忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこ 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2024年 6月 8日(土)午前 7時 17分

 昨日は、朝からのお出かけ。金曜日の朝からと言えば、アスニー京都での市民向け公開講演会。それが終わってから、昨日もハシゴをした。行き先は、立命館大学正面にある堂本印象美術館。毎回、移動は、ウォーキングを兼ねての徒歩移動。途中で、昼食にしなければいかないので、昨日は、大学近くの定食屋に行った。前回行ったところではない、違う店を探した。さすが学生さん相手の店が多いので、選べるのだ。だから、敢えて違う店にした。校時の関係か、まだ学生さんが現れない時間に入れるので、学生街の混雑は気にしなくて良い。その店の日替わり定食にした。トンカツ、コロッケがメーンで、小皿が3つに味噌汁で750円だった。コスパは、前回の店を上回ると看たので、当分は、この店を常店にしようかと考えている。と言っても、年に、そんなに行くわけではないので、常店というのは言い過ぎかもしれないが。
 アスニーでの講演会は、「大谷大学連携講座」とも銘打たれていた。こういったものが、年に何回かある。そのときは、普段と異質なお題が出たりするので、楽しみだ。「死者とのつながり~『継続する絆』を考える~」というお題だったので、内容に関し、二手に分かれるなと思った。宗教学、民俗学(文化人類学)の2つだ。そこで、講師の方の経歴が、ネット上に出てないか調べた。大学に所属されていると、必ず出ているからね。すると、後者の方だったので、諸手を上げていく気になった。その講師は、同大学大学社会学部現代社会学科准教授の後藤晴子さんでした。冒頭、道筋を明確にするためでしょうね、「民俗学(文化人類学)とは何ぞや」というお話をされた。そして、文化人類学と民俗学との違いも話されていたが、後者に関しては、「ナポレオンの覇権主義への対抗」ということで出てきたと話されていたが、それはそうかもしれないけど、時代はロマン主義の時代に入ろうかということも触れて欲しかったな。ただ、お題が、「死者とのつながり」ということを入れられているので、宗教との関りは省くことのできないこということで、「宗教の定義」「宗教を研究するということ」「宗教学の立場」「宗教の構成要素、、、成り立たせているものと言い換えられるかな」という風に、とっても論理的に、問題を整理されていた。ここがおもしろかったな。「あることを自明のこととして、それを前提にふるまうこと」、これが「宗教」と言われていた。「宗教を生活場面の一つとして、客観的に研究するのが宗教学というもので、特定の宗教を対象とするものではない」、これが「宗教学」というもの。「教義、儀礼、教団、体験」、これらが、宗教を構成する要素、なるほど、これは分かりやすい。そして、「私的な場面で物語として語られること」、これが、「死者と出会う」ということになる。死者儀礼、祖先祭祀といった大仰な言い方をしなくとも、何かあったときに故人の写真に話しかけたり、仏壇に手を合わせたりする、そういった私的な生活の中で、我々の社会では、「死者と出会う」場面を持つ人たちがいる、これは事実ですね、それを言っておられる、扱うというのが、このお話なのだ。「いまわのきわ」で、人との関係性が変わるというようなことを言われていた、「霊肉分離」の考え方が潜んでいるとして、生の人から死者に変わり、ここから、その出会い、物語が始まるということなのでしょうか。この辺からついていけなくなっている。学生から取材をした「物語」を紹介されている辺りで、うとうとと来てしまい、何を伝えるために、学生の語りを引用されているかが、判らなくなってしまった。半寝で聴いていたみたいと、後から考えると、そう思ってしまうのだけど、、、。その後も、「多様な死者をめぐる議論」と章立てを設けられて、東日本大震災の被災地での取材、フィールドとされている沖縄での取材、また、柳田からの引用など、幾つも具体例を上げられていたのは確かなんだが、いずれも、学生からの取材話と同じく、何を言うために、引用されているのかが判らなくなってしまった。ギヴアップです。「お坊さん便」のトピックも話されていたのは覚えてるんだけど、何で出てきたのかが判らない、、、。
 堂本印象美術館では、新たに「五彩を感じて 印象の墨の世界」という名の展覧会が始まっている。堂本印象の作風は問わずに、墨の使われている作品を集めた展覧会だ。日本画から出発した印象さん、そのままでいいだろうと思わず突っ込みたくなる名品が並びます。なかでも、図抜けた名品と思った2点が、1回の回廊部にあった。「夕顔図」「洛南一口村の初夏」だ。前者は、可憐な花、夕顔を描いたものだけど、その花よりか葉っぱに目が行っちゃう。墨の濃淡を、これほどまでに段階を踏んで分けたのってあったのと、思わず呟いてしまうほどの出来栄え。そこに目が行くものだから、ますます、花自体は後回しになってしまう。そこで気づくというのが、描き手の戦略だったことをね。夕顔の儚さを、そのような描き方で表そうとするなんて、半端な考えじゃ出てこないっす。後者は、湿りっ気が、暑苦しいまでに描かれている。そのために、近景と遠景との描き分けが行われている。構図的には、平易にすることで、その湿りっけを、これ以上ないまでも強調しているように思ったな。この並びには、他に、水墨で描いたキリスト教の聖画、中国の故事に応じた作画を観ることができ、中2階では、「瀟湘八景絵巻」が展示されていた。晩鐘、夕照の2つが、黄紺的には判らなかった。帰帆では、帆に当たる風が強いのに、笑みが出てしまった。夜雨や晴嵐も、結構な激しさがあったので、それに通じたみたいだった。暮雪も、雪の積もりからが厚かったしと、長閑な八景という印象を持ちながらも、部分を見ると、そうでもない、そんなの探してると、絵を観るのって、楽しいね。次の2階への回廊部では、新聞の挿絵となったものの下絵がった。いろんなこと、やってる。アンフォルメルの影響を受け、抽象画を水墨を使い描いています。驚いたのは、こうした作品を描いたときにも、日本画を描くときと同様、下絵を描いていた。その展示もあった。もちろん本図と並べての展示。同じような筆の勢いを、アンフォルメルでも出すって、信じられないことしてます。しかも、本図の方が大きいのだから、驚きが増します。2階には大作、著名な作品が置かれていた。日本画、抽象画ともにあった。「雲収日昇」は日本画の六曲一双の大作。左隻の左半分の空白が、全体を大きく見せている秀作。ただ、解説文にも書かれていたが、松の木が等伯風なのは、いかがなものでしょうか。抽象画からは、「はるかなる海」「交響」が目を引くが。前者が、今回の展覧会用チラシに採られていた作品だが、実物の方が、一段どころではない素晴らしさ。横長の大部な作品を横断する、太い線、細い線、これだけの勢いのある強い線を、どのようにして描いたのだろうかと思うほどのものが横たわっている。右から左へと飛び出してきたみたい。ほとばしる光と考えたらいいのか、飛び散った液体とも見える。周りの飛沫状のものも目を捉えて離さない。見事な逸品。後者は、今度は爆発だ。3Dで見える爆発。どうやら、音の爆発のようだ。しかも、音に色合いがあるのを表そうとしたようで、水墨以外にも、わけの判らないものが、周縁部に飛び散っているので、爆発度が凄まじい。これが、文化勲章をもらったときの年の作品だそうで、受賞との関連があるのかは、解説には書いてなかった。その傍らの「倒影」が、荒い格子状に線が絡まった作品。爆発の横では、えらく論理的に見える。どういったイメージだったのでしょうか? もう1つの傍らにあったのが「風神」。えらく具体的なお題を付いているが、こちらも抽象画。イタリアのどこかで個展を開いたときに合わせての制作だったと解説されていたが、洋画の絵具も使ってんじゃないかなと、色彩も豊かになってるが、黄紺的には、全く響かなかった作品。その他、東福寺の天井画の下絵もあった。子どもの頃、東福寺で、親に言われて観た記憶がある。「凄い人が描いたんやで」とか、何とか言ってた記憶がある。その後、何度も東福寺に行ってるが、本堂に近づくと、その親の言葉を思い出す。あれ、幾つくらいだったんだろう。階下にある、もう1つの展示室では、「第5回京都工芸美術作家展」と称して。京都縁の4人の工芸作家の作品が展示されていた。小林英夫、柴田良三という2人の陶芸作品、久保田繁雄、山出勝治という2人の染織作品が展示されていた。小林英夫は、岩石の表面を再現したかのような作品、どのようにすると、そういった粒のそろった岩石肌ができるのでしょうか。柴田良三は、全て染付だった。なかには「線象嵌」と、お題に入ったものがあったが、「象嵌?」と、思わず見入ってしまったが、「なわけないだろ?」と思う。全く知らない技巧があるのでしょうね。久保田繁雄の作品には既視感があった。傍らの経歴票を見て、納得。「小林正和ファイバーアート展」に出品されていたようだ。これは、どう観ても、超絶技巧だ。捻じりながら、色合わせをすることを想定して編むという作業をしてんだね、凄い! 同じく、凄いの連発なんだけど、山出勝治もそうだ。離れてみてると、絵画作品にしか見えないが、そうじゃない。これは染めなの? それすら判らなかった。数は少ないけど、こちらも堪能できました。印象の水墨画については、ギャラリートークにも行ってみようかな。うまい具合に、スケジュール、空いてるようだから。話を聴けば、2倍どころかのおもしろさが出てきそうだからね。


2024年 6月 6日(木)午後 10時 31分

 今日は、午後に映画を観に行った日。お出かけが続くので、午前は空きということで、洗濯日に当てた。ちょっと曇りかげんの天気だったが、さすがに、ここまで気温が上がると、もう乾くでしょう。そんなで、時間がタイトになったので、昼前のウォーキングは、食料調達も兼ねたミニミニ。昼も、時間の流れを考えて、外食。今日は、牛丼で済ませた。黄紺的には、好き家を贔屓にしているので、映画への途中に好き家があれば、昼食の選択肢に入ってくるのだ。そんなだから、今日のウォーキングの主要部分は、映画への行き帰りで行ったようなもの。それで、夕方、万歩計を見ると、15300歩余だったから、まあ、こんなものでしょう。むしろ、頑張ったと言えるかもしれない。
 映画は、最近、行く機会が増えている京都文化博物館のアーカイブからの上映。今月のテーマは「社会派サスペンス映画劇場」となっている。なかなか心を掴まれているので、複数回行くことになると思っている。あとは、スケジュール調整次第で、その回数が増えると思っている。今日の上映は、下山事件を扱ったというか、それを素材にして、ジャーナリストの気概を描いた「黒い潮」(1954年)だった。同年の「キネマ旬報」の4位の作品。気になったので、同じ年のベストテンを調べてみた。①二十四の瞳③七人の侍⑤近松物語⑦晩菊⑨山椒太夫と、知ってるものだけ拾っても、こんなけ出てくる。この中で4位とは、凄い評価! 監督の名を見て、びっくり。山村聰だった。この人、役者としてしか知らなかった。だから、主演は、当然、本人。役柄は、下山事件を追う、大手の新聞記者だ。黄紺は、この映画を観る前に、同じ下山事件を扱った違う映画を想定していた。事件の真実を追求していこうということに主眼点が置かれているものだと思っていたが、確かに、事件の真相を追う記者たちを描くことは描いているが、事件そのものは「自殺」という設定となっている。冒頭、下山総裁と思しき男が、列車に飛び込むシーンまで用意していた。それを前提に物語を組むという意思表示だったのに、違う映画だと思ってたので、これは、何か映画の仕掛けに係るネタ振りだと、ずっと思い込んでいた。最後まで、ここから、何か起こるんだとと思ってたら、そうじゃなかった。黄紺の知る映画では、「ルミノール反応」というものを、当時の警察は実用化してなかったが、そういった科学的操作法があることを知った記者が、線路上を点検して行くというシーンがあったものだから、それを待っていた。そこから、新たな展開があると思い込んでいたが、そうではなかった。この映画では、事件の捉え方が、他殺か自殺か分かれるなか、他殺だと、社会的な影響など、市民の関心が掻き立てられるとして、他殺説を前堤に記事を書こうとする傾向にあるなか、断固として、不明朗なことは記事にすべきでないとする記者が主人公となっており、そのジャーナリストとしての信念を貫こうとする、その姿を追いかけるという展開になっている。ただ、そのわけ、背景というのが、とても個人的な体験。ちょっと取って付けたような物語が加わってくるのだ。記者の妻が、以前、歌手と情死をしたため、様々な憶測記事を書かれて苦しんだという経験を持っているために、同じような被害者は出したくない、憶測で、ましてや、扇情的になるような記事は書きたくないという信念を持っているために、周囲の記者たち、上司からプレッシャーをかけられていくというのが、主たる展開になっていた。そこへ、妻を亡くしているということを踏まえて、新たな結婚話が持ち込まれてくるというエピソードが加わり、物語は進む。が、この映画は、自殺という設定になっているので、ようやく、捜査本部がそれで動きかける、記者発表の段取りまで作られるが、どこからかの大きな力で押しつぶされ、その自殺説で動いてきた経緯を捉えられて、記者は左遷をされたところで終わる。だから、下山事件というのは、何かは語らないが、どこかの大きな力が働いている、少なくとも事件の真相には近づけさせないように働く大きな力の存在を示唆して終わるのだ。こういっちゃなんだが、この映画、下山事件が、他殺であろうが自殺であろうが、関係ないのだ。だから、冒頭に、この映画は、自殺で行きますよと出し、この事件は、政界、いや、それだけではなく、当時なら占領軍なんかも絡みながら動いたもの、これを示唆しようとしてんだね、これ。そう考えると、「キネマ旬報」4位は伊達じゃない! 映画自体に関心があったからでしょうか、結構な入り。爺婆ばかりだけど、関心があるのかなぁ、今どきの人は、「下山事件」と聞いて、なんも解らないだろうなと思うけど、こうやって、映像が残ることで、決して消えるものではないことだけは確か。そういった意味でも、アーカイブの重要性はあるね。ただ、今日のえいがもそうだったけれど、音声が良くない。半ばは、かなり聴き辛かったことも確か。キーワードだけは落とさないでいることで、なんとか、ストーリー展開につけていった。役者陣が、なかなかの顔ぶれ。キャストのメモと比べて判った人もいるが、名前を知ってても、画面で判るのは、残念ながら多かった。その中で、分かった人だけメモっておく。再婚相手に選ばれる女が津島恵子、新聞社内の同僚が左幸子(これは調べるまで判らなかった)、主人公の上司となる部長が滝沢修(これも判らなかった)、津島恵子の父親が東野英治郎だったのだが、顔に見覚えがあったに拘わらず、名前が出てこなかった。友情出演的に国会議員役で出てたのが進藤英太郎、その他、芦田伸介、内藤武敏、夏川静江、沢村貞子なんかが出てたようなんだけど、さっぱり、特定できるなんてことはなかった。


2024年 6月 6日(木)午前 7時 2分

 昨日は、朝から出かけて、京都でハシゴをした日。気温は、一昨日よりは、少し上がったかな。でも、まだまだ、いい季節です。水曜日の朝からのお出かけとなれば、行き先はアスニー山科。そして、岡崎に回った。京都国立近代美術館に行った。となれば、昼食は、毎度、ネパール屋さんに行くことにしている。ここのカレーは、どこの店よりも具だくさん。チキンにジャガイモ、野菜が他にも入っていた。このお出かけだけでは、ウォーキングという点で言うと、いつもの半分程になってしまうので、夕方、ミニウォーキングを敢行。15700歩余を、万歩計は示していたので、ま、頑張った甲斐があった。
 アスニー山科は、講演会枠で行われる映画会。毎月1回、こちらでは、別途、映画会が設定されているのだが、それと違うのは、無声映画だということだ。だから、こちらの方は、活動弁士入りとなる。これが気に入っているので、知らない映画だったとしても、行くことにしている。冒頭に、濱口十四郎(京都の文化を映像で記録する会)さんの解説が入るのがいい。昨日は、小津安二郎作品だったので、映画だけではなく、監督の逸話も話されていた。弁士は遊花さん。いつものように名調子。作品は「東京の合唱(コーラス)」。こういった名の作品があることすら知らなかった。1931年制作ということで、見事に時代を反映したものだった。小津作品だから、何気ない日常生活を描くわけだから、時代を反映しているからといって、政治的な色彩が色濃く出るというものではない。ここで描かれているのは、大恐慌の影響を受け、生活苦に陥った人たちの生活。先輩社員をかばい、社長と喧嘩をした主人公(岡田時彦=岡田茉莉子の父親)は、そのために首を切られてしまった。家庭には妻と3人の子ども。職探しをしている中で、偶然、出逢った恩師。聞くと、退職後、洋食屋を始めていたので、それを手助けする。恩師も、男の職探しに動いてくれて、最後には地方の就職口を見つけてくれるというもので、とてもゆる~い筋立て、結末。それは想定はしていたが、聞きしに勝るゆるさだった。これが、小津作品かと、改めて確認した次第だ。黄紺的におもしろいと思ったのは、この主人公夫婦のホワイトカラーとしての気位と、ホワイトカラーを見るブルーカラー族の目が描かれていたこと。恩師の洋食屋の開店を宣伝するため街でビラ配りをする男。恩師に求められてのものだから、することはしているのだが、気乗りがしていない。案の定、都電に乗っていた妻子が現認してしまう。それに困惑して、「そこまでしなくとも、、、」と言う会話が、夫婦のものとして出て来る。この気位、ホワイトカラーのステータス! 恩師が、その手伝いを男に求め、「替りに仕事探しをしてやるから」と言うと、男は恩師に文句を垂れた。「自分の仕事探しのためにするのではない、先生だからするんだ」と怒る、この気位。ステータスに対する自負ですね。第一、中学校を出ているというだけで、その気位はできてるでしょうからね。その男が職安に入っていく姿を目にした労働者風の男たちが言った台詞、「あんな人も仕事探してんだから、俺たちに仕事があるわけないわな」。階級を感じさせる時代が出ていて、いい台詞だなと聴いておりました。結局は、恩師が、知り合いの文部省の役人に仕事を見つけてもらうことで、仕事が見つかるのだが、それが、東京でなくて栃木だった。憂色に包まれる妻、仕事が見つかっても、それも代用教員の仕事、「それなのに」と思ってしまった憂鬱な表情の妻。東京を離れる不安を口にする、それを口にしてもいい環境に育ったということでしょう。それを口にしたのが、恩師の店で中学校の同窓会をしている場だから、夫の同窓の男たちが居る場で、そんなことを言っている。ここにも出てた気位。と、とても上手く、1つの層に入り込むキャラクターに連ねられている、この辺が上手いんでしょうね。キネマ旬報ベスト・テン第3位に入った作品だそうだ。妻役は八雲恵美子、大変な美形。戦後、実業家としても成功したと、濱口さんの解説があった。長女役が、この作品でデビューした高峰秀子、子役でならしたはずだが、子ども時代の映像は、これだけしか残ってない貴重なものだそうだ。
 京都国立近代美術館では、新たにコレクション展が始まっているので行ったが、ちょっとおかしげな開催。入場料は無料、しかも、2/3しか、展示室ができていない。あとの1/3は、その準備中。その工事の音が凄まじい。無料になるはずだが、残りの1/3は、6月11日からオープンだそうだ。その日から、新たな展覧会「倉俣史朗のデザイン」が始まる。それに合わせてのようなのだが、じゃ、このコレクション展も、それに合わせてのオープンにすればいいのに、そうじゃない不思議。ただ、4階の、普段はコレクション展に使われているスペースを使い、展覧会として「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957–1979」という展示は始まっている。ミニ展覧会だからか、それをオープンしたから、合わせて、一部だけどコレクション展もオープンしたのかなぁ。いや、だったら、残りの1/3もオープンすればいいのにと思ってしまう。やっぱ、不思議だ。実は、この1/3が、いつもは日本画のコーナー。しかも、今回の展示では福田平八郎が、その中のコーナーとして出るとなってるので、絶対に行かねばならない。展示リストを見ると、更に、それが前後期に分かれてるから、あと2回、このコレクション展に行かねばならなくなった。なんじゃそれって、ますます「?」が点るばっか、です。「印刷/版画/、、、」展は、「東京国際版画ビエンナーレ展」のポスターと、そこで展示された作品が展示されていた。ポスターに観られるようにデザイン性の豊かなものから、印刷という技術を対象化して、何やら哲学的なもの(野田哲也、高松次郎、井田照一、横尾忠則)、版画という範疇で、この絵筆でも出せないようなタッチを、どのように出したのか、想像力を遥かに超えたもの(池田満寿夫)、浮世絵版画をデフォルメしたもの(靉嘔)など、多士済々。もちろん、抽象画のようなものも多数ということで、いい目の保養。おもろいのないかと思いながら観ていて、今回の秀逸は、ウエブサイトでも看板になっている木村秀樹の「鉛筆 2-3」。3枚綴りだけど、続けて観ると、手が動いているのか、鉛筆が動いているのか、どっちが動いているのでしょうか、この不思議な感覚が、頗るおもろい! そんなで、あと2回、観れるわけだから、新たなおもしろ作品を見つけたいが、解説の字のちっちゃさと位置だけは、勘弁してもらいたいな。その他のコーナーもメモっておく。「西洋近代美術作品選」は、今回はダダ。「既成の概念や秩序を否定し、ナンセンスを謳う」と、解説には書かれている。クルト・シュヴィッタースの「無題(羊毛玉のある絵画)」は、お題にある通り、毛玉が貼り付けてあり、目が点になるしかなかった。「ポストモダンの地平」を振り返る」なんていうおもしろいコーナーもあった。「ティー&コーヒー・ピアッツァ」と題して、いろんな作家が工夫を凝らした作品群。機能性は同じものに、如何に装飾性を付けていくかのコンペのようだ。梅田正徳は笑かしてくれます。「Tawaraya(俵屋)」は、プロレスのリングみたいだが、畳敷きだ。その空間に入りそうな家族は、寛ぎの場なのか相克の場なのでしょうか? 「月苑」は、花弁を模した椅子、会場で異彩を放ちます。「ガラス ―透明な流動体」では、工芸としてのガラスの可能性を思い知らされます。自由自在に作れる形、また、一旦整形したものから、磨いたり、割ったり、削ったりと、新たな整形も可能、そういった意味でも自在性が高い、第一、透明度を操作できる、輝きという特性も備えており、色付けも可能だ。これなど、ヨーロッパのガラス製品を観ていると、強く感じますね。そういったことを教えてくれた作品群でした。「生誕140年 霜鳥之彦」は、楽しみにしていたコーナー。アニバーサリーということもあるのだが、昨年、遺族から作品の寄贈があったことで、こういったコーナー設置ができたようです。京都工繊大資料館で、初めて、この人の作品を観て以来、今回ほど、明るさが目立ったことって、なかったような気がする、この人の作品で。それを知れたのが、最大の収穫。特に風景画で、それを感じながら観ていると、水に反射する光の描き方が、頗る目立つ。「高瀬川畔」「マサチューセッツ州ロックポートのピジョン入江」が、自分的ベスト2。「ウッズホール海洋生物学研究所」「海岸(大正2年頃制作)」が、それらに次ぐお気に入りとなった。なお、今回展示されていたものは、全てが水彩だった。キャンパスの地肌も、上手く使ってますね、水彩ならではのことかな?


2024年 6月 4日(火)午後 8時 28分

 今日の火曜日は休養日。明日から、今のところ3連続でのお出かけが待っているので、ゆっくりする日とした。丁度、火曜日なので、Radikoで「まーぶる」も聴けるから、好都合。気候は、相変わらずベスト・シーズン継続中だ。いや、ウォーキング時に休憩がてら読書をしていたら、肌寒くなった。そういった日に限って、半袖で出てしまった。そんなで、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。但し、昼前のウォーキングは、まずは、散髪に行き、その足でウォーキングに向かった。ついでに、郵便局も寄らねばならなかったしね。しっかりとウォーキングもできたしと、夕方、万歩計を見ると、ほぼ18300歩だった。とっても、優秀な日だった。
 今日の「まーぶる」、二葉が、子ども時代を過ごした集合住宅の同居人の話題が秀逸。古き良き時代の、ご近所のわちゃわちゃが、今の二葉を育んだかのように思えるという投書が、この話の後に入ってきてたが、共感できた。昔語りだけではなく、その内の1人を、最近、訪ねて行ったから、こういったことを話題に入れたようなんだが、それも、なかなかほっこり話で、ええもん聴けたと思えた。頗る、後味のいい話。つい数日前の繫盛亭昼席の出番を休んだことも話題になっていた。どうも、扁桃炎が癖になってるようだ。黄紺の弟も、そう言えば思い出したんだが、子どもの頃、癖になっていた。それがあるから、扁桃炎は、うまく対応しないと、繰り返し見舞われてしまう病気ですね。声の仕事だから、喉をやられる病気は大変です。仕事にならないわね。大事な情報を流した。新ネタについて、明確にネタの名を出した。えらい大胆なことをとも思ったが、自分への縛りかもしれません。「くっしゃみ講釈」は、先日、「上がった」と言ってた。これは、「チャレンジ」でのネタやから、早くから公になってた。今月半ばですよね、その会。雲助がゲストらしい。2つ目が「看板のピン」。これは、「菊丸にもらいに行った」と、ラジオでも言ってたので、ここまでは知っていたが、3つ目に驚かされた。なんと、「しじみ売り」を覚えるそうだ。もう、冬のネタのことを考えている。聞いてみて、これは当たりだと思った。人情噺だけど、子どもが一方の主役だし、賑やかしのアホな男も出て来る。これは、二葉に向いていると思えたからだ。そう思うと、米二なんかとも、今後のネタについて話し合ってるかもしれないと思った。「しじみ売り」って、思いつくの、簡単じゃないような気がしたもんで。でも、誰にもらうんだろう? 福団治なんだろうか? このことを考えて、去年の大阪の独演会のゲストが福団治だったの? それは、ちょっとうがち過ぎ? でなかったら、まん我? 染二? ちょうばではないだろうな。この教え手も気になるな。


2024年 6月 4日(火)午前 5時 11分

 昨日は、朝から出かけて、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングを観た日。今回は、福井からの友人は来なかったので、ぼっち鑑賞。プッチーニの「つばめ」(ニコラ・ジョエル演出)が出た。黄紺的には、生で2回観ているのだが、それが、いずれも日本でということで、ドイツでは遭遇経験がないという、珍しい演目。出ないわけではないが、ここまで少ないのかと思う程、「西部の娘」「三部作」とともに、見かけないね。「マノン・レスコー」もそうだから、かなり、偏りがある。「つばめ」は、オペレッタとして書かれたことは有名。でも、それが、ウィーンからの依頼だったと、昨日、初めて知った。指揮者のスぺランツァ・スカップッチが、ピアノを弾きながら解説をするという、ここまで、メトのライブビューイングではなかったことをしてくれた話の中で言っていた。だが、頃は第1次大戦で、結局、ウィーンとの関係は切れたみたい。それが、作曲にも現れていると言ってた。オペレッタのつもりで書いている部分と、その軛から離れて書いた箇所とのバランス調整がムズいというのだ。常のオペレッタなら台詞で進行するところを、プッチーニはメロディを着けたが、軽い展開。それが残ると、通常のプッチーニ音楽と一緒になると、バランスの問題が出て来るというのだ。よく言われることだが、オペレッタなのに悲劇。「微笑みの国」のように、他に例はないことはないが、珍しい。だけど、このオペラ、誰も、最後まで死なない。これは、オペレッタの名残りかもしれないね。そういう風に考えると、評判がいまいちだったということが、よ~く判る。プロダクションは、DVDにもなっているもの。装置は1920年頃のパリを表しているそう。だとすると、正真正銘のヴェリズモちゅうこってすね。歌手陣は知らない人ばかり。いや、マグダを歌ったエンジェル・ブルーは、どこかで観かけたような気がする。とっても、童顔でチャーミングな歌手。落ち着きと品格を備えている。「高級」娼婦というステータスのようなものを感じさせるものがあった。ルッジェーロのジョナサン・テテルマンは、メト初出演。このあとの「蝶々夫人」でも歌うそうだ。大変な抜擢。確かに、イタリア・オペラに相応しい声質だが、元来がバリトンで、テノールへの転向と聴いて納得したのだが、高音に難が見えた。2幕ラストの高音、ハイCまで行ってなかったと思うのだが、出すことは出したが伸ばすことができなかった。それと、カウフマンも見せるのだが、高音を抜いたように出す発声が弱い。弱点が出ると、全体へ、決していい影響を与えない。聴いている方も不安になってくるからね。賑やかし役の2人が良かったな。リゼットを歌ったエミリー・ポゴレルツが、抜群に動ける。ミュンヘンのアンサンブルの人らしい。アメリカからヨーロッパに行き、アメリカへの再輸入組という、最近、多くなっているパターンだ。スープレット役なんか、観てみたいね。プルニエのベクゾッド・ダブロノフはウズベク人の歌手。この人も動ける。ブッフォなんかに欠かせなくなりそうな予感がするな。この2人も、ともにメト初登場だそうだ。今年が、プッチーニのアニバーサリー・イヤーらしい。そのおかげで、このオペラを観ることができました。
 福井の友人から、来季のラインアップが出てると連絡があった。が、それが出ているサイトが見つからない。どうやら、Youtubeで観たそうだが、現在は、なぜか、それが削除されてるとか。そんなだから、見つからなかった。結局、メト本体のHPに行って遭遇できた。長々と書かれた来季の演目紹介の最後の方に出てた。だが、キャストが書いてないから、ダブルやトリプル・キャストの場合、目当ての歌手が出るかどうかが判らない。「アイーダ」で、ガランチャが、2020年以来の復帰と、演目紹介では出てるのだが、ライブビューイングで出てくれるかが判らない。そんなだから、長々と書かれた演目紹介を読むのは止めた。福井の友人からは、「トスカ」「フィデリオ」に、売り出し中のリーゼ・ダヴィッデセンが出て、「ホフマン物語」のタイトルロールを、今季、ロメオを歌った歌手が出るということを知らせてくれた。歌手がそんなだから、誰のプロダクションかは、動かない確定ものなので、こっちは大事。「サロメ」が、クラウス・グートもの、しかも、メト初と出てたのは押さえた。でも、これ、ベルリン・ドイツ・オペラで観てる。買ったものではなく、新演出かもしれないけど、、、。とにかく、ベルリンのだったら、難解だ。それを読み解くためにも、もう一度、観たいのだが、どうなんでしょうか?
 メトライブに出かけたのが、ウォーキングの1つだとすると、少なすぎる量にあかんと思った。そこで、夕方になり、ミニウォーキングを敢行。最後に万歩計を見ると、17900歩弱を指していた。なかなか、頑張った。半袖で出かけて、丁度、ウォーキングにはいい気候。ここ数日、雨のおかげか、気温が上がらないのが嬉しい。雨が降ったからと言って、湿度が上がるわけではなしと、とっても、過ごしやすい気候だね。束の間のいい季節を楽しめてるというところかな?


2024年 6月 3日(月)午前 6時 13分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、楽しみは、朝の「日曜美術館」と夜の「光る君へ」となる。NHKプラスのお世話になっている。外出は、日に2回のウォーキングだけ。でも、昨日は、午後に、えぐい雨が降った。滝のような音がしていた。だから、夕方のウォーキングは無理かもと思ったが、雨は止み、ウォーキングはできた。が、「光る君へ」が始まるまでに食事の準備をして、食べながら、吞みながら観ることにしているため、夕方のウォーキングは、いつもより早めにするのが常だが、昨日は、それができなかった。ので、万歩計は15300歩余となっていたが、これは仕方あるまい。
 日曜美術館のお題は「美を見つめ、美を届ける(1)奇想の系譜 辻惟雄」。MCの2人は出ない回で、なんと、最後には高階秀爾が出てきて、2人で対談があった。次回は、その高階秀爾が主役だそうだ。2人とも90歳を超えている。日本画と西洋画の学者2人を追いかえるという趣向だ。自分的には、西洋画ばかりを観てきたことを考えると、高階秀爾の方になじみがあるが、最近、日本画を観るようになり、辻惟雄という名に、よく出会うようになった。その著「奇想の系譜」とともにだ。だから、番組も、その著作に沿った作りになっており、著作内で辻さんが書いた文章が、紹介された作品に被せるというものになっていた。なんせ、若冲、蕭白を、世に出した人だからね。日本画に疎い黄紺でも、若冲人気って、急浮上したという記憶があるくらいだから、辻さんの功績は、肌感覚で理解することができる。つげ義春が、アカデミックに取り上げられていった記憶があるが、その仕掛け人も辻さんだった。これは、全く知らなかった。ということで、目をぎらつかせて観てしまいました。辻さんの経歴も、流れの中で挟まれていた。1932年、名古屋生まれ、医者の家で東大医学部に入ったのか、2年連続留年、22歳のとき美術史学科へ、37歳で「奇想の系譜」を出す、「停滞した江戸期という認識を変えた」小林忠に影響を受け、誰も注目してなかったときに若冲コレクションをしていたジョー・プライスに、若冲を知らされた。そこまで目が行ってなかったとは! 番組で取り上げられた作品を、メモっておく。①岩佐又兵衛/山中常盤物語絵巻(血みどろシーン連続、常盤の死を反復表現している、松の木で地獄を表している=松が苦しんでるかのようで葉の方向は一方方向で常盤の生命を暗示、秀吉に処刑された母親の死と重ねたのだろう)②岩佐又兵衛自画像③狩野山雪/狼狽図襖(自分の思うままに松を描く、それを、本流の狩野の者が描く、巨樹の痙攣、京都奇想派の先駆のよう、徳川と豊臣の相克のなか狩野を2つに分けるという戦略を採り狩野家を残そうとした、山雪は豊臣方についたためできた表現=本流じゃなくなったから)④伊藤若冲/紫陽花双鶏図/紅葉小禽図⑤伊藤若冲/動植綵絵(精神科医の分析、、、アクセントを置く場所を考えないで描いている、自閉ストラプテル、背景と主となる絵の差がない、細部への焦点化、反復への集中、アンリ・ルソーも同じ傾向)⑥アンリ・ルソー/蛇使い女(若冲と似たところがある)⑦曾我蕭白/群仙図屏風(西王母の顔は白痴的、漢王は人間離れしている、正気? 狂気? 狂人こそが聖人に近づくという考え方、佯(よう)狂にはまった描き方、「はじめての絵画」にこの絵が出て来る、赤、青、黄を使い描かれているから)⑧つげ義春/ねじ式(『ガロ』に1968年発表、5歳下、戦争体験が現れているのだろう)。
 午後の一時は、7月の韓国旅行の下調べ。今回は、チョンジュ(清州)空港インアウトなもので、ソンニサン(俗離山)方向にも行こうと思っている。ポウン(保恩)に宿をとることを考えている。ちっちゃな町だが、以前、行ったとき、ヨガンがあったのを覚えているので、大丈夫だろうと思っている。グーグルマップには、ターミナルの近くにモーテルが出てきているから、最低限、1軒はあるはずだが、ネイバーには出なかった。宿はグーグルマップは信用できると思ってるので、飛び込みでとるつもりだ。チョンジュで宿をとると、ポウンまでの移動が無駄になってしまう。テジョン(大田)でとっても同様だ。というのも、ポウン郊外のサンニョンサンソン(三年山城)のリベンジをしたいのが1点。前に行ったとき、ポウン郊外とだけの情報で、ポウン入りして、ターミナル近くの店で行き方を尋ねると、とっても親切に教えてもらえて(The韓国人という女性だった、情に深謝!)、あっさりと行けたが、凄い雨だったため、城には上がったが、あまりに足元が悪く、進むのを断念した。そのリベンジをしたいというのが、長年、思ってきたこと。それをやりたいのと、ここまで来ると、ホプチュサ(法住寺)が近いから、行かないわけにはいかない、できれば、寺の近くはトレッキングコースになっているので、ちょっとは歩きたいと思ってる。これは、前行ったときにやってないので、これも狙っている。但し、踵に不安があるので、ごく軽い散策に留めるつもりだが、少しは歩きたいと思うと、時間が要るのだ。そんなでポウン投宿を考えた。だから、様子は判ってるのだが、前にはなかった様々な情報が、ネット上に流れているので、それを拾ったというわけ。すると、複数の人が、サンニョンサンソンについて訪問記を書いていた。マニアがいるね。参考にさせてもらいますね。


2024年 6月 2日(日)午前 7時 43分

 最近、阪神線のお世話になることが増えてきている。今週は、2回も、お世話になってしまった。先日は、大雨のなか、岩屋まで行った。昨日は、いい天気のなか、西宮と芦屋をハシゴした。ともに美術館に行ったのだが、前者は展覧会、後者は講演会だった。既に行っている展覧会関連企画として行われた講演会。大体、講演会は、ここまで遠いと行かないのだが、丁度、近くの美術館の前売券が買ってあったので、その2つを組み合わせることにした。午前9時を目途に出かけた。それでも、西宮市大谷記念美術館に着くのは、ほとんど11時。あとのことを考えると、12時半を目途に、移動開始。芦屋市立美術博物館での講演会開始が午後2時だから、その間に、芦屋駅前のインド屋さんで食事をしなければならない。芦屋で食事となると、このインド屋さんに決めている。スムーズに移動できる場所にあるからだ。その分、土曜日だったので激混み。たまたま座れたが、少しでも前後しておれば、アウトだったかもしれない。平日のつもりで行くと、大慌てになってしまうかもしれません。覚えておかねばなりません。
 西宮市大谷記念美術館では、今、「没後60年 洋画家・辻愛造ー⾵景・⾵俗・挿絵ー」という展覧会が行われている。辻愛造という作家さん、知らなかった。晩年を、西宮市で過ごし、制作を行うだけではなく、県か市の展覧会の作品審査にも関わったらしい。とにかく、こうして、近隣の美術館で取り上げられる作家さんは、それだけ、誰かはいいと思ってるはずだから、いいところ探しに行き、見つけることができると、とってもラッキーだと思える。それを目指して行くことにしている。ここの美術館は、展示室が4つある。そこそこ広い。ま、個々の展示室は、パーテーションを使い、広さは、自在に調節できるだろうけれど、4つもあれば、そこそこ作品数がないと難しい。この作家さんでできるのか、普通だと、何らの工夫が要ると思って行くと、やっぱ、工夫がなされていた。辻愛造の作品は、2室を使った展示。1室は、ごく通常の絵画の展示、もう1室は、版画やガラス画、新聞小説の挿絵といったもので、ガタイは、個々で言うと小ぶりなものだが、数が多い。この部屋の作品は、どちらかと言うと、大阪なんかの風俗を記録してもらってるという楽しみ方をさせてもらった。第3室は、辻愛造縁の作家さんの作品が集めてあった。文献資料などで、その交流が確かな作家さんから、所属していた国画会の同人の作品が並んでいた、但し、交流の確認できる人とそうじゃない人がいるみたいだけど。そして、第4室は、コレクション展に充てられており、なんと、ジョルジュ・ルオーの連作「ユビュおやじの再生」とオディロン・ルドンの「ドルイド教の巫女」と連作「陪審員」を観ることができた。これは、望外の幸せというやつですね。第1室で観た作品からメモる。風景画ばかりを描いた作家。油彩だ。冒頭の幾つかを除き、総じて、明るい作品。陽ざしの当て方が上手いのでしょうね。近くから観ると、ごちゃついている感じがする場合でも、遠目からだと、輪郭がしっかりしてくる。山村、漁村と、都市の風景はない。わりかし、視点は近場にある作品が多かったような気がする。24点あったが、ほぼ時系列的に展示されていたが、後半になり(家島風景、山村の風景、志摩片田など)、あることに気が付いた。作品のどこかに、薄めのクリーム色を使うところがあるのだ。田んぼに、但し、田んぼ全面に使われると、興趣が落ちる、一部にがいい。大きな石の一部、屋根の一部、壁の一部、そういったところに、薄っすらと入っている。それらが、明るさを引き立たせていることに気が付いた。そこに、強く光を感じたのかな。単なるテクニックなのか、判らないが、このことが強く印象に残り、作品を引き立たせていた。そういったなか、描かれている対象物が大きく、それまでの作品とテイストの異なる作品が目立った。「日向湖畔」の、線が歪んだ家屋2軒に目が行った。存在感があるのだ。こんなに存在を主張する作品、他になかったなと思い、左を向くと「塩津」があった。こちらは、干し網が、前面に大きく描かれ、その背後に家屋が描かれている。こちらも、その干し網が存在を主張していた。時系列的に言うと、最晩年の作品になってた。そのあとを観たくなったな。いや、前を、もう一度、確認したくなった。クリーム色に目が行ったところから、この最後は、やっぱ、飛躍があった。が、クリーム色が出て来るまでは繋がっている。初期の明るさの欠けるところから、明るい陽ざしが出て来るところまでの間には飛躍を感じた。進化してるんだ、だから、そのあとも観たくなったんですね。第2室で描かれた風景で、風俗的に気になった所をメモる。弁天座(後に朝日座へ)、旧の松島、飛田の大門、甲子園の菊人形(昭和天皇大典記念博覧会場、後に阪神パークへ)、西宮沖の砲台。この部屋の冒頭にあった「円山夜桜図」の精緻さは、他に観ることのできないものだった。この人の代表作と出ていた。星野画廊所蔵となっていた。第3室で出てきた主な作品をメモる。赤松麟作は、辻愛造の師に当たる人。この人の「土佐堀川」が群を抜いたものに観えた。ゆったりとした川の流れ、大きさを感じさせる。その流れに沿うかのように陽の光が当たってる。同じく「薔薇」もいい。個々の花のたっぷり感に惹かれる。こちらも、星野画廊所蔵だった。さすがに、いいもの持っている。鍋井克之は、鈴木松年門下の松村長年門下、信濃橋の同人、鈴木信太郎は黒田清輝門下、国画会関係として、梅原龍三郎、渡辺一郎、亀井貞夫が出ていた。藤井二郎の「万灯ろう」が異彩を放つ。マチエールも楽しみながら、洋風な感じの灯篭が描かれていた。小松益喜は、異人館を描き続けた人、そして、辻愛造の肖像画を残してくれた。伊藤慶之助と大石輝一は岡田三郎助門下、松井正は信濃橋の同人、亀高文子は満谷国史郎門下、「ダリヤ」という作品が目に付く。線に勢いがあるので、花自体にリアリティが出ている。河野通紀は、信濃橋が改組した中之島の同人。津高和一の「座る男」が異彩を放つ。大部な作品で、一見は抽象画だが、間をおいて、膝から下の脚に気が付く。「ん、ん、ん、、」と言った感じで、ようやく、大きく前かがみになった男らしい人の存在に気付いた。遊んでるのかなぁ、それとも、何か、メッセージ性があるのか、さっぱり見当がつかなかったが、楽しませてもらった。今竹七郎はポスター作品、百貨店の広告、松竹歌劇団の公演用のポスターだった。最後に、ルオーとルドンを観て、おしまい。変化に富んでいて、1時間半がアッという間だった。
 芦屋の公演会は、まなびはく・講座「『具体』研究と1980年代」というもの。「具体美術協会/芦屋」という、既に行っている展覧会の関連企画として行われたもの。気になる「具体美術協会」を正面から取り上げる講演会ということで、そそられてしまったのだった。講演をされたのは、尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)、平井章一(関西大学文学部教授)のお二人。このお二人が、具体美術協会研究の先鞭をつけられた方。しかも、同い年で、大学創業後、兵庫県立近代美術館(現兵庫県立美術館)では、ともにキュレーターとして、同じ時期に勤務されていた間柄。それだけではなく、この二人のキャリアは凄いわ。館長になり、大学勤務という現職も納得のキャリアです。前半が、個々のお話。後半が、司会の質問に答えながら、お二人のトークっぽいプログラムでした。会場には、恐らく「具体」の関係者、研究者らが、かなり詰めかけたようで、満杯の盛況。講演会の前後では、会場のあちこちで、交流がなされていて、ちょっと居心地が悪かったが、貴重なお話を聴けて、大満足。ただ、会場が、そないな雰囲気だから、素人には、かなりハードルが高かった。少しでも、「具体」の作品を観てなかったら、いや観ていても、少しくらいなら、さっぱり解らなかったんじゃないかな。メモを取ったが、内容がそんなものだから、ここにメモるのが、かなり難しいが、頑張りましょう。「山村コレクションという存在が肝要、実業家山村德太郎の前衛芸術のコレクション、尾崎さんは、このコレクションの資料整理なんかで、学生時代から、これに関わった方。山村德太郎の突然の他界で、呆然としたと言われていたが、それが兵庫県立美術館に寄贈されたことが大きいと言われていた、先日行った同館での白髪一雄展も、この山村コレクションだった! 凄い!」「‶具体‶の研究は、解散後、残された図録1冊しかなかった、お二人とも、研究の出発点はそれだけだったので、山村コレクションの大きさが判ろうというもの」「散逸を逃れたおかげで、収蔵品が、その後、日本の美術館のみならず、ヨーロッパの各地で展示することができた」「‶具体‶の作品は、安価で、どこでも、いつでも手に入るものを使って製作されている、だから、再現が可能、実際、屋外作品の再現なども行っている」「‶具体‶が出て来る背景、近代主義の閉塞、自律性、革新性を求める中で登場、特に前者に関して、写真の登場で、それではできないものとして、自律性が言われた、概念、イメージ、そういったものを表現しようとの試みが生まれていく、ジュリアン・シュナーベルやジャン=ミシェル・バスキアも、こういったコンテキストで出て来る」「近代の終焉などという言い方がされる中で、ポスト・モダンなんかが出て来るが、日本の近代化が対象化されていく、短期間で経済大国となった日本に対する関心、一方で、日本美術のアイデンティティが問われる」「吉原治良は、戦前戦後を繋ぐ、一貫した抽象を追う、グローバリズムの戦略を持っていた人」「海外の評価が日本の評価になる傾向、‶具体‶もそうだった、ミシェル・タピエに評価され、ポンピドー・センターでの展覧会経由で日本での評価が高まる」「アメリカでの評価が遅れた理由、背後に、パリとニューヨークのトップ争いがある、アンフォルメルが世界を制覇するためには、世界性、普遍性を作り出したかった、そこに‶具体‶があった、‶具体‶にとっても、世界に出る好機だった、パリ発の世界運動に組み込まれた、それを良しとしないアメリカという構図」「2013年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館での回顧展がアメリカでの評価にとっては大きかった、芦屋で‶具体‶を知った人たちがキュレートに関わったそうだ」、、、その他、尾崎さんは、自らがキュレートをされた展覧会で、‶具体‶を取り込んだ企画展を行われているので、その主旨を話されたり、ヨーロッパでの展覧会でのエピソードなど、また、お二人は、その海外での評価として、先行的に初期の作品にシフトして紹介されたことに不満、絵画作品が後回しになったことの不満を語られていたが、ようやく、それが追いつきつつあると言われていた。芦屋では、年1回は、‶具体‶絡みの企画をするようにとの指示がキュレーターさんの方に降りてきているそうだ。そこまでの人気なの? 黄紺も知るようになるはずです。尾崎さんは、鳥取県美の開館に奔走されているそうだ。開館の企画は、当然のように、‶具体‶が絡むもののようだった。7月には、尼崎で白髪一雄特別展があるのに合わせたシンポジウムで、平井さんが、当然、登場されるそうなんで、行けたら行きたいなと、‶具体‶の追っ掛け化しつつあります。


2024年 5月 31日(金)午後 7時 53分

 今日は、また、雨が降った。もう、梅雨なのかもしれない。雨が降ると、気温が低めだ。今日などは、お出かけなしだったものだから、そして、朝方は雨は降ってなかったので、洗濯日にした。さすがに、ここまで洗濯を控えていた薄手のジャンパーも洗濯をした。が、乾かない。嘘だろと思ったけど、多くの洗濯物はダメだった。ウォーキングは、夕方のウォーキングが、雨に遭ってしまった。途中からだったけどね。その前から降ってたんだけど、ウォーキングに出かけようかという時は、雨が止んでたのに、最後まではもたなかったな。ウォーキング途中に寄る公園では、雑草の伸びが凄まじい。この数日で、公園内のベンチが座れないなんてところが出だしている。そないな天気だったが、ウォーキングは、通常通り、できた。万歩計は17000歩弱を示していたから、これも、通常通りだ。
 午後の一時は、Youtubeのお世話になった。贔屓の韓国系Youtuberの動画を観たり、旅をしながらの酒飲み動画を観たりしていると、毎度の寝落ち。気を取り直して「Oper Vision」にアクセス。丁度、オペラを1本観終わったところだったので、新しいものは決めてあったこともあり、アクセスしようとして、その控えのメモを見て、愕然。公開期限が終わってた。あれれ、期限が近づいていることは知ってたが、ここまで迫ってるとは、完全にミス。そこで、気を取り直して、ボローニャ歌劇場の「アンドレア・シェニエ」(ピエール・フランチェスコ・マエストリーニ演出)をピックアップ。コロナ禍で、ボローニャ歌劇場の動画配信には、随分と、お世話になった。そんな思い出がある。配信されていたものがそうだったのかもしれないが、ここの歌劇場のプロダクションは、比較的オーソドックスとインプットされている。やっぱ、イタリアを代表する歌劇場だけあり、有名歌手も、顔を出してくれる。この「アンドレア・シェニエ」も、タイトルロールをグレゴリー・クンデが歌っている。主役3人のあとの2人(ジェラード/ロベルト・フロンターリ、マッダレーナ/エリカ・グリマルディ)は、名前は知らなかったが、とってもしっかりしている。さすが、ボローニャだけのことはある。演出は、例にもれず、オーソドックス。敷舞台に小道具類を乗せ、あとは、背景はスクリーンになっており、1幕では貴族の邸宅、2幕ではパリ市街が映されているというもの。生で観ていると、安っぽいと感じるかもしれないかなとは思うが、Youtubeの画面を観ている限りでは、何ら問題はないどころか、絵になっていた。道具類に手をかけない替りに、衣装は、時代考証に沿っているのでしょう、ブルボン王朝下の貴族の風俗を感じさせるものになっていた。断定していいか、その当時の服装を正確に把握しているわけではないが、自信はないが、女性の頭の盛り方は、あの時代のものなんだろうなと思ってる。展開も、別段、メモるほどのものはないが、各幕(2幕までだが)の幕切れだけが、新鮮。何かしら、ポイントがあるのが「Oper Vision」の配信の常だが、それかもしれないと思った。それほど、あとはオーソドックスだったから。1幕の幕切れは、市民のなだれ込みがあったにも拘わらず、呑気な貴族はガボットを踊り出すのだが、そこで、実際のダンス場面を作らず、舞台には、マッダレーナの母親一人を佇ませ、背後の邸宅を表す画像に火が入る、もちろん画面上だが、だから、ここだけ映像になったみたいだった。2幕は、ジェラードが、アンドレア・シェニエに追っ手をかけないように指示したあとの場面だ。机の上に寝かされたジェラードに群がったサンキュロットが、全員、左に向け手を上げる。その先に、一人の女性がいるという形でのストップ・モーションで照明が落ちた。一瞬、左の女性が天使に観えたので、その場面を戻して、スクショで撮り、拡大してみたが、天使ではないな、いや、何だか判らない人影だった。なんか、判らないって気持ちが悪いが、判らないからどうしようもない。今日は、ここまでだった。続きは、明日は無理だから、明後日かな。


2024年 5月 30日(木)午後 8時 30分

 今日は、久しぶりに浪曲を聴きに行った日。おかげで、この3連続のお出かけは、彩が着いた。午後のお出かけだったので、昼前のウォーキングは、少し早めに出発。午後のお出かけの往復で歩くことを考え、若干控えめに歩いて、正解。帰宅後、万歩計は18300歩余となっていた。午前中、ちょっと歩きすぎたかもしれない。午後の浪曲は、文化パルク城陽プラネタリウムでの会、お馴染みのもので、京山幸乃の会だ。曲師は、言うまでもなく一風亭初月。2ヶ月に1回、こちらで続いている会だが、何かの都合で、1回、抜かすと、途端に、そのあとのチェックを怠ってしまう。ずるずると忘れてしまうということは、何かにつけ、起こしている気がする。今回は、喬介の会に、最近、行けてないぞと、ふと思い出したのがきっかけで、浪曲の方も抜かしてることを思い出した。その番組は、いつものように、浪曲は2席、内1席はネタ下し。2席の間に、プラネタリウムで季節の星座なんかを解説してもらえるのも、お楽しみの1つ。アナウンスが女性だったが、これは初めてだったが、上を観て座ると、危険な椅子です。いい気持ちになり、寝落ち。その前の浪曲の後半からあやしくなってたから、それを引きずっちゃいました。ネタは「若き日の度々平」「忠治と火の車お萬」。前者は、「寛永三馬術」からだが、聴いたことのないパートだった。主人は間垣ではなかったような、要するに、名前を聴き取れなかった。また、講談や、奈々福さんの口演で聴く間垣や度々平のキャラでもなかった。度々平が、律儀で忠に篤い下郎というキャラで、主が馬術指南のところへ、比べ馬を吹っ掛けられ、危うくなったところに救いの手を出すという流れで、えらくイメージが違う。師匠の幸枝若の口演で、度々平の出て来るネタの動画が、Youtubeにアップされているので聴いてみたが、奈々福さんのと同じキャラだったから、今日の口演は、どのように聴いたらいいんだろうか、、、。困っています。後者は、以前、この城陽の会で聴いている。国定忠治が、新たに売り出してきた女侠客の度胸を試そうと、敢えて賭場荒らしを仕掛けるというもの。いよいよ、両者の対決になったところで、お約束の切り上げとなった。序盤は、お萬の存在を忠治が知ることになる、所謂、仕込みの場面なんだが、ここが、なかなかおもしろいチャリ場になっている。正に、幸枝若節が炸裂するネタ。かなり場数を踏んだなという出来栄え、迫力抜群でした。今日は、おまけが付いた。21回目ということで、20回目でやり足りなかったようだ。「アナと雪の女王」の替え歌で、自らの半生を語るというものだった。浪曲親友協会の花見で披露したネタだそうだが、これも含めて、5年目となると、こういった宴会用の仕込みもでき~の、マクラなんかのお喋りも、格段に上手になっている。その内、止まらなくなってしまうかも。今日は、楽屋に、師匠の幸枝若も詰めていたそうだ。だから、いつもは、自分で打っていた拍子木を打ってもらえる人がいたことになった。でも、わざわざ、城陽まで、幸枝若は、何をしに来たんだろうね、気になってしまいました。


2024年 5月 30日(木)午前 5時 53分

 昨日は、一転して、晴れ渡った一日。朝方は、まだ、靴が乾ききっていなかった。ホント、凄い雨だった。だから、朝方は、靴を替えてのウォーキング。午後からのお出かけを考え、ミニでのウォーキング。いつも、お酒を買いに行くマートまでの往復が、手ごろな距離だった。夕方のウォーキングは、そのお出かけに伴うもの。万歩計は、14200歩余だから、物足りないものだけど、仕方ないね、時間の制約があると。お出かけは、美術館「えき」KYOTOと花園大学での市民向け公開講演会のハシゴ。後者に行くつもり、これが、夕方の開催なものだから、行きがけに寄って行けるので、美術館を加えたということ。京都駅からJRで円町駅で降りれば、花園大学は行けるのでそうしたが、インバウンドで、山陰線は、もうえらいことになっている。完全に市民生活がマヒしてる。えらい迷惑です。
 美術館「えき」KYOTOでは、つい先日から、「生誕150周年記念 菱田春草と画壇の挑戦者たち―大観、観山、その後の日本画へ」という展覧会が始まった。長野の水野美術館の所蔵品での展覧会。展示は、菱田春草と盟友横山大観が、岡倉天心や橋本雅邦の指導を受け、日本画の新たな試みに挑んでいく、そして、それを成し遂げる、所謂、「朦朧体」というやつですね(‶朦朧‶というタームは、今と違い、かなり酷い、軽蔑の意味合いが入ってるそうだ、守旧派がそう言ったことに始まるよう)、それが生まれるという、黄紺も、その流れが解ってきているので、興味津々。当然、下村観山の作品も入る。だけではなく、殆んど作品を観たことがないんじゃないかなぁ、西郷弧月のものも来ていた。ところが、洋行をしてきてから、先祖返りのように、伝統的な琳派の手法で描いたりするようになるんだね。当時としては、斬新だったろうと思われる筆遣いが、かなり進む。来ていた作品では、横山大観の「波高し」なんか、「ターナーか!」と言いたくなるような作品。菱田春草の「夕の森」、西郷弧月の「月下飛鷺」も、それに近い。木立が霞む前者、黒の色分けが見事なのが後者、凄い! これらの作品があるコーナーが「空気・光の挑戦」となっていた。空気を描く、光を描く、印象派の展覧会じゃねぇぞと突っ込みたくなるコピーーまで使われてたけど、「ターナーか!」という言葉が出てくるくらいだから、的を得ている言い方だ。ここが、この展覧会のハイライトだな。ところが洋行して、向こうの作品群を観て、変わったのかなぁ。いや、日本画のイデアのようなものを再認識したのかなぁ。そういった、空気・光を表そうかという気構えが消えていく。そこで、菱田春草は亡くなってしまうんだよね。享年36歳です。盟友は生きるので、色々な試みを、その後、やれたんだろうけれど、菱田春草は、そうは行かなかった。西郷弧月は亡くなりはしないけど、橋本雅邦の娘と結婚しながら、1年で離婚、その後、このグループから離れていく。ましてや、岡倉天心の東京美術学校からの離反に伴い、この連中も、同校を離れている、更に、ここからも、西郷は疎遠になっていき、筆を折ったようですね。なんか、この2人、悲運な人生歩んでいます。だから、この展覧会って、お題に上がった菱田春草の短い人生を追いかけたような気がしてしまい、そういった意味で、とってもいいものを観たという印象を持った。大枠は、そんな展覧会だったのだけど、やっぱ、個々の作品に対するメモを残しておきたいと思う。いいもの、たくさん、あったからね。冒頭は、橋本雅邦から出発、「江山捕魚図」だったが、この気品、どこから来るのでしょうか、安定感抜群の水墨画だった。ここから始まるコーナーの名は「線への挑戦」、なるほど。ここに、横山大観の出世作と言われる「無我」があった。子どもの像だ。同じ横山大観の「牧童」も、子どもが描かれている。小さな子どもが、大きな牛を引っ張るという構図だが、子どもの一所懸命さに愛でて、牛が歩いてやるぞの意志を見せてるみたい。菱田春草では「月下狐」が、抜群の作品。狐の背後に茂る草だが、淵を描く線が残っているが、奥に行くにつけ、線が細くなっていく。それで、微妙な遠近感を表していたようだ。「秋草に鶏」は、前景の鶏はともかくも、後景の秋草にも似た表現。そのあとから、「空気・光の挑戦」のコーナーが始まっていた。「金銀体」というのも新しいらしい。金粉、銀粉を撒き、微妙な変化を出そうという試み。黄紺の目には、残念ながら、判らなかったけど。菱田春草が続くなか、「蓬莱山図」で使われていると解説されていた。「双美摘草」は、朧月が朦朧体、「富士に龍」は、圧巻の1つだったが、雲竜図なのだが、富士を前にたなびく黒雲から龍が現れている、神秘性を感じさせる。更に、圧巻がもう1つ。「雪中山水」、雄大な雪の深山に、小さく、人が一人、この構図、痺れんだなぁ。温もりが1点だけ、自然の雄大さを引き立たせます。雪に煙った崖に朦朧体、見せます。「色彩・古典への挑戦」というコーナーが、先祖返りのコーナー。菱田春草もので上げると、「竹に猫」「秋草」と、題からして伝統的な日本画、素材も、当然、そうなっている。「芦に白鷺・柳に白鷗」なんかは、六曲一双の屏風絵で、しかも、金地に彩色した作品。「桐に小禽」に描かれている葉っぱなど、若冲で観た葉っぱを思い出した。「垂らし込み」なんて手法が、幾つもの作品で使われている。下村観山の「獅子図屏風」という大部な作品など、中ほどのコーナーって何だったのと言うものだった。このコーナーに多かったのが、菱田春草が、横山大観や木村武山とのコラボ作品。なぜ、こういった作品を、幾つも描いたんだろう? 菱田春草の作品が売れ出した時期だったことは、解説されていたが、コラボのわけは書いてなかった。「岸図秋風之図」が、亡くなる直前の作品だそうだが、テイストは、ここまでの流れに乗るものだった。
 花園大学の市民向け公開講演会は、「まなび庵」と題して、毎年、何本ものメニューを用意してくれているので、愛用させてもらっている。今年も、お題を見て、気になるものに出かけようと思っているが、昨日が、その第1回目だった。「一休像で読む禅文化史~その文芸と美術~」というお題で、同大学国際禅学研究所副所長の飯島孝良さんのお話を聴くことができた。黄紺的関心は、禅について、何らの知識を得られること、それを、美術でというのが、更にそそられたのだが、かなり難解だった。漢文のテキストの解説は、甚だ、なじみがないのが痛い。漢語が次から次へと出て来る、これはまいった。自分の知らない世界だから行こうとして、そのハードルの高さにたじろいだというのが、正直な感想だ。お題の通り、絵画を基に、お話が進んだ。取り上げられたのが、「頂相(ちんそう)」という絵画。これ、気になってたんだよね。というのも、今、相国寺承天閣美術館で、この頂相ばかりを集めた展覧会が行われているので、頂相というタームを知った。正確に言えば、その前の企画展に行き、次回の展覧会で、これが出るということで知ったのだったが、同時に、頂相そのものが、単なる、高僧の肖像を伝えるだけではなく、信仰にとって、大きな役割を果たしてきたと解説されているのを、そのとき読んでから気になってたこと。正に、そのわけを教えてもらえたのが、この講演だったのだが、内容について行けなかったというのが、ホントのところ。とりあえずは、取り上げられた頂相図をメモっておく。「墨渓筆・一休宗純賛/達磨像(京都・真珠庵蔵)」「伝蛇足筆・一休宗純賛/臨済義玄像(京都・真珠庵蔵)」「瞎堂慧遠賛/臨済義玄像(酬恩庵一休寺蔵)」「墨斎(没倫紹等)筆・一休宗純賛/一休像(東京国立博物館所蔵)」。まず、知ったのは、大事なのは肖像画ではなく、書かれている賛。だから、これを解読するというのが、講演の趣旨。驚いたのは、右から読むか、左から読むかの目安。「そっからなの?」と驚いた。描かれている僧の顔の向き、要するに、顔の向いている方が頭だというわけだ。より確実な目安は、落款のある方が終わりだということ。解読するときの基礎知識。禅の開祖達磨から「法系(要するに宗派のトップ)」の系図。それを知らないと、解読に障りがあるのは、その後の解説で納得だった。引用したり、批判したり、前提となったりするからだ。その系図で知ったこと、、、要するに、その知識もなかったのだ! 一休は臨済宗大徳寺派だから、その法系を追われていた。虚堂までが中国僧、大応以後が日本僧。大燈が妙心寺開祖、一休は言外の次で、華叟(大徳寺派正統)と兄弟弟子で、大徳寺派正統ではない。だそうだ。「臨済」って、中国僧の名前だった。法系の中に出てきていた。知らなかった! もう、これだけ知っただけでも、満足しちゃったな。少しだけ、禅について知ったこと、、、賛に教えの核心が込められている、雪中の白梅は目で観て判らない(白に白だから)、どうして梅の存在に気付くか、それは匂いだ、心で捉えよとの譬え、即ち、「即心是化」と言われたかな、それが、禅の核心だそうだ。文字や言葉で捉えることも罵倒した賛も紹介されていた、心で捉えよと同じ言い方だ。で、何を捉えるんだろう? そういった話ではなかったのかもしれない。ネットで調べても、修行を重んじる、要するに座禅のことだろうが、それで、何を求める、何を観想ずるのか、謎になってしまった。


2024年 5月 29日(水)午前 7時 34分

 昨日は、かなりえぐい雨が降った。気温も下がり、夜半には、電気ストーブをつけたくらい冷えた。このアップダウンが、たまらんね。それにしても、酷い雨だった。昨日は、午前9時過ぎに家を出て、三宮近くの岩屋まで行った。片道2時間では行けないところ。兵庫県立美術館に行ったんだけど、京阪で淀屋橋まで出て、阪神梅田駅まで歩いたけど、この間がえぐかった。その上を行ったのが、帰り。美術館を出て、駅まで行ったときが最悪だった。しかも、不案内なところなもんで、気が付くとJRまで行ってしまってた。このときが、一番、酷かったんじゃなかったかな。大雨警報、出てたしね。淀屋橋駅上がったとき、他の日に回せば良かったと思っても、大阪まで来たら、行かなしゃーない。展覧会の会期は、まだまだ先まであるのに、その気になると、融通が利かなくなるんだね。反省です。第一、以前、兵庫県立美術館に、1回行ったことがあるが、そのとき、あまりに遠いので、2回目はないと腹に決めたことを、しっかり覚えているのに行ったのは、展覧会で、どうしてもと思ったものがあったからだった。「キース・へリング展 アートをストリートへ」が、関西で巡回するのがここだけだったのです。電子チケットを買ってから気付いたんだけど、わりかし多くの都市を巡回するそうなので、どこか、地方都市で観ても良かった、それを目指して、地方美術館巡りのコースが組めたかもしれないと思ったけど、後の祭りだった。岩屋に着くと、まずは昼食。ググると、美術館の脇に、JICA関西があり、そこの食堂で、おもしろいものを食べさせるというので行った。月替わりで、各国料理を出すというのだ。今月はエジプト料理、メニューを見て、即決。コシャリにコフタと出てたら、即決だわね。実際、食べてみると、コフタは、まあ、いいけど、コシャリは、カイロで食べたものとは違い、米ばっかで、申し訳程度に、ちびこいパスタが入ってた。米はジャポニカ米だしと、これは、「×」だった。酢を強く使った味だったのが、その欠片も感じなかったな。コフタは、カイロでは食べてないけど、ドルマを食べたんだけど、えらく塩辛かった記憶。かなり、強烈な記憶があるが、ここのコフタにヨーグルト・ソース(ウエブには‶白ごまのソース添え‶と出てる!)がかかってたが、それが塩辛かったので、こちらは「〇」でいいかと思ってる。クルカ―スという里芋と青菜のスープも付いていたが、これは判定不能。全くの初遭遇だった。6月はマダガスカル料理だそうだ。なんか、これにつられて、行きにくい兵庫県立美術館に、これから通うかもしれません。
 「キース・へリング展」は、「やっぱ、観とかなきゃ」の気が先行しますね。冒頭が、ブームとなった地下鉄アート(サブウェイ・ドローイング)の現物が展示されていた。額装してあったが、元は、地下鉄構内の黒い紙の上に描いたもの。有名になり、剝がされていったそうなんで、そういったものが、コレクションとして残ったのでしょうか。太い線、単純化した形、感情や動きをサポートするような線の描きこみ、大衆化した資本主義批判的な内容、そんなことが共通してるかな。本人は、早くから、ゲイであることをカミングアウトと言っても、今よりか、かなり息苦しいなかでのカミングアウトだったろうから、性根が座ってるところ、性に関し、明確な感情を露わに出すこと、そんなところが通底しているように思えた。幾つか、定型となるプロットを持っている。そこへ、太い枠の線なら、この人という情報が加わると、誰かと断らないでも、誰だか判る。村上隆も奈良美智もそうだけど、2つとはないキャラクターを、でなくとも、作家を特定できるようなキャラ、テイストを作った者勝ちという印象は持ってしまったな。判で押したかのようなプロットが繰り返し出て来る。そして、この人、時代に敏感だし、呼応するような作品が湧いて出て来るのでしょうね。当然、社会問題をおおらかに、アートを通して、ストリートに伝える。ソカク・インサンラルに共感を喚起する、解りやすい描き方。自身も、それで亡くなるエイズ、アパルトヘイト、核などを取り上げたもの、図書館の広報に関わり、文字文化の肝要さを伝えるなんてものもあった。妊婦がダンスをしている連作なんか、母親賛歌的だったし、その妊婦の作品でも出て来る赤子のモチーフ、「ラディアント・ベイビー」と言うそうだが、それが、しばしば出て来る。正に、純粋無垢なところから、社会の泥をかぶっていく人間社会を風刺する象徴なんでしょうね。ポップアート界の巨匠アンディ・ウォーホールとミッキーマウスを合体させた「アンディ・マウス」も来ていた。舞台美術にも関わっていたようで、巨大舞台装置も来ていた。お馴染みの迷路のような線、それには、必ず、人型が組み込まれている。ドッグ型をしたキャンパス。逆三角のキャンパスといった特異なものに描きこまれた迷路にも、人型が書き込まれている。中には、キュビズム的作品、プリミティブ・アート的な作品も紛れ込んでいた。日本でもワークショップをやったようで、そのときの記録映像も流れてたり、地下鉄アートを描いているときの様子を撮った写真(日本人写真家が密着取材したそうだ)もあった。子どものイマジネーションを育む素材も作っていた。キャンパスに、適当に描いた〇や線、それに、色々と書き足していき、1つと絵に仕上げていったものが連作として、文字なしの絵だけの絵本になっているそうだ。物語を作るのは子どもだというメッセージのようだ。こういった、社会へのメッセージ性豊かな作品や、実際の活動記録なんかを観ると、32歳での死は、あまりにも勿体ないな。
 同時開催のコレクション展も観た。実は、これも楽しみにして行ったのだった。だって、その中に、「白髪一雄生誕百年特別展示-コレクションからザ・ベリー・ベスト・オブ・白髪一雄-」なんてのがあったからだ。これで、今年に入り、芦屋、尼崎、豊田、岡崎、京都工繊大に次いで、6館目となる白髪作品。この後も、尼崎で特別展が控えているから、凄い人気だ。さすが、こちらの美術館、地元だけあって、所蔵する作品も多い。全部で19点、出ていた。おかげで、ここまで思い描いていた白髪作品の確認ができた。やっぱ、1950年代の初期の作品には白い余白はなかった。フット・ペインティングと、はっきりと判る作品に入ってくると、作品自体の図体が大きくなり、余白が出て来る。自分的には、その余白が、ある程度ある方が好きなんだが、その中で、おもしろい作品が2点。「天罪星短命二郎」は、大きな黒い塊2つがせめぎ合っているようで、牛に観えてしまい、激しい息遣いまで聴こえてきそうだった。「天暗星青面獣」は、左前から観ると、前後に空間的拡がりが出た。3Dを観ているようで、、、。この3D的な作品が、もう1つ。1980年代の「巴蜀」という作品で、展示されたものの一のお気に入りになった。細かく散った絵具が星の爆発のようで、その上を勢いのある線が駆ける。3D度が凄かった。余白なしの円を描く、仏教に惹かれて行った時代に重なるんじゃないかと思ってるのだけど、これが3点あった。60年代から70年代にかけてですね、これらは。その時期を過ぎると、テイスト模索するかのように、「巴蜀」のような作品が出てきたり、「泥にいどむ」といった色合い、絵具の異なった感触を楽しむような多彩さが出て来るようです。一応、思い描いていた通りの流れだった。次いで、「1950年代から60年代にかけて-今井俊満、堂本尚郎、菅井汲、岡田謙三」というコーナーに繋がった。多くは菅井汲作品だったが、自分的には関心が向かずというか、解らず、数の少ない今井俊満と堂本尚郎の作品に目が行った。2人の作品は、よく似たテイストで、マチエールを楽しむ、おもしろい作品だったな。堂本尚郎はともかくも、今井俊満は知らなかったので、覚えておきます。この企画は、終了した特別展「スーラージュと森田子龍」関連のものだったそうだ。同様の趣旨なのが「書と文字の作家たち―ヘイター、タピエス、アレシンスキーの版画」のコーナー。特別展が書に関わるものだったということで、墨を取り入れた作品群だったようだが、流してしまいました。書に関心が向かないのと、腰の不安があったので。あとに気になる展示があったので、スルー気味になったコーナーがもう1つ、「近現代の彫刻―戦後作品を中心に」。でも、足が止まってしまった。いきなり、アルベルト・ジャコメッティがあったからだ。だって、この人の作品、目にすると、いっぺんに判るからね。なんで、細い人を作るのか、どうしても不思議になるから、足が止まっちゃう。ナウム・ガポも、大きく、面で構成された顔の作品、題して「構成された頭部No.2」。わけわからんけど、ユニーク、おもろいと立ち止まる。朝倉という名に、足が止まる。朝倉文夫の娘になる朝倉響子の「女」の可愛い表情、ふっくらとした若さ、記憶に残る。名前でばかり足を止める悪い癖、今度は白髪富士子、絵画作品ではなく、シーソー状だったが、板に切り込み、それもぐしゃぐしゃに曲がってる。どうして、この切り込みを入れたのかが気になってしまった。シーガル・ジョージの「ラッシュアワー」は、そのまんま、群像を表しています。2階に上がる。「小磯良平記念室」では「小磯良平-小松益喜、伊藤継郎とともに」という展示。小磯作品21点と、小松、伊藤作品が1点ずつ。女性の肖像を描いた作品3点が、際立つように見えた。なかでも、「T嬢の像」が抜群の作品。とても写実的で、白の使い方が上手いのか、そこに座る女性の体温まで感じさせる。うっすらと周りの空気まで温もりを出している。「洋裁する女たち」は、大写しになった女性2人が机の前で作業、だが、その女性と机の間の空間がいい。何でだろう、その空間が描き込まれているから、リアルなんだなぁ。「肖像」という名の女性像は、これも、白をうまく使って服の襞が、頗るリアル。もう1点上げると「静物」、視点が複数ある。穏やかな空気がある。静物画で、周囲の空気を感じたの、初めてだった。「金山平三記念室」では、「金山平三-新出作品《祭り》の頃」という展示。金山平三展が、この美術館であったとき、行こうかと思ったけど、遠いから止めたんだよね。でも、ここで取り返してくれた。風景画の大家のようだ。遠目で観て、ちょっと関心が出そうかなと思った程度に終わったが、コーナーのお題になっている「祭り」という作品だけは別格だった。横長なのがいいのかな、ブルターニュだったっけ、そこへ集う村人のわちゃわちゃ感が出てる。この作品が、特別展を開いたときに発見された作品だそうで、その周囲を検証する資料も展示されていた。作品のタッチなど、作品そのものだけではなく、文献記録とも照合するみたい。「描いた」という記録探しで傍証していくという作業です。キュレーターという仕事って、ますます関心が高まります。「近代日本名作選」などというコーナーもあり、大家の作品が並んだ。佐伯祐三が2点、「タラスコンの遺跡」「広告塔」。前者は、ローマ遺跡? 絵具の勢いが凄い! 後者は、お馴染みのパリの風景だろうが、夜のネオンかな、うまいなぁ、めっちゃ、気に入った。次いでのお気に入りは、須田国太郎の「工場地帯」。中野美術館で観た、前を牛が通る風景画のテイストだ。大きさは、こちらの方が大きい。遠景に明るい山、中ほどから前が、雲の影にでも入ったかのような暗さの中の風景、この場合は工場が描かれている。この対比が見せるのかなぁ。前の牛と被るからか、気になる作品だった。細かな描写が気に入ったのか、岡田三郎助の「萩」に〇印を付けているが、書いている時点で思い出せない。小出楢重の「芸術家家族」は、ちょっと家父長制の匂いがしたな。「卓上之菰菜」は静物画、こちらも視点が複数。前田寛治という名は知らなかったが、「ベッドの裸婦」という油彩画が目立つ。生々しいのだ。調べてみると、聴いたことのある淡谷のり子がモデルをしたことがあるエピソード、前田寛治も描いているそうだ。そんな繋がりがあるんだ! 夭逝の作家さんだそうです。この絵のモデルが淡谷のり子かな? 「ゲルニカ」の模倣だろうという山本敬輔「ヒロシマ」もあり、安井曽太郎、吉原治郎もありで、大家が並び過ぎだったんだけど、その極めつけが、洋画家の大家が描いた日本画、掛軸作品。びっくらぽんだった。岸田劉生、吉田博、小出楢重、野口謙蔵と言った名が並んでいました。とにかく、大変な数。3時間は、美術館内にいた。完全に腰が悲鳴。でも、電車では、すぐに座れなかった。神戸方面からだと甲子園で降りる人が多いんですね。初めて知ったな。


2024年 5月 27日(月)午後 8時 24分

 夜半から雨、午後まで降っていた。天気予報だと、明日も雨だというので、ちょっと鬱陶しくなってきた。梅雨間近です。そんな月曜日、お出かけなしだったが、また、明日から3連続のお出かけ予定を入れているので、今日の内に洗濯をしておかねばと、雨が降っているにも拘わらず、洗濯をした。屋根付きの物干し場があるので、雨でも洗濯は可。でも、夕方になっても乾いていなかった。気温が、これだけ上がっても、湿度が高かったようだ。雨でも、ウォーキングは予定通り実施。昼前のウォーキングは傘さし。夕方は、傘を持たずに出たら、行き交う人が傘を持ってたので、ちょっと心配したが、大丈夫だった。万歩計は、ほぼ17000歩を示していたので、大正解。
 午後の一時は、Youtubeを視聴していたら、寝落ち。旅系Youtuberのライブ配信のアーカイブだったのだが、気が付くと、椅子に、深く腰掛けて寝ていた。きっと、肩の力も抜け、いい気持になったのでしょう。これだと、せっかくの時間が勿体ないと思い、7月の韓国旅行の準備をすることにした。何かしていると眠らないだろうとの考えだ。このまま寝ると、夜の睡眠が心配になるので、いい気分で寝るのも考えものなのだ。少しはましにはなったと思うが、依然として、睡眠がまともじゃないからね。今回も、昨秋に続き、テジョン(大田)で1泊するつもりにしているので、前回の資料を引っ張り出し、少し削ったり、付け加えたりした。前回、グーグルマップを信頼してバスの経路(これは大丈夫なはずと思っていた!)を辿ったら、橋のないところをまっすぐ歩くことを前提にできてたと、笑うに笑えないことがあったんで、それをNaberで辿ってみた。そしたら、なんと、グーグルマップと同じことが起きた。そうなんだよね、Naberって、あまり人の使わないコースって、いい加減なのです。それは、3月に、イクサン(益山)で煮え湯を飲まされたから解ってるつもりだったのに、また、やってくれた。これだと、グーグルマップの方が使い慣れてるから、あまり使いたいという気持ちが減ってきてる。Naberを使うとき、地名も、英語表記やハングル表記を探すのが面倒だったから、地図を頭に入れておいて、マップ上で行き先をクリックしてたからね。まだ、グーグルマップの方は、日本語入力で応えてくれるので(バスターミナルなんか)使いやすい。でも、徒歩ルートは、グーグルマップではダメだから、Naberに頼る。すると、使い勝手が、我々には良くないのだ。テジョンの宿探しもした。バスターミナル周辺にいっぱいあるはずという記憶の確認、鉄道駅(テジョン駅の方)近くは、宿がちょっと離れている。ソテジョン(西大田)駅近くにも、あることはあるんだね。だったら、前のところでいいじゃないかと思い始めている。アパートの一室が宿となっている。繁華街から離れているのが難だが、地下鉄駅で行けば問題ないし、ソテジョン駅まで、比較的近いので、クワンジュ(光州)方向への移動がスムーズなんだよね。最初は、今度は、バスターミナル周辺にしようかと思ってたが、ソテジョン駅に遠いのが難だね、と言う程も遠いとは思わないんだけど、グーグルマップもNaberも一致した情報を流してる。そんなこんなをしながら、まだ先の旅行のことを考えるのが、楽しいんだよね。


2024年 5月 27日(月)午前 6時 29分

 昨日は、午後に市民向け公開講演会を申し込んであった日。朝は、「日曜美術館」があるしと、わりかしタイトな1日。昼前のウォーキングは、従って、ミニにならざるを得なかった。午後のウォーキングは、その講演会の往復+αを充てることにした。万歩計を見ると、14400歩余と、昨日も、少なめになったけど、どうしようもない。そんなだが、帰宅すると、結構、気温が上がってたようで、疲労感を感じてしまったけど、まだまだ、暑さはこれからなんだからと、自分を鼓舞しておきました。
 「日曜美術館」のお題は「変容するイラストレーション 宇野亞喜良」。今、東京オペラシティのギャラリーで展覧会が開かれていることに合わせての番組。現場に、MCが足を運び、宇野亞喜良本人も現れ、一緒に観て回るばかりか、当然、いつものように、その合間に、宇野亞喜良の経歴が語られるのだけど、それだけではなく、イラストレーターのもう一方の雄横尾忠則も現れた。横尾忠則が、宇野亞喜良のアトリエを訪ねてのトークまで入った。宇野亞喜良ファンと言うのんへのインタビューまで入るという豪華な内容だった。宇野亞喜良は知ってたけど、その詳しい経歴って、全く判ってなかったってこと、判りました。寺山修司の作品の美術のようなこともしたり、当然、天井桟敷のポスターを描いている。横尾忠則とは、広告代理店時代の同僚だった。退職後、ともに共同で、イラストレーターの団体を組織した仲だった。「へぇ~!」でしかなかった。自分的には、唐十郎の芝居のポスターを描いていた横尾忠則の方に親近感を持ってしまうが、宇野作品を見せられると、いろんなところで観てきてるね。この2人が出てきた時代って、イラストってタームすら一般的でなかった。いや、この人らで、世間に認知されたってことになるってことだったが、言われてみると、確かに、そうだった。横尾忠則は、その後、画家に転身、今に至るわけだが、宇野亞喜良は、御年90で、現役のイラストレーター。最近は、俳句を基にイラストを描いているということで、TVカメラの前で、寺山修司の俳句にインスパイアされたイラストを制作して見せていた。すっごい、爺さんだ。コラボをしていると紹介されて、金守珍も登場していた。舞台美術的な仕事、具体的に示していたが、役者の替りに人形を出す芝居を、一緒にしたと言って、その人形の一部を見せてくれたが、だと、演出家でもある。ますます、凄さ度が高まる。そこで調べると、新宿梁山泊との共演って、そんなに昔ではない。少なくとも、宇野亞喜良80歳以後でやってた。今から10年ちょい前、東京で新宿梁山泊の芝居を観に行ったことがあったが、まさか、それ、関係あるの? 覚えてない。取り上げられた作品、全てを網羅できたとは思わないけど、拾えたものだけでもメモっておく。①カシミロン(第10回日宣美展受賞作品)②「愛奴」ポスター(1968年)③「新宿版千一夜物語」ポスター(初めての寺山作品のポスター)④海の小娘(横尾忠則のコラボレーション絵本)⑤天井桟敷「星の王子様」ポスター⑥伊勢丹彩祭り空想百貨店ポスター⑦? ⑧ひとりぼっちのあなたに(寺山修司作品のイラスト)⑨けいこの店ポスター(サイケの時代)⑩三井信託銀行ポスター⑪マスカレード原画(女性の裸婦像を初めて描く)⑫サタニズム(2017年)⑬猫町⑭孔雀(2021年)⑮絵本「あのこ」(児童文学家今江祥智とのコラボ、あらすじを聞いて制作、心象風景的な絵)⑯絵本「春の水族館」⑰絵本「さくらんぼ」⑱青ひげ公(寺山作品に合わせた)⑲「霧の仙子」⑳天井桟敷「ブラブラ男爵」ポスター。この展覧会、刈谷へ巡回するようなんで、秋には、刈谷再訪が実現しそうです。
 午後の市民向け公開講演会は、京都市学校歴史博物館でのもの。こちらでの企画展「春らんまん 京の学校に咲く花々の絵」の関連イベントとして行われた講演会だった。お題は「京の学校に咲く花々の芸術」、講師は、当館学芸員の森田淑乃さんでした。この博物館は、番組小学校以来の伝統を持つ京都市内の学校に寄贈された絵画や工芸作品を、数多く所蔵している。なんせ、京都なものだから、京都画壇の錚々たる作家が寄贈している。それらの中から、花を描いた作品をピックアップして展示しようとの試みだ。今回は、日本画と限定したようで、展示場に、秋には洋画を展示するようなことが掲示されていた。お話は、花を描く場合の分類、寄贈の形態といった外枠的なお話のあと、今回、展示されている作品の主だったものの解説と進んだ。紹介された作品をメモっておく。竹内栖鳳「虞美人艸」(三男の卒業時に担任に贈った、贈られた方も困るでしょうね、花弁を描く筆遣いに特殊な技法を使ってるようだと言われていた)、廣田百豊「山櫻鳩図」(竹内栖鳳門下、桜の枝ぶりの取り上げ方がいいのかなぁ、鳩の位置もはまっていて、とてもリアルな印象、今回の展示では目立つ)、川村曼舟「旭日桜花図・月波濤図」(勇壮な作品、師が山元春挙と聴き、納得)、小西福年「花卉図」(鈴木松年門下、様々な季節の花を1つの図に集めている、祝言ものとしての描き方だそうだ)、玉舎春輝「籠に花卉図」(山元春挙門下、右側にある花籠から花卉が伸び出ている姿)、梥本武雄「草花図」(菊池契月門下)、川島浩「百合之図」(西村五雲門下)、三輪良平「瓶花」(山口華楊門下、唯一洋画タッチの作品、染付の瓶に活けられたバラ)、堂本印象「菊図」(扇絵の原画)、中村大三郎「菅原道真」(西山翆璋門下、下履きに梅の紋)、福田恵一「菅公の図」(西山翆璋門下、梅の小枝の下に座る菅公)、木村斯光「お手玉」(菊池契月門下)、松村梅叟「村婦帰嫁図」(今尾景年門下、杜若模様の被り物、着物の模様は花尽くし、この作品が北邨琴浦の「楠木正成之図」と並べて展示されていたのは、さすがにダメでしょう!)、堂本漆軒「花模様漆皿」(堂本印象の兄、金の象嵌だが、劣化が進んだのか観にくかった)、荒木十畝「新訂女子毛筆画教科書巻一」(団扇や扇子に杜若が描かれており、その描き方を教授するもののよう、但し、工芸への応用を目指したものとの解説だった)、坂田彩湖「待宵草」(京友禅、額装での展示)、岡本為治「三島手象嵌白花散らし文壺」(細かな象嵌が入る)。お話は、花つながりで、校章や校歌に出て来る花を取り上げられていたが、そこで時間を割くなら、作家さんの解説、作品自体の分析といった話を、より多くして欲しかったなというのが、正直な感想だった。講演会終了後、展示会場を回り、作品を生で鑑賞。大物2人が、作品解説から省かれていた。いまいちとの認識なんだろうか、知らんけど。その2つは、伊藤小波「春の野」と宇田荻邨「山桜図」。ついでに、常設展も覗く。こちらにも、数は少ないが、大家の作品が展示され、しかも、定期的に入れ替えをされているので、見逃すわけにはいかないのだ。そしたら、案の定、北大路魯山人と5代目清水六兵衛ものがあった。さすがですね。


2024年 5月 25日(土)午後 8時 28分

 今日は、午後に市民向け公開講演会に行くことになっていた土曜日。いい天気が続いている。昼間は、気温が上がるが、朝晩は、まだ、気温が低め。室内にいると、これが、なかなか厳しい。まだ、決して薄いとは言えないトレーナーを着ている。これが、あと半月ちょいすると、ごろっと変わってしまい、今度は暑くて仕方がないとなってしまう。今朝は、ちょっと慌てた。トルコ・リーグが最終節を、この週末、戦うのだが、それが、土曜日から始まると思い込んでいた。優勝や降格が決まるので、最終節は、同時開催が常なんだが、今年は、それらに関係ないもの、ヨーロッパのカップ戦参戦権争いにも関係ないものは、別に、同時刻開催でなくてもいいじゃないかということなんでしょう、試合を分けた。ま、その方が、TV中継なんかにはいいだろうしね。それに気が付いたので、日程を調べていながら、それを見間違え、金曜日にはマッチなしとインプットしてしまった。朝、いつものように、CNNトルコのチェックしていると、そこのスポーツ欄に、1試合だけあった昨日のマッチの結果が出てたので慌てた。それで、何かに支障が出たわけではないが、こういう抜かしたことすると、慌てるね。ちょちょまってしまった。
 午後のお出かけ前に、1時間余、時間ができたので、ミニウォーキングを敢行。午後の部は、講演会場への往復をウォーキングと読み替え、結果、万歩計を見ると14200歩余は、ちょっと少なめだった。マッチの追いかけをする時間に取られてしまい、当初の予定では、少し早めにウォーキングに出かけるつもりが、こういったところに響いてしまった。自分のミスからだから、あまりいい気分がしない。
 市民向け公開講演会は、京都アスニーであった「京都学講座」。今日は、「連続講座:紫式部の平安京」の第4回として行われた。大河乗っかり企画だ。今日のお題は「平安京の瓦作りとその変容」、お話をされたのは、京都府文化財保護課の古閑正浩さんでした。古閑さんは、30年間、大山崎町の職員として、関係のお仕事をされていた方。このお題でも、大山崎が関係してました。何よりも、瓦がテーマなのが嬉しい。コロナ禍で、帝塚山大学が、オンライン配信で考古学講座を流してくれてたけれど、その最大の成果は、古代史での瓦の重要性を知ったこと。瓦は、いろんなことを教えてくれる。それを知ったので、今日は楽しみなテーマだったけれど、世間的にはそうではないようで、いつも、早くから詰めかける人たちは、今日は少なかったなぁ。替りに、いつも来ない、その筋の人たちが来ていた、そんなギャラリーだった。ところがだ、前半はダウン。自己紹介的なお話と冒頭のお話のあとは記憶がない。気が付いた途端、半ばの休憩時間になったので、「どんだけ、寝たんだ」と、自分に突っ込んでしまった。だから、どんな話題が出てきたのか、全く覚えていない。ましてや、レジュメはあっても、それに沿って話されているという印象だけはなかったので、それに頼るわけにもいかず、、、、。後半のお話で推測すると、代表的な瓦窯跡(その1つが大山崎瓦窯だ!)の紹介をしながら、瓦窯の形態・構造や、その周辺(立地条件?)とか、それに加えて、中世の瓦の様々をお話しされたんじゃないかな、これは、あくまで想像の域を出ない。だから、しっかりとメモれるのは、後半のお話から。ところが、これが、素晴らしくスケールの大きなお話で、ちょっと興奮気味に聴いてしまった。ここまで、瓦からお話は拡がるのかと思うと、ますます、瓦、恐るべし、です。平安時代の瓦窯は、前半と中期以後で、場所が異なるそうだ。前半、即ち、計画都市平安京建設時の瓦を出していたのは3箇所、西賀茂瓦窯、大山崎瓦窯、吉志部(岸部)瓦窯。西賀茂は、平安京の北部、すぐ近く。どうやら、出土してくる瓦の形状(木型の粘土を入れて作るので、型が徐々にくたびれてくる、これで、年代の違いが出るだけではなく、違う瓦窯から出れば、瓦窯同士の関係も、それを使った工人の移動も推測できる! これこれ、瓦の凄いところ!!)から考えると、西賀茂が古く、新都建設に大量に要る瓦生産を、他の瓦窯にも拡大していった、それが、大山崎と吉志部。この両者の共通点は港があったこと。大山崎は、これは黄紺も知ってた。ところが、吉志部は、三国川(神崎川、上流を安威川と称す)の北側。ところがだ、この時期に、淀川と三国川とのバイパスが造られた! その淀川から入ったところが、な、な、なんと、あの「江口」だ! 能「江口」は、最高の幽玄能。遊女が船に乗り登場する、そう、遊里があった。だって、舟運の便、頗る良きところだったから。めっちゃ、納得。遊里のトピックも、きっちり、古閑さん触れられていた、抜かりはありません! だから、舟運と関係がある。更に、港の護岸のため、要するにメンティナンスのために、労働力が要るが、瓦を登り窯で焼く作業、積み出し作業を鑑みると、出港は月2のペース。瓦窯で働く人は、従って、常時、瓦窯にいなければならないということではないから、その手空きの期間に港のメンテナンスに当たったのだろう。しかも、そこから出る砂(浚渫も要ったということなのだと思う)を、瓦窯に回す。砂を入れないと、瓦はもろくなると言われていた。だから、港湾での作業と瓦窯での作業とがワンセットになった労働というものが行われていたことが考えられる。瓦窯ができることで、舟運も含めた首都圏のインフラ整備を、この機会を捉えて行ったのだろうということだった。これはスケールの大きな話だ。後の西寺建設時の瓦調達は、河内や摂津の国司に任せていたが、平安京建設の瓦調達は、中央官庁直轄で行っていたことで、最早、国家プロジェクトとして平安京建設だけではなく、首都圏整備と言うことができるということ。これは、長岡京建設のときは、平城京から瓦なんかを持ってきたこと(これも、前にどこかで聴いたぞ!)と比べると、それとは異なる強い意志を看ることができるようだ。こんなトピックも言われていた。同じコンテキストの話だが、平安京建設時期には、平安京周辺にある寺院(枚方の百済寺、牧野廃寺、宇治の寺院に至るまで、結構な広範囲)の修復には、平安京建設に使った瓦窯の瓦を回していたと言います。これも、首都圏建設をサポートする意図が見えてくる。それが、中期以後、変化が出て来る。まず、平安京のための瓦の生産は、平安京の周辺域に限られる。新しい瓦窯が近辺に多く生まれてきている。瓦の寺院への提供も同様の区域へとなっている。この区域は、半径12㎞以内。以前の吉志部や宇治を含む区域は24㎞だったそうだ。そして、内裏の火事などで、新たに瓦の大量需要が発生すると、地方に発注して賄ったそうだ。ここに、古閑さんは、都の安定を看ると言われていた。インフラ整備の支援をした地域は、あとは国司にお任せするということなのでしょう。これらのお話の根底に、瓦の移動、どこで生産され、どこで使われているかをチェックすることで伺い知れたことがあるんだよね。ここまで、話が拡がるんだね、正に恐るべし、瓦です。ところで、大山崎瓦窯の跡が、宅地開発に伴う発掘で、その全容が明らかになったそうです。現在、史跡公園として保存されているそうです。近い内にアサヒビール大山崎山荘美術館に行こうかと思ってたので、いい情報をもらいました。DやSを連れて行きたいなと、ついつい考えてしまったけど、美術展をピックアップしてたところなので、下見がてら、そのときに行ってみようじゃないかと思ってるところです。


2024年 5月 24日(金)午後 8時 34分

 今日も、遊ぶためのお出かけなしの日。昨日と違い、そういった日だということで、医者通いを2軒、固めた。約1週間前にお世話になった歯医者に、治療のあとを見せに行かねばならない日だったので、それに合わせて、ぼちぼち薬がなくなりかけている皮膚科の医者にかかろうと考えたのだ。歯医者の方は予約で行けるので、時間はかからないが、皮膚科の方はそうではなかった。今日は混んだ。もう1年半近く通っている。足の爪に異常が看られるため、通い続けている。間をおいて、医者の撮った爪の画像を観ると、僅かずつだが、良くはなっているので、続けざるを得ない。そもそもが、爪の変形で靴を履くと痛みが出て困ったというのが発端だから、止めるわけにはいかない。止めて、元の木阿弥になると、歩くということに困難が出て来るからね。この皮膚科の医院に行くと、弟の家が近いものだから、毎回、立ち寄ることにしている。今日も、そうした。今日は、早めに切り上げ、帰り道迂回をしてマートに寄る。そうすることで、ウォーキングの距離稼ぎもしたが、この医者通いと併せても、普段よりは、若干ミニになってしまった。夕方のウォーキングは通常のコースから選んだから、いつも通り。2つを併せて、万歩計を見ると15000歩余だったから、ま、仕方ないね。
 午後の一時は、今日も、まずは、旅系Youtuberの動画で、ウズベキスタンと名古屋旅行を観た。変な組み合わせだ。そうそう、韓国系Youtuberのモッパン動画も観たな。それから、これも、結局は、Youtubeの動画なんだけど、「Oper Vision」の「こうもり」(クロアチア国立劇場)の続きを観た。楽しい雰囲気は、既に味わっているので、その続きを観たのだけど、劇の進行に工夫が2点あったので、それをメモっておく。1つは、フロッシュを出さなかった。これは、初体験だ。このオペレッタの名物なのを、敢えてカットした。その役割を、看守長フランクにやらせた。だから、いきなり、監獄の場面になると、客席のサイドのドアが開き、フランクが入ってきて、客席の間を通り、泥酔の体で管をまく。ま、考えてみると、フランクも泥酔しているわけだから、全然、違和感がない。また、フランク役の歌手ができる人なものだから、文句の言いようがない。2点目は、アイゼンシュタインが、ロザリンデを問い詰めるとき、アイゼンシュタインは、弁護士のマントと鬘を借り、弁護士の体で問い詰めるものだから、ロザリンデ&アルフレードの分が悪くなるという工夫。これも、なかなか、いい思い付き。これらが工夫だが、おまけがあった。順序が遡ることになるが、舞踏会の場面、夢の彼方に的なコーラスが終わり、時計が12時を知らせる前に、ウィーンのなんちゃらという公園にあるJ.シュトラウスの像の恰好をしたダンサーが登場して、トリッチトラッチポルカに乗ってダンスを披露してくれました。もちろん、あの像に合わせてヴァイオリンを持ちながらという、楽しいもの、これもグッジョブです。ただ、ここでも出てきたのだが、そもそも端にも出てきたよぼついた爺さんが、うろうろ。その爺さん、どうやら、J.シュトラウスだったようだけど、なぜ、出したのか意味不明だな、あれは! ま、そんなこともしーのでも、楽しい楽しい「こうもり」でした。こんなの観ると、「オペレッタって楽しいよ」と言って、人にも勧めたくなってしまう。次は、ダヴィッド・プートニーのプロダクションで「オテロ」がアップされているので、それを狙っています。ダヴィッド・プートニーものは、ベルリン・ドイツ・オペラで、「お前は寺山修司か!」と突っ込んだプロダクション(カヴァレリア・ルスティカーナ&道化師)を観ているので、楽しみにしております。


2024年 5月 23日(木)午後 8時 14分

 今日明日は、お出かけなしの予定。明日は、医者には行くけども、遊びではない。そういう風に、予定を組んでたところ、急遽、昨日だったかな、1つ、チェック漏れの映画が見つかった。上映期限が今日までということだったので、行こうと、昨日寝るまでは思っていた。が、夜中の2時台に目が覚めてしまい、あっさりと撤回。チケットを買ってあれば行かなければならないが、そうではなかった。いつも、映画に行くときは、当日の朝にオンラインでチケットを買うことにするという習慣となっているので、買ってなかったからできたこと。最近、観ることができてなかったインド映画だったけど、インド映画は3時間くらいあるから、絶対、もたない、寝ると判断しました。
 そんなで、今日は、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけが外出時間。万歩計を見ると16800歩余となっているから、極めて順調。天気もいいし、昼前のウォーキングで、休憩がてらの読書が心地よい。丁度、近くの保育園から子どもが遊びに来た。声をかけて来る子どもが2人もいた。けど、この頃、迂闊に話し相手になると、変なおじさんになってしまうので、相手になるのをビビるね。だから、「本を読んでるからじゃませんといてね」と言って、遠ざけた。それも変だけどね。
 午後の一時は、Youtube三昧。冬の北海道を旅する動画を観たあとは、「Oper Vision」のお世話になった。ツェルビネッタの長大なアリアが終わったところまでだった、ガーシントン・オペラの「ナクソス島のアリアドネ」の続きを観たが、あっさりと寝落ちをしてしまった。やっぱ、映画に行かなくて正解だった。歌手役の2人が活躍する終盤だが、いい歌手だなと思う反面、楽しくない演出だと思うと、ダメだったね。観返す必要はなかろうということで、次の作品に移った。「マイスタージンガー」がアップされたところだったので、そそられたが、先にアップされた方を観ておくことにした。期限付きのものは、その要素が、ピックアップする際に働く。そこで選んだのが、クロアチア国立劇場の「こうもり」(クレシミール・ドレンチッチ演出)。これが、大正解。「Oper Vision」に入っている作品は、いずれも、何か気になるところ、いいなと思うところがあるものだが、そういった意味では、「ナクソス島のアリアドネ」って、何を取り上げればいいのかと思ってしまってたが、今度は違った。とにかく、いいテンポで、小気味良い歌手陣の自然な動きが、ホント、素晴らしいのだ。それを引き出すプロダクションなんでしょうし、それに応える歌手陣、なんて楽しい「こうもり」なんだろう! 歌詞がクロアチア語というのも、レアな楽しみ。ドイツ語もごつごつしてるが、クロアチア語も、結構、ごつごつ派だ。でも、ドイツ語とは違うごつごつ感があるから、新鮮。チャルダーシュまで観ました。真ん中過ぎ辺りまでですな。
 そうそう、後先が逆になったが、朝早く、目が覚めたので、朝方に、先日購入してあった、Wi-Fiを飛ばすルーターの接続を完了。こんな有難い機器があるなんて、知らなかった。新しく買ったPCが薄く、LANケーブルの接続部が軟な感じがしてボヤいてたら、息子が、何気に口走った一言で、その機器の存在を知った。有線でインターネット環境を作ってるもので、そんなことできるって、全然、知らなかったのだ。これで、一挙に、PC2台、スマホ、こんなけ、全部、Wi-Fiで賄えることになったぞ。スマホ料金を抑えることができます。


2024年 5月 22日(水)午後 9時 46分

 今日は、朝からお出かけで、京都でハシゴをした。珍しいことだが、市民向け公開講演会のハシゴだった。そして、ともに、自分的には不満足な出来。1つ目は、情報量が多い、多すぎる、日本古代史、考古学に疎い自分には、ハードルが高かった。2つ目は、寝落ちをしてしまい、殆んど解っていない。そんなで、失敗の1日。予定が、これだけ詰まったものだから、2つの会場に行き来するだけで精一杯。だから、ウォーキング用に時間を割けなかったが、帰宅後、万歩計を見ると14500歩余になっていたから、ま、いい方かもしれない。
 水曜日の朝の市民向け公開講演会は、定番のアスニー山科。今日は、「弥生社会の男女のシャーマン―絵画の考古学が究める―」というお題で、森岡秀人(奈良県立橿原考古学研究所 共同研究員、〈公財〉古代学協会客員研究員)さんのお話を聴くことができた。森岡さんは、高松塚古墳の発見に携わるという歴史的現場に立ち会われた方。以前には、その辺のところのお話を、ここの講演会で聴いたことがある。今日は、それよりか少し前の時代。紀元前から紀元後に入り、古墳時代を迎える前までが、そのフィールドとなった。土器や銅鐸などの出土物に描かれた絵画を基に、シャーマンの姿、その役割、変化を追いかけようとの試みだった。B.C.1c辺りから、お話はスタート。理解できた範囲で、ポイントをメモっておく。「鳥装をした人物画は、女性のシャーマンだ、性器や乳房が描かれているので判る、ジュディ・オングの舞台衣装のような恰好も描かれている」「盾や戈といった武器を持つ男性シャーマンも描かれている、こちらも鳥装している場合がある、こちらも性器で判る」「時々、男女のペアで見つかる場合がある、これなどは、生殖・生命の誕生に関わる秘儀がマツリで行われていたのだろう」「鳥の姿は、稲穂を運ぶという考え方に基づく、女性も同様のイメージを伴うので、共通性が看られる、鳥霊信仰というタームを使われていたが初耳」「描かれている人物は、決して、崇拝される存在ではなく、神に伝える役割」「画題は、他には、シカ、建物がある、シカは、骨による卜占に繋がる」「後期になると、それらの絵画のデフォルメ化(省略・誇張・変形など)が進む、どんどんと記号化していく」「武器を持った男性人物画は、戦の場面ではなく儀礼の場面を描いたもの、女性シャーマンと対になった祭祀があったものと解釈している」「戈を持った男性シャーマンの起源は中国、殷中期に確認され、日本で看られるようになる前漢段階では激減・衰退していっている、空間的&時間的隔たりはあるが同じモチーフ、但し、中国で確認できる馬・戦車は入ってきていない、、、男性シャーマンの中国からの影響は話題になっていたが、女性シャーマンの系譜は触れられてなかった、確か!」「弥生後期の変化は了解なんだが、卑弥呼の存在へと話題が移ってくると、理解が、かなり難しくなった。強固な王権が徐々に登場してくる問題と、シャーマンの変化を繋げて話されていたが難解だった、特に、卑弥呼に‶男弟‶という存在がいたというトピックになると、全く知らなかったことで、臨界点を超えてしまった!」。
 講演終了後、会場近くのコンビニで、某美術展の前売券を買う。200円を稼ぐ、細かな努力だ。そして、地下鉄を使い、北大路まで移動。京都の市街地の東端から北端への移動だ。今日は、この間、外食が続くので、経費節減のためパンを用意しておいた。いい天気、鴨川もあるしということで、河原で昼食。食べ終わると、もう、お時間だったので、北山通経由で京都学・歴彩館へ。今日は、こちらで、「京都を学ぶセミナー【丹後編】」があった。その第1回として、「祭祀遺跡から神社へ―丹後のカミマツリから―」というお題で、菱田哲郎(京都府立大学教授)さんのお話があったのだが、結果は、既に書いたものだった。お話の目指すところとして言われていたのが、現存している神社と、古代の祭祀遺跡は繋がるのかという問題。その確認を執るのが、至難のことだそうで、ということは、神社の個々の起源というものを辿るのが、かなりの厳しい問題だとなる。そういったことを、丹後をフィールドとして試みようというのだ。いつぞや、花園大学の公開講演会で、この地域の古代遺跡の豊富さを教えてもらったことがあった。やはり、大陸&朝鮮半島の表玄関だったことは間違いないんだから、そういった渡来系の文化とも関係があるのでしょうね。少しだけど覚えているのは、丹後の酒造りと神社との関係。神社で祭祀に供する酒造りが行われていたようで、しかも、その酒造りに、渡来人が関わっていたようだし、この地を訪れる渡来人の外交使節に酒が供されていた。技術的な問題としては、酒の保存用の大甕を作る技術は渡来人のものだったと言われていたのは覚えている。こういった酒造りに、天女の羽衣伝説が絡むと言います。羽衣を返してもらえなかった天女が酒造りに長けていた。天女そのものが渡来人を表しているかもしれないと言われていた。意外な展開になったけれど、根本の遺跡の様子などで寝落ちしていたので、頭の中で、全く拡がらないものになってしまいました。


2024年 5月 21日(火)午後 9時 10分

 今日は、午後に映画に行く予定を入れていた。1週間程前に、京都シネマの上映予定にチェックを入れたときに見つけた映画で、これは外せないと思い、連続的お出かけにあるにも拘わらず、放り込んだ。12時35分上映開始だったので、お昼は、最近、こういった場合に行くことにしているネパール屋さん(インド屋さんかもしれない)で。時間的に余裕を持たせたかったのは、溜まった洗濯をしたかったため。ちょっとだけ、買い出しもしたかったので、ミニミニのウォーキングもできた。映画館への往復+αでもウォーキングを入れたので、帰宅後、万歩計を見ると15400歩弱だったので、まあ、ええとこです。
 映画は、ドイツ映画「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」。グルベッチの映画だということで、飛びついた次第。映画は、9・11のあと、タリバン狩りが進んだなか、タリバンと間違えられ、グエンタナモ収容所に拘束されたドイツ在住トルコ人青年(トルコ国籍)を救出する物語。実話だそうだ。原作は、その誤逮捕・拘束されたグルベッチの男性。映画の主人公は、救出に当たる母親、それを支援する人権派弁護士。父親も出て来るのだが、母親に任せっきり、このわけは描かれない。関心が、救出にないわけではないのだけど、動かない。でも、母親の明るい、突き抜けた明るさが、そんなことはどうでも良くなっていく。まず、グエンタナモの存在が、アメリカ政府にとり、とっても都合のいい扱いをされていることが明らかになる。キューバにあるということを活用して、事実上の治外法権下になっている。ここで、収監者が虐待を受けていたということが報道されたことがあったが、起こる背景があるといういことですね。だから、大統領直属的になっているので、大統領相手に、解放を求めて裁判をするということになる。それを、題名は表している。原題も「ジョージ・ブッシュに挑むラビエ・クルナス」だから、放題と同じようなもの。それだけで、グエンタナモの特異な位置を示していると言える。ドイツ政府も動かない。国籍がトルコだから、関わろうとしない。この問題が起こったときの政権が「SPD&緑の党」だったが、明らかに避けているという描き方だった。問題が解決したのが、メルケルの登場以後だった。トルコ政府も腰が重い。そういったなかでの救出劇が続けられる姿を描いた作品。お互い、擦り付け合い、手が届かないようにしてあるのが、グエンタナモの位置を活用したアメリカのシステムなんでしょうね。舞台はブレーメンとなっていたが、パッと見ではブレーメンと判るものは見つけられなかった。当然、ワシントンでのロケ、アンカラでのロケが入った。台詞が凄かったというのが、この映画を観ての一番の驚き。だって、トルコ語とドイツ語がごちゃ混ぜになっている。トルコ語で喋ってるかと思うと、急にドイツ語が入り、次にはトルコ語に戻っている。逆もありで、ドイツ語で喋ってるかと思うと、トルコ語に替わり、次にはドイツ語に戻っている。これらが繰り返される。急に変わると、「えっ!」と思うと、そこで、次は聴きとれなくなってしまう。母親役のメルテム・カプタン(この映画で銀熊賞〈主演俳優賞〉を受賞)のドイツ語が、わりかし耳に残ったが、ここへトルコ語が入るとダメやった。その逆も然りだった。でも、これ、台本、どうしたのかなぁ。脚本を書いたのはドイツ人だし、、、。現場で、トルコ人の役者が、それこそ、エチュードでもしながら作り上げて行ったんだろうか。とにかく、この台詞が、この映画一番の聴きどころ、観どころといった印象。それと、やはり主役2人が、上手い、それに尽きる映画だと思う。
 今日は火曜日ということで、「まーぶる」を、Radikoで聴く日でもあったが、帰宅後となった。話題で多かったのは、やっぱ、彦八まつり。結構、リスナーさん、行ってる。今年の彦八まつり、この番組でなく、どなたかの旧Twitterで見た話題に、一番のびっくりがあった。文枝のハワイアン・バンドのコンサート、正司花江が出るという噂は、事前に流れていたが、もう1人の超スペシャルなゲストに驚いた。枝雀夫人の枝代さんだった。花江とは芸人仲間だったはずだから、そこからの縁でしょうか?


2024年 5月 21日(火)午前 6時 32分

 昨日は、午前中から出かけ、京都でハシゴ。松ヶ崎駅近くの京都工芸繊維大学美術工芸資料館を行き、北山駅近くのタイ屋さんで昼食。3度目の正直で、ようやく入れた。一昨日も、似たものを食べたので、移動途中にあった韓国料理の店に入ろうかとも思ったのだが、臨時休業や定休日に祟られ、行けてなかったのが気になり、タイ屋さんに行った。場所代かな、ちょっとお高めだったので、1000円以下で食べれるということで、またまた、カオマンガイにした。この間、海南雉飯を含めて、短期間で3回もカオマンガイを食べたけれど、昨日のが一番劣った。しまった、スンドゥブが食べれたのにと思っても、後の祭り。ま、1回は行くだろうから、それが昨日になったと思えば、諦めがつく。そして、北大路駅の上にある京都市北文化会館へ。ここからの帰りは、いつも三条駅まで歩くので、昨日は、このお出かけが、完全にウォーキングそのまんま。帰宅後、万歩計を見ると17100歩余だった。パーフェクトだ。
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館では、新たに「生誕100年記念 白髪一雄展」が行われている。1階だけを使った展示なので、作品数は多くはないが、この間、気になる作家さんになっている白髪一雄作品を観れるというので、行くことに決めてあった。具体美術協会に参加したことは、毎度、この人が話題になると出て来るので判ってはいたが、その前後のことは、ほぼ知らない。尼崎の白髪一雄記念室では、「フット・ペインティング」をする前の作品を観たことはあったが、「フット・ペインティング」を始めて間もない頃は、描くことに意味がありということで、描いたあとは、作品は残そうとしなかったとか(残すようになったのはフランス人批評家により評価されて以後とか)。その中で残った「貞宗」という作品が展示されていた。これは、今ままで、各所で観てきた白髪作品と、テイストは同じと見えたが、あとの作品は、そうじゃなかった。更に、リーダーの吉原治良の死(1972年)で具体美術協会は解散するが、その後は、個別で活動と、何も考えないで思っていたが、この人、ちょっと変わった経歴を持っていた。この人、同協会が解散する前に、既に、比叡山で得度を受けていた。そのため、1970年代の作品は、その宗教的な心根で描いており、作品の題名には、宗教的なものから引っ張ったものになっているとか。そして、色彩が、この時代の作品は、えらく豊か。こんなの観たことないと思ったのが1つ、「貞宗」は、そうではなかったが、それ以外では、余白というものがない。空いたスペースはないことはないが、あっても狭く、ましてや白ではない。宗教的な意味付けをしようとしていたのか定かではないが、「円」を描いている。得度してから、より正確な円形が描けるようになり喜んでいたというこことが、側の解説板に書かれていた。もう一つ、意外だったのは、円形同様、フット・ペインティングでは、およそ描けるとは思えない、細い線が、随分と出てきた。円を描いた線も細い。解説には「ドリッピング」という技法を使ったと書かれていた。筆に含ませた絵具を、筆を叩いて落とす。その垂れた絵具をストローで吹くそうだ。確かに、そういったテイストを感じる線だった。ポーリングという、これも、絵具を垂らす技法だそうだが、そんなのも使ってると書かれてあった。だから、「フット・ペインティング」の豪快な太い線ではない線を出す工夫も、いろいろと試みてたようです。今回の展示は、そういった技法を駆使した時代のものばかりが並んでいたということになりますね。白髪作品の支援者であったコレクターのコレクションが、この資料館に寄贈されたようなので、そのコレクターの好みを反映しているのかもしれません。おかげで、今まで体験できてなかった白髪作品を観ることができました。「生誕100年」を謳っているので、ひょっとしてと、尼崎市総合文化センター内にある白髪一雄記念室のHPにアクセスすると、勘が当たりました。夏に、一大回顧展が、同センター内であると出ていました。これは、楽しみ。芦屋市立美術博物館の具体美術協会展に並ぶ、大ヒットです。今から楽しみにしているよ! 2階にも、当然上がった。まだ、「フランスポスター展-ロートレックからムルロ工房、サヴィニャックまで」が行われていたからだ。これは、やっぱ、見ごたえあります。お題には出ていないミュシャ、ピカソ、ダリ、シャガールなんかが、一度に観れるわけですからね。昨日も、堪能いたしました。
 京都市北文化会館では、「第5回佐竹裕介先生の音楽講座 大作曲家深掘りシリーズVol.1 バッハ ーなぜ『音楽の父』なのかー」があった。4回目までは通史だったけど、今回からは、作曲家を個々に取り上げ、その功績を深堀りしていこうというもの。その初っ端にバッハが取り上げられた。が、ここで、大失態。一昨夜、午前3時台に目が覚めたのが堪えた。それも、ずっと浅い眠りだっため、あまり寝た感じがしてないまま行ったので、危ないと思ってたら、案の定、やっちゃいました。前半の佐竹さんによる講義を、一番前の席で寝てしまってました。お話は、音楽史の振り返りのなか、バッハの重要性を説いていくものだったと、 断片からは、そのように把握している。単線の旋律から、横のずらし、ポリフォニーの音楽が生まれて来る。そこへ、縦のずらしが、新たな動きを生み出す。和声の世界だが、バッハ、その両者を、自らの作品の中に表しているということで、「音楽の父」と呼ばれるに相応しい業績を残したというお話だと推察するが、個々の事例で、佐竹さんは、CDを流すだけではなく、ピアノを前に、自ら弾くことで説明をされていく。その辺が、とっても曖昧な記憶しか残っていない。この講座の一番の目玉なんだが、変化ごとに看られる様相を、代表的な作品を取り上げながらお話をされてたことは了解なんだけど、自分の頭には、何も残っていないのが、悲しい。アルペジオで和音を引く中に、おもしろい音を忍び込ませると言われていた。「倚音(いおん)」というタームを、初めて聞いた。2度の音を入れるという手法だそうだ。心地よく響かない音を入れることで、音の流れとしての豊かさが生まれる。実際に、それを、倚音でない音に入れ替えて弾かれて示された。それだと、確かに単調なのだ。バロックの古い音楽を聴くときに感じる音の流れだった。これ、凄いね。全然、知らなかった。ここは、しっかりと記憶に残ってる。起きていた。そして、後半は、ミニ・コンサート。佐竹さん(①)は、当然、ピアノを弾かれ、ヴァイオリンは田村安祐美(②)、コントラバスは神吉正(③)という布陣だった。演奏された曲は、次のようなものでした。「①2声のインヴェンションより第1,9,11番」「①3声のシンフォニアより第11、14番」「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004より『アルマンド』(②オリジナル版、①②シューマンのピアノ伴奏付版)」「①②③ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調BWV1023」「①②ヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ)第3番 ホ長調BWV1016」。アンコールとして「平均律クラヴィアール集ト長調(だと言われたはず)」が演奏されました。


2024年 5月 20日(月)午前 5時 49分

 昨日は、午後にコンサートに行くことになっていた日曜日。日曜日だということで、朝は、お楽しみの「日曜美術館」の新作を観て、更に、コンサートからの流れで、息子の家へ行き、DとSと遊び、日曜出勤だったママが帰宅すると、皆で食事、アジア料理の店が、この間、満杯続きで行けてなかったが、日曜日の夜だからか、入ることができた。夏休みを利用して、家族でタイに行くということなので、いい予行演習にもなったけど、Sの方が、思いの外、好き嫌いがあり、昨日も、ピーナッツ味のソースがかかったサティを拒否。大丈夫かなぁ、ホント。その直前まで、早く食べたいと言ってたSなのに、断固拒否してた。Dは、ちょっと辛いめのものも食べようかの気概を見せてたのに、Sには驚いた。
 「日曜美術館」のお題は「極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜」。「紫式部」が入ってるので何事かと思ったが、冒頭、「光る君へ」で、まひろが雅楽に乗り舞を舞う姿を入れただけで、浄土を願うトピックへと繋げただけだった。無理からに付けなくともいいのにね。この新作は、今、東京国立博物館で、法然をテーマにした展覧会が開かれているのに合わせたもの。MCの2人が、同博物館に赴き、ロケを中心にした流れとなってました。坂本美雨になって、まだ、スタジオ収録物はないな。法然展は、このあと、京都、九州の国立博物館を巡回するが、この番組を観て、行ってみようかなの気にさせられました。それだけのパワーを発揮した構成になっていたと思う。「往生要集」が極楽へ行く導きの書=死後の世界のガイドブックとなり、日本人のあの世のイメージを決定する役割を果たし、それを、視覚イメージとして広める役割を絵図なんかが果たしてきた。この世で、極楽をイメージして(観想して)、安らかな死を、死後の世界を願った心性を生み出すのに貢献したという構成になってたんじゃないかな。紹介された作品をメモっておく。①阿弥陀25菩薩来迎図(早来迎)/国宝(パレード? 踊り? ウエルカムパレード? 正方形を対角線で切る構図、その線の上を走ってきているよう「早来迎」の「早」を演出している、死のときのお迎えの様子を描く)②恵心僧都源信像(源氏物語の横川の僧都のモデル)③往生要集絵巻(室町時代)④綴れ織り當麻曼陀羅図/国宝(現在本堂にあるのは江戸時代の模本、奈良県外で初公開、唐で織られ日本へ来た)⑤當麻曼荼羅縁起絵巻/国宝⑥當麻曼荼羅図模本(鎌倉時代、絵解き、死者の魂が極楽に入り踊っている、この世で極楽を観想する方法を文字で欄外に書いている、一種のイメージトレーニングの方法、9種類の死の瞬間を絵解き、極楽を知るきっかけになった)⑦山越阿弥陀図/国宝(鎌倉時代、死者の魂は山の彼方&西方へ、この2つが重なったのは日本独自)⑧山越阿弥陀屏風/重文(鎌倉時代、阿弥陀の手から繋いだ糸が残っている)⑨法然上人絵伝⑩山越阿弥陀屏風に繋がっていた糸⑪平等院鳳凰堂(極楽浄土の宮殿を模したもの)⑫法然上人像/重文⑬選択本願念仏集(最初の2行は法然直筆)⑭法然上人絵伝/国宝(法然没後100年の作)⑮阿弥陀如来立像/重文(腹に庶民の書などが入っていた)⑯菩薩面(鎌倉時代、當麻寺で20年前まで実際に練供養で使っていた、當麻寺の練供養は中将姫を迎えに来る早来迎を再現したもの、パフォーミング・アート)。
 コンサートは、枚方市総合文化芸術センターであった「日本のオーケストラの名手たち Vol.3」というコンサート。1回目が山形交響楽団、2回目が新日本フィルときて、今回は、日本フィルの5人の演奏家が来てくれました。おもしろい試みということで、毎回、参加。室内楽のおもしろい組み合わせでコンサートを企画してくれています。今回は弦楽五重奏というレアなコンサート。演奏者は、(ヴァイオリン)田野倉雅秋、田村昭博、(ヴィオラ)小中澤基道、中川裕美子、(チェロ)菊地知也。田野倉さんは、お名前を聞いたことがあったが、どうやら、大阪フィルに在籍されていたことからのようです。プログラムは、次のようなものだった。メンデルスゾーン(編曲 杉本哲也):歌曲集『6つの歌』より「歌の翼に」作品34-2、メンデルスゾーン:弦楽五重奏曲 第2番 変ロ長調 作品87 MWV R33、ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲 第3番 変ホ長調 作品97 B.180。そして、アンコールは、メンデルスゾーン:歌曲集『6つの歌』より「甘い思い出」と、ドヴォルザーク:ユモレスクだった。ヴィオラ2本の弦楽五重奏で、モーツァルトを入れないでのプログラミングというのが、凄い。濃厚なメンデルスゾーンに、有名なカルテット「アメリカ」を連想させるドボルザークの3番とは凝っています。さすが、ヴィオラ奏者だったドヴォルザークらしく、ここでもヴィオラが大活躍。ソロの多くが第2ヴィオラに宛がっているので、メンデルスゾーンで、第1ヴィオラだった小中澤さんが、こちらでは第2ヴィオラに回りました。でも、第1ヴィオラにもソロで演奏する部分を残している。凄いヴィオラへのこだわりです。ホント、こういった室内楽を聴くに適したホールなので、京都のどこかの室内楽専用のホールに比べると、ずっと、このホールで聴くのがいい。もっと、ここでやってくれないかなと思いながら聴いていました。今回も、トーク入りというのも、室内楽らしくて、いいですね。音楽の話も聴きたいけど、世間話的な話も、こういったときにはいい空気を作ります。完売の盛況も納得です。


2024年 5月 18日(土)午後 7時 40分

 今日は、予定表に映画に行くと入れていたんだけど、連続7日のお出かけになるので、取り消すなら今日かと思い、かなり、その気になっていた。他の日に行く映画を、今日に回して、その映画が入っている日を空けようかとか、考えたりしていた。でも、最初の予定通り、京都文化博物館に行った。こちらのアーカイブで、「山椒大夫」が上映されるというので、マークしてあったのだ。なんせ、ヴェネツィアで評価された映画だ。まだ、観てなかったので、この機会にと思ったのだ。5月は、こちらの上映会は、「映画に見る平安時代」という特集が組まれている。長谷川一夫の「源氏物語」もそそられたのだけど、何でもかんでもというわけにいかないだろうと、今日の1本を上げておきながら、諦めかけたのだが、行って良かった。人買いが出てきたり、親子別離&再会譚は、観るのがしんどいかと思ってたけど、全然、戸惑うことなく観ることができた。何でだろう? 平安時代の貴族に、「平等」を説かせるという場面が序盤にあったので、あれ?と思ったのが1つある。讒言で左遷される父親が残す言葉なんだけど、これが、どう生きるか、気になった。でも、騙して人買いに遭ってしまったり、母親は売られ遊里に行かされたり、兄妹は奴隷としてこき使われたり、途中、脱走を試みたものには、えぐい拷問があったり、、、こういう映画好きじゃないんだけど、観てしまってた。先がどうなるのかが気になったからかな? セットやロケの感じも良かったことが大きかったのかもしれない。「平等」が、時々、顔を出す。山椒太夫の長男は、その教えを聴いて、親元を離れ、出家していた。そして、厨子王を助ける。国守になった厨子王は、「平等」政策を実行、権力は、そのためと、復讐のためにだけ使い、その目的を達すれば辞職。一貫した柱があるのが、評価されたのかもしれない。個の強く出た作品だなと思った。「平等」政策と言っても、あくまでも、自分と一緒に苦しんだ人たちを救う、自分たちを苦しめた山椒太夫に復讐すれば、それで十分で、それ以上は無関心。常に個人的事情でだけ動いているのがおもしろいと思ったな。安寿の方が強い意志を持っていながら、いや持っているから、男の方が動きやすいと思ったのか、厨子王に任せ、自死をする。誰かに助けられたのかなと、原作を知らないものだから、そんなことを考えながら観ていた。再会譚だったが、母親との再会とは思ってなかった。母親役を田中絹代(配役を確認するまで判らなかった)、安寿を香川京子(年配での姿しか知らないけど、楚々とした雰囲気はこの頃からですね)、厨子王は花柳喜章(全く知らなかった、花柳章太郎の養子だったから花柳姓だとか)、山椒太夫が進藤英太郎(さすがの悪役、いつの時代も悪役?)、一家の下女役で浪花千栄子(バイプレーヤーで引っ張りだこって感じですね)、少年時代の厨子王が、何と津川雅彦だって! 昨日は、朝丘雪路を思い出さされたけど、今日は夫の方でした。このアーカイブ、楽しい。そんなに詰めて出なくてもいいので、黄紺でも知る有名作品、これからも拾って行こうと思ってます。ただ、古い映画は、音声が落ちるので、しかも劣化が進んでいるので、辛いところだけど、耳の聴こえる内に観ておきましょう。
 この映画が、午後1時半の上映開始で、2時間ちょっと、上映にかかった。だから、今日のウォーキングは、出かける前にミニで実施。それと、京都文化博物館への往復とにした。但し、帰路は、電車乗車区間を短くして、且つ、マートで買い物を入れるために、迂回コースを採り歩いた。結果、17350歩余を、万歩計は示していた。計画、大成功です。


2024年 5月 18日(土)午前 6時 50分

 昨日は、朝からお出かけ。とっても、いい天気。昼間は、かなり気温が上がった模様。半袖姿になっていた。金曜日に朝から出かけるとなると、行き先はアスニー京都。午後は嵐山の美術館へ。昼食は、以前から狙っていた、円町駅近くにあるシンガポール料理を出す店。初めて行ってみた。小さなお店、メニューも少ない。黄紺の注文した海南雞飯。他には、バクティと何とかラクサがあった程度。食べかけて、最近食べたところと思い、ミスに気が付いた。先週の土曜日、刈谷でカオマンガイを食べたところだった! お値段の分、刈谷の方が、チキンの量が多かったな。
 アスニー京都の市民向け公開講演会は、昨日は、前回同様、「京都市社会教育委員による出前講義‶京(みやこ)まなびミーティング‶」として行われた。お話しをされたのが、ウスビ・サコ(京都精華大学前学長/人間環境デザインプログラム教授/京都市社会教育委員)さん、お題は「多様性を重んじる新たな学びの場の創造」でした。サコさんは、学長時代、Zoomでお話を聴いたことがある。とっても奥深いお話をされる方という印象が残っている。ただ、今回は、内容が多かったため、かなり急がれた、瞬間、それを理解したつもりになっても、もう、その直後には、新たな情報が飛び込んでくる。頭が追いついていかない。しかも、レジュメがないため、思い出す糸口がないと、とっても、困った状態。なんとか、メモを取りながら聴いていたので、それが唯一の手掛かりだが、お話をなさったことをメモっておく。「ご自身のこと、マリ出身だということは知っていたが、中国経由で日本に来られたそうだ、多分、初耳だと思う、それから30年、日本に居る」「マリでの生活の思い出、地縁・血縁の強い社会、知らない人が家に留まっている、しばらくすると、その人たちが子どもに説教しだす、そういった、日本では失ってしまった共同体的側面が生きている」「学校はフランス語で授業、家では自分たちの言葉、言語と言葉という使い分けをされていた、生活に根差さない言語、そうでないのが言葉で生き方を教える、授業でシャンゼリゼ通りが出てきても実感が伴うわけがない! 日本では、一切合切を学校が教えようとする」「マリの歴史、ソンガイ王国が植民地前の国家、文字を持たなかったため、口承で伝わった憲法のようなものがあった、世界最古の憲法の1つ、地域にジュリ(グリオ)という語り部がいて、地域の調整役を担っている」「20年程前に日本国籍取得、日本のパスポートを持ち外国に行くと起こった事件幾つか、個で認識するのではなく、フレームで認識する」「人種の意識は、フランスに行ったときに、初めて持った、フランスでテロが頻発したときがあったが、2世や3世、鬱屈したものがあるのだろう」「中国は遠慮がない=好奇心が旺盛、日本は遠慮深い=チラ見をする・好奇心を持たせない」「日本は、留学生受け入れ10万人計画(2003年達成)、30万人受け入れ計画(2018年達成)、だが、日本社会に受け入れ態勢ができていない、、、サコさん自身の体験談(おない文化、わりかん、下宿先でのパーティ、近所の人たちの反応)」「同化しようと思ったことはない、他者と出会い、居場所の開拓に努める、アイデンティティを持ち日本社会に参加の意識」「肝心のグローバル化や多様性を語られた部分のメモが判然としない!」「コロナは‶不便‶を教えた、人間関係を見出すことを教えた」「個を特定の文化に当てはめるような考え方をステレオタイプ化と言われた、その背景に、共同体が消え集合体になっていることがある」「‶軸となるアイデンティティ‶というタームを使われていたが、コンテキストが判らない!」「ドイツ&スイスの外国人労働者の定住、即ち、出稼ぎから始まる流れを捉え、‶労働力だけが欲しかったのに人間がついてきた‶と言った学者の言葉、めっちゃ適切!」「子どもに肌の色のことを問われ、‶テニス焼け‶と答えたエピソード、解らなかった子どもが、会話をしている内に、肌の色のわけを見つけていった、、、子どもに好奇心を育てることが大切」「日本というところ、、、テンプレート化、フレーム化作りに勤しんでいる、大学は工場化している」「自信のなさは排他的になりなりかねない(リチャード・セネットの言葉)、、、失敗を教えることが肝要」。最後の方は、猛スピードで進んだので、まともなメモすら取れてなかった。これで、あとから読んで、解らないだろうなぁ、、、(>_<)
 午後の美術館は嵐山文華館。ここは、今、福田美術館とともに、「君があまりにも綺麗すぎて ~福田コレクションの美人画~」という展覧会が行われている。福田美術館の方が、鏑木清方、上村松園を中心に、大家の名品を揃えたという印象だった。1週間前に書いた自分の文を読んでも、その驚き、感動が蘇る、頗る付きの展覧会だったのに対し、こちらは、Youtube動画で副館長さんが勧めていたように、こちらから観るべきだったという展示の仕方。近い方から入ってしまった黄紺は、後先が逆になった。というのも、こちらは、階下の展示室で浮世絵作家、いや、それ以前の作者不詳と書かれた作品があるように、江戸時代に美人画なるものが登場した頃の作品から展示されているのだ。そして、2階の大広間に移ると、そこに近代の作品が並ぶという趣向。時系列的に、こちらが先だというわけ。もう1つ、わけがあった。観終わってから判ったことだが、名品中の名品の全体的な質という観点では、福田美術館が圧倒していた。伊藤深水なんかは、こういった言い方をするとまずいとは思うが、鏑木清方ものなどは、福田美術館にある方が圧倒していた。だから、全体的にと書いたのだ。1階の展示には、歌川広重、葛飾北斎、勝川春章、歌川国長といった著名な作家の作品があったが、広重の「六十余州名所図会」以外は肉筆画だったはず。作者不詳の「二美人と念仏法師図」は、遊女と坊主を組み合わせるという滑稽な図柄、宮川長春の「括り枕と美人図」は、立ち姿の女を描くものが並ぶなか、枕を脇の背後に置き寝そべる姿、妖艶さが増します。広重の「美人と猫図」は、「源氏物語」を思わせる猫が出て来る、北斎の「砧美人図」は能を連想するが、いずれも江戸の女性だから、物語から連想するテイストと異なるのがおもしろいが、同時代的にはこうだったのかと、風俗に思いが飛ぶ。長陽堂安知の「立美人図」、梅翁軒永春の「雪卯模様着衣立美人図」の女性は、えらく恰幅がいい。前者の女が着る着物の柄は大きい上に、縁取りの線も太いものだから、恰幅度が上がってた。美人の捉え方が、やはり違います。そういった中で気に入ったもの3点。国長の「町娘立姿図」が1つ目、赤と黒だけで描いている。着物の模様は、ピンクで桜、これ、洒落てます。あとの2点は、久しぶり感のある祇園井特もの、「京妓美人図」「美人立姿図」。祇園井特は、以前、どこで観たのだろうと、思い出そうとしても思い出せない。表情が、全然、違う。生々しすぎます。その側に、版木を並べ、浮世絵の摺り方を解説するコーナーが設えられてるんだけど、その見本として置かれていたのが、谷口香嶠の「白鷺の精」、これ、神秘的で、めっちゃ優れもの、流れからしておまけってところだったけど。2階に上がる。いきなり鏑木清方、「雪」「早乙女」が並ぶ。前者の着物の模様が紅葉、雪に紅葉。早い雪なんでしょうか? 池田蕉園の「春の日」を挟んで、伊東深水が3点。「春の窓」「稔の秋」「ささやき」という順で並ぶ。ここで見せた配置の妙。真ん中の作品が農婦を素材にしたものだった。違和感のあるものを挟むという趣向は、福田美術館でも見せてくれていた。変化で、お互いに引き立たせようの趣向ですね。でも、伊東深水の農婦もの、美人画には違わないけど、他に観たことあったっけ。「ささやき」が、この大広間での最優秀賞であることは異論ないでしょう。何を言ってんでしょうね、描かれた女たちは、それが気になる、作家の凄腕を観た気がします。山川秀峰(春駒)があったけど、普通だったのでスルー。その並びに、北野恒富が2点、「美人」「阿波踊」だった。大きな「阿波踊」は、少し先に合った岩佐古香の「朝顔日記図屏風」(目が開く直前を描いたと解説されていた)とともに、大きさで目立っていた。大きさではなく、奇抜さで目を引いたのが、3点出ていた谷角日沙春。「四季掛」「舞図」「美と顔」だが、その3点目。三角だけで描かれた作品、キュビズムにはまったの? はしかだと言うから。上村松園も2点、「静御前」はともかくも、「雪女」を、惜しみなく出していた。おかげで2度目の遭遇になった。このサイドにも鏑木清方もの2点(道成寺、偐紫田舎源氏)あったが、関心が向かず、こちらにも1点出ていた伊東深水ものに目が行った。だって、題名が「紅蓮白蓮の雪路」だったんだから。何かの物語に取材していると、解説に書かれてたんだけど、「娘の芸名はこれから?」と思ってしまったからね。てなことで、堪能。前日にキュビズム観て、昨日は日本画、いいねぇ、変化、飛び過ぎや!


2024年 5月 16日(木)午後 8時 51分

 ようやく休養の取れる木曜日を迎えた。プチ旅行を挟んで、かれこれ1週間、遊び続けたことになる。その間に、うまく洗濯のための時間を挿し込んだこともあり、今日は、それもなしで、全くフリーの一日。昨夕の歯の治療も順調で、痛みが出ていた歯茎も、おかげで、朝には、ほぼ痛みが消えていた。治療は、麻酔が効いてるにも拘わらず、患部はダメで、痛い治療を受けてしまいました。そんな日だったので、当然、定番の日に2回のウォーキングは、ばっちしできた。夕刻、万歩計を見ると、17000歩を少しだけど上回っていた。なかなか上首尾だったが、夕方のウォーキング時、歩き出すと、なんだか力が入らない。真夏だと熱中症を心配するんだけど、この時期は、まだ早い。ましてや、今日は涼しかったので、そんなことはありえないとなると、エネルギー不足。時ったま、ある。頭がふらついて力が入らないではやばいが、そうではなく、足腰に力が入らない感じだったので、そのように判断。そういうときは、即座に、コンビニを探す。知らない土地だと、ググると判るから便利だが、今日は近所での出来事だから、コンビニに直行。アイスを買う。更地が、その近所にあったことを思い出し、そこで腰かけて食べた。これ、即効性があるんだよね。今日もそうだったので、結局はエネルギー切れだったみたい。しっかりと食べてるんだけど、まるで、これじゃ、栄養失調だなと、自分に突っ込みを入れながらのことでした。
 午後の一時は、プチ旅行の後始末。必ず、「GUNLUK」に旅行の記録を残すことにしてるが、2日目が未完成だったのだ。それだけ、それを書く時間が取れないほど出かけてたってこと。仕方がないと言っててはダメで、日が経つにつれ、どんどんと記憶が遠ざかっていくので、精度が落ちていく。特に、美術館に行き、観てきたものを書いておかないとと思うのだ。記憶は、時間の経過につれ、間違いなく減退するから、早いに越したことはない。美術館でもらった作品リストにメモを取ることにして、なんとか、忘れないように工夫もしているが、時間が経てば、そのメモを読んでも、思い出せないということも起こるのだ。でも、ようやく書き上げることができました。今日は、朝方は、昨日観た「キュビズム展」のメモを見ながら、記録を残したしと、なかなか肩の凝ることをしてしまいました。だけど、ようやく、完成、ホッとしたな。でも、振り返ると、各美術館、特徴を持っていますね。地方美術館巡りは、正に、狙いはこれだという感じです。思いがけない発見もあります。まさか、浜松で「月百姿」を観れるなんて思ってなかったし、北蓮蔵って作家さん知らないと思い込んでいたら、岐阜で観て、とっても印象に残った作家さんだとは、、、。しかも、その作品自体に再会できたのだから、嬉しかった。岡崎の手塚愛子作品の斬新さには度肝を抜かれた。岐阜の企画展ともども、現代アートのおもしろさを、岡崎は堪能させてくれました。かと思うと、岐阜に行くと、ルドンとともに、川合玉堂に会えるというのも、いいね。そして、今回も、白髪一雄作品に出逢った。今年になり、豊田、岡崎、芦屋、岐阜と、既に4ヶ所で、いや、尼崎で観たのも今年だとすると、5ヶ所だよ! これ、凄いことだよね。今度の地方美術館巡りは、ちょっと間が空きそう。7月に韓国があるから、自重しないとあかんから、早くても7月末から8月になると思ってます。


2024年 5月 16日(木)午前 8時 11分

 昨日は、朝からお出かけ。しかも、京都でハシゴ。1週間程前から続いた連続的なお出かけ、しかも、プチ旅行も含めてのもの、その最終日も、なかなかハード。午前中に市民向け公開講演会、午後に美術館に行ってきたが、夕方、帰宅すると、しばしPCの前で寝落ち。気が付くと、午後6時に予約がしてあった歯医者に行く時間が迫っていました。夜も「歴史探偵」を観ていて、寝落ちしてしまったしと、かなり疲労が溜まってるようです。だから、ウォーキングのための特別な時間を取らなかったけれど、万歩計を見ると13300歩余となっていた。やっぱ、美術館に行くと、この歩数以上に疲れるってことですね。
 水曜日の市民向け公開講演会と言えば、アスニー山科でのもの。昨日は、「歴史地理学的視点から見る京都」というお題で、関西大学文学部准教授の松井幸一さんのお話を聴くことができた。が、始まって間もなく30分程寝落ち、ここでも寝ていたので、前の1/3は覚えていないので、その範囲内でメモっておく。お話は2本立てだった。①平安京の都市軸はどこにあったか? ②近代京都の富裕層の居住区域の変化、これが、その2本。だから、①がかなり飛んでいる。「都市軸」というのは、家屋が集中し、都市の機能の中心軸。ただ、気になったのが、ここで「商業区域」というタームを使われていたこと。確かに、「都市軸」=「商業区域」というリンクは、簡単に想像できるが、平安京の場合、長安同様、都市規制があったため、東西2つの市のみが「商業区域」であったはずで、自由に営業をできるというものではなかったのではと思った。後期になり、その都市規制が緩んだ中で、そういったタームを使われるのはありなのかもしれないが、その辺の解説も欲しかったな。聴いていて、落ち着きが悪くなった。それは置いておくと、前期は、二条大路と町小路という2本の都市軸、もちろん左京の方だ、既に。それが、後期になると、全体が南にずれる。これらの特定は、平安京の小屋跡の遺跡発掘成果だと言われていたが、そんなに掘り起こしてるのかと、これも、ちょっと「?」が点った。その南へずれた原因が、政治の中心となっていった「白河」「六波羅」「法住寺」という場が、平安京郊外で、南東部に固まったからだろうと言われていた。それに引きずられたということだった。②は、明治以降を段階的に検証していかれたが、自分的関心はあまり高まらなかったので、あっさりメモとしておく。明治に富裕層の居住地のあったのは、左京部、御土居内部、西陣、伏見。商家といった自営業で富を得た人たち。そして、ポイントは、職住未分離の時代を反映している。当然、右京は宅地にはなっていない。大正時代に入り、平安京の外側だった区域の宅地化が始まる。その頃から始まり、今も続くのが、「innner limit」というタームを使われていたが、中心部の以前からあった富裕層の居住区間と、郊外の富裕層の居住空間との間にできる区域で、富裕層じゃない人たちが住む区域。隙間の空間が生まれていくというのだ。西陣も、商家の衰退が起こると、ここに取り込まれて行く。1960年頃、要するに高度経済成長期になると、サラリーマンの中で、高額所得者が現れてくることで、北部や右京の太秦、桂といったところに、そういった人たちが住み出す。また、職住分離が進むので、内部にいた富裕層が、住の場として郊外に出ていくという要素も出てくるが、「innner limit」はそのまま。1990年頃になると、周りの山裾へと、富裕層の居住地が迫るということで拡大していく。東山を越え、山科が含まれていく。また、都心部にはタワマンが出現してくるが、「innner limit」は狭まるが残る。そんなお話だったかな。
 山科から地下鉄で東山に移動。岡崎に向かったわけだが、となると、お昼は、定番のネパール屋さん。チキンとえのきの入ったカレーをいただきました。このお店、毎度、具が多いのが嬉しい。そして、京セラ美術館での「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」という展覧会に行った。キュビズムの展開を時系列的に追った展覧会ということで、冒頭は、セザンヌから始まった。だろうと思っていて、その通りだったが、これどこまでカバーするんだろうと思ってたら、いつまで経っても終わらない。ついには、1階の南北の回廊を両方使った大部な展示となっていた。道理で、この時期、コレクション展がないはずです。最後の方では、ル・コルビジュまで出てきてたんで、キュビズムって、ここまで押さえなければならないんだと、いい勉強になりました。自分的には、滋賀県美で小倉遊亀が、セザンヌからピカソが受け継いだという、静物画で、同時に多視点の絵を描いたということを学んだということを知ったとき、ようやくセザンヌになじめなかったわけが解ったということが、キュビズムに関心を持つことができたきっかけだった。かつて、リヨン美術館で、初めて19世紀、20世紀のフランス絵画を観て、関心を寄せたとき、なじめなかったのが、クールベとセザンヌだったが、その後、いろんなところで、セザンヌだけは近寄りがたかった。それが、滋賀県美の解説で氷解。だから、セザンヌものが、冒頭に3点あったが、「ラム酒の瓶のある静物」(ポーラ美術館)に、どうしても関心が行ってしまった。ポール・ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」(松方コレクション)、既視感のあるアンリ・ルソー「熱帯風景、オレンジの森の猿たち」が、「①キュビスム以前̶その源泉」では並んだ。そのコーナーには、アフリカの呪物用の木彫作品が並び、プリミティブ・アートの要素も、源の風景であることを教えてくれる。20世紀初頭って、プリミティブ・アートの影響って大きいってこと、ハンブルクで「カール・シュミット=ロットルフ展」を観たときに覚えた。これがないと、「②プリミティヴィスム」に繋がらない。このコーナーの冒頭に、パブロ・ピカソの「女性の胸像」があった。これ、観れただけで、元を取った感じ。まなざしが強烈だもんね。それと比べると、盟友ジョルジュ・ブラックの「大きな裸婦」は大人しい。この印象、この2人の作品が終わるまで続いた。ジョルジュ・ブラックの生真面目な印象、ホントはどんな人だったかは知らないけど、まとまった、収まったという印象なのに対し、ピカソの方が大胆という印象は、終始続いた。マリー・ローランサン「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」も、この並び。そか、マリー・ローランサンの描く女たちの能面ぶりは、プリミティヴィスムだったんですな、納得。「③キュビスムの誕生̶セザンヌに導かれて」で、ジョルジュ・ブラック「レスタックの高架橋」「レスタックの道」「レスタックのテラス」というように、セザンヌ縁のレスタックを訪ねた作品が並んだ。「レスタックの高架橋」は既視感があるから、特に有名なものなんでしょう。多視点、定型化された家々、遠近法を使ってるかと思うと、無視をしている。「誕生」に相応しい作品。ジョルジュ・ブラック「楽器」もここにあった。ピカソは「裸婦」が1点。背後の山と主たる女性が一体化しておりました。「④ブラックとピカソ̶ザイルで結ばれた二人(1909–1914)」では、まずピカソから。「肘掛け椅子に座る女性」までは形がとれたが、有名な「ギター奏者」は、生で観ても形が取れない、「少女の頭部」「ヴァイオリン」に至っては、完全にお手上げ。それに対し、ブラックは、そうではない。「レスタックのリオ・ティントの工場」は俯瞰図として観ると、形が取れる。「円卓」では「だまし絵」として観ると、何か判るような気がしてきた。そういった目で観ると、「果物皿とトランプ」は、何層にも重ねたものと、視点が複数あるどころか、これだと平面移動だが、重ねられると立体移動を試みているようだと思えると、やっぱ、「だまし絵」の精神で観ると、いいのかなと思い始めた。という具合に、ブラック作品は、自分で納得しようとして、何かの理屈を付けられたが、ピカソはダメだった。コラージュという手法が採られたものもあったはずだが、よく判らなかった。「⑤フェルナン・レジェとフアン・グリス」から、ピカソとブラックを離れた作品群が出てくる。知らない作家がほとんどだが、逆に知っていると、その配置に驚かされていた。ここに出てくるんだ、こんな連関性があるのだと、いい勉強です。フェルナン・レジェとフアン・グリスも著名な作家のようだけど、黄紺は知らなかった。フェルナン・レジェの「縫い物をする女性」などは、面と面の組合せになっているので、お題を糸口に、構成がどのようになっているか考えるのだけど、なかなか困難。「婚礼」は、どの角度から見ればいいのか、俯瞰図とも見えるが、そうでもないが、人々が祝う賑わいは見えてくる。歓声まで聴こえてきそうだから不思議だ。フアン・グリス作品もお題が手掛かり。「⑥サロンにおけるキュビスム」では、アルベール・グレーズ、ジャン・メッツァンジェ、ロジェ・ド・ラ・フレネー、アンドレ・ロートの作品。知らない作家ばかりだが、徳島、愛媛の美術館からの参入だった。「⑦同時主義とオルフィスム̶ロベール・ドローネーとソニア・ドローネー」に大作が展示されていた。ロベール・ドローネーの「パリ市」で、日本初公開だそうだ。三美神が真ん中やや右寄りに、更に、その右にエッフェル塔が切れ切れに、左サイドにはパリの街が描かれている。それは見分けがつく。何で、パリに三美神なんだろうか? ロベール・ドローネーって、「青騎士」の運動に参加してたんだって、これは調べて判ったんだけど。この人、「キュビズムの色彩の排除や動的要素のなさに対して批判的だった」と出てきた。そうして観ると、確かに、ここまで観てきた作品とは違和感がある。そか、この展覧会、キュビズムを取り巻くものを、一切合切集めてくれてるってことですね、難易度、高い! ここで、南回廊が終了。「⑧デュシャン兄弟とピュトー・グループ」からが北回廊。で、いきなり、デュシャン兄弟、マルセル・デュシャンも入ってる。そうだったの? 全然、解ってない、この辺の人間関係。マルセル・デュシャンはチェスがセミプロとも言うべき腕前だったそうで、だからか、「チェスをする人たち」が出ていた。チェス盤が大きく描かれ、サロンが背景になっていると観ればいいのかな。そういった中で、フランティシェク・クプカ「色面の構成」が目を引いた。逆光のなかに立つ女性がレース状の服を拡げてる絵なんだけど、ここまでで観てなかった色だったからだ。キュビズムって、色彩に制約を加えてるってことですね、それを知った作品だった。「⑨メゾン・キュビスト」では、数字や科学などとキュビスムを理論的に結びつけようと研究が重ねられたそうだが、作品からは判らないまま。「⑩芸術家アトリエ‶ラ・リュッシュ‶」では、コンスタンティン・ブランクーシ、マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニという、黄紺も知る大家の作品が並ぶ。「ラ・リュッシュ」は、作家たちが集ったモンパルナスの住宅だそうだ。マルク・シャガールは、「ロシアとロバとその他のものに」なんかは、今まで観てきたテイストだけど、「婚礼」「墓地」は、キュビズムの影響を受けてるとうことが、黄紺の目にも判った。「⑪東欧からきたパリの芸術家たち」では、中世の祭壇画風にキュビズムで描いたレオポルド・シュルヴァージュ「エッティンゲン男爵夫人」の異色さに惹かれておりました。「⑫立体未来主義」は、ロシアの芸術運動で生まれた作品。フランスの分析的キュビスムと、イタリア未来派の芸術的要素を融合させた運動だそうだが、もうついていけません。「⑬キュビスムと第一次世界大戦」で、この芸術運動の変化を取り上げようとしていたようです。様々な運動も生まれてきて、抽象絵画の世界も拡がっていてることでしょうから、、、と、勝手な想像をしていたけれど、今まで出てきたピカソ、フアン・グリス、アルベール・グレーズを、ここで再登場させているのは、そういうことかなと思いました。ピカソの「若い女性の肖像」も、若干、先祖返りをしたようにも思えたしね。アルベール・グレーズ「戦争の歌」は、シュミットの曲にインスパイアされた作品だそうです。そして、最後が「⑭キュビスム以後」で、ここにも、ピカソ、フアン・グリス、ジョルジュ・ブラック、フェルナン・レジェなどが並び、アフターの作品になっていたような気がします。ピカソの「輪を持つ少女」などは、背景が写実的にすらなっていた。最後の最後に、ル・コルビュジエの油彩画2点「静物」「水差しとコップ― 空間の新しい世界」があった。後者などは、これをデザイン化したのが、彼の立体作品じゃないかと思わせるもの。時代は、こういった流れになるということなんでしょうか? 結局、終わってから思うまでもなく、勉強不足がはっきりとしました。学ぶきっかけにはいい展覧会だったこと、間違いありません。せめて、コーナー名に使われているテクニカルなタームを押さえることから、勉強しましょう。そういった意味で、いい経験になりました。


2024年 5月 15日(水)午前 6時 47分

 昨日は、久しぶりに、夜のお出かけを入れていた日。その時間までは、何もなかったので、いつものようにウォーキングをこなし、火曜日だったので、Radikoで「まーぶる」を聴いていた。ただ、「まーぶる」を、かなり半寝で聴いたため、聴き返したりしていた。岐阜に行ったことは、全く話題に上がらなかった。NHKのTV番組に出たことは、結構、話題となっていた。泊まり込みで、朝5時起きのロケと言っていた。黄紺は、この放映があることを知っていながら、しかも、その時間は空きだったのに、すっかり失念。視聴が叶わなかった。二葉の違った側面を観れるチャンスだったのに、逃してしまった。結構、二葉が密教についての知識を持ってるので、楽しみにしていたのだけど、やってしまいました。「まーぶる」の中でも言ってたが、その前日、喜楽館の出番のあと繁昌亭に行き、探偵仲間のカベポスター永見と会ったことは、旧Twitterに上げていたが、何でわざわざと思っていたら、出番のあった菊丸に用があったと言ってたが、そのわけが、偶然、ネット上に出てるのを見つけた。「看板のピン」をもらいたいお願いに行ったそうだ。これは、いいニュースだ。最近、軽めのネタを持ちネタにしてなかったのが気になってたから、納得のオファーですね。菊丸の「看板のピン」は聴いたことがあるが、そんなに良かったかなぁ、、、。福車が生きてたら良かったのにね。で、夕方のウォーキングは、お出かけの往復で十分と判断、帰宅後、万歩計を見ると16600歩余となっていたから、大正解だった。
 夜のお出かけは、日文研の市民向け公開講演会。ハートピア京都であった。午後6時半、開演ということだったので、どこぞで夕食をと考えたんだけど、お出かけ続きということで、経費節減を考え、近くの竹間公園でパンをかじることにした。一昨日と違い、とってもいい天気だったので、この選択は良かった。ただ、夕方の都会の公園は、さすが、子どもたちの声にたじろぐ程の喧騒だったけどね。で、肝心の講演は、日文研に在籍している外国人研究員のお話を聴けるというもの。昨日の場合、トルコ人研究員のお話だったこともあり申し込んだところ、運よく抽選に当たったというわけだった。ハサン・トパチョール(ユスキュダル大学助教授)さんが、その外国人研究員。京都大学へ留学されていた方で、その時期を含めると、在日期間は10年に及ぶそうだ。そして、コメンテーターは、 奈良岡聰智(京都大学大学院法学研究科教授)、司会は、楠綾子(国際日本文化研究センター教授)という布陣で、講演会は勧められた。講演のお題は「戦後日本における近代化‶記憶‶と‶場‶の揺らぎ ―メディア・イベント‶明治百年祭‶(1968)を例に―」。ハサン氏のお話の核心は、人の「記憶」が、どのように形成されていったか。これ、最近、流行りと言ったらダメかもしれないけど、耳にしますね。実証的な歴史研究も大事だけど、諸事件なんかが、事実とは別に、後世にどのように受け継がれていくかは、その記憶に関わってくる。最近聴いた講演で言えば、道鏡などは、実相と、かなりかけ離れた記憶として受け継がれていき、周辺の歴史も、それに伴った記憶で語られていく。ハサン氏は、エッフェル塔を例に出されていて、こういったことを述べられていた。特に、エッフェル塔の場合は、講演のテーマ同様の「周年行事」絡みだから、解りやすい例。で、取り上げられたのが「明治百年祭」という、記憶の彼方にあったものを引っ張り出されてきた。その狙いは、「日本の近代」に関する記憶は、戦争関係で語られてきた記憶についての研究は進んできているが、それ以外となると、かなり薄いものがあるという点、また、同時期の戦後日本を代表するイベント2つ、1つは東京オリンピック、もう1つは大阪万博、この2つについての記憶は強く残っているにも関わらず、「明治百年祭」はそうではない。先行研究では、東京オリンピックは「現在」を、大阪万博は「未来」を思い描いてのイベントだったのに対し、「明治百年祭」を「過去」を思い描いているという、明白な特徴があるという指摘があるにも拘わらず、探求が少ないという。そこで、この「明治百年祭」が、どのように計画され、それの実施、同様のイベントの中央での実施と、地方での実施との対比、このイベントに関わる記憶が、どのように受け継がれているかを語られていった。このイベントに対する展開を3段階に分けられた。このイベントは1968年だから佐藤栄作内閣のとき。だが、この「明治百年祭」の論議の初っ端は、桑原武夫と竹内好から提起され、「①中間文化界」というタームを使われていたが、マスメディアの中でも、高度なジャーナリズムの中で始まった。そこに閣議決定という政治の世界が加わってくると、明治維新の評価、日本の近代化の評価という論議が、学者の世界で巻き上がる。「中間文化界」から「学界」という「②限定文化界」に移行する。政府批判をする反対運動も生まれるが、それは、あくまでも学界に留まり、大衆社会へとは伝播しなかった。そこへ、「③大量(マス)文化界」が反応していった。TVなどで、明治を舞台にしたドラマが増え、「明治ブーム」が生まれた。司馬遼太郎の「坂の上の雲」、大佛次郎の「天皇の世紀」が人気を博し、その記憶は現在まで受け継がれていく。近代日本の発展という記憶も、この時期に定着していったという流れであったとされた。①→②→③へと流れて行く中で重要だったのは、②で、反対・賛成の論議があったことだったと指摘されたことが、おもしろかった。論議があると注目を浴びる、誰も相手にしなければ、そのまま流れて行き、記憶には入ってこない。論議があるから、その話題に関して注目が集まる。商売になるようなら食らいついてくるといったことでしょう。話題になってるだけで、商売の1つの段階はクリアしてしまってるということなのでしょう。そして、社会の中の記憶が生まれるためには、③への移行が肝要ということなんでしょうね。このイベントの関連事業として、各都道府県に記念公園のようなものが造られたそうだ。明治百年記念展望塔なるものが富津に残ってるそうだが、誰も知らない。エッフェル塔がフランス革命100年祭で造られたと同じだと言う。地方の受け取り方の例として京都が取り上げられたが、京都は、閣議決定以前に計画を練っていた。その結実したものとして、映画「祇園祭」だそうだ。これが、京都で「明治100年祭」があったことを示すもの。でも、この内容は、応仁の乱で途絶えた祇園祭を復興した町衆の物語。しかし、この映画のおかげで、京都への観光客、特に祇園祭をターゲットにした観光客が増えたことは間違いない。マスメディア論が、ハサン氏は専門だそうだが、社会に残る記憶の形成のされ方、この場合だと、「日本の近代」という記憶を作り出す装置としてのマスメディアを、見事に浮かび上がらせました。そういった意味では、「明治100年祭」の記憶は、ほぼ薄れてはいあるが、成功だったんだろうと言えるなということでした。とっても、おもしろいお話です。質疑応答の中で、コメンテーターさん、トルコ共和国建国100年との比較を問うというグッジョブ。あれ、そんなのあったっけ? ハサン氏、提案もされたたそうだ。また、計画も2015年に出てたそうだ(これは知らなかった!)が、実現せずですね。毎年行われているのが、たまたま100年目だったことくらいしか記憶はない。ハサン氏、「地震もあったので」と、政府が、それを言い訳のようにしたことを指摘されていました。


2024年 5月 13日(月)午後 8時 9分

 昨夜、「光る君へ」に、十分間に合う時間に帰ってこれた。西岐阜発16時22分に乗ると、京都まで、とってもいい感じに帰れるというので、落語会の最後の挨拶が終わる直前に、会場を出たのが正解で、無事、その電車に乗れたのが大きかったな。西岐阜から在来線で京都との間を移動したのは、これで3回目となる。来年の当初に「円空大賞」の展示があるので、また、その時期に行くことになると思います。すっかり西岐阜ずいています。
 今日は、メトライブビューイングを観る日。予定が立て込んでる関係で、プチ旅行の両脇も、しっかりと予定が入っている。今日は、朝が一番気温が高く、あとは下がるばかりとの予報。まさか、もう着ないだろうと思っていた上着をしまわないで正解。今しばらくは、洗濯に回すわけにはいかないですね、こんな日があると。今日の演目は「ロメオとジュリエット」(バートレット・シャー演出)。既に、ディアナ・ダムラウのジュリエットで観ているプロダクション。これが、バートレット・シャーものとは、すっかり失念しており、朝、確認のためにチェックを入れると、そうなってたので、プレミアかと思ったけれど、そう書いてなかったので、自分の忘れに、またぞろがっくりだった。装置を、よく覚えている。バロック調の家並み、その前にある広場が、物語の舞台。屋内という設定のときは、広場に置かれている広い敷き舞台を、白いシーツで被っていた。教会堂の場面では、祭壇を見せる装置を出すというマイナーチェンジで表すというもので、常時、バロック調の家並みは出したままという装置。ただ、シェークスピアものにしては、18世紀にしてあったのだが、その心は掴めなかった。今日も、福井から来ていた高校時代の友人とも、その辺の話をしたが、2人とも、糸口にもありつかなかった。映画「ロミオとジュリエット」はロケを、リヨンの世界遺産でやったそうだが、それだと、せせこましくて、喧嘩の場面なんか、作りにくいことは作りにくい。でも、それで、18世紀にしたわけではなかろうとは思うので、糸口は掴めないまんまだ。歌手陣は、次の通りだった。(ジュリエット)ネイディーン・シエラ、(ロミオ)ベンジャマン・ベルナイム、(マキューシオ)ウィル・リバーマン、(ティボルト)フレデリック・バレンタイン、(小姓ステファーノ)サマンサ・ハンキー、そして、指揮はヤニック・ネゼ=セガン。今や、メトの女性歌手のエース格ネイディーン・シエラの声質に合わせた演目が、この間、続いている。直近では、ディアナ・ダムラウの歩んだ道をなぞるように、その演目が続きます。ディアナ・ダムラウと比べると、声の強さはあるので、最後のデュエットは圧巻。元々、芝居のできる人ということもあり、ここまで伸びてきたんだろうけど、今日は、歌える役者ぶりが、一段と上がっていた。友人などは、「シエラが、ここまでできるとは」と感嘆の声を上げていました。彼女、まだ、30代のはずだから、まだまだ、これからだよね。でも、若いはずのネイディーン・シエラといえども、ジュリエットとなると、さすがに年恰好できつくなり始めている。ま、当たり前、ジュリエットが相手では、誰がやっても分が悪いわね。相手役のベンジャマン・ベルナイムは初遭遇。友人も名前を聞いたこともなかったと言っていたが、ネイディーン・シエラの相手役として不足はなかった。フランス語の解る友人は、「やっぱ、発音が違う」と言っておりました。今年のメトロポリタンの公演を見ていると、様々な人種混淆のキャストを用いる傾向が、ようやく出てきた。ドイツから帰ってきて、そうではなかったメトロポリタンの公演を見ると、とっても違和感があったのだけど、ようやく変わってきたかなと思い始めています。
 映画館を出ると、三条通に新たにできた回転寿司屋で昼食。帰りに、京都国立近代美術館に行き、先日、置忘れをしてしまった傘を取りに行かねばならなかったので、いつも烏丸通方向で昼食&お茶をするのだが、今日は、そういうわけにはいかないなと思ってたら、行きがけに、店を見つけてしまってたのだ。いつものように、オペラ、落語、鉄道の話で時間が過ぎていきました。こんなこと、もう、2人でん十年続けています。


2024年 5月 12日(日)

 朝9時前に刈谷を出発。大垣行きに乗ると、1本で、目的地西岐阜に到着。今日は、西岐阜が活動の場。午前中に岐阜県美術館に行き、午後は落語会に行くというスケジュール。岐阜県美術館は、2月にも行ったが、いきなりアクセスを間違った。午前10時開館前に到着。2月のとき同様、開館を待ち構えての入館。こちらでは、幾つかの展覧会が並んでいた。まず、「クロスアート4 ビロンギング -新しい居場所と手にしたもの-」に入った。昨年観た「円空大賞」展と同じスペースを使い、こちらは、岐阜県出身で、様々な地域で活動している5人のアーティストの作品を展示するという展覧会。松山智一は、アクリル画で、自在のキャンパスの形の上に作品を制作するという作家。ぱっと見、村上隆を思い浮かべた。明るい色彩で、アニメ的なキャラが出てきたり、花鳥風月、草木を描くところなんかは日本画風と解説には書いてあった。そか、そういった目で観ると、透視図法を明確に使ってはいても、平板な感じもする。どの作品にも描かれている人物には、いずれも鼻がないため、人物の平板さは、そこからは、少なくとも出ている。真ん中に置かれている家具は、遠近法で描かれていないような印象を持つ作品もある。5点中ある4点目を観ていて、朝顔が散らばるのように、流れるかのように描かれている途端、「鈴木其一だ!」と閃いた。そか、有名作家の有名作品のモチーフを、忍び込ませているのかと思い、冒頭の作品から見直す。すると、どの作品かは判らないまでも、犬や山羊、鴨といった動物、人物の来ている服の柄、そんなのに既視感があった。HPの作家紹介に「古今東西の美術や大衆文化からサンプリングした、、、」と書かれたあったのは、正に、そういったことだった。そして、最後の作品に目をやると、あっさり、「山水やないか」と、納得。もちろん、忍び込ませていると言うか、その構図が、正にそうだと思ったのでした。おもしろいことするなぁ、この展覧会のチラシで観たときは、何が何だか判らなかったが、何かが見えてくると、うきうきするものですね。公花は、西サハラの女性たちが身につける民族衣装の布地を使った作品。側に置かれているモニターでは、女性たちが、自分の着ている衣装の一部を割き、作家に渡してるのかな、そういった映像が流れていた。山内祥太の映像作品がおもしろかった。最初は、自分の顔をデザイン化したものかな、その上に、様々な顔を被せていくというCG作品。性、身分、時代、、、とカテゴリーの異なる顔を被せていく内に、その被せていく顔の角度が歪んでくる、更に、最後の方では自然の風景を被せていっていた。土に返っちゃったの?と自問してしまった。顔が被さった跡が判るように重なり方も見せてくれていた。後藤映則の映像作品も斬新だった。透明な箱の中に、ぐるぐる回転する繊維状のもので作られた通路のようなところに光を照射すると、人が大きくなったり小さくなったりして歩いているように見える。3Dになってるのだけど、それはそれで観たことのない世界だったが、それで何がやりたいんだろうと考えると、さっぱり解らなかった。でも、楽しい。横山奈美の作品は、ネオンで作った文字を小さなキャンパスの上に配置するといったものだが、それを、何枚も横並びにしている。ずっと端から観ていったが、それらにマイナーチェンジでもされてるのかと思ったが、最後まで判らなかった。で、何なんだろう? イマジネーションが膨らむってことが、結局なかったけれど、各々、傾向の違う、でも、作品を、じっと眺めてしまう。そして、やっぱダメと諦めてしまう。時間的余裕もあったことから、気が付くと、この展覧会場に50分程居た。どうなってんの? それだけ見入っていたってこと?
 コレクション展が、幾つかのセクションに分かれていた。今まで観たと同じ展示室だったが、拡げることができるスペースだと、初めて知りました。1つ目は「象る-彫刻コレクションから」というもの。素材はいろいろ。ブロンズや鉄といった金属、木を素材にして、切ったり削ったり、木彫というタームでは表せない作品があったり、ガラス製品も、そして、よく眺めたら陶だったというものもあった。そういった中で、記憶に留まる作家2人、様々な種類の木のオブジェを作った小清水漸の「作業台」と名の付いた作品が2点。もう1つは、トルコのマントゥを両脇から圧力をかけたかのような小さな塊を、床にばらまいた伊藤公象の「多軟面体シリーズ/白い生物」が、陶って、いろんなことができるんだと、その可能性を、またまた教えられたった感じで、印象に残った。自分の知らなかった世界を見せてもらえた作品に興味が行ったようだ。次なる展示は「線・面・痕跡-安藤基金コレクション:20世紀の美術から」というコーナー。「線・面・痕跡」の3つの小パートに分かれていたが、各々に、黄紺も知る作家さんの作品を見つけることができたので、知らない作家さんも、それなりの大家なんでしょう。「線」では、李禹煥の「線より」という画面分割の作品、元永定正「せんとあかいろのかたち」という件の可愛い印象を与えるものがあった。何かを足せばいいのかと思うのが前者、何かを象徴しているように見えるのが後者だろうけれど、その先へと進めなかった。「面」では、しっかりと観てみたいと思っている猪熊弦一郎の「スクエア・イン・ザ・ウォーター」があった。追いかけて、いつかは丸亀まで行こうかと考えている猪熊作品だけど、今回の作品を観る限りでは、道遠しの感。ジョゼフ・アルバースの「形成 分節」という作品は、美術教育の教材のように観てしまった。解説を見ると、バウハウスの出身となっていた。何か、関係があるのだろうか。「痕跡」には白髪一雄ものがあった。ホント、よく出会います。それだけ、評価が高い証拠ではないかな。「地魔星雲裏金剛」という題名が付いていたが、見慣れた白髪ものと観える作品だったから、これで、余計に「?」となってしまった。ルーチョ・フォンタナという人も大家のようだが、「6点のエッチング(空間概念)」という作品は、マチエールを楽しむものなんでしょうか? アントニ・タピエスも大家のようだ。こちらは、金箔のコラージュでいいのかな? 「西洋美術コレクション:パブロ・ピカソを中心に」というコーナーは、ちょっとせせこましいスペースを作り、展示してあったが、そこへ入ると、驚きの大家が並ぶという仕掛け。ピカソにピサロ、それに、ルノワール、ブラック、ミロなどがあった。これは凄い。何が嬉しいかというと、ピカソとミロが並んでる姿。これって、マドリード以来だよ。マドリードじゃ、嫌というほど、この並びを観たけどね。そんなことを考え、振り返るとルノワールがある。いい光景です。ルノワールの描く女性の肌が、いつも以上に優しさと温もりがあるように感じられました。そして、最後が、「ぎふの日本画 おいしかったよ すばらしい鮎だ  書簡にみる画家と岐阜の人々の交流」。コレクション展の白眉は、ここだった。コーナーの題名だけを観ていては、何をするのか判らなかったが、岐阜県縁の作家、川合玉堂、前田青邨の書簡を展示するとともに、その作品を展示しようとの試みだった。「鮎、、、」は、その一例で、決して、鮎に、食卓に特化した作品を展示するための掴みではなかった。書簡の数が、かなり多かったので、読み尽くすことはできなかったけれど、作品を鑑賞する者の心を穏やかに、平安な気持ちで、その場に居ることができるという環境づくりとしては、おもしろい試みですね。で、作品は、岐阜へ来る最大の楽しみと言っていい、川合玉堂ものを観れる嬉しさです。この人の水墨画はいい、ホントに、いい。山水を観ても、自然が自己主張をしない。その中に抱かれているような気分にさせられる。制作している作家と同じ空間に居てるという気にさせられていまいます。淡~い雰囲気抜群の「鵜飼図」「養老図」があるかと思うと、勇壮には見えるが、決して人をはねのけるとは思えない「駒ヶ獄」、それは、「鐘馗図」を観ても、そう思ってしまう。人物花鳥図の変化に沿った素材を描くなか、芭蕉の葉の大きさ、重さ、ふくよかさ、そういったものが出ているのが抜群。「刈田鶴」は、誰かの喜寿祝の作品で、双鶴が描かれているが、鶴の足元の田の畦道は「七七」という形になってました。洒落てるぅ! それに比べると、前田青邨の方に向ける関心が薄くなってしまったが、相手が悪かった。ちょっとお茶目な印象を持ってしまった「風神雷神」、琳派風な面もありそうな「水辺春暖」などという作品が展示されていました。
 移動に時間が採られないということで、ゆったりと鑑賞したあと、朝ご飯をホテルで腹いっぱい食べたので、昼は抜こうかと考えもしたけれど、口が吉野家で南蛮から揚げ定食を食べるようになってたので、頃合いをみて退出。そして、昼食を経て、JRの線向こうへ移動。こちらのお寺での落語会に行ってきました。「敬念寺落語会10周年記念公演」が、その落語会。たまと二葉の二人会なんて、大阪でもないということで、これを目的に、今回の旅行を組もうとしたのだった。100人ほど入る本堂での会。午前中は、檀家さん相手の会があり、午後は一般向けとなったそうです。会主さんからの挨拶で判ったのは、元々、福笑の会でスタートしたそうで、それを、たまが受け継ぎ、二葉がNHKで勝ったときに、今の間に押さえておけばとのたまのサジェスチョンで、二葉に声をかけた模様です。会場には、二葉追っかけの人が、福岡、東京、京都からも来ていたそうです。京都と聞いて、「京都からはわいだけやなかったんかいな!」と、ちょっと困惑。で、番組は次のようなものでした。たま&二葉「トーク」、たま「寿限無」、二葉「青菜」、(中入り)、たま「ぐつぐつ」、二葉「佐々木裁き」。「トーク」は、開演前に質問用紙を配り、それに2人が答えるというもの。その中で各地から客が来ているという話が出てきたのでした。「寿限無」は、名前を付けるところはカット、その後の無茶なエピソードを喋るというもの。但し、ここでマクラを15分も喋ってしまったため、押してしまった。そんなで、このあとは、ほぼ、2人ともマクラなしでの高座となってました。たまがしゃべり過ぎたのは、会長選挙ネタ。これ、岐阜でも大受けだったな。「青菜」で、あろうことか寝落ち。あとから出たたまが、「久しぶりに二葉さんを聴いたら、めっちゃうまなってる」「本格派になってる」と言ってました。ちょっと、自分の落語に対する言い訳めいたこと言ってたから、これ、ホントにそう思ったなと思ってしまってました。その後、二葉が「青菜」を出すたびに、Twitterに上がるのは、誉め言葉ばっかだから、かなり進化した模様ですね。二葉の2席目のネタを聴いて、短いネタに変更したと言ったたまは、「3分間、ネタくったらできそうなんで、やります」と言って出したのが「ぐつぐつ」だった。「佐々木裁き」、去年も京都で聴いたが、ここに来て、また一段と上がりました。たまが「本格派」と言うのも、思い付きじゃないと思える、高度な出来栄え。間の取り方、セリフの抑揚、言い回し、喋り込む機会が多いからこそできるのかなと思えるもの。乗ってくると、調子に乗り変にデフォルメしてくる噺家、随分と見てきたけど、その欠片もない上質な落語に向かっています。凄い!!


2024年 5月 11日(土)刈谷から

 朝7時に、家を出て、向かったのは浜松。京都からひかりに乗ると、乗り換えなしで行ける。駅からは歩いて、浜松市美術館に移動。浜松城公園内に、美術館はあったけれど、何とも人迷惑な地図のために、迷いながら到着。入場料のお支払いに、ちょっとしたトラブルが発生したのだが、係の方に根気よく対応していただきました。その間、入口近くの展示室に入った。実は、これが狙いでなく行ったのだが、この展示が驚きの充実。「ひっぱりだこ展ー全国行脚の浜美コレクションー」という企画展。この10年だったかな、他の美術館へ貸し出された作品ばかりを並べた展覧会だった。だから、人気の作品ばかりが並んだのだけど、こんなのがあったのかという驚きの方が大きかった。渡邉崋山はともかくも、次に、大津絵が並んでいた。まさか、こないなところで観るなんてと思ってると、その向こうに、更に気になるものが見えてきた。歌川広重「膝栗毛道中雀 浜松泊」、三代目歌川豊国「見立三十六歌仙 藤原敏行 累の亡魂」と並んでた。前者は、弥次喜多が、宿から転がり出てた。後者は、「真景累ヶ淵」を想起されるもの。更に、驚きは続いた。その先に、な、な、なんと、月岡芳年の「月百姿」8点が並んでたのには、まさかどころない驚き。「玉兎」「五條橋の月」といった人気作まで含まれていた。「源氏夕顔巻」に描かれた夕顔ちゃんは、首から下が消えかかるというもの、いいね、これ。対面の壁には、津田青楓が3点。日本画が2点に、洋画が1点だったので調べてみると、この人、両者の間を往き来してるんですね。仕切りの向こうには、既視感のある池田学の「再生」が控えていた。大部な作品。廃船の周りが、草や何やらに覆われることで、廃れた感が出てて、とっても目立つ。そのためか、人気一番だとか。緻密画というジャンルの作品だそうだ。その近くには、逆に、地味系のガラス絵が並んでいた。小出楢重も、このジャンルで作品を残していた。北川民次もそうだった。この人の作品は、キャンバスに描いたものも2点あった。この人、「メキシコ壁画運動」の影響を受けたと側に書いてあった。だからか、素材もメキシコだった。こういった風に、知った作家さんが並ぶと、テンションが上がります。極めつけは、オディロン・ルドン(マドンナ)まであり、重要文化財の刺繍で描かれた不動明王像という珍しいものまで観ることができました。1階のもう一つの展示室には、魏晋南北朝時代以後の仏像があったが、小さくて判りにくかったので流し、2階に上がる。こちらに、今回の狙いだった展示があったのだ。題して、「岸田劉生・北蓮蔵・曾宮一念 ー浜松ゆかりの洋画展ー」。岸田劉生が浜松縁の人だとは、この展覧会のおかげで知ったのだが、あとの2人は知らないはずだったが、北蓮蔵という名に、何やら引っかかるものを感じてたら、会場に行き、もやもやが解消。岐阜県美術館で、印象的な「コンセルジュ」という大部な作品を観ていたからだったことが判明。正に、その「コンセルジュ」が、浜松まで出張してくれてたおかげで、思い出すことができた。舞台の背景なども描いていた(帝国劇場勤務)ということで、特徴を簡潔に捉え、定型の姿を描くという、そないな作品が、結構あったと思う。「四季屏風」という大部な作品に、それを強く感じてしまったけれど、「習作」と書かれてはいたのたけれど、「岩倉邸行幸」という作品の遠近感は、凄かったな。ヴェニスやノルマンディーという外国の風景画も、幾つかあったが、こちらは流してしまってました。岸田劉生ものは、やたら、肖像画が並んでた。しかも、同じテイストで。そういった信念なのか、変わり映えしないと言っていいのか、ちょっと困ってしまいました。その中に出さないわけはいかない麗子があった。「麗子微笑像」という水彩画だ。上原美術館所蔵ものだった。人物画では、同じコーナーにあった高須光治の「婦人像」のインパクトが強かった。顔は写実に特化した描き方なのに、服と背景が同じ筆致、色。違うのは、筆を縦に動かすか、横に動かすか。その心はと考えてみたが、判るはずもなかった。曾宮一念は知らない作家さんだったので、調べてみると、回顧展なども行われている人気の人のようです。作品を観ていたら印象派、セザンヌ?なんてものが浮かんでしまった。そういった中で1つ上げるなら、「阿蘇風景」に決まりだ。湧き上がる白煙という、風景画には、こういった決めとなるエレメントがあると強い。観る者が、あっさりと作家の目を共有できるからでしょう。そういった主役以外では、藤島武二、岡田三郎助、梅原龍三郎、中川一政といったビッグな作家控えていたけど、スルーしてしまった。
 浜松から豊橋乗り換え(JRから名鉄への乗り換え方がレア)で東岡崎へ。そして、1時間に1本しかないバスに乗り、岡崎市美術博物館へ。2月に来たときに、既に目星を付けていた「ひらいて、むすんで」という企画展が行われている。最後まで行ってから、難解な企画展の発端が判った。冒頭に1点だけあった手塚愛子の作品が先にありきのというか、手塚愛子にインスパイアされたという方がいいのかもしれないが、とにかくも、手塚作品が大元にあり生まれた企画展と思えた。手塚作品の超ビッグの作品(閉じたり開いたり、そして勇気について1)があり、それがタイトルそのものの制作だったのでした。洋の東西、時系列にも二項対立という要素の入ったデザインが施された織物を、今度は、色ごとにとかルールを決めてほどき、ほどいた糸とほどいてない織布とで、造形を試みるというもの。パッと見で、「ファイバーア-トや」と呟いていた。同じテイストの作品が、入口にあったが、小ぶりな作品なものだから、他の作品の中に埋もれたという感じかな。もちろん、おもしろい作品だとは思ったが。ただ、企画展の主旨を書いたメッセージは、読解困難なものだったので、出逢う作品を、自分なりに楽しむという感じで、前へと進んで行った。Chapter_1は「開くこと、閉じること」。おもしろいと思ったものをメモっおく。中島晴美は、陶器作品で、表と裏をともに意識させる作品。岐阜県美術館の「円空賞」で観た作品に似ている。この作家さんのものだったのだろうか? あのときは、陶器の裏に表と同じ模様が入ってたので驚いた経験がある。ここでの作品の表は、岐阜県美術館で観たと同じ水玉模様だが、内側は金属の表面を表すかのようなものだった。国島征二の「Wrapped Memory」シリーズは、チラシを膠かなんかで固めて、上からペインティングするというもの。染谷亜里可の「Decolor-Level7」は、素材がベルベットとなっており、そこから脱色をしたのかなぁ、暗い中に赤っぽい模様が3Dを見ているかのように浮遊していた。目に入ってくるものとしてのおもしろさだけで、意味づけとかがあるのだろうし、チャプター設定も、何らの基準でやられてんだろうが、こちらのイマジネーションが働かないから、視覚に入ってくる記号なり、模様なりの楽しさ、おもしろさだけで満足してしまってました。それが、この後も続く。Chapter_2は「越境する、接続する」というタイトルが付いていた。井口直人は、自分の顔のコピーを、コンビニのコピー機で撮り続けている。いろんなものを側に置き、また、ときには、コピーされる瞬間に顔を動かしたときに生まれる奇妙な線を楽しむといった作品。実際、その制作風景を紹介する映像も流されていたが、ホントに、コンビニのコピー機を使ってたのには驚かされた。サム・フランシスの作品が1点あったが、この人、日本にアンフォルメルを伝えた作家さんだとか。そんなだからか、具体美術協会の誰それさんに影響を受けたという鬼頭健吾の作品もあった。これも、越境&接続の事例ということなんでしょうか。宮田明日香の作品は、手芸というものがアートというジャンルから疎外されていたことを問いかけるもの。女性の地位とも関係がありそうですね、これ。おもしろい視点。それをアートとして見せる。確かに「越境」だ。Chapter_3は「ナラティブと縫合」というタイトル。ここの最後に手塚愛子作品の大部なものが並んでいたことになる。ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)の「円Ⅱ」「豆腐にお経」が、森美術館から来ていた。前者は、何かの液体の上に円を描くと、それが、次第に周りと同化してしまう姿を撮影したもの。物体を思い書き、でも、周囲に取り込まれていったりして消えていく姿って、言葉なんかをイメージしてるんだろうか? 後者は、豆腐に書かれた文字(経文)が、時の流れとともに、土台の豆腐自体の色が変わったりしていくとともに、表面に書かれている文字も変色なんてこともしていく。「腐敗」「変化」を映像で明示した作品と言えるんじゃないかな? しかも、宗教の存在、意味を考えさせている。というようなことを考えさせる頭に浮かぶのが「ちりとてちん」だから、始末が悪い。おもしろいという意味では、これ一番かと言えるのが三科琢美の「変容するグロッタ」「線の起伏」。グロッタとは洞窟らしい。壁一面に岩壁と見える作品と、その前に岩礁と見える作品が置かれてあったので、2つの作品は一体化していたが、作品リストを見るまでは、それが紙に鉛筆書きをしてある作品とは、全く判らなかった。硬めの紙を凸凹にして、その上に鉛筆書きの線が縦横無尽に書かれていた。もう、唸るしかなかった。岡部志士の大きなキャンパスに、クレパス描きをした抽象画もおもしろかった。色が原色系のものが使われており、色同士は交わらないように描かれてある。それが5枚並び、しかも、角を使い展示されているものだから、その角に立つと、首を左右どっちに振っても、よく似た作品が目に入るという展示の仕方がされていたが、これ、意図的なものだったかもしれない。近くで観ているとスルーしてしまってたが、離れてみると、点描じゃないけど、境界の色が混じるからか、全体がふわっと浮き上がったように観える。しかも、5枚が角を使い並んでるものだから、角のスペースがふわっとしている。水彩や油彩でないから、強烈に力を入れて描かないと、地の白い色合いが混じってくるというのも、点描効果と同じような作用を及ぼしていると看た。単に描きなぐったかのように見えるが、とんでもなく緻密な計算で生まれた作品と思えた。その傍らにはミロがあったり、真坂享平の「彼女は、ダイヤの入った揃いのピアスの片方を、ここで失くした」というインスタレーション作品があった。警備員さんも加わって、ピアス探し談義をされている女性2人組がおられた。こういった風景まで用意したインスタレーション作品と言うと、言いすぎでしょうか? その先に手塚作品があり、大団円。意味なんて考えないで、ただただ、おもしろいのん、たくさん見つけた、そんな感じの展覧会、現代アートは、それでいいのだと言い切りたいと思います。
 今日は土曜日ということで、中央公園からのバスは、夕方の時間帯は、1時間に2本あったので、即、帰らないで、美術館の反対側に出てみた。いい景色です。DやSを一緒に来て、ここで遊びたいなと思える、とっても素敵なところです。この環境に惹かれて、アクセスが悪いにも拘わらず、機会があれば、また来ようと思える美術館ですね。バスで東岡崎駅まで戻り、名鉄で知立経由で刈谷へ移動。ここを宿泊地に選びました。JR線と交差する地点だというのが選んだ理由。JRの駅で、明日の切符を買ったりしてホテルにチェックインすると、ほとんど午後6時だった。ウエルカム・ドリンクにビールを2杯飲めるというので、それをいただき、ググると、何と近くにタイ屋さんが4軒出てきたので、ホテルから徒歩2分の店をチョイス。刈谷まで来てタイ料理とはと思いながら、それが刈谷の思い出とするということで、ちょっとお高めのカオマンガイで夕食となりました。


2024年 5月 11日(土)午前 5時 36分

 昨日は、朝から出かけて、京都でハシゴをした日。今日からプチ旅行に出かけるので、休養日にしたかったが、アスニー京都の市民向け公開講演会が入ったのだ。だったら、嵐山の美術館に行かねばならないということで、ハシゴとなった。移動時間が、丁度、昼時ということで、円町駅東にあるタイ・カレー屋さんに行った。初めて、レッドカレーなるものを注文した。グリーンカレーが美味いものだから、そればっか食べていたが、今回はと腹を決めてレッドカレーだったが、グリーンカレーとの違いが、いまいち判らなかった。甘さが少ないかなという程度、敢えて言えばというところだけど。おかずとして、ガッパオが付いていた。これは、ピリ辛度、超低いものだったから、その上からカレーをかけて食べることにした。具として食べたことになった。
 アスニー京都では、「桓武天皇即位の経緯」というお題で、学校法人立命館理事補佐/立命館大学文学部特命教授/京都市社会教育委員の本郷真紹さんのお話を聴くことができた。お題がこれだとと覚悟していたが、満席の盛況。入れなかった人もいたかもしれないという程の賑わいだった。また、それに相応しい内容だった。このお題だと、桓武天皇の出自に関わること? 渡来人の話題は、つい先日あったばかりだし、、、そか、廃嫡された皇子の怨霊の問題? と、日本史に疎くても、そのくらいの想像力が働いたが、本筋はそうではなかった。いや、後半の後半では、渡来人コネクションのトピックを用意されていたようなんだけど、ちょこっと渡来人に足を入れただけで、時間切れとなった。そうではなく、桓武が天智系の血筋だったことが大きな問題。その父白壁王(光仁天皇)は天智の孫、その前の天皇が称徳天皇。こちらは天武系、聖武の娘。そして、道鏡を重用したことで有名。と言っても、本郷さんは、巷間言われているような道鏡のイメージは、後世に作られたものだそうだ。でも、道鏡が天皇にとか、そんな凄い話が出て来るところだから、皇位継承がややこしい。称徳が後継天皇を決めないで亡くなったために、重臣たちのやりとりのなか、白壁王の妻井上内親王が聖武の娘だったり、山部王(桓武)の異母妹や弟で、天武系が維持できるということもあり、光仁天皇擁立が実現したそうだ。山部王が皇太子になると、異母妹で天武系の血を引く酒人内親王を妃にしている。更に、その間に朝原内親王が産まれたことで、天武系の血筋は続くと、天智系でありながら、天武系の血を意識した姻戚関係を続けている。天武の血筋を入れる努力をしていると、本郷さんは言われていた。一方、桓武の生母となる高野新笠の元の姓は和史で、高野姓を賜るが、その高野姓を使うのは、一族で、新笠と父親だけ。その高野姓は、称徳天皇が使ったもので、天皇が使った名を、その後使うということは、通常はありえないにも拘わらず、名乗っている。これも、天武系への配慮だと看ることができると言われていた。本郷さんは、平城京を離れ、長岡京、平安京へと移るのは、この桓武親子の示している天武系からのしがらみから離れようとしたことの現れだと言われる。だが、敵対するばかりではなく、その血筋を取り込むことを努めている。そうして、権力基盤を確立していくのが桓武だったとなる。それを支えたのが、「高野」の一族、ここで、ようやく渡来人が出てきた。秦氏ですわね。「朝原」は、乳母の名から取られたものだそうで、その「朝原」一族も秦氏、渡来系だった。お見事、整いました。この尻切れになった箇所も聴きたかったなぁ。
 嵐山では、昨日は、福田美術館の方へ行った。来週は、コンビチケットで嵐山文華館の方に、行こうと思っている。余計な交通費がかかるけど、この2つを分けて行くことで、腰の不安を気にせず、ゆっくりと作品を観ることができるようになったので、いいアイデアだと満足している。今、この2つの美術館がタッグを組んで、「君があまりにも綺麗すぎて ~福田コレクションの美人画~」という展覧会が行われているのです。とにかく、凄かった。上村松園と鏑木清方を、一度に、こんなけ観ていいのと思えると展示に、伊藤深水があり、池田蕉園、島成園もあったから「三園」が出揃った。思いがけない、「浦島」では、菊池契月がアールヌーボー風の作品を描いていたり、その菊池契月風のモダンな女性を描いているのが、なんと、梥本一洋(朝凪)だったりと、びっくらぽんの絵まであった。上村松園ものでは、こういった展覧会があると観ているような気になる「長夜」「美人観月」「初雪」が、1つおきに展示されていた。これほどの有名作品は、決して並べないのが、展示の妙だと、ここでも確認。「初雪」の解説文のキャッチは「あたためてあげたい」、これも、どこかで観た記憶。「四季婦女」という、おもしろい作品が出ていた。四季を、1度に描いたもの。下から上へと春から進んでいく。女性の側には、季節を表すアイテムを添えてというものだけど、あんまり興味を惹かなかった。「人生の花」は、婚姻に臨む女性を描いたもの。京セラ美術館にある嫁ぐ日の母娘を描いたものから娘だけを取り出したという感じの作品。これ、初公開なだんだって! 鏑木清方ものでは、初公開の「夜の梅」に目を見張る。鏑木清方もののイメージにはない作品。暗い色調で、夜道を歩く女の緊張が伝わってくる佳品だ。「雪つむ宵」がいい。雪明りが障子越えで入ってくる部屋で、ちょっと前のめり気味で待ち人を待つ女性。めっちゃ、いい空気出してます。「庭前清趣」は、蹲(つくばい)の前に腰を下ろし、手水を使う女性、落ち着いた何気ない風景だけど、何かを楽しみにしている風情が感じられる。こういった典型的な美人画とともに、1つの風景画の中に佇む女性2人を描いた「寮の春雨」は、鏑木清方を観てきた目には、やたら新鮮。舟で着いて、門に立つ女性という描き方も観ない構図でした。それらの対面に、件の菊池契月があり、池田蕉園があったが、気になるのが、その傍の山川秀峰の「振袖物語」、これ、既視感があるんだけど、どこで観たかが思い出せない。振袖火事をモチーフにした作品。美男子の背後には、焔をデザイン化した曲線がメラメラしていたな。2階は、多様な作家さんの作品が並んだ。目立つのは、件の梥本一洋があり、それに次ぐのは、伊東深水かな。大きな作品「海風」は、目立つ場所を宛がわれていた。突っ立つ2人の女性の立ち姿と顔つきが、コピーしたようだった。まなじりを決してる風情で、左斜め前へ揃って向いてる姿は、やっぱ新しいんだろうね。「酣春」が抜群の作品。すっきり、明るく、モダンを絵に描いたような作品。女性のすらりとした背丈も、そういった気分を演出している。とにかく、らしさ一番だった。その並びにあった小早川清の「吹雪」は、上村松園の「初雪」に似た印象。ただ、こちらは、フェードインして、アップになっていることで、「吹雪」になっている。雪の量じゃなくて、構図で表そうとする作家の力量が看えてきた。その隣に山川秀峰「初春」があった。こちらは、幼い雰囲気の出てる女性。妖しさのある絵に魅力を感じる山川秀峰だけど、テイストの違う多様な作品を残しているのですね。それらの対面に伊藤小坡の「江戸時代春秋町家婦女之図」があったが、関心が向かなかった。そこではなく、松村梅叟ものに目が行った。初めて聞く名前。調べてみると、今尾景年に教えを受けた人だそうだ。「ほほえみ」「神楽」の2点が並んでいたが、後者がいい。透徹した美しさって、他になかったからかもしれない、また、巫女姿の女性だったこと、袖上げをしているため、顔が隠れそうになっているのもいいのか、惹きつけられる。第3室で「美人コンテスト」なるものをやっていたが、この作品が、昨日の時点ではノミネートされていて、びっくり。迷わず、1票入れてしまいました。更に、おもしろい並びが続く。梶原緋佐子があった。「金屏」という作品。舞の稽古でもしているのでしょうか、舞妓なのか、それを真剣に見つめているまなざしがいい。梶原緋佐子は、やっぱ、意志の堅固な女を描くと見せるのかな? 次に並ぶのが、岡本神草に甲斐荘楠音だったのには、微笑まざるを得ない。前者は「追羽根」、後者は「娘道成寺」「舞之図(汐汲みを描く)」だった。甲斐荘が古典芸能から取材しているのに対し、要するにまともなのに、岡本神草はやってくれます。羽根つきをする女性を描いているのに、その姿勢は全くのイナバウアー。いいな、楽しくって。北野恒富は2点、「花」「むすめ」だが、前者が圧巻。お座敷なのか、男なんだろうか、相手がいる、描かれてない相手がいる。それに対して、「見つめないで」と言いながら恥じらいでいる女性を描いている。めっちゃ、雰囲気出てる。伊藤成錦という作家、調べてみると、島成園門下だった。中之島美術館での「女性画家たちの大阪」展で、この人の作品を観ていた。「銀扇」という作品。何か思いつめた空気の流れる作品。「銀」は時が経つと黒ずむからと、意味深なことが、側の解説に書いてあった。なるほど、、、。第3室には、中村貞以が5点展示してあった。かなり、ここまでとテイストが違う。それまでとは、時代が違うからでしょうか。中村貞以作品、久しぶりだったから、初めて観る心地で眺めておりました。後期には、新たに16点、入れ替えがあるようだ。作品リストを見ると、そそられる。どうしよう。思案中です。


2024年 5月 9日(木)午後 8時 23分

 今日は、昔の同僚と会う日。去年くらいから、GW明けの木曜日に集まるとなっている。以前の3月だと、まだ、寒い日があるということで、変更になったのだ。「巡検+昼食会」というのがメニューになっている。その担当を、今年は、黄紺が引き受けた。そこで、案は、だいぶと前からできていた。①北野上七軒(去年が祇園界隈散策だったので、同じ花街を選んだ)②猪飼野散策(Dと行き、変貌ぶりに驚いたので、様変わりした姿を観て回ろうと考えた)、で、②が選ばれたが、その巡検の部は、参加者は、黄紺ともう1名だけだった。これには、訳がある。昼食会のみ参加が2名だったのだけど、その2人、歩くということを避けた方がいいということが、近況報告をしていて判った。そして、連絡をしたが、レスがない人が2名あったということだった。これは事前に聴いていたが、実際、話していて、ボケた話が出てきた。連絡役の人のスマホを見て、その人が、そのときになり初めて気づいたのだが、SNSの送信欄に、なぜが、その2人には、メッセージを書いてあり、それが残っているのだが、傍らに「下書き」となっていた。要するに、あとの人たちには、メッセージを書き、実際に、送信ボタンをポチったのだが、レスがないと思っていた2人には、なぜだか、メッセージまで書きながら、実際には送信をしてなかった。レスがないという話を、その連絡役の人から聴いていたので、その内の1人は、黄紺も連絡先を知っていたので、黄紺から連絡を取ることで、今年の集まりを伝えることができたが、その結果、日取りが合わずに、欠席だったが、黄紺が連絡先を知らない人は、結局、今日の集まりを知らせることなく終わってしまった。こんなことがあるのですね。あんまり、他人のことを言えないけどね、自分も、似たことばっかしてるからね。桃谷駅集合で、2人で歩くことになった。一緒に歩いた人は、韓国語もできる通な方。この散策の時間は1時間半。一緒に歩いた人が、いいことを教えてくれた。大阪コリアタウン歴史資料館という施設ができているというのだ。旧御幸森小学校(廃校になり旧校舎を使いテナントが入っている)の前の通りとコリアタウンの本通りの交差点を少し北へ行ったところにあった。街の成立、渡日の歴史、なかでも、チェジュ(済州)出身の人が多いということで、渡日のために使われた君が代丸のことなどの展示だった。和田春樹さんという、日朝関係史で著名な学者さんは、蔵書を寄贈されたため、それを書架に置くとともに、展示もされているという風景。連れの元同僚が、朝連の最初の本部が旭区にあったということを聞いたことがあるが、その場所を知りたいというので、この資料館に詰めてられた理事の方に尋ねた。その蔵書を使ったりして調べたが、かなりマニアックなことらしく、不明なまま。でも、調べる手がかりのようなことを教えてもらっていました。が、それを、側で眺めていた黄紺の目は、その理事の方が胸に付けられていた名札に、目が釘付けになっていた。35年程前に、1度だけお会いしたことのある方だったのだ。大事なものを貸していただいて、大助かりしたことがあったので、そのお名前は忘れていなかったのだ。そこで、不躾だがと断り、尋ねてみた。「★★市で活動されていたことはありませんか?」と、お答えは「韓国語を教えに、数年間、行ってたことがある」「貸したと言われるものは、★★市にはなかったが、当時、自分の拠点にしていた☆☆にはありましたが、、、」というお答えだった。黄紺自身も、お名前は、しっかりと覚えてはいるが、★★市で、何をしておられたかまで覚えていない。でも、韓国語を教えに行っていたと言われ、そうだったように思えてきた。黄紺の記憶では、借りに行ったときにお会いして、返すときは、その場所に放り込んでおいてくれと言われたので、★★市には常駐されていなかったことだけは間違いないと思っているので、話は符合するので、間違いなく、会ってると確信できました。なぜ、借りたのかまで、詳しく話さないでお別れしたのが、後からの後悔。猪飼野散策は、結局、この資料館だけ。昼前になり、若い人たちが、韓流を求めて、賑わい出したのが、11時頃だったかな。昼食組2人との集合場所がアリラン食堂前となっていたので、移動開始。周りの風景を見ていると、Ⅾと歩いたときより、一層、韓流化が進んでいる。店前に「カルククス」の表示を掲げた店まで出現していた。そういった賑わいに比べると、通り道的色彩が濃いのがアリラン食堂界隈。だが、客引きが凄かった。もちろん、店前に立ち、呼び込むという際どい行為だが、分はわきまえた客引き。黄紺のつもりでは、絶対、普段、日本の韓国料理屋では遭遇できないものをメニューに入れてるはずだから、それを見つけて、その店に入ろうとしていたのだけど、どうも当てが外れた。そんなことを期待していたのは黄紺だけだったみたい。あとの3人は、ほぼ韓国料理に、特段、関心を示さなかったので、結局、アリラン食堂へ。だから、注文したのは、あとの3人は石焼ビビンパプ、黄紺だけがユッケジャンにした。他の店には、トンテタン、トガニタン、スンデ(これ、日本で食べれるんかい! びっくりだった)なんかがあったのに、猫に小判だった。正直、食レポを書いておきます。アリラン食堂、確実に、味が落ちている。水くさく感じたユッケジャンはあかんやろ。醤油味のするキムチは、もっとあかんやろ! 安定の美味しさだったアリラン食堂は、過去のもの? ただ、えらく人気だった。どんどん、客が入ってくる。やっぱ、老舗の人気だね。韓国そのまんまという印象を、昔から持ってるのは、ここと福一だけだもんね。それが効くのかな? でも、今日の味ではペケです。そんなで混み合うので、場所を替えてお喋りをすることに。表通りに行きカフェを探す。韓流仕様のいいカフェがあった。店員が注文を聴きに来るスタイルじゃないから、3時間くらい、安心して喋り続けた。個々の近況報告から始まったが、ほぼ身体の話。1年間、皆さん、色々と病気をしていた。黄紺の椎間板ヘルニアなんて、一番、可愛いものだった。同じような腰痛が、現在進行形の人は昼食だけの参加だったのは、そのためだったが、MR撮ったら、脊髄の神経が、ほぼ圧迫を受けていたと言ってました。脊椎だか腰椎のずれで起こってしまっていて、手術をするかもしれないと言ってました。心臓で死にかけたので、血液をさらさらにする薬を飲んでるので、手術に踏み切るにも勇気が要ると、黄紺にはない問題を抱えています。同じく心臓に弱点を抱えている人がいます。心臓の冠動脈にカテーテルを入れて、動脈を拡げる手術を受けたと言ってました。聴いただけでびびります。ただ、この人は、黄紺と一緒に歩けた。もう1人が、この1年で、最も大きな体験をした人。鶴橋まで京都から来れただけで、感動です。事前に、大変だったそうやとは聴いていたんだけど、具体的な様子を聴いて、これは、びびった。3つの内臓で、2つは全切除、1つは部分切除、それ、切り過ぎや! ずっと、母親の介助をされてこられた方、その任が、コロナ禍で解かれたそうだけど、それから、僅か2年程で、この大手術は、あまりにも酷い話です。そんなだから、来年は、「昼食をしながら喋る」をモットーに、駅近で見栄えのするとことがあれば行こうということになり、解散。皆、生きててや、ホント、こう叫びたくなりました。


2024年 5月 9日(木)午前 5時 58分

 昨日は、午後に美術館に行く予定を入れていたが、午前中には影響がないということで、通常のウォーキングを実施。昨日は涼しかったが、さすが歩いていると、身体は温まる。上に羽織っていたウインドブレーカーは脱がないといけなかった。買い物も兼ねてのウォーキングだったが、買おうとしていたものを買い忘れ、結局、近くのマートに出かけるハメに。こういったことが多すぎる。週末にミニ旅行を控えているので、考えての買い物をしているにも拘わらず、いざ買う段になり、その計画を、全てではないけど忘れているところが出てしまう。毎度のこととは言え、それが起こると落ち込むね。昨日の場合は、食糧を抜かしたものだから、新たに買いに出なければならなかった。そんなで、午前中だけで、万歩計を見ると、1万を超えていた。でも、午後の美術館往復を加えても、夕方に万歩計を見ても、14600歩余だった。けど、昼前だけで1万を超えると、昼食後、ぐったり。お出かけ準備に入る前、30分弱、PCの前で寝落ちしてしまっていた。
 お出かけ先は中之島香雪美術館。先日行った特別展「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより」の後期展示が、昨日から始まったのだ。前回の混み方を考え、午後3時入場を考えて出かけたが、昨日は、楽だった。拍子抜けをしたほど、ラハトに鑑賞することができた。狭い美術館だから、展示替えが多い。ま、だから、行かねばならなかった。展示替えは、ほぼ連作ものでの入れ替えだった。「プロローグ/広重、絵師を目指す」「第1章/風景画への道~北斎のたゆめぬ努力」は、作品が小ぶりで、黄紺の目には観にくいので、ちょっと流し気味なのは、混雑の有無に関係ない。「江戸八景」では「落雁」と「帰帆」が出ていた。「忠臣蔵」ものでは、後期は、3段目と討ち入り関係で揃えてあった。そう言えば、前期は、大序や初段が並ぶと書いた記憶が蘇った。そりゃ、展示替えするなら、こうなります。同じ素材を扱ったものを、同じ開催期に並べた方が、観る者にはいいですわな、当たり前か! 3段目は、このコーナーでは、北斎の「仮名手本忠臣蔵」が出ており、ここで返しの方が出ていた。勘平の出番です。あとのコーナーでは、広重の「忠臣蔵 三段目」が出ており、こちらは、加古川本蔵が高師直に献上品を差し出す場面と使い分けたものを出すという細やかさ。北斎の「新版浮世絵忠臣蔵」では、2段目が出て、若狭之助が描かれていたようだが、ぱっと見で、何をしているのか判る程、「忠臣蔵」に精通していないのが悲しいところ。前回判らなかったと書いた「三都美人図」だけど、大奥の女、御所の貴人、時計が掛かることで商家だと判ることから大坂のご寮人だということだそうだ。ちゃんと、側の解説を読めば書いてあった。前期に続いての展示だったおかげで、気になってたことが判った。図柄でおもしろかったのは「美人投網図」。舟に乗った3人の美女が投網をしている図柄はびっくり。「禍は下」という噺で、商家の旦那衆が、網打ちに行くというお遊びが出て来るので、そういったのが楽しみとしてあるとは知ってはいたが、女性が、自ら網を持つ姿には驚いた。第1章の中にある「北斎漫画」や「西洋絵画の影響」は、前期とは全とっかえだった。主役2人の絵にも採用されている「透視図法」が取り入れられているのが判りやすい作品は、このコーナーの主旨に合うわけだが、北尾政美(鍬形蕙斎)の「浮絵 江戸橋より日本橋見図」などは、描かれている素材が日本を表すものでなければ、色調など、ヨーロッパの石造りの建物を連想させてしまう。前期にも、同様のテイストの作品があったが、開国で、一気に入ってきた勢いが作品からも判るというものです。第2章は、せせこましいスペースだけど、ここが「葛飾北斎‶富嶽三十六景‶の世界」。最初は、「神奈川沖浪裏」に替り「凱風快晴」、赤富士となっていた。ま、そうでしょうね。今回も、ラインナップは変わったけれど、一々、構図が素晴らしい、アイデアが凄すぎます。図形や線と富士山との組み合わせが凄いのだ。透視図法+弧と三角の組合せ(深川万年橋下)、大きな斜めの線で表される丘と三角の富士(甲州犬目峠)、山2つ=△2つ(青山圎𫝶枩)、画面3分割(武州玉川)、舟の舳先が富士を指す(武陽佃嶌)、大きな川の流れ〈鰍沢〉に富士(甲州石班澤)、大胆極まりない大工仕事+△の中に△(逺江山中)、風だからかS字形の道/道も揺れている(駿州江㞍)、、、メモっていたらキリがないので止めるが、唯一、こうしてメモれないのがあった。自分のメモには「普通」と書いていた、それは「相州江嶌(江ノ島)」。もう1つ、おもしろいのが、富士山と判らないが、富士を描いているものがあった。「諸人登山」で、富士登山をする人たちを描いているが、そこに描かれている地面は富士山だというもの、これは知らなかった。第3章が広重の番で、「新たな風景画への道~広重の挑戦と活躍~」と名付けられたコーナー。ここに、「東海道五拾三次」が出ているのだけど、前期同様、数は少なく、今回も8点、でも、有名な作品が並んだ。中でも有名な「原」(画面から突き出た富士)「蒲原」(モノトーンの雪景色)「御油」(旅籠の客引き女)「庄野」(雨を描いた!)が並んだ。満腹、満腹! 次いで、このコーナーには、「広重の江戸名所」が続き、「東都名所」「江都勝景」「江戸近郊八景」というシリーズものが並ぶ。ここも入替えで見せてくれてるが、やっぱ、大名屋敷が並ぶのが江戸らしい。「八景」が、無理から仕立てたという感じで、可笑しかった。桜の名所飛鳥山が「暮雪」というのは、ミスマッチ狙い? 行徳って、江戸だったっけと思ったのだけど、「近郊」だからいいのかな、これが「帰帆」。その帆が大きいのにはたじろいだ、が、これも洒落っ気? 小金井橋に満開の桜が「夕照」とは、恐れ入った。これも、ミスマッチ狙い? 「広重の忠臣蔵」のコーナーに、既に書いた3段目が出ていた。第4章が「広重、‶富士‶を描く」。「名所江戸百景」「富士三十六景」というシリーズからのピックアップだ。超有名作品が出ていた。「大はしあたけの夕立」は、ゴッホも模写をしたというもの。雨を線で描いた、ここでも出てきたが、橋と、シルエットで描かれた岸向こうの街並みが、ともに斜め、解説では、「不安な夕暮れ」とかなんとか書いてあった。右上に題名を囲みで書いてあるが、その囲みの色が黄色っぽいので、ここから、薄い光が射してるようにも観える。これも計算ずく? 「深川万年橋」には、「万年」繋がりでの「亀」が、前面に描かれたもの。いくら縁起物とは言え、えらいものぶら下げてる、その大胆さは凄すぎる。「鉄砲洲稲荷橋湊神社」でも、前景に、大きなポールが2本並んでる。もう、大胆過ぎます。エピローグ「広重の残したもの」は、遺品や遺言状で締めという展示だった。全部、観終わると、もう1度、有名作品が並ぶコーナーを巡回、目に焼き付けておきました。


2024年 5月 7日(火)午後 8時 30分

 雨が降りそうで降らず、降らないままかと思うと降るという嫌な天気の火曜日。お出かけなしの日にしたので、外出は、定番の日に2回のウォーキング時だけ。週末には、プチ旅行を予定しており、それ以外でも、予定が、かなり詰まっているので、昼前のウォーキングは、生活用品の補充のための買い物がてらとなった。ウォーキングは、定まったコースを歩くのが定番なのだが、こういったときは、買い物優先だから、普段ありえない複雑な行程を取ってしまう。それはそれで、変化があっておもしろい。夕方のウォーキング時も、税金の納入をしなければならなかったので、それに合わせた変化コース。万歩計は16200歩余を見せていた。ごく普通の日だった証拠だね、この数字は。
 今日は火曜日なので、空き時間は、Radikoの世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴くというのも、いつものこと。途中、知らない間に寝落ち。昨夜は、しっかりと睡眠が取れたのに、意外な寝落ちをしてしまった。Radikoは、そういった場合、有難い。今日は、取り立てて、目に付くトピックを話してくれなかった。落語関係は、彦八まつり一色だった。来週末にあるのだけど、行くの、どうしようかな? 気温の上昇を考えて、時期を変えたばかりか、屋外のイベントを止めてしまった。店が出ても、買い食いしても、イベントを観ながら、食べたり呑んだりできないってことだから、時間を持て余しそうだから、行ってもなと思ってしまう。かと言って、屋内のイベントに行くと、人がいっぱいだろうしと、気が乗らないのだ。思いがけなかったのは、ざこば一門の3人の襲名ニュースを、投稿を読むという形だったにせよ、トピックにしていたこと。でも、余計なこと、喋らなかった。その辺は、気を付けてるのかな? あとは、明後日に予定されている、昔の同僚と行く巡検の準備をちょこっとした。ちょこっとというのは、巡検を掲げてはいても、参加者は2人かもしれないので、トーンが下がりっぱなしなのだ。ま、昼食だけ参加という人もいるので、近況報告会的なことはできるんだけどね。その内の1人は、腰を傷めているとの話なもので、出てきて大丈夫かなぁと思ってるところ。顔だけ観れるだけでいいのかもしれないね。


2024年 5月 7日(火)午前 7時 23分

 昨日は、朝から予定を入れていた。今年のGWは、いつもと違い、毎日のように出かけていた。なかなか、珍しい。Ⅾと行った万博公園も、GWのわりには、猛烈な混雑ではなかったし、振り返ってみると、一番混雑したの、一昨日の「駅前旅館」だったかもしれない。そうそう、動楽亭昼席も入るかもしれないけど。そんなで、GW最終日、別に、昨日行かなくても良かったのだけど、朝から映画、それが終わると、岡崎方向へ。そこで、行きがけに東山三条近くのネパール屋さんでお昼。昨日は、客の中に、ネパール語で、店の人たちに語り掛ける爺さん1名、お兄さん1名、いた。とってもディープな風が吹いていたな。そして、京都国立近代美術館へ行ってきた。でも、しっかりと傘を忘れてしまい、早速、電話でお願いしたら、快く1週間、預かってもらえることになった。帰り道に、先日、アマゾン屋さんに注文したPCを取りに行くのを忘れた。これで、昨日は、物忘れを2回もやってしまった。帰宅すると、そんなに長時間、美術館で立ちんぼをしていたわけでもないのに、えらく疲れた。Youtubeで音楽をかけていると、1時間は寝てしまった。それでも、眠気はないけど、ぐったりしてしまってたので、ベッドに、しばし横になってた。とっても、珍しいこと。ようやく、その気になり、PCを取りに行った。コンビニ預かりにしていたのだ。薄っぺらいPCで、息子に選んでもらったが、問題は、LANケーブルを繋げられないので、一騒動。息子が、まだ、勤務している時間帯だったので、弟に電話をしたが判らないと言う。これは、珍しいことなので焦った。こちらも、ネット上で調べると、ヒントとなるものが出ていた。弟は、しっかりと製品番号を基に調べてくれて情報をくれた。両者が一致。引き出し式になってた。あとで、息子と連絡を取ると、知っていた。「使うのが怖い」と言うと、LANのルーターからWi-Fiを飛ばす器具があることを教えてくれた。これで、解決した、問題は。息子は、夏に家族でタイに行くことを決めたそうだ。ハイシーズンしか行けないから、高くつくのは仕方ない。けど、DやSには初タイで、いい経験になるやろな。同じ日程で、自分も飛行機を取ろうとしたけど、それはあかんねと思い、あっさりと撤回。アユタヤには電車で行くと、渡しで街に入らねばならない話、それがいいとか、猿の多いロップリーなんて町の話をして、推薦しておいた。
 映画は、MOVIX京都で、韓国映画「マイ・スイート・ハニー」を観た。今や、名声を不動のものにしているユ・ヘジンが、恋愛映画を撮ったというので飛びついた。このミスマッチだけで、客を呼べる企画。それを思いついただけで、グッジョブです。ユ・ヘジン演じるチャ・チホは、仕事一筋で恋愛経験もないという男。ユ・ヘジンのキャラに合うように、役柄も作られている。全てが、ユ・ヘジンありきの作品と言ってよい。相手役は、明るさがモットーのシングルマザーのイ・イルヨン、演じるはキム・ヒソン。知らなかった役者さん、めっちゃ美人、若く見えるが、調べると46歳と出ていた。チャ・テホの兄の借金取り立て仕事をしていたイ・イルヨンとが、借金の件で出会う。その半グレの兄と、イ・イルヨンの娘が絡み、まとまりそうでまとまらないもどかしさを醸しつつ、2人の関係が進んでいくという物語。中年の恋愛ものって、作るの難しいだろうね。そう思った。若い人たちの熱さも残しつつ、生活をわきまえねばならないしがらみが付いて回る。プラトニックにもできかねるし、かと言って、ディープになると映画にならない。筋立てに山も要るだろうし、落としどころに納得を求めねばならないだろうしね。ムズイなと思っても、ユ・ヘジン仕様でできた映画だからと思うと、許してしまえます。おもしろかったのは、終始、「キンパプ天国」がネタにされていること。どこかの「キンパプ天国」でロケをしているはずだろうし、どの店か探したい気分ですね。「優しいキンパプは亡くなったら、どこへ行く?」「キンパプ天国」というやり取りを聴いて、笑えない人は、観てもダメだね。最後、2人は、ドライブスルーのキンパプ屋をするんだけど、その店の前に「キンパプは天国に行く」と書かれていた。字幕は出たが、通常の出方でなかったから、判るのかな? このシャレも解らないと、観てもダメだな。
 京都国立近代美術館は、コレクション展の後期が始まったので行った。「明治時代の京都・大阪の日本画」のコーナーで、展示の入れ替えがあったのだ。前回行ったとき、結構な大家の作品に入れ替えがあることが判っていたので、外せないと思ったからだ。岸駒の作品のあったところに、山口素絢の「美人・杜若図」という2点の掛け軸が入った。この入れ替えは、江戸時代後期という設定。美人の身体の反りが大きかったのが、記憶に残る。顔つきより、そちらに目が行ってしまった。田能村直入の山水画のあったところに、塩川文麟の「四季山水」と、山水繋がりで入り、交替だったが、これが良かった。右から左へと季節が移って行くとともに、1日の中での時間の経過を感じさせる描き方と看た。そうじゃないかと思ったのは、秋と言えば月と月が描かれていたのに気づき、春から見直したとき。薄っすらとした着色だが、春から夏に替わるところで、その濃淡で、そのように感じられた。そう思って観ると、夏の雄大さが引き立ってくる。なかなか見事な作品で、塩川文麟ものでは、前期から残った「雪中平等院」の大人しめの作品とは違った自然のパワーを感じたな。すると、前回、あまり関心の向かなった「雪中平等院」の穏やかさも、何か気になってしまった。相乗効果と言うやつです。この人の門下に、幸野楳嶺や鈴木松年などの傑物が出るということ、頭に入れておかねばなりません。後期投入組では、森寛斎「花鳥図」、岸竹堂「太夫図」、今尾景年「松柏遐齢図」、久保田米僊「残月」と、大家ものが並んだが、黄紺の目が行ったのは、山元春挙の「夏の海邊之圖」。岩礁の前に佇む少年という構図。背後の岩場の荒々しいさが半端じゃない。上から右下へかけて、筆を振り下ろしたように思える激しさ、それが、数筋描かれ、岩場を表している。春挙の描く雄大な山の風景に通じる筆致だった。その海辺に佇む少年に明るい陽射しがかかってるようにも思わせるものがあった。水墨画なんだよね、これ、凄いわ! 秦テルヲものも入れ替えがあった。前回もそうだったが、ここだけ、違った世界。「工事場」「夜勤の帰り」という作品があった。描く素材が、それだけで新しい、尖ってる。描かれている人の姿は、デザイン化され、同じような人型が群れたり、仕事に従事している。それだけで、近代の労働環境を表しているように思えた。この作品が1911年、ちょっと閃いて、「ヴォツェック」を調べたみた。ベルクが、元になった芝居を観て、作曲を思い立ったのが1914年、オペラが完成したのが1917年。符合していた。ざっと、このコーナーの展示室を観てみて、江中無牛の「蝦蟇鉄拐」は、やっぱ異彩を放ってました。残りの展示室は、入替なしだったので割愛。付け足しをメモっておく。「西洋近代美術作品選」のコーナーにあったアルベール・グレーズの「キュビスム的風景、木と川」、ようやく川を追うことができた。「鉄斎を慕う洋画家たち」のコーナーにあった山下新太郎の「宇治川」は、前回、あまり関心が向かなかったが、昨日は違った。これも、鍋井克之の「春雪」「勝浦の夕映」同様、離れて観ることで、川の流れ、山の緑にリアリティを感じてしまった。近くで観たときに違和感のある色彩が、実に自然な配色と言うか、混淆することで独自の色合いを感じさせる点描の狙いと同じように感じさせられた気になってました。


2024年 5月 5日(日)午後 9時 31分

 今日は、GW最中の日曜日。子どもの日特集のため、「日曜美術館」の放映自体がなかった。後半の「アートシーン」もなかったというえぐいことが起こった。そんなで、時間が空いたので、これ幸いに、溜まっていた洗濯をした。お天気はいいので、絶好の洗濯日ではあった。お昼頃に出かけるつもりだったので、昼前のウォーキングはミニミニで実施。午後のお出かけの往復をウォーキングと読み替えると、帰宅後、万歩計は13500歩余と少なめだったが、時間の確保が、少々きつかったな、今日は。
 お出かけは京都文化博物館。ここのアーカイブからの上映会に行った。最近、コンスタントに行き出している。今日は、まだ、先月の特集「生誕100年記念/映画女優淡島千景特集」が続いている。月替りで、特集が替わるのが、いつものことと思っているので、ちょっと珍しい。それだけ、いい作品を残したということか。GW明けまで、この特集は続きます。現に黄紺も、この特集では、今日が2回目となる。今日の作品は「駅前旅館」(豊田四郎監督)。「駅前シリーズ」というのは、一世風靡した映画のシリーズもの。調べてみると、これが、その第1作。森繁久彌・フランキー堺・伴淳三郎という名優3人が揃うということも知っていたが、原作が井伏鱒二だったことは知らなかった。シリーズは、この作品の成功で実現化したそうだ。それも、そのはずという名作映画だ、これは。上野駅前の老舗旅館が舞台。主役は森繁、伴淳は同業者なのかな、判りにくかった、同じ町内の住人だけかと思ってたら、そうじゃないようだった。この伴淳は賑やかし役で、話に膨らみを付ける役だったのに対し、フランキーの役目は物語に大事な役柄。老舗旅館に出入りをする旅行社の営業社員。旅館の宿泊者相手に、観光の世話をしている。最後には、旅館の娘と駆け落ちをしてしまう。でも、重要なのは、老舗旅館に出入りをしてはいても、新しい観光業、旅行者の社員ということで、老舗、昔ながらの営業をしている旅館とは対比的な存在と看える。それをヴィジュアル的に叩き込むのが、宿泊している修学旅行生にせがまれて、ロックンロールの真似事をしてみせる。流行りのものをして見せるというシーンが用意されていた。同じ日に宿泊していたなんちゃら講の人たちが、ご詠歌を唱える姿でロックンロールに乗って行くという傑作なシーンもあったが、それも、「旧vs新」のきれいな二項対立になっていた。そう言えば、フランキーって、ドラマー出身だったよね、忘れていたことを思い出しました。森繫は、老舗旅館の番頭役。マドンナ役が淡島千景で、旅館近くの飲み屋の主人。森繁は、かつてのお相手が(元芸妓)、地方の会社の従業員を率いて来ると、寄りを戻そうとすると、女(淡路恵子)は旅の途中の戯事的な相手をしようの魂胆と判り、意気消沈、その隙間に、淡島女将が入り、出来上がって行くという筋があるが、これは、あくまでも、この映画の彩り的な物語。本筋は、老舗旅館の「旧」の中にいたような森繁番頭だったが、店の主人夫婦(妻役が草笛光子、この人、90歳超えで現役!)からすると、既に、「旧の旧」と看られていたようで、最後には、街の顔役にいちゃもんを付けられついでに、番頭を追い出してしまう。だから、単純な二項対立でないのが、いい、とっても! 二項対立の中に新たな二項対立があったり、二項対立の外を意識させられるような要素も入っていたり、ただではすまない構造に仕上がっているばかりか、それらをヴィジュアル的に見せようとする、監督の力量が半端じゃない。ラストもいいね、上野駅を横断する人たち、その前のシーンでは、逃走する森繁、追いかける淡島女将は馬車で、昇仙峡に向かうが、同じ道を自動車で向かう若者たちの前に立ち塞がるというのは、決して邪魔だとのメッセージではなく、蹴飛ばして行っていいのとのメッセージが用意されてるように思えてならなかった。高度経済成長期を、観光業という視点から切り取った、素晴らしい作品。井伏鱒二の原作がいいのでしょうね、でも、それだけじゃない映画化により、それ以上のテイストが加えられたのではと思ってしまった。繰り返しになるが、頗る付きの佳品です。


2024年 5月 5日(日)午前 7時 16分

 GWの後半、4連休に入っているようだ。その真っ只中にも拘わらず、昨日は、お出かけを入れていた。絶好の日和というのに、屋内で遊ぶということをした。行き先は、再開した滋賀県立美術館。空調設備だかなんだかの工事で、年始から4月20日までだったかな、休館だったのが再開したのだ。その1発目に、この美術館らしい企画展が組まれ、常設展でも、新たな寄贈品による展示と現代アートの展示と、3つ併せると、とっても彩のいいものが、同時並行で鑑賞できるのだ。しかも、企画展開催期間中の全土曜日にギャラリートークを入れたものだから、昨日を狙い撃ち。ここは足の便も悪いから、GW真っ只中の土曜日と雖も、混雑しないだろうの読み。それがドンピシャ。また、一昨日になり、美術館の新たなイベント情報が入った。「対話鑑賞を体験してみませんか?」というタイトルの付いたお知らせメールが入ったのだ。ボランティアが務めるファシリテーターと一緒に、指定された1つの作品の感想を参加者で語り合うというイベントだった。大体、見ず知らずの人と喋るということの苦手(これを‶コミュ障‶と言うらしい、Youtubeを観ていて覚えたターム!)なのだが、絵を観て語る、人の感想を聴く、これをやってみたいと思ってしまったのだ。これが、30分間の予定で、昨日は午前11時と午後1時に設定されているという情報だった。作品は、行ってみてのお楽しみ。そして、肝心のギャラリートークが午後3時半から1時間だから、午後1時の対話鑑賞に行くとして、しかも、全部の展示を観るならばと、頭を捻り、午後0時過ぎに美術館に入ろう、その前に、美術館の下にある公園の四阿に午前11時50分に入れるよう、予定を組んだ。もちろん、ここの美術館の往復は、JR瀬田駅からウォーキングがてら徒歩移動だから、それも込みで予定を組んだ。長丁場になることが想定される、そうなると、当然、腰との勝負になることも込みで考えた結果だった。これ以上の時間を、美術館に充てると腰はダメ、少なければこぼれるのが出ると判断したが、ほぼ、その狙いが当たった。さすが、ギャラリートークが1時間の予定というのがきついだろう、しかも、終わるのが午後4時半になるので、ほぼ、これで美術館を退出しなければならないから、それまでに展示を観て回ることを考えると、ギャラリートークの前に腰を休めねば腰は持たないということで、ギャラリートーク前に30分間の休憩を取るようにした。これが成功、ギヴアップしないで、最後までギャラリートークについて行けた。正に、想定通り!
 滋賀県立美術館の現在の展示をメモっておく。企画展が「①滋賀県立美術館開館40周年記念」と冠が付き、「つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 ―たとえば、『も』を何百回と書く。」。常設展が「②近江商人のたからもの」「③モノクローム ただひとつの色にのせて」「④小倉遊亀コーナー/小倉遊亀とその弟子たち」。記念の展覧会にアール・ブリュットを持ってくるのは、この美術館ならではのこと。そんなだから、黄紺は年間パスポートを持ってるんだけどね。しかも、今回の展覧会は、新たな収蔵品のお披露目でもあった。2010年、パリで開催された「アール・ブリュット・ジャポネ」展への出展作品が、展覧会後、日本財団が保管していたのを、一括して寄贈されたのを受けてのものなのだ。このパリでの展覧会は、日本のアール・ブリュットの歴史では、必ず耳にするもの。それを、こうやって近場で観ることができるというのは、画期的なことです。あとのギャラリートークで聴いたことも含めてメモっておくことにする。1章は「色と形をおいかけて」というお題。入ってすぐに、何らの強烈なインパクトに出逢うだろうとの予想が外れる。所謂、以前から障がい者のアートという意味合いで持っているイメージに合致してしまったためのことだった。でも、ギャラリートークで聴いた内容を考えると、速断しすぎだった。また、展示場にあった映像に収録されている作家の制作風景を観ると、あっさりと、自分の見方が変だと気づいた。舛次崇作品の形状認識のおもしろさ、木村茜の、自身の中にある法則性。それが何か判らない身には、勝手判断をしてしまう。鎌江一美作品は、プリミティアヴ・アートのようだと、ギャラリートークで聴いたが、それを聴いて落ち着いた。八重樫道代作品は、既視感のある、しかも記憶に残りやすい作品。色彩が豊かで、その配置で、鮮やかさが増してるように思える。「ワープロ」という作品の名称を聞いたときには、さすがに参加者からどよめきが漏れた。2章「繰り返しのたび」は、とっても納得のいくテーマ設定。知的障害、中でも自閉症を伴う人たちには、その症状として「繰り返し」が出て来るが、そうではない作品にも目を向けるように解説されていた。伊藤峰雄は、父親から教えられた名前を書き続けた。それが、おもしろいフォルムになっていた。吉川秀昭の陶器の作品には、細かく細かく目・鼻・口が刻み込まれていた。お母さんを描き続ける芝田貴子の絵は、画面サイズが同じなため、描き続けている内に、お母さんが、紙面からはみ出していくというもの。戸來貴規の「日記」は、独特の文字、よくぞ解読できたものだけど、それを繰り返したものだからこそ、解読できたもよう。この展覧会のタイトルにもなっている「も」を書き続けたのが齋藤祐一作品。「も」は「ドラえもん」の「も」だった。これも、書き続けることで、おもしろいフォルムが出来上がるというもの。中間の休憩室の向こうのお庭に「も」の表示を置くというのは、キュレーターさんのお遊び。4章は「社会の密林へ」。八島孝一は廃品を組み合わせて、何らの形にしていくというもの。道端で拾ってきたものを組み合わせたという。「ヘリコプター」は既視感がある。それだけ、知られた作品だということだと思う。宮間次郎は、横浜の帽子おじさん。帽子2点と映像で街を行く姿が紹介されていた。作業所で木工の作業をしていた西本政俊は、帰宅後も木工の技を活かして乗り物を作った。水谷伸郎は、紙で電車を作った。何両も並ぶ姿は壮観だった。石野敬祐の紙で作った女の子は、この展覧会を紹介するHPの画像で印象的だったもの。女の子の厚さは一定。A4紙を折って切り取るという手法の結果だった。映像でも、制作の様子が紹介されたいたが、その紙の束が棚にあったが、今は女の子ではなく漢字を作っていた。5章は「心の最果てへ」ということで、心の内部に入り込もうかという作品群。精神障害の人たちの作品が多かったように思う。秦野良夫は、かつて住んでいた家の姿を描き続けた。兄が観て、初めて、それが判ったという。木伏大助は、かつて見た映画ポスターの再現をしていた。端役の役者の名前まで正確だそうだ。木本博俊は身体を描いているようだが、独特の形状で、中には神経の連なりのように見えるものがあった。岩崎司は、市会議員の経験のある人で精神を病んだ人。克明な絵の周りには、宗教用語も入った文字が並び、ポスターを丸めた額を付けている。聖俗混淆がおもしろいとキュレーターさんは言われていた。最後に、この業界での有名作品群が配置されていた。小幡正雄は段ボールに絵を描き、山崎健一は、方眼紙に設計を続け、澤田真一は縄文人の如き陶器作品を作る人だ。この最後の3人の作品は、既に、滋賀県立美術館にも収蔵されているはずですね。
 このアール・ブリュット展の合間に、「対話鑑賞」の時間になったので、抜け出した。ピックアップされた作品は、小倉遊亀の「自画像」だった。今まで、この美術館で、何度か観てきた作品。これ、鏡に映る姿を見て描いていました。着物の襟、描いている手で判る。光の当たり方が、まず話題になり、そこから鏡の話題へと展開していった。顔つきも話題に上がった。黄紺はモダンだという言い方をした。髪型も、着物姿にしては、えらく新しく感じた。男っぽいという言い方をされて方もおられた。アール・ブリュット展のキュレートをされた方も特別参加。口紅をさしてない様子を指摘されていた。そんなで、短い時間だったが、この試み、おもしろいね。もう少し時間があったら、視点が複数あるんじゃないかということも言いたかったんだけど、それは時間切れだった。
 ②は、近江商人野口家からの寄贈。となると、野口小蘋ものが、ずらりと並んだ。それに加え、師の日根対山もの、娘の野口小蕙、更に、小蘋ものに賛を入れた巌谷一六の書が1点加わった。日根対山という作家は知らなかったが、調べると、なかなかの大家。「日根」姓は「日根野」から取られているそうだ。南画の大家だということで、水墨画が並び、野口小蘋ものも、ほぼ同様の作品が、まず並んでいた。日根対山ものでは、水墨画以外として出ていた唯一の作品「鍾馗図」が気に入った。貫禄を感じさせる身体表現、かなりずっしり感があるのがいいが、表情に、何か愛嬌があるんだな。水墨画では「風竹図」、心地よい風が吹いてました。野口小蘋ものでは、山水以外では、美人画、草花図、日月図、娘の帯の下絵なんかもあったが、ちょっと抜けた感じを持ったのが、巌谷一六の賛も入った「楽器図」。軽やかなタッチで、正に「楽」の雰囲気が出てる。そして、小蕙ものには、あまり関心が向きませんでした。
 ③は、お題の通り、一色で描かれた作品ばかりが並んだが、所謂、現代アート作品。解説を読んでも、さっぱりと解らないが、やたら、「ミニマムアート」的なタームが出て来る。戦後のアメリカで一世風靡をしたムーヴメントだというくらいの知識はあったが、内実はさっぱりとというやつだった。フランク・ステラって、このジャンルでは大家中の大家なんですね。草間彌生ものもあった。相変わらず、水玉が描かれていたが、えらく薄い色の水玉だった。そんなで、さっぱりだなと思い、桑山忠明の大部な作品2点が並ぶのを観ていた。一色で描かれた作品、ただ、4つの画面を「田」の字型に並べてるのが変化と言えるかは解らないが、変化だった。ホント、「なんじゃこれ」的に思ってて、何気に右に顔を向けた。そこに、アントニ・タピエスの「黒い空間」だったと思うが、どでかい作品があった。黒一面だけど、油彩だから、絵具が盛り上がっていて、それが波のように横線となっていた。中ほど右側に、その波を思わせる高まりがあり、その右上方に、何かで絵具を削ったような跡が見えた。黒一色の中に、そういったものがあるのだ。所謂、マチエールってやつですね。それだけで、ホッとした。僅かだけど、安らぎを覚えた。瞬間、閃いた。ミニマリズムの狙うところはこれだと思えた。視界から削ぎ落して削ぎ落してしたものを見せることで、「足りない」と感じさせるものを浮かび上がらせる、観る者の心の中に、それだと思えた瞬間だった。そういった意味で、一種のインスタレーション作品だなと思えた。「足りない」もの、それが、人の営為を表しているということなのでしょうね。どんどんと鋭角化して、人間存在を問いかけて行く、尖って行く、、、アートですね。また、現代アートの深みに入ったようです。
 ④は、ちょっとスルー気味。以前にも、このお弟子さんたちの作品が並んだこともあったんだけど、おもしろくなかった記憶があったもので。今回も同様だった。申し訳ないけど、5点だけ展示されていた小倉遊亀ものの、すっきりとした配置が目立って仕方なかったというのが、正直な実感でした。


2024年 5月 3日(金)午後 8時 24分

 GW真っ只中、世間的には。自分的には、出かけにくいなか、わりかし予定が詰まったGWになっているため、今日は、休養日に当てた。天気も回復、また、気温が上がった。ホント、上がったり下がったりだ。そんなで、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。今日は、ごく普通にウォーキングができたが、休憩時に公園で読書なんかをしようかというときに、毎年、どこかで端境期がある、蚊の出て来る分かれ目があるのだけど、今年は、今日の午前と夕方の間だったようだ。午前中のウォーキング時には、全く意識しなかった蚊が、夕方になると大変だった。群がって攻撃されたという感じがするほどの、凄まじさだった。これから、更に気温が上がると、短パンで出かける、すると、蚊に晒される。ゆっくりと読書してるどころではなくなる。寒ければ寒いで嫌だし、暑くなると、また、大変。
 午後の一時は、「Oper Vision」の世話になった。既にリストアップしていた「テオドラ」(ウィーン音楽劇場/シュテファン・ヘルハイム演出)を、昨日だったかに観たのだが、これはオラトリオのままと思えた、途中で切り上げることにした。舞台は、ウィーンかどこかの広いカフェに集う人々、何を見せてくれるのだろうかと期待したのだけど、入れ替わり、ナンバーに従って歌うという調子だったため、オラトリオのまんまと看てしまったのだった。そこで、新たに、ガーシントン・オペラの「ナクソス島のアリアドネ」(ブルーノ・ラヴェッラ演出)を観ることにした。が、何の変哲もないプロダクションと、始まって間なしに、思ってしまったのがいけなかった。第1幕を完落ち。作曲家が歌い上げてる、正に、その最後の最後で覚醒した。PCの前で40分近く寝たようだ。幸い、2幕は起きていたが、何か、もうちょっとおもしろく見せてよの気分は変化なしです、今のところ。一応、ツェルビネッタの大アリアまでは観た。時間はあったが、日を替えることにした。やっぱ、おもしろくなかったからね。そこで、替りに、7月の韓国旅行の準備をした。久しぶりに行く予定にしているクワンジュ(光州)については、ミュージアム系には行ってないので、それを回るつもりで、それ以上は調べてなかったので、お遊び気分で、何かあればいいかなの気で調べると、あるんだね。インスタ映えスポットだとか、都市の再開発で、若い人たちが集まるようになったスポットとか、出てくるものです。かと思うと、伝統的なシジャン(市場)も、知らないところが出て来る。クワンジュと言えば、あまりにも有名なヤンドン(良洞)・シジャンだけなわけないけど、このシジャンに魅力を感じるため、今まで、クワンジュの他のシジャンを探したことがないことを反省。「光州事件」と言えば、軍事政権下の出来事を思い出すが、日本統治下にもあった。これは、3月にナジュ(羅州)に行ったときに学習をしてきたが、当然、クワンジュにも、関係のミュージアムを見つけました。そんなで、とてもやないが、1泊でこなせる数ではないほどの行き先が出揃ってしまった。ということは、また、クワンジュに行けということと解釈しておきます。


2024年 5月 3日(金)午前 6時 14分

 少し気温は回復したが、昨日は、まだ、涼しい木曜日。結構、寒暖の差が大きく、夕方になると、かなり涼しかった。GWの谷間だということで、カレンダー通りだと平日だが、そうではない人たちも多いだろうからと、平日のつもりで動くとダメと判っていたので、結構、躊躇はしたのだけど、思い切って、人気の展覧会に行ってきた。人気なのは解っているので、こないだの中之島香雪美術館同様、終了2時間前に入館、そして、際どい時間までいようとの魂胆。だけど、これの欠点を、昨日は実感。混み具合は、この程度なら狙い通りだと思えたのだが、観るのに時間がかかった。そのため、途中、腰が悲鳴を上げかけているのに、休憩時間を満足に取れなかった。ここで、ゆっくりしてしまうと、観る時間に追われるという強迫観念に捉われてしまう。でも、その感覚が正解で、観るという点では、判断は正しかったが、その分、腰への負担が大きかった。帰路、少し、ウォーキングでもして帰ろうと考えていたが、止めた。無理だと思ったからだ。だから、午前中のウォーキングは通常通りだったが、ここで量が出なかったため、帰宅後、万歩計を見ると、13400歩余だった。でも、これは致し方ないね。ミュージアムに行くと、どうしてもこうなるね。
 そのミュージアムは、実に久しぶりに行った京都国立博物館。新しい入口ができていた。だから、不安になり、警備員の方に尋ねた。今、こちらで、特別展「雪舟伝説―‶画聖(カリスマ)‶の誕生―」が行われているのだ。雪舟の実物って、観たことあったかなぁと思いつつ、水墨画への関心は、他のジャンルに比べると低めなもので、少し迷ったけれど、この間、日本画関係の情報に接すると、雪舟は別物との言い方がされるのが気になって仕方なかった。なんせ、6つもの国宝が出ているなんて、それだけでも凄い。やっぱ、観ておかねばの、ちょっと義務感ぽい気持ちで行ったのだけど、黄紺の目からしても、別物でした。ホント、次元の違うとは、こういうことだと思うに至りました。そして、お題に「伝説」となっているわけは、その影響が凄いということでした。全然、知らなかったけれど、狩野派への影響、こうやって、目の前に証拠となる作品を、次から次へと見せられると、ますます別物感が増すばかり。あげくに、曾我蕭白だの、伊藤若冲までも、その影響を受けている。凄い、凄すぎました。国宝6点は、全期展示されます。しかも、出発点はここだとばかりに、展示の冒頭に並ぶものだから、いきなりハンマーでどつかれたっていうのは、正に、このことだね、衝撃が凄かった。日本画は線で形を取ります。その線に迷いがない、線にもいろいろあった。それらに迷いがない。山水なんて、フェードアウトして観ないとと思うので、そうしているが、線がそのように見えるので、それを確認に、間近まで身を持って行ってしまって、なるほど、どの線もそうなのには呆れるしかなかった。これだけの線が描けるというのは、頭のなか見たくなったわ。そんなの構想が出来上がってないと、こんな線、描けないの、黄紺にだって解る。日本画には遠近法はない、替りに、遠景を上に重ねて描いていくと言いますね、ところが、重ね方がいいのでしょうね、位置取りのバランス、そして、墨の濃淡が素晴らしい。雄大なのです、ホントに上手い人が描くと、こんなにも雄大に観えるんだと思わせられた。こんな人がいたから、日本画の世界では遠近法なんて生まれなかったのだとすら思った。黄紺的に、一番気に入ったのは、国宝ではなく、重文の方の「四季山水図」4幅。それを凝縮したのが、有名な国宝「秋冬山水図」なんだろうけど、より広汎なスペースを描いた前者の方に惹かれてしまった。「天橋立図」は、「天橋立を世界遺産に」のイベントで知った作品で、京都国立博物館の所蔵品。そのときにも言われていたけれど、これ、俯瞰図なんだよね。そのイマジネーションが凄すぎます。「慧可断臂図」も既視感がある。輪郭線の描き分け、写実的な岩に対し、地面の非写実性、元になったエピソードが凄まじい、インパクトが多すぎます。「破墨山水図」は、遠景の山の淡い淡い墨使いの大胆さに圧倒される。国宝など、雪舟の有名作が並んだあと、第2章として、その後、雪舟の模作が流行るようになるのだけど、その型となるようなものが展示されていきます。伝雪舟とされている作品から2点、あとの展示を観ても、この2点の影響力が、かなり高い。「富士三保清見寺図」「西湖図」だ。鋭角的な富士だから、何を基にしているか、その後の作品で、簡単に判る。「西湖図」は、当然、中国絵画にモデルがあるのだけど、この作品をモデルにした作品も、かなり多いことが、この後の展示で明らかにされていく。そういった中で、継承の緒に就く作品群が展示されたのが第3章「雪舟流の継承─雲谷派と長谷川派─」。長谷川派は長谷川等伯に繋がるセクトだけど、雲谷派というのは初耳のはず。雲谷等益、雲谷等顔筆の作品が並んだ。第4章は「狩野派の果たした役割─雪舟伝説の始まり─」と、今度は狩野派だ。富士山の形状が鋭角的だし、西湖図と称する作品はともかくも、山水図とするものも、西湖を描いたものが基になっている。第5章「江戸時代が見た雪舟」では、今度は、雪舟を学ぶということで、雪舟作品の摸本が出て来る。毛利家が描かせた「雪舟筆四季山水図巻模本」(狩野古信筆)は国宝となっている。また、雪舟作品のパーツを描きとめ、それをデザイン化していったのでしょうね、それらを集めた作品集的な本も出る。「探幽縮図和漢古画冊」(狩野探幽)、「雪舟筆鎮田瀑布図摸本」(狩野常信)といった作品が、それに相当する。第6章「雪舟を語る言葉」、第7章「雪舟受容の拡大と多様化」では、大家と呼ばれる作家が、雪舟を基に、また、インスパイアされた作品を残していく。それらを集めてくれていた。黄紺も知る有名大家の名を書いておく。尾形光琳(重文/山水図画稿、雪舟筆山水図写など)、酒井抱一(雪舟筆金山寺図模本)、谷文晁(雪舟筆自画像模本)、司馬江漢(駿河湾富士遠望図など)、原在中(富士三保松原図)、曾我蕭白(重文/月夜山水図屏風など)、円山応挙(山水図)、伊藤若冲(竹梅双鶴図)、尾形光琳(絵付けで乾山作陶器)、勝川春章(初宮参図巻/春画)、葛飾北斎(山水図)、狩野芳崖(地中海真景図など)といった作家の作品が並んでいた。いやぁ~、めっちゃ重量級の展覧会でした。これから、間違いなく、水墨画、山水画を観る目は変わるでしょうね。中国絵画の勉強もしなきゃの気にもなりました。


2024年 5月 2日(木)午前 6時 48分

 昨日は、天気予報通り、かなり気温が下がった。屋内では、電気ストーブを全開にせざるをえなかった。お出かけ時も、半月前のような恰好となってしまった。気温の乱高下は嫌だけど、このくらい下がったのが、丁度いいですね、過ごしやすい。そんななか、昨日は、大阪でハシゴをした。昼前にミュージアムに行き、午後は落語会だった。つい3日程前に、ミュージアムでの展覧会を知った。それで、一旦は止めようかと思っていた落語会に行く気になった。移動中に手ごろな食事処はないかとググると、さるベトナム屋さんが出てきた。次の行き先にもいい感じだったので行ってみたが開けてなかった。新世界なのに、昼間、開けていないのは怠慢とも思ったけど、開いてなければ仕方がない、新今宮駅近くに王将があったのを思い出し行くことにした。ちょっと久しぶりの王将、味噌ラーメンをいただきました。王将の味噌ラーメンは、元祖的なものなので、贔屓にしています。ただ、昨日は、一日中、小雨が降ってた嫌な日だった。傘を持ってることだけで、嫌だね。
 ミュージアムは四天王寺宝物館だった。宝物ということだから、宗教的な行事に関わる絵画が観ることができるということで行くことにした。作品リストに、知った名が出てたのが大きかった。今、こちらでGWいっぱい、これがヤバかったのだけど、「四季折々の四天王寺~絵画に観る近現代の彩り~」と題した展覧会が行われているのだ。寺域の各建物内にあるべきものの展示、法要や落慶法要といった特別な催しに向け、制作された美術品などが、こちらに展示されているというのだが、今回は、堂本印象や生田花朝ものが観れるというので、飛びついた。黄紺が知るという制約を付けても、あと下村観山のものもあった。絵画作品は2階に展示されていた。まず、湯川松堂ものが3点。この人、調べてみると、鈴木松年に師事したてんだって。「西行銀猫図」というのは、調べてみると、西行が頼朝からもらった銀の猫を少年に与えるというエピソードがあるのを踏まえての制作らしい。大部な「松鶴図屏風」が目を見張らせる。6曲1双に松と鶴が描かれた大作だ。松の勢いがいい。下村観山は、この寺に相応しい「弱法師」。右端のおっさんに描かれた俊徳丸に驚かされる。能では少年のイメージなもので。日想観を描いたもので、左端に太陽。だけど、これが低い位置に描かれている。天王寺の西門から落日を見て拝むという体だから、低い位置なのだろうと、了解したつもりだったが、太陽が低い位置に描かれただけで違和感ってあるのがおもしろかった。堂本印象ものが4点。「観世音菩薩像」は、慶州の石窟庵の仏像を観てきた印象が、そのイメージで描いたと、解説に書かれてあった。似てるのかなとも思ったけれど、お姿は、印象の仏画で観るものだったのだが。「竹雀図」は、瓦に乗っかる雀、その上方に竹が添えられた可愛い作品。「散華」は、落慶法要に用いられたもの。舞楽に用いられる衣装は、TVなんかで観た記憶があるが、唯一無二の形状をしている。大陸系なんでしょうが、観ていておもしろい。その傍に生田花朝ものがあった。大阪画壇の作家さんで、今まで観てきた展覧会で印象に残った作家さん。色彩が豊かで、明るい。そして、線が細くて、可愛いという印象を持つ作品とインプットされている。ここでもそうだった。天王寺に関わる風俗画と言えばいいのかな、そういった作品が並んでいた。「四天王寺精霊会行道図」は宗教行事そのものを、「極楽門の春」は寺に集う善男善女を描いている。うちわの原画なんてのも展示されていた。その生田花朝の師匠が菅楯彦。その作品も目を引く。「抜頭鼉太鼓(だだいこ)を廻る」は、満開の桜の下、舞楽が舞われる光景を描いたものだが、いまいち、様子が判らなかったけれど、6曲1双の「龍頭鷁首図屏風」は判りやすい。船渡御なんかなぁ、右隻左隻ともに船が1槽ずつ描かれているが、波の描き方がいいのかなぁ、とっても臨場感のある、素晴らしい作品。この展覧会での最大の収穫と言っても過言でない。復興伽藍の金堂壁画を描いた中村岳陵は「秋夜喞々(しょくしょく)」。「しょくしょく」とは、虫が鳴くさまを示すタームだそうで、確かに虫が1匹、中央に描かれているが、、、。
 落語会は動楽亭の昼席。開演25分前に到着したら、既に長蛇の列。さすがGWだけど、顔付けも魅力的。南光がトリ、雀三郎が中トリ、ありえない顔付けに惹かれたのは、黄紺だけではないわね、当たり前。傘をさしながら20分程待機、少し早めに開場されました。番組は次のようなものでした。二豆「つる」、米輝「シックスパック」、ちょうば「皿屋敷」、雀三郎「野崎詣り」、(中入り)、佐ん吉「七段目」、南光「火焔太鼓」。またしても、二豆、米輝でダウン。米輝の異様な新作を、またしてもスルーしてしまいました。あとで上がったちょうばが「やりにくい」と明言していたので、余計に残念感が出てしまった。「シックスパック」というのは、腹筋が6つに分かれる様態を指すタームだということくらいしか覚えてないのです。ちょうばは、冒頭で襲名についての報告。米之助ですからね、凄い! ネタは、序盤をカット、道行に入るところから。そして、その道行も程よくカット。周りを挟んでくれというくだりをカットしたということです。コンパクトな、いい仕上がりぶりだったな。そして、雀三郎は、正に、ピンポイントのネタ。そうだろうと思い、期待していて、そうだった。雀三郎の「野崎詣り」はカットなし。舟行きが入るのがいいですね。一層、風情が上がります。噺の核になる「賑わい」を、これだけ出せる噺家さんはいないでしょう。最高の出来栄え、まだまだ衰えていません。佐ん吉の「七段目」は初遭遇でしょう。とっても、吉朝テイストを感じた口演。目の動き、身体のちょっとした振りに、吉朝を看てしまってました。佐ん吉と比較してしまうので、粗さを感じてしまったけれど、いい体験させてもらって、花〇でした。南光は、マクラで奥さんとのやりとりを喋り、すんなりとネタへ。南光の「火焔太鼓」は初めてじゃないと思うのだけど、えらく、大きな噺になっていた。弟子の南天の「火焔太鼓」はコンパクトなものだから、ちょっと意外だったけれど、これだけ膨らませてできるのは、南光でしかできない技だとも思った。旦那の失敗談、夫婦の過去談、この辺の仕込みがたっぷりなのだ。大坂への移植だから、買い手は侍じゃなくしてる。そこで、全体のタッチが柔らかい雰囲気にしてあるのも、南光の技。ええもん聴けました。


2024年 4月 30日(火)午後 8時 45分

 今日は雨の火曜日。だけど、出かける予定がなかったので、朝から洗濯をした。気温が上がったとはいえ、夕方には、全ては乾かなかった。迂闊にもたたみ掛けて、まだ濡れていることを見つけ、片付け急いだことを知る羽目に。でも、昨日でなくて良かった。上手い具合に、雨が降ったおかげで、気温は下がったし、そもそも天気予報で雨降りが出ていたので、出足が鈍ったのも有難かった。その昨日の思い出に、たっぷり浸ってました。火曜日ということで、Radikoの世話になり、「まーぶる」を聴くのが、今日のお楽しみ。月曜日が祝日だったので、今日を休館日にしているミュージアムが、殆どだしね。「まーぶる」は、あまり収穫はなかった。ネタ下ろしに向け、「くっしゃみ」の稽古は進んでいるようです。会が1ヶ月半先だそうなんで、いつもに比べると、進行は早いようです。「くっしゃみ」の聴きものは、やっぱ講釈の場面。「難波戦記」、どのように語るでしょうか? 夏に向けて「次の御用日」の稽古もやってるよう。去年は、やらなかったみたいなんで、思い出し稽古も大変でしょう。この「くっしゃみ」と「次の御用日」のどっちでもいいから、守山の会で聴ければ嬉しんだけどね。岐阜の会では、「次の御用日」は、まだ早いかもしれません。「くっしゃみ」にいたっては、まだ、ネタ下ろしは済んでないから、無理ですね。となると、岐阜では2席出すだろうけれど、何になるのかな?
 午後の一時は、Radiko三昧だったが、聴きながら、GW明けに予定されている巡検の、めっちゃ簡単なレジュメを作った。「様変わりをした猪飼野/コリアタウン」がテーマ。韓流溢れる姿を観て回ろうという狙いなので、かつての猪飼野にはなかった売り物の画像を拾ってみた。「タピオカ」や「マカロン」も入れておいた。猪飼野を「韓流」と「在日文化」の混淆として、新大久保とは違うという視点を押さえた。そうだよなと、自分が、東京にいた頃の新大久保界隈を思い出すと言える自信はあったが、念のためにネット上でだけど、その確認を取った。歌舞伎町が近いこともあり、歌舞伎町で働くアジア人、その多くが韓国人、この韓国人はニューカマーだと判断、そうした人たちが住みだしたところへ、日韓W杯に韓流だというから、めっちゃ浅い歴史だ。そうでないと、東京時代の黄紺も、今のようなとは言えなくとも、それに近い風景を見ているはずだけど、見てないからね。友人が結婚して住みだしたのが新大久保で、1度行ったことがあるが、そのときも、前のままという記憶。去年の秋、新国立劇場に行ったとき、新大久保に立ち寄ったけど、ソウルの文化だよね。その完コピーって印象。でも、今回の巡検は、新しく浸食してきた韓流に始まる、ソウル文化の一端を見て回ることになるかなと思っています。このGW期間中に下見をしようかとも考えたけど、Dと、去年、一緒に歩いてるので、止めました。交通費もバカにならんのでね。


2024年 4月 29日(月)午後 8時 28分

 世間はGWに突入している。が、自分的には、ちょっと閑になる。お出かけ予定が減る傾向。無理からに入れると、世間の混雑ぶりに遭遇してしまうので、控えてしまうのだ。出かけても、できるだけ隙間狙い。ただ1つだけ、世間並みというのがある。DやSと遊ぶ機会を作るということが、この時期続いている。今年は今日になった。しかも、Sの方は風邪気味ということで欠席するつもりで、端は自宅待機で予定を組んだようだけど、今朝聞くと、ママと出かけたそうだ。結局、会えたのは、今回もⅮだけだった。小さなSが一緒だと行きにくいかなと思い、前回に続き、お兄ちゃんヴァージョンのお出かけとして、民族学博物館を選んだ。Ⅾが気乗りじゃなかったら、お隣に万博公園もあるし、電車やバスに乗れば、千中方向にも、梅田にも、茨木、高槻方向にも行けるということで、何とでもなると思い出かけた。そのアバウトさが成功した。懸念していたことが、まず当たってしまった。「おもろなかったら、それでええし、おもしろそうなと思ったら。ストップをかけて」と言って、内部へ入った。が、全くと言っていいほど、関心を示さなかった。順番通りに歩いたけれど、最後の東アジアなんかは、入口で「行かない」と言うので、諦めた。隙間から、祭りの山車などが観えても、全く関心を見せないものだから、諦めた。そこで、とりあえずは、民博内部のレストランで昼食。以前は、展示に寄り添ったメニューを用意していたが、そんなこともない、普通の、ちょっとお高めのレストランになっていたが、外はGW真っただ中。近くのレストハウスに行って、食事が、簡単に摂れるとは思わなかったので、ここで食事。2人で、同じパスタを注文。美味しかったけど、コスパは悪かった。そこで、改めて万博公園へ入場できるチケットを買い、入園。Ⅾが行きたかったのは、中央入口に、駅から向かうときから見えていた、どんぐり形の大きな遊具。黄紺などには遊具には見えなかったけれど、Ⅾは行ったことがあるらしき、「遊びたい」と言っていたので、その方向に向かった。途中、園内で猿回しの大道芸人さんがいた。生で猿回しを、初めて観たⅮは大喜び。「投げ銭」というものにも遭遇して、いい経験ができた。更に進むと、太陽の塔の裏手では、駒廻しの大道芸もやってた。こちらは、遠目で眺めて、あっさりと通過。どんぐりの遊具、最優先なのだ。でも、大道芸人さんが、お仕事してるのって、全く知らなかったなぁ。GWを狙ってのものかもしれないけど。少し先の大きな芝生の広場の向こうに、何やら大きな滑り台を発見したⅮは、そちらに寄って行こうと言う。結局、その巨大滑り台がどんぐり形をしたオブジェで、反面が覆われていたことが、あとで判ったのだけど、Ⅾのリュックを預かり、黄紺は柵外で待機。一緒に子どもたちと遊具に入ってしまってるパパやママもいたけれど、さすが、それはできなかったので、待機。ひとしきり遊ぶと、Ⅾは、今度、行きたいところがあると言う。このときには、既にどんぐり形の正体が判っていたので、次なるターゲットを、その巨大滑り台の上から見つけたようだった。「おもしろ自転車」という遊び場。色んな珍しい自転車があり、それに乗って遊べるスペース。30分500円、係の方から、あなたの制限時間は2時半だと言われ、時計の場所も教えてもらった。自転車の乗り方、運転するときのルールも教えてもらった。Ⅾが解らなかったらと思い、側で一緒に聴く。「解った?」と尋ねると「解った」と言う。黄紺の待機場所だけ、念押しして、その遊び場の側でベンチに座りながら見ていた。広いスペースなので、なかなかどこにいるか判らないが、時間が経つにつれ、慣れも手伝い、どこを走ってるかが判ってきた。大きな時計なものだから、それも目に入る。さて、時間通り、戻ってくるのか? 2時半直前に、自転車を出口の側に置くのが見えたが、すぐに新しい自転車に乗ってしまった。「やっぱ、2年生になったばかりに、正確な時間を求めるのは野暮だった」と、正直、そのとき、思った。ところがだ、さっき乗った自転車で1周してきたⅮは、あろうことか、自転車を置き、出口に向かうじゃないか! これには、ホント、驚いた。ドンピシャの2時半だった。めっちゃ、出木杉くんになってた、凄い! 30分間、自転車で走り続けたので、頬は紅潮している、汗もかいたみたい、でも、今日は、幸か不幸か、この時間帯に僅かに雨が降ったおかげで、気温が上がらなかったから、元気いっぱいのDは、隣の迷路に挑戦するという。「体力」「知力」の2コースが掲示されてるが、さすが、2年生には、その意味は解らないが、係の方に説明を受けたDが言ったのに、驚いた。「難しい方」「えっ?」「じゃ、知力コースだね」、大丈夫かと思い、入口まで付いて行く。ここでもルール説明。諦めて止めるときの止め方も教えてもらってる。ルールが理解できてるのか不安だったが、「解った」というので、また、待機場所を言って送り出す。「体力コース」は10分、「知力コース」は30分かかると、係の方が言われていたので、30分待った。出てこない。解らないので、中を走り回ってるのだろう、スタンプラリーになっており、そのスタンプの場所を見つけるのが難しいよと係の方は言われていたのが、気になる。せめて、「判らんかったら、諦めて外に出て来るんやで」と言っておけば良かったと後悔しきり。だけど、35分経ったところで、スタンプを全部集めて出てきよった! 手に持ったカードに、3つ全部のスタンプが押されていた。尋ねると、スタンプは隠し部屋に置いてあったそうだ。暗号を聴いて、それを使って前へ進むというのもあったと言ってた。それ、クリアしたから、全部のスタンプを押すことができたってこと。びっくりのびっくり。Ⅾは、大満足、こちらも、話を聴いて、大満足だった。この頃になると、かなり気温も低下。遊びに来ていた人の流れも出口方向へと向かっていたが、お祭り広場を使い、屋台が出ていたので、何か食べて行こうと誘い、入口まで行ったが、そこへ入るだけで入場料が要った、また、出ている店の出しているものがヘビー系のものばかりだったので、止めた。替りに、帰り道のどこかでカフェに入ろうということで、話はまとまった。電車の中で、ググってみると、乗換駅の近くにマグドがあることが判り、そこへ行くことにした。Ⅾは、おもちゃ付きのセットメニューを注文。マグドに行くと、そのセットばっかを食べるそうだ。結構、そのメニューが、子どもにはヘビーに見えた。小さいパンケーキが5枚入ってた。それだけじゃないから、晩ご飯、食べれてるだろうか、心配だ。マグドから息子にメール、帰りは、最寄り駅まで車で迎えに行くと言うので、到着予定時刻を連絡したのだ。Ⅾは、いつも別れる前に「楽しかった」と言ってくれる。こんな嬉しいやつだから、また、遊びたくなる。Sとも遊びたいな。また、今度だな。


2024年 4月 29日(月)午前 5時 55分

 昨日は、気温が、一段と上がった日曜日。午後にお出かけを入れたが、家を出たときから半袖シャツで、上に引っ掛けるものは持たずだったが、これは、この春初めて。いよいよ暑くなっていくようです。日曜日ということで、朝は「日曜美術館」の新作を観て、午後のお出かけ先を考え、午前中のウォーキングは控えめ。程よい調整ができ、帰宅後、万歩計を見ると16000歩弱だった。でも、気温が上がった午後、歩いていると、それだけで暑さ負けが出る。歩いているだけで、これまでなかった体のだるさを感じてしまう。これこれ、暑さに負けてる証拠です。徐々に、体を慣らさないとダメやね。
 「日曜美術館」のお題は、「老いるほどに輝く〜最後の文人画家・富岡鉄斎〜」ということで、今、たけなわの展覧会が取り上げられた。先週が村上隆だったから、お向かいの美術館への移動。MCの出ない構成。そう言えば、先週もそうだった。坂本美雨をフライングで登場させたわりには、扱いが良くない。作品を紹介しながら、その生涯を間に挟んでいく。解説ということで、専門家が4人登場されたが、その1人は、この展覧会をキュレートされた、そう、あのYoutube配信で、熱く富岡鉄斎を語られた方でした。紹介された作品をメモっておく。①富士山図(40歳で富士登山、日記に記す、そして登山後23年経ってから描く、右:樹海~山頂へ、左:山頂&火口=お鉢、登山をする人、お鉢巡りをする人も描かれている、小泉檀山の富士図を参考にして描いたと思われる、書物で学んで先人の描いた絵を模倣することを‶盗み絵‶と言う、鉄斎は、これが多い、オリジナリティを加えて行き、独特の作品に仕上がる)②旧蝦夷風俗図(アイヌの生活、左:普段の生活、右:熊送り、熊送りは、鉄斎は実際には観ていないので、これも‶盗み絵‶)③山水画?④渓居清適図(86歳、麓に渓流、家の中に文人が座る)⑤瓢中快適図(88歳、瓢箪の中に仙人、‶自娯‶の精神)⑥居摩居士像(89歳、自画像と言った)⑦層*雨***(大木の向こうに家、指頭画という手法を使っている)⑧日本絵図(神官時代に描いた地図、旅をする、神話の舞台を歩く、考古学・民俗学の地を歩く)⑨妙義山・瀞八丁図屏風(石門をデフォルメ、石門の向こうには険しい山、江戸時代の先人の作を使っている、これも‶盗み絵‶)⑩東坡帰院図(宮中に召された蘇東坡の帰るときの図、蘇東坡の華やかな時代を描く、蘇東坡に心酔、誕生日が同じでもあった、‶東坡同日生‶印刻まで作っている)⑪蘇談癖***(蘇東坡の不遇な時代)⑫後赤壁図(賛が有名、激しい墨のタッチ、荒れてる水面、風も吹いている)⑬漁夫快酔図(病気になった友人に贈る)⑭顧愷之食蔗図(亡くなる年に描いた)⑮二神会***(天鈿女命が天から降りてきたところ、猿田彦も描かれている)⑯一休戯謔(仏像を枕にしていると、蓮如が帰ってきたという絵、歳をとると大胆なタッチ、敢えて醜に描くこともあった)⑰青緑山水図(自然に囲まれて生きる人間、視点が複数あるのかと思った作品)⑱魚とん暮雨図(墨で描きなぐったような描き方の激しい前景)⑲滝洲仙境図(亡くなる僅か前に描いた)。学の深いところ、賛の中身は、わりかし洒脱なもの、幾つか読んでくれたので、有難かった。齢を重ねても筆致が落ちないのが鉄斎の特徴だそうだ。だから、亡くなる前まで描き続けることができた。‶盗み絵‶のトピックは、初耳だった。一方で、三津浜は話題にはならなかった。ま、あれもこれもは無理ということですね。
 午後のお出かけ先は京都市立芸術大学芸術資料館。京都駅前に移転してから、初めて行った。学内のどこにあるのか不安なまま出かけたが、それを懸念してか、河原町塩小路角に入口があったので、助かった。今、ここで、移転記念特別展として「京都芸大<はじめて>物語」という展覧会が行われている。4期に分けて行われるそうだ、それが、全て無料で入れるという大奮発。特に第1期の展示は、年間の案内パンフレットを見て、頭抜けていると思った。ほぼ、黄紺の知っている作家さんばっかだった。その第1期のお題は「カイセン始動ス!~京都市立絵画専門学校に集いし若き才能~」となっていた。看板に偽りなし、正真正銘の才能が集まった。後の大家の卒業制作作品が展示されていた。入江波光の「北野の裏の梅」から始まり、次が村上華岳の「二月の頃」。吉田山から観た銀閣寺方向の風景図。歴史地理の資料にもなりそうな作品。今出川通はなかったんだって! でも疎水はできて以後の制作でした。小野竹喬は「南国」、既に、この時期から、独特の色合いで描いています。そういった斬新なところがあるかと思うと、山水画の趣向を受け継ぎ、遠景を上に描いています。土田麦僊の「髪」が目玉の1つじゃないかな。顔を見せない女性が髪を梳いているから、その体つきに目が行くようにしてある。こんなの観ると、やはり土田麦僊は新しいと思うな。松宮芳年は知らなかった作家さん、「堺の相生橋」という作品、クリアで正攻法な趣きだが、工場を描いたり、その生産物が描かれている。また、日本画でありながら、水の色彩にグラデーションを試みている。山下摩起の「ユウカリの図」は、西洋の作家の南国への憧れの影響を受けての制作らしい。下向きの葉のスペースが広い。その外れた位置にいる猫が西洋かぶれしている。屏風絵が2点。1つ目が板倉星光の「はなび線香」は、‶盗み絵‶だそうだ。3人の女の絵と言えば「三美神」なんだけど、それは関係ないのかな? おぼこい表情の3人の少女の表情がいいな。空気が和むようです。それと真逆な空気を出しているのが、この展覧会のぴか一、岡本神草の「口紅」。これ、卒業作品なんだって! 驚きでしかなかった。観る前から知っている有名な作品。この後も、大家の名が並んだが、正直、おもしろくなかったので、作品名だけ書いておく。中村大三郎「花を持てる聖者」、前田荻邨「風景」、堂本印象「世相三題」、不銑鉄「冬」。この展示室には、大学の沿革に関する展示が、1つの面を占めていたが、その中に、関連企画の案内もあった。全くのノーマークで、びっくり。上の階の展示室に「美工:絵専時代の上村松篁/若き日の異色作をめぐって」というミニ展示があるというのだ。行ってみた。展示室ではなく、廊下に沿って、陳列棚があり、そこに上村松篁4点が展示されていた。習作っぽい模写「双鶏図」や卒業制作に関わる「春立つ頃」「花鳥 椿」とともに、びっくりの作品「仮睡」があった。初出展だそうだ。花鳥図ではなく、人物画なのだ。しかも、女性が、机に突っ伏している図だった。突っ伏してると感じさせる重力を感じさせる卓抜さに、唖然。この人、人物画を描いていっても、きっと大成したろうと思わせる見事さだった。一説には、母親松園の姿を描いたというものがあるそうだ。あくまでも一説にはだが。そんなで、とんでもないおまけも付いていた、有難い展覧会だった。満足。


2024年 4月 28日(日)午前 6時 20分

 昨日は、以前から、アスニー京都での市民向け公開講演会に行く予定が入っていた。他の予定が入ってきそうになっても、その講演会を第一に考えて捨ててきた。ところが、1週間程前、抜かしていた美術館情報を得た。調べてみると、京都国立近代美術館に行ったときでのことだった。中信美術館という小ぶりの美術館だが、気になる展覧会を始めていたのだ。出品予定の作家さんの名前を見て、そそられた。この美術館の存在を知ったのも、京都国立近代美術館でのポスターでだった。だから、その後、新たな展覧会を始めてないか、チェックをするようにしているのだけど、今回は、抜かしていた。となると、アスニー京都からは、徒歩20分余で行けるので、この両者を組み合わせることにした。講演会の終了予定時刻が午後4時ということだったので、講演会の前に行くことにした。だから、出かける前には余裕がなく、昨日は、午前中にミニウォーキングもできなかった。このハシゴの往来だけが、本日のウォーキング。帰宅後、万歩計を見ると、13000歩弱、仕方ありません。これだけ確保できただけでも、上出来かもしれません。こういった行程だったため、お昼は、両者の間の移動中に摂った。前から気になっていた千本丸太町のインド屋さん。なかなか、美味しく、いいお店。場所柄、なかなか使いにくいが、美味しい店と、頭にインプットされました。
 「京都中央信用金庫所蔵品展 万彩の息吹」というのが、展覧会の名称。「草花や動物」の「息吹」を感じさせる所蔵品を展示するというのが、そのコンセプト。春らしい企画です。そして、こちらでの展覧会では、今回が、黄紺にも解る優れもの揃いってところだったのじゃないかな。ビッグネームが幾つも出てきて、驚くばかり。受付前の梅原龍三郎はともかくも、第1室に入るや、池田遙邨の「新緑嵐山」が、まことに春らしい爽やかな色彩、何が描いてあるじゃなかった。重松あゆみの「Waltz」(陶器作品)が、いい色変わり。その色合いも淡いブルーなのかな、三足土器の形状で、この題名とは洒落ている。その並びを続けようとするのだが、この時点で、背後に気になるものがあって仕方がないので、対面の壁へ、足は、どうしても向かってしまった。だって、まさかの福田平八郎があったのだから。それも、「筍」だよ。あの竹が描かれていた、2本。傍らには、何の草花だろう、萩っぽいけど、そうではないな。ホント、まさか、ここで遭遇できるとは、びっくり。そんなで部屋を逆回転で眺めて行った。彩の異なる作品が並ぶのが嬉しい。大野俊明の「連翹(れんぎょう)」の黄色が目立つかと思うと、塩見仁朗の「熱帯サクラ」は、赤いハイビスカスを差し置いて、緑の葉に熱帯を感じたけど、何でだろう? 緑が多かったから? 工藤甲人の「流れる」は、水に浮かぶ蓮の花かな、清流の上を撫でるような風を感じさせる。各々、テイストの異なる作品だけど、お題でまとまってる、次の部屋でもそうだったけど、キュレーターさんの展示の組合せが、とっても、お上手だ。そんな部屋で、唯一、異彩を放ってると、最初思っていたのが、児玉靖枝の「asile-white-splash 16」という作品。全面の桜花が描かれた作品。あまりに花が立て込んでるので、違和感があった。ここまで密集されると、嫌だなと思って、まさかと思いながら、身体を後ろへと引いて行った。そのまさかだった。3Dだよ、これ。枝が、ふ-っと、前へ浮かんでくるように観えると、桜花が前後に萌え、栄えるのだ。凄いな! 上へ上がる階段に、西村喜代の「凪」という人形作品が置かれていた。実直な働く女性という感じが、いい癒しになる。これ1点だけが階段にあるというのも、配置の妙に思えた。センスが良すぎる。2階の1つ目の部屋の展示も、素晴らしい配置。入口傍らに、高間惣七の「洋蘭と密鳥」、原色の面のコラージュのような描き方で、お題のものを描いている。これを観るためには、入って、左へ身体を捻らねばならない位置。が、今度は、身体を右に捻ると、洋画ではなく、日本画の名品が並ぶ。植物と動物を交互に配置。その対比で、描かれている動物に動きや体温が増す。そして、植物の方は、「静」の重みがあるタッチの作品だったため、その重みも増すといった具合。並びの順に書くと、上村松篁「冠紅鳥」、山下開城「巴鯉」、山口華楊「水仙」、船水徳雄「虎之仔」、上村淳之「山姫」。上村淳之の作品が、ほぼ観たことがないと言っていい、背景が白っぽかったのが印象的。その上村淳之作品の次にあるのが、布の染織作品、かなり大部な三浦景生の「晨」という作品。青っぽい色彩だが、くすんだ色合いなので、日本画の並びとして違和感がない。が、今度は、身体を反転させて、それまで視界に入ってなかった背後の作品を観て、驚いた。全く、ここまでとは違う作品が2点あったのだ。曲がり角を使い、それまでは視界に入らないようになってる位置に、テイストの異なる作品(アレクサンドル・ドフォー「題不詳!」、澁谷和子「なでしこ」)を置いていた。上手いわぁ。もう一度、振り返り、日本画の方を観ると、今度は、曲がり角のために、高間惣七作品だけが観えないようになっている。それだけ、テイストが違う。それが観えないようになってる。感嘆するしかなかった! アレクサンドル・ドフォー作品は農村風景、澁谷作品は、ファンタジックな現代アートでした。第3室は、ここまでに圧倒されてきただけに、ちょっとテンションが下がった。が、言い換えると、写真かと思える洋画が、映えすぎたからと言っても、いいかもしれません。それは、川村悦子の「さくら咲く」といった大部な作品。近寄って確認するほど、写真機を使ったように思えてしまいました。あと1つ上げるなら、上尚司の「きものの少女」かな。普段は、着物は着てないような女性が着物を着ているように観えたので、印象に残ったみたい。滞在時間を35分と、一応決めておきながら観ることにしていたが、丁度、いい設定でした。数の割りに、時間をかけて観る値打ちものの展覧会だったということですね。
 アスニー京都の土曜日は、歴史資料館主宰。発掘成果を中心に講演会が設定されることが多い。昨日は、京都市考古資料館文化財講座/連続講座「紫式部の平安京」第3回として、「平安京の中の『斎宮』―伊勢斎王の邸宅―」というお題で、京都市埋蔵文化財研究所の松吉祐希さんのお話があったのだけど、ほぼ沈没してしまった。ほとんど記憶にないが、残ってることだけでもメモっておく。「源氏物語」関連ということで、その中に出て来る斎王の紹介があった。六条御息所の娘(後の秋好中宮)はあまりにも有名、今一人は朝顔。光源氏を拒み切った女性だそうです。斎王のために卜定されて造られる仮宮で、一代限りで壊されるのが野宮。斎王の御所と斎王に仕える斎宮寮の役所を斎宮と言う。平安時代の斎王は2種類。1つは、六条御息所の娘がそうだったように伊勢神宮への奉仕、もう1つが賀茂社に奉仕するとなっていたとか。そういった前提のもと、発掘成果のレポートがあったのが、西京商業高校建て替え時の発掘成果。そこから、「齋宮」と墨書された土器が出土したことから、斎宮の位置が特定されているそうだ。「平安京右京三条二坊十六町」という区画だ。苑池跡が判り、給水が、湧水だったことも判明。その湧水から水を引いてくる道筋も、苑池の1つの風景として設えられていた。泉跡からは人形が出土、魔除けだったようだ。護岸は石積みで行う。州浜跡も確認できている。建物群の跡は、さっぱり吹っ飛んでいます。ま、こんなところです、メモれるのは。


2024年 4月 27日(土)午前 6時 53分

 昨日は、夜に大阪で、息子と会い、所用をこなさなければならなかった日。それが、3日程前に判ったので、一昨日の予定を昨日に回した。会う場所が渡辺橋駅ということだったので、その近くにある中之島香雪美術館とのハシゴにしない手はないと判断したのだった。美術館には午後3時に入れるように、自分の動きを設定した。だから、午前中は、通常のウォーキングをこなすことができた。それでも、万歩計を見ると、14800歩弱だった。仕方ありません。そして、用が済むと吞むというのは、前回と同じ。昨日は、息子宅の最寄駅近くで呑んだ。久しぶりにお好み焼き屋へ行った。狙ったアジア料理屋さんは、店の前で待つ人がいて、あっさりと断念。帰りの電車は、前回のように寝過ごさなかった替り、帰宅後は、呆気なく寝落ちしてしまってた。
 中之島香雪美術館は、今、特別展「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより」が開かれている。この美術館に行くのは初めて。今回の展覧会のチケットを買うためには行ったが、内部に入るのは初めてだった。あまりに狭い美術館に驚いた。そこで、こないな有名人の展覧会はやっちゃダメです。午後3時に入っても、なかなか鑑賞には厳しい。人が多く、浮世絵は小さな作品が並ぶので、混みあうと観にくい。そこへさして、とっても狭い空間の仕切りになっている。そこに、両サイドに作品を配置しているものだから、人の動きを確保できるのかさえ心配しなけれならないほどだった。スペースが狭いことから、前後期の作品の入れ替えも激しいようで、大幅入替を宣伝文句にしていたから、後期に、もう1度、行かねばならないから、やっぱ、昨日行った時間帯で行かねば、中は歩けないんじゃないかと思ってます。頭、痛いわ。「冨嶽三十六景」をお題に入れているということで、これは、前後期合わせて。全作品が出るようです。一方の「東海道五拾三次之内」の方は、出ることは出ているが、各期8点ずつとなっている。この2つの作品群は、他所で、ほぼ観ているので、実は、行くかどうかを迷ったけど、それ以外の作品も観たい、江戸東京博物館コレクション展って、これって、以前、どこかで評判になった展覧会だった記憶があるので、行こうとした次第だった。「冨嶽三十六景」の方にシフトしているということで、広重ものでも、富士の入った作品が、意図的にピックアップされていたように思う。この2つの作品以外で出ていた主たるものをメモっておく。北斎ものでは、「新版浮世絵忠臣蔵」「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」「北斎漫画」。広重ものでは「江戸名所」「東都名所」「江都勝景」「江戸近郊八景」「忠臣蔵」「名所江戸八景」。この2人の作品以外では、2人の前史的に、歌川豊春の「松風村雨図」、勝川春草の「三都美人図」といった肉筆画があったりした。大きな作品で掴みも狙ったような展示だったが、この2点は、香雪美術館所蔵ものでした。また、作品数は少なかったが、「西洋絵画の影響」というコーナーが設けられており、浮世絵の中に、透視図法といったような遠近法を取り入れた作品も展示されていた。歌川豊春の「浮世絵七福神寿末広推之図」がおもしろかった。広間で寛ぐ七福神の奥には宝船が停まっていました。司馬江漢の「サーペンタイン池」なんて、西洋画の模写かな? そんなで、広重作品も、解説にあったが、画面分割の法則を持っていたとかで、独自の遠近感を出す手法で描いていたようだし、有名な「名所江戸百景/神田紺屋町」では、前景に大きく鯉のぼりを描いたり、「名所江戸百景/水道橋駿河台」では、前景に鳥を飛ばしたり、「名所江戸百景/両ごく回向院元柳橋」では、俯瞰図になってたりする。それも、各々、大胆な構図が凄いね。ついでに、広重ものをメモっておくと、「東都名所」のシリーズでは、武家屋敷、大名屋敷を描いてる。市井の風景を描くだけではない、いや、そういった風景を描けるのが江戸らしいと思えるな。「江戸近郊八景」では、「瀟湘八景」「近江八景」で出て来るタームを使い、江戸の移し替えている。「なんちゃら秋月」「なんちゃら夜雨」なんて出てくると、頬が緩んでしまった。北斎では、「富嶽百景」を観ていて、富士山の「△」に、様々な図形を組み合わせている。「尾州不二見原」では「△」に「〇(大きな桶)」、「信州諏訪湖」では「△」に「▽(松の木)」、「隠田の水車」では「△」に「半〇(水車)」等々だ。図形もどきで言えば、有名な「常州牛堀」は、大きく船の舳先が斜めに入っている。「隅田川関屋の里」は「S字カーブ(道)」と「△」の組合せと、おもしろいわぁ。で、最後に、2人ともに感じた不思議、、、「忠臣蔵」の作品、展示されていたものに、なぜ「大序」「初段」が多いのでしょうか? 道端で、高師直がかほよ御前に迫るというのもあり、目が虚ろになってしまいました。江戸の風俗も知れて、実に楽しい展覧会だけど、そう思うのは、皆さん、同じなんでしょうね。だから、混む。我慢のしどころ。あべのハルカス美術館でも、今年、広重やるんだよね、人混みを考えると躊躇うけど、また、行くのでしょうね。


2024年 4月 26日(金)午前 6時 56分

 昨日は、数日前までは、大阪で講談会に行き、その後、某美術館へ行くという予定を入れていたが、息子から電話が入り、今日、先日の続きで相談しなければならなくなり、そのために、大阪に出て行かねばならなくなった。夜の待ち合わせなので、その前に、昨日、行く予定にしていた美術館へ行き、その後、息子に落ち合えば、効率的と判断。結局、講談会は流すことにして、後日の予定に入れていたものを、昨日に持ち上げた。それは、奈良での美術館のハシゴしようというもの。いい季節なので、朝、マートでおにぎりを買ってきておいて、1つめの美術館のお庭で、それを食べて、お昼にしようと計画。大成功でした、そのアイデア。この奈良へのお出かけの往復をウォーキングを兼ねてのものにしても、それは少ないということで、出かける前にミニウォーキングを組み、それだけでは、あまりに少ない量なので、帰宅後、1時間程、休憩を取り、補充のウォーキングを敢行。結局、万歩計は、最後には17500歩弱を示していたので、大成功となった。
 まず、1つ目の美術館は大和文華館。以前、行っているので、ここのお庭が素晴らしいので、ベンチに腰かけて、ゆったり気分でお昼ができたという次第。今、こちらでは、「没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡―」と題した特別企画展が行われているのです。京都国立近代美術館と並行しての実施です。清荒神の鉄斎美術館も、高月でも布施美術館の鉄斎名品展が行われている。この2つは、ちょっと遠いので躊躇いがあるが、奈良のは行かねばならないでしょうとの気で、行ってまいりました。鉄斎美術館からの作品もあったが、ほぼ所蔵品で、こういった展覧会が組める、さすがの美術館としての自力を見せてくれます。今回の展示が、この美術館の鉄斎コレクションの、どういった部分を占めているか知る由もないが、晩年の作品が中心を占めていたと思える展示。そして、これは、京都国立近代美術館の講座が、Youtube配信されたことで、担当キュレーターさんより、鉄斎について教えていただけたおかげで、この晩年の制作には、愛媛県の三津浜の近藤家との繋がりが大きな役割を果たしていることを知ったが、正に、その時代に相当しているわけで、近藤家に献呈された作品が、多く出ていたように思った。前回もそうだったが、とっても、作家さんの特徴をコンパクトに表してくれている3点を、入ったところの特別仕立ての展示ケースに入れて見せてくれていた。「鮮魚図」(三津浜の魚なのでしょう)「富士山頂上図」(ここでも出た富士山の火口図、鉄斎は富士登山の経験者、だから、この火口を生で観ている)「老子出関図」(鉄斎は道教絡みの作品を残している、老子が函谷関を抜け西に向かう姿、その後の老子の行方は判っていない、他にも人物画があったが、シャキッとしていない方の人物画では、これに惹かれる、茫洋とした雰囲気の老子がイメージに合う)。5つのコーナーに分けての展示だった。1つ目は「人物画~歴史人物・道釈人物」というもの。「老子出関図・淵明遊興図」と、こちらにも老子が出ていたが、上に書いた方の老子の方がいいと思った。それは、こちらの方が明るい表情だったからかな? 菅原道真、紫式部、渡辺峯山、神武天皇といった有名人の肖像画なんてのも描いている。やまと絵風の作品もあった。そういった中で、テイストの違うのが3点、気に入った。「福神鯛釣図」「朱描鍾馗図」「寿老図」のダイナミックさがたまらん。「寿老図」は、チラシにも使われていた。やっぱ、インパクトがあると思われたのでしょう。一転、「百老図巻」は、同じキャラの老人が居並ぶもの。絵や書を嗜む連中、談論に花を咲かせる連中、酒宴を張る連中、あげくに酔っ払ってる連中といった風俗画なんだけど、爺さんたちがかいらしい。2つ目のコーナーが「花鳥・花卉・樹石画」。冒頭に「古木図屏風」は、六曲一双のうち左隻だけが展示されていたが、今回の展示では、最大かもしれない。83歳の作品。そんな爺さんが描くとは思えない、幹に迫力を感じる。山水画あるあるで木々の鋭角的な曲がり具合そのままの描き方だが、そこにパワーがみなぎっていた。好きな構図じゃないけど、鉄斎の思いっ切りの良さを感じさせる逸品。中国絵画の影響を受けた鉄斎だが、中国に行ったことがないが、その中国の情報は、交流のあった羅振玉という人物から得ていたとか。その羅振玉が、鉄斎に書いた書があり、それは甲骨文字で書かれていた。時代は、甲骨文字が発見された時代だった。3つ目は「山水画」のコーナー。定型のものから鉄斎色が出ているものが並んでいるそうだ。「寒月照梅華図」は水墨画だが、とっても写実的、異彩を放ちます。斜めの線で雨、風を表した作品が2つ、「山荘風雨図」「漁邨暮雨図」も目に付く。「層巒仙閣図」では、深い谷の水の流れが、 とっても写実的。木々の狭間から渓流が覗けるという構図。「書蹟」というコーナーが4つ目。賛が多く入った作品と書簡が展示されていたが、ここの「富士山図」は遠目から描いたものだけど、こういった遠景の富士は、必ず鋭角的だというのが鉄斎ですね。最後のコーナーは「近藤家との交流から」と題されていた。もちろん、全品、近藤家に献呈されたものだけど、他のコーナーの作品の多くも、近藤家所蔵だったものだったが、ここは、近藤家から贈られた品々の返礼に、その贈答品を描いて贈るということを、鉄斎はしていたと、件のYoutubeの動画でも言われていたが、正に、それらが並んだのが、このコーナー。そういった作品に付けて近藤家に送られた送り状(書簡)も、ここでは展示されていた。
 次に行ったのは、大和文華館から5分もかからない中野美術館。「日本近代絵画の名品 -明治から昭和へ-」という展示が行われているが、既に、先日行っているが、展示替えがあるということで、せっかく近くまで行くのだからと、どの程度の展示替えなのかも知りたくて足を伸ばした。洋画は展示替えはなかった。しかし、同じ展示を観ても、前回とは異なった印象。前回は、須田国太郎の「ヴァイオリン」に惹かれたが、今回は、その隣の「牛の居る風景」だった。前景を歩いて通り過ぎる牛で、一気に臨場感が高まるんだな。1回観ているからでしょうね、絵の暗さが気にならなくなっていた。もう1点、今回、印象が強くなったのが、中村彝(つね)の「大島風景」。前回はそうじゃなかったのに、今回は3Ⅾに観えてしまった。気になるので、この作家さん、調べてみた。早逝してるんですね。でも、重要文化財となる作品を残している。新宿区立中村彝アトリエ記念館なんてのが、下落合にある、地元やんけ! 日本画は展示替えがあった。やはり、この美術館は、村上華岳が充実しているということが、この展示替えで、ようく判った。気になる作品、そうじゃない作品を含めて、数で勝るからね。その中で、これは逸品と思ったのが「朝に遊ぶ子」。靄か霧がかかったところへ、朝陽が射している、そこに佇む子どものあどけなさが素晴らしい。顔をこちらに向けてないのも、いい感じを出してるようだ。その傍らの観音図や人形芝居、静物(皿と桃)には、関心が向かなかった、同じ村上華岳ものでも。同じ並びの、薄い色合いの絵なんか、色の塗り忘れかと思ったし、天女の絵も、関心が向かなかった。対面に、新たに富田渓仙ものが2点、水墨画と色彩の入ったものが1点ずつ。水墨は山水画、色彩の入った作品は「柳陰白鷺図」で、柳の緑が、やたら目立つ。その並びの山本春挙、横山大観、富岡鉄斎は、前期と同じだった。床の間の絵は、小野竹喬から西村五雲に替わっていたが、これがいい。特に床の間に飾るから引き立つのでしょうね。蓮を描いたものだけど、構図がいいのか、描いてない白いスペースが良くて、その白が周りの和室とのバランスが引き立っている。これからの季節にぴったりで、こちらを後期に回したセンスに、まいりました。
 学園前滞在時間は2時間と10分余といったところだった。いずれも、大きな美術館じゃないからね。電車の乗換駅西大寺は、いつも混んでいる。おまけに、京都行のホームは、インバンドでより混んでいる。滞在時間が短い割には、こってりと観ていたのか、疲労が激しかったので座れるか心配だったが、大丈夫だった。そんなで京都まで寝てしまいました。


2024年 4月 24日(水)午後 11時 6分

 今日は、雨模様の一日。そして、午後に、京都の三条界隈でハシゴをした日。京都博物館のアーカイブ映像の上映で、映画を1本観たあと、京セラ美術館に行き、写真展を観てきた。30分もかからないので、徒歩移動できるということを活用、この2つを1つにまとめてみた。そんなで、午前中は、ミニウォーキングをする時間をとることができ、午後のお出かけを併せると、万歩計は14700歩余を指していた。今日のスケジュールからすれば、妥当なところでしょうか。
 京都文化博物館では、今月からGW明けくらいまで、「【生誕100年記念】映画女優淡島千景特集」という企画で、プログラムが組まれている。淡島千景は、よく知っている女優さんだし、このプログラムには、著名な作品が並んでいるということで、せめて2本は観ようじゃないかいと計画しているが、今日は、その1本目。「夫婦善哉」(豊田四郎監督)が上映されたのだ。織田作之助原作を映画化した著名な作品。さすが、観ておこうの気になったのは、黄紺だけではなかったようで、この前、ここで観た「緋牡丹博徒 お竜参上」の入りと変わらない入りだった。相手役は森繫久彌。船場の若旦那維康柳吉と駆け落ちした売れっ子芸者蝶子が、懸命に、柳吉を支えながら生きて行こうとする物語とまとめれば、あっさりし過ぎているか。それだったら、観る前から耳にしているものだけど、それが、いろんなトピックで繰り返される。それだけ、柳吉はあかんたれ。船場の跡取り風は吹かすが、中身が伴わない。なんで、ここまで蝶子が懸命に支えようとするのか、その魅力に疑問を感じてしまうほど。時代が時代で、金のある間は、それはそれで、男っぷりを上げていたのかもしれない。森繁の好演があるのでしょうね、観ていて、情けなくなるくらいのあかんたれ。勘当されて居直るなら居直ったままでおれやと、突っ込みたくなった。隙間があるかと思うと、家の財産を、跡取りだからと手に入れようとする。妹の亭主の養子が悪者扱いされるが、あかんたれがおるからじゃないかと突っ込んでる。こういった決定的なあかんたれが出て来る物語は、好きになれないなぁ。「幸助餅」の幸助を好きになれないため、物語自体に関心が薄れるが、どうも、それと同じだね。それにつけても、気風のいい蝶子がいい、それを隙なく演じる淡島千景が素晴らしい。法善寺の「めおとぜんざい」を、最後に開くのかと、ずっと思ってた、観る前から。それは間違いだった。店は出すが、「蝶柳」という関東煮屋は、調べてみると飛田遊廓だと出てた。その後、経営するカフェは法善寺界隈なんだろうか、不明だが、蝶子が、願をかけるシーンに、再三再四、法善寺が出て来る。「めおとぜんざい」と思しき店は、最後のシーン。ぜんざいを食べて店を出たところがラストだけど、その店に「めおとぜんざい」と出てたようだった。ということで、有名作品を、実際に観たぞということでしょうか。価値観が違うので、最早、評価云々の問題じゃなくて、史料的価値のあるものとしての気でないと、なかなかしんどいね。でも、これの公開は1955年だよ。そんなものかと、思わず、嘆息です。
 京セラ美術館では、「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」の一環として行われている「川内倫子 Cui Cui + as it is|潮田登久子 冷蔵庫/ICE BOX+マイハズバンド」を観に行ってきた。狙いは、言うまでもなく川内倫子の写真。パンフレットを見ると、川内倫子企画で、共同展覧会を開く相棒として、かなり年長の潮田登久子にオファーを出したそうだ。展示されている場は続きにはなっているが、分けられていた。しかし、2つは繋がっている。併せて、1つの展示という印象。先に入れるのが潮田作品の会場。「冷蔵庫/ICE BOX」の作品群が並ぶ。そして、パートナーを撮った「マイハズバン」が並ぶが、前者の1枚1枚のガタイが大きく、且つ、数も多いものだから、後者はスルーしてしまいそうな存在感となっている。そして、この会場の半分の中央には、「もの」が並んでいる。なんちゃらという洋館に、潮田が、パートナー、子どもと、一時期住んだ頃の思い出から撮っていた冷蔵庫から始まり、その思い出の「もの」も含め、極めて、洋館の部屋という限られたスペースでの家族の風景を撮ったと言えばいいかな。そこから派生して、様々な冷蔵庫を撮ったからと言っても、常に軸には、なんちゃ洋館での家族の生活があることを想起させるから、結果、空間、トポスとしても、パーソンとしても、かなり限定的なもの、いや、これ以上砕きようのない空間を描いていた。そこに、時間軸が入ると、川内作品となる。更に、川内作品は、滋賀県美のときもそうだったけど、空間に拡がりがある。この人の展覧会は、インスタレーション作品だと、あのとき思ったけれど、焦点は家族という小さな核であっても、その核の居る場を示す、それなくしてはありえない場を示す。いつしか、川内作品を観ていると、自分たちの居る場を想起させる。今回もそうだった。だから、共生感も出て来るんだね。今回、展示された画像&映像作品は、祖父を撮り出したとろこから始まっていた。高年齢なため、嫌が応でも、死を意識させられる。そして、それが現実となる。が、ここで、世代交代を表すかのように、川内自身の懐妊、出産、子育てへと繋がって行く。そうした人間の営みと、自然の営みを重ねる。正に、我々は、こういった世界で生きている、空間だけではなく、生き物としての営みのなか生きている、それを見せてくれてると、今回も、この人の展覧会って、1つのインスタレーション作品だと思った次第です。凄いわ、この才能。


2024年 4月 24日(水)午前 6時 30分

 昨日は、MOVIX京都で、メトロポリタン・ライブビューイングを観た日。今シーズンの上映は、昨日の作品で6作目だったが、実際に観に行ったのは、今季初めて。一応、一昨日、内容確認のため、この上映会のHPを観て、びっくり。そのときに、実は、6作目だと知ったのだが、ということは、既に5作の上映は終わっているということ。その中に、観る予定にしていたものが入っていて、びっくり。自分の頭の中に、今季初は昨日の作品とこべりついていたため、失敗をした。「カルメン」の新演出が出たというので、観る予定にしていたが、上映は3月だった。完全なる思い込みで、失敗したということだ。5作の内3作は、現代作曲家の作品で、知らない作曲家ばかりだったので、端から観るつもりはなかった。実際に、足を運ぶ客の若い層は、こういった現代作曲家ものを好むそうで、ライブビューイングにも、それを反映してしまってるために、今季は3作も入ってしまったのだ。全部で9作の上映だから、1/3が、こういった現代作曲家ものなのだ。もう1つ割愛したのは、迷った挙句に止めた「ナブッコ」。だから、「ナブッコ」が上映されたときには、昨日、上映された作品が初でないと思ってたはずなのに、どこかで、自分の頭の中で、間違いが生じてしまったようだ。これ、結構な衝撃だった。で、昨日、観たのは「運命の力」(マリウシュ・トレリンスキ演出)だった。ヴェルディ盛期の作品群の中で、知られた作品のわりには、黄紺自身、生で観たことがない作品の1つ。そのわけを、MCのネイディーン・シエラが、指揮をしたヤニック・ネゼ=セガンにも尋ねていた。主役3人の歌手を揃えるのが大変、筋立てが複雑、この2点を上げていたが、肝心なことを言わなかった。言いにくいのだ。話の発端は偶発的な拳銃の暴発で人が死ぬことだが、その人間関係に、人種差別が潜んでいるのだ。その差別感から結婚が許されないという、根本的な問題を抱えている物語なために、扱いにくい作品。実際、今回のライブビューイングでの上映でも、差別を具体的に示す固有名詞は出されなかった。実際のオペラ上映では、テキストは変えることはしてないはず。黄紺的には解らないイタリア語の歌詞だったが、確かに、具体的な名称を示す単語は出ていたが、字幕には出さなかった。そういった配慮が出ても仕方のない内容なのだ。そんなで、出ない。メトロポリタンでも、かつては、隔年くらいで出ていた作品だったそうだが、時代が、それを許さなくなってきたってことですね。それを考えると、「カルメン」「イル・トロヴァトーレ」は、よく生き残ってるね。あまりにもの名作だと、生き残るのかなぁ。「イル・トロヴァトーレ」と「運命の力」の違いって、どこなんだろうね? 一昨日のチェックまで、DVDになっているメトロポリタンの作品と、同じプロダクションだと思ってた。そんなで、全然、ライブビューイングで出てなかったからね。が、そうではないどころか、マリウシュ・トレリンスキのプロダクションとは、なんと、嬉しいことなんでしょうね。時代と場所設定は変えてあった。そうすることで、問題の差別的な設定をスルーすることもできる。時代は現代だが、どの時代かは判らないままにしてあった、また、場所も明らかにしないままでだが、状況は戦火のなかというものだった。最初は、スペイン内戦かなとも思ったのが、そうではなく、特定しないものだった。そういった環境のなか、神の存在を問うたプロダクションになっていたのではないかと思えた。存在を問い、否定するという視点でのものと思えた。「神も仏もない」という言い方があるが、正に、そういった視点だ。運命に放浪される主役の3人、それぞれが、自らの願いを神に願い、頼るが、結末は、3人とも不本意なまま亡くなる。こういった筋立てに、人の尊厳も何もない、数でだけ人を見る現代の戦争を重ねる。これが、このプロダクションの狙ったものと看た。印象的な場面がある。2幕の酒場の場面。ドン・カルロスが、荒れた気持ちで、友人の過去として自分語りをして、復讐を神に祈る。たまたま、そこに居合わせた男装(あまりクリアにはしてなかったが)のレオノーラが、影から、その様子を見て、救いを神に願うという場面で、2人は顔を合わせるわけではないのだが、このプロダクションでは、舞台に、2人を同時に出し、前後に位置を取らせえて、客席に向かい神に祈る。同じ神に、真逆の願いを祈る。全く、神なんて、人間の勝手な思惑で創り出されたものとのメッセージを見せていたように思えた。そのような人の配置を見せれば、あとは筋立てからして、そのメッセージに従っているように看えた。そして、結末は、誰の思惑もが叶えられるわけではないというもの。さすが、トレリンスキだ! かなり場面転換の多いオペラ、時間の経過も激しいものがあるということで、回転舞台を使った。それも、どんどんと舞台に乗せる装置を変えていくから、裏方は大変だ。ライブビューイングの嬉しいところは、そういった裏方の動きも見せてくれるところ。その大変さが、ようく判りました。歌手陣は次の通り。(レオノーラ)リーゼ・ダーヴィドセン、(ドン・アルヴァーロ)ブライアン・ジェイド、(ドン・カルロ)イーゴル・ゴロヴァテンコ、(プレツィオジッラ)ユディット・クタージ、(メリトーネ修道士)パトリック・カルフィッツィ。主役3人が極上の布陣、なかでも、今やスーパースターのリーゼ・ダーヴィドセンが、素晴らしすぎます。ここまで、アリアドネ、マルシャリンと、このメトロポリタンのライブビューイングで観てきたけれど、一層、高みに上がったと思える最高の出来栄え。ほれぼれする上手い歌唱に圧倒されました。
 上映終了が午後2時半、それが想定されたので、開演前に、すき家に寄り、牛丼を掻きこんで行った。いつも、こないな時間になることが判ってるときは、友人も、同様のことをしてくるのに、昨日は、そうではなかった。食事に付き合い、こちらはコーヒーでも飲むつもりだったが、結局は、いつもの烏丸通のカフェに行き、友人はケーキっぽいもので間に合わせていました。ロイヤル・オペラもライブビューイングを再開しているということで、そちらも睨みながら、今後のライブビューイング鑑賞の打ち合わせ。友人は、「ロメオとジュリエット」に来るかどうか、まさかの迷いを口にしていた。それと、「つばめ」のどっちかを選ぶんだって。それだと、観慣れたメトロポリタンの「蝶々夫人」が残る。そのタイトルロールがアスミック・グリゴリアンだからだと言ってました。コロナ禍以後の歌手の動向は、アッという間に、黄紺の知らない世界に入っています。そのアスミック・グリゴリアンという歌手が、今をときめく存在になっているのだそうです。ロイヤル・オペラでも、この人が歌う「蝶々夫人」が、ラインナップされているので、そのときめき度は大変なもののようですね。


2024年 4月 22日(月)午後 8時 37分

 今日は、久しぶりの休息日。また、明日から予定が詰まっているので、貴重な休息日なんだからと思っている内に、1日が過ぎて行ってしまった。そんなもんですな。日に2回のウォーキングは定番。合わせて、万歩計を見ると、16750歩余となっていた。極めて順調だ。いつものように、ウォーキングついでの買い物を入れていたら、もう少し増えただろうけど、それはめぐり合わせ。昼前のウォーキングの休憩時間は1時間以上となった。要するに、延々と読書をしていたのだ。フランス革命関連の本、あと少しだ。もうナポレオンが出て来てしまってるので、過激な時期は済んでるけど、あらためて、「これって、そして、誰もいなくなっただな」と思ってしまった。革命に関わった人、皆、殺されてる。だから、ラ・ファイエットが生き残ったのは、なんでと思ってしまうわね、これじゃ。意外だったのは、エベールが、ダントンより前に処刑されてた。遠い考え方より、近親憎悪なのかもしれないね、よくある話だから。次も、オーソドックスなフランス革命本、読もうと思ってる。やっぱ、フランス革命は、おもしろいわ。短期間に変化が、しかも、大きな変化があるからかもしれないね。夕方のウォーキング時の最後の方は、霧雨が降っていた。ごく軽いものだったけど。明日は、明るくなるころには止むとは、天気予報には出ている。明日はお出かけ予定があるので、気にしております。
 午後の一時は、この週末にアップされたYoutube動画の追いかけと、これも、結局は、Youtubeの動画なんだけど、週末のお楽しみ、トルコ・リーグのダイジェスト版を観ていた。あと5節で、今季のトルコ・リーグも、おしまい。完全なマッチレースだから、とりこぼしもしそうにないから、両雄の直接対決で、優勝は決まるのでしょうね。それと、時間のあるときにと、5月のミニ旅行の準備をした。西岐阜での「たま・二葉ふたり会」に行くのに合わせて、浜松と岡崎の美術館にも行こう、西岐阜で落語会があるのなら、岐阜県美術館があるじゃないかと、名古屋を素通りにした予定を組んだ。毎度のことながら、下調べをした資料を、ペーパーにして持って行くので、その資料作成の、最後の点検&補充をして、一挙に、印刷までした。時間のあるときに点検をしておいて、結果的には良かった。バスの時刻表に見誤りがあり、慌ててしまった。宿は、移動経路の途中にある刈谷に取った。名鉄とJRが接続しているので、便利な駅と知ったことからのチョイスです。ホテルの位置も地図に落とし込んで印刷しておいたのだが、何気に、刈谷駅近くをググると、何と、タイ屋さんが、いいところにあった。晩飯が、あっさりと決まってしまった。GW明けに予定しているので、もう半袖のTシャツで行かねばならないのでしょうね、最近の気候では。だと、7月の韓国、体力的に大丈夫だろうかと、急に不安になって来てしまってる。心配性です。


2024年 4月 22日(月)午前 5時 52分

 昨日も、午後に「ローム ミュージック フェスティバル 2024」の1つのコンサートに行った日。ただ、昨日は日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」があった。それも、コンサート会場の斜め向かいの京セラ美術館が出てきた。朝から岡崎ばっか。とどのつまりは、コンサートでは、2年ぶりくらいの再会になるのかな、知人に会った。前回会ったのは、びわ湖ホールでのオペラ公演でのこと。音楽や講談での共通の話題があるご夫婦だ。それで、コンサート終了後、向かいのみやこめっせにあるレストランで、黄紺はお茶、ご夫婦は食事をしながら、久しぶりの歓談に花が咲いた。だから、午後4時前まで、岡崎にいたことになる。気温も下がり、雨も降ったしということで、休日の岡崎にしては、人が少なかったんじゃないかな。
 「日曜美術館」のお題は「モンスター村上隆、いざ京都!」。村上隆が、師と仰ぐ辻惟雄さんを、京セラ美術館に迎え、一緒に展覧会を観て歩くというのが柱となり、その合間に、今回の京都での展覧会に向けての制作現場にカメラが入り、村上隆の製作法が紹介されるとともに、その評価が、辻さんの口からばかりか、アメリカでの取材も含めて紹介されていた。辻さんの感想が入った作品は、次の通りだが、( )内は、辻さんのコメントではない。①風神雷神図(雲に悩んだ、色のこだわり、形状は曽我蕭白の雲を取り入れる)②洛中洛外図(画像からトレースして、それをアレンジするという手法)③四神と六角図(素描に加えてキャラクターを読み込ませ、AIにデザインを幾つも作らせ、その中から使えるものをピックアップしていく、それらを切り貼りして構図を探る、下図ができると実際の大きさで壁に貼る、虎の絵は、最初は岩だったのを虎の上に虎に換えた)④雲竜赤変図《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》(曾我蕭白の雲竜図が元絵)⑤金色の空の夏のお花畑⑥黄金のお花の親子(屋外作品)。合間には、当然、スパーフラットの解説、日本画とアニメ作品との相似性、それを込めた作品として、「マイ・ロンサム・カウボーイ」について、辻さんが解説してくれていた。精液を思わせる飛沫は、狩野山雪の描いた線なんだって! それを使うことで、人工性を表しているとも言ってた、その線は、あの波も彷彿させるものだとか、へぇ~、、、です。基本に西洋絵画との対比があり、それに成功した旨の物言いをされていました。それと、こういった展覧会を、日本ですることの大変さを訴えられていた。自身で、Youtubeのチャンネルを立ち上げたり、他のYoutuberの動画に出たりしてるのでしょうね。ふるさと納税返礼品として、特別なカードを作り、それを配布するというアイデアが、番組では紹介されていました。展示期間の長さも、そのためなんでしょうね。なんせ、埼玉三芳町工房には、160人のスタッフが働いているのだから、経費は半端じゃないはずですからね。その人たちを動かす指示書も、展覧会では展示されていたのを思い出しました。
 「ローム ミュージック フェスティバル 2024」は、「ブラームスと楽友ドヴォルザーク~室内楽の響き」というコンサート。出演者は、玉井菜採(ヴァイオリン)、 城戸かれん(ヴァイオリン)、 須田祥子(ヴィオラ)、中木健二(チェロ)、浜野与志男(ピアノ)という顔ぶれ、そして、プログラムは、「A.ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調「アメリカ」 Op.96,B.179」「J.ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調 Op.34」というものだった。「アメリカ」はともかくも、ブラームスの有名曲、有名なわりには、遭遇機会は少ないということでのピックアップでした。自身の耳が、高音を捉えにくくなってるのかなぁ、ピアノの演奏があるのに、迂闊にも右サイドの席を取ってしまったことも影響したのかな、ヴァイオリンが、えらく線が細く聴こえてしまい、「アメリカ」は、聴いていて頼りなかった、正直。一昨日のヴァイオリンのソロは、そんなことは感じなかったのは、左サイドからかと思っても、ソロは中央だったし、やっぱ、演奏者自体の線の細さか、いやいや、玉井さんのヴァイオリンは、以前聴いたときは、そうじゃなかったし、やっぱ、自分の耳の問題なのか、そんなことを考えながら聴いていると、あまりうきうき気分になれないのが悲しいところ。でも、狙いのブラームスは、弦がこぞって、ピアノに応対すること多しで、いつしか、ドヴォルザークで考えていたことは吹っ飛んでしまい、すっかり、ブラームスに興奮状態。素晴らしいアンサンブルだった。終わってから、知人夫妻から、チェロの中木さんについて、講釈を受けた。岡崎市での弦楽トリオのコンサートのわけが、それで納得いきました。


2024年 4月 21日(日)午前 7時 21分

 昨日は、京都でハシゴをした土曜日。昼前に、ロームシアター京都であったコンサートに行き、その後、食事をしてから、すぐ近くにある京都国立近代美術館の展覧会に行った。この往復だけだと、ウォーキングの量としては少ないかなということで、朝、少し時間を取れたので、ミニウォーキング。帰宅後、万歩計を見ると、殆ど15200歩だったから、その狙いは当たったわけだけど、帰ってから、少し間を置いてから、バタバタと、時間が取れないため洗濯をした。そんな動きっぱなしだったせいか、全てが終わって、椅子に腰かけたら、ぐったり。そのまま、しばし寝落ちをしてしまった。気温が高いという程ではなかったが、こういった気温になってくると、そして、こういったスケジュールをこなすと、疲労が溜まるのかな。お昼は、場所が岡崎だということで、昨日も、東山三条のネパール屋さんへ。今週2回目のネパール屋さんでした。
 ロームシアター京都でのコンサートは、毎年、この時期に行われる「ローム ミュージック フェスティバル 2024」の1つのコンサート。毎年、1日に1回、悩みながらコンサートを選んでいます。キリがないんで、1日に複数のコンサートに行くのは自粛するようにしている。昨日、選んだのは「4人の名手たちが贈る‶四季‶の祭典」というコンサート。特別編成の室内オケに4人のヴァイオリニスト(弓新、 小林美樹、 黒川侑、 岡本誠司)がソロを担当するという、ちょっと凝ったコンサート。この4人も、ソロをしないときは、合奏のメンバーとして演奏するという贅沢なものでした。オケのメンバーもメモっておく。(ヴァイオリン)白井圭、青木調、石原悠企、神谷未穂、島田真千子、西川茉利奈、(ヴィオラ)三浦克之、吉田有紀子、 阪本奈津子、(チェロ)門脇大樹、唐沢安岐奈、高橋 純子、(コントラバス)髙橋洋太、佐野央子、(チェンバロ)越知晴子。そして、プログラムは、「A.ヴィヴァルディ:‶四季‶ ヴァイオリン協奏曲集 “和声と創意の試み” Op.8 第1集」「A.ピアソラ(L.A.デシャトニコフ 編):ブエノスアイレスの四季」というものでした。ヴィヴァルディでは、弓、小林、黒川、岡本という順でのソロ、ピアソラでは、小林、黒川、岡本、弓という順でのソロとなっていた。2曲を併せて、小林さんが、最も技巧を要する箇所を担当、地味な箇所担当が黒川さんとなっていたが、意図したものかは判らない。最も個性が際立つ演奏は岡本さんというのは、満場一致で決まるだろう、それほど、個性が光っていたな。その演奏は、エモーショナルなものと言い換えることができるでしょう。ノリの良さ、だから、とても明るさを感じさせたのが弓さんだったが、以前聴いたときの弓さんとは思えない個性を感じていました。オケのコンマス役は白井さんというのも贅沢な布陣。ソロとの一体感は、ホント、素晴らしいものがあり、皆さんが、1本の糸で結ばれているかのように精緻なアンサンブル。これは、凄かったな。臨時編成で、こんなことできるんだね、凄いわ。めっちゃええもん聴けたと、満足度、とんでもなく高いコンサートで、これをピックアップして、大正解。なんせ、神尾真由子のコンサートを蹴飛ばして、これを選んだ狙いが、ずばりと決まったことでもあり、大満足でした。
 京都国立近代美術館は、先日の「富岡鉄斎展」のときに行けば、2度足を避けられたのだけど、やはり腰の不安があるので、2回に分けたのだったけど、昨日の疲労を考えると、そのようにして正解だった。昨日行ったのは、今年度の第1回目のコレクション展。鉄斎展を意識したばかりか、お向かいの京セラ美術館の展覧会をも意識した構成、でも、とても変化に富んだもので、随分と時間を取って観てしまいました。だから、疲れたんだろうね。冒頭は、定番の「西洋近代美術作品選」、これが、お向かいを意識したキュービズムで固めていた。ピカソに、新収蔵品のアルベール・グレーズものがあった。次いで、「明治時代の京都・大阪の日本画」。これも、鉄斎展と似通った時代ということなのでしょうか? 今回狙ってたコーナーでした。知った日本画の大家から、そうでない作家さんまで、勉強させてもらいました。冒頭の岸駒の「巌流鷲之図」に、目を奪われる。あまりにも精悍な鷲に目が奪われるのだ。岸駒は、全く知らなかったが、岸派の祖だそうだ。同じ並びに田能村直入ものがあった。「春夏山水図」と「一望萬松図」だ。文人画の代表的人物として名前は判っていたが、作品は初めてかもしれない。典型的な文人画で、いつもながら、定番の文人画のテイストに馴染めない。対面の壁の始まりは、塩川文麟の「雪中平等院」。幸野梅嶺の師に当たる人、そう言えば、幸野梅嶺の「中島来章像」も出ていた。ぽつんと浮いたかのような人物画が出てきたものだから、幸野梅嶺を観た有難さというものが薄かったな。このコーナーのお気に入りが、もう1つ、その並びにあった。森寛斎の「鵞鳥」。描かれた鵞鳥の長閑な表情もさることながら、山水画や、すぐには動きを見ることのできない草木図に比べて、ほっとする温もりを感じたのが良かったのかもしれない。岸竹堂の「月鴉図」もあったが、こちらは水墨画で、雪を蓄えた木に鴉では、厳しすぎるんだな。同じコーナーの仕切りを越えたところにも、自然の風景が多く並ぶ。山田文厚(師が塩川文麟だそうだ)の「秋月三鹿之図」と奥谷秋石(師が森寛斎だそうだ)の「松溪風雪遊鹿山水之図」は。深山幽谷に鹿を描くという共通している。いつもながら、自然の風景図に鹿がいると、ほっとする。今尾景年の「月下芙蓉鴛鴦図」や久保田米僊の「水中落花蝶図」、鈴木松年の「風雪三顧図」といった大家の作品もあったが、関心が向かず、目が行ったのは江中無牛(大阪画壇の作家)の「蝦蟇鉄拐」。「鉄拐」などという落語があるけど、この人の物語を押さえてないものだから、ここに描かれている蝦蟇とのエピソードは判りかねるが、首に巻き付けるようにして蝦蟇を抱える姿は、どうしても目を引いてしまう。また、その鉄拐の姿がいい、表情がいい。右隻の男は呆れてるのかな? この男の表情もおもしろい。山本春挙もあった。「空磧帰牛之圖」だ。前景の木立が、えらく勢いがあるが、背景に薄く描かれた山に、はやり惹かれてしまう。そういった中で、異色作が2人の作品。秦テルヲと神阪松濤の作品だ。前者は、言うまでもなく労働者と呼べる人たちを描くのが目新しい。後者は、田舎の風俗図と言えばいいかな。高みから下へと降りてきた作品ですね。真ん中の部屋は「書を持って街へ出よう——引用・参照の美術」というコーナー。鉄斎の「万巻の書を読み、万里の道を行く」という言葉を受けてのものだが、よく判らないけど、楽しめる現代アートの世界。中央には、敷物が敷かれ、周りに本が積んであり、鑑賞者も、靴を脱いで敷物の上に上がれるというインスタレーション作品。ドミニク・ゴンザレス=フォルステルの「無題(映画について)」といいう作品だ。福田美蘭があった。角度に寄り、同じ絵が違って観えるというもの。「卵を料理する老婆」という作品。やなぎみわの「フェアリーテール:エレンディラ」は、自身が、老婆と若い女になりきり、エイジについて問いかけてるんだろうか? これと、コーナーのお題との連関性は、ちんぷんかんぷん。ヤン・ヴォーの「1861年2月2日」は、フランス支配下のベトナムに宣教に入り、処刑された宣教師の最後の父親あての手紙をトレースをしたものだけど、これも、お題との連関性が判らない。「ウィーン美術史美術館1」というトーマス・シュトゥルートの作品も、美術館内部を描くということと、どんな連関性? そんなで、早々に退散。「明治の工芸̶継承と変化」が次の部屋。明治に入り、ジャポニズムもあり、輸出用に、伝統作品をアレンジしていったそうだ。七代錦光山宗兵衛の作品に観る豪華さを演出する陶器や、四代飯田新七の精緻な刺繍作品は、確かにインパクトがある。思わず、素材を見て見返してしまったのが、石川光明の「蓮根に蛙 牙彫置物」。象牙の超絶技巧の作品、こんなもの、初めて観ました。並河靖之の七宝作品も、そういった流れで人気を博したのでしょうか。相変わらず、漆芸作品はスルー気味になってしまう。制作の仕方など、TVで観たりすると、凄さが解ったつもりになるわりには、作品を通しては、それが解らないからでしょうね。「河井寛次郎作品選」というコーナーも用意されていた。毎度のことながら、こうして集められると、その作品の多様さを知ることになるが、どうしても、民芸ものからインスパイアされた色合いのものに目が行く。こんかいもそうだったな。「鉄斎を慕う洋画家たち」は、もろに鉄斎展絡み。鉄斎展でも、冒頭に鉄斎の肖像画(正宗得三郎作)があり、これは油彩だったことで、このお題設定は納得のいくもの。梅原龍三郎、岸田劉生、須田国太郎といった大家の作品が並ぶ。その中で、気に入ったのは、中川一政(真鶴に個人名を冠した美術館があるようだ)の「薔薇」の色彩、里見勝蔵(ブラマンクに師事したそうだ)の「女の顔」の背景の赤一色で、女のもの欲しそうに見える内面が浮かび上がる作品、そして、3点出ていた鍋井克之作品(春雪、勝浦の夕映、月光と海水)、遠目から観ると、空間の拡がりが、急に出て来る。せせこましく描き込まれた「春雪」が、その傾向で一番だったのが意外だった。最後のコーナー「自転車にのって ―乗り物の動力―」も、難解なのか、素直に楽しめばいいのか解らない、不思議なコーナー。これも、鉄斎絡みにはなっていた。「鉄斎の活動期(1836~1924)は、鉄道や自転車といった乗り物が発展し、市民生活に根差した時期に重なります」というのが、キュレーターさんの言葉。國府理の「プロペラ自転車」という不思議極まりない作品が目玉のようだったけど、、、、? クシシュトフ・ヴォディチコ写真は、「ニューヨークのポリスカー」を撮っていた。車体の低い、変わった乗り物、変わりものを見せてもらったという意味では、おもしろいんだけどな。鯉江良二の「チェルノブイリ・シリーズ」は、なんで、ここに出てくるのだろうか? ユージン・スミスの写真も3枚、いずれもピッツバーグを撮ったもの。「産業化」というコンセプトでまとめてるんだろうか? なんとなく、そのような気がしてきた。だったら、そう書いてくれよ! このコレクション展、日本画の大家の作品が、後半では、大幅に入れ替えられるようなんで、再訪するつもりなので、そのとき、もう1度、考えてみます。


2024年 4月 20日(土)午前 6時 13分

 昨日は、再び、京都でハシゴをした日。朝からアスニー京都での市民向け公開講演会、その足で衣笠に向かい、堂本印象美術館へ行った。いつも、この両者は、ワンセットで行くことにしている。ウォーキングを兼ねての徒歩移動。ググってみると、30分余と出るので、手頃な体ごなしになる。昨日は、風が涼しく、こういった徒歩移動は快適。帰りは、ちょっと気温が上がってしまい、暑かったけどね。おかげで、帰宅して、Youtubeでも観ようかとしていると、椅子に腰かけたまま、知らない間に寝落ちしていた。昼食は、以前から狙っていたところ。美術館は立命館大学の側ということで、学生さん相手の定食屋さんがあるので、それが狙い。安い、量がある、この定食屋さんポリシーの生きたものをいただき、大成功。
 アスニー京都の講演は、「賀茂社の祭礼と源氏物語」というお題で、一般財団法人賀茂県主同族会理事長/賀茂競馬保存会副会長の堀川潤さんのお話を聴くことができた。堀川さんは、このアスニー京都で、以前、お話を聴いたことがある。とっても、お喋りが上手で、解りやすい講演をされていたので楽しみにしていた。が、一昨夜、午前2時過ぎに起きたままで、この講演会に臨んでしまい、またぞろ、やってしまいました。二度寝ができなかったこともあるが、フェネルバフチェとオリンピアコスとの一戦があったので、その経過を追ってると、眠れる感じがしなかったこともある。賀茂の社の神の系譜という冒頭のお話と、「源氏物語」に出て来る、有名な車争いの場面の、賀茂の祭からの解説、賀茂の祭の内容の変遷、、、こんな程度かな、記憶にあるのは。しかも、それらが、脈絡なく記憶にあるから、大筋として、どういったお話しの流れだったかは、さっぱり判りかねるというものとなってしまった。最後の口ぶりだと、どうしても「源氏物語」をお題に付けたがる今日この頃なもので、それが入ったが、話の流れで、そのニーズが満たされていたかを問うておられたので、ひょっとしたら、無理筋的なお題設定だったのかもしれないが、その判定は、自分にはできない。これで、寝落ちの大きなのが、2日続いてしまいました。
 堂本印象美術館では、今、「渡辺信喜 四季の譜 京都府立堂本印象美術館 現代作家展」が行われている。全く知らなかった作家さんだけど、こうやって取り上げられる人だということで、視野を広めるために行こうと考えた。経歴を見ると、日展理事としてのみならず、京都の日本画の重鎮という地位にある方だそうだ。師は村上華岳、確かに作風は納得いくものがある。写実に徹し、草花を描く。そこへ、背景の色使いのみならず、描く対象物の色使いを込めて、上村松篁が入っているという印象を持った。この美術館、2階に広い展示室があるんだけど、そこへ向かう坂になった通路も展示に使われるのだが、その冒頭部分は、70歳以後の作品が並んでいた。あとで観ることになる、形状は写実だけど、色のデフォルメということは、この通路では感じさせられない。師に似た作風なのかなという印象を持ちながら、先へ進んだ。その中で、印象に残るのは、デザイン化されたようなチューリップを描いた「チューリップ」という作品は、花そのものが、細かく変化するものではないので、並んでいることの美を描こうとしているよう。傍にはチューリップの唄が添えられてもいたしね。「鶏頭花」は、赤くで目立つ花の盛った感と、そうではない淡い緑の葉っぱの対比があるため、花が、やたら眩しい。「盛椿」では、花の盛ったふわっとした艶やかさに対し、日本画あるあるで鉢が薄っぺらく感じてしまう。陰影を使わないから、どうしてもそうなっちゃうが、これが、「鶏頭花」の花と葉っぱの関係にも看て取れたように思えた。秀逸は「九重桜」、桜花が木全体のヴェールのようになっている。これは、同じ桜を対象物にした「紅枝垂桜」もそうだった。中2階の位置になる平坦な通路には、幾つもの「素描(写生帖)」が置かれていた。草花を描いたものより、少数派だった動物を描いたものの方に関心が向かった。動きを感じさせるデッサン力に惹かれたのだが、描かれていたのは「メダカ」と「クワガタ」だった。2つ目の坂になった通路にも、同様の作品が並ぶが、そこで目を引くのが「田圃四題」。同じ田の四季による変化を描いたもの。40歳代初期の作品だが、ここに来ると、あとで観る作品の特徴が出てきていた。写実は写実なんだけど、色彩は、思いのままに、いや思いを込めてと書くべきなのかもしれないけれど、変化させている。背景の色彩も松篁が入ってきたと思わせられる。時系列的には、そういった色使いを減らしていくことになるんだね、結局。わけは想像もつかないけれど。4つの作品の中では、秋を描いた「穂」がいいかな。緑ではなく、黄緑色に豊穣を感じさせます。そして、メーン会場の2階へ。ここは、大部な作品、作家の盛りと思える作品が並んだ。「林檎」は、全体の色使いからして、身構えさせられてしまう。くすんだ青色の林檎の木って、想像を超えている。「彩秋」は、木々の紅葉を描いたものだけど、色彩のデフォルメが眼目になっている。余りにも鮮やかな赤に合わせるかのように黄色になった葉と、明るい色彩。でも、こういった光景って、実際にあるだろうかと思う。形状は写実に徹しているが、色彩は、作家の頭の中で増幅されてしまってる。これは、「新緑里山」の場合もそうだろうと思わせられた。「蓮池」は、えらくローアングル。普段の目線では見ることのない蓮が浮かんでいる。えらく生々しさが出て来ている。「菊花」は、下のスロープで観た「チューリップ」と同じく、デザイン化された菊が連なる姿を描いたものだけど、菊花展なんかに行くと、菊の並びはこうだ。「叢」が、この展覧会で一番のお気に入り。これも、極めてのローアングル。全体的に暗い色彩、それもデフォルメなんだけど、対象物との距離も近いことから、顔を近づけると、中からバッタかなんかの虫が飛んで出てきそうだった。「夏草」は、葉を白くして、夏でも気温が下がった時間帯の涼しさを感じさせる作品、「罌粟(けし)」は、ポピーではなく、茎がしっかりしているようで、ポピーが頭にあると違和感を感じる。日本画あるあるだなと思ったけれど、当たってるかどうかは知らない。「風光る(オリーブ)」は、白い色合いの入るオリーブの葉をデフォルメして、えらく白っぽい、白を強調している。しかも、肉厚のオリーブの葉なのに、風に軽くそよいでるのに違和感を感じてしまうけど、白っぽさの強調に、間違いなくオリーブを感じることができた。最後の3点は、惹かれるとこととそうじゃないところが、相半ばするといった印象だった。1階の展示室では、堂本印象ものが展示されていた。1つは、玉造教会(大聖堂)の壁画の下絵。イエスを膝に乗せるという、よくある構図に、能装束の如き着物をまとったマリア像、両脇に、細川ガラシャと高山右近というキリシタンを配したもの。こないなものが玉造にあるとは知らなかった。第一、あの大聖堂は、外からしか観たことはなかったからね。内部へ入れるようだと、観に行きたいものです。今一つは、大部な「木華開耶媛(このはなさくやひめ)」と、その下絵が展示されていた。下絵と本絵で、媛の顔つきを変えてます。とまあ、なかなか楽しめる展覧会、いいものに出逢えました。


2024年 4月 19日(金)午前 4時 30分

 昨日は、ちょっと涼しめだったなか、兵庫県内でハシゴをした日。朝から出かけて、芦屋市立美術博物館に行き、午後には、阪神西宮まで戻り、西宮えびす亭での落語会に行った。移動中でのお昼ご飯、丁度、阪神芦屋駅ごく近くにインド屋さんがあったので、昨日もカレーにした。今週、何回、食べるんだろうね。このインド屋さん、お値段がリーズナブルで、とっても美味。そないに、芦屋まで行くことはないだろうけど、芦屋へ行けばこことしたいお店だった。香櫨園のインド屋さんとは、かなりお味に差があるね。ただ、朝、大阪への移動、1本、早めの京阪特急に乗ると、その1本後とは、えらく違い、座れなかった。これが堪えた。その後、美術館では立ちっぱなしだから、落語会に着いて、ホッとしてしまい、かなり寝落ちしてしまった。せっかく、遠出をしたのに、かなり悲しかったな。
 芦屋市立美術博物館では、今、「コレクション特集‶具体美術協会/芦屋‶‶アプローチ!―アーティストに学ぶ世界のみかた‶」という展覧会が行われている。具体美術協会を取り上げてくれるということで、飛びついてしまった。発祥の地ということで、コレクションがあるというのは、これで知った。もう1つの展示は、主として現代アートを眼目にした展示。前者のコレクション、もっと持っているように思うのだけど、基本、作家さん1人1点で展示したかったのかなぁ。リーダーだった吉原治良の作品だけ、2点、展示されていたが、もう1つの展示も、それはそれでおもしろかったのだけど、具体美術協会で、何で、統一した展示をしなかったのだろうという疑問が残った。1つには、具体美術協会が、吉原治良の逝去で解散して以後、作風を変え、新たな分野でも名を上げた元永定正の新たな作品も展示したかったのかな? そんな気もしないではない。それだと、新たな作品とのテイストの調和ということで、第2の展覧会が企画されたかもしれないなと、勝手な想像を逞しくしておりました。解散のきっかけも、吉原の死ということもあり、吉原のリーダーシップは、かなり強かったというより、師弟関係と言っていい関係の作家さんが多い。協会名で行った展覧会では、途中から、既に名の知られていた作家さんを組み込んだということも書かれていたが、リーダーはあくまで吉原。吉原は、自身が所有権を持つ古い蔵を改造して「グタイピナコテカ」という名を付け、専用の展示場まで用意していたそうで(吉原製油の御曹司だったこと、帰宅後、思い出した!)、このトピックは、今回の展示で、初めて知った。この名称も、具体美術協会を世界に紹介したミシェル・タピエの付けたものだそうだ。豊田市美術館に行ったとき、そこのコレクション展で観た、具体美術協会の作品群のステータスの高さに驚かされた。クォリティも高いなんて書くと、この抽象絵画群の何が解ってんだよと、自分にも突っ込みたくなるが、何でか、輝いてたのは間違いない。特に白髪作品の存在感は、ここで観るとは思ってなかったところへ、突如現れられると、圧倒的だったな。北九州で具体美術協会の作品群を観て以来、気になるのです。気になった作品、メモっておきたい作品を書いておく。吉原治良は、代表作とされる〇を描いた「具体」とマチエールを楽しむ「作品」の2点。「電気服」の田中敦子は、その電飾系の立体作品ではなく、その配線を平面に描くという意表を突く「作品」が出ていた。件の元永定正は、わざと共感を生まないように描いたかと思える「作品」。「わざと」と思うのは、こっちの勝手なんだけど、傍らの解説に載る作家の言葉を観ると、そう思ってしまった。ものと精神という二項対立は気になったけれど、心の電気反応のようなものを描いたように観えたが、追従はできそうもなかったので、わざとそうしてるように思えてしまった。誰しもが同じ反応なんてできるものじゃない、そんな内容が側に書かれていた、言葉で。白髪一雄は「地進星出洞蛟」という作品。ちょっと大胆さが少ないような印象。白髪が天井からぶら下がって描いている映像を、北九州で観たけれど、その傍らに、助手的な役割をしている女性がいた。でも、それを観たときに、この人も描く人だな、ひょっとしたら奥さんかなと思ってたら、白髪姓の女性の作家さん(白髪富士子)の「作品」があった。やはり、ご夫婦で制作に当たってたんだと思ったけれど、それでいいのかな? 白髪一雄はぶら下がったけれど、瓶に絵具を入れて、それを叩き割ったときに飛び散る絵具跡を作品に生かした嶋本昭三の「作品」は、絵具の勢い、絵具の色彩の選び方が、白髪作品にテイストが似てたので、遠目では、これを白髪作品と、一瞬、観てしまったが、絵具の飛び散り方が、明らかに違う。細かな飛沫が、独特の線を残してくれます。この2人の作品を観ていると、どうしてもアールブリュットの作品と交差してしまう。アールブリュットの作品をおもしろいと思う感性と人間の思惟や感性を越えた何かを表現したいが交差すると言えばいいかな。表現のおもしろい作品よりも、こういった白髪作品のような作品に人気が集まるというのが、解るような気がします。アールブリュットを思い出させるようなのが、もう1つあった。向井修二の「作品」は、人の拘りを観るような気にさせられた。表現のおもしろさに留まると書くと嫌らしくなるかもしれないけど、その範疇に入ったのが、円を描くことで錯覚を誘発している小野田實の「作品64-H」、3色に塗り分けられた階段状のオブジェに隠れた色が出てきてにやりとさせられた名坂千吉郎の「SERVOLINE3」、等間隔に貼り詰められた白い紙の造形が視覚の混乱を誘う高崎元尚の「装置66-3」といった作品だった。後半のアート作品展には、自分も知る著名人の作品を含めたものだった。チラシに使われていたのが、三島喜美代の「Package-88-5」。新聞紙を束ねて積み上げたという、お得意の陶器作品だ。清水九兵衛の「FIGURE-a」という朱色の作品があった。この人だから陶器作品かと思ってたら、作品リストの材質にアルミとなっていて驚いた。質感は陶器を疑わなかったな。当然、元永定正の作品もあり、岡崎で観たのだったかな、非核三原則を扱った作品だったと記憶するが、ほのぼの感触れるが、同時にメッセージ性があるようにも思う一方、すぐに、それを打ち消したくなるような作品群。頭の中を覗きたくなる。舟越保武の「リンゴを持つ少年」は、少年が立っていて、手に何か持ってるとなれば、そう、ダビデだよね、それを連想するんだけど、側の解説には、舟越はクリスチャンだったとまで書いていて、解説にはダビデが出てこなかった、あれれ?だ。文化功労者として顕彰されている大家のようだ。堀尾貞治の「震災風景」は、阪神大震災の被災地を、鉛筆や水彩絵の具を使って描いた作品群。壁一面に40枚の同じ大きさのキャンパスに描かれていた。この人も具体美術協会のメンバーだったことを、帰宅後知った。前者の展示室にも作品が展示されていたのも、帰宅後知るという失態を犯してしまった。ハナヤ勘兵衛の写真もおもしろい。「一瞬の瞑想」は、出産直後で産声を上げる前の瞬間、「うぶ声を上げる」は、その直後。「ジャンジャン横丁」などという、風俗を切り取る写真もそそられたな。松井正は、海外探訪先を描いた3点が並んだ。「オリャンタイタンボ」は、ネット上に上がる画像との比較を求める解説があったので、帰宅後試してみた。マチュピチュじゃないが、天空の遺跡だった。これだけは、想像つかなかった。とまあ、色々と楽しませてもらい、階下に降り、そこで初めて、受付前の広いスペースに置かれている、背の高い木が、この後者の展示作品だと知った。2つあった。被雷して裂けてしまったかのような木の作品「雷神」は戸谷成雄の作品。生木を裂いてオブジェにしたのは、デイヴィッド・ナッシュの「内側/外側」。と、この2作品を眺めていて、壁に掛かった大きな布に目が行った。それまで、作品とは思ってなかったが、ひょっとしてと、このときになり思ったのだった。植松奎二の「Triangle – Stone / Cloth」という作品だった。広くて大きな壁一面の布の真ん中下に石が置いてあるが、その石の重み程にはと言うか、重みを、ほぼ感じさせない程、布がたわんでないのだ。どうして、そないなことができるんだと思わせる作品。重力を無化するように思えた。なんじゃこれと、気が付いて、ようやく思えた作品だった。現代アートは、これだから、おもろいのだ。
 西宮えびす亭であったのは「智丸西宮ひとり会」。笑福亭智丸が、一人で3席、それを昼夜行うという落語会の午後の部に行った。ただ、中入り後に、1席加えたので、計4席になった。ネタ出しをしているのが、典型的なシシババネタだということで、付け加えたと言っていた。その4席は次の通り、「スフィンクスの謎」「鶴満寺」「明礬丁稚」「有馬小便」。ネタ出しをしていたのが「有馬小便」、智丸曰く、「こういったネタは、出しておかないで、いきなり出すと、叱られる」。そして、急遽加えたのが「明礬丁稚」。短すぎるので、滅多に出ない噺。1回ぐらいしか聴いてなかったはず。それと「鶴満寺」が並ぶと、古典だけでもレアネタばっかが並んだ。その上、新作だから、えげつないレアさだ。なのに、前の2つは寝落ち。新作ネタなんか、マクラだけしか聴けてない。「鶴満寺」も、気が付いたのは、寺守が酔っ払ってるところだったから、かなりえぐい寝落ちをしたようだった。「有馬小便」は、春若からもらったそうだが、6代目のテキストも入れたと言っていた。春団治系の「有馬小便」しか知らなかったが、6代目は、江戸時代に設定して、一層、えぐくやってたそうで、その内容を、春若からもらったものに加えて行ったと言っていた。確かに、春団治系では聴かない、えぐいくすぐりが満載だった。でもね、春団治が、「京都市民寄席」で、このネタを出したとき、京都新聞の寄席評で酷評されたんだよね。「なんてネタを出す」という、かなりの酷評だったのを覚えている。もう50年程前の話だけどね。そんなで、残念な結果に終わった落語会、ちょっと落ち込みました。


2024年 4月 18日(木)午前 6時 8分

 昨日から、連続的にお出かけ予定が詰まっている。色々なところへと出かける。変化に富んだお出かけ予定だ。まず、昨日は、京都でハシゴ。朝から、アスニー山科の市民向け公開講演会へ、そして、午後は、岡崎の京都国立近代美術館での展覧会というもの。となると、昼食は、定番の東山三条のネパール屋さん。昨日は、久しぶりにビリヤニにしたが、ここのビリヤニは、味が薄いということで、ライプチヒのインド屋さんのビリヤニを思い出してしまった。そのライプチヒよりは、大きなチキンが入っている。量は、ライプチヒに迫ると言っても、さすが、ドイツは、何かにつけ量が過ぎる。エアフルトのタイ屋さんだったかのファーストフード店で、「量が多かった」と言うと、「ここはドイツだよ」と言われたことがあった。
 アスニー山科での市民向け公開講演会は、今年度の第1回。お題は「京都市電 よもやま話」ということで、満員の盛況。お話をされたのは、鉄道友の会京都支部副支部長の島本由紀さんだったが、元中学校の社会科の先生だそうだ。レジュメは1枚だったけど、それが、全盛期の京都市電の路線図だった。チンチン電車も入ってる。梅津車庫へと延びる路線も入ってるという、さすが、鉄は抜かりがありません。当然、京都市電の誕生話から廃止までを辿って行かれたが、そのお話には、これまたお宝の写真が添えられる。ご自身で撮られたものだけではなく、友の会の先輩が撮られたものを受け継いでおられるから、お宝度は抜群。「老人ホームに行き、こういった話をすると、電車より、背景に目が行き、とても歓迎される」と言われていた。確かに、懐かしい光景を楽しめる。知らなかったことも多く、トピックをメモっておく。「路面電車は京都駅~伏見が初だが、これは市電ではない、市電としての初は、京都駅から木屋町を通り岡崎への路線、二条で鴨川を渡っていた」「市電としての初は大阪市電」「伏見線の終点は駿河屋前だった」「電力は蹴上の発電所で始まったが、1日と15日は電力を止めていた、藻などが架かるので除去しなければならなかった、その日が、奉公している人の休養日だったので、収入にも関わるということで、八条口に火力発電所が造られた」「単線運転、4間の道路だと両脇に家があっても良かったが、3間の道路の場合は、片側に家が並ぶとダメという規則だった、そのため、堀川通&西洞院通(川があったそうだ)が選ばれた」「二条木屋町と二条寺町に残る不思議なスペースは、電車の曲がり角の名残り」「T7、京電を京都市が買い取った」「市電車両を使いし尿処理をしていた時期(S20.4~21.8)があった、‶東山仁王門~東山三条~山科~浜大津~粟津‶という路線、東山仁王門に不思議なスペースがあるのはこのため」「S24.12~30.9 競輪のために宝ヶ池へ乗り入れをしていた、元田中で叡山電車に合流(市電の線路が叡電へと曲がっていた記憶がある!)、ステップの高さが違うので、宝ヶ池駅には市電車両用の低いプラットホームがあった、現在、その痕跡を観ることができる、市電はスピードが出なかったため、追い越しができないため、市電車両の場合には元田中から宝ヶ池まではノンストップ」「市電のピークは、白梅町が繋がって(S33)以後、輸送人数ではS38、車両数ではS34がピーク」「嵐電は北野まで行っていたが、市電が白梅町まで通ることで、白梅町が起点となった」「梅津線は、西大路四条と梅津の間を走ってた、それがトロバスに変わって行く」「四条大宮と西大路四条との間に市電が通らなかったのは、山陰本線との交差を避けるため、地下に回すには新京阪が通っていた」。廃止では、お話は終わらず、付録があった。市電車両の活用だ。現在でも、広島の路面電車として活躍しているのは周知の事実だ。廃止翌日に、他所へ行く車両は九条車庫へ、廃車になる車両は壬生車庫に集められたそうだ。
 京都国立近代美術館では「没後100年 富岡鉄斎」が開かれている。中国絵画の伝統を引くということで、さほどそそられるということはなかったが、やっぱ、日本画の大家であることは間違いないということで、行くことにした展覧会だった。ただ、昨日、偶然なのだけど、同美術館のチャンネルから流れたYoutube動画で、この展覧会関連で行われた講演会の動画が流れた。帰ってから復習のつもりで観たのだけど、ここで、初めて、富岡鉄斎の見方を教えてもらえ、展覧会での印象とは、かなり変わるものがあった。だから、展示替えもあるだろうしということで、再訪の要が出てきたなと思い始めている。「最後の文人」と言われる富岡鉄斎、絵師というよりか儒学者たる思いが強い人だったと、講演をされた梶岡秀一(同館学芸課長)は言われていた。だから、作品には賛が書かれており、それを読み、絵を観てくれというのが、鉄斎自身の言い分 だったそうだ。描かれているものには、様々な知見が込められているということで、その知見が半端じゃない、Youtube動画でも、それを解説されていたが、到底、黄紺などが及ぶものではないので、昨日観てきたメモを書くのすら憚れるような気がするが、そういった動画を観る前、いや、観た後でも変わらないかもしれないが、そういった生のメモということで書いておくことにする。展覧会の序盤は、正直言って、つまらなかった。実際、会場では、その辺りでは人が溜まっていなかった。というのも、作品はあることはあるのだが、印刻趣味があり、そのデザインとか、鉄斎が収集したものが並んだり、没後100年と雖も、驚いたのは、使っていた絵道具など、一式が残っており、それが、主として展示されているため、人が溜まらなかったと言っていいでしょう。早く、作品をと、前のめりにさせられてしまってました。展示エリアで言えば、「序章:鉄斎の芸業 画と書」「第1章:鉄斎の日常 多癖と交友」となる。書は判らないので、ぱっと見だけでスルーしちゃうしね。山水は、デザイン化されたような、言い換えると、中国絵画でおなじみの定型化された三角の山、奥行きを感じさせるための稜線を縦に入れるが目に付くと、ちょっと引いてしまう傾向にあり、馴染めないのだ。だから、「空翠湿衣図」のように、瀑布(韓国語だとポッポになるが)だけ拡大されると、その勢いに圧倒され、画力を感じざるを得ない。それと、鉄斎を観るとき、毎度、嬉しいのは、そういった山水の中の、どこかに人が描き込まれている。雄大な自然に抱かれた人間の穏やかさ、和やかさ、優しさのようなものを感じさせてくれるのが嬉しいのだ。ただ、それを見つけるのに、僅かだけど、時間を要する。だけど、探すのが楽しい、そういった楽しみ方をしてきた。この章の中に、飲茶の風に精通していた鉄斎をまとめたコーナーがあったが、これは、動画でも触れられていた奥深いものがあるようだ。「高遊外売茶図」は、東福寺の通天橋の下の沢沿いで茶を立てる粋人(この人に関する蘊蓄が動画で語られていた!)を描き、「梅山幽趣図」では、山林内の道を、明恵上人が茶の実を持って歩く姿が描かれていたが、調べてみると、京都のお茶栽培を広めたのが明恵上人だった。これ、宇治茶の歴史を、京都文教大学のシンポジウムで学んだとき、言ってました。これも、山水で描かれている。同じコーナーには、四代清水六兵衞との交流を語る作品もあった。四代清水六兵衞の茶碗に、鉄斎が絵付けをしているのだ。「赤絵瓢形羅漢図水指」「御本銹絵虎図茶碗」がそれだ。第2章で一のお気に入りは「高士肥遯図」。滝つぼに釣り糸を垂れる3人の男たちの和んだ様子が、実に微笑ましい。これも、何かの謂れのある構図かもしれないが。「第2章:鉄斎の旅 探勝と探究」になると、作品に変化が出てきて、多様な作品が並んだ。「済勝余興図・漫遊所見図」が旅のスケッチ帖。「通天紅葉図」と、また通天橋が出てきたが、こちらは名所図会風。線が生き生きとしている「名勝十二月図」。「盆踊図」は、風俗画で、色彩は普通。ぱっと見では、絶対に鉄斎だとは思えない。色合いは大和絵みたいと、勝手に思ってた。大津絵を模したような鬼の出て来る「追儺図」。「英一蝶幽居図」なんてのがあるかと思うと、「花桜人武士図」では、桜木の下で芸妓と戯れる大石内蔵助が描かれていたが、枝ぶりがよく、桜花を湛えた枝が、月と交わるという構図に、どきりとさせられる。赤穂浪士の行き先なのかと連想してしまった。このコーナーは、そんなで、とってもおもしろい。「終章:鉄斎の到達点 老熟と清新」は、70台、80台の鉄斎作品を集めたコーナー。大きな作品が2つ。「富士山図」は、右隻に富士山の全体を描き、左隻には、何と火口だけを描いている。なんという大胆なことを考えるのか! 「青緑山水図」は、右隻から左隻へと川が流れている。その俯瞰図だが、確かに、右隻から左隻へと繋がっているが、左隻の左半分は、俯瞰図であることは違いないが、視点がずれているように観える。件の描き方の山が出て来るからだ。でも、作品の左斜め前、少し下がって観ると、わりかし自然に観える。勇躍と川の流れを感じるのは、このアングルが一番と看ました。花鳥図、魚図なども現れるのは、このコーナーだけだった。「鮮魚図」は、動画で、めっちゃ深読みされていた作品。愛媛のなんちゃら浜に謂れがあるそうで、そこの朝市で売られていた魚を描いたのだったかな? 「落花遊魚図」は、魚が泳いでるという、まことに写実的な作品。これを観ると、何でも描ける人と思わざるを得ない。西王母の肖像画「西王母図」があるかと思うと、西王母を描かないで西王母を描いた「碧桃寿鳥図」、こんなの、西王母の逸話を知らないと判らないが、鉄斎の作品って。そんなのばっかなんでしょうな。駆け足のメモになったけれど、振り返ると、馴染みが出てきます。鉄斎関係は、高月のミュージアムや大和文華館でも、同時進行で展覧会が開かれているので行くつもりをしている。前者は、この展覧会に、幾つか「布施美術館」所蔵とされていたので調べてみて、その存在を知った。最初、東大阪かと思ったけど、全くの勝手な推測だった。GW中に行ってみようかの気になっている。大和文華館の方は、チェック済みだった。こちらも、近々、行く予定にしている。しばらく、鉄斎詣でが続きます。


2024年 4月 16日(火)午後 9時 48分

 3日連続の自宅生活。外出時間したのは、今日も、日に2回のウォーキング時だけ。昼前のウォーキング時には、ついでに銀行に行った。あることの引き落としにだけ使ってる口座が2つあるのだけど、うっかり忘れると、引き落としができなくなり、生活に混乱が生まれる。先日、引き落とし済みの連絡が、郵便で届いたから、今回の引き落としは大丈夫だったが、その高座の残高照合をするきっかけをもらったと思い、そのチェックに行くと、案の定、いい勘をしてた。もう1回分くらいはあったけど、思い出したときに入れておかないと、絶対に忘れると思い、補充をしておいた。それをしなければならないということを忘れなかったことが、今日は偉かった。ついでに、忘れていたことを思い出した。申込みの必要がある市民向け公開講演会の登録をしてなかったのを思い出したのだ。ちょっとしたきっかけとなった。これは、嬉しい誤算。
 今日は火曜日ということで、Radikoで「まーぶる」を聴くのがメーン。放送開始3分前に、二葉がスタジオに駆け込んで来たそうで、冒頭は、その話題で持ち切り。10時開始なのに、8時40分に目が覚めたと言ってた。完全な寝坊。それから、タクシーで新大阪まで行き、新幹線で京都まで移動したそうだ。こういたときは、京阪電車はダメだね。カーブが多いからスピードが出ないというのは、有名な話。城陽の独演会も、ちょこっとだけ話題に上がってた。黄紺は、後ろの方だったので、お喋りを始めていた二葉に声を掛けたアホなおっさんがいたことは判ったんだけど、携帯を鳴らした客がいたことは気づかなかった。おかしな反応を、二葉が示したところがあったのだけど、それは、変な客が奇声を上げたのだと思ってた。それが、携帯の着メロだったようだ。それが判った。4月になり、視聴者と電話で会話をするということを入れるようになった。関西圏以外の視聴者を選ぶようにしてるのかな、今日は、東京と座間市の人だった。東京の人は、この番組の有名人だけど、会話を聴いていると、ディープな落語ファン氏とお見受けした。同類の勘というやつだ。座間市の人は、横浜の会のチケットは買えなかったので、小田原の方を手に入れようとして、成功したと言ってた。この2つの会は、黄紺のレーダーにもかかってたけれど、そこまでの売れ行きとは、全く思ってなかったけど、取りに行くときの心構えを知った気持ちだ。確かに、今年、ここまで、生二葉は3回聴けることが確定しているが、先日の城陽の満員の姿は凄かった、守山は売り出し10分後にぴあでは買えなかった。岐阜は、それを考えると、時間は要したようだけど、既に完売してる。そんなことを考えると、落語人口の多い関東圏では、競争は、黄紺の経験しているものとは、わけが違うのかもしれませんね。
 Radikoを聴きながら、7月の韓国旅の準備もした。少しだけだったけど、大変な成果があった。今のところ、チョンジュ(清州)イン&アウトなんだけど、宿泊地としては、ポウン(報恩)、テジョン(大田)、クヮンジュ(光州)、モッポ(木浦)、キムジェ(金堤)を考えている。そして、最終日は、キムジェからソテジョン(西大田)に入り、少しだけ、テジョン市内を散策してから、今度は、テジョン駅からチョンジュ空港駅まで電車で移動しようと計画を立てている。ポウンは、超絶田舎町。だけど、ここには、前に行ったとき、宿があり、コンビニもあるということが判ってるので、ここで宿を取れるメリットを最大限活かそうと考えている。もう1つ、マイナーな町がキムジェ。今まで、2回、宿泊したことがある。が、2回目のときに、宿をとるのに困った記憶があるので、近場のイクサン(益山)かノンサン(論山)での宿泊も視野に入れている。冒頭のテジョンまでの移動はバスしかない。それ以外は、鉄道になるはずだ。これから、チケットを取るので、あくまでも予定。そういった行程で、本日の成果。キムジェの情報を集めていて、ここにも、日本の統治時代の痕跡を観ることができるという、詳しい情報を得たのだ。やはり、クンサン(群山)が近い関係で、日本人入植者が多かったようですね。ここで、日本の家屋跡を確認できれば、これは、自分的に、新しい出逢いになります。それに加えて、世界遺産への登録を目指す、百済時代の遺跡があることを知り、えらくキムジェに対するテンションが上がってしまってるのです。でも、相変わらず、ホテル情報が少ないため、近郊のイクサンやノンサンで投宿することもありかと考えています。ま、イクサンの事情は、先日の韓国旅で判ってるので、宿は、当日の判断でもいいかと思っているところです。


2024年 4月 15日(月)午後 8時 18分

 3日連続の自宅生活だけという日々、今日は、その2日目。今日も、暖かなまま。絶好の洗濯日和ということで、昨日も、時間を取ったが、今日も、洗濯のために時間を取った。気温が低いと、その日の内には、なかなか乾かないので、洗濯をしにくかった寝具関係のものの洗濯に頑張ることにした。このお天気だから、乾くのが早い。あとは、ウォーキングだけが、楽しい外出時間。ついでに、今日は、食材以外の買い物をした。だいぶとくたびれた夏ズボンの新しいのを買わねばならなかった。冬物が安く売ってたけど、今度の冬に生きてるか判らないので、半年も先のものは買うのを止め、とりあえずは目先の要るものだけ買った。衣料は、ホント、買わない。ないと困ると感じるときまで放置している。夕方のウォーキング時にも、生活物資の買い置き。明日は、食糧の買い置きをしなければならない。水曜日から3日連続で、朝からのお出かけ予定が入っている。午後にも回ってしまうので、念のために書い置きをしておくと、食いはぐれの心配はない。
 午後の一時は、廃墟探訪を旨とした旅動画を、Youtubeで観たのが1つ。バブルがはじけて以後、それまで客を集めていた温泉街に閑古鳥が鳴くようになり、生まれた廃墟。水上温泉や鬼怒川温泉という、黄紺でも知っている関東の温泉街が悲惨な状態。他にも、どんなところがあるのか、ネットで調べると、こういったジャンルって、好事家の関心を惹くようで、1つのジャンルを形成しているようだ。廃墟マニアという人種がいるようだ。動画を観て、黄紺も、その気持ちが解るような気がした。確かに、軍艦島に入ってみたい、歩いてみたいと思ってしまうもんね。そのテイストに心躍ると、はまるみたい。ネット上に「廃墟100選」なんてのが出ていたので、ざっと、端から終わりまで観てみた。伏見桃山城が入っていた。確かに、廃墟だ。「ブラタモリ」で、よくぞ、中へ入ってくれた。今じゃ、崩壊の恐れありということで、ロープで囲われ、近づかないようにしてある。奈良ドリームランドなんてのも上がっていた。驚いたのは、廃墟として残っているということ。柏崎トルコ村も入ってた。わざわざ、柏崎まで観に行ったよ。その頃で、既に、長続きはしないだろうなと思ったけど、廃墟として残ってんだ、ここも。Youtubeの動画のおかげで、知らなかったこと知ることができました。もう1つは、「椿姫」の続き。ここまで寝倒しているのに、また、寝落ちをしてしまった。要するに、ダヴィッド・マクヴィカー演出なのに、オーソドックスなものって、「椿姫」ならいいよと、敬遠してしまったようだ、身体が。結局、観直すこともなく、この「椿姫」は通り過ぎてしまいます。「Oper Vision」の最新版として、ヘンデルの「テオドラ」がアップされたところだ。ヘンデルものには、目がないものだから、他にも観たいものがあるけど、最優先で観ることに決めた。だから、その下準備だけしておいた。梗概がないと、馴染みのないオペラは解らないからね。ヘンデルはありがたい。「ヘンデル御殿」という、結構なウエブサイトがあるから。毎度、お世話になっております。ただ、オラトリオとして扱われていた。ヘンデルでは、よくあることだね。そんなで、楽しみです。


2024年 4月 15日(月)午前 5時 38分

 昨日も、一段と気温が上がり、ウォーキングをして戻ると、Tシャツが汗だく。これは、上にウィンドブレーカーを引っ掛けてたから。だから、夕方のウォーキング時は、半袖のTシャツで出かけた。いよいよ、そんな季節になってきた。呆気ないもので、こないだまで桜の開花が遅れたのは、気温が上がらなかったからと言ってたのに、ホント、変化が激しい。昨日から3日、お出かけは入れていない。今日の月曜日には、行こうかと思った落語会もあったのだけど、その後、連続的なお出かけ予定が詰まってるので、我慢した。そんなで、昨日のお楽しみは、朝の「日曜美術館」の新作と、夜の「光る君へ」だけ。TVがないので、NHKプラスのおかげで、画面に余計なものが入ったまま観ている。午後の一時は、韓国系YoutuberじゃないYoutuberの韓国旅動画を観たのが1つ。時々、韓国素人の人の旅動画、わりと新鮮に思い、観る機会がある。それと、韓国在住者の動画という両極端なものを観ている。それと、「Oper Vision」で「椿姫」(レアル・マドリード)の続きを観たが、ほぼ寝落ち。ダヴィッド・マクヴィカーものと雖も、部分的な記憶では、さほど惹かれるものがないので、観直しはしないだろうな。続きは観ると思うけど。ヴィオレッタを歌うエルモネラ・ヤホが、やたら、いい雰囲気出してるとは思ってます。歌唱がいいのは、今に始まったわけではないので、グッジョブです。
 「日曜美術館」は、「時を超え、自由に 日本画家・福田平八郎」ということで、中之島美術館でロケをしたもの。既に行っているので、ちょっと構成に偏りというか、大事なポイントを拡大しての構成になってはいたが、そのポイントこそが魅力なんだから、仕方ありません。番組の進行は、ロケに福田平八郎の経歴を挟んむというもの。その中で紹介された作品をメモっておく。①雲(発表時賛否両論、2014年発見、1950年に日展に出されて以後、眠ったままだった、平八郎自身の言葉が残っていない、日本画では使わない化学合成顔料〈青〉を使用、全てを削ぎ落して自由になったという印象)②漣(40歳の作品、現代的、動いているような印象、当初、実際の色を使っており、魚も描いていたが、波そのものを見つめた、プラチナ箔に群青だけで描いた)③野薔薇(制作年の確認ができる最古の作品、上にミツバチが跳ぶ、細密)④鶴(素描、死んだ鳥を地面に置いて写生、試行錯誤の跡が残る)⑤鯉(29歳の作品、世間に知られるようになる作品、鯉の影で水の存在感を出す、個々の鱗まで描き尽くしている)⑥緬羊(羊の群れ、いろんな場面を組み合わせている、息苦しい感じ)⑦漣/大下図(本図と比べると位置を調整している、下図で構成を考えて尽くしている)⑧竹(カラフル、個々の竹が、全部違う、写生帖を持ち京都近郊の竹林を訪ね歩いている、見るたびに印象を変える竹を見つめる。帰宅後、色を入れている、写生帖には文字で色を指定)⑨マークロスコの模写⑩ピカソの模写⑪柿の葉の写生⑫青柿(季節の違いで色を変える)⑬氷(グレーと白だけの静寂の世界、正確に描くだけでは到達できない写実、そのものの真実を観察し尽くすという姿勢、具象画だと思い観ることが大切)⑭新雪(昭和23年の作品、雪が降った直後、結晶が輝く姿を描いた)⑮紙テープ⑯児童画の模写(晩年)⑰游鮎(Tシャツにしたい)。


2024年 4月 13日(土)午後 10時 43分

 今日は落語会に行った土曜日。今年初の生二葉を聴いた日。文化パルク城陽での公演だった。ディープな落語ファン氏のTwitterを追いかけていたら、この会の情報を載せてくれていた。早々に買ったので、無事、チケットは取れていた。このホールは、いろいろと会に行っているのだが、ふれあいホールという名のスペースは、今回が初耳だった。ホールの2階に、2階席まである中ホール的なスペースがあった。中に入って驚いた。2階席まであるというのが、その1つだけど、広いのだ。固定席ではなく、会に応じて席を並べるというものだったが、全部で300くらいは入れそうなスペースに、客がびっしり満員。壮観だった。行く前は、そういったスペースがあることを知らなかったこともあり、大きめの会議室にでも、急遽、高座を作り、パイプ椅子を並べたものだろうくらいの気だった。その証拠に、座布団を持って行ったくらいだ。パイプ椅子なんて出てきたら、座ってるのが難しいのでの対策だったが、スペースに合った椅子でもあったので、杞憂に終わった。終了後、1階へ降りるために、スロープを歩いていると、傍らの2人連れの爺さんが、帰る方法を相談している。「来るとき、どうして来た?」とか、尋ね合いしているのが聞こえてきて、びっくりした。この2人、どうやら、右京区か西京区から来たようだった。京都での独演会は、もう2年前になるのかな、文化芸術会館でのもの以来だろうから、こういったことが起こってんだろうね。トイレで、ディープな落語ファン氏と会ったので、ちょっとお話する機会があったが、「喬介のときとは、えらい違い!」と言われていた。納得。料金が上がった途端、集客力が落ちてしまった喬介、値段を、元に戻してしまってる。そのチケット代の3倍するんだよ、今日の独演会。凄いわ。で、その番組は、次のようなものだった。二葉「味噌豆丁稚」、健枝郎「恋より仕事」、二葉「がまの油」、(中入り)、二葉「天神山」。この番組、まさかのラインナップ。まだ遭遇できてなかった2つのネタを出してくれた。まさかのボルテージが上がったのは、当然、「天神山」。東京の「チャレンジ」でネタ下ろしをしてから、そないに出してなかったからね。知る限りでは、関西でのお披露目は、先日の近鉄アート館での独演会だったと思うので、さほど、日は経っていない。ラッキーだったのは、まだ、桜が咲いている。正に、季節ど真ん中ネタだということで、例年より、桜の開花が遅れたのがついていたのかもしれません。まさか、この2つを、ともに聴けるとは思ってなかったもので、「味噌豆丁稚」が始まったときには「金明竹」だと早合点、3席目のときは、見台を出さなかったので「子は鎹」だと、これまた早合点してしまった。前者は、丁稚が出てきても、「金明竹」の台詞じゃなかったので、ガッツポーズ! 後者は、マクラで桜の話を振っていても、これは、単なる世間話だと思ってたほど、出るとは思ってなかった。「天神山」を聴いた人のTwitterなんかを見ていると、後半の安兵衛がいい、二葉のカラーが出ている。狐に話しかけるのがいいとか出ていた。そう思ってるからかもしれないが、黄紺的には、へんちきが気に行ったな。米二のテキストがそうなってるのか、二葉が改訂したのか、とっても、台詞が自然な流れになっている。「尿瓶酒のおまる弁当」、多くの噺家さんは、冒頭の2人と分かれたあとすぐに、へんちきの台詞に「そんなわけないやろ」「なんぼ、へんちきでも、、、」と入れる。二葉は、それを入れなかった。そして、このくすぐりを、墓見をしているときに使った。めっちゃ、ナイスプレー! 小糸相手に、そのくすぐりをかまして遊ぶのだ。先ほどの台詞が入ってしまってると、この2度目のくすぐりは使えないもんね。へんちきは、その風貌、着物、持ち物からして、無頼漢イメージで表現するのが常なんだけど、二葉はそうじゃなかった。遊び人というイメージで表現していた。だから、屈託がなく、可愛げのあるキャラに仕上げてた。これも、ナイスプレーだ。そのキャラのへんちきのところへ現れるおゆうさん。ノンビブラートの発声で歌う歌唱を聴いたような声の出し方。これが出色。一挙に青白い幽霊キャラのなってしまってる。こういったことができる、要するに、上手いのだ。「味噌豆丁稚」の方は、得意の子どもが出て来るネタなもので、初めてのネタとは言え、安心して聴ける。最近、複数のネタをするときに、よく使ってるみたい。使い勝手のあるネタですね、てなことを、どなたかが呟いてられたが、生で聴いてみて、納得、全くの同感です。そして、「ガマの油」は、最早、鉄板化したネタですね。しかも、今日の酔いっぷりは良かった。演じるというのを通り越していた。ますます、身に入っていってるネタというところでしょう。助演は健枝郎。九ノ一も、希遊も、スケジュールが詰まってたのでしょうか? この3人だと、誰が来ても有難い。健枝郎が出ることは、どこにもアナウンスされてなかったので、二葉が、1席目で流れを説明した中で、初めて知ることになった。ついでに、健枝郎の出身高校をばらしてくれた。聖光学院だそうだ。それを受けて、臨機応変に対応する健枝郎、益々、自分の中で評価が上がりました。ネタは、えびす亭で聴いていたもの。噺家グランプリでも、これを出していたから、自信を持つネタということなんでしょう。


2024年 4月 13日(土)午前 7時 43分

 昨日は、朝昼晩と予定が詰まった一日。元々、朝昼の大移動が入ってた。いずれも逃したくなかったので、移動が可能ということで実行するつもりが、急遽、2日程前に、家の用事で息子と出かけなければならなくなり、夜まで予定が詰まってしまった。最近、夜のお出かけは入れない、たとえ入っても京都限定だったのも、この急遽入ったものは、大阪まで行かねばならなかった。結果、京都、高槻、大阪という大移動が実現してしまった。かなりの疲労、気疲れの方が大きい疲労だったな。大移動をしなければならないというだけで、しんどい。最後は、久しぶりに息子と外で呑んだから、電車は乗り越し、引き返さねばならないというおまけまで付いてしまい、余計に疲れてしまった。
 朝のお出かけから、コンパクトにメモっておく。行き先は、新年度に入って初のアスニー京都での市民向け公開講演会。新年度初は、毎年、井上満郎(京都市歴史資料館館長/(公財)京都市埋蔵文化財研究所所長/京都産業大学名誉教授)さんの講演と決まってる。それほど人気の講師だ。それが判ってるので、人が溢れるだろうと思ってるところへ、電車のダイヤが変わってるのをチェックしてなかったものだから、開演10分前に会場入り。案の定、満席の様子。ところが、うまい具合に、昨日も来ていた弟の席の横が空いてた。そのため、兄弟で席を並べて聴くなんてことになってしまった。お題は「京都を築いた渡来人ー五世紀という時代ー」。毎度のことながら、井上さんの講演は、生の史料をプリントされ、それを、あっち行ったり、こっち行ったりしながら進行。どの史料を使われるか、それを追いかけるのが面倒なんだけど、懸命についていく。なんせ、話がおもしろいからね。お話のポイントは判りやすく、しかも、わりかし、このテーマなら出て来るだろう的なものばかりだったので、ついていけた。冒頭は、京都北部での渡来人の足跡。地理的な近さ、そこに残る渡来人が残したもののお話。掴みは浦島太郎だったが、大事な王莽時代の銭(貨泉)の出土で足跡が判るというもの。網野の銚子山古墳のお話をされていた。日本海沿いにある大古墳の1つ、それだけの富を抱える豪族の存在を示すものとしてだが、その富の背景が交易、そこに渡来人の面影を観ることができるということだ。今は、海岸沿いからは離れているが、問題の時代では、五色塚古墳のような眺望を観ることができただろうと言われていた。そして、「ブラタモリ」でも紹介された敦賀の気比は文献史料で話された。京都の玄関口だったというトピックでした、「ブラタモリ」でも出ていた。「日本書紀」に出て来る「角鹿」が「敦賀」、「三国」も出て来るそうだ。次いで、お話は京都市内へ。「山城国風土記」なんかを使い、秦氏が登場。稲荷社との関連は定番です。松尾大社も秦氏に繋がる社、こちらも定番だったけれど、その後のお話が展開がおもしろかった。「京都盆地における古墳群」という視点。秦氏の本拠だった嵯峨野の古墳群が、他の地域に比べて遅いのだ。それは、この地域に富が生じる時期が遅かった証拠。ということは、その遅い時期、それが5世紀なのだが、その時期に富が発生する何かがあったはずというとで、史料から導き出されたのが「葛野大堰」。これを造る技術を渡来人は持っている、それができ、一帯の農業生産力が向上したのが原因という展開。「葛野大堰」は知っていたし、秦氏関連だということも知ってはいたが、古墳の発生とリンクさせるお話がおもしろかった。最後に、松尾大社を例に取り、そこには、既に、神を祀る何かがあったようで、そこへ新たに社の造営があった。「重層」というタームを使われていた。既にあったものを排除するのではなく、前にあったものを活かしながら、新たなものを築き上げて行った。それが、古代日本の文化ではなかったのかというお話だった。そういった秦氏の活動の跡が、熊本から埼玉まで確認できる。それが5世紀。渡来人の足跡が、それだけ広範に確認できるということは、大和政権の確立に渡来人が関わった結果だと想像できるという、最後は、大変大きなまとめになっていた。おもしろいお話、人気があるはずです。
 アスニー京都から徒歩で西院駅まで移動。ググると32分だったので、敢行。高槻では、以前にも行ったインド屋さんで昼食。このお店、最近、よく行くインド屋さん&ネパール屋さんではベストかもしれません、お味が。会場の高槻城公園芸術文化劇場へ到着すると、開場10分前だった。絶妙の時間配分となった。こちらで、昨日、「茂山一族デラックス狂言会プレイベント」として「祝・人間国宝認定!七五三さんに聞く”これまで”と”これから”」というトークショーがあったのだ。その構成は、「①トーク(茂山七五三&小佐田定雄)」「②狂言‶舟船‶(太郎冠者:茂山逸平、主:茂山七五三)」「③質疑応答(七五三、逸平、小佐田)」。①では、まずは、人間国宝決定の伝達話から。寝耳に水だったようで、そのときの電話での伝達から書類の送付、緘口令が敷かれたことの紹介があった。それ以後は、時系列的な進行。狂言の家に生まれたことに気づくところから。兄を支える弟の位置を叩き込まれたようです。爺さんの千作はしつこくねっちりという指導。線香が立ち切れるまで、同じ台詞を繰り返し言わされたと言ってられた。失敗すると、もう1本、線香が加わった。逆に、父親の千作の方はスパルタ式。「手が出た」ということだった。「猿」をする辺りで、特別な家だと気づき出したとか。5歳だったそうです。小学校時代、下校後遊びに行くと、時間になると母親が迎えに来て稽古、夕食が、また稽古。凄いね、この生活。剣道が得意だったということは、そう言えが聞いたことがあった。スポーツ推薦でも行けるほどの実力だったようで、それでの大学受験も考えていたそうだが、父親の千作が、その書類を破ってしまったそうだ。就職も京都でと強制されたそうだ。社中の方に京都中央信用金庫の関係者の方がおられて受験。そこで40歳まで働かれた。それは既知のこと。40歳で止めたのは、息子たちに「狐」を教える体力的限界を知ったから。年齢が行ってからでは教えられないという体力的限界という意味。これも凄い話だった。そういった時系列的な進行のあとは、小佐田さんは狂言台本を書いているということで、その思い出話。吉朝をまじえてやっていた公演の話もされていた。③では質問をしてみた。「お好きなお役」を聴きたかった。若い頃は、刀を振り回したりする役が気に入っていたが、確かに、スケールが大きいのが、この人のいいところだから、とっても納得。そして、年齢が行くにつれ、太郎冠者に魅力を感じてきているとのお答え。ありがたい回答だった。「兄がもらうところだったのだが、、、」と言われていた。それを言われると、胸キュンです。正義の千作のすっとボケた味は、前の千作とも違った味があり、良かったもんね。それを言われると、小佐田さん、「いや、あなたももらわれたでしょう」とフォローされていたけど、そのまんまです、決して、フォローだけじゃありません、黄紺もそう思います。
 終わったのが、午後3時半。夜まで時間があったので、近くの高槻市立しろあと歴史館へ。古商家を移築して、資料館になっていた。そして、阪急電車で梅田まで移動。徒歩で、待ち合わせ場所の渡辺橋駅へ。でも、待ち合わせ時刻まで1時間もあった。そういったことになるだろうと思い、そのときは大川縁でベンチを見つけ読書と決めていた。中之島美術館寄りの歩道に、うまい具合に見つけ、しばし読書。退社時間だったため、多くのサラリーマンらが傍らを通り過ぎた。ちょっと恥ずかしかったけど、行くところがないので、無視をして読書。新たにフランス革命関係のものを読んでる。そして、時間が来て待ち合わせ場所へ。近くのビル内の飲食店を使い、某業者さんから話を聴く。こういった仕事の話をするために、その飲食店を借りてるそうだ。結局、全く苦手な話なものだから、理解するのが大変。でも、息子と2人で聴くと、解らないことも解るようになってくるだけじゃなく、問題点もクリアになる。結果、もう1度、そういった機会を持たねばならなくなったが、致し方ない。業者さんも大変だ。それが、正直な感想。それが終わると、近くで呑んだ。いいね、息子と呑むのは。帰りは、渡辺橋駅から乗ると、京橋から座れなくなるので、淀屋橋駅まで歩いた。座ったおかげで、眠ってしまった。途中で息子が降りたのを、辛うじて覚えている。後は、上に書いた通り。


2024年 4月 11日(木)午後 11時 37分

 今日は、予定表には、何も入ってない日だった。が、明日、息子と待ち合わせてしなければならない家のことのために、急遽、寝屋川まで出かけねばならなくなった。ただ、時間の制約は、あまりなかったもので、午前中は、通常のウォーキングをして、少し早めの昼食。ながらで、電車の運行状況を調べる。いや、ダイヤ検索をすると、京阪電車に遅延があることが判ったため、調べたのだった。御殿山で人身事故だった。なんか、牧野とか御殿山って、こういったことが多いなというのは、黄紺の偏見? でも、出かけようかという時間には、振替運転は終わってたので、そのまま、お出かけ。ただ、復旧は完全でなく、駅には、時間にしては、人が溜まってたし、電車は、時刻表通りには来なかったが、移動には、特段、支障はなかった。そして、目的地で、しなければならないことは、予定通り、完了。久しぶりの寝屋川だったので、そのまま、駅界隈を歩こうかとも思ったが、止めた。明日、朝から晩まで、予定が詰まってしまったので、今日は自重しようと思った。そのまま、帰宅。寝屋川でできたことを、オンラインで確認。でも、その先へは進めなかった。いや、進めないということを確認できただけでも、寝屋川まで出かけた効果かもしれない。どうせ、どこかでしただろうからね。だから、結局は、何もなかったのと同じ一日。夕方のウォーキングも通常通りできたので、午後の一時を使って、寝屋川まで行ったことになっただけだった。
 昨晩も、午前2時半で、目が覚めてしまった。最近の睡眠障害的なことが、目に余るようになっている。3日前だったかな、午前0時半に目が覚めて、眠れなかった日があった。さすがに、酒で眠ろうとして。失敗した。酒を呑むということは、水分を体内に必要以上入れることになり、結果、眠ることができても、呆気なく、トイレで目が覚める。そして、再び、眠れないのだ。でも、酒を呑むと、また、真夜中に眠れなくなると、酒を求めてしまう。それが、昨晩だった。そして、昨晩は、短時間でも眠ることができないまま、朝を迎えてしまった。だとすると、酒の効果はゼロだったことになる。これは、あかん。下手すると、アル中傾向になってしまう。今朝は、結局、酒を呑みながら、Youtubeの世話になり、結果、この間、視聴していた「セヴィリアの理髪師」を完走してしまった。これも、思い出したけど、かつて、眠れないで、酒を呑み、オペラを観る、すると、興奮状態になり、またぞろ、眠れなくなってた。酒を呑む意味ないやん、これだ。「Oper Vision」にアップされている「散髪屋」、特段、変化のあるプロダクションではないが、いい歌手陣、オケに包まれており、それで、十分だと思えるもの。終了後、自身で呟いたのは、「オーソドックスなものもいいね」だった。まだ、時間に余裕があったので、テアトル・レアルの「椿姫」の冒頭だけ視聴した。ダヴィッド・マクヴィカーのプロダクションということでのチョイス。さて、どんなものでしょうか?


2024年 4月 11日(木)午前 4時 19分

 昨日は、一昨日に比べて、寒さは、若干和らいだかと思える一日。逆に、気温が下がっていると思い、それにそぐわない恰好で、ウォーキングをすると、結構、火照ってしまう、そんなややこしい一日。昨日は、昼に上映される映画を観に行った日。午前11時25分上映開始という、困った時間設定。お昼をどうしようか、とっても迷わされる時間設定。最初は、終映後、近くで食べようかと思ったけれど、昨日も、午前3時台に目が覚めたままだったので、どうしても朝食を早く摂るものだから、えいやーと、映画を観る前に食べることにした。家で食べてから出ると、一層、昼食時間が早まるということで、映画館手前にあるすき家で牛丼を食べることにした。結構、腹持ちをするため、夜まで大丈夫と思ったら、狙い通りになり、正解。この映画館への往復、プラスすること、夕方のウォーキングで、一日のウォーキングとした。万歩計は14600歩余を指している。ちょっと少な目だけど、昨日の動きを考えると致し方ないな。
 映画は、MOVIX京都で観た韓国映画「ラブリセット 30日後、離婚します」。映画探しをしていて、やたら韓流っぽい映画だと思えたこと、主演の1人が、「空と風と星の詩人 〜尹東柱の生涯〜」でタイトルロールを演じたカン・ハヌルだったということもありで、観に行こうと決めた。おかげで、MOVIX京都では、メトライブビューイング以外では、久しぶりに映画を観ることになった。役者さん的には、相手役のチョン・ソミンの方が、この映画では、いい感じに映ってしまったな。尹東柱の映画からは、結構な時間が経っているため、あのときの雰囲気から変わってるので、そう思ったのかもしれません。第一、映画の中でのキャラ設定も違うしね。この映画が、いかにも韓流ものと思ったのかは、あっさりとした話、この映画、記憶喪失ものなのです。またかと思われると思ってか、「映画でもある」とか「映画だったらこうなる」といった台詞が盛り込まれている。ちょっと楽屋落ち的台詞まで用意されていたのには、笑うしかなかった。略奪結婚的な形で結婚しながら、あっさりと仲違いをする2人、これまた、あっさりと離婚調停となり、それが、調停後30日で実効となるとなる。それまでの間は、同じ場所で、妻の妹の監視の下、住むことになる2人。だが、そこで発生する交通事故。結構、ここまでが長く、えらい引っ張ると思ってると、結局、交通事故で記憶喪失。その状態での同居。そこから、関係がリセットされて、新たな恋が生まれて行くというもの。しかし、どこかで、記憶が回復するところがあるはず、でないと映画にならない。いよいよ、そこへ差し掛かると、この映画も終盤へ。ちょっと凝った、2段構えの終盤とはなってたけれど、結末は、端から読めてるので、それはどうでもいいことと言って、いいかも。そこへのプロセスが、この映画のポイントとなるところじゃないかな。ま、こういった映画だろと思い、観に行って、その通りだったということで、満足。そういった定型化されたような韓流ものを観たくて行ったんだからね。
 夕方、息子から電話が入り、明日、会わねばならなくなった。だから、明日は、大遠征になってしまう。家事に関する大事だから仕方ありません。それに必要なもの、また、午前2時台に目が覚めてしまったので、頑張って探したら、無事、見つけた。ずっと気がかりになってたものを、いい機会を与えられ探し当てることができました。物忘れが進む一方、消えない記憶というものがある、こういった二律背反的なことが、自分の中で起こってることに、気が付いている。「気にする」「気になる」に集中すると、前者から後者にシフトするのかもしれないね。でも、これを忘れるから、ややこしい!


2024年 4月 10日(水)午前 4時 53分

 昨日は、一段と気温が下がった一日。もう使うのはおしまいかと思ってたウインドブレーカーを取り出さねばならなかった。そして、昨日は、京都でハシゴをした日。コンサートに行き、ミュージアムに回った。それを、徒歩で回ったうえ、ミュージアムからの帰りも徒歩移動で、高野川沿いを、更に、鴨川に合流すると、先日も歩いた鴨川沿いを歩いて三条駅へ向かった。冷え冷えしたなか、川沿いは、ずっと桜並木が続いている。少し散り始めているのも、とってもいい感じを作っていた。特に、高野橋以北の川沿いは、桜が絶えない、人も少ないので、抜群の環境。いいタイミングで、この道を歩けたものです。帰宅後、万歩計を見ると、ほぼ17400歩だった。結構なものだった。昨夜は眠れない日だった上に、歩いたものだったので、Radikoで「まーぶる」を聴いていると、再三再四、寝落ちをしてしまった。
 コンサートは、京都コンサートホールであった「京都北山マチネ・シリーズVol.17/クララとロベルト、そしてブラームス」というもの。朝っぱらから濃~いプログラムに、演奏が石上真由子(ヴァイオリン)ということで行こうとしたものだった。なお、ピアノは北端祥人でした。プログラムは、「クララ・シューマン:3つのロマンス 作品22」「ロベルト・シューマン:3つのロマンス 作品94」「ブラームス:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト長調 作品78」。クララのヴァイオリン曲とは珍しい。石上さんのトーク付きだったんだけど、「何気なく北端さんは弾いていたが、ピアノはとても難しい」と言われていた。同じような雰囲気の曲想だけど、さすが、ロベルトの方が、濃い。全体からすると、ともに優しい雰囲気の曲。相変わらず、いい音が聴けないホールなため、せっかくの「ロマンス」でも、あまり安らぎをもらえる音にはならないのが悲しい。ただ、昨日は、最後列から2列目で聴いたが、いつものような中ほどで聴くよりは、ずっとパワーを感じることができた。石上さんの力とともに、席の位置も良かったのかもしれない。ブラームスも、そんな感じだったかな、ちょっと、ボーっとしていたかもしれません。アンコールは「ロベルト・シューマン:‶森の情景‶作品82より第7曲‶予言の鳥‶(J.ハイフェッツによるVn&Pf編)」でした。
 外に出ると午後0時15分頃。予定通り、移動の道筋にあるタイ屋さんに行った。口はすっかりタイ風になっていたのに、定休日。前もそうだったことを、突然、思い出した。2回連続、ついてない! 仕方ないので、少し歩を進めたところにあるインド屋さんへ。ポークカレーがメニューにあったので、「へぇ~」が出てしまったインド屋さんだったけど、とんでもない大きなナンが出てきて、びっくり! 本日のカレーが、しめじとチキンに「?」と、なんか、おもしろい。タイからインドに移ってから、ググって知ったのは、若干、迂回コースを採れば、他にもタイ屋さんがあったのを知り「あれれ」。口がタイになってたものだから、残念感を味わってしまった。
 ミュージアムは京都工芸繊維大学美術工芸資料館。こじんまりとしたところだけど、気になる企画展をやってくれるので、時々、覗く。今回も「①フランスポスター展-ロートレックからムルロ工房、サヴィニャックまで」という気になるものをやってくれた。それと並んで、「②建築アーカイブズをひらく Vol. 1―愛仁建築事務所資料」と「③建築設計実習IV 歴史グループ アーカイブズ課題 2023年度成果展:比叡山回転展望閣(竣工:1959年、設計:村野・森建築事務所、施工:竹中工務店)」「④受け継がれるイメージ-源氏物語の世界」があった。③と④は設計図が展示されるというものだから、ほぼスルーさせてもらった。④は、ここでも大河関連企画が行われていた。「源氏物語絵巻」が、京都高等工芸学校で模写の教材として使われたことで購入されたコロタイプ印刷の複製ものが展示されていた。自分的目玉だった①は、2階の展示場が使われていた。これが、期待を上回るもの。リトグラフの発明で生まれたポスター制作、ロートレックは、展覧会のお題に入ってたが、それ以外の大家の作品も居並んだ。まさかのミッシャが2点、それも、サラ・ベルナールの公演用の「ジスモンダ」と「椿姫」があったのには、啞然としてしまった。ロートレックは3点。「ディヴァン・ジャポネ」「‶歓楽の女王‶ヴィクトール・ジョズ著」「‶ラ・ルジュ・ブランシュ‶誌」。既視感のある作品が並んだ。それらの傍らには、こういったポスター作品の基礎を築いたというジュール・シェレの作品などが並んでいた。19世紀末の雰囲気で満たされた部屋になってた。こんなのが並ぶのに、入場料200円は、めっちゃ嬉しいと、猛烈にいいコスパに換算してしまってましたが、次の部屋も啞然の2乗です。ピカソ、ダリは1点ずつだったけど、あった。数で圧倒したのがシャガール。ますます、コスパが良くなっていく。この部屋の後半で多数を占めていたのが、ロジェ・ブゾンブのエールフランス航空用に制作したポスター群。こちらは、もう20世紀後半の制作となっていた。3つ目の部屋は「サヴィニャックたちのポスター」とお題が付いていて、当のレイモン・サヴィニャックのほか、アンドレ・フランソワやベルナール・ヴィユモの作品が展示されていた。広告、宣伝を主とした目的で制作されているので、知ったメーカーの広告、なじみのあるイベント告知、メッセージを込めたものとか、観ていて、判りやすく、楽しい。なかには、エールフランス航空が、東京便を始めたときのものもあった。この展覧会は知らない人、多いでしょうが、値打ちのあるものだし、第一、観ていて楽しいのがいい。ええもん、見つけたものです。自分的には、ミッシャとロートレックが並ぶという空間、これは、とんでもないご馳走だった。


2024年 4月 8日(月)午後 7時 45分

 今日は、お出かけなしの月曜日。天気は良くなかった、昼間、ちょこっと雨が降った。夜半になると、本格的な雨が降るようになった。なんか、最近、雨の降ることが多いような気がする。そんな鬱陶しい天気だが、物干し台に屋根があるということで、洗濯日にした。タイミング良く、谷間の日に洗濯ができた。あとは、傘持ちながら、日に2回のウォーキングだけがお出かけ時間というのは、いつもの通り。万歩計を見ると、殆ど16000歩だった。僅かに欠けるけどね。雨が心配だったので、うまい具合に屋根のあるところで休憩できたので、ゆっくりと安心して読書をすることができた。この間、読んでたマニアックなパリ歩きの本を完走。この本が出たとき、評価が高かったのを覚えているが、納得の書です。オスカー・ワイルドが出獄後は、パリに移り住んだんだそうで、その住居跡はここだ、その手の話が満載なのだ。1792年8月の大虐殺の発端の場も判っているとか、パリ・コンミューンの火の手が上がったきっかけは、1848年の6月蜂起を鎮圧した将軍の処刑で、それはここだ、、、こんな感じなものだから、進むわ進むわ、あっさりと読了しました。
 午後の一時で、まず、Youtubeの動画で、おもしろそうなものを見つけ、1時間以上の長尺だったにも拘わらず、一気に観てしまった。Youtuberのジャンルの一つに、30代独身女性が、社畜として働き、その愚痴をこぼす、なかでもビジホに泊まり、酒を呑みながら、それをするというものがある。これが、不健康なようで健康的な感じがして受けるのでしょうね、めっちゃ再生回数が多いものがある。偶然、そういったチャンネルの中に、僅かな休暇で、旅をしながら愚痴るというのを見つけてしまった。黄紺の場合、旅系Youtuberの動画を観る機会が多いものだから、引っ掛かったものと思われる。その中に、今日、見つけたのは、久しぶりに一人で海外旅行をする、その行き先がソウルというのを見つけたので、そういった人は、どういった旅を、ソウルでするのだろうとの関心が湧いたのだった。すると、旅行社で、ホテルとセットになった航空券を買ったら、ホテルは指定されてしまったいう。どうせ、ミョンドン(明洞)とかだろうと思って観始めたら、なんと、ホテル最寄り駅として、その女性が降りたのが「ヨンドンポ・シジャン(永登浦市場)」駅だった。これは、ツボにはまってしまった。ここ具合がいいんだよね。キンポ(金浦)空港からは、地下鉄1本だし、ソウル駅から離れてないし、ということは、いわゆる観光地に行きやすいということだし、なるほど、旅行社も考えてます。ミョンドンまで行かせるとホテル代は上がるし、知らないところだと言っても、そういったアクセスを考えると、却って喜ばれる。うまいことしてる旅行社です。ちょっとした韓国通だと知ってる、「一人飯は難しい」とか知らないで焼肉屋系のシクタンに入り、結局、一人前でできるカルビタンを、どんなものだか知らないで注文したら、めっちゃ美味いものが出て来たり、その反応が、とっても新鮮で、ますます、ツボにはまってしまっていた。「パンチャン」、確かに知らなかったら、頼んでないのに出てきて、なんだこりゃになるだろうし、また、映像を観ただけで、本格的な、要するに白くないカルビタンだったから、美味いに決まってる。それに喜んでる姿を観ると、こちらも嬉しくなっちゃってた。朝食は2回とも、めっちゃ美味そうなサンドイッチ屋さんに入ってたが、これが、見るからに美味そうなんで、今度、ソウルに行ったら、その店、探しに行こうかと思ってしまった。ユッケ・ピビンパプなんてのも食べてたな。だけど、コチュジャンを入れないで食べてた。目が点になってたら、編集のときに気が付いたみたい、「これを入れないと、、、」には笑った。そんなものなんだろうね。どんどんとツボは深まって行くばかりで、しっかりと1時間余り、観ちゃいました。そして、もう1つは、「Oper Vision」のお世話になり、一昨日だったかな、冒頭の25分程を観た「セヴィリアの理髪師」の続きを観たが、1幕の終わり辺りから寝落ちしてしまってた。また、出てしまった。アルマヴィーヴァ伯爵が東洋人で、背が高くなく、逆にフィガロが長身なものだから、えらく凸凹コンビ、こんな凹で、ロジーナが惚れるだろうかと思いながら観ていたけど、この歌手、とっても陽性で、歌唱がいい。軽い歌声が素敵なものだから、いつの間にか、凹は気にならなくなっていた。客席の受けも良いということは、黄紺同様の感じ方をしていたのかもしれないね。オーソドックスなプロダクションだけど、おもしろくするコツをわきまえているので、観ていて楽しい。寝落ちして言うのは、ちょっとはばかれるけどね。さて、最後は大アリアを歌ってくれるでしょうか、声からして歌えると踏んでいるのですが、、、。


2024年 4月 8日(月)午前 5時 58分

 昨日は、桜が満開の日曜日。そして、午後には、京都コンサートホールでのコンサートに行った日。朝からは、日曜日のお楽しみ「日曜美術館」の新年度の新作第1弾が流れ、それが終わると、守山での「桂二葉独演会」のチケットを買いに、近くのセヴンイレヴンに行くが、ぴあでは取扱い終了となってた。一般発売開始11分後のことで、唖然。ローソンでも扱ってるということで、そこから20分歩いて買いに行くと、「残り僅か」だったけど、買えた。ネット上で買うと、余計な手数料を取られるのが鬱陶しいので、直で買いに行ってのだが、それだとやばいということが判ったな。これで、今年、生二葉は、3回聴けることになった。城陽、岐阜、守山の順になる。去年が、守山、名古屋、京都の3回だったから、去年に並ぶことが、これで確定した。だから、ここで、ちょっとしたミニウォーキングにもなった。京都コンサートホールに行くと、その往復が、結構の量のウォーキングになるので、いきなりミニウォーキングと書けるようなことをやっちゃったので、夕方、帰宅後、万歩計を見ると、19600歩余になっていたので、「やってもた」でした。歩き過ぎ、歩きなさ過ぎも控えるスタンスが、ちょっと崩れてしまった。でも、このウォーキング、花見がてらになっている。特に鴨川沿いは、人出がえぐかった。毎年、思うのだけど、鴨川沿いは、外国人だけで花見をしてたりしてる。日本在住の人たちだけかと思うと、いやいや、そうとも限るまいと思える人たちもいる。三条に近づいた河原を歩いてる外国人を見ると、そう思ってしまいます。
 「日曜美術館」は、坂本美雨がMCとしての正式デビュー戦。「いま、ここで生きてる -第8回 横浜トリエンナーレ-」が、そのお題、いきなり、ヘビーなものをやってくれた。横浜美術館を、ゲストの井上涼(この人、なかなかいい感性してる!)とともに回るという進行だった。紹介された作品は、次のようなものだった。なお、今回の横浜トリエンナーレのテーマは「野草:いま、生きている」というもの。①ピッパ・ガーナー(アメリカ)/人の原型(Human Prototype)(肌の違う人の身体の部位の組合わせで、しかもゆびつな組合せになった作品、トランスジェンダーの作家、自由には観えない、生きづらさが看える、素晴らしい着想で強烈なインパクトがある)②サンドラ・ムジンガ(コンゴ民主共和国出身、ノルウェー国籍)/Ghosting(天井から釣り下げられたり地面に置かれたりした鉄骨に〈裂いた〉布が編みこまれている、崩れない鉄骨と裂ける布〈皮膚〉の対比、皮膚を通じて他人を読むという社会を見せている)③ヨアル・ナンゴ(ノルウェー)/GIRJEGUMPI: The Sámi Architecture Library in Jokkmokk(サーミ族の血を引く作者、自然のものと出来合いのものを組み合わせる、お題にしているのは森の中や自然の中から素材をみつけるという意、横浜でみつけたもので造った作品、がらくたと思えるものを階段に並べたり壁の隙間に詰め込んでいる、これのインパクトも強烈!)④サロ-テ・タワレ(フィジー、オーストラリアに移住)/You, Me, Me, You(色の板の組合せ、カラフルなひし形〈祖母の編んでた物の模様を使った〉、オーストラリアでの日常を示すモニターが奥の小屋に設置されてる、祖母へのメッセージも置く、ともに歩んだ道が一緒ならもっといいというメッセージ?、人の繋がりを表現)⑤ルンギスワ・グンタ(南ア)/Ntabamanzi(有刺鉄線に黄色などの布がくるまれている、不平等・不均衡を表現、未だに残るアパルトヘイト、緑の鉄線は草花&暴力を表現)⑥富山たえこ(特別な展示室が設定されている)/小さな鉱山/飛騨の鉛山(厳しい環境の炭鉱夫の現実を描く)/光州のピエタ(光州事件を版画で表現)/メカ軍隊/光州のレクイエム/鉄条網と女性/民衆のカー/ニッポンー原発(90歳代、歴史を見直す作品群)/始まりの風景⑦ブルックリー・ペーパー(チェン・イ-フェイ&オウ・フェイホン、中国)(段ボール作品、中国ではトイレだけが監視カメラがないということで、作った本を監視外となるトイレに置いた、本を作ることは友人を作ること、、、段ボール作品を見せながら本のトピックが語られていた、理解できていない!)⑧オープングループ(ウクライナ)(難民キャンプの映像、戦時下の行動マニュアルには音で武器を知らせる、それを再現)⑨SIDE CORE(日本)(美術館の外壁へのペインティング、制作中なため、朝夕で変化している)。テーマの紹介で、魯迅とケーテ・コルヴィッツ(カール・リープクネヒト追悼)を紹介していたが、何の話か、さっぱり理解できなかった。せっかく、ケーテ・コルヴィッツが出てきてるのにね! 同時に、ここで、「北島敬三+森村泰昌」の作品「野草の肖像(習作1)」が紹介され、森村の魯迅成り切り屋外作品が出てたのも、流れから理解できなかった。ここだけでも、再放送を観なければならないが、「光る君へ」の裏になるので、無理だ! また、横浜美術館以外のBankARTの一部も映像で紹介されていた。この展覧会の公式サイトを覗くと、こういった街角アートの数が、かなりある。「トリエンナーレ」と銘打たれたイベントには、これがあるんだよね。1度は、横浜に限らず行ってみたいものと、かねてより考えてるんだけど、未だ、実現していません。
 午後のコンサートは、京都市交響楽団の「スプリング・コンサート」。プログラムに興味があると、行くようにしているコンサート。今年は、まだ、生には接したことのなかったサンサーンスの3番を聴けるというので、飛びついた。オルガンの入る、そして、ポピュラーな名曲ということで、コンサートでは、わりと出る3番、いつでも聴けそうということで聴けてなかった。ぼちぼち聴いてないと、聴かないまま終わってしまうと思い、今回は飛びついてしまったのでした。指揮にリオ・クオクマン、オルガンに桑山彩子を迎えた特別コンサートでした。相変わらず、コロナ禍前の客が戻って来ていない京都市響のコンサートだったけれど、とっても充実した演奏で、会場のボルテージ、かなり上がってた、そういった意味でも、いいコンサートでした。こういった雰囲気は戻って来てるんだけど、客足が伸びないね。そんななか、知り合いに2人も会うことができるという珍しい時間ともなった。プログラムは、次のようなものでした。「ベルリオーズ:序曲‶ローマの謝肉祭‶ 作品9」「プーランク:オルガン協奏曲 ト短調」「サン・サーンス:交響曲 第3番 ハ短調 作品78(オルガンつき)」。ベルリオーズは、自作の「ベンベヌート・チェルリーニ」からかき集めて作曲したものなんですね、解説を読んで、初めて知りました。「ベンベヌート・チェルリーニ」は、さすが、生では観てないな。グランド・オペラだから、なかなか厳しいものがある。群衆の集う場面、生で観てみたかったな。プーランクも、生では初めてというか、第一、オルガンのコンチェルトなんてのは、遭遇したことない。オルガンは、オケの左横、少し後ろ側に置かれていた。オルガンの鍵盤を、直に叩かないで、信号を送ってるんだろうけど、演奏スタイルが伝わるのだろうかと、直でない場合、いつも思ってしまう。このコンチェルト、管楽器はなし。弦とティンパニーとだけという変わり種。ティンパニーが、音楽を仕切るという風情になっている。なかなか、おもしろい。「カルメル会、、、」の終盤の緊張を孕む音楽に通じていると言うと、こじつけが過ぎるでしょうか? サンサーンスは、楽譜上では2楽章なんだね、これも、勉強になった。各楽章が前後半に分かれてるとか、曲想としてね。オルガンは、最後だけかと思うと、2楽章の頭だったかな、結構、活躍してました。最後のど派手な介入じゃないから、気が付いてなかった。ピアノも入ります。こちらは、そう言えば入ってたとは思ったが、後半、連弾で入るのまでは知らなかった。佐竹さんの傍らに、1人の女性が座ってたので、譜面めくりが要るのかなと思ってたら、途中から、佐竹さんの横に座ってた。やっぱ、生で聴くことは、こんなことまで知ることができる! 演奏は、頗る付きに、一糸乱れぬという感じで、一体感が凄かった。今更ながら、京都市響は上手い! リオ・クオクマンの溌溂とした指揮ぶりも好感度抜群。この人、京都市響への客演が、今までもあったので、またあるだろうということで、次回は、この人を目指して聴きに行こうの気にさせられました。


2024年 4月 6日(土)午後 11時 8分

 桜満開となった4月第1週の土曜日、気温も上がり、格好のお出かけ日和。だけど、自分的には休養日。落語会もピックアップしてたのがあったのだが、大阪に行き過ぎということで自重。伏見区内でも、特段の落語会があったが、お高いので行かなかった。そんな風に、時間の余裕ができても、「ブラタモリ」は終わった。なんとなく寂しいね、土曜日なのに。ということで、そういった日の定番となる日に2回のウォーキングだけが、外出となった。ウォーキング時の休憩時間は、もう陽射しのあるベンチには座れなくなってきている。うまく日陰を確保できれば、読書には、こんないい季節はない。パリの街歩きを、歴史や文学にひっそうて記した、なかなかマニアックな本も、あと少しになった。Youtubeの動画で、某ミュージシャンが、サティの墓を訪ねてのものをアップしてたのを思い出しながらの読書。だけど、墓地探訪では、サティの墓は出てこなかった。筆者の関心にはサティは入らなかったのか? とんでもない博学な筆者にしては、抜け落ちもいいところだと思ってしまったな。夕方のウォーキングは買い物を兼ねてのものだったが、歩き出してすぐに、エネルギー切れを実感。時ったまあるんだけど、そのときの即効性のある対処法は決まっている。近くのコンビニに入り、アイスを買うこと。そして、即、食べる。できるだけ、ミルクやチョコの入っているアイスを狙うのがいい。狙い通り、力の入らなかった身体が、しゃんとした。
 午後の一時は、7月の韓国旅行の下調べ。チョンジュ(清州)に入ったあと、宿泊地としては、「ポウン(報恩)→テジョン(大田)→クワンジュ(光州)→モッポ(木浦)→キムジェ(金堤)」を想定している。アイデアとして、気に入っているのは、最終日、キムジェから列車でソテジョン(西大田)まで行き、テジョンの街中を、もう1度、散策後、今度は、テジョン駅からチョンジュ・コンハン(清州空港)駅に向かおうとの計画。今の時刻表だと、格好の列車が走っている。初めて使う空港なんで、珍しくて嬉しいんだが、アクセスは、一から調べないとあかんのが面倒だ。到着したあとは、バスで市内移動を考えてるけど、今回は、チョンジュ市内はカットするので、即、バスターミナルに行きたいが、どうやらダイレクトがないみたい。幸い、空港からのバスが、トチョン(道庁)を通るのが判ったので、大丈夫なんだけど、それも、以前、チョンジュ市内の移動に関して、インフォメーションの方にいろいろと教えていただいたから判るのであって、初めてだと、結構な難度だ、移動が。チョンジュだけに留まるなら困らないんだけどね。実は、そないなことの点検は、前に済んでいる。今日は、今回の目玉となるモッポ。久しぶりだということもある、それと、先日の韓国旅行で、カンギョン(江景)とヨンドンポ(栄山浦)を巡ったので、その続きをしたいと考え、モッポ市内に残る日本家屋調べをしていたものの続きをすること。そして、それ以外のモッポの目玉探しをしていた。すると、某ブログにモッポ観光したときの旅行記を認めたものを見つけた。その旅路の跡は参考になるものばかりだったが、嬉しかったのは、某シクタンの表に出されていたメニュー表のお写真。なんと、「コマク・ヘチョ(海藻)・ピビンパプ」を見つけたのだ。モッポでの夕食は決まったね、これで。海上ケーブルだの、シファマウル(詩画村)、スカイウォークなんてのもできてる。全部行こうと思うと、1日では足りないかもね。だと、また行けばいいかになるから、とってもいい。そればかりだと、先行し過ぎるので、あとは「Oper Vision」のお世話になった。新たに、ガーシントン・オペラの「セヴィリアの理髪師」(クリストファー・ラスコンブ演出)を観ることにした。序曲から、生きた音が出ているので確認すると、イングリッシュ・コンソートがピットに入っていた。舞台は、普通の街角で、また邸内には入ってないところで時間切れ。オケもいいだけではなく、歌手陣も、かなりの充実。これからが楽しみです。


2024年 4月 6日(土)午前 5時 50分

 昨日は、いよいよ「モネ展」に行った日。同じ中之島美術館で行われている「福田平八郎展」に行ったとき、あまりにもの人の多さに驚き、たじろいだ。福田平八郎の方には、人は行かないで、モネの方にばかり、人が流れる、正直、驚いた。福田平八郎完敗だった。だから、いつものように、午前中に行ったり、昼食を摂ったあとに行くようなことをすれば、大混雑に巻き込まれてしまうと思い、経験知として持っている、平日の午後、遅い目の時間に行く、これだということで、午後3時に入ると設定した。中之島美術館は、午後5時までなんで、2時間あれば、この頃の展覧会って、観て回れるはずだと考えたのだ。だから、昼食までは、普段のお出かけなしのペース。展覧会に行くと、腰に来るということで、若干、昼前のウォーキングはミニにしたくらい。美術館の往復を、午後のウォーキングとして考え、結果、万歩計を見ると、13400歩余だったから、そこまで配慮することはなかったかと、今となり思ってる。
 「モネ展」、正確に書くと「モネ 連作の情景」となる。お題にある通り、「連作」が特徴とされるモネだが、それを、実際に見せようとの試みが、展示で行われているという点。それも、黄紺も知る作品で行われているというのが、何よりも嬉しい、正に、それが売りとなっている展覧会だ。その一方で、残念だったのは、最後の部屋「‶睡蓮‶とジヴェルニーの庭」だ。特別な設えで造られた部屋になっており、その部屋の姿を観た途端、黄紺的にモネの睡蓮と言えば、チューリヒ美術館なのだが、そこでの睡蓮だけを展示した部屋を思い出した。この展覧会のキュレートをされた方は、そうしたかったんじゃなかったのかな、でも、睡蓮だけじゃなかった、だから「庭」という言葉遣いがされてるのでしょう。しかも、睡蓮が、チューリヒのように、同質の睡蓮じゃない、晩年の光に溢れるものではなかった。だから、悪い言い方を採れば、雑多な睡蓮が並んでしまってた、要するに光溢れる睡蓮に至るまでの、睡蓮色々が並んでたので、連作の代表作「睡蓮」の変遷を知ることができるという点では、上出来なんだけど、それを意図してのものだったのでしょうか? でも、この「睡蓮」もそうだけど、世界中のミュージアムからモネを集めてきている。シュターデルから来てる(昼食、ザーン川の岸辺の家々)、エディンバラのスコットランド・ナショナル・ギャラリー(ヴェトゥイユの教会、積みわら/雪の効果)やモナコ王宮コレクション(花咲く林檎の樹、クールブヴォワのセーヌ河岸など)からも来てる、オランダの美術館(ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館/ロッテルダム、デン・ハーグ美術館、クレラー=ミュラー美術館/オッテルローなど)からのものが、一番、多かったかもしれない、外国からでは。驚いたのは、連作を示すに、格好の作品は、メトロポリタン(ラ・マンヌポルト(エトルタ)、エトルタのラ・マンヌポルト)やワシントンのナショナルギャラリー(ウォータールー橋/ロンドン/夕暮れ、ウォータールー橋/ロンドン/日没)からも来てたのには、驚いた。本体のフランスからは、リヨン美術館から目玉となる作品(チャリング・クロス橋/テムズ川)が来ていたが、パリのおおどころからは来てなかった。国外ばかりか、国内の美術館から、しかも、多様な美術館から来ていたのが、ホント、凄いね。日本には、50点以上のモネがあるということを聞いたことがあるので、納得なんだが、それにつけても凄いよ。展示は、「①印象派以前のモネ」からスタート。「ルーヴル河岸」という風景画からスタート、ここに、モネには珍しい食卓を囲む4人の人物を描いた大部な作品「昼食」があった。シュターデルのものだから、観ているはずとは思うのだけど。ぱっと見ではルノアールです。「ザーン川の岸辺の家々」や「ザーンダムの港」で、光の反射、海に煌めく光が感じられ出す。「②印象派の画家、モネ」となり、らしさが出て来るが、この「印象派」と仕分けされても、その中で進化して行ってる姿を、このあと、辿れるようになっていた。物議を醸した「印象・日の出」を発表したあとに、モネが住んだヴェトゥイユで描いたものが、多く出て来る。縦に川の流れるのがいい感じの「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」(三重県美)や、くっきりと舟の姿が映える「モネのアトリエ舟」が出て来る。ヌシャテル美術歴史博物館から来ている「アトリエ舟」なんか、画面の前の白い葉っぱに焦点が合ってるようで、「コローみたい」と呟いてしまった。その一方で、「クールブヴォワのセーヌ河岸」では、前方に小枝が群がり、それを通して川を描いており、浮世絵で出てきそうな印象を持ってしまった。「ヴェトゥイユの教会」と名の付いた2つの作品では、「筆触分割」が出てきていた。これが出てきているのに、画面の前に立って観る人がいる。わけわからん。後ろの方から、何かを確認するように前に歩いて行く人、この人たちが真っ当な方ですね。黄紺も、ようやく印象派の凄さが解ってきたので、そんな突っ込みを入れたくなります。この②で、一のお気に入りは「ラ・ロシュ=ギュイヨンの道」(国立西洋美術館/松方コレクション)だ。これも、道が縦に切られている。道端の木の影と道に射す穏やかな陽射し、空気自体、穏やかで温もりが感じられます。「③テーマへも集中」で、いよいよ「連作」が登場します。同じポイントを、時間、季節、天気なんかで描き分けて行くというもの。話で伝えられている、キャンパスを幾つも並べて、時間の経過により、次のキャンパスへと移って行ったってのが、スタートするってことですよね。「プールヴィルの崖」「ヴァランジュヴィルの崖」「エトルタ」といった対象が、そういった視点で描き分けられていきます。「エトルタ」は、同じメトロポリタン所蔵ものだけど、あとの連作は、異なった美術館から来ている、正に、一期一会って、このことです。おもしろいこと考える、そして、それを作品に仕上げてしまう。腕前だけではなく、モネの頭の中を覗きたくもなります。「④連作の画家、モネ」に入ると、いよいよ、我々が、よく目にするモネの作風が全開となる。有名な「積みわら」の連作は、これだけで、展示室の1つの壁を占領、特別扱いといった印象。ポーラ美術館、大原美術館、埼玉県立近代美術館と、国内の美術館もので、3つも出せるって、凄い! 「チャリング・クロス橋」は2点、山形美術館とリヨン美術館からのもの。後者は観ているはず、そう思うと、既視感が出てきたけど、思い込みかもしれない。でも、リヨン美術館は、自分的には、記念碑的なところ。せっかく来たのだから行っておこうと思い行ったのだけど、それまで、19世紀以後の絵画に関心を見せなかった自分が、居並ぶ作品を前に興味を引き出してくれた美術館。そうした思い出があるため、なんか、そのとき観たように思ってしまう。「ウォータールー橋」は、ワシントンから2点とダブリン(ヒュー・レイン・ギャラリー)から1点だ。ほとんど、何が描かれているか判らないという突っ込みが入る有名な作品群です。そして、最後の部屋「⑤‶睡蓮‶とジヴェルニーの庭」に入るというわけだった。やはり、人は多かったが、観るのに困るというほどまではいってなかったので、狙いは功を奏したことになります。時間帯が、こういった時間だったからでしょうか、とにかく、若い人が多い。高校生くらいの人たちが、連れもて来ているなんて光景、普段の展覧会では見ないものです。「1階下では福田平八郎もやってるよ」と告げたくなりました。今年は、もう1回、「モネ展」があります。混雑が考えられるので、行くことを迷っていたんだけれど、こうして、実際にモネを目の当たりにすると、何とか工夫して行きたくなってしまいました。あべのハルカス美術館なので、動楽亭昼席がはねたあとに行くという手はどうかなというアイデアが出てきています。今度は、当たるでしょうか?


2024年 4月 5日(金)午前 7時 00分

 ようやく、雨が上がった木曜日。でも、一日中、曇天で、肌寒かった。天気予報を見ると、最高気温が19度となっていたので、このくらいでいいかなと思った格好でお出かけをしたが、ちょっと、風が吹くと厳しかったな。周りを歩いている人の格好を見ると、ウィンドフレーカー的なものを引っ掛けていた人が目立ってたような感じ。そんなで、昨日は、奈良でハシゴをした日。ともに、初めて行く美術館だった。近鉄の学園前駅を挟んである美術館。ググると、片方が、徒歩で駅から26分と出た。もう1つが徒歩で10分と出た。少なくとも、この両者を移動するとなると、単純計算で36分になる。いいウォーキングになると思い、バスを使う気にはならなかった。実際には、その倍の時間歩くことになるわけだから、普段のウォーキングの量に比べると、可愛らしいものだ。一番、心配なのは、冷え込み気味になると、トイレの心配だ。朝方のコーヒーを1杯にしてはいたが、それでも、ツボにはまると、もたない。ググると、通り道に図書館なんかがあったので、それで勇気づいて敢行。往きは、うまい具合に公園があり、セーフ。次の最長移動は、うまい具合に駅を通るので、その傍にある商業施設に逃げ込み、セーフだった。基点となる駅は、近鉄の学園前駅。この近くには、黄紺の知るだけで、美術館が3つある。昨日は、その内の2つをチョイスしたことになる。1つ目は松伯美術館。上村家三代文化勲章受章者の作品を展示する美術館だ。以前から行きたいとは思っていたが、そんなに大きな美術館ではないだろうし、奈良だから遠いしということで、ここまで敬遠していたのだ。今回、もう1つの美術館と組み合わせることを思いつき、また、未知の美術館に行ってみたいこともあり、こちらと組み合わせることを思いついたのだ。今、こちらでは「松伯美術館開館30周年 勤勉努力 -素描 下絵 そして本画-」なる展覧会が行われている。ただ、こちらの収蔵物の本体は、上村淳之の文化勲章受賞を記念して、三代の作品をまとめた展覧会に出ているということで、お題のような展覧会になったものと思われます。既に、黄紺は、京都高島屋での三代の揃った展覧会を観ているので、却って、そこで展示されている作品の下絵を観ることができて、ラッキーだったと言えます。入口から指示された順路のまま歩いた関係で、最後に観るべきだったかもしれない、三代のお写真、当然、淳之氏は健在なわけだから、近況を写したものから、古い松園のお写真まで揃った部屋に、最初に入ってしまった。作品も、勝手に順路と思った順で入ったものだから、松篁、淳之、松園の順となった。松篁では、「緋桃」、「燦雨」、「白木蓮」の3点が、下絵と本絵が、ともに展示されていた。松篁作品の色彩の特徴のようなものを覚えてきている目には、色のない、輪郭なんかが明瞭な下絵のすっきり感が、とっても新鮮だった。淳之作品も、色彩的に独特のものがあるが、下絵というか、描こうとする小鳥だったら小鳥を、幾つも幾つも、その姿態を変えて写生したものが下絵替りだったようで、本絵そのものと同じとなる下絵の展示はなかった。いや、そういったものを用意しなかったのかは、判らないとしかメモしようがない。でも、ひょっとしたら、必要なかったのかもしれないとも思ったりする。松篁は、結構、南の国の草花を描いています。これは、三代の展覧会でも感じたこと。松篁の色彩からすると、合ってたのかな。赤や緑、今回の展示にはなかったが、金を混ぜてるんじゃないかと思わせる煌めく背景、とっても華やいだ雰囲気を与えてくれます。「燦雨」も、南の国の植物や鳥を描いていた。そこに雨。南の足の速そうな雨でした。淳之の鳥の絵、山王美術館で観たときに、鳥の足が背景に溶け込んでる姿に、とっても幻想的なものを感じた。それと、もう1つ、鳥のキャラがデザイン化されてるような描き方が、極力、具体的なものをカットした背景に溶け込むように観えるんだなぁ。この背景の、何とも言えない幻想的な色合いって、松篁の作品にも時々観ることができます。この辺は、繋がってると思ってしまうところ。松園の作品は、下絵を多く観ることができたが、その下絵が、三代の展覧会で観たもの、しかも、その中でも名品と思えるものが選ばれていた。下絵の傍らには、三代の展覧会で使われた図録の写真を添えるという展示は、有難い。「姉妹三人」「待月」「青眉」なんてのがあったのだから、大変なご馳走だった。本絵とともにあったのが、「唐美人」、「美人納涼」といった作品。三代の展覧会の巡回が、この美術館にもやって来るそうだ。他の美術館からのものを中心に展示するようです。普段は、観れないものと言うことのようです。
 2つ目は、大和文華館を通り過ぎたところにある中野美術館。こちらは、先日、大和文華館に行ったときに、その行き先を示す看板が出ていて知り、帰ってから調べると、行かねばと思わせられた美術館。村上華岳、入江波光が多いと、HPには記されていました。今は、「春季展/日本近代絵画の名品 -明治から昭和へ-」が行われていました。展示室は2つ、上が洋画、下が日本画と分かれていました。2つを繋ぐ階段からは、目の前にある池を挟んで大和文華館が観えるという、なかなか得難い光景。松伯美術館もそうだけど、この地域の3つの美術館、いずれも、ロケーションが抜群です。洋画の部屋では、いきなり、浅井忠が2点、いかにも油絵というものと、一見、水彩かと思える作品だ。後者が「網干し」という作品で、光を感じさせるが、とっても淡いのがいいね。肖像、中でも首から上を描いたものが、幾つかあった。青木繁「婦人像」、岸田劉生「青年の首」、椿貞雄「晴子像」、国吉康雄「スザンナ」といったもの。特に、青木繁と国吉康雄が対角線の位置に置かれているのが、おもしろい。デッサン力抜群の穏やかな青木繫ものに対し、いわくありげな表情の国吉もののコントラストが、強烈だ。岸田劉生の描くてかてかした皮膚が、えらく生々しい。椿作品は、その岸田劉生のサダ子を思わせる作品。静物画に関心を見せることの少ない黄紺が気に入ってしまったのが、小出楢重の「鏡のある静物画」、逆三角錐の陶器の器のリアリティが、全面を圧しており、全てのものに存在感を与えていると看てしまったから。こんなことってあるんだと、いい経験させてもらった。そういったなか、この部屋の中で、一番目立ったのが、須田国太郎の「ヴァイオリン」、いや、これ、少なくともヴィオラじゃないかと思えるからか、それだけ自己主張しているように観えてしまった。しかも、背景が、無彩色系で、特に白を削ったかのような描き方、とてもや、たおやかな音色を出しそうには思えないから、却って目立っているのだ。その傍らにある、同じく須田国太郎の「滞船」「牛のいる風景」を凌駕していました。でも、「牛、、、」は、どこかで観たような、既視感のあるものだったのが気になってしまった。描くという作業をしていると、のこのこと牛が、前を通り過ぎちゃったというもの、この構図に既視感がある。他の作家さんだったかもしれないけど。長谷川潔、駒井哲郎という作家さんの版画作品も並び、出口の傍らには元永定正ものが3点あった。ここまでの作家さんと異なり、具体美術協会の作家さん。びっくりの並びだけど、嬉しい遭遇。近々、具体美術協会の作品展に行こうかと思ってるくらいだからね。「ノーベル賞オマージュさとう」がおかしかった。これって、「非核三原則」を遊んでんだよね。でも、どうやって? 判らないけど、なんか、おかしい。日本画の部屋では、いきなり、村上華岳の「山科写生」が出迎えてくれた。村上華岳作品は、他にも「踊れる少女」「春山棲息図」「山桜」「早春風景図」が並ぶが、どれもスルーしちゃった。ここの売りものなのに、申し訳ない。もう1人の入江波光ものも「春景山水」「追羽子」などがあったが、同様だった。床の間が設えてあり、そこに小野竹喬の「春日」の掛軸が架かっているという趣向が、いいね。日本間に、青と緑を使う小野竹喬、それがお洒落なんでしょうな、特に青が際立ちます。富岡鉄斎「雨々風々 柳塘春暁図」、横山大観「遠寺晩鐘」、山元春挙「不老長生図」と大家が並ぶ。いずれも水墨だが、横山大観が気に入った。削ぎ落したかのような構図、高台から俯瞰したように寺塔を望む、大らかさが引き立ちます。ちょっと削ぎ落とし過ぎかもとは思ってしまったけれど。土田麦僊の「春秋**」(メモが読み取れない、(>_<))が、えらく正攻法な木に鳥という二幅の掛軸なんだけど、鳥の輪郭を取るために、そこにあるはずの木々の枝を消していた。明るくすっきりとした清々しさがあります。土田麦僊って、こんなの描いてるんだと思ったけど、この感覚自体が外れてるかもしれません。作品リストがなかったので、メモを取りながら観たけれど、メモって、大事だね。言葉化してる方が記憶に残るものやね、当たり前かもしれないけど、それを思い知りました。年に1~2回、覗いてみたい美術館ですね。


2024年 4月 3日(水)午後 8時 48分

 今日は、お出かけなしの休養日。雨の水曜日だった。でも、タイミングが悪いにも拘わらず、洗濯日にした。雨でも、物干し台に干せるので、時間があるときにしなければでやった。明日も明後日も、出かける予定があるものだから、日延べができないのだ。ま、時々、やることだけどね。雨は、ずっと降ってた。しかも、降りが強い時間帯があり、そのタイミングで、外に出かけようとすると大変だった。洗濯を終えて、傘さしウォーキングをしようかと、出かけたときは、そうではなくても、外に出ると、降りが強くなる傾向。屋根あり公園で読書でもしようかと思ったが、とんでもない考え違い。昨日までのつもりで出かけると、寒かった。身体を動かしたあとでも、寒かった。昨日よりは厚着をしてたんだけど、寒いものは寒い。夕方も同様だった。買い物優先で、雨には逆らわない方針。だから、迂回して、ウォーキングらしくはしなかった。でも、万歩計を見ると、16200歩を上回っていた。数字だけ見ると、えらく頑張ってる。実感は、そんな感じはないんだけど。
 午後の一時は、「Oper Vision」配信の「エウゲニー・オベーギン」(ライン・ドイツ・オペラ/デュッセルドルフ)を完走した。村の舞踏会半ばで切っていたので、その続きを観たが、今日も、居眠りなしだった。珍しい。舞踏会の場面、2つ目も含めて、コーラスの人たちを舞台に出して、舞踏会の賑わいを出していた。村と都会の舞踏会の差異は衣装で出していた。舞踏会の場面で、歌手の歌唱が入る、これが、このオペラの筋立てには重要なものがある。それを意識してか、コーラスの人たちにストップ・モーションやスローモーションを入れて、歌手の歌唱に集中させる演出、これも、拘りを感じてしまう。背後の壁は、一貫して同じもので、大道具を出さない替りに、この壁に仕掛けが仕込まれており、階段がせり出すようになっていたり、高台をせり出すようにしてあったりで、変化をつけている。決闘の場面は、そのせり出した高台上で行われた。背後の壁が、目一杯、全体で前にせり出して来ると、前のスペースは僅か。村の舞踏会の場面のラストでは、その狭いスペースにオルガを追い詰めていた。そんなで、動きでのみ進行させる補助をしており、なかなかナイスプレーだったので、ラストのデュエットと言うか、物語の結末を導く大事な場面で、どんな仕掛けがあるのかと期待を持ってしまったが、特段、何もなかった。メトロポリタンのプロダクションのように雪を降らせたりということもなくで終わった。歌手も充実、衣装や大道具と言ったもので、物語にひっ沿わないプロダクションに、魅力を感じたからかな、わりかし気に入ったプロダクションだったと言えます。2つの舞踏会を、ほぼ何も使わずに表現しきってたもんね、このプロダクション。だから、情報がありすぎるというのも考えものと思ってしまい、Youtubeにアップされている、同じオペラの動画をチラ見をしたんだけど、衣装や大道具を設えてあると、観る気がしなかったな。そう考えると、なかなか影響力の強いプロダクションだったと言えます。次は、「散髪屋」を狙っています。「Oper Vision」への収納期間が終わりかけているので、急いで観なきゃの気になっています。


2024年 4月 3日(水)午前 6時 58分

 昨日は、朝から出かけて、大阪でハシゴをした日。大阪浮世絵美術館と動楽亭昼席に行った。それを、淀屋橋駅から歩き始め、30分余で美術館へ。それから、日本橋方向へ移動。この辺りへ行けば、最近は、お気に入りのタイ料理屋さんへ。昨日は、そのつもりなのに、朝食にタイ・ラーメンを食べ、朝からタイの口にしておいた。で、タイ屋さんではカオマンガイにした。嬉しかったのは、タイ米を使ってくれていたこと。更に、動楽亭まで歩くと、長めの列ができていた。昨日は、精鋭メンバーが集うということで、そうだろうなと思ってたら、そうだった。ウォーキング替りと、それだけ歩いたが、帰宅後、万歩計を見ると、11200歩余で、さほど多くはなかった。でも、ウォーキングということでは、これが最善だったので、致し方ない。
 大阪浮世絵美術館は、展示替えがあったので行ってみた。企画展「歌川広重 うきうき浮世絵展」というのが、新しいお題。「うきうき」で何か娯楽や行楽なんかを扱った浮世絵、しかも、広重もので集められてるのだろうと思ってたら、ちょっと看板とは、展示が違った。確かに、「生活の中の賑わい」「娯楽」「祭」という区分はされていたセクションはあったが、多くを占めていたのは「東海道五十三次」。それならそれで、お題をそのようにしておいて欲しかったな。そのつもりで行ったのに。また、それなら、観る機会が多いので、行かなかったかもしれません。特に、今年は、広重を看板に掲げた展覧会が、他にも複数回あるので止めてたかもしれない。狭い美術館なので、展示数は多くないからね。その「東海道五十三次」も、それを並べている場所とは別に、「宮」が、異なったエリアに展示されていたりで、そこが、「寺社の賑わい」を表そうとしていたエリアだと判り、ようやく納得。その他、使われていたシリーズものとしては、「浪花名所図会」「京都名所図会」が使われていた。前者では、著名な「祇園社雪中」「四条河原夕涼」「通天橋ノ紅楓」と言った作品が並び、後者では、「安井天神山花見」「順計町夜店見世之図」「住吉御田の祭式田楽之図」「雑喉場魚市の図」といったもので、「うきうき」を表してくれていた。広重三代や、広重一門のコーナーも作られていた。ここに、初代の名作「亀戸梅屋舗」があった。ゴッホが模写をした作品。確かに、大胆な構図だ。これもそうだが、東京ものが、ここには並んだ。弟子筋では、国貞、貞秀、芳艶と言った名が並んだ。もちろん、初代以外の広重も、この弟子筋に入る。嬉しかったのは、その中に、芳艶の作品で「東海道名所風景(御上洛東海道)東海道之内藤之社走馬」が2点あったこと。伏見の神社藤森神社でのイベントを描いたもの。ちょっと躍動感に物足りなさを感じたけど、描かれている素材が、何よりも嬉しい。主役だった「東海道五十三次」は、冒頭の10点を覗き、最近、嵐山文華館で観たところ。重複はしたが、さすが名作、何度観ても、テンションが上がる。嬉しかったのは、その際、観ることができなかった冒頭部分が、何点か出ていたこと。「日本橋」「神奈川」「川崎」「戸塚」「藤沢」なんかがそうだ。とにかく、アイデアが詰まってるのは言うまでもない。枚数が多いから、アングルが、様々、試みられたり、素材が試みられたり、同じ富士を描くにしても、その試みが使われている。感心したのは、有名な「日本橋」、「旅立ち」のコンセプトが込められている。橋を大名行列が渡ってる、一番手前左右端には大木戸が開け放たれている、その傍らには、朝を象徴するかのように魚河岸帰りと看られる魚屋が荷を担いでいる。上手い! 「神奈川」の坂も凄いね。高台と神奈川沖、坂がいいので、沖合の展望が広々としてる。観慣れたものも、何度、観てもええということで、結局は満足してしまってました。
 動楽亭の昼席は、一昨日と昨日の顔付けは、吉弥と南天が交替するだけど、顔付けが頗る付きの好メンバー。前の2人も申し分なしの顔付け。それを読んでの座イスの配置にもなってた。米朝事務所も解ってんだね。その番組は、次のようなものでした。天吾「ちりとてちん」、米輝「牛ほめ」、南天「強情灸」、歌之助「鰻の幇間」、(中入り)、雀喜「こだわり君」、米紫「ねずみ」。ところがだ、天吾、米輝で寝落ち。ずっと歩いてきて、ほっと休憩してしまったということになったようです。噂の天吾だけど、「ちりとてちん」は、濃すぎる南天テイスト満載だから、もらう弟子は大変だろうなと思ったこと、米輝は、先週1週間、新作で通したから、古典をやりたくなったのかなと思ったことくらいしか、記憶に残ってない。そして、南天のマクラが最強。後で出た米紫が、「雀喜兄さんが、えらいまき散らして」と呟いていたとか。出番が3番目だということで、トリや中トリの重要さを説き、後で出る2人にプレッシャーをかけると、米紫が顔を出し「はよ、やれよ」と一喝。南天の方が上だけど、この突っ込みに、会場のヒーヒー度は凄かった。そして、この位置だからこそ聴ける「強情灸」とは、嬉しいチョイスでした。後で上がった歌之助は大変だろうと思ったけど、歌之助はスルーという手を採り、マイペースで幇間の話をし出した。絡まない方が得策ということなんでしょう。絡む米紫、絡まない歌之助、こういったコンビネーションがいいですね。その歌之助、いくら気温が上がったとは言え、真夏のネタを出したのにはびっくり。東京ネタだけど、ぼちぼちと手掛ける人が、上方でも出てきたようです。同期の由瓶や、当代の春団治もやってるしね。自分的には、あまり好きではないネタ。だって、よいしょに長けた幇間を騙すだけの噺だからね、しかも、食い逃げとは、、、そんな風に思うのだけど、歌之助の口演で、ちょっと見直したかな。というのは、騙した男が去ってからの幇間の困り、悔しがり方のクレッシェンドが、いい感じだったからじゃないかな。騙し方が、エスカレートしていく、それに、徐々に気づく、そこまでやるか感が、徐々に明らかになっていく、このクレッシェンドがいいと思わせる口演だったからだ。やっぱ、歌之助は巧者です。南天に絡んで、いきなり高めのテンションからスタートしなくて、正解でした。雀喜のネタ、初めてだったけど、これを書いてる時点で、思い出せない。あれれ? 米紫のトリは、先月も聴いていたので、ネタだけは変えてくれと思ってたら、杞憂だった。米紫の「ねずみ」は、以前、聴いているはずだけど、どんなだったか覚えてないので、このネタ選びは有難かった。確かに、肩がこるような口演でもあるけど、それはそれで、しっかりとしたキャラ付け、言いようによってはメリハリの効いた口演となる。そんななか、何よりも、ねずみ屋の主人の語りが抜群だった。これが重しになり、それ以後がしまります。農夫のチャリ場もいいアクセント。そういった聴かせる力に溢れた口演だから、あれれとなる落ちがいいのかもしれません。オペレッタでも、ばらしはあっさりしてる、それと同じ趣向と言えますね。


2024年 4月 1日(月)午後 10時 13分

 今日は、休養日に当てた月曜日。だから、日に2回のウォーキングだけが外出で、夜の米朝事務所チャンネルの動画配信を楽しみにする日だった。それにつけても、気温が上がり、すっかり春になった。開花が遅れていると伝えられた桜が、今日から咲き乱れるようになった。早くもローカルな桜の名所にも、他所から人がやって来ている。やめといたれやと思うほど、お構いなしにやって来るもんね。ウォーキングをしていても、休憩のため使う公園も、陽射しのあるところは、いよいよダメだね。となると、場所選びに苦労する。誰しもが、日陰を選ぶから、日陰の少ない公園は、あかんのだ。今日は、なんとか確保。いい季節だから、外での読書が、頗る快適。実際の事件のあったところや、文学に著されているところなどを歩くパリ散歩的な本をピックアップしている。昨日までは、パリの美術館巡りの本と、ここに来てパリずいている。だけど、自分的にはパリをほぼ知らないのだ。北駅から東駅まで歩いた、これが、唯一のパリ体験だ。これらの本を手掛かりに、久しぶりにフランス革命に触れたものを読んでみようかと考え始めている。が、すぐ気が変わるから、あくまでも今の時点ではということだ。
 午後の一時は、久しぶりに、Youtubeの「Oper Vision」チャンネルのお世話になった。ゆっくりと時間が取れなかった証拠だ、これだけの時間を開けてのこととなると。アクセスしてなかった内にアップされたものを、まずチェックしなければならなかった。実は、このチャンネルにアクセスする前、手持ちのDVDでオペラを観ようかと思い、そのときは「オネーギン」がいいなと思ってた。ところがだ、「Oper Vision」にアクセスしてみると、何と、最新のアップ動画が「オネーギン」だった。ライン・ドイツ・オペラの公演だった。オケピットにデュッセルドルフ交響楽団が入っていたので、デュースブルクではなく、デュッセルドルフの方だ。冒頭には、懐かしい歌劇場の外観が映っていた。舞台方向から客席までカメラが捉えるという、自分的には、これ以上ないサービスだった。デュッセルドルフでもデュースブルクでも「オネーギン」は観ていないので、嬉しい動画のアップだ。ミカエル・タルハイマーのプロダクションだということで、そのキャリアを調べたが、その範囲内では遭遇経験はなかった。記憶にもないので観てないのだろう。でも、ハンブルクの「オランダ人」や、ベルリン国立歌劇場の「魔弾の射手」や「後宮よりの逃走」なんかが、この人のプロダクションと出たので、なかなかのものと看た。演出の特徴をパターン化して言うと、舞台には、たいした道具を出さずに、歌手陣&コーラスの配置、動きだけで、物語を展開するという、代表的な演出家で言うと、クリストフ・ロイのパターンだ。冒頭の、タチアナ姉妹と、タチアナの母親&乳母との世代間による対比、オネーギン&レンスキーの登場後に現れる、2組の男女の動と静の対比。農奴たちの祝いの場面では、農奴の集団がタチアナの母親に迫るという動きを見せていたが、これなどは、階層対立ではなく、自然に対する距離の違いのように観えた。田舎の舞踏会半ばまでしか観てないが、その舞踏会がいい。個別の人の動きと全体の動きの調和がムズいところだが、群衆にスローモーションを取らせることで、そのムズさに答えを出してるように思えた。こういった演技重点のプロダクションに答える歌手陣がいい。なかでも抜きん出ているのが、オルガ役のラモナ・ザハリア。この人、動けるばかりか、踊れる。そのため、動きの多いダンスをした後に、歌唱が待っているという、ちょっとありえない光景もあった。それにつけても、この動画を観ている間、寝落ちをしなかった。いったい、どうなってるのかと思ってしまう。Youtubeの動画のように、繰り返し観れるものなのに、寝なかった。わけ、わかんないね。


2024年 4月 1日(月)午前 4時 36分

 昨日は、午後に、久しぶりに繫昌亭昼席に行った日。だから、2日連続で、落語会に行ったことになる。実は、今日も落語会に行く予定にしていたが、さすが、他の日に回した。今や、行くことが数少なくなっている落語会、うまく拡散しようと思っただけだけど、1日延ばしただけなんで、偉そうなことを言えるものではない。一昨夜、今週の予定を見直して、ちょっと整理した結果だ。昨日は、日曜日と言っても、「日曜美術館」の新作は流れなかった。替りに、思いがけないことがあった。MCの交替は伝えられていながら、「ブラタモリ」に次いで、お別れの言葉はないのかと思ってたら、15分の「アートシーン」の一部を使い、MC2人の挨拶があった。小野さんだけではなく、アナウンサー氏も交替ということで、2人で話されていた。これで、ちょっとすっきりしたが、昨日は、新作じゃなくて再放送だったから、どれだけの人が観たのでしょうね。小野さん、6年間だったんだって、そんなに長かったのかぁ、、、。
 繫昌亭昼席を、日曜日に行くというのは、あまりなかったと思う。韓国に行ってたこともあり、昨日しか、日を取れなかったのだ。でも、行きたいウィークがあったので、頑張って行くことにした。「桂米輝 第18回繁昌亭大賞新人賞受賞記念ウィーク」だったのだ。主役の米輝は、全日、新作で中トリを担うという番組。その魅力に惹かれてしまったのです。その番組は、次のようなものでした。弥っこ「平林」、三河「お忘れ物承り所」、米団治「看板のピン」、歌之助「桃太郎」、米二・歌之助・米輝・米紫(司会)「記念口上」、米輝「寿司屋兄弟」、(中入り)、米紫「兵庫船」、生喬「ぞろぞろ」、たらちね「漫才」、米二「ふぐ鍋」。一番太鼓は米舞、米舞は、米朝事務所グッズの販売も担当してました。まだ、米朝事務所には入ってないから、アルバイトかな? 弥っこの携帯の注意、これが、後で効きます。聴いたときは、「こないだの動楽亭と同じ言い方やん」と思ったけれど。そして、刈り込みが上手いですね。「平林」のエッセンスだけを残していました。三河は、秋田住みます芸人時代のエピソードが良かった。久しぶりに聴いたら、自信が溢れてたのが印象的だった。秋田生活効果かもしれませんね。米団治は、昨日だけ、この位置。口上も米二に任せて飛び出したようです。昨晩、末広亭の出番があると呟いていました。博打のマクラを振ったので、「狸賽」かと思ったのだけど、こちらでした。聴いたことあったかなぁ。この米団治の口演の途中、携帯が鳴った。それが、弥っこの言った通り、最前列の一番前の真ん中、但し、女性じゃなくて男性。米団治が、弥っこの言い方を上手く使ったが、この客、開演後、ぞろぞろと3人連れで入ってきて、しかも鳴らした。歌之助も、「おしおき」と言って、その客に質問に答えさせていた。相変わらず、繫昌亭昼席は、これが起こるね。どうして、普段から音が出るようにしてるんだろう? 歌之助は、この客いじりで、他の客との距離をぎゅっと縮めたうえ、ネタの刈り込みが抜群。弥っこと言い、繫昌亭昼席に、すっかりと馴染んでいます。「口上」は、最終日だからでしょうか、なんか、ここまで喋り切ったという感じで、さらりとしたものだった。そして、主役の米輝。久しぶりに聴いた米輝の新作、やっぱ、変だ。寿司にカレーをかける弟という設定。その展開に、後ろの客に、異様に受けていた。ドはまりの人は、声を上げるが、ドン引きの人は声を上げないから、なかなか判らない。特に、昨日は、前の列に座ってたので、空気感が判りににくかったので、その辺が読めない。黄紺は、もちろん、その変さを楽しみに行ったわけだから、大満足でした。米紫は、やっぱ、場に合わせるのが上手、器用だわ。問答の解説を入れて、会場を盛り上げる、米紫の技ありですね。かなり陽気に盛り上がった口演のあと、生喬は、いきなり「赤手拭い稲荷」の話をするものだから、地味で大丈夫かなぁと思ったが、昨日の客席は、落語を聴こうの雰囲気だから大丈夫だった。それを見越したマクラであり、ネタのチョイスと看ました。そう言った意味で、これも、噺家の技の内ですね。口演は申し分のないものは言うまでもないこと。落語らしいネタに、いい感じで推移。生喬と言い、漫才でも、米輝似が登場。この3人を揃えたのは、米輝自身のリクエストなのか! そうでしょうね。ここまで快調だったのだけど、米二のところで寝落ち。今シーズン最後の「ふぐ鍋」になるだろうと思い聴いていたら、半ばが跳んでいた。「今日は大丈夫」と思ってたら、このざまです。終演後、しっかりと、3ハゲ並びのお写真、撮らせていただきました。これ、記念になるわ、絶対、将来のお宝になること必定です。


2024年 3月 31日(日)午前 6時 34分

 昨日は、夕方に落語会の予約を、京都で入れていたので、京都でハシゴをすることにした。そんなで、午前中は、ほぼ通常通り。少し早めに、ウォーキングを始め、且つ控えめにした。午後のお出かけの往復を、ウォーキングがてらにしようとすると、わりかし歩くことになるので、そうした。昨日から気温が上がり、服装は、一気に薄着になっている。つい半月程前にも、同じようなことがあったが続かなかった。さすがに、今度は大丈夫だろうね。もう4月だから。お出かけ先は、岡崎の細見美術館、それと、黒谷さんの塔頭蓮華院であった落語会。丁度、三条から歩いて黒谷さんに向かうと、その途中に、細見美術館があるという仕掛けだ。結果、万歩計は16200歩余ということで、大成功。
 細見美術館の記録からメモっておく。今、こちらでは、「空間を彩る屛風—広がる大画面—」という展覧会が行われているのだ。展示数は多くはないが、なんせ、銘品を所蔵しているということで、行く機会が多い美実菅。ましてや、屏風はスペースを取るので、狭い展示空間では、数が多くないというのは致し方ない。作品の値打ちとかではなく、数から考えると、めっちゃコスパが悪いものだから、今回も、前後期制のトラップに引っかからないようにした。冒頭に「柳橋水車図屛風」。入口を入った途端、これかというやつだ。これ、以前に観ていると思っていいのか、同様の構図が多いということなので、似たものを観ていることなのか、確かめようもないが、既視感はあった。金地への着色、描かれているのは、川、橋、柳、水車、、、と来れば、宇治だということを学んだとき、観てるんだったら観てるのでしょう。少なくとも似た構図を観ているので、宇治だと判る。前に観たときも感じたが、宇治が人気の名所だということなんだろうけど、金地という発想が、凄いね。ぶっ飛んでる。屛風図の定番、「洛中洛外図屏風」に加えて、「洛外図屏風」と区域を限定したものもあった。祇園祭や賀茂競馬といったイベントに焦点を当てた洛中図もある。そういった屏風を観ていると、目印に、方広寺というのが、大きなポイントになってるのが判る。次いで、二条城に内裏ってところかな。位置関係は東西南北程度の精度だけど、目印としての押さえが効きますね。二条城から内裏に向かう行列なんてのが描き込まれている洛中図もあった。祇園祭図では、ご丁寧に、右隻に前祭、左隻に後祭と、徹底している。当然、鉾や山が描き込まれているので、何に相当するか確認しようと思うが、船鉾や橋弁慶山しか判らない、これ、京都人にしては恥ずかしい。傘鉾も幾つか描き込まれているが、これも区分けはできなかったね。少し暗めの照明は、黄紺の目には厳しいってこともあるけど、これは、ちょっと言い訳っぽい。京都だけじゃなくって、「奈良名所図屏風」「和歌浦図屏風」などという屏風もあった。奈良は、東大寺、興福寺が描かれているという解説があって、初めて、それと認識できたが、春日大社だけは、さすが、その占めるスペースの広さからして判った、当たり前か! 和歌浦の方は、ど真ん中に海を据える、海が主役、これも、判りやすい。そういった名所図屏風以外も、屏風図の描かれる対象は様々。屋内の区域分けにも使われたそうだから、その区域の性格により、図柄は変わったのでしょう。「誰が袖図屏風」などは、衣桁に幾つかの種類の異なる着物を引っ搔けたもの、なんか、寝間に使われたのでしょうか? 逆に「捕鯨図屏風」なんて、どこに使ったのでしょう。そういったことを考えながら歩いて行くと、今回の展示で気に入ったもの、気になるものが出てきた。鈴木蠣漂(れいたん)の「山水図屏風」に目が点。金地に山水が描かれているのだが、水の青さだけが傑出しているのだ。この色使いの感性、愕きだったな。水を青で描くっていうのは、別に特別なことではないけど、金地に青は目を引いてしまう。岸連山の「波に鶴図屏風」の左隻の飛ぶ2羽の鶴、勇躍と跳ぶ姿がいい、その鶴の視線と、右隻の地に足を着けている鶴2羽の視線が繋がっている。それだけで、空間の拡がりを感じさせる。岸派という人たちの作風が頭に入っていないので、これは覚えておかねばなりません。大西圭斎の「秋冬花鳥図屏風」もおもしろい。描かれている鳥が、幾つかの組に分類できるのだ。それも視線同士で。で、それらが、全体でリンクしないのだけど、調和が取れているかと言えば、そうでもないように思えるのだけど、それが、屏風全体に緊張感を与え、不思議なリアリティを感じさる佳品、一番、おもしろかったな。3つ目の部屋には、鶴沢探索の「蘭亭曲水図屏風」という長閑なものもそそられる。中国の漢詩を曲水で試みるというもの、右端には、主人役と思われる王羲之が控えておりました。その他と書けば申し訳ないんだけど、鈴木其一も2点、「梅椿に小禽図屏風」「白椿に藪柑子図屏風」という小品も出ておりました。数が少ないといえども、ゆっくりと楽しんだため、気が付くと、落語会の会場へ向かわねばならない時間。時間を持て余したときの算段までしていたのに、楽しみ過ぎました。
 落語会は「第7回 蓮池院落語会〜にまめのこまめ 京都編」。一昨年に続き2回目、実は、昨年は、当日の急な発熱でドタキャンしてしまった、思い出の落語会です。その番組は、次のようなものでした。二豆「宿屋町」、弥壱「佐々木裁き」、二豆「ちりとてちん」。二豆曰く、「大阪の勉強会ではネタ下ろし、京都のこの会では、やり慣れたネタの勉強」と言ってました。その棲み分けで、確かに、この会で出したネタは、二豆が、他の会で出しているのを見かけたことがある。この会はお囃子なしだから、「宿屋町」もそうなるが、上手く間を詰め、違和感なく推移。この辺はさすがだと思うな。出来は、圧倒的に「宿屋町」に軍配が上がるというか、「ちりとてちん」は時間がかかると思った。というのも、このネタを、南光からもらってんだね。それは聴けば判るだけではなく、本人がTwitterで呟いているのを読んだこともあるので、間違いない。やっぱ、南光までなると、ましてや、十八番にしているネタということは、だから、もらいたくなるのだろうけれど、それだけ、南光色が強いのだ。ということは、「南光だからおもしろい」という箇所が、ふんだんにあるということ。それを、自分の中で消化して、自分色に染めていくのは大変なこと、要するに時間がかかると思うのです。その端緒に着いたところということなんだろうなと思いながら聴いていました。だから、そんなに色の着けようのない「宿屋町」の方が、今の時点での出来は圧倒しているとなります。弥壱が良かった。大きなネタを聴くのは初めて。マクラでは、ベタな、しかし、自分なりにアレンジしたものを、色々とお喋りするもので、結構、長い時間を取っていたので、ネタは短めかと思ったら、「佐々木裁き」に入ったので、びっくり。いやぁ~、良かった。こんなに丁寧に噺ができる人とは思ってもいなかった。視線から、言葉の抑揚、有機的な身体の動きまで、とっても様になっている。教え手の顔が見たくなるほど、丁寧に仕込み、弥壱が、それに、見事に応えている。応えることのでき能力の高さを看た思いがしました。これは、楽しみな噺家さん、です。前坐ネタを聴いていたとき、ここまでやれるとは看てなかったので、驚異の飛躍と映りました。


2024年 3月 30日(土)午前 5時 4分

 昨日は、丸一日、Dと遊んだ日。朝8時半に迎えに行き、送り届けたのは、もう午後6時を回っていた。よく歩いた、2人で、途中で、Dが、黄紺のスマホに万歩計が入っているのを知り、それを確かめながら歩いたんだけど、最後、帰宅すると、19500歩余となっていた。Dも、ほぼ同じだけ歩いたわけだから、帰りの電車では、さすがに眠りこけてしまってた。黄紺も眠りたかったけど、そんなことをすると、電車を乗り過ごすということで、さすが、我慢。そもそも、昨日、こういったことになった原因は、Dを、京セラ美術館で行われている「京都市美術館開館90周年記念展/村上隆 もののけ 京都」なるものへ連れて行こうという、結果としては、無謀なことを考えたこと。この展覧会は、さすが、土日に行く勇気はないものだから、春休みか夏休み(えらい長期の展覧会!)の平日に連れて行きたかった。となると、親は仕事。たまたま、昨日は、Sが体調を崩したため、息子は休暇を取っていたが、当初の予定通り、朝からDを預かることになった。だから、朝、息子はSについているので、出勤電車に乗る息子の嫁さんに連れられて、Dはやって来た。昨日の強運な点は、この時点で雨が止んだということ。ホント、朝、目が覚めたとき、「マジか」と思ったほどの強い雨が降っていた。幸か不幸か、朝早く目覚めたため、その対応策を練った。「そうだ、映画だ」と思い、4本の映画をチェック。映画館も3つチェック、それぞれ、上映時間がずれているので、京セラ美術館との兼ね合いで、映画館に行けるようにしておいた。が、雨が止んだ。天気予報を見ると、その後は晴れて行くと出てたので、もう、待ち合わせ場所に着く頃には、腹は決まってた。伏見の名所?、桃山城へ連れて行こうと考えてた。Sにはきついかと、2人を連れてでは難しいと思ってたので、これは、Dを連れて行く絶好機を思ったのだった。電車の駅で最寄りと言えば丹波橋駅、そこから歩いた。何があるか、どこへ行くのか見当がつかないのが、いいね。桓武天皇陵を過ぎ駐車場のある方向から向かうと、突然、門が現れ、その隙間から、城が現れるからね。Dは、あっという間に、カメラを取り出していました。今まで、Dに買ってやったもので、最高のヒット商品が、このカメラ。グランドの方に向かい、ここで、1回目のアイス・タイム。自動販売機に、アイス用のものが、ここにあるって知らなかったが、黄紺がトイレに行っている間に、Dは見つけてた。そして、堀方向へ。「人力で、こんなけ掘った」という説明、Dは理解してくれたよう。そして、今度は、墨染駅へ向かう。堀からだと、こちらの方が近い。次いで、黄紺宅へ向かう。韓国の土産を取りに行くためだ。最初は、Dのカバンと、黄紺のカバンに分けて詰めようと言い合ってたんだけど、前に会ったときに、Dに「リュックを買おうかと思ってる」と言いながら、まだ買ってない様子を知ったDは、「リュック買いに行って、それに入れたらええやん」「僕、付いて行ってあげるで」と言うものだから、家の近くまで買いに行く。その前に、少し黄紺宅で休憩しながら、Youtubeのゲーム配信の動画を観るD、そう言えば、こないだ弟の家に連れて行ったときも、その動画を、兄弟で観てたのを思い出した。買い物がてらに昼食。「ラーメンみたいなのと、カレーとどっちがええ?」との問いに、「僕、ラーメン好きやねん」で決まりました。先日、息子と行ったベトナム屋さんでフォーを食べることに。「無理して、全部、食べんでええねんで」と言うと、一旦、食べるのを止めかけたD。でも、それまで麵ばかりすすり、スープを飲もうとしてなかったのが、その最後にスープを蓮華ですすると、それがどハマり。またぞろ、残ってる麺を平らげ、しかも、スープも、全部飲んでしまった。凄い、食欲。最後、迎えに来た息子に開口一番、Dは「フォー、食べてん」と、これを報告しておりました。家に戻り、買ったリュックに土産を詰め、いよいよ、昨日の本番、京セラ美術館へ。アニメ・キャラ的なものが取り込まれているので、それに喜ぶのかなとか、四神の迫力に驚くのかなとか、期待していたけれど、ダメでした。持参してきたカメラで写真を撮ってたDだったけれど、あくまでも記録したという感じで、作品には関心を示さなかった。おもしろいキャラに仕上げている「風神雷神図屛風」のパロディにも、ダメでした。これは、がっくり。そんなだから、村上隆が、作品に書き込んだメッセージや、仕様書なんかは、観たり、読んだりする時間を取れなかった。もう1度、改めて行ってみます。最低、あのメッセージだけは読みたいからね。でも、あんまり、それらを読んでる人、いなかったな。皆さん、写真撮るのに、熱心で。それにつけても、会場を狭く切ってある。「洛中洛外図」なんて、全体を見渡せるには程遠い仕切り方。一事が万事で、なんでだろう? この疑問が残ったのが最大関心事だ。お庭には、制作継続中と伝えられる巨大なオブジェ。この展覧会を扱った動画が、Youtubeに流れているが、そのときに映ってたの、金色でしたっけ? ひょっとしたら、それも、進化のポイント? Dは、当然。カメラに収め、Dを入れて、黄紺も写真を撮りました。帰りに、カフェに寄ることになり、黄紺の頭には細見美術館にあるカフェが浮かんだが、京セラ美術館内のいつも混んでいるカフェに、簡単に入れるので、急遽、変更。ここで、Dは3回目のアイス。2本目は、リュックを買って黄紺宅に戻って来たとき、家にあるアイスを1本食べたから。黄紺はカフェラテ。ハート模様の入ったカフェラテ越しにDを写真に収めました。三条駅に向かう前に、もう1軒、寄り道。ロームシアターでチケットの引き取りをするのに付き合ってもらった。実は、今日、ロームシアターの近くを通るので、別に、昨日、行かなくても良かったんだけど、コンサートやミュージアムのチケットって、どんなだか、Dに見せたかったから。京セラ美術館はオンラインでゲットしたQRコードだったし、ロームシアターの場合は、オンライン予約の引き取り制と違うパターンだったので、これも見せてやりたかったのだ。そして、三条駅から電車に乗った。ずっと、喋り続けていたDが静かになったと思ったら、寝ておりました。よく歩きました。4月から、早いもので2年生。自分が、その年齢のとき、Dのように、ずっとお喋りができて、これだけ、歩くこと、できなかった。それ思うと、余計に可愛く思えてしまいます。


2024年 3月 29日(金)午前 5時 49分

 昨日も休養日。だから、朝から洗濯をした。旅行中にできた洗濯物、旅行は6日間だったが、向こうで洗濯をしたので、4日分。あとは、ウォーキングは控えめ。昨日は、一昨日よりも少なめにしたつもりだったけれど、万歩計は13700歩余を示している。昼前のウォーキングは、弟の家へ土産を持って行きがてらのもの。真っすぐ、寄り道しないで帰って来たのに、また、夕方は雨が降ったので、酒の買い出しに行ったついでの傘さしウォーキングだったのに、思いがけない数字が出てた。まだ、疲れが取れてないところだったからか、これだけの量のウォーキングだったにも、夕方はきつかった。弟にしろ、誰にしろ、韓国言ってきたと行っても、誰も、その詳細を聴かないのに慣れっこになっているのに、昨日は、韓国旅行の話に華が咲いた、珍しい。「フィールドワークのようなことを、2日間もやって疲れた」と言ったのがきっかけだった。思いがけないことを聞いたのでしょうね、旅行と言えば、観光地巡りをしていると決めてかかってるみたい。ついぞ話したことのない、韓国の食堂事情の話まで進んでしまってたな。パンチャンが出る写真なんかを見せたり、シクタンの表の透明の壁に模様として描かれる食事の名の話なんかをすると、おもしろがって聞いてくれてました。
 午後は、オンライン配信の予約がしてあった。もちろん、それに余裕で間に合うように帰ってきたが、これが、またぞろ、寝落ちで失敗。旅行疲れで睡眠が取れてもいいのだが、帰って来た日に爆睡してしまったためか、その後がいけない。その反動で、睡眠時間が、しっかりと取れてないのだ。一応、何の予約をしていたのかだけメモっておく。埼玉県環境科学国際センター(埼玉県気候変動適応センター)主催の「埼玉県気候変動適応サイエンスカフェ」として行われた「温暖化が水稲生産に及ぼす影響とその適応策」というお題の講演が流れた。お話をされたのは、国立環境研究所アジア太平洋気候変動適応研究室長の増冨祐司さんでした。「白未熟粒」というタームを覚えた。これが困った米。気温が上がるとできてしまう米。見た目で、あっさりと判る、「米粒の白濁化」を指すタームだ。そう言えば、米を買うと、白っぽい米が混じってることがある。あれだ。気候変動により生じ、生産者を悩ますものベストワンを占める厄介な現象だ。こういった米粒になると、「美味しくない」→「等級が下がる」→「収量が減る」となるから、厄介なのだ。実際、市場に出されるときは、その困った米を機械的に篩にかけることができるが、十全に無くして出荷できないので混じってるのを、消費者は見かけることになると言われてた。篩にかけて排除されると、それだけ、出荷量(収量)が減るとなってしまう。高温に強い品種に換えるという手(但し、消費者が食べるとは限らない!)や、適応する品種を開発するという手(長期戦略となる、即応性がないということ!)があるが、現状での水稲栽培での適応策を探る、それを紹介するというのが、お話の骨子だったはずだ。寝落ちで中抜けしているが、最後には、水管理で適応できる手がある、その方法を解説されていた。但し、水が豊富にあり、自由に管理できるところと、そうじゃない地域があるとのことです。質疑応答では、地下水の場所、川との距離とか、そういったことでも異なるはずとの指摘を受け、それに応えられていたくらいかな、覚えてるのは。もったいない話です、なかなか聴ける話じゃないだけに。


2024年 3月 28日(木)午前 3時 45分

 一昨日の午後8時頃、帰宅した。旅行の2日目と3日目に、フィールドワークのようなことをしたため、かなり腰に来てしまい、全体を通して、かなり疲労感を感じながら旅を続けることになってしまった。前回は、そういった疲労感が残らなかったのだが、今回は違った。それが、大きく印象に残った旅でした。久しぶりのソウルでは、激しい雨に困惑、避難したつもりだった宿で、自分のミスが発覚。ちょっと終わり良しにはならないのかと、悔しい気持ちになったが、その後の夕食と、出発日の朝食で、なんか、取り返したな。コマク・ピビンパプとスンデ・クッパは、ホントに、美味かった。振り返ってみると、ええもん、たくさん食べました。ハヌのユッケジャンや本場の名店でのコムタン、特別なものは、ホント、申し分なかったし、定番のものも良かったしね。前回もそうだったけど、帰ってきてすぐに、Skyscanerにアクセスしてしまいました。7月に行くというのに、秋だけではなく、4月、5月の航空券を眺めてしまってた。すると、危ないことに、プサン往復が2万円台で出てたので、思わず、考え込んでしまってた。テグ(大邱)往復も2万円台があった。逆に、チョンジュ(清州)便が上がってたので、衝動買いは正解だったと、ちょっと満足。国内の地方美術館巡りも入れたいので、我慢だね、ここは。
 昨日は、いつものようにウォーキング用の時間は設定しなかった。午後に映画を観たので、その往復をウォーキングに読み替える程度にしておこうということで、でも、迂回コースを採ったので、万歩計を見ると14000歩余となっていた。休息を取る日だったのに、あまり休息にはなっていないな。今日も予定入れてないから、ゆっくりしましょ。その午後の映画は、京都文化博物館の映像アーカイブの上映を観に行った。今月のテーマは「アウトローなヒーローたち/現代劇篇」、かなり著名な作品が並んだ特集だ。旅行もあり、他の作品は断念したが、昨日の上映作品は、ぜひ、観ておこうの気になった。それは「緋牡丹博徒 お竜参上」。藤(現富司)純子主演で、一世風靡した映画ということで、上々の入り。自分的にも初で、当然、リアルタイムで生きてたから、その人気は十分には知ってるが、任侠ものって、「仁義なき戦い」を1本、観たくらいだと記憶している。だから、この機会に観ておこう、同時代の人気作品を、遅まきながら追体験をしたかったのだ。助演が凄い。菅原文太(かっちょええ!)、若山富三郎(完全な賑やかし、でも、いいアクセント)、嵐寛寿郎(さすがの貫禄)、山城新伍(任侠もので軽~い役をやってたんだ!)とまあ、早々たる面々。筋立ては、勧善懲悪もの、悪に立ち向かうお竜、旅で出会った菅原文太が、助っ人に入る。お竜も菅原文太も、嵐寛寿郎の親分の元へ草鞋を脱いだことで再会。一旦は、故郷に帰る菅原文太、その間隙を埋め、お竜の助っ人に入るのが若山富三郎。舞台は、浅草六区の興行権を巡り、それを持つ親分の嵐寛寿郎に横やりを入れるのが悪者。それが次から次へと悪さを仕掛けて来る。それが続く。だれないのだ。ずっと引っ張り続ける。この威力が、人気になるわけだと思った。飛びっきりの美人藤純子が女侠客であることが人気を呼んだ原因だろうが、それだけじゃなく、しっかりとした映画作りに人気を呼んだのだろうと思った。カメラ・アングルが、めっちゃ凝ってるしね。特に、藤純子と菅原文太の絡みとなる場面のアングルは、アバンギャルドな感じすらする。雪の橋での別れの場面が素晴らしいと思ったけど、ネットで調べると、映画史に残る名場面だそうだ。かっちょ良すぎます。そんなで、休息に充てる日だったのに、ええもん、観てしまいました。来月は、「浅島千景生誕100年記念」だそうで、特集が組まれています。せめて1本と思い、某有名作品を狙うことにしました。


2024年 3月 26日(火)

 今日は帰国の日。午前11時をメドに、ヨンドンポ(永登浦)を出るつもりで、朝の過ごし方を、少し考えた。電車に乗り、シンギル(新吉)やクロ(九老)、いや、この際、ミョンドン(明洞)まで行こうかとも思ったけれど、もちろん、行けるところだったけれど。でも、止めた。そこで、ヨンドンポ界隈、特に駅の反対側に行くことにした。最初に、空港バスの乗り場と目星の着けたところに行った。シンセゲ(新世界)百貨店の向かいのバス停に乗り場があった。端から、電車を使い、空港に行くつもりだったけど、ヨンドンポからも空港バスがあるという情報を掴んでたので、どんな間隔で出ているのかくらい知りたくなったのだ。バス停にはQRコードだけ。そこへアクセスすると、時刻表へのリンクがあった。50分に1本というくらいだったかな。もし使うにも、午前11時とというのが、まん真ん中だったので、利用するにも使えないことが判った。駅の向こう側に、遠距離列車の乗り場があり、それを越えると反対側に降りることができたが、正面側とは違い、繁華街ではなく、普通の街だったが、ここにも中国系の店が、幾つもあった。朝鮮族の人たちの集住地域かもしれないけど、あくまでも、これは想像。それだけが成果で、最後に、もう1度、シジャンを一回り。そして、宿に戻り、出発準備でおしまいでした。ヨンドンポは、シンギルに近いということで、地下鉄路線図を見ると、勘が的中。シンギルから来る地下鉄5号線がヨンドンポ・シジャン駅を通っているのだ。ヨンドンポ駅よりは少し遠い程度。地下鉄1号線を使い帰国するとき、よくシンギル乗り換えを使っていたので、その記憶を使えたというわけだ。ヨンドンポ・シジャンからはダイレクトにキンポ・コンハン(金浦空港)駅まで行けるのだ、そこで、インチョンに向かう電車で、あっさりと到着ということだ。本日の食事と言っても、朝食だけしか摂らなかった。出がけに、昨日、メドを着けていたホットク屋がやってれば、1~2個食べて行くつもりだったけれど、午前11時過ぎには、まだやってなかったので、諦めた。で、朝食は、昨日、シジャンの外側に「キンパプ」の看板を2つ押さえてあったので、そこへ行くつもりだったけれど、その手前のシジャンへの入口辺りのシクタンが開けていたので、予定変更。アバイの看板が架かる小路のシクタンで「スンデクッパ」にしました。これが美味かった。なんか、豆が入ってるのかなぁ。その味が付いているからか、独特の味、食感で、自分で味付け、、、これが、マジで美味かった。パンチャンと考えればいいのかな、ニンニク、玉ねぎの欠片とともに、小さな白菜が付いていた。これをかじりながら食べるっていうのは初めて。最後に、ええ2連発、そういった意味で、ヨンドンポ・シジャンは、しっかりと記憶に残りました。


2024年 3月 25日(月)ソウルから

 イクサン(益山)からソウル入りです。ここ20年は、ソウル散策はしているが、ソウルで宿を取ったことがなかった。高級ホテルを取れば別だが、バックパッカーが泊まる宿、そう言っても、そんなに悪い宿でなくても、韓国の宿泊施設は、旅行客の利用と、ラブホとしての利用との境目がクリアじゃない。だから、それを承知で泊まるものとは思っても、ソウルの宿は、かなりラブホにシフトしている。それが嫌で、ソウル散策を入れるときは、スウォン(水原)で泊まってた。また、このスウォンが気に入ってたもので、ついでにソウルも歩くという感覚を持っていた。イクサンからヨンサン(竜山)まで、KTXで、約1時間半。午前中って、スポッと、ソウル駅行きというのが抜ける時間帯。これは、数年前、チャンソン(長城)からソウル入りしたときもそうだったので、そんなものだろうという認識。セマウルで、時間をかけてソウル入りすることも考えたんだけれど、ま、久しぶりにソウル泊にするんだからと、KTXを張り込みました。でも、今日は月曜日、開けているところは行ってるし、行こうと思うところは閉まってるので、そんなに時間を使うところはなかったのだけれど、宿を押さえたヨンドンポ(永登浦)界隈以外では、シンダン(新堂)シジャンとノリャンジン(鷺梁津)水産市場。前者は、かつては、食用犬が檻に入れ売られていたので、その店が、まだあるかを確かめたかったから。でも、もう無理なのかな? ヨンドンポ・シジャンでは、「ケゴキ」と看板を出した店が2軒並んでたし、久しく見てなかった「ヨンヤンタン(栄養湯)」という看板を見かけてるんだけど、それはそれ、これはこれということでしょうか? ノリャンジン駅の、鉄道の改札口の反対側に水産市場があります。確かにあるが、それは、昔からあったところのお隣。その昔からあったところは、きれいに整地され、きれいなグランドになっていた。結局、なくなったことを確認に行ったことになりました。せっかくなんで、新しい方を一周はしてきたけれど。古いのと新しいのが、共に稼働していた姿を見ているだけに、ちょっと腑に落ちない気になってしまったな。だから、そないに時間をかけずに回り、正解。直後に、凄い雨が降ったからです。ノリャンジン駅で休憩を取ろう、何本か電車をやり過ごそうかとしたとき、激しい雨に遭い、途方に暮れた。休憩後、ヨンドンポ・シジャンを歩こうと考えてたのが、とてもじゃないけど、駅からすら出れない程の降りだった。そこで、小降りになるまで待ち、とにかく宿に入ろうと考え、そうしたんだけど、宿に着いた途端、驚きの一言を言われ、愕然。「8時からです」、要するに、入室できる時間を言ったのだが、寝耳に水。でも、フロントのお姉さんが気の毒そうに言うものだから、お姉さんを信じた。そして、それが正しかった。完全に見てなかった。察するところ、かなりラブホにシフトしている宿なんで、昼間の休憩として客を取り、夜は夜で、目的はどうであれ、宿泊客を取って稼ごうということのようです。咄嗟に、「今からだと、、、」と尋ねると、追加料金を示され、ま、仕方ないかと言える金額と思ったので、追加料金を支払い、部屋に入ることができたけど、自分のチェックミスに腹が立ち、意気消沈。あとは、時間がゆっくりとあったので、ゆとりを持ち、シジャン内散策。「アバイ」を掲げる店の並ぶ小路は、さすがにスンデの店が並び、夕食はスンデなんちゃらかなと思ったのだけど、逆転が、このあとすぐに発生。シジャンは、横広がりの土地、細かな筋道に満ちています。きれいに整備されたようで、入り組んだ道筋には、簡単に手がつけられそうもない、昔ながらのシジャンの雰囲気を残していました。シジャンを出て、今度は、ヨンドンポ駅に向かう。明日帰るので、土産を買おうということだ。駅の上はロッテ・デパートなので入ってみた。子ども用服売場を目指したが、まだ、夏物は早かった。バックが小さいものだから、嵩のない夏物なら買えるかと思ったが、早かったようだ。次に、駅前から伸びる長い地下街を歩く。衣料品の店がほとんどだが、中にお菓子屋があったので、DとSに土産を買った。この地下街、とっても長い。上がると、近くにフナ焼き屋が出てたので買い、近くのビルの軒先で食べる。傘をさしながら食べるのが難しかったからだ。そこそこ歩いたので、宿で休憩。もう5時を回っていた。呆気なく、時間は過ぎて行くものだ。さすがに、ソウルだと思ってしまった。夕食は、狙いを定めていたシジャン内の店で摂り、もう空港で買おうかと思ってた大人への土産探しに、シンセゲ(新世界)デパートに行ってみた。ロッテもそうだけど、デパ地下は、日韓似てますね。そこで、手頃なものを見つけ、嵩だけ大きなものを買ってしまった。ま、空港に向かうのが、昼前になるので、宿に置いておけると判断しての買い物でした。本日の食事。朝は、イクサンの宿の真ん前のシクタンが開けていた。朝ご飯を食べている人がいるかと思うと、夜の続きで飲んでる人もいるという面白い空間。チョングクチャンがあったので注文したが、朝はペッパンだけというので、昨夜に続きペッパン。ペッパンは、パンチャンが並ぶだけだから、続いても、何ら問題はない。2種類のキムチ、ジャガイモ(?)の千切り炒め、シソの葉の醤油漬け、目玉焼き、練り物2種類(1つはカニ蒲鉾)、ほうれん草(?)のおひたしと、鯖と大根(?)の煮付け、9つのパンチャンは圧巻でした。夜はコマク・ピビンパプ。これは飛び付いた。想像しただけで美味そうだもの。コマクいっぱいに、シャキシャキ感の出るレタスやカイワレという新鮮野菜の入ったピビンパプ、予想を上回る美味。大正解の夕食となりました。


2024年 3月 24日(日)イクサン(益山)から

 今日から逆戻り。ナジュ(羅州)まで来た道を戻って行きます。朝9時半過ぎのKTXに乗り、イクサン(益山)まで移動。その間45分程。あっさりと到着したのだけど、ここからが大変だった。今回の目標の1つだった国立イクサン博物館に行くのだが、バスの情報として流れているのが、全く役に立たなかった。Naverにも、その役に立たない情報でしか入っておらず、一応、バスの運行情報は出るが、その時間になっても来ない。検索し直すと、また、同じバス情報が、時間をずらして出てくるだけ。前回来たときは、市内バスターミナルからバスに乗ろうとしたので、手書き(忘れもしない!)バスの運行表があり、そこから情報を得られた(宝石博物館行きのバス情報だけ掴め、そのバスに乗ったら、車内で出会った親切な方が弥勒寺址行きバスを教えてくれた)ことがあったが、今回は駅前から乗ろうとしたため、博物館行きや弥勒寺址行きバスの情報がない。そこで考えた。弥勒寺址行きのバスを、前回教えてもらったとき、弥勒寺址近くのバスターミナルでの乗り換えを教えてもらった。じゃ、そこまで行こう。Naverで調べると、「クンマ」というところにバスターミナルがあったので、そこまで行くことにした。バスは、簡単に見つかった。そして、クンマで会ったバスの運転手氏に弥勒寺址行きを尋ねると、「41番」に乗れと言って、乗り場へ連れて行ってくれただけじゃなく、バスの来る方向まで教えてくれた。「41番」のバスという情報はあったが、どこから乗るという情報はなく、ようやく、ここで出会えたのだったが、これが、なかなか来ない。50分に1本くらいの間隔のようだが、30分以上待った頃、バス停に、1台のマウルバス(村バス)が止まったとき、その腹に書かれている行き先を見て、飛び付いた。「ミロクサジ(弥勒寺址)」と書かれてあったのでした。マウルバスなので、迂回するのは仕方がなかったが、ようやく到着。今回も、ハードルが高かった。前と異なり、立派な史跡公園になっていた。遠めから2つの塔を眺め、目的地の博物館へ。クンサン(群山)沖の島々(隆起や沈降を繰り返してるみたい)、及び、海底からの出土品を展示した特別展と、こちらの史跡の出土品や再現映像やジオラマと観て回り、外に出て、時計を見ると、2時前になってた。おまけに、クンマ行きバスの来る時間だったので、2つの塔は、遠めから観ただけでおしまいにした。戻りもマウルバス。博物館で、ワングン(王宮)里遺跡へのバスを尋ねたら、タクシーで行けということだったので、公共交通機関はないと判断。片道30分と、Naverに出たので歩いて行くことにした。実際は、この間もバスが走ってた。弥勒寺址行きバスを待っているときに、そのバスを見送ってたことを、あとで知ることにはなったが。史跡の端には20分ちょっとで到着。さすが世界遺産、整備が行き届いているが、情報通り、ほぼ礎石しか残ってない、それと、石塔が1つだった。ただ、それらの礎石から、王宮の規模、配置が判ってるようで、クンマから来ると、真逆の位置にある博物館に、その再現ジオラマで、全容を見せてくれていました。百済のもう一つの都跡だと思うと、さすが感無量ですね。博物館正面の出口を出ると、そこにあったバス停で、初めてバス情報を知りました。クンマとの間にバスがあることだけではなく、日に6本、イクサンからの史跡巡回バスがあることを知ったのだけど、時間が合わず、結局、帰りもクンマまで徒歩移動。今日は、あまり歩いてなかったので、格好のウォーキングにはなったけど、この2日間は、相当歩いたからね、さすが、堪えてしまいました。イクサン行きバスは、クンマで、20分待ったところで出発。知らない土地で、バス停に人が集まってくるだけで安心します。それだけで、バスの出発時刻が近づいているのが判るからね。40分程だったかな、予約している宿の近くのバス停で下車。こんなのは、ホントに、Naverは助かります。宿に入ったら、午後5時を過ぎていたので、もう、今日はおしまいにして、あとの外出は、夕食に出かけるだけに留めました。本日の食事。朝は、まさかの24時間営業の店があった(今朝になり気づいた!)ので、そこを活用というか、そこしか開いてなかった。食事はチャムチ・キンパプにした。以前は、チジュと交互に注文してたけど、最近は、チャムチばっかです。毎度、キンパプは1本を朝食として食べることにして、それで夜までもってたけど、今日は、午後に空腹感があり、自分的にはないことなので、エネルギー不足になってるかもと、クンマのコンビニで、アイスを買うことにした。一番手っ取り早い、エネルギー補給です。夕食は、Naverで調べると、徒歩10分で、ナンブシジャン(南部市場)に行けると出たので、行ってはみたが、多分、日曜日だったからでしょうね、ひっそりとしたもの。ミスったかなと思ったのだが、シジャン内のシクタンが、何軒か営業してました。その中に「ペッパン」を出す店があったので、そこへ。パンチャンが、8種類だったか出て、お汁が付くというもの。朝食にいいんだけど、あまり出会う機会がないので、選んでみた。トンテタンを出す店が近くにあったんだけど、前回食べているので、ペッパンという粗末なものを選んでみました。ペチュ・キムチ、目玉焼き、厚揚げ、団栗粉の寒天?、小魚の飴炊き、コンナムル、エリンギ炒め、トウガラシの味付けが、パンチャン、そこに味噌汁が付きました。


2024年 3月 23日(土)ナジュ(羅州)から

 今日は、初めてKTXに乗っての移動。だけど、チョングプ(井邑)からナジュ(羅州)までの乗車時間は35分ほど、あっさりとしたもの。移動時間辺りでは、セマウルとかムグンファが走ってなかったため。バスだと、ナジュに来てから調べたんだけど、この間のバス、なくなっていた。以前、同じ移動をしたことがあったが、そのときは、チョングプからナジュまでのバスはあったが、本数が少なく、いい時間になかったもので、クァンジュ(光州)乗り換えで移動したことを覚えてる。だから、この都市間移動で、最も効率がいいのが、この列車移動。ナジュ駅は、ナジュ市庁舎の前にあるけど、中心部からは、少し離れて、ヨンサンポ寄り。歩くと20分だったと記憶してるのだけど、Naverだと30分と出たので、バスに乗った。だから、あっけなく目的地のヨンサンポ到着。ここも、昨日のカンギョン(江景)同様、川沿いの港街だったところで、日本統治時代に、米などの積み出し港として、繁栄を極めた街。その跡を訪ねようという試み、2回目だが、前回は、カンギョン同様、資料なしで歩いただけ。今回は、ネットに上がってる若干の資料を持っての散策。やはり、それで知ったのは、日本風家屋の残る地域。以前歩いたのは、当時のバスターミナルの周辺だった。確かに、らしき建物は、以前のカンギョンよりは見つけた記憶があったが、やはり、本体は、より川に近いところだったようだ。ただ、かなり建て替えが進んだようで、カンギョンや、かつて歩いたクンサン(群山)やク-リョンポ(九龍浦)程には多く確認することはできなかった。ただ、ヨンサンポ歴史館があったり、川の水位観測塔兼灯台や、東洋拓殖会社の建物の一部、地主の邸宅(リニューアルなのか工事中だった)などが残っている。鉄道が通ったのも活況を呈した要素の一つだったということなので、今は廃駅となっているヨンサンポ駅も観に行った。現在は鉄道公園となっており、子どもたちを連れた人たちが遊びに来ていました。近くに、鉄道職員官舎跡の一部もあるという情報もあったが、見つけることはできなかった。ここまでで、かなり疲労が重なった。昨日の歩き過ぎは、確実に余力を減らしていたのです。次は、ナジュ市内本体へ移動。廃駅の手前で、うまくバスに乗ることができ、とりあえずは、バスターミナルへ。姿形は変わっていたが、場所は変わってなかった。が、周囲が変わったため、前と同じ宿に泊まろうかと思ってたのは、無理だった。さすが、ナジュくらいの町になると、韓国に強いアゴダでも、お手上げ気味だったので、今回の旅行では、ナジュだけは、現地調達にしようと考えてたのだ。当ては外れたが、宿は簡単に見つかった。グ-グルのホテル検索で、事前にめぼしをつけてあったのが効きました。宿で休憩後、まずは、旧ナジュ駅に向かった。ヨンサンポ駅もそうだが、旧ナジュ駅を通る路線は、現在使われてないようなので、いずれもが、公園仕様になっているのだけど、こちらの旧ナジュ駅は、シビアな問題を抱えている。1929年11月3日、この駅で起こった、日韓の学生の小さな諍いが引き金なり、光州学生独立運動が起こったということで、旧ナジュ駅に並び、ナジュ学生独立運動記念館があるのだ。これの見学もしたくて、この場所に行くことにしたのです。残念ながら、解説は、全てがハングルだったため、内容の理解はできなかったのですが、何か気になることがあれば、手持ちのスマホで調べることが可能ということで、新たな勉強になりました。まだまだ知らないことが多過ぎます。ここを出ると、最後に残したナジュ歴史地区の散策です。ナジュの「ナ」は、かつて、ここを統治した一族の名で、その政庁跡や城構え跡などが残っている歴史地区が、この町の中心部があるのです。初めて来たとき、それを知らなかったものだから、ソウルの南大門のようなものを見つけたときは、大興奮の思い出がある。かなり整備され、クムスングァン(錦城館)の周りには広い駐車場も設えられていた。近くにあったクムハッケン(琴鶴軒)という官吏の邸宅は、最後になり見つけることになった。その程度の情報を持っての街歩きでしたが、Naverと手持ち資料を照合しながらの街歩きは、結構、面倒なものです。一番遠くにあったのがナジュ・ヒャンギョ(羅州郷校)。近くには、ナジュ・ウプソン(羅州邑城)の城門&城壁もあり、この両者は、なかなかの見ものだったけれど、どこからが再現ものなのか、それが気になったな。でも、ここまで、各地で、いくつもヒャンギョは観てきたけれど、ここのが、敷地としては、抜群の広さを持つものでした。まだ、迂回すると、北門なども観ることもできたのでしょうが、ここまでが限界、宿に戻り、夕食までは休憩することに。で、その夕食を含めた本日の食事は、次の通りです。朝食は、朝早くから開けているのは、駅前なので、中でもキンパブ天国は、以前にもお世話になっているので行ったのだけど、営業自体してない模様。その控えに考えてた向かいのシクタンもやってなかったので、コンビニ飯かと思い、少し歩くと、全くノ-マ-クだった、ソルランタンを看板にしてるシクタンが開いてたので、そこに入り、当然、ソルランタンを注文。でも、そんなに美味とは言えないな、ここのソルランタン。夜は狙いの店、前回来たとき、とにかく美味かった店へ行った。ナジュと言えばコムタン。その名店です。場所も覚えてたが、建て付けが変わったため、隣のコムタンの店がそれだと思ってたが、その傍ら(その場所が記憶の場所)にある、何か判らない店が、昼間からめっちや流行ってるので、中に入ってみたら、直感で判った。この店が思い出の店だった。当然、コムタンを注文。でも、凄まじい繁盛ぶりです。老若男女が、次から次へと入って来る。常に満席状態。食べ終わった人が出ると、また、さっと席が埋まるという超人気店になってました。黄紺が美味いと思うのだから、誰でも思うはずです。ただ、記憶のお味に比べて、ちょっとだけ薄味になってるかなというのが、今回のコムタンでした。お値段は、前回の1万ウォン(値段まで覚えてる!)から、千ウォンだけ上がってました。10数年で、千ウォンの値上げというのも優秀です。


2024年 3月 22日(金)チョングプ(井邑)から

 今日は、朝8時にはチョナン駅で、20分程後に来る電車を待っていた。時間まで、駅の反対側を覗いたり、ソウルのチョニャンニ(清涼里)まで行く電車の改札口を覗いたりで、出発。1時間弱、セマウル号に乗り、着いたのはカンギョン(江景)。2回目となるが、前回はノンサン(論山)からバスで入っているので、大まかな町の構造は判ってたが、何も資料のないなか歩いたことを考えると、今回は、とっても環境が整っている。そういう情報を得たこともあり、今回の再訪となったのだが、いきなり、前回の勘違いを知ることになった。前回は、バスターミナルから鉄道の駅寄りの地域を歩いたのだけど、そこは本体でないことを思い知らされることになった。反対方向こそが、港があり、日本人街があったということが、あっさりと、手持ちの資料で判った。道理で、少なかったはずだ。現在、日本統治期の建物で、一般的な民家ではない、そして、かなり公的だった建物が、国の指定文化財になっている。今回は、それをマップに落とした資料を、ネット上で見つけ、それを持っての街歩きになった。学校に残る校長官舎跡、講堂跡、これらは、現役の学校地内にあるが、外から観ることができた。圧巻は、銀行跡。主たる建物は、現在、歴史資料館になり、民俗資料となる品々が展示されていた。もちろん、港があった頃の古写真もいり、当時の盛況ぶりを知ることができた。背後には、付属的な建物があったようで、今は、カフェやホテルとして、韓国資源になっている。近くには、労働者団体の建物があったりだったが、ここまでは、民家は確認できず、立派な建物しか残ってないのかの気になってたが、それが一変するのが、民家っぽい建物で、唯一、文化財に指定されている薬局跡の背後に拡がる地域。そこにもかしこにもとは、このことで、明らかに日本風という民家がいっぱい残っていた。どうやら、川に近いところに集中しているようだった。だから、川に沿っていると思える道を歩くと、そのような民家は絶えることがない。川沿いの小高い丘には、日本風建築が連なっていました。そして、最後に、その丘に上ると、ようやく、カンギョンの全景が把握できました。近くを流れる川の本流に注ぐ2本の川に挟まれた土地、そこにカンギョンの港街があるのが判り、この街かつての繁栄のわけが判ったような気になりました。この街歩き、途中に休憩も入れ、4時間かけました。次への移動が、なかなかの難題だったのが、これだけの時間が要ることが判り、あっさりと解決。カンギョンからモッポ方向に向かう列車がないのです。カンギョンは、それだけローカルな駅だということです。午後2時36分発のムグンファに乗り、チョングプ(井邑)への移動は、約50分。泊まるだけでもいいということで、お気に入りの町チョングプを、今日の宿泊地としました。ちょっと、宿をとる場所をミスり、結果として余計なエネルギーを使うことになってしまったけれど、この町に来ると、毎回歩くところを散策。昔ながらの市場は健在だったけれど、ファッションの店が並ぶ通りは、かなり悲しいことになっていました。で、今日の食事。朝食も夕食もキンパブナラで摂ることなりました。朝はラッポキ、ようやく食べることができ、とってもテンション上がったな。結構、甘さの目立つ味付けだったな。夕食はコグマトンカス、これは定番。1回の韓国には、必ず1回のトンカスです。


2024年 3月 21日(木)チョナン(天安)から

 今朝、午前6時半をメドに、自宅を出発。昨年の10月以来の韓国旅行。今回は、インチョン・イン&アウトという飛行機。飛行機会社は、初めて使うジンエア。オンラインでのチェックイン、荷物預けなしで行くと、搭乗ゲートで止められてしまった。「あなたのパスポート情報が入っていません」「チェックイン・カウンターに行く必要がありました」とのこと、搭乗ゲートで入れてくれましたが。インチョンには、初めて第2ターミナルに到着。入国手続きは、3人並んだだけ、あっという間に終わり、第2ターミナルのファンになったな。このターミナルからが、バスの出発が地下になっているのですね。これも、初めて。25分程待てば、チョナン(天安)行きがありました。そして、2時間弱でチョナン到着なんだけど、インチョンで、第2ターミナルから第1ターミナルに行くだけで15分以上かかっていました。そして、チョナンのバスターミナルに到着。20年以上ぶりの、チョナンのターミナル。懐かしくて、ターミナル内をちょっと散策をしました。それから、徒歩でチョナン駅へ移動。この道は、バスに乗り移動経験があるので、距離感とかは覚えてるんだけど、結局、25分くらいかかったかな。チョナンって、もっと賑やかで、ざわついた街という印象があったのだが、ソウルやスウォンのベッドダウン化したのでしょうか、集合住宅が目につき、隙間に入り込むかのように、ベトナム屋、中国屋が、やたら、目に入りました。駅前のシジャンや地下街は寂しかったな。空洞化のお手本のような状態だったな。夕食は、Naver で見つけてあったシクタンへ。でも、狙いのオジンゴチゲはやってないとのこと。残念。仕方ないので、街歩きをしている中で目立ったユッケジャンに狙いを定めることに。シジャン内のシクタンに「ハヌ・ユッケジャン」を看板に出すところがあったので、そこに決めました。確かに、ハヌ(韓牛)は美味かった。ネギが入ったユッケジャンって、あったかもしれないけど、ネギと山菜だけが入ったユッケジャンは、更に美味。初日から大成功でした。


2024年 3月 20日(水)午後 8時 14分

 いよいよ明日から、韓国旅行だ。だから、今日は、その準備。空いた時間を見つけて、情報集めをしていたが、まだ、完全ではなかった。そして、それらをペーパーにするから、そのための時間が要る。気が付くと、押さえた宿の地図を作ってなかった。なんてこと、スマホが使えなくなった場合を想定したら、絶対、いの一番にしなければならないこと。以前なら、さっさと片付けていたのに、すっかり抜けている。Naberは、スマホ用のアプリだけではないことに、昨日になり気づいた。これも、馬鹿げてる、そんなのも解らないのかと、自分に突っ込んでしまってた。イメージが拡がらなくなってきている。どこかで、ブチっと切れてしまうみたい。これが、幾ヶ所でも起こると、支離滅裂になり、わけのわからないことを言い出すようになるのかもしれないね。飛行機のオンライン・チェックインもできた。Visit Japanに旅行登録だけじゃなくて、帰国の際の税関申告書も用意して、QRコードもゲットしておいた。申告内容を変更することはなかろうと思うから、毎回、そうしている。これ、スクショ画面を使えるのが嬉しい。simカードの入れ替えなど、入国後にする身には、有難いと思い、活用させてもらってます。でも、e-sim使えるスマホ、持ちたいな。手先を、うまく使えない身には、simの入れ替えはびびる、実際、極めて面倒なことになっている。明日、とりあえずは、うまくできるだろうか? 不安。それ以上に気になってるのは、この寒さ。明日は酷いみたいだし、金曜日までは続くみたい。その後は、春に戻るようだから、ホント、服装に困ってるんだけど、腹を決めました。明日の朝、ホント、忍の一字になります。明日の晩、チョナン(天安)にいるはずだけど、あまり外に出ないようにするかと思ってたら、Naberのおかげで地下街があることが判ったので、いい避難場所できました。ついでに、Googleと同じで、レストラン検索もできるので、ちょっとだけ遊んでみたら、あるシクタンのメニューに「オジンゴ・チゲ」なんてのがあって、眼が尖がってしまった。そんなのあるの? その店の他のお品書きを見ると、別に奇をてらうような店じゃなさそうだし、ということは、ごく普通のメニューなんだと、はや一食目は決まりました。そんな呑気なことよか、今日の夕方、雪が舞ってたよ。まじで、やばいかも。忍で行けるのでしょうか。それを含めて、楽しみです。


2024年 3月 19日(火)午後 10時 19分

 明後日から出発の韓国旅行を控えていながら、いつも、ペーパーで持って行く、旅行のための必要な情報調べができていない。ということで、旅行前の2日間はお出かけは控えることにしていた。行きたいところはあるのだが、それは慎み、体力温存も兼ねて、家に閉じこもるつもりだったところ、昨日になり、息子から連絡が入り、家の用事で打ち合わせが要るということになった。外すわけにはいかないので、時間を割くことにした。何か必要なものを持参し忘れてはと思い、家に来てくれたら、その心配はないとメールを入れると、別に打ち合わせだけで、必要なものはなかったのだが、息子が、この寒いのに、まさかのバイクでやって来た。その前に、旅行前の洗濯をしておかねばならなかった。こう気温が下がると、1日では乾かない。天日干しをしてるものだから、仕方がない。だから、朝っぱらから忙しなくなってしまった。そして、暫し、自宅で打ち合わせ。それが済むと、家で雑談。息子と、そういった時間を持ったのは、コロナ禍で断捨離をしたとき以来だった。どうしても、この頃は、顔を合わせても、話題はDとSのことばかり。ちょっとした家事に関わる打ち合わせも、DとSを遊ばせながらだったから、今日のような時間を取らねばならなくなった。これも、仕方がない。バイクで来たので、昼飲みはできず、昼は、近くのベトナム屋さんへ、フォーを食べに行った。徒歩5分のところに、2軒もベトナム屋があるという環境になったので、せめて1軒は行きたいと思ってたので、いい機会になった。食堂だけではなく、最近、ベトナムものを中心としたアジア食材の店ができた。これで、2軒目だ、黄紺の知る限りでは。インド屋かネパール屋かは知らないけれど、半径2㎞以内に、これも、黄紺の知る限りでは、6軒も食堂がある。完全にアジア・タウン化している、これは、息子といい話題になった。それを食べて、息子は、防寒具に身を包み、また、バイクで帰って行きました。なんで、こんな寒い日にバイクで来るんだ、わけわからん!
 今日は火曜日だということで、Radikoで「まーぶる」を聴きながら、韓国旅行で欠けていた情報を確保。Naberを使い、今まで得ていなかった徒歩移動の時間を把握することができるようになった。Googleでも、バスの見当はつくけど、徒歩の部分は、最短距離で現れるというのにはまいった記憶。だから、今回はNaberを、スマホには入れました。あとは、明日、それらをプリントアウトすれば。大丈夫そう。鉄道のチケットも押さえているし、ホテルはナジュ以外は予約を入れました。1つくらいは、自分の足で見つけると言っても、初めてじゃないので、心配要らない。万が一、宿を押さえられなくとも、それを補う手も考えてあるので、まあ、いつものように、のんびり韓国旅行ができると思ってます。


2024年 3月 18日(月)午後 11時 13分

 今日は、朝から映画を観に行った。朝一の上映しかなかったので、それに行くしかなかった。香港映画「白日青春 -生きてこそ-」。香港で生活するパキスタン難民と、本土から越境経験を持つ香港人タクシードライバーの物語だ。しかも、監督は、マレーシア系香港人と、こちらも越境組。こういった組合せが、特に、アジアの国に流入してきた難民を扱った映画だということで、気になってしまった。パキスタン系と聞いて、すぐに思い浮かぶのが、尖沙咀にある巨大モスク、あれは、インド系のモスクだと聞いているからだ。ま、いずれもが、かつて、イギリスの統治を受けたということで、共通項がある。重慶大厦の下は、インド系の人の店が並んでるのも思い浮かぶ。主人公は、パキスタン人の少年とタクシードライバー。少年の父親とタクシードライバーは、車の事故で知り合うというか、タクシードライバーの方が、一方的に悪いんだけど、相手が難民らしいと知ると、えぐい態度に出て行く。思い通りにならず、このままだと事故の責任を取らされて警察行きになりそうだと思うと、煽り運転のようなことをしたために、少年の父親は交通事故を起こし亡くなってしまう。さすがに、具合が悪いと思ったのか、残された少年と母親が生活に困窮していると知ると援助を始める。この辺の豹変ぶりが、ちょっと解せない描き方なんだけど、それまで、酒ばかりをくらい、難民の弱い立場につけ込む、酷いキャラな、いや酷すぎるキャラなため、あまりにもの豹変ぶりが不自然に見えてしまうのです。子どもを使い悪事を働くパキスタン人ブローカーに使われるようになる少年、母親は、難民認定が却下され、送還されることが決まってしまう。そんな光景を眺めながら、かつての自分と重なって行くタクシードライバーと捉えれば、監督の意志に叶うのでしょう。警察に追われる少年を確保して、母親の下に送り届けるが、送還直前の母親は、せめて子どもだけは、逃がしてくれと、タクシードライバーに懇願する。香港は、難民は受け入れないが、難民認定は行っている。認定されると、第3国への出国を斡旋するというシステムのようだ。その認定が得られなかったということだ。タクシードライバーは、少年の世話をして、自分の物語を、少年に聴かせる。ここで、初めて、息子は本土に置いてきたが、一緒に越境した妻が、泳いできた海に消えてしまったことを明かす。このトピックは、ここまで伏せられていた。それを、ここで出すことで、男の本気度を示そうとの監督の狙いだと思う。そうして、打ち解けていく2人だが、少年は、タクシードライバーが、父親の死に関わっていることを知ってしまう。知るきっかけも、父親との思い出を示すアイテムが、タクシーに仕込まれているのだけど、どこかで知らなければ、物語は前に進まない。決裂する2人。その間に、タクシードライバーは、金の工面をして密航させる手を講ずる、自分も、一緒の密航を考えてる節もある。少年は、何とか自分でしようとしてもできるわけはなく、道端で座り込むしかなかった。そこへ、行方を探していたタクシードライバーが現れ、ラストへと向かう。ここまでで書いてない人物で、側面から物語を進める人物が3人いる。自動車修理工で、ともに越境してきた男、タクシードライバーの相談役であるとともに、終盤、密航業者を仲介をして、話を前へ進める。2人目は、タクシードライバーの息子。本土に置いてきた息子は、自力で香港に移り、今は警官の仕事に就いている。ちょっとやり過ぎ感がしないまでもない。新たな世代であるとともに、香港人としての成功者かもしれない。また、難民取締りのいろいろ(明らかに予断で動く同僚を描ける)も描けるということで、そうしたのかな? 放置された息子だったために、タクシードライバーの屈折したキャラも描ける、パキスタン人の少年との対比も描ける、そういった点を考えてのキャラ付けと思えます。もう1人は、パキスタン人で、香港に居住権を持っている男、だから、自分で店を持っている。働けるのだ。そういった順法の状態で香港に在住する男も入れてくれている。まともな男を描くことで、難民申請をするパキスタン人や、裏稼業で生きるパキスタン人との対比を見せてくれています。この映画の㏚文を見たとき、ロードムービーだろうと勝手判断をした。確かに、そういった部分もあるが、それは、さほど長くない。むしろ、前半、父親が亡くなるまでが、思いの外、長い尺が取られていた。そのことで、パキスタン人のコミュニティを描くのに、尺を取れている、これが、この映画に奥行きを付けているように思う。タクシードライバーも含め、香港人に潜む、難民排外的な感情も描く余裕を与えてくれていました。終わり方は、これしかないかと思えるものでした。仕方ないかな。でも、重い。
 映画が終わったのが、ほぼ12時という時間なので、この前知った、近くのインド屋さんへ。ダルカレーでの定食を注文。定番の美味さ。この頃、週1以上のペースで、インド屋さん、ネパール屋さんへ行っている。それだけ、美味いっていうこと。どこ行っても、ランチの時間帯は流行ってる。店が、各地にできるわけです。帰りの電車は、自宅最寄り駅から2つ手前の駅で下車、家までウォーキングに充てた。しかも、マート経由にしたから、完全な迂回コース。結構、今日は、この慣れたコースにも拘わらず、疲れてしまった。おかげで、帰宅後、PCの前に座り、Youtubeで音楽を聴きながら、あっさりと寝落ち。夕方、この間かかってる皮膚科の医院に行こうと思ってたため、準備しておいた目覚ましが鳴らなければ、どれだけ、寝たことだろうね。その医院は、弟の家の近くなので、家に寄り喋ったのはいいが、喋り過ぎで、薬局が閉まってないか心配したほどだったが、無事にお薬をゲットでき、一安心です。


2024年 3月 18日(月)午前 5時 6分

 昨日は、午後にコンサートに出かけた日曜日。お天気は良くなかったが、気温は少し下がった程度で、引き続き、いい感じに入っている。困ったのは、お出かけ前の昼食。午前10時台の昼食は厳しいので、お出かけ後、外で摂ろうかととも思ったが、一昨日、結構な散財をしたので、自重。また、今日は今日で、昼食は外食になりそうだったので、それもあって、止めた。
 「日曜美術館」は、新年度にシフトした内容。新MCに坂本美雨がなるということで、そのお披露目の新作だった。お題は「春 はじまりの旅 アート×坂本美雨」で、坂本美雨が、3つの美術館を訪ねるというもの。既に、番組でゲストで出たりしているので、適役だとは判ってはいたが、その念押しのような新作だった。訪ねる美術館は、A/朝倉彫塑館(谷中)、B/ポーラ美術館(箱根)、C/江之浦測候所(小田原)。Cは、以前、この番組で紹介されているのだけど、坂本美雨のリクエストがあったようで、再訪という感じになった。Aは、彫刻家朝倉文夫のアトリエだったところ、とってもレトロな建物、谷中に合ったもの。そこに、作品の展示がされているのだ。Bは有名美術館として、その名は知っていたが、これ、箱根にあるのですね。素敵な山林の中に美術館は建っていた。この3つの訪問で取り上げられた作品をメモっておく。「A」では、①小村寿太郎像(リンカーンのよう)②臥たるスター(臥せた犬の像)③墓守(27歳の作品、美術学校に通うときに毎日出会った、関係性を感じることができる)④原題不明(憩う)(陽だまりの猫、作家は大の猫好き)⑤原題不明(背伸びする)。「B」では、⑥ロニ・ホーン/鳥葬(ガラスの塊、自然に晒した作品、異次元の入口みたい)⑦モネ/サンラザール駅の光景⑧モネ/睡蓮の池⑨ベルト・モリゾ/ベランダにて⑩ピカソ/海辺の母子像(20歳の作品、親友の死をきっかけに生と死に向き合うピカソ)。「C」では、⑪杉本博司/海景(現代人は古代人と同じ風景を観ることができるのか?)⑫杉本博司/ジオラマ・シリーズ(博物館の剥製で制作)、更に、以前の放送でもあった夏至と冬至に陽の光が入る通路?の紹介があった。
 午後は、京都コンサートホールであった京都ストリングスのコンサート。京都市響のメンバーを中心に結成されたユニットです。そのメンバーは、次のような顔ぶれです。ヴァイオリン:泉原隆志、森岡聡、塩原志麻、山本美帆、ヴィオラ:木下雄介、前山杏、チェロ:北口大輔、渡邉正和、コントラバス:神吉正。名フィルの森岡、日本センチュリーの北口も入っているというメンバーだ。また、そのプログラムは、次のようなものだった。「レスピーギ:‶リュートのための古風な舞曲とアリア‶ 第3組曲」「ショーソン:詩曲 作品25(Vn:泉原隆志)」「チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 作品48」。ずっと、泉原隆志による解説が入るというサービスぶり。それだけじゃなく、途中に、ちょっとしたフレーズまで演奏をしてくれました。レスピーギの「シチリアーノ」を弾いて、「これ、知ってるでしょ?」といった感じで、とっても寛いだ雰囲気を出してくれてました。しかも、いい曲が並びました。名曲ばかり。「詩曲」って、とっても、熱量の入った演奏、泉原隆志のベストかもしれない、いい感じのソロ。圧巻はチャイコフスキー。演奏者の数にしては、しかも、小ホールにしては器が大きく感じるホールなため、室内楽で音が逃げることを、随分と体感してきたところなんだけど、とんでもなかった。そういった器を圧倒するパワーがあった。緩徐楽章も、しっかりとした音に支えられているので、とってもいい感じの仕上がりぶり。堪能しました。入りも良く、こうした京都市響のピックアップ・メンバーのコンサートが幾つかあるけれど、黄紺の行った、そうしたコンサートでは、最高の入りだったと思います。いい午後。帰りは、いつものようの、三条までのウォーキング。雨が降らなくて、助かりました。


2024年 3月 16日(土)午後 10時 43分

 今日も、ぐんと気温が上がった。完全に春の陽気。ここまで上がると、来週の韓国旅行の服装に困ってしまう。このままだといいが、絶対に揺り戻しがある。旅行期間が6日だから、必ずあると思って、間違いないから、困るのだ。出発するまで、ずっと、考え込まねばならないね。第一、今日のお出かけでも、服装に困った。暑ければ、上に着ているものを脱げるようにして出かけるしか手はなかった。が、実際には、暑くても、面倒なんで脱がないんだな、これが。ま、そんなで、今日は、この間、お待ちかねのDとSと遊ぶ日。いろいろ考えては消え、また、新しいことが生まれ、そして、決まった。消えた行き先は、サッカー観戦、京都の植物園に民博。その経緯は割愛して、最終的に決まった行き先はインテックス大阪。ここで行われている「第40回 大阪モーターサイクルショー2024」に行ってきた。バイクでのツーリング好きの息子が行こうというので、ならば行こうということになった。バイクとか車とか、そんなものに、一切、縁のない、第一、免許を持ってないのだから、関心があるわけではないが、モーターショーなるもの、そんなものがあることは知っていたので、どんなものか、誘われると、行ってみたくなった。朝早い方がいいというので、淀屋橋駅午前9時半の待ち合わせ。でも、結果的には、これはまずかった。だって、すっごい列を並んで、ようやく入るのだから。これに並ぶのだけで、子どもたちは、まいったんじゃないかな。中に入っても、人で溢れてたからね。こういったところって、展示されているだけではなくて、実際に乗れるんだね。若い人とおっさん世代で溢れてるんだけど、ええおっさんが、その展示されているバイクに乗って、その乗り心地を体感している、知らない世界を観ちゃいました。DもSも、同じことをするんだけど、バイクの違いが解るわけでもなし、小1時間ほど歩いて、休憩に、一旦、外に出ようとすると、Ⅾが、もう十分の意思表示。黄紺的には、正常だと思う意思表示だった。騒音が凄いもん、中は。全部が、同じに見えるから。そんなで、外の休憩エリアで軽い食事をして、引き上げることに。その時間帯になると、あれほど入場に並んだ入口は、すかすか。なんじゃ、それと思うほど、すかすかだった。こういった時間帯に来れば、もっと、ゆっくりと回れただろうにね。昨日の中之島美術館のモネ展も、こういった状態なんだろうなと、眺めていました。
 食事スペースはあっても、あまり食事と言えるものはなく、第一、高い。黄紺とDとSは、焼きそばを食べたが、物足りない。息子などは、Sの焼きそばをへつってただけだから、しっかりと食べに行こうとなり、一旦は、新世界の串カツ屋へ行くことになったが、地下鉄を乗っていて、急に変更。西梅田まで行き、駅前ビルの地下へ行くことになった。そこにも、串カツ屋があるだろの狙いで、その狙いが的中。そこで、食ったね、大人は呑んだ。Ⅾなんて、焼きそばを一人前、食べてるのに、食べる。小さなSも食べるね。しかも、店を出て、帰る態勢に入ってるところで、甘いのを食べようとなると、また、ソフトもぺろりだから、すっごい食欲に、こちらも刺激されちゃいました。で、そろそろ帰るかとなったところで、スマホを見ていた息子が、「京阪、止まってる」に愕然。人身事故とのこと。京都まで帰る方法は幾つかあるけど、息子らに付き合うということで、学研都市線に乗り、田辺乗り換えで帰ることにした。これって、松井山手乗り換えという、とんでもないものだったけど、無事、帰還。楽しかったぁ。


2024年 3月 16日(土)午前 7時 8分

 昨日は、気温が上がった。春の陽気に繋がって欲しい、そういったいい日和だった。そんななか、尼崎と大阪の美術館をハシゴをした。尼崎では、阪神尼崎駅近くの尼崎市総合文化センター内にある白髪一雄記念室へ。予想していた通り、フロアの一角に設えられたスペース。展示室は会議室程度のスペースだが、そういったもの、しかも、専用の展示室があるのがいい。昨年、北九州市美術館本館であった展示を観て知った白髪一雄に、具体美術協会。その後も、その作品を、美術館で見かける。先日の地方美術館巡りでも、豊田市美術館、岡崎市美術博物館で観たところだ。そして、そういった各所で遭遇するだけでも、その評価が判るというものだが、その展示を観ながら、国際的評価も高いことを知った。そういった評価が高いだけではなく、いつしか、白髪一雄作品があると、すぐにそうだと判る、それだけではなく、自分の目にも、同じ抽象絵画の中でも、目立つのです、どこで観ても。天井からぶら下がり、足で絵具を操作する、それでできた線は、力強く、流れるように動いているように観える。それに吸い寄せられるように、白髪一雄作品があると、目が、そこに向かう。それで、尼崎市が、白髪一雄作品を収蔵しているということは、北九州市美術館の展示が、全て、尼崎市のものだったことから、知っている。専用の展示室のあるときも、そのときに知った。そこで、今、「開室10周年記念 白髪一雄記念室のあゆみ」という企画展があると知り、期間ぎりぎりの昨日、行ったというわけだ。一旦、行こうとしていながら、最近、すっかり失念していたため、際どい日になってしまった。絵筆などの遺品の展示もあり、そして、作品は、見慣れた白髪一雄作品だけではなく、その前史となる作品が展示されていたのが嬉しかった。水彩で描かれた風景画は、何の変哲もない普通のもの。それが、それこそ、シュールレアリスムの絵かと思えるものに変わる。「夜の風物」「本能の結集」「妖家具」「流脈1」という作品がそれ。おもしろいのは、眼の錯覚を利用したような感じがしてしまったんだけど、それで流れが感じられているのかと思った「流脈1」という作品。そして、フット・ペインティング作品は1点だけというのが、逆に珍しい。「群青」という青色絵具だけのフット・ペインティングもの。阪神淡路大震災の際、自ら、市立尼崎高等学校に寄贈したものだと書かれていた。フット・ペインティングの前か後かは知らないが、周囲に撒かれた飛沫のような、そして、薄目の青の絵具の不気味な拡がりに対し、真ん中で管撒くような濃い青の塊に惹きつけられる。これも、白髪一雄作品を観るたびに感じると同じインパクトがあった。最後が、この尼崎市総合文化センターの舞台の緞帳の下絵だった。ということは、ここのホールでオペラとか観ているので、緞帳そのものを観ているはずです。白髪一雄作品だか、誰のものかなど、今まで考えたこともなかったことで、いいもの観た、知った、嬉しいの一言に尽きます。もう1つの部屋では、制作風景を撮った映像が流されていた。北九州で観たときと違い、こじんまりとしたアトリエでの制作だったのだけど、かなり意図的にぶら下がり、線を描いてるなの印象を持ってしまったけど、作品により、ぶら下がり方など、フット・ペインティングの方法を、いろいろと持ってたのかもしれませんね。
 昼時だったので、1階に降りて、ググると、近くにタイ屋さんがあることが判ったので、行ったみた。タイ人女性2人(姉妹だそうだ)でやってられるお店。めっちゃローカル感満載で、めっちゃフレンドリーなお店。イサーンの出だと言われていた。詳しく尋ねたが、まず、タイ語ネイティブの発音では、地域名も聴き取れなかった。ガッパオを注文、これが、めっちゃ美味かった。日本橋のタイ屋さんと言い、ハイグレードのタイ屋さん、2軒目です。辛さも調整してくれる。「バンコクでと同じでいい」と言ったのだけど、バンコクは、あまり辛くないのかな、ピッサヌローイなどで食べたのは、もっと辛かったけどな。でも、めっちゃ美味かった。2回も、書いてしまった。尼崎に、また行く機会はいつのことか判らないけど、行ったら、絶対に行く。ここで、まじで、カオマンガイ食べてみたくなった。「アローイ、アローイ」、使っちゃいました。
 阪神尼崎から福島に移動して、午後は中之島美術館へ。朝、ここで2つ、展覧会があり、2つとも前売り券を買ってあるので、どっち行こうか迷ってたんだけど、昨日、選んだ方で正解。逆だと、すっごい人だったもので、ここまで来て引き返したかもしれないなと思った。その凄まじい人出は「モネ展」。思わず、係の方に尋ねた。「モネ展」の混み具合を。開場前から並んでるそうだ。その後、少しはましになり、また、混み出すみたい。でも、帰り際の様子を見ると、かなり落ち着いていたので、狙いは、午後3時以後とします。で、実際に行ったのは「福田平八郎展」。こちらも、大変な大家なんだけど、モネには敵わない。展示は時系列でのもの。冒頭には、だから、習作と言えばいいかな、学生時代のものから始まった。「池辺の家鴨」は、後の鴛を描いたものに繋がるような作品、鴛がデザイン化されたようで、おもしろい。「雨後」は、六曲一双の屏風図、大部なもので、美術学校の卒業制作だそうだが、この木々の拡がりのスケールの大きさって、その後あるかなというもの。全く様相の異なる2作品は、前途洋々たるものを感じさせた。が、そのコーナーは「手探りの時代」とされていた。確かにそうで、風景があるかと思うと、動物画があり、大部な「緬羊」のような、ちょっとデフォルメされたものがあるかと思うと、写実に徹しようかというもの、「夜桜」のように、全体がぼかしで描かれた幻想的なものもある。振り返ってみると、冒頭に上げた学生時代の作品が目立っていた。次なるコーナーが「写実の研究」。指導を受けた誰だったかに、写実の徹底を指示を受けたということで、そちら方向にシフトした時代で、いきなり「鯉」が出て来る。初めて帝展だったかに入選をした逸品。僅かな期間しか展示されないものを、観ることができたが、これは、黄紺の目にも、見事さが判る。水中を泳ぐ鯉を、水深まで示すことができている、凄腕を見せている。だから、とってもリアルで、鯉の動きまで感じさせる。そういった評価されたもの、評判を呼んだと思える作品があると、この人、類似作品を続けるみたいで、この後の展示でも出てるのだが、ここでもそうだったが、この最初の「鯉」に尽きるのは、言うまでもない。その辺から、水に興味を持つようになったみたいで、これも、このコーナーにあった「双鶴」という有名な作品も、鶴の足元は水でした。水中に立つ鶴という姿、その水も、デフォルメがあったから、水に凝っていると思ったのだ。写実に徹するということで、草花図が並ぶが、あまりに整い過ぎており、逆に注意が向かなかった、これは、全編を通じてのことだったが。そして、「鮮やかな転換」と名付けられた一角に。その表示が先に出ていた、次なる作品が観えないように展示されている。めっちゃ凝ってる! そうなんです、その先に「漣」がありました。これ、中之島美術館所蔵なんですね。いきなり、これへ変わるかという「転換」が凄い。その間に、何があったんだと思うが、解答は「釣り」と出ていた。水への拘りは「釣り」だそうだ。これが、良きにつけ悪しきにつけ評判を呼んだそうだが、となると、ここでも、類似作が並ぶ。色彩を変えてみたり、「漣」のように一色ではなく、二色での表現を試みたり、「漣」とは異なる空間というか、隙間で表そうとしたりしている。また、水ではなく、雪に素材を替えての試みがあったり、色彩を変えるという試みが気に入ったのか、このコーナーから、これも有名な竹を描いた作品が現れ出す。幹の一部を描き、おもしろい色彩で描く、あれですね。それも、隣り合った竹の色彩を変えてみるというあれです。幹だけ描くという試みに「山桜」なんてのもあったが、これも、竹の類似品。竹を描いた作品の中には墨画まであった。いろいろ見せてくれます。「青柿」は知らなかったが、有名な作品のようだ。が、こちらは、類似品の展示はなかった。次は「新たな造形表現への挑戦」とあったが、前のコーナーの発展形だと言える。この人のおもしろいところと、今回見つけたのは、水や竹で当たり、その類似作を上梓して行く一方、その画風というのが、それだけではなく、一方で、写実に徹した作品も発表していくというマルチナさを見せているという点がおもしろい。写実の中に、軽いデフォルメを入れてみたりと、マルチなんです。雪や竹のモチーフが続くかと思うと、「游鯉」のように、鯉が復活してきとる。だが、その鯉は写実から離れていって、その離れ方にも温度差がある。5つ目となるコーナーは「自由で豊かな美の表現」、そういった奔放さが進んでいきます。「游鮎」なんかは、写実からは、最も離れた作品で、デザイン化された鮎の配置も、写実からは離れ切っている、それが、また、見せますね。幾つもある鴛では「春の水」という作品が。一番気に入った。縦に3羽が並ぶ縦長の作品。水の色は青ではないし、鴛はデザイン化されてるし、でも、その色合い、パッと見のおもしろさに惹かれます。そして、「筍」に目が行ったあと、この一角に「雲」がありました。これ、門外不出だったそうですね。今回、ほとんどが、大分県立美術館所蔵ものが並ぶのだけど、これも、その1つ。「漣」「雲」といったテイストが並んでるのかと、事前に想像していたんだけど、この2つは、完全に浮いてます、周りの展示品からすれば。そういった作風だったんだ、要するにマルチな制作をする人だったのだと知ったのが、一番大きな成果だったと思いました。


2024年 3月 14日(木)午後 9時 40分

 今日は、お出かけなしの木曜日。お出かけなしというのは、一に月曜日、二に木曜日というのが、傾向となっている。週末に出かけることが多いので、その前に休息日を置こうとなる。今週もその類だ。おまけに、ようやく寒さから解放されたというお天気だったのが、嬉しい。日に2回のウォーキングが、こうなると快適なんだが、最近、靴と足のと相性が悪くて困っている。靴を換えたのが、そもそもの発端だが、そのため、元の靴に戻しても、おかしいのだ。全くトラブってなかった靴に戻しても、合わないのだ。だから、今日などは、一番、最近に買った靴に換えた。これは、大丈夫なんだが、新しい靴って、ちょっと間を置いてから、合わなくなってくるってことを経験したことがあるから、まだ、半信半疑なのだ。来週は、韓国旅行に出かけるので、一番、大丈夫な靴を見定めておかないと、韓国で泣くことになるから、かなり真剣だ。
 午後には、予め予約の要らないオンライン配信を把握していた。が、3時間以上もあったシンポジウムなんだけど、大半は寝ていた。だから、内容が判らない。序盤は、三遊亭わん丈の落語だったので、シンポジウムのお題とは無関係ではないが、どうしても賑やかしという位置だから、シンポジウム本体とは言えないから、どうしても「判らない」となるのだ。一応、そのシンポジウムのプログラムだけはメモっておくことにする。「琵琶湖・淀川流域シンポジウム」というもので、関西広域連合主催のもの。その主管が滋賀県ということで、同県出身のわん丈に声がかかったものと思われます。①特別講演「拝啓 浦島太郎さん~琵琶湖・淀川流域ver.~」(三遊亭わん丈/江戸落語家)②基調講演「水循環の仕組みと気候変動等に伴う水不足リスク」(田中賢治/京都大学防災研究所教授)③パネルディスカッション「貴重な水を将来に引き継ぐために〔【話題提供1】「淀川左岸地域を中心とした流域連携活動の取り組み」(石田裕子/摂南大学 理工学部 教授)、【話題提供2】「プラスチック汚染に立ち向かう~脱プラスチック、そしてサーキュラーエコノミーへ~」(原田禎夫 氏/同志社大学 経済学部 准教授)、【活動紹介】「海から、川から、まちから考えるごみ問題」(同志社大学・大阪商業大学・京都橘大学の学生)、【会場参加型ディスカッション】モデレーター:多々納 裕一/琵琶湖・淀川流域対策に係る研究会座長&京都大学防災研究所 教授、パネリスト:三遊亭わん丈・田中賢治・石田裕子・原田禎夫・学生〕。①は完璧に聴けた。②は、講演の中では聴けているが、難解、でも、1つ、賢くなった。「淀川流域の水循環解析」を手掛けられたわけだが、ここでも、数理モデルが使われている。それに、どのような情報を放り込むか、それを説かれても、さっぱりついていけなかったな。落語との落差、終盤、目が覚めて聴いた学生さんの実践報告との落差がありすぎ。そんなで、まともに聴いていても解ったかどうかが、あやしいね。


2024年 3月 14日(木)午前 6時 54分

 昨日は、朝から市民向け公開講演会へ。水曜日だから、行き先はアスニー山科。そして、昨日は、どこへも行かずに帰宅。というのも、午後に、オンライン配信の京都府・京都市主催のセミナーの予約をしてあったのだ。だが、一昨夜は、午前3時前に目が覚め、そのままだったので、さすが、どこかで寝てしまうだろうと思っていたら、午前中は無事で、いや、そうだったから、その予想が午後に当たってしまった。目が覚めたとき、今、自分が何をしているのか、時間はいつなのかすら判らなかったほど爆睡をしてしまったようだ。おまけに、このオンライン配信、Zoomを使ったものだったのだが、なかなか接続できなくて、なんか、再度、登録を求められたようで、そうでないようで、よく判らない内に、繋がったけれど、そのときには、もう最初の講演が始まっていた。だから、かなりのわやくちゃになってしまった。天気の方は、変で、さすがに、雨はないだろうと思ってたら、あろうことか、アスニー山科を出たところで、雨、しかも、冷たい風が吹いていた。一時的なものだったようだけど、まだ、変な天気が続いている。その往復と、夕方のいつものウォーキングを併せたのが、昨日のウォーキング。万歩計は14400歩余となっていました。
 アスニー山科の講演は、「新羅月池(雁鴨池)の構造と出土遺物から日羅関係を考える」というお題で、関西大学文学部教授の井上主税さんのお話を聴くことができた。井上さんは、去年は高松塚古墳についてのお話をされている方で考古学が専門だが、韓国への留学経験をお持ちで、日韓双方を睨みながら、古代史を探求されている。こういった方が、ホント、出てきている。時代は動いています。で、取り上げられた月池(雁鴨池)は、黄紺も、1983年に行っている。初めての韓国のときだった。あれ以来、キョンジュ(慶州)は、バスの乗り換えで、1回だけ通っただけ。懐かしいが、韓国のTVで観たキョンジュは、黄紺の、全く知らないキョンジュだった。40年以上前、その間に、ソウル五輪もありで、全く変わってて、当然ですよね。井上さんのお話では、キョンジュでの発掘調査&整備は、まずは、天馬塚などの古墳整備(1983年には古墳公園になっていた)から始まり、それが終わったあとに、この月池の発掘調査が始まったそうで、それが、1974年と言われたかな。もう1年前だったかもしれない。そして、黄紺が行ったときには、整備どころか、再現まで終わってた。展示室兼月池展望室もできていたが、その年号を聴いて、1983年って、そういった整備後、さほど時間が経ってないことになる。位置関係は忘れていたが、国立博物館もできていた。但し、超国宝級の遺物はソウルの国立博物館に収蔵されていたので、後年、それらは観ることになる。旧総督府の建物時代と、新博物館になってからと、2回、あの王冠は観ている。月池へ行く道は、畦道を歩きながら行った時代だから、そりゃ、今とは違います。「苑池」というタームを聴いたことはあったが、中国の王宮や日本の飛鳥時代の王宮にもある、それが、これだというのです。近くに王宮のあった山、そこに月城があり、周辺の遺跡を併せ、韓国の誇る世界遺産になっている。その月池の考古学的発掘成果の紹介、それから判ってくる新羅王宮の姿、苑池としての新羅風の特徴、それと、飛鳥の苑池との比較、それにより、日本的特徴を浮かび上がらせようとのお話でした。発掘成果のお話をするためには、まずは、古代朝鮮半島情勢、新羅の歴史、大和朝廷との関係史を、ざっくりと押さえられた。統一新羅を作り、唐勢力をも一掃した文武王(東海にある海中陵の主ですね、観に行ったことはないけど、陵には火葬骨が入っているそうだ)が造ったとされているのが月池、そして、7世紀末には、専制王権が確立するとともに、こちらの王京も完成していたようだ。その頃の大和朝廷は、遣新羅使を派遣しており、天武天皇は親新羅政策を執ったそうだ。ただ、その後、新羅との関係が悪化、大和朝廷は渤海と親交を深め、遣唐使も、朝鮮半島経由ではなく、直で中国に向かうようになったと言います。そういった時代の産物ですね。発掘成果は、次のような点を上げられていた。「池の水深が深い、木船が3つ発掘されており、その内1つは、ほぼ完全な形」「飛鳥の池は浅い、州浜が出てくる、これが、日本庭園へと発展していく」「池には3つの島、蓬莱島など、これは、道教・神仙思想に基づくもの、中国の影響」「池の淵の石積みは、建物群のある西岸が高く積まれている、補強の役割、島も護岸のために石積みがされている」「5つの建物の内、真ん中の3つ目の建物が、一番いい場所にあり、規模も大きいということで、ここが、文献に出て来る‶臨海殿‶と考えられている、現在、展望室兼展示室として再現されている」「1万5千点の遺物が出る、大変な数、建築部材が多数出ているが、高麗以後しか、木造建築物が残っていない韓国では、部材と雖も貴重、著名な木製さいころは14面で、酒会具、酒席で面に書かれたお題トークをしていたらしい、印花文土器の文様は統一新羅を表している、瓦塼類の文様は多様、仏像が5つの建物付近の泥炭層から出土、立像、座像などのほか、光背に装飾されていた化仏、宝珠、天蓋なども出土、ここから、仏教との関わりの深い苑池と考えられている、飛鳥の苑池からは仏像は出てこないので、朝鮮半島の特徴と言える、漆器には平脱技法で作られたものが出ており、正倉院にも、同じ技法のものがある」「太子の居所である東宮の秘書室を表す‶洗宅‶銘木簡が出たことから、東宮に所属する場であったことが判った、そして、池の名が月池と判明、雁鴨池は後世のネーミング、ただ、この区域に王が用いる空間もあったのではないかとの研究も出ている、それが臨海殿」「三国統一の実現したことを記念しての造営、且つ、中国の神仙思想の影響で不老長寿の願いを込めてのものと考えられている」「銅と錫・鉛の合金である佐波理製品、円形や木葉形の匙など、正倉院宝物にもあるものが出土していることから日羅交流を知ることができる」「文化の受容が、中国、朝鮮半島、日本との間で確認できるが、受け入れる側に取捨選択があり、技術的な限界もある、そこに‶違い‶が生まれて来る」。かなり細かなお話だけど、実際、その場に行った者には極上のものでした。40年以上前に観た光景でも、強烈に記憶に残っているものだから、そう思いながら聴くことができた。
 午後の配信は「食の多様化への対応セミナー」というもの。インバウンドで京都を訪れる外国人観光客への対応、なかでも、食の対応に焦点を絞っての学習というもの。となると、対象は、イスラーム教徒、それに、ベジタリアンやヴィーガンも含めて、食の多様化に対応するための学習となるので、これは勉強になると、登録しておいたのでした。プログラムは、次のようなものでした。①京都市におけるインバウンドの動向等について(京都市観光MICE推進室梁川舞子係長)②食の多様性とインバウンド対応の基本 (一般社団法人ハラル・ジャパン協会代表理事佐久間朋宏)③ムスリム等外国人を集客するための広報・PRとは(一般社団法人 ハラル・ジャパン協会ハラルビジネスコンサルタント佐久川優衣)。先に書いたように、①で躓き、③は全滅といった経過を辿ってしまったので、その範囲でメモっておく。①では観光客の回復状況をデータで示されていた。世界的には、コロナ禍以前と比べて88%回復なんだって。中東地域では100%を上回っている。逆に低いのが北東アジアで55%と、地域差が大きい。中国の規制が響いているということなのでしょう。となると、今後、中国の航空機なんかが復活してくると、以前のような大混雑が京都に生まれる? 止めて欲しいなというのが正直なところ。京都の街中に行くの、嫌になるもんね。こういったセミナーが行われるというのも、イスラームが増えているからだということで、それもデータを示されていた。2013年から2019年で3.3倍だそうです、イスラームだけで。受け入れ体制、観光客招致の㏚活動も話されていました。②で話されていたことは、、、「ハラル認証は、イスラームにとっては安心・安全マーク、ハラル認証がないと食べないわけでもなく、輸出できないわけでもない」「ハラル=神に許されたもの、ハラム=神に禁じられたもの、シュバブ=疑わしいもの」「土の中のもの、水の中のものは、基本的にハラル、生きている動物から採られるものはハラル、一次産品は基本的にハラル」「日本文化への憧憬で訪日する人が多い、マンガやアニメに出てくるB級グルメ(串カツ、ラーメン、コンビニおでん、カレーライスなど)に強い関心、こういったところでの配慮が肝要」「同様に、留学生・就労者の利用する学食や社員食堂といったところでの配慮も肝要」「ハラル認証取得レベルは厳格、また費用がかさむ、使用している食材はハラル、ハラル専用のキッチン、アルコールの提供は一切なしといった具合」「だから、ムスリム・フレンドリーというレベルを目指せばいいのでは、ノーポークやノーアルコールといった情報開示が肝要、‶ピクトグラム‶で表すと判りやすい」「これは、ベジタリアンやヴィーガンに対しても重要」「できる限りの対応をして、それを情報開示、あとは、それを受けたイスラーム自身の判断」「ムスリム・インバウンドに対しては、学び、自社基準を決め、それを従業員に教育するとともに、情報を開示する」「レストラン等を尋ねられた際のチェックポイントとして、ムスリム度チェック法を言われていた、国の確認・訪日回数の確認、刺身などの生身が食べられるか・服装チェック」「簡単対応の中でハラル肉の使用を言われていたが、その中で、次の食材にはハラル認証がある場合が多いと言われていた、業務用のブラジルやタイ産のチキン、ニュージーランド産のラム」「今ある調理品からの変更、、、みりんを止めて蜂蜜・水あめで代用、天つゆやソースを止めて塩の使用」。こんなところかな、判り切った点は除外すると。③では、多分、より具体的な対応策を伝授されたと思えるので、残念です。お話をされていたのが女性だったことくらいしか、覚えてない酷い寝落ちをしてました。


2024年 3月 12日(火)午後 8時 34分

 今日は、朝から強い雨が降った。そんななか、茨木市内であった落語会に行った。伏見からは、阪急沿線までバスが出ている。それを選ぶか、四条まで出て、阪急を使うというのが定番。京阪で枚方市駅まで行き、バスに乗るという手や、JRを使い、茨木駅へ向かうという手もあるが、運賃のことを考えると、お高くなるはずと思っているので、通常は除外して予定を立てている。余程、四条回りで行こうかと考えたが、普段、縁のないバスに乗りたいということで、それで予定を立てていたため、雨の中を歩く距離の多いバスを選択。ホント、酷い雨だった。そのお出かけ前に、傘さしウォーキングをする時間があっても、全くやろうとしなかった程の降りだった。でも、嬉しいことに、阪急沿線に着くと、端から、こちらはそうだったのかもしれないが、かなりの小降り。助かった、正解だったのだ。そして、茨木へ行くと、会場の流れで都合のいい王将で昼食を摂って行くことにしていたが、今日は休みの日だった。休みだと知らなかったので、その表示を見るまでは、いよいよ、王将も危なくなったかと、勝手な想像をしてしまってた。仕方ないので、前に行ったときは閉まっていたため、こちらこそは廃業したものとは思いながら行ったネパール屋さんが営業していた。あれれ、だった。ので、早速、入店。チャナ豆とじゃがいものカレーでナンを添えてもらった。メニューをよく見てなかったので、ナンと言ったが、この店、ロティもあり、ライスもインディカ米も出しているようだったので、これは、失敗。でも、先日の西宮で食べたナンよりは、ずっと美味かった。そして、ここのネパール屋さん、他のネパール屋やインド屋と違い、日本へのすり寄り度が、かなり低い。これがいい。昨日の日本橋界隈のタイ屋といい、2連続で、めっちゃローカルな店に入ったことになる。王将休日の恩恵が出た。おかずに、カレー風味のじゃがいもも付いていた。ますます、気に入った。
 肝心の落語会の会場は茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)。この1年、ここで開かれた「茨木ハチマル落語会」3連続公演チケットを購入してあったのだ。その3回目。今日は「桂南天の会」。落語会の名に入っている「ハチマル」の意味を、初めて知った。南天がマクラで触れてくれたのだ。「80」ということで、全編80分で終わるということを示しているのだそうだ。爺婆が多い会場だが、80分間はトイレを我慢せよということになる。その番組は、次のようなものでした。天吾「手水まわし」、雀喜「引っ越しサバイバル」、南天「七段目」、ねこまんま「漫才」。ねこまんまが入るということは、こちらの会館で、こういった会をプロデュースされている方は、かなりの落語通と判るだけに、行ってみたくなる会ですね。お顔を見かけることはなかったのですが、ディープな落語ファン氏2名が、この会について呟かれてますね。さすが、狙ってます。天吾の口演、何度か遭遇しているが、今日が、一番、明るかったな。そして、軽い感じがした。ネタがそうさせたのか、最近のお喋りぶりがそうなったのか、かなりイメージが変わった。それは、ちょっと落研出身者的なノリになったなと感じてしまった。その空気を出さなかったから、黄紺的評価が高かったのに。雀喜は、自身の離婚、自由の身になったことを折込みながら、ちょっと自虐的に折込みながらのネタ。噺は、引っ越しの荷物が多すぎて、新居に引っ越し業者が運び込んだ段ボールの山の中で暮らし始める家族の点描と言えばいいかな。雀喜らしい、小さな世界の小さな笑いを連ねたものになっていました。それが、雀喜テイスト、そこに癒しを感じさせてくれます。南天は、冒頭で、時間配分の話、それで、「ハチマル」のわけを説いてくれたわけだけど、雀喜が、持ち時間よりか、かなり少なめに降りたことが言いたかったみたい。そのため、南天は、マクラからスパーク。ロックコンサートに行ったときの体験談、それを言いながら、今日の落語会と比較して行くというもの。これだけで、1つのネタだよというものでした。「七段目」は、南天が、当初、ネタを増やさないで、20ほどのネタを、繰り返しかけていた時期から手掛けていたもの。そういった意味で、懐かしいネタですね。吉朝からもらったんじゃなかったっけ? 知らんけど。高座を降りてくすぐに、南天はお着換え。休憩なしで、漫才へ。ブレザーを新調したみたい。色を、ブレザーに揃えた蝶ネクタイも、新調かな? ねこまんまが出ると、やっぱ、そそられてしまいます。いつもいつも観れるものじゃないというのが、いいのかもしれないな。


2024年 3月 12日(火)午前 6時 34分

昨日は、大阪でハシゴをした日。1週間前には、「月曜日にしては珍しい」と書きながら、2週連続で、同じことをしている。しかも、内容が似ている。1つ目に美術館に行き、2つ目に動楽亭昼席に行くというもの。月曜日に開いている美術館は少ない、けど、先週とは違う美術館なのだ。大阪で、すぐに思いつくのは3ヶ所あるのじゃないかな。昨日行ったのは高島屋史料館。つい先日、ここで「‶人間栖鳳‶生誕160年 知られざる竹内栖鳳」と題した企画展が始まったのだ。展示が前後期に分かれるので、早々に、まずは前期分を観ておこうの魂胆だ。ここは無料で入れるので、前後期まで行こうと、端から決めてかかってる。で、行くまで知らなかった大事なことを知ることになった。行くまでは、こちらの史料館が所蔵している竹内栖鳳ものを見せてもらえるのだろうとだけ思ってた。もちろん、そうなのだが、深い意味合いがあるのだ。竹内栖鳳は、高島屋の画室に画工として勤務していた経歴があるのだ。明治期の高島屋は、輸出用染織品の下絵制作のため、外国の雑誌や画集、写真集などを収集し、竹内栖鳳ら若い画工とともに、世界で通用する‶新しい絵‶を研究していたというのです。そこで、日本画だけではなく、西洋絵画の手法を会得していった、それが、自身の絵画制作の素地になったというのです。そういった作家人生の礎になっただけではなく、高島屋との縁は、高島屋を離れた後も続いていたということが、展示を観ていると判る、そういった企画展なのです。その合間に、竹内栖鳳の作品も展示されるという展覧会でした。その縁というものを示すのが、高島屋の当主(飯田家)へ、仕事の用件、それに加えて私事も含めた内容を認めた書簡が、多数、展示されているのが特徴です。こちらの展示室の半分を使っただけの展覧会なんだけど、これらの書簡全部は読み切れなかった。仕事のやり取りが中心だから、親交の深さは判るが、さほど興味をそそるものではないので、さすが、全部読もうという気力はなかった。それだけ、多くの書簡が展示されている。「栖鳳絣」という文様があるのですね。いや、そう言えば、どこかで聞いた記憶もあるような気がします。後期の展示で出て来るそうだが、既視感がある(多分、生ではない、はず)「アレ夕立に」に描かれた着物の柄を忠実に再現して、それを、高島屋が売り出し、ヒット商品になったそうだけど、その着物も展示されていた。逝去1年後に、早くも「回顧展」が開かれていた。そのときに作られた「竹内栖鳳年譜屏風」の展示もあった。時系列で描かれた年譜を観ていると、西村五雲と、もう一人、誰だったかな、弟子筋に当たる作家の危篤により入洛なんてのまで書かれていたが、そういった人の方が先に逝ってしまってるんですね。呉竹庵の杉戸に、竹内栖鳳が描いた絵2つ(雀、鶏の図)があった。戸そのものの展示だ。驚いたのは、高島屋の別荘だったそうだが、呉竹庵というのは、「伏見区深草」にあったと書かれていたこと。伏見区民として、そんなもの聞いたことがなかった。ネットで調べてみると、正確には「伏見区深草正覚町」だった。ということは、伏見区の一番北端部、友人の家があったので、土地勘がある。焼失したそうだ。正確な住所も判ったので、時間を見つけて観に行ってこようと思う。今回の見ものは、「ベニスの月」と「白梅」、それと輸出用宣伝目録にも入っていた何かの下絵。これがでかい。森の中の猿、木々の雄々しさも素敵な作品だった。「ベニスの月」は、京セラ美術館での「竹内栖鳳展」に出てたんじゃないかな? もやったサン・マルコ寺院が幻想的です。「白梅」は最晩年の作品、年号が書いてなかったら、その筆致からして、黄紺などには、そんな晩年のものとか、さっぱり解らない力強さまで感じさせるものでした。それと、時代がバラバラだけど、「十二支」全部が、同じ大きさのキャンバスに描かれたものが並んでた。ベスト2は「申」と「戌」、次いで、「子」と「丑」が推しです。個人的な意見ですが。
 高島屋史料館に行けば、行くとこは決まってます。昼食は、同館から徒歩5分で行ける贔屓のタイ屋さん。店内も、タイでありそうな造りなのも気に入っています。昨日は、こちらでのタッパイを昼食とした。前回食べたガッパオも、らしくすぎるお味だったけど、タッパイもそうだった。ええとこ、見つけたものです。
 動楽亭昼席は一番乗り。客は20人は超えなかったけれど、勝手な予想だったんだけど、思いの外の集客だった。黄紺的には、千朝、生喬が出るというのは魅力的だったのだけど、その間を埋める顔ぶれも、いい若手噺家さんが並んだと思える番組でした。それは、次のようなものだった。弥っこ「いらち俥」、文五郎「普請ほめ」、鯛蔵「向付け」、生喬「花筏」、(中入り)、ちょうば「看板のピン」、千朝「抜け雀」。昨日は、あまり調子が良くなかった。弥っこの後半、生喬と千朝というお目当ての半ばで寝落ちという低汰落だった。弥っこの「いらち俥」は、前に同じネタを、こちらで聴いたから、「花筏」は、生喬ではお初だと思いながらも、このネタ、あまり好きじゃないから、千朝の噛みしめるようなお喋りが、コロナ禍を経て、度が過ぎるぞと思ったから、とまあ、自分的には分析できるのだけど、だけど、日に3回もは、酷いね。替りに、鯛蔵の「向付け」は、前回、ここで出たときに、いいなと思いながらも寝落ちした記憶があるものだったけれど、今回は大丈夫だった。畳みかけるような、若干、前のめり的になる口演が、町内の人気者を盛り立ててくれます。でも、後半、帳場に立つと落ち着く。嬶に教えられたという、アホげな自信が垣間見えます。これよか、印象に残ったのが文五郎。「これよか」と書くのは、鯛蔵のいいのは判ってたから。文五郎、動楽亭昼席初出演となるということで、十八番にしているネタを出してくれました。コロナ禍以前でも、2回は聴いている「普請ほめ」。めっちゃノリが良くなっています。だから、何度聴いたか判らない程のネタなのに、次の展開が気になる。これ、いい口演の証拠です。適当に刈り込むことで、アホげさが凝縮していってました。上手い! ちょうばの高座も、印象に残った。「ギャンブル・ネタをします」と上がるなり公言、そして、師ざこばのギャンブル話をやり出した。これを話すのが楽しくて仕方がないという感じでお喋りするものだから、こちらのノリも良くなるという、絶妙のマクラ。ネタに、その空気を持ち込みました。おやっさんを江戸っ子にして、軽いデフォルメを入れるのも、好感。てなことで、今月は、先月に次いで、動楽亭昼席月2で行くことができました。いい時間です。昨日も、女性比率がそこそこ。生喬も言ってました。毎回、これ、ここへ行く度に感じています。


2024年 3月 11日(月)午前 5時 40分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。相変わらず、寒い。が、こういった日の定番、日に2回のウォーキングだけが外出時間。午前中には、洗濯にも時間を充てた。この時間の確保に、最近、わりと頭を悩ましている。そして、日曜美術館があるのが嬉しい。ここでも、知らなかった情報が出てきた。MCの交替があるようで、坂本美雨が新MCらしい。「ブラタモリ」同様、引継ぎ的な箇所はなく、呆気なく小野さんは退任するようだ。坂本美雨の起用は、何となく匂ってたな。ま、あとだから、そう言えばという感じなのだが。で、昨日の「日曜美術館」のお題は「マティス 色彩の冒険 南仏・タヒチへの旅」。マティスの取り上げられ方が多いですね、最近。展覧会もあったしだけど、この番組は、純粋に、フランスとタヒチに取材したもの。最近の番組作りでは珍しい、古風なものになりました。マティスの生涯を辿りながら、その新しさを、作品を紹介しようというもの。お題は、「色彩」というタームで表していたが、番組の中では、彼の人生を「光と色を求めての旅」と言ってました。ま、「光」も「色彩」だけど。生い立ちに、その制作活動のモティベーションがあるという体裁になっていた。生まれは、北部のノール県。穀物商の長男で、厳格な父のもと、家業の手伝いに明け暮れる日々のなか、マティスの心を癒したのが、織物の産地だったこともあり、布地。絵心を刺激したようです。20歳で1年間の療養生活を送ったことから、母親が絵具箱を送ったのが、その絵心に火をつけたとか。パリへ行き、作家生活が始まるが、売れない日々。そういったなか、1905年に、初めて訪れた地中海沿岸の町コリウールの虜になる。ここは、漁師たちが、船に使うペンキで自宅を塗るという、色彩豊かな家の壁が並ぶ街。その色彩にインスパイアされた作品を出展すると、一躍、人気者になったそうだ。強烈な色彩、ありえない色彩を観た人が、「野獣のよう」と言ったのが、野獣派(フォービズム)の語源だそうだ。結構、旅をする人だったそうで、ポルトガルや、北アフリカのアルジェリアやモロッコで描いた作品が紹介されていたが、旅となると、この人、1930年、61歳で、タヒチのファカラバ島へ行っている。手付かずの自然、極彩色の自然、魅せられたでしょうね、このキャリアからすると。1941年、がんの手術を受け、ベッドでの生活が続いた時期に、コラージュを始める。これは、黄紺的に言えば、京都国立近代美術館のコレクション展で知った。帰仏後15年、このコラージュで、タヒチの思い出を制作し始めた。そして、晩年、情熱を注いだのが、礼拝堂の建設。現在、新国立美術館で行われている展覧会では、この礼拝堂内部を再現した展示を行っているというトピックは、以前、どこかで聞いたことあるな。ということで、紹介された作品をメモっておく。①デッサン(港の風景)②最初に描いた21歳の作品③帽子の女(1885年? ‶色彩の革命‶と言われ、パリで野獣のようだと評された問題の作品)④裸婦(1907年、アルジェリアで描く、現地で観た彫刻の影響)④***情況(1910年 ポルトガルでの制作、イスラームの影響を受けた風景)⑤テラスの女(1912年、モロッコで、青はイスラームにとって神聖な色、静けさが描かれている)⑥***(1947年、鳥、木草、海の生き物を表したコラージュの作品)⑦ヴァンスのロザリオ礼拝堂(77歳から始めた壮大な計画、報酬なし、費用自己負担での制作、マティスの言葉によると冬の午前11時頃の光が最も美しい、白いタイルに線だけで聖人を描く)。
 午後の一時では、韓国旅行の準備。宿を押さえた。去年の韓国旅行で、以前同様、宿は飛び込みで大丈夫というのは、コロナ禍以前と変わってないということは判っているのだけど、予約して、カード決済ができていると、現金を持って行くことが少なくて済むという利点があるので、予約を入れて行くように、方針転換するようになった。ただ、黄紺の場合は、地方都市巡りが旅行の根本なので、町によっては、予約できる宿が整っていない場合がある。前回だとミリャン(密陽)がそうだった。今回も、ナジュ(羅州)がそうだ。ま、ナジュは、以前行ったときの投宿場所を覚えているので、そこへ行けば大丈夫なので、予約できてなくても、不安は全くない。そんなで、あとの4つの宿は確保した。そういうことをやり始めて、気が付いたのだが、韓国に関しては、booking.comは弱い。圧倒的に、agodaに軍配が上がる。一応、どこでも、宿を確保するときは、この2つのサイトを見比べるのだけど、経験的に言えば、ドイツはbooking.com、日本は、半々。トルコは2回しか使ったことがない。それ以外は、全部、飛び込みだ。その2回も、どっちを使ったかは、覚えてない、覚えていないほど、使ってない。ナジュについても調べた。ナジュにも国立博物館ができていた。結構な郊外にあるので、行こうか迷っている。ヨンサンポ(栄山浦)と市内散策(これが、いいのです、この町!)は絶対だしと思うと、またの機会に残しておこうかなの気になっています。これで、また、ナジュへ行けるきっかけができた。


2024年 3月 10日(日)午前 4時 41分

 昨日は、京都でコンサートに行った日。午後の時間帯のコンサートだったので、昼前に、1時間ほどのミニウォーキングと、コンサート会場への往復を、昨日のウォーキングとした。ただ、帰り道、一駅前で降り、家までの途中にあるマートで買い物をして、ウォーキングの量を確保した。帰宅後、万歩計を見ると、19000歩ジャスト。一昨日は、疲れてしまったと言っても、14700歩程だったことを考えると、昨日は、随分と歩いたものだ。でも、疲労を、昨日は、感じてない。どういうこと? それにつけても、寒かった。コンサートへ行くとき、雪が舞うという時間があった。完全に、朝から、雪を降らしてきた後の冷たい風だったが、午後には、ついには雪まで運んできてしまった。やっぱ、寒いのはきつい。
 コンサートは、アスニー京都でのもの。主として、月1で、京都市響のメンバーによる室内楽というものが行われている。黄紺は、出演者の顔ぶれや、プログラムを見て、年1~3回、行ってるんじゃないかな。昨日は、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲が出るということで、それに狙いをつけてのチョイス。編成のこともあり、名曲であるにも拘わらず、遭遇記憶がない曲。コンサートのお題も「郷愁の作曲家ドヴォルザーク~稀代のメロディメーカー~」と、ドヴォルザークにターゲットを絞ったもの。ここのコンサート、あまり作曲家に焦点を当てたテーマが添えられたものを見かけた記憶がないので、珍しい部類なのかもしれない。プログラムは、次のようなものだった。「ユーモレスク Op.101-7/ae」「我が母の教えたまいし歌(ジプシーの歌 Op.55より)/ce」「森の静けさ(シュマヴァの森より Op.68より)/de」「テルツェット Op.74より第1.2楽章/abc」「弦楽四重奏曲第12番‶アメリカ‶ Op.96より第1楽章/abcd」「ピアノ五重奏曲第2番 Op.81/abcde」。演奏は、次の皆さんでした。相本朋子(ヴァイオリンa)、豊永歩(ヴァイオリンb)、後藤彩子(ヴィオラc)、佐藤響(チェロd)、佐竹裕介(ピアノe)。仕切り役は佐竹さん。やっぱ、佐竹さんは、お喋りが上手。他の4人の方へのインタビューもしながら、更に、自身で、ピアノを弾きながら、楽曲解説までやっちゃう。おまけに、プログラムには解説文を認められていました。マルチの活躍で、納得の人選です。佐竹さん以外では、京都市響の相本さんや、チェロの佐藤さんも知っているということもありでの、チョイスでもあった。「アメリカ」までが前半。ドヴォルザークの有名曲を並べると同時に、演奏者が入れ替わるという趣向も入っていたが、「テルツェット」がプログラムに入っているのは、会場でプログラムをもらうまで知らなかった。告知用のHPには載ってなかったもので、これは、知られざる?名曲。組み合わせも、あまりないもの。弦の三重奏だと、佐竹さんも言われてたけど、普通はチェロが入るからね。そんなで、楽しみな選曲だったのだが、演奏者には気の毒だったな。これも、佐竹さんが控えめに言われてたけど、「ここはピアノの音が通る」。でも、この言い方は抑制したもので、「ピアノ以外は音が通らない、響かない」という言い方の方が正しい。だから、ヴァイオリン2本とヴィオラの絡みの微妙なアンサンブルには気の毒。それまでの弦のソロも、何かガサついた音だった。図体の小さな、ヴァイオリンが、一番、気の毒だったな。それが、冒頭の相本さんの演奏を聴いて判ったので、メロディがどんなだったかを楽しむという演奏会だった。でも、最後のピアノ五重奏曲は、弦が4本束になりパワーが上がると、いい感じにはなってたな。お題にもあるように、この曲でも、稀代のメロディ・メーカーぶりを発揮してくれるものだから、全編、楽しむことができる。1つ、トークの中でいいこと教えてもらった。ドヴォルザークって、オケでヴィオラを弾いてたことがあるんだって。だから、ヴィオラ・パートにシフトした作曲をする傾向にあるということでした。なるほどと、この五重奏曲を聴いていて確認しながら聴くことができたのは、正解。アンコールは、スラヴ舞曲のピアノ入りでした。こういった編曲があるんですね。
 そして、夜は「ブラタモリ」の新作「指宿編」が流れたが、終了後、次回のお知らせが流れなかったので、まさかと思ったが、ネット上に流れていました。「最終回」でした。ホント、何の告知も、番組内ではなしで終わった。火山話いっぱいで、地形のトピックが、たくさん出てきた回だったので、ちょっと信じられない終わり方に、愕然です。ロスができるわ、これから。


2024年 3月 9日(土)午前 7時 15分

 昨日は、京都でハシゴをした日。朝からアスニー京都での市民向け公開講演会へ行き、午後には高島屋で行われている美術展に行った。直前まで、同じ百貨店でも大丸であると思い、それこそ何階でのことか、前売りチケットで確かめたら、そこに高島屋と書かれていて、びっくり。アスニー京都からはウォーキングを兼ねて徒歩移動を採ったため、大丸と高島屋の間が移動に加わったので、この違いが、かなり堪えてしまった。足は痛いわ、疲れるわで、帰宅後は、しばし呆然。椅子に身を沈めたまま寝落ちしてしまってました。なお、昼食は移動時なんだけど、これが世間の昼食時に当たり、また、移動距離が長いので、せめて、京都府庁を過ぎてからしようと考えていたら、ダメ。昼食時だから席がない。結局、一昨日、西宮でインド屋さんに行ったので、昨日は、他のものにしておこうと思ってたんだけど、インド屋さんには入れたので、烏丸二条になるのかな、そこのインド屋さんに行った。これで、週内で3回もインド屋(ネパール屋)さんのお世話になってしまった。さすがに、昨日は、チキンのビリヤニにして変化をつけました。
 アスニー京都、昨日の市民向け公開講演会は、京都歴史回廊協議会との共催。年に1回、これがあるのかな。ちょっとした変化球のお話が聴ける日だ。昨日は、「明治の新聞からみる京都の祭と流行病」というお題で、摂南大学非常勤講師の渡勇輝さんのお話を聴くことができた。文政5年に初めての報告が記録されており、その後、大流行をしたコレラを、明治期の人たちは、どのように捉えていたのか、それを新聞記事の中から導き出そうというもの。本来の専門は民俗学と言われていた。それらしく、新聞記事は、史実を伝える資料というだけではなく、心性を伝える資料にもなり、歴史の解明に重要なもので、今後分析が高まるだろうと言われていた。通時的資料や、傍証的資料となる新聞記事が軽めに扱われてきたことを、暗に言われていたように思えた。コレラの流行を伝える資料の提示、また、明治政府の対応策から、お話は始まった。病気に関する捉え方の大まかな変容も、その背景として言われていた。江戸時代との対比として、明治政府の捉え方を。「衛生」という観念の登場ということです。「衛生」観念の由来とか、その到来とか、大事な話を聴きたいところだけど、お話の本筋ではないということなのでしょう、スルーされていました。「隔離措置」や、密の排除に繋がる「祭礼の禁止」という措置も執られていたようだ。ここまでの本題に入る前の仕込み部分までは大丈夫だったんだけど、いよいよ、本格的に、それらを伝える新聞記事の紹介になると、猛烈な寝落ち。ほとんど、聴けていない。レジュメに採録されているので、それを眺めると、コレラ流行が京の祭に与えた影響を拾われている。祇園祭を初めとして、京の祭(縣祭や藤森祭も入っている!)が軒並み延期されている。祭に付き物の饗応に対する指示も出ている。公衆衛生を守らせようとする警察と、それを掻いくぐって祭礼を続けようとする市民との確執もある。逆に、指定解除に向けての動きを伝えたり、感染者の統計報道も出ているが、データを出すというのは、「画期的」と書かれている。そうやって、近代化が進んで行ったってことですね、おもしろい。コレラ禍に対する市民の心性を伝えるものとして、コレラを可視化して見せる滑稽な絵があったり、コロナ禍でのアマビエのように、神仏にすがろうとする非近代的な心性を伝えるものも残っているそうだ。こうやって、レジュメを振り返ってみただけでも、なかなかおもしろそうなトピックが続いている。相変わらず、もったいないことしています。終了後、この講演会に来ていた弟と立ち話。しばし、DやSを連れて行くいい場所探しの相談に乗ってもらってました。
 高島屋の美術展は「文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之」というもの。京セラ美術館や二階堂美術館といった美術館所蔵のものもあったが、ほとんどは、上村淳之氏が館長を務める松伯美術館所蔵の作品が展示されていました。時系列的な展示ということで、まず松園から。いきなり、「姉妹三人」が目に飛び込んできた。人気作品ということで、似た作品を作っているようなんだけど、これが、どの位置に当たるかは。不明だけど、3人の和やかな空気が支配している。とっても穏やかな気分になれる優れもの。「人形つかい」は、人形つかい自身を描かないで、襖の影から覗き見る女たちを描いている。松園もおんで、ここまで捻った作品は観かけないと言っていいでしょう。対面には、「人形つかい」同様、既視感のある「楊貴妃」。松園には珍しい、胸のはだけた女性を描いている。でも、決して品格を落とさないのが松園。もう1度、振り返ると、生では初だけど、知ってるぞと言いたくなる「花がたみ」があった。能「花筐」の狂女を表した作品。岩倉に行って勉強に行ったあと、祇園の芸妓に舞わせたと言います。物狂いを素材にした舞なのでしょう。京セラ美術館のYoutube動画では、困った松園が、金剛巌からのアドバイスを受け、能面をモチーフにして顔を入れたそうだ。あどけなさの残る女の表情に、何かを訴える切実感があります。見ものと言える作品です。更に、振り返ると、そこに、一番の秀逸「娘」があった。2人の女は、それぞれ違った方向に視線が行ってます。ちょっと虚ろ気味で、でも、視線の先を見つめている。その先に何を見ているのでしょうか。そして、何がいいって、着物の裾模様が、背景に吸い込まれそうな色の配置に、驚いた。2つは、同系色でなくとも、同化しそうにまで、裾模様の色合いに工夫が施されている。着物の柄や色合い、ちょっとした背景に、季節感が出てる。「秋はれ」では紅葉や菊の模様、「桃の節句」では手に1対のお雛さん、「初秋」では萩が背景にある、「若葉」では青い紅葉が左上に、「初夏の夕」では蛍が1匹飛んでいる。「焔」は、模写されたものがあった。京セラ美術館のYoutube動画によると、能「葵上」の六畳御息所を表したものと言ってました。次いで、松篁の作品へ。冒頭に2つ、松篁にしては珍しい、生活感のある「閑庭迎秋」「冬暖」が置かれ、あとは花鳥ものが並んでいた。「蘚汀雨情」といった作品も珍しい。汀と書かれているので汀なんでしょう、緑の佇まいのなかに、小鳥や虫が飛び、シダの葉などの植物が描かれている。かなり、メルヘンチックな印象を持ってしまったけれど、いろいろと描かれていることで、全体が、とっても明るくなっている。いい感じの作品。あとは、この人らしさの出ている花鳥、草木といったものが題材になっている。「丹頂」「真鶴」「蓮」「芥子」といった作品が続く。薄っすらと変化を見せるグラデュエートした背景、その色の選択が、ぱっと見で松篁ものと判る個性を持っています。そういった素材の中で変わりものは「熱帯花鳥」と「芦」、前者は、ハワイで描いたそうだが、極楽鳥が描き込まれていて、後者は、芦辺を墨で描いていた。そういった松篁ものの数が、3人の中では少なく、最後の淳之のコーナーへと入る。この人、山王美術館で幼気な鳥を観てから、俄然、気になっている人。足が水なんでしょうか、そこへ消え入るように描かれているのが、幼気なさを感じさせてしまう大きな要因だった。そして、今回、多めに観て思ったんだけど、この人の描く鳥、できたら1羽だけで観たい。2羽以上になると、形、動き、そういったものが定式化された描き方に、その複数の鳥のバランスの妙、背景との関係性が楽しめないと、抵抗を感じさせてしまうのでした。特に、時系列的に言えば、新しい作品ほど敬遠したくなったな。そういったなかで、黄紺的求めに応じてくれた作品は、次の3点でした。「雁金」「月の水辺」「風渡る」。会場まで歩くのに疲れた身には、展示数は頃合いのもの。そこに、親子3代の逸品が並ぶ、至福の時間でした。グッと詰まった濃密な作品群、一通り回ったあと、どっと腰に重みを感じてしまってました。会場のどこかに、淳之作品が、1階下の画廊に展示されているというので覗いてみた。展示&販売のためのものだったので、お値段が書いてあったが、凄いね! 最低でも300万したんじゃないかな、中には、桁が1つ多いのも、チラホラ。作品よりか、1度、お値段を見てしまうと、それが気になって気になって、、、。傍らでは「天空からのメッセージ 文化勲章受章者今井政之新作展」というものもあったので、こちらも入った。模様を象嵌するという技法があるのですね。それを知っただけでも、ここに入った収穫でした。いろんな世界があります。


2024年 3月 8日(金)午前 5時 58分

 昨日は、西宮市内でハシゴをした日。1ヶ月ちょい前と、同じ行き先だということで、前半が西宮市大谷記念美術館、後半が西宮えびす亭での落語会という流れだ。1つだけ違ったのは、昼食の場所。前回は、阪神西宮駅ビル内にある韓国料理屋に行ったけれど、美味くなかったので再訪は止め、替りに、前回は見つけていなかったインド屋さんが、ほんの僅か迂回コースを取ればあるということで行ってみた。ここも、ナンが、もう一発だった。どうも、阪神西宮界隈は、飯関係で運が悪い。美術館の次回の企画展の前売券も買ったので、次回は、昨日、前を通過した中華料理屋を、一応、頭にインプットしておこうかと思っている。
 西宮市大谷記念美術館では、今、「生誕130年 没後60年を越えて‶須田国太郎の芸術―三つのまなざし―‶展」が行われている。京セラ美術館のコレクション展で観た、須田国太郎のスペインの家屋を描いた作品が、かなり印象が濃く残っているため、この展覧会があることを知ったとき、飛びついた。京都からは行くのが面倒な阪神線だけど、美術館から歩いて行ける距離にある西宮えびす亭と組合せることで、グッとお得感も上がるので、行く気分は上々だった。アニヴァーサリーの年なのに、大都市の美術館ではなく、ここで開催されるわけが、観覧後も把握しかねています。実際、展示品の多くは、京セラ美術館や京都国立近代美術館所蔵品が多く、中には、東京の国立近代美術館からも来ているわ、作家の専用美術館である三之瀬御本陣芸術文化館から多数来ていました。それどころか、この美術館自身に須田国太郎ものがあったんだろうかという展覧会。別に縁がなくてもいいんだけど、なんで、ここでの疑問は解かれないまま出て来てしまいました。ここの美術館は、展示室が4箇所に分かれており、その部屋ごとに、ほぼ章立てがされていた。①は「画業の歩み」と題され、作品のダイジェスト版という展示。だから、冒頭は、習作的な自画像。この人、元々は、美学美術史の研究者を目指していたそうだ。絵も描ける学者が、絵の作家へと転身したそうだ。だから、序盤の展示は、そういった時期、そして、留学をする。それがスペイン。それだけではなく、西ヨーロッパ各地を転々としながら写真を撮り、また、絵も描いていた模様。その訪問先が、地図に落とし込まれ、その地図が展示されていたが、すごい数だった。②の部屋には、その写真や、使ったカメラ、絵の道具も展示されていたのだけど、ハーゲンの写真には驚いた。近くには、ゾーストがあり、ケルンもデュッセルドルフなんてのは出てこない。これには驚いた。なんで、ハーゲンに行ったんだろう? ハーゲンって、なんで知ってるのというルールの地方都市。①は、そうした画業の軌跡を追うダイジェスト版だったわけだけど、この展覧会で、最も魅力的な作品が揃ってたのは、この部屋だと思った。留学時代の習作として模写に精を出したそうで、実際、ゴヤの「ウルティラ将軍像」とエル・グレコの「復活」が展示されていた。須田国太郎の作品は、全体を通じて「暗い」印象が強いのは、この2人の影響でしょうか? 一方、光の描き方に、強い印象を、京セラ美術館で体験したわけだが、それも、この展覧会で確認できたのだけど、それって、エル・グレコのモノトーンの作品に使われる、明確な白にインスパイアされたのじゃないかと思えてしまった。ゴヤはプラドで、エル・グレコはトレドで、たくさん観てるので、わりかし当たったこと書いてるんじゃないかな。「法観寺塔婆」は暗いけれど、そして、光はないけれど、縦の線(電柱)と横の線(五重塔の屋根)の交差という強烈な構図。そんなことしてるのこれだけだったから、強い印象に残った。光があれば影がある。それで見事な遠近感を出しているのが「唐招提寺礼堂」。手前に逆光を受けた、だから、黒いものを置き、その向こうに姿形が判るようにして、光と影を表すという手を、ずっと使い続ける人だけど、そういう手を使ってる作品が、どうしても目が行く。でないと、暗いんだ、この作家さんの作品は。「蔬菜」「椿」が、その典型。夜でも、その手を使ってるのが「夜の清水」、清水寺の舞台を描いています。「早春」は森でそれを表し、「工場風景」では、雲の切れ目が地面に出ることで、光と影になり、「水田」では、前方に黒い牛を2頭うごめかせ、背後に光を当てている。牛が逆光ではないけど、真っ黒の牛だから、同じようなものだ。「夏」「夜桜」は、3Ⅾ画面だった。絵の具の塗り方(これ、何とか言うんだね?)でだよね、この効果が出るのは。でも、この手を使い続けるということはしない。とにかく、多彩です。その多彩さの1つになるんだけど、戦時中の動物園で食べ物がなかったのでしょうね、痩せた姿に、もの悲しいものを感じさせられた「黄豹」は傑作。動物ながら悔しさを滲ませているように観えてしまいました。後に薬殺されたそうです。②は「旅でもまなざし」と名付けられた部屋。だから、ヨーロッパの旅の写真が、ここで展示されていた。だけどだ、楽しみにしていたヨーロッパで描いた作品が少なかった。現地で描いてなくても、帰国後、思い出して描いたというものもごく少数だったのは、どうしたことか! だから、この部屋の絵画作品は、ほぼ国内旅行のもの。その僅かの作品が、「西班牙山間」「牛」「夏の朝」、そして、今回、修復され、新たに公開された「サグントローマ劇場跡」。「西班牙山間」は、水墨画のような作品、距離を取って観ると、茫漠とした空気が数段上がります。最初、至近距離で観ていたら、そうとは、全然、思わなかった。こういうことがあるから、間近で見たときにぼやけていて判らないと思うと、後ずさりすることにしています。すると、途端に焦点が合うことがあるかと思ってやってみてもダメだったけれど、他の作品を観ていて、なんとなく振り返ったときに、眼の端に刻まれてしまうことがある。これ、結構、やばいです。動揺しちゃうからね。この作品も、ちょっと、そうだったと言えばいいかな。③は「幽玄へのまなざし」とされ、能に造詣が深かったということで、演能に関して、スケッチを取っていたりで、何の演能かと考えさせてくれる判じ物のような作品が並んでいた。これらは、遺族から阪大に寄贈されたものだそうで、今回は、そちらからの貸し出しでの展示でした。そういったスケッチとは別に油彩画が2点、展示されていたのが、この部屋の秀逸。「小原御幸」「野宮」の2点。いずれも、シテの全身を描いたもの。顔が能面であって能面でないようで、でも能面かなという描き方がおもしろい。「血が通った能面」という変な書き方になるけど、演能を観ていて、表情を読み取った、それを描いたという風情。「山姥」は異彩を放つ。演能姿だけど、デフォルメがあり、荒々しさ、激しさを出している。これ、確か、京都国立近代美術館で観た記憶がある。須田国太郎は金剛流で、自ら演能も経験しているようでした。そんなで、現宗家の少年時代を描いた作品もあった。④は「真理へのまなざし」という部屋。ここでも暗い作品が多いが、だからか、前面に黒っぽい動物を描き、明るい後景を描くという作品に目が行ってしまう。「山姥」を描いたような線で描かれた「鵜」はインパクトがある。代表作だそうだ。納得。これも、前面に黒い鵜が3羽、後景に家並みが描かれている。「犬」も、同様の構図。犬は黒犬。①の部屋から回ってきている「イヌワシ」も同じだ。絶筆となった「めろんと西瓜」もここにあった。病床で描いてたようなんだけど、しっかりとしたものだった。展覧会の締めは「老松」という二曲一双の大きな墨画。木の持つ力強さは、どの作品にも看られなかったもの、多才です。そう言えば、わざわざ社殿を裏から描いたという「窪八幡」も、この部屋にあったな。
 西宮えびす亭の会は「桂健枝郎 ひとり勉強会」。健枝郎は、猫も杓子もで聴いたとき、じっくりめに聴いておいた方がいいかもと思ったのがきっかけ。その引っかかりで行ったんだけど、なかなか、その勘が当たっていました。夜の部もあり、この日は、計6席、喋ることになるのだけど、どうやら、マクラから喋る内容を吟味して用意していた風情、ネタも変化に富んだ3席を用意でき、それぞれ色合いも変えている、その丁寧さが気に入った。そして、言葉の選び方が、黄紺的にはついていけない新しさもあるのだけど、何となく流れでついていかしてくれる、それって、空気を上手に作ってるから、それにつかりさせすれば解ったような気になれる、そういった距離感が、上手く取れる噺家さんだと思った。三実や九ノ一の後に来るのは誰かと思ってたんだけど、自分的には、「希遊よりかは、こっちやで」とすら感じた。一過性かもしれないけど、この会が終わったときは、少なくともそう思えるいい会だった。全くの一人会、そのネタの並びは、次の通りだった。「狸の賽」「恋より仕事」「桜ノ宮」。「古典の改作」「新作」「古典」といった並びだ。「狸賽」ではなく「の」を入れているということで、改作を表したつもりかもしれない。半ばまで通常通り。変化は「わしが言った目の裏の目を出してくれ」という台詞が入ったところから。アホが胴を取りながら、トイレに立つことを繰り返すので、その間にあとの者が壺の中を見てしまい、それに張るが裏の目が出るという仕掛け。トイレに立つアホげさが、いい、おもろい。「恋より仕事」は、この題名がダサいが、内容はおもしろい。七夕を見上げる爺さんと孫の会話で、織姫と彦星の謂れを解説するというのが大きな流れ。その男女の実態が、題名のままという流れとなるというもの。ここで、内容も、正に現代のヴィヴィッドな会話になるものだから、「桜ノ宮」の喋りが、必要以上に古風に感じてしまった。誰にもらったんだろう、それにつけても、テキスト自体が古風に感じた。聴く方には慣れるという特権があるので、後半に入り、噺が佳境に入ると、それも気にならなくなっていた。これから、こういった噺を、どのように扱うのだろう? 前2つのネタを聴いていて、それが気になってしまいました。今後の追っかけもしてみたいなの気にさせるいい会でした。


2024年 3月 6日(水)午後 7時 34分

 今日も寒かった。3月に入っても、真冬用のジャケットが手放せない。風も強かった。余計に寒い。そんな日に、遮るものの少ない田辺に行くことになっていた。この間続いている同志社大学の市民向け公開講演会だ。既に、午前中に、時間を確保して、ミニウォーキングをしていたが、その時間帯で、覚悟を決めた。このウォーキング時、休憩のために公園でベンチに腰かけたが、寒いので、あっさりと歩いた。同志社大学の田辺キャンパスに行ったときは、帰りは、新田辺駅まで歩くことにしているので、午前中のミニウォーキングと併せれば、今日のウォーキング、万歩計を見ると16200歩ちょいだから、なかなか頑張ったわけだが、その分、寒さとの闘いだったということになる。
 今日の講演は、定番の考古学に戻っていた。「埴輪にも形象された古墳時代の導水施設について~奈良県御所市南郷大東遺跡の調査を起点に~」というお題で、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館学芸副主幹兼係長の青柳泰介さんのお話を聴くことができた。ところがだ、寒いなかから暖かなところに入ると、ダメです。かなりの寝落ち。冒頭の15分間、自己紹介のうだうだ話、おもしろいので楽しく聴いていたのに、本題に入った途端、寝落ちとは酷い話だ。ただ、肝心の遺跡の様態解説の部分は飛んでいるが、いやいや、これを踏まえての結論のはずなのに、その結論部分は、頭にしっかりと入っているので、そこのとこらへんをメモっておくことにする。キーワードは、お題にもある「埴輪」「導水施設」。埴輪は、なんちゃら埴輪と言われていた家屋の形状をしたものらしい。これは、レジュメに写真が貼り付けられているので、そうだと思っている。また、そういった形状の埴輪が存在していることは、黄紺も知っている。それが何なんだという話、話の流れと、どういった連関性があるのかは、全く判らない。お題からすると、その埴輪に導水施設が刻まれているということになるのだが、、、。導水施設は、読んで字の通りだが、「木樋」というタームを使われていた。木をくり抜いた樋というわけだ。それが、問題の遺跡の周囲(だと思う、レジュメの写真から判断して)で3本発見された。とにかく、住居のある区域に水が引かれているのだ。それが、何のためかを探索するというのが、お話の後半部で、結論に繋がる話だ。これが、なかなか壮大なもの。浄水祭祀のため、生活のため(農耕、地域開発、交易)と、段階を追って推論を進められたそうだ。ところが、あるとき、当該の遺跡を案内しているときに、島根の学者さんから、この地域の配置、山、磐座、湧水(山にある)、水路、住居跡、これらの配置と同じものが、島根にあるということを指摘され、では、他にもないかと探すと、これがあるそうだ。宗教的な意味合い、生活基盤の整備という意味合い、それらを総合するような形で、生活の場を作り上げていたようだとのことでした。「地域設計に重要な水を介した儀礼の中核施設の可能性」と表現されていました。更に、これが、4~5世紀といった、当該遺跡の年代だけではなく、飛鳥時代へ、奈良時代へ、更に、その後へと続く、日本の庭園の姿を作り上げていったのではないかと想定されているそうです。水があり、石がある、借景としての山、水源地でもある山のある風景としての庭園。中国からの影響でだけ語られてきた日本の庭園の歴史に、それだけではない、それを受け入れる素地が、伝統的にあったようだという結論に、当面のところ至っているという内容でした。とんでもない大きな話でした。そうであるだけに、筋道を、しっかりと聴いておかねばならなかったという、後悔しきりです。だけど、こういったことが多すぎる!


2024年 3月 5日(火)午後 7時 54分

 また、雨が降った。しかも、寒い。風も出ていた。寒々した一日。今日は、お出かけなしの火曜日。普段だと、日に2回のウォーキングが定番だけど、昼前は、雨の降り方が優しかったので、傘さしウォーキングをして、屋根のあり公園で読書でもと思ったが、寒すぎて、その気は、簡単に失せてしまった。夕方は、雨脚が強くなり、風も出ていた。なんとか、遠目のマートに買い物に行こうと、自分にノルマを課して歩いた。そんな一日だったが、一昨日、替えた靴が合わないのか、右踵近くに豆ができたようで、しかも、あまりに痛いので、その部分を確かめると、皮がめくれていた。我慢するものではありません。昨日履いてた靴は大丈夫なのに、今日履いた靴は、ダメだった。両方とも、この間、ウォーキングなど出かけるときに履いていて、今まで大丈夫だったのに、今日の靴はダメだった。
 せっかくの空き日だということで、韓国旅行の準備に当たろうとした。Radikoで「まーぶる」を聴きながらのつもりであった。その「まーぶる」、冒頭の喋りと、「二葉のこの落語」のコーナーは、少なくとも、ながらでは聴かない、いつも。この番組の、一番の聴きどころと思ってるからだ。そういった時間帯は、今の時期なら、椅子に深く腰掛け、電気ストーブにあたりながら聴く。実に気持ちがいい。今日は、それが良すぎたみたい。家でも寝落ち、昼間から。別に、昨夜の睡眠時間が、極端に少ないわけではないのに、こんな事態に。ま、時々あることだけどね。結果、午後の一時が減ってしまった。肝心の旅行準備。鉄道の切符を3枚買えただけだった。もう1枚買いたかったが、KORAILのチケット購入画面に拒絶されてしまった。そう言えば、前回も同じことがあった。1回に買える数に制限を加えているのかな、それを、さっさと思い出さないものだから、3回も、同じところではじかれてしまった。今回は、最終泊をソウルでと考えている。20年はやってないな、いや、それ以上かもしれないと思うと、やってみたくなったが、だからと言って、行きたいところがあるわけではない。むしろ、昔、よく行ってた場所に行くことを考えてしまう。でも、今回は、なぜか、ヨンドンポ(永登浦)に泊まろうと思っている。通ったことはあるが、それだけなんで、名前だけ、よく聞くところなので、行っておこうかと思っただけ。コロナ禍前にはまっていたノリャンジン(鷺梁津)にも近いこともある。でも、ノリャンジン行っても、そして、水産市場に行っても、ほとんど魚を食べない身には、食べるためではなく、あの市場の雰囲気が好きだから行ってしまう。チョニャンニ(清涼里)付近のあやしげなところの探索にも行きたいのだけど、南からソウル入りして、ノリャンジンに行こうとすると、ヨンサン(龍山)に入ることになるので、チョニャンニやシンダン(新堂)なんかは、またの機会にしようと思ってる。次回の韓国は、チョンジュ(清州)での出入りになるので、行かないと思うけど、チョニャンニから汽車で出発したいね。テベク(太白)からだったかな、チョニャンニに戻ってきたら、その変貌ぶりに驚いてしまったことがあるからね。次々回の韓国で、ソウルでの出入りを選んだら、そうしようかと思ってる。そんなことより、今回の行き先の情報、未だ、調べ尽くしてないので、それを先にやらないといけない。手持ちの現金を少なくしたいので、できれば、ホテルの予約、カード決済をしておきいたいのだけど、まだまだ、韓国は、検索サイトに上がってるホテルは少ない気がしてる。昔ながらの飛び込みで泊れる嬉しさがある一方、それをすると、両替に神経を使わないといけないから、嫌なんだよね。物価の上昇が激しいものだから、現金持ち歩きが気になってしまうのだ。そんなことを考えながら、旅行前の落ち着きのない時間を過ごしています。


2024年 3月 5日(火)午前 6時 14分

 昨日は、大阪でハシゴをした日。月曜日では、レアなことだ。月曜日に開けている美術館(山王美術館)があるということで、それにくっつけて動楽亭の昼席にも行ったということだ。だが、その予定の立て方をミスってしまった。その美術館、月曜日が開館している替りに、火水の2日が休館なのだ。だから、月曜日に行く必要があるわけではないので、その他の日の動楽亭の顔付けを見たりしながら決めればいいということだった。そこへ、毎日やってそうな美術館で行きたいところも浮上してきた。火曜日なら、動楽亭や繁昌亭の昼席だけではなく、ハルカス寄席もやってる。水曜日や木曜日に特定した落語会や講談会が、午前や午後もやってるしと、頭に巡ると、混乱を来してしまい、えらい失敗をしでかした。大阪へ向かう電車の中で、スケジュール表に控えている動楽亭昼席の顔付けを確認したところ、黄紺の控えていた顔付けは今日のもので、それで行く気になってたことが判明。ごちゃごちゃと予定をいじっている内に、間違った操作をしてしまったみたい。黄紺は、動楽亭の顔付けを選ぶ際は、若い噺家さんの顔付けに注目している傾向にあるので、控えていたのは、要するに今日の顔付けは、正に、その秀でたものだったのだ。昨日は、真逆で、ベテランが揃ってる。直系の噺家さんが3人も顔を揃えているので、普通はピックアップしない。一瞬、迷った。美術館だけで帰るという選択肢も、頭を掠めた。でも、それだけでは勿体ない気がしてしまった。大阪へ行く機会が減ってるので、それは打消し、繫昌亭の顔付けも見たが、動楽亭の方がそそるじゃないか、直系3人っていうのが、次第に輝いてきた。そこで予定通り、山王美術館から動楽亭に回ることにした。移動時間を考え、その中にウォーキングっぽいものを組み込むことはできないと判断。山王美術館から10分もかからないところにあるインド屋さんで昼食。環状線の外だからビジネス客も少ないのではとの予測が、見事に外れ、店内に1席だけ空いていて、辛うじて食べることができた。そして、大阪城公園駅から天王寺まで電車移動、そこから歩いて動楽亭へ。でないと、天王寺で電車を待っていたら、かなり遅くなると判断したためだった。
 山王美術館は初めて。京阪京橋駅から大阪ビジネスパークへの橋の上から見えているので、存在は知っていたが、立派さは、行ってみて、初めて知った。そこで、今、企画展として「山王美術館コレクションでつづる 印象派展①」が行われているということで出かけたのだけど、それだけではなく、常設展という名で「‶印象派展‶によせて 日本画コレクション②」「‶印象派展‶によせて 日本洋画コレクション③」も行われているというのが、実際に行って知ったのだけど、この付録のように付いている展示が素晴らしい、特に②の充実が半端じゃない。あくまでも、黄紺の目でということだけど。「印象派」、これが、今年は、大阪で流行ってるようで、「モネ展」が、現在、中之島美術館で進行中だし、夏ごろだったっけ、ハルカス美術館でもある。なんでだろうと思い、調べてみると、今年が「第1回印象派展」開催150周年だった。どこかに書いてるのだろうけど、全然、こんなこと、頭に入ってなかった。いやいや、これほどのこと、1回入って、あっさりと出ていたのでしょうね、忘れが酷くなってるから。コレクションで綴るとなれば、自ずと凸凹は致し方のないこと。でも、前史から始まって時系列的に展示されていたようだ。印象派に詳しいわけではないので、印象派をコズにして書かれた歴史の解説を参考にしながらの鑑賞となった。前史の枠内で扱われていたのが、ミレー、コロー、クールベ。確かに、この3人は、それまで扱わなかったような素材を描いてますね。そういった意味で、クールベも入るんだと、納得。ミレーは、「鶏に餌をやる女」が、落穂ひろいの女と同じような感じだったので、ミレーかと思ったが、あとは、よくわからんかった。コローは、黄紺は、フェラーラの美術館で、一生分以上の作品を観ているんだけど、そういった視点で言うと、「湖畔の大きな樹木」にらしさを感じた。クールベは暗い。典型的な印象派と括られる作家では、シスレーとルノワールを多く収集されているようだ。シスレーをまとまって観る体験というのは、今回が初めてだった。「サン=マメスのマロニエの木」「トムリの平原とシャンパーニュ村の朝」の2点が、この企画展では抜きん出てるように思えた。と思ってたら、前者が、この展覧会のパンフレットに使われていた。描かれている木や家、人物を観ると、一瞬、暗そうな絵だなと思うのだが、その次の瞬間、道や家に当たる光の明るさを感じさせる。モネの淡い色で整えて、眩しいばかりの光を溢れさせるのとは、全く異なる光の表現に驚くばかりだった。ルノワールは、小さな作品の「午後の風景」と「バラの風景」が気に入ったというよりか、気になった。3Ⅾなのです、この2つの作品。こんもり感、もった感じが良く、とっても、描かれている対象物にリアリティを感じさせるものがあるのです。女性を描いたものから選ぶとすれば「裸婦」でしょうね。一番、らしいと思ったから。モネは、「オシュデ家の四人の子どもたち」という人物画だけ。こんな作品もあるんだという感じ。ちょっと肩透かし。ドガも4点あった。どうしても、先入観があるのか、「髪を調整するダンサー」に関心が行っちゃいますね。ゴーガン、ルドンもあり、黄紺の知っている作家ばっか、ということは、黄紺でも知ってると言い換えることができる、ホントのホントの大家ばっかが並んでました。①が主の展覧会だったが、圧巻は②だったと、はっきり断言します。川合玉堂のそそとした「鵜飼」の傍らの大きなウィンドー内に3点。真ん中に大きな小林古径の「琴」。明るく爽やかな色遣いに描かれる2人の琴を弾く女性。えらくモダンな表情。小林古径って、もっと古い人だと思ってたので驚いたが、1929年制作で、自分の認識違いが判明。その両脇に、幸野楳嶺の「断崖観瀑図」と横山大観の「紅梅」だが、圧巻は前者。この滝の大きさはあかん、迫力、凄すぎです。それを見上げる人が2人いた。豆粒のようだった。続いて、上村家三代が並ぶ。ぱっと見で、松篁・淳之親子と判る色彩。背景の色合いの微妙な色の選択、それに、更に微妙なグラデーションが入ってる。淳之の「鴫(しぎ)」の幼気なさが素晴らしい、神秘的なものまで感じさせてしまいます。松園ものは4点出ていた。有名なと言っていいですよね、「よそおい」の上品さ、「美人納涼図」の女の純な自然を愛でる、素直さがいい。それらと対比するように並ぶのが伊東深水もの。対比させられてしまうので、こちらは、粋だけじゃなくて、理知的なものも出ている。振り返って、松園ものは、「理知的」という言葉の対局にいるような感じがしてしまう。替りに、穏やかさ、素直さ、寛ぎを感じさせる。いい並びです。前田青邨の「紅白梅」がいい。2種類の梅の枝が交叉する部分のドアップ、そこに紛れて、鶯が止まっている。華やかな春が溢れています。堂本印象も5点出ていた。それらの内4点は似たタッチで、「さざなみ」「水郷初夏」「春水満澤」「山峡清韻」の4点。いずれもいい感じ。キャンパスの地を残したままにしているのでしょうか、そのスペース取りがいい感じで、全体的に白っぽいところへ、どきりとする色の選び方で風景を描く。黄色の選択、黒色の激しい塗り方と、とっても魅力的です。杉山寧という作家、知らなかったけれど、「晞(き)」という作品、凄かった。水の流れを描いたのでしょうか、会場のどこから観ても目立つ流れ。色の選択、単純化した流れの表現が、そうさせるのでしょうか。経歴を調べていると、娘の名が平岡瑤子となっていて、びっくり。三島由紀夫の義父になる作家さんでした。あと、東山魁夷が2点出てたけど、ここだけ、スルーしちゃいます。③は、圧巻の②に比べると、流し気味になってしまった。いきなり、黒田清輝が並んだ。全部で6点も出ていた。中で目立つと思ったのが「夏(野遊び)」。近場で観るよりも、遠目で観た方が、明らかに映える逸品です。その方が明るい、陽の光を感じさせます。安井曽太郎の「横たわる裸婦」が、その次にあった。頑丈というか、堅いというか、そういった体躯の女性が横たわっている。佐伯祐三も2点。「自画像」はともかくも、「風景」は、印象派に通じるものを感じた。傍らにある解説を読んで、佐伯祐三がヴラマルクが師と知った。「風景」という作品、時間が停まったみたいだ。こちらも、近くで観るとくすんだ印象だけど、遠目から観ると、途端に明るさが増す。色の濃淡がクリアになるからなのでしょうか? こちらの展示も大家の作品が並んだ。岡鹿之助、坂本繁次郎、金山平三、藤島武二、向井潤吉と続き、小磯良平が6点も並んだ。ほぼバレリーナばかりを描いた作品群。この部屋の入口に書いてあったので納得したのだけど、この人、ドガに師事してんだね。なるほど、です。荻須高徳が、富本憲吉の陶器の作品を挟み、その両脇に配置されていた。よく観かけるパリ市内の建物の風景ではなく、水を描いている。「オーヴィヴの停泊船(ジュネーヴ)」「ヴィレット運河」の2点だ。気に入ったのは後者。水に照る光にそそられたから。それだけで、風にそよいでいるように観えるんだから、凄いものがあるね。鑑賞するには、丁度いい感じの数が並ぶ美術館です。腰には優しいという意味だけど、腰を気にしないで回れるということは、それだけ集中力がアップすることだと痛感しました。
 動楽亭昼席は、20人程の入り。座椅子やベンチ状の座席配置も、そのくらいを想定してくれている。最近の動楽亭昼席には、爺婆だけではなく、若めの女性の姿を散見するようになってるが、昨日もそうだったな。世の中、動いてるのかもしれません。番組は次のようなものだった。二豆「狸賽」、そうば「必殺仕分人」、米平「兵庫船」、米左「七段目」、(中入り)、雀五郎「黄金の大黒」、米団治「稽古屋」。二豆の高座で、早々に居眠り。頭からやばいと思ったけど、そうばで覚醒。そうばも、加齢を感じさせる風貌になってきてる。でも、この新作はおもしろい。コロナ禍前に、そうばの口演ベストと思ってたネタ。進化しているように思った。その間にグランプリ制覇もあり、ゆとりを感じさせる高座になってて、とっても楽しめました。直系1人目は米平。「兵庫船」の、普通はカットする箇所を入れてくれた。そのため、半ばで切り上げたけれど。旅に出る前に、女房に船にだけは乗るなと言われるくだりだ。「涙ではなく鼻水」というくすぐり、聴いた記憶があるから、この普段省かれる箇所を、何度か聴いている証拠なんだけど、すっかり、この場面があることを失念していた。だから、これ聴けたの、大きい。替りに問答に入るや、寝落ち。この2回がダメでした。米左のひきずるような喋り方が、普段は気になってしまうのだけど、昨日の口演では、それが迫力を、パワーをアップしてたように感じた。そして、この「七段目」、オリジナルな、しかも、秀逸なるテキストを放り込んでくれるのがいい。若旦那が、2階に上がり、芝居の真似事を始めるところで、「噺家尽くし」を入れてくれたのだ。「兵庫船」のくだりと言い、これと言い、この2つを聴けただけで、十分すぎる程の値打ちのある会となりました。雀五郎の「黄金の大黒」を聴く頻度、この寄席でだけど、めっちゃ多い。そして、いつ聴いても、おもろい。ビリビリがいいな。とっても、長屋の連中のわちゃわちゃ感が出てる。時間の関係でか、最後まで行かなかった。あとちょっとだったのに、残念。米団治は、前回と同じネタになってしまった。聴いたこともない、学生時代のアメリカへの一人旅の話をマクラでしたものだから、「稽古屋」ではなかろうと思ってたら、そうではなかった。でも、米団治の「稽古屋」は、何度聴いても楽しいから、結果オーライです。三味線との掛け合い、ホント、いつ聴いても、気分が上がるからね。蛍踊りで「実が出る」というくすぐりを省くのが、米団治の品格ですね。


2024年 3月 4日(月)午前 6時 26分

 昨日は、京都でハシゴをした日曜日。日曜日と言えば、朝のお楽しみ「日曜美術館」があるんだけど、昨日は再放送だった。いつもだと不機嫌になるのだけど、昨日の場合は、時間の確保という点で助かった。洗濯物が溜まってたので、どこかで、その時間を確保したかったのが、これでできた。際どかったけれど、お出かけ前に完了。しかも、「No life No art」も観て、「日曜美術館」の後半「アートシーン」も観逃さなかった。エライ! 時間確保のために、昼も外食。昨日は、時々行くことがある韓国料理屋さんへ。テンジャンチゲにした。ヤンニョム・チキンの定食もあるので食べたいんだけど、どうしても、店が近づいてくると、口が汁物を求めてしまう。こないだ、玉造で食べたユッケジャンがいかさなかったので、いい口直しになった。
 で、行き先は京都アスニーと中信美術館。両者の距離は、ググると徒歩22分。一緒に行かない手はありません。中信美術館は、土日に行っても混む美術館ではないので、いい組合せです。まず、京都アスニーから。昨日は、(公財)京都市文化観光資源保護財団所管のイベント「ユネスコ無形文化遺産『風流踊 京都のやすらい花』」があった。そのプログラムは、次のようなものだった。①講演:芸能史研究家・元京都市文化財保護審議会委員山路興造②記録映像上映:「風流やすらい花」③実演:国指定重要無形民俗文化財「上賀茂やすらい花」上賀茂やすらい踊保存会。風流(ふりゅう)踊「やすらい花」、知らなかった。「ユネスコ無形文化遺産」に、京都から指定されているのは3つ。あとの2つ、「六斎念仏」「久多の花笠踊り」は知ってたけど、こちらは知らなかった。上賀茂とか西賀茂といった地域に伝わる、そして、古さという点では、「平安時代に起源を持つ」と伝えられているそうなんだけど、それだけの伝統芸能、知らなかった。疫病退散を趣旨として始まったものが、今まで伝わっている。その由緒謂れを話されたであろうのが①のはず。民俗学の大家のお話だったので、目玉と思っていたのだけど、ここで完全に眠ってしまった。山路さんの話、前も、どこかで出てたのでそそられて行ったのだけど、そのときも完落ちだったのを覚えてる。めっちゃ、相性が悪いようです。②は、50年近く前の記録映像の上映。これで、初めて「やすらい花」というものが、どんなものか知ることになった。花笠が素敵です。会場の後方には、その傘が置かれていました。傘の下に入ったり、傘のてっぺんに挿されている花を分け分けされたものをゲットすると、疫病退散に繋がるというご利益があるそうだけど、それを知ったあとも、さすが、傘の下に入るのは気が引けてしまった。幾ヶ所の地域で、微妙に違う踊りがあるのも知った。各町内を練り歩き、踊りを見せる。単調な動きだが、瞬間的に激しい動きが続くので、体力勝負のような踊り。その踊りの間、人々は、入れ替わり花笠の下に入っていた。その様子を伝えるのが②で、その実演が③だった。貴重なものを観ることができたが、せめて講演の一部も聴けてたら良かったのだけど、、、。
 中信美術館では、今、「清水六兵衞 CERAMIC SIGHT」という展覧会が行われている。当代(8代目)の清水六兵衞の作品展だ。当代は現代アートと言える陶器の創作をされているようだ。早稲田出身の清水六兵衞がいることは、どこかで目にしたことがあったが、当代だったということは、館内に掲示されていた経歴表で知った。ということは、以前にも、この方の作品は観ている。おそらく、京セラ美術館のコレクション展だろうと思う。薄い土の板の組合せ、繋ぎ合わせているのかなと、幾つかの作品で、その境い目を確認すると、どうやら、そのようだと判断。微妙に釉薬の色合いが変わってた。らしい繋ぎ目も確認できたので、そうなんでしょうが、それが判ると、それで焼いて、成形が保てるのと、自問してしまった。できるから、目の前の作品があるのだろうが、どうしてと考えても判るはずはない。驚異の技のように思えた。結構多いのが、三角錐状に、その土の板を組合せている。ますます、驚異の技に見えた。直方体のもある。上部の表面積が広ければ広いほど、その技の驚異度は増す。更に、そこに切れ込みまで入れてあるのもあった。更に、凄かったのは、「わざと」、その上の面をたるませている。計算ずくで、土を選び、練り上げ、そして、たるみができるように焼く。そんなことができるのと思っても、できるから、目の前にあるということなのでしょう。形のおもしろさを楽しむのじゃなくて、その驚異の技にまでばかり目が行ってしまう。色合いは、ごく薄い青磁の色合いが多かったように思います。黒陶もあったけれど、振り返ってみると、まずは、青磁色が思い出されてしまうから。2階の展示場には、ご本人がおられた。お知り合いの方が来られてたのか、ご本人は、床に座って、お喋りをされていた。その奔放さが、こういった作品を生み出すパワーかなと、思わず思ってしまった。受付で「来ておられます」と聞いていただけに、緊張しながら、その部屋に入っては行ったが、お喋りに夢中だったので、逆にホッとしました。小さな美術館なので、滞在時間は短かったが、特徴は、きっちりと頭に入りました。
 昨日、替えた靴が、足になじまなかったが、京都府庁近くなものだから、帰るには、なんとも中途半端。でも、テンジャンチゲでの満腹状態が、まだ続いていたので、三条まで歩くことにした。上手い具合に、「光る君へ」が始まる前に、夜のトルコ紙のチェックも仕上げ、夕食の準備を整えてから観ることができたが、このドラマ、主要人物が、よく死ぬ。死ぬかと思ったら、仮病なんてのもある。いろいろ、やってくれます。遠国へ行く話が出て来るのかと思わせるようなタイトルだったが、そのトピックは、未だのようだったが、その遠国は、死ぬ人物が出るということだったようだ。今年1年は、これで楽しませてもらいます。


2024年 3月 3日(日)午前 6時 42分

 昨日は、オペラを観る日。びわ湖ホールでのオペラ、ノーマルな姿での上演は4年ぶり、しかも、演目が「バラの騎士」で、指揮が、阪哲朗に替わって初の本格的公演と、揃いに揃った公演。ひょっとすれば、生涯最後の「バラの騎士」かもという予感。20世紀最高のヒット作との評は認めるところ。だから、楽しみだった。心残りは、直前に旅行が入ったりで、「バラの騎士」の予習ができなかったこと。でも、このオペラが大好きなものだから、詳細は解ってるつもり。でも、モティベーションを上げるためにも、どれかのDVDを観ておきたかったと、ちょっと贅沢なことを考えてた。出かける前に、ちょろっとだけウォーキング。買い物がてら、少し、歩く距離を、無理やり増やしたという言い方の方が当たってるかもしれない。福井在住の友人も、冬場は、雪で、いつ出ることができなくなるかもしれないと、福井に籠ったままだったのが、久しぶりに現れた。11月に東京へ一緒に行って以来の再会。元気な様子で何よりだ。「バラの騎士」のキャスト&スタッフは、次のようなものだった。(元帥夫人)森谷真理、(オックス男爵)妻屋秀和、(オクタヴィアン)八木寿子、(ファーニナル)青山貴、(ゾフィー)石橋栄実、(マリアンネ)船越亜弥、(ヴァルツァッキ)高橋淳、(アンニーナ)益田早織、(警部)松森治、(元帥夫人の執事)島影聖人、(ファーニナル家の執事)古屋彰久、(公証人)晴雅彦、(料理屋の主人)山本康寛、(歌手)清水徹太郎、(演出)中村敬一、(装置)増田寿子、(衣裳)半田悦子、(照明)山本英明、(音響)小野隆浩〈びわ湖ホール〉、(映像)荒井雄貴、(舞台監督)山田ゆか、(合唱)びわ湖ホール声楽アンサンブル、阪哲朗指揮京都市交響楽団。総じて、奇をてらうことなく、オーソドックスなスタイル。衣装もそのままで、オックス男爵は、鬘を着けていて、その下は禿頭だし、ムハメッドは、体躯からすれば子どもを起用、ただ、動きは子どものそれではなかったので、小柄な大人が演じたのかもしれないが、黒人にしていた。今時、そんな演出ってあるかなと思った。装置は、1幕、簡素系のものだけど、外してはならないベッドがあり、椅子などの道具が置かれている。背後の壁の向こうが、人の出入りがあるときだけ、照明を当て見えるようにしてあった。なかなか凝っている。2幕は、左サイドに階段、そこからバラの騎士が現れるのかと思うと、マリアンネが、バラの騎士の到着を確かめるもの。右サイドには、兜の飾り(オックスが登場時に、それをいじり壊してしまうというくすぐりが入ってた、秀逸!)が置かれ、ジャポニズムを表してるけど、物語は18世紀じゃなかったっけと思うけど、ワルツが出て来るので、それに合わせたのかもしれない。そう言えば、1幕の装置もロココ風じゃなかった。背後の壁には世界地図が投射されている。バラの騎士の登場直前に、その壁が上がり、お庭が背後に、そこから階段が下りている。バラの騎士の登場はそこからだった。小悪党2人の寝返りを舞台で見せるのかと期待したが、字幕を見ながらだったため、うまく小悪党2人とオクタヴィアンとの絡みがあったのかを確認できなかったが、オックス男爵のお下品ぶり(妻屋さん、絶好調!)に、さすがの小悪党2人が辟易としている姿を出させていた。それで十分とした演出だったのかもしれない。3幕は場末感たっぷりの部屋。正面真ん中に階段。外との出入りはそこから。左サイドの壁に幕があり、そこにベッド。お化けを出す容量は、オットー・シェンク版に似ている。壁からお化けではなく、棒に付けたひらひらする布を出し、更に、両サイドから人が出てきて、布を振り回すというもの。ついでに、正面真ん中の副指揮者だか舞台監督の入る穴からも小さな棒&布を出すという洒落っ気もあった。オットー・シェンク版と言えば、マルシャリンの去り際のオクタヴィアンとの別れ、やってくれました。これやられると、泣いちゃうんだよね。うるうるしてました。生では、これを観たのは、正に、オットー・シェンクのプロダクションだったデュッセルドルフ以来。最後も定番のムハメッド登場でハンカチの拾い上げもやってくれた。若干、タイミング早めの拾い上げ。だから、ハンカチを持ったムハメッドが、右手で掲げ、背後の階段を上がりはけるまでの時間があった。そのハンカチ落としは、2回目のデュエットで抱き合ったときにオクタヴィアンが、客に見えるように前方に落としました。そんなだから、3幕は、かなりオットー・シェンクに倣った風情と言えばいいかな。ま、それも一興です。やっぱ、圧巻のテルツェット、そして、待ちに待ったデュエット、たまりません。最高度の緊張感に持って行った歌手陣と阪さんの指揮、めっちゃ鳴っていた京都市響の成せる業。黄紺の涙腺を刺激するには十分でした。台本と楽譜を、よく読み込んだ演出。いろんなプロダクションを見てきて、歯がゆいところもあったのを、解決して見せた、ええもんは使っちゃおうの精神、感じました。目新しい演出、2つ、メモっておきます。1幕で、物売りらが入ってくるときに、肝心の主人であるマルシャリンが、一旦、はけたのには、びっくり。だって、主人のいないところで、物売りがセールスしても変だよね。はけたマルシャリンは、カーデガン状の丈長の上衣を来て、再登場。椅子に腰かけ、髪結いを受けます。髪結いの準備にはけたという体です。この髪結いが大事だということですね。これ、いい目の付け所。だって、この髪結いで、それを受けたあと、このオペラの主題「老い」について、マルシャリンが初めて口にするのですから。そして、聴かせどころのマルシャリンのモノローグが始まる、「1幕は3つに区切られる」と、友人は言ってましたが、その通り、その3区分の最後は、この「老い」がトピックなんだから。それが目立つようにとの好演出。拘りを見せてくれました。その物売り場面に歌手が出てきます。その直前&間奏にフルートのオヴリガードが入る。そのため、舞台にフルーティストを出した! これ、大ヒット! これやったの、DVDも含めて、初めて観ました。幕の閉め方にも拘りを感じた。緞帳を下ろすとか、照明を消して暗転にするとか方法があるのだけど、あのカラヤンの振った映像での幕の使い方、やってくれました。1幕も2幕も、最後だけ暗転。大正解やと思います。これが、生涯最後の「バラの騎士」でも許します。この感動を持ったままでええと思いました。歌手陣の充実が凄いものがあったな。特に、2幕以後の妻屋さん、これだけできるオックスが日本にいるというだけで、同じ時代に生きて幸せです。逆に、不満ではないのですが、森谷さんは、まだ若いと思ってしまったな。生の森谷さん自身が。顔を出して困ったのがシュワルツコップ、ここ、こんな歌い方じゃなくて、あんな風に歌ってたなという、演出過剰とまで言われたシュワルツコップの歌唱。老練さが、欲しかったということです、森谷さんには。恋する若い2人は、これだけできれば十分です。青山さんがちょっと平板だったのは意外だったかな。成り上がりの卑屈さみたいなもの、ちょっと添えて欲しかったな。ま、贅沢を言えばだけどね。コロナ禍前には、当たり前のように、ドイツで観ていた「バラの騎士」。それが、こういった事態に入り、ようやく観れた、でも、観れただけでも御の字。しかも、良かった。来年は「死者の都」、たまらないラインナップです。
 びわ湖ホールを出たのが、午後6時20分、上演開始が午後2時だから、それだけ、楽しんだのでした。午後7時48分発のサンダーバードに乗るという友人とは、食事はできないので、とにかく京都駅へ行き、お茶をすることに。話題は、新国立劇場の新シーズンの演目。ロッシーニが流行ってる。なかでも、「ウイリアム・テル」が出るというのが注目。「散髪屋」も出る。それに加えて「夢遊病の女」が出るから、ベルカントが3本。ついでに、東京の二期会を調べると、な、な、なんと、ペーター・コンヴィチュニーのプロダクションで「影のない女」が入ってる。友人は、行くなら「ウイリアム・テル」乗りのようだけど、黄紺は機先を制するかのように「行くなら、これやな」と言い放ちました。なんせ、ドイツで、ペーター・コンヴィチュニーの追っかけをやってた身ですから。そんなで、4月の再会を約して、そそくさと友人は帰って行きました。


2024年 3月 2日(土)午前 5時 27分

 昨日は、市民向け公開講演会がバッティングしてしまった日、しかも、同じ大学主催のものが。この間行っている2つの講演会、どっちも行きたかったが、同じ時間帯。しかも、場所は、めっちゃ離れてる、同じ大学やのに。大学は同志社大学。田辺キャンパスで行われている、ほぼ考古学中心の講演会。こちらは、夏の分と冬の分をまとめて申込むものだから、後から入ってくる情報やら何やらで、困ってしまうことが起こるのだ。去年は、名古屋へオペラを観に行ったときに断念したはず、確か。今年は、同じ同志社大学だけど、本部のある今出川キャンバスで、同大学人文研の開いている講演会と正面衝突。こちらは、3回シリーズの前2回が、結構、そそられてしまい、どうしても最後の回を聴きたくなってしまい、田辺の方を断念してしまった。「差別と抵抗からみた『日本近代』」というお題が、3回通してのもの。3回目の昨日は「全国水平社の創立と‶人間は尊敬するべきものだ‶という思想」というお題が付き、関口寛(同大学人文科学研究所准教授)さんのお話を、引き続き聴くことができた。前回までの復習が冒頭でなされたが、近代知というものの暴走と言えるかのように、社会分析やら、医療やらが進むことで、差別が深化していったような印象を持ってしまう内容です。進化論は、近代知の成果だろうが、それが、人の分類まで援用されていく。被差別に置かれる者、犯罪を犯す者は、進化の過程に変調をもたらしている、先祖返り的に捉えられ、不十分な者と規定されていく。優生学、犯罪人類学的というまがい物を生み出してしまったようで、そこに被差別部落も組み込まれていく。前回は、それを深化していった人類学の大家、救済活動を積極的に行い、ノーベル賞候補にも挙がっていた大家の紹介があった。この圧のなか、ただでも、重厚な内容を持つ水平社宣言の重み、凄さ、それを、逆に思い知るようになったものだから、3回目を、どうしても聴きたくなったのだった。「こんな環境で、よくぞ、あんな文章を書けるものだ、どうしたら、引っ張り出せるんだ」というところだ、平たく書けば。関口さんが言われてたけど、水平社宣言の文言、その心を、どこから引っ張り出したのか、それを見つけた学者がいた。今なら、PCでキーワードを打ち込み検索すれば、あっさりと答えが出てくるかもしれないが、そういったことができなかった1980年代に、それを見つけた人がいたというのだ。「人権」というタームからは導き出せないという。例えば、明治時代には、中江兆民がルソーの翻訳に取り組んだという話は、さすが、黄紺も知っているが、その方角からは水平社宣言へと手繰ることができないと言われていた。水平社というネーミングは、「レヴェラーズ」から取ったと、巷間、言われるものだから、どうしても、その方面から手繰るものだと、今回のお話を聴くまでは思い込んでいた。「人間を勦るかの如き運󠄁動は、かへつて多くの兄弟を墮落させた」という認識、更に、「人間を尊󠄁敬する事によつて自ら解放せんとする」という認識は、どこから出てきたのか、ここが、それまでの救済の考え方にはなかったポイントだと言われていた。前者の言説は、真正面からの否定だし、後者に至っては、どこにもなかったが、それを探し出した先達がいたというわけです。それは、ゴーリキーの「どん底」だった。黄紺は読んでないので内容が判らないが、教えていただけた。井上光晴の「地の群れ」は、これを下敷きにしてるなと思った内容だった。当たってるでしょう。その中で、サチンという浮浪者の台詞に「人は尊敬すべきもの」という考えが、アプリオリに提出されているという。また、西光万吉の書いた「(水平社宣言の)趣意書 よき日の為に」には、その趣旨だけではなく、ゴーリキーの書いた台詞そのものが出て来ると、その文を資料として見せていただけた。起草者は西光万吉だけど、水平社創立メンバーが練りに練った、その根本にはゴーリキーがあった。1972年に、創立者の一人、阪本清一郎が受けたインタビューの記録が残っているそうだが、そのときに、ゴーリキーの一節が、そのまま口から出たと言う。「暗唱」できるほど、入ってしまっていたと、インタビューアは驚愕したと言います。それほど、起草に当たっては、関係者はゴーリキーを学習したのだろうと言われていた。そこで、「どん底」が日本に入って来た様相の点検に話が向かった。初訳は昇曙夢、同年に、黄紺でも知っている著名な演劇人小山内薫が上演しているそうだが、水平社宣言のような扱いを受けていない。全く同じテイストで、水平社宣言の室で捉えていると考えられる初めてと言えるのは、相馬御風という人物だと言います。早稲田の出身で、「都の西北」の作詞者でもあるそうだ。ゴーリキー評論を著しており、これも、関係箇所の引用で、文そのものを見せていただけた。確かに、水平社宣言の趣旨と同様の人間観だ。関口さんは、ゴーリキーからクロポトキン、そして、相馬御風へと繋がったようだと言われていたが、クロポトキンって、あのクロポトキンだと、帰宅してから調べて確認した。だと、目に付く存在だったろうし、流れて行ったと言われても納得がいきます。時間の関係もあるのだろうけれど、相馬御風という人物の思想的な背景、いえいえ、大元のゴーリキーが、こういった人間の尊厳を提出した背景、思想的なものを知りたくなったが、それはスルーされてしまった。これは残念なこと。帝政期のロシアのインテリゲンツィアって、リアルな革命期に入ると立場は分かれて行くだろうけど、西欧からの感化を受けていると思うんで、その系譜のようなもの、ゴーリキーについて教えて欲しかったな。
 帰りは、いつものように三条まで歩く。毎度書くように、京都の街中で一番と考えている道を歩いてだ。そうすると、昔、立命館大学がこの辺にあった広小路から御所の壁沿いに道があることを見つけた。あの頃からあったっけとは思ったが。一層に、この通りを気に入ってしまった。いいです、とっても。


2024年 2月 29日(木)午後 8時 17分

 昨日、午後8時半頃に、自宅に戻って来た。名古屋駅でバスを待っている間に、きしめんを食べたので、帰ってからはお酒を呑むだけ。火曜日には、毎度聴いている「まーぶる」があったが、当然聴けてないので、それを聴くのが、帰宅後の仕事。酒の友には最適。でも、4時間もある番組。ラジオショッピングなんかは飛ばしても、あまり飛ばすところがないというのが、「まーぶる」の特徴。だって、音楽って、間に入らない。入っても、1曲、多くて2曲。ずっと、2人が喋ってくれるので、聴く身には嬉しいが、MCの2人は大変でしょうね。2人とも喋るのが仕事と言っても。ちょっとだけ、メモっておくことがある。先日、二葉が、落語のことで反省の言葉を呟いていたわけが判った。繁昌亭の何かに会で、盗人ネタと言ってたから、「打飼盗人」だと思うのだけど、そこで、言葉を飛ばしてしまったということがあったことのようだった。「家で3回、稽古していった」なんてことも言ってた。その会って、都やつる子、紫、一花の出た会のことのようだ。つる子の着物の乱れが激しかったという投書から女性噺家の着物の話題へと展開。そこで、思いがけない情報があった。都は、最初は男着物でやってたってこと。30代になり、合わない感じが出てきて、女着物にしたそうだ。これ、全く初耳だった。そう言えば、若い頃の都の高座って観たことがないな。その「まーぶる」も、半ばで寝落ちしてしまってた。疲れてたのかな。
 今日は、旅行明けということで、端から予定は入れてなかった。行きたい展覧会はあるんだけど、折角の旅行の印象が薄れると、敢えて入れなかった。そんなで、今日は、日に2回のウォーキング以外は外出なしと言えば、そうなんだけど、夕方のウォーキングは、単なる買い物に出かけたと言ってもいい。というのは、また、夕方から雨が降った。しかも、今日の雨は強い。これは、傘さしウォーキングには向かないと判断、でも、旅行前に食糧を残さなかったので、買い物に行かねばならなかった。近場のマートへは、昼前のウォーキングついでで行ったから、お酒の補充や、そこでしか買えないもの調達に、遠目のマートに行かねばならなかったので、そこへ買い物に行ったのを、ウォーキング替りと考えただけ。帰宅すると、足元は、かなり濡れていたので、もっと大人しくしておいた方が良かったかもしれない。しかし、雨が、よく降る。旅行中は、ラッキーなことに、その逆だった。昨日の岡崎、いい天気だったなと思い出している。岡崎市美術博物館は、アクセスが悪いけど、替りに、とってもいい場所にある。高台で、中腹には市民病院、周りは総合公園となってるから、環境は申し分ない。市民病院へのアクセスも同じで、そんなでいいのかと思ってしまったけどな。美術館は生命には直の関わりはないからいいけど、しかし、不便だ。
 午後の一時は、旅行の記録をつける作業。「GUNLUK」に入れて残すようにしている。そしたら、どこにいても、観ることができる。これは、さっさとやらないと、どんどんと記憶から遠ざかって行くから、早いにこしたことはない。頑張って書いたが、まだ、1日目の2つ目の美術館(メナード美術館)の半ばだ。その原因は、早くも、次なる地方美術館巡りの企画が思い浮かんでるから。某落語会と組合せが可能か、その検討に入っている。年度替りに差し掛かってるので、毎年そうだが、行政絡みの美術館だけではなく、展覧会のスケジュールが、なかなか出揃わない。この旅行では避けている土日になるので、混みそうな展覧会はカットしようと考えている。方面は、また、同じ名古屋界隈。1月は静岡中心だったから、東海地方に懲り固まってしまっています。1つには、今回もそうだったんだけど、行った先で、新たな情報を掴んできてるのでね。でも、ここでも、年度替りの弊害の影響を受けているなの印象があった。思ってたよりは少なかったってこと、得られた内容が。そんなで、あっさりと、1日が経ってしまいました。旅行ロスが出る、一番、嫌な時間となってます。


2024年 2月 28日(水)

 朝食は、昨日、コンビニで買っておいたおにぎり2個。出発は、午前8時45分をメドにしていた。丸の内からは、名鉄と地下鉄が乗り入れているため、豊田市行きに乗れる。約50分程で到着。初めて来た町。駅の写真を撮るのも忘れて、豊田市美術館に向かう。どういった地形的特徴があるのか、美術館直前が、大変な坂。反対側から入れば、きれいな姿を観れたのでしょうが、駅から行くと裏から入ったのかな。展示会場への道が判らず、係の方に尋ねて到着。「未完の始まり~未来のヴンダーカンマー~」というお題の付いた現代アートの展覧会が開かれているのが狙いだった。5人のアーティストへの委嘱、その1人に田村友一郎の名が入っているので、それと肩を並べる、著名なアーティストなんだろうと思い行ったのだが、概要を観ても、そのお題の意味が解らなかった。観たあとも解ってないと思う。①ガブリエル・リコ②タウス・マハチェヴァ③田村友一郎④リウ・チュアン⑤ヤン・ヴォーの5人だ。①は、調べてみるとメキシコのアーティスト。「先住民がもつ非西洋的な知識」と西洋的知識の融合を提示する作品を発表する人的な解説を、ネット上で見つけたが、そうだと、了解。黄紺的には、その融合は無理強い的な合わせ技的な作品と看えたから、というのも、西洋的なものを「科学」と置き換え、あっさりと蛍光灯で表してしていたために、そう感じたのだけど、その合わせ技で、「観られるもの」と「観る者」の対比を示しているように思えた。でも、「二項対立」が、自分にも解るのも如何なものかと思いつつ、それが「対立」を表すのではなく、「融合」だとすれば、その先に何かを見据えているのだろうか、そんなことを考えていました。②はロシアのアーティスト。契約書らしきもの、役所が出した指令書らしきものが陳列されているが、傍らの解説文を読んでも、作品リストに書かれている作品の意図を読んでも、解らない。映像作品では、ロシアのどこかの地方に伝わるアヴァル語の伝承と現代のプロジェクトが重なるような展開になってたと思うのだけど、さっぱり解らないままギヴアップ。③は大きな部屋の真ん中にゴルフのバンカー、その中に、ゴルフクラブが1本、寝かされている。部屋の隅には、バンカーからが見えないように、チタン(タイタンから命名)合金の何かのパーツが、無造作に4~5個、置かれている。それとは異なる隅には映像作品が上映されているというもの。バンカーやチタン合金ものは、映像の中に出て来る。チタンは、科学を表し、それにより、我々の生活の発展が促されていった。身近なものとしてスマホでチタンを表すと、それを握りしめた人間が亡くなり、人間の骨と同化していくと、未来に、地球を訪れた宇宙からの到来者は、チタンでできているゴルフクラブを見て、地球には巨大生物が住んでいたと思うだろう。そういった時間の経過を、猿人ルーシーからの進化の中で解き明かそうとしています。ルーシーというネーミングは、その猿人の骨が発見されたとき、ビートルズの曲名から取られたということで、会場には、AIで再生したジョン・レノンの歌声が流されていたというのは、後でパンフを見て知ったこと。そんなで、バンカーがあり、チタンの部品が展示されているというもの。「ライ麦畑でつかまえて」のプロットも入っていたが、これ、解らなかった。サリンジャーは苦手です。今を通過点として、人類の起源から未来を見据えた壮大なインスタレーション作品なんでしょうが、こちらの知識が追いついて行かないのが、悲しいね。④は映像作品。こちらも、人類の歴史を説き、今を、そして、未来を見据えようとしている作品だとは判ったのだけど、人類の起源辺りのストーリー展開は、何かが始まる予感たっぷりだった。歌うということ、それが木の上での生物の持つ特徴で、人間もそうだったが、その木から降りた人間は、歌うことよりも、沈黙の支配する世界に住むようになり、コミュニケーション手段が生まれ、差異が出てくることから、民族なり文化なりの個別性が登場。相克も生まれて来る。そういった流れだったかな、違うような気もする。このアーティストは中国の人なので、中国の歴史が、少し濃いめに入って来たり、グローバリゼーションの問題へと展開したり、当然していく中で、「沈黙」による関係性のストーリーが判らなくなってきて、ギヴアップ。長い映像作品ということもあり、時間が気になりだしたこともあったので、自主的に切り上げてしまったのが、いけなかったのかもしれません。どれもこれも、難解です。⑤だけが2階の部屋を使った展示。これ、作品解説を読んでなかったもので、さっぱり解らなかったもの。アーティストはベトナム生まれで、デンマークに移住した人だそうです。大きな木枠に何枚も吊るされた写真は、そのベトナムに、また、ベトナム戦争に絡むもののようです。あかん。何も気にならなくなってしまった。これも、早々にギヴアップしてしまった。ま、現代アートって、このような経過を踏むものとは解っていながら、準備不足があるね。準備しないで観るのが現代アートで、現場で感じたものの照合に、解説文などを読むというのをモットーとしてきただけに、ちょっと考えを変えねばならないね。ここで、現代アートの特別展は終わったのだけど、この後に、圧巻のコレクション展が控えていることを知らずに、階段を1つ上がり、上から下まで続くコレクション展を観ることにしました。3階は主として現代アートのコレクション。河井寛次郎の陶器作品があるかと思うと、黒田辰秋の漆工芸の作品も並ぶ部屋に、奈良美智の「Girl on the Boat」、「えっ!」と小さく声が出てしまった。あの顔をした人形があった。塩田千春の「トラウマ/日常ー赤い靴」は、先日、大阪で観たように、蜘蛛の巣状のファイバーの中に赤い靴が閉じ込められていた。挙句の果てには村上隆まであった。「R.P.(ランドセル・プロジェクト)」という作品だ。小ぶりのランドセルにペイントをして遊んでる。笑ってしまってました。何かの拍子に、係の方と言葉を交わすと、2階に「クリムトがあります」の一言に仰天! コレクション展の中身を調べないで行ってるものだから、これは、驚くわねぇ。クリムトは「オイゲニア・プリマフェージの肖像」という女性を描いたもの。背景の色の多彩さが少ないかなと思ったが、真ん中に描かれた女性は、正にクリムトだった。その左側の眺めると、今度はエゴン・シーレが2点もあった。どうやら世紀末美術に思い入れがある人が、関係者にいるようですね。「レオポルド・ツィハチェクの肖像」と「カール・グリュンバルトの肖像」だ。前者は、まだ10代の作品。ぱっと見では、エゴン・シーレとは判らない。ごく普通の肖像画だけど、デッサン力は凄いものがある。後者は、その10年後の作品。斜め後ろからのアングル。憂鬱そうな顔の表情、こちらはらしさを感じるが、心の乱れなり、荒みなりが、イメージにあるエゴン・シーレよりは薄い印象だった。同じ部屋には、ルネ・マルグリットの「無謀の企て」があるかと思うと、日本の大家の作品がずらりと並ぶ。作家名だけ記しておく。安田靫彦、川合玉堂、岸田劉生、国由康雄、小林古径、富田渓仙、速水御舟、藤田嗣治、横山大観、村上華岳。現代アートが並ぶなかには、白髪一雄、堂本尚郎などがあり、これらの2つの部屋の出口が同じで、ここにも奈良美智のカンバスに描かれたアクリル画があり、奈良美智に驚かされたのが、この美術館で2回目となった。日本画の大家の中では、エゴン・シーレの作品を観たからでしょうが、藤田嗣治の「自画像」が、あまりにお坊ちゃまに観えてしまったのが、強く残っている。最後の部屋が、宮脇晴と綾子のお二人の作品。ご夫婦だそうだ。そんなで、現代アートを観に行ったら、そればかりか、とんでもない満腹感を味わわせてもらうという結果に。このあとの移動が、ずっと気になっているものだから、時間を区切りの出発が惜しまれた。案の定、強烈なインパクトを受けたものだけしか、記憶から飛んでしまってる。勿体ない。
 豊田市美術館を出ると、愛知環状鉄道の新上挙母(しんうわごろも)駅へ移動。ここから、中岡崎/岡崎公園前乗り換えで東岡崎駅へ。乗り換え時にコンビニがあるだろうと考えていたら、見事に外され、一旦は昼食を諦めたのだが、東岡崎駅の改札前にコンビニがあり、パンをゲット。これは助かった。そして、駅前から1時間に1本しかないバスに乗り、岡崎市美術博物館へ。このアクセスが、仇のように腹の立つもの。一昨日、場所の間違いに気が付いたのがこれで、判ったら判ったで、めっちゃ不便。バスは30分近くかかって、到着。めっちゃ、高台の環境のいいところ、その替りに、不便。ここで行われている「レアリスムの視線-戦後具象美術と抽象美術」という展覧会にそそられたのでした。「具象美術の台頭 時代の証人者たち」からスタート。その前半は、ベルナール・ビュフェの作品が並ぶ。近くに、この作家の作品を集めた美術館があるようで、多くの作品を観ることができた。黒い線を多用して、造形を図ると言えばいいかな。ときには、とげとげしいという印象を持つほど、シンプルな黒い線が、勢いよく描かれている。初めてだったけれど、インパクトの強い作品が並んだ。後半は、「時代の証人画家展」に参加した作家の作品が並ぶ。デュフィ、シャガール、ピカソ、ルオー、藤田嗣治らが並ぶなか、フランシス・ベーコンの「スフィンクス」があった。フランシス・ベーコンは、自分的には初遭遇だったため、気持ちが昂ってしまうのが感じられました。よく観ないと判らないんだけど、スフィンクスの顔と一人の男の顔が二重になっている。音楽界のブリテン同様、己のセクシュアリティを、作品のどこかに込めてるはずと思ってるフランシス・ベーコン、正に、重ねられた2つの顔が、フランシス・ベーコン自身を表していると看てしまいました。スフィンクスの顔が判りにくくしてあるのが意味深。見えそうで見えてこない人の実態。見られては具合が悪いとばかりです。アルベルト・ジャコメッティが2点あった。彫刻作品としてはこれだけ。「ディエゴの胸像」「鼻」の2点。後者に見覚えがあるのだけど、この作品自体が中之島美術館所蔵だそうだから、やっぱ、その辺で観かけたことがあったのでしょう。今回の旅行で、藤田嗣治を何点か観る機会を得た。今まで、殆ど遭遇してなかったので、これは有難かった。ここでも、「少女」「ラ・フォンテーヌ頌」の2点があった。ここでも思ったが、とっても、タッチが柔らかいのが残る。豊田市美術館で観た「自画像」がお坊ちゃまに観えてしまったのは、そうだからでしょうね。これが、自分にインプットされたのは、今回の大きな収穫。次のコーナーが「アンフォルメル美術」となっていた。抽象画のコーナーだ。ぱっと見で判る白髪一雄の作品が目に入る。そうかと思うと、それに並んで、元永定正、田中敦子と続く。あれれ、この人たちって、白髪一雄と同じ具体美術協会の人たちじゃなかったっけ? 所蔵先も兵庫県立美術館となってるから、間違いない。具体美術協会が多数を占める展示、それで知ったのは、具体美術協会って、日本だけではなく、世界的な評価が定まっているということ。これ、知ったのが大きい。元永定正って、谷川俊太郎とタッグを組んで絵本を作った作家さんなんですね。谷川俊太郎が絵本を作ったということは、同時代の出来事として知ってはいたが、元永定正の名は、全然知らなかったけど、具体美術協会を知ることで、元永定正の名が自分の中に定着しました。それ考えると、去年、北九州市美術館に行ったのは大きかったな。確か、そこで、田中敦子の「電気服」も観たんじゃなかったっけ? 堂本尚郎の作品も1点出てた。堂本印象縁の作家さん、どこで観たんだろう? 初めてじゃない。岡崎(京都)の美術館でのコレクション展か、それとも、そのまんまの堂本印象美術館でだろうか? こういったジャンルにも、親しい名前が並ぶようになってきたな。それにつけても、白髪一雄ものは、絵具の量、身体を張った筆の勢いが圧倒する。徐々に惹かれだしてる自分に気づいてきています。3つ目のコーナーが「シュルレアリスム運動」。前のコーナーが具体美術協会中心だったので、こちらも、日本の作家さんが出て来るのだろうとの予測で足を進めたが、残念ながら、1つもなかった。ダリやマックス・エルンストという大家の作品はあったが、それはそれでいいけど、流れからすると、しっくりとはこなかったな。クルト・セリグマンの「メムノンと蝶」が、自分的には、一番、シュルレアリスムのイメージに合ってました。最も、夢のなかの幻想的な光景と思ったからでしょうね。そして、最後のコーナーが「日本の様相」となっていたのだけど、ここは、地元の作家さんの作品が並んだと言えばいいかな。ここにも、 元永定正の作品が並び、原色の大きなフォルムの組合せの作品が印象的でした。
 1時間に1本のバスに合わせて、展覧会は出なければならないかなと思っていたのだけど、終盤に差し掛かって来たときに、時計を見ると、流れのまま行けば、頃合いの時間になりそうと判断。慌ただしさ知らずで、バスに乗ることができました。帰りは、往きに比べると、道路の混み具合がなく、5分程早く、東岡崎駅に到着。そこから、名鉄で30分程で名古屋駅に到着。今回は、バスで帰ることにした。前回は、電車移動に飽きたので、名古屋から新幹線を利用したが、今回は、バスをチョイス。だが、覚えていたはずのバスの出発時刻が間違ってた。毎時20分発は、午後4時台まで、午後5時台は50分に出発。混み具合も違ったが、唯一残っていた窓側の席をゲット。時間まで、駅前、地下街をうろうろ。うまい具合にきしめんの店を見つけたので、ちょっと早めの夕食。バスは、2時間10分余で京都に到着。結局、今回は往復ともに新幹線を利用しないという、安上がりの旅になりました。


2024年 2月 27日(火)名古屋から

 朝6時20分に、自宅を出発。1泊2日の地方美術館巡りに出発した。最初の目的地は岐阜県美術館。最寄り駅が西岐阜駅ということで、京都から在来線を乗り継いで行った。米原方向も、朝は座れないかと思ってたら、運良く、山科で、目の前に座ってた人が降りた。降りる人よりは乗って来る人が多い。かなり混み合ってる車内が減り出すのは草津を過ぎてから。それでも立っている人がいた。東に向かい通勤する人が、こんなにいるとは知らなかった。鉄道の検索アプリで出た情報が間違っていた。乗り換え時間2分で接続している大垣行きの電車が、アプリには出ず、その間違った情報で予定を組み立てたため、結果、西岐阜で、めっちゃ時間に余裕ができた。ま、それで、岐阜県美術館近くで食べる予定だった朝昼兼用の食事を、ゆっくり摂ることができた。1年前にもお世話になった吉野屋に、今日もお世話になった。岐阜県美術館へは、開館を待ち構えて入った。今、こちらで、コレクション展が行われている。地方美術館巡り、一番の醍醐味は、この美術館所蔵品を観ること。コレクション展は、3つのセクションに分かれていた。①フランスに渡った日本人画家②ルドン・コレクションから:聖アントワーヌの誘惑③フォルムーやきものから。①は、更に2箇所に分かれ、前半が具象絵画で、後半が抽象絵画という構成。前半のおもしろかったのは、お題のまんまの日本人画家の作品に、同時代のフランスの画家の作品を混ぜて展示されていた点。そういう部分を観ていると、両者に違いがないことがよく判るという指摘も見せているようでした。そこに並んでいたのが、マリ-・ロ-ランサン(三人の踊り子たち)、モ-リス・ド・ヴラマンク(ブレゾル「嵐の風景/冬の街」)というフランス勢に対し、荻須高徳(モンマルトルの食料品)、鬼頭鍋三郎(旅舎にて 巴里ホテルアカデミー、ノ-トルダム/巴里)という並び。ヴラマンクは、同じような雪道を描いた作品を、ヤマザキ・マザック美術館で観た記憶がある。荻須隆徳は、広島だったか、福岡で観て以来、ぱっと見、佐伯祐三かと思えるものでした。その作品群を正面に見据えると、左に並んだのが藤田嗣治もの。「夢」という作品では、象、虎、犬、ネズミが、白布が垂れた前に並ぶというもの。おかしな作品だなと思ったら、題名を見て、納得。藤田作品では、その並びの作品群より、「子供の連作から」という題を与えられた小さな連作が気に入った。「画廊」とか「トイレ番」などという名が付いている。そこに描かれた子どもの表情は、子どものそれじゃないのがおかしい。まるで、ブリューゲルの描いた子どものようで、なかなかそそられてしまった。日本人作家の並ぶ作品の中で目に止まったのが、中村不折の2点、男女の裸体を描いている。ワンセットの作品のようで、そう思うと、この2人はカップルのように見えてきた。同じような体躯、視線で、そう感じたようだった。その並びの最後に置かれたのが、北蓮蔵の「コンセルジュ」、これも既視感があったが、どこで観たのだろうか、前に岐阜県美に来たときかもしれません。大きさに圧倒されるが、描かれている女性の存在感も、なかなかのものがあります。一方、抽象絵画は難解だった。何がおもしろいのか、考えてみた。その中で、2点、気になった。坂倉新平の「無題」は、橋渡しになっている形状の安定感が惹きつける。傍島幹司の「Sweet Woods 2,3,4」は、3つの異なった、でも似ている作品を、くっつけて並べて展示している。つながっているようでそうじゃない、けど、つながりを見せているよう。よく見ると、森の中にも見える。そこに人らしきものが隠されているようにも見えた。その不思議な感覚に惹かれてしまった。②は、この美術館の誇るルドンの部屋。聖アントワーヌって、アントニウスだとすれば、アウグスティヌスも頼りにしたあのと思ったのだけど、順に観ていったが、全然、わからなかった。美術館のHPを見ると、ギュスターヴ・フロベールの小説に基づくものとあった。フロベールに、そんな小説があることも知らなかった。お手上げです。③は、岐阜らしく陶芸作品が並んだ、しかも、現代陶芸という世界。気になったものをメモっておく。作家さんは、知らない人ばかりだった。「陶器だよな」と、側の作品データを覗き込んだ山田光の作品群。ぱっと見も二度見も鉄板にしか見えなかった。鯉江良二の「土に還る」は、そのお題を、そのまま土を使い、表そうとしている、人の首が、土と同化していく様を切り取ったもの、気が付くとぎょっとしてしまった。志野焼にも「藍志野壺」というお題が示すように藍色ものがあった。これは、酒井博司の作品。恐らく、黄紺が知らないだけとは思うのだけど、自分的には意外性があった。そうかと思うと、デフォルメされた大蛙が鎮座する「重厚円大蛙」という天野俊夫の作品も、その、少し滑稽めいた姿に目が行く。管状で、内側に釉薬が塗られている、どうしてできるんだろうと、こういった現代陶器の作品を観ると、毎度、思うこと、今回も気になりながら楽しませてもらいました。このコレクション展が、一つの会場で行き来ができるようになっていたが、外に出たところ、その傍らに、今一つの展示会場の入口があった。それが、出入り自由な展示「展覧会を準備してます、展。」。どうやら、こちらの名物ルドンの新たな企画展があるようで、それの準備を掲げたものらしかった。確かに、日比野館長が、ルドン縁の地を探訪するときの動画や画像の展示、作品の修復作業を公開したりはしているが、客に参加を求めるといくことで、3ヶ所に置かれた「もの」を1つずつ選び、それを写生させられたのだけど、何かのインスタレーションなんだろうけれど、そのわけがわからないまま出てきてしまった。ただ、1つだけ収穫があったのは、日比野館長の訪問地の1つにナルボンヌがあったこと。全く、頭には入ってなかった。ぶらりと街を歩いてきただけのナルボンヌ、そんな由緒があたっとは! 知らないということは、怖いことだね。
 電車の時間を見て、それに合わせて、西岐阜に戻る。岐阜駅へ行くバスもあったろうが、電車の方が時間が確かなので、そうした。そのあとは、乗り継ぎが多いものだから、確かな方を選んだのだ。岐阜で高山線に乗り換え鵜沼へ。ここで接続している名鉄に乗り換えたのだが、この電車の行き先を見て、愕然。豊橋行きとなってたからだ。この路線が、岡崎を通る路線だったのだ。だったら、これを使えば、明日行く予定の豊田も行けるじゃないか、もちろん岡崎は通過する。列車検索で、この路線を使うということ、出たのかな、出ていても、理解できなかったのかもしれない。それを知っていれば、宿泊地は、名古屋ではなく、犬山なんて選択もあったんだと、このとき、初めて知った。名鉄は、知らない者からすると、路線把握がムズイよ! てなことで、とりあえず、犬山乗り換えで小牧へ。昔の名古屋空港が、ここにあったので、小牧には、1度だけ来たことがある。モスクワ行きの飛行機に乗った懐かしい思い出がある。ま、それはいいとして、今回はメナード美術館が目的地。ここで行われている「歳・時・記 花ひらく春」という展覧会を目指したのが、今回のプチ旅行の発端。葛飾応為の「夜桜美人図」が出るというので、この旅行を組んだのだった。葛飾応為の代表作を、去年の太田記念美術館で「吉原格子先之図」で観ているので、ちょっと自慢ができる。マリノ・マリーニの「馬と騎手(街の守護神)」のある部屋がお迎えの部屋。そこには陶器作品が並ぶ。いずれも、ここ50年程の間に作られたもの。次の部屋から、「春めく」と掲げられたコーナーが始まる。黄紺も知る大家の名が続く。安田靫彦(春暁富士)、奥村土牛(紅白牡丹)という、関西では接する機会の少ない東京画壇の作家さんに遭遇できるのが嬉しい。小林古径、前田青邨、吉田善彦、藤島武二、香月泰男らも並ぶなか、異色なのは、瀧下和之のアクリル絵の具を使った作品。漫画チックにデフォルメされているものは、この中に入ると、どうしても目についてしまう。そういったなか、福田平八郎の「躑躅頬白」の、素材の画面配置というか空間配置にため息。小倉遊亀の「椿花白磁」は、間近で観ると、えらく平板なのに、離れて観ると、花瓶の左右の色彩の大きな濃淡の差と、刺してある椿の視点をずらした描き方が、全体の存在感を出していることに気が付く。技ありの逸品。安田靫彦作品は、単純化がいいんだなぁと思うと同時に、華やぎとか重みとかを感じさせる。いつ観ても、そう思う安田作品です。このコーナーの壁一つを占めたのが「田淵俊夫の四季-春-」。大きな屏風絵「三華繚乱」が見せます。桜・梅・桃が「三」、それらが咲き誇る、同時に、そんなことあるのと思うけれど、それを墨画とは、、、。驚きの豪華さです。次の部屋が「花吹雪」と名付けられていた本丸。ここに葛飾応為がいました。これは、縦長の軸に描かれた肉筆画なんですね。堪能。あまりにも極端な光、𠮷原の図もそうだった。どうして、これ、誰もやらなかったのだろうと思う程、個性が際立つ。だから、インパクトが強いんだね。また、その両脇が凄い。右に尾形乾山の「色絵椿文向付」、左に速水御舟の「桃花」。この並びは、凄すぎます。向付の絵も大きい、御舟の花も大きい、そのくらいの花を持って来ないと、応為と並べない、そんな印象を持ってしまった。乾山と御舟をもってしても、そう思わせられてしまってました。この部屋にも、奥村土牛、小林古径、前田青邨、榊原紫峰などいった大家の作品が並ぶ。速水御舟は、違った場所に、もう1点出ていた。その一角に、本阿弥光悦の書、俵屋宗達の下絵というものが展示されていた(早春和歌)。丁度、「日曜美術館」で、光悦の書については学習したところだったので、グッドタイミングでしたが、宗達と下絵が判らないまんま。薄くて、黄紺の目には届かなかったみたい。次の部屋は「小さな作品たち」と銘打たれ、小柄な作品ばかりが並んだ。正直、小さいだけだけど、それだけで、印象がすぼんでしまい、記憶から飛んでしまっている。しっかりと思い出せるのは、青木繁の「布良藻屑拾」だけ。それも、名前に惹かれたからか。男のシルエットで、身体の輪郭が跳ねるような線で描かれていたのだけを覚えている。最後の部屋が「もっとMore 西洋絵画名作選」。こちらは、洋画の有名どころが並んでた。冒頭に、いきなりルノワールがあった。「読書する女」だけど、読んでる本の端は画面の外、そうすることで、主人公の女が中心に来るという構図。美味いなぁ、主人公の人となりまでがクローズアップされたようだ。ゴッホの「一日の終わり」は、ミレー作品の模写と言った作品だけど、制作年代と生没年を見て、驚いた。亡くなる前、1年は経っていない、ということは、精神病院に入ってた時期。「その時期に描いたものは処分されたんじゃないのか!」という驚きだった。レアなものかもしれないですね。ムンクやドニが響いて来ない。クレーもピカソも流れていくなか、ムンクなんかは埒外といった感じだったが、目に止まったジェームズ・アンソールの「仮面の中の自画像」は、自己主張そのものを表すかのように、中央に描かれた自画像と思える顔以外は、全てが仮面だった。インパクトが強い。ジュール・パスキンの「ばら色のリボンの少女」も目に残る。姿かたちは少女なんだけど、眼から訴えるものは、それと合わない重いもの。このアンバランスが何を意味しているのだろうか? 社会不安なのだろうか、それとも、いたって個人的なものなんだろうか、気になる作品だ。ジョルジュ・ブラックの「青いテーブルクロス」も気になる。キュビズム作家というイメージで見ると、印象が違う。形があり、色彩バランスもおもしろく、かなり具象的だが、ものの存在だけを見せたようだ。こういった作品群のなか、黄紺の関心を最も惹いたのが、セザンヌの「麦藁帽子をかぶった子供」。明らかなる塗り残しがあるのが、ありえないような秩序の揺らぎのようなものを感じさせる。黒くて強い輪郭線も意外性を出している。後年の作家だと言われても鵜呑みにてしまいそうな逸品だった。最後に、もう1度、応為を観に行って、おしまい。とっても充実した内容、ビッグネームが並ぶ展示には、感嘆すること、しきりでした。
 外に出ると、歩いて行けるということで小牧城に行ってみた。冷たい風が吹いていたが、山城の麓を歩いた。「小牧・長久手の戦い」の小牧だとは判っていたが、どんな時期に、何を求めての戦いなのかは、麓にあった資料館のようなところで知った。信長亡き後の天下取りの争いの一つだったということ、知ることができました。頂上への上がり方が判らず、冷たい風もあり、あっさりと断念。名鉄で名古屋に向かいました。当初、明日のことを考え、豊田へ行きやすいことを優先して丸の内に宿を予約していた。それが、直前になり、明日行く岡崎市美術博物館の位置を間違っていたことで、場所の選択を誤ったかとも思ったが、面倒なので、そのまま予定通りの宿に向かった。投宿したのは、もう午後5時半だった。そのまま、手持ちの酒と肴で一杯。眠たくなる前にと食事に出かけたが、多くは食べられそうもなかったので、近くのコンビニで食事を調達。おかげで、経費節減に貢献しました。


2024年 2月 26日(月)午後 8時 13分

 今日も、明日から旅行に出るということで、自重の日。となると、日に2回のウォーキングだけが外出時間。寒かった。昨日より、一段と寒くなったという感じ。お天気もぐずついたまんま。夕方のウォーキング時には、霧雨のような雨が降ったから、寒さがグレードアップしてしまった。旅行が、運の悪い時期に重なってしまった。だけど、まだ、2月なんだから、仕方がない。旅行前には、なぜか洗濯をしたがる傾向にある。1泊で戻ってくるのに、長期の外国旅行の気分だ、洗濯に関しては。洗濯物が少ないので、シーツと一緒に洗濯をして、1回分の量にしてまでも洗濯に拘る癖があります。それを優先したため、荷造りが後回しになった。ところがだ、その荷造りをしたときに、そうだ、スマホの予定表に行き先を入力しておくと、ググるときに、それをポチっとすれば、あっさりとマップが立ち上がるから楽だと思い、急に、それをやり出した。これが、今日の午後の作業に大きな影響を与えてしまったのだ。いい方にだ。岡崎市には、岡崎市美術館と岡崎市美術博物館があることは気が付いていた。今回行くのは後者の方。入力しかけると、自動で名前が立ち上がるので、それをポチる。そして、保存。再度、入力したものをポチる。マップが立ち上がり、その位置を示してくれる。が、ここで、驚いた。頭に入っている美術館の位置と違うのだ。自動で立ち上がったとき、住所確認もしたので、目の前で立ち上がっているのが正しい位置。その前に行く豊田市美術館からのアクセスに要する時間が、まるで違う。慌てた。ここの移動は楽勝だと思ってたので、余計に慌てたのだ。前者の美術館を目的地として、ここまで下調べをしていたらしいと気が付いた。新たな移動が、わりかし困難を極めたが、結局、美術館側が示している経路を辿るのがベストらしいと気が付くのに、結構な時間を要した。えらいアクセスの不便なところにある。考えてみると、今まで行ったことのある滋賀県美もそうだし、北九州市立美術館本館もそうだった。岐阜県現代陶芸美術館なんかは、度を越した不便さだ。岐阜県美術館も、決して便利ではない。前回行った秋野不矩美術館の行きにくさは、別の楽しみを生んでくれたけど、アクセスだけで言えば、かなり強烈。その類に入ってしまった。ま、今日で良かったとしましょう。ホントだね、現場に行って、あると思ってる展覧会がないなんてのは、あまりにも酷いからね。豊田と岡崎って近所なのに、だから、余った時間には、岡崎城か、名古屋方面に移動して、安城なんかにも行ける、楽しみと思ってたのが、こけてしまった。やっぱ、岐阜県現代陶芸美術館に行ったときのように、行きにくいところに合わせて、まず、それを片付けてから、次へ移動した方がいいと考える方が妥当性が高いと考え、豊田から岡崎じゃなく、岡崎から豊田へ移動しようとなると、岡崎で遊ぶわけにはいかないし、ましてや、安城へ寄り道なんて、あっさりと却下です。この名古屋周辺を巡る旅、なかなかハードです。


2024年 2月 26日(月)午前 7時 8分

 昨日は、旅行前だということで自重の日曜日。予定表には、一旦、一海くんの会に行くとしていたが、木曜日に聴く機会があったので、そのために大阪まで行くことはなかろうと、止めるという決断。旅行前ということも大きなポイントだった。おまけに、日曜日の朝の楽しみの「日曜美術館」も再放送。だけど、後半の「アートシーン」は新たな情報を流すはずなのに、それも再放送だった。これは珍現象。「長澤蘆雪展」が九州国立博物館でも始まったということでの使い回し。小野さんが中之島美術館まで足を運んだものということで、手の込んだものだということもあったのかもしれないけど、前期の展示に行っているので、竜と虎の襖絵は映ったけれど、「牛図」は画像だけしか流さなかった。でも、思いもがけない長澤蘆雪に、自分的にはラッキーってとこ。
 お天気は雨。ホント、雨ばっかの日が多い。せっかく、一昨日、晴れたのに、あっさりと雨に戻った。三寒四温ではなく、三温四寒といった感じで、寒い。空気が冷たい。火水と旅行に出かけるが、天気はどうだろう、気温は、温なのか寒なのか? 片方ずつが一番悪い。旅行の鬱陶しいところ。服装に困るんだよね。1月は、京都は寒かったが、東海地域はそうじゃなかった。その見積りで行って、そのままだったので、あのようになれば最高なんだけどと思いながら、頭を悩ましている。その寒いなか、雨も降るというので傘さしウォーキング時だけがお出かけだった。でも、ウォーキングの量はいつも通り。万歩計を見ると16700歩余だった。頑張るね。
 午後の一時は、前半を、Youtubeで日本画の解説動画を観ようとした。1時間余の動画で鏑木清方を解説してくれるのを見つけたので、それを観ることにした。ところが、この動画、おもしろいのだが、余計なことも喋る。だから、1時間以上も続くんだけど、普段だと聴き流すのだけど、鏑木清方が挿絵で活躍していたことを話すところで、その挿絵が「金色夜叉」「高野聖」に使われた、これはこれでグレートなことなんだけど、「金色夜叉」「高野聖」のストーリー解説までやり出した。「金色夜叉」の方は動画を飛ばしたが、そのあと、また「高野聖」のストーリーまで話し出したので、素っ飛ばすのも面倒になり、ぐったりと椅子に身体を沈めたところで、記憶は途絶えた。完全なる寝落ち。丁度、動画が終わったところで目が覚めた。なんじゃ、それ! 結局、この動画を観て、唯一得た収穫は、師弟関係の名前の繋がりに気付いたこと、「今頃かえ!」と自分に突っ込んだけど、鏑木清方は、師匠水野年方から「方」の字を、水野年方は、その師月岡芳年から「年」をもらってるということに、今頃、気が付いたということです。もちろん、月岡芳年は、「芳」の字を、師の歌川国芳からもらってるのは、言うまでもないこと。
 後半は、韓国旅行の下調べ。この韓国旅行の行程を組むときのポイントは、カンギョン(江景)の再訪。整備されたという情報を得たことだった。ということならば、同じ日本家屋の残るヨンサンポ(栄山浦)はどうだろうかと思った。ここも、前に行ってるが、整備の欠片もなかったので気になったのだ。近年、クンサン(群山)やクーリョンポ(九竜浦)も、かなり整備が進んでいるのを観てきたので、ヨンサンポはどうかと思い、再訪を決め、昨日は、その情報収集にあたった。昨日得た情報では、クンサンのような整備はないようだったが、資料センターらしきものが期間限定で開かれたことがあったらしいというものは目にした。さすが、有名な日本家屋の残る地域なので、探索して、ブログなどに、そのときの様子を、克明な写真入りでアップしている人が、複数いる。おかげで、黄紺の前回の訪問は、かなり逃しているなと実感。再訪のモティベーションが上がったのが、昨日の収穫。もちろん、それらの記事&写真は、ペーパーとして持って行く考えなので、それの資料作りに時間を使った。黄紺的には、鉄道のナジュ(羅州)駅に入るつもりなので、ヨンサンポまで歩いて20分で行けるので、今のところ、歩いて行こうかと思ってる。前に行ったときは、往きはバスで行き、帰りは、ナジュ駅に寄りたくて、歩いて移動。せっかくここまで歩いたんだからと、ナジュ市内まで歩いた。こちらが40分。だから、ヨンサンポからナジュ市内中心部まで徒歩1時間で行けると、これは、ようく覚えてる。この土地勘があるから、行程も立てやすいね。ナジュ駅が新しかったというのは、そのとき判ったのだけど、そのわけも、昨日調べていて判った。ヨンサンポ駅を廃止して、新たにナジュ市庁前に造った駅だそうだ。ググってみると、確かに、駅のほん近くにシチョンがあった。これは目印になるので、インプットしておこう。時間があれば、ナジュ市内には歴史的建造物が、結構残っているので、それらをピックアップしたかったんだけど、時間切れで後回し。前回、何も調べないでナジュへ行き、幾つもの歴史的なものに出逢ったので、下調べが肝心との記憶が残ってるのです。また、頑張りましょう。


2024年 2月 24日(土)午後 8時 11分

 今日は、「ブラタモリ」の放送がない土曜日。午後に、市民向け公開講演会に行く予定があったので、それにだけ合わせて、行動を組み立てる。どうしても、お昼を食べて、すぐに出かけるということをしたくないため、昼食時間が早めとなる。だから、最近、外で食べてから目的地に行こうとするようになってるんだけど、そうそう、いつも、そうするわけにはいかないので、今日なんかは、我慢の日。早めに食事を摂り、少し家で時間を取ってから出かけた。少し、いつもの時間が前に上がると、夕食も早めるかというと、それはしない。いつも、午後8時半をメドに夕食にしている。でないと、晩酌をするので、それで、睡魔に襲われてしまうから、早く食べて、早く寝てしまうと、夜中に目が覚めてしまう。でなくても、週に2回くらい、最近では、午前2時台に目が覚めてしまってるんだから。自ずと、ウォーキングにしわ寄せがくる。今日も、昼前のウォーキングは超ミニ。市民向け公開講演会への往復を、ウォーキング替りに見立てて、計13000歩を、僅かに切ってしまった。
 市民向け公開講演会は、アスニー京都での「京都市考古資料館文化財講座」。今日から、特別仕立てで、連続講座「紫式部の平安京」が始まった。大河の威力です。その第1回は、「紫式部がみた平安京-特別展示『紫式部の平安京』に寄せてー」というお題で、お話をされたのは、同館の李銀眞さんでした。以前、「金箔瓦」の展示関連で、講演をされた方です。と考えると、大変です。中世も近世もやらなければならない。ま、いずれも考古学からということには変わらないけど、でも、王朝文学解らないで発掘しても、発掘成果の評価もしにくいだろうしと思うと、大変な識見の問われる作業です。おまけに、講演者の李さんは、話される日本語からして、日本語のネイティブスピーカーでない。在日の方ではないから、おったまげます。どんな頭してるねんと、思ってしまった。美術館もそうだけど、キュレーターという仕事は、半端じゃない知識、思考力、想像力の要るものだと、改めて知った次第です。考古学資料館で行われている展示の㏚も兼ねつつのお話。お題に入る前に、紫式部、及び、その周辺の出来事を、年表を使ってのおさらい。それから、考古学の成果を、次のような順序でお話されました。①「紫式部日記」に表されている宮廷生活を知る②内裏(補足的お題は‶火災に見舞われる帝の邸宅‶)③貴族の邸宅(高陽院/藤原頼通の邸宅、小野宮/藤原実頼の邸宅、土御門殿/藤原道長の邸宅)④紫式部ゆかりの寺院(仁和寺、法成寺)⑤斎宮の邸宅⑥光源氏の豪邸‶六条院‶のモデル/源融の邸宅推定地(河原院、平安京右京三条三坊五町跡)。②と③で、結構、寝落ち。一番、肝心な部分で、今日もやっちゃいました。ただ、②については、少しは聴いたことがあるから、ましかと思うのだけど、③がノツボです。この関連の発掘については聴いたことがあることはあるのだけど(二条駅前再開発時の発掘だったかな?)、それが、誰の邸宅かが判らないから、どうしようもない。そこで、メモれる範囲で、メモっておくことにする。①夕暮れに紫式部が和琴を弾いているシーンがあるということで、鳥羽離宮跡から出土した和琴の展示があるそうだ。「鳥羽離宮跡」を、ピンポイントで「白河天皇陵云々」と言われたが、「云々」が聴き取れなかった。確かに、「鳥羽離宮跡」とされているところに、「白河天皇陵」があるので、聴き取れなかったのが残念。②レジュメには、火災に遭ったことを示す焼けた土器類なんかかしか印刷されていない、出土品としては。弘徽殿辺りの発掘が大きな話題を呼んだと、以前、聴いたことがあったが、その詳細は省かれたのかな? 内裏や紫式部に関わる豆知識的なトピックだけが記憶に残っている。内裏内の建物は、清涼殿に近いほど位が高い。紫式部は、藤原氏の二条院に住んでいて、内裏での生活経験は持ってないはず。紫式部の「式部」は父親の官職絡みだが、「紫」は、「源氏物語」の主要人物「紫の上」から取られたもの、「へぇ~」だった! 「紫式部日記」は彰子の出産直前から始まっている。そうだっけ? 読んでるんだけど、全く、記憶にございません。③土御門殿しか残ってない。迎賓館を建てるときに発掘が行われた。北の端が土御門通に沿っていたためのネーミング。現仙洞御所の東の位置。後に、道長が建てる法成寺の西。元々、妻となる源倫子の父親の所有地。出土品の中にある白色土器は皇族や高位の貴族のみが用いたもの。形状でも、高坏や三足の皿も、同様の特別なもの。従って、出土も珍しい。④仁和寺は「源氏物語」にそれと思える寺院が出て来る、宇多天皇の立てた寺院、そのため、この地域を御室と言い「御」の字が付いている。緑釉軒丸瓦が出て来るが、これは、東寺や西寺と言った国家の重要な建物に使われたもので、宇多天皇絡みだということを示している。法成寺は道長建立の寺院、現鴨沂高校、御所東小学校の建て替え時に発掘調査ができた。鴨川のもたらした砂の中から建物の遺構跡は出てこなかった。ただ、土器や瓦に緑釉のものが出てきている。正に、摂関政治の威力を示している。北西隅にあったと思われる「西北院」の発掘で、初めて側溝跡が出てきて、建物があったことを示してくれた。⑤「賢木」に出て来る六条御息所絡みのトピックで斎宮は外せない、西大路御池の西京高校敷地内、大きな池跡が確認されている、池の北端と内部に湧水があった、墨書土器が多く出土してきているが、書の分析はなかった⑥源融邸と想定されるのが、河原院だけではないというのが衝撃的。もう1つの候補地は、現島津製作所三条工場だそうだ。ここからも墨書土器が出土している。河原院のところで、潮焼きのトピックを話されていたが、発掘跡との関連に触れられたようで、そうでもなかったような気もする。うまく聴き取れていない。音響は悪くはないのだけどね、ここは。


2024年 2月 23日(金)午後 11時 6分

 今日は世間的には祝日のはずだけど、そういったことを、何をしても感じさせてもらえなかった。自分的には、お出かけなしの何もない、平板な一日。こういった日の活用として、洗濯日にしたことくらいだ。お天気は、相変わらず怪しげなもの、気温も下がり、冬に逆戻りです。週間予報を見ると、来週の旅行日は寒そうだ。ついこないだまでの暖かさは、何だったのでしょう!
 午後の一時は、目前の国内旅行ではなく、1ヶ月先の韓国旅行の準備。つい先ごろ、行程の最終決定だと思ってたことが、少々ぐらついている。前回で味をしめた鉄道移動を、今回も中心に据えているが、まだまだ、韓国鉄道の路線が、頭に入っていない。使い慣れていないので、本数の多少や、ダイヤの特徴とかが、頭に入ってない、全くの初心者なため、ちょっと手間取っている。前回の場合、苦労しなかったのは、「ソウル~テジョン~テグ~プサン」というメーンルートを、小刻みに繋いだだけだったから、こちらの思い通りに行ったが、全羅道方向は、そうは簡単には行かない。すっかり、イクサン(益山)で、路線が分れることを失念していた。モッポ(木浦)とスンチョン(順天)方向との分岐点が、そこにあり、黄紺は、今回、イクサンのソウル寄りのカンギョン(江景)からチョングプ(井邑)への移動を考えた、鉄道で。カンギョンは狭い町だし、行ったことはあるが鉄道駅は把握してないけど、見つけにくいということはないはずと、歴史を考えて考えていたし、確認のためにググっても、そうだった。チョングプは、鉄道駅とバスターミナルは近接していることは、よ~く知っているので、これは、鉄道だと思って、ダイヤを見ると、列車が偏在しており、ごぼっと抜けてる時間帯がある。あれれ、ソウル方向からカンギョンに行く列車の本数からして、おかしい。おかしいはずなんです、だって、カンギョンとチョングプの間にイクサンがあり、ここで二手に分かれるものだから、その先へ行く列車は、路線ごとに見ると減るのだ。丁度、黄紺が、カンギョンからチョングプへ移動したい時間帯には、何と、4時間も空白があるのです。これはあかん。前にカンギョンは行っているので、土地勘はあるのだけど、市内バスが、ノンサン(論山)とイクサンの間を走っている。ノンサンへは20分程だけど、イクサンは、その倍以上かかる。市内バスだとそうだから、どちらかの町に移動して、そこからチョングプに向かう、これが、1つの手。イクサンで、時間が欲しいから、イクサンは別の日を当てがっているので、この場合は、ノンサンへ行き、ノンサンの街歩きをしてから、バスか鉄道(4時間後の列車)を使い、チョングプへ行くことになるのでしょうね。2つ目の手は、どうやら、カンギョンに、新しいバスターミナルができているようなので、新しいというのは、以前行ったときには、橋の傍らの広場に、それらしきものがあった記憶があるからなんだけど、とにかく、カンギョンのバスターミナルから出ている市外バスを調べることだね。恐らく、チョンジュ(全州)行きくらいはあると思うので、それがあれば、即決です。3つ目の手もある。カンギョンで4時間過ごす。日本統治期の建物などが整備されたり、ミュージアムができてるようなので、以前ほど、あっさりと引き上げることはなかろうと思うので、再訪問するわけだけど、4時間は、さすがに長い。その日の投宿地と考えているチョングプでの時間も欲しいしね。今回、チョングプも情報収集を、新たにしてるんだけど、イ・スンシン(李舜臣)の赴任地だったそうで、それの顕彰碑となるチュニョルサ(忠烈祠)があるそうだし、甲午農民戦争の発端の地コブ(古阜)に資料館ができてるそうだしと、時間を確保して行ってみたいしね。天気が良ければ、コブはいい田舎だしね。夕方のウォーキング時に、でもなと思ってしまった。カンギョンからチョングプへの移動に困るんだったら、元に戻したらどうとか、カンギョンは、ソウルに戻るときに寄ればいいじゃんという囁きが出てきた。再度の行程変更も視野に入れながら、もう少し悩めということですな。こんなことが、旅の醍醐味というやつですな。自身で、旅を組み立てることなど考えもしない輩からすると、ノイズでしかないけどね。


2024年 2月 23日(金)午前 7時 12分

 昨日の予定は、2日程前までは空きの木曜日だった。ところが、今日、行く予定にしていた落語会が、急に中止になった。主催する噺家さんが、事情で落語ができなくなったそうでというか、そういった連絡をもらった。予約も何もしてなかったが、客の勘定に入ってるようで、連絡が入ったのだ。慌てた。その落語会に行く前に、国立国際美術館に行き、その道すがら、中之島香雪美術館に行き、このあとに始まる展覧会の前売券を買うという予定を立てていた。その1本が崩れたけれど、あとの2本は活かしたい。そこで、抜けた1本の替りを探そうとしたところ、今日ではなく、空いている昨日、替りが見つかったので、今日を空き日にして、昨日は、大阪でハシゴをすることにした。午前11時開演の「木曜おはよう講談会」に行き、お昼ご飯は鶴橋まで行き韓国料理にしたかったが、2軒目からは離れるばかりなので、せめて玉造界隈に韓国料理屋はないかとググると、あった。おまけに、あまりメニューに入っていないユッケジャンがあったので、あっさりと決めた。パンチャンが4種類出てきた。そして、ユッケジャンの登場。見た目は美味そうだった。卵の散り方もよく、美味そうに見えたが、えらい反則だった、このユッケジャン。肝心の薄切り肉が一切れも入ってなかった。菜っ葉ばかりで、そこに卵を落としてるから、お汁がどろつくような感じで、重い。これ、似非ユッケジャンやった。ご飯も、ちょっと多めだったんだけど、お汁も結構あったので、めっちゃお腹にどんと来た。満腹感は凄い、あくまでも黄紺基準だから、普通の人にはいい感じの量かもしれない。いい感じのアジュマたちのお店だったのに、残念。そして、地下鉄移動で肥後橋へ。次に行ったのが国立国際美術館で、帰りに中之島香雪美術館に寄り、狙いのチケットをゲット。この美術館には初めて入ったというか、あの新しいビルができてから、ビルそのものに初めて入ったけれど、知らない内にホテルなのかな、そっちに入ってた。美術館へは外からのエレベーターに乗るんだね。そして、美術館はゴージャスだった。場違いの人間が入ってしまった感、いっぱいだった。サントリー美術館のある東京ミッドタウンに入ったときの空気、あれね。
 講談会は百年長屋。ここもコロナ禍以後では初。コロナ禍前に行った最後の演芸が、ここでの講談会だったと記憶する。ようやく帰って来たというところ。以前から狙ってはいたが、1時間の公演なので、これだけではと思い、日延べしてあった会。昨日のようなコンビネーションだと、行きやすくなるね。逆に1時間という時間がありがたい。受付には、なんと左燕さんが座っていた。名古屋で観ているので判ったのだけど、一海君のように、気軽に声を掛けにくい雰囲気のある方。だから、巣通り。冒頭のトークで判ったのだけど、この人、早稲田の出身とか。これで、上方縁(ま、旭堂だからいいでしょう!)の芸人さんでは、早稲田出身は、健枝郎に次いで2人目となる。番組は、次のようなものだった。一海&左燕「トーク」、左燕「信長、清州出城」、一海「楠木の泣き男」、南湖「女義太夫師豊竹呂昇一代記」。この会は、南湖さんか南華さんのどっちかに、一海くんが組むという番組が定番なところに、昨日は、左燕さんが飛び入りということだったらしい。名古屋で聴いたときのメモには「まだ、声ができていないけど、構成力がありそう。実年齢は若いと思うけど、あまり溌剌とはしてなかった」と書いていた。声は、何か独特の発声という印象に変わっていた。少し絞り出し気味と書けばいいか。そこへ、やっぱ似るんですね。左の師匠の口調が出る。ふっと砕けた物言いするところも、左の師匠のような、上手いタイミングずらしじゃないけど、何となく似ている。相変わらず溌溂とはしていない。冒頭の「トーク」からして、明るさとか、そういったものがないから、そういった喋りが素なのでしょう。ネタは、桶狭間の戦いに出る信長と書けば、あっさりとまとまるかな。ネットで偶然知ったのだが、一海くんのネタは、前日のたまの会で出していた。そして、マクラで言ってたけれど、なみはや講談会で本を出すそうだが、その中に、講釈師1人ずつネタをテキスト化して入れるそうで、一海くんは、この「泣き男」をチョイスしたそうだ。ということで、自信作と看た。別に、そうは思わなくても、入門仕立ての頃から、しっかりとしたお喋りだっただけに、どれを聴いても、安定の口演だと思う。昨日の口演も、言うことないほどの安定感、いい間もあるし、程よい抑揚があるしと、とっても耳に心地よい。おかげで、少し寝落ちしてしまった。南湖さんのネタ、全く知らないネタ。誰かが出してるとか、そういった情報の欠片もないネタなので、驚いた。南湖さんの創作なんだろうか? 主人公は、ウィキペディアにも上がってる有名人で、この人の伝記も本になってるようなので、そういったところから取材された可能性もあるなと、勝手に思っています。久しぶりのお二人の口演に満足。
 国立国際美術館は、特別展(古代メキシコ)の方ではなく、コレクション展「身体———身体」の方に行ってきた。一番古いものでセザンヌ(宴の準備)、次いで、ピカソが2点(ポスターのある風景、肘かけ椅子に坐る裸婦)、ピカソの後者などは、身体表現の古いスタイルを例示するために展示されていた。女を描く場合、椅子に座らせてポーズをとらせていた、その例として。もう1点、例示されたのが藤田嗣治(横たわる裸婦(夢))。正に、お題のまんまの女を描くというスタイルは、枚挙にいとまがない、その例示として使われていた。入口正面には、高松次郎の「影」があったが、今回の展示の目玉的な扱いがされてると、この美術館のHPを観ていて思ったんだけど、そのわけが判らなかったのだが、解説文を読んで、ようやく判った。万博にあった旧の美術館の共有のフロアに使われていた壁画だったそうだ。それが、旧の美術館が解体されたときに、新美術館に移行されていたのだが、隣の中之島美術館が建設されたとき、振動が起こり、この作品が影響を受けるかもということで、それまでの展示場所から撤去、合わせて修復作業も行われ。今回が、そのお披露目となった展示だそうだ。曲面に描かれた絵だとは、到底、思えない。旧の美術館では、実際にあった柱の影が、この作品に当たるように配置されていたそうで、虚実ないまぜの作品だったそうだ。身体を通じて、既定の感情なり、思惟を越境する試みを展示する、そういった展覧会だったようだ。越境してカオスが生まれると、何が本当で、そうでないか、何が中心で、いや、そうでないかとしてきた仕掛けが浮かび上がります。そういった試みに満ちた作品群が並んでいたということなのかなと思いながら観ておりました。ルイーズ・ブルジョワの「カップル」が、「影」に次いで、大きな扱いで展示されていたが、古着を使った「彫刻」という言い方をするようだけど、男女が絡み合う上半身を表している。自分的には、めっちゃエロい作品にしか観えなかったんだけど、、、。そこで、気を取り直しての「20世紀欧米の美術」のコーナーが始まる。出発点がセザンヌでありピカソだった。無難です。マルセル・デュシャンもあった。モナリザの絵の外枠に「L.H.O.O.Q」と書かれ、それが題名になってたけど、意味が解んねぇ。ここは、様々なスタイルの現代への入口と言えばいいコーナーだったかな。おしまいの方には、アンディ・ウォーホル(4フィートの花)のようなポップアートもあった。そのあとが、「女性の美術家と彫刻」というコーナー。このあとに、女性の描き方、女性ならではのアート的なものが置かれているコーナーもあったので、身体という切り口で、女性の美術という分野での扱いを示そうとして、敢えて、このコーナーを設けたように思えた。三島喜美代(Box CG-86)、草間彌生(道徳の部屋)、塩田千春(トラウマ/日常)といった著名な国内作家の作品も並んでた。三島作品は、定番の紙を陶器で表現。草間作品は、銀色のビニール素材を突起物状にして、ぎゅうぎゅうに詰め込みながら、縦長の大きな枠3つに詰め込んだもの。引いてみると、水玉の詰め込みに観える。突起物&お題を組み合わせると、イメージが膨らむ。塩田作品は、箪笥の内側だけを取り出したかのように思える作品。網状に張り巡らされたファイバーの中に、2つのシャツが吊るされていた。ヴィジュアル的には目を引くが、何なんでしょう? 日常に絡めとられている姿を表している? 他の作品は難解、中でも樹脂を使い湯たんぽを内側から型どりをしたものなどがあり、頭の中には閃きの欠片も出てこなかった。ま、現代アートって、多くは、そんなものだけどね。この展覧会のコーナーで、一番興味を引いたのが次の「身体という領土」というコーナー。身体は、往々にして「土地」に擬えられるというコンセプト。確かに、所有から発して、略奪とか侵略、支配なんて言葉が付きまとう。ここに、旧のタイプとして、藤田やピカソの作品が例示されていたのだ。鷹野隆大の「ヨコたわるラフ(1999.09.17.L.#11)」が傑作。おっさんのヌードを撮った作品。横顔から見て、どう考えてもおっさんだけど、足元方向斜め上から撮ると、えらくエロく映る。越境してます。馬六明(マ・リューミン)の「ベイビー No.6」は、今度は性の越境ではなく、エイジの越境。男の顔を撮ったものだが、メイクでベイビーに見える。オルランの「これが私の身体・・・これが私のソフトウェア・・・」は、自身の身体に整形を加えた姿を撮るという、正にコーナーのお題にひっそうた作品。ここまで、露骨に見せられると、たじろぐしかないね、問題の投げかけに。石川真生の「アカバナー」も、インパクトが強い。お題は「赤い花」のうちなーぐちで、ハイビスカスを表す。米軍キャンプ前のスナックで、自ら働き、米軍の兵士と交流している姿を撮った作品。虚実ないまぜかと思っていたけど、実ばっかに、これまた、たじろぐしかない。何とも言えない、本土では感じられない沖縄が浮かび上がってた。そして、最後の広いスペースに大きなインスタレーション作品、ブブ・ド・ラ・マドレーヌの「人魚の領土―旗と内臓」、原題が「A Mermaid’s Territory - Flags and Internal Organs」だから、そのままの訳語が当てられているが、「人魚」と書かれているから、それと観るしかないという形状。小ぶりの鯨に観える。そもそも「人魚」自体が、境界をまたいでいる。その体内には内臓を表したと思える玉入れに使うような形状&材質のものがある。人魚自体は、網で作られているから丸見えなのだ。その腹からこぼれる内臓。そのこぼれ落ちるものに付けてあるのが旗? 先っぽが床に着き、それに重しと見える玉が付けられているというもの。色彩が明るく、爽やかだから、子どもにも見せたくなるような感じがした。「越境した存在の身体から越境している」と看える。人魚自体は空中に吊るされているので、丸で海中を浮遊しているようだ。ぱっと見、きれいだけど、何か目を背けたくもなる。体内からこぼれるものがあるからだろう。そういった越境するものに対する不安を見せる作品なのだろうか? だと、正に現実を見せるインスタレーション作品だが。やっぱ、現代アートは、おもろい。解る解らないがあって当然。解ると思っても、解ったつもりに過ぎないという不安も醸成するものだ。そこに、考えている自分があり、感じている自分があるから、おもろいんでしょうな。


2024年 2月 21日(水)午後 10時 24分

 今日も、朝から雨。時々、強く降ったりするので、質の悪い雨だ。午後に、市民向け公開講演会を聴きに行く予定をしておいたので、午前中に、買い物がてらのウォーキングをしたかったが、当てが外れてしまったが、ちょっとだけやってみた。丁度、雨脚が強くなりかけたので、先に近くのマートにより、買ったものをバッグに入れてあることにすると、うまい具合に、マートを出ると、強い雨は緩んでくれていた。そこで、気を緩めると、最近の雨は、簡単に機嫌が変わるので、自宅を中心に円状にコースをとり、ミニウォーキングを実施。思惑通りの時間、ウォーキングができて正解。市民向け公開講演会の往復にもウォーキングを組み込んだが、酷い雨は避けることができた。帰宅後、万歩計を見ると14500歩余だった。まあ、ここまで持って来れたのは、努力の賜物だね。
 市民向け公開講演会は同志社大学公開講座。これは、田辺キャンパスで行われているもの。アクセスが、なかなか厄介。夏の部3回は、既に終わり、冬の部の3回は、今日から始まった。こちらの講座は、毎年、テーマを決めて、関連の講座が組まれるが、考古学関連で通されてきたので、今日も、そうだと思っていた。夏の3回もそうだった。そこへ、今日は、とんでもない変化球が飛んできた。びっくりしたが、自分的には大歓迎のテーマ。確かに、年間のテーマ「歴史の中の象徴と儀礼」からは、全然、外れていない。でもな、コーディネートされている方、考古学の専門家だよ。なんと、朝鮮寺が取り上げられたのだ。時代は近現代、しかも、在日朝鮮人問題そのものなんだから、めったに、こういった市民向け公開講演会では取り上げられることがない。こういった講演会に通い出して以来、この関連の講演って、僅かに1回だけ。そんななか、出ました。しかも、すっかり記憶から抜けていた朝鮮寺問題。存在すら、世間の人は知らないだろうしね。周りの爺婆の反応も眺めながら聴いておりました。お題は「桜ノ宮‶龍王宮‶ 済州島出身女性たちの祈りの場」、お話をされたのは同志社大学人文科学研究所専任研究員(助教)の本岡拓哉さんだった。「龍王宮」というのは、初耳だったが、桜ノ宮駅近く大川縁にあった(過去形)朝鮮寺。自分的には、朝鮮寺というのは生駒山系にしか、その存在を知らなかった、山系と言っても、とってもアクセスの悪いところにあると承知している。幾つもある朝鮮寺の内、行きやすそうなところを、確か2箇所、人に車を出してもらい行ったことがあるから知っている。が、今日、取り上げられたのは、大阪のど真ん中。どうやら、その辺りで、礼拝をする人がいたようで、1920年代には行われていたという研究もあるようだ。近くの水上生活者の中に、多くの在日の人がいたことも判っており、それに呼応していたようだ。それが、龍王宮という名を持つ寺ができたのは、戦後も戦後、どうやら、その辺りにあった水上生活者の家を撤去して、整備が始まったときの飯場跡にできたようだと言われていた。その時期は1960年頃と言われたかな。そこにそういった祭祀をする人がいて、場所までできたとなると、多くの在日の人たちがやって来たと言います。それが、今から14年程前に、新たな整備が始まるということで退去が求められ、なくなったそうだ。そんな最近のことなら、絶対、眼にしているはずなんだけど、全く、そういった噂も聞いたこともないどころか、桜ノ宮のその辺に、そのような建物があったというのも記憶がない。その頃の写真も見せていただけたが、記憶の埒外だったし、建付け自体がバラックと言っていいものだったから、記憶に留まるわけもなかろうと思ったが、その一方で、30年以上前に探しに行った生駒山中の朝鮮寺の建付けがそうだったよねと納得もした。その龍王宮は済州島出身の人の運営だったこともあり、戦前の朝鮮人の渡日の経過の概要のお話があった。「土地調査事業」「産米増殖計画」などという歴史的な事象が、こういった場で語られることが快挙とすら思えるほど、日本の歴史認識はおかしくなってる。整備で亡くなる前の調査記録を残すことに関わられたようで、その詳細を話されたが、今日は、ここで寝落ち。ただ、「クッ」と呼ばれる、民俗的な信仰の場だったようだ。仏画も使われていたそうで、習合も見られたことになるわけだが、ごちゃまぜ感も残るようだ。場所もいいということで、かなりの人がやって来ては祈りを求めて行ったようだ。ということは、排外的な社会、また、集まって来ていたのが女性だということもあり、日本社会から、また封建的な家族社会からの「アジール」の意味合いもあったのだろうと言われていた。そういった場所が、かつての大阪にあった。そういったマイノリティの人たちが憩う場があったということは、大阪の持つ懐の深さとも言えるとも言われていた。その一方で、今の大阪はと言われて、言葉を飲み込まれていた。会場が、ほっと緩んだ瞬間だった。今日のお話が受け入れられたかもと思ったときでもあった。終了後、気になってたこと2点、直に尋ねに行った。生駒山中の朝鮮寺も、同様の形態だったのか、それに対しては、「いろいろ」という回答だった。仏教寺院もあれば、ごちゃまぜもある、民間信仰のまんまもあるということで、そんなのも含めて、朝鮮寺と呼んでいるようだ。2つ目は、お話の中で使われた引用に「塚崎」という名があったのが気になった。そこで、「ひょっとしたらと思いお尋ねします」「タチソの塚崎さんじゃないですか」、ドンピシャだった。そして、「私の師匠に当たる方」「残念ながら、去年、亡くなられました」と言われ、驚いた。「どこでも行ってしまう元気な方」という評し方を聞いたことがあった人、そのおかげで、タチソの発見という事績を残された。お名前だけは、何度も聞いた方だっただけに、愕きも格別のものがあった。


2024年 2月 21日(水)午前 6時 45分

 昨日も、気温は上がったまま。週末くらいには下がりそうだと、天気予報では言ってた。天気自体はよくなかったので、外出には折り畳み傘を持って出たが、結局、使うことはなかった。その外出は、朝から出かけ、大阪でハシゴ、帰宅は午後5時半を少し過ぎていた。まず、初めて行くあべのハルカス美術館に行き、せっかく天王寺まで行くのなら、ハルカス寄席か動楽亭昼席に行けるということで、こちらの空き日と寄席の顔付けを照合して、昨日という日、そして、動楽亭の昼席を選んだ。展覧会の出展数や両者の移動時間&就職時間を考え、家を、午前9時半に出ればいいかと踏んで、正解。唯一の誤算は、お昼の場所と考えていた飛田新地近くの韓国料理屋、わりかし最近、営業しているところを確認していたのだけど、閉まっていた。お昼時に閉まってたというのは、止めたのかな? ずっと狙ってて、行けてなかった店だっただけに、気になる。替りに、近くの中華料理店へ。王将以外の、その関係の店に入るのって、ホント、久しぶりだった。麻婆丼を食べたけど、なかなか美味かった。串カツ屋ばかりが目立つ界隈だけど、そっちじゃない方に、いい店、見つけました。
 あべのハルカス美術館では、「開館10周年記念」と銘打ち「円空―旅して、彫って、祈って―」という展覧会が開かれているということで行ってまいりました。さすがに、これは外せない。人気の円空仏だけに、人出が予想されたけど、平日ということで観るのに困るということはなかった。昼時にかかろうかという時間になると、人出は落ちていたので、やっぱ、狙うのは、その時間なんだよね。欲張って、落語会と組合せで行くとするから、その昼時が出足が落ちるのが判っていながら、それよか窮屈な時間帯に行ってしまった。自分的には、TV画面などでは観ることはあっても、生で観たのは、岐阜県美で数体だけ。それも、現代アートの合間に展示されているという、ちょっと捻った展覧会だったので、円空仏にターゲットを絞った展示は初めて。岐阜県に、専用美術館が、確かあるんだよね、ピックアップはしながらも行く機会は、まだないので、余計に、今回の展覧会は楽しみだった。その少ない知識からして、円空仏の特徴を決めつけていたように思えた、この展覧会を観て。どうしても、奔放で、素材の持つ力を引き出すかのように、素材にひっそうた仏像とインプットされていたが、とっても、己が浅薄だったことを知る展覧会でもあった。展示は、大まかな時系列で行われていた。この冒頭、「旅の始まり」「修行の旅」という2つのコーナーでは、初期の作品を観ることができたが、これらは、円空仏のイメージとはかけ離れた、よく観ることのできる仏像の風体だった。そういったものから、自分の持つ円空仏のイメージに従うような姿、顔つきに変わって行く。ここが大事な変化なんだけど、この変化の基にあるものは何だったのでしょうね。自然木そのままで、顔だけ彫ったというものも出て来る。粗く、だが、勢いのある彫り、何か、素材となっている木の持つ生命力のようなものを、外へ導き出しているような彫りと思えてしまう。園城寺に連なる人物だったそうだ。そういったことの詳細を含めて、旅を続ける僧というイメージが強いものだから、アイデンティティともなるような寺院との関係も判っている。だからか、円空について書かれたものが多く残っているということを知ったのが新鮮だった。だから、結構、制作年代が特定されている。彫りの斬新さだけではなく、数の多さにも圧倒されるのが円空。木っ端を使ったと思われる、小さな仏像が、近年、厨子の中から大量に出てきたということで、その一部が展示されていたり、円空が逗留していた岐阜県の千光寺の仏像が「祈りの森」として展示されていたんだけど、そこには、同じような彫りで、しかも粗削りで、それが何体も並んでいた。檀家の人たちに貸し出しもされていたとか。数の多いのは、できるだけ多くの人の救済を考えてのものか、、、。だと、これぞ、衆生救済を具現化したもののようですね。篤い信仰心と、宗教者としての強い意志を感じさせられるところです。岐阜県の寺院に円空仏が多数残るのはそうだと思っていたが、旅を続ける僧として各地に仏像を残しているのは知られたこと。今回は関東に残る仏も多く出ていた。この旅をして、各地に仏像を残すということも、結局は、その信仰と強い意志の表れと思えるところ。最後のコーナーは「旅の終わり」として、晩年の作品が並んでいたが、ここの仏体の表情の穏やかさは、自らの人生に悔いなしという総括とも思える。とってもいい表情。ここまで観てきたものに、このような穏やかさがあったろうかと思い、もう一度、冒頭から観直した。すると、あった。自然木のままの仏像にも、顔だけは彫ったというが、その顔も穏やかさが宿っていた。でも、晩年の穏やかさは、彫る円空にも向いているように思えた。それまでは、衆生に向けた眼差しだったが、円空自身の心の穏やかさが宿ってるように思えた。だから、人生に悔いなし的なイマジネーションが働いたようだ。その中で、一番気に入ったのは、岐阜県神明神社に残る「善財童子立像」「護法神立像」の2体、これが並べて展示されていた。ひょっとすると、観音像の脇にあった2体かもしれない。「ぜんざい、ぜんざい~」、これは「景清」で、観音が現れるときに発せられる台詞だから、そうかなと思ってしまった。晩年を象徴するのではないかと思えた仏像でした。
 動楽亭昼席は、今月2回目。顔付けとかを見て、椅子の配置を、予めされるようで、昨日は、その配置通りの客の入り。それが決まると、入りがいいなと思ってしまう。20人ちょいくらいかな。それを考えると、前回、米紫がトリを取ったときの入りはなかなかのものがあったということ、35程行ってたからね。その番組は、次のようなものでした。二豆「松山鏡」、二乗「写真の仇討」、由瓶「ガマの油」、花丸「電話の散財」、(中入り)、福矢「阿弥陀池」、米団治「稽古屋」。二豆が「松山鏡」をやり出しているというのは情報としては持っていたので、これは、早々の遭遇とラッキー感があったが、二豆にしては、珍しくつっかえかかったり、ちょっと発展途上という口演。そんなだから、田舎という空気、主人公の純朴さまでは、これからと言ったところ。兄弟子の二乗が続くというのが、この日の顔付けのいいところ。急に客席の空気が和らぐ。ということは、二豆の高座は、黄紺同様に、皆さん、感じてたのかなと思ってしまった。この「写真の仇討」が圧巻。生でも聴いていたが、いつぞやラジオの放送で聴いて以来、この二乗の口演の素晴らしさを認識している。アホに突っ込むクレッシェンドがいいので、めっちゃリズムがあり、おもしろいのだ。昨日も、ラジオの快演通りの口演に、大満足。ここで、トイレに行きたくなり中座。由瓶の高座は、後ろのベンチ席で聴く。マクラで、自分でアウェー感を煽るというところが由瓶らしい。そして、それを口に出すのも、由瓶らしい。そういった自分のワールドに持ち込み出したのが「ガマの油」。遭遇機会の多いネタ、なぜなんだろう? 由瓶はネタも多いのに、当たってしまう。これは、ネタ下ろしも聴いている。なぜか、その場所まで覚えている。不思議な縁のネタ。花丸は、ついに禿頭姿で登場。かなり薄くなってたので、残ってるものを、一挙に無くした体。かつてのイケメン噺家も、時の経過には勝てません。その散髪の模様もマクラで使うという抜け目なさも見せてくれました。ネタは、林家十八番ネタだったけど、途中で寝落ち。昨日は、ここで出てしまいました。福矢も、この顔付けの狙いだった人。随分と顔つきが変わっていた。色も黒くなっていたから、どこかですれ違っても判らないなと思った。だけど、生ッたれた口調は健在。それで聴く「阿弥陀池」がいい。カットはあっても、ほぼ原型のテキストでの口演だから、散々、聴いているのに笑かしてくれる。偏に、その生ッたれ口調のおかげ。それを聴きたかったんだよね。大正解。動楽亭で聴く米団治も、当然、狙いの一つ。マクラでは、たっぷりと襲名時を振り返ってのお喋り。これもネタになってるなと思えるもの。長さと言い、内容と言い、これは、いつものネタになるなと思ってたら、ドンピシャ。「七段目」かこれかというところです。そう言っても、やっぱ、米団治の踊りの所作を観れるのは、これはありがたい。この人ほど、今の噺家で所作のきれいな人はいないからね。それも、抜群だから。そんなで、ここでも満足。動楽亭昼席にしては、定番ネタが続いたけれど、でも、いい午後です。円空観て、落語聴いて、ホント、いいね、この並び。


2024年 2月 19日(月)午後 8時 22分

 今日は、ほぼ一日、雨が降っていた。昼前のウォーキングの最中に、一時、止んだので、雨はおしまいかと思ったけど、そんなことはなかった。酷い雨ではないけど、続くと嫌だね。気温も、気持ち悪いほど上がっている。空調を入れないで、電気ストーブだけで過ごせる。まだ2月だよ。そう思うから、ウォーキングのため出かけるとき、どうしても厚着になってしまってる。先日までよりは、1枚は脱いで出かけても、ウォーキングをして家に戻ると、薄っすらと汗をかいているから、また、まだ2月だよと呟いてしまってる。それでも、傘さしウォーキングで、ほぼ通常通りの量をこなした。万歩計を見ると16500歩余となっているから、普段と変わらない。昼前のウォーキングでは、屋根のある公園で休憩&読書ができたから、こちらも通常通りだ。
 今日はお出かけなしの日、オンライン配信の予約とかもなし、全くのフリー。そうなると、月曜日のお楽しみは、夜に米朝事務所チャンネルで生配信されるYoutubeの動画だけ。これは、いつも通り、リアルタイムでは視聴せず、アーカイブで、時間をずらして観るのは、いつものこと。晩酌の友にしたいので、毎度、そうしている。午後の一時は、旅行が来週に迫っているので、いつものように資料をペーパーで持って行くため印刷をした。今回は、既に、美術館で1つ、オンラインでチケットを買ってある。eチケットなもので、スマホにトラブルがあったら、どうしようもないパターンだ。明日行く美術館もそうだ。同じチケット会社なんだけどね。2つの美術館は、クーポンを、ウエブ上に載せてくれている。こちらは、念のために印刷しておけば、トラブっても大丈夫だ。今回は、名古屋周辺を巡る、ちょっと複雑な行程。スマホさえ順調なら、何ら問題ないんだけど、こちらも想定時間で動けるかどうかは別にして、経路、所要時間などメモ書きにして印刷した。殆ど杞憂だろうとも思うし、実際、ほぼ使わない。スマホで検索するよりか、簡単に判ると思ったときしか使わないんだけど、知らない土地に行くと思うと、国内でも準備をしてしまう。ま、そんなことをしながら、旅行気分にスイッチが入って行くことも確かだから、全く無駄ではないと思ってる。午後の一時は、もう2つ。1つは「ブラタモリ」の過去映像(宇和島編)を1本観たというか、半ばから寝落ちしたから、不満が残ることになった。家でTV番組を観ていても寝落ちするんだから、講演会で寝落ちしても不思議じゃないなと、変な感心の仕方をしている。2つ目は、先日、7月にも韓国に行くことを決めた。安い航空券で、且つ、珍しい空港に行けるということで衝動買いをした。チョンジュ(清州)イン・アウトな航空券なのだ。3月がインチョン(仁川)イン・アウトで全羅道に向かおうと思ってる。それに対して、チョンジュへ行ったら、ポウン(報恩)で宿をとり、郊外にあるサムニョンソン(三年城)とホプチュサ(法住寺)に行き、ポウンからテジョン(大田)へ抜けたいと、かねてから思ってたので、テジョン? だと、全くではないにしても、方角が被るやんということで、熟考したのが2つ目だ。チョンジュからはチュンジュ(忠州)やテチョン(堤川)へ向かいたいが、反対方向になるのだ。結論、被ってもええ、これです。3月と7月は、ともに全羅道に向かおうじゃないか、棲み分けをして向かおうじゃないかと、今のところ、それで予定を立てることにした。そのため、3月の行程も微調整。ぼつぼつ1ヶ月前だから、韓国国鉄のチケット発売になるから、判断をしなきゃいけないというのは頭に入っている。とまあ、前回で味をしめ、鉄道主体の移動を考えています。微調整の結果、3月は、全てが鉄道になりそうです。1区間だけ、バスを使おうと考えてたところをいじったら、鉄道を使いたくなったのです。バスターミナルと鉄道駅が近接した町に行こうと変更したのでね。鉄道だと乗り換えなしが確定だしね。バスでも乗り換えなしもあるんだけど、本数が少ないのは判ってるので。ま、そんなことが、即座に判るほど、訪問頻度の高い町、要するに、好きな町なのです。


2024年 2月 19日(月)午前 6時 00分

 昨日は、午後に遠出をしてのコンサートに行く予定を入れていた日。日曜日だし、昨夜はマッチがあったし、朝からは定番の「日曜美術館」はあるしと、なかなかタイトな動きとなった。そんななか、30分も時間を確保できないのに、お出かけ前にウォーキングに出かけた。午後の外出時も、アクセスにはバスを使わず、最寄駅からは、片道30分を歩き、なんとかウォーキングを補充。帰宅後、万歩計を見ると、14700歩余、ま、これは、昨日のタイトさを考えると上出来の部類だ。
 「日曜美術館」は、今、東京国立博物館で行われている展覧会場に、MCの小野さんが足を運び、作品紹介が進む一方の合間に、解説が入るというもの。お題は「光悦 愉楽の書」、本阿弥光悦が取り上げられた、しかも、書にシフトした内容だった。もちろん、マルチナタレントの持ち主だということを押さえた上ではあったが。「書の革命」「日本の美意識を変えた」という言葉が躍った。後者も書を通じてのものだった。いきなり、小野さんが足を運んだのが「①舟橋蒔絵硯箱」。国宝中の国宝が、いきなり登場。形状を捉え、「盛り上がりは硯箱のようでない」と造形に話が進むのかと思うと、ポイントは「文字と造形の美」。書かれた文字が、独特の造形、美の一翼を担っているという掴みで、これが持って来られた。「②本阿弥光甫/本阿弥光悦座像」の画像に、経歴が被る。刀剣を家業とする家に生まれた。その刀剣制作、刀剣を見る目を本阿弥光悦は持っているいうコンテキストが導かれる。「③黒楽茶碗銘時雨」が登場。これも著名な茶碗。「作陶には決まった形はない、口が薄く底が厚い、ざらざら表面、割れ目は計算?それを感じさせない」といったコメントが付いた。これを示し、マルチなアーティストであることを示すとともに、自由な発想の持ち主であることを、さすが、これを観ると思うわね。「土の刀剣」だとの言葉まで出てきた。家業で受け継がれてきた刀剣に対する目が活かされていると言いたいのでしょう。前振りが、いっぱい用意され、いよいよ本丸の書へ。ただ、近代までは、本阿弥光悦は能書家との評価はあっても、それ以上のものではなかったそうだ。その本丸が「④鶴下絵三十六歌仙和歌巻」。ぱっと見でも、凄いと思わせるものだけど、解説を聴くと、その何倍もの凄さが出てきた。神がかり的なタレントです、本阿弥光悦というのは。俵屋宗達の下絵に、本阿弥光悦の書が被る、その書が絶品で、文字と鶴がともに躍動しているどころか、「音楽も感じさせる、アニメみたい」という言葉が出ていた。「放ち書き(一字一字つながっていない)」「縦でなく横に目が行くようにしている」「太い細い双方で書く」「散らし書き、、、三角形の構図を使い、波のような動きを見せる」「鶴が舞い上がると静寂が生まれる、それを書でも表現=薄い字を使う、それは鶴の飛翔に目をやるようにとの配慮」「室町期にはない命毛を使う、それで、太い線と細い線との対比が強く出る」。「⑤直筆書簡」、「⑥初期の書簡」の筆と比べると、明らかに進化している。無意識かもしれない三角形に収まる書。青蓮院門主尊円のスタイルを受け継ぐ青蓮院流の書き方のようだ。「⑦伝小野道風の書(自由)」「⑧四季花鳥下絵新古今和歌集」「⑨立正安国論(法華宗の信徒であった、母親の供養のために書き写した)」。当時、上層町衆は日蓮法華宗に寄与、光悦もここに入る層。当時の法華宗の教えでは、現世(利益)を肯定して、一族全てが同じ信仰を持つことを求める。従って一族内で結婚が進む、宗達も一族に入る。法華信徒のネットワークで、作品が生み出されているようだ。鷹峯が一族の住む地域として家康より拝領される。自由に創作することが功徳と考えられ、因習を変えねばならないという日蓮の意識に合致(娑婆即寂光土)。「⑩長谷川等伯/日蓮上人説法図」で、日蓮の姿が添えられた。55歳で体験した病気のあと、手のしびれが残るなか、「立正安国論」を書く。ありのままの身体状況で書いており、楷書、草書、行書が混じっている。信仰に支えられた確固たる意識で書いている。いや意識化されないで書けば、出来上がるという感じなのかもしれない。ある直筆の書簡を示し、空間配置を考え、文字をずらすなんてのは、そうだろうと解説されていた。凄いわ、何度、この言葉書くんだろう。
 午後は、守山まで出かけた。去年の夏、二葉独演会に出かけて以来のこと。遠出ということで、守山でお昼を摂ることを考えたが、狙いの店2つに嫌われた。日曜の昼ということで、ダメだった。守山市民ホールまで歩くのだから、どこかで出会うだろうと思いながら歩く。店があると、手が出ないお値段。なんか、リュークスな感じを受けてしまう。街の雰囲気も、どことなくそうなので、早々に諦め、コンビニがあることをググって確かめ、イートインを利用することにした。今後、守山市民ホールに行くことがあれば、これだなと思ってたら、帰り道、同じ道を通ると、黄紺がイートインで利用したコンビニの隣に「ほっともっと」があった。あまりにリュークスな「ほっともっと」だったので、往きには、全く気付かなかった。隣には公園があるので、今後は、こちらを利用しましょう。今のところ、守山に行く予定はないけど。
 守山市民ホールでは、葵トリオのコンサートがあったのだ。帰り際で、ようやく思い出したが、このコンサート、去年、宇治での藤木大地のコンサートに行ったとき知ったんだよね。いずれも、どこかの企業がスポンサーになって、地方都市でのコンサートを支援する事業に応募して当選したコンサート。その一覧が、宇治で配られたので、そこに、この守山市民ホールでのコンサートが入っていたことで知ったはず。大阪でも、葵トリオのコンサートは見かけるけど、昼間でないと行かないからね、最近は。そんなで行ったコンサート、プログラムは、次のようなものでした。「モーツァルト:ディヴェルティメント(ピアノ三重奏曲 第1番)変ロ長調 K.254」「シューマン:幻想小曲集 Op.88」「ブラームス:ピアノ三重奏曲 第1番 ロ長調 Op.8」。そして、終演後に、横原千史(音楽学、音楽評論)さんを聞き手に、ポストトークまで付くという結構なものでした。そのトークで言われてたことなんだけど、結成時に演奏していたブラームスを、またやってみたくなり、この間、演奏しているそうで、ヘビーな曲なんで、あとは軽めの曲を並べたそうだ。しかも、シューマンは稀曲というおまけ付き。確かに、そうだ、存在すら知らなかった。でも、あろうことか、ここで、気が付くと、音楽が跳んでいる。前から3列目の席なのに、寝落ちしていた。コンサートに来てまで、やっちゃいました。そのため、この稀曲、メモすら残せない、無残です。演奏を聴いていて、一番、よく思ったのは、お互いに、音を、よく聴いてる、もちろん、自分の出す音もだけど。だから、バランスが、めっちゃいい。リズムの揺れも、見事なハーモニーを見せる。冒頭のモーツァルトが始まった途端、その躍動に、まず驚かされた。これだよ、葵トリオ、初めてびわ湖ホールでだったと思うけど、聴いたときに感じた、わくわくした感じ、それ、思い出した。一番、印象に残った箇所がある。ブラームスの1楽章で、秋元さんが、スタッカートを入れて弾いた。ドキッとした。「あれ、そこ、スタッカート入れる?」と思った直後、ヴァイオリンとチェロも、示し合わせたかのように、ごく軽いスタッカート気味の音を入れた、揃えて、「めっちゃ、オシャレ~」と心の中で叫んでた。モーツァルトもそうだけど、図体の大きな弦のチェロの濃淡の付け方で、曲の雰囲気作りが出来上がってるように思えた。それを、通奏低音気味扱いのモーツァルトでもやってたのが印象的。音楽作りのベースにしている。かとも思うと、小川さんのブラームスで見せたパワーにたじろいだ。この人、新年度から名古屋フィルのなんちゃらコンマスに就くそうだ。秋元さんは、モーツァルトが抜群。以前、カフェモンタージュで、この人の演奏を聴いて、西宮芸文まで、リサイタルを聴きに行ったことがあるんだよね。やっぱ、昨日も、要マークのピアニストだということ、確認しました。秋元さんは、その西宮の出身、あとのお二人も奈良県の出身と、三人とも関西人だということ、ポストトークで知りました。いいね、若いって。可能性抜群のユニット、またの出会いの機会、待ってます。


2024年 2月 18日(日)午前 7時 10分

 土曜日だ、「ブラタモリ」があるなしで、随分と気分が違ったものだった。それが、4月からは、いつもない、そう考えてしまう、土曜日となると。一昨日、ネット・ニュースで、最多で、あと5回と書かれていた。ま、そうだろうけれど、そんな、毎週あるわけはなかろうから、それよか少ないとなると、どこだろうと考えてしまう。東北が、どうしても震災があったためか、少なめだから、ここで駆け込み的に増やすと言って、冬場のロケは厳しかろうから、まあ、ない。予想では、御所があるんじゃないかな? 転々とした御所の跡を辿り、最後に、現在の御所探訪のスペシャル版が用意されていたりして、、、。やってほしいのは、炭鉱関係って、長崎でしか扱ってないので、筑豊、やって欲しいな。常磐でもいい。炭鉱の跡地利用って、大きなテーマだと思うんだけどな。被災地は取り上げにくいからか、雲仙、木曾なんていう大物が残ったと思えるし、県庁所在地はやらねばならないということはないだろうが、でも、抜けてるところが幾つかあるから、加えて欲しいね。離島も、まだまだ残ってるしと、残念感が湧いてくる。コロナ禍がなければ、外国も、もっとやってただろうしね。惜しい。
 昨日は、午後にお出かけを入れた。これが、前にも行った京都国立近代美術館の展覧会の関連イベント。午前11時に入場整理券を出すというのだけど、前回は、開始時間の2時までに、コレクション展を観ていたから、時間を使えたが、もう、そんな便利なものは残っていない。開場時間に行って、入ることができなければ、悲しい。そこで考えたのは、12時半過ぎに行き、入場整理券をもらう。そして、昼食に行く。すると、直前ではないので、入れないということはなかろうと読んだ。前回、直前になり人が増えたと記憶するので、この時間なら外れることはなかろうと読んだのだった。で、それで正解。昼食は、岡崎に行ったときは、ここと決めている東山三条にあるネパール屋さん。昨日も、客が入れ替わり入ってくる。人気店だ。注文を取りに来る人が日本語があやしいので、ここ3回ほど、ずっと英語で注文している。日替わりカレーが何かを聴き、注文するだけだけど。昨日は、なすびとチキンのカレーだったので、即決だった。それにつけても、不思議なのは、マレーシアやシンガポールのインド屋さんで、ナンって、見たことがない。有名なインド系Youtuber氏の動画を観ても、ナンは観たことがない。チャパティだよね、動画では。マレーシアなんかで食べたことのあるロティと同じだと、某(坊)Youtuber氏は言われてたけど、ロティの方が薄いように思うんだけど。でも、ナンは美味い。カレーも美味い。ま、カレーは日本風味にしてくれてるし、辛さの等級を聞いてくれるという細やかさ。どう考えても日本的カレーだと思ってしまうけど、美味いから、どうでもいい。ポイントカードもくれた。どこまでも、日本に擦り寄るネパール屋さんだ。
 美術館では、関連イベントとして連続的にラウンドテーブル「小林正和とその時代」が行われている。昨日は、その第3回「メンターとしての小林正和」というお題でのトークイベントだった。司会をされた福冨幸さんが岡山県立美術館学芸課長ということで、初めて知ったんだけど、この展覧会、岡山県美でも行われる。小林さんが、晩年、岡山県立大学で教鞭と執られていた縁だそうだ。登壇された方々は、次の通りです。扇千花、島田清徳、戸矢崎満雄、野田凉美。皆さんの共通点といして、福冨さんが紹介されていたのは、小林さんの次の世代の作家さんで、今回の展覧会にも、作品を展示されている方々で、且つ、皆さん、今は教える立場に立っておられる方でした。「メンター」というタームが使われているのは、そのためだと、冒頭、福冨さんは説明されていました。扇さんは、成安での小林さんの教え子で、会場では簾状の作品を提供。島田さんは、小林さんとの出会い、どこと言われていたか失念したが、岡山県立大学で教鞭と執られている方。イベント会場前の白い布を垂らし、それを、幾つも連ねる作品を提供されている方。戸矢崎さんは、「Gallery Gallery」での展示経験のある方。その展示を、「Gallery Gallery」のミニチュアを作り再現した作品を展示されています、今回。お話を聴いて、初めて、黄色い小さい丸めたものを詰め込んだ部屋、軍手状のものを組み合わせたものを並べ、まるで野菜作りの畑のようにみせていた、あれです。あれは、「Gallery Gallery」を使った、大きなものだった、元は。そして、一連のイベントで、どなたかが言われていたが、「Gallery Gallery」は部屋そのものが展示の場で、部屋の外から観るようになっていた、それの最たる、判りやすい展示が、これでした。やっと判った、「Gallery Gallery」の斬新さが。野田さんは、川島織物が作ったアカデミーで教鞭を、今も執っておられる方。川島織物繋がりです。そして、作品は、あの薬のカプセルを使い、おしゃれな、細い椅子を3体並べるという、あれです。こういった作品を観ると、「ファイバーアート」というタームを使うことに、各々、異議を唱えられる意味が解ります。織る、染める、そういった繊維の持つ属性のようなものを相対化、超える作品を、小林さんを初め、残されてるということですね。実は、第2回は行けなかったので、Youtube配信されている動画を観たときにも、後半もかなり進んだところで、視聴を止めてしまってるんだけど、それは、登壇者の背景にあるものが、いまいち判らなかったためだけど、今回は、それがないわけではなかったのだけど、わりかし、作品が見えたことから、薄い感じがして聴きごたえはあったけれど、肝心なのは、ところどころ寝落ちしていること。言い訳がましいが、音響設備が悪く、途端に聴き取りが難しくなってるという点もあったことも事実。でも、一番前の席で失礼なことしてしまってましたな。ようやく、どんな世界だか、判りかけてきました。イベントのおかげです。


2024年 2月 16日(金)午後 8時 20分

 この2日間の気温上昇は、あっさりと終わった。でも、下がったと言っても、無茶な下がり方ではないのが、嬉しい。逆に、お出かけ時の服装に困った。厚着過ぎると困るような予感がしたので、なんとか考えた。今日は、そのお出かけを午後に入れていた。午前中にも、アスニー京都で市民向け公開講演会があったが、今日は止めた。京都の名店のご主人を迎え、食品についてのお話が予定されていたが、気が進まず、替りに、昼前のウォーキングに使った。午後のお出かけの往復もウォーキングがてらということもあるので、考えてミニのウォーキング。夕方帰宅して、万歩計を見ると15800歩余だった。ま、いい出来です。
 午後のお出かけ先は同志社大学今出川キャンバス。ここで、同大学人文研主催の連続講座 「差別と抵抗からみた『日本近代』」の2回目に行ってきた。前回同様、大変な入り。貴重なテーマ、切り口がおもしろいと思うのは黄紺だけではないようです。今日のお題は「日本近代の学知と被差別部落への眼差し」、お話をされたのは、今回も同研究所准教授の関口寛さんでした。お題にある「学知」として取り上げられたのは2人の有名人。一人は鳥居龍蔵。人類学者の先駆けをなした学知。東大に人類学研究の基礎を築いた。大物です。黄紺的にも、名前は薄っすらと記憶がある。その業績の一部は知っている。近代日本が領土拡張していくなか、その地域に住む様々な人の人類学的研究をしていった人物。身体の形態を測定し、それをデータ化(そのカードが氏の名を付けた記念館に残っている)、分析を行った。それを、日本人の起源探究に役立て、仮説を立て、時代の寵児的な学者だったようだが、「人間の標本」作り的なものだったと耳にしたことがある。こういった分析手法というのが、前回、話題にされていた近代科学知が救済活動の背景にあったとの指摘に繋がる。この標本作りによる分析が、犯罪者の分析にも使われた。欧州から入ってきた犯罪人類学という学問だそうだ。近代的科学知の中でも「遺伝」の理論が援用されたと、前回言われていたが、犯罪は伝わる、遺伝するという視点で、形状分析結果が、犯罪を起こしやすいタイプを作り上げ、それが遺伝するという理論になって行く。そこに救済の手を差し伸べれば、社会の混乱、不安が喚起されないという理屈だ。この人類学的分析が被差別部落の分析に援用された。二人目は賀川豊彦。キリスト者で社会活動家、神戸で救貧活動を展開。もう少し長生きしていたら、ノーベル賞受賞もありえた人物と言われていた。その賀川豊彦の著作にある「貧民心理の研究」は、全集から省かれたという。あまりにも内容が差別的であったからだった。その内容を紹介された。貧困の原因を、自然的原因(水害や震災の結果)と人為的原因(政治、経済、教育といった原因)に分け、とりわけ後者の社会的原因として「低能、遺伝、変質」の重要性を強調しているという。注目すべきものは「遺伝」。彼は、救貧活動に入る前に、明治学院の図書館に通いつめており、恐らく、その頃に鳥居の人類学の本を手にしたのだろうと言われていた。見事に、繋がった。系統樹のトピックを、前回、話されていた。進化を遡るようなことをしており(買い食い、これは採集時代の猿に通じる)、それが遺伝されていく。犯罪が多い、犯罪者は刺青をする、それは痛覚に問題がある。これも、進化を遡っている。犯罪人類学と貧民分析、部落民分析が結合している。貧民窟というものがあるが、「窟」もまた、進化を遡っている。聴いていて、気持ちが悪くなる内容。ここまで差別的でありながら、救貧活動を行った。活動に入っていた神戸の地域には部落もあったようだ。救貧活動をすることが社会防衛に繋がるという確固とした理論だという。最後に、3回目で講義する水平社の思想的背景を予告しながら、こう言われた。「東大の教授がこんなで、ノーベル賞をもらおうかという人間もこれで、そんな中での水平社宣言は、大変なこと。それを生み出す思想を話します」。関口さんは、賀川豊彦の考え方を知ったことで、救済思想の背後を探求しようと考えたと言われています。この重さは何なのと、改めて、思いました。それを知っただけでも、この連続講座、聴きに行こうとして正解だったと思います。今まで部落差別を看ていた自分の目が、とっても近視眼的だったことを痛感です。水平社の凄まじいまでの重みを噛みしめています。
 帰りは、御所を少しだけ抜け、傍らの道を歩く。これが、同志社からの帰りの楽しみ。梨木神社と御所の間の道って、140万都市中心部とは、絶対、思えない。いつも、歴彩館からの帰りは鴨川の河川敷を歩くので、今日は、鴨川に出ないで歩くことにした。気温が下がったとは言え、ウォーキングをすると、自然と身体が温まるのがいいね。いい話も聴けたし、とっても爽快な帰り道でした。


2024年 2月 16日(金)午前 5時 12分

 昨日は、お出かけなしの木曜日。だけど、午後にはオンライン配信の予約を入れていた。だから、こういった日の午後の一時が、それに替わったということだった。ただ、その配信が始まるのを待っている間に、旅系Youtuberの動画を視聴していたら、寝落ちしてしまっていた。一応、準備も要るかもと、こういったときは、何分か前にアラームをかけておくことを習慣付けているおかげで、そのアラーム音で目が覚めて、無事に視聴に入ったが、こちらでも寝落ちするわで、めっちゃ中途半端。なんせ、昨日は、午前3時半頃に目が覚めたのだから、仕方がないといえば仕方がないんだけど、こないな日が続くね。今に始まったわけじゃないけど。そんなだから、日に2回のウォーキングは通常通り。午後からは雨が降ったので、夕方のウォーキングは、傘さしウォーキングだった。雨の降っているときや、その気配があるときは、ウォーキングのコースは、自宅を基点にして円を描くように歩くのが鉄則なのに、昨日は、それをしなかったため、半ばから雨脚が強くなり、帰ってから、えらく足元が濡れていて、がっくり。不注意です。それにしても、気温が高い。一昨日が18度、昨日が19度まで上がったようだ。ウォーキングから戻ると、Tシャツが汗ばんでいた。まだ、2月だよ、信じられない。今日はどうかと、天気予報を見ると、最高気温が12度、その時間を見て、驚いた。午前0時だった。あとは下がるばっかみたい。雨のあとは下がるってことなのかな?
 半ばで寝落ちしたオンライン配信は、久しぶりに気候変動関係のシンポジウム。京都気候変動適応センター主催の「京都から考える気候変動適応ー未来に向かって」というお題が付いていた。こういった各府県の機関のシンポジウムは、最近、チェックを怠っていたためか、久しぶり。そのプログラムは、次のようなものでした。①基調講演/気候変動にともなう豪雨災害の変容とその備え(京都大学防災研究所教授竹見哲也)②講演/地球沸騰化時代の極端な猛暑に備える(一般財団法人日本気象協会主任技師工藤泰子)③講演/京都のコケ庭と気候の変化~今コケ庭で何が起こっているのか?~(福井県立大学教授大石善隆)④京都気候変動適応センターからの活動報告(同センター長・総合地球環境学研究所顧問・名誉教授安成哲三)⑤パネルディスカッション(パネラーは上記講演者)。①~④については、パワーポイントで使われたスライドを、資料としてもらっているので、それを点検して、自分が、どれほど寝落ちしていたかを探ってみた。完璧に視聴できているのが②③、逆の完落ちなのが⑤、残りの①④は部分的にしか記憶に残ってなかった。それを前提に、メモを残しておく。「①雨に絞って気候変動を知るというもの、過去の豪雨災害のおさらい、集中豪雨と局地豪雨の違い、線状降水帯の発表基準、(このあと寝落ち)、‶50年に一度の大雨‶という言い方、将来の地球温暖化予測など」「②国連事務総長の‶沸騰‶発言からスタート、温暖化の異常さをグラフで確認、その異常さにより起こっている異常気象・京都の暑さ、猛暑の強度と頻度、適応策には2つの側面がある、それは脆弱性と曝露を低減するということ、前者は、子どもや高齢者という人たちに被害が大きく及ぶということだから、極めて社会的な問題、後者は、暑い都市や断熱の悪い家といった問題で、インフラの問題、その両者に対するアプローチが肝要」「③京都に多いコケの名所、そこで、コケの生きづらい環境が生まれてきている、‶60→0‶という数字の変化は京都の年間の霧の発生回数(1960年前後と現在の比較)、その原因は市街地の気温上昇で夜間の気温も高く気温差が小さくなり霧の回数が減少していった、要するにヒートアイランド現象が原因、それを示すデータ(気温は市街地が高く、湿度は郊外が高い)、このためコケのストレスが市街地で大きい、コケは葉が薄く体表から水や栄養分を吸収しているため霧が減るとダメージを受ける、コケ庭の維持のためには緑地面積を増やし気温を下げ湿度を上げる必要がある」「④熱中症の発生データを基に数の増加の原因を探っておられた、区ごとの熱中症搬送者数傾向分析は記憶に残っている、下京区が区ごとの人口数に比べて搬送者数が突出している、日による搬送者数が祇園祭のイベントに呼応している、鉄道駅の乗車数や気象データとの連関性分析もおもしろい、それで観光客の動向と気象要素が搬送者数に呼応していることが判る、日平均気温と京都市役所前乗降客数が突出してリンクしていることを示している、数理モデルを使い将来の予測もされていたが寝落ちで追いかけることができていない」。こんなところです。
 ところで、「ブラタモリ」が、通常放送を終了するという報道があり、衝撃を受けている。終了時期が迫っているとの予感はあった。1つにはタモリが高齢であることから、いつまで続けられるかの不安は、ずっとあったしね。この2年間程の新作を観ていると、ゴールを意識しているなと思えるロケ地が出てきていた。フォッサマグナ絡みを立て続けで制作したのが、それだったな。有名地形で残してあると思ってた秋吉台も出たことも大きかった。次回の予告に正倉院まで出ちゃったしね。その直後に終了報道。やっぱ、そうだったかの感もあった。だけど、悲しい。新作の放映がある日は、それだけで楽しみだったし、それがなくなる。ロスは大きいぞ。


2024年 2月 15日(木)午前 6時 40分

 昨日は、お出かけ予定が入ってた日なんだけど、行き先で二転三転してしまった。最初は、大阪で落語会へ行き、その後、中之島美術館で「マネ展」を観るつもりだった。確認のために、中之島美術館でチェックを入れると、腹立たしいことに気が付いた。単に、自分の見落としと思うんだけど、美術館からオンラインでチケットを買ってあったんだが、なんと、2月に限り、それよりか安いチケットを売ってた。だから、2月中に行くのが腹立たしく思え、止めた。替りに、隣にある国立国際美術館の展覧会を観ると、現代アートでのコレクション展をやってるじゃないか! 以前、HPを観たときは、一時休館てな感じの告知があったのに、そんなのやってんのだったら、喜んで行くよと、落語会との抱き合わせは変更なくできるので好都合と、あっさり変更を確定したつもりだった。乗る電車調べも終わり、行く気満々。そして、一昨日の「まーぶる」の後半を聴いてなかったので、またぞろ、Radikoで聴いていた。その中で、京都文化博物館での企画展に関する、スポットCMが入り、「源氏物語」辛みのものをやってるとかなんとか言ってた。しばらくして、それが気になった。「そう言えば、そんな企画展があるってこと、博物館のHPで観たけど、行かないって決めたはずだよな」「でも、何が出るんだったっけ?」と頭の中で流れたのが、昨日の運命を変えた。HPを立ち上げる。内容確認に入る前に、関連イベントが目に入った。当然、源氏物語、紫式部関連なのは、見ないでも判ってることだけど、問題は日付だった。なんと、昨日だった。しかも、予約不要で、時間が午前中。大阪に行くのと、ほぼ同じ時間に家を出れば間に合う。慌てて、「モネ展」と国立国際美術館のコレクション展を、他の日に回せるか確認を取った。ハシゴが可能かまでチェックを入れたら、ゴーという結果。そんなで、昨日は、京都文化博物館に行くことにしたのでした。「予約不要」というのが大きかった。行けと言うお膳立てが揃い過ぎてたな。
 その関連イベントは講演会。「ぶんぱく京都講座/紫式部と『源氏物語』の世界」となっていた。同博物館主任学芸員の橋本章(京都文化博物館主任学芸員)さんのお話を聴くことができた。お話は、「光る君へ」を正面から意識したもの。観てないで来た人には気の毒なほど、それだけ、大河のトピックが出てきた。また、橋本さん、よく観ている。いい脚本だと言われていた。黄紺も観ており、同感できる。その一つに、「源氏物語」に出て来るエピソードを上手く織り込んでると言われたので、眼がぎらついた。具体的に何を上げられるか、気になったところ、2箇所を指摘された。1つ目は「雨夜の品定め」、2つ目は「源倫子が猫に引っ張られて戯れる場面(御簾の裾から女三宮を柏木が見てしまう有名な場面を連想させる)」を上げておられた。なるほどと思うと同時に、それだけだったので、肩透かし。それ以上のものがあったのかと期待したのだけどな。お話の流れは、「光る君へ」に出てきている、今後出るだろう、そして、それらの周辺の人物の解説をすることで、お題に応えようというものだった。取り上げられたトピックをメモっておく。「紫式部も藤原氏の血を引いており、その曾祖父兼輔は〝堤中納言物語゛のモデルで、この時期は羽振りが良かった、今の蘆山寺辺りに居を構えていたので紫式部もその辺りで生活していたと考えられる、そのため蘆山寺に顕彰碑がある」「紫式部の夫となる藤原宣孝、結婚生活は2年と言われていた、3年じゃなかった、〝権記゛に人となりが残っており、キャラは派手好き、やんちゃ、だが、芸事に秀でていた、痔を患っていた」「藤原兼家(道長の父)、藤原道綱母は妾の地位、道綱のドラマの立ち位置、キャラ付けが判った」「藤原道隆(兼家長男)、儀同三司母(高階貴子)が妻で伊周と定子の母親、疫病で亡くなるというネタバレも話された」「藤原道兼(道長の次兄)、花山天皇出家に暗躍、これを寛和の変と言う、道隆の死後、ごく短期間、関白になっているが没」「藤原実資、堅物、まじめなキャラ、大河でもそういったキャラだと伺える、お笑い芸人(秋山竜次)が演じているというのはこれだった、‶小右記゛の作者、右大臣になったということでのネーミング」「源雅信、左大臣、倫子(道長と結婚)の父」「藤原道長、関白ではなく内覧に就く、地位を得ずして権力を得た、‶この夜をば 我が世とぞ、、、゛の歌は‶小右記゛に出てくる」「赤染衛門、倫子のサロンに出てきている、後に紫式部の同僚になる、倫子・彰子に仕えるということのよう、文才があり、藤原氏の繁栄を著した‶栄花物語゛の前半を書いた、宝塚出身の女優(凰稀かなめ)が出ていると話題になっていたのはこの役、文化博物館の1階には紫式部・清少納言と並び垂れ幕が架かっていた」「一条朝の四納言=藤原公任、藤原斉信、源俊賢、藤原行成」「藤原公任、道長のライバルになる、大変な文才の持ち主、漢文の素養があり頭韻を踏む和歌を残す、手本とまでされる歌」「藤原斉信、清少納言に振られたことがある、これもお笑い芸人(金田哲)が演じる」「藤原行成、三蹟の一人、‶権記゛の作者」「源俊賢、大河では未だ出てきていない、藤原氏との争いで左遷された(安和の変)父を持つ」「清少納言、四納言とはほぼ同級生、紫式部は年下」「紫式部の供養塔が千本ゑんま堂にある、これは、源氏物語で男女の恋愛を濃密に書いた紫式部は地獄に堕ちてるだろうと、後年考えられたため」「雲林院も紫式部が生まれ育ったと考えられている、元々は、広大な寺域を持っていた、そのかつての寺域に紫式部の墓がある」「越前市(武生)に紫式部公園がある、武生の‶ふ‶は‶国府‶の‶府‶」。展覧会「紫式部と『源氏物語』」の展示物についても解説が入り、その後の鑑賞に大助かり。重文指定されている「青表紙本(大島本)」は、その後の源氏物語の普及本のベースになっているもの。慶安3年に出た源氏物語は54帖が揃っている。挿絵が入り、印刷されたものということで、源氏物語が一般に広まることに貢献。傑作なのは「54帖が揃っている」という点。題名だけがあり内容が空白なはずの「雲かくれ」に本文が付いている。書き足されているという傑作な話。「紫式部集」「権記」「小右記」「栄花物語」といったものの江戸時代の写本が並び、「源語秘訣抄」と言った解説書、「源氏物語巻々系図」と言った早見表のようなものも、江戸時代作成ものが展示、「紫式部日記絵巻断簡」は南北朝期のものだった。絵画作品は、枩本一洋の六曲一双の大きめの屏風「源氏物語」(右隻が賢木、左隻が明石)があり、猪飼嘯谷の「清少納言図」、横山華山の「女房図(赤染衛門)」と、ここでも、3人を揃えていました。なお、この展示の傍らには、まだ、展覧会「シュルレアリスムと京都」が続いており、3回目となる「眠られぬ夜のために」を観る幸運に恵まれた。小牧源太郎の作品が優れものだということも確認、つくづく、戦争を恨むね、こういった作品を観ると。これらの作品を残した作家、戦争さえなかりせばと思うと、どれだけ、才能が伸びたかと思うんだよね。
 帰宅後は、一昨日放送の「おつかれさん」を、Radikoで聴いた。ホント、Radikoはありがたい。途中で、寝落ちしても、聴き返せるし、時間制限を超えても、違うブラウザをさえ使えば、続きを聴ける。ということで、朝の思惑から、完全に化けてしまった日となったけど、とっても満足のいく一日。久しぶりに頑張って観ている大河が、これから、より楽しみになってくるよな予感です。


2024年 2月 13日(火)午後 8時 00分

 今日は、午後に、京都学・歴彩館で講演を聴く予定にしていた日。だから、昼前のウォーキングは軽めにして、お出かけ前に、Radikoで「まーぶる」を聴くことにした。それを聴いていて、びっくりしたことを言ってた。天気情報で、「今日の最高気温は16度になる」「3月下旬の気温」「桜もびっくりするんちゃうか」なんてこと言ってたけど、俄かに信じられなかった。だって、ウォーキング時には、そこまでとは思えなかったから。公園で、あまり歩きすぎるとダメな日だったもので読書をしていると、確かに陽射しはいいのだが、空気が冷たかった。軽く風もあったものだから、冷たさが気になった。半信半疑で出かけて、ラジオで言ってた通りになった。12時半を回ってから出かけたのだけど、僅かの時間のずれで違ってしまっていた。ラジオを信じて、薄いウインドブレーカーを羽織って行って、大正解。この間着ていた厚手の上着だったら、とんでもないことになってたやろね。それほど、清々しかった。最高のウォーキング日和。歴彩館からの帰りは、いつものように鴨川の河川敷を歩くのだけど、これ以上暑くならないでとすら思ったほど。電車に乗った途端、カバンに入れている水を取り出し、かなり飲まねばならない程だった。それだけ、水分が、身体から発散したのでしょうな。まだ、2月だよ。それで、こんなこと思うような天気になっていいのかなぁ、びっくりやわ。
 京都学・歴彩館では、「資料に親しむ会」のある日だった。これは、基本的には行かないと、一旦は決めたのだけど、日本画に関わるテーマが気になり、行ってしまったら、それが良かった。専門分野を解説するという、この会には欠けていたことをやってくれた上に、講師にモティヴェーションがあるものだから、実際、おもしろかった。そんなの、いつもじゃないと判っていながら、今日は行ってしまった。お題がおもしろかったからだ。これが、日本画のときのように専門家だと、外したら後悔すると思ったのだ。そのお題が「南蛮菓子のパン食文化」、講師は資料課の藤原直幸さんだったが、この方、古文書は読めても、こういったテーマの専門家じゃなかった。レジュメを見たとき、察しがついてしまった。日本にパン食が入ってきたのは、南蛮人の到来から。「彼らの行うキリスト教の儀式、パンと葡萄酒を使うので、パンも入ってきた」という言い方を聴いて、察し通りと思った。こんなざっくりとした言い方は、プロパーの方ならしないと思ったからだ。キリスト教禁止令が出ると、出島だけにパン食が残る。キリスト教はここでだけ残るからとの説明。「ん?」と、ここで絶句とは言わないけど、まず、彼らの食生活はどうなってんの? キリスト教に帰するなら、それでいいけど、ポルトガル人はカトリックだから聖餐式にパンは使うだろうが、出島に出入りするのはオランダ人で、カルヴァン派だよ、同じような聖餐式って、やったっけ? 第一、聖餐式に使うパンで、種ありなしのトピックも出てこない。冒頭で終わった。パンのイメージを持って喋られてるのかなぁ。明治になり、西洋軒だったかが、食パンを切って販売するようになったとのトピックを言われていたけれど、塊のパンをイメージに持たれてたのかなぁ。そんなことで、正直、聴く気が失せてしまうと、あっさりと寝落ち。もう行きません、この会。前に、そう決めたやん! だから、日本画がテーマになったときだけ行ったらええんちゃう? そう決めました、今度こそ。と言いながら、次回のお題に「立花」というタームが入ってたので、眼がぎらついてしまってるとは、舌の根の乾かぬ内というやつですが、日にちを調べると、既に予定が入っていたので、一安心、落ち着きました。
 「まーぶる」では、吉坊がゲスト出演をしていた。なんでかなと思ってたら、春秋座で、木ノ下祐一と一緒に作った台本で、落語を披露すると言う。しかも、3日連続で、その宣伝を兼ねてのものだったが、そこで、どういった筋からKBS京都にアプローチがあったのかが気になった。二葉経由? でも、吉坊が口を切るかなぁ、そんなことを考えていたら、最後になり氷解。会のお世話を、さかいひろこWorksが担当されていた。先ほど、さかいひろこWorksのTwitterで、それの確認もできました。そこから、二葉へのアプローチがあったのでしょうね。これだと、とってもスムーズ。こういった落語界の裏筋で不明なことが出てくると、途端に落ち着きを失ってしまうね。


2024年 2月 12日(月)午後 8時 10分

 今日は、世間的には祝日だから、3連休という人たちがいるのかな。ま、関係ないけど、昼前のウォーキングで休憩がてら立ち寄った公園で、家族連れが遊んでた。連休を思わせれるものは、それだけだったかな? 自分的には、お出かけなしの月曜日。夜の米朝事務所チャンネルの生配信だけが、お楽しみという感じで、こういった日の定番、日に2回のウォーキングは、順調に実施、その時間だけがお出かけ時間だった。買い物も、そのときにやってしまった。夕方のウォーキング時の買い物は靴。ウォーキングをするものだから、3~4ヶ月に1度は、新しいのを買わねばならない。そんなものだから、頑丈で安いもの。歩くのに支障のないものということで、毎度、買うところは同じ。ぼちぼちと買っておいた方がいい時期だからと、早めに買うことにした。最近、またぞろ、お出かけが活発化しているので、急に要るときができると困るのでね。毎回、同じ靴を買っているのに、時として、自分の足になじまないものに当たるときがあるので、少し余裕をもって買ってる。その日にしたということ。今日は、何もなしの日だったからね。
 午後の一時は、旅系Youtuberの動画を視聴していて、寝落ち。海南島に行く、それも、済南乗り換えで行くと言うので、おもしろいと思ったのだけど、済南に行く前に寝落ちしてしまった。昨夜も、そう言えば、また違った旅系Youtuberの生配信を視聴しようとしたが、5分も持たなかった。アーカイブに残してあったので、今朝、観直したが、ホント、冒頭の挨拶くらいしか記憶になかった。そんな寝落ちするくらい、眠りたいはずなのに、いざ、床につくと、浅い睡眠で、何度も、目が覚め、5時間程しか、睡眠時間は取れない。だからでしょうね、午後の一時で寝落ちしちゃうのでしょう。で、気を取り直して、2月末に日を決めた名古屋周辺旅行の情報収集に時間を使った。いつものように、念のために集めた情報を、ペーパーで持って行こうと思ってるので、印刷をすればいいところまでできた。今回は、名古屋周辺であって、名古屋は投宿するだけという行程。それが、一番効率がいいので、名古屋で宿泊する。その周りを巡るので、慣れない鉄道の情報収集に頑張った。私鉄が頭に入っていない。名鉄って、随分、路線を持ってる。知らない私鉄なのか、第3セクターなのかも解ってないのだけど、聞いたこともなかった鉄道も利用しなければならない。それに、当然、JRの路線が絡むから、何が何やら判らなくなってくる。時間的に余裕ができるかもしれないと思った岡崎界隈も調べた。ここの鉄道が、慣れない者には困ったところの1つ。岡崎城には、さすがに行きたいけどなと思い、チェック。岡崎の隣に安城があるんだね、名古屋寄りの方に。ここの博物館に、ちょっと気になる展示をしているようなんで、それを見つけた途端、折角、用意した岡崎城への関心は、跳んでしまった。かなり行きたい気になっている。さて、実際には行けるだろうか? 本丸の4つの美術館で、どれだけ、鑑賞に時間を要するかにかかっている。逆に、もう1つの日の移動が大変で、内容に関わらず、時間で動かねばならなくなってしまうかもしれない。昼食のカットに備えてのことも考えてるほど。でも、一応のスケジュールは確定しました。美術館の資料も完成。あとは、どこかでプリントしなきゃ、作った意味がないので、忘れないようにしなければならないね。


2024年 2月 12日(月)午前 5時 2分

 昨日は、午後にコンサートに行った日曜日。朝からは「日曜美術館」もあるから、午後にお出かけがあると、窮屈になるが、昨日は、昼前に、頑張って、ミニウォーキングができるようにと動き、それを実行できたが、午後のお出かけも、ウォーキング替りになるようなことはしなかったので、夕方に、軽く歩くことで、万歩計が、ようやく1万歩を超え、11000歩まで行った。限られた時間で好きなことを、全部できるわけではないので仕方ありません。
 「日曜美術館」のお題は「化粧が呼び覚ます肌の記憶 メイクアップアーティスト 小林照子」。また、新たなアーティストを教えてもらったどころか、新たなジャンルを知ることになった。メイクの材料を使い、ボディアートをするというもの。小林さんという人、化粧品メーカーの美容部員からスタートされている。そして、今や、世界でも名を売るアーティスト。メイクアップの技だけではなく、オリジナリティを発揮して注目され出した。一般のメイクだけではなく、雑誌か何かで見たことがあるが、眼の周りなどに、何かを描いたメイクを描いていく。それで注目浴びていたなか、あるモデルが、全身への、そういった描き込みを求めた。躊躇う小林さん、「所属会社や両親の考えもあるから」と応じると、そのモデルが、「私は20歳です、自分で決めます」、この言葉に背中を押されて始めたのが、「からだ化粧」と小林さんが呼ぶアート。消される運命にある化粧だから、「儚なさを含んだアート」と、小林さんは言ってた。現在88歳の小林さん、人生最後の化粧を、ダンサーの森山開示さんにしていくことを、番組の1つの柱に置いていた。紹介された作品をメモっておく。「炎」1990、「水面」1992(朝もやに浮かぶ雰囲気)、「花器」1992、「群流」1995、「蓮華」2007、「連竜」2015?(3人の和太鼓奏者に描く、優しさがある)、「沈黙」1993(アンモナイトを描く)、「蒔絵」1986、「赤波」1982。
 午後の行き先は枚方市総合芸術文化センター。こちらで、定期的に行われている「日本のオーケストラの名手たち」という室内楽のコンサートへ行った。いいアイデアで、国内オケの奏者で作られているアンサンブルの招請を行うというもの。前回が山形交響楽団、今回が「新日本フィルハーモニー交響楽団メンバーによる〝名曲コンサート〝」だった。そのメンバーは、次の方々でした。伝田正秀①(特任コンサートマスター)、田村安紗美②(第2ヴァイオリン奏者)、瀧本麻衣子③(ヴィオラ首席奏者)、サミュエル・エリクソン④(チェロ奏者)、竹田勉⑤(コントラバス首席奏者)、河村幹子⑥(ファゴット首席奏者)。メーンは河村さん、ファゴットをメーンに据えたプログラムだけではなく、司会&トークも担当された。ファゴットが主役だから、「名曲コンサート」と銘打たれていても、河村さんも言われていたが、有名曲は1曲だけの渋~いプログラムなのに、完売だった。コロナ禍前にも、枚方は、室内楽の好企画があったのを記憶するので、その辺を熟知した方が、スタッフにおられるのだろうと、勝手に想像している。そのプログラムは、次のようなものだった。べデッカー(編曲:山口尚人):ファゴットと通奏低音のための「〈ラ・モニカ〉によるソナタ」(①②③④⑤⑥)、フート(編曲:山口尚人):「大きな古時計」による変奏曲(①②③④⑤⑥)、ドヴィエンヌ:四重奏曲 ハ長調 作品73 No.1(②③④⑤⑥)、カリヴォダ(編曲:山口尚人):ファゴットとピアノのためのサロン的小品 作品230(①②③④⑤⑥)、ストラヴィンスキー:名もなき歌(③⑥)、エルサン:アルトとファゴットのための8つの二重奏曲(③⑥)、ヴィヴァルディ:ファゴット協奏曲 イ短調 RV 499(①②③④⑤⑥)。作曲家からしても、ストラヴィンスキー、ヴィヴァルディはともかくも、黄紺的にもドヴィエンヌ止まりだ。やはり、ファゴット中心となると致し方がない。「編曲」と記された曲が多かったということは、ファゴット専用曲じゃないってこと。編曲をされた山口さんは、新日フィルのトロンボーン奏者だと紹介されていた。その楽譜の出版までされており、ロビーで売られていたが、さすが立ち寄る人は見かけなかった。黄紺的にも、ファゴットを主役に置いたコンサートは初めてだった。このシリーズ、弦楽四重奏に1つ楽器を加えるというスタイルらしい。前回の山形響はクラリネット、次回の日フィルではヴィオラが加わり弦楽五重奏曲が演奏される、これは、とってもいい拘り、ますます、仕掛け人の影を感じてしまってます。そのファゴットなんだけど、リードの取り換えということをするんですね。どうやら、厚さが違うようだ、というのは、遠目だったけれど、大きさは違わなかったようだったので、そのように思ってるのだけど、換える と音域が変わったからね。これ、知らなかった。定番のヴィヴァルディはともかくも、おもしろかったのはカリヴォダの曲。ファゴットだけではなく、弦楽合奏にも変化があり、楽しめた。短いのが、ちょっと残念。エルサンは、現代フランスの作曲家とのこと。世界の民族音楽を素材に使った小品が並んでいた。日本の雅楽も出て来るとの解説だったが、気が付かない内に通過しちゃってました。そんなで、珍しいコンサート、だから行ったんだけどね、その狙いは達成できました。なお、主役の河村さん、アウグスブルク歌劇場で吹いてられた方で、帰国後、新日フィルに在籍されているというキャリアの持ち主です。そして、ヴァイオリンの田村さんは、京都で知られたヴァイオリンの田村姉妹の妹さん。姉の田村安祐美さんは京都市響のメンバーで、関西弦楽四重奏団を組まれているので、何度も演奏を聴いている。ということで、地元出身ということで、休憩直後のトークに呼び出され、地元ネタを発揮。その中で、「丹波橋の次の駅の出」とのコメント、「おいおい、田村家って伏見やんけ」と、びっくりした。阪さんも伏見の出ということで、有名音楽家2つ目です。いい午後でした。


2024年 2月 11日(日)午前 6時 25分

 昨日は、お出かけなしの土曜日。だけど、午後には、オンライン配信の予約が入れてあったし、夜には「ブラタモリ」の新作が流れるということで、結構な時間制約のあった日でもあった。時間制約と言えば、もう1つあった。昨日発売のコンサートのチケットを2枚買わねばならなかった。自覚があると、どうしても、発売開始時間を意識してしまう。午前10時にアクセスして、購入の控えを作っておいたりすれば、結構な時間を要した。昨日の2つは、買い方を間違えた。後先逆にすれば、後から買ったチケットは、もう少し、自分的に気に入る席をゲットできたでしょうな。先に買った方は、ざっくりとした席の配置だったので、急がなくても、そこそこの席は確保できただろうにと、これは、終わってから思ったこと。こうやって、コンサートのチケットを買うのも、わりかし先のものを買えるようになってるね。コロナ禍全盛のときは、1ヶ月前からとなってたからね。
 午後のオンライン配信は「みんぱく映像民族誌シアター」。今年度4回実施の内2回目となる。昨日は、「ジャワ島チルボンの木偶人形芝居――ワヤン・ゴレック・チュパック」の上映と、その映像を作られた福岡正太(国立民族学博物館教授)さんを迎え、司会の黒田賢治(国立民族学博物館助教)さんとのトークが行われました。福岡さんは、去年まで、このイベントで司会を務められていた方。どうも東南アジアばかりが取り上げられると思っていたら、この方、インドネシアの専門家でした。そして、司会の黒田さんは、イランをフィールドとしたイスラームの専門家。この2人の配置は、今回の映像が、インドネシアのイスラーム社会で伝えられている芸能だということでの近接性によるもののようでした。この映像、民博の映像ギャラリーで視聴したことがある。人形芝居の映像を観ると、すぐに思い出したが、同時に、すぐに止めたという記憶が伴っていた。この芝居、判らないのだ、何をやってるかが。そして、それは、時を変えたからと言って変わるものではない。今回も判らなかった。だから、そうなると寝落ちが定番。正に、そうなった。益々、判らない。だから、人形芝居のカット割りの映像、いやいや、こうなると画像だけど、そういったのが、微かに思い出せる程度。トークの場でも、黒田さんが、福岡さんに筋立てを尋ねていたくらいです。さほど深いものではなかったが、聴き慣れない上に、よく似たものだから名前の区別ができないのが、一番、大きいのじゃないかな、判らない原因としては。そんななか、判ったことと言えば、ごく僅かだけど、メモっておく。「ガムラン音楽の演奏のなか、人形を扱う主たる人物が芝居を操作、人形を、背後に放り投げたり、背後に控えている人が、新たな人形を渡す場面もある」「台詞や歌が入るが、筋立てに関係あるのは人形を操作する人の言うものだけ、歌を歌う人(女性だった)の内容は筋立てには関係ない」「筋立ては、内陸の人たちが水不足に困り運河を造ろうとする、その通り道になる沿岸部の人たちに、その協力を求めるが、その地は神聖な土地だとして拒否、争いになるが、最後は、内陸部の人たちが譲り終わる」「芝居の終わり方は、どの芝居でも、呆気なく終わる、そこまでの、この物語だと、争いの場面をしっかりと見せていた」「人形は、ペープサートのようだが、実際は木製、木の棒が人形に何本か着いていて、それで操作、薄いから横顔ばかりが、正面からは見える」「客は、その正面だけではなく、背後にもいる」「個々の村が、ジャワでは、こういった芝居を持っているが、影絵を持っているところでは影絵だけ、木彫だと木彫だけと決まっている」「インドネシアのイスラームは沿岸部から内陸部へと広がって行った(そうでしょうね、海洋商人が伝えたでしょうから)」、、、、メモも取るほどの余裕がなかった、というか、寝落ちが激しかったので、メモをする意欲を削がれてしまったので、メモれるのは、このくらい。
 「ブラタモリ」の新作は「鎌倉編」、「鎌倉の寺〜北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは〜」というお題が付いていた。建長寺で始まり、極楽寺、金沢文庫と回った。極楽寺は、元の寺域に比べると、えらく小さくなっているが、残っている伽藍は立派なもの、建長寺は言うに及ばない威容。これは観ていないのが勿体ないと思った。北条氏の残したもの。前回が頼朝の偉業、今回が北条氏の偉業、この棲み分けで番組が構成されたということになる。金沢文庫は行ったことがある。博物館ではなく、駅の外に出たことを覚えていて、その後、どこへ行ったかが思い出せないけど、どこ行ったんだろう。東京に住んでた頃のことだから、ん十年も前のことだから、思い出せるわけはないけど、そんなこと思い出しながら観てた。ここの所蔵品の凄さ、堪能させてもらった。これも、北条氏の偉業だった。わざわざ、名古屋から国宝が持ち込まれるという大奮発。金沢文庫所蔵の国宝もということで、国宝2点が出て来てた。次回は正倉院だって! 歴史にシフトした新作が続きます。また、国宝が出て来るのでしょうね、「ブラタモリ」の威力です。


2024年 2月 10日(土)午前 6時 53分

 昨日は、ここ1週間程とは違い、暖かだった一日。これ、嬉しいわ。外を歩いていて、手が冷えるかどうかが、気温のアップダウンのメルクマールなんだけど、脊髄の手術後、これが、なかなか厳しくなり、冷え方が酷く、すると、途端に手の動きが悪くなるものだから、冷たさに、全く、弱くなってしまった。加齢とともに、進行してるからね。ということで、それが楽だったということを書きたかった。夕方のウォーキングをしたあとなど、やたら身体が水分を求めたしと、確かに、そういった面でも気温の上昇を感じ取っていた。
 昨日は、朝からのお出かけがあった。金曜日ということで、行き先はアスニー京都。市民向け公開講演会は、昨日は、京都光華女子大学との連携講座として行われた。お題は「地球沸騰化時代の到来!~ごみや生き物など身近な環境問題から考える~」というもので、同大学キャリア形成学部教授の高野拓樹さんのお話を聴くことができた。こういったテーマになると、途端に、爺婆の足は遠のく。建物に入って行っても、人の流れがなかったのには、さすがに驚いた。そういったなか、受付のところで、小ぶりの電卓上の器具を渡された。講師の方が出された質問に対して、その器具のボタンを押すと、演壇のPCに集約することができるというもの。知らないところで、技術の進化は凄まじいものがあります。「普段、大学で使っている」と言われていた。パワーポイントを使った授業は当たり前、スライドをプリントにして配布するのも定番だということは、大学に勤める知人から聞いたことがある。お話は、「①気候変動、現状と影響」「②その生き物への影響」「③それを、エネルギーから考える(多くはごみ問題だった)」の3本立てだった。爺婆には馴染みにくいテーマと思われたようで、総花的で、深堀りはしないをモットーに、お話を組み立てられていたこともありで、ちょっと、物足りないものだったけれど、こういったテーマが、なかなか、ここでは取り上げられないので、仕方ないね。そういったなか、メモっておきたいことを書き残しておきたいと思う。①では「気温上昇」「ハワイの山火事(高温・乾燥・強風のなか送電を切らなかったのが原因)」「リビアの洪水」「大雨、気温の上昇で空気中に含まれる水分量が増えた」「カーボンニュートラルの見通し修正」「砂漠化の進行、サヘルの大干ばつ、サヘルでのテロの多発は象の密漁で得た資金」「海面上昇、キリバスでは海岸線の浸食が進み、ヤシの木の倒壊が起こっている」「永久凍土の溶解、メタンの発生、メタンは二酸化炭素の25倍の温室効果を持つ」。②では「地球史上、生物の大量絶滅が起こったのは5回(ビッグファイブ)あった、現在、地球温暖化などにより、15分に1種類が絶滅、これは自然淘汰の1000倍のスピード」「現在、絶滅が危惧される動物には、ジャイアントパンダ(気候変動で竹に影響)、アフリカゾウ(乾燥化で水資源の不足)、コアラ(オーストラリア内陸部の干ばつ)など」「シカの頭数の増加、温暖化により越冬がしやすくなったため、その害、それの対策(シカ除けネットは当たり前)」。③の前半では「地震のメカニズム」「再生可能エネルギーの例示」「京都市のエネルギー消費は下降、20%減」「関電、原子力の占める割合が大きい」「京都市の門川前市長は原発反対施政」、後半のごみ問題では「京都市の家庭ごみ(燃やすごみ)の内訳、生ごみと紙ごみが多い、生ごみの34.8%が〝食品ロス〝で17.8%が手付かず、リサイクル可能なゴミも多く、ここがごみ削減のターゲット」「京都市の家庭ごみ(燃えるごみ)の内訳、容積の約半分は容器包装類」「西洋と東洋の自然観の比較、自然との共生を考える東洋」「光華女子大での実践例(風呂敷を知る、リサイクル・ファッションなど)」。
 アスニー京都からは、そのまま帰宅、昼食。午後の一時は、今月末の名古屋周辺旅行の準備。あくまでも名古屋周辺、だけど、行程を考えると、名古屋での宿泊がベスト、それも、中心部で宿を取るしかないというのが、ホテルの分布&宿泊代を考えるといいというのが判ったので、予約を入れた。1泊4千円台のホテルがあった。焼津のホテルのようなハッピーアワーのあるホテル、そんなのが、簡単に見つかるわけじゃあるまいしと、探す気は全くなし。それよか、値段と移動を優先した。複雑な行程も、大丈夫でしょう。あとは、時間に余裕ができるかもしれない2日目で、行けたら行くところを探せば完了なんだけど、昨日は、そこまでの時間はなかった。


2024年 2月 9日(金)午前 6時 59分

 昨日は、以前からの計画通り、奈良での美術館のハシゴをした日。美術館1つだけのために、奈良に行くのは、兵庫県内の美術館巡りをするのと同じで、もったいない、だから、何かをくっ付けたい。昨日は、それが、美術館同士になったということ。近鉄奈良駅近くの奈良県立美術館と、狙撃事件のあった学園前駅が最寄駅となる大和文華館に行った。ともに、以前からの狙いの美術館で、いい企画展が揃ったということもあり、昨日という日に設定した。2つの間での昼食は、移動に立ち寄る近鉄奈良駅近くということでググって知った韓国料理屋さんで、キムチチゲにした。店の様子はチェックを入れない、メニューだけで確認して行ったら、ソウルの街中にあるような店だった。店内は電飾で、あちこちにハングル。読んでみると、「チルソン・サイダー」「ノレバン」なんてのがあった。おふざけも、ええところ。水も、韓国で出て来る、プラスチックの入れ物。そこまで真似したかったら、水清浄機を置いとけばいいのに、そして、テーブルの上にティッシュ、いや、トイレットペーパーの方がローカル感出るかとか、余計なこと、考えていた。お味はともかくも、なんで、日本の韓国料理やって、キムチチゲを、あまりにもの具だくさんにするのだろうね。
 奈良県立美術館では、今、開館50周年記念特別展「漂泊の画家 不染鉄 ~理想郷を求めて」が開かれている。不染鉄という作家さん、実は、作品を1つだけ観たことがあったが、そのインパクトが強く、記憶に残っているのです。京都国立近代美術館のコレクション展でのこと。「廃船」という題が付いており、大きな船が、家が立ち並ぶ海岸線に停泊しているのだろうが、丸で陸に打ち上げられたかのように観えた。全体が、夜を思わせる暗さが、余計に重い気にさせます。昨日も、この作品は、京都国立近代美術館から借り出され展示されており、以前、解説に書かれたあったようなことが書かれていたから、前の解説文も思い出せた。戦地に向かった輸送船を描いたのだそうだ、戦後に、大きな悔恨の気持ちを、戦争に持っていたそうだ。ほぼ、他に、そういった姿勢を表現しているのかと思える作品は見当たらなかったけれど、ある解説文には、戦後、社会党から選挙に立候補しようとしたことがあったようだが、この作品の解説文にしか、そういったトピックは出て来てなかったと記憶する。そういった作品しか知らなかったものだから、いろんな人生の場面で苦渋を味わった人というイメージを持ち、結構、尖った人だったのじゃないかと思い、昨日は出かけて行ったんだけど、それは、冒頭で動揺が起こってしまった。晩年と思えるスナップに映る姿は、そういった尖った雰囲気のまるでないおじいちゃんの姿だったので、あれれと、黄紺的には、却って動揺してしまった。戦後は、高校で美術を教え、その縁で奈良正強高校の校長にもなった時期があったというプロフィールも、併せて知った。そして、いざ、展示会場に入ると、その「あれれ」でばかり進んでいったのです。試行錯誤をする習作時代のものから始まり、とっても長閑な空気の流れる作品が続きます。なかでも、多いのが茅葺屋根を持った民家、それと、20代に、伊豆大島に渡り、そこで漁師のような生活をしていた思い出の地が、一貫して出て来る。自然いっぱいの、実におおらかで長閑な作品群です。俯瞰した位置から、海岸線を描いたり、もっと俯瞰すると富士山まで描いていました。東京に戻っても、京都に、奈良に住んでも、周りの風景を描いても、思い出の地の風景は、再三再四と出て来る。スタンプを、繰り返し押したかのような民家、これは、まだ、そういった時代からか、伊豆大島を描いても、東京帰還後のアトリエの様子を描いても変わりを感じなかった。そういった緩い時間が流れていた時代を、ヴィヴィッドに描いていた。そして、この人の特徴は、絵の一部に、細かく細かく、絵に描いた情景、特に思い出のある地なら、その思い出を克明に書く。それは、あまりに細かいので、解説文の傍らに起こした文を書き添えてあった。ほのぼのする内容が続く。伊豆大島の風景にせよ、そういった文、更に、他の風景(一口を描いたものもあった!)を描いても、そのテイストが一貫していた。それに変化を感じたのが、昭和のものの中に出てきた。「仙人掌」という作品が1つ目、ネットで、偶然、見つけたんだけど、この作品は、近年の発見だったそうだ。収集していたサボテンを、庭に作った温室で育てている様子を中央に、その背後に家宅を描き、前面に所狭しとサボテンを描いたもの。全く、テイストが違う作品。住居には、ほぼ遠近感がないから、余計に、サボテンに対する愛着が伝わるという技が使われていた。「蓬莱山図」では、キャンパスの周縁部を、丸く丸く描き、その円の中に蓬莱山という理想郷を描くことで、夢のような空間に仕上げるという技が使われていた。「山」という作品は、山頂部だけを拡大した大部な作品だが、超写実作品で、山頂に生い茂る木々を、克明に描いてあった。どうしたんだろうと思う、テイストの変化、しかも、「技を駆使するのはなぜ」という疑問が残る。周りの作品は、従前のテイストを受け継いでるのにと思い、次の部屋で、びっくり。「廃船」は、その次の部屋だったが、それを予感させる暗い作品が、展示室の一角を占めていた。そういった作品は、この一角だけ。時期的には戦後間もない時期。心象風景が見えてきます。でも、ここで安心した。最初に持っていた作家に対するイメージに、ようやく到達できた気がしたからだった。病んでるとすら思えた。そういった心象風景のなか、「廃船」が生まれたということが判りました。「廃船」で始まるコーナーは「夢想の浄土」と名付けられていた。落ち着きを、この人が寺の生まれだったこともあり、信仰に求めて行ったようです。作品も、暗さが消えていきます。なんか、こうした時系列的に観ると、1人の作家の人生を丸ごと観てきたように思えて、なんか、とっても癒される展覧会だったな。最後には、絵画だけではなく、木彫、陶器、暖簾のデザインなど、多岐に渡る活動も紹介されていました。平日だというのに、決して多くはないけど、人が絶えない展覧会、一通り観終わって、その姿が解るような気がして、素敵な展覧会だったと思えました。
 午後の大和文華館では、特別企画展「やまと絵のこころ」が開かれているということで行ってみた。いかにも学園前という雰囲気漂う美術館、この美術館を訪ねるだけでも値打ちものです。展示は、大和絵の系譜と言っていいのかも判らない知識しかないんだけど、時系列的に並んでいたと思いました。だから、写しでないほんまものから始まる(〝やまと絵の原点〝というコーナー)ので、そこに、国宝「寝覚物語絵巻」、重文「源氏物語浮舟帖」「小大君像(佐竹本三十六歌仙絵断簡)」があった。正直、これらを観て、古そうだというのは、装丁一つとって観ても、判る。また、色彩豊かに残ってることが価値を高めているようだが、描かれている事柄が解らないのは、致命的だね。そんなことより、「佐竹本三十六歌仙絵」って、名前を聞いたことはあったが、これ、ひどいことやってます。佐竹家というのは秋田藩主の家柄。代々伝わって来たのだが、明治以後になり、これを処分することになり裁断されたそうだ。だから「断簡」となってるようだが、なんてことしてくれたのだ、ホント。近代まで伝わりながら、そこで切った、信じられない話です。そのあとは、「やまと絵の継承と変容」というお題が付いているように、作風が継承されて行く。そこに出てくるのが、名前が、よく出て来る岩佐又兵衛。大和絵の特徴である貴族の顔かたち、この人は、一層、デフォルメしたそうだ。その形状で、岩佐又兵衛作か否かが判断できるそうだ。展示されていたものには、いずれも「伝」が付いていたが、「源氏物語図屏風」などがあり、同じ並びには、これまた、名前は聞いたことのある土佐光吉も、「伝」付きで展示されていた。「源氏物語図帖」と源氏物語が続くけれど、先日の嵐山文華館での展示でもそうだったけれど、ほぼ、図柄を観ても、どの場面かが解らない。そんななか、「須磨」「明石」の図柄だけは覚えたぞ。琳派も関わっている。本阿弥光悦の筆致の素晴らしさは、「歴史探偵」で観たところ。「新古今集和歌色紙」が展示されていた。伝俵屋宗達、伊年印、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一と並ぶ。ここのコレクションは凄すぎる。六曲一隻の大きさに飲まれたのか、伊年印の「草花図屏風」の勢いとバラツキに、眼は奪われてしまってました。最後のコーナー「岡田為恭の復古やまと絵」が、展示の4割ほどを占めていた。岡田為恭という名前は、初めて知った。作品の年代を観ていると、19世紀半ばとなっていた。ずっと、近世になっても、この大和絵の伝統は継承されていたってことですね。作品の出来なんかは解る由もないんだけど、それが判ったのは収穫ですね。だから、明治に入り、枩本一洋が、そういった伝統を継承できたんだと、粗い繋がりかもしれないけれど、そんなことを思いながら観て回っておりました。


2024年 2月 8日(木)午前 6時 52分

 昨日は、京都でハシゴをした日。朝からアスニー山科で市民向け公開講演会を聴き、その後、地下鉄で東山駅まで移動、東山三条のネパール屋さんで昼食、そして、京都国立近代美術館へ向かったという、よくあるパターン。最近、こういったケースで利用しているネパール屋さん、最初は、あまり客が多くないなと思っていたら、とんでもありません。大流行りの店だと、この頃は、毎回、思う。昨日は、日替わりカレー、マッシュルームとチキンが入っていた。相変わらず、美味。
 アスニー山科では、「白洲正子と読み解く十一面観音の世界」と題して、NPO法人歴史資源開発機構主席研究員の大沼芳幸さんのお話を聴くことができた。大沼さんは、以前にも、白洲正子を前面に出して、アスニー京都で日本の文化論のようなお話をされたという記憶。白洲正子という名が浸透していないのか、このようなテーマにしては、爺婆の足が伸びなかったという記憶だったので、昨日も、そうかもと思って、いつも通りの時間に行って、びっくり。前回の超人気講師に迫る雰囲気。会場前の列を見て、「十一面観音」の威力は大きいのかと思ってしまった。アスニー京都での講演と違い、レジュメには、白洲正子の言葉が並んでいるのだけど、主役は、あくまでも十一面観音で、それについて触れてある言葉が読まれる程度で、いつの間にか、白洲正子の名は、聴く者からして、どこかに行ってしまったような流れだった。講演半ばで、今回も、軽く寝落ち、そんなでも、何とか大筋は外してないつもり、そう思って、メモっておく。冒頭は、白洲正子の文に、「十一面観音と山のモチーフ」が語られていることが、大事なポイントだと押さえられた。また、「荒ぶる神」というイメージを持つということも、白洲正子は触れていると。山岳信仰&荒ぶる神のモチーフが見え隠れするということだ。次いで、仏教の展開。大乗仏教というフィールドに導き、菩薩が出てきた。衆生救済がモットーだろうけど、菩薩は悟ることができ、修行を続けるという存在で、市井の民の求めるのは現生利益、それを菩薩が導いてくれるという構造。仏の世界の重層構造というのか、ヒエラルキーというのか、そういったお話の中で、如来、菩薩、観音の位置を紹介。また、時系列的に言うと、如来が人気だった奈良時代から、観音人気の平安時代という変遷も言われていた。庶民の人気が観音信仰だったという言われ方をすることへと流れていくということか。ある意味では、仏教の行き詰まりがあったようで、この辺を寝ているが、想像するに、庶民から離れていくという鎮護国家にシフトしていったトピックかなと思ってしまってるが、、、。となると、南都仏教との相克が出て来るからね。そして、そもそも現世利益だった古来からある神の信仰と結びついてゆく、本地垂迹は、仏教の方からアクセスしていった? 「仏の神化」というタームを使われていた。行き詰まった仏教は、神の宿る「山」(自然)に向かったという言い方もされていた。こういった流れとともに、大乗経典の中の法華経人気、中でも観音経への関心が進むことも言われていた。「一面二臂(ひ)」「聖観音」というタームが出てきた。ネットで調べても、難解。観音だから菩薩、衆生救済に繋がる。これが「変化」というコンセプトを包含しているようだ。「山」「変化」「仏の神化」→「依り代としての山」→「十一面観音」と繋がるようだ。ここで、存在の確認が曖昧な「泰澄」という僧に話が跳ぶ。白山信仰に関わる「白山比咩」を十一面観音に擬えた僧だ。正に、「山」が出てきた。「山川草木悉有仏性」なる言い方が、それらを表している。白洲正子は書いている。「十一面観音は八百万の神の再来、集約されたもの」。「自然=神」なわけだから、その荒ぶる力がイメージされる。それが、十一面観音の属性にもなっていく。その一方で、山の持つ異なったイメージもある。山は「母性神」だという。実忠という良弁僧正の弟子の挿話が紹介される。実忠の見た夢の最終場面で十一面観音との遭遇がある。その夢を見たところ、それは、お籠りをしたのが千手窟(笠置寺)、その形状は女体を型どっている。ここにも「女」「母性」がある。「春の祭=お水とり」は「命の蘇り」の祭だが、ここにも十一面観音が登場するという。「荒ぶる」イメ-ジとは異なるイメージの登場なのだ。それが、仏像としての十一面観音の本面の変容に現れているという。「怖い」「いかつい」「神秘的」イメージから、「柔和」「優しい」ものへと変容するというのだ。そこに、「山」は、あらゆる「水」の源であるということから、「命」のイメージへと繋がり、それが「母性」を喚起して、結果、本面(十一面観音の十二面目)の表情に現れるようになったということだろうとのことで、最後は、そういった仏像のお顔の変化する様子を画像で見せていただけました。かなり難解、しかも、寝落ちをしながらも、 筋立ては外してない自信は、一応、あるかな。ストーリーが合ってると思うけど、だと、とってもおもしろいお話ですね。
 昼食後行ったのは、京都国立近代美術館のコレクション展、2回目だ。というのも、数日前から展示替えがあったので、前回、観てなかったもの、及び、ファイバー・アート展を観に行ったとき、このコレクション展の最後にある展示箇所をスルーしてしまったので、もう1度、観ておきたかったのだ。前者の展示替えについては、「千種掃雲」がターゲット。展示替えは、ここに集中していたからだ。だが、一部、展示棚が、調整中との貼り紙で空っぽなのには驚いた。これで、展示数が減ったからね。そういった中での目玉は「つれづれの日」、帳場に座った女性の表情、どのように捉えればいいのでしょうか? お店のお内儀なのか、毅然としながらも、傍らを見る目に、僅かに陰りがある。お内儀と言っても、若い。30歳くらいに見える。そのくらいの女性の持つオーラがあるから、艶っぽくもある。だから、捉え方が判らないのだ。周りにある、風景画、風俗画と比べても、明らかに浮いている、いや、群を抜く目立ち方をしている逸品だった。前回、風景画が3D画面のようだと書いた。今回、そこが大きく展示替えされていたが、前回ほどの迫力はなかったが、今回もやってみた。部屋の半ばより、後ろに引いて眺めると、やっぱ、その傾向にあった。「上賀茂の初夏」が、一番、気に入った。境内を流れる水の流れの瑞々しさが、この作品の命。目が、底部に流れる水に目が行ってから、どうしても、境内に生える樹木に目が向くようになっていた。空気が伝わってくるというやつです。彩色されたもののなか、対面に配置されている「冬の日」「八丈島」が、とっても目立っておりました。墨画の威力です。「生誕130年 川端弥之助」というコーナーは、変化はなかったが、今回は、こちらの目を輝かせる作品が出てきた。前回はスルーしたのだけど、川端弥之助の師長谷川良雄の「茶店」が、今回は気に入った。水彩画だということで、屋外の明るさ、爽やかさが心地よい作品だと思えたのだ。最後のコーナーのファイバー・アートは洒落っ気のある、作り物の小部屋を拡大写真で撮るお遊びがおもしろい、薬の錠剤を抜いたカラを使い、煌びやかな素材を使って、目くらましをされてしまう作品には、素材が判り、ぎょっとさされてしまった。前に観たときには、解説板の意味が把握できてなかったが、ようやく錠剤のカラを、そのように使われているのかが判りました。そして、最後の最後に、下に降り、ロビーに展示されている2つの作品を観て、おしまいだった。「HAGORMO」が、小林正和生前最後の作品だったんですね。それも、見過ごしていました。


2024年 2月 6日(火)午後 10時 5分

 今日は、お出かけなしの火曜日のはずだったのが、思いがけない展開となった。そんな日だということで、朝からは洗濯をして、いつものように昼前のウォーキング。その終わりにマートへ行き、食糧の調達。そして、マートを出て、トイレを借りていると電話が鳴った。息子からの電話だった。電話は、立ち話では済む内容ではなかったので、家に帰ってからかけ直すと言って、一旦、切った。歩きながら、そやったら、休んでるということやから、昼飲みをしながら、話を聴こうと考え、かけ直したときに提案。あっさりと決まった。去年の夏、Dを連れて行ったコンサートの帰り、息子も合流して、お昼ご飯がてら行ったビアレストランで、待ち合わせ。夏に行ったときとはメニューが変わってしまってたから、ザウアークラウトは無くなっていた。普通の飲み屋と変わらないメニュー。ま、そんなことがいいとして、久しぶりに、息子と飲んだ。話は財産管理の件。こないだ会ったときも言ってたから、仕方がない。そういったことに疎いものだから、親の財産管理は弟に任せ、我々の世代になると、息子に任せてるから、それについて相談となると、付き合わざるを得ない。自分の預金なんかは、自分が、一番解ってるから、それを、正確に伝えておかないと、後で、息子が困ると思うので、説明を求められると答えねばならないというわけで、飲みながら、そういった話をしていた。息子は息子で、休みの日に、片付けてしまおうということだったようだ。平日だと、DやSに時間を取られないからできるということだった。用件が済むと、DとSの話、昔からの息子の行動分析、そんなことを話してたら、ボケてはいないことは認めてくれた。「忘れにはなってるけど、頭はクリアや」と言ってくれた。まだ、大丈夫みたい。一時、心配し出した、足腰の痛みも、最近は消えがちだしと、いたってノーマルになってきている。ただ、昼飲みをしても、普段の晩酌は、通常通りだから、この間、酒量が、異様に多いのだけは、あかんけどね、でも、晴れの時間だからええんちゃうんかな?
 Radikoでの「まーぶる」は、帰宅後、聴くことになった。でも、途中で寝落ち。午後の遅い時間に寝落ちって、普段はないから、気が付いたとき、自分が、今、何をしてたにか、いや、時間も、さっぱりと判らなかった。番組で、何を話してたかも、思い出せない、寝落ち前のことまでも、思い出せない始末。飲みながら、しこたま食べたので、夜ご飯は抜いた。だから、晩酌と言っても、ただ、飲んだだけ。あてもなく飲んだ。これだったら、昼前の買い物で、スルメでも買っておけばよかった。いつもは気にならないスルメだけど、なんか、今日は、そそられてしまってたのは、虫の知らせだったのか。でも、買わなかったのを、飲みながら、残念な気持ちになってた。小さいことを気にしています。


2024年 2月 6日(火)午前 6時 12分

 昨日は、大阪でハシゴをした日。出かける前に食糧通達に、近所のマートに行ったときには、強烈な寒さというものを感じなかったが、その後、本格的に出かけると、もう寒くて。無茶苦茶な厚着をしないで出かけたため、かなり寒さに震えた。雨も、ずっと降ってたしね。ハシゴの途中、徒歩移動をしたんだけど、その昼間の時間帯では、もう、雨は上がるのかなと思うような状態になっていたにも拘わらず、午後の部が終わり、外に出て行くと雨脚の強さにたじろいでしまった。で、お出かけ先は、昼前に高島屋史料館、午後は動楽亭だった。昼食は、高島屋史料館でググると、徒歩5分と出たタイ料理店へ。日本橋交差点東側に2軒、タイ料理店があるが、そこから、南東部になるけど、合わせると3店も集中してるんだね。そして、結構、ローカルな雰囲気のお店だったので、ガッパオにしてみたら、これが大正解。完全にタイにシフト、日本人の口に合わせるなんて妥協していなかった。そして、タイで食べたガッパオを含めて、最高のお味だったと思います。ランチメニューには、他の定番メシがあったので、難波界隈でお昼を食べるときは、当分はここだね。
 高島屋史料館では、特別展「新収蔵記念 全身画家 高波壮太郎-見るもの、見えるもの、見えないものを描く-」が行われています。このビルに入ったのは初めて。ん十年前に、大学時代の友人に、このビルの由来は教えられてたんだけど、全く入る機会はなかった。今回は、先週の「日曜美術館」の「アートシーン」の中で、この展覧会が紹介され知った次第。会期が2月中に終わってしまうので、とにかく、動楽亭にも近いということで、20日までで、動楽亭の顔付けのいい日と思える日を選んだ結果、昨日になったというわけ。何が嬉しいかって、月曜日に美術館に行けるってこと。これだと、スケジュール調整の幅が広がるから、ホント、有難い。展示室は、そんなに広いものではないので、ゆっくりと鑑賞できた。「マチエール」というタームがあることを、最近知ったが、カンパスに絵の具を塗りたくり、厚みを出すことでできる凸凹で、新たな雰囲気を出そうという手法、ときには塗りたくった絵具を削ったり、引っ搔いたり、そんなことをすることで、またぞろ地肌に変化を着けていき、表現の可能性を追求していこうということなんだろうけれど、高波壮太郎は、塗りたくり塗りたくりして、作品自体が重くなり、1つで30㎏、いや50㎏と書いてるのもあったな、そういった分厚い作品というのが、大きな特徴。学生時代に描いた母親の肖像画や自画像には、マチエールを楽しむという姿は見られていない。むしろ、背景部の色遣いや、筆跡(油彩だから、これがよく判る)で、人物に対する作家の思い、距離、対象化する姿勢が観えてくるように思ったが、そういったテイストは、分厚く絵具が盛り上がって来た作品には、ほぼ感じなかった。どのようにして、制作しているのかが、こういった作品だから気になってしまった。すると、そういったニーズに応えるかのように、制作風景などを収録した映像が流されていた。絵の具をチューブそのものから絞り出すようにして、そのまま、キャンパスに擦り付けるというやり方だった。そのときのチューブから出る絵具の切り方で、カンパスに筆致に替わるものを感じさせるみたい。絵具の混じり具合も、特別な工夫をしているようには見えなかった。擦り付けることで、その時々の圧で、混じり具合に変化が生まれるようで、それが、おもしろい色のタッチを生み出しているように見えた。その描き方で、展示されているものでは、ピンポイントで花などを描くとかというよりか、漠然とした風景を描いているのに目が行った。「パリの夜」「パリの夕暮れ」といった似通った作品があったが、後者は、夕焼け的なものを表すかのように、周囲のビル群から際立つ沈む夕陽が出す光を赤で表しているが、前者は、光のほぼないなかの夜景だった。目をこらして、しかも、作品から離れて観て、うっすらと道路が浮かんでくる。そのデリカシーは凄いものがある。点描の進化系のような描き方をしている作品もあった。それが重層構造になってるみたいで、個々の点に、めっちゃ厚みがある。そして、それで、「ツユクサ」「千両万両」といったお題通りの植物を表している。油彩絵具の出し方を、できるだけ均一にして、それらの組合せで、対象物を描くという試みは目を見張るものがあった。点描ではないが、同じような形状で絞り出した絵具の描き連ねでは、色遣いが判りやすい「落陽」は、画廊での展示案内葉書の絵に使われていたが、黄紺的にも、判りやすさでは一番かと思った。自身の青春の記録、ないしは思い出を、リアルタイムに描いた作品群が、一角を占めていたが、それらは、自分の中に現れるイメージを、同時に画面上に敷き詰めたものとして表わされていた。思いつくイメージを描き連ねていくというのが、溌溂とした感情の発露のように感じられて、それはそれでグー、とまあ、いろんな表現に挑んでいるように思える作品群だ。「私は海を抱きしめて」という大きな作品が気になった。横長だから、そう感じるのでしょうが、波の迫力、リアリティに目が釘付けになるが、海岸に打ち寄せる白波、なんだか、海岸沿いの街に見える。近づいてみて、それは岩場に打ち付ける白波としてしか描いていない。離れて観ると、その白波は、海岸線の街、港、船に観える。横長の画面に、局部的にそうなってるのじゃないので、山の迫った海岸線に、僅かながらスペースを確保した生活の営みを感じさせている。雄大な自然を「私」が抱きしめている、それは、私をも包摂する人間と自然の営みを見せてくれてるように思えた、この展覧会の秀逸な作品と看ました。巨大作品は、他にもあったけれど、自分的には、これが抜けた一番だった。まだまだ知らない作家さんがいるのでしょうね。各美術館で取り上げられる個人名の入った回顧展って、誰かがいいと思うからこそ開かれるんでしょうし、それを探しに出かける旅もいいものなんでしょうね。そして、今回のような発見が生まれる。やっぱ、大事なことです、貪欲に求めるってことは。
 動楽亭昼席へ、開場10分前に到着すると、フェンスの外にも人の列。俄かに信じられなかったが、昨日の客数30。最近、客の少ない動楽亭ばかり見てきたので、明らかに違う入りだけど、そのわけが、未だ判らないでいます。さほどコアとも思えないおっちゃんら、めっちゃ、いい反応で、客席にいい空気をもたらしていた。男女比率は、きっちり「3:2」だった(数えてみた!)が、意外なことに、お一人様の若い女性が数人いた。声は大きく上げないが、身体の揺れで、この人たちも、いい反応。演者さんにも伝わってるようで、上々の雰囲気のある会となりました。動楽亭昼席では、そうはない空気が流れていたな。番組は次のようなものだった。弥っこ「八問答」、米輝「手水廻し」、米平「猫の皿」、よね吉「ちはやふる」、(中入り)、雀五郎「風邪うどん」、米紫「はてなの茶碗」。「八問答」は初遭遇、後に出た米輝が、冒頭で触れたので、初めてネタの題名が判ったというくらいのレアもの。「八」が縁起のいい数字だということでの八尽くしとなる根問ものだった。ゆる~い弥っこから、インパクトのある米輝への出番って、めっちゃ、変化がある。余計に、米輝の怪人物ぶりが映えた。また、この「手水廻し」がいい。寺の坊主は出さないでの刈込も自然。長頭が、前へ折れるという発想は、米輝の異様さを最高潮に持って行っていた。その空気の中で出た米平は、とってもおいしい出番。この番組では、この人だけが上の世代。昨日は、そういった顔付けが気に入ったからのチョイスだった。明るい、いい感じの口演だなと、久しぶりの米平落語を堪能できると思っていたが、後半で寝落ち。一昨夜、極端な睡眠障害が出たので、これは想定していたが、昨日は、それが1回で済まず、米紫の口演の半ばでも出てしまった。よね吉は、客席がいい感じなのが刺激したのか、かなりテンションが高い状態で出てきた。マクラが長いこともネタにした口演、そんなことをするから、また伸びる。それもネタにするという堂々巡り。会場のいい空気を察知してのネタ選びじゃないかな? 雀五郎は、売り声から入った。雀三郎の「風邪うどん」って、そうだったっけ、いや、そうだった、そんなことを考えながら聴いておりました。そつのない高座。明るい客席を落ち着かせ、いいバトンタッチ。トリの米紫は、前日まで出ていた芝居の話をマクラでしてから、ネタへ。芝居ネタは、夜の米朝事務所チャンネルでも話題にしていた。この話題を聴いただけでも、この人のエネルギッシュさが判るから、「はてなの茶碗」だと判ると、「あちゃ~」「肩がこるぞ」と、ついつい思ってしまったけど、ドラマになってる、だから、今度は、客席の集中度が凄い。それまでとは、全然違う空気が流れてる。「この緊張感いいな」と思ってたら、茶金さんが出てきたところで、僅かの間、記憶が跳んでいる。でも、お天子様は、しっかりと解ってるから、ごく短時間だった模様。そんなで寝落ちもありだったけれど、行って良かった、ホント、そう思える時間でした。


2024年 2月 5日(月)午前 2時 28分

 昨日は、息子家族とお昼を一緒に食べ、その後、DとSを連れて遊びに行った日。ただ、日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」を観てからという希望で、そういった時間の流れになった。まず、「日曜美術館」をメモっておく。昨日は、あろうことか、お題が「オスマン帝国 400年の美〜トプカプ宮殿・植物文様の迷宮〜」だった。トプカプ宮殿のリニューアルに合わせて、NHKのカメラが入ったとか。幾つかのトピックが用意されていたが、1つ目は、リニューアル中に、新たな壁画が隠れていたことが判ったというポイント。しかも、その壁画には、2匹の竜と、その上には鳳凰を思わせるかのような鳥が描かれていた。イスラーム国家の宮殿としては異例のこと。植物文様が、この宮殿には山とある。それを描いたのは誰だというのが、大事な問題。時期は16世紀、シャークルという名だと判明しているそうです。帳簿に、その名が残っており、最高の給料もらってるそうだ。サファビー朝との戦いで捕えられた捕虜という経歴の絵師だということでした。名前からすれば、トルコ人じゃないよね。鳥、想像上の動物を描くことに長けていたようで、動物と植物を組み見合わせる独自の模様(=サズ様式)を生み出したとか。鳥の描き方が、明代の「太湖石モチーフ」に基づくもので、1300年代にイスラーム世界にに入ったものを受け継いだのではというお話でした。べただけど、チューリップのトピックもおもしろかった。チューリップが、具象的なものとして、トルコの建造物に取り入れられているが、アラビア語表記の「アラー」の右半分を左右反転をすると、、、これを、アニメで魅せられた途端、「あっ!」「laleler!」ということで、判明。そういうことだったのか。コンヤが映った。チューリップのトルコ一番の産地だと言ってました。そして、スーフィーのトピックとともに、ルーミーの霊廟、壁画にチューリップの文様、セマーゼンの手を上に上げた旋回、図として見ると、チューリップになっている。トプカプ宮殿のチューリップやら、カーバへ献上の鍵、錠にも文様がある。話題はチューリップ時代へと跳んでいくが、やがて、それも終わる。ドルマバフチェへの移動。今度は、バロック様式との折衷した宮殿の姿、ケマルの執政、その死の部屋も紹介されていた。中国製陶磁器の大コレクションの紹介が、次のトピック。青磁のコレクションが凄いと言っていた。染付の多いのが、黄紺的印象なんだけど。東洋との交流が、必然的に主となって行く。そういったなか、日本との交流が話題に。ドルマバフチェの日本の間には、漆塗りの飾り棚、漆塗りの衝立なんかは、明治時代、輸入され、ハレムの女性の好みでもあったそうだ。ベーレルベイ宮殿にかかる獅子の絵、これは刺繍絵画だった。それと対になっていると思える獅子を描いた刺繡絵画の下絵が、日本で発見された。狩野辰之助という絵師の作品だった。そんなで、トルコを堪能できた、嬉しい新作だった。
 時間となり、待ち合わせ場所に行くと、息子とSだけがいた。ママとDは、別途、合流。話を聴くと、Sが電車に乗りたいというので、Dだけ連れて、朝から宇治まで行ってきたと言う。あれれ、、、黄紺は、食事をしたあと、DとSを連れて、どこかへ行くなら、平等院に行こうと思ってたからだ。「10円玉の絵と同じものを見に行こう」と言って。そんなで、連れて行く場所を、いろいろ考えた。暮れのリベンジということで、大阪へ行こうかとも思ったんだけど、なんか、大阪方向は人が多そうで、昨日は気が向かなかった。幾つか口にしては、迷っていたとき、ふと、アイデアが浮かんだ。弟の家へ連れて行って、Sを見せようと考えたのだ。Dとは会ったことのある弟夫婦だが、Sとは、まだ会ってなかったからだ。早速、電話を入れる。「家にいる」と言う。但し、DとSを連れて行くとは言わなかった。だけど、実際に到着して、インターフォンで、Sに喋らそうとしたが、インターフォンで応じる替りに、ドアが開いた。弟夫婦は、DとSを連れて来ると読んでいたのだった。あれれ、だった。姪っ子の子どもが、近くに住んでる関係で、その子ども用のおもちゃが、いろいろとあるものだから、DとSは、それらで遊んでいました。そして、帰りには、電車を途中下車して、スイーツを食べに行く。前回は、Dがパフェを倒してしまい、大事件となったけど、今回は、そういったこともなく、Dはソフトクリームを、Sは、ソフトクリームを食べるには、まだ早い(これは、以前、失敗しているので、Dがダメと言ってくれた)ので、替りにパンケーキ。食べられるのかと思う大きさだったが、ぺろりと平らげてました。駅まで息子が迎えに来てくれていたけれど、もう午後6時になっていた。たっぷり、DとSと遊べ、もう、チェゴ!


2024年 2月 4日(日)午前 6時 28分

 昨日は、お出かけなしの土曜日だったけれど、午後にはオンライン配信の予約をしてあったし、夜には「ブラタモリ」の新作が流れた。とりあえずは、こういった日の定番、日に2回のウォーキングは、いつも通り。昼前は、とってもいいお天気で、暖かく、絶好のウォーキング日和だったけど、夕方のウォーキング時には、かなり気温が下がり、天気も下り坂。夜のニュースを観ていると、今日は、かなり冷え込み、雪も降るかもしれないと言っていた。この大きな変化、やめてもらいたいな。土曜日だからでしょうか、公園では子どもを連れて遊ばさせているものだから、休憩時に読書をしていると、騒がしくて仕方がないけど、悪い気はしないね。
 午後の配信は、第5回大阪大学CiDERシンポジウム「パンデミックの“今”と“これから”」というもの。阪大が、東京のよみうり大手町ホールで開催したシンポジウムのオンライン配信だった。感染症対策を、医療・看護という立場だけではなく、関係する分野の専門家で横断的に検討する組織がCiDER。これまでも、何回か、同様のシンポジウムの配信を受けている。前後の挨拶を省いたプログラムは、次のようなものだった。【第1部/講演】①「データシェアリングによる医療課題の解決:新型コロナからの教訓」(末松誠/慶應義塾大学 名誉教授、日本医療研究開発機構 初代理事長)②「パンデミックと社会心理学」(三浦麻子/大阪大学大学院人間科学研究科教授)、【第2部/パネルディスカッション/テーマ:私たちは次のパンデミックにどう備えるか 医療崩壊はもうおきない!?】(ファシリテータ)大竹文雄/大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授、(パネリスト)押谷仁/東北大学大学院医学系研究科 教授、武見綾子/東京大学先端科学技術研究センター准教授、内田勝彦/全国保健所長会 会長、澤田瞳子/小説家、忽那賢志/大阪大学大学院医学系研究科教授。①では、「データシェアリングの迅速性の工夫が進んだ、査読のクリア?なのか、そんなことはないはずだけど、そこを捉えての迅速性と説かれていたようだが、難解」「どういった人が重症になるかの探求、そのためには個人情報が要る、そういった基礎研究と臨床との間での相克があった」「イギリスの失敗(日本の失敗?にも通じるが)、政治と科学の相克、イギリスでは首相の一存で無視されることがあった」「診断法と治療法が定まらない初期段階で防護品やPCRキットが不足したため、市中感染と院内感染防止対策の方針が立てづらかった」「集団免疫理論が、有効か否かが確立しないなかで、コロナにも適用され、第2派への対応が遅れた、スウェーデンの失敗もあった(スウェーデンのことは解るけど、前段階で言われたことが難解)」「2020年夏に弱毒株が日本に蔓延したのは〝go to travel゛が原因」「日本の情報公開は悲惨なものだった、サンプルの日付・場所が公開されてなかったということもあった(後で大竹さんが〝新聞でクラスターの情報収集するようなことすらあった゛とまで言われていた)」「個人情報保護が行き過ぎると医療はどうなるのか? 救える命が救えない、生命倫理の問題に課題を残した」。めっちゃ、歯切れのいいお話! ②では、コロナ禍で同時進行的に、市民のコロナ禍に対するリアルタイムでの反応を調査し続けたデータの分析結果の報告だった。「記憶は過去を過小評価する」ものなので、リアルタイムでの調査が肝要とのことだった。調査のポイントは「コロナへの関心」「リスク認知」「感染可能性推測」「感染予防行動実施数」などを上げられていた。結果として上げられていた特徴、、、「コロナに対する緊張は、第1回緊急事態宣言時がピーク」「以降の状況悪化には鈍感になっていった」「2022年初~夏あたりから、恐ろしさ認知が低下する一方、感染可能性推測が上昇」「緊急事態宣言の発出の効果はほとんどなかった」、まとめとして、「パンデミックは予兆だけで人心を激しく動かした、緊張感は長期に渡り持続させた、緊急事態宣言を地域ごとに段階的に発出した効果は認められなかった」となる。後半のパネルディスカッションは、澤田さんによる過去のパンデミックのおさらいをされたあと、参加者からアンケートをオンラインでとり(対面参加者はスマホで投票、オンライン参加者には画面にポチる枠が出た)、その関心度の高い問題をパネラーが意見を言うという形式。トピックをメモっておく。「情報を細かく発信過ぎると個人の特定になる、情報公開の難しさ」「ワクチン接種の遅れ、、、縦割り行政、基礎研究との一体となってなかった、開始はおくれたが接種率は高かった、平時からの研究体制の必要」「緊急事態宣言、、、最後の切り札、宣言出るとの噂が出る段階で日本人は対応していた、経済とコロナのバランスより心理的プレッシャーが大きかった、スイスでは経済学者の声が大きかったという風に国により温度差が出た、法的整備は事前にしておくことが肝要」「専門家会議で決めるという体制が問題、一つにまとめる必要はない、決定は国民の代表が決めるべき」「コロナ病床、、、コロナに特化した体制をいつまで続けるのか?これが明確でなかった、医療現場では未知の感染症として引き気味、感染症に対応できるスキルを身に着けることが大事で現場は不十分だった(医者は優秀なんだから勉強やれよ的な発言だった、大竹さんや忽那さんが言うと迫力がある!)、国は病床確保の計画を立てている(現在)が、医師など確保がまだ、人の育成が大事(これ、トルコで思ってること、病院造って、人がいるの?と思ってしまってる、医療関係者への暴力が絶えないのとリンクしてないかと思ってしまってる)」「検査体制・治療薬、、、PCR少なかったのは、保健が通らない、だから、病院が持ってなかった、それに対してSARSの経験のあるシンガポールは万全だった(政治の問題ですね)、パンデミック対策の薬は、研究が不十分だった、検査をして陽性者の発見に目が向いたが、経済的側面では陰性の発見を求めることも大事」「偏見・差別、、、安政期のコレラの流行を開国との関連で捉え、外国人排斥へ」。なかなか勉強になった。記憶って薄れるもんだね、だから、こういった振り返りって大事です。平たい話をするのを心がけてもらってるのが、よく判り、ここのシンポジウムは、毎度、感謝です。
 「ブラタモリ」の新作は「鎌倉編」だった。以前にもあったよなと思ってたら、今回は頼朝に特化した展開。鎌倉という町をどのように作っていったのかがテーマだった。鶴岡八幡の位置すら解ってなかった。が、それを見せられると、明らかなる計画都市だと判る。だかた、そこがスタートだった。海から一直線に伸びる通りは、俯瞰して見せられると、迫力すら感じた。一番の収穫はもう1つ。途中から気になり出したら、それを扱ってくれた、いや、本丸がそこだった。「幕府の位置」だ。鎌倉は寺社の話題は出てきても、残ってるかは別にしても、これが話題に上がったことってなかった。平等院に似たなんちゃら寺跡も印象的。黄紺的には、鎌倉は、ん十年前に、1度だけ、泊りで行ったことがあるけど、ずっと酒を呑んでただけで、どっこも回っていない。ちょっと恥ずかしい思い出しかないな。


2024年 2月 3日(土)午前 6時 43分

 昨日は、京都でハシゴをした日。午前8時40分に自宅を出て、帰宅したのは、午後5時を僅かに過ぎていた。こういった日が、まばらだけど増えています。数年前までは、わざわざ分けていた。1日1回のお出かけを考えてたときは、そのようにしていたが、最近は、効率を優先。余った時間は、自宅で気ままに過ごそうとしているが、それが難しいというのが、最近の傾向。美術展巡りが増えているのが原因。腰のことを考え、何年もの間、日本ではミュージアムの類は行かないとしていた時期があった。最近は、腰の不安を抱えながらも、うまく回ることで、腰に負担をかけないようにすると大丈夫となっている。日本画や現代アートといった、かつては見向きもしなかったジャンルに関心が出てくると、どうしても行きたいところが増えてしまう。週末は、空いていることが判ってる美術展しか行かないから、自ずと平日が窮屈になるという傾向だ。今週のお出かけは、昨日で終わり。来週も、空いているのは火曜日くらいじゃないかな。
 昨日のハシゴは、2つとも市民向け公開講演会だったのだが、まずは、金曜日ということで、アスニー京都へ。昨日は大谷大学との連携講座ということで、同大学文学部歴史学科講師の大艸啓さんのお話で、お題は「五条大橋が語る京都の歴史」というものだった。このお題では混むだろうと予想しながら、座布団を忘れた。座席の半分が堅い椅子なものだから、そういった予想が立つときは、用意して行くようにしているが、昨日は忘れた。辛うじて、最後尾の端っこが空いていた。端も重要なポイント。トイレを考えてのことだ。ただ、昨日のお話は、さほどおもしろいものではなかった。ネタが、存外、少なかった。緻密さの欠ける部分もあり、ちょっと引き気味だったが、こういったときって、寝ないんだね、不思議だ。現在の五条大橋から、お話はスタート。「擬宝珠」「おうぎ塚」「みそそぎ川」「弁慶と牛若像」、それに、「説明版」が、現在の景観を作っているということで、それを具体的に追われた。史料的におもしろいのは「擬宝珠」。その一部に文字が刻まれているのだ。それを、全文紹介していただけたが、予想が立つように改修の記録のようなもの。なかには、流された故の改修もあった。それら、記録があるはずなのに、それをまとめないというラフなお話。この手のことが、他にもあったな。そういった意味で緻密さの欠けるお話と書いたのだ。「おうぎ塚」も石碑があるなら、その記録もあるだろうに、推測で終わっている。確かに、あの辺、扇屋が多かったようだ。中高の同級生の家が、あの辺の扇屋だったことを、ん十年ぶりに思い出したから、妥当だとは思うけどね。「みそそぎ川」は、「ブラタモリ」で紹介され、その誕生のわけを知ったが、それの繰り返しだけど、五条大橋と関係ないやん! 橋のところで、この川は終わってるということだけが、取り上げた理由。この辺りで、ネタが少ないことに、自分的には気づき出していた。「弁慶と牛若像」はあるのだけど、その話は、誰でも知っている。あの話が、なんで、五条大橋になってるのか、説話なんかで、どうなってるか、専門家なんだから、おせてよ! 「話が本当でも、この橋ではありません」とフライング。「歴史概観」というパートで、そのフライング話が出てきた。いろいろと名称は変わってるそうだ。この辺は、実証的にお話をしていただけた。「都への入口」としての重要性、そういった人寄り場所だったからか、「施餓鬼会」の行われた場所だったとか。そして、秀吉の登場。付け替えの張本人です。大仏造営、アクセスとして、この付け替えが行われた。「洛中洛外図」でも、その様子が、よく判る。大仏の位置と橋の位置の確認ができた。最後のセクションが「付近に残る昔の痕跡」。1つは「天正の石柱」。扇塚の近くに立っている。あんなところに立てかけてあるってことは、地震で崩壊したまんまにしてあるわけがない、記録があるだろうに、追いかけてない。あかんやろ、それ! 2つ目も、自分で実証されるようになったけど、付け替えの責任者は誰かは知らないが、公的な組織が付け替えやってるはずだから、記録があるだろうにと思うのに使ってくれなかった。住宅疎開だったっけ、五条通の拡張。そこで拡げられた五条通に合わせるように橋ができた。そのときに、それまで使っていた板橋を残したまま工事をして、新たな橋が完成したときに、板橋を取り外したため、その橋脚跡の木が、川の中に残っているというトピック。このトピック自体は初耳で、とっても、おもしろく聴いたけど、実証的に、緻密に話して欲しかったな。とまあ、突っ込みどころ満載のお話。ただ、大艸さんの生家は五条通沿いだったそうで、おばあさんから、疎開での取り壊し前の様子を聴いておられた。そのお話の紹介はおもしろいものがあったことは事実。この講演会、弟が、久しぶりに現れた。午後も、同じ会場で講演会を聴くことになっているというので、昼食を一緒にしようということになったが、狙いの店が混んでいたので、結局、中止になった。
 黄紺は、午後の部のために移動しなければならなかったので、ググると徒歩で45分かかるというので、できれば、歩き始めで食べたくなかったこともあり、別々でに、あっさりと同意したということ。中立売通にあるネパール屋さんに狙いを着けていたのだった。他の店に比べて、ナンが厚め。食感は、薄目の方に慣れてしまってるから、いまいちだったが、替りにボリュームがあり、満腹。昨日はチキンカレーだった。午後の行き先は同志社大学。到着が、少し早かったので、御所の無料休憩所で休憩。めっちゃ、きれいになっている。ん十年前のことしか知らないから、びっくりした。同志社大学では、こちらの人文科学研究所の連続講座「差別と抵抗からみた『日本近代』」(全3回)が始まったのだ。黄紺は、都合で、前2回だけの参加となる。昨日は、「19-20世紀転換期の日本社会と『救済』観の変容」というお題で、同大学人文科学研究所准教授の関口寛さんのお話を聴くことになりました。ただ、こちらは、序盤で寝落ちしてしまってる。丁寧なレジュメをいただいたので、それを基にメモを残すことにする。ポイントは、明治になり解放令が出され、施策も行われ、やがて水平社宣言へと至るわけだけど、そういった近代の新たな展開のなか、政府なりが、どのようなスタンスで、被差別の人たちに当たって行ったのか、それを「救済」というタームを使われているが、その具体的な施策ばかりか、その背後にある思想的根拠となるものを追いかけてみようとの試みです。研究というのは、ときとして、思わぬ問題を提示してくれるものですが、これも、その1つです。ヘイトが巷に溢れかえる一方、確実に、差別を支えてきたもの、それを抜け出そうという試みの根本を探究している。この乖離が、正直、恐ろしいというか、キモいものを感じてしまってます。冒頭で、マーク・マゾワーという歴史家の紹介があった。20世紀をフィールドにして、その分析が注目されている人物だそうだ。20世紀を、「民主主義国家」と「福祉国家」をリンクさせた時代だとの認識を示したそうで、社会的マイノリティに対する「包摂」と「排除」の政治を通じて「人種的福祉国家」が形成されたと説いているそうだ。この時期に登場した「救済」の政治性を追求するとして、具体的に紹介されたのが、この時期は、科学的新しい知識の登場で人間の生命のライフスタイルに政府が関わってきた時代で、「健康」や「社会的適応」に、政治は向かったという。確かに、「福祉」の名の下で、それは行われた。そこに潜む政治性、それが、やがては、被差別部落に対応する施策にも現れる、その類比的な探究をしようとの試みのようです。「近代以前の救済として、『非人』が取り上げられた、『非人』になるためには奉行所の許可が必要、認められると、物乞い(願人坊主もこれ!)や御救小屋での食事や医療が保障された、救済だ、障害者や病者は、今日の「病」「障害」概念では捉えられず、「祈祷」の対象に」「1871年、身分解放令=『非人』制度廃止、恤救規則(じゅっきゅうきそく)の設置、公的救済を目的として、日本で初めて統一的な基準をもって発布したもの」「井上友一、、、イギリスの救貧法を『施与主義』として批判、『授産主義』に基づく防貧授業を説く、この思想が戦前期社会事業論の原則になる」「科学的知見に基づいた欧米型社会事業の移入、留岡幸助、進化論から派生した『系統樹』が説かれ、人の成長の中で進化の過程を経験していくため、衛生や栄養などで劣悪な環境で生きてきて起こった器質性変性が遺伝的影響を子孫に及ぼしていくなどといった知見が拡がる、巣鴨周辺に社会事業施設」「救済の制度化、、、貧民研究会、感化救済事業(1908年以後、内務省が進めた社会改良事業)、施与主義が配され科学的知見に基づく救済と予防策を講じる」「遺伝と環境が人生を運命づける重要な課題とする知見、、、一方で、それで救済を受ける人々を『寄生虫』と呼ぶ」「こういった事業の展開、知見に基づき、部落改善政策が始まる、1908年特殊部落研究会(留岡幸助の呼びかけ)、1912年初めての全国的組織となる細民部落改善協議会発足、留岡の認識は、環境と遺伝の知見が生きている、犯罪者や非行少年の更生・矯正の技術の援用になる」「米騒動と被差別部落主導説も、こういったコンテクストで出て来る、それに対し、崇仁出身の明石民蔵の現状告発、抗議の言葉が出て来る、、、水平社へと繋がって行く(devam,,,,)」。しっかりとしたレジュメをいただいたので、メモを手繰って行くと、お話の内容が復習できました。なかなか、おもしろい、知的にも刺激を受けるお話。次回が楽しみです。
 帰りは、三条まで徒歩移動。結局、アスニー京都から同志社大学経由で三条まで歩いたことになる。熟睡できたはずです。この同志社からの帰り道のハイライトは、御所の東沿いの道、京都で一番の道かもしれません。


2024年 2月 2日(金)午前 6時 47分

 昨日は、午前9時に家を出て、兵庫県でハシゴ。西宮市内でのハシゴとなり、帰宅したのが午後6時と、フル活動。お昼は、阪神西宮駅ビル内にある韓国料理店でソルロンタンを食べた。ググったときに、そのお店でソルロンタンがあることを知り、狙ったわけだが、あまり美味いものではなかった。パンチャンは3種(生野菜、白菜キムチ、ナムル)と出たが、量が少ないものだから、満腹感がなかったのも不満だったな。
 1つ目は西宮市大谷記念美術館。名前だけは知っていたが、行くのは、もちろん初めて。先日、アスニー京都でだったと思うけれど、この美術館で「須田国太郎展」があることを知らせるチラシを見つけた。この展覧会は3月から始まるとなっていた。ならば、今は何をやってるんだろと思い調べると、「コレクション展 日本画ことはじめ」となっていた。出品されている作品の一部がHPに出ていて、驚いた。大家の素敵な作品が出てる。これは、行かねばなるまいと思ったのだった。そして、正に、その狙いがずばり当たった展覧会。大谷コレクション、いいもの持っています。4室に分かれての展示、それぞれにお題が付いていたが、特に2室と3室が、日本画を代表する大家の、黄紺でも、ほぼ知っている名前が並んでた。これは見もの、ええもん見つけたと自画自賛でした。第1室は「蔵出し 大谷コレクション」として、コレクションの中でも、今までさほど展示されたことのなかった作品を出してあった。「源平合戦」を表した屏風が2点。どのシーンか、簡単には判らないのが情けないけど、答えを知っても、「敦盛」なんかは判らない、「知章」だと判っても、そのエピソードって、どんなだったかが思い浮かばない。能の演目にありながら、それだ。おもしろかったのは、狩野晴真「蓬莱山図」と田能村直入「厳寒三友図」、いずれも吉祥図だ。松竹梅が描かれ、鶴亀が描かれている。全部、揃ってるか探してみてた。前者は、亀が蓬莱山を担いでいた。そういったものなんだそうだ。梅を見つけるのに、僅かだったけど、時間が要ったな。渡辺南岳は応門十哲の1人、歌川豊清の作品は珍しいと解説されていたが、調べてみると22歳で亡くなっていました。これも、回向院が描かれているということだが、何をもって回向院って判るのか、知りてぇ~。第2室は「日本画を描く人々」、ここが凄かった。黄紺は、順番を間違え、反対廻りで観てしまったけど、順当なら、横山大観、菱田春草、橋本雅邦、川合玉堂で始まっていた。横山大観は「若葉」。木々、葉っぱの盛り盛り感が凄い。菱田春草の「秋林遊鹿」は、落ち葉で遠近感を表している。川合玉堂ものは幾つかあったけれど、黄紺的お気に入りは「奔淵」。水の流れに魅せられる。その隣にあった児玉希望は、広島県美で観て覚えたけれど、覚えるだけあり、ここで観た「泉声鳥語」も、同様に川の流れを描いているけれど、川合玉堂の作品が映えたのも、この児玉作品と並んでたからじゃないかと思ったほど。上村松園は、第3室も含めて3品出ていたが、この部屋の「秋の粧」が抜けてるように思えた。2人の女性の紋が同じだから姉妹なのかなぁ。着物の柄、髪型を通じてのメッセージが判れば、2人の会話が聴こえてくるものなのに、、、。そういった想像力が、3品の中で一番働きそうだった。上村松園の両脇すぐじゃないけど、2人の師鈴木松年と竹内栖鳳を配置するという粋な計らい。その並びに、山本春挙、やはり、この人の作品のスケール感は、他を圧倒する。背後の薄く描いた山の雄大さが、そのスケールを決定づけています。続いて、一転して、可愛いもの、素朴なものが並んだ。富岡神泉「鯉」、西村五雲「冬暖」、橋本関雪「田家晩秋」の並びは素晴らしい。鯉一匹なのに、この存在感は目につく、チラシにも使われた「冬暖」、身体を寄せ合う猿4匹、2匹ずつ、身体を分けないで描いている。それに気づくのに、僅かに間が要る。「暖」は、身体を寄せ合い体温を伝え合うだけではなく、家族を形成していそうな4匹の血の繋がりを感じさせてくれる逸品。その傍らに、何とも長閑な関雪もの、田舎の納屋の光景、いいなぁ。対面に、関西では観る機会の少ない奥村土牛があった。「初夏」というお題で、花瓶に生けた花を描いているが、とっても可愛く見える花が気になる。花瓶の質感は劣るように見えるが、どうしても生けてある花に目が行ってしまいます。榊原紫峰、村上華岳、入江波光も、この並びだった。小林古径もここだった。第3室は「好まれた画題」。ここまでに出てなかった作家では、北野恒富、島蕉園、星野更園といった大阪画壇の作家がここだった。京都の美人画とは、若干、テイストの異なる作品が観れるのが嬉しい。寺島紫明ものが3点、「東の深水、西の紫明」と称されたと、解説に書いてあった。ステレオタイプのモダンな女性じゃないのが、紫明作品では光ってると思ったのは黄紺的だけ? この展示室に、福田眉仙という初遭遇の作家がいた。久保田米僊と橋本雅邦に学んだそうだが、滋賀県美で観た久保田米僊ものにテイストが似てる ような気がしたが、、、。木島櫻谷ものが1点、「新陽」と題の付いた森の風景。濃い色合いの木、中の小道と、独特の色合いで、周りから浮いている、いい意味で。だから、櫻谷ものだと、判りやすい。第4室は「新たな表現の追求」として、日本画をのイメージを超える作品が並んだ。山下摩紀という作家を知った。抽象画風もあれば、従来の日本画の発展形といった作品もあれば、ちょっとキュービズムが入ってるかもというものもありで、なかなか変化に富んでいる。西洋画も学び、その手法も取り込んだ作家さんだそうだ。調べてみると、4年前に、この美術展で回顧展が行われていた。「雪」という作品が、黄紺的お気に入り。これを知っただけでも、行った甲斐があると言えるかもしれないほどの逸品。描かれている、雪の重みでしだれる藪だけじゃなくって、周りの厳しい、寒々しい風景までイメージさせる力を持っていた。福田平八郎も2点、「竹」「紅葉」だったが、前者が、この人特有のエッセンスを抜き出して単純化した作品で、「これこれ、、、」「中之島が楽しみ!」と呟いていました。福田平八郎展開催、間近です。下村良之介も3品。「沙」「水辺屏風」「月明を翔く 庇」。下村良之介は、京都の国立近代美術館のコレクション展で特集をしてくれたので覚えた作家さん。キャンパス自体に紙粘土で起伏を着け、その上に絵具を塗る。直線が強く、独特のテイストを生む、ユニークなタッチが印象的。「水辺屏風」では、始祖鳥のような鳥が低空飛行、異様な空気感が出てる。おもしろい! これが最後の展示だった、いい締めです。
 西宮市大谷記念美術館から阪神西宮駅までは徒歩移動。ウォーキングがてらにしては短い。20分程だったかな。食後すぐに、次なる会場まで3分、西宮えびす亭に、初めておじゃまをした。月亭方正の作った寄席小屋だ。ここで、毎木曜日に「やみなべ寄席」が行われている。「やみなべ」のネーミングは、「なかみが判らない」からということだと、昨日初めて知った。普通の家です。詰めたら25名定員だそうです。昨日は客数16、このくらいがいい空きスペースがあり、めっちゃ快適。ここで「小鯛・染吉二人会」が昼夜であるということで、その昼の部に行ってきた。こんな機会でないと、ここへは行けないので、とってもラッキーだった。冒頭で、2人のトーク。小鯛が呼びかけて、同期の染吉との二人会になったそうだ。「昼の方が客足が伸びないかも」と、染吉に大ネタをお願いしたと言ってましたが、その番組は次のようなものでした。染吉「天狗刺し」、小鯛「寝床」、(中入り)、小鯛「マクラができるまで」、染吉「柳田格之進」。「天狗刺し」半ばから「寝床」半ばまで寝落ち。座椅子ではなく椅子に腰かけたのに、ダメでした。小鯛の「寝床」の長屋の人たちが現れ出す辺りで覚醒。この「寝床」、めっちゃ、ええです。畳みかけるように次から次へと言葉が出て来る、これです、いい「寝床」はこれです。今、これできるの、先代のを受け継いだ歌之助だけだよなと思いながら、小鯛は、完全に、その域に達してました。だから、寝落ちを、めっちゃ後悔してしまった。「マクラができるまで」は小鯛作品。コロナ禍で作ったもので、楽屋落ち的に、嫁さんにせかされてマクラを工夫する噺家の物語。敢えて受けそうもないギャグを言わせるのがミソ。受けないから受けるのを考えようとさせる仕掛け。「柳田格之進」、最近、幾人かの上方の噺家さんも手掛けるようになっているが、染吉も、その一人だということは知っていた。静かな語りが、今までの染吉にはなかったお喋り。柳田に格をもたらす、格好のいいお喋りだと思えた。更にいいなと思ったのは、姿勢がいい。侍の、しかも、重臣だった人の姿勢になっている。声に、いまいちどすを効かせた方がいいかと思ったが、でも、十分、楽しめた。1つだけ、今まで聴いてきたのと違う箇所があった。50両が見つかるのを、梅雨の大掃除(こういったものがあるのを花園大学での講演で聴いたところだった!)としていたこと。今までは、年末の大掃除だったと思う。この時期設定、おもしろいね。だって、柳田と再遭遇するのに、少なくとも半年の間が開くから。再会は年始だというのは同じでしたから。
 ええ1日でした。京阪電車は、帰宅ラッシュに遭遇したけれど、発車直前に乗った特急にも、上手い具合に座れたし、電車の中で、美術展でもらったパンフレットを読むというのも、いいね。「須田国太郎展」も、もうじき始まるので、また、このルートを再現できそうです。木曜日だと、えびす亭で落語会があるというのを覚えておきます。ただ、昼間があるかが問題やけどね。


2024年 2月 1日(木)午前 6時 20分

 お出かけ再開。昨日は、市民向け公開講演会が、2つ重なった。時間が重なったわけではないが、連続して行くには、両者の間には、時間が空きすぎているということで、連続は無理。となると、いずれかを選ばなければならない。この選択には、あまり躊躇いはなかった。こういった市民向け公開講演会で取り上げられるテーマは、圧倒的に日本史の当たり障りのないものが選ばれるというのが相場。1つはそうだった。しかも、自分的にはおもしろさが理解できそうだった。でも、もう1つの方を選んだ。というのも、テーマが、他では出てこないものと思ったからだった。結果、選んだのは花園大学の「まなび庵」と題された講座。年間で、全13回もの講座が用意されている。歴史に特化したテーマではないことは嬉しいことだが、だからと言って、それらに興味があるかと言えば、そうでもなかったため、今年は、今回で2回目だった。1つには、開催についての情報を得るのが遅かったということもあったが。昨日のテーマは、「昭和戦後期の小学校教科書に垣間見る生活風景~掲載された挿絵を見ながらあの頃を振り返る~」というもので、お話をされたのは、同大学文学部日本史学科図書館司書資格過程准教授の菅修一さんでした。このお題を観たとき、菅さんというお名前は憶えてなかったが、以前、同大学人権講座でお話を聴いた方だと、ピンと来た。社会問題には不案内だけど、大変なコレクター癖のある方。だから、その辺のコレクションで、何かおもしろいものを見せていただけると思ったのだ。Yahooオークションを利用して、該当の教科書が売りに出ると買い求めていると言われていた。古書店だと、逆に出ないそうだ。教科は「社会科」に特定して、検定教科書以後(1949~ )のものを時系列的に紹介しながら、そこに現れて来る世相を語るという進行。そうだと予想して、その掲載記事の分析、そういったものは、期待してなかった。ただ、同じ内容の記載を選んだ方が変化を読むことができるということだったのでしょう、「保健衛生」から発展して「ごみ問題」を、その柱として追っていただけた。出てきたトピックをメモっておく。「回虫駆除」「米の配給、食管法の成立」「玉子販売」「夜行列車」「上水道設備の設置」「結核防止(痰ツボ、薬剤散布)」「踏切番」「殺虫剤散布機」「吊り手水」「街角のごみ箱」「衛生掃除(梅雨前)」「地震対策(1955~ )」「大水対策(対台風)」「ごみの収集」「水上生活者」「学帽」「お店探訪では魚屋を取り上げている」「七輪」「配置薬」「ミシン」「バスの形の変化、車掌の存在」「電報」「有線放送」「幻燈」「スーパーマーケット、団地(1964に登場)」「公害(1964に初登場)」「(上)水道を作る・使う、下水道の登場(1973)」「ごみの分別(1979)」「疎水、田辺朔朗が出てきて歴史的なものが入っている(4年生、1982)」「学校内の焼却炉(1991、後に廃止)」「阪神大震災(1999以後登場、2019では熊本地震に替わる)」。メモを取っていたものをピックアップしてみたが、このメモ以上に、ごみ問題の取り上げ方が密になっていた。カリキュラムとの照合なんてこと、やらないでしょうね、このコレクターさんは。でも、コレクター熱の熱いのが取り柄の先生。今回も、イメージ通りのものでした。それを狙って、その通りで満足。
 この講演は夕方にあったものだから、この往復を、夕方のウォーキングに読み替え、昼前のウォーキングを行った。洗濯日にしたため窮屈だったけど、ま、狙い通りにでき、両者合わせると、万歩計は16000歩を、僅かに切る数字を出していて、一応、狙い通りだった。でも、昨日は、一昨日と違い、気温が下がった上に、夕方は雨。環境的には、いいお出かけと言うにはいかなかったな。


2024年 1月 30日(火)午後 8時 32分

 今日は、1週間ぶりのお出かけがなかった日。昨日行った映画を、今日に回しても良かったのだが、今日は、火曜日ということで、ゆっくりと、RadikoでKBS京都の「まーぶる」を聴こうじゃないかと、今日を休養日に充てた。そこで、この間行きたかった散髪に、朝一番に行った。髪が増えすぎて、頭を洗うのが、面倒になってきていたので、早く行きたかったが、お出かけ続きだったもので、今日まで待った。いつも、こういう時期になると、女性の髪の長い人、大変だと思ってしまう。このくらい伸びただけで、鬱陶しくてたまらないうえ、洗髪が、とにかく邪魔くさい。あとは、こういった日の定番、日に2回のウォーキング。朝の部は、散髪終了時が、そのスタートとなった。そして、何よりも驚いたのは、その後、気温がぐんと上がった。これは嬉しかった。さっさと家に戻り、「まーぶる」を聴きたい気持ちもあったが、こんなに、いい天気で、気温も上がってるのに、屋内に入るのが勿体なく感じられてしまい。たっぷりめに屋外にいた。休憩がてらの公園では、ゆっくりと読書ができた。そうやって、腰かけていると、以前は、背中が痛くなってきたのだが、最近になり、それが、ほぼ消えた。肩こり系の痛みはあるが、筋肉が弱くなり、座っているのが辛くなっていた。それは、実は、椎間板ヘルニアになり、ベッドに横になっている時間が多かったとき以後のことで、それが、ようやく、知らない間に元に戻ったみたい。背筋が横になることが多いと、あっという間に弱くなったみたいで、それを元に戻すのは、結構、時間がかかるというもの。加齢とともに、そういった風になってるんだね。だから、寝こむと、いっぺんに体力は落ちていくということ、よーく、学習できました。
 「まーぶる」での聴きものは、やっぱ、「天神山」のネタ下ろしのこと。800人ほどの客を前に、ネタ下ろしをするというプレッシャーは、かなりのもの。プレッシャーは跳ね返すパワーは持っているだろうけれど、でも、凄まじいプレッシャーがある。それは、とっても理詰めな話だった。ネタ下ろしの常識として、客の反応を探る機会が奪われている。自分で稽古するだけではなく、人前で口演すれば、演じ手と聴き手の差異を知ることができるということが、よく言われる、正に、そのことを言っていた。それだけではなく、800人もの客にはいろんな人がいる。ネタ下ろしを聴いておいて、その後の育ち方を楽しむのは好事家。だけど、今の二葉の会には、そういった慣れた落語ファンじゃなくて、初めて落語というものを聴く人がいる。リピーターになってもらいたい人に、練り上げたものを聴かせられないもどかしさ、これが悔しいみたいでした。とっても、これは理にかなったことですね。ネタについては、へんちきの源助を描くのに苦労したみたい。「この人と、どのように付き合って行けばいいのか、わからない」というような言い方をしていた。以前から、「胴乱の安兵衛の方がやりやすい」という類のことを言っていたので、それも首肯できるなと思っていた。それは、アホを得意とする、いや、無邪気な男を得意とすると言った方が、この場合は適切かもしれないけど、そこはハマるところだろうというのは、納得のいっていたことだけど、確かに、へんちきというキャラは、他にいない。ここを、どうしていくのか、聴いてみたいね、続けて。そんなことを思ってたら、ある落語ファン氏のTwitterを見ていたら、京都の某所で独演会があるという告知を見つけ、しかも、今日が、チケットの発売日だったので、早速、ゲットした。季節は春。ひょっとしたら、「天神山」出してくれるかもと、期待しておきましょう。もう1つ、おもしろいことを言ってた。「米朝師匠を疑おう」的な物言いだ。「直系の人に聞かれたら怒られそう」と言いながらも、根本から、ネタの練り上げを、自身でやっていこうという言い方だ。めっちゃ、スケールの大きな話に、ちょっと感動したな、マジで。どんどんと大きくなって行きます。次回のチャレンジは「くっしゃみ講釈」だそうで、「立切り線香」への意欲を聴いたときにも驚いたけれど、これにも驚いた。シーズン2は4回公演なので、あと1つ、ネタ下ろしがあるとして、、、「百年目」かと予想を立てています。


2024年 1月 29日(月)午後 7時 40分

 1週間続いたお出かけの最終日。明日は休んで、また、明後日から、新たな連続お出かけが始まる。どうも、行きたいところが多くて、困る。昨日の「日曜美術館」の「現代アート・シーン」で、また、新たな情報を掴んでしまった。奈良県立美術館の方は、既に情報を掴んでたんだけど、高島屋史料館の方は、全く、ノーマークだった。早速、予定に放り込んだ。場所が日本橋だから、移動がしやすい動楽亭へ行ける。ワンセットにして、昼席の番組表と睨めっこをして、予定表に入れることができた。奈良の方も、せっかくだからとハシゴをしようとしているのだけど、こちらは、開催期間に、えらく制約がかかっているので、2月半ばくらいには行かねばならない。ま、嬉しい悲鳴なんだけどね。
 今日は、映画を観る日にしていた。ようやく、京都シネマの上映映画が変わる金曜日の前にチェックを入れるようになった。これは、ペルー映画祭のときにチェックを入れており、その日取りを抜かさないようにしていたのだ。香港映画「燈火(ネオン)は消えず」だ。これをピックアップした理由は、はっきりしている。香港名物、大通りにせり出したあのネオンサインが主役と言ってもいいと思える作品だったから。今や、名物は消え、ネイザンロードも、世界のどこにでもあるような都会の大通りになってしまっている。安全面とかなんとかがあるのだろうけれど、香港の魅力が激減している。だから、せめて、あの思い出深い光景を、自分の記憶に叩き込んでおきたい、そう思い、映画の筋立てがどうあろうが、とにかく、ネオンがなければ生まれない映画なんだから、主役はそっちで、たとえ、他で文句があっても耐えようと思い、観に行った。で、確かに、映画の出来として、自分の眼鏡には叶ったとは言い難かったけれど、ネオン職人の様態の一部であっても知ることができたのは、大きな成果だった。主人公は、ネオン職人の夫をなくしたばかりの女メイヒョン。物語は、そのメイヒョンが、夫ビルの仕事場を訪ねるところから始まる。そこで、見知らぬ若い男レオと出会う。レオは、メイヒョンが知らない、ビルの弟子だった。その2人で、ビルのやり残した仕事を再現しようと動くのが、1本の筋、それが本筋なんだけど、それに、過去のビルとメイヒョンの出会いから、その後の展開話が重なって行く。レオが、ビルに指導を受けながら、職人としての腕を磨いていく様子も重ねられる。こういった過去の物語だけではなく、現在進行形の、ビルとメイヒョンの娘の結婚、そして、オーストラリアへの移住話も重なって行き、映画は進んでいくが、トピック自体に、新鮮さがあるわけではない、よくある話が積み重なるだけなこともあり、そんなに、筋立てがおもしろいと言えるわけではないのだ。そして、本筋のビルのやり残し仕事が出来上がるところで、終息となるわけで、それはお約束的な終わり方。ネオンという主役がいるから、新鮮なものではないトピックの連続であっても、ずっと観ていけていたというところかな。既に、この映画の制作時には、法の施行が行われたあとだったので、過去のネオンいっぱいの風景は、CGを使わざるを得なかったようだ。最後のシーンで、メイヒョンとレオが制作したネオンも、ビルの屋上のスペースに置くしかなかったようだ。制作の様子も、俳優が代演を使わずにするということで、初歩の初歩の技しか、実際には出てこなかったんだけど、ガスバーナーでガラス管を操作して、文字なりキャラクターなりを作り上げるのは、ホント、スーパーな職人芸だということ、その凄さが判ったような気にさせられました。調べてみると、法の施行は2010年だったそうだ。そんな前に、もう撤去が始まっていたとは知らなかった。コロナ禍前、最後にバンコクに行ったときに歩いた華人街、あすこも、「えらくネオンが減ったものだ」と思ったが、同時に、「観たければ香港に行けばいい」と思っていたのは、とんでもない間違いだったんですね。どうしても、こういった映画を観ると、感傷的になっちゃうね。端から判っていながら、行っちゃいました。時って、残酷なものだ。もう記憶の中に沈み込むしかありません。


2024年 1月 29日(月)午前 6時 25分

 昨日は、午後にコンサートに行った日曜日。日曜日と言えば、朝は「日曜美術館」なので、午後のお出かけがあると、結構、忙しないんだけど、昨日のコンサートは、午後3時開演。これは有難い。昼前には、ミニウォーキングもできた。コンサートの往復を入れると、万歩計は14600歩余を示している。上首尾だ、このスケジュールでだったら。そこで、まずは、「日曜美術館」の新作から。昨日は、「美は喜び 河井寬次郎 住める哲学」というお題。MCの2人が、河井寬次郎記念館を訪ね、全編、こちらでのロケで作られていた。ここを訪ねると、河井寬次郎の陶芸家としての顔と、民芸運動の率先者としての顔、これをともに知ることができるという公算での制作でした。建物自体が、民芸の塊って感じ。そして、ここの運営が、全て、子孫の方で行われているそうです。展示替えの指揮を執るのも、また、その下で動く人、館長さんから学芸員さんまで、一族の方たちで仕切られているというのも、とってもユニークです。建築物としての特徴を解説されたのは、曾孫で宮大工になられた方と、徹底している。陶芸家としては、中国陶磁に魅せられ、中でも辰砂にぞっこんだったそうだ。そして、34歳のときに柳宗悦に出会い、自らも民芸運動に参加。その結果が、この記念館そのものだ。思わず、その細部を紹介してもらってると、DとSにも見せたくなった。立派な、お出かけ候補先です。黄紺的には、いつでも行けるという、あるある話で、まだ行ったことがないのです。奥には、登り窯も残っています。公害が社会問題化するなかで、五条坂では窯に火を入れることができなくなった。でも、窯は残った。これ、記念館に行くと、見せてもらえるんだろうか? 「これ、何やと思う?」とか言いながら、DとSに話しかけている自分の姿を思い浮かべてしまってた。解説の中で知らなかったことも、結構、出てきました。「戦時中は作陶を停止していた」「晩年の10年は木彫に凝る、抽象になるものもあり」「この自宅に39年間暮らし、76歳で没」「妻つねは、日々の献立記録ノートを残していた」。
 午後のお出かけ先はびわ湖ホール。昨日は、ここで、「日本センチュリー交響楽団 びわ湖定期公演 vol.16」があった。プログラムや出演者の顔ぶれを見て、行くことにしている。2~3回目かと思っている。昨日は、プログラムとソリストに惹かれて行ってしまいました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ウェーバー:歌劇『オベロン』序曲 J.306」「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15」「メンデルスゾーン:交響曲 第3番 イ短調 op.56〝スコットランド〝」。指揮は秋山和慶、ピアノは、地元出身の久末航。秋山和慶って、調べてみると83歳だそうです。しっかりしています、凄いわ。とっても、まとめ上手、いい音楽聴かせていただけた。昨日は、3階の左奥の席で聴いていたんだけど、やっぱ、低音部の弦を正面から聴けるというのは、とっても、音の厚みが効いて、いいですね。久しぶりに、こちらでオケの公演を聴いたけど、以前とは音が違った。えらく近場で聴いている感じ。背後の反響板が、絶対に背後には音を逃がさないぞという強固さを感じた。最近は、京都コンサートホールでばかり、オケを聴いているものだから、あすこは、音が逃げるから、好対照の印象。以前のびわ湖ホールは、音質にクセがあった記憶だけど、昨日は、そういった気になることもなく、この音を逃がさないを、どのようにコントロールするかが、指揮者の役目じゃないかなと思いながら聴いていた。オケの弦や金管が、そういった感じで、木管系には、若干、その傾向が行き届いてなかったことも事実で、「スコットランド」では、クラリネットのソロが入るけど、持丸さんという名手が、このオケにはいるんだけど、逆に遠目の音になってた。それは、ピアノにも言えることで、音の煌めきに乏しいものになってた。その一方で、オケが、がんがん響くもので、そういった意味では、もうちとコントロールして欲しかった、秋山さんに、そんなで、ベートーヴェンが、3曲の中で、ちょっとマイナス要素が大きかったけれど、ウェーバーとメンデルスゾーンは楽しんだな。特に、最近、「スコットランド」に凝ってるものだから、生で聴けて、とっても満足。これ、ホルンだけ4管なんだね、眼の前にオケがあるから判ったんだけど、重量感のある音が出るはずです、メンデルスゾーン、頑張ってくれています。いいコンサートだったと思うけど、入りが良くないのが、寂しい。京都市響の定期も、まだ、コロナ禍前の状態には戻っていないしね。それとも、爺婆が多いという傾向のコンサート、この4年の間に、爺婆は、あっち行ってしまったのかな? 


2024年 1月 28日(日)午前 6時 23分

 少しだけ、寒さが和らいだ土曜日。「ブラタモリ」の新作がなく、一昨日は金曜日なのに、マッチがなく、朝方は、その追っかけがなく、そして、午後にお出かけがあった。そこで、少し、午前中に余裕があったので、この間、できてなかった、この時間のウォーキングができた。ただ、午後にお出かけがてら歩くことが多くあろうかと思い、ミニで実施。すると、夕方、万歩計を見ると、18800歩を超えていた。だから、ミニで正解だったということで、思惑通り。
 昨日のお出かけ先は、一昨日と同じアスニー京都。昨日は、土曜日ということで、「京都学講座」があった。「京都市考古資料館文化財講座」と銘打たれ、多くは、考古学の発掘調査結果を教えてもらえるという、かなりディープな講演会。昨日は、「桂川下流域の中世集落」と題して、(公財)京都市埋蔵文化財研究所の中谷正和さんのお話を聴くことができた。お話の対象は京都市域なので、主として桂川の左岸にある遺跡となる。右岸の乙訓地域は、とっても、数多くの遺跡があるようだが、左岸は、桂川に、宇治川と木津川が合流してくる地域なために、住みにくかったと見え、圧倒的に遺跡が少ない。そういったなか、ピックアップされた遺跡は、次のようなものだった。「①鳥羽離宮跡・竹田城」「②富ノ森城」「③下三栖城・下三栖遺跡」「④久我東町遺跡」「⑤淀水垂大下津町遺跡」。②については、個別に取り上げられたときに聴いている。②については、しっかりと記憶にあるのだけど、他にも、聴いたものがあるかもしれない。忘れているものもあると思っているが、①については、聴けていないと、これははっきりしている。というのも、これらの中で、①が抜けてのインパクトがあるから、聴いていたら、忘れるわけはなかろうと思うのだ。どれもがそうだとは言い切れないにしても、中谷さんも言われていたけれど、これらは「洛南」と呼ばれる地域にあるので、自分的には、土地勘のあるところばかり、、、ちょっと言い過ぎかもしれないが、それに近い。しかも、「鳥羽離宮」は、知名度が高いものだから、とっても、関心があったのだ。この地域内にある「城南宮」は全国的にも名が知られ、ここが鳥羽離宮の跡だということは、かなり有名な話だ。だが、その東にある「安楽寿院」も、鳥羽離宮域に入ることは、あまり知られていない。鳥羽離宮跡とされている区域の北東端に「竹田城」なるものがあった。全く知らなかった、恥ずかしながら。「田中殿」などという表示があるのも知っているので、各々に何があったと想定できるのか、遺跡から、それを判断されている事柄、知りたかった。過去形ばかりで書いているのは、またしてもやっちゃいました。①で完全に寝落ちしてしまったのです。サイテー、です。いつものように、最もそそられていたところでこそ、寝落ちをするというジンクスが生きていました。各遺跡ともに、発掘がされた部分は、遺跡の僅かな部分。だからでしょうか、家屋の広さ、そこからの出土品で想像を巡らすしかない世界。建物跡、墓跡、井戸跡が確認されたようだ。これは、繰り返しのように出ていた、②以後で。ただ、狭い範囲なので、詳細は判らない。ただ、どの地域にも溝が出てきているので、環濠集落だったことは間違いなさそう。そして、建物の大小があること、墓を備えた建物があることから、地域の有力者、国人か近隣の寺社関係者といった権力を持った人物の屋敷跡も想定でききると言われていた。④のように、現在にまで繋がる痕跡のない地域もあれば、逆にありながら、明治になってからの宇治川&木津川の付け替えで、全村移動した⑤のような地域、だから、これは近代まで続いたということになるのだけど、そういった歴史の違いの詳細は判らないそうだ。ただ、④の遺跡の形状からして、桂川の流域が変わったことは、黄紺にでも解るので、そういったことがあったのでしょうね。そんなで、かなり不十分な聴き方でした。これ、わりかし楽しみにしていたテーマだったので、結構な落ち込みです。


2024年 1月 26日(金)午後 8時 15分

 今日は、再び、ハシゴをした日。但し、京都でだけど。1週間前の行動を、ほぼなぞるような予定を入れていた。朝からアスニー京都で市民向け公開講演会を聴き、その足で、嵐山に向かい、美術館に行くというもの。以前は、嵐山の2つの美術館は、ほぼ隣同士だし、コンビチケットも売ってるしと、一気に2つ回ったけれど、腰のことを考えると、どうしても、1つ1つが軽くなってしまう。時間をかけるのを躊躇うのだ。そこで、面倒だし、余計な交通費もかかるが、ゆっくり鑑賞することを優先したということだ。アスニー京都からは、いつも、円町からJRで嵐山に向かうことにしている。昼食は、必ず、円町駅界隈で摂ることにしている。迂闊に、嵐山で食べようなどという考え違いをすると、食べる場所の確保が大変、しかも、観光地値段で高い。だから、毎回、JRに乗る前に昼食を摂る。今日は、久しぶりにタイ・カレーの専門店へ。美味い、カレーだけじゃなくって、少しだけど、おかずが付く。これも、タイ・テイストが嬉しい。今日は、グリーンカレーにしたが、この店のメニューに「イスラーム・カレー」などというものがあり、気になって仕方がない。この店で、初めて知ったもの。他にあるのかも知らない。いつかは、食べることになるだろうが、それまでは、気にし続けることにしましょう。
 アスニー京都での講演会は、「未来への提言~地震や放射能から身を守れるか~」というお題で、金蘭千里大学名誉教授&放送大学客員教授の明里千章さんのお話を聴くことができた。会場に着くまで、防災の専門家だろうか、それとも、意外な展開が待っているのか、それが楽しみだった。お題から、即断すると、存外、いい方に外れる。専門家でもない自分が、お題だけで解らないのが当たり前。いろいろと想像しても良さげなお題なら、肩書なら、行くことにしている。今日は、正に、その判らないまま行き、しかも、全く、想像できなかった専門の方だった。この先生、文学が専門、谷崎のプロパーでした。そこで、文学、ないしは、エッセイに書き残されている、震災などを経験しての考え、そういった現場に立ち会ったことから書き残した文章を読むことで、未来への礎となるような考え方を探ろうというものでした。地震、放射能とお題にあるように、得てして政治的な対応、判断が絡むもの。その辺、あまりアスニー関係では取り上げたがらないものだけど、この講演は、放送大学側からの企画に、アスニー側が便乗したような企画だったので、普段、ここでの講演では聴けない、政府批判の言葉も飛び出す、聴いていて、すっきりするものでした。取り上げられた作家と、「未来への提言」となるポイントをメモっておく。①「地震=天災、震災=人災」、関東大震災後の思いを認めている文化人として、寺田寅彦、西田幾多郎、田山花袋、谷崎潤一郎(箱根で被災)、、、各々、「忘れないこと」の肝要さを説く、寺田寅彦が、特に小気味良い、「天罰」と称する物言いを批判し、政治家の展望のなさ、軍事費とのバランスの悪さを指摘している、根本的にある人間による自然の征服批判もある。②「放射能 人災」、湯川秀樹の文中心、原子力委員会を辞任していく経緯の紹介、アイゼンハワーが「原子力の平和利用」と言い出したのに呼応して、読売新聞社(正力松太郎)が、その主旨のキャンペーンを張りだす、日本初の原子力予算を組むことのリードしていったのが中曾根康弘、そういった政治的な邁進を拒否して、基礎研究の大事さを説き、湯川秀樹は辞任していく、湯川秀樹は「核抑止力」という考えにも疑問を呈する文を残している。湯川秀樹以外では、村上春樹、大飯原発に関する福井地裁判決、アンゲラ・メルケル首相の演説など(原発廃止を宣言したもの)。③「外交」、谷崎潤一郎(「細雪」が「時局にそぐわず」として発禁になっている)の説く国民レベルでの文化交流の大事さ、村上春樹の説く実務課題を感情領域の問題にすり替える政治家(具体的は「安酒」というタームを使い「安倍」を批判しているらしい)批判。村上春樹って、1冊だけ文庫本を読み、全然、引っかかってこなかったため、2度と読むということをしてなかったんだけど、おもしろそうなこと、言ってるんですね。それを学んだだけでも、勉強になったお話でした。
 嵐山は、嵯峨嵐山文華館に行った。今、こちらで、企画展「よきかな源氏物語」が開かれている。ここも大河関連企画だ。まあ、野宮神社をはじめ、物語関連のスポットもあるので、無理筋ではないけどね。そんなに大きな美術館ではないが、幾つかのパートに分かれて展示がされていた。①「紫式部+α」、定家直筆の色紙があったが、もとより、定家と書かれているので、そうかとしか言えない身。自分的には、紫式部を描いた北野恒富と中村大三郎の作品が有難かった。いずれも、紫式部は、身体をかしげている。中村大三郎の作品は、京都市学校歴史博物館所蔵ということで、かつては学校に掲示されていたもの。こういうことに触れるたびに、京都の学校は凄いね! ②「屏風絵」、狩野山楽のような著名な作家のもの以外は、江戸期の作者不詳ものが並ぶ。源氏物語のホントに粗~い内容しか知らないものだから、名場面と思われる箇所を描かれても、何が何やら、判らないことが多い。一応、説明文が、作品の側にあるんだけど、なかなか、難しい。「明石」を選び、各屏風を比べてみると、構図は似ている。そういう描き方が定番で、そう描くものとなっていたのだろうか? 「洛中洛外図」よろしく、雲間から物語の場面を描いたもの、決められた広さのスペースに整然と配置されているもの、全体の構成は様々。③物語の場面だけを取り上げたもの、これは、展覧会でよく見かけるが、このセクションに、日本画の大家の作品が出ていた。枩本一洋「夕顔」、千種掃雲「旧都観月図」、神坂雪佳「舟遊祭之図」、鏑木清方「偐紫田舎源氏」。やっぱ、源氏物語は、大和絵風に描かれると、観る者は弱い。といことで、枩本一洋作品が、本日一のお気に入り。鏑木清方ものは、時代を室町時代に飛ばしたもの。二代歌川国貞の浮世絵に描かれた源氏物語も2点展示されていたが、こちらは、江戸風俗の姿かたちをした登場人物。室町時代にせよ、江戸時代にせよ、源氏物語は、平安情緒でしか受け入れようとしない、己の感性を見せられたというところ。枩本一洋の大和絵風の作品に惹かれると、同じ感性ですね。先週、福田美術館に行ったとき、こちらの展示リストを見ることができたんだけど、それを見たときの印象そのままという展示だったけど、1つ、びっくりの作品があった。若干、幅広の掛軸だったんだけど、源氏物語に出て来る著名な場面が描かれてるんだけど、そこには、一切、人物が描かれていない。調度品や風景で、どの帖かが判るようになっているそうだ。江戸時代のお楽しみは、いろいろとやってくれます。そういったエンターテイメントの深さを知った思いだったな、でも、屏風絵で、人物込みでも、場面が判らなかったのに、解るわけがない。でも、その楽しみ方の粋さみたいなのは、伝わって来たな。会場の広さからすると、屏風が、幾つも並ぶと、結果、小さな作品を観るチャンスを奪われてしまう。致し方ないとは言え、ここんとこは寂しかったな。


2024年 1月 25日(木)午後 8時 1分

 今日も、お出かけ予定が入っていたが、3日ぶりに、午後のお出かけだったので、このときとばかりに洗濯のために時間を確保した。物干し台に上がるのだけでも、寒くて嫌だけど、さすがに止めるわけにはいかない。午前9時をメドに洗濯に取り掛かれば、余裕で、午後のお出かけに備えられるということで、それまでに、昨夜のマッチの整理をしておこうとして、でけた。昨年の地震の影響で、今季は、通常よりもクラブ数が多いので、こういった週半ばにマッチが入る。だから層が厚くないとダメだね、言い換えると金があるところ。それで、補強がうまくいかないという場合があるから、きつい話ですな、この業界も。ベシクタシュが、今季では、その典型じゃないかな。いい監督は、補強も上手いはずだが、今季のベシクタシュ、冒頭はシェノル・ギュネシュ監督だったのに、ダメだね、補強が決まりそうで、さらわれたり、すかされたりしてたのが、見事に祟っている。フロントの問題かもしれんな。トラブゾン・スポルもそうだった。クロアチア人の監督、トルコ・リーグを甘く見たんじゃないかなと思ってたら、案の定、上手くいかなかったしね。だから、残るのは、フェネルバフチェとガラタサライ、完全に、この2つのマッチレースだ。
 午後のお出かけ先は京都学・歴彩館。ここのイベント、午後1時半以前の開始の場合は、近くで昼食を摂るように決めた、その初っ端。まだ、午後2時開始だと、なんとか、食事をしてから出れるのだけど、1時半だと早すぎると、ここで線引き。北大路駅近くのインド屋さんが、いつぞや、夜のコンサート前に食事に入ると美味かったので、ここを利用しようと考えたからだ。でも、近くに大谷大学があるから、学生さんがお昼を、ここへ食べに来るから混む。混むのは、食事時だから仕方ないけど、うるさい。学生時代、自分も、あんなだったのかなぁとも思ったけど、いやぁ、あないに騒ぐほど、子どもじゃなかったぞとも思った。ここ、カレーの種類を、同じ値段で選べるのがいいね。そして、ナンだけじゃなくて、ライスも付いてるから、おもしろいと思ったけど、ジャポニカ米だった。だと、マイナスじゃん! 日替わりカレーを注文すると、なすび&チキン、この具が大きかったのは、なかなかグーだから、やかましいのは我慢かな?
 歴彩館のイベントは、「海外若手研究員による府民向けセミナー」というもの。歴彩館が、海外の若手の日本研究者を受け入れ、帰国前に、その成果の寄稿と講演を求めているようだ。今ままで、こういったイベントがあったようだと、今日の現場で感じたから、全く、目に留まってなかったようだ。ひょっとすると、違う府の施設で実施していたかもしれませんね。今日は、2人の研修生が発表されました。①「日本の古代の駅制」(クリオ・シモネッタ/京都学・歴彩館 京都学研究員)、②「東寺百合文書と古記録の食文化」(エミリー・ウォレン/京都学・歴彩館 京都学研究員)。①の発表者は、イタリア人でパリの東洋学なんちゃらというところで学んだ方、②の発表者は、アメリカ人で南カリフォルニア大学のなんちゃらなんちゃらというところで学ばれた方との紹介があった。ともにテーマがおもしろそうだったので、行こうとした。だが、①では、完全に寝落ち。前の方にいたので、講演者に失礼なのも甚だしい。「駅制」なり「駅伝制」なり、そんなものが古代日本にあったとは、全く知らなかったから、興味が湧いたのだった。理屈では、集権国家が生まれれば、その付き物のようにして生まれる制度だとは判っていても、それが日本にあったのと、さすが、日本史に疎いものだから思ってしまったのだ。「駅制」とお題はなってたので、少なくとも馬を活用しているはず。そんな、スピードが勝負の伝達システムに使えるような馬が、日本にいたのとは思えなかったのも、そそられた要素。その辺は、少しだけ耳に残ってんだけど、渡来人が持ち込んだと言われていた。あとの質疑応答で、「馬に乗って攻めてきた」とか、わけのわからんことを問うていた御仁がいたので、耳に残った。「蔀屋北遺跡」というのがあるそうだけど、「蔀屋」って、寝屋川か畷だよ、そこから馬関連の遺物が出てきてるなんてことも言われていた。聞いたことあるような気もするけど、よく覚えてない。そのくらいです、頭にあるのは。ほぼ完落ちに近い状態だった。②は、歴彩館の誇る国宝「東寺百合文書」に残る宴席の記録が使われた。そんなものまで、残ってる、まず、これに驚いた。室町幕府の出した新たな課税を逃れたいため、人を介して働きかけた結果、うまく行った。そこで、お礼の宴席を催した。そのときに用意され、如何ほどの費用がかかったかの記録が残ってるのだ。めっちゃ几帳面と言うか、私的な金子じゃないから、記録したようだ。具体的な食材が拾っていくというのが本筋だけど、その食材が、こういったところで出て来るかの背景もお話しいただけた、とっても、内容的に、こちらもおもしろいもの。おもしろいものとしてピックアップされた食材などは、次のようなものだった。「松茸、東寺の荘園から毎年献上されてされていた、足りないときは市井から調達するほどだった」「素麺、今のような麺は鎌倉時代以降、中国から伝わり、室町時代に点心として拡がる、粥、羊羹、饅頭なども、点心のメニュー」「奈良時代に素麺として出てくるものは索餅(さくべい)というもの、江戸時代には消滅」「点心が広まった背景、二毛作、新たな品種(早稲や晩稲など)の誕生で農業の発達がある、麦類、大豆の栽培も広がる」「一覧表に酒が入っている、寺内で呑んでたことも考えられるが、ないとしたら、食用酒か、贈答用に用意したか? でも、市中に酒屋は多数あった(酒屋を営む権利が内裏の収入源だったというトピックを扱った講演を聴いた記憶があるよでないよな?)」「酒は戒律で禁じられていた、戒は自らが戒めること、律は罰則規定」「肉食と五葷(ニラ、ニンニク、ラッキョウ、、、)の禁」「こういった史料から、東寺は、政治的・経済的地位の維持に宴会文化を使っていたことが判る」。個々の品目については、生史料を追いかけられ、レジュメにも落とされていたが、さすが、それを見ても、崩し字は読めねぇ~。おもしろいね、こういった食から時代の空気を窺うという手法、ほん、好きです。
 帰りは、いつものように、ウォーキングを兼ねて、三条まで移動。途中、新たなマートができていて、ここへ入って買い物をしていくのが、最近、この帰り道のお楽しみになっている。そのマートからあとの距離の方が、圧倒的に長いので、買い過ぎると、あとが大変だけど、今日の買い物は僅かだったので、ホッとした。このマート込みで、所要時間は70分余。朝からも買い物に出かけたので、それを併せると、本日の万歩計、17000歩を僅か切る程度まで歩けた。


2024年 1月 24日(水)午後 11時 51分

 今日もハシゴをした日。但し、今日は京都でだから、さほど疲労は溜まってないだろうと思ってたら、きっちり夕食前に寝落ちしていた。今冬一番の冷え込みということだったが、お出かけから戻ってきて万歩計を見ると、8100余歩だったので、夕方のウォーキングを敢行。あまりにも寒かったので、少々控え気味にはしたけれど、それが堪えたのかもしれません。ハシゴの2軒目が、今日も美術館だったので、歩数には現れない疲労が溜まるからね。
 まずは、1軒目の市民向け公開講演会から。水曜日の朝の講演会と言えばアスニー山科。電車の都合で、いつも、開場前に会場に着くんだけど、今日は、会場前に並んでる人が、いつもの2倍は超えていた。おまけに、係の方が「ここが最後尾」の紙を掲げられていた。しかも、開場予定時刻よりか、若干早めに開場。この異常事態は、人気の講師にありです。京都先端科学大学人文学部教授の山本淳子さん。流行りのパワーポイントを使わず、しっかりとしたレジュメを手に、とっても明晰な喋り方、論理明確な組み立て、趣旨が判りやすいということで、この人気は当然と、黄紺も思ってるから、今日は、混雑を覚悟で出かけた。その想定が、見事に当たったというわけだ。しかも、今日は、始まったばかりの大河ドラマを踏まえたお題だったのも大きかった。なんせ、山本さんの元へは、大石静氏が、制作プロデューサーともども、制作が決まった段階で勉強に行かれたという程の「源氏物語」プロパー。そんな山本さんでも驚かれた第1話の展開。そのお話もされたけれど、聴講者からは生ぬるい反応、「おいおい、観とらんのかい」と思ってしまったけれど、なんせ、爺婆ばっかだから、反応すらもできなかったかもしれない。今日のお題は「紫式部の恋~『源氏物語』作家になるまで~」だった。大河では、道長との恋模様が描かれているところだが、生身の紫式部が、自ら書き残している正真正銘の恋物語、実際に結婚をして、子どもを設けたが、結婚後3年で死別してしまう実話を追いかけられました。使われた史料は「紫式部集」、初めて聴いた。生前、娘に託され、死後150年してから、存在が公になったもので、職場日記だった「紫式部日記」とは異なり、私生活、なかでも、この講演のもう1人の主人公である藤原宣孝との思い出を認めたものだそうです。藤原宣孝は、系図的には紫式部のまたいとこ。既に、3人の女性を妻にしていた男。かなりの遊び人のイメージだそうです。そして、常識には捉われない人柄だったことは、「枕草子」にも名指しで書かれているとか。その2人の恋の行方は、紫式部が、父親について越前に滞在したときまで遡ることができるとか。生年については諸説あるそうで、太河で「970年生」説で動いているそうですが、それだと、このトピックの時代では20台の後半になるようです。父親の仕事の関係で、婚期の遅れた女だったようです。それに対して、太河では、藤原宣孝は佐々木蔵之介が演じることから判るように、年齢が行っている。50歳くらいだったろうということです。その藤原宣孝から越前在住の紫式部のもとへ恋文が届き、それに対する応答が書き残されているそうで、恋の行方が推察できるようです。この文による和歌問答で、紫式部は藤原宣孝に惹かれて行ったそうで、結婚と相成る。紫式部は帰京します。次に取り上げらえたトピックは、2人の大げんか。藤原宣孝が、紫式部の書いた文を、仲間に見せたことが、紫式部の知るところとなったからだそうです。丁度、先日の「光る君へ」でも、そういった貴族同士のやりとりで、1つの場面(まるで「源氏物語」の「雨夜の品定め」の場面のよう、これは、さすが、黄紺も気が付いていた)を作ったいたが、リアルで、それが起こったから、紫式部が怒った。それを文でやり取りをする。2人は、一緒に住んでいない。妻問婚だったから、この2人は。だって、第4の妻になるわけだから。その中で、歌でやり取りするようになるのがポイントだそうです。歌を送るということ自体が、相手へ思い入れがあるということを示す事柄だったからで、どうやら、この大げんかは、犬も食わぬなんちゃらだったようだと言われていた。そういったいい感じの結婚も、呆気なく終わる。どうやら、藤原宣孝は疫病に罹ったようですね。それで、残された紫式部が一変をする。人生の無常と向き合う紫式部。人生を教えてくれたのが藤原宣孝だったということだった。これが、紫式部の内面を変え、「源氏物語」の執筆に向かわせたのだろうということでした。
 午後に向けて、地下鉄で東山駅まで移動。駅近くのネパール屋さんで昼食。えらく流行ってた。入れ替わり客がやって来る。この店、こんなに流行ってんだと、驚いた。今日は、チキン・ビリヤニを食した。インディカ米でのビリヤニ、たまりません。そして、午後の行き先は京都国立近代美術館。本チャンの企画展「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」へ行ってきました。今までに、ギャラリートークのインスタ配信や、先日のトークライブなんかで、ある程度、展示の様子は把握した上での観覧。やはり主役は小林正和。だから、その発表された作品の変化を縦軸に展示されていたと言えばいいと思います。その過程で、公私とものパートナーであった小林尚美作品があり、草間喆雄、新道弘之らの盟友の作品が並び、同時代を生きたファーバーアートの作家さん(佐久間美智子、熊井恭子ら)の作品を展示するというものでした。小林作品は変化しているのが判ります。自重による弛みの形状を活かしたものから始まり、何かで型を作り、それにファイバーを絡ませていく固形の作品、それも角ばったものと紡錘型をしたものへと変化する、「弓」の形状を組合せるもので、それも、1本の弓の張りをテーマにするものから、弓状のものの組合せで、新たなイメージを作り上げていくものへと変わって行く。そして、それらを組わせて、新たなイメージを創造していくものとまとめればいいかな。何が凄いかと言うと、ファイバーを使いできる表現法を追求したこと。形状のおもしろさを追求するなら、それはそれで、他の人の作品を観れば判る通り、多様な展開を求めれば、可能な世界だったと思うけれど、表現法を追求している姿の方が、先行するア―ティストだなという印象を、この展示では強く持ってしまった。トークなんかでも言われているが、若い表現方法としてのファーバーアートの先駆者の1人として、表現法の追求に余念がなかったということなんかなと思えました。そんなだからでしょうか、ちょっと無機質な印象を持ってしまってました、総体として、また、いずれを観ても。どれがお気に入りかなと思ったんだけど、そういう問いには答えにくかったな。だって、各々の時期の型がユニークなものだから、どれもこれも斬新にしか、自分の目には映らなかったような感じを持ってしまってました。「吹けよ風」で代表される自重による弛みの作り出す曲線のおもしろさを見せるために、かなり緻密な計算をされた上での制作だったことは、トークライブなどで触れられていたけれど、「花音 WR-99」のような弓の組合せで作られた作品も、同様に、細かな計算のもと、微細な設計図を書いておかないと、決してできるものではないことは、黄紺にでも解る。そこに、どうしても緻密なファイバーの性格を知り抜いた計算に基づく計画があるように思えるものだから、それが先行するように看えてしまう。しかし、結果は、どれをとっても、斬新で、おもしろい。作品に接近して、どのような仕掛けがあるかを観ようとしたが、結局、素人の目には、何も判らずじまいだった。とにかく、おもしろいものに出会えたことに感謝です。


2024年 1月 24日(水)午前 6時 34分

 昨日から怒涛の1週間。多様なお出かけ予定が続く。その第1弾は、兵庫&大阪でハシゴをするという大掛かりなもの。秋に1度、似たことをしている。そのときに得た情報と、先日、前売り券を買っていながら、そうじゃないと勘違いして行かなかった美術展を組合せたことで、ハシゴが生まれた。前者が市立伊丹ミュージアム、後者がグランフロント大阪のイベント・スペースを使った美術展だった。そんなで、家を出発したのは午前9時前。2時間程、伊丹まではかかる。できるだけ交通費は安く、お手軽に行ける方法を採った。最安値に比べて40円奮発、すると、お手軽さが増すという方法を採用。ほとんど行ったことのない阪急伊丹駅からミュージアムまで歩いた。JRの伊丹駅周辺には慣れているが、こちらは、自分的には珍しい。今、こちらで「牡丹靖佳展 月にのぼり、地にもぐる」が行われている。前回、「牛腸茂雄展」に行ったとき、次回の展覧会ということで置かれていたチラシの絵に目が行ってしまったのがきっかけだった。絵本の挿絵に使われた絵だと、チラシにあったと思う。その絵本も買った。絵本の挿絵のテイストと、その気になった絵は違った。多くの挿絵は、キャラが可愛いというか、不思議な雰囲気も持ったものだったけど、それよりか、圧倒的にチラシの絵が良かった、自分的には。森の絵なんだけど、ま、そういった絵本の場面で出て来るので、間違いはないと思うけれど、何層にもなっているように見えるのだ。何がどうしてどうなっているのかが気になるのだ。絵本のお話も、DやSに見せてやりたいものだった。この頃、誰かがお薦めしている絵本があると、すぐにアマゾン屋さんで買ってしまう。読んだ後は、DとSに回せるからだ。今のところ、そうした絵本で外れはない。多くは挿絵を中心にして買うものだから、筋立てが気になるが外れはない。これも、そうだった。むしろ、積極的にDとSに見せてやりたいと思うものだった。評価も高いから、こういった美術館で取り上げられるのでしょうね。この作家さん、歴史上の作品を研究されている、国内外のものを。そういった中で、作風に関わってきているのが、展示の冒頭に置かれていた日本画の俯瞰図。「洛中洛外図」などで使われる、雲間から市街地を覗くという手法。実際に、同じ方法を取り込み、どこだったか忘れてしまってるが市街地を描いたものが展示されていた。この手を使うというのが、この作家さんが進化をさせた結果が、この人の描き方の主流を占めてるんじゃないかな。それと点描。個々の点が、印象派の使うそれと違い、「点」というよりか「線」、それも、短いものもあれば長いものもある。自在に長さを使い分けてることはそうなんだけど、長さの変化が無茶苦茶多いというわけではない。更に、「線」は真っすぐとは限らない。一部だが、「曲線」がある、それも、こういった手法を使ってる作品のいずれにも、その曲線は出て来る。だから、ピースは同じで、それを組合せる組み合わせ方が違うという言い方もできるかなと思った。色彩に特徴がある。「紺」「黄」「緑」が多い。中間色が少ない。この組合せって、マイナーだと聞いたことがある。「緑」「赤」にシフトするのが多数派らしい。マイナーな作家の代表格がシャガールらしい。この作家は、更に、純粋な「黄」を多用するから、色彩に関心が行ってしまうのでしょうね。そして、問題の「重層」構造の絵だ。何が「彼」で、何が「我」かは別にして、彼我を往来している、それを、傍らに書かれたキュレーターさんの言葉で読み解こうとしていた。問題の作品「兎月夜」は、12枚のカンバスを繋ぎ合わせた大作。図体が大きいからこそできたのかと思えるほど、他の重層構造の作品に比べて、その層の組合せが複雑極まりなかった。申し訳ないけど、この作品に比べると、他の作品は、あまりにちっぽけに見えてしまった。このミュージアム所蔵の彫刻作品をアレンジした新作も含めて、ちっぽけに見えてしまった。それだけ、この作品は、前に行ったり、後ろに下がったり、右に左に、更に斜めに動き、観察した。すると、観えてなかったものが観えて来たり、違うものに見えて来たり、特に真ん中の月がそうだったが、これは、さすがに形は、どこから観ても同じに観えたが、その位置が変わって観えるのだ。前なのか後ろなのか、本当は、どこにあるのだと言いたくなるもどかしさ、もちろん、それは、この作品を眺める悦びなんだけど、そのために、大部な作品の前を動き回っていました。この作家の頭のなか、観たくなるような作品です。そうやってうろうろさせることを狙う、一つのインスタレーション作品と言った方がいいかも、しれないね。キュレーターさんのように、現実と非現実的な妄想なり何なりとの往来でも良かろうし、何でもいい、往来してます。日常的な行きつ戻りつの人生でもいいじゃないっすか、そういった「往来」に気づく作品と看ました。そう言えば、この作品が入っている絵本は「おうさまのおひっこし」は、ずっとベッドなど家具家財一式を引越しのために「運ぶ」ものの語り、「往来」の物語でした。その絵本に使われた原画も展示されていたというのが、大きな目玉だった展覧会でもあった。「たまのりひめ」「たびする木馬」「めいわくなボール」も、原画が展示されていたので、絵本の原画全てが展示されたことになります。「たびする木馬」を覗いて、このミュージアムに寄託されたようですね。できたら、絵本、揃えてみたくなちゃいました。引き取り手もいることだしね。
 前回同様、昼食は伊丹で。前に食べた韓国屋さんは、焼肉屋という感じだったので、足が向かず、ググるとインド屋さんがあったので、そちらへ。しかも、とってもシンプルなダル・カレーがあったので、それにした。最近、Youtubeで紹介されている、インドの朝ご飯シリーズの動画を、よく視聴するが、そこで食べられる豆のカレーが美味そうだからというので、躊躇せずにダルにした。ホント、素朴なお味。ナンって、結構、お腹に残るので、最近、贔屓にしている。ググると、インド屋さんにネパール屋さんが、すぐに目に入ってしまう。それだけ、増えてるってことだよね。今日のルートもネパール屋さんで昼食になりそうだ。
 移動は、JRを使った。阪急とお値段は同じだとなると、グランフロント大阪へのアクセスの心得のあるJRを選ぶのは、当然のこと。北館の地下だとの情報は得ていたので、とにかく地下に降りればいいという判断が、ミスりかけの基。もう少し歩いておれば、簡単に入口が判ったのにというのは、帰りがけで知ったこと。迷路のような道を歩き、ようやく到達。こちらでの「アール・ヌーヴォーの女神たち」という展覧会、アルフォンス・ミュシャの作品を展示するもの。これで、アルフォンス・ミュシャものは、1年間で3回、観る機会を得た。美術館「えき」KYOTO、北九州市美術展分館に次ぐものだ。それだけ、人気が高いということなのでしょう。そして、昨日、驚いたことなんだけど、ほとんどが若い女性ばかりが観ている。おばさんが、時たまで、おっさんは、ごく僅かにいたが、男が極端に少ない。こんな経験は、これまでの2回ではなかったこと。場所柄とは言え、これには驚いた。この展覧会の売りは、「リアルとデジタルの両方を楽しめ、〝絵画を全身で体験する゛ハイブリッド展覧会」となる。ミュシャの作品を、映像に移し替えたものを、展示で映すというもの。コンピューター・グラフィックのすご技を堪能できる動画の上映が、丁度、会場の中央部に設けられたスペースで上映されていた。「コ」の字型のスクリーンに、次から次へと「動くキャラクター」を見せてくれました。今回の展示は、OGATAコレクションのもの。年に3回も観ると、同じものとの再会ではおもしろくないなとは思っていたが、そうではなかった。冒頭、いきなりサラ・ベルナールものが並んでいたのには圧倒された。一番の見せ場を冒頭に持ってくるという大胆な会場のレイアウトでした。「ジスモンダ」から始まり、「トスカ」まで、7~8点あったと思う。劇場名も、途中から「サラ・ベルナール劇場」となっていた。凄い、人気だったのでしょうね、この辺からも伺える。やっぱ、「メデア」が、物語が物語だけあり、異彩を放つ。知られたものでは、「四季」「ドイツ歴史の諸場面とエピソード」「黄道十二宮」「ジョブ」「夢想」「パリスの審判」といったものがあったと思う。そして、お約束の広告に使われた作品が並ぶ。ビスケット会社、チョコレート会社の広告に使われたもの。次いで、祖国チェコもの。その中で、作品名をメモってないので、名称を書けないのだけど、女性チェリストを描いたものが、力強さという、あまり他の作品のテイストにはないものだったので、印象に残った。アメリカものは、ごく少数だった。あと、北九州では、このジャンルが、めっちゃ多くてたじろいだけど、習作用なんかなぁ、デザイン集も並ぶと、こういった展覧会で網羅されるジャンルが揃っていた。会場の出口近くには、インスタ映えを狙ったコーナー、枠組みだけがミュシャで、その中に入り込んで写真を撮れるなんてものまで用意されていました。「へぇ~」でしかなかったけど、若い女性が多いわけが、中央部の動くミュシャともども、納得できました。
 帰宅したのは、午後4時過ぎ。この遠征で疲れてしまい、火曜日ということで聴き出した「まーぶる」も、半ばで寝落ちしてしまってました。それも、1度ならず2度も。結構、夕方、時間に余裕があるな、これだと、飛ばす箇所もあるので、4時間分最後まで聴けるかと思ってたんだけど、晩酌後も、あっさりと寝落ちしてしまったので、昨晩中には最後まで行けなかった。万歩計だと1万を超えたくらいなんだけど、やっぱ、美術館歩きは疲れるようですね。腰にこられたら困ると思うので、ゆっくりたっぷりとは観ないようにしているし、昨日は、2つの美術館でも、そうしたけれど、これほどまでの寝落ちとは、びっくりのお疲れの日になりました。


2024年 1月 22日(月)午後 8時 20分

 今日は、お出かけなしの月曜日。となると、昼は、定番の2回のウォーキング、夜は、米朝事務所のYoutubeチャンネルの生配信がお楽しみとなる。明日からは、怒涛の1週間連続のお出かけ予定が入っているので、今日中に行っておかねばと思い、この間かかっている皮膚科の医院に行った。弟の家の近くなので、帰りには顔を出したが、弟はいなかったので、替りに弟の嫁さんと、しばしお喋り。今日は、暖かだったので、ウォーキングなんかをしていると、いつもの格好だと暑かった。汗らしきものまでかいたかもしれない。でも、明日から冷えるそうだ。ま、1月も下旬に入ったのだから、仕方がないけど、やだね。明日は、午前9時前に出かける予定にしているので、考えただけでも、やだ。
 昼間は、2月の末に予定している名古屋周辺旅の準備。今度も、地方美術館巡りなんだけど、行き先は、削らなければならないかもしれない。候補地が5ヶ所あるものだから。それが、名古屋市内に多くが固まってくれればいいのだけど、外すかもしれないと思ってるのだけが名古屋市内の美術館。となると、残りの4ヶ所は周辺ばかり。だから、これを繋ぐのが一仕事。宿泊は、その4ヶ所の中心に位置する名古屋がベストの模様。外すかもしれないのが名古屋市内で、行くことを確定しているのが名古屋郊外、めっちゃ変なことになっている。なんとか、結びつきそう。1日目なんか、昼食時間を取れないかもしれないなと思っている。日にちも、ほぼ確定している。かなり制約があるからね。3月でもいいんだけど、3月は韓国が決まってるので、できるだけ、間隔を開けたいのでとなると、自ずと2択くらいしか、幅がない。既に入ってる予定をつぶせば、3月の冒頭にかませて、大須演芸場にも行けるんだけど、そのようにすると、行くことが確定して、外すことは考えられないのが4ヶ所あるから、2泊要ることになるので、これは、ボツにした。考えてみると、先日の旅行から、もう1週間が経つんだね。早いよ。
 午後の一時には、先日、京都国立近代美術館でのトークライブに行ったが、寝落ちしたので、そのときの様子が、Youtubeのアーカイブに入っているので視聴することもやってみた。ところが、寝落ちするはずでした。業界用語としか、畑違いの者には解らないトピックやタームが飛び交っていた。こりゃ、無理だったんだと納得。寝落ちを正当化するつもりはないけど、難解だったんだね、敷居が高いというところに迷いこんでいたことが判り、途中で、視聴は止めてしまいました。


2024年 1月 22日(月)午前 6時 8分

 昨日は、お出かけなしの日曜日だったが、朝は、「日曜美術館」の新作が流れ、午後には、オンライン配信での民博のイベントに予約を入れていたので、結構な、時間の拘束を受けた日でもあった。まずは、今年初の新作じゃなかったかな、「日曜美術館」のお題は「戦後新宿・渋谷をつくった建築家 坂倉準三」。坂倉準三という名は初めて聞いた名前だけど、その作品は、お題にある通り、知らないわけはないという人。丁度、現在進行形で、渋谷の改造が進み、今年は、新たに、新宿西口広場が変わると言う。かつての渋谷の光景、そして、今の新宿西口広場をデザインしたのが、今回の主役だったので、このタイミングで制作されたのでしょう。自分的には、11月に、渋谷は観てきたことで、より現実味のあるものだった。MCの小野さんが、坂倉準三の息子さん(坂倉竹之助)を訪ねることで、番組は作られていました。まず、坂倉準三に関する基本情報として語られた内容をメモる。岐阜県生まれ、東大卒業後、ル・コルビジュに学ぶ、ル・コルビジュのサヴォア邸ができたときに弟子入り。まず、ピックアップされた、その作品は、「出光興産製油所」「(札幌)大倉山ジャンプ台」「東急文化会館」「岐阜羽島庁舎」「岐阜市民会館」というもので、掴みとしてのインパクトが大きい。有名な建物だけではなく、作品が多様だという印象を与えてくれた。個別に詳細に紹介されたのは、次のようなものだった。「パリ万博日本館 1937/斜面を活用、審査員は日本的と評価、日本の評価とは正反対だった、廊下のスロープを歩きながら風景が変わる、日本的と評価、その年のコンペでグランプリとなる」「神奈川県立近代美術館(2020 国重要文化財) 1951/自然と人間との関係性を問い直す、ル・コルビジュよりも自由だとの評価も出た」「1952‐70/渋谷計画、東急からの依頼、駅・デパート・劇場の複合施設の先掛けとなった東急会館、及び、東急文化会館」「大阪難波の都市計画、具体的な紹介はなかったが、今のナンバ・シティと思われる」「羽島市庁舎1959完成、今年、姿を消す、ふるさとから仕事の依頼、建築学会賞、田園風景と庁舎を繋ぐ、表裏のない入口、下部が行政、上部が文化施設(屋外のスロープ=地上から直で上へ行ける)という構造、町村合併で生まれた新たな都市を意識して、それが判るデザインになっている」「(伊賀)上野市庁舎、未来に残そうという考えで再設計中の様子を紹介、下部は図書館、上部はホテルとして活用して残る、使われている素材が建築時のものなため苦労していた(サッシの性能が低い、空調の性能が低い)が、デザインの意図を活用しようとしていた」「新宿西口広場、1960以後の新宿改造計画、淀橋浄水場跡(自分的には最初に観た西口はこれだった)、地下に太陽がふりそそぐをコンセプトに」。
 午後に視聴したオンライン配信は、「みんぱく映像民族誌シアター」と称して、毎年、館外の十三で、行われているイベント。民博が制作した映像資料を流し、その制作に関わった人たちのトークを行うというイベント。毎年のことながら、いつも気づくのが遅く、せっかくのイベントも、全て参加することができていない。今年も、いまのところ2/4の参加に留まることになる予定。その1つが昨日のイベントだった。昨日は、「千年の時を奏でる――モロッコのアンダルシア音楽祭」と題した映像を流すとともに、堀内正樹(成蹊大学元教授)、西尾哲夫(国立民族学博物館名誉教授)のお二人をゲストに迎え、司会の黒田賢治(国立民族学博物館助教)さんとのお話を聴くことができた。「アンダルシア音楽」とは、レコンキスタでイベリア半島を追われたイスラームが、向かいのモロッコに移り、アンダルシアで確立したアラブの古典的な伝承音楽を守り、伝えているもの。それが「音楽祭」という形で、各所であるそうだが、この映像は、シェフチョウエンで行われた2000年の音楽祭を記録したもの。この映像は、実は、民博のビデオテークに入っており、但し、抜粋ものだと思うが、実際、民博で観た記憶がある。が、よく覚えているのだが、寝落ちしてしまった。そして、その後に観直そうという気が起こらないままだという記憶。だって、同じようなゆる~いメロディが延々と続くものだから、観直しても、またぞろ眠ってしまうだろうと思うから。そんなことを、昨日、実際、メーンが、音楽演奏だから、それが続く、また、寝落ちしてしまい、「待てよ」「同じことがあったぞ」ということで思い出したのだった。そんなで、不十分なこと夥しいが、また、タームが、なんせ慣れてないものばかりだから解りにくかったが、メモれるものだけでもメモっておく。「シェフチョウエンという都市は、レコンキスタ後、対ポルトガルに備えた城塞都市、1926年にスペインにより制圧され、モロッコ独立までスペインの支配を受ける(こういったジブラルタルを挟んだ攻防は、自分的には抜けてることを実感!)」「アンダルシア音楽は、元バグダッド宮廷音楽家だったゼリアーブが確立したものということだから、本場もの、それにローカルな色彩が入ったってこと?」「フェズは元はベルベル人の町、イドリース2世建設、その後、スペインやチュニジアからの人の受け入れでアンダルシア音楽が入ってきた、ここの楽団は、古楽器しか使わなかった(新しい楽器としては、カーヌーン、チェロなど)」「ヌーバ(順番という意)と言うアンダルシア音楽の組曲を演奏、歌詞の内容がよくわからないということで、何が歌われているのかの紹介はなかったような記憶」「詞の確定は18世紀、シュール(集められた詞、古典、8、9世紀もの、アラブ、イランなどから、ジャーヒリーヤ?)4割、アンダルシア時代のもの4割、そして、口語など」「言葉のリズムと音楽のリズムが違う(8c、健康な音と不健康な音の組合せルール決まった、不健康な音とは子音だけということ)」「マドラサでイスラームを教えるのに使われていたと言われていたが、宗教的なものなのか世俗的なものなのかも不明、宗教的な用い方だと、気になるのはスーフィーとの関連、セマーゼンのようなものなのか?」「楽器ではムバーブ(弦楽器)が中心、そして、歌っている歌手が主役」「音階の話をされていた、半音の半音を使う? それが、この音楽に関わることなのか、広くアラブ音楽特有のものか、不明」「マカーム(旋律、旋法?)なるもののことも話題になっていたが、解らん!」。ということで、かなり不十分。


2024年 1月 21日(日)午前 7時 16分

 一昨夜は眠れなかった。簡単に目も覚めた。午前1時台に目が覚めると、さすがにきつい。一昨夜は、酒に手を着けてしまった。そして、少しは寝たが、酒を呑むということは、水分補給しているわけだから、トイレが近くなり、簡単に目が覚める。これで仕事があったときは、大変だったのを思い出した。そのため、昼間は、目が痛い。美術館のイベントに行ったが、予想通り、眠ってしまった。全くダメな展開だった。そういうときって、予定していたことを遂行しようと意地になるのが、黄紺の傾向。昨日は、朝10時半をメドに出かける。そして、京都国立近代美術館に行き、午後に予定されているトーク・イベントの整理券をもらう。この美術館で、こういったイベントに行ったことがないので、整理券の出方が判らないので、とにかく、整理券配布が始まる午前11時よりは、あまり離れない時間に行き、整理券をゲットしようとの考えを採ったのだ。番号札には「27」となっていた。この分だと、配布前から、並んだ人が、相当数がいたということですね。でも、後は、さほど続かなかったようで、館内放送で、参加を呼び掛けるなんてことをやってた。でも、このイベント、最後は、椅子を足していたから、やっぱ、この警戒は杞憂ではなかったことになる。覚えておこう。イベント開始時刻は午後2時なので、それまでに、同館のコレクション展に行くことにした。これも予定通り。幾つかのパートに分かれているのは、いつも通りだ。冒頭には、毎度、洋画が数点展示されるが、今回は、なんと、森村泰昌作品が並んだ。「星男」と題する写真が4枚、京都の4ヶ所で、後頭部を星型に刈り取った男(顔は判らないが森村泰昌その人でしょうね)を背後から撮っている。中には、新京極のど真ん中で大の字になっているのを撮っている。ギャラリーもいっぱいだった。成りきりものが2点、その1つの「だぶらかし(マルセル)」が傑作。手が4本、成りきっているのは女性のため、女性が下から手を出し、それがあたかも被写体の森村泰昌の手のようになっている。その女性の手を制するかのように、上から押さえる森村本人の手。男と女を二重に行き来してます。「生誕150年/没後80年 千種掃雲」というのが、森村作品とフロアを共有する展示。千種掃雲は、竹内栖鳳に日本画を、浅井忠に洋画を学んだ作家。滋賀県美で観た記憶がある。どのようなテイストの絵かというのは覚えてなかったが、今回の展示を観ていて、前半では、これって、大阪高島屋で観た「高野光正コレクション展」に出てきた作品群に近いという印象。だから、市井の人を描く風俗画が多かった。なかでも、当時の画壇が描こうとしなかった海女や沖仲仕といった労働者層を描いていたのが特徴的。しかし、「海女」という作品では、そういった海女を描いた、しかも、上半身裸の海女を数人描いているわけだけど、目が行く、もう1つのポイントがある。背後の崖、洞窟を描く筆致。西洋絵画を学んだということが判る。立体感が凄く、めっちゃ迫力があるのだ。そう言えば、滋賀県美で観た作品のテイストは覚えてないが、風景画が出てた記憶。そう思い眺めていると、次の部屋に入る壁に並ぶ一群の風景画に驚いてしまった。「渓谷」は、最初、間近で観たために、ごちゃついた感じがして気が付かなかった。「山田之冬」「溪流」と並び、襖絵の「雪の祠」に来て、精緻な風景画だとは思ったが、まだ、気づいてなかった。そこで、少し後ろに下がって、驚いた。池が鏡面になっており、輝いている。いや、背後に下がることで輝き出したと言えばいいかもしれない。いっぺんに、そこに描かれている風景の広さが変わったように思った。そして、右に顔を向ける。すると、「山田之冬」「溪流」の2点が、まるで、3D画面を観ているようになってしまった。思わず、「これ、平面だったよな」と思ってしまい、2つの作品に近づいて確かめに行ってしまった。ならば、あのごちゃついていた「渓谷」はどうかと思い、これも、距離を保ち眺めた。やはり、こちらも3Dだった。どういうことなんだろう? でも、驚きの体験! 真ん中の部屋は、現代アートを展示することが常だけど、今回は「追悼:野村仁 1945–2023」だった。亡くなったのが昨年の10月だそうだから、緊急展示かもしれない。この人、京セラ美術館の前回のコレクション展で知った人。巨大な段ボールのオブジェを放置するかのように展示して、それが朽ちる姿をインスタレーション作品とした作家さんと知り、驚いた人だ。今回の展示でも、その異才ぶりが、十分に解った。1つは、「ハレー彗星の回帰」という一連の作品、回帰するたびに、夜空に描く軌跡を線で追いかけるというもの。夜空の写真に線を描いた写真を、独特の感性で繋ぎ合わせる。ヴィジュアル的にもおもしろいが、人の営為を超える営為を視覚化してくれてます。今一つが難解。「〝HEARING゛についての特別資料室」というものに驚かせられた。自宅から美術館までの間にある公衆電話があるたびに、美術館に電話を入れ、そのときに目に入るものを電話で伝え、それを、美術館の協力者にメモってもらうと同時に、公衆電話から見える風景を写真に撮るというもの。その記録が、延々と並ぶ展示だった。もう、「おもろい」と思う反面、「わけわからん」とも思う。異才、奇才! 「糸の構成」は、現在進行形の企画展「ファイバーアート」連携展示。とにかく、楽しい、まだ、観てない企画展へ誘う効果満点。壁を使った展示は「生誕130年 川端弥之助」、初めて知る作家さん。親交のあった須田国太郎、黒田重太郎、霜鳥之彦という知った作家さんの作品も並んでいた。洋画の作品群だ。残念ながら、知った作家さんを含め、響く作品には出逢えなかった。「素材を愉しむ」というコーナーは、工芸の作品が並ぶ。備前の藤原啓などという大家の作品も出ている。全く、解らないと決めつけている漆芸だけど、長野垤志の「肩衝釜」に目が行ってしまった。てかてかと黒光りをする表面に、技の凄さがあるのでしょうね。漆芸作品で、こういった感想を持ったのは初めて。かじれるかもしれないという予感、です。このコーナーは、企画展の最終展示場にもなっているらしく、フライングで作品を観ることができたけど、おもしろいものがあった。笑うという意味でのおもしろ作品があった。インスタレーションだな。そんなの観ると、今週の水曜日に行く予定にしている企画展への関心が嫌が応にも高まって行きます。
 午後のイベントは、その企画展、正確に書くと、「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」となるが、その関連企画。「ラウンドテーブル/小林正和とその時代」と称し、トークライブが4回予定されているが、昨日は、その第1回目だった。そのお題は「日本のファイバーアートと世界への挑戦ーローザンヌ、ウッヂ、京都」。ローザンヌ、ウッヂは、ファイバーアートの世界的なコンペが行われているところ。この美術館のオンライン配信で、その辺は学習できている。そのコンペでの受賞者でもあり、小林さんとともに研鑽を積んでこられた作家さんも含めての登壇者のお話を聴けるはずだったのが、寝てしまった。断片的には覚えている、特に、小林さんとの関わりの思い出話は、興味があったが、コンテクストが判らないのでメモるのは止め、登壇者のお名前だけメモっておく。草間喆雄、久保田繁雄、熊井恭子、佐久間美智子。なかでも、草間さんは、川島織物時代からの盟友ですね。なお、進行は、同美術館副館長で、今回の展覧会のキュレーションを務められた池田祐子さんでした。このイベント、Youtubeでも配信、アーカイブにも残すと言われていたので、また、時間を作り観ることにします。


2024年 1月 20日(土)午前 4時 18分

 昨日から、活動再開。早速、朝から出かけ、しかも、京都でハシゴをした。金曜日ということで、朝からのお出かけはアスニー京都、そこから、嵐山に向かい、福田美術館に行くという定番のコース。ということは、この福田美術館で、新たな展覧会が始まったということだ。すっかり、いつ始まったかを失念していたが、現地で、18日からとなっていて、驚いてしまった。まるで、待ってたかのような感じで行ったかのよう。まあ、待ってたことは待ってたけれど、開催後2日目に行くなんて、こんなの珍しい。ハシゴをしやすいように、金曜日に入れただけだったんだけど。お昼は、旅行にお金を使ったということで、安上がりにしようと、円町交差点のすき家で牛丼。400円也で済ませた。
 アスニー京都の市民向け公開講演会は、珍しく、テーマが外国、しかも、地理というのも珍しい。「東南アジアの自然環境とその変容-ラオスとベトナムの事例から-」というお題で、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授の小坂康之さんのお話を聴くことができた。まずは、自己紹介ということで、ご自分が、子ども時代にシンガポールの現地幼稚園で過ごしたことから、東南アジアの紹介をされた。言語、宗教、対日感情など、そういった話だ。そして、押さえられていたのは、東南アジアは、政治的に編み出されたタームで、その言葉で表される地域に統一性があるわけではなく、とても多様だということ。気候、動物、植物、文化、、、そういったお話で取り上げられたことをメモっておく。最後は、ラオスとベトナムへとお話を絞って行かれるおつもりだったようだが、ラオスは、焼き畑農法の変化から現在の農業から見た問題点を辛うじて触れられることはできたのだが、ベトナムは時間切れでカットされてしまった。どうやら、ネタ振りとか、ラオスの、そういった問題をお話されたされたことから推察すると、エビの養殖問題、日本との関係、「エビと日本人」を話されたかったようだと思えるので、至極、残念としか言いようがない。「稲作の方法にも様々なものがある/日本は田植えも灌漑用水も持っている〝灌漑移植型稲作゛で日本以外では中国南部にかけてのもの」「東南アジアでは、元来が焼畑での稲作を行う地域が多かった、これが、ラオスで扱われる問題の背景」「稲にはウルチ性とモチ性がある、野生種は前者で後者は突然変異で生まれたもの、その変異で生まれた種をウルチと交わらないようにして保護、育成してきたもの、モチ性を持つ作物は、他に7種(アワ、ヒエなど)あるが、全てがラオスで生まれている、そのラオスでは、モチ米が主食」「ラオスでは水牛が家畜の主流、農作業用、食用ばかりか、貯蓄という観点で水牛を飼っている、水牛は藁を餌にするので、食糧問題に障らない、他の家畜を飼育するのには、トウモロコシなど、人間の食用になるものと被るので、効率が悪い、人間の食糧問題と競合してしまうのだ」「水牛は草食なので、雑草も餌になる、そういった意味でも効率が良い」「緑の革命は新たな品種の導入により生産向上に繋がったが、その品種を使うためには肥料と農薬、灌漑用水が必要だったため、現金支出が増加してしまった(緑の革命には否定的だということですね)」「森林資源のことも話されていた、西ティモールの白檀、ミャンマーのチーク(イギリスは軍艦の資材になると、それを求めて、インドからミャンマーへと侵出していった)、ベトナムのマングローブ(汽水域のため、生物の多様性が看られるところ、防風や浸食を防ぐ護岸の役にも立っていた、エビの養殖地に替わって行くと省かれたトピックのネタ振り)」「動物区と植物区は似ているようで異なる、最大の違いは、植物区では一体となっている東南アジアが、動物区では分断されている、バリ島とロンボク島の間、スラウェシ島とカリマンタン島の間に区切り線が入る、これは、ウォーレス線と呼ばれるもの、氷河時代、水面が低く陸地が繋がっていた時代(今よりも120m水面が低かった)も、この区切り線は海で隔てられていたことによるもの」「中緯度高圧帯は砂漠が繋がるが、東南アジアでは砂漠がない、アジア・グリーン・ベルトがこれ、照葉樹林帯になっている、納豆など、この地域独特の文化を育んでいる(=照葉樹林文化)」「(ラオス)かつて焼畑農業が行われていた地域では、トウモロコシやハトムギといった商品作物が作られるようになり、森に戻さない〝常畑゛となってしまった、これで生態系が変わってしまった、、、(と流れていくはずなんでしょうが、時間切れ)」。基本的なお話をされたので、ようく解ってるというものもないわけではなかったが、なんせ、こういったお話を聴く機会が稀なため、耳はダンボだったな。モチ米の話、ウォーレス線の話は、自分的には有難かった。でも、こういったテーマになると、客席の埋まり方が落ちる。だから、出ないということなんでしょうね。悲しい現実です。弟も来てなかったしね。
 福田美術館の展覧会は「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」。竹内栖鳳展が、つい数ヶ月前に京セラ美術館であったところへ、この展覧会。京セラ美術館の企画に被せたのかな? 1階には、その竹内栖鳳ものが10数点と、円山応挙からの流れを追うという展示、2階が、弟子筋の作家の作品が展示されていた。展示室に入ると、いきなり「秋夕図」があった。西行を描いたものだけど、この作品は、京セラ美術館でも展示されていたが、絵との距離を感じてしまい、するっと通り過ぎたのを覚えている。が、今回は違った。同じ作品なのに、画面の中では、さほど大きくは描かれていない西行が、やたら目に飛び込んでくる。パッと見、「西行って、こんなに存在感、あったっけ?」「全体の中で占める西行って、こんなに大きかったっけ?」と思ってしまった。展示されているケースの違いもあるのだけど、茫漠とした背景に、確かに、大きい。何度も、見返してしまった。この絵もそうだったんだが、空気感、湿り気まで出すと言うぼかした描き方の極端な作品が「水郷雨余」。これも、京セラ美術館で観ているのだが、抽象画を観ている雰囲気になってしまうほど、ぼかしている。それら対抗するのが「秋渓漁夫図」。こちらは、澄んだ空気まで感じさせるほどクリアなのだ。周りにぼかした描き方をしたものがあり~の、贅沢な絵具を使って群青色を出していたり、金を使ったりと、鮮やかさを競ったかのような作品が並ぶなか、このクリア感がいい。既視感のある、でも、今回は、目をそばだててくれることになった秀逸2点でした。環境も変わり、観る目にも変化があったのでしょうか? 大きさで目を引くのが、「春郊放牛図」。右隻には、画面狭しと大きな牛が描かれ、左隻には、遠近感を出すために、小ぶりに描いた牛が放牧されているというもの。左右が対照的な描き方で空間的な広がりを感じさせるが、写実に過ぎて、大きな牛がいただけない。解説に「長澤芦雪に刺激を受けた」的なことが書かれていたが、そうかなぁ。農耕馬を連想させられ、泥まみれの姿を連想させてしまってた。で、やっぱ、竹内栖鳳の動物はいいということで、逸品が2点、出てました。今回、チラシやポスターに使われている「金獅図」と「猛虎」。2020年に、同館で開かれた「栖鳳の時代~匂いまで描く」展では、後者の方がチラシ&ポスターに使われていますね。黄紺的には、もふもふ感のある虎がいいな。獅子の方は、あまりにもリアルすぎて、近寄り難い空気を出しています。もふもふ、なでなでできそうな虎は近付けそうだからね。歴史を辿るパートでは、円山応挙から始まった。その2点が、素晴らしすぎた。「龍門鯉」は、所謂「鯉の滝昇り」なんだけど、滝から落ちる水も鯉も直線縦1本に収まる描き方が、「いやそうじゃなかろう」と、観る者の想像力を刺激する仕掛けになっているから、勢いよく落ちる滝の水、それを、身体をくねらせ跳ねながら昇ろうかとしている鯉の姿が見えてくる。恐ろしいほどの技に見えた。「龍図」は、違い棚のところにあるような小さな襖絵、横長に竜を収めている。それだけで、凄い技です。呉春、松村景文、岡本豊彦と来て、塩川文麟ときたが、この塩川文麟の2点「月夜遊蛍図」「線香花火図」は、ともに光を扱った作品。解説文にも書いてあったが、日本画では珍しいこと。前者では、蛍の周りの色を薄くして光を連想させる工夫がされていたのに対し、後者は金を使ってました。おもしろい。最後に、直の師となる幸野楳嶺の「蓮華之図」があったが、この蓮華は勢いがあった。観ているだけで、力がみなぎる、そういった力強さのあるもの。ええもん観たぞといったところ。2階では、作家ごとに展示が並んでいた。筆頭が、娘婿なんだね、この人、西山翠嶂。「槿花」が、京セラ美術館から来ていた。これは覚えている。めっちゃ、絵自体が存在感を放つ。よく見て、花に囲まれていることが判るが、描かれている女性の顔つきが、なんとも気になる。体つきとかが、あまりにも生々しく伝わってくるからでしょうね。これは逸品です。西村五雲は「高原の鷲」。これは、先ほどの竹内栖鳳の牛のように、左右逆だが、大きな鷲1羽と数羽の鷲を描き分けているが、大きな鷲にリアリティがなく、漫画チックに見えるほどにでかかった。「???」。美人画が3点、右から上村松園「しぐれ」、伊藤小波「雪の朝」、橋本関雪「梅華佳人図」。この3点はあかんやろ、強烈に印象に残る。しぐれてきたかなと見上げた目先の紅葉、丸窓型の障子を開け雪を眺める女のあどけなさ、この2人の女は、世間がどうのこうのではない、ふと目にした光景に、ちょっとだけうつつを抜かしてる。その小さな小さな体験をコンパクトに描いてるところに、こちらも余計なこと、忘れさせる力がある。それに対して、先を見据えるようなモダンな女、それを描いたのが橋本関雪。「佳人」は、「華人」を描いたものだが、その女性が「佳」な人だということ何でしょうか? 広田百豊に次いで、村上華岳、土田麦僊、入江波光、榊原紫峰、小野竹喬といった国画創作協会の面々が続いた。その中で、2点をメモっておく。土田麦僊の「鶏頭図」と榊原紫峰の「雪庭双鳩図」だ。前者の鶏頭だが、真っすぐじゃないのだ。それも、90度近く、首をかしげていて、茎も直線的じゃない。「そんな鶏頭図ってあるの」と思ったのと、解説文によると「色彩がマチス的」だと書いてあったが、色遣いが落ち着きがよくないのだ。どのように把握すればいいのか、混乱中だということでピックアップ。後者は、近場で観ると、左半分に描かれている2本の木の真っすぐ過ぎる真っすぐが気になってしまう。それさえなければ、いい感じと思ったが、徐々にしっくりとなってくる。真ん前の位置から離れ、対面の離れた場所から振り返って観ると、雪に煙る、描かれている周りの空気感を包摂する素晴らしい作品だった。茫漠としてる、その中では、この直線に過ぎる木でないとダメな気がしてしまった。小野竹喬は、「この人と言えば」というところから入ってしまう目が出来てきてしまってるようで、パステルカラーに緑系の色合いが入ると、観ていてホッとしちゃってます。この展覧会、前後期での入れ替えが大きそうです。作品リストを見ると、そうなってる。なんか、もう1度、行ってしまいそうです。


2024年 1月 18日(木)午後 8時 18分

 昨日は、午後7時前には帰宅していた。実に呆気ない1泊の旅行。今回は、電車に乗っている時間が長かった。それも一興だと、広島に行ったときは思ったんだけど、今回の天浜線を除くと、東海道線はどうだったろうか? 富士山が見えてる間は車窓も良かった。でも、ずっと、家が連なってる。これほどまでとは思わなかった。太平洋ベルト地帯とは、うまく言ったものだと、感心しきり。熱海から乗り、西へ進み、ようやく清水の手前だったかな、僅かの間だったけど、家が途絶えたときがあったが、よくもこれだけ、人が住んでると思う。そういった意味で、天浜線は憩いの時間。駅舎は楽しめるが、掛川から天竜二俣までは、存外、家並みが絶えない。それよか、自然を楽しむのは後半だった。木々を縫って走ったり、浜名湖畔を走る。浜名湖の北東角を掠めるように線路があった。その辺りには、温泉も出るようで、良さげな感じがしたな。新所原に着いて、JRの乗り場に行くために陸橋に上がったところから見た天浜線の新所原駅が最高だった。あまりにも寂しげな光景に見とれてしまったな。どうも愛知県に縁があるようで、2月の末か3月の初旬に、再び、名古屋周辺で美術館巡りをするつもりだ。今回の吉田博展もそうだけど、どうしても外せない展覧会があるのでね。美術系Youtuber氏が、今年の外せない展覧会に、吉田博展とともに上げてました。偶然、見つけてしまったので、行かざるをえないと思ってたら、こういったYoutubeで紹介されると、ますます意欲が増してしまってます。
 今日は、休養の日に充てた。さほど疲れてないつもりだったが、昨夜の寝落ちの早さは、疲労の証拠なんでしょうね。火曜日はRadikoの日だから、旅行は避けたいのだけど、火曜日を旅行日にすると、今日が休めるとして日程を決めた。ま、正解ってところです。今日は、天気も崩れたしね。また、旅行の2日間は、絶好の晴れ、気温も嬉しいものだった。京都にいると、かなり冷えてたみたいなので、これまた、ど正解だった。念のため、厚手のセーターを着込んで来たのはまずかったかもと思った瞬間もあったくらいだった。焼津のホテル、めっちゃサービス良かった。おかげで、外食は、1日目の昼だけ。そのため、普段は考えない、帰りの新幹線での酒盛り計画、やろうとしたら、見事な失敗。しかし、新幹線、のぞみばっか走ってた。そんな旅の記憶を残すため、旅行中から、時間があれば「GUNLUK」に書くことを認めている。但し、電車内ではしない。せっかく、知らない土地の電車に乗るのだから、ずっと車窓を見るようにしている。今回は、ホテルで、あっさりと寝落ちしてしまったので、2日分ともに、帰宅後に仕上げた。今日は、朝から、ウォーキングと食事など、ルーティンにしていること以外は、これを書く時間に充てた。おかげで、2日分を仕上げることができた。特に美術館の思い出は、早いに越したことはない。できれば、もう1つ、美術館を繋げたかったが、どうしても行く気になるものが見つからなかった。静岡市内の美術館に嫌われ、豊橋美術館にも嫌われてしまった。そんなで、見つけた二川宿だったのに、無残なことになってしまった。調べ方が悪かったのでしょうな、自己責任です。


2024年 1月 17日(水)

 昨晩は、午後7時のニュースをTVでかけながら寝落ち。そんなに、お酒が回ってないと思っていたのに、全然、ダメだった。結果、焼津は、到着後すぐに歩いただけ。でも、ホテルのカレーで助かった。ほとんど店が開いてなくて、完全にコンビニ飯を想定していたので、カレーは有難かった。無料で、腹が持った。朝食もついていたので、これも食事代は助かった。宿泊代金を考えると、ちょっと信じられない朝食でもあった。このときとばかり、米飯を食べた。野菜も摂った。おかずの品数も十分だった。もう、お腹いっぱいで、早々に、昼食なしで動かないといけないと思ったほど。どんだけ、腹に入れたんだと思うけど、普段、量的には、そんなに食べないものだから、人並みの量を食べると、腹いっぱいになってしまう。午前7時45分をメドに、ホテルを出る。午前8時1分に浜松行きがあったので、それに乗り、掛川へ。駅で、帰りの新幹線の切符を買う。ここまで買ってなかったのは、若干の迷いがあったから。バスで帰ることや、新幹線の乗車駅をどこにするか、それで迷っていたので、掛川で乗り換えの時間を20分確保して、ここで帰りのルートを決めるとしていた。そこで、初めて気が付いた、掛川も新幹線の停車駅だったことを。これ、全く、頭になかった。知ってたら、行程について選択の幅の広がりがあったはずだけど、気が付くのが遅すぎる。とにかく、この掛川からの移動が、地方美術館巡りとともに、もう1つの目玉。「天竜浜名湖鉄道」、通称「天浜線」に乗ることだった。浜名湖の周りをぐるりと回る路線。元々は、この沿線にある秋野不矩美術館に行くのが狙いだったけれど、その行き方とかを調べている内に、ここが、鉄の羨望の的だと知った。そりゃそうでしょう、戦前から使われていた駅舎が現役で使われている、1両編成の単線、めっちゃ、ローカル色を残している。JRから第3セクターに移行したのでしょうね、いろいろと、売りを作っている。ラッピング車両も、その試みのようで、実際、掛川から乗った車両がそうだったけれど、描かれているアニメのキャラが、全く、黄紺には判らない。でも、とろとろと、そんな車両が、単線を走る、それだけで図になる。眼ざすは、天竜二俣駅。中間よりは少し掛川より。この間に、幾つか、旧い駅舎が現役なのだ。1つ1つ降りて、じっくりと眺めたい気分。恐らく、そうする鉄がいるんでしょうね、「1日乗車券乗り放題プラン」なんてのも売られていた。そういった駅舎の1つが「遠州森町駅」、「森の石松」の「森」がここだったと見え、駅舎には「森の石松」と書かれていた。約50分で、天竜二俣駅に到着。秋野不矩美術館は、駅から徒歩15分程。洋風とも和風とも見える、素敵な建物でした。1度は行ってみたかった美術館、行くことができました。そんなにおおきくはないだろうとは思ってたのですが、展示室は2つ。そこに、全部、秋野不矩ものが展示されていた。秋野不矩は、この美術館ができた翌年か翌々年かに亡くなっているようなので、間に合ったようですね、もちろん、こちらの町の出身とのことです。美術館自体は浜松市立です。現在は、「令和5年度 第 5回 所蔵品展」が開かれていた。そのお題は「《見の目弱く、観の目強く》「空」の声を聴く~いのち・創造の原点~」となっていたが、その意図は、説明文を読んでも、しっかりと理解できなかった。そもそも、秋野不矩は、京セラ美術館のコレクション展で知った作家さん、インドでの美術指導に招請されたのをきっかけに、インドにはまり、特に後年作品は、ずっぽりインド、そういった作品があるかと思うと、それ以前は、いろいろと試みをした人のようだなと思える作品を観ている。全体的には日本画風味だけど、そこに描かれている女性が、尖がっていたり、意志を心に秘めた風の作品だと、黄紺の頭にはインプットされている。それから、特にインドの作品にそうなんだけど、色彩面では、黄、緑、そういった色彩を好んで使っているとインプットされている作家さんだった。実際、特に1つ目の部屋では、「いろいろ、やってんだ」と思わせる試みの作品が展示されていた。視野の広い人です。素描も展示されており、さすが、個人名をかぶせた美術館です。視点を変えながら描き、そういった対象物を、1つのキャンパスに配置するという手法があるかと思うと、静物画なんかで、描きたい順で言うと、後に来る対象物を、敢えて肥大化させて描くなどということもやってました。色を塗ったあとに、何かでキャンパスを引っ搔いたような跡を残し、質感に変化をもたらしたり、日本画で裸体画が疎まれていた時代に、そういった作品を発表したり、実際、そのような作品も2点展示されていた。その裸体画で得た技法を、インドで取材した女神の豊満な肉体を描くのに使ったのかと思わせる作品があったが、それらの女神の意志も感じさせる表情の描き方は、既に、京セラ美術館での展示で確認済だ。第2室入ってすぐにあった「ラージャラーニー寺院Ⅰ」が、今回の展示のなかでは、一の秀逸、もちろん自分的だが。立体感がすごいのだ。間近で観ても、そうだし、かなり離れて観ても、そうだった。寺院表面を縦に入る筋、谷間はぼやかして、白を入れる、山の部分はとっても写実的。それも、上から観ると、円筒形になっている建物なので、観る位置から遠ざかるにつれ、写実的描き方にボカシが入って行くことで、とっても立体感が出てきてるのだろうと思った。それに、全体的に緑がかってるのは、秋野不矩の色ですね。少しバックしながら、この作品を眺めていて左を向くとあったのだ、「古面シリーズ」の作品群。写実に徹した作品だが、面だか、人の表情だか解らなくなるほど、徹底したものだった。「古面シリーズ」の向かって右方向に展示されていたのが、「女人群像」。5人の少女が並んで立っている、その手の配置と服のスカート部分を中心としたデザインの筋の交差具合が、かなり手の込んだ仕掛けがあるようで、あるとは思うのだけど、それでどうしようとしているのかが、自分の頭が働かない、これは悔しい。「裸童」「少年群像」「青年立像」は、裸の子どもから青年、どうやら、自身の子どもがモデルのようなんだけど、その意図は見つけられなかったが、身体の部位、心のなか、それらが有機的に繋がってるようで、そこまでは認識できるんだけど、その先が見えてこなかった。入口の傍らに、最晩年のインドもの「ティレム人の住居跡」、その傍らに、抽象画にも観える「雨雲」。前者は、黄や緑を使い砂漠を表現しているよう、そこに埋もれるかのような家屋、自然の厳しさが見えてきます。後者は、どうやら水面に映る雲の俯瞰図のようだ。これも、自然の営みを表していた。そんなで、数は多くはないが、かなり印象に残った作品群を観ることができた。再訪できる機会があればいいのだけどと思いながら帰途に。
 天浜線、2度目の乗車は、残りの路線を乗った。当初は、遠州鉄道を利用して浜松に出て楽器博物館を考えていたのだけど、特集展示が雅楽器関連だと判り、方針変更で、この方法を採った。新所原まで1時間15分程かかったかな? 途中から、どんどんと浜名湖に近づき、湖畔沿いに走るという絶好の区間もあった。温泉も出るようで、この電車に乗せに、また、浜名湖の風景をDとSに見せてやりたくなった。新所原で東海道線に接続。1駅乗り二川で下車。二川宿が最後の訪問地になるはずだった。東海道に残る本物の本陣跡は2つしかないそうだが、その1つが、ここにあるということで、これは素通りするわけにはいかないと思ったのだった。でも、これが完全に失敗。資料館は休館中、傍らの本陣跡も旅籠跡も入れなかった。この情報が、全く引っかかって来なかった、調べてるときに、まいった! 仕方ないので、旧東海道を散策。内部を公開している商家「駒屋」だけ、入ることができた。これはお見事、せめてもの救いだった。これが素晴らしかったので、本陣跡、入りたいねぇ。再訪の機会はあるだろうか。今年の11/22にリニューアルオープンだそうです。
 仕方がないので、二川宿のあとに時間があれば寄ろうと考えていた豊橋の吉田城櫓跡に行くことにした。二川から、再び、JRで一駅。駅からはトラムにのり、市役所前で下車。歩いて5分で行くことができたが、櫓は再現もの。明治の廃城令で取り壊しになっていた。写真が残っており、実物よりは、少し高いかなと思える櫓、言葉こそ違えども、天守閣だ。中は、ちょっとした資料室で上まで上がることができた。この櫓、背水の位置に造られている。背後の豊川に降りてみる。ここを攻められては困るということで、石垣は2段になっている、「腰曲輪」と言うそうだ。一時、池田輝方が城主だったそうだ。この吉田城址から歩いて徒歩5分程のところに、旧東海道が走っている。そこにあったのが吉田宿、その跡は石碑が立ってるだけだった。それは知ってたが、傍まで来たので行ってみたが、ホント、それだけだった。そのまま、豊橋駅まで20分弱で歩けるということで徒歩移動。上手い具合に快速電車が来たので、名古屋まで50分。ここから新幹線に乗るか、駅前で呑んで帰るか迷った挙句、酒と肴を買い、新幹線車内で呑むことにした。そのためには、のぞみでは30分余なので短すぎると思い、こだまに乗ることを考えたが、しばらく来ない模様だったので、のぞみを2台やり過ごして、ひかりに乗ったが、岐阜羽島にも米原にも停まってくれず、のぞみと同じひかりだった。だったら、2台もやり過ごしたのぞみは何だったんだ! 30分余の酒盛りのため、酒はがぶ飲み、肴はほうばるだけだったな、最低な最後となりました。


2024年 1月 16日(火)焼津から

 朝6時20分をメドに、自宅を出発。京都駅からひかりで静岡駅まで移動後、ん十年ぶりにこだまに乗り、熱海に到着。たった3つの停留所移動に、路線バスが運行されているということで、それを利用して、MOA美術館へ。到着間近になり、この美術館が、某新興宗教が運営していることを思い出した。思い出したからと言って、何も変わらないんだけど、物忘れのひどい一環ですね。今回の旅行の発端は、ここで「吉田博木版画の100年展」があると知ったから。それに、うまい具合に、午後に行った佐野美術館という、熱海から近い三島で、とっても気になる企画展が、同時期にあるということを知り、ますます、その気になったのだった。ただ、MOA美術館の展示は、後半が「吉田博木版画の100年」で、前半は、それこそ、日本画の大家と作品が並び、次いで、値打ちが自分には響かない仏画や法具が展示されていた。特に、密教系の法具は、100%ギヴアップ。でも、日本画の方は、黄紺的にも知った名が並んだ。それも、半端ない名ばかり。そういったなか、作品のでかさもでかかったけども、インパクト抜群だったのが、今尾景年の「松花孔雀」。右雙と左雙に、孔雀が1羽ずつ。だけど、ぱっと見では、その2羽は繋がってないようで、でもな、どっちかがいないとなると、あまりにバランスが悪いのだ。′となると、これで均衡を保ってんのと思うと、凄いとしか思えなかったな。大家の作品ながら、何かのついでに描いたと思ってしまった作品群(橋本雅邦、菱田春草、竹内栖鳳、速水御舟、前田青邨、安田靫彦、上村松園ら)のなか、今一つ、おもしろいなと思ったのは、伊東深水の「長夜」、伊東深水が名を馳せたわけを、描く女性の顔つき。伝統的な下ぶくれではないが、独特の顔の輪郭を描くというらしさを感じさせるのが、いいですね。そういった絵画作品のなかに、板谷波光の作品が1点あった(葆光彩磁和合文様花瓶)。独特の淡い色彩の濃淡だけで惹きつけてくれます。大変なおまけというところかな。階下に下りると、そこに吉田博の作品が展示されていた。山の作品が多いと、案内には出てたので、福岡で観た作品と被らないか懸念をしていたのだけど、それは杞憂で、福岡で観たのは国内の山が中心で、今回は国外の山がほとんどだったのが、まず、嬉しかったこと。より多くの作品を観れたということですからね。そして、今回知ったことだけど、この人、自摺をするんだね。自分の思惑通りに、それでできるのかどうかは、黄紺などには、解るところではないけど、そこまで凝ったそうだ。その摺も、多いときには、100回程も摺ったんだって。同じ山肌でも、不思議な色の分布があるのが、そういったことの証拠なのでしょう。今回の展示は、とにかく国外に取材したものが多かったのが、大きな特徴。それと、もう一つの特徴としては、同じ版木を使い、同じ風景を違う時間で見せるという作品群が幾つかあったこと。お得意の海に帆船が浮かぶ構図を5つだったかな、違う時間帯を、摺で描き分けていましたけど、それをスフィンクスでやってたのには、ぶったまげました。やはり、海の作品群が、断然、光ります。波に漂う陽の光はたまりません。次に、遠めに見える山がいいです。遠近法で、薄らと描いた山というか、山岳ですね、これがお気に入りです。ところが、その遠近法で、手前に木や野の風景を描いたのは、あまり好きにはなれない黄紺です。その遠近法のために、少しデフォルメしてるんでしょうね、自分には濃く見えてしまうのです。風景画中心の吉田博の木版画ですが、珍しく人物を表した作品があったんだけど、これが、頗る付きの素敵な作品。「印度と東南アジア フワテプールシクリ」というインドの寺院内に佇む2人の男性を描いたもの。逆光で、迂闊に写真を撮るものなら、内部は真っ黒に写りそうな構図。どのようにカメラを操作すれば、光のバランスが出るのかと思ってしまう作品でした。青系やグレー系の色が入ってないのも、とってもいい感じ。雲海を描いたものも良かった、富士山の溌剌とした姿もかっこ良かった、重厚なタ-ジマハルも見せたけれど、今日のツボは、この人物画でした。
 熱海駅に戻ると、発車間際の電車に乗れたので、熱海は、美術館に行く前10分程、駅前を歩いただけ。替わりに、高台にある美術館からは、素晴らしい相模湾の景色を観ることができました。電車は、10分余で三島駅に到着。丹那トンネルのあっちからこっちに移動しただけという感じだった。駅周辺をググると、これから行く美術館の近くにスリランカ屋さんがあったので、行ってみると、「今日は休ませていただきます」という紙が貼られていた。慌ててググると、これから行こうとする美術館までとの間に定食屋があり、食いはぐれにはならずに済んだ。イカフライ定食が、今日のお昼となりました。
 目的の美術館は佐野美術館。今、こちらで、「ときめき 美人―培広庵コレクション名品展」が行われています。培広庵コレクションは、その一部が、ふくやま美術館で観ており、質の高さは確認済みということで、これまた飛びついてしまった展覧会だった。展示は、大家ばかりの作品が並んだ。展示は、四季の区分で展示という、よくあるもの。だから、同じ作家でも、季節ごとに分かれているというものだった。そんな佳作が並ぶなか、ええもんばかりが並んでたなか、メモっておきたいものを書いておく。上村松園ものが、「春」で1つだけ出ていた。「桜可里能図」(=「桜狩りの図」)というもので、既視感があった。2人の女性の気品のあること、うきうき感が出てる、これはインパクトがある。東京に近づくと出て来るなの印象の池田輝方・池田蕉園夫妻。共作(春秋図、お夏、泉鏡花著『相合傘』口絵)と、個々の作品、双方が出ていた。ホント、整っている絵という印象。「お夏」は既視感のある作品。お夏を輝方が描き、それを不安に眺める子どもを蕉園を描くというもの。特に、子どもの不安げな顔に惹かれてしまったのは、今回も同じだった。「三園」が揃っていた。大阪で観て、ここでも観れた島成園、「惜春」「化粧」「雪」の3点。そういったなか、目立つ作家がいた。異彩を放ったと言った方がいいかもしれない、それが山川秀峰。鏑木清方門下だそうだ。「安倍野」は、あまりにもインパクトが強い。「芦屋道満大内鑑」に取材したもの。「天神山」のモチーフになっている箇所だ。首を90度にもかしげた狐の化身なる女、足元に、狐が3頭、妖気が周囲を圧倒する。もう少し、天井の高い空間で展示して欲しかったけど、これのインパクト抜群。山川秀峰ものは、これだけではなかった。「紅衣」「鵲乃鏡」「素踊」、どれを取っても、描かれている女が尖ってるという印象。師の鏑木清方も数点あったが(江の嶋、翠影、前田曙山著『矢口の渡し』口絵、菊池幽芳著『お夏文代』前編口絵、秋の錦、初雪)、楚々とした女性とは大違いなのが、おもしろい。同門の伊東深水も、熱海に続いてあった。「薄暮」「積雪」、ここでも、女性はふっくら気味、それが、周りの穏やかな空気を醸し出している。島成園だけではなく、大阪ものが他にもあった。北野恒富(願いの糸)、中村貞以(惜春、良宵)、木谷千種(涼宵、初音、傘の雪・吉野山)と目につく。そんなのが目に入るだけで嬉しい。京都のものも多い。伊藤小坡、梥本一洋、堂本印象、中村大三郎、菊池契月、土田麦僊が並ぶが、この中だけではなく、全体の中でも、菊池契月の描く女性が、すっぽりと収まってる。ということは、木谷千種の場合もそうだったけれど、1つのコンセプトでもって収集があるのかなと思ってしまうけど、一方で、山川秀峰があるので、戸惑いが出てしまう。中村貞以ものも、その傾向の1つかもしれないな。あと、渡辺省亭、紺谷光俊、山村耕花が、そのマジョリティのテイストを高めていたように思ったけれど、こういった美人画を並べた展示って、観るたびに、感覚がマヒしていく傾向にあり、その逆テイストのものに惹かれてしまう傾向にあるような気がしてしまうのが、いいのか、まずいのか、今回も、解らなくなってしまった。この美術館は、地元の資産家佐野某の旧邸宅内に作られたもの。美術館での鑑賞後は、そのお庭を抜け、スリランカ屋さんのあるとは異なる門を外に出て、三島駅へ。駅前の楽寿園という旧貴族の別邸跡にも入ってみたかったけれど、移動後のことを考え、直で駅へ。静岡乗換で焼津へ移動、投宿。宿泊地をどこにするか、静岡、藤枝から選んだのが焼津だった。明日への移動を考え、三島からの移動も考え、何よりも焼津港に行きたかった。だから、もう陽が落ちてたけど、投宿後、すぐに港へ。暗かったので、行き先を間違いながら、大型の漁船らしき港へ行ったが、思いの外、狭いところだった。停泊中の大型船は3台だけだった。あの有名の港が、この程度だったんだというのが正直な感想。帰り道、どこかで食べようかと思ったんだけど、ホテルで、午後6時からハッピーアワーと称するウエルカム・ドリンクばかりか、ウエルカム・カレー(!)が出ると聞いていたので、その時間に間に合うようにホテルに戻った。ドリンクではお酒も出るので、もうロビーでは、酒盛りをしている2人組らがいたので、びっくり。だって、おつまみも出てるようだったので。そこで、黄紺は、カレーとともにワインもどきのアルコール飲料をゲット。カレーライスを食べながらワインを呑んだのは、初めてだったけど、これがいけたので、各々、もう1つずつ、食べて、呑んだ。あとで気が付いたが、ドリンク棚に「1杯ずつにお願いします」とあったけど、気づくのが遅かった。おかげで、お腹はパンパン。もう、外に食べに出かける気になれず、そのまま部屋に入り、家から持ってきた酎ハイで追い酒。そのままダウン。午後7時過ぎに寝落ちしてしまい、呆気なく、1日目は終わってしまってた。


2024年 1月 15日(月)午後 7時 15分

 旅行前日ということで、また、緊張が出てきている。国内旅行をするのに、不安で、緊張が出る。コロナ禍以後の旅行って、ずっと、このようだ。大きい小さいがあるが、なんか、不安なのだ。落ち着いて考えてみて、何ら、不安要素ってないのに、穏やかだとは言えない。以前だと、ワクワク感が先に立つものだったが、そうではない。行ってみるまで、そうはならない。とにかく、明日の朝6時半には、もう最寄りの駅に向かってるはずだ。で、今日は、その荷造りという程ではないにせよ、一応、出かける準備を、まず、しなければならないのに、それをしないで、ウォーキングに出かけてから、まだ荷造りをしてないことに気が付く始末。完全無欠のボケ状態です。そこで、慌てて、買い物だけをして引き返した。準備には、国内用と国外用とメモを作っている。一応、それを見ないで用意をしてから、最終確認で、それを見ることにしている。往きの新幹線の中での朝食用には、ワンカップを用意した。名古屋辺りまでだと飲めないが、明日は熱海まで行くので、そんなものを用意して旅行気分に浸るつもり。肴はカッパえびせん。これだけだと、お腹が空くかもしれないので、何か入れることを考えてながら、まだ、用意をしていない。夜の酒もバッグに入れた。コンビニで買うと、恐ろしく高いので、いつも、1日分の酒は持って行くことにしている。美味しいものを食べるのが狙いではないので、いつもだと、明日の昼食もパンを買っておくが、この季節柄、食べる場所を見つけられなかったら最悪なので、今回は用意しなかった。とまあ、こんなことして、遊んでます。
 今日は、午後に映画を観に行った。京都シネマであったトルコ映画「葬送のカーネーション」が上映されているのだ。祖父と少女の2人連れで、亡き妻の遺体を棺桶に入れ、それを、紛争地の故郷、それは、国境の向こう側、そこへと持って行き埋葬しよう運んでいくというロードムービー。途中、車に乗せてもらうこともあれば、祖父が棺桶を引きづりながら歩くこともある。南東部の大地と、公式HPには出てるが、どこだか、特定できるような情報は出てこない。「紛争地で国境を閉じている」「大平原が続くが国境は〝山岳地〝との台詞が入る」「祖父はトルコ語を喋れないから少女が通訳をしている」、で、その祖父が喋る言語が判らないのだ。アラビア語という感じではない、クルド語だと、聴けば、その音で解るつもりだが、そうではないと思った。もちろん、アゼリの言葉でもない。そんなで、ペルシャ語かなと思ったが、ずっと大平原を国境に向かい歩いていたのが納得いかない、第一、イラン国境は開いている。アルメニア語? とにかく、自分の能力の及ぶところではなかった。それは置いておいて、この映画、終盤では、結構、会話が出て来る。トラックに乗せてくれたおばちゃん、よく喋ってた、南東部にしてはきれいなトルコ語だったけど、そういった場面を省くと、ほとんど台詞がない。2人連れのところなんて、会話ゼロで進行。かなり進んで、少女の声を聴けたと思ったからね。そんなだから、いつもの悪い癖。先日のペルー映画も、ここまで静かじゃなかったが、似た静けさで寝てしまったが、今日もそれだったが、結局は、前へ進んでる中でのエピソード集だったんだろうなと断定は危ないかもしれないけど、外してないんじゃないかな。だから、問題はラストでしょうね。女の子、どうするんだろうね? もう、それだけしか、何も書くことはない。少女役の俳優さん、トルコ人の名前ではなかったので、気になり調べてみると、シャム・シェリット・ゼイダンという名で、シリア人だそうだ。内戦でトルコへ避難してきた人だそうだ。それを考えると、シリアに向かってたってことなのかな、でも、アンミーヤで、あんな音になるのかなぁ。


2024年 1月 15日(月)午前 6時 35分

 昨日は、何も予定を入れてない日曜日。日曜日のお楽しみ「日曜美術館」の新作も流れなかった。でも、「No art,No life」は観るうえ、「日曜美術館」の後半15分の美術館案内も観るから、この辺の時間的拘束は、新作が流れる日と同じ。午前10時までは融通が効かないのだ。昨日は、それから、旅行前の洗濯。別に帰って来てからしてもいいのだけど、洗濯物が残るのが少ない方がいいということで、洗濯日にした。たちまち、時間が窮屈になったが、昨日は暖かな陽が射していたので、ミニウォーキングのついでに、公園で読書時間も取った。旅行にも持って行けるように、数日前から新書版を読むことにしている。この間、悩まされている踵の痛みが、ほぼ取れたことが嬉しかったな。また、翌日は、どうなるか判らないが、とりあえずは安心しておこう。替りに、神経痛の薬が切れて来てるのか、腰に痛みが出てきている。腰だけに収まればいいのだけど、椎間板ヘルニアが出ると、大変だ。ちょっと腰が痛いとなると、すぐに、そんなことを考えてしまう。
 午後の一時は、Youtubeで美術館情報を流しているチャンネルを見つけて、ツボにはまってしまってる。1年間の総括だとか、新たな1年の展望という内容の動画が流れているのは知ってんだけど、1ヶ月毎に、新たな展覧会情報を流す動画が流れていたので飛びついた。これ、全国を網羅するのって、大変な仕事なんだよね。それを探る検索サイトもあるのだけど、都道府県毎に分類されてるものだから、個別に追いかけるのが、実に大変。明日から出かけるの旅行も地方美術館巡りだけど、そもそも、ある展覧会を見つけたのが発端だったんだけど、それだけ行って帰ってくるのは勿体ないと思い、そういった検索サイトを活用して、他の美術館の展示を探るのだが、なかなか根気と時間の要る作業。それを、ええとこどりという感じで、ピックアップしたものを流してくれる、神のような動画と思えた。1時間以上も続く動画。ピックアップされたもの全てに関心が行くわけではないから、そういった関心が向かない展覧会の紹介となると、気もそぞろとなると、次に来るのは寝落ち。そんなことをしていると、肝心の狙いの展覧会が出てきても、知らぬ間にスルーしている始末。結局、何をしているのか解らなくなってしまった。もう1つは、オペラの動画。先日より観始めているルーアン歌劇場の「イル・トロヴァトーレ」の2幕から観直した。舞台が上下2つに切られており、下部が通常の歌手が歌い動く場だけど、上部はスクリーンになっており、映像が映されることがあるが、それに規則性があるのか気になったものだから、追い続けて行ったが、結局は判らないというのが結論。今のところだが。最初、VRゴーグルを着ける歌手が出ると、それに呼応して映像が映るのかと思っていたが、どうも、それではない。そうでないときにも、映像投射が始まってました。なので、その規則性なるものは、不明のままだ。但し、昨日、観たのは2幕だったので、一貫してとは言えないのだ。アズチェーナの語りのときには、その語りの内容を再現するという趣向。そんなだから、この映像画面を使うことの一貫性がないのではと思い始めている。寝落ちはしなかったが、よく理解できないというのが現状。寝落ちしながら、薄い意識で観ている時間は多かったかもしれないが、結局は、解読に苦心しているということです。何かが出てくるのだろうかと思うと、それを確かめに、最後まで観たくなってしまってます。


2024年 1月 14日(日)午前 7時 20分

 昨日も、朝からお出かけ、しかも、京都で、2日連続のハシゴということになった。夜は、今年初の「ブラタモリ」の新作が流れた。大忙し。そんなで、一昨日同様、昨日も、帰宅時にはぐったり。相変わらず、左踵が痛む。踵を浮かして歩く、椅子に座っても踵をつかない、気を使いながらというか、だましだまししながら、酷くならないように心掛けているが、明後日からの旅行、大丈夫だろうか、不安だ。
 朝のお出かけ先は、一昨日に続き、京都文化博物館。ここで、一昨日もギャラリートークに参加した「シュルレアリスムと日本展」関連イベントとして、講演会があったのだ。この展覧会を共催するあと2つの美術館から講師が招請され、黄紺的には初となるシュルレリスム関係のお話を伺うことができた。その演題&講師は、次の通りでした。「①シュルレリスムがもたらしたもの、2つの手法と眼のイメージ」(速水豊/三重県立美術館館長)「②なぜシュルレリスムは日本で多様な展開をみせたのか?」(弘中智子氏/板橋区立美術館 学芸員)。①では、「2つの手法」が気になった、なんせ、シュルレリスムの基本が解ってないものだから、言葉で、こういった問題を教えていただけるのは、正に、行ったかいというものがあります。具体的に、マックス・エルンストの作品を示しながらのお話、ありがたい。1つ目が「コラージュ的手法」、「美しき女庭師」で示されていたが、この「コラージュ」というのは、ずっと気になってた。そう思えば、あっさりと説明がつくと、関係の作品を観ていて思っていたことだったので、至極、首肯できるポイント。「1つの作品の中に複数の文脈を持ち込む」という言い方をされていたが、それこそ、言葉通りの「コラージュ」ではなく、同時に複数のエピソードが展開させる、している作品を、この範疇で考えればいいということでした。2つ目として上げられたのが「自動的手法(オートマティスム)」。シュルレリスムは、フロイトの影響を受け、無意識を可視化しようとしたと言われているという認識は、最小限の知識として持っているつもりだったが、その表現のための具体的な手法ということでしょう。その手法の具体的なものとして、平岡潤の作品で示されていました。「フロタージュ」という技法を紹介していただけたのだけど、これって、偶然性の追求、無意識で何をするのかということなんだろうけど、この問題って、アールブリュットを観てから、そして、北九州で白髪一雄作品を観てから気になっていたことと合致してしまった。無意識とか、思惟とかを超えたところからとか、そういった点で、通底しているように思えてしまう。表現しようという意志が入ると、人間の社会性なるものが入ってきたり、時代時代の心性に支配されているところからの表現になってしまう、そこからのあがきをやってきたのが、先鋭的と思われてきたんじゃないかと思ってたんだけど、ここにも、それを発見という感じだった。こういったまとめ方をすると、簡素化しすぎかとも思ってしまうけど、こういった作業をするには、「反近代的意識」があったと言われていたように思ったが、根本のフロイトも、現代では近代主義の枠中で捉えられているが、やはり、アールブリュットに対する目と混同してはいけないかなとも思ってしまう。なかなか、考えさせられる提言だったな。後半の「眼のイメージ」に関しては、視覚そのものが対象化されていると言われていた。マックス・エルンストを待たないでも、今回の展示にあった靉光の作品が、正にそうだった。視点を描くとなると、福沢一郎の「他人の恋」もそうだという指摘、見る目が拡がる指摘だったように思った。「反近代」があるとも言われていた。ここは詰めて欲しかった。最後に、北脇昇の「周易解理図(泰否)」を取り上げられていたが、お話をされていたことが把握できなかった。無念。②では、1920年代以降、シュルレリスムの作品を発表するグループが、様々な範疇で、幾つものグループが生まれたという事実の背後にあるものを探るということで、1つのグループを取り上げ、検証していくというお話だった。取り上げられたグループは「帝国美術学院」で生まれた諸グループ。後の武蔵野美術大学、ここから分離をする(これ、知らなかった!)多摩美術大学の前身だ。社会的状況も、シュルレリスムの高まりを見せるに大きな影響力を持っていた。大正デモクラシーの影響下での新教育を受けてきた世代が中心になっている、プロレタリア運動も高まる一方、それに対する弾圧もあった時代だった。そういったなか、東京美術学校の伝統とは異なる雰囲気を持っていたことを背景に、学生たちの共同意識や教員の支援があったことから、多くのグループが誕生したのだろうということだった。前進する空気に見合った形で、ヨーロッパからの新たな風が吹いたというところなんでしょうか。帝国美術学院には、ヨーロッパ帰りの人材を多く登用していたと言いますから、新しい意気込みを醸成する環境が整っていたということになりますね。そこへ、福沢一郎のような、ヨーロッパで直にシュルレリスムを体感してきた人物が帰ってくると、大きな刺激となったのでしょうね。そういった作家の顛末を、弘中さんは追いかけていると言い、具体的な情報も紹介いただいたお話でした。講演会終了後、もう1度、展覧会場を見学。お話を聴いたあとだったので、山下菊二の作品もコラージュだと判明。眼を描いた作品も、幾つか見つけたように思えました。実は、地方美術館巡りの1つに、このシュルレリスムを扱った展覧会を見つけている。他の美術館での展示で興味を惹くものもあるので、3~4月辺りで狙っています。そういった動機付けにもなった、今回の京都文化博物館での展示だったと言えます。
 2つ目の行き先は、京セラ美術館だった。その途中で、お昼にしなければならない時間帯、幾つか行きたいお店があるのだけど、この間、外食が増えているので、経費節減を考え、王将で一押しの味噌ラーメンにした。それでも、600円を超えていたが、これでも節約のつもりだ。京セラ美術館は、毎度、お世話になっているコレクションルームの展示。今回は、冬季展示として「昭和前期の日本画と古典」。テーマにそぐわない展示もあったけれど、ま、それはいいとして、いいものがたくさんある所蔵品を楽しむことができた。いきなり菊池契月ものが5点あった。武者絵4点(経政、敦盛、交歓、小楠公弟兄)に軍馬1点(紫騮)だ。こういった菊池契月の軍記物は初めてだったので、とっても新鮮。経政は不案内なもので、どこが経政かが判らなかったが、敦盛の方は、笛じゃなくって、経文を持っていた。どうしても、熊谷との挿話が頭に浮かぶから、その死がテーマになるので、経文なんだろうが、ぱっと見、笛だった。そのフェイント込みの経文かもしれないですね。小楠公も挿話を知らないから、そうなんだとしか思えなかったが、それぞれ、表情が、ポップな印象。馬までそうだった。らしさを感じさせるもの、それだけで、観ていて楽しい。次の大きな部屋に、歴史ものが並ぶ。その合間に、上村松篁の「水魚二題」という作品、金魚と大きめの魚があったが、解説を読んでも、周りの歴史ものからは浮いている、その心が気になったが判らずじまい。歴史画の大家として猪飼嘯谷が大きく扱われていたが、知らなかった作家さん。「拾君」「遊釣水車図」「待機」の3点があったが、流してしまった。橋本関雪の「長恨歌」もあったが同様だった。どちらかと言うと、そういった感じで観てしまったこの広い部屋、歴史画に関心が向かないのかもしれないなと、自分語り。その中で、逸品1点と、気になった作品が1点あった。前者が、西山翠嶂の「馬」、菊池契月の描いた馬と異なり、いかにも勇壮な空気を出すもの。中国絵画の影響を受けているそうだ。後者が、木村斯光の「傾く日ざし」。花に囲まれた女2人、左の女は10頭身もありそうな描き方をされているのに、キャンバスに収まっている、安定感があるのだ。その不思議さと、周りの空気とは異なる和らぎに関心が行ってしまった。次なる部屋が、今回の展示の目玉。「清らかな筆 枩本一洋の世界」。今回、この展覧会を知らせるポスターに使われていたのが「鵺」。舟に乗る3人の女性は、何と、鵺の化身だった。幾つかの獣の部位を併せ持った生き物ということで、3人で表そうとしたようだ。典型的な大和絵の伝統を引きながら、鵺を描くとはとびっくり。舟の舳先には、頼光に放たれたと思われた矢が描かれていました。これははまった、しかも、でかい、この絵。同じような構図の作品を、京都文化博物館での「枩本一洋展」で観たことがあるため、遥かに小ぶりの作品かと思っていたので、その大きさから来る圧にも驚いた逸品だ。こないに迫力のある枩本一洋ものは初でした。「餞春」も著名な作品ですね。この少女と、「阿児」の少女だと、断然、「餞春」に軍配が上がる。ちんとした座っている姿が決まってるからなのでしょうか。「蝉丸」も著名な作品らしいが、あまりに可愛い蝉丸に、ちょっと笑ってしまいました。「髪」は、らしいとおもわせる作品。こういった風俗画っぽい作品を、大和絵ともども、今まで観てきたように思ったな。あと1点、「沖の白石」が展示されていました。間の広間にある小部屋には、工芸や陶芸作品が置かれるのが常だけど、今回は、菊池芳文や竹内栖鳳が絵付けをした樂惺入(十三代樂吉左衛門)や五代清水六兵衞の作品が並び、びっくり。どういった経緯で、このような作品が生まれたのか、とっても気になってしまった。次なる部屋は「〝女〝の前衛:坪井明日香の陶芸」。中国の陶芸作品を観て回り、出尽くしたと感じ、前衛作品を試みた作家さんだそうで、女性を出さざるを得ない環境が、作家活動のエネルギーになったようだ。一貫して、陶器作品でありながら、見た目で金属と見える作品が並んでいた。一番、おもしろいと思ったのは、「唐織袋〝月輪〝」。唐織の質感を出し、それを金属風味にした陶器という倒錯気味の作品。おもしろいこと考えるものだし、それを実現してしまう技の持ち主だということですね。最後の部屋及び最初の部屋の半分で「雪月花~風雅な眺め~」と名付けられていたコーナーになっていた。ここで観たことのある名作、川村曼舟の「霧氷」、宇田荻邨の「清水寺」は、正に雪の名作。傍らには、冨田溪仙の「雪中鹿」、池田遙邨の「雪田」という大家の作品も並び、さすが冬です、雪の作品が並ぶなか、京都名誉市民の称号をもらった上村淳之の「蓮池の冬」も。こちらは、鳥の佇む池で冬を表していた。文字で雪月花を表したのが富岡鉄斎(雪月花茶詩書)、月は村瀬玉田の「月下白梅眠鶯図」でポジションをキープしていました。この部屋、向かいの京都国立近代美術館で始まっている小林正和展を意識したのでしょうか、ファイバーアートも展示されていた。最後の、いや最初の部屋でもあるのだけど、そこには大作が2点。小松均の「杉の雪」と福田平八郎の「閑庭待春」。後者に惹かれたけれど、なんか、飛んでいる小鳥の位置が気になってしまった。何でだろう? いない方がいいのか、もっと他の場所に持って行って欲しかったのか、気になりながら判断できなかった。
 「ブラタモリ」の新作は「黒部峡谷編」。こういった設定ができるとは、全く知らなかった。北陸新幹線に黒部宇奈月温泉駅というのがあるとは知ってたけど、正直、「それなに?」的に思ってたけれど、この黒部峡谷の玄関口だった。ここから、黒部川をさかのぼるというのが、今回のお題。それができるんだね、その半ばに宇奈月温泉があるって、初めて知りました。しかも、見事な扇状地。これには驚いた。そこへ、ダム開発とともに温泉街が生まれて行く。知らないことばっか。こういったところを探訪する旅もしてみたいものです。後半も楽しみです。


2024年 1月 13日(土)午前 6時 46分

 昨日は、京都でハシゴをした金曜日。最近、ハシゴをするときが増えているが、大阪に行くときに多い。交通費の節約が狙いだが、昨日などは、朝から出かける場所と、午後の行き先が、上手い具合に、ウォーキングがてらの徒歩移動に適した距離と時間だったので、そうしたのだ。いずれも、時間が決まってるもの、それを、上手い具合に繋げたのだったけど、帰宅後、かなり疲れていた。おまけに、一昨日から、またぞろ、左踵の調子がおかしい。体重をかけ続けると痛むのだ。だから、踵を上げて歩くということをしている、ずっとではないけど。来週の火曜日から静岡の旅に出かけることを決め、新幹線の切符を買ったのに、これは鬱陶しいことが出てきています。
 午前中のお出かけ先は、金曜日ということでアスニー京都。昨日は、「京都の自主防災の歴史~町火消は大切に存じ候~」というお題で、びわこ学院大学短期大学ライフデザイン学科長・教授の丸山俊明さんのお話を聴くことできた。お題だけを聞いただけでは、ちょっと行こうか思案した。講師の方の専門が何かが気になったのだ。重点が、「防災」なのか「歴史」なのか、いずれもが想定できるからだった。後者だと、いわゆる社会史の専門の方が来られることになるだろうから、おもしろそうだけど、前者だと、付焼刃的に歴史を語るになる、それは嫌だなぁと思ったからだったが、後者の可能性は否定できないので行ってみた。すると、大正解。また、「研究をしてきたことを、京都市民の皆さんに伝えることが、自分のしてきたことの到達点」と言っていただける講師って、そうはいないだろうと思える方だった。こういった問題意識で、歴史を研究されてる方を目の当たりにして、なんか、熱いものを感じてしまいました。講演終了後には、拍手とともに、「ブラボー」的な声もかかるという稀有な体験もできました。建築史が、本来の専門と看ました。京都の建築物が、災害に対応できたのか、また、貴族や町衆が、そのために何ができたのか、何をしてきたのか、建築物のみならず、街(=平安京)の構造と照し合せながら、また、江戸時代に入ると、江戸の様子を比較することで、京都の特徴を浮かび上がらせようとの組み立ても、素晴らしいものを感じました。その中から、「町火消」の見せた自主防災の意識の高さを、我々で継承していこうではないかとのメッセージ、ここまでカバーされる講演って、そうはないですね。いいもの聴かせていただけた、ホントにそう思えました。寝殿造りが普及する平安時代後期の貴族の邸宅、館が廊下で繋がる、それまでは、それがなかった。そこで、1つ、火事の延焼の可能性が高まるが、なんせ広い土地のこと、類焼の危険性は、まだ低い。下級役人の家屋は、敷地内に畑があったため、延焼の可能性が低かったが、社会不安から住環境の悪化が進むと、長屋が生まれて来て、そうではなくなっていった。防衛のためと言われてたかな、寝殿造りの邸宅の周りに長屋が生まれて来ると、その危険性は高まる。鎌倉時代に入ると、その長屋が、一層増えていく。戦国時代に入って行くと、邸宅と周囲の長屋は、戦乱から身を守る運命共同体のようになっていく。戦に向かうにも、防災という観点からも、そうなっていくのだ。信長の上洛で、防災の観点から、「風除けうだつ」「突出土蔵」「本2階建て」が登場。秀吉は、街の改造。突き抜けという道路を通し、間口の広さで税を取ったのかな、うなぎの寝床と言われる住居が出て来る。火除け地が消失してしまう。更に、2階建てを奨励するため、危険度は増す。この辺りまでもそうだけど、防災の役目は、こういった住環境の変化のなか、自主的な防災が町衆のなかで執られたという話をされていた。朝廷からは、防災という視点が欠落していたからだ。江戸時代初期は、豊臣の残党による火付けが横行して危険な状態、それを防ぐことから、防火性の高い真壁、塗家が普及。だが、徳川政権は、贅沢の禁止ということで、建築規制を導入。その一方で、支配者による制度として町火消を設置、だから、町人による自主防災と2本立てとなる。このあとの江戸時代の展開が、細かくて、メモを読んでも、思い出せない。支配者による火消の制度化が進むというか変化があるが、火事の進み具合から間に合わないような制度だったりして、結局、間に合うのは、自主防災。火元の町と隣町との共同作業。これが、一貫して生きていたというお話だった。江戸は、その自主防災の意識が育ってないところに、上からの防災が執られた。その違いがある。しかし、それでも、京都も、幾つもの大火に見舞われている。今の消防と同じようなシステムだったのでしょうか、常火消の制度を作ろうとするお上。金を出すことを求める、そこで、町火消が機能してないという流言が出たようだが、決してそうではないことを強調されていた。一貫して、 町衆による防災活動は機能していたと、史料を基に言われていた。幕末の混乱も大火の原因となったようだ。そんなで、メモの不十分さは、しっかりと理解してなかったことの証拠かもしれないね。でも、一貫して話されていた柱は外してないと思う。
 終了後、丸太町通を東へ。烏丸丸太町を目指す。銀行と、お目当てのインド屋さんがあるからだ。以前、1度行ったことのあるインド屋さん、周りのサラリーマンや京都府庁に働いておられる方かな、お昼時で賑わっていたが、昨日は、広いお店だから大丈夫だろうの狙いは当たり、食べることができた。確かに、美味かった。今少し歩き、午後の行き先は京都文化博物館だった。ここで行われている「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」「シュルレアリスムと京都」展の再訪。昨日は、ギャラリートークがあるということで、再訪したのだった。この展覧会の共同制作者である板橋区立美術館の学芸員さんも加わってのもの。シュルレアリスムということで、絵を観ながら解説を聴きたかったので、行くことにしたのだ。シュルレアリスムとはというお話は、今日の講演会に残しておいて、ピックアップしての作品解説、及び、多くの関連資料も展示されているので、その解説をしていただけた。取り上げられた作品をメモっておく。「古賀春江/音楽(古賀政男の〝酒は女かため息か〝を聴いて描いたもの)」「吉原治良/縄をまとう男(吉原製油社長、よく見ると身体がバラバラ)」「石丸一/卓上風景(医者)」「小牧源太郎/民族系譜学」「北脇昇/独活(右側のうどのようなもの逆立ちをする人間にも見える)」「今井憲一/球体」「大塚耕二/トリリート(上がストーンヘイジ、下が木場)」「森堯之/風景」「靉光/眼のある風景(ライオンに見える?)」「浅原清隆/多感な地上(靴が並ぶ、中には犬に変身する靴も)」「渡辺武/風化(足が消え入るようなミシン、作家は沖縄で戦死)」「吉井忠/二つの営力・死と生と(左にブランコに乗る女、奥にはキノコ雲のような雲)」「北脇昇/周易解理図(泰否)(易の世界を図示? 検挙が始まって以後の作品)」。今日の講演会も行くので、もう1度、この展覧会を観る機会があるので、ギャラリートークを思い返しながら、観てくることにしましょう。


2024年 1月 12日(金)午前 4時 56分

 昨日は、お出かけなしにした木曜日。週の半ばなのに、マッチがあるのが嬉しい。昨年の地震の影響で、リーグ戦からの中途離脱を余儀なくされたクラブがあったので、そのクラブを在籍リーグに残したため、試合数が、今季は多くなっているので、こういった週半ばにマッチが組まれることがある。試合数が多くなってくれることは、こっちにとっては有難いことだけど、選手やクラブ側には、負担が大きいだろうね。そのマッチの追っかけが、朝方の仕事。それから、昨日は、せっかくのお出かけなしの日だからと、洗濯日にした。日に2回のウォーキングは通常通り、なかなか忙しない。さすが、昼前のウォーキングでは、休憩&読書はままならなかった。今日明日は、朝から出かけるので、余裕を持った買い物をしておこうと、そのため、2軒もマートで買い物をした。
 午後の一時は、1つには、トルコの新聞で溜まっていたものを読むことと、Youtubeでオペラを観た。JN1株のことが、時々、出ている。日本の報道は、どうなってんでしょうか? ニュースというものを見ない身には、とんと判らない。こんなのを読むと、外国行くの、ちょっと躊躇うね。特に、トルコ行きは、バス移動、しかも、長時間移動となるから、気が乗らない。もう、トルコには行かないと思いつつも、5月に、トルコにオペラを観に行くのも、ちょっとした趣向かなと考え出していたのに、一挙に萎むね、ウズマンの警告なんてものを読むと。国立歌劇場のウエブサイトを見ると、スケジュールは、僅か1ヶ月前のものしか載せていなかったと、一応は調べてる。AKMが新装オープンしてるので、気にはなってるんだけどなぁ。
 オペラは、ルーアン歌劇場ものが上がってたので、さわりだけ観ると、とても「凝ってる」のか「変」なのか、判らないプロダクションだったので観ることにした。フランスで、ルーアン歌劇場のポジションが解ってないものだから、とにかく観ることにしたのだった。ただ、演出は「変」が先行したが、歌手陣がいい。「変」な演出に突き合わされて、お気の毒にと言うか、どう思って歌ってるのだろうと、お節介な想像してしまってた。時と場所を吹っ飛ばした演出は、よくある所業だけど、肝心なのは、その着地点。普遍的なものにしたいのなら、それが判るように、狙いが判るようにしなきゃ、意味ないやんと思ってしまうが、その狙いが読めてこない。舞台上部のホリゾントに映像が映るようにしてあって、そこには「ルーアン 2050」と出てるから、「未来」に時を持ってきているのは判るのだけど、ちゃっちいSFものを観ているようで、VRゴーグルなんかを装着する場面があったりして、そこで見えてるだろう画面が、ホリゾント映像として映したりと、えらくヴァーチャル空間に固執しているようで、それが続かない。いや、使う箇所を特定しているのか、その辺りが読めないから、何をしようとしているのか、とんと判らない。そうなると、寝落ちが待ってるものだから、余計に睡魔に負けてしまってました。だから、もう一度、アンビル・コーラス辺りから観直してみようかと思ってるけど、早々に撤退するかもしれないなとも思ってます。そういった出来具合かと、今のところ思ってるところです。


2024年 1月 11日(木)午前 6時 29分

 昨日は、大阪でハシゴをした日。しかも、また、似たような失敗をしてしまった。午前中に落語を聴き、午後に美術館に回るつもりで出かけた。往きの電車の中で、美術館のチケットの確認をしようとした。ネット上で買ったつもりだった。そのときは、メールで送られてくるチケットのURLをクリックして、出てきたQRコードをスクショをして残しておく習慣としている。が、それがないのだ。そのときは、完全に失敗した、オンラインで買ったのではなく、コンビニで直にチケットを買ったと思い込み、だと、今日は行けない、ならば、急遽変更して、行く美術館を変えた。こちらのスクショがあることは、簡単に判ったので、あとは、そのURLを送ってきたメールを探せば済む。実際に使うときには、スクショだと跳ねられることもあるので、メールを用意するのだ。そこで、変更先は、無事に入ることができ、予定通り、「落語会+美術館」を回り、夕方に帰宅した。当然、「コンビニで買ってきたと思っていた」チケットを探した。しかし、なかった。メールの受信記録を詳しく見ても、見つからなかった。なんか、おかしいとも思わず、自分は失敗を重ねたと思ったが、どっちの失敗をしたんだろう、紙のチケットを失くしたのか、メールの記録を消去してしまったのか、これが知りたかったので、その美術館のHPを調べてみた。すると、幾つかの購入方法が書いてあったが、その美術館独自の購入フォームは用意されていなかったので、紙チケットを失くしたものと、一旦は判断した。だが、あまりなじみのない購入サイトで買えるようなことが書いてある。そのサイトから、最近、頻繁に発売情報が入ってくるので、「?」となった。まさか、ここで買ったのかと思い、自分のメモを探した。すると、このサイトに登録しているではないか。早速、ログインして、自分の購入記録を見ると、あった! そこで買ってた。でも、その控えが、手元にないので、購入の記録を見ると、「チケットの使用はスマホからだけ」と書いてある。PCで、この作業をしていたので、スマホで確認を取ると、同じ画面でも、「チケットの使用」という項目が、スマホ画面からは確認が取れた。要するに、この購入サイトは、購入者には、購入の記録の控えは残すことができても、チケットそのものはないことになる。ということは、自分は、購入の記録の控えは残してないだろうかと思い、今度は、それを探すと、ありました。だから、自分のやったことを、全て忘れていたのだった。だから、チケットレスなんだ、それも、完璧に。手元に、チケットも、QRコードも、メールの記録もなくてもいいのだ。要るのは、購入サイトでログインできるための情報なんだと判明。早速、ログインのための情報を、実際にチケットを使うときに出せるようにしておいた。ということは、昨日、その美術館に行けたのだったけど、ログイン情報を控えてなかったから、結局、ダメだったのか。幸か不幸か、落語会からの流れから行ける、もう一つの美術館のチケットを買ってたから、落語会だけで、すごすごと帰るということはなかった。一瞬、今日の繁昌亭や動楽亭の昼席に回ろうかと思ったけど、それは必要なかった。
 午前中に行った落語会は、「猫も杓子も」であった「朝活らくご」、11月に続き、2度目となる。昨日の番組は、次のようなものだった。棗「ガマの油」、希遊「教科の世界」、染八「尻餅」。棗は秀都の代演とか。午後からずっと、会場を借りているということで、朝からの会にも参加だとか。その午後からは、ここから酒を飲む様子を、Youtube配信すると言ってました。帰宅後、ちらっと覗くと、染八が残っていたり、と言っても、染八は呑めないはずだけど、生寿、小留、健枝郎もやって来ていた。酒を昼間呑んで、その後、夜に落語会を開くと言っていた。「そのときのネタを、今、します」「呑む前と呑んでからと比べて欲しい」、「誰が、観るねん」と心の中で突っ込んでました。この感性について行けない、ていうか、この落語会で喋られるマクラやくすぐりの半分くらいは、よく解っていない。そういった世間というものを学習するのに、こういった若手の噺家さんだけの会っていいなと思いながら聴いていたけど、それとは別に、棗、なかなか、声が出来てきている。野太い声、いいよ、それを活かして、いろんなネタにチャレンジして欲しいと思った。すごく、しっかりとしたお喋りになってるしと、コロナ禍前には観てなかった姿に感服。そして、何がいいと言って、刀で切って見せるときにまくり上げた腕っぷしの太さ。思わず、目が吊り上がってしまった、いいセールスポイントになるよ、絶対に。希遊は、新作テラーとしての実力、見せてくれた。暮れの会でも、くすぐりを理解するのに、なかなか苦労はするが、着想、展開、特にまとめに繋がる展開が、この人、ええもん持ってると思いました。勉強嫌いの少年の前に、突如現れる、擬人化された「教科」たち、各々が自己主張をして、「俺が一番」を競い合いだす。その最後に現れるのがチャットGPT。各「教科」が、頑張って主張すればするほど、それらを吸収して大きくなるチャットGPT。圧倒的に不利な「教科」、そこへ立ちはだかるのが、勉強嫌いの少年。チャットGPTが強くなればなるほど、人間は考えなくなるのではと思わせるようなふるまいに出て行く少年。自分が、教科の勉強をしていかないと、人間が、どんどんと考えなくなっていく、それを示唆するかのように、「教科」を守りに入るのだ。とっても、人間哲学に関わる展開に、こいつ、凄いよと思ってしまった。並みの新作じゃなかった。注目されるだけ、あります。もっと聴かねばならない噺家さんなのは、間違いない。染八は、かなり大きくなっていた。親父は呑み過ぎだけど、倅は食い過ぎだ、ここの親子。ネタは、年末ものだけど、頻繁に落語会に行かなくなっている今、このくらいのタイムラグは、我慢だ。しかし、このネタを聴いて思ったこと、ここでも、若いっていいねってこと。おやっさんが、餅屋のマネをし出す辺りから、リズムがいいと、噺自体が盛り上がるなと思わせられる好演。餅つきに入ると、一層、リズミカルになる。それだけで、テキストは変わってないだろうに、とっても、新鮮だった。
 終了は、既に、午後0時を回っていた。雨も降っていた。雨宿りをしながら、ググる。淀屋橋の少し南にベトナム屋を発見。実際に行ってみた。オフィスビルの地下にあったが、店に到着する前に、ほぼ諦めていた。だって、御堂筋沿いと言っていい位置のところにあって、時間は0時半過ぎで、入れるわけない。行ってはみたが、そんなところを選ぶバカもいいところ。なんでもいいやと、肥後橋方向に歩く。すると、四ツ橋筋に松屋を発見。ここは入れそうだったので、選んでる場合じゃないので、ここに決定。味の濃~い「麻婆豆腐定食」が、昨日の昼食。食べれただけで、いいとしましょう。
 となると、行き先は中之島美術館。「決定版! 女性画家たちの大阪」という展覧会が行われているのだ。狙いの展覧会だったので、心づもりをして行きたかったのだけど、昨日のアクシデントで、突発的に行くことになった。お題にある画家さんって、島成園しか思い浮かばないけど。黄紺も、去年の福山行きで、ようやく「三園」という言い方、覚えた。三者三葉、確かに抜けていた。だから、楽しみだったのだけど、それだけではない、新たな出会いがあるかと思って、楽しみだった。でも、やっぱり、島成園中心であることは間違いなかった。冒頭に、「先駆者、島成園」というコーナーが設けられており、完全に、別格扱い。それに次ぐコーナーも、「女四人の会 ─島成園、岡本更園、木谷千種、松本華羊」となっており、ここにも、島成園は入ってるという具合。それだけではない、島成園はここまでだったけれど、最後の第5章「新たな時代を拓く女性たち」のコーナーでは、確かに、島成園は入ってないけど、名前に「成」の入った作家さんが並ぶ。島成園の「成」の文字をもらったお弟子さんたちで、島成園から離れられない。大阪画壇で、やはり大きすぎる存在、そして、それを確認する展覧会となってしまいました。冒頭の冒頭に、その島成園ものでも、強烈な作品2つが置かれている。会場に入った途端、迎えてくれる。「祭りのよそおい」と「おんな(原題・黒髪の誇り)」。前者は子どもが描かれているが、その子どもたちの身分違いが、幼気なさを強めている。後者は、福富太郎コレクションで、確か、観ている。長い、長すぎる黒髪が、とっても妖艶。好対照の2点が展示されていた。その後は、掛軸スタイルの作品が多く並ぶ。ちょっとした表情の違いに、描かれている女性に実在感を与えている。この人、つれあいの仕事の関係で、上海滞在経験があるということ、初めて知ったけど、おかげで、中国人女性を描くということをやっている。そういった異質の作品があるかと思うと、最後の章には、等身大の自画像も描いていたが、第1章にあった自画像では、ないはずの痣を顔に描き、内面の表現に使うという技を使い、題名を控えてないんだけど、花魁を描いたものなどは、時代が跳んでいた。創造力の豊かさが、とっても凄い。最後の章の自画像は、「女四人の会」でのスナップと同じころかな、これも、美人画とは異なるタッチで、他の作家さんに比べても変化に富んでいたのが印象的。「女四人の会」のコーナーで、思いがけない再会があった。福富太郎コレクションで、最も印象に残った作品の1つ、松本華羊の「殉教(伴天連お春)」だ。松本華羊という作家さんの位置づけを、このおかげで覚えました。殉教直前という位置づけと、散る花との対比、女の表情の対比が、あまりにも強いインパクト。岡本更園は「秋のうた」が、異彩を放つ。縦長の大きな作品。着物の柄からして、モダンな装い。髪型も、表情も、だけど、背景の色の濃さが、時代を引き戻していると見える。4人の中で、最も、異彩を放つのが木谷千種だった。心持ちの固さ、強さが出ていると感じたからだ。この人も、弟子を、たくさん育てたようで、第5章では、「成」の字を持った作家さんとともに、「千」の字を持った作家さんが、多く並んでた。第3章の「伝統的な絵画 ─南画、花鳥画など」は、スルー気味。新味を感じなかったからだが、この中に展示されていた作家さんに、野口小蘋の名を見つけたんだけど、どこかで観ている記憶がある。どこでだろう、思い出せない。また、このコーナーに融紅鸞の作品が2点展示されていた。作品を観るのは初めてだが、タレント活動をされていた人だから、名前は憶えている。明るく、軽いというか、ポップなと言ってもいい感じの作品。「へぇ~」だった。大阪のおばちゃん的記憶とはかけ離れたモダンなスタイル、記憶に残る作品でした。第4章は「生田花朝と郷土芸術」。ここが、この展覧会での最大の収穫、新たに手に入れたという意味で。生田花朝という作家さん、初めて知りました。南画風味の作品は別として、美人画が並ぶ展覧会で、ここだけ、風俗画のコーナーになっていた。こんな絵を描く作家さんがいたんだと、観る者として熱が上がりました。「四天王寺聖霊会図(原題・四天王寺曼荼羅)」は境内の俯瞰図、「天神祭」「なんばの綱引き」も群像図。描かれている世界にも興味が惹かれたけれど、細かな緻密な描き方、とっても印象に残りました。第5章では、既に書いた「成」「千」の字を持つ作家さん以外で、北野恒富門下の「雪月花星」の4人の作家さん、京都画壇の大家に学びに行った作家さんも並んでいたけれど、それぞれ、そういったキャリアごとに、作品のタッチが異なるのがおもしろい。その中で、「樋口一葉」などを描いた吉岡美枝が、周りの作品群からすると、浮いていた。それだけ、異質な作品、軽やかさ、色彩、線の描き方を見て、小倉遊亀を思い出してしまったけれど、どのように考えれば、いいのでしょうか。京都まで学びに行き、菊池契月に師事した作家さん、誰だったっけ? メモするのを忘れてしまった。どうしても、お師匠さんが被ってしまったものだからと思うと、特に「成」の字の付く作家さんも、そうだよねで納得できました。ということで、今回も反省、メモを取っておかないとあかんということ。展示品が多いと、どうしても、腰のことを考え、先を急ぎ、メモはいいかとなってしまいます。そんなで、せっかくいいもの観てきても、メモを残せるのが、このくらいというのが残念。


2024年 1月 10日(水)午前 7時 27分

 昨日は、京都でハシゴをした日。これは、旅行を来週に回した副産物。朝から博物館に出かけ、午後の市民向け公開講演会に向かった。その両者が、徒歩で行ける距離だったので、組み合わせたのだったが、講演会があるのは、数日前に知ったもので、こんなにタイミングよく知ったものだから、行かなくっちゃの気になった。その移動の間に、上手い具合に、ググるとタイ屋さんがあることが判り、かねてから狙いの店でもあったので行ってみたら、見事、火曜日は休業の垂れ札。最近、この手のことが、よく起こる。しっかりと最後まで、情報を見てないのだ。仕方ないので、付近を探す。運よく、ランチを出してる店を発見。でもな、北山でランチとは、なかなかです。タイ屋だと、そんなこと感じないのだけど、その看板がないと、小さくなってしまってます。
 博物館は、京都工芸繊維大学美術工芸資料館へ行った。そこで、今、「月次祭礼図屏風・浜松図屏風復元プロジェクト『よみがえる中世屏風―京洛の祝祭、白砂青松の海―』」なる展覧会が行われているので、行ってみたのだった。入口正面に「浜松図屏風」再現のための大下絵が置かれ、その背後に復元図が展示されていた。室町時代は、屏風は、家具として必需品で、結果、消耗品だったため、ほとんど残っていないが、後世の絵図などには、屛風が配置され、室町時代の風俗の一角を占めていたことが判るそうだ。そこで、その復元。「浜松図屏風」の方は、江戸時代の絵図に描かれてある屏風を、屏風として再現を試みるというもの。図案は、江戸時代の作品からの再現だが、絵具の選択や描き方なんかは、試行錯誤をしながら再現していったようで、そこで使われた絵具の作り方から検討されていったようだった。それの説明文だけではなく、その記録映像まで展示されていたのは有難かった。なんせ、日本画に関する常識というものないものだから、テクニカル・タームが並びやすいジャンルなものだから、理解に支障を来たしかねない。雲母地というタームが、幾度となく出てきていた。岩絵の具の一種だから、磨り潰して行った粒が残るが、それを、紙に塗りたくると、紙面に微妙な凸凹が生まれる。それが紙面に味をつける模様。微細な変化を嗜む中世文化だ。「月次祭礼図屏風」は、本来は、六曲一双なんだけど、現存しているのいは、右隻だけということで、左隻を再現しようという試み。6月までの祭礼を描いたのが右隻だと考え、1年の後半を任されたのが左隻。祭礼ばかりか、風景も、雲間から覗いている。これも、絵具の選択に腐心されたようだ。そういった試みをすることで、中世の技の奥深さを探究するというもので、その欠片も解ってはいないけれど、こういった角度から過去の文化、それを踏まえることで、この場合だと、近世との比較も可能になってくるのだろうくらいは解ったかな?
 2階の展示場は、別の展覧会があった。「畠山崇の写真1-文字の旅-」という展覧会で、京都の写真家畠山崇の作品が遺贈されたことで、そのアーカイブをできたことから、そのお披露目の第1弾ということのようだった。当然、知らなかった写真家だけど、これは、おもしろいものに出会ったと思った。モリサワが発行するカレンダーのヴィジュアルイメージ撮影として撮られたものが展示されているそうで、アメリカ、中南米、韓国、中国で撮影したものが並んでいた。副題に「文字の旅」とされてはいたが、それに呼応した作品はアメリカものが全部と、韓国ものの一部、中南米の一部でしかなかったが、それが目に付くことは確か。なかでも、アメリカものが群を抜いて、気に入った。壁などに描かれた絵込みの、落書きの文字の写真。写真に撮られている以上の範囲に書かれているのだと思うのだが、その切り取り方がいいのでしょうね、色彩も含めて、とっても観ていて楽しくなる。この切り取り方が匠の技で、韓国では、パッダルムン(八達門)を撮ったものでは、門の形が判るものは撮らないで、「八達門」と書かれた文字を大きく切り取った写真。その感性がおもしろい。恐らく、ヘインサ(海印寺)の「高麗八万大蔵経」と思われる木版を、収蔵庫の内に入り、格子の窓を背後に据えて撮ってあり、こちらも局部撮影、要するに切り取りだ。フェードアウトした撮り方もあるんだけど、そうじゃない撮り方、数は少ないが文字の入ったものに、目が行っちゃいました。「Ⅱ」があるのかな、あれば、行ってみたいと思わせられました。
 市民向け公開講演会は、京都学・歴彩館での「資料に親しむ会」。昨日は、「雨と雪の風景版画」というお題で、同館資料課の大瀧徹也さんのお話を聴くことができた。この人、ピンポイントで版画を語れる、その筋の専門家さんのようだ。「親しむ会」は、ちょっと無理筋的設定のお題があるなか、要マークだ。以前にも、広重をテーマにして講演をしたことがあると言われていたから、その筋の方であることは間違いないでしょう。だから、今後も版画をテーマにしたものが出れば、聴講必須のものになりますね。お話は、歴彩館所蔵ものを紹介するというコンセプトなので、その中からテーマに沿うものをピックアップされ、補足として、他館所蔵の作品も加えられていた。で、取り上げられたのは、「雪景」では、大坂の版画師長谷川貞信の「都名所之内」、歌川広重の「京都名所之内」、それと「都百景」。でも、「雪景」では、ほぼ寝落ち。メモすることができない。「雨景」では、名所案内記となる「京童」と「都名所図会」、それと、先ほどの貞信、広重作品。ここでは、おもしろい問題の立て方をされていた。「雨景表現の変化」というテーマでは、そもそも、西洋絵画には、線で雨を描くことはなかったというのは有名な話、浮世絵の影響で、ゴッホなんかが取り入れた。では、浮世絵以前にもあったかというとあった。しかし、広重のように、激しく線を使うということよりも、中国絵画風に、湿った空気感を出す描き方が残っている。線が出ていたも、画面の一部を占めるだけ。また、句が絵に添えられることで、その補いとしての雨というのも看ることができる。ただ、線で雨を描くのは、木版画に適した手法だと考えられるので、浮世絵で、そういった描き方が発展したのだろうということだった。その辺の具体的な変化を、作品を紹介しながら行っていただけたのは有難かった。「英一蝶(雨宿り/山水画の影響)」→「鈴木春信(夕立の風)」→「葛飾北斎(山下白雨/先日観たあれ、雷光が描かれている)」→「歌川広重」。「雨を描く必要性」というテーマも出されていた。これは、具体的な作品で、その必要性の点検だった。「中川喜雲(京童/貴船神社→龍神という連想)」「都名所図会(左上に其角の句、夕立が入る)」「モネ(雨のベリール)」「G.カイユボット(パリの通り、雨)」「ゴッホ(雨のホヴェルの風景)」が取り上げられ、各々の雨の描き方も話されていた、はず。おもしろいテーマなのに、振り返ってみると、かなり寝てますね。もったいないわ、こんなの、歴彩館で聴ける機会って、そうはないのに!


2024年 1月 8日(月)午後 8時 7分

 今日は、世間的には祝日。月曜日だから、明日が休みにするというミュージアムが多いということは、しっかりと頭にインプットされてあり、その上で、計画を立てていた、地方美術館巡りの旅、明日の火曜日を避け、水木の1泊2日で行く予定にしてたが、急遽、昨日、延期することを決断。来週に回すことにした。理由は、至極、情けない。冷蔵庫に入れておかねばならない食材を買い過ぎ、その処理ができなかったから。その無計画さに呆れてしまった。頭にあるのに、買ってしまってる。ということは、マートに行くあるときは、しっかりと頭にあるが、また、違うあるときには、すっかりなくなっているからということなんでしょうね。これが、まだ、半々くらいだから、なんとか生活ができているが、加齢とともに、このバランスが悪くなっていくのでしょうね。冬場だから、天候の悪化で新幹線が止まるなんてことがあっては困ると思い、ホテルも押さえていないわ、新幹線の切符も買ってないわで、あっさりと対応できたのはいいが、せっかく、その気になってたのに、それに向けて生活を組み立てていたのが、呆気なく潰れてしまった。来週は2通りの日程が組めるからと、呑気なことを言っていると、また、やるから緊張感を持って生活しましょう。
 そんなこともあり~ので、今日は、お出かけなしの一日。日に2回のウォーキングだけが外出時間だけど、昨日までと違い、今日は冷えた。天気はいいのだけど、気温が下がった。空気が冷たい。だから、昼前のウォーキング時の休憩&読書は、早々に切り上げた。黄紺が切り上げたのに、その公園に、黄紺が行く前から居て、立ち去ったときも、まだ、子どもを遊ばせているママがいた。エライと思ってしまった、マジで。子どもは、寒さそこのけで遊んでるが、大人はきついだろうなと思うと、エライと思ってしまったのだ。もう、読書は、屋内でするしかない季節になっています。電気ストーブを前にしての読書は、快適だけどね。「巡礼」関係の本は、読了したつもりだったけど、書架の下の方に隠れていたので、読んでる最中だ。サンジルとかモワサックが出てくると、名前が出て来るだけで嬉しい。逆に、コンク、ベズレーが出てくると、行けてないので、悔しさが募る、仕方ないけど。
 午後の一時は、冒頭だけ観ていた「ピーター・グライムス」(ポーランド国立歌劇場)を、本格的に観たけれど、なんか、既視感がある。前にも観たかもしれないが、そんな感じがするだけなので、観ていても寝落ちしていたのかもしれない。今日も、半寝で観たけれど、様子は判ってるつもり。不条理劇だよね、これ。スケープゴートのようにして排斥される男、少年愛っぽいモチーフが見え隠れする。それが、排斥の原因なのだろうか。群像劇なものだから、コーラスの役割が甚大。その音楽的圧が凄いものがある。ブリテンの技が冴えわたるところですね。だから、マジョリティが仕掛ける排斥の圧が凄まじく感じさせられてしまうのだけど、このワルシャワのプロダクション、その圧に教会を加えている。群れとしての市民が集うセットは教会を表す空間だった。マリウス・トリレンスキの技ですね、これは。ポーランドのカトリックの圧は、ブリテンが思い描いたろうイギリスのアングリカンの圧と比べて、どうなんだろうと考えたけれど、自分に、その違いとか、そんなのは解るわけがない。常時、ホリゾントには、海が照射されている。海を真上から映した映像が主に流れるけれど、時々、その海に一部丸く光が当たるものだから、海中から上を眺めているようにも見えてしまう。少年の死、海での死が、プロットになってるので、そういった見え方になるようにしているようにも見える。これも、マリウス・トリレンスキの技なんでしょうね。海辺の表現のために、板を組み合わせている。それって、「蝶々夫人」で使った板の使い廻しじゃねぇのと、思わず、突っ込んでしまってました。そんなで、あと第3幕が残るだけまで観ることができました。


2024年 1月 8日(月)午前 5時 45分

 昨日は日曜日だったが、「日曜美術館」の新作の放送がなかった。元旦に放映されたものの再放送が流れた。これを知っていたら、元旦は観なかったかもしれない。弟の家へ行く時間が、少し変則的になったからね。そこで、日曜日なんだけど、午前中が窮屈にならなかったので、いつものようにウォーキングに出かける時間を確保できたはいいが、午後は、京都コンサートホールに行くことになってたので、ここからの帰りは、徒歩移動をすることにしているので、朝からあまり歩きすぎると、過剰に歩くことになってしまい、それはそれで具合が悪いので、控えめに歩くことにした。相変わらず、天気が良く、陽射しがあり、ウォーキングには、実に好都合の天気。
 昨日のコンサートは、京都市交響楽団のニューイヤー・コンサート。黄紺は、欧州風に、年末の第9は行かないが、ニューイヤー・コンサートには行くことにしている。京都では、同じ日に、京都市響と関西フィルがニューイヤー・コンサートをやっている。毎年、両者のプログラム、ソリストの出る場合だったら、その好みを考えて、どっちにするかを考えている。基準ははっきりしている。ウィンナ・ワルツなり、ポルカなり、そういった音楽が、どれだけ多く入っているか。だから、ニューイヤー・コンサートの原理主義者と言っていいと思う。得てして、ニューイヤー・コンサートという名の「名曲コンサート」が多いんだよね。ドイツもそういうところがある。申し訳程度に、アンコールで「ラデツキー行進曲」を入れて、らしくしちゃうというやつね。あれ、似非ニューイヤー・コンサートだと思ってる黄紺なのです。毎年、元旦にウィーンである、あのコンサート仕様になってないとダメと言う人なのです。だいたい、ニューイヤー・コンサートなんてのを出すこと自体が、あのウィーンのコンサートの物まねなんだから、きっちりとトレースしろよと思うのです。じゃ、その条件を満たしている場合、もう1つ、基準がある。ベタな曲を並べられるの、好きになれない。これでもかと、有名曲を並べる、よくある、ホント、よくある。有名曲で釣る、それも必要でしょう、だったら1つでいいよ、それは。じゃなくって、「おもしろい曲、発掘しろよ」と言いたいのです。有名曲で釣って、そして、おもしろい曲、釣られた客に聴かせて、「なんて、ウィーンって素敵」と言わせるだけの努力をせよと言いたいのです、プログラミングに。ということで、今年は、「京都市響の勝ち」でした。関西フィルの方は名曲コンサートに成り下がっていた。去年は逆だったけどね。で、昨日のプログラムは、次のようなものでした。「ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇〝ジプシー男爵゛序曲」「ヨハン・シュトラウスII世:エジプト行進曲 作品335」「ヨハン・シュトラウスII世:ワルツ〝南国のばら゛ 作品388」「コルンゴールト:組曲〝シュトラウシアーナ゛」「ヨハン・シュトラウスII世:狂乱のポルカ 作品260」「ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇〝こうもり゛序曲」「ヨハン・シュトラウスII世:トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214」「ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〝天体の音楽゛ 作品235」「ヨハン・シュトラウスII世:ペルシャ行進曲 作品289」「ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ〝雷鳴と電光゛ 作品324」。そこそこは、有名曲が並びはしたが、発掘ものが入っているのが嬉しい、コルンゴールドと「狂乱のポルカ」、そこへ、趣向として、2つの喜歌劇の序曲を、冒頭と休憩明けに入れたり、「エジプト」と「ペルシャ」を並べる、凝ったという空気を出してくれています。その狭間に知られた曲を配置しているから、余計に、そういった空気を感じさせるもの。指揮はサッシャ・ゲッツェル、この人、イスタンブル・フィルハーモニーの指揮者だったと書いてあったが、シンフォニーの間違いじゃないのと思ったのですが。とっても、派手な指揮ぶり、そこを見込んでの招請なのかと思ってしまったほど。その動きを観ているだけで、楽しめた。このコンサートの最大の売りだった。演奏は、ちょっと田舎の町で聴いているウィーンってとこだったけど。アンコールと言うか、発表されてなかった曲と言った感じで、お約束の2曲が追加された。「美しき青きドナウ」「ラデツキー行進曲」。この2曲の合間に、サッシャ・ゲッツェルの口切りで、「あけましておめでとうございます」が全員であった。「おぉ、これは、レーゲンスブルクで似たもん、あった」と、阪さんの口切りを思い出してしまった。あれで、阪さん、関西人だと知ったんだけど、後に、京都人、伏見出身だと知ることになります。友人の知人でもあるということも判明することにもなる。世間は狭い、このコンサートには関係ないけど。さて、来年は、どっちにしようかな? 京都市響の来年度のコンサート・プログラムは、既に発表されてるんだけど、それだと、基準から外れている。関西フィルもそうだったら、やですね。と思ってたら、京都で、もう1つ、ニューイヤー・コンサートがあるのを、先ほど知った。京都フィルハーモニー室内合奏団もやってる。これ、覚えておきます。


2024年 1月 7日(日)午前 7時 15分

 昨日も、暖かな日、それが、暮れから、ずっと続いたまま。太陽が出ていると、ホント、ウォーキング時の休憩&読書が快適。歩いていても、暖かいしね。こんなの好きやわぁ、続いてほしいね、このまま。昨日は、予定としては、以前から、某シンポジウムに行くつもりをしていた。ところが、数日前に、他でも、そそられる講演会が予定されていることを知り、当初は、迷ったが、そういったときは、内容で判断するのではなく、会場までの時間、交通費、会の所要時間など、本質的なことは考えないで判断する。だって、内容で判断を困ってるのだから、そこで行く行かないを決めると、なんか、ランクを付けたようで嫌なのです。そこで、結果としては、以前からメモっていた方を捨て、新たに情報を得た方を取った。最大の判断ポイントは、最初に予定していたシンポジウムが4時間もあるのだ。これは、しんどい。なかなか、根気が続かなくなっている身には堪えてしまうだろと考えるのだ。場所も遠いしと、捨てる決断は、一昨日に明確になっていた。で、昨朝、念のために、ウエブサイトで開始時間の確認をすると、思いがけないことを目にした。コロナ禍で流行りながら、最近は、随分と減ってしまっているオンライン配信があるというのだ。臨場感を味わいたいため、直で聴きに行ったこともあるが、今回は、あっさりと自宅で視聴することに決定。これも、楽だからの理由。これが、午後2時開始だったので、午前中は、全く、いつもと同じ。午前10時頃にウォーキングに出かけるという、いつものパターン。昨日は、調子に乗り歩き過ぎたか、万歩計を見ると、1万歩を超えていたのには、さすがに驚いた。
 午後のオンライン配信は、京都国立近代美術館のYoutubeチャンネルの出したもの。昨日から、同美術館で「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」が始まったことでの記念イベントがあったのです。お話は、池田祐子(当館副館長・学芸課長)さん。この展覧会を企画されたのでしょうか。繊維を使ったアートの歴史、その変化、アートとしての質としての変化と進み、この分野を網羅するというもの。こういった分野は、全く知らないものばかりだから、格好の講演と思い聴き出したのに、2度に渡り、見事に寝落ち。そういったなか、記憶に残っている僅かな情報をメモっておく。「ファイバーアート」と、今回の展覧会は銘打ってられるが、「繊維」をアートとする考え方の進展を、冒頭で押さえられていたが、これは、とっても、自分的には新鮮で、且つ、有難かった。今回の展覧会の広報画像を観て、初めて、こういった活動があり、目を見張る小林正和作品に衝撃を受けたが、そういった活動、アートとしての活動って、さほど歴史の深いものではなかった。「Textile Art」「Fiber Work」「Fiber Art」の違いを説かれていたが、それを知るだけで、この分野がアートになり、更に、質的変化が出てくるのが判る。「Textile」は「織られたもの」を意味する。織物が家内必需品から装飾品として展開する、そういった方面のアートを示すが、繊維を使ったアートは、「織る」だけではない。そういった認識が、繊維を使ったアートの世界を拡げていく。「Fiber Work」となると、繊維は細糸を意味する「Fiber」が、「Work」と結びつき、広範な繊維素材を包含していくようになる。ここにも、新たな展開がある。そして、それが「Art」になっていく。その歴史って、さほど深いものではないとのお話。実際、「Art」として展覧会が企画されるのが、新しい。ジャン・ルリュサという作家の名を上げておられた。ここが基点だったようで、タペストリー復興運動のような形で、ローザンヌ・ビエンナーレが企画されたが(第1回が1962年!)、ここでは「織物」の範疇での展開のはずだったが、このビエンナーレは招待制であったが、その中で異彩を放ったのが、東欧から出品された作品群、なかでもポーランドものに注目が集まったそうだ。物語性を読みづらい、織らないという選択肢もありうるということが、新鮮だったようだ。造形が違う、彫刻を観るような作品も、一挙に可能性が拡がる、ビエンナーレが続くにつれ(第4回目以後)、そういった作品が増えていく。そういった潮流、アメリカでは、別途の流れで出ていたそうで、このビエンナーレに参加がされていくことも新鮮だったそうだ。日本からも、第1回から川島織物が、これに出品をしていたそうだ。ポーランドに注目が集まるなか、そのポーランドのウッチでも、同様の趣旨でのビエンナーレが組織されていき、このウッチとローザンヌが、この世界の牽引者となっていったそうだが、この辺から、寝落ち気味で怪しげになっていく。せっかくのおもしろい話なのに、、、。こういった流れの中で、小林正和という作家が出てくるという。川島織物にいたことが、作家として世に出るきっかけになったのでしょうね。小林正和も含めて、この展開に沿って、様々な作品を紹介していただいてたようだが、ダメですね。冒頭に話されたアートとして展開していく流れに沿っての作品紹介、且つ、目玉の小林正和の作品解説もあった。そのお話をされていたのは、しっかりと覚えているが、頭には、何ら残っていないのが情けない。京都国立近代美術館のYoutubeチャンネルを見ると、過去の講演会も、動画がアーカイブに残されているようなので、それを期待することにしましょう。でも、この展覧会のおかげで、また一つ、刺激のある世界を知ることができた、感謝です。そして、ウッチへ行けてない悔しさ、大きい!! 通過したのにね。ワルシャワから簡単に行けるのにね。


2024年 1月 6日(土)午前 5時 59分

 昨日は、大阪でハシゴをした日。今年になり、早くも大阪へ出かけたのは2回目となり、同じく落語会も2回目となった。朝から出かけて、帰宅したのが午後6時前だったから、完全に一日仕事となった。そうなることは想定されたので、大阪での移動は、ウォーキングがてら徒歩移動とした。それでも、歩数にすると、最終的には11400歩余だった。まあ、これは仕方がないね。で、行き先は大阪浮世絵美術館と動楽亭だった。
 大阪浮世絵美術館という美術館の存在は、半年ほど前までは知らなかった。何がきっかけで知ったかは記憶がないが、どこかの美術館に行ったときに、企画展のチラシでも見たのじゃないかな。場所的には、心斎橋筋に沿ったビルの中にあるということなので、規模は小さいだろうが、浮世絵自体は、その展示にスペースを取るものではないので、そこそこの数は揃ってるのだろう、とにかく、一度、覗きに行こうと思いながら時間が経ってしまっていたが、現在進行中の企画展が「二人の天才 -葛飾北斎・月岡芳年-」というのならば、行かざるを得ないということで、動楽亭にも回りやすい位置にあるということで、この両者を組み合わせ、動楽亭昼席の顔付けのいい日を選んで、昨日、行くことにしたのだった。これで、芳年は、この1年で4回目の遭遇(北九州、芦屋、東京、大阪)となる。それだけ、人気があるということなのでしょう。ある程度、数が揃って出ていたのは、芳年が「月百姿」が8点、北斎が「富嶽三十六景」が21点、出品されていた。「月百姿」の8品はメモっておく。「雨後の山月 時致」「吉野山夜半月 伊賀局」「経信」「烟中月」「高倉月 長谷部信連」「公任」「雨中月 児嶋高徳」「忍岡月 玉渕斎」。この中からだと、もう迷わずに「時致」だな、かっちょええです、雄姿という感じがします。曽我兄弟の仇討の人気が判るというものです。これら以外でも、芳年は外れなしの名品揃い。第一、「藤原保昌月下弄笛図」が出てたのは、掛け値なしに嬉しかった。北九州での遭遇以来の再会だ。同じく、北九州で全品揃っていた「英名二十八衆句」は「高倉屋助七」が一品だけで、芳幾ものは出てなかった。芳幾は、ただ一品、「御上洛東海道/東海道京都名所之内 島原」だけだった。芳年ものは、他の作品も、全てと言って間違いないほど、銘品揃い。「大日本名将鑑」から三品出ていた。「最明寺時頼入道」「坂上田村麻呂」「六孫王経基」だったが、「時頼」が、逸品中の逸品に見えた。雪の中だが、溌溂としている、気品がある。雪で難儀してる感より、執権としての格が素晴らしいのだ。「新容六怪撰 平相国清盛入道浄海」の妖怪も含めての人物配置がいいんだなぁ、緊迫感が、それで一層高まってるという印象。「藤原保昌」が魅力的なのも、人と草の配置、吹く風に対する、二人の人物の配置、ベクトルがいいから、痺れさせるのだと思えるのと共通している。やっぱ、芳年は凄いわ! 「富嶽三十六景」は、確か、全品、観ているはず。太田記念美術館で、揃って観たはずなんだけど、随分と前だけど。「神奈川沖浪裏」「山下白雨」は、別枠の陳列ケースで展示。三大作品とされるだけの扱いを受けていた。有名作品では、「尾州不二見原」も出ていたが、この桶の中の富士同様、アッと驚く構図は、「逺江山中」では大工仕事の向こうの富士、「常州牛堀」では屋形船の傍らに小ぶりの富士があったりしてたけど、一番のお気に入りは「登戸浦」、描いてる視点は、俯瞰している位置だけど、鳥居から見える富士は下から見上げているように見えるのには驚いたなぁ。同じ北斎では、「柱絵 七福神」が、お見事としか言うしかない、素晴らしい構図。細長い縦長の紙に、7人が詰め込まれただけでも凄いが、それぞれが連動してるように描いてある。これも、驚かされた。この2人以外では、国芳が4点あったが、「したい」シリーズから1点「一ツおあげ申したい 淡路 鯛」を観れたのがツボだった。「そう」シリーズと言い、おもしろいこと考える、江戸市民の感性は凄いわ! 芳年の弟子筋から、水野年方と月岡耕漁の作品もあったが、いずれも、流しちゃいました。引き立て役だと思った、師匠の。それにもなってるかも、怪しいかも、、、、。やっぱ、芳年を観ると、テンション、上がるわ。
 移動は、ここまでも、また、ここからも徒歩、これは、既に書いた通りだ。大阪浮世絵美術館を出て、とにかく食事をしなければならない。ググってみると、場所柄、嫌になるほど、出て来る。そういったなか、日本橋交差点近くにタイめし屋が目に入り、思い出した。あの辺に、2軒、並ぶようにタイめし屋があるってことを。片方は、麵類中心だったことも思い出したので、交差点の近くの店に入る。最近食べてない、「パッタイ」を注文。タイでも食べたことのない、濃いめの味のパッタイ、にんにくがえらく効いていた。なんか、高級な(そんなものがあるかは知らんけど)パッタイと思えるお味だった。「これ、DとSにも、この辺来たら、食べさそ」と思ったから、正解の選択だったようだ。そして、通天閣を尻目に動楽亭へ。昨日は、顔付けがいいからか、外にはみ出して客が並んでいたが、それを見てのことか、若干、早めに開場してくれた。コロナ禍以後、3回目となる動楽亭昼席、その番組は、次のようなものだった。弥っこ「時うどん」、小鯛「ちりとてちん」、吉の丞「披露宴(作:中島らも)」、紅雀「宿替え」、(中入り)、喜味家たまご「三味線放談」、吉弥「ホース演芸場」。残念なことに、前の2人では寝落ち。座椅子に座ってないのに、なんてことと思うしかない寝落ち。小鯛の高座なんて、終演後のネタ発表で確認するまで、「ふぐ鍋」かどうかが、明確ではなかった。それだけ、冒頭で寝てしまったかが判る。でも、あとは大丈夫だった。そして、高座の方も、熱量があったと思えた。吉の丞が、マクラで、ちょっと危ない系のことを言い出したかと思うと、見事なマクラで、やくざネタ。やくざの男と結婚する女が、親戚一同に結婚相手がやくざだと言ってなかったから、その披露宴で、逆に、男の組の長が、挨拶でビビってしまうという流れ。その挨拶のときに、不安なため、組長の男は、臨席者を威嚇するのだけど、それが、とってもリアルで、空威張りにしか見えない口演が素晴らしく、とっても笑かされてしまった。なんか、吉の丞らしさが出ていて、ホント、笑ったなぁ。吉の丞ベストかもしれない。その流れで出てきた紅雀に、期待が高まる。マクラでは、自身の家庭を話し、それが、見事な繋ぎになり、ネタへ。吉の丞といい、紅雀といい、お手本のようなマクラを振ってくれました。そういったテンションのまま聴く、紅雀の「宿替え」は申し分なし。オリジナルなくすぐりを入れ込み、自分のネタにしようとの試み、嬉しいね。前半で時間を使い過ぎ、後半は、少しはしょりながら最後まで持って行ってくれました。期待通りの口演、楽しいものを聴けました。喜味家たまごは、この1月公演だけ、色物が入るというので登場。ネタの流れは、いつも同じだけど、こうして聴けるのは嬉しい。昨日は、最後に踊りを披露。「辰年に相応しいものはないかと思ってたら、三味線のお姉さんから、長唄にいいものがあると教えられた」ということで、「龍」の文句の入る「浦島」の序盤を踊ってくれた。これ、「小倉船」に入るから知ってんだけど、かなり、踊りとしてはハイレベル。それを、しなやかな動きで披露したたまごにびっくり、喝采だった。統一感があり、有機的な動きに、とっても魅力を感じました。調べてみると、この人、藤間流の名取でした。納得。そして、トリは吉弥。自身の創作ネタを出してくれ、ようやく、気になっていた「ホース演芸場」を聴けた。「ホース」は「大須」にかけ、実際は「園田競馬」にかけ、その競馬場近くにある旧の大須演芸場のような、場末館のある寄席小屋に仕立ててあった。主人公は桂小骨。「小骨」は「小米」にかけてあるが、実際は「3代目ざこば」。小骨が恋心を抱く女浪曲師が「ジョーサンズ」のメンバーで、後に「小米」と結婚、即ち「枝雀夫人」となる。そういった仕掛けがあるなか、「ホース演芸場での出来事=小骨の失敗談=小骨の成長物語」をオムニバスで繋いでいく。その切り替え時に、往年の音曲漫才のスター(宮川左近ショー、チャッキり娘、暁伸・ハワイ、かしまし娘、ジョーサンズ)のテーマ音楽を歌うという趣向。しかも、噺が2部制で、後半のばらしでは、ん十年後、小骨がざこばを襲名して、昔語りの私落語を披露してたとなる、これが、とってもいい趣向。結構、ほろりとさせるものがある佳品です。動楽亭昼席が、ディープ感のあるネタ並びになり、とっても特徴を出すようになってると、これで、コロナ禍以後、3回目となったけれど、毎回、思っています。


2024年 1月 4日(木)午後 9時 56分

 今日も、昨日に続き、お出かけなしの一日。となれば、定番の日に2回のウォーキングだけが外出となるのだけど、昼前のウォーキングが、お天気に翻弄された。明け方、雨が降っていたが、そろそろウォーキングにと思った頃には、太陽が出ていたように思ってた。明るくなってたので、そのつもりで外に出ると、えらく道路が濡れている。今しがたまで、雨が降ってた模様だったが、雨が降りそうな暗さではなかったので、傘を持たずに出かけると、10分も歩かない内に雨。ウインドブレーカーを着ていたのでフードを被る、そして、避難目的で屋根のある公園を目指すことにルート変更。でも、雨脚が強くなるものだから、このルートも止めて、家に戻ることにしていると、途中で、明るくなったかと思うと、雨が止んでいる。ならば、ウォーキングを続けようと、またぞろルート変更。同じことを、あと2回、繰り返した。結果、めっちゃ変則ルート。だって、帰り出しては、歩けるようになるので、迂回コースを採ったりするものだから、歩くルートはぐちゃぐちゃ。ま、歩けばいいのだから、どうでもいいことだけど、完全に、天気でうろうろさせられたが、量的には、普段のウォーキングのそれを確保できたから、良しとしましょう。
 早ければ、来週にでも熱海方向への旅行を考えている。冬場なので、お天気のかげんで、新幹線が止まったりしては困るので、直前まで、日取りは決めないでおこうと考えている。来週ダメなら、再来週に2つのパターンで、日取りは確保できるようになっている。それでもダメなら、再来週と時間は確保してある。とにかく、天気さえ良ければ、来週に敢行ということで、いつものように、ペーパーで旅行資料の用意をするというのが、今日の午後の一時のお仕事。そのために、先日、新しいPCをメーンに使うようになっているので、プリンターのドライバーを確保しておいた。プリンターのドライバーが、断捨離のときに、どこへやったか判らなかったので、同じような輩がいるはずだから、きっとネット上でダウンロードできるだろうと思い探すと、見当はドンピシャで、でけた。考えるとできるはず、だって、ドライバーって、要らない者には要らない、要る者、プリンター本体を持っている者しか要はないから、できるはずとの勘が当たったのだった。そんなだから、あっさりと印刷できるはずとの思惑が、ちょっとすかされた。年賀状を印刷してから1ヶ月も経ってないのに、ノズルがダメになってる。プリンター、あまり使わないから、まともに印刷はできなくなってしまってるんだけど、年賀状なんかの小さい印刷だと、色の乱れが判らないので使えてるから、そのまま使ってる。だけど、まさか、そないに日が経ってないのに、ダメだった。いい教訓。もっと、印刷しましょう。来月の名古屋旅の資料印刷の前にも使っておいた方が、身のためになりそうだ。こんな可愛い事件くらいが、今日の出来事。小さく、生きてます。


2024年 1月 4日(木)午前 6時 15分

 昨日は、正月三箇日最終日、初めて、お出かけなしにした一日。となると、全く、普通の一日。お天気は良くなかったが、ウォーキングだけは、通常通りに行った。午前中には、今年初めての洗濯もしたが、天気は良くないので、夕方、取り込むには早かった。乾かないのだ。数年前までは、そんなことは稀れだったが、最近は、そうではない。昨日などは、曇天なものだから、端から諦めていた。夕方、一応、確認はしたが、案の定、取り込みは無理だった。一昨日の火曜日は、お出かけ日にしたため、Radikoであっても、火曜日のお約束、KBS京都の番組を聴けなかった。「まーぶる」の方は、前半を聴いただけど、あっさりと寝落ちしてしまった。そんなだから、「おつかれさん」の方は、全くの手付かず。その2つを聴くということで、結構な時間が経ってしまった。「まーぶる」のラスト辺りで、「今年の目標」というベタなテーマで、MCの2人が喋ってたけど、ここで、二葉が言ったことに、びっくり。「立切り線香を覚える」と言ったからだ。そのわけが奮っている、二葉らしい。「上方落語屈指の大ネタと言われるこのネタ、どこがいいのか解らない」「だから、自分でやってみて、それを確かめたい」、こんなことも言ってた、「直せるところがあったらしてみたい」。今年の「チャレンジ」1発目のネタが「天神山」だということは発表されてるけど、第2弾辺り、それ以後で、「立切り線香」を入れてるってことなんでしょうね。そうなんです、「天神山」以後、何をするか、ちょっと考えてたんだけど、「百年目」は考えてるらしい空気は出してたけど、あとは、なかなか見当がつかなかったが、思いついたのは、「貧乏花見」「厄払い」は聴いてみたいと思ったけど、もっと大きいネタが欲しいのかな。でも、「貧乏花見」は、フルヴァージョンですれば、結構、尺は長いけど、もっさりし過ぎ。「厄払い」は、あまりにも季節限定もの。アホが、いい感じで出てくるんやけどな。
 Oper Visionでの「フィガロの結婚」は、あと少しだったので、ようやく完走。再終幕は、舞台を碁盤目状に切り、奈落へと、各々が繋がってるという姿になってて、新鮮だったことはそうなんだけど、ちょっとだけ、目先が変わったかなという程度で、やっぱ、進むにつれ感じてたネタ切れ状態。1幕で受けた衝撃は続かなかった。慣れもあるんだけど。あまり時間がなかったんだけど、次なる作品選びは、公開期限切れが迫っているということで、ワルシャワの「ピーター・グライムス」にした。ワルシャワだから、マリウス・トリレンスキのプロダクションかと思ったら、当たりだった。この人の演出、どれを観ても、何かがあるので、楽しみですと書く範囲でしか観てない。冒頭の10分程、観ただけ。さて、期限内に観る時間を確保できるでしょうか?
 夜は、久しぶりに、NHKプラスを使い、「ニューイヤー・オペラ・コンサート」を視聴。「人間の二面性」をテーマに進行。衣装とメイクで歌手は登場だけど、顔かたちは素が判るとされていた。福井敬は、もう髪の毛はなくなっていた。フィリッポ2世を歌うのかと思った妻屋さんは、ボリス・コドノフだった。実際に、歌ってるのかな? 日本を代表する歌手陣が顔を揃えたわけだけど、一番の違いを感じたのは森谷真理だった。「サロメ」を歌った。声の通り、高低ともに安定している。どこかで、この人を主役に据えた「サロメ」、出してくれないかなぁ。オケの休息がてらか、半ばに、ピアノとチェロだけの演奏でバレエが入った。ジョン・ノイマイヤーの薫陶を受けた振付師のものだというのに、何と酷いカメラワーだったんでしょう。舞台設定も、ど真ん中にピアノとチェロで、バレエの振付には邪魔だったろうね。そんな不満も持ってしまったので、満足度は、いまいちだったかな。


2024年 1月 3日(水)午前 5時 50分

 昨日は、午後に落語会に行った。三箇日で、落語会に行くという機会が、今まであったかなと自問自答しても、思い出せなかった。恐らく、ないのじゃないかな? 今年は、偶然、お正月興行とか、特別仕立てではない落語会を見つけてしまった。大阪での会で、開始が午後1時45分という半端な始まり方。そこで、昨日は、大阪に行ってから昼食を食べることにして、午前中にウォーキングをできるようにして、予定を組んだ。おかげで、行く前に、十全とは言えないが、いつもの85%くらいのウォーキングをすることができたので、良しとしましょう。いいお天気だったので、ミニ読書もできたしね。落語会場は「猫も杓子も」だったので、天満宮に近いということで、正月と雖も食いはぐれはなかろうと思い出かけたが、これが失敗だった。天満宮近くのアーケード街に入る前に、どこか食べるところがあるだろうと思ってたら、全部、閉まっていた。そして、アーケードに入ると、とんでもない人出。店は多くは閉まっていて、開いていても飲み屋ばっか。道には屋台が並んでいて、列ができているから、前へ進めない。これはダメと、ようやくアーケード街を外れて、外側の道路で食べるところはないかと思ったけれど、これは、明らかな間違いだったので、食べることを諦め、南森町から大川へ戻る。そこで、考えた。大川の畔の公園で食べよう、コンビニ食を買えばいいじゃないかと。ようやく、それで、昼食にありつけた。そんなことをしていると、落語会の開場時間になってたので慌てたが、会場近くで食べていたので大丈夫だった。「Gパン寄席」という会、「Gパン」云々は解らないけど、出演者の組合せに「?」が点ったので行こうという気になった、また、そのメンバーがそそられたのだ。九ノ一は推しの噺家さんだけど、健枝郎は、最近、いろんな会に、よく名前を見かけるようになり、まだ遭遇してなかったので、聴いてみたかった噺家さん、治門は、随分と聴いてなかったのも行ってみたいと思った理由。結果、いい組合せと思えたのだ。客は5人、楽屋は、席主の新幸もおり4人、辛うじて、客数が上回ったけれど、なかなかおもしろい会だった。番組は、次のようなものだった。なお、出番は、冒頭のトークで決まった。全員「トーク」、治門「初天神」、健枝郎「?」、九ノ一「天神山」、全員「トーク」。そもそも「Gパン」の意味が解ってなかった。きっかけは、治門が、いつもヴィンテージもののGパンを履いていることに気が付いた九ノ一が、「新しいGパンを下ろすことを一緒にするというセレモニーを落語会でやろう」と治門に呼びかけたこと。それに、そこまでGパンに詳しくない健枝郎を誘ったのが、この会だった。冒頭の「トーク」で、そういったことが明かされたんだけど、そこで、そう言えば、ヴィンテージもののGパンというものがあるということを思い出した、聞いたことがある程度で、その内実は、全く知らなかった。それが、どういったことかは、後半の「トーク」で教えてもらえた。「へぇ~」としか言いようがなかった。古着のほんまものから、それらを模し復刻するということで、業界が成り立っているらしい。実際、治門と九ノ一が、そういったヴィンテージもののGパンを持ってきて、これは、「何年代」「どこに特徴があるのか」、それを示してくれた。健枝郎は、そういった世界があることは知っていたようだけど、その奥深さに、すっかり聞き役、知っている者への質問役になってた。そんな「トーク」だったけど、全くと言っていいほど知らなかった世界を聴けて、それはそれでおもしろかった。最後に、新しく購入した復刻ものを三者三様で披露。健枝郎のものは復刻だかどうかは判らないけど、アメ村の専門店で買ってきた模様。あとの2人は、講釈付きの披露だった。落語の方は、各々、個性があっておもしろかった。「初天神」は、誰からもらったのか聴きたくなったように、微妙に古風な感じ、普段聴かないフレーズが入ってたりしてた。しかも、口演は、家族内でのやり取りは省略、いきなり親子が歩くところから、しかも、屋台が並んでないところから始まり、「いかのぼし」と言ったかな、要するに凧揚げまでカヴァーしれくれた、米二以外では、なかなか聴けないところまでやってくれた。「?」と書いたネタは判らなかった。前半が「田楽食い」のように、金のない男連中が酒を呑む算段をしていて、後半が葬式に行くための袴とか身に着けるものの相談ごとと言っていいのかな、というのも、その中間で寝落ちしてたようで、よく判らないのだ。結果、ネタが何か、判らないまま。東京ネタのように思います。初落語となった健枝郎だけど、前半、ちょっとバタ臭さを感じ、いまいち好感が持てなかったが、後半はそれが消えていた。テンポが上がり、なかなか密度の濃い口演に好感が持てた。「天神山」には驚いた。まさかの遭遇だった。九ノ一で聴きたかったのだ。もちろん、お囃子抜きだけど、さすがだと思った。お喋り、顔の表情、身体の動き、全てが有機的に機能している。お見事だ。同時に、落語が好きなんだろうなと思わせられるノリの良さも伝わってくる。先日の「天災」でも唸ったが、この「天神山」にも唸った。二乗の丹精な「天神山」と並ぶ、気の籠った「天神山」、若手の噺家さんに、ええもん2つ揃いました。ここに、新たにネタ下ろし予定の二葉が加わるか、楽しみです。


2024年 1月 1日(月)午後 8時 00分

 新珠の春だ、世間的には。自分的には、何も変わらない一日だけど、昨日、弟の家に行き、呑むことだけは決まっていた。午前11時をメドに行くことになっていたが、正月恒例の「日曜美術館スペシャル」が11時終了だったので、それが終わってから出かけた。そんな時間だから、今日は、少し早めにウォーキングに出かけた。10時までにはスタンバイしておかねばならなかった。「日曜美術館」の方は、今年の美術展を先取りするかのように、その関係の作家さんをゲストが訪問するものの映像を流しながら、MC&ゲストがお喋りをするというもの。奈良美智に関しては、既に、展覧会が始まっているので、そのレポートだけだったけれど。黄紺的にも、掌握済みの展覧会。地元の青森県でだけ行われるというものだったので、余計、頭に残っている展覧会だった。
 弟の家には、マッコリ&サイダーを買って行った。やかんを求めたが、使ってないものがなかったので、お鍋で、その2つを混ぜ、それをコーヒーメーカーに移し、更にコップに入れて呑んだ。マッコリは、1回、栓を開けると、呑んでしまわねばならないから、普段は呑まない。今日は、呑む人間が、いろいろと居るということで、持って行ったのだった。マッコリ1本にサイダーのペットボトル1本で、丁度いい混ぜ具合。普段、呑むことのない弟の嫁さんも、お代わりをしていた。なんせ、口当たりがいい。これはいけるね。今度、息子宅へ行くときに、持って行ってやろうと思った。マッコリは呑んだことはあるが、このサイダーとのミックスは知らないはずだから。いつもの正月だと、呑んだあと、その辺のソファーに寝込むんだけど、今日は、元旦サッカーを観ようと、それに合わせて帰宅。でも、前半途中で、寝落ち。ハーフタイムのおかげで覚醒でき、後半は、しっかりと観た。ゴールラッシュだった。レギュラー・クラスが入ると、ボールの回りが良くなった。試合終了後、インタビューが続く途中に、地震速報に替わった。連続して起こったが、その内の1回は、京都でも揺れた。結構、気持ちの悪い揺れだった。そのため、それ以後のTV番組が吹っ飛んだ。正月特番のタモリ&鶴瓶の番組、観る予定にしていたが、潰れとなったみたい。どうするんでしょうね、正月特番だから、扱い、困るだろうね。
 酒も覚めたしと、夕方のウォーキングもすることにした。元旦だと言うのに、車が、えらく走っていた。夜も、元旦だと言うので、晩酌。肴は、米朝事務所チャンネルの生配信。「地震で止めることないよな」と、ちょっとだけ思ったけど、なことなかろうと思い、一応、チェックしたら、やってた。アーカイブで、今日も、視聴することにしましょう。


2024年 1月 1日(月)午前 5時 38分

 前の晩に、熟睡したツケが、一昨晩に回って来た。2時半にもなってない時間帯に目が覚めてしまったのだ。仕方ないので、起き上がって、PCで動画を観ることにした。ブラタモリの「敦賀編」「鯖街道編」「宇和島編」と、昼間を併せると、3本も観てしまった。Youtubeの動画も、旅系のもので、「韓国日帰り旅」などという、くだらんことやってるなと思いながら観始め、飛ばしながら観るつもりだったのが、結局、航空機内の映像は、そうしたけれど、あとは、しっかりと時間をかけて観てしまった。ベタなカンジャン・シジャン(広蔵市場)はともかくも、でも、これも、朝ご飯を食べるものだったので観てしまったけれど、おもしろかったのは、散髪に行ったり、しかも、ソウルでも歴史のある床屋だったり、モッパン動画で観ることのある「タクシーの運転手が贔屓にする食堂」で昼食を摂り、最後はチルジルバンに行くもので、このメニューがおもしろく、観てしまったんだなぁ。日本美術史関係のYoutube動画も、最近は、時々、観るんだけど、昨日、観たのは、そそられた。なんせ、基本が解ってないものだから、そういった部分で、気になってるテーマを設定されてしまうと観てしまう。昨日、引っかかってしまったのは、「日展」「院展」という、よく耳にするもの。そんなのに、「文展」「帝展」なんてものもあるしと、視聴し出したら、おもしろかった。基本が解ったつもりになった。とにかく、岡倉天心に遡るんだね。「院展」に関わる作家さんを、しっかりと頭に入れることはやっておかんとあかんなと思ったんだけど、それでいいのかな? それに関わる動画もあったので、それも観てしまった。でも、睡眠不足がたたり、半ばで寝落ち。半分以上の作家さんの名前は知ってたけれど、そして、作品も観ていたが、それ以外は、名前も知らない人だった。まだまだ、奥が深いです、日本画は。
 Youtube三昧で、一番、時間をかけたのが、Oper Visionの動画で、この間、時間を作っては観ていたのが、フランドル歌劇場の「フィガロの結婚」(トム・グーセンス演出)。だいたい、Oper Visionで取り上げられるプロダクションって、何かしら斬新な部分がある、ほんの僅かにしてもだ。その中に「フィガロの結婚」が入っているというので、何をやらかしたのかと気になり観始めたのだった。確かに、ツボにはまってしまった。ドアなんかの書割を、パーツに分けて、しかも、舞台上に寝かして置いてあったり、追加分が、上から吊るされて降りて来たり、寝かしてある箇所が奈落に通じていたり、その書割を起こしては、進行に役立てる。使って、用に足し、不要になると、また倒す。挙句の果ては、そのパーツに、上からツェルリーナを落とすなんて、離れ業を見せてくれた。一瞬、何やら落ちた。巻き戻して、速度を落として確認までした。ひょっとしたらと思った通りで、ツェルリーナが落ちた。これ、怖いだろうな。高所恐怖症だと、絶対、ダメなやつだけど、やってた。そんなだから、次に何が起こるかが楽しみで観続けたのだけど、2幕で、ごちゃごちゃと変化があると、さすがに、種切れになってくる。おまけに、観ている者としては、目が慣れて来る。期待もしているから、同じパターンだと、「またか」になってしまう。そんなで、徐々におもしろくなくなって行くのだけど、せっかく観たのだからと続けている。最終幕半ばまでなので、あと少しのところで、年を越してしまった。バルトロとマルチェリーナは役者を使ってる模様。この2人は、顔の脇にマイクを着けてるから変だと思ってたら、どうも、そうらしい。歌うときもあり、2人とも、なかなかの歌唱を見せるものだから、そうは思っても、半信半疑なところもあるが、演技が只者ではない。生で観た「フィガロの結婚」では、ハンブルクのプロダクション(シュテファン・ヘルハイム演出)が一番だ。進行的には変化はないが、全編、音符がモチーフになっているのが、何とも楽しいのだ。先日、ペンテコステ辺りの公演を調べてたら、来年の5月に、それが出る。観たいなぁ。
 夜は、Youtuber無職旅氏の「年越しライヴ」を視聴。2時間半の長丁場、絶対に、どこかで寝落ちするとは思ってたけど、どうやら、頭の30分程で寝落ちしたみたい。気が付いたとき、まだ、続いていたけれど、眠いので仕方がないので、そのまま寝てしまい、あっさりと年を越してしまった。朝、Youtubeのチャンネル登録欄を見ると、贔屓の韓国系Youtuber、インド系Youtuberも、「年越しライヴ」やってた。ま、アーカイブに残しているようなので、また、正月の楽しみとして残しておきましょう。


2023年 12月 30日(土)午後 8時 8分

 今日は、今年最後の落語会へ行った日。明日は、お出かけ日にしてないので、今日が、今年最後のお出かけ日でもあった。昨晩は、さすがに、よく寝た。万歩計を見ると、さほど歩いたとは言えないのだけど、小さな子ども2人を連れていると、じんわりと堪えているみたい。身体が、最近、感じたことのなかった疲労感があった。椎間板ヘルニアのときに飲んだ神経痛の薬のおかげで、足腰の痛みが、ほぼ消えているので、フットワークが軽かったのでしょう。DとSの動きについて行けたということなんでしょうね。その分、普段、使わない筋肉を使ったのかもしれないし、普段以上に、無意識に身体を動かしていたのでしょう。そんなで、午後からお出かけがあったこともあり、午前中のウォーキングは軽め。そうして、午後の落語会に備えました。
 お出かけ先は、今日もツギハギ荘。先日の染吉の会のおりには、久しぶりの冬のツギハギ荘ということで、すっかり失念していた寒さ対策を、今日は、していった。まだ、気温は穏やかだったが、それにしては、厚手の格好をしていった。そして、お席は、暖かなマットで暖を取れるところを確保。おかげで、上着は着ないで済みました。その落語会は「第8回 希遊の毎月ネタ下ろしの会 」。コロナ禍で頑張った希遊、かなり評判が上がっている。年季明け辺りで聴いたきりだったので、この辺りで聴いておきたいと思っていたところに、嬉しい時間帯に会を開いてくれた。顔も見たことのない落語ファンらしき人たちが来ていた。コロナ禍で、その辺りにも変化が来ているのでしょうか? 逆に、顔を見知っているような落語ファンが来てなかったのが、気になった。そういった人たちの間では、評価が分かれるのかもしれないが、「ネタのたね」を見ると、今日は、各所で、昼夜問わずに、良さげな会が目白押しだから、皆さん、そちらに行ったのでしょうか。この会は、全く、希遊の一人会。楽屋も希遊だけ。だから、CDで流す出囃子のスイッチも、自分で消してから出てきていました。自分的に、希遊の会に行き、マクラにせよ、得意の新作についていけるのか、これが心配だった。古典はともかくも、それに不安を抱えながら行った会、その番組は、次の3席でした。「しゃっくり餅」「もちたちの反乱」「子別れ」。「しゃっくり餅」は、存在は把握していたので、代表的な新作かもしれない。この口演では、マクラを含め、把握できなかったのは1箇所だったので、これは大丈夫だった。存外、古典的なボケも使いながらの進行。「くっしゃみ講釈」や、最近では「ぶるぶる」系のネタ。そう思ったからか、安定のおもしろさだと思った。発想自体は、斬新なというものではなかったからか、ついていけた。そういったネタの新鮮さより、語り口、掛け合いの間合いなんかが、全く、黄紺の知らない希遊だった。こんなに、調子のいい、感じのいいお喋りをするようになってんだと、その口演に、コンペでもファイナリストに選抜されてるのだろうと思った。逆に、「もちたちの反乱」は、くすぐりが解らなくて、それが続いたものだから、眠たくなってしまい、余計に解らなくなってしまったが、相変わらず、いいテンポのお喋りだった記憶は残っている。周りの人が笑ってるのに、自分は解らないという現象が起きると、やっぱ凹むね。古典は1つだけ、それが、よりにより「子別れ」とは。マクラから神妙な空気を出すものだから、ちょっとネタに位負けしてしまったのでしょうか? それまでの口演に比べて、明らかに落ちた。人物の描き分けが不十分だと言わざるを得ない。静かなお喋りで、そうだったんだけど、子どもが帰ってきて、母親との騒動になって行くと、感情が前に出て来るので、とってもいい感じになった。ところが、鰻屋の場面になると、デフォルメをするという、これ、師匠の遊方のやり方だったように思うのだけど、ちょっといちびり過ぎ。だから、逆にしんみりと話す箇所が、今度は、なかなかいいんだけど、いちびるのは好きじゃないんで、このいい感じもヘタリ気味に看えてしまった。これは、口演の回数を増やし、口になじませる必要があると言えばいいのか、希遊の加齢を待たねばと言うのが適切なのか、、、、。一つには、自分自身が希遊落語に馴染めてないというウイークポイントがあるのだとも思います。こういうことが、自分の、一層の加齢で起こってくるのでしょうね。そういった寂しさも、ちょっと感じてしまったけれど、仕方ないね、こればかりは。昔だと、「なんで、そんなに受けるんだ」と、心の中で呟いたものだけど、今や、そんな無礼なことは思いもしないですね。大変な意気込みを持った噺家さんであることは間違いないので、注目はし続けていきたいと思っています。


2023年 12月 30日(土)午前 6時 16分

 昨日は、朝から、DとSを連れ、大阪に遊びに行った日。2人を連れて、自分一人で、どこかに行くというのは初めて。当初は、通天閣に行き、その辺の串カツ屋でご飯でもと思ってたら、息子から「子どもをお酒を呑むところに連れて行くな」と抗議が入り、あっさりと撤回。宇治も考えたんだけど、冬のことだから、屋内で遊べるところということで、目的地を「大阪くらしの今昔館」と設定。そして、その通りに天六へ行った。だが、上へ上がろうとエレベーターに乗っても、行ってくれない。仕方がないので、途中で降りたところ、そのビルに入っているオフィスから出て来られた方に尋ねると、調べてくれた。すると、なんと、昨日から休館になってた。そんなこと、事前に調べて来いよと、自分に突っ込んだけど、頭をかすめもしなかった。乗り物好きの2人に、いろんな乗り物に乗せようと、帰りは、違ったコースで帰ろうと、そんな話をしていたのに、あっさりと休館とは、あまりの仕打ち。どうしようと考えたが、すぐに思い浮かんだのは、通天閣は置いておいて、乗り物好きにはたまらない阪堺電車に乗せようと考えた。堺筋線1本で恵美須町へ移動。地上に上がり、2人の関心は、まずは、電車ではなく、お菓子を買うこと。近くのコンビニで買い、電車の乗り場を探すが見当たらない。古い、昔ながらの駅舎が消えていた。でも、電車は残っていた。すっごい背狭しいところに乗り場があった。電車内ではお菓子はお預けにして、電車に乗ったはいいが、どこかに行かねばならないということで、住吉大社に行くことにした。そもそも阪堺電車の路線が解ってないので、車内掲示の路線図で、ようやく降りる駅を確認。その駅は、天王寺から来る路線と合流するところだった。そもそも、黄紺自身が、住吉大社は初めて。まずは、神社の入口辺りに座り、2人は、先ほど買ったお菓子を食べる、その時間を利用して、黄紺は、阪堺電車の時刻表を確認に行く。天王寺往きは、12分ごとにあったから、そんなに、頑張って時間に合わせる必要はないが、恵美須町に戻るとなると、本数は減るから気を着けねばならない。お菓子を食べてる2人に尋ねると、違うところに行きたいと言うので、帰りは天王寺に決定。それから神社へ。太鼓橋、初めて観ました。ほぼ感動しない2人、でも、上で記念写真を撮り、橋詰めでも撮った、すると太鼓橋が映るからだ。境内に入る、正月準備が進んでいる。既に参拝者が来ている。メモを片手に歩く外国人観光客も、わりかしいた。Dの関心はおみくじ。ところが、小銭がないので、一人しかできないので、じゃんけんの結果、Sがおみくじを引くことに。それは「末吉」だった。でも、やっぱり、Dもやりたかったようなので、お昼ご飯を食べたところで、小銭を作り、もう1回、戻ってきて、おみくじを引くと約束することになった。全く知らない土地なので、ググってみて、お昼ご飯の場所を探す。すると、ほん近くにインド屋さんがあったので、2人に尋ねる。「お昼は、カレーでええか?」、あっさり同意した2人を連れ、そのインド屋さんへ。また、この店の方も、子ども連れというのは珍しいのか、とっても歓迎してくれた。お店の主人と看たおばさんやインド人シェフに、いろいろと声をかけてもらえる。特に、フランクなDは、世間話的に、こないだ行ってきた沖縄旅行の話までする始末。すっかり人気者になった2人。ホントのホントのインド屋さんのランチを、抵抗なく食べてくれた。お店の方も、「これだと、甘いから大丈夫」と勧めてくれたから、2人は、喜んで食べていた。Dは完食、Sはナンは完食、残したカレーは、Dが平らげた。こいつらの食欲、凄い。会計を済ませて、Sと外に出ても、店内で、インド人シェフと話すD、どこまで馴染んでしまってるのか、いい感じのお店に入れて、大正解。再度、住吉大社へ。目当てはおみくじ。Dは「大吉」、黄紺は「半吉」だった。案の定、Dの自慢が始まった。そして、序列をつける。可哀そうなのは「末吉」を引いたS。「3番」と言われると「2番」だと言い張ってました。帰りは天王寺へ。最初は、天王寺でスイーツを食べるつもりだったが、人の多さにたじろぎ、京橋で食べることに変更。で、入ったカフェで、事件が2つも勃発。1つ目は、Dがパフェをひっくり返してしまった。大変な惨劇。2つ目もDで、首からかけていたプリペイドカードを、店内に忘れて来てしまった。慌てて、取りに帰ると、置いた場所にそのままだったので、事なきを得たが、尋ねてみると、インド屋さんでも外していたとか。この件だけではなく、首からかけているフォルダを引っ張って遊ぶものだから、いつ切れてしまうか判らない状態だったので、「首かけはやばいから、カードをどうするか、パパとママに相談しなさい」「そういう風に言うからね」と言うと、途端に涙目。「パパに怒られる」の一点張りで、電車に乗ってくれない。「外したり、伸ばしたりしてるのも危ないから、カードをどういう風にして持つか、相談しなさいと言ってるだけやで」と言っても、「怒られる」の一点張り。そのやり取りをしている最中に、パパから電話が入った。帰りが遅いからだったので、事情を話す。その話すことも、Sに許可を取ってから。もう、パパが知ってしまったということで、ようやく電車に乗ってくれました。でも、駅に着いても、Dは、黄紺の後ろばかり歩く。自動車で、パパとママが迎えに来てくれたけど、なかなか足が進まないD。車に乗り込むと、今度は涙目になってた。あとが心配だったけど、そこでお別れ。気になったので、帰宅後電話を入れた。元気にしてるということだったが、Sが失敗しても、Dが言うのは「パパに言う」という言い方、それが気になった。カードのこと、「今後、どうしたらいいか相談しなさい」と言っても、「怒られる」という言い方が気になってしまったな。そんなで、気になることもあったけれど、神社のようなところに連れて行っても、遊び方を知ってる2人を見ると、ちょった逞しく看えてしまった。そういった子どもが喜びそうじゃないところで、遊びを見つける2人を頼もしくにも看えたのだ。また、行こうね、好奇心いっぱいなのが、いいね、この2人。黄紺の孫にしておくには勿体ないやつらです。


2023年 12月 28日(木)午後 10時 46分

 暖かい、この3日は、いい感じに暖かい。土曜日には雨だと言うが、それまでは大丈夫で、暖かいらしい。この情報は、洗濯ものを干していて、お隣さんと世間話をしていてもらった。明日は、DとSを連れて遊びに行くので、まことにもって有難い。そんな話も、お隣さんとしていた。今日は、それに備えて、自重の日。以前から、繁昌亭に行こうかと思ってた日だったけど、このプランが出てからは、あっさりと諦めていた。そんなで、今日の外出は、定番の日に2回のウォーキング時だけ。夕方のウォーキングでは、お正月に備えての買いだめのために、お酒が、リーズナブルに購入できるマートへ行きがてらのコースを選定。だいたい、野菜は高めのマートなのに、なぜか、ブロッコリーが安かったので、衝動買いをしてしまった。野菜の買いだめを、これを踏まえて、何にするか、考えることにしましょう。正月は、今のところ、2日に、大阪での落語会に行くことにしている。予約不要の会なので、あくまでも行けたらのつもりで、あとは、毎年のように、普段と変わらないものと思われます。元旦に、日本代表のマッチがあることが、ちょっとした異変ですね。朝から酒を呑んで、忘れてしまわないようにしましょう。
 午後の一時は、1月の旅行の下調べをしていた。ほぼ、外国には行かないで、国内の1泊にしようと思っている。当初は、国内にするなら2泊のつもりだったのだが、美術館巡りで、チェックが不十分だったようで、行っても観れないものがあることが判り、日を改めて、できれば2月中に、名古屋中心の旅行を考えるようになっている。だから、そちらの方も気になるので調べている内に、PCの前で寝落ち。家に居ても、こないなことしている。気が付いて、時間が勿体なく覚えて、「Oper Vision」が、ご無沙汰なんで、そちらでオペラを観ることにした。そしたら、思いがけず、いいものに当たった。フランドル歌劇場の「フィガロの結婚」(トム・ゴーセンス演出)をピックアップ。ここまで有名オペラが、このYoutubeチャンネルに入ってるってことは、何かがあると睨んだ。この勘が当たったようだ。1幕は、結婚する2人が、住居の用意をしている場面。どのプロダクションを観ても、さほど変化はない設えになってるのが多いと思う。だけど、このプロダクションは違った。部屋を表す大道具キットが、舞台上に倒したまま並んでいるなか、オペラは始まる。必要に応じて、上から追加のキットが下りて来たり、場面を表すために、横たわっているキットの1つを立ち上げ使うといったもの。かなり、台本に楽譜の読みかけがされており、それに合わせた動きがおもしろく、大変な才能を感じてしまった。レシタティーヴォでは、テキストの書き換えが試みられており、バルトロとマルチェリーナなどは、フラマン語でやりとりしてたんじゃないかな? 知らんけど。舞台周辺に、歌手を待機させる手も使っている。時々、観ることのある演出だけど、その位置にいる伯爵や、同夫人が、嚙んで来るときがあった。ケルビーノは、ぱっと見、女性。男だと表しているのは、短パンを履いてるのと、胸をさらしかなんかで巻いてることくらいで、ぱっと見は完全に女性にしている。まだ、30分程しか観てないけど、なんか、気になる演出だ。


2023年 12月 28日(木)午前 7時 00分

 昨日は、夜にお出かけを入れていた。ほぼ入れてないのだけど、京都でのトークショー的なものだったこともあり、また、続きものの1つだったこともありで、こういった予定を入れてみた。だから、昼過ぎまでは、全く、普段通り。昼前のウォーキングでは、いいお天気だったので、休憩がてらの読書もばっちり。中世の芸術家についての本を読了して、今は、フランスの観光地巡り的なものを呼んでいる。ちょっと、フランス趣味に走り、具合によっては、フランス革命や19世紀のフランスに関するものも読むことになるかもしれないが、あくまでも予想だけど。
 夜のお出かけ先は、ロームシアター京都の北ホール。地下のフリースペースを使ったトークショーだった。今回が最後という「芸能の在る処 ー伝統芸能入門講座ー」に行ってきた。これで、最終年の今年は、3回とも行けた。3年目にして初だった。今回は、「浪曲」がテーマで、真鍋昌賢(北九州市立大学文学部教授)と玉川奈々福というお二人を迎え、MC役の木ノ下祐一をまじえてのトークショーが行われた。いつも通り、まずは、学際的な立場から、真鍋さんからのお話がありで、その後は、3人でのトークが繰り広げられるもの。どういった層が来るのか、見当もつかなかったが、普段の浪曲の席に比べると、平均年齢が70を越すというわけではないというのが、特徴だった。真鍋さんのお話は、浪曲の公演の形態から。絵図とかを頼りに、その様子を手繰るというもの。「浮かれ節」という言い方で、初めは呼ばれていたのは、初めて知ったが、どうやら大道芸だったようで、大きな声を張り上げ、声の力で振り向かせる芸だったと考えられるそうだ。最古の史料は明治初期となっていた。大坂の落語が、見台&拍子木で振り向かせていたのと、始まりは同じだったよう。但し、時期的には遅いが。それが人気を博し、木戸の問題もありで、定席へと移行していく。その定席の写真が、幾つか残っているということで見せていただけた。落語の寄席の写真も観たことがあるが、それと同じだ。興味を惹くのは、舞台の様子。今の浪曲の舞台へと進化する様子が伺える。冒頭の絵図では、出引きだった曲師は出なくなった模様。そう言えば、曲師については、このトークでは、全く話題に上らなかった、後から考えると残念なことだ。最盛期と考えられる明治40年の大阪の寄席小屋配置が判っている。大阪のど真ん中より、周縁部の方に寄席は集中している。どの辺りの層に人気があったのかの想像ができる資料だ。それが、中心部へと進んでいくという姿だったよう。興業の形態にも触れられていた。浪曲の特徴は地方巡業。地方から都市へ、都市から地方へ、いや、地方から地方へと巡る人たちがいたことだ。これは。落語や講談という、他の寄席芸に看られなかったこと。人気が拡がっていくと、興業の第3の形態が生まれて来る。それが劇場への進出だ。桃中軒雲右衛門というスターが生まれたということもあるのでしょうね。大変な口演数を誇ったようだと、後のトークで話されていた。日文研に残り、公開されている音源を聴かせていただけた。公演の拡散のもう1つの要素は、お話では「複製」と呼ばれたレコード。その事例として、寿々木米若が取り上げられた。「佐渡情話」という有名なネタ、これが、この人のネタで、しかも、新作として創られたものだったこと、更に、新作テラーとして、「この人ほど多くの新作を録音した人はいない」と言われていたが、そないな人とは、このお話を聴くまでは、全く知らなかった。この人の演題帳やラジオへの出演記録が残っている。劇場での公演形態も、それで判る。また、戦時下になると、ラジオと演芸との関係も読める。時局から出番は減っている。替りに、地方巡業が増えたよう。この人、戦前には海外公演までやってる。浪曲人気の凄まじさを体感できる出来事だ。ネタも、戦争絡みのものと絡まないものを、場により使い分けていたようだ。絡まないものとして水戸黄門ものが上げられていた。ただ、この人、ケレンものは苦手だった模様。これも、覚えておこう。トークの中で触れられていた話題を、幾つかメモっておく。「場により口演の形は変えるもの」「巡業は、その勉強の格好の場」「客の反応も地域により異なる、九州の激しい反応がおもしろい」「そういった客の反応から、どのように芸能を聴いていたのか、受け入れられて来たのか、そういった角度から芸能を読み解く、歴史を読み解くという作業が欠けている」「(奈々福)声の芸として、デパートの店員さん、駅のアナウンスなどの独特のメロディーは、最早伝統芸、声の持つ力を追いかけてみたい」「永井荷風などの文化人は浪曲を嫌った(この辺の話、深堀りして欲しかったな、戦後の急激な衰退のコンテクストで出て来たんだけど)」。曲師の問題もそうだけど、ネタのことも触れられる機会がなかったのが惜しかったけれど、そこまで手が回らなかったということか。公演形態、研究の動向が話題の中心だったかな、それはそれで、おもしろかった。浪曲をテーマに、そういった話を聴ける機会ってないからね。木ノ下さんと奈々福さんは、旧知の間柄のようで、近く、2人のトークを動画配信すると言われていた。情報を逃さないようにしなければなりません。


2023年 12月 27日(水)午前 7時 24分

 昨日は、半日、京都文化博物館三昧だった日。映画を観て、博物館の展示を観たが、この展示が3つに分かれている。それを、全部、観たため、かなり腰に来てしまった。途中から、やばいと思ったので、じっくりは観て回ることは、諦め気味になったけど、もう1回、行く機会があるかもしれないので、そのときに補うことにしましょう。で、映画だけど、この博物館は、日本映画のアーカイブを持っており、それを、テーマを決めては、上映してくれている。現在のテーマは「〝異界へのまなざし展゛協賛企画/映画にみる怪異の世界」というもの。昨日は、1966年制作の「大魔神」が出たので、行ってみた。わりかし評判のいい映画だと思ってたので、観ておこうの気になったのだ。冒頭に、「制作:永田某」と出て、懐かしかった。出演者の中には、高田美和や藤巻潤といった知った名前があった、更に、もう1人、音楽は伊福部昭だったのには、驚いた。筋立てで驚くことのない映画。お家乗っ取りを図る悪家老と、父を殺され、身を隠さなければならなかった兄と妹、それを支える家来と叔母。その相克。父が殺されたときには子どもだった兄妹が成長してから、復讐に向かおうにも、多勢に無勢、逆に、潜んでいたのが見つかり、命まで奪われようとしたとき、妹の祈りが通じ、大魔神が動き出す。大魔神は、民が苦しいときに動き出すと信じられていたからだが、この大魔神、そういう設定なので、何に反応して動き出すのかと待ってたんだけど、なかなか動かない。最後になって、動いてくれた。その特撮が見どころ。合成で撮られているのだけど、これが、日本製では初、ないしは、初に近い作品らしい。やっぱ、その特撮を観る映画なんだね、これ。筋立てに期待しててはダメだったってこと、観てから判りました。この大魔神、自制力を与えられていないから、暴れて、悪人どもを退治してくれるのはいいけど、暴れ続けるという厄介なキャラになっていた。調べてみると、続編が制作されていました。特撮効果ということなんでしょう。大魔神のキャラは、変わるのだろうか? それは、ちょっと知りたいところだけど、どうでもいいやの気分もある。特撮の映画を、いろいろと観てきているので、今となっては、そういう書き方になっちゃうけど、当時はびっくりしたんだろうな。気にはなってた映画だから、いつかは観ただろうから、物足りなさは棚上げすることにしましょう。
 実際に観たした順とは異なる書き方になるけれど、メモのしやすい書き方をしておく。まずは、4階の「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」という展示から。ここの博物館、どうやら、この戦前から戦中期にかけての前衛絵画の専門家がおられるようで、その手の展覧会が、一定期間を置いて行われている。靉光の作品を、初めて観たのも、そのおかげで、この博物館だったしね。HPに、この展覧会の図録の紹介があったが、その著者の1人に、その方のお名前が出ていたので、納得。また、出展されている展示品に、やたら板橋区立美術館所蔵のものが多かったので気になったけれど、そちらも、この分野を専門とするキュレーターさんがおられることも判明した。その板橋区立美術館、更に三重県立美術館も併せて巡回するようだ。おかげで、この手の作品を、京都で、しかも、全国の美術館から集めた関連の作品を観ることができた。多くの知らない作家さんの作品が並んだが、冒頭には、その100年目のわけが紹介されていた。アンドレ・ブルトンという名を覚えておかねばなりません。この人が発端だったそうで、その影響が、あっという間に、日本にも波及した模様。東郷青児も、その先駆けの1人として、「超現実派の散歩」という作品が展示されていたが、京都の人間にとっては、東郷青児は、ずっと観てきた。旧の朝日会館の壁画がそうだったから。あれが、シュルレアリスムだったのかと納得。壁画と、タッチと言い、色合いと言い、馴染んで来たそれだった。そんな感慨に耽っていると、この壁画は2代目だったらしいということが判った。しかも、この朝日会館は、各種の展覧会が開かれたようだけど、ここを根拠に活動していた作家集団がシュルレアリスムの人たちであり、初代の壁画も、写真が展示されていたが、その作家集団で描いたものだったことも判った。東郷青児と並び、先駆者に上げられていたのが、古賀春江、阿部金剛、前田藤四郎といった人たち。後の方で知ったのだけど、作家さん以外の紹介者の1人に西脇順三郎がいるんだね。調べてみると、1920年代のイギリスに滞在してるんだね、そして、その時代の先駆的な芸術活動の紹介者だったとあった。「へぇ~」、新たな情報をもらえた。展示では、そういった文献資料も展示するというものでした。作家さんは、ほとんど知らない。北脇昇(独活)、小牧源太郎(民族系譜学)という名が出てくると、ホッとする。並んで、作家の名は失念していたが、見覚えのある今井憲一の「球体」もあった。でも、one of themという扱いだから、この3人に相当する作家群ということなんだろうと思い、眺めることに。この2人は「拡張するシュルレアリスム」のコーナーにあったが、その中で、別枠的な扱いを受けていたのが福沢一郎。渡仏した時期が、シュルレアリスム宣言が出た時期ということで、それを学んで帰って来た、だから、直輸入的にシュルレアリスムを持ち帰って来たということとなる。「人」という作品が展示されていた。3人の人物が重なりながら、形を成しているようで成してないようでというもの。靉光の作品「眼のある風景」など3点があったのが、次のコーナー「シュルレアリスムの最盛期から弾圧まで」というコーナー。象徴的であったり、観る者の想像力を掻き立てるということもあるでしょうし、また、それを意図的にと捉えることもできそうな作品もあったでしょうから、作家が拘束されることで、萎縮が起こったこともあったよう。やがて、明確に弾圧を受ける。最後の一角に、「写真のシュルレアリスム」と「戦後のシュルレアリスム」というコーナーが並んでいた。岡本太郎の名があった。こちらは意外性はなかったが、驚いたのは、山下菊二の作品(新ニッポン物語)があったこと。厳しい戦争体験から、戦後、日本共産党に入党する作家で、反体制的な作品を残した人というキャリアは知ってるつもりだったけど、作風の分類としては、ここに入るというのは解ってなかった。勉強になりました。ざっと観て、描かれているものの形が取れると、いろいろと想像力を働かせることができるんだけど、それこそ靉光の「眼のある風景」のように、何やら塊があり、それが有機物なのか、でないのかも判らない塊に眼が付けられていると、もう、完全にお手上げ。想像力を働かせられそうなのも、時間が要るね。個々を、そうやって楽しんでると、腰がたまったものではない。時間を要する作品が並んだので、何度か、足を運ぶ必要がありますね。ピンポイントで絞って、楽しみに行くというのが、いい手かもしれないなと思い、ギャラリートークがある日や、関連企画のある日にも、再度、足を運んでみようかの気になっています。
 2階では、関連展示として「シュルレアリスムと京都」という展示があった。数は少なかったが、ここにありました、北脇昇の「眠られぬ夜のために」が。この幻想的な作品、京セラ美術館の所蔵だから、展示されるのじゃないかと、4階で探してたんだけど、なかったのが、こちらの冒頭に置かれていて、ホッとした。並んで、小牧源太郎の「民族病理学(祈り)」が並ぶ。小牧源太郎は、弾圧時期に、仏画を描くようになるんだけど、それも、きっちり、こちらには展示されていました。「木の葉佛」などがそれ。上で馴染みがると思った今井憲一もあった。「原生林」という枯れた杭のようなものが林立する作品。らしい、らしい、シュルレアリスムに。伊藤久三郎という作家さんも、おもしろかった。「山」という作品、おもしろかった。あの噴火口を持った山の連なり、そのラインの湾曲が意味するところは、、、わりかし、想像力を逞しくしやすい作品が「京都」では並んでた。残念ながら、数は少なかったが。
 3階では、「異界へのまなざし あやかしと魔よけの世界」という、これまた、雰囲気は違うけど、おもしろそうな展示。こちらは、映画の前と4階から降りてきたときと、2回に分けての鑑賞。江戸時代の絵巻で、鬼だの何だのと異界のものたちを描いたものが見せますね。噂には聞いていた「繪卷物長谷雄卿逢羅城門鬼神之圖」と初遭遇。けったいな話です。これもそうだけど、文化博物館と同じ府立だということで、この展示は、多くは歴彩館所蔵のものが並ぶ。著名な作家さんの異界ものも並んでいた。河鍋暁斎の刑場の図は、かなりグロテスク。鈴木松年の幽霊画、伊藤小坡ものがあったりと、そういった知った名が出てくると、嬉しくなる。描かれている素材は、お約束の頼光絡みのものが出てきますな。「百鬼夜行」というモチーフ、付喪神のモチーフ、閻魔大王図と定番ものが並ぶ。後半は、絵画作品よりか、民俗資料の展示中心で、呪具や護符といったもの、魔除けの方法を記した文献史料が並んでました。さすが、歴彩館所蔵ものが並ぶと、国宝「東寺百合文書」も出ていた上に、重要文化財の「京都行政文書」からは、魔除けなるものは迷信と告知する文書も出ていた。それで、この展示も終息するわけですね。おまけとして、アニメ作品までカバー。ここも、再訪問しなきゃならない。盛りだくさん過ぎです、今の京都文化博物館!


2023年 12月 25日(月)午後 9時 47分

 世間的には、今年最後の1週間になったけれど、自分には、いつもと変わらない月曜日。1つだけ違うのは、月曜日の夜のお楽しみ、米朝事務所チャンネルの生配信がないこと。今日は、Youtubeでの配信ではなく、有料で観客を入れてのトークが行われたはず。配信はあっても、有料なので我慢。大阪まで映画を観に行こうかと思ったけれど、今週は、他にも大阪へ行く予定が入っているので、止めた。結局、お出かけなしの一日。今日は、お天気も良く、また、風もなかったので、寒いにせよ、一昨日のようなことはなかった。おかげで、昼前のウォーキングでは、小1時間、休憩がてら立ち寄った公園で読書していた。あと少しで読み終わるということもあり、いい心持ちで読了。
 そんなで、午後の一時は、昨日のマッチのダイジェスト版を観たりしていたが、主としてやったのは、ペンテコステ辺りのドイツの歌劇場のプログラムのチェック。オペラ紀行再開するのかと自問自答しながらも、とりあえずは、調べるだけでも楽しいと思いながらの作業。めっちゃ、肩がこる作業だけど、情報を掴むのは楽しい。以前ほどには、詳細なチェックをしてないが、演目と演出家、大歌劇場になると、歌手のチェックもしている。来年のペンテコステは5月19日だから、GW明けから6月一杯を、チェックの対象にしている。発端は、何気なく、先日、ベルリン国立歌劇場のラインナップに目を通したとき、「ホヴァンシチーナ」が出ることに気が付いたからだ。だから、ベルリンから始めて、その周辺からチェック。コロナ禍で、上演数が減ったり、わりと有名な作品が並んだりする傾向が出ていたが、まだ、それを引きずってるかなという印象を、今のところ持っている。そんななか、関心を引いたのは、「ムチェンスク郡のマクベス夫人」が目に付いた。ライプチヒとハンブルクで出る。ハンブルクなどは、タイトルロールにヴェストブルックを据えている。これは、ツボです。観たいなぁ。似た時期なので、両方とも観れたらいいなと、妄想を抱いている。演目的にそそられているのが、デッサウで「小鳥たち」が出ること。これ、年末のオペレッタとして出したんじゃないかな、黄紺が調べてる時期には、僅か1回だけしか出ない。これを中心に予定を組まなきゃならないと、妄想が膨らむ。デッサウという町での上演が嬉しいから、余計に妄想が広がるのだ。デッサウは行ったことがない。コロナ禍でキャンセルしたオペラ紀行には入っていた。町に行きたいので、ちょっと無理筋的に突っ込んだ記憶がある。というのも、ここには、バウハウスの博物館があるのだ。ワイマールとベルリンには行っているので、残るデッサウに行けば、コンプリートなのだ。だから行きたい町の上に、あろうことか「小鳥たち」が出るなんて、夢のような展開。ま、こんなことを考えるだけでも楽しい。1月に、ちょろっと考えてた台湾や香港はつぶれみたいだから、その替りにいいかなと、合理化はできるんだけどね。東南アジアへ行くための航空券代を考えると、ドイツまで行くのを、フランクフルトへのイン&アウトにすれば、割安感があるしね。なかなか、おもしろいんじゃないのと思い始めたのが、何気にベルリンを調べたのがきっかけだった。可能性は低いかもしれないけど、ゼロではないなの気があるので、年末年始は出かける機会も減るので、遊んでみるかの気分です。


2023年 12月 25日(月)午前 6時 17分

 昨日は、今年最後の日曜日。若干、寒さが和らいだよう。風が、ましになっただけで、気温は変わってないだけかもしれないが、一昨日とは、かなり違った。朝からは、日曜日のお楽しみ、「日曜美術館」。昨日のお題は「まなざしのヒント キュビスム」。最近、この番組で出てくる、美術館で、お題に関わる絵を観ながらの講義という形式が、今回も行われた。国立西洋美術館で「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」という展覧会が行われているのに合わせた企画だ。この展覧会が、京都にも来るというのは、以前から把握済みだったので、まことに好都合な企画、紹介された作品をメモっておく。「第1講(キュビズムを知る的な内容)」①パブロ・ピカソ/肘掛け椅子に座る女性(西洋絵画の歴史に挑戦、「モナリザ」との共通性としてリアリティの追求が看られる、但し、写真のような写実性ではない、「多数の視点」から観た、分解するようにして再構成、こちらの方がリアル? なぜ、キュービック? 色彩も抑え、形の単純化も行い、視点の多様さを押さえる、小野さんが文学との相似性〈ヴァ―ニア・ウルフなど〉を言われていた、両者は同時代)②ジョルジュ・ブラック/レスタックの高架橋(キュービズムの語源となった作品)③ジョルジュ・ブラック/円卓(脚が幾つかある=視点の多様性)④ジョルジュ・ブラック/ギターを持つ男(コラージュっぽい、表面がざらついている〈木くず?〉=材質の追求、多視点(視覚の冒険)だけではなく、現実性を恢復〈触覚の冒険〉を試みている、それにより、いろんな感情も同時に描くことができる)、「第2講(キュビズムにつながる)」⑤パブロ・ピカソ/女性の胸像(キュビズム直前の作品、①の3年前で予兆が看ることができる=肩回りが多面的)⑥ポール・ゴーガン/海辺に立つブルターニュの少女たち(平面的)⑦ポール・セザンヌ/ラム酒の瓶のある静物(あるようでないような奥行き、番組では指摘がなかったけれど、これ、描かれている素材により、視点を変えてるという作品じゃないのかなぁ?)⑧制作者不詳/ダンの戦闘用の仮面(コートジボワール)(⑤の女の鼻が似ている、プリミティブ・アートを取り入れているということか)(キュビズムの講義、、、、背景に対する拘りがない、絵でしかできない表現、平面性、幾何学的造形、幾何学的に単純化しているのがセザンヌ、ゴーギャンは、色面による構成を行い、私の中の野生を描きたい、異文化を取り入れたい=野生を取り入れたい、万博で展示されることで異文化の流入、それに目を付けた、目の色合い=感情の多様性、呪術的)、「第3講(キュビズムから現代アートへの影響)」⑨ロベール・ドローネー/パリ市(三美神のモチーフが使われ、具象的なモチーフを描きこんでいる、色彩が豊かになっている、それにより時の流れを表している?)、「第4講(ゲストらが好きな作品を選ぶ)」⑩ジャック・ヴィヨン/行進する兵士たち(1913)⑪レオポルド・シュルヴァージュ/エッティンゲン男爵夫人⑫コンスタンティン・ブランクーシ/接吻。こういった形式の番組を観ても、キュビズムの難解さは、変わらないな。かなり、想像力を逞しくしないとついていけないなということを教えてもらったようだった。
 午後は、京都府立文化芸術会館であった「おもしろハッピー落語会 in 京都」。先日のびわ湖ホールのこともあり、開場前に会場に着いたんだけど、入口前には、大変な人だかり。完売だった。それも、補助席の出た完全なる完売だった。これには、さすがに驚いた。今年は、二葉独演会が、京都ではなかったので、ここに集中したのかもしれない。雀太も、新たな戴冠で話題になったけれど、その落語会があった頃まで、チケットは残ってたんだろうか? 知る由もないが、とにかく、こないなことになってるとは、会場入りするまでは知らなかったので、とにかく驚いた。その番組は、次のようなものだった。全員+岡野鏡「トーク」、雀太「代書」、源太「不動坊」、(中入り)、九ノ一「天災」、二葉「佐々木裁き」。「トーク」では、岡野鏡ちゃんも舞台に上がり、しかも、センター。普段座らない、高座用の座布団に座るということでのものらしい。ここでは、出囃子演奏サービスが付いた。華紋、仁智、米朝の順で、演奏された。出番は、めくりを見て、客は知るというもの。いきなり、雀太が出てきて、びっくり。でも、さっさとネタに入って降りるわけにもいかず、たっぷりめのマクラ、いや、たっぷり過ぎた。おや、危ないゾーンに入りつつあるのかと思ったほどだったけど、途中、時計を見て、何やら言ったので、大丈夫だとは思ったけど、ちょっと心配。これだけ喋るんやったら、トップはあかんでしょう、少なくとも。しかも「代書」は、半ばで切り上げた。やっぱ、ゾーンに入ってしまってるかな? そんなだから、源太が喋り始めると、やたら青く看えてしまった。しかもネタが「不動坊」、長い、「これは、きついぞ」と思ったからか、早々に居眠り。もっと違った環境で、聴き直さないと、源太のイメージが沈んだままになってしまう。この後、中入りもあり、しかも、九ノ一がめっちゃはじけたお喋りだったため、ここで、雀太色が払拭できた。そして、今の最高の「天災」じゃないかと思わせられる、ど迫力の「天災」だった。もろにざこば色のものだけど、完全に自分のものにしている。ネタに入る前に、「これからやるネタ、引かれるんです」、この一言、効いたなぁ。だから、冒頭のぼこぼこにする場面、道行で暴力を振るう場面が、冴えわたる。完全に、九ノ一ペースにはまりきった高座、しかも、後で出てくる二葉ネタも織り込むという業師ぶり、これは、凄かった! トリは二葉だろうと思ってたら、その通りだった。やっぱ、京都は、二葉にとってはホームだからね。二葉が上がったところで、もう2時間が経っていたから、それを、冒頭で触れ、マクラは短めにして、ネタへ、これは、仕方がない。二葉をトリにする配慮を持ちながら、喋り過ぎの雀太、やっぱと、ここでも思ってしまった。ネタは、久しぶりに聴いた「佐々木裁き」だった。二葉を只者ではないと思うきっかけの1つが、このネタだった。冒頭の飛び道具が冴えたというよりは、貫禄まで感じさせるようになっている、しっかりとしたお喋り、落ち着いたお喋りに、今回は圧倒された。ますます、大きくなっていっています。


2023年 12月 24日(日)午前 5時 21分

 昨日は、午後に、市民向け公開講演会を聴きに行った日。一昨日と違い、昨日は、それ単独。もう、出かけるだけでも勇気がいるほどの寒さ。完全に、どこかで雪を降らしてきた冷たい風が吹いている。そんなだから、真冬の格好になっている。12月中は、その恰好してなかったよ、去年は。韓国に行くというので、真冬の格好を用意したというのを、よく覚えている。なんせ、韓国の冬は寒いと思っているので、日本だと、まだ、こないな恰好しなくていいのにと思い、正月明けに出かけたのだった。Dと一緒に行ったってこともあるけど、真冬の格好をして行って損したと思うほど、暖かだったので、覚えているのだ。あれから1年。早いわ。
 昨日の講演会は、京都駅前のキャンパスプラザ京都であった「大学リレー講座」。京都の大学が、毎回交替をして、市民に講演会を提供するというもの。毎年、出かけているが、今年は、行きたいと思う講座があっても、スケジュールが合わず、今年度は、今回の1回きりになってしまいそうです。昨日は、同志社女子大学の担当で、同大学現代社会学部教授の天野太郎さんのお話を聴くことができた。お題は、「京都南郊に向けられた観光のまなざし」。このお題だけでは、講演内容の枠がどこにあるのか、いまいち判らなかったが、専門が地理の方でした。それが判ると、期待は、自ずと膨らむと同時に、お話が進むに従い、そのちょっと先が読めるようになるとともに、どのような展開になるか、楽しみながら聴くことができ、大正解の講演だったと思いました。ネタ振りがいっぱい用意されており、それだけ聴いてもおもしろい話なんだけど、ネタ振りであるということは、本丸があるわけで、そこへ導く下準備を用意されて展開されていくというものでした。冒頭で、「地図というものは、、、」で、具体的に「戦時改描」を取り上げられた。そういったタームは知らなかったけれど、具体的内容は、あっさりと首肯できるもの。その例として取り上げられたのが、深草練兵場の地図、「軍都深草」なんて言い方もあるほど、伏見は、かつて軍隊の町だった。中書島などの色街も、それに含んで語る講演も聴いたことがあるから、単に、深草地区でない。その深草地域の軍施設が地図に描かれていない、描いたものと比較して見せていただけたが、「改描」なわけで、地図というものは、それを作る者の意図で、何とでもなる主観的なものということを示されていた。だから、上手く地図を使えば、観光にも寄与すると、このあとのトピックに繋がるものです。次に、「観光」というタームや概念話があったが、それはいいとして、おもしろかったのは、日本の旅行雑誌とロンプラを比較。画像資料満載なのが日本で、ロンプラはそうじゃない、確かに。このやり方は、「都名所図会」の時代からで、これも、納得。江戸時代には、多くのガイドブックが出たというけど、画像中心で、それに言葉が添えられているというパターンだ。また、江戸時代の「名所」として取り上げられているのは場所は、今とは基準が違い、歌枕の場所になっている。このように、取り上げられるところと、そうじゃないところという区分けがあり、これは、近代に入っても、受け継がれていく。違うのは、好み、関心の基準が変わるだけ。吉田初三郎の鳥瞰図が、事例として取り上げられていた。確かに、南部地域は描かれてはいても、圧縮されている。位置関係も簡略化されている。巨椋池の北端辺りまで描かれていれば御の字という印象。ここでも「改描」に似たことが行われているというわけだ。この辺りから、目を宇治、その界隈の南部地域に、徐々に引っ張って行かれる。宇治川の両岸の扱いも、今と違う。平等院なんかがある左岸より右岸の扱いが大きいのだ。地図に地名が書き込まれるか、そうでないかという点でも、彼我の違いは大きい。時代が下っていくと、鉄道が出てくる。それが出て来ることで、「郊外」へ向けられる観光の眼差しに変化が出てくる。具体的に、京田辺や宇治の扱いの変化についてのお話だ。鉄道会社が「郊外」に作り出す住宅(相川が、田園調布などに先駆ける放射状街路となる)、学校ができると、それも観光の対象になる。そういった鉄道の効果を活用して、観光の戦略が練られていく。具体的に京阪電車の戦略が語られました。宇治は、かつて、嵐山と並べて売り出されていた。今の阪急電車は、かつては新京阪と呼ばれ、京阪電車と同列の電鉄会社だったから、こういったことが可能だった。また、宇治の売り方も、おとぎ電車や宇治川ラインというものを辿りながら、京都から大津を周回するプランだった。これは、薄っすらと記憶にあるね。香里園に娯楽施設があり、菊人形も、枚方だけではなく、宇治でもあった。そういった具体例は出なかったが、電鉄会社は、乗客確保&増大を考え、様々な戦略を打って出る。そういった意図的なことを、現在の社会にも実現できないか、その試みを伝えるのが、この講演の最大の眼目と看ました。コロナ禍も過ぎ、インバウンドも戻りつつある。コロナ禍前のオーヴァー・ツーリズムが復活しつつある今日この頃。南部の活性化と併せて、このオーヴァー・ツーリズムに目を向けることはできないのか、そこに、京都南部の食い込む可能性を看ることができるというお話、とっても、説得力がありました。その具体例を、大学で教えてられる学生さんが発表してくれた。南部地域の地図に、観光スポットを描きこむ、ただ、それは、史跡だけではなく、スイーツの店なんかも入っている。そのポイントの傍らに、QRコードを仕込んでおく。すると、tiktokの画面が立ち上がり、映像で、そのスポットを観ることができるという仕掛けだ。これが、新たな地図の使い方の提案だ。それに、南部地域を噛まして行こうというのだが、オーヴァーツーリズム問題の解決にも繋がるという。というのは、その問題の解決策は2つ。「時間的拡散」と「地域的拡散」。前者については、京都の場合、かなり上手く行っているという。11月に集中していた観光客を、他の月に拡散できている現状があると言われていた。閑散月の7倍から2倍へと変わったと言います。京都は、紅葉の季節だけじゃないよキャンペーンの結果なんだろうけど、そのため、年がら年中、観光客がごった返すようになった現実があるのだけど、ま、それは置いておいて、後者ができていないということで、具体的な提案を示すというのが、この講演の骨子だった。聴きながら、「でもね」と呟いてしまった。これって、クラクフに行ったときに考えてしまったことなんだけど、凄い、観光客の流れだった。オンシーズンとは言えない時期、オペラ紀行の中で行っているので、そないな時期だったけど、駅方向からマルクト広場への凄まじい人の流れを見て、京都を思い出した。そのとき思ったのは、クラクフは、マルクト広場なんて広いスペースがあるから、そこへ導けばいいけど、京都には、そんな場所がないから、ごちゃごちゃの無茶苦茶になり、うんざり度が上がると思った。街の構造自体が、オーヴァーツーリズムを、一層、困った事態を引き起こしてしまってる。ようやく、四条通の歩道を拡張したけど、その発想、もっと昔からできなかったのだろうかと思ってしまった。市電廃止じゃなくて、車を外に出す、ヨーロッパ的な発想できなかったツケが回ってきてるように思ってしまうと、お手上げだと暗くなるばかりだったが、昨日の講演は、ちょっとだけ、光を当ててくれたかな、そういった意味でも興味のあるお話でした。
 この講演会場からの帰りは、いつも、ウォーキングを兼ねて徒歩移動。寒かったけれど、それでも、1時間以上のウォーキングを続けていると、帰宅をする頃になると、かなり身体に温もりが出てきていた。終盤は、寒さを忘れることができたほど。マートにも寄ったこともあり、帰宅して、洗濯ものを取り込むと、ほとんど午後6時という時間になってました。


2023年 12月 23日(土)午前 6時 41分

 連続的な変化に富んだお出かけ、昨日は、朝から出かけて、そして、ハシゴ。金曜日に朝からと言えば、アスニー京都での市民向け公開講演会、そこから、午後は、堂本印象美術館へ。その間は、ウォーキングを兼ねて、徒歩での移動。途中、白梅町近くで、韓国料理店で昼食。これは、来春の巡検時の昼食場所と想定しての下見と考えてのもの。今年は、祇園界隈散策というのが、巡検のテーマだったので、じゃ、その続きをやろうじゃないかというアイデア。そこで、その近くで、手ごろな食事場所はないかとググると、あったのだった。他に、良さげなところがあるのだけど、そこは、前を通ると、いつも混んでるものだから、そんなにも混んでないで、5~6人が座れるところ、これが目標だった。すると、そういったニーズにドンピシャの店だった。ランチメニューには、幾種類かのスンドゥブチゲが並んでいた。オリジナルっぽいものを考えるのが好きな店らしく、幾種類かの、そういうものだった。黄紺は、その中から、チーズチキン・スンドゥブチゲを食べてみた。生卵付きで、割って入れてみると、ドロドロになったけれど、辛さが、卵とチーズで、えらくマイルドさが出て美味かった。パンチャンが、めっちゃ豊富。チヂミやチャプチェまであった。メニューの中には、「チュクミ」と並んで「チュセウ」「チュサム」なんてのがあったので、「?」が点った。「セウ」だからエビ、「サム」はサムギョクプサルなんだろうとは想像できるが、「チュセウ」「チュサム」なんて言葉、聞いたことがないので、店の人に尋ねた。「造語」ですと、あっさりと回答。「チュクミを出すときの要領で、エビとサムギョクプサルを出すということ?」と尋ねると、当たりだった。他にも、「やかん入りのマッコリ」があったのにも、びっくり。そんな一昔前の韓国色のもの、そそられる人、いるよ。当然、サイダーと混ぜたマッコリが出て来るものと判断してるのですが。
 元に戻り、アスニー京都での講演をメモっておく。12月は人権月間だからでしょうね、「アテルイと田村麻呂は後世にどう伝承されたか-異文化への日本の視座-」というお題で、大手前大学非常勤講師&(公財)世界人権問題研究センター研究員の菅澤庸子さんのお話を聴くことができた。アテルイとは、坂上田村麻呂率いる朝廷軍に敗れ、処刑されたと記録が残る蝦夷のリーダー。まずは、冒頭、この2人のイメージとして思い浮かぶ顔立ちを描くという作業が求められた。「蛮人」と「正義の男」のイメージの確認だ。その大元は、勝った者の視座で、歴史上の事実が伝えられて来ているという、お話の筋立てが見えてくる。本題に入られると、まず、蝦夷についてから。古代日本の支配下に入ってない「東」「北」の人たちのこと。実際の民族的規定ではない「疑似民族集団」と、政治的に規定されたものという定義づけ。その背後にある、中国から入ってきた中華思想。次いで、トピックは絞られ、「38年戦争」という言い方は、初遭遇、蝦夷との戦いを、そのように呼ぶそうだ。その中心期が桓武の時代となる。その時期の勢力分布、及び、簡単な戦争の歴史を地図で示された。多賀城は知っていたが、更に、最前線として上げられた「胆沢」は初耳。ここにアテルイがいたそうだ。それを「征討」する、それは「正しく直してあげる」という意味、ここにも中華思想が看える。敗戦のおり、アテルイらは投降したそうで、当時の常として、投降した者は、その後、生かしておき、統治の手先に使うものだったそうで、坂上田村麻呂も、そのように進言しているそうだが、公卿らの反対に遭い、アテルイらは処刑されたそうだ。その処刑された場が「河内国杜山」と記録があるそうで、従来、枚方だとされていたのが、近年、「杜」が「牡」の書き間違いで、「牡」は「男」に通じるということで、「男山」という説が有力になっているそうだ。川向うには、山崎津があり、人寄り場所だというのも、大きな根拠だとか。その後のご両人の捉え方へと、お話は展開。蝦夷とアテルイは、「悪鬼」「異人」「群盗」として、「追い払われる存在」へとなり、一方の坂上田村麻呂は、「都の守護神」「毘沙門天の化身」となっていく。謡曲「田村」も引き合いに出されていました。その後のお話が、菅澤さんらしいところだったんじゃないかな。現代では、どのように伝えられているか、人権問題の進展とシンクロしているというお話にそそられた。学習漫画に観る2人の描き方、それが、1998年だったかな、その辺りを境に変化をしていく。「世界人権問題研究センター」も、平安京遷都1200年を契機にして生まれたと言われていました。かつての「胆沢」では、コロナ禍前には、アテルイをてこに、町おこしが行われていたと言われていました。勝者の歴史だけを見て行くのはどうかとの考えからだそうだ。そういった流れは、歴史学の世界にも、現在、京都学のように、地方に軸を置いた歴史の見方が出ているが、その原点は「東北学」だったそうだ。最後は、そういったことを踏まえて、豊かな視点を持つこと大事さを言われて、お話は終わりました。
 堂本印象美術館では、「若き日のロマン、大正時代の印象さん」という展覧会が行われているので行ってきた。堂本印象、20歳前後からの年月、言い換えると、画学生として過ごした頃から、川島織物に入社して、デザインを担当、そこから、一念発起して絵を描き始めて世に出るという時期に相当する、若い時代の作品が並びました。作品の特徴を観ると、解説文の助けも借りながらもあったけれど、黄紺にも、あっさりと解るものがあった。まず、道頓堀界隈の風景、街とともに、そこで働く人々を描いたものが並ぶ。そういった素材を描いたのは、秦テルヲの影響だそうだ。斜めに切られた道頓堀川を描いた作品が、とっても印象的。美人画も描いている。結構多いのは遊女。瞳が大きく、明らかに竹久夢二の影響を受けている。それだけ、夢二人気があったってことか。そういった画風が、同じ美人画を描いても、少し時間が経つと消えていく。この辺りで、板倉星光と親交があったそうで、唯一、堂本印象以外の作品が展示されていた。京都市学校歴史博物館所蔵の「わらべ」という作品。既視感があると思ったら、板倉作品でした。2人の子どものあどけなさが、周りの空気も和らげているものだから、ようく覚えていました。独自性を放ち出したかと看えた印象の美人画の中の2点、あれれ、この女性たちの顔つき、着物の色合い、背景の暗めの色使い、どこかで観たぞと思えた。あっさりと、岡本神草の名が思い浮かぶ。甲斐荘楠音にも通じるもの。堂本印象も加え、同時期に美術学校で学んでいるんだね、解説文には岡本神草の名しか書かれてなかったけれど。そうやって、周りの人たちと切磋琢磨、影響を受けながら大きくなっていったことを跡付けることができる微笑ましい展覧会。川島織物時代は、給料は、全額、家族への仕送りだったそうで、一家の柱としての役割を果たしていた堂本印象、自分の生活費は、木偶を作って稼いでいたそうだ。その木偶、売り物だから、世間に散逸したのだけど、その内の1つ、「羽衣」だったと思うけど、能の装束を着けた女体のモデルにされたと知った芸妓が、その後、回収に努め、塊として残ったとかで、それも展示されていました。これも、若かりし頃の遺産。能や歌舞伎といった古典に取材したものが目に付いたけれど、底知れぬ才能といった印象を受けてしまいました。第2展示室では、「第4回京都工芸美術作家展」という小さな展覧会もあった。キャリアを記した解説文を読むと、いずれも、大変なキャリアの方ばかり。その中で、染織作品に惹かれてしまいました。羽田登ものは、伝統的な繊細な色使いに惹かれ、中井貞次ものは、大胆な意匠に惹かれてしまってました。特に、後者の「旅の時空に -南仏プロヴァンスにて-」は、重層構造になった建物の描き方が面白く、南仏の明るい陽射しそのものを、そういった構成で表しているのかなと、勝手な想像をしてました。


2023年 12月 21日(木)午後 10時 7分

 今日は、午後にびわ湖ホールでオペラを観た日。今年最後のオペラだった。そのお出かけがあったものだから、午前中は、少し早めに出かけて、7000歩程度のウォーキング。少なめにしたつもりだったけれど、帰ってきて、意外と多かったので、オペラの途中、寝こまないか心配だったが、今日は大丈夫だった。でも、びわ湖ホールへのお出かけで躓いた。電車の遅れだ。1台前までは、平常通り動いてたようだったので、後悔した。どっちか迷ったんだよね。でも、開演40分も前に会場に着くのは早すぎだろうと、後の方を選んだのを後悔した。いつも、この時間帯だと、早い方の電車に乗り、開場を待つというのが定番だったのに、今日に限って、違うことをしてしまったのを後悔した。でも、不幸中の幸い、電車は12分遅れで出発した。乗り換えが、上手く行ったからか、到着時刻は、5分も遅れてなかった。そんなでホッとしたことを、よく覚えておくことにしましょう。余裕を見過ぎるというのも大事だということを。
 今日のびわ湖ホールは、同ホールのアンサンブル中心でキャストが組まれたオペラ公演。10年ぶりくらいに「天国と地獄」が出た。台本・演出は岩田達宗と、前回の公演とは違っていたので楽しみにしていた。そのキャストなどをメモっておく。オルフェ:有本康人、ユリディス:山岸裕梨、字幕:藤居知佳子、プルトン/アリステ:奥本凱哉、ジュピター:市川敏雅、キューピッド:森季子、ダイアナ:佐々木真衣、ヴィーナス:船越亜弥、マルス:西田昂平、メルキュール迎肇聡、ジュノン:黒田恵美、ハンス・スティックス:島影聖人。そして、オケが、大川修司指揮の大阪交響楽団でした。総体として、とにかく、若い歌手の皆さんのポップな動きが良く、それを見越したかのように、楽しみながら稽古をつけている演出家の姿が見えてきそうな、いい感じの舞台でした。ホント、若いっていうの、いいなと思わせられた切れのある動き、いい感じのリズム、でした。特に、天国の場面、神々が集う場ですが、大勢の歌手陣が揃わねばならない。群像劇にならねばならない場面です。全員を、有機的に動かし、場の雰囲気を作り上げることができるかというのは、演出家の腕の見せどころであり、客の立ち場からすると、演出家の腕を測る格好の場面となります。それこそ、スター演出家と言われる、ペーター・コンヴィチュニーにせよ、フィリップ・シュトルツェルにせよ、この群像劇の演出が抜きんでているものだ。それに見合う、立派なものだったな。歌手陣の自発性のようなものも感じさせるものもありで、言うことなし。オルフェ家と地獄は、ごみ袋状の塊を、幾つも置いた簡潔なもの。家内のゴミやソファを表していたと思います。特異だったのは、天国が病院になってた点と、地獄での露悪趣味的な衣装とキャラ付け。「天国の神々」、言い換えるとオリンポス山にいる神々を表すのに、病院という設定。宗教自体が病んでると看えました。悪を代弁するかのような「地獄」は、ユリディスが軟禁状態になっています。もう、それだけで、女の自由を奪う男性社会が看えます。そこへ現れるのが、ユリディスを監視するハンス・スティックスが「おかま」。デフォルメした女装で、関係の物言い、言葉が連発されます。それを見たユリディスが「おかま」と言い、今や、それだけで、差別的と言われかねない言葉を発します。それを聞いたハンス・スティックスは、「ジェンダーフリーの世の中なのに、何てこと言うの」と呟きます。だから、これで、演出家は、解って使わせていることが判ります。露悪的に見せてるのです。そういった言葉が行き交う世界、それが「地獄」ということなんでしょうね。それと対峙するはずの「天国」は病院では、二項対立にならない。そか、それの相対化の試みなんだと、ようやく、帰宅後に解りました。だから、開演前、恒例となっている演出家のトークで、岩田さん、「ヨーロッパって、ギリシアとキリスト教が混ざり合っている」と言っていた。そういった宗教で解明される社会、そういったコードを持ち込まないで解明される社会、これも「二項対立」。このオペラが闊歩した時代と、ニーチェの登場が、そうは離れてないことも、想定してるんだろうね。となると、ここにも「二項対立」を設えることができる。それらの相対化を提案するコンセプトと看たのだけど、どうだろうか? でも、こういったことにイマジネーションを働かされてしまうプロダクションであることは、いいもの観たってことでしょうね。そんなで、頗る付きのいいもの観たと思ったもので、この公演を、あろうことかスルーしてしまった福井の友人に、簡単なレポートを送っておきました。「まだ、3公演、残ってるぞ」と書いて。


2023年 12月 20日(水)午後 8時 10分

 予定では、今日から週末にかけ、5日連続でのお出かけ。上手い具合に、彩も良く、予定が並んだものだ。今日は、水曜日で、朝からのお出かけとなると、定番のアスニー山科へ。今年最後の市民向け公開講演会があった日だった。今日は、前回に続き、昨年度までアスニー山科の専門主事だった田井茂美さんによるお話があり、お題は「龍の話~実在しない唯一の干支~」というものでした。ところがだ、前回同様、前半の似た時間帯にダウン。お話の筋立てのおおよそは解れども、肝心の個々のレポートが入ってないものだから、結局は、穴ぼこだらけの理解となってしまいました。まずは、龍の起源を中国の史書に辿るというお話。龍は河や水の神であるとともに、治水に、その権力基盤を看ることのできる王権のシンボルであったという規定は、黄紺でも解るベーシックな情報だが、それが、河南省西水坡遺跡で確認できるということだから、黄河文明の昔にまで遡れるということのようだ。更に、そこでは、「龍虎」のモチーフまであったと言ってられた。その後の春秋時代、漢代と、龍の出てくる史料を紹介されていく。文字も、「竜」の方が「龍」より古いそうだ。その後、インドからオリエント、ヨーロッパへと、世界各地で出てくる龍の跡を紹介された。この部分で寝落ちしていたので、まあ、筋立ては解るというのだ。ただ、この中で、当然、聖ゲオルギウス(ジョージ)のトピックが出るはず、レジュメにも書いてあった。どういった言い方になるのか聞きたかったポイントだったけど、ダメでした。舞台は日本に移り、古代遺跡から出雲に話が跳んだ。出雲大社に龍絡みのモチーフがあるようなのだ。謡「大社」の詞章の中にも、それを表す字句が入っているとか。より具体的に取り上げられたのが室生寺と祇園祭。室生寺の奥の院はともかくも、祇園祭関係は、田井さんお得意の渡来人の文化が絡んできているので、今日のお話の中では、一番、気になった。ここでは、覚醒していたことも助かった。祇園祭は、疫病退散を願い、催されたことに起源を求める話は、黄紺も知るところだ。そこを深堀していくと、水の問題が絡んでくる。水が疫病拡散の源になることが考えられ、それも、暴れ川だった鴨川の氾濫が災禍をもたらしたことが想定されるということで、疫病退散は、雨の具合と関連してくるというのだ。河川の管理と言えば秦氏、なかでも有名な秦河勝の名は、正に治水の上手を示している。河勝は、別名広隆、ここから広隆寺という説もあるとか。一方、水神への祈願が行われるとなると、龍への祈願となる。龍の好物が馬だそうで、龍神に願いをするときには、馬を捧げるそうだ。ただ、止雨の願いのときは「黒馬」で、雨ごいのときは「白馬」だったそうだ。「白馬」は「青馬」に通じ、色の違いは空の色を表していると考えられると言われていた。最後に、畿内各所の龍絡みの神社を紹介されていた。白髭神宮、貴船神社(「きふね」と濁りを使わない言い方をするのは、水の神には濁りは合わないということから)、八坂神社、石山寺などを上げられていた。各々「龍穴」というものが、どこかに存しているらしい。まとめで、龍は、巨大ワニがモデルではないかと言われていた。となると、お題は間違いで、龍は存在したということになるらしい。おもしろいのは、日本の各所に龍に関わる物語が残っていながら、中国には多くある元号に龍の使用例がないこと、天皇の象徴として龍が使われる例も少ないと、日中の違いはどこからかという問題を検討されていた。繰り返された王朝交代、多くの民族の興隆といったことが、シンボライズされたものを求めたのかもと言われていました。残念だったのは、やはり聴き逃した部分。ユーラシア大陸を駆け抜けた(と言っていいのかな?)龍のモチーフ、これを、極東のテーマにしておくには勿体ないほどの事例を上げられていたようだから、その辺のところまで、ちょこっとでもいいから触れて欲しかったな、まとめで。
 今日は、終わってからは、どこにも回らず、そのまま帰宅。アスニー山科から真っすぐに帰ったの、久しぶりじゃないかな。ま、明日からの変化に富んだお出かけがあるのだから、頑張って回らなくていいよと、お昼も自宅で摂り、あとはゆっくりの一日でした。


2023年 12月 19日(火)午後 9時 42分

 今日も、お出かけなしの一日。ひょっとすると、「ペルー映画祭」に復活参加を考えないわけではなかったのだけど、昨日、印刷した年賀状に住所書きをすることを、早く済ませたかったことと、今日が火曜日だったということで、Radikoで「まーぶる」を聴けるじゃないかということで、お出かけは、あっさりと退けた。となると、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。昨日ほどではなかったにせよ、寒いことには変わらないので、出かけることには抵抗がでてきている。まだ12月、これが、3ヶ月程、今後続くかと思うと、げっそりしてしまう。まだ、冬至は来てないよと、嘆きたくなってしまう。とにかく、加齢とともに、冬が嫌いになっていく。住所書きをしながら聴いた「まーぶる」、昨日の福井の落語会のこととともに、福井の落語界事情も語ってくれていた。昨日の落語会には、福井在住の友人が行くと言っていた。その友人から福井の落語界事情を聴いていたから、二葉の語りに、至極納得。福井は、落語会が、地方にしては多いと思っている。それは、福井の友人に、上方の噺家さんが福井で会をするというときに、掴んだ情報を、その友人に知らせるようになってから、自ずと、そういった認識に立った。また、友人によると、会を開く好事家が幾人かおられ、若い頃から目を付けた噺家さんを福井に呼び、会を行ってきたことで、有名になった噺家さんは、その義理から、お安いギャラで来てくれている。その人たちの目は肥えているから、そういった噺家さんが、たくさんいるということだった。今日の二葉の話も、それに関わること。そういった予備屋さんが仲がいい。同業の身として、足の引っ張りあいが起こっても不思議でないのに、その真逆だそうだ。自分の主催の会でないのに、手伝いに来られていると言ってました。そういった話は、福井の友人から、一部聴いていたので、すごく入りやすかった。落語の文化という点では、とっても豊かな土地福井、それを語ってくれたのは、嬉しい語りだったな。落語繋がりで、おもしろいYoutubeの動画を観た。桂米助のチャンネルに、NHKの覇者になったということで、桂慶治朗のインタビュー動画が流れているのだ。米助は、慶治朗と面識があるわけではなく、NHKで勝ったということでインタビュー。慶治朗の応答が、実にいい。己を知る、知った上での口演があったからこその優勝と言える内容。その内容、正に、ドンピシャだと思った。慶喜(本名)は、とりえがなく、おもしろいとは言えない。そうじゃない噺家の例として、ざこばと二葉を上げていた。二葉なんか、次に何を言うのかが気になる、そういった、人物に魅力があるわけではない自分が、いくら出ても、誰もおもしろいとは思わない。慶喜が出るとダメ、慶治朗が出ないとダメ。これ、確かに言えてんだよね。初めて慶治朗聴いたとき、「えらく上手いのが入ったな」だった。だけど、その後、聴くたびに、「上手だけど、堅い(性格が)」「その殻を破れないでいる」、こんなことから、慶治朗に対する関心は薄くなるばかりだった。今回のコンペでも、東京の3人は、いずれも名の知れた噺家さん、上方のもう一人の三実は、ユニークな発想での新作が映える。それらを考えて、慶治朗が、一番上に来るとは、考えだにしていなかった。唯一、今回の受賞に関わる記憶は、9月だったか、動楽亭昼席で聴いたとき、えらく化けたなという印象を持ったことは、よく記憶している。「破れないと思ってた殻が破れてる」と思った。これが、慶治朗を推すことのできる、黄紺的唯一のポイントだったけど、まさかには違いなかった。結果として、いい放送に出会えたことになる。


2023年 12月 18日(月)午後 8時 25分

 今日は、お出かけなしの月曜日。夜には、米朝事務所チャンネルの生配信があるということが、お楽しみ ということで、朝からは洗濯日に使い、午後は、年賀状の印刷に充てたから、雑用の一日ということだった。洗濯ものを乾すのは2階のベランダ。椎間板ヘルニアに悩まされていたときは、大変な苦痛だったことだが、今は、そんなことがあったのかという調子になっている。有難い話だ。その物干し場が、お隣さんの物干し場と接近していることから、同じ時間に物干し場に上がると、世間話に花が咲く。今日、その中で、耳寄りな話を聞いた。お隣さん同様、うちも、かねてから、ネズミの出現に、ずっと悩まされていた。これは、あるとき、お隣さんが口火を切っていただいたことで、こちらも、腹に抱えていたことを息せき切って話すようになったのだが、うちだけかと思ってたら、ひどいことが、お隣さんにも起こっていたのだ。それが、「最近、なくなったんちゃう?」というのがきっかけだった。そうなんです、1年近くなるかなぁ、ネズミが現れなくなったのだ。えらく極端な変化なものだから、近くで、毒性のものが出てきたんじゃないか、いなくなったらいなくなったで、心配してしたのだけど、お隣さんの説では、近所のお宅で不幸があった、家財道具の総ざらえが行われたからだという。古い家で、長年、持ったままのものが溜まってたようで、そこを、ネズミが巣窟にしていて、近所を徘徊していた説なのだ。確かに、時期が符合する。黄紺的には、「毒性、、、」説も考えていたので、これで、ちょっと安心。あとは、再び、ネズミが出なければ、その説で落ち着くんだろうな。それで落ち着いてよ、ネズミで、ホント、困ってたんだから。
 朝、何気にskyスキャナーをいじってた。最近、よくやってしまってる。1月に、あわよくば香港、狙ってるということは、ここにも、何度か書いたけど、香港に関する関心が減じてきていることも事実。がために、今日は、バンコクから始めた。4万円を切るときがある。これ、香港の3万5千円切れよりか、そそられた。次いで、台北を観て、驚いた。えらく値段が動いている時期があった。正月明けから月末にかけて。売れ行きが悪いのか、ダンピングが始まったみたい。あんなけ高かったのに、ある3泊4日の行程を組めば、2万円台の後半で買える。これは、ビッグな情報。おまけに、時間帯がいい。ごくごくノーマルな時間帯の飛行機なものだから、お値段以上の価値がある。人を誘ってみた。行くというなら背中を押してもらえる。でも、即座に断られた。正直、迷っている。熱海行きも、行程づくりで、頓挫中なものだから、そそられてしまうのです。ただ、引っかかるのは4日ということ、勿体ないと思ってしまうのだ。今週中には答え出さないと、準備が間に合わないよと思い、一応、アマゾン屋さんで「歩き方」だけ注文しときました。いつかは、役に立つはずだからね。
 年賀状印刷は大変。なんせ、本格的なカラー印刷って、1年ぶりだから、ノズルの先がやられてしまってるから、クリーニングをするのだが、うまく進まない。ついにインク切れ。慌てて、片道30分歩いて、家電量販店へ買いに行く。他に売ってるところも、同じくらい時間がかかるから、仕方ない。だから、この往復を、夕方のウォーキングに替えることにした。確かに、昼前のウォーキングと併せると、今日は、ほぼ1万6千歩となっていたから、ま、無駄なことをしたという感じはない。でも、クリーニングは上手く行かなかった。去年も、こんな感じだったろうかと思い、普通の用紙に印刷する。確かに、変な筋が入る。それを見て、「エーイ、今年は、これで行こう」という大胆な考えを持った。今から、プリンターを買い替える気が起こらなかっただけなんだけど。そして、本当に、本番の印刷をやった。まず、1枚だけ。ところがだ、これが、普通に印刷できてた。なんじゃ、これ。色の乱れなし、変な筋も入ってない。まんま、使える。そこで、全部、印刷。今年はプリンター、使うこと、わりかしあったんだよね。通常は白黒でいいところ、わざわざカラーにして、こういったことが起こらないようにしてたけど、のっけにノズルチェックをしたとき、愕然とする結果だったし、試し刷りもひどかったのに、なんで、普通に印刷できたんだろう? 謎だ。


2023年 12月 17日(日)午後 9時 13分

 今日は、日曜日と雖も、「日曜美術館」の新作が流れなかった。偶然なんだろうけれど、旧い方のPCが不機嫌となり、つい数週間前に、それで、「日曜美術館」が観れなかったことを思い出したが、今日に限って、その時間帯直前に治った。なんじゃ、このタイミング。しかし、少しでもしておきたかった、お出かけ前のウォーキングはできず、辛うじて、食糧の買い出しだけはできた。どうしても、野菜の買いだめをしたくないので、こういった際どいことが起こってしまう。お昼は外食にしようかと考えた。その方が、窮屈にならないから。でも、今日は止めた。最近、こういったときの外食が増えているので、倹約という意味で、今日は我慢。ま、そんなのを入れないと、出費が嵩みます。大阪へのお出かけも出てきているので、無理はしないようにとの判断だった。
 その大阪へのお出かけが、今日の午後。ツギハギ荘での落語会に行った。「第54回染吉っとんの会」が、その落語会。出かける前に、時間と場所の確認のために、「ネタのたね」を調べたが載ってなかったので、焦った。どこから、情報を得たのだろうか、日にちを間違えてメモったのだろうか、一挙に気が重くなったが、ふと思い出した。林家染吉は、自身で主催する会の連絡をメールでくれてることを。それは、コロナ禍の前、毎回のように、この会に行ってたので、連絡をいただけるようになってたのだ。慌てて、「落語」と記したメールフォルダを探すと、確かにもらってた。それをメモってたという記憶は正しかった。会場で、染吉は、「〝よせぴっ〝にだけ載せてもらいました」「久しぶりのネタなんかのお稽古の会にしたいので、他所には出してないのです」とのこと。地道な努力家という人柄そのままの物言いで、納得。だから、客はつばなれしなかったんじゃないかな? その番組は、次のようなものでした。「青菜」「書割盗人」「五貫裁き」。お囃子もなしの、全くの勉強会という風情。3本のネタのなかでは、長講ということもあり、「五貫裁き」に、最も力が入ってたという印象だけど、ま、そうなるわね。そして、大家さん、お奉行さん、こういった上に立つ人の台詞回しが落ち着いていて、いいなと思えるのも、単に、稽古に時間をかけてるというだけじゃなくって、合ってるということでしょう。顔なじみのディープな落語ファン氏は、「この人、こういったネタ好きやから」と言ってられた。確かに、「好きこそ物の上手なり」というこってすな、同感できます。後半になり、吝嗇家の男を懲らしめることを支える大家さんの、悪戯心もあり~のという雰囲気が出てたのが良かったのでしょうね、ヒールを追い詰めていく噺の盛り上がりもありで、出来栄えという意味でも、これが一番だったでしょう。季節外れの「青菜」は、キャリア的に、夏にはなかなかできないということでの口演。めっちゃ策を弄してました。これだけ、アイデアを生み出したなら、季節なんか、外しても聴いてもらいたくなるだろうなと思いました。染吉は、修行明けで、自分の会を持っても、なかなか、うまくマクラも喋れなかった人だったから、時というものは、ホント、人を成長させるものと、感心しながら聴いてしまってました。ただ、入りの情景描写は、凝り過ぎと、過剰なのも、ほどほどにとは思わぬでもなかったけどね。そういった意味では、「書割盗人」が、最も平板だったかなと思えてしまうけど、家人も、絵を描く男も、盗人も、皆さん、明るいというか、陽の空気を持つ人たち。落語やね、そう思わせる雰囲気出てたのに、好感を持ってしまったけれど、もう少し、筆の動かし方だけは、どうにかならなかったのかな、えらくバランスが悪かったのが、3席の中で、一番、ダメ出ししたいポイントでした。
 昨日と、気温が、めっちゃ違った。風もありで、余計に寒く感じたが、昨日までのこともあり、この寒さに対応できる服装でない格好で出かけてしまった。帰りは、いつも、淀屋橋駅まで歩くのだが、余程、止めようかとも思ったのだけど、歩けば温もるかと思い、結局、淀屋橋駅まで歩いたが、温もるなんてことはなかった。そんな厳しい環境のなか、中之島では、屋台が並んでいた。午後5時から電飾に灯が入るのだそうだ。ひょっとしたらと、屋台の看板だけは、歩きながら眺めていると、、、これはと目をつけ、しっかりと看板を確かめに行くと、ありました。「Glühwein」、看板は日本語だったけど。ちっちゃなカップに入って600円。でも、そのまんまのお味で、満足。4年ぶりでした。


2023年 12月 17日(日)午前 6時 50分

 昨日は、朝からお出かけ、そして、ハシゴを、京都でした。まずは、凄い観光客の中を出かけた嵐山文華館、午後は、円町まで戻り、そこで食事をしてから、アスニー京都でコンサートへ行ってきた。昼食は、円町駅から少し西南西方向にあるインド屋さんで。北にあるシンガポール屋さんではなく、やたらカレーが食べたくもあり、こちらを選んだ。ナンって、腹持ちいいね。夕方になっても、腹が減るという気配も出なかった。ただ、この移動中に小雨が降った。これは想定外だったのだけど、午後のコンサートが終わり、外に出ると、雨は降ってなかったので、このときだけだったのか、屋内に居たので、知らないことだが。
 嵐山文華館では、「ゼロからわかる江戸絵画 ーあ!若冲、お!北斎、わぁ!芦雪ー」という展覧会が、近所の福田美術館と共催で行われている。1ヶ月程前、アスニー京都での市民向け公開講演会のあと、福田美術館だけ行き、共通入場券を買いながら、腰を心配して行かなかったのだ。会期中に、昨日の予定に、アスニー京都でのコンサートが入っているのを見つけたから、無理はよそうの考えに至ったのだった。こちらでは、歌川広重の「東海道五十三次」が、一挙公開されているという情報を得ていた。ただ、相変わらず、嫌らしいことをしてくれる、近頃の美術館は。前後期に分割しての展示ということを、ここでもやってくれたのだ。連作を2つに分けるという卑怯としか言いようがない。日本橋からの10品が、後期には省かれていた。半々ずつにするのかと思ってが、2階の和室の展示会場全面を使うという展示だったため、半々にすると、さすが、会場は広すぎるので、このような姑息な展示をしたのでしょう。そんなで、43点を観ることができたというわけだが、それだけの数を観ると、題材をうまく選んでる、被らないようにとの工夫が、個々の作品以前に、この連作の素晴らしさを知った気になった。風景、天気・気候・季節、街の店舗・宿を外した所の店舗、店舗&宿も外からだけではなく内部の様子も、寺社、市、土地の名物、名所、描かれる人物のキャラ分け、民俗的習慣、、、、よくも描き分けたものと関心させられる。蒲原の「雪の風景」、由井の「峠越しの富士」、岡部の「蔦の細道」、桑名の「桑名船」、庄野の「雨」、京都の「三条大橋」と、有名どころは、しっかりと目に焼き付けておきました。階下は、葛飾北斎らの肉筆画の展示。北斎最晩年の「端午の節句図」「水中双鴨図」、なんて、元気な爺さんなことでしょう! 北斎以外では、葛飾北馬の「雪月花」の真ん中の掛軸「月」が、三者三様で月を愛でる姿に穏やかな空気が流れてる心地よさを感じたくらいで、どれもこれも、同じ絵に観えてしまってくるという贅沢さ。人物に変化をさほど感じなかったので、着物の柄に目が行くなと思ってたら、最後に、とんでもない作品が3点、並んでた。いずれも、祗園井特の作品。「京妓美人図」「芸妓図」「紫女図」の3点だった。表情がぶっ飛んでた。ここまで、美人画の理想を追うあまり、画一化されてるなと、ちょっと、そないな印象を持ってしまってたもので、余計にぶっ飛んだ。しかも、それを売りにするかのように、上半身をだけを描いているから、余計に、表情の豊かさが目に付くのだ。調べてみると、正に、そういった評価らしいんだけど、祇園姓は、実際の祇園の茶屋の主だったことからのもののようだ。こういった点でも、特異な作家ですね。この人を知ったのが、昨日の訪問の最大の功績と言えると思います。広重を差し置いて、そんなこと考えてしまってました。
 アスニー京都でのコンサートは、「偉大なる作曲家たちの メモリアルイヤーコンサート~蘇る名曲~」というお題で、京都市響の木管パートの奏者で組んだユニットのコンサート。出演者は、次の通り。上野博昭(フルート)、髙山郁子(オーボエ)、玄宗哲(クラリネット)、中野陽一朗(ファゴット)、垣本昌芳(ホルン)、佐竹裕介(ピアノ)。黄紺的には、髙山さんのオーボエを聴きたかったのです。定演に行くたびに、いい感じなものだから、毎年出演されるアスニー京都でのコンサートを狙ってたのだが、ここまで、ずっと、何かとバッティングで行けてなかったので、今回が初めてとなりました。そして、プログラムが、めっちゃ凝っている。まあ、こういったコンサートでは出ないもの尽くし。次のようなものでした。「三木柚穂:オープニング」「フランツ・ダンツィ:木管五重奏曲 イ長調 Op.68-1」「ジェルジュ・リゲティ:木管五重奏の為の6つのバガテル」「F.プーランク:木管五重奏のためのノヴェレッテ ハ長調」「マデリーン・ドゥリング:フルート、オーボエとピアノの為の三重奏曲」「ジョージ・ガーシュウィン:ラプソディーインブルー~独奏ピアノと木管五重奏の為の~」。冒頭の「オープニング曲」は、まだ24歳の若い作曲家の作品。客席にいた三木さん、髙山さんに呼び込まれ舞台に。「髙山先生からファンファーレになるような曲を頼まれました」と言われていました。その後の作曲家は、今年が、何らのアニヴァーサリーに当たる作曲家ばかりというのが、このプログラムのミソ。ダンツィって、フランス人と思ってたら、それは、「6人組」と間違ってた。曲想は、正にモーツァルト。同時代の人で、且つ、マンハイムで活動していたそうだから、とっても納得。リゲティが始まる前、どなただったかな、解説をされた方が、「変わった曲ですよ」。それを聴きたいのだよと、突っ込んでしまったけれど、聴いた感想、「リゲティって、もっと激しかったよな」と、おとなし目の曲に、逆に驚いてしまってました。プーランクからは、佐竹さんが登場。ドリングという作曲家は、知らなかった。第2楽章が、とても美しかった。髙山さんのオーボエが冴えわたっていたな、「そうそう、これを聴きに来たんだ」と、満足。そして、最後になり、ようやく知ってる曲の登場。でも、編曲がおもしろい。玄さんのソロ、お見事! 解説役に当たった佐竹さん、「ブルー」の由来を、ピアノを弾いて、解説。やっぱ、この人、喋りが上手いわ! なかなか、ユニークなコンサート。いい午後だったな。3月のコンサートは、ドボルザーク特集。その中に、テルツェットが入ってるので、行く気になってしまってます。1つのコンサートに行くと、また、新たな情報を得てしまう。いい循環です。


2023年 12月 15日(金)午後 8時 22分

 昨日のお出かけで、そこそこ疲れたこともあり、また、明日は、京都でハシゴをする予定なものだから、今日は、自重の一日。となると、毎度ながら、日に2回のウォーキングだけが外出。今日は、雨模様で、実際、昼前のウォーキングでは雨に遭ってしまった、短時間だったけど。その一方で、気温が高く、これが続いて欲しいと思う、頃合いの気温。ぼちぼち、普通の冬に戻りそうなんだけど、とりあえず、今日は、いい気温だった。そんな天気なのに、昼前のウォーキングで、1万歩以上、歩いてしまった。歩いているときは、疲労感が、ほぼなかったが、昼ご飯後、あっさりとPCの前で寝落ちしてたから、ないわけではなかったのだろう。
 昨夜は、UEFA欧州カンフェランスリーグのマッチがあり、フェネルバフチェが、グループ・リーグ戦首位で終えることになった。ベシクタシュの方は、既に敗退が決まってたから、勝っても、どうでもいいこと。これで、今季は、ガラタサライとフェネルバフチェが、年を越すことになった。楽しみが続くというわけだ。グループ・リーグ戦の顔ぶれから見て、ベシクタシュが残ると看てたんだけど、無残だったなぁ。対戦相手からすると、ガラタサライの健闘が目に付く。最下位で敗退となっても、この顔ぶれなら納得もしたような相手だったからね。フェネルバフチェが敗退の危機になったのはけが人が多かったから。層が厚いと思っていても、こないなことが起こるのかと思うほど、故障が続いた。順調なら、今季のトルコ・リーグは、フェネルバフチェとガラタサライのマッチレースなんだけどね。
 午後の一時は、先日に続き、年賀状制作に使った。D宛のものは、前回、使う素材集めをしておいたので、レイアウトを考え、それを仕上げることができた。グーグルマップのストリートビューを使い、クイズを作ったのだけど、1つ1つが小さいと意味がないのだけど、一応、PC画面上では大丈夫に見えてるけど、実際、印刷してみないと、使うに耐えるものかは判らないのが、ちょっと厳しいところ。S宛のものは、一から制作のつもりだったが、D宛のものの枠組みを使うと引き立つので、使い回しをすることで、方向性が出たから、あとは、素材屋さんから、手ごろな画像を調達すれば、完成。完成度は、こちらの方がいいかもしれない。あとは、3種類の賀状を印刷、住所書きで完璧なんだけど、その時間が、うまく取れるか、そこが問題。年末に、思わぬ映画をたくさん見つけてしまったので、頭抱えています。


2023年 12月 15日(金)午前 7時 4分

 昨日は、朝から遠出。しかも、ハシゴをしたので、帰宅したのは、ほぼ午後5時だった。丸1日かけて、他府県の美術館巡りをした。1つ目が市立伊丹ミュージアム、2つ目が中之島美術館。別々に行くよりは、JR東西線を使えば、移動が簡単だということで、かねてから狙っていたハシゴだった。行くだけで2時間かかった。時間よりは、運賃で判断。京阪と阪急を使うのが最安かと思ってたら、もっと安いのを見落としていたのを、阪急電車の中で思いついたが、手遅れだった。実は、滋賀県美に行ったときだったかな、伊丹で牛腸茂雄の写真展が行われていることを知ったため、中之島美術館と落語会を組み合わせる手を止めたのだった。こういった偶然は有難かったけど、この写真展は12月中に終わるということで、ちょっと焦った。伊丹はカバーしてないよ、普段は。半年ほど前にも、芦屋で芳年展やってると知って、慌てたことがあった。なんで、伊丹で、この写真展が行われるようになったかは、判らずじまいなんだけど、牛腸の経歴を見ても、伊丹との接点がなさそうだし、結局、牛腸に目を向けるキュレーターさんが、このミュージアムにおられるということなんかな。没後40年という区切りの年なんだね、それで、東京で展覧会もあるようです。NHKも取り上げたと言っても、企画は、もっと以前から進んでたでしょうが。黄紺も、「日曜美術館」で、初めて知ったこともあり、この展覧会があると知るや、飛びついた次第だ。調べてみると、「日曜美術館」では、ずっと以前にも取り上げられているようです。展示は、牛腸の残した写真集を基に構成。「日々」「SELF AND OTHERS」「見慣れた街の中で」を時系列的に展示。その傍らに、牛腸の書いたメモ、手紙、写真集、持ち物、ロールシャッハに使われる画像などが展示されていた。手紙やメモ、持ち物など、遺族が、きれいに保存されている。だから、こういった展示で、我々は観ることができる、頭の下がる思いです。日常生活を切り取った写真を「コンポラ写真」というそうだが、その代表的な作家さんだそうだ。最初の写真集「日々」では、そうは言っても、いや、偶然なんでしょうね、いいタイミングで、アクセントになる犬が入ったり、瞬間的な身体の動きが捉えられている。今のカメラではなく、連写が効くとは思えないカメラで、どうして、こんなに決まった瞬間が撮れるのと思ってしまうほど、「決め」というものを感じてしまったのが、「SELF AND OTHERS」では、そういった「決め」というものを感じるのは激減。そうではなくて、人物を撮ったものが、圧倒的に多いのだけど、被写体と撮ってる自分との距離感に焦点というか、関心が移っているように思えた。TVでも観て、印象に残っていた双子と思える2人の少女を撮った作品、右奥に、こちらには焦点は当たっていないが、カップルの男女が映っていた。意図して撮ってるのだろうか? 少女の初々しさが際立つ構図に気が付いてしまった。これなどは、「日々」で感じた「決め」だけど、これは、「SELF AND OTHERS」では珍しいことだった。この作品集の最後に、牛腸の作品では、最も印象に残った(TVでもそうだった)「花火大会の夜」を撮った作品があった。とっても幻想的に見える作品だ。この写真集の作品群、あとで気が付いたんだけど、作品リストに、誰が判らなくても、どこで撮った作品かは、ほぼ判ってるんだね。それと照合しながら観れば、何か、新たな感じ方ができたのかもしれないと思ったが、後の祭りだった。「見慣れた街の中で」は、ここまでと違い、カラー写真。撮影された当時、色彩の不安定さなんかがあり、こういったアート系の写真には使われず、広告写真に主に使われていたのを、敢えて使ったと、解説に書いてあった。それも、頭に入れながらの鑑賞。一通り観て、残念なことに気が付いた。この写真集の展示、スペースの関係、及び、時系列に拘り、最後に残した写真を、この写真集の後半部とともに配置したことから、この写真集の展示が、2箇所に分かれてしまった。これを残念と感じたのは、ここで撮られている写真は、ほぼ横浜であった、何かのイベント時の雑踏を撮ったものだったから、これが、一部屋全面に置かれてたら、正に、そのときの雑踏の中に放り込まれた感じになるだろうにと思えるほど、牛腸の独特の低い位置からの視線(病気の後遺症で身長が伸びず、必然的に視線がローからのものになる)で捉えたごちゃごちゃ感があったからだった。1枚ずつ観てると、適当にシャッターを押したように観える作品の群れとしてのパワーが溢れていたので、とっても残念に思ってしまった。会場には、映像作品、それに、牛腸の日常を映した映像の上映もありで、会場を出たら、1時間半も経過していた。
 そんなで、お昼は、移動後じゃなくて、伊丹で摂ろうと、ググってみると、「尚州(サンジュ)」という名の韓国料理店が、近くにあった。わりかし、韓国料理を食べる機会があるので、他を探そうかと思ったが、「サンジュ」が気になってしまい、そのお店に行った。ハルモニに、「サンジュ」について尋ねると、「私と主人がサンジュの出身」と言われていた。ま、そうでしょうが、サンジュは珍しいんじゃないかな? お店は、とってもオシャレ。お店を切り盛りされていた息子さんと思える方の設えかな。周りの雰囲気に合ったもの。初めてのお店だと、やっぱ、定番の汁物からということで、スンドゥブチゲを注文しました。ワンプレートで3種類のパンチャンも出てきた。これが嬉しかった、種類が。「キムチ」「ゆずの欠片添えタンムジ(めっちゃシャレてる!、しかも、白いタンムジ)」「(韓国で良く出てくる)甘味の付いたスルメ」だった。量が少なすぎるのが玉に傷だった。4段階ある辛さの「3」をお願いしたら、めっちゃ韓国だった。
 東西線で新福島へ移動。中之島美術館では「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」という展覧会に行った。出てきた作家さん、イギリス人が多かったようだが、ターナー以外は知らなかった。後半に、モネとカンディンスキーが出てきたけれど、知らない作家さんばかり。予想されたことで、少なくとも、お題にターナーが入ってるのだから、そこそこは来てるだろうから、それだけでも観に行こうかの気分で、チケットを買ってあった。展示は、18世紀の末辺りから始まり、時系列的に配置されてるのだが、狭間狭間に現代アート系の作品も出てくる。テーマが「光」だから、ほどよいアクセントになる。単に時系列的に並べるという古臭い展示法は、もう流行らないでしょうね。観ている方も、その方が、却って、時の流れの意味するところに関心が行くというものです。18世紀の末以後というのが、ロマン主義と置き換えてもいいよな時期からスタートさせた心を知りたかったけれど、裏の事情は解らないが、少なくとも、光そのものを描こうとする印象派との比較という、後ろの方に目が行っていることは確かそうな展示。そういったなか、気づいた点が2つ。宗教画が出てきている。そこで使われる、神に通じる光。今一つは、風景画には、光が重要ということで、幾つも風景画が展示されていたが、観慣れている17世紀ものと構図的に似ていても、空の描き方、雲の量が違うのが気になった。地域的な違いかとも思ったが、オランダとイギリスでは、緯度的に、さほど変わるわけでもなく、この違いが気になった。そんなことくらいかな、印象に残ったのは、ターナーは、絵画作品は5点ほどで、作図の教授用資料として制作されたものが並ぶというもので、ちょっと、看板になんとかじゃないかと思ったのは、黄紺だけではないでしょうね。光そのものを描いたという感じの作品が並んでた。ターナーって、こんな人だったのと、ほぼターナー作品との遭遇をしてない身には思えてしまった。光の中の風景を描くじゃないんだよね、光を、真正面から見たという作品でした。そういった意味では、インパクトはあったけどな。アート作品、解説を読んでも判らなかった。色彩による画面分割作品、アート系で、よく出てくるジャンルだけど、それにも光の考え方があるそうと書かれてあったが、お手上げ。作品リストを見ると、草間彌生作品も出ているけど、全然、記憶にない。「ひょっとしたらあれ?」というのはあるんだけど、確認してなかった。だって、水玉を使ってたのは、1つだけだったからね。そんなで、流し気味になってしまったけれど、最後のミラーボールは、さすがに驚いたな。
 帰りは、淀屋橋駅まで歩き、京阪で。淀屋橋駅を発車したのは、かすかに覚えているという状態。さほど疲労は出てないと思ってたけれど、他府県へ、しかも、2館のハシゴは、確実に腰に来ていたよう。あの福山からの帰りを思い出すほど、京阪特急の車内では、椅子に身体がのめり込んでいくかのようになってました。乗り過ごさなかったのが不思議なくらいの爆睡。お疲れ様でした。


2023年 12月 14日(木)午前 7時 16分

 2日連続で、お出かけなしにした昨日の水曜日。年末に入ったからでしょうか、お出かけ機会が少なくなっている。やっぱ、なんちゃらの秋ということで、毎年、いろんな試みが満ちているというのが11月ならば、そのピークが去ったという印象の12月だ。今日は、美術館のハシゴをしようと考えていることもあり、昨日は自重の日となった。となると、一昨日同様、日に2回のウォーキング時だけがお出かけ。昨日のウォーキングは、計17700余歩。なかなかだ、最近では。夕方のウォーキングでは、ごきぶりホイホイ買いがてらのコース。でも、売ってなかった。完全に季節外れのようだけど、なぜか、家で出た。ネズミ捕り用のシートを探すことにした方が良さそうだ。目にすると嫌だからめ。
 午後の一時は、年賀状を作ることにした。気が付くと、12月も10日以上過ぎてたので、頑張ろうとして、できたことはできたが、時間がかかると言う意味では厄介なDとS用に別々に作る方は、ほぼ手付かず。一応、アイデアだけは考えてあったが、やっぱ、アイデア自体が良くない、おもしろくないので、急遽、頭を捻り、必要な画像集めまでしたが、賀状のレイアウトに収まるかが不明。そこまでの時間がなかったのだ。これはD用で、S用は手付かず。ぼんやりとしたアイデアは持ってるのだけど、それを具体化するのがむずい。作成用の時間確保が、なかなかしんどいかも、これが不安だ。
 1月に考えている旅行が、行き詰まっている。香港は一応候補だけど、乗り気とも言えなくなってきている。かと言って、静岡&愛知旅行も、予定していた日にちの変更が要るようになってから、うまく行かない。熱海&三島、浜松、名古屋&豊田、この3ヶ所を、2泊3日で回ろうという発想が無理かもしれない。それにコンサートや落語会を嚙まそうという欲張った考えが破綻を迎えそう。いっそのこと、バンコクに変えようかと、航空機代調べると、やっぱ、クアラルンプルやシンガポールと変わらないね。なんか、毎日のように航空券の値段を見てるような気がしてる。そんなに、急に変わるわけでもないのに。


2023年 12月 12日(火)午後 9時 6分

 今日は、久しぶりのお出かけなしの一日。これも、「ペルー映画祭」は、もう、昨日で打ち止めにしようと決めたから。ひょっとしたら、気が変わるかもしれないけど、今日のところは、予定表には入れていたが、行こうとはしなかった。そんなで、こういった日の定番、日に2回のウォーキングだけが変化のあるところだが、お出かけが続いていたので、洗濯日にした。これで、嵩張るものを選択できた。ウォーキングをしていても、ここ数日は暖かなものだから、動きやすい感じがする。このくらいが、丁度いい。こんなのが、ずっと続いてくれたらいいんだがと思うのだけど、さすが、夕方になると、この暖かさも、ぼちぼち終わりかけているという印象。
 今日は火曜日ということで、お出かけなしとなると、Radikoの世話になり、KBS京都の「まーぶる」を聴くのが楽しみ。夜以後は、吉の丞の番組があると、ラジオ三昧の日となるというのも定番だけど、最近は、火曜日も出かけていた気がするな。落語関係で、新たな情報的なことは少なかった。1月にネタ出ししている「天神山」は、まだ手付かず。でも、大丈夫と言ってたが、師匠の米二のところへ行くのが、確か、1月9日と言ってたから、こちらの方が心配になってしまう。「年末にかけて、忙しいんちゃうん?」と、勝手ながら突っ込んでしまってました。黄紺は、今年中に1回は、生二葉を聴けることになっている。今日は、番組のあと、東京に向かい、末廣での出番があると言っていた。この12月の中席は、最早、恒例となってしまっている神田伯山がトリを取る。それの日替わりメンバーの1人に声を掛けられたようだ。今日と、あと1日、出番をもらったと言っていた。今日は、「つる」を出すつもりだけど、出番が奥の方だから、かぶらないかという不安を口にしていた。昨日は、「ナイトスクープ」のロケだったようなので、近々、二葉探偵の新作も観られるようだ。
 昨夜のトルコ・リーグで事件があった。アンカラ・グジュの理事長が、主審をぶん殴った。決定的瞬間の画像が、ネット上に踊っている。そのあと踏みつける画像もあった。これで、トルコ・リーグの各試合、無期限延期だって。そんなアホな! アホなおっさんのために、そんなことって、迷惑もいいところ。黄紺が、実際にトルコで観たマッチで、一番、サポーターのガラが悪かったのがアンカラ・グジュの連中。やくざみたいなのが、スタンドにいたしね。その横で観てたんやけど。この事件を知ったとき、あのがらの悪いサポーターのことを、真っ先に思い出した。サポーターもそうなら、バシュカンもそうかよとしか言いようがない。監督、エムレ・ベレズオウルなんだよね。監督の心配するどころか、クラブの存立にも関わる問題だよ。少なくとも、勝ち点の大幅減点は間違いないだろうけど、それで済むかなとも思えてしまう事件だ。


2023年 12月 11日(月)午後 8時 19分

 暖かな日が続いている。ただ、今日は曇り空。そろそろ、12月らしい気候に戻りつつあるのかもしれない。昨夜、元同僚と呑んで帰ってきたため、その皺寄せが朝に来てしまい、結構、今朝は慌ただしい日だった。午前10時には、京都市が実施しているX線撮影の申し込みもしてあったしと、とっても、時間が窮屈。そこへ、さして、できれば、昨日の「ペルー映画祭」の続きに行こうかと考えていたため、更に忙しなくなった。ダメなら諦めるというスタンスだったが、ちょっとだけ、予定していたことを切り詰めれば行くことができた。そのため、マークしてあるYoutuberの動画を観ることができていない。第一、「FUTBOL HABERLERI」を書いていながら、ベイン・スポルが流してくれているマッチのダイジェスト版も観ることができていない。結論を言えば、そこまでして行くことはなかった。家で、のんびりとしながら、その欠けているものを追いかけておいた方が賢明だったが、これは、結果論だから、致し方ない。
 そんなで滑ったと言っていいペルー映画は「旅するエリスバン」。一人の田舎から出てきた青年が、当てにしていた人物が、家を空けているため、行く当てがなくなり、路上生活をしていく様子が、淡々と描かれるというもの。まず、お金を持っていない。だから、人に頼るか、働いて身銭を稼ぐしかないのだが、キャラ的に、田舎の朴訥としたものとしてあるから、融通が利かない。ま、そう思うのは、自分が、日本という忙しない国に生きているから思うのかもしれないが。食べ物を食べさしてもらっても、何やら愛想の一つも言えない朴訥さ。融通の利かなさと言えば、また、国が違うよとの突っ込みが来そうだが、、、。でも、同じようなことを繰り返している。1回だけ、仕事探しのようなことをしている。で、1日は働き、若干の小銭は手に入れるのだけど、それで、何とかなるということを覚えたなら、それを続ければいいのだけど、そうでもない。よく判らない。後半からは、縁の判らない登場人物も出てきた、「?」が点り続け、まさかと思ったところで終わった。確かに、序盤で居眠りをしてしまったことで、登場人物が判らなくなったのかもしれないと思いつつ、そんな変化があるとも思えない、淡々とした進行。どこの町かは知らないけど、この主人公が街を彷徨うのが、何かの祭のようだった。カーニバルだと、夏服なんだろうけど、冬服だった。厚手の服を着てなかった主人公は、夜、街角で震えるような季節だったから、何か聖人のお祭り? ヨハネ祭や被昇天のマリア祭とかを考えてしまったんだけど、季節的には、そんな感じだった。聖霊降臨祭? かもしれないね。そういった風俗が観れたということは有難かったけど、映画の紹介文に「その経験の積み重ねが、やがて彼の未来に希望をもたらす」とある。街角放浪が、まるでロードムービーのような書き方になってるのを見て、驚いている。どこをどう観れば、そのように観えてくるのか? 正直、自分が解ってないことを棚に上げるようだけど、このあとの「ペルー映画祭」の作品を観に行くのに、ブレーキがかかっちゃいました。


2023年 12月 11日(月)午前 7時 45分

 昨日は、午後の遅めの時間に、元同僚と一緒に映画を観て、その後、お酒を吞んだ日。4月頃に、同じようなことをして以来のこと。人と長々とお喋りをしたのも、先月24日に、かつての同僚たちが集まったとき以来のことになる。先月は、そう言えば、東京に行ったし、息子家族とも食事したしと、結構、喋る機会のあったが、今月は、昨日だけになるんでしょうね。まずは、日曜日と言うことで、朝のお楽しみ日曜美術館。昨日は、「倉俣史朗 デザインの魔法」というお題の新作が流れた。MCの小野さんが、倉俣邸を訪ね、NHKの広報には、「世界のデザイン史に輝く名作椅子」と書かれている倉俣の作品「ミス・ブランチ」を前に、TV初出演とナレーションが入った倉俣夫人美恵子さんとの語りから番組はスタート。安藤忠雄を初め、倉俣縁の人たちのコメントを多数挟みつつ、もちろん倉俣夫人のコメントを入れながら、作品を紹介していくという流れ。紹介された作品をメモっておく。①ミス・ブランチ(1988年発表、透明なアクリル樹脂に赤い造花のバラ、韓国土産のおもちゃのばらが娘に送られたのがバラを使ったきっかけ、「欲望という名の電車」登場人物が名前の由来、偽って生きることへの共鳴、私でないものを模索?)②小枝の時計③形の違う49の引き出し④変型の家具⑤光のテーブルと照明⑥ピラミッドの家具⑦プラスチックの洋服箪笥⑧クラブ・ジャッド(ステンレスパイプを使用)⑨エドワード本社ビルディング(蛍光灯で柱)⑩カリオカ・ビルディング⑪コンブレ(現在残る、倉俣作品で唯一の空間、タイムマシンのよいうな雰囲気)⑫KYOTO(テーブル、「メンフィス」で発表)⑭ハウ・ハイ・ザ・ムーン(椅子、工事現場のフェンスを使用)⑮トワイライト**⑯イッセイ・ミヤケ・メンズ⑰硝子の椅子(見えない椅子、硝子を接着剤でつけている)⑱割りガラスのテーブル(ひび割りの美しさ)。倉俣史朗の作品展が、世田谷美術館だったかで開催中なのに合わせての番組だったようだけど、その巡回展が、来年、京都国立近代美術館に回ってくると、最後に出た。これは観たいね。今から楽しみです。
 午後の映画は京都シネマ。先日、韓流映画を観に行ったときに「ペルー映画祭」なるチラシを見つけたのがきっかけ。珍しいので、映画好きの元同僚を誘った。昨日観たのは「サミチャイ、牛飼いの祈り」。標高5000メートルのアンデス山脈に家族と暮らす農夫の姿を追いかけたもので、3話構成のオムニバスもの。①では、農夫と、亡き妻の母と娘と暮らす姿を追う。そして、娘が町に降りて行くところまで。②で、あまりに緩い時間が流れるため、居眠りが発生。あとで、抜けている部分を、元同僚に補ってもらい、様子が判明。どうやら、ここで義母が亡くなったようだ。らしいと判るだけだったと言ってました。劣悪な環境で農作業をするが捗々しくない。栽培の試みと見えることもしていた。が、芳しくなく、人の援助を求めて、地域の地主らしき人物を尋ねて行く農夫。①からずっとそうだが、農夫は、常にサムチャイという名の牛を連れている。このときも牛を連れて行くが、当の人物は亡くなっていた。丁度、葬式のときだった。ただ、葬式会場の前では、亡くなった人物へ未払いの給料を取り立てに来ている家族がいた。地主と雖も安泰な暮らしではなかったようだ。死者の弔いをする農夫。それを見た傍らの男が、友人かと尋ねるが、「友人はいない」と応じたところで終わる。③は、生活に困ったのでしょう、当の牛を売りに牛市に来る。元同僚は、この映画の冒頭の場面に戻ったと言う。黄紺は、別の場面かと思ってた。どちらが合っているか、まだ、判定できていないが、戻ったかもしれない。冒頭の場面はオブジェ的にも捉えることができるかもしれないと思っている。なかなか売れない。そこへ、1人の男が売れる場所へと連れて行ってくれる。屠殺場だった。逃げ出すどころか、途中で吐いてしまう男。男は、牛を売ろうとするとき、「この牛は幸せをもたらす牛」と言い、食肉とか乳用の牛ではないと言っていたことから。そのようになったと思える。そのあと、男は、自分の手で、毒草を食べさせ、牛を屠ったように見えた。元同僚も、そのように見えたと言いつつも、判然としないと言う。牛のような大きな塊が布に包まれて、農夫の前にあっただけだったから。ただ、その後、農夫は牛を連れていない。そして、山を降りる。最後は、大きなトラックに乗っているのでしょう、トラックの座席から見える町の風景が流れて終わるというものだった。台詞は、ほぼ全編、ケチュア語。山と都会という二項対立が表現されたと言えば、あまりにもあっさりとまとめることができるが、圧倒的に支配しているのが、アンデス山中の風景、そこで生きる姿。自然の圧倒的なパワー、それを見せつるのが、ラストの山。怪獣映画にでも出てきそうなド迫力だった。そこに立ちすくむ人間、神の使いのように思っていた牛、守り神のようだった牛。その祈りの姿を描いたとも見える。が、一方で、都市と言う人間の所作も下から迫って来ている。そこを越えた男の物語で、上から下へなのか、逆に下から上なのか、前者のように見えて、後者の姿を描こうとしたのかもしれないと思える作品でした。
 終了後は、地下に降り、「ライオン」で飲むことに。場所が、少しずれてしまったけれど、ここの「ライオン」、その昔、トルコ語教室での授業が終わると、よくお世話になったところ。お喋りは、昨日の映画よりは、「福田村事件」のことが多かった。黄紺は観てないが、元同僚は観ていたので、だいぶと情報をいただいた。オペラもそうだけど、映画も芝居も、誰かと一緒に行き、あとで、それをネタに語り合うと言うのは、実に楽しい。元同僚は、ハローワークで仕事を見つけて、まだ、働いている。働くことで、いい時間を送れているようだ。自分は、遊ぶことで一所懸命なのとは違った時間を送っています。そういう違った時間の使い方をしている人の話を聴けるのはありがたい。ちょっとだけ、視界が広がった感じだね。


2023年 12月 10日(日)午前 5時 32分

 昨朝は、久しぶりに、目が覚めたら午前6時を過ぎていた。よく眠れた有難さと、午前中が忙しくなるということが、一ぺんに頭に浮かぶ。週末で、マッチが始まったので、その情報収集、一昨日は夜のお出かけだったから、「GUNLUK」を書き上げる前に寝落ちしてしまったので、その続きを書かないと、簡単に記憶から飛んでしまう。だからこそ、これを書き続けているので、怠るわけにはいかない。エルドーアン大統領のギリシア訪問を伝える記事も、たくさん出ているのに、読む暇が確保できないでいる。でも、今の内にしておかないとと、今回、ヴィザなし渡航が実現したギリシアの10の島、チェックできました。ギリシアが同意しても、EUの裁可が要るんだって。ま、それを知って、なるほど、そういうことかと思ってしまった。黄紺は、ドラクマ最後の日に、その内の1つに日帰りで行ったことを思い出した。あれから20年程経ってんだね。
 午後は、アスニー京都に出かけた。昨日は京都学講座。いつもだと、考古学の発掘の成果を聴かせていただくのだが、昨日は、ちょっと趣向が違った。黄紺的にはツボでもあったのだけど、入りは、普段よりは、かなり下回っていた。ここへ来る人は、美術には関心が薄いということか。そのお題は「近代の絵画製作空間―洋画のアトリエ・日本画の画室―」、お話をされたのは、京都市文化財保護課の石川祐一さんでした。京都を中心にして、今に残る、洋画、日本画と分けながら、大家の創作の跡となるアトリエをチェックするというもの。但し、画壇で大きな位置を占めたはずの京都と雖も、それらがしっかりと残っているとは言えないなか、でも残っているものを紹介いただけた。サンプルが少ないかということで、京都以外にもフィールドを拡げられてのお話。「京都学講座」と齟齬を来してしまいそうだったけど、テーマを探究するためには必要だったということでしょう。ただ、かなり眠ってしまった。個々のアトリエの紹介を、そのため、かなり抜かしてしまってる。幸い、レジュメに、取り上げる作家さんの名が出ていたので、誰のものが取り上げられた、ということは、残存していることを意味するので、残っているものを知れただけでも良しとすることにした。眠っている間に、佐伯祐三、小出楢重が出ていたのは、さすがに悔やまれます。特に前者のものなど残ってるなど、考えだにしなかったのですから。作家さんのアトリエに入る前に取り上げられたのにも驚いた。だって、関西美術院が、まんまで残っていることなんか、全く考えてもいなかった。岡崎にあるんだって。浅井忠の名が出てくると、必ず、これ出て来るもんね。京都の、関西の洋画の萌芽が、正に、ここにあるんだから、そのくらいは、覚えてしまってるのです。外からでも観れるのなら、岡崎に行ったらと、一昨日行ったところだけど、行ってみようと思い、ネットで検索したら、ここ、未だに現役だった。HPまであった。国指定登録有形文化財だとは、講演でも、画像に、きっちり挿入されていたけど、年季が入っている建物。この講演は居眠り三昧だったけれど、存続していることを知っただけでも、これ行った値打ちがあります。取り上げられた主な作家さんの名だけ記しておきます。前半が洋画&彫刻、川端彌之助、太田喜二郎、富岡益太郎(鉄斎の孫)、佐伯祐三、小出楢重、向井潤吉、梅原龍三郎、朝倉彫塑館(旧朝倉文夫邸)、後半は日本画で、櫻谷文庫(木島櫻谷邸)、霞中庵(竹内栖鳳邸)、白沙村荘(橋本閑雪邸)、旧今尾景年邸(現久保家住宅)、葦花浅水荘(山本春挙邸)、小林古径画室。まとめて言える特徴として大事なのは、洋画のアトリエは、北から採光するという点。他の方角からだと、光が強く、また、時間により変化が大きいので、色に変化が出てしまう。壁面も反射を防ぐ工夫があると、光には繊細な心遣いが看える。それに対して、日本画は、南の陽当たりの良さを採っている。黄紺も行ったことのある白沙村荘なんかは、北だけが採光してなかった記憶。いずれも、天井が高く、観る角度の確保に努めているということだ。白沙村荘や葦花浅水荘は、都心部を避けている。別荘も兼ねているというほどの広大なもの。昔の霞中庵の写真が残っており、今はない見事な庭が写っていた。洋画のアトリエは、それはないようだ。ま、こんなところかな、細かな内容は、やっぱ、居眠りのため無理ですな。
 夜は、「ブラタモリ」、今年最後の新作が流れた。「宇和島編」だった。藤堂高虎、伊達政宗の息が藩主という、辺鄙なところにあるのに、大物が統治している。その一方で、リアス式海岸で平地がない。ちょろっとある川を活かす工夫、沖合の島の段畑を活かす政策、地味だけどおもしろい内容。宇和島城は、元来、海城 だった。これ、壮観だったでしょね。平地のないところに聳える海城はかっちょええでしょうね。段畑も、いい観光資源になるでしょうね。みかんは、最後に少しだけ出てきた。これがメーンかと想像していただけに、めっちゃ外したってところだけど、それだけ、宇和島のこと知らなかったってことだね。次回は、もう年明けで「黒部峡谷」だって。前にも、近江ちゃんのときにやってんのにと突っ込んだけど、そんなこと判っていながらするということだから、余計にそそられてしまってます。


2023年 12月 9日(土)午前 7時 27分

 昨日は、夜にお出かけが入っていた。いいお天気で、気温も上がったので、絶好の洗濯日和。いいタイミングで、気温が上がりました。トルコでは、エルドーアン大統領がギリシアに行ったため、関係のニュースが流れているので、それを押さえようとすると、時間が要る。ということで、夜のお出かけまでは、ゆとりがなかった。ちょっとだけ、韓国系Youtuberのモッパン動画を視聴したくらい。そして、夜のお出かけ先はロームシアターのサウス、昔の小ホールであった、能の公演のプレ企画に行った。能の本公演は、あまり番組的にそそられるものではなかったが、このプレ企画にそそられてしまった。金剛流の宗家(金剛永謹)&若宗家(金剛龍謹)を迎えてのトークというのが、何とも魅力的。「“舞金剛”の魅力と、その起源」と題された催し。進行役は、当初、天野文雄さんが予定されていたが、体調不良のため代演、中嶋謙昌(能楽研究/灘高等学校主幹教諭)さんが、替りを務められました。それで正解でしょう。数か月前に、歴彩館で聴いた天野さんの講演、ちょっとぼやけてたから、交替で正解だったろうなと思ってしまってます。前半は、「舞金剛」と言われるわけを詰めて行こうと、まずは、中嶋さんが、文献的に「舞金剛」の文字が出てくるところから、金剛流の歴史を把握しながら、その流儀としての特徴を押さえられました。その中で、知らなかったこともゲットできた。今の金剛宗家は、弟子筋から金剛姓を継ぐようになったってことは知っていたが、今の野村金剛以前の坂戸金剛は、江戸時代に断絶をしたため、継続性は金剛姓くらいのようだ。しかも、坂戸は東京、野村は京都。「受け継いでいるものもあるけれども」ということで、同じ金剛宗家と言っても、能のスタイルも違うようだ。と言っても、同じ金剛。金剛流の特徴として、父が観世、母が金春という言い方があるそうだ。観世の謡に似ている。金剛は低いのを上げれば、観世と一緒に謡えるとまで言えるそうだ。舞は金春からというハイブリッドが、金剛の特徴。上掛かりと下掛かりのハイブリッドと言い換えることができる。舞の特徴を捉えるために、大夫さんの紹介があった。なかでも「鼻金剛」、動きが多彩というか、アクロバティックなもの、速い動きで人気を博したそうだ。今の金剛流にある「土蜘蛛」の驚異の業なんかが、受け継がれている最たる例ですね。そのことも触れられていた。そして、この日のハイライトは、金剛謹之輔の実演の映像を見せていただけたこと。100年程前に、フランス人の撮影したもので、近年、フランスで発見されたものだそうだ。仏光寺に能舞台があったそうで、そこでの演能。現在最古と言われている能の映像だそうだ。「羽衣」「橋弁慶」「隅田川」、あと2つの曲があったが忘れてしまった。後半は、今回の公演についての解説っぽいお話。というのも、その公演、通常のホール能に趣向が加えられているのだ。美術家大舩真言さんの大部な抽象画が、背景に使われるというコラボ企画なのだ。そこで、大舩真言さんが登場。自己紹介がてら、ご自分の作品を、パワーポイントを使い紹介され、今回の上演で使うと思しき作品も示された。個々の作品、また、その展示場所とのコラボという企画、それはそれで、おもしろかった。その展示場所まで、足を運んでみたいとも思ったが、このコラボには賛同できないので、公演についての話題になると、ボーっとして、聴いてなかった。軽く眠ったかもしれない。何もないところで演じるのが能じゃないかと思うのです。イメージを拘束されるのは嫌だと思うので、賛同できないのだ。そんなで、前半を聴けただけで、もう満腹のトークだった。質疑応答があったので、「土蜘蛛」以外に、アクロバティックな型が残ってないか聞いたが、斬り組が出てきたが、これは、金剛流だけじゃないので、ニーズに合わない。宗家が「道成寺」にもあるということを、ちょろっと出された。ただ、危ないのでやらないと。もう1つ、何か言われたが、うまく聴き取れなかった、残念。能の話は聴く機会が、なかなかないので、こういった企画は、ホント、有難いね。満足の夜でした。


2023年 12月 8日(金)午前 5時 54分

 昨日もお出かけ。お出かけ先は京都北文化会館。昔、烏丸車庫のあったところにできたホールだ。これが午後2時から。しかも、夜中の2時過ぎに起きたままなのに、昼前のウォーキングは、えらく控えめにしたりしている。時間が余って仕方がないと、明け方、自分のしていたことを、すっかり失念していた。TRT-1で、トルコ杯のマッチが流れていたので、それを観てたのだ。まだ、4回戦だから、「FUTBOL HABERLERI」には掲載しないのだが、だからと言って、観る機会があるのに逃す手はない。トラブゾン・スポルが登場したこともあり、且つ、フォトマッチ紙だかを使い、起用されている選手の顔ぶれを見て、即座に観ようと思った。トルコ・リーグと並行してトルコ杯は行われているものだから、ローテーションを執り、トルコ杯に出る選手は、4回戦辺りだと、ごっそりと入れ替わるものなのだが、それが、ごっそりとと言うものではなかった。エディン・ヴィスチャもバカセタスも出ている、ディフェンスなんか、数日前のトルコ・リーグのときと同じじゃなかったかな、そんなで観ていたのだった。相手はチョルム・スポルだった。そうだ、エルドーアン大統領が、ギリシア訪問に出かけるというので、関係の記事が出ていたので、それを読むのにも時間を使っていた。なんやかやで、時間は経つものです。
京都北文化会館では「佐竹裕介先生の音楽講座」があった。全4回で、西洋音楽史を、ピアニストの佐竹 さんが、ときには、ピアノを演奏しながらお話をされ、後半には、その日に出てきたトピックに関連した曲目の生演奏があるというもの。今回が最終回。そのお題は、「そして音楽は変革し続ける~卵の中身を覚えていますか~」ということで、20世紀の音楽を講じられた。ロマン派までが前回で、そこを突き抜けたり、引きずったりする音楽を追いかけようというもの。序盤はその復習。次いで、「①第1次世界大戦前夜/19世紀はまだ続いている」。「一味違った‶主観‶の形が現れる」として「a印象主義」と、「さらに違った形で‶主観‶が現れる」として、「b表現主義」を上げられた。aは言うまでもなく、ドビュッシー、ラヴェルら、フランス出のものを括るもの。bは、ツェムリンスキーやR.シュトラウス、シェーンベルクを、こういった形で括られた。単に、ロマン主義の延長でいいと思うのだけど、時系列的にはaと並ぶことも確か。両者の比較を、「ex」「im」の違いで説かれていた。aは「内から外へ」、bは「外から内へ」となる。それに続いて、出されたのが、「②大戦前に起こった華麗な自爆」。この言い方がいいね。その1つ目が「aシェーンベルクの〝調性破壊‶」。佐竹さんは、これを、「ここまで進んで来たドイツ音楽を、更に誠実に進めようとした結果だった」と言われた。黄紺などは、それまでの音楽では、当時の変わる大状況に対応できなくなったと考えてるんだけど、そういった社会的要因に触れないで、単に世界大戦で説こうとすると無理があるのかなと思ってしまったけれど、「自爆」とは、いいタームを使われたものです。その2つ目が「bストラビンスキーの〝バラバラごちゃまぜ〝」。ストラビンスキーは、調性は破壊しなかったが、異なった調性を同時進行させた。しかし、リズムを破壊した。あの「春の祭典」ですね。実際に、CDに録音された演奏を聴かせていただけ、再確認。次いで、「③第1次大戦後〝クールな時代〝」。この前で出てきた2人の問題。シェーンベルクは「新しいマニュアル作成」を考えた。それが「十二音技法」。ここのビフォーアフターの違いって、「ヴォツェック」と「兵士たち(Solidaten)」の違いだと思ったんだけど、当たってるかな? 騒音のように聴こえる「Solidaten」の音楽の方が安定感を感じてしまうので、、、外したかな? ストラビンスキーは「新古典派」と分類、「既にあるものを使う派」とされていた。彼は、古典をいじることで、古典ではありえない音を創り出したということ。「プルチネルラ」で例示されていました。このカテゴリーに、ヒンデミット、フランス6人組、サティ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチが入る。これらに次いで出てくるのが「④第2次大戦後/これは音楽か?」が、実は心待ちにしていたテーマ。カテゴライズをして教えて欲しかったのは、ここ! 「ダルムシュタット」を基点に生まれた新しい音楽を模索したのが、メシアンとその弟子たち(ブーレーズ、シュトックハウゼン)。彼らは、「十二音技法」の持つ音の高低によるおもしろさだけはなく、長さや強さに着目していく。それが「純セリー音楽」。メシアンは、12の音から、数学的な規則性に則り、音を抜いて、残った音の平等性を探った。すると、純粋な十二音技法より、耳ざわりがいいということが起こっている。確かにそうだ。このポイントは、最後のまとめに通じるような印象を持ってしまった。「純セリー音楽」は初めて聴くターム。ここからは、名前は知っているけれど、自分的にはカテゴライズがされてない話が続いた。マニュアル化とは真逆なのが「偶然性の音楽」。ジョン・ケージが、ここで出てきました。「偶然性の音楽」という辺りまで来ると、美術からアートへと移っていく表現方法の変化、アートとは何かへと突き進んでいくのにシンクロしてきちゃったな。アールブリュットに行きつくが、同じような流れを、音楽界を観るようだったな。「4分33秒」は演奏をしないで、その時間に聴こえてくる音に集中させ、音楽とはを問いかけている。セリー音楽が行き詰まると、ペンデレツキ、クセナキス、リゲティなんかは「音響のドラマとしての音楽」、ライヒは「ミニマル・ミュージック」と分類される作曲家が出てくる。「1968年が転換点」だと言う。権威への抵抗、世界的に湧き上がる。古来、権威と結びついて展開してきた音楽が、そのエネルギーを失っていき、戦後、否定されてきたはずの「感情、体温」の復活の兆しが出てくる。「新ロマン主義」「ポストモダン」と分類されるという。こういった流れを「迷走」と表現されていた。ここで区切りをつけて、おもしろい指摘があった。現代音楽の大きな分岐点、シェーンベルクとストラビンスキー、この2人の音楽で、現在、前者ではなく、圧倒的に後者が演奏される機会が多いという事実。「調性を破壊しないで、うまく逃げた」ストラビンスキーの方が残っている。「人間にとっては貴いはずの理性」により突き進んでいった音楽ではない方が残っているという事実、そういった人間の複雑さが看えてくると言うのだ。おもしろい結末です。今、我々はそこにいる。音楽はどういった風に、今後、展開するのか、余韻の残る締めでした。後半の生演奏は、次のようなプログラムでした。「ブラームス:間奏曲 Op.119-1(1893)a」「シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲op.19より第1曲(1911)a」「シェーンベルク:ピアノ組曲 Op.25よりメヌエット(1921)a」「ストラヴィンスキー:イタリア組曲より序奏、メヌエットとフィナーレ(1933)ab」「ヒンデミット:コントラバス・ソナタより第1、2楽章(1949)ae」「メシアン:世の終わりのための四重奏曲より第6~8曲(1940)abcd」。演奏者は次の通り。佐竹裕介(ピアノa)、田村安祐美(ヴァイオリンb)、小谷口直子(クラリネットc)、城甲実子(チェロd)神吉正(コントラバスe)。
 終了後、外に出ると、もう午後4時40分を回っていた。結構、暗くなり始めていたが、いつものように歩いて、三条まで移動。昨日は、気温が上がっていたので、鴨川の河原を歩いても、とってもいい感じだった。三条までは1時間もかからない。佐竹さんの講座、シーズン2が新年度に始まる。次回は5月。ということは、今度、鴨川の右岸を歩くときは、三条に着いても、まだ、明るいということ。そこまで、あっという間なんだろうななんて考えながら歩いてました。


2023年 12月 7日(木)午前 5時 14分

 昨日は、朝からお出かけ。そして、ハシゴ。忙しない。ここしばらく、連続的にお出かけ予定が詰まっている。いや、一昨日、映画に行き、怒涛のお出かけが続くのに、映画館でいい情報を得て、昔の同僚と、一緒に映画を観に行く約束をしてしまった。読みかけのリーメンシュナイダー、おもしろいので、ゆっくり読みたいんだけど、今は、電車の中での走り読み、これも、もったいない。
 朝から出かける水曜日となるとアスニー山科。昨日は、前アスニー山科専門主事の田井茂実さんの講演を聴くことができた。昨年度まで、この市民向け公開講演会を担当されていた方。古代史の専門家でもあるので、今月、2回、おもしろそうなテーマで登場される。昨日は、「古代人の太陽信仰」というお題だった。だけど、冒頭から3/4程、ダウンをしてしまった。ほとんど冒頭から眠るということだから、なんででしょうね。午前4時過ぎに目が覚めたとは言え、さして珍しいことではない。ちょっとだけ覚えているのは、「向日神社」が、1つの起点だそうだ。「向日」は、「太陽に向かう」=太陽信仰を意味しており、それと似たネーミングが山科にもあるそうだ。それが日向大神宮。その両者の関係がおもしろい。向日大神宮は、向日神社から夏至の日の日の出の場所だそうだ。冬至の日の日の出の場所は宇治の朝日山、ここにも「朝日」が付いている。ひょっとしたら、朝日焼の「朝日」? こういった場所を、ずーっと追いかけて行かれたのが、今回のお話の大部分だったようだ。京都から始まり、奈良、大坂と続く。レジュメを見ると、蚕の社、松尾大社、糺の森、大神神社、坐摩神社といった著名な神社が並ぶ。各神社に残る太陽信仰の跡を、ご自身で撮って来られら画像を映しながら、その詳細を辿って行かれていたようだ。「陽光」の出てくる神話を、その後にピックアップされていた記憶がある。光はベクトルで表せるので、神話の中では「矢」のような尖ったもの(方向性のあるもの)で表せられる。賀茂社の「別雷神」の神話を思い出せば、それで十分。色んな変化はあっても、基本は、あの神話と同じ。神の誕生、豊穣へと繋がるモチーフだ。「太陽の子=皇帝&天皇」というプロットになると、斎王につながる、神との交わり、天皇に捧げられる女というトピックとなり、その原型が「一夜妻」だそうだ。このタームは、初めて知ったが、斎王って、そういうことだったってこと知ることができた。古代エジプトで、1日単位で、日没となると、翌日、太陽が出るかとの不安が支配したという感性があったってこと、何かで読んだことがあるけど、それと同じ。スパンは大きく、「冬至の不安」を取り上げられていた。「天の岩戸」の神話も、「冬至」と「一夜妻」のモチーフが原型にあると考えれば、読み解けるようだ。日本以外のお話もされていた。マチュピチュは、太陽観測所・天文台のあったところだと言われていた。決して、インカ帝国の残党が逃げ込んだところではないそうだ。ジグラットを太陽信仰に入れられていたが、いかがなものでしょうか、あすこは月だと思うんだけどな。話の骨子は外してないと思うけど、具体的な各神社の太陽信仰の跡巡り的な箇所が抜けている。筋立ては、予め予測の立ったものだったので、聴いておきたかったのは、その聴けてない部分だったんだよね。居眠りをする時って、大概が、このパターンだね。
 アスニー山科を出ると、JRで瀬田へ移動。今年最後となる滋賀県美へ行ってきました。今月いっぱいで、工事に入るので、暫しは、お休みに入ってしまう。昨日の狙いは、新たな常設展「見立ての美」。お題の通りに、何かに擬えたものを並べるというコンセプト。会場に入るまでは、日本画が並ぶのだろうと、意味もなく思ってたが、日本画は2つだけ。ということで、構成がおもしろかったな、こういった構成を考えることができるキュレーターさんがいるということ。凄いね。日本画のチョイスも、おもしろかったんじゃないかな。駒井源琦「江口君図」と野村文挙「近江八景図」。いずれも、関心を引いた作品。駒井源琦は知らなかったけれど、応挙の下で、長沢芦雪と並び称された作家さんだとか。また、こういう形だけど、長沢芦雪に遭遇してしまった。安定感抜群の作品。白象が、姿形だけではなく、普賢菩薩に擬えれらる江口君を担うだけの重厚感がある。その江口君、どういった様子で白象に乗っているのか、確かめようとしたが判らなかったが、遊女とは思えないな、でも、普賢菩薩なんだから、その風格で描かれている。手にした文は、何なんだろう? 謡曲「江口」に文は出てきたっけ? だけど、解説文に観阿弥作と書かれてあったが、それは、いかがなものかな。最新の研究では、そのようになってるんだろうか? 野村文挙の方は、すっかり失念していたけれど、山本春挙の師匠でした。8面の内4面を展示。コンパクトな屏風絵。帆掛舟や雁の礫のような細かさが、いいですね。2つ目のパートが工芸の大家3名の作品。上田直方(五代)、志村ふくみ、杉田静山という大家、滋賀県美ではなじみの深い人たちです。志村作品は、この展示の照明が、良さを引き出せていないと思った。もっと明るい照明を当てた方が、より映えるのに。その真逆が信楽焼の上田直方(五代)作品。焼きは、信楽焼の極致、形状が民具の見立てだそうだ。杉田静山は竹細工の達人。今で言う超絶技巧作品となるように思えた。素材を操る自由が、着想の自由さを支えます。3つ目のコーナーが現代アート。この変化が楽しい。マルセル・デュシャンの「ヴァリーズ」が、ここでも出ていた。何でもありの中で、ヴァリーズに収まる作品群、何かを示唆しているようですね。八島孝一作品は、初見だと思う。アールブリュットにカテゴライズされる作品。廃棄物を拾ってきて、何かに見立てて作るというのが、制作の流れ。これがおもしろかった。れんげをひっくり返して、メダル状のものにくっつけて「ヘリコプター」が最高! 笹山忠保の「白いかたちたち」は陶器作品。縦長の白っぽい直方体にのった、様々な形。何でも作っちゃう業界、それに応える個の力。ぱっと見では、陶器作品とは思えない。最後は、石黒健一の「百年後に見る鳥と魚の夢」。既視感があると思ったら、この美術館がリニューアルオープンしたときに出ていた作品。この美術館所蔵のコンスタンティン・ブランクーシの「空間の鳥」を3D スキャンして縮小再生。形状が釣りに使うルアーに似ているからと、それを実際に琵琶湖に生息するブラックバスの群れる湖水に入れる。そこまでの過程、美術館の所蔵庫から作品を出し、3D スキャンするところから始まる映像、10数種のルアー、実際に使った釣り糸、ブラックバスの導入から、この作品制作までを解説するチャートを描いた絵画と言っていいのか、画像もあった。出逢わないもの同士を出逢わせるというコンセプト。で、どうだと投げかけられても、おもしろいことやってる以上のものが、頭に浮かばなかった。イマジネーションが足りないのか、それでいいのか、、、、。あとの展示も、ざっと観た。既に観ているので、前の確認程度で。「小倉遊亀コーナー」「さわるSMoAコレクション」がそれら。あと、ロビーを使い、「TRAVEL to 滋賀に生きる造形 VOL2」という展示もあった。このコーナー、前にも観た記憶があるんだけど、アールブリュット関係の作品を紹介してくれている。今回は、甲賀市信楽にアトリエをかまえる岩村遠と、甲賀市甲南のやまなみ工房に所属する吉田陸人、2人の作家のコラボという試み。岩村さんの縄文土器ともアニメから飛び出してきたかという陶器の作品を映像化して、それを吉田さんに渡すと、それに彩色をしていく。その色彩の配置、ここの塗りの形状がおもしろいのだ。そして、そのコラボの経緯、お二人の通常の制作の様子も入れた映像が、傍らのモニターから流れる。今回は、既に工事に入っている展示室3は閉鎖されていたけど、こういった細かな展示が、他にも、あと2つあった。1つは、琵琶湖で漁業をされている方の様子を取材に入ったアーティストたちが、各々の異なった表現方法で、そのときの様子をレポートするものがあったり、いつも講演会でお世話になるホールでは、近江八幡と言われたかな、お寺で、様々なアーティスト(ウクライナ、カタルーニャからのアーティストら)を招請して、その作品を展示したり、コンサートをしたりした様子、早い話が、ミニ・ビエンナーレというイベントの紹介(記録の映像、そのときに展示された作品の展示)が行われていたり、どれをとっても、ミニ展示だけど、楽しいんだなぁ。狙いの常設展は、展示室1を使っただけだったので、あっさりと引き上げることになるかと思ってたら、いろいろと楽しんじゃいました。今度、滋賀県美に行くのは、もう春です。再開ということで、なんか凝ったものが出ることを期待しています。


2023年 12月 5日(火)午後 8時 4分

 昨日考えたこと、今日は、ほぼ迷いことなく、実行を移すことにした。だいたい、そういったときは、止めることが多いけどね。日延ばしにしてしまうと、面倒になることが多いんだよね。ところが、今日は、そういうこともなく、行きたくなった。韓国旅行から帰ってきて1ヶ月半が経ち、この間、韓国食を求めていたりするのと、同じ心と看られる。映画は、京都シネマでの「スイッチ 人生最高の贈り物」。行くという腹が決まったので、朝の7時頃には、ネット上でチケットを買っておいた。そこで、昨日は、フェネルバフチェのマッチがあったので、朝から、それを押さえ、一通り、その作業が済み、食糧の買い出しにも出かけ、お出かけ用意が整ったとき、ほんの僅かに時間があった。10分程、早く、準備が整ったのだ。そこで、「まーぶる」が始まっていたので、10分程だけ、聴こうと思い、アクセスした。その冒頭2分も聴かないで、びっくりした。いきなり、2人の話題が、京阪電車の人身事故になり、梶原さんがアナウンサーらしく、簡潔に状況を説明したのだ。あかん、京阪電車では行けない。映画を観る前に、どこかでお昼も食べて行こうと考えてたので、時間には余裕があったが、下手すると飯なしで映画を2時間近くは辛い。京都シネマは、幸い四条烏丸だから、地下鉄があると、急遽、変更。ホント、偶然とはいえ、Radikoだと、番組が、進行形であっても、冒頭から聴けるから、この情報をキャッチできたのでした。この前、いつだったっけ、大阪の長沢芦雪展などは、1日延期することになったこと考えると、やっぱ、京都だと融通が利くので助かるね。ただ、地下鉄使った方が、高くつくのが腹が立つけどね。定期を持ってれば、振替輸送となるけど、そうじゃない身は、全く持ち出し。僅かな金額だけど、こういった理不尽な出費は腹が立つ。
 映画は、いかにも韓流ものという設定。売れっ子の俳優と、そのマネージャーは、元劇団仲間。片方が売れ、片方がマネージャーになってるという間柄。勝ち組の男、これをクォン・サンウ、負け組がオ・ジョンセ。勝った方は傲慢なふるまい。クリスマスの夜、家路を急ぐマネージャーを強引に誘い、飲みに行く。が、帰ろうとして乗ったタクシーが、何か変。この2人が入れ替わるという、いかにもという設定だということは、映画の紹介文で把握してしたけど、どういう風にしてかは判らなかった、それがここでだった。単に乗ったタクシーの運転手が神か魔術師か、何者なのか、最後まで明らかにしないで終わるのだけど、売れっ子俳優の過去を知っていて、今の傲慢さに警鐘を鳴らすかのように、2人を入れ替えると言う。気がつくと、オ・ジョンセの家庭は、こうなんだろうと思える環境に、クォン・サンウはいた。妻は、俳優としてのチャンスを掴めるとして捨ててしまった女(イ・ミンジョン)で、双子の子どもがいた。その家庭で、1年間、次のクリスマスまで、家族として暮らす内に、そこでの生活になじんで行く。子どもになつかれ、捨てなければ、そして、売れっ子にならなければ送るであったろう生活を送ることで、ケンケンした感じ、傲慢な感じが消えていく男。一方の男は、逆に売れっ子になっている。そのマネージャーになっていく経緯も描かれていくが、それも、クォン・サンウが、妻や子どもとの生活を維持するための苦渋の決断とされている。こういった流れ、先に見えているのは、神か魔術師かは判らない、タクシーの運転手が、どこで、再び、現れるかだ。そして、どのような結末が用意されてるかが気になる。どのように、この物語を終わらせるかだ。家族の間で、クリスマスが話題に上がった。ということは、終末に向かうということ。そして、結末は、この時点で、既に読めていた。実際、そのようになった。こういった幻の世界ではなく、実際の世界では捨てた女は、どこかで生きているはずだから、その女が出てくるのだろうという予測だ。でもだ、そういう風に判っていても、結末に向かっていくと、泣いた。だって、子どもたちとの別れを意味してるのだからだ。これは、あかん。自分の頭に中で、同じくらいの年恰好のDとSに被るからだ。これは切ない。現実の世界に戻る、そこから、女との再会には、女が描いた絵が、上手く使われていたのは大拍手だね。最後の最後の大団円は、蛇足だね。韓流映画って、こういった、自分の生活環境と照合しながら観れるとこ、あるんだね。かつては、チンピラ役がはまってたクォン・サンウだから、傲慢な売れっ子俳優役はお手のものだけど、家庭的な柔和な役柄も、すっかりお似合いになっている。年の功というところでしょうか。そんなで、韓流映画に染まってしまった昼下がり、まことに結構な時間となりました。1度、こうして映画館に行くと、映画の情報が入ってくる。今日は、トルコ映画の上映予定と、ペルー映画祭の情報を手に入れてしまった。途端に、12月が忙しなくなりそうな雰囲気です。
 「まーぶる」は、帰宅後、聴いた。今日も、二葉は東京から出演。週に4回も独演会をすることがあると言っていた。これは、もう無茶だ。「天神山」の進捗状況は、どうなんだろうか? これを書いているのは、まだ、半ばまでしか聴けてないので、不明。ぼちぼち、冬のネタとして「池田の猪飼い」が出てきそうな時期だけど、そのネタ繰りをする時間もあるのだろうかと、勝手に気にしてしまってる。以前、頻繁にかけていて、最近出していない「書割盗人」を出して欲しいなと思うんだけどな。「蛸芝居」を出すのは大変だろうけども、「書割盗人」は、それ程ではないはずなんで、出せばいいのにと、多忙だと聴くと、そんなことを考えてしまってます。


2023年 12月 4日(月)午後 9時 34分

 今日は、お出かけなしの月曜日。久しぶりに、映画でも行こうかと、椎間板ヘルニアが出て以来、やってなかった映画館チェックをしてみた。すると、いかにも韓流と言えそうな映画を、1本、見つけた。これはいいと思った。クォン・サンウ主演となっている、ますますいいじゃないかと、かなり、その気になった。そんなことを考えていると、ふと、予定表が頭を掠めた。なんか、おかしい。真っ白じゃなかったような気がしたからだった。慌てて、予定表を見て、納得。掠めた記憶が正しかった。月曜日には、あまりお出かけは入らないだろうと、歯医者の予約を、2ヶ月前だったかに入れていたのだった。それが、もやもやと頭を掠めて、正解。しかし、歯医者に行っても、映画は行けないことはないが、諸般の事情で、行くなら、明日にしようと考えた。ただ、明日になると、「まーぶる」があるので、どうなるかは判らんけどね。
 そんなで、外出は、こういったときの定番、日に2回のウォーキング時だけ。今日は、2回併せて、歩数で書けば、17000余、歩いた。椎間板ヘルニアが出るまで、目標としていた歩数をクリアしたことになる。午後の一時は、まずは、Youtubeで動画を観る楽しみ。韓国系Youtuberのモッパン動画が楽しい。昨日の昼ご飯は、キムチチゲを食べ、今日のお昼は辛ラーメンを食べていながら、Youtubeでも韓国食を観ている。どこまで、韓国食が好きやねんと、自分に突っ込んでしまってました。そんなの観ていると、次回の韓国旅行が3月というのは、なんか遅すぎると思ってしまってる。1月下旬に、香港行くか、熱海行くか、それを考えてるけど、韓国、中でも釜山に行きたいんだよね、これも、選択肢に入れてみるかな。いずれにせよ、1月初旬には、香港or熱海の判断はするつもりだけど、最近、贔屓にしている無職旅氏のYoutube動画で香港を流してるけど、それを観ていて思うんだけど、尖沙咀を、自分が歩く姿は、ほぼ外してるんだけど、北角は外せないんだよね。それに加えて、上環辺りの表通りから逸れた地域とか、行ってみたいんだよね。だから、まだ、香港を落とせないでいるのです。そんなことを思いつつも、熱海や三島を調べてる。今日も、ちょっとだけ、やった。そんなことをしてたら、「インターネットミュージアム」から「2023-24年 冬のおすすめ展覧会 ベスト10 ― 全国版 ―」なんて情報が入ってきた。黄紺が狙っている関西圏の展覧会が目白押しの中に、熱海旅行計画の中に入れている展覧会が入ってたものだから、かなり留飲を下げてしまった。「俺の目のつけ方は独りよがりじゃないぞ」の気になってしまい、ここで、熱海に、かなり揺らいだな。そんなこんなをしながら、行き先を決めるまでが、まずは楽しいんだよね。
 「サムソンとデリラ」の続き、2幕を観た。1幕では、さほど出番が多かったとは言えなかったデリラは、端から出ずっぱり。有名なデリラのアリアは、忍んできたサムスンを手なずけたと思えるときに歌うのですね。長いこと、このオペラを観てなかったので、そないなことも忘れてしまってた。第一、メトロポリタンのライブビューイングで、ガランチャがデリラを歌ったときに、このオペラを観てるんだけど、このDVDと同じプロダクションかも判断できないでいるのですから、無理もないかと思う。そう考えると、最近、観る機会のないオペラを、じっくりと観直すのも、なかなかいいなの気分。年末から年初にかけ、お出かけ機会が激減するときに、手持ちのDVDを観直すかの気になって来ています。


2023年 12月 3日(日)午後 8時 32分

 今日は、朝から大失敗の日曜日。もう元に戻ったと思ってたPCが、肝心なところで変調。PCを使い、NHKプラスで「日曜美術館」を観ようというつもりが、おじゃんになってしまった。ぎりぎりまで、順調だったのが、新しい方のPCに切り替えようという、その直前に変調をきたした。唖然とするしかなかった。そのため、オンラインに繋げなくなってしまった新しい方のPCを使い、DVDを観ることで、替りとした。DVD置き場から抜き出してあったものから、「サムソンとデリラ」なんてのを引っ張り出した。長いこと観てないオペラ。ドミンゴの歌うメトロポリタンのプロダクション。1995年くらいの収録だったけど、ルネ・パペが出てたのには驚いた。もう、この時期からメトロポリタンの舞台に上がってたということだから、めっちゃ息の長い活躍だ。そんなで、替りとはなったけど、日曜日の朝の定番が崩れたのは痛い。特に、今日は、浮世絵を取り上げた新作だったので、残念度が高い。来週の日曜日に2本、観なければなりません。ま、観れるからいいけど、新作は、その放映日に観たい。そう言えば、昨日、メモを忘れたが、ブラタモリの新作「世田谷編」があった。昔の玉電を辛うじて見ている運の強さがあるんだけど、世田谷線って、全然、知らなかった。世田谷城なんて、世田谷編で、歴史をするとは思わなかった。そういった意外性があったな、知ってる人は知ってることなんだろうけど。世田谷は、あまり縁がなかったなと思ったけど、でも、成城に友人がいたし、毎日、奥沢を通っていたときもあったから、そんなに無縁じゃないけど、昨日の放送で出たトピックは、ほぼ知らなかったので、有難かった。
 午後は、アスニー京都へ出かけた。京都市埋蔵文化財研究所主催の「文化財講演会」があったのだ。午後1時半開演ということで、お昼は外食にした。最近、外食が増えている。そうすると、無理のない時間の使い方ができるのがありがたいものだから、そうしてしまってる。余計な支出と思うけど、最近は、そうしてしまっている。今日は、韓国から帰って来てから辛ラーメン以外は、韓国食を食べてないということで、アスニー京都近くの韓国料理店でキムチチゲを食べた。ここのオイキムチが、なぜか食べられる。青臭さが取れたキュウリだからでしょうね。そんなで、講演会だが、お題は「『源氏物語』の舞台を探るー内裏と貴族邸宅ー」。ここでも、「源氏物語」が出た。ま、大河が始まると、アスニー京都は、人気のスポットになるだろうし、平安京の発掘に勤しむ同研究所にも関心は向くでしょうしね、これを機にと、こちらも勉強させてもらうつもりで行ったんだけど、かなりのしくじり。前半は完落ちに近かったな。後半になり、徐々に回復はしたが、その前半が、同研究所の発掘成果を報告する時間帯だったから、この講演会の基礎を得られなかったってことになる。それらを含めて、プログラムをメモっておく。報告①「天皇と后の住まい~平安宮内裏跡の発掘調査~」(近藤奈央/公財京都市埋蔵文化財研究所)報告②「平安宮貴族の邸宅の調査結果」(家原圭太/京都市文化財保護課)講演①「平安貴族の住まい~建築史の立場から~」(藤田勝也/関西大学教授・建築史)講演②「『源氏物語』に描かれる建物たち~後宮弘毅殿と光源氏の六条院~」(山本淳子/京都先端科学大学教授・国文学)。実は、居眠りをしたとは言え、近藤さんの報告で出たであろう弘毅殿や登真殿の発掘成果や、家原さんの報告で出た西三条第の発掘成果は、以前、同研究所の講演会で聴いている。だから、後半の講演会で、前半を聴いたものとして語られることは、うっすらと記憶に残っているので、そんなには苦労しなかった。ましてや、山本淳子さんの講演は、このアスニー京都でされた講演2本分を1本にまとめられたような内容だったこともあり、特に、こちらの講演については不自由はなかった。山本淳子さんは、そのお話をされたときに、発掘成果を踏まえたお話をされているので、余計に困らなかったと言える。そして、こういった講演を、アスニー京都で聴くと、毎度言われるのが、その平安宮のあったところにいるということ。ホント、弘毅殿やら清涼殿があった辺りにあるはずですよね。藤田さんのお話では、とっても平安京の基礎から教えていただけた。区画の作り方、その区切り色々の呼称という基礎からだった。「坊」「条」「町」など、知っていながら、具体的には、何ら、自分では説明できないターム、有難かった。インシャーラー、この人のお話が冒頭だね。この区画を知ってると、六条院の異様な大きさが判る。貴族の位階、それと呼称、邸宅との関連、ヒエラルキーが徹底している。寝殿造りと呼べる邸宅を持っていたのは、1位と2位と言ってられたかな。多くて30人と言ってられたと記憶する。園地があり、池には州浜があったというのは、ここでの報告だったか、浄瑠璃寺の庭園再興のお話を聴いたときだったかな、そないなものがあるというのは聴いたことがあった。屋内の作りに段差があったトピック辺りが曖昧だということは、この講演でも居眠りをしている証拠だね。もっと大事なことを、聴き落としている可能性がある。「庇」の話をされていたのが大事そうだと思い出した。これで、屋内部分を拡げることができるそうで、その辺の細かな論理が判らないのが悲しい。柱も関係してくるわね、でも記憶に入っていない。それと、レイアウトの左右対称か否かという問題が、作りを考えていく場合、未解決らしい。今のところ、両論あるそうで、決定的な史料が出てきてないようだ。藤田さんは、シンメトリー反対派だそうだ。寝殿造りを再現した公園なんかが、幾つかあるそうだ。その1つが、紫式部公園(福井県)。確か、父親の関係で越前住まいを経験してるんですよね、その関係の公園にあるそうだ。奥州藤原氏の居館の再現もされてるそうで、そこでも観ることができるらしい。山本淳子さんの講演は2本立てという感じ。前半が「花宴」から。光源氏が彷徨うのは弘毅殿というわけだ。そして、忍び込んでしまうのが朧月夜ちゃんのところ。それが、発掘成果と照合できるというわけだ。後半が、猫の仕業で、柏木が女三宮を見てしまうという有名な場面。これが六条院での蹴鞠での出来事。有名だということで、古来、絵師たちは、これを描いている。幾つか紹介されていた。でも、正解はなさそう。そこで、山本淳子さんは、ご自分で再現図を描かれていた。そのときの、光源氏、夕霧、そして、柏木の動線も指摘されていた。いずれも、名場面。それを、建付けと照合しながらのお話。正に、この講演に見合ったもの。山本淳子さんの講演は、ホント、いつ聴いてもおもしろい。司会の方が「引っ張りだこ」と紹介されていた。この司会の方が可笑しい。山本淳子さんの講演が終わると、「いかに、光源氏という人が酷い男かが判りました」とは、正直すぎるコメント。正直すぎると、可笑しいね。だって、「そんなこと、判ってるやん」と突っ込みたくなるからね。


2023年 12月 3日(日)午前 7時 57分

 昨日は、午後に落語会に行った。ま、午後のお出かけは、よくあることだけど、一昨日は、夜のお出かけだったことから、やっぱ、生活のリズムが崩れるから、忙しなくて、困ったな。おまけに、今日の午前中の動きを考えると、昨日を洗濯日にした方が賢明と判断したので、これを入れると、更に忙しなくてなった。おまけに寒さが、一段と厳しくなっているので、洗濯ものを干しに屋外に出るのが、躊躇される季節になってしまってるから、忙しないだけじゃなくって、鬱陶しいが入ってしまう。でも、一応、お出かけ前に目標を達成できたのが、良かったかな。
 落語会は、長岡京市中央生涯学習センターであった「第3回 長岡京奮闘落語会」。この時期に3回、開催されている。どの辺から始まったかは把握してないが、一昨年だったかに行っている。若手とされる噺家さんに重点を置いた顔付けというのが特徴の落語会。前に行ったときは、米紫がトリをとったのを覚えている。今年は、スケジュールの関係で、昨日の1回しか行けなかった。あとの2回も、躊躇うということのない顔付けだったので、行きたかったのだけど。なかなか情報を手に入れるのに苦労しています。で、昨日の番組は、次のようなものだった。希遊「手水廻し」、あおば「紀州」、石松「寝床」、(中入り)、文三「四人癖」、染左「掛取り」。文三がベテラン扱いでゲスト枠。こういった番組って、なかなかないので、とっても貴重な感じがしますね。希遊は、今月末に聴きに行こうとしてるんだけど、ここでも聴けたのはラッキー。若手で、活動が、最も活発な噺家さんと言ってもいいくらい。それと、九ノ一同様、「噺家グランプリ」も「NHK落語家コンペ」にもファイナリストにならなかったわけも探りたいので、希遊をターゲットにしていたので、余計にラッキーなのだ。時間のこともあるのだろけれど、喜助や寺に聞くに行くところは地で済ませたり、おいしいところは、程よいデフォルメをかませ、そのかませ方に、いいセンスしてると思ったので、彼の何が気に食わなくて、ファイナリストにしなかったのが、意味不明とすら思ってしまった。出来過ぎ感を感じられ、臭いと看られた可能性は残るけどね。でも、決して臭いとは、自分的には感じなかった。あおばは、予想通り、ベタなマクラを振りながら、自然とネタに。地噺だから、その辺の移行に無理がなかったのは、相当、腕を上げたなの印象。確かに、最初から、臭い喋り方はしてたけど、それを嫌だと思わないのが、この人のいいキャラんだろうな。そういった意味では、この「紀州」のような地噺、かなり喋り込んでるなと思わせるスムーズさ、達者さもあり、いい感じで推移。前に出た希遊の高座を観て、負けん気も出たんじゃないかな。いい刺激をもらい、感じのいい高座。昨日は、次の石松と染左の口演半ばで寝落ちをしてしまったんだけど、前2人のスパーク感は引き継がず、独自のペースで噺を進めるのが、石松らしいね。中トリの重しを受けての高座というところか。でも、「寝床」は、石松では、全く想定してなかったネタ。持っていることも知らなかったどころか、合うのかという疑問まで、始まった辺りでは思ってしまった。これも、時間を意識してか、触れ回りの結果報告はほぼ端折って、店の奉公人らの嫌がる描写で済ませた。おいしいところなんだけど、この省略に気乗りがしなかったのが、寝落ちの原因かもしれない。前の若手に刺激を受けたのか、一層の進化か、その辺の判断がつかないんだけど、文三のテンションが、前より増して上がってた。相変わらず、マクラでの気遣い、いや、最早べんちゃらと言ってもいいよなお喋り。これで、自分の空気に持って行けるものだから、後はやりたい放題ってところ。らしさ満杯で、大満足の口演でした。トリの染左、「51歳で若手」と掴み。でも、白髪に、完全になってしまってる違和感。「51歳」でも「若手」でもない! 季節ネタを口演。「狂歌、浄瑠璃、芝居、喧嘩」というラインアップ。冒頭部、狂歌の部分で、ちょっと言葉があやしくなりかけ、ヒヤッとさせられたのが、寝落ちした原因かもしれない。浄瑠璃が上手いなとは感じた記憶があるけど、芝居になると、「お掛け取り様、お入り~」しか覚えていない。そんなで、お開きになってしまった。自分的には、尻切れトンボ状態で、情けない。
 伏見から長岡京は行きにくい。バスが、一番安上がりなんだけど、本数が少ない上に、乗り場が辺鄙なところにあるのが難。ダメならば、阪急かJRで大回りしなければならない。結局、昨日は、時間、昼食を考え、往きはJRを使い、帰りは、時間を気にしなくていいということでバスを使った。1時間に1本のバス、長岡京市中央生涯学習センターで、イベントのチラシを眺めてたら、程よい時間になったので、バス停に向かったけど、バスが来るまでの僅か5分が、寒くて堪らなかったな。厳しい季節に入っています。


2023年 12月 2日(土)午前 6時 27分

 昨日は、珍しく、夜にコンサートに行った日。但し、京都だから、ぎりぎり日常を外してないかと、自己満足。ということで、午後4時までは、普通の時間が流れていた。昼前のウォーキングはいつも通り。でも、午後の一時が潰れてしまった。古い方のPCが、またしてもストライキ。ようやく、元に戻ったかの感触を持った辺りで、午後の一時は潰え去った。時間切れというところした。そして、午後4時をメドにお出かけ準備。昨日は、時間の流れを考えて、夕食を外食にしてみた。これだと、生活のリズムを崩さなくて、お出かけができるので嬉しい。今後は、このやり方を増やしていくことになると思う。そういった意味では、北大路駅近くのネパール屋さんがいいと判断。ここは、歴彩館でイベントがあると、前を通るものだから、気になって仕方なかったお店。マトン・ビリヤニを注文。最近というか、日本でと言えばいいかな、ビリヤニを食べてなかったものだから注文。これが美味かった。インディカ米は使ってるわといういうことで、とっても嬉しいお店に出会えました。この店、ネパール屋さんなのに、ガッパオなんて、よそ者の料理も出す。また、今出川界隈に、もう3店があると言ってたので調べてみると、京都市内北部にあるので、あまりご縁はないけど、この北大路のお店は、これからも縁がありそうだ。
 そんなで、コンサートは、京都コンサートホールでのもの。室内楽だから小ホールの方だった。ラデク・バボラーク&バボラーク・アンサンブルのコンサートがあった。ラデク・バボラークはホルン奏者。実は、このコンサートを知るまでは、知らなかった演奏者。モーツァルトの珍しい曲が出るので、モーツァルト・マニアの福井の友人に知らせると、とんでもなく著名な奏者だと言う。ならば、そのモーツァルト作品の極上の演奏が聴けるのではと、行こうと決断したコンサートだった。そのプログラムは、次のようなものだった。「W.A.モーツァルト:ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407/386C」「W.A.モーツァルト:ホルン四重奏曲(原曲:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304)」「W.A.モーツァルト:ホルン協奏曲第1番 ニ長調 K.412&K.514/386B」「ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K.417」「ブラームス(アスラマス編):ホルン五重奏曲(原曲:弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111)」。狙いは、冒頭の五重奏曲。黄紺は、生では、10年程前に、1度、京都で聴いたきり。そのときも、「これ1回だろう、生涯に生で遭遇できるのは」と思って出かけた。やはり、室内楽は、編成がレアなものだと、コンサートで出る機会はない。今回のように、主役がホルンで、そのホルンをメーンに据えたプログラミングということで、2度目があったのだった。ホルン協奏曲はまだしも、あとの2曲は、こういった機会にと編曲されたもの。さすがに、聴いていて無理感があった。そもそも、弦3本なり4本を相手にすると、ホルン1本でも音が大きく、バランスが悪い。弱音で吹くと、急激にらしさがなくなり、今度は、ホルンが消え入りそうで、こちらもバランスが良くない。その中間を出すことができない、だから、室内楽曲が、ほとんどないという仕掛けになってることが、よ~く確認できたコンサートとなった。そういった意味では、モーツァルトの五重奏曲は、よくできたものと言わざるを得ない。コンチェルトの方は、オケを相手に渡り合えるように書いてある分、さすがにバランスは悪かったが、耳慣れた曲であるため、まだ、すんなりと入ってきたが、あとの2曲は苦しかったな。演奏は、さすが、これが世界最高峰と唸るもの。ホルンに顔があり、その表情が豊かなもの、そういった演奏が可能であることを知らしめるものだった。おまけに、特別編成なのでしょうか、アンサンブルの演奏が良かったな。特に冒頭の五重奏曲の演奏を盛り上げ役を買ってたな。この曲だけ、左から、「Vn1、Vc、Va、Vn2、Hr」という並びで、後は、「Vn1、Vn2、Vc、Va、Hr」という並びだった。「その心は?」と聴きたくなったこだわり、知りたかったなぁ。平日の夜というのに、満杯にはならなかったけれど、結構な入り。やはり、ネームヴァリューがあるということを、そんなことでも知ることになった。そして、若い人が目についた。爺婆ばかりが目に付くコンサートにばかり行ってるので、それに比べるとということでだけど。もちろん、多くは爺婆なんだけどね。
 さすが、夜のコンサート後には、この会場からの定番の三条までのウォーキングはやらなかった。北大路通にまで歩き、バスに乗るのが、こういったときのお約束。家に帰ると、10時半に近かった。晩酌をしたら、呆気なくPCの前で寝落ち。やっぱ、夜のお出かけはきついね。


2023年 11月 30日(木)午後 9時 37分

 今日は、お出かけなしの木曜日。週末の3日間は、出かけることになっているので、丁度いいところに、休養日が入った。ということで、外出は、定番の日に2回のウォーキング時だけ。今日は、強くはないが、風があったので、寒かった。昼前のウォーキング時に、休憩に寄った公園で読書をしようかと思ったが、いい陽射しがあったが、その風のために辛抱できなくなってしまい、早々に切り上げることになった。せっかく、昨日、無くなったと思ってた本が、黄紺の勘違いから、思いの外の場所にあるのを見つけて、読みたかったのに、あっさりと断念。やっぱ、年々歳々、寒さに対する耐久力が落ちてんだろうね。風に負けたと思ったときに、そう思った。そこまで、強い風じゃないのにと思ったので。夕方のウォーキングは、もう出かける時間で、ほぼ真っ暗だ。冬至まで、あと1ヶ月ないんだから、仕方ありません。でも、3週間余で、今度は長くなっていくんだと思うと、我慢できそう。見つけた本は、リーメンシュナイダーの伝記&評伝といったもの。そんなものが、かつで出てたんだね。この人の作品は、ローテンブルクで観てるから、モチベーションがあったのが、心覚えの書架になかったのが判ったときはショックだった。それが見つかると、嬉しいもんだね。ゴシック期の作家なんてのを書いたものって、あと、あるのかなぁ。
 そんなで外で読めなかったもんで、家内で読もうとした。午後の一時にいいと思った。丁度、古い、動きの悪いPCが、一層、機嫌が悪く、なかなか立ち上がらないので、これは好都合と思い、電気ストーブに身体を向けると、程よい、温もりは、アッという間に眠気を誘ってしまった。これはいかんと、気を変えて、この2日程、溜めてあった新聞記事をPCを観ながら読むことにした。PCの前で、よく寝落ちをすることがあるが、今日は大丈夫だった。「コロナ禍を経て」という書き方だ、トルコのマスコミは。ワクチンが心臓病に影響を及ぼしているとか、閉じこもり生活を喚起したりして、物忘れが拡がってるとか、そういったコロナ関連のものだが、「ん?」となりながら読んでいた。毎日、相変わらず、12時間おきにトルコの新聞チェックと、毎日1回は、保健省長官のTwitterに目を通すという習慣は、すっかりコロナ禍で身に沁みついてしまった。保健省長官は、ガザ地区支援を頑張ってる様子を、これでもかという程、呟いている。ガザからエジプト経由で疾病を抱える人が到着すると、空港まで迎えに行っている。ガザに入った医療チームの映像も流している。このキャンペーン、凄いよ!


2023年 11月 30日(木)午前 8時 7分

 昨日は、午後から出かけて、美術館と市民向け公開講演会のハシゴをした。美術館の方は、一昨日、行こうかと考えていたところ、それを、講演会と組み合わせると、効率的かと判断、昨日に回したというわけ。講演会の開始時刻が午後4時半ということだっため、それに合わせて、午後になってからの出発となったので、昼前のウォーキングは、いつも通りにできた。若干、余裕を見ての出発。それで正解。結果として、20分程の余裕ができたので、珍しく、ドトールに入り、コーヒーなんかを飲んで、時間待ちした。まず、美術館の方からメモっておく。行き先は美術館「えき」KYOTO。今、こちらで、「生誕140年 ユトリロ展」が開かれているのだ。八木ファインアート・コレクションや西山美術館という国内の個人コレクターが所蔵している作品だけで、こういった展覧会ができるのですね。凄いわ。ネット上で調べてみると、横浜高島屋でも、同じ展覧会を行っていたようです。全く、東京旅行時のチェックから外れてしまってました。構成は、「モンマニーの時代」「白の時代」「色彩の時代」の3部構成。この組み立てが、自分的には有難かった。というのは、記憶を手繰ると、今年、2回、ユトリロを観ている。1回は名古屋のヤマザキマザック美術館で、もう1回は尾道のなかた美術館でだった。記憶に、変な印象として残っているのだ。これらで観たユトリロは、自分の知らないユトリロだったのだ。そんなにユトリロを観ているわけではないが、なんせ、有名な作家だから、どんな絵を描くかぐらいのイメージは持っている。が、それと相容れなかったのだ。そのわけが、この展覧会で判明した。上にメモった3つの時代で、印象が、全然違うのだ。「通常の」という言い方をしても許されるくらい、「白の時代」で、ユトリロ・イメージができあがっている。ユトリロは、生まれたパリにしても、アル酎治療に行っていたところにせよ、多くは、街角の風景、しかも、建物を主として描くが、その建物の壁の色が白っぽく、木立があり、その色合いが、絵の中で一番色が濃く、空や道はパステルカラー、これが、フランスらしいと思わせるテイストを作り上げていると思ってたが、それは「白の時代」だった。ここが、ユトリロの最盛期だとされているため、この時代のものがインプットされていたようだ。その前後の時代は、濃いめの色を使ったり、「モンマニーの時代」では、濃く油絵の具を塗ったり、点描とも思える描き方をしている。「色彩の時代」になると、濃い色合いに加えて、カラフルなものが出てきて、これには驚いた。だから、今年、2つの美術館で観た作品は、「白の時代」が外れたものだったと想像できました。さすが、点描やカラフルな作品ではなかったけどね。こういった変化を見せた作家だったということを知ったのが、昨日の一番の収穫だった。そして、数点であったが、母親シュザンヌ・ヴァラドンも画家であったということで、その展示もあった。その作品よりか、ルノワールのモデルを務めたり、ロートレックやエリック・サティらと恋に陥ったりと、めっちゃ多彩な人生を送った人だったそうだ。ユトリロの作品を観ていて、人が出てこない、出てきても、後姿だったり、小さくて、定型の姿を繰り返しているということを発見したり、その定型と言えば、木立もそうだ。また、同じような場所を、幾度と描いている。これは、売れたことで、更に売ることを考えての戦略だったのかとも思うほど、同じスポット、似た建物が多いことに気が付いた。そして、アングルが、僅かに下にずれるってことも見つけた。だから、尖塔のある教会堂は、先端部が切れるのもありで、キャンパスのぎりぎりまで行ってるので、下を見ると、余裕があるなんてことになっている。不思議な特徴も含めて、ユトリロのことを、多く知ることになりました。
 京都駅から山陰線で円町駅まで移動。ドトールに行ったのは、ここで。そして、向かったのは花園大学。ここの市民向け公開講演会「まなび庵」へ。既に、今年度に入り10回近く開催されているのだけど、参加するのは、今年初めて。昨日は、「花園大学考古学研究室と若狭の古墳時代研究」というお題で、文学部教授の高橋克壽さんのお話を聴くことができました。序盤に、花園大学の考古学研究の自慢話。博物館を持っているということ、学生が発掘現場で実践を積んでいることもあり、博物館の学芸員に送り込んでいるということを話された。自慢話を聴いていて、悪い感じはしなかった。後継者の育成、これ、帝塚山大学の公開講座をオンライン配信で聴けていたときにも、同大学でも実践されていることを知ったからだった。大学に考古学研究所&博物館がある、同じ環境だと思い、そういうところだからこそ、後継者の育成ができていると思ったからだった。花園大学では、その実践の場が若狭だった。高橋さんは、そこで、長年、発掘に携わって来られた方ということでした。場所を、あっさりと解らせてもらえた。「ブラタモリ」を引用されたからだ。直角に折れ曲がった道、2つの断層で生まれたあの道を言われたからだった。若狭こそが「ハブ」だったという言い方が新鮮。朝鮮半島、九州、畿内、東海への「ハブ」だと言うのだ。それを証拠立てる遺物が、古墳の発掘から明らかになってきている。当時の日本ではなかった金の装飾品、鉄の剣が出て来ていたり、東海から関東で、また、九州での古墳から、多く出てきている埴輪があったりで、そのように考えられる。大和中心史観で説明するより、この捉え方が自然だと言われる。確かに! それを、パワーポイントの画像で紹介されたあと、現物が展示してあると、博物館に参加者を誘い、実物を見せていただけた。ただ、高橋さん、情熱を感じる方なのだが、また、大部な資料も用意されながら、説明が、とっても雑な方。丁寧な説明ができない質なのかなぁ。ぱんぱんに研究成果を説明したいという情熱と知識を持ち合わせていながら、きっちりと、人を集めて、順序立てて、説明をされない、いや、そういった丁寧なことができない方と看た。展示品は、それこそ、韓国の博物館で目にするようなものがあった。勾玉、金の装飾品、鉄製品には、まじで驚いた。若狭には、「王家の谷」と呼ばれている尾根と尾根に挟まれた谷筋に、集中的に古墳が存在しているところがあるそうだ。それらを展示する博物館もあり、丁寧なパンフレットもできている。限られた時期に、限られた形状の古墳が造られ、それが、畿内の古墳の形状変化に呼応していると言われていたと記憶するが、その呼応の実際を聴き取れなかった。こちらの知識量を超える情報を早口で提供されたからなんだけど、この辺り、じっくりと聴かせて欲しかったな。博物館の見学後、大部なレジュメを基に話をされたけど、ほんの僅かの時間では、こちらの理解はできなかったな。研究仲間の方たちも聴きに来られていたようで、その方たちは、阿吽の呼吸で解ることだとは思うけれど、我々、素人にはきつかった。


2023年 11月 29日(水)午前 6時 45分

 昨日は、予定表に幾つかのお出かけ候補地を入れていた。大阪の美術館も入れていた。3つあったかな、候補は。今一つ、どれも止めて、昨日は火曜日だから、Radikoで「まーぶる」を、ずっと聴いていようかという選択肢もあった。とりあえずは、それは止めて、1つは、落語会と組み合わせて行こう、今一つは、今日、某講演会と抱き合わせにしようと交通整理。で、残ったところへ行った。これが、実は、開催が始まったばかりだったので、止めるという選択肢もありだなと、この止めるというものは、あとから入ってきたものだった。で、決まった行き先は相国寺承天閣美術館。初めて行った。相国寺自体、境内を通り抜けたことはあっても、それだけで、寺の建物にも入ったことはない。地元に住んでる者のあるある的なことで、有名な寺院ながら、そうなのだ。金閣寺って、ここの塔頭だということ、昨日、初めて知ったし、「雁の寺」のモデルとなった寺院も、ここの塔頭。現在の相国寺境内に、その塔頭前に看板が出ていた。それも知らなかった。更に、落語「牛ほめ」に出てくる「南天の床柱、萩の違い棚、、、」と誉めて、そのあとに、「京の金閣寺が裸足で逃げそぉな」という褒め言葉を言うが、この意味が判らなかったのが、昨日、突然、判った。金閣寺(鹿苑寺)にある「夕佳亭」という茶室にある「南天の床柱、萩の違い棚、、、」が有名なものだから、池田のおっさんの作った家に、それがあるものだから、「夕佳亭のもん、金閣寺のもんより、凄いでんなぁ」と持ち上げてるのだ。「夕佳亭」を、展示室に再現して、その傍らに掲示されていた解説文を読んでいて、閃いてしまった。これは、ここの展示も凄かったが、自分的には、とってもなく凄い発見だと思った。噺家さん、誰も解説してくれなかったから、全然、知らなかった。それとも、米朝全集のどこかに書いてあるから、誰も口にしないのかな? 「読んでたら判るやろ」てなことかもしれないね。肝心の展示の方は、「若冲と応挙」というお題、凄いねと、お題だけで驚いたけど、正に、そのまんま、凄かった。既に展示替えがあった後期展示の時期だったので、若冲が主であったが、前期には応挙が主であった由、同美術館のHPで確認した。展示室は2つに分かれており、第1室の扉が開いた瞬間、息を呑んだ。パッと見で、若冲と判るかなり大きめの掛軸が垂れ並んでたからだ。その部屋の中央に、件の「夕佳亭」の再現がされているので、ご本尊となる3枚の掛軸は見えなかったが、釈迦三尊像を中心に、左右に「動植綵絵」が15幅ずつ並んでいた。但し、釈迦三尊像を除き、「動植綵絵」は「コロタイプ複製」、要するに写真撮影の複製物。ほんまもんは皇室に献上されているということでのもの。どうやら、明治期の廃仏毀釈で、そうしたんじゃないかな、見返りに大部な下賜金が手に入り、現在の境内となっている土地を買い戻したようだ。本物は国宝。相国寺のなんちゃらという宗教的行事は、この複製物で、今も続いているとか。それ考えると、献上したとはいえ、植民活動で得た収奪美術品じゃないけど、戻してやらにゃと思ってしまったけど、下賜金もらってると、そういうわけにはいかないわね。そんな思惑も交差する若冲の代表作。今まで、若冲ものって、これだけ、固まって観る機会がなかったもので、この豪華さは、何なんだという気分に圧倒されてしまう。やっぱ、著名な鶏ものが、他を圧倒するね。「群鶏図」「南天雄鶏図」「紫陽花双鶏図」なんかもさることながら、鶏だけを描いた、しかも2羽だけ描いた「大鶏雌雄図」が、一番気に入ってしまった。そして、「老松白鶏図」のように、白色の変化で羽を表しているのも、おもしろいけど、何といっても、鮮やか過ぎる、しかも豊か過ぎると言っていいくらいの色を持った羽に目が行ってしまう。デフォルメなんだろうけど、その配色がぶっ飛んでる。そういった鶏ものに次いで、自分的関心は、鶏もの同様の大きさの鳥を描いたもの(鳳凰、鶴、孔雀など)よりか、「小禽」という名がお題に入っている作品群(牡丹小禽図、桃花小禽図など)に向かった。一緒に描かれている小枝や花とのバランスが凄いね。瞬間の空間を切り取った、その空気というか、3次元の空間そのまんまが伝わってくる、そういった感じが、頗る付きで迫ってくる。ロビーで上映されている若冲紹介映像で言ってたけど、若冲は、この相国寺に籠り、ここに保存されている中国絵画を、かなり勉強したそうだ。だから、日本画にない、こういった3次元空間の描き方に、他にはないものを見せているそうだが、それが体感できたんだろうね、気に入ってしまってました。第2室の方は、「若冲の画技」「応挙の画技」に分かれていたが、やはり後期は若冲が主だということで、若冲ものに圧倒される。なんせ、ここに、「鹿苑寺大書院障壁画」があったのだ。展示の仕方もいい。実際に、襖があるような建付けにしての展示。美術品であると同時に、実用品でもあるという姿が判るというもの。全部、水墨画だ。ここでも、鶏が出てくる。鶏の動きを、かなり丹念に観察したそうだが、ここでは色彩に頼ることなく、線の太さや勢いで、その観察結果を表現している。先ほどの色彩豊かな鶏と異なり、躍動感、そう動きがより感じられるのだ。その動きと言えば、こういった寺院関連の絵画の素材に、よく使われたという芭蕉葉が印象に残る。寂寥感のある芭蕉が、無常なる世界を感じさせるとして、よく使われると解説されていた。若冲の筆致に、それを感じさせるものがあっただけに、いたく同意。絢爛豪華な第1室の作品とは好対照なのも、興趣が上がりますね。「竹虎図」は、既視感があった。これも、長沢芦雪じゃないけど、猫を観察しながら描いたのでしょうか、顔が可愛い。一方の応挙ものは、関心がいかなかった。若冲ものが大部過ぎたのか、色鮮やかな孔雀を描いたものくらいしか、印象に残らなかった。フェードアウトしちゃってて、これでもかというほど迫ってくる若冲作品に圧倒された後に観たのが、その良さを、自分の頭の中で消してしまってたのかもしれないね。
 承天閣を出た辺りに並ぶ紅葉が、見事に色づいていた。寒気団が入って来ていたせいか、冷たい風も吹いていた。秋そのものの季節に、相国寺を歩くということも、風情がありますね。帰路は、ググってみると46分と出たので、ウォーキングがてら三条まで歩いた。御所の東側の通り、いいね。140万都市のど真ん中に、こういった通りが残っているというのは奇跡のようですな。この道を歩けるということで、躊躇することなく、徒歩移動を選んだということでした。そして、大満足。


2023年 11月 27日(月)午後 8時 37分

 この間、ずっと出かけていたので、今日は、予定表に、月曜日に開けている美術館に行くと入っていたが、他の日にも回せるので止めた。それで、正解だったでしょう。お出かけだけじゃなくて、それに合わせて、結構、忙しない時間を送っていたからね。そんなで、明日でも良かった洗濯日にした。確実にできるときにすることって、大事。後回しにすると、自分の首を絞めることもあるからと思い、そそくさとこなし、終わると、これも、こういった日にやっておくと、あとが助かるとの思いで、この間、かかっている皮膚科の医院に行った。もう1年になる。快方に向かってはいるが、その歩みが、実に遅いものだから、これだけの時間がかかっても治りきらない。この皮膚科の医院に行くと、弟の家が近いものだから、寄ってしまう。今日は、真っすぐ帰って、ゆっくりとしようと思っていたが、診察の時間が、思いの外、早く済んだものだから寄ることにした。これだと、動きっぱなし。結局、ここで話し込んだり、その帰路、薬局に寄ったりしたので、結局、昼食に臨めたのは、もう2時前だった。これだと、なんか、空きの日に、ここまでできなかったことを詰め込んだだけだった。午後の一時なんて、ほぼなくなってしまった。でも、ちょっとだけ、1つのことをした。先日、ベルリン国立歌劇場の「アイーダ」を調べたついでに、ペンテコステ周辺の予定表を眺めて、6月に「ホヴァンシティーナ」が出て、アニヤ・ハンペの「西部の女」、サイモン・ラトルのブルックナー、クリストフ・グートものに替わる、新たな「ドンジョバンニ」も出てると、かなりそそられたので、ベルリン・ドイツ・オペラや、コミッシュ・オーパーはどうかと、調べてみたくなった。更に、ベルリンから行きやすいハンブルク、ハノーファー、ライプチヒ、ドレスデンなどの、同じ時期の予定表を調べてみた。結果は、外れだった。フランクフルトやライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフ&デュースブルク)、ボンまで調べたが、フランクフルトに、2つの「オテロ」が出たり、但し、ヴェルディの方は既に観ているが、「ユダヤの女」とか、クリストフ・ロイものの「後宮よりの逃走」で、ようやく目が吊り上がった。うーん、、、どうしましょう。この程度で乗り気になれるか、日にちの詰めが要ると、冷静に思っている。あまりに、ベルリン国立歌劇場とフランクフルトに特化してしまってるんでね。細かくは調べようかなとの気持ちも、ちょっと微妙。時間との相談だなと、ここでも冷静ということは、引いてしまってる気持ちもあるということかもしれません。


2023年 11月 27日(月)午前 6時 27分

 昨日は、午後にコンサートに行った日。一昨日もそうだったし、東京旅行の前日もそうだった。おまけに、今週、もう1回ある。全部、京都コンサートホールでのもの。すっかり、京都で、音楽を楽しむという態勢が出来上がっています。しかも、昨日は日曜日ということで、朝のお楽しみ「日曜美術館」がある。が、昨日は、それだけじゃなかった。先週は、忙しなくて、観るのを諦めたため、夜の再放送も観た。ということで、朝から予定が詰まりっぱなしの一日だった。その上、コンサートからの帰りは、いつものように、三条までウォーキングを兼ねての徒歩移動、これも、きっちりと実行したから、余計に忙しなかった。
 まず、「日曜美術館」からメモる。朝の新作は、な、な、なんと、「シン・芦雪伝」というお題が付いていた。これは、もちろん、中之島美術館での回顧展に合わせてのもの。しかも、解説をされたのが、福田美術館の学芸員さん。この方、確か、中之島美術館の展示主任的な役目も果たされていたはず。しかも、現在、福田美術館には、ん十年ぶりに発見されたという「大黒天図」が展示されている。だから、こちらも、もちろん、この学芸員さんの仕業だから、番組で、この2つの美術館を股にかけてロケを行っていた。だから、MCの小野さん、2つともに行かれるというものでした。中之島美術館は、前期の展示時にロケは行われています。だから、あれがなく、あれがあった日ですね。取り上げられた作品をメモっておくことにする。なお、NHKプラスで観たため、映像には出てこなかったものもあった。「×」を記したものがそれらだ。①龍図襖②虎図襖③×那智の滝を描いた作品④方寸五百羅漢⑤絵変わり図屏風(鯨の背中、宙に浮いたような舟、炎に包まれたような仏〈のように見える/小野〉)⑥大黒天図(半世紀以上、行方が判らなかった、立体感から片眼説が疑わしい、片眼説は、今まで、この絵の写真で判断されていた)⑦牡丹孔雀図(応挙)⑧牡丹孔雀図屏風⑨施療院***(応挙)(着物の中に身体がある描き方)⑩西王母図(芦雪29歳の作、細かな髪の描き方、女性を美しく描く、構図よりそれに重点)⑪布袋・雀・犬図⑫鯉図(水の中を泳ぐ鯉)⑬唐獅子図屏風⑭鶴亀図(最初、鶴を1羽だけ描いた、外にいる雄の鶴を呼んでいるメスの鶴を描いた、もう1羽を描けとの指令に、子どもの鶴を描く、メスを呼ぶ雄の鶴になった、この経緯を認めた手紙に自らの行動を記す、それを見ると、変人とは思えないまともさ)⑮×山姥図(「草枕」に漱石が書いている)⑯群猿図⑰群鶏図(伊藤若冲)⑱****(曽我蕭白)⑲***虎図(席画、輪郭線がない、頭から描き出し、何を描いているか最後まで判然としない、人前で一気に書いたと思われる)⑳蕗図(最晩年の作品、蕗に這う蟻、近づかないと蟻の存在を知ることができない)。作品を紹介しながら、芦雪の人柄チェックを行っていた。「相見香雨(芦雪物語/伝記/大正時代)」に描かれた芦雪像の点検というもの。その伝記には、「独楽廻しの上手、片目を失う」「高慢な人物」「奇人」といった記述があるからだが、それらを否定する内容が、番組では語られていた。また、師円山応挙について、そして、芦雪との関係性も語られていた。「和歌山へ(33歳)行くことで、応挙から自由になり自由な作品を描けた」と言われていたが、応挙自身、若い頃、狩野派に学び、継承を重んずる絵を学習、だが、狩野派のスタイルを破る、写生重視、その応挙のスタイルからも解放された奔放さを持つようになったと言うことか。流れた作品は、いずれも観ているので、そういった意味では、解説として語られていることが、とっても解りやすかった。
 夜の再放送のお題は「北宋絵画 ベールを脱ぐ中国芸術の最高峰」。今行われている根津美術館の展覧会に、MCの二人が足を運び、解説を受けながら、作品を紹介するというスタイル。北宋絵画が、しかも、日本にある作品だけで開かれている。こういった機会は2度とないだろうと言われているものだそうだ。展覧会のキャッチコピーが「きっと伝説になる」とまで書かれている。清朝崩壊時、こういった名品が、アジアから流出するのを避けようとした日本人コレクターの営為が、日本に集まるということになったという逸話も紹介されていた。紹介されたものは、次のようなものだった。①李成/喬松平遠図(水墨画、奥域が凄い、3次元のイリュージョンを2次元に置き換える試みが成され、水墨画の原型が誕生した時期のもの、李成=唐の皇室の末裔、四日市市の澄懐堂美術館所蔵で山本悌二郎コレクション)②(伝)董源/寒林重汀図(湿潤な印象、近づいて観ると、点と線にしか見えない、点描を使っている、印象派を思わせる、10世紀の鑑賞者も、近づいたり遠ざかったりして観ていた、季節と時刻を表現している)③燕文貴/江山楼観図巻(大阪市美術館所蔵、燕文貴=宮廷画家、右から左へと時間が流れている、凝視することでメッセージが伝わる)④古今和歌集序(古今和歌集写本、紙が北宋時代のもの、平安貴族の憧れの紙、紙に模様が入り、その上に歌を書く、観た目にも美しい)⑤李公麟/五馬図巻(神品、南宋皇帝の落款、乾隆帝の文もある、白描画の名手と言われていたが彩色が施されていた)⑥李公麟/孝経図鑑(メトロポリタン美術館所蔵)。この展覧会の作品リストを見ると、なんと、徽宗の「桃鳩図」まで展示されるようだ。それも、僅か3日間だけ、これも凄いね。
 午後のコンサートは、「京都ラ ビッシュ アンサンブル Vol.19」というコンサート。京都市響のピックアップ・メンバーによるコンサート。何度目かになります。その年のプログラムを見て、行くかどうか決めているというコンサートです。まず、メンバーからメモっておく。[ヴァイオリン]田村安祐美、片山千津子[ヴィオラ]小峰航一[チェロ]渡邉正和[コントラバス]神吉 正[クラリネット]鈴木祐子[バスーン]仙崎和男、村中 宏[ホルン]小椋順二、水無瀬一成。次にプログラムは、以下の通り。「カウン:八重奏曲」「モーツァルト:ディヴェルティメント K.205」「モーツァルト:12の二重奏曲 K.487(496a)」「フランセ:八重奏曲」。変則的なメンバー構成なので、選曲に悩ましいところがあるので、今年もフランセが出たかと、プログラムをパッと見したとき思ったが、真ん中のモーツァルト2曲を見て、頭が切り替わった。そこで即決、行くことに決めたというコンサート。「12の二重奏曲」の方は、元々は、ヴァイオリン2本用の作品。それを、様々な楽器で演奏しようとの試み。重宝されたのがファゴット。ファゴット2本というのもあったが、それもいけるし、ヴァイオリン、コントラバスとの組み合わせもできた。特にヴァイオリンとの組み合わせは、事のほか、いいものだったな。逆に、ホルンだけは致し方がないということで、他の楽器との組み合わせはなかった。ありそうと思いながらなかったのが、ヴィオラとクラリネットの組み合せ。この選曲は、次は何が来るかという楽しみがあり、なかなかグーなものだった。もう1つのモーツァルトの演奏が良かったな。田村さん、小峰さんのお二人の弦の調和、掛け合い的なメロディー・ラインに、チェロとファゴットが通奏低音的役割に加え、ホルン2本が賑やかしで興趣を出す。モーツァルトが書いたとき、実際には、こういった小編成で演奏されていたんじゃないかなと思ってしまった。正に、貴族のお楽しみの「機会」音楽としての雰囲気、たっぷりな演奏だった。カウンという作曲家は知らなかったが、時々、おやっと思うほど、渋いメロディが出てくるかと思うと、やにわに消えてしまう。なーんだと思うと、また、良さげなメロディが出てくるというものだったが、雰囲気的には、あとのフランセに似たものだったかな。そのフランセ、これがメーンだと気が進まない。そう思うと、あっさりと寝落ち。ひどい仕打ちをしてしまいました。アンコールは、メンデルスゾーンの「歌の翼に」を編曲したもの。全体的にゆる~い雰囲気のコンサート。いい日曜日の午後でした。


2023年 11月 25日(土)午後 10時 53分

 昨夜は、お酒の力もあり、PCの前で寝落ち、更に、ベッドで深い眠りだったが、朝4時過ぎに目が覚めると眠れない。仕方なく起き上がり、Youtubeを観ると、今度は、PCの前で寝ていた。このあっちゃこっちゃ、なんとかならないかなぁ。結局、ベッドで寝ている時間が短いので、昼間も眠い。そんな土曜日、午後には京都コンサート・ホールへ。今日は、京都市交響楽団の定期演奏会。シルヴァン・カンブルランを指揮に迎えたコンサート。これだけでも優れものだけど、プログラムが抜群。それは、次のようなものだった。「モーツァルト:交響曲 第31番 ニ長調 K.297 ‶パリ‶」「ブルックナー:交響曲 第4番 変ホ長調 ‶ロマンチック‶(1888年稿 コーストヴェット版)」。開演に先立ち、カンブラン直々のプレトーク。おもしろいこと教えてくれた。「パリ」は、モーツァルトがシンフォニーを書くのを、4~5年止めていて、その後に書いた最初のもの。ここから、クラリネットが使われるようになった。「ロマンチック」は、全く聞いたことのないエディション。ブルックナーが、最後に、メトロノームの数字を書いて亡くなったんだって。それを掘り起こしたもので、もう1つの変化は、最後に、ちょっとだけ、しかも、小さな音でシンバルを入れたのが、従来のエディションにはなかったものだそうだ。「パリ」を聴くのは、久しぶり。快調に、爽やかに、前進していくという雰囲気がいい感じの曲だ。そういった曲想そのまんまで進行。いい前座の役目を務めた。20分くらいかな、ここで休憩。ブルックナーは、スタンダードな楽器配置。ホルンが、左サイド奥、その左後ろに、問題のシンバル、その右にティンパニーだったから、金管が一番背後に横並びというものだから、スタンダードと書いた。弦の配置も、ヴィオラが右サイド前で、ヴィオラとチェロの背後にコントラバスが並んだ。黄紺の席は3階右サイドだったから、パワーを感じるにはベスポジだけど、どうしても、コントラバスの低音が弱く、籠るのが難。スタンダードの場合、仕方がない。だけど、今日は、コントラバスが頑張ってくれ、文句を言う筋合いではなかった。おかげで、ヴァイオリンのフル回転の合奏が凄かった。本日一の凄腕だった。コーストヴェット版の特徴であるポイントのシンバルは、さすがに判ったが、メトロノームによるテンポ指定を実感するには、そこまで「ロマンチック」を聴き込んではいないことを痛感。ただ、そのせいかもしれないし、そうではないかもしれないんだけど、要するに、自分的には判定不能ということで書いておくが、なんか、こないに、カンタービレというか、歌うような起伏を、狭い範囲で感じた「ロマンチック」を聴いたことがなかった。もっと音の流れの良さ、流すことの卓越さを見せるような演奏が定番だと思っていたので、とっても意外だった。でも、これはおもしろいと思えた演奏だった。果たして、それが、このエディションと関係があるのか、誰か教えて欲しいのだが。実は、休憩時間に、ディープな音楽ファン氏と会ったので、終了後も会えば、感想を聴いてみて、自分の感じたことと照合できたらと思っていたが、残念ながらダメだった。そのディープな音楽ファン氏、10月に、ヨーロッパに行ってきたと言うのだ。ベルリンとザルツブルクの名が出てたので、果たして、どのような回り方をされたのか、詳しく聴きたかったが、時間がなかった。ただ、ベルリン国立歌劇場の「アイーダ」を観たと言い、読み替えのプロダクションに苦言を呈されていたので調べてみた。カリウスト・ビエートのプロダクションだった。黄紺なら、有無を言わず、選んでしまうスター演出家の作品だ。但し、幾つも掲載されている画像を観ると、確かに、ぶつくさが出てしまうのが納得いくもの。逆に言うと、何が起こったのか確かめてみたくなっちゃう。そんなで、来年のペンテコステ周辺を調べると、その後になるが、同歌劇場で、「ホヴァンシティーナ」が出る。同時期に、アニヤ・ハンペの出る「西部の女」や、サイモン・ラトルの振るコンサートがある。これは、そそられたぞ。航空券も、手ごろなものがある。しかし、物価高を口にされていた。そこが、思案のしどころなんでしょうね。と言ってると、こないなことを考えてたことも忘れてしまうのだろうか、、、?
 帰りは、いつものように三条まで、ウォーキングがてら歩いた。三条に着くと、辺りは真っ暗。土曜の夜とて、今日は、「ブラタモリ」の放送はなし。途端に、寂しい土曜の夜になってしまった。ファドを聴きながら、これを書くと、余計に寂しさ度が上がるね。秋の夜は長い。


2023年 11月 25日(土)午前 8時 35分

 昨日は、コロナ禍以後、初めて、昔の同僚が集った日。毎年、定期的に行ってきた飲み会が復活しました。場所は京橋。兵庫県に移住した人が出たので、この飲み会も様変わりしました。黄紺の記憶が曖昧だったんのだけど、次からは京橋で集まるということを申し合わせたのが、皆さんと会った最後だった。2019年のことだから、あれから4年経ってしまっていた。だけど、皆さん、元気だった。それが、何よりだった。12人集まる予定が、急用ができ、1人が抜け、結果、11人が集まった。最年長の方の人徳なんだろうな。皆さんと一緒だったのは、もう20年も前。でも、声がかかれば、これだけの人が集まるんだから。久しぶりだということで、各自が近況報告。黄紺は、一番、おもしろかろうということで、コロナ禍で、ドイツから緊急帰国をした話をした。いつか、この話をするときが来ると思ってたけど、ついに、その日が来たってこと。でも、最近、飲み会が続きすぎ。おかげで、喋ってなかったのが、急激にお喋りが増えた。うまく喋れるだろうかと思ってたが、存外、うまく行くものだと感心。なかなか、捨てたものではなかった。次回は、1年後。それまでは、生きていなくっちゃの気になりました。何かを励みに、生き長らえてるなというのが現実なんだけど、それは有難いことだな、ホント、恵まれています。
 そんな予定が入ってたため、また、疲労感が溜まってるの実感があったため、昨日は、予定表には、アスニー京都に出かけるとあったけど、止めた。聴きたかった講演があったけど、我が身可愛いで止めてしまった。それで正解なんでしょうね。午前中に、普段通りのウォーキングをしたこともあり、午後の一時、PC画面を見ていて、あっさりと寝落ちしてました。贔屓のYoutuber氏の動画を観ていたけれど、身体がついていかなかったみたい。


2023年 11月 24日(金)午前 8時 5分

 一昨日の夕刻、東京から帰って来た。晩酌をすると、あっさりと寝落ち。そして、爆睡した。やはり、美術館3軒のハシゴが、自分が感じてた以上に堪えていたようだ。もちろん、旅行全体の疲労もあったのだろうが、思いっきりの爆睡だった。午前中は、その後始末。最終日の美術館巡りの記録を書いたり、第一、洗濯をしなければならなかった。午後に、お出かけ予定が入ってたので、帰ってきて早々に忙しない時間が流れた。
 午後は、息子に最寄りの駅まで送られたDと合流。2人だけで、初めてのお出かけ。韓国土産を、まだ渡せてなかった(1ヶ月経過してるのに!)ので、それを渡せる日取りを調整しているとき、晩ご飯を一緒に食べようとなったが、それだけでは物足りないので、DとSをどこかに連れて行きたいと言うと、動き回るSを黄紺に任せるのは不安らしく、Dだけとなった。行き先は2つ考えた。平等院がその1つ目。10円玉は、小1には解るだろうから、その図案になっているところを観に行こうと言えば、Dはのってくるだろうと思ったのだ。でも、2つ目のアイデアに決めた。それは、鶴橋界隈から御幸森小学校界隈のコリアタウン。1月に韓国旅行を一緒に行っているので、やっぱ、まずはこっちだと考え、選んだのは、こちらの方だった。昨日は祝日だったので、混雑が予想されたが脇道もあるからということでの決定。鶴橋のJR駅を、近鉄乗換口の方から降りた途端から、大混雑。なんせ、あすこの道、狭い上に、店が並ぶ。そこへ人が押し寄せる。また、雰囲気が、韓国のシジャンそのものという環境がいい。それにつけても、ここ、店が増えた。黄紺も興奮状態。夜ご飯用に、あまり食べさせてはいけないと思っていたが、早速、Dに「チヂミ、食べへんか?」と声を掛けると、Dも、簡単に乗ってくる。駅を出て10m程で買ってしまってた。「甘鯛チヂミ」、韓国語での言い方聴いたけど、すぐに忘れてしまった。先のちょっとしたスペースに椅子を発見、上手い具合に2つ空いていた。そこで、分け分けしながら食べた。お店で、そう言ったら、食べやすいように切ってくれていたのだ。「蒲鉾みたい」とはD。甘鯛の周りを卵でくるんであった。人混みとキョロキョロするDとで、なかなか前に進まない。近鉄の東口のところで、Dが「もう、何分くらい歩いた?」と聴かれても、「まだ、駅の反対側に来ただけやで」。アリラン食堂がある通りを歩く。コロナ禍前は、チジュ・ダッカルビを売りにしたシクタンが並んでたけれど、今は、その看板は影を潜め、普通のシクタンが並ぶは並ぶ。昔の韓国のシクタンのように、品数の多いメニューを持っている店ばかりだから、どこに入っても、辛いのがダメな子どもたちやママも連れて来れるから、「今度、皆で食べに来ような」と言いながら進む。アーケードの出口手前で、Dは自動販売機でカルピスウォーターを買った。喉が渇いてたのか、歩きながら、どんどんと飲んでいく。Dに、それをやられると、トイレが近い子どもなものだから、めっちゃ気になる。けど、だいぶと改善されたようで、トイレ問題は起こらなかったので、昨日は助かった。アーケードを抜け、しばし、普通の住宅街を歩き、神社のところで左折した途端、コリアタウンの人出が目に入った。「あすこ、行くで、見えるか、たくさん人が歩いてるやろ」と言いながら進む。いきなりホットクなんかの店に行列ができている。若い子が、女子が多い。昔の猪飼野じゃ、考えられない風景。Dは、そんな食べ物よりか、ところどころにあるガチャポンが気になる。だから、「あとからあるかもしれんから、ええもん、気に入ったもん、覚えとくんやで」「1つ、やらしたるから」と、言い聞かせながら前へ進む。マカロンなんかより、綿菓子やソフトクリームと言った見慣れたものに目が行くD。そこで、「ソフト、食べるか?」と言うと、速攻で乗って来たD。ストロベリー味のソースがかかったソフトを買うことになった。向かいの路地で食べることに。写真を撮る。眺めてみて、つくづくお兄ちゃんになったと思う。腰を落として食べてたから、そのまま撮ると、その写真を見ただけで、お兄ちゃんになったと思ってしまった。今度は、ガチャポンを買う番。何ヶ所目かで、一番のお気に入りが見つかったみたい。ペンライトのガチャポンだった。買おうとしたら、迂闊にもソフトを買うのに100円玉を使ったものだから、あれれとなったが、2人で、黄紺の小銭入れを探すと、きっちり買えるだけの枚数が残っていて一安心。出てきたガチャポン、今度はペンライトの組み立て。Dは、自分でしたけど、最後の紐が通らない。手先のマヒのある黄紺にはできないと思ったけれどチャレンジ。見事、成功。Dをがっかりさせなくて、良かった! コリアタウンを川に向かい進むと、あと少しというところで、公園を発見。あんなところに広い公園があるとは知らなかった。Dは「遊ぶ」と言う。「遊ぶから待っといて」と言うので、黄紺は、腰を掛け待つ。すると、韓国の公園でもそうだったけど、走り回りながら遊具を使い、一人遊びをする。元気だ。眺めてるだけで、わくわくしてしまう。でも、公園内にある時計を見て、びっくり。午後4時20分だった。息子夫婦&Sとの待ち合わせ時間は午後6時。もう戻らねばならない時間。10分程遊んで、黄紺のところへ戻って来たDに、その旨を告げる。帰り道は、桃谷駅ではなく、「同じ道を戻る」と言うので、そのまま引き返す。僅かに道は変えただけでの帰路、「お土産を選んで」と言うと、アーケード街の韓国菓子のお店で、ポテチのようなものを選んだ。それに、自分のとSのサイコロ・キャンデーも買った。黄紺のお土産は、駅前の狭い通りで「野菜キンパプ」。「明日の朝、皆で食べたらええやん」ということで買った。さすがに、帰りの電車、京橋駅から普通に乗ると言う。ずっと立ちっぱなし、腰かけたのはチヂミを食べたときだけだから、仕方ありません。電車の検索で到着時間を調べると、待ち合わせ時間に遅れるので、息子にメール。Dの言葉も添える。「チヂミを食べたよ、美味しかった」というものでした。途中、準急に乗り換えたので、思ったほど遅れなかったけれど、でも、遅れた。夜は、皆でジンギスカン料理を食べた。黄紺的には、北海道で食べたことがあるくらい。子どもたちは、ごく普通に食べていた。このくらいから食べてたら、気にならないわね、いつでも、トルコに行ける! いつでも笑顔のSは、ホント、癒しになる。こいつの笑顔を見ると、いつもそう思う。それに対し、Dは、想像力が働くから、思いがけないことを言う。各々の個性に癒されてしまいます。いい一日。大満足。


2023年 11月 22日(水)東京から➃

 いよいよ、今回の東京旅行の最終日。そして、今回、唯一、朝から単独行動。いつもの旅行だと、ずっと、これだが、今回はそうではなかった。喋り続けていた、普段でもないことだった。午前9時をメドに出発準備。浜松町乗り換えで六本木。駅構内からそのままで行けるサントリー美術館へ。開館10分前に到着。既に、待機していた人がいた。その人は、黄紺同様、バックパックを持っていた。また、最後に行った美術館でもすれ違ったから、黄紺と同じようなことをしている人かと思ってしまった。同美術館では、「激動の時代 幕末明治の絵師たち」という展覧会が行われていた。どのような構成か、全く考えないで行ったのだけど、実際、眺めてみると、納得、しかし、意外性がなかったため、それほどの感激はなかったけれど、出展作品は、かなりの大ものが出ていた。構成順に振り返っておく。「①幕末の江戸画壇」は、この時期の狩野派と谷文晁門の作家の作品が並んだ。それで、思い出したが、この美術館で、以前、「谷文晁展」に行ったことがあった。冒頭の狩野一信の「五百羅漢図」が、作品の大きさもあり、圧迫感が凄い。血の池地獄から、それこそ、蜘蛛の糸じゃないが、亡者が吊り上げられるなんてのもあった。羅漢さんの役割って、そういったものだったのですね。狩野養信や沖一峨の作品も並んでいたが、かなり様式化されているという印象、それと、浮世絵なんかから流行ってる図柄を借用しているようでおもしろかったが、オリジナリティという意味では、ちょっと寂しいね。「②幕末の洋風画」では、初めて知った作家安田雷洲ものが、数多く、展示されていたが、エッチングの小さな作品なものだから、繊細過ぎて、黄紺の目には眺めるのが難しかった。神戸市立博物館蔵のものが多かった、これは覚えておくことにしたい。なかには、西洋絵画を、そのまま模写、ないしは手本にしたと思われるものも展示されてあった。歌川広重の「東海道五拾三次之内 原」というのも、このカテゴリーで展示されていました。「③幕末浮世絵の世界」は、思いもしなかったものが並んでた。国芳の「相馬の古内裏」が出ているという情報を持ってなかったもので、びっくりした。それも、普通の並びで出ているものだから、突如現れたということで、びっくり度が高かった。同じ並びには、「竹沢藤次 独楽の化物」「相州江之嶋之図」「誠忠義士肖像 潮田政之丞高教」といった国芳作品とともに、自分的には芳艶ものに目が行った。今まで、芳艶という名が頭に入ってなかったということは、観てなかったのか、印象に残ってなかったのか、でも、今回は違った。アイデアが詰まってる人という印象を持ってしまった。「滝夜叉姫」「両賊深山妖術競之図」「鏡客水滸伝之内 木隠ノ霧太郎幼術ヲ以テ姿ヲ隠ス」といったものを観ることができた。「横浜浮世絵」というジャンルも、ここに並んでいた。「④激動期の絵師」は、ここまでのセクションに入れても良かろうというものから、そのいずれにも入れ難しというものが並んだのでしょうか。よく判らないコーナー作り。その中に、芳年や芳幾ものもあった。③でいいだろうと突っ込んでしまったけどね。もちろん、「血みどろ絵画」というジャンルはここだった。芳年は「和漢百物語」「魁題百撰相」といったシリーズものから少しずつ小出しをされていた。また、「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間妻君之風俗」もあり、「~そう」ものも、きっちりと押さえてくれていたが、この作品は、洋装の女性だったのには驚ろいてしまったな。「英名二十八衆句」は芳幾の方が出ていた。入れ替えがあると、これが芳年に替わるらしい。明治初期の風俗を表したものを観るのも楽しいことだ。三代歌川広重の「鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図」、昇斎一景の「汐留より蒸気車通行の図」などを観ることができた。菊池容斎ものが幾つか出ていたが、あまり印象に残らかったが、「福富太郎コレクション」でも観たような、観てないような、、、? 河鍋暁斎は、自分のイメージが狭いからか、「龍虎図屛風」を観ると、こんな作品もあるんだと、まとも過ぎて、逆に驚かされた。井上安治や小林清親も大家らしい。後者は、このあと行った美術館で魅せられてしまったので、そちらでメモることにしましょう。
 美術館を出ると、北青山方面へと歩き乃木坂駅へ。2駅だけ千代田線で移動。原宿にある太田記念美術館が、2つ目の行き先。「葛飾応為‶吉原格子先之図‶-肉筆画の魅力」という展覧会があるということで、今回の美術館巡りの目玉。HPには、「葛飾応為の作品は1つだけです」と出ていた。完全に、客寄せパンダ化した応為。それでもいい、第一、応為のものと判ってるのは10数点だというから、これは仕方ないが、1点とは惨い。そう言えば、この美術館、10年以上前に「肉筆画展」を観に行ったことがある。それでも良かった、応為を観たかった。一番、驚いたのは大きさ。思いの外、小さかった。けど、ま、そうだろうなと、一旦、観てから、納得。改めて、幾つかある光源を目で追いかけてしまっていた。格子越しの光の強さと、ぼんぼりの光の強さが違う、そういったバランスの良さが際立ってるのでしょうか。この応為ものと、葛飾北斎「羅漢図」、喜多川歌麿「美人読玉章」が、別枠で展示され、あとは、幾つかのジャンル分けがされていた。「Ⅰ 人を描く」「Ⅱ 市井を描く」「Ⅲ 風景を描く」「Ⅳ 物語を描く」というものだった。同じようなものが並んだからでしょうね、あまり刺激を受けなかったところ、小林清親の3点があった。「a開化之東京両国橋之図」「b富士川上流秋景図」「c帆舟図」がそれら。aは、川瀬巴水ばりの構図に色彩。cに描かれた島をシルエットで、あえて平板に描く、そのアイデアに目を見張った。江戸も終わり、新版画の出現するまでの間の作家らしい。見事に、その狭間を埋めている。そして、繋いでいます。ええ人、知ることになりました。月岡芳年ものも1点あり、「雪中常盤御前図」だったが、雪の深さが哀れを誘うもの。これも、小林清親ものと並び、他と違うと思わせられた作品。落合芳幾は、「弥次郎兵衛 喜多八」「両国大川端夜之景」があったが、印象が薄い。両国って、当時の江戸一の繁華街なのに、ちょっと寂しいし、弥次喜多ものは軽快だけど、それでどうなのという感じで、芳幾が、新聞に写真替りに描いた作品のように印象の薄いものとなってしまった。今、振り返るつもりで、作品リストを眺めても、どれもこれも思い出せない。それほど、凸凹のない横並び的な作品が並んでいたのでしょうか。それで、応為を客寄せパンダにしたは、言い過ぎか! それにつけても、客の入りが良かった。狭い会場だから、人が多いとゆっくり観ることができない、その気にもなれない。昼時でこんなだったから、それが過ぎると、更に凄かったかも。応為は、しっかりと仕事をしたということでしょうか?
 原宿駅で、帰りの新幹線の切符を購入。経路が決まったからね。そして、山手線で恵比寿に移動。駅の近くで、偶然通り過ぎた吉野家で昼食。岐阜に行ったときに食べたものを、吉野家の看板を見て、思い出してしまったからだった。そこから徒歩10分程で行けた山種美術館が、3つ目の美術館。ここで行われている「日本画聖地巡礼―東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門―」に行ってみた。所蔵品の中で、描かれた対象で、その場所を特定できるものをピックアップ、その場所の画像と並べて展示。作家が、その風景を、どのように捉え、どのように描いているかを示そうという試み。展示は、地方ごとに固めてあった。その場所を「聖地」と呼び、昨今のアニメの「聖地巡礼」にヒントをもらったネーミングのようだ。北から南へと並ぶ展示。最後に「歴史画の聖地~想像の光景、現実の風景~」という特集展示もあった。京都にいると、どうしても東京画壇の作品を観る機会が少ないこともあり、有名作家はともかくも、黄紺的には知らない作家さんが多く、いい勉強になったことは間違いない。なかでも、奥村土牛という人を知ったのは大きいと思う。「鳴門」という作品が冒頭を飾っていたが、その名のままに、鳴門の渦を描いただけの作品なんだけど、使っている色が、ごく薄いのだ。それを、塗り重ねたりしながら、微妙な色の変化を出し、渦の巻きこんでいく様子、潮の動きが判るようにしたのだろうけれど、全体的に色が薄いものだから、そういった作業が尋常でないことは、黄紺でも容易に察しがついた。その察しの何倍もの苦労があるのでしょうが。同様の薄い色合いの微妙な変化は、「富士宮の富士」という富士山の山頂部のみを描いた作品もそうだった。冠雪をしているから、白っぽい色で変化を出さねばならないから、同様の手法が使われたのでしょう。展示の妙も加わり圧巻だったのは、奥田元宋の「奥入瀬(秋)」と石田武の「四季奥入瀬 秋韻」とは、展示を直交させてあった。流れは揃えてあったら、もう、渓谷の狭間にいる感覚。沢の水の轟音とも言える音を聴きながら、流れを体感してしまえるという雰囲気を味わうことができた。奥入瀬渓流観ていると背中側にあったのが、石本正の「飛騨の酒倉」。京都で、この人の回顧展を観たけれど、こういった写実的な街中の風景画ってなかった記憶なものだから、そういった意味で意外性があり、記憶に残ってしまった。川合玉堂(竹生嶋山)や山口華楊(木精)という馴染みのある作家さんの作品には、あまり関心が向かなかったが、その並びにあった速水御舟の「名樹散椿」が、この美術館の誇る銘品のようだ。重要文化財であることはともかくも、椿の横への伸び、その力強さが際立つ作品だ。実は、そのように実感できたのは、鑑賞を終わりロビーにでたところで、撮影用に、美術館が用意したレプリカを観たとき。というのも、そのレプリカ、実寸大ではなくて、撮影用に縮小されていたから、全体像を掴みやすくなってるのだ。現物の傍らにあった解説文に「椿は、通常、このように横には伸びないのだが、、、」と書かれており、作家の構想力の豊かさを楽しめると示唆してたのが、このレプリカを観て、初めて了解できたのだった。実物の前には長椅子があり、対面にも展示があるものだから、作品を、いい感じでフェードアウトしながら眺めることができず、どうしても斜めから観てしまうと、横に伸びる力、花全体の盛った感が薄れてしまってたのに、見事、修正が加えられ、ようやく、この作品の持つ本来の魅力に、僅かでも近づけたと思えた。奈良を描いたものでは、奥村土牛と石田武のいずれも「吉野」という題名を付けたものには関心が行かず、圧巻は、吉田善彦の大部な作品「大仏殿春雪」、既視感があったこともあり、目が吸い寄せられてしまった。いつも、観光客で賑わう大仏殿しか見てないものだから、こういった寂寥感の漂う大仏殿に惹きつけられたのかもしれない。深々と降る雪の冷たさと、篤い信仰心との対比が解りやすいだけに、魅力を感じたのでしょう。東山魁夷は、京都を描いたものが並んでいたが、色彩を単純化して季節感を味わわせる「秋彩」のような作品よりか、自分的には「年暮る」のように、ありふれた街の風景を描きながら、季節感を漂わせる作品に魅力を感じてしまった。着想のおもしろさで観るか、地道な描き方を取るかというところでしょうか? 東山魁夷の作品は、ほとんど観てないものだから、いいかげんなことは書けないが。橋本明治の「朝陽桜」は銘品だそうだ。同じデザインの花を描き込み、桜の盛り盛り感を出そうとしているのが、好感を持って迎えられるのだろうが、黄紺的にはあざとく映ってしまい、「スルーするな、これは」と思ってしまってました。そんなで、東京画壇には不慣れだったもので、ホント、いい勉強になったことは間違いないです。さすがに、展示室を出たところにあった長椅子に腰かけてしまったな、終わったときには。でも、この時点では、さほど疲労感は出てなかったが、頭で、これ以上のことをするとダメと認識してたので、そのまま帰路に着きました。恵比寿からだから、懐かしい「目黒途中下車ありだな」と、一瞬、頭を掠めたけれど、次の瞬間には否定。それで正解だった。品川から新幹線に乗り込むと、アルコールも入ってないのに、しばし、居眠り。福山からの帰りほどではなかったけれど、それに近いことが起こった。いくら大阪停まりののぞみと雖も、危険なことですから、あとは意識して起きることにしてたら、無事、京都に戻れました。あっという間の3泊4日、大津&東京の旅でした。


2023年 11月 21日(火)東京から③

 今日は、まず、福井の友人と、渋谷ハチ公前で待ち合わせ。ハチ公の位置も変わってたけど、渋谷の街も変わりつつある。それを探険するために、渋谷で待ち合わせ。まずは、東急百貨店東横店が、ものの見事に消えていたに、唖然。井の頭線への通路も途切れていた。それを尻目に向かったのは、東横線渋谷駅の跡地。すっかり、駅の名残が消え、渋谷スクエアなるビルに変わっている。銀座線の駅が、地上にあったのが新鮮だった。線路にカバーがつき、電車は、むき出しで走ってなかった。ヒカリエに上がり、元東横線渋谷駅に向かうが、跡は、ほぼなかったかな。線路跡沿いにできたショッピングモールにも入り、山手線の反対側に出てみた。この辺りから、友人は混乱。うまい具合に地図の掲示があったので解説。道玄坂を上がろうかとも思ったのだが、昼時だったので、センター街に行き、手頃な店を模索。結果、タイ屋さんを発見。黄紺は、またしてもガッパオを食した。少し早かったが、バスで新国立劇場に移動。オペラシティ内に劇場があると思い込んでいたが、そこはコンサートホールだけ。歌劇場は隣だった。平日の昼間だというのに、ほぼ満席の盛況。新国立劇場は、同じ演目を続けて出すという、ドイツだとケルン歌劇場だけが採っているスタイル。月ごとに演目が決まっている。今月は「シモン・ボッカネグラ」(ピエール・オーディ演出)。キャストなどは、次のようなものだった。【シモン・ボッカネグラ】ロベルト・フロンターリ 【アメーリア(マリア・ボッカネグラ)】イリーナ・ルング 【ヤコポ・フィエスコ】リッカルド・ザネッラート 【ガブリエーレ・アドルノ】ルチアーノ・ガンチ 【パオロ・アルビアーニ】シモーネ・アルベルギーニ 【ピエトロ】須藤慎吾 【隊長】村上敏明 【侍女】鈴木涼子。【美術】アニッシュ・カプーア 【衣裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ 【照明】ジャン・カルマン 【舞台監督】髙橋尚史【合唱指揮】冨平恭平 【合唱】新国立劇場合唱団 【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団、そして、指揮は大野和士だった。舞台は、場所や時を示すものがない抽象的な装置。プロローグは、壁を表す装置が置かれてあった。真ん中から奥へ、それが左に曲がるという動線が作られてあるが、かなり照明が暗く、冒頭からしばらくは、奥へ向かい縦1本の動線かと思っていた。暗いので、最近の舞台では見かけることがないと言ってもいいスポットライトを多用。人と人の関係をクローズアップしようという試みなんでしょうか。1幕、2幕は、舞台は、楕円に似た敷き舞台を斜めに置いてあるだけ。そこに、最小限の小物を出し、場面設定にしてある。会議の場面では、敷き舞台の端に腰掛けていたが、そのときだけ、楕円に似た敷き舞台の周囲が上がったのか、よく観てなかった。最終場面は、楕円に似た敷き舞台を大きな島と看ると、それが分解されて、小島が散在しているといったもの。分解した意図は判らなかった。こうした場面では、巧みな照明操作で、敷き舞台に色が着けられていた。ホリゾントには、円状のものが吊られていたが、また、ときとして上下に動くということがあったが、その意味も把握できなかった。抽象的装置の意味が把握できない、イマジネーションが働かないというのは、自分のせいだけど、あまり居心地のいいものではなかった、終始。オランダ国立歌劇場の「指環」の演出家だったもので、期待大だっただけに、かなり戸惑ってしまった。一方、歌手陣は、フィエスコが、若干、物足りなさを感じたが、とっても充実。大野和士の判りやすい指揮ぶりとともに、この公演を盛り上げていた。友人がガルデロ-ベに預けていた荷物を取り出したのが、丁度、5時といった時間。友人は、午後7時24分発の新幹線で福井に戻るが、時間があったので、一緒に新宿へ。東京在住の友人と、午後6時に、昨日と同じレストラン街で待ち合わせをしていたので、東京駅に向かう前に付き合うことになった。東京在住の友人が早めに待ち合わせ場所に現れたので、結局、40分程、カフェでおしゃべりをしてから帰って行きました。あとは、黄紺と東京在住の友人とで会食。今日は中華でした。その後、またしても歌舞伎町広場裏のスナックへ。かなりの喧騒に、黄紺が負けてしまい、昨日ほどの長居はせずに退散。二人とも、同じ時期を東京で過ごし、友人の方は東京に残り、黄紺は京都に帰った。なんか、間の長い時間がなかったようでした。生きていたら、また、再会できます。そんなことを言いながら、新宿駅で別れました。


2023年 11月 20日(月)東京から②

 今日の午前中は、福井の高校時代の友人と、東京散策。待ち合わせは伊勢丹新宿店。そこから新宿末廣亭へ。まだ、開演時間前だったので、位置確認的なものだけど、友人には、初ということで案内。ついでに、足を伸ばし、新宿2丁目へ。東京の落語シ-ンに欠かせない道楽亭にも立ち寄りました。そして、時間があるということで、新大久保へ。コリアタウンの様子を、ちょっとだけ眺めてみた。ワールドタウン化していると耳にしていたが、ほんの僅か歩いただけだったので、コリアタウン街しか、目にすることは出来なかったけれど、韓国系Youtuberたちが撮る、そのまんまの風景を観てしまった。韓流の店が多いのに、友人は唖然としてました。また、新大久保自体が観光地化しているのにも、驚いていた。平日の昼間から、人が溢れていた。ここまで多いかと、黄紺もびっくりの人出。あるシクタンの前に立ち、看板に上がっている食材を解説。ヌ-ドキンパプまであるお店でした。結局、そんなには歩いたわけではないが、コリアタウンのディ-プな様子は堪能できたな、凄いわ。そして、池袋へ移動。いい昼ご飯用の店を見つけられず、結局、今日も富士そばへ。既に、池袋演芸場前には、3人程が並んでいました。でも、食事を終え、前まで行っても、数は倍程度だったので、楽々の入場。番組は、次のようなものでした。貫いち「子ほめ」、朝枝「加賀の千代」、いっ休「金明竹」、のだゆき「音楽パフォーマンス」、龍馬「粗忽長屋」、柳朝「餅つき」、伊藤夢葉「奇術」、文蔵「道潅」、勢朝「大師の杵」、ロケット団「漫才」、権太楼「不精床」、(中入り)、三朝「星野屋」、志ん輔「元犬」、楽一「紙切り」、一朝「妾馬」。結構、居眠りが出てしまい、貴重な「大師の杵」や「加賀の千代」の記憶も薄いと、勿体ないことをしてしまった。「加賀の千代」は、東京では、上方ほどレアではないかもしれないけど、季節ネタなもので、そんなに遭遇機会は多くないはずです。期待の噺家さんとの情報を得ている朝枝は、ラッキーな遭遇。年数が、さほど経ってないはずだけど、落ち着いた口演は、ベテランのもの。古風な印象すら持ってしまった。出からして、そう思ったので、思わず、「文菊二世」と、頭の中に流れてしまった。一朝がトリということで、一門の噺家さんが顔を揃えていた。いっ休と貫いちは、一之輔の弟子。その内の一人、柳朝の出した「餅つき」も季節ネタ。こんなどろ臭いネタも、上方から移ってたとは知らなかったな。「元犬」は、東京でも、この名前でやられてるのかな? 友人は、そのままと言ってましたが。一朝以外にも、大物が出ていたのも特徴。文蔵は「道潅」という前座ネタだったけど、文蔵がすると笑ってしまう。さすがです。志ん輔は、パッと見、おじいちゃん度が進んで見えたけど、口演は元気そのもの、変化はなかったので、ホッとしました。権太楼は、今席が、年内最後の定席出演とか。今日は20日だったから、正に最後だった。新年は、二の席のトリだそうだけど、どこの寄席かは言ってくれなかった。トリの一朝は、とにかく圧巻だった。テンポの良さ、ノリの良さ、自分的に聴いた「妾馬」の最高傑作だった。自分の視野が、ぐいぐいと一朝に焦点化していくのが判った。素晴らしい! 終演後、直ちに新宿へ移動。京王百貨店のレストラン街で、東京在住の友人と合流。久しぶりに、三人揃った。肝臓切除の手術を受けたと聞いていたので、会うまでは、不安が先行していたが、杞憂だった。体つきは元気そのもの、お酒も大丈夫でした。ここでは、天ぷら料理を楽しみ、その後は、歌舞伎町に移動。歌舞伎町広場裏に、コロナ禍前以来だけど、よく行った店があると連れて行ってくれました。こちらで、帰りの電車を気にしなければならない時間まで飲んだ。大井町のホテルに戻ったら、日が変わっていました。


2023年 11月 19日(日)大津&東京から①

 今日から新たな旅行。まず、大津でオペラを観て、それが終わると、その足で上京というのが、今日の動きだった。びわ湖ホ-ルでのオペラは「こうもり」。野村萬斎の演出、びわ湖ホール芸術監督に就任した阪哲朗の本格的な始動という話題が売りの公演。そのキャストは、次のようなものでした。アイゼンシュタイン:福井敬、ロザリンデ:森谷真理、フランク:山下浩司、オルロフスキー公爵:藤木大地、アルフレード:与儀巧、ファルケ:大西宇宙、アデーレ:幸田浩子、ブリント博士:晴雅彦、フロッシュ:桂米團治、イーダ:佐藤寛子、管弦楽:日本センチュリー交響楽団。まず、舞台を日本に移したというのが特徴。アイゼンシュタインは、名前からしてユダヤ人だからか、質屋の親父となっていた。舞踏会は鹿鳴館、だから、それまでの着物から洋装になる。監獄の場面は、ホリゾントに格子を置き、その向こうに、アルフレ-ドが、金ぴかのアイゼンシュタインの着物を引っかけて座っている。着物が目立つように、背中を向けていた。そして、一環して、ホリゾントの上部には通路があり、そこから、1幕では、ファルケがお誘いの手紙を、釣り糸に付けて渡すという趣向。3幕のばらしの場面では、ファルケとオルロフスキーが、展開を眺めていた。舞踏会は、趣向としてのダンスや余興的な挿入はなく、集った人たち(コーラスが担当)は、洋装をした姿を描いた横長の布を持つというアイデア。舞台は、敷き舞台の上に、畳状の板を組み合わせて、場面を転換というもの。そして、何よりも大きな特徴は、米団治が、一環して、噺家のスタイルで、狂言回しとして、出ずっぱりだったこと。単なる語り部としてだけではなく、舞台の動きに突っ込みを入れたり、オルロフスキーのダンスの相手がいないと見るや、その相手をしたり、獅子奮迅の活躍。筋立ては判りやすくがモットーが良かったですね。若干の違和感があったのは、萬斎、人の配置を左右対称にする癖のようなものがあり、安心感というよりか、逆効果のような印象を持った。一緒に観た高校時代の友人は、「ちょっと、ごった煮の感じがした」と感想を口にしてました。確かに、その印象はあった。が、あとになり考えたんだけど、わりかしたっぷり感が出ていたのは、そのおかげだったような気がした。黄紺は、2幕の終わりで、夢見るような舞踏会の最高潮の場面の音楽を聴いたとき、「いよいよ終盤に近づいてきたな」と思う、と同時に、「たっぷり感」を味わってるか、「物足りなさ感」が残るかで、その「こうもり」のプロダクションの是非を感じる。質を感じる尺度のようにしているというか、自然と感じてしまう。そういったことからすると、なかなかグッジョブと言えるのかと思ってしまいました。歌手陣は揃ってるというのは、名前を眺めただけで解るという豪華版。福井敬の声って、アイゼンシュタインに一番合ってるんじゃないかと思ってしまったな。時間の関係で、カ-テンコ-ルの途中で退出。大津駅から快速電車で米原に移動。福井から米原で途中下車をしてびわ湖ホ-ルに来ていた友人の移動に付き合った。だから、黄紺の切符は、京都市内発で、大津で途中下車、新幹線は、米原から東京区間という、ちょっとした変化球。ひかりに乗ったのは初めてだった。岐阜羽島、名古屋、小田原、新横浜で停まり、品川へ。東京駅まで行く友人とは品川で別れ、黄紺は大井町へ。ここで投宿。新幹線で飲めるようにと、酒と肴は持参。車内では、飲みながらしゃべりっばなし。但し、飲んでいたのは黄紺だけ。友人は酒を飲まないので、米原駅の小さなコンビニで買ったものを食べていました。ホテルに荷物を置き、自分的には懐かしい街なため、大井町駅界隈を散策。富士そばがあったので、そこで腹の足しになるそばを食べた。ほぐしチキンの入ったピリ辛味のそばだった。東京に来ると、富士そばのようなそばチェーン店に入るのが、1つの楽しみ。東京にいた頃には考えもしなかったことだけど、離れてみると、いつしか、らしさの1つになってしまってますね。


2023年 11月 19日(日)午前 8時 57分

 昨日は、午後にコンサートに行った日。今日もオペラだし、東京移動後もオペラだしと、音楽関係のお楽しみが続く。そればかりか、狂言&落語に関するトークも聴いたし、東京では、寄席や美術館にも行くしと、とっても文化的な日々を過ごす時期となっている。秋は、やっぱ、そういった楽しめる素材の提供もある。コンサートは、京都コンサートホールでのもの。「ワーグナー生誕210年×没後140年」を謳った京都市響とホールの主催でということは、京都市肝いりのコンサート。びわ湖ホールの一連のワーグナーもののオケを担当したのは京都市響ということで、コンビを組んだ沼尻竜典が指揮台に迎えられた。オケ側からのオファーがあったと、早くから伝えられていた公演。ソリスト2人も、びわ湖ホールで組んだ顔ぶれ。ヴォータンの青山貢、ブリュンヒルデのステファニー・ミュターが招請された。そのプログラムは、次のようなものだった。もちろん、全てワーグナー作品だ。《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より〈前奏曲〉、《トリスタンとイゾルデ》より〈前奏曲〉〈愛の死〉、『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)~《ラインの黄金》より〈前奏曲〉〈ヴァルハラ城への神々の入場〉、《ワルキューレ》より〈ワルキューレの騎行〉〈魔の炎の音楽〉、《ジークフリート》より〈ブリュンヒルデの目覚め〉、《神々の黄昏》より〈ジークフリートの葬送行進曲〉〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉。昨日も、オケは、尻上がりに調子を上げていく。そして、「神々の黄昏」で頂点に。聴いていて思ったんだけど、これだけの抜粋だけと雖も、この並びで、「指環」を最初から聴いてきて、ここまで来たという実感を持ってしまうのが「ジークフリートの葬送行進曲」。このオペラを、初めて観たマンハイムのプロダクション、かなりキッチュな印象を持ったキャラ、それを彩る衣装で、当時は、ちょっと引き気味だった(今は評価してる)のが、この「葬送行進曲」に入ったとき、震えた。とにかく、意味も判らず、震えた。実際、それこそ、スタミナの限界挑戦的な演奏者にとっては、「ここまで来た」感が強いだろうから、最後のギアが入るというもの。それを、この短時間の演奏に感じさせてもらえた。ステファニー・ミュターも、びわ湖ホールで聴いてるんだけど、「トリスタンとイゾルデ」では、まだ、口先だけで歌ってるという印象を持つ歌唱だったけど、ブリュンヒルデになり、更に、最後の歌唱の後半、まとめに入りそうなところで、全身がスピーカー状態と感じさせる迫力が出ていた。こちらも、尻上がりという結構な歌唱。この「指環」の演奏、沼尻編楽譜で行われた。時間のこともあるのでしょう、カットしながら、上手く繋ぎ合わせたよう。作品の終了時にポーズを入れるかと思うと、繋ぎ合わせていた。なかなか、大変な作業の上に、この演奏を聴けたことになる。終わってから、いただいたプログラムを読むと、ショートカットも行われた由。そりゃそうだ、はしょりがないと、時間に収まるわけがない長大さだから。でも、上手く繋いだものです。「ジークフリート」については、ごくごく短時間の使用。頭に「?」が点ったときには、もう終わってたよう。「?」が点ったのは、あまりにも短かったから。会場の入りは寂しかった。ワーグナーでは入らないのか、チケット代が、ちょっと高めに設定されていたから? 黄紺は、そんなでも、このホールではベストと、勝手に思っているお席を確保。サイドの上の席だから、ワンブロックそのまま、誰もいなかった。だから、めっちゃ寛いで聴けた。足が浮腫んでくるので、不快感をなくすために、靴を、堂々と脱いでも、誰も見てない。こんなラハトなことはなかった。終了時刻は、午後4時半を回っていた。とっても寒い日だったけれど、昨日も、帰りは、徒歩で三条へ。半ばの出町柳辺りで、ほぼ真っ暗状態。でも、1時間10分程で完遂。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「目白編」が流れた。昔から、ずっと気になっていた崖が、前半のテーマだった。あれ、早稲田側から見ると、凄いよ。崖の上にある椿山荘、田中角栄邸が並ぶけど、わざわざ、友人と見に行ったことがある。田中邸前には警備のポリスが立ってたから、立ち止まって眺めることはせず歩いたことを覚えている。椿山荘も入れるわけがないけど、外から見ていた。向かいにある東京カテドラルも眺めただけで帰ってしまった思い出。番組で、椿山荘の中に入ってくれた。山形有朋邸だったと言っていた。そう言えば、前に立ったとき、友人が言ってたかもしれない。外側に近衛邸があったことは、全く知らなかった。最後に、タモリが赤塚不二夫のことを言ってた。地番が落合になってたけど、目白だと言うのは判る。番組で「目白エリア」と色を塗った、更に外側に「目白」学園がある。やっぱ、目白ブランドは強い。その赤塚不二夫が、自宅周辺のことを自作の漫画に取り込んでいたってこと、あの辺りに住んでた友人が言ってた。そこに、タモリもいたことあるんだね。


2023年 11月 18日(土)午前 8時 31分

 昨日も、一昨日に引き続き、岡崎のロームシアター京都に行った日。そこで、近くにある京都国立近代美術館にも行くことにした。一昨日、予約をしていたオンライン配信が、うまく機能せず断念したが、実は。これがお昼時にあったものだから、京都国立近代美術館に行くのは、昨日に回したんだけど、それがトラブってしまい、結局、昨日の動きが窮屈になってしまった。旅行前の洗濯日にも充てていたからだ。旅行に持って行くものと、そうでないものとを、上手く分けなければならないので、こういった時期の洗濯日には気を遣う。でも、うまく回せたと思っている。ただ、美術館に用意した時間が短く、気が付くと駆け足にならなければならなかった。あとの時間が固定されている。さすがに、食事は外せないということで、そんなことになった。食事は、最近、岡崎へ行くときにお世話になっているネパール屋さん。昨日は夕方ということで通常メニューからピックアップ。「チキン・カジャ」というものを注文してみた。そういった料理があるものと思っていたら、帰ってから調べてみると、「カジャ」というのは、「軽食」全般を指すタームらしい。小さなカレー3点に、ポン菓子のようなものが出てきた。米を膨らましたのかな? それをカレー味のチキンや豆と食べる。久しぶりに、日本で、全く知らないものを食べたぞという感じ。奥が深いネパール屋さんだ。
 京都国立近代美術館は、既に、1回行っているコレクション展へ。同時期開催の「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」に行ったあとに行ったため、腰が悲鳴を上げてしまい、半ばで断念。がための再訪だった。でも、体調不十分なときに観た印象とはことなり、要するに受け取り側の体調により、随分と印象がいいものになることを実感でき、この再訪はグッジョブだった。幾つかのコーナーに分かれているが、冒頭の西洋絵画は、今回はマティス。去年、「マティス展」があったからか、いろんな美術館で、フォービズム関係の作品を観る機会が多いような気がする。黄紺の苦手パートだけど、削ぎ落し、印象を、自分の中で簡素化、肥大化が行われるということなんだろうなと、何となく思えた。「〝京都画壇の青春‶展によせて」のコーナーに、今回は強い関心を持てた。ここが、体調がいいと関心度も高まったところ。これだけは別格的な書き方を前回にした福田平八郎もの2点(納涼、少女)のインパクトが大きい。ここまであどけない少女を描けるものかと思ってしまった。岡本神草、甲斐庄楠音という曲者作家が並ぶ。ところが、今回、その周辺に並ぶ髙谷仙外、木村斯光、稲垣仲静、榊原始更といった作家の作品が、一体感を持っていることに気が付いた。異なった素材を、人を描いても、花を描いても、一体感を持っている。先の2人の曲者作家と一体感を持っているとなると、どことなく、淫靡なものを感じてしまう。退廃感が漂う。同じ時期に美術学校での生活を送った人たちの持つ時代の空気と言えばいいのか、そんな印象を持ってしまった。それに次ぐ日本画のコーナーに入ったところに、中村大三郎の「三井寺」を素材にした作品2点(下絵&本作)が並ぶ。梶原緋佐子の2つの作品(残波岬、琴)が正対する位置に置かれて、お互い、見つめ合ってると書けばいいか、睨み合っていると書くと書きすぎだしと思うけど、要するに、ともに眼差しが強いのだ。リストを見ると、「琴」の方が、40年も前の作品。「残波岬」の女性の方が眼差しは強いと感じたのは、そういった時間の経過か、それとも、沖縄の、残波岬が見てきたものを表してるのか、興味が尽きない。今回、気に入ったのが、堂本印象の「新聞」という作品。右サイドに新聞を開けながら前を見据える女性、立体感があり、存在感があるが、その左側の女性や魚が描いてあったかな、えらい平板。その狭間に奥の部屋があるのが見える。ここは、えらく遠近感を施して描かれてある。全体として観ると、平板な印象なんだけど、右半分ちょい、狭間とは、その立体感に差がある。なんなんだ、これは! 描いた者の関心の度合いなんだろうか? 不思議な絵、だけど、気になり、1度、通り過ぎて、また戻って来てしまった。小野竹喬の「奥の細道」の連作、わざとだな、温度差をつけて描いているように思えた。俳句が基だから、フェードアウトして印象を持ったり、ピンポイントでものにターゲットを絞られるものも出てくるのでしょうね。そうかと思うと、これを描いたときには存在しない光景を想像して描いた象潟もある。温度差と書いたけど、作品の出来不出来でなく、作家の心に、俳句が、どのように響いたからでしょうね、それをくみ取らねばならない、それと、観る者が感じた俳句の印象との問答なんでしょうか、この作品を観る楽しみというのは。真ん中の大きな部屋は「抽象と現実:ポール・ストランドの写真を中心に」というコーナー。前回はすっかり飛ばしたところ。これが、なかなか楽しめた。「メキシカン・ポートフォリオ」というシリーズ、まるで、民博の展示を楽しむノリで観ると、実に楽しい。1930年代のメキシコ風俗を楽しめるのだから。正対する壁は、場所がニューヨーク、これも同時期。僅かだったが、世紀の替り目時期の写真もあり、それも、同様の関心で楽しんじゃいました。その真ん中の部屋から次なる部屋の友禅が見えていた。「友禅と型染」というコーナーだ。滋賀県美で志村ふくみものを観てから、この着物の染め、設えというのが、凄いものとの認識を持てたものだから、このコーナーに関心は高まった。型染の妙なんでしょうね、着物の染を観るときの楽しみって。同じ模様を繰り返し使える、だから、その組み合わせの美しさが出る、手作りでも、この型というものがあることで、独特の美を呼ぶんでしょう。着物ではなかったけれど、稲垣稔次郎(この人、人間国宝なんだね!)の「型絵染壁掛‶東寺の縁日‶」の繊細さ、模様の配置だけではなく、線の見せる繊細さには、驚かされてしまった。着物となると、鈴田照次の「型絵染着物‶麦穂波‶」と鎌倉芳太郎の「藍朧型着物‶南溟‶」が圧巻。特に後者は、着物に厚みまで感じさせられ、我が目を疑ってしまった。その対面の壁は「大正期洋画の個性派」のコーナーで、岸田劉生、萬鉄五郎、小出楢重、坂本繁二郎という大家が並ぶ。萬鉄五郎ものを観たのは、初めてかもしれない。小出楢重の「裸女結髪」は、新たな収集作品ということからでしょうか、早くも2度目のお勤めになっていた。岸田劉生に「居留地(築地明石町)」なんて作品が出てたので、「オーっ」となった。「築地明石町」なんてお題に目が行ったのだ。奥に描かれているのが海なんでしょうね。大正2年の作品だそうだけど、まだ、海沿いと考えていいんだよね? 「壜と林檎と茶碗」の壜に入った液体が、やたらリアリティがある描き方、なんでだろう? 萬鉄五郎の作品は、風景画が2点(黎明風景、風景)。どっちだったろうか、斜めに切られた道路に白い絵の具で筋が入っている、それだけで、陽の光を感じさせてました。背景の色合いと併せて、光の明るさまで出している。「へぇ~」が出てしまったな。「河井寛次郎の模様」というコーナーもあった。黄紺的関心は、民芸に引っ張られた色合いの出たものへ。少なかったけどね。「エデュケーショナル・スタディズ04‶チョウの軌跡――長谷川三郎のイリュージョン‶」は、現代アート系の作品、モンドリアンなんてのもあったけれど、中村裕太の「チョウの飛ぶ道」にインスパイアされた長谷川作品、手で触って鑑賞するというもの。何で作ってあるのか判らなかったけれど、リストを見ると「コラージュ」となっている。目で見ると、なんとなく「蝶の軌跡」を模したものかなと思える。目をつむり触れてみた。すると、蝶が、どのように飛ぶか判らない不確実性を体感できた。それが、凹んだ部屋全体に何枚も展示されていた。「開館60周年企画‶拝啓、きょうきんび‶」のコーナーは、趣旨が理解できなかったが、思わないところで、ウィーン世紀末美術という括りで触れることのできそうな作品と遭遇でき、びっくりだった。
 ロームシアター京都の方は、一昨日と同じ「芸能の在る処〜伝統芸能入門講座〜」で、昨日は「落語編」だった。進行役の木ノ下裕一に加えて、昨日は、小佐田定雄(落語作家)、古川綾子(大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科准教授)のお二人が登場。1部は古川さんの講演、2部は木ノ下&小佐田のトーク、3部は3人の鼎談という進行。古川さんは、元ワッハの学芸員さん。これは知らなかった。お話は、上方落語の歴史。安楽庵策伝から今後の見通しまで、これだけ、きっちりと上方落語の歴史を聴いたのは初めてのこと。その中で、桂派と三友派の対立、吉本の登場という辺りを、しっかりとまとめて聴けたのは大きな収穫だった。小佐田さんが登壇されると、やっぱ、小佐田さん中心に話は進む。話を聴きながら、聞き役に回っていた古川さんはメモを取るのに懸命だったと言われていたが、今や、学者の目からすると、小佐田さんの発する言葉は、最早、アーカイブに残すべきものになっているということに気づいた。立派に、上方落語史に名を残す人ですものね。でも、黄紺は、メモも取らず、ボーっと聴きながら楽しんでしまっていた。勿体ない話。そういったなか、小佐田さんが米朝一門との関わりができたトピックは初ものだった。関学の古典芸能研究会に入ってたからと、その関係でと言われたかどうか忘れてるが、落語の鳴り物を調べようとして、当時は、消えかけていた上、記録もなかったはず。それを試みようとして、米朝に接触したのが始まりだったそうだ。既に、米朝は、落語会に通っていた小佐田さんを知っていたようで、その相談に乗ってくれるばかりか、各々 の鳴り物の出所を教えるとともに、歌舞伎や文楽等を観ることの大事さを、鳴り物との関連で教えてくれたと言います。米朝のことですから、そういった人物が現れると、米朝の方からも働きかけたかもしれんね。こいつは逃がしたらあかん、そういった気持ちを持ったことが、容易に察しがつきます。枝雀とは、その頃、毎月、新作を作ると言い出し、実際、会も持っていたが、そうは続くものではない。台本の提供もあったそうだが、使い物にならなかったところへ、小佐田さんが、枝雀がアイデアとして持っていたものを台本化した「幽霊の辻」を、枝雀ができると判断して口演したのが最初だったそうだ。最初の作品が「幽霊の辻」だということは、巷間、流布しているが、経緯を知ったのは初めてだったな。金毘羅の会のあとの反省会について、おもしろいことを言っていた。米朝が、講評をしていたというのは知られたことだが、その内容を残せないものかと思った小佐田さん、枝雀に相談した。「こっそり録音してはいけないか」と。枝雀は大賛成。で、実際に実行したが、あるとき、それがバレた。講評の最中だった。趣旨を米朝に言うと、その日は、いつもより、大きな声で喋ってくれた。それが、本になってると言う。買わねばなりません。古川さんは、米朝邸に残る資料整理をしているそうだ。この人も、大事な仕事してますね。それだけのものを、米朝は残したということなんですね。松鶴と米朝の関係は、お二人ともいい印象で語っていた。キャラの異なる二人、その存在意義を認め合っていたと。トークを聴いていると、木ノ下さんも、かなりの落語フリークです。だから、3人は阿吽で話が展開していく、めっちゃスピード感のあるトーク。もっとメモるものがあったはず。どこかで思い出したら追記することにしましょう。


2023年 11月 17日(金)午前 8時 5分

 昨日は、久しぶりに夜のお出かけがあった日。実は、今日もあるが、昨日と同じ催し。そのための動きを、朝からしていたが、昼間に想定外のことが起こった。昼の12時台に、45分間という予定で行われたオンライン配信の予約をしてあった。そのための準備もしてあった。だけど、meetingを使った配信、音が出なかった。この配信だけにしかmeetingは使わないので、うまく使用方法が解ってなかったのでしょうね、応急的な対応ができず、ギヴアップ。そのため、昼間に時間ができてしまった。Youtubeで動画を観たり、一昨日、居眠りをしてしまった「シモン・ボッカネグラ」を、遡って観てみたりしていた。それにつけても、「シモン・ボッカネグラ」はいいオペラだ。テキストが、しっかりしている。細かな変化が続く筋立てを、実にテンポよく仕上げている。また、それに応えて、ヴェルディが、いい曲付けをしていて、瞬時に変化をする筋立てに相応しい。それに気づき、それに気を付けて聴いていると、次から次へと、上手く処理をしているという感じだ。DVD付属の解説書を見ると、台本補正にボイートとなっていて、納得。ヴェルディが、ボイートといいコンビを組んだというのは、こういうことだったのかと、台本作者としての凄腕を看てしまったという感じがした。
 夜のお出かけ先はロームシアター京都。ここのノースホールで、「芸能の在る処 ー伝統芸能入門講座ー」の「狂言編」があったのだ。このシリーズ、3年目になり、今年の3回で終わるそうだ。その終了宣言、今日のクローズ・トークで聴き、まだ、講談が行われてない無念さを感じた。MC役の木ノ下裕一が、全てに出演、毎回、その芸能に関わる人と、それを研究する人をゲストとして呼ぶというもの。今回は、茂山千之丞(大蔵流狂言師)、横山太郎(立教大学現代心理学部映像身体学科教授)のお二人がゲストだった。狂言師は妥当な人選。まさか、茂山家があるのに、東京から狂言師を呼ぶ必要もなかろう。また、茂山家の中でも、狂言以外のジャンルへの進出、狂言自体に関しても創作、演出を手掛ける千之丞が適役でしょう。一方の横山さんは能楽の専門家。木ノ下さんと懇意にしているような口ぶりだったので、その関係での招請のようです。まずは、横山さんの30分程の講演。能舞台の構造的な変化をお話されたあと、話題は、戦後の茂山兄弟の斬新な動きの詳細をレポートされました。武智鉄二が音頭をとり、封建的な色彩の濃かった能楽界に一鉄を食らわした有名な出来事です。このトピックが扱われるのなら、併せて観世寿夫のことも聴きたかったけれど、それは、ここでは無理ですわね。横山さんは、むしろ、そちらの専門家のはず、ちょろっと口にはされてたけどね。「戦争で、自分の青春、無茶苦茶にされたという思いがあったんでしょうね」と千之丞。当時の千作(まだ千五郎だったかも?)や七五三も矛先を収めようとしかけても、ガンと応じなかったそうだ。武智鉄二らとともに行動を起こしたことも大きく、ブレーンとなった人たちがいたこと、それと、それにというか、それだからこそ、マスコミが伝えることで、能楽界も押せなくなっていったようだった。当時の能楽協会会長は喜多実。最終的には、「今後は、狂言界のことは、狂言方で判断せよ」との裁定。野村兄弟(当時は、一緒にやってたんだね!)、三宅藤九郎も加わっていたから、その裁定は、「意のままに」を認めたことになるということ。山本東次郎は、こういった新しい動きには加担しなかったとか。「頭が堅かった」と、横山さんは言われていた。茂山家と言えばという言い方で、学校公演のトピックもかなり時間が割かれていた。「子どもに本物を見せる」という、今の文化鑑賞会的な色彩は後付け的な性格と千之丞は言ってた。とにかくお金の問題があった。実際、同世代の内、現七五三(当時の真吾)は、長らく銀行員として働かざるをえなかったわけですからね。市民狂言会での出番、いつも後ろの方だったの、覚えてます。おもしろかったのは、学校公演で、子どもたちに受けるために、様々な試みがなされていき、その積み重ねが残っていること。台詞はもちろんのこと、顔の切り方の話はおもしろかった。正面からしか観ないわけだから、通常の能舞台での切り方と変えてること、また、体育館の広さと音響の問題。ちょっとした台詞のずらしで、笑いの起こり方が異なってくるという話は、最高におもしろかった。茂山家の顔付けの仕方も、なかなか聴けない話。定期能の顔付け&演目は、当主の千五郎が担当。それ以外は、オファーを受けた狂言師が決める。茂山狂言会のような茂山家の本場所的な会は、全員が集まって決めるが、「オレがやりたい」という人は、茂山家にはいない。濃~い人がいないから、逆に「やってください」と持ち上げるようにして組んでいくそうだ。「お豆腐狂言」というキャラがすっくり出てるようで、これもいいこと聴けた。千之丞の活動も紹介された。創作活動の1つ、コント制作&発表は「ヒャクマンベン」という劇団名で行い、新作狂言は、なんちゃらという劇団名で行うという風に分けてるが、それは新たな作品を考えたとき、どちらのスタイルで発表した方がいいかで、振り分けてると言ってました。1本だけ、動画で作品を流してくれました。「ヒャクマンベン」の方で、これが傑作。能の謡を使い、マグド店頭のやりとりをするというもの。「本当は能楽師さんにやってもらいたいんだけど」に、会場は大爆笑。作品にも爆笑が続いてた。黄紺も、この劇団、観に行こうの気になってしまってました。そんなで、戦後の茂山家の活動を糸口に狂言あれこれは、とっても充実した内容。笑いがテーマだったこともあり、今日の「落語編」にも通じるものを感じたな。


2023年 11月 16日(木)午前 7時 50分

 昨日は、朝からお出かけ。水曜日ということで、行き先はアスニー山科。こちらでの市民向け公開講演会は、「万葉集を読んだ人々―平安人の万葉集―」というお題で、関西大学文学部教授の乾善彦さんのお話を聴くことができた。ここの講演会、文学となると、途端に客足が遠のく。実際、いつも来ている弟も来てなかった。奈良時代に成立した万葉集が、平安時代、更に、その後、どのように読まれていくか、それがテーマだったが、この先生、文学が専門というよりか、文献学の専門家だった。だから、独特の万葉仮名で書かれた万葉集が、時が遠のくにつれ、解読が難しくなっていく。そのとき、それを読もうとしたときに、どのように対応していったか、これが主たるテーマだった。万葉集は歌集だ、ところが、平安時代になり、和歌は平仮名を使い書かれるようになった。また、同じ時期に片仮名も生まれている。そういった新たな文字が、万葉集の解読に、どのように関わっていくか、それを追いかけようとするものでした。前半、昨夜の睡眠不足もあり、寝落ちをしたこともあり、且つ、古い書籍は、なんちゃら本と言い、原本は残らなくても、それを写し、更に写しして、伝承されている。これは、聞かなくても判ってることだけど、それらを、史料として使われると、何がどういった特徴を持っているかなんかを知る由もないものだから、また、前後関係も解るわけがないものだから、なかなか頭がついていけない。そんななか、なんとか把握できた事柄をメモっておく。古今集が編纂された頃になると、万葉仮名が読みにくくなっているということで、その読み方を、歌だということもあり、平仮名で歌のあとに書いたものが出てくる。古今集は、万葉集に入らなかった古歌を収集しているので、そういった形での注釈書が出てくる。また、この時期は、いわゆる万葉集の歌を基に新たな歌が詠まれる、いわゆる本歌取りが行われることもあり、この注釈は肝要だったようだ。更に時が進んむと、解ったものではなくなっていく。そのため、かなりの専門性が求められ、「歌学」という学問が成立、そして、「歌学の家」が生まれていく。冷泉家のようなところのことだ。世襲で、専門的な知が伝承されていくようになると、歌の傍らに片仮名で読み方などが記されていく。多くの文献を比較照合するに利便性が上がるというわけだ。藤原俊成なんかが、「和歌の家」として尊重されていく鎌倉時代初期には、そのようになってただろうと言われていた。その記述が平仮名でされるようになった史料として上げられたのは、江戸時代に入ってから、調度品(嫁入り道具)の中に見られるのが、最も古いものだと言われていたと思います。講師の方が言われていました。教科書なんかにも万葉集が出てきても、書き下し文ばかり。頑張って書いていてくれていても、ちょこっと、万葉仮名の画像を入れたものが、若干の教科書にはあるそうだが、実際に読むとなると、書き下し文でないと太刀打ちできないのが現状。それと同じようなことが、既に平安時代にも生じていたということですね。
 アスニー山科を出ると、夜にオンライン配信の予約を入れていたので、他所に回ることは止め、そのまま帰宅。そして、午後の一時に、観かけていた「シモン・ボッカネグラ」のDVDを観ることにしていた。その前に、ちょこっとだけ、韓国系Youtuber氏のモッパン動画を観ると、なんと、今年の1月、親子3代男旅で釜山に行ったとき食べた、アサリ入りククスを食べていた。しかも、1人前で。おまけに、その量が半端ないんだけど、それだけではなく、ポリパップ食べ放題、マッコリ飲み放題の店だった。これは感動もの。3月に韓国に行くとき、珍しくソウルに宿を取ろうかと考えている。だから、行ってみようかな、そんなこと考えてしまった。いつも、このチャンネルで紹介されるお店、おもしろいなとは思っても、行こうかとまでは思わなかった。自分で、その辺歩きながら見つける楽しみもおつなものと思ってるからだけど、あのとき、3人で、貪るように食べた思い出込みで、食べてみたいと思ったのでした。場所は、チャムシル(蚕室)の近くのなんちゃらというところだそうだ。外に出て行く地下鉄で行けばいいんだなと、地図を見ていて思ったんだけど、合ってるかな? 「シモン・ボッカネグラ」は、半分ほど寝てしまった。昨日やった3つのこと、全部、途中で居眠りしてます。なんせ、2時半に目が覚め、腰の痺れで起き上ってしまったまま、寝てなかったからね、だから、昨日は仕方ないね。
 夜のオンライン配信は「日文研×読売Bizフォーラム東京」というもの。定期的に案内をもらうので、お題が気になると申込んでいる。昨日は、今やブームとなってるお題で、「紫式部と平安時代-その第三の人生」というもの。お二人の講演、その後、お二人によるトークというプログラムでした。講演&トークは、倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)さんと澤田瞳子(小説家)さんのお二人、司会は、井深太路(読売調査研究機構専務理事)さんがされていた。澤田さんのお話は、ご自分も書かれている歴史小説とはというトピックと、その歴史小説の持つ役割的なトピックで、通り一遍の内容だったので、メモる必要はないが、前半の倉本さんのお話は、全く知らない紫式部像を教えてもらった。超有名人の場合、その業績で、その人の人生を表しがちだが、その人の人生は、それだけじゃないだろうということにスポットを当てたもの。確かに、紫式部は、妻として母としての顔、これは、「源氏物語」の作者という顔に次いで語れらること、黄紺も、どこかで聴いたことがある。「紫式部日記」が残ってる。これは、道長が、我が娘彰子の出産をトピックに、紫式部に書かせたものと言っていいと言われていたけど、その関連で、その周囲のことが判るが、「源氏物語」を書いたあとの紫式部の実像が、あまり出てこない。藤式部(とうのしきぶ)と呼ばれていたと想定できる紫式部が、宮中で何をしていたのか、3つ目の顔を追うというのが、この講演のポイント。そこで、昨日の講演で引用された史料は、紫式部とかなり懇意にしていたと思われる藤原実資の「小右記」。この中に現れる「女房」と書いた女性が紫式部だろうとのこと。当時、中宮などという高貴な身の方とは、貴族であっても、直で話ができない。何かを伝える、お祝い事をするにつけても、直ではダメ。そういったことをしたければ、「取次ぎ役の女房」を介する。その「女房」こそが、そして、彰子付きの女房こそが紫式部だったと思われるということで、「小右記」に出てくる「女房」の部分をピックアップをしながら、当時の宮廷生活を振り返るというお話だった。これは、全く未知の内容だっただけに、興味津々でした。後半のトーク、結構、話が弾んでいたようだけど、ここで寝落ち。気が付くと、終わりかけでした。


2023年 11月 14日(火)午後 9時 57分

 今日も、ほぼお出かけなしの一日。ほぼというのは、毎年、この時期に、健康診断的なものを受けているからだ。簡易なもので、採血、採尿、聴診器を当てる、心電図、血圧測定、これくらいだったかな、それに、今年は、前立腺がん検査をオプションで付けた。そんなだから、掛かりつけの個人医院でのもの。順番が来れば、あっさりと終わってしまうというもの。結果は、1週間先には出ているということなので、東京から帰って来てから、聴きに行くことになる。血圧は、上が128、下は忘れたが、問題なし。腹囲も測り、78㎝で、80を切っていた。身体全体には脂肪は付いてないけど、腹回りはそうじゃないと思ってたが、80を切っていると聞いて、思わず、測っていただいた看護師さんに聞き返してしまった。なんか、全体的に加齢とともに縮んでしまった結果が、この数字じゃないかと思ってしまった。
 実は、この健康診断的なものがなければ、いや、診断的なものを受けても行けたんだが、1つ、市民向け公開講演会を飛ばした。せわしなく動くことが嫌だったこと、火曜日だから、ゆっくりRadikoで「まーぶる」が聴けるからの2つの理由で、ちょっと迷ったが止めた。迷ったのは、別にRadikoだと、後から聴けるが、そうすると、明日からお出かけが続き、そのまま東京行きになだれ込んでしまうのが嫌だったのだ。若いときと違い、あれやこれやと、何でもこなす力量は、確実に減退してるので、端から無理はしないの気持ちを優先してしまうのだ。「まーぶる」では、先日のNHK新人落語グランプリについて、コメントをしていたのがおもしろかった。二葉の推しの一花は選外となってしまったことについては、録画した映像を、繰り返し観たことを言い、その選評的なものは控えていた。どこかのTwitterに、得点表が出ていた。個々の審査員の点数も判るようになっていた。実際、オンエアされているものを、要領良く、表にしたものだった。黄紺は、都合で生放送を観れなかったので、この点数については、初めて観ることになった。一花が最下位だったけれど、その原因は、広瀬和生さんが、1人だけ「7点」をつけたからだった。二葉は、さすが、この点については触れなかった。広瀬さんは、二葉を、強く推してる人だからでしょうね。そして、広瀬さんの考えてることが判ってるからじゃないかな。インパクトの問題なんでしょうね。単に上手いだけじゃ評価しないというスタンスが出てるように思った、勝手に。二葉の話でも、結構、審査員ネタが多かったように思った。「額を見せろ」、これ、誰が言ったんだろうと思ったけれど、昨日の米朝事務所のYoutubeチャンネルでも、米紫&吉の丞が、これをネタにしてた。いや、今日、二葉が話題にしてくれたので、米紫&吉の丞がネタにしていたわけが解った次第。包丁だか、匕首だかの持ち方のコメントをしたのは馬生でしょうね。その馬生の点数に興味惹かれた。権太楼は、ほぼ差をつけなかったけれど、馬生はそうじゃなかった。正直な人だと思った。個性が出ているのは歓迎したい気になった。昇羊に「7点」をつけていた。昇羊が2位だったので、この点数のつけ方一つで、際どくなったところだった。また、うがった見方かもしれないけど、鯉朝だか誰か、芸協の噺家さんが、このコンペについて呟き、昇羊を、えらく持ち上げていた理由に関係があるなと思った。そして、三実の口演に対し、「これは全国放送」と言った審査員がいたらしい。これは、二葉は怒ってた。電車の駅が出てくるネタを揶揄した発言で、だと、「東京のネタはどうなるねん」は正論。だけど、今年の審査員で、そないな野暮を言うのが誰か、黄紺には解らなかった。ええメンバーが揃ったなと思ってた審査員だけど、その理解が間違ってたようだ。だけど、生放送だから編集できないから、こういった明らかなるNG的発言も流れるというのがおもろいね。本音が見えてしまう。そういったおもしろネタを拾ったのかもしれないけど、優勝した慶治朗の紹介はあったけれど、その優勝についてのコメントはなかった。黄紺も、慶治朗の優勝は想定外だった。確かに上手いことは、初めて聴いたときに思ったけれど、生真面目な高座という感じで、目立たない人となっていた。だから、その思い込みがあったため、今回のファイナル進出自体が意外だった。ただ、9月だかに、動楽亭昼席で聴いたとき、コロナ禍前に比べて、えらく変わったなと思ったことは事実。いい方にである。弾けてきたと思った記憶がある。でも、まさか、ここまで評価されるとは、思いの外だった。いいくすぐりがあったようで、これは、吉の丞が言ってたこと。これで、米朝事務所、今まで地味系だと思われていたそうば、慶治朗が、相次いでタイトルを得て、ほくほくじゃないかな。三実は、会場での受けは一番だったと、呟かれていた落語ファンがいたが、この人の評価は、どうしても分かれてしまうってことじゃないかな。新作の台本としては抜けたものを持ってんだけど、この人、名古屋出身だから、言葉があやしい。噺家特有の人物表現では物足りない。けど、それらを越えて、あまりあるテキストの奇想がある。これが評価されてると思う。だから、どっちシフトをして評価するで、結果が異なってくるのだ。このコンペでも、それが出たようですね。こういったNHK絡みのトピックだけではなく、二乗独演会についての裏の話に、興味津々となった。二乗は、今回、「百年目」をネタ下ろしをしたのだけど、そのネタを師匠にもらうために動いたのが、会の8日前だったとか。その前に、米朝の音源などで、テキストを覚えるということをしてたかもしれなけど、それはあんまり。二葉が作った話とも思えない。二乗ならありうることだから。電話で、そのことを聞いた二葉は、「とにかくラインでもなんでも、師匠にさっさと連絡を取れ」との意見をしたとか。これも、ありえる。しっかり者の妹に、けつっぺたを叩かれてる兄貴という構図、イメージのまんまです。でも、二乗の口演が良かったらしい。これは、二葉が言うまでもなく、落語フリークの方が呟かれてるのを目にしています。二乗世代では、初の「百年目」。聴きたかったな、これは、本当にそう思ってます。


2023年 11月 13日(月)午後 8時 52分

 寒い、こんなに一気に寒くなるとは、ホント、寒さに弱いものだから、これはあかん。まだ、空調はつけてないけど、電気ストーブの方は、全開だ。傍らに置いてあるので、直で暖を取れるのが嬉しい。昨日から、もう長袖のシャツを着るようになった。その上に、さほど厚手でないトレーナー、ウィンドブレーカーを着て出かけても、寒かった。ウォーキングをすると暖まってくるはずなんだが、なかなかだったね、今日は。これから、4ヶ月は、これだね。
 今日は、お出かけなしの月曜日。となると、お楽しみは、夜のYoutube。米朝事務所チャンネルの配信。ライブで配信されるが、アーカイブで視聴するのが定番。その方が、時間に縛られないのでいいのだ。昼間は、こういった日の定番、昼前と夕方のウォーキングだけが外出時間。今日は、一日中、どんよりとした天気。昼前のウォーキングでは、家を出て、3分もしない内に雨が降り出した。そんなに早く降り出すとは思ってなかったので、折りたたみ傘で出かけ、そのまま歩いたので、小さめの傘のまま、ウォーキング。ということは、降りはひどくならなかったということだが、傘は大きい方がいいね。どうしても、風が吹くと濡れる。2回のウォーキングを併せて、計15000歩余というものだった。最近のウォーキングの歩数って、そんなものかな。あまり数字に拘らないようにしている。そうするだけで、なんかリラックスできて、快調なような気がしてる。午後の一時は、まずは、ちょっと溜まってた、最近アップされたYoutuberの動画を観た。香港と韓国の現地ルポ的なものだ。香港に行こうかとも考えてるところなため、香港ものはそそられたが、香港名物の看板が影を潜めてたのには、がっくりもいいところ。観光名物なのに、撤去の方向のようです。なんで? バンコクの中華街も看板減ったしね。それを、現地で知ったとき、「ま、看板は香港で観ればいいか」と思ってたのを思い出し、あれれになってしまってる。九竜半島の方の動画だったけど、香港島の方も、そうなんだろうね。一気に、香港、もう1度、観てみたい気分が失せかけてる。午後の一時後半は、「シモン・ボッカネグラ」の予習の続き。ローマ歌劇場のプロダクションは、ほんの僅か残してただけなんで、そのあと、Youtubeでアップしてあって、日本語字幕を付けてるもの、ないしは、自動翻訳で怪しげな日本語字幕をつけられるものがないか調べたが、見つけることができなかった。字幕を気にしなければ、ないしは、ドイツ語の字幕だったらあったんだけど、生で観るための予習だから、テキストを、しっかりと押さえておきたい身には、それではダメ。ならば、手持ちのDVDを観ようじゃないかと、さっさと、これにかかっておれば、無駄な時間を使わなくても良かったんだけど、たくさんあるDVDの群れの中から、狙いのものを見つけることのハードさを嫌がってたのだ。しかし、思いの外、見つけるのに苦労しなかった。しかも、手持ちのDVDだとベストと思ってるものが見つかり、わりとついている。アバドが、フィレンツェで振ったもの。細かく変化する筋立てを、しっかりと押さえておきたかったので、絶好のDVDであるのだけど、いい歌手が揃ってる。アバドも、冷静、物語を盛り上げている。ワグナー的モチーフの影響を、この作品で、受けてることが判ってきた。これも、丁寧にテキスト押さえたことの副産物と言えるだろうな。ほぼ1週間後に、観ることになってます。どんな舞台だろうか? なかなか、変化をつけるには難儀な作品だと思うけど、ちょっとした新鮮な工夫でもあれば、嬉しいんだけどね。


2023年 11月 13日(月)午前 7時 42分

 寒く寒くなった日曜日。先日までの暖かさは、すっかり影を潜め、今度は、間違いなく冬に一直線という寒さ。これが来ると、困るんだよね。来週の日曜日から東京へ行くので、格好をどうするか悩ましい。オペラも観るし、別に、日本の歌劇場にドレスコードがあるとは思わないけど、ま、自分の気分の問題もあるし。オペラだけではない日もあるので、それも考えて、最近使ってる旅行鞄だと、あまり入らないしと、2通り持って行くなんて技は使えないしと、ホント、悩ましい。旅行が迫っているということで、昨日は、お出かけなしの日だったもので、とにかく、先日から観ていた、東京で観るオペラの予習を、ほぼ仕上げた。大津で観るオペラは、予習は要らないんだけど、東京のそれは、黄紺も、生で観るのは、ドイツで観たのが最後で、もう7~8年前だったと思うので、やっぱ、予習をしておくに越したことがないからね。できれば、Youtubeにアップされているもので、日本語の字幕を付けたものが、もう1つあればいいんだけどね。今観ているローマ歌劇場のプロダクションは、辛うじて、日本語字幕を出すことができているので、せめて、これと同じくらいの日本語が付いてくれると有難いんだけどね。旅行用に、もう1つ用意したのが、毎回、旅行用に持参するシートにした情報。これの補充、及び印刷をした。印刷をしてから、不十分なものが思い浮かんだので、また、今日、ちょこっと足すことにしましょう。この3日程は、ほぼ家に籠っておこうかと思ってるので、その間にやっておきましょう。
 あとは、朝の定番、「日曜美術館」をメモっておく。「まなざしのヒント 特別展やまと絵」というお題で、最近、時々、行われる授業形式。今、東京国立博物館で「やまと絵」の国宝が集結しているというのは、東京旅行を計画している身には、よ~く判っている。その会場で授業を行おうというのが、今回の番組。先生役は、同博物館で、今回、この特別展を企画された学芸員の土屋貴裕さんと、画家の山口晃さん。山口さんは、滋賀県美で、おもしろいやまと絵もどきを観てきたところという、めっちゃグッドタイミング。生徒役は、いつもの小野さんはいなくて、アナウンサー氏に加えて、ゲストがお二人、市川沙椰さんと中村壱太郎さん。その内容をメモっておく。【1.絵巻】平安時代初期から始まった、唐絵との対比、カレーライスの喩え、①信貴山縁起絵巻飛倉巻(法蓮の法力、鹿も見上げている、a四大絵巻の1つ、場面転換の手法=かすみや山が出てくると場面転換の印、b異時同図法の事例=大仏の前の命蓮の姉、多重露出の手法を使う)②紫式部日記絵巻断簡(鎌倉時代、覗き込んでる感じ、道長と彰子を描く、c吹抜き屋台=貴族の生活、恋愛を描くときに、特に用いられる、屋根を取ったというより俯瞰、思い出すときの気持ち)、【2.白描画】③高房卿艶詞(つやことば)(下描きと思える描き方、でも完成品、墨で描いている、鳥獣戯画もそう、鎌倉時代に盛ん、水墨画は、墨の濃淡を使う、白描画は線で描く、悲しい物語に相応しい、小督と高房の別れ、高倉天皇の介入で)④尹大納言絵巻、【3.屏風】⑤浜松城屏風(室町時代の屏風は珍しい、花鳥がいっぱい、色彩豊か、右:柳、葉が短い=新芽、たんぽぽ(春~夏)、中:桔梗、左:ススキ、雪がふりかかる、バラ、右から左へ春から始まる、同時に存在することはありえないから桃源郷の世界、空想上の美しい自然、やまと絵の最初は立てたもの、華やかな印象〈金銀をいっぱい使う=室町時代に流行〉、きらきらひかる鉱物を敷き、上に金銀を塗る、これは室町時代特有の手法、斜めから3面見ると繋がっている)。ネット上に出ている作品リストを見ると、くらくらするほどのものが出ているというか、こんな展覧会ができるんだと思えるもの。正に、国宝総ざらえ、一層セールじゃないけど、凄い。でも、行くの、躊躇っている。他にも観たいものあるし、大変な混雑が予想されるしと、そんなこと考えてしまってる。


2023年 11月 12日(日)午前 7時 25分

 昨日も、朝から美術館詣。帰宅したのは、もう辺りが暗くなる時間だったから、丸1日、その美術館にお世話をしてもらったことになる。行き先は滋賀県立美術館。もう、朝の10時前には、最寄りの駅から瀬田に向け電車に乗っていた。昨日は、同美術館の年間パスポートを持っている人を対象にしたイベントがあったものだから、それに合わせて、今、この美術館で展示されているものを観てしまおうとの魂胆。3つの展示室に加えて、常設の「小倉遊亀コーナー」も、新たな展示替えがあったので、4つの展示を観た上に、講演会へ参加できるというので、大満足の一日となった。昨日のイベントは、「千年の秘仏と近江の情景」ギャラリートーク&レクチャーというもの。ギャラリートークが始まる前に、1度は、展示を観ておこうと、朝からのお出かけとなったのだった。まずは、その該当する展示から。この展示は、現在休館中の滋賀県立琵琶湖文化館との共催。展示室中央部に仏像が2体、更に、一番奥には仏像が3体展示。そして、周囲には、県美所蔵の作品を含めて、近江の風景・習俗を描いた屏風絵などが並ぶという構成。仏像は、県内の正福寺本堂が修理されるということで、琵琶湖文化館が、仏像を、一時預かりをすることを契機に行われたもの。奥の3体と中央の1対が、その正福寺の仏体。中央のが、同寺の本尊大日如来坐像。秘仏とされ、公開が33年ぶり、しかも、初の門外での展示。だから、琵琶湖文化館の調査も入り、その具体的な内容が、あとのイベントでお話されたわけだが、その関連で、もう1体の仏像が中央部に展示されたようです。それが、正福寺近くにある善水寺の不動明王坐像。中央部の2体の仏像は、いずれも重要文化財に指定されている平安時代の作品。実は、この中央部の2体は似ているのだ。細部の点検でも、同じ仏師工房で作られたものだろうということだった。そして、正福寺ものの方が、細部の比較、仏体自体の僅かな大きさを鑑みて、善水寺ものが先で、正福寺ものが遅れて制作されたものだと言われていた。琵琶湖文化館主任学芸員の和澄浩介さんは仏像の専門家、普段聴けない、こういったプロの目の付け所なんかを知ることができ、ギャラリートークも講演も、いずれも興味深く聴くことができた。奥の仏体は、正福寺の⼗⼀⾯観⾳⽴像3体、同寺には、もう1体、⼗⼀⾯観⾳⽴像があるそうで、通常、一つの寺に、それだけの数の⼗⼀⾯観⾳⽴像があるということはないので、近くに廃寺になった寺院があるので、そちらから統合されたのではと言われていた。周囲の絵画作品は、ギャラリートークでは、県美の主任学芸員山口真有香さんが解説されていたが、やはり、近江の風景となると近江八景となる。重要⽂化財に指定されている狩野派とだけ判っているもの、久隅守景、横⼭華⼭らのものが展示されていた。それ以外では、近江の習俗を表すものとして、祭礼が取り扱われたもの、「⽇吉祭礼図」(作者不明)は定番だろうが、可笑しかったのは、2つの「鍋冠祭図」(蹄斎北⾺、吉村孝敬)。女性が頭に鍋を被るという奇習を持っている。蹄斎北⾺は江戸の絵師なので、広く知られていたことが判ります。おもしろかったのは、円⼭応震の「琵琶湖図」。広大な琵琶湖岸に一団の人の群れ。小さくて、よく判らないが、朝鮮通信使一行を描いた貴重な作品だそうだ。もう1つ、おもしろかったのは、紀楳亭の「大津絵図」。珍しく、屏風絵だった。
 傍らの「小倉遊亀コーナー」は、「静物画、そして下絵」に変わっていた。黄紺的には、静物画はともかくも、興味が惹かれたのは、下絵の方。これまで、何度か目にしてきた小倉遊亀の有名作品の下絵だ。大下絵と言って、作品の全体を描いたもの、原寸大で描かれたものも含め、試行錯誤している様子が判り、とってもおもしろいもの。この下絵が展示されたのはあったっけと思ったことは、初展示だった可能性がありますね。企画展で、小倉遊亀特集になったときにもなかったような、、、。「童女入浴」「観世音菩薩」「娘」「姉妹」の下絵が出ていました。
 第2展示室では「さわるSMoAコレクション」。今回は、第3展示室も含めて、観覧者参加型の展示が並んだ。この第2展示室では、視覚障がい者に、絵画作品を観てもらおう、認識してもらおうの試みがなされていた。実際の絵画作品が正対する位置に掲げられ、その前にあるテーブルには、絵画を触って認識できるように点字、絵画の形状、色彩を弁別できるように作られた紙の板が置かれていた。それで認識してもらおうという試みだ。実際、それに触れた視覚障がい者の実演、インタビューが、映像で、最後に添えられていたんだけど、取り上げられた作品の並びに、とってもそそられた。これを企画されたキュレーターさんの知の高さを知る思いだった。アールブリュットの小幡正雄作品があるかと思うと、ジョナサン・ボロフスキーの「飛ぶ夢を見た」がある。これは、人が空中に浮きあがっているというもの。常識的じゃないものを持ってきた。フランク・ステラの「イスファハーン」は、既に、常設展で既視感があるが、これは、「ミニマリズム」とスタイルで描かれた作品で、形状と色彩を単純化してイマジネーションを喚起するという作品、トム・ウェッセルマンの「グレート・アメリカン・ヌード#6」では、お題の通り「ヌード」の入った作品。究極の選出は、伊庭靖子の「Work2011-5」という作品。これも。常設展では出ていたものだが、陶器の表面の輝き、光の微妙な変化を描いたもの。それを、視覚障がい者に解らせようとの試みです。インタビューでは、全部は視聴してないんだけど、手で触る作品の方の大きさを問題にされていたことが意表を突かれた。それで、感触が変わると言われていました。
 第3室は「“みかた”の多い美術館展 さわる知る 読む聞くあそぶ はなしあう 「うーん」と悩む 自分でつくる!」。冒頭に、「普段はあまり美術館に来ない方々(小さな子ども連れ、障害のある方、県内に住む外国ルーツの方など)に提案してもらった理想の“みかた”を実現」と掲示されていた。いろいろとお喋りをしていい、音を出してみてもいいというコーナーでは、黄色の人体が幾つか、椅子に腰かけ、こちらに語り掛ける彫刻作品(今井祝雄「ヴォワイヤン」)から始まり、実際に撥が傍らに置かれてあり、音の違いを楽しむ陶器作品、大和絵に様々な時代の人たちが入り込んだ山口晃の「厩園2004」というおもしろい、突っ込みどころ満載の絵画作品と続く。突っ込みどころ満載ということで、あの「百鬼夜行」が出てました。県美の所蔵になったのかな、だったら、恒常的に観れる。抽象絵画を置き、その解説を観た人に書いてもらい、それを掲示して、普段の解説文に替えてみたり、触っていい作品には、藤岡祐機の細く細く切り刻んだ紙の作品が出てたし、レプリカだったけど、あの縄文人の作品かと思わせられたぶつぶついっぱいの陶器作品と、アールブリュット作品が大活躍。もう、この辺りで、DとSを連れて来てやりたくなってました。そういった2人が来たら、びっくりして、すぐに実行に移しそうだったのが、岡本隆幸の「とろける身体~古墳をひっくりかえす」。作品の中に入り寝転がることができるのだ。おもろい、めっちゃ。映像作品もあった。百瀬文の「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」がおもしろかった。聴覚障がいのある木下さんにインタビューする作者。途中から、声を出さないで口だけを動かしてする会話で「声」について語り合う二人というもの。凄いこと、考えるね。声の相対化、音の相対化にチャレンジしてるって作品です。カンディンスキーの作品の大きさを変えて観てみるという試みも、なんか、違う作品を観ているようで、いや、カンディンスキーだから、そして、百瀬作品の後だったからでしょうか、キュレーターさん、そこを狙ってるのかもしれないなと思い、その手にはまってる自分を看てしまったんだけど、「違う音」が聴こえるように思ったのでした。最後は、参加型究極のコーナー「自分たちで作品を作ってみよう」があった。やっぱ、ここでも。DとSのはしゃぎようが見えるようで、連れて行きたいなぁ。
 メンバーズ会員限定イベントについては、上に既に書いたものと重複しないことだけ、メモっておく。和澄さんが、講演のクライマックスで言われていたことだ。正福寺や善水寺のある位置、また、谷筋を挟んだ向かいの丘陵にも、同じように、天台宗の寺院が点在していることがきっかけの1つ。それと、正福寺に周りの廃寺から仏像が統合されていることがヒントの1つ。更に、この正福寺界隈が、正に、谷筋に東海道が走り、湖岸から甲賀方面へと抜けるルートになるという、交通の要所にあるということが1つと、それだけの要素を踏まえ、この地域に、延暦寺と坂本のような関係を作ろうとしてたんじゃないか、今で言う都市計画が、天台宗が音頭をとり行われようとしてたんじゃないかと想像できると言われていたことに、興味が惹かれました。仏像研究、比較考証が、ここまで広がるんですね。夢のような話だと、聴いていて思いました。充実した一日。もう、満腹状態。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「鯖街道」があった日。小浜から始まり、道中最大の宿、名前、忘れた。そして、朽木。各々、昔の風景が残っている。映像的に、これほど魅力的な「ブラタモリ」はなかったかもしれない。朽木の足利幕府跡、なんかで聴いた記憶があったけど、その跡を映像で観たのは、初めてだと思う。久多もそうだけど、行きたいね、車を運転できない身の辛さを、つくづく感じてしまった。地形のトピックもおもしろい。どんどんと専門的になっていきます。確かに、山中で90度も曲がる街道って、変ですものね。


2023年 11月 11日(土)午前 7時 56分

 芸術の秋です。さすがに、連日、美術館詣が続きます。水曜日から土曜日までは、少なくとも続く。ひょっとしたら、日曜日も行くかもしれない。ただ、昨日は、朝からアスニー京都へ行き、その後、2つの美術館をハシゴする計画だった。が、それは変更。1つ目の美術館のヘビーな内容に、数ではなく質の話だが、ここの印象を濃く持っているためには、数を増やさないことが賢明と判断した。予定表を眺めてみると、いい日があったので、2軒目に予定していた美術館は、来月に回すことにして、帰宅して、洗濯のための時間を確保することとした。朝からのお出かけが続くと、どうしても、イレギュラーな時間を使い、洗濯をしなければならない。
 朝からのお出かけ、金曜日と言えば、アスニー京都での市民向け公開講演会。昨日は、「源氏物語に誘われて~大内裏から宇治~」というお題で、宇治市源氏物語ミュージアム館長の家塚智子さんのお話を聴くことができたのだが、前半は黄紺が居眠りをしてしまったせいもあるけれど、何をテーマにお話されようとされていたのか、掴めないままのお話でした。冒頭で、なかなか本題に入らず、若干、ループ状態の物言いだったのが、言い訳がましく言えば、かなりきっかけになったと思います、居眠りの。口の中で「早く始めようよ」と呟いていたからね。どうやら、レジュメを見る限りでは、「源氏物語」の舞台となった場所、と言っても、北山が出て来たり、須磨が出てくるというわけではなく、平安京のざっくりした様態の説明があったようなのと、その中で絞られたのが、光源氏の住まいとされた六条院と、「宇治十帖」の舞台となる宇治。そうだったが、六条院を扱われる前に、わりと時間をとっておられたのが、光源氏の邸宅探し。その1つが、言うまでもなく六条院なのだが、それ以外にも、二条院、嵯峨、宇治にもあったようなことが、記述の中から窺い知れるそうだ。後だしじゃんけんという言い方をされていたが、宇治に邸宅あったようと知れるのは、源氏が亡くなったあとの「宇治十帖」での記述だそうだ。辻褄を合わせる、そういった風にとれるから、「後だしじゃんけん」という言い方をされたのでしょう。六条院の構造も、記述から想定できるようで、宇治のミュージアムで再現してるのかな、模型の画像を使い説明されていた。四面に分かれ、各々に慕う女性が居るという豪勢なもの。寝殿造りが三面と倉を並べた一面、計四面だそうだ。その併せた広さが大丸京都店を含んだ一角全てだそうだ。宇治の方は、めっちゃはしょられた。時間が押してたということ。その中で、記憶に残っているのは、なぜ、宇治なのかというお話。交通の要所とか、そういった一般的な話題は置いておいて、この物語関係で言えば、藤原氏との関連が興味を引く。歴代藤原氏の墓が木幡にある。これ、初めて聴いた。木幡小学校の中にあるそうだ。そして、藤原氏と言うと、平等院の存在。これが出てくると、黄紺にも解りやすい。平安京から宇治への行き方のお話をされていた。半日がかりだったそうだ。ま、歩けば、そんなものかな。九条口にあった法性寺(ほっしょうじ)に集い、そこからの出発だそうだ。藤原氏の氏寺が法性寺だそうで、ここの跡地が東福寺だと言われてようだった。あと、「宇治十帖」絡みの10の石碑があるとか、菅原孝標女が出て来たり、「都名所図会」が出て来たり、後世、「源氏物語」を愛でるトピックが出て来たり、、、時間がなくてハチャメチャになってた。「源氏物語」のこと、いっぱい知ってる講師の方なのに、テーマを決めて、絞って、お話さればいいのに、そう思ってしまった。
 アスニー京都を出て、円町に向かう。交差点にある「すき屋」で昼食。この方面なら、タイカレーの店があるが、タイ料理が2日連続になるので、自重。駅で、新幹線の切符を買おうとすると、「みどりの券売機プラス」で、使い方が判らず、というのは、「待ち人数」が出たり、前の人が、「機器に向かい話しながら買ってた」ので、黄紺の知る券売機とは様子が違ったので、嵯峨嵐山駅で買おうと思い、移動。でも、嵯峨嵐山駅でも「みどりの券売機プラス」だったので、インフォメーションで尋ねた。普通に買えるというのでチャレンジしてみると、今度は、「待ち人数」は出てなくて、普通に買えた。なんか、とっても不気味な機器に思えてしまった。画面タッチで買えるのなら、あの「待ち人数」って、何だったんだと思ってしまった。
 嵐山で行ったのは福田美術館。コンビチケットを買い、嵐山文華館の方も行くつもりだったのが、上に書いたように止めた。この2つの美術館で、今、「ゼロからわかる江戸絵画 ーあ!若冲、お!北斎、わぁ!芦雪ー」という展覧会が行われている。これが、看板に偽りなし、銘品揃い。何よりも嬉しかったのが、長沢芦雪を、ここでも観ることができたこと。同じ作家を集中的に観れることが嬉しかったのだ。「大黒天図」が話題の作品だそうだ。美術系Youtuberさんの動画で言ってたけど、50年ぶりに発見されたそうだ。福田美術館所蔵となってるので、ここが手に入れたことで判ったのかもしれないね。大きな掛軸。そこにいっぱいに大黒天が描かれている。身体がふくよかなのが大黒天、イメージ通り。「牛図」は、画面からはみだしていたが、こちらは、ぎりぎり画面に収めてあった。相変わらず、見事な構図。お顔もふくよか、こちらもお見事。構図の妙で感心した一番は「山水鳥獣人物押絵貼屏風」。12面の屏風に異なる動物、人物が描かれているが、全部違う画面配置、しかも、どれをとっても、決まっている、外してない、凄いわ。一のお気に入りは鹿の後姿を描いたものだった。犬っころもいいけど、鹿もいい。「薬玉図」の線の潔さにほれぼれ。「鍾馗図」や「岩上猿図」は、中之島美術館でも観たように思ったが、展示時期が重なっているので違う作品なのか。岩上の猿は、画面の外の何を見てるんでしょうね? 入口入ったところには円山応挙が並んでいた。その中で気に入ったのは「竹に狗子図」。この犬っころも、頗る可愛い。「竹かんむり」に「犬」を描けば「笑」に似てるというので「一笑図」と言うんだって。それに対し、「巌頭飛雁図」の雁の勢い、下の波の荒々しさ、さすが写実の大家です。鳥と言えば伊藤若冲。「蕪に双鶏図」が目についた。鶏に蕪という組み合わせとなると、若冲です。精緻を極めます。凄いと思う一方、リラックスできないと、こういった若冲らしさ満開の作品を観ると、いつも思ってしまう。曽我蕭白ものは、あまり観てないので、よく解らないが、逆に寛いでいる。「虎図」の屈託のない表情、「柳下白馬図」の穏やかな空気感に、そんな印象を持ってしまった。2階に上がる。「春日局」の講演で知った海北友松の作品があり、画家だったんだと、ここでフォローしてもらった。「禅宗祖師・散聖図押絵貼屏風」という禅僧を描いたもの。傍らの作品との違いが可笑しかった。というのは、横に長谷川等伯の「柳橋水車図屏風」があったからだ。「侘び寂び」に対し「絢爛豪華」が対置していた。あまりの豪華さと橋の力強さに、くらくらする。柳、橋、水車で、金屏風とは恐れ入りました。尾形光琳の「十二ヶ月歌意図屏風」や、中村芳中もの数点には関心が行かず、黄紺の目は、以前に観たことのある池田孤邨の「三十六歌仙図屏風」へ、更に圧倒されたのが、谷口香嶠の「光琳式扇面散志図」だった。横一筋に幅広で描かれた扇図が、背後の草花を分断しているという構図。この分断されていることで、草花が落ち着いている。けばく無くなっていると思えたからだ。却って、色彩豊かな草花が映えているように見えた。これを眺め、振り返ると等伯ものが目に入る。ここで、「今日は、これで十分」と思ってしまった。もう満腹も満腹、yeter状態になってしまったのでした。


2023年 11月 10日(金)午前 6時 2分

 昨日は、先日のリベンジの日。中之島美術館の「長沢芦雪展」のチケットは、既に買ってあったものだから、止めるわけにはいきません。しかも、美術館のあとは、動楽亭昼席にも行こうと計画していたので、東京から帰って来てからには回せない。しかも、こちらの空いている日、そして、動楽亭の顔付けも気にしなければならないということで、昨日がいいとなったわけだ。だから、結構な過密日程でお出かけが続きます。中之島美術館は、午前中に行ったからか、混み具合が、かなり違った。そういったなか、小物は、前期の方がおもしろかった。子犬は、相変わらず可愛い(梅花双狗図、降雪狗児図など)が、孔雀や関羽のような豪傑、寒山拾得も、同じ素材を描いたものは、前期で観たものの方が、スケールが大きいと思った。構図にせよ、人物の表情にしてもだ。「幽霊図」というものは、前期にはなかった。後期には、師の応挙ものと並んで展示されていた。しかも、師の作品を踏襲したもの。目がきりりとしたため、不気味さが出ていた。逆に応挙ものは、ボヤーっとさせることで、足を消した感性に通じるものを感じた。芦雪の方は、もう1つ、髪の毛を2筋、垂れさせているのが目立つ。これが、不気味さを増す効果を押し上げている。ちょっとしたことで、全く同じ構図なのに、違いが出てくる。「襖絵」が展示される、真ん中の広い部屋では、狙いの「群猿図」は、正面の目立つところではなかった。展示室の角を使い、2つに分けてあった。解説文を読むと、そのわけが判った。実際の襖が、そういった配置になっているからだった。横並びにすると、実際とは異なる並びになるという拘りだった。2つに絵が分かれる場合、群れる猿は、片側に固める。これが定番の構図だ。そうする方が、空間的な拡がりが出るのだろうなと想像してみました。それにつけても、群れている猿の配置が見事だ。縦長の掛軸にしても、この人ほど、見事な空間配置をする人はいないんじゃないかと思ってしまう。「群猿図」でも、群れてるところを描きたいんだから、左半分で、十分、群れてるじゃないかと思うんだけど、右半分がない図を思い描くと、せせこましくなってしまってる。描かれている猿の動きや、聞こえてくる鳴き声も違ってくるように思えた。大部屋の正面を飾ったのは「龍図襖」。右に雲龍図、左に龍の全身図。前期の「龍図襖」「虎図襖」に比べると、ここでも、インパクトが劣っていた。雲龍図はともかくも、全身を描いた龍の図って、ほぼ観たことがないことからくる違和感が邪魔をするのか、おもしろくなかったなぁ。雲龍図の前では立ち止まっても、全身図の方では立ち止まる人、稀だったんじゃないかな。「同時代の作家」コーナーでは、後期も、伊藤若冲と曽我蕭白の作品が展示されていた。中でも、若冲の「象と鯨図屏風」が圧巻。鼻を、大きくもたげた白象が右側に。象の大きさを知ってる分、小ぶりに描いてるなと思うけど、その鼻のもたげ方で、知っている象の巨大さを思い浮かべてしまいます。そうさせる迫力があります。それに対して、こちらの想像力を掻き立てる前に、鯨は、既に巨大。大海原をうねりながら泳いでる雄大さは、お見事。それに合わせるかののように、象の大きさも出てくるという仕掛けかな。今まで、若冲を、多く観たわけではないけど、間違いなくベストですね。究極の写実かと思っていた若冲ものに対する思い込みが崩れました。そうして観て行き、ハタと気づいた。「牛図」が、この後期に展示と、作品リストに出ているのに、遭遇できてなかったのだ。最後の展示作品と思ったところまで行き、最初にまで戻り、再点検。でも、なかった。そこで、係の方に尋ねた。「出口にあります」「??」「最後まで行きましたが、丈の長い竹の図がありましたが」「そのあとです」、、、やっと判った。黄紺が最後だと思ってた作品の後に年表がある。そのあと、売店との間に最後の一品が展示されていたことを、ここで、ようやく思い出した。これ、反則です。既に、売店エリアに入ろうかというところに展示とは、あまりに卑怯。慌ててしまい、複数回、展示リストと睨めっこしてしまってた。狙いの「牛図」は、想像していたよりは大きくなかった。でも描かれている牛は、画面をはみ出していた。これも、構図の妙。そうすることにより、牛の大きさが出ている。可愛い目は、青系の絵の具を使ってた。「へぇ~」だった。背中の部分と胸の部分が、顔を挟んで、楕円形の同心円で描かれている。それで、どのような効果が出ているのか、考えたが解らなかったが、気になってしまった。せせこましい場所での展示なもので、長くは観ている気がしなかったが、しっかりと目に焼き付けてきました。
 想定通り、1時間余で、鑑賞は終了。福島方向で、食事場所を、ググってみると、その道筋を僅かに逸れるだけで、タイ屋さんがあった。その道筋の手前にあった天丼屋さんは、前に人が待っていたが、タイ屋さんの方は、客が1人入っているだけだった。黄紺のあとからは、そこそこ人は入って来たけど。QRコードを使い、オンライン注文。こないになってるんですね、いろんなところで。まずは、やっぱ、ガッパオ(豚肉)かと思い、初めてのタイ屋さんの定番を注文。タイでの辛さで注文。この目安の書き方が嬉しい。「大辛」だったけど、目安に惹かれて注文。玉ねぎが多く、甘みが出てくるのがタイらしいんだけど、甘いガッパオっていうのは、自分的には初だった。ガッパオは辛いだけ、スパイシーなだけと、タイめしの定番の甘さとは関係ないと思ってただけに、ちょっと「?」が点ってしまったけれど、食後、しばらく福島駅に着くころまでは、少なくとも唇がヒリヒリしてた。この感触、何年ぶりだろうか! それだけで、嬉しかったね。
 動楽亭へは、環状線を利用。地下鉄よりは、運賃が安かったからだけど、西九条回りは、もちろんコロナ禍以後は初。そういった狙いもあった。でも、新今宮駅に着いても、まだ、12時35分ということで、時間つぶしがてら、昔、よく世話になったスーパー玉出へ行ってみたが、普通のスーパーになってた。安売りじゃなかったということ。ここへ行っても、まだ時間があったので、もう動楽亭の入口で待つことにした。20分前からだった、もちろん一番乗り、お世話をされている方が、顔を出されたときに、「一番の方は椅子を使ってください」と言っていただいたので、入口前の椅子に座り待機。昨日の客は9人だったと思う。前回が7人だったから、それは上回った。つばなれしなかったのは同じだけど。その人数にしては、ネタの並びが凄かった。火曜日を、確実に上回るラインナップだったもので、ケガの功名とは正にこのことと思った。その番組は、次のようなものだった。八十助「商売根問」、鯛蔵「向う付け」、八十八「釜猫」、しん吉「狐芝居」、(中入り)、吉の丞「首提灯」、米二「風の神送り」。八十助と鯛蔵の高座の途中で居眠りをしてしまったけれど、あとは快調。八十助の個人情報、15年間介護の仕事経験をしてから入門。そう言われて眺めると、確かに若くはない。鷺取りをしてから、ウグイス取りに入る流れで、その後は不明、居眠りのため。その流れで、鯛蔵の登場から前半も不明。でも、お帳場に立ったところからのやり取りが抜群。テンポといい、リズムといい、頗る付きの出来。ちょっとした目の動きから成りきり感がいっぱいだった。八十八でしか聴けない「釜猫」、生では初めて聴いた。八十八自身は、結構、出してるんだけど、遭遇できてなかったのだ。マクラで、お茶屋の話を始めたので、何をするのか見当がつかなかったけれど、道楽息子ネタを振り出して、「まさか」になった。昨日は、この「まさか」が、ここから4回続いたのだから、超嬉しかった。だけど、このネタ、きちゃない。ババたれ猫が、お座敷を駆け回るわけだし、下げまで、「ババ」を使っている。しん吉は、師吉朝の命日の翌日だと言い、吉朝にちなんだネタをしますと言った時点で、何を出すか、それだけでは判らなかった。一瞬、「牛乳時代」だったっけ、そんなネタかと思ってしまった、なぜだか。でも、ネタに入った途端、「まさか」になってしまった。そういった心持ちで出したネタ、位置も八十八のあとということで、しん吉、めっちゃ気合が入っていた。芝居に入って行くと、それが上昇の一途。ここまで、本気合のしん吉は初めてだった。もっと、多くの客の前でやらせたかった。ふっと、一瞬にして消えた芝居小屋、この気合のため、身震いしたほどの茫漠感が出てた。マクラで、吉朝が、吉の丞に気合を入れるため、出番前で、猪木ばりにビンタを喰らわせた話ともども、忘れられない高座になったと思いました。その吉の丞、位置からして、「上燗屋」で致し方なしと思い聴いていると、「上燗屋」の部分の終盤になって異変。わぁわぁ気分にして終わろうとしてない、、、「まさか」が、ここで出た。吉の丞が「首提灯」フルヴァージョンを持ちネタにしたことは知ってたけれど、ここで聴けるとは思いもしてなかったので、これはガッツポーズだった。けど、出来はのれなかった。先日の「ふぐ鍋」同様、テンションが同じだったから。「首提灯」は、前と後で、別物のようなネタ。それを繋げるのが道具屋の場面。ここでテンションを変えないと、猟奇的な後の場面は、その空気が出てこない。黄紺が、よく言う「暗さ」が出ないと、この猟奇的な場面は生きてこないのだ。その転換場面が道具屋のところだと思っている。だから、とっても考え抜かれた構成に支えられたネタだと思っています。どこかで、それに気付いてほしいな、吉の丞に。「風の神送り」は、実は、秘かに期待していた。なんせ、旬のネタだから、今のネタだからだけど、「まめだ」だろうなとも思っていた。が、まくらで、風邪の話を振り出したので、「まさか」となった。決して、おもしろいネタではない。多くの場面は、風の神送りをするために、町内の若いもんが、奉加帳を持ち、金を集め回る噺だからだ。でも、最後、民俗行事の再現になる場面が、いかにも古風で、ここを聴きたいから、このネタを待つのだ。下げは、「夜網」と「弱み」の地口だった。そんな落ちだったのかと、毎回、思ってるのでしょうね。米二でしか聴けないネタ、誰か継いで欲しいな。


2023年 11月 9日(木)午前 7時 22分

 昨日は、朝からお出かけ。水曜日だから、アスニー山科だ。終了後は、地下鉄で東山駅まで移動。昨日も、京セラ美術館の展覧会に行った。このコースだと、最近の定番となっている昼食は、東山三条近くにあるネパール屋さん。日替わりランチを注文。ここはメニューが多いので、日替わり以外にも気になるメニューがあるのだが、前回は、目移りしたものにしたので、昨日は日替わり。「かぼちゃのカレー」だったけど、「ネパールのかぼちゃですが」とのこと。出てきたものは、ウリ系の何かじゃないかな? ウリが苦手な黄紺だが、カレー味が、すっかりウリの嫌味を消してくれていたので、安心して食べることができた。チキンも入っていた。ここで昼食を摂ると、必ず、他に客がいる。中に入ってなかったときは、誰も入るのを見かけたことがなかったのに、意外と流行ってんだと見直しています。
 アスニー山科の市民向け公開講演会は、「25周年記念講演会」と銘打たれていた。そのせいか、開演前に、館長さんの挨拶があった。あとは、いつもと同じだったけれど、黄紺が聴いた講演は録画をされ、午後に、それを流すということで、より多くの人に聴いてもらおうとの試みがなされていた。その記念すべき会の講師は、女性研究者の先駆けとして知られた京都橘大学名誉教授の田端泰子さん。そのお題は、「春日局~光秀の重臣を父とする女性の波瀾の生涯~」。去年は、確か「日野富子」を取り上げられており、女性の傑物が続きましたが、専門は、中世の方じゃないかな? 資料の使い方が、去年の方が、より専門的だったなという印象でした。お話は、春日局の生まれから晩年まで、正に波乱万丈の生涯を時系列的に追って行こうというものだったので、前半、少し居眠りをしてしまったけれど、だからと言って、解らなくなったということはなく、助かった。ただ、詳細を知りたかったなということを確認はできなかった。スルーされたかもしれないが、その判断もできないということだ。春日局、本名は福。父親は、明智光秀の重臣斎藤利三。がために、本能寺の変以後、処刑されたか、自害されたかで、亡くなっている。そのため、福は厳しい環境に身を晒すことになる、それを支援したのが、海北友松と東陽院長盛が支援とあるが、そのわけを知りたくとも、居眠りをしてしまってた。変化が訪れるまで、どのような動きがあったのか、それも判らないままだが、福に、将軍家の乳母のお話が舞い込んで来た。ここで重要なのは、乳母として政権内部に食い込んでしまったが、そこでの人的関係が大事。養育にあたる侍も選び抜かれて行く。後の高官が揃った小姓群。養育係(傳役/もりやく)に就いた侍も後の高官揃い。ということで、後の将軍家光の授乳と養育に当たるが、窮屈だった家光は、福が避難所のようになっていたという。関係が深まる中で、福の執った行動が目を見張る、かなりの辣腕ぶりだ。「抜け参り」という表現が採られているようだが、伊勢参りと称して、駿府にいた家康の下へ行き、世継ぎ問題に忠信。正妻お江が、弟の方を正嫡にしようとの動きを制するものだった。家康は江戸に入り、秀忠とお江を訓戒、正嫡を家光にさせた。「長子単独相続制」確立の基礎づくりに寄与、恣意的な行動ではなく、法度による政治確立に寄与と、これが辣腕ぶりということ。その後、「大名証人」の内女性に関わる事項を扱ったり、お江の死後は大奥総取締りに。そして、「春日局」と呼ばれるようになる天皇家との交渉役にと昇りつめる。将軍家の公式行事にも参列したとか。トピックの間が詰まってないお話だったので、ここまで昇りつめる背景が、家光との関係だけで説かれるのには、若干、抵抗を感じたお話だったけど、「春日局」は、名前だけしか知らなかったので、いいお勉強にはなったかな。
 京セラ美術館は、「MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜」に行った。この展覧会、何なのか、よく分かっていなかったが、「吉の丞のおつかれさん」を聴いていて、岩井万実さんが紹介してたのを聴いて、行こうの気になった。MUCA は、「Museum of Urban and Contemporary Art」の短縮形。「アーバン・アート」なるものが収集されていること自体が驚きだったけど、それを指して、岩井万実さんの口調だと、多くの人が、それを知っている。それを展覧会に並べてる凄いことだと言ってたので、これは観ておかないとの気持ちになったのだ。街角の、皆が見えるところに発表された落書き、それに込められた現代社会を照射する主張、風刺、そんなもので注目を集めた作品を集めたと言えばいいのかな。それで知られるようになり、発表の形態を変えていったものも含めての展示だと言えばいいのかな。冒頭のBanksy(バンクシー)から始まり、最後のKAWS(カウズ)まで10人の作家の作品が展示されていたが、バンクシーに、最も多くのスペースが割かれていた。いきなり「ブレット・ホール・バスト」、胸像の頭に弾丸を撃ち込んだもの、それに続く展示に、これかと思わせられたものが2点。「少女と風船」「愛は空中に」。これらなどは、傍らの解説を読み、理解できるが、「ウェルカム・マット」などは、解説を読んでも、何が惹きつけるのか、よく判らない。解説がないと、こちらの想像力が働かない。つくづく、ものを観るためには、より幅広い知識と、それらを喚起する想像力の大事さを痛感。アーバンアートの場合は、それこそ市民の目に触れるように晒されているアート作品、そこで共感を得たわけだから、それだけ多くの人に通底する何か、感性を刺激する何かがあるはずだが、それが見えてこない情けなさだ。真ん中には、ディズニーを皮肉り、資本主義を皮肉ったのでしょうか、大きな歪んだ彫刻(?)作品(アリエル)があった。裸の男がユニオンジャックのパンツを履き、壊れたガラス窓を指さしている大部な作品は、何を指してるのでしょう? 男はバンクシー自身なのでしょうか? 自分の行っている活動を指しているのだろうか? これも傍らの解説を読んでも判然としなかったけど、勝手に想像してしまっていた。バリー・マッギーの作品群は、グラフィック・デザインのような作品。この手のものは、他になかったので、却って気になった。これが、この仲間に入っているわけのようなものが知りたくなった。INVADER(インベーダー)の作品は、点で表したドットの組合せで描いたもの。正に、インベーダーゲームにヒントを得たようだ。オス・ジェメオスというブラジル人双子の作品も、黄紺的には目立った。一方で尖がったような作品があるなか、ほっこり系の作品。色彩も同様の印象を与えるような工夫がなされている。尖った形で言うと、SHEPARD FAIREY(シェパード・フェアリー)の肖像画に目が行く。「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師」には、畏敬の念を示すかのよう。その傍らに「ベルリン・タワー」。タワーを後景に、前には、Sバーンの高架、レンガのあれだ。周りの肖像画の目力に圧迫感を感じているところに、これは何だったんだろう? 描かれている対象物に関する知識や思い入れがあっても、何も出てこなかった悔しさだ。ICHARD HAMBLETON(リチャード・ハンブルトン)ものは、場末のガード壁にでも掛かれてたんだろうと、勝手に想像してしまう殺伐感が凄い。人物が、全て、黒一色で描かれているが、その人物の動きや圧力、それらが観えてくる。その向かいには、KAWS(カウズ)のご陽気な癒し系の作品が対置。うまい展示だ。そもそもが、広告ポスターへのいたずら書きとも見えるもので注目を集めたとか。いろんな描き方をしても、同じキャラの変形と見せる凄腕。それをキャラクターとして、フィギュアまで作ってた。変化に富み、お互いが刺激し合ってるかのような展示に好感を持ってしまった。おもしろいね、こういった作品群も、今や、ミュージアムに収集される時代になり、中にはオークションにかかるようですね。また、それをネタにして作品を作るなんてこともあるようで。行って正解でした。


2023年 11月 7日(火)午後 9時 5分

 今日は、中之島美術館に行くつもりだった。2日連続の大阪になるけど、ついでに落語会のいいものがあったので、はしごをするつもりだった。その計画が、一瞬にして潰え去った。京阪電車で行こうと駅まで行くと、自動改札機が入れなくしてあった。その前に、おばさん1名、若い女性が2名、なんか変。上にモニターがあり、「午前9時10分に、七条駅で人身事故」と出てたなか、若い女性2人は、スマホをいじり、対策を検討しているようだったが、おばさんは、モニターも見ないで、駅員との連絡ができるマイクのボタンを押し、すぐに出た駅員さんに話しかけている。「何があったんです?」「いつあったんです?」「いつ頃、動くんです?」、前の2つの問いで、あっさり、こいつモニター見てないの、まる判り。でも、3つ目の質問は、グッジョブ。若い女性の1人も、そう思ったらしく、スマホを見てた目を、あばさんに向けた。黄紺も、その答えが「11時頃になります」を聞いて、きっぱりと諦めがついた。「JRで行こうかな」とも、ちらりと頭を掠めたが、あっさりと納得。今日は無理との判断。中之島美術館だけだと、別に、午後にでもなり、京阪電車が通常運転に近づいてからでもいいだろうが、はしごにと考えてた落語会は行けない。実は、この「美術館+落語会」のプラン、もう1日、候補があったのを覚えていた。そちらに回せばとの気が働いたのだ。ただ、明らかに、見比べて、今日にしたのも事実だし、もう1つの候補でいいのかどうかの自信がなく、今日、行けないというのは、やっぱ、ショックだったことは確か。
 そこで、今日は、何もなしの日にした。今日は火曜日だったので、Radikoの世話になり、いつもの番組を聴けばいいじゃないかと思えたのも、切り替えをスムーズにしてくれた。とりあえず、家に戻り、ジャージに着替える。普段通り、昼前のウォーキングができる時間帯だったからだ。ついで、お出かけが立て込んでいたために、やりたくてやれてなかった雑用をこなすことにした。かかりつけの医院に行き、この時期恒例の検診の予約に行き、大腸がん検診の検査キットももらいに行った。これは、京都市の実施しているもの。大腸ファイバー検査を受けたとき、次の検査は3年後と言われたが、大腸がん検査、要するに検便は受けるという前提で、医師は話されたいたので、こういった検査は、一まとめにして受けた方が忘れないから、同じ時期に、大腸がん検診も受けようとしたのだ。それを含んでのウォーキング、夕方も、通常のウォーキングと、2回のウォーキングで、計17300余歩を歩いた。これは、椎間板ヘルニアになる以前の定番の量だ。韓国旅行時は、2万歩を超えても、あまり疲労を感じなかったのに、今日は、夕方のウォーキング半ばで、きつくなってきた。エネルギー切れという感じではなく、疲労を感じてしまってた。エネルギー切れだと思ったら、コンビニに駆け込み、アイスでも買うのだけど、そうではなかったので、公園で休息を取るしかなかった。どうしたんでしょう?
 「まーぶる」は、今日もと言っていいだろうな、二葉は東京のスタジオからの出演だった。昨日の東京独演会は博品館劇場でのものだったってことが、これで知ることになった。夕方のウォーキングの休憩時に、二葉のTwitterを見ると、行った人の感想を認めたものを、たくさんリツイートしていた。その前日が名古屋、その前が博多、鹿児島、宮崎。凄まじい過密スケジュール。宮崎からは、一旦、大阪に戻ったそうだ。それから、また、鹿児島に跳び、鹿児島滞在時間は2時間、速攻で博多への移動となったようだ。「博多•天神落語まつり」で、二葉がトリを取るというので話題になったことから、はや1年が経ったということです。この頃、自身の出る会の告知を、Twitterでしなくなっています。する必要がない、すると、逆に混乱を招く、そういったことなんだと思っています。地方美術館巡りに、二葉の地方都市での公演を絡ませるという構想は、既に崩れてるね。今日も、「近日息子」の一部を、マイクの前で披露してたけど、立て弁が、頗るいい感じのリズム、テンポ、それに、勢いがあるな、ちょっと聴かせてもらっただけでも、違うと思わせられてしまってました、空恐ろしい自力です。


2023年 11月 6日(月)午後 8時 58分

 今日は、雨が降った。気温は高く、降り出したからと言って、それをきっかけに気温が下がったわけではないが、天気予報を見ていると、週の半ばからは、下がっていくみたい。もう2~3日は、20度超えの日が続くようだ。雨も、午後からかと思っていたら、午前中にミニウォーキングに出かけた途端に、わりかし大粒の雨が降り出すたので、これはかなわんと、家まで傘を取りに戻った。今日も、午後にお出かけ予定を入れていたので、ウォーキングは、ミニにならざるを得なかった。結局、今日の歩数は、1万歩を僅かに上回っただけだった。ヘルニアが出る前ほどには、歩数の目安を高くは置いてないけど、これは少な目だった。午後に出かけるときは、一旦は、雨が止んでたので、折り畳み傘をカバンに入れて行ったけど、降り出すと、結構な迷惑な雨が降ってたな。
 午後のお出かけ先はツギハギ荘。先週の中之島美術館に次いでの大阪行きだ。明日、2度目の「長澤芦雪展」を観に行くようだと、1週間に3回も大阪に行くことになる。時の流れを感じます。今日は、以前から予約を入れてあったトークショー。「ネットでじゃくったれ公開収録」があったのだ。Youtubeに流れてるのかな、どれで流していたかも、すぐには出てこないほど、がっちりと聴いているわけではないが、このネット配信の番組に行く気になった。それは、レギュラーの桂雀太と今井洋之に加えて、ゲストとして、東京の三遊亭萬橘が出るというからだった。トークの中で知ったのだけど、今晩、繁昌亭で、落語芸術協会主催の「東西交流会11月公演」があり、それに萬橘が出演するということで、来阪しているからということだった。萬橘は、小痴楽から声を掛けてもらい、出演が決まったと言ってた。今日のトリは、調べてみると雀太だった。だから、2人揃う日に合わせて、今日の昼に収録が設定された模様。萬橘は、きつつき時代に、お江戸両国亭で聴いている。その頃からそうだったけど、近年、Youtubeで芸協の楽屋風景が流れると、そのキャラが、一層、進化している様子を観るにつけ、折角の機会、生萬橘を観ておきたい、荒っぽいキャラに、独特の理屈のようなものに遭遇しておきたいと思ったのだ。真打昇進&萬橘襲名が、そんなに前のことではないので、言われてみれば納得だけど、売れ方や、物言いを考えるにつけ、キャリアがもっとある人だと思ってたが、雀太の1年下、二乗ら「四尺玉」の噺家さんと同期には、驚いた。東京だと、文菊がそうだそうだ。これも、驚いた。二乗ら文菊が同期というのも、ピンと来ないなぁ。雀太は、国立演芸場と言ってたかな、東京の寄席で、萬橘と同じ出番になり、そのときのマクラを聴いて、「ネットでじゃくったれ」に呼びたいと思ったと言ってました。「約50分×2」の収録。萬橘の混ぜっ返し、突っ張りが入るので、なかなか進まない。かなり予想していたことだったので、そのときは我慢するしかなかった。でも、前半で高校生時代、大学生になったものの、大学に行かないで留年をした話などは、なかなか聴かせるものがあった。何かクセがあるのは解っているのだけど、そのクセの基は、この人の持つ対人関係に関する自信のなさや、ぎこちなさなんでしょうね。頭の回転は、頗る良いわけだから、そこに、いろいろと思惟を巡らす、はまるとハチャメチャができるが、ほとんどツボらないというところでしょうか。大学時代、それも途中から入った落研にはツボったということで、救われた人かもしれないなと思えた。そのまま、すっくりと噺家にならないというのも、そういう話を聴いてしまうと、らしいと思ってしまう。萬橘という名跡は、師円橘が用意したものとか。明治時代に一世風靡した名ですものね。知られた名跡のわりには、襲名した噺家さんの最期は、あまり喜べるものではないので、かなり躊躇したとも。エロい言い方でディスることもできそうな名だということも嫌だったみたい。既に、弟子が2人いるとか。内1人は、故円楽の弟子だった噺家さんだそうです。「四尺玉」の噺家さんが弟子を持っていることになるわけだから、これは凄いことですね。平日の昼間に、この公開収録の常連さんが集まったような雰囲気、でも、中には、東京からの追っかけの人もいたらしい。最後に、萬橘が話題にしていました。


2023年 11月 5日(日)午後 11時 16分

 まだまだ、気温は上昇したままの日曜日。今日も、午後からはお出かけを入れていた。日曜日ということで、「日曜美術館」の新作が流れ、洗濯日でもありと、朝からしなければならないことが詰まっていた。まずは、今日の「日曜美術館」の内容からメモ。今日は、「華麗なる至宝 天平の祈り 〜第75回 正倉院展〜」と、毎年恒例の正倉院展を扱ったもの。今年の注目の出品を、スタジオでトークをしながら紹介するというもの。知り合いにも、「観ておくべきもの」と言われ、今日のゲストの方も「百聞は一見に如かず」と言われていたが、会場の混雑ぶりを見ると、決して、行く気になれない。確か、入場制限をしてるはずだよね。それでこれかと思ってしまう。紹介されたものを記しておく。①平螺鈿背円鏡(唐、ミャンマー、イランからの素材)②斑犀如意(サイの角を使う)③紫檀小架(紫檀は日本にはない、象牙使用、台座はべっ甲を使用、側面は木画、使用目的は謎)④九条刺納樹皮色袈裟(「国家珍宝帳」の筆頭、聖武天皇の使った袈裟、糞掃衣〈ふんぞうえ〉)⑤楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(どこで作られたかが判っていない、素材は楓、背面は螺鈿〈夜行貝、あわびを使っているが、日本でも取れるもの、日本で描かれたとするならお手本があったはず、それほど知らない風景をリアルに描いている〉⑥布作面(ペルシア人の顔、音楽の楽団員が着けた、着けながら演奏)⑦刻彫尺八(鑑真に近い職人の作品?)⑧青斑石鼈合子(すっぽんが蓋になった入れ物、すっぽんは天地を表す、蛇紋岩を削ったもの、仙薬を入れる器)⑨紅赤布(麻の布、大仏殿の床に敷かれたもの、上総から収められたもの)⑩正倉院古文書**/下総國葛飾郡***(戸籍、家族構成が見える)⑪続々修正倉院古文書/甲斐国***(仕事場から逃げた男がいると認めている)⑫正倉院古文書正集/少僧都良弁牒(良弁直筆〈サインのところだけ?〉、日本の大乗仏教の原点、良弁僧正没後1250年、石山寺建立統括)。
 午後は、京セラ美術館の「コレクションルーム 特集〝Tardiologyへの道程〝」に行ってきた。所蔵品を、年4回に分けて、展示するもの。今回の展示は、明確に3つのコーナーに分かれていた。次のようなものだ。①秋の名品②京都市動物園開園120周年記念展示:動物にクギヅケ~日本画家の暑いまなざし③Tardiologyへの道程。①は、恒例の季節に合わせた作品のピックアップ。さほど大部なものは、今回はなかったが、前半が「初秋から初冬まで」というベタなタイトル、後半が「山に遊ぶ」というものだった。前半には、黒田重太郎と霜鳥之彦の静物画で、これに、展示の狙いが重なる(六代)清水六郎兵衛の作品、素材が秋を感じさせるもの、小野竹喬と山口華楊が自然を描いたものに、この中で、自分的お気に入りは、断然、小野竹喬。昭和40年の作品だということで、「奥の細道」のテイストで描かれていたが、今までで観た小野竹喬ものでは、自分的には頭抜けたものに思われた。緑系の色彩がないから、それだけで秋だ。そこに、葉を落とした木が、簡素に削ぎ落した形で描かれる。今後、小野竹喬を観るときのスケールになる作品です。後半は、「山」と言っても、牧野克次の「落ち葉」のように山道と言えるほどの山道じゃないものを描いたり、浅井忠の「若王子風景」や長谷川良雄の「黒谷裏」といった、里と言っていいようなのも含まれていた。その中で、黄紺の目を惹きつけたのは、堂本元次の「気満ちる山湖」。堂本作品は、断崖寺院を描いたと同じく、中国の山間の風景を描いたのかもしれない。手前の緑を持つ集落の背後にある山の大きさが計り知れないほどの圧迫感を見せていた。真ん前で観ても、離れて観ても、同じような圧迫感、これが凄いと言わせる最大の要因。上に書いた浅井作品、長谷川作品は、小ぶりの作品。傍らには、梅原龍三郎や須田国太郎もあった。その中では、遠近感がクリアな「若王子風景」「黒谷裏」に惹かれてしまってました。②がおもしろかったな。動物絵画に添えられたキュレーターさんのコメントに加えて、動物園の方が書かれた動物へのコメントとの対比がおもしろかった。立場が違えば、こうも書くことに隔たりが出るのかと、ま、当たり前のことなんだけど、それを目にすると楽しい、めっちゃ楽しかった。動物絵画も、大家の写実の限りを尽くした作品から、徐々に逸らして行く並びが秀逸。最後の方では、動物園の方、書くのに困られたんじゃないかな? それを眺めながら微笑んでいるキュレーターさんの意地悪な顔って、どんなだか考えてしまってた。大家の作品としては、竹内栖鳳の「若き家鴨(下絵)」、西村五雲の「海驢」「園裡即興」、山口華楊の「草」が「大下絵」ともども展示。栖鳳のものは、向かいの京都国立近代美術館の企画展の大トリを務めている作品の下絵(右隻のみ)。一緒にして展示をすればいいのにと、誰しもが思うだろうにね。次の部屋に入ると、榊原紫峰の2つの作品(奈良の森、獅子)になると、デフォルメが小さく入ってくる。前者なら、奈良での鹿のステータスに思いが行ってしまったり、後者になると、ライオンの特性を強調するということになる。更に進むと、急激に誇張性、抽象性が増す。でも、誠実に動物や動物園の解説をするコメントがブレーキを掛けていたようで、併せて、動物園を示すインスタレーションになってたんじゃないかな? ③は、京都市立芸大の彫刻科関連の作品が並んでた。野村仁の「Tardiology」という段ボールを使った巨大作品の記録写真を展示するのがメーン。それにひっ添えて、京芸の彫刻科関連の作品群の展示があったという具合。「Tardiology」というのは、巨大な段ボールを積み重ねた作品が、風雨に晒され朽ちて行く姿を追ったもの。昭和43年の作品だそうです。巨大な段ボールを、今のロームシアター京都前の広場に積み重ねてました。関連作品は、残念ながら、気を留めるようなものはなかった。もちろん、それは、黄紺には解らなかったというだけ、ここに展示されるだけのもの、誰かがいいと思ってるはず、それを見いだせなかったということです。
 帰路、河原町通にまで歩いて行った。目的地は丸善京都店。「東京かわら版2023年11月号」入荷の告知があったからだ。表紙に二葉の写真、二葉のインタビュー記事が載るというもの。しかも、11月は東京に行くということで、正に一石二鳥のミニコミ紙の購入に行ったのでした。告知には、「落語にふれるコーナー」に置かれてあるとあったが、そのコーナーは見つからず、仕方ないので、店内にあったPCを使った本の検索をすると、「店員に尋ねるか、レジまで来てください」と出た。店員さんが近くにいなかったので、直でレジへ。すると、店員さんがレジまで商品を届けてくれた。がために、件のコーナーについては判らずじまいに終わったけど、「東京かわら版」はゲット。人は同じだから、新たにインタビューを受けたからといって、内容に変わるけでなし。でも、「立切れ線香」に言及したのは初めてじゃないかな。まさか、持ちネタにはしないだろうけどね。これは、黄紺の勝手な想像。


2023年 11月 5日(日)午前 7時 30分

 昨日は、午後に市民向け公開講演会の申込みをしてあった日。そして、夜には、「ブラタモリ」の新作「敦賀編」が流れた。気温は、相変わらず高い。昼前のウォーキングでは、またしても、ウィンドブレーカーを着てのものだっただけに、汗でぐっしょり。だから、午後のお出かけは、Tシャツのまま、白いものだっただけに、夏と同じです。半袖Tシャツで丁度いい感じだった。だが、講演会場に入ると、上着が要る。そして、帰りは、そのままの格好で歩いても、もう汗は、ほぼかかなかった。やはり、時間により、寒暖の差が大きいのでしょうね。週間天気予報を見ると、月曜日まで続くようですね。その月曜日の京都の最高気温27度となっている。もうわけわからん。
 講演会は、コミュニティプラザ深草図書館であった。同館の「開館20周年記念講演会」として行われているもの。今回で2回目となる。ともに、アスニー京都で見つけなければ、情報を掴まえることはできなかったと思います。そういった意味でラッキーだったのでしょう。今回は、「『弥生の稲穂が見えてくる』~深草遺跡の風景とヒト~」というお題で、龍谷大学文学部教授の國下多美樹さんのお話を聴くことができた。だけど、昨日も、居眠りが出てしまった。しかも、一番前の席でだ。スクリーンが、少し低めだったので、誰も座ってなかったので、その前の席に座ったんだけど、講師の方の真ん前で居眠りをしてしまった。だから、覚えていることだけをメモっておくが、細かなことは、そんなで覚えてないので、ざっくりとした書き方にならざるをえない。前半、弥生式文化というのは、その発見のお話から、土器の話をされていなかったのかなぁ。よくわからないのだけど、ここで、「テーマは深草遺跡だよ」と、生意気なことを考えてしまったのが、居眠りを誘発したかもしれない。というのは、覚醒してから、その考え方が間違っていたと気づいたから。講師の方は、縄文時代から弥生時代へと、すっくりと入れ替わったわけではないということを、お示しになりたかったみたいだったんだと判ったのです。確かに言われてみれば、新しいものが出てきたからといて、全とっかえになるわけではない。ましてや、弥生時代と称される時間は500年もあるという。それが、一挙に全とっかえなんてありえないという、当たり前のことを見逃しているという指摘は、ごもっともなお話。弥生式文化は、大陸から入ってきたわけで、日本列島で言えば西から東へと進出していったことになる。が、東では、畑作を中心に縄文文化が栄えていた。そして、凌駕が起こったという単純なものじゃないというのが、講師の方の主張。併存し、相互に影響しあっていたというのだ。その話が、なんで、この講演のテーマに関連があるかと言うと、深草遺跡こそが、その状況を示す、何よりもない証拠となる遺跡だというのです。深草の地は、西は瀬戸内に通じ、東は、琵琶湖から、北陸へ(ここ、夜の「ブラタモリ」と被るラッキーさ!)、また、関東へと通じる結節点だというのだ。だから、東からも西からも、文化の通り道になっている。そういったことを、土器の文様から確認できるというのが、講師の方の展開の要諦でした。居眠りをしたとは言え、要旨のポイントは外してないつもり。だけど、詳細はダメ。特に証拠の使う土器の文様に関するお話は、聴いているのが難しかった。でも、それがポイントだったと、覚醒後気づき、後悔しきりとなってしまった。文様の研究をされているようで、かなり熱量が上がったんだけど、黄紺的には厳しい時間となってしまってました。
 「ブラタモリ」で敦賀を扱うのは、待望のもの。やはり、この新作でも、最後に、とっておきのように出された「ヨーロッパ往きの切符」から明らかになったヨーロッパへの玄関口だったわけだから、扱って欲しい、いや、絶対に取り上げるだろうと思っていたところなのだ。そして、時が熟しました。北陸新幹線です。立派な駅ができています。まだ、工事中だったけど、「ブラタモリ」お約束ですね、工事現場に進入。JRにとったも、格好の宣伝になるのだろうな。そこから始まり、道が交差する地だということを、時系列的に追いかけるというのが趣旨。全く知らなかったのが、敦賀から琵琶湖へと水路を、明治になり造ってたってこと。琵琶湖の舟運については、京都方面への繋ぎで疎水ネタは、よく取り上げられるけど、反対側の方は、全く知らなかった。それを、幕末以後の政治状況と絡めて話されていた。この視点も欠落していた。確かに、伝統の北前船、関門海峡を、この時期に通過するっていうのは、危ないわな。至極、納得。鉄道が、東京で直で運行されていたんだって! これも初耳。「ベルリン往き」の切符、何かで見た記憶があった。確か、「世界・ふしぎ発見」で、この琵琶湖の舟運の疎水ネタと敦賀ネタを、併せて1本、番組を作ったことがあったんだよね、そのときは、駅舎を詳しく映してくれてたんで、よく覚えている。そこで、この切符、観てるはずです。「ブラタモリ」では、駅舎は外観だけで終わった。あくまでも「道」がテーマだった。次回は、「鯖街道」だって。これは、楽しみだ。


2023年 11月 4日(土)午前 8時 54分

 気温が上昇しています。午前中は、まだましだったが、午後は夏のようになった。お出かけ先からウォーキングがてら、歩いて帰宅しようとすると、歩き出した途端、これはダメと、上に着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、Tシャツだけになった。気持ち良かった。乾燥しているので、気温が上がっても、爽やかだった。汗はかいてんだろうけど、すぐに乾くってやつなのかもしれない。一昨日のように、ウインドブレーカーを着たまま、腕まくりをして歩き、汗でぐっしょりなってしまった反省が生きていました。でも、昨日は11月3日だよ、と言ってると、急に冷え込む日も近づいてんだよね。この大きな変化が、一番嫌!
 あと半月程すると、東京へ出かける。福井在住の高校時代の友人と、びわ湖ホールでオペラを観たあと、その足で上京。東京でも、1本、オペラを観て、寄席へ行って、もう1つ大事なのが、東京在住の高校時代の友人に会うこと。その段取りが進んでいます。3人でのメールでのやり取りで、新宿で落ち合うことになりました。元新宿区民なのに、指定された場所に行けるかどうか、心細いのだ。なんせ、もう10年は東京に行ってないのだから。その間に知らない鉄道ができたり、品川と田町の間には新たな駅ができたらしい。東横線渋谷駅は地下に潜ったんだよね。こないだ、渋谷大改装が「日曜美術館」で取り上げられていたしね。ホテル探しをしていたら、新宿で良さげなところを見つけて、レビューを読むと、「ここいいけど、ラブホです」と書かれていて凹んでしまった。その昔、池袋駅近くで安いホテル見つけたら、そのホテルはラブホじゃなかったけど、ラブホのど真ん中にあったことがあった。そんなことも蘇り、ホテル探しが嫌になり、かつての定宿を狙い撃ちにした。ずっと使ってたホテルだった。目黒区民時代の思い出の地でもあったので、そうしてたけど、そこが値上げをしたのをきっかけに、他の場所を探すようになった。ホテル検索なんかが、当たり前になって来ていた時代だったのでそうしたのだが、そこで、池袋の安ホテルで、失敗したのだった。そんなで、間違いないところに決めた。落ち合う場所からは遠いけどね。安心が一番です。値段も、そんなには上がってなかったことも有難かった。オペラの予習も始めている。徐々に、東京モードが高まって来ています。
 昨日は、午後に東寺に行った。定期的に開かれている文化講座があったからだ。なかなか、この講座は情報が入らないのだけど、うまい具合に、アスニー京都でチラシを目にすることができた。昨日は、東寺の文化財保護のエース、新見康子(東寺文化財保護課長)さんのお話を聴けるということで飛びついた講演会でした。「東寺の宝物をまもり伝える」というのが、そのお題だった。今年が、東寺の、いや真言宗の、どっちかのなんちゃら1250周年に当たるということで、それに合わせて、宝物の修理を、10年以上かけて行われたということで、そのことに関連して、宝物保護の歴史、今回の修理、また、この間に、新たに指定された文化財の紹介が、お話の内容だった。新見さんのお話は、アスニー山科での市民向け公開講演会で聴いており、とっても誠実な内容に好感を持ち、その新見さんにうってつけのお題だったので、とっても楽しみにしていました。ところがだ、暑い。座っているだけで、汗が出てきた、頭がボーっとしてしまい、それがきっかけか、それとも、昨夜、寝ているときに脚がつってしまい、朝4時前に起き上がらざるを得なくなったもので、満足に睡眠が取れてなかったことが原因か、いや、その両方でしょうね、ダウン続きで、せっかくの楽しみがおじゃんになってしまった。レジュメを見ても、上に書いた筋立ての柱だけしか判らないが、1点だけ、気に留まっていることがある。真言宗と弘法大師信仰とは別建てにされていたこと。言われてみればそうだろうと思うことですね。そんなで、失意の帰路となってしまいました。


2023年 11月 3日(金)午前 8時 10分

 昨日は、かなり気温が上がった。半袖のTシャツにウィンドブレーカーを着て、ウォーキングをすると、そのTシャツは、汗でぐっしょり。まだ、ウォーキング終わりに、Tシャツを交換しなければならないってことが起こった。「もう11月だよ」と、頭を掠めると、同時に、去年も、同じこと呟いたこと思い出した。昔は、11月3日を境にセーターを着るようになり、11月23日を境にオーバーを着るようになった。切りのいいところに祝日があるものだから、メドにしていたのを、よく覚えている。あのテジョンの寒さは何だったんだろうと思う気温だ。とまた、韓国旅行の思い出に浸りかけている。次は3月となっているが、昨日、Youtuberの無職旅氏が香港旅行の動画をアップ、それを観ていると、東京から香港の航空券代、往きが2万余と出た。となると、単純計算で、往復4万円を超えるのかと思ったついでに、大阪なら、どうなんだろうと調べてみた。なんと、まともな時間に飛行機に乗れて、往復3万5千円を、僅かに上回っただけだった。俄然、行こうかの気になってしまった。1月の後半で、そういった値段設定があった。その時期は、静岡県美術館巡りを計画をしている。コースも、ほぼ確定したつもりでいる。それと入れ替えたら、香港に行ける。結構な乗り気になっている。さすが、衝動買いはしなかったが、実に危うかった、やりかねなかった。というのも、静岡県旅行、調べている内に、思惑からは、かなり凹んだなの印象があるものだから、香港なら捨てられると思ってしまったのだった。とりあえずは、冷静になろうの時間を設けているところ。それから決断しても遅くはならないはず。
 昨日は、午後の遅めの時間を使い、京都国立近代美術館に行く計画を立てていた。とにかく、11月は予定が詰まっているので、行けるときに行っておかないと、せっかくの企画展を棒に振りかねないのだ。今、こちらで「開館60周年記念/京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」という企画展が開かれている。「栖鳳以後」の作家さんが対象なので、京セラ美術館の「竹内栖鳳展」を先に行くことだけは考えていた。この企画展の対象となった作家さんは、旧態依然たる文展を批判して、国画創作協会を作った人たち。小野竹喬・土田麦僊・村上華岳・野長瀬晩花・榊原紫峰という人たちだ。でも、この展覧会は「国画創作協会」とは銘打たなかった。同時期に活躍した人たちで、その協会に入っていない人たちも包摂して、新しい方向を模索しようとしている姿を追ってみようという試みだ。誰が出ていたかと言うと、千種掃雲(栖鳳の弟子)、秦テルヲ(掃雲の弟子)、甲斐庄楠音、岡本神草(甲斐荘や入江波光と同窓)、中村大三郎、福田平八郎、梶原緋佐子(菊地契月門下)等々。この作家たちの青春期、それは、正に、自分たちの画風を追求し、模索する、しかも、描く素材、描き方といったところに、枠を嵌めないで自由に描こうの気風でだ。年代的に言えば、大正の最初の10年余に相当する。だから、京都国立近代美術館は、小野竹喬の「奥の細道」連作を持っているはずなのに、この展示には出てこない。それは、同時開催のコレクション展の方にあった。10点近く出てたはず。制作年を見ると昭和51年だった。そういった円熟期の作品は除外で、お題にあるような「青春」を謳歌している時期の作品を集め、そこでの変化を見せて行こうという試みだった。冒頭に4点、これが、お題にある栖鳳と松園(人生の花)、それに加えて山元春挙(夏の海邊之圖)と都路華香(雪中鷲図)。この内、栖鳳は「羅馬古城図」というヨーロッパ遊学中の作品だったが、あとの3点が、本息で描いた見事な作品、強烈なインパクトがあった。それに続く世代の始まりを告げてくれたわけです。それに続くコーナー、最初のコーナーになるのだが、そこは、まだ明治期の作品群。この展示の柱とされ、最多の作品が展示された土田麦僊「罰」から始まった。目が行くのは、菊池契月の「名士弔葬」、これは、弔われている名士は描かれず、葬礼に集った人たちの視線の先にいるとする構図の妙が際立つ。千種掃雲の「海女」は、背後の絶壁は、春挙ばりの勇壮な日本画のそれだが、その前に描かれた海女たちには、くっきりと陰影が付けてあるという東西融合の描き方。その弟子秦テルヲの作品になると、それまでは、決して描かれることはなかったろう工場労働者が素材になっていた。足を進めると、明治から大正へと変わる。すると、そこに、既視感のある土田麦僊の「海女」と「島の女」があった。この絵の発想って、ゴーギャンじゃねえかと思わせるもの。村上華岳「夜桜之図」と入江波光「振袖火事」とが並んで展示されていたのが、ここだった。冨田溪仙が、時々、顔を出すのだけど、縁がないと思ってたが、調べてみると、いろいろと試みをした人らしいと判明。「鵜船」という掛軸の作品に使われた遠近法が印象に残る。縦長の掛軸を使いこなしている。都路華香の「埴輪」があったのも、この辺。土田麦僊がグッジョブと語ったという作品。前にコレクション展だったかで観たとき、その値打ちが判らなかった、この並びで観ると、土田麦僊ならずとも、目が行っちゃいます。同様に、甲斐庄楠音の「秋心」は、ぱっと見で甲斐庄でしたから、吸い寄せられてしまいます。表情はおとなしいものだったから、色彩かな、甲斐庄って思ったのは? 小野竹喬の作品が、狭間狭間に出てくるが、もうこの時点では、「奥の細道」を連想させる色彩が出ている。でも、まだ、緑一辺倒という印象。そこへ現れるのが、岡本神草の「口紅」。全てを凌駕する力を持つ、強烈な舞妓の表情に仕草。これが、大正7年の作品だから、舞妓を描く対象になって来た時期に合致していると言えるのでしょう。「拳を打てる三人の舞妓の習作」も、間もなく出てきます。この2点が出ると、その合間の置き方に困るでしょうね。その辺だったかなぁ、かなりそそられてしまった野長瀬晩花の「夕陽に帰る漁夫」があった。陽を浴びながら、家路を急いでいると見える漁夫たち。陽ざしが強いのか、男たちの個性は見えなくなっている。それが良くて、厳しい労働環境で人間性が消えていくかのような没個性の男たち。これはおもしろい作品だった。野長瀬晩花と言うと、今回も展示されていた京セラ美術館所蔵の「初夏の流」の印象が強いものだから、その作品の多彩さに感心させられてしまったな。徳岡神泉「狂女」、甲斐庄楠音「裸婦」、梶原緋佐子「老妓」といった個性的な女性の作品があったのは、この辺だったかな。橋本関雪「郭巨図」、菊池契月「少女」なんていう、既視感のある作品も、この時期のもの。今回、幾つか出ていた菊池契月ものは印象が薄かったけれど、この「少女」は違います。2人は、何をしてるのでしょうね? 背中を見せている右の少女の表情はよく判らないけど、左の少女の表情を見ると、何か困りごとがあるようだ。それが、右の少女が背中を見せてるわけ? この時期の作品群に、土田麦僊らの洋行トピックが挿入され、ヨーロッパで描いた作品が数点並ぶ。土田麦僊「巴里の女」、入江波光「南欧小景(聖コスタンツァ寺)」なんかがそうだ。大正11年、12年と、僅かに10年を過ぎている。帰国後、土田麦僊は、洋物にシフトするかというと、そうではなく、逆に伝統的素材に目を向け、仕入れてきた感性で描くようになったと、解説には記されていました。大正末期からは昭和へと流れる頃になると、青春期も終わりに向かったということでしょうか、この展示も終息に向かいます。小野竹喬「冬日帖」が並び、色彩をどのようにするのか気になったり、村上華岳「観音之図」、秦テルヲ「三尊仏」という仏画が出てきた。これらは、いずれも昭和に入ってからの作品。徳岡神泉「鶏頭」の緻密で、堂々とした花に目が奪われます。そういった中に、ポスターにも使われた土田麦僊の「舞妓林泉」がありました。ゴーギャン風ではない、可愛い舞妓、背後のデザイン化された花や木が微笑ましさを感じさせます。最後の1つ前の土田麦僊「朝顔」も印象的。垣根を埋め尽くす朝顔だけを描いたもの。突っ張っていた時期の勢いではなく、明るく、おおらかな空気が流れて行きます。青春は終わったを表す、この展示に終わりをつけるものです。しかし、加齢だけではなく、もう1つ、作画自体を強制終了させるものを示す作品が掉尾を飾ります。それが、竹内栖鳳「若き家鴨」。鴨の騒々しい鳴き声が聴こえてきそうな見事な作品なんだけど、これを最後に、栖鳳は、官製の展覧会への出品を控えるようになったといういわくつきの作品と、解説に書かれていました。昭和12年の作品です。軍靴の足音の聞こえる時代です。描く自由が奪われていく時代、文展批判も、全て、描く自由があってこそのもの、それが消えては、青春も何もあったものではないという、見事な締めをしてくれました。キュレーターさんに拍手です。作品リストがあるので、展示の流れをメモっておかなくても、帰宅後、それを思い出せるだろうと思っていたら、気が付くと、展示リスト、エクセル処理をして、制作年代順に並んでた。だから、展示の順序とは違うんだよね、微妙に。しかも、大正5年~10年の作品が多いものだから、その辺の展示の流れがリストを見ては判らず、結果、このメモを作るのに困ってしまった。現場でメモらないとあかんね、これだけのいい作品が、緻密に配列されたときは。他力本願ではダメなこと、肝に銘じておきます。
 夕方なんで、かなり空いていたおかげで、鑑賞するには、これ以上ない環境だった。それを狙って、夕方に行ったんだけど、それと、自分の腰のかげんとは別物。上の階のコレクション展には入ったが、全部、観るのは諦めた。また来ようの気になったが、とりあえず、企画展絡みの展示だけは観た。「‶京都画壇の青春展〝によせて」というコーナーだ。予め、展示リストを見て行ったのだが、そこには、やたら岡本神草ものが多かったが、現物を観て、こちらに回されてるわけが判った。大半はスケッチブックだった。傍らには、竹久夢二の画集も置かれていた。展示室真ん中に設置された展示ケースに入った小物でした。一番目立つのは、既に書いた小野竹喬の「奥の細道」連作だが、これの一部は、既に、このコレクション展で観ていた。福田平八郎が、企画展の方にも、こちらにも出ていた。来年には、中之島美術館で回顧展があるので、ちょっとした予習になったが、昨日、観ることができたのは、抽象化された作品を描く以前のもの。中村大三郎ものも、企画展同様、こちらでも観ることができた。企画展と併せて、この日の一番の収穫じゃなかったかなと思っている。人物の表情に、描かれた時代じゃないものを感じる。少し先行してそうな、そういった表情なのだ。このコレクション展では、「〝三井寺〝大下図」「三井寺」があった。後者のための下図が、京都国立近代美術館の所蔵、後者が、それに基づいた本番の作品。それを、東京国立近代美術館から持ってきて展示していた。能「三井寺」のシテの立ち姿を描いた、大部な作品。これ、おもしろいのが、顔は生顔で面を着けていない。だから、ほんまものの女性。だけど、演能姿に観えてしまうのは、装束はもちろんのこと、体つきが女性のそれにしては、頑丈そうに見えるから。大下図の方が、その特徴が、よりクリアだから、本番の方では、ちょっと加減したかな、いや、色を着けると、そう見えるような設えなのかもしれません。ここは、日を替えて、再訪するつもりなので、そのときに、他の作品も含めて、ゆっくりと鑑賞することにしましょう。


2023年 11月 2日(木)午前 5時 16分

 昨日の朝、まだ、副反応が残ってないか心配だったか、大丈夫だった。だから、1日半経過で大丈夫だと、確認できた。ま、前回もそうだったかな。そこで、大阪へ行くことに、しかも、ハシゴをした。元々は、中之島美術館に行こうとの計画、それに、うまい具合に落語会をくっつけることができた。午前10時前の電車にのり、大阪に向かった。行き先は天満の「猫も杓子も」。露の新幸が、マンションの一室を借り、そこを落語ができるスペースに設えたところだ。噂は耳に入っていたので、行ってみたかったところ。調べていると、毎水曜日の午前11時から「若手落語家の勉強会〜朝活らくご〜」という会を開いていることを知り、これ幸いにお邪魔をした次第。新幸に加えて、1人の噺家さんが出ればラッキーの気で行ったら、とんでもなかった、4人の噺家さんの、また、ネタも揃った素敵な会になりました。その番組は、次のようなものだった。小文吾「大安売り」、りょうば「あくびの稽古」、笑利「宮戸川」、新幸「狼講釈」。ネタの並びが素晴らしい。しかも、トップが、まさかの小文吾。鳥取から来たそうです。文吾自体も聴いたことがないのに、勝手に、文吾の弟子になったのだから、大阪弁の噺をすると思ってた。でも、この人、元々は、立川の噺家さんだから江戸弁でした。となると、文吾自身もそうなのと思ってしまってます。知らんけど。負け方が、上方とは少し違ったのがおもしろいところ。りょうばに「あくびの稽古」を出されると、一気に、枝雀遭遇の最後を思い出してしまった。金毘羅でだった。最後の最後、一旦リタイアして、復活したときだったから。「この人、名人だ」と思わせられた「あくびの稽古」だった。そのテイストとは全く異なるりょうばの「あくびの稽古」。りょうばの個性を強く感じさせる、オリジナリティの高い口演に好感。あくびの上手さなんか、どうでもええ、所詮、まじめに極めてるわけはないやろのスタンスが、いいね。噺全体の枠組みが、それで出来上がってるというのは強い。ええもん、聴いたという思いがしました。笑利は、新幸の手作りの会場を紹介しながら、いじり倒す。かとおもうと、いきなり「宮戸川」を始めたのには、びっくり。笑いのポイントを、うまく捉え、そこをデフォルメ。そのデフォルメも、やらしくないのがいい。半七がお花がついてこないようにする箇所、おじさんの一人合点、2階に上がった二人の展開が、それら。最後は、楽屋をちらりと眺め、「お時間です」、これは、東京で、やられてんだろうなとは思ったけれど、いい下げ替りですね。「宮戸川」が出れば、新幸も「狼講釈」を出さざるを得なかったでしょうね。思わず、始まった途端、拍手をしてしまった。新冶直伝ですもんね。それに恥じない好演でした。
 お昼を食べようと、ググってみると、「ガネーシュN」という店が引っかかってきた。「猫も杓子も」から、歩いて5分ほどのところだった。狭い狭いお店。入口も防虫ネットを開けて入らねばならなかった。豆のカレーを頼んだ。米は、日本の米か、インドの米かを選べたので、迷わず、インド米を選んだ。すると、丸い金属のプレートに、ごはん、玉ねぎなんかを刻んだサラダ、おかず2品、細長い器に入ったカレーが出てきた。プレートに乗せられて出てくるというのに、感激。昔、シンガポールのリトルインディアで、バナナの葉っぱに乗って出てきて以来だ、こういったワンプレートでカレーを食べるって。いまどきのインド屋さんでは、辛さを聞かれるが、そんなことがないので、余計にローカル色が出てる。レジと配膳の仕事を日本人と思しき男性が、調理はインド人と思しき男性がしていた。めっちゃ狭い、入れ替わり、近くのサラリーマンがやって来る。黄紺は、ラッキーなことに、一発で入れたが、外に出たときには、外で待っている人がいた。この界隈では知られた店のようだ。お味も、いまどきのインド屋さんが、めちゃ日本人の舌にすり寄ってるのに対し、それがない。全く辛くなかったから、また、サラサラなカレーだったので、まるで、マレーシアでロティ・チャナイを食べたときのお味、感触だった。まさか、マレーシア仕込みのインド屋さん? 大満足!!
 中之島美術館までは、徒歩移動。気温が上がり、途中で、1枚脱がねばならなかった。それが想定されたので、調節しやすいように、韓国旅行と同じ出で立ちで出かけて正解。中之島美術館は、「特別展 生誕270年 長沢芦雪 ー奇想の旅、天才絵師の全貌ー」の方に行ってまいりました。もう1つの方も、今月中に行くと思います。長沢芦雪は、今まで幾つかは観ているが、あまり特徴を掴めてなかったと言える程度しか観てなかったことを、しっかりと認識しました。円山応挙の弟子だったということも、昨日初めて知るということでは、ちょっと情けないね。大家だが、点としかインプットされてなかったってことです。弟子入り前の作品から始まり、弟子入り後を表すために、何点かは、師弟の作品を並べて、相似形、いや、独自性を認識させようとの試みがなされるという展示の仕方。展示の指揮は、福田美術館のキュレーターさんが執ったようですね。応挙なり芦雪のプロパーな方なんでしょう。これはありがたかった。芦雪の作品の特徴がクリアになった。同時代に受け入れられたとか、また、現代の評価はどうかは、全く知らないが、黄紺的には、芦雪の作品は、いずれを取ってもクリアだった。メリハリが効いている。人物画を観ると、その表情に思い入れをしてしまいそうな共生感がある。それは、動物を描いてもそうだ。可愛い子犬を描いた絵は、思わず引き寄せられる、現代と共通する感性が看て取れるのだ。あくまでも、今という軸で言うと、そうなると観えたから、断然、芦雪の作品の方に惹かれてしまった。取り上げ方が著しかったので、芦雪の代表作の1つと思える「西王母図」は、その代表作か。西王母は、幾多の作家が取り上げてるだろうし、実際に、幾つも観てきたが、神性の中に人性を感じさせるものがありますね。「猛虎図」なんかも、「猛」が付いてながら、ペットにされそうな愛らしさ、そこまではいかなくとも、なでなでしたくなるものを感じさせる。テクニック的な裏付けがあるのでしょうが、黄紺の目には無理。寒山拾得が、素材に、よく使われたのでしょう。昨日の展示では2点出ていたけど、いずれも、この屈託のなさは、子犬の可愛らしさを喚起する屈託ない表情描写に比肩する。精緻な写実と、優しい心、柔軟な頭を持った人の描く作品群を、冒頭の部屋で知ることになりました。そして、次の部屋に入ると飛び込んできたのが、目玉作品。「龍図襖」と「虎図襖」だ。実際には、和歌山県の無量寺の本堂の両サイドを占める襖の絵だそうだ。応挙の代理として、当地に赴き描いたものだとか。さすが、この作品は、黄紺も、予め知っていたもの。剛一辺倒の龍に対し、猫っぽい雰囲気がある虎に情は移ってしまうけど、だからこそ、この対になった作品が映えるのでしょうね。その近くにあった「朝顔に蛙図襖」が凄い作品。六面の襖絵なんだけど、解説に「左四面の朝顔」と書いてあったものだから、三面目までは簡単に判ったけれど、四面目が判らない。でも、しっかり見ると、四面目では。朝顔の蔓が伸び、下から生えている草に絡まっていた。この大胆な構図には、一層のびっくりだった。着想が見事過ぎるのだ。掛軸の作品を観ていると、縦長に詰め込む無理をしょっちゅう感じるが、この人の作品を観ている限り、それが、全く起こらなかった。いや、それどころろか、感じのいい調和があるのだ。応挙への入門前に描いたという「蛇図」もそうだったが、この人、スペースを埋める天性の何かを持っていそうな印象を持った。それらに比べると、若干、規模は小さめかと思ったが、「岩浪群鳥図襖」が、なかなかの作品。鳥の飛んでる姿に連関性があるのに、またまた才能を感じた。鳥の顔が向ける方向だけで、風を感じさせている。凄い! 後半に入ると、同時代の作家として、伊藤若冲や曾我蕭白の作品が置かれるコーナーもあったが。芦雪ものでは、そこまで観てきた芦雪ものに比べると、特徴と感じていたものが後退していた。その中で、自分的に際立っていると看たのが2点。1つは「孔雀図」、もう1つは、既に存在を知っていた「鐘馗図」。前者は、色彩の鮮やかさと、その鮮やかさを支える、凛とした孔雀の存在感。背中のラインの勢いが強烈なインパクトを与えてくれます。後者も、線のインパクトが大きい。三角構図になっていて、頂点から左下に下がるラインが勢いがあるのだ。でも、強さとは別に、表情の憎めなさのようなものが、一貫した豊かな表情を引き継いでいます。最後に目玉作品の「方寸五百羅漢図」があったが、さすが、これは判らん。拡大した画像を眺めるしか仕方ないが、よくぞ、この小さな作品が生き残ったことかとは思ったけどね。作品リストを見ると、ほとんどの作品が、前後期で入れ替わるようです。そのあくどい美術館の手法には、いつもは乗らないけど、今回だけは2回目行くことにします。11月は過密日程だから、来週の火曜日に行くしかないかなと思ってしまう。落語会とも繋げそうなんで、そうしようかと、今のところ考えています。ちょっと大阪行きが続いちゃうけどね。


2023年 10月 31日(火)午後 8時 32分

 昨日、7回目のワクチン接種を受けたため、今日は、自宅に引きこもった一日。昨夜から、やはり副反応が強くなってきた。今、振り返ってみると、明け方が、一番、えぐかったかな。でも、眠れた。かなり腰に痺れが出ていた。普段も、痺れが出ることもあるが、程度が違った。ここまでの6回は、真夜中でも起き上がらねばならないほどだった。しばらくして、痺れがひいたところで、再び、ベッドに横になる。これを繰り返していたが、昨夜は、上布団を腰に巻き付け、ベッドの表面に腰が直で触れないようにしたら、大丈夫で、実際にも睡眠が取れた。決して、痺れが、今までに比べて可愛らしいものとは思えなかったが。第一、米朝事務所のYoutube配信を観ている辺りから、かなりのしんどさ。一旦、ベッドに横になり、そんな早い時間から寝に入ると、夜中が大変だからと、しばらくして起き上った。実際、一旦は、睡眠に入るということはなかったが、起き上っても、身体のだるさは酷くなるばかり。この時間帯は、どんどんと副反応が強くなる時間帯だから、そうなってしまう。もう1度、横になった。すると、知らない間に寝てしまってた。まだ、午後10時にもなってなかったと思う。結局、トイレには立ったが、その都度、尋常でない痺れを感じながら、また眠れ、結局、午前5時半近くまで寝た。時計を見て、びっくりした。そのびっくりして、はっきりと目が覚めたけど。だから、昨日、TRT-1のお世話になり、マッチの実況中継を聴けると思ってたのが、すっかりと肩透かしとなった。ベシクタシュが勝っていた。今季は、フェネルバフチェとガラタサライのマッチレースだから、ベシクタシュが勝とうがどうでもいいが。起き上ったが、この時間帯が、一番きつかったな。熱は37.4度だったから、2回目の接種以外では、こんなものである。あと2回測ったが、それを超えることはなかった。外出は、そんなだから、昼前に1度だけ。食料調達に、最も近いマートへ。そのついでに、家事を済ませたが。出かけるのがきつかったが、致し方なかった。
 あとは、Radikoの世話になり、「まーぶる」を聴いていた。二葉は、朝、東京を出てきて、終わったら、また東京へ戻ると言っていた。明日か明後日は、確か、喜楽館で、かい枝との二人会があるはずだから、正に東奔西走だ。昨日は、テレビ朝日の川柳の番組に出たと言ってたから、ますます、マスコミでの露出度が増えて行っている。先日土井善晴さんを呼んでの繁昌亭の会には、自分のデザインした手拭いを配ったりしたらしいけど、そのデザインも、自分でやり、当日のパンフレットがTwitterに載ってたけれど、これが、また手の込んだイラストと文章入り。多才です。それが、Twitterで知らされると、また、背中を押されるとなるのでしょうね。黄紺の場合は、名古屋ではグッズを遠目にしか観れなかった。おっさんは、グッズ売り場に近づくのすら、腰が引けてしまう。サポートする人はいるのだろうが、デザインとなると、替りが効かない。そのアイデアが、また、新たな人気を呼んでいるという感じだ。


2023年 10月 30日(月)午後 9時 29分

 今日は、7回目のワクチン接種を受けた日。1ヶ月余前に、接種券が届いたので、韓国旅行前に接種の予約を入れることができれば良かったのだが、秋の時期は、いろいろとお出かけ予定が入っており、こちらの希望が叶わなかった。接種を受ける人が減ってきていると見え、府の接種会場は、前回からだったかな、撤収をしてしまっている。市も集団接種会場は設けてないので、病院リストの中から、アクセスを見て日程調整をすると、今日になってしまった。黄紺の場合は、副反応が大きい方だと思うので、どうしても、接種を受けた日と、その翌日が空いてないと困る。接種を受ける時間が、少しでもあとになると、足掛け3日の確保となると話にならないので、午前中に接種をしている病院を探したが、そういった病院はなかった。だから、午後一番の時間に予約を入れねばならない。前回から、そうなっている。前々回は、辛うじて、日曜日に午前中の接種をしている病院があったので、市外にまで出かけて接種を受けた。無理のない市外だったけど。今日明日と、家に閉じこもりじっとしていることを想定して、朝の内に洗濯の時間として、身体を使う仕事はしておいた。そして、接種が終わると、そのまま寄り道をせずに帰宅。変に動いて副反応が大きくなったり、長引いたりすることを避けるためだ。そんなで、帰宅後は、PCの前に座りっぱなし。徐々に、時間が経つにつれ、上半身に気だるさが出てきている。今日だけは、お酒は飲まないので、午後7時前には夕食を済ませ、7時から始まるYoutubeの生配信を待った。月曜日なので、米朝事務所の生配信があるのだ。いつもは、生配信じゃなくって、アーカイブに入ったものを、遅めの夕食を晩酌をしながら摂るときの友にしているが、お酒を飲まない分、早めに食事をした関係で、生配信を視聴することができた。でも、お酒も呑んでないのに、身体が重いということは、副反応が原因と思っている。仕方ないので、生配信が終わるまでは、我慢して座っていたが、終わるや、ベッドに倒れ込み、少し休んでた。この分だと、今晩は、またぞろ腰が痺れるのでしょう。夜中に起き上がることになるのだと思います。今までの6回が、全部、それだった。加齢が進むと副反応は小さいと言うが、黄紺の場合はそうではないらしい。一番きつかったのは、2回目の接種のとき。あのときよりはひどくならないみたいと、頭にインプットされているので、以後は我慢できてるみたいです。幸い、今夜は、月曜日だけど、マッチがあります。眠ることができなければ、TRT‐1のお世話になることになりましょう。


2023年 10月 30日(月)午前 6時 45分

 昨日は、午後に落語会に行った日曜日。また、日曜日ということで、お楽しみ「日曜美術館」を観たのだが、先週の日曜日は韓国にいたということで、その分は、夜に再放送を観ることになったので、日に2回、自分にとっては新作2本を観ることができたという嬉しい日曜日。朝の方は、「“描く”という祈り 日本画家・西田俊英」というお題。知らない作家さんを、また一人知ることになった。西田俊英という人、少年期より、画才を発揮(高校生で個展を開いた)、空想的な作品を発表してきた人だそうだ。だが、家族と行ったインド旅行を契機に画風が変わったそうで、それは描く姿勢に行き詰まったときでもあったようだ。そこで、写実と空想のコラボ的な作品を出すようになったと解説で話していた。今回の番組では、大学で教えるという仕事を1年間休み、屋久島に移り、そこで、屋久島の自然、なかでも、大きく取り上げていたのは三穂野杉。番組では、昼だけではなく、夜間も使い、この大木の素描を描く西田を撮っていた。取り上げられた作品をメモっておく。①月光(高校生のときの作品、ベートーヴェンからの着想、春陽会で入選)②華鬘(死者をガンジスに流す姿を見て描く、山種美術館賞優秀賞、30歳代初め、院展で落選後の失意のなか訪れたインドでの体験が基)③幽谷一之倉④水汲みのマヤ(インド再訪、インドの女性を描く、とても写実的)⑤神景・那智(写実と非現実の色、写実と心象表現の融合)⑥***(屋久島での体験に基づき制作された美術館の壁面を埋めた作品、夜の風景を描いている、そのため、下に描いている星空を出す上から擦る、細かく描いた葉っぱの上を塗りつぶす、森を彷徨するかのように切れ目がない)。
 午後の落語会は、京都市北文化会館であった「伝統芸能鑑賞会/北文 秋の落語会」。去年は、同じような落語会が上桂の市の施設であった記憶があるが、年により巡回してるのだろうか? とにかく、京都で、しかもリーズナブルな価格で行ける落語会はありがたい。その番組は、次のようなものだった。染八「二人癖」、吉の丞「ふぐ鍋」、三風「下町の散髪屋さん」、(中入り)、歌之助「悋気の独楽」、松喬「禁酒関所」。染八は、野球ネタ、阪神優勝ネタを、マクラでたっぷり目に。野球に縁のない黄紺には辛い時間。「二人癖」は、噺の本筋を押さえた刈込みが、小気味良かった。染八オリジナルなんだろうか、誰かからもらったそのままなんだろうか? そして、もう1つ、大きな特徴があった。珍念が始めたラップ調の物言いを使っていた。これって、珍念以外では、その珍念からもらった染左しか演じ手を知らないんだけど。気になる、ネタの流れが。吉の丞は、昨日か一昨日の落語会で「強情」を出していたので、秘かに期待してたけど、そうではなかった。吉の丞の「ふぐ鍋」を聴いているはずだということくらいしか思い出せない。結果は、あまり賛同できない出来栄え。テンションが、高位のまま。起伏がなかったということでもあるのだけれど、クレッシェンドに欠けるためでしょう、緊張に対する緩和ができかねていた。三風の新作、かつては、「できちゃった」で、よく聴いた。日常の風景を切り取る作風に好感を持ったものだったが、昨日は、全く乗り切れなかった。育ての親と実の父親の狭間で揺れ動く高校生というか、その子どもに忖度する育ての親のあれやこれやを描いたものだが、この手の噺に拒絶反応が出てしまった。幸い、その後に中入りが入ったので、気を変えることができた。歌之助は、宝塚から来て宝塚へ帰る。片道2時間かかったと言ってました。そうなんです、顔付けを見たときから、噺家さんの起用法が気になってしまってたことをネタにしてました。歌之助の口演、目をつむって聴いていれば、実にうまいと思えます、人物描写が的確だしね。でも、目を開けていると、ひたすら身体が前後に揺れる。「そうだったかなぁ、以前から」と思ってしまった。それが気になり困ってしまった。松喬、めっちゃ貫禄が出てきてる。噺自体は軽い展開だが、お喋りに格の違いを感じさせる、堂々たるトリというものだった。会場は満席の盛況、爺婆が多いなか、日曜日だということで、若い人の姿もチラホラ。でも、中入りを明けたら、黄紺の隣の席も前の席も空席になってた。そんなもんかね?
 再放送枠での「日曜美術館」は、「建築家・内藤廣 渋谷駅・世界一複雑な都市開発を率いる男」というお題で、現在進行中の渋谷再開発を手掛けている内藤廣の現在と過去という構成だった。渋谷再開発の概要は、「ブラタモリ/渋谷編」で知っていたので、それの確認のように思えた。もちろん、より具体的だったが。人の流れを見渡せる透明の素材を使っている。都市機能の継続とともに再開発だから、並大抵のことではない。地元の人の記憶を取り込もうとの姿勢が熱く語られていました。具体的に、それが活かされるというのは、どういうことなんだろうか? デザイン・アーチストというタームが使われていた。「駅を降りたら方向により違う渋谷がある」というのが渋谷の特徴、確かに、で、いろんなアーチストが入る、その調整をするのは地元だという言い方をしてたが、観念的には解るのだけど。そういった考え方が「デザイン・アーチスト」というタームに通じるようです。とりあえずは、来月の東京旅行で、渋谷には立ち寄ってみようと思った。過去の業績については、次のようなものだった。①島根県芸術文化センター/グラントワ(人口5万の益田市に1500人収容のホール、美術館も併設、赤い瓦/石州瓦を建物の壁に使用、地元の特産品を使うとともに耐用性を考えてのもの)②安曇野ちひろ美術館③鳥羽市立海の博物館(柱のない空間、展示に自由度を与える)④東日本大震災復興記念公園⑤牧野富太郎記念館(高知県、林の中に溶け込むことを狙って設計、台風の直撃を避ける設計)。各々、とっても魅力的な建築物。これらを尋ねて歩く旅もいいかと思ってしまった。特に⑤は、これだけ訪ねるだけで、高知に行きたいな。


2023年 10月 29日(日)午前 9時 35分

 昨日は、午後に市民向け公開講演会に行き、夜には「ブラタモリ」の新作があった土曜日。先週の土曜日は、クミにいたため、「ブラタモリ」の新作「秋吉台編」が流れたが、生で観ることができなかった。幸い、某動画サイトに、それが流されていたので観ることができた。「秋吉台編」は待望のものだったから、ホッとした。そして、めっちゃ正攻法の構成に、観ることができて、ホント、嬉しかった。昨日の新作は「岩国編」。錦帯橋という著名な観光地はあるけど、どういった展開になるか、気になっていたが、この「岩国編」は、錦帯橋に特化したものだった。こういった構成って、銀閣寺くらいしかなかったかもしれないね。機能美と、タモリは言ってた。狙ったものではない、機能を果たさせようとすると、この美が生まれた。周囲の景観が素晴らしい、ぜひ、行ってみなければなりませんね、これは。
 時系列的には逆になったが、昼間の行き先はアスニー京都。土曜日の午後のアスニー京都は、考古学の発掘調査報告や、京都歴史資料館の企画展に合わせた、かなり学際的な内容。昨日は、「禁裏御倉職立入家のあゆみ」というお題で、京都市歴史資料館の野地秀俊さんのお話を聴くことができた。だが、この季節、うっすらと暖房の入った屋内は、あかんね。いい感じの安らぎを感じると、当然のように瞼が重くなってしまい、前半の9割方を眠ってしまった。「禁裏御倉職」とか、「立入家」とか、そういったキーポイントとなる事象の把握ができないまま、後半を聴いては、あまりためになったという感じがしなかった。あくまでも、自己責任だけど。だから、メモれる範囲で、間違ってはなかろうと思う点だけをメモっておく。「禁裏御倉職というのは、朝廷を経済的に支えていた人たち、それを、どのように支えていたかを聴けていない」「そのため、禁裏御倉職には特権が与えられていたようだ、具体的には徳政の免除を上げられていたのは覚えている」「立入家は、酒屋・土倉と呼ばれた金融業者だったと考えられる、この点を実証的に話されていた記憶はある、但し、日本史に疎い黄紺には、酒屋と土倉の違いが解らない」「御倉は、物理的な〝倉‶と、天皇家の台所としての〝倉‶の2つの意味が考えられる、前者では、その地位に就く家の裕福さが伺え、後者からは、その職務内容が伺える」「金融業者としての事務能力の高さから、禁裏御料所(年貢の取り立て業務)の代官や、武家からの贈答品のとりなし、それらの管理・配分をしていた」「立入家で最も知られた人物が4代宗継、正親町天皇に信長の存在を奏上して入洛を促した人物と、身内の史料に出てくる、但し、傍証する史料は出てきていない、ただ、宗継が、朝廷と信長との橋渡し的な役割を担っていることは確認できる」「宗継は、朝廷の窮状を救ったとして、後世になり賞賛される存在となる」「19世紀後半生まれの宗興は、宗継顕彰に努める、贈位に奔走したり、立入家の華族編入請願を起こしている、斜陽の立入家を建て直そうと動いた人物」。全く知らない世界だった。だから、具体的なこと、しっかりと聴いておきたかったなと思っても、後の祭り。寝落ちしていた時間の割りには、把握できているのじゃないかな、厚かましい言い方かもしれんけど、、、。


2023年 10月 27日(金)午後 9時 59分

 今日は、夜にオンライン配信の予約が入れてあった。実際には、視聴しはしたが、全く、興味を引かない内容だったもので、早々にカット。だから、今日は、昼間に、京セラ美術館に行ったことが目新しいところ。秋は、いい展覧会が多いので、ちょっと時間が確保できると行ってしまってる。一昨日の大丸ミュージアムもそうだったけど、韓国旅行から戻ってきて、ゆっくりと休養を取っていない。いや、取る必要がないほど、身体が動くのだ。疲労感がない。それでいいのだと思う一方、そんなことって、ここ数年、なかったよねと思ってしまう。加齢が進むにつれての仕方ないことと思っていたが、そういう感じ方からすると、この気楽な感じって、逆に変だよと思ってしまってる。やっぱ、神経痛の薬の効果だろうか? ずっと、気になっている。実際の体力以上に、耐久性があるように感じているように思ってしまうから、不安がついてきている。
 京セラ美術館では、「京都市美術館開館90周年記念展」と銘打ち、お目当ての「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」という展覧会が行われています。日本画というものに興味を持ちだして、さほど時間が経ってないけれど、でも、その中でも、竹内栖鳳って、少なくとも京都画壇の中心にいた人だということを知るようになったということもあり、この展覧会はとっておきのものという位置づけになっていた。まとまって観たのは、今日が初めてだったけれど、単発的に、何度か、その作品に接することがあった。今日も観ることになった作品も数店あったが、それは、この美術館、お向かいの美術館でのコレクション展と、嵐山の美術館でのことだったと思うけれど、竹内栖鳳の作品って、なんか、どれを観てもしっかりしてるなと、判ったようで判りにくい表現で、頭にインプットされてる。更に、今日も、どこかの作品のコメント欄に見かけたが、「栖鳳は、動物を描くと、その臭いまで描く」などと言って、その充実した写実性を評価するものにお目にかかっている。福田美術館で観て、今回も観ることになった「猛虎」「秋夕」なんてのは、正に、そういった言い方に合致するのでしょう。動物ものでは、大物があった。大きいだけに迫力が違う。「獅子図」「金獅」「象図」で描かれた動物の動きが凄い、象なんか、画面からはみ出してた。画面外まで描いている。コメントを読んでいると、とにかく、観察をした。下絵を描き、その基になる写生を丹念に行った。写実の極致のようだった。京セラ美術館は、写生帖や下絵を多く所蔵しているようで、これらの展示が多かったのが、今回の展示の特徴。下絵を持っていながら、それに基づく作品を所蔵していないというものを、他の美術館から借りてきて、下絵と並べて展示するというケースが、わりと多かった。黄紺などは、並べてあった場合、下絵の方にそそられるなんてこともあった。最たる例は、銘品との評価が高い「蹴合」。彩色前の下絵に、より軍鶏の闘鶏のダイナミズムを感じてしまってました。ひょっとしたら、目が悪く、色に弱いがための出来事だったかもしれないですが。彩色をすれば写実が上がるのかと思っていたが、そうでもない。栖鳳は水墨画の名手でもあったこと、思い出しました。一部彩色が入った「驟雨一過」を、ここのコレクション展で観たじゃないかと、自分に突っ込んでました。その「驟雨一過」も、しっかりと展示されていました。「躍動する写生」というコーナーにでした。「写実」といった観点では、自分的最高傑作は「瀑布」。思わず「ポッポ」と読んじゃったけれど、眼鏡を外して、間近で作品を観てしまった。でも、墨の濃淡だけで描いていた。次に凄いなと思ったのは、空気に湿り気を感じさせる描き方。湿度まで感じさせるのか! 臭いまで感じさせるだけではなかった。単に雨が降る様子を描いたものだけじゃない。広島県立美術館からやってきていた「城址」なんて、味わいがあった。これも、朽ちた石垣に彩色があったが水墨画。ぼかした描き方ってのが、そういった効果を出していたな。逆にしゃきっとして、周囲の微妙な空気の動きを感じさせるとともに、そこに生える木の生命力を描く腕の確かさに引きつけられたな。「風竹野雀」に「池塘浪静」なんかが、それに入るのじゃないかな。構図の妙も優れている。冒頭の「百騒一睡」では、左サイドに騒ぐ雀、右サイドにも進出する雀を前にした犬という構図、「夏鹿」では、左サイドで、1匹が跳ねあがり、右サイドでは鹿が群れていた。「喜雀」も、左右の屏風で、雀の配置に一ひねりがある。おもしろいことをやってくれます。竹内栖鳳の代表作とされている「斑猫」は来てないけど、替りに、同じテイストのカワイ系の作品もあるのだから、手広いこと! 「清閑」は、眠る子犬、これは可愛い。「狗子」も、同様のテイスト。意外だったので、風景画や人物画があるということ。前者では、中国旅行時のもの、アトリエがあったんだったっけ、中国の風景を想起させる潮来、晩年を過ごした湯河原の風景を描いたものが、結構、あるようだ。次いで、今回の目玉になってるんじゃないかな? 人物画だ。「アレ夕立に」という作品。顔を扇で隠した女性を描いていた。なんて、幅が広いのでしょう! しゃれっ気たっぷりな大津絵を真似た作品、「酔興」なんてものがあった。奔放に気の向いた対象物を絵画として描いていたようです。


2023年 10月 26日(木)午後 9時 55分

 昨夜は、1時間程しか眠れなかった。それ以下かもしれない。一昨夜の大爆睡とは真逆だった。そのため、起き上がり、この1週間のマッチのダイジェスト映像や、この間に溜まっていたYoutubeの動画を観たりしていると、居眠りをしている。ならば、横になろうと、ベッドに寝ると眠れない。同じことを2回、繰り返してしまった。Skyscannerなんかをいじったりもした。東南アジアは高いね、バンコクが、ちょっとましかな。韓国は、釜山がめっちゃ高い。これは、こないだの韓国旅行の航空券を買ったときからそうだったが、価格差は広がってんじゃないかな。釜山の方が、距離は短いのに、どうなってんでしょう! そんなことをしていると、3月の中旬から月末までの値段が、他の日に比べて安い。相変わらず、曜日で言うと、水木が下がる。この曜日の出発にすると、旅行中に月曜日が入る。これがだるいんだよね。でも、安い。こないだのチケットは、事情があり、あるタイミング以後でないと、日程が確定できなかったので、買うタイミングを逸してしまい、当初、想定していたよりは、5千円近く高くなってから買ったなんてことがあったのが思い出された。それが、衝動買いを生んでしまった。韓国から帰ってきて2日後に、新たな韓国旅行のチケットを買ってしまいました。頃合いの午前の時間での出発を確保して、仁川往復が、最終的に2万5千円余だった。これは買うでしょう。戻りの出発時刻も午後3時。6日間というスパンも確保できた。
 今日は、午後に市民向け公開講演会に行く日だった。先日も行った「天橋立世界遺産講座」があったのだ。今日は、 第4回として「伝説・伝承の舞台としての天橋立」というお題で、京都府教育庁指導部文化財保護課の稲穂将士さんのお話を聴くことができた。だが、睡眠時間が、1時間も怪しいというコンディションでは無理でした。前半は起きてられなかった。その前半に、「九世戸」と「浦嶋子」が入っていた。このお題で、頭に浮かぶのは、この2つなもので聴いておきたかったのだ。「九世戸」は、宮津側にある智恩寺に伝わる縁起だそうなことはレジュメで確認できた。成相寺という対岸にある寺絡みでないことは、薄っすらと知っていた。この縁起を基に、超稀曲の能ができてるはずだから、聴いておきたかったのに、とんでもない話だ。「浦島伝説」は、ここで取り上げられたのは伊根町のものだった。質疑応答の中で、網野の浦島神社のことを尋ねた人がいて、天橋立からはずれているということが言われたため、「あれれ」となってしまい、レジュメを確認すると、伊根町となっており、これなら、ずれてない。ということは、この界隈って、浦島伝説の多いところ? 何でだろう? そして、覚醒した後半に取り上げられたトッピクは以下の通りだ。「迎講(むかえこう)」、タームだけは記憶にあり、内実が解ってなかったけれど、調べてみると、「臨終にあたりお迎えが来ること、それを催しとして行う法会」だそうだ。それを、この地でしていると、「今昔物語」や「沙石集」に記述があるようだ。「山岳霊場として知られた成相寺」、富士山や大山などと並び、「梁塵秘抄」などに、その名が出てくるところ。「麻呂子皇子の鬼退治」が源となり、大江山の鬼退治のような鬼退治伝説へと広がって行ったとか。「鬼」は「疱瘡神」と看るようになっているそうだ。なお、麻呂子皇子は聖徳太子の弟とのことだ。徐々に「大江山」は2つあるとか、天橋立から、お話は離れて行きました。大江町は、今は福知山市の一部になってるそうだ。峰山町も網野町もなくなり京丹後市だしね。そういった展開から判ったことは、このテーマで扱えるネタが、さほど多くあるわけではなさそうだということじゃないかな。まとめとしてお話されたことは、なかなかそそられた。「日本三景」という言い方は、江戸時代に入り、貝原益軒なんかが言い出したそうだ。その景観だが、天橋立は成長していったよう。この辺は、「ブラタモリ」でもやってましたよね。江戸時代に成長したようだ。それは、近辺の山の木が、薪にするため伐られ、そのため、多くの土砂の流れ出しが起こった結果、成長したというのだ。一方で繋がってしまうと、景観が変わるということで、それを避けたりと、いろいろやってます。
 今日も、歴彩館からの帰りは、三条駅まで歩いた。所要時間は、1時間10分を僅かに下回った。今日などは、テジョンの寒さからすると、とっても有難い気温。所要時間は変わらないけど、なんか、早く感じてしまってました。そうそう、新たな韓国旅行の行き先を、頭の中で練っていると、全く周囲が気にならないですね。


2023年 10月 25日(水)午後 10時 18分

 昨夜は、午後6時過ぎに関空に到着。終わってみると、ホントに呆気ない。だから、家に帰り、PCを開けると、航空券の値段を調べてた。次の韓国、いつにしようかと考えてしまってる。3月の中旬以後かなと考えてる。先に決めておいた方が、あとの予定で詰まってからするよりは、動きが取りやすい。お値段も、その方がリーズナブルになるように思ってる。今年は、来月の東京でおしまいだから、早くても1月以後だが、1月に静岡県巡りを考えたりしているものだから、自ずと3月くらいかなとなってしまっている。韓国から帰ってくると、東京の準備に入らなければと、今日の午前中、そんなことで、PCと睨めっこだった。今日は、午後に市民向け公開講演会に行くつもりだったが、朝に、ちょっとした事件があり、胸ばくばくしたものだから、講演会に行く気にならず、気分のクールダウンがてら、そんなことをしていた。せっかくの機会だからと、東京の美術館巡りをしようじゃないかの魂胆なのだ。やっぱ、東京は、凄いわ。いろんなものが揃い過ぎている。その中から、どれを選ぶか、いや捨てられるかということなのでしょう。
 気分が整い出してから出かけることにした。行き先は、四条通の大丸。トイレを借りに入ることはあっても、それ以外で入るのは久しぶり。ここの6階のミュージアムで、短期間だが、今日から「川瀬巴水展」が始まったのだ。いろいろと予定が詰まっているので、今日、行けて、良かった。今回の旅行、マレーシア旅行と季節が違うとはいえ、身体的に、凄く快調。昨夜は、帰ってきて、旅行中、お酒を飲んでなかったというか、晩ご飯で満腹になり、お酒を飲む気になれなかったのが事実だけど、昨日は、そうでなかったので、いつもより、多めに飲んだこともあり、爆睡も爆睡、大爆睡だったからかなぁ、今日も疲労が出そうもなかった。そんなで、「川瀬巴水展」、腰がだるいなぁと、終わったときに思ったけれど、当たり前だ、2時間も座ることなしで観てたんだから。展示の構成を見ていて、どうやら、広島で観たのと同じだったんじゃないかな。但し、会場の広さが違うので、間引きはしていたと思うが。その可能性はあるだろうなとは思っていた。でも、2回目を観ることができるのが嬉しかった。広島に行ったときは、巡回予定の都市には、京都は入ってなかった。そのことをぼやくのじゃなくって、結果として、2回観ることができた幸せの方が大なのだ。代表作の「芝増上寺」「馬込の月」「新大橋」は、駅ミュージアムであった渡辺庄三郎に焦点を合わせた展覧会でも観ることができたので、1年に3回も観たことになる。これも、嬉しい。今回も、改めて思ったが、やっぱ、「夜」「雪」「雨」がいい。そこにもう一つ、加えたいと思うことを発見できた、今回。画面に縦に描かれている道や川といったラインの入った作品に、特に目が行くことを発見。遠近感を強く感じさせると、背景によく使われるシルエットで描かれる木などが、更に遠近感を強めてくれていることに気が付いた。だから、一層、写実性が上がるのだ。昔、アンタルヤの旧市街を歩いているときに、暗闇にもいろいろあることを知った。月明かりが、それを演出してくれていたという思い出。「夜」の作品を観ていると、それを感じさせてくれるんだなぁ。ここでも、写実性が上がる。最後には、スティーヴ・ジョブズに関するコーナーもあった。ここで1点だけ、樋口五葉が出てくる。スティーヴ・ジョブズは、25枚も川瀬巴水ものを購入しながら、デスクトップ画面には樋口五葉なんでしょうね。
 帰り道、弟の家に寄った。丁度、夫婦で旅行から帰って来たところだった。だから、韓国土産の影が薄くなってしまった。仕方ないことだ。帰り際に、朝の事件の話を聞いてもらった。また、ばくばく感が蘇ってしまった。余計な話をしなければ良かったと思っても、後の祭りだったな。言うことで、気が休まるときと、その逆のあることを学んだ日でもあったな。


2023年 10月 24日(火)釜山から②

 最終日は、移動がないので、今回の旅行で、一番ゆっくりと出発。でも、午前9時ジャスト。マレーシアのときのような疲労の蓄積を、あまり感じません。神経痛の薬の効果かもしれないなとは思いながら、あまり深く考えないでおきます。宿近くにある釜山近代歴史館の開館が、午前9時だったので、まず、そこへ行こうとしました。開いてはいたのですが、とっても美形の係員さんから、再開は12月からですと言われ、がっくり。休館をしていたというのは知っていたのだけど、HPを見ると、イベントを行っていたので、大丈夫と、勝手判断をしてしまいました。せっかくなので、東洋拓殖会社のビルだったということなので、記念写真は撮ってまいりました。仕方ないので、中央洞から地下鉄でスワチョン(佐川)に向かい、朝鮮通信使歴史館へ。だが、ここも、表に「close」の貼り紙。こちはら、意表をつかれたため、衝撃が大きかった。2連敗は、あかんね。万が一に備えて、用意はしてありました。朝鮮通信使歴史館はプサンジン(釜山鎮)跡の下に造られているので、まだ行ってなかった城址に上がること、その近くにあるプサンジン市場、更に、少し北に歩くとあるポンミル(凡一)市場に行くことにしたが、ビルに入っていたり、光物屋街になってたりと、ちょっと勝手が違った。時間もないことなので、軽く流して、もう1つの狙いの場所に行くことにした。地下鉄は逆戻りになったけれど、釜山駅駅へ向かった。ここから歩いて、10分程のところに登り口のあるイルバグキルに行ってきました。168段の生活道路、階段が観光地になっている。最後だからと、登ることにした。昨日までなら、念のために下から見上げるだけだったかもしれないけど、最後というのは強かった。歩いてみると、さほどきつくはなかった。途中に、店なんかがあるとか聞いていたけれど、何かの工事をしているようで、ほぼ機能してなかった。ケーブルカーのような乗り物も、お休み。ま、普通の生活道路だったんだから、こんなので、いいんじゃないかな。上にいい焼き肉の店があるとか聞いていたが、よく判らなかった。新しめのカフェが3軒ほどあったかな。さすが、上からの見晴らしはいい。釜山駅からも近いのも、行きやすいですね。その帰り道、流行っているシクタンに入った。流行っているというだけではなく、トンテタンがメニューに入っているというのが、外から見えたので、往きから、目をつけてあった。お昼時だったからか、黄紺のあとにも、客が続き、いつのまにか、満席。トンテタンは、恐らく初めて食べたと思う。テグタンはあるけどね。頭からしっぽまで、1匹入ってたかもしれません。一緒に入ってた白ネギが美味かったな。これでおしまい。30分程、早いかと思ったが、あとは、ササンで時間調整。以前、来るたびに行ってた、めっちゃローカルで、短い商店街への往復に時間を使い、これで、本当におしまい。でも、空港で事件が発生。粉石鹸の余りが引っかかり、手荷物ではダメと言われ、改めて、外に出て、カバンごと預けるハメに。最初、粉石鹸だけを送れと言われたものだから、そのように伝えると、そこで大混乱。でも、荷物に入れて預ければというカウンターのお姉さん、機転がききます。めっちゃ、煩わしたお姉さん、ごめんなさいです。なんせ、翻訳機を使ってのやり取りだったから、大変でした。「漂白剤の入っている粉石鹸はNG」というのが、正式な見解だと教えていただきました。今後、洗濯の必要な長い旅行は、どうすればいいか、要検討です。


2023年 10月 23日(月)釜山から①

 今日の朝食は、移動後の釜山で。そのため、宿では、朝に、昨日買っておいたチョコ系の菓子を食べ、若干のエネルギー補給をしておいた。ミリャンから釜山行きのバスは、2時間に1本と、思いの外、少ない。だから、9時発とあれば、それに乗るしかなかった。出発後33分で、もうナクトンガン(洛東江)を渡ったのには、驚かされた。釜山側ではクポ(亀浦)に入ったため、そこからササン(沙上)までの時間を合わせると、所要時間は54分となった。ここで朝食。1月に、3人で食べた店に行くと決めていた。あのとき食べなかったキムチ・ポックムパプを頼んだ。店内の写真を撮ったので、帰ったら、Dに見せるのが楽しみだ。今日の一番の狙いは、1月に候補に上がりながら、割愛をしたカンチョンムナマウル(甘川文化村)。ササンからのアクセス法をぐぐってみると、トンネルを抜け、トソン(土城)乗り換えと出た。このトンネル抜け、今まで、どのバスが行くか判らなかったもの。ぐぐれば、あっさりと解決でした。ただ、このコ-ス、走り出してから思い出した。地下鉄工事の真っ最中。でも、それも、最初の方だけで、あとはスムーズ。トソンからは、腹に、でかでかと、漢字&英語でも書かれたバスに乗れば行ける。インフォメーションで、地図を書い、マウル歩きをスタート。バス自体も、かなりの上り坂だったけど、マウル内のアップダウンも、かなりのもの。そこで思いついた。これって、トルコで言えば、ゲジェコンドゥじゃないかということ。元々は、戦争避難民が住みだしたところだそうだから、正解でしょう。嵐山状態だけじゃないところが、よくしたところで、有名な天使の座るスポットは、かなりの列ができてたりと、工夫が光ります。屋根や壁の色も、演出があるのでしょうね。見事なア-ト作品と、黄紺の目には映ってしまいました。丹念に、細かくではなかったけれど、2時間コ-スを歩ききりました。平日だったこともあり、外国人観光客が多く、なかでも欧米系が圧倒してました。釜山で、これだけ、一度に欧米系の人を見たのは初めてでしょう。戻りは、トソンで降りることにした。そして、クッチェ・シジャン(国際市場)なんかを横切りながら、ナンポドン(南浦洞)に予約してあった宿に向かうことにした。途中、DとSへの土産を買ったのは良かったのだけど、ついにカバンがパンクしてしまった。明日は、バックパックと肩掛けバッグの2つを持ち、歩かねばなりません。ナンポドンに宿を取ったのは、荷物を置いて、すぐに出かけることができるという利点があるから。休憩後、それに利点を使った。行き先は、ヨンド(影島)にあるカンカンイ芸術村。だけど、これは失敗だった。地図が表示されてあるんだけど、うまく見つけられなかった。でも、替わりに、思いがけないものに遭遇。日本家屋、4軒見かけたのです。釜山に日本家屋が残っているというのは知ってはいたが、ヨンドだったのですね。今も造船の街だけど、そういう仕事をしていた日本人住んでたのでしょうね。他の家屋も残ってる可能性があると思えるので、情報を探すことにしましょう。ナンポドンに戻ると、5時半頃だったので、宿には戻らず、そのままチャガルチ方向に歩く。トイレをしに地下街に降りたついでに、明日の朝食用にパンを買った。1月に、Dが食べたコグマ・パンが目に入ったのが大きかった。チャガルチ市場を、ちょっとだけ覗き、山側でいい食べどころはないかと探すが、探し方が下手なのか、毎度のように、食べようかという店がなかったので、昼間に歩いた際、目をつけておいた某プンシクへ。今回、1度も食べてないトッパプ系ものがメニューに入っていたからだ。「ヨンタン・プルコギ・トッパプ」がそれ。早い話が「牛丼」だ。照り焼き系の濃い味が付いていた。これでおしまいの気分だったけど、TVをつけたら、「1泊2日」の初期作品が流れていたので、さすがに、観てしまった。パク・チャンホがゲストに出たもの。これは、よく覚えている。昨日は、「1泊2日」の最新版を観た。昼間、カンチョンムナマウルを歩いていると、ロケ地になったことを示す表示がしてあった。デフコンの出ていたときだった。とまあ、えらく、「1泊2日」と縁がある日となっています。


2023年 10月 22日(日)ミリャンから

 クミ出発の日、朝食は、昨日調べておいた通り、午前6時から開けているキンパプ屋さんに。トッポキやラ-ミョンもあったが、キンパプを選んだ。他の店では、W4000超えというキンパプが普通になっているなか、格安。W2500だった。だから、具は特別なものが入ってないだけで、昔ながらのキンパプ。傍らで、キンパプに入れる卵焼きを作ってるのが嬉しい。移動は今日もムグンファ号。クミ出発が午前8時31分。ミリャン(密陽)到着が午前9時53分、3日目にして、初めて予定通りの運行。と言っても、酷い遅れなんてのはなかった。明日は、一日くらいはバス移動と考えているので、鉄道移動は、今日でおしまいだけど、これからも使ってみようの気になっている。駅前からバスターミナルまでは、バス移動。かなり離れているが、途中、ヨンナムル(嶺南楼)が見えるのがお得。そして、バスターミナルで、あっさりと、オルムコル行きのバスチケットをゲット。10時45分発だとチケット売り場の人は言った。オルムコル乗り場の表示の前で待った。が、バズは来ない。係の人に尋ねると、「オルムコル行きは出た」と言われ、愕然。黄紺の待ってたのは市内バス乗り場。実際に出るのは市外バスの方だった。以前にも、同じことをやりかけて肝を冷やしたことがあったが、今回は正味だった。かなりの衝撃を受けたが、気をとり直して、でんでもしてこようかと考えた。チケット売り場で、失態を伝え(さすがに、これは英語で、でも通じた)、次のバスに振り替えてもらった。掲示されていた時刻とは違い、1時発があることが判ったのも、少し気を楽にしてくれた。2時間弱の時間ができたので、その間に、宿を押さえ(今日は飛び込み)、更に、ヨンナムルにでんをしに行った。歩きで行きたかった、前に来たとき、情報がなく、ひたすら歩いた、その先にあったから、なんか嬉しい思い出になっている。かなり整備され、おしゃれな階段が付いていた。上からの眺めは、さすがです。あまり滞在できなくて、残念。今日は、いい気候だったので、特に惜しい。ちょっと待つと、バスターミナルに行くバスがやって来た。今度は間違うわけにはいきません。ミリャンからは、市外バスと言いながら、マウルバス同様、寄り道をしながら、50分かけて、オルムコルに到着。オルムコル側ではなく、ケーブルカー乗り場へ。昨日と違い、大混雑。1時間近い待ちで、3時発の最後の1人に滑り込めた。待ち時間を利用して、ケーブルカー乗り場の先にあるシレホバッソへ。渓谷の作り出した、おもしろい岩の形。岩石構成がどのようになれば、このような形が気になってしまった。小さな滝のあるところまで上がり、写真を撮り、速攻で引き返さねばならなかった。ケーブルカーは壁面が多く、且つ、ケーブルカーからの眺めが素晴らしく、人気のわけが判りました。上は、やはり寒く、縦走など考えない身には、展望台の眺めを楽しむだけだったけれど、これは絶景だった。寒くなければ、もっと、そこにいたことでしょう。帰りのケーブルカーも、到着したときに予約をしたけれど、1時間近くの待ち時間。4時30分のケーブルカー乗れ、ようやく下へ。もう、オルムコルに行って場合の時間ではありません。暗くなりかけているという時間。5時10分にバスがあるというので、少しだけ、ケーブルカー乗り場で待機後、バス乗り場に行くと、既にバスが来ていた。でも、市内バスだったので、おかしいなと思いながら、でも、表示は「トミナル」となっているので、運転手氏に確かめると、間違いなく、ミリャンのトミナルだった。帰りは、同じ道を45分で走ってくれた。ほぼ、乗り降りはなかったから。だから、6時前だったということなので、もう、トミナル近くで食事をして、宿に戻ることに。昼間は、結構な賑わいを見せていた界隈も、さすが暗くなって、かなりひっそりをするなか、流行ってたクッパ屋へ。釜山でクッパかと考えてたけど、前倒しにして、スンデ・クッパをいただくことに。釜山でクッパ屋へ入ることになっても、テジ・クッパは残しておこうの配慮です。味わいという点では、頼りないお味だったけど、塩辛を、ちょこっと入れただけで、かなりいいものに変わってくれました。明日は、釜山入り。なんか、ミリャンが終わると、今回の旅も終わったなの感じが出てきてしまってます。次の韓国、いつにしようか、考え出したりしてしまっています。


2023年 10月 21日(土)クミから

 午前8時前に、テジョンの宿を出発。今日も、鉄道での移動のため、テジョン駅へ。ここから、ヨンドン、クムチョンというなじみのある町を経て、クミ(亀尾)に到着。1度、ほんの僅かだけ、立ち寄ったことはあるが、宿をとるのは初めて。着いてすぐに、明日の切符を買う。この切符を、オンラインで買おうとすると、最終段階でエラーが出て、買えてなかったので、直に買ったのでした。予め、列車の中でググっておくと、切符を買う時間があるとみたのでした。ググったときに見た時間通りに、バスは到着。クモサン・ケーブル下まで行くバスは少ないのだけど、うまく合わせることができた。ケーブルは、土曜日だから、混み方が酷いのではと思っていたが、行き帰りともに、やり過ごすことなく乗れた。ただ、このケーブル、谷あいに設えられたケーブルなものだから、サイドは、ほぼ遠目の風景は見るのは、厳しいものがある。また、到着したところから、山登りをする人には、その補助にはなるが、往復をするだけの者には、ヘウンサ(海雲寺)という寺に行くのと、上に滝があるらしく、それを観るのも楽しみのようなんだけど、階段を登って行かなければならないので、黄紺は断念。早々に引き返すことになりました。代わりに、バスの到着したところの手前にあった、川をせき止めてできた大きな池の周囲を散策することにした。今の黄紺には、平坦な道を歩いておいた方が無難です。これで、昨日今日と、少しずつだったけれど、秋を体感することができました。戻りのバスを待っている間に、トラブルが発生。と言っても、自分の勘違いから生まれたこと。でも発端は、スマホのちょっとしたトラブルから。アゴダのアプリで、今日のホテルの位置を立ち上げようとしたとき、うまく出てこなかった。ホテルのアドレスをコピーをして、ググろうとしたら、コピーができない。触っている内に、1度、アゴダで立ち上がった。ところが、なぜか、その地図の位置を見て、まだトラブルが続いているとしてしまい、且つ、その位置が、こうしたときに用意してあるペーパーの位置と同じだったために、ペーパーの方もミスと断定してしまった。正しいものを否定していくわけだから、正解が見つかるわけがない。しかも、場所は、こちらだったはずと、その場所まで見に行ったが、あるわけはない。かなり、狂ってしまってるが、そのときは、正解を求める方法として考え出したのは、何もないところから予約を始めたら、今日のホテルも候補に上がってくるだろうから、そこから地図を引っ張り出せると考え、その通りにすると、自分が間違っていたとしていたところに宿はあった。バカみたいなことをしています。宿は、普段泊まる、普通のモ-テルでした。スウォンの場合と違い、こちらの主人は、アゴダのことは判っていました。クミは、駅から離れ、バスターミナルに近づいてくる位置に、モ-テル街があります。その中では、駅に近いところから選んだのを、もっと、バスターミナル寄りで選んだと思い込んでしまってました。それで一息をついたあとは、街の探検へ。街にしては、巨大な立派な駅舎。その周囲が、えらく賑わっていたという印象が、前に来たときのもの。今回は、普通の地方都市という印象。中央市場に行く前に、1つ、チャレンジ。交通カ-ドへのチャ-ジです。黄紺は、1月に釜山で手に入れた。調べたら、全国で使えるということだった。スウォンではチャ-ジもできた。機械は、釜山のと同じだった。だから、どこでも、チャ-ジなんてできると思っていた。ところが、テジョンの地下鉄駅では、チャ-ジ不可能と出たのが、頭混乱の発端。そこで、もう一度、ネットで調べたら、黄紺のカ-ドは、「cash bee」という釜山のカ-ドで、確かに、全国の多くの町や店で使えるが、チャ-ジは、釜山以外では「首都圏(スウォンはこれだ)」だけできる。あとは、コンビニなとで可能とあり、なかでも、セブンが一番手広くやっているらしい。それができるかは、「cash bee」のマークがあるかどうかで判断と書かれていた。でも、いくら探しても、マークがどんなだか判らなかったので、セブン飛び込みで、「チャ-ジできますか」と尋ねることに。すると、レジ前にある機器に置けと、手で指示された。よく券売機で見かけるものだったので、あっさりと了解。簡単にでけた。それから中央市場へ。駅舎を背に左側が、昔ながらの市場。味わいのあるシクタン通があったりと、楽しい一時。朝からサンドイッチしか食べてなかったので、ケランパンを買い食い。ケランパンは、お初だった。駅舎の右側から宿にかけてが、若者向けの店が並ぶ。そうした市場歩きをしながら、夕食の場所を探す。途中、土産にいいかと思い、袋詰めの菓子を買ってしまった。荷物ができてしまった。Dへのいい土産を見つけた。学校で使ってるタブレット入れだ。じゃ、Sは? 悩んでいます。休憩後、夕食へ。コグマ・チジュ・トンカスにした。トンカツを、キムチとタクアンとともにいただく、黄紺お気に入りの韓国フ-ドだ。添え物のサラダのドレッシングはりんご味が定番だが、何かしら違う果物の味がした。初めての経験だった。


2023年 10月 20日(金)テジョンから

 昨夜は疲れ切ったか、9時間ほどの爆睡。お酒も飲まないでのこと。朝食は、6時半に開いているところがあればと思い、スウォン駅方向に歩き出したが、これは不正解。やはり、駅から旧バスターミナル辺りは、盛り場ですから無理だった。24時間の店も見つからなかった。そこで、徐々に駅から離れていくと、人が入っている店があったので、そちらで食べることができた。焼肉店だが、キムチチゲがあったので、それを食べることができたが、ひょっとしたら、焼肉のサイドメニューだったかもしれない。入ってくる人は、まだ夜が続いているかのように、皆さん、焼肉を食べ、お酒を飲んでいた。朝7時前の風景です。スウォン出発は鉄道で。午前8時59分発のムグンファ号。行き先はソテジョン(西大田)駅。テジョン駅は、明日利用することにして、未知の駅を選んだ。湖南線の駅で、ここいら辺では、プサン方向とクァンジュ方向が、枝分かれを見せているのです。そこから少し歩いたバス停からプリ公園を目指した。ググることで指定されたバスだったが、その指定してきた降り場とプリ公園の関係が、どうもおかしい。韓国でググると、乗り物は経路を正確に出してくれるが、徒歩コ-スは、目的地とバス停が直線で表されてしまう。1月にはなかったこと。その直線コ-スを見ると、川をまたいでいた。橋があるのか探したが、なさそうだ。かなり遠回りして、ようやくあった。ということは、このバスに乗ってるとやばいことになる。既にバスに乗ってからの話だ。だが、バスの中には、ドレッシングの格好した人が乗っている。そういったところへ行けるようだ。あるバス停に着いた。すると、そのバス停の表示に、2本のバスの行き先が書かれてあった。1本は、黄紺の乗っているバスの行き先、もう1本がプリ公園だった。だから、とっさに降りかけた。だが、思い留まった。トレッキングの格好をした人が降りなかったからだった。どうしても気になったので、その人たちが降りた終点までのり、その人たちが歩く方向に歩き出すと、地図があった。向こうからは、トレッキングの格好をした人たちが、どんどんと歩いてくる。テジョン市内の知られたトレッキング・コ-スでした。シルボン(Sirubong peak)という山の周辺を巡るトレッキングのコ-スに入っていたのです。そのコ-スから、1km余りの山道を上がるとピークに到達できるという道が、幾つかあるようでした。腰に不安があるので、山道を行くことはできないので、周回コースのような平坦な道を歩くと、とってもいい秋を堪能。2.5kmほど歩くと、ハンパ図書館に降りる道があったので、途中でリタイア。急な山道を降りると自動車道に出て、トレッキングのコ-スと同じくらいの距離を歩くと、図書館があったので、トイレを借り、ちょっとだけ休憩。でも、バスが、すぐにあるようなので、そんなに休むことができなかったな。プリ公園が、全く違う場所に化けたけど、ま、いいかの気で、次へと向かった。地下鉄駅「ソテジョンネゴリ(西大田四街)」駅から「チョンブチョンサ(政府庁舎)」駅へ向かい、そこから「ハンパ樹木園」に行ってきた。片道20分くらいかかったかな。かなり広い都市公園です。テジョンで行き先を探していると、結構、前の方に出てくるので、行ってみようの気になったところ。近くは官庁街。大都会の中に現れた都市公園でした。元々の状態を残しつつ、開発されたのかなと思いました。一方で、芝生の広大な広場もあります。ここでも、秋をいただくことができたなぁ。地下鉄駅に戻って来たのが、午後3時半過ぎ。既に宿に入れる時間を過ぎていたので、オリョン駅近くの宿へ。こちらの宿は、アパートの一室。建物と部屋に入るパスワードが送られてくるというパターン。とっても評価が良かったので予約してみました。部屋は狭いけど、十分なところ。今度来る機会があれば、また来るだろうな。駅に近いし、コンビニも3軒あるかな、ただ、朝ご飯を食べれそうなところはない。だから、明日の朝用に、コンビニでサンドイッチを買いました。1時間程の休憩ののち、テジョン駅へ。すっかり変わっていたので、行ってみて正解。存外、食堂街が狭かったな。次いで、狙いの駅前散策。駅前の通りしか知らなかったが、すくに脇に入ると中央市場があり、橋を渡ると、電飾アーケードのある若者向けの街が広がっていた。夕方だから、市場はしまいかけ。でも、夕方に行かないと、電飾の橋もアーケードも見ることはできない。電飾の橋を見て、やっぱ、クアラルンプルのドラゴン・ブリッジを思い出すのは仕方ないな。アーケードの方は、天井に映像を映すというアイデアが光ります。サムシンダン(聖心堂)は入ったんだけど、あまりの賑わいに、すくに逃げました。若い女ばっかだったこともあります。そんなで、若者向けの街には食事がしにくいと判断。橋を渡り、市場の方へ。表に「トンカス」と書いていたシクタンに入ると「チョングクチャン」がメニューに書かれていたので、こちらに変更。初めてでした。出会ったことがなかったのか、知らない内にスルーしたたのか判らないのだけど、初めて。さすがに、ちょっと不安があったけど、出てくると、全く納豆の臭いに、ホッとしてました。このお店、パンチャンもそうだったけれど、とっても薄味の店だったので、チョングクチャンのお味も、納豆だけのものでした。納豆の汁物って、美味くも不味くもないね。珍しいもの食べたというだけが残ったな。なお、このお店、パンチャンをワングレートで出してくれました。いろいろと進化するものですね。


2023年 10月 19日(木)スウォンから

 朝一番の電車で関空へ。航空券を、よく見てなかったため、搭乗する飛行機が、第2ターミナルから出ることを知らず、慌ててしまった。今、国際線では、黄紺の乗ったチェジュ航空以外では、ピ-チと春秋航空が使っている模様は-ションは、今日も大混雑。40分近くを要して通過。バスの表示に従い歩いて行くと、出口手前に、バスチケット売り場があった。地方都市行きは、外に売り場があると思っていたが、行き先表示を見ると、大丈夫だったので、スウォン行きを購入。発車9分前だったので、チケット売り場のお姉さん、走る格好をして、急ぐようにとの指示。途中に、確かに、ビルの外にもチケット売り場があったが、こちらは混雑。偶然とはいえ、ついていた。スウォンまでは、55分で到着。スウォン駅で降りた。一応、明日、鉄道移動をするので、大きく変わった駅構内を探索。あっさりと確認できた。この駅、2段階で変貌を遂げてました。1度目の変貌では、まだ、チケット売り場は1階にあった記憶。駅前地下もできていたし、地下鉄も通っています。まずは、昨日予約を入れた宿へ。アゴダで予約したんだけど、フロントのアジュマ、よくわかってなかった。どこかに電話で確認をとっていた。まだ、韓国は、昔の習慣が生きてるようなんで、ホッとしたな。荷物を置いて、まずしたのは、宿周辺の探索。すっごく懐かしいところ。昔の定宿探しが目的。場所は判ったがなくなっていた。少し道のくねり方も変わり、様子は変化していたが、面影は感じた。旧バスターミナル周辺なんだけど、やさぐれ感は消えていたかな。次いで、駅前からバスに乗り八達門へ。いつも、バス乗り場に困るけど、判りにくいとググると、あっさり判明。八達門から西へ、急坂を上りに行くと、世界遺産になったからでしょう。インフォメーションはあるは、トイレまでできていた。石段の上り坂傍らに、道まで作られていた。一番上まで上り、城壁の上の道を歩く。なんとか言う見晴らし台も整備。でも、城壁歩きは、そこでストップ。仕方ないので、下へ降りたが、かなり手入れをしています。下の道を歩き、ほぼ上り口まで戻り、今度は、八達門の東方へ。川を挟んで、市場が広がります。でも、昔の活発さの半分以下です。原因は、川側にあった店舗街を撤去したからです。そして、今回、初めて、その撤去のわけが判ったのですが、世界遺産となった城壁の整備のためでした。城壁の一番端の下り口が、その撤去された市場にあったからで、途切れていた城壁が伸ばされ、川をも越えていました。辺りは静かで、かつての喧騒はなくなっていた。南に行き、川沿いから東へ入って行くと、昔ながらの市場は残ってるんだけどね。その辺りで夕食を食べることも考えたのだけど、まだ、午後6時前だったので、駅前に戻ルことにした。1つには、宿の近くにコムタンを出す店を見つけてあったということもあった。この前、コムタンを食べたなはポハンでだった。コムタン通があったので入ったら外れだったので、よく覚えている。今日は、大正解だった。向かいで食べていた親父が、コムタンの中に、バンチャンの汁を、おかわりまでして入れていた。韓国人には、メジャーな食べ方かもしれないが、自分的にはきしょいものだった。


2023年 10月 18日(水)午後 9時 50分

 明日から韓国旅行。だから、今日も大人しくしていたつもり。但し、午前中は、アスニー山科で映画を観た。いつもの市民向け公開講演会の枠で、弁士を付けての無声映画が上映されたのだ。この試みが気に入っている。毎回、京都の文化を映像で記録する会の濱口十四郎さんの解説が入り、遊花さんが活動弁士を務められる。「雄呂血」が上映されたとき、有名な映画だから観ておこうと出かけたのが始まりで、弁士が、とっても上手なこともあり、この試みがあるたびに行くことにしている。今日は、「御誂治郎吉格子」という大河内傳次郎主演の映画が上映された。伊藤大輔監督作品。この監督、名前だけは、どこかで見かけた程度だったが、濱口さんの解説によると、国定忠治を扱った作品が、サイレント映画のベストだとするランキングがあるほどの名監督だと言われていた。「中風」になった忠治を描いたんだって! それを聴いただけで、ぞくぞくしますね。今日の作品は、鼠小僧もの。江戸で名が売れすぎてしまい、上方に流れてきた鼠小僧という設定。大河内傳次郎って、めっちゃ格好いい男ぶりです。それを取り囲む2人の女。残念ながら。今日は、前半で居眠りをしたために、筋立てをきっちりと追えなかった。捲土重来、次回もあるそうなんで、それを楽しみにすることにしましょう。相変わらず、4時を回ったところで目が覚めたままだったので、こないなことになってしまったけれど、明日は、その時間に起きなければならない。
 岡崎の美術館に寄りたかったが、そこまで忙しなくしなくても良かろうと、帰宅。そして、まだ旅行のためにやらねばならないことが残ってたので、それをした。その1つが、オンライン・チェックイン。1月のときと同じ飛行機だから、オンライン・チェックインはできないと思ってたのだけど、航空会社のHPを見ると、日本発の国際線の一部ができるという記載があった。できるなら、やっておくに越したことはないので、チャレンジ。でも、途中で、前に進めなくなってしまったので、「一部」には、大阪発の便は入ってない模様。スマホで試みてダメだったので、航空会社のアプリをダウンロードして、同じことをチャレンジ。でも、アプリを使わないでするときと、出てきた画面は同じだったのでダメだろうの予測で進めたが、結局、同じところでダメだった。ついでに、PCでも試みたが、これまた、同じ個所でストップ。余計な時間を使ってしまった。こういう作業をするためには、予約番号なんかが要る。それを、ペーパーには出しているので、どの番号か探す手間は要るが、それを使うことができるが、ふと気が付くと、そのペーパーがなければ、どこにもスマホの画面上には出せないことに気が付いた。となると、また、スマホ上に、その番号を出せるようにしておかなくっちゃならない。旅行会社のマイページにアクセスするためにもパスワードが要る。それも、すぐに出てくるようにしなければならない。直前になり、毎回、同じことで慌てている。気が付くと、予約したホテルの地図をペーパーに移していなかった。スマホが機能しなくなったことを想定して作っているペーパーの重要なものを作ってなかったのだ。昨日は、予約しただけだったんだ。そもそも、こんな直前になり、ホテルの予約をしたりしてるから、抜け落ちが出てくるのですね。そんなことをしていて、ふと、明日のホテルも予約する気になってしまい、やっちまった。結局、4/5の予約をしてしまった。やり過ぎだね。夕方のウォーキングは、現金の引き出しと、関空で飲み、食べるものを買いに行った。いつものように、お出かけ前のお酒、やるための準備です。それと、お腹を持たせるためのパンを買った。恐らく、昼食を摂りづらい流れになると思うのでね。そうしている内に、いつもの旅行期間中のように、昼を抜くのに慣れて行くのでしょう。そんなことをしながら、今になり、コ-スがあんちょこで、凝ってないのが気になりだした。カンギョン(江景)中心に組めば良かったとか、そもそもソウル往復にして、ソクチョ(束草)に行けば良かったとか、今になって行けないと思うと、行きたくなって来てしまってます。贅沢だわ、それは、、、。ま、今度ということで、今回は、スウォン(水原)、テジョン(大田)、クミ(亀尾)、ミリャン(密陽)、プサン(釜山)の5泊です。


2023年 10月 17日(火)午後 10時 5分

 いよいよ、韓国旅行が迫って来た。マレーシア旅行のときもそうだが、コロナ禍前には感じなかった緊張感が出てきている。1月に行ったときは、Dと一緒というプレッシャーがあったが、日本を離れることの感覚が戻らないみたい。だから、韓国旅行ではやったことのない、事前に鉄道の切符を買おうとしたり、ホテルの予約なんかをしている。但し、それらは、中途半端にしておいた。行く町は決めてしまってるが、小さな町では、ホテルの予約をするつもりはなかったのに、やってしまった。まだ、宿をとったことのない町だけど、宿の集中しているところは、ググると判るので、その辺に行けば何とでもなる、その考えだったはずが、その中に、その場で選ばなくても、手ごろな宿が予約できたので、現地で迷う時間を割愛できると考えてしまった。今回は、1つ失敗をしでかしている、それは、航空券の値段に目が行き、最近、入れたことのない土日を挟んでしまったので、そこを押さえてしまったのだ。その必要があるかどうかも、判断できないまんまだけど。でもね、今まで、韓国で、宿が満杯でダメだったことって2回じゃないかな? ともに温泉場だったと記憶する。だから、普通の町なら、必ず、宿が固まってある地域があるので、そこさえ判ってれば大丈夫と思ってたんだけど、今回は、押さえるところが出てきた。釜山の場合だけは、端から押さえるつもりをしていた。理由は、定宿が消滅したから。それを機に、今までの定宿があったササン(沙上)から場所を変えてみようと思ったのだ、少なくとも今回は、お試しに。ベタな地域を狙うと、やっぱ、押さえた方が良かろうとの判断、また、それだけの宿がリストに入ってるのでね。そんなことを、昼前からやり出して、結局、午後の一時を使い切ってしまった。あれれ、だ。今日は、お目当ての美術館に行くことも想定していたが、なんか、そんな調子で座り心地が良くないものだから、出かけなかった。ま、旅行前の最後の洗濯日にもしたかったので、それでもいいかの気でいます。荷造りも、ほぼ出来上がってる。忘れないようにと、思い出したときに、バッグに詰めることにしてたら出来上がってしまった。今回も、最近、国内旅行にも使ってる小ぶりのバックパック。いや、大きめのリュックの方が正解だろう。1回、このバッグに慣れ親しむと、癖になります。場合によれば、バッグを担いだまま動き回れる。これがいいのだ。今回の航空会社便は、15㎏までOKだったんだけど、こちらを選んだ。土産を買いにくいという難点はあるけど、もので対応してるというのが経験知かも。ただ、季節の替り目に旅行日を設定すると、ホント、苦労する。春のドイツでも、困ったことを思い出す。この先の1週間の気候が、どんなだか、読みづらい。少な目がモットーだが、備えだけは要る、でも、度を越した場合には、向こうで買う、これが、秋の荷造りのコンセプトですね。


2023年 10月 16日(月)午後 9時 58分

 今日は、午後にオペラを観に行った日。それがあり、且つ、昨夜は、トルコ代表が欧州選手権本戦への出場を決めたものだから、それを追いかけていたため、午前中が慌ただしくなってしまった。マッチは、トルコ時間午後9時45分開始だったから、朝の5時過ぎに起きると、まだ、試合は続いていたので、TRT-1で聴いていた。ほぼ、トルコ代表が優勢に進めた試合だったようだが、聴き出す少し前には、かなり危ない場面が集中したようだった。これは、あとから動画のダイジェスト版を観てから判った。トルコ代表の試合のダイジェスト版は、トルコ・サッカー協会のYoutubeチャンネルで流してくれている。マスコミのサイトなどに埋め込まれている動画は、日本では観ることができないのに、トルコ・サッカー協会が流していいのかと思うけど、流れているので活用させてもらっている。トルコ・リーグの方は、放映権を持つBeing-sporが流してくれているので問題はない。ここに来て、ヴィンチェンツォ・モンテーラ監督に替り、アダナ・デミル・スポルへの拘りから選手起用に変化が起き、その関係の選手が活躍している。上手いことしたもんです。これで、トルコ代表は、3大会連続で本戦出場となりました。
 オペラは、びわ湖ホールでの公演。阪さんが芸術監督に就任しての初年度は、ポピュラーな曲が並びました。今日は「フィガロの結婚」(演出:松本重孝)。今更、日本のオペラ公演で「フィガロ」を観たって、斬新なプロダクションを期待できるわけでもなく、バブルでない現状では、歌手もビッグネームが来るわけでもなしと、正直、躊躇いもあったことは事実。福井の友人は、モーツァルト好きなのに、今回はパスしたしね。中ホールでの公演は、アンサンブルのメンバーを中心に組むものだと思ってたら、今回は、卒業したメンバーが多かったんじゃないかな。コーラスに使うんだったら、アンサンブル名は返上して欲しいなと、黄紺は思ってます。端役にちょこっと使うんだったら、単なる劇場プロデュース公演になっちゃうからね。そうなると、歌唱や演技の質は下がるだろうけれど、そんなの、期間限定の採用でアンサンブルを作ったんだから、端から判ってることだと思うのです。ということで、ゲスト歌手の多い公演となりました。目玉は、伯爵夫人を歌った森谷真理と思い、彼女の出る日を選んだ。その日と、実は、もう1人、目当てがいました。このために、9月にドイツから戻って来て稽古に入ったと、ちょっとした情報を得たのですが、知り合いの息子さんが、この公演に出てるのです。かつて、アンサンブルに籍を置いていただけど、留学のためにアンサンブルを抜けられたので、久しぶりに聴けるということでのチョイスでした。確実に留学の成果が、パワーアップという、とっても解りやすく現れていたな。舞台は、舞台の8割は占める敷き舞台があり、その上に小道具の出し入れで、場面転換。ホリゾンドは、最後の場面以外は大黒、最後だけ、空を表すかのような画像が映されていた。また、最後の場面の置物は、真ん中に塔のようなものが置かれてるだけということで、人の動きと位置取りで進行。いっその事なら、全部なくせばとも思ったが、そんな手の込んだことはしなかった。左右には、大きな柱というか壁とだけ書けばいいのか迷うものを配置、ホリゾンドと敷き舞台の間には、ギリシア的柱が置かれ、それが、背後からの入口を表していた。扉の替りに鎖を引っ搔けて、扉の開閉を表すというアイデア。となると、伯爵夫人の部屋での騒動の場面、小部屋に隠れたケルビーノ、それに替わったスザンナが隠れている姿が、客席から見えるという趣向。これは、おもしろい変化技。同様の変化技として上げることができるのは、結婚式の場面で、伯爵夫妻を、左右両端に配置した点。だから、カップルは、双方に挨拶に行かねばならない。そのタイミングで、手紙を渡す動きをするのかと観ていたんだけど、そのような動きがあったとは思えなかったが、その後、伯爵は手紙を持っていた。あれれれ、いつ渡したのだ! 黄紺は、この手紙を渡す場面を見過ごすことが、ここまでも複数回あったんだけど、またかの気になっています。メヌエットだっけ、あすこのダンス。だと、下女などに踊らせたら、まずいよね。大丈夫なんだろうか? あとは、特に記すほどのことはないが、音楽に、詞章に合わせた動き、とっても自然体に動くようにとの指示が徹底されてたのか、歌手陣が、役者魂を備えていたのか、その辺は判らないけど、細かな動きに神経が行き届いているなと感じさせられました。だからと言って、おもしろかったと言えるものではない。だから、日本でオペラ公演に行くのが躊躇われるのだ。歌手陣では、森谷真理が異星人、この中に入ると。逆に困ったちゃんは、伯爵を歌った平欣史。男性低音部は人材不足は、今に始まったわけではないけど、きつかった、聴くのが。この2人の幅は、かなり大きい。期待を持っていたのが、スザンナを歌った熊谷綾乃だったが、終わってみて、このプロダクション、スザンナが主役のはずなのに、そうじゃなかったよなと思わせるスザンナでした。フィガロに寄り添う可愛い、ちょっと気の付く女という進行。これは、歌唱とともに、演出の責任だな。どうみても、スザンナが主役じゃないと看えてしまった。主役はフィガロだったな、ここでは。フィガロが、前面に出ようというキャラ付けというよりか、スザンナを控えめに置いた演出だったからです。なお、オケは日本センチュリー交響楽団、阪さんは、指揮ばかりか、フォルテピアノも担当。で、通奏低音は、チェロとともにということでした。全部で6日間公演、入りはどうだったのでしょうか。今日は、月曜日の昼間というのに、結構な人にびっくりでした。黄紺は、丁度、椎間板ヘルニアの激烈な痛みに悩まされていた時期にチケットを購入したため、最後列の端の席。でも、中ホールだから、鑑賞には、全く問題なし。このくらいの規模の歌劇場って、ドイツだといくらでもある。同じように、公演数を増やしてほしいなと思ってしまう。客など入らなくていいなんて感覚で公演うつって、日本じゃ無理かな? 会場で、そんなこと、ふと考えてしまった。そのときに浮かんだオペラは「Soldaten」だった。なんでだろ?


2023年 10月 15日(日)午後 9時 6分

 今日は、息子家族と一緒に、お昼を食べる約束をしていた日曜日。9月末が、Dのお誕生日。その1日違いで会うことになっていたので、そのときに誕生日プレゼントのリクエストを聴くつもりだった。ところが、それが、例の発熱事件でボツ。そんなで、今日まで、プレゼントを渡せないままだったので、それを渡しに行くことにしたら、お昼を一緒にとなったわけ。そんなで、真夏の暑い最中に会って以来、会ってなかったので、朝からそわそわ。お出かけ前に、日曜日ということで「日曜美術館」を観ることができた。今日は、「そして、樹(き)がひとと重なる 彫刻家・棚田康司」というお題だった。また、新たな作家さんを知ることができた。木彫家の棚田康司という人。そして、この人が受賞した木彫界最高の賞に名を採られている平櫛田中(ひらくしでんちゅう)という大家の名も知ることができた。番組的には、この夏の期間、棚田が制作する様子(井原市平櫛田中美術館での受賞記念展用に出品する新作の制作)を撮り続ける映像を、時系列的に流し、その合間合間に、産まれから今までの歴史を振り返っていくというもの。20代の頃は、自分自身が描く対象で、斬新な作品ということで注目も浴びたようだったが、その手法に行き詰まってしまう。転機は、ドイツ留学に行ったとき、子どもの通う学校で、校内の大樹を伐るとなり、その様子を観ていた子どもたちが泣き出したという出来事。木に生命を感じ、共生している姿を見せられた思いになり、それ以後の制作は、木の求めているもの、息遣いのようなものに向き合いながら行うようになったというようなことを言われていた。技法的には、伝統的な「一木造」へ。だから、番組冒頭の制作風景の映像は、製材所で木材を選び、粗削りをするところから始まった。制作過程の冒頭がそれだったのだ。取り上げられた作品をメモっておく。①内的凶暴性(凶器のような手、赤が染まる、腰から上は自身の身体から型をとる、若い頃、注目を受けた作品)②蝶少女(ドイツから帰国後の作品)③卓の少年、太陽④卓の少年、月(③と背中合わせに配置)⑤父を待つ少年(息子をモデル、「境界」の姿は人間存在の強さという言葉を吐かれていた、この作品のところで)⑥ナギ⑦少年の場合⑧暦のトルソ、桜と少女(伊丹市市庁舎用に製作依頼を受けたもの、市庁舎建て替え時に伐った木の再生、再利用で作ったもの、木に黒い年輪を色で塗ることもなかった、その年輪は震災の年のもの?)⑨暦のトルソ、薔薇と乙女(⑧と同じプロジェクトで制作、こちらにも年輪をそのまま残す)⑩地上を取り込むように(TVカメラが追いかけた作品、境界線には幅があり、多様性を表しているよう、ロープが長いのが凄い発想、もう1人のロープはステンレス製で宙を舞う)。木彫で、内面にシフトした表現というものを、初めて観た。かなり濃厚な印象を受けた。受賞記念展を観に、井原市まで行ってみたくなったな。知るのが遅すぎます。でも、この番組を機に知ることができたのを、喜びとしなければならないのかもしれないですね。
 お昼は、毎度のように寿司を食べる。Dは、いつも、お子様ランチ、これには、鉄火巻きが、ドカッと揃っている。Sの方は、生魚がダメということで、マグロはダメと言ってた。替りに好きなのが玉子とエビ。黄紺と好みが合っている。息子と黄紺は昼飲み。ところが、今日は、この食事会がメーンじゃなかった。DとSが、出町柳まで電車に乗りたいと言い出した。大阪府内からだ。大阪方向じゃなくって出町柳がいいらしい。そこで、パパとママに替り、黄紺が連れて行くことになった。椎間板ヘルニアに悩まされていたときには、二の足を踏んだかもしれない。敏捷な動きが取れないかったから、どうしても気が引けてしまう。でも、今は、薬のおかげで、それまでにもあった足腰の痛みも消え、とっても快適なものだから、率先して引き受けた。ただ、ビールを飲んでるので、いつ途中下車しなければわからないことの方が心配だった。その上、ちょろちょろするSを、しっかりと、Dが気にしてくれるものだから、もう万全だった。ときには、Sの手を引いて、安全を確保する細やかさに、ええお兄ちゃんぶりやと、感激! Sも、それに素直についていく、いい感じの兄弟だ。出町柳駅では地上に出て、どこかでアイスを食べようということになった。叡電の駅の方に上がると、目の前にロッテリアがあり、うまい具合に、ソフトクリームの置物まであったものだから、即、決定。ところが、Sは4歳になったとはいえ、ソフトクリームを舐めるしかできない。両脇から、Dと一緒になって、「かぶるんや」と言っても、ほとんどできなかったから、溶けだして、えらいことに。途中、Dにかぶってもらったり、最後は、Sに引導を渡して、黄紺がぱくつくことで終了。Dは気が付くものだから、カウンターに行き、ペーパーを取って来てくれてました。ホント、Dは、よく動く男だ。この認識は、韓国以来、黄紺の中で定着してしまっている。帰りは、ダブルデッカーがいいと、移動。そして、息子から言われてたように、出町柳駅出発時刻をメール。途中からは、Dが文章を考えてくれた。さすが、小1だ。そしたら、アイスがこぼれたことを言ってました。最寄駅に着くと、パパとママがお出迎え。2人にとっては、パパとママに、出町柳駅までの往復を報告するのが楽しくてたまらない。そんなの見てると、こちらも嬉しくなる。まだまだ、昼飲みの酔いが残っていたけど、さすが寝なかったね。でも、皆と別れて、帰りの電車に乗ると、さすが、居眠りに入ってました。でも、寝過ごすことなく、今日は帰れた、エライ!


2023年 10月 14日(土)午後 9時 11分

 今日は、朝から慌ててしまった日。でも、結果オーライで、しかも、夜には、「ブラタモリ」の新作が流れるということで、凹んだことは帳消しとなった。朝、一応、その日のスケジュール確認をする。そして、出かけるタイミングを設定して、アラームをセットするというのが定番。アラームには、遡って、昼食時間もセットしておく。この時間までに昼食時間を始めよというものだ。でも、今日は、その根本が揺らいだのだ。スケジュール表に入っているイベントの場所と時間確認を、予定表に書き込んであるものと、ウエブ上に出ている情報との照合をすることにしている。これを怠って、苦い経験をしたことがあるのでするのだが、これを、忘れずにして、今日は大正解。イベントが、ウエブ上から消えてしまっていたのだ。どういったかげんでそうなったかは知る由もないのだが、情報を得たと、同じところから消えていた。今日の暦の中でトラブったのかとも思い、年間計画表のようなものがあったはずと、そこへもアクセスしたが、そこからも消えていた。万事休す。そこで、そのイベントと、悩んだ挙句、外したものがあったのを覚えていた。それだけ、選択するのに迷ったからだった。コンサートだったので、チケットが買えるかどうかという問題があったので、一応、調べてみる。チケットは残っていた、しかも、前売り・当日券で値段も変わらない、これはラッキーと、即、行くことに決め、チケットもゲット。チケットレスで、購入後、QRコードを出すのに、えらく用心をした設定になっており、でも、成功。行き先は枚方市総合芸術文化センター。関西医大病院の傍らにできたホールだ。ここでは、講演会を聴いたことはあったが、コンサートは初めて。室内楽のコンサートだったので、小ホールの方だったが、そこへ入れる嬉しさもあった。そのコンサートは「山形交響楽団メンバーによる‶名曲コンサート‶」。このコンサート、なかなか、いい企画だ。第2回目も決まっているので、シリーズ化されるものと看た。全国には、約40のプロのオケがあるそうだが、それらの団員で組んだアンサンブルは、オケの活動とともに、活発に行われているだろうから、そういったアンサンブルを枚方に招き、コンサートを開こうという主旨。コロナ禍前に、同じ枚方で、京響のピックアップ・メンバーによる室内楽のコンサートが企画され、好評を博したのか、客数が増えて行ったなんてことがあった。翌年度、気を良くし過ぎたか、大ホールでコンサートが企画され、足が遠のいてしまった。前半の企画者と、後半の風呂敷を拡げた御仁は別人だと、黄紺などは想像しておもしろがってんだけど、センスのいい前半部を企画された方が、これ、思いついたんじゃないかと、これまた、勝手に想像している。また、その一番手に山形響とは、センスがいい。東北初のプロのオケという触れ込みはあるけど、でも、言って悪いがローカル色が強い。地方のオケの名手を招請するというコンセプトにピッタリです。山形響にとっても、すっごい宣伝になる、オケだけじゃなくって、山形自体の宣伝になる。実際、山形特産もののプレゼントまで用意されてるは、MCには、オケの事務方のおえらさんが当たるという、至れり尽くせり。おまけに、そのMCの方、関西フィルから転身された人で、高槻生まれ、枚方を知る人ときてる。また、この人の話が上手い。大阪のノリを入れながら話されるものだから、通常のコンサートには生まれない笑いまで、しっかり取るのだから。正直、乗せられてしまい、来年の山形響の大阪公演に行こうかなの気分にさせられてしまってました。特に、来年は、モーツァルトの「戴冠ミサ」をするそうだから。おい、おい、ええ曲、持ってきすぎや! そうしたプログラミングが良かったのも、今日のコンサート。「名曲コンサート」と名乗っているが、これ、ホントの「名曲」や、世間で、よくある「ポピュラーな曲」=「名曲」でないプログラムだった。そのプログラムとは、次のようなものだった。「モーツァルト: ディヴェルティメント第3番 へ長調 K.138(abcd)」「コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7より第1楽章(bd)」「イザイ:2つのヴァイオリンとヴィオラのための三重奏曲‶ロンドン‶ op.35より第1楽章(abc)」「ハルヴォルセン:ヴァイオリンとヴィオラのための〝ヘンデルの主題によるパッサカリア〝(ac)」「ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115(abcde)」。演奏されたのは、次の方々でした。平澤海里(コンサートマスターa)、堀越瑞生(第2ヴァイオリン首席奏者b)、山中保人(ヴィオラ首席奏者c)、矢口里菜子(チェロ首席奏者d)、川上一道(クラリネット首席奏者e)。モーツァルトとブラームスに挟まれた3曲が、雰囲気が違い、とっても色変わりがいい。野卑でもあり、素朴でもあり、演奏技巧に凝っていたり、変化に富んでいた。当初は、ブラームスを生で聴けるのが、嬉しくて行ったんだけど、とんでもない副産物をいただけた。演奏者で、特に印象に残ったのは、クラリネットの川上さん。とっても伸びやかな音色に好感。明るい音色がユニークだけど、ブラームスを出そうと頑張っておられた。皆さん、実力が拮抗していると看え、バランスのいい演奏にも好感をもった。5人の皆さん、MCの方から無茶ぶりも含めて、インタビューを受けられたんだけど、ヴィオラの山中さんは、レーゲンスブルクにおられた方だそうで、この山形響で、阪さんと再会されたようです。阪さんについては、京都出身だけど、ご両親は山形の出だそうで、そんな縁も山形響にはあるそうです。びわ湖ホールの方が、阪さんは、滋賀県在住だというのと同じです。指揮者は、住むところも考えなければならないですね。
 「ブラタモリ」の新作は「北九州編②」。前回に続き、やっぱ、行ったところには気が惹かれる。今日の主役は若松と八幡。こないだ北九州に行ったとき、若松港界隈を歩きたかったんだけど、時間の関係で断念したんだけど、番組で、黄紺の替りになったかのように、港というよりか、断崖上のような箇所に建つ、当てた人たちの住居を見せてくれた。そして、お約束の八幡製鉄所跡になるんだけど、ほとんど、門司に決まりかけていた官営製鉄所が、政治力で八幡へと動いた話は生々しい。ここでも、筑前と豊前の相克は続いていた。その後の発展の中で、辛うじて戸畑は触れてもらえた。でも、そこだけだった。終盤は、北九州市誕生の背景、それは、筑前と豊前の相克を超えてしまうものだった。やっぱ、金だね、世界を動かすのは。洞海湾という特異な地形については、ついに出てこなかったが、地図が出てくるたびに、あの形状が気になったけど、同じような人、絶対、いると思うのだけどな。次回は「秋吉台」。ここまで触れなかったのが不思議なくらい、遅い扱いだけど、そのわけも判るのかな? そういった意味でも楽しみなのです。


2023年 10月 13日(金)午後 10時 8分

 今日は、朝からのお出かけ。金曜日ということで、アスニー京都での市民向け公開講演会だ。今日も、この間続いている「双京構想連続講座/京都ゆかりの歴代天皇③」ということで、大変な入り。今日のお題は、「江戸時代の京都と天皇」というもので、京都産業大学教授の若松正志さんのお話を聴くことができました。若松さんの問題立ては解りやすいもの。江戸時代の京都にせよ天皇にせよ、いずれも目立たない。それは、全く同感。日本の中心が江戸にシフトし、大坂は天下の台所で名を馳せたのに対し、確かに、京都は御所はあっても表舞台には出てこない、幕末を除いて。そこで、若松さんは、人口数を示し、イメージ的に印象が低い割には減っていない。むしろ、江戸が異様な急上昇をしているだけを示し、ならば、京都は、江戸時代には、どのような位置を持っていたのかを、実証的に示されていった。ドイツ人ケンペルの日記を使われたり、黒川道祐の「雍州府志」の記述、「都名所図会」のような観光案内書、滝沢馬琴の「羇旅漫録」から京都を引っ張り出されていった。そういった中から出てきた京都は、産業都市、商業都市としての京都、これは、 優れた京都ブランドにより支えられている。これは理解できる。それを裏から支えるのが朝廷、所謂「御用達」というやつで、究極の重しがブランドに付いているというのだ。江戸時代は、一大観光ブームの時代だったというのは周知の事実、そういったなかで、京都は絶好の観光地だったというわけだ。ましてや、現在残っている歴史的建造物の多くは、由来は古くても、実際の建造物は江戸時代に由来するものが多い。知恩院、清水の舞台を上げられてたけど、東寺の五重塔もそうですよね。観光スポットができた、その由来が古いとなると、そそるものがあるというのだ。確かに、それ以前の時代のように、日本の歴史の根幹に関わるような出来事には関わってはいないが、異なった顔を持ち、立派に存在感を持っていた。
 江戸時代、天皇が目立たなかったのは、やはり、幕府の存在。政治の実権が、そちらに移ってしまった。実際、朝幕関係を規定するものがあったというところから、こちらのお話は始まった。「禁中並公家諸法度」がそれだ。幕府が、朝廷を統制し、天皇の仕事を、学問と和歌と規定したのだ。更に、この法令で、親王・大臣の序列が規定され、官位の昇進、衣服なんかまでもが規定されてしまった。だから、その中で、時期を大きく分けながら、天皇の動きをチェックされていった。ただ、時間が少なくなり、一番肝心な部分がはしょり気味になってしまった。よくある話です。朝幕関係で、一番の緊張があったのが、後水尾天皇のときの紫衣事件。高僧の衣の色についての指示を天皇が出すと、諸法度に反するということで、天皇の指示が撤回させられた事件だそうで、これで、諸法度による統制が揺るぎないものになったそうだ。でも、基本的は、朝幕関係を揺すらない限り、幕府は、朝廷を尊重し、支援をしていったはずですよね。いい御所も作ってもらったし、朝廷と関係の深い東寺の再興にも貢献してもらったしと、そのはずですよね。霊元天皇、桜町天皇、後桜町天皇と続く中期は、朝幕関係は協調の時代。それを経て、江戸後期、その関係が変わっていく。それが、天明飢饉のとき、打ちこわしなんかが起こった江戸なんかに比べて、京都では、町人が千度参りをして、朝廷の保護を求め、また、朝廷も施しをした。ちょっとした政治に関わってしまった。更に、そういった主旨の申し入れを幕府にするという異例のことがあったそうだ。これが、幕末の天皇の浮上のきっかけだと言われていました。この辺が、とってもはしょられたので、しっかりとは判ったとは言えないけど、そんなことだった。レジュメには、いろいろと書いてあったけど、ほぼ割愛。最後に、ちょこっと、朝廷文化の拡がりというトピックを取り上げられ、古今伝授ネタに触れられた。これ、昨日の講演で、初めて知った重要なターム。これ、具体的に教えて欲しいんだよね。人的流れとして、この時代は、天皇が受け継いだようなんだけど、そもそも古今伝授の奥義が判っていない。なぜ秘伝なのかということすら、解っていないのだ。尻切れもいいとこだけど、ま、お話された流れは判ったつもりだ。
 今日も、弟が来ていた。弟は、午後の有料講演会も申し込んでいた。じゃ、それまで付き合おうと、アスニー京都の入っているビルの1階にあるレストランへ。後ろの爺さんのテーブルを見ると、ビールが置いてあったので、ビールも1本注文。飲むと寝てしまうと、午後の講演会を気にする弟に、少しは飲ませ、あとは、自分で平らげると、昼飲みは回る。2人とも饒舌になり、結局、そこで1時間半以上、喋ってた。黄紺は、そのまま帰宅。1時間ほど休憩をして、皮膚科の医院へ。今日行っておかないと、韓国へ行く前に、時間が取りにくいので行くことにしたのだった。


2023年 10月 12日(木)午後 10時 28分

 今日は、午後からお出かけを入れていた日。そこで、午前中のウォーキング時に、この週末に会うDとSに渡そうと、ちょっとしたお菓子を買いに行った。こうしたとき、駄菓子を買いに行くことにしている。面倒だけど、2人が喜びそうな小物を、いろいろと選ぶ。同じものを、同じ数だけ買わないと、ケンカになるのが見えているので、籠を2つ持ち、同じ数だけ入れて行き、別々の袋に入れてもらう。レジが、めっちゃ大変だけど、仕方がない。それを買いに行くと、午後のお出かけを考えると、歩きすぎになってしまうけど、今日しか、買いに行く時間がなさそうと思い、頑張った。結果、夕方、帰宅して、万歩計を見ると、19800歩と、最近では驚異の歩数となっていた。
 そうなるのは、お出かけ先が京都学・歴彩館だったから。ここの往復はウォーキングを兼ねている。帰りは、三条まで歩くことが定番だから、どうしても多くなるのだ。ま、それは、いいとして、今日は、こちらで、「天橋立世界遺産講座 第3回」として、「天橋立と能″丹後物狂″」と題した天野文雄(大阪大学名誉教授)さんのお話を聴けるというので、飛びついた次第。宮津市が行っている講座なんだけど、以前ほど、歴彩館に行く頻度が多くないことから、この講座の情報を掴めていなかったため、前の2回は行けなかった。天橋立を世界遺産にしようと盛り上げるイベントに関わらず、広報活動が乏しいような気がしてしまってます。KBS京都の「まーぶる」では、都合が付けば知事まで出てるのに、この話は聴いたことがない。ま、府の活動じゃないけど、支援はしてるとは聴いてるのになと思ってしまってます。「丹後物狂」は、現行曲ではないけど、近年、観世流が復曲をしたとの情報は持っていたから、まず、この曲が取り上げられる、無論、天橋立が舞台だからだけど、復曲能が取り上げられるという、有難い機会を得たことになるという点、そして、それに関わっただろうことが想定される天野さんが話される、えらい大物を呼ぶものだと驚きました、ホント。だけど、下敷きがありました。この復曲の試演が、舞台となる智恩寺で上演されたことがあるそうで、その機に行われたシンポジウムなんかには、天野さんも参加されていた由、それで、納得できました。が、その天野さんの話はダメだった。こんな人だったかなぁ。1度ならず、この人の話は聴いているんだけど、こういった機会での講演は、軽視されたかなと思った。だって、自分が、かつて書いた文章の抜き刷り、新聞報道の抜き刷り、それと、詞章全部(これは儲かったが)を刷り、その部分部分を読み進めるという進行。どうやら、試演時の映像を用意されていることが、半ばで判って来たのだけど、結局、はしょって最後だけ、少しだけ見せてもらえただけ、しかも、その映像に、天野さんが、詞章の解説部を読み上げるものだから、何を言ってるのかは判らない、演能の視聴にもじゃまにもなるしと、もう散々。途中、席を立つ人が多かったなぁ。「失礼だろ」ではなくて、「だろうな」だった。そんななか、「丹後物狂」については、メモっておかねばなりません。いくら、講演が酷いものでも、その端から漏れてくる情報は逃すわけにはいきません。以下の諸点です。「数の少ない男物狂もの」「作者は井阿弥(せいあみ)、世阿弥の記述がある、いい能としている、井阿弥は世阿弥より少し上だが同時代と言える」「詞章に医学に関わるものが出てくるので、その方面に通じる、義満の側にいた人物、能役者だったと考えられている」「義満は、記録に残っているだけで、6回も天橋立を訪れている、年に2回なんて年もある」「本説はなく、そういった義満に捧げる曲として作られたことが考えられる」「詞章には、子どもをなくした夫婦の嘆きとなっているが、世阿弥が、上演時に1人の方がいいとしたことから、夫(シテ)だけしか出てこない」「直面の現在能」「天橋立での上演は、シテを観世清和、ワキを福王和幸、主アイを山本東次郎という豪華版」「詞章再生は松岡心平さんが担当したようだ、節付けは大槻文蔵が担当、初演は浅見真州のシテ」「シテは父親、主アイの下人、子どもの子方で推移するのが前場、後半になりワキが登場、役柄は、身を投げた子どもを助けた男、里人がアドアイ、子どもは、成長しているはず(立派な僧になり説法する場面まである)なのに、子方が演じ続ける」「最後は、再会となりハッピーエンドになるが、それは、〝橋立の大聖文殊の利生‶と捉える、そこで、シテと子方は、舞台の背後にある智恩寺本堂に向かい手を合わせる、と、その本堂の扉が開き、ライトアップされた仏壇が出てくるという、まさかのテント芝居の展開!」。これだけ情報がもらえたから、許しましょうか。いやいや、それは甘いな。


2023年 10月 11日(水)午後 10時 21分

 今日は、朝からお出かけ。水曜日ということでアスニー山科、そして、その後、地下鉄で東山駅まで移動。京セラ美術館に行ったのだが、その前に、駅の近くにあるネパール屋さんで昼食。このコースの際の定番化しようと思っている。前回行ったときと比べ、メニューが一新されていたように思えた。きっちりを押さえているわけではないから、単に、メニュー表だけが一新されていただけかもしれないが、「夏カレー」「タロカレー」なんてのがあった。夏は過ぎてるしと、メニューにはあったが止めて、タロカレーなるものを注文。タロイモって、南の地方の植物のはずなんだけど、ネパールにもあるのかないのか知らんけど、注文してみた。めっちゃ植物繊維だらけのカレー。ナンを突っ込み、付けながら食べようとしても無理なほど、繊維だらけ。菜っ葉が、めっちゃ煮込んである。そう言えば、出て来るまで時間を要した。美味しいとか、美味しくないという感覚が出てこない。特に味があるわけでない繊維をフォークで救い、ナンに乗せて食べていた。付け合わせのピクルスのようなもの、サラダも、大胆に、キュウリと人参の薄切りが重ねてあるだけと、めっちゃローカルな感じ。だから、珍なるもの食ってるという勢いで食べ進めた。前に行ったときも、最近、日本人の口に合うように、甘い口当たりのカレーを出す店が増えている、ま、それはそれで、美味いんだけど、このお店、そんな生易しいことをしない味を保ちつつ、具材にも変化持たせてくれていた。贔屓にすることにしよう。ポイントカードももらったこともあるのでね。
 アスニー山科での市民向け公開講演会は、「文人としての徳川家康―文武の“二刀流”―」というお題で、京都産業大学日本文化研究所長教授の小林一彦さんのお話を聴くことができた。風貌は覚えてなかったが、お話の調子を聴くと、すぐに去年も聴いたことを思い出した。取り上げられたのは家康、そか、今年の大河は家康だったんだと、世間が源氏物語に流れているため、すっかり失念してしまってた。取り上げられた個々の人物や史実は、正直、日本史のハードルが高い黄紺には、かなり手強いものが並んだが、お話の筋立ての骨子が明確なため、それを、実証的に話されるには、そういった知らない個々の事柄は我慢しなければならいこと、事実、それでも、しっかりと内容の把握ができた。そして、とっても興味を惹かれるものでした。お話は、家康の年譜を追いかけながら、その文人ぶりを説かれていった。「家康が、今川の人質生活を送ったことは、黄紺も知っているが、ここで、文人としての教育を受けている」「今川家の三男だった義元の優秀さを見抜き、後継に推し、自らも、そのブレーンになった太原雪斎に、駿府の今川の下で師事、しっかりとした教育を受けたということ=文人としての素養を持つ」「朝鮮出兵の際、名護屋城で藤原惺窩(せいか)に会う、惺窩は、定家の流れを汲む下冷泉家、朱子学の主流をなす、京都学派の祖、門人に林羅山ら、そうそうたる学者を輩出」「その惺窩を、江戸に招請、その縁か判らないが、冷泉為満は、定家筆遍照集を家康に献上している」「家康は、様々な出版活動を支援している」「駿府に移った家康は、林羅山を引見、以後、家康の近侍となる、御用学者になった」「冷泉為満から、駿府で、″古今伝授(和歌の秘伝)″を受けている」「本阿弥光悦に鷹峯の土地を与え、保護、ここに芸術村が成立、絵師などが集まる、これが″琳派″」。和歌などの文献を集め、また、それを、家康自身が書写していたりしている。その資料が、徳川美術館などに残っているので、画像で見せていただけたり、「源氏物語」のテキストの基になっているもの(関東版)を保持していたりと、その文人ぶりを紹介いただけた。そして、それらの文化財が、その後、どのように流れて行ったか、僅かの例だったけど、紹介をしていただけたものだから、耳がダンボになっちゃいました。絵画の世界のパトロンでもあったということで、琳派形成のきっかけ話、これは興味尽きない。琳派も、それに応えて、「宇津谷(うつのや)」のモチーフを、繰り返し描いている。この峠を越えると駿府に入るというところであり、且つ、それで、拝領した土地への感謝を表したと言っておられた。ここは「蔦の細道」とも言われるということで、琳派が「蔦」をモチーフとして描いた場合は、この地を想起させるのだそうです。なるほど、「蔦」が出てくる! だから、最後に、「家康は一流のプロデューサーだった」と、まとめておられました。日本画に関心を寄せ始めているということで、特に、最後の「蔦」ネタは、ぎんぎんに響いてしまった。レジュメを見ると、まだまだ、プロデューサーぶりを示す事例を用意されていたことが伺われます。時間の制約があることで、悩ましいところだけど、全部、聴いてみたかったね。残念。
 京セラ美術館の方は、今、3つほど展覧会があるんだけど、今日行ったのは、「井田幸昌展 Panta Rhei|パンタ・レイ―世界が存在する限り」。井田幸昌というアーティスト、全く知らない人だったけど、こういった形で取り上げられる現代アートの作家さん、誰かが評価してるはず、だから、何がおもしろいのか観てやろうという、この気が出てくるので、基本的には、岡崎の2つの美術館である、現代アート系の展覧会は、全部、観るつもりでいる、その一環で行くことにしたもの。井田幸昌という人、絵を描くばかりか、彫刻、それも、土をこねり合わせるだけではなく、木彫もやってしまう。ただ、どれを観ても、テイストは一貫していた。それは、2次元であろうが、3次元の作品であろうが、形状、色彩が安定していたからだろう。ということは、狙いは共通、通じてるんでしょうね。このコンセプトには、この手を使うということをしてないということ。冒頭、ポートレイトが並ぶ。同じテイストの作品が、展示室のサイドの壁左右に、等間隔に並べてあった。ただ、その展示室、先細りになっている。だから、全貌を見渡せるのは入口だけど、出口方向から作品群を眺めると、全貌が判らない、傾斜が急なため、そうなってしまう。キャンパスには絵の具が盛り上がっている。原色系の絵の具が使われているから、壁の白さもあるけれど、とっても明るい。それに、形状は、手振れ写真のような印象。そうだからか、時間を感じさせる、しかも、瞬間というほどの短い時間の経過だ。黄紺の頭に過ったのは、ボン歌劇場で観た、イエンス・ダニエル・ヘルツォークのプロダクションの「ボエーム」。時間のずらしを、舞台に出して見せた演出で、観る方からして、「偶然性」「一期一会」というタームが、頭をうねり回したものだった。それと同じだと思った。色も形状も、そういった抽象性を表しているようだった。先に書いたように、この人の作品、表現手法はいろいろあっても、コンセプトは同じだと思ったので、この根本を表していると思った。偶然を必然、ちょっとした流れと捉える人間の性のようなものでしょうか、実際、社会性の中身って、そうなのかもしれないけど、それに意味づけたりしてるのが、人間の社会ってこと、これ、表そうと腐心してると看てしまいました。世界の名作いじりは、福田美蘭で観てきたところ、あれは、解りやすく、時間のちょっとした経過を意識させ、時間的にも空間的にも拡がりを見せてくれていたが、それと同じように観てしまったのだ。それを、若干、伸ばしたのが、365日の日記のような作品じゃないかな? デッサンが、しっかりしすぎているので、もう、やりたい放題で、やりたいこと、表現したいこと出し切っていると思わせる展覧会だったな。と書いて、当たってるはずがないと思ってる。アートって、何かを見つけた気分にさせてもらえば上出来じゃないかな。そういった知の刺激をいただいたわけだから、得難い体験をしたということなんだから。ホントだと、キュレーターさんが書いたと思える解説文との照合をして、再度、フィードバックをすればいいのかもしれないけど、その文章が難解で無理ですね。


2023年 10月 10日(火)午後 8時 39分

 今日は、お出かけなしの火曜日。だから、洗濯日に決めていた。更に、韓国旅行の資料作りをすることも決めていた。朝、時間にゆとりがあったので、洗濯をする前に、資料作りにかかると、どうしてものめり込んでしまう。特に、今回、初めて宿を取るつもりのテジョンは、街中の繁華街を歩ければいいかと考えていたのだが、なかなかどうして、遊ぶところが、どんどんと見つかって来た。今まで、テジョンを起点として動いたことが、ほぼゼロなので、出てくると、どっこも行ったことのないところ、いや、知らないものばっか。そのはずで、探そうとすることがなかったわけだから。気が付くと、早めに洗濯をして、ウォーキングもして、「まーぶる」を聴きながら、資料作りに入るつもりが、あっさりと失敗。替りに、テジョンの資料は、たっぷりめに集まった。だから、テジョンには、あまり時間を割かないつもりだったのが、方針変更です。それと、今回、日程作りに失敗したなの気になってきている。航空券の都合で、最近は、土日を入れない日程だったのが、入れてしまったのです。となると、秋の行楽シーズンの真正面から当たる、しかも、皆さんが行きそうな場所ばかりを選んでしまってることに気が付いた。かつて、チョングプ(井邑)泊にして、紅葉を観にネジャンサン(内蔵山)へ行き、人が多くて、人を観に行ったことになり、別途、行き直したこことがあったのを思い出した。ま、そうなったら、そうで仕方ないとの気で行かねばならないということですね。
 午後は、Radikoで「まーぶる」を聴きながら、資料作りの補充、そして、今の時点でできたものを印刷。今回も、事故に備えて、ペーパーで持って行く。先日の名古屋行きにも、同じことをして、ほぼ使わなかった。ほぼというのは、スマホを使うより、ペーパーを出した方が早いというときだった。「まーぶる」では、昨日、ネタ下ろしをした「まめだ」のストーリーを半ばまで紹介していた。名古屋ではなく、巣鴨がネタ下ろしの場だった。ま、そうだろうね。ゲスト枠は九ノ一だったようだけど、最初に上がった二葉が、マクラを込みで「崇徳院」を50分もやり、しかも、お囃子の場から動けないため、九ノ一が、トイレに動けなくなり、アクシデントが起こったようです。主催者のTwitterを見ると、九ノ一は「植木屋娘」を出したようですね。この出番は、二葉絡みでのものだったけれど、東京での評価が上がっていますね。二葉は、次は「天神山」です。既に、ネタ出しをしているというのは伝わってきているので、驚きはしなかったけれど、長い噺、稽古する時間が取れるかが課題だけど、出しちゃえばやらないわけにはいかない、自分を追い込む作戦のようです。同じ春のネタなら、フルヴァージョンの「貧乏花見」って、二葉に向いてないかなと思ってしまった。「百年目」にも色気を見せるような物言いをしているのを聴いたことがある。次に何をするのか、それだけで、話題になりそうな雰囲気です。


2023年 10月 9日(月)午後 9時 13分

 今日は、3連休の最終日とか、関係ないけど。それで、午後にイベントがあったので、申し込んであった。これが、大津までのお出かけだったので、ウォーキングも兼ねることができるということで、午前中のウォーキングは、若干、控えめ。それで、終わってみると、万歩計には16000歩と出ていた。計画通り、最近じゃ、多い方になってしまってる。お天気の方は、明け方、凄い降りだった。今朝も、午前3時に目が覚めたままだったので、良く知っている、その降り方。陽が明け、雨も止んだので、もう降ることはないと決めつけて、午後のお出かけは傘を持たずに出て、失敗。確かに、帰り道は、ウィンドブレーカーのフードの世話にはなったけど、霧雨のような降り。自宅最寄駅に着いたときには止んでたので、ほぼ被害はなし。被害という点では、午前中のウォーキング時に、もうかなり雨が止んでから時間が経っているから大丈夫と、草むらを歩いたら、靴がずぶ濡れ。上から水が靴の中に入って来てしまった。草刈りが進んでない道だったけれど、そんなには草は伸びてなかったんだけど、最低でした。
 午後のお出かけ先はコラボしが21、びわ湖ホールの向かいだ。滋賀県の催しが行われる定番の会場。ここで、「‶北の近江″の仏像の魅力」と題した「新・琵琶湖文化館に関する県民フォーラムⅢ」があった。琵琶湖文化館のリニューアルに向けてのイベントだ。こんなイベントがあるということは、琵琶湖文化館の再開は目前に迫っていると思ってたら、何てことはない。施工業者の選定が終わり、いよいよ建設に向かい、5年後だったかな、再開は。確かに、滋賀県美のリニューアルでは「不落」なんてことがあったから、はしゃぎたい気持ちは解るけど、はしゃぎすぎだと思った、早すぎる。しかも、「Ⅲ」となっているということは、既に、このイベントは始まっている。そう言えば、行ってないけど、何かで見た記憶が、ちょこっとだけ蘇った。更に、しかもを書かねばならない。「コラボしが21」は本会場ではないのだ。本会場は東京、それも、「ここ滋賀」という滋賀県のアンテナショップ内のレストランがそれ。気になったので、HPを探した。場所は、日本橋高島屋のほん近く。すぐ近くには、山口県のアンテナショップもある。入口には、信楽の狸が置かれている。レストランの目玉は近江牛だって! そのレストランが本会場で、黄紺の行った先はサテライト。Zoomで繋いだ本会場でのお話を、大スクリーンで観るというのが大津会場。お話をされたのは、お名前をメモし忘れたが、東京国立博物館の方と琵琶湖文化館の方。お二人の対話形式で、北近江の仏像紹介が行われたのだけど、ほぼ居眠りをしていた。記憶に残っているのは、東京国立博物館の方は守山市出身だということと、今回のフィールドとなった北近江には、薬師如来の立像が多いということと、それは、天台宗の傾向だそうで、さすが、比叡山のお膝元だということだけ。スライドで、十一面観音像なんかを見せておられた記憶はあるが、全然、大事そうなメモも取れてない上に、お話は頭に残っていない。何をしに行ったんだ、大津まで! でも、東京にアンテナショップを持っているということを知ったことは収穫。今度、東京に行ったとき、表の狸の写真を撮ってこようかな。


2023年 10月 9日(月)午前 5時 30分

 世間では3連休に入っているようだ。その2日目の日曜日。午後に出かけることにしていた。秋本番ということで、美術館で、続々と、新たな展覧会が始まってきている。そこへさして、韓国や東京に行くもので、なかなか、行きたくても行けないというのも出てくるかもしれないということで、日曜日なのに美術館に行こうと考えていたのだ。それがお出かけ予定、朝は、日曜日ということで、「日曜美術館」が流れるとあって、そのお出かけは、午後の遅めの時間に出かけようとした。ちょっとした隙間の時間に、韓国旅行のホテルを押さえようとした。コロナ禍を経て、韓国の旅行事情にも変化があるかもと、予約を入れようと考えたのだが、いつものように、「booking.com」「agoda」を突き合わせて選んでいこうとしたのだが、数が少ない。そんなに宿が少ないわけはなかろうと、勝手知ったるスウォンでチェックを入れてみた。やはり、似た状態だ。そこで、Googleで、マップからホテル検索をしてみると、黄紺の記憶に似たホテルの件数が出てくる。ということは、今まで通り、飛び込みで行こうの方針でいいのではと思っている。ひょっとしたら、検索では、そこそこ数が揃った、但し、これは、今年の1月の経験だけど、釜山くらいは予約を入れるかもしれない。その方が賢明かもしれないね、観光客も多いことだし。なんせ、釜山で定宿にしていたホテルが、更地になってたもんで。
 「日曜美術館」のお題は「棟方志功 板の生命を活かす」。放送では言ってなかったが、調べてみると、東京国立近代美術館で、「生誕120年 棟方志功展」をやってますね、どうやら、それに合わせた番組だったようだけど、冒頭で、まず、びっくりさせられた。8月の福岡市美術館で観た「二菩薩釈迦十大弟子」が出て来たからだ。生で観たときのメモを読んでみると、かなり圧倒されている。「お見事、楽しい」なんて、自分で書いていた。海外で、大きな反響を呼んだ作品で、代表作だと言っていた。それをいきなり観たんじゃ、圧倒されるわけだ。いつだったか、東本願寺関連のスペースで、作品の写真の展示があったはず、よく覚えてないが、この人、仏教経典に出てくる挿話や教えを基に作品を作っているという印象が残っていた。それを、文字で作品に書き込むというのも、独特のスタイル。視力に問題があったようで、彫る板に目を近づけて制作をする姿は、かなり有名だから、黄紺でも知っている。キャラクターは、頭に入っているが、その作品となると、福岡市美術館で観るまでは、具体的に頭に描ける作品はなかった。いつもだと、作家のキャラも、作品も、評価も、ほぼ知らない状態で、番組に遭遇することが多いのだけど、今回は違う、作家は知っている、だけど、個々の作品は、ほぼ出てこないという状態で視聴を始めた。番組で出てきた作品をメモっておく。①二菩薩釈迦十大弟子②萬朶譜③大和し美し(ヤマトタケルを描く、絵と文字が混然、文字が雨だれのように彫られた)④善知鳥板画巻(能“善知鳥”を31点の版画絵巻にした、黒と白の対比、白は単なる下地ではない)⑤光徳寺襖絵(富山県、福光には、昭和20年から26年まで住む)⑥鏡渓頌(裏側から彩色、人物の多くは裸婦、身体を黒、白い線で身体の輪郭を取るという手法は初めて、こちらの方がボリューム感が圧倒的に出る)⑦女人観世音菩薩(岡本かの子の文に触発されて彫る)⑧大蔵経版画柵(仏教の6大教典を裸婦で表す)⑨不来方板画柵(宮沢賢治を版画に、吉井勇の歌に合わせる)⑩谷崎の「鍵」の挿絵⑪大首の柵(その後の女性画の基)⑫弁財天妃の柵⑬東北経鬼門譜(昭和12年34歳のときの作品、故郷を初めて描く、6曲1双、東北の苦難を仏の力で救うことを求める、屏風の分かれ目に仏像、自らの身を割って救ってくれるように祈った、ゲルニカと同じ年に制作)⑭花矢の柵(青森県庁の壁画、青森からの命を南の方に)⑮飛神の柵(おしら様〈白い顔、身体に文様、東北の民俗神〉、故郷への強い思い、世界に受け入れられても故郷に受け入れられていないという故郷への片思い)⑯捨身飼虎の柵(72歳、最後の大きな作品、釈迦が、自らの身を捨て、虎の親子を救う、金の彩色で荘厳な雰囲気)。この番組のおかげで、東京旅行のときに行こうかという美術館の有力候補の1つになりました。
 午後のお出かけは細見美術館。こちらで、新たに「開館25周年記念展Ⅰ 愛し、恋し、江戸絵画 ~若冲・北斎・江戸琳派~」という展示が行われているのです。この美術館、コスパが悪い、早い話が、作品数に対して、入場料が高い。知っている人は、だからか、あまり行かないのかもしれない。また、今回の展示で判ったのだけど、これは、先日の名古屋でも知ったことだけど、所蔵品には限りがあるので、展示が繰り返されてしまう、だから、既に観ているということが起こるためか、そんなに混まない美術館。だから、日曜日に行ってもいい美術館と、自分にはインプットされている。ただ、ここの美術館、琳派なんかのいいものを持っている。今回も、若冲の「糸瓜群虫図」「群鶏図」「雪中雄鶏図」が出ていた。自分的には、若冲を、まとめて観たってことはない。単発的に展示されている場合だけで、今回は、数的に、一番多いかもしれない、一挙に観たという意味で。そして、唸った。確かに、人気が出るわと。凛とした線の潔さのようなものを感じた。優れた写実、構図、色彩など、目に付くポイントは多々あるだろうけれど、自分的にはそう思った。で、それが好きかと言われると、ちょっと背筋が伸びちゃうなぁ、こんなの見せられるととも思った。もうちと、リラックスして鑑賞してみたいなと思うのだ。糸瓜や鶏の線を観て、そんなことを考えてたけれど、だけど、痺れるわけは理解したつもりになった。この名品が、展示室①と②に分けて置かれているものだから、ハレーションを起こさないような展示になっていると思った。掛軸を並べ、小ぶりの作品を並べるという配慮。描かれている素材も、穏やかなものが並んでいた。酒井抱一や鈴木其一、更に、葛飾北斎の肉筆画が置かれていてもだった。中には、酒井抱一の「松風村雨図」や葛飾北斎の「五美人図」「夜鷹図」のように、既に、こちらで観ているものもあったから、そのように感じたのかもしれない。そういった中で、1つだけ、チカチカとハレーション気味に目に入ったのが、鈴木其一の「朴に尾長鳥図」。「糸瓜群虫図」と色彩が似てたからでしょうか。「垂らしこみ」と言われる技法の粋が凝らされた名品だからでしょうか。若冲ものに戻ると、「鼠婚礼図」や「仔犬に箒図」「海老図」といった小ぶりのものもあった。先に上げた3点に比べると、言われなければ、同じ作家のものとは、黄紺的には思えないテイストの違いがあります。それだけ、多彩な作品を残しているということなんでしょうか。そう思うと、より多くの作品に触れたくなる気持ちが湧いてきます。ここまで書いた作家以外では、池田孤邨「小鍛冶図屛風」、鈴木守一「業平東下り図」という再遭遇ものを含めて数点。池大雅の「児島湾真景図」もあった。中国の絵画作品のようです。能関連では「松風」「小鍛冶」があったわけだけど、自分のイメージがあるものだから、なかなか対話まで行かなかったな。「伊勢物語」だと、下から見上げるように観てしまうけど、能から採られていると、対話をしたくなる。ときには上から目線で観てしまうという不遜なことをやらかす。そうすると、なかなか直ぐには鑑賞できないことになってしまいます。生意気な話です。


2023年 10月 8日(日)午前 6時 54分

 昨日は、朝から出かけて、帰って来たのは、もう暗くなっていた午後6時前。要するに、午前の部に午後の部と、ハシゴをしたのだ。この間が2時間あったので、午後の部の障りにならないと判断して、ウォーキングがてら、徒歩移動、しかも、その途中に、ええもん食べよかという計画。京都市中だから、適当に見つけることはできるだろうけれど、気に入る店に入らないと、こういった機会を無駄にすると思い、狙ったのは南インドを掲げたインド屋さん。だけど、人気が高く、開店間もないにも拘わらず、はや満席で断念。そこで、もうググったりして調べないで飛び込もうかとも考え、少し歩き出したけど、ま、もう1回、ググってみようかと思い、やってみると、歩いている少し先に、新たなインド屋さんが出現。日替わりカレーを尋ねると、「おからとジャガイモのカレー」と言うので、さすが、それはいいやと言いかけると、「おから」でなくて「オクラ」だと訂正が入り、それをいただくことに。ついでに、どの言語がネイティヴかは分からないんだけど、「あなたの言葉で、オクラは何て言うのですか」と尋ねてみたが、「バーミヤ」ではなかった。どうしても、北インドの言葉に、トルコ語が入っているケースがあるものだから尋ねたくなるんだなぁ。
 午前の部は京都文化博物館。先日も行った「もしも猫展」の関連イベントとして、講演会「国芳、猫を描く」が行われたのだ。そもそも、この展覧会を企画された名古屋市博物館学芸員の津田卓子さんのお話を聴けるということで、飛びついたものだった。フィルターシアターが、ほぼ満席になる盛況。ギャラリートークのときも、人に溢れていたので、この盛況には納得。お話は、ほぼ展示の筋立てで進んだ。江戸時代の猫ブームのトピックからスタート。その前には、源氏物語の柏木のエピソードが出てきて、あのエピソードは、江戸時代では、誰しもが知るものだったとか。それと、庶民のレベルに飼い猫が入って来たわけが触れられた。ネズミ対策ということで、それまで、ハイレベルな楽しみであった猫が庶民の手に入るようになった。高額な猫の売買を禁止するようになったとか。それとネタ振りとして、猫に関わるタームの紹介。作品の中に、様々なモチーフが使われますからね。展覧会を観たときに判らなかった猫と蝶の関係。これが「長寿」に繋がるのは、中国語の語呂合わせで、そうなるとの解説、至極、納得。そうした序のお話から、「異類」「擬人化」という本編のお話へ。猫が描かれる、この展覧会の主題である描き方の根本になることですね。その中で、緻密だったのは、擬人化の中でも、猫は、決して主役ではなかった。それがそうなった節目が天保の改革だった。ただ、講演後の質疑応答で、節目だったが、それ以前から、国芳は、猫の擬人化の試みをしていることが、最新の研究成果として出てきているそうだ。だから、天保の改革で大きく展開されると言う方が適切らしい。その中のヒット作が「おこまものがたり」だということは、展示を観ているので、ようく解っていること。そして、猫で国芳が当てる。津田さんは、展示にもあった雀の擬人化絵と比べて、猫で表現することの、表現の幅の豊かさを指摘されていたけれど、確かに、猫と庶民の親近性だけじゃなくて、猫を使うことで擬人化がスムーズだということはある。だから、国芳が猫で当てたから、それが、また、他の作家にも伝染していったようだ。いや歌川一門の十八番のようになっていった。その国芳のアイデア満載の表現法の数々が、最後の締めくくり。着物柄に蝶が舞ってたり、看板の縁取りの柄が鰹節だったりと、遊び心満載のアイデアが盛り込まれている、これも、展覧会で確認済。ギャラリートークも聴き、もちろん、展覧会も観てからだったから、とっても解りやすいお話でした。奥が深い世界だ、同じ遊びにしても、シャレでも追いかけると奥へ奥へと引き込まれてきます。
 午後はアスニー京都でのコンサート。毎月、行われているコンサートだが、黄紺は、年2回ほど行くかな。今年度は、自分の予定の都合で、昨日の1回だけになりそうだけど。で、昨日は「京都市交響楽団コンサートマスター、泉原隆志 ヴァイオリンリサイタル」という超目玉のコンサート。また、プログラムは、とっても本格的なものだったこともあるのか、普段、アスニー京都では見かけない、若めの層も詰めかけていた盛況。泉原さんは、ピアノに河内仁志さんを迎えることができたからと、複数回、この重ためのプログラムを組んだわけを話されていました。確かに、ベートーヴェンやピアソラなんかは、素晴らしい演奏をされてたんじゃないかな。ピアソラを演奏したあと、「河内さんじゃなかったら、こうはいかないものですよ」とまで言われていました。後先が逆になったけれど、プログラムは、次のようなものでした。「ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第3番」「ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番」「ガーシュイン:歌劇″ポギーとベス″組曲」「ピアソラ:天使のミロンガ」「ピアソラ:ル・グラン・タンゴ」。ベートーヴェンの3番って、全曲演奏をしなければ、ほぼ出ないんじゃないかな。普段も、3番や4番は聴く機会がほとんどないものだから、とっても新鮮。冒頭部で、「この曲か」と納得はしたものの、あとが続かない、そういった意味でも新鮮だった。3楽章構成の真ん中で、こんな可愛くって、穏やかなメロディ、ベートーヴェンは作ってたんだと、発見させてもらった素晴らしい演奏。残念なのは、ムーディーな音の流れ、けだるい音の流れ、弱音器を付けたときなどは露骨だったんだけど、ホールの関係で、音の力そのものが、がっくり落ちるという中で、この2楽章の印象が強かったというのは、偏に泉原さんの技量でしょうね。逆に煽りを強く受け過ぎたきらいがあったのがブラームスかな。泉原さんにとっては、13歳で初めて弾いた思い出の曲と言われていただけに、ちょっと残念な気持ち。最終楽章のようなメロディラインだと影響はないのだけどね。後半は、河内さんとの圧巻のセッションという感じ。このコンサートで、このグレードはやばい、やば過ぎた。「ル・グラン・タンゴ」は、泉原さん、公開の場で初めて演奏するものというオマケまで付いていました。アンコールは、「アヴェマリア」とピアソラが1曲。良かったぁ。
 更に、夜には「ブラタモリ」の新作「北九州編①」が流れた。しかも、8月に行ってきたからね、北九州は。ましてや、スタートが、小倉城周辺、そこ、あのとき歩いたよと、たまらない流れ。北九州美術館本館に行くために待ってたバス停のところが、長崎街道? その1つ南側? そして、知らなかったこと、小倉って、豊前だった。門司とともに。あとの3市が筑前。その筑前側にあった山城が、な、な、なんと、黒崎城だった。「黒崎」って、そんなに由緒ある地名だったんだ! 黒田長政と細川忠興は仲が悪かったんだね。細川は、肥後に行く前は豊前の殿さまだった! へぇ~~。その長政が造った切通しは凄かった。遠賀川の水を分岐させた。その先に若松港があった。ここで、ずっと気になってたことが、ようやく判った。②で主たる話題になる、積出港若松、なんで、湾の北側の港なのに、要するに戸畑じゃなくて、この港が使われたか。遠賀川の舟運が使われたから、別に湾の南(戸畑)に拘る必要はないってことだね。他の要素があり、湾の北が採られたと考えればいいのでしょう。その辺が、②で説かれるかもしれません。そして、②の主役は、当然、八幡。門司は「下関編」で出てきたからいいとして、果たして残る1つの戸畑の出番はあるのでしょうかね(「若戸」の「戸」では出たけれど)。最後に若松港に一行が着いたところで「つづく」になったけれど、背後に映ってた若戸大橋、映えますね、こないだ、そこ、行きたかったんだよと、思わず突っ込んでしまってました。


2023年 10月 7日(土)午前 6時 49分

 昨日は、朝から市民向け公開講演会に行った日。金曜日だから、アスニー京都の方だ。足腰や手、腕、肩に筋肉痛。こんなの久しぶりだ。力仕事なんか、最近やったことなかったので、この筋肉痛ってやつも、久しぶりのことだ。一昨夜などは、ご飯を食べるにも困った。お皿なんかから、食べ物を口に運べないのだ。だから、空いている方の手を支えにして持ち上げるなんてことをしなきゃならなかった。それに比べると、昨日はまし。今日以後にひどくなるかもしれないが、今のところ、その兆候はない。それよか、寒い。特に、昨朝の冷え込みなんて、半端じゃなかった。だから、まさかと思いながら、しっかりとしたジャージを手元近くに置いてあったので、それを着ても、まだ冷え込みに耐えねばならなかった。この急激な変化は、ホント、ついていけない。
 アスニー京都の講演は、「京の都を河川から考える ~鴨川・桂川・宇治川を中心に~」というお題で、京都産業大学現代社会学部教授の鈴木康久さんがお話をされました。「ブラタモリ/京都・鴨川編」に出演された方のようでした。ただ、昨朝も、午前3時半起きのため、お話が、しっかりと残っていない。また、内容の多さも凄まじいものがあった。パワーポイントに用意されたスライドが100枚を優に超えていたから、限りある時間で、できるはずがないということは、はしょる、解ったものとして進行される。そこへきて、こちとら、主として前半で居眠りをしたものだから、頭がついて行かないということで、大苦戦。その一方、知らないことは多いとはいえ、そこは京都のことだから、想像力は働くが、それ以上の素っ飛ばしになってたと言った方が適切かもしれない。そんなだから、筋立てを追いにくいこともあるので、覚えていること、メモっていること、レジュメを見て想像できることを認めておくに留めたいと思う。「付け替えの目的は、合流地点を、できるだけ下流に持って行く、それで造られたのが、今の三川合流地点、、、少しでも下流に持って行くと、川幅も広がり、傾斜も緩くなるからかと思う」「その事業は秀吉のときだが、そのときに川の導線を造ったのが文禄堤」「河川法のコンセプトの変遷、治水(明治29年)→利水(昭和39年)→人とともに(平成9年)、、、これは、驚きだった、利水が籠められたのが、ここまで遅いとは!」「”山城国風土記”に、賀茂一族は、川を遡行してきて、葛野河と賀茂河の分岐点に来て、賀茂河を遡行することを選んだとあることから、元来が農耕民族だったことが判る、、、葛野河=桂川の方が大きく、暴れ方も酷く、農耕には不適切との判断ということ」「平安京は、水路が少なかった平城宮(そのために捨てられたのかと言われていた)の教訓を生かし、左京8本、右京4本、計12本の川が流れていた(東洞院も西洞院も烏丸も川だった! 鴨川からの引水で成立)、農業用水、排水路、庭への引水のため」「桂川の治水・利水に関して、秦氏、葛野大堰といったトピックのところで、一番の居眠りで覚えていない、大事なポイントを抜かしてしまった!」「横大路に草津湊があり、ここにざこばが立ったそうだ、但し、鉄道の開設で衰退」「過書船(かしょぶね)を話題にされたようだが、内容をメモっていない、居眠り半ばだったみたい」「宇治川は、やはり舟運、“かげろう日記”にそれと判る記載がある」「琵琶湖と宇治の標高差80m、宇治と大坂の標高差は20m」「宇治川発電所、現在、稼働は3ヶ所」「平等院の向かいの発電所は、景観保持のために植林をされ隠されている」「宇治と言えば柳・橋・水車、淀と言えば水車(フラットなところに水車は生きる)」「宇治橋の半ばの出っ張ったところを“三の間”と言う」「宇治川の注目点として、舟運・宇治橋・水車・水力発電・鮎・蛍、これらは、河川の活用が多様であることを示してくれている」「藤原道長が建てた法成寺、白川院、六勝寺は、鴨川の河原に造られたもの」「御土居と鴨川との関連話に入ると、はしょり方が激しく、追いかけられなくなってしまった、更に寛文新提が出てくると、チンプンカンプン」「納涼床についても、その歴史を追いかけていただけた、元々は、祇園祭関連企画だったとか、それが、時期的に広がっていく」等々。
 当初、アスニー京都のあとは、京セラ美術館の展示を観ようと考えていたが、町内会の仕事が入り、ぎりぎりに帰宅するのを避けるため、家に直行。午後4時過ぎには、係の方に来ていただいて、用事は済ませることができました。夕方のウォーキングも、ほぼ通常通りに実施。呆気なく、日常の生活スタイルに戻っちゃいました。


2023年 10月 5日(木)午後 9時 39分

 昨日、午後6時半過ぎに、京都に戻った。さすが疲れていたこともあり、PCを前に寝落ち。Radikoで「まーぶる」を聴いていたのだが、落語会で喋っていたことと、かなり重なっていた。最新の毎日新聞に書いた二葉のコラムも、つい先日、この「まーぶる」で聴いたものだった。だから、使い廻しをしていると言えばそうなんだけど、二葉の使い廻しは、すぐに賞味期限切れにしているように看えている。だって、ラジオでは、毎回、オープニングで、近況報告がてら、おもろい話を用意しているのでね。ネタの方もそうだけど、マクラにも、かなり自信を持ってるなというのが、名古屋の二人会で得た最大の収穫だった。それを、後追い的に確認したってところかな。
 朝方、Radikoを聴きながら、ガラタサライの勝利を追いかけていたところまでは良かった。今日は、疲れていることもあり、お出かけは控えることに、だから、洗濯日にしようとした。そして、洗濯をしている間に買い物に行った。ここまで順調。だけど、家に帰り鍵を挿すと、鍵が回らなかった。これは、何年かに1度起こる。だから、それを防ぐために、鍵をかけるときに注意してるんだけど、それを怠ると、今日のようなことが起こってしまう。前に起こったときから時間が経つと、注意力が緩慢になる。1週間ほど前に、ちょっと緩慢になってきているぞと意識させられることがあり、要注意なのに、名古屋行きで、すっかり吹っ飛んでしまってた。もし起こったら用に、対策は用意してあるが、これを実行に移すのが大変。でも、やらねばならない。事件発生が10時半頃で、問題が解決して家内に入れて時計を見ると、午後2時少し前だった。正直、疲れ切った。だから、ヘルプを求めた弟の家で、しばらく休んでた。それを込みで帰宅が、そのような時間になったのだ。
 そんなで、午後の一時は、結局、名古屋旅行の1日目の記録を書き上げただけ。途中、気が散って、次回は、どの美術館巡りにしようかなどと考えて、ネット上を彷徨っていて、吉田博に特化した展覧会があることを知った。えらいものを見つけてしまった。これは行くことになるだろうな。年内は、東京で打ち止めと思っているので、年初を調べて、見つけてしまったのだ。場所は熱海。静岡県内を動こうかなと考えたら、静岡って、横幅広いね。その東の端だね、熱海は。2泊で計画を立てようかなどと考え、まだ、今回の名古屋の記録を終えてない内に、前のめり過ぎやろと、自分に突っ込んでいます。


2023年 10月 4日(水)名古屋から②

 朝は、昨日、買っておいたおむすび1個で間に合わせた。そして、中央線に乗り多治見まで出かけて行った。多治見は、ん十年前に来た記憶がある。そこからバスに乗り、行った先は岐阜県現代陶器美術館。ここに行こうと思ったのは、偶然だった。当初の予定には入っていなかったところ、当初は、2日目は、名古屋市内の2つの美術館を巡る予定だった。ところが、滋賀県美に行ったときに、この美術館のポスターを見て、びっくりした。そして、外せないと思ったのでした。「三島喜美代 - 遊ぶ 見つめる 創りだす」なる展覧会があることを知ったのでした。「日曜美術館」で、この人の特集が組まれたとき、初めて知り、そして、驚いた。その番組では、鉄骨にバーナーを当てながら成形を試みる三島の姿があった。いや、他のことも言ってたろうに、90歳にもなる婆さんが、バーナーを使ってる姿に驚いたと言えばいいかと思う。だから、鉄骨を使ったアート系の作品を創る人的な印象が残った。三島は、最初は、絵筆を取り、キャンパスに向かってた。それを記憶する作品が、冒頭に展示されていた。作風が変わったのが、結婚を機に、作家の夫の影響を受け、方向転換をしていったようだ。驚いたのは、それまでに絵筆を取り表したものが展示されていたこと。そこから、抽象的作品、コラージュへと進んでいく。岐阜県美術館で観た円空大賞受賞作品は、コラージュもする人だということを教えてくれていたので、ここは違和感はなかった。その後、新聞を陶に転写する表現に取り組み始めることになる。その方法も、映像で、実際に、三島が制作している姿を映し、解説してくれていた。この制作が、三島が、最も注目を受けるところとなったようだ。直島の巨大なゴミ箱も、この方法で作ったものだった。ゴミ箱から陶のゴミがこぼれ出すという巨大な作品も、これだった。作品は記憶に残りながら、その制作の根本を忘れてしまっていた。だからこそ、美濃焼の本場となる土岐に、大阪とともにアトリエを構え、ここ陶器美術館で特別展が行われているということだった。だから、今回の展示の主流も、この手の作品だった。くしゃくしゃとなった新聞紙を陶で表す、もう、これだけでおもしろい。と同時に、ごみ問題を、こういった手法で訴えている。これが、一貫しているようだった。作品の所蔵先を見ていると、こちらの美術館とともに、滋賀県立陶芸の森陶芸館からの出展が多かった。これは記憶に留めるべきこと。素材も変化していっている。陶土だけではなく、素材そのものからして廃棄物を使ったものも作っている。廃棄物を熱処理した何とか言う素材だったり、鉄骨だったり、ようやく、ここにバーナーを持ち、そういった廃棄された鉄素材が出てきて、安心、記憶は間違ってなかった。最新作、この展覧会のために、2つの作品を制作して展示されていた。1つは、入口にぶら下げられていた「ワレモノ注意」と書かれた小物。これは、作品なのか何なのか判らず、眺めていたが、最後に、係の方に教えていただいた。もう1つは最後の部屋にあった太い鉄線に、これまた、新聞が転写されていた。それが、ぐるぐる巻きに積まれていた。その作品自体も、巨大な廃棄物に観えた。展覧会のお題にもあるように、「遊んでる」という側面が見えてくるから、楽しい、が、そこには現代文化を照射するものを持ち続けている。おもしろい人だ。美術館を出たところで、係の方が、あちらの方にも作品がと指で刺されたところに行ってみる。そう言えば、黄紺より前に、見学に来ていた高校生が、そちらに向かっていた。帰りのバスの時間を気にしながら、そこへ行ってみると、池の中に、陶板、それも、新聞や雑誌が転写されたものがあった。最後まで、おもろかった。残念なのは、この美術館、めっちゃ、アクセスが悪い。高校生は、どうして来たんだろう? 10人くらいのグループが5組ほど、次から次へと現れた。しかも、女子ばっか。羨ましかった、あの年代で、こんなもの観れて。駅からのバス、1時間に1本もない。昼間は、特に少ない。だから、朝一番で来るのが、一番往復の効率が良いと考え、この時間帯を選んだ。だから、時間が来れば、嫌が応にも帰らねばならなかった。2階にも展示があったが、それに気づかず、もう少しのところで、見逃すところだった。幸い、2階の展示数が少なく、事なきを得た。そこに、鉄線のぐるぐる巻きの最新作があったのだった。
 多治見駅周辺で、昼を食べるつもりだったが、名古屋行きが出る時間だったので、あっさりと多治見を出発。全くの逆戻り。千種駅構内にきしめんの立ち食いがあったので、そこで昼食。名古屋のきしめん、初めて食べたけど、名物だけある、美味い。立ち食いだから、麺は湯がくだけなのに、腰があり、めっちゃ、美味かった。そして、地下鉄で、栄駅乗り換えで、矢場町駅へ移動。松坂屋美術館に向かった。ここで、「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」という名の展覧会が行われているからだ。この展覧会も、遅れて知った。そして、この展覧会は、コロナ禍でハルカス美術館であったのを、スルーしたものだったから、縁があるのだろうと、既に用意していた美術館を蹴飛ばしてしまった。結論を言えば、福富太郎って、博学の人だとは思っていたが、とんでもないコレクターですね。こういった顔は、TVなんかで観ていたときには、全く知らなかった。この人のコレクションの根本は鏑木清方。だから、鏑木清方の名品が、幾つも、しかも、冒頭に並んでいた。もう、それらだけで満腹も満腹といったところだったほど。実際にも、鏑木清方と交流があり、収集した作品を、本人に見せていたとか。自作かどうかの確認をしてもらってたそうだ。鏑木清方も、初期の作品には懐かしさを感じ、持ち込まれた自身の作品を、福富から一時的に借り、自宅に飾っていたこともあったとか。かなり深い信頼関係が築かれていたようです。中でも「薄雪」が、目玉中の目玉という扱い。梅川忠兵衛の新口村を表したもの。しっとり抱き合う二人、絶望感が漂う、見事な作品。この作品もそうだが、自分的には、冬の作品が気に入った。チラつく雪に美人画は映える、人の中に、仄かな温もりを感じられるからだろうか。あどけなく、少し嬉しそうにも見える。「初冬の雨」「銀世界」といった作品がそれだ。初期の作品は素朴な雰囲気、それに、色気が付いていく、時間が経つにつれ、そういった印象。でも、色気は厚くない。だから、観ていたくなるのじゃないかな、鏑木清方ものは。「妖魚」は、そういった意味では異色作。だから、めっちゃ目立つ。半人半魚というのが異色なのは当然として、裸体だし、顔つきがらしくないからだ。福富の関心は、鏑木清方が出発点だからということで、東の作家への関心が強かったようで、そこから関心が拡大していって、やがて西の作家ものもコレクションに加えていったそうで、展示も、東もの、西ものという区分になっていた。ここに、鏑木清方の師の水野年方、菊池容斎、渡辺省亭らが並ぶなか、目が行ったのが、富岡永洗の「傘美人」。2つの大きな傘の間から顔を出す美人画という構図が大胆。池田輝方・蕉園夫妻の作品もあった。西の作家も加えると、「三園」が、全員揃っていた。これなども、このコレクションのグレードを示す、いいメルクマールだ。この勢ぞろいは、ふくやま美術館以来のこと。その傍らにあった松本華羊の「殉教(伴天連お春)」が印象的。調べてみると、松本華羊の代表作だそうだ。なんなんだろう、この処刑直前の女の顔。周りの花といい、とっても、気になった。そういった伝統的な美人画に交じって、小磯良平が1品。この女性だけが、周りの女性たちと違う、あか抜けた近代性のようなものを持っているから目立ったんでしょうね。それに対して、寺松国太郎の「櫛」は真逆で、とっても色っぽい。西の作家になると、上村松園の「よそほい」に、どうしても目が行く。京セラ美術館の嫁ぐ日を描いた母娘に通じるものを思い出す。その絵を思い出したからか、この作品、存外、小さいなと思ってしまった。何となく、もう一回り大きな作品だと決めてかかっていました。福富は、北野恒富に大きな関心を寄せていたとか。ポスターにも使われている「道行」、確かに魅せられるわ、こんなのと出会うと。北野恒富もの、何点か観てきたが、異色も異色。同じ道行でも、鏑木清方の冒頭にあった作品とは全然違うのがおもしろい。鏑木清方の方は、内へ内へと固まって行っているようだけど、この作品、退廃、絶望を周りにまき散らしている。作品自体も大きいこともあり、存在感抜群の作品だ。秦テルヲや甲斐庄楠音まであった。凄いコレクター魂です。書き方が、観覧順序とは後先が混乱してしまっているが、「明治の日本の風景」を集めた展覧会で知った五姓田義松、五百城文哉の作品や、彼らに影響を与えた外国人の作品もあった。更に、コレクションの拡がりが只者ではないのは、萬鐵五郎、吉田博、鹿子木孟郎、岡田三郎助、岸田劉生、佐伯祐三、、、ビッグな名前が並ぶ。この人、こういったビッグな作家だけではなく、自身が気になった作品は、作家が誰だか関係なく収集したり、コレクションの対象にはなりにくいと、解説には書かれていた戦争画も収集しています。おもしろい人です。おかげで、いいもの、たくさん観ることができたわけで、ありがたい話です。
 ここで、日に2つの美術館に行ってしまってたけれど、せっかく、名古屋まで来たのだから、あとから見つけた2つを優先させたために、ボツにしてしまった2つの内、1つを救おうじゃないかと考えた。腰も、まだ行けそうだった。幸い、多治見から名古屋への移動で、腰を休めることができたので、まだ行けると判断。移動のしやすい方を選んだ。再び、地下鉄を逆に戻り、新栄町駅へ。前回にも行ったヤマザキマザック美術館に行くことにした。「秋の所蔵品展」が行われているというので、今回の名古屋旅行で、早くから候補に上がっていた。が、この美術館の、こういった展覧会の展示方針を解っていなかった。前回と半分くらい被ったんじゃないかな。総入れ替えするんじゃないんだということが解ってなかった。もし、これが判っていたら、まだ、もう1つ行きたい美術館があったので、そちらを選び、またの機会に来れば良いとの判断が働いたことでしょう。そうは言っても、所蔵品展では、必ず、ロココの名品を置いてくれている、稀有な美術館であることには変わりはないの、ブーシェやフラゴナール好きには、目の保養になるのは、間違いない。肖像が多いのかな、この時代のものとしては。それと、多いのはフォービスムの作品群。アルベール・マルケ、モ-リス・ド・ヴラマンクの作品が多い。モーリス・ドニの明るいエウリディーチェの絵は、今回も展示されていた。2度目となると、前回ほどのインパクトを受けないで済んだ。そして、なじめないままでいるのが、シャイム・ス-ティンの作品。今回は、前回と反対の壁に並んでいた。対面にユトリロが置かれ、モジリアニが脇を占めている。これなどは、同じ配置じゃないかな。そんなで、ちょっと失敗感でがっくりしたまんま、下の階に向かったが。ここは、全く同じ。家具調度品が並ぶ、ヨーロッパの博物館で、よく遭遇する設えだけど、日本では、ここに勝るところはないかもと思っている展示室。既に、観ているので、今回は、ざっと1周でおしまいにしました。
 そんなだったから、あっさりと帰る気になった。名古屋駅まで行き、バスに乗れれば良し、ダメなら、東海道線をどんこで帰ることを考えていた。まだ、午後4時を僅かに過ぎたところだったから。そこで、名古屋駅南口のバス乗り場へ。昨夜、バスを予約しようかとも思ったのだけど、確かに、そうした方が運賃は安く済む。けど、時間に縛られてしまうのが嫌だったので、割高になっても良しということで、そうしたのだった。もっと遅くなれば新幹線で帰るつもりだったが。午後4時14分、券売機で同20分発のバスのチケットを買えた。慌てて、駅構内のトイレへ行き、バスの前に行ったのが、同19分。それで、今回の名古屋はおしまい。京都には、午後6時半を過ぎてから到着。もう、真っ暗だった。
 ちなみに、名古屋で、もう1つ、リストアップしていたのは横山美術館。こちらでは、今、企画展「雅の世界で輝きを発する京焼 錦光山と帯山」がおこなわれていたからです。


2023年 10月 3日(火)名古屋から

 京都駅を、午前8時36分発ののぞみに乗り、名古屋に出発。前回と違い、のぞみの自由席は空席が目立った。30分余で、名古屋に着いてしまう。迂闊に酒など飲めない。名古屋駅からは、ウォーキングを兼ねて、大須演芸場までは徒歩移動。午前11時開演の部に入った。月初めに来ると、ここに来れるのが、大きな魅力。今日の番組は、次のようなものだった。左燕「又兵衛の入城」、伊織「真田小僧」、左南陵「桶狭間の合戦」、アンダーポイント「漫才」、ひろば「法華坊主」、(中入り)、柳家三亀司「曲独楽」、幸福「ぞろぞろ」、田淵岩夫「漫談」、歌武蔵「居酒屋(仮)」。開演前という位置づけで、想定外の人が登場。左南陵さんに弟子ができたという情報は、ごく最近得ていたが、まさか、こないに早く遭遇できるとは。ただ、まだ、声ができていないけど、構成力がありそう。実年齢は若いと思うけど、あまり溌剌とはしてなかった。伊織は歌武蔵の弟子。名前は知ってたが、高座は初めて。宇立の上がらなさそうな風貌だけど、お喋りに入ると、その印象を消す力を感じた。機転の利いた、いいお喋りという感じだった。ただ、ネタの後半で居眠り。朝2時半に目覚めたままだったから、どこかで出ると思ってた。左南陵さんは、なみはや講談協会が生まれてからは、これが僅か2回目の遭遇。髪の白さは目立つようになったが、その口演は、以前のまま。これは、嬉しかった。今回の名古屋旅行の狙いの1つを、いい結果で達成できました。色ものの芸人さんは、ローカル色、いっぱい。知っている芸人さんも、他所では聴けそうもない高座を見せてくれます。ひろばが中トリというのも、大須ならでは。久しぶりに見ると、ちょっとおじさんぽくなっていた。長々とマクラを振るものだから、中トリでうだうだ噺で降りるのかと思ってたら、何と珍品を出すつもりだったんですね。柳家三亀司は、ぼやき漫談風曲独楽、これは、後から上がった幸福の言。幸福は、達者なお喋り。これは、前回も感じたこと。ただ、声質がスマート過ぎるのが惜しい。歌武蔵も、長々とマクラ。「支度部屋噺」で終わるのかと思ったら、やおら、新作をやり出した。久しぶりに聴く、歌武蔵の落語の口演。だから、絶品のうだうだ噺も聴けてだから、お得感があったな。終演は、午後1時半過ぎ。
 次は、大須演芸場から歩いて10分もかからない名古屋市美術館。今回、夜の落語会とともに、名古屋旅行を考え出したきっかけとなった「福田美蘭展」があった。この人の作品、どこかで観た記憶があったのだけど、それが思い出せなかったのだけど、その現物が来ていました。京セラ美術館のコレクション展で観たものでした。ディズニーのキャラクターの衣装だけを、衣紋掛けに掛けた作品(誰が袖図)、インパクトの強いもの。輪郭や色彩がクリアな描き方、その作品にもlSの活動地域を描き込んだりと、政治的というよりか、その時代を照射するメッセージを込めた作品を発表する作家さん。そればかりか、「描く」ということの意味、描いている自分を振り返ることを作品化していると言えばいいのでしょうか。最初の部屋にあった「緑の巨人」は、自らの方針表明のような作品か。視点の転換、そういったことを訴えているようだ。これが、後の世界の有名作品のずらし、多様な視点を提示するというメッセージが詰まったような作品だと思う。モデルの合間にくつろぐモナリザを描いた「ポーズの途中に休憩するモデル」、見返り美人を振り返してしまった「見返り美人 鏡面群像図」なんていう著名な作品を直に観ることの幸せ! この展覧会のために、同時開催中の所蔵品展で展示されている3点も素材にされていたけれど、傍らに書かれた作家自身の文は、とっても難解。大原美術館所蔵の名品を下地に「ゴッホをもっとゴッホらしくするには」なんてのもあった。作家のイメージの豊かさを観るだけじゃなくって、それを、我々が突き付けられているという印象を持たされてしまう。「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」では、あの有名な作品を線対象の配置で描いたり、「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」は、浮世絵の役者絵から様式を取り払い、生身の人間である役者の顔にしてみたりしているが、同様の趣旨なんだろうなと思いながら、その発想の卓抜さ、拡がりを感じざるを得なかった。人気の秘密なんでしょうね。そういった作品を提供することで、現代の文化の相対化を試みているとも思えた。これだけ、イマージは拡大するのに、それを失念していると、情報なり、提供する側に支配され放題だと。「時代をみる」おいう最後のコーナーでは、広く現代文化とはと問うた作品が並んでいたよう。ポスターにも使われた「松竹梅」、明らかなる富のランクを、植物で表すという文化を我々は持つことを教えてくれるかと思うと、ブッシュ大統領が、湾岸戦争を仕掛けたとき、それを止められるのは、この人だけと告げる「ブッシュ大統領に話しかけるキリスト」というものがあった。更に、最後にはウクライナの戦争を扱い、モジリアニの人物像の描き方でプーチン大統領を描き、ゼレンスキー大統領の肖像画で締めていた。
 伏見駅まで歩き、この道は、前回はホテルへの道だったが、今回は、更に地下鉄に乗り、千種駅近くにホテルを取った。夜の移動、明日の移動を考え、そうしたのだったが、実際には、大曽根駅近くに投宿した方が賢かった。けど、名古屋を知らないものだから、一駅ミスってしまった。そして、夜は、東文化小劇場であった「第弐回 桂二葉・春風亭一花二人会」へ。夕食は、大曽根駅近くのサイゼリアで済ませる。この大曽根駅界隈って、すっごいね。京都の街中に住んでいると、なかなか遭遇できない風景だった。福岡がそうだったなと、旅の思い出が蘇って来ていました。番組は、次のようなものでした。二葉・一花「おしゃべり」、一花「権助提灯」、二葉「がまの油」、(中入り)、二葉「天狗刺し」、一花「粗忽の釘」。冒頭の「おしゃべり」は、前座を置かないためのものだったようで、主催者からは「短め」と言われながら、主に、客の入りと物販のことで喋り続ける2人。これだけで、暖まり過ぎてしまう。ネタは、2人とも短めのものを出した。Twitterなんかを見ていると、独演会でなければ、短めのネタを並べるのが、最近の傾向かな。二葉のネタは、ともに生で聴いている。「天狗刺し」は、守山に次いで連続。ひょっとしたら、師匠に稽古をつけてもらった「まめだ」を出すかもと思ってたが、外れてしまった。東京の巣鴨の会まで取っておくのかな? 「がまの油」では、半ばで入れていた七之助ネタはカット、「天狗刺し」では「天狗裁き」ネタもカットでした。「おしゃべり」を含めて、凄い自信を持ってきているなの印象。守山で感じた以上のものを感じました。名古屋では、何度か高座に上がっているからでしょうね。一花は、明らかに「権助提灯」が良かった。後半、テンポアップが求められるところでのクレッシェンドに入る前に、しっかりと権助のキャラが、我々に浸透しきってたからでしょうね。それだけ、強いキャラを出せていたということだと思います。それに対し、「粗忽の釘」は、冒頭からボケっぱなしの噺。常に、テンション高めに維持される流れなものだから、難しいんでしょうね。それ考えると、枝雀は偉大だと、このネタを聴くと思ってしまうな。会の雰囲気は、明るくて、和やかで、ホント、頗る付きのいい感じ。守山ではなかった華やかさ、明るさがあった。守山ではなかったというのじゃなくて、もっとあったという意味。一花との2人というのが大きいのでしょうね。それと、都会のど真ん中の公演というのも作用したのだと思います。こうやって、関西以外で、上方の噺家さんを聴くというの、おもしろいです、狙いが当たったぞの印象です。


2023年 10月 2日(月)午後 8時 35分

 いい季節になってきている。昼間の気温上昇も、さほど気にならない。昼前のウォーキングでは、公園で、休憩&読書をするとき、日陰で座っていると、半袖短パンだと涼しくなり、陽の当たるベンチに移動。でも、こちらも長続きをしない。直射日光を浴びてると、さすがに焼けるようになるので、再び、日陰のベンチへ。朝晩は冷える。短パンではおれないので、パジャマを出してきて、ズボンだけ使っている。パジャマ程度の厚さが、丁度いい季節だ。そんな気候の一日、明日は名古屋ということで、今日は自重の一日と言っても、月曜日は出かける回数の低い日だけど、明日のお出かけがなかったら、映画を観に行ってただろうな。となると、定番の日に2回のウォーキングだけが外出時間。夕方のウォーキング時には、公園のベンチに座りながらDに電話。先日、会ったときに聴こうと思っていたお誕生日祝いのリクエストを聴いた。熱も下がり、今日からは学校にも行っている由、安心。コロナでも、インフルでもなかったとか。寝相が悪いから、季節の替り目、寝冷えでもしたのでしょう。元気な声をしてました。夕方のウォーキングは、買い物がてらという面もあった。お酒の補充、その内の1缶は、明日の夜の分。コンビニで買うと高いから、毎回、1本、酎ハイを入れて行ってます。あては、いつもかっぱえびせんと決めているが、カバンに入れると場所を取るのが欠点。明日のお昼ご飯用に、パンの用意もした。これも毎回だ。1人で行くから、食べさえすればいいやの考え方。だとなると、安くて美味いものに限る。食べ慣れている調理パンを2個調達した。明日の夜は、今回の企画の発端となった落語会に行ってるはずです。
 午後の一時は、韓国旅行の準備。もう3週間前を切っているので、のんびりしてられない。今日は、ミリャン(密陽)の情報集めをした。随分と前に、そう20年は経っていると思うほど前に、1度だけ行ったことがある町なために、釜山に行けば、今度は行こうと狙ってた町。今回は釜山アウトなもんだから、行かないという手はないのだ。前回行ったときは、嶺南楼(ヨンナムヌ)と表忠寺(ピョチュンサ)に行った。ミリャンを代表する観光地だ。覚えているのは、ミリャンのバスターミナルに着くと、確か、ピョチュンサ行のバスが停まってたのかな、だから、宿を取らないで、そのままバックパックを担いだまま、ピョチュンサに行った記憶。町に戻ってきたら、当時、ミリャンの情報なんか、手に入れようもなかったので、何となく歩き出すと、と言っても、バスターミナルが辺鄙なとまでは言わないが、中心街から離れた位置にあったので、そうするしかなかったのだけど、こっちの方が賑わいがありそうという勘で歩き出し、わりかし早々に宿を見つけ、でも、その位置が判らないままだったんだけど、とにかく荷物を置いて、同じ方向に歩くと、店などが並びだし、歩いた方向が正しかったことを確認。何となくメーンストリートのような気がしたので、歩き続けた。ヨンナムヌは外せないと思ってたんだけど、知ってたのは川沿いにあるということだけで、でも歩いている先に橋が見えたとき、勝手にここで判ると決めつけた。そして、橋のたもとで、首を左に振ったら、視線の先にヨンナムヌがあった。なぜか、20年は経っていようかという前のことなのに、このバスターミナルを出てからの、一連の流れだけは、しっかりと覚えている。数年後、柳美里の父親か祖父かが、このミリャン出身だということで、柳美里が、ヨンナムヌの対岸の土手に座りながら、インタビューを受けていたのも、よく覚えている。柳美里が芥川賞を受賞したのが、調べてみると、1995年上半期だから、TVでインタビューが流れたのは、多分、90年代後半。それ以前に行ってるとなると、25年程前か、ミリャンに行ったのは。これは、随分とだ。それにしては、覚えてる。さすが、25年も経てば、いろいろと狙いの場所が引っかかって来た。それを、シートに整理して、今日で、ミリャン調べの骨格は完成ですね。細かな情報を補えば、かなり時間が要りそうな訪問地になりそうです。ミリャンのあとは、釜山だから、バスで行っても1時間だから、気が楽だ。今回は、今のところ、電車移動を考えてるけど、ここは、行ってから選択することにしてもいいよね。ただ、そうなると宿の押さえの問題が出て来るな。バスだと、定番のササンなんだけど、電車で行くと、初めて韓国に行って以来、ササン以外で宿を取る方がいいわね、余計な時間を使わないから。いろいろと考えること多いね、それが楽しんだけど。


2023年 10月 1日(日)午後 10時 28分

 10月に入った。今月は、2回の旅行を予定している。明後日からの名古屋と、19日出発の韓国だ。それを考えると、なんとなく落ち着かない。韓国の方は、まだ準備もできてないしね。そんなそわそわ感のある日曜日。定番の「日曜美術館」を観るのが、朝の楽しみ。「アートシーン」が終わると、速攻で、洗濯にかかる。午後のお出かけが、存外、余裕を持つことが、そこまでしなくても持てたようだ、後から言えることだけど。そして、午後は、市民向け公開講演会、珍しく外国がテーマになっていたので行ったんだけど、講演後の質疑応答で、大学院生や卒論を控えた4回生が、更に、大学の先生までが挙手してた。周りを見渡すと、黄紺のような有象無象もいたように思えたのだけど、ちょっとビビってしまった。主催している団体も知らず、会場が市の施設だから、大丈夫だろの軽い気持ち出て行ってしまったのでした。
 そんなで、まずは、「日曜美術館」のメモから。今日のお題は「野見山暁治の″宇宙″」。野見山暁治という名前は、どこかで見かけたかなという程度だったけれど、大変な大物のよう。だから、また、いいお勉強になったわけで、有難い番組となったが、1つだけ、関わりを知って驚いたことがあった。戦没画学生の遺作の収集・保存に奔走して、長野県にある無言館設立の基を作ったご本人だそうです。番組は、MCの2人が、野見山のアトリエを訪ね、生涯を振り返りつつ、その作品を紹介するというもの。取り上げられた作品をメモっておく。①岩上の人(妻の死後、作品が変わりだしたときの作品)②地下鉄副都心線神宮前駅壁画(87歳で駅のステンドグラス制作を始める)③廃坑A➃パリ・セーヌ河畔の***⑤落日(アトリエからの風景)⑥岳⑦人(水の中の光景)⑧近づいてきた風景(落日の一瞬の光景)⑨ある証言(砕け散る瞬間、自然の力を描く)⑩これだけの一日⑪自画像⑫マドの肖像(出征前に妹を描く)。
 午後のお出かけ先は京都市市民活動総合センター、初めて知ったけれど、菊浜小学校の跡地だそうだ。ここで、市民活動支援チャリティ公開講座「食べる選択が地域を変えた『シチリアの奇跡 ~マフィアからエシカルへ~』」があったのです。「市民活動支援チャリティ」と冠になっている言い方が、まず判らないで参加。それに、あまりにステレオタイプに、「シチリア」「マフィア」という語が並び、思わず検索してみた「エシカル」という語が続くので、申し込みはしたものの、行っていいんかいと尻込みしながら、行ってしまった。背中を押したのは「シチリア」が、どんな形にせよ取り上げられる、この一点でだった。「エシカル」って「ethical」ってことかなと思い検索したら、そうだった。でも、マフィアとの対になって出て来るには、あまりにもベタだ。しかも、食文化に関わる内容らしいということは、お題や短い概要で判っているが、それが、どうしてマフィアに関係するんだと、また想像ができない。今から考えると、よく行ったなと思ってしまう。お話をされたのは、ノンフィクション作家の島村菜津さんだけど、この方も知らなかった。スローフード運動を始め、イタリアをフィールドにして、食の問題を主として追及されている方みたい。お話を聴いて、かなりイタリアに食い込んでおられる様子が、歴史の話題以外で感じた。正確に言えば、歴史的なことだけは、少し解るために、物足りなさを感じただけかもしれない。序盤は、シチリアの紹介。スライドが眩いね、こういった市民向け公開講演会では、まあ出ない画像だからだと思います。そして、マフィアの話。戦後の話だった。マフィアの問題って、完全に同時代の問題なんだね、ここまで同時代性が高いと思ってなかったのが、黄紺の不覚もいいとこ。戦後、労働運動が高まると、占領軍が、マフィアを使い抑え込みにかかった。戦後闇市で暗躍する機会を掴んだ。更に、経済成長に伴う乱開発にも、マフィアが後ろから支えた。なんか、どこかの国の暴力団と相似形です。そのマフィアの手口がえぐえぐい。検察・警察にも向かっていく無茶苦茶だったそうだ。それに対して出てくるエシカルな動き=反マフィアの運動は、破壊された街や自然の恢復という環境への取り組みと結びついていく。それまでにない新しい取り組み、仕事に対して、マフィアが求めてくる「みじかめ料」は邪魔ということで、ここでも、反マフィア運動となっていく。ようやくお話の骨格が判った。広島や北九州といった都市名を口に出されていたが、そのえぐい姿がシチリアにあったということ。裏では、それらマフィアと政治家が繋がっているという構造ですね。無茶をして、市民に恐怖感を植え付けて、更に無茶を続ける。だから、かなり腹が座ってないと、反マフィアを表せない。その苦労話、具体的な取り組み、それらをインタビューして、証言を取って行かれたようだった。スローフードの運動にせよ、様々な食に関わる市民運動に対する、己の認識不足を確認させてもらっただけでも、行った甲斐はあったかなと思った。この講演会に、「チャリティ」と添えられていたのは、運動を進めるNPO法人への支援を求める、そのきっかけ作りだったようだ。まだまだ、知らない世界があるね、知っておかねばならないことなのに、知らない、そう思うと、まだ生きていなきゃならないと思ってしまってる。


2023年 9月 30日(土)午後 11時 26分

 今日は、思惑が、全く外れてしまった土曜日。かねてより、今日は、DとSを連れて、息子ともども、寝屋川市内でのイベントに参加することになっていた。久しぶりに、DとSに会えるので、昨日から、そわそわしてたんだけど、それが、今朝の8時に一変した。Dが、今朝から発熱で行けないとの連絡。だったら、Sを、自分だけで連れて行くと言ってはみたが、その時間から迎えに行って、イベント会場にまで行くには、無理があると、頭の中で考えてしまったけれど、だけど、落ち着いて考えると、申し込みをしていたもう1人は、発熱で来れないと言いながら、一緒に生活しているSを連れては行けるものではない。だから、誰かが発熱をするとアウトということなんだね、こういったイベントへの参加は、コロナ禍では。去年も行き、大人も子どもも楽しかったと思えたイベントだっただけに、行きたかったなぁ。早速、主催者に電話連絡。キャンセルを伝えることにした。途端に、真っ白になってしまった。そういったときって、衝撃で、正常な思考が停滞してしまった。とにかく、このイベントは10月に入ってからと決めつけていたため、日程が明らかになった時点で、既にチケットを買ってあったコンサート行きは断念することに決めていたんだけど、それを復活することにした。これは、午後2時スタートだったので、出かけるまで、Youtubeで動画を観たり、昨夜のマッチのダイジェスト動画を観れて、ラッキーと思っていたのだけど、すっかり、今日を洗濯日にすることにしていたことを失念してしまっていた。イベントに行けば、帰ってから洗濯をしようと予定していたのだけど、午後にコンサートに行くのなら、午前中にやっつけておかねばならないのに、そこへ頭が回らない。ダメだわ、これ。明日の日曜日、時間を、うまく取れれば、まだいいんだけど、不安要素もある。名古屋行きが近づいているので、嫌な気分になっている。
 コンサートは、京都コンサートホールで、年2回開かれているパイプオルガンのコンサート。今日は、ヴァイマール・フランツ・リスト音楽大学常勤講師という肩書を持ち、ドイツで活動している福本茉莉の演奏を聴くことができた。そのプログラムは、次のようなものだった。「レメンス:ファンファーレ」「メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ第1番 ヘ短調 作品65-1」「シューマン:《ペダル・フリューゲルのための4つのスケッチ》作品58 より 第4曲 〈アレグレット〉」「ベートーヴェン:《フルート時計のための5つの作品》WoO33 より 第5曲〈アレグレット〉「ニコライ(リスト編曲):教会祝祭序曲″神は我がやぐら″作品31」「J.S.バッハ:神は我がやぐら BWV720」「レーガー:序奏、パッサカリアとフーガ ホ短調 作品127」。合間合間に、福本さんのトークを挟みながらの進行。このプログラムは、ドイツのロマン派にシフトしたもの、オルガンのコンサートでは、珍しい方でしょう。唯一の例外は、レメンスというベルギー人の作曲家。このコンサートのスポンサーであるオムロンの創業何周年を祝ってのもの。シューマン、ベートーヴェン、ニコライは、オルガン専用曲ではなくアレンジもの。中でも、ベートーヴェンが愛らしい。音楽的に秀逸と思たのはメンデルスゾーン。さすが、バッハ復興の祖だけある、オルガン曲の技に長けている。とっても変化に富み、個々にも魅力のある4つの楽章構成。こんな素敵な曲が埋もれてるとまで思ってしまいました。それに対して、今回のプログラムの目玉となっているレーガー、確かに変化に富むと言えばいいが、振幅の幅が大きい、過剰とまで言える。中庸という音楽に乏しいのが、メンデルスゾーンに軍配を上げたくなる根拠。会場は、ほぼ満席という盛況、雰囲気が、ちょっと馴染めなかったのだけど、帰ってから、このコンサートは、100名を無料招待していたことで納得。このコンサートを聴いて、悩むことが1つ生まれた。これ、2時間かかる、まともなコンサート。次回のこのコンサートが、ちょっと趣向を凝らした企画を打ち出していることもあり、Dを連れて来たいなと思ってたんだけど、やっぱ、ヘビー過ぎるかな? 黄紺が、初めて、生でパイプオルガンを聴いたのは、できたて間もないNHKホールだったはず。そのことを考えると、今は恵まれている。だから、早い時期にパイプオルガンを聴かせてやりたいと思うのだけど、厳しいかな、この取捨選択は、とっても悩ましい。ホントは、コンサートホールでではなく、ヨーロッパの教会で生の演奏、聴かせたいんだけどね。息子には、高校生のとき、ウィーンで聴かせることができたんだけど、DやSには、それは無理だから、せめて、日本ででもと思うのだけど、、、。
 京都コンサートホールからの帰りは、いつものように徒歩移動で、三条まで。今日は、雨が心配だったけど、結局は、午後10時前になるまで降らなかった。だから、普段のように三条まで歩けた。鴨川の河川敷を歩いているとき、何気に西の空を見ると、焼けてました。それで、大丈夫かなと思え、あとはラハトに歩けました。そして、夜は、「ブラタモリ」の新作「利尻島編」を観た。礼文島は落選のよう。利尻島は火山だ、それ以外、何するのかと思ってたら、昆布から雲丹、鰊へとトピックは繋がれていった。利尻の雲丹は、昆布を食べていた。なんて贅沢な雲丹なんでしょうね。


2023年 9月 29日(金)午後 10時 18分

 今日は、朝からお出かけ。そして、夕方に歯医者の予約が入ってた日。結局、その狭間は、ベッドで横になり休憩していたから、その2つだけで、日が暮れた。ただ、歯医者に行ったあと、ごく軽いウォーキングを入れたというか、ちょっとだけ、足を伸ばして行ける公園に行き、読書をしてた。しかし、この時期になり蚊の攻撃が酷くなっているというのは、今日も体感。もう少し、読書の時間を取りたかったのに、蚊の攻撃に負け退散を余儀なくされてしまった。だから、家では、一時、止めてたのに、ここ数日は蚊取り線香を焚いている。
 アスニー京都の市民向け公開講演会は、ここ数回は「双京構想連続講」と題し、「京都ゆかりの歴代天皇」の講演が続いているが、今日はその④として「室町・安土桃山期の天皇と京都」がお題、お話は、京都産業大学准教授の久禮旦雄さんでした。この連続講座2回目の登場です。前回は、老害が気になる講師の方だったのでスルーしたから、南北朝に至る過程的な話は聴けていない。が、その終わり方のようなことから、お話は始まった。日本史に疎い黄紺は、南北朝という分裂した時代があったということくらいは知っているが、その実態、展開、収拾の仕方、その後は、全く知らない。南朝方に、英雄的な武士が出るのは冒頭期。そか、楠木正成なんかは死んでしまうわね。だから、南朝内部のまとまりが悪い、内部対立もしている。でも、これは、北朝も同様だった。主導権争いや、一族内部の対立が絡んでくる。主導権を執れないとなると、相手方に寝返り、主導権を取り返す好機が来ると、また、元に戻る。足利尊氏も、そんなで南朝方に寝返ったこともあるんだって。尊氏が北朝に戻りそうとなると、南朝方は、天皇・上皇・皇太子を、皆、南朝方に連行してしまう。となると、北朝方には、天皇の血統に繋がる者が消えてしまう。なんとか、辛うじて見つけてきたそうだけど、天皇にするためには、先帝からの指名が要る、今度は、それがいない。南朝方は、それを見越して連行に及んだそうだ。それを指示したのが、南朝の知恵袋だった北畠親房。北朝は、それに対して、残っていた先帝の奥方に指名させて、それでOKにしたそうで、もう何でもありですと言われていた。室町時代は、応仁の乱以後は混乱の極みで、戦国時代に入って行くというものと、長い間思ってきたが、義政の評価が変わってきているという指摘をしてくれた「歴史ヒストリア」を観てから、印象は変わっては来ていることは事実。「麒麟が行く」では、その辺が、研究成果を反映していたそうだ。「歴史ヒストリア」が流れた時期と同じ時期の放送だったと記憶するので、大河を補完する意味合いで作られた番組だったかもしれません。そういったお話が入り~のでも、天皇家はどうかというと、経済的に困窮していたのは事実だったようだ。政治は、手の届かない動きをしている天皇にとってできたこと、祈るしかなかった。それを、よく表したのが後奈良天皇の写経。これが、政治的権力を無くした現代の天皇制に使えるとして、最近の皇室のコメントに、よく登場してくるようだ。成す術もなかった天皇が、安寧を求めて祈る姿に響くというわけだ。で、この辺までは大丈夫だったんだけど、この辺以後は、結構な居眠りに入ったようで、近世の天皇制に入ると、あまり記憶に残っていない。信長と秀吉時代の天皇という問題は、この両人の肩書の問題として、お話をされていたようだ、レジュメを見ると。と言っても、レジュメは、史料の引用集的なものだから確信は持てない。最後に、後陽成天皇の聚楽第行幸が取り上げられている。どのようなコンセプトで取り上げられたんだろうか? このトピックは、聚楽第の考古学的発掘の講演で聴いたことがあったため、それが気になったけれど、判らなかった。残念! この講演会も、大変な人出。紫式部よりか、人気があったのには驚かざるを得ないね。
 弟も、この講演会に来ていたので、終了後、弟に誘われて食事。先日も行った韓国料理屋さんへ。弟はビビンバ定食、黄紺はスンドゥブチゲ定食。このお店、「定食」になると、ご飯とキムチの盛り合わせが付く。スンドゥブチゲのお味は、この店ランキングでは、テンジャンチゲとキムチチゲの間に入るな。鶉の生卵が入るのが嬉しかったポイント。このお店、オジンゴ・ポックムをメニューに入れてんで、いつか、直でご飯の上に乗せてもらい、オジンゴ・トッパプを作ってもらおうかと考えている。いつか、ね。


2023年 9月 28日(木)午後 9時 20分

 今日は、午後に落語会に行った日。これで、今月は、4回目の落語会となる。全部、大阪府内での落語会だ。動楽亭やツギハギ荘での落語会へ復帰、それと、あと2回は、茨木市内での会だ。昼間という時間限定は、今後続くことになるでしょうし、となると、繁昌亭と動楽亭の昼席、ハルカス寄席ぐらいですな、平日だと。それと、空いている土日で、気になる落語会を選ぶことになると思う。今日は、茨木まで出かけねばならないということだったが、午前中に時間が取れたので、ミニでのウォーキング、というよりか、外で読書したいからウォーキングをしたという感じかな。お昼は、茨木に移動してから摂るのが、最も効率が良いということで、昨日に続き外食。阪急茨木市駅前で、手ごろなところを、予めググってみるのだけど、2週間前に目を付けたところも、今日、狙ったところも消えていた。偶然、ともに王将の近くだったもので、時間に余裕があるわけではないので、王将に緊急避難。そんなで、無事、到着。今日は、茨木クリエイトセンターが会場。ここは、昔、現歌之助の会が行われていたところ。懐かしい、随分と、あれから時間が経った。ここで、「第17回茨木ハチマル落語会『林家花丸のいろとりどり寄席』」があった。会場では、前回に続き、ディープな落語ファン氏と会った。いろいろと教えていただいた。元々は、今や上方落語界には欠かせない3姉妹ユニットのお一人が関わってられたそうだ。そか、それで、昔から、茨木では、市が関わるような落語会があった、また、目の付け所に納得のいくものが並んでたってことか。ついでに、色々と、このユニットについて、知らなかったこと、知ることになった。有難い、こういった情報に飢えてるんだよね、京都でじっとしてると。その傍におられた方からは、先日の一海くんの東京招請について、びっくり情報、もらえた。絶対に、こういった四方山話をしてないと聴けないお話と思ったけど、ひょっとしたら、一海くん、舞い上がってしまって、高座で喋りまくってるかもしれないけどね。で、肝心の落語会、その番組は、次のようなものでした。花丸「前説」、九ノ一「六文銭」、染八「粗忽長屋」、花丸「替り目」。この顔付けを見ても、素人の選んだものとは思えないから、やっぱ、開演前に伺ったことは重みのあるお話です。ところがだ、また、前と同じことが起こった。ほぼ寝てしまった。九ノ一の高座が、一番ましだったかな。母親が出てくるところまでは大丈夫だったから。「真田小僧」です。九ノ一のネタに、よく「六文銭」と書いたものを見ていて、そのわけが、ようやく、ここで判明。最近では割愛してしまう後半部を入れたため、だから「真田」が付いてんだけど、そこをいじっちゃったというネーミングだったようです。マクラは、守山で聴いた「富士ロック」ネタだったけど、明らかにこなれていた。だから、めっちゃノリのいい口演。ますます磨きがかかってる九ノ一だなと思っていながら、突然、記憶から消えてるのです。染八も、顔つきがお兄ちゃんになってる。聴いても解らない阪神ネタをマクラで、たっぷり目にやられたからでしょうか、久しぶりの染八なのに、ダウン。花丸に至っては、「替り目」らしいと判るか判らないかでダウンしてた。ま、酒のネタだとは判ったので、花丸にしては珍しいと期待が上がったのに、酷い様でした。かなりいじってたように、うっすらと記憶に残るので、どこかで再会したいものです。「替り目」を下げに使わないため、「ここで替り目と言うとこ」なんて言いながら喋ってたのだけは覚えてるから、余計に気になるのです。
 帰りは雨模様。一応、出がけに、雨雲レーダーで降雨予測を見ておいたので、傘は持って行ったのだけど、降らないにこしたことはない。1度、降りかけ、前を歩く人が傘を使ったのだけど、黄紺は使わなくて正解。結局は、降りかけただけで、帰宅するまでは降らないという運の強さ。結構、歩きの多い帰り道だっただけに、ホント、助かったね。


2023年 9月 27日(水)午後 9時 30分

 今日は、午後に京都文化博物館に行った。午後2時に、キュレーターさんによるギャラリートークがあるということで、この日に合わせて、特別展に出かけた。そのトークが始まる1時間前には着き、予め観ておこうの魂胆だった。だから、午前中のウォーキングは、短めにして出かけ、お昼も出先で摂り、時間を確保したつもりだった。ところがだ、同博物館の3階と4階のフロア2つ使った展示なんだけど、入口となっている4階分を観終えて、時計を見てみた。かなりの時間が経ってたように思えたからだ。すると、トーク開始4分前に、びっくり。慌てて、トイレに行き、トークに参加。多かったね、参加者が、しかも、若い人が目立つという特徴。これ、コロナ禍で、この博物館であった展覧会のときと同じだった。やっぱ、歌川国芳は、若い人に人気がある。急遽、係の人、マイクを用意した。細長い会場に、あれだけの人が集まると、キュレーターさんの声は聴こえない。いい判断です。その代わり、電源確保に、係の人、気の毒なほど、頑張ってた。それだけの集客力のあった特別展とは「もしも猫展」。国芳や、その一門の絵師が残した「猫を擬人化した」作品を集めた展覧会。先に書いた、コロナ禍での「国芳・芳年展」でも、この手の作品があったと記憶するんだけど、自分の記憶じゃ、それだけじゃないんだよね。ボヤーっと思い出すのは、随分と前に、大阪歴史博物館で、この擬人化された浮世絵の展覧会があったように思えるのです。そこで、数的には多く観たという、曖昧な記憶がある。だから、猫が蹴鞠をしていようが、歌舞伎役者の似顔絵に、猫の顔がなってても、驚きはしないけど、これでもか、これでもかと、アイデアを駆使して、制作に励んだ様子、また、それが、一門に受け継がれ、大事なおまんまのタネになったのだろうなと思える、そういった展示だったと思います。国芳は、大の猫好きだったこともあり、擬人化するに猫を使ったようなんだけど、展示では、冒頭に、鞠の曲蹴りをする猫で、掴んだあとは、しばし、その擬人化のルーツとなる作品群の紹介が続いていた。「鶏鼠物語絵巻貼付屏風」などという作者未詳の大部な作品もあった。でも、総じて、作品自体は小ぶりのものが続く。この屏風絵も、絵巻の手法で、時系列的に場面が移って行くように描かれているため、個々の場面は小さい。これが難だったな。冊子として出版されたものに使われている挿絵的な絵も多く、かなり、詳細を把握するには観にくいのが悔しいところ。異類婚姻譚というプロットも、こういった中に観ることができた。動物も、猫以外では、狐やウサギ、豹、鶴、鯰、魚といったものが出てくる。それを、当時の人なら、誰しも知っている物語と絡めて行く。「釣狐」や「海女」なんてものが出てくると、一応解るが、ここで解る楽しさは得られても、使われている元ネタが解らないと、スルーするしか手はない。でも、滑稽味のある絵は、そういった場合でもおもしろく眺めることができるのが、有難いね、こういった絵の場合は。猫に収斂した展示になると、可笑しいのは、猫繋がりの、様々なファクターが、描き込まれていく。鰹節が現れたり、当時は、鰹節と並ぶ、猫の好物とされた蛸が、いろんなモチーフとして出てくる。着物の柄も、猫繋がりになっていく。普通の役者絵でも、着物には猫柄があったりするから、徹頭徹尾、猫を追い求めている。凄く流行った読み物「おこまものがたり」が、1つのコーナーとなっていた。山東京山、著名な山東京伝の弟だそうだけど、その京山が物語を書き、それに、国芳が挿絵を描いた読み物。かなりのヒットを遂げたそうで、ヒロインのおこまは、もちろん猫。その波乱万丈の生涯を、先行する歌舞伎などの物語をパロディー化しながら綴ったものだそうだ。それがヒットしたから、芝居になり、また、その宣伝のためのチラシと言っていいのかな、国芳が描いたそうだ、その作品まで展示されていた。このコーナーが、今回の展示の目玉だそうだ。国芳が並ぶは並ぶ、その間に、芳年や芳幾、芳豊、芳藤といった一門が埋めるかと思うと、広重に豊国、河鍋暁斎ものが出て来たりして、驚かされる。観覚えのある、吉原雀なんてタームがあるからと、吉原の遊郭に詰めかける男たちが雀だったりする作品、猫で文字を作るなんて作品、そして、あれ、そう、あれに再会しちゃいました。つい先日、芦屋で観たあれです。芳年「風俗三十二相/うるさそう」です。まとわりつくギャルに、猫が迷惑顔をしているもの、そりゃ、猫が主役なんだから、外れるわけがないね。所蔵先が名古屋市博物館が多かったので、ひょっとしたらと思ってたら、キュレーターさん、名古屋が震源で巡回展の1つだと言われていました。「国芳・芳年展」も、名古屋から出展されているものが、結構あったので、この辺のプロパーな方がおられるようですね。今日は、数は少なかったけれど、でも、また、芳年を観ることができた。これで、北九州、芦屋、京都と、今年3回目。新版画は、広島、京都と今年2回観れたけれど、最近、また、京都で年内に展覧会があることを知りました。版画の大当たりの年になってしまってます。実は、これに留めがあるんだなぁ、東京へ行ったときに、葛飾応為展を観れそうなんです。これ、凄くない!


2023年 9月 26日(火)午後 9時 37分

 今日も、昨日同様、お出かけなしの一日。しかも、秋めいてきていたのだけど、逆戻りになっている。昨日から、その傾向が出ていたが、今日になり、その傾向が、一層、高まった。しかも、こういった季節になってから、蚊が出てきている。真夏は、気温が高すぎて、蚊も動けなかったのかと思うほど、涼しくなりだしてから、ウォーキング時に公園で休憩していても、家の中でも、そんな感じになっている。お出かけなしとなると、日に2回のウォーキングが定番。ただ、明日から予定が入っているので、余裕のある内にと、洗濯日にすると、午前中のウォーキングが圧迫されてしまう。そのため、火曜日だから、「まーぶる」を聴く時間が圧迫されてしまうと続いてしまうのが、悲しいところ。その「まーぶる」だけど、先週、恒例の大阪独演会のことが、話題となると思っていた。そして、事実、そうなったが、自分的関心とは、ちょっと違った。会場で会ったとか、物販で何を買った、今回の物販の目玉だと告知されていたがちゃぽんで当たった、当たらなかったなんてのばかり。それはそれで関心はないことはないんだけど、ゲストに呼んだ福団治のことは、欠片も出なかった。第一、落語のことはさておいてという話題ばっかで、肩透かしを食らったな。そんな、ラジオを通じてよりか、丁度、来週の今日の名古屋での会で、生二葉から、おもろい話聴けるから、そちらを楽しみにすることにしましょう。このラジオを、Radikoでだが聴きながら、韓国旅行の情報収集も、ちょこっとだけどできた。なかなか、日本語の情報がないところを狙っていたら、ようやく韓国人の方が、日本語で紹介されているものを見つけ、一安心。逆に、なんで、このサイトが、ここまで検索をしても、引っかかって来なかったのが、不思議だった。でも、詳細なアクセスは不明なまんま。もう現地に行ったときに調べるしかないかもしれない。ググっても、変としか言いようがない行路しか出てこない不思議、バス停があるのに、ググっても、そこは使われなかったり、使ってないわけないだろうと突っ込みたくなるロケーションなものだから、そう思っちゃう。徒歩でのコースも出てこない。こういったこと、以前にもあったような記憶だから、気にしないことにしようの気になっている。だけど、ググることができなかったら、simカードを買った意味がないじゃないかと、突っ込んでしまっている。よく判りません。ま、韓国は、なんとかなってきたので、不安はない。ましてや、その狙いの町は、駅周辺だけど歩いたことがあるという強みがあるものだから、余計に不安はないのだ。詳しめに調べておきたい町が、もう1つあるので、今、調べている町は、さっさと仕上げたいのだけど、なかなかそうはさせてもらえていないのが現状。最終的には、この韓国行きも、ペーパーにして資料を印刷して持って行きたいので、時間は欲しい、これが、最大の課題だね。


2023年 9月 25日(月)午後 8時 21分

 週明けの今日と明日は休養日。結構、密に出かけているので、こういった日を入れなければ、次の旅行準備もできない、また、トルコの情報収集をしても、それに目を通すことも、簡単にできない。一応、目を付けたものは保存しているので、後で読むことができるようにはしてある。コロナ禍で出かけることがままならなかった時期は、コロナに関する情報が、山ほどあったけれど、同時に、それらに目を通す時間もあった。コロナに関しては、最近、エリス株に関し、繰り返し、同じようなものが流れている。やれ、ワクチンを接種せよと言っても、ワクチンのストック、どのようになってるのかと思ったら、どうやらないようだ。あっても、エリス株への効果は低い。どこの会社だか明記はされてなかったけれど、トルコが得られるとなると、ビオンテック社製となるはずだけど、エリス株対応のワクチンを出すようなことが書かれていた。そして、それが来ると、ワクチン打とうねというのが専門家の言葉だ。そう言えば、秋のワクチン接種をということで、新たな接種券が、先日送られてきたので、2日間取れる日を眺め、接種できる日と照合して、10月末に予約を入れた。その前に韓国行くんだけどと思ったが、秋は忙しい、なかなか、こちらの日が空いてなかった。実に7回目となる接種だ。いつまで続くのでしょうね、ワクチン接種というやつ。
 かなり涼しくなってきたが、今日は、若干、元に戻った。でも、クーラー要らず。ウォーキングをしたあとの着替え、今日は、昼前だけじゃなくて、夕方にも要った。丁度、端境期は、毎度、この頃だけど、ここまで暑かったにも拘わらず、例年よりか僅かだけど早いかなと思っている。午後の一時は、韓国旅行の情報収集。これだけにしたかったが、上に書いた読み残しがあったので、さほど時間は取れなかった。が、そのわりには成果があったように思う。今回は、仁川イン、釜山アウトなんだけど、90%以上を鉄道移動にしようと考えている。ここまで、鉄道にシフトしたスケジュールを考えたのは、釜山から直でソウルまで、鉄道で移動して以来。大田と大邱の間は、区切って移動するのは鉄道の方がベターなので、そうしたことはあっても、それ以外はバスを使ってた。だから、今回は、そうじゃないことを企画したと言えばいいかな。となると、韓国の鉄道事情の最近の様子を把握しておかねばならない。KTXと在来線の区別はあるだろうということは判ってたつもりだけど、その運行の詳細は判ってなかった。また、列車の種別はまだあった。それらが、どこを通るか、一から調べた。結局、今回の行き先を考えると、在来線オンリーの方がいいらしいと判ったので、その運行状況、早い話が時刻表も手に入れた。切符も、ネット上で、しかも、日本語で買えるので楽勝だと判った。滞在都市の情報を掴んだら、行く前に切符を買っておこうと思っている。今回、大田で宿をとろうかと考えている。この町、大きなわりには、バスの乗り換え、ターミナル間の移動以外で、某博物館に行っただけなんで、1度、宿を取り、街歩きをしてみたいと考えたのだ。すると、大田にも地下鉄が走ってた。そう言えば、旅系Youtuberの動画を観ていて、水原で地下鉄に乗るシーンがあったなと思い、水原の交通事情も眺めてみると、あった。盆唐線がそれだった。なんだと思ったが、これが、水仁線と接続していることを知り、オーッと思ってしまった。水仁線がリニューアルしたことは知っていたが、それが、こないなことになってたとはということだ。ソウルの郊外については、とんと疎いものだから、さっぱり解らなくなってしまっている。仁川の方も、中華街が派手派手しくなってるようなんで、行かんとあかんと思いながら、今回、パスすることになりそう。釜山アウトなものだから、南下を急ぐことになりそうです。韓国用のsimカードも、アマゾン屋さんから届いたしと、ギアが入ってきました。でも、その前に、来週は、名古屋旅行が控えています。こちらは、準備は完了しています。いつものように、スマホがダメになっても大丈夫なように、ペーパーの用意も仕上がっています。往きの新幹線の切符も買ったしね。


2023年 9月 25日(月)午前 7時 59分

 昨日は、午後に、市民向け公開講演会に行くことになっていた日曜日。週末だし、マッチもあるし、「日曜美術館」の新作もあるしと、朝から忙しない。昨日の「日曜美術館」は、「そして、春は巡りくるデイヴィッド・ホックニーの芸術」というお題。デイヴィッド・ホックニーという名前、知らなかった。だけど、番組内での扱われ方が大きかったので、また、いい人、教えてもらったという感じ。今、東京都現代美術館で、展覧会が行われているということで、MCの二人と学芸員さんが、館内を巡りながら、その歴史と作品を紹介するというもの。イギリスのブラッドフォード生まれ、同性愛が違法であった(オスカー・ワイルドを裁いたやつですね)時期に、同性愛者であることをカミングアウト、作品の中でも、それを示すものがある。やがて、同性愛者として魅力的な町だと感じたロサンゼルスに移住。後年(2007年)、イーストフォークシャーに移るが、現在では、更にノルマンディに移っている。紹介された作品をメモっておく。①No.118、2020年3月16日 ≪春の到来 ノルマンディー 2020年≫より(IPADで描いた水仙図、2020春、コロナ禍でオンラインで公開、「春が来ることを忘れないで」というメッセージを付けて)②花瓶と花(もう1つの水仙図、エッチングの引っ掻き線によって色味や質感が描かれている)③三番目のラブ・ペインティング(同性愛者であることを公開している、発展場であるトイレの落書き風、マチ―ル《絵肌》に気づかせたいために小さな文字)④***(男性/写実、女性/抽象、右下/コラージュを1つのキャンパスに)⑤ビバリーヒルズのシャワー、、、(伝統的な水浴図を現代の生活の風俗で描く)⑥スプリンクラー(明るい色彩、アメリカは水ですら人工的、自然界にはない直線の屋根、柱、跳ね上がる水、人のいない住宅)⑦クラーク夫妻とパーシー(等身大の人物、60年代以後のダブルポートレイトの1つ、逆光で描く、でも、明暗表現で存在感を出す、女性を立たせ、男性が座る、女性の視線の先に鑑賞者、猫は反対側を見ていることで3次元の空間を表そうとしているが、3次元を2次元で表現しきれていないと考える、鑑賞者が中に入って行ける絵画を模索して、ピカソのキュビズムを学びなおす、多視点の発想へ)⑧遠近法のレッスン(後ろが拡がる、鑑賞者が中に入って行ける空間、逆遠近法)⑨ホテル・アカンドラン、、、(上から俯瞰しているかと思うと、屋根を下から見ている、多視点、逆遠近法)⑩椅子のある静物(ファックスを繋ぎ合わせた作品、画廊へ画家からファックスが届いた)⑪ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作(90mの最新作)⑫ビデオカメラを使い撮影した映像(9台のカメラで1本の路を撮影、四季)⑬春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート(2011年、キャンパス32を繋ぐ)。途中、コーヒーの利尿作用の影響で、2回もTV画面から離れたため、途切れているので、誤ったメモをしている可能性ありです。再放送、見なければならないね。
 午後は「華頂公開講座」へ。京都華頂大学の行っている市民向け公開講演会。今年は、来年度より開設される「生活情報学科」の広報を兼ねて、「コロナ後の経済と情報通信技術」をテーマにラインナップが組まれている。既に、第1回目に参加。ウェブマーケティングの最新の動向の紹介があり、とってもおもしろかったもので、第2回目も参加することにした。そのお題は「リモートの世界はどこまで進展するのか?」というもので、関西学院大学名誉教授の佐藤善信(令和6年度より現代生活学部生活情報学科教授着任予定)さんのお話を聴くことができた。お話の上手な方で、ソフトで、最新のレビューを押さえつつ、通念的なお話もしていただけたりと、きっと、関心のある方が聴かれれば、ツボにはまるようなものだったんじゃないかな。でも、黄紺の最も苦手とする内容だった。前回が技術にシフトしたお話だったもので、今回もそうだろうと早合点をした自分が間違いでした。講師の方は、実際に、会社の経営コンサルティングにも関わっておられる。そういった経営戦略として、リモートが、どのように活躍というか、活かされていくかという視点でのもの。人の行動様式をパターン化して、人材活用に、どのように活かすかとか、その手のお話は、全く関心がない。正直、苦痛の1時間半。出ても行けず、身体が反応して、かなり眠ってしまってた。失礼な話だけど、興味の埒外だから、こればかりは、どうしようもない。そういった方向のお話だと見抜けなかった自分を責めるしか仕方なかった。懲りたので、あと2回予定されているけれど、参加申し込みはしないことにします。


2023年 9月 23日(土)午後 9時 24分

 今日は、ちょっとした遠出。兵庫県まで行ってきた。しかも、帰りに大阪市内で落語会に行くという、なかなか充実した一日。午前8時半には、電車に乗っていたし、帰宅したのは、午後5時というもの。昨日に続いての朝方からのお出かけ。というのも、兵庫県内までのお出かけは、つい4日程前に決めたもの。それに合わせて、大阪市内で落語会に行ければと探し、でも、直前の予約はダメかと思ってたら、受け付けてくれた。今日、その落語会の受付をされてる方に尋ねると、受付番号はラストで、来ない人がいることを見込んで、定員以上に受け入れた人数内に入っていたから、こちらも際どかった。兵庫の行き先は芦屋市立美術博物館、大阪での行き先はツギハギ荘だった。
 芦屋まで行ったのは、今、こちらで「最後の浮世絵師 月岡芳年」という名の展覧会が行われているから。ホント、最近になって知った。どこかで、チラシを見て、驚いた。しかも、会期期限が10/9となっていた。もう、あまり日がない、実際、黄紺の予定表は詰まっているので、行けるのは2日程しかなかった。で、今日になったのだ。朝から出かけて、午前中に観終えて、大阪に戻れば、落語会に行けるじゃないかと思い、敢えて土曜日を選んでみた。月岡芳年は、今年2度目となる、北九州を軸とした福岡旅行の発端が、月岡芳年絡みだった。年内には、この両者に比べると数は少ないが、あと1回、月岡芳年を観る機会があると思っている。一応、ダイヤ検索をして、電車の計画を立てながら、あまりにもの情けないミスを犯した。自宅から阪神芦屋(ここが最寄駅)まで、乗り換えが必要。その1本をずらしながら、もう1本をずらさなかったものだから、展覧会滞在時間が正味1時間となってしまった。もう30分程を確保すると、展示数(約150点)や腰の状態を考えると適切かなと思っていたのが、大誤算。だから、1つのコーナーが終わると、時計を見ながら観覧するということになったけれど、スルーすることもなく、鑑賞することができた。この展覧会の謳い文句に「”血みどろ絵″だけではない芳年の魅力」と書かれていた。だから、それはなかった。が、1点だけ、今の報道写真に相当するものに、血しぶきの飛んだものがあったけど、あとは武者絵、歴史画、美人画、物語絵、報道画が並び、最後に「月百姿」が、なんと50点程並んだ。作品リストには、出典先が書かれてなかったのが気になった。通常、そういった表記の場合は、展示している美術館の所蔵と、相場は決まっているのだが、この美術館のものなんでしょうか? でも、「月百姿」を半分持っているというのは、凄いよ。「武者无類」は、北九州ではたっぷり観たが、今日は数点。「加藤清正」のごっつさは、既に観ていたけれど、格別です。「曽我五郎時宗 五所五郎丸」も既視感があったけれど、解説を読むと、「五所五郎丸」の方を、曽我五郎の陰に置いて、半身だけしか描いてないのが、芳年の趣向だって! それで潜んでいることを示してるそうです。この2人の関係は、柔の部分もあるけど、こういった連作に入ると、剛のモチーフになるのは、致し方ない。同様の趣向の連作に「一魁随筆」というものがあるのですね、「朝比奈三郎義秀」は、狂言でも使われている素材、豪傑の有名人だけど、これ、観た記憶があるということは、このシリーズも、既に観ていたことになります。物語絵的なものには、「新撰東錦絵」「新形三十六怪撰」という連作があった。前者の中に「中納言行平朝臣左遷須磨浦逢村雨松風二蜑戯図」があったけれど、松風村雨の両人は、上半身が丸見えと、めっちゃ露骨な表現に、びっくり。可憐さの欠片も削ってしまっているのが、おもしろいというか、驚き。「田宮坊太郎之話」は、仇討の物語だということは、浪曲で覚えたけれど、健気な子どもより、主役はその母親、浪曲とは異なる趣向が気になる。後者は、連作の2/3程が展示されていた。「皿やしき お菊の霊」「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」「清姫日高川に蛇体と成る図」「二十四孝狐火之図」等々、おなじみの主題が扱われている。黄紺の知らない主題も、きっと、芳年の時代には、とってもポピュラーなものだったのでしょうね。でも、知っている主題の作品の場合、多くは、自分の感性と齟齬を来すことがしばしば。その違いを楽しむのも、鑑賞するときのおもしろいところだね。単独の作品では、「平清盛炎焼病之図」が高熱で苦しむ清盛、マラリヤだったかな、死因は。「日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図」は、能「鵜飼」のモチーフにもなっている挿話、「芳流閣両雄動」は、犬塚信乃と犬飼見八の対決ですな、急峻な芳流閣の屋根が、2人の対決の熱量を高めます。本日一番のお気に入りでした。ま、日により変わるけどね。「東京自慢十二ヶ月」が、遊女・芸者のキレイどころを描いた美人画の代表作なんでしょうね。中には、芳年馴染みの遊女も描かれていると、解説に出ていました。そして、その次に並んだのが、楽しい楽しい「風俗三十二相」、「~~そう」というやつです。「国芳・芳年展」で観たとき、ホント、楽しいやら、発想の柔らかさに驚いたものでした。今回は、24点も展示されていました。浮世絵の型通りの女性じゃない、内側のちょっとしたものを描いてる。西洋画の影響なんでしょうけど、おもろいわ。なかでも、傑作なのが「うるささう」、これ、猫の気持ちです。ギャル風の女が猫を可愛がりすぎる様を描いて、このお題だからね。報道画が5点あったあとに、「月百姿」でした。中には、摺りの違う2点を並べるという凝った展示も。微妙な変化のもあるかと思うと、全く、背景の色を変えるなんてこともやってました。「玉兎 孫悟空」は、やっぱ、超目立つ。これも、そうだけど、躍動感の大きなものって、目が行っちゃう。「五条橋の月」の牛若丸がその代表格。「源氏夕顔巻」って、多分、初遭遇のはず。亡霊となって現れた夕顔が微かに描かれていたのが印象的、「原野月 保昌」は、背後から描いている、表に回ると、有名な方になるのかな? 「吼噦」「卒都婆の月」「赤壁月」等々、おなじみのものとの再会があったが、そういった情緒豊かなものが多いなか、「おもひきや雲ゐの秋のそらならて竹あむ窓の月を見んとは 秀次」の秀次の重々しい心情をクリアに表したりしているのに目が行った。更に、存外、滑稽な雰囲気のものもあり、描く物語だけで気を引くだけではない工夫が散りばめられているのが、これだけの数を、1回で観ると、よく判ります。
 予定の時間で鑑賞を終えることができたので、下手をすると、昼食抜きかもと心配していたのだけど、大丈夫と判ったので、梅田で昼食。駅前第4ビル地下のアジア・キッチンの店で、ガッパオとフォーがセットになっている定食を食べることにした。タイとベトナムの合体定食だけど、ま、固いこと言わない! ガッパオの肉、ちょっとやったから、ナシゴレンとフォーのセットという、変な合体定食もそうかもしれません。マレーシアで「ナシアヤム」、タイで「カオマンガイ」が、この店では「シンガポールの″海南鶏飯″」となってた。ま、そうだけど、それが原点だけど、シンガポールを入れたかったのかな? このお店の背後には韓国料理屋さん、2日連続になるので止めたが、ランチメニューだけ見ておいた。すると、「ユッケジャン定食」があったので、覚えておきます。
 ツギハギ荘には、開場前に到着。でも、入ったのは最後、仕方ありません。今日は、こちらで、「にっぽん鉄道落語の会〜夕凪 愛媛篇〜」という落語会があった。主催者は桂しん吉。そのしん吉だけが出る会。ネタは3席、それは「道具屋」「狐芝居」「下灘」だった。普段は、新作ネタ下ろし以外でも、鉄道落語を出しているそうですが、今日は、ネタの巡り合わせで、古典?2席となった。しかし、しん吉落語は、何度も聴いているとは言え、この鉄道落語に特化した会も初めてだし、ツギハギ荘で落語を聴くのはコロナ禍以後初めてということで、めっちゃアウェー感、感じてしまった。大阪で落語を聴いているとは、およそ覚えない状態。この場合、噺家さんと客席との関係性に入って行けないのです。既に出来上がっている関係性が壁になっちゃう。時間をかけて慣れるしかない、こういう場合は。冒頭、しん吉は、喜楽館アワードの出場体験話で、マクラを振った。弟弟子佐ん吉に敗れたコンペについて、正面から触れた。普段なら、聴く心構えができてるはずなんだけど、どのように聴いていいか判らない。これ、痛いね。でも、あとで判るのだけど、このマクラ、3席目のネタ下ろしのマクラになってた。噺家さんって、凄いな。使えるものなら、何でも使っちゃう、凄いわ、この気合い。「道具屋」は、米朝に教えてもらったもの。さすがに、3遍稽古ではなく、「家にある本や音源で覚えておくように」との指示だったそうだけど、いざ、稽古となると、「こんにちは」からダメ出しをされたそうだ。そんな貴重は挿話を聴いていながら、仕込みの半ばで居眠り。残りは、ほぼ記憶ゼロの状態。しん吉は、高座から降りないで、そのまま2席目へ。今日は、三味線は入ってないので、お囃子なしの芝居噺。小佐田作品だ。吉朝門下特性のネタのようになっているもの。お囃子入りに慣れている耳には、場面の変化なんかに不利になってしまうことを発見。「ここで入るのに」が頭を過り、音まで思い浮かぶと、どうしても、そうなっちゃう。芝居の緊迫感が高まることになるだろうから、暗さも違うはず、となると、狐火なんてことも、暗さが出ないと感じられない。そんなで、こういった公演になると、仕方ありません。「下灘」という地名自体、初耳だった。宇和島の端っこにある駅だそうで、説明を聴いて思い浮かんだ光景と、帰宅後、ネットで調べた映像が一致しました。素敵なところです。結果的には、そこへ行ってしまう夫婦、その夫婦が、別々に、そこへ行ってしまう物語が、落語になっていたと言えばいいかな。冒頭は、「厩火事」の雰囲気で始まります。夫婦喧嘩の噺でした。そこで、頭を冷やしに出かけた先が愛媛、最終的には下灘で出会ってしまうという流れ。この駅、そこを通る路線についての蘊蓄が入るのが、しん吉落語の真骨頂。鉄でもある福井在住の友人に聴かせたくなる落語会ですね。


2023年 9月 23日(土)午前 7時 34分

 昨日は、朝からお出かけ。しかも、ハシゴ。と言っても、2軒目は病院。椎間板ヘルニアの診察予約が入っていたのだ。だから、朝のお出かけ先からダイレクトに病院に行った。行くまでは、時間を持て余すかもと思っていたのだが、実際に動いてみると、病院に着くと、予約時間の30分前を切っていたから、とんでもない見誤りをしていたことになる。そして、病院では、治療終了となり、要するに、椎間板ヘルニアからの痛みが、薬で散らすことに成功したことになったのだ。確かに、ここ1週間、朝の定番だった痛みは消えた。午前中のウォーキング始まりの痛みも、ほぼ消えた。後は、腰を屈めるときと階段を上がるときに、微妙な感覚を味わう程度になっていた。そのまま報告すると、薬は止めること、続ける必要のない薬だとのことで、後は、再発時の対応を聴いて、おしまいだった。使っている薬の効用が確定するのが3ヶ月とは言われていたが、見事に、そのまんまとなった。とにかく、今回使われた薬のメモは残しておいて、いざというときには、すんなりと、その薬を出してもらえるようにしておこう、これが、今の決め事かな。
 朝のお出かけ先はアスニー京都。昨日は、「『この男、光源氏は何者か』-“光源氏”という思想 あるいは思想としての“光源氏”-」というお題で、京都市立堀川高校非常勤講師の岸本久美子さんのお話を聴くことができた。お話の展開は、光源氏の生涯を追いかけながら、その人生とは、どのようなものだったか、現代人に共感できること、そういった問題を提供していただいた、素敵なお話でした。大河ドラマ効果とは言え、この手のテーマを掲げる講演会が闊歩しています。それらを聴けるだけでも有難いのだけど、「源氏物語」を読んだわけではなく、古典の授業で得た知識、プラス、お能の元ネタになってるということから、有名なエピソードは、断片的にかじっている身には、こうして、時系列的に、その生涯をなぞってもらえるって、とっても嬉しかった。ようやく、繋がっていなかったエピソードが繋がったという実感、持てました。光源氏と言えば、華麗なる女性遍歴を経て行った華々しさだけが取り上げられるが、その光源氏と雖も、年嵩が嵩むにつれ、現代人同様、老いを生きていくことになる。しかも、現代と違い、人生が早く進む。30を越えると、もういいおじさんだった平安時代に生きた光源氏にも、早々に老いを感じさせるものが現れ、自らの人生を振り返る視点が現れると言ってられた。六条院というのは、光源氏の邸宅として、物語に出てくるそうだけど、そこに、様々な事情で面倒を見る女性を住まわせているが、事情はさておき、若き女性だと目がない光源氏は、そういったわけありの女性にも迫っていくが、当の女性からすると、破廉恥なおじさんにしか看られないという現実、そういったことから老いを自覚するとともに、正妻としなかった紫の上への思い。10歳のときに北山で見染めた逸話は、古典の教科書にも出てくるが、それから生涯、紫の上は、源氏と連れ添うことになるが、相も変わらず女性遍歴を繰り返す源氏だったが、いざ、紫の上に先立たれると、残るは後悔の念ばかり。誰しも、老いを感じたときに生まれる、様々な悔いの感情だが、それが、紫の上のことに終始すると言われていました。出家を前にした「幻の巻」では、四季の移ろいに合わせて、その悔いの気持ちを歌に乗せていると言われていました。晦日の歌を最後に、源氏は、物語から姿を消すことになります。そういった紫の上への悔いの感情というもの、これは知らなかった。どうしても、「源氏物語」と言えば、華々しさばかりを追いかける傾向にあります。古典の授業で教わるエピソード、能の本節に取り上げられるものも、結局は、源氏その人の華やかさが背景にあることから、こういった晩生ネタは出てこないものだから、知らないことになってしまう。けど、こうしてみると、そこまで書き切った紫式部って、凄い作家だと思わせられてしまいました。老いばかりは、時代が変わり、それを受け止める感性は変われども、いつしか、誰にでも訪れるもの、だからこそ、いや、そうした視点を持ち書かれたものだからこそ、高い評価を受ける作品だと教えていただけたような気がしました。お話の進め方は、トッピクごとに本文からの引用を朗読され、現代語に訳されるというスタイルだけど、その朗読がいい。そのお声がいいということで、満足度が、極めて高いものとなりました。
 病院への移動前に、アスニー京都近くにある韓国料理屋でランチ。昨日は、前回食べて。とっても美味だったテンチャンチゲの定食を頼みました。食べ終わったあと、スンドゥブチゲが、お昼の定食に入っておらず、一品料理にだけ入っているので、その点を尋ねると、黄紺が見てきたメニューが正式なものじゃなくて、黄紺の位置から見えなかった壁にメニューが貼り出されていた。それだと、しっかりとスンドゥブチゲは定食入りをしてるばかりか、他にも知らなかったメニューがあり、しばらく、このお店に通いそうです。


2023年 9月 21日(木)午後 9時 14分

 今日は、昼時に、オンライン配信を予約してあった。かなり前に予約したものだから、その後、情報として、対面式講演会、落語会と、2つも、この日に入って来た。昼時の講演会と対面式の講演会は、時間的には重ならないが、移動を考えると、2つともは無理。だから、既に予約してあったオンライン配信のキャンセルも考えた。もう1つは、オンライン配信と落語会は、両方とも行けるので、ほぼ、そのつもりでいた。そこへ、一昨日の日文研フォーラムの当選通知。ともに夜のお出かけだったので、週に2つは嫌だった。そこで、落語会をボツにした。なかなか当選しない日文研フォーラム、しかも、「ルバイヤート」が取り上げられる希少性に惹かれたのだ。そこで、また、元に戻り、対面式の講演会にだけ行くことも考えたが、若干、お題に躊躇いがあったものだから、結局、昼時の配信だけにした。自宅で聴けるのも後押ししたことも事実ですね。昼時狙いの講演会、多くの人は、昼休みに、弁当を食べながら視聴しているようです。参加者に肩書が付いている場合、無関係な者が、自宅で、くつろぎながら聴いてていいのだろうかと、毎度、この配信に参加すると思ってしまう。でも、緊急の課題を、解りやすく説かれるので、しかも、皆さん、パワーポイントの作り方が上手なものだから、一層、解りやすくなっているのが有難い。「気候変動適応東北広域協議会」主催の「気候変動の影響への適応 令和5年度ランチタイムセミナー」というもの。今年度は、都合で、初の参加となりました。今日は、「自然災害・沿岸域分野/事例にまなぶ:大雨・台風からいのちを守る避難とそなえ」というお題で、東北大学災害科学国際研究所准教授の佐藤翔輔さんのお話を聴くことができた。今日のお話は、「雨量(外力)だけで被害の大きさは決まらない」ということを、具体例を挙げて、お話しいただいたと言えばいいでしょうか? 雨量が大きくても被害は小さく、社会が持つ強さ・もろさの違い(脆弱性)で被害は大きくなるというお話です。住宅や堤防・防潮堤といった構造物で、外力に抵抗はできるが、その抵抗には限界があるから災害が起こる。だから、防ぎきることができるものではないが、被害や影響を小さくすることができる。そこで、2019年の台風19号を例に挙げ、ある集落で、側を流れる川が決壊したにも拘わらず、死者が出なかったわけをまとめられました。「自助」「共助」「公助」と分けて、具体例を挙げたおられたが、側を川が流れる地域だけあり、日ごろからの取り組みが凄い、また、いざというときの「共助」の態勢ができている。消防団ら、集落の各戸訪問して、避難の意思確認に巡回したり、避難したかどうか、家の外に旗を掲げるシステムは凄い。避難したことを示す旗があれば、巡回の手間を割愛できる。「公助」の例も凄かった。そういったシステマティックな取り組みのことを言われるのかと思ったら、そうじゃなかった。連絡の放送、農村地帯である外部からの放送や各戸内に設えてある放送設備を指すが、日常的に、他の事柄においても使うことから、家によっては音を小さくしたりしているのに気づき、避難指示を、役場の音響一括管理機能を使い、音量を、役場でコントロールしたと言います。こういった準備ができているか、集落の横のつながりが、普段からあるか否かなどを、社会の持つ脆弱性の問題と言われたわけでした。奥が深い、この問題も。決壊したあとの空中写真を見せていただいたけれど、恐ろしくなる光景だったもので、この奥深い取り組みに、ええもん聴いたという思いになったな。だけど、あまり、昼時に食べながら聴ける話でもないけどね、これ。黄紺は、早めに昼飯を済ませ、ゆったり気分で聴けたけどね。
 今日は、これがあったので、いつもより早めに出かけてウォーキングに入った。すると、雨。途中、軒先のようなところを借りて、しばし雨宿りをしなければならないほどの強い降りの時間帯があった。あとは降ったり止んだりなもので、早々に引き上げた。雨は大丈夫かなと思っても、配信があったので、午前中のウォーキングは、そこで中止。夕方のウォーキングも雨にたたられた。この時間帯も、降り方の振れ幅が、めっちゃ大きいもので、早々にギヴアップ。先ほど、万歩計を見ると9400歩、久しぶりに1万を下回ったけれど、今日は仕方ないね。仕方ないので、洗濯をした、夕方に。物干し台に屋根があるので、時々、これ、やるね。できるときに洗濯して、いつか、乾くだろうにすることね。


2023年 9月 20日(水)午後 9時 48分

 今日は、午後に市民向け公開講演会に行った日。昨夜、同様の講演会に出かけ、その翌日の午後に出かけるのは、きつい。特に、今日の講演会が、午後1時半始まり、会場が北の方ときたら、きつさも重みを持ってくる。そういった日に限って、しっかりと睡眠が取れる。不思議なものだ。と言っても、午前7時は過ぎてないけど。それで、しっかり睡眠と言ってしまう、今日この頃だ。お出かけ準備前に、近くへ買い物。帰ってきて、メールを開けると、福井の友人から、東京行きの打ち合わせ的内容のメールが入っていた。大塚にホテルを取ったと書いてあったけれど、ま、全く知らないところではないからええけど、そこで、ハタと気づいた。自分1人分だろうか、2人分だろうか。性格判断みたいに予想を立ててみている。また、後日、他の要件とともに、尋ねてみようと思っている。
 午後のお出かけ先は京都学歴彩館。ここで続けられている「京都を学ぶセミナー【宇治編】」があった日。今日は、「中宇治の町と町家」というお題で、京都工芸繊維大学教授清水重敦さんのお話を聴くことができた。「中宇治」という言い方は、自分的には耳慣れない言い方。旧宇治の中心街の呼び方だそうだ。三角形になっていると、よく言われる。頂点は、平等院、宇治橋、JR宇治駅だ。現在、生きる人間には、宇治橋からJR宇治橋に伸びる通りが、なかでも本通りだと思ってしまう。でも、昔はそうじゃなかった。平安時代と言われたかな、宇治橋が、今の位置に架かってから、そうなったのであり、元の本通りは、JR宇治駅から平等院に続くライン。だって、橋を架けるのに、塔ノ島があった方がいいと言われて、とっても納得。それが、じゃ、なぜ変わったのか、そのお話はなかった。そこから、もう1つの辺となる、宇治橋から平等院へと向かう道ができた。県神社に続くということで、県通りと言うそうだ。その宇治が、どのような場所だったか、それは解りやすいこと、平等院で判るように、貴族の別荘地、そして、お茶に関わるもののあるところ。平安貴族は、残念ながら飲茶の風を知らないから、この2つは結ばれるものではない。時代が違うが、結びつくというお話が、まず、大きな柱。土地の記憶というやつだ。発掘で出てくる貴族の邸宅跡にある池、書院造りには必須の池、でも、遺跡からは導水線が見つからない。要するに、傍にある宇治川からは水を引いていないということ、ということは、湧水があった、井戸を掘れば、水が手に入ったのだ。それは、なぜ、この答えは、「ブラタモリ/宇治編」で出されていた。宇治市街の背後にある丘陵(先日の藤木大地を聴きに行ったとき、ここの坂を上らねばならなかった!)から流れ出る川の扇状地が、この市街地三角地帯を形成しているのだ。そこからの湧水。これが貴族の庭を彩り、且つ、茶園に水を提供していたというのだ。扇状地の先にある平地、恐らく、宇治川の氾濫原だと思うのだが、そこで米を作る。それで、近世以後の茶生産が可能となったいう展開。「ブラタモリ」で触れなかったことまで言ってくれた。その茶園だが、今でも、一部残っているそうだが、その三角地帯にあった。明治時代だったかの航空写真を見せていただけたが、家屋密集地かと思いきや、空白地帯が散見できた。それが茶園。「現在では、車の行き交う横で、農林大臣賞受賞という銘茶が作られているのですよ」、これが、本来の茶生産の姿だった。そういった特異な姿を持っていたため、中宇治の家屋が、それに見合った独特の姿を持っている箇所があるというのが、この講演の本体。だけど、見事、おもしろいお話だなぁと思ってたのに、知らない間に眠っていた。なんでや、一番のええとこやのに。昨晩、しっかりと睡眠とれてるのに、もう、わけが判らん! 軒先が出ていたり、その軒先を支える柱に、変な接ぎ木のような補強がされてあったり、、、これは記憶にあるんだけど、そのわけは、全く聴けていない。
 展示室では、「伊藤裕司・竹中浩展―色の美」という展覧会が行われていたので、寄ってみた。京都府への、新たな寄贈品の展示だそうだ。2人とも知らなかった作家さん。伊藤裕司は漆芸、竹中浩は陶芸と、いずれの分野での大家だそうだ。漆は、ホント、解らん。「日曜美術館」で、先日紹介されていたけれど、言われてみて、初めて、大変な技能だと思った。それが、作品を見ているだけでは想像力が働かない。伊藤裕司の作品の特徴として、色漆が、1つ挙げられていたが、また、知らないタームが入り、くらくらする。しかも、この人の作品、螺鈿で文様や絵を入れているようだけど、そればかりでもなさそうに見える。制作風景の映像が流されていたので、僅かだけだけど、観た。すると、螺鈿として嵌め込まれるものって、貝殻だけじゃない。漆は白が出せないというので、鶉の卵の殻を細かく潰して使ってた。金属の薄い板、板と呼べるほどの厚さはないものも使ってた。貝殻も、全く、思いもかけない色合い、模様を持っているのがある。それを嵌めるようだが、嵌め方は観ることはできなかった。なんせ、映像時間60分と書いてあったから、気になっても、その表示を見ると、続けて観る気力は消えてしまった。竹中浩という人は、李朝青磁に触発を受けていると書かれてあった。白磁がお得意の作品だとの紹介があり、実際の展示にも白磁と表記された作品が並ぶ。でも、色が付いているものがある。この人、「青白磁」という、薄い色の青磁も「白磁」と呼んだそうだ。黄紺は、この薄い色の青磁が好物。でも、この人の作品を観ていても、あまりそそられなかった。壺の外のラインが、シュッとし過ぎてていて、とってもモダンな印象を持ってしまったから、なんと、保守的な感想を書いているのでしょう、でも、それで好きになれなかった。むしろ、三島と呼ばれる絵付けの入った白い陶器の方が、その絵で落ち着きを得られるようで、目が行ってしまってました。また、「白磁」とは書かれてはあるのだけど、薄い黄色と見えるものもあった。そんなで、おまけとして覗いた展示室、気になるもの、見せていただけ花〇でした。そして、帰りは、いつものように、三条駅までウォーキングを兼ね、徒歩移動。帰宅後、万歩計を見ると、今日は14300歩余だった。


2023年 9月 20日(水)午前 8時 8分

 昨日は、夜にお出かけが入っていた。だから、夕方までは、何もなしの一日。夕方のウォーキングは、お出かけの往復を使えるとして、午前中は、ごく普通の時間の流れ。でも、この午前中のウォーキングで、熱中症気味に。この間、秋に向かっているからか起こってなかったことが起こってしまった。やはり、昨日の残暑はえぐかったから、起こっても仕方がなかった。日影に入り、水分補給をして、しばし休む。その後、近くのマートに入り、身体を冷やせば、あっさりと恢復。もう最後にして欲しいですね。今週の終わりには、かなり秋めくそうですが、、、。午後は、火曜日ということで、RadikoでKBS京都の「まーぶる」を聴いた。昨日今日と続く大阪での独演会の合間を縫うようにして、この放送があった。そのためか、二葉は、かなりお疲れ模様。「毎日が独演会」と言ってました。売れたら売れるで、悩みは尽きません。二葉の独演会は、落語を聴かせるだけじゃなくって、趣向が、いろいろと凝らされているということが判る。これを機に、グッズに新しいものを用意したり、高座と高座の間に、ラジオショッピングを入れたり、しかも、それを、梶原さんに読んでもらったり、どうやら、その台本も凝っているようだった。ただ、昨年、かなりの時間を要したということからでしょうか、トークは省かれた模様。福団治とのトークって、どんなのか、ちょっと気になってたが、なかった。行かなくて、噂だけでも聴きたかったのだが。夜、帰宅後は、「おつかれさん」の方も、半ばまで聴けた。落語にのめり込む客ネタを、使い廻しをしていたというか、Youtubeで口慣らしをしていたと言う方が、適切かもしれません。
 夜のお出かけ先はハートピア京都、ここで、日文研フォーラムがありました。人気の講演会で、抽選で外れることが普通になっているのだが、昨日のは当たった。久しぶりのことだった。昨日は、「『ルバイヤート』から考える懐疑的な無常観」というお題で、テヘラン大学准教授・国際日本文化研究センター外国人研究員のアリレザー・レザーイさんのお話を聴くことができた。同センター教授の荒木浩さんがコメンテーター、同じく教授の劉建輝さんが、司会として参加されました。「ルバイヤート」が取り上げられる回に当選とは、運の強いこと。イランネタだと解って来てたんだろうかと思うほど、半ばに取られた休憩時に、結構な人数が帰って行った。このフォーラムで、初めて見る光景に驚いたが、そんなところかなと思ってしまったけど、外れる経験の多い者として、まことに失礼なことと思ってしまったな。イランが馴染まれてないと思われたのか、レザーイさんは、イランという国からお話を始められた。歴史にも触れられ、作者のウマル・ハイヤームを生んだ環境に迫って行かれた。黄紺の知識もここまで。そのウマル・ハイヤームが、詩人でもあり、というか、天文学・数学者であり、その人物が詩を書いたと言えばいいようで、「ルバイヤート」は、「ルバイ」の複数形で、「ルバイ」は四行詩を表す、詩の形式だというのだ。それ以外にも、詩の形式が、いろいろとある。各々を代表する詩人も紹介されていたが、中に、ルーミーとか、ハフェーズが出てきて、あれれ、どこかで聞いた名だと思ったけれど、単に、他人の空似? 幾つも、その詩を紹介しながら、その特徴を話されていた。確かに、無常観に満ちている。その大きな背景に、神への懐疑があるよう。あらゆるものの創造主である神、人間も創造した。理性を持った、最高の能力を持った人間(こういった人間性の背景を知りたかった!)を創りはしたが、死なせるのも神の業。その中を生かされている人間というものの存在の儚さ。ならば、なぜ、人間を創造するのかという神に対する不信? 懐疑が説かれる。こういった神の業を、壺職人に譬えるそうだが、壺職人は、壺を壊し、その壊れた土から、また、新たに想像する。インドから入ったのではと思われる「破壊&創造」というアンビバレンスを想像させたり、「輪廻転生」も浮かんでくる。時間の流れは、直線的だったので、これは、ゾロアスター教からなのか、イスラームを経由しているのか、いろんなことを創造させる、多くの要因を含んだトピック群だ。じゃ、11世紀のイランだとなれば、イスラームの時代に入っていながら、この「ルバイヤート」が、どのように流布したのかが気になるところ。実際には、1世紀ほどしてから、その断片、また、批判の対象として現れて来るという。スーフィーの中で、批判されているという。神秘主義集団だからこそ、排除しなければならない言説として現れるほど、巷では流布していた、なんで?と疑問が湧く。ヨーロッパに、この存在が知られるようになったのは、19世紀後半になってから。それだけ、存続している不思議、まとまっていたのかは判らなかったが、でも、残っていたことは間違いない、不思議だ、イランのイスラームに、これを寛容的に扱う何かがあったのかも、気になる。後半のトークでも、コメンテーターさんも、気になったようだが、どうも、質問の意図が、レザーイさんに伝わらない傾向で、ちょっと諦め気味に終始。気になったままで、時間切れ。最後に、「ルバイヤート」の一節を、レザーイさんが、ペルシャ語で朗じていただけました。


2023年 9月 18日(月)午後 9時 42分

 今日は、お出かけなしの月曜日、でも祝日。祝日と言っても、自分には関係ない。ウォーキング時にも、今日が祝日だとは、ほぼ感じなかった。平日のような印象だった。朝方、雨が降っていた記憶があるが、昨晩のマッチなど、トルコ情報を押さえ、食事も済ませ、いざ動き出そうとしたときには晴れていた。有難いことに、洗濯日にしたかったのが、そのままできた。それから、午前中のウォーキング。その途中で、コンビニに寄り、アマゾン屋さんで買ったものを引き取りに行った。コンビニ引き取りが可能な商品は、そのようにしている。留守にしている場合、その後の処理が面倒だから。コンビニだと、こちらの都合で引き取れるからね。今回は、本を2冊買った。通常、郵便受けに入る本の場合だけは、そのコンビニ引き取りにはしていないが、今回は2冊買い、その内の1冊は絵本だったので、図体が大きいかもと思ったから。もう1冊は、「歩き方/韓国編」だった。1月に行ったときは、まだ出てなかった。いや、コロナ禍で、「韓国編」すら、「歩き方」の需要がないのでしょうね、改訂版は出てなかったが、ようやく、今年になり出た。それで買ったというわけ。「韓国編」は、普通なら、需要が多いから、毎年、改訂されている。しかも、その改定幅が大きい。どんどんと新ネタを入れてくれるので、残しておいてほしいものも消えていく、それほど、熱心に改訂に取り組んだくれている。「マレーシア編」の編集者に聴かせてやりたい。「歩き方」は、作家のプロダクション発注制なので、プロダクション毎に、取り組む姿勢が違うのかなと想像している。絵本の方は、月末にDと会う予定なもので、そのときに渡すつもりの絵本。息子が、小学校1年生のときに読んでいたとき、おもしろい反応を見せたので、Dは、どうだろうかと、同年齢で、親子の反応比べをしようと企んでいる。そのための元手になる絵本なのだ。これは、長年、秘めていたこと。2年生のときにも、また、反応比べができる本がある。これは、来年の楽しみだ。それまで、生きている意欲が湧く企みなのだ。
 午後の一時は、この間、エリス株に関し、報道が、一挙に出た。お出かけがあると、それに目を通す時間がなかったので、一挙読みをしようとしたが、Youtube画面で、サッカーのダイジェスト版なんかを観ていたため、途中で時間切れ。というのは、もう1つ、今日は、やりたいことがあった。韓国旅行用に、韓国のsim事情を調べるということ。どこで買えば、何を買えば、リ-ズナブルで安全か、これを調べないと、直前になって慌てることになる。一番安全なのは、携帯電話会社自身が出しているものだけど、韓国の場合、これが、かなり高い。700円/日を超えてしまう。これは高い。6日間行くので、それの「×6」だから、えぐい。中国製の安いもの、日本の中小メーカーなんでしょうね、製造先は外国かもしれないけれど、安いのがあるが、レビューを見ると、かなりえぐい。えぐいのが多いと、逆にヘイト気味にも見える。その辺の判断ができない。日本でも、東南アジアでも、もちろん韓国でも使えるのにそそられる。これだと、日本で、セッティングして出かけられるというメリットがある、これはタイ製のはず。でも、これ、セッティングの前に登録が要るというコメントを見たことがある。じゃまくさい。それで、一進一退をしていたときに、ごく単純に思いついたことがあった、マレーシアで使ったの、冒頭で躓きがあったけれど、どっちかというと慣れない自分に問題があっただけのような気でいるので、その商品の韓国版出てないか調べると、あっさりとあった。200円/日ほどで収まりそうだ。だと、マレーシアのときと同じじゃないかということで、まだ、買ってないけど、ほぼ、それで行く気になっている。ちょっと肩の荷が下りたってとこかな。でも、行き先の決断がついてないよ。「歩き方」を眺めながら考えるかな、新ネタで、こちらのニーズに叶うものがあればいいんだけどね。


2023年 9月 17日(日)午後 9時 57分

 今日は、午後にコンサートに行くことになっていた。日曜日だということで、朝は「日曜美術館」がある。終わってすぐに買い物。時間節約のために、後半の15分の各地の美術館紹介に入ると、もう外出準備をしながら観ていた。慌ただしい、なんせ、行き先がびわ湖ホールだったから。昨日同様、余裕を持って出かけて正解、今日は、電車が遅れていた。そんなで、大津から戻ってきて、ようやく緊張が解けた。それだけで、万歩計を見ると、1万を僅かに超えていた。こんなんでも、それだけ歩いている。生活の中で、自然に歩くのが理想だから、ま、こんだけでも、満足するとしましょう。
 今日の「日曜美術館」のお題は「伝統は生まれ進化する 〜第70回 日本伝統工芸展〜」。年に1度の恒例の番組。今年も、全受賞作の紹介、それと、幾つかをピックアップして、作家さんを訪問したりして番組が出来上がっていた。コロナ禍で観たとき、着物が、あまりにも美しく観えたので、京都に巡回して来たときに、直で観に行ったことがあった。が、これは、TVに限るということが判った。受賞作だけが展示されるわけではないので、数をこなすため、展示の仕方も、見栄えがいいわけではなく、何よりも悪いのが照明。デパートの催し物会場のそれだから、TVで、贅を尽くした撮り方をしているのとはわけが違った。TVに限ります、この展示は。紹介された作品をメモっておきます。①松本達弥(漆芸)/彫漆箱「遥かに」(波がモチーフ、故郷瀬戸内海の海、50色を塗り重ねる、色漆は砥石で磨くと輝きが出る、修復作業で技を知る、今回の受賞作も南宋の作品がヒント)②柴田明(諸工芸)/有線七宝抽象文花器③海老ヶ瀬順子(染織)/穀織着物「Garden」(若葉の美しさをモチーフ)④奥村公規(金工)/朧銀地象嵌匣「時」(五角形の匣)⑤鹿島和生(金工)/布目銷盛象嵌扁形鉄花器「阿吽」⑥鈴田清太(染織)/木版摺更紗着物「蒼晶」(鍋島更紗の伝統、祖父が復元したもの、スケッチをしたものを単純化・デザイン化、それをPCに取り込む、木版化、型紙で色のグラデーションを付ける)⑦北岡道代(漆芸)/乾漆蒟醬箱「瑠璃藤花」(白漆と紫漆)⑧植田千香子(金工)/鍛黄銅合子「月夜の浜辺 サメガレイ」(鍛造作品)⑨大髙美由紀(染織)/紬織絣着物「みなも」(水の表情をモチーフ)⑩鬼平慶司(漆芸)/蒔絵箱「木洩日の熊谷草」⑪島田晶夫(木竹工)/楡木画飾箱(氷の模様、北海道在住)⑫中村弘峰(人形)/陶彫彩色「霧笛」(博多人形、5歳の子どもへのプレゼントでキャッチャーの5月人形を作ったことで、現代の姿を人形に取り込むことになった、今回の作品は10年前の受賞作品の成長した姿)⑬宇佐美成治(陶芸)/彩泥線紋鉢「花びらだんす」(元家電製品のデザイナー、定年後陶芸を始める、黒塗りのあと上から塗った釉薬?を鉄線で削り模様を入れて行く)⑭大村幸太郎(染織)/友禅訪問着「波に魚」(大海原、直線と三角形で海を描く)⑮山本佳靖(陶芸)/焼締窯変壺(窯変は木炭で)⑯江花美咲(木工)/花籠「斑入り」(花の生命力)⑰松本育祥(金工)/朧銀盛器「式」(鋳金)⑱藤野聖子(諸工芸)/截金飾筥「光彩万華」(幾何学模様の入った飾り箱)⑲福嶋則夫(木竹工)/神代杉柾目造板目象嵌二段卓(金沢在住、筬欄間がヒント、破材を活用)。どうしても、ガタイの大きな着物に目が行ってしまう。大きな図柄、繰り返しも、その数が多くなると目が行っちゃうなど、着物にそそられてしまったな。メモの量が多めなのが、MCの訪問があったもの。すると、制作過程なんかが詳しく語られるので、記憶に残りますね。技の凄さを知ることにもなるので、頭で凄いと思うところが出てきてしまいます。
 びわ湖ホールでは、「開館25周年記念 オペラ ガラ・コンサート」があった。ホール内には、若杉時代のヴェルディ初期作品上演時のポスターから、沼尻時代の指環まで、ホールの歴史を彩るオペラ公演のポスターが展示されていた。これは、ホント、値打ちものです。阪哲朗指揮京都市交響楽団の演奏で、第一線で活躍する歌手、びわ湖ホール声楽アンサンブル縁の歌手と、いい顔ぶれを揃えてのコンサート。歌手陣は次の方々でした。澤畑恵美a、石橋栄実b、船越亜弥c、藤木大地d、宮里直樹e、山本康寛f、青山貴g、市川敏雅h。合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブルiでした。プログラムの方は、次のようなものでした。「ワーグナー:『タンホイザー』より “歌の殿堂をたたえよう”i」「ヴェルディ:『椿姫』より “プロヴァンスの陸と海”g」「ヴェルディ:『リゴレット』より “女心の歌”e」「ヴェルディ:『運命の力』より “神よ、平和を与えたまえ”c」「ヴェルディ:『ドン・カルロ』より 友情の二重唱eh」「ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より “マイスターを軽んじてはならない”g」「J.シュトラウスⅡ:『こうもり』より “晩さん会は僕らを招く”i “私はお客を招くのが好き”d」「コルンゴルト:『死の都』より マリエッタの歌bf、ピエロの唄g、終幕のアリアbfg」「モーツァルト:『フィガロの結婚』より “恋とはどんなものかしら”d “開けて、早く、開けて”bd “手紙の二重唱”ab “あの素晴らしい日々はどこに”a」「R.シュトラウス:『ばらの騎士』より、オックスが帰る場面の音楽、テノール歌手のアリアe、終幕の三重唱abd、二重唱abdh」。オケだけの演奏は、「ばらの騎士」のごく一部だけで、あとは、全て合唱か歌手による歌唱という、ここまで、徹底した「オペラ・ガラ」はないんじゃないかな。そういった意味では贅沢なプログラム。前半は、ワーグナーとヴェルディ。後半は、「死の都」を除くと、今年度の上演作品を並べるという宣伝を兼ねてのもの。「死の都」は、びわ湖が日本初演だったはずだから、この日のプログラムに相応しいもの、ましてや、オペラでパウルを歌ったのも、山本さんだったはずだから、二重に相応しい。部分的にとは言っても、「死の都」と「ばらの騎士」、これら両方を聴けるのは、正に黄紺的ツボ。声に出して、メロディをなぞりそうになっちゃいました。目玉は、藤木さんが、オルロウスキばかりか、ケルビーノやオクタヴィアンまで歌っちゃったことでしょう。ただ、残念なことながら、カウンター・テノールは、パワー的には弱い立場になるので、デュエットとなると、厳しい側面も。デュエットの繰り返し部で、オクタヴィアンが、ゾフィーを超える高音で歌う箇所、高さは出してたんだけど、音形を変えていた。なんでだろう? 変形に気づいたのは、同じ「ばらの騎士」のテノール歌手の最高音、上げなかったな。あと半音というくらいと聴いたつもりだったけど、出そうなのにね、安全策かな? そんなで、本日のベスト歌唱には、宮里さんの「女心の歌」を選びたいと思います。久しぶりに生で聴いた感激と言い換えてもいいかもしれないけれど、山本さんの歌唱も推し、もう少しパワーがあればとは思うけれど、お腹の中に塊を持つ男のせつない気分が出てたから、余計に、メロディを口ずさみたくなったんだと思います。再演してくれないかなぁ。しかし、客の入りは悪かった。パルケット席が詰まってたのは、招待客? そうでもなさそうだったけれど、お安い席がガラガラ。勿体ないなぁ、記念の会なのに、ご祝儀の気で来ようという人が少ないんだろうね。


2023年 9月 16日(土)午後 10時 57分

 今日は、午後に市民向け公開講演会の予約を入れていた日。午前中に、ミニウォーキングを入れる時間があったので、買い物がてらに実行。トルコ・リーグの再開は、週末に入ったが、土曜日からだったので、その情報収集は必要がなかったので、時間は確保できた。それと、不便な会場への往復を入れたのが、今日のウォーキング。万歩計を見ると、13500歩となっている。時間的に制約を受けた中だから、それで十分だろう。家で昼食を摂って出かけるときは、必ず、出発準備に入る1時間前から昼食時間にしている。お腹が動き出し、途中で困った経験多数なものだから、ずっと、そうしてきた。だが、大腸ポリープ切除をしてから、その心配もなくなり、そないな配慮は不要かなと思いつつも、それを続けている。今日もそうしたのに、途中下車。大腸ポリープ切除後、初の事態だった。でも、電車に余裕を見てあったので、遅刻にはならなかった。でも、こんな日もあったってことは記憶に残しておかねばなりません。
 お出かけ先は、輝きプラザきらら内のホールとの連絡だったが、全く知らない会場。ググると出てきたが、京阪牧野駅から徒歩21分と出た。バスの便もあるようだけど、頃合いの時間と歩いた。牧野の全く知らない地域を歩けて、ちょっと気が上がった。穂谷川って、名前だけしか知らなかった川沿いに歩いて行くことになった。枚方市教育委員会も入っているビルに会場はあった。そこで、今日は、枚方市文化財課主催で、「令和4年度発掘調査報告会」があった。コロナ禍以前に、枚方市主催の、こういった講演会に行ったことがある関係で、案内をいただけるため、このような講演会があることを知った次第。今日は、3時間のロングラン。だけど、前の2時間は講演だったけれど、後の1時間は、会場に隣接する「牧野車塚古墳」の見学、及び、ビル内にある考古学資料の展示の解説となっていた。後の見学会などは良かったんだけど、前の講演会は、またぞろ音響が悪く、お話の半分も聴き取れなかった。その内容は、次の3本立てだった。お話をされたのは、同文化財課の井戸竜太さんという、お若い研究者さん。①発掘調査成果の概要②個別報告1「九頭神廃寺」③個別報告2「中振北遺跡第2次調査」。①は、考古学的発掘とは的な入門編と、各時代を代表する枚方市内の遺跡の紹介。これで、初めて知ったんだけど、文化財保護法に基づき、指定地域の再開発に当たり、何でもかんでも発掘をしてるわけじゃないんですね。そんなことも知らなかった。法により指定された地域であっても、そこに何かが眠ってるわけじゃないということで、何か遺跡が出てきそうな箇所のみを発掘調査。あとは、開発工事に立会い、何かが出れば動く、その他は、慎重工事として、業者に任せるとなってるらしい。そんな話を聴いていて③の発掘のきっかけを聴くと、怖くなってしまう。③の発掘場所は、京阪光善寺駅西側再開発区域、そんなことやってんだと、初めて知った、懐かしい場所なのに! その北側に、数年前、それまで知られてなかった遺跡が出たということで、やっておいた方が良かろうということで発掘調査に入ると、出てきた。そんな現実を知ると、法があるとは言え、ちょっと怖い話だね。②は、牧野本町にあった古代寺院跡の発掘。瓦が出てきたりして、この廃寺を探究するには、いい材料が出てきているらしんだけど、ほぼ居眠りで、ダメ。ごく部分しか覚えていない。だから、メモれるのは③だけ。その場所は、明治時代の地図を見せていただき、一層、クリアになったけれど、集落ができるには、ちょっと変な場所。それに引っ掛け、井戸さん、おもしろい話をされていた。考古学のプロは、今の地形を眺めながら、遺跡が出てくるかの見当をつけるとか。そういった意味では、この場所は予想外の場所。光善寺駅の反対側は、判りやすい丘陵地帯に対し、現場は、平坦に広がった地域。あっさりと氾濫原と見てしまう。そういったところに、思いがけない遺跡が出てきたというわけだ。井戸さんは、その明治時代の地図を見ると、等高線は開いており、斜面ではなくなっているが、出てきた遺跡、且つ、今回発掘に当たった区域は、ともに、丘陵から出た平野部の最初の等高線内にあった。だから、まだ、尾根の緩やかな続きがあったため、そこに集落が発生したのではとの予測を立て、発掘に入り、大正解だったというわけだった。発掘現場で、何が出てきたかというお話は、建物跡があり、中に井戸跡がありという程度のお話で、さほど興味が惹かれたわけではなかったが、その発掘に至る話にそそられてしまいました。だと、気になるのが、井戸さんは、ここは、今日のテーマじゃないと、気にかけながら触れられなかったけれど、光善寺という大きな寺院のある出口村だったっけ、あすこは、もっと氾濫原と思しき平坦部の真ん中にある、なんで、あんなところに集落がと 気になって仕方のない黄紺でした。自然堤防なの? 「牧野車塚古墳」は、名前しか知らなかった。北河内最大の前方後円墳なんだって、しかも、自由に立ち入れる。今日も、前方部から入り、後円部に上がってきました。周濠があり、更に、その外に外提まである。充実の墳墓です。あの辺り、異なった形式の墳墓が、近くにあることから、墳墓の集合する地という認識を持たれていたのではと、解説担当の方は話されていました。展示もおもしろかった。小ぶりだけど、解説付きだとおもしろい。塼仏というもの、帝塚山大学の講演で学んだものだけど、実物を観たのは初めて。枚方市内の百済寺跡から、「大型多尊塼仏」が出土したそうで、大阪府指定有形文化財に指定されたそうだ。しかも、申請じゃなくて、府から言ってきたということ。そんなだから、パチンコ屋じゃないんだからと突っ込みたくなるような飾り付きで展示されておりました。西寺にも瓦を出していた窯があったということを知らせる展示も驚いたけど、今日の初耳、「楠葉の台場」にはびっくり。ま、淀川を遡上するかもしれない外国船を警戒するものだろうことは、すぐに了解はできたけれど、そんなものがあったとは、ホント、知らなかった! ということで、不調に終わったものもあったけれど、収穫もたっぷりとあった。そういった意味で満足のイベントでした。
 夜は、「ブラタモリ」の新作「稚内編」を観た。この辺にも、考古学遺跡があるのかなと思ったけれど、そういった話は出て来ず、トピックは近世以後限定。そういったところなのかもしれない。江戸時代から北方貿易の基地があったというトピックは、とっても新鮮。松前藩は、北海道各所に、そういった交易の場を設けていたってことは、驚きだった。稚内駅の変遷もおもしろかった。樺太との交易の最前線として、隆盛を極めた様子、その名残も見せてもらえた。今は、単線で、ホームも1本だけという稚内駅、行ってみたいね。次回は、利尻島だって! 今回の稚内編とともに、期待の行き先です。


2023年 9月 16日(土)午前 0時 27分

 お出かけが増えている今日この頃、何かに行っては居眠りをする、それを防ぐと言って、効果の有無は判らないけど、適度にお出かけなしの日を入れるようにしているのだけど、今日は、正に、その日。となると、外出が、ウォーキング時だけとなるのは仕方がない。今日は、午前中のウォーキングの前に、洗濯をすることにした。まだ、夏が続いているというのも、洗濯日の間隔が変わらないからだ。そして、今日は、暑かった。昼間の気温上昇と湿度は、1ヶ月前と、何ら変わるものではなかった。そういった日を、洗濯日にすると、かなりきつい。体力的にだけではなく、時間的にもタイトになる分、それが体力消耗に繋がってしまう。夕方のウォーキングは、毎度、酎ハイを仕入れに行っているマート込み。ついでに、手持ちの現金を増やすために銀行経由。普段は、最大、1万5千円しか持たないようにしている。食糧の調達のような買い物以外では、ほとんど現金を使わないようにしている。キャッシュレスでの支払いは、使う領域を決めている。外食の支払い、チケットの購入に限定。普段の買い物では、一切使わないことにしている。どれだけ使っているか判らなくなってくるから。最近、スケジュールの都合上、外食にした方が効率が上がるときには外食にすることを増やしたから、キャッシュレスの使用頻度は増えていることは事実。むしろ、そういったときにはキャッシュレスにするようにしている。茨木の王将で、ヴィザ・タッチも使えたしということで、使いだしたら、わけがわからなくなるので、使う場合を決めているのだ。
 午後の一時は、旅行準備に充てるつもりをしていた。いつものように、旅行時にスマホが不調となっては困るということで、情報をペーパー化してから出かける。そのための準備だ。名古屋旅行用に、今日、新たにチケットを、1枚、引き取った。計3枚、溜まった。あとは、アクセス方法だったり、交通機関の情報だったり、行き先の地図など、スマホが機能しておれば紙屑にしかならない代物。ところがだ、またぞろ、PCの動きが、極端に悪い。名古屋行きは、さっさと片付けて、その後の韓国旅行の情報収集、そして、それをペーパー化する準備をしたかったのに、そちらの方が、全然、できなかった。ここで、気が付いた。最新の「歩き方/韓国編」を買ってなかったことに。で、慌てて、アマゾン屋さんで買ったところ。一緒に、Dに読ませたかった絵本も買った。そんな状態で大丈夫かという、とぼけたことが続いている。余計なことに拘束され、肝心なことが疎か。あかんね、これじゃ。


2023年 9月 14日(木)午後 10時 7分

 今日は、午後に落語会に行く予定を入れていた。一昨日、動楽亭昼席に行ったので、えらく短期間で、落語会に行くことになったが、月末にも、もう1回落語会のチケットが買ってある。そういった回り合わせということでしかない。方針を変えたわけではない。今日の落語会も、午後に行われたということで行く気になっただけだ。もちろん、顔付けを眺めながらでの話だが。会場が茨木市ということで、時間がかかるということで、その途中で食事を取ることにして、いろいろ迷った挙句、ググると、道筋にネパール屋さんがあったので、そこと決め、実際に行ったが、跡形もなかった。ココ壱番屋が、よく似た場所にあったが、行く気にはなれなかった。コーンスターチを露骨に感じるカレーなんか、食べてられない。時間も、さほどあったわけではなかったので、近くに王将が目に入ったので、そこで済ませることにした。味噌ラーメンを、コロナ禍以後、初めて食べた。ということは、1人で王将に行ったことが初ということを意味する。
 落語会は、会場変更の案内を頂いていたことを、すっかり失念していて、違う会場に行ってしまったが、近くだったため、大事には至らなかった。茨木市立ローズWAMワムホールであった「第16回茨木ハチマル落語会『東西落語ユニット we』」だ。「we」は、「West」と「East」だ。こんなことを考え出すのはそうばしかいない。そうばを含め、東西の噺家4人の出る落語会だ。その番組は、次のようなものだった。そうば「手水廻し」、宮治「親子酒」、雀太「粗忽長屋」、扇橋「ねずみ」。東京組の2人を、生で聴いたのは初めて。宮治は、Youtubeのおかげで、その高座は聴くことができたが、小辰の新扇橋は、それもない。かなり評判になっていた噺家さんだからこそ、大きな名跡を継ぐことになったのだから、ここまで聴いてなかったというのは恥ずかしいこと。そんなで、期待の落語会。上方組も、コンペで優勝して乗ってるそうばに、言わずと知れた雀太だから、申し分ない。なのに、まともに聴けたのは、そうばのマクラと宮治の高座だけ。扇橋に至っては、冒頭、子どもが甚五郎を呼び止める箇所だけが記憶に残っているので、「ねずみ」をネタを書けるという、凄まじいダウン。そんなだから、宮治の高座だけ、コンプリートできたのが不思議なほどだ。「笑点」ネタを、マクラからネタまで、全編、使いまくりの口演は、スジャック過ぎ。古典に、奔放にくすぐりを入れるのだろうとは、予想していたが、それが半端じゃない。でも、形が、ぎり崩れない。これはこれで、名人芸とも言える奔放さだ。凄いもの聴いてるというわくわく感が、眠気を吹っ飛ばしたようだった。それに煽られたのか、その後に上がった雀太のマクラが、えらく堅く聴こえてしまったのは事実。それが、一挙に、元の黙阿弥にしてしまったのかもしれません。僅かだけ記憶に留まる扇橋のマクラも堅かったしね。いえいえ、演者のせいにしてはいけない、コラッ! ところで、帰って来てから、「ねたのたね」を見ると、この顔ぶれで、夜には、繫昌亭で会をしている。それに合わせての公演だったようだが、チケット代が、えらく違う。繫昌亭の方が、えらくお高い。東京から噺家さんが来たときには、そうなるだろうなというお値段に対し、昼間の会は、近隣の爺婆を相手にしての会ということからでしょうか、しかも、なんちゃら財団主催だから、利益が度外視しているのでしょうね、このメンバーで、このお値段は凄い。おかげで紛れ込ませてもらったけれど、結果は惨憺たるものになってしまった。サイテー、です。


2023年 9月 14日(木)午前 8時 7分

 一昨夜は、トルコ代表と日本代表との試合があった日。TV中継があったのかも知らない。トルコでは、TRTが流すことは知っていたけれど、日本のTV局が流したかは知らない。あまり関心が起こらなかった。日本代表は、ドイツ代表の方にシフトしているだろうし、トルコ代表は、欧州選手権予選の空きの日だったので、先日のアルメニア代表戦にシフトしてるだろうしの日程で行われたので、そそられる試合ではなかった。その上での勝敗予測では、今のトルコ代表は勝てないだろうというものだったが、案の定の結果だった。その程度の関心だったため、試合後の感想のようなものも追いかけていない。
 朝から、その試合のチェックだけはしたので、時間が押してしまった。おまけに、昨日の午後は、先週に続き、同志社大学公開講座に行く日だったもので、お出かけまでがタイトで、おたおたしながら、その一方で、聴き残しの「まーぶる」や「おつかれさん」も聴いた。ラジオを聴きながら、噺家さんがゲストに出てくると、必然的に落語が話題になるので嬉しいのだが、丁度、一昨日聴いたところの団朝が、動楽亭の出番のあと、京都に行き、「おつかれさん」に出ていた。今度、中之島である独演会の宣伝を兼ねての出演だけど、当然、吉の丞とは、叔父・甥の関係になるものだから、話は弾む。ましてや、ともに荒くれ組に入る方だから、余計に、この組合わせにそそられてしまった。団朝は、京都の出身だからということで、京都での宣伝となったようだった。昼間のめっちゃ危ない話のようなものは、さすがにラジオではできなかったが、気を付けるような言い方をしながら、放送禁止用語を口走ったのが団朝らしいところ。入門のときの逸話、京都花月に通った逸話、おもしろい、おもしろい。つられて、吉の丞が、吉朝が亡くなる前に、吉の丞は心配ないが、佐ん吉が心配と言って亡くなった逸話を紹介してくれた。動楽亭で、団朝を見たとき、顔かたちが変わっていたのが気になっていたのだが、この放送を聴いて、そのわけが判り、一安心。コロナ禍以後、酒を止めたということだった。団朝と言えば、大衆演劇、飛田、酒が付き物だと思っていたから、考えもしてなかったので、ホント、嬉しかった。
 同志社大学公開講座は、夏の部の最終日。「弥生~古墳時代の儀礼における朱の使用と社会的背景」というお題で、三重県埋蔵文化財センターの石井智大さんのお話を聴くことができた。「朱」をテーマにされるというだけで、気になる講演。だけど、半ばでダウン。寝ちゃいけないときに寝るというパターンは相変わらず。確か、秦の始皇帝の墳墓が朱塗りじゃなかったかな、間違ってるかもしれないけど、秦の始皇帝って、不老不死を追い求めたということでも有名。ということは、3段論法で、「朱」は「神仙思想」とのリンクがありそうとの予測で臨んだ。でも、寝てしまったが、覚えている箇所だけでもメモっておくことにする。まずは、「朱」は、何からというのが問題だが、逆に、水銀以外が指摘されたのが新鮮。ベンガラ、酸化鉄ということで、早い話が赤錆。でも、大部分は水銀だったそう。で、水銀は、どうして朱になるか。「辰砂」という鉱石に含まれている赤い砂が、それ。だから、辰砂をすり潰して使う。日本画の絵の具と、同じ要領。ここで、おもしろい言葉定義。溶けないのが「顔料」、溶けるのが「染料」。今、話題になっているのは前者。すり潰せばすり潰すほど、赤くなるそうだ。だから、それなりの道具が出てくる。それが、石杵と石臼、それらが出てくるところで、水銀朱が使われていたことになる。それが、撒く、塗る、磨るという形で使われていた。その意味合いとして、中国伝来の神仙思想と関係があることが想定される。また、朱の出てくるところから、その用途が推定されるが、墳墓だけじゃなくて、集落でも出てくるという問題がある。墳墓だと、生死に関わる儀礼、葬礼儀礼に使われていたとだけ規定できるが、集落、要するに日常的な生活の場でも使われていたことを想定しなければならない。その出方で、、、、この辺が、居眠りでしかとしたことが判らないのだけど、儀礼時に、撒く、塗る、磨るが行われていたと考えられるが、身体に塗り、何らの儀礼を想定しておかねばならないと言われていた。その根拠が抜け落ちているのが悲しいところ。でも、こういった朱を用いた時期にピークと言える時期があるという。それが、弥生時代から古墳時代への移行期。この時期には、銅鐸や刀など、祭具として使われたものが多く出土するばかりか、大型化、特徴のある形状のものが出てくるという時代でもあり、儀礼を、特に重んじることを指し示す、正に、その時期に朱の出土も被るというのだ。縄文時代から続く、朱、いや赤い色に関する、思い入れのある感性の上に、中国伝来の神仙思想が重なり、朱が、独特の意味合いを持つ、そういった時代だったのじゃないかということでした。じゃ、それが、どのようなイメージだったのか、そういったことの特定までは至っていない模様。どうしても、解を求める素人根性からして、こういった曖昧さの残る、ま、それが現状というところなんだろうけれど、何か。ハシゴ掛けられて、乗ったが最後、後ろを振り返ると、知らねえよと言われた気分でもあったな。それが、学問的研究というところなんでしょう。
 帰りは、昨日も、ウォーキングを兼ね、近鉄新田辺駅まで歩いた。朝晩は涼しくなったとはいえ、西日の強さは、真夏と変わらない。そんななかを歩いた。次に歩くのは半年後。覚えてるだろうか、第一、この講座を申込み当選したこと自体を、覚えてるだろうか、そんなことを考えながら歩いた。40分弱の行程。前半は、古い田辺の町を追体験できるということで、ほん好きなコースなんだな、これが。京都市内に戻り、マートに寄ってから帰る。今日もお出かけだけど、いつも行かないところなんで、予め下調べをすることに。予定を立てたけれど、実行するとダメだったになるかもしれない、曖昧さがあるコース。さて、うまく行くやら。


2023年 9月 13日(水)午前 7時 34分

 昨日は、大阪旅行的なお出かけを予定していた。朝8時半過ぎに出かけて、夕方に帰ってくる。大阪で、美術展と落語会をハシゴしようとの試みだった。ところがだ、最寄りの京阪電車の駅に行くと、遠目に見て、既に様子が変だった。駅前に、一団の人の塊があった。スマホで確かめる前に、近くにいた人に尋ねると、「人身事故で止まっている」「9時半頃、再開だそうです」とのこと。一瞬、目の前が真っ暗。立ち止まり、一旦は、今日は止めよう、他の日に回そう。落語会の顔付けも心配だったが、そう思い、家に帰り出した。歩きながら、美術展の方は、会期が短いので、近々に行かねばならないが、頭に出てくる予定表では、かなり窮屈になってしまうことが思い浮かび、暗澹たる気持ちになっていった。だから、その美術展だけは、今日行っておきたい。同時に、なんで、前日に行ってしまわなかったのか、迷ったときは、後回しはダメだなと、そう思うと、またぞろ暗澹たる気持ちが深まっていった。そこで、とにかく、その美術展に行く、そして、昨日は行くつもりでなかった、他に行く予定にしている美術展も、そのあとに行こうと決断して、運転再開を自宅で待機した。京阪電車って、Twitterで、「止まっている」「9時30分再開予定」とだけしか出さないんだね。すると、「9時20分再開予定」と出たので、それに合わせて出かけると、猛烈な混雑が考えられ、大阪まで立ちっぱなしになるので、その後の美術展で腰が持たない。そこで、30分後に乗るつもりで出かけると、どんぴしゃ、うまい具合に大阪まで座って行けた。あまりうまく行けたので、美術展で時間が取られなければ、落語会も行けるのではと思い始めるまでになっていた、この時点では。
 美術展は、大阪高島屋の7階ホールを使ったもの。今、こちらで、「高野光正コレクション 発見された日本の風景」という展覧会が行われている。実は、この展覧会、既に、京都国立近代美術館で終わっているもの、そして、そのときはスルーしたものだったけれど、今回、東京の高島屋に次いで、大阪でもあるということで、何気に出品目録を見て、愕然。その中に吉田博の名があったのだ。これはいかん、調べもしないで、ポスターにも使われている笠木治郎吉の作品を見て、引き気味になっていたことを反省。外国人による明治初期の日本の風景が多く出ているという情報は、既に、京都展があったときから知っていたが、絵葉書的趣味のものと判断していたことも反省しました。確かに、展示品のほとんどと言っていいくらい、絵葉書風の作品ばかり。写真というものの普及が進んでないなか、それに替わるツールとしての絵画が使われたんだろうという印象は、確かに残る。でも、オランダの風景画が人気を博すと、それこそ戦争の報道写真のようにして、その風景画の手法が使われ、風景画自体のポピュラリティが上がって行ったことを思い出すと、それと、何が違うのかと思ってしまった。違うのは、主として、描かれているのが日本の風景に過ぎないのではと思ってしまう。洋画なら、当然、その描き方を学んだときに、西洋絵画自体も知ることになっているはずで、確かに、渡辺豊洲の作品を典型にして、どこかで観た西洋絵画の構図を思い浮かべるのもある。この人の作品などは、他の似た作品に比べて、遠近感が、しっかりと取られてるのか、同じ富士を描いても、雄大さに目が行ってしまう。でも、絵葉書的興味でしか、多くは観れなかったなぁ。昔の日本を観れた喜びはあっても、絵画作品として、対象物に関心が引き出されたり、その場の空気や温度、周りのスペースを意識させられたりとか、観る者として想像力を掻き立てられるような作品は、ほぼなかったんじゃないかなぁ。そういった中で、その範疇に入らない、気になった作品もあった。吉田博2点、「仙桃山の門」「夜の灯」。前者は、門に続く石段に映る木陰が、とっても自然で、画家の背後にある大きな木立、更に、その先に見えるはずの大空まで思い浮かぶ、素晴らしい作品。後者は、版画の原画になりそうな、そして、それを観たら、The 吉田博と思うだろうというもの。その吉田博と並列して展示されていたのが中川八郎の作品群。なかでも、「雪林帰牧」、場違いな印象を持った作品。雪の降る暗~い木立を描いたものだが、木立を描こうとしているのではなく、画家のいる空間総体を描こうとしているように見えた。他の作品は、対象物を、克明に記録に残そうとしているが如くに観えただけに、それを絵葉書風と書いてきたのだが、これは姿勢そのものが違うと感じてしまったのだった。絵葉書風の作品群の中で、気になったのは、作品数も多かったがが五百城文哉の作品だった。どれもがそうじゃなかったが、描かれているものからはみ出すような勢いを感じるものがあったから。描かれた対象物で、最もそそられたのが、柳(高橋)源吉の「芝増上寺」。大門の一部を描き、その大門のスケールの大きさを感じさせるとともに、その前の荒れ野のような意外性にびっくり。明治では、あの辺もこんなだったんだという意外性、でも、落ち着いて考えると、そうだろうなと納得、円朝の作品の持つ世界って、こんなだったんだろうと思わせられたものです。鹿子木孟郎作品も若干数あったが、中でも抜き出ていたのが、このコレクションの発端となった「上野不忍池」。吉田博の版画で観るような風景画。これに惹かれて始まったコレクションにしては、この鹿子木作品のテイストを追いかけているようには思えなかった。むしろ、描かれている古い風景に惹かれてコレクションが進んだのでしょうね。目玉の笠木治郎吉は、コーナーが設けられ、やはり特別扱い。確かに目立つ、色合いなんだろうか、描かれている人物に目が行くからだろうか。女性の表情が、あまりにまともだからだろうか、いろいろ考えてみたが、それらがないまぜになり、目が行くのかもしれない。でも、一方で、相変わらず、こんなのもあるんだ程度の関心しかいかなかったな。会場は、位置がいいからなのか、明治の風景というコピーがいいのか、婆さんが多かったな、観るのには困らない程度だったけど、入りの多さにも驚かされたけど、会場が、美術展をするような場所じゃなくて、照明は良くないし、第一、こんな催し物会場と続きの場所で、作品の劣化が進まないか、気になってしまいました。
 会場にいたのは、結局、1時間余。しっかりと時間があったので、旧電気屋街を抜け、新世界方向に向かった。行き先は動楽亭だったので、昼飲みをしてから行くことも考えたが、酒臭いまま、動楽亭に入るのは、さすが気が引けたので、途中に、おもしろい店があれば入ろうと思った。タイめし屋があったけど、カオマンガイ専門店だったので、ガッパオがないと判ったので、ならば、その先にトルコ屋があるのが判っていたので、そちらを採った。ちょっとだけど、久しぶりにトルコ語を喋った。「Ekmek arasi doner」が、あとから考えると通じていなかったことが判った。同じドネルでも、ユフカで巻くのじゃなくって、サンドイッチを指す言い方なのに、通じてなかったと、あとで思うとそう思った。ちょっと量が少なかった(ドイツじゃありえない!)ので、動楽亭の下のコンビニでアイスを買って補給。時間もあったので、界隈をぶらつく。ジャンジャン横丁方向は、外国人旅行客が行き交うゾーン、反対側はシャッター街になっていた。
 動楽亭はコロナ禍以後初。昼席に行くことになったわけだけど、客は7人だった。八方が出たのにだ。これは、八方ならずとも、こちらにもショックだった。受付は専任の方じゃなかくて、米輝が担当。若手の噺家さんが、交替でやってるのかな。番組は、次のようなものだった。弥壱「時うどん」、慶治朗「真田小僧」、染太「ハンカチ」、団朝「一文笛」、(中入り)、文華「はてなの茶碗」、八方「応挙の幽霊」。7人の客相手にするには、あまりにも勿体ない顔付けに、番組。弥壱は、米紫&吉の丞でイメージが作られてしまってるので、まとも過ぎる高座を見せられると、戸惑いが起こってしまう。そうだからか、ここで、昨日唯一の居眠り。慶治朗が良くなっていた。完全の弾けていた。真面目キャラを突き抜ける、いい口演。染太、まさか、「ハンカチ」やらないよねと思ってたら、やっちゃった。慶治朗の気合に続き、やる気になったときにはやらなを感じた。オーバーアクションは、決して好きじゃないけど、これ出しただけで及第の気分で聴いてしまった。団朝のマクラ大好きなので、何を言ってくれるのかと思ったら、〇〇泥棒のトピック。関係者として、米朝、池乃めだか、八方が出てくるというもの。これは笑った、声を出して。それが、マクラだとは思わず聴いてたら、きっちり盗人ネタを出すものだから、やっぱ、この人、凄いわ! 文華も「はてなの茶碗」を出した。びっくりが続いた。人に合うのか、不安なげに聴き出した。確かに、キャラは向いてないように思った。冒頭の落ち着いて音羽の滝の佇まい、大店の重そうな雰囲気、合わなかったけど、噺が進むにつれ引き込まれていく。人と人とのやり取り、交流、心と心の絡み合い、それが響いてくるのだ。そこへさして、お金を受け取った油屋さん、店の者にお金を振舞わなかった、これが良かった。その流れに適っているように思えたのだった。いい口演、さすが、文華だと思いました。八方は、冒頭で、家を出るときのやり取り。そういったちょっとした物言いで、噺の空気を作る上手さは、75歳になっても衰えてなかった。途中、いい感じの都都逸を披露するかと思うと、時事ネタを入れ、それに冷や水をかけたりと、やりたい放題できる力はさすが。いい思い出ができました。八方にとっては、最低人数客の前での口演ということで、記憶に残る高座だったでしょう。


2023年 9月 11日(月)午後 10時 42分

 今日か明日、どっちかで大阪へ行こうと考えていた。美術館+αを考えていたのだ。美術館の方は、前売券も買ってある。月曜日にも開いている美術館なので、予定に入れたが、明日にした。深いわけはない。敢えて言えば、お昼ご飯の都合かな。そんなで、今日も、昨日に続き、お出かけなしの一日となった。明日でも良かったが、逆に、明日は出かけることになったので、今日は洗濯日。それから、昼前のウォーキング。ところが、丁度、休憩に入ったところで、雨。洗濯物は、屋根付きの物干し台に干してあるので大丈夫だけど、雨が降るとは思ってなかったので、傘なし。だから、慌てた。せっかく読書時間にしようと思ってたのがダメになってしまった。雨は、その後、2時間ほど降ってたみたい。だから、夕方のウォーキングには影響なし。いつも、同じ時間帯に出かけるが、随分と暗くなった。でも、半ばで休憩をしていると、蚊がいっぱい。この夏は、あまり蚊にやられてなかったツケを払わされた感じ。痒くて、休憩どころではなくなってしまった。
 午後の一時は、まずは、動画サイトにアップされている「ブラタモリ」の、新潟編2本を観た。一昨日の「燕三条編」が、PCの都合で、2回ほど切れてしまったので、きっちり観ようとしたのが、発端。NHKプラスで観ると、1/4は画面が観えないようにされているので、この動画サイトはありがたい。「長岡編」も観たけれど、こちらは、半ばで寝落ち。どうも、何を観ても、午後の時間帯、お昼寝時間になってしまう傾向です。その後、「Oper Vision」の世話になった。「ピーター・グライモス」の残りを観た。海に組まれた橋げた、前の海には、ピーター・グライモスの乗る舟、最後には、橋げたとは反対サイドには教会堂内部の装置がせり出てきて、コーラス(市民)は、教会で聖歌を歌う、しかも、かなり野放図に歌う体になっていた。橋げたに出る歌手は、ピーター・グライモスには無関心。強烈に表現される無関心という排除。孤立感。同性愛とリンクさせて考えればいいのか、寝落ちしているので判らない。でも、少年愛というプロットが入っていることは間違いないが、市民から突き付けられる、ピーター・グライモスの疎外感を、それとリンクできるように描かれてるのだろうか、最大のポイントなんだけどね。そこで、頭から観ようかと思ったんだけど、内容が重いので、間を開けてから観ることにした。そこで、以前、半ばで切ってしまっていた新国立劇場の「ボリス・ゴドノフ」を視聴することにした。公開期間終了が迫って来ていることに気づいたのでね。これも、マリウス・トリレンスキのプロダクションだった。2つ合わせて言えるのは、プロジェクションマッピングなど、随分と、最新の映像技術を駆使している。幾つかに分けた画面に連続する映像を流したり、その画面を据えてある箱状の装置を動かしながら、映像を映していったり、もちろん、舞台前面にスクリーンを垂らして、映像と舞台上の演技を重ねたりと、かなり凝っていることに気づく。「ボリス・ゴドノフ」の方は、脳性麻痺の障害を持つと設えられてある皇太子の扱いがどうなるのか、これの見極めを付けねばならないと思いながら、放置していたのを反省。要するに、忘れてしまっていたのです、オペラを観る時間が取れない内に。今度は、それをやっちゃうと、永遠に観れなくなるので、頭に叩き込んでおきます。


2023年 9月 10日(日)午後 10時 9分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、楽しみは「日曜美術館」。それを観てから、すぐにウォーキングに出かけるというのが、こういった日の定番。夕方のウォーキングでは、外が暗いので、念のために雨雲レーダーを見ると、1時間程して、近くを猛烈な雨が襲うと出たために、傘を持って出かけた。でも、雷鳴が、1回、聞こえただけで、雨の欠片も降らなかった。雷鳴が聞こえたときは、降っては欲しくはなかったけれど、やったねの気分にはなったんだけどね。午後の一時は、「ピーター・グライモス」を完走するつもりで、あと、もう少しのところで時間切れ。と言っても、2幕で、あっさりと寝落ち。連続です。装置が、水を意識させるために、「蝶々夫人」で使ったような橋げたを使っていた。3幕は覚醒。でも、1幕も2幕も寝落ちしていて、3幕で覚醒って、意味ないけど。でも、このオペラは、群像劇だと思ってるけど、要するに、ピーター・グライモスという主役はいるけど、それと並ぶ主役は市民。そんなだから、ギリシア劇のような進行だなと思ってしまう。僅かな人数の役者が役柄を変え、舞台に上がる、それと、市民たちとの呼応した関係で、物語が進行するというやつ。市民はコロスになるわけだから、漠然とした「市民」という集団で進行を促したり、具体的な役柄を持ち登場してきたり、そんな印象を持ってしまう。マリウス・トリレンスキのプロダクションが、そう感じさせるのかもしれない。コーラスを、舞台に出す場合は、その役柄を持っているときであり、そうでない群像としての市民の場合は、舞台裏で歌わせているように思える。ギリシア劇だと、舞台に上がる場合とオルケストラで歌う場合となるのだと思う。一部で判断は禁物なんで、あまり押しはしないけれど、3幕では、そのように感じてしまったというメモを残しておくことにする。となると、頭から観直さないとあかんな。
 後先が逆になるが、「日曜美術館」の内容をメモっておく。昨日のお題は「“実物大”で迫る!レンブラント/夜警」。8Kで撮影したと言っていたが、黄紺には「8K」が解らない。実物大で映しても、鮮明な画像を見せることができるというので、それを、実際に観ながら、この作品のディテールを探るとともに、レンブラントという作家を調べなおそうという試みだった。レンブラント作品が、幾つも紹介しながらのものだったので、取り上げられた作品と、取り上げられた「夜警」のディテールをメモることにする。①自画像(22歳の作品、絵画の実験をしている、顔に影を描く、逆に細かい明るい髪)②悲嘆にくれる預言者(金属の器の光)③マールテン・ソウマン、、、(2人の婚礼、金属と真珠の輝き、微かな微笑み、ラファエロから学ぶ、だが、筆あとが違う〔筆あとを敢えて残す、存在感が出てくる、質感が変わる〕)➃放蕩息子の帰還⑤自画像(1661年の55歳のときの作品、より簡潔に、より荒々しくなる)⑤ユダヤの花嫁(最晩年、絵の具の塊も見える、男の右手に強烈な厚塗り、人物の存在感と絵の具の存在感を感じる)。「夜警」に関して、、、のし上がった時期に描いたもの、兜、羽飾り、丁寧に描いている、取材をきっしりしてる、にわとりは火縄銃組合のシンボル、少女が持つ、真珠のリング、妻の顔立ちに似ている少女、妻サスキアは、この作品完成の前に亡くなっている、看病しながら描いている、背景の右上に楕円形の飾り(依頼主の名前?)、レンブラント自身も描かれている=眼だけが見える顔を描く、真ん中の男の手と影が隣の人物の黄金のジャケットに映る、その先に紐のようなもの(=アムステルダムの紋章、3エックス、3つの災害を表す)、絵の具はペースト状(3次元のよう)、それは、鉛化合物、酸化鉛を絵の具に入れていた、ジャケットにパラ系絵の具を使う、金の輝きを出したいから使ったと思われる。レンブラントは、妻をなくしたあと、荒れた生活をしていたそうで、わりかし、嫌がられてたようなお話だった。だから、「夜警」を描いているときに、妻をなくしているので、「夜警」というのは、正に作家のピーク時の作品と言えるらしい。レンブラントは、各地で観てきたが、なんせ、アムステルダムには入ってないので、この作品を観てないんだよね。悔しい現実です。


2023年 9月 10日(日)午前 6時 37分

 昨日は、午後に、宇治でコンサートに行き、夜は、「ブラタモリ」の新作が流れた日。コンサートは、午後2時開演だったので、昼前に、ミニでのウォーキングをすることができた。公園に行き、ちょっとだけでも、読書ができた。最近は、統一直後のドイツの姿を、ある視点で切り取った本を読んでいる。この本の存在は、最近知り、急いでアマゾン屋さんで購入したばかりか、早々に読み始めています。自分の書架にある本だけを読むことに決めていながら、たまには、新しく購入している場合も出てきている。どうしても、我が書架の本には、偏りが激しいからね。
 午後のコンサートは、宇治文化センターであった。併設している宇治歴史資料館には行ったことがあるが、ホールでコンサートに行くというのは、初めての経験。このホールで、毎年行われている米朝一門会には行ってみようとしながら、未だ実現していません。 昨日は、こちらで「藤木大地&徳永真一郎“うたとギターのコンサート”」があった。このコンサートの存在は、文化パルク城陽に行ったとき、近隣だということでパンフレットが置いてあったから。すぐには信じがたかった、宇治で藤木大地というのが、特に、チケット代が安かったから。それにつけても、宇治で、、、。そのわけは、某企業の支援により実現したものだということが、コンサートに行ってみて判った。メセナ活動の一貫なのでしょう、地方の劇場で、著名な演奏家のコンサートを支援しているそうです。その恩恵に与りました。2人は、徳永がパリ留学最後に行ったコンサートに、藤木が聴きに行ったことからの交流だそうです。プログラムは、次のようなものでした。「J.ダウランド:Flow my tears」「J.ダウランド:Clear or Cloudy」「*武満徹:“ギターのための12の歌”より“ロンドン・デリーの歌”」「武満徹、閑喜言介編:昨日のしみ」「武満徹、閑喜言介編:翼」「武満徹、閑喜言介編:小さな空」「L.ドリーブ:カディスの娘」「G.フォーレ:夢のあとに」「E.モリオーネ:映画“ニュー・シネマ・パラダイス”より愛のテーマ」「S.マイヤーズ:にじのこもりうた」「*山田耕筰:赤とんぼ」「佐々木すぐる:月の砂漠」「本居長世:赤い靴」「A.ドボルザーク:家路」「A.ビアソラ:チェ・タンゴ・チェ」。日本の歌が入ったりするのは。こういった公演では、致し方ないこと。でも、カウンター・テノールで、そういった曲を聴けるというのは、ある意味、新鮮なこと。いい気分になり、目を閉じて聴いていると、相場は寝落ちなんだけど、今日は、そのまま楽しむことができた。曲目では、武満徹が大ヒット。うっとりするいい感じの曲に、藤木大地の繊細な歌声が響くものだから、たまらない美しさでした。フランスものが2曲入っているのは、パリジャン徳永真一郎に対する、藤木大地からのサービスらしい。いや、リスペクトなんでしょうね。2人のコンサートの場合、藤木大地が、プログラムを考えるとか。この辺の解説は、徳永真一郎の担当。なんせ、藤木大地はカウンター・テノールですから、トーク入りの、このコンサートでも、用意されたプログラムが終わるまで、藤木大地はマイクを持たなかった。アンコールは3曲、次の曲目です。「ガルデル:想いの届く日」「F.タレガ:アルハンブラの思い出」「山田耕筰:赤とんぼ」。アンコールの1曲目が終わったところで、初めて藤木大地がマイクを取り、地声で挨拶&お喋り。なかなか、トークが上手い。そのトークやアンコールの演奏を含めて、終わってみると、丁度2時間だった。終わってから、せっかく、ここまで来たのだから、宇治歴史資料館に入って行こうとしたら、まんの悪いことに、展示替えで休館の貼り紙。まんが悪いとは、このことですな。人が集まる時期を外して、休館にすればいいのにと、軽い突っ込みを入れてしまってました。
 「ブラタモリ」の新作は「燕三条編」。京都在住の身には、とっても馴染みの薄い企画。燕と三条の鍔競り合いの姿を用いた番組作り。ところが、昨日は、新しいPCの機嫌が悪く、途中で3回、接続が切れてしまい、トピックの展開が切れてしまい、文脈が判らない箇所が出てきてしまった。洪水の平野部にあった燕が、三条に並ぶモノづくりの町に成長していったのか、大事なところに欠損ができてしまった。弥彦線という路線、気になってたもの、それができたわけは判ったけれど、それと、モノづくりとの関係の箇所でも飛んでしまった。弥彦競輪、確かに聞いたことはあったが、神社が勧進元というのには、驚かされた。職人たちの楽しみの場だったというコンテキストでの紹介だったけれど、カメラが捉えるまで、全く頭に浮かばなかった。そんなで、ちょっと悲しい展開。動画サイトに、この新作が乗るだろうかな? 最近、一層、厳しい対処されてるから、厳しいかもね。


2023年 9月 9日(土)午前 7時 9分

 昨日は、午後に、アスニー京都へ市民向け公開講演会を聴きに行った日。午前中は、そのお出かけ前の時間を使い、洗濯&買い物でおしまい。他のことをする時間もないことはなかったのだけど、10月後半に、韓国に行くため、航空券を手配したもので、その準備というか、ちょっとした情報集めをしていたのだった。実は、10月後半のどこかで、韓国に行くことは前から決めていた。そのため、一定期間には、予定を入れてなかった。入っていても、後日、キャンセルの効くものだけは入っていたけれど。でも、肝心の日にちを確定できなかった。というのも、去年、DとSを連れて行ったイベントに、今年も行きたかったのだけど、その日程が判らなかったため、それを最優先にしていたため、航空券を押さえることができなかったのだ。ということは、それが判った。但し、去年とは日にちをずらされて、それはそれで困ったんだけど、とにかく、自分は、それで気持ちを整理したんだけど、動かないのは息子。連絡を送っても、なしのつぶて。相変わらず、フットワークが悪い。ま、それはいいとして、航空券は、1ヶ月程前にチェックを入れていたときに比べ、値が上がっていた。特に釜山往復が、高騰気味。ソウル往復の方が、便数が多いからか、いつも安いんだが、確かに、釜山往復よりは安いが、変な時間設定も多い。そんななか、ソウル・イン、釜山・アウトで検索すると、普段なら、これが最高値になるのだけど、これが、まあまあ妥協できる値段。しかも、黄紺が安心して買える旅行社だったもので、決断。時期を遅らせると、値段は下がるんだけど、ずっと空けておいたため、モティベーションが、時期をずらせることについていかなかった。1月に、親子3人男旅をして以来となる。椎間板ヘルニアで諦めた韓国旅行、ようやく実現できるまでになりました。いつものように5泊なんで、今のところ「スウォン(水原)」「クミ(亀尾)」「ミリャン(密陽)」「プサン(釜山)」の4泊は決めたつもりになっている。あくまでも、現時点でだ。スウォン~クミ間は、鉄道移動をしたいなと考えているので、もう1泊は、その後かな? でも、泊ったことのないテジョン(大田)も候補地の1つ。ならば、全部、鉄道にして、スウォンからプサンまで走破しようか。もし、それをすると、ジャスト30年ぶりのことになる。まだ、ヨンサン(龍山)なんて、全く、頭に入ってなかった時期以来となる。
 お出かけ時にスマホを見ると、福井の友人から電話が入っていた。駅までの道で電話を入れると繋がった。嫌な電話だったらどうしようと思いながらの電話だったが、そうではなく、もう1つ、予想していたこと。11月の東京行きの件だった。これ、新国立劇場でのオペラ鑑賞込みでの計画なものだから、そろそろ調べなあかんと気になってながら、すぐに忘れてしまっていて、調べるという作業をしないでいたら、電話が入ったというわけ。友人の方が、先に調べを済ませ、えらいこっちゃで電話が入ったということ。狙いのオペラのチケット売り出しが今日だというのだ。そこで、予定の確認、チケットを取るのは友人が担当ということで、話が付いた。うまくいけば、びわ湖ホールでオペラを観て、それがマチネーなものだから、その足で東京に行く。翌日のどこかで、東京の友人と会う。空いた時間帯を使い、寄席なりに行く。東京3日目の昼に、新国立劇場でオペラ鑑賞という日程だ。せっかく、東京へ行くなら、その晩も泊り、翌日は、単独で、美術館巡りをしようかと考えてる。これらは、あくまでも、今日、友人が、オペラの希望券種をゲットしてくれたらの場合。ダメだと、流れます。ダメな場合は、替りに、11月下旬~12月初旬に広島県内美術館巡りか、四国に渡り美術館巡りをしようかと考えてる。
 アスニー京都は、昨日は「アスニ―セミナー」と銘打たれた有料の講演会。この有料のやつ、行ったのは初めて。こちらの方は、メニューが、たくさん用意されているのだが、方針として「行かない」を採っている。行かなくても、市民向け公開講演会は、各地にいくらでもあると考えているから。弟も、同じ方針だ。でも、昨日は行った。普段、全くメニューには入らない朝鮮ものだったからだ。「朝鮮王朝実録を読む―朝鮮王朝の歴史はどう伝えられたのか―」というお題で、天理大学国際学部教授の長森美信さんのお話を聴くことができた。変なヘイトを受けたくないからか、行政主催の講演会では、ほぼ出ないと言っていいが、こちらの講演会、韓流ものの流行ということを楯にした企画と看た。また、それを組んでか、長森さんも韓流ものをネタにしたスライド、物言いに拘っておられた。それを見越して、講演者も選ばれたという、そういった裏の事情も考えてしまう朝鮮ものの取り上げだったと思います。「おつかれさん」流で言うと、「長森さんを、誉めるぅ~」「アスニー京都を、誉めるぅ~」というところか(^_-)-☆ テーマの「朝鮮王朝実録」というタームは初もの、知らなかった。でも、中国文化を影響を受ける東アジア圏としては、納得のもの。要するに、王朝の「正史」のことなのだ。ただ、中国のそれと違い、国王が亡くなると、その直後に作るという。王朝単位で作成する中国とは違い、各国王の歴史を記したものの総和が「朝鮮王朝実録」となってるという仕組み。但し、こういった呼称を用いる場合は、総督府の作ったものは含まれていない。それらを入れると「李朝実録」となると言われていたかな。また、この「実録」は、国王ごとに分かれているが、廃位された国王の場合は、そういった呼称をもらえず、「日記」とされているそうだ。それにより、朝鮮王朝の歴史が途絶えることなく、記録されているということになる。作成のされ方が凄い。「史官」と呼ばれる役人が、常に国王の側に控えており、国王の一挙手一投足を記録していくというのだ。その記録を基に、3段階の精査を行い、内容を絞り、正式の「実録」が作成されていく。時代は、紙が超貴重だったということで、精査が行われたあと、「洗草」が行われる。墨で書かれた元原稿を、再利用するため、洗い流してしまうというのだ。だから、どのような精査が行われたかが判らないのだが、1点だけ、元原稿が残っている、「洗草」を逃れた原稿が残っている。戦乱のために、元原稿が残ったようだが、後刻になり、残ったことを問題視する論議も行われたが、その判断は、「後世に委ねる」という判断をしたとか。同様の事態として、政争に巻き込まれたため、同じ国王に関し、2つの「実録」が残ってしまった。政争の生々しい時代には、それらの選択には手が付けられなかったが、その政争の熱が冷めたとき、その処理について論議されたが、それも、「後世に委ねる」という判断をしたそうで、1人の国王に関し、「実録」が、2つあるというケースもあると言う。この判断、凄いね。見識の高さを感じてしまう。長森さんの口調もそうだった。そんなだから、「史官」は、大変な仕事、教養と言い、物事の把握、筆記能力、いずれをとっても、半端ないものを求められる。だから、その職務に就くには、選び抜かれた能力の審査、品格の高さが求められた。とっても、おもしろいお話だった。そして、最後に、これらの実録の保管方法、現存する「実録」の運命、どのようにして生き残って来たかを、お話された。朝鮮は、印刷技術では最先端を行っていたのは知られたことだけど、超貴重な紙のため、多くを作れない。なんせ、新聞片面大の大きさ、且つ、紙数が求められるというものだったので、大元は4部、それを、各地に分散させた「史庫」に収めた。でも、秀吉軍の侵攻、内乱、火災など、被災に悩まされる。途中、増刷もされるが、それも被災。なかには、総督府が統括をして、東京に移管したため、関東大震災で被災したものもある。そういった苦難を受けながらの現存品となるようです。この苦難の歴史の紹介を聴いているだけで、朝鮮半島の歴史を聴いたことになります。この講演、有料ものとしては初だったけれど、十分、元取りました。知らなかった、おもしろいお話。韓流ネタが、随所に入ったポップな講演にも拍手です。


2023年 9月 7日(木)午後 9時 45分

 今日は、お出かけがなしの木曜日。ちょっと気温が低め。一日中、曇天だったからでしょう。だから、日に2回のウォーキングがありがたい。でも、夕方のウォーキングの半ばで、あれれとなった。腰がだるい。またかという感じ。半ば辺りで、休憩のできそうな公園がなかったので、そのまま歩いていた、仕方がないので。頭には、アイスがチラついたんだけど、そこまでのパワー減じゃないけど、なんか、甘いものが欲しいなと思いながら歩いていた。幸か不幸か、大きめのマートしか、通り道にはなかったので、アイスは買わずじまい、結果は、それで良かった。今日は、歩き続けている内に楽になった。こんな日もあるってこと。終盤に公園があったので、一気に家まで歩いても変わらないなと思いながら、ベンチに座る。5分、持たなかった。蚊にやられてしまったのだ。今年の夏は、こうやって、ウォーキングの途中に公園で休んでても、さほど、蚊にやられなかったのに、今日は、どうしたことか、えらく噛まれてしまい、休んでるどころではなくなった。順序が逆になったが、昼前のウォーキングの前に、今日は、散髪に行った。汗だらけになる前に、行こうということだった。3ヶ月半ぶりくらいかな。予定表にメモってなかったので、目分量での言い方になっている。見てくれでは、まだ大丈夫の感じだったけど、この暑さを、少しでも回避する方法はこれだ。すると、今日は、気温の上昇が緩やかだった。それでも、やっぱ、切った方がウォーキングは楽だね。
 午後の一時は、「Oper Vision」でオペラを観ることに決めていた。ところが、音のいい方、これが古い方のPCなんだが、こいつが、かなりロートル化していて、起動も遅いは、プラウザの立ち上がりも機嫌が悪いはで、そうこうする内にプラウザが固まってしまい、他のプラウザを使おうとすると、また立ち上がるのに時間がかかる。このPC、変なときは、こんな調子。他の作業をするのに、このPCを使わねばならなかったものだから、それが運のツキだった。大幅に時間を、不要なところで取られてしまった。ようやく観だすと、とっても順調だったので、それまでのは何と突っ込むしか、自分にはできなかった。新しい作品は「ピーター・グライモス」、ワルシャワ国立歌劇場の公演で、マリウス・トリレンスキのプロダクションだ。冒頭、ドローンで撮ったワルシャワの劇場、これが巨大な劇場なんだけど、流してくれてた。これは、涙ちょちょ切れるね。字幕は英語を選択して、更に日本語に自動翻訳にした。これ、当たり外れがあるんだよね。今日は外れだった。判らない、何が起こってるのか。そんなこともあり、呆気なく寝落ち。期待のマリウス・トリレンスキのプロダクションも、何か変化技を使ってるように観えなかったのも、原因の1つかもしれないけれど、寝落ちしていながら、そんなことを書いちゃ、大家に失礼だね。きっちりと梗概に目を通してから、観直す必要があるかも。自動翻訳を、ポーランド語からにするのも、1つの手だと思っているが、元々の台本が英語ななんだから、期待しない方がいいかもしれないね。でも、やってみようと思っている。


2023年 9月 6日(水)午後 9時 21分

 今日は、午後に市民向け公開講演会を聴きに行くことになっていた。年間6回の講演会に、既に申し込んであるもの。「2023年度 同志社大学公開講座」というもので、既に、2週間程前に、その1回目に行っている。これは、京阪奈丘陵に行くというのが、最大の難関。しかも、午後1時10分開始と、大学の昼休み明けの時間に合わせたんでしょうね、そんな嫌な開演時間。だって、京都からだと、近鉄興戸駅から20分近く、坂を上って行って到達できるということは、それに間に合うためには、嫌な時間なのだ。その辺でお昼を食べられるなら、学食を使えるのなら、少しはましだけど、できないお話。だから、この日は、人気の少ない興戸駅で、パンかおむすびを食べることにして、予定を立てている。うまく準備が整い、出かける前に時間が取れれば、家を出る前に食べる。そういう風にしているが、ここ2回は、出発前に食べることができている。今日は、余裕があったのでしょうね、出かける前に、ミニウォーキングをして、しかも、公園で読書までしてた。だが、そこで雨に降られたため、早めに切り上げた分だけ、出かける前に時間ができたのだった。だったら、最初から、そういう風に予定を組めばいんだけど、そうはいかない事情もあるのです。台風が、日本近海を通過してるからなのか、雨模様。もっと降るのかと思っていたが、結局、雨に遭ったのは、出かける時間と、講演終了直後。でも、後の方は、傘を使うまでもない降りだったけど。そんなで、興戸駅からの往きも、新田辺駅までの帰りも、雨を気にすることなく移動することができた。そう、帰りは、40分程かけて、新田辺駅まで歩いています。ウォーキングの替りだと思ってる。普段、歩かない珍しい土地を歩けるのが嬉しい。田辺には親戚がある関係から、ん十年前の面影を偲べるのも嬉しいからね。
 同志社の講座は、年間のテーマが決まっている。今年は「歴史の中の象徴と儀礼」、今日の講師の方、開口一番、「このテーマで、人が集まるのかと思ったら、、、」と言われてた。いえいえ、テーマではなく、同志社の看板で、人が来てるんですよと突っ込みたくなったけど、とっても、気さくな物言いに好感が持てたことも事実。京都府教育庁文化財保護課の藤井整さんで、「方形周溝墓の儀礼からみた社会 」というお題でお話をされました。「方形周溝墓」というタームは知らなかったけれど、墓の形状は四角で、周りに溝があるということなんでしょう。そんなことが判るのは漢字のおかげ、弥生時代の墳墓だそうだ。古墳時代に入る前の、後の時代からすると、形状的には単純で、規模も小ぶりというもの。文字史料としては、「魏志倭人伝」しかない時代、だから、考古学的資料を基にして、その時代に生きていた人たちの儀礼に現れるものを読み解こうとする試みをされている。そこで強調されていたのは、弥生時代は縄文時代より新しく、稲作も行い、より我々に近いはずだろうからということで、現代の感性で、出てきた遺物を理解しないこと。また、既存の学説に従うというような先入観に捉われずに読み解こうという姿勢を強調されていた。言い古されたことだけど、そういた前説的なお話をされると、嫌が応にも、何が出てくるんだろうと楽しみになってきたのに、その辺の解説をされたり、方形周溝墓の解説をされている辺りで寝落ち。また、やっちゃった。今日は、端からヤバいと思っていた。なんせ、午前4時過ぎに起きたままだったものだから。3日に2日のわりで、これが続いている。ちょっとましにはなってたんだけど、3時台、4時台に、目が覚めると、2度寝ができないでいる日が、またぞろ増えてきている。今日、お話があったのは、儀礼の内、人の死に関わるもの。ま、墳墓を手掛かりにするということは、そういうことでしょう。そういったなか、2つの大きなトピックを取り上げられていた。1つは「断体儀礼」。人骨の出てくる墳墓、その人骨が変なのだ。足首がなかったり、左右の脚の並びが不自然なもの、露骨に頭蓋骨がないもの、骨に多くの傷跡のあるもの、何か手に持たされている人骨といったもので、具体例を聴いていて、あまりいい気分のしない内容。最後の何か持っているものは「戈」だったのだろうと言われていた。意味合いは、何かを持たせることで、立ち上がらない、踊り出さない、動き出さないようにしているということ。その辺から見えてくるのは、「死者が復活しないように」「死者が生きている者を連れて行かないように」との気持ちが込められているようだと言われていた。文化人類学の本を読んでて、そういったしきたりについては、どこかで読んだことがあるよ、それ。このしきたり、考えると、我々の中にも潜んでいるという指摘、葬列で往きと帰りの道を変える、棺を回してから出発する、こういったものに通じている。2つ目が「破砕散布儀礼」。土器の破片が、方形周溝墓の溝や墓の端に出てくることの意味の検討だ。方形周溝墓が幾つも固まって存在しているところで、これが看られ、その破片を集め、土器の原型を復元すると、ほぼ再現できるのだが、一部のピースが、離れた墓で見つかるというのだ。集中している墳墓で、そういった土器の破片の出てくるところと、出てこない一団の墳墓があるという。従来、土器の破片は、ケガレを祓うために行われた歌舞飲酒の儀礼の痕跡であって、墳墓の副葬品は、被葬者の地位の確認だとされてきたが、そうではなく、土器の破片で、被葬者の関係性の確認をされていたのではないかと考えられるようになってきている。破片の出てこない墳墓は墳墓で、そういった儀礼を行う習慣を持たないグループであると考えられる。だから、墳墓が集中的にあるところでは、幾つかのグループが、重なるように墳墓建設を行い、いずれが同じグループであるかを判るように、土器を砕く儀礼を、主となる人物が、墳墓上で行い、砕いた一部の破片を、同じグループの墓へ持って行き埋める。使わない破片は、墳墓の上から溝に投げ落としていた。それらの儀礼を、行為自体が、墳墓の高さからして見えているとは思えないが、溝の外側で、一般の人たちが眺めていた。少なくとも、溝に破片が捨てられる行為は見えていたろうとのことでした。被葬者の年齢、性別、死因などにより、儀礼が異なることも想定されるので、どういったふるまいが行われ、その所作、参列者の立ち位置など、今後、追求していきたいと言われてた。おいおい、考古学、凄いところまで来てるじゃないかと思ったな。九州の墳墓で何体もの人骨が出てきているところがあり、人骨の鑑定が行われた結果、こういった説、即ち、破片が示すグルーピングが証明されたということです。ただ、畿内では、これができてないと言われていた。そういった遺跡が出ないわけには、どうしようもないことですから、致し方ありません。序盤に寝落ちしてしまったけれど、ポイントは抑えることができました。もう1度、書くけど、考古学、凄いとこまできてると思ったな、このお話、聴いて、ホント、凄い!


2023年 9月 6日(水)午前 5時 47分

 昨日は、お出かけなしの火曜日。予定表には、歴彩館で講演を聴きに行くことになっていたが、お出かけが続いているので、休息日とした。火曜日だから、Radikoの日でもあるのが、後押しをした。洗濯日にもしたかったこともありで、あっさりと、その気になったら、お出かけは諦めることができた。となると、日に2回のウォーキングは、いつも通り。洗濯をして、ウォーキングをするとなると、この暑さだから疲れるみたい。昼食後、「まーぶる」を聴いていて、寝落ちしてしまっていたので、前に戻って聴き直す、Radikoだから、これができる。あとは、この間、お出かけが続いていたので、サッカー以外のトルコ情報の収集はできていても、目を通す時間を確保できていなかったので、それを読む時間を取った。
「まーぶる」での話題の筆頭は、「AERA」に、二葉の記事が載ったこと。既に買った人のTwitterで知ったのだが、6ページも割かれているということだったので、午前中のウォーキングの際、コンビニに寄り、買ってしまった。「現代の肖像」というコーナーというのは、情報として流れていたが、そんなに扱いが大きいとは驚きだった。同じ人間を扱っているので、どれに取り上げられようが、内容に変わるはずはない。初っ端の「女性自身」のときにもそうだったし、「桂二葉本」もそうだったけれど、いずれをとっても、ライターさんが素敵だ。「女性自身」のライターさんの真摯な文章、「桂二葉本」では、二葉への寄り添った文章が、ホント、素敵で、いい文章だった。「AERA」は、そういった意味で、一番、ライターさんの存在を感じさせるもの。ライターさんの目を感じる。二葉は、放送で、とっても、落語のことを解っている人、今度、一緒に食事をしたいと思った人と言っていた。恐らく、自身も知りたかったのじゃないかな、例えば、動楽亭昼席に出るようになったきっかけのトピック、「らくだ」「立ち切り線香」といったネタへの切り込み、二葉のバックボーンとなる家庭環境、そういった点への切り込みの切っ先が鋭角だ。両親が事実婚だということは、「ジジィども、、、」の発言と共に有名になったとまで書いていた。そして、弟の西井開にまで取材が入ったのは、初めてじゃないかな。矢部万紀子という人、調べてみると、驚きの事実が出てきた。松本人志著「遺書」「松本」を担当した人、「AERA」の編集長代理まで務めた人だった。朝日新聞の雑誌なのに、毎日新聞の山田記者にも取材を入れている。朝日にも、二葉の推しの記者がいるのに。そうなんだよね、毎日と朝日、この双方に、二葉に、早くから目を付けていた記者がいたというのも、珍しい。それだけ、敏腕な記者を、これらの新聞社は持っているということに他ならないのでしょうね。山田記者は、自身のTwitterで、「AERA」のこの記事に関してツイートしていた。これも泣かせるものだった。「動楽亭のとこで、泣けた」と。この人、自分の感性を信じてるなと思えた。「こいつが凄い」ではなく、「めっちゃファンになった」から出発しているように思えた。自分がファンになれる噺家さんなら、凄い噺家さんのはずという論理的な流れだ。矢部さん、そこに気に入ったのかもしれない。これを、午前中のウォーキングの休憩時間に、一気に読んでしまった。おかげで、コソヴォ問題周辺を書いた本、読めなかった。こちらも、ここでしか読めないもの。マスコミの報道が、怖くて、何を信用していいのか、解らなくなる本です。


2023年 9月 4日(月)午後 9時 20分

 今日は、午後に、音楽関係の講演&コンサートに行った日。北大路駅直結の京都北文化会館で、午後2時開演だったので、また、ここが会場なら、往復で、ウォーキングは満たされるということで、午前中のウォーキングはミニ。公園に読書に行くために、少し迂回して歩いたのがそれ。暑さも、以前のような猛烈さはなくなってきている。やはり9月ですね。台風が来るようだ、週内に。お出かけ日にバッティングしなければ良いのだが。
 午後の講演&コンサートというのは、既に、2回行っている「佐竹裕介先生の音楽講座」。佐竹さんが、ときにはピアノを弾きながら、また、CDで音楽を流しながら、音楽史を開設する講座。「市民に消費される音楽~混ざりゆく黄身と白身~」というお題で、ロマン派音楽について説かれました。様式に従って作られてき音楽に、自分を主張し出したベートーヴェンで音楽が変わったというのが、前回までの内容。産業革命、市民革命を経て成長したブルジョアの求める音楽、それが、どのように変わったか、取り上げられたポイントをメモっておきます。「お金はあるが教養のなかったブルジョアに売れる音楽を作る、音楽も売れんとあかん時代に、それに見合う個性的な音楽を作るようになった」「19世紀は歴史を意識し始めた、歴史の中を生きるという意識、そのために、過去の音楽家の曲目が演奏されるようになった(メンデルスゾーンがバッハを発見したことですね)(これは、今も続いている)」「国民国家の概念が、民族性(と言われていたが国民性と言った方がいいですね)を発揮する音楽が作られていく」「ロマン主義の価値観、客観より主観、普遍より個性、、、、」「ロマン主義が好んだテーマ、悲劇、神話、恋愛、悲しみ、眠り、黄昏、、、」「ロマン主義は、個性の時代における現実逃避の表現、合理性への反発から」「ロマン派音楽の3つの特徴①演奏効果の劇的な進行(ヴィルトゥオーゾの出現)②“音楽以外”の添え木を必要とする音楽(文学なんかを指しているようです)③音楽のヒエラルキーが曖昧になり、音同士が平等になっていく(無調への橋渡し的なお話、当然、ワグナーが取り上げられ、“トリスタンとイゾルデ”の第1幕への前奏曲が流されたが、一番肝心な箇所で寝落ち)」。講演後のコンサートで演奏されたのは、次の通り。「ボッテシーニ:ヴァイオリンとコントラバスのためのグラン・デュオ・コンチェルタンテ」「ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番‟雨の歌“より第1楽章」「ワーグナー(リスト編曲):《トリスタンとイゾルデ》より‟イゾルデの愛の死”」「ショパン:夜想曲op.9-2」。演奏者は、(Vn)田村安祐美(Cb)神吉正(Pf)佐竹裕介の3人。ボッテシーニの曲どころか、名前すら知らなかったイタリアの作曲家。ロマン派初期の作曲家だそうで、ヴィルトゥオーゾの曲を残しているということでのチョイスだった。それが、凄かった。元々は、コントラスト2基での曲だそうだけど、もう大変。コントラバスは、やっぱ、図体が大きいから、運指は、体力勝負のようにすら見えたけど、聴く方からする、連続的に超絶技巧を聴けるので、こんなに楽しいものはなかったけど。まだまだ、知らない、いい曲って、あるものですね。
 帰りのウォーキング、鴨川の右岸を歩くことになる。歴彩館やコンサートホールからの帰りは左岸になるものだから珍しい。夕方は、右岸は日影が増えるので、右岸を歩く人が多い。今日は、あまり関係なかったかもしれないが。でも、右岸の方が緑が多い。それもあって人が多いのでしょうね。そして、外国人が多いね。生活をしている外国人が、行き交う。こんなところも珍しいんじゃないかな。大学が、近くに多いから、その関係の人なんだろうかと思うのですが。川越しに見える東山が映える。高層ビルがないからでしょうね。やっぱ、山紫水明は、右岸からの風景だと再認識でした。


2023年 9月 3日(日)午後 9時 20分

 今日は、午後に高槻まで芝居を観に行った日。これが、午後1時開演ということで、朝方は、お目当ての「日曜美術館」の新作が出るということで、今日も忙しなかった。お昼は、高槻で食べることにして、「日曜美術館」の前に流れる「No life No art」が始まる前に、既に、出かける用意をしておいて、「日曜美術館」が終わったあと、余裕を持って出かけるようにしておいた。「日曜美術館」は、「天にささげる“霧” 霧の彫刻家・中谷芙二子」というもの。始まる前、「霧の彫刻」と出てたが、その意味が判らなかった。もちろん、中谷芙二子という名前は知る由もなかったが、始まった途端、びっくりした。ホント、世界は広い、いろんなことしてる人がいる、いろんなこと考えつく人がいる。大阪万博でパヴィリオンを霧で包むプロジェクトをしたのがきっかけだったそう。小さなノズルから細い水を発射して、霧状の風景を作ると言う。その角度や、ノズルの配置などを調整して、そして、周りの環境とのコラボとなる光景を作り出す。大掛かりなドライミストと言えばいいかな。京都市立芸術大学の建築現場でもやったようで、その制作現場にカメラが入ったりしてた。お父さんの中谷宇吉郎が、雪の研究者だったそうで、その父親から自然との関わりを受け継いでおられるそうで、それが、こういったパフォーマンスを創り出す基になってるそうだ。その父親の研究を顕彰するミュージアム(雪の科学館/石川県加賀市)では、グリーンランドから持ち込んだ石が敷き詰めてあるスペースに作った霧の彫刻の映像も流れていた。終盤では、ダンサーの田中泯さんとのコラボ作品(大地の芸術祭/越後妻有里現代美術館)にもカメラが入っていた。ジャズのセッションの要領で創られた一期一会の作品だった。床一面に水が敷き詰められ、周りの建物と空が反射するスペースの中央から噴き出す霧、周辺からも霧が噴き出す。その調節を、ダンスを観ながら加減をしていく。また、ダンサーも、その霧の具合を感じてダンス・パフォーマンスを行っていくもの。なんせ、霧は風に左右されるものだから、それを計算に入れながら、霧を出す指示を出していくというもの。えらいもの、観てしまったという印象が、まず残るね、こんなのを観ると。現在90歳だって、パリ五輪で、ひょっとしたら、霧の彫刻を観ることができるかもしれない、そんなことをチラつかせるシーンもありました。
 高槻は、コロナ禍以後、もちろん初めて。ググってみると、タイ料理屋さんを見つけたので、そこへ行ってみたが、完全消滅。欠片も、残骸はなかった。仕方がないので、センター街を歩いて行くと、何かあるだろうと思ったけれど、センター街そのものには、飲食店なかった。そう言えば、前方からそうだったかなとも思いながら、会場の高槻城公園芸術文化劇場方向へ歩いて行く。何かあるだろうということで、すると、小道があるので、何かに惹かれるように少し入ると、インド屋さんがあったので、即決。日替わりカレーが、ジャガイモとキノコのカレーということで、これも即決。もう少し進むと、韓国料理屋とベトナム屋さんが隣り合わせであったけれど、ま、それは仕方がないけど、3つとも知ってたら、最近食べてないベトナム屋さんだったでしょうね。ということで、高槻城公園芸術文化劇場へ。新しい劇場だ。ググると、高槻現代劇場の場所にポイントが付いたので、建て替えたんだと思い行くと、高槻現代劇場は、改修はしてるようだけど、健在。もう1つ、南に劇場ができていた。この辺りは、昔、よく通ったところなんだけど、何があったのか思い出せない。島上高校(現槻ノ木高校)の一部を削ったのかなと早合点をしてしまった。係と思しき方に尋ねると「プールがあったそう」とのお答え。そか、あったような記憶が、そこで、初めて蘇った。今時流行らない屋外プール、確かにあった。調べてみると、今年の3月開館とのこと。偶然だけど、どこかで、今日の公演のチラシを目にしたようで、久しぶりに芝居を、この新しい劇場で観ることができた。芝居は、ステージタイガーの「ブルースターナックル!」というもの。ステージタイガーは、随分と前に、道頓堀のZazaでの公演を、1回だけど観たことがある。分りやすい、元気な舞台が印象的だった。その後、別に避けてたわけじゃないけど、観てなかった。そのときも、そして、今回も、虎本剛の作・演出。舞台の印象は、前に観たときと、全く、同じ印象だった。そのテイストを持続しながら、何年もやってるってだけで、凄い。今日も、客席は150くらいだったろうか、満席でした。大学の演劇部の先輩と後輩、この2人が、卒業後も、芝居の世界で生きているのだけど、立場は逆転、後輩が人気者になり、先輩は大部屋。先輩が、地元の珠月市(たまつきし/高槻市のモジり)に戻り、ダンスと殺陣を披露する地域密着型パフォーマンスチーム「珠月おもてなし武将隊」のオーディションを受けることになったが、そこで主役を務めるのが、かつての後輩。「おもてなし武将隊」が演じるのが、高山右近をモジった武将、クルスを振りかざし殺陣を見せてくれる。このモジりも、しっかりと地域密着。かつての先輩は悩み、一方の後輩も、定められた演技を繰り返し続けることを求められることに嫌気を持ってきている。お互いに悩ましい日々が起こるなか、1つの事件がもとで、光っていたはずの後輩が失脚。先輩の方は、オーディションを受けてきたセミプロ的な役者に励まされたりして再生していく。大学時代の口癖は、「大衆に媚びない」だったが、より多くの人に観てもらい、喜ぶ人がいることを知っていくことで、その口癖を捨てて行く。その言葉が、後輩にも伝わることで、自分の拘りも消え、大団円の方向へ。と、すんなりとは行かないように作ってあるのがミソなんだけど、ま、最後は、大団円にまとめるのも、分かりやすい、明るい芝居を目指す劇団らしくて良かった。大仰な振りを入れての台詞廻しが楽しい。殺陣もあり、ダンスも入りで、エンタメ要素たっぷりの芝居に満足。またぞろ、芝居、観たくなってきたね。いい日曜日の午後を過ごせました。


2023年 9月 3日(日)午前 6時 42分

 昨日は、滋賀県美へ行った日。午後に講演会があるので、それまでに、新たに始まっている常設展を観ておこうとすると、朝が忙しない。ところが、週末ということで、トルコ・リーグのチェックが必要。結局、朝方には、半ばしか押さえられず、残りは帰ってから。となると、またぞろ、夜が忙しなくなる。毎度、似たことを繰り返し、週明けの月曜日に帳尻を合わせることになるが、今週も、それとなるようだ。その忙しない合間を縫い、近所のマートで、お安いおむすびを買い、お出かけ。いつものように、滋賀県美のある公園の入口にある四阿で食す。新たな常設展は「春挙を知ろう」、これは外せない、昨年、山本春挙を取り上げた特別展があったところへ、この企画。新たに、春挙の作品が所蔵されたとかで、生まれた企画のようだった。新たな収蔵品は、明記されていた「近江八景図」と、昨年、寄贈されたとのコメントが付されていた「月夜海浜図」のようです。前者は、「八景」を、四季に合わせて、2組ずつ描いた四幅の掛軸。組み合わされたその2つが縦に配置されているが、それが、どうも馴染めない。「粟津晴嵐」「瀬田夕照」が判りにくい。「矢橋帰帆」には、帆を立てた船は描かれず、矢橋の港の護岸が描かれているという工夫がある。後者は、金屏風に岩場の海を描いたもの。でも、金屏風に墨絵は馴染めなかったな。そんなで、黄紺的注目作品は「雪松図」。特別展でも注目の作品だったものとの再会だったわけだけど、松の枝ぶり、雪の重量、いずれをとっても、大変な作品。雄渾、この言葉が、とっても当てはまる。「半偈捨身図」「初夏白糸の滝図」と、風景画の佳作が並んでた。去年の特別展以後、何度か風景画を観る機会があったが、いつも春挙に帰ってしまった。雄大さはぴか一。他の作家の風景画を観ることで、春挙の偉大さを知ることができた。そういったことを、最も体感できそうな、2つの作品ですね。「四海青波図」は雄大な海に現れた岩礁を表す。何羽も飛ぶ白い鳥が、遠近感を表している。これも雄大な構想。昨日は、小倉遊亀コーナーは、既に観ていたので割愛。その隣の常設展「SMoA Collection – 近現代美術Ⅰ – ネオ・ダダとポップ・アート」、こちらは、既に観ていたが、一昨日の国立国際美術館の展示に通じるものありということで、再訪問。高尚な芸術と非俗な大衆文化という二項対立を相対化しようという試みの出発点の確認と言えばいいのかなと、この展示の価値が、前日のおかげで、少しでも理解できたような印象を持ってしまった。マルセル・デュシャンに始まり、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズ、ジョージ・シーガル、ロバート・ラウシェンバーグ、そして、アンディ・ウォーホル。お勉強のコーナーと言える並びなんだなと思いながら鑑賞。企画展「今森光彦 里山 水の匂いのするところ」にも立ち寄った。2度目なので、流すように観てみたが、何よりも色の美しさが際立った。そして、この写真を、Dに見せてやりたいと思った。カメラを渡したら、それで、撮りまくってるようなので、また、被写体は、とっても解りやすいものなので、そう思ったが、会期が、もうないね。前、なんで、そう思わなかったんだろう? そう思ったら、丁度、夏休みで時間があったのにね。
 講演会は、びわこ文化公園3館(滋賀県立美術館・滋賀県立図書館・滋賀県埋蔵文化財センター)連携共同事業と銘打たれたもの。県美での企画展に合わせたもの。普段の県美では見たこともない多くの人が詰めかけていました。お題は「ヒトと自然のかかわりから見た近江」、お話をされたのは、滋賀県文化財保護協会の堀真人さんでした。考古学の専門の方です。近江と広めのお題となっていたのだけれど、お話のテーマは、主催3館のある「瀬田丘陵」。湖岸にも近く、そこから、毎度、県美に行くときは、一方方向で坂を上ってくる、そこが、テーマとなる丘陵。その間を東山道が通る交通の要所。大津京もあったし、奈良時代には近江国府が丘陵下にあったしと、政治の要所にもなっていたところ。この辺の地勢的な押さえをされていた序盤、あっさり寝落ち。展示を観て回ったあとだったので、ぐったりとした模様。でも、ネタ振り的な箇所だったので助かった。覚醒できたのです、お話の核心部で。考古学のプロの面目を発揮されたお話は、なんと、この瀬田丘陵が、かつては製鉄の場だったというのです。その跡が幾つか出てきており、今で言う溶鉱炉に相当するものを、坂の部分に幾つも並べ、製鉄を行っていたというのです。鉄鉱石が採れたということなんでしょう。燃料にする木はあるでしょうし、木炭化して熱効率を上げていたそうです。特に、藤原仲麻呂の出た時代が、その最盛期だったそうです。強い権力のもと、リーダーシップを発揮したようです。しかし、それを境に衰退。やがて、鉄鉱石が枯渇。いつしか忘れさられるどころか、この丘陵は花崗岩だったため、風化が進み、石や砂となり流されて行ってしまい、川は川で、川床が上がり、困ったことに、山は山ではげ山へとなってしまった。明治時代の写真を見せていただいたのですが、丘陵には木がなかった。そこで、明治時代に国家プロジェクトとして、再生事業が行われたそうで、砂防ダムなどが作られ、植林もされたのでしょう。ようやく、今のような姿へとなったそうです。瀬田丘陵に、こん深い歴史があったとは、、、! 感嘆しました。おもろかった、ホント、寝落ちが勿体ない。もっと深みが出たかもしれないしね。大満足。


2023年 9月 2日(土)午前 7時 29分

 昨日は、午前中に、ちょこっとウォーキングがてら外出。ウォーキングというよりか、公園に立ち寄り、そこで読書をしていた。それから、丁度、昼頃、お出かけ。会期終了が近づいている展覧会に行ってきた、大阪だ。国立国際美術館、久しぶりだった。淀屋橋駅から歩いて行ったのだけど、美術館の構造自体、忘れていた。今、こちらで行われている特別展「ホーム・スイート・ホーム」とコレクション展「コレクション1 80/90/00/10」の2つを観てきた。特別展の方は、委嘱作品も含め、現代アートの作品が並び、コレクション展の方も、ここ40年間程のアートの世界の回顧展という並びで、且つ、新収蔵品をお披露目するということも含めたものだった。「ホーム、、、」の方は、いきなり冒頭の2人の作品が展示されてなかった。外国のアーティストが来日したときのみ、作品が提示された模様。だから、スタートは、日本家屋の骨格展示の内側に、日本の帝国主義と重なる日本家屋の写真があったり、アメリカ軍が日本に焼夷弾を落とすのに、事前に日本家屋を作り、その効果を研究していたのだが、それに協力していた日本家屋の専門家、彼は、戦後、日本でピアノの調律をしながら、そのデザインに貢献したとか。そういった風に、日本家屋を切り口にして、日本帝国主義を浮かび上がらせようとしたとしてしまうと、ちょっと薄っぺらな把握かな? これは、鎌田友介の作品。映されていた映像にいい言葉があった。日本家屋のないところに日本家屋が残ると、その記憶も残るが、日本に日本家屋があるは当たり前だから、記憶が残らない。それが、現代の排外主義的言動が生まれる基になっている。被害と加害の記憶という言葉とも置き換えられない、独特の言い回し。ここで扱われていた日本家屋は民家だった。韓国に残る日本家屋の扱われ方が、黄紺の頭の中で交差する。ついでに、民家ではないが、これみよがしに聳える帝冠様式の建築物、先日、前を通った滋賀県庁は、すっぽりと大津市内の一風景に収まっていたこととも交差して、ハレーションを起こしそうだったな。その次に、石原海の映像作品。北九州のどこかの教会に集う人たちが、自分たちの個人史を語る場面と、彼らが、衣装を着けて、Passion Playを実演する映像を組み合わせたもの。宗教的物語、これを大状況とすると、その大状況と小状況を重ねるという手は、最早、陳腐なんでしょうが、そんなこと解っていながら作る、そして、惹かれてしまう。それは、個の持つ力ということなんでしょうね。潘逸舟の作品もあった。名前だけは知っているアーティスト。中国人だけど、日本で人生の大半を過ごしてきた自分史の振り返り、アイデンティティの確認のような作品。中国に行ったときに、中国では誰しもが知っている笑劇を、自分は知らなかった。そこで、その笑劇を、自分なりに構成して映像作品にしてしまった。傍らには、生の中国の街角の映像が流れていた。これは、傍らに掲示されていた解説板を読まなければ、さっぱりわからんかった。もう1つ、段ボール箱を、鳥かご状に穴を開け、それが、床いっぱいに拡げられている作品があったが、自身が観た夢と関わりがあるそうだけど、そんなことはいいから、その段ボール箱の間を抜けて歩くのが、なんとなくおもしろかったな。なぜなんだろう? マリア・ファーラというフィリピンのアーティストは、絵画作品。具象絵画は、フィリピンの働く女性が入っている。抽象化された海の入る風景画が、大胆、でも、単純化された筆致、色遣いが、えらく気に入った。竹村京、この人の名前は忘れていたが、この人の作品は、以前に観たことがある。確か、広島現代美術館でだったと思う。リニューアルの委嘱作品の一角を担っていた。また、ここの展示にあること自体が、扱いが大きいということ。でも、刺繍を施した布に包まれた小物、わからない、「修復シリーズ」と名付けられた作品も観た記憶があったが、今回も、その映像、その映像を撮った現場に似た展示空間、わからない。気になるわぁ、なんで、こんなに評価されてんだろう、そればかりが気になる。ジョージアのアンドロ・ウェクアは、コラージュ作品。でも、なかには、立体的な作品もあった。これも、コラージュのように張り合わせたり、継ぎ合わせたり、積み重ねたりしたあった。そういった製作法を、「アッサンブラージュ」と言うんだって。これ、帰宅後、知ったこと。知ってても、目の持って行き所が変わったかなとも思うが。まだまだ、ええとこ、見つけられない、おもしろいと思えないものが残っちゃう。でも、それでいいのだ、現代アートはと思ってしまうのも大事だよね。
 Ganz Untenから1階上がると、コレクション展。全体的にポップで、マンガ、アニメ的要素を感じた。サブカルチャーと言われていたもの、それが、どどーッとアートの世界に入り、「サブ」が抜けて行った時代 なんでしょうね。入口正面に、村上隆の新収蔵品という「727 FATMAN LITTLE BOY」。今回の看板作品。村上隆、知らんかったアーティストだけど、顔写真を見ると、見覚えがある。どうしてだろう。戦後の日本の文化を象徴するような印象を持ってしまう。原爆の名を付け、日本画の手法を使い、アニメキャラのようなものが、飛行機? いや、原爆そのもの?にまたがっている。ごちゃ混ぜ感が半端ないけど、それが目的のように思えた。おもしろい。その左側には、ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルらも並んでいた。奈良美智の「長い長い長い夜」も不思議っぽい、アニメ調の作品。次いで、村上隆の小ぶりの作品も並ぶスペースには、中原浩大、ヤノベケンジ、國府理の作品が並ぶが、印象に残ったのは、中原のレゴの作品。これもアートになるのかと、やったもん勝ちですね。背後で見せる色の協調に驚かされました。次のコーナーを回ると、そこには、西山美なこの「Looking at you」と名付けられた一連の少女漫画風キャラが並ぶ。いずれも大きな目。観る、観られる、そういった関係性を通じて女性の扱われ方をターゲットにしているかのように思えた。会田誠、町田久美、森千裕、はまぐちさくらこが並んだコーナーでは、文字に取りつかれた人物像を描いた森作品に目が行く。でも、町田作品の「雪の日」の人の顔を描いた作品の性やキャラすらも超えたような表現も気になる作品。タッチはアニメ調、これも。次の広いスペースには、「成り切りもの」と言えばいいかな、そういった作品が並ぶ。と言えば、出てくるのは森村泰昌作品。ここでは、彫刻になりきっていたり、西洋絵画に、ポップな衣装を着けて侵入までしてました。人形を使ったローリー・シモンズの作品も、写真の撮り方で、とっても幻想的。秋に名古屋行きの際、観ることを考えていた福田美蘭作品もあった。「モノクロームで印刷された花の静物画」という作品。バロック絵画とも見える絵画を写真に撮り、更に、それ模写したもの?と捉えたんだけど、合ってるだろうか? 次のスペースにあったので印象的なのは、タイのアーティスト、アラヤー・ラートチャムルーンスックの作品、絵画作品と映像作品があったが、いずれも、タイの農民に西洋絵画の名品を見せる、コミュニケーション・ギャップを狙った作品。特に映像作品では、農民たちの感想を言う言葉が入っているので、生々しい。おもしろいことを考えるものですね。トーマス・シュトゥルートの渋谷の交差点を撮った作品、これがアートなわけ、教えて欲しい。束芋の「団断」は、団地の部屋を真上から見た光景を、連続的にアニメで見せるという映像作品。ぱっと見のおもしろさ以上のおもしろさって、あるのかなぁと突っ込んでしまっていました。そんなで、素っ飛ばしているのもあるけど、驚いたり、突っ込んだり、いろいろと楽しませてくれる空間、ヒットな展覧会ですな、これは。


2023年 8月 31日(木)午後 10時 14分

 今日は休息日。その日を活用して、行かねばならない医者に行った。皮膚科の医者で、5~6週間に1回の割合で行っている。足の爪が痛くて困ったことが発端で、まだ、通わねばならない。もらっている薬がなくなりかけると行く。飲むことを忘れることがあるので、間隔があいまいになる。自分のスケジュールもあるしね。その医院が、弟の家の近くにあるものだから、寄って帰ることが多い。弟か、弟の嫁さんのどちらは居るので、しばし喋って帰る。今日は、両方とも居た。気が付くと、12時を回っていたので、慌てて帰った。喋り過ぎだ。薬局にも寄らねばならないし、油を売り過ぎた。帰りに迂回をして帰り、午前中のウォーキングに替えたかったが、時間切れ。夕方のウォーキングは、遠目のマートでの買い物を入れるコースですることに。午前中のウォーキングが少なめだったので、こちらで迂回コースを採ったが、半ば前で、腰が重たくなった。最近、時々、出る、これが。腰が痛むというのではなく、力が入らなくなる感じで、歩いているのが辛くなる。エネルギー切れという感じで、お腹にも力が入らない。こうしたときは、公園があれば、水を飲み、ベンチに腰掛け、休息をとるという方法が1つ。熱中症気味だと思ったときは、これが一番。だけど、今日はエネルギー切れという感じだったので、もう1つの手を使った。即効性のあるエネルギー補給だ。コンビニが近くにあれば、そこで、適当にアイスを買い、すぐに食べる。今日は、おかしいと思ったとき、近くに公園があったが、トイレのない公園だったので、少し先にあったコンビニでトイレを借り、アイスで対応。森永のアイス最中を買った。これ、めっちゃ進化してた。パリパリだし、中のチョコが美味い。偶然だったけど、これはめっけもの。不幸中の幸いというやつ。やっぱ、お腹に、どっと来ると、力が入るというやつ。念のために、その後の道沿いにあった公園でも、短時間の休息。あとは大丈夫だった。
 午後の一時は、オランダ国立歌劇場の「ルサルカ」を完走。思いっきり、救いのない物語に仕立てるというのが、フィリップ・シュトルツェルの狙いだったようだ。娼婦が立つ場末の街に戻って来たルサルカ、あとを追ってきた王子との再会は、幻として描いていた。それがラストで判る。場末の街を表す装置が、左右に開き、再会を喜び、王子の反省、永遠の愛を誓うまでは、その開いた状態で進む。それが、王子の住む映画の世界だったように、ラストでは、左右に開いていた装置が、再び閉じ、ルサルカ一人が、場末の街に佇むどころか、注射を1本、腕に打ち、倒れ込んで暗転で、終演となった。音楽が終わっても、間があった、拍手が起こるまで。悲しみが、劇場を包み込んだような時間と思えました。いいプロダクションです。読み替えを嫌う人に観て欲しいね。そんなで、狙いをつけて観ただけのことがありました。となると、次は、何にしようかと思案してしまう。今のところ、ローマだったかなの「アイーダ」、これは歌手陣が優れているから、今一つは、ワルシャワの「ピーター・グライムス」、こちらは、マリウス・トリレンスキのプロダクションというのが目玉。ブリテン、久しく聴いてないので、今のところ、後者寄りかな。でも、お出かけが多くなってるから、時間確保に苦労しています。


2023年 8月 30日(水)午後 9時 48分

 今日は、朝からお出かけ、且つ、ハシゴ。幸い、陽が照り付けない日だったもので、助かった。朝からのお出かけで水曜日と言えば、アスニー山科、そして、午後は、大津に向かった。びわ湖ホールの向かいにあるコラボしが21へ。こちらは、すっかり失念していた滋賀県の文化財講座。突然、今年は行ってなかったことを思い出し、ウエブ検索をすると、既に2回分が終わってた。それが、今年のラインナップでそそられる上位2つとは、悲しい。でも、まだ、自分のスケジュールを睨むと、今日を含めて3回行けることが判った。その内の1回が滋賀県美とのコラボ。滋賀県美で、ことしの秋、現在休館中の琵琶湖文化館所蔵品の展示をするとの情報は掴んでいたので納得。門外不出の秘仏の公開があるんだって! それらの2つの合間に、今日は、山科駅前でお昼。かねてから狙いの韓国料理屋に行くと、そこは夕方から。せっかくググっておきながら、営業時間を見ていない不始末。どうしようかと、周辺の飲み屋街らしきところを歩いていると、某焼肉店が、ランチメニューを表に出していた。焼肉だ。でも、その傍らに、メニュー表が出てた。その中に焼肉以外もあったので、ダメ元で、中に入り「チゲ類、やったはる?」と尋ねると、スンドゥブチゲができると言う。めっちゃ爽やかな、若い男女のお店。日本あるある話で、甘いスンドゥブチゲだったけど、それはそれで、美味かったぁ。
 アスニー山科の市民向け公開講演会は、「比喩としての透明人間 ―現代小説から中世和歌へ―」というお題で、京都女子大学文学部教授の中前正志さんのお話を聴くことができた。「透明人間」という切り口で、何をされようとされるのか、それが気がかりで行ってみた。すると、前半が、現代小説の中から、透明人間をプロットにして書かれている小説のピックアップ、後半は、主として日本の中世の文学や和歌に現れる透明人間同様と言えるプロットのピックアップがされ、その繋ぎに、透明人間と言えば、H.G.ウエルズだろうということで、その紹介がされるとい流れ。で、その両者を結ぶ、連綿たる流れのようなものの指摘があるのかと期待したのだが、時計を眺めながら、そのための時間を残してられるんだろうかと、勝手な想像をしていたが、レジュメの残りと経過時間を見比べて、ダメだぁで、ため息。そういった中で、気になったこと。現代小説の分析では、中国を影響を受け、日本の説話に現れてくる「隠形」だけではなく、それにインスパイアされてのことなんだろうが、「影の薄い人間」「存在感の希薄な人間」という意味に拡がっている。単なる言葉遊びなんだろうけど、そないな点にも、こういったテーマ設定をするなら、拘って欲しいなと思った。そういった使い方を、類比的に和歌なんかに適用できないんだろうか、そういった踏み込みもなく、「隠れ蓑」のトピックだと、どうしても、「指環」が思い出されてしまう。あの物語では、「隠形」の先に「変容」があったと思うのだけど、そういった発展もなく、「隠れ蓑」「隠笠(狂言にあるのに、その言及もなく)」の民俗的な探究もなく、着想はおもしろい、頗る付きでおもしろい、けど、完全に力及ばずという講演だったな。
 大津への移動後は、時間があったので、島の関方向から湖畔に出て、そこのベンチで読書。今日は、日照りがなかったから、ホント、助かった。ユーゴ紛争シリーズ3冊目、今度はコソボを扱ったものを読んでいる。早々に、我々は、マスコミに踊らされてたことを知った。そう言えば、こないだのNHKスペシャルの「トルコ」も、抜け落ちが気になったしね、もう、何を信じればいいのか、いや、信じるのは自分だけだの時代やね。それはいいとして、午後は「花湖さんの打出のコヅチ」。今日は、「世界に広がる〝近江の文化財゛」というお題で、琵琶湖文化館の田澤梓さんのお話を聴くことができたが、これが、ダメだった。序盤の、「日本の文化財が海外流出したわけ」を、3期に分け、お話をされているところは大丈夫だった。でも、これって、改めてお話しいただなくても、ほぼ解ってることと、生意気な気になったのがいけなかったのでしょうね。おまけに、美味しい韓国料理でお腹はいっぱい状態では、寝落ちしてしまった。具体的に、どのような文化財が、どこに、何があるかをお話しいただいていたようなんだけど、、、、。また、それだけでは時間が余るのが判っていたようで、田澤さん、専門が仏教工芸だからということで、でも、そんな人がいることが驚きやけどね、流出品の中に出てきた関係のものの使用法などを、お話しいただいてたようだ。聴いたこともない仏具、その部品解説をされていたのは覚えてるけど、でも、あとから思うと、そこまで起きていても、強烈なマニアックさでダウンしたことだろうなと思ってしまってました。


2023年 8月 29日(火)午後 9時 52分

 今日は、午後に市民向け公開講演会に行く予定を入れていた。明日は、丸1日、つぶれそうなんで、忙しなくなるが、朝から洗濯。その合間に買い物。やっぱ、忙しない。そして、早めの昼食。12時になる前に出かけた。今日の行き先は、京都学歴彩館。炎天下だけど、その往復を、こういった日のウォーキングに替えている。帰りは、三条京阪まで歩くというのは、定番。歴彩館到着は、開演の25分前だったので、隣の京都コンサートホールへ、チケットを買いに行った。2枚買うつもりだったけれど、1つは完売だった。すっかり、買うのを忘れていて、もう1枚のチケットを買おうと思ったときに、思い出したが手遅れだった。仕方ないね、完売は、ちょっと想定はしてたので、あっさりと諦めることに。で、本題の講演は、毎年続く「京都を学ぶセミナー」、今年は宇治編。「“宇治郷総絵図”の描く18世紀の宇治」というお題で、京都府立大学准教授の上杉和央さんのお話を聴くことができた。「宇治郷総絵図」は、縦4m、横5mもある、しかも、多色入りの絵図。宇治橋、平等院、宇治駅近くを頂点とする三角地帯が「宇治郷」の核をなす、それは解っているというか、今でも旧宇治の中心部をなす地帯だから、誰にでも解る、宇治に行けば。その三角地帯が、その絵図に、そのまま確認でき、正に、その三角地帯を中心に据えて描かれた絵図だった。1977年は、存在が公になり、現在は、宇治歴史資料館に所蔵されているそうだ。同資料館で公開をされたときは、会場の土間に敷かれて展示されたとか。その展示場所を知っているため、めっちゃリアルなお話、大きいので真ん中部は見えなかったとか。色分けは、各字を誰が保有しているかを示すもので、田畑として使用されているところで、彩色されていないところは、そうではないところ。現在の太陽が丘辺りは彩色なしどころか、池だった。半ばで寝落ちしてしまったので、しかとは言えないが、結構、宇治郷周辺部は、溜池が多いように言ってられた。描かれてあるものの中で、年代を特定できる茶壷蔵があるということで、18世紀前半に作られたものは間違いないそうで、それを、もう少し狭めようとの試みが行われているそうだ。描かれている地図は、決して正確ではない。川を挟んで、道がずれてたりしている。お話では、その川が天井川で、川の向こう側が見えないので、そのようになったのかもと言われてた。田畑の一辺の長さも正確ではないが、それが判るのは、長さの書き込みがあるから。そんな絵図だから、正確な地図というより、検地の結果出た石高が判るというのが、主たる目的だったのだろうと言われていた。そういったおおよその様子が判るものという前提で、宇治の探索話。ここが、聴いていて、一番おもしろいはずなのに、一番深刻な居眠りがここだった。部分的に覚えている点だけをメモっておく。絵図なもので、家並みが、1戸ずつ描き込まれていて、屋根の違いから、それぞれが、どのような家だったかの想像力を掻き立てるようだ。多様な表情を持つ街というのが宇治だそうだ。宇治川の両脇となる山地は疎林、宇治川の支流に堰を作り、溜池化していたり、涸れ川だったりと、水の確保に腐心している姿が浮かび上がってた。文禄堤の跡も描かれている箇所がある。ただ、土砂に埋没したらしく、一部が描かれ途絶えてたりする。近年、文禄堤跡が発見され、話題になったが、それも土砂に埋もれてたのを、マンション建設に伴う発掘調査で出てきたものとか。そんなのが、まだ、現認できる状態を、絵図に、そのまま描いたようだ。この辺は正確。昔の宇治、もう少し、きっちり聴きたかったね、と言っても、自分の責任なんだけど。
 終了後は、展示室で行われている「令和5年度京都府ミュージアムフォーラム合同展覧会-府内まるごと博物館大集合! -新時代の京都展-New World-」を観てきた。府内のミュージアム所蔵品を、ストーリーの下、展示するという試み。去年だかに観て、そこそこおもしろかったので観に入った。学芸員さんによるフロアガイドもあったが、それへの参加は止めた。展示の柱は、「①異文化交流でたどる新時代の京都」「②遷都でたどる新時代の京都」「③地域でたどる新時代の京都」「④産業でたどる新時代の京都」「⑤人でたどる新時代の京都」というもの。①では奈良時代の廃寺、②では恭仁京、③では相国寺の瓦があった。瓦については、解説を聴いた方がいいんだけどね。軒丸瓦一つとってみても、形状は記してもらえば解るんだけど、その形状の意味合いや、権力構造の解読に、どのように役立つのか、瓦ではお約束のトピックを聴かねば、瓦は理解できないのが辛い。②では、長岡京跡から出た「墨書土器」が展示されていた。この手の土器は、初めて観たはず。しっかりと読めた。どうして、消えないで残ったのかが知りたくなるほど、文字はクリアだった。③では、舞鶴の市街図があった。元はどんなか知らないけれど、軍港に使用することが布告されてからできた街だそうだ。こんなの観ると、行ったことないものだから、舞鶴行きたいね。あすこのミュージアムも行きたいし。④には「宇治電」のポスターがあった。あすこの発電所、まだ、稼働してんでしょうか? 小学校の社会見学で行った記憶が蘇った。同様の水力発電所が夜久野にもあったようで、その関係の展示もあり、産業ということで、グンゼがあった。これ、綾部の出なんだよね。今日、初めて「グンゼ」が「郡是」だったことを知った。「国是」ならず「郡是」だった。⑤がおもしろい。龍馬直筆の書簡があるかと思うと、西園寺公望の使った楊枝が展示されていた。京丹後市教育委員会所蔵だそうだ。びっくりしたな、これには。


2023年 8月 28日(月)午後 9時 28分

 今日は、お出かけなしの月曜日。週末に出かけて、月曜日に、一休みするという流れが多い。また、明日から出かける予定が入っているので、こういった、何もない日が大事。やり残していたこと、ようやく、今日、できました。何かにつけ、体力がなくなってきているので、細々とでしかできないHP、これの整理が必要だと、もう1ヶ月以上前から考え出していてはできてなかったこと、明日からの予定を考えると、いいかげんにしておかないとパンクしちゃう。にも拘わらず、手付かずだった。単に面倒だということだけではなく、午前中に、そう思っていても、午後には忘れてしまってる、このパターンの連続。そう思うことすら忘れていたときもあったしね。だから、今日は、それを、午後の一時にしたため、「ルサルカ」の続きを観ることができなかった。間が開いてしまうと、それこそ、プロダクションの細かな様子など、あっという間に忘れてしまう。だけど、PCに向かい、作業を続けるのって、肩がこる。だから、嫌が先に立つんだろうね。そんなだから、外出は、日に2回のウォーキング時だけ。午前中のウォーキングは、ここまで最後まで残っていたコース。ウォーキングのコースは、幾つか手持ちのものがあり、それを繰り返している。都合で、マイナーチェンジをすることはあっても、何もないときは、決まったコースのどれかを歩いている。そういった中で、椎間板ヘルニアで困るようになってから、まだ、歩いてなかったコースがあった。似たコースに変更して、ここまで歩いてこなかったコース。理由は簡単、途中に階段が入るから。今でも、朝方、2階に上がるのがこわものなわけだから、そんなの、わざわざコースに取り込むバカはいない。でも、歩き出すと、朝方出ていた痛みも消えることが判ってるので、もういいかの気になった。そこで、5月以来となる道筋を歩くことにした。それだけブランクがあったとは思えなかった。先日も歩いた気分、ま、それだけ、その道を歩いたということだなと、納得。そのコースの半ばにある公園で、小1時間、休憩と読書。穏やかな季節だと、保育園児が先生に連れられて遊びに来る公園。その喧騒が、却って癒しになってるけれど、これだけ暑いと、さすが外出は控えられてるのでしょうね。夕方のウォーキングは、遠目のマートに行くことも兼ねてのもの。そして、帰り、家まで5分というところで、思わぬ夕立。雨脚が強く、軒下も借りにくい道を歩いていたので、少し歩いて公園のトイレで雨宿り。空を眺めると、周囲は夕焼けのように見えるが、頭上は黒雲が拡がって行っている。それを見て、結局、濡れて帰ることに。運の悪い話だけど、どうせ着ていたものは、雨が降らなくても着替えるものだからいいやの気分で、歩き出した。雨宿り先がトイレじゃなかったら、もう少ししてから歩き出したんだろうけれど、運のない話。そして、夜は、月曜日ということで、晩酌しながらYoutubeの米朝事務所チャンネルを楽しむ日でした。エンタメは、ほとんど、これだけだね。あとは、Being Sporの持つYoutubeチャネルで、マッチのダイジェストを観たことを入れることができるくらい。ちょっと寂しいね、これじゃ。


2023年 8月 27日(日)午後 9時 32分

 今日は、朝からびっしりと詰まった日曜日。まず起きると、トルコ情報のチェック。日曜日だから、昨夜のマッチ情報が入るので、忙しなさは増す。トラブゾン・スポルがチャイクル・リゼに負けた。全然、驚かない。メンバー構成の見通しが大丈夫かと思ってるので、そうなのだ。8時55分からは、「No life No art」が始まる。次いで「日曜美術館」。それが終わると、お出かけ準備。そして、一路、守山へ。遠出だ。草津、栗東の向こうだ。午後に、守山市民ホールであった落語会に行く。午後2時開演だったのに、早く出たのは、中山道守山宿を観て行こうと考えたから。実際は、ググりながら歩いているのに、また、単純な道のはずなのに、そこから、守山市民ホールまでに、2回も間違えた。特に、2回目の間違いがえぐかった。かなり外れてしまってから気が付いたので。炎天下、彷徨いながら、今日は大丈夫だった。ウォーキングと考え、守山駅とホールの往復は歩いた。片道30分、往きは、守山宿経由だから歩かざるをえないけど、帰りも、そういった意味で歩いた。ホールは、かなり街の外にある。駅も、中山道から外れている。中山道は、道筋がそれとは判り、納得だけど、さほど古い家並みがあるわけでない。そういったなか、「うの家」と出ている古民家があった。中山道沿いだから商家跡かと見えた。出入り自由なようだったので、内部を見学。蔵なんかは、会議室として使えるように、インテリアを変えてあるようだった。内部をうろついていると、やけに目に入るのが、「宇野宗祐元首相の写真」。虚けた話だが、それを見て、自民党支持者の方の邸宅で、地元が生んだ首相の写真を掲示してあるのかと、勝手判断。でも、たまたま通りかかった、この家の人と思った方に尋ねて、びっくり。「宇野宗祐元首相の生家」だそうです。造り酒屋だったそうだ。「うの家」は「宇野家」だった。結構な距離、中山道跡と確認できるようだ、道筋として。さすが、それはできないと、本陣跡周辺を歩いただけだったけど、気になってたことが、1つできたという感じだった。
 落語会は「第四十回 ほたる寄席」、出演者に惹かれて行ってまいりました。大阪を離れて、桂二葉が、どのように受け入れられているか、それを知りたくて、また、自分自身でも、今年は、まだ1回も、生二葉を聴いてないので、守山まで出かけることを決意。今年は、あと2回、遭遇するつもり。その内1回は、地方の美術館巡りと併せたプチ旅行になる。今日の番組は、次のようなものでした。二葉「天狗刺し」、九ノ一「お公家女房」、二葉「子は鎹」。今日の二葉は、風格というか、貫禄というか、そういった、今まで感じたことのないものを感じた。めっちゃ、余裕のある、自信に満ちたマクラ、これに、まず驚かされた。東京や大阪だけではないところで、独演会なり、口演の機会が増えれば増えるほど、マクラの使い廻しは可能なわけで、その分、練り上げが進む。そういったところから、本人には自信が生まれて行くのでしょうね。凄いわ。ネタに入ると、「天狗刺し」が、1年前に京都で聴いたとき同様の鮮度を保っているのに、驚いた。ここまで、何十回と口演してきただろう、二葉を世に出した鉄板ネタなのに、鮮度を保持している。もう1つの「子は鎹」は、1年前に京都で聴いたときに比べて、熊はんが、めっちゃ進化していた。落ち着きのある、いい男ぶりが出てきていた。虎ちゃんの子どもらしさを強めたことにも一因がありそうだけど、熊はんの男ぶり自体が上がっている方が大きい。この人物表現の巧みさ、二葉は、どこまで進化するのだろうか、いつまでも見ていたい。そして、何よりも、母親の落ち着きと優しさがいいね、これが、この口演の最大の土台と思っているが、今日も、それを確認。助演が九ノ一だったことも、守山まで出かけた要因の1つ。マクラで富士ロックに行ってきたことをたっぷり。矢沢永吉ネタだと、客層にも大丈夫。雀三郎と同い年で、2人を比較するのが傑作。助演役としては「お公家女房」が妥当。去年の秋の「おもしろハッピー落語会in京都」以来かな、テンションが、また上がってました。噺全体を、それで持って行く、「延陽伯」でなく、「お公家女房」になると、お公家言葉に限定しており、且つ、名は名乗らせないので、上がったテンションのまま、一気に突っ走ることができる。これが心地いいんだなぁ。前座を置いてくれたらいんだけどなぁとは思うんだけど、ま、経費のことを考えると、これで十分じゃないかな。ええもん聴いてきました。
 時系列的には、前後逆になったけれど、ここに、今日の「日曜美術館」をメモっておく。今日のお題は「故郷は遠きにありて〜絵本画家 八島太郎〜」。八島太郎、また、初めて聴く名前。絵本画家で、アメリカで評価された作家さん、だけど、時代に翻弄される。戦時中には、アメリカの諜報活動に協力。戦後、地元鹿児島にアトリエ建設を試みるも、それが障りとなり、地元の協力が得られなかったよう。そういった経歴を、作品紹介ばかりか、実娘宅訪問映像を入れたり、残された絵本の日本語訳(自身で担当したそうだ)の読み上げも挟まれたりで進行。今日は、いつものMCは画面に登場する機会のない、映像だけの新作でした。初めて、アメリカで評価された作品、絵物語「あたらしい太陽」は、日本で逮捕され拷問されたときの自身の姿を描く。絵を描くことを目指し、上京、でも、学校に反発、除籍されたことから、プロレタリア運動に傾倒、それで、逮捕経験を持っていた。その絵物語で描かれた日本は、流布していた日本とは異なる日本だったことから人気を呼んだ。終戦直後、アメリカ軍の通訳として来日、どの子も小作人の子ども(かつて裕福な家庭に生まれたことからバカにしていた)に見えたことから、代表作「からす太郎」を描くきっかけとなる。絵本「あまがさ」の主人公は娘もも、この作品も評価され、名声は決定的になった。「海浜物語」が最後の絵本作品、浦島太郎に思いをはせる子どもたち、自分の人生と重なる、犬にも吠えられている絵。紹介された絵画作品は、次の通り(一部抜ける)。「鳩(未完)」「芽(1973)」、渡米後の作品(「マンハッタンの風景」「老人像」「真珠湾の夜〔ニューヨークの夜景〕」、戦後鹿児島で描いた作品(「桜島」「江口蓬莱」「群泳」)。





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