2023年 3月 25日(土)午前 8時 3分

 昨日は、お出かけなしにした金曜日。ここ3日連続出かけ、また、この土日も出かける予定が入っていることもあり、行きたい映画が、久しぶりに出たなんてこともあり、出かけたかったのだが、後日に回した。回したからと言って、そんなに忙しなくはならないだろうの読みを、一応はした上での決定ということ。この手は危険なんだけどね、後から、何が入って来るか判らないのに、後に回す、今までも、何度も苦い思い出があるが、そういった手を採った。後は、運任せだね。そんなで、何もない1日は、ルーティンにしている日に2回のウォーキングを遂行、でも、昼前のウォーキングで、アクシデントが発生。スマホに入れている万歩計のスイッチが、気が付くとオフになってた。4000以上の数字が出ているはずのポイントなのに、僅か4とだけ出ていた。悲しいね、週の目標や、月の目標を持って、ウォーキングをしているのに、穴ができちゃった。時ったま、変調をきたす万歩計だけど、今回は、明らかに、何かのかげんで、触れちゃいけないところに触れてしまったみたい。もう、サイテー。気を取り直して、ウォーキングを続けたけど、なんか、情けない気分になってしまって、、、。
 午後の一時は、せっかく、何もない日だということで、先日から、もやもやした気分でいた、オペラ紀行を実行に移すかの資料作り、以前のものに比べると、ざっくりもいいところだけど、ま、行くか行かないかの判断にさえなればいいかと、その範囲で作ってみた。行くことを前提の資料作りだと、もっと時間をかけるが、没になることもありかと思うと、熱意が下がります。5月10日~31日の中で、行こうという気になるコースを組んでみた。コロナ禍で、日本での公演が中止になったドレスデンの「マイスタージンガー」から始まり、アルトゥール・ルチンスキがパパジェルモンを歌うベルリン国立歌劇場の「椿姫」、超豪華メンバーのハンブルクの「タンホイザー」、超稀曲の「サーカスの女王」(ハノーファー)「フランチェスカ・ダ・リミニ」(ベルリン・ドイツ・オペラ)も入れた。「伯爵夫人マリッツァ」(ドルトムント)も稀曲に入るかな? ヘンデルも2つ「ヘラクレス」「セルセ」(ともにフランクフルト)、それに、マーラー・フェスティバル(ライプチヒ)も入れたしと、これは、凄いぞと思える行程になった。そしてから、それに見合う航空券を探すことに。すると、先日調べたお値段と、明らかに違う。じゃ、その調べたお値段で行ける日を、逆に行程に当てはめてみた。それは可能だったけれど、期間が、かなり短縮。マーラー・フェスティバルに日を当てることが多いところに集中的に焦点が当たってしまってる。ということは、オペラが激減。これは、興ざめもいいところ。それを見て、あっさりと止めることにした。調べながら、ずっと想定していたことがあった。行程ができあがり、飛行機もOKとなったところで、最後に、航空券を買うときに、ポチっとできるか、そこで悩むだろうなと。それが、この3年間だったと思ってたけど、その前に、あっさりと決断してしまった。これでは行かんと。そんなで、方向転換、マレーシアに、この間、やたら行きたいので、それを調べにかかってる。シンガポールのイン&アウトの方が、航空券はリーズナブルな感じ。調査中で、こちらは、やはり、最後にポチっとできるか、それが問題になりそうです。
 少し時間を余して、「Oper Vision」で観ていた「ファルスタッフ」の最後の場面を観た。遠目に街の風景がシルエットで出ているところへ、上から吊るしで、大木が1本、周りには、戯画化された木と言えばいいかな、それが下りてくる。全体的に照明を落としでスタート。なかなか洒落た雰囲気が良かった。あとは、特段、メモる内容はなしというのは、このプロダクションは奇をてらわないというスタンスだから。何度、観ても、このオペラの最後の大フーガの爽快感は気持ちがいいね。完走です。次は、新国立劇場の「ボリス・ゴドノフ」になると思っているところです。
 夜になり、大きなニュースが飛び込んできた。桂二葉が「探偵ナイトスクープ」の探偵就任というもの。どこまで行くねんも、ぼちぼち、頂上が見えてきたかと思ってたら、そうじゃなかった。まだまだ、頂上は先なのかもしれません。オンラインでの記事を見ると、落語家の起用は、桂小枝以来だということです。そんなけ、噺家は使われてなかった点に衝撃を受けた。でも、起用を知って、とっても適任だと思った。TV局の目の付け所、いいねと思うけど、キー局は大阪やンけ、もっと早うにやらんかいと突っ込んでしまってました。どうも、足が重い、大阪のTV局は! ここまで人気者になる前に、ええもん見っけがでけんのかいと思ってしまうのです、足元にいたのだから。


2023年 3月 23日(木)午後 8時 53分

 今日は、天気予報通り、午前中に雨が降り出した。強い雨ではなかったけれど、鬱陶しいことには変わりはない。午後にお出かけ予定があったので、早めにウォーキングを始めたおかげで、ウォーキング中は、半ば以後に雨に遭っただけだった。そんなだから、普段の量をこなすことができた。午後のウォーキングは、お出かけの往復で間に合わせ、1日のウォーキングの量としては、至極、いつも通りだった。凸凹なく、続けるというのを、できるだけ目指しています。マッチデイの翌日でなければ、ほぼ思い通りになってるのじゃないかな。
 午後のお出かけは、浪曲を、久しぶりに聴くことができた。文化パルク城陽プラネタリウムでの京山幸乃の会なんだけど、1度、往きの電車が、架線トラブルで停まってしまい行けなくなったことで、開催日の情報がうまく入ってこなくなった。自分で調べればいいのだが、すぐに忘れてしまうので、気づいてからだと、既に予定が入っていることが続き、ご無沙汰状態になってた。幸い、今日は大丈夫だった。これは、同じ会場で行われている笑福亭喬介の会に行ったときに、今日の会を知ったはず。一方、喬介の方も逃したりしたこともあり、且つ、最近は、次回の予告がなくなったので、気を着けねばならないとインプットされてあるので、今日、チケット売り場で尋ねた。表示も、何も出てなかったのだけど、聴くだけはただとばかりに尋ねた。そしたら、それがど正解! おまけに、まだ先だったこともあるけど、空いていたので、早速、予約を入れておいた。京山幸乃の会の方は、次回の予告もされていたので、こちらも予約を入れることができた。これで、ようやく、このプラネタリウムで行われている2つの会を、ともに押さえることができた。これ、ホント、久しぶりだわ! で、今日の番組、、、「花の幡随院」「忠治と火の車お萬」。三味線は、もちろん、一風亭初月さん。毎回ネタ下ろしをしている会だけど、今日は「幡随院」の方。このネタ、講談にもあるので、そちらから入ったものなんだろうけど、どうして、幡随院長兵衛ものって、これが人気なんでしょうね? 幡随院が殺されに行く物語じゃん、半グレ集団の旗本奴が、身分を肩に着て、江戸町民の味方を奉ずる幡随院をなぶり殺しにする話じゃんと思ってしまう。どうして、そんなのおもしろいの? 幡随院ものって、他にもあるのに、よりによって、ここなのと思ってしまう。「花の」がお題に付いてたけど、ま、この殺されるところだろうなと思い、聴き始めると、やっぱ、そうだった。ただ、このネタには後半があった。子分が棺桶を持って、亡骸を引き取りに来る場面が付いていた。棺桶の用意をする話は、どこかで聴いたことがある。講談だろうなと思うけど、旭堂では、ほぼ幡随院ものは出ないから、東京で聴いたのかな? 思い出せないのです。忠治ものの方、、、幸乃さんも言ってたけど、2席とも侠客もの! この忠治ネタは、以前、この会で、幸乃さん、出している。でも、そのとき、床屋の親父とのやり取り辺りで寝落ちした記憶。お萬は出てきてたっけと思うようなところで、寝てしまった記憶。だから、これは絶好のリベンジの機会となった。そして、今日は、ばっちりと起きていた。そしたら、これ、いい、おもしろいネタだ、しかも、幸枝若節が入り、とても、らしいネタ。忠治が、堅気の格好をしているということで、たまたま、床屋で見かけた女侠客お萬の度胸試しをするため、わざと賭場荒らしをするというもの。怒ったお萬登場で、さて、2人の対決はどうなるというところで切るというのも、幸枝若節のお約束だけど、このネタは、マジで、先が聴きたいね。雨降って地固まるという流れなんだろうけれど、でも、聴きたい。ええネタです。


2023年 3月 23日(木)午前 7時 34分

 昨日は、朝からお出かけ、しかも、ハシゴ。そう言えば、1週間前も、同じようにハシゴをした。朝からのお出かけと言えば、アスニー関係、お世話になっています。昨日も、先週に続き、山科だった。今年度最後の市民向け公開講演会。先週の猛烈な混み方にこりて、昨日は、1本、早い電車に乗った。すると、こういったときって、遅れるんだなぁ。遅れても、先週よりは、早く会場に着いたが、混み方が違う。お帰りになった人は、昨日は、少なくともいなかったでしょう。そんな話を、昨日も来ていた弟にすると、「今日は、WBCがあるがな」、、、納得。トルコの新聞を見ると、WBCなんて、欠片も載っていない。富安の故障は載っていたけどね。ま、当たり前か。だから、昨日は、そういった意味でラハトだった。で、そのお題は「朝鮮考古学から考える高松塚古墳・キトラ古墳」という、とってもそそられるもの。お話をされたのは、韓国考古学が専門の関西大学文学部教授井上主税さんでした。今は、こういった考古学者が、日韓ともに出てきてるんですよね。考えてみれば、現代のような国境があったわけじゃないから、それこそイケイケ状態のはずだから、現代の線引きをして研究するするなんて、この世界には意味のないこと。そういった意味で、楽しみなんです、どんな話が出てくるのか、楽しみだった。お話の核は、高松塚古墳・キトラ古墳の壁画のルーツを探るということ。そこで、高句麗・百済・新羅・伽耶といった古代朝鮮各国にあった、同様の壁画の様態を調べ、それと、日本の古代壁画と比較検証をしながら、ルーツを手繰り寄せようとのお話でした。ただ、そういった探求をしていると、朝鮮の壁画と中国の壁画との連関性も浮かび上がることで、更なるルーツの探求が可能になっていく。奥の深い研究です。そういった中で、高句麗が、ダントツで多くの壁画を残しているそうです。少なくとも、残ったのが多いそうです。高句麗も、百済同様、都が3つあったこと、初めて知りました。桓仁(中国遼寧省)、集安(中国吉林省)、平壌だそうなんだけど、それらの近郊に110余もあるとか。描かれているものには、時系列で変化がある。生活風俗図から四神図へというもの、その四神図は、日本の壁画に描かれている。百済では、2基の古墳から壁画が出ている。いずれも、黄紺も知る有名な古墳だ。1つが公州の宋山里古墳群から、武寧王陵の向かいだったかにあると言われていた。もう1つの方もそうだけど、塼築墳というもの、要するにレンガ造り。そう言われて、武寧王陵は、確かにそうだった。40年も前に観ているのに、覚えている。四神図が描かれているだけではなく、梁の官が築造に関わったとの文字まで残っている。扶余の陵山里古墳群も、四神図が描かれるとともに、高句麗の影響を受けたと看られる雲文、蓮華文が描かれている。新羅ものは、なんと、栄州に2基出てきている。新羅のものとしては、意外な場所だけど、高句麗からの移民(文献に出ている)の残したものという解説に納得。1つは順興邑内里壁画古墳。四神図が描かれているが、ここのものは、一緒に力士(鬼神)が描かれているという変化があった。もう1つが於宿知述千墓。壁画には女子像、天井には蓮華文が描かれている。人物像が出てきたのだけど、問題は襟。ここでは、右袵(うじん/左前、「y」字形)の上衣を着ている。この襟が問題だということで、壁画ではなく彫像ではどうかというお話が付け加えられた。日本の古墳時代及び高松塚古墳は左袵、胡服は左袵という一般的な姿に見合っている。それに対し、中国とキトラ古墳は右袵。これらとは別に、新羅の古墳では、獣頭人身の十二支像が青銅や蝋石製のものが出てくる(こないだの大津市歴博物館の講演で出ていた!)。このトピックは、キトラ古墳に関し重要なんですね。金庾信(キムユシン)墓では、周囲に獣頭人身像が外護列石(これ、実際に観ているはず!)となっている。伽耶では、高霊に残る古衙洞壁画古墳(コリョンに行ったときに観ているかもしれない、どうだろう?)に、蓮華文や雲文が描かれている。百済の影響だろうと言われていた。そういった、朝鮮の古代国家の壁画をまとめられて、日本の2つの古墳に残る壁画の分析に入られた。終末期古墳は、玄室を縮小する傾向にある百済の影響を受けたことが考えられる。墓制は百済からの影響を言われていた。四神図への認識はあったろうが、下絵は、中国から手に入れたもので、キトラ古墳のものは、遣唐使中断前の下絵が使われた。そのキトラ古墳が先行し、高松塚古墳の方が新しく、その間に、遣唐使再開(702年派遣、704年帰国)があると考えると、キトラ古墳と高松塚古墳の変化、即ち、獣頭人身十二支像から人物像に替わることが説明できるのではというのが、井上説。ただ、そうなると、高松塚古墳の左袵が説明できないという難点が残る。人物像は、中国からの影響で、高句麗ではない。高句麗では廃れてしまっていて、時期的に合わない。四神図も同様に、朝鮮半島からではなく中国から(朝鮮半島ではないと言う根拠は、様式が異なるということか?)、下絵を持ってたということなのでしょう。キトラ古墳の十二支像は、中国のそれと様式が異なり、中国からは追えない。中国から入ったものが新羅で変容したものの影響と考えることは可能。そんなまとめだったかな? 最後、時間切れ気味になったので、急がれたうえ、右袵・左袵で、頭が混乱してしまい、うまく追えてないこともあり、聴き切れているか、不安なのです。ま、要するに、ミックスだということなんでしょう、中国から、朝鮮から、ミックスで出来上がった、それが、2つの壁画だということだと思います。高松塚古墳の発見者の網干義教氏は、壁画は日本的なものと言ってたということですから、その後の研究で、把握の仕方が、大きく変わってるということですね。網干さんの見解は、どこかで聴いたことがありますね、そう言えば。普く、こういったことなんでしょうね、中国、朝鮮の影響の受け方の様相というのは、お話を聴いていて、そんなこと感じてました。
 山科から瀬田へ移動。第2弾は滋賀県立美術館。新たな常設展「百華爛漫」が始まったのを受けて、行ってまいりました。GWまで続く展示なんだけど、昨日に行っておくと、企画展「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」が、まだ観れるというので、この日を選んだってこと。この写真展、会期終了が迫ってきているからか、平日の昼間だというのに、若い人を中心に人出があった。やっぱ、いいものは、人を引き寄せます。前回同様、映像を観たりもして、展示全体が、1つのインスタレーションとなってるなと感じさせられ、そうなると、もう1度、スタート地点まで戻りたくなる。まるで、アトランダムに並んでるように見える、序盤の作品群が、全体の一コマを間違いなく形成している、そういったことを確認できる、素晴らしい展示です。今、我々は、こういった世界に生きている、それを自覚させてもらえます。壮大なる共生感と言えばいいかな。真ん中の休憩室も見事な展示の役割を担っている。正面に大きな写真パネル。山焼きが、ちょうど半ばまで進んだ写真。それが、美術館背後のお庭を借景にして展示されている。「お見事!」と、昨日も声を上げたくなりました。狙いの「百華爛漫」は、テーマが四季。それに見合った日本画を中心とした所蔵する名品20点の展示。この美術館に足を運ぶようになり、既に目にした、三田康の「早春」や野添平米の「石楠花図」も展示されていたけれど、テーマが変わり、周りの展示が変わると、また、新たな楽しみ方が出てくるというもの。そういった中で、特に印象に残った作品をメモっておく。まず、入った瞬間、目に飛び込んでくる1つが、その三田作品。既視感があったことと、全面のバショウ葉と背景の色合いが、展示室の中で異彩を放ってるからなんでしょう。もう1点が、少女2人が並ぶ伊東深水の「朝顔と少女」。木や花が多数を占める展示の中にあって、少女2人というのが目立つからなんだと了解。背中を見せる右側の少女が、伊藤深水の愛娘朝丘雪路の幼き頃の姿だそうです。野添作品と伊東作品の間に配置されている山羊の描かれた斎藤紫山の「夏野」が、美術館のHPの看板に使われていたこともあり、目が行く作品。看板に使われるだけあり、4匹の山羊が、とっても愛らしい。無邪気に戯れる姿の上に、大きく左サイドから延びる枝が気になる作品。帰宅後、HPで眺めてみると、この枝、インパクトあるなぁ。これ、なかったら、どうなんだろうかと想像させられてしまいました。入ったところからは死角になってる位置に、もう1つの山羊の絵があった。山口華楊の「山羊」だ。山口華楊の動物画は気に入っている黄紺だけど、同じ山羊が出た今回、「夏野」に軍配を上げざるを得なかったな。動物画では、あと山元春挙の「春野白狐図」が出ていた。毛並みが素晴らしく、凛とした顔立ちから、気品というものが滲み出るお狐様といった風情、お気に入りの逸品と思いました。おもしろかったのは、池田遙邨の「江州日吉神社」。前面にある桜の咲いた枝の合間から、遠目の神社が観えるという構図。その神社が戯画っぽく描かれているのがおもしろい、南画の描き方との解説が付いていた。猪田青以の「水蓮」は、斜交いから観ると、水連が浮き上がって観える。猪田青以(イノダコーヒー縁の作家)の作品は、以前にも同様の感覚を味わわせてもらった記憶。小さめの作品では、加納凌雲の「菊図」。これも、2度目になる、この美術館で。2輪の菊の花弁の勢いの良さに、今回も惹かれてしまいました。野口謙蔵、土田麦僊、黒田重太郎ら、すっかり名前になじみが出てきた作家さんたちの作品も並ぶ名品展。目の正月ですね、古い言い回しを使えば。


2023年 3月 21日(火)午後 9時 38分

 今日は、世間的には春分の日ということで、祝日らしい。若干、冷え込んだうえ、昼頃から雨が降った。だから、昼前のウォーキングは、無事、いつものようにできた。午後にお出かけを入れていたので、少し早めに出かけたこともあり、平常通りのウォーキング。但し、休憩&読書の時間を取るわけにはいかなかった。そこまでの余裕はなかった。
 お出かけは、今日も滋賀県。大津市民会館という、初めて行くホール。散々、JR大津駅を利用してきたが、この駅正面に入って来る通りを、初めて利用。坂を下り、京阪電車を通り過ぎ、湖岸にほとんど出たというところにあった。そのメーンストリートと言えるいい大通りに入ったところに、バス停があるので、どこへと思い見てみると、琵琶湖競艇へ行くシャトルバス乗り場だった。一番いい場所を、ギャンブル関係が占めている。その横が、大津地方裁判所などの官庁街なものだから、目が点になった。普段、通らない道路なものだから、思わぬ発見があり、おもしろい。今日は、こちらで、「大津市民教養大学“花の集い”」というイベントの名のもとに、「三遊亭わん丈講演会:三遊亭わん丈さんが語る“家族との向き合い方”と楽しい寄席」があった。要するに、今、注目の噺家三遊亭わん丈を聴けるというので、飛びついた。でも、このイベント、どこで見つけたんだろうか? 思い出せないのです。三遊亭わん丈は、滋賀出身だということは知っていたので、いきなり、この名が出てきても驚かない。大津市伝統文化館だったかな、能舞台のあるホールでの落語会にも目を付けたことがあるので、以前から狙ってた。もう1人、話題の立川吉笑は京都出身だしと、今、話題の東京の若手噺家は、いずれも関西の出。黄紺は、まだ、この有望な2人の高座は、生で聴いてなかった。わん丈に至っては、名声だけが先行していて、口演すらも未遭遇だったので、絶好のチャンスとばかりに、このイベントに飛びついた。講演はするだろうけれど、落語はやってくれるか、それも判らないまま出かけた。ま、しないわけはなかろうと、ちょっと高を括りながら行きはしたけどね。しかし、まさか、大ホールでするとは! 正直、開演前に気の毒と思った。ぱっと見、1500は入るでしょう、そこで、こういったイベントをするとは、主催者は、何を考えてんでしょうね。わん丈も、開口一番、「皆さんと同じことを考えています」「小ホールですべきだったと」と言ってました。そこから、自己紹介から始まった講演が、ほぼ1時間。10分の休憩を挟み、落語を1席、それが、何と「幾代餅」だから、30分以上かかった。これだけ、持たせる力量の持ち主だと、これは、はっきり言える。また、講演の構成が、よくできているので、また、締めの言葉まで、きっちり用意している周到さ、只者ではないなという、強烈な印象を残しました。切れ者です。そこから見て、ポテンシャルの高さが見えるのでしょうね、だから、そういった部分も評価されて、名前が響くようになったのだと思えました。膳所の出身だということですから、正に、会館の近く。自分の家族の話をしてくれました。ただ、耳が遠くなってるなと自覚させられたりもしたんだけど、声が、うまく聴き取れなかった。特に、前半で話してくれたおばあさんのことが、厳しかった。「あ~、ダメか」と、目をつむって聴いていると、僅かだったが眠った。いや、僅かの時間、寝たり起きたりしたのかもしれない。これは、判らないということから来たが、その内、耳が慣れたようで、おじいさんの話から、ほぼ聴き取れるようになってきた。それと、師匠円丈のことが入った。これも、ほぼ聴き取れたのは、ラッキーだった。円丈も、最後の数年はボケが出てたようで、わん丈の評価が高まると、ジェラシーを口にするようになってたそうです。円丈の、らしくない、でも、高いところから降りてきてたようで、微笑ましくもあった。落語の方は、こういった会場で、且つ、落語ファンが、必ずしも集まってるわけじゃなさそうな空気のなか、ネタは、何をするのだろうと思ってたら、本寸法も本寸法で臨んでくれた。マクラでは、落語のルール的な解説を加えていたものだから、決して、落語ファンを相手にお喋りしているということではなかったにも拘わらず、「幾代餅」を出す勇気、心意気に敬意です。一番驚いたのは、場面の切り替え、2ヶ所あるが、時間にして、いずれも1年。上方落語だと小拍子を使えば、一瞬で替わるけど、そうではなく、台詞の気を変え、僅かに態勢を変えたかな、それだけで、切り替えた。口演で、それをやっちゃう、すご業というか、それ以前に、自分の口演に、大変な自信を持ってるなの印象。人物描写、場面の空気作りとか、どれを取っても、切れる、ホント、シャープ。評価が高いはずとインプットされる一方、この切れ切れが気になってしまった。切れ過ぎると、演者が見えてしまう。下手すると、臭く感じさせてしまう。この懸念が、頭をかすめたことも事実だった。でも、とっても、レベルの高い葛藤ですね。


2023年 3月 20日(月)午後 10時 18分

 今日は、お出かけなしの月曜日。やっぱり、月曜日が、圧倒的に出かける予定が入らない。コロナ禍前だったら、この隙間を狙う落語会に、わりかしそそられるものがあったので、よく行ったものだった。替りに、今日は、午後に、オンライン配信の予約を入れてあった。そう言えば、最近、このオンライン配信が減り気味。みんぱくゼミナールも、帝塚山大学の考古学講座も、対面式オンリーになった。そういった影響なんでしょうね。この辺からも、コロナ禍が和らいできていることを感じる。自分も、3月には国内旅行までしたんだから、その流れに乗っかってるのは、間違いないんだけどね。でも、大阪に行くのは、躊躇われてしまう。今のところ、4月の予定表には、ついに大阪で行われる落語会の予定を入れてしまってる。行くかどうか、行かない方にかけるけどね。入れる気になっただけでも、大きな変化であることは間違いない。
 今日の目玉だった、午後のオンライン配信だったんだけど、見事に失敗してしまった。全編、寝てしまったのだ。3本の講演、その後に、パネルディスカッションが組まれていたんだけど、1本の講演が終わると、覚醒して、次が始まると、また寝てた。最後のパネルディスカッションが始まる前に、ブレイクタイムがあった。その直前に、なぜだか、体操が入っていた。何か、このイベントに関係あるようだったけれど、判らないまま。でも、ここで、ようやく目が覚めた。ブレイクタイムに入ったことも、却って良かったみたい。でも、パネルディスカッションの冒頭に、学生さんの取り組み紹介があった。一応、聴いたけど、よく解らないので、そこで、Youtube配信をオフにしてしまった。こりゃダメだの気分でした。一応、イベントの名称だけ、メモっておきますが、ここまで酷いのは、もちろん、自分のことだけど、そうはなかったんじゃないかな。関西広域連合主催の「琵琶湖・淀川流域シンポジウム」、副題が付いていて「気候変動とどう向き合うか~琵琶湖・淀川流域を巡る治水・利水・そして自然環境保護のドラマ~」というもの、このお題にそそられたんだけど、ダメでした。そして、学生さんの、よく理解できなかったレポートは、琵琶湖に生息する外来種の駆除作業の様子だったと思うのですが、、、。
 そんなで、頼りない一日になってしまった。これだけ、寝落ちして、夜に眠れるか心配したほどだったけど、ルーティンにしている日に2回のウォーキング、夕方の方は、わりかしきつかった。気温が上がってるのに、それに見合った格好をしてなかったからかもしれない。この時期、ホント、外に出るときの格好いが難しい。ウォーキングで歩いていると、笑っちゃうほど、厚着をしている人を見かけることがあるけど、朝、出てくるときは、そないな格好が要ったんだと思うと、気の毒に見えてしまう。そういった人は、まともに朝から出て仕事されてんでしょうね。結局、何もない月曜日となると、残るお楽しみは、夜のYoutubeの生配信。米朝事務所チャンネルにお世話になりました。ホント、これがなかったら、鬱屈とした気だけが残ったことでしょうね。


2023年 3月 20日(月)午前 7時 28分

 昨日は、びわ湖ホールで、音楽を聴いた日。今月は、既に、オペラを観に行っている。音楽系ではないけど、このホールに、今月、もう1回行くことになっている。それだけではなく、まだ、滋賀県内に行く予定が、あと2回ある。もう、滋賀県様々だ。昨日は、同ホールの芸術監督を務めた沼尻竜典氏のラスト公演「マーラー・シリーズ 沼尻竜典×京都市交響楽団」があったのです。これが、ラストと言っても、退任後も、このシリーズは続くそうで、早くも、次回のプログラムと日程が発表されている。このシリーズも、コロナ禍で、曲目変更なんてこともあったけれど、昨日の館内放送では、「ブラボーなどのお声がけをされる方は、マスク着用でお願いします」なんてものが流れるほどになってきていました。それを皮肉ったのは、沼尻さん。当日券を買っている人が、開演時間になってもチケットを買えない状態だったため、その人たちを待つため、開演時間を、少しずらした。なんせ、このコンサートは、1曲プログラムなものだから、こういった融通を、主催者を執ったのだが、その時間つなぎを任されたのが沼尻さん。誰も出ていない舞台に、いきなり1人で出てきた。「米團治さんのようなお喋りの専門家ではありませんが、、、」と言って喋り出したんだけど、この人は、洒脱なお喋りができるとインプットされてるものだから、一気にテンションが上がった。すると、6番のシンフォニーは、寂しく、ピチカートで終わるものだから、そこで、いきなり、ブラボーマン(ウーマンは聴いたことないな、なんで、女はブラボーを言わないのか?)に声を掛けられてしまうと、せっかくの余韻がわやくちゃ。そのことを、やんわりと言い、「ま、今日は、ブラボーを言いたければ、マスクを着けなきゃならないから(自然と間ができる)」と、しっかりと使ってくれました。先日の、「マイスタージンガー」では、最後のセレモニーをするのかと思ってたらしなかったので、何となく不満を感じてたんだけど、きっちり、昨日のコンサートで花束を用意してました。渡されたの、こないだ、「マイスタージンガー」のプレトークのときに、偶然、お話する機会のあった副館長さんじゃなかったかな? そういった記念のコンサートでもあったのだけど、演奏された1曲というのは、交響曲 第6番 イ短調「悲劇的」。7番とともに、なかなか遭遇機会の少ないシンフォニー。黄紺的には、コロナ禍前に兵庫芸文で聴いた、エッカ・ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管弦楽団の超名演が忘れられない曲。昨日のオケは京都市交響楽団。ワグナーをともに演奏してきたコンビです。この秋には、京都市響側からのオファーで、このコンビで、ワグナーの演奏会が、京都で予定されています。その前に、「サロメ」が夏にあるし(これも京都市響のオファー)、いっそのこと、沼尻さんが、常任指揮者になれば良かったのにと思える蜜月関係です。そんな期待の演奏会だったのに、黄紺は不調だった。2楽章半ばまで、視界がおかしい。焦点が定まらない。だから、音楽を聴いていても、めっちゃ落ち着かなかった。大津へ行くまでの電車の中で、かなりきつかった。そのまま、ずっと目をつむっていたかった。しんどいのか、眠いだけなのか、よく判らないまま、音楽がスタートしてしまったようでした。スケルツォ2連発の組合せの構成。要するに。軍靴の音を思わせるような音の並びが、聴いていても、完全に上の空状態。座ってるのさえ、嫌な気分になってしまってた。でも、2楽章半ばで、こくんと寝落ちした、一瞬。体が、瞬間、左にずれ落ちたため、ハッとなって正気に戻った。ずっと眠ってはいなかったので、体調がおかしいと思い、我慢をしていたのだけど、結局、電車の中から出ていた「眠りたい」を、体が求めていたようだけど、眠りに入らないものだから、眠るように体を仕向けていたようだと、これで判った。こくんと行って、助かった。焦点も合うし、普通に音楽を聴けるようになったのだから。でも、突然ではなく、クレッシェンドが必要で、完全にまともに聴けたのは、4楽章だけだったかもしれない。その一方で、京都市響の手加減なしのパワフルさに圧倒されていた。その熱量だけは、曲の冒頭から感じていた。だから、余計に拒絶するような状態になり、体が抵抗したのかもしれないなと思っています。30分ほど要する4楽章は、この日の京都市響を象徴するような演奏。先日、ここんところを、Youtubeで、バーンスタインの指揮を観てたら、もう指揮台の上で飛び跳ねてたけど、昨日の沼尻さんも、体全体がリズムの塊で、それに、実によく呼応するオケという感じ。これは、オケの人たちの、めっちゃいいノリを象徴するようだった。ハンマーは2発、女性の奏者が、ハンマーを振り上げていた。すげぇ~と、覚醒していくわな、そんな姿を観ると。終わりよければ全て良し、前半の苦しみ、これで、解消できました。やっぱ、6番は、生で聴かないとダメだなと、すっかり、その苦しんだことを棚に上げて、そんなことを思いながら帰途に着きました。


2023年 3月 19日(日)午前 8時 1分

 昨日は、珍しく、土曜日なのにお出かけなし。そこで、DやSと遊びたいなと思い、先日、息子に予定を尋ねたら、既に詰まっているとかで、残念。Dが保育園卒業ということなんで、どこかで、お祝いのご馳走でもしてやりたいなと思ってるんだけど、うまく都合が合うだろうか。その内、小学生になってしまったら、また、関心が他所に行ってしまい、放置されそうな予感もある。でも、それも仕方がない。自分だけの都合で決められないからね。
 そんなだけど、昨日は、久しぶりに「ブラタモリ」の新作が出るということで、それを楽しみにしていた。天気は、良くない。寒いしね。午前中のウォーキングに出かけて、これはダメと思ってしまった。雨も、まだ降ってたしと、えらく寒々しかった。だから、もう、しまいかけていた長袖のシャツを出してきた。それで、丁度いい。こないだ内の暖かさが嘘のようだ。一昨夜は、マッチもあったし、フィンランドのNATO加盟に進展があったということで、昨朝は、トルコの情報集めが忙しかった。スウェーデンを置いてけぼりにして、なんか、フィンランドとだけ友好をアピールするのは、あまりいい感じがしない。こっそりと、スウェーデンが匿っている人物を、この際、フィンランドに移送してしまえと、わけのわからないことを考えてしまった。同じNATO加盟国に、多くの亡命者が匿われているのの、見せしめ的になってしまってるのも、今いち、すっきりしないところ。
 午後の一時は、ちょこっとだけ、ドイツの歌劇場探索。ヴィースバーデンで、アンドレアス・シャーガーとアニヤ・ハルステロスの組合せで、「トリスタンとイゾルデ」が出るのを見つけてしまった。アンドレアス・シャーガーは、このヴィースバーデンで「神々の黄昏」を観たところ、同じく、アンドレアス・シャーガーのトリスタンは、ベルリン国立歌劇場で観ている。いずれも良かったので、また観たい、聴きたいとなってしまう。アニヤ・ハルステロスは、2回遭遇している。ドレスデンで、ソフィー・コシュとの「ばらの騎士」と、ダルカンジェロのフィリッポ2世と共演した、ベルリン・ドイツ・オペラの「ドン・カルロス」だ。但し、イゾルデ向きかと言われると、ちょっと躊躇われる。アンドレアス・シャーガーがトリスタンを歌ったときは、アニヤ・カンペだった。そんなで、とってもそそられるもの見つけてしまった。ヴィースバーデンは、「トリスタンとイゾルデ」の翌日は、「ばらの騎士」となってた。めっちゃ、くすぐられてしまっている。午後の一時、もう1つは、「ファルスタッフ」の続きを観た。半分寝ながらというのは、最早、定番になってしまっている。最後の幕が始まるところまで観たが、やはり、オーソドックスに過ぎるプロダクションだけど、歌手がいいね。特に、ファルスタッフ役のニコラ・アライモがいい。全然知らなかった歌手なんで、ネットで調べてみると、なんと、先月、新国立劇場で、同じファルスタッフを歌ってた。これはぬかった。もっと早く、この動画を観ておれば、東京まで観に行ったかもしれないと思うほど、気に入ってしまってます。でも、これ、ないよな。なかなか、うまくいかないものです。
 待望の「ブラタモリ」の新作「佐賀編」が、頗る付きの佳編。県庁所在地をテーマにしたものは、あまり残ってないので、後回し感があったのだけど、それは、とんでもない勘違い。佐賀という街自体が、あんなにそそられる街だとは知らなかった。切り口が抜群だった。郊外の、なんちゃらという集落、環濠集落という分類をすればいいんだろうか、水に囲まれた集落。あんなのが残ってるんですね。あれだけでも観に、佐賀へ行ってみたくなった。そして、干潟を展望できるところも、知ってはいたが、想像以上のものですね、干潟って。それが、全てを作った、いや、あすこのフラットな平野自体が、干潟の産物だった。凄いところだ。次回は、「汐留編」だって。まだ、東京で取り上げるところが残ってるのですね。最近、そう言えば京都がない。京都も底をついたのかな? 長岡京跡で1本、作ってほしいなと思ってんだけどな。


2023年 3月 17日(金)午後 10時 12分

 今日は、今月2回目となる落語を聴く日。前回が大須演芸場だった、それを思い出して、3月のこととはいえ、随分と前のことだったと思えるが、半月前のことなんですね。午後に茨木市であった落語会だったもので、普段のウォーキングをどうしようか、考えた。そこで、久しぶりに、自宅から阪急沿線まで歩いて行くことにした。お目当ての駅までググると、なぜか、最短ルートを示さない。そう言えば、前もそうだった。そこで、1時間半が所要時間と想定して予定を立てた。昼ご飯は、茨木市駅に着いてからにすることにして、ご飯を、先に食べることで起こるかもしれないお腹の変調防止とした。すると、時間の流れとして、好都合なこともある。早すぎる昼食を避けることができるという効果もある。帰路も歩くと、腰がやられるので、一番、運賃のかからない、そして、無理のないルートを考えると、阪急で河原町まで行き、京阪に乗り換えるのがベターと出た。料金的には最安じゃないけど、総合的に考えて、無難なのがこれと出た。存外、意外な結果だった。もう1つは、普段のウォーキングの量を勘案して、朝の内に、ミニウォーキングをしようと思った。結果としては、これが、若干やり過ぎたきらいがあるけど、時間が取れたので実行に移したけれど、実際、歩いているときに、これは「リアル試し酒」と思えてきて、やり過ぎの自覚が出たけれど、途中で止められなくて、やっちゃった。結果、落語会に影響が出てしまった。疲労から、軽く居眠りというコースを歩んでしまった。変なことしてます。
 落語会は、茨木市福祉文化会館であった「第15回茨木ハチマル落語会〜 桂南天の会」。まさか、5階の大ホールでの会とは思ってなかったんだけど、そのまさかだった。そこが満員、平日の昼間だから、爺婆におばさんばっかりだった。さすが、ディープな落語ファンは来ないだろうと思ってたら、帰りの電車で見た某Twitterに、きっちりと、この会に行ってたと出てた。コアな落語ファンは、こういったカヴァーが凄いわ! 黄紺は、アスニー京都に置かれてあったチラシで知った会でした。同じ公共施設だということだからでしょうか、落語会のみならず、色んなイベントをされている会館だと、以前からインプットされているところですね。番組は、次のようなものでした。天吾「動物園」、雀喜「終活のすすめ」、南天「ちりとてちん」、ねこまんま(南天&雀喜)「漫才」。南天と雀喜の落語も楽しみだけど、ねこまんまが付いているということで、飛びついた、正に即決の会だった。どうやら、この2人で、この会を仕切ってるようです。その固定ファンができてるのかな、で、この入りなのでしょう。天吾は、コロナ禍で行けている会が少ないなか、一番、聴けてる噺家さんの一人だと思います。「動物園」は、南天印のネタ。しかも、その南天直伝という色合い満載で受け継いでいる。寝屋川で聴いた「ちりとてちん」もそうだったけれど、その南天色というのが、あまりに強烈なもので、天吾には荷が重いといった印象は、この「動物園」は、一層高まる。南天の「動物園」を聴いたことのない人は、これが天吾の個性と思うのでしょうが、黄紺的には、師匠の背中が重すぎると思えてしまいました。雀喜のネタは、後から出た南天に、「そんなネタ出して、大丈夫か?」と言われたそうだ。それほど、年齢層の高い客席。でも、笑い飛ばせるものだからいいのです。むしろ、黄紺などは、老いた夫婦の会話で進行する噺を聴いていて、最近、夫婦関係を解消した雀喜の心の内は、どうなってんだろうと、かなり気になってしまってた。最近、雀喜は、もう古典を口演してないようですね。ほのぼの作品は、雀喜の編み出した独自のジャンルですから、それはそれで良かったのだなと、今日の口演を聴いて思えました。南天は、先日の「上方落語を聞く会」で出したネタだった。凄まじいまでに、長崎を叫ぶラストが圧巻。爺婆に受けるだろうかと心配したけれど、全くの杞憂だった。やっぱ、おもろいものはおもろいのです。まさか、これを、生で聴けるとは思ってなかったので、正直、びっくりした。でも、びっくりしたわりには、居眠りをしながら聴いてしまってました。不届き者です。こんなことを想定して、会の前に歩きすぎるのは禁物なんだけど、今日はやっちゃいました。ねこまんまは、「猫」ネタのオンパレード。久しぶりに聴いたねこまんまだったけど、すっごい、パワーアップしてた。言うまでもなく、南天&雀喜が揃うと、そのパワーは凄いものがあります。とっても、いい午後となりました。


2023年 3月 17日(金)午前 7時 49分

 昨日は、お出かけなしの木曜日。気温は暖かなまま。このまま突っ走るのだろうか、まだ、春分前なんだけど。天気は、時間を追うにつれ、曇っていき、夕方のウォーキング時に、軽く雨が降った。天気予報には、雨のマークは、一切なかったもので驚いた。幸い、フード付きの上着を着ていたので、雨は避けることができた。ということで、いつものように、ルーティンにしている日に2回のウォーキングは欠かさなかった。昼前のウォーキングでは、久しぶりに自然いっぱいのコースを選択。ここへ行くと、ついでの買い物がしにくいということで、最近、全く行ってなかった。昨日は、その必要もなかったので行ってみた。さすがに、自然がいっぱいなことで、マスクを外して歩いた。その地域を外れると、マスクは着用のまま。気温が上がり、マスクをしているのが暑苦しくなってきていたので、とっても爽やかに感じた。ぼちぼち、場所を選んで、そうなっていくのかな。
 今朝、ちょっと慌てることがあった。大したことではないが、ヨーロッパのカップ戦の日程を間違っていたのだが、一昨夜、マッチがあったのだ。通常、チャンピオンズリーグ以外のカップ戦というのは木曜日と決まっている。時々、例外があるので、気を付けているつもりだが、見逃すことがあり、昨朝がそれだった。ないはずの試合結果が、トルコ・サッカー協会のHPに出てたので慌てた。しかも、今、残っている3クラブの内、一番対戦相手に恵まれたので、これだけは勝ち残るだろうと思っていたバシャクシェヒル・スポルが、ホームで大敗してしまってた。めっちゃ、裏切られた感じがして、気分が悪かった。自分の日にち間違いの気分の悪さもあったのだろうけど、嫌な気分になるということがあった。残りの2つのクラブは、対戦相手が悪すぎる。ま、年を越すと、それなりのクラブが勝ち残るのだから仕方はないが。そんなで、今季のトルコのクラブのヨーロッパの戦いは終わったと看ています。
 午後の一時は、トルコの新聞の読み残しのチェックがあった。スウェーデンとフィンランドのNATO加盟問題も追いかけてることもありでの話。どうやら、フィンランドの加盟については、ゴーサインを出すようですね。一方のスウェーデンは、大変だろうな。どうするんだろ? この関連で、気になってるのがハンガリーの態度。ハンガリーも同意してなかったんだよね、但し、同意表明間近らしいけど、でも、そもそも、ハンガリーが不同意だったわけを解っていないのです。ハンガリーと、スウェーデン&フィンランドとの関係って、何かあったっけ? それとも、ロシアとの関係で何かあるのだろうか、全く、見当のつかない状態です。単なる不勉強だからなんでしょうが。もう1つは、「Oper Vision」でオペラ配信を観た。結局、「死者の家から」の観直しはやめた。ここにきて、このオペラ観るなら、パトリック・シェローとピエール・ブーレーズがタッグを組んだエクサンプロヴァンスのDVDを観ればいいじゃないかの気になってしまい、新たな動画に移ることにした。そこで、ピックアップしたのが、フィレンツェ歌劇場の「ファルスタッフ」(スヴェン・エリック・ベヒトルフ演出)。なんと、指揮がエリオット・ガードナーということでのチョイス。エリオット・ガードナーが、ヴェルディを指揮するなんてこと、今まであったんだろうか? そう思っただけで、選んだ値打ちがあります。また、その指揮がいい。音楽の起伏を、まごうことなく目を付けている。だから、メリハリの効いた演奏となっている。演出も、装置や衣装は古風だけど、動きに、アクセントを付けており、それが演奏とマッチングしている。だから、とっても素直に、音楽が入って来る。そんなだから、歌手陣も、いいメンツを集めている。プロダクションが伝統的な域から出てなくても、わくわく感があるのです、このプロダクション。ええもん、見つけたの気になっています。最近の「Oper Vision」は、珍品が出ることがあり、それはそれでいいんだけど、こういった定番作品で、古風なプロダクションが出ることもあるんだと、余計にええもん見っけの気が上がっています。


2023年 3月 16日(木)午前 8時 39分

 昨日は、朝からお出かけ。水曜日で、朝からと言えば、アスニー山科の市民向け公開講演会。それが終わると、もう1ヶ所行ってきた。要するにハシゴをした日。まず、アスニー山科から。昨日は、「藤原道長の<ものがたり> 権力者の栄華と恐怖」と題して、京都先端科学大学人文学部教授の山本淳子さんのお話を聴くことができました。ただ、この山本さん、えらい人気が高い。ちょっと心配していたんだけど、早々に、大混雑。後から来た人、30人だかが断られたそうです。黄紺も、実は危なかった。行ったのは、時間的に問題なかったのだけど、入口でレジュメを渡すことで人数確認しているということが解っておらず、会場に、そのまま入り、しばらくしてレジュメを渡しているのに気づき、もらったときは、ラスト2だった。危ない、めっちゃ。最近、耳の聞こえが衰えたため、こういったイベントを避けるようになっている弟まで来ていた。終わってから、大丈夫だったか尋ねると、この会場の音響設備はしっかりしていること、また、講師の方の物言いが、実に明晰だということで、大丈夫だったそうです。で、昨日の内容も、実に解りやすい、そして、おもしろいものだった。主役は道長、紫式部と男女関係にあったとなってきているそうで、来年の大河の主人公が紫式部だから、その辺が描かれそうだと言われていました。さすが、こないなことを聴くと、来年の大河は観そうだな。ということで、来年の大河を見越した、足早の企画でもあったようです、昨日の講演。まずは、道長の足跡を、マンガ日本史的なイラスト入り資料で紹介があった。そこで強調されたのは、「望月の、、、」の歌の今までの解釈、傲慢なまでの権力者イメージではなく、めっちゃくちゃなラッキーボーイだったこと。上の兄2人が病死、ライバルになりかけたいとこだったっけ、伊周は自滅。疫病流行で上席公卿6/8が死亡。道長は2/8の1人だった。一条天皇の愛妻定子(あの定子だ!)の出家。そのため、娘彰子(あの彰子だ!)を一条天皇の中宮に入れる理屈が付いた。定子は難産で死亡(=彰子のライバルが消えた、清少納言が彰子を偲ぶ、枕草子執筆)。一条天皇の崩御後登位した三条天皇の中宮に娘妍子が入る、三条天皇譲位後、孫に当たる後一条天皇(彰子の子ども)が即位。自分で、ライバルを消したんじゃなくて、消えて行った。結果、権力が転がり込んでくるという図式の人物だったため、常に怯えていた。だから、災禍があると、病を得ると、怨霊による祟りだと恐れていた。出家まで、まじで考えてたときもあったそうだ。まことにもって、平安時代の心性に即した展開。それらを、具体的に、主として「栄花物語」を基本に、そして、道長と言えば「大鏡」という強い武器があるということで、その心性を再現されていった。だから、おもしろかった。「家政婦は観た」的な目線で書かれていると言われてたのは、これだったな。彰子の出産場面の記述は、「紫式部日記」が詳しい。ここも、「家政婦は観た」の目線と考えられる。24時間の読経、彰子の見せる産みの苦しみの一進一退を、その加持祈祷の効果と結びつける、異様な雰囲気だ。それは、偏に、道長の見せる恐怖、怨霊の祟りを恐れているから。幸運だったため、余計に怨霊を恐れたのかもしれませんな。だから、権力を恣に、ふんぞり返ってるようなイメージとは、全く似つかわしくない姿が、道長の実像だったということでした。さて、大河は、そういったイメージで進むのだろうか、あまりにも思い描いていた姿と違うものだから、それを確かめたくなっちゃいました。やっぱ、聴けて良かった、ホント、山本さんの講演は、外れなし、どのお話もおもしろい、人気が上がるはずです。
 午後にも予定を入れているときは、いつも、アスニー山科の入るビルのすぐ近くにある公園で昼食。ここは、必ず、同じような人がいる。近くの会社員だろうか、男女を問わない、昨日もそうだった。そして、地下鉄で蹴上駅まで移動。初めて降りたんじゃないかな、この駅。暖かなものだから、インクラインを歩く観光客が目立つ。南禅寺・永観堂といった有名観光地を尻目に向かったのは泉屋博古館。今、こちらで、「光陰礼讃 -近代日本最初の洋画コレクション」という企画展が開かれているのです。このミュージアムは、住友コレクションを見せてくれているところ。中国の青銅器のコレクションが凄いけれど、それだけではない、今回の洋画コレクションは、住友吉左衞門友純(春翠)の集めたもの、そして、住友家の様々な住居に飾られていたものらしい。その収集の仲介の任務を与えられたのが鹿子木孟郞。鹿子木孟郞は、その任務の代償として、欧州遊学の費用を出してもらったそうです。そんなで、鹿子木孟郞のパリでの師ジャン=ポール・ローランスの「マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち」という、素晴らしい作品があった。亡くなった将軍の身体がうまく描かれているのでしょうね、すっかり重力をベッドに預けた形で横たわる死人の身体のリアリティ。それが大きくて、周りを取り囲む人々の悲しみが、とってもリアルに描き込められている。その描かれている生物の質感という、同じ意味で目に付いたのが、ジョン = サージェント・ノーブル「猟犬と獲物」。春翠愛好の作品と解説にあったけれど、納得です。ただ、遠景が取ってつけたようで、それだけが気になった。傍らには、モネの作品が2点、「サン = シメオン農場の道」「モンソ-公園」。モネは、。各地で多くを観てきたから、そうかな程度でやり過ごしてしまってました。「光と陰の時代 ―印象派と古典派」のコーナーで、こういった、19~20世紀のフランス&イギリスの作品が並び、あとは、日本の洋画作品、お目当ては、ここで、どないなものが出ているかだった。狭い展示室なので、数は期待はできないのだけど、こちらで、コーナーが2つに分けられていた。「関西美術院と太平洋画会の画家たち」「東京美術学校派と官展の画家」、関西組と東京組という分け方。前者には、浅井忠と鹿子木孟郎があった。この2人の作品が目立ったことも事実。浅井忠は3点、「河畔洋館」「河辺の古城趾」「グレ-の森」、いずれも、小ぶりで、フランスのどこかなんでしょうな、風景画三様だったけれど、印象派に倣った作品。最近、ようやく浅井忠もので印象派に倣った作品に出逢えた思ってたら、昨日は、一挙、3点を観ることができた。3点が3点、各々の色彩の統一感にそそられた。その色彩一つで、その場の時間、空気感が出てるようで。鹿子木孟郎は2点、「ノルマンディーの浜」「加茂の競馬」。いずれも、描かれる人、動物、船の配置の妙なんでしょうね、それによるリアリティ感が素晴らしいと思った。特に前者の船の存在感、後者の左前の馬と世話をする人の存在感に佇んだ。東京組では、3枚並んだ女性を描いた作品のインパクトが強い、他を圧倒していた。①岡田三郎助「五葉蔦」、②藤島武二「幸ある朝」、③山下新太郎「読書の後」。①の女の訴えかけるような表情は、1度観たら、気になって仕方がない。観る者との距離感が、えらく近いように感じるものだから、気になるのでしょうね。②は、間近で見ると、油彩なものだから、そのタッチや色使いが題名とは不釣り合いな印象を持ったけど、向かいに展示されてあった作品群を観て、振り返った瞬間、描かれてある女の幸福に彩られた心の奥が見えた。窓から入る黄色で描かれた陽光が暖かさを見せてくれた。女の満たされた心根に、こちらもほっこりする。③の女はアンニュイと言えばいいのだろうか、そう深くは物思いには耽ってなさそうだけど、ちょっと声を掛けるのが躊躇ってしまいそうな空気を出しているのが気になる。同じ気になると言っても、①と違い、こちらは、そっとしておこうの気にさせられる。そういった距離がある。①には、その距離がない。3枚並べてるのが、いいのかもしれない、しかも、この並びがいいのでしょうな。①から③へと、左から右へと並んでいました。この日本の洋画コーナーに不思議な作品が2点あった。没年どころか、生年も不明、師弟関係や経歴に至るまで一切不明の画家「田村直一郎」の作品、「武甲山入口夕陽」「朝陽荒川上流図」。何が不思議かと言えば、油彩で厚塗り、そして、暗い。どうして、こういった作品が出たのでしょうか、また、何を良しとして。住友コレクションに加わったのだろうか、そういった趣味で観てしまってました。この展覧会、調べてみると、東京でもあったようだけど、展示室の関係で縮小されているようですね。ピカソ、シャガール、ルオー、岸田劉生なんかがあったようです。


2023年 3月 15日(水)午前 7時 26分

 昨日は火曜日だから、RadikoでKBS京都の「まーぶる」を聴く日で、且つ、一昨日の月曜日、この番組出演の二葉が、某落語会で代演を立てるなんてことしてたので、そのわけを知りたく、そんなで、番組自体に出ることができるかどうかも案じていたので、聴きたかったのだけど、それを後回しにして、出かけることにした。幾つか候補に挙げていたミュージアムのどれかに行こうと思ってた。特別展のような会期のあるものを、いつでも行けると思い、後回しにすることが多く、それらが溜まってきて、困ることがままあるので、この春の時期、新たな展覧会が始まるのを契機に、空いた時間があれば、前から行こうの気になってるものだから、昨日は、ミュージアム行きを選んだ。そういったときは、大体、朝から行くのだけど、昨日は、午前中は、早めにウォーキングをして、昼ご飯を食べてから行くことにした。なんでやろ、昨日は。単に、そんな気分になったってこと。
 お出かけ先は、最初は、泉屋博古館に行くつもりだった。ところが、今日、山科へ行く日だから、その帰りに行くと、最近歩いたことのない南禅寺前の道を歩けそうだということに気づき、昨日は止めた。替りに選んだのは、京セラ美術館での特別展「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」に行くことにした。同時に行われている「コレクションルーム」という名で行なわれている所蔵品展は、後日に回すことにした。先日、名古屋&岐阜で、日に2軒の美術館の腰への影響は大きかったもので、やっぱ、特別な時でないと、日に2軒は慎むべきと、改めて肝に銘じてある。で、肝心の特別展は、まとめると「工芸」分野での「現代アート」という言い方になるのでしょうね、そういった分野の最近の作品を集めたもの。形状のおもしろさや、材質のおもしろさなんかを楽しむだけではなく、各々、メッセージ性豊かな、と言っても、傍らに書いてある文を読んだから、そんなことを書いてるのだけど、そんなだから、インスタレーションと言えばいいのじゃないかな、そういった作品が並んでいた。「ダイアローグ:大地との対話からのはじまり」では、素材の工夫的なものに目が行った。一番、驚かされたのは、ガラスと陶器を混ぜた作品。自然界に存在する岩石モデルのように見える。木材の組み合わせ作品も、存在感抜群。ぴったりとくっつけることで、いや、そんなことができるんだと、それに圧倒されるんだけど、それにより、各材質の持つ木目の組み合わせで、独自の文様ができるというもの、その美しさよりか、その技術、超絶技匠とも思える技術を想像してしまう逸品。岐阜では水玉模様の陶器作品を観てきたが、それと印象が似た陶器作品もあった。球体を作り、内を開け、そこにも彩色するなんてことができるようになっているようで、とっても立体的に陶器の群れる作品というのが可能になっているのだ。そういった作品で、2回連続で驚かされてしまった。だから、傍らの竹を編んだ作品というのは、労作的、その努力が浮かんでしまい、技巧の斬新さが薄く感じててしまう。毛糸のような素材を使い、地層を作り上げ、地上には、その毛糸上の素材で、工場などの、人間の作り上げた無機質なものを作るという作品も印象的。上下の、それらの配分は、圧倒的に地層の方が多く取られることで、地球規模の作品と言えばいいかな。コーラの瓶に、木彫で作った大麻の枝、しかも、その枝には、金箔が貼られているなんて作品もあった。アメリカを思い浮かべて、良かったのだろうか? 数学で開発された数式を、織布の技術に応用するという作品もあった。大きな、天井から垂れ下げられた作品など、数点が展示されていたけれど、解説共々の作品ですね。だって、解説がなければ、そういった着想で生まれた作品とは判らないからね。でも、その解説文が、数学に疎い黄紺には、超難解、ギヴアップしました。その裏の場所には、「重力を可視化した」というものがあったけれど、布作品同様、超難解。茶筒が回転するのが、それらしいのだけど、茶筒の効用とか、さっぱり、こちらも判らんかった。再生品の工芸なんてものもあった。これも、傍らの解説を読まないと判らない。だって、再生後の作品が展示されているのだから。最後のコーナーにあった「TAKT PROJECT:glow ⇄ grow: globe」は、この展覧会の代表作らしく、美術館のHPなどでも目にしてきた作品。LEDの光源が作り出す樹脂の変化を観るもののよう。そういった意味で、時間を体感させてくれるものらしい、あくまでも「らしい」としか書けない。どういった技術がと思わせるところが、「工芸」なんでしょうか。三宅一生の工房が噛んでいるなんて注釈が付いていた巨大な布作品、そして、吹きガラスで作られた照明が幾つか吊るされたインスタレーションで、この展覧会は終わりました。真ん中あたりには、作品を提供した作家さんへのインタビュー、制作の様子を撮った映像作品も上映されているという構造。こういった、何があるか判らない、観ても、よく判らない、でも、勝手に想像を巡らす、技巧に驚かされる、そして、何かを感じる、考えさせる展示って、楽しい気分にさせてもらえます。ドイツでの会得した、オペラ以外の収穫です。
 帰宅後は、「まーぶる」を聴いた。全部は、まだ、聴けていない。晩酌をしながら聴いていたら、そのまま寝落ちしたから。二葉は出ていた。かなり喉をやられているようで、落語ができない状態というのが、「体調不良」という言葉で表現されていたようだった。あまりにも多忙だったつけが、こういった形で現れたようだけど、今日だか、隠岐へ行くと言ってて、大丈夫かと思ってしまった。梶原アナが、「絶対に医者に行ってくださいね」と念を押してました。話題は、駒川中野の地元でやった落語会、女子大生が企画した落語会を取り上げてた。前者は、Twitterでも呟いてたので気になってたけど、下町感満載の様子、客席から声がかかって来たようです。我らが人気者羽ばたくという印象を持たれたようですな。


2023年 3月 14日(火)午前 7時 56分

 週明けの月曜日は、お出かけなしが多いのだけど、昨日もそうだった。それに合わせたかのように、気候が3月に戻った。しまいかけて、そんなわけないだろうと思っていた冬物、健在です。空調に電気ストーブも全開で、すっかり元に戻った。これだけ、気温が下がると、一昨日までの暖かさは、何だったんだろうと思うけれど、ホントにあったことには間違いない。気候の変化に振り回されているけれど、お出かけなしだと、することは決まっている。ルーティンになっている日に2回のウォーキングだけが外出時間。一昨夜から雨だったので、午前中のウォーキングは、途中までは傘さしだった。天気予報よりは、遅くまで雨が降ってたんじゃないかな。だから、雨が止んでも、公園で休憩がてらベンチに座るわけに行かないので、ちょっと久しぶりに、。屋根あり公園で休憩。読書も始めたけれど、風もあり、長続きをしなかった。今は、キリスト教会堂の成立に関する本を読んでいるところ。先日までは、新約聖書の時代に関して読んでたところだったので、親近感がある内容。できれば、近いうちに、ローマ帝国とキリスト教をテーマにした本を読めば、流れはいいのだけど、そうは思っていても、急に関心が変わるときがあるから、困ったものだ。
 午後の一時の前半は、ペンテコステ近辺のドイツの歌劇場の様子調べの続き。ハンブルク州立歌劇場が、やっぱ、ケント・ナガノがやって来てから、スーパーな歌手が出るようになってきている。それに対して、ベルリンの2つの大歌劇場がパッとしなかった。だいたい、ペンテコステ界隈というのは、渋い、重厚、そういった演目&プロダクションが出て、力入ってるなぁと思わせてくれるものと思ってたけど、国立歌劇場の方は、ポピュラー路線に乗り換えてた。ヴェルディの著名オペラを、有名歌手でという路線へ。それはそれでそそられるけど、ライプチヒでマーラー・フェスティバルを企画しているのとは、随分と好対照。町としては、ライプチヒもいいけど、どうしてもベルリンには滞在したいという思いがあるから、この路線変更は、黄紺的には嬉しくない。モティベーションが下がり気味。ルール界隈の歌劇場調べに、全く手を付けてないので、今後は、そちらを集中的に点検することにしましょう。その前に、ヴィーズバーデンやダルムシュタットといったフランクフルト界隈をチェックするつもりでいるところですね。
 後半は、「Oper Vision」で観始めていた「死者の家から」を完走。相変わらず、ところどころ居眠りを発生させながらの完走。そんなの完走とは言えないけど、最後まで行った、行ったと思ったら、このプロダクション、終わらなかった。そこで初めて気が付いた。この動画、「死者の家から」にしては、えらく長い時間設定になってたことを。2時間半もあるオペラじゃないのに、そうなってたのだ。オペラは暗転が、ほんの僅かあっただけで、続いていった。音楽も、瞬間止まったが、続いていった。しかも、全く雰囲気が変わらない音楽だった。「グラゴル・ミサ」が続いて演奏され、それを、オペラとして演じるということをやったのでした。「死者の家から」で出ていた歌手が、そのまま残り、コーラスを形成。そこに新たにソリストが加わるという形。まだ、ミサとしては、冒頭部分しか観てないので、そんなことしか書けない。「死者の家から」の方に戻ると、パトリック・シェローのプロダクション(エクサンプロヴァンス・フェスティバル、指揮はピエール・ブーレーズ)の映像が、頭に染み込んでいるからか、ゴリャンチコフの歌手の若さ、若い風貌が馴染めなかったのと、アリイエイヤを女性歌手が歌っていたのが馴染めなかった。年齢や性に関わる思い込みが、パトリック・シェローのプロダクションで、自分の中に出来上がってるのかもしれないのが気になってしまった。閉塞感を鎖や三方の壁で作り上げていたのは、ちょっとべたかもしれない。それと、イエス・キリストのモチーフが使われ、苦難を受ける人々、それを一心に背負い救済に至るイメージに重ねてみると、ここの「死の家」というのは、社会の苦難を一身に受けているとも看えてくるようだった。確かに、設定がシベリアだし、ゴリャンチコフは政治犯だし、収監のわけを語る囚人たちの罪は、社会的なバックボーンを感じさせるもので、決して性悪な人たちではないということとも重なって来る。実は、肝心の、ゴリャンチコフとアリイエイヤとの絡みのところで居眠りを発生させているのが痛いので、ここは観直しが要るかなと思っているところだ。このオペラ、びわ湖なんかでやらないかなぁ、そんなことも考えてしまってました。


2023年 3月 13日(月)午前 7時 50分

 昨日も、暖かなお天気。このまま、暖かいままなんだろうかと思ってしまうけど、一方で、そんなわけはなかろうと否定している。夜からは雨が降ったので、それで、変わるかもしれない。昨日は、日曜日ということで、朝から「日曜美術館」の新作があったんだけど、何か、不完全燃焼といった感じの番組作り。どうやら、本編は、BSで流れる方じゃないかなと、最後に来て思った。そのお題は、「太宰府天満宮 美の世界 千年の時の流れの中で」というもので、MCの2人が、太宰府まで足を運んでの制作。だから、ここの宝物を見せてくれるのだろうと思い、番組に臨んだら、主だった宝物は2点ほど。主たる2点は、①平重盛奉納の太刀(重盛は清盛の長男、豊後行平の作)②三条実美奉納の螺鈿の水杓。番組の重点は、現在、文書館24枚の襖絵「天満宮の四季」を制作中の神戸智行さんの方に焦点は当たってるかのようでした。その合間に、道真の経歴&言い伝え、天満宮に伝わる神事(淨妙尼社へのお下りの儀など)の紹介があったようでした。紹介された、その他の作品をメモっておきます。③秀吉朱印状(朝鮮出兵から戻ったときのもの)➃(絵)七卿落ち⑤神戸智之「一瞬の永遠」(2011年奉納、見上げた白梅を左に、水に映った紅梅を右に描く)。最後には、当代の宮司さんもご出演。「ブラタモリ」でも出ておられたのかな、そないな記憶がある。内容は、「ブラタモリ」と重なるものも多く、太宰府政庁についてや、道真に関する言い伝え話なんかは、明らかに「ブラタモリ」の方が、聴きごたえあったよなと思いながら観ておりました。  「日曜美術館」終わりで、午前中のウォーキング。でも、午後にお出かけがあったので、1時間ちょいで我慢。日曜日に、よく起こることです。そして、午後のお出かけ先は、ちょっと久しぶりの京都市学校歴史博物館。今、こちらで、郡中小学校創設150周年・学制150周年記念企画展「郡中小学校―京都市におけるもう一つの小学校150年―」という大層な名の付いた展覧会が行われているが、その関連企画として公開講演会があったのです。1回目は都合で行けなかったのだけど、昨日の2回目は「郡中小学校の特徴―“みち”・“まち”・“校舎”という視点から検討する―」というお題で、この企画展を作り上げた張本人林潤平(同館学芸員)さんのお話を聴くことができました。「郡中小学校」は、京都市中にできた「番組小学校」に次いでできた、それ以外の京都府下の小学校のこと。学制が敷かれる前に、京都で生まれた、しかも、明治に入って早々に生まれた小学校のこと。既に、3年前だったか、番組小学校については、丹念な展示、及び、昨日のような関連企画が行われたもので、それからの類比として、同様のお話を聴けると思って出かけた。すると、ちょっと勝手が違った。郡中小学校については、何ぞや的なアウトラインを、ごく手短に触れられたあとは、その成立に当たっての、住民の努力だの、熱意だの、そういったものから、資金の工面とか、母体となった人たちの内実とか、苦労話とか、郡中小学校の成立に関わる問題を並べてもらえると思っていた。当然、地域的にも、番組小学校周辺の地域もあれば、もっと離れた地域もあり~ので、成立事情も背景も異なるはず、それが、史料的に、どれほど再現できるものかは知る由もないけど、そういったことを期待して行った。ところが、そういったトピックは出なかった。個々のケースを拾い、それらをカテゴライズするのが大変だったのか、そもそも、そういったこと自体が不可能な状態にあるのか、もちろん史料的に、その辺の裏は判らないけど、なかった。それよか、「みち」なんていうタームを使い、各学校には、環境面での事情があり、学校運営に、個々の問題が生じていたというお話をされていたように思います。思いますと書いたのは、また、半寝で聴いてしまってたため。そりゃ、山村の学校だと、学校や集落が、どのように結ばれてるかで、運営自体に諸々の問題は出てくるでしょう。出てくるのは、言われないまでもイマジネーションは、さすがに働くから、それをするのなら、網羅的に資料を作り、カテゴライズしなきゃ値打ちないと思うのだけどな。ケーススタディ的に例示されても、そりゃそうだろう、わざわざ言ってもらわなくても想像つくよと突っ込みたくなった。気がつくと、室戸台風を筆頭にした災害がトピックになってた。被害の大きさは、つとに知られたこと。それを、郡中小学校をテーマに掲げたところで、扱うかなぁ。だって、番組小学校のあった市中でも、被害が甚大だったのは同じなんだから。これと引っ掛けて、校舎の建て替え、鉄筋化も触れられてたけど、これも、大事なことだけど、番組小学校でも同じ課題があったのじゃないのかな。都市化の問題は大きいから、ここは、もっと掘り下げないとと、突っ込みどころ、満載になってしまってました。番組小学校の南端は一橋小のはずなんだけど、それよか北の七条小、崇仁小、陶化小、九条小あたりが、郡中小学校だったのは、何でだろう? そして、伏見地区が、2系統に分かれている的なことを言われてたし、また、展示にも、そのことが書かれてたけど、行政区分の変化に対応しているのかもしれないけど、詳細を話して欲しかったな。亀岡地区の学校の話題は出てたけど、それ以外の府下の学校については皆無だった。ま、京都市の施設での講演会だから、求める方が間違ってるかもしれないけど。終わってからは、展示室を観て回った。講演会の内容に沿ったもの。ただ、郡中小学校の沿革があったのに目が行ったのと、やはり、郡中小学校にもありました、大家の寄贈した絵画が。富岡鉄斎とか、あと誰だったかな、黄紺ですら知る大家だったけれど、もう忘れてしまっている。思わぬ見ものが、この博物館にはあるのです。以前、番組小学校に残る絵画を特集する講演会があったけれど、この郡中小学校に残るものも、特集的に取り上げてくれないかな?


2023年 3月 12日(日)午前 8時 20分

 週末4日連続お出かけの3日目、「ブラタモリ」の流れない土曜日です。昨日のお出かけは、この4日間の中で唯一のコンサートの日。午後2時半開演ということで、少々、午前中に余裕があった。その替り、夕方がせわしくなるのだけど、昨日は、「ブラタモリ」の放送がないということで、そういったせわしさのない日となった。そんなで、午前中のウォーキングも、しっかりと出来過ぎてしまった。コンサートが、京都コンサートホールであったので、その往復は、しっかりすぎるウォーキングをすることができるから。結局、夕方、帰宅すると、2万歩を優に超えていた。歩きすぎると、腰に来るかもしれないので、要注意なんだけど、時々やってしまってます。昨日は、気温が上がり、半袖姿の人も見かけたほどだったので、早くも、そのしんどさが、午前中のウォーキング時には出てたけど、夕方になると、やはり気温は急降下。ウォーキングには快適そのものでした。特に、鴨川縁は、さすがに気分がいい。だから、かけた時間ほどには感じない、そういった時間が流れました。
 昨日のコンサートは「京都市交響楽団 第676回定期演奏会」。この1年は、定演に、よく行った。コロナ禍で、大阪には行かないからということもあったけれど、自分好みのプログラム、演奏家が並んだということが大きい。昨日も、ソリストに、まだ聴いていなかった三浦文彰が登場、しかも、コルンゴルドを弾くというので、飛びついた次第。しかも、このコンサートは、この3年間、首席客演指揮者を務めたジョン・アクセルロッドの退任コンサートでもあった。但し、これは、たまたま当たったということで、それを狙ったわけではなかった。客の入りも戻ってきたという印象。この間の不入りを吹っ飛ばす勢いだったけど、満員には、まだならないね。で、そのプログラムは、次のようなものでした。「ガーシュウィン:パリのアメリカ人」「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35」「ストラヴィンスキー:バレエ音楽“春の祭典”」。「パリのアメリカ人」をコンサートで直に聴いたのは、初めてかもしれない。何ヶ月か前には、「ラプソディ・イン・ブルー」も出て、そちらも聴けたので、えらくガーシュイン・ブームになっちゃいました。昔、この曲の音楽の進行に意味があるということを、TVでだったか聴いたことがあることを、終盤のパリの雑踏の音楽で思い出した。「しもた!」と思っても、手遅れ。出かける前にでも、それを思い出しておれば、今や、スマホという便利なものがあるのだから、往きの電車で調べようものなのに、手遅れでした。ただ、スイングしたりすると、「ガーシュインだ」「チャールストンなんか流行ったんだよな」とか、適当な想像をしながら聴いておりました。ときには、こういったガーシュインが挟まるのは、楽しい。コルンゴルドは、もうブームを通り越して、コンサートの定番化してしまってる。昔のコンサートにはなかった曲じゃないかな。おかげで、いい音楽を聴けるのは、ありがたい。三浦文彰は、譜面台を置いての演奏。でも、譜面をめくる姿は見せなかった。なんでと、ずっと思ってた。気になるところがあったのか、開いたままだったよう。演奏は、余裕たっぷりというのが、一番の印象。そうなんです、どこから来るのか解らないけど、陶酔しているじゃなくて、「自家薬籠中の物」という表現があるけど、そういったお手持ちの曲の演奏なものだから、余計に譜面台が気になった。音は、決してきれいとは思わなかったけど。そんなで、気になってしまい、機会があれば、また、聴いてみたいと思った。「春の祭典」は、生で聴くと、激しく変わるリズムが凄まじく、こんなの聴けて良かったと、聴けば思うけど、この曲を目指して、コンサートに行ったことはない。今回も、コルンゴルドのおまけ的気分で聴いて、やっぱ、凄い曲だと思った。ただ、冒頭の木管の乱れるように溢れる音楽が、乱れたままで、統一感を感じなかった。春の息吹を表したかのような木管の乱れ打ちというところが、「春の息吹」が欠けているといったと言えばいいかな? やたら、小谷口さんのクラリネットの音が気に入ったことは確かだけど、そんなに目立っていいのかとすら思った。「他の木管も、目立ってよ」というバランス感から思ったこと。ジョン・アクセルロッドの指揮で「復活」を聴いたときにも感じた、音が流れてるだけが、ここでも出たかの印象だったけど、今回は、ここでだけ、それを感じた。あとは、音の洪水、激しいリズムを堪能。やっぱ、聴いて良かったが出た。今度は、「春の祭典」を目指して聴きに行こうかな、よく出るからね。しかし、パーカッションが大変だったわ、終わると、奏者の皆さん、お互いの健闘を讃え合ってる姿を見ただけでも、その大変さが解るというものでした。


2023年 3月 10日(金)午後 10時 57分

 週末4日連続外出の2日目、今日は、朝からアスニー京都。毎度おなじみの特別講演会という名の、市民向け公開講演会。今年度最後の講演会となりました。この1年、こちらの講演会に、随分とお世話になったけれど、今年は、夏ごろからだったかな、あまり興味を引かないテーマが続き、大きなブランクができてしまった。日本史以外をテーマ設定するのもいいが、健康問題や、「双京構想」などというコピーを掲げ、皇室の分散を狙う京都市(こんなことやってんの、ここに来るまで知らなかった!)関連のイベントということで、やたら天皇制絡みのテーマを掲げた年度でもあった。そんなで、結果的に行かなかった講演会も多かった。そう考えると、日本史の無難なテーマは、安定した集客力があることが、よく解る。だから、多いとなるのかな。そういったなか、今日のテーマだけを見たときは、思いっきりべただと思ったけれど、内容は、とんでもなかった、めっちゃ、おもしろいものだった。黄紺は、いつも本会場の4階ホールでなく、サブ会場の3階で聴いているのだけど(ここは、この4月からは廃止!)、本会場は、終了後、拍手が起こるが、3階は起こらない。だって、講師には聞こえないから。でも、今日は違った。小さくだったが、自然と拍手が起こった。内容に惹かれたから、自然と出た感じだった。こうじゃなくてはいけません。そのお題は「足利義政と京都」、お話をされたのは、花園大学文学部日本史学科専任講師酒匂由紀子さんだった。何が面白いかったかと言うと、最近、黄紺も感じてたことだけど、足利義政に関するイメージが変わってきている、そのことを取り上げられたのだ。日本史に疎い黄紺でも、義政のイメージはある。政治的にはぼんくら、応仁の乱を起こしてしまった、やたら、日野富子のしっかりぶりが目立つ、ということは、旦那はぼんくら。政治には頓着せず、遊び事は一流。銀閣寺に象徴されるように、文化の中心にいた。要するに、関心はそちらに向いていたから、政治どころではなかった、こんなのが義政とインプットされてる。これって、黄紺だけじゃない、誰しもそう思ってた。酒匂さんは、日本史の教科書でそうなってる、国史辞典にもそうなってると言われ、最早、個人の責任ではないと、冒頭、押さえられた。そこで、そういったイメージの点検をされていったのだけど、実は、黄紺は、動画サイトにアップされている歴史ヒストリアだか何だか、NHKの歴史番組で、そうではないと言っているのを視聴したことがあったので、最近の義政感は真逆だということは入っていた。近年の研究では、義政は、立派に親政を行っていた。それがしやすいように、行政改革を行っている。父義教没後、幼い将軍が出たので側近政治になってたのを改革して親政に持って行った。鎌倉府の勢力を排除するために、武力で押さえ込もうとした(双京状態を排除しようとしている)。優柔不断というイメージとは真逆。実子の義尚が将軍になってからも、実権は握ったままだった。そういったのが実態だったということが判ってきているそうだ。義政に代表される「東山文化」についても、近年の研究成果を紹介されていた。北山文化ありきで、東山文化があったではない、言い換えると、義満の亜流じゃない。いや、それどころか、東山文化になぞらえて、北山文化なるタームが、現代になり生まれた。東山文化と言えば銀閣寺だけど、「銀」なんてなかった、これは、以前、聴いたことがある。そもそも、「東山殿」のメーンではない、もっと重要な建物があった、義政の執務のためのもので、周りは部下の建物で囲まれていた。義政が栄華風流の生活を営んだのは、執政絡みだった。ますます、義政イメージが変わっていく。その義政は、江戸時代になると、茶道の流行とともにレジェンド的存在になっていく。観光がブームになったって話は、江戸時代について、よく言われるが、京見物には、そのレジェンドが生きてくる。それが、江戸時代、新井白石により、華美、贅沢の象徴のように扱われていく。倹約令の真逆の存在として看られていくことで、それまでの評価が覆ってしまう。当時のガイド本同様、「銀」が現れ、「金」に次ぐ「銀として扱われることで、北山文化を受け継ぐ東山文化というイメージが出されていく。贅の象徴のように看られ、義政のイメージも落とされて行ってしまった。その考え方が、頼山陽の「日本外史」に取り込まれ、更に、「日本外史」が、その後にも生きていき、教育の世界にも、そのイメージが拡がっていく。戦後の研究も、イメージ先行型で、批判的に扱わないで、教育の世界にも広めていってしまった結果、義政のイメージが固定化されてしまったというのです。犯人は新井白石だった。こういったチェックが、様々な箇所で点検が進んでいるようで、NHKの歴史番組で、「最近の研究では」とか、「新たなことが判ってきている」という言説になっているようです。とまあ、とっても興味の尽きないお話でした。


2023年 3月 10日(金)午前 7時 24分

 昨日から週末にかけての4日間は、再び、連続的にお出かけ予定が入っている。市民向け公開講演会3回に、コンサートが1回という具合だ。昨日は、午後に講演会。いつものように、昼前に1時間余りのウォーキングをする時間が取れた。もう少し、ウォーキングに時間を取るつもりだったけれど、ドイツの音楽シーンをネットで追いかけてると、ペンテコステに合わせたかのように、ライプチヒで、マーラー・フェスティバルなんてのをやるなんてのを見つけてしまったものだから、そのメモを頑張って取ってた。最初は、ゼンパーで、ティーレマンがマーラーの3番を振るというので色めき立ってたんだけど、他の日に「ゲスト・コンサート」なる文字が。ドレスデンのオケが、ライプチヒのゲヴァントハウスでも、同じマーラーの3番を出すと出ている、それを手繰って行ってると、そのフェスティバルに到達してしまった。ヨーロッパの名門オケが、次から次へとやって来ては、マーラーのシンフォニーを出していく。かと思うと、トマス・ハンプソンが、リートのセミナーを開くばかりか、メンデルスゾーン・ハウスで、コンサートをする。もちろん、マーラー中心のプログラム。メンデルスゾーン・ハウスで、トマス・ハンプソンが聴けるって、これは舞い上がった! あのスペースで聴けるって、ありえへん。すっかり、その場に居てるつもりになってたものだから、そら、ウォーキングどころではなかった。でも、1時間余を確保できた。昨日も気温上昇。早く、春が来過ぎです、これじゃ。この時間のウォーキングと、午後の会場への往復で、昨日のウォーキングは、ばっちり、でした。
 午後のお出かけ先は大津市歴史博物館。年に1~2回行くところ、三井寺の隣です。ここへ行くときは、JR大津駅から、片道30分かけて歩くことにしているから、日ごろのウォーキング同様の量をこなしてしまうのです。ここの「れきはく講座」は難関。応募多数で抽選になるのだけど、当選の確率は50%以下じゃないかな。毎回応募するわけではないので、そんなに行くことにはならない。今回は、演題が気になったのと、今、こちらで、「総合地球環境学研究所共催展(第89回企画展)」として、「湖都大津の災害史」が行われていることもあり、応募してあったのでした。ただ、失敗が2つ。展覧会に用意した時間が足りなかったこと、もう1つは、講演で、かなりの居眠りをしてしまったこと。陽気がいいから、ダメなのかな? そんなで、せっかくに取った時間なのに、結構な不完全燃焼。展示の方は、過去の災害の歴史を、滋賀に限定して辿るというもの。水害などは、想定されるだろうけれど、地震だけは、いつ起こるかは判らないものだから、こういった文献史料が、大事になってくる。阪神淡路大震災で、過去の震災被害の状況を押さえることで、今後起こるかもしれない災害の防止に役立つということで、この分野の研究が盛んになったとか。地震関連の文献史料に気が惹かれた。これだけは、過去の大地震を辿るということから、日本書紀や続日本紀から始まっていた。滋賀は、京都の隣だから、記録も豊富なのかもしれない。江戸時代になると、記録も豊富になって来る。被災の状況だけではなく、修復に要った費用、物資の記録、被災の状況を調べて、年貢の徴収不可になった地域、防災事業の記録、その嘆願書。中には、瀬田川の浚渫事業の記録もあるが、浚渫をされると川の流れが良くなるため、下流の伏見からは取り止めの嘆願書なんてのもあった。地震の原因は鯰と信じていたというのは、存外に新しい。江戸時代のどこからかだったか忘れたが、そないなもの。そういった民間信仰的な災害退散的な絵図なんかも展示。文献資料を、丁寧に展示されているけど、こちとらくずし字が読めるはずもなく、傍らに置かれている解説文を、専ら読み進めて展示を観るというもの。それで十分に堪能できる展示。時間切れになったけれど、腰のことを考えると、こんなところがいいのかもしれないとは思ったけどね。想定以上に楽しめる展示です。
 「れきはく講座」の方は、「十二支の東伝~彫刻作例を中心に~」というお題で、同館の赤津將之さんのお話を聴くことができました。お話は、十二支とはから始まり、それが、当然、中国起源であり、その始まりと言っても、判らないということなんだけど、殷の記録では、既に現れているそうで、ただ、それを、動物と結びつけるという考え方は、秦代の竹簡で確認ができるが、今のとは違うようで、今の動物と結ばれて出てくるのは後漢からだということでした。ただ、それも鏡に記された文字として出てくる。方位と組み合わされて出てくると言われていました。北魏が初出のようなんだけど、動物意匠として、即ち、獣俑なるものが、この時期になって出てくる。この南北朝期には、獣頭人身像というものも出てくるようです。この2つが、動物意匠の先駆だということでした。次いで、朝鮮。他の文化同様、中国、朝鮮、日本へと、十二支も伝わってきたということです。そりゃ、朝鮮古代史の年号記載も十二支ですものね。百済の武寧王陵に十二支が文字で、新羅では、獣頭人身獣頭像が多く出ているようです。金庾信(キムユシン/伽倻の王家の血を引き、妹が武烈王に嫁ぐ、三国統一の功労者)の墓からは、獣頭人身十二支像が多数出る。日本では、キトラ古墳に、新羅同様の武装した獣頭人身十二支像が壁面に描かれており、川原寺出土塑像断片にらしきものが、法隆寺にも武装した獣頭像が五重塔にも残っているようで、「武装した」というのは、新羅の影響だろうということでした。ただ、日本では、7~8世紀という時期を除くと、作例は減っていく。十二神将に取って代わられるようです。レジュメのメモから、お話の流れを再現することができました。一応、満遍なくメモってるから、ずっと寝てたわけじゃないみたいですね。


2023年 3月 8日(水)午後 9時 40分

 今日は、久しぶりのお出かけなしの日。天気もいい、暖かだしと、完全に春の陽気。そんなで、朝は洗濯が、ようやくできた上に、午後には乾くというありがたい日となった。昼前のウォーキングは、ここぞとばかりに、ゆっくりと休憩&読書の時間を取ったので、午後の一時は、若干、短め。昨日、出かけていたため、今日に回したのが、KBS京都の「おつかれさん」、吉の丞がMCをやってる番組。それを聴く時間に充てた。Radiko様々です。急に、ここにきて、お利口さんを装っていた吉の丞が、えらく弾けていた。こうでなくっちゃという感じになっている。大阪ドームに大谷を観に行ってきたトピックになり、それまで、スタッフにも秘密にしていたようで、スタジオが、一瞬、異様な騒ぎになってた。楽屋への差し入れを促すようにことを言ったり、突然、どうしたんでしょう? 聴く方には、面白味がグレードアップしてありがたいんだけど。時間が、少しあったので、「Oper Vision」にアップされている新作を観た。ブルノ国立劇場の「死者の家から」(イリ・ヘルマン演出)を選んだ。まだ、序盤だけしか観てないが、ちょっと凝った装置。収容者は、上から垂れ下がった鎖に繋がれ、その狭間に、イエスを連想させる男が、両手を鎖に繋がれ、上から吊るされている。この両者が重なるように設えてある。その収容所の外は荒野のようで、その中を、遠くに向かい1本の道がくねりながら続いているが、その間に、上から塀が下りてきて遮断してしまう。オケピットの前にも細い舞台も用意されており、オケピットの前後で歌えるようになっている。おもしろいのは、舞台の両脇にパーカッションを挙げていること。向かって左端にはティンパニーが置かれているが、奏者は、監視役の衣装を着けている。だから、ティンパニーを叩くたびに、収容所の管理者が、収容者に対し、命令や指示を出しているように見える。これは、いいアイデア。随分と久しぶりに観るオペラなんで、次回観るときには、もう一度、梗概から勉強しなおして観ることにしましょう。
 そういったなか、時々、Skyscannerにアクセスして、航空券の調べている。なかなか下がらないですね。旅系Youtuberの無職旅氏が、次回の旅先をマレーシアと公言しながら、航空券の高さをぼやいてたけど、東京発でそうなんだから、関空発は、もっとお高い。韓国は、息子らと行った旅の上書きをしてしまいそうで、躊躇いがち。行ったことのない台湾も行きたいけど、香港や東南アジアを調べると、やはり高いのでうんざりしているときに閃いた。こんなに高いのなら、「いっそのこと、ヨーロッパはどう?」と思ってしまった。コロナ禍が、完全に終息していない今、トルコに行くつもりはない。地震もあるけど、バスの移動を考えると、やはり二の足を踏んでしまう。ちなみにと思い、フランクフルト往復を調べると、12万円台である。ベトナム航空でだった。調べたのは、今からだと、ペンテコステの時期を狙うのが賢明と考え、また、その時期は、こちらも予定が入ってないので、その時期をピックアップ。今年のペンテコステは5月28日、いい季節です。ちょっとだけ、その気になり、久しぶりに、その時期のドイツのオペラ紀行ができるかどうか、歌劇場チェックをやり始めています。高騰しているとの噂が流れているホテル代のチェックもしなければならない。これが足かせになるかもしれない。だけど、一番のネックは、自分のモティベーションだと思っている。調べて、調べて、最後にぽちっとできるか、、、? 行きたいとは思う、同時に、あてのない不安がある。コロナに対するというよりか、体力、いや、それ以上に気力が続くかの不安。3年間は、そういった意味で大きい。何かにつけ、やはり老いた。日常から離れること、それを憂えるため、気が上がらないというのが、現状なのだ。さて、とにかく、時間を見つけて、チェック作業は続けることにしましょう。アクションを起こすことで、精神力も上がるかもしれないからね。


2023年 3月 8日(水)午前 9時 24分

 ますます春めいてきています。先週の木曜日から始まった連続的なお出かけ、その最終日。さすが、体力的に、きつくなってきていますというか、時間の追われるのが嫌だから、ちょっと休みたいの気分。昨日は、午後に京都学・歴彩館での講演会が、スケジュールに入っていた。この講演会は、予約なしなので、その気になれば、行かないという選択肢もあったのだけど、外せないの気が先に立つものだから、予定通りに実施。午前中に、1時間余の時間を取ることができたので、ウォーキングをする時間を確保できた。あとは、歴彩館への往復で、合計すると、いつもよりか、量的には多めのウォーキングとなった。ただ、伏見から歴彩館は、アクセスが面倒、時間がかかるものだから、こうやって、ウォーキングの時間を、午前中に確保すると、動きがタイトになる、それで、追い立てられるという感じになってしまう。それが、鬱陶しいけど、仕方ありません。
 昨日の歴彩館は、10月に予定されたいたもの。講師の方は、冒頭、謝罪をされていたが、前日に発熱ということで、ドタキャンとなったとか。黄紺などは、会場まで行ってから中止を知った。ま、家を出る前にHPチェックをしなかった報いなんだけど、そんなことが過り、さすが、昨日は、チェックを入れた。歴彩館の講演では、都合、2回、経験してる、中止とともに、チェック忘れを。で、昨日の講演は、ここ数年、歴彩館が続ける「京都を学ぶセミナー」、今年度は「伏見編」。会場が伏見区役所であったりと、府と市がコラボしてました。昨日は、「御香宮の江戸時代ー17~18世紀を中心にー」というお題で、佛教大学専任講師寺嶋一根さんのお話を聴くことができました。御香宮が惹きつけたのか、コロナ対策の緩和が公表されたからか、近年なかった入り。伏見から駆け付けた人も多かったのじゃないかな、黄紺も、その一人だけど。地元の人には、身近な、規模の大きな神社だし、伏見城絡みだということを入れると、全国区になっちゃうものだから、人気を呼んだのでしょうか? ただ、黄紺は、疲労の蓄積で、往きの電車で、早くも危険信号。そのまま横になりたいくらい眠かった、行く前から。こういったときは、ほぼダメというコース、昨日も、そのコースにはまってしまったけれど、全く付いていけてないわけではない、さすが、地元と言いたいんだけど、御香宮について、知っているわけではないというのも事実。そんなで、記録できる範囲で、メモを残しておくことにしましょう。この神社、創建が862年と、神社の縁起に認めてあるそうだけど、縁起なんてもの、所詮、縁起であって、事実と信じてかかるわけにはいかないもの。実際、他の史料には出てこないので、不明となっているそうだ。平安時代・鎌倉時代には、史料には出てこない。室町時代の史料に、人寄り場所として出てくるというから、そんなに古いものじゃないようだ。秀吉が、伏見城建設時に、鬼門の地(現在、御旅所のある位置)に、勧請されたのも御香宮で、場所を替えたのかと言われていたが、替えたとなると、それ以前からあったという前提ですね。1603年には、家康の命で、今の土地に社殿が造営されたことは事実のようで、ただ、この地が、中世までの神社のあった位置かは確定してない模様。明確な資料が多く出てくるのは、その90年後、境内の諸設備の整備が行われた1692年からだそうです。「境内総絵図」という名の、確かな地図まで作成されている。本チャンのお話は、事実上、ここから。大きな絵図のデジタル資料化もできているとかで、それと、現在の敷地との比較をされていました。境内は、東に広かったようです。しかも、東を走る国道24号線の整備があったときに、境内が削られたということですから、今の境内になったのは、そんなに古いことではない、戦後の話だ。更に、伊勢湾台風や第2室戸台風で、倒木が起こり、現有地の国道と接する部分の風景が変わってしまったと言われてたのだけど、そう言えば、そんな記憶がある。「あの辺、変わったよね」という記憶が蘇ってきた。1692年の整備は、参詣者や旅人、祭礼といった、ここを訪れる人の増加が背景にあったのだろうということだった。そのために、当時の神主が、奉行所への申請の必要から、多くの文書が残ったのだろうと言われていました。このあとの造営話でも出てきていたけれど、御香宮の改築や造営となれば、当然、資金が要る、まず、そのための許認可権を持つ、町奉行や寺社奉行と掛け合わねばならない、そこはそれ、今の政治の裏舞台と同じで、根回し、人脈の活用、そういったことで動かねばならなかったようで、とても下世話なお話へとなっていった。御香宮には「御香水」という湧水がある。今でも、ペットボトルを持ち、水を求める人を、よく見かける。その「御香水」、レジュメのタイトルには「近世」「創出」という文字が。史料的に出てくるのは、17、18世紀になってから。正に、この講演のタイトルにある時期。縁起には、それ以前からの存在を記してある。そうだとしても、15、16世紀のこと。そして、元禄5,6~11年頃に、再興された模様だそうで、こういったことが、この時期、京都の社寺の流行りで、境内の「名所化」が図られたとか。集客ということなんでしょうね。その位置も、現在の場所ではなく、「伏見義民碑」のあるところだったろうと言われてた。というのも、その水、幕末に枯れたので、1982年に、今の場所に復活したとか、地下150mから汲み上げているそうです、なんじゃ、それ! ここ、去年の巡検のときに、行こうなんてことになってたぞ、行かなかったけど、それで正解でした。その再興と同時期にあった動きが、東照宮神事祭礼の復活。そして、社殿復興の動き。この後者の動きを、丹念に辿られたが、これがおもろい。だって、金が要る、そのために、奔走する神人の動きがあるわけだから。出し渋る幕府にはたらい回しにされ、引き延ばされ、なかなかとりあってもらえない。伏見生まれの、水戸徳川家、紀伊徳川家当主へ話を持って行ったり、祭神となっている神功皇后の霊験譚を作ったりと、忙しい。丁度、この時期、伏見城廃城、港湾都市伏見の整備が進む時期に対応している。そういったなか、社頭を整備して、生き残り戦略を採る御香宮の姿が浮かび上がったお話でした。こうして振り返ると、居眠りをしていたわりには、本筋を外してないですね。レジュメを眺めると、筋立てが思い出してきますから。エライ!
 昨日は火曜日ということで、帰宅後は、RadkoでKBS京都の「まーぶる」を聴く。茨城県常陸太田パルティホールでの独演会へのアクセス話、上沼恵美子との対談話、国際女性デイ話(京都トークランの話題)が、印象に残る。特段、落語界やネタのトピックは出なかったけれど、益々、二葉が、全国区になっていく姿が浮き彫りになった感があったな。今日も、「ぷくぷく」のあと、国際女性デイを掲げた落語会が、東京であるようです。朝日新聞社主催と言ってた。毎日新聞が、最も先行してるけど、大新聞社の芸能担当記者が、早くから、二葉に注目しているという印象は、以前から持ってた。噺家としての実力だけじゃなくて、「SDGs噺家」としての注目です。正に、今日のイベントは、その両者を具現したもの。毎日新聞では、今まで関西版にだけ書いていたコラムが、全国版に載るように、4月からなるそうです。テーマは未公表の段階です。今までのように大阪弁なのか、はたまた、ジェンダーなのか、もっと広くするのかもしれませんが、こんなだと、毎日新聞を買わんとあかんがなと思ってしまってます。


2023年 3月 6日(月)午後 10時 34分

 今日も、オペラを観た日。これで、1週間に3回となりました。ヴェリスモが2回に、ワーグナーが1回と、その内容が濃い。とっても、充実した日が続いています。京都市内で1泊した高校時代の友人と合流。改めて、福井から京都にやって来る手間を省くため、連続でオペラを観ることになったのです。今日は、ライブではなく、「メトロポリタン歌劇場のライブビューイング」。1ヶ月半ほど前の公演の記録映像を観るというものです。いつものように、MOVIX 京都で、朝10時上映開始だったもので、忙しなかった。黄紺的には、今季の3回目。今日は、生での遭遇機会のない貴重な演目が出ました。ジョルダーノの「フェドーラ」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)。DVDを持っているのだけど、まだ観ていない、だから、物語そのものが解ってない。一応、往きの電車の中ではチェックした。フェドーラというのはロシア皇女の名。婚約者を殺した男と恋に落ちる女という凄まじい設定。でも、その婚約者が、とんでもない男だったということが判ったということが背後にあるが、それが判るまでは、皇女という地位を活用して、犯人捜しをしていた。今だったら、情報は瞬時に駆け巡るだろうから起こりえないこと、でも、そうじゃない時代、一旦出した指示は消えないまま歩き出してしまっている。そこで生まれる祖語を突く仕掛けが設えられてある、いい台本。ヴェリスモは、そこがしっかりしているから、観て聴いているとおもしろい。生々しい人間の葛藤、叫び、不安、怒り、そういった心情を歌い込む、高度な歌唱&演技が求められる。替わりに、へぼが歌うと聴いてられない、だから、簡単には出ないということなのでしょうね。そういった意味では、主役2人が輝きに輝いた、このメトロポリタンの舞台はとっても貴重なものとなりました。よくぞ、映像に残してくれたものです。そのキャストを記しておきます。(フェドーラ)ソニア・ヨンチェヴァ、(ロリス・イパノフ)ピョートル・ベチャワ、(オルガ)ローザ・フェオラ、(デ・シリエ)ルーカス・ミーチェム、そして、指揮はマルコ・アルミリアートという布陣。3幕もので、その幕ごとに国が変わるという特異なもの。ロシア(サンクトペテルブルク)、フランス(パリ)、スイスと変っていく。ロシアは、舞台を狭く取り、暗い色調にしてある。逆に、フランスは、奥行を出し、明るさを出し、華やかな印象、ダンスも入り、場の雰囲気を表す音楽も明るい、スイスは、奥に外に拡がるベランダを置き、その向こうにはアルプスの山が聳えるというもの。舞台のフレームとしては、ロココ調の柱や壁が、一貫して使われるという構造になってた。メトロポリタンで上演されるデイヴィッド・マクヴィカーものは、伝統的スタイルを追求するに徹した感があるが、そういったなか、ちょっとした変化球が、このプロダクションではあった。1幕で、撃たれた婚約者が担ぎ込まれたあと、奥の部屋で治療を受けるという流れになるが、その治療風景、やがて亡くなる様子を、部屋の正面の壁に映写するという手を使った。2幕、3幕で、婚約者の実像が判って行くことで、フェドーラの心境が変わっていく場面や、ロリスが、兄や母が亡くなった原因が、フェドーラにあることが判っていく場面では、背後の舞台に、亡くなった婚約者を出すことで、三者の関係が、生きている二人の運命を左右しているという現実を、ヴィジュアル化してました。フェドーラとロリスの心情のぶつけ合いのデュエットが聴かせどころの、このオペラ、でも、2人だけで延々と続くため、こういった変化技を用意したのかなと勘ぐりながら聴いておりました。更に、ジョルダーノ自身も、このデュエットに、切れ切れのフォークボール級の変化球を用意しています。オケが休止して、ピアノの演奏だけで、進行する場面、しかも、わりかし長いのだけど、そんなの用意しています。実際、ピアニストが、場に合う衣装を着けて、舞台上に置かれたピアノで演奏していました。全く違和感はなく、このおもしろい試みに酔わされてしまってました。友人とも、こんなの、他にあるか、検討してみたんだけど、思いつかなかった。だから、考えてみると、なんで、こんなおもしろい試みのあるオペラが出ないのか、です。イタリア語のオペラだから、ロシアもの、フランスものが出ないというのとは、違うはずですよね。そうなると、これだけの心根を込めた歌唱を持つオペラですから、やはり、歌手を揃えねばのプレッシャーが大きいのかな、これが、二人で言い合いながら納得した結論でした。最後は、フェドーラの自死で終わります。話を閉じるのには解りやすいけど、それでいいのとも思ってしまった。残されたロリスは、全てを失い、今後、どのように生きていくのでしょうか、これが、澱のように心に残ります。
 午後1時前に、上映は終了。「椿姫」を観に来たときに、偶然見つけたアジア・キッチンの店に行くと、閉まってた。月曜日だからだろうか、ちょっと、気になるけど、閉まってちゃ、どうしようもない。錦通のベトナム屋さんを目指したけど、その前に、こじゃれた和食の店があったので、そこで昼食。そして、いつものように、烏丸通のカフェでお喋り。今日は、鉄道の話が多かったかな。これから、地方の美術館巡りをするなら必要なお得情報をもらいました。日本のこと、基本情報を知らないと、突っ込まれてしまってました。そんなで、次回は、「ローエングリン」で再会の予定です。


2023年 3月 6日(月)午前 7時 39分

 僅か、1泊2日のプチ旅行だけど、疲労が残っている日曜日。更に、昨日は、6時間の長丁場のオペラを観た日。これで、3日の間に、2本、生オペラを観たことになるけれど、更に疲労が重なっています。心地よいと言えば、そうなのかもしれないけれど、顎を出していることも事実。もう、早々に睡魔に襲われてしまった日でもあった。
 日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」。今週は、新作が出た。しかも、ツボにはまると言える新作だった。題して「孤高の“まなざし”エゴン・シーレ」。今、東京(東京都美術館)で「エゴン・シーレ展」が開かれているので、これがあるんじゃないかと思っていたら、ドンピシャ。もっとも、エゴン・シーレを知っているからといって、ちょろっと、その作品を、何らの機会で観たことはあるけれど、その作家生活としての詳細、作品の背景、生涯を知ってるわけではないので、とっても有難い番組となりました。今回は、いつものMCの2人は顔を見せず、その展覧会の会場には、森山未來(この人も才人ですね!)が足を運び、作品の感想を述べるというものが、1つの柱。その間に、専門家の解説が挟まり、エゴン・シーレの作品をモチーフにした人形制作をしているドールアーテイストの宮崎郁子さんの意見が挟まったりするというもの。その人生について語られたことを、まず、メモっておく。「200点の自画像残す」「1890年、ウィーン郊外のトゥルーンで生れる、父はトゥルーン駅長」「家族を襲った悲惨な体験、、、14歳で父が梅毒で亡くなる、それ以後、性に対する恐れを抱く」「最年少でウィーン・アカデミーに入学、クリムトに出逢う、そのクリムトに、自身の才能を尋ねると、クリムトは“才能があり過ぎる”と答えた(このエピソードは聴いたことがあるという記憶)」「19歳でアカデミー退学、郊外の貧困層の住む地域にアトリエを構える、背景としてウィーンの近代化に伴い、輩出した多くの貧困層、梅毒が多い(ウィーンの光と影、その影に寄り添った)」「22歳のとき、13歳の少女の裸の絵を描いたということで、逮捕・拘留される」「1915年に結婚、その3日後招集、プラハへ、絵を続ける」「1917年、ウィーンに戻る」「1918年、妻エディットがスペイン風邪で亡くなる、その3日後、エゴン・シーレ自身もスペイン風邪で亡くなる、享年28歳」。紹介された作品は、次のようなものでした。①ほすずきの実のある自画像②毛皮の絵巻をした母親(17歳の作品)③叙情詩人(自画像、21歳、かしげた頭、不思議なポーズをとる手、上着だけを着ている、血の着いた男性器、自慰行為を表している?)➃ユディト(クリムト)⑤ふとんに横たわる少年(クリムトの影響)⑥座る男の像(20歳、アカデミー退学の頃の作品)⑦自分を見つめる人II(死と男)(正面の男がシーレ、背後に亡霊のような男)⑧スケッチ/拘置所の扉(拘束時の作品)⑨妊婦(靴下しかはいてない、でも穏やかな表情、モデルの多くは生活の不安定な女)⑩ロシア捕虜⑪カール・グリュバルド(エゴン・シーレの友人、戦地でも絵を続けられるように動いた人物)⑫モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)(マス目を作ったうえでデッサン、ルネサンス絵画みたい、戦争以前は平面的、戦争がきっかけに技法が変った)⑬死と乙女(最高傑作とされている、抱き合う男女、男はシーレ? 死を暗示?)⑭縞模様の服を着たエディット(妻を描く、戦争中、デフォルメがない)⑮家族(亡くなる年1918年の作品、父親はエゴン・シーレ自身)⑯しゃがむ二人の女(未完)。
 オペラは、びわ湖ホールでの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(粟国淳演出)。これで、「オランダ人」以後の全作品の上演が完了となる記念すべき公演です。コロナ禍のため、オケピットにオケを入れられないということで、セミステージという形式での上演。去年の「パルジファル」も同様の形式だった。今年も同じだからということで、ほぼ動きがなかった「パルジファル」を観ていたため、4階サイドのお安い席で十分だと、福井の友人ともども、そのチケットを押さえておいたところ、今年は、オケ前の舞台で、小芝居をやってくれたものだから、お席で失敗。しかも、演出上、人の動きが、左右いずれかに片寄る傾向にあるので、左右、どっちを選ぶかがギャンブルとなるのだけど、それも外してしまいました。装置は、椅子やテーブルといった小物だけ、上から垂らされたスクリーン用の何でしょうか、それらと、あとは、、、なし。舞台上のオケの背後にコーラス陣の動きの場。オケ前の舞台での歌手陣の歌うスペースとは触れ合わないようにしてあるという構造になっていました。衣装も、エファ姉妹は、特別なものが用意されてはいたけれど、あとは、上っ張り程度と、とっても簡素。そんなでの省エネ上演。でも、かなりの上等なもの。バスバリトン、いっぱいのキャスト。なのに、よくぞ、これだけの歌手を集めたと思える布陣、友人とも言ってたんだけど、ちょい役の夜回りの男まで、素晴らしかった。その中で、これまた意見が一致したんだけど、ベックメッサーの黒田博が良かった。これだけの顔触れで、この人を、全く異論なく選べるほど、目立った。役柄も目立つ必要があるところへ、見事な歌唱。ヴォータン、ファルスタッフで素晴らし歌唱を披露した青山さんは、全てを包み込むような器の大きさを出すには、若干、足りなかった。期待のポーグナー役の妻屋さんは、初めて、声の不安定さを感じてしまった。ヴァルター・フォン・シュトルツィング役の福井さんは、何を聴いても同じ調子。仕方ありません、日本最高のテノールということで、多彩な役柄を歌い過ぎです。福井さんよりか、同じテノールなら、ダフィトの清水さんの声の方が、ワグナーを聴いているという気にさせてくれました。その歌手陣とともに、特筆すべきは、京都市響の音がいい感じすぎて、友人と、2度ばかり、「いい音出してる」と言葉を交わしたほど。もちろん、指揮の沼尻さん、最後に、いいもの聴かせていただけた。公演概要は、次の通りです。(ハンス・ザックス)青山貴、(ファイト・ポーグナー)妻屋秀和、(クンツ・フォーゲルゲザング)村上公太、(コンラート・ナハティガル)近藤圭、(ジクストゥス・ベックメッサー)黒田博、(フリッツ・コートナー)大西宇宙、(バルタザール・ツォルン)チャールズ・キム、(ウルリヒ・アイスリンガー)チン・ソンウォン、(アウグスティン・モーザー)高橋淳、(ヘルマン・オルテル)友清崇、(ハンス・シュヴァルツ)松森治、(ハンス・フォルツ)斉木健詞、(ヴァルター・フォン・シュトルツィング)福井敬、(ダフィト)清水徹太郎、(エファ)森谷真理、(マグダレーネ)八木寿子、(夜警)平野和。(美術構成)横田あつみ、(照明)原中治美、(音響)小野隆浩(びわ湖ホール)、(舞台監督)菅原多敢弘、(合唱)びわ湖ホール声楽アンサンブル。「マイスタージンガー」は、さすが重厚だけど、音楽は全編通じて、さして胸やけがしない。京都市響のいい音が、とっても心地良かったからでしょうね。友人は「生涯で最初で最後の機会」と言ってましたが、そうは聴く機会があるものではありません。コロナ禍で消えた、オリンピック関連事業としての公演が、返す返す悔しいところ。黄紺にとっても、生涯最後のものとなるのでしょうね。
 終演後、立ち上がったところで、時計を見ると、ジャスト午後7時。カーテンコールを含めて6時間の公演。すっかりおなかが空いたので、夕食へ。昨日は、膳所まで歩き、JRで京都駅へ移動。時間が、少し遅かったおかげで、京都駅構内の食堂街で食事をすることができました。でも、そのあと、お茶でもしようと、界隈を歩き、カフェ探しをしても、ダメだった。結局、「今日は帰れということだな」ということで、あっさりと帰宅。また、今日、違った形でオペラを、一緒に観るので、その後にお喋りすることにしましょう。


2023年 3月 5日(日)午前 8時 23分

 名古屋旅行2日目の記録。一夜明けて、名古屋の朝と言っても、いつもと変わらず、朝早くからお目覚め。そうなることが判っているので、昨夜、ホテルに戻ると、家から持参した酒とつまみで、一人飲み。サラダたけは、仕方がないで、コンビニで調達。予想通り、缶チューハイ1本で、あっさりとダウン。これも、いつも通り。そんなで、朝は、かなり、ホテルで時間潰し。今日は、美術館を2箇所回るつもりをしていた。それで、時間が余ったとしても、腰がもたらないだろうから、それでおしまいにするつもりにしていた。明日は、びわ湖で、長丁場のオペラを観るからね。その心づもり通りになった。余所に回るほどの時間も残らなかったので、真っ当な予定を立てていたということなのでしょう。1つ目は、ヤマザキナザック美術館。ホテルからは歩いて30分弱と出たので、歩いて移動。この美術館、今回、愛知県のミュージアム検索をして、初めて知ったけど、重要なコレクションをしています。個人名が付いていることから、コレクターの収集品ということなのでしょうが、収蔵品が凄い。現在、「春の所蔵品展」が開かれていることで、ピックアップ。ロココから始まったと言っていいのかな、ヴァトー、フラゴナール、ブ-シェという、フランス・ロココの大家の作品が並んでる。ただ、この3人の作品は、こちらに並んでいるものは、好きになれなかった。自分的思惑に合わなかったということでしょうね。中でも、ヴァトーの暗さ、ブーシェの明確さが気になってしまった。そういった作品の並ぶ、同じフロアにあったヴィジェ・ルブランの作品が目を引いたかな。なんか、名前で引っかかるものを感じ、その場で検索。そか、作家さん女性だということで、生覚えをしていた可能性がある。女性画家は、古典時代は少ないですからね。人物の明晰さに目が停まったようでした。次の部屋からは、フォーヴィスムの作品が並ぶ。アルベ-ル・マルケ、アルフレッド・シスレ-、モ-リス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドラン。この辺、名前を聴いても、全く解らない。作品にも関心が行かない。色彩は不安定だし、細かくデッサンがしてあるかと思うと、線の勢いを重視しているという作品もある。同じ作家でも、何を軸にして観ればいいか、自分の中に、アイデアが生まれない。そういったなか、ほぼ、これ1つと言ってもいいかもしれない、気になった絵があった。モーリス・ドニの「エウリュディケ」。ドニは、名前くらいは知っている作家さん。「エウリュディケ」は、オルフェウスの妻のことなんでしょう。陽の雰囲気で木が茂ってる、色彩は明るい系で、且つ色々なものがあるけど、南の暖かく、いや暑い土地のよう。そこに、倒れ込んだ人がいる。それを支える女性が3人ほどいるから、それが主役なんでしょう。何が気になったかというと、この明るさと悲しみが混在している描き方。倒れこんだ女の心情を、こういった環境に置いていいのかとも思えた。それが狙いか? そういった目で、他の作品も観ようと眺めたが、何も出てこなかった。修行が足りないのか、お手上げの状態。次の部屋は、シャイム・ス-ティン、キ-ス・ヴァン・ドンゲン、モイ-ズ・キスリング(クリアな色彩が異様な空気を出していた)といった作家の作品が並ぶ。一段と目立つところにはモディリアーニが1点。シャイム・ス-ティンと親しかったようだということは、調べてみて判った。そのモディリアーニの両脇には、、ユトリロ。他の作品と比べると、場にそぐわない雰囲気、キ-ス・ヴァン・ドンゲンの作品に囲まれているからだ。ちょっと癒しを狙ったのか、心憎い配置と看た。最後の部屋には、ピカソの作品が、どうしても、キュービズム時代の作品なものだから、目を引いてしまう。その同じ部屋に、ラウル・デュフィがあった。この人もフォーヴィスムに分類されるよう。最後まで、フォーヴィスムで攻められました。1階下の展示室に移動。そこは、アールヌーヴォーの家具が展示されていた。エミ-ル・ガレの作品が、家具、ガラスと、各所に並んでいたが、冒頭にあったポ-ル・アレクサンドル・デュマの作品で埋め尽くされた部屋一式は、規模からして圧倒された。ヨーロッパのミュージアムに行けば、こういった展示は、よくあることだけど、日本のミュージアムで、こういった部屋一式丸々展示というのは、そうはないんじゃないかな。アフシャップの家具の曲線、職人技と言う表現を使いたいけど、どの作品にも制作者の名が記されていた。こういった木工製品をアートと認識していくのは、そして、制作者の名が残るのはいつからなのだろうかと、そんなことを考えながら見惚れてしまってました。
 ヤマザキナザック美術館の前に、地下鉄「新栄町」駅があるので、そこから名古屋駅まで移動。土曜日の昼間、とんでもない混雑。コロナ禍で、これほどの混雑に出会ったことがなかったので、恐怖感すら覚えてしまった。今度は、JRに乗り、西岐阜駅まで移動。迷ったんだけど、岐阜駅まで普通に乗り、そこで乗り換えて、結果的に正解だった。でなけでば、名古屋駅で立ちんぼのまま、大垣行を待つところだった。この辺のかげんが解らないのが知らない土地へ行く弱点。でも、ホームを眺めた瞬間、次の大垣行を待つ人がいないのを察知して、普通電車に飛び乗り、正解でした。西岐阜駅は、完全な住宅地。新たにできた駅のよう。駅前で昼食をと考えていて、全くの失敗。一応、ググってみて、やばいかもとは思ってはいたけど、何もなしだった。途中、コンビニを見つけて何か買おうと考えた途端に、先の方に1軒あった。これなら、まだあるだろうと考えた判断が正解だった。幹線道路らしきところに、吉野家があった。つぶれた残骸だけのファミレスなんかをやり過ごした後だったので、ホント、ついていた。満腹で行ったのは、岐阜県立美術館。ようやく、地方の美術館巡りらしいところに到着。ここで、今、「①第11回円空大賞展 共鳴-継承と創造-」「②開館40周年記念 美術館の名品ってナンヤローネ 岐阜県美術館名品尽くし! 第3部」が行なわれているということで行くことにしました。特に①は、「日曜美術館」のアートシーンでも紹介され、そのときの映像に圧倒され、即決したほどでした。②では、この美術館が誇るルドンものを観れるということで、めっちゃ、おいしいチョイスでした。①の展示のおもしろさは、「円空賞」と称される現代アート作品と、冠名に使われている「円空」仏の本物を、同じ空間で展示するという試み。ま、岐阜と言えば、円空仏がいっぱいあるところ、それを同時に観れる、これは嬉しかった。円空大賞の須藤玲子の作品は、布アート。独自の布を作り出し、それを鯉のぼり状にして、空中幾つも泳がすというもの。美術館のロビーに泳いでいました。だから、これだけは、入館料なしで観ることができます。TVで観たとき、異彩を放ったのが、円空賞の中島晴美の作品。生で観るまでは、バルーン作品だと思ってた。質感、展示の仕方、水玉模様、どれをとってもバルーン、です。が、実際は陶器だった。ホント、おったまげた。三島喜美代も円空賞を受賞。直島に巨大なゴミ箱を置いた、その婆さんです。今回は、同じチラシを、床にバラまいたコラージュと言えばいいのかな? 終われば、掃除機で掃いておしまいという、ここでも、ごみのアートを見せていました。David Nashの作品のインパクトが凄かった。壁に掲示された作品よりか、映像で紹介された、インスタレーション作品と言えばいいかな。40年ほどかけた作品です。ウェールズの山の中で切り起こした木の巨大な根の部分。それを、人力で、川に落とします。その姿を、撮り続けるというもの。川は、その木を流します。いろんなところに流れ着き、また、川が流れを変えると、また流されていきます。1つのオブジェを通して、自然の営みを体感できる仕掛けです。次に、どんな映像が出てくるか気になって、すっかり映像のとりこになってしまってました。もう1人の円空賞は舟越桂の彫刻と言えばいいのかな、ちょっとフリークス気味に作った人の像でした。その心は解らずじまい。②は、広い部屋にオディロン・ルドンものが、いっぱい。とにかく、不思議な絵です。目玉や頭部だけが描かれた作品は、幻想の世界と言ってしまえば、それだけなんだろうけれど、どういった深層心理が、こういった作品を生み出したのか、考えても、全く答えが出てきそうもないのに、考えてしまう不思議さがあります。人体全部が揃ってたり、街が描かれているものって、逆に素通りしてしまう。「物語る絵」のコーナーでは、ピエール=オーギュスト・ルノワール「泉」、藤田嗣治「泉」と言った大家の作品があるなか、展示で大きなウエートを与えられていたのが、山本芳翠の「浦島」。浦島太郎の洋画、しかも、描かれている人物も西洋絵画風。筏を運ぶ海の女、その上に颯爽と立つ浦島太郎の顔つきも体つきも、時空を超えていました。次いで「心の風景を描く―岐阜ゆかりの版画家から」のコーナー。ここでは1点。稻田年行の「海への幻想」が気に入った。原色を横に流す筋状に組み合わせ、太陽光が海に反射する光景を描いたのかなと、勝手な想像をしていましたが、その煌めく光が見えるようで。最後の「美を愛でる―日本の風景」で、日本画の大作を観ることができました。川合玉堂の大作が3品も出ていました。この人、岐阜の出身だそうです。「春景秋景山水図」は、ブリューゲルを思い出す構図。「老松蒼鷹」の松の気丈夫さに圧倒されたけれど、鷹がちょっと弱い感じ、松の強さに負けたかな。この2つの水墨画の存在感に、今一つの「深林宿雪」は着色もの。それが、興趣を削いでしまってた。おかげで、傍らの熊谷守一の極端に単純化した風景画が、えらく際立ってしまってた。その傍らには、岸田劉生の「歳寒三友」という小さな作品もありと、最後は、日本画の佳作で締めとなりました。
 午後3時半までには、西岐阜駅を発とうと決めていたのですが、実際には、その半時間ほど前に、米原行があったので、それに合わせて美術館を出ました。岐阜と滋賀の境い目辺りが、長閑で良かったな。米原に着いて、電車を乗り換えると、途端に、大阪や京都の空気に変わってしまった。2つの美術館を巡ると、さすがに、腰が悲鳴を上げていたので、うたた寝をしている内に、どんどんと京都に近づき、このプチ旅行も終わりとなりました。


2023年 3月 3日(金)~「新トルコにとりこ」に認めた名古屋旅行1日目の記録を、こちらに収容しました~

 朝8時に、自宅を出発。うまい具合に入線したところののぞみに乗車。京都から名古屋まで、僅か34分。バスに乗りながらしか、名古屋の街を見たことのないということで、わりかし興奮気味。ウォーキングがてら、徒歩で大須演芸場に向かう。9時半から入場整理番号配布ということだったので、それをもらう。14番だった。演芸場の方に、左の師匠のことなど伺う。お元気な由、安心。生で聴きたいけど、今日は出番はなし。入場時間まで、40分以上あったので、お隣の大須観音へ。演芸場とワンセットで、1度は来たかったところ。ようやく念願が叶いました。早めのお昼を、買ってきたおむすびで済ます。観音経を聴きながら、境内で食べるのも、なかなかいい。気温も戻ったしね。そして、いよいよ入場。写真では観たことがあったけど、雰囲気抜群の寄席小屋。よくぞ残してくれました。番組は、次のようなものだった。幸吉「真田小僧」、獅鉄「権兵衛狸」、あお馬「出来心」、オレンジ田中哲也「漫談」、歌武蔵「支度部屋外伝」、(中入り)、橘之助・歌武蔵・律歌「口上」、幸福「垂乳根」、橘之助「浮世節」、律歌「甲府い」。登龍亭一門は、在名古屋の一門。全く初めての遭遇。元々、雷門を名乗っていたので、東京の噺家さんの流れのはずだとは思っていた。ま、その通りで、前座の幸吉を含めて、皆さん、達者なお喋り。キャリアに応じて、そのグレードが上がっていく。これらの口演を聴いて、名古屋に来るのに、急にハードルが下がったような気がしました。幸吉は、入門まだ1年ほど、幸福門下と言ってました。獅鉄は、元鉄道会社勤務で、「鉄」の字が入ってるとか。ただ、その鉄道会社、全く知らなかった。名古屋限定ローカルネタは、やっぱり厳しい。幸福は、とっても繊細な芸の持ち主。あお馬は、小せんの弟子。名前は、どこかで聞いたことがあるけど、高座は初遭遇。「出来心」は、上方の「花色木綿」。ても、今日は、ここでだけ居眠り。名古屋でも、やっちゃいました。漫談のオレンジ田中は、大助花子の弟子だと言ってました。ヘルスネタって、漫談には珍しい。そして、お目当ての歌武蔵登場。予想通り、相撲漫談。これが、最高におもろい。中でも、最上位は北の富士ネタ。もう80歳だそう。アナウンサーがカバーに入る話まで、おもろ過ぎ。今日は、口上が入った。去年の春に真打ち昇進した落語協会の噺家さんが、この3月席はトリをとるのが目玉。先代三遊亭円歌門の叔父叔母に当たる2人が口上に並びました。橘之助は、最初、判らなかった。どこかで見たはずと思ってたら、めくりに「小円歌改メ」と書かれていて、ようやく判った。随分と久しぶりだったので、さすがに年齢を刻んでいた。最後は、「たぬき」を半ばまで出してくれました。真打ち昇進披露に大きな花を添えました。そして、トリの律歌。確か、寄席で、1回遭遇してるはずなんだけど、そのくらいしか覚えていない。声の低さは、かなりのもの。従来の流れを受け継ぐには、いい声質。でも、ネタの「甲府い」には、びっくり。笑いのさほど多いとは言えない噺、地味とも思える噺をするというのが、気合のあるところかもしれません。婆さんが、ちょっとした笑いを生む役割。逆に、その笑いが、自然に入るのが難しいかと思えます。そう考えると、やはり、小三治は上手かったなと思ってしまった。スーパーな口演を聴いてしまってると、比較するのが悪い癖です。そんなで、またぞろ来たくなってしまった大須演芸場の記録でした。終演は午後1時半を、僅かに過ぎたところ。しばらく、大須観音界隈を散策。名古屋市美術館周辺まで歩き、いい公園があるで、ホテルのチェックイン時間まで、のんびりとしてました。昨日の寒さでなくて助かりました。総じて、名古屋の道って、広いな、それが、ここまでの名古屋の一番の特徴と、インプットされてしまっています。
 しばし、ホテルで休憩、夜に備えました。夜は、愛知県立芸術劇場であった「全国共同制作オペラ マスカーニ:歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』& レオンカヴァッロ:歌劇『道化師』」。なんせ、この公演には、「演出家、上田久美子が宝塚歌劇団退団後、初の舞台演出!」というコピーが付いています。宝塚での公演は、実際には観てないけれど、ロ-ムシアター京都であったイベントで、この人のト-クを聴いたとき、とんでもない才能と思い、名古屋まで出かけることを決断。このプロジェクト、野田秀樹が「フィガロ」を手がけたときは、兵庫芸文での公演があったのですが、この公演は、東京と名古屋だけ。仕方ありません、で、おかげで名古屋へ来れたと思っています。2つのオペラ、採られた手法は同じ。キャストは2人制、1人は歌手、通常通り歌います。もう1人はダンサー。モダンダンスや宝塚出身のダンサーが起用されているようでした。これなら、ダンスの中味を問わなけれは、サシャ・ヴァルツのプロダクションと同じです。サシャ・ヴァルツものは、ベルリンで「タンホイザー」を観ています。日本でも、新国立劇場で、細川俊夫の「松風」が上演されているはず。ただ、今回のプロダクションは、更に、サシャ・ヴァルツものも凌駕する進化形。歌手は、通常の歌唱をするので、従来の物語のまま。字幕も、それで出ます。一方、ダンサーは、いずれも、大阪が舞台。「田舎騎士道」は、大阪南部の祭を想起させるものであり、「道化師」は、大衆演劇の劇団でのトラブルとなっており、そのやり取りは、装置として出されている壁や長い腰掛けに、字幕が投射される。これが、ベタベタの大阪弁。なんで、これを、関西で上演しないのと、この字幕を観たときも突っ込んでしまいました。この字幕がいい、通常の歌詞では、ソフトに表されているものが、生身の、正にヴェリスモに相応しい、いや、これが、ホントのところやろというもの。ましてや、オペラの舞台は南イタリア、お似合いはベタベタの大阪弁というところでしょう。歌手とダンサーとの絡みも盛り込まれてはいるが、基本は、個別の進行。歌手とダンサーとの対応を示すために、オペラの開始早々に、サスを使って、客に判らせるような工夫もしてあった。それを、全編続けることは、並大抵のことではないのも、事実。歌詞のあてぶりとまで書くと極端になってしまうけど、パントマイム風に、歌詞をなぞるようなところが出て来るのは致し方ないところか。サシャ・ヴァルツものは、さすがに、そう思えるとこは、ほぼなかった記憶。こちらのプロダクションは、別立ての物語にしたから、そういう箇所が増えるのもやむを得ないのかもしれませんね。逆に、ダンスの使用に圧倒されたのは、「田舎騎士道」での、トゥリッドゥとサントゥッツァとのデュエットの場面が、最も著しいものがあった。両者のやり取りが決裂に至る山場、こちらは、歌唱も目覚ましいものがあると同時に、ここは、正に、バレエで言うパ・ドゥ・ドゥ。しかも、振付が素晴らしかった。日本のバレエでは観たことのない、アクロバティックな動きの連続、とんでもない身体機能のお二人、これは凄かった。装置は、幾つかに分かれた壁、同じ壁ではなく、階段が付いたもの、回転させると、バ-カウンターが用意されていたりと工夫かある壁もある。それらを動かせ、配置を変えながらというもの。ただ、両サイドには、ゴミが積まれおり、ホームレス風の男が出入りしてました。その男が、オペラが終わり、会場を出ようとすると、出口にもいたのには、びっくりでした。歌手陣は、「道化師」のカニオとトニオに、聴きごたえというものを感じました。それと、特筆すべきは、アッシャー・フィッシュの指揮。起伏に富んだ、とっても楽しめるもの。これは、いい支えになってたなぁ。最後に、キャストを記しておきます。「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」トゥリッドゥ [護男]:アントネッロ・パロンビ&柳本雅寛*、 サントゥッツァ[聖子]:テレサ・ロマーノ&三東瑠璃* 、ローラ[葉子]:鳥木弥生&髙原伸子* 、アルフィオ[日野]:三戸大久&宮河愛一郎* 、ルチア[光江]:森山京子&ケイタケイ* 。「道化師」 カニオ[加美男]:アントネッロ・パロンビ&三井聡* 、ネッダ[寧々]:柴田紗貴子&蘭乃はな* 、トニオ[富男]:清水勇磨&小浦一優(芋洗坂係長)* 、ペッペ[ペーペー]:中井亮一&村岡友憲* 、シルヴィオ[知男]:高橋洋介&森川次朗*、 両演目:やまだしげき*、川村美紀子* 、合唱:愛知県芸術劇場合唱団、 児童合唱:名古屋少年少女合唱団 、管弦楽:中部フィルハーモニー交響楽団(*ダンサー)。愛知県立芸術劇場の前にはテレビ塔があり、会場に入るときにも見とれてしまってたけど、終わるたあと、日が暮れた中で見るテレビ塔は、一層、際立っていました。いい風景です。名古屋市民を羨ましくなってしまってました。


2023年 3月 2日(木)午後 10時 8分

 今日から来週の火曜日まで、連続的にお出かけ日になっている。名古屋行きも含め、ヘビーなものが続く。ま、こういった時期もあるかなというところ。今日は、その初日で、コロナ禍以後、初の大阪市内のイベントに行った。「平日」「昼間」「環状線の外」、この3つが、今のところの良心というやつだ。「人の空いたところに行く」と「生活のリズムを崩さない」を、その柱に置いている。そういった時間設定だったので、今日も、昼前のウォーキングは、少し早めに、通常通り行うことができた。ただ、猛烈に寒かった。でも、歩いていると、かなり体がほめいたので、そのときの格好と似た格好で、午後に出かけて、完全に失敗。気温は上がるどころか、下がったんじゃないかな。とにかく、風がえぐかった。少なくとも、体感温度は、ウォーキング時に比べて、下がっていたことは間違いなかった。震え上がりながら行ったのは、大阪市芸術創造館。最寄駅は、京阪で言えば森小路、地下鉄だと千林大宮、旭区役所のほん近所に位置する。大阪市が、文化行政を閉じて行ったときに、よくぞ潰されなかったと思える施設。芝居をするのに、いいスペースが3階にある。ここは、コロナ禍以前も含めても、ホント、久しぶりだった。ここで、今日から、この週末にかけて、突撃金魚の公演「罪と罰」。突撃金魚は、座付作家のサリngROCKの作品が、関西の演劇界では、最上位の1つだろうと思ってるからのチョイス。しかし、コロナ禍前は、河内永和だったか、その辺のアトリエを本拠に公演を続けるということだったため、単純に行きにくいという点で観る機会を逸していたので、公演に遭遇すること自体も久しぶりだった。それが、なんと、ドストエフスキーでびっくりした。こういった翻案ものって、初めてじゃないかな? 「罪と罰」は読んでないけど、有名な作品だけあって、ごくごく概略は知っている。だから、原作との入れ違いとかなんとかは解らない。そのため、いじられても判らないなか、観ようと思った。実際観てみると、「罪と罰」の解説本を眺めてるんだろうなの気にさせられた。筋立てを調べてみると、大筋はなぞってくれたようですね。もちろん、マイナーチェンジはあるだろうし、削除、付け足しなんてのがあるとは思うのだけど、筋を追う楽しさは感じられた作品で、原作がそうなのかもしれないけれど、複線的になったり、入れ子細工になったりという運びではなかったので、判りやすさは抜群だと思った。気になったのは結末。知らなかったもので、これは、きっちりと調べたが、自首で間違いなかった。芝居は、その後、ターニャとどこかに旅立つとなり終わるのだけど、もう少し、細かな詰めがあるようですね。裁判も含めて。ただ、観ているなかでも、徐々に感じたんだけど、ターニャが弱い、描き方が。というのも、ターニャが、ラスコーリニコフの中で大きくなって行っているように見えてきたときに、なんでと思ってしまったこと、また、距離が近づいているようなんだけど、その魅力のようなものが、芝居の中で出てこなかったのです。キャラ付け的な点に不十分なところがあるのか、単に役者の力不足で、存在感が薄れたのか、その両方なのか、これが物足りなかったな。それも含めて、後半に疲れが観られたという感じが残ってしまう。ラスコーリニコフが、神を無化までして、己の信念、主張を説きながら、崩れて行く、芝居では、最後は、十字架を首に掛けていた、ここへの変化が描き切れていないような不満を感じてしまった。刑事とのやり取りの中で崩れたんだろうか? だとしたら、ここの芝居、足りないんじゃないのかな? これも、役者の力不足があるのかもしれないけれど、刑事役の役者さん上手いと思ったけれど、それでも十分じゃなかったということでしょうね。そんなだから、せっかく、ここまでおもしろい筋立てなのにと、物足りなさ感が出てしまった。脚本の問題もあろうが、久しぶりに大阪の劇団の芝居を観て、これは、はっきりと言わしてもらうけれど、役者の力が落ちている、それも、かなりという言葉を添えねばならない。中間部で休憩が10分で、前後半併せて3時間の大作。途中、火災警報機が鳴ったことで中断もあったため、終わったら、午後5時を10分以上過ぎていた。さすが、その後、旭区内をウォーキングでもしようかという計画は、あっさりと断念。でも、文句を書いたけれど、芝居観るのって、楽しいね。また、機会を、頑張って見つけて、芝居、観ることに精を出すようにしましょう。芝居を求めて名古屋に行ってもいいね。久しぶりに、少年王者館の芝居も観たいな。そんなことを考えながら、寒いなか家路に着きました。


2023年 3月 2日(木)午前 7時 45分

 ますます、春になってきました。見事に、3月と重なっています。午前中のウォーキングに出かけるときは、一応、念のために薄手のウィンドブレーカーを引っ掛けては出かけたけれど、早々に暑くなり、半ばの休憩&読書の時間には、辛抱たまらなくなり脱ぐことに。だから、夕方のウォーキング時には、端からなしで出かけて、全くの問題なし。暖かくなってるのは判ってんだけど、どうしても、ここまでの冬が、頭にこべりついてる。洗濯物も、よく乾いた。前回の洗濯時には、1日で乾かなくて、そのまま2日間、干していたことが噓みたい。昨日は、12時に歯医者の予約が入っていたので、このいい陽気なのに、休憩&読書の時間を、あまり取れなかったのが残念なこと。歯医者は、前回で治療は終わってるので、歯垢のクリーニング。ついでに、歯周病になってないかのチェック。針のような器具を突かれると痛い。まずいよ、虫歯でもあるのかと思ったけど、歯周病の気配があるという説明だった。これ、10年以上前に聴いた口上だということ、聴きながら思い出した。その治療は受けておいた方が賢明だということ、その講釈は、たっぷりと聴いた覚えがあるので、今回も、治療をお願いした。1ヶ月、間を置かないと治療できない決まりになっていると言われていた。前の時は、そないなことを言われた記憶がないので、この治療法にも進化があるのかもしれない。とにかく、4月の頭に予約を入れておいた。どこかで、これは、自覚症状がなくても、定期的に検査を受け、早期に治療をしておいた方が良いというのも聴いているので、今しばらく、歯医者通いをしなければならない。痛み止めの注射を打たれての、ちょっと厄介な治療だとの記憶がある。そのため、痛みの心配はないので、それだけは気が楽だけど、歯医者だけは、幾つになっても好きにはなれないね。誰しもそうだろうけれど。
 昨日のお出かけと言えばそれだけだった。今日からは、名古屋行きも含めて、予定が詰まっているので、歯医者の予約が入ったことを機に、何もなしの日にしたのだった。午後の一時は、旅系YouTuberの動画を観たあとは、「Oper Vision」に入ってる「アグリッピーナ」の視聴を最後まで。でも、朝早いお目覚めに悩まされている黄紺には、心地よい音楽はまずい。程よい居眠りをしていると、あっという間に最終盤。どうしても、このオペラは、ダヴィッド・マクヴィカーのプロダクションが、頭に浮かんで困る。あまりに印象深いプロダクションに出逢うと、前のが偉大すぎて、それと比較すると引いてしまうなんてことが起こっちゃう。このプロダクションは、舞台の構造一つをとっても判るんだけど、オペラ初期の上演形態の再現ぽいだけに、その分、現代の上演という意味では、物足りなさが残る。それが判ってるんだけど、ないものねだりをしてしまうんだなぁ、これが。歌唱を聴かせるという意味では、歌手陣の充実さで、そのニーズに、十分なものだった。夜には、新たな演目か、この1週間で観る予定にしている演目の予習でもしようかと目論んでいたが、晩酌をしながら食事をしている最中に寝落ち。気が着くと、日が変ってた。時々あることだけど、結果、オペラを視聴するどころではなかった。迂闊に、そこから観始めると、睡眠障害を誘発しかねないから、あっさりと断念。おかげで、朝まで眠ることができた。


2023年 2月 28日(火)午後 11時 51分

 一気に、春の陽気。天気予報通りに、いいお天気のうえ、とっても、気温が上昇。朝方は、まだまだ寒いので、こういったときって、何を着て外出していいのか、一番困る。特に、今日などは、午前3時台に目が覚めたものだから、お出かけ予定を早くした。そのため、暑くなるかもと思いながら出かけて、午後に帰宅すると、すっかり汗をかいていた。これから、そういったことが繰り返されるのでしょうね。名古屋に行くとき、どういった格好で行けばいいのか、それが、天気予報を知ってから気になってたんだけど、今日のような日になると、ホント、困るね。火曜日なものだから、いつもは、Radikoで、KBS京都の番組を聴く日なんだけど、明日に入れていた予定を、歯医者に行くことになったため、今日に回した。行き先は滋賀県立美術館。開催中の常設展の1つの会期が、ぼちぼちと終わりに近づいているということで、気になっていたのです。今、こちらの美術館で、全部で4つになる展覧会が行われています。①企画展「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」②常設展/特集展示「川内倫子と滋賀」③常設展「シュウカツ! 収集活動より―女性を描く中村貞以―」④常設展「小倉遊亀コーナー/技法における金と銀」。会場の広さで言えば、②と併せて①がメーンと言える構成だったんだけど、行く前の黄紺のお目当ては③だった。単に、中村貞以は知っていてもと言っても名前だけだけど、少なくとも名前は知っていた。今、中之島美術館で大阪画壇の特別展をしていることも、頭に入れながら、中村貞以の品定めを考えていた。作品そのものは知らなかったということでした。で、実際に行ってみると、黄紺的には、中村真以は、作品の気に入り度で凸凹があったのに対し、川内倫子の作品の持つ、そこに流れる心のスケールの大きさに、また、写真そのものの美しさや思いがけない撮影があったりと、すっかり魅せられてしまいました。滋賀県生まれの世界に飛び立った写真家、子どものころに、滋賀を離れはするけれど、祖父母が滋賀在住だったようで、里帰りをしばしばして、滋賀を撮っているということで、②が生まれた。①では、人を撮るということはなく、また、解説を読むと、それが、この人のスタンスだそうだけど、②に集められている作品は、人がテーマ。祖父母、なかでも祖父の最期を撮っている。それと、信楽の「やまなみ工房」を撮影したシリーズ〈やまなみ〉とで構成されていた。アール・ブリュットを大事にしている、この美術館のコンセプトにも共通するもの。この②にせよ、①にせよ、とうとうと流れる時間を感じる。そこに、人の営みがあり人生がある、それと同じように、その流れの中に、鳥は飛び、水が流れる。共生感というタームが浮かんでくる。その中の一コマを切り取った作品群、有機物だけではなく、無機質なものも、この流れの中にある。動いているはずの蝶も、草花も、止まってる。これが、不思議な感じがしてしまった。シャッターを、見事に合わせることで、正に一瞬を撮ってるんだけど、それが、瞬間であればあるほど、動きを意識させられてしまう。動きが見えてしまうのです。凄い! 映像作品も、同様の印象。ええもん観た。誰かに紹介したくなる衝動が湧いてくる、そんなことも感じてしまってました。③は美人画ばかりだったのだが、上に書いたような感想だったもので、お気に入りベスト3を記しておく。「お玉」は、女大道芸人を描いたもの。身体のくねらせ方、顔の表情が気になる。どうして、こうも不自然な、身体の持って行き方をするのかと思ったので、記憶に残ってしまった。隣の「お杉お玉」も、同様の素材を扱っているが、ここまで大きくないが、くねらせ方が似ている。躍動感を表しているのだろうか? 顔の表情も、決して明るさがない。困ったり苦しんでるわけでもない、その顔つきが気になってしまった。全体として観ても、わざとらしさが出ている。何を表現しようとしているのか。「口紅」は、えらくモダンな印象。一挙に、ここまでの作品に比べて、心の中が見えてくるような気がした。そわそわしている、そんな気分で紅をさしている。心の先には何を見ているのか。きっと、楽しそうなことがありそう。「首夏」は、初夏の意。庭先で、草を切ろうとする和服の女。この美人画ばかりの中で、ひと際目立つ美人。古風な化粧というよりか、今風の化粧をしてそうな女という感じ。この作品だけに、女の艶を感じた。そういった意味で出色。そんなだけど、パトロンのいる女性に見えてしまったのは、なんでだろ? ④の小倉遊亀作品は、いつも観ることができる、この美術館の誇るもの。年4回、入れ替えがある。そういったなか、マチスもどきの「月」があり、大仰そうで、めっちゃ前に出てくるという感じの女を描いた「娘」があり、複数の視点で描いた静物画が数点並ぶ、大サービスの選択という印象を持ってしまいました。どの展示を観ても、各々、個性が爆発。息抜きをしてる間がないほど、濃密な展示が続いてました。これは、期待を超えるもの。今年のスケジュールを見ると、小倉遊亀を主役にした展覧会も用意されているようです。そんなで、年間パスポートの更新もしました。
 帰宅後は、Radikoで「まーぶる」を聴くことに。朝からの瀬田までの往復で、かなり疲労。寝落ちを繰り返しながら聴いていた。落語界に関わる、新たな情報が流れるわけではなかったのだけど、いよいよ、二葉は、東京にセカンドハウスを構える気配。本の出版も、順調に進んでる様子。その取材として、高校時代の英語の教師に会ったときの話が傑作。「ご無沙汰してます」と挨拶したら、その先生、「西井さん、ご無沙汰の意味、解って、言ってます」と言われたとか。それを聴いた梶原さん、「何年ぶりで会ったんですか」と尋ねた。二葉が「10年は会ってなかった」と答えると、梶原さん、「それなら大丈夫」で、一安心。なるほど、偏差値37に、噓偽りはない!


2023年 2月 28日(火)午前 7時 18分

 昨日は、ミュージアム2ヶ所をハシゴするつもりで動いた。月曜日に行けるミュージアム、なかなかないもの。そのかいあって、月曜日は、イベント設定も少ないこともあり、お出かけなしという日が多い。ところが、京都に、昨日行った2ヶ所と、あと2ヶ所はあるんじゃないかな。朝方に買い物をしておきたかったので、昼食を早めに摂り、そのため、昼前ウォーキングも前倒しで行い、そういった準備をして出かけた。一昨晩はマッチがあったけれど、その情報収集も、うまい具合にできた。夕方のウォーキングは、このミュージアムへの往復で十分と判断、結局は、この判断がダメで、歩き過ぎました。軽く2万歩、超えちゃった。腰を傷めないか、心配しなきゃならない。ましてや、ミュージアム2ヶ所ということは、腰への負担が、ただでも大きいのに。で、1つ目は美術館「えき」KYOTO。今、こちらで「ミュシャ展~マルチ・アーティストの先駆者~」が行われています。かなり有名どころの展覧会、さすがに、若い女性の姿が多かった。入っていく人が、そういった人が多く、男性はいても、これも若い。おっさんは、場違いな感じ。でも、もっと場違いそうなおっさんもいたから、ちょっと安心、向こうも、そう思ってるだろうが。黄紺的には、ハンブルク美術工芸博物館で大量に観た経験がある。さすが、工芸を謳うミュージアムですが、それだけではなく、ミュシャは、何かで観る機会が、わりかしある人ですね。今回の展示は、チマル・コレクションから全作品が出されているとか。もちろん、どういった位置にあるコレクションなのか、全く知らなかったのですが、ミュシャと言えば思い浮かべるポスターの類ばかりではなく、様々なデザインを手掛けているということで、最初の展示は、雑誌の表紙や挿絵といった小物から始まりました。ハンブルクにもあったのかもしれないけれど、どうしても、記憶は、目立つポスターばかりに集中している。「生活のなかのデザイン」というコーナーでは、有価証券や郵便切手、ビスケットのパッケージ缶へのデザインから、装飾皿、花瓶やブローチまで、デザインを提供するというマルチぶり。でも、これもデザインという括りでは、1つにまとめられるのだけど、展示は、そういったところに留まらなかったのが、この展覧会の売りじゃないかな。決して、楽しいものじゃないけど、ポスターを上回るということじゃないという意味だけど、でも、珍しんじゃないかな、少なくとも、黄紺的には初めてのものばかり。「プライヴェートな生活の記録」なんてコーナーがあった。自身ばかりか家族の写真、下絵作成に使ったモデルの写真まであった。書簡といった文字資料も、コレクションには、こういったものまで入ってるってことですな。最後のコーナーは、なんと「唯一無二のオリジナル作品」と銘打たれ、いわゆる肉筆ものが並んでいました。そこに描かれている女性は、確かに、ポスターなどに描かれている女性の顔立ち、雰囲気を持っているようだけど、ポスターなんかとは、明らかに違う。コレクターには関心があるかもしれないけど、これを観たからと言って、ミュシャ観が変わるわけではなし、もっと膨らむわけでなしという感じで、人が、全然、溜まらない展示地域になってました。その気持ち、解ります。どうしても、2度観したくなるのは、ここじゃない、冒頭の小物でもない、生活の中のデザインでもなかった。やっぱ、「成功の頂点~ポスターと装飾パネル」のコーナーに集中してしまいました。「サラ・ベルナール」、この名前がキーですね。どこかで耳にした大女優、ミュシャとの関係でだったんだ。調べてみると、また、会場にあった解説文で知ったのだけど、オスカー・ワイルドの「サロメ」は、彼女の委嘱により書かれたものだったそうで、「トスカ」が名を馳せたのも、彼女の舞台があったればこそで、それがオペラ化されたようですね。ジャン・コクトーやチェーホフなんて名も、その周辺に出てくる、とんでもない大女優の名を、更に上げたのが、ミュシャだった。彼女の公演のポスターを描き、一世を風靡しちゃった。最初のポスター「ジスモンダ」が、パリ市内に貼りだされると、たちまち剝がされたと、解説に書いてあった。この「ジスモンダ」から始まり、「椿姫」「トスカ」「メディア」「ハムてある。ポスター以外の、このコーナーにある作品は、円にしても、そういった枠組みを付け、そこに、草木や花、アイテムを置くという構図、これがないことを想像しながら、作品を眺めると、「こちらは異空間だよ」と断りを入れているようで、大きなポイントなんでしょうね。描かれる女性、肉感的でもなく、情緒に浸るわけでもなく、でも、存在感を見せつけている。様式化されている草木や花々、その線の織り成す全体は、豪華さがある。こういった芝居のポスターも良かったけれど、連作装飾パネルと記された「四季」「一日」もいいなぁ。故郷チェコを題材にした作品、カレンダーとして作られた「ビザンティン風頭部」2つと、いずれを観ても、惹きつけられる。てなことで、やっぱ、このコーナーがあってこそ、ミュシャを観たぞの気にさせられた。会場にゆとりのない美術館なので、混まないか心配しながら行ったけど、ま、大丈夫でした、鑑賞する分には。
 京都駅を出て、徒歩移動30分で、京都産業大学ギャラリーへ。京都の街は碁盤の目と頭に入ってるものだから、適当に歩いて道を間違った。間違った途端、以前、同じところで間違ったことを思い出した。こういったときって、めっちゃ腹が立つね。学習効果がないって。こちらのギャラリーでは、今、企画展「檀王法林寺と沖縄」が行われている。こちらは、一層、小ぶりなミュージアムなもので、ハシゴをしようの気になったのだった。檀王法林寺は、京阪三条駅近くにある浄土宗の寺院。この寺院の開祖袋中上人が、仏教を収めるために明に渡ろうとしたところ、秀吉の朝鮮出兵後だったため、入国が認められず、その間、琉球で待機。3年間待ったが、結局認められず、あえなく京都に戻ったが、琉球滞在中に浄土宗の普及に努め、その結果、琉球王とも懇意になり、その琉球王が江戸へ向かった折には、その帰路、袋中を訪ね、旧交を温めたほどだったと言います。そのときの下賜品を主たる展示品とする展覧会でした。それらは、ほぼ京都府指定文化財という逸品。なかには、クバ(枇榔のこと)製の団扇といった琉球らしさ満載のものもあった。また、豪華な螺鈿細工とかがあったかな。それ以外では、袋中上人の日記など文献史料、沖縄の楽器、沖縄繋がりということで、京都産大の有名人若泉敬関連の展示もしているというものでした。関連のイベントで、沖縄文化を紹介するものが企画されていたりするんだけど、スケジュールが合わなくて、1つも行けない。残念!


2023年 2月 26日(日)午後 9時 4分

 今日は、お出かけなしの日曜日。おまけに、朝の楽しみ「日曜美術館」の新作も流れなかった。そう言えば、土曜日のお楽しみ「ブラタモリ」の新作も、昨日はなかった。NHKプラスでしか、TVを観ないが、その僅かに観る番組も観ることができなかった。替りに、「ファミリーヒストリー」の再放送をやってたので観た。麿赤児の息子が俳優になってたんだね。息子は知らないけど、親父さんのルーツに関心があったから観ることにした。10代前まで遡ることができた、ちょっと記録かもしれない。それだけの家系ってことですね。おかげで、麿赤児だけではなく、唐十郎の若かりし頃の姿も観ることができた。
 すっぽりと時間が空くと、午後の一時は、オペラ配信を観るというのが定番だけど、今日は、今週予定している名古屋行きの準備をした。国内だから、スマホの準備も要らないのに、ペーパーにしておく癖がついてしまっている。こないだの韓国のときもそうだった。息子がスマホを使えるようにすると言っているのに、実際には、ルーターを借りたから、黄紺のも使えたので、ペーパーなんかにする必要など、一切ないのに、持って行った。手間だけどね。長期に渡る旅行だと、下調べをしたものが、全部、頭に入るわけではないので、ペーパーにしておくっていうのは、荷物にはなるけど、安全策としても賢明なんだけど、旅行期間が短いと、情報量が、自ずと少ないから、ほぼ頭の中に入ってしまう。でも、ペーパーがないと、何だか不安になるものだから、持って行ってしまう。ま、それの延長線上だね。名古屋に行くと決まったとき、月初だったので、すぐに頭に浮かんだのが大須演芸場。いつぞや、トルコからの帰り、例の関空が使えなくなったときだったので、一旦は、名古屋便を押さえたことがあった。そのときも、大須演芸場を調べた。もう、名古屋に行くとなると、噂の寄席には行ってみたいと思う。顔付けは関係なく、寄席自体に行きたいので、もう、ぴあでチケットを買ってある。次に調べたのが、愛知県、三重県、岐阜県の美術館の展覧会。こういった流れで調べ、それから、ようやく観光名所に手を付けるという順序。結果、「日曜美術館」の「アートシーン」のコーナーで紹介されたものが、いざ紹介されると、何となくグレードが上がり、当初は行くつもりをしてなかったのに、行き先に収まった。そんなで、名古屋市内と岐阜市内で1つずつ、美術館に行くことにした。コロナ禍で考え出すようになっていた「地方の美術館巡り」、ようやく、その第1弾をすることができそうです。だから、そのための資料づくり、アクセス法をペーパーにしたりした。もちろん、本編のオペラの梗概の印刷も怠りがない。これは、ドイツ・オペラ紀行でも、毎回、全作品、用意していっていた。今回は、日本語字幕もあるというけど、梗概を、その前に読むということは必須と考えてるものだから、これも用意。スマホが、万が一不調に陥ったらと、ホテル関係のシートも印刷と、かなりやり過ぎ感が、書いていても出てきてるのが感じられますな。そうそう、今週は、コロナ禍以後、初めて、大阪市内でのイベントに行く予定もある。但し、環状線の中には入らないというポリシーだけは、最後の一線を越えない良心だと思っている。でも、名古屋にまで行くんだったら、そんな壁を作らなくてもと思い、矛盾には気づいている。でもなと突っ込んでみる、「大阪市内に行くのは平日の午後だぞ」と、僅かの良心が垣間見えるところだ。そんなで、3年間、なかったことをしようかという週に入っています。来週の日曜日は、「マイスタージンガー」の本番もあるしと、とっても盛りだくさんになっています。


2023年 2月 26日(日)午前 8時 7分

 昨日は晴れた、でも、思いっ切り寒かった。寒いと、手が動かない、冷え切ってしまうから、痛い、特に右手が酷い。なのに、変な癖があって、左手はポケットに入れるのだけど、その痛い手をポケットに入れないで歩くから、更に冷え、痛みは、暖めても、簡単には引かない。気温の下がり具合は、この右手で、よく判る。少し風もあったしと、完全に真冬。週明けは暖かだと、先日の「まーぶる」で言ってたけど、大丈夫だろうか、名古屋にも行くしね。昨日、某ディープな落語ファン氏のTwitterを見ていたら、この人、二葉を追いかけて、下関まで行っていた。ついでに、落語会のある日より2日だったか前に、下関入りして、下関ばかりか門司観光までやって、美味しいもの食べてる。そか、この手がある。黄紺の名古屋行きは、オペラの追いかけ、プラス、地方の美術館巡り、ついでに大須演芸場なんだけど、この落語はついでじゃなくて、落語をメーンに組み、それも、東京じゃなくて地方の会場である落語会に行き、ついでに、どこそこへ行くというのもありだなと、ええこと知ったと思った。いつか、やってみましょう。
 で、今日も、午後に、市民向け公開講演会に行った。コロナ禍のうるさいときには、予約が大変だったものが、今や、当日、予約なしで行ける。場所はアスニー京都。昨日は、「アスニー京都学講座」の方。こちらは、京都市考古資料館の主催となっているもので、考古学の成果を教えてもらえる、よりディープなもの。後期特別展示連続講座第1回と銘打たれ、「金箔瓦、織豊政権の威光を天下に示す」というお題で、同資料館のイ・ウンジン(李銀眞)さんのお話を聴くことができました。この「金箔瓦」というものの存在を知ったのは、この一連の講座でのこと。瓦に金箔を貼り付ける、そんなことがあるということすら知らなかったけれど、あのアンコールワットも金ぴかだったことを思えば、すんなりと入って来る。そして、同時に頭をかすめるのは、「そんなことするの、あいつしかおらへん」「あの時代のことやろ」ということ、そして、その想像は、あっけなくドンピシャ。あいつは秀吉だったんだけど、実際には、その前、信長が始めていた。日本で、初めて、城郭に金箔瓦を用いたのは信長、安土城でだったそうです。そういった伝統は、寺院にはあったそうで、鎌倉時代に遡ることができるとか。そして、倹約を訴える江戸時代には廃れていく。でも、18世紀まで残ったところがあった、尾張徳川家、そか、名古屋城の金の鯱で、あっさりと納得。李さんのお話は、その金箔瓦が出土してきた城郭を追われていきました。大元の安土城に前半を当てられ、そこで、金箔瓦の概要をお話されたようなんだけど、昨日も、また、居眠りが出てしまった。後半は大丈夫だったのだけど、その前半を解ったものとしてお話されているようで、また、大部の内容を用意されていたため、前半に時間を使い過ぎ、後半ははしょり気味になった分、余計に、そういったスタンスが上がったのでしょう、満足に聴き取れなかった、もちろん、自業自得なんだけど。というわけで、メモのできる範囲で、メモすることにしましょう。「信長は、直系一族以外は、使用を認めなかった、秀吉時代に自由度は上がった」「金箔瓦が使われていたかは、屏風絵とか、そういった絵画作品に残っていることで判る、確かに、天守の屋根の先っぽが黄色くなってる」「岐阜城からも出土しているので、そちらが最古かもしれない」「シャチ瓦は中国から伝わった、但し寺院で使用、城郭は安土城で最初」「大坂城跡では、三ノ丸・惣構跡から大量出土、急いで作ったためか粗雑作品、地の部分に漆を塗り金箔を貼り付けている(ということは違う作り方があるのか?)」「聚楽第跡、東側にあった大名屋敷跡から大量に出土、出土地から考えて、後陽成天皇の行幸経路に合わせて大名屋敷に金箔瓦を設えたか」「伏見城跡、中枢部は明治天皇陵になっているので周縁部から出土、欠けた箇所に金箔を貼っているので、聚楽第で使用されたものの再利用が考えられる、制作の簡略化と急いだ様子が伺える」「京都新城跡、2019年の京都仙洞御所内の発掘で新城跡そのものが発見、そこから8点出土、元来は秀吉が秀頼のために造り、秀吉没後北政所の居所になった」「各地の金箔瓦というお題で、駿府城跡(ブラタモリで進行形の発掘現場が映ってた)、広島城跡、上田城跡が上がってたが、ほぼ時間切れ」「金箔瓦の終焉、江戸時代に入っても残った証拠的なもの、二条城・公家町(京都新城発掘に伴う発見のよう)から出てきている、最後に尾張徳川家の紹介が入った」。京都市考古資料館で、現在、特別展が行われているということなので、これは行きましょう。写真で見ると、かなり金箔の付いたものが残っているようです。そして、李さんが言われるには、Facebookで、毎日、1つずつの金箔瓦を紹介しているそうです。こちらも覗かなくっちゃいけません。


2023年 2月 24日(金)午後 9時 10分

 今日、また、雨の日だった。最近、雨の日が多いね。三寒四温になってるのだろうか、雨が降ると、そう思ってしまう。今日も、午後にお出かけ予定を入れていたので、午前9時過ぎには、ウォーキングに入りたかった。でも、昨夜は、マッチがあった。それも、トルコ時間午後11時試合開始。午前6時前に起きたけれど、ちょっとしてから試合経過を見ると、まだ、後半戦の真っ最中だった。ゴールを決めても認定されない、PKは失敗するしと、結局、トラブゾン・スポルの欧州の戦いは終わった。強かった昨季とは違うな、力が落ちているので、致し方ない結果。それがあったため、ウォーキングに入れるだろうかと思っていたが、無事、情報収集終了。心おきなく、傘さしウォーキング。ま、それができる程度の雨だった。
 午後のお出かけ先は、1週間ぶりの同志社大学田辺校舎。雨なので、近鉄興戸駅で、昼食用のパンをかじった。家で食べて出ると早いので、こういったことをしている。今日こそはキャンバス内で食べることを考えていた。いいベンチを見つけてあったので、そこでと予定してたんだけど、そこは屋根がないところと勘違いしてしまってた。実際に前を通ると、きっちりと屋根があった、また、そこでなくても食べれる場所あったのを、すっかりと忘れてしまっていた。だけど、近鉄興戸駅は人の乗り降りの少ない駅だから、周りを気にしないで食べれるけどね。今日は、「歴史にみる技術と表現」シリーズの後期第2回目、通算5回目となる講演会。「縄文・弥生石器の技術と表現」というお題で、南山大学人文学部准教授上峯篤史さんのお話を聴くことができました。南山大学とは、えらく遠いところからと思ったけれど、同志社の考古学の出身ということでした。冒頭と最後に気になるお話をされました。文化というもの、伝播があった場合、新しいものを良しとして受け入れたとしても、また、逆戻りをすることも起こりうることというメッセージを出されました。進化とか進歩というタームで表されることに竿を挿すような言い方。これが、石器の展開においてそうだということの振りだったのでしょうが、その石器のお話のマクラとして、なんと、ネアンデルタール人のような旧人と我々の先祖ホモサピエンス(新人)との関係においてもそうだと、それを例として取り上げておられた。これには、びっくり。石器どころの話じゃない、もっとスケールの大きな話じゃないか、「それを事例として挙げるかえ」と突っ込んでしまったけれど、耳は、完全にダンボになっちゃった。考古学の成果として、旧人の使った石器が出てきている。東アジアでは、旧人の跡は、モンゴルや中国で確認できるどころか、朝鮮まではと、確か言われたように思う。そういった石器は、新人と変わらない! これはただ事ではない、だって、歴史的に見て、旧人は新人に凌駕された、だから、現在、地球には新人しかいない。だったら、なんで、この凌駕が起こったのか。時期的には、両者が混在していた時期があったのは、出土してくる骨格なんかで、早くから判ってること。そこから、旧人が消えて行ったのは、新人の持つ文化、石器のような道具に代表される文化が、旧人を凌いだからでしょう。それが、進化のなせる業というものとの認識だった。その文化じゃないとしたら旧人と新人の生物的特徴だというの? 自然との共存力とか、それこそ、ウィルスへの対応力とか、そういったレベルの話になってくるの? だとしたら、進化の謎も解き明かされるの? そんな夢のようなことを想像しちゃいました。前回の専門職の登場という問題について、衝撃的なお話があったけれど、今回も、えらいこと聴いちゃいました。そのお話は、目が飛び出るようなことだったのに、今回のテーマに直で関わる部分、要するに本題に入ると、居眠り、かなりえぐい居眠りで、ほとんど覚えていないのです。ごく僅か、覚えていること、、、農耕が始まるということは、磨製石器の時代に入る、日本列島では稲作が始まる弥生時代に、新たに弥生式打製石器が登場すると言ってられた。また、鉄製武器を真似た石器の武器もあるとか。これは混乱をきたす。それが、旧人と新人の類比として表現されたものと思われます。お話は、なんでというところまで進まなかったようというか、研究のレベルで、そこまで行っていないということらしい。考古学的発掘が進めば、そこには、新たな課題が待ち構えているということなんでしょうね。連続的に、この時代を扱われたわけが、ここに来て判ってきました。めっちゃ、熱いわ、この辺。でも、来週の最終回は、参加できないのです。1週間後のこの日、コロナ禍初の国内旅行で、名古屋にオペラを観に行って来ます。だから、まだ、熱いお話聴けるかもしれないのに、スルーしちゃうことになっています。一時は、この講演会後に名古屋に向かうことも考えたのですが、なんせ、相手がオペラなもんで、安全を期しました。


2023年 2月 24日(金)午前 8時 21分

 自分的には関係ないけど、世間的には、昨日は祝日。天気予報では、朝方は雪になっていた。ウォーキングに出かけようと、午後にお出かけをするつもりだったので、午前8時半頃に出かけたが、雪の跡はなかった。但し、地べたは濡れていたけれど。思いっきり寒かったわけではないので、雪だったんだろうかと思っている。こうやって、時間調整をしながら、しっかりとウォーキングの時間を取ることができると、凸凹なく、量を確保できる。昨日は、お出かけなしになるのかと思ってた、といいうか、行きたいところがあったのだけど、予約を忘れていたため、結果として、そうなっただけだったのだけど、でも、2日前に、急に抜かしていたことに気がついた。予約を入れるのを忘れていたところへ行くつもりをしていたので、存在を、すっかり消してしまっていたのだ。それが、京都文化博物館でのギャラリートーク。今、こちらの企画展で「原派、ここに在り―京の典雅―」が行われている、そのギャラリートークがある日だった。原在中という画家は、名前は知っていたが、どういった位置づけの人かは知らなかったし、ましてや原派と呼ばれる人たちがいることは、全く知らなかった。そんなで、行ってみようとの気になった。原派と呼ばれるのは、原在中の子ども、子孫に続く作家さんたち、そして、現在も原家は存続しており、その当主の方が、作品を管理されており、その作品群の提供が、今回の企画展の中核をなしていることが判りました。そして、原派と呼ばれる集団が、どのような位置にいるかは、原家以外から出てきている所蔵先を見れば、一目瞭然。聖護院門跡(仮御所)、冷泉家時雨亭文庫、陽明文庫(近衛家)、國學院大學博物館(高倉家)といった皇室・貴族関連からの出展があり、また、大徳寺の襖絵の写しが作品にあったり、酬恩庵(一休寺)から曼荼羅図が出展されていたりと、京都の有名寺院の名が躍っている。そういったところに重宝される作家さんというか、食い込んでいった人たちだったということです。春日大社用の何かに描いた下絵もあったんじゃないかな、凄い高貴な展覧会です、そういった意味で。作品的には、皇室や貴族に収めていたものという言い方ができるのでしょうが、宮中行事の記録のようなものもあった。江戸幕府は、皇室を大事にして、古代・中世の天皇政治華やかなりし頃の設えを再現しようとしたことは、今に残る御所一つを見ても判ることで、宮中の儀式や、それに要するアイテム、衣装なんかも再現していっている。そういったものの記録や、再現に当たっての時代考証的なものにも与っていたようです。特に、在中の次男在明は、その腕に長けていたようで、重宝されていたようです。その在明は、在中の後を受けて、原家の当主になったのだけど、それは、なぜか判らないと、トークをされたキュレーターの方は言われていたけれど、長男在正が勘当されたため。更に、在正は、33歳と言われてたかな、勘当後2年で、亡くなってしまってる。そのため作品は少ないけれど、アートと言える腕の持ち主。そのため、作品も少ないが、その作品は、いずれも目を見張る。「滝図」、黄紺的には、そんなに気に入りはしなかったけれど、博物館の天井から床際までの長い作品だったけれど、その長いキャンバス(?)に勢いある線を描くという着想、それを描ける腕は、只者ではありません。重文指定を受けている「孔雀図杉戸」に描かれた孔雀の存在感は、凄かった。確かに、アーティストです、この人。在中と並べて描いている「墨梅図」の梅も目が行くが、その上を行っているのが、傍らにある在中の作品。周りの空気まで描いていました。父親の腕を、2人の息子が、各々受け継いだようだけど、2人の技量を重ねて大きくしたのが在中といった風に思ったけれど、在正の方は、そこからはみ出した、己の独自の感性も併せ持っていたようです。そうはいっても、在中の作品が全て気に入ったわけではない。序盤に並んだ神仏図数点は、黄紺的には関心を誘わなかった。そういった中で、今回の展覧会の逸品と感じたものは、先ほどの「墨梅図」と並び、「馬図」です。聖護院で、実用されているものの特別展示です。ですから、部分的に使用感のあるもの。キュレーターさん、馬の数を数えたそうですが、78頭と言われてたかな、とっても大きな作品だったけれど、それにしても多い。そんなにもいないと思える大きなもの。1頭ずつの馬は小さく描かれているけど、各々に可愛げを感じる。それだけの個性を宛がわれている。梅に周りの空気を感じたけれど、この馬たちの実在感が素敵なものでした。こんなのに囲まれてんだ、聖護院は、日々にゆとりが出てくるでしょうね、和むだろうな。資料的に貴重な在明ものと並び、同様の観点で言えば、在中の「宮中御産屏風」。白一色で描き、木枠も生木のままで、穢れを払うということのようで、お産が済むと燃やすのが原則という代物。だから、普通は残っていない。それが残っているから貴重、展示できるのは、これだけと言われていた、これも在中の逸品でした。絵画作品ばかりか、原家が公家の一端に加わったことを寿ぐ書などもありで、原家の作品ばかりか、そういった記録をも展示するという展覧会でした。それと、ギャラリートークをされたキュレーターさんの熱量も、たっぷりと感じられた、素敵なトークに大満足。この展覧会が3階、2階のいつもの展示場では、「続・戦後京都の“色”はアメリカにあった!」という展示もあったので、観て回った。但し、既に腰に限界が来ていたので、流さざるをえなかった。占領軍の残した写真の展示で、終戦後間もない時期の京都を観ることができた。一番の驚きは、新京極にあった「富貴」の写真。この寄席、戦後にも存続していたこと、知りませんでした。だだっ広い京都駅前も、「へぇ~」だったな。


2023年 2月 23日(木)午前 8時 14分

昨日は、この月曜日と、よく似た流れ。午後にオンライン配信で、気候変動関連のお話を聴くということがあったので、それに合わせての時間を使い、ルーティンにしているウォーキングは、いつも通り。平均的な量をこなすことができました。一昨日に比べると、寒さは遠のき、とってもありがたい。午前中のウォーキングの前は、Radikoで、まだ聴けてなかった「吉の丞のおつかれさん」を聴いていた。火曜日に出かけると、どうしても、こうなってしまいます。「まーぶる」と違い、音楽が入ったりする時間が多いので、カットする箇所が多く、さほど時間がかかるわけではない。午後のオンライン配信前に、1時間ほど時間があったので、おもしろいYoutubeの動画を視聴した。吉の丞が、Twitterで、「僕ら、一門の若手がやらないとダメだったことを、他の一門の噺家がやってくれました」的な書き方で、えらく真面目に推奨しているのが、観ようの気にさせられたきっかけ。吉の丞と同期の噺家笑福亭べ瓶が、自身のチャンネルに作った動画「上方落語四天王 一門の真実」というシリーズものの最新版が、「米朝一門編」だったのだ。それを、えらく推奨しているというので、気にならない方が変です。べ瓶の対談相手は米左、これが意外な組合せ。引いてしまうか、何だろうかと気になるか、二手に分かれる組合せなのです。黄紺的には、前者なもので、アップされているのは知ってたんだけど、吉の丞の呟きがあるまで観てなかったのでした。すると、推奨するだけある、いいもの、また、米朝師に関わる、今まで知らなかった情報も流してくれている。ゼロではないけど、あまり聴いたことのない、米左の口から語られる米朝像がおもしろかったですね。一門としての特徴も、直系から語られると、重みを感じました。ええもん、出してくれました。落語ファン必見の値打ちものです。
 午後の配信は、富山県の「令和4年度気候変動適応セミナー及び研究成果発表会」。先日は京都府、今日は富山県と、年度末が近づいてきているからか、幾つか、こういったイベントを見かけます。こちらの都合に合わせてピックアップしています。富山県のこのようなイベントへの参加は、初めてですね。そのプログラムは、次のようなものでした。①気候の現状と将来予測について(富山地方気象台気象情報官山西**)②果樹栽培における気候変動の影響と適応策~凍霜害対策を中心に~(福島県農業総合センター果樹研究所栽培科佐久間宜昭)③富山県気候変動適応センターの取組みについて(富山県気候変動適応センター研究員岩倉功貴)④富山県環境科学センターの調査研究の紹介(富山県環境科学センター副主幹研究員初鹿宏壮)。①では、気候変動の様相を紹介。こういったイベントで、よく頭に置かれる講演。京都の場合と違い、同じような内容だったので、つい居眠り。気がつくと、将来予測というお話になっており、富山県をピンポイントにして話されていた。東南部に立山等を控えた地形的特徴を踏まえたお話、しまったと思ってしまった。こういったローカルなお話を聴きたいがために、県単位のセミナーを視聴しようとしてるのに失敗をしてしまいました。②が、自分的には目玉だった。福島での取り組みの紹介だったけど(それは先駆的な取り組みだということでの紹介のようです)、降霜に伴う被害、それが、気候変動で、どのように変化を受けているか、そういった状況に対する適応策を、一般的なものから段階的に説かれていた。冒頭は、リンゴ・モモ・なしといった果樹が、温暖化の影響を受けている実相の紹介。開花期や収穫期が、確実にずれてしまってる。それが、品質の変化だけではなく、病害虫の生態への変化、凍霜害への変化などに現れているというのだ。霜害といっても、晩秋に起これば収穫に影響、春に起これば発芽後の成育に影響してくる。また、冷気は重いので、地形に窪みなんかがあると、場所により起こるという厄介なもの。その方法としては、空気を攪乱して冷気が溜まらないようにするファンを使ったり、アルミ缶に入れた灯油を燃やす燃焼法などがある。お話の凄かったのは、発育ステージ予測モデルを作られたこと。果樹の種類により、また、その発育ステージに応じ、気象データ(低温予測)を入れると、その燃焼法を使わねばならない日を予測計算するというシステムを開発して、HP上に公開されていること。こういった霜害だけではなく、着色不良、日焼け発生を防ぐために、気象データを入れれば予測できるシステムを作ろうとされているとか。これを聴けただけでも、このセミナーに参加して正解でした。③は、京都の報告でも聴いたスタンスを紹介されていた。こういった適応策に取り組む際の方向性、次いで出てくるのが、農家等、実際の活動をされている方たちへの聴き取り調査。その分析、対策を導き出すということ。それについてのお話が出てくる。その後は、健康被害への適応策の具体例の取り組みで、熱中症対策として、学校に対するWBGT計の設置、調査をしていることなどが報告されていた。そして、県下の企業の取り組みの紹介という流れでしたが、幾つかあった中で興味を惹いたのは「無散水消雪システム」の実用。散水に使った地下水を地下水に戻す装置。雪国では、消雪のために地下水が使われ、冬季になると地下水のレベルが低くなり、障りが出てくるのを防ぐ目的だそうです。温暖化でも変わらない、いや増えるという話も聴いたことのあるドカ雪対策になりますね。④では、③で出ていたWBGT計のデータ分析や、過去の気象データの解析から、台風やドカ雪の発生傾向の分析をされていることなどの報告だったけど、その分析結果は、正直、自分には難解だった。時間をかけて聴けば解ったかもしれないけど、ちょっと時間がなかったなぁ、個々の内容が、、、。ま、こんなところかな、自分的には、②のようなお話を、たくさん聴きたい。そういった機会が、このようなセミナーじゃないかと思っています。


2023年 2月 22日(水)午前 7時 48分

 昨日は、真冬が戻った日。そういった日にお出かけを入れた。ま、毎日、ウォーキングをルーティンにしているので、時間的には、さほど変わらないと言えば変わらないんだけど、ずっと歩き続けるわけではないので、寒さが堪えた。午後4時に、歯医者に予約が入れてあったので、それまでに帰って来なければならなかった。行き先が美術館だったので、朝方は、爺婆が多いので、昼時に入ろうと考え、家を11時頃に出かけ、雪が降っていたので、三条駅でパンをかじることにした。そのため、お出かけ前に、日ごろの午前中のウォーキングを済ませることに。そのときも雪が降っていたけれど、風が弱かったからかな、まだ寒さはましだった。お出かけ先は、京都国立近代美術館。今、こちらで、「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」という展覧会が開かれている。それとともに、コレクション展も行くというのは定番。今回のコレクション展は、前後期の入れ替えがないので、2つを一緒に行くことにした。コレクション展のリストを、事前に見ると、書の作品が多く、あまりそそられないだろうの気もあり、2つの展覧会を分ける必要はないと判断したのでした。甲斐荘楠音は知らなかった。でも、この美術館の前を通ったとき、予告のポスターを見て、行く気になってしまった。絵だけではなく、映画の世界でも生きた人というのも気になった。映画の衣装とか時代考証に関わったようだとは、そのとき知ったのだけど、それを、誰の作品とすら考えてなかった。で、その映画の衣装に関し、具体的な作品を知ったのは、この展示ででのことで、最初のポスターには、何とも、深い色合い、ちょっと見たこともなさげな美人画が使われていたのが、気になってしまったのだった。そのため、早々に前売りチケットを買ってあった。もう少しあとで行こうかと思っていたのだけど、わりかしそそる展示会が、このあとあるので、先週の金曜日に出かけたままだったので、今日、行く気になってしまったのでした。絵画作品は、展示会の半分もなかった。ここには、ぱっと見では、誰の作品かは判らない美人画もあったけれど、そうじゃない、この人独特の背景の色合い、女性の顔つき、特に目つき、それに、身体のくねらせ方、それら全てが持つ雰囲気、淫靡というのでもない、爽やかさのない、この雰囲気は何だろうと考えて、ふと思いついたのは、飛田の「鯛よし百番」に入ったときのそれ。遊郭の持つ雰囲気。なじみのない、また、なじめないものを感じる。あまり近寄っては欲しくない女が描かれている。にも拘わらず、迫って来る圧力のようなものがある。どよんとした体温を持った女たち。「横櫛」という作品が、この人の代表作なんだそうだけど、2つの「横櫛」が並んでいたけれど、京都国立近代美術館所蔵の方に、一段と、黄紺の感じた雰囲気が出ていた。そういったなかで、メトロポリタン美術館所蔵とあった「春」という作品の女に、一番近寄って欲しくなかった。それに次いだのが「籐椅子に凭れる女」。背景とか顔つきとか、この人の作品には見られないものだったけれど、そう感じてしまった。何とも、おかしな空気を感じるものだから、母親を描いた作品を見ても、同じ空気を感じてしまっていた。そういった意味では、どの作品にも一貫したものがあると言えるのかもしれない。スクラップ帳ばかりが並んだコーナーもあった。歌舞伎に造詣が深そうかと思うと、時代が変わったアイドル系の女の写真もある。周囲に垂れ下げてある甲斐荘楠音の写真には、女装をしたものが多くある。性自認に独特のものを持っていたのかもと思わせるものを感じる。そういったクィアな環境で、絵画作品を観るものだから、なじみのない雰囲気が増長されているのかもしれません。甲斐荘楠音が関わった映画作品の紹介コーナーの向こう、最後のコーナーには、主として「旗本退屈男」で使用された衣装が並んでいた。傍らには映画ポスターも配置されている。市川右太衛門の着た衣装の数々。そう言えば、時代劇映画華々しかりし頃の衣装、派手だったなぁと思い出した。それが、甲斐荘楠音の作品だったのだ。丹下左膳の衣装は字が散らばせられていたこと、思い出した。それもあった、この人の作品だった。最後の部屋に大作2題。「畜生塚」と「虹のかけ橋」。後者は花魁の並んだ作品で、遊郭ものだけど、それまでと感じていた近づきたくない感は、全くなかった。爽やかさすらある豪華さだった。それとは逆が前者。こちらは、豊臣秀次の近親者が処刑された場面を描いたものと解説があった。でも、この作品、西洋絵画を観る雰囲気。女性の体つき、描き方は、正にそれ。そうだったのかと、そのとき思った。「春」も「籐椅子に凭れる女」の描き方は、それだったのかと。異質感のある女性たち、その描き方に、周囲の作品の持つ独特の雰囲気がまとわりついて、この2つの作品に近づきたくなくなったようでした。出口辺りでは、「旗本退屈男」の映像が流されていました。「総天然色」で観なきゃ、甲斐荘楠音のせっかくのデザインがもったいないこと、白黒と観比べると、ようく判りました。
 エレベーターで1階上がると、そこがコレクション展。そのコーナーの一角には、もこもこの「リュイユ―フィンランドのテキスタイル:トゥオマス・ソパネン・コレクション」展も。コレクション展は、予想通り、書はスルー気味。「文字の拘束」から離れた書って、水墨画と違うのと突っ込んでしまったけれど、よく解らない世界です。その前に、ジョルジュ・ルオーが5点。ぴんと来なかったけれど、「呪術治療者」に、ルオーものを感じていたというほど、ルオーを知っているわけではない。関心は、ここでも先へ先へ。真ん中の部屋は「いとへんの仕事」というコーナー。刺繍など、糸を使った作品群。アート系の作品群で、マスクが吊るされていたり、セーターに文字が編み込まれていて、迂闊に読むと、「この織機を持って失せろ」と英語で書かれてあったが、それがタイトルだったけど、その心は判らずじまい、でも、楽しい。こういった言語は読めればいいんだけど、判らないものも、そうなると図案としてしか見れない。そうして眺めると、不思議な空間が生まれる、アート系は、相変わらず、観るのが楽しい、勝手に想像できる、また、できない。それでいいのだと思ってる。次の部屋、半分がテキスタイルだったけれど、ここにしびれた。1つが、浅井忠門下の「伊藤快彦・長谷川良雄・霜鳥之彦」があるのは判ってたけれど(事前にHPの作品リストをチェックしてあった)、浅井忠の作品があるのを見落としていた。「御宿海岸」という作品で、印象派にシフトしたもの。浅井忠ものには、これがあるはずなのに、観たことがなかったので、超ラッキー。アングルを下方向にシフトさせ砂浜を広めに取った構図。ええもん見せてもらえた。それで喜んでいると、まだ、浅井忠があった。同じ部屋にあった「画家の工芸意匠」のコ-ナーには、正に大家と言える画家たちが描いたデザインを集めていた。そうなんだよね、浅井忠ものにはこれがある、となると、ありました、神坂雪佳ものも。それだけではなく、坂本繁二郎、藤田嗣治、山口華楊、小出楢重なんかもあった。めっちゃ大家のオンパレード。今回は、日本画の名作展示がなかった分、ここで埋め合わせをしてくれてました。浅井忠ものには、「エジプト模様」があった。そんなのの入った長襦袢、すげぇ~! 山口華揚の絵付けの入った「鷺食籠」は、河合卯之助作の陶器。この鳥、可愛かった。らしさを感じちゃってました。神坂雪佳縁の神阪松濤、神阪祐吉ものもあり、とっても楽しませてもらえました。
 昨日は火曜日ということで、しっかりと帰宅後は、「まーぶる」を、Radikoで楽しんだ日でもあった。当然、話題は、「上方落語を聞く会」のこと。この番組のプロデューサー、だから、ABC放送のプロデューサーからもメッセージが入るというハプニングも。紙屑屋の酔い方が急激だったのは、2合を飲み干すまで、一気に飲むので、そのときの酔いの描写と言ってました。とっても合理的、文之助の指導とも。その上で、その酔い方の進化を期待する黄紺でもあるな。酔っ払いが4人出てくる終盤がムズいとも言ってた。それまでは2人だけど、4人になる。しかも、火屋の男に乞食坊主という酔っ払い。ここも進化を期待します。てなことで、トピックになったのは、やはり口演を聴いていて気になったところ。それが解ってるだけに、末恐ろしいね。東京のイベンターについて、強烈な突っ込みを「爺ども」のコーナーで入れていた。やっぱ、この気の強さがあるから、今の多忙さをこなしていけてるのかと、感心してしまってました。今週は、独演会が4回あると、Twitterに書いてたけれど、それだけのマインドがあるからやっていけるのでしょう。芸だけではなく、キャラだけではなく、このマインドも売れっ子のものですね。


2023年 2月 21日(火)午前 7時 40分

 一昨夜から、時間のあるときは、ABCラジオ「上方落語をきく会」を、連続的に、Radikoで聴いた。米二の口演は、マクラだけ聴いて、ネタを聴けてないのを除き、一応、全部聴いたので、その番組を記しておく。(昼の部)三実「あの人どこ行くの?」、りょうば「阿弥陀池」、たま「鼻ねじ」、南天「ちりとてちん」、松喬「テレスコ」、菊丸「吉野狐」、(夜の部/桂二葉しごきの会)二葉「味噌蔵丁稚」、吉弥「蛸芝居」、二葉「幽霊の辻」、米二「寄合酒」、二葉「らくだ」。昼の部は、たまから始まる3人が、圧巻。完全に意識し合ってる。口火を切ったたまが過激すぎたから、温度を冷ますわけにはいかないの雰囲気。南天が長崎で爆発してました。松喬は、3人の最後だから、2人ともいじることのできるお得な位置、期待に応えてくれた。黄紺の知らない「テレスコ」の終盤を聴かせてくれました。三実のネタは、やっぱ斬新。りょうばの感性がおっさんだったけど、流れる流れる、凄まじく、いいテンポ。菊丸は、芸術祭大賞のご褒美にトリを、松喬から譲られたそうです。2人は、大産大落研の先輩後輩だった。この口演もスーパーなもので、客席が聴き入っているのが伝わってきました。二葉の3席、ようやく「味噌蔵丁稚」の教え手が判明、福丸だそうです。言われてみて、初めて、福丸が持ちネタにしているのを思い出した。間違ったのは、ここだけ。「らくだ」で、テンポが乱れかけた箇所があったけれど、大事に至らず。「味噌蔵丁稚」のミスを、師匠米二は、「間違ったことに気づきよった」「昔だと黙ってしまった」と、変な褒め方をして大うけでした。音声で低音を効かしてたようで、二葉の声とは違うように聴こえてしまってました。だから、一番、キャラのかぶらない「味噌蔵丁稚」の描き分けが一番。「幽霊の辻」では、男とおばんがかぶって聴こえたり、「らくだ」の前半、男が複数出てくるところでも、同じような状態。「らくだ」は、紙屑屋が酔っ払った方が、2人だけになるので聴きやすかった。「味噌蔵丁稚」は完成形、「幽霊の辻」は、これからいじるんだろうな、その振れ幅を、短期間で見れそう。「らくだ」は、文之助からもらったものだから、大きな振幅を抑制したもののはず。それを考えると、やっぱ、一番、力が入ってた感が残る。酒が入るまでは、音声の関係がマイナス材料と思えるので、生で聴くと、いい感じなんだろうと思ってしまう。酔いのクレッシェンド、序盤が階段を上ったようだったのが惜しい。火屋に向かう道中は、勢いで行っちゃったという感じだったので、ここは工夫の余地ありと思えた。自分には時間がないけど、二葉が、おばさんになり、婆さんになったときと、年嵩が増すたびに聴いてみたいですね。そう思うと、悔しい、それしかないね。「らくだ」は、それだけの時間をかけ、且つ、年齢による違いを出しながら育てて行って欲しい、それだけの大ネタですわね。でも、初演と思えない落ち着いた口演に、ここでも、マインドの強さを知った。今朝になって、落語マニアのTwitterを見ると、昨日は、福岡で独演会やってた。凄すぎます! 吉弥の口演は、めっちゃ余裕。久しぶりに聴いて、一段と大きくなってる。どこかで、生で聴きたいな。1月に大津で聴く機会があったのを跳ばしたのを、後悔。生で聴く機会の多い米二を、後回しにしたので、Radikoで消えない内に押さること忘れないようにします。
 お昼のオンライン配信は「京都気候変動適応センター オンラインシンポジウム」。去年も、オンライン配信で聴いた。各都道府県の気候変動セミナーの中で、黄紺的には評判は良くなかったのだけど、京都だというので予約してあった。今年も、その印象は変わらなかった。プロの人相手にしているセミナーでも、ここまで難解なのは、また、パートパートのばらつきのある構成もないのじゃないかと思う内容でした、あくまでも一般人の印象として。だから、後半の意見交換のところを生半可に聴いていたら、途中で気になりだしたけど、あとの祭りでした。プログラムは、次のようなものでした。①講演「気候変動と種子の役割~適応的緩和への試論」(梅津千恵子/京都大学大学院農学研究科研究員・名誉教授)②講演「気候変動に対応した野菜の品種育成」(宇野浩克/タキイ種苗株式会社開発部・課長)③講演「適応センターからの報告」(安成哲三/京都気候変動適応センター・センター長)④パネルディスカッション「京都の農業における気候変動影響と適応に関する課題」(宇野浩克、梅津千恵子、安成哲三、岡留和伸/京都府農林センター作物部・部長、西森基貴/農研機構作物影響評価適応グループ・グループ長)。①では、「終わりなき適応神話への疑問」ということが大きなテーマ。その具体例としてコメの品種のお話。日本の稲品種の変遷話は、黄紺的には、知らなかったために衝撃だった。僅か4種類の品種が大元で、それらを基に改良が重ねられてきていた。品種改良に、原種探しに躍起になっているという話は、昔、何らの本で読んだことがある。少ないと改良の限界が見えてくるからということだった。適応の限界を品種から言えるということですね。特に、コシヒカリ・ファミリーが、日本のコメの8割を超えているそうです。「ポスト緑の革命期のフィリピン」での新たな品種の導入とその限界、「ザンビアのソルガム(たかきぶ)種子」では、食文化を変えることでの食糧確保、でも、種子確保の課題、「ベトナムでの稲作での肥料と温室効果ガス削減の相関関係」になると、全く、黄紺の能力を超えてしまった。でも、そないなことを考えているってこと知っただけでも、勉強になる。②は、種子会社の立場から品種改良の現実の報告。こちらのお話は、とっても具体的に、個々の野菜の開発状況を報告されたので、身近で、よく理解できた。ここ1年以上、高騰が続く玉ねぎ、一番、関心が湧いた。北海道での不作が原因との噂は知ってたけど、その北海道、全国の60%をシェアしてんだって! そら、あかん、そないに集中させたら。北海道では、春秋で作られる玉ねぎ、夏に実の部分が膨らむ。そのときの敵が、干ばつ・高温、気候変動が直撃したそうです。ニンジン、最近は安いですが、8月に播種、秋冬が旬(これ知らなかった!、季節感のないものだと思ってた)、これも高温だと傷ものになる。そんなで、カボチャ、なす、ねぎなど、いろいろと教えていただけました。ここでは、そういった気候変動に応じた変化、それに対応できる品種の紹介というお話でした。③では、去年も同様のお話があったのだけど、栽培の実際の聴き取り調査、それを総括して、京都の気候変動による被害等の現状把握、その紹介、これがメーンのお話だけど、栽培の実際が判っていないものだから、聴きづらいのです、毎回。おまけに、テンポよく、スライドを進められるので、ギヴアップ。ここでギヴアップしたため、集中力が切れた。それが、後半の意見交換をいい加減に聴いてしまった。反省。でも、種子、品種改良の現実を知ったことは大収穫でした。ま、こんなとこかな、一般人には。解ることだけは解ることにしましょう。このシンポジウムでも、それがあったのだから。収穫でしょう。


2023年 2月 20日(月)午前 7時 54分

 昨日は、まだ、雨が降り続いた日曜日。そして、昨日も、午後にオンライン配信の予約を入れてあった。でも、昨日は、日曜日の朝のお楽しみ「日曜美術館」の新作はなかった。でも、後半の1/4は「アートシーン」を流すので、それを楽しみにしていたら、正月特番で流したもののアレンジだった。かなりがっかり。そういった予定の間を縫ってのウォーキング。一応、通常のウオーキングをこなすことができました、エライ! 実は、昼間から「上方落語を聞く会」が始まっていたが、聴くのはRadikoでと決めていた。そのRadikoも、急に前日になり流れることを知った。視聴チケットを売ってたから、Radikoで流すのに、ストップをかけたんだろうと、勝手に思い込んでした。師匠の米二が、そういった黄紺のマインドを見透かしたように、Radikoで流れることを、Twitterで呟いてくれた。おかげで、通常の番組とは変わらないと判ったのは、とっても嬉しかった。二葉の花舞台を、音声だけでも聴いておきたかったのだ。これを書いている時点では、「味噌蔵丁稚」だけを聴いた。早々に間違ったけれど、でも、語り口が、とってもいいのが快感となっている。おもろいマクラも用意してたしね、二葉の強靭なハートに驚くばかりだ。落語マニアのTwitterを見てみると、最後、出来に不満があったのか、「らくだ」の指導者を明かさなかった二葉、師匠の後押しで、ようやく文之助と明かしたそうです。「幽霊の辻」の作者小佐田センセの姿も、会場にあったそうだけど、こちらはインタビューを受けてるのかな? いずれにせよ、このあと、Radikoで聴くのが楽しみです。
 オンライン配信は、「詩人尹東柱を記念する立教の会」主催の公開講演会「詩人尹東柱とともに・2023」。尹東柱が亡くなったのは2月16日だそうです。コロナ禍で中断したようですが、その日に合わせて、毎年、こういったイベントを開催するとともに、キリスト者でもあった尹東柱の追悼の礼拝も行われているようです。この配信も、映像に収録された礼拝の様子が、前半に流され、後半に、お目当ての講演が流されるというものでした。このオンライン配信には、400名ほどの申し込みがあったそうです。これだけ多くの人が、尹東柱に関心を示されたこと自体に、驚くばかりでした。講演は、仁川在住の戸田郁子(作家、翻訳家)さんの「尹東柱の故郷・間島を語る」というもの、古写真を多用して、古の間島の様子を示しながら、尹東柱の故郷を示すという、とってもユニークなもの。もちろん、Zoonによる講演でした。まず、間島の位置から。黄紺的には、北朝鮮の向こう側、即ち、中国領内とインプットされていますが、より具体的に言うと、鴨緑江以北、豆満江以北で、朝鮮半島から移住してきた人々の住む地域を、そのように言っていたと言われていました。要するに、中国内部の朝鮮族の住む地域と言い換えればいいのかな? 金日成も、間島出身とされていますね。抗日パルチザンの活動が熱かったということで、そうされたのかもしれませんが。清の時代には、朝鮮側と係争の地だったそうですが、清にとっては父祖の地ということで、清の支配が確立すると、朝鮮人には「封禁の地」として、朝鮮人の入るのを防ごうとされていたが、在住者には、厳しく満州族の風習を強制していたところだそうです。そういった写真も示されていた、凄い収集力! 逆にというか、従ってというか、韓国併合後、朝鮮人の移入が増加したようです。日清の力関係の変化が背景にあるのでしょう。火田民としての生活をしていた朝鮮人、でも、ここは封禁だったため未開地が多く、満州人や山東からの漢人が地主としても移入。そこへ、朝鮮人が、なじみのある米作を、寒冷地ながら始めると、金になると、後になると、地主は喜んだそうです。その間島の龍井に、間島日本領事館が、1926年に開設。間島を中国の領土と認めることで、日本籍である間島の朝鮮人を護るを名目に開かれたそうです。本当の狙いは、3・1運動を契機に高まった抗日運動への監視、満州馬賊監視が目的で、領事館の1階部分は監獄になっていた、その写真も見せていただけた。既に、この時期には、抗日運動の盛んな場所になっていたということなのでしょう。そのような時期に、龍井に、宋夢奎(ソンモンギュ)家族とともに、尹東柱一家がやって来た。移住の目的は、龍井にある中学校への進学だったそうで、それができたということは、2つの家族は裕福だったとか。これが、後に、中国の文化大革命時に、一家の居住跡などが破壊されてしまった原因になったと、最後の方で言われていました。元々は咸鏡北道鐘城(チョンソン)に住んでいた。曾祖父の時代に間島へ移り住んだ。尹東柱の祖父尹夏鉉(ハヒョン)は洗礼を受けています。住んでいた村に、キリスト教を基にした新式教育が広まっており、そこの教会学校の教員をしていたとか。尹東柱のキリスト者としての背景ですね。このような尹東柱の背景、間島の持つ抗日の空気(具体的な運動、出来事を挙げておられました)、キリスト者としての出自、そこへ、経済的な面、それらを持って、日本への留学が実現するということだったようです。ここから、黄紺の記憶には、尹東柱の死後のトピックに飛んでいる。レジュメを見返しても、そうなっている。若干、ウトっとしたようなんだけど、実際のお話も、尹東柱の日本での活動が主目的ではないので、カットされたものと思います。ここでは、尹東柱の兄弟たちのその後がポイントの一つ、というのも、彼らが、間島から韓国へと渡ることで、尹東柱の間島時代の詩が伝わったのですから。それと、現在の間島での、尹東柱の顕彰の様子も紹介されていました。戸田さんは、中国の朝鮮族に関する著作も出されている方ですので、その辺はお詳しい。文化大革命で破壊されてものを再現、保存がされているそうです。最後に、尹東柱の国籍について。尹東柱の生きていた時代には、韓国自体がないわけですから、韓国籍の追贈はいいとしても、これを議論しても、あまり意味がないように思います。ましてや、当時、日本統治時代で創始改名をさせられたから日本籍だというのは、暴論だわね。


2023年 2月 19日(日)午前 7時 53分

昨日は、お出かけなしだけど、午後にオンライン配信の予約を入れてあった土曜日。夜には、「ブラタモリ」の新作があり、こちらも楽しみにしていた。それに合わせて、午前中のウォーキングも、夕方のウォーキングも、いつもより、若干、上に上げて始めた。ただ、天気は良くなく、ずっと鬱陶しいまま。天気予報では、夕方のウォーキング時には雨となっていたので、傘さしウォーキングを覚悟していたが、結局、雨は降らないまま。ほんの数秒、雨が降ったかもしれないけれど、傘は持ったままだった。午前中のウォーキングを上に持ち上げたのには、もう1つわけがあった。弟の家に寄らねばならない用事があったから。でも、行くと、甥っ子1人しかいなかった。でも、用事は済んだ。ついでに、PCの不調のぼやきを、甥っ子に聴いてもらった。
午後のオンライン配信は、立教大学のキリスト教教育研究所(JICE) 主催の講演会というか、公開対談という方が適切かもしれません。「入管行政の“変わらなさ”を問う—元入管職員の視点から—」(非正規滞在外国人と人権vol.4)というタイトルで、元入管職員で未来入管フォーラム代表の木下洋一さんに、同大学キリスト教教育研究所研究員の三浦萌華さんが、かつての入管での経験、それから考えることを聴くというのが、主となる進行でした。実は、昨日の午後には、他にも魅力的な講演会があったのだけど、この「元入管職員」という肩書を持った方の生の声を聴けるというのは、さすがにそそられてしまいました。木下さんは、入管というお役所の特徴を、まず、裁量権の大きさだと、いきなり本丸の指摘。そして、その大きさゆえに、退職するに至ったと言われていました。18年間、移動の結果、入管で勤務をされたそうで、それまでは公安調査庁に居たのだけど、そこは、逆に裁量権が小さすぎた。仕事の醍醐味に欠けるようなことを言われていたと思います。だから、そうじゃなさそうなところということで移ると、今度は大きすぎた。小さすぎるところから大きいところに移ったから、余計に大きいと感じたかもしれないけれどとは言われていた。裁量が大きいからと言って基準なるものがあるわけではない。行政では、通常そうじゃないけれど、入管行政は適用を受けない。そして、裁量の根拠を言う必要もない、法的に決められていない。審査基準、示さなくてもよいことになっている。行政手続法から外れている。言うにも基準がない。難民申請以外は不服申し立てができないので、不服を法的に受けることもない。2006年にできた「在留特別許可ガイドライン」は、法律ではないので、入管を縛らない。裁判所も冷ややか、単なる目安という認識であるので。無基準性は裁量の暴走に繋がるので、決して良いとは言えないが、一方で、各事案には、各々の事情があり、同じケースがあるわけではないので、裁量を省くことは出来ない。それでも、ガイドラインを法律に落とし込み、方向性をつけていかないとダメと言われていました。基準なしだと、前例踏襲になる。法務大臣の裁量ならば、国家主権の範囲内と言うこともできようが、現在では、その裁量は、地方入国管理局長(8人)が最終判断権者となている。一官吏の行うことだということを知ってもらいたいと言われていました。局長ごとにより判断が異なることも起こりうることで、法務大臣の裁量ではないので、国家主権の論理が使えないようになっている。また、「出世するには不許可した方が評価が上がるかも?」といった入管マインドが出るかもしれないと言われていた。「在留特別許可」について、気になるお話をされていた。2016年以後、親が帰るなら子どもは認めていくということが増えて来た。家族で送還されていたときの論理には、オーバーステイの両親の子どもについては、子どもはやり直しがきくという論理で送還されていっていた。が、日本で面倒みる人がいれば子どもは残れるということで、選択肢が増えたわけだが、子どもにはやはり親が要るので、この新たな傾向も問題がある。この流れは、日本在住のクルド人を描いた映画「マイスモールランド」でも、重要なモチーフとして使われていましたね。入管職員についても語られていました。実際問題として、偽装結婚などを見落としてはいけないので、疑いの目を向けてしまうので、業務に当たるにあたり、それが言葉の端々に出てしまう。お互いのストレスがぶつかる場となることは、特に収容所では、そのストレスが高まり、その業務はきついと言われていた。そういったストレスの原因となる構造を変えなばならないとのお考えを出されていたと言えます。また、「処分数の変化」をグラフで示され、許可率のアップダウンを示しながら、入管マインドが働いている背景にも触れられていた。具体例として、「不法滞在者半減化計画(2004~2008)」が出たときには、在留特別許可を出して不法滞在を減らしたということがあった。その計画年度明けには、その揺り戻しを看ることができる。また、2013年にチャーター機で一斉送還(フィリピン、タイなどへ)したことに対し、東京高裁が、裁判を受ける機会などの侵害であるとして違憲判決が出たことも、裁量に影響を及ぼしている。コロナ禍で許可が増えたり、社会状況も要因になっている。だから、政治状況だけで、変化するわけではない。入管法改正については、難民申請しているときは送還ができないため、繰り返し難民申請をして、送還逃れをしているとして、申請を3回以上している人は、送還停止項を外すとして提出され、2021年に、問題視されたため、一旦、取り下げられたが、またぞろ提出の動きがある。これに関し、「送還逃れの申請」を問題視して3回で区切るのならば、3回の申請審理を、同じ入管がするのはお粗末だと切られていました。また、「今、申請している人」と「これから申請する人」を分ける必要性を言われていました。スリランカ人の女性が、名古屋の収容所で亡くなった事件が、マスコミでは取り上げられてはいるものの、入管行政の抱える問題を、併せて報道するという姿勢が、マスコミにはないものだから、実情を把握できないままだったこと、昔からは、在留許可に関しては「裁量」というタームが闊歩しており、その実情も把握できていなかったことを思い知った配信でした。「マイスモールランド」の台詞「アラーハウスマルラドゥク」の背景もクリアになったような気がしました。やっぱ、きっちりと押さえないとあかんね、自戒です。
 夜は「ブラタモリ」の新作「世界の絶景〜世界の絶景はどうできた?〜」。世界の著名な絶景が生まれたわけを、映像を使いながら解説するというもの。べたな内容と言えばべたな内容。現場に行って解説して欲しかったな。コロナ禍がなければ、こういった企画もできたのでしょうがね。「ローマ」「パリ」だけで途絶えてしまったから、残念なことです。取り上げられたのは、次の絶景ポイント。「グランドキャニオン」「ヒマラヤの起源/インドの衝突」「伊豆半島」「アイスランド/地上に現れた地球の裂け目(ホットスポットと重なった)/バイキングの文化を伝えているとして世界文化遺産」「ハワイのホットスポット」「ビクトリア・フォール」「カッパドキア」「43年前の北米山体崩壊(映像が残っている)」。次回は「佐賀編」だそうです。いつ放送なんだろう? 画面に出ていたはずなんだけど、チェックを忘れてしまった。


2023年 2月 18日(土)午前 7時 56分

 昨日から週末を含んでの4日間は、市民向け公開講演会といったもののお世話になるという予定が入っている。その内の今日だけはお出かけで、あとの3日間は、自宅でオンライン配信で視聴となっている。その予約も入れてある。土日2日ともを、そういった形で過ごすというのは、珍しいんじゃないかな。今日からは、また雨が来るようだけど、昨日は快晴、しかも、気温は上昇気味。一昨夜は、久しぶりにマッチが入った日。ヨーロッパのカップ戦だから順延は叶わなかった模様、場所がトラブゾンだっただけに、開催するには問題はないけど、日本風に書けば自粛ムードがある中の開催だった。そんなで、マッチの情報収集というのも、久しぶりだった。それがあり、講演会の開始時間が午後1時10分、しかも、同志社大学の田辺校舎に行かねばならないというので、結構、タイトになった。お昼ご飯も、おむすびを買い、大学構内で食べるつもりだったけど、ベンチのレイアウトなんかが、以前と変わっていると困ると思い、結局、近鉄興戸駅にベンチがあり、且つ、客が少ないということで、駅でぱくついた。キャンパス内には、食べる場所が増えていたので、次回は、そちらで食べることにしましょう。夏に続き、「2022年度 同志社大学公開講座」全6回の内後半3回が始まりました。辺鄙な場所での開催にも拘わらず、同志社のネームバリューに惹かれるのでしょうか、毎回、多数の参加。今年のテーマは「歴史にみる技術と表現」。その第4回目は、「東南アジアの土器作りと弥生土器」というお題で、立命館大学文学部教授の長友朋子さんのお話を聴くことができました。お題に「東南アジア」とあることから、この地域には、大きな古代の土器が残っているということくらいは知っていたので、そのお話だと思い込んでいました。ところが、それは、ちょっと考えれば変なことに気づくことだったにも拘わらず、レジュメを見るまでは、そう思い込んでいた。変だと言えるのは、この6回シリーズ、残りは全部、日本史ばっか。なのに、ここで、突如、東南アジアが出てくるとなると、一応、日本史関連で出てくる東南アジアでしょうに、そう思えなかったことを恥じ入るばかり。というのも、長友さん、思いがけない手法を用いて、日本の考古学の分析をされていたのです。そこに東南アジアの切り口が必要だった。長友さんの専門は、弥生時代の土器。その土器製作は、窯を使わない、野焼きの時代だった。野焼きは制作現場の痕跡は残らない、使われる道具も木製だから残らないということで、技術的な側面を把握するのに困難なもの。ところが、その野焼きを、現在でも行っている所がある、それが東南アジアだった。タイや中国で野焼きが残っているので、その野焼きを観察して、その特徴を掴まえ、古代日本史の分析に役立てようと考えた。歴史の分析に、民俗学の分析を使った。この掟破り的な発想が凄い。すると、その中から、制作の数量、時間、そういったものと、それを作る人たちに、おもしろい関連性があることが浮かび上がってきた。また、野焼きでできる特徴を知ることができて、弥生時代の土器の焼き方の変化、そういったものも判ると同時に、社会の構造も見えてきた。分業体制(専業者の存在)の進み具合が見えてきた、そして、この体制が生まれてきた背景、ここには、ホント、びっくりした、従来の分業体制が生まれる背景として考えられてきたこととは、全く異なる背景を導き出してしまった。経済的側面で語られるのが定番、黄紺ですら解っているほど有名の論理、それで説明するのじゃなくて、政治的側面で説明しちゃった、これは驚いたね! 去年、京都女子大でヨーロッパ中世都市の成立で、従来、ありえないと言われていた時期に、その成立があったと言われたときの驚きに匹敵するものだった、その驚きは。序盤の基本成形・整形についてのお話は、本日唯一の居眠り、民俗学的調査で見えてくる、紐粘土形の土器の工程の詳細を話しておられた部分です。その情報とは別に、製作数と表裏の関係にある製作時間、それらのパターンで看えてくる、制作をしている社会の分析。制作数が少ないところは、確実に自給自足的な生活をしている。必要なものを時間をかけて作る。それに制作数が多いところでは、製作自体にかける時間が短い。こういったところに専業体制が生まれていたことを指し示す。合理的制作法で、多くの時間をかけ、多くの生産数を誇るとなると、専業的な体制ができてると言っていいのではないかということでした。また、野焼きの土器には、黒斑が付いている。そう言われてみると、弥生式土器なんかで、そういった黒斑なるものを見たことがあるから、そそられるお話。それは、野焼きをするときに入れる薪や藁、土が炭化することで付いたもの。土器の内側にも黒斑が看られるのも、中にそういったものを詰めて焼いたことの証拠。それが、どのように付いているかで、焼くときの土器の並べ方が判って来る。そういったことを民俗学的手法で得て、実際に出てくる弥生式土器の制作技術を点検したというわけだ。すると、弥生式土器に、黒斑が、その両面(180度異なる面)に出てくるものがある。それは、藁を両面に置いて焼いていることになる。それは、土器を積んで焼いている証拠。量的に多く作るようになった証拠でもある。土器の規格にもチェックが入っていた。同じ形の、同じ大きさの土器、それが、如何に「同じ」ものを作れているかのチェックだ。これも、民俗学的調査の類比的考察から生まれてきた。時間をかけ、作る数も少ない、自給自足的に制作しているところでは、ばらつきが大きいというのだ。ところが、仲買人が入ったりして、大量に作っている土器はばらつきが少ない。より「同じ」ものが作られている。専業の職人の技が冴えているということになる。その見察を弥生式土器に当てはめた。すると、弥生時代の後半、終末期になると、その精度が上がっていくことが判る。しかも、この時期になると、稲作が定着したため、焼くのに必要な藁が多く出ていることに対応。土器を積んで、大量に作ることが進化していっている。古墳時代になると、その土器の精度は、一層高まっている。こういった「大量生産」「専業体制」を伺わせることが、朝鮮半島ではどうかということも調査されていた。長友さんは、韓国で日本考古学を教え、朝鮮半島の考古学を学んできたと言われていた。近年進む、日韓を往来する考古学者のお一人だったのですね。すると、朝鮮半島でも似た時期に進行していることが判った。2世紀後半から4世紀にかけて「集落間分業」が起こっているということだった。日本の変化から100年ほどしか先行していないとも言われていた。朝鮮半島は、中国の影響があったのでしょうと、技術的な進展が。でも、弥生式土器の変化は、これ、なんでかと言われてたんだけど、記憶から飛んでいる、外部からの影響を受けないで、独自の変化を遂げていると言われていた。よく似た時期に「大量生産」「専業体制」が進んだ。ここで、その背景を語られたときに、驚いたのだった。経済的側面からだけ語られてきた変化ではなく、「東アジアの政治体制の変化が背景にある」と言われたのでした。2世紀、中国では後漢。劉秀光武帝、2代皇帝明帝、この初期がピークだった王朝で、時の進行に伴い体制が崩れていくと、ざっくり言うと、そのように言われる。それが進行していく時代が2世紀。更に時代が進むと、魏晋南北朝期に向かっていくから乱れに乱れていく。東アジアの辺境地への目が行き届かなくなっていく時期、それが、こういった変化を生み出した背景だとの説を出されていた。ただ、ここまで来ると、タイムアップが迫ってきていたので、理論的解説が流されちゃった、聴きたかった。こればかりは。こういったこととは別に、そそられたことが1件あった。焼き方の変化だ、言われてみたら、な~んだということなんだけど、言われなければ気づかないこと。「野焼き」→「覆いを付けての野焼き」→「窯の登場」。「覆いを付ける」というのは、「雨を防ぐ」ために開発されたのだろうということ。火には雨が大敵だという、ごく当たり前のことだけど、ここが、言われないと判らないことでした。


2023年 2月 17日(金)午前 8時 39分

 一昨晩は眠れなかった。PCの不調があったことで、気分的に苛ついていたんだろうか? 眠気のあるときには、PCに向かっており、僅かの間、眠ったけれど、それでベッドに入っても眠れなかった。午前4時を過ぎたあたりで、ついに酒の世話になろうと思ってしまった。これダメなんだよね、それが判ってるのに、手を出してしまった。PCのことから気分が良くなかったのかもしれない、でも、飲んでもダメなんだよね、きっちりと、それを証明してしまった。無理からに飲むと、トイレが近くなり、睡眠を妨げてしまい、その酒で眠れたのは、1時間余だった。PCは、結局、午前中まで、調子が悪く、ようやく午後になり復調。一方、眠気は起こらず、そのまま時間が過ぎた。頭はボーっとしたままで。そして、昨日も、夜にオンライン配信の予約を入れていた。昨日は、調子の悪いPCじゃない方で視聴することにすると、こちらは音声環境が良くない。配信される音声環境で、言葉が不明確になる。これが半ばで現れた、そこへ寝不足が重なり、半ば以後を覚えていない。もう最悪。ただ、今回の配信は、後日、Youtubeで配信があると言ってたので、そちらで捕捉することができる。これを聴いて、ちょっと気が楽になった。でないと、せっかく、一昨日同様、この夜の配信のために、ウォーキングの時間設定を考え、普段のリズムを崩しての一日だったのに、2日連続の潰れでは情けなさ過ぎるもんね。
 昨夜の配信は、大手町アカデミア×人間文化研究機構主催のもの。「ヒップホップから見た現代モンゴル世界-あるいは経済格差と民族分断を乗り越えるための連帯の方法論に」というお題の付いたもの。島村一平(国立民族学博物館 准教授)さんの講演と、その終了後、多葉田聡(読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員)さんとのトークと質疑応答が、そのプログラムでした。実は、島村さんによる、こういったお題でのお話は、コロナ禍で、オンラインで配信された「みんぱくゼミナール」で聴いたもの。とってもおもしろい内容だったもので、このイベントがあることを知り、申し込んであったのでした。お話は、モンゴル・ポップス、中でもラップを切り口にして、現代モンゴルを、更に、国境を越えたモンゴル民族の繋がりを説いて行こうというもの。ただ、モンゴルは、社会主義体制というか、早い話がソ連の衛生国だった。それが、ソ連の崩壊に伴い、世の中の様子がごろりと変った。ここからが、手探りのモンゴル・ポップスの歴史が始まる。その拡張ぶりを時系列的にお話されていた。おもしろかったのは、社会主義の持っている進歩史観が、ソ連崩壊後も残った。自分たちの伝統的な遊牧文化を遅れたものと看做し、外来文化を優越したもの、それを取り入れることが進歩を促すという考え方。だから、固有の民族音楽の西洋化から、外来に文化を自分たちなりに飼いならすことに執心していたとか。そういった音楽の展開も、モンゴル社会の持つ二分化の影響を受けていた。豊かな都市派と貧しいゲル地区。欧米の音楽を取り入れ疾走する都市派。一方は、都市周縁部での貧困地域、人口集中の激しいウランバートルでは、目で観て判る状態。かつての写真、それ以後の写真を見せていただけた。グローバル経済に取り込まれていくとともに、一方では、ナショナリズムの強まり(チンギスハン待望のような)も看られていく時代が並行して進んで行く。音楽も呼応していく。そういったなか、モンゴルの伝統的な音楽などに、韻を踏む詞章という大きな特徴がある。それが、ラップという言葉に重点を置いた音楽にも反映されていくと言います。その辺の細かな展開が、このお話のおもしろいところなんだけど、ラップの中に、特にゲル地区から出てくるラップの中に世情批判、政治や政府批判的なものが出てくると言います。権力をディスり、また、環境破壊を訴えたりするものが出てくるそうです。もう1つの柱となるお話、これは、前に聴いたときに、一番印象に残ったお話だった。国境を越えたモンゴル人の連帯の問題だ。モンゴル共和国だけではなく、中国の内モンゴル地区、ロシアのブリヤートといったところに分かれてしまっている。特に重要なのは、この3つの地区では、使われている文字が異なるという点。モンゴル共和国は、ソ連の影響下、キリル文字を使う、中国では、少数民族保護の名の下、伝統的なモンゴル文字が使われている。同じ民族で異なった文字を持つということは、民族の同一性を損なう危険性のあるなか、この国境を越えるモンゴル・ポップスを通じての連帯、「声の公共圏」というタームを使われていましたが、その大きさを指摘されていました。そういった意味でも、要注意の視点だということが、よく解りました。


2023年 2月 16日(木)午前 2時 43分

 今日は、前半は快調、後半はどん底、そんな一日だった。前半は、毎度おなじみのアスニー山科での講演会。朝からのお出かけだ。帰りは、マートへ迂回をしてのコースを辿りながらウォーキングをするというのは、いつも通り。講演会もおもしろかったしと、快調だった。そして、夜にはオンライン配信の講演を聴く予約がしてあったものだから、かなり早めのウォーキングに出かけた。これも順調。そんなで、きっちりと一日分のウォーキングもこなし、態勢を整えて、夜の配信に備えた。ところが、まただ。PCの不調で、立ち上がらない。時間を超過して立ち上がったので、これなら、まだ講演に遅れを取らないかもと思ったのだけど、今度は、Zoomが、全く言うことを効かない。そんなことをしている内にフリーズしてしまった。再起動しても、ダメ。古いPC、Windowsの更新にぶつかると、こないなことを繰り返してくれる。今回もそうだったみたい。結局、完全に諦めた。そんなで、意気消沈。せっかく、このために生活の流れを組み立ててきたのに、いったい、自分は何をしていたのか、、、? 新しい方のPCもおかしいしね。こちらにもZoomを入れておかないと、こういった場合に、諦めるしかなくなってしまう。
 「魏志倭人伝で読む、卑弥呼と人々のくらし」というのが、アスニー山科の講演会のお題。お話をなさったのは、阪南大学国際観光学部教授の来村多加史さん。昨年に続いての「魏志倭人伝」での登場です。さすが、このテーマだと混むだろうとの予測通り、爺婆で、会場は埋まってしまいました。「魏志倭人伝」を3区分、昨年は、位置を示す第1段落、今回は、卑弥呼の国の様子を認めた第2段落が取り上げられました。流れは単純、原文・書き下し文を掲げ、その意味するところを、解説を加えながら話す、これだけだけど、内容の持つ強さです、おもしろいのです。その内容をメモっておきます。「入れ墨の風習、その目的は、海女と同じで、水に潜る仕事をする習慣があったそうで、そのときに、サメのような水生生物からの害を防ぐのが目的、この習慣は、書き手は、会稽(寧波辺り)のような南部の習慣をしていることで、日本列島を、朝鮮半島から南へ連なると考えていたようだ」「倭人の髪型と衣服、男子は紒(まげ)を結い、それを露わにしていた、中国では、髷(まげ)は他人に見せてはいけないというマナーがあったので、軽蔑の眼差しがある、婦人は、髪を垂らし、屈紒(くっけい)していた、この髪型は、高松塚古墳の壁画に看ることができる、服は貫頭衣」「織物・動物・武器、稲・麻布・絹布、牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)はいない、武器は詳細に書いている、実際に見たものを書く、軍事的に重要な情報なのでしっかりと見ている、矛・楯(盾ではない、楯は木製、こういった書き方に鋭い観察眼が看て取れる)、木弓(これも木と記す、中国のものは合板で短い、日本のものは伝統的に長い、そのため、矢を携える箇所が中央ではなく下部になる)」「日常生活、温暖で生菜を食す(中国は寄生虫を恐れサラダは食べない)、常に徒跣(とせん/裸足、中国は喪中のときだけ)、身体に朱丹を塗る、手で食している」「葬儀の習慣、棺を使うが槨(かく/棺を入れる作り付けの枠)はなし、喪は十余日(中国に比べかなり短い)、喪主は哭泣が他は歌舞飲酒(中国の不言の礼とは違う)、葬ったあとの禊に練沐(服を着たまま水を浴びる)をする」「航海の無事を祈る習慣、汚い人を敢えて船に乗せ、災いをその人に吸収させる」「産物と動植物、詳しく分類していることから相応の知的な人が書いている」「卜骨占い、中国同様の習慣が倭国にもあった」「柏手を打っていた、会衆の席次に区別なし、酒を嗜んでいる」「身分の高い男は婦人を4~5人、低い者でも2~3人の婦人を持つ、法を犯すと、妻子を没し、重い場合は門戸を滅ぼす(滅=焼き払う、滅の字には火が入っている)」「(時間が無くなりはしょりながら)高床式倉庫の存在、挨拶の仕方など」。とまあ、生活の様子を伝えるおもしろいもの。何度か言われていたけれど、目的を持って、現地に行き、しっかりとした観察眼を持った者が認めたものだということでした。「魏志倭人伝」は、まだ第3段落が残っているので、1年後に、続きを聴けそうです。そして、おもしろかったのは、その報告が丁寧であること、漢字って、そういった意味で便利です。文字一つで、ものの実際が変わってくるわけですから、それにより、詳細なレポートが可能になるということですね。


2023年 2月 15日(水)午前 7時 38分

 昨日は、天気が悪かった。午前中に、霧雨が断続的に降り、洗濯物を片付けるのに、隣の奥さんが慌てていた。雨だけではなく、寒かった。ここ2日、暖かな日だったもので、この寒さは堪えた。その冷え込みは、夕刻には、雪を降らせていた。完全に、冬に逆戻り。でも、まだ、2月半ば、我慢のしどころです。昨日は、正午に歯医者の予約、そして、午後6時からの講演会に申し込んだら、当選の連絡をもらったので、夕刻からのお出かけという日であった。そんな天気、予定だったが、ルーティンにしているウォーキングはいつも通り、それらの合間をぬって実施。いつもの量をこなすことができました。
 夜の市民向け公開講演会は、国際日本文化研究センターと京都新聞の共催で行われた「第6回アカデミック・ブリッジ」。場所は京都新聞文化ホール。黄紺は、この講演会、前にも参加したことがあったはずだが、会場は、こちらではなかったので、初めてのところだと思う。今回のお題は「東シナ海が生んだ京文化」。まず、パネラーの方のお話が前半、後半は、「質問に答える+α」という流れでした。パネラーとして登壇された方、オンラインで聴取+メールで意見を寄こされた方、参加形態はいろいろだったけど、拡散しそうなテーマをまとめられながら意見を出され、わりかし楽しめたイベントとなりました。お話をされたのは、次のような方でした。①鄭淳一(高麗大学歴史教育科副教授/国際日本文化研究センター外国人研究員)②本多潤子(相国寺承天閣美術館学芸員)③朱莉麗(復旦大学文史研究院副研究員/国際日本文化研究センター外国人研究員)。なお、③は体調不良で、オンラインで各講演を視聴、会場には姿はなく、榎本渉(国際日本文化研究センター准教授)さんが、その内容を、朱さんの発表の趣旨に沿ってまとめるというもの。全体の司会は、内田孝(京都新聞社特別編集委員)さんが行われるという夫人でした。①では、前半が渤海との交易、後半は沈没船の新安船(新安沈船)の紹介という形でのレポート。渤海の場合は、東シナ海ではなく日本海を通じてのものとはなるけれど、交易品についてのお話。契丹についても触れられていたけれど、おもしろかったのは、ここでもたらされた虎や貂の毛皮、渤海からの使節を迎える平安京貴族は、そういった毛皮を重ね着していたとか。後半の新安沈船もおもしろかった。その存在は知っていながら、この船自体がどのようなものだったか、初めて知ることになった。この船の仕立てたのは東福寺だった。1323年の沈んだようで、1319年に東福寺で火災があり、その再建費用調達に、この船が中国(寧波へ入るのが当時の常)から積み荷を積んで日本へ戻る際、朝鮮半島沖で沈んだということだった。こういった寺社の設えた船が東シナ海を往来していたようで、1回の積み荷で、今の金額にして数億円以上の価値だそうで、それで寺社の造営費用を賄っていたとか。大量の銅銭、陶磁器、木簡などが出てきているとか。海に消えてしまったろうものには書画が想定できるそうだ。それも加えると、更に想定金額は上がるというもの。②では、相国寺の紹介があり、と言っても、前に出されたパワーポイントの画面が見えるような状態じゃなかったので、音声だけを聴いていると、塔頭についてのお話があっても、多くの塔頭があるのだろうというくらいしか判らないまま。金閣寺や銀閣寺は、相国寺の山外塔頭の位置にあること、初めて知りました。義満の花の御所の東隣りにあったとか。大変な思い違いをしてました。相国寺は、その御所の跡に建てられたとの勘違い。めちゃくちゃな思い込み。そういった相国寺から、中国へ行く禅僧たち。中国からやって来る禅僧たち。その報告書や正式文書は本山に収められるが、彼らが携えてきた宝物は、そういった塔頭に収められたようで、各塔頭に残っているようです。夢窓疎石のことをお話しされていたけれど、よく判らなかったので、メモのしようがありません。③では、妙智院という天龍寺の塔頭が取り上げられていました。その妙智院三世当主の策彦周良が遣明使として派遣され、日明交流に関わったということで、ここで取り上げられたということです。ここでも、中国への入港は寧波、そこから明の都(北京時代)への移動が許される期間、策彦周良は、当地の文人と交流したらしく、その成果が残っているというわけだ。お話で取り上げられていたのは絵画。その絵画の分析もあったけれど、これは判らん。レジュメを見ても、当時の中国絵画の特徴が出ているということは判るのだけど、それを、どのように看て取るのかは、さすが無理です。だから、そういったところに交流の跡が伺えるという程度ですね。考えてみると、①~③まで、取り上げられたのは、全て禅寺に禅僧たち。遣唐使が国家事業だったのに対し、それ以後はそうじゃなくなり、往来が激しくなる。自由になる。①で指摘されていたけれど、そういった中に、商人だけではなく、海賊といった者どものいたはずです。テーマ自体が広くて、もう少し、明だったら明と限定して報告をしてもらえたら良かったのにと思える内容。日本側からの時代限定でも良いしと、漠然としすぎていたテーマ設定に疑問が残るイベントでした。


2023年 2月 14日(火)午前 7時 43分

 数日前から、左下奥歯に違和感が出ていた。虫歯かな、だったら、嫌だなと思っても、目で確かめることができる場所でもなく、でも、痛み出すと、歯は厄介だと、ちょっと気にしていたら、あっさりと結論が出た。治療を受けた歯の被せ物が取れてしまった。だから、取れかけのサインが、舌で歯に触れたときの違和感だったのだ。ただ、取れた跡に大きな穴ぼこができてしまったものだから、食事がしにくい。左側では噛むわけにはいかないものだから、食べていても美味しくない。一昨日が日曜日だったため、医者には連絡ができなかったから、昨日は、朝から、それが気になって仕方がない。こういった事態になっているのに、医者の診察予約を取るのを忘れたらどうしよう、そんなことを考えていた。いつもの忘れが、ここまでも及ぶんじゃないかと思ったんだけど、さすがに忘れなかった。忘れちゃいけないことばかりが頭にあり、午前中のウォーキングも、まずは歯医者に行こう。電話で、予約は済むのに、なんか対面で予約を取らないと落ち着かなかった。そんなで、診察開始時間30分余前に家を出て、9時には歯医者に行けるように歩き出す始末。別に痛むわけじゃないので、速攻で診てもらうことも考えてはいないのに、忘れちゃいけない、こればっか考えていた。事情を説明して、「痛むわけではないので、すぐに、、、、」と言いかけたところで、あっさりと、今日の正午に診てもらえることになり、一安心。問題は、行くのを忘れないかなんだけど、ま、大丈夫でしょ、これだけ、頭にこべりついてるんだから。
 昨日も、午後はお出かけ。お出かけ先は、枚方市総合文化芸術センターへ。こちらのひらしんイベントホールで、「市民歴史講座“戦国期の寺内町と枚方”」の第2回目がありました。昨日は、「枚方寺内町の立地について」というお題で、大山崎町歴史資料館館長の福島克彦さんのお話を聴くことができました。福島さんは、本業の方で、司会をなさったり、講演も、どこかで聴いた記憶があります。安心して聴ける、いろんな幅の広いことを押さえられている方とインプットされていたので、楽しみにしていた講演会でした。でも、今回は、前半に時間を取られ過ぎました。別に尻切れトンボになったわけではないのだけど、完全にペース配分、恐らく計画段階でミスられたのじゃないかな? 前半を、パワーポイントで、淀川の風景、今昔を見せながら、如何に、物流として際立った役割をしてきたのか、また、そのためにあった施設ばかりか、お題には直接関係ない住居の様子、そうそう冒頭では、我々の知っている淀川の姿は近代の産物だということも話されていた、三川合流なんて姿はなかった、三川合流という今の姿ができたため、大山崎は浸食され土地を失ったという大山崎愛に溢れる名調子。特に、後半の展開に関係ある関を、しっかりと押さえようとされていたように思います。次いで、これは、配布資料に掲載された古地図を見ながら、枚方地内町の位置、それと、その後にできる枚方宿の位置といった、後半のお話に繋がる事柄の押さえだったんだけど、これが解からない。というのも、枚方市元在住者の黄紺にも、どの位置のことを言ってられるのかが判然としなかったのです。ここは、パワーポイントで講釈して欲しかったな。口で言って判る、それも地図の話でやられちゃうと、これは困った、お手上げ気味となると、ここで出た、居眠り、軽くだったけど、解らないところで、うつらうつらしちゃうと、ダメですね。後半がお待ちかねの内容。福島さんの熱量も上がった感がありました。「近世に伏見に港ができるまでは、淀川の港と言えば、淀・大山崎・鳥羽だった」「淀川舟運の発展とともに水路関の登場、史料的には13世紀前半に出てくる、京・奈良の寺社が管理、修理等の財源とする、淀川は、川底の深い箇所が線になっているので、川幅が広くても通行できる箇所を管理できる」「水路関の場所=神崎、渡辺、禁野、鵜殿(高槻)、楠葉、大津、坂本、、、やがて、三屋、岡が出てくる(南北朝時代の史料)」「(余談)磯島と禁野の間に川があったようだ、天の川と淀川の合流地に土砂が堆積して無主地ができていったようだ、磯島は河内ではなく摂津、淀川の流れに変化があったようで、磯島は元々は右岸だった可能性がある」「15世紀半ばの春日神社の史料には、淀・三屋・三島江上・三島江下・大庭(現摂津市)に水路関があったとある、関のあった場所は、流通の場だったことから集落の存在も想定できる、それが寺内町が生まれる前の姿」「同時期の史料には、岡にも関があったとある」「現在の枚方元町という地名が、寺内町があったことを示してくれている」「枚方寺内町の存在を示す史料=“細川両家記”(1529)に「枚方と道場(三屋・岡)」、“大文日記”(1546)に大坂本願寺の証如が枚方の真宗拠点に命令書を出している、“私心記”(1558)に実従が枚方に入り寺号も順興寺と命名されている、“信長公記”に“比良かた寺内”と初めて“寺内”表現が出る」「“私心記”の記述=順興寺の構造(御堂・御堂南屋敷・御堂庭・築地・裏茶湯屋敷など)、土を固めるために盆踊りをした(町衆の参加)」「寺内衆は、下町・蔵谷・上町という3つの地縁的共同体から成っていた」「川方向が表で京阪の踏切がある辺り、裏が尾根沿いにある現枚方小学校のある辺り、ここに“裏土居”“裏堀”があった、更に外側に火葬跡が確認されている」「専守防衛の考え方が徹底されており、土塁の維持管理が行われていた、これは蓮如のときからの考え方」「表の方に残る商家跡と考えられる遺跡から大きな甕が出土している、油壷だと考えられている(このトピックは、“ブラタカシ”の映像で実物を見せてもらっているもの)」。実は、この後半が、とっても期待していた問題。ここに時間をかけて欲しかったのです。でも、根拠となる史料は抜かすことなく走破された感じ、熱量のこもったお話をされるから、福島さんの講演って、記憶に残るんだよね。
 時系列的には逆になったけれど、朝の一時があったので、観ることのできてなかった「Oper Vision」の新作群から1本をピックアップ。ドロットニングホルム宮廷劇場の「アグリッピーナ」(シュタッファン・ワルデマル・ホルム演出)。歴史的建造物での公演記録ということで、奈落でのスタッフの動きまで映してくれている。両サイドの壁や背後の壁を換えたりするのは、数人がかりで木の大きなハンドルを回したりと、それを観るだけでもそそられる映像。舞台は、装置なし、全て、壁面の装飾と建物自体が生み出す雰囲気のなか、歌手の動きだけで進めるというプロダクション。がために、ちょっとくさい動きも見えないわけではないけど、古風な衣装も映え、これはこれで楽しめる。そんなだから、歌唱だけではなく負担のかかる歌手陣だけど、主役級の歌手が優れもの。しばらくは、この映像、楽しみます。


2023年 2月 13日(月)午前 6時 3分

 昨日は、午後に、落語を素材として、昔日を偲ぼうというイベントの予約がしてあった。抽選で行けることになったというのが正しい書き方。ただ、日曜日だということで、朝には「日曜美術館」があった。それを観てからの僅かの時間を利用して、ミニウォーキング。ここで、少しでも動いておかないと、そういった時間を確保しにくいと思ったので、寸暇を惜しんで歩いた。ミニミニだったけど。そして、イベント終了後の時間を活用して、ここでもウォーキング。かなり量的には確保できたけど、普段の9割というところ。ま、ここまで頑張った。一昨日、歩きすぎているので、これで十分でしょう。
 昨日の「日曜美術館」のお題は、「完璧なやきものを求めて 板谷波山の挑戦」。最近、あまりない、過去の大家を取り上げ、スタジオにゲストを招いて、MCの2人とのお喋りで進めるという形式。板谷波山、さすがに、黄紺も知っていた。細かなことは、全然分かっていないので、知っていたというのは恐れ多いけど、名前は知っていたという程度なものだけど。「日本近代陶芸の最高峰」という言い方がされていた。確かに、番組を聴いていると、陶芸というジャンルを、アートの一シーンだと認めさせたというから、そういった言い方をされるというのも納得でした。取り上げられた作品をメモっておきます。①葆光彩(ほこうさい)珍果文花瓶(近代陶芸作品では初の重文)②唐花文壷③元禄美人(彫刻作品、東京美術学校には陶芸科がなく彫刻科へ、高村光雲と出逢う、卒業制作)④鴨形花瓶(石川県工業学校へ赴任、彫刻から陶芸科へ、当時アールヌーヴォー様式が流行っていた、その刺激を受ける)⑤彩磁***⑥彩磁金魚文花瓶(東京に戻り窯を作る、ろくろは職人に任せ、彫り込み、彩色などを本人が担当するという形態、金魚の口から水泡、アールヌーヴォーを取り入れた)⑦彩磁紫陽花模様花瓶(初の入選、日本美術協会展3等賞)⑧彩磁桜草小花瓶(釉薬の開発に勤しむ、その釉薬調合帳が残る)⑨葆光彩磁葡萄唐草花瓶(自らの釉薬開発)⑩葆光彩磁珍果文花瓶(①と同じ? 日本美術協会展1等賞)⑪氷華磁仙桃文花瓶(氷華磁=白磁、葆光彩磁は大正期に作り昭和初期には作らなくなる)⑫彩磁禽果文花瓶(重文、鳳凰が主役)⑬青磁瓢花瓶⑭青磁菊香炉⑮青磁鳳耳花瓶(宋時代の官窯を目指した、「青磁 鳳凰耳花生 銘万声/和泉市久保惣記念美術館所蔵」に似せる)。「葆光彩」という独特の釉薬を使った磁器(ヨーロッパの影響を受け、陶器より磁器に人気が入った時期)作品を見ると、なんか、ヨーロッパのミュージアムで陶磁器作品が展示されていると、よく見かけるテイストの作品、それが、アールヌーヴォー様式というやつなのでしょうね。カメオを陶磁器に移し替えたようなテイストというイメージが、自分にはある。もちろん、思い込みなんだろうけれど、そんな印象を持ってしまうのです、板谷波山の作品を目にするとき。番組の中で、波山作品の再現を試みるというシーンがあったけれど、素焼きの壷に彫りを入れていく作業が、とっても細かなもので、手が触れるだけで、表面が削れ、粉が出て、その粉が、彫った溝に残るだけで、焼いたあとに影響が出てしまう、とってもデリケートなものと言ってた。同様に、釉薬の濃淡を着けるのも至難の業とか。簡単に浸み込んでしまうため、釉薬の重ね具合を目で確認できない作業となるそうで、ここでも、とってもデリケートな作業になると言っていました。また、番組では、波山の使っていた作業現場跡の発掘の成果も紹介していたんだけど、そこから、失敗と判断して割ってしまった欠片が大量に出てきている。それを分析すると、波山が作品として発表はしていないけれど、試みの跡を観ることができると言ってました。その中に、法隆寺に残る錦を焼物で再現しようとしていたらしいことが判ってきているそうで、実現はしなかったが、そういったことで、焼物表現の可能性探っていたのだろうということだった。陶芸家としては、初の文化勲章も受賞しているそうです。
 午後は、源氏物語ミュージアム主催の「源氏寄席ー川の流れとともにー」。場所は宇治市生涯学習センター、初めて行くところでした。JR宇治駅から宇治文化センターに行く途中という位置、久しぶりの旧宇治に行くことになりました。イベントの内容は、中川兄弟(兄:中川桂/二松学舎大学教授、弟:林家染左/噺家)による、落語のネタ解題&実演というもの。この兄弟が、最近では、池田で開いている会の宇治版と言えるもの。この企画、最初は、梅田が会場だったこともあり、毎回のように行ってたけれど、その後、会場が、石橋や池田に移ってからは、足が遠のいた上にコロナ禍だから、すっかりと無縁になってしまってたが、宇治まで来てもらえるなら、行かないという手はないですね。昨日は「三十石」が取り上げられたけれど、数年前には「崇徳院」を取り上げてのイベントがあったということでした。源氏物語ミュージアムは、「古典に親しむ」を掲げて、こういった企画をされているようですので、今後も要チェックです。イベントの構成は、解説・落語・対談というものでした。「解説」では、三十石船というものの解説、規模・運行状況・料金などとともに、落語の中に出てくる伏見人形の紹介があるかと思うと、下げについては、ちょこっと、元々の下げの紹介は落語の口演後にありました。染左の口演の序盤、「京見物」のパートでは、染左の切れが悪い。あとで、その言い訳のような話があったのですが、この部分の口演は3回目だと言ってました。この部分を入れると長くなるので、簡単に口演する機会がないということで、下手を打ってしまったようでした。短い歌が出てこなかったりと、普段の染左では観ることはないだろうと思える事態も発生。そういったなか、八坂神社まで出て来てました。昨日は、お囃子も入らなかったので、上手くごまかしながらの進行。船の漕ぎ方の箇所などを巧く活用して、無理からにカットしている様子に触れないようにできていました。舟唄が、いい声で良かったなぁ。もちろん、幕内との掛け合いもできないので、情景の拡がりができるのには苦しい環境だったのは致し方ないですね。枚方の米搗き唄でしたっけ、それは歌うのかなと期待していたのですが、それもカットして、「三十石は夢の通い路」で下りました。これは、ちょっと残念。会場には、ディープな落語ファン氏も、宇治市内にお住まいということで来られてて、言葉をかわしました。大阪には足を運ばないようになっている黄紺を覚えていただいているだけで、感謝です。ちょっとした落語の話をするだけで、テンションが上がりますからね。


2023年 2月 12日(日)午前 7時 36分

 週末4日間連続のお出かけかと思ってたら、来週の予定を見ると、その後も続き、結局、今のところ、連続7日間のお出かけとなっていた。こうなると、ちょっとした体力勝負。昨日は、その7日間で、唯一音楽を聴く日だった。午後に、京都コンサートホールにまで出かけるということで、朝早めに、昼前のウォーキングを、普段通りすると、京都コンサートホールへの往復は、かなりヘビーなものだから、帰宅をして万歩計を見て驚いた。ほとんど2万4千歩となっていた。さすがに、これは歩きすぎ。腰に負担が来なければ良いのですが。実感としては、そんなに歩いた感じはしないのだけど、歩いた跡を振り返ると、そのくらいの歩数に、確かになる。疲労とかがないということなんだけど、翌日以後に影響が出なければいいのですが。
 コンサートは、オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.71「オルガニスト・エトワール“三原麻里”」というもの。定期的に行われているパイプオルガンのコンサート。このシリーズは、以前に1回だけ行ったことがある。せっかく、パイプオルガンを聴けるのに、もったいないことしていることに気づいたので、これからは、頑張って行こうかなの気持ちとともに、Dに、パイプオルガンというもの見せてやりたい、聴かせてやりたいね。息子にはコンサートへ連れて行ってないけど、ウィーンのザンクト・シュテファンで、一緒に聴いているので許されると思っている。あのときは、まだ、息子は高校生だった。そんな黄紺なのに、昨日のコンサートにいったのは、金管五重奏 MIYABI 雅との共演という目玉を見つけてしまったからだ。金管とパイプオルガンの組み合わせって、ピンと来ない、だから、聴いてみたいとなったのだった。そのプログラムは、次のようなものだった。「ヘンデル:《王宮の花火の音楽》より〈序曲〉★」「クラーク:デンマーク往時の行進曲★」「クープラン:《修道院のためのミサ“グローリア”》より“プラン・ジェ”“クロモルヌ・アン・タイユ”“グランジェの対話”」「J.S.バッハ:G線上のアリア、幻想曲とフーガ ト短調 BWV542」「フランク:《3つの小品》より〈カンタービレ〉★」「ヴィエルヌ:《オルガン交響曲第2番》より 第3楽章〈スケルツォ〉」「ヴィドール:《オルガン交響曲第6番》作品42-1 より 第5楽章〈終曲〉」「ヴォーン=ウィリアムス:《ウェールズの讃美歌による3つの前奏曲》より第2曲“ロージーメードル”第3曲“ハブラドル”」「ウォルトン(松岡あさひ編曲):戴冠行進曲「クラウン・インペリアル」★」。「★」が付いている曲が金管付きの演奏だった。「MIYABI 雅」のメンバーは次の通り。星野朱音、守岡未央(トランペット)、向なつき(ホルン)、辻姫子(トロンボーン)、福本恵子(テューバ)。ヘンデル、クラーク、バッハと、ポピュラーな曲が並んだところに、それらと違和感のあるフランスの作品を絡めたというプログラミング。金管の音色がきれいで、なかでも、ピッコロ・トランペットが入ると、普段、聴く機会のない高音のトランペットの音色が聴けるので清々しさがあるとともに、ゴージャスな貴族イメージが付いてくる。冒頭の2曲が特にそうだったかな、前半は、なんか、オルガンの音の流れが、逆に清々しくなく、躓くような歩き方をしているようで、ちょっと居心地が悪かった。フランクからはそうではなくなり、ヴィエルヌの耳慣れないオルガンの音の進行に興味が湧き、ヴィドールでは、逆に教会堂で耳にするような、いかにもオルガンという豪華で、豊かな音の洪水に魅惑されました。最後は、再び、イギリスに戻るという構成。再び、きれいな金管の音に魅惑されていました。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「前橋編」があった。高崎ではなく前橋だったが、これが、地味におもしろかった。なんと、浅間山の山体崩壊で生まれた平らな台地が川で削られた地域と、そのまま台地として残った地域で成り立つという構造。その先っぽに造られた前橋城の運命。利根川に削られていく様を捉えて、タモリが、水を引いてくる知恵があるなら、「そんなこと解らないのか」と突っ込みが良かったな。それと、話が逆になるけど、「前方後方墳」というのがあるというのを、初めて知った。「円」と「方」に対する、古代人の感性って、どんなだったのでしょうね、えらく気になってしまった。タモリも、最後のまとめで、これには「驚いた」と言ってたけど、ホント、驚きだし、保存状態が、頗る良さそうなんで、行ってみたいと思ってしまった。だけど、京都から群馬は行きにくいんだよね、これが。で、「高崎編」というのは、あるんだろうか?


2023年 2月 10日(金)午後 9時 26分

 今日は、朝からお出かけ、そして、ハシゴをした。2つの場所が近いということで、2つを結び付けたというもの。単に、後から出かけたところが、ちょっと遠いので、交通費を節約しようというもの。お出かけは、気分的にいいので、そこそこ入れたいのだけど、近頃の交通費はバカにならないから、こういった効率のいいことを考え出すようになっています。ただ、先に出かけた方が、自分の勝手な思惑で行ったため、正直、外れだった。お題につられたのがいけなかったのだけど、でも、「このお題なら行くわな」と思うと、ハシゴをしたおかげで、不満の解消に役立つことになった。でなければ、ぶつぶつ言いながら帰ってくるところだった。
 その外したお出かけは、アスニー京都での講演会。今日は、京都光華女子大学連携講座として行われた。年に数回、こういった大学との連携講座があるけど、ここ3回ほどは、これが続くようだ。問題のお題は「絵本に学ぶレジリエンス(逆境にめげない力)」、お話をなさったのは、同大学健康科学部教授の徳田仁子さん。カウンセリングの実地にも携わっておられる教育心理学と言えばいいかな、そういった分野の専門家だ。何が勝手判断したかと言うと、お題にある「絵本」中心のお話だろう、そこに現れるレジリエンス集めをされると考えたこと。だから、いろんな絵本を取り上げていただけると思い込んでしまった。黄紺的には、そこで知った絵本を、DやSに伝えてやりたいと考えるから、このお題に飛びついたのだった。でも、主題は、心と体の問題。レジリエンスの分析、日本人的特徴、レジリエンスを培うためには等々、基本的に、実践的な心理学は、全く興味外なものだから、聴いているのが辛い。そうだ、寝よう、こういったときに限り、睡眠障害が出る、何度も目が覚める。でも、紹介されたたった1つの絵本は、しっかりと聴いた。「ええところ」というお題の絵本。ちょっと教訓的な展開かなとは思ったけれど、こんなのもあっていいかなというほど、日常密着型のお話だったので、DとSに買ってやろうの気になっている。そんなのを教えてもらったのだから、文句を言うものじゃない。単に関心がないというだけ。
 京都アスニーを出ると、JRで、円町から嵐山に移動。嵯峨嵐山文華館に、初めて行った。ここに行くためには、渡月橋の脇を入らねばならないので、どうしても、天龍寺前の、観光客で賑わう道を通らねばならない。人が多いのが嫌なので避けたいのだけど、仕方がありません。嵯峨嵐山文華館では、今、企画展「絵で知る百人一首と伊勢物語」が開かれています。1階の展示室では、百人一首に顔を出す歌人などを描いた作品、2階の和室の大広間を使った展示室では、「伊勢物語」の各段に関わる、繋がりのある作品が展示されるといいう趣向に惹かれて、且つ、HPにある展示リストを見て行かねばの気にさせられてしまいました。1階では、百人一首が、カルタの素材として拡がっていく様子を、時系列で、ざっくりと展示されてもいました。そういったなか、池田孤邨の「三十六歌仙図屏風」が目玉なのでしょうか、表情豊かな歌人が、かなり詰めて描かれています。黄紺的には、その傍らにあった「無礼講図」が傑作で、見返してしまってました。「傑作」というのは「可笑しい」という意味です。幸野楳嶺と、その門下の5人(菊池芳文・谷口香嶠・竹内栖鳳ら)が、酒の勢いで歌人を1人ずつ描いている。戯れ事なのでしょうね、業平が刀の替りに筆を挿している、小野小町は、長い髪を筆に見立てて絵を製作中、そういったもの。楽しいね、こんなの。菊池契月の「六歌仙図屏風」は、金地に何やら思惑を込めた歌人の表情が、観る者の想像を掻き立てる。菊池契月の描く人の表情は、どれを観ても、人の想像力を刺激しますね。この豪華な作品から、少し離れたところにあった竹内栖鳳の「秋夕図」はそそられました。水墨画でした。その濃淡で、縦長の軸ものだけど、横への拡がりを感じさせます。西行でしょうか、出家者を包む寂漠とした佇まいがたまらないですね、これ。伊藤小坡の美人画も2点、なんか、この人の描く美人画は、女性の身分に拘わらず、品格があるように見えますね。今日もそうでした。2階の「伊勢物語」は、展示形式が楽しいもので、やっぱ、キュレーターって、凄い人たちと思ってしまいます。「伊勢物語」がいくら長いといえ、そのお話に関わる絵画作品を、それも限られた数の中から選び並べるという、よくやりますね、ホント。ここでも、菊池契月の人物画が2点(「在五中将」「美人図」の2点、前者は業平を描いたもの)。この2点は、おとなしいけど、目に焦点化された表情に目が行っちゃいますね。そんなのがあるかと思うと、場所、季節を連想させる作品も並ぶ。小野竹喬「大和風景」、富田渓仙「朧月梅花図」、山口華楊「麗春」、小林古径「芥川」などが並んだ。すっかり、黄紺的にも馴染み深くなった作家さんの作品を使いながら、「伊勢物語」を解いてくれていました。楊洲周延の浮世絵「東錦昼夜競 在原業平」というおもしろい作品があった。江戸末期から明治にかけての浮世絵師だから、世間のニーズ、世間が喜びそうなデフォルメ、演出が施されている。庶民への受け狙い的なところがあるのでしょうね、楊洲周延の名は、要インプットです。世間では有名な作家さんなんでしょうが。そういったなか、前田青邨もの(「住吉詣」「菖蒲」)の傍らにあった大作、都路華香「蔦図屏風」が、本日一のお気に入り。二双の内左双の左に大きな空白、右双には、色の濃淡の異なる蔦が垂れている。それらが揺れていました。近場から眺めても、遠目から眺めても揺れてました。ええもん観ました。俵屋宗達、円山応挙、土佐光起といった大家もあったんだけど、黄紺的にはさほどというところでした。


2023年 2月 9日(木)午後 9時 6分

 今日から週末にかけて、4日連続で、お出かけ予定を入れている。ほぼ、そのまま実行に移すと考えている。その中に、落語会が2つ入っている。しかも、今のところ、2月に行くことになっている落語会は、この2つだけ。1月は3回、3月は2回、4月は1回。3月以後は、今のところということで、今後のことだから、増える可能性はある。京都・大津界隈限定で、このペースを保っていければ、御の字というやつだ。まだ、先日の韓国旅行の往復以外は、コロナ禍では、大阪市内には行っていない。3月に初めて、大阪市内の外れで芝居に行くことは決まっているが、あくまでも外の位置。ただ、平日の昼間の落語会には行こうかなという気にはなってきている。もう生活のリズムが出来上がっているので、夜間の会には行く気はない。その一方で、3年間気づき上げてきたお出かけ先があるものだから、わざわざ大阪に行かなくても良いという感覚もある。現実問題、予定表が、そういったお出かけで詰まりきっている、出かけなくてもオンラインでお楽しみができている、そんなだから、丸々空きの日が欲しいと思うくらい、実際、オペラ配信の新しいものが増えるばかりで観る時間が取れていない。そんなこと前にして、わざわざ大阪まで出て行かなくてもの気が出てきて、かなり、しっかりとしたものに、自分の中ではなってるね。これは、なかなか手強い、簡単に、自分の気が変わりそうもないとも思ってる。
 今日のお出かけ先は、文化パルク城陽のプラネタリウム。今日は、こちらで「笑福亭喬介落語会in城陽市」。去年の10月以来だと言ってましたから、今までのことを考えると、間が開いたという印象が残ります。その番組は、次のようなものでした。喬明「狸賽」、喬介「看板のピン」「算段平兵衛」「仏師屋盗人」。今日は、往きの電車の中で、読書をしようにも続けられないほど眠く、やばいと思ってたら、やっちゃいました。どうも、椅子の座りごごちがいいと感じると、ここはベッドになるものだから、ただでも気をつけなばならないのに、ダメでした。「看板のピン」は、ほぼ全滅と言っていいほど、あまりマクラを振らないで入ったので、「珍しいな」と思いつつ、入った途端、「喬明のネタと、完全にかぶっとるやないか」と思ったのを覚えてるくらい。次の「算段平兵衛」も、9割近くダメだったのじゃないかな? 最近、手掛け始めているのは判っていたので、「ラッキー」だと思ったこと、時々、記憶に残る平兵衛のキャラが、えらく明るいのが気になったことは、しっかりと覚えてる。その明るさは、はっきり言って気に入らない。いつもの喬介テイストのままという印象を持ち、「これ、しんどいぞ」と思い聴いていたのは記憶に残っている。そういった、ダメ人間だった黄紺だったのだけど、あとの2席は、超の付くほど、気に入っちゃいました。喬明が、前回聴いたときに比べて、もう階段を2段も3段も飛ばして駆け上がったという感じがしました。入門して以来の時間は無駄じゃなかった、身体に落語が浸み込んで来てるぞの、強い印象を持ってしまいました。喬明の口演中、ずっと、喬明の前に空間が浮かび上がり、その中に喬明自身が関わることで、変化が出るようになっていた。ちょっとした仕草、目の動き、台詞回し、これらが、総合的に、そういった空間を作り出し、そこで生身のやり取りが生まれてるってことなのだと思います。凄いぞ、喬明、独自の世界を創る噺家になるかもしれんぞ、こいつ。「仏師屋盗人」が、黄紺的には、最近低迷の喬介の大ヒット作。こんなに安定した喬介、聴いたの久しぶりだぞ。このプラネタリウムで聴いた「崇徳院」以来かもしれない。喬介の「仏師屋盗人」って、そんなに前からやってなかったよね。黄紺的には初めてのはずです。だからだと思います。とっても、師匠松喬テイストたっぷりめの口演。自分なりの味付けは、これからなんだろうと思わせるものがあったので、そう感じたのだと思います。喬介は、実は、とってもしっかりとしたお喋りができるからこそ、軽く軽く、明るく落語をできる人とインプットされてます、自分の頭には。そのベーシックな実力が、生々しく表したぞと、この口演を聴いて思いました。
 午後に、この落語会が入っていたので、朝は、早めに出かけて、いつものウォーキングの量をこなすことに努めたかいがあり、今日は、いつもよりか、僅かだけど、多めのウォーキングをすることができた。今週は、ここまで、出かけてない分、安定した量をこなすウォーキングだったけど、ここで、それを、ほんの少し上回ったってこと。居眠りをしたと言っても、落語会に行き、日に2回のウォーキングに満足と、今の自分には極上の一日だったことになります。昼間は暖かだったしと、いいお出かけ日和でもありました。


2023年 2月 8日(水)午後 11時 3分

 今日も、お出かけなしにした日。予定表には、映画と美術館が入っていた。だけど、月火と、お出かけはなかったけれど、家で、オンラインでお楽しみがあったため、お出かけなしが続くという印象が薄かった。また、明日から週末にかけて、外せないものが詰まっているので、却って、今日は休んでおこうの気になってしまった。美術館は、別に今日でなくてもいいしね。そんなで、何もないことになったので、散髪に行くことにした。前に行ってから4ヶ月ほど経っているので、タイミングを考えていた。やはり、明日から週末にかけてはいけないとなると、どうも、髪が多くなりすぎの感じが嫌で、今日という日を選んでしまった。あとは、昨日の火曜日が詰まってしまったため聴けてなかった「まーぶる」の続きと、「吉の丞のおつかれさん」を聴いていた。特に、これらについてはメモることはないけど、その狭間に聴いたYoutubeを使った音声配信に聴き入ってしまった。それは、「桂雀太の“ネットでじゃくったれ!”」というチャンネル。これは、かなり以前から流されているもので、黄紺などは、ごくたまに気になる話をしてるようだと推測できたときにアクセスしている。今回、立川吉笑を迎えてのトークを配信していると知り、アクセスしてみた。吉笑は、一番新しいNHKの覇者。それを、数年前に覇者となった雀太が迎える。吉笑がグランプリになってから日が浅いということになれば、今年のNHKのコンペが話題になることは間違いない。そのコンペには、今年は、雀太の弟子の源太が出ている、去年のNHKの覇者二葉とは、仲良しだというだけではなく、二葉のコンペ制覇時のネタ「天狗刺し」は、雀太から渡ったもの。そして、二葉の制覇を、収録と放映との間に呟いたどころか、ネタになっているようだが、隠すことはおかしいと、NHKに掛け合いに行ったなんてことがあった。これは響くものがあったのか、聴いてみての大正解。源太のファイナル進出の条件が、雀太が、たとえファイナルの結果を耳にすることがあっても、昨年のようなことをしないということだった。それを、NHKが電話で確認後、源太のファイナルを公表したそうです。もちろん、源太自身は、NHKから釘を刺されたのでしょう、ファイナルの結果報告を雀太にしたとき、優勝者の名は告げなかったそうです。というか、そうなっている。雀太も呟きはしなかった。但し、電話があったことは世間に言うと言い、NHKも了解したそうです。このNHKのコンペに関しては演出があるのは、既に判っていたが、要するに、「話題作り」という美名だかどうか知らないけど、それを掲げて、ファイナリストも決まってたのでしょうな。その路線に立てば、NHKからすると、こういったことは朝飯前というところでしょう。もう1つ、おもしろかったのは、雀太自身が覇者になったときのファイナルの様子の生々しい姿。本命と言われていたのは小痴楽、これは、黄紺も知っていた。小痴楽は、その前の年も、そのように言われながら、佐ん吉にかっぱらわれてしまった。だから、翌年は本命度が、一層高まり、追いかけ取材まで入っていたそう。その取材陣は、顔見知りのファイナリストにも取材に及んでいたが、雀太一人、誰にも相手にされなかった。その年は、まだ5人制で、上方代表のもう一人は三度だったため、こちらも取材対象になっていた。このため、取材を受けた噺家さんの緊張が高まるのが判ったと言います。唯一取材対象にならなかったのが、雀太というわけ。雀太は、そういった姿を見て、逆に落ち着きが出たと言ってました。絶対本命と言われていたことが、そういった姿で出ていたのは、初めて知りました。勝手に本命と言ってたわけではなかったのですな。雀太のリークで、かなりNHKのコンペの裏側が見えてきました。我ながら、おもしろいものを見つけたものです。


2023年 2月 8日(水)午前 8時 13分

 昨日もお出かけなしの一日。でも、昨日は、午後に、Zoomを使い、オンラインでのお喋りを、昔の同僚とする約束があった。終わってみると、3時間以上、喋っていたことになるけど、普段の午後の一時をすっぽりと借用。しかも、自宅でできるということで、要る時間は、それだけだから、他への食い込みがないのが嬉しい。ということで、ルーティンにしている日に2回のウォーキングは、そのまま。量的にも、普段通りで、満足。
 午後1時半に開始と約束してあった。その5分前にミーティングルームのURLを送る。でも、時間になってもアクセスがない。いつものことと思いながらも、待っていると電話が入った。予想通り、PCの繋がりが悪いということ。黄紺の古い方のPCと同じようだと推測していたので、この展開は想定内だったけど、URLをコピペする方法を忘れてたのには、びっくり。加齢の成せる業にしても、これはイエローカード。でも、急ぐと、PCはビジーになっているので、落ち着いてもらうことに専念。ようやく繋がっても、今回はトラブった。立ち上がったかと思うと、カメラがぶれ出し、さすがに、その画面を見ていると気分が悪くなる。そこで、再起動。今度は、画面がバグってしまった。そこで、Zoomの設定の確認をしてみようと言っても、設定画面が出せない。これだと、Zoomの更新もままならない。要するに、サインインできなくなっていると言う。事情は、よく分からん。だと、アンインストールして、Zoomの入れ直しをすればいいかと思ったのだけど、Zoomのダウンロードに、このPCだと、時間がかかりすぎると言う。Zoomのダウンロードって、そんなに時間を要しないはずと思ったんだけど、かなり手ごわいPCのようだったので、そうかと思う。結局、映像なしですることにした。黄紺の姿は、障りなく映っている。でも、相手の姿は見えないなか、3時間喋ることになった。話題は、映画2本の感想の交換。「世界は僕らに気づかない」と「スープとイデオロギー」が、その2本。黄紺が観て、そそられた映画だったもので、紹介したのが、今回のZoomを使ってのお喋りの発端。2本ともマーク済みだったところに、黄紺が呼びかけたものだから、このお喋りが実現したという恰好。「世界は、、、」については、世間の進み方と、最近の首相秘書官の罷免問題から見える連中の頭の中とのずれで一致。森元首相のようなボーイズクラブの連中の意識と同じだということを、そんな話になったので、黄紺は言うことになりました。フィリピン人母子の痛い愛情表現もそそられる映画、「Angry son」が。英語の題名だと教えてもらった。その「Angry」が和らいでいく、それとともに、ゲイカップルの仲直り、パートナーとしての意識が上昇していく、うまい指摘を聴きました。盛りだくさんな問題をクリアにするために採られた「いい人たちばっか」という手法の指摘は、気に入ってもらえたようだった。そこで気が付いた。怒ってばかりだった母親も、ここでは「いい人ばっか」の中に入ってたこと、要するに怒ってなかった。やっぱり、かなり高度な技、使ってますね、この映画。「スープと、、、」は、題名の秀逸さ、それが、何ていう言葉を使ってたかな、黄紺的には「小状況」と「大状況」というタームになるのだけど、同じことを、違う表現を採ってたけど、忘れちゃった、要するに、それが題名だということですね。その流れを知ってもらうためには、「ディア・ピョンヤン」「かぞくの国」を観てないのは、ダメだな。ということで、ぜひ観ることを言っておいた。この映画は、父親、母親、兄3人から託された家族史を、監督が描いているということのような気がしてきました。そして、映画を撮り始めるときは、母親は、アルツハイマーを発症してなかったわけですから、先への展開は読めてなかった、いや、異なった展開を想定していたかもしれないということが、話しているなか、浮かび上がってきた。考えてみれば、そうなんだけど、これなんか、同じ映画を観た者同士が思い浮かぶってことなんですな。そんなで、冒頭はバタバタしてしまったが、いい午後の一時。久しぶりに、家族以外の人と、長時間のお喋り、こういった時間って、つくづく要るなぁと思うけれど、機会が、どんどんと減っていっていますね。
 火曜日だということで、夜になってから「まーぶる」を聴き始めた。超ビッグな1週間を過ごしたはずの二葉だったにも拘わらず、そういった自分がこなした落語会を話題にするのかと思ったら、冒頭の話題は「笑点」の新メンバーのこと。自分が候補の一角に上がってたことを挿し込んだわけだったけど、これ、完全に二葉の照れですね。一段落したら、いきなり「告知いいですか?」と言って、「落語フェス」の紹介。雀太から頼まれたようだけど、「それか!」と突っ込んだ。「チャレンジ」については、間を置いてから、ちょろっとだけ。「一花との二人会」については、ようやく11時からの「この落語」で触れた。それも、リスナーさんからのメール紹介の中で出てきた。他にも、もっと落語会あったやん、東京と大阪の往来が激しかったはずなのに、シャイなんですな、多忙さを強調しない、でも、「梶原さん、突っ込んでよ」の声が聴き取れないでもなかったな。結局、晩酌をしながらで聴いたこともあり、半ば以後のどこかで寝落ち。このあと、続きを探すことにします。


2023年 2月 7日(火)午前 8時 43分

 週末には出かけ、週明けには、自宅でごろごろといったことが続いているが、この週明けもそうだ。ここ3日間は、お出かけ予定が、一応、入っていない。空いてるなら入れようということがあるかもしれないこともあるので、一応としておく。でも、お出かけはないけど、昨日今日と、午後には予定が入っている。昨日は、オンライン配信の予約が入っていた。午後の一時を、すっぽりと取ってしまう時間帯、それに合わせるために、午前中のウォーキングは、少し早めに出かけた。休憩&読書の時間も、少し短くはしたけれど取ることができた。新約聖書絡みの本を読んでいたが、どうも近代の感性で、イエスの思想を分析しようというのに困惑して、少し、半ばで飛ばし読みをしたので、今度は、歴史的イエスに重点を置いたものが、手持ちにないかと思ったら、あっさりと見つかったので、それを読み始めたかった。要するに、毒消し的意味合いで、その新しいのを読みたかった。ヨゼフスの「ユダヤ戦記」も読めたらなと思うけど、そこまでの体力がない。時間がない。ま、加齢の成せることですね。
 午後のオンライン配信は「2022年度・関西健康・医療創生会議シンポジウム」。お題は、ずばり「コロナ対策の何が問題だったか」。行政の長も出席し、また、政府のコロナ対策に数理モデルを使い、見通しのデータを提供されていた方も出席するという、とってもハイレヴェルの人たちが顔を揃えたシンポジウム。コロナ禍の最中にも、その方向性を考えるとして、コロナ関連のシンポジウムを視聴したこともあり、今回のシンポジウムには、メールで案内をいただくことができました。そのプログラムは、次のようなものでした。①特別講演/久元喜造(神戸市長)、②問題提起/大竹文雄(大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授)、③一般講演A「コロナ対策における専門家の役割」仲田泰祐(東京大学大学院経済学研究科及び公共政策大学院准教授)、④一般講演B「AIによるCOVID-19感染者・死者数分析」平田晃正(名古屋工業大学教授)、⑤パネルディスカッション/進行:大竹文雄・仲田泰祐・平田晃正・朝野和典(〔地独〕大阪健康安全基盤研究所理事長)。①は、市長自ら、演題に立った。この間の思い入れの強さが滲み出たものだったと思います。自治省出身の市長らしく、実務面で陣頭指揮を執ったものと思われます。その中で振り返りをされたわけですが、やはり歩きながら考えたってことでしょうか、国の肩を持ちたいとは、毛頭思うわけではないが、地方の首長からすると、硬直した法体制、臨機に応変できない国の姿勢に、かなり忸怩たる思いがあったことが出ていました。「宿泊療養施設の設置」「交付金配布の迅速性の問題」「退院基準が邪魔をして医療の逼迫を生んでいた(感染の可能性の低い患者が病院に残ったため入れない人が続出)」「PCR検査に民間機関の導入を認めても該当する期間は首都圏だけというお粗末さ」といった具体例を出されていました。そういった中で神戸市独自で行った「重症者専用病棟の設置」「医療機関支援をファンド形式で行った」という成功例を上げるとともに、「DX(デジタルトランスフォーメーション)の事例として、「ワクチン接種予約」を上げられていましたが、トルコの事例を知っているものだから、デジタル庁がなかったからかな、国が一括して作らない不思議は感じてたけど、その指摘でした。「コロナ患者管理システム」についても、同様の範疇に入るようです。神戸市は、職員が、いずれのシステムも作ったと言ってました。そういった凄腕がいるからできるという体制は、体制がダメなんだよね。国による、個人情報の一括管理という面が出てくると、国は尻込みしてしまっています。確かに難問なんだけど、「パンデミックだから」「いつまでも、未来永劫にこれやるの? やれるの?」といつも思ってしまうけど、一旦、個人情報が一括管理されると、あとあとまで続く、残ることも確かだしと、紋々としてしまう。まとめ的に、「都道府県単位で対策は時代遅れ」「国が責任をもって行うべし」「ネットワークの一元的開発、自治体が運用、そういったシステムの開発が肝要」、これらが、神戸市長のスタンスでした。②の講師である大竹さんは、大阪大学感染症総合教育研究拠点に、行動経済学の立場から加わっている方。大阪府や国の政策へ提言のできる立場におられる方と言えばいいかと思います。その立場からの、この3年間の各波ごとの振返りをされていました。行動制限の設置&解除、変異株の出現による医療の逼迫への対処、オリンピックと対策、各対策とワクチン接種などなど、そういった分析に基づき、各政策を執るときのスタンスを語っておられたようだけど、よく解らなかった。大事そうなことは解るんだけどな。③の仲田さんが、コロナ対策に数理モデルを日本に持ち込んだ方。以前にも、この方のお話を聴いたことがあり、そのとき、日本にも凄い人がいるんだと知った記憶があります。日本は遅かったと言います。実用化されたのは、2020年12月からですね。それも、政府の後押しではなく、政府が、このデータ処理の様子を知ってにじり寄って来たというのが実情。そういたことを、簡単に時系列的に紹介されたあと、仲田さんの前職アメリカ連邦銀行で、金融政策のデータ解析をされた経験と、今回の政府のデータ解析に関与したことから、その違いを出すことで、日本政府の政策決定の特徴を浮かび上がらせていました。仲田さんのような立場をしている方からのデータ提出は、各種用意して、そのメリット、デメリットを講義するのがアメリカでの仕事。日本では、こうあるべきというものの提出を求められてしまう。この違いだと言われてた。至極、解るお話です。また、専門家は、メディアとの接触は最小限、メディアへの発表も、形容詞マネージメントまで行っているのがアメリカ。政府発表の言葉一つに株価などが反応してしまうからということです。日本は、メディアに個人の言葉で喋ってしまっている。当然、形容詞マネージメントは欠如している。なるほど、これはおもしろい! これほど、重要度が増している数理モデルを使った分析の、日本の脆弱性も言われてました。仲田さんは、医療の専門家ではないので、却って、気になる分析も行われています。②で紹介されていたのですが、コロナ禍での自殺率、婚姻率といった、社会問題に喰い込む分析です。これから、こういった数理モデルを使った分析に基づき、政策の実施が起こなわれていくのでしょうね。④も、③同様数理モデルを使った分析に関わられた方。仲田さんがはじけ出せなかった2021年暮れの感染者減を弾き出した方だという触れ込みです。なぜ、はじけ出せたか、それは、減に繋がったのは、「人流」だと言われていますが、その項目を、適切に数理モデルに組み込めたからということになりますが、それをやった人です。どうやら、コロナ禍でのデータ分析の解読の中で。人流の傾向を読み取りデータ化するということなのかな? 行動制限が出ると、どのような人流になるか、SMSでの発信のデータ化、ワクチン接種が始まると、どうなるか、そういったものをデータ化するということなのかなと思ったけれど、かなりハードルが高い、高すぎるお話。そういった中で、何だったかな、もらえないデータが、国からだったと思いますがあると言われていたのが気になった。出て来たデータはいただいて、その基になるデータは出せないという矛盾、、、? ⑤の冒頭で、朝野和典さんが、病院に感染者を収容するために設けられた「感染対策向上加算」について、その問題点をお話されました。これも、聴いてみると酷い話だ。感染者を収容してもらおうとして用意された予算措置、そういった措置を受けるためには、感染症に精通している職員を配置できる大病院だけ、だから、ここに来て、一層の加算をしても、受け入れ病院のキャパは変わらないという仕掛けだったようです。ここまでの講演を受けてのシンポジウムは、聴くだけにしようと、電気ストーブに身体を向けると、あっさりと寝落ち。よくあるパターンと言えども、これが気持ちがいいものだから、ついうちやっちゃう、すると寝てしまう、勿体ないね、ホント。


2023年 2月 5日(日)午後 8時 3分

 今日は、朝から失敗。日曜日ということで、お楽しみの「日曜美術館」のあった日。先週は、旧作の再放送 だっただけに、今日の新作を待っていた。ましてや、取り上げられたのが、亜欧堂田善という江戸末期の洋風画家という、全く聴いたこともなかった作家が取り上げられるというので、心待ちにしていたら、PCトラブル。最近、それが多いので、新しいPCを使うようにシフトしていると、これが、また、変な作動をすることが判ってきた。今日も、新しいPCで、NHKプラスが作動するかチェックまでしておいたのに、いざ時間になると、変なメッセージが出たものだから、慌てて、古いPCに替えたら間に合わなかった。それよか、古いPCにも、新しいPCに出たと同じメッセージが出た。ということは、PCの責任じゃなかった、のに、PCを替えてしまい、それでアウトになってしまった。というのも、古いPCで、同じメッセージが出たので、変だと気付き、再読み込みをかけて、暫し待つと、繋がったじゃないか! これで、すっかり気が失せて、途中からも観る気をなくしてしまった。衝撃が多いわ。そんなだったけど、最後の1/4の「アートシーン」は、きっちり観た。ホント、東京が多いことには間違いないけど、全国の美術館で、キュレーターさんが知恵を絞って、いろんな企画をされています。そういったもののつまみ食いだけど、もう、それだけでも楽しいものがあるね。
 午後は、お出かけ予定が入っていた。京都市の上京区役所主催のイベント「上京文化絵巻」第9巻「きょう を囃す」に行ってまいりました。上京区は、御所もあり、かつて都があった時代には、京都の、いや日本の心臓部だったところ。そんなで、「文化絵巻」なんてタイトルを付けて、区内の著名人を、しかも、「高尚な」香りのするご仁を呼んで、講演会などが開かれています。なんせ、上京区文化振興会会長さんが、冷泉貴実子さんが務められている土地柄です。今日も、冒頭に、冷泉さんの挨拶がありました。以前、この冷泉さんと、かつてお隣同士だった山科家を取り上げられたなんてことが、このイベントでありました。要するに、貴族の家に伝わるものなんてことだったかな、そんなお話を聴けたなんてことがあったもので、時間が空いて いるようだと、参加を狙うというイベントです。今回は、お題に「囃す」という語句が入っているように、能楽の囃し方、小鼓の曽和鼓堂さんを迎えて、小鼓という楽器を紹介するというものでした。鼓堂さんの祖父曽和博朗さんは、京都の能楽界が誇りにする人間国宝だった。黄紺もファンだったのです。京都の囃し方では、この人と、アシライ笛の名手森田光春さんは忘れられない存在です。そんな家系に生まれたということもあり、鼓堂さんは、尚靖時代から、いや、鼓堂名を使い10年、今年50歳だと言われていたけれど、10代の頃から舞台で活躍されている姿を見ているという人。ぼっちゃん顔だから、50歳と聞いて驚いたけれど、30年前と言えば、1993年だから、間違いなく、それ以前から聴いていること間違いありません。顔だけではなく、小鼓の音色も、おおらかで、ぼっちゃん風味、厳しい音が際立った爺さんとは、また違う魅力の持ち主でもありますね。久しぶりに聴いて、なっとくしてました。お話は、曽和さんの教室に通われる方から、全くの能の初心者までを含んでいるということから、ターゲットは、初心者に合わせたお話。小鼓の持ち方や実際に出る音色(5通り)の紹介。小鼓自体の構造を見せるということで、小鼓をばらしても見せていただけました。黄紺的発見は、皮を使った楽器だということで、湿度に左右される。乾燥してしまった場合は、湿らせた紙を皮に貼って調整するという話。これで、納得、能の公演で、演者さんが、直に皮をなめている姿も、よく見かけます。貼っている四角い紙、気になりだすと気になるのだけど、その意味が解明できました。会場から1人を舞台に上げ、体験コーナーまで用意されていました。小学生なんかを相手にワークショップを開かれてんじゃないかな、スムーズな進行の中に、こういった体験コーナーまでありました。指をリラックスさせることを、繰り返し指示されていました。介添しながら叩かれると、明らかに音色が変った。全くの素人で、力の抜け具合で変わるのだから、曽和さんの音がいい響きを聴かせるのは当然ですわね。そんなで、お話のコンセプト、焦点が、どこに合わせてるのかを把握して聴いていると、これはこれで、楽しい気分を味わわせていただけたのじゃないかな? 帰りは、街中ウォーキング。普段、上京区界隈って、そんなに行くわけじゃないから、こういった街中ウォーキングは楽しいね。そうして歩いていると、二条城、じゃまです。あれが、あの位置にあるため、コース取りに、思いの外、変化が出ないんだよね。前方、京都アスニーへの往復を、ウォーキング替わりとして、三条駅から歩くとき、散々、同じこと考えてた。そういった経験もあり、存外、慣れている区域もある、それを思い出しながら歩くのも、楽しいですね。


2023年 2月 5日(日)午前 5時 37分

 週末の土曜日、珍しく、予定表に、何も入ってなかったので、息子たちと会うことになった。韓国旅行の写真を渡さねばと思いながら、週末にお出かけが詰まっていたので、ようやく連絡を取ったのだけで、一昨日書いたような顛末で、写真は、手渡しではなくて、ネット上倉庫への転送ということで処理は済んでしまった。目的はなくなったんだけど、既に、この日のために、DやSに渡すものを買ってあったので、中止になっては困るのだったけれど、一応、朝、今日はどうすればいいか、息子にメールを入れると、食事は食事ということで出かけることになった。それが、虚けた話で、黄紺がお出かけ準備をしていると、電話がかかってきた。それで判ったのだけど、Sのワクチン接種の時間を間違えていた。接種を終えてから来るつもりだったようだけど、2時間ほど後に予約が入っていたことに、黄紺が出かけようかという時間に判ったようだった。そんな時間に連絡されても困るだけ。早くは出られないわけだから。結局、最初決めた時間のままで落ち合うことに。その替わり、息子とSは、途中と言っても、最後のピザを、黄紺とDが待っている間に、2人が退席。そして、接種後、再び合流することになった。黄紺と息子は、昼日中からワインを飲みながら、イタ飯で食事。Sも食べるけど、Dの食欲には驚かされる。自分で注文したスパゲティなんかは平らげた挙句、最後のピザ、これは、黄紺が物足りなかったから注文したのに、その3/4はDが食べちゃった。また、そのピザのチーズを、口に入れながら、上手く伸ばすD。しかも、こんなこと言ってました、「ロッテリアみたい」、これ、黄紺を喜ばせるために言ったわけじゃなかったろうけど、とっても、嬉しかった一言。だって、そのロッテリアって、釜山のロッテリアのこと言ってるわけだから。そのときも、黄紺の注文したチーズ・スティックのチーズを伸ばし、写真に収めた、気がつくと、黄紺のスティックを2本とも平らげてしまってた。昨日も、それと同じペース。こないなことも言ってた、「よう食べるな」と言ったとき、「そやけど、細いねん」。そうなんです、栄養価の高いものを食べても、太らない体質。いくら動き回るにしても、その食欲には驚かされる。2人残っての食事が終わると、勝手知ったる店とばかりに、会計まで指示するようになりました。黄紺のしたのは、カードを店の人に渡しただけだった。社会性が、どんどんと拡がって行っています。待ち合わせの場所は、近くの公園。遊具もあることから、近所の子ども、いや親にと言った方がいいかもしれないけれど、人気の公園で、子ども連れの若い親御さんが、いっぱい。ブランコは、座ってこぐだけではなく、立ちこぎまで、Dはできるようになっていた。そんなことをしながら待っていると、急に、足元にSが現れた。注射に泣かなかったそう、でも、「痛かった」と言ってました。Sがブランコに乗ると、後ろから、そっと押してやるD、それも、小さなSに、無理のないように押してやってる。相変わらず仲のいい兄弟だけど、そんな配慮までできるお兄ちゃんになっています。上り下りできる大型遊具が、2人に人気。階段で上り下りするだけじゃなくって、壁をよじ登ったりもできる、おまけに、滑り台まで付いている。壁のよじ登りは、Sもできるようになった。Sの体の動きや力の入れ方、その力強さ、どう見ても、こいつはスポーツマン。「何か習い事させようかと思っている」と言う息子の頭には、Sには、完全に運動系の能力を伸ばすことが入っている。Dには、運動系をさせても、それは、あくまでも体力づくりという頭のよう。で、「何が、Dにはいいと思う」と尋ねられたので、前から思ってたこと言ってみました。だって、Dの描いた絵をもらって、「こんな絵、俺には、逆立ちしても描けないよ」と思ったことがあったので、そのことを伝えておきました。去年の5月だったか、ある神社の祭りに連れて行ったときの絵を観て、びっくりしたことがあったので、その話です。絵に動きがあり、賑わいを、ぱっと見で感じたため、「これ、自分で描いたん?」と問い直したほど、驚いたことがあったのです。そのDは、さすがお兄ちゃんになってきているので、力が付いてきている。棒状の遊具にぶら下がり、力任せによじ登ろうとまでしてました。それが、少しだけど登れかけるんだから、それにも驚いたなぁ。こんな楽しい時間、2人は、もっと続けたそうだったけれど、Sは、ワクチン接種をしたあとだから、ほどほどで切り上げ。公園近くのマートにもお付き合い。ママは、持ち帰り仕事で忙しいので、3人は追い出されたようだったんだけど、だから、買い物も、外出ついでに済ませようとの魂胆だったよう。Dは息子と動いてる間に、黄紺は、Sと2人で動いてると、2人を見失った。迷子になったので、2人で、息子らを探していると、Sが「電話したら」と言う。これも、昨日の驚きの1つ、こんなこと言えるようになってる。そのタイミングで、2人を発見。電話の必要はなくなったけれど、どんどんと大きくなる2人のいろんな姿を見れて、めっちゃ嬉しかったな。マートを出たところで、お別れ。気が付くと、結構、昼間からワインの酔いが来ていた。帰りの電車、また寝過ごすかと思いきや、いいタイミングで目覚めた。ウォーキングがてら、自宅最寄り駅から3つ手前で降りたかったのだけど、そのタイミングで目が覚めたということです。帰宅後も、PCを前に、また寝落ち。午後は、呆気なく過ぎて行ってしまいました。


2023年 2月 4日(土)午前 5時 50分

 昨日は、お出かけなしだけど、午後にオンライン配信でお話を聴くことにしていた日。その時間帯が、午後のちょっと遅めだったために、日に2回のウォーキングには障りはないだろうと思っていた。その余裕があったため、却って、時間が詰まりかげんになってしまった。というのは、韓国旅行の写真を、間がずれてしまったんだけど、時間を取れなかったということもあり、まだ、息子に渡してなかったもので、それを、この週末に渡しに行くと連絡をしたら、食事をしようということになったのだけど、どこかで、息子の頭からは写真の手渡しということが抜け落ちてしまっていた。肝心のことができないと思い、その旨、連絡すると、今度は、それは、ネット上の倉庫に収納してくれとの話。でも、容量が多いので難しいと言うと、また、ご丁寧に、大容量の倉庫を見つけてきたもので、昨日の午前中は、それで時間が取られてしまった。操作で困り、時間がかかったのではなく、大容量のファイルを送付しなければならないとなると、普段、使っているPCの操作性が落ちているので、それよか新しいPCを使った。これが逆効果。このPC、一時、息子宅にいたことがあるため、設定をいじったらしい。がために、オンラインが、ファイル転送中に切れてしまった。幸い、復旧方法を見つけることができたので、復旧したのだけど、また、切れた。都合3回は切れた。ただラッキーだったのは、切れても、転送は続きから作動したこと。そんな運のよいこともあったけど、時間の浪費は大きかった。初めて使うサイトということで、勝手が判らなかったのだけど、130枚ものファイルを転送するには、それなりの時間が必要なことなど、当たり前のことが抜けていた。それに気付くのにも、ちょっと回り道なものだから、時間を、余分に浪費。そんなで、ウォーキングの時間に食い込んでしまったというわけ。そこで、昼前のウォーキングは忙しなかった。せっかく、DとSに会うのだからと、Dには、渡したいものがあったので、それは、既に購入済みだったのだけど、そうなると、Sが可哀そうと、S用にお買い物、そのお買い物のための迂回コースと、普段のウォーキングをマイナーチェンジして歩くことに。いいお天気じゃなかったけれど、えぐく寒くはなかった。夕方のウォーキングは、こちらは普段通り。でも、寄り道を1軒。これは、怪我の功名というやつで、午前中、PCの接続が切れたときに思い出したこと。切れた原因が、PCにあるのじゃなくって、ネット回線接続のための契約会社へのお金の振り込みが滞っているのじゃないかと、最初、疑った。これ、以前に経験済のことで、この振り込みにだけ使う銀行口座なものだから、お金を入れておくことを、よく失念することがある。これを疑ったんだけど、その場合は、お金を落とせないとの通知が来るのに、来てなかったので、PCが切れたということに頭を悩ましたわけだけど、でも、おかげで、その銀行口座にお金が残っているか気になったものだから、銀行に確認に行った。すると、これが幸運だったところ。口座には、僅かに149円しか残ってなかった。かすかす振り込まれていて、次回、お金を入れてなかったらダメなことになったところだった。そんなで、怪我の功名となりました。
 午後には、オンライン配信で、京都市芸大の発信している「伝音セミナー」を視聴した。昨日は、「民俗/民族音楽とポピュラー音楽」と題して。齋藤桂(日本伝統音楽研究センター専任講師)さんと、 伊東信宏(特別ゲスト・大阪大学教授)さんのお二人のトークを聴くことができた。ラストの部分では、細川周平(日本伝統音楽研究センター所長)さんも加わるという豪華メンバー。伊東さんのレポートは「東欧演歌」というもの。1991年以後、要するにソ連崩壊以後、東欧域では、ポップスに民俗・民族音楽を取り入れるという現象が起きているということ、それが、音楽だけではなく、歌い手の衣装にまで反映しているというという現象を、「東欧演歌」などというタームを使い表現されていました。ただ、お話は、そういった現象を、Youtubeの動画を使い紹介していただけるという解りやすいものだったのですが、その現象の背後にあるもの、社会的要因なのかもしれないし、心性というタームで言えるパラダイムとして看ることができるとか、そういった分析は割愛されていました。アルメニアの「シルショ」では、自らブランドを立ち上げ、ミュージックヴィデオに映る自分のプロデュースまでしていたり、フランスでヒットした「マラケシュ・サントロペ」で歌う歌手の1人はルーツがルーマニアにあったり、、、紹介されたものは、わりかしそそる内容だったな。途中、クラシック音楽も加わり、バルトークが採取したルーマニア舞曲のアレンジや、サティの「グノシエンヌ」は、ギリシア系音楽だったりするトピックも挿入されていました。齋藤さんの方は、「フォークメタル」の紹介。そういったジャンルがあることすら知らなかった。また、ロックの歴史なんてものも、さっぱり判らないものだから、こちらも、へぇ~」で、楽しく聴かせていただいた。聴いていて、何かに行き詰まると、過去に回帰する、これって、ロマン主義と同じじゃないかと突っ込んでしまった。音階の分析、コード進行など、音楽的な分析も交えながらのお話。こういったお話だということで、細川さんが、傍らで聴いていたのですね。細川さんは南米音楽をフィールドにされているということ、ちょこっと話題にもなっていて、以前、日文研所長退任記念講演でお話しされていた(コロナ禍の真っただ中だった!)ことを思い出しました。「伝音セミナー」では、珍しいテーマでしたね、自分的には、東欧ネタが、ツボでした。だって、トルコやギリシアでは、民俗・民族音楽の取り入れなんて、当たり前のように、1つのジャンルを形成しているのに、東欧では、ここに来てそうなるのかと思うと、興味が湧きますわね。てなことで、ツボになったというわけでした。そして、東欧で、民俗・民族音楽ということで、ロマの音楽の取り入れも入ってくるのにも、興味湧いちゃいました。


2023年 2月 2日(木)午後 11時 7分

 今日は、午後にお出かけを入れてた日。一方で、週半ばにも拘わらず、昨夜、マッチがあったので、その情報収集が入った。こういったときって、午前中の動きが圧縮される傾向。せめて、1時間はウォーキングの時間が欲しい、この目標を、ぎりぎり達成。そのついでに買い物。それをしておいて、実は正解だった。お出かけ先からの帰り、よくお世話になっていたマートの近くを通ったので、何気に寄ってみると、様子がおかしい。貼り紙を見ると、1月末で閉店していた。そんなことってあるんだね。流行ってたのにと思うと、貼り紙に、建物を借りる契約が切れたので、止むを得ず閉店と書いてあった。じゃ、更新をすれば良いのにと思ったけど、更新ができなかったのかな、例えば、更新に際して賃貸料の値上げを求められたり、場所がいいので、横やりが入り、他の業者が奪い取ったとか、そんなことを想像してしまった。そこ1ヶ所だけのマートじゃないはずだからね。ローカルなマートではあるけど。野菜を買うときの値段の目安を知るのに助かってたんだけど、これから、たちまち困る。こないにインフレが続くと、時価で変わる買い物をする目安があると助かるものだから、活用させてもらってたのに、運が悪い。
 午後のお出かけ先は枚方市総合文化芸術センターのひらしんイベントホール。初めて行った。しかも、間違って、場所を覚えていて、別館の方に行くと、「本日の催し」欄に出てなかったものだから、受付で聴くという恥ずかしいことしちゃいました。周りが、随分と変わっているので、「昔の名前で言ってください」と言うと、「いえいえ、これは新しいものです」と言われてしまった。関西医大病院の横にできてた。めっちゃいい雰囲気になっている、この界隈。前からあるラポール枚方の建物が生きてるのが凄い。斬新さと落ち着きがあるという相反する雰囲気を持つ。昔、枚方に住んでたことあるけど、その頃、この界隈は倉敷紡績の工場だった。枚方を代表する大企業だったのに、ご多聞に漏れず、紡績不況でなくなった。隔世の感があったな。今日のイベントは、枚方市主催の市民歴史講座「戦国期の寺内町と枚方」(全2回)の1回目。「枚方市の戦跡」というシリーズの講演会に、コロナ禍以前に行ったことがあり、それからは、こういったイベントがあるたびに案内を頂いている。おかげで、今回も、素敵なテーマに出会えました。今日は、「寺内町の成立と変遷-戦国時代大阪平野の経済発展とかかわりー」というお題で、大阪公立大学大学院教授の仁木宏さんのお話を聴くことができました。枚方の詳細については、2回目に予定されているので、今回は、寺内町とは?と、大坂も寺内町だったということで、その大坂の様子、それと、枚方が関連していたという流れだったと思います。幾つかの気になるトピックをメモっておくことにする。「摂津や河内の大名は、意識して城下町を作らない傾向、これが地方の大名と異なる、そういった商業や金融の中心地を作らなくとも、こういった畿内では、既に、そういったセンター的な場ができているので、わざわざ作る必要がなかった。芥川城や飯盛城には城下町がないのは、そのため」「寺内町は、寺の内側にできた町、境内外にあっても内側にあると看做すというスタンス、門前町とは異なる」「交易・金融・生産の場として発展、寺内にあると、防御のうえで安全確保、課税から逃れることができる」「寺内町を作る宗派は、浄土真宗に日蓮宗、これらの信者に、商人や職人が多いということがある、また、交易の場に不特定多数の商人らが出入りするのを、他の宗派は嫌った」「形状的特徴、、、周りを土塁や堀で囲む、グリッドプランの計画都市」「大坂地内町は、現在の大阪城の場所にあった、上町台地の先端、近くに渡辺津(天満橋と北浜の間)があった、その間の道が、元々の“大坂”、大坂地内町自体も先端部から北へ降りる坂に港(寺内の浦)を持っていた」「台地の先端に寺内町ができるという姿は枚方と共通」「山科本願寺が壊滅してのち、大坂寺内町(石山本願寺)が作られ、その中間に枚方地内町が作られた」「神崎川は江口で分かれていた」。講演が終わると、枚方市が製作した動画を観た。これは希望者だけだったけれど、江戸時代に宿場町として栄える以前の枚方を知らしめる重要な動画。市長自らが出演して「ブラタモリ」風動画を作ってました。YouTube上で公開しているとのコメントがあったのですが、この際、ここで観ようと思い観ることにしました。題して「ブラタカシ 寺内町編」。これは、なかなか勉強になった。この地域に知り合いがいるものだから、とっても身近に感じてしまった。あの崖は、ひょっとしたら、かつて知人の住んでた横にあった崖じゃないかという具合で、親近感、抜群。台地の上は整地までして、寺院を建築してたようですね。何かが残ってるわけではないけど、地形が、かつての人間の営みを記憶して伝えてくれています。道路を横切る不自然な水路は、かつての堀の痕跡を伝えてくれていました。完全に、枚方を見る目が変ってしまいました。そんなで、次回の構座の恰好の動機づけとなってくれました。


2023年 2月 2日(木)午前 6時 37分

 昨日は、せわしない一日。朝からアスニー山科へ行き、それが終わると、そそくさと帰宅。急いで、オンライン配信に対応できるように準備、その一方で、昼食の用意。またぞろ、PCの動きは満足できるものではなかったけれど、オンライン配信の開始には間に合った。ところが、バタバタしていたためか、疲労が出てしまい、1時間半の予定で始まっていたオンライン配信の後半1/4くらいが跳んでしまっている。気がつくと、電気ストーブに身体を向け、ということは、PCに身体は向いてない状態で、且つ、Zoomは、勝手に終了している。配信終了ということで、配信している方が切っちゃったから、自動的に消えたみたい。なんじゃ、これ、寝落ちした部分で予定されていたことを楽しみにしていたのに、全く観てないのです。配信の構成に問題ありと、突っ込みたい気分。眠気を誘う、言い換えると、当方には関心の薄いイベントが、半ばで挿入されたのが痛かった。それ、最後にやってくれてたら、自動的にスルーできたのにと思っても、詮方なしでした。
 まず、アスニー山科から。今年初めてです。1月は、あまり関心を呼ばないテーマだったのでスルーしちゃいました。で、昨日は、「石が神になるとは~八咫烏はなぜ三本足?等~」というお題で、いつも、こちらの講演会のお世話をされている田井茂実(アスニー山科専門主事)さんのお話を聴くことができました。田井さんは、高松塚で有名な網干善教さんの弟子筋に当たる方で、古代史の専門家で、以前にも講演を聴いている方。昨日も、掴みはOKのお題で、石信仰の問題を取り上げられました。大変な労作でもあった講演だったのですが、スライド160枚、それが、ご自分の足で稼いだ画像。これは凄い! 京都、及び、その近郊に残る「石」を信仰の対象にしている現場の画像を、次から次へと紹介されました。「授乳の神」「道祖神」「病気平癒や厄除け祈願」「旅人の無事息災祈願」「亀石=神石?」などは、「京都市内に残る拝まれる石」というお題で集められたもの。次いで、寺社創建に関わる「磐座(いわくら)」をまとめて紹介。「大岩神社・小岩神社」「伏見稲荷大社(御剣石)」「松尾大社」「上賀茂神社」「岩屋神社」が出てきました。「大岩神社」は、伏見から山科へ抜ける大岩街道沿いにあり、伏見の人間には馴染みの神社。黄紺は、かつて、ウォーキング途中、ここの神社から坂を下って、踵を傷めた苦い経験を持つ。それから行っていない。3つ目のセクションが「関西の主な磐座」ということで、「向日神社」「太郎坊宮」「石山寺」「磐船神社」などが出てきた。「石山寺」なんて、字を見れば、そうだと判るのに、ここで指摘されて、初めてお仲間だと気づかされました。交野では「磐船神社」が出てきたのに、交野山の頂にある磐座が出てこなかった、あすこ、そのために、山自体が信仰の対象になってるんだけど、石でなくて山に分類されてしまってるのかな? 4つ目が「神話を生んだ岩」として、「白兎海岸の淤岐(おき)の島」「烏石(那智勝浦町)」「磐船神社」など。「白兎海岸」は「因幡の白兎」神話です。ウサギの形をした岩があるそうな。「烏岩」が、お題の「八咫烏」。三足烏は、中国伝来のモチーフ。そう言えば、ここには「徐福伝説」があるトピックを言われていました。Jリーグのエンブレムかなんかに使われている八咫烏は、3本の内の1本の足でサッカーボールを持ってるの、初めて知りました。5つ目のセクションが「銅鐸が出土した磐座」として、「京都市右京区梅ケ畑の磐座」「滋賀県野洲の大岩山」「島根県雲南市加茂岩倉遺跡」などが上げられたのですが、野洲には、確か銅鐸博物館がある。島根県の遺跡では、日本最多の銅鐸が出てきている上に、名が大岩。そして、最後のセクションで、田井さんのお得意の「梅ケ畑」の「千代のさざれ石」が話題に。ここは、田井さんが言われているのですが、長岡京の玄武の地。効天祭祀の場であり、岩があり、しかも、銅鐸までも出てきている。ということで、古代人が信仰の対象とした場にある岩を取り上げ、人と自然との関係に思いを巡らす講演となりました。
 午後のオンライン配信は、既に何回か参加経験のある「京都府・京都文教大学地域協働研究教育センター共催による 「宇治茶文化講座2022」。今年も、何回かのシリーズで実施されたのですが、参加できたのは、これだけ? いや、もう1回あったかなの程度。うまく日程が合わなかったのです。今回のお題は「木津川が育む城陽の碾茶」ということで、コーディネーターも兼ねる森正美(京都文教大学学長)さんと太田博文(株式会社孫右ヱ門7代目代表取締役 )さんとのトークで進行しました。それに次いで、「お茶の淹れ方体験+茶園・茶工場の見学ツアー」となっていたのですが、「お茶の淹れ方体験」が、黄紺の関心の埒外だったもので、ここでダウンした模様。あったはずの「見学ツアー」の配信を観れなかったということです。ただ、トークは、知らないことばかりでおもしろかった。お茶というのは奥が深い。なかでも、土壌の違いによる茶の育ち方の違いに興味が行った。宇治は山に茶畑、赤土が多い。特に六地蔵はそうだと言われていた。質だけではなくて、育ち方にも違いがあり、新芽を積む時期には、量が城陽に比べて、かなり少ないそうです。それに対し、城陽は、木津川の運んだ砂地にある、特に荒砂と言われていた砂に栽培するため、「直根」となる。根が真っすぐ下に伸びることから、育ちがいい、色合いも「黄緑」になる。宇治は「黒っぽい」そうです。赤土は、砂に比べると硬いので直根にならず拡がるという違いが、そういった質や育ち方に出てくるそうです。栽培の方法もおもしろかった。手摘みのできる人数が限られているので、新芽を摘む時期を計画して、栽培の仕方を工夫しなければならない。肥料のやり方一つで異なってくる、品種の組み合わせで計画を立てて行くといった風に、めっちゃ高度な栽培法を工夫されているようです。茶畑が広いと、その計画が、余計に複雑になるようですね。外国への輸出が、大きなテーマになっていることは、今までの講座でも、再三取り上げられていた。抹茶の世界的ブームはオーストラリアが震源地だったそうで、それがニューヨークなんかに飛び火した。「Mのやつ」という言い方をされて広まったそうです。となると、無農薬栽培、有機栽培が求められる。「化学肥料が悪い証拠がないのに、そのように言われる」とも言われていましたが、需要がそうであれば応じなければならないが、それで味が変わってくるとも言われていましたし、何よりもやばいのが虫害。羽のある虫は、一旦発生すると、自分の畑だけではなくて、近隣の茶畑にも被害を及ぼすので、無農薬栽培は尻込みする傾向があるようです。それと、天敵が雨ということも話題になっていた。黒っぽくなる、葉の質が変わるという言い方されていたけれど、摘む日に当てていて、摘む人を集めていて、雨が降る、これが大変なみたいですね。それと、伝統的な栽培法(ほんず製法)を残すことも話されていた。そのために必要な藁を確保するために、わざわざ米作をされているそうです。機械での米の刈取りだと、細かく刻んでしまうため、藁の確保ができないからだそうです。これを、伝統的な栽培法という感じで博物館行きにさせず、経営として成り立たせてこそ継続していきたいという意志をお持ちで、そのためには売れないとあかんと言われていたので、こっそりと、「孫右ヱ門」のHPにアクセス。お値段は凄かった。でも、「品のある」味だと言われていました。黄紺には別世界のお話だとは思ったけれど、解る人には解る、そのお言葉なんでしょう。ホント、奥が深くて興味のあるお話、工場も観たかったなぁ、、、無念!


2023年 2月 1日(水)午前 5時 10分

 昨日も、一昨日に続き、お出かけなしの日でもあり、通院の日でもありの一日。寒さは、僅かだけど和らいだ感じ。でも、あえなく1月の末です。数年前の落語会で、この日に「もう1/12が終わりました」と言って笑わせていた噺家さんがいたのを思い出しています。呆気ない、ホント。昨日の通院は、2週間前に受けた大腸ファイバー検査の後始末。ポリープ切除ということで、組織検査に回されてしまい、その検査結果を聴きに行かねばならなかった。今まで、同じような組織検査を、3回受けたことがあるけど、結果は「黒か白か」だったので、今回もそうだと思っていたら、今までとは違う検査のあり様を教えられた。「G1~G5」の5段階で結果は返ってくるそうで、「白とか黒とか言えるものではない」と言われてた。今までとは違う言い方に、興味津々。「G1=正常」、「G5=ガン」だということで、その間は、「前ガン状態」だそうで、放置しておくと、徐々に進化していって「G5」に到達するそうだ。その段階で、どういった変化、違いがあるのか、一応聴いたけど、言っても解らないだろう的感じで、「進行する」というような言い方だった。ポリープができるということは正常じゃないので、「G2」「G3」で返ってくることが多いということでした。で、自分の切除されたポリープは、サイズで言うと、大(8㎜)、中(6㎜)、小(4㎜)の3つ。検査を受けたときには「8㎜を2個、切除しました」と聴いたと思ってたけど、カルテにはそうではなかった。検査後、生で見たけれど、8㎜というのは、わりかし大きいので、正直、びびった。それが「G3」の判定で、「これはガンではない」という言い方をされていた。だから、今までの言い方だと「良性」でいいのかな? となれば、今まで、3回とも、あっさりと「良性でした」と言われていたけれど、実態は、こういったことだったのねと思うと、なんか、もやもやが残ってしまった。今までの3回は、「良性」と聞いたときは、ホッとしたけれど、今回は、全く、そんな気にならなかった。「切除までしているので大丈夫です」と言われても、同じ気分。でも、「ここで見つかって、良かったですね」と言われたときだけは、ちょっとホッとした。今回の大腸ガン検査(要するに検便)まで、「毎年、受けて来ていて、異常なしで来たんです」と言うと、もう1度、「良かったですね」と言ってくれた。もう1回、ホッとした。でも、まだ、3㎜クラスのものが、幾つか残っていることは、モニターを通じて、自分でも現認していることもあり、「必ず、半年後に検査を受けること」と念を押されたときは、身が引き締まった。早速、スマホの予定表「6月」(外来で検査の予約に行く日)に、このことを書きこんでおいた。
 この検査を受けた医院が、自宅から徒歩15分程のところ。検査の日は、この15分が恐怖だったけれど、1回で、この恐怖が済まないことが確定。でも、この15分の間に、トイレが4箇所あるのが嬉しいので、何とか、この医院で受け続けねばならないなと、昨日も、その往きの歩きで思ってた。その歩きを含めて、昼前のウォーキングは、この通院がてら。半ばで、休憩がてらの読書もできたのは、1月末にしては上出来。夕方のウォーキングは、定番のコースから1つをピックアップ。途中、マートに寄っての買物をしたので、その荷物の負荷をかけてのウォーキングとなりました、但し、後半だけだけど。
 あとは、火曜日ということで、「まーぶる」を聴いた日。ますます、スケジュールが過密になっているように見える二葉だけど、昨日も、元気のいい声を聴かせてくれた。このライブ放送後は、東京に行き、中野で立川こはると二人会、今日は、大阪で落語会の出番があるので、とんぼ返りだそうです。「こんな噺家になりたい」を、そのまんま行っています。出て来たトピックで、ちょっとだけメモっておきます。関西元気文化圏賞の贈呈式が、文化庁芸術祭授賞式と同時に行われたため、「まーぶる」の盟友、チキチキジョニーと一緒だったけど、チキチキジョニーは、「まーぶる」生放送後の出席。その様子をと、チキチキジョニーの衣装ネタで盛り上がっていました。「二葉しごきの会」のトピックも、当然のように出て来た。まだ、「らくだ」以外は着手していない。ネタは、こないだの日曜日放送の「なみはや亭」にゲスト出演した二葉自身から、既に明らかにされていたことを、ここでも紹介。「幽霊の辻」は、九雀からもらうと言ってました。これ、「なみはや亭」では、秘密にしていた情報ですね。「味噌豆丁稚」は不明。「幽霊の辻」と「らくだ」の稽古日が続くそうで、頭ぱんぱんになるのでしょうが、まだ、覚えていない。「味噌豆丁稚」は一夜漬けとまで言ってました。放送時間の尺を考えると、当然、「らくだ」の煽りを喰らうネタがでるわけど、それが「味噌豆丁稚」。二葉の計算では5分だそうです。「幽霊の辻」が10分で、「らくだ」が45分と言ってましたから、下げまで行くのかもしれません、知らんけど。小佐田作品のこと、言ってました。「ロボットしずかちゃん」をやったことあるの、言ってました。ただ、「1回やったきり」と言ってましたが、正確には2回ですね。その内の1回、ホントのネタ下ろしの方を聴いている。動楽亭での「によによチャンネル」でやった。そのときのもう1席が「二十四孝」。どちらもネタ下ろしだったけど、「二十四孝」の方は、どうしたんでしょうか? 二葉に合っているネタだと思うので、十分使えると思うのですが、、、。小佐田さんの名が出たついでに、新作の取り扱いについてのコメント、金銭の授受はないとの話、但し、噺家の方から委嘱をした場合はそうじゃないということの押さえ程度の話だった。それと、見台の使用についての一般的なコメントがあった。そんなで、昨日の放送では、落語にシフトした放送だったけれど、これは、「Radiko news」に、この番組が入ってないことを、二葉が見つけて、それが、2人の会話のネタになってたことからかもしれません。何度か、それをネタにしながら、落語のこと、言ってましたから。でも、そうやって、落語の裾野を拡げるのに、確実に貢献はしてますね、大きいです、二葉の存在は、そういった意味でも。


2023年 1月 30日(月)午後 8時 40分

 今日明日は、お出かけなしの日。週明けは、こういった風なことが多い。その日に、うまい具合に医者通いを重ねることができた。とりあえず、今日は、今回で3回目となる皮膚科への通院。左足の親指に変調を来して数か月、韓国旅行が視野に入って来たときに、せっかく楽しい旅行がおじゃんになると通い出した。最初は骨に異常が出たのではと思うほど、指の芯まで痛いことがあった。どうやら、爪に異常を来しているということで、整形外科から皮膚科に回って3回目。飲み薬の効果は、僅かながら出てきており、痛みは和らいできているけど、最近は平行状態。韓国旅行も、2日目と4日目が変調で、釜山タワーに上った2日目の午前中がきつかった。アップダウンがあると、どうしても爪先に力が入るため、その都度、痛みが出た。逆に、海雲台の海岸沿いを、結構な距離を歩いた3日目は大丈夫だった。それから、4週間近く経ったけれど、さほど変わっていない。医師にそう言うと、そんなもんだとばかりに、「そうですか」という程度だった。こちらも、そんなもんだと判っているので、医師には言ってみたけど、そんなもんだと思っている。薬を飲んでも、時間がかかるというのは、以前にも、同じ治療を受けたことがあるので解ってるつもりなのだ。その薬を飲むということを忘れがちというのが、一番ダメなところ。机の横に、ずっと置いているのに忘れてしまう。だから、朝、気がつくと、食後に飲むように、忘れないように、机上のPCと鉛筆立ての間に挟んでいるほど。で、明日は、先日の検査の結果を聴きに行くつもり。もう、白か黒かだから、腹決めないとね。
 そんなで、ルーティンにしているウォーキングは、午前中のそれは、通院&薬局行きがてらにプラスして実行。皮膚科の医院が、弟の家の近くだから寄ろうかと思ったんだけど、上がり込むと、喋り過ぎて、ウォーキングの時間に障りが出るだろと思い、止める。この2日間、午後のお出かけついででウォーキングはしていたけれど、量的に少なかったので、障りが出ないようにとの配慮。夕方は、通常のウォーキングに戻る。昼間は、この間の低温からは、若干、解放されたけれど、夕方は、まだ、ダメだね。というか、その内、また、新たな寒波が来襲するのでしょうね、1月末だもの、まだ。
 午後の一時は、随分と間が開いた、オンライン配信でオペラを視聴することにした。まとまった時間がないとできないので、お出かけがあったり、お出かけがなくとも、他に何かがあると、遠ざかってしまう。前に観たのも忘れてたほどだけど、コロナ禍以後、オンライン配信で視聴したオペラは、全部、メモっているので、それを見れば大丈夫。ライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフ)の「マクベス」を半ばまで観ていたのだった。そこで、後半を視聴したが、またぞろ、あっさりと寝落ち。こういったとき、なぜか、最後が近づくと目覚める。さすが、これはいけないだろうと思い、気になるところを振り替えることにした。前回のパートになるんだけど、スコットランド王の殺しの前から、バンクォー殺しまで、言い換えると、亡霊の幻を、マクベスが見る宴席の場面に入る前までを振り返った。U字形の舞台であることは、前に観たときに書いた。権力、名声欲に取り憑かれ、アリ地獄に入り込んだ、マクベス夫妻を表しているのでしょう。ベタだけどなと思ってたけれど、オケの演奏が頗るいいもので、その効果で、この舞台の構造が、いい着想に観えてくるからおもしろい。歌手陣も、スーパーな出来ではないけど、指揮者の意図に沿った歌唱を見せていて、迫力がある。だから、観直しを、飛ばしながら観るのがもったいないの気になっているので、次回も振り返りの続きをしたいと思うけど、次は、いつ観れるのでしょう。予定表を眺めると、お出かけが詰まってる。なお、その優れものの指揮者はアントニーノ・フォリアーニ。この人、調べてみると、二期会とジュネーブ歌劇場との共同制作の「トゥーランドット」を、東京じゃなくてジュネーブの方で振ったようですね。東京の方は、この2月に公演があるようです。


2023年 1月 29日(日)午後 10時 46分

 週末3連続お出かけ最終日の日曜日。今日は、午後に、実に久しぶりに芝居を観に行った日。お出かけは岡崎。1週間前も岡崎だったし、週の半ばにも岡崎に行っている。いずれもがロームシアターということで、ロームシアターにある3つのホールを、この1週間で、全て制覇。要するに、3回が3回、全て別のホールだったのだ。市民寄席がサウスホール、京都市響のコンサートは大ホールという名でいいのかな? そして、今日の芝居がノースホール。長い間、このノースホールの存在を知らなかった。地下にあるフリースペース。そのスペースを自由に使い、舞台を作り、客席を作れる。ケルン歌劇場は、この形式で、公演を、同時に3つ、行えるようになっている。今日は、こちらで、岡崎藝術座という劇団の公演があった。チラシを見かけるまで、全く知らなかった劇団。どんどんと新しい劇団が登場してきている。そういったなか、チラシに、この劇団の座付作者の神里雄大が、「第62回岸田國士戯曲賞」を受賞したとあった。日本での最高峰の演劇台本の賞で、時代を代表する作品に授賞してきた由緒正しいコンペ。コロナ禍もあり、芝居から遠ざかってるなか、果たして、どのような作品に、この賞を出しているのか、それが知りたかった。芝居は「イミグレ怪談」という名が付いていた。役者は、ほとんど3人、あと1人が、シマウマの被り物をして竹馬に乗り、背後を2回歩くだけというもの。主役3人の素性語り、自分語りを、残りの1人、ないしは2人が聴くという形で推移し、最後に3人が酒を呑むシーンで終わるというもの。3人のキャラが、この芝居の特徴。1人目は、沖縄の泡盛のルーツを探し、ラオスに至り、バンコクに居を構え、ラオスの酒を作る男。2人目は沖縄の女だけど、南米移民(作者と重なるようですね)の血を引くとなっている。モニターを通じて、ブラジルだったかな、どこかの南米の女との会話も入るようになっていた。最後の男は、野球部の旧式のスパルタ式練習を受けているとなっている。但し、自分的には、この芝居、テンポがさほど良くなく、且つ、こないな社会的背景を持つ人間を登場させるような芝居が、21世紀になり脚光を浴びるなんて、全く想定外で、趣味に合わないしということで、時々、寝落ちしてしまってるので、このような書き方をしていいのかすら判然としないところがある。そういった越境する人物に、上下関係のきつい、上から強制された人物を邂逅させて、その意味を捉えられないまま、芝居は動いて行ってしまった。ダイバーシティが標榜される現代、そのニーズに見合ったというところでしょうが、居眠りしたこともあり、芝居の意図が判らないまま終わってしまった。あまり残念とは思わなかった、お金は残念とは思ったけど。この3人を出逢わせることだけに意味を看ているのかなとも思うのだけど、でも、接点を沖縄に置いているのが気になります。2人目に語りをする女は、沖縄弁を使える沖縄の役者を使い、沖縄公演もやってる。沖縄に、この芝居で意味を付けてることは、そないなことから確かだと思うので、その点は、判らないままというのは残念な気がしてしまっています。そんなで、久しぶりの芝居は空振りに終わってしまいました。
 今日は日曜日ということで、お楽しみの「日曜美術館」があるはずなんだけど、今日は、旧作が放映された。時々あること。でも、後半の1/4の「アートシーン」は外せないということで、午前10時までは動きが取れず、結局、午後のお出かけがあったため、昼前のウォーキングはミニに。午後のウォーキングが、岡崎への往復で間に合わせたけれど、この2つでは、普段の量には及ばない。手持ちのスマホに入れている万歩計アプリが、「近頃、ウォーキングの量が減ってます」と書いてやがった。図星だけに腹が立つ、機械に言われたくないの気分。うまく日々のルーティンに合えば、お出かけはいいのだけど、そうじゃないと、えらく気になってしまう。だからこそ、遠出をするのが億劫になってしまうのでしょうね。週明けは、医者通いをしながら、これを取り戻さねばなりません。とまた、普段を基準にしてしまってます。


2023年 1月 29日(日)午前 5時 46分

 今週末は3連続のお出かけ予定が入っている。昨日は、その2日目の土曜日。午後に市民向け講演会を入れていた。コロナ禍であっても、今は、予約の必要がなくなっているのはありがたい。この予定が入っていたこともあり、午前中のウォーキングをする時間を取ることはできなかった。だから、午後の講演会の往復をウォーキングに替えねばならなかった。終わってみると、普段の8割くらいの量だった。おまけに、夕刻から、また雪が降った。若干、気温が上がっていたので、最初は雨かと思ったが、甘かった。ちょっとして、雪と、はっきりと判り、かなり落胆。1月の末だから、こんなものかもしれないけど、ちょっときついね、こう続くと。
 昼のお出かけ先はアスニー京都。一昨日に続いてとなりました。昨日は「京都市考古資料館文化財講座」。こちらは、土曜日の午後に行われます。昨日は、「保存科学から見る富ノ森城」というお題で、①動物遺存体を中心に(公財/京都市埋蔵文化財研究所関晃史)②杮経(公財/京都市埋蔵文化財研究所北村彩)の2本立ての講演を聴くことができた。「富ノ森城」遺跡というものは初耳。だけど、場所は馴染みのあるところ。断捨離をしたとき、散々、廃棄物を捨てに行った南部クリーンセンターの西向い。そんなところに遺跡があり、発掘なんてことをしてたなんて、全く知らなかった。地形的な言い方をすると、桂川と巨椋池に挟まれた地域。桂川なんて暴れ川だから、流路によっては、住みにくい場所になるけど、そうじゃなければ、ええ場所です。巨椋池も舟運という意味で見ると、現在の伏見や城陽方面へと容易く行ける、とってもええところですね、今は、横大路になるのかな、伏見の端てのような印象を持っちゃうけれど、かつては違ったのでしょう。ここに、「城」と付きながら、考古学の成果としては「城」は確認されてないながら、平安時代からの集落跡を確認することができるということで、その発掘成果が、今回のお話のお題となりました。ただ、この考古学の成果のお話って、言っちゃ悪いけれど、こんなのが出てきましたシリーズになり、その意味とかのお話へとは、なかなか行かないんだよね。よく寝ちゃいます。昨日の場合だと、「動物遺存体」という変化球が入っていたとはいえ、流れは、時代区分をして、こんなの出てきましたシリーズとなり、案の定、半ばで寝落ち。人をも含めた動物の骨を聴いたとて、突如として、象が出てくるわけでもなし、牛、馬、鹿から始まり、イシガメ、ハクチョウ属、タニシなどの貝類では、詮方なしというところでした。牛などは、食肉、革製品、骨角器として使用されていたってことぐらいが、使用目的だった。それが、どうして判るんだろうか、それが気になったんだけどな。日本の食肉の習慣、これ、気になるんだけどなぁ。貝類は、貴重な蛋白源だったでしょうが、食肉の風習が、日常していたのなら、そんなに頑張って採らなくともと思うのだけど、よく判りません。①は、そんなで過ぎて行ったんだけど、②が、めっちゃ新鮮だった。だって、「杮経」って、初めて聴いた言葉だったから。「杮(こけら)」は、木片、木の薄板を指す言葉だそうです。その杮に写経をした。それが、この発掘から出て来た。京都には、鳥羽離宮跡からも、形は、若干、違うそうだけど、出てきているそうだ。木片が腐らないで、土中に残っている、この仕組みも、当然、お話がありました。「ブラタモリ」で、タモリが言ってたことあるけど、水に浸かっていると保存が効くんだよね。だから、出て来た現物は、泥まみれ。それを発掘するときは、慎重に霧吹きで水分補給をしながら取り出すそうです。一番の敵は乾燥、空気に触れることだと言われていました。細い縦長の杮1つに、法華経などを1行ずつ墨で認め、それを、経文の順に並べて、グループ毎に縛り、更に、それを巻いていく。法華経全部を書くと、4000本以上になるところ、その半分ほどが、一挙に出て来たということだった。解読には、赤外線照射で写真に収めるとか、赤外線が当たると、墨は反応して、目で確認できない字も読めるようになるそうです。そして、それらの分析。これも、おもしろかったな。筆跡鑑定までしなくても、明らかに、文字や、決まったフレーズについて、書き方に個性があるところから、4人の分担で書いたようで、その4人の上下関係も推測されていました。とっても合理的で、おもしろい分析。中には、ずぼらな坊主がいて、ミスった字の上から書き直したり、ページ番号が変則的になっているところからでは、書くのを抜かして、後から付け加えたのじゃないか、ということは、誰かが、チェックを入れてたのだろう、第一、異なった筆で修正までしてある箇所まであった。そんなで、4人の性格分析までもされていました。とっても洒落っ気たっぷりのお話、寝ている場合ではありませんでした。
 夜の「ブラタモリ」は「足利編」。足利って、すぐには場所が思い浮かばない。群馬県じゃないかと思ってたら、ぎりぎり栃木県だった。足利氏の故郷の地だそうです。その地形の要塞ぶりから始まり、足利学校、明治期の織物ブーム、現代のイルミネーションと話題をかき集めた感じで、前回の「高千穂編」に次いで、さほどヒット作とは思えないものだった。次回は「前橋編」、高崎じゃなくって前橋、それと抱き合わせての「足利編」だったってことかな?


2023年 1月 28日(土)午前 7時 12分

 昨日は、朝からお出かけ。そして、午前中に1つ、午後に1つ、講演を聴いた。その2つのイベントの間に2時間半という時間があったので、その移動時間をウォーキングの替わりと、徒歩移動。ググってみると、57分と出たので、頃合いと看た。どこかの公園で食事でもして、早く着けば、鴨川も近いことだから、その辺をぶらついておればいいやの予定だった。ところが、昨日は雪の日だった。移動中、ずっと降っていた。しかも、少しだけど積もった。最悪のコンディション。公園があっても、座れない。これは食べあぐねたかと思っていたら、うまい具合に、千本釈迦堂の前に出た。軒先でもいいからと境内に入ると、正月から出しっぱなしではないかと思ったテントと、その下には、床几があった。これ以上ない設え。おまけに人もいない、これなんかは、雪のおかげ。本を読みながら、雪の降るなか、パンをかじることができました。寺の境内で、「イエス」という題の本を読む不思議ってやつです。まだ頑なに、一人の場合は、外で食べることにしているのです。そして、午後のイベントが終わってからも、場所が、旧烏丸車庫跡地だったため、歴彩館からと距離的には変わらないだろうと、三条まで歩くことに。途中、昔の同僚から電話が入ったため、しばし、電話をしながら歩いたこともあり、ほぼ1時間の行程も、さほど長く感じなかった。ただただ、表通りを歩くことだけを心掛けていた。雪が残ってないところを選ぶには、まずは人通りの多いところに限ります。
 2回の講演会、昨日は、午前3時すぎに目が覚めたままだったので、あまり調子は良くなかった。うつらうつらしていた時間もあったので、簡潔にしかメモを取れないけど、記録のために書ける範囲で認めておく。午前中の方は、京都アスニーでのおなじみの講演会。昨日は、「温暖化適応とグリーンライフインフラ」というお題で、森本幸裕(京都大学名誉教授・〈公財〉京都市都市緑化協会理事)さんのお話を聴くことができた。森本さんは、以前、何らかのオンライン配信で、お話を聴いたことがあり、そういった縁で聴いてみたかった方。気候変動や環境問題といったテーマは取り上げない京都アスニーなため、客足は、案の定、かなり低調。雪のせいもあるでしょうが。放送大学とのタッグを組んだ講演会ということで、こういったテーマが組まれたものと思われます。いきなり、「生物多様性の主流化、3つのキーワード」として、アルファベットの並ぶタームが出てきた。こんなだから、足が遠のくのでしょうね。「30by30」「TNFD」「Nbs」といったもの。「30by30」は、2030年までに、陸と海の30%を保護区にしようというもの。あと7年で? マジかよという標語。既に、日本も同意しているとか、要するにG7での合意事項だということでした。ニュースを見ないものだから、「へぇ~」でしかなかったけれど、それほど切羽詰まったってことか。「TNFD」は、自然関連財務情報を株主総会で、企業は開示しなければならないというもの。方向性は解るけど、日本の企業はついていけるのだろうか? 国際的な企業は、そうでないと国際社会で生きていけないから、率先して、ニーズに応じた取り組みをしてるだろうけど、あとは大丈夫かね。ジェンダーの問題にしてもひどい指標が出てるわけだしと思ってしまう。「Nbs」は、自然を基盤とした問題解決。森本さんが提唱されている「雨庭」なんかが、この取り組み。お話の本筋が、この3本目のターム。ご自身の取り組みを紹介される前に、世界の取り組みの歴史、事例を、簡単に報告されました。動き出したきっかけはインド洋の大津波。津波というタームが、世界を制してしまった出来事、そういったことを知ったのが、忘れもしないリヨンのホテルでだったことを覚えている。コンセプトは、自然に寄り添った防災・減災。グリーンインフラというタームを使われていました。日本には、元来、そういったモデルがあったというお話では、桂離宮の例を挙げられていました。近くを流れる桂川は氾濫するものとの前提で造られている桂離宮。敷地と桂川との間にある植え込み、建物自体は高床式、そうすることで、自然の営みを認めるとともに防災・減災に努めると、生態系が崩れない。「雨庭」も、雨が降る前提、時には大量に降る、御所の近くに造られた雨庭では、造られる前には、道路に溢れかえる水、昔、よく見かけた光景です。歩くのも大変だった。そこで、雨庭を造ることで、そこへ水を流す、ただ、そこで水が溜まるような仕掛けができる、植物を植えると、それだけで保水が可能、土壌で工夫すると保水性が上がるとともに吸水が進むというコンセプト、また、土中に土管を埋めると、水の流れをコントロールできるという考え方ですね。御所の例だけではなく、森本さんが勤めてられた旧京都学園大学キャンパスや四条堀川交叉点のグリーンゾーン、京都駅南側回廊のグリーンゾーン(人を呼び込むことにも繋がった)。2014年のCOP12決議には、都市計画・整備にグリーンインフラストラクチャーを組み込むことが入っているそうですから、今後のトレンドになっていくのでしょうね。
 午後のイベントは、京都市北文化会館であった「佐竹祐介先生の音楽講座~知っているようで知らない音楽講座」でした。佐竹さんは、今まで、何度か、その演奏を聴いたこともあるピアニスト。京都市響に籍を置いておられるはずです。その佐竹さんが、今後1年間に、計4回の音楽講座を開かれます。仕掛け人は、後半の演奏でも共演された、京都市響の神吉正(コントラバス)さんと田村安祐美(ヴァイオリン)さん。昨日のテーマは、「序奏 革命前の音楽~卵はまだ割れていない~」。ベートーヴェンがターニングポイントだということで、それ以前の古典音楽を、具体的に、ピアノ演奏をされながら解説されました。作曲法の話を、以前、京都大学人文研のオンライン配信で解説していただくというスーパーな配信があったけれど、それに重なる見識での問題設定。佐竹さん流の言葉でいうと、ビフォーは「神は偉大」、アフターは「オレは偉大」。ビフォーを「昔」、アフターには「近代人」というタームを使われていました。あんまし「近代人」というタームは使って欲しくないという突っ込みは、この際、置いといて、音楽が変わるというお話は大事。ビフォーに関し、人間は「美しい」いうことについて、一定のDNA持っているという言い方も注釈が要るだろうにと思いながら聴いてはいたが、音楽史を見ていくと(実際に、モーツァルトまでを振り返っておられた)、形式の変化はあっても、時に応じて、固定した美の類型を持っていたことは確か。そういった枠組みで作曲がされていた様式美の中で、作曲家の個性が発揮され、その才能が輝いた時代だったということがお話しなさりたいことと読み替えて聴いておりました。このお話で、一番、素敵だったのは、例えば、J.S.バッハの曲を取り上げ、その個性、才能の輝きを示されたこと。平板に型通りの演奏ならば、こういった流れの音楽になるところに、こういった休符を入れたり、音の進行にわざと不自然さを忍ばせたり、楽章編成をいじってみたりしていると、型通りの編成に戻した演奏も加えて紹介していただけるものだから、とってもおもしろいものとなりました。J.C.バッハやC.P.,E.バッハといった、大バッハの息子たちの才能も、こうやって聴かせていただけると、輝きますね。周りにいる貴族は、こんなことを楽しんでやがったんだの気になっちゃいました。こういった展開だと、とっても楽しいお話が聴けそうだということで、早速、帰りに第2回目も申し込んじゃいました。正にヒット企画です、このイベント。なお、後半の演奏は、J.S.バッハの教会ソナタ、ハイドンのピアノ・トリオ、ジャズ(これは古い型の踏襲という観点から)でした。しかし、田村さんの変化にびっくり。恐ろしきかなコロナ禍のブランク。全く判らなくて、出てこられたとき、桂あやめが出て来たんじゃねぇかと思ってしまった!


2023年 1月 26日(木)午後 8時 21分

 今日は、お出かけなしの木曜日。実は、数日前まで、予定表には、落語会を2件、入れていた。でも、消してしまっていた。1つは、夜間の時間帯が嫌だった。先日の長岡京の落語会、昨夜のコンサートと、夜のお出かけが入ると、やっぱ、生活のリズムが崩れる。決まった時間にあれをしてこれをしてが崩れると、気分的じゃなくて、身体がきついのだ。たまにならいいけど、続くのはダメだね。おまけに、この落語会は、大阪市内だったと言っても、かなり守口市寄りだったけど、それが乗り切れなかった。この時期には許容できてるかもという思惑は外れてしまった。もう1つの落語会は、平日の午後という有難い時間設定だったけれど、場所が奈良だった。遠い。昨日が夜のお出かけ、明日は2つのイベントをハシゴの間となると、この奈良というのが、ここに来て嫌になってしまった。先ほど、ディープな落語ファン氏のTwitterを覗くと、きっちりと押さえられていた。おまけに、二豆が弾けまくっている画像が貼り付けられており、かなり動揺してしまった。仕方ありません、それも受け入れねばなりません。
 雪は、まだ残っている。夕刻には、ほぼ消えたけれど、氷になり、道路にへばり付いた、一番嫌なのが残っている。今朝、2階の物干し台は、雪でびびった。屋根が付いているので、まさか、全面雪とは思っていなかったけれど、雪の降ったときは吹雪だったことを思い出し、あっさり納得。納得しても、雪は消えてくれない。怖かった、ホント、家の中で、黄紺の動きの悪い足には、一番、やばい場所。狭いので、身体を回転をすることが多い。途端に、平衡感覚がやられてるものだから、ぐらッと来る。そこへ、両脚のマヒがあるから、自分の意図で動いてないような感覚なものだから、コントロールが難しいから、とにかく、鉄柵を、必ず押さえながら移動することに。せっかく晴れた、明日は朝からお出かけ、そんなことを考え、物干し場がどんなになってるか考えないで使おうとした自分が悪いと言えば悪いけれど、まさか、雪が積もってるとはね。でも、午後4時には、すっかり雪は消えるだけじゃなくて、濡れてさえいなかった。これだと、洗濯物は乾いているかと思ったけれど、かなり酷かった。明日、朝から履かねばならないズボンは、仕方がないんで、電気ストーブの傍らで干すことになりました。
 午後の一時は、旅系YouTuber氏の動画を観て、久しぶりに時間を確保できそうなんで、オペラ配信を観ようと、計画をしていたけれど、ダメだった。YouTubeの動画を観出して、あっさりと寝落ち。どうやら、動画の記憶が、ほぼないので、始まってすぐに寝落ちしたみたい。部屋でも、なかなか温度が上がらない日だったものだから、きっちりと寝る姿は、電気ストーブに身体を向けて寝ていたのに、びっくり。意識が跳んだところで、そういった動きをしてるんだね、寝るのに最適な態勢に持ってきてから寝てるのに、驚かされました。腹が立ったので、予定していたことは、目が覚めてもやらなかった。午後3時過ぎると、日々の「FUTBOL HABERLERI」の記事漁りをして良しと、自分内ルールがあるものだから、それをやり出したら、呆気なく、午後の一時は潰れてしまった。振り返ると、何もない、ただただ平穏な一日だったということですな。


2023年 1月 26日(木)午前 6時 42分

 今冬一番の寒波という触れ込みが、3日程前から流れていた。さすが、黄紺も知っていた。一昨日の夕方から前兆が現れ出し、間違いなく、昨日今日は、最悪の寒波だと思います。朝起きて、スマホに出て来た気温に驚かされた。「-3.5度」だった。「-3」というのは、さすが記憶にない。屋内で、空調が効き、電気ストーブまで点けても、まだ、寒かった、特に明け方は。雪は、結局、一昨晩に降っただけじゃないのかな? 増えたとは思えなかった。午前中のウォーキングに出かける際、その気温の低下を体感しようと、敢えて、一昨日までと同じ格好で出かけてみた。ところが、外に出かけてみると、屋内ほど寒くなかった。だから、普段の恰好のままで大丈夫だった。屋内の冷え込みから考えると、ありえないと思うほど、外の方がましな気がした。そんなでも、夜のお出かけには、正直、びびった。よりによって、何で、こんな日にチケットを買ってあったのか、買った己に腹を立てていた。で、夜のお出かけは、極寒の韓国旅行に備えた格好で。それで十分だった。帽子も、手袋もなしで、そう感じた。だから、結局は、寒いが先行してしまってたんじゃないかとすら思っている。まだ、耐えるだけの余力はあるぞと、加齢で、いたって寒さに負けながらも、思っている。雪のことを書いておくと、まだ、足の痛みがあるので、とっても歩くのが怖い。ウォーキングをするにも、路上の雪の具合を確かめながら歩かねばならない。一旦溶けて、その後、凍ったのが、一番やばい。今回は、幸い、その上に雪が積もるということはなかったので、まだ、助かった。普段は、車が多いところは避け気味なんだけど、昨日は違った。車や人通りの多いところは、雪は溶けてるだろうと思ったのだけど、それが外れるところもあった。まさか、三条通に雪が残っているとは思わなかったなぁ。残っているわけないと思い、普段歩かないのに歩いたのが、外れでした。
 夜のお出かけは、ロームシアターでのコンサート。エルガーのチェロ協奏曲が出るというので、チケットを買ってあった。もちろん、独奏者もお目当てだったことは間違いない。ロームシアターでは、昨晩、「京都市交響楽団 プレミアム・コンサート in 京都」というコンサートがあった。これは、「ローム ミュージック ファンデーション設立30周年記念プロジェクト」として行われたコンサート。そのプログラムは、次のようなものだった。「岩代太郎:東風慈音ノ章(こちじおんのしょう)~公益財団法人 ローム ミュージック ファンデーション設立 30 周年記念曲~」「E.エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 Op.85」「A.ドヴォルザーク:交響曲 第 9 番 ホ短調「新世界より」Op.95」。なお、チェロ独奏は佐藤晴真で、指揮は角田鋼亮で、このコンサートのオリジナル、MCに朝岡聡を迎えるのは、定番化しつつあります。前の2曲は、楽曲名紹介程度のMCだったけれど、「新世界」は、主題などを、その都度、解説を入れながら生演奏まで入るという丁寧なもの。ドヴォルザークのボヘミアへの思い入れを際立たせようとの意図の働いた、いい解説じゃなかったかな。岩代作品は、委嘱のコンセプトが、アマチュア・オケでも演奏しやすく、現代音楽に特化しないとかというのがあったようで、結果、なんか、よく解らない作品と言うほど、作曲家を知ってるわけではないけど、「へぇ~」で終わっちゃった。次なるエルガーが、このコンサートの狙い。ミュンヘンの覇者が演奏するということが、それに重なった。敢えて、お席を2階サイドの一番前に取り、チェロをしっかり聴こうとしたことが成功して、とっても、よく鳴るチェロを、間近で聴くことができた。それと、変な言い方だが、「コンチェルトらしいな」と言う言葉が、自分の中から湧いてきた。オケの音楽にきれいに乗ったソロ楽器、そのかすかな上を、重なるように流れると思ったから。これって、単にエルガーの作曲の巧さが際立っただけなのか、この演奏が素敵だったからか、自分で判断できない。もし、演奏がいいのなら、ソリストの腕、オケとのバランスを巧く取った指揮者の腕ということになるのでしょうね。ただ、昨日の昼間、予習の意味で、エルガーを3回、異なった演奏で聴いてから行った。YouTubeで聴いているので、特にオケの音の具合がいいとはいえないけど、ソリストの雰囲気は、それとなく判る。それで、一番、やっちゃいけないことやっちゃった。よりにより、最後に、デュ・プレのものを聴いてしまったのだ。改めて、この演奏の凄さを認識した。ただでも、エルガーと言えばデュ・プレなのに、それが耳に焼き付いてしまった。これは、まずかった。既に、この時点で、フラットに生の演奏を聴くことを放棄しちゃってたんだな。どうしても、驚異の演奏と比較してしまう。パワーが違うとか、音楽作りが単調だ、それに付き合わされて、京都市響も単調化していると、特に1楽章で思ってしまった。帰って、「新世界」の方が、そういった意味で、先入観なしで聴けたから、自分的には楽しめた気がする。角田さん、しっかりしてるなと思った。起伏に富んだ、サービス精神豊かな演奏だと思ったし、クラリネットの故谷口さん、フルートの上野さんが抜群だった。先日のラフマニノフの超好演で期待した戸田さんのイングリッシュホルン、残念ながら、今回は不発だった。弦がよく鳴ってたしね。左サイドで聴くと、右奥にあるコントラバスのピチカートの響きが、とってもストレートに聴けました。楽器の配置と、お席の関係は、ホント、賭けだね。この1週間で、コンサートに3回、行けます。岡崎へは、この1週間で、これまた、3回行きます。京都で、これだけ楽しめるのだから、十分だな。思い描いていた余生を、そのまま生きてるってところですな。


2023年 1月 24日(火)午後 8時 24分

 今日から、この冬一番の寒波が来るという天気予報が、数日前から流れていたけれど、間違いはなかった。変調は、昼前のウォーキング時。休憩&読書の時間までは、さほど、大きな変化はなかった。気温は、若干低めだけど、「風がない分、読書ができる」と、この間読んでた旧約聖書絡みの本が終わりかけていたので、最後まで、この時間に読み終えた。それで、自宅に向かい歩き出すと、空が真っ暗になってきている。周りを見ると、黒雲の周りが見えるから、雨はちょっとの間かと思っていたら、一気に風が出てくるわ、降り出すと、雨じゃなかった、霙だった。これは驚いた。いよいよ来たかと思ったものだった。幸い、フード付きのウィンドブレーカーを着ていたので、少しは助かったけれど、途中、マートで買い物を軽くして、自宅に辿り着くと、あっさりと晴れ間が恢復していた。この昼前のウォーキングの後半部だけ、異様な変化を来したみたい。その後は、外に出てないから、気温の変化は判らないのだけど、午後4時頃だったかな、外で風が吹き出しているのは判った。で、今日は、お出かけなしの日だったもので、いつものように、似た時間に、夕方のウォーキングに向け準備をして、外に出て、唖然! 吹雪いてました。外に出かける、ほんの少し前から雪は降り出したみたいだった。丁度、積もり出したという感じだったから。その雪が、京都では、ほぼ見かけたことのないほどの粉雪。だから、風に舞う。粉雪と見て、ならば、傘さしウォーキングをしようという気になり、そのまま歩き出した。雪の降り方から判断して、自宅を中心にした環状コースを採っておいた方が賢明との判断で、それまで考えていたコースを修正。でも、これ、10分も続けられなかった。風が強すぎた、だから、寒い。韓国旅行中に買うはずだった手袋と帽子、韓国が暖かだったため買わなかったから、その防寒アイテムがない黄紺には、風は天敵。傘をさすのも大儀なものだから、「尋常なことをしてない」自分に気づきました。そのときが、特に強かったっこともあったけど、風が緩くなっても、ウォーキングを再開する気にはなれなかった。風が優しくなると、手の冷え方も和らぐのも判ったんだけど、それでも、この雪の中のウォーキングは「尋常じゃない」と思えた。あっという間に、雪は積もった。夜に入り溶けないだろうし、明日の朝は銀世界、間違いなしです。これだと、明日のウォーキングが歩きにくいだろなと、早くも、翌日のウォーキングに思いを馳せてしまっています。
 午後の一時は、火曜日ということで、今日も、Radikoのお世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴いていた。出だしから、先週、二葉が「さんま御殿」に出たトピックから。やっぱ、TVの威力は凄いね。認知度が、一層に上がった模様。自宅にTVがない黄紺は、番組そのものは知らないんだけど、いろいろとネット上に、番組の様子、二葉が映ったところに関する情報が流れているので、ある程度以上に解ってるつもり。裏話的に話されていたのは、うどんを食べるところだけじゃなくって、煙管で煙草を吸う所作もしたそうだけど、TV的に煙草は良くないのでカットされてようだと言ってました。そか、そういうコンプライアンスてなものに、バラエティーのちょっとした箇所にまで神経使ってること、知りました。収録は2時間ほどあったとか、それを編集しての放映。二葉が喋った部分というのは、ほぼTVで使われたところだけと言ってました。それで、踊るヒット賞とは、それだけ、インパクトを残したということですな。先週は、繫昌亭の出番があり、放映後に、師匠と楽屋で会うと、「番組、観たでぇ」と、米二がにこにこ顔で言ってきたとか。「親戚のおじさんか」と突っ込んでたけど、ここでも、仲の良い一門の姿が垣間見えました。ホント、この一門、師匠含めて、仲が良い。誰からも、それが伝わって来る。その繫昌亭のマクラで、「今日は、もう刻うどんが出てるから、できひん」と言って笑いを取っているそうで、こういった抜け目なさの卓越さを、最近の二葉を看ていると思う。だから、ますます、マクラがおもしろくなっていってるのでしょうね。冗談で、「刻うどん、持ちネタにしようかな」と言ってました。そんなことも言いながら、「ネタをもらう」ということに、わりかし、かっちとした話を聴けたのは有難かった。弟子に稽古をつけない小三治や、鶴瓶に稽古をつけなかった6代目の話も飛び出していました。YouTubeでネタを仕入れていることもある、これは、実際、行われていることは確かなんだけど、そういった絡みで2件、メモっておく。誰かは言わなかったけれど、ある噺家さんが高座から降りてくると、楽屋にいたざこばが、「俺のと似てるな」と声を掛けたら、その噺家さんが、「YouTubeに出ている師匠の口演で勉強させてもらいました」的なことを言ったことがあるなんて、おもしろ話を紹介してました。もう1つは、YouTubeから、あれだけたくさん流れていた米朝の動画や音源が削除されていると言ってたので、慌ててチェックしてみると、その通りでした。あとは、「らくだ」の進捗状況が記憶に残る。自身のTwitterでも書いてたけど、文之助にダメ出しを喰らったみたい。それよか、あとの2つは、どうするんだろう? 1ヶ月を切ってるのに、まだ、手つかずの模様です。


2023年 1月 24日(火)午前 7時 49分

 昨日は、久しぶりに、お出かけなしの一日。そして、夜半から雨が降り出したようで、午前中の半ばまで雨が降っていた。これで、気温が下がるのかと不安になったけれど、実際は、そうではなかった。一昨日と、変化はなく喜んだんだけど、またぞろ、寒波が、間もなくやって来るとのお天気情報。嫌だねと言っても、1月の末になろうかというわけだから、一番寒い季節。仕方ないですね、ここまでは、暖かめの冬だと思っているのですが、この路線で突っ走って欲しいところですな。お出かけなしとなれば、外出は、日に2回のウォーキングが定番。これも、無事に達成。午前中のウォーキング時間に、ようやく雨が上がったという時間帯でした。辛うじて、休憩&読書の時間帯には、ベンチに腰掛けることが可能でしたから。そんな、何の変哲もない月曜日だけど、1つ、嬉しいことがあった。丁度1週間前の夜、大腸ファイバー検査を受け、ポリープ切除を受けたことで、この1週間、食事制限を受けていたのが、解放された日になったのだ。何を制限されたかと言うと、これが野菜とミルクだった。ミルクがダメなら、常識として、チョコレート絡みのパンやクッキーは慎もう、動物性たんぱく質も慎もうとなると、えらくきついものがあった。毎日、練り物系、豆腐系、それに、最初は、おかゆを食べていた。野菜分補充は、野菜ジュースを飲むことでやっていた。お酒は、1日、我慢をすればよく、火曜日からは晩酌をしていたが、何とも頼りなかった。胃のポリープ切除のときは、1日だけで良かったのに、今回は、部分的だったけれど、1週間は慎むことを求められた。切除は、痛みがなかったけれど、1箇所だけ、何かの拍子に、身体の内から、ごくごく軽い違和感があったものだから、これは、しっかりと従っておいた方が賢明と判断したこともあり、守ったのだった。そのごくごく軽い違和感も、3日で消えたかな。それでも、1週間という言いつけは守った。「繊維質がダメなんです」という医師の言い方で、悪い予感がした。その予感は的中でした、便秘気味になっちゃう。水を飲む、これしか手はないかなと思うのだけど、効果を求めるに要る水量は、優しいものではないので、ウォーキング時に、ホントに困った。タイミングを誤ると、トイレで困ってしまうので、そのウォーキングとの兼ね合いで、水分を摂らねばならない。失念して、水を飲むことだけに頭が行っちゃうと、ウォーキングで困る。そんな日々から解放だけど、便秘気味は残っている。
 午後の一時は、昨日の場合、先週末の忙しないお出かけで溜めてしまった、トルコの今を追いかけるためにファイル化してあったものを読むという作業に充てた。コロナ禍以後、日に2回、朝はCNNトルコ、夜はヒュリエット紙にチェックを入れるようになっている。最近の関心は、スウェーデンとフィンランドのNATO加盟問題。マドリードでの三者協定で、加盟への方向へ舵が切られ、それ以後、三者の間で、様々なジャンル、レベルで協議が続いています。MITまで出かけて行ってます。一番の難関は、両国に避難しているPKKなど、トルコで訴追を受けている連中の引き渡し問題。そのための協議が続いている最中、目下の大問題が持ち上がった。1件目は、在ストックホルムのトルコ大使館前で、エルドーアン大統領の人形を逆さ吊りにするというパフォーマンスが起こった。これは、PKKなどの支援者のパフォーマンス、一昨日などは、支援者が、道路に敷いたエルドーアン大統領の絵姿を踏みつけるというパフォーマンス、思わず、踏み絵の復活と呟いてしまったけれど、そんな解りやすい、やられている方からすると、小ばかにされていると思うようなことが起こった。これらは、対立の軸がはっきりしている。トルコからすると、「テロ組織」撲滅を誓ったはずなのに、国内で「テロ組織」支援者がやりたい放題している、いったい、スウェーデンは何をしているのか、表現の自由じゃなくて、それ、ヘイトクライムだろということになる。こういった明確な軸を背に受けた出来事に加えて、もう1件、これらとは違うパフォーマンスがあった。そのパフォーマーは、スウェーデンでもなし、フィンランドでもなし、デンマークの極右政党の代表者(デンマークとスウェーデンの二重国籍者)が、在ストックホルムのトルコ大使館前で、コーランを燃やすということをやっちゃった。そこで警戒にポリスが、その現場に立ち会ったものだから、矛先が、その極右の男だけではなく、スウェーデン政府に向いちゃった。いや、エルドーアンに対するプロテストが報道されている最中だったものだから、またまたスウェーデンに向いちゃった。ポリスは取り締まるのじゃなく、そういったパフォーマンスを護っているように捉えられてしまった。この顛末が気になるものだから、追いかけてしまっているのです。表現の自由を守るじゃなくて、それ、ヘイトクライムを守るということを叫んでいます、トルコ総出でといった感じの報道ですね。この顛末、しばらく追いかけようかと思っている今日この頃です。


2023年 1月 23日(月)午前 6時 9分

 5連続お出かけ日の最終日。ここまで、映画2回に、落語会1回、コンサート1回だったのだけど、昨日は落語会。落語会は、今月、これで3回となりました。わりかし頑張っています。それが、日曜日だということで午後、これは有難い。金曜日の夜に出かけて、土曜日は午後に出かけるというのは、かなり無理筋だった。日曜日は日曜日で、午前中に「日曜美術館」を観る習慣になっているので、日曜日にお出かけが入ると、毎度、忙しない。昨日もそうだった。ウォーキングは、午前中に、僅かにできた隙間を利用して、ついでに買い物と、忙しなかった。午後は、これは、もう落語会の往復に色を付けるという形で実施。量的には、ほぼ通常まで確保でき、これは頑張ったなの印象。夜は夜で、YouTuber氏の生配信を観るのが、日曜の夜の定番化しているので、帰宅後も忙しなくなったけど、肝心の生配信は、あっさりと寝落ち。先週もそうだったような、、、それで、1日が終わってしまったな。
 そんなで、まずは「日曜美術館」のメモから。昨日のお題は「山と原野とスケッチと〜農民画家 坂本直行〜」。最近、減っている、過去の作家さんを取り上げる、しかも、先週取り上げられたアンディ・ウォホールのように、展示会が現在進行形でなく取り上げのが、珍しい。それは、多くの場合、黄紺の知らない作家さんを教えてもらえるから、世間的には知られているからこそ、この番組で取り上げられるのだろうけれど、自分的には知らないから、有難いのだ。坂本直行という作家さん、北海道で生まれ、北海道で生涯を送った人。釧路生まれ(m39)、坂本龍馬の家系、父は実業家、豊かな家庭に育った。小学校時に札幌へ引っ越し、その頃から、スケッチに没頭、生涯、それを貫いた人。北大山岳部に所属、そのためか、北大山岳館に、作家のスケッチブックなどが保管されている。卒業後、東京の園芸会社に就職、温室園芸の起業を考え、父の支援を期待したが、世界恐慌の直撃で支援を受けられず、断念。1年後、十勝の原野に入る、そのきっかけは、日高に魅せられ、描くことへの衝動から。入植はs11年のこと。十勝にやって来て、坂本の絵を観た彫刻家の峯たかしにより、画家として生計を立てることを勧められ、また、札幌での個展を準備してもらったこと(1956?)を契機に、離農を決意(1959?)。札幌移住後、小田豊四郎との出会い、北海道土産の菓子の包装紙のデザインを依頼されたり、十勝の子どもの詩集「サイロ」表紙を描くことを依頼される。表紙は、無料で描き続け、亡くなる2ヶ月前まで描いた。75歳で没(s57)。紹介された作品は、日高山脈、草花ばかりだった。中に、北大山岳部の後輩が雪崩で亡くなったことから描いた作品のみ(少なくとも、紹介されたものでは)、油絵だった。北海道の大自然の中で生き、その周りにある草花を描き続けた。知らない草花を見かけると、スケッチをして、図鑑で調べて、制作を続けるという姿勢。こんな人が、世の中にいるんだと思わせられただけでも、この新作を観て、正解だったな。またしても、絵の世界は、奥の深いものだと思ってしまった。
 落語会は、伝統の「第364回市民寄席」(ロームシアター)。考えてみると、今月の3回の落語会は、全てホール落語。3回行けたけれど、ここだけは悲しい、寂しい。どうしても、余所行きの噺家さんのお喋りを聴いているようで、居心地が良いとは言いきれない辛さがありますね。噺家さんが、いくら距離を縮めようとお喋りの工夫をされても、ホ-ルという器が器だけに限界があるということを実感します。でも、この距離感を、自分のものに作れる噺家さんって、グレードが高いんだなと認めざるをえないなと確認できたのは有難かった。「市民寄席」は、年5回だか6回の開催なんだけど、日曜日の昼間に、しかも、5席で行われるのが、年に2回のはず、そして、その日には大物が出る、そういった顔付けになってますね。昨日がその日で、それででしょう、トリが仁智会長、これは外すわけにはいかない。番組は、次のようなものでした。白鹿「手水廻し」、あさ吉「化物使い」、春若「井戸の茶碗」、(中入り)、楽珍「鍬潟」、仁智「ハードラック」。文鹿門下の2人は、注目の若手と再確認をしたのが、白鹿の高座。最近、弟弟子の雪鹿が目立つものだから、抜けていた白鹿だけど、「手水廻し」で、その発想の豊かさを見せてくれました。僅かな身体の揺すりで、感情表現を出したり、長い頭を回したりと、工夫がいいですね。あさ吉の「化物使い」は、正に吉朝直系の口演が嬉しい。そう思って聴いていたのに、昨日の寝落ちがこことは、勿体ない。春若が、「井戸の茶碗」を手掛けているのは、随分となるのにも拘わらず、遭遇は初となりました。今まで聴いた「井戸の茶碗」の中で、一番、大阪ものの雰囲気に移植できてたのじゃないかな。そう思って聴くからかもしれないけど、どうしてもテイストに、お江戸の空気が残ってしまう口演を聴いてきたなと、この春若の口演を聴いて思わせられました。例えば、千代田墨斎と紙屑屋の距離感が近いからなんでしょうね、もう1人の若侍も、千代田墨斎ほどでないにしても、紙屑屋に近づいている。そういった人物配置が新鮮だったのだと思います。だから、好きくないなんて人が出てくるかもしれない口演だとも思います。後半に入り、客席との距離が、一気に縮まります。さすがの巧者、2人です。楽珍の徳之島ネタは、鉄板です。「笑福亭さん鶴」(こういった名の噺家さんがいたことは初めて知った! “さん”の字は不明)兄さんとのエピソードは傑作。徳之島ネタの流れで出てきました。ネタの「鍬潟」はレアもの。フリークスのお相撲さんの噺だから、演じ手はほぼいないのが現状。相撲がお得意の楽珍だからのネタです。半ばで、高座を降り、傍らのスペースを使い、股割りを実践して見せるというサービス付きでした。仁智会長は、黄紺的には、仁智ネタでは最高傑作と思っているネタ。ブラックな素材を笑わしてくれる、なんか、これを聴けただけで、なぜだか、コロナ禍が終わった気になってしまった。後ろの席のおっさん、終わった途端、「あーあ、おもろかった」と声に出してました。ごもっとも、ご唱和したくなったな。


2023年 1月 22日(日)午前 0時 45分

 今日も、お出かけの日。今日は、京都コンサートホールで、午後に、京都市交響楽団の定期公演のコンサートに行った。お出かけではないが、夜にお楽しみがもう1つ、「ブラタモリ」の新作が放送された。そんなで、朝からバタバタ。一昨夜、睡眠が取れなかった分、昨夜は揺り戻しがあり、眠れたことは有難かったが、自由時間がタイトになってしまった。そこへ、また、新たに、京都市交響楽団のコンサートのチケットを買うのが今日だったこともあり、余計にタイトになってしまった。だから、朝のウォーキング時間は、僅か30分間だけ、でも、京都コンサートホールへの往復にウォーキングを絡ませたので、普段よりは、若干多めのウォーキング。これで、ちょっと癒されました。
 京都市響の定期は、今年度は、よく行っている。今日も、プログラムが気に入り、チケットを買ってあった。19世紀後半生まれのロシアの3人の作曲家を並べたプログラムが、とっても魅力的だった。そのプログラムは、次のようなものでした。「プロコフィエフ:古典交響曲 作品25」「ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲 二調」「ラフマニノフ:交響曲 第2番 ホ短調 作品27」。指揮は、最近、活躍が著しい鈴木優人。コロナ禍で顔を会わす機会のなかったディープな音楽ファン氏と再会できたコンサートでもあったんだけど、その方言われてました。「親の七光りかと思ってたら、最近の活躍が素晴らしい」と。同感です。いろんなオケのコンサートに客演されている。それだけ、声が掛かるということは、実績を認められているということですね。自分的には、確か、その指揮ぶりに接するのは、これが初めてだと思います。そして、納得、これは引く手数多でしょ、まちがいなく。上手いとか以前に、腹の底から湧き上がってくる音楽というもの、そうは接することができないけど、少なくとも、その片鱗を味わうことができました。いきなり、今まで流すように聴いていた「古典交響曲」で味わったものだから、正直、驚きました。音の配置もいい、そういったいい耳、豊かな感性がさせる音楽作りに長けてるんでしょう、技術があるからできてるんでしょうね、でも、聴く方は、そういった技術より前に、わくわくする音楽に魅せられてしまってました。ストラヴィンスキーは、おもしろい曲だし、というのは、弦だけど、いろんなリズムを見せてくれる、それが、とっても楽しい曲。この曲を入れたプログラミングに拍手でした。馴染みのある2曲に挟まれた、とってもいい閑話休題というやつかな。そして、最後は、最大の狙い、去年の8月以来、このコロナ禍で、半年もしないで、2回も、ラフマニノフの2番を聴ける幸せよ、でした。2楽章のスケルツォが秀逸だったのだけど、今日のコンサートで、唯一の不満が、この曲の1楽章。音の流れより、個別の音の引き出し方にシフトしたからでしょうか、まどろみが生じにくい音楽になってた。ラフマニノフの抒情性という意味で乗り切れないところがあった。上手い具合に、この曲は、通常3楽章に入れるスケルツォを、2楽章に入れるという変則型なのが味方してくれ、一挙に、雰囲気が変わりました。小谷口さんのクラリネットは、曲想に合わせたのか、色合いを明るくしてあったのに注目、更に、それを上回るソロを聴けたのがコールアングレ。高山さんじゃない知らない奏者、上手かったなぁ、ため息が出るほどでした。京都市響としても、ベストじゃないと思うほど、よく鳴っていた、すごいぞ、京都市響! 最近の客席は、コロナ禍から立ち直れなくて、空席が目立つのだけど、今日は、コロナ禍が続くにも拘わらず、その空席が、かなり埋まっていた。広上淳一退任記念コンサートは特別として、入りが戻り始めたかなという雰囲気がありました。
 「ブラタモリ」は「高千穂編」。独特の地形が作り出した景観、ぱっと見、柱状節理は、この番組を見てなくても判るもの。この番組では、随分と柱状節理が出ていたけれど、それに重なるようにして不思議な岩が露出していた。それを解き明かすのが、今日の地形の最大のトピック。詳細は解るわけではないと思っていたけど、地形をしっかりと触れる要素はあるけど、それだけじゃないよねとの期待が的中。水の引きにくい地形に加えて、でも引いてきた姿を紹介してくれました。おかげで、現在は水田が並んでいるけど、昔はそうじゃなかった。その辺の苦労話と観光化されていく姿も紹介されていました。高千穂もまた、新しい観光地でした。その名残を見せてもらえたと言って、いいかな。素敵な棚田が、2箇所も、棚田百選に選出されてるそうです。そういった楽しみ方もあるんだね、高千穂には。1度、行っておきながら、そないな呑気なこと考えていました。


2023年 1月 21日(土)午前 7時 55分

 昨日は、夜に落語会に行った日。しかも、ちょっと遠いということで、朝から、その動きに神経を使った。普段使わない交通機関を使うため、午前中のウォーキング時に、その下準備。それを組み合わせたウォーキングも、普段のウォーキングをマイナーチェンジをしてのもの。夕方のウォーキングは、落語会の会場への往復で十分間に合うようになっていた。これが、わりかし量が多く、結果、1日のウォーキングの量としては、かなり多め。万歩計を見ると、2万歩を超えていた。夜、自宅に戻ったのは、午後10時半だった。それから、肴を作り、晩酌をしながら、トルコのサッカー情報などを収集していると、得体の知れないところで寝落ちしていた。しばらく、どこで、PCの画面を見ても、寝落ちしてしまったのかが判らなかったほど。ようやく判って、びっくり! さるコロナ関係の情報を見つけて、その記事をファイル化している最中に寝落ちしていた。正しく、1つの作業中に寝ていた。夜中に、目が覚めたときの恰好を考えると、そこで、眠くてどうしようもなくなったらしく、身体を電気ストーブに向け、暖を取りながら寝たらしい。無意識で、妥当なことをしている自分に、ちょっと驚いてしまいました。
 落語会は、京都府長岡京記念文化会館であった「新春 桂米朝一門会」。「米朝一門会」と名の付く落語会に行くのは、恐らく、もう10年以上前に、同じ会場であったもの以来だと思います。前にも行った記憶があるということで、先日、チケットを購入しておいたもの。1000円という値段設定の席があった。当初は、これはやばい席だろうから、さすが止めておこうと思っていたが、いざ、チケットを買う段になり、怖いもの見たさの気になり買ってしまった。案の上、酷い席だった。ほぼ、お喋りをしている噺家さんが見えない。前の人の頭の隙間から見えるときがある。隣の人も、見えないから前に乗り出す。さすがに、それは「止めろ」のサインを送った。ま、生で声を聴けるだけの席だと思えばいいやと、後半は開き直っていました。番組は、次のようなものでした。弥壱「桃太郎」、吉の丞「ふぐ鍋」、米紫「兵庫船」、雀三郎「風邪うどん」、(中入り)、ざこば「鉄砲勇助」、南光「佐野山」。こういった会で、噺家さんの皆さんが、こういったベタのことを言ってるのねが判ったのが、一の収穫。サービス精神が旺盛で、それに反応を見せる客席なものなんで、これで行けるの空気を、噺家さんが出してた。そのリトマス試験紙役が弥壱で、「離さんか爺」「鶴の恩返し」をやってくれていました。弥壱も久しぶりでした。吉の丞も、とってもいいお兄さんぶり。弥壱から、吉の丞になると、一気にキャリアが上がったという空気が、マクラから出ますね。小さな会だと、この出番順だと、確実に出る弥壱いじり的な物言いも出るわけはなく、明るく、健康的な吉の丞で突っ走っていました。米紫になると、更にキャリアアップを出します。いきなり「近所に住んでる」と言い放ち、客席との距離を縮める技を出します。「兵庫船」とは嬉しかった。ネタの並びで、一番、想定外のものだったということでの嬉しい、です。ただ、持ち時間もあるのでしょう、言葉遊びまでで降りてしまいました。雀三郎は、マクラで「食べ放題」を歌うサービス。それから、どういった繋ぎだったか覚えてないけど、物売りの声へ、それで、「風邪うどん」が確定。ここで、懸念していたことが勃発。一昨夜は、夜中、トイレ三昧(寝る前に飲んだ野菜ジュースが業をしました!)で、満足な睡眠が取れてなかったので、どこかでやると思っていた居眠りが、ここで出てしまった。残念。ざこばは、マクラでも言ってましたが、喘息持ち。こういった一門会で名が出ていても、最近は、休演が多いということなんで、昨日は大丈夫かと思っていたのだけど、大丈夫でした。義理の妹にかつがれたことをマクラで喋り、スムーズにネタへ。ネタに入っても、テンポや何やら、以前のざこばのままだったのが、一番、嬉しかったな。木曽山中の山賊と猪、北海道の鴨獲りまでで降りました。ここまで聴いていて、「米朝一門会も軽くなった」と思っていたのだけど、いや、「ポップになった」と前向きに捉えることにして、でも、南光は違った。軽やかでポップでもあり、且つ、重厚感があった。「さすがやな、これ」と思いました。スポーツの話から相撲へと、マクラはスムーズに展開、その段階で「佐野山」が確定。これ、今まで、2回、聴いている。横浜での南天との師弟会、動楽亭昼席の2回、2回とも、よく覚えている。「谷風の情け相撲」から取った釈ネタ。今までの2回、谷風から小野川に変えてるのに抵抗ばかり感じてたけど、昨日は、そうじゃなかった。もう谷風であろうが、小野川であろうが、どっちでも良くなっていた、聴いていて。それだけ、噺に集中できる、そういった口演だった。それは、黄紺自身の慣れかとも思ったんだけど、南光の口演が、それだけ、こなれてきているということが大きいのだろうなと思いました。具体的には、どこがは判らない、スムーズに聴けた、拘りなく聴けたからとしか書けないけど、そう思いました。終わった途端、隣の人が、スマホで時間を見たので、覗き見したら、午後9時ちょうど。「神がかってる」と、南光の口演に合わせて思ったことを覚えています。それから、帰宅まで1時間半、遠いとこまで出かけたものでした。


2023年 1月 19日(木)午後 11時 49分

 昨日から始まった5連続でのお出かけ。今日は、午後に映画。2日連続で映画、しかも、この1週間で、映画を3本観る予定だったけれど、全て、達成。午前中のウォーキングもいつも通りできたので、とっても、スムーズに動けた日でもあった。特に、このウォーキング時は、暖かで、天気も良く、とっても、いい気分。とにかく、暖かいのが続いてくれているのが、ホント、有難い。映画は、京都シネマで。1週間に3回観て、映画館は、偶然、全て異なった。今日の映画は、日本映画「世界は僕らに気づかない」(飯塚花笑監督)。京都シネマでの鑑賞、客が10人を超えていたので、まず、驚いた。しかも、黄紺と、もう1人の男性を除いて、全て女性。おばさんは、1人しかいない。上映前に、この状態に戸惑った。間違った者が迷い込んだようで、そういったオーラは出てなかったけれど、その様子を見て、居心地が良くなかったことは確かだし、終わってみると、何となく、そういった状態に納得がいった。おっさんは観に行かないだろうな、一方で、口コミで、映画の噂、拡散してる可能性があると思いました。とっても、上質という表現がいいのか判らないけれど、やったねと言える映画かと思いました。主人公の高校生はフィリピン人男性でゲイという設定、しかも、母親と二人暮らしで、その母親は、フィリピン・パブで働き、どうやら、そこの客との間にできた子どもが、主人公の男ということは、早々に判る。もう1つのマイノリティのポイント、ゲイで、且つ、そして、クラス内に付き合っている男の子がおり、それは、周りの者も知っている。クラスの者だけではなく、親同士も、要するに、皆が知っている。だから、この映画では、ゲイであるか知られるとか、カミングアウトとかは、全く、テーマ外。これが、凄い、そんなところに留まっていないのが、凄い。そこで留まっていては、次なる問題、ここでは、パートナーシップを結ぶこと、そして、家族を持つことの意味という風に、先を見据えている。だから、問題は、そんなところじゃないという部分は、問題とならないように設えてあるというのが、この映画の特徴。その分、主人公を取り巻く人間模様を複雑化させない。思わぬところで、主人公らに好意的な人物が出てきたり、いい人が出てきてしまう。それでいい、焦点化されるべき問題はここよとばかりの設定に、脚本を書いた監督の腕が見えてきます。蛇足かとも看えなくもない、アセクシュアルの女性まで登場させて、主人公カップル2人の行く末を扱っている。濃い部分は濃く、濃く扱わない部分は薄くという扱い方、これ、解る人には解るだろうけれど、解らないぼんくらは、文句垂れる可能性あり。でも、そうしてるってことは、そういった解らない連中をも視野に入れているとすら思えます。母親との関係が、実におもしろい。冒頭のののしりあう場面から、それが基本のように進む親子関係。でも、徐々に、言葉ではない愛が流れていることが浮かび上がって来る。それを、主人公の高校生に自覚させるために設えられたかのような、突如として現れる母親の再婚相手。それがきっかけで、実父の探査に当たる主人公。偽装結婚の相手に、まず、ぶつかる。この男のキャラがおもしろい。フィリピン・パブで遊ぶうちに、そこで働くフィリピン女性の真実を知るようになり、どうやら偽装結婚の片棒を担いだのではと思うようになるのは、結構、映画が進んでから。主人公の熱意、本気度にほざされたのか、主人公にフィリピン・パブの真実を見せる。それは、紛れもなく、母親の人生と重なる。この男もいい男。思わず漏らす実父の情報。実父の家を探し出す主人公。でも、実父は、既に亡くなっていた。でも、毎月、養育費は振り込まれていた。実父の妻の本音は判らないが、誠実な人らしく、亡き夫の遺言を守っていたことで、養育費が届いていたことが判る。ここでも、母親の言う、「お前を産みたかった」「あの人の子だもの」という言葉を噛みしめる主人公。母親の再婚相手として現れる男もいい人。母親から主人公のことばかり聴かせられてきたという、その男の言葉に、ようやく胸襟を開く主人公。パートナーシップを望む相手の男に、自身の生まれから躊躇う主人公。そのためにできる隙間。一旦、別れる二人だけど、この母親への理解が進む中で、自身の行き先も考えられるようになり、元に戻そうと試みる。氷解する二人の行く末をもお膳立てしています。それが、アセクシュアルな女性を登場させる場面。3人の「新しい家族」を想像させる場面です。そこまで、高校生の主人公に覆いかぶせるのかとも思ったけれど、そのためにも、入口をカットしたのだろうとも思いました。そういった意味で、今までになかったトピックを扱ってくれています。そういう新しさが拡散していったのかと、勝手に想像を巡らしていました。優れた佳品だと思います。脚本の妙が冴えるばかりか、役者がいい。主人公2人の演技が抜群、中でも、よくぞ、フィリピーナをできる人を探してきたと思いました。タガログ語もできる。何よりも、いっぺんにフィリピーナを思い浮かべることができる台詞回しが凄すぎます。助演陣は、群馬に拘ったうえ、めっちゃいいキャラを出せる人を、よくぞ、集めたと思いました。素晴らしい才能が集まっています。これは、間違いなく、類まれなる佳品だと思いました。


2023年 1月 19日(木)午前 7時 39分

 この1週間の予定表には、映画を3回観に行くことになっている。先日の金曜日に、既に、韓国映画「非常宣言」を観た。昨日が、その2回目。昨日は、京都みなみ会館であったインド映画「響け! 情熱のムリダンガム」。これが、朝一番の上映だったもので、トルコ杯の結果をまとめることができるかどうか心配だったけれど、大丈夫だった。京都みなみ会館に行くときは、帰りを徒歩にするので、午前中のウォーキングを兼ねることになった。朝からバタバタとすると疲れるのか、午後2時過ぎに帰宅すると、わりかしぐったり。夏の昼間だと、暑さに負けて、こういったことがあるのだけど、ちょっと、それと似た感じ。椅子に座りながら、うとっとしてたみたい。夕方のウォーキングは、平常通りにでき、結果、普段同様というウォーキングの量を確保できました。
 映画は、インド料理店の企画で、上映が実施に移されたとか。最近、日本で上映されるインド映画って、タミル語圏のものが多いですね。これも、そうです。冒頭、喫煙と飲酒の健康被害に触れる字幕が出たり、動物に危害を加えるような撮影をしていない旨の字幕が出るのは、最早、慣れてしまった感がある。題名に入っている「ムリダンガム」というのは、イント伝統音楽の打楽器、横置きにして、異なった皮を張っているのか、両面では音色が異なる太鼓を、撥を使わないで、手の様々な操作で打ち分けるという楽器。その楽器に魅せられた青年が、その楽器の大家の元に弟子入りして、成長していく姿ばかりか、伝統を超えるオリジナルな手も見せるまでになるというサクセスストーリー。その柱となる流れに、問題を絡めて行くという筋立て。まず、主人公の青年は、その大家の打楽器奏者へ、楽器を制作して提供している男の息子。その間には、厳格なカーストが立ちはだかる。インドでも、太鼓、革ということで、それを職とするカーストは、かなり低そうだ。それに対して、ムリダンガムを使われる音楽は、伝統音楽ということで、格式を感じさせます。かなり高位のカーストと思われます。その間を飛び越えさせたのは、青年の打つ楽器の巧みさ、気合のようなものを感じた、大家は、弟子入りを認める。おもしろくないのが、師について、その楽器を学ぶ弟子で、師に替わり指導までしている男。この男は、半ばから、師の元を離れ、敵対していく悪者に変わっていく。更に、ハーバード大学を中退してまで、ムリダンガムの演奏を学ぶ青年が絡む。この青年が、師の伝統的な体質をすかすかのように、TVに出て有名になろうの気を持っており、TV局に務める女が、悪者と化していく男の妹ということで、その青年をそそのかし、TVで演奏させて、TV出演などは伝統を壊すと考える師にいっぱい食わせようと考えている。ハーバード中退の青年は、主人公の青年と連れもてで動いているようで、自己保身が強く、師の目に障るようなことが起こると、主人公になすりつけたりと、小さい男。悪者とまでは言えないが、保身のために主人公と対立していく。そのおかげで、一時は、師から破門を宣告される主人公だけど、その間に、修行の旅に出て、一層、腕を上げていく。修行途中に出逢った楽器奏者の仲介で、師の元に戻ることになるのだが、悪者たちは、主人公ばかりか、お師匠さんをも落とし込める算段。そういった、無理筋的に作ったかのような対立の構図だけど、それら全てを解消させるのは、主人公の放つムリダンガムの演奏という、とてもハッピーな映画。素材はおもしろいけど、筋立ては陳腐、インド映画とは言え、そう言わざるをえないが、それでも、インド映画はいいのです。無理こいて入れる音楽と踊りが、全てを解消します。その効力は、十分、持ち合わせている映画じゃないかな。お約束のマドンナは、主人公が、大事な指を傷めたときに会う医師の女性。インド映画にはなかったベッドシーンがある。軽いものだけど。そういった新しさがあったり、途中、腹を立てた主人公が、警察沙汰になったとき、事を大きくしないために、警察に、主人公のカーストを臭わせて、「ことを大きくすると騒ぐ団体がある」という台詞が入ったりと、あるあるなんでしょうか、わりと生々しいと感じさせられたりと、今までのインド映画とは、ちょっと違うぞと思わせられる箇所もあり、そういった意味では、この映画を観て、正解だったかなと思っている。新年早々、インド映画に出会えて、幸先のいいスタート、いい年になりそうかな?


2023年 1月 18日(水)午前 5時 53分

 一昨晩、よく寝た。検査&手術のあとということで、お酒は飲めなかったのに、食後、YouTubeを観ている最中から寝落ちしていた。晩酌をしたあとだと、いつものことだけど、お酒を一滴も飲んでないのに、確かに、うつらうつらしかけていたのは覚えている。そのとき、なんでとは思ったけれど、ベッドに移ってからも、朝まで、全く目が覚めなかった。しかも、朝、目が覚めた時間が、午前6時を過ぎていた。時計を見たとき、半信半疑だった。このことと、1つのことが重なった。医院到着後、すぐに血圧測定を求められ、自分で測定した。なんと、上が168もあった。生まれて初の高数値。全く未踏の高い数値だった。看護師さんに、結果を見せたとき、「こんなに高いの、初めてです」と言うと、あっさりと「(検査が)初めてだからでしょう」と、検査前の緊張の成せることになってしまった。そのとき思ったこと、「緊張すると、こんなに上がるんや」「けど、自分が、今、必死になってたのは、検査がどうではなくて、ここまで漏らさずに来れるかどうかやったんやけど」。言われてみて、ここで、改めて検査をしに来たことに、スイッチが変った。ホント、それまでのスイッチと違った。寝落ちの件と血圧の件、併せて考えてみると、如何に、心身ともへの、この検査の負荷が大きいかを認識した次第。結局、帰宅後も、軽くではあったけれど、朝まで、下剤の影響はあった。よくぞ、医院までたどり着けたもんだと、運の強さを感じ入りました。
 野菜や牛乳といったものは慎むようにとの指示。これが、一番、摘出した箇所への負荷が大きいと言われていました。お酒は、翌日から飲めます。ダメとは言われなかったけれど、脂っこいものは、自主的に避けている。ネットで調べると、お酒も、1週間、慎めと書いてあったけれど、医者は1日と言っていた。考えてみれば、胃のポリープ切除時のときも、お酒は1日、翌日から通常の食事だった。胃の方が、歯で嚙んだだけのものが入って来るので、負担は大きいはずだから、胃でいいのだから、大腸は、気にしないでおこうと、酒は、昨日から飲んだ。考えれば、酒は液体だからと捉え、食事は、何も付けない食パン、ビスケット、おかゆ中心。1つだけ、まともな固形物として、魚肉ソーセージだと脂っこくないと思い、1本だけ食べた。そんなものを食していると、お腹が頼りなく、クッキー系を補充したのはいいのだけど、最中を2個食べた。あんこ、大丈夫かなぁ。甘いものが欲しくなるときがあるので、普段は買わないキャンディーを、夕方のウォーキングついでに買ってきた。普段買わないのは、止めどなくなめ続けると、簡単に血糖値が上がるから。ホント、簡単に上がる、危険なお菓子です。
 そういったなか、昨日は火曜日ということで、Radikoの世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴く日。夜は「お疲れさん」もと、KBS京都三昧。「まーぶる」の話題、二葉絡みで言うと、二葉の全国放送への進出。「ぷよぷよ」が始まり、昨日は、収録してあった「さんま御殿」の放映日。「ぷよぷよ」の放送済分では、シャイな二葉が出たという印象。これからというところか。「さんま御殿」では、失態の一部を披露。番組で、何度か、うどんを食べられないこと言ってるけど、そこを突かれたらしい。事前に、問いかけた方に情報が入ってた可能性はあるが、「落語家さんなら、上手にうどん(そば)が食べられるはず」と振られ、やって見せると「下手やなぁ」と、さんまに突っ込まれたそう。これ、めっちゃ、おいしい! 新聞のTV番組表には「女性落語家、大失態」と書いてもらってたそうだから、確かに、おいしいことやってる。どうやら、それで、「師匠は誰や」と追い打ちをかけられた模様、知らんけど。二葉は、12/30に行われた米二一門の忘年会ででしょうね、このことを報告、「師匠に謝った」と言ってました。そのときの様子を聴いていると、どうやら、米二は満足の体と看ました。師匠にとっても、おいしい話のはずですものね。このトピックと、噺家が、お囃子もするというトピックが、記憶に残る。二葉も笛をするらしいとは知っていたつもりだったけど、その詳細は知らなかったが、昨日のお喋りで判った。あさ吉教室で習ったそうです。できるのは、二番太鼓の笛と師匠の出囃子だそうです。そんなで、黄紺宅にはTVがないので、何か、「さんま御殿」出演に関し、情報が流れてないか、コアな落語ファン氏のTwitterを覗くと、早速、新情報が呟かれていた。Yahooニュースに、早速、この放送で、二葉が喋ったおもしろ話が紹介されていた。例の初高座で、ネタが跳んだ話を喋った模様。鉄板ネタだもんね。こっちの方かな、いや、両方かも、師匠に謝ったというのは。「どこまで行くのか、桂二葉」、これを追いかけるだけで楽しくなってしまう、なんせ、アフロのときから知ってるもんで。


2023年 1月 16日(月)午後 10時 58分

 今日は、夜に、大腸ファイバー検査を受けることになっていた日。初めての経験。何かにつけ、初めてには弱い。いろいろと噂が入ってくるものだから、余計、不安が増す。大体、噂というもの、いいものは耳に届かない。この検査の場合、下剤を飲むのが苦しいとか、検査の際、腸内に空気を送り込むのがきつかった、そんな噂が入って来ていた。検査時に、鎮痛剤を処方する医院もあるということは、そういった薬剤を使わないと、きついということかと思ってしまう。結果、どうだったかというと、素直な気持ちで、真っ白な気持ちで受けることだったな、これが、黄紺的結論。やっぱ、ラハトな気持ちで受けてもらおうとするのは、検査を設定する方もそうなんだということで、下剤を飲むことは、ポカリスエットを大量に飲むだけのこと。腹が張って大変だという噂も聴いたことがある。半端じゃない量を、短時間で飲めということだから、それなりのお腹いっぱい感は出てくるが、飲めない量では、決してなかったし、吐いてしまったという話も聞いたことがあるけど、自分は、そうではなかった。検査中、空気を送り込み、腸の襞を露わにするということをすることはしていたようだけど、だからと言って、それで苦しいことはなかった。検査中に、鎮痛剤的なもの、要るかなぁとも思った。きついのは、ファイバーを、一気に先まで入れてしまい、徐々に抜きながら観察するというのが基本だそうで、その一気に入れてしまうので、大腸が真っすぐじゃない分、腸内に当たりながら進むことで痛みが発生する。それと、ファイバー挿入時にある痛み。看護師さん曰く、神経があるところだから仕方ありません。これを、3回、経験してしまった。1回目は最初、2回目は、切り取ったポリープが大きくて、それを、カメラの先に置くことになっているため、それが大きいと、カメラの邪魔になり、結果、見落としが出てくるかもということで、一旦、ポリープを体外に出すことで生じた2回目だった。3回目は、採取したポリープを、何かをするために、一旦、直腸に置いて作業をしたらしく、その作業をし終えたときに、置いたポリープを取り忘れて抜いてしまったために、もう1度、取りに戻るということがあった。だから、3回目は、はっきり言って余計なことだった。そんなことを含め、一番、大変だったのは、やっぱ下剤が効いてきたあと。どういう加減にしてあるのでしょうか、段階的に下痢が進むようになっている。徐々に間隔が伸び出しても、医院に出かける時間までに、収まってくれるか、これが心配になっていった。大丈夫と思って出かけて、本当に大丈夫か、実は、この不安が、最大のものだった。下剤というものが、体質的に効きすぎると予想していたため、当初より、これが、一番、気になっていた。自宅から医院まで徒歩15分強、途中にあるトイレの位置を頭に入れて、いざ、外出。そこで、また、お腹がおかしくなった。ここで良かった。結局、これが最後となったので、無事、到着。検査時は、胃カメラのときと同じく、傍らのモニターに腸内が映し出される。緊張があるから、最初は、観ることなんかできない、「結構、ポリープ、多いですよ」の言葉に、余計に緊張が出ると、看護師さんが力を抜くことを求める。それで強張った体を意識させられる。力を抜くと、その方がラハト。それで余裕が生まれ、モニターを観ることができるようになった。すると、確かに、相次いでポリープが目に入る。素人目にも、大きそうなものがある。案の定、切り取り「手術」に。切り取りがあると、組織検査行きとなる。また、嫌なことが増えてしまったけれど、「とにかく、大きいのだけ切っておきます」「1年後、いや、半年後に、もう1度、やってください」「市の検査ではなく、直で、うちに来てください」と、医者の指示が飛ぶ。終わってから、「見た目では良性です」とは言ってくれたが、これで、組織検査4回目ということになりました。組織検査に回されると、ホント、白か黒かだもんね。大腸ファイバー検査、結果として、手術付きになってしまったけれど、とにかく大がかりで、身体への負担が大きい。人によっては、黄紺自身もそうなる可能性があるのだけど、その負担の大きいことが出発点になるってことですよね。何もなければ、これでおしまいだけど、何かあれば、ここからが大変なことが始まる。それ考えると、検査自体に、嫌だとか言ってる場合じゃないってことを、ようやく理解できました。これで終わっても、いい社会勉強であったことは確かだね。


2023年 1月 16日(月)午前 6時 34分

 昨日は、暖かな日曜日。今日の検査を控え、そればかりが気になる。嫌なことはしたくない、けどしなければならない、でも、嫌やの繰り返し。そんななか、午後には、今年初の落語会。とりあえずは、日曜日ということで、「日曜美術館」の新作からメモっておくことにする。昨日のお題は「ウォーホルの遺言 〜分断と格差へのまなざし〜」ということで、現在開催中の京セラ美術館での「アンディ・ウォホール展」会場に、小野さんが足を運んでの収録。アンディ・ウォホールの専門家である立教大学の日高優さんとの対話の間に、生涯などの解説が入るというもの。取り上げられた作品など、アンディ・ウォホールに関するトピックの数々をメモっておく。「政治について語ったことがない人だが、その作品は、大衆の欲望を炙り出し、政治的な主張を持っていると解釈されている」「キャンベルスープ(スープ缶を描いたもの、これ、どこかで観ている)/なんで、こんなものがアートなのと思えるが、皆で平等に味わえるものと考えると、かなり政治的になってくる、アンディ・ウォホールには、貧しい少年時代、毎日のように食用としていた貧しさの象徴」「人種暴動(1964)/人種差別に闘ったアラバマ州の抗議活動を作品に、新聞記事の写真をシルクスクリーンに」「(生い立ち)ピッツバーグ生まれ、両親はスロバキア移民、父が早死で、貧しい生活、スープを食べ続けた、“赤い鼻のアンディ”と言われからかわれる疾患を持っていた、20代になりニューヨークでイラストレーターとして働き始める」「大統領もホームレスも飲むコーラは同じ、商品デモクラシー(スープも同じ発想)」「60年代は暗いイメージ、それまでの明るい、上昇イメージが崩れた、ケネディ暗殺に失業率上昇」「3つのマリリン/マリリンの死の直後から、マリリンを描き始める、シルクスクリーンの技法を模索していた時期、摺り方などの技法に変化を持たせ3つのマリリンに違いを出す、いずれのマリリンも明るくない」「死と惨事/車が横転して死者5名を出す事故の現場写真をシルクスクリーンにしたもの、ダイレクトではなく観てはいけないものを観ている印象が出る、そこに生まれる思考するための余白を作る」「80年代はアメリカ社会の分断進む、人種問題に深く踏み込む、バスキエとの交流、その影響で筆を持つようになる、肉筆の作品が出てくるということ」「マイケル・スチュアート事件に関わるバスキエを支援」「20代からゲイを公表、そういったなか、1983年にエイズが大きな問題になる、エイズがゲイキャンサーと言われた時代に晩年を迎える」「最後の晩餐(1986=死の前年)/ダヴィンチの絵にキリストのモチーフを重ねる、キリスト像4体は手書き、周りの友人が亡くなって行っている、本人も死を意識したなか描く、ユダを描いていない、その場に大きなキリストの顔を描く」。この番組を観て、初めてですね、アンディ・ウォホールについて知ったのは。ドイツの美術館で、近くは、滋賀県立美術館には「マリリン」があるしと、作品は、何度か観ているけど、全く、想像だにしてなかった内容でした。で、京セラ美術館に行く気になった? いまいちならない、なぜなんだろうね?
 午後の落語会は、京都市西文化会館ウエスティホールであった「ウエスティ新春寄席」。京都の、昔風に言えば公民館的なホールで落語会を開いてくれる、ここだけじゃないかな、一昨日と同じ花園かと思っていたら、これ、最寄駅が上桂と、伏見からは、面倒なところだった。往復の方法は迷った結果、ウォーキングも兼ねようと、JR桂川駅から行くことにした。ググってみると、片道48分と出た。落語会の前に、それだけ歩くのはまずいかとも思ったんだけど、日曜日は、朝に「日曜美術館」を観るため、タイトになるから、ここでウォーキングをしなきゃと思い、このルートを選択。全く知らない桂という地域を歩く楽しさもあり、気分は上々だったんだけど、こういったときの定番、往きが、やたら長く感じてしまう。住宅地を歩くコースを選択したため、やたらくねくねとコースが出てくるから、いつも以上に長く感じてしまった。帰りは、物集女街道を使うと、交通量が多いのが難だったけれど、道は判りやすく、戻りということもあり、随分と早く感じてしまいました。で、肝心の落語会の番組は、次のようなものでした。瑞「刻うどん」、福丸「書割り盗人」、よね吉「芝居道楽」、松喬「月に群雲」。コロナ禍、他の3人は、YouTubeの含めて、接点があったけれど、前座役の瑞は、全く、そういった機会のなかった噺家さん。上桂まで来て「北野田」をやってくれていたのが、まず嬉しかった。それを含めて、多めのマクラで、しっかりと前座役を果たすなど、すっかり10年選手の顔を見せてもらえました。もちろん、瑞の「刻うどん」は初もの、吉朝版でした。それをもらったのが良かったのか、以前よりか、お喋りがかっちりしたものになってた。3年間という時間の経過は大きいということなのかもしれないけど、これだと、早くにネタ下ろしをした「高津の富」、もう一度、聴きたくなりました。福丸のところで、心配していたウォーキングの負荷が出てしまいました。エスプリの効いた、福丸らしさが出ているマクラは大丈夫だったんだけど、ネタに入り、白紙に描き出した辺りから、急に睡魔に負けてしまいました。無念。よね吉は、3年連続の出演とか。ひょっとしたら、ブッキング担当? どうやら、洛西に住んでるようですね。地元ネタをマクラで喋り、木戸銭の安さを、散々、ネタにしてました。確かに、1500円で好メンバー。だから、遠くまで行こうの気になったことは事実。あとから出た松喬が、「1500円で、あそこまで頑張らんでもええのに」と言ったほど、熱い高座でした。ネタは、3年連続出演で、まだやってなかったのと思った、十八番のネタ。「七段目」の短縮ネタでした。松喬、ぱっと見、えらく老けた印象。松喬も、還暦過ぎたのだから、仕方ないですね。福丸が、盗人ネタを出しているにも拘わらず、「用意してきた」と言って、盗人ネタを出した。でも、よく考えてみると、後ろに松喬が出る番組なのに、盗人ネタを出した福丸に「大目玉」ですな、これ。そんなで、何をするのかと思ったら、大ヒット、久しぶりに聴いた「月に群雲」でした。アホらしさ抜群の小佐田作品です。今月は、この会を含めて、落語会は3回、行くことができます。とっても、幸先にいいスタートを、年初から切れています。


2023年 1月 15日(日)午前 6時 6分

 昨日も、雨がちで、暖かな一日。そんななか、朝からイベント2つを回った。計画では、午後のイベント1つだけだった。こちらは、チケットも買ってあった。だけど、その後から、午前中に行われるイベントが入った。3月にあるびわ湖ホールのオペラ公演のプレトークというイベント。これ、毎年、チケット発売時には、日程が発表されているのだが、今回は、そうではなかった。今まで、年末年始の際どい時期に設定されていることが多いのだけど、なんか、ずれたため、先ほど書いたチケットを買ってあった。そういった場合は、先に行くことが確定したところ、この場合は、チケット購入済だったから、午前中の方は諦めるというのが、黄紺内ルールにしている。運がなかったと諦めることにしている。ところが、今年の3月のオペラ公演は、沼尻さんの最後を飾るもの、このトーク・イベントでは、毎回、軽妙で、冗談の詰まったお話をされていた、その最後ということで、どうしても聴きたかった。そこで、弟に、午後のチケットを譲ることにしたが、弟は行かないと言う。そのため、没になるのも勿体ないと、両方に行くことにしたのだ。大津市内琵琶湖畔にあるびわ湖ホールでのイベントが終わるのが午後0時30分、午後のイベントがJR花園駅から徒歩5分のところにある京都市右京ふれあい文化会館での開始時間が午後1時。到着は午後2時を想定していた。が、昨日は強運。大津駅でも、さほど待たないで電車が来たが、何が凄かったのかというと、JR東海道線で京都駅乗り換えで山陰線に乗るのだが、山陰線ホームに着くと、発車2分前とは、しかも、花園駅は普通しか止まらないのに、その普通電車が停まっていた。これで、会館に着いたのは、午後1時半だった。こちらは、「大念佛狂言の世界〜嵯峨、千本ゑんま堂、和久里壬生狂言〜」というイベントだったんだけど、頭に、八木透(佛教大学歴史学部教授)さんの講演「大念佛狂言とは」があったため、大念佛狂言の公演自体は、始まって、さほど時間が経ってなかった。講演も聴きたかったけれど、眼目は、生狂言を観るということだから、ホント、強運としか言いようがなかった。
 元に戻って、びわ湖ホールでのイベントの記録を書いておく。「びわ湖ホールプロデュースオペラ ワーグナー作曲『ニュルンベルクのマイスタージンガー』プレトーク・マチネ」というのが、イベントの正式名称。主役は、沼尻竜典(指揮/びわ湖ホール芸術監督)、岡田暁生(京都大学人文科学研究所教授)のお二人。ここまで、毎回出ておられた藤野さんだったかな、今回は、替わって、村島美也子(同ホール事業部プロデューサー)さんが出ておられた。前半は、岡田さんのお話に、沼尻さんが絡んでいくというもの、後半は、会場から集めた質問に、お二人が答えるという形式は、恒例のもの。今回は、「マイスタージンガー」やワグナーについて、さほど目新しい情報は出て来たとは言えなかった。お二人のミュンヘン体験ネタや、作品については、芸術至上主義、市民賛歌、危ない部分、ナチスによる称揚的な定番ネタが多かったということだが、そんななか、メモる必要のあるものだけ書いておく。「テイストに、かなり言葉遊び的なものが多い、そこで、ブッフォと呼んだらしい」「ナチス時代には、最後、ドイツ文化の賛歌となるところで、ナチスの旗が打ち振られた、それで、判ったこと、ナチスが、ドイツ市民文化の詰まったニュルンベルクを本拠としようとした、黄紺の観たニュルンベルク歌劇場のプロダクションのラストで、EUの旗が振られたわけが。また、そういったナチスの態度に対抗するように、連合軍は、ニュルンベルクで裁判を行った」「お二人のミュンヘン時代が重なる1980年代のミュンヘン、サバリッシュ時代だが、この時期のミュンヘンでは、夏のフェスティバルのラスト、7/31には、年1回、“マイスタージンガー”を出すのが恒例だった」「岡田さんが、その時代の歌手陣を列挙していた、ルネ・コロ、ルチア・ポップ、テオ・アダム、ペーター・シュライヤー(デヴィッドを歌っていた!)、ヘルマン・プライといった名前、これが、バイロイトと同時期に集められていた」「ルネ・コロが、来日時、渋谷でおやじ狩りに引っ掛かった」「小澤征爾は、ブザンソンで、オケの演奏者のミスを指摘したという伝説がある、沼尻も、同様のことをしたという伝説があると岡田さんが言うも、本人は否定、でも、沼尻の耳がいいのは定評だそうだ」。
 京都市右京ふれあい文化会館で観ることができた「大念佛狂言」の演目は、次のようなものでした。①嵯峨大念佛狂言「愛宕詣」②千本ゑんま堂大念佛狂言「牡丹獅子」③和久里壬生狂言「花盗人」。今まで、大念佛狂言は、TVとか、映像では、ごく一部を観たことはあったけれど、生で、演目1つをフルで観るということはなかったので、とっても有難い企画でした。①と③は、台詞なし。いや、大念佛狂言は、全てパントマイムだと思ってたので、②に台詞が入ったのに、逆に驚いた。狂言ばりのテキストだけど、狂言のような物言いではなく、ごく普通の喋り。歩き方も、普通のすたすた歩き。素朴さむき出し感あり、とっても新鮮。太郎間者役の演者さんの棒読み的言い回しが、黄紺のツボでした。そして、②は、「石橋」的物語かと思うと、さにあらず、獅子を捕まえようじゃないかという物語。2人で1匹の獅子を表すのだけど、そのアクロバチックな動きが見せ所。①の型を組み合わせた進行が、とっても新鮮だった。言葉の替わりに作られた多様な動きに、一定の型がある。③は、若狭に伝わる大念佛狂言。京都以外では唯一残る大念佛狂言。実際には、6年に1度、地域の人たちが、自身の手で舞台を組み、地元の寺の式年時に上演。元は小浜で行われていたものだそう。文化年間から伝わるという紹介がありました。嵯峨清凉寺(と言われたと思う)の出開帳のときに、大念佛狂言も付いて行き、各地で上演したようだけど、伝わったのは和久里だけ。これは、鯖街道(京まで72㎞の距離、遠いようで近い)を通じ、地元の人が、おもしろいと思い、嵯峨、そして、壬生に学びに行ったことで、この地に残ったらしい。「花盗人」は、どの大念佛狂言にも伝わる演目、各々、演じ方に違いがあるようだけど、「花」は出てこないとのこと。後半の、「泥棒を捕まえてから縄を綯う」の滑稽な部分を主として演じるというもの。主が酒宴後、寝入ってしまったところ、盗人が入るという流れでした。これは、ホント、おもしろかった。最後、皆さんが、全員、舞台に上がられたところで、司会の方から、会場へ向かい、「皆さん、撮影タイムです」「撮った写真をSMSに載せて、こんなにおもしろい民俗芸能があるということを教えてあげてください」、この物言いに、ちょっと感動。ホントだよ、これ知らないと、損する、黄紺は、辛うじて間に合いました。


2023年 1月 14日(土)午前 7時 8分

 昨日は、午後に映画を観に行った日。その映画館から出ると、久しぶりに雨が降っていた。この間の気温上昇に、更に拍車がかかってしまった日でもあった。最高気温は15度にも達したよう。有難いけど、なんか、気候変動の影響のようで、簡単に有難いと言うのは、気が引ける。そんなで、いつもの午前中のウォーキングは、若干、早めに出かけ、途中で休憩をしても、読書はダメという自分内ルールを作っていた。上手い具合に動け、予定通りに出かけることができた。お出かけ先はMOVIX 京都で、映画は「非常宣言」というもの。メトロポリタン歌劇場のライブビューイング以外で、このシネコンに行くのは、「スパイの妻」を観に行って以来。あのときは、「鬼滅の刃」の上映と同じフロアになり、しかも、コロナ禍の真っ只中でもあり、2度と、この映画館に行くまいと思いながら、また、行ってしまった。そんな経験があるものだから、この映画館のラインナップにはチェックを入れていなかったのだけど、昨年末のメトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観に行ったときに、目に入ったポスターに惹かれてしまったのです。ソン・ガンホとイ・ビョンホンが共演する映画だったため、一挙に、ミーハー的な韓流ペンに戻ってしまいました。別段、スターを揃えたからと言っておもしろい映画になる保障がないのは判ってはいるのだけど、その気になってしまった。すると、カンヌ女優のチョン・ドヨンも出ていた。「シークレット・サンシャイン」は評価されたからと言って、おもしろいとは思わなかったし、なんで、最優秀女優なんだろうとすら思った映画だけど、時が経てば、箔が付いていると、それだけで値打ちものになってしまってます。あの映画は、ソン・ガンホとの共演でもあったこと、調べ直して思い出した。ソン・ガンホは、「パラサイト 半地下の家族」「ベイビー・ブローカー」といった最近の作品は省きながら、この映画は行きたくなった。イ・ビョンホンは、最近では「KCIA 南山の部長たち」を観ていること、調べるまでは、すっかり失念してしまっていた。ソン・ガンホとは、「密偵」で共演していたことも、これまた調べてみて思い出した。そんなことを知ってみて、自分は、その程度の韓流ファンだということだなと認識できました。で、肝心の映画だけど、所謂、パニック映画と言えばいいかな。仁川発ホノルル行の機内で発生したバイオテロを描いた作品。ソン・ガンホは、刑事役で、機内に妻がおり、地上で、このテロ事件を追いかける刑事役。イ・ビョンホは、元パイロットで、過去に、その任務でトラブルがあり、失職、たまたま、娘の転地治療のために、飛行機に乗り込む。同機の副操縦士は、その元パイロットに恨みを抱いている。失職の基になったトラブルと関係があるらしい。チョン・ドヨンは、地上で、事件の指揮を執る国土交通大臣役。機内で異常が起こることを描く前半、地上では、大臣を筆頭に対策が練られる。半ばからテーマは、アメリカが、次いで、日本が、着陸を拒否する、そのため、燃料不足を気にしながら空を彷徨う飛行機という図。日本は、成田空港へ着陸しようとする飛行機を、自衛隊機を使い、威嚇射撃をしてまで、最後は、撃墜を臭わすという、徹底ぶりに笑ってしまった。いざ、韓国の空港に着陸しようとすると、地上では、待ちわびた乗客の姿と、着陸が、新たな感染を生むということから反対運動が起こるとなる。結局、地上にいる多数が、着陸を歓迎していないとなったとき、機内の乗客がくだした判断は? これが、機上でのラストに向かっていく流れ。地上では、政府の対策本部とともに、ソン・ガンホらの動きがある。ウイルスを持ち込んだ犯人(早々に亡くなるため捜査が筋立ての大きな柱になる)の背景を探る、警察の仕事だということで、ソン・ガンホが動けるわけです。しかも、ソン・ガンホ演じる刑事の妻が機内にいるため、公私の境目が崩れながら、物語は展開していく。大きな悪が控えているという、お約束の構造。ようやく掴んだ治療薬も、ウイルスの変異で、治療効果があるか疑問が出て来たとき(コロナ禍のトピック、上手く挿入している)に、ソン・ガンホが執った行動とは? これが、地上でのラストへと繋がっていく。ラストの流れを観ていて、韓国らしいと、なぜか思ってしまった。大物俳優を起用してまでの映画かなぁというのが、観たあとに思ったこと。いや、大物を使うことで、映画作品自体に大物感を出そうとしたんだろうな、内容よりは、確実に、俳優の重量の方が重いというのが、率直な感想。日に4~5回も上映するというのは、その大物俳優に寄っかかっているのでしょうね、実際、黄紺は、見事に、その網に引っ掛かった。そんなところで、吹聴して回るほどの、お薦め感はあるとは、思わない作品でした。
 外に出ると、きっちりと雨が降っていた。四条通方向へ歩いてみた。存外、天気予報では雨と出ていたのに、傘を持ってない人、多かったな。細い雨だったので、濡れても大丈夫という雨だったけど。先日、歩いていた釜山の繁華街と、比べてしまっていた。京都の繁華街が、随分とローカルな感じがしてしまった。ま、それで、いいんだけどね、京都は。結局、雨の中を、いつものように、ウォーキングがてらのコースを辿ることに。帰宅して、万歩計を見ると、今週一番の量を歩いてしまってました。


2023年 1月 13日(金)午前 7時 18分

 昨日も、お出かけなしの一日だけど、午後に、オンライン配信を視聴することにしていた。昨日は、一昨日ほど、PCの具合は悪くなく、峠を越えたと思っている。このオンライン配信の時間が、ほぼ、いつもの午後の一時に入るので、普段のリズムで、一日が過ぎて行った。昨日は、一段と暖かだったので、ゆったり気分で、ルーティンにしているウォーキングはできた。このくらいの気温で、毎日が過ごせたらと思える、いい感じの一日だった。合間の時間帯には、YouTube動画を観るのが定番だけど、伸縮自在ということで、「韓国の街」というチャンネルにお世話になることが、最近は多い。ただただ、カメラを掲げて、韓国の街角を歩いたり、ドライブする動画。先日の韓国旅行を思い出す手段には格好の動画。ササン(沙上)やソミョン(西面)をピックアップしている。ササンなどは。こないだの旅行だけではなく、もう釜山に行き始めて以後、宿はここと決めてる地区だから、思い入れが深い。高架鉄道やら西部市外バスターミナルがあるという便利なところ。Dと、朝のパンを買いに行ったTous les jours(トレジュール)や、3人一緒で朝ご飯を食べに行ったキンパ屋、1回は食べに行こうと言っていながら行かなかったうどん&ククス屋の前を通ると、テンションが上がってしまうのです。でも、ホテルの前の道を通るかなと思ってたら、バスターミナルに逸れて行ってしまったときは、ちょっとショック。そのバスターミナルに入る、他の入口が工事中だったということで、ごく最近、撮影したものと判り、工事現場の動画を観て、テンションが上がるという変な感情移入までしてしまってる。ソミョンの方は、黄紺一人では、基本、行かなかったところだから、どこを歩いているか、途中から判らなくなってくる。でも、今回の旅行では、2回も行った、しかも、その2回とも食事をしたから、やっぱ、気になって仕方がない。恐らく、今後、釜山に行くと、行くんだろうな。3人で一緒に行った街として。テジ・クッパ通には、テジ・クッパだけではなく、わりとソミョンにしては、ローカルな雰囲気で、息子と、「ここへ、他のもん、食べに来てもええな」と言い合っていたほど、魅力的な場所だった。そういった箇所が、この動画を観ていると、他にも散見できる。かなり、ソミョンのイメージが、黄紺の中では変わってきているのです。プジョン(釜田)シジャンも、もっと丁寧に歩いてみたいしね。となると、帰りは、ソミョンでの食事と組み合わせてみたくなってます。次行くのも釜山かな、まず、釜山で1泊してから、地方に行くのもありかななんて、思い出しているところです。いつ行くか、知らんけど。
 午後に視聴したオンライン配信は、京都市立芸大の伝音セミナー。今回も、院生発表の配信でした。「能の謡における作曲法とは何か —“野宮”をめぐって」というお題で、荒野愛子(大学院音楽研究科修士課程日本音楽研究専攻2年)さんのお話を聴くことができました。実際の「野宮」の分析に入られる前に、基本的な能の謡の構成などから、お話は出発。こういった基本を押さえられていない黄紺には、お勉強になる有難いお話。横道萬里雄の分析なんかを、かなりベースにされてたんじゃないかな? 世阿弥の「序破急」理論から始まり、段構成、段も小段から構成されおり、その「小段」とは、具体的に何ぞや、「次第」「一セイ」「クリ」「サシ」「クセ」と言ったものが「小段」に相当する。この辺は、余裕で付いていけました。「音数律」と「拍律」の違いになると、解りづらくなってくる。詞が、規則正しいリズムに合わせて、どのように配置されているかということの話らしい。次いで、「クセ」とはという話。「クセ」、即ち、曲舞から受け継がれたものだけど、それには、実際、能を観ていると、幾つか種類があるのは、感覚として判っている。単に長短、構造といった点で。それを、具体的に言葉化していただいた部分ですね。「クセ」として著名な、「百万」「花筐」「山姥」の違いを提示していただき、納得。黄紺的には、「三クセ」と言われる「花筐」には、跳躍的な音の飛びがあるので、構造的にも複雑かと思うと、そうではなく、次第から始まり次第止めとなっている「百万」が、最も大がかりなものだということでした。ま、「百万」の曲舞も有名だけどね。曲舞の中にイロエが入り、物狂いものだからということで、「翔」も入るんだよね、これ。次いで、「クセ」の音楽構成という、このお話の柱の部分に、それを踏まえて「野宮」の「クセ」の分析に入られたんだけど、解らなかった、解らないと居眠り、これだから、解るわけがない! 「拍律」と重ねて、更に、お囃子の手の話なども重ねながらのお話だったようで、一番、勉強になるお話のはずなのに、ギヴアップです。どうも、黄紺は、能の演劇性の部分にばかり目が行ってたなということを、反省しきりです。気になり、勉強しないままで、ここまで来たツケが、ここに来たなと思わせられたということを収穫としておきましょう。


2023年 1月 12日(木)午前 6時 14分

 昨日も、お出かけなしの一日。ただ、夜には、オンライン配信で、そそられる講演を聴くことにしていた。そのために、夕方のウォーキングを、前に持ち上げ、余裕を持って臨んだつもりだったのに、Zoomが、こんなところで、更新のダウンロードが入ったばかりか、PCそのものが、前日より不調だったのが、ここに来て、最悪の現れ方をしたため、半ば以後で、ようやくアクセスできたというのは、あまりにも酷い話。丁度、「女性の身体性の国家管理」などという、正に、どストライクなトピックを扱ってられた。ここまで、どういった流れで、辿り着いたのか、めっちゃ気になったけれど、手遅れも甚だし過ぎた。この配信は、同志社大学の「企業経営と良心」セミナーというもので、「身体から考えるジェンダー」というお題で、立命館アジア太平洋大学教授の井口由布さんがお話をされたもの。しっかりと、頭から聴きたかった。黄紺が視聴できるようになってからあとに、アフリカからアジアに残っている「女性器切除」について紹介されていました。20年近く前に、アフリカのどこかの映画で、この問題に立ち上がる女性たちを扱った映画、映画自体はフィクションでしたが、それを観て以来、その映画が、とっても優れものだったこともあるのですが、頭にこべりついた問題に、解説を加えていただけるという、有難い展開。データ的なお話をされていましたが、井口さんがフィールドとされているマレーシアやシンガポールに、東南アジアでは多いそうです。イスラーム絡みかというとそうではなく、サウジアラビアでは看られないそうで、歴史的には、古代メロエ文明の陰部封鎖の習慣が広まったようだとのコメントが入ってましたが、こんなところで、メロエ文明の名が出てくるとは衝撃過ぎます。しかも、陰部封鎖? この「女性器切除」(FGM)というタームから、その実態の一部しか認識できてなかったことに衝撃が走りました。これは、えげつない、えぐすぎる習慣です。しかし、ようやく、このお話で、「女性器切除」というタームで言い表せられる事象の全貌を知ることができました。深謝! 気になったので、黄紺の観た映画を調べてみた。「母たちの村」というセネガル人監督の作品。この映画、アフリカの問題はアフリカで解決するというスタンスが素敵だったという記憶。ヨーロッパのどこかの国出身の男が出て来たけれど、何の役にも立たない、狂言回し的に扱われていたのが、痛快な映画でもあった。気になるもう1つは、マレーシアの実態。この先生のお話で、マレーシアやシンガポールについて聴いてみたいね、とっても気になってしまいました。
 PCが繋がらない時間が長かったもので、その時間を利用して、読書ができた。昼前のウォーキングでも、ちょっと寒かったけれど、休憩時の読書は欠かさなかった。というのも、この間、読んでた、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼に関する本が、おもしろくって。過去の旅日記などを基に、巡礼の旅を再現しようとする試みの本だったんだけど、巻末には、2人の共同著者が、2人で、実際に、ヴェズレーの聖マドレーヌ教会からスタートして、実際に巡礼をして、その紀行文を認めているというもの。黄紺は、終点となるサンチャゴ・デ・コンポステーラに行ってるのと、出発点の1つとされるサン・ジル、必須の通過点とされているモワサック、ブルゴス、レオンを行ってるということもあり、めっちゃそそられながら読んでしまいました。そういった地名が出てきて、例えば、当地の施療院なんかが取り上げられると、急にリアリティが出てきます。このあと、巡礼ロスになりそうな、おもしろい本でした。今日からは、旧約聖書の世界を垣間見ようかなと考えています。
 ちょっと短めの午後の一時は、オペラ配信を観ようと、かねてからピックアップしてあったサイトのURLを入力した。でも、繋がらなかった。グラインドボーン音楽祭の「サウル」を観るつもりだったんだけど、早々に刈られてしまったってことですか? 替わりに、ライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフの公演)の「マクベス」(ミカエル・タルハイマー演出/フランドル・オペラと共同プロダクション)を観た。宴会で亡霊の出てくる場面まで観たが、相変わらず、時々、居眠りしてしまったが、抜かしたくない、けど寝てもたという場面は、元に戻ってチェックはした。舞台に、大きくU字型の装置。その中や縁を使い、オペラは進行。他には装置はなしというシンプルなもの。動きと照明の巧みさで動かして行こうというもの。だからか、宴会の場面では、マクベスも同夫人も、ディスコ調のダンスをしていた。幻は、殺した死体を、そのままにしておき起き上がらせたりと、動きと照明の工夫でしのごうというもの。だからと言って、あまりおもしろいものとは、ここまでは言い難いプロダクションです。


2023年 1月 10日(火)午後 11時 6分

 今日も、お出かけなしの一日。ただ、今日は、気温が下がった。そこそこの風もあり、かなり冷え込んだという印象。でも、天気はいいので、ルーティンにしているウォーキングを妨げるものはない。昼前のウォーキングでは、日本酒補充のために、いつも買い求めるマートを組み込んだコース。今日は寒かったということとともに、火曜日だから、Radikoで「ま-ぶる」を聴く日だったもので、途中休憩&読書は割愛。本格的な冬は、こういった日が増えます。寒さなんか、自分の感じ方に大きな変化が出てきている、何よりもない証拠。「まーぶる」は、売れっ子芸能人の忙しなさレポートのようになってました。週末の連休に、高知と名古屋で落語会、特に名古屋では、3席×2=6席も喋ったと言ってました。高知の方は、こはるとの二人会ですね。そして、今日は、KBS京都で4時間生放送、その後、東京へ、明日から、初のTVの全国放送レギュラーが始まるという凄まじさ。「らくだ」は、テキストを書き起こしたものが、A4で12枚、あと1枚、覚えれば、全部、覚えたことになると言ってました。忙しないため、ネタを増やす時間が取れないということは、何度か聴いたことがある。でも、忙しくなる前に、予め稽古しなくてできるネタが2つだったのが、喋る機会が増え、そういったネタの数が増えていっていると言ってました。毎月、月末辺りに小さな落語会を開き、そこで、ネタの掘り起こし、最近、やってなかったネタの掘り起こしをして繋いで行っているというのは、黄紺も把握していた。先月は、「寄合酒」と「池田の猪飼い」を虫干ししてました。でも、元々、ネタは増やすというより、   二葉の場合、練り上げるタイプの噺家さんだし、ネタ自体の進化を楽しめる噺家さんなのだけど、世間は、そんなことは解らないから、数の確保は大事だと思う一方、それができる時間と体力が要ることを考えると、売れるということは、厳しさを伴うということですね。昨日の米紫と吉の丞のYouTubeライブ配信によると、「踊るさんま御殿」のゲスト出演も決まってるらしい。この2つの全国放送が決まったことを、12月30日の米二一門の忘年会で報告したところ、「さんま御殿」のときは、皆に拍手をもらえたそうだけど、もう1つの全国放送の方は、レギュラーということもあるのでしょうか、師匠の米二を始め、凍ってしまったほど、呆気にとられたようです。そんなことを、米紫と吉の丞が言っておりました。二豆からもらった情報なのかな。
 そんなで日常に完全復帰したような、とりとめもないことを書いているが、戻ってないのです。何か、胸がほっこりとしたまま。Dが、ずっと、横にいることって、1歳のとき、風邪をこじらせて入院したとき、付添う者がいなくて、1日だけ、朝の一番の電車に乗り付添いに行って以来だった。ホテルでソファーに腰かけていると、そのソファーのちょっとした隙間に、自分の身体をねじ込んで、超接触状態でお喋りしたり、黄紺のデジカメを触り、操作法を覚えてしまい、いろんなものを撮影したり、また、これが、なんでと思えるものが撮られている。ビールの缶が並んでるだけだったり、黄紺の小銭入れが大写しに写ってたり、わけのわからないものばっか。一番笑ったのは、海鮮ククスを食べたとき、小皿に貝がらが2個だけ入っていのを撮っていました。息子と2人並べと言って撮った写真は、上にずれていたり、背後のモニュメントの頭部が欠けていたり、食事をした店を撮ったら、大写し過ぎて、店の様子が、よく判らなかったりと、とにかく、変なのが続く。でも、自分が動いて撮影ポイントを変えることを教えてやると、徐々に写真らしくなってくるから、おもしろい。もう、黄紺のカメラに慣れたみたいだから、このカメラ、Dにプレゼントする気になっている。新しく買って与えるのも手だけど、慣れたカメラの方がいいかと思うと、安物のカメラで、写りはよくないけど、これだと思ってる。そんなことを思い浮かべると、ほっこりとしてしまう。そして、関西風突っ込みを覚えてしまい、「なんでやねん」というフレーズが、喋っていると入るのが嬉しいやら、可笑しいやらで、「なんでやねんと言うの、好きやわぁ」と言ったときには、その「なんでやねん」を言わなかった。まだ、蒼いけど、それだけ、可愛らしさが増すというものです。これも思い出し、ほっこりしている。良かったなぁ、あっという間に過ぎてしまったけれど!


2023年 1月 9日(月)午後 8時 9分

 昨夜は、強烈な睡眠障害に陥った。眠い感じはあるのだけど、横になると眠れそうもない。明け方に1時間程眠れたけれど、業を煮やして、水割りを口にしてしまった結果、でも、あっさりとトイレに行きたくなり、目が覚めてしまった。これ、最悪のパターン、こないなことがあるから、睡眠導入のための酒は止めたはずだったのに、やってしまった。韓国旅行に出かけたために、生活のリズムが狂ったものと思われます。替わりに、眠いかと言えば、さほど目も痛くないけど、午後の一時にYouTubeの動画を観ていたら、寝落ちしていたので、やっぱ、身体は睡眠を求めるようになっているようです。
 そんなで、朝から不快な時間が流れてしまった日、お出かけなし。帰ってきた日の熟睡で、すっかりと疲労は取れてしまっている。韓国滞在時は、いくら睡眠が取れても、身体から疲労は抜けなかったのに、帰ると、僅か1日の爆睡で恢復とは、どういうことなんでしょうね。今日は、お出かけなしの日だったものだから、外出は、ルーティンにしているウォーキングのときだけ。今日も気温は上がってたんじゃないかな、でも、そのつもりで、休憩&読書のために、公園で腰をかけていると、存外、冷たな風が吹いていました。そんなこともあったけれど、冬の時期に、韓国からずっと、有難い天気が続いている。韓国系YouTuberの動画を観ていると、ソウルの寒さを訴えるものを、しばしば目にしていたものだから、行く前の不安が大きかったため、セーターに、ジャケットを引っ掛け出かけて行ったけれど、韓国でも肩透かしだった。それが、続いているという有難いお天気です。そんなのんびりとした時間が流れ、午後の一時も寝落ちをしたりしているものだから、特段、何かをしたわけではない。相変わらず、旅系YouTuberの動画を観ている。韓国に帰省している日本在住韓国人による韓国動画、旅系YouTuberの中では、最も知的な雰囲気のあるラオス旅動画、生配信で、今後の旅先を検討するという動画のアーカイブ、そして、再び、韓国系YouTuberの釜山でテジ・クッパを食べる動画を観ていて、びっくり。韓国旅行1日目で行った店が映った。一瞬、黄紺らの行った店に行くんじゃないかと思ったほど。でも、前を通り過ぎ、すぐ近くの店に入りました。しっかりと、その店の風景、記憶に残っています。お味のレポートなんかを聴いていると、この店に入った方が美味かったんじゃないかなと思えるものでした。黄紺らの行った店のテジ・クッパは、ちょっと脂っこい感じがしたからね。そして、メニューが、この店の方がおもしろかった。ヴァリエーションに富んでいたからだ。実際に黄紺とDの食べたテジ・クッパと、息子の食べたネジャン・クッパのハーフ&ハーフのようなメニューがあったりしたから。YouTuberの1人が食べてたのが「スベク」。これ、料理名としては聴いたけど、ものは知らなかったのだけど、「スユ・ペッパン」を縮めた言い方だと判った。これも食べたかったんだよね、でも、出逢わなかったと思っていたら、すぐ近くのお店にあった。この店の名は覚えやすいのでインプットできています。店構えもインプットできてますから、次に釜山に行ったときに行ってみようかな? それを、いつにするか、昨日から考えている。第1候補は、3月中旬か下旬と、これは、以前から考えていたこと。しかし、まだ、今回の旅行の後味に浸っていたいので、もう少し先にするかもしれません。それと、1週間先には、検査がある。その結果では、そんな呑気な場合じゃないかもしれないしと、暫し、先延ばしです。


2023年 1月 9日(月)午前 4時 59分

 一昨夜、午後6時過ぎに、関空到着。帰りに、餃子でビール、昼は、韓国餃子だったのに、また、食べた。Dを連れて入り、酒を呑むとなると、やはり限られるので仕方なかった。電車の中では爆睡。乗り過ごしたため、帰りが遅くなったが、余韻を楽しもうと、珍しく、水割りを呑んだが、これでも、1杯、呑み終わらない内に寝落ち。よほど疲れていたのか、一昨夜は、よく眠れた。釜山滞在時には、なかなか取れなかった疲れが、あっさりと取れた感じ。Dを連れていたので、気が張っていたのかな、一挙に総ざらいをしたかのように、疲れが取れた。でも、ふと前日までのことを思い浮かべると、笑みが出てしまう。Dと別れ際、言った言葉、「まさか、一緒に韓国行くなんて、考えてもいなかった」「一緒に韓国行ったこと、いつまでも覚えててね」、この2つの言葉が、自然と出てきてしまった。あとから思い出すと、うるうるしてしまってます。
 昨日は日曜日。早速、午後にお出かけ予定を入れていた。でも、日曜日だということで、朝は「日曜美術館」。昨日は、元旦にスルーしてしまったスペシャル番組を再放送してくれた。「ハッピーニューアーツ!」というお題で、ゲストが、今年予定されている展示会を紹介するという内容。簡単にメモっておきます。①瀬戸康史/レオポルド美術館のエゴン・シーレ展、②滝沢カレン/さくらももこ展(原画だけではなく原稿も展示)、③井浦新/兵庫県大乗寺で公開されている円山応挙作「松に孔雀図」(金箔と墨だけで描く、制作時と同じ自然光で観ることができる、番組では、夜、蠟燭の光で観るという試みも行っていた、普段は収蔵庫にあるものを、元の位置で公開している)、④朝吹真理子/道頓堀の松竹座での坂東玉三郎の「幽玄」(「鼓動」と共演、能の演目を盛り込む)、⑤梅原裕一郎の音声ガイド(マティスらの作品を解説)、⑥高田純次/片岡球子展(40年以上、富士山を描き続けた、高田純次は自宅に片岡球子の作品を飾っている)、⑦古屋兎丸/大竹伸朗展(宇和島を本拠で製作している現代アートの作家、これは生で観なければならない!)、⑧橋爪勇介/六本木クロッシングよりAKI INOMATA の作品をピックアップ(一見、彫刻、実際は、ビーバーがかじった木、材質などによりかじり方が違う、そのかじった木を、「彫刻家による再現」「3Dによる再現」した物体を配置、作品を作っているのは誰か?など、「作る」ということを問いかけている、これも、凄い着想!!)。
 午後のお出かけは、文化パルク城陽。こちらで、関西フィルのニューイヤーコンサートがあった。大阪に出て行かないようになり、京都で聴ける2つのニューイヤーコンサート、毎年、そのどちらかに行こうと決めた。京都市響と同日開催が多い関西フィルのニューイヤーコンサート、初めて行くことになりました。選ぶ基準は、ウィーンものが多い方を選ぶ、そういった基準で、今年は、関西フィルのニューイヤーコンサートが勝った。そのプログラムは次のようなものでした。「J.シュトラウスⅡ:喜歌劇“ジプシー男爵”入場行進曲」「オッフェンバック:歌劇“ホフマン物語”より“舟歌”」「ドビュッシー:“小組曲”より“小舟にて”“行列”」「ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(pf.深見まどか)」「J.シュトラウスⅡ:ワルツ/南国のばら」「J.シュトラウスⅡ:ポルカ/観光列車」「J.シュトラウスⅡ:ポルカ/狩り」「J.シュトラウスⅡ:ポルカ/愛の使者」「J.シュトラウスⅡ:ポルカ/雷鳴と雷光」「J.シュトラウスⅡ:ワルツ/美しく青きドナウ」。前半が、主としてフランスもの。そして、後半はウィーン一色というプログラム。前半のメーンは、やはり、コンチェルト。ピアノ音楽を、このホールで、初めて聴いたけど、なんか、杭が刺さるように、床に響くように聴こえてしまう。深見さんの演奏が、どうのこうのという前の問題があるように聴こえてしまった。ラヴェルのコンチェルトは、生で聴くのは久しぶり。聴いてないわけはないと思うけど、いつ聴いたかは、全く覚えていない。この曲を、生で聴きたくてコンサートに行くことはないから。音のきらびやかさだけが印象に残る作品とインプットされてるものだから、床に突き刺さるような音だと、拒否反応が出てしまう。でも、この曲、2楽章に変化を持たせています。全く気づいてなかったところ。それだけ、自分的には遠いと言っていいかも? とっても叙情的な音楽なんだけど、あまり響かなかった。さすがに、演奏者のせいにするのは気の毒に思えた。そこで、宇治でコンサートを開かれるというので、行こうかとの気になったけど、スケジュールが合わなかった。J.シュトラウスⅡものは、ワルツは最初と最後だけ。ポルカの中の目立つものをチョイスした感じ。そこへ、「愛の使者」という稀曲を紛れ込ますという演出が憎い。その「愛の使者」だけど、「こうもり」の部分部分のフレーズの組み合わせで出来上がっているというものでした。いろんな手練手管を使い、作曲をして、目先を変えたものと思われます。ポピュラーなものも良し、稀曲も良し、地域に寄り添うコンサートも良し、テイストこそ違えど、ドイツのニューイヤーコンサートも、そういった地域に寄り添う空気がいいですものね。そんなことを書きながら、ドイツで最後に聴いたオケのコンサート、ミュンスターだったけど、その会場を思い浮かべてしまいました。


2023年 1月 7日(土)【韓国旅行記:釜山から④】

 韓国旅行4日目、最終日の記録。帰りの飛行機が、午後5時発ということで、朝からのんびりム-ド。朝ご飯は、2人の意向で、パン食となったため、黄紺とDで、ホテル近くのParis baguette(パリバケット)に行ってみた。ところが、ケ-キばかりが、目に入ったため、Tous les jours(トレジュール)に方向転換。先日と違い、こちらも、調理パンは少なめ。どうやら、朝は、まだ、パン製造時間という雰囲気。そのなか、息子からのリクエストのあったサンドイッチを買い、Dの選んだ「コグマ・パン」を買うことになりました。Dは、このパンが気に入ったらしく、何度か、「おいもさんは、Sが好きだから」を繰り返していました。飲み物は、ホテル備え付けの飲み物コーナーを利用。ようやく、ココアに、ありつけました。ちなみに、黄紺の朝食は、息子と分け分けしたサンドイッチ。お出かけは、初日のコ-スを発展したもの。もう少し時間があれば、チャガルチ市場にでも誘えたのでしょうが、そこまでの時間はなかろうという判断でした。で、選んだのは、初日に行ったプジョン(釜田)シジャンの向こう側にある釜山市民公園で、Dを遊ばすこと。とても広い公園で、でも、木立の様子を見ていると。歴史が浅いのが判る。勝手な想像ですが、米軍関係の施設があったのじゃないかな? 公園の中に、かつての風景を再現したかのようなモニュメントらしきものがあったから。前日と違い、風があり、わりかし冷たかった。風が止むと、いい陽射しがあり、許容範囲内だったので、気温自体は、さほど下がったわけではなかったみたい。Dが喜ぶ遊具があり、上手く遊びます。走り回っていました。一緒に歩いていても、何やしら周りが気になり、走り回っています。とても楽しいやつです。見立てが上手く、聞いているだけで、気持ちが軽やかやになれます。この広い公園を抜け、ソミョン方向に歩きます。スマホを持ちながらだと、道に迷うことはなく、昼食の場所へ。息子は、ミルミョンを食べようと言い、ネットで見つけた店に行こうと言ったのだけど、その店は、ミルミョンを食べるならと、黄紺がピックアップしてあったお店。黄紺の場合は、全釜山から選んだ中で押さえてあったものだから、あっさりと決定。ミルミョンは、ネンミョンの麺違い。ネンミョンの麺は、ゴムのようなんで、黄紺は食べないんだけど、そうじゃない麺なら食べてみたい。釜山名物の触れ込みもあるので、狙っていた。ただ夏のものなのにという不安、果たしてDは食べれるか、辛さが大丈夫か、それだけが気になったんだけど、メニューを見て、日本語で書いてくれてあったので判りましたが、子ども用の辛さのないミルミョンがあったけど、完全に夏仕様の食べ物。息子がミルミョン、黄紺がビビン・ミルミョンを注文。ミルミョンの方が汁物、ピリリと来たそうだけど、辛さはかなり抑えられているそうです。黄紺の方はドライで、辛さは結構あった。これは、かなり美味です。そんなで、ぶらぶら歩きはおしまい。時間は少々あったけど、さりとて、どこかへ行くほどの時間もなく、お店を出ると、ササンへと逆戻り。ちょっとだけ、息子の買物に付き合い、ホテルへ荷物を取りに戻り、空港へ。マシーンを使ったチェックインで、チケットが2枚しか出てこなかったり、Dの座席がロックされてしまってたり、トラブルはあったけれど、無事、搭乗。あっけなく、4日間の韓国旅行は終わりました。


2023年 1月 6日(金)【韓国旅行記:釜山から③】

 釜山3日目、今日は、ヘウンデ(海雲台)に行った日。ササンからだと、ヘウンデまでは、地下鉄で小1時間。ヘウンデ駅の1つ先のチュンドン(中洞)まで乗り、そこから歩いて15分程で、狙いの乗り物乗り場に到着。比較的最近できた「海雲台ブルーラインパーク」に乗るのが、本日の目標。海岸沿いを走る電車に乗るというのが、目的だったのです。チケットは、現地調達。うまい具合いに、チケット売り場に、人は、ほぼ並んでなかった。おかげで、スムーズに乗れはしたけど、ちょっと、待ち時間に、フナ焼き(たい焼き)を買いに行ってる間に、入場が始まってしまい、列車の中は立ったまんま。でも、今日は、暖かくて、とってもいいお天気だったため、海面に光る太陽が眩しいほど。列車の終点はソンジョン(松亭)。ここで降りると、もう1時ということで、昼食。「31cm海鮮ククス」というものを食べた。これは、息子が、食べログか何か、ネット検索で見つけたところ。人気店だそうだけど、簡単に入れた。大きな鍋に、ククスと、幾種類かの貝が入っていた。アサリかな、こいつが多く、ム-ル貝も入っていた。ス-プが、頗る美味かった。ホント、貝を煮出しただけという感じで、あとは、ニンニクが軽く利かせてあるかなというお味。初日に、シジミス-プが拒否されたため、もうDは、有無を言わせず連れて行ったけど、そのDも、満足のお味。息子などは、このス-プ、瓶にでも入れて持ち帰りたいとまで言っておりました。食後は、夏には海水浴場になるはずの砂浜へ。Dは、砂浜に集まるカモメを追い回すものだから、カモメは、心得たかのように、海の中に避難。そして、再び、戻りの列車に乗り込み、途中、タリットル展望台のある駅で、下車。海に突き出た橋のあるところ。橋には、ところどころ、床が透明になってたり、小さく隙間が空けてある。黄紺などは高所恐怖症なものだから歩けないが、嬉々としたDは、その上を、しかも、下を見ながら、端から端まで歩いていました。変な子どもです。そこからは、出発駅のあるミポまでの2.8kmは、海岸&線路沿いの道を歩いて戻ることにした。きれいな海岸、無彩色系の家屋が、とっても映える景色、人気スポットになるわけです。とっても暖かな一日だったので、歩いて戻るということができました。ついでにチュンドン駅までも、往き同様、歩いて移動。あとは、これも、往き同様、地下鉄一本でササンへ。Dは、今日も、地下鉄の中では、往復ともに爆睡。毎回、息子が抱きかかえて、地下鉄を降りることになってしまってます。ササンでは、息子やDのお土産探しに付き合いました。Dは、Sのお土産選びをしたあと、ちゃっかり、自分のおもちゃも買ってもらっていました。夕食は、テジ焼肉のお店に。サムギョプサルと、首肉だったかな、その2つのハ-フ&ハ-フを注文、追加はソーセージ、ビール3本で、61.500ウォンなり、安かった、美味かった! 久しぶりに白菜に巻いて食べました。この食べ方、スンチョン(順天)のシクタンで経験済み。白菜の甘味が加わり、絶妙です。それに、肉プラス、キムチやニンニク、ネギなどを挟んで食べると、最高、焼肉系は、一人では入れないので、いい機会を得ました。帰りに、コンビニに寄り、栗味のマッコリ1本を買い、最後の夜、お酒を続けることに。途中、ラインで、息子は、日本の家族とお話。皆、仲良しの空気が伝わり、それにも満足。後先が逆になったけれど、朝ご飯の記録を最後に記します。早い話が、前日の残り。多めに買った「Tous Les Jours(トゥレジュール)」のパンを食べ、息子だけは、「甘いパンは嫌」と言い、コンビニへ買いに行ったヨーグルトを食べておりました。


2023年 1月 5日(木)【韓国旅行記:釜山から②】

 釜山2日目、昨夜は、3人とも、かなり疲れていた。朝が早いばかりか、関空での荷物検査の異様な列に、ホントに疲れた。そんなで、黄紺以外の2人は、もう9時過ぎには、横になっていた。黄紺も、それから1時間も持たなかった。夜中、横の大きなベッドで寝ているはずのDの姿がない、息子の姿が直で見えるので、まさかと思いながら、床を見ると、きれいに、Dはベッドから落ちていた。その状態で寝ていたのに、2度、びっくりさせられた。そんなで、疲労があるということで、今朝は、11時頃に出発。地下鉄で、ナンポ(南浦)駅まで向かい、街の両替屋へ。いつも、空港に着くと、すぐに地方に向かうので、街の両替屋を利用したことがなかったので、ネットで両替屋の集まる地域を調べておいた。幾つかが集まる地域を歩いていて、のけ反ったのが、路上両替屋。久しぶりに、旧い韓国を見た思い。もう息子と、めっちゃ笑った。さすが、当該の両替屋についての情報がなかったので、店を構えている方を利用したが、息子が、通り過ぎたときに聞いたレ-トは、利用した両替屋よりも、いい数字を言ってたそうです。その辺りは、ヨンドゥサン・コングォン(龍頭山公園)へ行くエスカレーターの近くということで、上へ上がることに。更に、初めて釜山タワーにも上がりました。上から、やっぱり、1度は見るところですね。Dのおかげで貴重な経験を積みました。タワー内には、インスタ映えするインテリア、クイズもあり、なかなか楽しませてくれるようになっています。その後は、お昼ご飯のこともあり、ナンポドン(南浦洞)からチャガルチ方向に移動。今日のお昼は、マグドで食べるとなっていた。普段、慣れている食事も挟もうという魂胆。韓国だから、「ロッテリアではあかん?」と尋ねても、Dは「あかん」というお答え。今日歩いたコ-スだと、その辺にあるだろうと、高をくくっていたのだけど、実際はなかった。息子は、ないのは知ってた模様。チャガルチ駅近くの、超有名ホットク屋の列を尻目に、マグドの替わり探しをしているときに、運の強いことに、ロッテリアがあり、Dも、今度は、あっさりと納得。えびバ-ガ-セットを注文しておりました。黄紺の注文したチ-ズスティックは、2本とも、Dに食べられてしまいました。だけど、チ-ズを伸ばしながら食べる姿に満足。既に、疲労を感じてたので、ロッテリアで、しばし休憩、食べた時間も遅めだったこともあり、この後の行動を検討。チャガルチにいたので、カンチョン・ムナマウル(甘川文化村)や釜山駅から鉄道に乗るというアイデアも出たが、結局は、当初の予定通り、ソンド(松島)のロープウェイに乗ることになった。チャガルチからバスに乗り、乗り場近くまで移動。市街地を抜けたら、それまでの光景と、あまりに不釣り合いな砂浜、その向こうにロープウェイが見えた。あまりにも絵になる光景に、逆に人為的なものを感じてしまってました。息子は、「白浜みたいに砂を持ってきたみたい」と言うておりました。ロープウェイは、底が透ける「クリスタル」車両はやんぺ。こちらの方が人気で混むとの評判だったけど、今日は、そちらの方が不人気。リアス式海岸沖が、そのコ-ス。到着点近くには、貝焼きの店が並ぶということで、食事はそこと決めていたけれど、お昼ご飯が遅かったこと、実際に行くと、ロープウェイ乗り場からの上下移動が凄くて、断念。替わりに岬の先に行く選択もしたのだけど、こちらは、山歩きの風情。1つ目の展望台で、海を見渡しながら、息子は、ラインで、家族と交信。傍らで聞いていると、DとSは、ホントに仲がいい。その展望台から、ロープウェイ乗り場近くの島に橋が付いているのが見えたので、山道を引き返し、その橋に行くことに。でも、ここ、4時半で終了だった。そこで、逆戻り。ササンまでは、チャガルチにバスで戻り、地下鉄でササンへ。丁度、会社の退け時で、人は多かったけれど、なんとか座れた。Dは爆睡。結局、息子に抱かれて帰還。ホテルに戻っても寝たままだったので、黄紺が、夕食は、何か買って来ることにした。で、買ってきたのは、「コギマンドゥ2人分」「Tous Les Jours(トゥレジュール)のパン6個」「サラダ1つ」「ビール3本」。マンドゥは、Dが寝ていたので控えめな数量。起きてきたことを想定して、パンを多めに買った。一番困ったのはサラダ。コンビニのサラダを買おうとすると、なかった。あるコンビニで、商品の搬入時間だったのに、なかったので焦った。違うコンビニに行き、ようやく1個、ゲット。息子と二人でビールを飲んでると、Dは起き上がってきたので、マンドゥは譲り、パンを食べたけど、これ美味かった。そして、二人が就寝準備をしているところで、あっさりとダウン。そんな大変な行程ではないのに、皆、疲れています。朝ご飯を書いてなかったので、最後に書いておきます。ホテル近くのキンパ店で、キンパを食べた。「チジュキンパ2本」「チャムチキンパ2本」を、3人で分け合ったが、太めのキンパだったために、残りはお持ち帰りに。それを、夜、黄紺が、マンドゥなんかを買いに行ってる間に、息子がむしあしらいに食べていました。なかなか美味いキンパで、好評価です。


2023年 1月 4日(水)【韓国旅行記:釜山から①】

 3年ぶりの海外旅行に出かけています。行き先は、韓国、しかも、釜山だけという旅行。3泊4日という日程も、自分的には変則的。その原因は、Dを主体に置いている点、次に、同行している息子の意向を優先するというスタンスの故。当初の予定は、1泊は、チンジュ(晋州)、2泊は釜山の予定だった。実際、釜山西部市外ターミナルで、チンジュ行きのバスチケットを買ってから、急な変更。ここに来てから、息子がバス移動アレルギーを、大きく言い出したものだから、引き下がらざるを得なかった。元々、Dが、長時間のバス移動に不安があったことも言い出したので、折れざるを得なかった。西部市外バスターミナルで、既に、予約してあった釜山のホテルを、1泊追加。これで、全泊、釜山のササン(沙上)のホテルに泊まることになり、一層、ゆるゆるのスケジュールになった。だから、ホテルに入ると、まだ、暖かみが出ていないオンドル部屋で、おしゃべり。朝が早かったこと、空港の異様な混み方に、誰しもが疲れていたのか、なかなか出かけようとはせず、結局、ササンから、比較的近くにあり、有名で、且つ、規模の大きなプジョン(釜田)シジャンに行くことになった。自分的にも、初めて行った市場、かなり広い。水産物やお肉関係の店に、Dを連れて行くのが、とっても、おもしろい。チョッパルや、タッパルを初めて見るDの姿を見ているのが、楽しい。 水槽に入れてあったタコが逃げ出したり、そんな場面にも出くわした。広くて大きなシジャン、ほぼ、ソミョン(西面)まで、一方向に歩いてみた。途中から、Dは、黄紺のカメラを取り、お気に入りを撮影。吊してある魚、籠いっぱいの栗など、Dの撮った貴重なショットが、黄紺のカメラに残った。お昼ご飯で、お腹いっぱい感の残っていた黄紺だったが、あとの二人は、早々と、関心は夕食に。シジャンを抜けた辺りに、おもしろいシクタンが並ぶ。と、その中に、「ハドン(河東)」という漢字で書かれたお店。近づいてみると、勘が当たった。日本人がソミョンには多いからか、日本語で「シジミス-プ」と書いてくれていた。もう乗り気満々の息子と黄紺。だけど、頑として嫌がるD。落ち着いた雰囲気の店に見えたが、ちょっと暗い感じが外から見るとしたからか、Dが拒否して、せっかくのお店を断念。そこで、宛てがなくなり、黄紺が用意したお店通りへ行くことにした。スマホが使えるので、こういったとき、とっても便利。狙いのお店に、直で行くことができた。「デジクッパ通」が狙いのお店があったところ。韓国版食べログで見ると、めっちゃ多くの人がアクセスしているお店。黄紺とDはデジクッパ、息子はネジャンクッパを注文。少し油こいお味だったので、辛い系のお味にして食す。やはり、ソミョン界隈は、日本人が多いからか、日本語メニューがあるお店でした。それで、今日はおしまい。ササンで、最後に、朝食の場所探しに、これは、黄紺一人で行った。二人を、先にホテルに帰し、勝手知ったるササンの街をうろうろ。かつて、よく行った古くさいシジャンも、ついでに訪ねてみた。かなり、店が閉まっており、時の経過を知ってしまった。朝用のお店は、結局二つ見つけた。あとは、パリバケ、トゥレジュールといった有名なパンのチェーン店もあったので、安心。最後に、お昼ご飯をメモっておく。到着後、空港からササンに移動。そのモノレール駅近くの、簡易食堂に入った。こは、昔からあったので、想定内のお店。辛いものがダメなDも食べるものがあるかもと期待してたら、あった。Dにはセウポックムパブ、息子にはヤチェポックムパブ、自分にはチャムチポックムパブを注文して、お互いに味見をして食べた。Dには、初の韓国食となりました。


2023年 1月 3日(火)午後 8時 4分

 いよいよ明日から、韓国旅行ということで、落ち着かない一日。朝から荷造り。今回は、短期間ということで、荷物も少なかろうということで、小ぶりのカバンを新たに買った。いつものバックパックだと大きいのと、小ぶりのカバンを持っていると、国内旅行にも使えるだろうとの魂胆である。3月初旬に名古屋に行くことが決まってることもあり、このカバンを買った。いつものバックパックを出してきて、そのまま入れようとしたら、えらく不要なものまで持って行っていた。そういったものを省かないと、小ぶりのカバンには入らない。でも、そうやって省くと、何か不安が先行する。要るものを省いていないかの強迫観念が生まれてくる。いつも、バックパックとともに、肩掛けのカバンを持って行っていた。そのカバンにも慣れたものが入っているので、それの取捨選択する必要があるので、ここでも、同じような強迫観念に捉われてしまった。お金やパスポート、今まで、決まった形でカバンに入れ、そこから出していたのと違うスタイルで、大事なものを出し入れをしなければならない。これまた、不安。結局、何か忘れてないかの気持ちも残ってしまってる。ま、お金とカードと、パスポート、日韓両国の入国関係の文書、これだけあれば、あとは、韓国で買います。そう居直っているのが、出発前夜の姿です。いつも、こういったこと、あんまり思わないのですが、特に韓国旅行では。
 今日は、火曜日ということで、韓国旅行の資料整理なんかは、「まーぶる」を聴きながら。まだ、3日ということで、ちょっと正月特番的色彩。と言っても、聴取者との電話で話すなんてことを入れたことぐらいだったかな、ま、話題は正月関係が多いことも、いつもと違う。そんなだから、落語関係のトピックは少なめ。その中でメモることは少々。繁昌亭の初席に出た二葉がおもしろいことをしたということは、落語ファン氏のTwitterで知ってたけど、その詳細が判った。トップに出たりょうばが、12分の持ち時間だからということで、「金明竹」を「わあわあ言うてます」で下りたところ、その続きを、二葉が口演したというトピック。その場の思い付きだったのだけど、その背景が1つあった。りょうばも、二葉も、「金明竹」を、しん吉からもらってたという点。繋ぎがスムーズに行けるという読みがあったということです。そんなことを言いながら、りょうばが終わったところが判らなくなってしまい、りょうばが、袖から終わったところを告げたそうです。「らくだ」の進捗状況は、現時点で6割進んでいるそうです。「まめだ」を覚えると言っていたのだけど、結局、忙しくてできなかったそうです。米二から音源までもらっていたが、できなかったと言ってました。そんなところかな。「おつかれさん」では、吉の丞ら入門20年組が揃った暮の繫昌亭、最後、三幸がトリをとったとき、「いい湯だな」を踊ったと言ってました。未公開だけど、映像が残っているとか、、、! これ、まだ、聴いている最中で、明日の朝が早いので、ここで切り上げて、アップします。


2023年 1月 3日(火)午前 0時 48分

 昨夜は、とっても、よく眠れた。午前7時台に目が覚めたって、何ヶ月ぶりだろう。ひょっとすると、1年以上、間が開いたかもしれない。大晦日の夜、満足な睡眠が取れなかった調整を、身体がとってくれたようだ。替わりに調子が狂った。朝方の時間が減ってしまうということを意味することになった。ま、贅沢な話であると言わねばならないけどね。今日も、外出は、ルーティンにしているウォーキング2回だけ。そとは、晴れ間が続いたわけではなかったけれど、まだ、暖かだ。でも、昼前のウォーキングで、休憩がてら読書をしていると、歩いてたときには感じなかった風を感じた。結構、冷たかったので、フードを被ると、あっさりと解決。まだ、薄手のウィンドブレーカーを着たままだけど、そして、まだ、この冬になってからセーターなどというものを着てないけど、やっていけている。さすが、韓国旅行は、それではいけないと、セーターを着て、ダウンを着て行くつもりはしている。韓国は、大陸の端っこ、寒さが違う。昔、真冬に行って、零下何度という寒さを経験したため、とにかく寒さには、しっかりとした対策はして行く心構えはできている。でも、困ったことができている。これは、既に前からなんだけど、断捨離をしたときに、帽子と手袋をしまい込み、その場所が判らないのだ。断捨離後、目にしている。そのとき、判りにくいところにしまってあったので、判りやすいところに置いたことは覚えてんだけど、その場所が判らない。今の自分だとしまい込む場所と考えるところは、全部調べたつもりなんだけど、ダメだ。そこで、韓国のシジャンで買うつもりをしている。せっかくだから、日本で買うよか、韓国で買うことにしようと考えている。それまでのウォーキング時は我慢と、自分に言い聞かせている。考えてみれば、以前は、この手袋や帽子は、韓国やトルコで買ったものばっか、使ってたような気がする。そんなことをすると、Dに、外国で買い物する様子も見せてやれるかなの気もあるので、韓国行くまでは我慢のつもりだ。
 午後の一時は、その韓国旅行用に必要なシートの印刷。韓国と日本の入国に必要なものを、先日、印刷したが、その後に手に入ったもの、新たに観光スポットとしてゲットした情報などを印刷した。そんなことをしていると、またぞろ新たな情報が目に飛び込んでくるものだから、どこかで踏ん切りをつけないとと思い、夕方のウォーキング時間が来ると、さっさと、その手前で切り上げた。息子はスマホを使えるようにしているが、自分のスマホは、限られた場所でしか使えない。ま、今までも、それで動いてきて、支障はなかったので、それでするが、そのためには、事前の情報収集が肝要と思い、作ったもの。そんなことをしているのから、旅行は始まっている。こういったことをするのが3年ぶりだから、なんかずれたことをしているかもしれない。でも、今回は、都会中心だから、下手をこいても大事には至らない気安さがあるんだけど、精密にしようの気だけはあるけど、実際には役立つのでしょうか。答えは韓国で出ます。Dが喜んでくれるだろうか、そればかりが気がかりな黄紺なのです。


2023年 1月 2日(月)午前 8時 43分

 新珠の元旦と言いたいところだけど、それが、簡単すぎるというか、でも、初っ端からこれって感じでの年明けに、今年の辻占が良くなさそうの予感に捉われている。大晦日、午後9時半開始のYouTube「無職旅」チャンネルの年越しライブを視聴した。以前に予告があったので、これを、大晦日のメーンイベントと考えてたけれど、僅か30分程、視聴したあと、あっさりと寝落ち。気がつくと、もう年を越していた。これが、「簡単すぎる」と書いたわけ。そこで、横になった。ところが、今度は眠れなかった。そこで起き上がり、冒頭の30分で寝落ちした動画を観ることに。これが、「初っ端からこれ」というやつ。結局、朝まで眠れなかった。そこで、横にならないで、午前9時に始まる「日曜美術館Sp」を待った。ところが、ここでも、序の部分で寝落ち。結局、昼前まで、椅子に腰かけたまま眠ってしまった。先の寝落ちとともに、大晦日の夜は、ベッドの上では、ほぼ眠っていない。結局、昼前のウォーキングもしてないわ、CNNトルコの記事チェックもしてないわ、こんなこと、今まででは未経験のこと。とにかく、お昼なので、昼食を摂り、それから1回目のウォーキングに出ることに。とっても穏やかな元旦。温もりが恢復は有難い。そして、午後に放映のあった「ブラタモリ&家族に乾杯」の旧作を視聴。三保の松原編で、2018年の正月特番として流れたもの。これは、正規のNHKプラスの視聴だった。夜には、この特番の新作が流れるということでの再放送のようでした。既に観ているものだったけれど、浄土をコンセプトに人が集まった。江戸という大消費地を控えての発展ぶり、これは、夜の新作にも通じていた。この再放送が終わり、夕方のウォーキングと、元旦から忙しない。でないと、夜の新作の放送を前に、ゆとりを持って臨めない。PCも不機嫌だと、たちまちやばいので。何とか、トルコ・サッカーの情報だけは収集。ヒュリエット紙のチェックは、食事しながらに回す。これも、よくあることだけど、食事のお伴として、なかなかおもしろいもの。そして、「ブラタモリ&家族に乾杯」の新作「江ノ島編」。ここも、江戸の信仰を集めた土地。「信仰」と江ノ島って、全く、結びついてなかったもので、なかなか興味深い。僅か15人ほどの御師のPR活動がおもしろい。吉原に集う旦那衆に売り込みに行った。その跡が、参道入口に残る鳥居に、しっかりと残っていた。タモリが掘り起こし、鶴瓶が口演をした落語に出てくる吉原の置屋の名前も、鳥居に刻まれていた。そして、2人が別れ、別動隊となったところで、電話が鳴った。息子から、韓国入国時に必要な電子文書の作成の相談。入国3日前から入力できるということで、黄紺の頭には、当然入ってたけれど、大晦日からの忙しなさのため、放置してあったもの。最悪、往きの機内で紙に書くこともありなものという気楽さもあったもの。それを、こういったものを後回しにするのが得意技の息子から相談があった。後ろでは、Dの声が聞こえてることもあり、TVより、こっちに関心が行ってしまい、後回しにできなくなり、「ブラタモリ&家族に乾杯」は、あっさりとカット。後日、どこかの動画サイトにアップされることを期待することにしましょう。そこで、こちらも、入力サイトを立ち上げ、一緒に入力。こちらは、画像の添付などということをする必要がないので、ポチっとすることの連続、あとは、個人情報を入れればいいのだけど、全編英語、不安の基はこれ。ま、2人でわちゃわちゃ言いながら入力をすれば、あっさりと完了。QRコードもゲットでおしまい。ま、今日のどこかで、念のために印刷しておきましょう。そこで、せっかくだからと、Zoomでお喋りすることに。も、画面が通じると、Dははしゃぎ回り、変顔ばっかしている、Sと喋ろうとすると、じゃまをする。そういったお年頃。でも、こんなの、韓国、連れて行って大丈夫かなぁ、どこかへ、勝手に行ってしまわないかが不安になってきた。かしこにしてるだろうか? 「ここは外国」という意識を埋め込まねばならないけど、韓国は、街の様子も、日本に似てるから、どこでかまそうかな? 言葉でだな、ハングルでだな、それで、しっかりと言い聞かせなばなりません。そんなことをしていたら、もう9時を回ろうかという時間。それから夕食。日本酒を1合半は、毎度同じだけど、朝、台所を見ると、晩酌までは終えたようだけど、ご飯系を食べた様子がなかった。これで、朝、起きたとき、普段は感じない空腹感があったわけが判った。お酒を呑み終えたところで、寝落ちしたみたい。なんとも、忙しなく動いた元旦。1日としては、めっちゃ短く感じているな、振り返ってみると。


2023年 1月 1日(日)午前 2時 30分

 昨日は、世間的には大晦日だけど、自分的には、全く普段の日。元旦になれば、店も閉まるだろうから、違う日となるのだろうけれど、昨日は、そういった変化がないのだから、いつも通りの時間が流れた。ただ、夕方のウォーキングの際、ついでに行くマート界隈の人出は、いつもの土曜日というわけではなかった。多分、昼間に買い物を済ませたのでしょうね、勝手に、そう思っていました。天気の方は、概ね晴れてはいたが、一昨日までのような暖かさではない。冷たくて困るというような感じでもない。ま、いつもの12月は、こんなところかなと思う。まだ、ウォーキングの途中、休憩がてら読書をできたから、その程度の冷え込みということ。
 なんか、別に大晦日だからと言って、特別なことをするわけではなかったが、雑多なことをしたなの印象の一日。YouTuberの動画では、旅系で嵌っている「しげ旅」チャンネルで、サラエボやポドゴリツァに行っているのがあったので観た。やっぱ、この辺りは、トルコだと言われても判らない風景が出てくる。特に、サラエボの旧市街は。ま、これは、観光用の写真などで、よく見かけるもの。食事やカフェのネーミング一つをとっても、トルコっぽい。そんなことをしていると、その動画で、オンライン上で、simの購入をしていたので気になった。今回の韓国旅行では、息子と一緒に行くということで、息子にsimについて学習させ、そのおこぼれに与るつもりでいた。ところが、息子が、「設定までやらんとあかんから、面倒」と取りあわない。黄紺は、手にマヒがあるものだから、自分一人でするのが億劫、ましてや、PCは知識を持っていても、手のマヒがあるため、変なところに触れないか不安で、スマホをいじって使用法を仕入れてないものだから、これまた、億劫。そんなで、simのことは、全く知識がないものだけど、何か知りたいの気持ちがあるものだから、昨日は、不思議と調べる気になった。すると、単にsimカードを買ったから、また、カードを買ったショップで設定までをしてもらっても、その前段階に必要な条件というのがあるということを知った。自分のスマホがsimフリーになってないと、いくらカードを買っても使えないということを知った。その手続きをオンラインでできるというので挑んでみた、但し、PCで。するとですね、スマホのための作業は、ドコモの場合、PCでは手続きができなくなっている。IDもパスワードも認証され、送られてきたコード番号を入力しても、先に進めない。指紋とか顔の照合といったセキュリティをスマホに効かせてないと、その先へ進めなくなっていた。それは、当然、スマホでしなくちゃならない。その先へ進めそうだったんだけど、一気に、スマホをいじり出すのは、ホント、慣れてないものだから、急に億劫になり、止めた。でも、進歩だよ。端っこのことだろうけど、ちょっと賢くなった気になっている。次は、もっと進めるでしょうという、思い上がった気に、早くもなっています。だから、黄紺は、今までWifiが使えるところでしか、外国ではスマホを使って来なかった。韓国では、宿でWifiがダメなら、PCバンに行って、Wifiに繋げてた。PCのスイッチを入れて、パスワードを入れて、お金を払えるようにしてからスマホを使うという変なことをしてた。でも、コロナ禍以後は、もう、それではダメだと思ってるので、何とか覚えようとしています。今回、チャンスだったのに、息子は、安易な、お金で済む方法を選びやがった!
 「ばらの騎士」をラストまで観た。オックスを驚かして以後、いよいよラストへ。マルシャリンも登場して、このドタバタを収めにかかるけど、それは、同時に、オクタヴィアンとの別れを意味する。繊細な詞が連なり、3人の微妙な心の変化を描いていくところだ。この辺は、ずっと、前の舞台で進行。どうも3人の立ち位置がドタバタしている。微妙なところを描き切れていない。くどいという表現を採ってきた演出だけど、丁寧さに欠けてしまっていた。ついに、オクタヴィアンがマルシャリンの元を去る。それは、前の舞台から去るということで表していた。そのときには、舞台内舞台の幕は開いていて、その舞台内舞台には、丘の起伏のような設えになり、ゾフィーが、成り行きを見守っていた。マルシャリンの元を去ったオクタヴィアンは、その舞台内舞台に現れ、2人のデュエットへと発展していく。前の舞台には、マルシャリンは出たままで、下から舞台内舞台にいる2人を見上げている。抱き合う2人、下から見上げるマルシャリン。そこへ、元帥が帰って来る。服を脱ぎ背中を向けベッド(ラストに向け召使が出しておいた)に横になる。それに、背中を向けベッドに横たわるマルシャリンという、ようやく、ここで、持ち味のくどさが出て、幕。このいい場面が、ダメだったな、いろいろと気を回しながら、ここに来て、持て余してしまってました。そんなで、どのようなことをしてくれるか、先が楽しみなプロダクションではあったことは確か。そういった意味で、一見の価値のあるプロダクションではある。但し、くどいので、2回目を観ようという気にはならないな。
 夜は、予告のあったYouTuber「無職旅」さんの生配信を心待ちにしていた。カウントダウンまでするということを、前回言ってたので、大晦日の夜はこれだと決めていた。にも拘わらず、晩酌をした後に観ることになったため、あっさりと寝落ち。気がつくと、新年になっていた。眠ってる間に、年が替わっていたという情けない結果に。で、横になると、今度は眠れない。仕方なく、これを書き上げた。


2022年 12月 30日(金)午後 10時 47分

 年末も年末、押し迫ってきました、暦上は。でも、自分的には、何も変わっていなし。おまけに、引き続き、暖かだし、いいお天気だしと、結構な状態が続いている。天気予報を見てみると、1/3から寒くなるそうで、また、運がない。寒くなってから、韓国旅行とは。最初、年末も候補に挙がってたんだけど、何でだったかな、忘れたけれど、それが正月明けに変ったのでした。年末だったら、冬では、最高の状態だったのにね。今回の韓国旅行は、移動を減らすというのが、1つのポイント。子どもを連れて行くということで、長めの移動を避けるということで、都会中心のスケジュールを組んでいる。でも、地方都市に連れて行き、韓式旅館に泊めてやりたいと考えている。韓国不案内の人には、ちょっと敷居が高そうなので、黄紺と行くときに、その経験をさせてやりたいと思ってしまう。行き先と考えている都会には、黄紺が、長年、定宿にしている韓式旅館があるけど、あまりメンテナンスをしないものだから、初めて知ってからの年月が長いものだから、くたびれてしまったものだから、都会は普通のホテルと考えている。韓式旅館は飛び込みだから、万が一、泊れなかったらと、Booking.comやAgodaを使って、予備の宿をチェックしている。普段、韓国に行くときには、決してしないことをしてる。今回は、両替も、都会なら、街中でできると、観光地の真っただ中には両替屋が並んでるはずと、これもチェックを入れた。こういった情報は、ネット上に溢れてるから、あっさりとゲットはできるんだけど、これも、やったことがなかった。いつも、着くとすぐにバスターミナルに移動し、地方に行くものだから、毎度、損を覚悟で空港で両替をしてきた黄紺には、ありえないことをしているのです。手持ちのウォンも、どのくらいあるか調べてみた。ところが、この3年間に、断捨離をしたものだから、ウォンの在処と頭に入れておいた場所を見ても、他の大事なものはあっても、外貨は欠片もない。断捨離をしたときに覚え込んだ位置が、ごっちゃになってしまってた。今の自分だったら、どこへ入れておくか考えて、2箇所目に見つけることができた。ついでに、為替レートも調べてみると、一時ほどではないね、円安。年明けには、円高誘導が入りそうとの、ホントかフェイクか知らないけど、ネット上で見かけたことがあるので、今は、もう少し安いのかなと思ってた。ウォンとの関係では、1万ウォンが950円くらい。これなら、まだ、落ち着いて旅行はできますね。
 そんな風に、韓国が気になり、どうしても関心がそちらに向くのは致し方ない日々。午後の一時が、それで、かなり圧縮されたが、今日は、朝の一時も、わりかし取れたので、「ばらの騎士」の続きを観ることにした。2幕全部と3幕の半ばまで観ることができたけど、昨日、書いたように、確かにくどいけど、そのくどさの関心の矛先がおもしろいものだから、また、歌手陣が聴きごたえ十分なものだから、くどさは嫌味じゃない。むしろ、いろいろとやってくれるので、次は何をするのの気になって観続けることができています。★舞台内舞台と、他のスペースの関係というのは、特定すべきじゃないですね。マルシャリンの心象風景でもあり、同時進行であろう場面を補うかのように見せようとする。かと思うと、舞台内舞台の前のスペースだけでは足りないとばかりに、それ以外のスペースになっている。そういった中で、2幕で、通常は出てこない、要するに歌う場面などないマルシャリンを舞台に出すのが、このプロダクション。オクタヴィアンがゾフィーと愛を語り合うような場面になると、マルシャリンを、舞台内舞台に登場させる。また、オクタヴィアンが、ファーニナルの邸宅を追い出され、小悪党が、オクタヴィアン側に寝返り、マリアンデルからの手紙を持って来るまで、オックスの一人舞台が続くけど、ここでは、ちゃっかりと、舞台内舞台の幕を開け、そこで、オクタヴィアンとマルシャリンが密談をしている場面を用意してました。3幕になり、突然、マルシャリンが現れる不自然さは解消はするのでしょうが、ネタバラシを予めしているようで、良し悪し、どちらなのでしょう? 判断が難しいところです。こういった手の込んだことを用意しながら、テキストで十分だと思えば、動きを省くなんてこともやってる。2幕冒頭では、オクタヴィアンの到着報告の動きはカットされたりと、要所は、しっかりと見定めています。3幕の悪ふざけの主管者はムハンマドとしてある。オックスに対する脅しは、鴉の剥製を飛ばすというもの。ヴィジュアル的には、とっても目に残る仕上がりぶり。なかでも、舞台内舞台に、超巨大な鴉の剥製を設えるのは圧巻。大は小を制す、大きいものはいいことだ、めっちゃ、インパクトがあります。まだまだ、メモらねばならない箇所が多数あったと思うのですが、とにかく思い出せたものは認めておくことにしました。

【別稿/オペラに関して2回書いてしまったので載せておくことにする、★の箇所から】舞台内舞台のことを書いたはずだけど、マルシャリンの心象風景だけを表すなんてものじゃなかった。いろんな活用をしている。前の舞台の補足に使ったり、前の舞台で起こってると同時進行で起こってることを表したりしている。幾つか、それらをメモると、オクタヴィアンとゾフィーが愛を語るところでは、マルシャリンが、自分の部屋に佇む姿を出す。通常は、2幕にはマルシャリンは出ないはずだけど、こういった形で出てくる。小悪党が寝返り、オクタヴィアンと組む、オクタヴィアンの指示で計画が進む、これは、通常は、観る者の想像の範囲だけど、このプロダクションでは、オクタヴィアンが、マルシャリンに手紙を送り、事態の報告、その後の指示を伝えている。それを読むマルシャリンと小悪党というシーンが、舞台内舞台に設えられていた。かつて、カールスルーエの歌劇場で観た「ドン・ジョヴァンニ」でやってくれた趣向と同じです。2幕の最後、マリアンデルからの誘いに有頂天になっているオックスの背後では、舞台内舞台では、マルシャリンが、オクタヴィアンに、マリアンデルの衣装を着せているなんてシーンまで作っていた。3幕の「驚かし」の場面が、凄かった。鴉が上から降りてくる。最初は1羽、次いで仰山、更に、舞台内舞台の幕が開くと、その舞台いっぱいというほど超巨大な鴉1羽、これは、オックスだけじゃなくて、客も驚かすという趣向。ここまでやられると、くどいも通り過ぎて、凄い、いや、えぐいと言える。今日は、その「驚かし」場面までしか観れてないので、明日は、ラストまで行っちゃいます。2幕から登場してきた、ゾフィー(イルセ・エーレンス)とファニナル(ディートリヒ・ヘンシェル)も、いい歌唱を聴かせてくれる。ファニナルなんか、かなり個性的な歌唱をしているので、指揮のアライン・アルトゥノウル(モネ劇場の音楽監督、トルコ人ですね!)の指示が行き渡ってる模様。2幕の、オックスの家来どもの騒動時の音楽は、最高のカオスを作り出していたりで、このプロダクションに見合った最高の音楽を作り出しています。という、正に、めっけもののプロダクションです。こういったプロダクションに出逢えるから、オペラは止められないね。落語もそうだけど、同じネタが、演者さんで、こうも違うかと思える、そういったのと同じ楽しみが、このプロダクションにあります。フォーカスをオックスに合わせた品格で描いたエンタメものとなっています。


2022年 12月 30日(金)午前 5時 17分

 昨日も、全く何もない一日。映画を観るかもしれないと思っていたが、韓国旅行が迫って来ると、大事を取り、出かけること自体を止めにかかっている。弟から、昨日、元旦に来ないかと誘ってくれたんだけど、それも辞退した。こちらは、感染者が出たというので、隔離期間は終わってるのだけど、自重。かなり、行く前に神経質になっている。となると、外出は、昨日も、日に2回のウォーキングだけというもの。ここ数日、暖かだから、とっても有難い。昼前のウォーキングなど、薄手のウィンドブレーカーですら、暑いほど。このままじゃ、汗をかいてしまうと思った。このまま、ずっと行ってくれたら、嬉しいんだけど、せめて、韓国旅行が終わるまで。
 昨日は、トルコ・サッカーの情報追いかけで、朝の一時はつぶれ。トラブゾン・スポルが大敗したうえ、エディン・ヴィスチャが、今季2回目の大きな故障。復帰したばかりなのに、酷い話だ。異常なことが起こったことを察知したエディン・ヴィスチャが、ピッチに座り、ダメのサインをベンチに送る姿が痛々しかった。落ち着いた対応をしていたのが、せめての慰め。トルコでは、元旦と言えども、普通の祝日だと思ってたら、来年は日曜日なのに、この週末は試合が組まれてない。これは、へぇ~だった。だから、次節は、丁度、韓国旅行中になってしまう。午後の一時は、その韓国旅行の細かな用意。スマホがあるとはいえ、使えなくなったりすることも想定して、ホテルの地図作りをしたり、子ども連れなもので、バスの子ども料金を調べたり、そういったときに想定される韓国語を調べ、メモに残したり、これも、スマホにメモるだけじゃなくて、どうしても必要なものは、紙で持って行くようにした。韓国は、子ども料金を3区分していることを、初めて知りました。6歳までは無料だとか。これ市内バスはそうだと判ったんだけど、市外バスについてはどうかは見つけられていない。そのままだと困るので、これは、メピョソで尋ねねばならない、要るかどうかを。韓国語で年齢表現なんて使ったことがないから、これは仕込んだ。「子ども」って「オリニ」だと思ってたら、そうでないものも出て来たので、違いが判らないで困ってる。判らなかったら、「オリニ」で通そうと思ってる。ま、意を汲んでくれるでしょう。「子ども」を仕込むということは、その逆も仕込んでおかないとダメなことに気づき、これも仕込んだ。トルコ語は、臨機応変に、まだ対応できるが、韓国語は仕込みでしか、自分の中に入ってないので、追加の仕込みをしていかないとダメなのです。
 30分程、時間ができたので、細かいが、「ばらの騎士」の続きを観ることにした。なんとか、時間内で、1幕の終わりまで行けた。ところが、この30分程が、それまでとは異なり、このプロダクションの見せ場的になってる感が出て来たのです。乳牛の件は、黄紺の思う通りだと、あれは、露払い的なもの、本番は、やはり、このオペラのテーマ、「老い」に関わるもの。「老い」を深追いしようという、その端緒になる詞を、ホフマンスタールは用意してくれている。髪のセットをしてもらったあと、マルシャリンは、「今日は、ちょっと、お婆さんにしてしまったね」と歌います。陳情の者たち、物の売り込み、歌手が、どっと出て来たところで、わちゃわちゃが出てるところ、傍らでは、オックスが、無理難題を公証人に吹っ掛けている、すると、歌手が歌い出すというところが過ぎ去ろうかというときに、この詞が出る。そのあとは、この不安を、マルシャリンが吐露をする歌唱、そんなことなど考えたことのないオクタヴィアンに絡んでいくマルシャリンが描かれていく。そういった流れを観ていて、舞台内舞台だとか書いていて、境目に混乱をきたしていたが、ここに来て、解ったつもりになっている。これ、現在進行形での人と人とのやり取りの区分を示すものじゃないですね。だから、オックスが、マルシャリンの部屋から出て行き、下の舞台に現れても不思議じゃない。その境界は、マルシャリンの心象風景の区分と看ました。オクタヴィアンに絡んでいくところなど、舞台内舞台に、更に、舞台が出現。その一番奥では、役者がマルシャリンになり、手に持った婚姻衣装もどきの服を、繰り返し眺めている。下の舞台には、召使たちが置いた時計が並ぶ。その時計の1つに、オクタヴィアンが触れようものなら、モハメッド(「小人」のフリークスの役者が演じる)が跳んできて、それを制止。「時は変えられない」「時は変えちゃいけない」と言っているように見えました。オクタヴィアンが触れるから、余計に、その雰囲気が出ますね。も1つおもしろかったのは、陳情に来る人たち、孤児3人が背丈の高いフリークスであったり、車いすの婆さんだったり。極めつけは、歌手が、その車いすの婆さんの恋人、後悔の念を残している、かつての恋人って感じで、爺さんの恰好で出て来た。これは、まだ、マルシャリンの「老い」を語り出す歌唱の前だから、フライングなんだけど、露払いになっている。くどい感じがしないわけでもないが、今まで、誰も思いついていなかった(黄紺の知る限りでだが)着想だと思うと、拍手ものです。そんなで、俄然、おもしろプロダクションになってきた。1幕の最後の方では、雪を降らすなんてことをやった。マルシャリンは、手にコップを持ち、上から降って来る雪をコップに入れようと彷徨う、これも「老い」を仕込んだメタファーなんでしょうね。物悲しさが出ていて、いい雰囲気、でも、くどいと言えばくどいけどね。マルシャリンの歌唱がいいものだから、くどいという空気は下がっていました。そんなで、この「ばらの騎士」、なかなか、今後が楽しみになってきています。


2022年 12月 29日(木)午前 6時 20分

 基本的に、月曜日の夜に出かけたあと、韓国旅行まではお出かけ予定は、ほぼなしのつもり。ひょっとしたら、映画を、1本観ることがあるかもしれないけれど、随分と、黄紺の気に食わない時間帯に上映予定となっているので、観たいと思っていても、気のノリが悪いので、行かない方に賭けたいと思っている。お出かけ予定なしと言っても、医者通いは別。3週間程前に、足の指が痛むということで行った医者の2回目。足の痛みは、かなり和らいでいる。そういった意味で、痛みの基になっている箇所を治さねばならないと、薬を飲んでいるので、経過を見せに行くということでの通院。翌日で、年末は、診療が終わるからでしょうか、前回と異なり、混み混み。受付で、「1時間程、待っていただかねばなりません」ということだったので、近所に弟の家があるので、時間つぶしに寄ってみた。すると、弟の嫁さんが隔離中。弟は不在だったけど、聞くところによると、陰性だったけれど、発熱があったとか。そんなで、たまたま家の前に出ていた弟の嫁さんと、距離をとっての立話を、ちょこっとして入るのは止めた。で、時間つぶしにならなかったので、付近をミニウォーキングをしてから医院に戻る。今度は、1ヶ月先に来いとのこと、以前にも、同じ治療を受けたことがあるので、その間合いが妥当なのは解る。問題は、自分が、薬を飲むのを忘れないこと。実際、昨日も忘れた。そんなことをしていると、可愛らしい効果が出ているのに、いつまで経っても治りはしない。でも、忘れてしまうお年頃です。
 そんなで、外出と言えば、その通院がてらのウォーキングと、夕方のウォーキング時だけというのは定番。通院前に、朝の一時ができたので、YouTubeで、東南アジア専門の旅系動画を観た。「アジアトラベルノート」というチャンネル。以前から押さえてある、黄紺の知る限りでは、この地域では、最もディープで、語りが知的なものだから、新しい動画がアップされると、必ず観ている。新作は、タイからラオスにかけての鉄道旅。ルアンパバーンというラオスの秘境を、この動画で知った。そして、ラオスに、中国支援で高速鉄道が開業なんてことも知った。ラオスに高速鉄道が走る時代です。行く行くは、中国の昆明からシンガポールまで、鉄道が繋がるという壮大な構想だそうです。来年には、インドネシアでも、高速鉄道が開通するようですね。今回、Dを韓国に連れて行く話が出たとき、韓国鉄道に乗せることも考えたんだけど、断念。それよか、次回は、台湾新幹線に乗せてやろうかと思ってたんだけど、インドネシアもありかと思い始めている。ラオスは、切符が買いにくそうだから、様子眺めだね。そんなことをしていると、中国の規制緩和が進み、中国人観光客が入って来ると、ラオスは万事休すだな。だから、狙うのはインドネシアかと。そんなことを考えたりしてると、急に、自分のタイ旅が思い起こされてしまい、そのときに認めた紀行文を引っ張り出し、一通り、読んでしまった。もっと、YouTubeで他の動画も観るつもりだったのに、あっさりと、自分の書いた文に嵌ってしまってました。食べたものとかメモっておくと、こういったとき、ホント、読みごたえを感じてしまう。おいしそうに食べてる、かつての自分が羨ましくなってしまいました。
 午後の一時では、まず、もう一度、韓国入国、日本入国について調べた。で、ここまでやってきたことで、大丈夫と認識。そこで、スマホが不調になったこともあるかと、必要文書を印刷しておくことにした。息子に、この点を注意しておこうと思い電話を入れたのが一昨日だった。Dを連れて行くので、神経質になってるから、こないなことしてました。短時間で、作業は済んだので、あとはオペラ配信を楽しんだ。前の続きとして、スウェーデン国立歌劇場の「ナクソス島のアリアドネ」を完走。なんで、このプロダクションが、「Oper Vision」のチャンネルで取り上げられたのか、最後まで判らずじまい。いつものような一ひねりを感じなかった、いや、自分に見出す力がなかっただけかもしれないが。次いで、時間があったので、新たな配信を視聴することに。モネ劇場の「ばらの騎士」(ダミアノ・ミチェレット演出)をチョイスしました。R.シュトラウスものが続きます。有難いことです。再来年の3月のびわ湖ホールは、「ばらの騎士」だと、最近、知りました。また、生きていたいと思うことができてしまった。モネの「ばらの騎士」も簡易装置。舞台内舞台って感じで、後方に簡素なマルシャリンの部屋。真ん中奥に出入口があり、舞台右側に着替え用の部屋への出入口があるというもの、舞台内舞台の前のスペースには、無雑作に、椅子が2つ置かれてある。そこは、マルシャリンの部屋の外かと思ってたら、オックスが出てきて、女というものはとか語り出し、マリアンデルを口説きにかかるときは、そのスペースを使ってる、マルシャリンも、それに歌いかけるというもの。その女なんてと、オックスが歌うと、乳牛の作り物が、舞台左側に出される、召使たちにより、舞台右側からは乳しぼり女が出てくるという場面が用意されている。「乳牛=女」という、わざと稚拙なメタファーを用いて、オックスの下品さを表してるのかとは思うのですが、、、? 断定できる自信はないですね。時間の関係で、まだまだ、1幕の半ばで切り上げたので、全体を観て、その推測が当たりかどうかは判定しなければならないところです。ここまで出てきている主役3人が、いい感じ。次の3人です。(元帥夫人/マルシャリン)サリー・マシュー、(オクタヴィアン)ミシェル・ロシエ、(オックス男爵)マルティン・ヴィンクラー。


2022年 12月 28日(水)午前 6時 23分

 いよいよ、押し詰まって来た。ということは、韓国旅行が迫って来たということ。Dを連れて行くということで、以前から緊張してるんだけど、迫って来ると、緊張が高まってきている。50回以上、韓国に行っているにも拘わらず、緊張しているのです。何でか考えると、初海外、初韓国なんだから、何とか、海外に行って、韓国に行って良かったと思って欲しい、その気持ちが強い、すっごい責任を感じるのです。昨夜も、気になることがあったものだから、息子に電話を入れてしまったけれど、逆に、息子の方が、段どり、黄紺以上に解ってた。だから、気持ちが前のめりになってるだけという感じかもしれません。
 昨日は、火曜日ということで、「まーぶる」のある日。それに加えて、午後2時から、米朝事務所のYouTubeチャンネルで生配信が予定されていたということで、お出かけはなし。ま、年末だということで、イベントも減ってるので、無難なところです。それらの放送、配信が始まる前の、朝の一時は、一昨日、1/3も視聴できなかった、これも、米朝事務所チャンネルのYouTube動画を観ていた。「米紫&吉の丞㊙ワールドニュース」という、毎度観ているもの。今年最後のライブということで、2人は、忘年会と称して、ビール片手のトークだから、普段以上の口の滑らかさ。最後の歌之助東京独演会の惨事レポートは、さすが、トリネタだけあり、そうはない出来事。新幹線の停電で起こった惨事。コメント欄に、さすが、「先代のお弟子さん」と、どなたかが書いていた。ディープが落語ファンです、先代を知っているというだけで、そう思ってしまうほど、時間が経過してしまってるんですね。これは、トピックとしては、この配信が始まって以来の大ネタだったけど、神回じゃないかとおもったトピックは、KBSネタ。二葉、天才ピアニストに次いで、チキチキジョニーも芸術祭優秀賞をもらったものだから、KBSは、今や、旬も旬の芸人さんを抱えてしまった。局内には、各々の名前が貼り出され、「止めないで」なんてメッセージまで書かれているなんてことは、吉の丞が言うまでもなく、二葉も、「まーぶる」で言ってた。吉の丞の番組でも、先週、二葉が繁昌亭大賞を受賞、天才ピアニストが2冠制覇を、番組内で取り上げていた。そこで、YouTubeで、吉の丞がぼやく。「俺かて、繫昌亭大賞の賞もろてるのに、二葉の受賞に触れたとき、誰も、俺のこと、なんも言うてくれへん」。チキチキジョニーの受賞に関しては、「俺、去年、おんなじのもろてんねんけど、、、」、確かに、そうで、落語家の場合、吉の丞のキャリアで芸術祭優秀賞をもらうのは、出色のこと、「でも、誰も、言うてくれへんやろな」と、急にへたれる。「僕も、去年、獲ったんですけど」と、チキチキジョニーの受賞が話題になっても、言えないへたれであることを独白。すかさず、米紫が、カメラに向かい、番組で、一緒に出ている岩井万実に呼びかける、「万実ちゃん、これ観てたら、ゆうたって、声かけたって!」、それを観た視聴さんたち、「じゃ、投稿して、読んでもらうようにする」という有難いメッセージがチャットに入る。すると、その傍らには、「男って、手間がかかるのね」というコメント。この一連の流れは、この動画では最高の流れでした。そんなことを観たあと、午後に、某落語ファン氏のTwitterを覗いたら、またしても、二葉の受賞ニュース。今度は、大阪市の出す「咲くやこの花賞」が決まったというものでした。ホント、二葉は、どこまで行くのでしょう! 「繫昌亭大賞」と言い、この「咲くやこの花賞」も、フロックじゃない、全くの当然の受賞ですものね。想定内の出来事なのに、実際、決まってしまうと、驚いてしまいます。このニュースは、どうやら、「まーぶる」のあとに飛び込んで来たので、二葉は知ってたでしょうが、番組内では触れてなかったですね。で、こういったYouTube配信を受けて、実際の「おつかれさん」の放送では、どこで出てくるかが楽しみで、Radikoだったけれど、昨晩、最後まで聴いてしまった。すると、昨日は、番組の進行の都合上、最後の方に回されていた「吉の丞の芸能界ニュース」のコーナーで、ニュースの項目に、チキチキジョニーの件が上がってないものだから、吉の丞が、チキチキジョニーを讃える言葉を言い出した。すると、すかさず、岩井万実が、小声で、「ひょっとしたら、吉の丞さんも取られたのでは、、、、」と言い出し、出来過ぎの自然な展開で触れてもらっていました。YouTubeでのやり取りは、全く触れずにでだった。ま、多くの人は、YouTube観てないでしょうから、出来過ぎだと、ツボに嵌ってしまってました。
 「まーぶる」の方での、落語界絡みのトピックは、1件かな。二葉が、この冬にかけようとしているネタ「池田の猪飼い」の紹介をした程度。この情報は、既に、一昨日、把握していた。毎月、月末頃に、二葉は、小さな会場で、お稽古の会をしているのだけど、そこで出したネタが、会場で聴いた人がTwitterに上げてくれていたから。「池田の猪飼い」と「寄合酒」を稽古したそうです。「池田の猪飼い」は、二葉が得意とするアホの出る噺だけど、二葉の口演では最高のものと、自分的には思っている期待のネタだけど、鳴り物が入るので、東京などでできるのかな? 「寄合酒」は、持ちネタにあることは知ってんだけど、これが落語会で出たのを見たのは初めて。だから、当然、黄紺的にも聴いたことのないネタ。これ、米二からではなく、団朝につけてもらってんだよね。米二情報として、「団朝くんは、師匠から直接つけてもらってるので、団朝くんのところへ行かせた」と言ってたからね。米二自身は、音源か何かで覚えてやってるからということなのだと思いますね。こういった配慮、いい師匠だ、ホント。
 午後の生配信は、米朝事務所チャンネルの生配信ものの、もう1つの方、「米印ワールド大喜利」。最近、飛ばし飛ばしに配信してたので、熱が入ってないなぁと思ってたら、昨日が最終回だった。そういうことだったのねと、納得。こちらの視聴者数は伸びなかったもんね。そもそも、スタートからして、今どき「大喜利?」と思った。でも、YouTubeのチャット機能を使い、お題を募集するという試みが新しかったので、推移を見てたけれど、結局は伸びないまま。4人も噺家さんが関わっていて、もったいない話です。途中、4人揃わないときにやってた、2人での、お題を求めてのトークが、振り返ってみると、一番、おもしろかった。けど、なくなると、木曜日の夜の楽しみが消えてしまい、自分的には、ぶつぶつ言いながらも、寂しいのです。


2022年 12月 27日(火)午前 7時 11分

 昨日は、夜にお出かけを、今年最後の市民向け公開講演会を聴きに行く予定を入れていた日。夕方までは、普通の時間が流れてたんだけど、昨日は、年賀状の住所書きをすることにしていた。印刷は、先日に済ませてあったので、全く住所書くだけだけど、字を書くということをしないのが普通になっているので、ましてや、マヒのある手は、うまく動くまでには、ちょっと時間がかかるから、それまでは、ただでも汚い字が、余計に汚くなるけど、仕方がない。毎年のことだけど、手書きを続けています。数が少ないからできることですね。それが終わったら、軽くウォーキングをしようと思ってたら、そのときになると、すっかり忘れてしまっていた。実際には、そんなに時間があったわけではなかったのだけど、なんか、忘れていたことが腹立たしくって。
 夜のお出かけは京都教育大学。こちらでの、年1回なのかな、市民向け公開講演会があった。去年もそうだったけれど、「伏見連続構座」との抱き合わせ企画でもあった。その去年は、伏見の戦跡(深草師団があったので)と感染症を絡めた講演があったのだけど、会場が寒かったのが強烈に記憶に残っているので、今回も、案内をいただいたけれど、正直、迷った。でも、演題に惹かれて、寒さを顧みることなく応募をしてしまってた。幸い、今年の会場となった部屋は暖かかった。これが、一番、インパクトが強かった。それほど、加齢の結果、寒さには、えらく弱くなってしまっています。演題は、「京都伏見 福助考~福助人形に込められた和の国の思い~」というもので、同大学総合教育臨床センター教授の相澤雅文さんのお話でした。「福助」は、福助足袋の商標になっている、あの図のことです。京都教育大学に、文化人類学や民俗学のプロパーがおられそうじゃないと思っていたので、このテーマ設定のきっかけは、何だろうかと気になっていたところ。冒頭の講師紹介で、それが判明。相澤さんは、障がい児教育を専門とされている方と知り、あっさりと納得。でも、深堀のお話は聴けないだろうなの予測。福助の人形や、デザインは、フリークスを前提に描かれています。そこで、障がい児教育との接点があるということです。この福助人形が、伏見人形のデサインにも採用され、伏見人形が、全国に拡散していくなか、この福助人形というモチーフが知られて行ったということで、まずは、伏見人形とはということから、お話はスタート。仙台出身の講師が、地元の伏見の人たちに、伏見人形を解説するというおもしろい構図。でも、知らないことばっかですものね、我々は、伏見人形の一部を目にしただけ、1軒だけ、まだ、伏見人形を扱っている店があることを知っている程度でした。こういった伝統産業には由緒が作られていますから、それの紹介、そして、聴きものは、残っている唯一の店「丹嘉」への取材から得た情報を紹介していただけたこと。型があるんですね。そして、かつてはたくさんあった窯元&販売店が廃業していくときに、残っている窯元&販売店に、その型を託されていったそうで、それらが、「丹嘉」に残っている。土による型は、粘土の持つ水分を吸わないから持ちがいいそうで、江戸時代の型が、まだ使えるそうで、型を通りやすい石膏ものは、水を吸って耐久性が弱いとか。それらを使った作り方を説明していただけたのですが、知らなかった重要なポイントは、乾燥させる必要があるので、それに適した夏場が、型に嵌め人形の形を作る季節で、絵付け、色塗りは、冬場の仕事という、季節分業の作業だということ。今でも、干支を模った人形が人気で、年末は搬出作業で大忙しだそうです。そういった伏見人形に福助が登場してくる。我々が目にする福助人形は、福助足袋が商標やマスコットに使い出したときに、デザイン化されたもののようだけど、それ以前から、既に、福助人形はあった。我々が知るものと比べ、頭のデフォルメ度が弱く、裃、整ったちょんまげ姿ではない。ということで、こういった「異形」(このタームを使われてたけど「フリークス」の方がいいと思いました)の人形が生まれてきた背景を探るという、いよいよ、関心の高まるお話へ。そういった「異形」の人がいた、そこのお店が栄えた、店の子どもに「異形」の人がいたというお話ですね。「大文字屋」という具体的な名称まで出ていました。しかし、こういった話は、他の地域にもあるということで、「仙臺四郎(仙台四郎)」を紹介されました。初耳のトピックです。知的障がいをもった実在の人物がモデルだそうです。こちらも、「福」をもたらすそうです。となるとと、歴史を紐解かれました。「古事記」などを取り上げ、伊邪那岐命&伊邪那美命夫妻の初めての子「ひるこ」を出され、恵比須信仰へと導かれていかれました。恵比須さんは、障がい者だった。確かに、立っている姿を描いたものはありません。「福子」「宝子」のトピックへと発展、それが、福助さんの基だという流れ。想定内のお話でしたが、「ひるこ」は、「流され」「迎え入れられ」という両義性を持つ存在だったということを抜かされたので、これは、質問という形で指摘しておきました。そんなで、自分的には、伏見人形については、新鮮な情報を頂いたに留まりはしたけれど、こういったネタで、市民向け公開講演会を行ってもらうということは、大歓迎。テーマ設定に拍手です、しかも、文化人類学や民俗学の専門ではない畑違いの方の英断に感謝です。


2022年 12月 26日(月)午前 6時 4分

 昨日は、朝から、韓国旅行のときの日本入国のために必要な「Visit Japan」への入力に、時間を取られてしまい、普段の日曜日の定番、「日曜美術館」をスルーしてしまった。先日、韓国入国用に入力したときと違い、今度は、日本語だからと、ちょっと侮ったところがあったのは事実だったけれど、こういった入力のフォームって、ホント、作った人の頭の中に入らないといけないことを、ここでも実感。これも焦りを感じたけれど、一番の焦りというか、困りは、韓国の「K-ETA」で使ったと同じパスポートの写真を使いながら、今回ははねられてしまったこと。パスポートの写真は、コーティングに模様が入っているため、唯でも反射がひどいところへ、その模様が、写真には、しっかりと写ってしまうので、とっても厄介。そのため、室内照明のないところで撮ると、途端に暗い写真になってしまう。それでも、何とかと言えるもので審査を通過したんだけど、日本の方はダメと来た。これ、逆だと、あっさりと1000円余が消えていた。日本の方で助かったとは思ったけれど、また、一から写真を撮らねばならない。ようやく、屋外に出て自然光で撮ってみて、最高の出来栄えの写真をゲット。結局、それで大丈夫だったんだけど、この撮影は苛立った、ホント。もう1つ困ったのは、パスポートの写真と併せて送る個人情報の審査完了にならないと、次の「質問状」と「ワクチン接種証明書」絡みの入力ができないこと。順番に、1つずつ片づけて行くシステム。でも、審査は待たねばならない。その間は入力できないとなっているから、いくら、該当箇所に触れてみてもリンクが効かないようにしてある。これは焦った。行き詰ったかと、正直思ったな。結構、イラついて、いろいろと調べてみたが判らない、その内に、「質問状」だけ、「Visit Japan」と別個に入力できることが判った、これは、あとで、実際の入力には、直接は関係なく、単に、自分のPCが入力項目を覚えてくれてたので、時間の短縮に役立っただけだったが、そんなことをしている内に、2回目のパスポートの写真絡みの申請にOKが出た。そのとき、何気に「Visit Japan」の入力画面を出すと、変化が起きていることに気がついた。先ほどまで、リンクが反応しなかったところが反応したのでした。これで、初めて判った。順番に1つずつ、1つ入れたら、OKが出るまで待つということを。「ワクチン接種証明書」の撮影は、パスポートの撮影に比べて、楽。反射しないからね。この審査には、2時間ほどかかったようですね。お出かけ先で、完了メールの確認をしたからね。ワクチン接種は5回受けてるから、入力さえスムーズに行けば、問題はないのです。この「Visit Japan」を統括してるのデジタル庁だそうです。初めての接点となりました。ワクチン接種は、3回の接種を求めていました。だけど、接種を受け始めたのが遅い黄紺でも、3回目というのは、今年の3月28日だよ。そんな前の証明を見て、どうだというのでしょう! 日韓双方の入力やってみて思ったこと、韓国大好きおばさんやおねえさん、皆さん、できるんだろうか? だから、ここにビジネスが生まれてんでしょうね。面倒だし、情報を得ることすら、簡単じゃない。知っていても、この入力、困るでしょうね。スマホで写真撮れても、そのサイズや容量が指定されてんだよ。写真の転送のために添付という作業が要る、それ、無理でしょう。これで、儲けてる人、いるね、当たり前か!!
 昨日は、午後に、びわ湖ホール小で音楽を聴く日でもあった。それもあり、一旦、手を着け出すと、片づけたいという気が先んじて、「日曜美術館」を諦めてしまったのでした。コンサートは、「祝祭のヘンデル 躍動する聖と俗」というタイトルの付いたもので、なんと、ヘンデル一色のコンサート。これは、黄紺のツボに嵌った。それを、クリスマス当日に行うというのも、嬉しかった、別にキリスト者でもない黄紺だけど、こういったヨーロッパの文化が好物なもので、チケットを買ってありました。前半が「躍動する俗」としてオペラのアリア、後半が「躍動する聖」として教会用典礼音楽という組み合わせも、完全にツボ。プログラムは、次のようなものでした。①「アリオダンテ」より「千の生命を私におくれ」(乃村・益田)②③④「ジュリオ・チェーザより「優しい眼差しよ」(船越)「勝利者の手にエジプトの地を」(五島)「嵐で難破した船が」(古瀬)⑤「アタランタ」より「いとしい森」(川野)⑥「ベレニーチェ」より「鎖につながれても」(津國)⑦「アルチーナ」より「ああ、私の心よ」(小林)⑧「オルランド」より「不吉な嵐が起こり」(武久)⑨「リナルド」より「涙の流れるままに」(長谷川)⑩「セルセ」より「なつかしい木陰よ」(総)⑪「Dixit Dominus/主は言われたHWV232」(第1曲/主は言われた、第2曲/力ある杖、第3曲/始まりはあなたと共に、第4曲/主は誓われた、第5曲/あなたは祭司、第6曲/主はあなた達の右に、第7曲/主は諸国を捌き、第8曲/途上の川から)。出演された歌手陣は、びわ湖ホール声楽アンサンブル在籍経験者らで、次のような人たちでした。(ソプラノ)北爪しおり、船越亜弥、古瀬まきを、乃村八千代、(アルト)小林久美子、益田早織、(テノール)川野貴之、総毛創、(バス)五島真澄、武久竜也、津國直樹。管弦楽は「フレデリック・アンサンブル」という名で、特別編成されたもの。(Vn)赤松由夏、山根朋子、(Vu&Va)井上なつき、(Va)片山晶子、(Vc)細辻秀美、(Cb)関一平、(Cem&Or)岡本佐紀子。そして、指揮は本山秀毅という布陣でした。前半のアリア集、これだけ、ヘンデルものが並ぶと、嬉しさ爆発ですね。①のデュエットが、このアリア集の最高の出来栄えだったのも、テンションが上がった。ただ、それ以後の出来栄えは、そうでもなかったのは、惜しまれます。日本1位に輝いた船越さんも、後半の教会音楽では実力の片鱗を看た思いがしたけれど、ソロはそうではなかった。やっぱ、あまり歌い慣れてないだろうノンヴィヴラートの歌唱は曲者なのかな? 唯一、満足したのは、後半の教会音楽での古瀬さんの歌唱。ノンヴィヴラートで伸びやかな歌唱を聴かせていただけたが、前半のソロでは、ダメだったなぁ。④は、ダニエラ・デ・ニースが、生き生きと歌ってたグラインドボーンでの歌唱、もちろんDVDでだけど、その姿が浮かんでしまって、、、到底、叶わないなと思いながら聴いてしまってた。けど、そういった体験させてもらっただけでも、御の字。超有名アリア、2つが、最後を飾りました。いい構成。⑩は、CMにも使われたけど、このコンサートでは、男性歌手が歌うというものでした。黄紺の手持ちのDVDでも、ズボン役が歌ってるし、ベルリン・コミッシュ・オーパーで観たときも、そうでした。ま、その辺の出入りは、その時折の演出ですから、でも、このアリアを男声で聴いたのは、初めてじゃないかな? 後半の「Dixit Dominus」は、若々しい、そして、いろんな試みをしている佳品。ヘンデル22歳のときの作品と、解説されていました。コーラスにソロやデュエットなどが入るという流れ。コーラスは、参加者全員で歌い、ソロがあると、主として、前に出てきて歌うというやり方。ただ、コーラスは粒が粗いなという印象。起伏の多い作品をまとめる本山さんの指揮ぶりは輝いていたけど、作品もいいのにと、ちょっと苦言。人数が少ないということから来ることかもしれませんね。多いと粗い隙間を埋めるはずですからね。こういったコンサートが増えるといいですね。クリスマスだけではなく、あと、復活祭や聖霊降臨祭といった祝祭日は、濃密なコンサートがあるというのが、ドイツを歩いてて得た経験知なものだから、そのように思ってしまいます。とにかくは、クリスマスでは定番化を狙ってもらいたいな。自分的には、たちまち来年も生きてるかは判らないけどね。


2022年 12月 24日(土)午後 8時 9分

 もう寒いのは当たり前になってしまってるけど、そういったなか、この2日間に比べると、僅かにましだったという一日。午後にお出かけ予定を入れていた土曜日。土曜日と言っても、既に、年内には「ブラタモリ」の新作は出ないから、ゆとりを持って、帰宅しなければいいのが有難い。でも、どうしても、午前中がタイトになってしまい、いつものような、昼前のウォーキングはできず、銀行に行くために歩いた程度。午後は、お出かけついでのウォーキングで十分だったけれど、総計では、ほんの僅か少ないかなの程度。午後のお出かけ先は、アスニー京都だったんだけど、今日は、JRを使った。すると、何と、車内放送に、中国語と韓国語が復活していた。またぞろ、こんなに寒いのに、京都は、インバウンドが戻ってきている。アジアからの観光客というよりか、今は、欧米系が多いな。彼らが、意外なことに、ほぼマスク着用している。国によって違うようですね、マスクへの対応。昨日、贔屓のYouTuber無職旅氏のドイツ旅の最新動画を観ていたら、フランスやベルギーでは、ほぼ着用してなかったのに、ドイツでは、半分はいってないかもしれないけれど、そこそこ着用してたのに、びっくり! だから、そういった系の人たちが、日本に来てるのか、それとも、郷に入れば郷に従ってるだけなのか、急に気になってきています。
 今日のアスニー京都では、京都学講座として、「最新調査成果から見た 京都市内の山林遺跡 (城・寺・古墳)」というお題の講演を聴くことができました。京都市文化財保護課の馬瀬智光さんがお話をされました。考古学的発掘に携わってる最前線の方ですね。この山林遺跡の調査、発掘という分野は、近年、急速に進化しているようです。「ブラタモリ」でも、頻繁に活用して、最新の成果を紹介しているというアナウンスがあった「赤色レーザー測量」の活用で、樹木が繁茂していても、地形を解読でき、遺跡があれば、それも浮かびあがって来るようです。この技術を使うのは、考古学の分野だけではなく、林業関係にも有用で、伐採木材の搬出に必要な林道作りにも活用されているそうで、両者が相談しながら、ルート設定をするためにも、考古学調査は肝要。林道で遺跡を壊すわけにはいかないですから。更に、この技術だけではなく、更に新たなる技術も援用されているというお話がありました。その技術の、また、その使い道のお話があったのだけど、丁度いいところで、軽い居眠り、いえいえ、まともに聴いていても理解できてたかは、保証の限りではない、苦手なお話。とにかく、いろんな新しい技術が導入されているということだけは解りました。もちろん、ドローンの活用も入ってました。尾根に平たい土地が確認出来たら、そこには城がある、尾根に南向きの建物があれば、それは寺院というのが、お約束だそうです。そこで、主として、赤色レーザー測量で撮影した遺跡があると考えられる場所の図を示しながら、城館のある位置、中心となる天守への導線、敵の侵入経路、それを遮る方法といった順で、各遺跡について説明がありました。取り上げられた山林遺跡は、次のようなものでした。①周山城跡②石見城跡③如意ヶ嶽城跡④中尾城跡⑤外畑城跡⑥三鈷寺旧境内⑦その他の山林遺跡。各々の城館は、今でこそ、山中の辺鄙な土地、赤色レーザー測量といった手を使わねば、遺跡の場所の特定も難しいことのようです。でも、各々の土地が、丹波や丹後、近江へと抜けるに大事な交通の要所だからこそ、城が作られたのだと言われていました。そういった城跡と趣を異にしているのが、⑥の発掘。黄紺も、かなり以前になるが、行ったことがある。今は、山中の、決して広いとまでは言い難い境内だけど、江戸時代初期以前は、とんでもない広い境内を持ち、寺領を、様々な場所に抱えてていたという大寺院。絵図も残っています。それに着手しかけているようです。個々の城の歴史、それを建てた人物の歴史が、即、知れる問題であるわけではないが、当該の時代の抜けてるピースを補うには、大事な発掘&調査なのでしょう。そういった意味で、有意義なんだろうけれど、そのような見通しがない者には、「へぇ~」の連発。それでしかなかったな、でも、聴いていて、ロマンがあるとは思えました。


2022年 12月 24日(土)午前 7時 29分

 昨日は、一日、動き回っていた日。まず、朝からかかりつけ医へ。一昨日、市がやってる健康管理サービスを利用して、ある検査をうけたところ、精密検査を促す結果が届いた。そこで、早速、指定病院から、歩いて行けそうなところに1箇所、電話を入れてみた。そのためには外来での受診が必要だと言う。念のために、かかりつけ医ではダメかと尋ねると、そういった医院があるなら、結果を持って行き、相談されるのがいいとの回答、丁寧に教えていただいたが、これが間違いだった。自分の思い違いか、必要な検査を、かかりつけ医がやってると思ってたところがあった。ところが、書状に入っていた指定病院に入ってなかったので、おかしいなと思いつつも、勝手判断で、指定病院リストは、単なる紹介リストと思ってしまった。電話を掛けた病院は、そのリストから選んでくださいと言わねばならないところ、紹介リスト的なことと言ったこともあり、かかりつけ医に行けばいいと思い込んでしまった。で、結局、かかりつけ医ではできないことが、その医院に行き判り、仕方がないので、一昨日、電話を入れた病院に行くことになった。回りくどいことをしてしまった。検査を受けるときは、外来に行かねばならないという基本すら、判ってなかった。市から書面が来たのだから、電話一本で、検査の予約ができると思い込んでしまってたのもいけなかった。いい歳になって、そういった社会生活の基本ができてないと、またぞろ思ってしまった。病院では、あっさりと検査予約、検査を受けるための注意を聴いて、おしまい。韓国旅行用前に、検査があると嫌だなと思う一方、年末年始にかかるのだから、それは避けられるだろうと思ってたら、今度は、その予想が当たり、旅行後になり、ホッとしているところ。でも、初めて受ける検査なので、ちょっと不安。知らないということでの不安。ま、結果は、そのときの運ですね。このバタバタで、昼前のウォーキングは完了。移動だけで、普段のウォーキング分、歩いていました。ただ、めっちゃ寒かった。この冬一番の寒さかもしれないな、気温を見ると。
 そんなに寒いのだから、家でじっとしてればいいのに、お昼を食べると出かけた。行き先は京都国立近代美術館。今、こちらで「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」が行われている。ルートヴィヒ美術館は、黄紺的には、まだ行けていなかったケルンにある美術館。ケルン大聖堂の、すぐ裏手ですね。ケルン・フィルハーモニーの横でもあるけど。ケルン歌劇場の運営が、他のドイツの歌劇場と異なり、同じ作品を間隔を開けながら上演するという、フランスやイギリス型の上演形態なものだから、ケルンに行っても、毎回、1泊ばかりだったため、ケルンにあるミュージアムを制覇できていないのです。小ぶりの狙いのミュージアムに行き、こういったメジャーなミュージアムに行けてなかったら、今回の展示会。今や、今度、ケルンに行ったときに行けばいいやには、最早ならないから、飛びつきました。特に、このミュージアムは、現代美術にシフトしているということくらいは知っていたので、余計、飛びついた次第。なのに行ってなかった。それだけ、他に行ってみたいところがあったということです。このミュージアムは、市民のコレクションで成立したということが強調されている。バーゼルのミュージアムもそうだし、日本の美術館でも、きっかけがそうだったということは耳にするとがあります。そんなで、入口では、きっかけとなったコレクターの肖像画がお出迎え。アンディ・ウォーホルと、新即物主義の大家オットー・ディクスの作品、その大ぶりの作品の傍らに、小ぶりのマックス・ベックマンの作品。あれれ、マックス・ベックマンが、早くも出てると思ってると、この展示会、第1次世界大戦辺りからスタートしてました。だから、第1章は「ドイツ・モダニズム―新たな芸術表現を求めて」というお題に、早々に色めき立ってしまった。もっともっと、新しいものばかり集めた展示会を想定していたものですから。でも、これは、ありがたい、オペラ紀行のおかげで、すっかりツボになってしまった時期だからです。第1章の掲示板には「ブリュッケ」の文字が躍ってた。それとともに、ミュンヘンに本拠のあった「青騎士」の名も並んでいた。カンディンスキーは、こちらに入るそうだ。パウル・クレーの「陶酔の道化師」という、キュビスムの入った目に付く作品が展示されていたのも、パウル・クレーが、「青騎士」の客分のような位置にあったからだと、調べてみて判った。「ブリュッケ」では、その名が、すぐに出てくるキルヒナー(ロシア人の女)とカール・シュミット=ロットルフ(黒人の彫刻がある静物)が並んで展示されていたのが、黄紺的ツボ。この2つ、ちょっと似た色彩を使ってる。赤と青、特にロットルフの作品は、その2色でだけ、成立している。こういった色使いといい、ロットルフが黒人の彫刻を描いているなんてのを見ると、プリミティブアートの影響が看て取れますね。マックス・ペヒシュタインの「緑の家」、エーリヒ・ヘッケル「森の中の情景」、アウグスト・マッケ「公園で読む男」という木立の入った作品が、気に入ってしまった。光を表すのに、思いのままな色使いをしている、おもしろいなぁ。少し先の角に、見覚えのある、つるんとして、なで肩の彫刻、エルンスト・バルラハ作品、「うずくまる老女」という名が付いていました。それを観て、更に先にあるオットー・ディクス「自画像」に、新即物主義らしさを知り、それと並んで、 マックス・ベックマンの2つの作品(「月夜のヴァルヒェン湖」「恋人たち」)という贅沢さ。奥まったところに展示されている写真作品を観て、再び、エルンスト・バルラハのところへ戻ってきて、その向かいに置かれていた彫刻(石膏作品)を観て、びっくり! ケーテ・コルヴィッツの名があった。周りの人に聞こえたかもしれないけど、「え! ケーテ・コルヴィッツ!」を、2度言ってしまった。「哀悼」という、らしい苦汁の表情を持った頭部だけの作品。ケーテ・コルヴィッツの作品は、ハーゲンで覚え、その後、ケルン、ベルリンの専用のミュージアムで観てきたけれど、彫刻って、初めてかもしれません。いや、観ていて、忘れてるのでしょうね。もう、ここまでで、元を取りました。第2章は「ロシア・アヴァンギャルド―芸術における革命的革新」。「レイヨニスム」なんてタームを初めて知りました。平面作品が並ぶなか、アレクサンドル・ロトチェンコ「宙づりの空間構成 10番(光反射面)」だったと思うのだけど、天井から吊るされた物体に当たった光の影が、側面や床に映り、また、微妙に、その物体を回してるものだから、影が、微妙にずれていくといった、おもしろい作品もあったんだけど、空間分割など、かなり抽象化された作品群で、かなり困惑。第3章は「ピカソとその周辺―色と形の解放」と、大物感ということでは目玉のコーナーが用意されていた。「周辺」もですから、マルク・シャガール(妹の肖像)、マリア・ブランシャール(ランプのある赤い静物)、アメデオ・モディリアーニ(アルジェリアの女)、ジョルジュ・ブラック(水差し、レモン、果物鉢)、アンリ・マティス(静物)といった作品も展示。めっちゃ、大家が並んでた。ピカソでは、どうしても「アーティチョークを持つ女」。「アーティチョーク」が武器に見えてしまうということは、反戦の映画だと判明。やっぱ、著名な作品は、解説を読んで理解するに限ります。背後に、ぼかした灰色を使ってるのは、煙に見える、なるほど、戦禍が浮かび上がって来る。これらに次いで、第4章が「シュルレアリスムから抽象へ―大戦後のヨーロッパとアメリカ」、第5章が「ポップ・アートと日常のリアリティ」、第6章が「前衛芸術の諸相―1960年代を中心に」、第7章「拡張する美術―1970年代から今日まで」と、現代アートに向かっていく。メモる体力がなくなって来たので、割愛! 第5章には、ロイ・リキテンスタイン(タッカ、タッカ)、アンディ・ウォーホル(二人のエルヴィス)、ロバート・ラウシェンバーグ(アマガエル)といった、知った名前が出てくるけれど、あとは知らない作家さんばかり。この世界は、作家さんよりかは、作品ばかり、目が行っちゃいますからね。ただ、最後のコーナーに行くと、やたら既視感があるんだなぁ。各々は観てないはずなんだけど、それだけ、過去のものになっちゃってる、それが収集されてる感で、同じ時代を生きてる感が乏しかったなという印象。こういったミュージアムの名を冠にした展示会では、致し方なきことかもしれませんが。だからこそ、細かく、時系列的に分類をした展示になってるのでしょうが、最後の、最新のコーナーでも、そうだったのが、ちょっと惜しまれました。
 この展示会が3階フロア、もう1つの展示会が、その上の4階にあります。それが「令和4年度 第4回コレクション展」。既に、1回、行っていますが、展示替えがあってから行ってなかったのです。「珠玉の日本画」コーナーが、毎度、展示替えがされるので、「コレクション展」1回に、2回行くことにしています。今回は、明らかに、この後期の方が、圧倒的に魅力的でした。冒頭の2つからして、おもしろい。浅井忠「山姥と金時」と田村宗立「地獄休日之図」が、それら。山姥が若い女なものだから、金時が誘惑されてるみたいだし、「地獄図」は、えらく滑稽。いきなり笑かされました。その傍らにあった菊池芳文「桜花群鴉図」が秀逸。桜の木の堅固さが、目に焼き付きます。桜花や、気に集う鴉よりも。その重量感がいい。その重厚な作品を、またしても、滑稽画で挟むという趣向。次にあったのが幸野楳嶺「春秋蛙合戦図」。幸野楳嶺って、こないな絵も描くんだと知ったことも収穫。上村松園「虹を見る」もいいですな。薄っすらと出た虹、それを見上げる2人の女性、全体的に、とっても淡白。土田麦僊が2点、「罰」「大原女」。圧倒的に、前者がいい。3人の子どもの関係性、気になりました。この日の秀逸、もう1点、竹内栖鳳「若き家鴨」。金を散らした屏風に、水を飲む家鴨、その周りを歩く家鴨で構成。そのわわしい声まで聞こえて来そうで、童心に戻り、追いかけまわしたくなりました。木島桜谷もあり、「行路難」という作品、左隻と右隻の関係が不明な作品で、ちょっとがっかり。後半のコーナーでは、いきなり、梶原緋佐子「老妓」といった人物画があるかと思うと、その横の並びには、村上華岳「夜桜之図」という風景画、同じ風景画でも、川村曼舟「古都の春」の威風堂々感は、村上作品とは合わない雰囲気、更に、梶原作品の対面には、秋野不矩「カミの泉Ⅱ」といった雄大な風景画。これ、どこだろう? 川による侵食崖に下に、幾つかの三日月湖、それを、「カミの泉」と表した作品。インドとも思えないんだけど。どういった基準で配置されてるかが判らないコーナー。福田平八郎(緋鯉)や堂本印象(新聞)の作品もあったけれど、異彩を放ったのは、山口華楊「白露」、これ、いいなぁ。向日葵を描いています。かなり大きな作品、でも、向日葵だけ。しかも、2つの花は、もう花弁は散っているのに、傍らには、元気に陽に向かう花を描いている。重量感とともに、花を支える茎の力強さが伝わって来る佳品。気になったけど、気になったままだったのは、三木翠山「維新の花」、女性ヌード作品なんだけど、下半身は着物だけど、体躯が日本人離れをしている、で、「維新」とは、これ如何に、です。最後に、もう1度だけ、小出楢重のコーナーをチラ見して、展示室を出ました。


2022年 12月 23日(金)午前 6時 22分

 昨日は、夜に、今年最後の落語会に行く予定を入れていた日。12月だけでは、昨日が2回目。今月は、既に、交野での南天の会に行っていますから。1月には、京都市関係の会に2回行くことになっている。コロナ禍では、月1がいいところだったのが、増加の傾向。誠に、結構なことです。そんな予定だったものだから、午前中のウォーキングは通常通り。落語会への往復を、夕方のウォーキング替わりとして、ほぼ、普段のウォーキングの量を確保。お出かけは夕方からだったので、午後の一時は、ほぼ普段通り。昨日は、オペラ配信のお世話になりました。既に視聴を始めていたスウェーデン国立歌劇場の「ナクソス島のアリアドネ」の続き観ることにした。作曲家(ヨハンナ・ルードストレーム)とツェルビネッタ(ゾフィー・アスプルント)にいい歌手を配置しているので、聴きごたえはあるんだけど、プロダクションが、さほど特徴があるわけではなくで、つい、うとうとしながらの視聴となりました。2幕に入ると、1幕ではスクリーンに使われていた、大きな板状のものが後ろに倒され、そこにできた空間が、芝居の舞台になるといった体。おもしろ人型を出したりという工夫も観ることができるのだけど、総じて、なんか物足りない。道化一座の動きが平板だからかな。あと少し残っているけど、あまり新味がないかなといったところ。
 夜の落語会は、京都府立文化芸術会館の和室へ。こちらで、「第99回桂米二臨時停車の会」がありました。昨日は、主催者の米二が、ごく最近、ネタ下ろしをしたという「高津の富」が出るというのに惹かれて行ったのですが、フェードアウトして見ると、いい番組です。それは、次のようなものでした。二豆「明石飛脚」、二乗「禍は下」、米二「厄払い」、(中入り)、米二「高津の冨」。米二一門「男組」「京都組」で、番組が作成されていました。「厄払い」で登場した米二、冒頭、「二葉がいないと空いてます」と、コメント。そんななか、弟子の2人が出したネタは、ともに米二の持ちネタじゃないのが可笑しい。「明石飛脚」は、アホげなネタ過ぎるからでしょうか、普段は、そうは出ないネタ。がために、いつものように、終わってないのに拍手をしてしまうということになります。「まだ、終わってません」がギャグになる。最後は、「ここが終わりです」で、ギャグ落ち。二豆の走り方が、黄紺的ツボ。僅かに上向きで走る格好。小太りの二豆だから、そうなるわなと思うと、可笑しくって。「禍は下」は、東京の「権助魚」。「権助魚」は純なる滑稽ネタだけど、「禍は下」の方は、どこかしら風情がある。家を出ると鳴り物が入り、お手掛けはんの家の前のやりとりは滑稽だけど、なんとなく、暗い風景が思い浮かぶ、二乗の口演がいいから、そういった風景が思い浮かぶのだろうけれど、そういった可能性を潜ませているネタということで、「権助魚」とは異なる。定吉が帰って来たときのお店の大きさも感じた。やっぱ、二乗が優れ者だったということですね。季節限定ネタになる「厄払い」大好きです。民俗的風景を活写しながら、アホが生き生きしてる。甚兵衛さんも、世話を焼きながら、アホさかげんに怒ってしまうアホ、でも、甚兵衛さん、また、世話を焼くんでしょうね、このあとも。最後の障子を閉めての口上の場面、大好き。「厄払い」を持ちネタにする人が少ないものだから、余計に聴ける機会を逃したくない気になってしまいます。「高津の富」は、どうしても、6代目が思い浮かぶネタ。だからか、米朝師も、ほとんど口演をしてない。ネタ下ろしをするとき、米二は、自身のブログに「師匠は、録音のためにだけ、口演をした」といったことを認めていた。そのおかげで、今回の口演も聴けたということなのでしょう。序盤の空っけつのおやっさんの語りが、めっちゃ気に入った。おやっさんの台詞にもある「ウソやと分からんのかなぁ」といったことを、繰り返す、頭に乗るおやっさんの調子がいいな、楽しんでる、このおやっさんの腹のなかが見えてきた。これで決まりました。6代目が思い浮かぶということなく、米二の口演を聴き続けることができました。最近、どうしても、加齢が出てしまう米二の口演だけど、昨日も、「厄払い」のマクラから序盤がそうだったけれど、この「高津の富」では感じなかった。いや、どんどんと快調になっていった。ええもん、聴いたな、ええ番組やったし、客席は空いてたしと、満足、満足。昨日は、昼間が暖かだったものだから、今、一番という暖かな恰好をして行かなかったため、急激に冷えた夜の帰り道は厳しいものがあったけれど、ええもん聴けたから、どうでも良かったね。昼間に、ちょっと嫌なことがあったけれど、すっかり忘れることができていました。


2022年 12月 21日(水)午後 8時 29分

 今日は、午前中は、まだ、明るく晴れていたのだけど、昼頃には、もう雲で覆われて行った日。気温は低いままだから、こういった雲の出る日って、嫌だよね。雨も、夕方のウォーキングの最後の方で、ポツンと来ていた。ま、そんなだから、ルーティンにしているウォーキングには、一切、障りはなかった。ただ、夕方のウォーキングの方で、珍しく、顎を出し掛けていた。暑い夏のウォーキング時に、よくあることだけど、この真冬には珍しい。それだけ、体力がなくなってきたということか。トルコでは、W杯が終わり、ようやく、普段のサッカーが再開した。まず、トルコ杯から、週末には、トルコ・リーグが再開する。いきなり、この土曜日には、フェネルバフチェがトラブゾン・スポルと対戦する。
 全く、お出かけなしの一日だったんだけど、そういった日を選んで、今日は、印刷の日にした。年賀状の印刷、韓国旅行用に作った資料の印刷、この2つだ。問題は、1年ぶりに使うプリンターが、支障なく動くかだった。なんせ、この2年は、この時期にだけしかプリンターを使わないものだから、順調に動くかが問題だった。ただ、去年の記憶だと、2~3回、ノズルのクリーニングをすると、あっさりと使えた。クリーニングをして、ノズル・チェックをすると、1回ごとに、目に見えて、きれいになっていくのが判ったものだから、高をくくっていた。今回も、端から使えると思っていないから、そのチェックから入った。ところが、なんか、様子が変。ノズル・チェックを印刷して確かめるのだけど、半分は、徐々に、クリーニングの成果が上がって来るのだけど、あとの半分は、全く、印刷されてこない。おまけに、クリーニングを繰り返しても、後半は、あっという間に終わってしまう。それが、半分しか印刷されてこないことに対応してるんじゃないかと、年賀状を、印刷用紙に印刷してみると、カラーインクの要る部分は、印刷されてくるが、文字の部分、ブラックのインクを使うところが、全くの空白のまま。この時点で、正直、このプリンターは終わったと覚悟した。もう、ノズルだけではなく、クリーニングの機能自体がやられてしまってるんだと思った。でも、助かったのです。ここで、印刷用紙に印刷したのが良かったと思っている。ノズルのクリーニングを、1度、たたんで、ダメだと思ったけれど、もう1度、クリーニングをしてみようと、再度、クリーニング機能を立ち上げたのが、良かったみたい。PC全体でも、よくある、おかしなことが起こっている場合には、リセットしてみる、これが、こちらの意図しないなかで、やってたってことのようで、クリーニングの様子が変ったのでした。半ばで、スルーするかのように、あっという間に終わっていたのが終わらないで、前半までと同じような時間をかけてクリーニングをし出したから、これは大丈夫かもの期待が出て来たので、ノズル・チェックを印刷すると、確かに、ブラックのチェックもやってくれていた。まだ、プリンターを買わなくて済みました。でも、大反省、1年間の放置は、時間の経過とともに、プリンターを傷めているということを、しっかりと認識しました。おかげで、余計な時間と、ハラハラを味わってしまったけれど、当初の予定通りの印刷が完了。それが、また、うまい具合に、いつもの夕方のウォーキングの準備に入る時間に合ったものだから、運がいいこと、夥しいものがありました。


2022年 12月 21日(水)午前 6時 7分

 一昨日、出かけることを考えながら、出かけなかった。それを、後ろに、ずらした場合、大概は行かないというのが、ここまでのお定まりコースだったが、昨日は、行こうという気になった。朝、目が覚めたときに、そう決めた。理由は、簡単、一昨夜は眠れたからだった。横になってから、1度も、目が覚めなかった。トイレに行くこともなく、腰の痺れで目覚めることもなく、こんなことって、最近、なかった。よく眠れたと思った途端、行くぞと決めた。やっぱ、いい気分のときには、前向きになっちゃう。そのお出かけは、朝から。メトロポリタン歌劇場のライブビューイングの「椿姫」(マイケル・メイヤー演出)に行ってきました。MOVIX 京都です。迷ったのは、既に観ているプロダクションだったこと、「椿姫」は、百ぺらぺん観ているからという理由。それでも、観たいと思ったのは、ネイディーン・シエラ(ヴィオレッタ・ヴァレリー)とルカ・サルシ(ジョルジョ・ジェルモン)を聴きたかったから。特に、ルカ・サルシを聴きたかった。前回の「メデア」で、絶讃するようなコメントが出ていたから。そのときまで、黄紺は、この人の名を知らなかったものだから、一緒に観ていた友人に聞くと、「かなり有名」だとの答えが返ってきてしまった。コロナ禍で、すっかり歌手陣の情報が滞ってしまったんですね、黄紺の場合は。それを取り戻したいの気があったのだけど、そのときに言い放った友人の言葉にも一理があった、「また、出るだろうから(急がなくてもいい)」、止めてもいいだろうという考え。でも、実際には行くことになりました。カメラワークが、ネイディーン・シエラをアップで撮り続けるというものだった。ホント、アップに耐えられる人で、演技にぶれがない。生で聴いているので、ここで流れてくる歌唱に、ウソ偽りはないのが判る、もう文句なしだった。ルカ・サルシは、歌唱よりか、その風貌に惹き付けられた。ヴェルディ・バリトンに相応しい、実に個性的な顔立ち、これは得をしている。次いで、歌唱も言うことなし、こりゃ、引っ張りだこだわ! 技も持ち合わせているのは、「プロヴァンス、、、」で判った。MCのルネ・フレミングが、「素敵なカンタービレ」と言ってた。確かに、その技は、その通りだと思った。けど、「プロヴァンス、、、、」でやられると、臭くない? 黄紺の耳には、明らかに過剰だった。いくら、パパ・ジェルモンが、マイペースでだけでしか動けない人物にせよ、傍らで、息子は、絶望に陥っているのに、横で、呑気にマイペースで歌っているところじゃないはず。マイペース男であるのは、歌詞で十分なのだから、そこにカンタービレを効かせられると、それも、これ見よがしだと、臭いと思うでしょ! だから、黄紺の耳には、ルネ・フレミングの言葉は、誉め言葉じゃなくて、皮肉のように聞こえてしまってました。当たってたら、怖い! 黄紺的には、「さすが、大御所!」と、ルネ・フレミングに「ほ~め~るぅぅぅ」なんだけど。主役3人のもう1人、スティーヴン・コステロ(アルフレード・ジェルモン)は、歌唱的には、他の2人ほど、抜きん出たものを持っているとは思わなかったけれど、この人、動ける、ホント、自然な演技のできる人、これも、凄かった。そんなで、歌手陣は言うことなし。問題は、プロダクションでした。マイケル・メイヤーの演出プランが悪いわけではない。既に、前回で、その仕掛けは読み解いたつもりだ。ロココ様式の装置&家具が、ヴィオレッタの「思い出の世界」、非ロココ様式が、「現実の世界(死を迎えている世界)」を表すという仕掛け。2つの様式を、舞台上に混在させ、現実と思い出の両世界を行き来するかのような構造になっていた。ところが、今回のプロダクションでは、それを壊そうとしていた、明らかに! マイケル・メイヤーの演出プランが難解だったのかなぁ、いずれにせよ、不評だったんじゃないかな、でないと、こんなことする?というほどの「改悪」だった。二項対立的な、2つの世界の対比を見せないようにしていた。前回では、二項対立を解らせようと、机&椅子を、各々、シンメトリーの位置に配置、そして、様式を変えていて、その違いを見せていた。机&椅子は、様式が異なることが判る足の部分以外は、同じ作りにしてあったが、今回は、机&椅子は、同じ作りじゃなかった、しかも、シンメトリーの位置に置かれてなかった。向かって、右の机&椅子は、後ろに下げられ、その前に、1人が座れる肘なしソファーが置かれている始末。背後に置かれていたピアノが、えらく小ぶりにしてあった。前回のピアノは、透明の胴で、ピアノの中が透けて見えていた記憶。えらく目に着いた。周りの調度品や壁の装飾とは雰囲気を変えて、目立つようにしてあった。ロココ様式であることを解らせる手だと、黄紺は思った。背後の壁には、ロココ様式特有の髭のような形の金属で作られた植物文様、これは残った。でも、2幕の冒頭、舞台前面に、上から降ろされた壁と同じ装飾はなかった。舞踏会の場面(博奕場面のある方)になると、上から、細かな葉を連ねたものが降りて来た。その辺を含め、MCのルネ・フレミングが、美術担当&衣装担当にインタビューしていた。装置担当じゃなくて、美術担当だって! 明らかに、既にある装置をいじってやった的な露悪的なインタビューだと思った。衣装と併せて、「四季を表した」と言っていた。このオペラの出来事は1年間のもので、1幕は春、2幕前半は夏、同後半(博奕のある舞踏会)は秋、3幕は冬というわけだ。二項対立は無視して、時系列を持ち込んでしまった。もう、ずたずた! こんなことってあるのですね。気に入らないのだったら、さっさと、新演出にすれば、いいのに。契約上、問題にならないのかとすら思いました。そんなで、目撃者になったので、行って良かったとは思う一方、そんなのの目撃者になっても、嬉しくないよなという方が勝ちます。
 昨日は、昼食を、三条通からちょっと入ったところにあるタイ屋さんで食べるつもりだった。メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観たあと、よく言っていたお気に入りの店だった。夏前にはあったが、消えていた。夏前までもったのに、なんてこと! がっくり来て、もう家で食べようと思い、その通り(御幸町通)を、そのまま南下。すると、「Kumpir」の文字にびっくり! 思わず、「クンピル!」と素っ頓狂な声を上げてしまった、しかも、2回も。黄紺は、トルコで食べたことがないけど、散々、その看板は見てきた。「ん? トルコ食じゃなかったのか」と、そのときは思ってしまった。人が群がっていたので、買うのは止め、じろじろ見してから、立ち去ったのだけど、帰宅後聴いた「まーぶる」で、何と、この店、取り上げていた。ラジオカーのレポートで、この店、行ってた。間違いなく、「トルコ食」だった。オーナーがトルコに行ったときに覚えてしまったのが原因で、できたお店との解説が入ってた。で、黄紺のお昼は、もう少し下がったところで、ヴェトナム屋さんがあったので、そちらへ、結局は入った。アジア・キッチン的なお店だったけれど、確かめると、ヴェトナムが基本だったので、ガッパオ、パッタイといったタイ飯もあったけれど、フォーにしておいた。ここは、今後、メトロポリタン歌劇場のライブビューイング帰りのときの定番のお店化しそうだな。これが、黄紺の、コロナ風以後、初めて、お一人様での外食となりました。息子らとは入ってたけど、一人では、初めてでした。
 「まーぶる」は、クンピル・ショックが大きかったけれど、二葉を通して観る落語界は、新ネタというものはなかった。二葉絡みの、繫昌亭大賞受賞、兄弟会で師匠米二に電話をしたわけ、昨日の放送後、東京に向かい、かなり知名度の高い番組に出る(番組名は非公表)、こういったことが、トピックになってた程度でしたね。


2022年 12月 19日(月)午後 8時 27分

 真冬に入ったとは言え、まだ12月。なのに、もう1月末以後の極寒の寒さに入ってしまっています。今朝は、零下じゃなかったのかな、確か。朝、起き上がってから、暖房が効くまでが大変。去年まで、こんなことしてなかったと思った途端、思い出した。布団の中で、暖房が効き出すまで、ほんの数分、待機していた。そんなことも、忘れてしまっていて、今年の冬は只者ではないほど寒いと思ってるのだから、変すぎます。今日は、予定表には入れていたものがあったんだけど、週末に、連続的に出かけたものだから、今日は止めにした。来週になると、お出かけも減るだろうから、そちらに回せるものは回してしまおうの魂胆だけど、回せないものを回してないか、ちょっと不安。そんなで、何もなしの日にした。丸1週間ぶりのことだから、久しぶり感がある。昨日、こういった日にしたら、年賀状の印刷やら、韓国旅行用に作った資料などを印刷しようと考えていたことを、夕方になって思い出した。まだ、日にちがあるからいいものを、こういったことやってしまうね。最近、やってしまっても、悔しさが湧かない。もう当たり前化してしまってるということですな。
 すっかり忘れていた替わりに、お出かけなしにしたときから、最近、時間が取れていなかったオペラ配信を観ようと考えていた。印刷が、呆気なく、化けてしまったてことだ。エクサンプロヴァンス音楽祭の「皇帝ティトゥスの慈悲」を、居眠りしながらも半分観てから、かなりの日が過ぎていたけれど、しっかりと覚えていた。ダヴィッド・マクヴィカーものということもあり、観る前は期待が多かったのだけど、とっても、ありきたりと言っていいプロダクションだった。だけど、「皇帝ティトゥスの慈悲」は、そんなにも多くの映像を観れるわけではないので、忘れることはできなかったのだ。でも、プロダクションの基本が変わるわけではない。横スライド方式で、幾つかのユニットに分かれた装置を出入り、動かしたりとで、変化を出して行こうとするものだけど、その移動させるパーツというのが、物語の舞台となっている古代ローマを想起させる柱、壁、階段といったものだから、ありきたりと書いたのでした。動きやキャラ付けで、何か気になる、ないしは斬新なものがあったわけでなしということで、どんどんと流れて行ったというところでした。歌手陣の充実が、結果、最大の収穫といったところでしょうか。黄紺も知るグレゴリー・クンデがタイトルロールを、また、かつて、ダヴィッド・マクヴィカーのものの白眉「ジュリオ・チェザーレ」でタイトルロールを歌ったサラー・コノリーが歌っていました。もちろん、セストです。次に選んだのが、最近、配信が始まったスウェーデン王立歌劇場の「ナクソス島のアリアドネ」(カタリナ・ジャッケルン・センブ演出)をピックアップ。R.シュトラウスものが、もう1本あったのですが、軽めの方から観ることにしたというわけです。歌手陣の一覧を見ても、知っている人は誰もいなかったのですが、指揮を、何と、アラン・ギルバートとなっていて、びっくり。元ニューヨーク・フィルの常任だったいうイメージが強いものだから、オペラを振っているとは思っていなかったので、それもあってのピックアップ。ニューヨーク・フィル退任後は、ドイツで振る機会が出てきていたのは把握していたので、となると、やっぱ、オペラとなるのでしょう。このプロダクション、まだ、冒頭の30分も観れてないんだけど、人の出入りの多い1幕の交通整理を巧みにしているのが目立つなと思っています。それと、正面奥にスクリーンが設えられており、そのスクリーンは、奥の全面の壁に組み込まれていて、その後ろを歌手に動かせ、そのシルエットだけが見えるようにしてあるという工夫がおもしろい。また、壁には、幾つもドアが付いていて、舞台上に絡むときだけ、そのドアが開いて、歌唱に加わるという工夫。そのドアを閉めれば、あっさりと、舞台から消えることができます。また、スクリーンにシルエットを映すことで、次の出を、そこに写すこともできます。今のところ、そういった小手先の芸が冴えてるなという印象を持っています。で、後半はどうするのという問が、頭に浮かぶものだから、芸が冴えてるという誉め言葉を出すのは早計かもしれませんね。今後を、乞うご期待という気持ちは持てています。
 あとは、YouTube三昧ですな。どうしても、旅系YouTuberの動画を観る機会が多くなってしまっています。これでも、わりかし国内旅ものも観ています。それと、今は、神田伯山が、新宿末広亭の夜席トリを取っているので、恒例の楽屋風景を出してくれているから、外せないですね。そして、何よりも、月曜日の夜は、米朝事務所チャンネルを観るのは定例化してしまっています。


2022年 12月 19日(月)午前 5時 45分

 昨日は、一層冷え込んだ。真冬の一番寒い日という感じ。気温も零下になったかもしれなし、今朝の天気予報では、零下、最低気温が、そして、そのまんまの零下。そんな寒い寒い日が続く。昨日は、午後にお出かけ予定が入っていた上に、昨日の日曜日は、いつものように朝に「日曜美術館」を観ることができた。お題は「青の彼方へ イヴ・クライン 現代アートの先駆者」、また知らない作家が登場、今回は、最近は、あまり対象とされない外国のアーティスト。「現代アートの先駆者」なんて、タイトルは、黄紺的にはそそられてしまう。イヴ・クラインという人、登場したのは戦後。1950年代から製作を開始して、活動期間は僅か。その時代は、戦争による破壊を目の当たりにして、再生に向かっていった時代。柔道仲間の3人と、「世界の3分割」をして、イヴ・クラインは空を取る、空は宇宙空間に繋がるとの発想から。その空間が青、その青い空に署名したのが、最初の作品。「青」が、作品を覆っているのが特徴だそうです。その作品群を集めた展示会が、金沢21世紀美術館で行われているということで、普段のMCの2人ばかりか、後半には、俳優の水上恒司も登場して、同美術館を回っていました。番組で紹介された作品をメモっておきます。①レアンドロ・エルリッヒ/スイミングプール②人体レリーフ(金の背景に浮いた青い人の像3体/空・空気・大地、柔道仲間の型を石膏で取る)③青のモノローム(インターナショナル・クライン・ブルー、青は非物質的な色、時として掴むことのできない色、空に繋がる色)④人体測定(人拓、手の洞窟を思わせる)⑤人体測定(体の部分が白く残る、ヒロシマの影にインスパイア)⑥無題(炎を使った製作、1952年に1年程、日本に滞在、柔道に熱中したため、帰国後、原爆のドキュメンタリー映画に写った死の人影に衝撃を受けたもの、炎をキャンパスに吹き付け、すぐ横で消化、火と水という非物質的なものを使う、作品に火を用いたのは初めて⑦空拠展(1958年、パリで個展、空虚に満たされた力とカミュは評した)⑧空虚への飛翔(建物から外へ跳びだす瞬間を捉えた画像、「ディマンシュ」に掲載して配布)⑨ピュア・プルー****(使ったブルーの染料を展示、宇宙の色をした大地)⑩人体測定の製作映像(音楽の演奏付きで製作、「“非”に対する憧れ?」と水上は言ってた)⑩布施琳太郎作品(グーグルマップを作品化、非物質的画像データから物質的なものを引っ張り出そうとした、これはイヴ・クラインとは逆の手⑪ハルーン・ミルザの作品。
 午後のお出かけ先は、京都市学校歴史博物館。今、こちらで「新校舎のはなやぎ―京都の学校ゆかりの美術―」という企画展が行われているのですが、昨日は、それに合わせての講演会があったのです。お題は、「京都の学校建築と美術―新しい校舎を飾る祝いの絵画―」というもので、お話をされたのは、同館学芸員の森田淑乃さんでした。新たに入られた美術専門の学芸員さんです。お話は、同博物館の由来、その背景となる、番組小学校の伝統について、簡単にお話をされたあと、今回の企画展で取り上げられた絵画作品の内から数点ピックアップされて、その作品概要、作品寄贈のきっかけとなった祝い事の紹介、作家の紹介となりました。取り上げられた作品は、次のようなものでしたが、講演後、展示室を回り、納得、目に付くものを、さすがに選んでおられました。黄紺がピックアップしても、同じ作品を取り上げるかもしれないなと思われるものばかりでしたが、京都は、番組小学校の伝統もあるのでしょうが、京都画壇の大家が、自らの作品を、地元の学校に寄贈しています。これは、大変な財産ですね。講演で取り上げられた作品は、次のようなものでした。①小西福年「旭日波濤図」(元開智小学校蔵)②太田喜二郎「麦秋」(元桃園小学校蔵)③木島櫻谷「富嶽瑞雪」(元明倫小学校蔵)④川村曼舟「旭日桜花図・月波濤図」(元本能小学校蔵)⑤西村五雲「油断大敵」(元本能小学校蔵)⑥中村大三郎「紫式部」(元成徳中学校蔵)⑦中村大三郎「菅原道真」(元成徳中学校蔵)⑧池田遙邨「海辺の風景」(元梅屋小学校蔵)⑨柳原紫峰「栗鳩図」(元梅屋小学校蔵)。これら以外で、黄紺的お気に入りは、⑩天野方壷「墨竹図」(元竹間小学校蔵)⑪榊原始更「滝図」の2点。これら以外でも、久保田米僊、入江波光、堂本印象、梶原緋佐子、竹内浩一、宇田荻邨、鈴木松年、千種掃雲といった錚々たる顔ぶれが並んでいました。①④は、正に祝い事を表象する吉祥もの。④は二幅の作品、左右の決定打は、それらを掛けた写真を掲載した記念誌が残っているから。②は、印象派なんかでおなじみの点描を使った作品。③は、先日の「富士山図屏風」に次いで、櫻谷の富士山もの、今回も魅せられてしまいました。今回は頂上部だけのドアップという風情。その部分だけでも、富士の雄大さが体感できると言えるほど、生々しい迫力。⑤は、ウサギとカメの物語を絵にしたもの。お話をなさった学芸員さんのツボだったそうです。⑧が、なかなか爽やかでいい、何気ない海岸風景を描いただけなんだけど、対角線を使い、上手く遠近感を出している。⑨に描かれた鳥の羽、栗の棘と言い、絶妙な細かさに目が吸い寄せられてしまう。⑩は水墨画、右半分以上に描かれた群茂する竹葉の盛り盛り感の迫力が凄い。⑪の榊原始更は、榊原始峰の弟、中央に縦一本で描かれた滝の白さが、周りの色合いとのバランスで、やたら際立つ、それだけ、滝の水の勢いが迫る。第2展示室を使っただけの展示、絵画の合間を縫い、関連の学校の記念誌などが並ぶ。廃校になった小学校も多く、そういった学校は、閉校記念に学校所蔵の作品リストを作るんですね。そういったページが開けられていたり、かつて、絵画が置かれていた証拠写真があったりと、狭い空間に、とっても濃密な展示が行われています。今回は絵画作品ばかりでしたが、陶磁器や書といったものも、多数、所蔵されているはずですよね、絵画作品も、数では、こんなものじゃないはずですから、こういった企画展、続けて欲しいものです。


2022年 12月 18日(日)午前 5時 28分

 昨日は雨の土曜日。天気予報通り、午後から降りました。だから、午前中は、冬の寒々とした曇天。でも、試しに、一昨日までと同じ格好で、しかも、午後のお出かけがあったので、いつもより早めにウォーキングを始めたんだけど、寒さは変わらなかった。上に着るのは、この間、ずっと愛用している薄手のウインドブレーカーのまま。でも、このウインドブレーカー、保温が、しっかりと効くので、暖かなところで暖まった体の温もりを保ち、ウォーキングを始めると、体は火照って来るので、また、温もりが追加され、それを逃さない、そんな仕掛けが働いているようで、冷え込む前と同じ格好で出歩いている。午後のお出かけ時も、そのまんまで、大丈夫だった。まさか、この恰好では、さすがに韓国は行けねえだろうなと、呑気なことを考えています。
 今週末は、京都市絡みのイベント、3連続です。既に、一昨日の人権映画は、南区の人権協議会だったかな、そういったところの主催。昨日は、アスニー京都主催だから、もちろん京都市。今日も、京都市立の施設主催のイベントに行く予定と、すっかり地域密着の生活となっています。で、昨日は、アスニー京都でのコンサート。毎月1回、京都市響のメンバーが多いかな、そうでもないかな、知らんけど、とにかく昨日は、京都市響のコンマスの泉原隆志さんのヴァイオリンリサイタルでした。昨年度は、この泉原さんと小谷口さんのコンサートと2回行ったけど、今年度は、この1回でお終いの予定。もう1つ、行きたいのがあるんだけど、既に、他の予定が入ってた。昨日のコンサートは、ピアノ伴奏に河内仁志さんを迎え、次のような、おもしろいプログラムが組まれました。「ピアソラ:タンゴの歴史“Bordel 1900”“Café 1930”“Nightclub 1960”“Concert d’aujourd’hui”」「ガーシュイン:3つの前奏曲」「R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ」。このコンサート、冒頭から、曲の合間に、泉原さんのトークが入るというもの。その中に、曲目解説が入る。ピアソラは、コンサートでは、後半に持って来るものと言われ、確かに、空気を変えるのにはいいので、プログラムに変化をもたらすには、とっても好都合なことから、そう言われたのだと思います。でも、それを最初に持ってきた。それを、ようやく、フルで入れるようになった会場に、明るさをもたらしたいからという意図だったそうです。ピアソラは、2曲目、3曲目が、なじみのあるタンゴの世界、1曲目は、まだ、そこにも至っていない、だから、違いを意識してしまう。4曲目も、今度は、違った形でなじみのあるタンゴから現代音楽風味が先行してしまうという、なかなか変化を伴う、おもしろい曲でした。ガーシュインの曲は、元来、ピアノ曲だそうです。河内さんは、1曲目を演奏したことがあるとのコメントが入りました。それ、ハイフェッツが、ヴァイオリンで弾けるようにしたとか。泉原さんの言い方では「ジャジーな曲」。2曲目の気怠さが、却って、いい雰囲気出しています。どっちにしてもアメリカだけどね。そして、最後にR.シュトラウスを持ってきた。昨年はフランクだったから、大奮発です。泉原さん、「有名で定番の曲だけど、ポピュラーじゃない」、正に、そのまんまで、昔は、コンサートですら、なかなか取り上げられなかった。今や、コンサートのメーンとしては、フランクやブラームスを凌ぐかもしれないなと思うほど、よく出る。でも、世間じゃ、知られていない。泉原さんは、演奏するのが難しいということも言われていました。言われてみると、確かにそうだと思います。後期ロマン派どっぷりの息の長いフレーズは、どういった音楽にするかだけじゃなくって、腕力的なフィジカルな強さも求められるように思いますね。それにつけても、R.シュトラウスは、きれいなメロディを、次から次へと思いつくものです。特に、この曲は、そう思ってしまいます。かつて、こんなにきれいな曲、コンサートでは出ないなと思っていた時期がある、ところが、あっという間に世間を制覇してしまったという印象。泉原さんの演奏、総じてムラがあったな。息の長いフレージングにせよ、細かく刻むリズムにせよ。音の伸びとかは、会場のせいにもできるけど。そうかと思うと、途端に復活して、伸び伸びとしたいい響きが続いたりと、要するにムラを感じてしまってました。一方の河内さんは、そういった印象ではなかった分、もっと大きく弾けば、いい感じになるのだけどと、R.シュトラウスでは思ってしまってました。プログラム自体が短めだったので、アンコールは2曲、それが済むと、あっさりと照明を点ける事務的な対応に、雰囲気、台無し。コンサートには余韻というものがあるんだけどな。特に、メーンがR.シュトラウスなんで、そんなことをするセンスの悪さに、唖然とするしかなかったな。


2022年 12月 16日(金)午後 11時 36分

 今日は、午後に映画を観る予定を入れていた日。だから、午前中は、少し早めに出かけてのウォーキング。夕方のウォーキングは、その映画への往復を充てるといったことで、日ごろの量を、ウオーキングで稼ぐことができました。もう完全に真冬ですね。それにも拘わらず、そこまでの恰好では出かけていない。まだ寒くなるの気持ちが先行してしまってます。で、お出かけ先は、京都駅前のアバンティ9階にある龍谷大学響都ホール校友会館、落語会も開かれることもあるのですが、初めて行くところ。350名ほどを収容するいい感じのホールでした。今日は、こちらで、「南区人権映画“梅切らぬバカ”鑑賞会&映画監督によるスペシャルトーク」というイベントがありました。12月には、人権週間が入るということで、各区で似たようなイベントがあるので注意しているのだけど、なかなかスケジュールと合わなくて、1回、こういったイベントに行ければラッキーかなと思っています。特に映画会だと、この1年に上映された映画の佳品を観ることができ、すっかい好物になってしまっています。「人権映画鑑賞会」と銘打たれたイベントで上映される映画って、準備の段階で厳選されているのでしょうね、ホント、いい作品に遭遇できます。「梅切らぬバカ」という作品も、このイベントがあるまで知らなかった作品だけど、狙い通り、期待通りの作品だったと思います。それ以上に素敵だったのは、上映後のトーク。和島香太郎監督を迎え、この映画会の企画に当たられたと思える京都映画センターの方とのトークが、とってもいいもので、会場からの発言も、お一人を除き、共感を生むもの、そうはないトークショーになったんじゃないかな。主催者の丸投げ感は、残念ながら拭えないところもあったけれど、真摯な監督の言葉に触発された会場からの発言もあり、とってもいい感じのイベントとなっていました。映画は、自閉症の男性忠男と二人暮らしをする母親と、その周囲にいる人たちとの触れあい、軋轢を描いたもの。それを象徴するのが、題名にもある梅の木。狭い街路に大きく梅の枝が伸びている。忠男には、「死んだ」父親を思わせる存在。でも、近所の人が道を通るときには邪魔になる。母親は、自らの死後を考えてるのでしょうね、忠男をグループホームに住まわせようと努める。でも、周辺住民は迷惑と反対運動を起こす。忠雄親子の家の隣に引っ越してきた家族は、父親と母子との関係がぎくしゃくしている風情。父親は、反対運動をする周辺住民を象徴する人物。それは、妻や子どもに対する態度にも現われている。そういったなか、忠男と親しくなったお隣さんの子どもが事件を起こしてしまう。反対運動を高揚させる契機になる一方、お隣さんとの解りあう契機にもなる事件となります。ラスト前、お隣さんのご主人と忠男が、一緒の食事のテーブルに着く場面、そこで、二人が、名前を名乗りあうという素敵な場面が用意されていました。個と個が向き合えないようにさせている関係性が差別、偏見を生んでいるということを示す、素敵なシーンでした。監督は、この映画を撮るようになったきっかけを話されていましたが、それは、ある障がい者を追うドキュメンタリー映画の編集の仕事をしているとき、端からカットを求められたシーンがあり、それは、周辺住民の写っている映像だったという経験に由来すると言われていました。そこに軋轢があったためだということなんだけど、じゃ、それを映画にしようと思ったということでした。次に残ったことは、監督自身が癲癇発作の持ち主だということでした。共感をお覚えるような場面があったということで、自分の生きて来た道を重ねようとしていることに、この映画の重さを感じました。もう一つ、この映画は、忠雄を役者さんが担当しています。近年、こういった映画では、障がいを持つ人自身が役を演じることが出てきている中で、なぜ役者にしたのかという質問に対して、周辺住民との軋轢をテーマにしているので、映画の中で演じられた圧力が、障がい者本人のトラウマにならないか懸念したからと言われていたのが、印象的でした。映画を観終わったあと、どうしても、「その後」が気になりました。「親亡きあと」と、よく言われます。それは、観る者が考えろというメッセージなのか、監督自身が思案中なのか、いや、求めようとして解答のないことというメッセージなのか、考えさせられますよね。主演は母親、それを演じたのが、なんと加賀まりこ。実年齢は78歳と、Wikipediaに書かれていました。気丈で、優しい、でも、本業の占い師になったときの応対は、実に明晰。当初は気づかなかったのだけど、気づいてしまうと、自分の中にある「加賀まりこ」フィルターを通して観てしまっている。なかなか、道険しということですね。


2022年 12月 16日(金)午前 7時 23分

 昨日は、午後と夕方に、オンライン配信でのシンポジウムを視聴する日だったのだけど、失敗続き。ウォーキングの方は、それらを睨み、上手い具合に、時間の案配はできたのだけど、各々で気に沿わないことが起こってしまった。午後の方では、いつものように寝落ち。3本あった講演の3本目で、意識下になかったところで、途絶えてしまっている。夕方の方は、PCの調子が悪く、開会時間より、約20分の遅刻でアクセスする始末。1本目の講演は終わっていました。そんなで消化不良もあるのだけど、各々が楽しいものだった。そんなことがあったのだけど、メモできるはんいのことを記し、記憶に留めておこうと思う。
 午後の配信は、気象庁の主催したもの。「令和4年度 気候講演会“気候変動への対応~うみべのまちづくり~”」というものでした。久しぶりに、気候変動関係のものを押さえることができました。どうも、他のこととバッティングする傾向があります。そのプログラムは、次のようなものでした。講演①「沿岸域に関する気候変動の観測成果と将来予測」(笹野大輔/気象庁大気海洋部気象リスク対策課気候変動対策推進室 気候リスク対策官)、講演②「気候変動等に対する国土交通省港湾局の取組」(伊藤直樹/国土交通省港湾局海岸・防災課 課長補佐)、講演③「沿岸防災・減災に関する最新の気候科学的知見」(森信人/京都大学防災研究所副所長・教授)、パネルディスカッション(参加者:森信人/京都大学防災研究所 副所長・教授、栗原剛/東洋大学国際観光学部国際観光学科 教授、東洋大学国際観光学部国際観光学科学生代表、伊藤直樹/国土交通省港湾局海岸・防災課 課長補佐、笹野大輔/気象庁大気海洋部気象リスク対策課気候変動対策推進室 気候リスク対策官)。講演③は、オンライン参加で行われたものだったのですが、これが寝落ちしたもの。パネルディスカッションは、学生さんの発表だったので、途中で視聴を止めることにしました。だから、結果として、自分のメモに残っているのは、先の2つの講演となります。まず、①から、こういったシンポジウムで、よく耳にする、気候変動をデータで示していただけるというものでした。「年平均気温では、日本は、世界の平均を上回り上昇している」「日本近海の海面水温の上昇は、大陸に近いということの影響を受けている可能性がある、大陸の気温上昇率は高いですからね」「海洋は、大気に比べ熱容量が高い(温まりにくく冷めにくい)ので、エネルギーの増加量の91%が海洋に蓄積」「海洋の熱容量のため、温暖化防止の排出シナリオ通りに進んだとしても、海洋の昇温は、その後も続き、落ち着くのにタイムラグがある」「海面水位の変化は、過去100年間が、過去3000年間のどの100年間よりも高い、その原因は、人間の影響であった可能性が高い」「海面水位の変動原因の50%は、海洋の熱膨張、よく言われる氷河の融解より高い」「暖められた空気は密度が小さくなる、即ち、体積が増えるから、熱膨張という現象が起こる」「海氷は溶けても海洋の水量は変わらない、元々、海のものだから、でも、氷河・氷床は、元々は陸のものだから、これが溶けると水位が上がる」「21世紀を通じて、海洋水位が上昇し続けることは、ほぼ確実、今後、数百年、数千年、上昇することは避けられない」「海面水位の上昇は、地球全体で一様ではない、風の影響などで、偏りができる、“海面は凸凹している”、日本周辺は、世界の平均と同程度の上昇」「台風の発生数や日本への接近数・上陸数は、長期的な変化傾向は看られない、ただ、北太平洋地域では、非常に強い熱帯性低気圧が増加している」「高潮の原因は、低気圧による吸い上げ効果(気圧が1hPa低下すると海面は約1㎝上昇)と、強い風による海水の海岸への吹き寄せ効果による」「日本沿岸の高潮の発生数や大きさは長期的な傾向は看られないが、将来については不確実性が大きい」。次いで、②についてだけど、最近の台風被害の情況、高潮・高波によるものを個別に、また、過去の大台風として知られる第2室戸と比較しながらのお話。それに対するロードマップのような計画を示していただいたのだけど、膨大な内容をまとめて示されると、残らないものです。ただ、港湾等を守る水門は、かつて、大阪市内のアーバン・ウォーキングをしていたおかげで、その実物を、各所で目にしてきたものだから、とっても実感あるお話でした。その取り組みは、水門を設けてるだけではなく、GPSを使った水位監視を始め、港湾、及び、その後背地を守るシステムを紹介されていました。また、海上輸送ネットワークの確保のシステムも話されていたけれど、細かくて、頭に残ってないよ! 報告のせいにしています。こういったお話って、自分に身近かどうかですね。水門ネタになると、やっぱ、実物を見て、あまりにもの巨大さに驚いた経験が生きており、関心がそそられます。港湾の耐震システムを取り上げられても、大事さは言葉でしか理解できないので、具体性までたどり着かないね。
 夜の配信は、立教大学異文化コミュニケーション学部主催の公開講演会「自分事として考えるロヒンギャ難民問題」。「ロヒンギャ」、ニュースでしか聴いたことなかった。ミャンマーで迫害を受けている人たちというくらいしか、知らなかった。黄紺が、PCが動かないため悪態をついている冒頭の20分程の間に、「ロヒンギャ難民問題」の概要について、解説があったようです。ようやく繋がってから聴いていると、そういった風に感じた。これ、黄紺にも要った。だって、ロヒンギャの迫害の原因すら知らなかったのだから、この人たち、ムスリムだった! 仏教国で、軍事政権の強権下での迫害だった。だから、軍事政権だから起こった問題ではなかった。バングラデシュへ100万人規模で逃れているということも、そうだったな程度の知識しかなかったけれど、ムスリムだったからバングラデシュなんだと、ようやく知った。黄紺がアクセスできた時間帯には、既に、長谷川瑠璃華(在日ロヒンギャ難民、ロヒンギャ語翻訳家、無国籍ネットワーク理事)さんのお話が始まっていた。日本で珍しく、難民認定を受けている人、父親が教員をしていたが、ロヒンギャへの迫害が起こり、ミャンマーを逃れてきたというようなことを言われていました。この人、とっても切れる人。お話のポイントが明確で、問いかけに対する応答も切れ切れの方です。子どもが5人いるということもあり、子どもの教育、子どもを抱える親の問題と、判りやすい。妊娠をした女性が、定期健診を受けると費用が嵩むと、出産間近まで病院に行かなかった、間近な時期に来られた病院も困った、その間に入った人たちがいたようだけど、これ、強烈でした。ムスリムだということで、学校給食が食べられない子ども、子どもは、解らないから、何でも食べてしまうから、学校給食を食べさせないために、日々、弁当を用意、それを、学校給食のメニューに合わせて、同じものをヒラールで作った弁当を持たせて登校させていると言われていました。言葉の大切さ、言われていました。将来、戻るところはミャンマーだということで、ロヒンギャ語だけではなく、ミャンマー語も教える必要性を強調されていました。アイデンティティとともに、生きるための手段ということのようです。次いで、加藤丈太郎(武庫川女子大学専任講師)さんのお話。渡日してきたベトナム人問題に関わってこられた方です。「移民・難民との共生に向けて~私たちにできることを考えて~」というお題でした。「移民・難民の定義」「移民は、当該国に12ヶ月以上滞在している人たち(国連の定義)」「安倍内閣で、日本は移民政策を執らないと言明している、その一方で、即戦力となる外国人材の受け入れを行う」「在留外国人は、コロナで一時的に減少したが、今年に入り、過去最多を記録している、人口の2.37%」「国籍別では、長年、中国、韓国の順だったが、この3年間で、ベトナムが2位に上がった、技能実習生が多いから」「スイスの小説家マックス・フリッシュの言葉“我々は労働者を求めたが、我々が迎えたのは人間だった”、これ、いい言葉だ! これ、1965年だって! 日本は50年以上、遅れてる!」「難民の定義、日本における難民の歴史」「難民認定申請者数と認定数」「難民認定制度の課題の1つとして、“入国管理”を行う者が同時に“難民認定”を行っている点を挙げておられた」「ロヒンギャの難民認定を他国と比較」「ただ、ロヒンギャに関しては、緊急避難措置として、在留資格“特定活動”で認めている、但し、これは、国軍のクーデターに伴う措置」「まとめとして、移民・難民受け入れに対し、“いつまでペンディングを続けるのか”と言われていました」。講演後、Q&Aがあったのですが、「今、何ができますか」という問いかけに、加藤さん、「新大久保の同じお店に、5回でいいから通って下さい、違った時間に行くと、そこに集う人たちのいろんな面を観ることができますから」、これは笑った、自分的には受けた、喝采という意味で笑った。そうだよね、集まって来るんだよね、そこで違う空気、もし、話されていることなど知れたら、最高だよね。東京に居ながらにして、“立教から30分以内で行けるところ”で学べる。いいセンスしたはります。このオンライン配信は大ヒットでした。とっても、勉強になった、ホントに。


2022年 12月 15日(木)午前 7時 17分

 昨日は、一段と寒くなった。もう、真冬の気温になりつつある。この寒さが来ると、急に、年明けの韓国行が心細くなってきた。足の指の具合が、一昨夕から良くないし、ま、これは、午前中に収まったけれど、不安材料を抱えけていると、どうしても、嫌なことがあると増幅されてしまいます。で、昨日は、朝からのお出かけ、且つ、ハシゴをしてしまった。水曜日の朝からのお出かけと言えば、行き先はアスニー山科。もう、今年最後の市民向け公開講演会があったのです。次は、2月まで行かない予定なので、心なしか寂しい。昨日は、「鎌倉殿と栄西・建仁寺」というお題で、関西大学文学部教授の原田正俊さんのお話を聴くことができたのですが、昨朝は、午前3時過ぎで目が覚めてしまい、ピンチと思っていたら、そのまんま的中。行く前から思っていたことが、レジュメを見た途端、確信に変わってしまったもんな、昨日は。だって、年表が書かれていたり、字ばかりで、ましてや、内容が、苦手な禅宗を、優しく解説しながら栄西の業績を辿るものとは、到底思えない内容だったから。実際、そこへ、これまた判らない密教が噛んできましたから、野垂れ死にする展開が見えてしまいました。但し、1時間半の講演時間の前2/3が講演、後1/3が、スライドショーだったということもあり、内容的な掘り下げは、さほどなかったと看ています。だから、記憶に残ることと、レジュメを併せて、僅かであってもメモは残せると思うので、やることにします。「栄西は、“ようさい”と読むのが慣例化している」「それは、平仮名表記のものが出てきているから」「栄西は、臨済宗の祖とされるが、中国から24流ある内の黄龍派を伝えたに過ぎない」「五山派とか林下(大徳寺や妙心寺が入る)といったタームを上げられていたが、宗内の位置付けが、皆目、判らなかった」「名古屋の大須にある真言宗の真福寺から栄西関係の史料が大量に出てきて、研究が、一挙に進んだ(3月に大須演芸場に行くつもりなので行くことに決めました)」「その書付から、栄西の密教に関わる記述が出てきていることから、栄西の再評価が進む」「栄西は、2回、中国(宋)に渡り学んでいる、その場所が天台山、ここで密教を学んできたのか、禅を学んできたのか、判らなかった、第一、この2つの違いが判っていないからお手上げ状態」「帰国後は、密教の著作を残している模様、それが、禅への方向転換は、なぜかは判らないまま」「鎌倉に行き、幕府に重用される、この流れで、建仁寺建立に至ったよう、鎌倉には寿福寺を建立、禅宗の拠点に」「ここまでのポイントは、密教との深い繋がり、鎌倉幕府の支援を受けたことから禅宗の発展が看られた、この2点」「その後、“禅宗を、一宗として建てる意味”“栄西における密教と禅宗”という項目立てをされているのだけど、ここは、さっぱり解らない、完落ちではなかったんで、聴こうとしても解らなかった! 完全な落ちこぼれです」。後のスライドでは、中国の天台山で、実際に栄西の学習の場だった寺院や、鎌倉の寿福寺のように、お話に出て来たスポットを見せていただきました。今回は外れ、解らないから、いい機会と思い、申し込んだんだけど、結局、何の成果を得られずじまいの、惨憺たることとなってしまいましたね。やっぱ、日本の仏教は、基礎から学ばないとあかん、それを、強く実感していまった。ま、それが成果なのかもしれません。
 山科から地下鉄に乗り、「東山」駅に移動。前日に続き、岡崎へ。いつものように、府立図書館傍らの広場で、お昼ご飯。と言っても、おむすびを2個、かっこむだけ。寒い上に、風があった。誰も、こないなときに同じことやってないだろうと思い、そこへ行ったのだけど、先客がいた。季節が良ければ、同じことを考える人が、何人かいるのですが。行き先は京セラ美術館。ここでの「コレクションルーム冬期/特集 東アジアと近代京都の美術」を観に行ってきました。年4回の入れ替えのある収蔵品の展示会です。こういった展示会を知ってから、お向かいの国立近代美術館のものと、欠かさず行くことにしております。さすが、この2つの美術館は、ええもん持ってるからね。年4回となると、どうしても季節に合わせた特集ということになるのでしょうが、今回も「冬」を掲げたコーナーもあったのだけど、表に出した「東アジア、、、」にそそられた。日本のアジア侵出との絡みがあり、アブナイ部分もある展示なのだけど、「帝国主義」というタームを使い、展示の解読も行われていました。なんとか、このジャンルの作品を見せてやろうということだと解釈しました。毎回、このコレクション展示、入った部屋の右サイドのスペースに大作、目玉となる作品が置かれているように感じているのだけど、今回は、ポスターにも使われていた、土田麦僊「平牀(へいしょう)」だった。確かに、白の韓服を着た女性の姿を見せるだけで、タイトル替わりとなるという作品。そして、黄紺的にも、今回の展示作品の特等と感じたのも事実。若干、響きが少なかったということもあるのですが。でも、空間を広く取った構図が、2人の女性の白い韓服の楚々とした清潔感と符号。立っている女性が10頭身ばりの躯体といい、その立ち姿といった描き方、その空気感を漂わせている。ただ、2人の目線が合わさるところに何があるのかが気になって仕方がない。あまり嬉々とした表情とは言えないものだから、余計に気になってしまいました。土田麦僊は、幾つか観てきたけれど、最も印象に残る作品ですね。この絵の対面に、前田青邨「観画」という満州国での作品があった。こちらも、視線の先にあるものを描かないで、人の集まりが、単に群れてるだけではない、期待とか、そういった心根が観えてくる佳品。この部屋は「目線・視線繋がり」で組み立てられたみたい。この部屋から次の部屋に入ると、毎回、お題を集中的に示す作品群の展示になっている。朝鮮、中国&北方、ジャワ?、琉球、果ては、インドまでを包含する地域が見えてくる。久保田米僊「漢江渡頭春光 青石関門秋色」は、六曲一双の大作。右隻には漢江が描かれていた。漢江と言えば、即、ソウル(漢城、漢陽)と考えてしまう、想像力の乏しさよです。人の気配がしない自然いっぱいの漢江に、暫し嘆息。左隻は、中国の山水画ですね、関門まで向かう道には馬に乗った人の姿が小さくというのも定番ですね。都路華香「東萊里の朝・萬年台の夕」は、対に担った掛軸。右に萬年台という名の、月見の宴でもするのでしょうか、三陟(サムチョク)の竹西楼(チュッソル)のような建物が、野原に立っていた。東萊里(トンネリ)は釜山の寺ですよね。Dを連れて行こうかとも考えているスポットだけど、この絵を観ると、止めたくなるな。どうも違和感満載の都路華香、かなりの落胆。小村大雲「梁風子」、すっかり忘れていましたが、調べてみると、大津市歴史博物館の企画展 「蘆花浅水荘と山元春挙画塾」で、遭遇しておりました。山元春挙に師事する前は、都路華香門にもいた作家さんだそうです。大津では響かなかったようだけど、今回は響いた。とっても中国画なんだけど、おおらかな人物像のリアリティと、背後の山水が、風景画として描かれているのか、山水画を掲げているのかの区別がつきにくい作為性との対比がおもしろくて! いろんな仕掛けをしてくれるものです。森守明「搗麦」、梶原緋佐子「機織」は、古い朝鮮の民俗を教えてくれて、有難い。菊池契月もあった。「南波照間」という琉球の風景と2人の女性という作品。この人の描く女性、表情がないのに、表情を感じてしまう。頬の輪郭と目線だけで表す。でも、この2人の女性の心は読めなかった。秋野不矩「中庭の祈り」が気になる作品。秋野不矩は、インドで教鞭も執ったことのある人というのはインプットされてるけれど、これも、そのインドに取材した作品。床に、少女が、何か願いを込めて描いた模様を描き写したというものだけど、やたら、その模様への集中力を引き出すんだな、これが。もっとフェードアウトして描いてよ、どんなところに描いてるのか知りたくなるという不思議な力を持っている。そして、フェードアウトして描かれたとしても、自分の目は、その模様に釘付けされるに違いないと思ってしまう。何の願いを込めたんでしょうね。その力が、そう思わせるのかもしれません。次の部屋には、書が取り上げられていたけれど、これはお手上げ。中には、富岡鉄斎筆なんてものもあったけれど、書ではダメでした。中央のスペースは陶磁器が定番、今回は「磁器の美-白磁を中心に」というお題。後半に入り、ここで「冬」が登場、「冬の景」というお題で、そのまんま。宇田荻邨「清水寺」が目を引きます、いや、これ、どうして描いたんだろうと。雪に煙っています、清水寺が、その「煙る」という姿が気になって。更に、奥まった本堂には明かりが灯っています。この2つが釣り合わないので、混乱してしまいました。こんなの見せられると、今更ながら、三重県立美術館であった「宇田荻邨展」に行かなかったこと、めっちゃ、後悔しています。前にも、同じこと書いた記憶が蘇ってきた。もう1つ、気になったのは、川村曼舟「霧氷」。川村曼舟も、山元春挙門下なので、調べてみたけど、こちらは、初遭遇でした。雪の中を、熊が遠ざかっていく。周りの木立を見上げると、霧氷が陽に映えているという作品。熊の歩く道らしきところの雪深さと、空に向かった木立の明るさが惹き付けるものがあるのだけど、左下にかけての雪の行方が明確じゃないのが気になって仕方がなかった。谷あいなのか、そうでもないのか、それらを含めて雪が隠してるのか、気になって。そういった雪の風景画の一角に、なぜか、上村松園「清少納言」があった。次の部屋の半分も、「冬」の続き。こちらは、堂本印象門下の三輪晁勢「丘の家」や山本知克「家並」と、ヨーロッパの家屋の風景画があったり、西山英雄「紫禁城」があったりで、趣向を変えてあったのがおもしろかったけれど、作品的には、そそられませんでした。徳岡神泉、小野竹喬もあったけどね。最後のコーナーが「戦後関西の前衛ムーヴメント」。陶器を器ではなく、石として観て楽しむようにとの作陶作品なんて、おもしろそうなものもあったけれど、発想には惹かれても、作品には惹かれなかった、まだまだのところがあります。誰かが良いと思ってるから、コレクションされてるはずですよね、だから、「良いと思ってる点」を探さなきゃならないのに、それができないのです。修業が足りないということですな。


2022年 12月 14日(水)午前 6時 27分

 昨日は火曜日。ワクチン接種してから2日後、予定通り、普段の生活に戻ることができました。昨日の予定表には、ある市民向け公開講演会と博物館と入れてあった。両方とも行くことは面倒すぎる位置、また、博物館は、昨日でなくともいい。そんなところへ、市民向け公開講演会会場の近くで、某コンサートのチケットを買えるという話が、ごく最近判った。メールでの予約もできるということだったけれど、主催者は、全く知らない団体名だったので、お金の支払い方法が判らなったため、直でチケットを買えるなら買おうと思っていた。そこで、選択は市民向け公開講演会。その準備をしていたところ、何気に、そのコンサートのチラシを見ると、チケットを売っている場所が、火曜日はお休みと出ている。見事に1/7の確立にバッティング。あまりのことに腹が立ち、市民向け公開講演会を行くのも嫌になり、やんぺ。仕方がないので、某コンサートのチケットはメール予約することに。何てことはない、「当日清算」できるというで、あっさりと問題は解決。そこで、選んだ「博物館」、こちらも候補が3つあったのだけど、昨日は、午後に行くことでないと不都合なことがあったので、たっぷり系はカット、残った2つから、出かけることができる時間で決めた。というのは、出かけるまでに「まーぶる」の前半だけを聴いておこうと思ったから。残った2つは、午後5時までと午後6時までとなっていたので、お出かけが遅くなれば、午後6時まで開いている方を選ぼうと決めた。すると、上手い具合に動けたようで、午後5時で閉まる方に行くことになりました。それは「細見美術館」。こちらで、昨日から「細見コレクション江戸時代の絵画&細見古香庵“数寄がたり”」という展示会が始まっているます。HPに掲載されているチラシを見ると、酒井泡一や伊藤若冲などの名前が出ている。展示会の名からして、漠然としていたため、何がやりたいのかが判らない展示だったのだけど、なんせ、江戸琳派の名品を多数持っているというコレクションなもので、その辺りの詮索は止めたということでのチョイスでした。確かに、お題には間違いないけど、これだったら、ずっと、そのお題で行けるやんと思う内容。でも、大家の作品を観ることができたので、贅沢を言ってはいけません。この美術館は、小ぶりの展示室が3つ、その内の2/3が絵画作品、お題の前半部、最後の一部屋で茶道具などの、このコレクションの銘品が並ぶけれど、この最後のお部屋、今回の新たな展示以外でも、同じだったので、かなりの肩透かし。文句ばかり言ってます。第1室で、初めてじゃないかな、伊藤若冲ものを観ました。「花鳥図押絵貼屏風」、若冲と言えば、思い浮かぶ鶏の華やかな姿、正に、その鶏を観ることができ、この展示会での最大の収穫の一つ。これが若冲なんだと、華やかさにたじろがせる力は感じた。でも、この展示が厭らしい。六曲一双の屏風の左隻だけが展示されており、右隻が観たければ、展示期間の後半においでという、美術館あるあるが、この屏風でもやられてた。結局は、屏風全体を観ることは、展示期間中はないという、わけの解らない展示方針。華やかさという意味では、金屏風ものが、第2室も含めて、幾つかあった。第1室では、冒頭にあった「四季草花図屏風」(「伊年」印)がそれ。「伊年」とは、俵屋宗達が主宰した工房作を示す商標印ということ。精緻な草花図に、金屏風だと、なかなか目が行かないですね。金に目が眩む、その華やかさが眩し過ぎるからなのでしょうか。織豊期の伝統を引くものって、そういったものが多いとインプットされてるけど、黄紺的には、図柄が大きくないとついて行けそうもないと自覚。そうかと思うと、その傍らには、くすんだ掛け軸を並べるという展示のテクニックが使われていた。俵屋宗達「墨梅図」、沖一峨「月梅図」、渡辺始興「簾に秋月図」などは、それら。「墨梅図」は、中央に、梅の枝が1本、縦にピンと伸びるという、「何なの?!」という姿が緊張を誘う。その横に並んでいた「月梅図」は思い出せない。「簾に秋月図」は、簾越しに月が半分、直に月が半分というもの。月の描き方、昨日、1つ、覚えました。月の外側を描く、そして、月そのものは地を残すというもの。中村芳中という名は、何かで観た記憶がある。調べてみると、大坂画壇で琳派に分類される作家。「立葵図扇面」、立葵を扇面に大きく描かれてある、裏向きの立葵が左端に1つ、これが洒落てるんだろうなと、でも、頭でしか理解できなかった。雪の絵が並んでいた。作者不明の「雪中花鳥図屏風」、酒井泡一「雪中檜小禽図」、鈴木其一「雪中竹梅小禽図」。「雪中花鳥図屏風」は金屛風もの。金屛風と雪中というのが、あまりにものアンバランスに唖然とするしかなかった。そういった趣味の感性が闊歩した時代があったのですね。酒井泡一と鈴木其一という子弟が並ぶという贅沢な並び。ともに、日本画でよく見かける「雪」と「小禽」という組み合わせ。殺伐とした「自然」と、そこだけ体温を感じさせる「生」の対比が、憎らしい組み合わせ。酒井泡一の方は、檜の大木の下に積もる雪、重量感のある木の下では、軽く雪が舞い上がっている、その傍らに小鳥という構図。鈴木其一の方は一幅の図で、左に静、右に動を表すもの。静と言っても、小鳥が跳び立ち、枝に積もる雪がこぼれる瞬間を表した右の動に比べると静という図。静の図には、枝に小鳥がとまっているけれど小鳥がじっとしているわけではないので、細かな動は見えるといもの。はっきり言って、両方とも好きにはなれなかった。酒井泡一ものは、檜が無機質的に見えてしまい、鈴木其一ものは、そういった心で描いたのだろうけれどなで、止まってしまいました。大西圭斎「秋冬花鳥図屏風」も金屛風もの。こちらも鶏が描かれている。同じ鶏ならと、どうしても、金屛風じゃない伊藤若冲ものに、目が行く黄紺でした。第2室の冒頭が、鈴木其一の「水辺家鴨図屏風」。これも金屛風もの。この作品の対面、言い換えると、この部屋の最後の作品が、葛飾北斎の肉筆画2点、「夜鷹図」「五美人図」。実は、鈴木其一もの、間近で観ていたときは、鴨の配置が理解できてなくて、「?」が点ったところへ、またしても金屛風だったので、かなり引いてしまっていた。ところが、葛飾北斎ものを観ていて、というのも、「夜鷹図」が、この日一番のお気に入りだな、凛とした夜鷹って、おもしろい描き方だと思い、また、傍らの「五美人図」が、嫁入り前らしき娘が反物を選ぶ、また、その姿を、煙管を使う母親が見守るという風俗画が楽しくて見とれていて、さ、部屋を出ようと振り返った途端、件の「家鴨図」が目に入った。びっくししたなぁ、鴨が歩いてました。そか、あの配置は、これだったのかと、鈴木其一の腕に呆然となってしまってました。やっぱ、鈴木其一は凄かった! 両サイドには風俗画が多く、ちょっとリラックスした作品が並んでた。森狙仙「猿図」の小猿が、めっちゃ可愛い。伊藤若冲「鼠婚礼図」は洒落っ気たっぷり、若冲って、こういった滑稽図まで描くのですね。能に使われる素材も何点か、岩佐又兵衛「俊寛図」、池田孤邨「小鍛冶図屏風」、片山楊谷「菊慈童図」がそれら。逸品は「菊慈童図」、神域に入った菊慈童はジェンダーレスで描かれていました、これには、びっくり。浮田一蕙「やすらい祭・牛祭図屏風」、小沢華嶽「ちょうちょう踊り図屛風」なんて、楽しいのもあったが、また、風景画も幾つか、池大雅「児島湾真景図」は、中国の墨絵のよう。横井金谷「山水図」もあったけれど、先日の滋賀県美に続いて、横井金谷は、ここでもなじめなかったな、相性が悪いみたい。酒井鶯蒲「近江八景図」は、小さな巻物8つ、1つずつ描かれていました。「近江八景図」は、どれを観ても楽しい、親しみを感じてしまいます。振り返ってみると、結構、楽しんでます。また、振り返るために、作品を調べながら書いていると、各作品の重要さが、より鮮明になってきますね。
 夕方から、「まーぶる」の後半を聴き、夜は「吉の丞のおつかれさん」と、通常の火曜日の風景。「まーぶる」では、長久手や浅草木馬亭での独演会のこと、繫昌亭の初トリのこと言ってました。なかでも、木馬亭の会での騒音ネタ、ようやく、その実際が判りました。真夜中のしーんとした場での噺「打飼盗人」のときが、一番、困ったよう。そら、そうだわ。そこに、それに合わせたギャグを言ったのが受けたようですね。「うるさいな」と。騒音に対抗しようと、自分の持ちネタで一番やかましい「近日息子」を、最後に出したら、上の興行は終わってて静かになってたそうです。やっと、いろんな東京の落語ファン氏の呟きの辻褄がつき、これで合点がいきました。繫昌亭ネタは、番組は都が作ったそうです。そら、誰も文句言えない、けど、二葉には重い。当日、お姉さん方に挨拶しまくってたそうです。ま、仕方ないな。「おつかれさん」では、12/13ということで、事始めのことを言ってくれてました。これは、耳がダンボになるネタ。なかでも、米朝宅での修行時代の事始め話が最高に興味がひかれました。何十人と集まる日の食材の用意をした、これは凄い。片付けも、当然あるわけだから、想像を絶っする思い出でしょうね。こう振り返ると、火曜日に、お出かけ入れると、一日中、遊びっぱなし感がいっぱいですね。


2022年 12月 12日(月)午後 8時 37分

 Yan etkiler dün gecesinden başladi. Halsizlik, ateş, beldeki uyuşma başladi. Ateş de 37.2 derecesine cıktı. Daha önce daha yüksekti. Onun için aşı olmaktan sonra en rahat saat sürüyordu. Ama beldeki uyuşma daha önce gibi şiddetliydi. Dün gecesi saat 3te uyandıktan sonra uyumak mümkün değildi. Uyuşma ne şiddetliydi. Her defa böyle durumda olduğumdan uyumak hemen vazgeçtim.
 夕方になると、もう遠くまで買い物に出かけ、そうしている方が、気分的にいいかな。今まで大事を取り過ぎてたかなとも思ったけれど、熱があると、やっぱ、出ないね。夕方の遠目の買物からの戻りは、ちょっときつかったな。別にウォーキングに替えようとの意図はなかったけど、歩くと疲れてしまった。夏だとあることなんだけど、今の季節で、こうなると、やっぱ、発熱のためでしょうね。
 夜中に起き上がってしていたのは、「ブラタモリ」の過去映像を観ること。昨日、見つけた動画配信サイトに、少し前のものが出ていたのが、有難かった。「城崎・豊岡編」「東京スカイツリー編」の2本。ともに、優れものです。生で観て以来だったけれど、ともに、えらく専門的、細かなことを取り上げていた。「城崎・豊岡編」は、玄武岩が主役。玄武岩の命名は玄武洞が先だった。磁極の南北が変るときがある、プレートテクトニクスの理解に貢献したという、地学の大問題を取り上げていた。「東京スカイツリー編」では、スカイツリーのある地点に、徹底的に拘った作品。最初の方では、なかなか、意図が判らないほど、でも、最後まで観ていると、意図が看えるという、なかなか凝ったもの。ええもんが、アップされていたことになります。
 YouTubeで旅系動画を、幾つか観ていたので、変化を持たせようと、午後は、年賀状を作る時間に使った。既に、本ちゃんのものは、あっさりとできているので、今日は、去年から始めた、DとS宛て、別々の年賀状作りをすることにした。別々なものなんだけど、コンセプトは同じにして、その内容を変えることにした。「お正月からクイズ」が、今年のコンセプト、「しりとりゲーム」を作りました。但し、上りがDとSになるように。しかも、Dの方には「パパ」を入れ、Sの方には「ママ」を入れるというもの。なかなか、難しい。だって、DやSが知っているもので繋げないといけないからね。D用には「ゴリラ」「ラッパ」「パパ」「パンタグラフ」「フラミンゴ」「ゴリラ」「ラッパ」「パンダ」「D」としてみた。同じ言葉を2回登場させたり、電車好きのDに「パンタグラフ」を入れてみた。S用には「バイク」「クマ」「ママ」「マイク」「クツ」「ツクエ」「エダマメ」「メカクシ」「S」で、「エダマメ」「メカクシ」はイラストを入れておいた。イラストを見て、この2つを答えるのは、Sには無理だろうな。言葉が繋がらないので、困っていて「*で始まる言葉」で検索すると、これが出てくるんだね。「しりとり」用のサイトがあるって、初めて知ることになりました。でも、ほとんど、大人の使う言葉ばっかだけどね。これで、年賀状の作成は完成。気が付くと、今年は、まだ、年賀状すら買ってなかった。ほんの僅かだけ出すだけど、毎年、大人には「思い出のトルコ」シリーズを続け、DとSには、オリジナルなものを作っています。いつまで、こんなことできるだろうか、ふと、そんなことが、頭を過りました。


2022年 12月 11日(日)午後 11時 10分

 5.doz oldum. 4.doz olduktan 3 ay sonra 5.doz olmak hakkı alabiririm. Şimdi aşı olmak isteyenler azaldığından aşı olabirdiğim fırsat de azalıyor, birde öğleden önce aşı olabirdiğim yer de azalıyor. Onun icin ilk olarak Kyoto şehrin dışında aşı oldum. Bende yan etkileri 2 gün devam ediyor. Aşı olduğum gün yan etkileri az de olsa ertesi gün de yan etkileri en güçlu. Dolayısıyla öğleden önce aşı olmam lazımdı. Aşı olduktan 2 gün sonra normal yaşaya dönmek istediğimden.
 そんなことで、今日は、一日中、自宅待機。やはり、夜に入り、身体のだるさが出てきています。軽い発熱をしているかもしれません。まさか、5回も接種するとは思いもしなかったですね。あと1ヶ月もしない内に、韓国に行くので、いいタイミングで、オミクロン株対応のものを打てたと思っています。前回は、もう少し待てば、オミクロン株対応のものの接種を受けることができたのですが、それを待ってれば、韓国旅行に間に合ったかは、微妙なところですしね。打ってすぐに効果が出るわけではないでしょうから。こういった自宅待機中に、K-EIAの申請を済ませてしまおうと計画してたのですが、息子の認識が甘くて困っています。自分でやってみたいかと思い、あまり「替わりにやろうか」と書かずに、「それとなく、難しかったらやってもええよ」的なことを書いたメールに、自分ですると、きっとぶつかるだろう箇所については解説をしたメールを送ると、「やってくれへん」と読む始末。難儀な話です。ムズそうだと思ったら、さっさと頼めばいいのにね、ええかっこしいやから、困った男です。結局、替わりに、Dも含めて、全員の申請をすることになったらなったで、パスポートの写真が、ええかげん。パスポートを、スマホで写真を撮るのが、とっても難しい。だって、コーティングしてあるから、めっちゃ光る、反射する。そのため、顔写真に模様が入ったり、肝心の文字が見えなかったりする。それが気にならないみたい。こちとら、昨日、申請をするために、一番時間を使ったのが、これだったのに、その辺、気にならないみたい、名前の字が見えなくても、自分の顔に変な模様が入っていても気にならないみたい。顔写真は、修正ができるけど、字は無理。Dの分は、幸い、パスポートの顔写真の部分を、軽く修正を加えただけで、余計な模様が消えて、あっさりと申請できた。今、確認したら、承認までされていました。
 ごろごろしていて、YouTubeの動画を観てたけど、記録に残すのは、「ブラタモリ」の「登別温泉編」「呉編」の2本を観たことくらいかな。もちろん、ライヴでは観ているものを、再度、観たことになります。せめて、2回は観ないと、頭に残らないですね、加齢の証拠かもしれないけど。「登別温泉編」では、「爆裂噴火」というターム、言ってたな。いろんな種類の温泉が出るというトピックも思い出した。温泉の専門の先生、気の毒に、東京から呼んだのじゃないかな、殆んどカットされてた。「呉編」では、急激な人口増に対応する住宅問題がおもしろかったですね。急峻な坂に連なる家屋群が凄まじい、海軍の町の変貌を表していました。戦艦大和から入るという番組だったけど、光と影を出そうそして、うまく出してる番組作りが、2回観ると、よく判りますね。昨日、予定されていた「大井川編」が、急遽、カットの憂き目、その憂さを、ちょっとだけ晴らしたかな。


2022年 12月 11日(日)午前 6時 31分

 昨日は、午後にコンサートに出かけた日。相変わらず、暖かな日が続いています。一旦、冷え込んだため、そのときの恰好のまま、ウォーキングをしていると、汗をかいてしまう。コンサート会場との往復はウォーキングと歩いていて、これはまずいと思い、上に着ていたウィンドブレーカーを脱いだほど。コンサートに行く前の午前中のウォーキングでは、汗をかいてしまい、下に着ているシャツを着替えなければならなかった。汗をかいてしまうと、そこは冬、すぐに冷えるので、気持ちが悪くて仕方がないので、シャツを交換することにしています。昨日は、夜に、「ブラタモリ」の新作が出ると楽しみにしていたんだけど、コンサートから戻り、TV番組表を見ると、消えていた。どうやら、誰かの会見が入ったからのようで、迷惑もいいとこです。結局、NHKのHPを見ると、もう「ブラタモリ」の新作は、年内に出ないそう。迷惑の2乗です。
 コンサートは、京都コンサートホールの小さい方でのもの。そちらで、京都市交響楽団のメンバーばかりではないのだけど、中心になり構成しているラ・メリ メロ アンサンブルのコンサートです。ソリストの上森祥平や神戸室内合奏団の森岡聡らが入っているのです。中心は、京都市響のコンマスの泉原隆志。泉原さんは、プログラムを決め、舞台上では、マイクを持ち、解説や、メンバー一人一人にインタビュー、更に、詩の朗読もありと、獅子奮迅の活躍とは言え、大変。しかも、前の2曲にはソロが入る。リムスキー=コルサコフの曲などは、中にソロが入るのではなく、完全に、ヴァイオリンとオケの曲だから、コンチェルト、いや、それ以上の位置でした。そのプログラムは、次のようなものでした。「グリーグ:ホルベルク組曲」「リムスキー=コルサコフ/ジンバリスト(鷹羽弘晃編曲):“金鶏”の主題による演奏会用幻想曲」「シェーンベルク:浄夜」。このアンサンブルは、全て弦楽器奏者だから、その専用の曲だといいのだけど、リムスキー=コルサコフは、オペラの中からピックアップした組曲だから、編曲が要るという仕掛け。グリーグは、弦楽合奏の有名曲。9人の演奏では、この曲の場合、しかも、ホールの大きさからすると、パワーに物足りなさを感じてしまうけど、替わりに、この9人の演奏、コンサート全体を通じて言えたことなんだけど、とっても、響きが優しい。ほんわかした温もりを感じさせるもの。だから、こんなのもありだと思える演奏で、いい感じ。リムスキー=コルサコフは、泉原さんが、ベルギー留学期に師のイゴール・オイストラフから演奏を勧められた曲とのお話が、事前にありました。「金鶏」の不思議なメロディが入り、且つ、技巧的には超絶もの。それを、余裕で弾いちゃうんだから、凄い! さすが、これを聴かされると、拍手は、この日一番でした。と同時に、久しく観ていない「金鶏」を観たくなった。筋立て自体が不思議で、不思議な金鶏のメロディ、それと、極上の甘美なメロディと、なかなか魅力のあるオペラなんだよね。「淨夜」に先立ち、この曲の基になった詩の朗読。男女のどろどろ物語、それを癒すかのように射す月明り、それが、そのどろどろを浄めるかのように、ぼんやりと輝いている、そういったところか。もちろん、そういった詩を基に作られた曲だとは判ってはいても、直前に読まれると、どろどろ感が、澱のように、自分の中に溜まる。そうだったからかもしれないんだけど、このアンサンブルの優しい演奏が、ここで、強烈に、いや、強烈という語は使わない方がいいとまで思うほど、優しいのです。扇情的でない、女の物言いを静かに聴いている。辺りの暗さが漂っているからか、男の表情の変化を見させないような暗さが出ている。だから、音楽は優しくてもいいのかもしれない。淡々と会話が進んでるという雰囲気、空気が流れている。逆に言えば。緊張を作らせないようにしている演奏と言えばいいかな。でも、緊張があったことが、ラストの緩和の音楽が示してくれる。ここがあるから、緊張を高めるような演奏をしなくても、あったことが判るんだよね。いい演奏だった。あまりにも、気持ちが良くなり、途中、ぼ-っとしながら聴いてしまっていました。


2022年 12月 10日(土)午前 0時 35分

 今日は、朝からのお出かけ。今週は、こういった日が2回となりました。前回はアスニー山科、今日はアスニー京都。京都市の行う生涯学習事業のお世話に、すっぱいと挟まってしまっています。今月は、あと2回ほど、アスニー京都に行く予定。暫し途絶えていたのですが、年末に来て、マイブームとなっています。今日は、こちらで、毎度行われている市民向け公開講演会。今日は、「あふれでたのは やさしさだった~奈良少年刑務所 絵本と詩の教室~」というお題で、作家で詩人でもある寮美千子さんのお話を聴くことができました。奈良少年刑務所は、かつての奈良監獄。実は、かつての同僚と行っている巡検は、来年は、ここと決まっているところ、思わぬところでの遭遇。しかも、ここでの取り組みだったかどうかは定かではないのですが、朝日新聞が、少年刑務所だったか、それも、記憶が曖昧なのですが、とにかく、少年の更生施設で、絵本を活用して、望しい成果を上げているというものを読んだことがある。そのため、このトピック、初めてじゃないよねという感じで、聴きたくなってしまいました。寮さんは、東京から奈良に移り住み、奈良探索をしている中で、この場所を知ったと言います。レンガ造りの近代の歴史的建造物。この建物の扱いには、いろいろと経緯があるようで、ホテルにする計画があるそうです。その扱いの是非を含め、また、遅々として進まない、その計画も含め、冒頭では、この建物紹介の流れで、建物の扱いに関し、かなり辛辣な行政批判がありました。歴史遺産を金儲けのために動く人々、文化行政を金のために動く人々の存在が看えてくるところがありました。そういったお金が絡むお話とは、真逆の世界が、この少年刑務所での活動。寮さんは、ここでの絵本を読み、詩を作ることの指導を依頼されたそうです。こちらで指導に当たっている方から、「収容されている人たちは、加害者になる前は被害者だった」と言われたということが印象的だと言われていました。貧困のため、面倒を看てもらっていない、結果、ネグレクトに遇っている。親自身が、社会に適応していない中での出来事だということです。そうかと思うと、社会的地位の高い家庭に育った人が存外多いという現実、親の期待に応えられない子ども、こういった現象を、寮さんは「教育虐待」と呼ばれていました。うまいタームです。中には、発達障害を抱えている人も、でも、オーダーメイドの支援が必要にも拘らず、そこが欠けている、これも、一つの虐待だと言われていました。こういった人たちを指して、「正しい愛情を受けていない人たち」と言い、心の扉を閉じてきてしまっている、悲しいことがあると閉じられた扉は、楽しいこと、喜びも入ってこない、そのため、自分が、何を感じているかが判らないと言われていました。ここに、絵本を読む、詩を作る活動が入っていくところがあるということなのでしょう。そういった人たちへの活動の様子、その反応、そういった、とっても具体的なお話を紹介されていかれました。そういったお話を聴いていると、思い出してしまうのが、部落に育ち、貧困のなかの生活、教育を満足に受けられなかった女性が、後年、文字を覚え、その覚えた文字で書いた作文で、「文字を覚えたことで、初めて、夕焼けを見て美しいと思った」と綴った話を思い出してしまいました。人間って、こういった育ち方をして、こういうときには、こういった感情を持つものと思いがちで、そこから外れる人たちへの目は、自分たち、マジョリティの育った環境で培われてきた思考なり感性なりで育まれてしまっています。だから、それ以前に損なわれてしまったなんてことは考えないということですね。そこへの食い込みに、絵本の活用、それを読み、交換される言葉が輝いていました。それが、詩となり、また、それを読みながら交わされる言葉。先週は、音響の悪さを感じなかったのに、今日は、かなり酷かったため、この肝心な、交わされる言葉の紹介が60%も聴こえなかったけれど、でも、空気は伝わる、素敵な講演でした。100%聴こえてたら、涙腺を直撃していたことでしょう、きっと。
 午後の一時は、今日は、韓国旅行の準備。というのは、先日、日韓夫婦のやってるYouTubeチャンネル「うかるか in KOREA우카루카」でアップされた動画「これミスると韓国旅行が台無し!」なるものを観て、愕然としてしまった。何気なく観たのだけど、そこで、正に、自身が「ミスっていた」のに気づいたのでした。「K-ETA」に登録してないと、飛行機にも乗れないということを。そこで、その申請作業をすることに。動画を使ったりして、その申請法が、ネット上では紹介されてるけれど、英語での登録画面だったもので、紹介サイトも、まともに観ないで作業開始。困ったのは写真。パスポートの写真が要るんだけど、自分の写真が入ったページは、やたら光を反射して、とっても撮りにくい。これに、一番、苦労したかな。そのパスポートの写真から、更に、自分の顔写真を取り出すと、やたら暗くなる。もう限界と思い、暗いままで申請することに。ここまでは、写真で困ったくらいだったのだけど、最後の韓国滞在時の住所で困った。予約してあるホテルの住所を入れればいいのだけど、これが入らない。郵便番号を入れて、出てくる住所群から選ぶという作業。単純に住所書き入れじゃないのがミソ。いくら、郵便番号を入れても、ホテルの住所に該当するものが出てこない。ええい、最後は、どうでもいい住所を入れればいいやになってたときに、そうだ、ここで、ウエブに上がっている日本語の申請マニュアルを観ようと判断。そこで、ようやく、自分のミスに気がついた。ホテルからもらっている住所に、2つの数字が記入されてたんだけど、郵便番号と番地を逆に認識していた! そこで、それまで番地だと思っていた数字を、郵便番号欄に入れると、目指していた住所が出て来た。これで完成。暗い写真も、AIは認識したようで、申請は承認されました。息子は、自分でするそうです。Dの分まで。大丈夫やろか、明日には、ヘルプが入りそうと思ってるのですが、、、!


2022年 12月 9日(金)午前 7時 5分

 昨日は、午前中に、一昨日の続きを済ませようと、皮膚科の医者へ。そして、午後には、オンライン配信で大学院生の発表を視聴した。その合間に、上手くウォーキングを絡ませ、ほぼ、いつも通りの量をこなすことができた。昨日は、少し暖めだったかな、最近の外出時の恰好のまま出かけたら、夕方のウォーキングでは、薄っすらと汗をかいてしまってました。結局、皮膚科の医院では、予想通りの見立て。骨に異常がなければ、そうだろうとの思いで行っていたので、投薬には血液検査が必要なので、半月前に受けた検査結果を持って行ったら、それで役立ち、余計なことをしなくて助かった。費用も浮いたしと、ちょっと、自分の行動に満足。足に薬を塗り、テープで保護をするという措置をしてくれ、その効能を教えてもらったけど、結局、医者からの帰りがてらウォーキングに移ると、そのテーピングが業をして、指が痛くて困った。テーピングをするだけで、痛い部分に圧が掛かり、しかも、靴との隙間が埋まり、靴が患部に当たるということなんでしょう。そのため、夕方のウォーキング時には、テーピングを外した。すると、途端に、歩き方さえ気を付ければ痛くない。なんじゃ、それ。薬の方は、薬局では常備してない可能性があるのは、前に使ったときに覚えてたことで心配したけれど、2軒目の薬局でゲット。今日から服用することにします。
 午後のオンライン配信は、よくお世話になる京都市芸大の伝音セミナー。今年からじゃないかな、修士論文の発表を、その全部ではないけど、このセミナーのメニューに加えています。大学院音楽研究科修士課程日本音楽研究専攻2年の成瀬はつみさんの発表で、「新しい能のプロデュースをめぐって」というお題で、新作能の制作過程をレポートしていただけました。但し、1作だけを扱ったもので、それを一般化できるものとも思えず、これって、研究成果? 単なる、ある新作能の製作過程を記録に残すだけじゃないか、そんなのは、当事者のする仕事ではないかと思ったのですが、そういった突っ込みを別にすると、これはこれで楽しめたもの。なんせ、新作能の制作過程を教えてもらえるんですから、黄紺にはツボです! 取り上げられた新作能は「沖宮」。原作が石牟礼道子、装束が志村ふくみという大家が噛んだもの。確か、石牟礼道子作品は、他にも能になった作品がありましたね。石牟礼道子自身が能好きだったような、、、自信はないですが。この大家二人の往復書簡で、能制作が話題に上がっていたということで、プロデュースを、志村昌司さんが担当されたそうです。また、この詞章作りの一端を担い、シテも務められた金剛龍謹さんが、どうやら京都市芸大で教鞭を執られているようで、この能を取り上げられたのじゃないかと推測しています。残念ながら、この能については、黄紺的には予備知識を持っていないので、初めて聴くことばかり。まずは、能の筋立てから。天草四郎の乳兄妹が、干ばつに苦しむ村で、雨の神である竜神の人身御供になるお話。次いで、分析手法として使われた境新一の「アート・プロデュースの現場」という著作の骨子の紹介。次いで、プロデュースの仕事内容の把握。それは、作品制作と運営制作になるとの押さえをしてから、まず、前者が、どのような推移をしていったのかを紹介。かなりの制約のあるなかで作られています。その最大のものが、高齢の石牟礼道子の存命中に、上演にこぎつけたいとの思いがあったことと看ます。ですから、既存の能の様式を盛り込むという制作のコンセプトがあったようです。そういった基本方針のもと、具体的な能の構成を紹介しつつ、この能制作で行われたことの紹介という流れでした。そのため、複式夢幻能に近い形式にされたり、ワキの出では、「玉鬘」の詞章を参照されています。ただ、途中から、金剛宗家金剛永謹さんの出演が決まったため、配役の変更、それに伴う、段構成や詞章の変更があったそうで、その紹介がされていました。この辺が、どうも判らないグレーな部分。ま、それを明らかにして記録に残すことは必要だと思うけれど、作品が先にありきじゃない製作というのは、何か違うと思うのですがね。それが製作上求められたという背景があるならば納得なのですが、そうではなく、人がありきでの改変は本末転倒。こういった推測が当たっておれば、この辺が、能の世界の古い点、おかしい! そのため、新作能の制作過程を残すなら、こういった展開を見せた新作能ではないもの、取り上げて欲しかったな。そういったなかで、興味のあることを言われていました。「クセ」の取り扱いです。「言葉を見れば、クセ舞のパターンに当てはまるか否かが判る」「そのため、立ちグセではなく居グセにした」「ただ、そうすると、居グセが続くばかりなので、詞章の変更をして、クセの部分を居グセ+ロンギにした」、詞章を見て舞えるかどうかという判断があるというのは新鮮。居グセが長くなるのを避ける感性は、とっても理解できる、となればの改変は妥当で、ロンギにすると変化が出ますね。次いで、再演時の改変。これも、出演者の都合が入った。子方に舞まで入れていたのを止めた。舞える子方がいなかったというか、初演時の子方が優秀過ぎた、でも、年齢の関係で子方を卒業してしまったための措置、こればかりは、どうしようもない。もう1つの改変は、竜神の出の唐突性を回避したというトピックが絡んでました。替わりのお役を入れたようですが、実際の演能を観ての判断だったようで、観てない黄紺にはそうかとしか言えないことだけど、竜神や、それこそ、機械仕掛けの神的な登場って、「国栖」なんかでもそうだけど、能あるある話なんで、気になるという視点に「?」は灯ってしまってました。後半は、運営面の問題、早い話が、制作費の調達です。チケット代では、どうしようもないということでの問題です。初演時は協力金形式ですね。再演時はクラウドファンディングでした。両者の違いは、後者が、目標額を、予め設定するということで、見通しが効くという効果があるということのようです。さすが、金額のディテールまでは出すには至ってはいなかったけれど、ぎりぎりまで出されてたと思うので、これは、なかなか頑張っています、報告者だけではなく、制作に当たられた方も。それだけ、いい記録になりますからね。


2022年 12月 8日(木)午前 7時 15分

 昨日は、朝からのお出かけのうえ、ハシゴをした。その過程でウォーキングを入れると、ほぼ1日分のウォーキングを達成でした。夜には、意を決して医者に行ったこともあり、それを加えると、2万歩近くの数字が、万歩計に出ていた。足の指に痛みが出るなかびびりながら、日々、こういったことをしていたのだけど、ついに、これではいかんと思い、整形外科医院に行ったのでした。この2ヶ月、いや、それ以上、ずっと、左足の指が痛かった。最初は、靴が合わないのかと思ってたけど、靴が足に馴染んだ頃になっても、痛みは止まない。のべつ痛いわけではなく、足先に力が入ったりすると、かなりの痛み。爪の箇所だけではなく、親指の中心部が焼けるような痛みが走る。黄紺は、平衡感覚がまともじゃないから、簡単にバランスを崩すが、そのときに足が変則的に動き、その痛む指に力が入ると、大変だった。でも、何もしてなければ、僅かな違和感程度で歩ける、ウォーキングも、足の力配分を考えて歩いてると、普通に歩けるものだから、その内に治るだろうと思い始めてから、2ヶ月は経った。さすがに、最近、心穏やかではなくなってきた。かつて、バランスを崩して、剥離骨折を起こしたときのように、捻挫のような足に負担をかけるようなことは起こしてないものだから、頭には「疲労骨折」が浮かびっぱなしだった。そこで、意を決した。正月明けの韓国行に、この不安を抱えて行きたくない、ギブスをしても、まだ間に合うかもしれないの気が起こり、意を決して、医者に行った。結果は、セーフだった。レントゲンに異常はなかった。黄紺の足を見た医者は、「皮膚科をお勧めします」と、また、カビを指摘されたけど、「これが痛みに繋がるの?」と半信半疑。以前、1度、治療を受けたことがあるけど、それは、爪の変形を治すためだった。これに使う薬というのが、肝臓の検査までする必要があるというのが嫌なのです。でも、それ関連だと、今回は痛いので、スルーするわけにはいかないですね。ま、とにかく、骨ではなかったことで、胸のつかえが降りました。
 時系列的には逆になったけれど、朝のお出かけに戻る。行き先はアスニー山科。いつもの市民向け公開講演会。昨日は、「京都を知らない人が京都市を推測する地理の問題」と題して、関西大学文学部教授の黒木貴一さんのお話を聴くことができました。こういった講演会では珍しい地理が取り上げられました。黒木さんは、関西大学に来られて、まだ2年半。だから、「京都を知らない人」というのは、ご自身のこと。その知らない人が、地理的情報を見て、京都のイメージを作り上げて行くには、どのような情報を得て行くといいかということを、Q&A形式で問いかけるという流れ。関西大学の前は、福岡教育大学という教員養成大学におられたため、学生さんへの教科教育指南的なトピックが飛び交っておりました。Q&A形式にしてのお話という点も、学生さん相手風で、とっても新鮮な講演でもありました。Q&Aのコンセプトは2つ、「他の都市と比較する」「市の中で考える、都市内部の特色を考える」、これに基づいた設問、幾つかメモっておきます。「京都府の形状&大きさを横浜、大阪と比較する」「月別降水量と平均気温を、大阪、舞鶴と比較する」「月別霧日数&雷日数を、大阪、舞鶴と比較する(京都は雷日数が多い)」「人口ピラミッドを東京都と比較する」「職業別就業者数を京丹後市、那覇市、舞鶴市と比較する」「国籍別外国人宿泊数の割合を、北海道、福岡県、沖縄県と比較する(福岡に韓国人が多く、京都府は国籍が偏在していない)」「二条城を通過する側線の断面図はどれか」「京都市に関し、1881年を100として、その後の推移を、日最大雨量、日平均気温、平均湿度を表すグラフで、その3つの指標はどれになるか(気温は上昇しているのが判ってるので、雨量が著しい増減を見せることを知っていると答えが出る)」「京都市の小地域に関して、15歳未満、15~64歳、65歳以上の人口割合を色分けした地図から、15歳未満を表した地図を選ぶ」「嵐山・嵯峨野界隈の地図の今昔マップから導き出される特徴を選ぶ(嵯峨街道の集落は桂川の自然堤防上に成立、広沢池の北東部の山間地にかつては溜池が散在していた)」「大原界隈の100mメッシュの土地利用地図から農耕地を選ぶ(大原の山間部の風景は、川の氾濫を、また、山からの土石流を避けた位置に集落が作られたことから生まれたもの)」「北米、欧州、中国、韓国からの観光客の訪問先(清水寺と御所)と、土産品(化粧品と本&マンガ)別割合比較から中国を選ぶ(韓国人の訪問先で御所が極端に少ない、土産品では、中国人に化粧品が多く、欧州人に本&マンガが多い)」「京都を訪れる修学旅行生の小中高生の出発別グラフから、小中高を分類する(関東から中学生が多く、北海道&東北の高校生が多い)」「京都府内のかぶ、ごぼう、だいこんの生産分布(京野菜は京都郊外で作られている)」。幾つかピックアップだけしようかと思ったのだけど、おもしろいので、かなりの設問をメモってしまってます。途中、ほんの僅か、ウトっときたところで、地形のトピックが入ってんだけど、こういったときに限って、レジュメを見ても、書かれている意味が把握できない悲しさです。
 アスニー山科を出ると、その足で瀬田に向かった。今年、何度か、このコースを取ったけれど、これが、今年最後になります。行き先は滋賀県立美術館。常設展に、新たな展示が始まっているからです。1月に1週間だけ、更に新たな展示と重ねて行くことができる日があるのだけど、そこを当てにしていて、行けないということがあると嫌だし、1月はアスニー山科には行かないつもりなので、自宅からの往復は面倒と、そういった判断で、昨日行ってまいりました。「シュウカツ! 護る、伝える、保存修理活動」というものが、新たな展示。展示は、保存修理活動の対象になった作品ばかりか、その保存修理活動の具体的な内容のパネル展示、その活動に使われた裏打ちに使われる和紙(ちぎるということもやって良いというもの、紙に混ぜてある粉が跳ぶはずだったけれど、それは、残念ながら確認できなかった、但し、黄紺の目には見えないほどの細かさだったかもしれません)、表装に使われる布? 紙?も展示されているという心づくしの展示に好感を持っちゃいました。展示スペースを詰めるということもあったのでしょうが、いいアイデアです。冒頭の2つが、すっかり馴染んでしまっている野口謙蔵の作品、「冬田と子供」「野草静物」でした。前者は、蒲生郡でしたっけ、野口謙蔵がいつも描く田舎の風景、そこで遊ぶ子どもといった構図、昨日は、こちらより、後者が気に入ったな。野口謙蔵の、こういった草花を描いた作品って、盛った感があり、リアリティを追ったものではないのに、えらく存在感を放ちます。実は、この野口作品よりか気に入ってしまった作品が、2点ありました。1つはというか、気に入った順で書くと、まずは須田国太郎の「風景」。経歴欄に「スペイン」という文字があったのが目に入ったからでしょうか、ぱっと見、そのスペインの家屋を描いたものかと思いました。あとで、じっくりと、その家屋を眺めて見ると、スペインのものではありません、だって、信楽の家屋を描いたものだったからです。あまりにも強い、明るい陽射しが眩しく、家屋のディテールが見えなかった、それほど、陽射しに目が行っちゃった作品。これは、気に入った! もう一つが、この美術館が誇る小倉遊亀ものが2つあったんだけど、「盛られた花」よりも「窓辺」が、圧倒的に良かった。こちらは、陽射しの強い窓辺ではない、ほの明るい程度だけど、その明るさで、その窓辺のある部屋の雰囲気、どのような部屋の窓辺かということまで想像させちゃう力を持っている。しかも、鉢植えの観葉植物なのかな、その葉の膨らみ、ヒッタイトの太陽のような生え方をした膨らみの質感が最高、それが、更に部屋の想像を掻き立てます。これも凄かった。この展示会の看板のように使われていたのが、冨田渓仙の「西王母」。可愛げのある、人間味溢れる西王母、どこかに、自分の中にある西王母イメージじゃない、それが、とっても新鮮な作品。横井金谷の「洛東春興図」は、春という空気を感じられず、残念。横山崋山の「近江八景図」では、舟と雁を見つけらずじまい。どこへ行ってしまったんだ! その他、三田康「花菖蒲」、塩川文麟「老松若松図」「芦岸漁夫図」が展示されていました。


2022年 12月 7日(水)午前 5時 14分

 昨日は火曜日だから、お出かけ自粛傾向にして、Radikoのお世話になるのがいつもなんだけど、昨日は、それを破り、出かけた。朝から出かけようかと考えていたんだけど、所用があり、午後に回すことに。用事があったとは言え、午前中のウォーキングは、早めに始めることで、普段の時間と量を確保。午後のお出かけの往復を、ウォーキングを兼ねるということにすると、合計で、普段よりは若干多めとなり、狙い通りとなりました。その午後のお出かけ先は泉屋博古館。天王町から東に入ったところ。三条駅との間がウォーキングとなったのだけど、あんなところに、あんな大きな建物あった? あまり行かないところなので、間違ってるかもしれないけど。今、ここで、「特別展/木島櫻谷―山水夢中―」が行われています。その会期が、あと少しということで、火曜日に行くことになりました。ということは、会期終了までスケジュールが詰まってるってこと。で、木島櫻谷ものを、まとめて観るのは初めてどころか、作品の特徴まで、観て判るなんてことからは程遠いもので、ほとんど初めて観ると言っていいほどの作家さん、大家であることぐらいは知ってたつもり。従って、今尾景年の弟子だったということは、ここのパネルで、初めて知った。展示数が多いわりに、使っている部屋は、大きなものが1つだけという展示。それは、もの自体が小ぶりな、櫻谷文庫保有の写生帖の作品が多かったからだと、行ってみて知ったこと。木島櫻谷は、動物を描いたものが有名だと言われている、これは、この展示の作家紹介的なパネルにも書かれていたが、実際の展示は、自然を描いたものが多いというものでした。数の少ない動物ものでは「細雨・落葉」に描かれた鹿を観ると、その得手と言われる動物ものを観たくなったことは確か。「渡頭の夕暮」という作品は、左隻に農家の女性、右隻に漁夫という、職種の異なる人物画が対になったもので、こういった対という構図が、一つの型と書いてあった。中国絵画の影響があるのでしょうか、確かに、展示品の中には、黄紺の目からしても、中国の山水画由来のものと思しきものがあったので、そういったことを考えてしまいましたが、それが、日本画の世界に入り、約束事になっていく。幽山渓谷を描いても、杣人のような人を挿し込むということがあったり、日本画を観るときというのは、そういった約束事があると言われると、気になってしまいます。自然を描いたものでは、「富士山図屏風」が、6曲1双の大作。左隻に描かれた富士山が、この展示会で一で気に入った作品。これは雄大。雲の上に顔を出した富士を描いたものだけど、望遠レンズで山頂近くを観たような富士、その下を雲が流れている。動かない雲が動いて観えたものだから、えらく富士にリアリティが出ている。同じような構図で描かれた富士は数多あると思うけれど、これは、忘れることはないでしょう。墨画作品だけど、多くは着色もの。中には、墨画に一部に薄っすらと着色しているという微妙なものもあった。「帰農図」の足元辺りに着色があると、解説にはあったけれど、黄紺の目には無理。墨画のいいもの観たからでしょうか、着色作品が、余計なことしてくれてると思うようになってしまい、目に付いたのは、展示室入口近辺にあった大作ばかり。木島櫻谷は、自然を描くために、多くの写生帖を残し、また、写生を目的として旅をした人。黄紺の目には、白黒の写生帖の方が、落ち着いて観ることができた。山水に着色されると、色の濃淡がクリアになり、何か違うという空気が流れているよう。木島櫻谷は、自然を描くため、自然石を見つめ、それらを岩石肌の山腹を描くときに参考にしたとか。徹底した取材を人だということが、よく判ったんだけど、どうも着色されると、黄紺の目には流れてしまう。精緻な絵に、やり過ぎ感ばかり、感じてしまってました。展示品の最後には、お手本にしたのでしょうか、櫻谷収集の明清期の中国絵画も展示という趣向も加わっていました。
 泉屋博古館では、同時並行で、もう1つの展示会が行われています。それが、住友コレクションの名品を並べた「中国青銅器の時代」という展示会。これが、凄かった。櫻谷展を、先に観ていたため、腰のことを考え、1つ1つを丁寧に観ることは叶わなかったけれど、このコレクションは凄い。入口入ったところの真っ先の位置にあった「夔神鼓(きじんこ)」は、青銅器で作った太鼓。これは驚いたね、こないな青銅器って、今まで観たことはなかった。寄席で使う太鼓ほどの大きさがある。中国の古代の金属器って、金属を溶かして型を取るという作り方だということは知っていたけど、この太鼓を前にしたとき、戸惑い、驚きが交差してしまった。最初のフロアにおられた係の方に、いろいろと教えて頂いたんだけど、パーツに分けて型を取り、それを組み合わせるという方法で作ったと考えられているということでした。そういった技術も持っていたからこそ、太鼓のようなものまでできたということなんだけど、同じ形状のものは、世界に、あと1つしかないということでした。フランスにあるそうです。併せて、型についても教えてもらった。型は土というか、商のあった位置からすると、黄沙が積もった土壌だから砂で作るものだから、加工がしやすいものだから、とっても細かな装飾が可能だったとか。黄紺も初めて知ったのだけど、鼎には、内側に文字が刻まれているそうで、これは、確かに現認したけれど、その文字も、砂で型を作ってればこそ可能だったのだろうということでした。黄紺はうろ覚えなため、その鼎を三足の器に使う呼称だと勘違いしていたところ、それは、煮炊き専用の口の広いものだと教えられ、そう言えばそうだったなと、頭の中で修正。それは、幾つかあった「卣(ゆう)」の文字が示すものを尋ねたとき。漢字って便利ですね、文字1つで、器の形状、使用目的を表すんだから。これは、三足の酒器に使う文字。酒器と言えば、もちろん祭器です。しかも、上部の端に耳が付いていた、そこに吊るす用の手が付いているものを指すそうです。第1展示室「青銅器名品選」は、正にネーミングに偽りなし、名品揃い。そっくり返った形状の注水器? それとも酒器? とにかく液体を注ぐ器には驚いた。使用目的もさることながら。それに沿って作られた、その形状の美しさは限りなしというところ。これの名称をメモらなかったことを後悔しています。「犠首方尊(ぎしゅほうそん)」という、殷周の青銅器と言えば頭に浮かぶ、方状で、上部が拡がる名品も並んでいました。「第2展示室/青銅器の種類—豪華な道具たち—」で鼎に遭遇でき、「第3展示室/中国古代の説話と文様」では、「虎卣(こゆう)」だったかな、虎の口に人が飲み込まれようかという、有名な形状をした逸品を目にすることができ、そして、この展示室から「第4展示室/青銅文化の展開」にかけては鏡のオンパレード。いやぁ~、凄かった。帰り際、入口で、いろいろと教えて頂いた係の方に、お礼のご挨拶をしたとき、思わず本音が出てしまいました。「こちらの方がおもしろかったです」と。櫻谷展を目指し、中国の青銅器の逸品に魅せられて帰ってきました。
 帰宅してから、ようやく、昨日放送された「まーぶる」を、Radikoで聴くことになりました。落語界の話題というよりか、どうしても、サッカーの話題に。そんななか、二葉が、かつては、地元のセレッソを応援に、友人らと長居に足を運んでいたことを披露。サッカー中継もやってる梶原さん、びっくり。今まで、梶原さんが、サッカーのネタを振ってもつれなかった二葉の過去に、梶原さんならずも、びっくりさせられました。日韓W杯のときには、W杯の雰囲気だけでも味わおうと、長居界隈に行ってたとは、えらいサッカーファンやないけと、突っ込んでしまってました。もう、あれから20年ですな。落語界関係では、広島の独演会は、喫茶店経営の好事家の方が、友人の手伝いを得て開催されたものだそうです。確かに、その会へ行かれた方のTwitterに上がってる画像を見ると、とっても手作り感のある、いい感じの雰囲気でした。こういった人たちが、どんどんと増えてるようですね。大阪や東京以外に広まって行ってる感、出てますね。あと、兄弟会の宣伝がてらレポートしてたけど、前から感じてたけど、この3人、めっちゃ仲ええわ。ちょっとした、兄弟ネタになるだけで、その雰囲気が出ます。二乗の実直さに優しさ、二豆のへんこな真面目さと、いいキャラの兄弟に恵まれています。


2022年 12月 6日(火)午前 6時 19分

 週明けの月曜日、昨日は、午後に市民向けイベントに参加することになっていた。丁度、午後2時に岡崎の平安神宮記念館で行われるということで、普段の午後の一時の時間帯にすっぽりと収まった。だから、昼前のウォーキングは、いつもよりは、少し前に持ってきて始めることに。そして、夕方のウォーキングは、お出かけの往復で充てるというもの。終わってみると、普段よりは、若干多めのウォーキングとなっていた。ま、一昨日は、ウォーキングに充てる時間が少なかったので、上手い具合に調節がとれました。
 午後の市民向けイベントは、琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会という団体の主催。調べてみると、この団体、滋賀県、大津市、京都市、(公社)京都市観光協会、(公社)びわ湖大津観光協会、京阪ホールディングス(株)、西日本旅客鉄道(株)、東海旅客鉄道(株)、京都商工会議所、大津商工会議といった、錚々たる顔ぶれで構成されていた。それで納得、京都の水道局や琵琶湖疏水記念館からの参加者が、メーンの対談の前に、疏水についての報告や、PR活動についての報告が入り、また、平安神宮のお庭を傍らに眺めることのできる場所を借り、ゲストにもお金がかかっていると、せこい目で眺めてしまいました。琵琶湖疏水って、「日本遺産」だそうです。「日本遺産」という言い方自体、知らなかった。ま、そういった者もいるということで、こういったイベントを行い、このイベント自体は収録され、後日、YouTubeにアップされることになっている。まともな据え付けのカメラが、会場に収まっているという物々しい光景に、場違いなところに潜り込んだのかと、正直、思いました。そして、このイベントのメーンは、「スペシャル対談」と銘打たれていた。俳優の船越英一郎さんと、京都高低差崖会崖長・京都ノートルダム女子大学非常勤講師の梅林秀行さんとの対談でした。梅林さんはともかくも、船越さんは、琵琶湖疏水のPRキャラクターも務めている。それは、ドラマの撮影で、頻繁に、疏水界隈をロケ地として使ってきたからということでした。この豪華な顔ぶれを招請したということで、このイベントへの応募は、定員の6倍に達したとか。その難関を乗り越え、当選してしまっていたのです。最近、こういった抽選は、外れ続きだったものだから、一挙に取り戻したくらいの運の強さでした。対談は、ぼーっと、おもしろいなと、メモも取らないで聴いていたので、内容的には、あまり確実性に欠けるけど、一応、メモっておきます。「琵琶湖疏水船は、ほとんどトンネルの中を進む、山科で外に出ると、なんちゃらという近代建築がある」「疏水は、最初の計画では、分線の方であった、今の哲学の道に沿った疏水がそれ、その流域を工場地帯にするつもりだった」「それを、田辺朔郎がアメリカ視察をしたときに知った水力発電に使おうとして、急遽、変更したのが、残っている疏水」「21~2歳の男が、それを決断、指示した」「哲学の道への整備は、観光客のゴミに悩まされた地元の人たちの動きによるもの、確か、1970年代と言われていた」「防火用水として御所に水を送る専用の水道がある、ポンプだけが中にある洋館が残っている、その造りは、水道に面した階段のある面が正面で、同時代のヨーロッパ建築に倣ったもの、でも、この防火用水、1度も使われたことはない」「平安神宮のお庭の水も疏水から引かれている、会場の平安神宮会館から観る風景は全くの日本庭園、これは池を中心に据えている、一方、見学コースから観る平安神宮のお庭は、広々とした印象を与える、確かに、平安神宮会館からの風景とは違う、それは川を中心に据えた作庭の構想によるもの、これは新しい発想、小川治兵衛によるもの、疏水から水を引くということから生まれた作庭」「白沙村荘、橋本関雪に関わるトピックを、船越さんが出してたんだけど、どういったことで出されたのか、思い出せない」「岡崎は、近代以前は、武家屋敷があった、その武家屋敷の名残りを、現在の道路との段差で確認できると、こちらは梅林さんが出されたトピックだったけど、何で、段差ができたのかが聴き取れていない」「京都のおもしろい点は、様々な時代が、1箇所に集中して観ることができる点との、梅林さんの指摘、これを、一言で、あるタームを使われていたけど、メモらなかったので覚えていない」、覚えているのは、こんなところかな。最後に、普段は観ることのない平安神宮のお庭、見え方が違うというお庭を、しっかりと目に焼き付けて会館を後にしました。有名人、お二人、やっぱ、ネームヴァリュー分のオーラがあり、それだけで、圧がありますね。楽しいイベントでした。
 夜は、米朝事務所のYouTubeチャンネルで、月曜日の定番、米紫&吉の丞のトークを楽しんだけど、あれれというトピックを取り上げていたので、とっても納得。「米輝の気遣い」だったかな、フリップに、その類の言葉遣いをしてた。先々週の「米團治日和」というKBS京都のラジオ番組で、米團治が、「銀瓶とのピロートークでな、、、」と言い出したときに、すかさず、ゲストで出てた(弟子全員がゲストだった)米輝が、「“ピロートーク”というイベントで、、、」と言葉を添えたことを取り上げていました。黄紺的にも、一瞬、「ナイスフォロー」と思った米輝の言葉。と同時に、米輝って、えらくデリケートな、そして、常識的なフォローができるんやと思ったのでした。瞬間、米團治自身は、「なぜ、米輝が、口を挟んだのかが解からなかった風情だった」のが、可笑しかったけどね、ここまで突っ込んで欲しかったな、米紫と吉の丞には!


2022年 12月 5日(月)午前 6時 15分

 昨日は、日曜日ながら、その朝の楽しみが跳んでしまった日。時々、この日曜日の朝に放送がある「日曜美術館」が、再放送になることがあるけど、昨日が、正に、その日。だけど、後ろの1/4の時間帯の「アートシーン」は、そういったときでも、新しい情報を流してくれるから、こちらは外せないというから、ややこしい。おまけに、「日曜美術館」の直前にある「no art, no life」も贔屓にしているもので、こちらは、「日曜美術館」のような飛ばしがないから、余計にややこしい。でも、昨日は、両方ともに外すことなく、観れた。エライ!
 午後からは、今月2回、予定している落語会の1つに行った。もう1回は、多分、行くだろうの気分だから、それを飛ばすと、昨日の落語会が、今年最後となる。ま、それは、後のこととして、昨日の落語会は、「星の里いわふね落語会/桂南天の会 其の二十八」というもの、私市の星の里いわふねの体育室で行われている。定期的に開かれており、確か、半年前にも行ったことがあり、今回が2回目となった。なんせ、南天を2席も聴けるという有難い落語会です。南天は枚方市出身の噺家さんだから、準ホームという場所での会です。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「四人癖」、南天「饅頭こわい」、(中入り)、佐ん吉「厩火事」、南天「七段目」。楽しみにしていた会なのに、往きの電車内で、猛烈に眠い。交野線に移ってから、瞼の重さは厳しさを増していった。やばいと思ったら、案の定、前半の中央部で、すっぽりと寝落ちしてました。慶治朗の半ばで寝てしまい、南天の登場で覚醒、マクラまでは覚えてるけど、「饅頭こわい」の、光ぁんが、「饅頭が怖い」と言い出すまで、完全に飛んでしまっている。そこからは大丈夫だったんだけど、どうしようもない。慶治朗って、前座で使われることって、そんなに多くない人なんで、聴いておきたかった。4人が揃う辺りまでは覚えてるんですが、、、。南天の「饅頭こわい」はネタ出し。「饅頭こわい」をネタ出ししているのって、最近は、あまり目にしてないですね。以前に聴いているはずなんですが、それは、思い出せないまま。いずれにせよ、とっても久しぶりだったので聴いてみたかったのだけど、惨たんたることになってしまいました。聴けたところでメモっておきたいのは、光ぁんを、線の細い、優男的キャラ付けをする人が多いと思うのだけど、南天のは、そうじゃなかった。ちょっとした小悪党っぽいキャラになってた。だから、ここまで騙されてきてたんじゃないかな、だから、饅頭を投げ込むということで、日ごろの憂さ晴らしの的になったという想像が働いてしまい、そう考えると、えらく合理的だなと思えました。さすが、南天の読みが透けて見えてきます。そういったことができる人だから、こちらの想像力も膨らみます。佐ん吉は、「厩火事」を、良く出しているようだけど、この口演には、あまり賛成できなかった。こういった噺が、佐ん吉の人に合ってないと思ったからです。どろどろ系の男女の仲を扱うには、佐ん吉の口演は健康的に過ぎるということでしょうか。佐ん吉は、わりかし「厩火事」を出しているようですが、遭遇は初めてのはずでした。南天は、ネタ出しの「饅頭こわい」を、1席目に置いたので、2席目は、何にするのか興味津々だったのですが、何と「七段目」でした。南天の芝居噺は、「蔵丁稚」はやってたっけ? やってたとしても、この2つだけのはず。「七段目」は、若い頃から持ちネタにしてたけど、あまり出さないですね。それが、思わないところでの遭遇にびっくりするとともに、ラッキー感いっぱい。ただ、他のネタと違い、切れは落ちるのですが、ま、人には得意分野というものがあるのですから、こういった意外な展開を楽しまねば! そんなで、自分的には、情けないことになったため不服なんだけど、それは自己責任というもの。この落語会のおかげで、コロナ禍のなか、大阪中心部には行ってないわりには、南天を聴けてます。有難いことです。おまけに、佐ん吉まで付いてくる、素敵な顔付け、嬉しい時間を過ごせました。
 せっかく、大阪府内に入ったということで、ちょっとだけ、息子の家に寄りました。丁度、Sがお昼寝から目覚めたところ。Dは、Sと一緒に、おもちゃの電車を並べた部屋に案内してくれた。あいつら、めっちゃたくさんの電車並べて、遊んでました。その風景を写真に撮ろうとして、事件が勃発。Dが、黄紺のスマホを取り上げようとしたものだから、それを渡すと、いじり倒されるのが間違いないので、渡せ渡さないの攻防。おかげで、スマホの設定に変化。これで、Dは、息子に、こっぴどく怒られる羽目に。そんなこともあったけど、楽しい一時。息子とは、その合間に、韓国旅行の打ち合わせ。それもあったので、寄ってみたのでした。もう、今度、Dと会えるのは、関空でかな? だと、Sとは、ご無沙汰になっちゃうなぁ、これは、寂しいね。


2022年 12月 4日(日)午前 7時 5分

 すっかり、冬の寒さが定着してしまってます。昨日は、午後に、オンライン配信の予約が入れてあっただけで、お出かけなしの一日。その配信は、すっぽりと、午後の一時の時間に収まったけれど、夜には、「ブラタモリ」の新作が流れるということで、夕方のウォーキングを、1時間、前に持ち上げたことが、ちょっとした変化。そんなだから、ルーティンにしているウォーキング2回は、平常通りに実施。寒いとはいえ、ウォーキングをしていると、温まってくるので、途中からは快適そのもの。でも、ここまで気温が下がって来ると、黄紺の手には厳しいな。動きは悪くなるし、痺れの酷い右手には痛みが出てくるからね。そういった意味でも、冬は嫌な季節です。
 午後の配信は、毎度、お世話になっている帝塚山大学考古学研究所の行っている講座。昨日は、「科学研究費研究成果報告会合同公開講座」という名称が並列されていました。講師は、帝塚山大学考古学研究所長・附属博物館長で、この講座の司会なども担当されている清水昭博さん、お題は「古代尼寺の考古学的研究」。文献史料、考古学の成果を併せて、飛鳥や奈良だけではなく、他の地域も含めて、尼寺を特定して行こうとの試みです。具体的な事例をいっぱい用意され、実証に努めていただいた講演。昨日も、途中、若干、うとっと来た時間もあったのだけれど、流れは外していません。その流れをメモっておくことにします。簡単に、ここまでの、古代尼寺の研究略史を押さえられたあと、法隆寺の記録や「日本書紀」に記載されたものから、「尼寺」と特定できる寺院をピックアップ、前者から出てくる橘尼寺、中宮尼寺、池後尼寺、葛城尼寺に加えて、後者の記載から、坂田尼寺、豊浦寺(とゆらでら)、小墾田寺(おはりだでら、奥山廃寺)が出てくるそうです。お話は、ここでピックアップされた寺院の点検をされていきました。伽藍配置、使用されている瓦、近くに寺院がないか、この項目は、尼寺が、僧寺と対になって造られていることが考えられるからということで入ってきていました。こういったシテュエーションは、百済の伝統で、それを受容したのだろうということでした。その中でも、豊浦寺が飛鳥寺という対になっているという例は興味を惹きます。飛鳥寺が、あまりに有名ですからね。こういったお話しになると決まって活躍するのが瓦。清水さんのお得意の分野。こちらの講座で、随分と瓦のこと教えて頂きました。瓦を作るのには、窯が要る。簡単に作れるものではないから、そこには、何らの権力の存在がある。そんなだから、そこかしこにあることは考えられない。また、瓦を作るのには木型が要る。少ない窯だから、その木型を追う、言い換えると、瓦の形や文様、特に軒丸瓦という丸い形をした瓦に、その特徴が出てくるので、その形や文様を追えば、窯を特定できていく。そういった瓦を使っている寺院のグルーピングが出来上がっていくということです。ここでは、豊浦寺と飛鳥寺の瓦が、同じ木型を使っているということで、親近性を導き出すことができるというわけです。そこへ、両寺の距離が加わると、僧寺・尼寺の関係を導き出せるというわけです。この場合は、既に、豊浦寺が、文献史料で尼寺と判っているので簡単なのですが、親近性を確認できても、どちらが尼寺かが判らないときは、その近くに残る地名を援用して推測されていました。こういった瓦とともに、親近性を示唆するものに、塼仏が用いられるケースも、若干、紹介されていました。塼仏というものも、この講座で知ったもの。こちらも型を使い、横2列で計6体の仏像を刻む素焼きの板状のものです。これも型を使うということで、瓦同様の使い方が可能ということです。法隆寺も中宮寺という尼寺と対になってたということでした。こういったことが判って来ると、これを、飛鳥や斑鳩といった地域ではなく、他の地域へも拡大し、検証していこうとの試みが、そのあと続きました。その中の幾つかをメモっておきます。金剛山麓の朝妻廃寺と二光寺廃寺。「二光=尼公」と考えられるので、二光寺が尼寺。両寺では、瓦だけではなく塼仏も共通。葛城山麓の地光寺の東西の遺跡は、僧寺と尼寺という関係。ここでは、伽藍の近接性も確認でき、岡寺式軒瓦と鬼面文軒丸瓦という共通の瓦が出てきている。ビジュアル的におもしろい後者の瓦。「鬼面」は「神獣」を表しており、新羅由来のものだそうです。東遺跡が尼寺かとされていましたが、根拠はメモってない。同じく、メモってないので、どちらが尼寺か判らないのですが、二上山麓の当麻寺と只塚廃寺とも対の関係だそうです。ようやく行ったことのある寺が出てきました。当麻寺なんだけど、謡蹟なもので、行っております。瓦は川原寺式軒丸瓦で、同じ型を使っていると言われていました。奈良市の山村廃寺と塔の宮廃寺、両寺の距離は1000mと、ちょっと離れているが、同じ街道沿いにあるので、距離が離れていても対だろうということです。周辺に「尼ヶ崎」という地名がある塔の宮廃寺が尼寺だろうと推測されていました。更に検証は、畿内から、更に、その外の地域にまで広がりました。その中で、黄紺も行ったことのある寺院の名が出て来た。京都府城陽市の正道廃寺と久世廃寺です。わりかし最近ですね、アスニー山科から城陽での喬介の会に移動するという大遠征をしたとき、時間があったので行った。正道廃寺は正道官衙跡の近くだそうです。久世廃寺は、もろに、その跡地に入り、何か残ってないか観てきたところ。ここで、おもしろいトピック。瓦を作るのに同じ形の木型を使いながら、久世廃寺の瓦にある珠点が、久世廃寺の方にはない。これを除けば、全く同じ文様。だから、木型を作り直し、小さな珠点を入れるのを忘れたのだろうという、傑作な推測。こんなこともあるんだね、古代人も。そして、久世廃寺辺りを歩いていると、やっぱ、奈良との関連性を強く感じた。あの城陽辺りって、貴族の邸宅が並んでたことを実感したこと、思い出すことになりました。最後は、伯耆、播磨、尾張まで、お話は及んでいました。瓦は、おもしろいね、いろんなことを教えてくれます。
 夜は「ブラタモリ/静岡編」。県庁所在地で、まだ出てなかったところ、切り口は、ずばり徳川家康。人生の中で、一番、長く住んでいるそうです。人質時代を含めてです。駿府城の位置を確認するために、久々に水路を求めての街歩き。これ、「ブラタモリ」の身上だったんだけど、トピックが多すぎて、激減していたけど、静岡は、トピック少なめだから入れたのだけど、観ている者からすると、これ、嬉しいんだよね。それと、今の街路が、かつての城下町、商人町の街路が、そのまま残っているというのが、おもしろかった。駿府城の発掘も、おもしろかったですね。でも、あのお城、何で消えたんだろう? そして、知らなかったこと、慶喜が、後半生を過ごした土地だった。その邸宅跡は料亭になってた。結婚式もやってた。へぇ~、でした。


2022年 12月 3日(土)午前 6時 31分

 一層、冷え込んでいます。1週間前とは比べるべくもない寒さです。空調全開、電気ストーブもつけています。完全に真冬体制となっています。昨日は、寒いなか、朝からお出かけ、且つ、ハシゴをしました。市民向け公開講演会と美術館とのハシゴでした。まずは、アスニー京都での講演会から。8月を最後に、アスニー京都での講演会は、足が遠のいていたと思います。あまり気が乗らないテーマが続いたり、行きたくても、何かとバッティングしたりしていたからだと思います。既に、夜にお出かけが決まっているときは、行きたいテーマでも諦めることにしていますから。そんなで、久しぶりの講演会のお題は「ウクライナは今」、お話をされたのは、小野元裕(日本ウクライナ文化交流協会会長/株式会社 東大阪新聞社代表取締役社長/株式会社 ドニエプル出版代表取締役社長)さん。 表記の通り、両国の文化交流をされていたところに、今回の戦争、そこで、ウクライナへの支援を続けられている方。実際、この9月には、ウクライナにも入られており、そこで、聴いてきた生の話も含めて、前半は、その支援の実際をお聴きすることができました。そして、半ばからあとは、ウクライナの歴史、そして、今回の戦争へという流れのお話。全く、ウクライナ・サイドに立ったお話だろうとは思ってはいたのですが、その通りのもの。しかも、実証的なお話ではなかったものですから、ちょっと引いて聴いてしまいました。滑舌のいいとは言えない喋り方をされるということもあり、聴き取りにくい箇所も続いたこともあり、所々で居眠り、起きていても、肝心な語尾にタームが入ると、何を言われているのかが不明瞭で、ちょっと苦しみました。ただ、気になることを知りました。不勉強が招いたことですが、クリミア半島は、スターリンにより、ウクライナへの迫害、どうやら、「クリミア・タタール人追放」に関わるトピックのようですが、そのため、スターリン批判をしたフルシチョフにより、詫びを入れるような形で、クリミア半島がウクライナに編入されるようになったということでした。これ、きっちりと勉強せな、ダメですよね。自戒です。プーチンは、全ウクライナを含め、ベラルーシとともにスラブ連合を作り、ゆくゆくは旧ソ連の復活を目指しているともいうお話辺りになってくると、そうなのかもしれないけど、ここまで来ると、こういった市民向け公開講演会の枠からフライングをしてしまってるようで、、、、どんなもの何でしょうかね。ウクライナ問題については、このアスニー京都での講演会としては、これで2回目です。前回は、行けてないときにあったのですが、だから、内容は判らないのですが、講演をされたのが元駐ウクライナ大使。どうして、学者を呼ばないのかなぁ。引っ張りだこで、ましてや、専門にしている方が少ないということもあるだろうけれど、ちょっと気になっています。
 以前は、アスニー京都での講演会があると、毎回、三条駅まで、ウォーキングがてら歩いてたけど、それを止めて久しくなるけど、昨日は、それを再現。以前のコースを、少しアレンジして、三条通にある京都文化博物館に向かいました。今、こちらで、企画展「ある画家による京都 西川純の素描」が開かれているというので行ったのですが、同時開催で、あと2つの企画展が開かれていました。「京都洋画新人展 1967-1975」「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝12 宮廷行事と宸翰和歌懐紙」の2つ。とっても、お得なものが3つも観ることができ、いいときに行ったものでした。西川純という作家さん、この企画展で、初めて知りました。鹿子木孟郎、浅井忠といった京都縁の大家に師事した作家さんだということで、覗いてみた次第。すると、とってもいい企画展が、あと2つも付いてきた。「陽明文庫の名宝」などは、国宝、重文といったヘビーなものが並んでいるという、お得感満載の展示となってました。西川純ものは、多くは、古い京都の素描、それ以外は、岡崎動物園で描いた動物(当時では珍なるということで、こぞって作家が描きに行ったようです)、デッサンの学習のために描いたようなヌード作品、京都の素描に色付けをしたもの(元の図と彩色したものを並べたものもあり)という内容。黄紺的には、色付けした作品より、鉛筆描きの素描作品に惹かれてしまいました。色が入ることで、質感が下がるように思えたからです。でも、いずれにせよ、古い京都を観れるという楽しみは格別のものがあったな、十分に満足。次いで、「京都洋画新人展」。主に京都府立文化芸術会館を会場に開催された「京都洋画新人展」出品作が並びました。出品当時は「新人」だった作家さん、各々の経歴も書かれていたので読みながら、作品を眺めていたのだけど、京都市功労者の肩書も持っている人を始め、後には名を残すようになった方々のようでしたが、黄紺的には知らない人ばかり。作品は抽象画ばかりが並んでいました。正直言って、自分的には惹かれるものはなかったのですが、おもしろかったのは、キュレーターの方が作品に添えられた解説。作品の見方を示唆しているという内容なのですが、その言葉の豊富さ、目の持って行き方に興味が湧き、それを楽しんだというのが、このコーナーでした。そして、最後が「陽明文庫」。「陽明文庫」って、よく耳にする(歴彩館では、定期的に「陽明文庫講座」なるものがある)のだけど、「陽明文庫」って何ぞやということ、初めて知りました。摂家筆頭の近衛家所蔵の古文書群のことだったのですね。そりゃ「名宝」です。いきなり、藤原道長の日記「御堂関白記」に遭遇したのには、ホント、驚いた。日本史に疎い黄紺でも、さすが、この名は頭に入っている。国宝も国宝ってやつです。それが、「陽明文庫」に入ってたということを知らなかったものだから、展示されている現物を観るまで、このコーナーの凄さを知らなかった。本来なら、このコーナーを目指して行くのが普通なんでしょうね。この書き方がおもしろい。日付を始めとした項目立ては、陰陽師に書かせ、その間にスペースを用意させておき、そこへ、その日にあったことを、道長自身が書き入れるという形式。その書き入れを、また、丁寧に現代語で解説を入れてくれているという、なかなか凝った展示に魅せられてしまいました。そういった書き入れを点検することで、その後、途絶えてしまった年中行事や宮中行事を再現できると解説には書かれていました。納得です。もちろん、この日記以外にも、黄紺的には、初耳の国宝や重文も幾つか並ぶという、大変な展示。なかには、孝明天皇や後桜町天皇といった天皇自筆の書があったり、狩野常信筆による紫宸殿賢聖障子図という絵巻作品があったり、近衞家実筆になる鎌倉時代の「猪熊関白記」、平信範ほか筆になる「兵範記」などが展示されていました。数は、さほど多くはなかったけれど、恐らく記憶には、しっかりと残る展示だったと思います。


2022年 12月 2日(金)午前 6時 34分

 一段と寒さが厳しくなってきています。12月に入ったのだから仕方ないことと言え、厳しいね。夕方から、外の冷えが屋内までも伝わって来たので、もう電気ストーブだけでは追いつかないと、空調を入れました。スマホで天気予報を見ると、昨日の最高気温12度、最低気温は6度で、納得です。
 昨日は、いいイベントが3つも重なった日。その内の2つは、事前予約が要ったのに、それを怠った。その内の1つは、一昨日が締め切りで、それに気づいていながら、その場で予約をしないものだから、すぐに忘れてしまう。で、結局、残った1つ、これに関心がないというわけではないけど、最近のマイブームでは、アートを優先してしまっているため、その影響を受け、一番後回しになってた歴史ものが残ったというわけで、京都学・歴彩館であった「館長特別ミニ講座“八世紀の宇治”」という講演会に行くことになりました。お題からも判るように、いの一番に飛びつきそうなもの。ということは、それだけ、ハイレベルな競争だったということです。この講演会は、定期的に行われているミニ講座の特別ヴァージョン。冒頭に、係の方より、年に1回、いつもとは違い、大ホールを使った講演会を、ミニ講座として行っていると言われていました。ミニですから、時間は1時間。お話をされたのは、館長の金田章裕さん、歴史地理学を専門とされている方だそうです。「八世紀」というのは、平安時代より前ということ。もっと遡れるとも言われていましたが、一応、区切られた。「宇治」という表記とともに、「莵道」という表記があることは、さすがに伏見区民としては知っている。「莵道」を使った公共施設もありますからね。それだけ古いということは、この地は要諦の地だったということ。宇治川が山から出た扇状地に位置していることは、「ブラタモリ/宇治編」でも押さえていた。現宇治橋両脇、特に宇治川左岸に平地が多い。その宇治橋橋詰から平等院方向への川縁を底辺として、県神社を頂点とする三角形が、一番の宇治と言えるところ。そこから、左岸の平地に拡大していった。宇治橋に繋がる、現在、宇治の目抜き通りになっている通りが奈良街道という古道。東山道・北陸道に繋がる。現在も、外環状線の東方を、ほぼ外環状線に平行に走っている。山科方向に繋がるということは、大津、琵琶湖へと繋がる、古代の幹線道路だった。だから、宇治橋の位置に橋が架かっていた。宇治川は下ると、さほど行かない内に、かつては、巨椋池に注いでいた。木津川もそうだったと言われていた。「巨椋池」という言い方は江戸時代以後に出てくるそうで、この講演のフィールドでは、そんな言い方どころか、名前が見つからないと言われていました。お若い頃に、林家辰三郎らが関わった宇治市編纂事業で史料を読んだが、1度も遭遇しなかったと言われていました。その中で、金田さんが注目されたのが、建材となる木材運搬に使われた宇治川。丸太は筏にして、加工した建材は、筏に積んで運んでたようだと言われていましたが、その経路がおもしろかった。琵琶湖を通って集まって来た木材は、宇治川を下り、巨椋池まで運ばれ、今度は、木津川を遡り、「泉大津」(今の木津)まで運んだ、そこから、大消費地の奈良まで持って行ったと言われていました。平城京建設に供された材料のコース、しかも、山から出た要地に宇治があった。そして、そこは、陸路でも、奈良と大津方向に繋がる、2つのコースの結節点だった。すごいな、古代の宇治。以前、どこかの講演で、巨椋池周辺が1つの文化圏を形成していたと聴いたことがある。奈良に繋がり、また、淀川を使えば、大阪に通じる、もちろん、京都の南、そして、大津に琵琶湖に繋がる、大動脈です、これって、その結節点、そら、古くから栄えます、記録に残ります。「日本書紀」には、大津宮(近江)と「飛鳥・藤原の宮地(大和)を結ぶ要地」と出ているそうです。とまあ、お話の骨子は、このようなものだったのですが、いつものように、途中で、いい気分になり、所々、飛んでしまっている。その1つが、宇治橋設置のトピック、「続日本紀」には、造橋についての記述があると、レジュメには記されています。詳細は、そんなで不明です。また、現在の宇治橋右岸近くの橋寺放生院境内に「宇治橋断碑」なるものがあるということは、幾度か話されてはいたのですが、造橋問題との関連は、聴き落としたところで触れられたのか、不明のまま。もう1つは、レジュメには、東山道・北陸道という項目立てがしてあるのだけど、記憶にない。ここも飛ばしてしまってるようです。そんなで、1時間という講演時間にしては盛りだくさん、且つ、飛ばしてしまっていますが、とっても、濃~い内容でした。
 歴彩館に行くのは、恐らく、今回が最後となると思います。いつも、歴彩館からの帰りは、鴨川河川敷を歩くのが恒例。歩いていると、身体が温まって来るので、昨日のような気温でも、天気が良く、明るかったので、とっても快適。そういったときって、同じ距離を歩いても、短く感じてしまいます。昨日は、正に、そういった、いい感じのウォーキングになった。最後かなと思うと、余計に、短く感じてしまってました。


2022年 12月 1日(木)午前 7時 46分

 天気予報通り、昨日から、一挙に寒くなりました。午前中は、まだ、そうではなかったのだけど、その辺が境目だったということでしょうか、夕方からのお出かけ時には、全く変わっていた。午後から、外の気温が下がったのでしょうね、なんか、屋内に居ても、寒くなっているのが判った。慌てて、夜のお出かけに向け、冬ズボンを出さねばならないはめに。それで正解。上は、週末に出かけたままの姿で出かけたのだけど、もう限界越えそうでしたね。もうダメですね。しっかりと、暖かくして外に出ないと、えらいことになります。境目の日だったから、まだ悠長なことを言ってるけど、これではダメ。自分的は、冬の方がダメなのだから、やせ我慢を張っている場合ではないほど、急激な変化です。
 お出かけは、実は、午後に入るとそうしようかと考えていた。実は、ハシゴをして、夜のトーク・イベントに行こうかと思ったのだけど、あまり早く出かけると、普段のトルコ情報収集が、夜に帰ってからがヘビーになるということで、断念。他の日に回せそうなので、ハシゴは止めた。で、替わりに、YouTubeにアップされているオペラ動画「皇帝ティトゥスの慈悲」(エクサンプロヴァンス祭)にアクセスすることにした。2つ「皇帝ティトゥスの慈悲」をピックアップしてあったのだけど、1つ目は消えていたけど、こちらは、配信期間も確保されており、大丈夫だった。これ、デイヴィッド・マクヴィカーのプロダクションンで、コリン・デーヴィスが指揮をするという、えらくヘビーな環境。歌手陣では、黄紺的でに、タイトルロールを歌うグレゴリー・クンデしか知らないけど、こういった環境に見合った歌手陣が想定され、実際に聴いても、実力のある人ばかりというもの。視聴は、暗殺未遂に終わる前半まで進んだんだけど、その後半は、ご多聞に漏れず、寝落ちをしてしまっているので、その辺は、もう1度、観ることにします。デイヴィッド・マクヴィカーものでは、オーソドックスに徹したものかというのが、記憶に残っているところ。詳細は、観直したときにメモることにします。
 夜のお出かけ先はロームシアター京都サウス。昨日は、こちらで、「芸能の在る処~伝統芸能入門講座〜 宝塚歌劇編」がありました。昨年から始まったトークショー。昨年は1回、今年は2回、行くことになりました。コーディネートを担当するのは木ノ下裕一。プログラムは、①講演:松本俊樹(立命館大学授業担当講師・大阪音楽大学非常勤講師)「宝塚は唯一無二か~同様の中の位置付け~」②木ノ下裕一と上田久美子(元宝塚歌劇団脚本・演出担当)のトーク③3人によるトーク。③で質疑応答となったのだけど、会場から出た、ジェンヌ・ファンと思しき人たちの問いかけの内容、関心の高さから判断して、その系の人たちの関心の的は上田さん、それは、②で聴いた内容で納得の行くものだった。この人、大変な人です。そして、宝塚で演じられている演目の質が、とんでもないものになっている。宝塚の制約の中で、大変な高みに持って行かれている演目、その張本人、それが上田さんのようです。花丸・生喬・生寿といった噺家さんが憑かれたかのように、宝塚に足を運ぶ、その背景を、初めて理解できた気になりました。だから、先に②をメモります。上田作品が3作、取り上げられました。「A:月雲の皇子」「B:星逢一夜」「C:桜嵐記」。Aは、「古事記」に出てくる「衣通姫伝説」に取材、近親相姦の物語の主人公を主人公に。Bは、郡上一揆にヒントを得たもので、宝塚に百姓一揆を出した。Cは、「太平記」に取材して、楠木正行を主人公に。南朝に繋がる人物を扱い、天皇制を問いかけるという代物。とまあ、題材を見ただけで、凄い、これを、宝塚でやっちゃった。木ノ下裕一は、Aを、「正史⇔物語」とし、まつろわぬものを排除してきた歴史を問いかける作品とまとめ、「月雲」と「土蜘蛛」の言葉遊びも指摘、Bには、「権力と民」「大きなものと小さいもの」という対比を読み取り、そればかりか、星を観測する高位の武士を登場させるというアイデアに感服、Cは、「生きる意味、死ぬ意味」を問いかけ、救いのない物語を編み出し、現代に通じる物語を創り出したとしていました。こういったまとめ方をされると、初めて、宝塚の舞台、観たくなりましたが、上田さんは、既に、宝塚歌劇団を退団、質疑応答にも出てたけれど、オペラの演出を手掛けられているようです。名古屋での公演、かなり行く気になっています。①に戻ることにします。宝塚歌劇団の歴史を追うことで、また、そのレパートリーや上演型式を振り返ることで、宝塚歌劇団の唯一無二性を探るお話。先日も、全国を巡った少女歌劇団についての講演を聴いたところ。ということは、似たような劇団があった。有名なものでは、SKDやOSKといった、東京や大阪を拠点にした劇団が思い浮かぶ。宝塚歌劇団は、「ブラタモリ/宝塚編」でもやってたけれど、温泉客用娯楽としてスタート、「少女」「無邪気さ」「家族本位」をモットーにスタートしたものが、1924年の大劇場建設辺りから、客層を、女学生を中心とした女性に絞り、男役と娘役への分化が進む。でも、断髪を敢行したのは、水ノ江滝子の方が先だった。外国の影響を受け、レビューも行うようになった。でも、これも、他の劇団も同様だった。ただ、特異だったのは、それらを継続したこと。これが、唯一無二を作ったという流れでした。「続けてきたこと」「残ってきたこと」こそが、宝塚の持ち味だというわけです。それを支えたものがあったわけで、その1つが、流行に敏感だったレパートリー、この敏感さは、時局も反映している。小林一三が政界に入ったこともあるのだろうが、生き残る手を打ってた、これ、先日の少女歌劇団のトピックにもあった。残す努力があり、残ったということが、唯一無二となったということでしょうか。舞台の構造も分析されていました。迂闊に使うと、著作権があるので、劇場を話題にすることにも簡単に画像を使えないなか、Googleのマップを使ったりしてのお話。間口が広くて、奥行がさほどないというのが特徴だそうです。そして、オケピットを挟んで前に出る「銀橋」というスペースを持つというのも特徴。これも、ブダペストのオペレッタハウスにあるので、オリジナルではないと言われていました。黄紺が、ハンガリー国立歌劇場で観た「フィガロ」では、オケピットの上にも橋を架けてたけど、これも、オペレッタハウスでは、以前からされていたことだと言われていました。そんなで、こちらははしょりながらのメモにしておきます。


2022年 11月 30日(水)午前 5時 51分

 昨日は、朝から雨の日。止みかけては、また降り出す、時には、かなりの降り。どうやら、この雨が境目のようで、今日からは寒くなると、ラジオを聴いていると強調している。今日が、11月末だから、仕方がないですね。そういったなか、昨日は、午後に、迷ったが挙句、映画を観ることにした。朝方は迷っていた。そこで、行くならと、いつもより早めに、午前中のウォーキングに出かけた。もちろん、傘さしウォーキング。雨の降り方が心配だったため、こういったときの定番のコース、自宅を中心にして、ほぼ等距離を目指して歩くというやつです。上手く、屋根付き公園も入れて、休憩&読書の時間も確保。で、帰ってくると、不思議なことに、行こうの気になっていた。昨日は、火曜日なのに、映画も行こうという気になった、珍しいことです。ところが、出かけた映画で、ほぼ寝てしまった。なんじゃ、これ、ありえません。だから、ショックは大きい。止めるという選択肢も頭にありながら行き、そこで寝る、もうサイテーです。自宅で、じっとしていても、「まーぶる」があるのにと思うと、余計、情けなくなりました。行った映画、名前くらいはメモっておきます。京都シネマでの韓国映画「夜明けの詩」。主人公の男(小説家)が、4人の男女に個別に対話を続けるというシーンが続いていたようです。1つ目は、いきなり、ソウルのビル内にある、ちょっとくたびれた喫茶店(カフェじゃない)で、若い女と喋っている、これが、何を話題にしているのか判らないまま終わったどころか、そのシテュエーションで、突然、若い女の替わりに、「母親」と男が呼ぶ年配の女が座り、2人の会話になってた。さっぱり判らないと思ったのがいけなかったのでしょうね、ダメでした。4人の男女の1人に、黄紺も知るキム・サンホが出ていたのは覚えているが、会話の内容は、全く覚えていない。映画館に貼り出されているポスターやチラシを見ていても、やっぱ、新作が減っています。旧作を名作として復活上映をしたり、普段だと少ないドキュメンタリーものが幅を利かせていたりと、コロナ禍の影響なのでしょうね、制作自体が縮小しているという印象を、今回も知ることになりました。総数が減っているということでしょうから、それだけ、目立った作品も減るということで、ひょっとすると映画館で観る映画は、昨日が今年の最後かもしれないなと、そんなことを考えていました。
 夕方に自宅に戻ってから、出かける前に聴き出していた「まーぶる」の続き、そして、夜になってからは「吉の丞のお疲れさん」を聴いた。「まーぶる」の方は、新たな落語界情報的なことはなかった。「胴乱の幸助」の紹介に入りかけて、冒頭の「立って立ってんねん」という有名なフレーズで停車。そら、おもろいけど、肝心の「胴乱の幸助」の破天荒な展開を触れないまま終わった。「何してんねん、二葉!」と、これは、さすがに突っ込んだ。二葉自身に関しては、「1回、やった」「もうやらへん」「長いし、、、」てなことを言ってた。「お疲れさん」では、「かねよ寄席」を取り上げていた。一昨日だったかな、最新の「かねよ寄席」に、吉の丞自身の出番があったということでの取り上げ。ま、いいきっかけです。この寄席がネタ化しているのは、ここでもそうだったんだけど、やっぱ、「かねよ」の表構えと、この寄席の木戸銭。落語のお値段が、時により「0円」だったり「マイナス*円」だったりする点。で、黄紺的には、そうであっても、行こうとしていない。なぜかと言うと、昔から、うなぎを食べには、この店には行かないから。黄紺自身も、子どもの頃から思っているし、また、うちの祖父母や母親も、この店のうなぎは「美味くない」と思っているから。もう、そういうことを言ってた頃から、ん十年が経っているから、お味も変わっているかもしれないけど、近辺のうなぎ屋に行っても、ここへは行かないと決めているから、この寄席にも関心を持たないので、取りにくいと評判の予約すらしようとしたことがない。あまりにも有名な寄席なので、そういった意味では行ってみてもいいかとは思わないでもないけど、お得なうなぎを求めては行かないですね。あくまでも黄紺的なことであって、こうやって、ラジオで取り上げられるのは、とっても喜ばしいこととは思ってはいるのですが。


2022年 11月 28日(月)午後 8時 16分

 今日も、まだ暖かめの一日。おかげで、まだ、薄っぺらな夏ズボンのまま出かけることができている。今日も、昨日に続き、オペラの日。従って、昨晩、京都に泊った福井から来ている高校時代の友人と、朝10時過ぎに、MOVIX 京都で合流。今日は、こちらで、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観る日でした。この1週間が、このライブビューイングの、今季の第1回目となります。丁度、それに、上手く、昨日のオペラ公演とが被ったというわけです。その第1回が、メトロポリタン歌劇場では、まだ上演のなかった作品。ケルビーニの「メデア」(演出:デイヴィッド・マクヴィカー)が出ました。黄紺的にも、ドイツ・オペラ紀行でも、1回だけした観たことがないというか、1回の遭遇機会を逃してはということで、最優先で日程に組み入れた作品でした。でも、有名な作品。というのも、マリア・カラスがレパートリーにしていたということで、名の知られた作品なのですが、やはり、主役を歌うのが難しいということで、取り上げられる機会が少ないと言えると思います。今回も、タイトルロールを歌ったソンドラ・ラドヴァノフスキーに合わせての製作&上演だということが、MCを務めたジョイス・ディドナートとピーター・ゲルフ総裁の会話で明らかになっていました。最早、今や、メトロポリタン歌劇場のメーン演出家となっているデイヴィッド・マクヴィカーも、初めて手掛ける作品ということを言ってました。そのデイヴィッド・マクヴィカーは、生でのインタビューに出てきたばかりか、プレミアでもない収録日に劇場に詰め、カーテンコールにも姿を出しているという、ほぼ観たことのない風景も映っていました。改めて、確かに、このタイトルロールは大変だということを再認識。1幕で姿を出して以後、最後まで出ずっぱり。しかも、高難度の役です、歌唱を求められます。しかも、デイヴィッド・マクヴィカーの精緻な演出に応えねばなりません。いつもだと、主役が、幕間にあるMCのインタビューも割愛され、別途収録された、公演のある日のソンドラ・ラドヴァノフスキーを追いかける映像で、インタビューに替えていました。装置は、全面、城壁が横たわるという単純だけど、その城壁が、彼我の世界の境界になっているという仕掛け、しかも、とっても荘重な城壁という作りになっているので、この境界の重みが半端じゃありません。その城壁の真ん中に、4枚の壁がスライドするようになっており、それが、彼我の境界を越える出入口になっている。その開ける壁の枚数、どの壁を開けるかで、境界の意味合いを変える操作もやっているように見受けました。メデアは追放された身ですから、城壁の外が、そのポジション、舞台で言うと、前面になります。当然、メデアを排除した元夫であるジャゾーネや、新妻グラウチェのポジション、そして、婚礼祝いの宴は、城壁の内側、舞台後方面となります。そこへ、もう1つ、装置に工夫があります。舞台後方、即ち、城壁内部の上には、斜めにした大きな鏡が斜めになり、その面を客席に見せているので、舞台後方での動きが、そこに反射して、客席に見せるようにした工夫が、なかなかいかしている、大勢が、城壁内に集う婚礼の場面の人の動きが、おかげで、よく判るようになっている。何よりも良かったのは、優れものの歌手陣が配置されていました。ソンドラ・ラドヴァノフスキー以外の布陣は、次の通りです。(ジャゾーネ)マシュー・ポレンザーニ、(クレオンテ)ミケーレ・ペルトゥージ、(グラウチェ)ジャナイ・ブルーガー、(ネリス)エカテリーナ・グバノヴァ、(指揮)カルロ・リッツィ。黄紺的ツボはエカテリーナ・グバノヴァ。ネリスというのは、メデアの侍女。深く沈んだ、豊かな表情ある歌唱に、すっかり魅せられてしまいました。友人によると、かなり有名な歌手だそうで、メトロポリタン歌劇場以外だと、確実に主役級の歌手だそうです。
 終了後は、最近の定番になっているラーメン屋で、遅めの昼食。いつもだと、ミニ丼を付けるのだけど、今日は止めました。とっても、美味しいのだけど、それまで付けると、今の自分にはヘビー過ぎて、毎度、夕食が、まともに食べられないでいたから。そして、おなじみの場所でお茶をして、またまた、オペラ、落語、それに、今日は、鉄の話も。久しぶりに、めっちゃ喋った2日間でした。福井は、これから雪の季節。「冬ごもりに入る」と言って、帰って行きました。順調なら、次は、「マイスタージンガー」のときに再会となるはずです。


2022年 11月 28日(月)午前 7時 39分

 昨日は、連続お出かけの2日目。朝からは、日曜日の必須となっている日曜美術館。昨日は、「曜変天目 丸の内へ 静嘉堂 夢の新美術館オープン」というお題で、この度、世田谷から丸の内への引っ越しを行った静嘉堂、その重文のビル内に設えられた美術館建設への歩みとともに、静嘉堂のコレクションを築きあげた岩崎家の2人(弥之助と小彌太)の功績や、そのコレクションを紹介するものでした。岩崎弥之助は、岩崎弥太郎の息、小彌太は、弥之助の息という関係。小彌太が、世田谷の美術館を造り、そこから、弥之助が造った丸の内に帰って来たことになるそうだ。紹介されたコレクションの数々をメモっておくことにします。①陽変天目(稲葉天目)②和漢朗詠抄(両紙自体が日中の手が入っている代物)③唐物茄子茶入れ(付藻茄子、弥之助の収集、夏の陣で壊れ漆でくっつけた、700年前製作、義満、松永久秀、秀吉、秀頼、家康、藤重と渡る、CTスキャンで調査、漆の塗り方が違う、元の型をとった絵図残っているので比較すると形が違う、安土・江戸の趣味の違い、復元して新たな価値を作り出したようだ)③李太白文集(重文)④刀剣3種(重文)⑤緒方光琳/住乃江蒔絵硯箱(重文、琳派の部屋、光悦のデザインを使う)⑥俵屋宗達/源氏物語関屋澪標図屏風(国宝、源氏と明石の対比)⑦酒井抱一/波図屏風(金地=太陽、銀地=月光、波、依頼主に当てた手紙残る、尾形光琳の波濤図屏風/メトロポリタン美術館の影響で描く、江戸の粋人の心)⑧平治物語絵巻(鎌倉時代)⑨河鍋暁斎/地獄極楽図(汽車で極楽へ)⑩馬遠(南宋)/風雨山水図(国宝)⑪沈南蘋(しんなんぴん)/老圃秋容図(ろうほしゅうようず)(清、若冲などに影響)⑫三鴨形容器(小彌太の部屋、唐三彩、墓の副葬品、鑑賞陶器)⑬三彩財か壺??⑭陽変天目、再び(国宝、青い色が宇宙に見える、千変万化という言葉が相応しい、光により表情を変える、12~3世紀、南宋、家光の奥に、その奥が稲葉家の出、昭和9年小彌太の手に、使うことはなかった、美術品と扱った)。さすが、岩崎家の収集品です。半端じゃないですね!
 午後はびわ湖ホールへ。昨日は、「沼尻竜典オペラセレクション」と題して、日生劇場で上演されたオペラが、こちらで上演されました。演目は、ロッシーニの「セビリアの理髪師」(演出:粟國淳)。有名オペラにしては、客の入りが悪い。昨日も、福井在住の高校時代の友人と日を合わせて、一緒に観たんだけど、その友人、この入りを見て、「これだったら、タンクレディやればいいんだ!」、全く同感。有名オペラを上演して、惨たんたる入りだと、珍品、あくまでも、日本での珍品だけど、そういった作品を上演してくれる方が、値打ちがあると思うんだけどというのは、あくまでも、個人の意見。舞台は、回り舞台を活用。真ん中に仕切り。この仕切りを始めとして、装置には、アフシャップのテイストが目立つ。回り舞台の中ほどに、仕切りがされているのだけど、それをアクセントに作られてはいて、旅回りの一座の手造り感いっぱいの舞台といったところ。両サイドには、その舞台の幕や回転を操作するハンドルが設えてあり、コーラスの人(その他大勢的な役回り)が、それを作動させるというもの。回転させるたびに、階段を置いたり、調度品や書割を設えての運びとなっていました。粟國淳のプロダクションですから、何か斬新な構想を描くというより、テキストに忠実に、おもしろく、且つ、解りやすくをモットーとした舞台でした。そういったなか、この公演の最大の目玉が、終演間近にやってきました。多くの公演では省かれるアルマヴィーヴァ伯爵の、長大、超絶技巧、ハイCと揃っているアリアが入ったことです。これは、DVDでは聴いたことがあったのだけど、生では初遭遇。このびわ湖ホールでの公演は2回あるのだけど、このアルマヴィーヴァを歌う小堀勇介という人、数年前、大阪で「ラ・チェネレントラ」を観たとき、ハイCどころか、CisやDまで出したかもしれないとも思うほど、高音の出せる人。声も軽く、正にベルカントにピッタリのお声。そこで、友人と日を合わせるときに、小堀勇介の出る日に合わせてもらったら、その狙いが、ずばり的中。ホント、これが入る入らないで、このオペラの締まり方が違う。休憩時間に、友人が「このオペラの主役はロジーナ」と解説。黄紺的には「?」だったのだけど、聞き流した。終演後、「あのアリアが入ると、主役はロジーナと言える?」に、さすが、友人も、前言を撤回しておりました。多くの公演では、カットされるので、このアリアの存在を知らなかったと言っておりました。なんせ、長大なものだから、さすが、アリアの終盤、声の乱れがなかったわけではなかったけれど、ラストのハイCも、ばっちり出しておりました。ひょっとしたら、それより高かったかもしれないなと思っております。後先が逆になったけれど、歌手陣、スタッフを記しておきます。アルマヴィーヴァ伯爵/小堀勇介、ロジーナ/山下裕賀、フィガロ/黒田祐貴、バルトロ/久保田真澄、ドン・バジリオ/斉木健詞、ベルタ/守谷由香、フィオレッロ/川野貴之、沼尻竜典指揮日本センチュリー交響楽団、ギター/黄敬、チェンバロ/平塚洋子、合唱/C.ヴィレッジシンガーズ、美術/横田あつみ、照明/大島祐夫(A.S.G)、衣裳/増田恵美(モマ・ワークショップ)、舞台監督/幸泉浩司(アートクリエイション)、演出助手/上原真希・橋本英志、合唱指揮/及川 貢、副指揮/大川修司・鈴木恵里奈・石﨑真弥奈・松川智哉。
 高校時代の友人は、京都で宿泊をするので、京都駅まで戻り、駅の近くで食事。久しぶりに韓国食を食べました。そして、お茶もしてから帰宅。久しぶりに、いっぱい喋りました。オペラのこと、落語のこと、もう頭が、パンパンです。


2022年 11月 27日(日)午前 5時 6分

 昨日は、久しぶりのお出かけ日。1回出かけると続くもので、週末ということもあり、少なくとも、月曜日まで3日連続で、お出かけ予定が入っています。昨日のお出かけは、午後に入っていたため、しかも、移動もあるので、昼前のウォーキングは控えめ。そして、夕方のウォーキングは、お出かけ先への往復で充当。ほぼ、普段同様程度の量をこなすことができました。お天気は、一昨日ほどではないけど、まだ、寒くはなっていない。ありがたいけど、12月が、もう目の前に迫って来ていて、これでいいのかと思うほどの気温だ。自分的には、この方が有難いけどね。
 お出かけ先は、京都駅前のキャンパスプラザ。ここだから、帰りは、徒歩移動で、ウォーキングの量を稼いだという次第。昨日は、「大学リレー講座」があり、その担当は種智院大学。「平安京の慈善救済と仏教 ―悲田院を中心に―」というお題で、同大学人文学部教授の佐伯俊源さんのお話がありました。冒頭というか、序盤は、種智院大学の紹介というお話。確かに、種智院大学に接する機会は、レアな体験なものだから、そういったお話をされたと思うのだけど、だからというわけじゃないけど、昨日は、ここで、早々に寝落ち。その気配すらなかったのに、ダメでした。覚醒した時間帯が、丁度、本体に入られた辺りだったので、講演の内容は把握できている。ただ、用意されたレジュメは、史料を集めたものばっかで、しかも、それが、お話の順序に従って並べられてないものだから、あっちこっちに飛びながらで、聴きにくいこと、かなりのものがあったけれど、お話自体は、解りやすい、内容のあるものだったと思います。悲田院・施薬院というものが、奈良時代にあったということは、光明皇后・聖武天皇の名とともに、日本史に疎いながらもインプットされている。それが、平安時代にも引き継がれた。古代から中世の「福祉」、仏教思想に基づく「福祉」という捉え方は、一貫していた。確か、京都の悲田院と言えば、三条にあったということを耳にした記憶があるが、それは、元来あった場所から、鴨川の氾濫のため、それまでの場所が被害を受けための移動後の場所だとか。平安京は、唐の長安をモデルにして造られた都だから、都市規制が行き届いていたというか、構想はそうだったというトピックは、すんなりと入って来る。従って、朱雀大路を挟んで、東西対象の位置に、悲田院・施療院をいうものがあったことが想像される。その位置が、「続日本紀」から「左京九条三坊」となっている。平安京の南辺近くで、東寺の近くであったよう。その東方に施薬院があったようで、こちらは、当地の考古学的発掘で出て来た木簡に書かれた文字に「薬」が出てくるので、特定できているようです。となると。朱雀大路を線対象にした位置にも、同様の施設があったという想定での探索。ところが、「右京」は、構想にあっても(「続日本紀」には「東西悲田院」という記載がある)、実際にあったか否かは怪しいというのは、黄紺も解る。「日本後記」には、葛野川、九条大路を境にして悲田院があったとの記載はあるとのことでした。これらの平安京での悲田院・施薬院の設立に関わった人物としては、藤原冬嗣の名が上がっていました。こちらも、「続日本紀」に、それを指し示す記載があるということでした。こういった平安京でのトピックから、今度は、奈良時代の、要するに、光明皇后&聖武天皇の関わる設立を示す史料の紹介を経て、いやいや、聖徳太子も、こういった構想で動いていたというトピックへ。「日本書紀」の記述などに、「四箇院」の設立となっており、寺院というもの、悲田院・施薬院を含めて建立するものとのお話があったのですが、そこまで遡るというのは初耳というか、黄紺が知らなかっただけということもあるのでしょうが、よく判りません、ここまで遡れるのか否かは。そして、最後に、こういった施設を支えていた仏教思想の紹介、出発点が最後になりましたが、これを「福田思想」と言われていました。初めて聴くタームです。「福徳を生み出す田」ということで、布施を成すような善行を積むという種子を蒔くことで、福徳・功徳を収穫することを田地になぞらえた言い方だそうです。ここまでの流れは解るのですが、根本的に「待てよ」と思うのです。「病」の捉え方の検討が一切入ってなかったからです。近代の「病」観のまま推移してませんか? 「病穢」というタームが、中世には生きてたはず。「穢れ思想」は、古代と中世では同じとは言えないなか、人によっては、真言密教こそが、インド伝来の「穢れ思想」を持ち込んだと言います。その真言宗の種智院大学の方が、看過していいのか? 更に「病穢」の「病」は「ハンセン氏病」を指すとも言います。ハンセン氏病患者も施療の対象だったか否かを検討しなくてもいいのか? そんなことを考えながらというか、そういったところへ入るのかということを期待して、この講演に行ったところがあります。幾つか、そそられる講演などがあった日のなか。そういった意味では、完全に失望の講演。佐伯さんも僧籍を持たれる方、ましてや、種智院大学という大学に在籍されていると、そういった点には目が行かないのかと、かなり辛口のことを書き留めねばならない、そういった講演でした。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「安曇野編」があった。北アルプスに沿った盆地、複合扇状地のもたらした不思議な地形。「ファン」「fan」「不安」「ファンタジー」をかけたダジャレのお題。そんなことより、元小学校の校長先生という案内人が、ちょっと危なかったのが、最大の印象に残ってしまった。タモリも、さすがに持て余してしまっていた。安曇野の持つお洒落なイメージが、なんか、壊れちゃったなぁ。


2022年 11月 26日(土)午前 8時 16分

 昨日も、まだ、暖か。結構なことです。ずっと、出かけていないので、昨日の予定表には、某博物館2つ、入れておいた。その内の1つは、他の日に回し、ハシゴをした方が得策と判断で削除。だから、残ったもう1つで、迷った。かなり行く気になっていたのだけど、結局、止めた。昨日行かねば、行く機会は取れないにも拘わらず。のんびりと、時間があるなら、本を読めるのにと思ったのが、断を下したときの気持ち。そんなで、昨日も、お出かけなしの一日。但し、昨日は、夜に、オンライン配信の予約を入れていたので、午後の一時を圧縮することにはなったけれど、ルーティンにしているウォーキングは、普段通り。替わりに、朝の一時を確保できたので、釜山情報集め。黄紺は、何度も、釜山に行きながら、海雲台には行ったことがないというか、行くつもりがなかった。でも、Dを連れて行くとなると別。海岸に沿って走るレトロな列車の運行が始まり、それに沿って、ゴンドラ風車体の乗り物も走っているというのを、YouTubeチャンネル「부산사랑-ぷさんさらん」で観たことがあったので、更に、その周辺の雰囲気を知るために、最近、見つけて、すっかり気に入っているYouTubeチャンネル「韓国の街」で確認。海雲台って、今まで、映像なり画像なりで観るときって、海岸、その傍にあるレストラン街やカフェ街しか観たことがなかったもので、街全体が、そうなのかと思っていたら、とんでもございません、めっちゃ都会。そこを抜けた、ホント、海岸沿いだけを、今までは観てきたことを知りました。これはこれで、いい勉強、いい情報を頂きました。なんせ、行くのが真冬だから、これだと言えるものを掴めないでいる。海沿いは寒いだろうしね。
 夜のオンライン配信は、立教大学の人権・ハラスメント対策センターが、「立教大学ヒューマン・ディグニティ宣言」コラボレーション企画として、ハイブリッド開催で行った講演会「2022年度 秋季人権週間プログラム“しょうがいしゃ差別を〈語り〉なおす”」というもの。お話をされたのは、二松学舎大学文学部准教授 の荒井裕樹さんでした。荒井さんは、元来の専門が日本文学、そこから、言葉を通して、障害者差別を考えるというアプローチをされたとの紹介がありました。この講演のテーマとして、次の2点を上げられました。「障害者差別を語る言葉について考え直す」「障害者差別に関する言葉から現代社会を考え直す」。まず、日本の障碍者運動の論点を整理、「権利や制度など具体的な問題を問いかけた現実的な論点」と「尊厳や共生を問いかけた理論的な論点」、なるほど。このようなお話をされながら、いといろとエピソードを挟まれるのだけど、どういったコンテキストで言われているのか、後からメモを見ても、その意図が掴めないもどかしさ。ちょっと悲しい現実だけど、そのエピソードだけ、メモっておく。ひょっとしたら、著作紹介の中で触れられたエピソードとごっちゃになっている可能性があるとも思うのですが、その判断もつかない悲しさです。「日本の障害者団体は、まず会報を作ることから始まる、そこからソーシャル運動へと拡大していく、紙媒体で連帯が生まれる」「かつて隔離されていたハンセン病患者は、結婚するなら不妊手術を受けるのが条件、その人たちからの聞き取りなどはできないのが現実だけど、文学に書く、そこから心情などを拾い上げることができる」「モナリザが日本に来たとき、障害者、介助の必要な高齢者などに、入場不可の措置が執られたため、怒ったモナリザにスプレーをかけた女性がいた。その人は女性であったため、複合差別を受けた人でもあった(このエピソードは著作の紹介がてら)」。2016年施行の障害者差別解消法の紹介もあった。その二面性について、「こういった法律がないと差別をなくせないのか?」「解消法違反だから止めてくださいと言える」、この法律、そもそもは、国連の採決かなんかに合わせての施行というのも、日本らしい。次いで、障害者運動が作り出した言葉として「優性思想」という言葉が取り上げられたんだけど、ここで、軽く寝落ち、またまた、コンテキストが判らない。このトピックが終わると覚醒、そのあとは、具体的な言葉の点検、それは、判断に困るものばかり、それの点検というか、皆で考えてね的な提示といったものでした。ここまでは、このコーナーに持って来るための、導線だったのでしょうが、その線路が、黄紺の頭の中では繋がっていないのです。「こういうの、なんて言えばいい?」というのが、コーナーのお題。ここはトピック集的になっている。「アイヌ語は日本語? 日本国内でマイノリティの喋る言葉を表す言葉がない、外国語でもない、、、こういった例で、押えられたポイントは、差別について言い表すことばが見つからないというのは、その社会の差別に関する感度が低いことを意味する」「2019年の台風19号のとき、路上生活者が避難所に入ることを断られた、これは?」「ハンセン病患者の隔離は、法がありながら、“法に基づいて”執行されるのではなく、人に迷惑が掛かる、差別を受けないで済むといった“心情に訴えて”の収容だった、その場の雰囲気が法律より優先された」「光明国民学校=公立の養護学校に残る筆書きの送辞、戦争に行けない人が書いているにも拘わらず、自分たちは“特攻隊”のようにと書いている、この言葉を使うと社会の受けが良い、いじめてくる価値観の顔を立てる、自分には不利な価値観を使う」「戦争中の学童疎開は、書類上は戦闘配置、即ち、将来の戦力確保を主旨としたもの」「車いすをバスに乗せなかったために起こった川崎バス闘争、そのドキュメンタリー・フィルが残っているが、現場にいたバスに乗れない人がいらいらして、支援者に“これ、どけろよ”と言っている、この闘争って、障害者のアクセス権闘争だったけど、“これ”との闘いじゃなかったのか?」「“地域”は隣近所だったはずなのに、“街の中”で使われてしまったり、“自立”は、“自分たちの生活を自分で決める(自己決定)”だったはずなのに、“働く”の意で使われたり、“働く”は、自らの生命を燃焼させることだったのではないか? 自分たちが生きていくために、言葉が組み替えられて来ている」、こういったメモも、把握しそこないがあるかもしれない。とにかく、メモったことだけを残すということに留めておきます。なんか、この人の著作、読む値打ちありそうな予感だけは残っています。


2022年 11月 25日(金)午前 6時 23分

 昨日は、一転して、秋晴れの一日。一昨日の雨では、気温は下がらなかった。むしろ、昨日は、暖かめの一日。そういった日が続いてくれています。となると、ルーティンにしているウォーキングが、快適。ところが、快晴のもと、途中の公園で、休憩&読書をしようと思うと、この間、読んでいるキリスト教美術の本を、家に置き忘れてしまってた。ついてない話です。この長閑な天気で、中世美術に浸りたかったんだけど、うまくいかないものです。そんなで、昨日も、お出かけなしの日。というのも、午後に、京都市芸大の伝音セミナーのオンライン配信があったから、これを視聴するつもりだった。民俗的行事の系譜を追いかけるようなお題だったので、楽しみにしていた。ところが、予告された時間になっても、指定されたYouTubeチャンネルには、講演会を示すサムネイル画像が出ているんだけど始まらない。そういった状態だから、待った。Twitterもあるので、そちらのチェックもしたのだけど、梨のつぶて。15分余経過したところで、YouTubeのチャット欄に、「配信機材の不調により、本日の配信を中止します」と出てしまった。あらら、何度も、配信をしながら、なんてこった!
 そこで、気持ちを切り替え、YouTubeでオペラ配信を観ることにした。昨日から観始めていたジュネーブ歌劇場の「トゥーランドット」を完走してしまった。夕方のウォーキング準備に入る前に、上手い具合に、完走するに足る、いい時間ができた結果でした。時と場所を曖昧にした、でも、異世界感を出した装置&衣装は、全編、そのままで押し通していました。皇帝一家の位の高さは、上下で表されていました。2段になった長い箱型装置の上からの登場。トゥーランドットなどは、問題を出す場面など、舞台上部からの吊るし下げでの登場。遠目から見ると、黄金に輝くクリスタル状の物体に身体を入れ、その中から上半身を出しているように見える神秘的な仕掛け。1問解かれる度に、その吊るし物は下がっていくといくとされてました。どんどんと、地上の世界へと引き下げる力が、カラフにはあったということかな。そして、このプロダクション、ペリオ版でした。クレジットでも確認できたので、間違いありません。ペリオ版だと、ティムールは死ぬことになっていますね。以前にも、ペリオ版のときには、そういった場面があったので気になっていたのですが、リューの死に絶望しての自死となってました。その前、2人は捕らえられます。そして、このプロダクションでは、別々に籠状のものに入れられ吊るされます。その籠状のものにナイフが吊るされており、2人とも自死をするとなってました。その後、その吊るし物は、上へと引き上げられます。舞台上に居るトゥーランドットに対し、2人は上へを引き上げられる。上下に意味を込めていたプロダクションですから、この引き上げは、大事なこととの押さえが必要かと思います。いよいよラスト。ペリオ版は、ここが、黄紺的には冗長と思えるのですが、舞台は回転します。大きな三角、小さな三角がモチーフの作り物。その作り物の中の背後のスクリーンには、花の映像が、どんどんと明るさを増して、2人の接近というか、トゥーランドットの氷が溶ける様子を表し、幕となっていきました。結構、集中力を高めるプロダクションにようにも感じたのですが、装置の威力、演出の威力というよりか、辛口にはなるのですが、優れものの歌手陣の威力だと、黄紺的には思えました。そこで、その歌手陣を讃える意味で、その名を、ここにメモっておきます。どの歌手も、自分的には知らない人ばかりでした。(トゥーランドット)インゲラ・ブリンベルク、(カラフ)テオドール・イリンカイ、(リュー)フランチェスカ・ドット、(ティムール)リ・リャン。インゲラ・ブリンベルクについては、YouTubeのコメント欄に、以前、「エレクトラ」で歌ってた歌手と出ていたので、確認を取ると、確かに、同じジュネーブ歌劇場のプロダクションで、「Oper Vision」で流れた「エレクトラ」で、タイトルロールを歌ってました。そのときの歌唱は、印象に残ってないけど、この「トゥーランドット」では、残りますね。そして、イタリア勢と思われる2人が、素晴らしい。そこへ加えて、中韓どちらでしょうか、ヨーロッパの歌劇場あるある話ですが、中韓いずれにせよ、優れもののアジア人バスが引き締めてくれていました。


2022年 11月 24日(木)午前 6時 29分

 昨日は、一日中、雨の降った祝日。謀ったように、祝日に雨が降ったという感じ。幸い、いつものウォーキング時間には、降りが優しかったり、止む時間があったので、普段通りに、傘さし&傘持ちウォーキングをすることができた。昼前のウォーキングなどは、屋根付き公園を、上手くコースに組み込み、休憩&読書もできた。こうして、順調に動けていたはずだったのに、昨日は、PCが不調。最近、YouTubeを立ち上げると、映像や音が立ち上がらないことがある。画面には「デバイスを再起動してください」と出る。これが、よく判らないけど、とにかく、コントロールパネルの音声関係のところをいじれば、何とかなるのでは、ようやく気付き、というのも、今までは、このメッセージが出ると、PCを再起動させれば、元に戻っていた。それが効かなくなって来たのが、ここ数日。それで考えていて、その考えに至ったというわけ。ところが、恥かしい話ながら、最近、コントロールパネルなんか触ったことがないものだから、コントロールパネルを、どこから出していいのかが判らない。こういった困ったことになったのが、何と、午後1時少し前。NHK新人落語グランプリの放送がある直前。えらいところで、PCが言うことを効かないようになってしまったのだ。そこで、さっさと、人に聞けば良かったのだけど、その前に、新しいPCを出してきて、インターネットに接続しようとした。これが、時間の無駄だった。繋がらないのだ。どうやら、モデムとの接続コードが不具合を起こしているようなのだ。普段使っているPCだと繋がるのだけど、繋がらない、どうやら、そのわけも把握できてるつもりになってるのだけど、それだと、新しい接続コードを手に入れないとあかんということなため、この新しいPCを断念。そこで、弟に聴こうと電話をすると、留守、替わりに、甥っ子に尋ねた。これが正解だった。とにかく、コントロールパネルへのアクセス法、音声のときの確認の仕方を教えてくれた。おまけに、モデムとの接続コードについての情報もくれた。そういったことを、電話で話しながら、黄紺の手は、コントロールパネルをいじっていると、どこかに触れた拍子に、マイク音量が反応したのを現認した。あれれと思ったまま電話をしていたのだけど、電話を切ってから、まさかまさかで、NHKプラスにアクセスすると、あっさりと繋がった。なんじゃ、これ、どこを触ったんだろう? 偶然、何かをしたらしいのは判るのだけど、何をしたのかが、判らない、せっかく動いたのに、もう、最悪。もう1つ最悪、NHK新人落語グランプリは、結果発表直前だったため、誰一人として、コンペの気合の入った高座を聴けなかった。どうしようもない! ネット上に流されたフェイク情報のため、優勝はわん丈だと思っていたら、そうではなかった。コンペは、新作が有利という定石通りだったようですね。いずれにせよ、今年は、吉笑とわん丈の戦いだと思っていたので、熱心に観たいとは思ってなかったんだけど、でも、こうして、観ることができなかったと思うと、残念感が出てきてしまう。
 そこで、午後の一時には、オペラ配信のお世話になった。あと少しだった「天国と地獄」を観て、これは、時間が僅かだったので、次なる配信、今回も「Oper Vision」のアップ作品からのピックアップ。ジュネーブ歌劇場の「トゥーランドット」(ダニエル・クラマー演出)を観ることにした。回り舞台を使った装置。その舞台上に、2段に大きな箱状というかショーウインドウ風装置が置かれている。上の箱の方が、若干大きい。そして、白っぽい照明が当てられ、ウィンドウは、摺ガラスのようなものが嵌め込まれている。いずれにせよ、えらく無機質な印象を受ける。衣装も奇抜系で、冒頭の伝令役の男は、パラボラアンテナ状のものを道化師風に付けている。首から下は、ずん胴の衣装。どこの国や地域を表しているものとは思えない代物。ぱっと見で、ニュルンベルクのプロダクションを思い出してた。そんなところで、1つの狙いを持ったプロダクションというところ。まだ、2幕の、ピン・ポン・パンのやり取りまでしか観てないから、最後がどうされるのか、皆目、見当がついていない。「Oper Vision」で取り上げられるプロダクションって、判らない、けど、何かやってる感があるので、観続けて行こうと思ってる。
 夜は、恢復なったPCで、NHKプラスにアクセス。簡単に繋がり、無事に、W杯のドイツ戦を観ることにした。ところが、PK献上で、あっさりと止めた。「こら、試合にならんわ」と思ったから。そして、朝、目が覚め、時間確認のためスマホを見ると、「あれ?」、速報という文字、もう1度「あれ?」、日本代表が勝ってた。今回のW杯、アジア勢、強豪に勝つか、大敗してる。わけ、わからん!


2022年 11月 22日(火)午後 8時 9分

 今日も、まだ暖かな秋。でも、昼前のウォーキング時は、陽が出ていたけれど、午後からは雲が出てきて、雨が近づいている雰囲気。明日の天気予報は雨、その後は、寒くなるのかな、寒いのが嫌なものだから、気になる。このままでいて欲しい。で、今日も、お出かけなし、でも、火曜日は、毎度、RadikoでKBS京都の番組を、2本、聴く日。もう、この生活が、火曜日の定番になっている。映画とか、日にちを選べるなら、火曜日は外すようになっている。昼間は「まーぶる」。なんせ、4時間番組、おまけに、Radikoで聴く旨味のはしょる箇所が、この番組にはあまりない。ラジオ・ショッピング、音楽を省いても、合計30分になるか、だから、毎度、夕方のウォーキング前に終わるか、終わらないか、これが際どい。先週は、終わらなかった、今週は、ぎりぎり終わった。そんなだったが、今日の落語に関する話題は、ちょっと肩透かし。おもしろかったのだけど、予想通りではなかったから。というのも、この1週間に、大きなトピックがあったから。1つは東京独演会、もう1つは、京大の落研が主催して、学生だけに無料開放した落語会。この2つは、さすが触れないわけにはいかないから触れたけど、ホント、触れた程度だった。前者では、ゲストだった鶴瓶と打ち上げに行った店で、思いがけないプレゼントが鶴瓶に渡されたこと。そこで出逢った客からのものだった、偶発的なこと。「本物?」と突っ込んでしまったけど。後者は、主たるトピックに上げていた中学生に対する授業の1つとしての落語教室を話した後に、「大学生にも、落語をしたんです」と言い出して、付け足し的に話しただけだった。ただ、思わぬことを言っていた。東京からも駆けつけた猛者がいたとか。言われてみて、「学生括り」だから、その学生が、東京から来ようが、大阪から来ようがいいわけですね。二葉が、京大の落研に感動した旨の呟きが、Twitterに書かれてあったので、このトピックが中心かと思ってたのですが、、、。ただ、中学生相手の落語教室の一部始終は、めっちゃおもしろかったけどね。100分を2本だって、「60人×2」だそうです。今の二葉人気からすると、めっちゃ贅沢なもの。しかも、二葉自身が、子ども苦手意識があるからか、丁寧に準備をしている。二豆、岡野鏡ちゃんの3人で行ったそうです。この3人だと、リーダーは二葉だから、余計に贅沢だよ。自分で食事を作る時間もないという二葉先生の指導を受けた中学生、恵まれすぎ!
 最近、観るようになった旅系YouTuberに「しげ旅」というチャンネルがある。キプロスだけじゃなくって、北キプロスからの動画をアップしているのを、たまたま見つけたのがきっかけ。丁寧に探せば、南北キプロスを扱うチャンネルはあるだろうけれど、面倒だと思う黄紺は、こういった偶然性に頼る性格。名所旧跡は外面を追いかけるだけだけど、食事の時間を多く取ったり、やっぱ、動画の命はテンポだね。カット割りの細やかさだと、このチャンネルを観ても思ってしまった。要するに、それがいいのだ、このチャンネル。だから、キプロス以外の他の動画も観ることになってしまってる。コロナ禍の最中は、日本国中を回ってた。そんなのを観ていると、突然、「W杯の現地に入る」という動画がアップされた。この間、ずっと、バルカン界隈を旅してたのが、急遽、カタールへ、アテネから向かう動画が入った。これは、驚いた。そればかりか、アテネとドーハの航空券代が28万円以上、急造のプレハブ・ホテルの1泊が3万円以上に、もう卒倒気味。広大なプレハブ・ホテルの広場には、パブリック・ビューイングの巨大な画面が設えられてある。試合の翌日には、そのパブリック・ビューイングの様子をアップするという、凄いことやってくれている。またまた、驚いてしまった。めっちゃ評判の悪いプレハブ・ホテル、日本のニュースでも流れてる。このYouTubeの動画だと、まだ、建設中という風景が映っていました。いくら金があっても、できないことはあるってことですな。これも。文化だ! W杯のリアルを知ることができます。試合ばかりが、W杯じゃないですからね。試合の方は、トルコ・リーグで活躍する選手が出ると、嬉しい黄紺。先日の、日本代表が戦ったカナダ代表には、アッティバ・ハッチンソンとサイル・ラリンがいた。しかも、サイル・ラリンがベシクタシュを離れたから、この2人のツーショットを観れるのは、久しぶり。開幕試合では、エネル・ヴァレンシアが、エクアドル代表の得点を、1人で叩き出してくれた。アメリカ代表では、アンタルヤ・スポルのハジ・ライトが途中投入されたそうだ。そう思うと、イングランド代表に完膚なきまでにやられたイラン代表には、マジド・ホセイニがいた。トラブゾン・スポルではレギュラーにはなれなかったけれど、カイセリ・スポルでは、立派に定位置を確保している。なのに、何点入れられてるねん! トルコ・リーグの値打ちまで下げかねないよ、あの大敗!


2022年 11月 22日(火)午前 6時 29分

 昨日は、週明けの月曜日。2日連続での夜半の雨が止み、すっかり秋晴れに戻った。気温も、まだ、そこそこ昼間は上がる。屋内は、気温が下がるので、電気ストーブをつけたままだけど、昨日は、温度設定を下げていたほど。一昨日から始まったお出かけなしの一日、敢えての変化は加えなかった。昨日は、午後にオンライン配信の予約を入れていた。それを頭に入れての、少し早めのウォーキング。それに、京都市の行っているレントゲン検査を受けに、伏見区区役所に行った。買い物と併せて、この検査を、ウォーキングに組み込んだくらいが、昨日の変化。夕方のウォーキング時も、まだまだ暖かなままだった。もう11月20日を過ぎてて、この気温とは凄い。昔は、11月23日を境にして、コートを着るようにしてたけどね。
 午後の一時を、オンライン配信の視聴に当てる予定だったし、実際に、そうした。ところが、1本目の講演の後半で寝落ち、それに次ぐ、細かな講演は、完全に寝落ち。ようやく覚醒して、その後のシンポジウムを聴こうとしたが、何か、様子が掴めない。食に関わる人たちが近況を述べながら、中には、演歌歌手である自分の歌をPRしているご仁までいた。飲み屋の主人もパネラーだ。確かに、食に関わる人だけど、、、。これが、様子を掴めないと書いたわけ。そういったときは、無理からに我慢しない。そう思い、その展開を読みもせず、多分、掴みで奔放な物言いをしたのだろうとは思ったけれど、どうもゲンが悪いと感じ、あっさりと視聴打ち切りを決断。ただ、最初の講演に興味を惹かれるお話があったこともあり、このシンポジウムについては、概要と、その講演のメモは残しておこうと思う。「環農水研シンポジウム」というもので、列記とした大阪府の主催。シンポジウムのお題は、「豊かな大阪の食は持続できるか?環農水研 法人化10周年記念シンポジウム」という立派なものが付いていた。その1本目が、記念講演「世界の水・食糧資源の現状と地産地消の重要性」、お話をされたのは、大阪公立大学副学長大塚耕司さん。黄紺が完落ちしたのが、環農水研報告「豊かな大阪の食の未来を支える」、若き研究者たちのレポートだったのですが、、、。そして、途中カットしてしまったのが、パネルディスカッション「豊かな大阪の食は持続できるか?」。序盤では、「世界で安定的に水が供給されている国」「安全な衛生設備が供給されている国」「世界の栄養不足の人口の推移」という基本データを与えていただき、次に出されたのが、「エコロジカル・フットプリント」という指標。これが判らなかった、完全に躓いた。判らないまま流れて行ったのがまずかったかもしれない。あとから調べてみると、「経済活動のサービス需要量」と「地球の供給能力」とを比較して、そのバランスを取れているかを示す数値らしい。この説明が、スライドに出たとき、さっと呑み込めない頭の悪さよというところです。呑み込めないまま推移、しかも、次に出るのは、判らないままの数値、何となく、「オーバーシュート」というタームを使われていたので、地球環境を侵食している様態を示す数値なんだろうと思い、聴き流すことに、解らないときは、拘ると、更に先で解らなくなるというものという経験知が働いたというわけ。そこで、オーバーシュートしないようにとのお話へと進んだところで出たトピックが、おもしろかったのです。「食」と「水」が繋がるトピックです。切り口は、「たんぱく質の摂取量」。日本人の魚介類からのたんぱく質摂取は、優れものという展開。何でか? 動物飼育のために要る餌を確保するために、水が大量に要る。魚介類には要らない。水は、限られた資源というわけだ。また、動物性たんぱく質摂取のためには、日本の場合、輸入が大きく占めているわけだから、輸送に、大きなエネルギーが要るのも問題。「フードマイレージ」というタームを使われていた。同じ量の牛肉を確保するために要るところのCO²というわけだ。このトピックは、当然、食料自給率に関わっている。この食料自給率の問題は、カーボンニュートラルの問題とリンクしているというお話、言われてみると、その通り、でも、言われないと気付いていなかった問題です。あとは、行政的はお話、「みどりの食料システム戦略」「漁業法の改正」「水産基本計画改定」と、苦手な展開、受け付けないなか、1つ、興味を引いたものがあった。「漁業法の改正」のなか、「船舶ごとの個別漁獲高割り当ての導入」。乱獲防止には役立つ、解りやすい、漁獲資源の保護にはなる。でも、こうなると、自由経済じゃない。そうでもしないと、環境を守れないところまで来ているということですな。スルーせざるを得なかった箇所もあったけれど、とってもタメになるところもありで、大きな収穫が、自分的にあったお話でした。のに、寝落ちとは勿体ないね!
 夜は、米朝事務所のYouTubeの生配信をアーカイブで視聴するというのは、月曜日夜の定番。でも、昨日は、2/3ほどで切り上げた。W杯の「イングランドvsイラン」戦があったからだ。アジアの強豪が、世界トップと、どのような試合かとの興味で、こちらを優先した。結果、こちらも、あっさりと寝落ちしてしまったんだけど、隙間隙間で、どんどんと点が入っているのに気づき、愕然! カイセリ・スポルのマジド・ホセイニの顔が虚ろになってた。「これが、世界だ」というところですね。


2022年 11月 21日(月)午前 0時 39分

 今日から金曜日まで、予定表には、お出かけは入っていない。オンライン配信の予約というメモは入っているが、次のお出かけは、次の土曜日となっている。そんなだから、ちょっと無理して出かけるかもしれないけれど、とにかく、そんなところ。今日は日曜日ということで、朝から「日曜美術館」があり、午後にはオンライン配信の予約が入れてあるということで、出かけないにしても忙しない。その上、朝からPCが不調のうえ、そのために、普段は、DVDを観るときに使っているPCを使ったところ、1つのフォルダが壊れてしまった。半時間以上かけて作ったファイルはどうしたと思ったんだけど、幸い、「最近使ったファイル」に残っていた。壊れたフォルダは、バックアップ用だったので、PC本体から移せばいいんだけど、これが、量が多いものだから、時間がかかる。そんなことをしていたら、「日曜美術館」の前の「No life no art」の時間になったけど、NHKプラスが立ち上がらない。ほとんど諦めかけたときに、何とか繋がり、セーフ。「No life no art」の方は、欠けちゃったけどね。で、今日の「日曜美術館」のお題は、「安藤忠雄 魂の建築」。安藤忠雄、現在81歳、癌と診断されたことは、どこかで聞いたことがある。2009年に癌の診断が下り、現在までに、臓器を5つと言ったかな、除去の手術を受けているそうです。膵臓まで取っているそうで、そのためか、日に何回と血糖値の検査がノルマだそうだけど、画面に映っている姿は元気そうで、大阪弁の口調も、以前と変わりがなかった。その安藤が、この間、取り組んできた、また、現在進行形の取り組みを紹介してくれた。①パリの18世紀の建物を現代美術館にする取組み。元来は貴族の館、その後、商品取引所に使われていた歴史的建造物、だから、建物自体はいじれないという制約のもと、発注を受ける。発病後のことだったとか。ヴェネツィアで、海の税関を現代美術館にした安藤の仕事ぶりを観ての発注。過去と現代の融合を目指し、広い空間の中に、安藤お得意の円状のコンクリートの建造物を入れこむ。内なるスペースは、自分を見つめる空間として、展示物を置かないで、外側、即ち、歴史的建造物の壁との間に展示物を配置。このコンセプトは、かつて、中之島公会堂で試みようとして、実現できなかったもの。②1986、87年以後の直島(香川)での取り組み。アートの島にするという、福武財団プロジェクトに関わる。コンセプトは「建築に自然を取り込む」。具体的成果として、地上から姿が見えない地中美術館(2004)、自然光だけのクロード・モネ室、バレエ・ギャラリーは、窓ガラスなし、コンクリートの隙間から光、雨、風が入るという展示室、そのギャラリーに展示された、草間弥生の「ナルシスの庭」との調和が、凄い! ③中之島の「子ども本の森」。これ、どこかで紹介してるの観たことがあったけれど、これも、安藤の作品だったということ、初めて知りました。建設費は、安藤自身の寄付でできたものとか。こうなると、文化を等閑にする大阪市も動かないわけにはいかなかったのでしょう。ここは、いつか、DとSを連れて行きたい。その前に、自分が、大阪に行けるようにしなきゃならないね。①~③の合間に、いつものように、主人公の経歴紹介が入った。双子の兄として、大阪で誕生。高校2年のときに、プロボクサーになる。長屋の自宅改装時に、建築に関心を持つようになる。祖母の言葉「自分の納得する人生を」が支えになり、1965年、24歳で建築を志す。その後、シベリア鉄道でヨーロッパへ行き、ル・コルビジュに魅惑される。1969年、建築事務所開設、1976年の作品「住吉の長屋」で注目される。代表作として、「光の教会」(1989)が紹介されていた。上方落語協会のビルも、安藤作品なんですよね。噺家さんには、使い勝手が悪く、不評のようですが。あまりにも有名な作家さん、こうやって、まとめてくれると、知らなかったことばっか。そういった意味で、有難い番組となりました。
 午後の配信は、京都精華大学公開講座。実は、今日の午後は、他の市民向け公開講演会に応募して、当選の葉書までもらっていたのだけど、後から知った、この講演会をチョイス。当選した講演会は、弟に譲ることにしました。お題がそそられた、それは、「クィア理論とアート」というもの、2つの組合せにしびれてしまった黄紺でした。お話をされたのは、広島修道大学人文学部教授の河口和也さんでした。河口さんの専攻は社会学で、特にゲイ・スタディーズ、クィア・スタディーズをフィールドにされてきたそうです。お話は、まずは、クィアの歴史から。運動と研究という2つの視点からの振返りが行われました。専門的なタームが多く、簡単な説明が入りはしたのだけど、難解。19世紀後半は「(性)倒錯」という扱いの時代。オスカー・ワイルドが裁かれた時代。それを踏まえての科学的な研究が生まれた。それとともに、脱犯罪化・病理化が進んだ? 1950年代は、有名なアルフレッド・キンゼイで代表される「同性愛」の調査研究が進む。1960年代半ば~1980年代は、研究対象が「同性愛という“逸脱”」とされていたのだけど、これは判らない、お手上げ。「ラベリング理論」が出て来た時代だということなので、当人に問題があるのではなく、社会の持つ病理という認識の転換を意味するのが、この時代だということか? 1970~80年代は、レズビアン/ゲイの解放運動の時代。公民権運動の高まりで、隠れていた諸問題が噴出した時代でしたね。戦略として、カミングアウトという手法が採られた。この時代は、同時に、ジェンダー論が活発化する時期でもある。1980年代には、エイズ流行がある。同時に、フーコー理論が関心を持たれるとしてあったが、これは、フーコーの権力論、知の再生産を意味しているのでしょうか? そして、1990年代以後、「クィア」理論の登場となる。「クィア」という負性を持つタームを使うことで、マイノリティを包括的に捉えることができるようになったということでしょう。次いで、「クィア理論」の出自の点検。1989年のニューヨークでの「レスビアン/ゲイ映画会」で、「クィア」というタームを使ったのが初めて。当時、エイズは、ゲイ・コミュニティに大きな影響を与えたが、アメリカでは、「4H」(同性愛者:homosexual、血友病患者:hemophiliac、薬物使用者:heroin addict、移民:Haitians)の病気だとされていた。そこで、エイズ問題に立ち向かった運動体「アクトアップ」が、マイノリティを横断するような活動を始めたのが大きく、それに刺激を受けたカリフォルニア大学で「クィア」というタイトルを付けた研究会が行われたというのが、初期の流れだそうです。こういった枠組み的なお話を踏まえて、具体的なアートの紹介へと移られました。ここで、取り上げられたアーティストは、次のような人たちでした。スーザン・ソンダク(エッセイスト・小説家、映画製作も)、ナン・ゴールディン(写真家)、フェリックス・ゴンザレス・トレス(キューバ出身、1991年発表の“Placebo”は、エイズの治験を想起させ、薬物の替わりにキャンディを敷き、それは持って帰ることができる、甘い快楽のあとに感染があるとのメッセージ、インスタレーション作品、“高速道路沿いに建てられた看板”は、マクラ2つとシーツが映っている、親密性は判るが、人はいない、ベッド(私)の姿を高速道路(公)に展示)、ポ-リン・ボードリ/レナーテ・ロレンツ(“Opapue/不透明”というヴィデオ作品、境界の攪乱、セクシュアリティに不明確・不透明を回避するのは難しいとのメッセージ)、鷹野隆大(愛知県で開いた写真展に、愛知県警が介入、男性2人のヌード写真に対しクレームを付けてきた、報道で聴いた覚えがある事件、そのため、ヌード写真下半分に布を被せた、何が起こったのかを見せることが次善の策と考え、布を被せた、見えないことが前堤だったセクシュアリティを視覚化や可視化してきたのに対し、これは逆で、見えなくなったことで見えてきたものがある)。作品の紹介を聴いていて、エイズというのが、大きな展開を生む力になったなぁの印象。それにつけても、各アート作品は難解。説明を聴いても、個々の問題に繋がっていくのも難儀な状態。注釈をもらわないと判らないものばっかりという感じでした。いえいえ、注釈をもらい、さて、どのくらいを理解できていたでしょうか?


2022年 11月 20日(日)午前 8時 37分

 昨日は、連続音楽会2日目。昨日は、午後だったので、昼前のウォーキングを短縮して、お出かけに備えたが、音楽会への往復で、短縮分は取り戻すことができ、ルーティンにしているウォーキングは、しっかりと確保。お出かけ先はびわ湖ホール。今年最後のびわ湖になるはずです。昨日は、中ホールで、同ホール専属のびわ湖ホール声楽アンサンブルの第76回定期公演ということで、ピアノ伴奏だったけれど、オペラが上演されました。装置は簡易なものだったけれど、衣装の設えも行われ、指揮者も立つというもの。その演目が「ジャンニ・スキッキ」、時系列的に、このオペラが、後半に演じられ、音楽会の前半は「ボエーム」「蝶々夫人」のハイライトシーンということで、プッチーニ尽くしの1日となりました。そのプログラムを書き残しておきます。「ボエーム」①冷たい手を~私の名はミミ~ああ、かわいいお嬢さん~1幕終了まで(ミミ:山岸裕梨、ロドルフォ:宮城朝陽、マルチェルロ:平欣史、ショナール:市川敏雄、コッリーネ:美代開太)②私が街を歩けば(ムゼッタ:脇坂法子、ミミ:山岸裕梨)③さよなら、愛の夢よ~2幕終了まで(ミミ:山岸裕梨、ロドルフォ:奥本凱哉、マルチェルロ:平欣史、ムゼッタ:脇坂法子)、「蝶々夫人」イザナギ・イザナミの祈り~ある晴れた日~花の二重唱~ハミングコーラス(蝶々夫人:山田知世、スズキ:藤居知佳子)、「ジャンニ・スキッキ」(ジャンニ・スキッキ:市川敏雄、ラウレッタ:山岸裕梨、ツィータ:阿部奈緒、リヌッチョ:有本康人、ゲラルド:谷口耕平、ネッラ:熊谷綾乃、ベット・ディ・シーニャ:美代開太、シモーネ:松森治、マルコ:平欣史、チェスカ:坂田日生、スピネロッチョ先生:宮城朝陽、アマンティオ・ディ・ニコーラオ:奥本凱哉、ピネッリーノ:宮城朝陽、グッチョ:藤居知佳子、ゲラルディーノ:脇坂法子)。なお、指揮は大川修司、ピアノは越知晴子、演出は中村敬一という布陣でした。舞台左端にピアノ、その右前傍らに指揮者が立つというもので、歌手たちが動けるようにと、スペースが取られ広くている。そこへ、椅子やテーブル、「ジャンニ・スキッキ」だと、右端に鳥かごを設けたりという風に、テキストに齟齬をきたさない程度の小物が配置された簡易舞台、それだけ、歌手陣に演技力が求められるというものだったが、何せ、歌手陣が若い。これは、最大の強み。歌唱以前に、きびきびした動きに目は釘付け。「ジャンニ・スキッキ」は、上演時間も長くなく、多くの歌手が登場するということで選ばれたのでしょうが、何せ、コミカルな動きを求められるものだから、始まる前は、そこが一番課題かと思っていた。これだけ多くの歌手が出るからには、歌唱の水準には凸凹があるのは折り込み済みだったから、もうその動きの溌剌さは、冒頭から判るものなので、それで、大満足。タイトルロールを歌った「」さん、いい声をされているのにも、このオペラを持ってこられたわけというものを示していたように思いました。ただ、致し方ないことなのですが、今度は、若いということが、じゃまになりました。キャラ的には、「」もかき回し役で、且つ、大阪のおばちゃん的キャラでもあるので、ここも若いというのがじゃまになってはいたけど、それは、無い物ねだりってやつです。ラウレッタを歌った「」さんは、「ボエーム」ではミミも歌ってられたということは、この公演の完全なエースという役を担ってました。ただ、黄紺が、好きにになれなかったのは、口先歌いになる、声がくぐもる箇所があるという点です。その「ボエーム」では、ロドルフォが、1幕と2幕では交替。大役を複数の歌手に歌わせよう、チャンスを与えようとの配慮かと、プログラムを見たときに思ったのですが、とんでもない、テノールの質が高いのです、今のアンサンブル。だから、積極的な意味で、より多くのいい歌手の声を聴いて頂こうとの配慮と看ました。皆さん、1回公演ですから、やっぱ、歌い出しの緊張も伝わり、序盤では、声の伸びなどに物足りなさが見受けられる場面もあったのですが、それが過ぎると、本来に自力を発揮、そうしてみると、えらくテノールが充実してるぞの印象を持った次第でした。そういったなか、この公演の白眉が「蝶々夫人」。「イザナミ、イザナギ」の歌い出しから、コントラルト気味の声質を持たれている「」の声で、舞台は、冒頭から引き締まりました。そして、「」さんのバタフライも安定感がある、背丈も、「」さんの方が、明らかに小柄なため、いい感じの主従と、ヴィジュアル的にもそうなる。そこへさして、お二人の細かな動きが、実に自然。花の二重唱の喜び、こうなると、「ハミング・コーラスまで行ってよ」と思いながら聴いていると、期待通り、行ってくれました。舞台後方に港があるという体で、そちらに向かい生まれたお二人のスポットモーション、素敵なシルエットでした。そこに、ハミング・コーラスが被さっていく。涙腺、刺激されてしまった。「蝶々夫人」を観るときの最高の楽しみ、ここで涙腺に来ちゃう、あの感覚、久しぶりに味わっちゃいました。昔、東京文化会館で、初めて観たとき、障子に二人のシルエットを映し出し、それにハミング・コーラスが被さったときに味わった、あの涙腺刺激パワーを、昨日は浴びちゃったなぁ。アンケートに、「このお二人に、いい演出家と男声歌手陣を付けて、来年、蝶々夫人、やりません?」と書いておきました。


2022年 11月 19日(土)午前 7時 42分

 昨日、今日は、コンサートに行く日。ただ、昨日は、夜のコンサート。生活リズムが出来上がっているため、夜にお出かけは、いつも、気に揉んでしまいます。慣れてないことをする不安が、この間、毎回、起こってきています。いつまで、続くのだろうか? 夜に出かけるとなると、普段の午後の一時を短縮すれば済む話なのに、余計な不安が出てしまいます。と言っても、昨日の朝は、伏見区内を徘徊するように、細かな用事を済まさねばならない日。途中、次に行かねばならないところを忘れるものだから、取り戻すとなると、正に徘徊となってしまってました。短い午後の一時は、韓国系YouTuberの動画を観て、Dを連れて行く韓国旅行を模索。Dも喜ぶかなと思えるものは、寒い冬に適してないものばかり。どこかいいところないか、悩み事になっている。一人で行くときは味わわない緊張があるな。
 コンサートは、京都市交響楽団の定期公演。今年度から、「フライデー・ナイト・スペシャル」と名付けて、金曜日の夜公演というのをやり出した。午後7時半開演で、公演時間は1時間というもの。そして、翌土曜日には、普段同様という公演、もちろん、2時間枠でのプログラム。企画の趣旨は、勤め帰りに音楽をということなんだろうけど、昨日もそうだし、前にも1回行った時もそうだったけど、コロナ禍で客が減ったこともあるけど、入らない。だって、京都の市街地の北の端だよ、岡崎ならまだしも、行かない。爺婆以外をターゲットにしなければの思いなんでしょうが、企画倒れと看ています。昨日、会場で、来年度のプログラムが配布されていたけれど、この企画が続く内容であることが判明。我慢強いことだと思ってしまった。ついでに書くと、わりかし保守的なプログラムの多い京都市響にしては、来年度は、かなり意欲的。頑張り過ぎと言った方がいいかもしれない内容です。午後7時半開演ということは、正味2時間のオペラの、ドイツでの開演時間ですね。彼我の違いは大きいな。日本的感覚で、この設定を看てしまっています。で、昨日のプログラムは、次のようなものでした。「ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー」「R.シュトラウス:歌劇“ばらの騎士”組曲」「ラヴェル:バレエ音楽“ラ・ヴァルス”」。指揮&ピアノは、リオ・クオクマンというマカオ出身の若い指揮者。プレトークもご陽気で、そのノリが、そのまま指揮ぶりに現れ、弾むようなリズムが、とっても印象的な指揮ぶり。若いっていいよなぁと、そのピアノ・ソロにも感じてしまった。それにつけても、変なプログラミング。毛色の異なるものを、選りによって選んだという印象、黄紺的には、「ばらの騎士」狙いでのチョイス。土曜日になると、ガーシュインに替え、レスピーギなんかが入るプログラム。別にレスピーギは聴きたくないので、お値段の安い金曜日夜をチョイスしたというわけ。ところが、プレトークで、この3つが並んだわけが判った。この3人の作曲家、同時代を生きてた。言われたみると、確かに、その通りだ。要するに、言われないと、そうは思わない3人ということなわけです、それほど、異質な3人。ガーシュインは、ピアノ・ソロの溌剌感に対し、オケに、てかてか光るような無機質感が乏しい、オケが受け付けない音楽といったところか。「ばらの騎士」は、20分余りの短いヴァージョン。1時間枠に収まるように、これを選んだのでしょう。こういったヴァージョンがあるのを、1年程前に、YouTubeで知ったのだけど、何か頼りないという印象が拭えない。2幕のデュエット部分や、オックス男爵の僕の大暴れの部分がカットされていたり、短かったり、3幕冒頭の仕掛けを見せるという演出に使われる音楽なんかがカットされている。極上のデュエットも繰り返しがない。そのあと、そそくさと、オックス男爵が逃げ帰る音楽で終わりだもんね。そんなだから、2幕終盤の、オックス男爵へのお誘いの手紙、それに有頂天になるオックス男爵といったところで流れる、これぞ、ウィーンというワルツが、めっちゃ目立つ展開、それは、それでいいんだけどね。ウィーンが、ウィーンがが、顔を出しっぱなし。ところが、前奏曲部分では、物足りない。「これ、ローカルやろ!」と突っ込みながら聴いてると、それを、一新させた、それは、ガーシュインに有名な冒頭のソロがあるのに吹かなかった小谷口さんのクラリネット。くぐもっていて、でも品を感じさせるクラリネットが、一新させてくれました、お見事! ほめる~(吉の丞の口調で!)。そうなると、もう楽しくて、楽しくて。声に出さないで、相次ぐ、極上のメロディに合わせて、口ずさんでいました。テルツェットが、わりかし長く採っていることに気づきました。その長さのわりに、デュエットは、あっという間に終わるという流れでした。それで、すっかり興奮状態。何が来ても怖くない状態。そこへ、「ラ・ヴァルス」が被った。テイストは違うけど、「ワルツ繋がり」。完全に、山が2つ、1時間のプログラムに、山2つは、贅を尽くしすぎですね。だから、内容は1時間以上、たっぷり感、ありました。今日のプログラムには、ガーシュインがない、ざまーみろの気分です。


2022年 11月 18日(金)午前 1時 54分

 お出かけが続きます。今日は、午後に、対面式で行われる市民向け公開講演会に行く日だった。ただ、この講演会、他の講演会と違い、3時間の長丁場だということで、時間的に、かなり制約されることが想定され、毎日のルーティンにしているウォーキングが、いつものような量はこなせないと予想していた。昨晩は、ディヤルバクルで、代表のマッチもあったことだし、そう思っていた。ま、そうなったんだけど、ウォーキングは、いつもの7割弱というところか。となると、やっぱ、物足りない感が出てしまうけど、仕方ありません。
 お出かけ先は京都女子大学。ここは、ちょっと興味のある市民向け公開講演会を企画していただけるところ。史学科が企画をされると言っても、日本史とは限らないというのが嬉しい。今まで、こちらで、ノルマン人の動向や、中国の温州商人の活動についてといった、他では、絶望的なテーマが取り上げられる。固定客がおられるのか、参加者が多い講演会ですね。市民だけではなく、学生さんも混じっている。そんななか、今回の講演は2本、①「徳川の平和と城郭~彦根城世界遺産への提言~」(文学部史学科教授母利美和)②「市壁以前の“初期都市論”~私の中世ヨーロッパ都市史研究より~」(文学部史学科教授山田雅彦)でしたが、この2本を、同時にやっちゃうという、凄い企画ですね。①は、彦根城の詳細を取り上げられたので、まだ汎用性を感じるものだけど、②は、来ている人、解ったのかなぁというテーマです。母利さんは、元彦根城博物館勤務という肩書を持つ、正に、彦根城のプロパー。冒頭で、PR動画を見せていただいたのですが、「ブラタモリ」でも取り上げられ、また、映像でも観たことのある彦根城だったけれど、こんなにきれいに、そして、彦根城の全貌が、コンパクトに収められたものって、観たことがなかったんじゃないかな? ドローンの使い方が上手いからだと思うのだけど、全貌が伝わるいい動画だった。正直、ここまで見事に残っているとは知らなかった。3重の堀が残っている、白壁の櫓が、そのままの姿で残っているのが大きいですね。また、この櫓が長いものだから、とっても情緒があります。お話は、またぞろ出だしている「彦根城を世界遺産に」の運動で、押さえねばならないポイントということを打ち出すことを掲げてのお話でした。日本における城郭の変遷、それと、政治状況との照合、ここは、世界の動向とリンクさせてのお話。「惣無事令」というタームを、初めて聴きました。武力による戦闘の停止を命じるというもの、信長や秀吉が出したもの、争いを調停するのは我、即ち、天下人ということはそういうことという内容ですが、ヨーロッパ史で言う「罰令権の掌握」ということなんでしょうか。それができるから、戦国の世とは異なる「平和維持のための城郭」の成立という城郭の変化が看られる。ドイツならば、ブルクからシュロスへの変化が対応するのでしょうが、織豊時代以後の城郭は、シュロスではない不思議を、こういった話になると、毎回、感じてしまう。「平和」な時代とはどのようなものか、これに、随分と時間を割かれました。徳川幕府の統治のシステムの概説です。日本史に疎い黄紺には、高校時代、まるで勉強しなかった日本史の補充授業を受けたというところでしょうが、まともに勉強した方には、新鮮な内容を聴きたかったのじゃないかな? 江戸幕府もそうだったけれど、各大名も、重臣合議体制を採っていくというのが特徴と言えるそうなんだけど、彦根城は、それが、城のレイアウトで、しかも、しっかりと残っている姿で、それが判るというのです。二の丸に、重臣屋敷を集中させる、三の丸に、郭外と、段階的に、クラスが下がる武家屋敷。確かに、「ブラタモリ」でも言ってたけれど、これらの武家屋敷が、城と一体となり、よく残っているのが特徴と言っていた。それが、お題の持つ意味、そして、それこそが世界遺産としての有資格と言う所以だという流れのお話だったと思います。最後に、井伊家の家格のお話をされていましたが、譜代の筆頭で、破格の地位だと言われていました。ま、大老職を務めた家柄ですから、それ相応とは思っていても、黄紺の感じているものなど、とてもや及ばない地位だったようです。だから、井伊家は、それを守ることを考えた。それが、「御家風」という、下世話に言えば「家訓」かな、それには、「公儀へのご奉仕」を説き、「諸大名の模範となるべき家」と認められているそうです。
 ②は、中世都市成立史の定説を観直そうという試み。そこで、従来型の定説の整理から、本題は始まりました。「教会とか修道院の近隣、城の近隣に、人が集住していても、それ自体には都市生成力はない、それを都市とは認めてこなかった」「商人集住地こそが都市の芽生え、10~11世紀以後、最初は、城壁がなくとも都市」「11世紀以後、社会の安定、遠隔地商業の復活、そういった商人の定住」「12世紀以後、領主による自治権の承認、市壁を築いていく」と、こういったこととまとめて、いいかな? これに対して出された問題提起のポイントは、「教会・修道院、城館の都市創成機能を過度に低く認めてないか」「商人の起源をただただ自由な人々に求めすぎてはしないか」「商人たちの集住を喚起する要因として考えられる安全と平和を保障していたのは、教会・修道院、城館ではなかったのか」。そこで、定説にはなじまない、しかも、教会・修道院、城館の周りに生まれたと考えられる都市を炙り出すという作業を、具体的に紹介するというのが、この講演の骨子になっていきました。フィールドは、北フランス、フランドル、シャンパーニュといった地域でした。考古学の成果も援用されているようで、集住地で交易の跡を確認できるものも出てきているとか。宗教的拠点の周りとしては、北フランスのリキエ修道院、フランドルのメーセン修道院などを、世俗的拠点の周りとしては、北フランスのリールなどを上げておられました。拠点となるポイントの周りに、それを中心核として、しかも、それが複数の場合もあり、その周りに集落が確認でき、それらを結ぶインフラも整えられたと考えられるそうで、これを、壁以前の「星雲状態(nébuleuse)」と、ル・ゴフは言っているそうです。カンチトヴィックやドレスタットという港市では、幾つかの施設が、一定範囲内に散り、ゆるやかに連結したようだとのことでした。こういった複合の施設、集落の連結、それを繋げるインフラ整備となると、聖俗を問わず、一定、権力の関りを考えないわけにはいきません。それが、城壁ができる以前の都市の姿、そこには、そういった権力の「低位の計画性」を看て取らないわけにはいかないというまとめでした。確かに、今までの都市成立論って、グラデーションがなかったように思います。唐突に都市が成立したかのような印象を持っていたので、隙間を埋めてくれるような印象を持ったお話ですが、それならそれと、さすが、気になったので、質疑応答が、コロナのため割愛されたのですが、山田さんに、疑問をぶつけてみました。「集落にいた人って、農奴ではないのか?」「農奴です」「ならば、農奴というのは、畑仕事だけではなく、城館でとか修道院で、下働きや、手仕事をしてたはずだし、いや、もっと言うと、そういった仕事を専らする奴隷的な連中がいたはずだから、そういった人たちとは違うのか?」「彼らは“特権”を与えられていたのが違う」という回答でした。そういった史料があるのでしょうが、これは驚異です、だって、芽生えの時期って、社会が安定するよりは前の9~10世紀辺りに置くことになるわけですから、ヨーロッパ史上、最もアナーキーな時代で、そういった史料を見つけたというのが驚異だと思ったのです。ついでに、肝心な質問、「そのアナーキーな時代に、交易を促す生産力があったのか、要するに余剰生産物があったのか」「地域による偏りがあったというのです」「ということは、それで、社会が動いていたというのですか」「そうです」ということでした。その「偏り」も示す史料が出ているのでしょうね。これまた、驚異です。ということで、たっぷりと楽しみました。中世史の話を聴くと、どうしても熱くなってしまいますね。


2022年 11月 17日(木)午前 8時 27分

 昨日は、かなり忙しい一日。朝から出かけて、アスニー山科での市民向け公開講演会へ、その足で、瀬田まで行き、滋賀県立美術館へ。1時間余りで、美術館は引き上げ、帰宅。夜には、オンライン配信を予約してあるので、それが始まるまでに、トルコのサッカー情報の収集と、休みなしでぶっ飛ばした。ま、年に1、2回しかないだろうという忙しい日。そこへ、何気に、コアな落語ファン氏のTwitterを見ると、衝撃が走った。林家市楼逝去のニュース、まだ、42歳だって。また、やられた、こういったニュース、ホント、勘弁してよ! 何ヶ月か前に、YouTubeのよねすけチャンネルで、よねすけが繫昌亭の動画を出したとき、映ってたやん。心臓疾患が死因だそうです。染語樓襲名してもいい頃合いなのに、ダメだった。染丸が、五代目を追贈すると言っているそうですが、、、。合掌。
 まず、アスニー山科での市民向け公開講演会のメモからです。昨日は、「北条政子の役割と人間像」というお題で、京都橘大学名誉教授の田端泰子さんがお話されました。確か、去年は、日野富子を取り上げられたことを覚えている方、御年80を超えられているようです。とってもかっちりとしたレジュメをいただき、恐縮してしまいました。お話は、記述内容に信用性が高いと考えられる「吾妻鏡」を基に、北条政子が、表舞台に登場するところから亡くなるまでを、時系列的に押さえていただけました。丁度、今、「鎌倉殿の13人」が進行中であるということからの、テーマ設定だったようで、そのドラマのシーンも、時々、顔を出すお話、そこで取り上げられたトピックをメモっておきます。「頼朝が伊豆に流されているときに出逢い、頼朝の元に通う、子どもができ、結婚を認められる、関東の有力者伊東氏の娘も、頼朝との関係があったが、産まれた子どもを、伊東氏は殺した。ここが、北条と伊東の運命の分かれ目」「だから、政子は、自分の意志で夫を選んでいる、この政子の決断が、後々までも、夫婦の対等性が続く原因」「石橋山の合戦で敗れた頼朝は、洞窟に身を隠す“洞窟の頼朝”、槍で突かれたが、そのとき鳩が飛び上がり助かる、ここから、頼朝に鳩との縁ができる、このとき、体調が悪かった政子は同道してなかった、体調が悪かったのは、頼家ができてたから」「政子の妊娠中、頼朝は亀ノ前を寵愛、“吾妻鏡”は“御密通”と書いている」「鎌倉時代の武家社会は、源家と御家人が主従関係、源家は頼朝だけではない、御台所も御家人の処罰権を持つ」「義経追討令後に、義経を慕う静の舞を鶴岡八幡宮で、頼朝・政子が観たときに、“よし野山 みねのしら雪ふみ分けて、、、”“しつやしつ しつのをだまき、、、”が歌われる」「1199年、頼朝急死、“尼御台所”と呼ばれるようになる、役割増大、2代将軍頼家はダメ、御家人との関係が悪化すると矢面に立つ政子、政子こそが御家人を庇護する存在と、信頼が絶大」「実朝を征夷大将軍に、正室を公家から迎える段取りをつける、御家人の間から迎えると、御家人同士のバランスが崩れるのを恐れた」「実朝殺害後の事後処理も政子」「その気を捉えて承久の変、御家人を前に大演説、箱根を越えて軍を動かすか御家人の間で合議できないため、政子の決断、瀬田の合戦、梅雨時で水量が上がる川越えはないと考えていた後鳥羽側の意表を突き、勝利に」「その後、六波羅探題設置、論功行賞は政子の手で」「1221年が承久の変、1224年が義時没、1225年に政子没」「御台所時代は、夫婦で御家人たちの主君、後家尼時代は、鎌倉幕府の最高決定権を持ち、政治を後見・主導」。
 滋賀県立美術館に行ったのは、常設展「信楽焼と滋賀の人間国宝たち」の展示期間終了が迫っているから。1ヶ月余しか、展示期間がない。人間国宝の作品を、長期に渡り、展示しかねるということなのかなと推測しています。この前行った企画展「石と植物」と併せて行けばよかったのだけど、「石と植物」の方は、ギャラリートークのある日に行ったため、こちらと併せて行くことを止めたので、別個で行かなければならない羽目に。まだ、「石と植物」は続いていたので、それも併せて、今回、観てきました。「石と植物」、なかなかいい展示会だと、再認識。変化に富み、大家の作品も散りばめられているので、2度観も、しっかりと楽しませてもらった。で、常設展は、信楽焼は、清水卯一、上田直方(五代)、高橋楽斎(三代)の作品。清水卯一は、釉薬に、いろいろと試みをした作家だと解説文にあった。更に、表面に引っ掻き傷を施し、変化を楽しむ。黄紺的には、信楽焼の純な姿に愛着を感じるため、上田直方(五代)の作品に目が釘付けに。信楽焼に、光るつぶつぶが入るのは、信楽の土に長石が含まれているからだとか、純な姿のいいアクセントです。焼物とともに、会場を埋めたのが、志村ふくみの着物の作品群。これが、凄い! 志村ふくみの父親は、民芸作家であったそうで、志村ふくみ自身も、その影響を受けている。全く納得の色合いに柄。そこへ、オリジナルな色の変化を出していく。霞のようなグラデーションにはびっくりですね。そういったテイストと異なる作品が1点、「玄」という作品だったかな、全体的に、お題が示すように黒っぽい、そこに浮かぶ三角形の模様、能装束で言う「鱗紋」ですね。怪しい不気味さが漂う雰囲気、他と比べ異質だったもので、えらく印象に残ってしまった。
 夜のオンライン配信は、立教大学ジェンダーフォーラムのハイブリッド開催の講演会。昨日は、第87回ジェンダーセッションとして、「性的マイノリティ「支援」・「理解」の一歩先へ:日本のクィアペダゴジーの歴史から考える」というお題で、同大学&埼玉大学兼任講師、一般社団法人“人間と性"教育研究協議会幹事の堀川修平さんのお話を聴くことができました。会場には、立教大学の学生さんが詰めかけていたようで、お話の対象は、そういった学生さんといった感じの講演会。でも、クィア理論の最前線を聴かせていただいた、そういった講演会でした。掴みは、本年成立した東京都パートナーシップ条例、その流れの発端にあるのが、2015年の「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」。堀川さんは、前者は知らなくても、後者は知ってるだろうと、そのインパクトの大きさを指摘されていましたが、黄紺的には、全くその通り。これほど、東京都が先駆的に動いているのは、オリンピックが絡んでいるようですが、こういった動きは、他の自治体にも広まっており、そういった意味では、性的マイノリティへの認知、人権保障が進んでいっていると言えるのだが、その一方で、2018年以降、トランスジェンダー(とりわけ、トランス女性)に対する差別も強化されている状況にあるようで、一橋大学の問題も、裁判になるに及ぶまで、大学は公にしてなかったと言われていました。更に、認知が進んでいると言っても、電通や博報堂といった大手広告代理店は、「レインボー消費」を当て込む戦略を喚起しようとしたり、それに応じるような企業の動きが出ていると言われていました。これ、凄い、儲かるなら、何でもやるという具体例のえぐいの、久しぶりに目の当たりにした。次いで、「祝福されるマイノリティ」と「排除されるマイノリティ」というトピック。ホームレスの中にも「LGBTはいる」との言説は、強烈なパンチ。見落としてる、確かに! そこで、堀川さんの問いかけ、「あなたは、どのような社会を創りたいですか」。ここで、堀川さんのフィールドの「教育」「クィアペダゴジー」に引き寄せられました。ただ、この「教育」の定義づけがいい。「おかしいな」「ヘン(クィアということなんでしょうね)だな」ということを変えていけるよう発達を促す、そのように言われていました。「教化」とは違う、「社会集団を維持することを目的に、既存の価値や行動様式の内面化を図る」とは違うときっぱりと。その教育実践=クィアペダゴジー(Queer Pedagogy)とは、「ヘテロノーマティブ(異性愛中心的な性規範)な教育実践や学校のあり方を改革し、ジェンダー・セクシュアリティといった〈性〉に関わる権力性を問い直す教育実践」のことをさすと定義。これを怠ると、ヘテロノーマティブの再生産に加担するというわけですね。実際、長年、教育は、その役割を担ってきた。ここで文科省の執ってきた教育方針の点検などが入って来たけれど割愛、それは、まるで、フーコーが、告解制度が、知の再生産を担ってきたと言うが如くです。でも、そういったなか、そうでない教育実践を担ってきた人たちがいたということで、その人たちの活動紹介となりましたが、重要なのは、その進行していく姿ですね。共感できます。木谷麦子・貴志泉・原田瑠美子ら性教育実践者たちによる異性愛者の権力性に着目した教育実践がそれです。聴いていて、この人たち偉いなと思った点は、続けたという継続性です。すると、こういった実践者も、クィアペダゴジーの中で変わっていく。聴き取りなどで、マイノリティの人たちから学んでいき、それが、更なる実践の力になっていく。支援・理解する前に、自分たちの足元の点検、問い直しを迫られ、気づく、、、でもねと、ここで思ってしまった黄紺。この流れって、いつか来た道だよって。部落問題に立ち尽くしながら、解放教育って進んで行ったじゃない、そのとき繰り返し口にされた言説、それが、この21世紀のクィア理論の最前線でも語れらている。解放教育って、部落問題から、即座に類比的思考が働き、障がい者問題、在日朝鮮人問題、中国帰国者問題、、、へと動いて行ったじゃない! でも、セクシュアリティの問題には行かなかったとは言わないけど、完全に立ち遅れた。これが問題だと、ここに潜む心性なり何なりが、課題じゃないかと思うのだけど。まだ、気づいてない! 質問を入れようかと思ったのだけど、重すぎるので、対面で、こういった講演を聴く機会があればすることにします。最後の点を除けば、とってもいい講演。まとまってる、しかも、黄紺自身にも課題を提供してくれました。


2022年 11月 15日(火)午後 9時 25分

 今日は、お出かけなしの火曜日。火曜日は、「まーぶる」があるから空ける傾向にあるのだけど、今週は、お出かけ予定が続くこともあり、結局、行きたいミュージアムをメモりながら、結局、他の日に回してしまった。結果、何もなしの一日で、ひたすらRadikoのお世話になっていました。となると、日に2回のウォーキングは、何の制約もなしに実施。先日の雨で、気温は、天気予報が行ってたように急激にではないけど、確実に下がっている。そういった中だけど、今日の昼間は、ちょっと戻っていたかな。そんなで、ウォーキングが、頗る快適。おまけに、昼前のウォーキングで、1つ、嬉しいことがあった。かつての職場の同僚に会ったのだ。わりかし近所に住んでいるので、以前は、ちょっと買い物に行くと顔を合わすことがあったのだけど、このコロナ禍では、全く見なかったものだから、正直、気持ち悪かった。何か、困ったことがあったのではと、ついつい考えちゃいけないことを考えてしまう。黄紺は、わりと怖がりなものだから、敢えて問合せるということをしない。風の噂というものが耳に届いたら、それを受け入れるというスタンスに取りがちな人間。そういった人間なものだから、今日のような偶然は、ホント、嬉しい。元気な様子、とっても和んだな。黄紺が、親子3代で韓国行く計画をすることが、ラインを通じて知っていた。なんか、自分を基準にして考えるから、情報がないと怖くなる、でも、ラインというもので、繋がってる人は繋がりが続いている。さりとて、ラインで繋がっていたいとは思わない、天邪鬼な性格なんだな、これが。
 今日の「まーぶる」は、MCの2人には、ベストとも思える回だったようだけど、番組のおもしろさ、盛り上がりぶりが、落語に関わってないと、いまいち、黄紺的には盛り上がるわけではない。要するに、落語関係以外で盛り上がってた。と、若干、不満も、そういうわけであるのだけど、落語関係では、スーパーな情報を頂いた。と言っても、小出しに、二葉が出した情報から、黄紺の頭が働いて、導き出した結論は、100%間違いないと自信を持っている。この間の二葉情報で、一番、気にかかっていたのは、年明けに予定されている、「ABCラジオ 上方落語をきく会」。ここで、「しごきの会」が復活して、二葉が、一挙に3席のネタ下ろしをすることが明らかになっている。これ、予想はしていたけれど、確実な情報として知ったのは、ほんの数日前。ネタ下ろしで逸話を残す二葉に、この企画が出たら、大丈夫だろうかと思う暇もなく、チケット発売情報として知ってしまった。となると、次なる関心は、3つのネタ。その内1つは「まめだ」じゃないかと思っている。というのも、先日の「まーぶる」の中で、リスナーさんからネタの今後について問われ、「まめだを覚えてるところ」と言ってた。にも拘らず、一切、口演をしていない。秋のネタなのに、出した形跡がないからというのが、その理由。師匠米二のお得意ネタだしということも、これが入ると思える理由。これは、今日は、一切触れてないのだけど、今日、気になることを喋ってくれた。「文之助にお稽古をお願いした」「(大きなネタなんで)もうやらんとあかん(と文之助が言った)」「(文之助が)他にも演る人、いっぱいおるやろ(と言った)」、それらに加えて、「ネタ下ろしをするのが2月」と言ってたことが入る。それを受けて、文之助が「始めないといけない」と受けたということ。米二の持ちネタだと、米二に教えてもらうはず、ということは、米二の持ちネタではなくて、文之助は持ちネタ、しかも、大ネタとなると、それは「らくだ」ですね。そう言えば、やってみたい大ネタとして、「らくだ」を「天神山」とともに上げていたことがあった。それも伏線だったかもしれません。ということで、ネタ下ろし3席の黄紺的予想は、「らくだ」「まめだ」と1席。この最後の1席は、全く手掛かりが、今のところありません。


2022年 11月 15日(火)午前 7時 54分

 昨日は、今月2回目となる落語会に行った日。しかも、夜公演。夜公演だけみると、今週2回も、出かけることになっている。生活のリズムが狂うので出かけたくないけど、気になるものがあるものだから出かけてしまう。悲しい性です。そんなだから、午前中は、いつも通り。午後の一時を割愛気味にして、お出かけに備えました。行き先はスカイプラザ浜大津。昨日は、こちらで「しがらくご」という落語会があった。2ヶ月に1回開かれているものです。告知が、当日になってから、紅雀のTwitterでしかないため、日にちのメモ間違いをしてないか、当日まで冷や汗ものという落語会。昨日は、間違っていませんでした。その番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、歌之助「稽古屋」、紅雀「猫の茶碗」、そうば「遠ざかる声」。今日は、鳴り物の忘れ物はなかった二乗の「阿弥陀池」は、以前に2回だったかな、聴いている。相変わらずの安定感ある口演なのだけど、ボケ倒すところをいじっている。言い間違いを減らしたり、違ったものに変えている。この記憶は残っており、あまりいい印象を持ってなかった記憶も残ってたが、昨日も、同じ印象。なんで、美味しいところをカットするのかなと思ってしまうのですが、二乗からすると、ベタ過ぎて、乗り気がしないのでしょうね。照れなんか、意固地なのか、どっちなのか? 歌之助の「稽古屋」は初遭遇。昨日の、自分的ツボになった口演。マクラで、カレー屋さんの話が入るのが嬉しい。「色事根問」の「四芸」から直で入り、稽古屋のシーンへ。三味線との掛け合いも、とってもいい感じ。そして、「色事のための芸事」と言うアホに返す言葉で下げ、但し、初めて聴くものだったけれど、思い出せない。下げを言って、颯爽と引き上げる歌之助が、カッコ良く見えました。紅雀は、歌之助とともに、この会の示す「しが」出身。客席には、毎回、知り合いの人たちが来ているよう。それを踏まえてのようなお喋りになっているような印象を、いつも持ってしまいます。というのは、マクラが、いつも以上に客席との距離感が短く感じてしまうからです。ところが、昨日は、マクラが終わり、ネタに入り、間なしで寝落ち。昨日は、ここでだけ寝てしまった。体力がも持たない模様です。そうばは、前回に続き、藤沢周平もの。著作権の契約期間が、あと1年半だから、やり倒しているということです。そうばのTwitterを見ると、東北地方を、このネタを持って巡回するみたい。「遠ざかる声」は、前回のなんとか言うネタに比べて、気に入ったネタですね。仏壇に語り掛ける商家の旦那、亡くなった妻に語り掛けている。再婚しようとする夫に焼きもちを焼く妻。でも、その声が、最後には遠ざかるという趣向。それは、イコール、安心して成仏できるということを意味している。でも、最後は、原作にはなかったんじゃないかと思える下げを付けている。ん~ん、人情噺にしてしまうこともできたのでしょうが、判断に迷いますね。ただ、この下げを想定してるのでしょうか、語り口全体を、滑稽味を入れての口演にしていたところは、そうばの腕というところでしょうね。これで、ジャスト、1時間半。今月の落語会は、これで、おしまいです。
 後先が逆になるけれど、午後の一時について、ここにメモっておきます。少し前から観始めた「天国と地獄」の続きです。天国の場面から、ユピテルがハエの姿になり、エウリディーチェを誘惑する辺りまで。ラストを残すという、いつものやり方です。エクサンプロヴァンスのプロダクションだけど、なんか、地味。天国の場面が、ダヴィンチの「最後の晩餐」風の装置だからなのかな、それとも、デセイの出ているDVDで観た「天国と地獄」の派手な装置が残っているため、それと比較するからでしょうか? そんなだから、天国の場面は、ほぼ半寝で推移。観直す気も起こらないだろうな。


2022年 11月 13日(日)午後 7時 45分

 今日は、雨の日曜日。久しぶりの雨ですね。昨日の天気予報では、雨が降ると、気温が下がると言ってたけど、変わってないですね。今日は、午後に、市民向け公開講演会の抽選に当たり、行くことが決まっていた日。以前は、抽選があると当たっていたけれど、最近は、外れが続いていたところでの朗報。でも、そういったときなのに、あっさりと寝落ちしてしまった。ダメですね、せっかくの当選だったのにと思うと、余計に腹が立ちます。
 まず、日曜日だということで、お楽しみの「日曜美術館」のメモから。今日のお題は「よみがえる諏訪の仏たち」。明治の廃仏毀釈で、諏訪大社の神宮寺は壊され、寺院にあった仏像も、よくて散逸という憂き目をみたのを、それを探し出して、修復、公開していこうというプロジェクトの紹介とともに、その成果がまとめられていました。こういった廃仏毀釈は、何も諏訪大社だけではないわけだから、このプロジェクトが紹介され、一定成果を残していくと、全国へと拡がる動きになると思えるもの。かつての神宮寺の名残りなるものを確認できるところもあるようですが、この諏訪大社の場合、かなりえぐい形で進められたようです。その背景として、新政府に乗っかろうという政治的な思惑が、統治を治める藩にあったからだと解説が入っていました。住民の破壊を止めるようにとの要望も聞き届けられなかったと言います。その分、何とか残そうとの努力もあったようです。諏訪大社は、神社としては、格も規模も高く、大きい分、破壊された神宮寺も立派だったようで(普賢堂、仁王門、参道、その並びに宿坊、五重塔など)、その跡地の様子を、CGで再現して見せてくれていましたが、この破壊、えぐい、めっちゃえぐいですね。そんなだから、まずは、「仏像を再発見する」ことが難航するようです。そして、修復、公開となるわけですね。紹介された仏像は、次のようなものでした。①五智如来座像(市内の寺院が持っていた、画像データを基に五重塔に並べる、しかし横に並べるときちきち、そこで、東寺に倣い、立体曼荼羅で並べると、うまく並んだ)②文殊菩薩騎象像(移転に尽力した仏法寺に残るが、仏像の左眼が削られている、頭に書きつけが見つかり、諏訪本社本尊~諏訪大明神~だと判明、当時は秘仏として厨子に収められていた、象にまたがる仏像)③十一面観音像(惣寺院の厨子の中から見つかる、諏訪下社の仏像、吊るして拝めるよう板に穴が施された「御正体」という仏像、神道の鏡から生まれた仏像、仏教と交わり神が姿を持つようになったと考えられるもの)④金銅薬師如来立像(神仏習合の形が残る宝光院に残る、天井から四方に架かる白い紙は依り代、不動明王の前に鏡、五色の御幣)⑤阿弥陀如来座像(平福寺、鎌倉時代の仏像)⑥千手観音菩薩、毘沙門天、不動明王の3体(照光寺に残る、諏訪下社の本尊だった、厨子の中の秘仏、60年に1度の御開帳のものだった、平安時代、1680年頃製作のそっくりな仏像~十一面観音+両脇侍像~が個人宅に残る、元来神宮寺の住職の家だったが、廃仏毀釈で住職は神職になった家に残る)。かつての境内をCGで見たり、仏像の運命を見るにつけ、廃仏毀釈の凄まじさ、規模の大きさに、驚かされました。例えば、フランスで、宗教改革とフランス革命がなかりせば、どれだけ、多くの立派な教会伽藍を観ることができただろうと、他所のことは解っていても、日本でのこと、ここまでの凄まじさだとは知らなかったというか、自分の想像力の欠如を恥じてしまったなぁ、今日は!
 午後のお出かけ先は伏見区役所。今日は、こちらで、毎年、数回行われる「伏見連続講座」の1つがあったのでした。今日のお題は「桃山時代頃の石材とその産地-秀吉に関係する石造物-」、お話をされたのは、橿原考古学研究所特別指導研究員の奥田尚さん。寝落ちしても、お話の内容の方向性は判っています。秀吉が造った建築物や橋梁に使われた石材の種類、産地を探り、秀吉が考えていたことを、それを通じて明らかにしようというもの。具体的に扱われた建造物は、指月城、伏見城、三条大橋、方広寺でした。「ブラタモリ」どころではない、岩石の細かな種類、それを探ることで見えてくる産地、それを、やっぱ、考古学の人は、実証的に、1つ1つ紹介されていく。もう、レジュメを見た時点でギヴアップ気味だったのが、ダメな原因だと、自分でも思います。「これは、ついていけない」、出来の悪い学生さんと同じ、もう寝るしかないと、身体が反応してしまったのだと思います。ただ、一点覚えているのは、城や寺院を造るのに、東山の石を使っていない、宇治川に露頭している石を剥がしたり、飯森山なんてのも出てたなぁ。遠い所では、御影の石も持ってきていた。それに対し、橋梁には、白川の白を作る石を使ってると言われてたような、、、? そんなだから、それが、どういった意味を持つかなんか、判るわけないのです。


2022年 11月 13日(日)午前 6時 49分

 昨日も、日中は、気温が上昇。天気もいいし、しばらく続いて欲しい気分。お出かけが続くというのも、こういった日は、気分がいい。毎年、この時期は、予定が詰まる傾向。昨日も、午後には、市民向け公開講演会があった。それも、複数あるなか、選り分けて選り分けて、最後まで消えなかったもの。11月の土曜日は、まま起こることです。それが午後だったので、午前中が忙しなくなるということで、昼前のウォーキングは、前を持ち上げ、且つ、短縮気味、それで正解だった。市民向け公開講演会の往復をウォーキングに充てると、少し長めになるので、この短縮気味が正解。すると、思惑通り、普段のウォーキングの量と変わらなかった。毎日、こういう風に、こちらの思惑通りに進めばいいのですが。
 お出かけ先は、京都駅前のキャンパスプラザ京都。この場所では、毎度、「大学リレー講座」のお世話になっている。昨日は、京都文教大学の担当で、同大学総合社会学部教授の鵜飼正樹さんのお話を聴くことができた。お題は「旅する少女歌劇団 ―日本少女歌劇座の35年―」。このお題が気になって仕方なく、最後まで残った次第。「少女歌劇団」と言えば、宝塚や松竹のそれを思い描く、それの歴史なら、それはそれで聴きたい、でなくば、演芸関係のエピソード? だったら、片鱗ぐらい知る話かもしれない、それとも、全くの知らないテーマ? とまあ、いろいろと考えてみた。大衆芸能の分野だろうから、これは、黄紺的には、どストライク。で、外せないわけです。会場に着くと、案の定、客足が鈍っている。歴史の有名どころだと詰めかける爺婆の足が鈍っている。来ている人は、わけのわからないまま来ているボケ老人か、黄紺同様という人なんでしょうね、「何やねん」「わけ分からんから止めとこ」じゃなくて「何やねん」「わけ分からんけど気になる」という爺婆が詰めかけるから、聴講者は減るわね。講師の方も、冒頭、言われてました。「それ、何だと思って来られてるでしょうね」。黄紺が考えた3つの想定の内、最後のものでした。全く、初耳。聴講者全員、初耳だったと思います。鵜飼さん、25年前に、百万遍の古本市で、この歌劇団の絵葉書29枚と言われたかな、それで初めて知り、調べ出したと言われていました。その歴史です。最後まで聴いて、それでどうなるのか、自分の感性が変るとか、知識が増えて、何かに役に立つというものではなかったけれど、何か琴線に触れるものがありました。おもしろいと思え、何か、楽しくもあり、ちょっと寂しくもありと、どう言えばいいかなぁ、なんか、ほっこりというところがありました。発端は、大正後期から昭和初期に、日下温泉(現近鉄石切駅近く)の専属としてスタート。同じような歌劇団が、各所でできたようですが、宝塚とこの劇団を除いて長続きをしていない。お伽噺や歴史に取材したもの、若干、軍事的色彩のものも含めた演目だったようです。ところが、日下温泉が続かず、常にオーナーとして動く島幹雄なる人物が運営する島興行社直営になる。この時代を、男役スターの名を取り、「山路妙子時代」とされていました。台湾・満州・朝鮮へも巡業に出かけて行くという旅興行。しかし、そうすると、レヴューは年間1つだけ用意すればいいとなります。「レヴュー」との名称は、宝塚が、昭和2年に始めたものを受けて、その2年後に、この劇団でも使いだしているそうです。「昭和行列」「東洋一周」「忠臣蔵」といった名の付いたレヴューが資料から出てくるとか。時局レヴューという軍事ネタも入ってきているようです。昭和の10年代を、3人のスターの名を取り「雲野幸子・華村君子・吉野恵美子の時代」と名付けられていましたが、本来は、奈良が拠点で、本社は奈良に置きながら、宮崎にも劇場を購入、そこを支社として、もう1つの拠点にしつつ、巡業を続けるというもの、中でも、時節柄、外地へ、慰安委嘱された公演が増えたようで、演目も、それに見合うもの、「弥次喜多」「桃太郎」の軍国ヴァージョンを作ったり、正面からの軍国レヴュー「ああ戦友」という演目を用意していたようです。そして、戦後。1946年元旦から再開、主として宮崎での活動だったようですが、3年後には、再び、全国への巡業を再開。演目は、戦後らしく、「民主の殿様 水戸黄門漫遊記」「踊る孫悟空」「歌う太閤記」と題が付いたレヴューだそうですが、何となく、観てみたくなる。そして、1957年頃、解散したようです。そのわけを、鵜飼さんは、引っ張って行っていた島幹雄の年齢的な問題と、高度経済成長期に入り、娯楽が増えて行ったから役目を終えたのではと推測されていました。ここまでの歴史話が、講演の中心でしたが、総括的に、劇団全体を見渡して、幾つかのポイントを押さえておられた。まず、リーダーだった島幹雄の存在。かなりの統率力のあった人物のようだったとともに、謎多き人物で、よく判っていないそうで、裏世界というか闇の世界に関わる人物のようにも看えそうで、外地巡業を、結構な頻度をこなしているのも、そういった闇との関りがあったのかもしれないとか、更に、驚くべきトピックを言われていました。冤罪事件として知られる松川事件当日、その地で公演を行い、翌日の、その地を発っているそうです。偶然なのか、闇との関わりがあるのか、それ以上の堀下げはされませんでしたが、びっくりの内容です。また権力とのコネクションも見えてくるようだとのことで、奥野誠亮らの名が上がってけれど、奥野誠亮は奈良ですから、島興行のある地元ですよね。総督府や鉄道局、警察との関係も浮かんでいるようで、新聞社とのコネクションも確認できるようで、益々、只者ではなさそうですね。次いで、この歌劇団が、長きに渡り(35年間)続いたわけの分析。コンテンツとして、旅回り一座では少女歌劇はレア、上演作品が上質(しっかりした入団試験、一流の舞踏家による振付など)、集客力が高いという劇団としての特徴。巡業の仕方、公演の仕方が練られている点として、大都市圏を外す、女学生をターゲット、コースを組むのに鉄道網を熟知、年に1度という定期公演化(おなじみであると同時に、年に公演を1つ用意すればよいという利点)、団員の郷土訪問というスタイル(地元のスターが里帰り)を上げておられました。そして、最後に、劇団員の継続的なリクルートと、その養成に長けていた点を上げられていました。若い女性ばかりということで、その管理も、かなりしっかりとしていたとか。団員の生き残りの方が、まだおられるようで、その聴き取りもされているようでした。お話の中では、ごく一部しか出てこなかったのが、残念でしたが。こうやって、記憶に残すためにまとめてみても、これでどうなのと、改めて思ってしまうのだけど、メモっていて、講演を聴いていたときのほっこり感を、再確認しています。1つの時代、戦時期を挟んだ、そういった時代の空気を感じさせてくれます。ええもん聴けた、こういった気持ちを味わえる市民向け公開講演会って、そうはないでしょう。
 キャンパスプラザ京都からの帰りは、いつものように歩き。2週間前に、Dを連れて歩いた道にもなります。Dは、何がおもしろいのか、路肩の石ばかり辿って歩いていたのが思い出され、思わず笑みがこぼれてしまいます。そうだ、あのとき、このコースでウォーキングをして帰ろうとしたら、Dが、それを許してくれなかったのでした。だから、路肩の石を辿るのを、京都駅からの往復で付き合ったのでした。そんなのも、いい思い出になっています。


2022年 11月 12日(土)午前 6時 14分

 昨日は、落語会に行った日。お天気の方は、この間続く秋晴れ。落語会は、平日なのに、午後に入っていた。それも、選んだ理由の1つなんだけど、そのおかげで、あまり、普段の生活のリズムを崩すことはなかった。昼前のウォーキングは、少し早めに始め、お出かけに備え、夕方のウォーキングは、落語会からの帰り、幾つか手前の駅で降り、そこから自宅まで歩くことにした。ただ、全体的には、若干、いつもより少なめといった感じになってしまったけれど、それは仕方ないこと。
 落語会は、寝屋川市駅近くのアルカスホール1階ギャラリーを使って行われた「由瓶のねやがわ落語会 2でいず(2)」。「2でいず」の内(1)の方は、行ってない。「ねたのたね」で見つけた落語会だったのだけど、昨日の会だけが、目に飛び込んで来た。長らく、由瓶の落語会は行ってなかった。暑苦しい噺家さんなので、由瓶の主催じゃなくて、ゲスト出演するときにだけ聴くことにしていた。個性の濃い噺家さんなので、気にはなるという点があるけど、そう度々、聴く気にはなれないということだ。それだけ、強烈な個性の持ち主であることは間違いない。半ば避け気味ながら、今回、行こうかの気になったのは、コロナ禍のせい。コロナ禍の間、由瓶の落語を聴いてなかったので、その暑苦しさが、むしろ懐かしさが出てきていたため、いい機会と思えたのだ。寝屋川市駅は、コロナ禍以後、黄紺的には、最も、大阪に接近した所となりました。DとSを連れて、同じ寝屋川市内にある生物多様性センターに行っていたのが大きくて、行ってみようかの気持ちになれました。今月は、あと1回、落語会に行く予定です。で、昨日の番組は、次のようなものでした。源太「元犬」、由瓶「ガマの油」、天吾「ちりとてちん」、(中入り)、由瓶「胴乱の幸助」。ゲストが、今、話題の2人、ただ、この2人は、聴く機会を持てていたので、ここを狙ったわけではない。狙いは、あくまでも由瓶。ところが、もう開演前から暑苦しさ全開。自分で受付しながら、大きな声で喋りまくっている。そうかと思うと、急に舞台前に現れ、喋り出す。「暖めとかんとあかんからね」と、合理化している。おまけに、マスクは顎の下。大丈夫かな? なんか、これで、もう目的は果たせた感があったな。もう落語はいいやの気分、もどしそうなほど。1回目のときは、源太と天吾の立場は逆だったそう。天吾が前座でということだったと言ってました。源太の落語は、まだまだ、落研上がり的お喋り。「笑わし方、知ってるでぇ」という空気が出てくるように感じてしまう。何が良くて、NHKは本戦に導いたのかと思ってしまう。落語は上手いと思うんだけど、なんか、付いてこなくていいものまで付いて来てるという印象。「おもしろハッピー落語会」で感じた印象に近いものを、この日も感じてしまった。天吾の方は、マクラの自然さ、知的な感じは、入門して3年半とは、絶対に思えない、グルメについての語りなんだけど、持ってるものを感じさせる優れたものと思いました。ネタの方は、正に、師南天を想起させるもの。とにかく、流暢に流れる、流れる。上手いなぁと思うと同時に、南天の見せる、類まれなる間、声の強弱、そういった臨場感を増すテクニックで言うと、ちょっと頼りない。それが、徐々に判っていく、「南天はこのようにしていたはず」が出てきてしまってました。すると、口舌爽やかであることが、逆に、平板に感じ、いい音楽になってきてしまい、後半は居眠り。そんなで不届きなことになってながら、この2人、今の時点で選ぶなら、天吾だと、これは、はっきりとしてるな。由瓶の1つ目は、思い出のある「ガマの油」。由瓶が、ネタ下ろしをしたときに聴いている。もう20年程前、梅新の東海道線ガード近くの小スペースで、ネタ下ろしの会を、由瓶がやってた。そこで聴いた。このネタを、坊枝からもらったので、礼儀として、坊枝をゲストに迎えて、このネタを下した。他にも、ネタ下ろしに立ち会っているはずだけど、これしか覚えてない。恐らく、由瓶の「ガマの油」は、それ以来と思う。もう1つの「胴乱の幸助」より、ずっと由瓶の人に合っているという印象を持った。その「胴乱の幸助」だけど、序盤の相対喧嘩から違和感。アホげな2人の会話から、2人がアホになってない。アホになってないから、おやっさんのキャラが弱まってしまってる。稽古屋の女師匠で、ちょっと持ち返すんだけど、まだ、弱い。落語界の登場人物というよりか、生真面目な男としか見えてこない、それが弱いという原因。落語でしかありえない、そういったぶっ飛んだ感が、出ずじまいだったんじゃないかな? 高座を降りる由瓶が、えらく生真面目な男に看えてしまってました。おもしろい会場です。玄関を入ってすぐの左側に、この会のために仕切られたようなスペース。普段は、単なるロビーだったような気がするのだけど、違ったかな? 1度だけ、このホールで音楽を聴いたことがあったので、そないに思ってしまった。施設の方に尋ねてくれば良かったと後悔。でも、落語をするのには、いいスペースです。奥さんの実家が寝屋川市内だそうで、その地元に貢献しようというのも、由瓶らしくて、いいですね。


2022年 11月 11日(金)午前 6時 47分

 昨日も、昼間は気温上昇。とっても暖かな陽射し、直接、日光に当たると日影に入りたくなる勢いがあった。その一方、朝方の冷え込みが酷かった。益々、寒暖の差が大きくなっている感じ。昨日は、お出かけなしの日だったけれど、午後に、予約なしで視聴できるオンライン配信を受ける予定だった。それが、上手い具合に、普段の午後の一時にすっぽりと収まる時間帯だったので、いつもの日に2回のウォーキングには障りはなかったんだけど、木曜日の定番だった、YouTubeの米朝事務所チャンネルの生配信には、僅かに食い込んでしまったのが、ちょっと外してしまったこと。どうも、PCの動きが悪くなっているため、起動に時間を要する分、生配信に食い込んでしまった。
 朝、いつものように、トルコの情報収集をしていると、コロナ感染情報が、突如として復活していた。それが変なんだけど、保健省のウエブサイトには、一切、出ていない。以前、発表していたサイト2つには、今は、閉じたのでしょうね、全くアクセスできなくなっている。でも、新聞のサイトなんかで、この件を伝える記事には、閉じたはずのサイトのURLが貼られているという、わけの判らなさ。ただ、記事には、以前と同じ様式での発表の跡を見るものだから、何が起こっているのかが判らない。でも、ここで、突如、発表があるということは、またまた、感染者が増えているということ、日本でも、第8波かとの情報が流れている。どなたかの演芸ファンのTwitterで見たけれど、玉川奈々福さんが感染したため、事後処理が大変そうだと判明。こういった知っている人の感染が報告されると、一挙に身近に感じてしまう。1月の正月明けの韓国旅行は大丈夫だろうかと、急に気になってしまっています。Dが一緒だから、無理しない方がいいから、ある程度、腹をくくって航空券の購入はしたはずなんだけど、ちょっと動揺気味です。
 午後の配信は、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター主催の「令和4年度 後期 第2回 Online伝音セミナー」でした。このセミナーは、ここ数年、毎年、何回か視聴させてもらっているもの。昨日は、「京都市西京区が舞台となっている謡曲」というお題で、同センター教授の藤田隆則さんのお話を聴くことができました。お題の設定について、冒頭で、お話がありました。京都市芸大は、来年度から、京都駅東に移転をする予定。そのため、今のキャンパスのある「京都市西京区」関連のテーマ設定になったということでした。この西京区の境界は、嵯峨野を入れないということ。大堰川以南、言い換えると、それが正しい嵐山だそうで、そこより南側地域、古い言い方だと、葛野郡と乙訓郡が、それに該当するようです。もちろん、京都市域になる、昔の乙訓郡でしょうが。その地域に関わる謡曲を取り上げ、能の筋立てを紹介、音源のあるものは謡の一部を聴かせるというのが、基本的なお話の中身、それに、プラスαで構成されたお話だったと言えると思います。まず、「謡蹟めぐり」を「聖地巡礼」と位置付け。最近の流行のアニメの世界の「聖地巡礼」に名ぞらえられていました。「作品の舞台になっている場所(ワキの旅の到着地)」「登場人物縁の場所(登場人物の誕生地・供養塔・住居など)」と、具体的に言えるということです。また、謡曲の中には、登場人物により、物語や歌で言及される場所、即ち「名所」と言える場所が出てくることもある。これは、「融」の詞章を例に説明されていました。河原院を中心にして登場箇所を線で結んで示されたのが新鮮。目線がヴィジュアル化されたって感じでした。そのような押さえののち、具体的な謡曲を取り上げられました。「①嵐山」「②松尾」「③車僧」「④小塩」「⑤西行桜」「⑥大江山」。③は、境界のどっちなのか、よく判らないということで、具体的なお話はカット。嵯峨野側を入れると、一挙に増えるということのようです。①が、その境界で西京区域北端、大堰川以南ということです。①は、謡曲の内容も場所も、よく解っているということで、黄紺的にカット。②は、宝生流にだけ残っている稀曲です。黄紺も、実際の上演には接したことがない。「今の松尾神社ではやってない神楽が入る」「秦氏が治水などの技術を示した地」「梅津は水につかりやすかった? 津ですし、“梅”は“埋め”なのかと勝手に想像」「季節は秋、春が多い神ものでは珍しい」「詞章に出てくる和光同塵は神仏集合?」。さすが、この曲は、音源を見つけることができなかったそうです。④も、そんなには出ない曲。「小塩(山)は、漠然とした場所」「春の作品」「小塩山十輪寺では、5/28に業平忌法要が行われている」「同センターに寄託された“西村文庫謡本”の記述法、“立曲”=タチクセ(⇔居クセ)、“幽玄”=明るくきれい、“弓”=“強い”の省略形、“和”=“弱い?”といった江戸時代の指示方法が記されている、この強弱に関し、“中弓”と記され、強吟を少し和らげた歌い方という意味」「二条の后(藤原高子)とのごちゃごちゃを歌った歌がモチーフ」。⑤については、黄紺的には、大原野神社にも、1度ならず行っているが、西行の庵室の場所は、よく判ってないそうです。「都名所図会」に出てくる花の寺は嵐山の近く、西光院が、西行の旧跡とされていることもあるので、ここかもと言われていました。可笑しかったのは、「西行は様々な作品で叱られっぱなし」と言われたとき、思わず、声を出して笑っちゃった。言うまでもなく「鼓ヶ滝」を思い出したからです。⑥は、丹後ではなく、「大枝山」と捉えての西京区入り。「老の坂」とよく言うけれど、そこが大枝山。現在の京都市芸大の前を通るのが国道9号線、それを、少し行くと、もう老の坂だということで、全くもって地元のお話、心霊スポットにもなっていると、何枚かの写真も見せていただけました。ここだけではなく、いずれもが、西京区内なわけですから、ご自分で撮られた写真を披露されていました。今に残る謡蹟の風景ということで、いい感じ! 最後に、もう1度、謡蹟を訪ねるという行為、そして、そこで謡をうたうということは、正に、アニメの聖地をコスプレをして訪ねる行為と同じとまとめられていました。実際、謡蹟で謡をうたったことを示す額を、その場に残すということがされていたということで、今に残る額のお写真も入っていました。ベタなお話で、意外性は、全くなかったけれど、なかなか聴けるものではないだけに、しっかりと楽しませていただきました。


2022年 11月 10日(木)午前 0時 37分

 今日は、月曜日に行かなかった映画に行った日。午後のいい時間帯に映画が入ったため、昼前のウォーキングは、いつもより、若干控えめに行い、夕方のウォーキングは、映画館の往復で、これに充てた。いい感じどころか、いつもより多くの時間を、結果として、ウォーキングに割くことになった。
 映画は、京都シネマで観た、アイルランド映画「恋人はアンバー」というもの。高校生の男女のセクシュアリティを描いたもの。セクシュアリティものは、守備範囲だということに加え、アイルランドというカソリックの国の映画だということが気になった。物語は、2人の高校生、1人はゲイ、もう1人はレズビアン。お互いに、カミングアウトできる環境ではない。アイルランドというお国柄、男の父親は、軍幹部、だから、息子を強い男に育て、軍に入れたいと考えている。その父親と母親は、原因は明確にされないが、不仲。でありながらも、息子には男らしく生きて欲しいと願っているという風情。女の方は、これも、原因は、よく判らないのだけど、父親は自殺をしているため、母親により育てられてきた。その母親は、何かと、父親を引き合いに出しての躾を行おうとする。その男女の高校生、自分たちのセクシュアリティを隠すために、卒業までは、恋人でいることを装う約束をする。それで、意気投合した2人は、傍目には、本当の恋人のように見え、また、2人は、他には言っていない秘密を伝え合い、そのための共同作業をしていることの気安さから、意気投合していく。2人は、あるとき、学校をさぼり、ダブリンの町に出かける。そこで、クィアな人々が集う酒場に導かれるように入る2人。お互いのセクシュアリティが開いていくようなシーン。ところが、その場で、男の方が、知り合いの男を、その場で見てしまい、慌てる。そして、男であることを試すかのように、恋人を装う約束をしていた女を抱いてしまう。「あれは、何だったの」と、翌朝、尋ねる女。恋人契約を反古にすることを告げる。しかし、それで動揺したのか、学校に行き、ゲイであることを隠すために、女を抱いたと吹聴する男。その頃、女は、家を空けたことで詰問する母親にレズビアンだとカミングアウトしてしまったため、母親が神父に告げ、更に、神父が言いふらしたから、世間の噂になっていた。それを捉えて、男は、女に、人前で「おまえはレズビアンだ」とののしることで、ゲイであることを、一層隠そうとする。女は、酒場で出会ったある女との付き合いを深めていく。男は、男らしくを求めるため、結果として、軍隊の入隊試験に合格してしまう。離れて行っているようで、同士的気分なのでしょうか、男女の恋という言葉では言い表せない絆を気付き上げてしまっていた2人は、お互いが気になって仕方ない。毒づかれても、本心は、そこにはない、我々には、絶対的な信頼というものがあるという確信が出来上がっているように見えました。それを表すのに、相互が、どのようなセクシュアリティにあるかは関係なく蠢いているようでした。逆に、その絶対的な信頼感を、お互いの性やセクシュアリティが拘束しているために、不自由なことが起こっているように見えました。ラストは、入隊の車に乗り込もうとする男に、女が見送りに来て、自分が、ロンドンに出て進めようと考えていた仕事にために貯めていたお金を渡し、これで、自分のできることをせよと言います。一緒に行ってくれと頼む男、それを拒む女。でも、男は、自分はゲイだと言い切り、そのお金を受け取り、入隊せずに旅立って行きます。女は、自分の人生を削ってという気持ちがあったのだろうか、それとも、レズビアンとしてのパートナーができたから、いいかの気があったのだろうか、何なんだろうと考えてしまいました。性というコードを通して見えてくる行動規制、それに立ち向かおうとしても、所詮は、そのコードに捕らわれたまま。そこの格闘を描いた作品と看ました。観ている方も、2人の言動を捉えるときに、どうしても、既成のセクシュアリティの概念で分類してしまっている。そういったものも、相対化しようとしているのかなとも思える佳品です。
 京都シネマに行くと、当然、今後の予定を知らせるポスターやチラシがあります。が、以前から気になっていたことだけど、京都シネマに限らず、名作の再演という形が多いですね。なんてことはない、コロナ禍で、映画の制作本数が減っているということなんだと、今日になり、気付きました。「恋人はアンバー」といった新作は貴重だから、今週は、日に4回も上映され、しかも、そんなに入りがいいとは言えないのに、一番広い部屋が宛がわれていました。ドキュメンタリー映画の上映が、昨今、増えているというのも、同じ理由によるのかもしれないなと思っています。


2022年 11月 9日(水)午前 7時 22分

 昨日も、いいお天気。まだ、暖かな日が続いている。火曜日ということで、頑張って予定を入れない日なので、お出かけなしという一日だったから、外出は、日に2回のウォーキングだけというありふれた日。もちろん、こういった時間の使い方をしているのは、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を聴くため。そして、更に、時間があれば、「吉の丞のおつかれさん」まで聴こうかという日。もう、Radiko三昧の日。その「まーぶる」だけど、なかなか濃い内容。この番組、いろいろとコーナーがあるけど。最も楽しみにしているコーナーは2つある。いずれも、落語界の情報を、二葉目線だけど、得られること。もちろん、二葉自身の活動の様子を知ることができるのが大きいのだけど。その1つ目が、冒頭の近況報告的な冒頭の喋り。二葉は、このネタ作りに頭を痛めていると独白しているのを、2回、聴いたことがある。考え抜かれたトピック、場合によっては、自身の高座のマクラでも使えるクォリティがある。池袋で、客席の子どもから声が掛かったというトピックは、今や、鉄板のマクラのようだけど、その初披露は、この番組でのことでしたもんね。変なタクシー運転手のことも、ここだった。昨日は、「丹後ちりめん寄席」と「博多天神落語まつり」が取り上げられていた。黄紺的に聴きたいのは、言うまでもなく、後者。「円歌、方正、文枝、文菊、二葉」という番組。時の人、円歌については、さすが言及はなかったけれど、挨拶しにくいだろうな。文枝との会話が、ちょこっとだけ披露されました。挨拶に行ったとき、「繫昌亭を建てていただけたので、機会を与えられました」と、そのとき、繫昌亭建設のお礼を言ったというので、「博多でそれ言うの?」と、びっくり。それほど、接触の機会がなかったということですからね。文枝からは「行けるときに行け」という言葉をもらったとか。これ、いい言葉ですね。そして、実感が籠っている。また、それをやって来た人の言葉だから、重みがあるのがいい。梶原アナも、そう思ったのか、「若い頃から、ずっとやってこられた方だから」と、重みというものを感じた言葉を添えられていました。もう1つのコーナーが、二葉が、落語のことを語るコーナーが用意されており、時々、噺家がゲスト出演する。会の宣伝がてらという感じなんだけど、昨日は、なんと、東京の蝶花楼桃花だった。番組冒頭で、この予告があったとき、ホント、驚いた。終わってから、桃花のTwitterで調べると、一昨日、名古屋で真打披露の会があり、その足で京都に来て、その後、大阪で、大阪での真打披露の会のための記者会見を開いたようです。それに、うまく「まーぶる」をかませ、ここでも、真打披露の会の宣伝をするということになったことが判った。思いもよらないことが実現したけれど、やっぱ、桃花と二葉のホットラインがあるのでしょうね。このトークの中でも出たので思い出したんだけど、桃花が、ぴっかり☆時代、大阪で初めて独演会を開いたとき、トリイホールでなんだけど、その日、面識のなかった二葉が鞠輔とともに、「勉強」にと楽屋に現れたことを思い出した。その会には、黄紺も行ってたんだけど、その訪問を受けたことを、ぴっかり☆は、マクラで言ってた。その後の大阪での独演会では、鞠輔も二葉も、前座で使ってもらっている。黄紺は、鞠輔が、前座で、鳴り物なしの「遊山船」を出したのは覚えているが、二葉のときは行けていない。そんなことを思い出したものだから、桃花が、二葉がアフロだったことを知っていると言ったことで、あの頃、二葉は、まだ、アフロだったんだと、可笑しな感慨に耽ってしまってました。
 「おつかれさん」の方でも、印象に残る話を、吉の丞が披露してくれました。昨日は、吉朝の命日だったので、師匠吉朝のことを語ってくれたのです。吉朝は、亡くなる1週間前に、文楽劇場で最後の高座を務め、それは音源が残っているのは、有名な話ですね。そのとき、医師が付き添い、予定されていた1席は、当時、雀松だった現文之助が代演する状態だったと聞きます。吉の丞の話だと、亡くなった日の2日前が師米朝の誕生日だったため、それと重なると懸念していたほど、最後の高座のあと弱ったようです。そして、本人の意向で密葬。実際には、後日、お別れの会を開いたそうですから、それこそ荼毘にふすのは、家族と弟子だけで行ったのだけど、ざこばが、どこかで聴き付け、密葬の場に現れ、吉朝の姿を見て、「ええ顔や」と言って帰って行ったそうです。これ聴いたとき、なんでやろ、涙が出そうになってしまった。確か、末弟の吉の丞は、まだ、年季が明けてなかったのじゃなかったかな? ひょっとしたら、1つ上の佐ん吉も、そうだったかもしれないなと思います。吉朝没後、佐ん吉のこと「忘れ形見」などという言い方をしていた噺家さんがいたことを覚えているもので。いつになく、神妙な語り口の吉の丞、それが、余計に涙腺を刺激したのかもしれません。ざこばらしい表現法に、ぐっときたのでしょうか。享年50歳だった。生きていたらと、詮無いことを、ついつい思ってしまいますね。落語界の風景も、今と、随分と違うような気がします。二葉なんかを観たら、何て言うのでそうね。いやいや、その前に、成長した弟子一人一人についてのコメントを聴いてみたいものです。


2022年 11月 8日(火)午前 7時 47分

 昨日は、暖かで、いいお天気。いつまでも、こういった天気が続けて欲しいのだけど、そうはいかないのでしょうね。もう、冬至まで1ヶ月半というところまで来ているのですね。そんなことを考えながらのウォーキング。昨日は、お出かけなしの日だったもので、ルーティンにしているウォーキングを、日に2回は、いつものこと。実は、予定では、映画を観ることにしていたのだけど、あまりに朝が早く目が覚めたままだったので、他の日に移すことにした。だから、朝の一時が、やたら長かった。相変わらず、こういった日が出てきてしまいます。もう1日中、眠いけど、迂闊に、昼間に寝ると、おかしなことになるので、それはしない。替わりに、じっと、PCの画面を見ながらだと、あっさりと眠り出す。音声だけの配信だと、傍らのベッドに横になりながら聴こうとすると、また、うつらうつらしてしまう。そんな鬱陶しい日だったということ。
 朝の一時、午後の一時、まとめて、メモっておきます。Radikoで、落語を4本、聴いた。2022.10.30放送「日曜落語~なみはや亭~」(①②)と2022.11.7の「内海英華のラジ関寄席」(③④)です、①桂米朝「仔猫」(1970.10.31道頓堀角座収録、米朝45歳直前)②二代目桂春団治「安産祝い(子ほめ)」③森の石松「兵庫船」(2022.10.9喜楽館昼席)④笑福亭喬若「天災」(2022.8.20喜楽館昼席)。「なみはや亭」は、なんで、今?という音源を、結構流すけど、この日の2本もそうだ。米朝の「仔猫」は、複数回聴いているかもしれないけど、はっきりと覚えていることが1回ある。「染屋町寄席」の記念の会で、昔の京都会館第2ホールを使っての公演だった。「染屋町寄席」は、米二と都丸(現塩鯛)が、交互で担当していた会で、記念の会で、一門の総師を呼んだ会でした。米朝が、わりかし太目の縞模様のはっきりした着物を着ていたのまで覚えている。その着物に惹かれたのか、口演に惹かれたのか、どっちだろと、珍しい記憶なんで思ってしまう。朝日放送は、二代目桂春団治の音源を多く保持しているのが自慢なのか、「仔猫」との時間が上手く合ったからか、二代目桂春団治が出ると、余計なこと、考えてしまう。今、広く行われている「子ほめ」は、どれもテキストは変わらないと言っていいとおもうけど、これは、流れは外さないけど違う。三代目は、じゃ、「子ほめ」は誰からもらったのだろうと考え込んでしまった。③は、時間を考えて、オリジナルな編集をしたものと思え、問答なしで、早々に船が停まる。その前に、弁当に入っていた蒲鉾をネタに鱶が出てきたり、蜃気楼で100年後の神戸を描写したり、めっちゃ斬新。④は、冒頭しか覚えてない。申し訳ない。音声もの配信をしている「桂あさ吉内弟子日記」が溜まっていたので、8回分ほどを、一挙に聴いた。記憶に残るのが2回あった。阪神淡路大震災当日の回と、米朝が「立ち切れ線香」について語った回。前者は、慌ただしく駆け付ける弟子たちが印象的、後者は、米朝が、師の先代米團治の「立ち切れ線香」について語ったという下りがおもしろかった。先代米團治は、地唄の「雪」を、若旦那と小糸の思い出の曲として設定、そのトピックを、三味線が鳴る前に入れていた(その方法は不明)。ところが、米朝が言うには、「三味線が鳴り出すことが肝心なことで、それが、どの地唄の曲であろうが拘る必要はない」との見解を言ってたそうで、あさ吉も、米朝の考えに共感できると言ってました。これはおもしろい話。黄紺には、どっちがいいか即断ができない。なんとなく、生で、先代米團治風の口演を聴いてみたくはなった。聴くと判断できるかもしれないと思ってしまいました。
 こういった落語関係と、もう1つ、「Oper Vision」で、新しく公開されたオペラを観た。エクサンプロヴァンス音楽祭の「天国と地獄」(イヴ・ボーヌス演出)。エクサンプロヴァンスは、幅広い演目を取り上げますね。ここのプロダクションは、どれを観ても、優れものばかりと、黄紺にはインプットされているので、他にも、新たに公開された動画があったんだけど、いの一番に狙いをつけました。確かに、歌手陣は優れものだし、演出も、いろいろとやってくれる、また、歌手陣も、それに応えてる。おまけに、男女ともに美形を揃えている。冒頭の、エウリディウスとオルフェウスの痴話げんか風デュエットも、難しい動き、素早い動きを求めていたり、プルートなど、ローラースケートで登場。本体を表すと、それを外し、且つ、衣装に仕込みを用意しておいたりと、いろいろとやってくれてました。まだ、全体の1/4ちょいしか観てないけど、十分に楽しめそうなものとなっています。
 そして、夜は、米朝事務所のYouTubeチャンネルのお世話になり、いいお酒のおともを楽しむといった生活。吉の丞は、完全に、「おつかれさん」でのネタの使い回しをネタ化、岩井万実も観ている前提でのネタ化している雰囲気。米紫も協力。だから、この動画と、「おつかれさん」併せて視聴すると、可笑しさ倍増といったところかな。今日は火曜日、その生放送がある日ですね。でも、その前に、二葉の声を聴いてからです。


2022年 11月 6日(日)午後 8時 34分

 今日は、午後から、この時期、年に1度の法事のある日。それが、時間が決まているので、日曜日は、「日曜美術館」で、こちらも時間が決まっているので、動きが窮屈になる。でも、しっかりと、その狭間を縫っての、ミニウォーキングを実施。夕方は、事情があり、その時間を取れなかったので、これに、プラスα程度のウォーキングに終わりました。時々、こういった日があるけど、ま、午前中に、少しでも確保ができたので、良しとしましょう。
 まずは、「日曜美術館」の記録から。今日のお題は「至宝が伝える天平の夢 〜第74回正倉院展〜」。これ、毎年、やってんのかなぁ。展示に供するには、一定年数、間隔を開けるというルールだそうですから、毎年、この番組があっても不思議ではありません。会場の様子も映ってたけど、混んでますね。観たいけど、行きたくないとも思ってしまいます。番組は、MCの2人に、尾上右近と奈良国立博物館長さんがゲストに出られて、スタジオでのトークと、今年の出品作品を映像で紹介するというもの。取り上げられた宝物は、次のようなものでした。①漆背金銀平脱八角鏡(鏡、漆黒の中を跳ぶ鳥)②銀壺(最大のもの、東大寺への献上品、ペルシャ起源の狩の文様、でも狩人の服は中国風)③象木﨟纈屛風(ろうけつ染めの技法、木の上を歩く猿、茂みにはイノシシ、真ん中には象、鳥獣戯画や俵屋宗達の絵に出てくる象より一番象らしい、足の先や鼻の先の描写などは、本当に象を観た人の目、海外から来た人の作品?)④鳥獣花脊円鏡(鏡、中国で製作、疾走する動物が彫られている、中央には8組の獅子の親子、毛の1本1本を描くシャープさ、「京都の鏡師」さんの証言が入り、我々とは違う技法を使い、蝋型で作っているので、細かい模様を造れる、いずれにしても超絶技巧)⑤金銅幟(金属の旗、風で鈴が鳴る)⑥蓮華残欠(花や葉は木製、大仏への献上品)⑦伎楽面/呉広(呉の国の貴公子を表す、元は青く染められていた、今の状態を維持目的で彩色の修理が入った)⑧伎楽面/力士(悪者を懲らしめる、真っ赤で怒る表情、桐の木で掘る、漆に木くずを混ぜた刻苧(こくそ)漆を用いて修理された面)⑨斑犀把緑牙撥鏤鞘金銀荘刀子(はんさいのつかりょくげばちるのさやきんぎんかざりのとうす)(ファッションアイテム、文房具、柄はサイの角)⑩紐類残欠⑪犀角魚型(⑩の先に付ける)⑫彩絵水鳥型⑬裛衣香(えびこう)(香り袋)⑭犀角銀絵如意(僧侶の法具、インド起源、先端は犀の角)⑭鉄三鈷(法具、矢じりのように尖っている、鉄をたたき上げて作る、外から邪気を振り払う、専用の箱も残る、現在の修二会で使われる三鈷と同じ形)。幾つかの宝物に、動物文様が出てきているのですが、それを指して、そういったアイテムを持つことで、動物の持っている力を持つ、そういった動物を倒した力を持つ、それは、正に権威の象徴であり、魔除けになると考えていたのだろうということでした。
 午後は、弟と、その車で滋賀県へ。もう父親が亡くなって25年が経ちます。ぼちぼち、この合同法事に行くのも、諸事情により、今年、最後になるかなぁと、弟と話しながら行ってきました。そして、帰りに弟に付き合ってくれと頼まれ、某所に行き、突発事件が発生。とっても、気分の悪いことが起こったのだけど、書くのも鬱陶しいので、やめます。帰りに、弟の家でクールダウンをして、自宅に戻るハメとなってしまいました。そのおかげで、夕方のウォーキングが没になっちゃいました。


2022年 11月 6日(日)午前 7時 4分

 昨日も、お出かけなしだけど、午後にオンライン配信の予約を入れていた。土曜日で、嬉しいことに、夜には、「ブラタモリ」の新作が流れた。ルーティンにしている日に2回のウォーキングは、いつものように実施。秋晴れで、明るく、気持ちのいいウォーキングができました。それは快調だったけれど、対面式の市民向け公開講演会がありながら、オンライン配信の方を選んだにも拘わらず、またしても、寝落ちしてしまい、がっくり。ホント、PC画面に向かったまま、知らない内に寝てしまってた。いつものように、一番肝心なところで。ということで、簡単なメモだけを残しておくことにします。オンライン配信の常連、帝塚山大学の市民大学講座を予約してあったのです。昨日は、「郡山城を掘る」というお題で、大和郡山市都市建設部まちづくり戦略課文化財保存活用係長の十文字健さんのお話がありました。こちらの講座は、古代史中心なのですが、前回は民俗学の分野、今回は近世史と、テーマ設定が多様になってきているのですが、聴いてみると、同大学の近くにある郡山城が、史跡指定間近だということでの、テーマ設定だったことが、お話の冒頭で披露され、納得。黄紺は、当初、郡山城には行ったことがあるので、様子が判っているため、他に、そういった名称の城があるのかと思ってたのですが、知っている郡山城でした。その郡山城の歴史を、城主の変遷から辿ることから、お話は始まった。筒井順慶による築城、豊臣秀長という秀吉の弟といった豊臣政権の重鎮が押さえ、その後も、重鎮が受け継ぐ、徳川の世になると、松平、本多、柳澤と譜代大名が続くというのを聴き、その重要さを認識。実際に城に行ったときに、そういった解説を読んでるんだろうけれど、全く、覚えてなかった。その立地面では、西ノ京丘陵の南端にあり、丘陵地に半分乗る格好で造られている。今の近鉄電車が、丘陵部の縁を走ると考えればいいということでした。最後の方で知ったのですが、史跡公園としての整備が進んでいるようで、黄紺が知る風景とは変わっているようです。城郭としての構造は、総がまえというやつで、外堀まで含めて、正保年間(1640年代)の古地図と比べても、その構造は、ほぼ変わっていないそうで、それが、史跡指定に大きく寄与したようです。立地と連関させて言うと、丘陵地に武家屋敷が、低地に寺院が配備されていたそうです。具体的な構造話に入っていくと、解らなくなっていったなぁ。石垣のトピックから始まったのだけど、曲輪とか魯と言われても、そういったタームは聴いたことはあるんだけど、イメージが湧かないものだから、城の構造図を見せられながら、説明されても、ピンと来ない。石垣の石の積み方で、年代が判るというトピックも、「ブラタモリ」のおかげで、そういったことは知っていても、この郡山城は、あまりにも多様な積み方があり、また、それが、この城の特徴なようなのだが、積み方から看られる特徴というものが、全く把握できない。更に、三重になった堀にも、石垣が積まれている箇所と、盛土だけで済まされている箇所があるという報告は、そういったことになっていると教えられたも、その使い分けの意味となると、さっぱり見当もつかないものだから、お手上げ状態。これがいけなかったのでしょうね、寝落ちの原因でしょう。石垣に次いで、場内各所の遺構調査結果、遺物の紹介と続いたようですが、ここがぶっ飛んでしまっています。遺物の後半で覚醒したのですが、瓦の話が、記憶に残っている。天守の瓦は、大阪城、聚楽第、寺社(大和の寺院)のものが出てきており、更に、家紋をデザイン化した瓦が多数。その家紋は、藩主を示すものだとかで、それにより、建て替えといった修理の時期が判るようで、これも、多様なものが出てきている。ということは、幾度となく、手が加えられた城であるということですね。これが、寝落ち前の石垣のトピックにも通じていたようです。特に、水野家の紋が多く出ているようで、それは、その城主の時代に、修理の頻度が高かったということですね。逆に、近世の半分を統治した柳沢ものが少ないそうです。その瓦での驚き話が、金箔瓦。その写真を見せていただくと、金箔が残っていた。遠目に見ても、金箔と判るものまで。ちゅうことは、豊臣政権時代に絢爛豪華な趣味を表すもの? 悪趣味とも思ったけれど、秀吉の成金趣味というところなのでしょうか、他にも、こういったトピック、聴いたことあるところです。レジュメを見ると、遺物は、瓦のトピック中心だったようで、遺構が、全くダメだったようです。そんなで、不十分極まりない、ましてや、他のイベントを捨ててまでの視聴だったのに、勿体ない話もいいところです。
 「ブラタモリ」は「苫小牧編」でした。これが、充実度の高い、いい回だった。前半が支笏湖でした。近くの洞爺湖と比べ、自分の中では目立たない支笏湖、こんなにきれいな風景だとは知らなかった。国定公園かなんかですよね、納得です。このカルデラ湖の特徴がおもしろかった。そして、この火山の爆発が、北海道をくっつけた。札幌方向から千歳、苫小牧へと続く平地を作った。これ、凄い話ですね。千歳と、札幌、苫小牧の位置関係が、頭に入ってなかったものだから、余計に驚いた。支笏湖と苫小牧なんて、全く結びついてなかったもんね。その苫小牧は砂地だった。そこに港を造るプロジェクト、凄いです。防波堤が防砂提にもなっている。最後のトピックも良かった。苫小牧の原風景が残っている。いいところだ。この風景だけでも、いえいえ、支笏湖と抱き合わせれば、更に良しで、観てみたいものです。振り返ってみても、楽しいトピック満載。良かったぞ、苫小牧編!


2022年 11月 5日(土)午前 7時 34分

 昨日は、朝から忙しなくなった、おまけに、かなり冷や汗をかいた日。まず、午前10時からの、びわ湖ホールでの「ニュルンベルクの名歌手」のチケット販売を待ち構えていた。今回もステージングということで、舞台は見えない箇所があっても、さして障りはなかろうということで、一番安いお席を買った。福井から友人もやって来るので、2人分をゲット。ここまでは、予定通り。ところが、そのチケット獲りに動こうかというときになり、一昨夜、息子から入っていたメールに気づいた。旅行の日程、行き先を決めたというもので、それが決まれば、航空券の手配に動くという段取りは、既に息子と決めてあったので、まず、Skyscannerで検索。数日前までは入ってなかった航空会社の便が入っている。しかも、安くて、時間の都合が良い。旅行社を確認しても、黄紺が、いつも手配しているところが最安値と出ている。まだ、運は良い。念のために、その旅行社のHPで、同じ航空券を確認する、Skyscannerからアクセスした方が安いので、それで手続きを完了、だったはず、でした。クレジットカードでの支払いも完了して、「ありがとうございました」の表示が出たが、変。「予約は完了」「入金は、**時までに」と出ている。あれ? 支払いも完了したじゃないか! なんで、「入金はまだ」なの? メールを開けてみる。当該の旅行社からメールが入っている。でも、そこには同じことが書いてある。旅行社にあるマイページも確認、でも、同じ。完全に、やられたと思いました。決済完了まで行き、入金がなされてないとなると、どこか知らないところへ、お金は行ったと思うのは、不思議じゃないよね。そこで、クレジットカード会社にお金の動きを確認する必要があると思い、電話を入れてみる。こういった電話は、すぐに繋がらないものと思っていたが、あっさりと繋がった。事情を説明。電話の向こうでは、それを聴き、おかしなことを言った。「セキュリティ・ガードが掛っていますので調べます」と。「ん?」、ひょっとしたら、助かっているかもしれないという一縷の希望が、このとき湧いた。「なぜかは、こちらでは判らないのですが、アトランダムに掛るセキュリティ・ガードが掛かってしまっています」ということで、本人確認や問題の金額も確認済だったので、「セキュリティ・ガードを外しますので、10分後に、もう1度、決済手続きを行ってください」「お金の移動は起こっていません」ということだった。ホッとして、10分後には、問題なく、決済はできて、無事、入金済のメールが、旅行社からも届きました。でも、「なんで?」の気持ちが残り、気持ちが悪い。しかも、30分ほど前に、びわ湖ホールでチケット買ったとき、普通に買えたやんと思うから、気持ちの悪さは残った。でも、お金が、どこかに行ったわけじゃないから、いいかの気もあった。このモヤモヤが解決したのが、遅めのウォーキングを終え、昼食も食べ、PCのメールを、再び開けたとき。クレジットカード運営会社から、「このたび、弊社にて第三者による不正利用の可能性を検知したため、一時的にお取引をお止めしております」とのメッセージの入ったメールが届いていて、電話をするようにとの指示だった。この電話が、なかなか繋がらなく、15分以上待ち、ようやく繋がり、ようやく事態が飲み込めた。ま、「カード会社が止めた」ということだから、事情が判ると、我慢強く待ったかいはありました。今回の取引のように、旅行会社絡みの、お金の動きでトラブルが起こっているので、アトランダムにセキュリティ・ガードをかけて、チェックを入れているということで、それに引っ掛かってしまったことが判明しました。そうやって、セキュリティを高めてくれていることは有難いけど、肝を冷やすし、急いでいるときに、これにぶつかると、困った事態も起こりかねませんね。黄紺の場合は、入金までに時間的制約はあっても、それに遮られることがなかったのは、不幸中の幸いだったということです。だけど、気持ちの悪い時間が、暫し、流れてしまった。
 昨日は、お出かけなしだったんだけど、夜に、オンライン配信の予約が入れてあった。「大手町アカデミア×人間文化研究機構」主催で行われた講演会が、オンラインで配信されたのです。昨日のお題は「もうひとつの第二次世界大戦~中立国の記録から見る日本」というもので、加藤聖文(国文学研究資料館・研究部 准教授)さんのお話が第1部であり、第2部は、読売新聞文化部記者の前田啓介さんと加藤さんのトークセッション、第3部がQ&Aという構成でした。お題の目指すところが飲み込めた上で予約したわけではないとことろもあり、この講演会の運営に、読売新聞社が噛んでいるということが判っていたので、内容が右翼的な臭いがするものだと、その場で切り上げるつもりで申し込んであったのですが、これは、とんでもない黄紺の勝手判断。内容は、とっても実証的で興味の尽きないもの、全く知らなかった問題の立て方もおもしろい、充実した講演会でした。まず、お題にもある「中立国」というものの紹介。近代の概念で、ウエストファリア条約以降のものだということくらいは知っている。永世中立国と局外中立国があるというのも解っている。前者は、もちろんスイスのことで、それを示す条約があり、その役割も決まっていると突っ込んだところは初耳。後者は、時に応じて、宣言を出すもの。「この戦争では中立国としての立場を貫く」宣言を行い、役割は、前者と同じ。個別に宣言しているもので、戦争末期になると、戦後を見据えて、宣言を出していながら寝返るケースもあるといいます。第2次世界大戦では、アルゼンチンがそうだったそうで、また、トルコに関しては、戦略的に重要な場所にあるということで、終盤、イギリスが圧力をかけていったことがあったそうです。スペインも寝返り組、マニラで、スペイン人が日本軍に殺されたのを契機に寝返り、日本への宣戦布告まで狙い、イギリスに接近を図ったのだけど、フランコを警戒して、イギリスが関心を示さなかったとか、中立国絡みでも、内容が濃~い。開戦すると、戦争当事国担当の中立国が決められるそうで、これを「利益代表国」と言い、アメリカにおける利益代表国がスペイン、日本における利益代表国がスイスだったそうです。また、イギリスにおける日本の利益代表国がアルゼンチン、日本における利益代表国がスウェーデンだったそうで、ここに寝返りの問題が生まれたというわけです。だから、戦時中も、スウェーデン代表団が日本を訪れ、捕虜の待遇などを視察していたそうです。戦時中に、こないな動きがあるというのは、全くの初耳。そういった国々に、記録が残っている。ヨーロッパの国々は、この記録を残すということを徹底している。スウェーデンなどは、核攻撃にも耐えうる公文書館を造り、保管しているそうで、それが国益に繋がるとの考えがあるということです。日本は、逆ですね。戦時中は破棄してきた。そのため、BC級戦犯の処刑が多く出た。記録がないということは、言われっぱなしになる。近年になっても、記録の破棄が問題になっている、政治問題化する、ヨーロッパではありえないことのようです。こういった中立国同様に、ヴァチカン(これも中立国だが)や赤十字も、同様の役割を担ったため、各々の文書館に記録が残っている。そういったものとは異なるが、フランスのヴィシー政権やクロアチアの傀儡政権など、枢軸国との繋がりが強かった国の記録も残っており、対日関係、特に、満州国政府との関係の記録に興味が湧くと言われていました。そういった記録を読むことで、1つの文書で、何かが決まる、変わるという大発見というものはあるわけではなく、文書を読み続けることで、コンテキストを掴み、どういった考え方で、物事が動いて来ていたのかが浮かび上がってくる、これを、こういった文書から読み解くことで出来上がると言われていました。そういったなか、判ってきたこと。日本は中立国の使い方が下手なのに対し、ヨーロッパ諸国は巧みだったと言われていました。例として、イギリスとポルトガルの関係。ポルトガルは中立国だけど、表の顔と裏の顔を持っていた。裏では、イギリスに領地の軍事使用を認めていたようなことも出てきている。こういった背景には、当時、ポルトガル領だった東チモール、マカオを、日本が占領したということがあったようです。それが、ポルトガルを連合国に追いやってしまった。だけど、ポルトガルもファシスト政権だったので、イギリスは近づけ過ぎないという態度を見せている。戦後構想を持っており、駒として使う心得なようです。これは、スペインと同様ですね。永世中立国のスイスですら、戦争末期には、日本との断交を考えていたそうで、それは、マニラでスイス人殺害事件も起きたから。実際、崩壊したヴィシー政府の日本の外交官が、スイスへ逃れようとしたとき、受け入れねばならないのに、入国拒否に遭うという事例が発生したとか。更に、興味を惹いたのは、日本の和平工作。数ある和平工作は、日本の関係者の証言があり、手を尽くしたように、日本では捉えられているが、中立国に痕跡は残っていないそうです。個人の記録にも残っていないとか。だから、日本側が、関わったと思っていた人物からは、政府の政策決定機関には通じていなかったということを意味するということ。めっちゃ、おもしろい内容です。おもしろいところに目を付けたものですね。いろいろとおもしろい講演会を、この間聴いてきたけれど、これは最高水準のおもしろさでした。


2022年 11月 4日(金)午前 7時 29分

 昨日は、世間的には、文化の日で祝日。それを実感できたのは、昼前のウォーキング時に、休憩がてら読書をしている前で、いつもだと保育園児が連れてこられているのだけど、その替わりに親子連れが遊んでいるのを観たときだけ。買い物は、昼の12時を過ぎてしまうと、平日かどうかの区別はつかなかった。昨日は、予定表には博物館に行こうかと、3つも、ピックアップしていながら止めた。祝日でも空いていそうな博物館を3軒選びながら、また今度にした。だから、お出かけは、ウォーキングのときだけ。昨日から、読書用に新しい本を選んだ。せっかく、中世美術関係のものを読んだので、今度は、全面、紀行文形式の、中世教会巡りの本をピックアップ。フランスが中心だけど、僅かにドイツにも足を向けているというもの。いきなり、マルセイユから始まった。マルセイユは、ギリシア人の植民都市マッシリアとして生まれた町だということは有名な話だけど、それを造った本家は、どのポリスだかは知らなかった。それを書いてくれていた。なんと、フォチャだった。トルコのイズミルの北にある海辺の町。その昔、イズミルのトルコ語教室に通っている友人を訪ねていったとき、その友人に教えてもらい行ったことがある。夏のエーゲ海は、人で混みあっていたが、そのフォチャだった。これは、いきなり、美味しい情報をもらった。黄紺は、ナルボンヌ方向から、ニーム、アヴィニョンと寄り、マルセイユに入ったけれど、その逆のコースを辿り、黄紺同様、アルルをすっ飛ばしたため、20年後に行っていた。でも、ニームからポン・デュ・ガールに行かなかったのは、黄紺と同じだが、黄紺が、篤く求めたサン・ジルには行っていない。サン・ジルには行かないで、他のロマネスク教会を求めていました。ま、意図的にサン・ジルを省くなんてことはないでしょうから、何かの都合でしょう。ニームの古代ローマ遺跡のこと、多めに書いてくれていました。そうだ、あすこのテアトロ、でかいんだと、急に、昔の記憶が蘇ってきた。マルセイユでの狙いは、聖ヴィクトール教会。奥まった港から、存外、遠く感じた教会だったけれど、わりかし新しく感じたわけが認めてくれてあった。それだけ、建て替えがあったということなんだけど、それらの跡を観ることができるようなことが書いてあったけど、スルーしてしまってます。この本に、そんなこと書いてあることなんて知らなかったから、中世の名声だけを頼りに行って、な~んだで帰ってきてしまったことを、今になり残念に思っている黄紺です。ローヌ川はアルルを流れていても、マルセイユは流れてないのですね。じゃ、なぜ、ギリシア人は、この地を選んだのか、やっぱ、あの奥の深い入江かな? そんな勉強もさせてもらえました。この先が楽しみです。
 午後の一時の前半で、またまた、YouTube「부산사랑-ぷさんさらん-」のお世話になり、釜山情報集め。それで、気になったのが、ソンド(松島)にある貝焼のお店。貝をメーンにしての焼き焼きのコース料理と言えばいいかな、屋台でのお店にコース料理のように、異なった種類の食材が調理される、また、自分たちで焼くというもの。コスパも、めっちゃいいということで行きたくなったため、ネットで調べてみた。車が必要的な物言いを、動画の中でしていたので不安があったが、調べがいというものがあり、判った。それだと、ソンドさえ行ければ、あとは、流れでと言えばいいかな、そんな感じで行けるという情報をゲット。但し、息子が、釜山へ行こうと言って、初めて成立するお話です。その動画のURLを息子に送り、Dにも見せてとのメッセージも付けておいたけど、Dは観たら、びっくりするだろうな、自分の好物が映るからね。
 午後の一時の後半は、「スペードの女王」の残りを、全部、観ることにしたが、またぞろ、居眠り。半寝状態だったので、ぼやーっとは覚えている。当然、テイストは変わらないので、目新しさがあったわけではないと思うので、今回は、観直すことはないでしょう。女性に対する想いと物欲が混乱する男、ゲルマン、狂わずにはおれなかったということか。婆さんも、考えてみれば、同類項の人間ということか。ますます、リーザの哀れさが増します。最終のデュエットは、そういったことなんでしょう。また、違ったプロダクションで観てみたいと思ったら、グラインドボーンの映像を、YouTubeで見つけることができたので、そのURLのメモは残しておくことにしました。


2022年 11月 3日(木)午前 5時 25分

 昨日は、一昨日から一転しての秋晴れの一日。気温も上がった。朝方から、前日までとの違いを感じていました。昨日は、市民向け公開講演会のはしごをした日。でも、朝4時過ぎに起きたため、お出かけ前から眠い。朝早く、目が覚めたので、一昨日、聴けなかった「吉の丞のおつかれさん」は、しっかりと、朝方に、Radikoで聴けたのだけど。早起きの得はあったけれど、講演会にははっきりとした邪魔となりました。特に、2つ目の講演会を直撃。1つ目は、軽く居眠りをしながらも、ま、大丈夫だったのが、もう持ち切れなくなったみたい。移動時は、そんな予感すらなかったのだけど、ダメなものはダメでした。そんなだから、出来る範囲でのメモを残しておくことにしましょう。
 朝からのお出かけとなれば、最近は、アスニー山科と決まっている。昨日は、こちらで、関西大学文学部教授の乾善彦さんの「ひらがな誕生の周辺~近年の出土資料から考える~」というお話を聴くことができました。ひらがなの誕生と言えば、紀貫之を思い出すから、平安時代と相場が決まっていると思っています。それはそうなんだろうけれど、また、その成立も、漢字を崩していく、学問的に言うと草書体化していくと平仮名、漢字の一部を取り出すと片仮名と思っている。これは、そうなんだろうけれど、片仮名に関しては、その必要性は、言われてみると納得。漢文の訓点として使われ出すことから生まれる。一方、平仮名は和歌を認める文字として発展ということでした。それは、歌は、一音一字で表すからだそうです。難波宮跡や紫香楽宮跡から出た歌木簡は、平仮名の成立過程を知るのに重要な史料とか。それが、どの辺まで遡ることができるか、それが、今も変化しつつあり、今後も変化する可能性があるということでした。それが、この日の講演の核心。考古学の成果だというのです。平城京跡は、いち早く、文化財保護法が適用され、その区域が保存されたが、平安京は、その上へ上へと街が続いて行ったため、同様の措置が執れなかったため、考古学史料が乏しかった。平仮名を書いた考古学史料が出たのは、さほど古くないと言われていました。それが、近年の発掘で出て来た。木簡も出土したのも、さほど古くなくとも、1度、出ると、発掘の際の注意度に影響を与え、発見が続くものと言われていましたが、今度は、大量に出てきて、それの精査が追いつかないということで、こちらからも、まだ、何かが出てくるだろうから、この問題については、変化が続くということになります。アスニー京都で行われた考古学研究所の発掘成果の講演会でも扱われていた、二条駅前の発掘は大きかったようですね。この平仮名の問題でも、大きな成果を上げたようですね。藤原良相邸(百家亭)跡となるそうです。墨書土器が、それまで発見されていた数量からすると、「天文学的」数量が出て来たと言われていました。失脚した貴族だったため、邸宅がたたまれたそうで、池跡に、埋めるために投げ込んだ木簡も多数出たそうです。紙が貴重な時代だから、土器に文字を書いて練習をしたことが想像できるとも。この発見の翌年には、堀川邸跡(1200年前後の邸宅跡)から、「いろは」を書いた墨書土器も出て来たとか。室町時代のものが最古だったのを塗り替えてしまう史料だそうです。平仮名も片仮名の考古学史料は、最古のもので、8世紀の半ばから後半にかけてだそうです。「土佐日記」が930年台の作品だそうですから、そこから、どこまで遡れるのでしょうね。墨書土器も新鮮だったけれど、漆紙文書という史料も新鮮だった。漆の保存に、空気との接触を防ぐ目的で、器に入った漆の絵に紙を浮かせた。紙は貴重だったので、不要になった紙が使われた、そこに書かれた文字の中に平仮名が出てくるというのです。知っていたことの上に、知らなかったことが積み重なって行きました。そんなだから、面白みが増したのでしょうね。満足!
 山科からは地下鉄移動で北大路駅へ。この移動、2回目です。いいお天気で、安心して、鴨川の河川敷で、用意してあったパンをかじって、お昼ご飯。北大路を越えると、北山が迫って来ているので、鴨川の風景が、とっても素敵に見えます。そして、京都学・歴彩館に移動。北山通まで出て、少し迂回して行くのが定番となっています。こちらでは、「京都を学ぶセミナー【伏見編】」がありました。昨日は、「秀吉の“首都”伏見の事件簿」というお題で、立命館大学准教授の谷徹也さんのお話がありました。冒頭だけ、覚えています。わりとベタな伏見城、首都伏見の押さえでした。「安土桃山」と「織豊」という言い方だったり、「桃山」の由来話だったりしました。でも、伏見城の変遷話で、キャッスルランドに伏見城を先に触れられたので、またぞろ、掴み狙いだと思い聴いていたのまでで、あとは記憶にない。レジュメを見ると、レジャーランドとしての伏見城以前に、6つの伏見城があったとある。この変遷、聴きたかった。地震で崩れた伏見城、再建された伏見城くらいしか、頭にない黄紺には、絶好の好物ネタなのに、寝てはダメです。ただ、「7つの伏見城」には、本格的な城郭以前のもの2つと、向島伏見城、徳川期の伏見城も含んだ7つとなっているから、ま、前の2つを除けば、黄紺にも納得行くものだった。その中に、初めて知った重大なメモが、レジュメにありました。2011-14年に、桃山御陵の調査が行われたというトピック。制限は、御陵ということであるでしょうが、立入り調査、空中からのレーザーを使った地形調査も行われ、かなり、「伏見城」の様子も判ってきているそうです。この講演の後半は、お題にある「事件簿」。伏見城、ないしは伏見の街で起こった出来事をピックアップして、秀吉を始めとした、時代を生きた人々の言動を活写しようという試み。エピソード集でした。部分的に記憶にあるけど、こういった講演会では、珍しい展開です。一見、学際的でないようなお話だけど、社会史研究の影響が、こういった分野でも聴ける貴重なお話だったようです。
 帰りは、いつものように、ウォーキングを兼ねて、三条まで歩いての移動。天気がいいので、頗る快適。途中、ベンチに腰掛け、読書でもしようかというところだったのが、残念なことに、手持ちのフランス中世美術の本、パンをかじりながら読了してしまっていたため、手持ちの本がなく、断念。そのまま歩き続けることになってしまいました。


2022年 11月 2日(水)午前 5時 45分

 昨日は、一日中、雨の日。でも、弱めの雨だったので、ウォーキングは、傘さしで、十分対応できた。昨日は、お出かけなしの日だったもので、いつものように、日に2回のウォーキングは、滞りなく行えた。違ったことは1点。夜に、オンライン配信の予約がしてあったので、夕方のウォーキングを、いつもより、1時間ほど、前へ持ち上げたことくらい。午後の一時は、昨日は火曜日ということで、Radikoで、KBS京都の「まーぶる」を聴くというもの。但し、昼前のウォーキングの動き出しが遅く、且つ、夕方のウォーキングを、前へ持ち上げたから、午後の一時だけでは、いくら、ラジオ・ショッピングなんかは省いても、「まーぶる」を全部聴くことはできなかった。昨日は、よね吉がゲスト。千五郎との二人会の宣伝のための出演でした。二葉は、確か、よね吉には、「蛸芝居」をつけてもらってるのかな、そういった関係もありでの出演だったのでしょう。冒頭のトピックでは、天才ピアニストのライヴにゲスト出演をしたときのこと言ってました。漫才を聴きに来た若い人たち相手に、「古い噺をするんだ」と息巻いていましたが、「天狗刺し」と「上燗屋」を出したとか。こういった場合の鉄板2席で、納得です。「こんなおもしろい落語、知らない人に知って欲しい」、これ、二葉が、繰り返し、口にする言葉ですね。その情熱が、素で出る噺家さんだから、効果があったんじゃないでしょうか!
 夜の配信、これが、めっちゃ、おもしろかった。京都大学人文研アカデミー2022のオンラインセミナー「大作曲家たちはどうやって名曲を作ったか」というもの。アスニー山科に行ったとき、この配信のチラシを見つけ、予約を入れてありました。講演が2本、前半が、概説的なものとして、京都大学人文科学研究所(音楽学)教授の岡田暁生さんのお話。びわ湖ホールのプレトークでおなじみの方です。後半が、ご自分のフィールドが、ウェーベルンだと言われる、お茶の水女子大学(音楽学)講師の浅井佑太さんが、「大作曲家はどうやって名曲をつくったか―草稿研究が教えてくれるもの」というお題でお話されました。作曲家たちが残した自筆譜、総譜になる前の「アイデアEinfall」「ショートスコア(ピアノ譜)Particell」を書き残した、曲の製作過程を辿れるものを調べるのが草稿研究。浅井さんの専門がウェーベルンで、岡田さんは、初めて知ったのですが、この人、R.シュトラウスだった。自筆譜が残っているというのは、ベートーヴェンから。頭の中で作ってしまうので、それ以前のバッハやモーツァルトは、ほぼ残っていない。モーツァルトの場合、作曲すると捨てていたようで、要するにスケッチに価値を置いてなかった、残っていても、悪妻の名が躍る妻が焼却したから残っていない。ベートーヴェンのように推敲に推敲を重ねるということはなかった。まだ、職人の技的な仕事だった。ベートーヴェン以後が、近代的芸術家という自意識を持ち始め、結果的に自筆譜を残した、残そうとしたということです。岡田さんは、この研究のおもしろさを、「バラの騎士」の冒頭のメロディを使い、紹介されていた。同じメロディが、全く異なった曲想に使われ(アルプス交響曲、ゲーテの詞に付けた歌曲)、ようやく「バラの騎士」に落ち着く。R.シュトラウスは、カード遊びが好きで、その合間でも、閃いたら、そのメロディを書き残していたそうで、それらを組み合わせ、繋ぎ合わせ、作曲する、最初の閃きは、閃きで、何か構想を練り絞り出すようなものじゃないと、R.シュトラウスが、繰り返し言っているそうです。これで、今回のお話の意図が判りました。浅井さんは、自筆稿を読むおもしろさを、まずは、モーツァルトから。弦楽五重奏曲第3番の自筆稿を示し、小節区切りのラインが、第1ヴァイオリンと、その他の楽器では違うのが判ります。だから、モーツァルトは、先に第1ヴァイオリンのメロディを作曲してから、残りの楽器のメロディを加えて行ったことが判ると言われていました。次いで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番を例に採り、ベートーヴェンが、同じ箇所を7回も書き残している姿を紹介されました。実際に、ピアノで弾かれたものを聴かせていただくと、素人の耳にも、次第に、いい感じのメロディに成長していきます。各々が、閃きで生まれて行ったにせよ、ベートーヴェンの場合は、よく努力の人と言われるけれど、こういったことだったのが、とってもよく解った。この努力で、名曲中の名曲のピアノ・ソナタが生まれた。ベートーヴェンの草稿は、R.シュトラウスに比べると、とっても見にくい、読み取りにくい、そういった草稿すらもが、今や、印刷出版されているそうです。グスタフ・ノッテボーム、この19世紀の音楽家が、こういったスケッチ研究を始めた代表的な人物だそうです。これ以後、スケッチが、有名作曲家の記念品から、研究の対象になって行くということです。そのため、20世紀以後の作曲家は、スケッチを保管し始める。シェーンベルクなどは、自分の楽譜は、将来、保管されるとばかりに、完璧に保管、書簡等、作曲の経緯が判るような資料も含めての保管を行っているそうで、ストラビンスキー、バルトークも、そういった保管がなされているそうで、それ以前の作曲家でも、意図的にスケッチを焼却したブラームス以外は、かなり残っているようです。そういったなか、スイスのパウル・ザッハー財団が、20世紀以後の作曲家の自筆譜を90%は保管しているとか。だから、草稿研究をするためには、この財団詣でが肝要だとか。浅井さんは、ウェーベルンが研究対象だから、ここに通い、自筆のコピーが許されていないものだから、手で書き写すのが、かつての日常だったと言われていました。次いで、20世紀を代表する2人の作曲家の作曲の仕方、好対照な仕方を紹介されました。1人目はシェーンベルク、「6つの小さなピアノ曲」(1911)を例に採り、黒インキで一筆書きで作った自筆稿から伺えること、シェーンベルクは、頭に中で作曲ができ、そのまま音符にできた、全く19世紀的な発想の人。無調の音楽を頭の中で作った、頭の中で発想することが基本だったそうです。本人も、そういった作曲法を採ると言い、楽譜の書き方からしても、それを示すもので、スケッチのようなものは出ていないそうです。気に入らないなら、その部分を書き直すという、先ほどのベートーヴェン流です。それに対して、ストラヴィンスキーが2人目。「春の祭典」(1913)の有名な野性的メロディの部分が、取り上げられました。これは、スケッチのパッチワークです。長めのメロディもあれば、僅か1小節のメロディもある。それらを、まるでPCでコピペをするように作っていました。恐らく、コピペを繰り返し、その音楽をピアノで弾き、音を確かめていく、それの繰り返しで、完成形を導き出し、あの有名なメロディが生まれたということでした。いやぁ~、おもしろかった! このストラヴィンスキーの方法って、PC時代の作曲法の先駆けじゃんということで、これに弾かれたような質問も出ていました。スケッチ研究って、どうなるのか? AIでのスケッチはとか。ま、それはいいとして、大作曲家の頭の中を覗くと言ったことにもなります。おもろい、これ、めっちゃ、おもしろい!


2022年 11月 1日(火)午前 6時 32分

 昨日は、お出かけなし、オンライン配信の予約もなしの月曜日。となると、お楽しみは、夜の米朝事務所チャンネルの生配信だけ。あとは、のんびりと、こういった日の定番、日に2回のウォーキングをして、午後の一時を楽しむというもの。ま、一昨日、Dと遊んだ余韻が残っているので、不満があろうはずはない。一昨夜は、マッチもあったし、そのハイライト動画を観るだけでも、いい気分になっている。一昨夜は、フェネルバフチェもベシクタシュも、ともに「5:2」という派手なスコアで勝った。ベシクタシュには、ついにシェノル・ギュネシュ監督が復帰した。もう70歳だそうだから、最後のお務めかもしれません。もう、ぼちぼち、W杯ということで、ブレイク期間に入るということを、そのシェノル・ギュネシュ監督の試合後のインタビューで知った。ラシド・ゲザルは、それまでの復帰は無理だと言っているので知った次第。TVもないことだから、W杯は観ることはないでしょうね。NHKプラスでの放送は無理なんじゃないかな、権利関係で。だから、端から観ようとも思ってない。
 午後の一時は、YouTubeで、間が開き過ぎた感があるが、モネ劇場の「スペードの女王」。前に観たとき、1幕に入って早々に寝落ちしてしまったので、冒頭だけカットして、観直してみた。問題の婆さんが気になるから。そもそも、1幕第1場のサンクトペテルブルクの公園という設定は、装置から省かれている。人の往来はあるので、そういった場所だということにはしてある。そこへ、孫娘のリーザを連れて、お散歩に来たというのが、公園だと思えるが、このプロダクションでは、横からぼそっと出てきて、コーナーの形状の腰掛に、のそっと座るだけ。そんなだから、ロシアという場所を外している、婆さんは、単に秘密持ちの人的にしか観ることができない。リーザとの絡みがあるわけでもなく、そんなのは、テキストを聴けば判るだろうとのスタンスなのでしょう。となると、ゲルマンは、時代設定が18世紀末だそうだから、その時代特有の人物という点を外していることになるけど、それって、ええのかなぁ。あのキャラ、オネーギンほどはピンと来ないけど、プーシキンの生み出したキャラだし、時代性を背負ってる人間と思っちゃ、変なのかな? 第2場リーザの部屋の前半のパーティも、人が集まっているだけ、だからか、美しい女性デュオも、華やかさが欠ける、装置も、崩れた壁を持つビルの階段などが出てくるので、華やかさなどとは、基より無縁。上流社会という身分も消してある。このオペラの持つ、また、ゲルマンという特異な人物の生きる社会性を、個別性を排除する、これに徹している。人間関係に普遍性を導入しているということなのでしょうが、この物語に、それが適切か否かは、議論を呼ぶところですね。いや、だからか、「Oper Vision」に取り上げられたのかもしれませんな。件の婆さん、いよいよ亡くなる場面、ゲルマンを、意識下にある昔の恋人と思っている風情にしてあった。だからか、ここまで、ちょっとボケの入ったキャラにしてあったのかな? そういったなか、拳銃を突き付ける場面は用意してあったが、婆さんは、ゆっくりと寝込むように倒れるとなっている。拳銃にショック死したというには見えなかった。恍惚状態で亡くなると言えば、いいかな、そういった場面になってた、一応、そこまでの、婆さんのキャラと、何となく符合していると思えました。この婆さん、亡くなる前に、かなりの低音で歌います。そこに、フランス語の歌詞が付いてる箇所がある、これで、格の高さが出ていますね。アンネ・ゾフィー・ヴォン・オットー、幾つになってんでしょうか、メイクで婆さんにはしているでしょうが、でも、姿形は、やっぱ、幾つになても美形。このプロダクションでのキャラ付け、その姿から思いついたんじゃないの、いや、このキャラ作りだから、彼女にオファーを出したのかもしれませんね。
 韓国で、えらい事故が起こりました。某韓国系YouTuber氏が、事件の解説をしてくれていたので覗いたんだけど、どえらい狭い通路。助けようとして、倒れ込んだところから、1人の人を抜き出そうとしても抜き出すことができないほど、人が詰まりに詰まっていた。それだけの圧力がかかったってことで、事故の様子が判った。「世界の食を楽しめる一角で起きた」と、そのYouTuber氏、解説してくれていた。黄紺は、1回だけ、イテウォン(梨泰院)には行ったことがある。もう地下鉄ができていた時期。そういった時期だから、もう、新宿と渋谷がミックスしたようなところになっていた。行った目的は、モスクを観に行くこと。写真で、かなり立派だと知っていたので、直で見たかった。確かに巨大だったけど、近くにエジプト料理屋とトルコ料理屋があり、どちらに入るか迷い、迷ったということは、既に、エジプトには行ってた時期だと思うが、でも、韓国で、初のトルコ料理屋だったということで、そちらを選んだ。店員さんに、トルコ語で話しかけたら、無理よと言われた記憶がある。そんなことがあったから、「その辺りのこと?」と、思わず、思ってしまった。こういった事件があっても、週末の渋谷の賑わいは大変だったみたい。自分には関係ないということでしょうか?


2022年 10月 30日(日)午後 10時 28分

 今日は、午後に息子一家とお出かけ予定が入っていた日。でも、Sが体調不良ということで、ママは、そのお世話で自宅に留まることになり、結局、息子とDとの3人連れになっちゃいました。これ、前にもあったパターン。Dも、急に熱を出したとかで、かなり前だけどつぶれがあったしと、子どもは、急に変調を起こすから、仕方ありません。それを考えると、息子は、手がかからなかったと思う。ま、元気だけが取り柄だからと言っても、大事なことです。で、そのお出かけ前に、今日は、日曜日ということで、1週間の楽しみ「日曜美術館」があった。今日のお題は「友よ 写真よ 写真家 牛腸茂雄(ごちょうしげお)との日々」。また、知らない人の名前が出て来た。写真家です。但し、この人、幼い頃に、胸椎カリエスに罹患し、背骨が湾曲、身長150cmほどという身体的困難を持ち、且つ、医者からは20歳くらいまでしか生きられないと宣告を受けていた。幸い、20歳というわけではなかったが、30台半ばで亡くなっている。その牛腸茂雄が学んだ桑沢デザイン研究所で出会った写真家の三浦和人さんが、ネガを託され、その友のために、牛腸茂雄の死後も、ネガをプリントして展示会を行っている。その姿を追うとともに、牛腸茂雄の作品を紹介するというもの。作品は、見知らぬ人のポートレート中心。被写体が、今、何を感じているのだろう、何があったのだろう、何を考えているのだろうと、思わず、考えてしまうといった作品、それも、何気ない中でのものだから、重大な事柄を思い浮かべるようなものではなく、あくまでも日常の何気なさの中でのもの。また、映している写真家との関係性も、その空気感を感じてしまう、そういった作品。だから、最初の写真集「日々」に対しては、時節柄、写真界の反応は厳しく、「世相とコミットしない」「穏やか過ぎる」との評価だったとか。写真家は、発表する写真は1枚でも、その前後に、何枚もの似た構図の写真を撮っているもの。それを、何とか言うそうだけど、それも残されている。画面いっぱいに母親を映した作品で、どのような写真群の中から発表作品を選んでいっているかの紹介は、おもしろいものがありました。にこやかで笑みをたたえるものが、何枚もあるにも拘わらず、そうじゃないものを選んでいる。そこには、病気を介して培ってきた母親との深い関係性が現れているのではないかとのナレーターが被っていました。決して、にこやかでいることができた日々だけではなかったということでしょう。東京から、故郷の新潟の姉に充てた書簡や、自らの過去を振り返った文章も残されており、そういったものから、写真の背景にあるものを導き出そうとしていましたが、そういった人と人との関係性が気になってしまう作品だと言えばいいかな。そういった意味で、時が変っても、どの時代でも、気になってしまう、そういった作風と看ました。ええもの、知ることができました、これだから、「日曜美術館」に惹かれてしまってます。
 息子とDとは、京都駅近くで待ち合わせ。あろうことか、電車の時刻検索でミスをおかし、遅れてしまいました。昨日も、同じ電車に乗り、京都駅まで行っているのに、今日に限ってミスるとは、ホント、ありえない。まず、3人で男飯。大人は、昼間からビール、息子なんか、大・大・小と3杯も、ジョッキをあけてました。ちなみに、黄紺は、大・中の2杯。Dは、チーズが好物になってるとかで、チーズ・ピザなんて注文。そんなに、チーズが好きなら、韓国で、チジュ・ダッカルビ食べさせます。辛いのが苦手でもというか、生まれてからこの方、親が言うから間違いない、辛いというものを食べさせていない、そもそも、濃いめのお味のものを食べさせてないものだから、辛いものは食べない。だけど、チーズが絡むと、辛さは和らぐというか、隠れるので、チジュ・ダッカルビは、ええと思うのだけど。それと、焼肉好きだとか。息子が言うには、月に1回は、焼肉食べに行くそう。だから、韓国では、焼肉は食べるものと決め込んでいる。これ聴いて、いっぺんに気分が重たくなかった黄紺。だって、よく焼肉屋の宣伝などを観ていると、お肉たっぷりの写真に「がっつり」なんてコピーが書かれてると、ぞっとしている。とにかく、肉々しているのが、気持ち悪い。「ま、牛丼程度の肉にしといて」とは言ったんだけど。少しぐらいは、YouTubeでモッパン動画を観て、肉料理の勉強しないとダメみたい。黄紺的には、チジュ・ダッカルビ・トッパプなんてのがあれば、一番、有難いのだけど、そんなの観たの、後にも先にもサムチョク(三陟)のキンパプ天国でだけ。Dには、「韓国の焼肉、日本のと、味ちゃうでぇ」と、足を引っ張るようなこと言っといたけど、気にする風情なしでした。午後1時も、そこそこ回ったので、いよいよ、今日の本番。京都駅から歩いて行きました。大石橋交差点を僅かに東に入ったところにある旧陶化小学校へ。統廃合されても、旧校地校舎はそのまま、そこを会場にして「東九条マダン」が開催されていたのです。コロナ禍で、3年ぶりの開催だそうです。飲食関係の出店はなしでの開催。もちろん、冬に行く韓国旅行の予行演習。大人は、その気でも、Dは判ってたかは知らんけど。でも、Sも含めて、会場に来れば楽しむんじゃないかとの読みもあったことは確か。実は、息子は忘れてるんじゃないかと思い、今日、尋ねてみました。「生野民族文化祭に連れて行ったこと、覚えてるか」と。すると、会場をあとにしてから、何を食べに行ったかまで、覚えてた。黄紺の方が、後のことは覚えてない。猪飼野の市場を通ったことは覚えてるのだけど。それが、今のDの1~2年上のとき。京都から大阪まで、しかも、会場が中川小学校の年だったから、駅からかなり歩いて行った。それを聞いて、Dも覚えてくれてるかなの気になってしまいました。飲食屋台なし、ゲーム的なものもなしだから、グランドに設置された舞台、また、その前にスペースを作ってのパフォーマンスだけがプログラムという構成。MCも、日本語と韓国語が入るのが新鮮。Dに、「今のん、解るか」「あれが韓国語やでぇ」「韓国行ったら、何言うたはるか解らへんし、Dが、何言うても、周りの人、何も解らへんでぇ」と。子どもに、こんな話できるの、めっちゃ、楽しいね。会場に着いたころには、上手い具合に、民族学校の民族芸能部の人たちのパフォーマンスがあった。北も南も、いずれの民族学校も参加していました。高校生のパフォーマンスだから、値打ちは十分。舞台の前に敷かれゴザに座って観ることに。ちょこまかするかと思っていたけど、Dは、ずっと観ていた。新鮮だったのだと思います。次いで、サムルノリ、タイムスケジュールを観て、これに合わせていったきらいがありました。舞台前にスペースを作り、チャンゴの人たちが座り込んで、プクや、銅鑼は、何て言ったっけ? それに、ケンガリが要の位置で指揮も兼ねて演奏が始まった。これも、Dは、ちんとして聴いていた、珍しいものを観たってところかな、それでいいんだ、いろんなもの観て、感じて、大きくなればいいんだの気分です。マダン劇が、後に続くというので、仮面を使うよと言ったら、それは、ごく最後だけ。あとは、普通の芝居。中国残留婦人の苦悩と、渡日した朝鮮人女性を類比的に繋げるという構成。さすが、これは、大人でも難しい。最後に、獅子の被り物が出たけれど、これもマダン劇。3年ぶりだからと、凝った、捻った作品にしたかったのかな? 最後に、サムルノリと和太鼓の共演というプログラムがあったけれど、ここで引き上げることにして、近くのファミレスへ。Dが、お腹が空いたというものだから行きました。Dはソフトクリームを頼んだのに、コーンじゃなくてカップで出てきたため、涙目に。コーンのソフトクリームが食べたいと涙目になれるとは! こんなのも、息子にはなかったこと。すぐに泣いて、涙ぽろぽろの息子だったけれど、あれが食べたかったのにと言って泣いたの、思い出せない。そんなこんなで、楽しい午後。ファミレスを出たところで別れて、ウォーキングがてら歩いて帰ろうとしたら、許してくれず、結局、電車で帰ることになりました。


2022年 10月 30日(日)午前 7時 23分

 昨日は、午後にお出かけを入れてあった日。予約不要なんで、その場へぶらりと行けばいい、まことに結構なイベント。京都駅の近くだったということで、帰りは、ウォーキングがてら歩いて帰ることになるので、それを見計らって、昼前のウォーキングはミニ、また、それだけの時間しか取れなかった。ミニなのに、いつもの調子で歩いていて、時間が迫ってきて、最後は慌ててしまったけど。
 午後のお出かけ先はキャンパスプラザ京都。昨日は、ここで、「大学リレー講座」があった。今年度2回目の参加となりました。昨日の担当は京都精華大学、お題は「中世京都の飢饉問題」というもので、なかなかそそられるもの、お話をされたのは、同大学の吉永隆記さんでした。ただ、昨日は、夜中の2時台に目が覚めたままだったので、不安ななかの参加。時々、それでも杞憂に終わることもあるけど、やっぱ、無理でした。始終、半寝で聴いていました。幸い、いいレジェメをいただいているので、それを手掛かりに思い出していきたいと思います。冒頭、可笑しかったのは、現在の飽食の時代に触れつつ、それが普通ではないことを強調されていたこと。大学の学生さん相手だと、その押さえが要るだろうけれど、聴講している方は、講師の方の親の世代と言っていいくらいの爺婆が並んでいるのに、わりかし、その押さえに時間を掛けられていた。顔見たら、判らんのかなぁと突っ込んでしまってました。フィールドは中世。次いで、文献史料から飢饉の時代を拾いあげるだけではなく、科学的手法により気候の変化を把握できるようになったことの押さえのお話。鎌倉時代最大の飢饉は「寛喜の飢饉」(1230‐31)。この飢饉では、飢饉後の特徴として、人身売買が横行した点を取り上げられていた。餓死するよりは、生き延びるために下人(=奴隷)になることを選んだようだとのこと。一方で、鎌倉期に進展した貨幣経済で有徳人と呼ばれる富豪が出現していた背景があったそうです。買う者、売られる者、売買が成立するわけですね。この人身売買に絡んで、中世の日本の人口構成について触れられていました。男女比の問題です。女の方が多い、1.5倍ほどの数ではなかったろうかということです。中国や朝鮮の文献に触れられているようです。男は労働力としての価値しか持たないが、女は遊女としての需要があるので価値があるとされ、男児は殺しても、女児は残されたということです。売買でも、価値のあるのは女となるわけですね。このトピックは初耳で、半寝の中でも印象に残ったことです。次いで、「応永の大飢饉」(1420‐21)。日本の室町時代から戦国時代は、小氷河期の時代に相当して、厳しい気候だったようで、その最たる厳しさを見せたのがこれ。東北などの冷害もそうだけど、西日本の旱害が大きかったと言われていました。室町時代は、京都に幕府が開かれ、京都に人と物が集中、おまけに、年貢が米ではなく、相応の金銭で納入されるようになったため、荘園領主は自給者から消費者になった。そこで、米などを京都で購入するようになったため、田舎の米価は安定していても、京都の米は高騰、また乱高下を見せたと言います。そういった中で大飢饉が起こると、米価は高騰。そういった米価の推移も、研究の結果で押さえることができているようです。更に、この大飢饉時の巷の様相を紹介。惨たんを極めたようで、その凝縮した姿を見せたのが京都。富や食料の集積地だと知る人は、それを求めて、京都に流入してきたよう。幕府や寺社による「施行」も行われたそうだが、間に合うべくもなく、市中には遺体が溢れ、それが疫病を生み、更に死が増えるという状況。疫病は、身分を選ばないから、高位の者も亡くなっていると、そのリストも出されていました。その「施行」の背景にあったのが「有徳思想」。狂言にも「有徳人」って出てきますものね。高札を掲げて、人を雇うというパターンですが、狂言の場合は。でも、人の数が半端じゃないので、行き届くのも難しい、人々は「施行」を欲する。「徳政一揆」ということですね。レジュメを見ていると思い出す。だから、完落ちではなく、半寝で聴いていたよう。レジェメに書き込みまでしている。書いたことは覚えてないというパターンです。でも、中世の様子を感じられます。きっちり聴けてると、もっと値打ちが上がったのでしょうな。
 帰りは、上にも書いたように、歩きで帰るのだけど、昨日は、ちょっと回り道をした。今日、息子一家と韓国系イベントに行くので、先日から、その前にでもと韓国料理屋を探していた。1軒、ええとこ見つけたと思ってたら、昼はやってなかった。食べログも当てにはなりません。もう1軒、見つけたのだけど、食べログに懲りたため、もう諦めたと、息子には連絡はしたのだけど、気になる。だから、回り道と言っても、さほどの迂回ではないので、もう1軒の店に行ってみた。きれいに無くなっていた。だから、息子への連絡が正解だったということになるんだけど、コロナ禍の中での消滅かもしれませんね。伏見への帰り道にある東九条界隈に、小さな韓国料理屋を見つけた。こちらは、現役の雰囲気が漂ってたけど、日曜日は休みで、ここもダメ。ソルロンタンを置いている店だったので、惜しかった。
 夜は、「ブラタモリ/登別温泉編」のあった日。新作が続いてくれてます。一番、驚いたのは、温泉の種類の多いこと。すぐ近くなのに、違う温泉が出ている。「爆裂火山」って言ってたかな。火山には、いろんな様相があるのだと、改めて、感心も得心もした。有名なくま牧場も出て来たけど、あんな高い位置にあるとは思いもしなかった。その発想がおもしろい。それだけじゃなくて、時代村的なものまでできてるとは、笑うしかないね。商魂たくましい! くま牧場の反対側の景色、絶景、それと商魂が、あまりにアンバランス!!


2022年 10月 29日(土)午前 6時 24分

 昨日は、お出かけなしの日だけど、午後に、オンライン配信の予約を入れてあった。だから、普段の午後の一時の時間帯に、すっぽりと、それが入ったという感じの一日で、ルーティンにしているウォーキングには、全く障りはなかった。一昨晩、かなり冷えたので、昼前のウォーキングに出かけるとき、一昨日までの恰好より、1枚重ねて出て行くと、もう大変、汗で。結局、途中、休憩&読書の時間までは我慢をしたけれど、そこで、1枚脱ぎました。寒暖の差が、益々、拡がっているということなのでしょう。読書は、今、フランス中世美術関係のものを読んでいる。結構、紀行文形式になるところもありと言っても、移動手段なんかを書いてくれたり、会った人のことなどを書く程度だけど、わりかしはまっている。ブルゴーニュ地方を巡るところで、あれれとなった。シャロン・シュル・ソーヌとオータン間の移動を、ダイレクトで行く鉄道に乗ったとあった。えっ、あすこは、鉄道で行こうと思うと、一旦、ディジョンまで行き、乗り換えねばならないはずと思ってる黄紺には「あれれ」となったのだ。直線距離は短いから、この乗り換えが無駄に見える。著者は、ダイレクト列車は、日に2本しかないと書いて、レアな移動を誇っていた。黄紺は、バス移動を採った。さほど多い路線ではなかったけれど、日に2本ではなかった記憶。大雪の中の移動でもあったので、よく覚えている道。もう1つの「あれれ」は、そのシャロンからクリュニーへの鉄道の支線に乗り行ったとあったとき。そんな支線があったんだ! 知らないというか、クリュニーへはマコンから行くものと決めつけ、バスで、その間を移動したけれど、このバスの本数が少ない。朝8時のバスでマコン駅を発ちクリュニーに向かい、朝9時の開門を待ち、クリュニーに入り、もう10時台のバスで戻らないと、数時間、後になるという時刻表だった。しかも、クリュニー修道院の裏に着き、それまで知らなかった修道院前のクリュニーの街を通らないという変なバスだったから、この本線(ディジョンから、シャロン、マコンを通りリヨンに行く)からの支線の存在を知り、実は目からウロコだった。でも、シャロンに、そんな電車、走ってたっけと思ってしまった。ボームへ行ったり、マコン方向に移動したときに、シャロンの駅を利用してんだけどね。本を読んでると、そのボームの施療院跡や、オータンでは、ここの美術館に残る、めっちゃインパクトのある「オータンのイヴ」が出てきて、読みながら興奮気味。敢えて、いいとこで読むのを止めて、楽しみを2日に分けたくらいでした。
 午後の配信は、国立大学附置研究所・センター会議第3部会(人文・社会科学系)シンポジウム「感染症と近代社会—ポスト・パンデミックの人文学にむけて」というもの。京都大学人文科学研究所主管で行われた関係で、連絡をもらった。プログラムは、次のようなもの、かなりそそられたことから予約したものだった。報告①「ワクチン伝来と近世長崎:感染症、蘭学、近代化」(京都大学人文科学研究所准教授平岡隆二)、報告②「『公衆』衛生の誕生——近代日本における伝染病とその啓蒙」(佛教大学教授香西豊子)、報告③「コロナ・パンデミックの歴史的位置——スペイン風邪との比較から」(京都大学人文科学研究所准教授藤原辰史)、総合討論(ディスカッサント/京都大学人文科学研究所副所長岩城卓二、報告者3名)。①は、日本にワクチンが伝来して来た初期の様子を教えていただけた。具体的な感染症は、天然痘(痘瘡)とコレラ。まず、前者から。「舌診法/中国から、下の変化で感染を知る」「人痘法/感染をすると抗体ができるということで、旱苗(かんびょう)法などが、重症化&致死率も高い、中国から」「牛痘法/ジェンナー発見の方法、オランダを通じて日本に入る」。後者は、社会的な対応が出てくる、衛生という考え方だ。その前に、使用された薬として、オランダ系は、マラリヤ感染者に使われたキニーネ、漢方では、シナモンやショウガに該当するもの。衛生という観点では、近代的な水道の設置、1887年に横浜、次いで、函館、長崎に設置、やはり、港湾都市から、感染はここから始まるということ。②が、自分的には、一番、おもしろかったかな。日本という国の特徴が、よく表れているという視点でも、おもしろい。衛生・防疫の視点が入って来るのは、オランダを通じて。「Hygiene」(トルコ語もここから来ている!)に「衛生」という語を当てたのは杉田玄端(杉田玄白の曾孫)。これが、日本の場合、政策的に入って行く。「養生法」が、小学校の科目に入る、要するに学校教育で、修身に入って行く。警察行政としても、衛生の項目が入る、監視・取締りの対象になるということか、軽犯罪との認識だと言われていた、医事行政の方からもということで、医師教育の科目に入る。民衆の教育ばかりか、実務者(技官・警察・医師)の啓蒙も図る、1879年以後、衛生に公衆が付くようになる、法整備も進む、天然痘に関しては、種痘法・伝染病予防法、1876年以後、種痘の強制は1世紀間続いた、種痘の重要性は母親に対して語られた=「ははのつとめ」としての種痘、種痘を受けない者は「公徳心」に欠けるという物言いが出てくる、階層分離的な見方=下層民は欠けているとの見方、啓蒙の必要があるとの見識、警察官による検病調査も、明治30年代までに「公衆」衛生が創成され、明治40年代以後、「公衆」の「公徳心」の涵養が図られていく、「公衆浴場」「公衆便所」というタームも、公共事業としての衛生環境整備も進められるなかでのこと。この「公」が前に出てくる、明治以後の展開というのは、何も衛生分野だけではないという指摘は、後の討論の場で、藤原さんが指摘されていたこと、全く同感。でも、この衛生分野は、どのようであれば良かったのかと思ってしまう。ヨーロッパでも、衛生観念というのは、18世紀でいいかな、その時期に発見され、19世紀後半じゃないかな、普及、整備されるのは。パリは、オスマンの都市改良のときだと思う。「ブラタモリ/パリ編」でも、道の真ん中に残る溝の紹介してましたよね。意識の格差を埋める、特に、こういった健康に関わる問題。今回のパンデミックでも繰り返されたことじゃないかな? ③は知りたかったこと。スパニッシュ・インフルエンザは兵士とともに感染爆発。アメリカが大元、それが、第1次世界大戦へのアメリカの参戦で、ヨーロッパへ入った。衛生環境の悪い中での作業を続ける兵士、虫歯に悩まされた兵士の口腔内の衛生状態の悪さ、栄養状態の悪い銃後の生活はウイルスの餌食に、ドイツのバイエル社製造するアスピリンには病原菌混入とのフェイクニュースも、マスクに慣れていない人たち、保健局の間違った情報、炊き出しに群がる人たち、植民地行政は感染症対策にずさん、日本の例でも、内地より植民地での方が死亡率が高い、精神主義も跋扈、こういったことが、今回のパンデミックでも似たことが起こっている、貧困者・貧困国へのしわ寄せを“構造的暴力”と呼ばれていたのが印象的、こういった現在のパンデミックとの類比的な展開になり、一挙に、今回のパンデミックの特徴を押さえられたんだけど、この肝心なところで寝落ち。あかんね、いつものことだけど。討論は、時間もなく、討論になることはなく、お互いの報告に対する感想を述べ合うというもの、シンポジウムあるあるだったけれど、結構、興味ある指摘も出ていた。「飼料に人糞を使うことで下水が遅れる」「死体は不衛生に繋がるという指摘は、習俗を突如変えることになり、そういった意味で暴力的」「公衆論は、医学だけに留まらない、二宮尊徳ブームは、自力更生を訴え、国家的規模の土台となる公衆の心得を涵養するもの、従って、この問題は、日本近代を問うテーマ」「バタヤが、内務省管轄で消毒の対象になった(藤原さんの指摘、掘り下げて欲しかった)」「ワクチンは、新たな格差問題を生む」など。とまあ、内容の濃さは得難いシンポジウムでした。寝落ちさえしなければと思っても、後の祭りです。


2022年 10月 28日(金)午前 7時 11分

 昨日は、夜にお出かけを入れていた日。だから、午後4時頃までは、普段のペースで動いていて、午後の一時を短縮して、お出かけに備えるということになった。寒暖の差が大きいのは、ここしばらく続いていることだけど、徐々に、低い方が、より低くなっていっているという感じ。昼間は、さほど変わらないんだけどね。で、お出かけ前の午後の一時は、昨日も、韓国情報集め。Dには、辛いものを食べさせてないとの息子からの連絡を受け、昨日は、またしても、YouTube「부산사랑-ぷさんさらん-」のお世話になり、モッパン動画を観ることにした。「チムタク」「ダッカンマリ」などという、名前だけは知っている韓国食を追いかけてみたけれど、いずれも、無理だった。「ダッカンマリ」なんか、辛さを競うようなところもあるってことが判った。元来、ソウル・フードなため、釜山にはなじみのないものだということも覚えた。有難い副産物。そういったなか、ポンミルドン(凡一洞)にある「スユクペッパン」=「スベク」のお店。「茹で豚」を出す店。黄紺の釜山での常宿はササン(沙上)なんだけど、今回は、釜山での時間を取れることを想定して、ポンミルドンが狙いどころかと考えていたので、一石二鳥というやつ。これはメモです。チャジャンミョン(ジャージャー麵)を食べる動画を観て、韓国系中華料理も狙い目かもと思ってんだけど、確かに、「タンスユク」は酢豚なわけだから大丈夫だけど、大丈夫かと思ってたチャジャンミョンが曲者。動画で撮られていたチャジャンミョンは、ピリ辛だったので、ギャフンでした。どこまで、コチュが好きやねんと思ってしまった。この週末の韓国イベント前の韓国料理屋に行くことが決定しました。息子一家揃い踏みで来るそうです。D曰く、「ママは、辛いもん、絶好食べへん」、その辛さ大苦手も、また、辛さ未経験のDとSを連れて、韓国料理屋って、すごくない? でも、「韓国にも、辛いのん苦手な人はいる」のですから、それを求めるのです。その方面では定番の「サンゲタン」、ピビンバを注文するときは、「コチュジャンやヤンニョムは、別のお皿に」と言うことは絶好だし、テンジャンチゲを注文するときも、必ず、コチュを入れるかどうかを確認すること、なんせ、テンジャンチゲ、10回に1~2回では済まされないほど、軽くコチュを入れる店があるからね。その一方で、スンドゥブチゲやキムチチゲが、日本の韓国料理屋あるあるで、ほぼ辛くなかったりしたら、Dに味見させる機会を逸してしまう心配をしなきゃならない、とまあ、大忙し。でも、楽しいのよ、こういう風に気を揉むのが。
 夜のお出かけは、ロームシアター京都ノース。地下のスペース、ここは、小劇場系(こういった言い方も古いね!)の芝居をするのに、まことにいい空間。ここを使い、この秋、3回、「芸能の在る処~伝統芸能入門講座〜」というトークイベントが行われています。第1回目は「歌舞伎編」だったのだけど、何かとバッティングで行けてないのですが、後の2回は大丈夫ということで、行ってまいりました。今回は「京舞編」。京舞と言えば井上流、井上流と言えば片山家という連想が働き、予約を入れました。このイベントの案内人は木ノ下裕一、それに加えて、ゲストとして、井上安寿子(五世家元井上八千代の長女)と岡田万里子(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)のお二人。前半は岡田さんの講演、後半が3人によるトークというプログラムでした。そこで出て来たトピックをメモっておきます。「初世は近衛家に奉公に上がったことがあり、八千代名や家紋は、近衛家と縁のあるもの」「二世が、能の型や人形浄瑠璃から取材した舞を作る」「三世が片山春子、二世の弟子、この人がやり手だったようです。丁度、今の祇園甲部歌舞練場ができ、都をどりが始まった時期に相当、そこで腕を振るう、そうしたことで、祇園街と井上流の結びつきが強まる」「四世が人間国宝になった有名な方、片山博通(八世片山九郎右衛門)の妻、東京公演を行うことで、全国に認知される」「祇園甲部歌舞練場は、1872年(明治5年)に開設、その後、2回の改修を経て、現在、耐震調査&工事中、来年、再開、都をどりも戻って来る」「同敷地内の弥栄会館は、帝国ホテルとなる、、、これ、初耳! 有名な話らしい」「元々、今の四条通まで建仁寺境内だった、その後、いつ、どのように、今の街並みとなったのか、よく判らなかった、話されたのかな? 眠ってないので、そうだと思う、甲部歌舞練場ができたのが明治初年なので、維新政府の政策が絡んでるのか? そう言えば、京都が寂れるのを防ぐ話をされていた!」「一力の場所に、婦女子工場だったか、工場があった話をされていた、この施設は、どこかで聴いた覚えがある、一力の元の場所は、八坂神社の南側、でも、四条通って拡張されているので、工場跡が、そのまま一力ではないはずなんだけど、、、その南側部分ということなんでしょうか? 質問すればよかったと後悔」「井上流以外の流派も祇園街に入っていたが、都をどりを通じて、両者の結びつきが強くなり、今では井上流だけとなっている」「井上流歌集が、今まで3回に渡り公刊されている、3回目の公刊では、289曲と言われたかな、300曲近いものが入っている、井上安寿子さんによると、現在、よく出るのは30曲ほど、映像が残っていたりするものは復活も可能だが、そうではないものが多い」、こんなところかな、メモを取ってたんだけど、その字が読めないので、これ以上メモっておけない悲しさです。ま、よくある話ですが。


2022年 10月 27日(木)午前 5時 14分

 昨日は、お出かけなしのうえ、全く、予定表には、何も入っていない一日。それでは寂しいと、数日前に、博物館に行こうかと思い、候補を2つ、予定表に入れておいたけれど、また、今日から予定表には、何らかが入っているので、あっさりと断念。となると、ルーティンにしているウォーキング2回だけが、外出時間。昨日は、寒暖の差が、頗る大きく、昼前のウォーキングは、自宅に戻ると、汗でびっしょり。この時期は、家に戻ると、急いで着替えないと、すぐに冷めてしまうため、汗に濡れたままでいると、急冷状態で、気持ちが悪くて大変。夕方には、もう、そんなことはありません。気温の降下が著しいのでしょうね。秋を、見事に体感しています。
 午後の一時は、最近の定番、韓国情報の収集に勤しんだ。1つは、旅行に向けて、YouTubeを視聴すること。昨日も、「부산사랑-ぷさんさらん-」のお世話になった。釜山中心ということで、釜山の名物料理「ナッコプセ」情報が、一の狙い。こういった鍋物の場合、韓国は2人前からの注文になるので、普段の韓国旅行では食べれる機会が、とっても少ないというか、諦めているので、店探しをするとき、ほぼ無視している。結果、黄紺1人で行かないときに困るのだ。そういった情報がないから。「ナッコプセ」は、つい先日まで知らなかった。釜山情報収集の過程で飛び込んできたのでした。でも、なんてことはない料理。「ナ」は「ナクチ」、「コプ」は「コプチャン」、「セ」は「セウ」の、各々の頭文字を繋ぎ合わせただけ。その鍋物なんだけど、これコチュジャン入りだと思っていたら、日本にある「ナッコプセ」専門店(こんなのがあるのです!)の料理の写真を見ると、赤くない。そんなはずはないということが、「ナッコプセ」の動画を観たきっかけ。やっぱ、本場ものは赤かった。ということは、Dが食べられるかどうかは、不明のまま。とにかく、Dを連れて行くには、食事の不安がつきまとう。人間、食べないと生きていけないから、食べられるものを宛がわねばならないということで、先日から、頭を悩ましているのです。釜山で、黄紺が気に入っていたテジクッパの店は、コチュジャンを自分で入れるシステムだったので、これだと、たとえコチュが苦手でも食べれるのだけど、3年前に釜山に入ったときにはなくなっていた。とっても流行ってたのに、悲しい現実。替わりに入った24時間の店(出発の日で朝早い便だったので、午前4時半に店に入った)は、コチュは端からは入ってなかったけれど、めっちゃ胡椒が効いていて、さすが、Dは食べれないだろうと思うので、貴重な1食の確保が確定していないのです。できれば、釜山名物とされている美味しいテジクッパを食べさせてやりたいんだけどね。そんなだから、赤くない「ナッコプセ」なんてのがあれば、チャンスと思った次第。店によっては、そうではないようだけど、当たるか当たらないかという博奕みたいにして、小さな子どもを連れて行きたくない。まだ、この探索は続きます。外食系モッパンの有名YouTuberの「KaoruTV」も観ると、「サムギョクサル・トッパプ」を紹介していた。これは「豚丼」に相当するんだけど、こういった「牛丼」「豚丼」系の食材、これなら、コチュを使わないものもあるし、使っていても辛さには拘らない傾向があるので、Dには、いいチャンス。でも、これを出す店が少ないんだよね。キンパプ国やキンパプ天国といったチェーン店に行けば、確実にあることはあるから、これ系を食べるときは、大丈夫。ただ、こういったチェーン店へ行くと、本物の「パンチャン」を見せてやれないしと、痛しかゆし。キムチとタンムジ(沢庵)だけというのが多いから、それ系の店に行くことも想定して、息子にメールを送り、「Dに沢庵を食べさせておいて」と頼んでおきました、ホント、日本では、沢庵を食べる機会が減った。ま、しばらく、こうして、韓国情報を集めることが続きます。もう1つの情報収集は、この週末に、Dを連れて、ついでに韓国には連れて行かないSも連れて、韓国に触れられるイベントに行く予定にしてるんだけど、そのイベント、時節柄、模擬店が出ない。ということは、韓国フードに触れる機会を持てないということで、そのイベント会場近くで、韓国料理屋がないか調べている。存外、昼間に開けている店を見つけるのに苦戦。こういったときって、「食べログ」は便利。ようやく、1軒、手ごろな店を見つけた。と言っても、単なる焼肉屋だとダメなんで、メニューが気になる。「食べログ」に、完璧な押さえがあるとは限らないので、何か情報はないか調べていると、偶然、YouTubeの動画で、当該の店を紹介している動画を見つけた。そこには、きっちりとメニューを映してくれてました。そして、こちらのニーズに合うことを確認。単なる焼肉屋さんではなかった。そんなで、早速、息子に、食べログとYouTubeのURLを送り、レスを待っているところです。こういった韓国情報集めって、それをしていることが楽しいね。


2022年 10月 26日(水)午前 0時 12分

 今日は、お出かけの日。京都学・歴彩館での市民向け公開講演会があったからです。今日は、こちらで「京都を学ぶセミナー【伏見編】」があった日でした。このセミナーは、午後1時半開始なものだから、お出かけ準備がせわしないのは、毎回。で、今日も、慌ただしく出かけ、そして、挫けてしまった日。実際、歴彩館まで行ってから、延期を知らされたのです。講師の方が体調不良ということでした。「時節柄、、、」と言われていましたから、コロナか、少なくとも発熱があったと思われます。黄紺は、こんなことがあってはと思い、毎回、お出かけ先のHPで、実施を確認してから出かけることをしているのだが、よりによって、今日は、そのチェックを怠った。それを、思わず口走ると、係の方、「載せたのですが、連絡が入ったのが、8時40分ぐらいでしたから」ということだったので、それ以後の時間帯なら、たとえチェックを入れていても見てない可能性もありますね。とんだことになりました。近くの京都工繊大は、昨日、行ったところだったし、次に近い堂本印象美術館は、再訪にしても、割引に必要なものを持って出てないしと、結局、火曜日だから、自宅に戻り、「まーぶる」を聴くのが一番と判断。但し、歴彩館の往復は、ウォーキングを兼ねているものだから、それだけは実行。自宅に戻ると、午後3時を僅かに過ぎていました。交通費が無駄になってしまいました。この交通費が馬鹿にならないからね。ましてや、伏見から北山まで行き戻るわけだから、腹が立ちます。
 KBS京都の「まーぶる」、今日も、Radikoのお世話になりました。主たるトピックは、昨日、日本TV系列の「スッキリ」で放映された、二葉の密着取材関連の話。TVのない黄紺は、内容は、ディープな落語ファン氏のTwitterで、ごく一部を知っていただけなのですが、15分間も、このコーナーが流れたと聴いて、びっくり。権太楼や一花も、インタビューで出演したとの情報を得ていたので、その内容の一部でも知りたかったのだけど、それはダメだった。NHKへの出演を除けば、全国放送で取り上げられるの初めてとなるようです。まず、噺家さんが、こういった形で、全国放送で取り上げられること自体、尋常なことではない。ディープな落語ファン氏は、「テレビでこんな一場面を見るなんて夢のよう」と呟かれていました。アフロ時代の二葉を知る身の黄紺も同感です。落語ファンでもある福井在住の友人に、「二葉って噺家、知ってるか?」と、初めて聞いたとき、その噺家が女性だとは、話半ばまで、その友人、気づかなかった。そんな頃から上方の好事家は、二葉に注目していた。人それぞれ、いろんな響き方をしていたんだと思う。世間が認めるだろうかと思ってたことは確か。それが、初めて世に出たのが、「上方噺家グランプリ」で、初めてファイナリストになることが決まったとき。あのときの繫昌亭の歓声は凄かった。まさか、公的な場で認知される日が来るとはという感じだったのでしょうな。世間が追いつき始めたのが、あすこだったという記憶。そう思った人たち、NHKでグランプリ獲ったとき、多くの人たちが涙したと言います。それが、Twitterで見た「夢のよう」という言葉に凝縮されているように思えました。世間が追いついたと思ったら、先へと、あっさりと通り過ぎてしまったという感じなのでしょうね。放送ではないのだけど、CHILL OUT(チルアウト)のインタビュー記事で、「らくだ」を覚えようとしていると出ていました。これ、先日の「まーぶる」の中で、覚えたいネタに入れてたけど、本気なのかな? 大ネタが過ぎると突っ込んでしまってますが、また、何か、思い当たったことがあったのかと思うと、気になっちゃいます。


2022年 10月 25日(火)午前 7時 25分

 昨日は、朝からお出かけ。月曜日に、ミュージアムに行けるというのは、有難い。大学構内ということで、他では、あまりない開館日になっているところへ。で、行ったのは京都工芸繊維大学美術工芸資料館。今、こちらで「デザインの夜明け―京都高等工芸学校初期10年―」が開催されています。京都工繊大の前身の1つが「京都高等工芸学校」だということで、そのアニバーサリーの特別展が開かれていることになります。その学校で教材として使われた作品群や、教員だった作家さんや生徒さんだった人たちの作品を展示しています。その教員の中に、図案科初代教員になったのが浅井忠がいます。初代校長中澤岩太が、パリで出会った浅井忠を説き伏せて、京都に迎えたと言います。浅井忠も、ヨーロッパ滞在でデザインに関心を持つことになり、その話に乗り、東京から移って来たと言います。そういった人的な関係でやって来た教員たち(武田五一、牧野克次、都鳥英喜、浅井忠の門下生でもある霜鳥之彦ら)自身の作品、霜鳥などは、学生時代のデッサン画も残されていました。そういった教員の作品を展示するというのが、この特別展の目玉。初期の講師には、鹿子木孟郎の名もあったのには、びっくり。菊池素空という知らない名もあったけれど、この人は、浅井忠のあと、京都国立陶器試験場長になった人らしい。霜鳥之彦の作品は、この資料館で観た記憶のある作品も出ていた。「十字架の前」という作品は、とっても重厚な印象。肝心の浅井忠は、常設展示されている(これ、初めて知りました!)「武士山狩図」の下絵、それも、細分化された下絵まで展示してくれていました。陶器に絵付けされたものや、くだけた感じを与える大津絵を基にしたデザイン画も。浅井忠は、自らデザインした陶器を販売する九雲堂という店まで持っていたと言います。でも、その店は、開店後さほど時間の経たないなかでの浅井忠の急死で、長く続かなかったとか。先日、京都国立近代美術館で浅井忠の日本画も観たと盛り上がってたけど、この資料館では、ごく普通に展示されていました。牧野克次と都鳥英喜の作品は、ロビーの壁面に展示されていました。なんせ、狭いミュージアムですから、贅沢な話です。ともに、印象派の影響を受けた画風。浅井忠こそ、その代表格のはずなのに、浅井忠の展示作品は、そういったテイストを感じさせないものでした。第2代校長になった鶴巻鶴一、染織のプロパーだそうですが、その雅号は「呉野」。これ、ドイツの留学先がクレーフェルトだったからだとか、「クレー」から「呉」、「フェルト」から「野」だそうです。黄紺は、結局はクレーフェルト、行けてない。そのため、このルールの町にあるミュージアムがいいらしいのだけど、行けてない。今回の展示は、こういった初期の教員陣の作品を展示するのが1本の柱、もう1つが、浅井忠らが、ヨーロッパで教材として購入してきたアールヌーヴォーのポスター群、これも、見ものだった。ロートレックやミッシャ、それに、ウィーン分離派の展示会を告知するクリムトのものまであった。それ以外にも、ウィーン分離派のポスターが、結構、多かったな。ポスターは、劇場での公演を告知するものは、やはり華やか。その中心を占めていたのが、ジュール・シェレの作品群。名前は知らなかったけれど、この手の作品群は、ハンブルク美術工芸博物館で大量に観るという経験があるので、そのときに観ている可能性大だとは思います。ポスター展示を観て行くと、なかには戦争に関わるもの、単なる商品の広告ポスターも出て来ます。そういった、当時、斬新だった作品群を観て、当時の生徒、どう観たのでしょう? そんなことも考えてしまってました。めっちゃ、いいクォリティーで、コスパのいい展示会です。200円で、浅井忠をたくさん、多くのアールヌーヴォーのポスター観れるのですから。
 このミュージアム行きは、午前9時半出発で、自宅に戻ったら、もう午後3時だった。そのわけは、京都工繊大が松ヶ崎にあるということ、ミュージアムを出た途端、通り雨に遇い、大学構内で、しばらく足止めを喰らったこと、このミュージアムの往復をウォーキングと心得、帰りは、三条まで高野川&鴨川沿いを歩いたこと、その途中、用意したいたおにぎりを食べて昼食休憩を摂ったことが関係している。雨が上がったあとは、あっという間に秋晴れになったけれど、腰をかけられそうなところは雨に濡れている。結局、乾く時間を待っていると、昨日もまた、丸太町橋近くで昼食となった。
 そんなで、僅かな午後の一時となったけれど、昨日も、主に、YouTubeチャンネル「부산사랑-ぷさんさらん-」のお世話になり、釜山のお勉強。「ソンド(松島)」のケーブルに実際に乗った動画は、めっちゃお役立ち。ケーブルの先にも、いいところあるのですね。でも、真冬は行けないかもしれないけど、Dは、間違いなくテンション上がるでしょうね。他の動画では、距離感を教えてくれていた。なんせ、ヘウンデ(海雲台)とは縁がなかったものだから、こういった情報、有難い。クァンアルリ(広安里)とヘウンデ(海雲台)の位置関係も覚えた。ホント、韓国へ、何度も行きながら、釜山の定番情報、新しいエリア情報を知らないこと、夥しい。スポットは知っていても、その位置関係、何があるとかを知らない。Dのおかげで、未知の世界に入った気分です。その一方で、行きたいミュージアムには行けないだろうけどね。ついでに、韓国食の動画も。オジンゴは食べても、チュクミは食べたことがない。ピョンテク・ヘジャンクなんてのも出していた。これ、Dが見たら、驚くだろうな。黄紺も、「へジャンク」となっているので、適当に注文して、びっくりしたもんね。でも、どれをとっても、コチュが絡んでる。これが、不安の種。息子は、子どもに、濃いめの味を与えていないので、辛さに、どのように反応するか。無理だと、そうじゃないもの探さなきゃならない。トンカス、オムライスという、日本風洋食は、大人にはおもしろいと言えるんだけど、子どもには、「全然、変わらへん」になってしまうと思うので、悩み事なのです。


2022年 10月 24日(月)午前 5時 24分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。秋たけなわのわりには、こういった土日が出てきている。巡りあわせなのでしょうか? となると、日曜日の楽しみは、朝の「日曜美術館」を観ること。昨日は、「国宝 東京国立博物館のすべて」というお題で、創立150周年を記念して開かれている「所蔵の国宝を全て見せる」という謳い文句で有名になった特別展会場巡りをするというものになっていました。と言っても、お時間もあるので、89件の全てを、番組内で見せるわけにはいかないので、その一部を見せていただけました。時間的制約があるのか、普段の45分間を1時間に延長して、できるだけという姿勢を示す番組になっていました。いつものMCに2人のゲストを加え、ときには分担して会場を巡るという趣向。番組内で紹介されたものは、次のようなものでした。①長谷川等伯/松林図屏風(空気を描いている、そのために樹木を描いている、タッチは近づいて観ると判るが激しいものがある、中国からの水墨画なのに日本を描く、水墨画なのに湿った空気を感じさせ日本を描いている)②久隅守景/納涼図屏風(フェルメールと同時代、“同じような素材を描いている”と言いたいのでしょう、庶民の粗末な庵、暑さと涼しさを感じる、戦国時代が終わり安全な世界が見えてくる)③孔雀明王像(孔雀を神格化した仏画、裸体で華やか、怒りの顔ではなく静かなお顔、手に持つざくろは安産祈願を表すが、それは個人のため?、金箔や金泥による細かな装飾で贅を尽くしている)④地獄草紙(後白河天皇周辺での製作)⑤餓鬼草紙⑥(書)賢愚経残巻(聖武天皇筆? 古来、楷書のお手本とされた、筆を重ねた字がある)⑦古今和歌集元永本(元は平安時代にひらがなで書かれたもの、初期のひらがな、数ある写本の内全て揃うもので最古、美しい書と装丁のコラボ、孔雀の絵が入った紙が使われている)⑧法隆寺・金銅灌頂幡⑨法隆寺・金銀鍍竜首水瓶(ペルシャから、デザインがペガサス、持ち手と首は中国風、でも国産の可能性が高まってきている、廃仏毀釈で皇室に献上され紛失を逃れた、そして東博へ)⑩片輪車蒔絵螺鈿手箱(車輪は螺鈿、仏教的意味、平安時代)⑪本阿弥光悦/舟橋蒔絵硯箱(橋を鉛で表現、「舟橋」の歌、箱自体が橋になっている)⑫尾形光琳/八橋螺鈿硯箱(江戸中期、橋は螺鈿、箱の内側に水の流れ、橋の下を描く)⑬(銅鐸)扁平鈕式銅鐸(稲作の豊作の祈りのためのベル? 元は黄金色)⑭(太刀)銘 三条(名物三日月宗近)⑮(太刀)銘長光(大般若長光)(鎌倉時代、三日月宗近は、先が細くなっているのに対し、太さは変わらない)⑯(刀)無銘 正宗(名物 観世正宗)(短い、扱いやすい、名刀を短くしている、金象象嵌、変化に富んだ波紋)。国宝は、ここまで、それ以外でも、東博の成立・発展に絡む展示がされており、それに関する展示物の紹介もありました。維新の上野戦争で焼け野原になったのが、今の上野公園ができた大元のようで、そのときの砲弾まで展示されていたけれど、この博物館、科学分野も含んだ総合博物館として出発。その後、分離され、現在の形態になったとか。そこで、その思い出の品として、日本に、初めて入った生きたキリンの剥製も展示。そして、最後は、菱川師宣の「見返り美人」でお見送りするという構成でした。刀剣の専門家でもある学芸員さんが、刀剣以後の案内をされていたのですが、何と、蝶ネクタイで出演。ホテルマンみたいと突っ込んでしまいました。こういったぶっ飛んだ感性が、学芸員には要るのかもしれませんな。
 午後の一時は、韓国旅行の情報収集。先日、息子から、Dを連れて、韓国旅行をしないかとの誘い。Dには、初の海外に韓国。これには舞い上がってしまいました。早速、パスポート申請をしたようで、それが済み次第、航空券の手配となるはず。行くのは、息子の仕事が休みになる年末年始のどこか。その辺で、航空券の安い日になる。3泊4日だから、黄紺的には短い。最近の韓国旅行は5泊6日と決めているので。なんせ、真冬の韓国は冷える。やっぱ、大陸の一部だと思うので、少しでも海に近い方が良かろうと、釜山インアウトを考えている。ただ、Dを連れて行くというので、Dが楽しめるところがいいかと考えているけど、なんせ、冬。初韓国の人を連れて行くときって、アンドン(安東)を選ぶことにしてるんだけど、冬ではねぇ。ましてや、6歳になったばかりにはと思ってしまう。そこで、考えているのは、チンジュ(普州)でお城見せて、シジャン巡りで1日、次に、クレ(求礼)に移動、投宿、そこから、コッソン(谷城)の鉄道公園に行く。どうせ、クレでバスの乗り換えが必要だから、クレに宿を取ろうと考えている。コッソンは、あまりにも、何もない田舎町というのもある。大きなヨガンはあるけど、しかし、何もない。と言って、クレもたいがいの田舎町。時間が余れば、ナモン(南原)にも行ける。ファオムサ(華厳寺)は、寺院としては、観光としては一番いいけど、アクセスに困る。それだったら、サンゲサ(双渓寺)に行く。とまあ、変化を取ることができるので、クレに宿を取る。ここまでは、知ったところだけど、問題は釜山が3泊目となる点。チャガルチやクッチェ・シジャン(国際市場)、ナンポドン(南浦洞)というお定まりコース、それに、何か持っておきたい。いや、こういった昔からの定番コース以外にも、最近、新しい釜山の観光名所が多く出てきているのは知っていても、それらが、どこにあり、アクセスはどうなのかが、全く判らないものだから、よく目にする風景の特定から始めて、そのアクセス法を調べまくった。とにかく、風景の特定からだと思い、釜山のYouTubeと言えば「부산사랑-ぷさんさらん-」なので、昨日は、何本も動画を観て、気になるとグーグルマップで調べるという作業。ウォーターフロントとしての新名所、めっちゃ進化している。そして、インスタ映えスポットが目白押し。ま、その本場だもんね、韓国は。「THE BAY101」「カンチョン(甘川)文化村감천문화마을」「ヒンヨウル(影島)文化村흰여울문화마을」「ソンド(松島)海上ケーブルカー송도해상케이블카」「チョリャン(草梁)イバグギル초량 이바구길」を押さえました。「THE BAY101」が狙いその1だったんだけど、これ、ヘウンデ(海雲台)なんだね。今まで行こうとしてなかったところ。宿は、慣れたササン(沙上)に取りたいんだけど、それだと、ナンポドン方向と、、、、





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