2025年 4月 28日(月)午前 8時 51分
昨日は、盛りだくさんな日曜日。朝から定番の「日曜美術館」を観て、その後のちょっとした時間を使い、洗濯、合い間に、食糧調達。昼食を摂ると、早々に出かけた。昨日は、岡崎でハシゴをした。1つは、一昨日同様、ロームシアター京都でのコンサートだったんだけど、同じ岡崎に行くならと、新たに始まっていた京セラ美術館のコレクション展に行った。時計を見ながらの鑑賞。ぐずぐずしていると、後のコンサートを抜かす懸念があるからだ。コンサートの休憩時間に、思いがけない人と再会。家族連れだった。奥さんもお嬢さんも知っているので、もう、びっくりの再会となった。去年は、このコンサートで、また、違ったご夫婦と再会した記憶。そんな、縁を結ぶコンサートになっている。結局、帰宅すると、もう午後7時前だった。
まず、メモるのは「日曜美術館」。今回は、二条城で行われている展覧会に合わせた企画で、「体感するキーファー in KYOTO」というものだった。アンゼルム・キーファーというアーティスト、二条城で展覧会があるということで、最近、名前を知ったばかり。アンゼルム・キーファーは、1945年生まれ。荒廃したドイツで生まれ、反ナチスが徹底された時代に成長。が、時とともに薄れる戦争の記憶、その、ドイツ人が忘れようとしたものを描くというのが、この人のアーティストとしてのモチベーションの根本のよう。美術の世界へ入るきっかけは、フランスのル・コルビジュ作ラ・トゥーレット修道院に衝撃を受けたことだった。そういった人となりなどを示しながら、作品が、どんどんと紹介されて行った。今回も、MC二人が会場へ足を運んだ。前のMCの小野さんも登場、解説の方と4人で回るというもの。紹介された作品をメモっておく。①ラー(エジプト・イメージ、ラーに対抗するかのように下部に蛇、パレットに羽が生えているような巨大なオブジェ)②オクタビオ・パスのために③【旧作紹介】ナチス式のポーズで自身が写真に納まる作品(カメラで、ドイツ人が忘れようとしたものを撮る、ドイツ以外でも、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ作品と同じ構図で)④アンセルムここにありき(背中を向け何かを観ている、ゴッホのようなタッチ、両義的な作り)⑤オーロラ(日本にちなんだ作品、原爆で鉄骨だけとなった学校の写真から取材、乳母車は映画「ポチョムキン」からのイメージ、オーロラ=日露戦争でのロシアの軍艦、金=普遍性の象徴、錆を使う意味は金に対峙するということ)⑤月のきるるさかの雫より(江戸時代の和歌から取材)⑥「古代の女」シリーズ/ダリア(ドレス姿の女性、顔がない、替わりに岩がのっている)⑦「古代の女」シリーズ/アンティオキアの****(顔を奪われてきた女性、コルセットで縛られた肉体を表すかのようにドレス姿の女性)⑧モーゲンソー計画(敷き詰められた砂の上に生える植物〈とうもろこし、麦〉のイメージ、金の蛇がはっている、本も置かれている、米政治家モーゲンゾーが、戦中に戦後のドイツの姿を提示、それによると農業国家ドイツにすれば良いとしたことを背景に)。この展覧会、行くか迷ってるところだった。観光客いっぱいの二条城に行きたくないからだ。そこへ、この番組、ありがたかった。これで満足しところかなの気になっている。
京セラ美術館のコレクション展は、特集「染織をめぐる冒険―京都の作家を中⼼に」と題されて行われていた。お題の染織は後半で、まずは、季節にちなんで「春の名品 花香−花香る絵画」という章立て。入口から見て、左側に花を素材にした作品が並び、右側に女性を素材にした作品が並ぶという趣向。だけど、女性の側に、1点だけ花を忍ばせるという趣向もありで、キュレーターさんの腕の見せ所ということか。花で、自分的に際立ったのが2点、会津勝巳「花」と大森翠「花発不逢人4 (Plus que les fleurs)」。前者は、淡い色彩で、後景にこぶのような山が連なり、前景には野が拡がり花が咲くというものだけど、淡い色彩なものだから、よく観ないと判然としないほど、淡い。とっても幻想的で気に入ってしまった。後者は、縦長の板3枚を並べ、真ん中の板には、花を象徴するかのように青色濃淡2色の丸みを持ったものがてんこ盛り、サイドの2枚にその丸みを持ったものが、2~3個、ポツンと描かれてる。満開の桜の花びらが、ちらりと落ちたという風景かな、こちらのイマジネーションを掻き立てる逸品。名を知ってる作家では、三輪晃久、三輪晁勢といった作家の作品が出ていた。女性側では花側ほどのインパクトを受けなかった。小磯良平「踊りの前」が出てたが、相変わらず、服の描き方が上手く、ドレスの質感まで判るというものだったが、そこまで。黒田重太郎「梳る女」はキュビスムの入った作品、川端弥之助「ウクライナの女」は三角構図で、えらく安定感があり、描かれている女性が高慢な印象を与えてしまってた。そういったメモだけを残したくらいだった。スペース中央には、ねじというかキノコというか、そういった形状の大理石作品があった。花にも見える。だから、このスペースに置いてもらったのかもしれない。次の部屋に入る。野村はるみの日展特選作品が2点、「共生」「雨後」という作品。絵の具をキャンパスにぶちまけて、塗りたくったかのように、瞬間、観えたが、あれれ、何かが見える。前者は峡谷が、後者は叢の中を伸びる山道が、自分の目には見えた。となると、途端に、自然に囲まれた山に居る雰囲気が出てきた。太陽光も観えるようで、、、、。おもしろい作品。「PAT in Kyoto関連展示」という章立ても、この部屋。同時開催中の版画トリエンナーレ関連ということで、過去に展示されたものを、ここで紹介するというもの。入江明日香「醍醐枝垂桜」は、ミュッシャ、アニメ、絵巻が入ったコラボ作品という印象、それを屏風仕立てにしてた。金光男「row-mat」は、すっかり絨毯を版画化したもの。こういった章立てではなかったら、そうとは、思わないな。そして、今まで、2度、観たことのある、手と鉛筆作品、木村秀樹の「Pencil 2-3」も出ていた。次の部屋は「陶芸オブジェの先駆者 林康夫」というコーナー。この作家さん、走泥社にもいたことのある前衛陶芸の作家さん。キャプションを手掛かりに、制作意図なり、観方を模索するのだが、キャプションを読めば読むほど、解らなくなる。代表作とされる「坐像」なんかは、直弧文と分析的キュビズムが合わさったもの、判るわけない。「No Sound D」は、二次元と三次元の境界が曖昧とかなんとか、これも、判るわけないが、この作品の形状は、確かに変だった。平面かと観てると、そうではなかったりと、それを、言語化すると、そういった書き方になるのかものしれない。「寓舎」シリーズというものがあるようで、その名の付いた作品が3点あったが、このキャプションが、最難関。諦めてしまった。「染織をめぐる冒険−京都の作家を中心に」と、ようやく全体のお題に入ってる染織が登場した。染織関連で、3部屋宛がわれていたが、なかなかの見ものだった。黄紺が、名前は目にしたことがあるのだから、いずれも、その世界では大家の方ばかりなのだと思うが、キャプションを観ていると、デザインを神坂雪佳に、絵画を都路華香に学んだりと、下地がしっかりされている。その中で気に入ったもの、気になったものをメモっておく。山鹿清華「手織錦屏風立花」は、丈の異なる立花2体を錦で織ってる。その細かな技は凄いと思ったが、立花って、華かやさのなかに、わびさびのようなものってないのかなとは思ったが、そうじゃないんだろうな、こういった作品があるってことは。中村鵬生「手織錦壁掛温室」は、お題のごとく、温室を表している。デザイン化した両脇の大きな葉の南洋的雰囲気に囲まれた内なる鉢に入った花が可愛い、随分と新しさを感じる作品。昭和6年制作だそうだから、新しい印象を与えたはずだ。稲垣稔次郎明「牡丹之図和紙糊絵屏風」は、二曲一隻の屏風、右隻に大輪の花、左隻に剪定を受けた枝だけを描くという、対比の妙が素晴らしい。人の生命、生活、人生をも表しているようだった。岸本景春明「両面刺繡潮衝立」は、ただただ、両面刺繡の凄技に見とれるばかり。そして、最高傑作と、自分的に思ったのが伊砂利彦「松−月−」。めっちゃ、おしゃれ! 型紙作品だそうだから、組み合わせたのかな、色彩は藍の濃淡で、丸い形だけで、月が浮かび上がる。凄い! 「染織集団∞(無限大)」の部屋があり、最後がファイバーアートの部屋。となると、お向かいの京都国立近代美術館であった小林正和作品展が思い出される。小林正和ものは1点「音のコラージュ 1-93」が出てた。ファイバーアートで、抽象絵画でよくある形状分割、画面分割を表したものと思ってる作品だ。盟友の草間喆雄ものは「G WALL-1」、小名木陽一ものは「自立の試み− white W」「壁に掛けられた黄色い半球Ⅲ」が出てた。そういった中で、観る位置で、色彩や形状の変わるおもしろい作品が2点、先程の草間作品がその1つで、前を横切ると、色彩が動いて行った。高木敏子「綴織壁掛日時計」は、太陽なんかなぁ、まん丸い形状の下半分の色彩が増減してた。これは、作品からの距離で変化してた。朝倉美津子「変化と平衡」は、平織りの折りたたんだものを繋げる作品だが、中央部が膨れて観える。何でか考えて、判った。横長で全体としては長方形になるのだけど、それが、正確な長方形でなく、中央部が、ほんの僅かに縦長になってる長方形だった。凄いな、これ。久保田繁雄「海音Ⅲ」のごつごつ感も印象に残る。麻を織ったものと、帰宅後、作品リストで確認して、納得。とまあ、ファイバーアートは、相変わらず、楽しい。
コンサートは、昨日も、前日に続き、「ローム ミュージック フェスティバル」のコンサート。昨日は、「オーケストラ・コンサート オール・ドヴォルザーク with 宮田大」というお題の付いたもの。黄紺的には、宮田大を聴いたことがなかったのでチョイスした。なんせ、彼のコンサート、チケットがお高いから行けなかったので、これをチャンスと看て、行ったのでした。プログラムは、「スラブ舞曲 第1集 Op.46, B.83より 第1番 第3番 第8番」「スラブ舞曲 第2集 Op.72, B.147より 第1番 第2番 第7番」「チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104, B.191」で、チェロ協奏曲がメーンとなっていた。オケは東京交響楽団、指揮は田中祐子だった。田中さんも初めて。とっても、切れのいい指揮ぶりで、選ばれたスラヴ舞曲は、1曲を覗き、激しいリズムのものが多く、ぴったし感があったな。アンコール・ピースとしては、スラヴ舞曲は聴いても、まとまって聴く機会はないから、ありがたいプログラミング。そして、宮田大のチェロ、とにかく、この人のチェロ、濃~い。パワーもあるし、ファナティックでもなく、濃いのだ。暑苦しいとまでは行かないが、濃厚という印象。ほぼ初めてだな、チェロを聴いて、そう思ったのは。その個性が惹きつけるのかな。人気の秘密かもしれません。皆さん、濃いのがお好きなんだと、呟きながら聴いておりました。 |