忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2025年 5月 19日(月)午後 8時 30分

 今日は、お出かけなしの休養日。月曜日に、休養日となることが多い。天気も良く、絶好のウォーキング日和。定番の日に2回のウォーキングは、2回とも、買い物を考えてのコース設定。日本酒のパックを買うときだけ、リュックを担いでウォーキングに出かける。今日は、午前中のウォーキングは、身体がとても軽かったが、夕方のウォーキングは、結構、きつかった。途中、休憩をとるまでが、昼前とえらく違い、身体が重かった。このバランスの悪さは、よくあること。逆の場合もあるしね。ちょっとエネルギー不足かという気がして、どこかでアイスで補填しようかという考えが、ちらっと頭をかすめたが、休憩後、元気が戻ったので、途端にアイスのことは、頭から消えていた。万歩計を見ると17600歩余だから、とってもいい数字が出ています。
 午後の一時は、こういった日の定番になっていることを、今日もやった。溜まっていたトルコ・ニュースを読むのは、いつも通りだったが、同じく溜まっていたYoutubeの動画を観ることはなく、替わりに、昨日のマッチのダイジェスト動画を観ていた。ガラタサライの優勝は、その日が来ただけだったが、終盤に入ると、試合日を分散しなくなるものだから、昨夜などは、8試合も一斉に行われた。ガラタサライの優勝とともに、シワス・スポルの2部への陥落も決まった日だった。最後にトルコ・リーグのマッチを観たのが、シワスだっただけに、悲しいね。、前回の陥落時は、確か1年で復帰だったと記憶するので、そうなってくれることを願うな。だけど、今季のガラタサライは強かった。当初は、フェネルバフチェとマッチレースかと思う時期もあったが、そんなには長続きしなかったな。1抜け、2抜けで、あとはドングリのなんとかという形だったな。午後の一時の主役は、韓国旅行の準備。トンヨン(統営)関係が残ってるかと思ったけど、もう出来上がっていた。ちょっと間が開くと、どこまでやったかが曖昧になって来る。そこで、プサン(釜山)のキジャン(機張)界隈の補充をすることにした。ヘドンヨングンサ(海東龍宮寺)からキジャンへ向かう途中に、最近、よく耳にするヘニョチョン(海女村)を名乗る地域があることを発見。Naberだけじゃなくて、Googleも併用していると、こういった発見があるときがある。2ヶ所も、ヘニョチョンを看板に出す場所を見つけた。この看板が当たったことで、そこらじゅうに誕生してるんじゃないやろか? そして、去年の暮れに行ったウルサン(蔚山)の情報整理をした。既に行ったところを省き、新たに加えたものもありで、且つ、前回は、バスでウルサン入りしたので、起点をバスターミナルにしていたのを、今度は、鉄道で入るので、テファンガン(太和江)駅を起点に、地図を作り変えた。多分、プサンからキジャン界隈を寄ってからのウルサン入りなんで、そんなに時間はないはずなんで、ウルサンは、そんなに頑張らなくてもいいかなとは思いつつ、いざ、やり出すと頑張っちゃいます。そんなで、なかなか、前へ進まないけど、これをするのが、旅行をする楽しみなんだから、仕方ありません。


2025年 5月 18日(日)午後 9時 50分

 今日は日曜日。と言えば、朝から「日曜美術館」なんだけど、今日は工芸が取り上げられたので、ボーっと観るだけにしておいた。「日本一豪華な嫁入り道具 国宝 初音の調度」というお題で、10年ぶりに公開された「初音の調度」がテーマ。MCの坂本美雨だけが、徳川美術館に足を運んでのロケ。説明役の学芸員さんだけではなく、この再現に取り組む蒔絵の人間国宝・室瀬和美さんも登場しての番組となった。凄く細かい技のオンパレードのようだった。地中海産の石だったかな、当時の日本としては、ありえないほどの貴重な素材も使われているそうだ。家光の娘の嫁入り道具だそうだ。目の保養ということだったが、途中で、うとっとしてしまってた。今日は、このあとも眠り続けることになる。夜は、しっかりと眠れないのに、昼間だと眠れる。午後に、お出かけ予定があったが、1時間程の空きができたので、ミニでのウォーキング。午後は、そのお出かけ先への往復+買い物のための迂回コースで、万歩計を見ると14600歩余とは、こういったスケジュールのなか、よく歩いた方かもしれない。
 お出かけ先は京都市学校歴史博物館。今日は、こちらで、「佐々木丞平館長講演会/文化芸術の玉手箱」と題したイベントがあった。前回は、館長ご自身のお話だったが、今回は、長楽館の重要文化財指定を受けて企画された講演会。お題はそのまんまで、「新しく重要文化財に指定された京都の近代洋風建築『長楽館』について」というもので、千木良礼子(京都市文化財保護技師)さんのお話を聴くことができた。アスニー京都の「京都学講座」で取り上げられそうな内容だった。序で、文化財保護技師の仕事を説明して、自己紹介に替えられた。最近、講演会に行くと、この「自己紹介」が入る。なんか、講演会の模式図のようなものがあるのだろうかと思うほどだ。本題を導くマクラ的な内容だといいのだが、申し訳ないけど、今日の自己紹介は、導入でもなんでもなかったので、「先に行こうよ」と思って聴いていたのが悪かったのか、「ようやく本題に入るぞ」までは覚えていても、その後を覚えていない。断続的に覚醒すると、その都度、長楽館内部の写真を示しつつ、それらを解説されていた。「京都学講座」的だったので、それで誤ってはいないと思う。メモれる程の中身を押さえてられないので、印象だけ記しておく。1階部分のカフェには、何度か行っているので、様子は覚えている。外観通りで、洋館なら、こういったインテリアになるだろうくらいの認識だった。ちょっとだけ、雰囲気が違うのは、2階へ上がる階段、これも、洋館らしさがあるのだが、中ほどで、一旦平らになるところがあり、そこの壁の上に額が架かっている。伊藤博文揮毫の「長楽館」の文字が躍っている。今日のお話では、この額により、「長楽館」という呼称が定着したと言われていたと思うが、洋館の雰囲気とは異なる額なのだ。ちょっと違和感があるけど、今までは、それ以上、何も考えてなかったが、実は、それがヒントだったこと、今日のお話で判った。ここ、上の階には和室に茶室まであるんだね。しかも、外観のファサード部分では、バラ窓よろしく半円形の窓になっているが、内側は立派な和室という、びっくりの設計になっているそうだ。設計者はJ.M.ガーディナー。立教関係の人で、教会建築を、あとは、日本で残しているらしい。洋室部分でも、バロック様式も、古典的なルネサンス様式など、多岐に渡っているらしい。そんなで、重要文化財、知った場所だけに、嬉しい限りだった。


2025年 5月 17日(土)午後 8時 40分

 昨日の夜半から雨。また、気温が下がるのかと思ったが、ぬくいままという感じ。でも、洗濯物が溜まっていたため、朝から洗濯。乾くのは明日でもいいやで、時間の取りやすいときにするべきとの判断。そして、午後には落語会に行く予定になっていた。私市まで行った。生駒の山が迫っていて、いいとこだな、私市って。行くたびに思う。星の里いわふねの体育室を使った落語会、時間が合えば行くことにしている「桂南天の会」。今日の番組は、次のようなものだった。二豆「ろくろ首」、南天「代脈」、米之助「虫売り」、南天「崇徳院」。今日は、主役の南天の口演で、少し寝落ち、しかも、2席とも。1つには、南天の「代脈」、あまり好きじゃないのです。マクラで。検査入院をした話をしたので、「代脈」だなと思いつつ、他のネタはないかと探ったけど、やっぱ、「代脈」だわなと思ってたら、その通りだった。ボケた男が、それこそ、代脈に行き、失敗する軽い噺を、やたら引っ張る。この過剰さが嫌なのです。「そこまで奥のある噺やないやろ」と思ってしまうのです。「崇徳院」も、かなり過剰だった。これも、半ばで、軽く寝落ち。こちらは、噺が大きいから、まだ、聴いてられるが、熊五郎いじりは、でも、耐えられなかった。寝落ちは、そんなことと関係があるかもしれない。上手い盛り上げをする噺家さんのはずなのに、聴いてて、一線を超えたと思える過剰さは、嫌だ。あくまでも、自分的許容範囲での話だけど。今日の、一番、お気に入りは二豆。アホをデフォルメしすぎることなく、こんなアホならいてて、可愛げたっぷりやなと思わせるものがある。だから、突発的な過剰な台詞が効く。娘さんに向かい、1回だけ、毒を吐くアホに、声を出して笑ってしまった。「ろくろ首」で、こんな体験、ないよ。米之助のコーナンいじりのマクラ、めっちゃ、受けていた。確かにおもしろかった。そして、ネタの準備になった。「虫売り」というネタは、米之助の新作。擬古典と言える作品。聴きながら、小佐田センセの作品かなと思ったほどの、いいテイストだと思った。構想としては、小佐田センセが作ってもおかしくないなとは思ったが、くすぐりや、このネタの眼目とならなければならない虫の声が、人の言葉に聴こえるという部分のアイデアのグレードが、小佐田センセやないでと思ったら、案の定、そうじゃなかった。終了後のネタ発表で、「米之助作」となっていた。構想がいいので、アイデアの絞り出しで頑張って欲しいなと思えるものだった。米之助、もっと、他に作ってんだろうか? もう少し、あればだが、他のネタも聴いてみたいと思ったのは確かだ。
 帰りの電車のなか、息子から電話が入った。電話に出れないので、SNSで応答して判ったのは、今度、一緒に買いに行くはずだった、S用のランドセル、ええもん、見つけたので買っていいかということだった。せっかくのもの、見過ごすの、勿体ないと思ったので、OKのレスを送ったけど、一緒に買いに行きたかったな。Dのときも行けてないので、余計に残念感が残るな。


2025年 5月 17日(土)午前 6時 30分

 昨日は、朝9時過ぎに出かけて、奈良へ行った。近鉄沿線でのハシゴを計画したのだ。ところがだ、前回行ったときもそいうだったが、近鉄電車が混む。こないだは、インバウンド様々でえらい迷惑、今回は、遠足に巻き込まれてしまった。伏見から奈良に行くのに、電車は立ったままって、生まれて初めてや。奈良県立美術館に行き、余裕を持って京都へ引き返す。新田辺で乗り換え寺田へ。このコースの場合、昼食は、寺田駅近くのインド屋さん。ここ、なかなか美味い。ただ、時間に余裕を見過ぎたため、次なる浪曲の会までは時間があったので、会場の文化パルク城陽前の広場で読書。肩のこり、背中のこりが酷いので、読書をしていると、却ってしんどくなってきたので、行儀が悪かったが、ベンチに寝転がった。仰向けに寝ると、木のベンチが、背中だけではなく、腰も伸ばしてくれた。周りに人がいなかったからできたが、これで具合がよくなったから、自分的には正解だった。新たに読み出しているのは、浮世絵の本。日本美術に関するものって、初めてじゃないかな? 帰宅すると午後5時だった。一昨日と、時間の流れはほぼ同じ。万歩計は11500歩余を示している。美術館で、またしても、腰に負担をかけたから、この程度でいいかな? 一昨日の夜、腰がやばいかもと思ったが、一晩、寝ると、恢復していた。立ったままで奈良まで行ったが、今のところ、大丈夫な模様。
 奈良県美には、先月にも行った。そのとき行われていたコレクション展「新・古美術鑑賞 New Ways of Seeing Japanese Art―いにしえを想いて愛せる未来かな」は、まだ続いている。所謂、展示替えが、この間、あったのだ。それを外せないと思ったので、再訪を期していたのを、昨日、実現したということだ。狙いは、最後の章立てとしてあった「浮世絵 ―手元でみる美」の展示替え。既に、前回、ここのコレクション、えぐいでと思ったのだ。そして、作品リストを見ると、この章立てでは、全とっかえになっていたので、これは行かねばなるまいと思ったのだった。そして、それが、ど正解だった。まず、気に入ったのが、礒田湖竜斎「案内」。お茶屋で、どこかの青白っぽい若旦那が、鼻の下を伸ばしたかのように、店の者に「案内」されて部屋に行くところを描いたもの。この、なよっとした男の雰囲気が、めっちゃお茶屋の雰囲気、出してる。並びに、東洲斎写楽の役者絵が2点、入れ替わっていた。「谷村虎蔵の鷲塚八平次」「中山富三郎の宮城野」が出てたが、前者に眼は行ってしまう。有名な「大谷鬼次」の目をしてるものだから、どうしても、そっちに眼が行っちゃう。歌川国貞(三代歌川豊国)「其由縁十二時斗 酉ノ刻」は、蚊帳を吊った中に女がいて、外に男が立っている。この男が、また、なよっとだらしがない。それに、女は2人いる、何をおっぱじめようというんだと突っ込んでしまったな。渓斎英泉「江戸名勝尽 隅田川」は、贅沢禁止令をもろに受けたとかで、多色刷りができなくなったため、藍色だけで描いてる。が、口紅だけは、しっかりと紅をさしている。却って、艶っぽくって、贅沢しそうな印象を受けてしまった。菊川英山「風流七小町 通ひ小町」というお題での美人画。すっくと廊下かな、そんなところに立っている女を描いてるけど、お題との照合を図っても、それが判らない。キャプションにも、「これかも?」とは書いてあるけど、「百夜通い」と、どこで通じるのかまで書いてなかった。「おいおい」だ! 渓斎英泉「時世美女競 東都芸子」に描かれた女は。緑色の紅をさしていた。トレンドだったのか、尖がってたのか、どっちなのでしょうか? 前にあったのか、よく覚えてないんだけど、「柱絵」というものがあるんだね。「秋葉さんのお札」じゃないが、柱の節隠し用の細長い紙に絵を描いたものを言う。鳥高斎栄昌「花魁と若衆」と礒田湖竜斎「七福神乗宝船」が「柱絵」だったが、完全に構図勝負。役者絵は、前期に出た歌川国兼「岩井半四郎のやゑ」が印象的だったというか、モデルがいいから、そうだったのかもしれなかったが、今回は、それに勝るものはあったとは言えなかったが、もちろん自分的にだが、そういった中で、「かっこええ」と思ったのが、勝川春扇(二代勝川春好)「関三十郎の鬼王新左衛門」。どんな役柄か知らないけど、しゅっとした姿が印象的だった。相撲絵は役者絵と同じブロマイド。今回は、歌川豊重(二代歌川豊国)「逐手風喜太郎」。「逐手風」は、現在では「追手風」と表記しますね。喜多川歌麿「富士・鷹・茄子図」は、縁起物なんでしょうか? 凝ったものとしては、前期同様、人体の組合せで人の顔を描いた歌川芳藤「からの子がよりかたまつて人になる」が出てたが、前期の国芳ものに軍配だった。さすが、師匠の技です。影絵は落合芳幾「くまなき影」で、こちらは、前後期でページ替え。仲間の絵師を追悼する冊子に入っているものだった。「北斎漫画」は、風神と雷神を描いたものが出てたり、歌川広重では「魚尽し ぐぢとかさご」なんてのが、露払いのように並び、展示の終盤になって来ると、さすが、葛飾北斎や歌川広重の風景画が出て来る。大トリという位置づけのように感じてしまう。歌川広重「名所江戸百景」は8点出ていた。大きな鯉のぼりの「水道橋駿河台」、亀のぶら下がりの「深川万年橋」(これ、「万年」だから亀っていうこと?)という、定番中の定番とともに、さぎの飛翔が分解写真のように描かれている「逆井のわたし」が、めっちゃいい! さぎと風景の間に距離感出てる。凄いわ! 更に気に入ったのが「はねたのわたし弁天の社」。船頭全体を描かず、船頭の腕と竿の間から風景を描くというもの。鯉のぼりも亀もそうだけど、近景と遠景の極端な描き分けに究極の姿のように思えた。かと思うと、「王子不動之瀧」は、一直線の、しかも、藍色の滝には引いてしまったりと、それはそれで楽しいものがある。葛飾北斎「富嶽三十六景」は、前後期で1点ずつ。今回は「相州七里浜」だった。この章立てでは、時間に余裕ができたので、再度、展示室を一周。屏風絵の折り方、拡げ方、これが、やっぱ、斬新でおもしろかったのを、再確認させてもらった。その展示室と和室に荒井恵子の水墨画が展示されてあるんだけど、いいアクセントで、あるなしで、随分と、会場の雰囲気が変わるようで、この着想、キュレーターさんのグッジョブだと思った。
 浪曲の会は、おなじみの「京山幸乃浪曲の会」。残念なのは、この会でも、ずっと三味線を務められてきた一風亭初月さんが亡くなられたこと。舞台には、しっかりと初月さんの名が入った幟も置かれていた。パンフレットに、その初月さんとの思い出を、幸乃さんは綴られていた。会場へは、毎度、初月さんの運転する車で来られていた由、一緒にランチをして、会場入りするのが毎度のことだったそうだ。三味線さんがいなくなったことで、昨日の会も、一旦は中止も考えたそうだが、春野一さんが、務められてることで開催にこぎつけたと言われていた。春野一さんが、元曲師だったことは、今回、初めて知った。曲師から浪曲師への変身だということです。で、番組は、「左甚五郎/千人坊主(後編)」「プラネタリウム解説」「寛永御前試合」。「千人坊主」は、幸枝若が、よく出すネタなんだけど、遭遇したことはあるはずだけど、この後半は、初めてだったと思う。小さなものに千人もの坊主を彫るという、名人気質ものなんだけど、最後は、「機械仕掛けの神」的な終わり方に、ちょっと驚いた。大久保彦左衛門ものでもあるのですね。彦左と言えば、一心太助かと思うんだけど、左甚五郎とも、太助同様の関係で描かれていた。「寛永御前試合」は、奈々福流の名では「仙台の鬼夫婦」だったっけ? それに、最後に「御前試合」が付け加わったというもの。でも、このネタ、最近、この会で出たところじゃなかったっけ? 幸乃さん、ハードワークなのかな? いつものような声ではなかったようで、高音を絞り出すようにしてられたのが気になってしまった。


2025年 5月 16日(金)午前 6時 50分

 昨日は、大阪へ、朝から出かけた。午前9時に出発。京橋からウォーキングを兼ねて、森之宮と玉造の間にある百年長屋で、久しぶりに講談を聴き、終了後、近くの公園で、昨日も、一昨日に買っておいたパンで昼食。そして、地下鉄で肥後橋まで移動して、中之島香雪美術館に行った。市立伊丹ミュージアムとともに行くはずだった中之島香雪美術館に、ようやく行けた。小さな美術館なのに、2時間近くもいた。帰宅すると、午後4時。万歩計を見ると10700歩弱なのに、やたら腰に来ている。危ないかもしれないと、時間が経つにつれ思い始めている。帰りの電車も爆睡だったしと、結構なお疲れだ。
 百年長屋では、「木曜おはよう講談会」が行われる日だった。これで3回目。月2回のペースで行われている。一海くんが常時出演、それと、南華さんか南湖さんとの組み合わせと言うのが基本。昨日は、左燕さんが加わった。その番組は、次のようなものだった。南湖&一海「トーク」、左燕「左甚五郎の生立ち」、一海「名月松阪城」、南湖「英国密航」。「トーク」は、ほぼ万博ネタで終始。会場で講談の仕事が入っているそうで、今日、二人で出かけると言われてた。でも、「そうなんだ」という世間に着いて行く程度の情報として聴いていた。自分的には、全く関心がない。地下鉄移動のとき、中央線を利用したら混んでた。万博のせいと腹立てるのが、関の山だ。左燕さんは、これで3回目の遭遇。今までの2回と違い、格段に上達。前回とのギャップが凄かった。言葉を、短く切りながら喋るスタイルになっていた。それで、いい間ができたのと、言葉がしっかりとした。そうなると、元々、落ち着きすぎている人だけど、それが様になって来た。次回の遭遇が楽しみになった。そして、ネタは初耳。左甚五郎ものって、大河的な流れがあるのですね。一海くんは、どんどんと大きくなってきた。前回に見たときよりも、また、大きくなっていた。首に肉が付きすぎたのか、喋る機会が増えて、声の調子を落としているのか、こんなに絞り出すような声じゃなかったのにと思ってしまった。スマートさが減ってしまったのが、勿体ない。減量でできるなら、いい声、ストレートないい声、復活させて欲しいと思った。ネタは、講釈師さんには人気のネタのようで、いろんな人で聴いてきたものだが、そこへ、一人、増えた。そして、西村権四郎ではなく、石坂久四郎と言ってたんじゃなかったかな? 記憶違いかもしれないけど。それと、通常省かれる、石坂久四郎が、戦場で蒲生氏郷を助けるくだりが、序で入った。これ、初めてかもしれない。あとは、流れは同じだったと思う。随分と、間が開いているので、あまり自信がないが。南湖さんは、昔から持っているネタだけど、なぜか、これは聴いてなかったというネタを出してくれました。久々に行ったご褒美かもしれないと思いながら聴いていた。密航を助けてくれるイギリス人との交渉と言うか、やり取りが、結構、チャリになっていて、おもしろいネタだった。終演後、南湖さんと話す機会があった。コロナ禍以後、お話したことがなかったが、覚えていていただけ、恐縮した。また、講談好きの坊さんご夫婦も来ておられた。去年の4月に京都で会って以来だった。そんなで、一挙に、コロナ禍前に戻ったかのようだった。そんなこんなをしていると、一海くんに、丁寧なご挨拶を受けてしまった。ここでも恐縮。
 中之島香雪美術館では、特別展「すべてを描く萬よろず絵師 暁斎 ―河鍋暁斎記念美術館所蔵」が行われている。河鍋暁斎は待望の作家だ。浮世絵の展覧会で、ごく限られた数しか、観たことのない作家、だけど、その図柄が、いずれを観てもおもしろく、奇才イメージを持っていた。でも、それだけしか観てなかったこと、今回の展覧会で、よ~く判りました。この人、歌川国芳の指導を受けている一方で、狩野派を、しっかりと学んでる正統派の作家だった。だから、戯画を期待して行った身には、驚きでしかなかった。肉筆画が殆どだった。やまと絵(日本神話など)があるかと思うと、中国絵画を思わせるもの(秋冬山水図、蝦蟇仙人・鉄拐仙人図など))から、何と、美人画(文読む美人図、横たわる美人と猫図など)もあった。そうかと思うと、生首をくわえた狼の図(月に狼図)、どこかで聴いたことのある九相図というドン引きする図柄もある、かと思うと、この人、大蔵流の狂言を稽古したということで、能狂言を素材にした作品(瓜盗人図、膏薬練図、唐人相撲之図、三番叟図など)、習作なんでしょうか、大家の模写図(雪舟模写/観音図、常信模写/文殊菩薩図など)とまあ、とにかく、何でもできちゃう、オールマイティの作家だった。そういった画力があるうえ、機知に富んでいるということで、肉筆画にも戯画っぽい作品があった。「美人観蛙戯図」は、基本、美人画なんだけど、女性の視線の先には、蛙たちが相撲をとっている。その様子を美人さんが見入るという光景を描いている。ダンスマカーブルかと思わせる「骸骨の首引き」、「人物三長図」はおかしい、足の長い人、腕の長い人に、頭の異様に長い人を同時に描いている。こんなに出逢うと、今まで持っていたイメージ通り。「九尾之狐図屏風」では、日中印3国を表す人物や目印の上を、九尾之狐が飛ぶという構図、「殺生石」の詞章に、玉藻前に変じた狐は、この3国に出現したというものがあるが、そのことを指しているのだろうか? 日本は富士で表していたが、中印を表す人物像は、どこかオカシイ! 無茶苦茶なのが「放屁合戦絵巻」。屁を思いの限り茶化す、そのアイデアが凄い! また、屁を線で表しているので、えらくリアルで、絵に描かれている男が鼻を塞いでいるが、こちらまで臭ってきそうな勢いだった。これは、掛け値なしの秀逸。本絵の下絵も多く展示されていたのも特徴。さすが、作家一族の管理する河鍋暁斎記念美術館所蔵作品を展示しただけあります。その中には、動物を擬人化した「蛙の軽業」「狐の足芸」「鳥獣戯画 猫又と狸」など、こうなると、完全に独壇場だ。数的には少なかった錦絵は、当然のことながら、圧巻。「天竺渡来大評判 象の戯遊 道成寺ほか」は、象の擬人化。象に皿回しのような曲芸までさせていた。これも、今回の最高傑作かと思ったが、それと甲乙つけがたいと思ったのが「風流蛙大合戦之図(異版)」。蛙の擬人化で、合戦場面が描かれてあるが、構図が素晴らしく、リアルタイムで、合戦が行われているかのような迫力があった。大判3枚綴りの錦絵の大作だった。そして、最後のコーナーには、「鴉ー画業の極北」と書かれており肉筆画で評価を受け、高額で売られた「枯木寒鴉図」(榮太樓總本鋪所蔵)があった。これだけの画力があったので、なんでもありで、なんでもできたのだとのメッセージだと受け止めた。


2025年 5月 15日(木)午前 6時 52分

 昨日も、気温は上がったまま。天気予報を信じて、半袖のTシャツの上にウィンドブレーカーを羽織って出かけて、正解。午後には半袖で歩いていた。昨日は、朝から出かけて山科へ、と言えば、アスニー山科での市民向け公開講演会。それが終わると、アスニー山科近くの公園で、一昨日買っておいたパンで昼食。お出かけが続くと、倹約も肝要。その後、京都駅まで一駅移動。駅近くの京都芸大芸術資料館に行った。ここからの戻りは、毎回、自宅まで徒歩移動。気温が上がってるので、これは、結構きついが、帰宅後、昨日は寝落ちしなかった。しばし、Youtubeの動画を観ながら、静養に努め、時間があったので、溜まっていたトルコのニュースを読んだ。夏至まで1ヶ月ということで、かなり陽が長くなっているので、まだ時間があると思ってしまう。夕方になり、ミニでのウォーキングに出かけた。ちょっと物足りないと感じてたからだ。結果、万歩計を見ると17400歩余になっていた。
 アスニー山科での講演会は、「仏像の衣にまつわるエトセトラ」というお題で、熊谷貴史(佛教大学宗教文化ミュージアム学芸員)さんのお話だった。ミュージアムの紹介から始まった。ここの展覧会の情報は、結構、把握してはいて、更に、そそられるお題であっても行ったことがない。大覚寺の近くでは、さすが行こうという気が起こらない。昨日のお話は、企画展「仏像のドレスコード」で紹介した内容だと言われてた辺りまでは覚えている。この2日間、寝落ちが続いていたが、どんどんとエスカレードしている。昨日は、完落ちと言ってもいいくらいの低汰落だった。人のせいにするわけではないが、熊谷さんの籠った声に引いているところへ、レジェメを見ると、仏教&仏像関係のテクニカルタームが、ずらりと並んでた。「聴き取りにくい声質に、このタームかよ」と思ったところまでだったな。所々で覚えているのは、仏像って、彫りで衣まで表すものと思い込んでいたら、着衣させる仏像があるそうだ。ということは、仏体自体は裸ん坊、これには驚いた。裸繋がりで覚えているのは、右肩はもろ肌出しになった仏像もあるようだ。衣をしっかりと着ているものでも、身体の線がもろに判るという衣を着た仏像もある。お話の中では、「グプタ朝の仏像のように」と言われていたが、レジュメには、しっかりと「マトゥーラ仏」と書かれてあった。このマトゥーラ仏、前から気になってんだよね。よく、「ガンダーラ仏のインド化」というコンテキストで、このマトゥーラ仏は上げられる。ヴィジュアル的には判りやすい。ごわごわの衣を着ていた仏像が、身体の線くっきりの衣になるんだからね。で、それを「インド化」と言う。確かに、ヘレニズム文化の特徴が消えたことは判るが、「なぜ、インド化が、そういった造形になるか」を説明したものは目にしたことがない。丁度いいチャンスと思い、聞きに行きたかったのだが、ずっと寝ていて、それはあかんやろと思い、断念した。
 京都芸大芸術資料館では、「herstories-女性の視点でたどる美術史」という展覧会が行われていた。京芸で教鞭を執った、執っている女性作家の作品が並んだ。最近、女性作家の作品を並べる展覧会がブームのようにして続く。チラシには、京芸初の女性学長赤松玉女退官を記念しての開催とあった。黄紺的には、赤松さんの名は、東芸の学長との対談が行われるというので、そこで初めて知った方。出展のあった作家さんでは、確実に知っていると言える作家は2人しかいなかった。でも、どこかで見覚えのある作品はあったが、ほぼほぼお名前は知らない作家の作品の方が多かったが、楽しい作品が多く、と言っても、全体数が少ないので、多くなんて言っていいのか躊躇うけれど、いい時間を過ごせたと思っている。冒頭に知った作家、一人目は上野リチ。「壁紙」となっていた。一部が、今回の展覧会のチラシに使われたもの。デザイン化された花かな、それと植物の一部を散らばらせる構図。薄めの黄色が目立つ、らしい作品。お隣が秋野不矩「雨期」。こちらは黄緑色が大きく画面を占めているので、この人の作品からだとインドでしょう。上部に黒雲を思わせる黒色部分。そうは思っても、抽象画だなと思い観ていると、少ししてから、雨が見えてきた。大串佐知子「Untitled」は、ぱっと見、花をデザイン化したのか、抽象化もしているのかと思ったが、すぐに眼鏡のようにも観え、仮面のようでもあり、内なる模様へと、次は吸い込まれて行く。ロールシャッハ検査のようでもあり、どこに焦点を合わせていいのか困る、おもしろい作品。主役の赤松玉女は2つ出ていた。「彗星問答」「梅雨の音」。前者は、ぱっと見。ごちゃごちゃしていない福田美蘭に見えた。不思議な作品で、描かれているキャラ、おっさんのようだけど、同じ人物だ。上から飛び込む男、それの分解写真のような姿があり、ついには、見えない壁を突き抜けている。かと思うと、反対側へと分解写真は続いている。白っぽい部分と色彩感が、福田美蘭だと思ったみたいだけど、これ、何なんだろうとを考えさせられて、結果、何も思いつかないというパターンだけど、考えている時間が楽しい。後者は、雨粒が、右上から左下にかけていっぱい同じ斜度で描かれており、それを、顔を手で挟んだ人物が浴びている。確かに、雨だ、突然の雨だったのか、困ってるのかな? これも、何かストーリーがあるようだ。そう思わせる、不思議な力がある。粗いタッチで描く背景、白色で描かない前者の背景と、何か通じるものを感じてしまった。反対側の壁にあった谷澤紗知子作品がおもしろい。素材は紙、大きな紙切り芸のようだ。1枚で作った「わたしはすべてのあなた」は大きな木を切ったもの。「女性像の演習」と題された2作品は、今度は、切り取ったものを繋ぎ合わせた複雑な作品。形状だけを観ていても、おもしろいが、いずれも、古典的な作品に描かれている女性像を織り込みながら切ったように見えた。紐状のものも切り、それを紐を掛けるように絡ませたりと、目を楽しませてくれる作品でもあった。唐仁原希「遭遇/空から舞い降りた少女」は目立つ。しっかりと写実的に描かれた庭園に、アニメ・キャラのような女性が、ふわりと舞い降りたという感じで、微妙に宙に浮かせてるのが、アニメ・キャラ風とともに、目を引き付けるのだ。で、何か言いたいことあるのと思ってしまう、でも、タッチは、油彩の精緻な作品だった。その他、重松あゆみ、ひろいのぶこの作品と、中央部分には、上野リチの「プリント図案」が展示されていた。


2025年 5月 14日(水)午前 5時 28分

 昨日は、一転して、気温が上がった。いい天気だったにで、朝から洗濯。午後に、久しぶりに京都歴彩館に行くことになっていたので、いつもより、若干早めに洗濯に取り掛かった。そして、一昨日、買っておいたパンを持って出発。鴨川の河原で昼食を摂ろうの考え。気温は高かったが、心地よい風が吹いていたので、この昼食は正解。少し時間が早かったので、少しの間、そのまま読書。途中、京都コンサートホールに寄り、先日、オンラインで購入した市民寄席のチケットを引き取り、お隣の歴彩館へ。昨日から、今年度の「京都を学ぶセミナー【洛南編】」が始まった。抜け目なく、情報を掴んだ爺婆で、会場は混んだ。このセミナーで一番混んだかもしれない。その第1回は、「陸路・船路が織りなす洛南八幡域の交流の考古学」というお題で、小池寛(京都府埋蔵文化財調査研究センター)さんがお話をされた。埋蔵文化財センターの方が考古学をテーマに話されるというのは、アスニー京都での京都学講座と同じパターン。場所は八幡。三川合流という地。当然、交通の要所。大阪方向、京都方向は言うに及ばず、奈良にも向かえる。舟運だけではなく、そういった交通の要所ということで、街道が整備されて行く。山陽山陰に、北国街道の結節点にもなっている。巨椋池へ宇治川が注いでいる古地図は見たことがあったが、ここで示された地図には、宇治川は入らず、木津川の方が入っていた。そういった地の利を解説されたあと、弥生時代から、この八幡地域に観ることのできる考古学遺跡を紹介するというのが、この講演の柱で、いかに人とものが行きかったかを示すというのが趣旨だったが、ほぼ寝落ちをしてしまった。一昨日も、かなりの寝落ちだったのだが、その比じゃないほどの寝落ち。入口のお話は大丈夫だったが、個別の時代を時系列的に押さえられていく段階になりダメだった。主として内里八丁遺跡を取り上げられ、その遺跡の各時代地層から出てきたものを紹介されていたように思う。レジュメと、薄っすらと耳に残っていることとを組み合わせて、メモれることだけを記しておく。「古墳時代の製塩土器が出土している、日本では岩塩がないから海浜部で土器製塩された固形塩がそのまま持って来られた模様、大阪湾岸で製塩されたものと考えられている」「古墳時代の横穴墓が多数出ている」「現城陽市には規模の大きな墳墓が残る、久津川車塚古墳が最大規模(これは直に観に行ったことがある!)、継体天皇は、樟葉宮→筒城(綴喜のもと?)宮→弟国(乙訓のもと?)宮と遷宮を繰り返した」「奈良時代の遺構から‶中国製絞胎陶枕‶が出てきている、陶製枕、ないしは、文字を書くときの腕置台と考えられている、中国から直接ではなく平城京から山陰道経由でもたらされたようだ」「上奈良遺跡には則天文字で墨書された土器が出土している、経典を通じて日本にやって来た模様、養老律令にも則天文字を見い出すことができる」「だけど気になったのは、養老律令って757年だよ、則天武后が亡くなって半世紀経ってるのに、則天文字が生きてたとは!?」「奈良時代や平安時代の瓦話、瓦の一般的な解説は聴けてたのに、肝心の出土瓦の分析話は寝てた!」「石清水八幡宮は、平安時代に宇佐神宮を勧請しての創建、平安京の裏鬼門を守る神宮、円融天皇が行幸して以後、人気になる」「従って、東高野街道も、この時期以後、高野聖の活動が活発化したのも大きく作用」。
 帰りは、いつものように徒歩移動で三条へ。一昨日と同じコース。一昨日は涼しかったが、昨日は、気温が高く、しかも、鴨川左岸は、西日をもろに受けるので心配したが、大丈夫だった。それどころか、いい風が吹いていたので、最高の環境だった。これが真夏になると、風が吹いても熱いんだろうなと思いながら歩いておりました。でも、帰宅後、ホッとすると、椅子に腰かけたまま、ぐったり。こういったこと、最近の定番になってる。やはり、体力が落ちて行っていますね。仕方ないけど。万歩計を見ると17000歩余だった。優秀です。


2025年 5月 13日(火)午前 6時 21分

 昨日は、午後にコンサート付きレクチャーを聴きに行った。京都市北文化会館のスペースを使い行われている、半年に1回のイベント「第7回佐竹裕介先生の音楽講座 ー知ってるようで知らない音楽の謎ー」に行った。ここへ行くと、帰りは三条までウォーキングがてら歩くので、午前中のウォーキングは控えめ。郵便局に用事があったので、普段、あまり利用しない郵便局に寄るコース。そして、三条までの徒歩移動を併せると、万歩計には15700歩余と出てたから、ほぼ計算通り。昨日は涼しかったから、これだけ歩いたという実感が薄い。今日も、同じ、鴨川沿いの道を歩くことになるが、昨日のような気温だといいのだが、、、。
 「佐竹裕介先生の音楽講座」は、大作曲家を取り上げるシリーズに入っている。バッハ、ハイドンに次いで、今回はモーツァルトだった。ヘンデルは省かれるようだ。お話は、ここまでの歴史の振り返りを、簡単にしてから本題へ。この辺は、しっかりと聴けてたんだけど、肝心のモーツァルトに入ってから、昨日も寝落ちしてしまった。レジュメを見ながら、薄っすらと覚えてることをメモっておく。「対位法」を駆使して、「全体の秩序」を構築したバッハの音楽。息子のJ.C.バッハは、「旋律とそれを支える和声」というスタイルを生み出し、「旋律」が主役に躍り出た。そこに現れたのが、ハイドンであり、モーツァルト。「旋律とそれを支える和声」を切り取り、その素材を組み合わせて、その形を整えた。ソナタ形式がそれになる。素材を作る嗅覚が、誰よりも優れていたのがモーツァルト。この「嗅覚」とか、そもそも「素材」というタームが解りにくかった。音の並びとか、和声の付け方、変化のさせ方といったことに、動物的な勘で操作を加えて行ったということか? メロディ・メーカーということとも違うようだ。これは、後で、実際の譜面を示しながら、こういったところがおもしろいのだということを話されていたことからの連想だ。「モーツァルトが書いたようにではなく、こうだったら、、、」と言いながら、佐竹さんが、ピアノを弾いて見せられると、モーツァルトの方がおもしろいのだ。これは、全く感覚的な反応だが。それを見越しての作曲だから、いや見越す前に書いてんだろうな、モーツァルトは。その譜面を見せてのお話で、特におもしろかったのは、「レクイエム」の「ラクリモーサ」。モーツァルトの絶筆のところだ。この「ラクリモーサ」の途中から、ジュスマイヤーが補っていく。そこで、佐竹さんは、「ラクリモーサ」全曲を聴かせ、どこからジュスマイヤーが書き足したかを考えさせるということを、参加者に求められた。これを、毎回、このレクチャーの白眉となる、音楽を流しながら、パワーポイントに楽譜、それにコメントを加えた画像を、次から次へと流すというやり方、これ、準備が大変だろうなとは思うのだが、観ていて、めっちゃおもしろい。あとで答えを発表されたとき、「そうだった」とは思ったが、指示に従い考えたが、大外れだった。8小節しか書いてなかったこと、すっかり忘れてたけど、知識じゃなくて、音楽を聴いて当てるというのは、かなりムズイ。それだけ、ジュスマイヤーが上手いということになるのだろうが、佐竹さんには、そうとは映らず、やっぱ、腕の差を言われていた。そういったモーツァルトの特徴を、いろいろと言葉を替えて説かれていた。「音楽理論は、過去の天才たちの感性に共通する法則を体系化したもの」という物言いがある、それだと、音楽理論に基づき作曲すると、新たな感性は出てこない、だから、作曲は神に選ばれた人しかできるものではない、その作曲をするに足る人物こその代表選手がモーツァルトということなのだろう。「ガラスの多面体」の喩えは、いまいち解りにくかったけど、頻繁に使われた「素材」の組合せに長けていることを言われてたようだが、、、、。一番、解りやすかったのが「子ども」の比喩。子どもは、些細な感情の移ろいで動いている、これを遊びと言い、目的地があるわけではない。でも、大人になると、この目的地というものを知り、ただ単に、歩くこと、遊ぶことの楽しさを逃してしまう。些細な感情の移ろいが、自分の中にあることを忘れてしまう。この子どもの行動に、モーツァルトは似ているというのだ。よく、モーツァルトを子どもの感性を持ち続けたというように、子どもに喩える物言いがあるが、それを、理詰めで説いた言い方は見たことがなかったが、佐竹さんは、それを言ってのけたと思った。これを聴けただけでも、運よく、ここでは覚醒していたが、ホント、このレクチャーを聴いて正解だった。後半は、ヴァイオリンの田村安祐美、コントラバスの神吉正というお二人を加えてのミニコンサート。プログラムは、「ヴァイオリン•ソナタ ホ短調 K.304」「ピアノ三重奏曲 ハ長調 K.548(コントラバス編曲版)」「アヴェヴェルムコルオプ(ピアノ独奏)」だった。


2025年 5月 12日(月)午前 8時 13分

 気温の下がった日曜日。昨日は、朝10時に「日曜美術館」の「アートシーン」が完全に終わってないのに、出発。一気に、京阪電車で淀屋橋駅まで行き、2軒の美術館をハシゴした。狙いは、午後に予定されていた中之島美術館での講演会。それに合わせて、お隣の国立国際美術館での特別展へ行った。現代アートの展覧会だったので、あまり混まないとの予想。観るには、全く困らなかったが、ほぼ若い人だったが、結構、入っていた。韓国もそうだったけど、現代アートは、若い世代が圧倒します。昼ご飯は、一昨日、買っておいたパンを持って行き、国立国際美術館の前の広場で食べた。これができると思ったので、「日曜美術館」終了後に出ても大丈夫と踏んだが、時間は足りなかった。同美術館には2時間はいたが、それでも不十分だった。パンを食べている内に、講演会の開場時間となり、実際に、中之島美術館の講演会場に着いたのは、その10分後だったが、席は確保できたが、ここ、座布団持参でないとダメなこと、失念していた。幸い、気温が低かったためウインドブレーカーを着て行ったので、それを座布団替わりにして、ぎりぎり耐えることができた。薄いウインドブレーカーでさえ、あるなしでは大違いだった。帰宅すると、もう午後5時。あっさりと1日が終わったな。
 「日曜美術館」は、「デザインミュージアムジャパン」というお題で、普段のMCはお休みで、全く別番組という感じで進行。第一線のクリエーター(と言っても、黄紺は知らない、番組でそう言ってた)が、日本各地に存在する「デザインの宝物」を探すというもの。8人のクリエーターさんが登場した。取り上げられたものだけ、メモっておく。「 」内は、番組で、デザインの魅力としたもの。①魔法瓶/「喜び」、内部を上から見ると、ガラスの輝きで万華鏡のよう、美しいるつぼ②大漁旗/「喜び」、8つの原色を使う、通常では考えられない色の組合せもある、それは海で映えることが狙い③スナックの看板/「遊び心」、フォントやスペースの使い方は本能に訴えるものがある④ヒラギノ明朝体・フォント/「合理性」、読みやすい文字、手書き、敢えて個性を出さない、お経の版木が基、‶田‶の字にある4つのスペースは全部異なる⑤ほうろうの生活用品/「合理性」、金属ベースにガラス質の***⑥氷室/「合理性」、尾根に氷を保存、雨が左右に流れ氷を守る、下に氷池⑦街路市/「豊かさ」⑧石州瓦/「雰囲気」、寒いところに強い瓦、重い、頑丈、赤い、水が沁み込みにくい瓦。
 国立国際美術館の特別展は「ノー・バウンダリーズ」というお題が付いていたが、HPの梗概を見て、「境界」ものだということが判り、期待満々で行くことになった。ただ、どういったものに「境界」を持ち込んでいるのか、キャプションで判ればいいが、解説っぽいキャプションのないものもあり、あっても、読んでも、そのキャプションに書かれてあることが、理解不能だったり、書かれてあることが了解できても、面前の作品に当てはまるポイントが判らなかったりと、ま、それだからこそ、現代アートはおもしろいんだけど、イマジネーションの問題だし、己の知識量の問題だしと、なかなかムズイが、お手上げものが幾つ出ても、それは仕方がないの気持ちで臨んだ。展覧会の趣旨を読んだとき、「これはある」と思った作家の作品が、一番最初にあった。森村泰昌作品だ。ジェンダーも人種も、なんでも越境してしまう森村作品、有名な「肖像(ゴッホ)」が、真っ先にあり、隣に「肖像(カミーユ・ルーラン)」があった。ともにゴッホだ。シンディ・シャーマンの作品もなりきりもの。森村作品が形から入るのに対し、こちらは、イメージのなりきりもの。やなぎみわ作品も、ちょっとすれ違うようなもの。モデルとなる女性に、自分の50年後を思い描いてもらい、作家と対話をしながら深化させ、できあがったイメージを作家自身が演じて写真を撮るというもののようだ。年齢を越境している。ミン・フォンは映像作品が2点、出ていた。映像作品「ライフ・オブ・イミテーション」が、なかなかおもしろい。映画の一シーンの、黒人である母親を隠そうとして、その母親と縁を娘が切るという場面を、人種や民族の異なる役者に演じさせ、しかも、カットごとに、人種や民族を入れ替える、しかも、その場面を、同時に2つのスクリーンで見せていくから、元の映画の設定が、どんどんとわけがわからなくなっていく。問題の相対化どころじゃなくて、無意味化を図ったのかな? おもしろいこと、考え付くものです。マイク・ケリー「カンドール」シリーズは、スーパーマンの故郷となる町が縮小されているそうだが、その物語の記憶を再現しようとしたもの、らしい。イメージの差異を意識させるものかと思ったのだが、当たってるだろうか。山城知佳子「BORDER」という映像作品は既視感がある。多分、この美術館のコレクション展でなかったかなぁ。沖縄人の墓が、基地内にあり、それとの境界を強く意識させるもの。「オキナワ TOURIST-I like Okinawa Sweet」は、女装した男(と思うのだが、、、)がアイスクリームを食べ続ける光景が続き、エロい何かを表しているようでもあり、でなかったら、これは何だという映像が流れたあと、国会議事堂の前でパネルを持ち、アピールを行う作者と思える女性が何かを訴える光景を撮るというもの。でも、女性が言っているのは、ステレオタイプの沖縄の誉め言葉。沖縄の現実と作られた沖縄イメージの境界を描いているのか? 1つのコーナーには、三島喜美代作品があるかと思うと、廣直高の「無題(陽)」は、どうやら、キャンパスを着ながら、それに絵具を塗りたくったようだし、田中功起の映像作品「誰かのガラクタは、誰かの宝物」は、拾ってきたヤシの葉を、フリマで売る姿を撮ったもの。「もの」とは何かを問うたもののようだった。鎌田友介「Japanese Houses in the Tokonoma(Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)」は、「床の間」というよりか、「棚」に、世界各地に残る日本家屋の写真を陳列したもの。お題を見ないと、どこで撮ったのかが判らないのが、ちょっと困った。キャプションを読んだ途端、おもしろいと思ったのに。クリスチャン・ボルタンスキー「モニュメント」は、キャプションに「祭壇」というタームが使われていたので、そう思って観れば、そのように観えるが、その補足がなければ、スルーするしかない。傑作だったのは、1つの壁に同じコンセプトで幾つかのキャンパスらしきものが架かったシリーズ作品、カリン・ザンダーの「Mailed Painting(郵送された絵画)」。新しいキャンパスの注文をして、それが手元に届いた姿を展示するというもの。「郵送」で、注文品が、どのような変化を遂げるかを見せるもの。送り札が貼り付けたままであったり、傷がいっていたり、人間社会の一断面が切り取られているようだった。田島美加の種々の造形作品や、エヴェリン・タオチェン・ワン作品には「トルコ人女性たちのブラックベリー」とお題に「トルコ」が入っているのに、全く、イマジネーションが湧かなかったり、たくさん出ていたヴォルフガング・ティルマンスの平面作品なんかは、全然、判らなかった。ミヤギフトシの映像作品「The Ocean View Resort」は、沖縄ものなのか、セクシュアリティに関わるものなのか、全く的外れなのか、、、静かに流れる映像が気になったのだけど、実際、2人連れの外国人女性は、じっと時間をかけて観ていたのだけど、時間切れで諦めたりした。一角には、光を使ったというか、光が作品のエレメントになっている作品も出てたが、こちらもお手上げだった。こんなに時間がかかる展覧会だと思ってなかったので、時間設定を間違ったね。現代アート作品展は、映像作品が出るということをイメージしておかないと、時間に追われてしまいますね。
 中之島美術館での講演会は、レクチャー「女性画家たちの20世紀」として行われたもの。現在、開催されている「生誕150年記念 上村松園」展の関連企画だった。2部構成で進行。まず、この展覧会のキュレーションを担当された同館学芸員の小川知子さんから、上村松園についての解説があった。その中で触れられたトピックで、メモっておきたいものだけを記しておく。「初期の目標は文展、池田焦園、島成園もそうだった、院展は、横山大観や下村観山が牛耳っており評価されるのが難しかった」「そういった制約もあったので女性画家による、独自のグループ活動や美術教育が発生していく」「東京美術学校は女子拒否だったので生まれたのが女子美」「東京での女性画家の中心的役割は、池田焦園が若くして亡くなっているので栗原玉葉」「京都では梶原緋佐子、そして、三谷十糸子、大阪では木谷千種」「上村松園は女性画家という意識はなく日本画家という意識」「女性日本画家の落款話がユニーク」「上村松園は、南画の影響か、初めは‶女史‶、‶松墨‶と書いたものもあるが、大正時代になると‶女‶を使っている」「島成園は大正8年に‶女‶が消える」「木谷千種は、大正7年に‶千種‶のみとなり‶女‶が消える」「池田焦園は挿絵画家出身からか端から‶女‶が入っていない」「柿内青葉は昭和になっても‶女‶を入れている」。後半は、北原恵(大阪大学名誉教授)さんによる「女性画家たちの20世紀~谷口富美枝を中心に」というお題でのお話だった。が、「谷口富美枝って」だった。作品を観ているかもしれないけど、「?」となってしまった。それもありうることで、この人の経歴を押さえると、川端龍子門下で青龍社で活動するも、やがて脱退。画家船田玉樹との出会い、結婚、ここまでは、その画業は続けるのだが、やがて、2人の子どもを船田の元に残し、離婚。そして、再婚を機に渡米。だが、そこでも離婚、しかし、日本に戻らなかった。ここで、日本画壇との縁が切れてしまい、忘れられてしまったようだ。だが、船田との結婚生活時に、戦争疎開で滞在した船田の故郷呉市で、谷口の作品が発見され、再評価が、近年、進む作家さんだそうだ。そんなだから、遭遇もしてないかもしれない。その辺のお話や、作風についての解説を、半寝で聴いてしまったので曖昧だ。ただ、日本髪の女性は描いたことがない、モダンガールを描いているということで、様子は、ちょっとは想像できる。北原さんのお話で、しっかりと記憶があり、大事だと思ったのは「戦争画」のトピック。「戦争画」と言っても、一概に作戦の記録もあれば、露骨の戦意高揚ものがあるが、精神化・象徴化することで、「戦争画」となるものもあるということで、横山大観の「富士」、上村松園の「美人画」を上げられていた。若桑みどりは、著作の中で「女性の働く姿を描く」という意味合いで「戦争画」を評価しているとも言われていた。女性画家で、「戦争画」の旗振り役を担ったのは長谷川春子だったというトピックは、どこかで読んだ記憶がある。もう1つ、おもしろいトピック。「ヌード画」のトピック。上村松園に薄い衣は着ていても、それと言ってもいいのが残っているのは、松伯美術館で観ているので知っていたが、女性画家は「ヌード画」を描きにくいとしたもの。美術の世界で、「ヌード画」を描くということで、人体の特徴を把握して画業を進めるという考え方があり、それはそうかもしれないが、その「ヌード画」を、女性が描きにくいために、女性に大家と言われる作家が現れなかったとするリンダ・ノックリンの説を紹介されていた。そうなんだろうかという疑問付きだったが。という具合に、拡散のあるお話で、寝落ちしてなかったら、もっと有意義だったのでしょうな。相変わらず、あかん。


2025年 5月 10日(土)午後 8時 43分

 今日は休養日。土曜日では珍しい。予定を入れてないわけではなかったが、他の日との比較で、今日、休養日に充てたまでだ。いつものように、何でもかんでもはダメとの考えだ。体力の問題もあるしね。それで、今日は、朝10時を期して、音楽会のチケットを買った。アクセスに失敗すると、あっという間に、席は、かなり埋まっていた。やっぱ、知ってる人は知っている。2人の有名指揮者による、ピアノ・デュオのコンサートなのだ。黄紺も、ごく最近知り、これは外せないと思った。あとは、日に2回のウォーキング時だけが、外出時間というのは、いつも通り。今日は、税金の支払いなんかがあったので、銀行に寄ったりしながらのコース選び。夕方は、買い物がてらのウォーキング。それで、夕方、万歩計を見ると16400歩余で、ごく普通だった。
 午後の一時は、またぞろ、Youtubeで動画を観ていると、寝落ち。日本国内の旅動画、韓国のモッパン動画を観ている内でのことだった。覚醒後、気を取り直して、韓国旅行の準備。トンヨン(統営)の補足と、新たにマサン(馬山)を調べ始めたが、なかなか、これと言ったものが出てこなかった。マサン市というのは存在せず、チャンウォン(昌原)で調べなきゃと思い、調べ出しても、何も出てこない。その内に、チャンウォンは、韓国を代表する計画都市だと出てきた。そう言われれば、この町を通ったことが2回あるのだが、その内の1回、キメ(金海)空港から、ダイレクトにマサン行きバス(当時は、まだ合併してなかった)に乗ったとき、道幅がやたら広くて、無機質な印象を持った思い出があるのを思い出した。もう1回は、そこまでではなかった気もするが、団地といった近代的な建物が、えらく目に入った記憶。このときは、チネ(鎮海)からの移動だった。でもね、旧マサンは、歴史があるはずと思うのだけど。そういったことをしている内に、マサン魚市場が見つかった。海沿いの地域だ。更に、旧マサン市街の再生事業で変身した地域というのも入って来ることで、旧マサン市街地が、どの辺りかが判って来た。でも、今のところ、そんなに興味を惹くものが出てきていない。そこで考えた。「マサン1泊、トンヨン1泊」という心づもりを変えようじゃないかの気になってきた。マサン泊を外し、トンヨンだけの宿泊にして、そのトンヨンまで移動する間に チャンウォンを通るので、マサン旧市街を歩いて、その足で、マサン南部ターミナルからトンヨン行きバスに乗り(幸い、マサン駅から南部ターミナルへの途中にマサン旧市街中心域がある!)、その日はトンヨンまで行っちゃう。その分、その日のトンヨンでの行動時間が減るんで、トンヨンの翌日、少なくとも午前中はトンヨンで遊び、その後、プサン(釜山)に入り、その日はプサン泊にすればいいのだと考えを変えた。元々の「マサン泊なし、トンヨン泊、プサン泊」に戻るわけだ。これが、最終決定だな。だから、プサン、ウルサン(蔚山)、テグ(大邱)、トンヨン(統営)、プサンの5泊ということで、プサン2泊が復活することになった。これで、プサンをもっと知りたい欲も、一応、満たされるかなの気になっている。こんな風にして、毎度だけど、こうでもない、ああでもないと、旅程検討は、ホント、楽しい。


2025年 5月 9日(金)午後 11時 58分

 今日は、朝からお出かけ。金曜日ということで、アスニー京都での市民向け公開講演会だ。そして、終了後、衣笠方向へ移動。そうなると、学生さん相手の定食屋さんが贔屓の店ということで、そこで昼食。サービス定食は、とんかつとアジのフライだった。割引券を使わしてもらい、また、新たな抽選券で当たりが出た。また、行かねばならない。2つ目の行き先は立命館大学国際平和ミュージアム。ここでの企画展を2つ観ようと思って行ったら、小さな企画展は、まだ始まってなかった。この辺の不注意、よくやらかしてしまう。帰宅すると、もう午後4時前だった。この頃、このパターンだと、ここで、PCを前に寝落ちするが、今日もそうだった。それだけ、じわじわと体力が落ちて行ってるのでしょうね。外出はこれだけで、万歩計を見ると13000歩余だったが、この行程では、こんなものでしょう。これで、アスニー京都から立命館大学国際平和ミュージアムまでは徒歩移動をしたり、帰りも駅までは徒歩移動してのものだから、仕方ない。
 アスニー京都での講演会は、「奈良末・平安初期の后妃たち」というお題で、立命館大学文学部特命教授/京都市社会教育委員の本郷真紹さんのお話を聴くことができた。今までも聴いたことがあり、毎度、熱量のあるお話で、ご自分の見解をしっかりと示すという内容で、とっても好感度の高い講師の方なんだけど、にも拘らず、冒頭からすぐ、半ば過ぎまで寝落ちをしてしまった。だから、奈良時代末期から桓武天皇の時代へと繋がる、時系列的な展開の前の部分が欠落したことになるので、特に、苦手な固有名詞が判らないものだから、かなりどころでない苦戦を強いられてしまった。この時代は、皇族や貴族の結婚というものは、政治そのもの。だから、誰は、誰の子どもで、どういった血統になるかにより、政治家としての人生が決まっていく。だから、黄紺が寝落ちをしてる間に、奈良時代末期の后妃たちが、どのような血筋で、誰と結婚して、誰を産んだかを話されていた模様。それがネタふりで、本丸は桓武天皇。この時代、聖武・草壁系が本流だがら、誰がそうなのかの押さえが要る。井上内親王から酒人女王という流れがそのようだ。その酒人女王が、山部親王、後の桓武天皇だが、その妃のなり、20数人いた妃の中では、家柄は最上位になると言います。が、この人、皇后ではなかった。皇后は、ランクでは2位になる藤原乙牟礼。それは、この人が男子後継(平城天皇、嵯峨天皇)を産んでいるからそうなったと言われていた。この時期から、男子後継を産んだ者が皇后という最高位になったとか。この2人の妃以外の20数人の女性の出自を示されていたが、特定の一族に集中しているのではなく、多様性に富み、どこかに偏らないような配慮がされているかのように見える。また、桓武天皇は、天皇家の血筋で言うと、本流ではない天智系、母親は、黄紺でも知っている高野新笠。渡来系の血筋。ということで、聖武・草壁系の血を引く女性を妃に迎えつつ、有力貴族の女性を妃に迎え、権力基盤の強化を図ったのだろうということだった。しかも、最高位の女性を皇后にしないという新たな手を打ち、桓武系という、新たな血筋を作り上げることまでも考えていたのだろうということだ。実際、20数人も妃がいると、それだけ多くの子どもが産まれるということも意味する。それまでだと、そういった子どもは、すべからく皇族として扶養されていったが、桓武天皇は、それらの子どもには臣籍降下をさせる。臣下とすることで、経費節減も行い、役人として支えるという役割を与えていくということをした。ま、桓武平氏などが誕生していくというわけですね。壮大なお話だったと思える展開。もっともっと、内容は豊富だったのでしょうが、寝落ちの関係で、メモれるのは、この程度かな。「高野」「菅原」、、、といった姓の由来に関するお話も、多く出てきたのだが、お話の本筋からは外れるので割愛です。
 立命館大学国際平和ミュージアムでは、「村山康文写真展 ベトナム戦争の傷痕—戦争終結から50年」という展覧会があるということで行った。同時開催があると思い込んでいたのは、ユン・ドンジュ(尹東柱)関連の展示だった。村山康文さんのお名前を聞いたのは初めて。キャプションによると、石川文洋という、黄紺も知る著名な報道写真家の触発を受け、写真家の道を歩み出したという方だった。展示は、幾つかのセクションに分かれていた。「ベトナム戦争」「韓国軍の派遣」「韓国軍による民間人虐殺事件とライダイハン」「 アメリカのなかの戦争」「ソンミ虐殺事件」「枯れ葉剤~終わることのない苦しみ~」「それぞれのベトナム戦争」。村山さんの凄いところは、ベトナム戦争の実相だけではなく、戦後を、丹念に追いかけられていることだ。南北、各々に参加した人たち、民間人として、戦争に巻き込まれた人たち、アメリカ軍、韓国軍、、、。韓国の関わりについての写真が多かったように思える。韓国軍による虐殺事件、ライダイハン問題といった、日本では、あまり知られていないことを取り上げられているということが、いい勉強になった。ライダイハンというタームすら知らなかったというのが、正直なところだ。「ダイ」=混血、「ダイハン」=大韓のようだ、そこには蔑称の意味合いが込められているようだ。虐殺は、ソンミ村だけではなかったということですね、しかも、アメリカ軍だけではなかった。枯葉剤の犠牲者は、何も、ベトちゃん、ドクちゃんだけではなく、4世の子どもまで症状が出てきているということだった。村山さんは、人を写します。キャプションに、各々の人の背景が書き込まれ、ようやく表情のわけ、場合によっては複雑さを伴いながら、ベトナム戦争の悲惨さを伝えてくれていました。


2025年 5月 8日(木)午後 8時 48分

 今日は、1年ぶりに、昔の同僚と再開した日。毎年、GW明けの木曜日に集まり、午前中に巡検をして、お昼を食べ、しばし、カフェで雑談をする。そして、1年後の再開を約束して別れる。今日も話題になってたけど、もう10年くらい続けている。今日の集合は京阪丹波橋駅。もろに地元だ。伏見の巡検。「ブラタモリ」では、「伏見はかつては日本の首都だった」なんてコピーを使ってたけど、それだけ、見どころが多いってことは間違いない。今回のコース担当者の指示で、まずは大黒寺へ。地元だから、名前を聞いて、場所は判るが、ここの重要性、全然、知らなかった。今日は、この連続。お向かいの金札宮は知っている。謡蹟だから。コースの予定には入ってなかったが、「大黒寺へ行くなら金札宮がある、お向かいだ」と告げ、まず、金札宮を覗く。立札に、能「金札」についての解説もあった。但し、実際はどうかは知らないが、能になるだけ知られたお宮だったのでしょう。大黒寺は、その辺り一帯に薩摩藩屋敷があったそうで、殊に幕末には志士の動きが活発だったところのようだ。「寺田屋事件の九烈士」の墓もある。墓の烈士名の揮毫は西郷隆盛だそうだ。土木事業の責をとり自刃した薩摩藩家老の平田靱負の碑文もあり、更に伏見義民顕彰碑もあった。同じような碑文、どこかで見たことあるんだけど、肝心の伏見義民のこと、知らなかった。次いで、丹波橋駅に戻り、墨染駅まで電車で移動。今度は、今回の巡検の発端になった墨染寺へ。これ、「ぼくせんじ」って読むの、今日、初めて知った。ここでは、立て札にあった「墨染」の基になった歌の確認。それで終わるかなと思っていたので、どなたも持ってなかろうということで、金剛流だけの現行曲「墨染桜」の謡本から、梗概と進行を書いた部分をコピーして持って行っておいた。ここでも、ちょこっと能の解説。次いで、栄春寺へ向かうということだったので、地図を見て場所を確認後、その途中に鴨川運河の船溜まりに寄ることを勧めた。蹴上のインクラインは、つとに知られているが、墨染のインクラインは、知名度では劣るので、いい機会だった。そして、栄春寺に向かったつもりが、東に行ってしまい、先に海宝寺へ。黄檗宗の寺で萬福寺と関係が深いと、案内板に書かれてあった。以前、黄紺不参加のときに、黄檗の巡検があったようで、それで話題が咲く。と言っても、普茶料理話だったけど。ここは、伊達政宗の伏見城上屋敷があったところだということで、その案内板は仙台市が建てていた。これは、突っ込みが入った。深草に「伊達」という地番があることを、伏見の人間として紹介した。かなり、この寺よりは北になるので、伊達家の家領の広さに驚かされた。ここも中身を知らない寺だった。そして、最後の訪問地は、予定されていた順とは後先が逆になったけど、栄春寺へ。あとの昼食場所として考えていた食堂へ行くには、この後先逆の方が良かったかもしれない。この寺の驚きは、伏見城の惣構跡が残っているということ。これも驚いた。伏見城の堀跡の残ってるところは、その様子を観ることができると思ってるんだけど、堀跡から離れてる場所であるため、余計に驚いた。結構、高くて、上は広かった。墓に使われていたが、東の端まで行くと、隣接する家屋と比較すると、その土塁の高さはかなりのものだった。これも、大ヒット! ここで、もう12時を回っていたので、食事にはいい時間だった。1年前、「食事するところある?」と尋ねられたとき、即、思いついたのは、その少し前にDと一緒にフォーを食べに行ったベトナム屋さん。今回の参加者には、ベトナム・フリークの方も居るということで、ベストかなと思ったのだった。開けてるか心配だったが杞憂だった。あとの人は、皆さん、バインミーだったが、黄紺は、今や貴重な米飯が付く定食にした。めっちゃ、美味かった! えらく流行ってて、ベトナム人のグループは、昼からビールを呑むために来るやら、若い女の子のグループが来るやらで、そんなに流行ってるとは、知らんかったなぁ。近くに、もう1軒、ベトナム屋さんあるのに。ホント、伏見のアジアタウン化進む中でも、一番、進化が速いのが、このベトナム屋さんがある界隈だ。食べながら、近況報告。食後は、場所を変えて喋ろうということで、丹波橋、墨染、伏見、どの駅がいいかと尋ねると、大阪方向からの参加者が多いということで、あっさりと丹波橋駅近くへ。ふりだしに戻ったことになった。あれやこれや、そして、来年の行き先決めが話題に。ショックだったのは、お一人の病気の進行具合。参加できるという前提で、来年は、大阪の上町台地を、その北端から登ることからスタートすることに決定。で、それで解散したんだけど、内お一人と、韓国、一緒に行くことになりました。6月は、もうコースを決めているので、その次。秋に行くときに、行きましょうとなった。この人、韓国語できるんだよね、だけど、ソウルと釜山、あとはツアーでしか韓国巡りをしていないんで、黄紺の足りてる分と足りない分を併せると、いい組合せになりそうです。久しぶりの、連れもての旅になりそうです。楽しみ。


2025年 5月 8日(木)午前 6時 43分

 昨日は、夕方から映画を観るという予定を入れていた。上映終了後、監督のトークショーがあったので、帰宅すると午後9時だった。こういった時間の流れ、慣れてない。夕食を摂る、晩酌をする、眠くなるまでしか、自由な時間がないものだから、夕食を摂りながら、ヒュリエット紙のチェックをしようとすると、これがアクセスできない。ないことが行った。しばらくしてたら寝落ちするので、昨夜は、アクシャム紙のチェックで、それに替えた。トルコで新聞を買うときはこれと決めていたからね。3大新聞は、広告や何やらが多くて、分厚くて困るので、内容がしっかりしていて、分厚くないアクシャム紙の贔屓だった。しかし、時間が遅い分、あっさりと寝落ちしたので、これの書き始めも、朝、起きてから。これ、最近、なかったこと。そんな時間の過ごし方をしたので、午後3時までは、普段の休養日と同じ時間の流れ。そうだ、洗濯日にして、ウォーキングもしてと、頑張った朝だった。そう言えば、日が変わってるのに、洗濯ものを取り込んでいないのに、今、気が付いた。午後の一時もちょっとあった。Youtubeの動画をちょこっと観て、あとは韓国旅行の準備。トンヨン(統営)関係の資料は、全然、持ってなかったので、それを作っていた。以前行ったときの記憶と、さほど変わってないの印象だから、観光名所的なところはだが、だけど、30年近く前のことだから、やっぱ、ここは街だね、旅客船ターミナルから海岸沿いに歩いた港の風景、結構、覚えてる。第一、プサンから船で入ったから、街への第一歩が港だった。今度、その逆をやってみようか、考え中だ。市外バスを、最近、使わなくなってるから、それにも乗りたいし、、、。ウォーキングは、映画館への往復を入れて、万歩計には12400歩余となっていた。映画館の単純往復しかしてないから、こんなものでしょ。午前中だけだと、9000歩を超過してたんだけどね。
 映画は、UPLINK京都で観た。「KYOTOGRAPHIE 2025開催記念上映」と銘打たれたもので、お題は「オキナワより愛を込めて」(砂入博史監督)、昨日と一昨日の2日間だけ、上映されたものだった。映画情報を丹念にしていると、こういった有難い企画に出逢えます。「写真家石川真生作品の展示に併せて」となっていた(作品自体は既に観ているので、展示は、今回行っていない)。石川真生という写真家、国立国際美術館のコレクション展だったかな、とにかく、同美術館で、初めて知った作家だった。インパクトが強かったもので覚えていた。沖縄出身の女性で、高校生の頃にコザでの騒乱に遭遇している。それを観て、写真家になり、自らコザの黒人相手のバーで働き、そこに集う黒人兵、働く女を撮り続けた写真家ということが、キャプションに書かれてあることで、その作品に現れている情景が判った。ここまで入り込んで写真を撮った、それを発表した、もう、それだけで、インパクトは強すぎだった。映画を観ていて知った追加情報、コザが、かつての勢いがなくなると、金武にも移り、同じようにバーで働き、写真を撮ったそうだ。海兵隊のキャンプがあったので、金武がハデハデしくなったという話は聞いたことがあった。終盤、多分、その金武だと思うけど、石川さんが、以前、働いていた地域を訪ねる場面があるけど、ゴーストタウンのようだった。映画自体は、石川さんの人生振り返りという形で進んでいく。それに、撮った写真が被さっていく。コザでは、白人用地域と黒人用地域に分かれていたという。知らないで迷い込んでくるなら、それだけで、えらい騒動になったそうだ。そこへ来る黒人兵との付き合い、同棲、別れ、新たな出会い、そういった中で、常にカメラを持っていた石川さんの撮ったものは、外から眺めているものじゃない迫力、生々しさがあるから、初めて観たときの強烈なインパクトを生んだと思う。そこに、そこで何があったか、黒人の個々の思い出も赤裸々に語られて行く、それに写真が被さると、これ以上の迫力、生々しさはない。そこには、結婚を求められたり、嘘をつかれたり、思い出も様々だが、それらの個の付き合いを、石川さんは「愛」という言葉を使い表していた。軍隊は嫌いだ、ましてや、それを動かすホワイトハウスは最悪の嫌いになるが、個々の兵士は別だ。それは、個々の兵士を観てきた、付き合ってきたから言えるということなのでしょう。監督のトークでも、レイシズムを語るとき、黒人は、白人はという総体として看る見方とは違う迫力があり、関心が行ったことで、映画撮影のオファーを出したと言われていた。それは、バーで働く女たちに向けるまなざしと、全く同じだった。個に対する関心、歴史や差別を乗り越えるパワーを感じたというようなことを、監督は言われてたように思う。石川さんは、自分は撮ることをしてきたから。撮られることは拒まない。いや、自分の全てを見せようとする人だ。それで、衝撃の場面があった。映画の中でも経緯は出て来るが、トークで補充してもらったことで詳細が判ったこのなのだが、石川さんは、がんを患っており、何度も手術を受けている。その姿、要するに手術痕を見せ、今の自分を晒そうということで、シャワーを浴びる日に、監督に連絡をとり、その姿を撮影を求めたのだ。全裸になり、シャワーを浴びながら、一部に貼ってあるテーピングの交換の様子まで映像化されていた。そして、そのあとには、自分の死についても語っていた。やはり、自分にも個の生き方を求めるというか、真っ当しようとの思いが語られていた。子どもも孫もおられるようなことを語りの中で出てきてたが、そういった生き方を伝えてあると言われていた。ディープな沖縄が見えてくるだけではなく、一人の人間の生き方の迫力に圧倒される作品です。多くの人に観てもらいたい作品だ。


2025年 5月 6日(火)午後 8時 23分

 GW最終日、夜半から雨だった。そして、気温が急降下。外に出るには、1枚、多めに着て出なければならなかった。朝起きて、いつものように、スマホに入れてある予定表を眺めながら、その日のスケジュールを確認するのだけど、今日は、そこで、ミスに気が付いた。某美術館に行くことになってたんだけど、今日、行かない方が賢明だと判断。他の日に回すことが可能なことが判ったので、その予定はキャンセルすることになった。替わりに、他の日に行くことになっているものから回せるものがないか調べたが、なんか、行くつもりになってたものが行かないことにしたことで、ちょっと、元気がなくなり、また、どうしてもというものが見つからなかったので、休養日にすることにした。一つには、昨日の滋賀県美で、またぞろ腰の調子が良くないこともあり、前向きにならなかったことは、間違いなくあったと思う。そんなで、今日は、雨も降ってたが、ウォーキングには、いつものように出かけた。幸い、夕方は、雨が上がったが、昼前は、完全に傘さしウォーキングだった。夕方、万歩計を見ると17000歩余とは、腰への負担が気になる数字が出てた。
 この2日、睡眠が、また、うまく取れてないんで、目が重い一日。案の定、午後の一時で、Youtubeの動画を観ていて、寝落ち。今まで観てなかった桂天吾の動画、観れるやんと思い、立て続けに観ているどこかで、寝てしまっていた。PCは、知らない間にスリープになっていた。寝たとしても、1時間も寝てないと思うけど、僅かでも寝ることで、ちょっと視界がきりっとするようになった。そこで、韓国旅行の下調べをすることにした。久しぶりにトンヨン(統営)に行こうと考えている。チンジュ(晋州)から向かうつもりだったが、どうせなら、通過したり、バスの乗り換えでしか利用したことのない町、馬山(マサン)から行こうと考えた。マサンでの宿泊も考えている。チンジュからはバスが出てることは知ってるのだが、マサンからは出てるだろうけど、市外バスなのか、市内バスなのか、また、マサンは、バスターミナルが複数あるのが判ってるので、これは、乗り換え経験があるから知ってる、どのバスターミナルを利用すればいいか、これを探すのに、わりかし苦労した。結論は、南部ターミナルから市外バスが出てることは判り、時刻表も押さえたが、プサンからマサン経由でトンヨンへ行くバスがあるようなんだけど、これの情報を、まだ掴めてない。マサン市内の情報把握はこれからだが、トンヨン関係は、ちょっと調べたが、既に、頭に入ってるものしか、手に入っていない。前に行った、30年程前のこと、記憶にあるからね。30年は大きいから、町に行くだけで値打ちもんやと思ってます。いい港町でね、前に行ったときは。まだ、チュンム(忠武)と言ってた頃だ。その町の名を付けたキンパプは「食べることべからず」だけは、しっかりと覚えてるな。相変わらず、この下調べは、楽しい!


2025年 5月 6日(火)午前 5時 31分

 4連休3日目の月曜日。昨日は、遠出の美術館通いに充てた。家を、午前10時過ぎに出て、滋賀県立美術館に行った。毎年、年度初めの企画展には、このGWに行っている気がする。足の便も良くないので混まないのだ。それを見越して、GWにスケジュールを入れることにしている。いつものように、ウォーキングを兼ねて、JR瀬田駅から徒歩での往復。片道35~40分の距離だ。今回の企画展は、おもしろい展示だということで、「日曜美術館」の「アートシーン」でも紹介されたもの。「落語であーっ!と展 そこまでやっちゃう? 落語と美術の無理矢理コラボレーション」というユニークなもの。滋賀県出身者で、江戸落語で初の真打が生まれたということの記念にもなっている。その真打三遊亭わん丈が落語監修者となっており、会期中に1回、美術館で落語会を開く。滋賀県出身の噺家が、もう二人、この企画展に噛んでいる。桂三度は、新作落語「虹」を提供。それが、会場で、常時流れている。三度と同期の二葉が、三度の推薦で実現したそうだが、その新作にイラストを付け、紙芝居形式で映像化したものを流してくれていた。これが、なかなかいい出来。三度の新作もおもしろいし、二葉のイラスト、忙しいのに、たくさん、描いている。タッチが、とても、噺に合っていて、軽妙で、いい感じだった。もう一人は、ここまでの二人に比べて知名度が落ちるからでしょう、それは、仕方がない、桂優々が落語のワークショップを開くとなっていた。桂慶枝や桂歌之助、桂紅雀も、滋賀県出身者だが、お声はかからなかったみたい。まだ、滋賀県者いるかもしれない。でも、わん丈を表に出すということで、上方落語は控えに回ってたから、仕方ないか! 構成は、「虹」を流すモニターと、アニメーション映像「頭山」が流される映写コーナー以外は、ピックアップされた落語のエピソード関係、いや、そういったものから連想できるものを、同美術館の所蔵品から引っ張り出すというもので、他の滋賀県の施設保管ものも、ごく一部は出ていたが、これだけは、どうしようもないといくことで借り出されたのが「井戸の茶碗 銘/雨雲」(北村美術館所蔵)。「猫の皿」は、「絵高麗梅鉢」ではなく「柿右衛門」を選び、真道黎明/柿右衛門大壺が出ていた。これも、個人蔵のものだが、リストを見ると、同美術館への寄託品となっていた。そんなで、ほぼ美術館所蔵品で、企画一つで、違った顔を見せてるようだった。取り上げられた落語、そこで展示された主なものをメモっておく。①近江八景(野村文挙「近江八景図」8つとも全部、下げが「銭」に絡んでるということで、赤瀬川原平「千円札印刷作品」、これは、京都国立近代美術館で観て以来)②長屋の花見(池上秀畝と吉田善彦の桜の図)③夜桜(このネタ、知らなかった、「親子茶屋」の江戸ヴァージョン、当然、夜桜を描いた作品、但し、祇園の桜)④竹の水仙(木村武山や横山大観の竹が入った作品)⑤唐茄子屋政談(塔本シスコが永源寺でもらい写生したオモチャカボチャ登場)⑥つる(岸竹堂の六曲一双屏風絵「富士群鶴図」という壮大な作品が出るかと思えば、つるは飛ぶということから、なんと、コンスタンティン・ブランクーシ「空間の鳥」も、ここに出ていた!、キャプションはお詫びの言葉から入ってた、なんでもありで)⑦井戸の茶碗(高台になってるのが特徴とか、確かに高台だった! 色合いは屑屋が買ってもおかしくないな、確かに、千代田卜斎の娘は美人だったろうということで、幸野楳嶺「美人図」、高木佐久左衛門と結婚することになるということで、小幡正雄「無題(結婚式)」が4枚出てたが、アールブリュット作品と幸野楳嶺が並ぶという、めっちゃ配置に盛り上がってしまった!)⑧牛ほめ(よくぞ見つけた! 柱に秋葉さんじゃないけど、お札の貼った風呂場の風景、あの桶の風呂の姿を描いた沢宏靱「牟始風呂」、民俗資料になる作品です)⑨天狗裁き(天狗を描いた岸竹堂ものと並んだのは、現代アートで夢の中を描いたと思われる冬木偉沙夫「夢・幻・煌」、タイムマシンに乗って時空間に吸い込まれて行きそうな作品が並んだ)⑩掛取萬歳(萬歳図は柴田晩葉の作品、ここに茨木杉風「近江八景図」という六曲一隻の屏風図が出てたわけが思い出せない!)⑪加賀の千代(詠まれた歌の素材として朝顔は解るが、梅となるとお手上げ、この梅が安田靫彦の「紅梅」だった)⑫狼講釈(岸竹堂大活躍で「月下吼狼図」が出たほかは、出まかせ講釈に出て来るということで、冨田溪仙「六歌仙」と松室加世子「潮音-平家物語より」が出てた)⑬浜野矩随(矩随が仏像を彫り再生したということで、ほんまもんの仏像「森大造/木造観音菩薩坐像」ととってもデフォルメの著しいアート系作品の観音図が出てた、こちらは岩下哲士作とあった)⑭雁風呂(噺はさておいて、雁絡みでは志村ふくみの「雁」という名の付いた着物、風呂絡みで、小倉遊亀「童女入浴」、前田青邨「浴女群像」と、えらく大家の作品が並んだ、そして、光圀ものの噺なんで光圀像も)⑮猫の皿(柿右衛門は先述の通り、猫が出て来るということで、猫の絵が出るのは当然、前田青邨、奥村土牛、塔本シスコと並んだが、この並びも、まあ、ないだろう、特に関西じゃ、ホント、奥村土牛ものって、遭遇機会ないね)⑯あたま山(先述のアニメーションと桜の図)⑰青菜(義経と弁慶の図は致し方ない、安田靫彦「静訣別之図」「鞍馬寺参籠の牛若」、青菜を表したのは小倉遊亀「蕪」、そして、ご丁寧に鯉も、「鯉のあらい」というものを知ったのは、このネタだったしと思うと、有難い挿入、山﨑與嗣夫「鯉鮎図」が出てた)⑱動物園(これは、もうライオンとトラ、岸竹堂のいいトラの絵があるから、出るのは想定済み、しかも、丁寧に、岸竹堂が、実物のトラを観る前に描いたものと観た後に描いたもの、両方とも出していた、芸の細やかなキュレーションです! ライオンは、冨田溪仙の獅子図と並んだのが大辻良介「ライオン」、これ、アールブリュット作品だよねと、確認しなければならないほど、流れに嵌ってる)⑲松曳き(山元春挙の六曲一双屏風「松図」の右肩に塔本シスコの「月光(雲に入る)」、この配置、絶妙、見事なマッチングだった! これも、キュレーションの業が冴えてる!)⑳やかん(水を注ぐもの、全員集合的な展示、ブランクーシから清水卯一の陶から、ジョージ・シーガルの「コーヒーを注ぐウェイトレス」という作り物の作品、水注しの置かれた「窓辺」を描いた小倉遊亀なども)㉑元犬(珍しく犬を描いている山元春挙「柳下番狗図」は有難かった、これ、山元春挙展のときに出てたっけ? 鹿は見た記憶はあるのですが、森村泰昌のなりきりものにも犬はいた)㉒抜け雀(岸竹堂はここでも登場して「刈田喜雀図」、大きいことはいいことで、長谷川玉峰の六曲一双屏風図「群雀図」は凄い数の雀、きっちりと、親に描かせた「鳥かご」も、こちらは島州一のシルクスクリーンの作品だった)。やっぱ、落語を知ってるってこと、大きいわ! なるほどと納得したり、そなあほなと突っ込んだりしてと、そんなことできるもんね!
 常設展も2ヶ所は、いつもと同じ。日本画の世界の方から入り、小倉遊亀コーナーは、何度も観てるので、今回は、何が出てるかのチェックだけして流すのも、いつも通り。「春らんまん! SMoA 春のUKI★UKI ⽇本美術まつり」という派手なお題が付いている部屋だが、要するに春を描いた作品の並ぶコーナー。桜が多く、新緑、それをイメージしたものが多いというのは定番。メモっておきたいことを残しておく。岸連山「林和靖図」は、北宋の林和靖にインスパイアされた作品とのこと。一見、南画風だが、横長、遠近感がある。珍しい、いいもの観たぞという感じ。企画展で幾つか観た岸竹堂は、今度は動物画ではなく花鳥画で「花卉鳥禽図」とは新鮮。森寛斎「春秋花鳥図」は、六曲一双の大作。左右のバランスは、春秋の描き分けだが、左右ともに盛った描き方。重い感じがしてしまう。そう観えるから、左右で描き分けがされるのだと判った。野口小蘋は近江商人の家の出ということで、この美術館ではおなじみの作家。山水を得てとしている作家と思ってる。が、今回出ている「春奚訪友図」は、尾根の描き方、いい筋で描いてることで、それだけで遠近感が出ている。いい感じだ。斎内一秀「早春風景」は、パっと観、洋画。ぼかした感じ、色彩の明るさが、そう思わせたようだった。山元春挙「武陵桃源図」は、回顧展で観て、感動した作品。舟と水面のリアリティ、自然の大きさを表すと、やはり、この人が一番だな。その側に、池田遙邨「湖畔残春」。パッと観、水の色、木の色を観て、野長瀬晩花かと思った。南から湖北方面を眺める雄大な風景画。志村ふくみが2点、その内の「若柳」の若々しい色彩に、いいねです。もう一つの部屋は「コレクションに橋をわたす」というお題が付いていた。「橋」という語句が入っているのは、異なるジャンルの作品を、切り口を変えた視点で並べてみる、それらを「繋ぐ橋」ということらしいが、この展示は、正に滋賀県美らしいと感服したものだった。違った切り口、視点というのは、次のようなものだった。「①たとえば、花」「②ここではないどこか」「③不穏さ」「④わたしについて」「⑤点の力」「⑥タイムレス」。おもしろかったのは、知ってる作品は、これは誰の作品と、作者により、自分が区分している目が入ってしまう。誰のでなくとも、こういったジャンルの人とか、ここでも区分が入ってしまう。そういったことを知らない作品は、一つにパッと観の印象があり、自分なりの空想があり、次いで、キャプションで知識の補充と展開していく。そういった流れで観ていて、徐々に気づいたのが、どれが、アールブリュットで、どれが、そうでないかの区分が判らなくなっていくのだ。塔本シスコ作品のように、書類上はアールブリュットだけど、アールブリュットという語句から受けるイメージでは測れない作品もあるので、混迷は深まるばかり。冒頭のキャプションにある通り、「視点を変えようじゃないか」という呼びかけより、「アートって、何なの?」という問いかけを求める「攪乱」を意図したのではないかという思いが持ち上がって行った。滋賀県美なら、やりそうだと、そう思い始めると考え出してしまっていた。衝動とか欲動とか、根源的なところから湧き上がっていくものを探そう、追求しようとしているところから、作る、描く、、、という活動もあれば、知的作業として、自らの知を、形あるもの、見えるものにしていくという作業もあるだろうが、出来上がったものを、アールブリュット作品と並べると、何が何だか判らなくなってくる、結果として並んでいるものを、作家がどのような人であるかで区分することの意味のなさのようなものを感じさせてしまっている。となると、何をもって、作品となるのか、解らなくなってくるが、送り手がどうであろうが、受け手である一鑑賞者の誰かが気に入ったものだからここにあると思うと、それらを観る一般の鑑賞者が、その何かを探そうとしている。この展示で、個々の作品よりか、この展示そのものに関心が行ってしまった。この美術館が、一番多く、アールブリュット作品を持ってるだろうから、今後も、こうしたキュレーションによる展覧会に接することができるでしょうね。そう言えば、落語の企画展にも、アールブリュットと分類されてる作品が、結構、出てたしね。おもしろいわぁ。


2025年 5月 5日(月)午前 6時 37分

 4連休の2日目は日曜日。ここ2日、京都を離れたので、昨日は休養日に充てた。朝から「日曜美術館」を観て、ウォーキング。午後の一時は、溜まってあったトルコ情報を読み、そして、ちょこっとだけ、6月の韓国旅行の準備をした。5月に考えてたプチ旅行は、ほぼ消滅させたつもり。京都に居ながら、手一杯の予定が詰まりそうなものだから、他所に行っている場合じゃないとの判断が、今のところ、強く働いたからだ。韓国旅行も、鉄道のタイムスケジュールを調べてて、マイナーチェンジをした方が良さそうだと思い始めている。釜山2泊を1泊にすると、行程が、ぐんと組みやすくなること気が付いたのだ。釜山は、いつでも行けるから、減らしてもええかいなの気分、でも、それで、知らぬ間に釜山の変貌を、すっかり抜かしてしまったんだけどね。そして、鉄道路線が、ポハン(浦項)からカンヌン(江陵)が繋がったこと、今頃になり知った。次回の狙いは、これだね。ヨンドク(盈徳)やピョンゲ(平海)に鉄道が走るようになってんだね。駅ができてるみたいよ。
 日曜美術館は、「蔦重と歌麿・写楽・北斎」というお題。大河関連だと思うが、最近では少なくなったMCの出ない番組となった。蔦重の経歴って、巷間、伝えられるイメージでばかり捉えていたということが、よく判った時間になった。確かに、有名絵師の起用で成功を収めたことは収めたが、大河で描かれているように、先行の出版元との競争は苛烈を極めたのも理解していたが、最後にはメディア王として、成功裏に人生を閉じるものと、勝手に考えていた。その辺がイメージ先行、いえいえ、大河の主役だからそうなんだろうと勝手に考えていたことのようで、結局は、争いの中で終えていく。むしろ、最後は出し抜かれてしまったように思えた。気になったので、一応、浮世絵の世界を取り上げた本を手に入れているので、近々、読んでみようの気になった。取り上げられた作品、上手く抑えられてないが、一応、メモっておく。①画本虫撰(歌麿画)(とうもろこしの粒を凸凹表現、版木を押し当てて作った凸凹)②吉原細見③見立て***④鈴木晴信/風俗四季歌仙⑤雛形若菜初模様(吉原遊女の錦絵、西村屋(日本橋)と共同出版=版権が共同、だが、後半になると蔦重の印消える=蔦重追い出し、版権争いが苛烈を極めたようだが、版権を持つと重版・類版を禁止できる、その判断は、作品のテーマと大きさ)⑥青楼俄尽⑥雛形若菜初模様女芸者部(歌麿画、芸者の身支度姿、単なる美人画ではない、大判で出版=資金調達面で企画頓挫、西村屋の反撃も大きかった)⑦婦人相楽十体(歌麿画、美人大首絵(色数絞れる)=新商品、彫り摺りを考えている、選びに選んだ線、女性の心理描写、寛政の改革の産物)⑧婦人相楽十体/かせんこいのぶ⑨婦人相楽十体/タバコを吸う女⑩高名三美人(人気の町娘がモデル)⑪霞織り娘ひながた(歌麿画)⑫青楼十二時(歌麿画、遊郭の一日を一刻ずつ(2時間ごと)描いたもの)⑬俳諧おた巻(北斎画、美人画)⑭俄狂言(北斎画)⑮三代目大谷鬼次(北斎に役者絵を描かせ、実力を試す)⑯三代目大谷鬼次(写楽画、写楽は阿波の能役、28枚同時出版、背景は雲母刷り、同じ構図、黒背景、更に10ヶ月で134枚(4期)、次第に版が小さくする(予定していた)、数で他の版元を圧倒しようとした)⑰市川鯛蔵⑱嵐龍蔵⑲二代目仲蔵・三代目瀬川菊之丞(新発見の写楽、3期の2枚、7~8版すり、青色鮮やか、紅2色の使い分け⑳役者舞台の・・・(豊国画、大判)㉑勝川春栄/三代目市川駒蔵㉒老人図(写楽の肉筆、富本節太夫を描く)㉓婦人手業(歌麿画、市井の女性を描く)㉔実競色***(歌麿画、紙屋治兵衛を描く)。最晩年、蔦重は、役者絵から撤退、更に、錦絵からも遠ざかるということで、人生を終えていくという。写楽は、今でこそ、あのデフォルメが注視されるが、どうも、写楽で攻勢をかけようとして、首尾は良くなかったようですな。それからジリ貧になっていったというような印象を持ってしまったけれど、捉え方、それでいいのかな? 「べらぼう」でも、既に西村屋は出てきている。最初、演じてるのが西村まさ彦なんで、西村屋という屋号は、適当に付けたんじゃないかと思ってけど、とんでもない大立者で、重要な役柄なんだね。鱗形屋が大物感あったのだけど、番組では、全く出てこなかった。昨日の「べらぼう」の新作で、どうやら唐丸は、写楽ではなく歌麿のようだと判ったので、この「日曜美術館」はグッドタイミングていうか、それに合わせて、ここに持ってきたものと理解した。写楽は阿波の能役者と言ってたけど、「べらぼう」では、どうするのだろう? 北斎は、歌麿の噛ませ犬的な言い方だったしと、「べらぼう」での扱いも気になってきました。


2025年 5月 3日(土)午後 8時 12分

 世間的には4連休が始まった。今日は、午後に、豊中でのコンサートのチケットを買ってあった。いいプログラムに魅せられ、早々にチケットを購入してあった。それと組み合わせるものが、突如、現れた。先日、神戸市立小磯記念美術館で展示されていた松本奉山の作品が、大阪大学総合学術博物館で展示されていることを、その神戸で知ったのだ。コンサートが曽祢、阪大が石橋だから、この2つを併せて行かない手はないということで、今日、ハシゴをした。阪大の博物館は行ったこともないので規模も判らず、また、回顧展の作品リスト数を見ると、えらい数になってるものだから、一応、1時間半弱を想定して、今日のタイムスケジュールを組んだ。出発を午前9時40分にして、まず、石橋へ。でも、数は多かったが、資料的なものも多く、結局、観覧は40分程で、十分だった。今日は、昼食を持参しなかったので、石橋で食べた。節約目的で、なか卯で親子丼。ま、よくあるパターンだ。騒動のあったすき家にも行ってみたかったが、今日は自重。そして、曾祢へ移動。だけど、早すぎた。しばし、駅のベンチで読書。先日の福山で理解するのに困ったので、ベルエポック関係の本を読んでいるが、おもしろい本だが、社会史の本。だから、おもしろいのだが、文学・美術・思想、そういったジャンルから離れてるのが、まずいかなと思い出してるが、おもしろいから読み続けてる。時代背景、いや、時代の空気を知るには、この上ない本だ。コンサートは、豊中市立文化芸術センターでのものだった。よくコンサート会場でお会いする方と、今日もばったり。コンサート終了後は、一旦、梅田まで出て淀屋橋まで歩き、そこから京都へ。これが、実は、交通費、一番安い。でも、時間がかかるから、往きは京都から阪急に乗った。で、帰宅したのは、午後6時前。この頃、遠出が多いから疲労蓄積気味。でも、残りのGW、まだ、遠出を2回、計画しています。
 阪大の博物館の展覧会は「生誕100周年記念 松本奉山ー水墨画で世界を描くー」。松本奉山という作家さん、神戸での展覧会で、初めて知ったのだが、水墨画の作家、昔ながらの徒弟修業で、松本尚山の下で研鑽を積み、美山を名乗る。その時期の作品というものは、火事のため、ほとんど残っていないという。が、この展覧会で出てた。「叱られて」という作品。少女が、野にぽつりと立ち、悲しそうな表情をしているというもの。知っている作品とは、テイストが違い、驚かされた。この作品には、火事の後遺症、一部に焦げた跡が残っている。なお、この作品には草稿も残っていた。この時期のスケッチブックなども残っていたようで展示されていたが、ここでも、デッサン力って、凄いものを観た。こうやって、回顧展なんかが開かれる作家のデッサン力って、ホント、凄いものがある。特に、この人のデッサン力を知り、納得も得心もしたのだが、デッサン力が高いということは、対象物を即座に捉え、それを描けるという力があることだと思うと、この人のアメリカへ行ってからの作品って、正に、この力で描いてるんだと思った。でないと、あんなに単純化して、少ない線で、形を捉えるなんてことできないよと思ってしまった。だけど、今回の展示の流れで言うと、「メインの森1(メイン州)」と言った作品は、アメリカ行ってからの作品で、最初の方の作品って、鉛筆書きしたかのような細い線で、細かく、丁寧に形を作っていき、その濃淡で明暗を付けたりして、簡素化などとは縁遠い。「ミシガンの花(ミシガン州)」「アメリカの花」などでは着色したりしている。ところが、薄い薄い色合いで墨を使う気配が出て来る「柳」という作品辺りから、作品の空気感が変わって来る。まだ、「柳」では、目の前にある柳に焦点が当たり、湖や建物は後景だから、薄く薄くというようにも取れる。この「柳」は2点あるが、最近、見つかった作品のようで、シアトルに行ったとき、ワシントン湖を描いたと考えられているそうだ。そこへ、突然、「エンパイアステートビルディング」が現れる。時期は、少しずれるが「ニューヨッ子」も、同じテイストの作品だ。なんか、こうして観ると、完全に、ニューヨークにはまってる! ニューヨークが変えた、そんな風に思ってしまった。キャプションに、筆を上から一気に下へと描いたそうだ。それが、この線、しびれるわ、この高さが出る、見事な線。キャプションに、おもしろいこと書いてた。高層ビルは林立してるはずなのに、そうはしてない。この構図も、優れものということだ。「柳」の延長線上にあるのが「Trees and buildings マンハッタン」、手前の木立ちは、鉛筆描きテイストの描き方に、遠景の高層ビルは霞んでる。このニューヨークものとともに、この作家の、もう一つの目立ったものが「Sunset in Stockholm」。川を入れた風景画。半分以上のスペースに、何も描かないで、橋を薄っすらと、しかも、高層ビルを簡素に捉えた線で表すというやつ。で、こうした技を、日本の風景画でも使っている作品も出ていたが、これも、先日の神戸と同じ感想を持ってしまった。「東福寺通天橋」「南禅寺の水道橋」など、知った風景もあり~のだったが、一言、「似合わない」「ニューヨークに限る」「川も通天の橋じゃ似合わない」だった。ということは、この人の描く風景画、大きいんだよ、たゆとうとする大きさがある、感じさせる力があるということかな、日本のような狭い風景、描いてる場合じゃないと思ってしまった。晩年の薄い薄い、それこそ、黄紺の目には、何が描かれてあるのか判然としない作品のキャプションに、「晩年、空気のような見えないものを描きたかったみたい」、凄い発想だ。「セントラルパークの池」のキャプションだった。そんなで、日本の風景や仏画は、あまり関心が向かなかった。また、四曲一双の屏風図「セントラルパーク (旧題:樹海)」なんかでは、樹海の部分に点描を使ってたり、新たな工夫もやったようだけど、これも、関心が向かなかった。
 コンサートは、「ハンスイェルク・シェレンベルガー室内楽プロジェクト in Toyonaka」と見出しの出ているもの。かつてのベルリン・フィル首席オーボエ奏者ハンスイェルク・シェレンベルガーも魅力だが、プログラムが、モーツァルトの機会音楽だけで作られているというのが、何とも魅力的。そのプログラムは、次のようなものだった。「セレナード第12番 ハ短調 K.388(384a)」「ディヴェルティメント第9番 変ロ長調 K.240」「セレナード第10番 変ロ長調 K.361(370a) ‶グラン・パルティータ‶」。演奏は、このホールで、名曲シリーズの定期演奏会をしている日本センチュリー交響楽団ピックアップ・メンバー+1という構成だった。次のようなメンバーだった。オーボエ:ハンスイェルク・シェンベルガー、宮本克江、クラリネット:持丸秀一郎、森奈穂子、バセットホルン:鈴木祐子、藤田華、ホルン:鎌田渓志、岩井理紗子、矢野めぐみ、篠邊千菜、ファゴット:安井悠陽、児玉桃歌、コントラバス:内藤謙一。一番の驚きは、主役ハンスイェルク・シェレンベルガーのオーボエが素晴らしかったこと。突き抜けるようなクリアな音、透明感のある素晴らしい音色だった。年齢は如何かと思ったら77歳だった。見かけも、その音色も、ともに、驚くしかない年齢だ。曲の順序だが、どうして、この並びにしたのかな? K.361は、楽器編成が小さいので、そう思ったんだけど。グランパルティータ程の規模でないと、どうしても、ホルンが目立ってしまう。バセットホルンやファゴットは、なかでもパワーで見劣りするから、クラリネットも、どっちかというとそうだしね、バランスが難しい。それと、聴く者の態度として、機会音楽は、どうしても心地よく、流しながら聴けるように作ってあると言えば、そうだから、ついつい、その気になり聴いてしまう。要するに、半寝で聴いてしまう。それをコンサートでもやっちゃう傾向。今日も、前の2曲の一部で、そんな感じになってしまった。グランパルティータは、今日、聴いてて思ったんだけど、これって、クラリネットとオーボエのダブル・コンチェルトっぽい! それを考えてか、ハンスイェルク・シェンベルガーと持丸さんの席が向かい合っていた。オーボエが軽やかさを追求しようかという吹き方に比して、クラリネットはエモい感じで吹いてくれる。このやり取り、聴いてて、おもしろかったな。 バセットホルンとファゴットって、ホント、縁の下で支えてくれてる感、いっぱいしました。そして、今回も、低音補強はコントラバスだった。京都市響で聴いたときほど、気にならず、いい補強になってたんじゃないかな? 4連休1日目は、こんなとこかな。


2025年 5月 3日(土)午前 7時 28分

 昨日は、神戸と西宮という兵庫県下でハシゴをした金曜日。ともに美術館を巡った。先日、伊丹行きで、ぐったりしたのに懲りずに出かけてしまった。午前9時に出かけて、最寄りの岩屋駅に着いたのが午前11時。ここまで行くと、往復4時間、帰宅は午後5時。1日仕事だ。11時だったので、そのままBBプラザ美術館へ。ここで、「コレクション展 青とモノクローム ―フランスと日本の色を読む」という展覧会が始まったところだった。色に焦点を当てるという試みに惹かれて行ってみた。導入部は「青銅と青磁」と「青」に拘った展示。ロダンのリアルなブロンズ像2体の対面には青磁が配置されるというもの。青磁にもいろいろあり、青銅にもいろいろある。三代宮永東山「滝の音」は、変形の崖にデザイン化された縦の線が入っている。確かに、滝だ。エミール・アントワーヌ・ブールデルの作品が4体、ロダンは知っていても、こちらは知らなかった作家、でも、調べてみると、とんでもない無知な話だった。確かに、作品の力強さは半端ない。「瓶」は、器の面のこってり感が凄い。「三つのポーランド」が気になった。顔を上に向けた3人は、何を訴えてるのか、いや、擬人化されたポーランドなんだろうか? すすがれたようなブロンズの色合いも気になった。ドガ、ルノワール、ダリの立体作品もあった。ルノワールは、晩年、彫刻の制作もやってたということは、聞いた覚えはあったが、あとの2人は知らなかった。ドガは「靴下をはく踊り子」と、ここでも踊り子だった。絵画のスペースに入る。まず、フランス絵画からだ。キャプションに、おもしろいことが書かれていた。焦点化されている「青」を、色彩分析をして数字化したのだ。同じ「青」でも、それで違いを出そうとの試みだったが、その数値の読み方が判らなく、お手上げになってしまった。ウジューヌ・ラヴィエンヌのような純粋に自然の姿を描いたもの(風景「森の中の沼」)から始まり、ピエール・ラプラード「教会」、モーリス・ユトリロ「植物園のキュヴィエ家」、ピエール・アルベール・マルケ「ノートルダム 曇天」と言った、人の気配の混じった風景画が並んだが、自分的お気に入りは、モーリス・ド・ヴラマンク。ヴラマンクは、フォービズム真っただ中に付き合うのは、ちょっときついところもあるが、その後、その傾向が消え出す風景画には関心がある。この辺は、名古屋で勉強させてもらったこと。風景画でも「雪」のある風景を描くヴラマンクには惹かれる。「雪の中の風景」という、そのまんまの作品はど真ん中ストライクだ、自分的に。その横には、雪はないがタッチがそっくりな「池」もあった。雪がなくても惹かれた。そういった作品とは別の場所に設えられた「花と青」のコーナーにも、ヴラマンクがあった。「花瓶の花束」という作品だが、これは、先の2点と違い、前半期の作品なんでしょうね、青どころか、色のてんこ盛りの作品、花だけではなく、背景には絵具が枯れかけた筆で描きなぐったような跡を着けているが、そこも色彩豊か。花瓶だけは無彩色だから花などの色彩が目立ってしまう。この好対照、心の変化は何なんでしょうかね? そういった色に拘りを見せているとしか思えないのが、アンドレ・ドラン「南仏の風景」。使用する色に制限を加えて、限られた絵の具だけで描こうとしている、そう思えた。およそ、南仏のイメージに合わないものだから、そう思ってしまった。そんなのもフォービズムの手法? ヴラマンクの側には、佐伯祐三を置くという皮肉な配置。ヴラマンクの一喝で変わったという佐伯祐三は「レ・ジェ・ド・ノエル」。白っぽい絵具の使い方で、家が歪んで見えたが、どういうこと? この辺、青つながりで、「空と海」というお題を付けたコーナーになっていた。小出卓二作品が3点、「捕鯨船のある風景」「勝木の夕」「瀬戸内海」、いずれも、写実より、雰囲気、目の入った印象優先で描き上げたようで、わりかし好みに思えた。覚えておきたい作家さんだ。知らべてみると、信濃橋洋画研究所で学んだ作家なので、今まで観ているはず。名前は見た記憶はあるのだが、作品は思い出せないな。兵庫県に行くと遭遇できる機会が多いのが金山平三。今回は「コンカルノー」。暗い作品で、海岸線の見つけるのにワンクッションが要った。暗い作品ばかり描く作家じゃないのに、この暗さは何なんでしょうね? 「花と青」というコーナー立てに、先程のヴラマンクがあったのだが、そのヴラマンク同様、色彩の洪水、それも、黄色だからきつい印象を与えるのが、モイズ・キスリング「エニシダの花束」。ルノアール・タッチの梅原龍三郎「薔薇」も、この並び。その対面に、師になるルノワール「薔薇をつけた少女」があり、バラで向かい合っていたが、ルノワールのオレンジ色っぽい赤の使い方が、すっごい和らいだ印象を与えてる。絵全体、モデルの少女、全てにだ。このルノワールからが「青をまとう」というコーナー立てなんだが、この辺で、「青」がキーワードだということ、すっかり、自分の頭からは飛んでしまってる。「へぇ~」が続き、さらに進むと、今度は「?」が続いた。「へぇ~」は、モーリス・ドニ「裸婦」、東郷青児「モンパルナスの女」、アンドレ・ドラン「水差し、果物籠と果物皿」、マルク・シャガール「花束の前の母子」「果物がある静物」。「?」は、辰野登恵子、津高知一、上前智祐、奥田善巳らの作品だった。むしろ、最後のコーナー「モノクロームの世界」が興味をそそられた。ここに出てた津高和一の作品なんかは、キャンパスの中に占める空間配置の妙で、おもしろいと思わせられ、濃淡と構図だけで風景画になっている高野卯港「無題」。墨画の可能性を示すもののように思えた。秀島踏波「生」は書の作品、「生」という字が、大地に根を張る姿、震災を踏まえた上での作品だった。ちょっと無理やり感のあるお題設定のように思えたが、観ている内に、目の前にある作品にしか、気にならなくて、お題はスルーした感じの展覧会だったな。
 1時間ほどで美術館を退出。まだ、12過ぎだったの、お昼ご飯より、移動を選択。各停で20分余で香櫨園駅へ到着。西宮市大谷美術館へ行くためだ。同美術館のお庭で食事をしたことがあったので、そこで、買ってきたパンで昼食にしようかも思ったが、昨日は、朝から強い雨が降ったので、香櫨園駅のベンチで、持参して行ったパンで昼食。外食を避けることで、昨日の往復運賃の半分くらいは取り戻せたかと思う。程よいところで外食を避けるというのは肝要。「―西宮市大谷記念美術館の― 展覧会とコレクション(3) つなげる美術館ヒストリー」という展覧会が行われていた。(3)となっているのだが、前の2回は観てないはずなんで、流れがよく理解できてないが、今回の展示を観ている限りでは、コレクションを系統立てて紹介するもののようだ。今回の構成は、12人の作家ごとに分かれており、最後の大野麥風は、新収蔵品だった。それまでの作家に関するキャプションには、各々の経歴とともに、収蔵品が、この美術館にやって来た経緯が書かれてあった。そして、その経歴を読んでいると、いずれもが西宮縁の作家ということで、こういった地方美術館のコレクションを観たいと思い、プチ旅行なんかも組んでるかげんで、とっても有難い展覧会だった。津高和一や奥田善巳のように、BBプラザ美術館で観てきたばかりの作家もいれば、植松奎二のように、どこかでお目にかかった記憶のある作家、今竹七郎や山下摩起のように、この美術館で出逢い、強い印象の残った作家もいるという具合だが、あとの作家さんは、多分、初めての遭遇になると思いながら観ていた。配列順に従って、メモを残しておく。①津高和一/この人、詩人から画家へ転身、そのため、雑誌への寄稿文といった資料も展示、「対比」は、右に白い四角、左に斜めの細い黒の台形、支え合ってるようで、「作品」というお題の作品とともに、この人の特徴と思える空間配置の妙を確認できた。②奥田善巳/木下佳通代がこの人の妻になるそうだ、「ロ-プたち」という作品は、側に写真展示があり、ここで展示されていたものは、インスタレーションの一部のようだった。となると、作品そのものを残すのが困難だわね、「エヴァの」というお題が付いた作品も、そのようだった。こちらは、側の写真を観ても、本来の作品の姿を想像できなかった。③植松奎二/「不可視な力を可視化する」というのが、この作家のコンセプトのようだが、作品が、めっちゃ、おもしろい、「置-3つの石/傾」「まちがってつかわれた机−浮」といった作品は、とっても微妙なバランスをとり、ものとものとを組み合わせたもの、展示のための再現、大変だったでしょうね、傍らには、その設計図も展示されていた。④大石輝一/洋画、岡田三郎助門下、ゴッホを敬愛、故郷紀州の作品が並び、確かにゴッホと思わせられる、「西宮の街見ゆ」は遠近感がよく出ていて、いい感じの風景画、「金閣寺雪景」では、金閣寺と周りの風景の描き方を変え、金閣寺を際立たせる技を使っている、「ハルビンの中央聖堂」は聖堂前ので、穏やかな空気が出てると思う一方、その分、聖堂の印象が減じたという感じ、この人、ハルビンの風景画も多く残している。⑤伊藤慶之助/赤松麟作門下、岡田三郎助にも学ぶ、「フォントネ・オウ・ローズ」はパリで入選した作品、いい感じの風景画、「巴里の娘」は、都会の女という印象だがモデルをすることに緊張してる! 作家との関係性が気になる、「黒衣の女」は、長椅子に横になり寛いでいる、くったくのない笑顔、ここでもまた、作家との関係性が気になった。⑥今竹七郎/バウハウスの理念を学んだグラフィックデザイナー、神戸大丸・大阪高島屋で勤務、広告などのデザインを手がける、新聞広告なども、多数、展示されていたが、この人の描いたデザイン画だけが、周りとミスマッチでぶっ飛んでいる、「大毎フェア・ランド」が、最高のぶっ飛びじゃないかな、斜めによぎる女性の肢体が圧巻だ、だが、時代は戦時一色、悲しい現実が、ここにもあった。⑦松井正/小出楢重門下、信濃橋洋画研究所で学ぶ、外国旅行のスケッチが多く展示されていたが、漁夫を描いた3点がいい、臨場感を出す軽い俯瞰という技が冴えたりするかと思えば、正面から見据え人と向き合ったり、働く人の力強さがある作品だ。⑧河野通紀/国枝金三門下、「失われた数字」では、何を描こうとしているなかわからないが、木や時計のリアルさすごい、「水」も、机に乗せられた浅いお盆のような器に水がたたえられているというものだが、すごいリアルな水。静物画の風情だったりするが、、、象徴画のようにも思える。⑨大森啓助/金山平三門下、芝居絵が並んだ、金山平三も芝居絵が得意だったとか、挿絵として描いた模様の作品が並んだ。⑩福田眉仙/久保田米僊門下、橋本雅邦にも教えを請う、「興隆灘図」は、巨大な六曲一双屏風図、しかも、右隻から左隻へと川が流れるづけるものだから、屏風の大きさ以上のものがある、しかも、人が細かく、その小ささで、一層、巨大な風景になっている、「秦嶺桟図」がおもしろい作品、上2/3は山水図によくある光景を描いているが、下1/3に描かれた渓谷は俯瞰で描くというもので、ひとまとめにまとまっていた。⑪山下摩起/日本画に油彩画の手法を取り入れる、「雪」は、以前観た竹に雪の大きな六曲一双屏風図、迫力満点という言葉以外出てこない、昨年度の新収蔵品として、この「雪」を描くためのスケッチ帖が入ったそうだ、試行錯誤している様子が判るもの。⑫大野麥風/新収蔵品として展示、魚の画家と言われているそうだが、見ものは「朝鮮絵巻」、日本統治時代のソウルとその近郊を描いたもの、民俗史料としても価値が大きそうだ、今後、この美術館で、全面公開を予定しているとキャプションにあったので、楽しみなことだ、「脚長えび図」「カレイ図」とお魚系も展示、なかなか可愛い! こういった展示って、一貫した筋立てがない替わりに、いろんなもの観れるという利点がある。そういった意味で、変化があり、楽しかったな。観てる間は腰のきつさは、さほど感じないのだが、もう、昨日も、帰りの電車ではへたってた。特に、淀屋橋からの京阪電車、乗り過ごさなかったこと、自分を誉めたい。


2025年 5月 1日(木)午後 8時 48分

 昨日は、さすがに疲れた。と感じ出したのは帰路。帰宅すると、その疲労は増し、夜、よく寝た。朝、起きると、めっちゃ、腰が重かった。そんなことを見越して、昨日の予定を入れたときから、今日は休養日に充てておき、大正解。天気は、とってもいい。この2日間の、気温の低下から恢復。またぞろ、昼間など、夏のように暑い。午前中は、ウィンドブレーカーなんかを着て外に出て、ウォーキングをして帰宅すると、シャツを替えねばならないほど、汗ぐっしょりだった。そんなにいいお天気、明日から、また出かける予定があるので、今日は洗濯日に充てた。そして、日に2回のウォーキング。これは定番。夕方、万歩計を見ると16800歩余だったから、ごく平均的な出来だった。
 午後の一時で、ようやく、先日のプチ旅行の記録を書き上げた。もう1週間以上経っている。ここまで引っ張ったのは新記録。せいぜい1週間止まりだったから。でも、1週間も経てば、記憶は、かなり薄れている。そのため、メモを取っているのだが、そのメモが読めない。汚い字で走り書きをするものだから、判読に困っている。そういうときは、思い出す契機にと、美術館で観た作品自体を、ネット検索をする。探しもの自体が、ダイレクトで出てくれば苦労はしないのだが、多くはそうではない。でも、作家を特定して、その作品が出ていると、どういった作品かを思い出せること、半々以上かな。ま、そんなことをしながらだから、とっても時間がかかった。それにつけても、地方美術館巡りとは、いいこと思いついたと思っている。久しぶりに、西に行ったものだから、東方向とは異なった作家シフトが看られるのも嬉しいこと。そんなで、5月も行きたいと思い、一応、行くならばとコースまで出来上がっているが、行くかは判らない。美術館巡り、京阪神で、かなりいっぱいいっぱいなのだ。わざわざ、地方に行かなくても、いい展覧会が目白押しなのだ。もちろん、美術館巡りだけが楽しみなわけではないので、コンサートに行く時間、落語を聴きに行く時間などなど、いっぱいやりたいことあるからね。地方に行くことで、時間を空ける余裕があるか、これが心配なのです。今年は、6月に韓国旅行を入れてしまってるので、5月に行くと、忙しなくなってしまうのも、マイナス要因。春と秋は、やっぱ、出かけるのにいい季節なもので、やはりイベント多いから、それに身を任せるだけで、十分、楽しめるきらいがあるのも、マイナス要因になってる。だから、気の問題なのでしょうね。プチ旅行に出かける最大の利点は、同じことの繰り返しの閉塞感に、ちっちゃな穴を開けることだから、そんなの要らんわと思えたら、行かないことになるはず。ま、一応、行き先は「西岐阜→小牧→四日市→津」のつもりで予定は立っています。


2025年 5月 1日(木)午前 8時 38分

 世間的にはGWの谷間の平日。昨日は、予定では、美術館と落語という組み合わせのつもりだった。が、その落語会の顔付けが、直前に明らかになることで、行く気が失せた。あまり聴く気の起こらない噺家さんが2/4も占めていた。これ、かなり引いてしまう割合。で、あっさりと落語会に行くのは止めた。そこで、少し小ぶりの美術館を、替わりに宛がい、美術館のハシゴをしようと思い、その気で家を出た。一番効率的に時間が使えるようにと、確実に大阪まで電車に座って行ける、一番早い電車に乗った。まず行ったのは市⽴伊丹ミュージアム。美術館到着時間が10時半だった。だけど、時間を要した。4ヶ所に分かれた展示の最初の部屋で1時間かかった。これはヤバいと思い、休憩を取らないで観覧した。だけど、終わって、外に出たら、午後1時半を回っていた。ランチを食べれるかすら心配した。3時間、立ちっぱなし、これは、あかん。その場で、他所へ回るのは諦めた。ダメもとで、伊丹で昼食と言えば行くのが、インド屋さんかな、ネパール屋さんかな、どっちかだが、その手の店に、一応は行ってみた。ラッキーなことに、ランチ・メニューを午後3時までやってる店だったので、食いはぐれにはならなかった。伊丹で歩いているときは、存外、腰大丈夫なんて思ってたが、戻りの電車ではぐったり。家に帰ると、更に、ぐったり。腰、大丈夫かなぁ、ほんま。
 ミュージアムでは、「動物画譚展 おもしろくて不思議な動物たちの絵物語」というおもしろい企画展。以前、こちらでは「虫展」が開かれ、とても凝ったもので、ミュージアムを名乗るだけのことのある展覧会だったので、今回もその期待に応えてくれるものと思ってたら、想定以上だった。展示の方針は、お伽噺が切り口。有名なお話から始まり、そこから、どんどんと深みにハマっていくという進行。もちろん、動物の出てくるものばかりをピックアップ。そのお話の紹介、それを認めた絵巻やら、それこそ、今やってる大河の主人公たちの出した江戸時代の本、そこには、当然、名だたる絵師の描いた版画が挿絵で入っている。それだけでなかったのが、凄いと思わせられる展示。必ずや動物が出てくるという縛りのある展示、だから、お話で出てきた動物が活躍する、他のお話も、一つにまとめてある。花咲爺さんが取り上げらると、当然、犬が出てくる。だとすると、今度は、犬の出てくる物語として「南総里見八犬伝」が並ぶという具合だ。そればかりか、伏見人形など、人形で犬が出てくる(高槻市立しろあと歴史館所蔵)、犬を描いた大家の作品も並ぶ、それが、円山応挙(時⾬狗⼦図/府中市美術館所蔵)だったり長沢蘆雪(狗⼦図(⽉下仔⽝図)/公益財団法人摘⽔軒記念⽂化振興財団所蔵・府中市美術館寄託)なんだから、たまらん。浮世絵も、歌川国貞、歌川国芳、月岡芳年、落合芳幾らが、次から次へと出てくる。狐も、当然出てくるだろうから、「月百姿」の「吼噦(釣狐)」(国⽴歴史⺠俗博物館所蔵)は、ドンピシャだなと思ってたら、後期展示なんだって! 写真だけは掲示されていたけどね。この物語と動物が多く、2階の2つの部屋が宛がわれており、地下では、歌物語・歌合関連をまとめてあった。その地下の奥まったスペースは、「この世ならざる動物たち」という章立てで、想像上の動物コーナーということになり、1階のスペースでは、「舶来の動物たち」という章立てでコンプリートだった。大枠はそないな感じで、細かくメモを取ると、膨大なものになりそうなんで、ポイントだけでも、次にピックアップしておく。少しでもメモをして、記憶に留めたいもの、てんこ盛りのどストライクの展覧会だったことは間違いなかったな。展示は「桃太郎」からスタート。「桃太郎」の絵巻って少ないそうだ。桃太郎の誕生譚って、爺さん婆さんの回春ヴァージョンてのがあるそうだ。それだと、桃太郎は二人の実子! 歌川国貞「桃太郎快童丸取組図」(江⼾東京博物館所蔵)が傑作、桃太郎と金太郎が相撲をとっている図柄。いきなり、何でもありが出てた。「⾦時幼稚⽴」(早稲⽥⼤学図書館所蔵)は、鱗形の出版したものなんだってと、「べらぼう」で知った人物も絡んでくるのが嬉しい。「猿蟹合戦」「鶴の恩返し」関係が並ぶ側では「文福茶釜」。「ぶんぷく」は、「分福」から来てるとか、初めて知った。祝言的要素の強いお話ということだ。その関連で、月岡芳年「新形三十六怪撰 茂林寺の文福茶釜」が出てた。「鶴の恩返し」に関わるということで、「新形三十六怪撰 さぎむすめ」も出てた。「猿蟹合戦」では、落合芳幾「猿蟹敵討之図」(公文教育研究会所蔵)という大判で綴りになった大部な作品が目立ってた。「舌切り雀」では、婆が悪者。近代以後は、改心する婆という脚色もあるそうだが、元来は悪は悪のまま。傑作だったのは歌川芳盛(国芳門人)「昔ばなし舌切雀」(東洋大学附属図書館所蔵)。禁門の変とがっちゃんこさせての絵になってた。なんでもありで、おもしろいものに仕上げるということでしょうね。ここにも月岡芳年があり「和漢百物語 頓欲ノ婆々」(国立歴史民俗博物館所蔵)。「花咲爺さん」では、先に書いた犬絡みに眼を奪われたが、色彩の鮮やかさが目を引く、三代歌川豊国らが描いた「雪梅芳譚犬の草紙」や、歌川国芳や落合芳幾らが描いた「かな讀八犬傳」があった。いずれも東洋大学附属図書館所蔵だ。「猿蟹合戦」関連では、山沢与平が挿絵を描いた「猿蟹」(東洋大学附属図書館所蔵)や北尾重政が挿絵を描いた「増補獼猴蟹合戦」(大阪大学附属図書館所蔵)は、蔦重が出版したもの。歌川芳虎画「かちかち山」(江戸東京博物館所蔵)は、豆本と言い、子ども向けに出したものとか。江戸時代の出版状況って、凄いね。うさぎ関連で出ていた、狩野常信「兎遊月図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)のキャプションにおもしろいこと書いてあった。うさぎが豊穣イメージだそうで、月を三日月で描くと、これから大きくなるから「増える」イメージで、この取り合わせは、いずれも同じイメージで統一されてるそうだ。2つ目の部屋に移る。ここからは、お伽噺から外れ、様々な動物物語ということで、章立ては「むかしむかし あるところに」から「めくるめく動物たちの物語」へよ変わった。冒頭に出たのが玉藻の前の物語。能「殺生石」でおなじみのものだが、この石が業をするエピソードは、あとからの付け足しだそうだ。宮中での物語が本筋ということだった。ここでも国芳と芳年もの、大活躍です。国芳ものでは、「三国妖狐図会 蘇妲己駅堂に被魅」「和漢準源氏 乙女 天羅国斑足王悪狐華陽夫人顕」「下野之国奈須の原 金毛白面九尾の悪狐たいじの図」が出ていた。前二つが神戸市立博物館(池長孟コレクション)所蔵で、三つ目が兵庫県立歴史博物館所蔵だ。「妲己」が出て来るのは、この物語の大元が中国にあるということだ。芳年では、「新形三十六怪撰 奈須野原殺生石之図」「新形三十六怪撰 二十四孝狐火之図」と、いずれも国立歴史民俗博物館所蔵で、後者は、狐関連ということで、八重垣姫物語だ。文楽を観ておいたおかげで、こういったものも解るようになった。狐の物語、狐関連では、さすが、展示物が多い。せつない物語「玉水物語」を書いた本は京都大学附属図書館所蔵。化けた人間がユニークな姿をしている「大石兵六物語絵巻」も国立歴史民俗博物館所蔵。著名絵師の作品では、歌川芳虎「時参不計狐嫁入見図」(国立歴史民俗博物館所蔵)に加えて、英一蝶ものが出ていた。名が通っているわりには、その作品に触れる機会が少ない絵師だ。「狐罠図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)と「稲荷狐図」(関西大学図書館所蔵)を観れたのは、嬉しい限り。このあとに出てきた物語は、猫の「おこま」の物語以外は、知らないものばかり。メモのし忘れだと思うが、大黒やネズミのトピック関連の作品があったので、例の「因幡の白兎」が出てたかもしれない。それは置いといて、出てきた動物は、ねずみ、それが出れば猫、で、「猫展」で知った「おこま」となるわけだ。ねずみは大黒天のつかいとしてワンセットのイメージ、それに対抗するのがえびす、大黒との相克の原因は、えびすのアイテム鯛をねずみが狙うからとか、そうなんや、ベタ過ぎる。「ゑひす大こくかつせん」(慶應義塾大学文学部古文書室所蔵)なんて図柄が、そういったわけで成立するのだ。猫とネズミという対抗するキャラを仲良くさせた伝英一蝶「猫と鼠の行列図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)なんかを観ると、なんでもあり感、出てくる。ネズミを擬人化した「鼠草子絵巻」(サントリー美術館所蔵)は、今回の展覧会のポスターにも掲載されていた。葛飾北斎画もあり「頼豪阿闍梨恠鼠傳」(京都大学附属図書館所蔵)という本の挿絵だった。おこまの物語は、山東京山の書いた物語、「朧月猫の草紙」(和泉市久保惣記念美術館)で、挿絵は、猫好き絵師歌川国芳だ。その側には、曲亭馬琴作で、絵が歌川豊国という「猫奴牝忠義合奏」(西尾市岩瀬文庫)も出ていた。その並びに、猿関連で出ていた一宮長常「紅蔦手長猿図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)が、とってもおもしろい作品。手長猿が、縦に数珠つなぎになってる。地下に降りる。「生きとし生けるものの歌」という章立て。鳥の絵を描いた絵巻なんかがあり、鳥になぞらえたのか、歌合わせをやってる。そんなで、鳥繋がりで、鳥の出てくる物語、鳥の書かれた絵、最後には、どこにも入れようがないのか、山の神がおこぜに恋をするというわけのわからない絵巻「をこせ」(東洋大学附属図書館所蔵)なんてのも出ていた。多くの動物が出て来るというのも置き場に困ったか、ここにあったが、その中に、歌川国芳「道外 獣の雨やどり」(和泉市久保惣記念美術館)があり、長沢蘆雪「十二支図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)がでるという、有難い展示。「十二支図」では、さすが蘆雪、犬が、ちっちゃく描かれ、これが、めっちゃかいらしい! ええわぁ。地下の奥まったスペースは「この世ならざる動物たち」。「春日曼荼羅図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)は、鹿をどんと中央に据えた図。これ、定番なのかなぁ、同じ構図の絵、細見美術館で観たことがある。神鹿ということで、このコーナーにあったようだ。同じ意味合いで、釈迦の涅槃に集う動物たちが描かれてある「しやかほん地」(西尾市岩瀬文庫所蔵)もここにあった。「霊獣図(麒麟・象・獏・獅子・狛犬)」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)という大きな掛軸5点が、正面の壁に並ぶ。黄紺的贔屓にした霊獣は獅子。いかつそうな体躯なのに、表情が可愛い。正面右の壁には鵺が出た。こちらは、霊獣ではなく魔物。鵺退治の図に、大家が並ぶ。芳年が「新形三十六怪撰 内裏に猪早太鵺を刺図」、国芳が「源三位頼政鵺退治之図」と「木曽街道六十九次之内 京都 鵺 大尾」。3点とも兵庫県立歴史博物館所蔵だ。北斎漫画(和泉市久保惣記念美術館)もあり、更に、広重の「江戸名所道戯尽 二 両国の夕立」(サントリー美術館)も並んだが、この広重作品が傑作、川に落ちた雷を描いていた。想像上の獣の極め付きは「件」、絵だけじゃなくて、剥製(個人蔵)まで出展されていた。但し、キャプションには奇形の牛の子どもだろうと書かれてはいた。1階に戻ると、「舶来の動物たち」という章立て。こちらは物語とは関係ないから、まずは、出ていた動物をメモることにする。ラクダ、象、虎、豹、洋犬、アザラシ、オットセイ、アシカ、ワニ、ヒクイドリ、ダチョウ、ミュー。そういった動物を描いた作品の中でメモりたいものを書いておく。円山応挙「猛虎図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)は言うことなし。豹は幕末に入って来て、見世物で巡回した模様、その様子を描いた歌川芳豊画「西両国に於て興行 豹図」(神戸市立博物館(池長孟コレクション)所蔵)。歌川国芳画「犬図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)が傑作で、洋犬が立ってシルクハットを被ってる。大窪昌章画「海豹画賛」と岩田霞岳画「海獺画賛」は、いずれも公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵もので、アザラシやアシカ、オットセイといった海の動物を描いたものだが、おそらく、西洋の本を観ながら描いたのじゃないかとの推測が、キャプションに書かれていた。前者などは制作年が判ってるようで、それによると開国前のこと。街には、珍しい情報が流れてたってことになるのかな。ラクダや象が、見世物として、江戸時代、市井の人の目に止まったというトピックは、かねてから聴いてはいたが、そんなところに留まらなかったというわけだけど、そういった見世物に供された動物の飼育、どうしてたんだろうね、そんなこと、気になってしまった。
 しかしまあ、とんでもなく充実した内容。多くの人に楽しんでもらいたいな。「アートシーン」で、この規模のミュージアムが紹介されることは珍しいなか、紹介されていた。それだけのことがある値打ちもの。昨年の「虫展」と並ぶ労作。これだけ、多くのミュージアムからの借用も、この規模のミュージアムにしては稀有のことと思います。太っ腹な伊丹市にも感謝ですね。


2025年 4月 29日(火)午後 8時 40分

 今日は、午後に落語会に行った日。場所が、心斎橋パルコだったので、京阪沿線からの徒歩移動、往きは北浜駅から、帰りは淀屋橋駅へと歩いた。そのため、それを見越して出発。往きは、途中の公園で、持参したパンで昼食。それが、一番、効率のいい時間の使い方と判断、節約にもなるしとの判断で、昨日の内にパンを買っておいた。それでも、夕方、万歩計を見ると11100歩余でしかなかった。一つには、朝、出かける準備に入る時間の設定をしておきながら、自分の記憶では、違った時間となっていたため、朝方、ミニでのウォーキングすらできなかったからだが、それができたとしても、ウォーキングとしては物足りと感じたことだろうな、でも、今日は、仕方ないね。
 心斎橋パルコって、昔のそごうだった。その後、大丸になってなかったっけ? とにかく、会場は心斎橋大丸劇場だったとこ、今はSPACE14という名になっていた。エレベーターが混んでるので、14階までエスカレーターで上がった。かなりの根気が要る。「桂九ノ一独演会」があった。昼夜公演で完売だそうだ。見たことのあるような顔は見なかった。一体、誰が、そんなに多くやって来たのでしょうか? めっちゃ有望な噺家だと思っている。東京との二重生活で、東京での評価も上がってるようで、下手すると、大阪で何か具体的に形になる前に、東京で何かをもらいかねない。そんな不細工なことだけは止めて欲しいと、かねてから思ってる噺家さんだ。今年の、繁昌亭の新人グランプリのファイナルに残さなかったしと、かなり心配している。情報公開となったとき、即決で行くことにした会だった。その番組は、次のようなものだった。九ノ一「挨拶」、九寿玉「元犬」、九ノ一「植木屋娘」、二葉「佐々木裁き」、(中入り)、九ノ一「胴乱の幸助」。九ノ一、冒頭に出てきて、緊張してるのかと思いきや、全然、そうじゃなくて、ちょっと安心。これだけの会場で開くだけの度胸、十分でした。客席の反応も、皆さん、九ノ一を知っていそうな印象を持った。それも、安心材料。それだけの噺家さんになったってことですね。トップは、遭遇が2回目となる弟弟子。言葉が明瞭で、元気があるのがいい。ところが、半ばで寝落ち。なんでや! 往きの電車で寝たりしてたので、ヤバいとは思いながらも、徒歩移動している内に、そんなこと忘れてたのに、、、。テキストが、師匠九雀譲りなんでしょうね、解りよいように手直しされてるなという印象を持ったのだけは覚えてる。九ノ一は、昼夜4席をネタ出しをしてたが、いずれも、大ネタばかり。まずは、「植木屋娘」。オーソドックスなテキストを継承してるけど、この勢いは、凄いものがある。きょとの慌て者幸右衛門のキャラ付けは、かなりオーバーな感じもするが、噺の中で浮いてない。和尚や伝吉、お光との会話が、自然だからでしょうね。変に突出していない。ということは、噺の骨格ができてるってことですね。だから、聴いてて、楽しい。二葉は、今年初めて。半年は聴いてなかったと思うけど、今回も、貫禄を感じた。余裕のマクラ。九ノ一に関わるトピックから、探偵ナイトスクープをネタにしたりで、中には、「九ノ一を今後もよろしく」なんてことまで言う、カッコいいね。こういったときに、自身のネタを何にするのか、いろいろと想像したけど、「佐々木裁き」を持ってきた。本息という感じもするけど、大きすぎないかとも思った。でも、位置は中トリを宛がわれたら、やらなければということかもしれませんね。九ノ一のネタが、重量級2つだから、決して、大きすぎる感は出ないということかもしれません。そして、この「佐々木裁き」が、良かった。去年も、岐阜で聴いたけど、まだ、進化してる。「二葉の落語はわかりやすい」という言い方で評価されるのを聴いたことがあるけど、序盤の子どものお奉行ごっごなんか、その代表例かもしれません。黄紺的には、初めて聴いたとき、二葉は只者ではないと感じさせられた記念すべきネタ。お奉行さんの重心が定まった台詞回しも、いいしね。九ノ一の「胴乱の幸助」は、「植木屋娘」同様、よく出しているにも拘わらず、初遭遇。この口演は、序盤の相対喧嘩で、噺を引っ張っていくエネルギーを充填できたという感じで、その勢いで、最後まで持って行ったなという印象。数多く、聴いた中でも、決して、大仰に相対喧嘩をやって見せたという感じじゃないけど、確実に、アホげな2人の男ではなく、主人公はこちらという受け渡しが出てたんじゃないかな。だから、何が起こるんかいなという関心をひきずれたと思う。先の2人の男も、稽古屋の人たちも、もっとキャラを濃くしたり、煽ったりするようなこともできるかと思うけど、そうではないけど、前へ前へとひきずる勢いは出てたと思う。何が、そうさせるんだろう? 噺の進行、流れという、大きな構えの部分が、しっかりと出来上がってるからなのでしょうね。あっという間の2時間、9年目で、この偉業です。間違いなく、大物です。


2025年 4月 28日(月)午後 7時 54分

 今日は、プチ旅行以後、初めての休養日。なんやかんやで、出かけてしまってた。遊びながら、疲れを取るという、結構、無茶なことをやってたけど、なんとか、無事に、ここまで辿り着けた。世間では、GWに入ってるが、自分的には、相変わらず、変わりはない。DとSには、このGW期間中、会えないことが判明。自分の空いている日を書いて、遊べる日を教えてというメールを送ったんだけど、回答は、全滅だった。ここ2年程は、毎年、どっかへ行ってたんだけどな。替わりに、来年、小学生になるSのランドセルを買いに行くことになった。日にちは、これも、息子からの回答待ちだ。5月の土日のどこかになるのでしょう。
 ということで、今日は、こういった日の定番、日に2回のウォーキング時だけが外出時間。昼前のウォーキングは、最後は、雨にたたられた。まだ大丈夫との読みは外れてしまったが、休憩時間の読書は確保できた。夕方のウォーキング前に、上手い具合に、雨は止んでくれたが、昼前のことがあるので、傘持ちウォーキング。夕方、万歩計を見ると18700歩余とは優秀過ぎます。そして、午後の一時は、プチ旅行の記録書き。1週間経つのに、3割くらいしか書けてなかった。頑張ったが、これが、時間がかかる。結局、53%くらいまで書けたかな。また、明日から出かけるのに、あとを書き足す時間、いつ、取れるのだろうか? 既に、かなりの記憶が薄れてきてしまってる。そうならないように、記録を付けることにしているのに、なんか、あっちゃこっちゃになってしまってる。帰ってきてすぐに、そういった時間を確保しようとすると、あっさりと寝落ちするのが見えてるんだけど、さりとて、ここまで休養日を設けなかった自分が悪い。反省だね。毎回、プチ旅行から帰ってくると、同様の反省材料を残しながら、今回は、一番、ダメかもしれない。せっかく、美術館で、いいもの観てきても、記憶から抜け落ちするって、勿体ないこと、夥しい!


2025年 4月 28日(月)午前 8時 51分

 昨日は、盛りだくさんな日曜日。朝から定番の「日曜美術館」を観て、その後のちょっとした時間を使い、洗濯、合い間に、食糧調達。昼食を摂ると、早々に出かけた。昨日は、岡崎でハシゴをした。1つは、一昨日同様、ロームシアター京都でのコンサートだったんだけど、同じ岡崎に行くならと、新たに始まっていた京セラ美術館のコレクション展に行った。時計を見ながらの鑑賞。ぐずぐずしていると、後のコンサートを抜かす懸念があるからだ。コンサートの休憩時間に、思いがけない人と再会。家族連れだった。奥さんもお嬢さんも知っているので、もう、びっくりの再会となった。去年は、このコンサートで、また、違ったご夫婦と再会した記憶。そんな、縁を結ぶコンサートになっている。結局、帰宅すると、もう午後7時前だった。
 まず、メモるのは「日曜美術館」。今回は、二条城で行われている展覧会に合わせた企画で、「体感するキーファー in KYOTO」というものだった。アンゼルム・キーファーというアーティスト、二条城で展覧会があるということで、最近、名前を知ったばかり。アンゼルム・キーファーは、1945年生まれ。荒廃したドイツで生まれ、反ナチスが徹底された時代に成長。が、時とともに薄れる戦争の記憶、その、ドイツ人が忘れようとしたものを描くというのが、この人のアーティストとしてのモチベーションの根本のよう。美術の世界へ入るきっかけは、フランスのル・コルビジュ作ラ・トゥーレット修道院に衝撃を受けたことだった。そういった人となりなどを示しながら、作品が、どんどんと紹介されて行った。今回も、MC二人が会場へ足を運んだ。前のMCの小野さんも登場、解説の方と4人で回るというもの。紹介された作品をメモっておく。①ラー(エジプト・イメージ、ラーに対抗するかのように下部に蛇、パレットに羽が生えているような巨大なオブジェ)②オクタビオ・パスのために③【旧作紹介】ナチス式のポーズで自身が写真に納まる作品(カメラで、ドイツ人が忘れようとしたものを撮る、ドイツ以外でも、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ作品と同じ構図で)④アンセルムここにありき(背中を向け何かを観ている、ゴッホのようなタッチ、両義的な作り)⑤オーロラ(日本にちなんだ作品、原爆で鉄骨だけとなった学校の写真から取材、乳母車は映画「ポチョムキン」からのイメージ、オーロラ=日露戦争でのロシアの軍艦、金=普遍性の象徴、錆を使う意味は金に対峙するということ)⑤月のきるるさかの雫より(江戸時代の和歌から取材)⑥「古代の女」シリーズ/ダリア(ドレス姿の女性、顔がない、替わりに岩がのっている)⑦「古代の女」シリーズ/アンティオキアの****(顔を奪われてきた女性、コルセットで縛られた肉体を表すかのようにドレス姿の女性)⑧モーゲンソー計画(敷き詰められた砂の上に生える植物〈とうもろこし、麦〉のイメージ、金の蛇がはっている、本も置かれている、米政治家モーゲンゾーが、戦中に戦後のドイツの姿を提示、それによると農業国家ドイツにすれば良いとしたことを背景に)。この展覧会、行くか迷ってるところだった。観光客いっぱいの二条城に行きたくないからだ。そこへ、この番組、ありがたかった。これで満足しところかなの気になっている。
 京セラ美術館のコレクション展は、特集「染織をめぐる冒険―京都の作家を中⼼に」と題されて行われていた。お題の染織は後半で、まずは、季節にちなんで「春の名品 花香−花香る絵画」という章立て。入口から見て、左側に花を素材にした作品が並び、右側に女性を素材にした作品が並ぶという趣向。だけど、女性の側に、1点だけ花を忍ばせるという趣向もありで、キュレーターさんの腕の見せ所ということか。花で、自分的に際立ったのが2点、会津勝巳「花」と大森翠「花発不逢人4 (Plus que les fleurs)」。前者は、淡い色彩で、後景にこぶのような山が連なり、前景には野が拡がり花が咲くというものだけど、淡い色彩なものだから、よく観ないと判然としないほど、淡い。とっても幻想的で気に入ってしまった。後者は、縦長の板3枚を並べ、真ん中の板には、花を象徴するかのように青色濃淡2色の丸みを持ったものがてんこ盛り、サイドの2枚にその丸みを持ったものが、2~3個、ポツンと描かれてる。満開の桜の花びらが、ちらりと落ちたという風景かな、こちらのイマジネーションを掻き立てる逸品。名を知ってる作家では、三輪晃久、三輪晁勢といった作家の作品が出ていた。女性側では花側ほどのインパクトを受けなかった。小磯良平「踊りの前」が出てたが、相変わらず、服の描き方が上手く、ドレスの質感まで判るというものだったが、そこまで。黒田重太郎「梳る女」はキュビスムの入った作品、川端弥之助「ウクライナの女」は三角構図で、えらく安定感があり、描かれている女性が高慢な印象を与えてしまってた。そういったメモだけを残したくらいだった。スペース中央には、ねじというかキノコというか、そういった形状の大理石作品があった。花にも見える。だから、このスペースに置いてもらったのかもしれない。次の部屋に入る。野村はるみの日展特選作品が2点、「共生」「雨後」という作品。絵の具をキャンパスにぶちまけて、塗りたくったかのように、瞬間、観えたが、あれれ、何かが見える。前者は峡谷が、後者は叢の中を伸びる山道が、自分の目には見えた。となると、途端に、自然に囲まれた山に居る雰囲気が出てきた。太陽光も観えるようで、、、、。おもしろい作品。「PAT in Kyoto関連展示」という章立ても、この部屋。同時開催中の版画トリエンナーレ関連ということで、過去に展示されたものを、ここで紹介するというもの。入江明日香「醍醐枝垂桜」は、ミュッシャ、アニメ、絵巻が入ったコラボ作品という印象、それを屏風仕立てにしてた。金光男「row-mat」は、すっかり絨毯を版画化したもの。こういった章立てではなかったら、そうとは、思わないな。そして、今まで、2度、観たことのある、手と鉛筆作品、木村秀樹の「Pencil 2-3」も出ていた。次の部屋は「陶芸オブジェの先駆者 林康夫」というコーナー。この作家さん、走泥社にもいたことのある前衛陶芸の作家さん。キャプションを手掛かりに、制作意図なり、観方を模索するのだが、キャプションを読めば読むほど、解らなくなる。代表作とされる「坐像」なんかは、直弧文と分析的キュビズムが合わさったもの、判るわけない。「No Sound D」は、二次元と三次元の境界が曖昧とかなんとか、これも、判るわけないが、この作品の形状は、確かに変だった。平面かと観てると、そうではなかったりと、それを、言語化すると、そういった書き方になるのかものしれない。「寓舎」シリーズというものがあるようで、その名の付いた作品が3点あったが、このキャプションが、最難関。諦めてしまった。「染織をめぐる冒険−京都の作家を中心に」と、ようやく全体のお題に入ってる染織が登場した。染織関連で、3部屋宛がわれていたが、なかなかの見ものだった。黄紺が、名前は目にしたことがあるのだから、いずれも、その世界では大家の方ばかりなのだと思うが、キャプションを観ていると、デザインを神坂雪佳に、絵画を都路華香に学んだりと、下地がしっかりされている。その中で気に入ったもの、気になったものをメモっておく。山鹿清華「手織錦屏風立花」は、丈の異なる立花2体を錦で織ってる。その細かな技は凄いと思ったが、立花って、華かやさのなかに、わびさびのようなものってないのかなとは思ったが、そうじゃないんだろうな、こういった作品があるってことは。中村鵬生「手織錦壁掛温室」は、お題のごとく、温室を表している。デザイン化した両脇の大きな葉の南洋的雰囲気に囲まれた内なる鉢に入った花が可愛い、随分と新しさを感じる作品。昭和6年制作だそうだから、新しい印象を与えたはずだ。稲垣稔次郎明「牡丹之図和紙糊絵屏風」は、二曲一隻の屏風、右隻に大輪の花、左隻に剪定を受けた枝だけを描くという、対比の妙が素晴らしい。人の生命、生活、人生をも表しているようだった。岸本景春明「両面刺繡潮衝立」は、ただただ、両面刺繡の凄技に見とれるばかり。そして、最高傑作と、自分的に思ったのが伊砂利彦「松−月−」。めっちゃ、おしゃれ! 型紙作品だそうだから、組み合わせたのかな、色彩は藍の濃淡で、丸い形だけで、月が浮かび上がる。凄い! 「染織集団∞(無限大)」の部屋があり、最後がファイバーアートの部屋。となると、お向かいの京都国立近代美術館であった小林正和作品展が思い出される。小林正和ものは1点「音のコラージュ 1-93」が出てた。ファイバーアートで、抽象絵画でよくある形状分割、画面分割を表したものと思ってる作品だ。盟友の草間喆雄ものは「G WALL-1」、小名木陽一ものは「自立の試み− white W」「壁に掛けられた黄色い半球Ⅲ」が出てた。そういった中で、観る位置で、色彩や形状の変わるおもしろい作品が2点、先程の草間作品がその1つで、前を横切ると、色彩が動いて行った。高木敏子「綴織壁掛日時計」は、太陽なんかなぁ、まん丸い形状の下半分の色彩が増減してた。これは、作品からの距離で変化してた。朝倉美津子「変化と平衡」は、平織りの折りたたんだものを繋げる作品だが、中央部が膨れて観える。何でか考えて、判った。横長で全体としては長方形になるのだけど、それが、正確な長方形でなく、中央部が、ほんの僅かに縦長になってる長方形だった。凄いな、これ。久保田繁雄「海音Ⅲ」のごつごつ感も印象に残る。麻を織ったものと、帰宅後、作品リストで確認して、納得。とまあ、ファイバーアートは、相変わらず、楽しい。
 コンサートは、昨日も、前日に続き、「ローム ミュージック フェスティバル」のコンサート。昨日は、「オーケストラ・コンサート オール・ドヴォルザーク with 宮田大」というお題の付いたもの。黄紺的には、宮田大を聴いたことがなかったのでチョイスした。なんせ、彼のコンサート、チケットがお高いから行けなかったので、これをチャンスと看て、行ったのでした。プログラムは、「スラブ舞曲 第1集 Op.46, B.83より 第1番 第3番 第8番」「スラブ舞曲 第2集 Op.72, B.147より 第1番 第2番 第7番」「チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104, B.191」で、チェロ協奏曲がメーンとなっていた。オケは東京交響楽団、指揮は田中祐子だった。田中さんも初めて。とっても、切れのいい指揮ぶりで、選ばれたスラヴ舞曲は、1曲を覗き、激しいリズムのものが多く、ぴったし感があったな。アンコール・ピースとしては、スラヴ舞曲は聴いても、まとまって聴く機会はないから、ありがたいプログラミング。そして、宮田大のチェロ、とにかく、この人のチェロ、濃~い。パワーもあるし、ファナティックでもなく、濃いのだ。暑苦しいとまでは行かないが、濃厚という印象。ほぼ初めてだな、チェロを聴いて、そう思ったのは。その個性が惹きつけるのかな。人気の秘密かもしれません。皆さん、濃いのがお好きなんだと、呟きながら聴いておりました。


2025年 4月 26日(土)午後 8時 48分

 今日は、朝から出かけた長い一日。まず、Movix京都へ行き、メトライブの上映。今日も、福井から高校時代の友人が来ていたので、終わってから、映画館近くの韓国料理屋で昼食。辛さの苦手な友人には、プルコギ定食を薦め、自分は、アサリ入りというのに惹かれ、テンジャンチゲ定食。ほんの僅かにピリ辛味のテンジャンチゲ、パンチャンは二皿。食後は、近くのカフェでお喋り。オペラに落語という定番ネタが、その材料であるのは、いつも通り。今朝知った、月亭太遊廃業のわけを知らせると、友人は、唖然としてました。次回の京都は6月ということで、再会を約して、黄紺は岡崎へ。夕方からのコンサートに向かった。コンサートの予定が入っているのに、今日、メトライブを観に行ったのは、GWに入り、子どもたちが福井に来るという友人の予定に合わせたものだった。〈br〉  メトライブは「フィデリオ」(ユルゲン・フリム演出)。メトライブでは、初めての上映だそうだ。レオノ-レを歌っだリーゼ・ダーヴィドセンのおかげです。我々も、最大のお目当ては、この人。現在、双子を妊娠中で、このあと、産休に入り、復帰は、1年後のイゾルデだそう。これも楽しみだけど、その間に出演予定のロイヤルオペラの「ワルキューレ」は流れそうなため、友人が悔しがっていた。ジ-クリンデを歌う予定になってるからね。「フィデリオ」の演出は、そんなに目新しいものでなく、メトロポリタンでは、20年以上使われているもの。1幕では、右サイドが鉄格子になっており、監獄前でのやり取りで推移。2幕は、正面に、天井から下がる梯子があり、地下に降りて来る体になっていた。墓堀は、床を開け堀るということにして、開けた床の板が、フロレスタンとレオノ-レを隔てるということになっていたが、かなり、無理筋。そもそも、台本の流れに無理があるので、これは我慢。3幕は、2幕にあった背後の壁が持ち上がり、平台で重ねられているだけの舞台で、正面背後に、ピサロの騎馬像があるが、それが取り壊されていき、最後は、ピサロを処刑するという体で終わった。そんなで、装置や動きは観ていて、特筆することはなかったが、歌手陣の充実が素晴らしかった。リーゼ・ダーヴィドセン以外を記しておく。フロレスタンはデイヴィッド・バット・フィリップ、とてもきれいな声に魅了された。ロッコはルネ・パ-ベ。黄紺が、ベルリン国立歌劇場で観たときも、この人だった。ピサロはトマシュ・コニエチュニ。若干、口先で歌うような癖があったのが気にはなったが、声量はたっぷりのポーランド人歌手。インタビューでは、ウッチの人にエールを送っていたので、当地縁の歌手のよう。ウッチ、行きたいな。マルツェリーネは、中国人歌手イン・ファン。既視感があったが、どうやら、「ドンジョバンニ」に出てたみたい。そう言えばという感じで、薄っすらと思い出した。
 コンサートは、ロームシアター京都のサウスホールであったもので、毎年、この時期に行われている「ローム ミュージック フェスティバル」のコンサートの1つ。毎年、土日2日を使い行われ、目移りのするプログラムが並ぶが、黄紺は、1日1つに決めている。あれもこれもは、ここでもダメとしている。今年も、今日1つ、明日1つのチケットを買ってある。まず、今日は、「日下紗矢子×日下知奈~姉妹で奏でるブラームスの世界」と題されたコンサートを選んだ。枚方で聴いた読響ピックアップ・メンバーでのコンサートでの、日下さんのヴァイオリン、かなり入れ込んでしまったから、即決で、このコンサートをチョイス。プログラムは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲を演奏するという、まことに結構なものだった。枚方で聴いたときは、筋の通った音色に、1回のボウイングの中でも、音の変化の出せるテクニックという印象だった。が、今日は、わりかし印象が違った。パワーは、枚方より広いホールでも、しっかりとしたものを感じさせられた。パワーというものの判断、弾き始めに、どのように感じるかがポイント。音量というものは、次第に慣れてくるから、パッと聴きの印象を最優先している。だけど、今日の演奏のポイントは、パワーではなく、繊細なピアノからピアノッシモだった。そこに、微妙な色合いを、細かな音量のかげんをしていく、そこだった。が、同時に、それは、日下さんの浸っている自分の世界を見せるであって、決して、共感を求めるようなものでもないという、ちょっと距離感をかんじてしまってた。番号通りに演奏されたので、2番までは、そんな印象で推移。人によっては、「勝手にやれば」的な感想が出てかねないものだったが、3番が違った。まず、曲想が、2番までとは違う。かなり、メロディラインがエモい。それだけで、聴く者との距離が近づいてしまう。そこで、フォルテに磨きがかかるだけのパワーがあるから、「勝手にやってれば」的なものは出てきにくい。だから、全体としてみれば、バランスが取れている。なお、アンコールは、「シューマン:3つのロマンス op.22より第1曲」だった。


2025年 4月 26日(土)午前 6時 48分

 プチ旅行から帰って2日目で、少し、腰の重みも楽になった。ま、そうでなくても、予定表には、どこかのミュージアムに行こうとなっていた金曜日。今日からGWに入るので、混みそうな展覧会に行こうということなら、昨日の内に行っておかないと、次に行けるのは、GW明けになる。わりかし先になるんで、会期なんかを考慮しながら、スケジュールを組まねばならないということで、さっさと、入れ込みがちの展覧会に、今の内に行ってしまおうの気になった。それは、中之島美術館の「生誕150年記念上村松園」なる展覧会。長沢蘆雪や福田平八郎で、昼過ぎに行って大丈夫だったからと言って、上村松園は、そういうわけにはいかないだろうの読みで、モネ展に行ったときと同じ扱い。午後3時少し前に入館して、閉館間際まで居ようの狙いで行くことにした。だから、昨日のお出かけは、これだけ、ハシゴなんて、余計なことは考えないという、全くの特別扱い。でも、入館時には、結構、人がいた。黄紺同様の狙いと見える人がいるんだね。でも、4時が近づくと減っていく。混雑を想定してか、キャプションも、ポイントを考えてしか設置されていない。でも、行ってから、丁寧さが欠けたなと思ってしまった。重要文化財2点は、展示時期ではなかった。「母子」の方は、さほど観たいとは思わないんだけど、「序の舞」の方は、どんなものか、生で観たら、どのように感じるか、特に演能を描いたものだから、他のものより、自分的に想像力が働きやすいというのがあるから、観ておきたかったな。自分の行きやすい日だけで、足を運ぶ日を決めては行けないね。所謂、名品扱いされている作品では、「草紙洗小町」(東京藝術大学所蔵)を観れたのは、大きかった。正に、お題になってる場面を描いたもの。この能の最大の見せ場を描いたものだが、緋の大口に、唐織を壺折にして着てるはずだよね。下はそのまんまだけど、唐織の色なのという感じだった。色入りなので、地が白っぽくなるか、色とりどりの鮮やかな織りになってるものと思うのだけど、全体的に、薄いピンクなのかな、あの色。柄が入っているのか、そこだけが濃い色合いで、どちらかというと無彩色に近い色合いだった。色入りの「色」はどうしたにだろうと思う、大胆なもの。顔立ちは能面風で、面で言えば増かな? 松園は金剛流だから、本面を使うなら孫次郎だけど、そうとは観えなかった。大伴黒主の盗作を暴くというものだから、華やかさが上がるのを避けたのかなぁ。装束に戸惑うばかりだった。「人生の花」が、京セラ美術館の2点が並ぶのじゃなくて、京セラもの(花嫁の左手が前に出てない方)と名都美術館所蔵のもの(花嫁の左手が前に出ている)とを並べていた。ということは、「前に出ている」のが2つあるということになる。念のために、2つとも京セラ美術館から来てるはずと、キャプションの所蔵先を観て、びっくりしたのでした。こんな風に、同じ素材のものを、幾つも描いてんだね。評判が上がれば依頼が出て、同じ素材のものを描いてた模様。それらをピックアップしておく。先日、松伯美術館で下絵を観たばかりの「四季美人図」(光ミュージアム、岐阜プラスチック工業株式会社)。4人の女性の配置は、ほぼ同じだが、何かしてる、その何かは異なる。下絵を観たのは、後者所蔵のもののはずだ。「三美人之図」(光ミュージアム)「花」(姫路市立美術館)は、構図が同じで、3人の女性が重なるように描かれている。特に、一番奥の女性は、顔も半分ほどしか見えない。その女性がいない図を想像すると、花見の賑わいが、かくんと落ちるから、凄い着想です。更に「花のにぎわい」(京都国立近代美術館)では、重なる女性が増える。構図は、先の2点と同じで、人が増えるというもの。確かに賑わってるけど、前の2点を観ているので、「要る?」と思ってしまった。「美人図」(所蔵先無記入)と「虫の音図」は、ともに簾の間から身体を出そうかというもので、秋の作品。後者はお題で状況を示すばかりか、簾の前には萩まで描いている。しつこい、それは。「吹雪」(個人蔵)「冬雨」(所蔵先無記入)「雪」(東京国立近代美術館)の3点は、傘をさす女性を描いていて、その構図が似ている。降っているのが雪と雨の違いはあるが。同じ雪でも、降り方は違う。「雪」などは、雪が2点だか描かれてるだけ。「吹雪」は身体ほぼ全部を描き、あとの2点は、アップ図だが、しかも、同じ軸装ながら、縦長と横長の違いがある。で、自分的趣味で書けば、推しは「雪」。一番、女性のアップ度が高く、何か、女性の息遣いまで聴こえてきそうだったので。「天保歌妓」(名都美術館)「古代歌妓図」(大分県立美術館)「美人之図」(光ミュージアム)の3点は、構図は、どれも同じで、芸妓を描いてるのかな、衣装で、時代差をだしてるのでしょうが、共通しているのは、仁王立ち風で、両足を、軽く開いて立っているという姿。ちょっと女性の姿としては観ないものなので、女性の位置とかへの思い入れがあるようにも観えた。「古代汐くみ」(所蔵先無記入)「汐くみ」(名都美術館)「汐くみ」(中之島美術館)の3点も似た構図。お題からして「松風」から借用した素材。「古代」だけが、汐桶を紐で引っ張っている。あとの2点は担いでいるという違いがあるが、担ぐ女の顔立ち、表情はそっくり。身体でしなを作ってるようにも観えるので、歌舞伎舞踊の方から取材したのかもしれません。「美人詠哥」(吉野石膏コレクション)「詠哥」(名都美術館)も、このグループに入るもの。次に、逸品と言われてるもので出ていたもの、そうじゃないかというものも含めてをメモっておく。「月蝕の宵」(大分県立美術館)は、二曲一双という大部な屏風絵。左右で、人の固まりを分けるという定番の作業、それを見せてくれてんだけど、それが、ものの見事に決まってる。右隻に1人、その視線の先、左隻の3人の女性、この人数の割り振りで、一挙に、賑わいや華やぎが高まるものなんだね。「娘」(松伯美術館)は、既視感のある逸品。二曲一隻の左右に一人ずつ描かれた娘。その2人が、外方向を向いているというもの。右隻の女は自分の左を向き、左隻の女は自分の右を向いてる。そんなことやられると、一挙に空間が拡がり、周りにいる人たちとともに談論が高まってる、楽しさなり、賑やかさまで出てきてる。「青眉」(吉野石膏コレクション)は、展示の冒頭に置かれた作品。掴みを考えてのものでしょうね、確かに、存在感がある。「わか葉」(名都美術館)は、下絵まで出ていたが、物思いに耽る女性がいい。「ほたる」(吉野石膏コレクション)は、蚊帳を吊っている女性の側に蛍が! 「待月」(京都市美術館)は、背中が語る作品。「キャプション」に、「待っているのは月か人か」は、いいねぇ。「楊貴妃」は松伯美術館の持つ名品。上半身、透けた衣をまとうという図。初めて観たとき、「こんなの描くの?」と思った思い出がある。「鼓の音」(松伯美術館)も名品。安定感のある女性が奏者というもの。位すら感じさせます。「暮らしを描く」という章立てでは、風俗を描いたものが並ぶとともに、戦時中特有の作品が並んだ。戦時中の作品では、銃後を担うという女性の姿を描いていた。但し、その時代とは限らないもの。「志んし」「献燈」「古代扇折ノ図」なんかが、このジャンルに入るようだ。「人形つかい」というおもしろい作品も出てた。これ、確か、京都大丸であった展覧会で観た記憶。襖を開けて、覗き込む商家の女たちの楽しさが出てる銘品だ。珍しい風景画も展示されていたが、「柳陰鵲之図」は、タッチなんかが、師の鈴木松年と竹内栖鳳のそれが入ってるそうだ。所謂、習作の部類。メモり出すとキリがないというのが、松園です。松伯美術館の協力ということが断ってあったこともあり、下絵やスケッチが、本絵の合い間に、随分と展示されているという、有難い展覧会。さて、展示替えも多いようなので、あと1回くらい行くかもしれないけど、「序の舞」の展示期間は長くないようなので、やっぱ、混雑を考えると尻込みしてしまうな。


2025年 4月 25日(金)午前 6時 53分

 一昨日の午後5時半過ぎに京都駅に戻ってきた。福山からの帰り、前回は、まだ、のぞみの自由席車両が3両だったが、今回は2両。ましてや、福山駅では、たくさんの人が待っていたので座れるか心配だったが、大丈夫だった。岡山、神戸と、下車する人と乗って来る人のバランスをうまく取れていて、皆さん、座れてた。今回も、1日2館ずつの美術館巡りをしたが、1日に1つは、若干、小ぶりの美術館だったこと、それに、両日ともに、先に行った美術館の開館時間が午前9時と早かったので、時間に余裕が持てた。おかげで、倉敷と尾道という有名観光地を、少しでも回れた。ただ、腰に不安を抱えているため、ほどほどにしておかないと、肝心の美術館巡りに障りが出てしまうというので、はしょりながらという感じだった。倉敷は、いつだったかも覚えてないが、美観地区は歩いたことがあるので、そういったはしょり歩きでも良かった。尾道は、坂を歩くのは初めて。前に行ったときは平地ばかりを歩いていたが、登り口で見えてる坂で、既に傾斜はえぐかった記憶があるにも拘わらず、ググると、駅から美術館まで徒歩17分だかが出たので登ってみた。えぐかったな、あの坂。でも、登った分、楽しみがある。向島との間を流れる水道のある風景って、極上のものと思った。人気があるはずです。駅の真ん前が海って、絵になります。これ、新幹線使えば、日帰りでDとSを連れて行けるじゃないかと思ってしまった。ええとこです。岡山は、牛窓に2回行っているので、その際、繁華街を歩いた記憶のあるところ。福山は、鞆の浦に行くためにだけ、これも、随分前に行ったことがある。そのときも、美術館巡りでの2回を加えても、駅のほんの周辺しか知らないな。草戸千軒も行っておきたいのだけど、駅前の歴史博物館すら行けていない。美術館巡りは楽しかったけれど、そういった心残りもある。いつも思うこと、何でもかんでもやろうはダメ。身体がもたない、でも、しぼると、こうやって心残りができてしまう。
 さすがに、疲れは半端じゃない。腰のあたりに、どーんと疲れを感じる。歩くと、その疲労を、より強く感じる。だから、昨日は、ゆっくりと休養に充てるべしなのに拘わらず、映画に行った。昨日が木曜日だから、今日から上映時間が変わる。続映はするのだが、時間が変わり、自分的には行きにくくなる時間になるので、できれば、昨日、行きたかったのだ。そんなで、疲労があっても行く気が出れば行こうと、予定表には入れてあった。それがですね、朝、全く迷うことなく、行く気になった。腰が、どーんと重いのにね。午後の上映だったので、昼前に身体の具合を確かめるために、ごくミニのウォーキングを、買い物がてらした。無茶できないことは確認できた。映画館の往復は、そのときの気分で、コースは選ぶことに。でも、選んだのは迂回コース。止めときゃいいのに、朝行ったとは違うマートでの買い出しをしておきたかったのもあったしね。万歩計を見ると、13400歩余だった。昨日は、この数字では、歩きすぎだな。
 映画館はMOVIX京都。観た映画は韓国映画「ベテラン 凶悪犯罪捜査班」。ファン・ジョンミン主演のアクション映画だ。10年程前にあった映画の2作目だそうだ。前の「ベテラン」は観ていないが、今回は観ることにした。「ソウルの春」のファン・ジョンミンは、やっぱ、圧巻だったしと思うと、映画のテイストは、全く違うものだが観たくなった。犯罪捜査に当たる警察物語。凶悪犯専門という警察官、班長はオ・ダルス、この人、何度も、映画なんかで観ているけど、警察官という役柄、あったっけ? 人の好い、頼りなさげなキャラが得意分野だったはず。でも、激しい中に、ちょっと和らぎの空気を出せる班長としてはいい感じ。この映画で、捜査の対象になったのは、必殺仕事人的キャラの犯人。裁判では、確かな証拠がなかったり、また、上手く立ち回られ、処罰を免れた真犯人を、人々の不満に替わり、殺すという犯罪を繰り広げる相手。正義なのか、犯罪者なのか、両面を持つキャラという特異な設定。その犯人役がチョン・へインという若い俳優さん。調べてみると、「ソウルの春」にも出てたようだが、多くの俳優さんが出た映画だから、さっぱり、どこだったか、判らない。役柄は、捜査班に加わる若い警察官。わりかし早い段階で、客に、犯人が誰かを知らした上での進行。警察の動きを、逐一把握した上での犯行も出てくるので、犯人を示しておいた方がいいかという判断のようだ。犯罪自体が、SNSを活用したもの、それに加えて、必殺仕事人的殺しという犯罪の性格上、推しも出てくるわけで、そういった連中の焚き付け、更に、金稼ぎに、無茶な動画配信をする者たちと、なかなか観ていて、犯罪の進め方にしても、こういった現代世相反映の進行なため、本筋が掴みにくいところもあった。対抗する警察の動きで使われるタームも、なかなかムズいけど、なんとか、筋立てはついていけた。結局、犯人は、必殺仕事人的でありながら、殺人をすることに生きがいのようなものを感じてる、ちょっと病的な存在のように、終盤は進んでいく。ファン・ジョンミンの泥くさい刑事役、上手いもんです。チョン・へインの優し気で、でも、なんか病的な空気をチラ見せするのも、韓流あるあるのキャラで魅かれるものがあった。もう一人、犯人にされる若い男役のアン・ボヒョンも、暗さの出た、壊れたキャラで、上手いなぁと思って観てた。ラストは、大掛かりで、どうするのかと思って観てたら、あれれで推移した印象。せっかくの大きな装置、もったいない感じがしてしまった。けど、暴力シーン、なかなかの迫力、見せてくれました。あっという間の2時間、腰の重いの、すっかり忘れさせてくれました。行って、良かったな。


2025年 4月 23日(水)福山~尾道~福山~京都

 プチ旅行2日目。今日は、まず、福山から尾道に移動。東尾道から尾道への路線が大好物。尾道駅では山側改札口に出る。尾道市立美術館が目的地。ググってみると、17分と出たかな、駅から歩いて。だけど、当然、山を登らなければならないのは覚悟の内。そのくらいなら、多少のことと考え、歩いて向かうことにした。あとで判ることだが、ロープウェイを使うにしても、その乗り口まで、徒歩で同じくらいかかるので、結局、登るしかないのかな。要するに、変なところに美術館を作ってくれたってこと。以前、なかた美術館に行っているので、この山側の改札口は知ってたが、登り口を見て、呆然としてしまった。いきなりの急勾配で、普通の山道だった。えらい決断をしたものと思いながら、グーグルを信じて登る。確かに、時間的には間違いなかったが、勾配はえぐかった。途中、眼下に海が見えてくるので癒されることは癒されるが。
 尾道市立美術館では「江戸庶民の美 大津絵と浮世絵版画-幻の東海道五拾三次-」が起こなわれているということでのチョイス。ベタなお題かもしれないなと思ったけど、決して、そうではなかった。というのも、「幻の」とされているのがミソ。観たことがないはずの「丸清版」と書かれた「歌川広重:東海道五拾三次」が出たのだ。全然、図柄が違った。通常、我々が目にするものを「保永堂版」と言い、この「丸清版」は、その15年後に出版されたものだそうだ。好評を博し、出版元を替え、図柄も変えて出された、それが「丸清版」。でも、我々は知らない。なぜか、理由は簡単。黄紺の目にも、「保永堂版」の大胆な構図など、こっち取ります。結論を先に書いてしまったけれど、今回、観ることのできた「丸清版」の特徴、メモっておきたいこと、ここに書いておく。「日本橋は横からの構図」「川崎は多摩川の渡し」「程か谷(保土ヶ谷)は雪」「藤澤は、大山・江ノ島・富士への分岐点ということで、夜の街の賑わい」「小田原は川越えの風景」「沼津は大きな富士と農作業」「吉原は左富士」「鞠子も雪の風景」「嶋田は大井川」「懸川は秋葉山への道」「見附の川は天竜川?」「舞坂は浜名湖の出口、これは、地震で海への出口(今切り)ができたことで成立、そこの渡しを描いている」「二川は、名物の餅屋」「赤坂は宿屋街」「藤川は大名行列を描く」「岡崎は矢作の橋」「知立は、この時期‶池鯉鮒‶と書いた」「関も雪景色」「草津は矢橋が描かれてあるが、それ、草津やないやろと突っ込んでしまった」「大津絵は宿屋町を描く、その店の中に大津絵を目印にした店があった」。次に階を上がり、大津絵の展示を観る。今回の展示は、小絲源太郎コレクションを中心とした展示。そのコレクターへ、どのような旧所蔵者から渡ったかの記録を掲示されていた。それによると、半分ほどが、富岡鉄斎旧蔵のもので、それいがいの経緯を眺めると、梅原龍三郎や北大路魯山人旧蔵というものもあった。それらを、大津絵の歴史を辿るように、時系列に分けて展示という趣向。こういった展示は、初めての経験だった。それによると、初期には仏画を描いたものがあり、展示されていたものに「青面金剛」「天神」といったものがあり、大津絵の展示では、あまり見かけないもの。「鬼の念仏」といったモチーフは、既に初期からあった模様だということも判ったが、今回の展示で、初期のものは、これらの3点に加えて、逸品中の逸品「傘をさす女」だけだったが、いずれもが、今まで観たことのないような筆力というか、絵に存在感なるものを感じさせるものがあった。その筆力というものが、時の経過とともに下がっていくことは確かだ。大量に売るということが、大津絵の人気とともに出てきたことに伴うものと推測できることだが、それとともに、大津絵あるあるだが、絵の周りに文字が書き込まれて行く。しゃれた言葉、狂歌っぽいものを付け加えていき、こちらも人気になったようで、富岡鉄斎旧蔵の作品は、関心が、そちらに向いていたのか、この後期の大津絵ばかりが出ていた、確かに、富岡鉄斎自身の作品が、絵に賛を加えて出来上がりだから、同じ趣向の大津絵に関心が行ったのかもしれないなと、勝手に想像していた。その中での、自分的セレクトをメモっておく。初期では、圧巻の「傘をさす女」。全盛期と記されたコーナーに展示されていたものからは、鬼として描かれていた「頼光」、犬にふんどしを引っ張られているという滑稽味のある「座頭」、立派な尻尾が、着物の裾から顔を出している「狐女」、仏画の残り香のような「塔」と、定番のデザイン以外のものに、関心が行ってしまったけれど、「長刀弁慶」「奴」ものなど、定番のものは、それはそれで楽しいことには変わりはない。後期のものになると、洒落の効いたものに眼が行くが、絵自体は、ちょっと寂しくなってるから、字を拾ってくれてたので、それを読む方に関心が、どうしても行ってしまう。「瓢箪駒」では、駒は馬で表したり、「提灯釣鐘」「梅に鶯」という言葉遊び、「鬼」もの、雁文七を素材にした「五人男」といったパロディものとか、お遊びに手が込んでいったようでした。
 山の上の美術館。頂上の展望台へ行き、ロープウェイで下りようかと思ったら、修学旅行の一団が、道を塞いでしまい向かえない。仕方ないので、千光寺に向かう。ここもビューポイントなので、行って、正解。「ブラタモリ」でも行ってましたね。ここへは、車で行けるからでしょうね。向島との間にある水道は、ホント、見栄えがする。しかも、地形的に、なかなか新しい建物の進出がムズいので、昔のままの景観が残っているのが、頗る付きでいい。尾道人気、ようく解りました。結局、歩いて下山。そこから、ようやく海岸に出て、海岸沿いに駅に向かう。途中、海岸沿いのちょっとしたスペースで、電車の時間調整のため、休憩。ええとこです。駅の真ん前がロータリーを挟んで海という最高のロケーションでした。こんな、お散歩ができたのは、尾道市立美術館の開館時間が午前9時だったから。今回、岡山も9時開館だったいおかげで、倉敷美観地区も歩けたしね、1時間早いだけで、これだけの楽しみが増えたのは、嬉しいことだった。で、電車で福山に戻り、いよいよ、最後の訪問地ふくやま美術館へ到着だった。
 今回、このふくやま美術館だけが再訪となった。第20回世界バラ会議福山大会記念事業として「「Rose イメージの系譜 ルドゥーテからシャガール、北斎、芦雪、『ベルサイユのばら』まで」という展覧会が行われていたのです。福山限定の美術展。ばらを切り口にして、何をしてくれるのか、一応、構成は予想通り。ヨーロッパ近代絵画、日本の近世・近代絵画、そして、現代アートから、バラを素材にした作品を展示するというものだったけど、近世の日本画にバラはあるのだろうかということが、想像したときの不安材料。そして、ヨーロッパ近代絵画にはバラを描いたものは、多くあるだろうが、それを所蔵してるだろうか、なければ、他所から借りてこなければならないだろうから、それはそれで大変だしなと思いながら、展覧会に臨んだけど、しっかりとクリアしてくれていました。願わくば、現代アートのコーナー、も少し、作品が多ければ良かったのにと思いはしたけれど、でも、十分でした。序章は「植物図譜―科学的描写から鑑賞の対象へ」は、やっぱ、これが出たかと思いつつ、これは流した。図鑑を観ているというところからだ。第1章がハイライト、「西洋美術におけるバラ―永遠であり、はかなきもの」。ほぼ、他所の美術館からの借用もの。中央には、エミール・ガレやドーム兄弟のガラス作品が並びと、ヨーロッパの美術館に迷い込んだ雰囲気。アンブロワーズ・デュボワ「フローラ」(東京富士美術館所蔵)が16世紀後半ものということで、一番古く、絵画作品は、多くは19世紀もので20世紀の作品が混じるという構成。その中で、華やかさが目立つ、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「ユスーポフ公爵夫人」(東京富士美術館所蔵)が、一のお気に入り。作家は、マリー・アントワネットの宮廷にいた人とのことだった。次いで、画体が大きいこともあり目立ってしまう、フランソワ・ブーシェ(原画)、ルイ=マラン・ボネ「フローラ」。ブーシェ原画の意味は判らなかった。宮廷の華やかさまで取り込んだ逸品。その一方で、ルノワール「帽子の娘」(SOMPO美術館)は、時代も時代ということで、市井の娘。らしい色使いが、モデルの若々しさを感じさせてくれます。いずれお、どこかにバラが入っているのは言うまでもない。絵筆の先っぽの筆致で、質感に変化を示そうとして見える、ディアズ・ド・ラ・ペーニャ「花」やアンリ・ファンタン=ラトゥール「花瓶の花」(DIC川村記念美術館所蔵)があるかと思うと、マルク・シャガール「二つの花束」(埼玉県立近代美術館所蔵)がある。背景に、判然とはしにくいが、家屋が描き込まれていて、自身の故郷の家だそうで、かつての思い出を描きこんだのかもしれない作品があったり、普通に形をとっているジョルジュ・ブラック「ティー・ローズの花籠」(ポーラ美術館所蔵)に、らしさのあるジョルジョ・デ・キリコ「薔薇」(東京富士美術館所蔵)もあった。第2章は「近世日本におけるバラ―花鳥画の中に添えられた彩」。近世日本画の世界に薔薇はいくらでもあった。ただ、花弁は細く、バラのイメージにしては、外へ開いている。要するに、我々が持っているバラのイメージは、洋バラだということで、それは近代以後。それ以前のバラおちうことで、ここも本草学的資料から出発。南画の作家宋紫石の作品が何点か並び、同じく南画の鏑木梅渓の作品に描きこまれたバラが出ていたが、そのバラの姿が、先に書いたような形状だから、完全に、南画の中に溶け込んでいる。その並びに、逸品、この展覧会で最高とも思った逸品、岸駒「九雀図」(善法律寺)があった。一曲の屏風図。左右に孔雀が1羽ずつ。右隻の孔雀が、谷に向かい首を下げ覗き込む姿、左隻の孔雀は、凛として上を向いている。この対比もいいけど、右隻の孔雀の愛らしさが際立ち、その細かな動きまで描きこまれている感じがしてしまった。長沢蘆雪が円山応挙門に入る前に描いたという「梅に鴉図」、若冲門の意冲「薔薇に鶏図」は、師の作品を写したようだったり、浦上玉堂の息春琴「富貴長春図」、倉敷で観てきたばかりの黒田綾山「薔薇に美人」などが出ていた。また、このコーナーの最後の方には、広重や北斎、二代広重らの浮世絵に描かれたバラも出ていた。第3章は「近代日本におけるバラ―華やかで優美なるもの」。冒頭は、明治に入ってから出た浮世絵師の作品。楊洲周延、小林清親らの作品に並び、月岡芳年「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間妻君之風俗」(サントリー美術館所蔵)も。顔立ちは浮世絵の女だが、洋装、帽子には洋バラが設えてあるという代物。洋バラは、文明開化を象徴するアイテムだったようなことが、キャプションに書かれてあった。逆に、近世のバラが南画に多かったのは、中国イメージが伴う花だったようだ。幸野楳嶺や今尾景年の描いた「画譜」(千葉市美術館所蔵)、お手本になるのかな、その中のバラの展示があったり、山元春挙が静物画を描いてた! 「瓶花図」なんてのが出てたりと、なかなか、おもしろい。池田遙邨「ばら/赤」は、髙島屋史料館所蔵となっていたので、件の商標や包み紙のデザインと関係があるのでしょう。川村清雄下絵断片「シーザーの香炉」(薔薇)は、杉戸用の下絵のようだ。バラと杉戸というミスマッチのようにも思えるもの。花瓶にいっぱいのバラが豪華な印象を与える和田英作「薔薇」(ポーラ美術館所蔵)、その並びの村山槐多「バラと少女」が、なかなか印象的。左右をバラに囲まれ、すっくと立つ少女が描かれている。着物姿だけど、洋バラに囲まれていうることで、表情に初々しさだけではない何かを感じさせる。その側にあった矢田清四郎「支那服の少女」も気になった。支那服は着ているが、その服のすらりとした線から、背が高そうに思えたのかな、東洋系女子とは思えなかったが、ネット上にある、この絵の詳細を認めたものには、典型的な東洋系美女を書いてあった。そうなんや。明るい外交と裏腹に、少し憂いを含んだ表情が魅せます。中川一政の「バラ」は、バランスのいい配置。その他、黒田清輝、梅原龍三郎、小磯良平ら、大家がバラを素材にした作品が並んでいた。第4章は「現代のバラ―「美」のイメージの一般化とその虚構性の露呈」。バラということで、高島屋の包装紙(髙島屋史料館所蔵)の変化を示す展示があった。言われてみればそうというやつで、現在の包装紙デザインは4代目だそうで、前2代はバラは個別に描かれてあった。それを、輪っか状にしたのが、3代目のデザインを委嘱された髙岡徳太郎、その原画の展示があった。バラは、マイセン陶器からインスパイアされたものと、キャプションにはあった。あまり数は多くはなかったが、バラの入ったアート作品が並んだが、目立ったのは、福田美蘭の2点。「ダイヤル・ショッピング」(作家蔵)。大量消費社会を対象化するかのように、都市の風景の断片に遊興の様子が入子細工のようになっている作品。「つるばら「エドゥアール・マネ」」(練馬区立美術館)は、「草上の昼食」を切り刻んで、コラージュのようにした作品なんだけど、そうだと、なかなかわかりづらいところもあり、且つ、その画面の中には、作家自身が。この絵自体を描いている姿まで入っている。マネの絵に関する知識は、あることはあるが、浅薄なもので、当たっているとは思えないのでメモらないことにするが、世相批判的な目で作品を制作していると考えられるので、認知に関することかななんて思ったりしている。山江真友美「再生」も印象に残る作品。どこかで観た記憶がある。写真かと、一瞬思ってしまう。淡い淡い線で描いている。画面は、ほぼ白いものだが、その淡い線で形を取っている。今回だとバラになるが、そういった画面なのに、華やいだ空間を演出しているようだ。滋賀県美で観たのかなぁ、知らんけど。津村果奈「食卓に生きる薔薇」(作家蔵)は、作家のInstagramを見ると、きわきわに搬入した新作のようだ。写実に徹したバラの花束にピンクのヴェールをかけたような印象。側にあるようで、危険な香りも漂う。そういった作品に囲まれ、置かれてあったのが倉俣史朗「ミス・ブランチ」(大阪中之島美術館)。その他、小林ドンゲ、吉岡堅二、川井徳寛らの作品が出ていた。
 朝9時半少し前スタートだったので、時間は大丈夫、腰がダメなら中抜けをしようと、2階に上がり、春季所蔵品展「ベストセレクション—「今」見るふくやまの名品」にも入る。第1室の「西洋美術」からスタート。冒頭が、クールベ「波」。クールベって、風景画になじみがない。写実に徹した作品だった。ルチオ・フォンタナ「空間概念-銀のヴェネツィア」では、キャンパスに穴が開けられている。丁寧な解説書によると、それで、二次元から空間へと作品が拡がったそうだ。インスタレーション作品なんかの先駆けということなのかな? ソーニャ・ドローネー「色彩のリズム」は、画面分割・色彩分割の作品。そういった作品は、現代アートの展覧会に行くと、よく観れる光景だが、この作家なんかが、その先駆けだとか。1953年制作となっていた。キュビズムの作家としては、ピカソ2点(りんごとグラス、タバコの包み、近衛騎兵(17、18世紀の近衛騎兵))とともに、ウンベルト・ボッチョーニ「カフェの男の習作」。ボッチョーニはともかくも、ピカソは、あまりキュビズムという印象ではない。「アヴィニョンの娘たち」の制作後のふりかえりの時代のものと解説されている。ボッチョーニの師がジャコモ・バッラ「輪を持つ女の子」は、動きを感じさせる。同室の「日本近代美術」に移る。児島虎次郎「ベルギー、ガン市郊外」は、この人らしい、光に溢れている。同じくらしいと思わせるのが、荻須高徳「パリ風景」に東郷青児「星座の女」。隣同士に配置されながら、描かれている女性の顔が、お互いを避けてるように置かれたのが、熊谷守一「女の顔」と小磯良平「婦人像」。内面の表れがぶつからないように、キュレーターさんが避けたみたいに感じた。安井曾太郎「手袋」は、女性が椅子に腰かけたもの。右肘に体重がかかった座り方で、モダンな印象を持ってしまう。制作年は1943‐44年では、一層のモダンさが際立ったんじゃないかな。岸田劉生は3点、「晩春の草道」「新富座幕合之写生」「麗子十六歳之像」、この3点では目立つのが「麗子像」。大人の入口に立った麗子が新鮮なのと、左頬に当たる光が、洋々たる未来を期待する心根が出てるようだ。子どもの麗子像に比べると、明らかに明るい。青で統一した梅原龍三郎「仙酔島の朝」は幻想的、塩出英雄「瀬戸の浮島」は小野竹喬タッチ、このいずれもが俯瞰図になっている。その他、吉田博(靭之港/木版画)、須田国太郎「冬の漁村」、北川民次「女のつどい」、高松次郎「パイプをくわえた男」、草間彌生「NO.X」、池田遙邨(みなとの曇り日)などが出ていた。第2室は、書・刀剣・陶器もあったが、日本画だけを観ることにした。ここにも池田遙邨もの(林丘寺)があったが、花びらが舞う児玉希望「暮春」に眼が行き、竹内栖鳳門の大村廣陽「軍鶏」に眼が行く。穏やかな風景画を描く池田遙邨ものは、どうしても後回しになってしまう。癒されるんだけどね。その他、西村五雲門の「若桐」、月下の狐を描いた大島祥丘「月下遊牧」などが出ていた。
 すっごい、充実した2日間、4つの美術館巡り。堪能した。巡回展もあった。地方美術館独自の展覧会で、多くの美術館から借りてきての企画ものもあった。そして、地方美術館巡りの一番の狙い、コレクション展も堪能できた。そういった意味で変化に富んでいます。腰も頑張ってくれました。こんなこと、腰のこともあるので、いつまで続けられるか判らないけど、でも、楽しい。岡山・広島方向に来ると、池田遙邨、児島虎次郎、児玉希望らが増えてくるのが嬉しい。地元の美術館に、そうした地元出身や地元に居を構えた作家の作品があるのが嬉しい。ふくやま美術館のロビーで、しばし、感慨に耽り、帰りの新幹線の時間に合わせて休んでおりました。あんまし、時間があったとは言えないけどね。


2025年 4月 22日(火)京都~岡山~倉敷~福山(泊)

 今日からプチ旅行。今回は、久しぶりに、西に向かった。「日曜美術館」の「ア-トシ-ン」で、倉敷市立美術館の企画展が紹介されたのが、決断のきっかけ。結論から言えば、そんなに目立った企画展でないのに、「ア-トシ-ン」が選んだ。やっぱ、NHKの美術スタッフの目は確かだと思わせられたものでした。朝7時前には、最寄り駅から出発。久しぶりに、新幹線に乗るものだからか、最近にはなかった、出かける前のワクワク感が、不安な気持ちに勝っていた。のぞみは自由席を少なくしたというので、贔屓になっているひかりで。岡山駅へは、京都からは、ほぼ1時間で到着。すっかり、いい気分になり、新幹線車内で一人酒盛。美術館の近くで食べようと、持参していた昼食用のパンも、新幹線車内で食べてしまった。めっちゃ快調。
 最初の行き先は、初めてとなる岡山県立美術館。「ベル・エポック―美しき時代― パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケルコレクションを中心に」という特別展が行われているのを目当てに行った。東京のパナソニック汐留美術館で行われていたものの巡回展だ。栃木、山梨の県美と、関東圏中心で、西日本では岡山だけ。このお題で浅はかだったのは、ロ-トレックやミュシャの作品が並び、エミ-ル・ガレのガラス製品が彩を添えるのだろうという考えで行くと、とんでもない、総合芸術としてのベル・エポックという、真っ正面からの展示だった。となると、同時期の文学、演劇、音楽がどうで、画家らのアーティストとどういった関係があるのか、全く、解っていない。やられてみると、その通りだと思うが、カバーのできてない己の寂しさばかりを認識させられる展覧会となった。展示は、いくつかの章立てにはなっていたが、作品リストの並びとは、かなり違うものとなっていたが、一応、章立てに従って、メモを残しておこうと思う。最初の章は「古き良き時代のパリ、街と人々」ということで、ベル・エポックに至る前の時代をまとめたのかな。この展覧会、ルオーの作品が、多く出ていたのだが、この章立てに入っているルオー、らしさを感じないものということで、至る道を表している作品を集めたのかなと思い観ていると、ロ-トレックのポスターなんかで見かける女性の顔たちをした女性に似た女性が出てくる、出てくる。そうした時代をサポートする展示品には、エミ-ル・ガレはもちろんのこと、マイセン磁器や、どこかで観たことのあるド-ム兄弟のガラス製品が、色を添える。2つめの章立ては「総合芸術が開花するパリ」。モンパルナスに、様々な出自の人たちが集まり、新たな文化が生まれるという挿話は、良く耳にする。モンパルナスを代表するム-ラン・ル-ジュを描いたものが、多く出ていた。ム-ラン・ル-ジュをアピールする初めてのポスターは、ジュ-ル・ショレ作品だそうだ。特徴ある形の建物をモチ-フにしたものだけではなく、キャバレー内の様々なパフォーマンスを表したものも多く、その様子を伝えてくれていた。この中に、ロ-トレックやイベルスの版画集などが、その賑わいや華やぎを示してくれていたが、その流れ変わ中に、ロ-トレックの「ブリャアンはモンパルナスに戻り『オ・バ・ダフ』を歌う」や、黒猫のモチ-フで有名なデオフィル・アレクサンドル・スタンラン「シャ・ノワ-ル」があった。そういった著名なポスターが並ぶと思っていたのだったが、そうではなかった。でも、自分的には知らなかった、けど、ここで、ムーランルージュ以外のお店のポスターも出ていた。だけど、「ヴァリエテ劇場」(ルイ・アベル・トリッシュ)って、「チャルダーシュの女王」で出てこなかったっけ? でなければ、黄紺の観たプロダクションで使われていたかだ。フロベール、マラルメ、ヴェルレーヌ、エドガー・アラン・ポー、プル-スト、ポール・ヴァレリーといった文人の作品が展示されるとともに、そういった文人の作品にインスパイアされた画家の作品が並ぶという展示だ。例えば、「悪の華」については、ルドンが描いているわ、これは、既視感のあるものだったが、ルオーも描いていた。そういった文人の周りに、他ジャンルの作家が集い、そういった作品が生まれる。マラルメの「半獣神の午後」に刺激されて生まれたのが、ドビュッシーの「牧神の午後」だったり、プルーストの「失われた時を求めて」には、アーンが作曲していた。フローベール「聖アントワーヌの誘惑」は、人気のモチーフだったようで、映像化して流されていたが、ここだったかな、岐阜県美で、随分とお世話になっているルドンの長たらしい名の付いた作品が使われてたりしたんだけど、音楽は、誰のものだったか、メモを忘れている。総じて、異なったジャンルの文化人のコラボ作品が目白押しだった。時代的には、第3共和政から世紀末、そして、世紀をまたぐという時代になります。次なる章立ては「華麗なるエンターテイメント、劇場の誘惑」。アンリ・ガブリエル・イベルスの挿絵付き上演目録が並び、ルオーの逸品などが並んだコーナーだ。サーカスを取り扱った作品が出ていたルオーだが、「道化師」という作品が引き立つ。太い黒の線で枠線を描き、無彩色で仕上げる、力のこもった作品。そういったタッチからでしょうか、道化師の悲哀が滲み出ています。ジョゼフ・ファブロやアンリ・ガブリエル・イベルスも、同様にサーカスを素材にした作品が出ていた。「女性たちが活躍する時代へ」が次なる章立て。先のロートレック作品が、人気俳優をモデルにしたものだが、そのジャンルで言えば、女優と断らなくても、真っ先に思い出すのがサラ・ベルナール、彼女とともに、その名が轟いたのがミュッシャ。この二人のコラボって、こういった展覧会の花形だけど、出ていたのは1点だけ。サラ・ベルナールの首絵だった。後期展示では「トスカ」が出るようだが、前期は、芝居のポスターではなかった。そのミッシャがデザインして、ルネ・ラリック制作の舞台用冠「ユリ」が、その傍らにあった。実際に、サラ・ベルナールが舞台で使用したものだという。更に、側には、サラ・ベルナール出演の舞台用プログラム、メダルなどを制作したルネ・ラリックの作品が並んだ。ラベルやドビュッシーのオペラ制作に関わったジョルジュ・ド・フールの作品や、ドガとの交流があったジュサンヌ・ヴァラドンの作品と、否が応でも、時代背景が押さえられてないと、到底、把握できない。片方を知っていても、その相方が判らないから、全体像が掴めないのだ。そんなで、結局は、勉強を、しっかりしなさいということ、ようく解りました。
 この特別展は地下だったが、こちらの2階では、「ときめきのボタンたち―加藤コレクションから」という珍しい展示もあった。ガラス、シェル、メタルから、木や陶磁器で作ったものまで並ぶ、大変なコレクション。単なる、服の付属品ではなく、完全に自己主張をしているものばかり。完全な装飾品だ。あまりの数の多さに、ざっと観るに留まるのが惜しい。そのボタンの展示の背後、ぐるっと外回り一周で、コレクション展(岡山の美術展1)も開かれていた。3部構成になっており、1つ目は、特別展に合わせて「憧れのパリ」、2つ目が「岡山ゆかりの女性日本画家たち」、3つ目が「収蔵品からのボタン、ファイバー・アート」となっていた。1つ目は、パリに遊学した作家の作品が並んでた。その中で気になった作品をメモっておく。四角いキャンパスに、小さな四角形で画面分割と言えばいいかな、その中から丸い形が、ぼんやり浮かんできた木原千珂「LUMIERE」は、幻想的な雰囲気すらする。。その隣にあった工藤哲巳「限定プールにおける増殖性連鎖反応」に関し、何やらメモを取っているのだが、それが読めない。国吉康雄「風景(パリ)」「夜の巡回(パリ)」は、いずれもリトグラフ作品だが、まるで墨画でパリを描いたみたい。片岡銀蔵「融和」は、伝統的な洋画に出てくる白人の裸婦がベッドに横たわる側に、肌の黒い女性が座っているという構図で「融和」となっていた。女性の無防備な落ち着き感と、何やら居心地悪そうな女性という組み合わせで、「融和」の中身を表してるのかな? 1934年の作品だ。背景を知りたい気になった作品だった。2つ目は、まず、異様な風体という感じで、片岡球子もの3点が、目に飛び込む。「舞楽(抜頭)」「面構(鍬形蕙斎・山東京伝)」「裸婦」だ。作品自体が大きく、前2点は、特に奇抜で、大仰な図柄、背景が判らないので、たじろぐしかない作品。片岡球子、勉強せなあかんのやけどな。波多野華涯の作品が3点、「墨梅図」の凛とした枝ぶりに眼が行った。野口小蘋の大部な作品が出てたけど、この人、近江商人の家の出で、岡山と、どのような関係があるのだろう? 調べたが判らなかった。単に収蔵しているだけということかもしれない。女性作家で、雄渾な山水なんかを描く人と、インプットされている。「四季山水図」という四曲一隻の屏風絵、四季各々が描かれているなか、とっても、自然な印象を持ったのは「冬」だった。「春という名の神話」という金谷朱尾子の作品は、かなり、ここまでの作品とはテイストが違い、日本画と思えない作品。花々と地模様が、一体化してしまいそうなファンタジックな印象を持ってしまった。3つ目の展示の中に、小林正和のファイバーアートがあった。「It SELF」という作品。一見して、小林作品だと判るものだった。
 少し、腰を休めて、電車の時間を睨みながら、岡山県美を出る。岡山滞在はここまでで、次は、倉敷に、JRで移動。ん十年ぶりの倉敷だ。美観地区のすぐ側にある倉敷市立美術館が目的地。美術館に着いて、初めて知ったのは、この建物、丹下健三制作のものだった。今じゃ、懐かしさが湧いてくるモダン建築だ。だから、中を歩いていると、旧の京都会館を歩いているような感じになってくる。調べてみると、元は市庁舎だったそうで、国の登録有形文化財に登録されているそうだ。そこで、コレクション展「光の奥行き」が開かれている。そして、これが、「アートシーン」で紹介されたのだった。展示は、細かく10の章立てになっていた。「①継がれる光 その1 黒田綾山から」に出ている黒田綾山は、池大雅やその門下の福原五岳に学んだとあった。もちろん、初めて聞く名だった。「東方朔図」が観たことのない構図。桃の実を、右手に持ち、上に突きあげる図柄だったからだ。だいたい、桃の実は、西王母とともに語られ、女性が持っているというイメージが根付いているからだ。変だと思い調べてみると、西王母の植えた桃の実を盗んだという挿話があるそうだ。それで納得、桃の実を掲げる男の顔が意気揚々としていたわけも、それで納得。張飛に関わる挿話を絵画化したと書かれてあったかな、キャプションに。でも、戯画化した背景もあり、あんまし関心は行かず。黒田綾山の弟子に松村景文がいた、この人は知っている。呉春の異母弟でもあるそうだ。この人の「小禽図」には、「群れている小禽の声がするようだ」とメモっているが、どんな作品だったか、思い出せない。「②継がれる光  その② 鳥越烟村」、鳥越烟村は、浦上玉堂の長男浦上春琴の弟子ということで、子弟一品すつの展示。「③新たな光 堀和平の模索」で、がらりと様相が変わり、近代に繋がる。いきなり、この展示のお題「光」を、最も意識させた作品が出た。堀和平は、幕末から明治に活動、洋画の先駆者だそうだ。初めて聞く名だったが、ここで、確実に記憶に残った。カラヴァジェスキが登場したかのような、光の使い方だったからだ。「ランプを持つ女性像」なんか、キャンパス内に光源を持った作品。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールかと思わせるもので、びっくりした。ここまで、明確でなくても、いずれも、光と影を使った表現に、びっくりは止まらなかった。「富士山」という題の付いた風景画を覗き、あとの4点は肖像画で、こういったテイスト。しかも、和服姿で、このテイストだから、かなり、インパクトがあったなぁ。父親が満谷家から養子に入ったということで、満谷国四郎とは縁戚関係。その関係で、満谷国四郎の作品が、このコーナーに3点、展示されていた。印象派といった感じの「オリーブの畑」に「もたるる裸婦」、それと、描かれている人たちの視線が交わっていないという、かなり意味深な「戦の話」の3点だった。「たゆたう光 平木政次の風景画」が次の章立て。満谷国四郎同様、五姓田芳柳門下だと、キャプションに書かれていた。ということで、丹念な筆遣いとなる。お題のように、作品には光が溢れている。「河口風景」「伊豆下田港」では、水面に煌めく光、「風景」という作品では道に光を感じる。「房州野島崎燈台」では、全面に光を感じさせる。「光をもとめて 児島虎次郎と鹿子木孟郎」と、次の章立てでは大家二人だ。鹿子木孟郎も岡山出身なんだね。キャプションには、満谷国四郎と一緒に渡欧したと書かれていた。「男の裸体」「放牧」の2点が出ていたが、温かな光を感じさせる後者が印象に残る。児島虎次郎は4点、まぶしい程のこもれびが魅力の「緑陰」、ルノワールばりの「婦人」「異郷の夜」、キャンパス内に光源を置いた「宵の灯」が出ていた。岡山と言えばということで、岡山の作家さんが続くが、「遙邨さんのコントラスト」が次なる章立て。一見、リトグラフに見える線画の「番する老婆」と、同じタッチだが、こちらは着色してある「蘇州郊外」が印象的。一色で描かれた「中支蘇州の川」は薄い青、緑一色で描かれ、両サイドのすすきが目に残る「丘の道」、絵本タッチの「森の唄」、幻想的な「天の川」「月あかり」、海の俯瞰図となる「灯の饗宴」、メモには◎を2つも付けた「霧」と、とても多様な作品を観ることができた。「光をあてる人 斎藤真一」が続く章立て。斎藤真一、知らない作家さんだったが、キャプションには、「瞽女に魅せられた作家」と紹介されていた。確かに、瞽女を描いたものが、展示品の中にもあり、「ふさ子・杉本家 「髪」 瞽女」「草間瞽女一覧」「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」の3点だが、イラストっぽい作品で、特徴をかいつまみ、単純化したものに、作画同様、感情も凝縮されてるようだ。家々のタッチなんかは、谷内六郎の作品を思い出させるものがあった。ノスタルジックもあり、エモくもありで、あとに残っていく力を持っている。「内なる光  坂田一男 岡本唐貴 海見久子」という章立てで、坂田作品で2点で、あとは1点ずつの展示。坂田一男がキュビズムのレジェ門下で、岡本唐貴が、漫画家白土三平の実子だということしか、メモを残しいないし、思い出すこともできない。「反射光 髙原洋一の水面」「光の奥行き  工藤哲巳と草間彌生」と、同じ空間に、一応、キャプションで仕切るという仕方で、章立てが続くが、いずれも抽象絵画にインスタレーションといったものが並んだ。高原作品は、トリックアートなのか、そうではないのか、判断がつかないのだが、地面に立てられた棒が何本か、それが、その下にある水面に映ってるのだが、それが合わない。反射している棒の並びが、微妙に、実際に立っている棒の姿と違うのだ。不思議な映像なんだが、可視的世界の曖昧さを、こうした形で表現しているのかもしれません。工藤哲巳の作品は、国立国際美術館で観たことがある。鳥かごに、なにやらガラクタとも思えるモノが入れられており、それに、こむつかしいお題が付いている。大阪でも「わからん」だったが、倉敷でも同じで「わからん」まま。ここまで来て、「おかしい」を呟き続けていた。「アートシーン」で紹介されたときにも映り、この展覧会のパンフレットにも画像が印刷されてある草間作品が見当たらないのだ。ただ、最後の空間の工藤作品に囲まれたように草間作品と明記したキャプションがある。でも、見覚えのある画像に映ってるものではない。ただ、そのこぶりの作り物に覗き窓があるので、「ま、覗くのはただ」と覗くと、お目当てのものがそこにあって、びっくり。巨大なインスタレーション作品だと思ってたのに、何たるこっちゃ! 思わず、近くにおられた係の方に確認をとった。チラシの画像を示しながら、「これは、これですか?」、係の方、満面の笑みで「そうなんです」「時々、聞かれます」。黄紺は、その何度も聴かれた何番目かの人になってしまった! 「鏡の部屋 愛は永遠に(No.2)」というのが、その作品のお題。確かに、そうやって、コミュニケーションをして、お互いに微笑んでしまうと、「愛は永遠に」だ。でも、まさか、そんなことを考えたインスタレーション作品ではないわね。
 展覧会を出て、上の階に上がる。そこに、池田遙邨コーナーが、常時、設えられているということで行ってみた。ここは無料で、展示替えもあるようなので、常時、池田遙邨作品を観れるという、嬉しい場所。軽く回って、美術館を退出。数は多くはなかったので、時間に余裕ができたので、美観地区に回る。アイビースクエアに行き、中の広場に面したベンチで休憩をとり、腰を休めることにした。細かく回ると、腰に障りが出るといけないので、児島虎次郎記念館なるものがあるということだったので、それ経由で駅に向かうことにした。児島虎次郎記念館は、大原美術館の別館だそうで、大原美術館のチケットがあれば入れるそうなので、いつか、来てみることにしましょう。1度、大原美術館を入れるコースも計画したことはあったのだけど、流しちゃったので、またの機会を考えることにしましょう。倉敷からは、JRで福山まで移動。そのまま、ホテルにチェックイン。まだ、午後5時にもなってなかったが、今日の予定は終了。夕食も、最近の定番、コンビニ食。こういったときの贔屓にしているローソンが、幸い、福山駅前にあり買い出しで、お出かけも、それでおしまい。





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