忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2024年 11月 21日(木)午前 6時 23分

 昨日は、朝から出かけて、京都で3箇所回った。水曜日の朝からということで、アスニー山科での市民向け公開講演会が1つ目。弟も来ていたので、弟夫婦が、先日行ってきたタヒチ旅行の話を、アスニー山科の長椅子に腰かけ、しばし聞く。環礁の島に滞在したそうだ。写真も見せてもらったが、超リゾート地。マンタも観てきたと言っていた。エイが苦手なものだから、話は話として聞くが、いまいち気持ちのいいものではない。そんなことをしている間に、次の移動が気になる時間になり、また後日に聞きに行くことにして、地下鉄で京都市役所前まで移動。時間が、あまりないということで、仕方なく、先日利用したところなんだけど、好き家で牛丼。行き先は、2箇所目と3箇所目は同じ、京都文化博物館だ。3日連続で、この界隈で遊んでる。アプリンク京都がほん近くなのだ。この博物館で行われている「池大雅展」と「アーカイブの上映」が、1枚のチケットで観ることができるのだ。「池大雅展」に行くのを、観ようかという映画の上映があるまで待っていて、それが、昨日、実現したのだった。上映開始までの時間を、まず、池大雅を観て、また、上映が終わってからも観ることができた。これ、いいね。なんで、今まで思いつかなかったのだろう。また、同博物館では、同時開催として「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」も行われていたので、国宝を観てきた。不思議な感覚だね、「光る君へ」で観ている本人の直筆が国宝なんだから。この3つだけではなく、伏見への帰路、セヴンに寄り、来月、京都文化博物館で上映される映画の前売り券を買った。オランダ統治時代のインドネシアを描いた作品ということで飛びついたのだった。そして、丹波橋駅で降り、駅前にある京都市立呉竹文化センターに寄った。1月に行われる「狂言鑑賞会」の無料チケットをもらうためだった。Ⅾと一緒に行くことが決まっている。小学生対象の演目やプログラムが用意されているので誘うと、なんせ、好奇心旺盛なⅮは「行きたい」とのこと。昨日から、チケットの配布が始まったので、もらいに行ったのだった。
 アスニー山科の講演会は、「もしかして紫式部は男性だった?」というお題で、京都産業大学日本文化研究所長・教授の小林一彦さんのお話を聴くことができた。アスニー京都の方でもお話を聴いたことがある講師。大胆なお題ということもあり、集客力が凄かった。冒頭、「光る君へ」に関わり、主役の2人も登場するイベントで講演をしたことに触れられたばかりか、お話の随所に、「光る君へ」を観てない人、困るだろうなというトピックが出てきた。お話のコズは、ジェンダーという観点から見ると、紫式部は、かなりの男性性を持っていたということ。それを、紫式部日記などを使い、お話されたとまとめることができる。それと、今まで知らなかった史料を見せてもらえた。紫式部を「御堂関白妾」と記したものがあるそうだ。所謂「召人」という女性だったのだろうと言われていた。倫子とて、そんなことなど判っていることで、それに対して、ヤキモチなどを焼くなどという世界ではないとも言われていて、納得も納得。ネット上に溢れている情報だと、全く、現代の感覚でものを捉え、また、脚本も、そういった色好みの世界を承知していながら、現代にすり寄った書き方をしてるものだから、くだらん情報がネットに溢れることになっている。そういったことが出てくるたびに、小林さんは中世の感性を押さえられていたが、聴いている方は、どのくらい解ってただろうかと思ってしまった。冒頭で、「後拾遺和歌集」「古今和歌集」から、各々、伊勢大輔と素性法師の歌を引用。「女性の作った言葉(もちろん平仮名)」が溢れていたこと、「口語体の言葉」が歌の中に溢れていることを示された。そして、素性法師の歌は、坊さんでありながら、女性の気持ちになって歌ったもの。この傾向は、六歌仙が流行らしたジェンダーフリーとも言える歌の作り方。「後拾遺和歌集」は、勅撰和歌集の中で、急激に女性の和歌が増えた歌集。その筆頭は、やはり和泉式部で、紫式部の歌も拾われている。紫式部の生きた時代の女御たちの歌が積まるようになっていく。そして、藤原定家が「源氏物語」を推奨したことで、一挙に男の間に「源氏物語」が広まったという。紫式部を清少納言と比較して、後者は「自然」を観察し、前者は「人」を観察したと区別、なんとなく解る、なかでも、「源氏物語」では、「女性」の描き分けが、それにより、とりわけ秀でている。その目は、女性を対象化できる男性の目だとも言われていた。そう言った視点を持ち得ていたことを、「紫式部日記」から引っ張り出されてきた。「光る君へ」で出てきた「さわ」という女性との関係を思い浮かべると、その片鱗を観ることができる。「シスター」のような関係を想定してのお話。更に、「紫式部集」に入っている「あさかほ」の歌では、今少し、進んだ関係すら感じさせるものがあるというのだ。「あさかほ」は、花だけではなく、「朝顔」=「朝に見る顔」「寝起きの化粧をしていないすっぴんの顔」を意味しているところから類推できるという、そんな展開があるのかと思う。意外性抜群の展開。確かに、それもこれも「色好み」の世界のお話なのかと了解しましょう。光源氏のモデルは、紫式部からすれば、それは「私」だと言いたいかもしれないと言われていた。時代的背景もあり、女性の文化が広がっていく、その役目も「源氏物語」は担っていた。今のジェンダー理解では把握できそうもない感性に溢れていた世界だったのでしょうね。お話の半ばで、和歌を原文のままでしか印刷されてないものだから、頭がくらくらして、うとっと来てしまった時間もあったが、筋立ては外してないと思ってる。混乱はするけど、とても刺激的な展開でした。ホント、くらくらするね。
 京都文化博物館での映画上映、今月は「コメディアンの至芸 〜喜劇映画特集」。その中から、自分のスケジュールとも睨みながら選んだのが「エノケンのちゃっきり金太」。監督は山本嘉次郎だった。1937年の制作と知って、冒頭のクレジットからして、オシャレなのに、びっくりした。映画の中でも、エノケンが歌い、BGMの入れ方もそうだが、これもオシャレだった。山本嘉次郎って、こないな映画を撮ってたんですね、知らなかった。エノケンは、浅草オペラで歌ってたことは知ってたので、歌う姿を観て、人気の秘密の一端に触れることができた。TVで観かけたリアルなエノケンは、闘病中の姿だったので、足を無くしてたから、いつも車椅子だった。だから、若々しい、動き回るエノケンを観たくて、この映画をチョイスしたのだった。映画自体はミュージカル仕立て、それで、幕末の戊辰戦争期の江戸での物語。エノケンの役柄はスリ。そのスリがすり取ったのが、戦に関わる密書だったことから騒動が持ち上がるというもの。お昼ご飯を食べて、池大雅展を観てのと、せわしなく動いたこともあり、映画の最中で、かなり寝落ちしてしまったので、細かな筋立てを覚えていない。スリを追いかける目明しとの追いかけっこで推移しているかと思うと、一緒に行動してたので、その辺の経緯が判らないまま。エノケンを慕う居酒屋の女と父親は、戦が近いということで江戸を離れようとする。いつの間にか、エノケンと目明しは官軍兵となり、江戸に戻ってきていたり、江戸を離れようとしていたはずの女と再会したりと、間が抜けてるものだから、頭の中はハチャメチャ。でも、セットとかが、よくできていて、音響も良かったので、しっかりと観れれば良かったのだけど、実際は、そんなことで、相変わらず情けないことになってしまった。
 「池大雅展」は、毎年、この博物館で行われている。それは、かつて存在していた池大雅美術館が閉館に際して、その所蔵品が、一括して京都府に寄贈されたことで、それを記念して、毎年、この博物館で観ることができるそうだ。だから、こうやって、まとまって観れることはありがたいことだ。水墨画で、山水を主として集めた展覧会となると、黄紺的には最高に美味しいものではないのだけど、まとまって観ることができるということは、著名な作家の傾向のようなものを感じられるのではと思い、足を運んだ次第。山水ではないが、竹の図が2点、好対照でおもしろい。「墨竹図」は、すらっと伸びる細竹に勢いがあり、清々しい。水墨に適した素材だなと思ってしまった。一方の「風竹図」は風を浴びる細竹だが、風は感じさせるが、竹自身がか細くて、頼りない感じがしてしまい、同じ人が描いたとは思えなかった。「蕙石図」は、「指頭図」という描き方、要するに、指と爪に墨を着け描くという方法だそうだ。実に繊細、そして、手の腹かなんかで、墨を塗った後にこすった跡を作るという手も使っている。「高士訪隠図屏風」「山亭小酌図」では、「高士」と言われる文人が、自然の中で風流を楽しむという図柄。山水を大きく描いて、人物は、ごく控えめに描き、自然に包まれた風流を楽しむという、山水画で、よく見かける構図だ。文人たちの心の大きさをほほえましく思う楽しさがある一方、その周りに控える山水が、どうも苦手なのです。「金鶏落照図」は、高士ではないが、山間に流れる川沿いに生きる人々の日常を描いたかのように観える。「柳下童子図屏風」は重要文化財。それだけのことがあると思った逸品。別格の楽しさを感じさせる。俯瞰図だ、それも、斜め上から、川に架かった橋に佇み、川を覗き込む子どもが2人、実に愛らしく、屈託がない。その空気を出すのが、絵の上部に描かれた柳(だそうだ)の木。その枝が、子どもたちを抱くように垂れている。抱くようにと見えるように描いている。対岸に生える草木、竹なのかな、藪になっている。めっちゃ癒しになる風景画だ。その他、「葡萄図」「松茸図」なんかは、10代の頃合いにかいたものだそうだ。後者は扇図で、それを売り歩いてたとか。となると、与謝蕪村も観ないとあかんかな。今、嵐山で出てるので、そんなこと思い始めています。


2024年 11月 19日(火)午後 10時 37分

 今日は、ほぼ昨日と似た動き。午後の同じ時間帯にインド映画を観て、午前中には時間があるので、ウォーキングをしてという動き。違ったのは、インド映画の上映開始時間が30分早かったこと。それと、午前中に、洗濯をして、簡易の健康診断を受けたこと。そういったことが入ったものだから、自ずと、昨日に比べると、ウォーキングにしわ寄せが行ってしまった。万歩計を見ると13500歩弱だった。ただ、寒さは、本格化してきた。考えると、これが、普段の11月半ば過ぎかなというものだから、今までが暖か過ぎたのでしょう。
 本日のインド映画もタミル語映画で「アニーディ -赤いチョコレート」。ここまで観たインド映画とは、全くテイストの異なる作品。歌は入っても、ほぼダンスはなかった。アクションとか、そういったものとは縁遠い作品。地を這うような生活をしている男女が出会う。男は、フードデリバリー配達員のティル。彼は、幼いころ、雇い主とのいざこざで、偶発的に暴力をふるったとされ、警察に突き出されたうえ、その警察で暴行を受け、それがために父親を亡くしている。その父親が、貧しいなか、誕生日プレゼントに買おうとしたのがチョコレートだった。それを手に入れようとして、雇い主といざこざが起こってしまったのだった。それと関係があるのかは判らないが、成長したのちのティルは心の病を持っている。医師は鬱だと言っていたが、不安定になると衝動的に殺人願望が出てくるとされていた。そのティルが出会い、そのおかげで、心の平安を得るようになって行く、その相手が、大きなお屋敷で一人住まいしている婆さんのもとで働くメイドをしていた女だった。二人がいい感じになっていった頃に、その婆さんが亡くなる。屋敷には、女以外はいなかったため、嫌疑が女にかかる。それを助けるティルだが、病院に運ぶにも、遺体を保管するにも金がかかる。海外在住の息子や娘とは連絡がつかないために、婆さんのカバンから見つけたキャッシュカードを使ってしまう。更に、婆さんのカバンを保管していたのを知り、そのカバンから、女の弟がカードを盗んでしまう。彼女は、自分が働いて、弟や妹を学校にと考えているが、その2人がやさぐれている。父親は酒ばかりを吞んでいる。そういったところへ、連絡がつかなかった婆さんの子どもから連絡が入ったものだから、亡くなったことが言えない。しかし、息子や娘が、婆さんの誕生日を祝うと言い、ハプニングを装い、帰ってきてしまったから、大変。連中は、女が、また、一緒にいたティルも、婆さんを殺したと言い立てる。警察も、当然、お約束の悪徳警官で、犯人に仕立てようとするが、ここで、女までがティルを疑い出したから、、、全てがエンドとなった。ティルの持つ病が爆発してしまう。完全にスプラッター化してしまった。アメリカ映画のスプラッターもので、「シャイアン」だったっけ、斧がアイテムとして使われたけど、この映画ではツルハシでした。ええーっ、これ、こんな映画だったの! こんな映画だから、ダンスの入る余地がない、歌が入っても、陽気じゃない、痛々しい映画って、このことだよ。ただ、冷静になると見えて来るものがあった。台詞にはできない事実を反映してるのではと思ってしまった。ティル父親は、小さな雑貨屋の下働き、使用人だからと奴隷扱いのような口の利き方をされてる、土下座をせんばかりに謝らせられている、しかも、身柄を引き取った警察は殺したも同然の扱い。ティルの回想場面で、父親が、ティルを学校に迎えに行く場面があるが、学校は、制服らしきもので画一化されてるが、一旦、日常生活に戻ると、そういった扱いに甘んじらされてしまってる。女の方も、使用人たる婆さん、その子どもたちも、女に対する言葉遣いは奴隷扱いと言い換えれるようなもの。ここにも、ティルの見方と共通している。これ、インドの人が見れば判るのでしょうね。主役の男女の「カースト」が。暗黙の了解ってやつで、映画製作が行われてるような気がしてしまった。そこに立ち入るためには、最早、暴力しか形を成さない、そこまでしないと変わらない、それを捉えてるように思えてならなかった。そう思い、映画を振り返ると、重量感ある作品ですね。今回の映画祭に、この作品を入れたプロデューサーさん、それを狙ったから、日本で陽の目を見たかもと思ってしまった。だけど、スプラッターものは、基本的に避けたいね。映画情報を、しっかりと把握してなかったということなんで、帰宅後、この映画の情報を集めてみたが、そういった映画だとは出てなかった。だから、他の人も、びっくりしたんじゃないかな?


2024年 11月 18日(月)午後 10時 37分

 今日は、午後に映画を観る時間に充てていた。先日から始まった「大インド映画祭」の2回目だ。今日の上映は夕方の分を観たので、午後の一時の半ばまで、お出かけなしと同じ時間の流れ。午前中は、通常のウォーキング。途中、休憩がてらの公園で読書。いよいよ、公園での読書が厳しくなってきた。昨日とは、かなりの気温差、そこへ、風が吹いている。風さえなければ、そこまでと思うほどの寒さではないはずだと思うのだが、この時期に風に吹かれると、嫌ですね。一挙に、不自由な手に痛みを感じ、動きが落ちる。映画に出かけようと、外に出ると、既に、午前中よりは気温が下がっていた。慌てて、最寄りの駅で、カバンに入れてあったウィンドブレーカーを着ることになった。今日のウォーキングの午後の部は、この映画館の往復を読み替えて、計14500歩余だった。このくらいが、多くなってきている。体力の衰えを、こういったところで感じるね。
 今日観たインド映画は「火花 –Their」だった。これも、タミル語映画だったが、時々、字幕が入っていた。どうやら、マラヤーラム語らしい。それで、主人公の移動を表していたのかなと思う一方、時間的近接している場面で移動を表す場面がないものだから、半信半疑のまま、終わってしまい謎のままです。冒頭は、可愛い女の子と父親の、何気ない日常風景を描いているんだけど、早々に、それには深いわけがありそうという場面が出てくる。そして、主人公のパン屋のジョゼフという男、やたら強い。そのわけあり話が過去の物語。ジョゼフは警察の副署長だった。正義感が強く、腐敗した警察の中では異彩を放っている。あるレイプ致死事件を、まともに追求したものだから、悪漢に狙われる。その悪漢、お約束の政治家。その息子が放蕩の限りを尽くすのを摘発したために、逆恨みを買ってしまう。この善悪の対立が、この映画の基本。単純すぎるきらいを感じてしまった。それに、ジョゼフ、いえいえ、本名時代だからヴィジャイになるが、そのヴィジャイの恋ばながリンクしてくる。となると、先が見えてくる。冒頭の、その後の世界では、母親はいなくて、父親と娘の家族だから、その妻になる女が狙われてしまう。先が見えてきて、嫌な展開なものだから、気が重くなる。簡単に言うと、その復讐劇が流れとなるが、それではと、若干、色付けをしてある。ヴィジャイは、世間的には死んだことになっている、今は、復讐を念頭に置くのではなく、娘との生活を一番に感じているというキャラ付け。だけど、それに邪魔をする輩がいるものだから、立ち上がらざるを得ないという、ちょっとした捻りが入ったが、捻りは、その程度だから、それでは、単純に過ぎるかなと思ってしまったのだ。ダブル・ヒロインと言える映画で、1人は亡くなる妻、もう1人は、娘の担任の先生。この先生、何か曰くありげに描かれているが、何も出てこなかった。でも、変なのです。ジョゼフを見て、何かあると探求し出して、自分の記憶と照合するような場面があるものだから、観ている方としては、何かあると思ってしまうのだけど、何もなかった。「スルターン」に比べると、ちょっと落ちるな、台本が。でも、俳優さん、なかでも、主役のヴィジャイを演じる俳優さん、かっこ良かったな。


2024年 11月 18日(月)午前 5時 31分

 昨日は、午後に市民向け公開講演会の予約を入れていた。朝方は、恒例の「日曜美術館」がありというので、昨日の日曜日もタイトになった。でも、講演会の会場が、比較的近かったので、「日曜美術館」終わりで、ミニミニのウォーキングを入れることができた。それと、講演会の往復が昨日のウォーキング。帰りは、かなりの迂回コースを採ったので、多少増えたが、万歩計は14500歩余と、ちょっと少な目。仕方ありません。
 まずは「日曜美術館」のメモから。「Oh! SAMMY DAY 柚木沙弥郎101年の旅」というのが、新たなお題。柚木沙弥郎という人、どこかで、名前は見かけたことがある気がするが、それだけだった。染織が本業だけど、晩年になり、版画、切り絵、絵本など、どんどんと活動の領域を広げていった方。今年になり101歳で亡くなっているが、生前の映像を加え、その活動の跡を振り返るというもので、今回は、MCは関わらず、替わりに、最晩年の柚木沙弥郎と交流のあった小学生との物語が加えられていた。これが、かなりの比重を占めるという番組構成だった。そして、狭間に経歴を入れるという、いつもの構成。この人、倉敷の出で、24歳で大原美術館に就職。そこで、型染カタログに遭遇。その後、芹沢銈介の紹介で、静岡の染色家に弟子入りをして、キャリアがスタートしたそうだ。取り上げられた作品をメモっておく。①型染布②ならぶ人(バスを待っている人がヒント、皆、同じ方向を向いている)③型染爪文帯地(爪の模様をデザイン化)④***(染織家としての初作品、沖縄の紅型模様のアレンジ)⑤注染たすき文布⑥型染木目布染⑦動物のサーカス(病院の壁画、60台になりサンタフェへ、そこで知ったことが契機になり、素朴なおもちゃに関心、工芸とかアートの領域を超える作品を作るようになった)⑧とどろき(緞帳、44歳の作品、廃棄されそうになったところ、女子美が救済、更に修復も行う)⑨7枚の切り絵(最後の作品)。柚木沙弥郎展が、来年、2月に岡山、8月に静岡であるそうだ。地方美術館巡りの有力候補になりました。
 講演会は、京都市学校歴史博物館であったもの。今、こちらでは、企画展「京都の洋画―京都で描く・京都を描く―」が開かれているが、その関連企画として、講演会「京都の洋画―京都の学校に伝わった絵―」が行われたのだ。講師は、この企画展のキュレーションをされた同館学芸員の森田淑乃さんだった。お話は、企画展に沿った内容。その序として、博物館の謂れ、絵画作品が所蔵されている背景が語られ、それから、寄贈された作品が、どのような人から、どのような時に贈られ、どのような場所に置かれ、作家のバックボーンになった関西美術院の紹介、、、と続き、今回展示されている作品の紹介へと進んだ。相変わらず、京都らしく、大家の作家の名が出ると思えば、京都との所縁がない金山平三が入ってたりする。それは、寄贈者が持っていただけで、作家本人からの寄贈ではなかった。一方で、名前も知らない作家もあったが、これは、恐らく、自分が疎いだけなんでしょう。でも、学校で美術教師をしていたという作家さんの作品もあったが、福井勇も、その一人だから、軽視してはいけません。休憩を挟んで、子どもたちの美術教育にも、大家が関わっているということで、お手本を描いたり、挿絵を描いたりしたものの紹介があった。こちらは、雑誌に掲載されたもので、あとで回った展示会場では、壁には絵画が並び、真ん中の空いたスペースに、これらを展示するということで、上手く配置されていた。中には、浅井忠が、浮世絵ばりの擬人化した猫ちゃんキャラを描いて、挿絵にしてたり(日本昔噺/猫の草紙)と、その熱さのようなものが伝わる作品もあった。講演終了後、会場を回った。気になった作品をメモっておく。冒頭に伊藤快彦「海」「鴨川真景図」。伊藤快彦は若王子神社の神官でもあった人、それ、どこかで目にしたことある。前者は、講演内で観たときは、その素材からして大きな作品だと、勝手判断。それだけ、雄大な風景を描いたものだったことを、実際に観たときに思ってしまうような作品。後者は、京セラ美術館からの出品。こちらは、えらく横長作品。これも、スライドで観た印象とは違った。横長過ぎた。こうやって、絵の素材だけを観ての判断と生で観たときの印象の違いって、おもしろい。その傍らに、大家2人の作品。浅井忠「若王子神社」、鹿子木孟郎「鴨川(出雲路橋付近)」という小ぶりの作品が。京セラ美術館からやって来ていた。「なぜ、借り出した?」と疑問に思い、会場に森田さんが現れていたので尋ねた。予想通りの回答を得た。「この2人の作品は学校所蔵としてはない」「関西美術院で大きな役割をしたので展示」ということだった。おかげで、大家の作品も観ることができたのだが、作品としては、ちょっとスルー気味。「京都を描いた」作品を駆り出されたのだろうが、、、。寺松国太郎作品2点が雄大。「比叡図」「紅富士」の2点。この2点は、迫力があった。寺松作品は「草花図」もあった。次いで、梅原龍三郎「松とベスビオ」、安井曾太郎「カーネーション」、須田国太郎「柘榴図」と、大家が並ぶ。安井作品は、お題にある花よりか、えらくリアルな花瓶に眼が行ってしまった。ここから後は、知らない作家さんが増えていったが、その中に、向井潤吉があり(北信濃早春、海)、福井勇(芥子の花)、金山平三(諏訪湖)があったが、目についたのは、3点出ていた太田喜二郎の点描作品2点(ロデドンドロン、麦秋)。会場が狭いので、上手く観えるように後ろに下がれないので、斜め前から観て距離を取るようにして観て、ようやく「麦秋」だけは把握できた。暖かな緑がいいな、明るさも初夏近くの雰囲気が、よく出てる佳品だった。もう1点は、あからさまな戦意高揚の作品(日清戦争黄海々戦図)。ドン引きするような素材だけど、この手の作品が、もっとあってもいいはずだよね、時代を考えると。眠ってるのかもしれない。講演会場側の展示室が第2会場。ここには、猪田七郎「旧校門」があった。イノダコーヒー関係者だけど、いつぞや滋賀県美で観た猪田作品とは、テイストが全然違う。猪田家には、もっと他の作家さんがいるのかな? しっとりとした佇まいが印象的な「漁港」を描いた古家新は、信濃橋絵画研究所の同人だそうだ。この人は、子ども用の絵の描き方用のお手本を残しています。同じ部屋にあった原田久之助「ねむの花」の華やかさがいいな。何か慶事に際して寄贈されたのかな、そういった雰囲気が出ています。会場が広いとは言えないので、展示数は少ないが、いい癒しの空間です。学校という素因が入って来るという点を考えながら観た方がいいなと思う作品と、普遍的なという印象で観た方がいいかもと思う作品に分かれるかな。そんなことを考えながら観ることができる貴重な展覧会です。


2024年 11月 17日(日)午前 6時 3分

 まだ暖かい土曜日。昨日の朝、洗濯物を干していると、お隣さんも、同じことをするため物干し台に上がってこられたので、ちょっとだけ、だべる。そこで、初めて台風が来ていたことを教えてもらった。それで、この暖かい日が続いてたわけが判った。が、今日の夜からは、えらく気温が下がるとか。いよいよ、冬に入りそうだ。黄紺が、韓国へ行こうかというタイミングで、そうなるわな。考えると、もう11月の後半だから、それで恨んでみても始まらないけど、でも、なんで、このタイミングでなのと思ってしまう。そんなで、昨日の朝は洗濯を入れたので、ウォーキングはミニに。というのも、昨日も、午後に市民向け公開講演会に予約を入れていたというか、申し込んでおいたら当選の連絡をもらっていたのだ。大津市歴史博物館の講座なんだが、これで3回連続当選になったので、変だぞと思ってたら、前の2回はともかくも、昨日は空席があった。ちゅうことは、抽選する必要などなかったのだ。そういったときもあるということを知りました。この講座に行くときは、毎度、JR大津駅から徒歩移動で行くことにしている。そうすることで、ウォーキングを兼ねることができるからだ。昨日も、雨が降りそうだったが、そうした。それと併せて、昨日のウォーキングは、万歩計によると14600歩余だった。もう少し、午前中にウォーキングを増やして良かったってこと、帰宅してから判った。
 講演会は、同博物館の企画展「石山寺 ―密教と観音の聖地―」に合わせたもの。今回は、「石山秋月について―紫式部・広重・古写真―」というお題で、同館学芸員の横谷賢一郎さんのお話が合った。が、時間は1時間半の予定だったが、端から1時間、寝てしまった。横谷さんは、美術史の専門だと言われていたので、「石山秋月」をテーマにした作品を見せてもらえるのだろうなと期待したのは覚えている。で、黄紺が寝ていた間って、「石山秋月」に入る序の部分だった。いや、序を長くしておかないと、本題に入りにくいのだ、話の流れからして。寝ていた割りには、話の、全くおおまかなものだが、流れは把握している。恐るべし。というのも、「瀟湘八景」を、そのまま、近江に移し替えただけだろう程度の気でいたが、それは、あまりにものショートカット。元々の「瀟湘八景」に使われている四字熟語の後半2文字は、確かに、そのまま使っている。が、前半の2文字の使い方が違うのだ。「江天」「漁村」「遠浦」といった漠然とした場所を使っており、近江八景のように、ピンポイントで地名を入れているわけではない。だから、日本に「瀟湘八景」的語法が入ってきたときも、そういったものだった。その辺の押さえをしておかないと、「近江八景」に辿り着けない。眠っている間に、「瀟湘八景」を扱った絵とか、日本に入って来てからの、なんちゃら八景を押さえられておられたようだ。その辺は推測だけど。だから、いつからか、「近江八景」的な語法へとなびき、そういった中で、現行の「近江八景」が生まれたことになる。しかも、誰が言い出しっぺなのかまで、定説があるというのだ。近衛家の公卿近衛信尹(のぶただ)(1565~1614)がその人。この人が、歌八首に残した風景が「近江八景」だそうだ。「石山秋月」については「いし山やにほううみ照る月影は明石も須磨もほかならぬかは」となってるそうで、「明石」「須磨」を入れることで、源氏物語を意識させてるそうだ。そして、月の名所として知られているということで、石山の月を引き立たせている。が、同時に、この月は湖面に映える月、水面と一体になった月となっている。この構図が新しいと言われていた。古来、月とともに描かれるのは山、田畑。「田毎の月」なんて言う言い方ありますものね。それを、琵琶湖と添わせた。これが新しい。この辺、月が描かれた絵画作品を幾つも示され、それを証明されていた。さすが、美術史プロパーです。また、石山寺と言えば紫式部。その紫式部の執筆中の姿が、よく絵の素材に使われるが、その場所がどんどんとデフォルメされて行く傾向があるんだって。岩山に聳え立つ館での執筆。横谷さん、「こんな場所、どうして昇れるんだ」「ましてや十二単で」、また、ロッククライミングでもしなければ上がれない、聳え立つ岩山の上に館が設えるようになっていく。館の向きが左向きから右向きへと変化も遂げていくそうだ。図像学って、思い込んでいることを、どんどんと崩していく。更に、時代に応じて、紫式部を、その時代の風俗に合わせる姿も出てくる。なんと、遊女風、御寮人風という具合だ。こういった図像学的トピック、他の七景についても聴いてみたいものだ。そうそう、冒頭で、なんで「八」なのかという気になるお話をされていた。「嘘八百」と「口八丁手八丁」の「八」と同じで、「たくさん」と表す数字だそうだ。そんなで、きっちりと聴いていれば、とってもためになり、且つ、自分のツボ的なものだけだっただけに、あかんね、こんなこと、毎回、書いてるような気がする。


2024年 11月 15日(金)午後 10時 36分

 今日は、初めて行く映画館で、インド映画を観た日。それが、午後1時10分、上映開始だったもので、お昼は、外食とした。三条を通るということだったので、大体、そういったときは、三条河原町上がったところにある好き家の世話になる。自分的には、牛丼は、吉野家と松屋は×で、好き家かなか卯が〇だが、お値段の安い方の好き家を贔屓にしている。そこで、午前中はミニ気味でウォーキング。最近、採ってなかったコースを使用。そして、映画館の往復を加えると、今日は、万歩計が20400歩余となっていた。映画館からの帰りは、かなり色を着けたから、久方ぶりの2万超えとなった。そのためか、夕方、PCの前で、あっさりと寝落ちしてしまってた。もう大丈夫かと思っていた、先日の神戸行きの疲れが、腰に残っていること、歩いていると、徐々に感じ出した。寝落ちするはずだ。
 初めての映画館とは、新風館の地下にあるUPLINK京都。新風館も、前を通ったことがあるだけど、敷地内に入ったことすらなかった。こちらで、今日から「インド映画祭」が始まった。気が付くのが遅かったので、全部で9作品が上映予定となっているが、その内、3本は観ることができると思っている。今日は、その1つ目、タミル語映画「スルターン」だった。今回の9本は、全てタミル語ものだが、唯一、存在を知っていたのが、この「スルターン」だった。どこかで上映されているのを見かけたか、評判がいいというようなものを読んだのかもしれない。内容は、全く知らなかった。マフィアの家に生まれた1人息子スルターンの誕生から、物語はスタート。大学を出て、久しぶりに実家に戻ると、そこで、父親の死と遭遇してしまい、ギャング一家を引き継ぐことに。でも、スルターンは、子分100人を、悪の道ではなく、更生させようとする。がさ入れの機会を狙っていた警察に、更生をさせるための時間として半年をもらい、その間に、事件を犯さなければ、暴力を使わなければ、殲滅はしないとの約束を取り付けたが、父親は亡くなる前に、ある村の人たちから、村を潰しに来る悪漢を殺すことを約束していたため、その村に子分100人を連れて移る、但し、余所者が入ることで、邪魔をさせない。悪漢(背後には、インド映画お約束の政治家という巨悪がいる)らは、村を不毛の地にして、政治家が安く買収してしまおうとしていることで派遣していたのだ。だから、スルターンは、不毛じゃなくて、豊かな地にしてしまおうと、子分に田仕事、要するに農夫として働かせ、ゆくゆくは更生させよう、田仕事をしている間、要するに、警察と約束した半年間を乗り切れ、且つ、更生の道を開けるだろうの思惑だ。そんなで、映画の方向性が見えてきた。あとは、その更生の過程に茶々を入れる悪漢たち、内部での思惑の違いが出てきたりと、細かな芸が施されていく。最後に、スルターンの元を、一旦は離れた子分たちが、初めて暴力に挑みます。だけど、そこで掛ける言葉が奮ってました。「俺たち、農夫の反撃を受けろ」的な台詞を発し、悪漢どもに挑んでいきます。名台詞だよ、これ! そんなで、とっても楽しみました。インド映画の持つ、エンターテイメント性が詰め込まれています。やっぱ、いい評判だったから、黄紺の目に停まったのかもしれません。
 そんな一日だったが、狭間の時間を使い、昨日の続きが、わりかし進んだ。韓国旅行の準備だ。まだ、買えてなかった鉄道の切符を買い、それで、行程が固まったので、最後の1泊分もホテル予約を完了できた。最初、探したときは、検索サイトにアップされてなかったようで、こないな小さな街だから仕方なしの気でいたら、手ごろな場所&価格で見つかったので、予約した。やっぱ、韓国はアゴダが強い。今回は全泊、アゴダで予約することになった。Booking.comの出る幕はなかった。だいたい、弱い韓国でも、Booking.comで、1泊か2泊の予約をするんだけどね。従って、宿泊都市は、順に「ヨンチョン(氷川)→ポハン(浦項)→ウルサン(蔚山)→プサン(釜山)2泊」の5泊となる。移動が少ない。そして、飛行機のイン&アウトのテグ(大邱)では宿泊しないという手を採用しました。また、いつか、ですね。でも、今回、テグの街は歩くつもりで準備している。鉄道移動が、最近のマイブームだけど、この行程で、どうしても、バスを選ぶべきというのがある。それは、「ポハン~ウルサン」の移動だ。鉄道が変で、キョンジュ(慶州)が起点になてるものだから、この2つの大都市の移動があおりを食らってる。この両都市の移動はバスを取るしかないと言っても過言でないので、そのバスのダイヤは判らないか調べると、見つけたぞ。ま、頻発してるのを知ってるんで、そこまで準備は不要かと思ったが、あっさりと見つけてしまった。なんか、準備が完璧すぎる。やりすぎかもしれん。


2024年 11月 14日(木)午後 8時 39分

 今日は休養の木曜日。木曜日に休養日が入るのが、月曜日に続いて多い。今日は、この2日間の遠出の疲れを癒すつもりだった。昨日、感じていた以上の疲労感が、今日はあった。筋肉痛と同じで、翌日より翌々日の方が、疲労感は大きい。休養日ということで、定番の日に2回のウォーキング時だけが外出時間だったんだけど、夕方のウォーキングがきつかった。腰の重さは半端じゃないうえ、まるで、熱中症でも起こしたのかと思うほど、ふらついてきた。街灯だけが頼りに歩く夕方のウォーキングに、これが起こると、余計にきつい。半ばで、公園に立ち寄り、水分補給をして、しばし腰かけることができた。ふらつきが出ると、暑いときは熱中症の入口なんだろうけど、今日は、暑いなんてことないけど、水分補給を、この季節にしては、身体が求めた。腰の重さは、結構なものだった。休憩しても恢復しなければ、エネルギー不足かもしれないので、通り道にあるコンビニでアイスを買い、エネルギー補給も試そうかと思ってた。夕食前に、本来ならしたくないけど、背に腹は代えられぬというやつで、一応、恢復のためにと考えていた。が、休憩後、大丈夫だった。相変わらず、腰の重さはえぐいけど、普通に歩けた。しっかりと前を見据えて歩けた。スピードアップしながら、意識はしっかりと歩くことができた。一安心。まさか、熱中症じゃないよね、でも、経験的には、症状的には似てた。腰が、めっちゃ重いのを除けば、同じだったな。その後も、また、身体が水を求めた。やってること、熱中症になったかと思うときと同じやった。ちょっと、不気味だ。なお、ウォーキングは、ごく普通の量を、結果としてはこなすことになった。万歩計を見ると17200歩余だった。
 午後の一時は、この間、溜めていたトルコの新聞記事の内容把握が1つ、トルコ・ギリシア外相会談がアテネであったものだから、それ関係にチェックを入れていたのだ。両国関係は、近来ないほど良好なんだけど、トランプになり、怪しいことにならなければと思っている。エルドーアンがロシアとの接近を図ったのは、トランプ時代だしね。そうそう、気候変動への対処、どうなるのでしょうね? 地球を壊した男と、いつか評価されるかもしれない。そう思うと、思わず、DとSの顔が浮かんだ。と、話が飛躍したけど、ギリシアとの関係に影響しそうかと考えている。韓国旅行の準備にも、時間を使った。ようやく、釜山情報収集も、メドがついてきたけど、もっと、時間をかけて情報を集めないとあかんね。せっかく、釜山に時間を取るつもりをしているのに、その時間の使い方が不十分だと、矛盾というやつです。そういったなか、ええもん見つけた。釜山市立美術館にはリ・ウファン(李禹煥)の名を取ったギャラリーがあり、彼の作品を収集・展示をしているという情報を見つけたぞ。でも、この人の作品、難解すぎて、お手上げなんだな、ここまでは。何度か観る機会があっただけに、ダメな自分の確認に行くだけかもしれないけど、これだけの大物の作品を見逃すわけにはいかないね。今回、釜山に居るのが、日月曜日だから、ミュージアム系は日曜日に行かないとダメという制約があるのが痛い。これ、失敗でもなくて、コース設定上、やむを得ないということもあるので、何とか、合わせること考えます。でも、あと2週間だよ。タデポ(多大浦)方向を押さえていたら、こっちに釜山現代美術館があった。時々、日本の美術館にも、韓国のアートが所蔵、展示されているので、現代アートが盛んなはずと思っているので、ここも行ってみたいんだけど、釜山市立美術館とは離れすぎやろ。現代美術館の方、川の中州にあるから、ここ、博物館島にすればいいのにと、勝手なこと思ってしまった。ま、こっちは次回だろうな。「プネチア」に近いから、一緒に行きたいんだけど。せめて、今回はタデポの海岸には行こうかなというプランもあるので、それならば、プネチアも行ける。そんなこと考えると、ササン(沙上)に宿を押さえなくて良かったと思えるようになった。今回は、人並みに釜山駅近くに宿を押さえた。前に泊まったことのあるナンポドン(南浦洞)の宿を、今回も狙ったけど、前よりお高くなってしまってた。ま、場所が場所だから、そうなるかなと、あっさりと諦めた。そんなで、ぼちぼちとは前進はしております。


2024年 11月 14日(木)午前 7時 7分

 昨日は、一昨日と同じ電車に乗り、大阪へ。大阪でハシゴをした日。午前中に国立国際美術館の展覧会に行き、午後は動楽亭昼席に行くというコースだったのだが、ショッキングなことが、移動中に起こった。このコースだと、最近は、他所には見向きもしないで、福島駅へ行く途中にあるタイ料理屋さんで昼食を摂ることにしている。このお店は、先年亡くなった元同僚と、最後の会食をした場所でもある思い出の店でもある。マッサマンカレーを食べ、会計をしたとき、何気なく店の方に尋ねた。「今日は、ご主人、おられませんね」、ご夫婦で経営されているお店。ご主人がタイ人で、奥様が日本人というカップルだが、そのご主人の姿が見えなかった。いつも厨房でガッパオを作っていた方だ。「亡くなったんです、3週間前に」、愕然とした。2ヶ月程前に行ったとき、元気だったし、注文したガッパオを、目の前で作ってくれたおじさん、亡くなっていた。61歳と言われていた。若いよ、今どきじゃない。全く、想定してなかったものだから、ホント、驚きの声を上げてしまった。今後は、奥様お一人で続けていくと言われていたので、「頑張ってください」「また、寄せてもらいます」としか言えなくて、気の利いた言葉も出なかった。こんなに、簡単に人が消えていく、そんなバカなとしか言えないよ。
 国立国際美術館は、2つの展覧会が、今、行われているが、今回は、「コレクション1 彼女の肖像」の方に行った。前にも書いたように、女性特集だ。ただ、但し書きがあった。女性の作家限定ではなくて、「女性の登場する作品に焦点をあて」と書かれていた。冒頭の趣旨を書いたキャプションでは、美人画とか、そういったものは除くとしてあった。実際、展示されていたのは、現代アートの分野の作品で占められていた。それらを、6つと章立てに分けての展示だった。冒頭が「女性像の逸脱と解体」、いきなり福田美蘭ものが迎えてくれた。「Woman with a Letter」というお題が示しているように、西洋の古典絵画で、よく見かける「手紙を手にする女」、一見、フェルメールかと思えるような絵を、12枚に切って、バラバラに展示するというもの。左下の2枚だけは切り身は入れて、離してなかった。そして、元の絵が想像できる範囲でのバラバラだった。女の足元には、破った紙が、曰くありげに落ちている。そもそも、古典時代に、女が手紙を持っているということだけで、何やら、特有の雰囲気を想像してしまう。そういった、女性像、観る者の持つ女性像の解体、そんなことを求めているのかな? 相変わらず、福田美蘭はおもしろいこと、やってくれますね。小川信治作品がユニーク。有名作品の中から主役を抜くというプロジェクト。「ラス・メニーナス」では、マルガリータ王女を抜き、連作「連続体-受胎告知」ではフラ・アンジェリコの名作から、1つ目はマリアを、2つ目は天使を抜くというもの。おもしろいこと、考えます。知っている絵だけに、無いところにあったはずのものが幻のようになり現れてしまうという、不思議な視覚効果があります。芥川(間所)紗織作品が1点、「‶神々の誕生‶神話より」で、ろうけつ染めの作品だったが、何が描かれているのか見分けがつかなかった。広いスペースに出ると、「増殖する女優たち」という新たな章立て。いきなり、アンディ・ウォーホル「マリリン」が6枚、お出迎え。「マリリン」が側にあるからか、スタジオ65「ソファ《ボッカ》」は、真っ赤なルージュを塗った唇に観えてしまった。岡本信治郎「版画集『ベティ・ブープの国』より」9枚の作品が並んだ。「眠れるアンディ・ウォーホル坊や (「アンディの子守り唄」より)」「消えたマリリン」は、正に、アンディ・ウォーホルの「マリリン」を見据えたもの。印刷台の上で、「マリリン」が制作されているというもの、泡の中に、マリリンのデフォルメされたお姿を描くというもの。「ベトナムの黄金バット」は、ヒーローとともに、ベトナム戦争時の著名な報道写真をコラージュしたものと、自分で判ったものは、皮肉が効いていておもしろいが、それら以外は判らなかった。判ったものに興味が行った分、判らないのが悔しい。安齊重男「柏原えつとむ《方法のモンロー》 東京をゆく」シリーズは、東京の各所で、「マリリン」の顔を塗りつぶして顔枠を残し、それをパネルにしたものを持った人たちを撮った写真。やってることは一貫してるけど、その意味を捉えられなかった。ダーン・ファン・ゴールデン「日本のブリジット・バルドー」と、今度は、B.Bなんだけど、大写しになった大女優の写真、これも解らなかった。次いで「家族の肖像」というべたなタイトルを掲げた章立て。べたなのは、そういった作品が、結構、あったからなのかな? 野田哲也「日記:1968年8月22日」「日記:1968年9月11日」では、写真の粒子を少し粗くして撮った家族の集合写真。一人一人のデータが、個々人の側に、それも同じ様式のフレームに書かれていた。データが入ることで、家族関係に、無機質な要素が入ったようで、不思議な感覚になった。小西紀行「無題」とお題の入った2点は、強い線の筆致で、描かれている人を単純化しながら、家族の根本とされる「子育て」「団らん」を描いていた。単純化された筆致がポイントなんでしょうね。そこから抜け落ちていくものを考えざるを得ないからね。デイヴィッド・ホックニー「ぼくの母、ボルトン修道院、ヨークシャー、1982年11月 #5」は、自分で描いた絵をコラージュ風に貼り付けたかのようになってる作品なんだけど、中央に老いた母親を貼り付け、その周りに、修道院の部分部分をコラージュしてあった。両者の関係が気になるが、想像はつかなかったな。フォローが欲しいところです。木下晋「徘徊」「立像」は、精密な鉛筆画、大きい。荒川修作「肖像 No.1」は、作品の中に「Mother」の文字が入り、お題と併せて考えると、作家が、母親を、自分なりに数式化&図式化しようとの試みのように思えた。但し、その心は、想像ができなかったが。「労働と移動」という章立てを作ったのは、キャプションによると、人口移動の多くを女性が占めるからと説明されていた。宮本隆司は「九龍城砦」で、懐かしい‶魔窟‶を撮り、ルイス・W.・ハインは、アメリカの風景を撮った。饒加恩(ジャオ・チアエン)「レム睡眠」という映像作品は、台湾にやって来たフィリピンからの出稼ぎ労働者に、「最近見た夢」を語らせるというもの。そこで、出てくる家族を描こうとの思惑のようだった。そして、なぜ、このコーナーに入るのかが判らなかったのが、小沢剛「ベジタブル・ウェポン-さんまのつみれ鍋/東京」「ベジタブル・ウェポン-部隊鍋/ソウル」。鍋に使う具材を使い作った銃を構える若い女性を撮ったもの。後者に、わざわざ漢字で「部隊鍋」と書いてあることに、笑っちゃった。自分的に、バカ受け! 「プデチゲ」と書けば、韓国のこと知らない人だと、おもしろみが消えるもんね、この配慮が、嬉しい、そして、可笑しい。「個人と国家」という章立てもべただけど、外せないね。戦争をいう切り口は、どうしても、女性を語るときには欠かせないということでしょう。石内都「YOKOSUKA AGAIN」シリーズ、「屋内シリーズ」よりの2点は、いずれも、横須賀の風景を撮ったもの、石川真生「アカバナー」シリーズは、作家が、実際、沖縄の米軍キャンプ側のバーで働きながら撮ったもの。山城知佳子「BORDER」は、米軍基地と一般の生活との境を撮った映像作品。伝統的な墓場が基地に取り込まれている風景、海に繋がる有刺鉄線、この2つを焦点化しています。アンドレアス・グルスキーの巨大な作品「ピョンヤンV」は、実写なのか、ピョンヤンで撮った写真を加工したものなのか、そもそも、実写ではなく、作家の創作なのか、キャプションがなく、判断できなかった。最後の章立て「近年の新収蔵作品より:作家の肖像」は、展示室の外側にあった。谷原菜摘子作品は既視感があるのだが、どこで観たんだろう。「SADO」という作品だったが、人魚を調理するというもので、調理するのも調理されるのも顔は作家のもので、あとは、布やら何やらを使い飾り立ててある。この飾り立ててというのに既視感があるのだ。片山真理「小さなハイヒールを履く私」「子供の足の私」は、自らの義足と、それに合わせて作ったハイヒールがテーマ。調べたみると、この人、木村伊兵衛写真賞をもらってた。調べたのは、この人、義足のファッションショーにかんでないかを知りたかったんだけど、それは出てこなかったが、この人の活動、凄いよ。ええものに出会えました。レオノール・アントゥネスのインスタレーション作品「主婦とその領分」は、おもしろい形状のものが並んだが、追及できなかった、力及ばずです。でも、振り返ってみて、やっぱ、現代アートは、観ていて、頭使うのが大きい。あれやこれやと考えてしまうな。それが楽しいから、また、足を運ぶんだね。
 動楽亭昼席の番組は、次のようなものだった。二豆「刻うどん」、団治郎「禁酒関所」、喬若「野ざらし」、あさ吉「七段目」、(中入り)、歌之助「桃太郎」、伯枝「火焔太鼓」。今週の半ばは、いずれも似た顔ぶれで出番が組まれていたが、昨日を選んだのは、伯枝を、久しぶりに聴こう、次いで、喬若も聴ける、団治郎も、随分聴いてないということで、よりいいかなということでの選択だった。が、前の二人で、あっさりと寝落ち。開演前、ソファに座ってると気持ちよかったので、やばいと思ってたら、案の定、冒頭でやってしまった。喬若で覚醒。お得意のネタを奮発してくれた。練りに練り上がったという印象。めっちゃ、上手くなってる。コロナ禍以後、初遭遇でした。あさ吉は、楽しみなマクラは振らず、いきなり「芝居噺をします」と言い、定番の芝居噺用のマクラに入り、何をするのかと思ったら「七段目」だった。あさ吉では初めてだったので有難かったが、見台を出したまま進んでしまった。知って、出してたのかなぁ? 足を前に突き出す型があるのに。実際、その場面で、見栄えが悪いし、やりにくそうだった。この人、最近はそうではなくなってきて良かったと思ってたんだけど、セリフの言い回しが不安定。おどおどしてるという感じが、ここでは出てしまってた。らしいと言えばらしいんだけど、芝居噺で、それが出ると、やっぱ、マイナスになります。歌之助は、マクラで、懐かしいイタリア語話を。もう10年前になるそうだ。そのきっかけ話も、初めて聴きました。チベット旅行で出会った人たちとの縁で生まれた計画だったそうだ。で、ネタが「桃太郎」、、、マクラと関係ないやん! 伯枝は、今月に控えている独演会で出すネタを、稽古替わりに出してくれた。こういったベテランが、上方にないネタをするとき、どうするのでしょうか? 笑福亭は、鶴志がやってたから、その音源なんかを元にしてるのでしょうか? 大味な感じが少ししたけど、おおらかさが、かえって出ていて、いい口演でした。おかみさんも、しつこい感じは与えなかったしね。金をもらうときの描写って、志ん朝風だったよねと、やっぱ、どこからが気になったけど、結局は、ブレンド化されてるのかもしれません。月1の動楽亭昼席、来月も予定入れてるので、この1年間、実現できるのじゃないかな? 終了は、午後4時10分と、多少、早めだったのに、帰りの京阪電車で寝過ごしてしまい、結局、帰宅は午後6時前と、一昨日と同じような時刻になってしまった。


2024年 11月 13日(水)午前 8時 1分

 昨日は、神戸まで出かけた日。朝9時半に家を出て、帰ってきたのは、ほぼほぼ午後6時だった。兵庫県立美術館に行ったのだが、その時間に出て、美術館に着くのは、2時間後。それだけ、時間がかかる。あとちょっとで、三ノ宮だけど、ここは、普通電車しか停まらないから、三ノ宮行くよりは時間がかかるでしょう。前回もそうだったが、ここへ行くときは、JICA関西食堂があるので、こちらで昼食を摂ることに決めている。前はエジプト料理が、その月のメニューだったが、今回は、南米料理として、3つの国の料理で、あまり関心が行かなかった。他のメニューにも、珍しいものがあるので、調べているとウィークリー・メニューの1つに、トルコ料理が入っており「森のケバブ」と出てた。「オルマン・ケバブ」じゃないか! うっそー、そんなのが日本で食べられるなんてということで、これを求めて行った。結構、らしいと言えばらしいが、厳密に言うと違う。チキンを使ってたが、これは×、やっぱ、羊、使ってよ。煮込みだったけど、オルマン・ケバブって、煮込み? いや、煮込みかな? スープの色は、ハシラマを食べたときの色合いで、味は濃かったな。それはそれで、美味かったけど。ぱっと見は、何かトルコ料理っぽかった。
 兵庫県立美術館では、特別展「石岡瑛子Iデザイン」とコレクション展Ⅱ「わたしのいる場所~コレクションから‶女性‶特集」を観てきた。石岡瑛子は、名前を知ったのは、わりかし最近。でも、作品を知ったのは、資生堂時代のもの。この乖離は、何なんだと、自分に突っ込みたくなる。名を知り、今回の特別展も、それを期待して行き、その期待には応えてはもらえなかったのは、オペラ関係だった。コロナ禍で、オンラインで、随分と、多くの歌劇場が、手持ちの映像を流してくれてが、その中にオランダ国立歌劇場の「指環」があったが、その衣装が石岡瑛子になっていて、びっくりしたことがある。それがきっかけだった。例のデータベースで調べると、オペラにかんだのは、これと、パリの武満作品だけだったけど、「指環」というのは大きい。これも、今回、仕入れたことだけど、アカデミー賞やグラミー賞を受賞してるのだから、驚いてる場合じゃないよね。それだけのキャリアの先にあったことに引っかかって、ようやく、その名を知ることになったようだ。でも、その作品は知っていた。東京芸大を出て、すぐに資生堂に入ったようで、前田美波里を起用した資生堂のポスターは、当時としては画期的だった。これを生み出した人なら、そりゃ、凄いわ。先日、刈谷で観てきた宇野亞喜良もそうだけど、デザイン担当は誰だか知らなかくても、作品は知ってるというやつです。あのポスターなら、インパクトあった! そして、資生堂を退社後、組んだのがPARCO。渋谷の公園通にできたPARCOが、それまでなかったような広告を出し、あの辺、一帯の街自体を変えていったのは、現在進行形で観てきた。その前を知っているから、その変化が、PARCOができることで変わっていったのを、よく覚えている。そのときに、各所で目にしたポスターのディレクションをしていたのが石岡瑛子だった! これは、時代の寵児、時代を創った人であることは間違いない。三宅一生、加納典明、篠山紀信、小池一子、藤原新也、フェイ・ダナウェイ、沢田研二、糸井重里、日比野克彦、服部克久、坂本龍一らとも組んでるんだね。才能が寄り集まった、その結果を、過程に目をやらず、野放図にも観ていた。それにより、時代が変わっていくのは、確実に目撃した自信だけはある。PARCO関係の作品が、展示では、一番、目を引いたかな。TVで流れてたであろうCMも、おもしろいテント状の空間を作り上映していました。この辺、キュレーション、上手いね。PARCOのあとは、様々な企業との提携作品が並んだ。ダイアナ靴店、ポーラ、三陽商会、東急百貨店、倉俣史朗らと組んだ日本軽金属、、、そして、驚いたのが、ボトル・デザインが倉俣史朗というおまけが付いたインスタントコーヒー「マキシム」コーヒーセット(味の素AG)に、山本海苔の缶や詰め合わせセットのデザインが石岡瑛子だった。あの和の雰囲気と、ここまでの作品とが、どうしても結びつかないほど、豊かなアイデアです。その後は、書籍、雑誌の表紙デザイン、広告ポスターばかりか、挿絵まで手掛けています。角川書店との関りが多かったようです。そういったなか、多くの作品を残しているのが「野生時代」。これも、初めて知った次第。「野生時代」って、他の雑誌とは違う感、あったもんね、その演出役だった。レコード・ジャケットや美術館の広告ポスターなんかが並んでるところへ、突如として現れたのが、大阪万博のポスター。下絵まで残しています。そして、再び、書籍のデザイン。「言語生活」「話の特集」という雑誌から理科の教科書まで飛び出てきた。キャプションによると、五木寛之作品とのコンビネーションが多かったそうだが、展示は「戒厳令の夜」に特化したような感じだったが、それはそれで納得。作家では、井上光晴、梶井基次郎が、意外性があったりして、、、。以後も、書籍、レコード・ジャケットが多く、今か今かと期待していた舞台芸術関係は出てなくて、がっくり。その一方で、これだけの細かな書籍の調査から収集をされたキュレーターの方に頭が下がりました。そういった流れで終わるのかと思ってたら、最後に名作が現れた。この辺の持って行き方も、キュレーションの妙ですね。映画ポスター、「ドラキュラ」「地獄の黙示録」は石岡作品でした。締めが強烈でした。
 「コレクション展」に入る前に時計を見ると、既に、1時間40分以上が経過。腰との勝負です。ただ、こちらも多いのが、端から判ってた。ウエブ上に出ていた作品リストを事前に目にしたものだから、ここまでで、できるだけ、コンパクトで観なければのつもりだったが、うまくは行かないね。展示入口すぐに、重文指定を受けている本多錦吉郎「羽衣天女」が展示されていた。重文指定は、今年度だったようで、そのための特別展示だったようだが、本多錦吉郎って知らなかった。明治期の洋画家だそうで、浅井忠と同時代の作家さんだということを、調べてみて判った。日本的素材を油彩で描いた作品。墨絵的イメージの素材を色彩豊かに仕上げている。この重文コーナーは、4点だけ、特別扱いのように展示されていたんだけど、桜井忠剛という尼崎藩藩主の血を引く作家の「能道具図」に眼が行った。能装束の中に面が3つ置かれた、とても横長の作品。横長というのが気になったが、そこへ素材が収まっているので安定感を感じさせる。面は、翁、尉、それに、女面は増か。この増が、逆向きに置かれているのが、気になるところ。いや、上手いところかもしれない。その後が、お題にある「女性特集」。このテーマ、流行ってるみたい。京セラ美術館や滋賀県立美術館もそうだし、今日、行く予定にしている国立国際美術館のコレクション展も、これだ。冒頭は、在ブラジルの日系人の作品が並ぶという、稀有な経験。「生活」というお題が付けてあったコーナーだった。亀高文子の作品が2点並ぶことで、引き立っていた。というのも、30年の間隔を開けて、見違える明るさを持っていたからだ。1940年作に「菊」の、若干地味なテイストから、1970年作の「けしの花」の明るさ、溌剌さへの変換だ。時代を反映したのでしょうか? 大竹富江は、ブラジルの文化勲章に相当するものを受けた作家さんだそうだ。次のコーナーに入ると、まさかのケーテ・コルヴィッツ作品があった。この美術館が持っていることを知らなかった。2ヶ所、所蔵している美術館は把握してるのだけど、ここは知らなかった。「カール・リープクネヒト追悼」「木版連作‶戦争‶より‶犠牲‶‶人民‶」「自画像」の4点だった。リープクネヒトは既視感がある。「自画像」は1938年作だから晩年の作だから、誰を描いたのか解らなかった、最初は。招瑞娟は、在日華人の作家さん、2階の展示室では、ご夫婦の作品が並んで展示されていた。次のコーナーには、見慣れた木下佳通子「88-CA497」という抽象画があり、同様のテイストの作品が並んだ。金月炤子「モダンダンサー」は、お題からの連想だが、キャンパスの上で、足に墨を着けて踊ったのじゃないかと思ってしまう。それだけ、動きを感じさせる佳品。澤田知子「ID400」が傑作! 2枚綴りの証明写真、それを、いろんな扮装をして400枚かな、連ねた作品。どれが、本当の自分か判らなくなってしまう。ここが「私の身体」というお題が付いてあったコーナーだったが、そのあとに「風景」コーナー。児玉靖枝「深韻―水の系譜(霧雨)五」の幻想的な作品が気になったが、制昨年2013年に驚いた。今の時代に、こういった作品が描かれる不思議を感じたからだ。「素材」コーナーには、白髪富士子作品(「作品」というお題)があった。このあとも、具体の作品が幾つも出てくるが、今回も、「他とは違う」という線の勢い、唯一無二感は抜けていると感じたが、その手始めだった。荒木高子「私の聖書」が目についた。シャモット(耐火煉瓦)作品だと、キャプションに書かれてあるが、砂を混ぜてあるんだね。一見して、砂に埋もれた聖書という印象。「歴史・物語」では、歴史ものを素材にした作品だけではなく、歴史に名を残す作家の作品も並べるという構想。マリー・ローランサン「バルコニーの二人の少女」、マックス・エルンストのパートナーだったドロテア・ダニングの版画集「ボンジュール マックス・エルンスト」より1点出ていた。「反復と拡大」という章立てに、具体の作家が幾つも出ていた。山崎つる子、田中敦子(このコレクション展のポスターに使われている!)、菅野聖子、名坂有子、森内敬子、ヨシダミノルと並び、その狭間に、草間彌生や三島喜美代が並ぶんだから、この広いスペースは、実に壮観だった。森内作品がおもしろい。白いクッションを100個だか並べてあるだけの作品なんだけど、壁の作品を観ていると、後ろが気になって仕方がない。そこまで入れてのインスタレーションなの? 奥まったスペースは、毎度、彫刻作品が並ぶが、見慣れたものが並ぶ一角に、「北川太郎 ときの形」という小企画コーナーがあった。素材は石。それを選ぶのが大変だろうなと思うんだけど、その石を思いの形状に刻み、それらをピースにして組み上げていく作品が、独特の感性を見せており、おもしろかったな。真ん中の 広いスペースに戻り、今度は、外へ出ていくスペースにあったのが、「版画の詩人─清宮質文と駒井哲郎を中心に」という章立てで、ここは、版画の展示がされるスペースかな、前回もそうだったような記憶。2人の作家さんは、ルドンの影響を受けた作風だそうで、また、出ちゃった、ルドン。そして、有難いことに、ルドンが3点、出ていた。長い、解らないお題の付いた「聖アントワーヌの誘惑」より3点だった。相変わらず、ルドンを観たということだけが残る。が、主役のお二人の作品は、版画としては、確かにインスパイアされたかなと思ったけれど、扱っている素材は、メルヘンチックと言えば、言い過ぎかもしれないけれど、それに近い作風だったな。ここで、1階を卒業。まだ、2階があるけど、ここからが、また、ヘビーなものが待っているのが判ってるだけに、腰の重さも気になり、気合が入った。なんせ、小磯良平記念室と金山平三記念室があり、その奥には、コレクション展のお題に沿った大家の作品が居並ぶからだ。小磯良平記念室には「モデルと画家」という副題が付いていた。全編、人物画だった。プロのモデルを使うか、親族の誰かという風に親しい人を描くかで違いが出てくるようだ。後者は、どうしてもはにかみが出る。作家は、それを、よく捉えている。後者だと、確実に思えたのは「着物少女像」「少女と猫」「娘」「和装美人像」といったところか。「スペインの女」のように、あくまでも対象物という感じで捉えているのとは違う、作家とモデルの関係性が出ている気がした。フェードインして、逆に空間の拡がりを感じさせる手を使ってる「洋装する女達」や、「娘」「和装美人像」が、この日のお気に入りかな。でも、いまいちインパクトに欠けるなと思っていたら、奥のコーナーに、きっちりと「T嬢の像」があった。群を抜く素晴らしさ。洋服に当たる陽の光が女性の若々しさを引き立たせている。これで、ホッとしたな。金山平三記念室には「金山らくに注目!」と副題が付いていたが、その意味が解らなかったが、作品リストを見て、納得。今回展示されている作品の多くが「金山らく氏寄贈」となっていた。納得。キャプションを読んでいて知った新しいこと。この人も、下落合に住んでた。やっぱ、あの辺は作家村的なこと言われるわけが、どんどんと判ってきました。で、金山作品、前回同様、自分的にはいまいちです。その中でピックアップしたのが、「大石田の最上川」「最上川辺」「静(十和田湖四月)」という東北の風景画と、パリを描いたのかな、「無題(街路)」だった。奥の部屋には、コレクション展のお題を、更に細分化したお題が付いていた。「ある女性」コーナーに、先の小磯作品の逸品など、この特集のハイライト的な作品が並んだと看た。岡田三郎助「萩」、安井曾太郎「女の顔」もあり、一番のお気に入りは、三谷十糸子「雪」。茫漠感が出ていて、素晴らしい。今回の展示では、先程の小磯作品と並ぶ佳品と看ました。「はたらく女性」では、やたら舞妓像が多くて、驚いたけど、この中の秀逸は村上華岳「舞妓」。大らかな、ちょっと奔放な印象を与える舞妓ちゃんという風情。この作家、こんなの描けるんやと思ってしまった。ここに、招瑞娟・詹永年夫妻の作品が出ていたが、前者の「海女」が、棟方志功テイストの骨太作品、これも佳品。「母と子」コーナーでは、1点だけメモった。亀高文子の息になる渡辺一郎の「母の像」、要するに、老いた亀高文子をモデルにした作品だが、これが緻密、リアル。「裸婦」コーナーは、数的には多かったが、あまり気に入った作品はなかったな。その中から、敢えてって感じで2点、メモる。新井完「背を向ける裸婦」、小磯良平「横臥裸婦」。前者は、背中のそそたる雰囲気で、顔を見たくなったから。髪のストレートさも、そういった雰囲気を演出している。後者は、西洋絵画から頂戴したような構図だけど、横に伸びた大腿部から足首にかけての線に勢いを感じたから。ここに、安井曾太郎ものや、小出楢重ものが、いくつか出てたんだけど、関心が向かなかった、とりあえすは、この日はということでしょう。一通り、観終わって、秀逸2点と村上華岳だけを、再度、チェックして、逃げるように展示室を出た。腰が悲鳴を上げていたから。コレクション展だけで2時間かかったんだよ。これから、兵庫県立美術館に行くときは、2回に分けないとあかんかもと思ってしまったほどのボリューム。特別展だけではなく、ここのコレクション展、グレード高いしね。
 帰りの電車、座れなかったらと心配だったけど、岩屋からも、乗り換えた御影からも、帰りの京阪電車も、みんな座れた。学生さんの下校時にあたるので、懸念したが杞憂に終わったけど、ここまでのコンプリートは初めてやな。


2024年 11月 11日(月)午後 8時 11分

 今日は、全く予定を入れなかった月曜日。映画も、観ようというものがなかったので、全く空きの一日。少し暖かく、このくらいが、一番いいねと思っても、そうはいかないのでしょうね。いい季節は、ホントに短くなった。時候の挨拶に、よく使われるフレーズになっている。そんなだから、朝から、今日も洗濯をした。あとは、こういった日の定番、日に2回のウォーキング時だけが外出時間。生活用品や食量の買い出しは、こういった日を使わないと、お出かけする日が増えている分、うまく時間を使わないと、あとで困ることになる。夕方、万歩計を見ると、17900歩余と、えらく優秀だった。
 午後の一時は、韓国旅行の下調べを続けるつもりだったが、何の気なしに、もう来年になるが、次回のプチ旅行の日程を眺めて、また、やってしまっていることに気が付いた。毎回、4ヶ所の美術館巡りをしているが、その4ヶ所を同時に回るのがムズいということを発見。そんなの、日程の調整くらい、まず、そこからだろうと思うのだが、いろいろと調べていくうちに、思い込みが生まれ、先日、行ってきたプチ旅行のときも、同じミスをやらかしていた。土日を使えば、まだ、融通は効いただろうが、それは避けるというのが、大前提にしているので、それを崩さないととなると無理というのが出てきてしまったものだから、気になって仕方ないから、それに手を着けてしまい、韓国がお留守になってしまった。あっちゃこっちゃも、いいとこ。日程が先の方を、あれやこれやと調べ、直近を後回しにするとは、、、、。気になると、そういう当たり前のことが吹っ飛んでしまった。ようやく、韓国に手を着けると、また、これが、おもしろく、アッという間に時間は過ぎてしまった。釜山を調べてるんだけど、しかし、ネット上には、釜山情報が溢れている。Youtubeの動画も、釜山限定で作っている人、韓国人、日本人を問わず、どんどんと増えてきている。とてもじゃないけど、カバーできないですね。Ⅾと一緒に行ったとき、普段の自分が行かないようなところを調べ、そういったところが、所謂、韓国の観光名所なわけだから、情報は溢れかえっている。そういったものをピックアップしようとしている。ただ、冬場だから、トイレの心配があるので、できるだけ多めに情報を得ておいて、取捨できるようにせねばと考えている。2泊するつもりなんでね。まだまだ、作業途中です。


2024年 11月 11日(月)午前 6時 7分

 昨日は、ちょっと暖かくなった日曜日。朝から、定番の「日曜美術館」を観てから洗濯。そして、買い出しがてら、ごくミニのウォーキング。午後には、市民向け公開講演会を予約してあった。が、これ、時間を間違えた。メモには間違いなく書いているが、電車を確認したりしている内に、30分、後ろにずれてしまい、会場に着くと、様子がおかしい。受付の人は、後ろのドアから入れと指示している。中からは、講師の声と思える人の声が響いていた。これ、時ったま、やるんだよね。ま、冒頭カットくらいで済んだけど、気ぃ、悪かったな。
 「日曜美術館」は「まなざしのヒント 埴輪」が、今回のお題。話題になっている、今、東京国立博物館で開催中の展覧会場からのロケだった。会場には、MCの2人に加えて、特別ゲスト(片桐仁、井浦新)も参加、埴輪風耳飾りを着けた学芸員さんからの解説を聴いたり、感想を言い合うという内容だった。もちろん、合い間には、埴輪についての概要話が入るというもので、解説は、最近、よくある授業形式だった。埴輪は、3世紀以後登場、墓を守り、墓にそれがあるということは、権力者の証でもあった。それが、法隆寺造営の頃、急激になくなる。仏教が入り、寺院が登場することで役目を終えたということだが、仏教伝来が遅れる関東では独自に発達していったそうだ。戦前は軍威高揚に用いられ、戦後は考古学の対象だったものが、アートとして観る観方、また、埴輪にインスパイアされたアート作品、インスタレーション作品が出てくるようになる。「ハニワと土偶の近代」という企画展が、東京国立近代美術館で、東博の展覧会に合わせて行われているということで、そういった作品は、こちらの美術館で展示、それらも、番組内で紹介されていた。「*」を付したものがそれら。埴輪って、時代により扱われ方に違いがあるということです。TV番組のキャラにも使われたのは知られた話だわね。で、番組で取り上げられた埴輪をメモっておく。①円筒埴輪(重文、初期の埴輪)②挂甲の武人(国宝、5体全部揃った、その内の1体が国宝、全て群馬県出土、土が柔らかい内に線を着けている、実際にあった甲冑を着けている、‶靫/ゆぎ(矢筒)‶を背負う、腰に靫を着けているものもあるが、国宝は背負っている、130.4㎝、身分の高い人物をかたどったと考えられている、挂甲/けいこう=鎧、当時最新の鎧、5体の造形に微妙な違い、元は全身に着色していたということで、それを再現したものも展示、3色が使われており、当時の化粧、白=鉄板、灰=おどし紐、赤=リボン・刀の紐・顔に使用)③*都路華香/埴輪(屏風絵、埴輪の工房の絵、明治天皇陵造営を背景に制作)④*蕗谷虹児/天兵神助(国を守る存在としての埴輪)⑤*桑原喜八郎/埴輪の部屋(翌年出征、戦死)⑥*斎藤清/ハニワ(アートの素材として使われた)⑦踊る人々(古墳時代後期、新しい時期の埴輪、コピーの究極化、簡略化、地域による個性がある、足がない、それは身分が低いから、踊ってない? 馬のたずなを惹く姿? 一緒の古墳からは馬は出ている)⑧鹿形埴輪(見返りの鹿、視線の先は?、弓をつがえた人物がいた)⑨翼を広げた鳥(鷹匠の使っていた鳥、狩=権力の象徴、動きを捉えた埴輪)⑩犬型埴輪(首輪が付いている、耳が立っている〈緊張感〉、舌を出している)⑪猪型埴輪(狩で狙われているところ)⑫魚型埴輪(竹串でさしたような目、魚型=千葉県に集中)⑬鵜形埴輪(鵜飼=権力と結びついている)⑭猿型埴輪(重文、犬に追われた瞬間? 背中に赤ちゃん、子供を守りながら、、、?)⑮犬猿円筒埴輪。
 市民向け公開講演会は「華頂公開講座」。京都華頂大学が行っているもの。全6回の公開講座、昨日は、その第6回目だった。お話は、「日本文化と京都の歴史-現代京都につながる日本文化-」というお題で、佛教大学副学長・歴史学部教授の貝英幸さんのお話を聴くことができた。が、どうも、おもしろいものとは思えなかった。というのも、前半で、「文化」というタームの由来という古典的なお話があり、それが、現代では、元来の意味合いと異なった使い方がされている。「文化住宅」という使い方がそれ。「西洋式」「近代的」という意味合いで使われているという、これまた使い古されたネタ。そういったお話が、その後の展開に、どのように活かされるのかを待っていると、その後は、京都に残る中世の記憶の話だった。中世文書を持ち出し、地名表記を拾い出し、現代の表記との比較という話だったようだ。「ようだ」と書いたのは、これはあかんと思った途端、その後の記憶が飛んでいる。あっさりと、身体が反応したみたい。そのお話で、伝統の残る京都を証明しようとの試みだったようで、「そうなん、それで、全然、新しくないやん」というのが、自分の中での反応。ということで、外しました。なんか、時間を間違い、内容も、これだと行かなきゃ良かったじゃ、ちょっと浮かばれないな。


2024年 11月 9日(土)午後 7時 27分

 今日は、午後にコンサートに行くことになっていた。実は、昨日になり、このコンサートに気乗りがしなくなってしまった。アスニー京都でのコンサートだったんだけど、昨日、市民向け公開講演会に行ったとき、このコンサートのポスターが貼りだされていたんだけど、そこに書かれている曲目が気に入らなかったのだ。しっかりとした曲目発表しないで募集するのが一点、今一つは、演奏者に惹かれて申し込んだものだから、しっかりとは書いてなかったプログラムを、よく見てなかったのだ。「懐かしい日本の曲」的なものが、プログラムに入っているのが嫌いなのだ。そんな爺婆を吸い寄せようとするようなものは要らない。そう思い、嫌になったのだった。このコンサートは、キャンセルができるので、そうする気になり動いた。何か、いい落語会か何かないかと探してみたが、いいのがあったんだけど、大阪だった。大阪へ行く方が、もっと嫌に感じた。普段は、そうは思わないのに、京都から大阪への変更が嫌だったみたい。映画も探したが、来週の予定表を眺めると、ちょっと空いている。だと、わざわざ土曜日に行く必要ないわなと思いながらも探したが、行こうという気になるもの、全く見つからなかった。そんなで、昨夜は、ちょっと憂鬱なまま眠った。が、朝は、様子が違った。そうだ、あの人が出るじゃないか、贅沢、いっちゃダメと思うようになっていた。一過性の病気のように、嫌が先行して、好きが後退していたみたい。そんなで、結局、今日は、コンサート行くモードで、朝から動いた。午前中は、早めにミニのウォーキングを始め、公園で読書もする時間を取れた。コンサートの往復を加えると、夕方には、万歩計は15500歩余を指していたから、ま、いいでしょう。で、問題のコンサートは、「京都アスニー×京都市立芸術大学コラボ企画」「古典の日関連事業」と、えらく物々しく、肩書が付いている。更に、コンサートとしてのお題は「木管五重奏で聴く‶ノスタルジック・メロディ‶」となっていた。「木管五重奏」というのがピンと来ないのか、ここのコンサートにしては、若干、入りが少なめだった。しかも、爺婆以外の若い客も入っているにも拘わらずにだ。どうやら、爺婆に歩み寄ろうとしているのに、爺婆は、気が進まなかったようだ。演奏は、次の5人の演奏者で、お一人(磯部さんは院生)を除いて、皆さん、京都市芸大で教鞭を執られている方ばかりということで、コラボを名乗ることができたようだ。京都市響のお二人が、京都市芸大で教えてられるというのは、今回、初めて知った。富久田治彦(フルート)、加瀬孝宏(オーボエ)、小谷口直子(クラリネット)、中野陽一朗(ファゴット)、磯部柚奈(ホルン)。プログラムは、次のようなものだった。「ファルカシュ:17世紀の古いハンガリー民謡による舞曲 ①イントラーダ②ゆっくりな舞曲③ラポカシュ舞曲④舞踏歌⑤ウグロシュ」「ミヨー:ルネ王の暖炉 ①行列②朝の歌③軽業師④ラ・マウザングラード⑤アルク川の槍試合⑥ヴァラブルでの狩り⑦夜のマドリガル」「山本教生編:日本の歌メドレー」「楽器紹介」「宮城道雄:春の海(木管五重奏による)」「平尾貴四男:木管五重奏曲」。確かに、お題にあるような曲が並んだ。ファルカシュが、長閑な中世の世俗曲を聴いている雰囲気。この楽器だからこそ出る長閑さですね。そこに、ちょっと近代の色を着けた印象なのが、ミヨーの作品で、「ちょっと」という感じで、モダンな変化がおもしろい。この2曲の並びが素敵だったな。わざと入れたような、日本の曲はいいとして、同じ日本の曲でも、平尾作品は、よくできている。気になって調べてみると、1950年の作品だった。旧来の木管の長閑なテイストを残しながら、お洒落な印象も与えるミヨーとも違う、モダンな感じを与える。変化があり、楽しめた。ということで、終わり良ければ、全て良し。行く前に迷っていたことなど、すっかり吹っ飛んでたな。やっぱ、木管だけというのはいいね。来年だけど、モーツァルトの「グラン・パルティータ」が、京都市響の定期で出るから、行ってみようかな。その気になってきたぞ。


2024年 11月 9日(土)午前 6時 10分

 昨日は、朝からお出かけ。金曜日なので、アスニー京都での市民向け公開講演会に行ったのだが、今後のメニューを見ると、どうやら、朝の講演会に行くのは、これが、今年のラストになる模様。それから、昨日も、立命館大学方向に向かった。となれば、また、学生さん相手の定食屋さんで昼食。そして、立命館大学国際平和ミュージアムに行った。久しぶりだった。先日、アスニー京都でだったと記憶するが、このミュージアムでの特別展のチラシが置かれてあり、それに飛びついたのだった。この衣笠地域も、ここにきて、随分とお世話になったが、これも、今年ラストになるはず。定食屋さんも、また、来年までお預けになります。
 アスニー京都での講演会は、京都市歴史資料館との共催で行われた。同館では、今、特別展「賀茂季鷹と古典の「知」」が行われているということで、その関連事業のようだ。講師も、その特別展に関わられた国文学研究資料館准教授の中西智子さん、お題は「藤原道長家の人々と源氏物語」ということで、今年の大河をど直球で捉えたものだったので、大変な入り。おもしろい押さえから入られた。「サロン文化」という切り口を持ってこられ、正に、「源氏物語」を始めとする王朝文学というのは、それだというのだ。目にする人の枠が決まっており、書き手は、それを前提に書いている。サロンに始まりサロンに閉じているということ。芸術そのものが、そういった特権階級の人たちの閉じたコミュニティでのものであり、「源氏物語」もそうだということですね。従って、注文主=スポンサーがいる、この場合は道長ですね、だから、ドラマでもやってたように、事実かどうかは別にして、道長が注文主で、且つ、書くために必要な紙や墨等の一式をあてがう。だから、物語、本というものは、全てがオーダーメイドで作られ、最初に、物語の享受は、注文主&そのサロンへとなる。「栄花物語」なんて、「社史」だと言われていた。当然、社内のことを美化して、いいように書く、それを見て、読み手は楽しく、悦びを持って受け入れる。その読み手を、更に、「姫君のための物語制作」と規定されていた。サロンに集う姫君たちの教育の書だったろうとの見方もあるとの見解を示されていた。道長の兄道兼などは、絵物語を収集させていたそうだ。これ、結構、意外性があって興味を引いた。大河のキャラでは想像がつかない。「源氏物語」の中でも、光源氏が姫君に物語を読み聞かせる場面があるそうだ。道長の策略の中に、天皇に入内するほどの身分の姫君を、彰子の女御に入れるように圧力をかけ、自分の系統の女子を、入内させやすいようにしていたそうだ。ライバル蹴落とし作戦で、その女御たちに物語を与えるという構造だったようだ。そういった道具にも使われていた。そこで、「栄花物語」を主として使いながら、道長の家族紹介が始まった。なんせ、「社史」だからいいように書いてあるようだが、個々の人物のキャラの違いなんかは、クリアになるようだ。妍子が、どうやら一番の美人だったようだ。そして、道長と倫子は「理想的な夫婦」と描かれてるそうだ。「紫上と光源氏」のイメージは「彰子と一条天皇」のイメージへ、また、「藤壺と桐壷帝」のイメージも、「彰子と一条天皇」のイメージへ繋がるように書いていると言えると言われていた。この辺が、読む人を想定した書き方ということなんでしょう。「源氏物語」に出てくる姫君は、藤原氏の当世風の姫君を原型として書かれてるのだろうとのことだった。こういうのが、正に「サロン文化」ということなんですね。「チーム道長」を形作る、これが物語の役目。「ことばを共有化」することで、共同体への帰属感をもたらす、そういった作業の役に立ったのだろうということで、その仕掛人は、言うまでもなく、物語の依頼主でありスポンサーの道長ということになるが、そういったことが横行していた世界で、権力者だったかげんで、道長側の物語が残されようとして、結果、残ったが、そういった物語が多数あったのだろうと考えられると言われていた。さほど意外性のあったお話だとは思わなかったが、確実に、あの時代を捉えたお話がおもしろくないわけではありません。堪能しました。
 立命館大学国際平和ミュージアムでは、今、秋季展覧会「阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々」が行われている。阿波根昌鴻は、言わずと知れた沖縄の反基地闘争を牽引していった人物。でも、その阿波根昌鴻に写真展とは、即座に合点がいかなかった。こういった展覧会がなければ、生涯知らなかっただろうことを知ることになった。非暴力で反基地闘争を率いた阿波根昌鴻にとって、こういった伊江島での動きを、マスコミも関心を見せるわけでもない、また、米軍や琉球政府は、その実情を正確に伝えさせるわけもないということで、自身が、カメラを買い求め、その記録を撮り出したというのだ。当時、伊江島唯一のカメラだったそうだ。おかげで、我々は、その実情を目にすることができるのだ。写真には、阿波根昌鴻自身が写っているものが、そこそこあることから、決して阿波根昌鴻自身が、全て写真を撮ったわけではなかろうと考えられているようだ。冒頭は、米軍に接収されてぐちゃぐちゃにされた自身の土地で撮っていた。テントを張った生活が、その後のスタートだったようだ。運動の様子も、当然、多く撮られている。那覇への陳情、これって、それだけで大変だったはず。伊江島から本島に渡り、と言っても、伊江島は北部沖にあるから、大変だ。第一、写真を撮っても、現像が島ではできないから、那覇まで持って行かないとダメだったそうだ。乞食行進という運動があったそうだ。伊江島の問題が、沖縄ですら知られてなかった。そのアピールだが、そういった地道な運動が、全島挙げての運動を喚起していく力になっていったようだ。そして、阿波根昌鴻ってキリスト者なんですね、これも、初めて知った。アメリカ人に訴える、そのため、キリスト教精神に訴える。それだけではなく、根本にある非暴力というのも、その辺から来ているのかな。更に、立て看に書かれてあるメッセージは、読ませる。非道な土地接収に対し、「人間とはどんなものか教えてやろう」の気持ちを込めて書いていた。これは、かなり衝撃で、「命ど宝」という言葉に貫かれている意味というのは、沖縄戦で多くの命が失われたことへの追悼の気持ちだけではなく、また、その過程で看られた軍というのは決して住民の命を守ることではなかったという事実だけでもなく、人類に共通の問題として普遍的な意味を持つということが、そういったメッセージから読み取れたような気がした。多くの写真は、島の人々の日常の顔、活動の風景、だけど、それが、土地接収を受け、米軍の演習と隣り合わせでの生活だったということを、常に、思い浮かべておかないといけないと考えながら観ることになった。南の明るさを備えている、いい写真が連なりました。基地さえなければ、そう思わざるを得ない写真展だったな。このミュージアム、地下に常設展があるんですね、これ、チケットを買ったときに、受付の方から教えてもらった。ずっと、1階の特別展の会場だけが、ここの展示室だと思っていた。地下、めっちゃ、充実してました。日本の歩んだ道だけではなく、近年の世界情勢をも組み込んだ充実の展示だった。もう少し大きくなったら、DとSも連れてこようと思ったけど、生きてたらだけど、もう一つ、その頃になると、「一緒に来てくれてたら」が入るだろうな。丁度、修学旅行生と思われる生徒さんが見学に来ていた。グループ行動の立ち寄り場所に選んだようだった。声をかけてみようかと思ったけど、不審者になっちゃいけないんで、止めた。この常設展は、観れば解るだろうと思ったけれど、阿波根昌鴻は、さすが説明が要るだろうと、勝手に思ったんだけどね。


2024年 11月 8日(金)午前 6時 27分

 昨日は、朝からお出かけ。近鉄電車沿線でハシゴをした。近鉄電車は、運賃が高いので、こういったことを考えて、行くようにしている。まず、学園前まで行き、大和文華館で美術展、そして、寺田まで戻り、駅近くのインド屋さんで昼食。このお店の味、気に入っている。こういった機会にしか行くことができないが、美味しいインド屋さんの一つだ。そして、文化パルク城陽のプラネタリウムで浪曲を聴くというのが、昨日のプログラムだった。そんなで、別枠の時間を設けてウォーキングのできなかった一日だったが、帰宅後、万歩計を見ると、12300歩余だから、結構、歩いてるのに驚いた。
 大和文華館では、特別展「呉春―画を究め、芸に遊ぶ―」が行われている。呉春をまとまって観るのは、初の経験。そういったことで、期待の大きかった展覧会だった。でも、呉春について知っているわけではない。ほぼほぼ名前を知っているくらいだ。作品は観たことがあったので、水墨を中心に描いた作家だということは判っていた。が、ちょっと風変わりな名前の由来も知らなかった。池田に住んでいたということで、「呉服里」から「呉」を取り、そこで春を迎えたので、この名前を使うことになったそうだ。本姓が松村、松村景文が異母末弟にして弟子だそうだ。そんな繋がりがあるんだ、へぇ~だった。与謝蕪村の門下で、俳諧と絵を学んだ。円山応挙と同時代人で交流があった。これで、かなり頭の中に収まりが良くなった。この美術館、毎回、入口部分に、3つほど、特別に取り出したかのように、主役の作品が置かれてんだけど、その一つにびっくり。林喜右衛門家所蔵とあったからだ。「太施太子図」という作品で、観世小次郎信光作の謡曲(番外曲)にインスパイアされた作品とあった。展示の章立てでは「呉春、芸に遊ぶ―俳諧・謡曲・美食―」に入る作品を取り出してあったのだ。林喜右衛門家所蔵と記されたものは、もう一つあった。宴席なんかで、ささっと描いたものではないかと解説にあったが、「牡丹図」で、宗家観世清興の賛が入っていた。賛は「石橋」をネタにしたもの、だから、絵は牡丹という仕掛け。林家は、代々、宗家の下で修業を積むのが慣例となっていたそうだ。それ、今も続いている。章立てごとにメモると、「①画業前半期の呉春」では、「羅漢図」「飲中八仙図屏風(杜甫の詩にインスパイアされたもの)」なんかがあったが、「群山露頂図襖」(重文、大乗寺所蔵)が群を抜く見事さ。西洋風の遠近感を出さない水墨画のはずなのに、この山の絵には、えらく遠近感が出ている。他では観たことのない幅の狭い線を、山を描くのに使っているのだけど、その効果で、そういった遠近感が出ているのだと判ったが、これは驚いた。「②蕪村と呉春」という章立てだが、蕪村ものは2点だったかな。ま、全体の数が多いわけではないのだから仕方はない。その2点の内、「鳶・鴉図」(重文、北村美術館所蔵)が抜群。二幅対だけど、後期では「鳶図」だけが出ていた。風雨のなか、木に止まる鳶。結構、強く感じる風雨にも拘わらず、安定感がある。自然の厳しさが出ている。白い部分は、地のままだそうだ。それだけ残すっていう技、これ、ホント、凄いと思ってしまう。重文がもう一つで、こちらでは、呉春の作で「柳鷺群禽図屏風」(京都国立博物館所蔵)。六曲一双の作品で左隻だけが展示されていたが、この作品だけは、半分だけ出すというのはあかん、絶対に。鷺が、右に向け飛ぼうとしている絵の先がないのだから、無茶もええかげんにして欲しい。「鳶・鴉図」も半分だけだったけど、独立して観ていいものと、そうじゃないものがあるやろと思った。それと、あとの作品でもあるのだけど、木を描くのに、全体のシルエットのようなものを描き、その中に葉っぱを細かく描いて、木に仕立てるという、えらくデザインチックなことをしているのに目が行った。「初午詣図」(神戸市立博物館所蔵)がいいね。呉春の描く人物画というのは、完全に二手に分かれている。この作品のように庶民を描く際は、にこやかで、かわいい感じで、柔な空気が満ちているのに対し、文人ぽい印象を受ける人たちや、身分も高そうな人を描く場合は、中国絵画かと思うような描き方をしている。ちょっとお堅い印象を持ってしまう。この2つが、ホント、好対照なんだな。「③呉春、芸に遊ぶ―俳諧・謡曲・美食―」の代表作が林喜右衛門家所蔵の作品、あとは、俳書に描かれた挿絵(天理大学附属天理図書館所蔵など)が展示されていた。「④呉春、画を究める―画風の転換―」が充実のコーナー。「白梅図屏風」(重文、逸翁美術館所蔵)が圧巻。芭蕉布に墨画という作品。全体的に暗い。暗いのは、芭蕉布を使っているからか、また、ざらざら感のする布に描いているから、背景が粗く見える。そこへ、じっくり観てから気づいたんだけど、梅枝は、不自然に曲がっているが、それは、形のおもしろさ、全体像から来る配置の妙を狙っているようで、だから、しばらくは、その変な曲がり方に気づかないのだ。そこへ白い花が点在する、それも偏在させて、バランスを取る、独特の美意識があるのでしょうね。とても、神秘的な印象を持ってしまった。同じ、梅枝を描いた作品が出ていた。円山応挙「雪梅図壁貼付」(重文、草堂寺所蔵)。障壁画十面のうち一面だけを展示してるそうだ。呉春との対比がおもしろい、写実に徹し、且つ、力強いのが応挙もの。独り立ちしている梅の木。呉春は、周囲の中で美を放つという印象かな。「山水図襖」(京都市指定文化財、妙法院門跡所蔵)の構図がおもしろい。六面の作品だが、90度曲がる角の両脇に岩や樹木を集めるという構図。それで、下っていく坂の見せる線の流れに勢いが出てる。おもしろいことに気が付くんだね、アイデアが素晴らしい。「鸚鵡郁子図小板戸」(宮内庁京都事務所所蔵)に描かれた鸚鵡が、線だけで、立体感出していた。凄腕です。あと、重文の「四季耕作図襖」(大乗寺所蔵)や京都市指定文化財の「四季耕作図襖」(西本願寺所蔵)が出ていた。いずれも、既に書いたように庶民の生活を描いたもので、その特徴を、ここでも感じた。「⑤呉春、一家を成す―四条派の祖―」が最後のコーナーにして、一家を成し、そして、晩年の作品が展示されていたが、今回の展示の秀逸の一つが「三十六歌仙偃息図巻」(逸翁美術館所蔵)。三十六歌仙の澄ましたお姿ではなく、「休憩中」のお姿を描いたもの。談笑する人、相撲の真似をする人、、、人、各々、休息を寛ぎながら過ごしているというものを描くという洒脱さは凄いね。これ、流行ったそうで、門下の作家が真似たそうだ。「四条派の祖」というのは、それだからじゃないとは思うけどね。ここにも一つ、京都市指定文化財があった。「泊船図襖」という作品だった。呉春は、「没骨描法」という輪郭線を描かない絵のことなんだけど、これで、随分と多くの作品を残している。この技法、既に、中国絵画の重要な描き方の一つだったことが、調べてみて判った。だけど、この技法って、敢えて解説されてないと思い浮かばない。いや、日本画にはないとの認識でスタートしていることを反省。なかなか、おもしろい展覧会だったな。期待に応える展覧会だった。ほぼ、他の美術館からの借り出した作品で出来上がっていた展覧会。こういった展覧会って、なかなかないんだよね。それを考えると、とっても有難い展覧会でもあった。
 城陽での浪曲は、2ヶ月に1回のペースで開かれている京山幸乃の会。曲師は一風亭初月。番組は、次のようなものだった。「阿武松緑之助」「プラネタリウム解説」「寛永三馬術・大井川乗り切り」。ところがだ、前の2つは爆睡。「阿武松緑之助」では、もうマクラで寝ていた。プラネタリウム辺りでは、自分のいびきで目が覚めた。周りを見渡してしまった。マイクの音量が大きめに入っていたため、大事には至らなかったみたいだが、冷や汗をかいた。そのおかげで、後半は覚醒。「大井川乗り切り」はいいネタだな。初めて聴いたのは、奈々福さんでだったはず。度々平のキャラがおもしろくて、それで、映えるネタだと思った。けど、幸枝若節での「大井川乗り切り」も、気が変わる感じで聴けるので、これはこれでいい。幸枝若自身の口演でも聴いたことがある。そして、お約束の場面で切り上げてしまう。ま、終わりよければ全て良しと思うことにしましょう。次回は1月。予約制は取りやめになってた。喬介の会は未定だそうだ。ということで、本年最後となった城陽でした。


2024年 11月 6日(水)午後 8時 37分

 今日は、久しぶりに休養日とした。プチ旅行から帰ってきてからも、全く、休養日に充ててなかったので、遅すぎるくらいだった。そこで、今日も、洗濯日とした。そして、日に2回のウォーキングも、ごく普通にした。夕方、万歩計を見ると、17600歩弱と、これまた、極めて順調だった。午前中のウォーキング時には酒の買い出し、夕方のウォーキング時には、生活用品の買い出しもできた。有効活用しています。また、明日から、お出かけ予定が詰まっています。今度の日曜日にも予定が入っていたが、それを潰してでも、DとSと遊ぼうとしたが、「既に予定が入っています」、更にダメ押しをするかのように「11月は全部予定が入っています」、何、それって、思わず、突っ込んだよ。その内に韓国行って、帰るまでは、少なくとも会えないということを意味してる。腹立つわぁ、完全に無視されてる。
 午後の一時は、韓国旅行の準備。気が付いたら、出発まで1ヶ月を切っているということで、鉄道の切符を買いに入った。Korailのチケットをオンラインで買おうとすると、1回に2回しか買えない。これは、前からそうだったが、今回も、3回目は変なメッセージが出てダメだった。前回は、違うクレジットカードを使うと、3回目は買えたが、4回目はダメだったが、今回は3回目もダメだった。そして、今までの経験から、このあと1週間程開けないと、次の2回分のチケットが買えないのだ。だから、前もって買う場合には、余裕を持って買いに入らないとダメなんで、うっかりしていると買えなくなってしまう。というほど、焦らなくても買えるんだけどね。前々回は、フレキシブルにしたかったので、乗る前に買うつもりで行き、何の支障もなく買えたので、ま、大丈夫なんだろうけどね。今日は、「ウルサン(蔚山)~プサン(釜山)」「プサン(釜山)~テグ(大邱)」の移動に関する切符を買った。いずれも、KTXは避けた。ウルサンからは、KTXの駅が遠いので面倒なんで、在来線の方にした。すると、駅は町中だしね。釜山もプジョン(釜田)止まりというのがおもしろい。大邱への移動は、ケチったわけではなく、30分、余計に電車に乗っていたいから、わざとKTXを止めて、ムグンファ号にした。前回、ナジュ(羅州)とモッポ(木浦)の僅かな移動にKTXを使わねばならないほど、本数は少ないということはないのが嬉しい。バスにするというのを、極力避け、鉄道を使うということで、移動は組もうとしている。これが、現在の楽しみの一つになっている。でも、韓国がバス社会だというのは、今は昔になりつつありますね。鉄道の充実が素晴らしく、バスを圧倒する勢いのように見えるからね。ホテルの予約もした。4泊分、押さえた。コロナ禍明けは、韓国のホテル事情は変わったとは思いわないのだけど、持ち歩き現金を抑えることのできる美味しさに惹かれてしまっています。1泊分は、まだ、きちっとは確認してないが、ネット予約が難しいところに泊まろうかなと思ってるので、最後に回したところ、時間切れになってしまい、きちっとした確認ができてないのだ。simカードも、まだ買ってないしと、ようやく、事前準備が本格してきています。


2024年 11月 5日(火)午後 10時 17分

 今日は、午後に映画を観るという予定を入れていた。朝、時間の確認をして、お出かけ時間の設定をしようと、電車検索をすると、京阪電車が止まっていた。「人身事故」と出ていた。しかも、駅を見ると伏見区内だった。だから、とりあえずは、映画のオンラインでのチケット購入は止めた。ま、朝早くの出来事なので、午後だと大事になることはないとは思ったが、一応、控えておいたが。そんなで、朝からいい気持がするわけがない。洗濯日にもしたかったので、午前中ウォーキングはミニミニにして、時間は確保。ついでに、食糧調達の要もあったので、ミニミニだけど、時間を確保した。結局、電車の運行状況を確認後、映画には行ったので、映画館への往復と併せたのが、本日のウォーキング。万歩計は14000歩弱と出ていた。ちょっと少ないけど、仕方ないな。
 映画は、MOVIX京都で観た。韓国映画「破墓/パミョ」を観てきた。ホラー映画だが、主役4人の1人にユ・ヘジンが入っていたからだ。話は単純だ。アメリカ在住の韓国人の赤ちゃんに変が起こる。その原因が、、、この辺の展開がよく判らなかったのだが、どうも筋立てを追うのが苦手だ、で、単純な展開と言うのは厚かましいが、とにかく、先祖の墓に問題があるとのムーダン(巫堂)ファリム(キム・ゴウン)の判定があった。彼女は、男のムーダンのボンギル(イ・ドヒョン)とともにお祓いをする。そこへ、風水師サンドク(チェ・ミンシク)と葬儀師ヨングン(ユ・ヘジン)が噛んでくるが、その噛んで来方が、よく判らなかったが、とにかく4人が組んで、墓を開き、祓いを行い、平癒を目指すが、墓掘り人の1人が、棺を取り出したあとの墓穴に出て来た蛇をスコップで殺したことから、様子がオカルト調になっていく。魔物みたいな影が、赤ちゃんの韓国の家族を襲ったり、アメリカにも現れ、赤ちゃんを殺そうとしたりするが、土葬で、骨や副葬品が、朽ちたとはいえ残っているのが問題の大元ということで、棺ごと火葬にすると、正に、殺される手前まで行った赤ちゃんが助かり、めでたしめでたしなのかと、ちょっとは思った。思いつつも、これ、土葬から火葬にしただけで、呪いが解けたでは、さすがにあかんでぇと思ってたら、ここからが、更なるホラー的展開が用意されていた。なんと、開いた棺の下に、今一つ、何やら棺状のものが出て来た。おまけに、祟りと思えるような事態も、まだ、収まっていなかった。「重葬」という手の込んだ仕込みをしてくれてました。もう1体の魔物が潜んでいたということになったのでした。その正体は、日本の植民地統治と関係があった。ただ、どの、何がというわけではなく、何か困ったことのルーツは、日本の植民地統治だとのノリという感じだった。そういった意味では、植民地統治が、韓国のエンタメ作品で、どのように取り扱われているか、研究者の方たち、ターゲットにしてないかなと思ってしまった。こういったでっち上げ的な物語は、整合性を持ってもらいたいなと、いつも思うのだが、そういった観点で言えば、決して、満点の出来だったとは言い難い。一応、日本の陰陽師が閉じ込めたとなってたんだけど、何を閉じ込めたのかは、よくは判らなかった。その辺が判らないまま、魔物との対決は進む。ボンギルにも憑りついた魔物退治、最後は、「木火土金水」という五行讖緯説の原理だった。「なんじゃ、それ」とも思わないでもなかったが、そこまでの、おどろおどろしさで、たっぷりと楽しませてもらったので、昔ながらの原理を持ち込んでも、それは、もう、どうでも良かった。むしろ、「その手で来るか」的な突っ込みができて、おもしろかったな。韓国では、大変なヒット作で、海外からの引き合いの多い作品だとか。確かに、異文化としての韓国文化という点では、楽しませてはもらえるけど、それまでという感じで、あとあと思い出すと、観ているときのわくわく感は、何だったのかが気になってしまってる。チェ・ミンシクは、いろんな作品で見かけた記憶がある俳優さん。ユ・ヘジンはともかくも、一番、気になったのはキム・ゴウン。今までの出演作品にチェックを入れたが、自分の知らないものものばかりだから、完全な初遭遇だけど、編集の成果が大きいのだろうが、ムーダンとしてのお祓いパフォーマンスが良かったなぁ。イ・ドヒョンも、全く知らない俳優さんだけど、溌剌とした感じがいいね。狙いのユ・ヘジンは、変幻自在、何でもできますね。シリアスな役柄も、お似合い。まだまだ、追っかけますよ。


2024年 11月 4日(月)午後 11時 23分

 今日も、午後に大津へ行った。行く場所は、違ったが、昨日と同じ電車。だから、昨日同様、昼前にはミニのウォーキングができた。昼食も、昨日同様、パンを公園で食べた。今日は、目の前が琵琶湖だった。この往復を含めて、本日のウォーキングは17200歩余と、昨日よりは若干多め。夕方、PCに向かってると、知らない間に寝落ちしていた。午後のイベントでは寝落ちしなかった分、その代わりということでしょうか?
 今日の行き先はびわ湖ホール。今日は、「オペラ演出家 栗山昌良を語る」というトークイベントがあった。昨年亡くなった栗山昌良が、同ホール主催のオペラ公演で演出をしていた縁でのもの。それを受け、今年度のオペラ公演は、3つとも栗山昌良のプロダクションが組まれている。「竹取物語」「三文オペラ」「死の都」だ。お話をされたのは、栗山昌良のもと、演出助手を務めた経験のある中村敬一と、栗山昌良演出の舞台に立った経験を持つ福井敬のお二人だった。黄紺的には、東京時代、生オペラを観たときの二期会などのオペラ公演で、鈴木敬介と並び、栗山昌良演出ものというのは、ホント、オペラって、なんておもしろいのだろうと思わせられた記憶がある。現代の日本のオペラを、ここまで引っ張ってきた大功労者だ。でも、詳しい経歴は知らなかった。オペラの演出に入る前は、千田是也のもとで研鑽を積み、そのため、俳優座に籍を置かれていたということだった。オペラに移るきっかけも話されていたが、失念してしまってる。メモも残してない。間に、栗山昌良演出ものに出演した歌手の皆さんのコメントを入れ乍らの進行。登場した歌手&演出家の皆さんは、次の顔ぶれだった。並河寿美、森谷真理、晴雅彦、迎肇聡、小坂秀*。ちょっと、関西にシフトしたかなという布陣だが、それは仕方がない。佐藤しのぶと益河寿美が、ファミリーだったようで、お気に入りだったそうだ。そのソプラノについては、登場するときのアリアを大事にしていたそうだ。また、びわ湖ホールでの栗山昌良作品の上映もあった。装置には、妹尾河童ものもあり、このホールでも、名コンビぶりを発揮していたようだ。トークの中で、一番関心を惹いたのは、新国立劇場に対するスタンス。設立に関わりながら、スター・システムを取るようにシフトしていったことから、新国立劇場とは距離を取るようになっていったそうだ。だから、同時期に誕生した、びわ湖ホールや兵庫芸文に期待を寄せる傾向があったそうだ。それで、びわ湖ホールに、栗山昌良のプロダクションが残ったということのようです。トークをされたお二人は、ともに栗山昌良と同じ現場におられた方だから、その演出での指導ぶりが、ふんだんに出て来た。かなり頑固一徹の、昔ながらの強者というイメージを持ってしまった。気に入るまで、何度も繰り返す、前に進まない、ぷいっと帰ってしまう、観劇に来ても、気に入らないとすぐに帰ってしまう。中村さんなどは、遅れて劇場にやってきたら、気に入らないと帰る栗山さんとすれ違ったことがあると言われていた。栗山さんが、前面に出てこられた時期って、それこそ、現代のオペラ上演の基礎が出来上がっていく時代だから、歌手に演技を求める、動ける歌手を求める時代の草創期。それに、一番、貢献されたのかなと、裏側を知らなかったものだから、これも印象に残った。登場人物のキャラ、心情を考えることから指導されて行ったようです。どうしても、おもしろく見せることに努められたとの印象を、観る者側からすると思ってしまうけど、そのおもしろく見せる上での根本から叩きあげて行った演出家だったのだと思えたのが、大きな収穫だった。福井さんは、1曲だけだったけど、「トゥーランドット」のカラフのアリアを日本語で披露してもらえた。藤沢市民オペラで、初めて歌った思い出のある役だと言われていた。
 夜は「ブラタモリ」の第3夜、枚方、守口、大阪と進んだ。枚方に、一番、時間を割いていた。街道を歩いただけじゃなく、鍵屋に入り、淀川を眺めながら、くらわんか舟のトピックまで出てきていた。その替わり、守口は少なめ。秀吉の作った堤防沿いを歩いたけども、うだつの話は出てこなかった、残念。大阪は終着点だけ。高麗橋がそれだったんだって、、、知らなかった。さて、次回はあるのでしょうか? あるのだと、どこ? 県庁所在地で、まだ出てなかった盛岡や青森、蔵王や出羽三山など、東北地方に心残りが多くあるような気がしてる。ま、震災があったからね。同様に、自然災害があった箇所は省かれ気味だから、雲仙や木曽が出てないのも気が残ってるので、やって欲しいな。


2024年 11月 4日(月)午前 6時 57分

 世間的には3連休の中日の日曜日。朝には、「日曜美術館」の新作を観て、ミニのウォーキングをして、帰りに食糧調達。そして、一昨日買ってあったパンを持って出かけた。昨日は、午後に、大津市歴史博物館での市民向け公開講演会に行く予定だった。。こちらへ行くときは、毎度、昼食を買って行き、博物館下の休憩所で食べることにしている。それで、効率的な時間が使える。やっぱ、ここの博物館は、若干、遠いという気があるので、毎度、そうして時間稼ぎをしている。この往復の徒歩移動を入れると、昨日のウォーキングは、万歩計で16200歩余を表していたから、正解だな。
 「日曜美術館」は、毎年恒例のテーマの日だった。「天平の輝き ふたたび 〜第76回正倉院展〜」ということで、スタジオにゲスト(奈良国立博物館館長井上洋一、和田彩花)を招いて、MC2人と語りながらの進行だった。正倉院の展示のついて、初めて知ったのは、展示されると、その後、10年間は展示をされないというルールがある。後世に伝えるためにあるルールだそうだ。だからか、奈良国立博物館のHPに掲載されている、この展覧会の作品リストを見ると、前回に展示された年が書かれていた。番組で紹介された展示品をメモっておく。①鹿草木夾纈屛風(左右線対称の文様)②花鳥背円鏡(文様は異なるデザイン、8世紀唐から伝わったもの)③紅牙撥鏤尺(これも唐から伝わったもので、「撥鏤(ばちる)」という細工技法が使われている)④紫地鳳形錦御軾(鳳凰を囲むのは西アジアで好まれた葡萄文様、聖武天皇愛用の品? 使い込んだと思える劣化が見受けられる)⑤黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(背面=七宝〈エジプトから唐を経て伝わる〉、正倉院所蔵品で七宝が使われている唯一の鏡)⑥続修正倉院古文書第三十四巻〔造仏所作物帳〕(国内でガラスが作られていた証拠となる記述がある、瑠璃=ガラス、お堂の部品や仏像の原料としたようだ)⑦瑠璃玉原料(アクセサリーとしても重宝、魚形のアクセサリー、糸を通す穴がある)⑧瑠璃魚形(再現模造品=素材から全て再現、在倉敷の再現した作家の制作様子を紹介していた、再現作業と謂えども、本物には触れることができないので、かなりの困難を伴う作業、同じ色を出すために、ガラスを溶かすために木材を燃やしていたことを想定して、燃やした竹を混ぜることで、その色彩を出せた)⑨沈香木画箱(東大寺宝物、寄木細工の箱、側面に幾何学文様、木の色を組み合わせて絵にする、国内制作、制作時は香木で香りがしていた、素材に香木が使われていたから)⑩緑地彩絵箱(タイマイの甲羅を模様として再現、木に金箔を張り上に墨で絵を描いている)⑪漆彩絵花形皿(縁には金箔で花模様、捧げ持つので裏にも模様が施してある)⑫紫檀金銀***(?)。
 大津市博物館での講演は、企画展「石山寺—密教と観音の聖地—」関連記念講演会として行われたもので、「《石山寺縁起絵巻》を読み解く」というお題で、國賀由美子(大谷大学文学部教授)さんのお話を聴くことができた。「石山寺縁起絵巻」というもの、その名前は聞いたことがある重要文化財。が、それが、そのようなものが描かれているのかを知らずに行った。お話の中で、紹介していただけるだろうという野放図な考え方で行き、失敗した。7巻あるそうで、「1~3巻」「5巻」「4巻」「6~7巻」という順で制作されたそうで、各々の制作時期が離れている。また、絵巻には詞が書かれているが、絵と一緒に書かれたわけだはない。また、時期によっては絵だけ描かれ、その後、ん十年もしてから詞が添えられたり、また、その逆もあるそうだ。最初の「1~3巻」は、正中年間頃の鎌倉時代に成立したのは間違いないそうだが、最後の「6~7巻」に至っては、江戸時代のもので、松平定信の命を受け、なんと、谷文晁が絵を描いたというから、随分と開きがあるものだ。寺社の縁起となれば、当該の寺社の成立譚が表せられたり、寺社にまつわる霊験譚が表されたりするものと相場は決まっているが、石山寺では、どういった物語が紡がれ、図示されたのか、それが、最大の関心事であるはずだが、そこで寝落ちしてしまったから、絵巻に描かれた図や詞については、一切、聴いていない。ご丁寧に、その部分で寝落ちして、それが終わったところで覚醒した。だから、まとめのお話や、その後の写本・摸本(この2つの違いは?)についてのお話は聴けてるのだが、一番の根本が聴けていない悲しさ。言葉としては解っても、全く、内実が伴わない悲しい結果となった。「1~3巻」制作の仕掛け人は判っている。洞院家(西園寺家のこと)当主/洞院公賢と、その弟で石山寺第17代座主・益守、これが正中年間。詞の方は、それから、約半世紀遅れて、公賢の息石山寺第18 代座主・杲守が書いている。が、その一方で、伝杲守が認めた石山寺縁起絵詞が残っている(東京国立博物館所蔵)。これは、全33段あり、現在残っている7巻の絵詞と同内容だ。だから、既に、杲守以前から、石山寺縁起に関するテキストが伝存していたことが推測できると言われていた。テキストがあるから、それに合わせて、その後、絵が描かれて行ったのが、5巻以後の制作になるようだが、問題は、各々の時期に、描こうという、いや、描かせようとした動機付けが問題だ。「1~3巻」の時期も、それ以後も引きずるのが、石山寺の独立性の問題だそうだ。石山寺は、元々、東大寺との密接な関りで草創、その後、醍醐寺系の真言寺院になった。その関係で仁和寺とも深い関係を持つ寺院だそうだが、そこへさして、権門の大寺院(東大寺・比叡山)が、石山寺の末寺化を図ろうとしたため、その独立性主張をするために、この縁起物を作る必要があったのだということだった。「5巻」も、同様の動機で作成が行われたが、部分に留まったため、「4巻」「6~7巻」は、足らない部分の補完目的で作成されたものだということだった。従って、広いスパンで作成が行われているということだ。谷文晁が描いたときには、それまでのパーツと齟齬をきたさないように配慮されたそうだ。この遅れた時期の制作には、既に写本なんかが出ていたようで、それらとの関連を話されていたが、メモにはスルーしておく。細かくてまとめられない、また、素人には解らないな。石山寺から松平定信側に働きかけたことで、製作が始まったということなので、江戸時代には、大変な権勢を誇ってたようですね、石山寺って。こうやって、メモを作っていると、せめて、この絵巻を観ておかないとの気になってきた。そこで、展覧会自体は、文献資料が多いだろうから、腰を傷めるだけと思い、スルーするつもりだったが、せめて絵巻だけでも観ておこうの気になってきたので、もう1回、この展覧会関連高座に当選(2回連続当選! ありえないことが起こってます)してるので、そのときに行くことにしましょう。
 夜は「ブラタモリ」第2夜。今回は淀と八幡だった。淀競馬場に行くという段になり、競馬場内部の池が、巨椋池の名残りだったことを思い出した。3コーナーの坂は、全く知らなかった。あすこの坂、凄いからね。競馬場の側にある公園から、その坂から降りて来る第4コーナーが見えるけど、その坂、見たとき、驚いた記憶がある。確か、息子を連れて、その公園に行ったときに見た記憶。そんなことを思い出させてもくれた。石清水八幡宮からの展望、三川合流というトピック出すのかと思ってたら、本題とは関係ないからなのか、スルーしてた。「ブラタモリ」は、京都を取り上げる機会が多いから、巨椋池や三川合流は、いつか取り上げると思いながら、まだだね。端っこには出てくるが、本題にはなってない。昨日も、秀吉の造った堤までは出たのにね。そんなで、第3夜は枚方ですね。守口は、どうするのかな?


2024年 11月 3日(日)午前 6時 54分

 一昨晩から雨。台風の影響らしい。昨日は、午後に京都コンサートホールでのコンサートに行く予定だったが、雨が強くなるということを、天気予報なんかで言ってたのが気がかり。京都コンサートホールに行くときは、その往復にウォーキング替わりとなる徒歩移動を入れてるからだ。だけど、雨が酷ければ諦めるしか仕方ないので、その目星をつけようとしていた。とりあえず、洗濯をして、屋根のある物干しに掛けておいたが、その頃の雨の具合だと、傘さしウォーキングのつもりで行けると読んでいた。だから、そのつもりで出かけた。電車に乗るまでは、そういった具合だった。だが、乗ったのは地下鉄。その間は外は見れなかった。上へ上ってびっくりしたなぁ。いつも、一駅分歩いて、ウォーキングの量を増やしているので、北大路駅で、びっくりした。凄まじい降り。なのに、そのまま歩いてしまった。北大路橋を渡るときは最悪だった。既に、ズボンは水を吹くくらい濡れていたところへ、雨が容赦なく降った。この時点で戻ろうかと思ったけれど、戻るに戻れないから、そのまま歩いた。肩も濡れてるわ、靴にも染み込んできてるわ、肩に掛けていたカバンも濡れてる、どうしようもないけど、幸い、ズボンは、肌にべちょっとくっつく感じの生地じゃなかったのが幸いした。座席に腰かけても、大きな違和感がなかった。また、そういった生地だったからか、乾きが早いので救われた。おかげで、コンサートで音楽を聴くという意味では、さほど支障はなかった。で、コンサートは、オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.74「オルガニスト・エトワール“中田恵子”」というものだった。オムロンがスポンサーになり、お安くパイプオルガンのコンサートを行ってくれている。年2回だったかのペースだったかな、都合がつくと行くことの多いコンサートだ。自分的にも、このコンサートに行かないと、パイプオルガンを聴く機会って、ほぼほぼないからね。プログラムは、オールバッハ。次の曲が演奏された。「前奏曲とフーガ イ短調 BWV543」「《オルガン小曲集》より①いざ来ませ、異邦人の救い主よ(BWV599)②天から天使の群れが来たれり(BWV607)③おお神の子羊、罪もなしに(BWV618)④我ら救いたもうキリスト(BWV620)⑤キリストは甦りたまえり(BWV627)」「トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 (BWV564)」「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」「《オルガン小曲集》より⑥天にましますわれらの父よ(BWV636)⑦アダムの堕落によって全ては朽ちぬ(BWV637)⑧われ汝を呼ぶ、イエス・キリストよ(BWV639)⑨われら悩みの極みにある時も(BWV641)⑩人はみな死すべき定め(BWV643)」「パッサカリア ハ短調 BWV582」。「オルガン小曲集」を中心に据え、そこへ、代表的なバッハのオルガン曲を配置するという構成。前後半1回ずつ、中田さん自身が、マイクを持って、「オルガン小曲集」の各曲について解説していただけた。かなり、遊んでます、バッハ。いや、信仰の証として、曲に修辞的な操作をしたり、音形で、曲の内容に合った操作をしているということが、お話で、よく判った。基本はコラールで、それを操作して、曲に仕上げているそうだ。音符を並べて、十字架を作ってみたり、楽園追放の蛇を細かなちょろちょろ音形で表したり、堕落を減7度という音の跳びで表したりと、お話を聴いているだけでもおもしろかったが、いざ、それを演奏で追いかけるというのは、なかなかムズい。というのも、5曲1度に解説されるものだから、どの曲があれだったかというのが混濁してしまい、押さえられなくなってしまうからだ。3人の対話を表すために、中田さん自身のキー操作で、オルガンの音の出る方向を操作されるなんてこともあった。そうなんだよね、演奏者が、音色の配分をするというのも、パイプオルガンの演奏の特徴ですものね。有名なBWV565を聴いて、驚いた。有名なため、今まで聴いた演奏と比較できるのだが、中田さんのタッチが、とってもユニークっていうか、あんなに切れのあるタッチを、パイプオルガンで聴いたことがなかったもので、驚いたのだ。ましてや、この演奏は、全編、舞台上でされたから、演奏者には、微妙な音のタイムラグがあるのが判るはずだから、そのなかで、切れのある演奏をされたので。一層、驚きは大きなものとなった。そのようなスタイルがあるのだということを知っただけでも、このコンサート行った甲斐というものがあったな。
 コンサート終了後、外に出てびっくりした。雨は、すっかり上がっていた。「まさか、まさか」と、何度も呟いてしまっていた。となると、いつものように、途中、マートにも寄り~の、鴨川縁を歩き~ので、帰ることにした。ごく普通のことになったけど、駅では、JR奈良線全線ストップ、新幹線も止まっていることが、情報として流されていた。鴨川の流水量も凄かったしね。確かに、強烈な雨が降ったってこと、それで確認できました。鴨川は、上流が急峻なところを流れて来るから、この流れがえぐいんだよね。そして、夜は、久しぶりの「ブラタモリ」。なんと、先程歩いたという三条界隈からスタートし、伏見を取り上げていた。伏見と言えばという若林さんが、案内人で出てましたね。しかも、本職の肩書で。


2024年 11月 1日(金)午後 10時 46分

 昨日、夜の8時過ぎに京都に戻ってきた。今回は、前回と違い、バスは正常に運行。ほぼダイヤ通りに、京都に着いた。かなり腰にきているはずなのに、なんとか行けてるが、椅子に腰かけ、ふーっと力が抜けると、腰に重みを感じてしまう。疲労が溜まってないわけがないのだが、それを感知する力自体に衰えがあるのかもしれない。だから、どこかで堰が切れて、どどーっと押しつぶされてしまうのではと思ってしまう。そういう風に感じているにも拘わらず、早速、朝から出かけた。金曜日ということで、行き先はアスニー京都。今日は、「古典の日関連講演会 京都市立芸術大学移転記念講演」と銘打たれていた。こういった冠が付かないと、まあ、ここの講演会では聴けない音楽という分野。お題は「平安時代・鎌倉時代の雅楽をきくー古楽譜の解読ー」というもので、お話をされたのは、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター准教授の田鍬智志さんだった。雅楽がテーマというのは、自分的には苦手意識がある。けど、こういった場所での講演となると、何か、雅楽理解の糸口となるものが得られるかもという気持ちで参加した。旅行帰りの翌日にも拘らず、出かけていく講演会って、自分なりのモティベーションは持っていたつもりだったが、やっぱ、身体は正直だった。だいたい寝落ちするケースって、序盤なんだよね、経験知として。今日は、ほどほど進行してから、臨界点を越えたかのようにしてのダウンだったので、体力が続かなかったみたいだ。そこで、記憶にあるなかで、メモっておこうという点だけをメモることにする。「雅楽って、のんびりと進行するものだと思っていたが、元来はそうではなかった、時間が経つにつれ、なかなか前へ進まなくなっていった」「平安時代・鎌倉時代の雅楽演奏のスタイル演奏すると、もっと速く進む」「それを証拠だてるため、‶チューリップ‶の歌を使い、平安時代・鎌倉時代の演奏と現代の演奏を、実際に聴かせていただけた、PC上で音を組み合わせて作られたもの」「ということは、理論的に平安時代・鎌倉時代の演奏スタイルが判っていることを意味する」「その背景として、日本には楽譜が残っている。奈良時代のもの、平安時代前期のものは、1点ずつだが、平安時代後期から鎌倉時代にかけては、多く残っている、それだけ、演奏が盛んになってきた証拠でもある」「音として再現されたものは、平安時代中期(要するに大河絡み!)を想定して再現されたものだった」「この音源、Youtubeにもアップされている」「楽譜についておもしろいこと言われてた、中国には楽譜が残っていない、だから、中国の研究者で、日本の残っている楽譜を研究する人が多いそうだ」「で、残っている楽譜の紹介をされていく辺りで、記憶が途絶えている、幾つか紹介されたようだ、個々の楽譜について、実際の音に変えたものも流されていたようだ、その中に‶調子‶曲というのがあったようだ、‶源氏物語‶に、その記述が看られるということで取り上げられていたのは、薄っすらと覚えている、チューニング状の音楽だということも、薄っすらと記憶があるが、その内実は記憶にない」「最後は、‶演奏家ではない‶と断りながら、田鍬さんによる箏の演奏があった、高麗壱越調大曲‶新鳥蘇‶という名の曲、朝鮮由来の曲だそうだ、‶仁智要録‶所収の箏譜だそうだ」。そんなで、不十分だったが、知らないこと、ちょっとだけでも仕入れることができたので、少しは良しとしましょう。
 終了後、真っすぐ帰宅するつもりだったが、買い溜めの食糧があるわけでもないので、千丸交差点近くのインド屋さんで昼食を摂った。あとで気が付いたら、火曜日にもネパール屋さんで、お昼を食べていた。なんか、遠い前だったようで、すっかり忘れてた。それだけ、濃密なプチ旅行だったということなんだろうか。帰宅後は、プチ旅行の記録1日目の分を書き上げた。そして、夜6時には、予約を入れていた歯医者へ。そのネパール屋さんで、歯の被せものが取れてしまってたのだ。幸い、取れたものを、そのまま装着するだけで済み、ホッとした。ずっと、ブリッジにしてあるものの一部が外れたと思い込んでいたものだから、こわもので歯医者に行ったのだけど、あっさりと治療は済んだ。一挙に、朝からの緊張が解けた思いだった。


2024年 10月 31日(木)名古屋~豊田~刈谷~名古屋~京都

 名古屋のホテルは朝食付き。ボックスに入ったカツサンド2切、それに、あんこの付いた白玉がデザートという、かいらしい朝食。今日は、このあと、すっかり終わるまで、お腹に何も入れなかったものだから、さすがに食欲がないと言えども、腹がすいた。後から考えると、1つ目と2つ目の美術館移動の中で食べれたかとも思うのだけど、せっかく美術館巡りに来ているのに、途中カットなんてことにならないように、終わるまで食べなかった。まずは、伏見駅から赤池を越え、豊田市駅まで直行。前回の「エッシャー展」と連続になる豊田市美術館へ行った。今、こちらでは、「しないでおく、こと。― 芸術と生のアナキズム」というお題が付いた現代アートの展覧会が行われている。それに加えて、気に入っている、こちらのコレクション展を併せて観に行ったのだった。「しないでおく、、、」は、現代アートの展覧会だから、ちょっとでも、自分の感性に引っかかるものがあれば程度の思いで行ったが、さすが「アナキズム」がお題に入っている展覧会は、簡単には引っかかるものが見つかるものではなかった。第一、冒頭に新印象派の作品が展示されていることからして、混乱が始まった。シニャック、スーラ、ピサロといった大家の作品が並ぶ。印象派の選択した方法論、即ち、点描という手法がアナキズムに通じるというのだ。革命的手法とは思うが、アナキズムと親和性があると解説されると、混乱するしかなかった。「モンテ・ヴェリタ」というコミュニティがあったそうだ。資本主義でもないコミュニズムでもないコミュニティに神秘主義者や、ダダイズムやバウハウス関係のアーティストが集まった。そのようなことがあったということは、時代性を考え、解る気がしたが、そこで、何をして、作品と言っていいのかも議論があるのかもしれないが、何が残ったのか、展示物というよりか、そのコミュニティを回顧する年表や写真に終始して、「?」が点ってしまった。むしろ、「シチュアシオニスト・インターナショナルとアスガー・ヨルン」の方が、具体的なイメージを喚起する作業をしているということから、解りやすいものだった。共感もできた。現代資本主義のスペクタクルな姿として都市を問題にする。都市の表現を、違った視点を持ち込むことで、既存の都市概念、表象的な都市を解体して行こうという取り組みは解りやすかった。ギー・ドゥボール「パリの心理地理学的ガイド」という都市マップをアレンジした作品で、それを具体化していた。その側で広いスペースを占めていたのが、コーポ北加賀屋のインスタレーション作品。ミラノとトリノだったかな、こちらも地図に書き込みを入れた作品なんだけど、これなど、完全にギー・ドゥボールへのオマージュかと思うんだけど、その背後に拡がるスペースに置かれている小物の群れは、いったい何なんだ! ご丁寧に、QRコードが掲示されていて、配備されている小物の謂れ、それは、かなり個人的な体験から来る、濃淡はいろいろあれど、思い出、記憶を手繰り寄せるツールとして存在している。それらが、家内に装丁されているスペースに散りばめられている。対象が都市という大きな単位から家という核となる最小の単位にまで引き寄せたということか? 「シチュアシオニスト・インターナショナルとアスガー・ヨルン」というコーナー全体に対するオマージュと考えられないこともないなと思えるようになってきた。更に、それと並びスペースを占めていた大木裕之の作品は、コーポ北加賀屋作品との境目がないかのように棚が並び、更に、大きなドームが設えてあり、内は暗転状態で、奥にスクリーンがあり、何やら映像が流されていたが、黄紺の目には何が映ってるのかが確認できなかった上に、棚に並んでいるものが廃棄物のようなものと言っていいほど、ガラクタや、過去の新聞。お手上げだったな、ここは。その背後に回り込む「ロシアと集団行為」のスペースが、おもしろい試みだった。これは、記録としてのテキストと写真しか残ってないのは、そのパフォーマンスから容易に納得がいくもの。だから、個々のパフォーマンスの様子を、1つ1つ、パネルに示してくれていた。制作者と観覧者が共同と言っても、観覧者は共同とは思ってないだろうが、制作者が出した指示に観覧者が動き、その反応や、一連の動きそのものがアートになっているという試みだ。だから、観覧者は、純粋にアートを見届けるだけではなく、アートの中に組み込まれ、観覧されるアートにもなっている。では、制作者が外部にいるかというとそうでもないようだ。制作する側も、内に入って来る。両者が、境界を越えあうことでアートが成り立っている。1980年代のロシアでの活動だそうだ。おもしろいものを紹介してもらえた、感謝。「オル太」は、団地の部屋と思しき空間を骨組みだけで作り、室内らしき光景を造ったうえで、この団地の中で観られそうな人々の動きを、小芝居で演じた様子を、側のモニターに映すというものだった。解説を読むと、団地にシフトした作品のようだが、小芝居の方が、在日ブラジル人に焦点を当てたものだったので、そこに引っ張られたのか、そして、そこでの言説が理解できなかったので、こちらもお手上げだった。入口入ったところでも観ることができ、且つ、出口には座席まで用意されていたのが、マルガレーテ・ラスぺの映像作品。スクリーンが6つに分かれており、いずれもキッチンでの作業の様子が映っていた。各々、同じ行為を、アングルを変えたり、時間をずらして映しているのかと思ったんだけど、あとで作品リストについている解説文を読み直して、ここの映像は別個のものらしい。だから、生き物の死と食糧的なことをテーマにしている映像かと早とちりしていることに、後から気が付いた。後の祭りで、何だったんでしょうか? やっぱ、振り返ってみると、「?」ばっかです。そんなものかもしれません、現代アートの展覧会というのは。ただ、失敗が1つありで、中庭にもコーポ北加賀屋の作品展示があったようです。中庭に人が向かうのを観ていながら、全然、不審に思わなかった自分の責任です。
 コレクション展は、企画展入口向かいの展示室から順に上に上がっていった。まず、1階は、作品リストとは異なり、1つの区切りが小堀四郎、もう1つの区切りが宮脇晴と宮脇綾子の作品が展示されていた。いずれも知らない作家さんだったが、このあと、思いがけないことが起こるのだが、ここでは、まだ、それに気づいてなかった。小堀四郎は藤島武二門下だそうだ。晩年、豊田市美術館に自作を多数寄贈したことで、こういった展示ができるようだ。油彩の人で、「小梨と藤」なんて、とても豪華で華やいだ作品が出ていた。その豪華さが「花火」という作品にも生きていた。かと思うと、「人生とは」という抽象画があったり、「河畔」という作品では、水墨と水彩を組み合わせて描くという多彩さも持っている。この作品の川面に照る光が良かったな。宮脇晴は、油彩で風景画や人物画、宮脇綾子は、アプリケで、魚や野菜を描くというもので、どれをとっても可愛いという言葉が出てくる。2階からは、企画展に合わせたのか、現代アート系の作品が出ていた。2階に上がる。広いスペースに、毎度、インスタレーション作品があったり、アート系の作品が配置されるところだ。一番、おもしろかったのは、最後にあった映像作品、加藤翼の「Break it before it's Broken」。木組みで作った塔を、人力で立ち上げ、その勢いで引っ張り前に倒すという作業というかパフォーマンスを、東南アジアかどこかでやってる光景を、何台かのカメラを設置して撮ってあるというだけの作品だが、引き上げ倒すという行為に、どれだけの意味があるかは置いておいて、何か、大仕事をするときに、観ている者が、どんどんと参加していく、工夫していく姿がおもしろくて。何か、人間って、共同性なるものを、本質的に持ってるんじゃないかと思わせられたのが、胸に刺さった逸品。わけが判らないけど、気になった作品が2点。ミシャ・クバルの「メガサイン I-VI」は、夜の同じビルを同じ角度から5枚だったか、連続的に撮った写真。違うのは、ビルにある部屋の明かり、しかも、階ごとに統一されてるものだから、その明かりに意味があるのか気になってしまった。いや、そう思わせる作品かもしれない。無意味なんだけど、意味を探そうとしているのに気づかせようとしているともとれる。同じな感性かもと思ったのが、浅野弥衛の「彫刻のある室内」。色の変化がないキャンパスが4枚、でも、目を凝らすと、濃淡で、部屋を表しているのが、3枚では判るが、残りの1枚は判らなかった。どんな意味?と、また、ここでも意味を考えてしまった。3階に上がる。花が喋ってるように見える映像作品、ミヤギフトシ「花の名前」はスルー気味。通路みたいなスペースに、なんと、エドヴァルト・ムンク「接吻」。通路に置くという着想がおもしろかった。かなり激しい作品なものだから、「観てしまった」感を出そうとしたのかな? ソフィ・カル「盲目の人々」シリーズから3点。盲目の人に「美しいと感じるもの」を言ってもらい、それを、作家がイメージ化したもの。盲目の人の写真と言葉も添えてあった。凄いこと考える人いるものです。奈良美智「Dream Time」は、「思えば遠くへ来たもんだ」的な作品。いえいえ、若い頃の作品だから、これから向かおうとしている態勢に入ったってことでしょうか? こんな作品も収蔵されてるんですね。河原温「Todayシリーズ」は、毎日日付を描いていくという作品。中西夏之「コンパクト・オブジェ」には、‶卵に詰めた廃棄所‶とメモっている、後から読んで、その意味が解らない。荒木経惟「冬の旅」が強烈。妻の死の前後を写真に収めたもの。棺桶の場面が近づくと、ひょっとしてと思い出す。追慕の気持ちが溢れかえっています。横山奈美「ラブと私のメモリーズ」、ペットの犬、名前はラヴ、この犬も亡くなる。こちらは、イラストっぽいタッチの作品、額装の仕方、絵の配置もアートになっている。胸キュンものの逸品だった。そんなで、この美術館、現代アートの大家の作品を、毎回、このコレクション展で見せてくれる。今回も、その期待に、十分応えてくれました。
 豊田市美術館を出ると、毎回、上挙母方向に向かうのが常になっている。今回は、名鉄の駅へ行き、知立乗り換えで刈谷へ。以前、宿泊したときとは反対方向にある刈谷市美術館に向かった。こちらでは、企画展「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」が行われている。今回のプチ旅行の発端は、この展覧会で、これに、あとの3つを絡ませて旅程を組んだのだった。宇野亞喜良は名古屋出身ということで、こちらの美術館で行われたものと思われる。ちょっと小ぶりな会場のため、1階2階の展示室だけではなく、1階のロビーまで使った展示。会場も、結構、せせこましくスペースを使ったもの。観るのに困るということまではなかったけれど、平日と雖も、人の入りは良く、土日だと、かなり観るのに困るんじゃないかと思った。完全なる回顧展だったので、学校で学んだ時代から始まり、「日曜美術館」でも紹介されていたが、最近は、俳句を基に、それに作品を添えるということが、最近のマイブームだそうだが、その展示まであるというもの。時系列的に並んでいるので、半ばで腰の心配をし出した。なんせ、この日2つ目、2日間の最後の美術館だったもので。だから、その辺を考えての見学をすることにした。写真を撮る、振り返って観直すは控える、そんなことを考えながら歩くことにした。冒頭にびっくりすることがあった。宮脇晴に師事していたことがあったと書いてあった点。うまく出来過ぎた展開だ。豊田市美術館で観てきたところだった。それまで、名前も知らなかった作家さん。それが、ここでも出て来たものだから、びっくりだった。そして、最初に就職した先がカルピスだった。その当時、手掛けた新聞広告のデザイン、観た記憶があった。ということは、社会人になって、早々から、その実力を発揮していたということになる。同時期のデザインに専売公社のものも手掛けている。えらく大手のデザインを、早々に手掛けている。この初期のデザインで目立ったのが、「越路吹雪リサイタル」のポスターやチケットのデザイン。その後も、長く、越路吹雪関係のデザインを手掛けていくので、何度か出て来た。独特の顔立ちを、ホント、印象的にデフォルメした作品は、確かに目につく、上手いものだ。「大阪フィルハーモニー交響楽団演奏会」のポスターのデザインも手掛けていたりと、音楽分野では、そのジャンルを問わずに手掛けている。そういった初期の作品が並んだあとは、時系列も加味しながら、ジャンルごとに展示が進んだ。「企業広告」では、大当たりを取ったというのが、旭化成工業の「カシミロン」のポスターだそうだ。「マックスファクター」の広告デザインも大ヒットを得たようだ。「雑誌・新聞」のジャンルでは、イメージと違い、結構、お堅いもののデザインも手掛けている。それらを観ていると、これまた、観覚えがある。そういった手掛ける対象により、そのテイストを使い分ける、また、同じ対象でも、毎回、テイストを変えるだけの引き出しの多さには驚くしかなかった。宇野亞喜良と言えばという女性のキャラクターがあるけど、それを、違ったテイストで登場させる、この技は神がかっている。同じものがないからだ。雑誌では、「宝石」「新婦人」「近代建築」「話の詩集」「朝日ジャーナル」「芸術生活」「週刊新潮」「詩とメルヘン」「ユリイカ」「週刊現代」「オール讀物」、、、とまあ、よくも、こんなに異質な雑誌に作品を提供した、いやできたものだと思えるが、それが、何でもできるということの証明のように思えた。「アニメーション映画」「舞台芸術」にも進出している。後者では、「渋谷・コクーン歌舞伎」でポスターのデザインを提供するのだと、ここまでの活動で、ごく自然なことだが、それだけではなく、芝居そのもののプロデュースまでやっちゃう。衣装や装置のデザインも、当然、関わっていく。全くのマルチだ。「書籍」というコーナーがあった。数が大変なものだった。カバー、口絵、挿絵のデザインを手掛けているのだ。その書籍自体も様々、寺山修司、景山民夫、内田康夫、赤川次郎、小池真理子、笹沢左保、柴田錬三郎、野坂昭如、夏樹静子、今江祥智、岩谷時子、、、もう、無節操とも言える、多種多様な作家さんの作品に起用され、それに応えていっている。懐の広さは、神業だ。「書籍」は「絵本・児童書」にまで、守備範囲は及んでいた。ここで、今江祥智との共同製作が多いんだよね。次いで、懐かしさいっぱいになったのが「ポスター」のコーナー。当然、ここには、改めて「越路吹雪リサイタル」のその後のポスターが出て来たが、「演劇実験室◎天井棧敷(『毛皮のマリー』など)」「劇団四季(バルコン)」「渋谷・コクーン歌舞伎(『桜姫』など)」「毛皮族(DEEPキリスト狂)」「新宿梁山泊(『ベンガルの虎』など)」「劇団民藝(『白バラの祈り』など)」「自由劇場(上海バンスキング)」「青蛾館(青ひげ公の城)」「人間座(『愛奴』など)」などの芝居関係から、コンサート、企業広告、書籍(『話の特集』など)、映画(『初恋地獄篇』など)、展覧会、大学の学生募集、ラジオ番組(日産パック・イン・ミュージック)、、、、といったものが並んだ。これはまいったなぁ、自分の生きてきた跡を辿るといえば大げさだが、記憶を辿る旅に誘われたという感じがしてしまった。そこで、ここまで写真は撮らないことに決めていたが、1枚だけ、撮った。考え抜いた挙句選んだのは、「パック・イン・ミュージック」のポスターだった。MCの名前を見て、痺れてしまい、これに決めたのだった。「絵画・立体作品」というコーナーまであり~ので、最後を飾ったのが「近作・新作」のコーナー。ここに俳句に添えたイラストを描いたものが展示されていた。いやぁ~、凄い展覧会。めっちゃ濃密。これだけの作品を描き分ける、ありえない能力です。ただただ、その熱気に煽られたかのような展覧会だったな。
 帰りは、名古屋駅から出る高速バスと決めていたので、時間を確かめると、結構な時間があったので、駅前へ戻り、食事をした。朝から、ホテルのカツサンドだけだったから、かなりの空腹だった。そして、食べながら高速バスの予約。昨日から野菜を食べれてなかったので、ここで、たっぷりめに補充。それとドリアを食べて、満足。バスに乗るということで、アルコール系はご法度だから、我慢。少し早めに、刈谷を出立。バスの待合室で時間待ちをして、乗車。前回と違い、全くと言っていいほどのダイヤ通りの運行で、午後8時過ぎに京都に帰還。ホント、夢を見ているような2日間でした。


2024年 10月 30日(水)西岐阜~桑名~名古屋(泊)

今日から、再び、地方美術館巡りのプチ旅行。朝6時55分出発と定め、まず、東海道線を使い、西岐阜に向かうことにした。今年3回目となる岐阜県立美術館を目指したものだが、出発直後にトラブル発生。これがあると困るので、出発直前まで、JR西日本の運行情報を調べてたが、その出発してから発生したトラブル。「琵琶湖線に遅れ」と出ていた。が、( )付きで、(米原から京都方面)と書いてあった。京都駅で電光掲示板を見ると、「10分遅れ」の表示。これが大阪方面の電車だったので、逆方向は大丈夫かと思ったら、入線場所の変更だけで、乗る予定にしていた電車は、通常通りの運行で、ホッとした。前回のバスの遅延があるので、ヒヤリとはしたが、大事には至らなかった。西岐阜駅に着くと、駅に近いコンビニで朝ご飯を購入。美術館の敷地内で食べる。ちょっとした公園になってるので、端からそのつもりだった。開館と同時に入館。前も、そうだったが、待ち構えた人、もう一人いた。今、こちらの美術館では、2つの展覧会が並行して行われている。「PARALLEL MODE:山本芳翠 ー多彩なるヴィジュアル・イメージー」「PARALLEL MODE:オディロン・ルドン - 光の夢、影の輝き -」の2つだが、この2つに、「PARALLEL MODE」と付いているのは、この2人が、同じ時代を生き、そして、師を同じくする(ジャン=レオン・ジェローム)ということから来ている。岐阜県出身の大家と、国内最大のコレクションを持つ有名作家を2人並べるという企画に惹かれて行ってみた。2人とも、この美術館で知った作家。山本芳翠は、今回も出ていた「浦島」で驚かされ、が、同時に、「このバッタモン、何?」と思った思い出があり、オディロン・ルドンは、不思議な目玉のわけのわからなさが気になり、でも、いつまで経っても、そのままで糸口さえ掴めないので、山田五郎のYoutube動画で勉強しようとしたが、何らのヒントを得られないままだった。今回の展示、山本芳翠については、「国立博物館収蔵品貸与促進事業の活用とともに、山本芳翠作品の日本最多収蔵館でもある皇居三の丸尚蔵館の地方展開方針の活用」を謳い、ルドンについても、手持ち作品ばかりか、他の美術館からも借り出しての作品を展示するということで、大変な数になることが想定された。腰がもたないのが、目に見えていたので、12時半までをメドに観ることにした。まず、山本芳翠から入った。作品は知ってはいたが、その経歴を知らなかった。「バッタモン」と感じさせるわけが、この展示で知ることになった。まず、この人、フランスで研鑽を積んでいるが、既に、日本に居る間に、日本の洋画の先達五姓田派に学んでいる。それで、「浦島」に掛かれる人物や色彩から受ける印象に納得がいった。フランスに渡ってからの模写作品も展示されていたが、その後の人物像の表情表現や皮膚の表現に活かされているのが確認された。そのフランス時代に、同じ時期に渡仏していた作家(岸田劉生ら)や伊藤博文という政財界人と交流している。このことが、かなり、その後の作家人生に影響を与えている。例えば、伊藤博文の沖縄行きに随行している。伊藤博文からは、明治天皇に献上する作品を描くことを求められている。だから、皇居三の丸尚蔵館はもちろんのこと、東京国立博物館、東京芸大といった国の関係施設が、山本芳翠の作品を多く所蔵しているのだ。後には、日清戦争、日露戦争に従軍して、戦争絵画を、多数残すことになる。後半の多くは、この戦争絵画が占めていて、かなり引いてしまった。この手の作品って、写真が出てくると、ブ-ムは去っていくんだけどね。ヨーロッパなんかでは、風景画が登場してきたあとにブ-ムになっているくらいだから、前の時代の話だから、フランスへ行き、そないなこと判っているはずなのに、そういったものを描いているということは、求める人がいて、差し出す相手があったからということなんだろうなと思った。圧巻の作品群は、一番奥の部屋に集められていた。ここの作品群に匹敵するのは、沖縄随行土産のようにして描かれた一連の作品くらいじゃないかと思ったほど、この部屋の作品群の圧は凄かった。もちろん、「浦島」があり、代表作とされる「猛虎一声」があったが、その対面に並ぶ肖像画が、どれをとっても、若い頃から洋画を学び、フランスへ行き腕を磨き、そして、帰国後、日本文化と融合させたという、この作家のらしさが、もっとも生き生きと出てたように思えた。もう一つ、側面一つ、プラスアルファの位置を占めていたのが「十二支」。行方不明の2枚を除き10枚が展示されていた。岩崎家の求めで描かれたものだそうだ。「祇王」というお題で「戌」を表した作品の、左半分を占める祇王の立ち姿に見入った以外は、自分的には、この部屋では荷が重そうに見えた。あと、洋画家のはずなのに、純粋の日本画のコーナーもあった。それも水墨画。しかも、隠し部屋のように設えられたスペースに展示されていたのが、なんか怪しげな空気を出していた展示だったが、そのコーナーについての解説は、さすがに出して欲しかったな。次いで、ルドン。諦めが先に立つが観ておきたい。どんな不思議なものが現れるかを楽しみに、ざ-っと観ることにした。ルドンの困る点は、作品に付いているお題、やたら長くて、読むと、何を読んでも判らない。何かをベースにしているようだけど、そのベースになるものが判らないから、ダメ。「アントワーヌの誘惑」なんかは、全く判らないわけでもないが、お題を読んでもイマジネーションが湧かない、ましてや絵を観ても、お手上げ。だけどだ、今回の展示、興味あるコーナーから始まっていた。日本の著名な作家らが、ルドン作品を持ってたというのだ。それを展示していた。大原美術館の収蔵品の基を作ったという児島虎次郎の収集品に入っていた。竹内栖鳳、土田麦僊、須田国太郎、岡鹿之助が所蔵していたルドン作品が展示されていた。題して「プロローグ:日本とルドン」だったが、それほど、多彩な大家から関心を持たれていたことが判るとともに、「なんで?」という問いも生まれてきた。ただ、これら大家が持ったという作品には共通点があり、まず、モノトーンではない。目玉だけというほどまではぶっ飛んではいないけど、また、後年、ルドンは、色彩豊かに具象作品を描くのだけど、実際、この展示でも、終盤はそれらが並んでいて、ルドンものとしては珍しいということで、展示する側は、きっと売りだと考えられているのでしょうが、黄紺の目には、流すしかなかった。「別に、どうしてもというわけでもなしだし、、、」という感じで、そこにあるから、一応、眺めた程度の関心しか生まなかったけど、そういった作品でもなし。結局、これら、日本の大家が関心を持ったと同質の作品は、他に展示は看られなかったと思った。それにそそられた。確かに、彼らの持っていた作品の方が、ぶっ飛び方が優しいものだから、その内、糸口に辿り着くかもと思わせてくれる分、近しい感じを持ってしまった。
 西岐阜駅から名古屋駅経由で桑名へと向かった。桑名市博物館に行くためだが、大垣駅経由という手もあったのだが、調べてみると、時間&料金が、こちらの方が都合がよいということでの選択。だが、名古屋駅での乗り替え時間が短かったので不安だったが、案の定、目に前で電車は出て行った。あとで気が付いたが、そもそも岐阜からの電車が、僅かだが遅延していた。だと、あかんわな。同じような乗り換えを考えていた人が、前を走っていたので、後ろについて行ったが、2人ともダメだった。これだと、乗る機会は、今後もないと思われる養老鉄道を利用すれば良かったと思っても、後の祭りだった。桑名市博物館では、「特別企画展:生誕百年 小林研三」が行われていた。小林研三という作家さん、前回行った三重県立美術館で知った。そのときのメモを見ると、描こうとしている素材と背景が渾然一体化している若い頃の作品が、後年になると一転、ごくごく淡い色彩で、しかも写実的で幻想的な作品へと変化を遂げていた。その心が気になった。三重県立美術館で、この時期、桑名市博物館で回顧展が開かれるという情報を掴んだので、その場で即決。ただ、この博物館、小ぶりなため、三重県立美術館で展示されていた方が、数的には多かったのじゃないかな。ただ、若い頃の作品は、思いっきり若い頃の習作を含めても、後年の作品数よりも少なかった。後年の作品も絵本の挿絵に使われた作品が中心で、前に観た作品のテイストと異なるものが多く、これじゃ、三重県立美術館で十分だったなというのが、正直な感想だった。「ベルの想い出(犬)」「ともだちA」「ともだち」「チーコ」という4点が、思い描いていた若い頃の作品。どういったつもりなんだろうと思い、ここでも観ていると、ヒントは「ベルの想い出」にあるように思えた。可愛がっていたわんこへの飼い主のべたべたの気持ちをぶつけていき、しまいに、犬の形が判然としなくなっていったということではないかと思うと、対象物の形が残っていると、そこまでも思いがなかったり、対象物の成型の仕方で、その相手に対する思いのようなものも変化を遂げているのじゃないかな? 逆に距離を取り、単に眺めている、観察をしているような「虫の行列」「狸(春)」といった作品は、対象物の形が、より‶普通‶なのじゃないかな? 絵本関係は、眺めるだけという感じでスルー気味。その一角に、晩年の風景画があった。晩年で、こういった作品を描くようになったのかなと思ったが、2階の「モンペエ会」という、一緒に桑名で制作活動をしていた仲間の作家さんの展示にある小林作品にも風景画があったが、これは、戦後間もない、若い頃の作品だった。「モンペエ会」の作家さんで、気になったのは塚田重明の「語らい(インド)」。路傍にたむろする大人と子どもを描いている。大人の男3人は、商談だろうか語り合っている。大人の女2人は、我が子だろうか、足元で遊ぶ子どもを見つめている。が、子どもは、親の足元で遊ぶ子を除くと、4人が、前をしっかりと見つめている。すっくと立った姿も凛々しい。目の前の些事に目をやる大人に対し、子どもたちは前を、向こうを向いている。インドと書いてあったが、素材をインドに求めただけで、普遍性を感じるもの。前に立つと、この歳になると、たじろがせる迫力があった。岩谷隆治「湯の山」は「労作」とメモっている。「彫型画」と書かれてあったので調べると、伊勢地方の伝統工芸なんですね。紙を使った彫りなのかなと思った。それで、山を描き、人の手の入ったロープウェイと遊園地を表している。人間と自然の兼ね合い的なところがテーマのように思えた。ロープウェイと遊園地を判りにくくしてあるのが、わざとのようで、その心が気になった。展示数が多くはなかったので、やはり、桑名と言えば七里の渡し跡に行きたいということで、博物館から徒歩移動で行けるので行ってきた。渡し乗り場の前にあった大鳥居が残っている。伊勢一の鳥居だそうだ。伊勢の国の入り口になるということで、「一」と呼ばれているそうだ。その周辺に、明治になり取り壊された桑名城の石垣跡が残っている。位置を考えると海城、その真ん前に七里の渡船場があったということになります。で、渡船場は長良川沿いにあったので、宮宿に向かう船は、桑名を出ると南方に向かい、川から出ないをダメだったようですね。近くにある六華苑という洋館にも行こうとしたが、道に迷ってしまい、到着すると、入場時間を過ぎてしまっていた。午後4時でおしまいというのは、「タイの博物館と同じ」と、なんでか、そんなことを考えてしまってました。
 桑名駅に戻り、再び、宿泊地の名古屋に移動。伏見駅近くのホテルを予約してあったので、ウォーキングがてら、名古屋駅からは徒歩移動。手頃な値段で、朝食付きのホテルを見つけるというグッジョブでした。夜は、コンビニ食に決めている。ローソンが、そのためにはお気に入り。幸い、伏見駅近くにローソンがあったので、四日市のときと似たメニューで一人酒盛りをすることになった。


2024年 10月 30日(水)午前 5時 56分

 今日からプチ旅行というので、昨日は、朝から忙しなかった。洗濯日にしないと、2日間居ないわけだから大変と、これが入り、午後のお出かけ先がロームシアター京都だということで、ならば、近くの京都国立近代美術館に行こうと考えた。そんなに急がなくてもいいのだが、予定表を眺めると、年内に岡崎には行かないかもと思い、それだけ行くのは交通費が勿体ないと思うものだから、一緒にした。そこで、時間の節約を考え、今年最後になるかもと思い、岡崎で世話になったネパール屋さんに行き、お昼にしようと考えた。そして、丁度頃合いの時間にロームシアターに到着。昨日は、オペラを観る日だったのだ。だけど、ネパール屋さんで、ちょっとしたことが起こった。今日から旅行だというのに、歯の被せものが取れてしまったのだ。そのままの状態でプチ旅行です。幸い、帰り道、歯医者に寄ると、金曜日には診てもらえる。まだ、ラッキーな方だろう。
 京都国立近代美術館は、コレクション展の後期が始まり、既に観たものの、日本画に入れ替えがあったものだから、観に行ったのだ。入れ替えはそこだけだから、さほど、時間は取らないだろうの計算で、行きがけに入れたのだった。お目当ては「創画会改称50周年記念特集」コーナーの入れ替えだった。「創画会」発起人というのは、上村松篁、福田豊四郎、吉岡堅二という3人。これ、できすぎじゃないですか! 「志村ふくみと紬織」コーナーもできすぎだったけど、美術館同士、連携してんのかなぁ、そう思ってしまうよね。だけどだ、この展覧会には福田豊四郎は出てない。堂本印象美術館での展覧会に、京都国立近代美術館からの貸し出しが何点かあったので確認をすると、吉岡堅二もの(駱駝)はあったけど、福田豊四郎ものはなかった。ということは、持ってないのかなぁ。上村松篁ものは、前期には出ていたが、後期はなかった。替わりに息子の上村淳之の作品(晨)が出ていた。一見して、上村淳之ものと判る作品。1つの題名で2枚の作品が、直角の位置に展示されていた。鳥が何かをついばんでる沼地かどこかに放り込まれた雰囲気だ。キュレーターさんも、作品の制作者と言ってもいいね、こんなことをされると。その他の作家さんは、あまり知らない人が多かった。そういったなか、秋野不矩は、やっぱ、凄いね。「裸童デッサン」は、薄い木炭を使ってたので、黄紺の目にお手上げだったけど、「土の祈り」は、これまたインドなんだろうか、いまいち、どこかは判らなかったが、農家の中庭を描いている。全体的に、秋野不矩が、よく使う黄色っぽい色彩で家屋と中庭の地面を描いているのだけど、影と色の濃淡で、陽射しの強さ、まぶしさまで出している。フェードイン気味の構図なので、どうしても、自分でフェードアウトしてしまうものだから、まぶしさが広がっちゃうんだよね。加山又造という作家は、今まで、あまり観てこなかった作家さんだけど、何点か観たことがあったが、今回のはインパクト、あった。「黄山霖雨・黄山湧雲」という六曲一双だったと思う、大きな作品で、右隻が雲で、左隻が雨なんだけど、圧倒的に右隻がいい。一双になっているので、雄大さを感じさせるためにだけ、左隻があるのかと思えるほど、右隻優位と思った作品。水墨の濃淡で、流れる雲を感じさせる凄腕です。麻田鷹司は、前期にも出てた「夏山」より、後期になって出た「樹響」の方が、自分的には合う。より写実に向かっている「夏山」より、単純化するとともに、デフォルメした樹木に存在感を感じてしまった。「夏山」は俯瞰した視点に対し「樹響」は森の中の風景という違いはあるけど、黒の太い輪郭線、樹木に力強さを感じさせます。工藤甲人は福田豊四郎門下だそうだが、「黒いとばり」はシュールレアリスム作品かと思わせるものがあり、幻想的だ。烏頭尾精「珍鳥」「花と鳥」がおもしろい作品。前者は釘のひっかき傷のような線で描かれた鳥、後者は、パステルカラーの濃淡で描かれており、その中に花と鳥が混在しており、観ている方が混乱してくる。吉岡堅二は「野火」が出ていたが、「駱駝」とは、テイストが全然違う。火というお題が付いているが、黄紺の目には花と観えた。広田多津は、お向かいのコレクション展「女性の描く女性たち」で見かけた作家さん。「舞妓」という屏風絵。右斜め上から舞妓を捉えているからか、舞の稽古に入ろうかという瞬間を描いているように思え、動きのある舞妓って、そうはないんじゃないかなと思うと、急に気になった。「自画像に見る」コーナーは、前回、あまりそそられなかったが、冒頭の田村宗立「自画像」を観ていると、自分との対話だな、こういった自画像を描こうという動機付けはと思うと、絵の中の自分が、描いている自分に、逆に訴えかけてない作品ってあるかと思い、自分なりにチェックしてみた。但し、何を 描いているか判らない池田満寿夫作品と、森村泰昌作品は除くと、こちらの方が少なかった。岸田劉生は3点出てるが、一番、老成した自分は、その少ない方だった。もう達観したということかなと思った。川西英は2点の木版画作品が出ているが、こちらも、老成した方が客観的に描けてるなと思わせられた。そのようにして眺めてると、自画像作品も、なかなかおつなものです。この2つのコーナーを集中的に観て、引き上げた。最初は、創画会だけのつもりだったのだが、何気に観た田村宗立に引っ張られてしまいました。
 ロームシアターの方は、「新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室2024」として上演された「ドン・パスクワーレ」を観てきた。この催しは、もう15年程前から、ずっと、京都で行われている。ただ、高校生ばかりがいる中に入っていくのもなと思い、避けてきたが、「ドン・パスクワーレ」(ステファノ・ヴィツィオーリ演出)は、昔、東京時代に生で観たきりで、当然、ドイツでは観る機会がなかったこともあり、今回、観ようの気が起こったのだ。一般は4階席限定なので、高校生とは、お席では完全分離だったので、これはこれで良かったのだが、お行儀の悪いのは、高校生じゃなくって、おばさん&おじさんだった。ぎりぎりに来て、大声を出すわ、途中で帰ってしまうわ、もう1人の連れの男性は、上演中に、早々に消えてしまう。2回も、オペラ上演中に前を通られた。残ったおばさん、気の毒に一人、だけど、やらかしてくれた。オペラの途中に傘を倒して、大きなノイズを出した。この一団、行儀、悪すぎやろ! で、キャストは次のようなものだった。ドン・パスクワーレ:久保田真澄、マラテスタ:上江隼人、エルネスト:中井亮一、ノリーナ:九嶋香奈枝、公証人:千葉裕一、合唱:新国立劇場合唱団、管弦楽:京都市交響楽団、指揮:沼尻竜典。装置がおもしろかった。可動式の台車に、装置を乗せて、自在に動かすというのが、最大の特徴でしょう。本を開くように開閉ができ、開くと、ドン・パスクワーレの家になり、閉じて固めると、家屋の外側になる。更に、その周りに木立なんかを配置すると、4幕のセレナーデを歌う場面になる。開いて、真ん中を割り、各々を左右に引くと、中央にスペースができる。ノリーナの登場場面では、左右が開くと、平台の台車に横たわるノリーナがいて、その台車そのものも可動式で、前へとせり出してくると、なかなか凝ったもの。ノリーナが部屋を変えてしまう場面では、壁がめくれるようになっており、あっさりと目に前で変えてくれた。恐らく、この装置組み立て式になってるのでしょうね、それで運搬可能ということで、東京から持ってきたのでしょう。京都での最近の演目を見ると、この「ドン・パスクワーレ」以外では「蝶々夫人」「魔笛」しかやっておらず、東京での「高校生のために、、、」とは演目に隔たりがあるのは、その辺の事情があるのかと、勝手な想像を巡らしていた。東京では「トスカ」「カルメン」なんかが入ってた。決定的に残念だったのは、歌手の動きが物足りなかったこと。そういった演出なのか、歌手自体に問題があるのか、恐らく、両方だと思う。ロームシアターのような大きな舞台では、もっと大きな動きを取らねばならないのにと思ってしまった。新国立劇場もそうだしと考えると、根本の演出に関わるのでしょう。ひょっとしてと思ったのは、ドン・パスクワーレのキャラ付けに関わるかもしれないかなとも思った。パンフレットを見ると、「セビリアの理髪師」のバルトロとは違うと書かれてあった。バルトロの方は、ちょっと困ったちゃんというより、悪漢キャラが入るのは確か。ドン・パスクワーレの方には、それがない。替わりに、自分のやろうとしていることが、世間的には困ったちゃんになるということが解ってないという滑稽さがある。それは出してもらわんとね。よく見る演出では、ここをデフォルメすることで、ブッフォ的楽しみ方としていると思うけど、それがなかったな。寂しい。そんなだから、ドン・パスクワーレが目立たなくって。主役がそうだから、それに関わる、あとの3人も小さく見えてしまった。歌唱的には、エルネストの中井亮一が一番。いいテノール見っけだ。逆がドン・パスクワーレを歌った久保田真澄。動きが小さい、普通のおっさんキャラでは、困ります。マラテスタの上江隼人が平均点。ノリーナの九嶋香奈枝は、登場のアリアが、めっちゃ頼りなく、このあと、ずっと、これ聴かないとあかんかと思うと憂鬱になったけど、それはそこだけだったから、ホットした。あとは平均点かな。来年は「魔笛」だそうだ。これも観ておこうかな、そんなこと考えながら帰路に就いた。


2024年 10月 28日(月)午後 8時 19分

 今週は、プチ旅行を予定しているので、今日は、その前の休養日に充てた。本当は、観たい映画があるのだけど、全部やっちゃおうはダメなんで、バランスを取ることにした。秋本番なので、例年そうだが、イベントが多いものだし、行きたい展覧会、音楽会、落語会は目白押しだが、これも、なんでもかんでもはダメということで、適当に選択をしなければならないのだけど、なかなか、我慢ができないものだから、知らない間に、どんどん疲労が溜まっていっている。そんなで、休養を優先した一日。でも、定番の日に2回のウォーキングは欠かすわけにはいかない。今日は、酒の買い出しを兼ねてのコース選び。なくなりかけていた日本酒の補充、そこがつく前に補充できました。ワインもどきのアルコール飲料は、余裕を持つために補充と、目標は達成。
 午後の一時は、韓国旅行の準備。今回は、テグ(大邱)イン&アウト。そして、プサン(釜山)2泊はお約束。ウルサン(蔚山)に行くことが目玉としている。今まで外してきたから、今度は行こうとしている。だから、あまりどころか、1回しか行ったことがないから、ここを目玉としたので、いの一番に下調べを終えた。次いで、テグでは宿泊はしないつもりだけど、最初の日と最後の日にテグで時間を使おうと思っているので、それの資料を作った。で、今日は、ポハン(浦項)の資料作りをした。既に、半分はできていたが、調べていく内に、どんどん、いいところが出て来た。ポハンは3回目だけど、前の2回では、2回とも、クーリョンポ(九龍浦)に行ってるので、今回は省こうかと思っていたところ、旧日本人家屋街が進化している模様。ま、この前行ったのは、当然、コロナ禍前だから、それからだと、5年は経っている勘定になるから、変わっていて当然なので、気になりだしているところへ、おもしろいものを、その地域で見つけたものだから行っちゃおうかなの気になってきている。現代アート専門の美術館もあるようだし、となると、クーリョンポと方向違いになるから、選ばねばならない。チュクト・シジャン(竹島市場)は絶対だしね。机の上にぶちまけた状態というところで、それを、どのように並べるのかは、全部、調べ終えてから考えることにする。と気が付くと、肝心の釜山の情報集め、Dと一緒に行ったときに、頑張って作ったのに、そのファイルが不明なことに気が付いた。ま、作り直すのも嫌じゃないのが、この作業の楽しいところかもしれない。キメ(金海)の古墳群に行ってないので、ここへ行くとなると、ササン(沙上)に宿を取りたいんだけど、今回のプサン・イン&アウトは、ともに鉄道を考えているので、ササンはどうかと思ってしまうのだ。となると、キメは捲土重来ってところかな? いやいや、ウルサンからの鉄道は、プジョン(釜田)に入るようだと、そこからササンに向かい、キメに行き、宿の1泊目はササンに、2泊目をナンポドン(南浦洞)辺りに取ればいいじゃないかというアイデアも浮上してきている。どうしても、プサンは、慣れたササンが落ち着くのです。だいぶと変わったけどね。そんなで、こういった思案が楽しいのです。


2024年 10月 28日(月)午前 5時 47分

 昨日の日曜日は、自分的計画では、DとSと遊ぶつもりでいた。だけど、息子からは、既に予定が入っているとの連絡。そこで、替わりとして、午後からの公開座談会に行くことにした。だけど、朝には「日曜美術館」があり、その行き先は衣笠ということで、伏見からは遠い。時間的には、どこかで昼食を食べると都合がいいということで、そうした。そうそう、「日曜美術館」終了後、近所のセヴンに行く時間だけは取れたので、大和郡山である桂二葉独演会のチケットを買いに行ったら、買えなかった。10分も過ぎてなかったけどね。で、行き先は立命館大学末川記念会館だが、その前に、堂本印象美術館に寄り、入場券をもらわねばならない。同館主催のイベントだから、仕方ありません。そんなで、結局、お昼は、先日と同じ定食屋さんとなった。
 「日曜美術館」の新作は「奄美への道標(みちしるべ) 画家・田中一村」。恐らく、この秋一番人気の展覧会が東京都美術館で開催されている。マジで、東京まで行きたかったのは、この展覧会。そこへ、MCの二人が足を運んでのロケ。画家山口晃さんも同行。その狭間には、作品発掘に取り組む千葉市美術館(この美術館では、随分前に、回顧展をやってる、そのおかげで、田中一村の存在を知った)副館長松尾知子さん、奄美にある田中一村記念館元学芸員前村某さんのお話が入り、且つ、経歴などがナレーションで入るという構成だったが、奄美での制作の様子や、その時期の作品の紹介が控えめだったのが特徴的だった。そういったなか、ちょろっと出て来たのが、田中一村、ちょっと伝説化されてる、物語が出来上がってしまってる、そういった空気を感じさせる発言が垣間見られた。日を置かずに、未確認の作品が持ち込まれているそうで、物語化されているほど忘れられた存在じゃなかったような印象を持ってしまったな。紹介された作品をメモっておく。①アダンの海辺(エンマ大王への土産/本人の言)、②菊図(7歳、墨で形を取る)③池亭聞蛙(14歳、山水画=プロには最終段階)④仿八大山人筆山水(水墨画)⑤蝉時雨(8歳)⑥明日前身図(弾ける勢いが凄い)⑦蘭竹図(蘭竹図/「富貴図」衝立の内)(20歳、南画/水墨画、前の筆が乾かないうちに次の筆を置いている)⑧富貴図(蘭竹図/「富貴図」衝立の内)(20歳、⑦の裏、色付き)⑨水辺にめだかと枯蓮と蕗の薹(その目で見た光景を描いている、理想を描く水墨とは違う、以後、支援者が離れたため、描いてないと言われてきたが、発見が、、、僅かだが支援者がいたようだ)⑩椿図屏風(23歳、支援者から送られた金屏風に描く=全支援者とは絶縁していない、画業を続けていた)⑪鶏頭図(23歳、モノクローム、強く鋭い線で描いている、写実に軸足を置いた独自の日本画を模索)⑫秋色(色づいた葉を1枚ずつ克明に描いている)⑬鳥のスケッチ⑭朽木にきつつき(しっかりとした観察)⑮竹雀図(竹林に入り、雀が寄って来るのを待って描いたものと思われる、雀の性格を知るまで観察してたのだろう)⑯白い花(川端龍子の青龍会に出展、同じ花ビラはない、公に初めて、そして、唯一入選、下絵が残っている)⑰秋晴(金屏風に描く⑯の1年後、千葉の農村の風景、葉っぱの絵具が盛り上がる、落選、もう1品出した方が入選したが、その入選も辞退)⑱奄美の植物・南国の魚写生帖(s33、50歳で奄美に移って以後の作品)⑲枇榔樹の森(墨だけで描く)⑳不喰芋と蘇鐵(亡くなる数年前の作品、実際には同時に観れないクワズイモの生涯をメーンに描いている、生命の誕生を表す)。
 座談会の方は、堂本印象美術館での展覧会「モダニスト福田豊四郎、秋田を描く」の関連企画だ。「福田豊四郎の芸術と人間的魅力を語る」というお題で行われた座談会、登壇者は次の通り。土屋禮一(日本画家、日本芸術院会員)、菊屋吉生(山口大学名誉教授)、野地耕一郎(泉屋博古館東京館長)、松尾敦子(同館主任学芸員、本展のキュレーション担当)、そして、聞き手が林屋祐子(京都新聞社文化部)という布陣だった。冒頭、福田豊四郎の経歴、及び、ポイントとなる、土田麦僊、川端龍子という2人の師に学んだことが紹介された。だが、座談が始まると、何を言ってられるのかが解らない。「音響が悪いか、外した」と思ったが、そうではなかった。睡魔が、いきなり襲ってきてた。到着するまでに、だいぶと汗をかいた程だったので、疲れてたのかもしれない。でも、半ばで覚醒すると、ゲストの3人って、大変な人たちだった。土屋さんは、福田豊四郎の弟子に当たるから、師匠や、その周りにいた人たちのことを知っている。それだけやなくって、肩書通りの人たち、日本画の世界を熟知しているところから発せられる談論、こんな凄い、日本画にターゲットを絞った話し合いって、聴いたことがなかった。随分と知らない作家さん、また、作家さん同士の会、それだけではなく、西洋の作家さんの名も出て来た。「この作品は、マチスが入ってる」とか、そんなことが、簡単に口をついて出てくる。当然、誰かがそう言うと、それが解るから、それに話題が被さっていく、凄いわ。まだまだ、ひよっこだということ、十分に理解できました。精進せな、より高みのおもしろさに届かないね。ホント、この人たちの話、全部、理解できるようになりたいと思った。そこで話された内容で、メモっているものを、ここに書いて残しておこうと思う。「福田豊四郎は川端龍子の最初の弟子、鹿子木孟郎からデッサンを学んでいる、最初の弟子だから、そうさせたのだろう」「吉岡堅二、、、‶馬‶‶氷原‶がおもしろい作品、宮本武蔵に滅ぼされた吉岡一族の末裔、実家は藍染屋」「創造美術協会の第1回に、福田豊四郎は‶秋田のマリア‶を出展している、昭和初期の発展する都市に対する‶明るい農村‶的な作品を出している」「福田豊四郎らの時代は、キュビズム、セザンヌと同時代になる、、、影響を受けているということ」「‶落下傘‶は構図が素晴らしいだけではなく、リズムがある(この表現がおもしろい!)」「‶濤‶も同様、この絵は、麦僊没後、その故郷の佐渡島へ行き描いている、絵の中に響きがある、平八郎に通じるものがある」「同じ1930~50年代を生きた石崎光瑤も、作品の政策に当たり変化を見せているが、福田豊四郎や吉岡堅二と違い、モダニズムを持っていない、古典の範囲内での変化だ、それが、石崎光瑤の魅力になっている(京都に来た機会に観ることができた、同時期開催の石崎光瑤展は、登壇者の皆さんには垂涎の的だったようで、話題に出て来た)」「‶海女‶という東京国立近代美術館所蔵の素晴らしい作品に話は及んだおかげで、今回来ていない作品を知ることができた、線で遠近感を表している、ピカソやマティスが線で肉体を現したのに通じる」「‶雪のきた国‶はシャガールが入っている、氷上で遊ぶ子どもたちの遊ぶ姿がそれだ、それに通じるシャガール作品も見せていただけたが題名を控えることができなかったので、探すことができない」「ピカソやマティスは子どもは描いていない、、、難しいということ?」「‶樹氷‶(鹿の絵)の鹿の腹には金が使われている、木の表現は東郷青児にありそう、シュールレアリスムも入っている」「‶雪国‶が最晩年の作品になるが、ここでも秋田に還っている」。この手のお話が続いたものだから、寝落ちは、完全に失敗。いいところで寝てしまうという変なジンクスは生きています。


2024年 10月 26日(土)午後 8時 15分

 今日は、午後に市民向け公開講演会に行くことになっていた日。1週間前と同じキャンパスプラザ京都での市民向け公開講演会だったので、午前中のウォーキングはミニでしかできない。洗濯日でもあったので、これは仕方がない。それと、講演会の往復が、今日のウォーキングだが、特に、帰りは京都駅前から歩くというのがあるので、どうしても、午前中のウォーキングは控えてしまう。そんなで、帰宅後、万歩計を見ると15200歩弱は、ちょっと控え過ぎたかもしれない。帰宅後、すぐに、NHKの落語のコンペの生放送を観ることにしていたはずだが、すっかりと失念。ようやく、最後の笑福亭笑利だけ間に合った。優勝は桂三実だった。ネタは早口言葉だった。コロナ禍前からやってるお得意ネタ。その頃に聴いたきりなので、進化しているだろう口演は、どうなっているかは判らないけど、かつての記憶だと、コンペ用じゃないなの記憶だった。電車のネタの方が、会話になってるが、これは、その点が乏しいと思うので、コンペ用じゃないと思ってた。おもしろいのは、間違いないんだけどね。でも、これでもらった。どなたかのTwitterを読むと、たい平は、三実口演後、文珍にも権太楼にも、感想を求めなかったと書いてあった。これは、笑ったな。特異なネタに対して、審査の空気を作らせない配慮と看ました。たい平、ナイスプレーです。
 キャンパスプラザ京都での講演会は「大学リレー講座」の1つ。今日は、種智院大学の担当で、「天平の僧・行基菩薩とその社会救済」というお題で、同大学人文学部教授佐伯俊源さんのお話を聴くことができた。種智院大学の知名度は高くないだろうということで、序盤は、大学の紹介話。結構、これに時間を取っておられた。創建は空海となっているが、その後は、途絶えていたそうで、現在の大学に直で繋がる創建は近代に入ってからだそうだ。次いで、行基ネタに入ると、今度は、行基像3体についてのお話。佐伯さんは、西大寺のご住職でもあるそうだが、その西大寺のものは、重文だそうだ。それが西大寺にある謂れも話されていた。ようやく本題に入りかけたところで、寝落ちしてしまった。短い間だけと思ってたら、そうではなかった。どうやら、「続日本紀」に出ている行基の記事を基に、その生涯をポイントを押さえながら話されていた模様。行基は、最初、弾圧を受けていると言われていた。これ、初耳だったので、聴き逃したのが惜しまれる。問題は、そこに現れてくる行基の呼称が、時とともにグレードアップしていく。「小僧」「法師」「大僧正」、そして、ついには「菩薩」とまで言われるようになる。その間、各地に「四十九院」と言われる建造物などを造っていく。それと並行して、認知度が高まっていく。その時系列的な展開と、佐伯さんは、朝廷の政策とを重ねられていた。それは土地所有政策の展開だ。公地公民の原則が揺らいでいくのが奈良時代だ。「三世一身法」「墾田永代私財法」と進み、荘園制へと移行していくというトピックぐらいは、いくら日本史に疎いと言っても知っている。そういった展開と被るというのだ。税収の増加を期待しながらの政策転換、そこに、活動を活発化させるデヴェロッパー行基という図式です。もう1点、強調されていたのは、「菩薩」という称号は、民衆の後押しで付けられていったという点。菩薩は、それこそ、大乗仏教のコズ。衆生救済に預かった功績を、民衆の方から有難がったということだ。菩薩の解説をされていた。「ブッダになる前の存在」「あえて悟ることをしない」「民衆の中に留まり、最後に悟る」といった存在が菩薩。そういった菩薩に、行基は相応しいと看られたというお話だった。そうなの? 天武朝の国造りの担い手じゃなかったの? それと、寝ている間にされたのかもしれないけど、「四十九院」の具体例、聴きたかったな。山崎橋とか、宇治橋については触れられたようだったので、話されてたのでしょうな。それ、一番、聴きたかったことなのに、聴けてない、宇治橋は時間切れ的なところもあったけどな。レジュメは、文献史料がほとんどで、後からレジュメを見て、補うことができないのが痛い。寝落ちしていながら、そういったこと言うの、不謹慎かもしれないけどね。


2024年 10月 26日(土)午前 7時 17分

 今日は、朝から出かけ、京都でハシゴをした。金曜日の朝からということで、アスニー京都での市民向け公開講演会。それが終わると、徒歩移動で、堂本印象美術館へ。その手前で、学生さん相手の定食屋さんに行くのが、この流れでの定番となった昼食コース。毎回、日替わりのサービス定食を頼んでいる。今日は、おろしハンバーグに鯵フライというコンビネーション。それに小鉢3つに味噌汁で750円というのが学生街らしい。学生で混みあう前に到着できるので、愛用させてもらっている。
 講演会は、「日本司法支援センター京都地方事務所(法テラス京都)連携講座」と銘打たれ行われた。そこで、講師は、法テラス京都副所長で弁護士の平尾嘉晃さん、お題は「デジタル社会の消費者被害」という、こちらの講演会としては珍しく、デジタル社会がテーマとなった。ま、爺婆に、法に触れるか触れないか、際どいところを狙い、仕掛けてくる悪者たちの手を解説していただけたが、当然、このお題では、いつもの入りではない。こういった話を聴いて、ある程度理解できる人が来てるのでしょうね。ホントに危ないのは、来てない連中かと思うが、その手合いは、スマホにも触れないかもしれない。冒頭、講師の方が、スマホをお使いでない方と尋ねられた際、ほぼ手が上がらなかったということは、やっぱ、ある程度使っているから、教えてもらおう、解らないことを手繰れると思っている人たちが来てるのかなと思った。黄紺も、その一人だ。PC程には、スマホを使わない、だから、使えないからね。息子に、スマホを買い替えるとき、「その辺の爺婆と同じやと思って、選んでくれ」と頼んだくらいだ。今、一番、狙われてるのが、従って、相談ケースが多いのが、レスキュー商法に関するものなんだって。水道修理や蜂の駆除など、直接、生活に関わる業界に、この詐欺まがいの商売が、スマホを使って行われているということだった。そこには、解りやすい話として例示されたのが、スマホ画面と見ていると、自分の好みや必要なものとして、それらを調べようとして検索すると、知らない間に個人情報を提供していることになり、その好みなんかに合った広告ばかりが出てきたりする件。行動バイアスが調べられてしまっているということで、こういったことは、マーケッティングで、以前から言われていたことだが、対面でなくなり、とても、実際に使いやすくなっているという。「今、この商品を観ている人**人」「今日は、この商品を、**名の方が購入されました」、これは、全部ウソ、「値引き時間に時間制限を設ける」「お試し定期購入被害=お試しと思わせておいて定期購入させる、これ、長文の約款に書いてあるんだって、どこかに書いてあれば法的にはいいそうだ」、、、そういった手口を紹介され、最後に、ちょっとした見分け方の紹介があった。検索をかける、最初に出てくるのをLanding Page(LP)と言うそうだが、そこには、「スポンサー」表記のある企業が、まず出てくるのは、黄紺も知っている。冒頭に出てくる権利を買うためには、それなりの金が要るはずだから、元を取らねばならない業者は、いろんな手を使うはずだ。その見分け方、URLの書かれている右端のある「・」3つが縦に並んでいるところをクリックすると、その広告主の情報が出てきて、大事なのはの機能を使い、同じ広告を、様々な都市名に変えて使える機能を出してないかを調べると、特定の町限定の業者じゃないことが判るそうだ。怪しいとなるそうだ。へぇ~だった。スマホだと、ブラウザを選ばないと、使えないようだね、この機能、とまあ、一応、終了後、試してみて判ったことだ。
 堂本印象美術館では、「生誕120年記念 モダニスト福田豊四郎、秋田を描く 土田麦僊に愛された日本画家」と題する展覧会が行われている。時々、この美術館、堂本印象から離れた作家を選んで、展覧会をやってくれる。山口華楊なんてのをやってくれたのは、鮮明に覚えている。今回の福田豊四郎は、名前くらいは知っているが、その作風とか、全く知らなかったこともあり、とても楽しみにしていた展覧会だった。この人、土田麦僊門下でスタートして、その後、川端龍子に師事するため、東京に出るのだけど、土田麦僊が、帝展に復帰する(これ、全く知らなかった!)のを機に、それについて行ったため、川端龍子からは破門されてしまうという経歴を持っている。そのときの土田麦僊が福田豊四郎に充てた書簡、川端龍子が出した絶縁状も展示されていた。こういった回顧展では、よく書簡も展示されることがあるが、これは、今まで見た書簡では、一の緊迫感のあるものだった。小松均が土田門で同門、盟友が吉岡堅二(この人は、今回初めて知ったが、大変なキャリアの持ち主だ!)という人間関係のようだ。会場には、2人の師、及び、吉岡作品も展示されていたが、大半が、出身地となる秋田県立近代美術館から借り出されたもの。お引越し展示のようだった。そこへ加え、東京や京都の大もの美術館、埼玉などからも作品がやって来ていた。作品もおもしろいし、これだけ、他の美術館から集めるというの、なかなか、これだけの規模の美術館でないよね。ということで、かなり気に入ってしまった展覧会だった。入口過ぎの2階へ向かう坂の廊下では、顔見世という感じで、このスペースに見合う小ぶりの作品が並ぶ。上村松篁風の「鶏とほうき草」があるかと思うと、龍子門だと判ると書かれていた「早春(鶏小屋)」、注釈を読まないと季節が判らない「雪を描く男」、ごく穏やかな街の風景を描きながら、アドバルーンには「肉弾三勇士」と描かれていることから、リアル過ぎて引いてしまう「街景」がありーの、一貫して人を描くときは丸顔で目玉を欠くというモジリアニ風の人物画「春寒(人物)」があったりと、多才な側面を見せる展示があった。2つ目の坂の廊下では、「溶鉱炉」をモチーフにした作品が並び、最後には、谷内六郎を思い出してしまった「田園抄 村童12ケ月」で締めくくられていたが、「南瓜と少年」「村の踊り子」でも、あの目を見せてくれてました。2階の展示場が、師や盟友とともに、主役の大ぶりの、代表作になる作品群が並んだ。既に、一括りにはできない作家だとの印象を与えられていたが、ここでも、更なる進化形となっていた。「五月山湯」は、長閑な湯の風景が平板に描かれているかと思うと、左端の湯桶は他視点で描かれており、どきりとさせられる。ポスターに使われていた作品だ。「故山新秋」(東京国立近代美術館)は、穏やかな田舎の風景なのだが、上部の山の描き方は、伝統的な山水画を想起させる。「雪のきた国」は、若干21歳での帝展初入選作品。ここから、圧巻の4点が続く。「雪国」と「濤」は、描く素材は違うが描き方は同じテイスト。強い線、デザイン化されたような山や波という対象物、でも、自然の持つ厳しさが、しっかりと伝わってくる。前者は、山へと続く、即ち、画面の奥に続く道があるのに、それとは関係なく横切っていく人と馬の一団、その上を飛ぶ鳥も同じ動きを見せている。まるで、背後の山やそれに続く道がスクロールしているようだ。後者は、真っすぐの横線が縦に連なり、その線の間に波の形状を描いている。とても暗い絵だけど、波の砕ける白い色が、その迫力を伝えてくれる。空には流れる雲は、怪獣が飛んでいるよう。凄まじい海の風景だ。「早苗曇り」は、凄い構図。大きな馬が目の前にいる。その背後には長閑な山と田圃の風景が広がっている。写真を撮るなら、焦点の合わせ方が頗る難しい配置になっている。その馬が草を食んでいるが、伸ばした首を勢いのある直線で描き、且つ、デフォルメされていて、実際より長く感じさせるため、やたら、馬の位置が近いと感じる。馬上には百姓が乗っているのも、長閑さを増している。これ、帝展の特選を得た作品だそうだが、目立ったのでしょうね、この構図は。「樹氷」は、一転してファンタジックな作品。樹氷の中を、デザイン化された鹿4頭が駈けるというよりか、飛んでいる。いい感じ。土田麦僊ものは4点出ていた。「甜瓜図」(埼玉県立近代美術館)「朝顔」(智積院)「鮭」(京都国立近代美術館)「巴里の女」(京都国立近代美術館)。気に入ったのは、前の2つ。「甜瓜図」の淡い色彩は魅力的だ。「朝顔」は平板な描き方で、垣根に蔓を伸ばし成長した朝顔を描いているが、夏の空気を感じさせる逸品。京都では観る機会が少ない、そのため初めてかもしれない川端龍子は「請雨曼荼羅」(大田区立龍子記念館)。デザイン化された草の内側に鳥と魚&鯰が描かれている。鳥は魚をくわえているものだから、その下の魚や鯰も、同じ運命にあるのか、生々しい自然の風景に、足がすくむ。盟友吉岡堅二は「駱駝」(京都国立近代美術館)。これも、デザイン化された4頭のラクダが群れているが、本来のラクダの色彩じゃなく、また、可愛い顔をしているものだから、群れているというよりか、肩を寄せ合う仲間感が出てる。いい感じの作品。下の階の新館では、また、おもいしろい福田豊四郎の作品が並んだ。この人、戦争画を、多く描いているはずとの情報を持ってたんだけど、ここに1点「落下傘」が出てたが、今から、正に飛び降りようという兵隊の姿を描いている。これも、大胆な構図。生では観れないアングルを使ってる。顔が無表情なのが、逆に、何かを訴えているよう。「北京の屋根」という超写実という作品があるかと思うと、「梅」「敦煌」は、日本画とは思えないタッチ。何か油性のものを流した上に絵具を使ってるようにも観え、まるで、マチエールを試みたかのような作品。この描き方、えらく気に入ってしまった。そして、ラストが、京都市立絵画専門学校の卒業制作で描いた「雪の一日」、4面の作品で、故郷の雪景色を絵巻風に描いたもの。右から朝が始まりという描き方だそうだ。左の2面は、卒業時には間に合わずに、後年、描き足したそうだ。とまあ、ホント、いろんな顔を持つ作家さんです。所蔵先を書いてない作品は、全て、秋田県立近代美術館所蔵のもの。満喫しました。より多くの人に観てもらいたい展覧会だな、これは。


2024年 10月 24日(木)午後 10時 59分

 今日は、朝からのお出かけ。出発時間の目安は午前9時20分だった。行き先は京都コンサートホール。昼前の1時間程のコンサート。平日の、そういった時間設定は、完全に爺婆を相手としている。その終了後は、北山通を東に、松ヶ崎駅まで少しというところにある焼肉屋で昼食。以前から、前を通るたびに気になっていたお店。昼食メニューが、単に焼肉定食だけじゃなかったものだから、1度は入ってみたいと思ってたお店。チゲ定食と書いたお品書きの下にスンドゥブと書かれてあったので、得体のしれない、勝手なチゲじゃないのが判ったので、それを注文。なぜか、小さめのチヂミが3枚、パンチャンとして出て来て、不思議だったけど、結構、美味なスンドゥブチゲに正解と判断。辛さの度合いを尋ねると、辛いとか辛くないという言い方しかしない店員さん、それじゃ、基準が判らないから、「辛ラーメンと比べてどうかと言い方してください」と言うと、「辛口で辛ラーメンよりちょっとだけ辛くないで、激辛だと辛ラーメンより辛くなります」と、えらく細かな応答。ホントかいなと思って、出て来たものを食した途端、なんと、ピッタリの表現に感心。自分とこの店の商品を、とっても解って提供しているのに、感激。会計のときに、「とても正確な言い方していただいて、、、」と感謝の言葉を伝えておきました。辛さのことを言わないで注文すると、「うちのは辛くないですから」「やっぱり、辛くないと美味しくありませんからね」と言われてた。辛さの苦手な客が多いことを見越して、そういった提供をされているようだけど、ホントの美味しさは、そこじゃないよということ、よく解ってられた。気に入りました。贔屓にしようと思ったけど、めったに行かない場所だよ、松ヶ崎なんて、目の前に「妙」の字があるところだからね。で、ここを通ったのは、京都工芸繊維大学美術工芸資料館に行くつもりだったから。そして、帰りは、三条駅まで歩くという、ここへ行ったときの定番をこなしたけれど、万歩計を見ると16600歩余だった。ま、今日は、このお出かけしか歩いてないけど、存外、少ないんだね。
 コンサートは、「京都北山マチネ・シリーズVol.19‶チェロ、魅惑の響き‶」というコンサート。年1回くらい、行ってるかな、こういった時間帯に、若手の演奏家を招いて開かれているもの。佐山裕樹(チェロ)と百瀬功汰(ピアノ)という、中学校以後、同じ歩みをしてきたお二人の演奏だった。そのプログラムは、次のようなものだった。「シューマン:民謡風の5つの小品 作品102」「バルトーク(L.シルバ編曲):ルーマニア民族舞曲」「フォーレ(P.カザルス編曲):夢のあとに」「プーランク:チェロ・ソナタ FP.143」。前半に民謡調の音楽を基にして書かれた作品を、そして、後半にはフランスものを持ってくるというもので、アンコールは、お約束の「サンサーンス:白鳥」だった。プーランクは、チェロ・ソナタとしては有名なものだが、あまり聴く機会は、自分的には稀れ。プーランクは、「カルメル会」が好み中の好みだけど、それ以外は、さほどそそられた経験がないけど、これも、その一つ。曲的には、シューマンが変化に富んでいて、良かったな。バルトークの方は、多分、初めて聴いたと思う。同じ民謡調と言っても、そういった表題が付いてなかったら、そうは思わないだろうな、ましてや、バルトークなのにというテイストの曲だった。フォーレは、時間調整のためかな、入ったのは。このフォーレが典型的に表れたのだけど、こういった、チェロの渋い響きを聴かせるのに、何となく、物足りなかったな。シューマンの3番目の曲とか、「白鳥」は、まだしも、フォーレはちょっと寂しかった。ピアノは、ご自分でも言われてたように、と言うのも、プーランクの演奏の言い出しっぺは、百瀬さんの方だったそうで、納得、このコンサートで一番気に入ったのは、このプーランクでの百瀬さんのピアノだった。ちょっと荒々しく、リズムが快調でとなると、自ずと、シューマンなんかとは真逆になっちゃう。ちゅうことは、シューマンでは、音が濁ったり、タッチも優しさが欲しいと思いながら聴いていたのが、プーランクで、一挙に恢復だった。バルトークが、先程書いたような曲だったものだから、そこでは、片鱗は出てなかったな。今回も、お席は後ろから2列目をゲット。大正解だ。それに気づくまで、中ほどより前目の席を取っていたが、大変な思い違いをしていたことに、ようやく気づきました。ずっと、このホール、良くないなと思い続けていたのが、ようやく解消できた思いです。
 京都工芸繊維大学では、「京都高等工芸学校シリーズ2 東洋へのまなざし-京都高等工芸学校初期収集の陶磁器を中心に」という展覧会が出ているというので行った。だけど、この展示は、1階の小さめの部屋2つだけで拍子抜け。京都高等工芸学校初期に教材として購入されたホンマものを展示するというので、数的に、もっと多いと思って行ったら、そんなだった。朝鮮ものと中国もの、後者は元以後のものが展示されていた。2階では「第42回建築・環境・インテリアのドローイングと模型の入選展 京都展 SD Review 2024」の展示。行ってみて、初めて知った展示。建築やインテリアの設計に関わってる作家さんが手掛けた作品を、模型や図面で紹介するというもの。滋賀県美で、最近、観た展示に似たものだが、何がいいのか、解らない。コンペの入選作だったようだが、各々、いい感じの建物だなぁ、自分には関係ない世界だけどという目でしか観れなかったな。ということで、あっさりと流すしかなかった展覧会、外してしまったけど、仕方ない。こんなこともあります。救いは、入場料が無料だったこと。


2024年 10月 23日(水)午後 8時 2分

 今日は、午後に市民向け公開講演会に行くことになっていた日。それがあるということで、午前中のウォーキングも、買い物がてらにしないと、生活ができない。そして、12時をメドに出かけた。行先は、びわ湖ホールの向かいにあるコラボしが21。ここへ行くときは、最近、お昼ご飯を買って行き、湖畔のベンチか何かに座って、食べることにしている。が、今日は、お出かけ時に、空模様が怪しかったので、それができるか心配だった。JR大津駅を出る時点で、湖畔まで行くかの判断をすることにしたが、これが、全くの杞憂だった。今日、太陽の顔を少しでも見たのは、この時間帯だけだったんじゃないかな。雨でダメなら、京阪の駅ででも食べようかと考えていたのだが、余計な心配だった。前日に、こういった形での昼食を考えていると、この心配があるんだよね。でも、今日は大丈夫で、穏やかな琵琶湖を眺めながらの昼食。ついこないだまで、影を探さねばならなかったのに、その心配もなしで、ゆっくりとできた。今日は、気温が高く、真夏の装束で出かけたんだけど、曇天だったのが幸いした。
 コラボしが21での講演会と言えば、琵琶湖文化会館主催の「花湖さんの打出のコヅチ」。今日は、座学としては、今年度最後となる講演だった。お題は「中世絵画の山水表現」というそそられるもの。お話をされたのは、今年度から同館の学芸員となられた萬年香奈子さん。中世絵画の専門家だそうだ。となると、図像学的な話を期待する、ま、お題を見て、そうだと思ってたにも拘わらず、95%は寝落ちしていた。今日は、始まる前から、ぐったりしてたから、予想はついてたけど、特に気になるテーマだと、こうなる。残りの5%で聴いたこと、それをレジュメと照合して、解った範囲でメモることにする。「山水を描き、愛でるのは、‶臥遊(臥して遊ぶ)‶=居ながらにして遊ぶという楽しみ」「‶名所‶としての山水を楽しむ、滋賀で言えば、琵琶湖という‶名所‶は、歌枕だし、瀟湘八景のイメージと重ねられた」「‶霊場‶としての山水イメージもある、滋賀で言えば観音霊場としての石山寺がある」「具体的な描かれた滋賀県の山水の事例として‶日吉山王神像‶が取り上げられていたが、これはダメ」「ただ、描法として言われていたことに覚えが残る、、、①‶すやり霞‶の手法=風景の一部を隠すことで遠近感を示す表現、②金泥を使い、金色の地面を出すと、霊山の雰囲気が出る、③扇を持つ人物を登場させることで、鑑賞者の代わりをさせる」。お話の中では、作品の部分部分を取り上げながら、解説をされていた記憶。これ、とっても聴きたいことなんだよね。でも、失敗しました。


2024年 10月 23日(水)午前 6時 20分

 昨日は、朝9時半過ぎにお出かけ。まず、出町柳駅まで行き、近くの出町座で映画を観た。午後1時過ぎまでかかる映画で、トイレがヤバくなったが、何とか逃げおおせた。そして、烏丸鞍馬口近くまで行き、ググって見つけてあった定食屋で昼食。750円で日替り定食を食べることができた。更に、烏丸通を北上。烏丸通から大谷大学に入り、同大学博物館へ。京都でハシゴをしたことになる。帰路は、歴彩館に行ったとき同様、距離的には、ほぼ同じでしょう。昨日も、ウォーキングを兼ねて、三条までの徒歩移動。このコースを通ると、いいマートがあって、食糧調達ができるんだけど、それを持ったまま三条まで歩かねばならないのが難。で、帰宅後、万歩計を見ると13400歩余とは、ちょっと少ない。頑張ったが、少々足らないね。
 映画は韓国映画「ソウルの春」。朴正煕暗殺後成立する軍部の政権奪取の経過を追うというもの。フィクションを加えてはいるが、実際に起こった、韓国での事件を背景に描かれた作品。1979年ということだから、その記憶を持つ人たちが、まだまだ、多く生存しているなかで生まれた映画。この軍部の政権奪取に鑑み、光州事件が起こるわけだから、生々しいにも程があるという事件を取り上げている。同時代に生きた者として、朴正煕が暗殺された、けど、暗殺者は、宴会に同席できた男だったから、民主的な風が吹くとも思わなかったが、その後、権力を奪取したのが、僅かな間をおいて軍部だったので、しんどい話だと思い、韓国での民主化などということは、自分の頭を掠めすらしなかったことを覚えている。その辺の韓国現代史を、正確に押さえたことがなかったので、知らなかったことだが、この映画の題名にあるように、その間、僅かに「春の風」が吹いたんだね。チェ・ギュハ(崔圭夏/映画では「チェ・ハンギュ」)大統領が、そういった政策を執ったが、軍を掌握できてなかったため、チョン・ドゥファン(全斗煥/映画では「チョン・ドゥグァン」)らの粛軍クーデターを招いてしまう。そのクーデター完遂までの様子を追いかけたのが、この映画だった。細かく書くと、朴正煕暗殺の一報が入るところから、チェ・ハンギュ大統領が、チョン・ドゥグァンの権力奪取を追認するまでとなる。その動きを押さえようとするのが首都警備司令官という役柄のチャン・テワン(張 泰玩/映画では「イ・テシン」)。軍部内部の対立が背景にあるようだった。チョン・ドゥファン率いるハナ会という軍人グループによるクーデターということで、これはそのままのようだ。ハナ会というのは、どこかで聞いたことがあるくらいで、実態は、この映画で初めて知った。チョン・ドゥグァンを演じたのがファン・ジョンミン。ファン・ジョンミンが出ているというのは知ってたので、ずっと、イ・テシンの方だと思い、随分と変わったものだと思ってたところ、終わったあと、あの笑い方、オーバーなアクションで演技できるのこそ、ということで、急に天啓が下りたかのように、こちらがファン・ジョンミンだと判った。イ・テシンの方は、「私の頭の中の消しゴム」のチョン・ウソンだった。あっそかと思い、調べてみると、「デイジー」で、チョン・ジヒョンと共演してた。全くもって忘れてた。後に大統領になるノ・ムヒョンは、ノ・テゴンという名で、チョン・ドゥファンの盟友として出ていた。そういった、ずぶずぶの関係だったのですね。かなり迫力のある、且つ、大掛かりな撮影と思えた。CGを上手く使ってるのかとも思うのだが、クワンファムン(光化門)前の撮影なんて、どうしたのでしょうか? イ・スンシン像を入れながら、戦車が進行したりしてたからね。そうかと思うと、KBSのビル前でロケをしたのじゃないかと思えるシーン(どこかの政府官庁として)もあったりで、撮影の裏事情を知りたくなった。2時間余、細かく細かく、事が動いていく上に、とっても、テンポの良い展開に終始していたものだから、息もつかせぬとはこれですね。事前に、この事件についての詳細を予習していかなくって、正解だった。映画自体に没入できて、完全に前のめりに観ることができました。
 大谷大学博物館では、今、「特別展/美と用の煌めき -東本願寺旧蔵とゆかりの品々-」が開かれている。チラシを見て、かなりの大家の作品が出ているようなので、マーク入りの展覧会だった。大きな展示室を持つ博物館ではないので、数的には多くはなかったが、かつて東本願寺所蔵だったもので、資金調達のために売却されたものが、売却リストが残っているものだから、それに基づいて、今回、他の美術館から持ってきて展示するということ、やってくれてた。そこに、垂涎の名品が並んだ、素敵な展覧会だった。章立ては3つに分かれていたが、里帰り展示は3つ目のコーナーだったが、冒頭の「①歴代のディレクションと東本願寺絵所」からして、大家の名が並んだ。どうやら、東本願寺のお抱え絵師の座を狩野派が担ってたようで、絵で記録を残す場合には、彼らが活躍したようだ。狩野山雪、永梢、永雪に加え、狩野探幽ものが出光美術館から来ていた。「②歴代の手づから」は、歴代座主の持ち物の展示。香合のような小物の逸品が並んだのでしょうが、値打の判らない黄紺には、ここは高嶺の花でした。そして、お待ちかねの「③近世・近代の東本願寺什物から」。歴彩館に「大谷派本願寺什宝物目録(写)」が残っているから、かつて所蔵していた宝物が判る。これは重文だった。更に「売立目録」が寺側に残っているというわけで、照合も可能ということだ。まず、めっちゃ気に入った作品からメモる。幸野楳嶺「蓮華之図」(福田美術館)が、他の大家を圧して、自分的一のお気に入りだった。蓮華の葉の大きさ、生々しさは、その大きさと、葉に使われている垂らし込みで出てる。圧巻。あくまでも気に入った順で書くと、狩野探幽「観音双龍図」(所蔵先は空白)がいい。3幅の掛け軸になっており、中央に観音、左右に龍が描かれている。右の龍が中ほどからやや上部に、左の龍が、それを僅かに見上げるように、やや下部に描かれている。龍に目が取られていると、肝心の観音に気づくと、結構、ふくよかさがあり、僅かに微笑むお顔に慈愛を感じさせる。それに惹かれたのか、龍の顔立ちが、結構、カワイイ。穏やかな空気の流れる逸品です。どうしても、可愛い犬ころを描かれると、目が行っちゃうもので、土方稲嶺「狗子図」(鳥取県立博物館)を、次に上げる。土方稲嶺という絵師は知らなかったが、鳥取藩お抱えの絵師だったそうだ。所蔵先で納得。円山応挙「古今撰者之図」(東本願寺に残った)は、歌の選者4名を掛け軸の下部に寄り添わせて描くという、「こんな構図があったんだ」ということで、えらく記憶に残る作品。円山応挙は、もう1点、「黄初平図」(所蔵先は空白)があった。富士が2点、横山大観「東山曉色図」(滋賀県立美術館)は、明け方を描いたからでしょうか、茫漠感漂っている。森寛斎「日之出富士之図」は、あまりにもオーソドックスな富士の姿、整然と佇んでいるが、まとも過ぎる。伊藤若冲「雪柳雄鶏図」(似鳥美術館)は、「動植綵絵」ばりの作品だが、雪景色だから、「動植綵絵」に描かれている鶏ではなく、モノトーンの雰囲気で描かれている。「動植綵絵」だと、同じ雪景色を描いても、派手さがあるのになぁと思いながら観ていた。円山応立「春秋花鳥図」(東本願寺に残った)は大部な作品。6曲1双の右隻だけが、前期には展示されてんだけど、それだけでも、最大の作品だったが、大きい分、大味な印象。住吉廣行「江戸図屏風・(裏面)西湖図」(東本願寺に残った)は、8曲1双の右隻だけが、前期の展示なのだが、めっちゃ横長作品。住吉廣行、最近、どこかで、この人の名を聞いたのだが、思い出せずにいる。江戸の大川に沿った風景を、現在の両国国技館のある側から描いているというもの。横には長いけど、縦には狭いもものだから、黄紺の目には頗る観にくかった。何かの舞台に置き、演者側からも客席側からも見えるように描いたと、キャプションには書かれていた。いつ頃の江戸を描いたのかは知らないけど、江戸の街って、大川の背後には、さほど広がってなかったという描き方をしています。絵師の居る側の方は賑わってたのだろうか、そんな疑問が湧いてくる作品だった。数は少ないけど、これだけの大家の作品が並ぶと、テンション上がるね。ええもん、観ました。


2024年 10月 21日(月)午後 8時 10分

 3日前までは、今日の予定表には映画と入っていた。ところがだ、一昨日、いつものように噺家さんのTwitterを見ていて、いろんな落語ファン氏のTwitterに飛んだりしている内に、1つの落語会が目に入った。今日の昼間に落語会とあった。月曜日の昼間に落語会って、通常、ない。寄席とか、毎月曜日に落語会があるというケースを除いて、そういったことはない。だけど、主宰者が林家染吉となっていたので、ありそうだと思い、しっかりと日時を確認してメモを取った。大阪だったので、行きがけの駄賃に、月曜日に開いている美術館と組み合わせる算段をした。急がなくても、年明けの1月まで会期のある展覧会が開かれている。気になる展示だったので、以前からマークしてあったので、それと組み合わせることにした。朝一番に美術館に行き、それから落語会に行こうの計画に変更したが、一旦、決めてから、気が乗らなくなり出した。忙しないと思ったのだ。それと、シーズンだから仕方ないことだけど、濃~い展覧会に立て続けに行っているため、ちょっとガス欠状態なのも影響した。迷っていたとき、念のために、その展覧会の作品リストのチェックをした。それが決定打だった。ヘビー過ぎる。もっと、体調のいいときに観た方がいい。立て込んだスケジュールのなか観ては、あまりに強烈だと思ったので、美術館行きは、単純に外すことにした。気が楽になった。落語会にも美術展にも集中できると思った。で、今朝を迎えた。念のために、落語会の開演時間と場所の確認のため、落語会を見つけたTwitterにアクセスしようとした。だけど、なんとなく覚えていたTwitterにアクセスしたが、全く出ていない。自分の勘違いだったか、アクセスしているTwitterは正しくて、その後、削除された、このどっちかだ。後者だと、とんでもないことになる。会自体が消滅しているかもしれないからだ。情報自体がフェイクだったかもしれない。突然見つけた情報、他には出てない情報は、スクショを残しておかないとダメだね、これは、今回の反省事項。急に鬱陶しくなった。せっかく、1つの決断をして、頭は落語で詰まってるのに、そんなアホなと思っても、詮方ない。もし行くならと、朝のウォーキングはミニにして、歩きながら考えた。全く元に戻すことも手だと考えた。だって、林家染吉は、以前、Twitterをやってたはずなのに、それがない。どこのサイトを見ても、今日の落語会は出ていない。ところが、一つのことを思い出した。林家染吉という噺家さん、自分の勉強会となる会の宣伝を、頑張ってしない人だということ、噺家さんなら、こういった場合、「ネタのタネ2」というサイトに載せてもらうよう手筈を整えるんだけど、それすらスルーしたことがあった、そういったことを思い出したので、あながち、フェイクでも、消滅でもない可能性も高いぞと思うようになり、1つの手を編み出した。「行こう」「落語会がなければ、件の美術館に行こう」「時間は大丈夫だ」。半信半疑のまま、行った。今、京阪天満橋駅のトイレは改修工事中なので、外のトイレに行くと、そこでディープな落語ファン氏に会った。思わず、尋ねてしまった。「どこ、行かはるんですか」「ツギハギ荘」「落語会、あるんですよね」、この虚けた会話って、ありえない会話。落語会があるから、この人、こんな時間に天満橋にいるということは、聴かなくても判ったんだけど、この虚けた会話をやってしまってました。
 「染吉っとんの会」というのが、その落語会。染吉一人だけの会、一人で、当初は4席もするつもりだったようだけど、3席目が長講となり、最後の1席はカット。会場の都合もあるので、これは仕方ありません。その3席は「防犯替り目」「兵庫船」「お札長屋(序)(仮題)」。「防犯替り目」は、染二が、防犯推進のための余興用に作ったものらしい。その余興を卒業しようという染二から、その仕事を継ぐようにと、染二から教えられたものとか。今後、このネタと、慶枝からもらった「振込め!」を持って、回るつもりと言ってました。くすぐりとか、口調とか、染二テイスト詰まった仕上がりだけど、とっても、上手く、噺の流れに防犯のトピックを取り入れてある。例の半ばで切る仕様だけど、終わってから、聴いた人たちの間で、防犯について話が弾むだろうと思わせるものがある。「替り目」だから、酔っ払いの亭主と妻の対話だから、グダグダの中に、トピックを挟み込めるのだ。これはいい、ええもん、染吉はもらったものです。「兵庫船」は、このあとの新作に、この噺の内容を組み込むなんてことをするために、敢えて口演した模様。噺の中で出て来た幽霊が、旅の僧の旅日記を見せてもらい、自分が行けなかった旅先の様子を知るというところで使われた。もう1つ、使われた落語が「桑名舟」、東京では「岸柳島」というネタだ。上方では旅ネタなんで、使い勝手があったのでしょうね。その3つ目は、染吉の新作。あまりに構造がかっちりしており、矛盾なく有機的に噺が組み立てられているので、終演後、尋ねると、元ネタがあって、それを脚色したと言ってました。たとえ、元ネタがあっても、その構成力は半端なものではなかったので、擬古典と言える噺、どんどんと書いて行って欲しいものです。怪異譚と言えばいい噺です。宿を求めた僧が寝ていると、女が現れる。その家の娘と思い、話をする僧。だが、その娘は幽霊だった。その娘が幽霊となって現れるわけを語る家主。昔語りをしているのは判るのだが、ここで時間が曖昧になるのが、この噺のミソ。ん十年前の話をしているのだが、そうは思えない口演になっているのが優れたところ。子どものころ、近所の子どもと一緒に、村では禁断の土地とされていた山へ入った娘。一緒に行った子どもが、相次いで変死をするものだから、親は娘を守ろうと、隣村の呪い師を招請して、悪霊の手から娘を守る。悪霊を騙すということで、守ることに成功する。そして、その後も、お札を家に貼り、結界を作り、悪霊が入れないようにしたが、それは、同時に、家内にいる親子の霊を外に出られなくしてしまった。これが、呪い師の若気のいたりだった。実は、その誤りを解きに戻ってきたのが、旅僧だったという落ちへと入っていくのだけど、めっちゃ、よくできている。続編も構想ができてると言ってました。新境地だ、唯一無二のものを見つけましたね、染吉。


2024年 10月 21日(月)午前 7時 20分

 昨日の日曜日は、朝から忙しなかった。トルコ・リーグが再開して、その情報収集、「日曜美術館」の新作が流れ、それが終わって15分後にはお出かけ。午後に、滋賀県立美術館である講演会に申し込んであったので、その開演前に行き、先日、ゆっくり観ることができなかった2つの展示室を観ておき、こないだ時間かけて観た企画展も、流してもいいから、講演前に観ておきたかった。昨日の講演は、この企画展関連ベントとして行われたものだからね。ここまでは計画通り進んだが、どうも、昨日は、作品を鑑賞していると、腰への負担が大きので、早めに講演会場に入ると、もう、かなりの人が入っていた。それだけ、人が集まったってことなんだけど、椅子に腰かけると、ぐったり。開演間もなく寝てしまった。1時間経って、休憩に入ったが、そこで何の話をされていたのか、欠片すら判らないほど、ぐったりとしてしまっていた。その後は、若干、回復はしたが、うつらうつらしながら、知らない間になってしまい、瀬田まで出かけた甲斐というものが、あまりにも乏しいことになってしまった。
 「日曜美術館」のお題は、「ひそかに春をまつ心 竹久夢二の油絵」ということで、竹久夢二だった。今、岡山の夢二郷土美術館で、生誕140年記念の回顧展が行われているのに合わせて、坂本美雨が会場にまで行き、同館のキュレーターさんとともに、観覧して回るというもので、その合間に、竹久夢二の生涯、研究者のコメントが入るという構成だった。随分と前に、牛窓に行ったおり、この美術館は行っているはず。また、この回顧展は、このあと、大阪にもやって来るので、懐かしいとともに、予習にもなった新作となった。「竹久夢二という名は、藤島武二による命名」「女性のライフスタイル変化に呼応して、大人気となる」「詩人としても活動、例の‶宵待草‶の詞も書いている」「油彩画は、現在、30点程残る」「震災後、治安維持法発動、夢二作品は遠ざけられていく」「1931年、アメリカへ渡る、絵は売れず、窮乏生活」「その後、ヨーロッパに向かい、長旅で体調を壊し、1934年没、享年43歳」、この辺りが、生涯として語られたことのメモだ。次に、取り上げられた作品をメモっておく。①加茂川(30歳、後ろ向きの女性、線に抒情を込める、帯の模様に意味を込める)②初恋(油彩、藤村の作品に着想)④女(油彩、モデル=妻たまき)⑤アマリリス(去年発見、最高傑作の1つ、アマリリスと女性が重なるような描き方、日本人ならではの洋画表現の追求の結果の作品、モデルは佐々木カ子ヨ(お葉)で、藤島武二もモデルにしているが、藤島の作品ではモデルとしてとらえている、夢二は内面を女性像として描いている、モデルの深み、油彩だからこその表現)⑥秋のいこい(お葉をモデル、アマリリスの翌年、地方から上京してばかりの様子、スペイン風邪の流行、落ち葉=死者を想像させる、都市に集まってきた時代を懸命に生きる人を描いている)⑦青いきもの(自らの心に向き合った作品、砂漠のようなバックグランド、異世界に残された女性、前年、恋人の彦乃を亡くす、そのときに描く、アマリリスは赤の輪郭線だが、これは青い輪郭線で描く)⑧夢見る女⑨遠山に寄す(彦乃と夢二がモデル、病になった彦乃、2人のことを良しとしなかった父親が2人を離す、彦乃は、その後23歳で結核で没、その彦乃の死の3年後に関東大震災)⑩「宵待草」楽譜表紙(和装から洋装へ、手に十字架)⑪鴨川夜景⑫ワイニマの桟橋⑬西海岸の裸婦(アメリカで世話になった写真家子孫が保存、初めて描いた外国人裸婦像、日本と違う光、最初、腰を覆う布あり、それを全裸に替えたことがⅹ線投射で判明、2種類の異なった白い絵具を使い、外国人女性の肌を表そうとしている)。
 滋賀県立美術館の残りの2つの展示室では、「SMoA コレクション −女性作家特集−」が行われている。1つ目の部屋では、日本画や陶器作品など、古典的な作品が展示されていたのに対し、2つ目の部屋は現代アートを中心にした展示という風に区分けがされていた。1つ目の部屋の区切られたスペースでは、いつものように小倉遊亀コーナーになっており、「姉妹」を中心に、両脇に「少女」と「観自在」を従えている壁が圧巻。あとは静物画と弟子筋作家の作品が展示されていたが、この弟子筋の作家さんの作品は、以前、それだけ集めた展示があったが、いまいち関心が持てなかった印象だが、それは、今回も変わることはなかった。1つ目の部屋で印象に残った作品をメモっておく。川村悦⼦「凱⾵ーしろ」を観た途端、3Dだった。油彩だけど屏風状のパネルに描かれ、直角の位置で左隻と右隻が展示されていたからか、そう観えたのでしょうか。いきなりだったので、驚かされてしまった。野⼝⼩蕙ものが5点並んでいたが、山水画には関心を、なかなか寄せないものだから、黄紺的には不評だけど、「秋巒晩霽図」が抜けていると思った。後景に上下に並べていくのに、一番、不自然に感じなかったのと、彩色の穏やかさが、他の作品を圧していると看えてしまった。梶原緋佐⼦「秋⽴つ」は、きっちり過ぎる女が描かれていた。女の表情もまともで、着るものも、ちょっとグレードが高く、後半期の作品かなと思い、作品リストを見ると戦後の作品だったので、納得。三橋節子が2点、その1点「近江昔話 雷獣」は、前に観て、インパクトが強く、よく覚えていた。利き腕が効かなくなった作家が、不得手な手で描いたものだそうだ。絵画というものは?と考えさせるものもあります。福⽥美蘭「志村ふくみ《聖堂》を着る」が傑作。解説文に「福田美蘭さんは、この着物を着たことがありません」と書いてあった。着ているのが「聖堂」というのが、傑作。これ、ヨーロッパから帰国後に作った作品なんだよね、それを着た体で描いている。かつて、この美術館で「コピー」をテーマに行われた展覧会用に作った作品だそうだ。高柳恵里「Big Basket」がおもしろい。一見、レディメイドのものを買ってきて、それを組み合わせただけかと思えるが、実際は、素材から全てを作家が用意しているという作品。これも、アートって何かっていうことを考えさせるもの。アレクサ・クミコ・ハタナカ作品は、ごちゃまぜ感を出そうとしているのかな、それで、自分のルーツを問いかけようとしているみたい。ワルワーラ・ステパーノワ作品は、幾何学模様の組み合わせで、感じのいい形状となっている。色彩もいいのか、爽やかな印象。内1点が、滋賀県立美術館のポスターなどの使われているようですね。神山清子の陶の作品が数点並んだ。いずれも、「信楽焼自然釉」の文字が作品名として入っているが、釉薬を使ったと、はっきりと判るものと、そうでないものがある。ちょっと、釉薬のグラデーションを観ているようだった。が、やっぱ、釉薬の薄い、素焼きに近いものが、自分的好みだな。2つ目の部屋は、現代アート系の作品の展示。丁度、ギャラリーでの鑑賞会と重なった。取り上げられている作品が、なんと、田中敦子「黒い三ツ玉」だったので、背後で聴こうかと思ったが、さすが、じゃまだろうと思い止めたが、人の感想、聴いたみたくなる作品ですね。作品確認に入った前回と異なるインパクトを感じたのが、2つ並んでいた。わざとそうしているのが、2回目にして判った。秋岡美帆「ゆれるかげ」紙にプリントしたものだが、不思議な作品で3Dに観える。隣の平林薫「五十一音 平仮名!!!」は、木で文字を貼り付けたものだから、当然、3Dの作品だが、最後になり、気づいたのは、文字全部が木を貼り付けたものではなく、一部だけなのに、文字全体を貼り付けたように観えた。これも、不思議な3D作品だ。草間作品は、同じ水玉の田中作品の隣に置いたり、キュレーションの妙を観ている気にもなった。4点出ていたイケムラレイコ作品、不思議な形状の陶作品で、ギョッとするのは、火山と人の顔を組み合わせた「Fuji Face」、おもろいけど、心は?想像がつかない。川内倫子作品が2点だけど、この人の作品は、一種のインスタレーション作品だと思っているので、2点ではもの足りないな。その対面には塔本シスコ作品と、ここでも滋賀県立美術館所縁の作家さんで満足。
 講演は、企画展「生誕100年記念 人間国宝 志村ふくみ展 色と言葉のつむぎおり」関連イベントだったので、その前に、企画展自体を、もう1度、回っておいた。イベントがあるからか、かなりの人が入っていた。全部、自分で手掛けてたのは、前回知ったが、左右の縫い合わせの工夫も、大事な作品なんだね。ずらせることで、こちらの想像力に委ねるということなのかなと思った。着物という形の決まったキャンパスに、それ以上の拡がりを持たせようとの工夫がなっているのだなと思うようになった。で、寝落ちしてしまった講演会は、「志村ふくみ−心熱く本を編む−」というお題で、志村ふくみの著作に焦点を当てたもの。三宅奈穂美(芸術書編集者・株式会社求龍堂エキスパート・エディター)さんのお話に、志村ふくみの娘さんの志村洋子(染織家・随筆家、都機工房主宰)さんがコメントを加えていくというものだった。これは、後半は、少しは聴けたので判ったことだが、大筋は寝落ちだったので、これ以上は書けない。著作自体を読んでないので、部分的に聴けてても、これはお手上げだった。


2024年 10月 19日(土)午後 8時 23分

 蒸し暑い日が続いている。今日は雨の日だったが、その雨のおかげなのか、夕方になると、徐々に下がってきている。今日は、午後に市民向け公開講演会を聴きに行く予定だったので、それに合わせて、早めの昼食。従って、午前中のウォーキングも、少し持ち上げたが、かなりのミニにしておいた。というのも、午後のお出かけの往復をウォーキング替わりと考えると、これが、なかなかの距離なものだから、午前中は抑えたのだった。帰宅後、万歩計を見ると、16000歩余だから、ま、うまく調整が行った方かな。
 講演会の会場はキャンパスプラザ京都。京都駅前だ。ここに行くのは久しぶりだ。毎年、ここで行われている「大学リレー講座」の1つに行ったのだが、この講座のチェックを失念していて、始まってから結構経ってから思い出したものだから、この連続講座の本年の第6回目にして初参加となったためだ。今日は、嵯峨美術大学の担当で、同大学芸術学部造形学科教授の芳野明さんが「嵯峨大念佛狂言を知る」というお題でお話しいただけた。芳野さんは、イタリア美術史が専門だが、博物館学を担当した関係で、大学博物館で、3年連続で、嵯峨大念佛狂言を展示したため、保存会の人に入会を求められた縁で、その後、狂言の上演など、かなり深く関わっておられるようだ。講演中でも、何気に見せられる所作が、美しいものだから、只者ではないという印象を持っていたら、自らも舞台に立たれているということだった。コロナ禍前だったか、時期は曖昧になってるのだけど、京都市西文化会館ウエスティで、嵯峨大念佛狂言なるものの実演を鑑賞しただけではなく、講演も聴いているので、わりかし親しみを感じながら、お話を聴けたような気がする。起源については判ってないそうだ。京都には、あと2つ、似たような芸能が伝わっているが、いずれもそうだそうだ。背景に融通念仏が広まり、大念仏会なるものが行われたことと考えられるだろう。確かに、それは解る。清涼寺での大念仏会の始まりが1209年と言われてたから、その辺りからだとすると、えらく古い。また、観阿弥が「嵯峨物狂」を書いている。それが、世阿弥の「百万」になっていくと言われていた。そんなことも聴いたことがあるので、この物語は、清凉寺での大念仏会で、母子再会が成るというものだから、観阿弥・世阿弥の時代には、大念仏会は、多くの人たちを集めていたことになる。また、最古の面に室町時代のものが残っているので(白蔵主の面だそうだ)、その辺では成立してたんだろうと推定されていた。特徴としては、「①無言劇」「②仮面劇」「③所作に特徴がある」の3点を挙げられていた。①だから③ということになるのだが、③の約束事、これ、結構、練られているので、きっちり知ると、台詞を聴くのと同じようになる仕組みになっている。中には駄洒落的な所作もある。そして、反対方向を指してから、行こうとする方向を指すという特徴があるということで、これ一つ、知ってるるだけで流れが想像できる。これ、前に観たとき、えらく大きな、そして、しつこい動きをするなと思ったんだけど、ようやく、今日のお話で氷解したな。②の仮面は、白蔵主と深井を見せていただけたが、前者は、狂言面よりおとなしい顔つきと感じた。また、深井の方は能面と変わらないように見えたので、わりかし意外だった。庶民の観る芸能なので、もっとデフォルメされたものと決め込んでいた。実際の上演を観たとき、こんなにきちっとした顔つきだったかなとも思ったが。演目は、「カタモン」「ヤワラカモン」の2種類、この言い方がおもしろかったからか、覚えていた。前者は能のネタで、演目を見ると、斬り組の入ったもの、鬼ものといった具合で、新作の「百万」を除いて、そんな演目ばっかだった。後者は、喜劇系のもの。でも、狂言から取材したと思える演目は「花盗人」だけだった。あくまでも題名での判断で、「花盗人」も、狂言から出たものとは限らない。「百万」が作られたわけを話されていたが、よりによって、ここだけ寝落ち。「カタモン」に分類されていたが、斬り組、鬼でもないのは、これだけだった。清凉寺所縁だから作ったということだとは思うのですが、、、。明治以降の作品だと言われていたようで、ないようで、、、。最後に、「釈迦如来」の上演映像をはしょりながら見せてもらえた。傑作な話だ。お釈迦さん自体が、人間の女性を顔立ちで好き嫌いを見せるという、とんでもないものを、寺の境内で上演しているそうです。おおらかな話です。あと、上演舞台についても話されていた。「カタモノ」では、舞台からのダイブや、金剛流の「土蜘蛛」ばりのアクロバットな動きもあるそうです。おもろそう!
 キャンパスプラザからの帰りは、いつものように歩いて帰る。途中、お酒を買いに行くマートに寄って行くというのが、定番。ただ、その間、ずっと雨だった。幸い、えぐい降りはなかったのが幸いして、予定通りに歩けた。食糧調達も兼ねていたので、雨脚が酷くなると、どうしようかとも思ってたが、この歩いた時間帯はそうじゃなかったのは、助かった。


2024年 10月 19日(土)午前 6時 36分

 昨日は、午前9時半前に出かけて、伊丹と大阪でミュージアムのハシゴをした日。伊丹に行くと、最近は、インド屋さんで昼食と決めていたが、この頃、出先で昼食を摂る機会が多いものだから、経費節減を考え、一昨日買っておいたパンで、昼食を済ませることにした。JR駅前の有岡城跡は、前を通るばかりだったので、この機会に、上へ上って、そこで昼食にしようとした。だけど、あすこ、史跡公園という感じでなくて、完全な史跡。ベンチ1つなかったので、石垣に座って食べた。もう暑くはないだろうと思ってたが、陽射しが出ると、なかなか強烈で、丁度、食べ終わった途端、陽が射し、逃げたな、昨日は暑いだけじゃなくって、蒸したのも嫌な日だった。でも、これで、交通費の片道分を確保できて、大正解。
 伊丹では市立伊丹ミュージアムに行ったわけだが、今回は、美術作品を充てにしたのではなく、「福知山線120年のあゆみ -駅弁・駅スタンプとともに-展」を狙った。先日、Dと一緒に福知山線に乗ったことが背景にあるのだけど、ひょっとして、DやSにも見せれたらと、下見のつもりで行った。福知山線の歴史は、フクレルの展示で学習をしたけど、もう1度、この機会に観ておきたいの気もあったことも事実。起点が、どこからか失念してしまったが、とにかく福知山線開設120年に当たるということでの展示だそうだ。細かく細かく延伸してるんですね。そして、大事なこと知りました。こないだ、電車に乗っていて感じたのは、とてもトンネルが多いこと。そのわけが判った。電化が進んだときに、路線を変えてるんだね。元は、もっとトンネルが少なく、曲がりくねった路線だったそうで、時間短縮を考え、技術的にも可能だということでトンネルで繋ぐようになった模様。これは、今度、Dに会ったときに教えねばなりません。電化や複線化の進展が遅かったことで納得できたのは、福知山線というのが、ある時期を境に急に人々の口の端に上がってきた記憶があるのと、符合した。それまでは、頻発する阪急電車と大変な違いで、のんびりしたものだったそうだ、JRの方は。最大の目的、DやSに見せられるかという問題については「×」でした。フクレルのときもそうだけど、Dですら、展示には見向きもせず、電車関係のものが展示されているにも拘わらずにそうだったので、より展示ばかりという感じだったので、ダメと判断。今から30年ほど前か、もっと前だったかの福知山線の電車の運行の様子を撮った映像が流れるのと、走ってないNゲージ鉄道模型とでは、2人には厳しいね。
 大阪は中之島美術館に行った。「塩田千春 つながる私(アイ)」に行ってきた。丁度、こないだの日曜日に、「日曜美術館」が、この展覧会を取り上げていた。別に、それに合わせたわけではないが、とっても楽しみにしていた展覧会、現代アートだから、「トリオ展」ほどの混雑はないだろうとは思い、伊丹と組み合わせるといいんじゃないかということで、昨日行くことにしたのだった。開催期間が重なった国立国際美術館で個展のあった梅津庸一が「負けた」と焦ってたなんて話が流れてたので、人は入ってるのだろうと思ったが、やっぱ、現代アートは若い人が来る。「平日の昼間、君たちは何をしてるんだ」と言いたくなるくらい、若い人中心だった。黄紺のような場違いのおっさんもいたけど、完全なる少数派だった。確かに、「負けた」という思いになったの、解ります。TVでもそうだったが、5階へ上がるエスカレーターがやばかった。巨大なドレスから垂れ下がる赤い糸、周りにも無数の赤い糸が垂れている。その中を抜けて、入口へ行く。まだ、チケット・チェックがされる前から、展示が始まっている。ザ・インスタレーションってとこです。赤い糸の垂れる中を歩くと、目がハレーションを起こしたのか、垂れてきている糸との距離感が判らなくなり、手で掻き上げながら進まねばならないような錯覚に陥ってしまった。中へ入ると、今度は白い糸の洞窟。巨大な水槽が置かれ、そこへ、糸から水が落ちている。この2つのインスタレーション作品は、TVでも、MCの2人を驚かせていた。また、TVを観ていて、「これだ、これだ」と、2~3回、塩田作品を生で観た経験で、そう思った。で、TVを観ていたとき、こんなのが、あと幾つあるのかと思ってたら、番組内で紹介され、今回の展示で観れそうなものは、これまた、上から垂らされた赤い糸に、「つながる」で書かれたメッセージを絡ませた巨大なインスタレーション作品だけだったので、ちょっと「あれれ」になっていた。カメラのアングルの関係で、展示室内を歩くMCを撮るなか、他の作品も映っていたが、そこでもまた、「あれれ」だったが、その「あれれ」が当たっていた。広い展示室なのに、スペースを、何で埋めてるのかが気になっていたのだ。1つは、過去作品を紹介する映像を映していた。作品の性格上、そのまま残すことができないから、映像、画像で残し、それを上映するしか、紹介できない、見せることができないということなのでしょう。そういった過去の代表作に、塩田千春自身がコメントを加えるという映像だった。キュレーターさんとの対話で撮影して、塩田千春の語りだけで編集したものだった。作品の紹介は、映像作品も、全て、部分をカットした画像で見せてくれていた。この紹介のポイントは、「日曜美術館」で流れたのと、ほぼ同じだと言っていいかな。紹介された作品は、もちろん、会場内の方が多かったが、基本的な流れは同じだった。だから、番組で映った、「japan」と書いた後に作った映像作品、あの、土手を転がり落ち、這い上がり、また転がり落ちる作品を、番組内で流してくれたのは、とっても有難かったな。会場では画像だったから、あれだけだと、何をしてるのかが判りにくいからね。もう1つ、大きなスペースを占めていたのが、メッセージでは多様性を書いてあった、巨大なドレスと円環の組み合わせなどのオブジェの吊るし。これ、吊るしながら回してあったが、多様性との繋がりが、自分的には看えてこなかった。あとは、映像作品が何点か。小ぶりの赤い糸で作った家が何点か。その中で目立ったのは、バスタブにつかりながら泥をかぶり続ける映像作品。坂を転げる映像作品ともども、めっちゃ身体をはってます。これも、記憶との関連かな、時々、大写しになる口元がポイントのようで、泥が落ちてくるので息がしにくくなるようで、口をもごもごさせて息をしている。記憶を求めているのか、記憶につぶされようとしているのか、いずれにも取れそうな印象を持った。身体にチューブを巻き付け、そのチューブを血管に見立てている映像作品もあった。泥をチューブに置き換えたのかな、そんな捉え方をしてしまってた。この人、舞台作品の装置や衣装もやってんだね。オランダ国立歌劇場と出ていたかな、そこの「イドメネオ」の映像が流れていた。気になったので、例のデータベースで調べてみた。オランダ以外でも、細川俊夫の「松風」が出ていた。ベルリン国立歌劇場のプロダクションがそうだし、新国立劇場の「松風」もそうだった。そして、驚いたことに、キール歌劇場の「ジークフリート」「神々の黄昏」が入っていたので、絶句。慌てて、過去を遡ってみたが、黄紺がキールで観た「ラインの黄金」は入ってなかった。テイストが違ったので、違うかなと思ったが、一応、調べてみたのだった。「イドメネオ」のテイストは、会場で観た糸の作品に通じるものがあり、この人、今後、もっと歌劇やバレエの世界に出て行くだろうなと思った。人体模型を使ったインスタレーション作品と言っていいのか、ちょっと迷う作品、これも記憶がテーマか? 「不在の中の存在」を追求し続けているようですね。多和田葉子作品に挿絵を描き続けているようで、こちらは進行形のようですね。ヴェネツィアでのインスタレーション作品の再現、観たかったな。期待するのは無理なのは解ってんだけど、そういった巨大なインスタレーション作品が並ぶ姿を期待していただけに、ちょっと肩透かし気味な印象は拭えない展覧会だった。


2024年 10月 17日(木)午後 8時 35分

 今日は、久しぶりのお出かけなしの一日。丁度、うまい具合に、洗濯日に充てることができた。ウォーキングも普通と言いたいところだったが、お昼間にオンライン配信で短めの講演を聴くことにしてあったため、それに合わせたということもあり、ちょっと忙しなかった。でも、早々に寝落ち。今日は大丈夫と思ったところまでは覚えているのに、その後、全く記憶がございません。夕方のウォーキングは通常通り。気温が高いから、半袖、短パンでウォーキングをしている。もう10月も半ばだというのに、明らかに変。本日のウォーキングは、万歩計によると16000歩余だった。午後の一時は、月末に予定しているプチ旅行の資料を印刷。いつものように、資料をペーパーで持って行くということを励行しているのだ。その後は、その1ヵ月後に予定している韓国旅行の資料作り。久しぶりのウルサン(蔚山)については、さすが、いっぱい用意できたが、空かしてこなかったポハン(浦項)は、行き尽くした感があることが判ったので、ひょっとすると、コース変更して、今回は、ポハンをパスする可能性が出て来た。前回行ったとき、地方都市の市場では一番いい感じじゃないかと思ってたチクト・シジャン(竹島市場)が沈滞気味だったのも、マイナス材料。しばし、思案することにします。
 オンライン配信のこと、ちょっとだけメモっておく。毎度、おなじみの「令和6年度ランチタイムセミナー(東北気候変動適応セミナー)」の第4回目で自然生態系分野が行われ、そのお題は「気候変動と生物多様性 ~防災・減災~」だった。講師は大正大学地域構想研究所教授の古田尚也さんだった。「nbs=nature base solution」のことを話されていた。生態系の機能を活用して、社会的に対応しようという考え方と説かれていた。具体例として、ハイチとドミニカ国境の画像を見せられ、nbsの構想なしのハイチ側は、草木のない荒れ地に対し、ドミニカ側は植林が進んでいる。ここへ、ハリケーンが襲った。どっちが被害を受けるか問われるまでもない。スリランカのリゾート地では、海の眺望確保のために海岸沿いのホテルの前の砂浜を平らにした。一方、そこからさほど離れていないホテルは、海から離れた森林の中のリゾートを楽しむことをコンセプトにした。そこへ津波がやってきた。これも言うまでもないことが起こる。こういったことを、構造的に行おうとしてるんだなと思い始めたまででした。ほぼ聴けてないけど、この狙いが気になったのでメモっておくことにした。


2024年 10月 17日(木)午前 7時 34分

 昨日は、朝から出かけて、京都でハシゴをした日。水曜日に朝から出かけるのはアスニー山科。昨日は、講演会の枠で映画の上映があった。年に2回のペースで、無声映画を弁士付きで上映するのは、この枠で行われている。京都の文化を映像で記録する会の濱口十四郎さんが、映画の解説をして、活動弁士は、毎回、遊花さんが担当される。今回の上映作品は、小津安二郎監督の無声映画最後の作品「東京の宿」。岡田嘉子も出ているということで、小津監督の紹介とともに岡田嘉子の紹介もあった。晩年の姿は知っているが、若い頃の姿は初めてだった。レジュメによると、オランダ人の血が入っているそうで、この若い頃の姿は、それで納得できる顔立ちだった。小津作品を、ほぼ観てない身には、なかなかなじめない展開とテンポ。「喜八もの」という作品だそうで、喜八が主人公。妻に逃げられ、息子2人(兄が突貫小僧)を連れ、安宿に泊まりながら職探しをしている。同じようなことをしているのが、女の子1人を連れている女(岡田嘉子)。境遇が同じだということで、話が合う。男は、次第に女に惹かれていく。仕事は、男の方は、昔の知り合い(飯田蝶子)に出逢ったおかげで見つかるが、女の方はそうはいかない。子ども連れ男女の、子どもともどもの交流が続くなか、女の子が疫痢に罹る。医者に見せる金がない。それを工面する男。飯田蝶子に働きかけるが、金で、以前、不義理をしていたため、貸してもらえない。思い余った男は盗みをしてしまう。最後は、飯田蝶子に、息子を預けて、警察に行くところで終わる。この物語を、ゆったりとしたテンポで進んだため、半ばで、少し寝落ちをしてしまった。やっぱ、小津作品は、自分的には無理なのか? 今度、同じアスニー山科の映画上映枠で「麦秋」がある。せっかくの機会なので、観ようかの気になってたけれど、今回の映画で、ちょっと尻込みしそうな雰囲気になってます。
 終了後、地下鉄で東山駅まで移動。岡崎の京セラ美術館に行った。となると、定番のネパール屋さんでランチ。日替わり定食にするのが多いが、このネパール屋さん、メニューが豊富。京都では随一かもしれないが、どうしても日替わりが美味いものだから、それにしてしまう。後から入ってきた若い客、モモ10個にビリヤニを注文しただけでも、「若いっていいな」と思ってたら、それらを平らげたあと、サモサまで注文したのには、おったまげた。強者がいるものです。で、美術館の方は「京都市立芸術大学移転記念/巨匠たちの学び舎 日本画の名作はこうして生まれた」。前身の学校を含めて、京都市立芸大に関わった作家の作品を展示するという試みなんだけど、この学校が凄い! 京都画壇上げての学校だから、初代校長田能村直入から始まり、多くの作家さんは知っている人ばっかという豪華な布陣。もちろん、この美術館だけではなく、当然、京都市立芸術大学芸術資料館からは、多くの作品ばかりか、資料も来ていた。お題に合うように、後に大家となった人たちの卒業制作の作品が多く来ていた。さすがだ、こればかりは。更に、京都市学校歴史博物館管理の作品も多かった。これは、京都の学校に贈られたもの、これも、さすが京都です。お向かい(京都国立近代美術館)からも来るわ、竹内栖鳳の獅子の絵は豊田市美術館から、コレクション展で、まだ観てなかった、ここ、そんなの持ってのかよと、またまた、この美術館の、自分の中でのグレードアップが起こったな。石崎光瑤は、ちゃんと南砺市立福光美術館から来ていた。ま、そうだわね、京都文化博物館では、石崎光瑤展が同時進行ですもんね。入江波光に水墨画があったのと思わせられた作品は富山県水墨美術館から、なんか、キュレーターさんのこだわりを感じてしまった。冒頭は、開校時の教授陣から。田能村直入、幸野楳嶺、久保田米僊、望月玉泉、鈴木百年、巨勢小石と大家が並ぶ。その片隅に、上村松園が配置されるという豪華版。田能村直入は「青緑梅林山水図」を推したい。濃淡で遠近感を出す、水墨特有の手だが、それが感じよかったが、水墨の手法が、未だに慣れない部分はあるけどね。「滝野川秋景(嵐山春景・滝野川秋景のうち)」の滝野川って、石神井川なんだって。解説文で、これを知って、一気に親近感を持ってしまった。濃淡での遠近法で見せてくれたのは久保田米僊。「蔦もみじ」では、木が3本、前の1本と、背後の2本の濃淡を変え、遠近感を出すというもの。色彩が、ちょっと鮮やか過ぎるかとも思ったが、解りやすい。幸野楳嶺も、当然、幾つか出ていたが、群を抜いてると思ったのが「花鳥山水貼交屏風」、6曲になっている屏風だが、その右端にあった小鳥が雪をたたえた枝に触れた瞬間なんでしょうか。いや、羽をバタつかせたからでしょうか、雪がさっと落ちた瞬間を捉えていたのが、お見事。この最初の部屋には、望月玉泉、巨勢小石、跡見玉枝というなじみの薄い作家の作品とともに、鈴木松年、上村松園師弟の作品もあった。鈴木松年は、金地屏風に墨で獅子を描いたもの、どうも、この人の作品には関心が向かない。松園は22歳のときの小ぶりの作品「涼風」。今回の展示、卒業制作や、それでなければ、その時期に近いものをできるだけ展示しようの意図が見えたが、これも、その1つだった。2つ目の広い部屋への入口からは、正面に、竹内栖鳳の獅子が見えるようになっているという憎い配置。「獅子巌壁」という作品で、右隻に獅子2匹、左隻には岸壁といいう、勇壮なもの、「さすが」という言葉しか出てこなかった。右を向く。すると、圧巻の山本春挙「山上楽園」、滋賀県美で出てたもの。更に、首を右に捻ると、西村五雲が2点、うごめく「海驢」と「園裡即興」、後者は、籠に入れたウサギ、1匹は、そこから出てしまってる。籠のリアルさが、ウサギに動きを与えている。谷口香嶠「公助受父笞図」の迫力が凄い、武士2人、父親が鞭で倅をしばこうとしている。倅は、父親に恥をかかせまいとして打たれようと、微動だにしない。体にかかっている力の入り方まで伝わってくる。川村曼舟「驟雨一過」は、焼岳の雄大さが見せる。菊池芳文「春の夕(春の夕・霜の朝のうち)」の抒情性、木島櫻谷は、こんなに大きな作品は観たことなかった「望郷」。そして、このサイドの最後に菊池契月が2点、「姜詩妻」に次いで、最後は「散策」で締める。凄いラインナップでした。向かいのサイドは、既視感のある西山翠嶂「槿花」から始まり、都路華香が3点、秀逸は「良夜」という革新的な作品。単純化された橋桁、その下の川の流れも、写実を排している。こんな絵を残してんだと、驚きと同時に、その着想って、福田平八郎に通じるものを感じてしまった。その傍に、琳派ばりの石崎光瑤「秋光」、ゴージャスです。こちらのサイドは、初期の教師陣に薫陶を受けた人たちなんだろうか? でも、都路華香が入っている。その辺の人物関係が、いまいち、解ってない黄紺ですが、垂れ幕が、石崎光瑤と入江波光の間にかかっていた。最初にあった西山翠嶂は竹内栖鳳門下じゃなかったっけ? でも、垂れ幕以後は、国画なんちゃら協会を作った作家さんの作品が続いた。入江波光が3点、「春雨」が抜群にいい。日本画でよく見かける屈曲した枝が力強い、そこに止まった鳥の尾が、その枝に直角に垂れている、これも力強い、入江波光って、こんな絵、描いてったっけと思ってしまったな。次の部屋の冒頭が村上華岳ものが並んだ。いきなりの「熊」には驚かされる。この展覧会は、描かれている素材で区分されてないから、その並びに仏画「阿弥陀」もある。ま、村上華岳だから、出てきますわね。次が土田麦僊。「髪」という作品は、顔を見せないんだから、美人かどうかは判らないけど、美人画と思わせる空気を出している。「平牀」は、おなじみの朝鮮女性を描いたもの。榊原紫峰と小野竹喬が混交しながら展示されてあった。前者の「獅子」で、この人、こんなの描いてると思わせられたが、こういった体験が、少なからずあった展覧会でもあったが、逆に後者の作品は、まだ、若い頃のものだったからでしょうか、独特の世界観で描かれる色彩、単純化は進んでない作品ばかりが並んでたのが、逆に新鮮だった。「沼」という作品は、観る者の視点が動くように描いてある。それだけで、3Dになっちゃいますね。後半の冒頭が、稲垣仲静「猫」、初めて観たけど、目つきがいいな、この猫。稲垣仲静って、知らなかった作家だけど、もう1点、いい仕事してたのがあった。「豹」だ。画面に収まらない豹3匹が描かれたもの。画面に収めないことで、空間の拡がりを感じさせる手だが、そこを動く豹が見えてくるんだから、凄い技だね。「猫」の隣が岡本神草「‶春雨のつまびき‶草稿3」、本絵は描かれてないそうだが、らしさ満杯です。次いで、甲斐庄楠音という並びは、濃い、めっちゃ濃い。だけど、「青衣の女」は、わりとおとなしめだった。不染鉄の水墨画「春風秋雨」が、その次。それよか、「冬」は、らしい長閑な田舎の風景画、このテイスト、ホント、らしくて癒されます。中村大三郎「ピアノ」はモダンなものだから、周りの作品からすると、ちょっと浮いている。この作品が、今回の展覧会のポスターに採用されたもの。同様に浮いているのが堂本印象「生活」。アンフォルメル作品ではないけど、住宅群の窓だけ切り取ったもの。その傍に福田平八郎。「雨後」という6曲1双の屏風絵と「青柿」という「筍」テイストの作品を配置。「雨後」の視点が気になったが、俯瞰図と観ればいいのかな、大部な作品だけど、それ以上の圧倒的な広がりを見せてくれてました。堂本印象は「婦女」「世相三題」もあった。前者のモダンさは、中村大三郎「ピアノ」といい対になってました。次の部屋に移る。徳岡神泉の作品にマークを付けてんだけど、思い出せない。宇田荻邨ものが向かい合わせに展示。「港」は、川瀬巴水の版画を観ているような作品に対し、「粟」は、ごく普通の写生をしたという感じ。このテイストの違いは何? 宇田荻邨は、三重まで行けばよかったと、見かけるたびに思ってしまう作家さんです。梥本一洋の「鵺」が出ていた。周りを圧する大和絵。大きな作品でもあるので、大きさでも圧迫しちゃう。上村松篁の「春立つ頃」は、卒業制作ということで、芸大の展示で観ている。「池」は、おもいしろい構図。草花など素材を上半分にかため、下半分には何も描いてない。主役は池だということなんでしょうが、どきりとする作品。林司馬に次いで、秋野不矩が1点「平原落日」がインパクトありすぎ。インドの大地なんでしょうか、太陽のぎらつき度が強烈、これだけど、我々の周りの世界じゃないと思う。前に生える草の勢いも知らない。さすがの逸品です。逆サイドは、木村斯光から。「清姫」の表情が、どこか岡本神草ばり。かと思うと、「傾く日ざし」に描かれてある女性は溌剌としている。この対比がおもしろい。山口華楊の「牛と農夫」を観て、牛の背中が、黒豹を描いた代表作を思い出した。動物の違いはあっても、描こうとする視点のようなものに相似形を観てしまってました。池田遙邨「みなとの曇り日」が良かったな。街の風景画なんだけど、ビルなどを単純な線で表すことで、街の空気の爽やかさが出ている。上手いものです。そして、最後の部屋だけど、ここはお手上げ。知らない作家ばっかだった、1人を除いて。その中で、三輪晁勢「葡萄」が気に入ったようで、何かメモってるが、滲んでしまってて読めない。サイテーだ。そして、オーラスにあったのが下村良之介「池畔」。「パンリアル」の作品です。古代鳥の化石を観ているようなの、いいですね。お向かいで、何点も観ているおかげで、馴染んでしまってます。そんなで、駆け足でメモったけど、ハルカス美術館のときのように、スマホのメモ帳に書いておけば良かったのだけど、ペーパーにメモると、あとで読みにくいものだから、上手くメモれないのがあかんね。でも、この展覧会、とってもいい作品が目白押しなんで、後期展示も行こうかの気になってます。ホント、ええのん、観れます。


2024年 10月 16日(水)午前 7時 4分

 昨日は、朝方、少しだけ、ウォーキングの真似事をしながら、マ-トで食糧調達。そして11時をメドにお出かけ。昨日は、天王寺でハシゴをした。ということは、はるかす美術館に行くのとはるかす寄席に行くという計画。美術館の方の特別展開催期間中に行われるはるかす寄席で顔付けが気に入った日に、その両方を併せて行こうの魂胆なのだ。はるかす寄席の番組は、次のようなものだった。【1部】新治「つる」、菊地まどか(虹友美)「温かい手」、雀々「八五郎坊主」、【2部】生喬「笠碁」、鉄瓶「竹の水仙」、ナオユキ「スタンダップ・コメディ」。この寄席、2部制なんだけど、昨日は、1部が80人くらい入ったんじゃないかな。2部では、そこから20人は帰ったみたい。だから、入れ替え時間を使い、座席のレイアウトを変えていた。やはり、ベテラン2人に菊地まどかは、人気を呼びます。この顔付けだと、トップは新治が務めざるをえないですね。おかげで、前座噺を出してくれました。おなじみのテキストに加えて、僅かだけど膨らんでるので、時間が気になってしまった。菊地まどかのネタは、よく出しているものですね。自分的にも2回目の遭遇。たわいのない恩返しネタなんだけど、やはり、菊地まどかの口演に乗せられたのでしょうね、うるっと来てしまってました。そして、久しぶりの雀々は、枝雀テイスト満載のネタを出してくれた。戸を開けるときに使う擬音を出しながら、「お家芸です」「伝承芸能ですから」というフレーズを入れてくれた。完全にツボに入ってしまった。むにゃむにゃという物言いを入れながらのお喋りが、めっちゃリアリティを増していた。昔は、こんなことなかったのにと、新しい雀々の姿を見た思いがした。2部の出番順が傑作。生喬がいきなりだし、しかも、「笠碁をします」と、上がるなり言ったものだから、一層、びっくり。これも、何度目かなんだけど、コロナ禍を経て、練りあがり方が進化してました。生喬は、大きな声を出し過ぎて、ちょっと困ることがあるんだけど、大きな声は出しても、その周りが整っているものだから、浮かない。大阪テイストだけど、いい感じの「笠碁」が出来上がってきました。鉄瓶のマクラに、めっちゃ笑った。師匠鶴瓶と間違って鉄瓶独演会のチケットを買った人のSNSを見ての話し。ありそうだし、実際にあったのでしょうね。そして、ネタは「竹の水仙」、鉄瓶が出しているのは、何度か見ているので、得意にしているネタかなと思い、聴き始めると、これが、実にいい。台詞が、見事にお腹に入っているから、実にリアルなやり取りと感じさせる、いい口演と看ました。緩急、声の変化、表情等々、お見事。ようやく、鉄瓶の評価が高いのが判りました。トリが、まさかのスタンダップ・コメディ。そんなこと関係なく、出番が組まれている模様。ナオユキも久しぶりだったので、嬉しかったなぁ、楽しかった。1部が1時間20分、2部が1時間15分、めっちゃたっぷり感のある寄席です。
 はるかす美術館では、つい先日、「印象派 モネからアメリカへ/ウスター美術館所蔵」という展覧会が始まっている。モネ・イヤーというか、印象派イヤーというか、これで、3つ目じゃないかな? いや4つ目か。今回の展覧会は1つ捻ってある。アメリカを噛ませている。印象派が拡散していく時期って、大量消費社会が胎動していく時期に、だいたい重なっている。アメリカで人気になるということは、それだけ、売れる。需要があるということ。それが、1つには印象派を引き上げて行ったというのがポイントとなる展覧会。アメリカで評価されるばかりか、アメリカで人気になり、ヨーロッパでの需要も高まっていく。しかも、アメリカの作家の中から、印象派の画風を学び、描いていく。それにも需要が発生する。そういったことを背景に、1898年にオープンしたウスター美術館が、いち早く、印象派の作品を購入していったそうだ。モネの「睡蓮」、たくさん描いているが、初めて売れたのが、この美術館だったそうだ。そのときの購入に関する書簡も展示されていた。ときには、フランスとアメリカの作家が、同じテーマで並んで展示されているかと思うと、「アメリカの印象派」という章立てでは、この展覧会の目玉となるアメリカものがあるかと思うと、「国際的な広がり」という章立てでは、日本の作家の作品が、国内の美術館から借り出され展示されていたり、最後の「まだ見ぬ景色を求めて」では、印象派以後の作品も展示されたりしていた。ウスター美術館から来ている数が、これだけの展覧会をするには、少し足らなかったということかもしれない。本来のがちの印象派の作品が少なめだったから、こういった展示になったのかと思う。順に、メモりたいことをメモることにします。「①伝統への挑戦」では、印象派に先駆ける作家の作品が並んだ。冒頭がトマス・コール「アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊」で、風景画からスタート。後の印象派の作品と比較せよとの試み。川面に光る陽の光が印象的。この並びに、ジャン=バティスト=カミーユ・コローが2点、「幸福の谷」「ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所―池畔の釣り人」。自分のコロー・イメージは前者。そのイメージに合った作品に久しぶりに出会った。そもそも、コローを観る機会が少ないけどね。焦点が二重になっているが、白い点ではなかった。ジュリアン・デュプレ「干し草作り」は農民を描いている、とっても躍動的だけど、解説には「理想化」していると書かれてあり、その意味が理解できなかった。「パリと印象派の画家たち」で、フランスの印象派が登場。最初の作品に、ルイ=ウジェーヌ・ブーダン「工事中のトゥルーヴィルの港」が持ってこられていた。次のモネ「税関吏の小屋・荒れた海」が、マチエールが強く、イメージ的には、印象派はこっちという配置。ブーダン、知らなかったが、川面が素敵。一挙に、すっきりとした空気感が出ている。カミーユ・ピサロが2点、「ルーアンのラクロワ島」「ディエップの船渠デュケーヌとベリニー、曇り」。自分的には、前者が気に入った、だいぶと。こちらの川面の反射がいい感じで、「見事」とメモってる。アメリカ人の作品もある。章立てに合った作品だからだ。あとのコーナーでも見かけたメアリー・カサット「裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)」は、隣にあったルノワール「闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール」(日本テレビ放送網株式会社)より、ルノワール的と思った。でも、色彩のこってり感は、ほんまものはほんまものだけある。ルノワールは、ウスター美術館からは「アラブの女」という小ぶりの作品が来ていた。このコーナーで、最も目立つのがチャイルド・ハッサム「花摘み、フランス式庭園にて」。ハッサムは、アメリカの代表的な印象派作家だそうで、このあとも、素敵な作品に出逢うとハッサムだった。この作品は、色の豊かさが見事で、俄然、目を引く。淡い中間色が多い印象派の作品群の中に入ると特異な印象を与えるので、目立ってしまうのでしょう。そして、別格扱いが、初めて売れた「睡蓮」。売買の書簡からして、たいそうな扱いをされていた。「国際的な広がり」という章立てが次、ここには日本の作家の印象派にインスパイアされた作品も、わりかし展示されていた。これらは、全て日本の美術館所蔵のものだった。代表的作家として、解説には黒田清輝と久米桂一郎を上げ、太田喜二郎、児島虎次郎らの作品もあったが、ほぼ関心が向かなかった。そんななか、目立ったのが、自分的にではあるが、「草つむ女」(富士美術館)という黒田作品。印象派まんまという色使い、描かれている世界もフランスのまんま。余所行きの空気まで流れていました。日本の作家以外では、ヨゼフ・イスラエルス「砂丘にて」という小さな作品が一のお気に入り。手前を粗く描くというらしい作品で、海岸に佇む少女の顔は見えないが、ゆったりと目の前に拡がる景色を眺める穏やかな心根が見えてくる。小さいなりに、その分、周りへの拡がる世界をイメージさせてくれる素敵な作品だった。豊かな色彩、光の表現では、アンデシュ・レオナード・ソーン「オパール」がいい。スウェーデン人作家だそうだが、明るい光りに、水辺の女性と草花が映える作品だが、川と思える水の流れ、なんか、?になってしまってた。ジョン・シンガー・サージェントという作家の作品が3点、「水を運ぶヴェネツィアの人」は生活の場、「キャサリン・チェイス・プラット」は肖像画、「コルフ島のオレンジの木々」は風景画と、全くテイストの異なる作品が並んだが、日常の生活を描いた作品に1票だな。「アメリカの印象派」というコーナーが、この展示の目玉だと思う。その最初にあったのが、フランク・ウェストン・ベンソン「ソリティアをする少女」が、今回の展示の秀逸候補。白いドレスのアクセントの付け方が、らしさが出ていて、ゴージャスな印象を与え、背景もその雰囲気を補佐しているようだけど、この女性の考え事をする表情、気になるわぁ。ジョゼフ・H・グリーンウッド「リンゴ園」は、会場内での紹介映像で観たときに気になった作品だったが、生で観ると、甘ったるい色彩、2本の木の色彩にもなじめず、ちょっと引いてしまった。逆に「雪どけ」は、雪に反射する光りは美しい安定の雪景色だけど、べたな感じがしてしまった。その傍にあるチャイルド・ハッサムに、やはり惹かれる。「コロンバス大通り、雨の日」は古写真を観ているよう、ブルヴァールを描いた作品。「朝食室、冬の朝、ニューヨーク」は「窓シリーズ」の1つだそうだが、窓外に見えるマンハッタン、その割には室内の穏やかさが伝わる、ツボは、この作家さんです。エドマンド・チャールズ・ターベルも気になる作家。「ヴェネツィアン・ブラインド」「‶ヴェネツィアン・ブラインド‶のための習作」の2点。本絵の前者は、「艶めかしさはルノワールばり」とメモってます。これも、秀逸候補。最後のコーナー「まだ見ぬ景色を求めて」は、いろんな世界の作品を搔き集めたという印象。いきなり、ポール・セザンヌ「‶カード遊びをする人々‶のための習作」があるかと思うと、振り返ると、ジョルジュ・ブラック「オリーヴの木々」、この路線で行くかと思うと、ポール・シニャック「ゴルフ・ジュアン」が並ぶ。なんとかしてくれよと言いたくなる並び。でも、このシニャック、過剰な点描で引いてしまった。ドイツ人作家のロヴィス・コリント「鏡の前」は、表現主義が入ってるんだって、よう分からん。マックス・スレーフォークトもドイツ人、「自画像、ゴートラムシュタインの庭にて」という作品、描かれている人物が浮き出るような印象を与える肖像画、色使いが表現主義的と解説されていたが、それは理解できる。プリミティブ・アートの影響ということでしょう。「ト-ナリズム」というタームが出て来た。抑制した色使いが特徴のようで、ぱっと見、印象派の作品。となると、また、並びに困惑。その傾向の作品として、ブルース・クレイン「11月の風景」、ドワイト・ウィリアム・トライオン「秋の入り日」「川、日暮れ」を観ることができた。おっとりとする風景画ですね。そして、ラストは、アメリカの超有名風景を、印象派の手法で描いた作品で締めていた。デウィット・パーシャル「ハーミット・クリーク・キャニオン」とジョン・ヘンリー・トワックマン「急流、イエローストーン」。こうやって、振り返ってみると、印象派、及び、その周辺って、いいなと思うね。かつては、見向きすらしなかったのに、加齢のせいか、何でもありになったせいか、すっかり楽しんでしまっています。結局、落語会が終わってから、ほぼほぼ2時間、遊ばせてもらった。いい時間でした。


2024年 10月 14日(月)午後 10時 14分

 今日は息子の誕生日。毎年、お祝いメールは送ることにしている。が、ここ数日、それを、当日になり忘れてしまわないか、ずっと心配だった。これを失念しないで、いつまで続けられるか、今年になり、急に不安になってきた。息子の誕生日まで抜かしてしまったら、ホント、終わったと言うしかないなと思う。そう思うと、結構な恐怖だったが、今年は大丈夫だった。大概、レスなんて来ないんだけど、今年は来た。「ども」とだけ書いて、あとは違う要件だった。ま、こんなものだね。
 今日は、午後に城陽でのコンサートに行くことになってたので、昼前のウォーキングは、若干ミニにした。午後に出かけるときは、この頃は、このウォーキング時に出かけるときの服装の瀬踏みをしている。今日は、あっさりと真夏の服装を選択。実際、それで良かった。もう、今年は着ないだろうと思ってたシャツを着なければならなかった。それほど気温が上がった。10月半ばなんだけど、どうなってんの? 今日のウォーキングは、コンサートの往復を併せて15000歩余、こういった日は、こんなものやね。
 コンサートは、文化パルク城陽のふれあいホールを使ったもの、二葉の独演会と同じ場所だとは聞いていたが、その場所を1階だと思ってた。まだ、1年、経ってないのに、すっかり忘れてしまってた。「Music Fusion in Kyoto 音楽祭」と銘打たれた公演の一環のコンサート。この音楽祭、今年から流れている。この他にも、京都府下の会場で行われているのは知っていた、どうやら、府が嚙んでるらしいというのも、何となく気づいていた。チケット代が安かったので、そう思っただけなんだけど。この城陽でのコンサートは「珠玉のクラシック‶名曲選‶」という副題が付き、豊島泰嗣a、上村昇b、田村響cの3人が出るというもの。えらい豪華メンバーで、お値段を見て、お上が噛んでると看たのだった。プログラムは、次のようなものだった。「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004‶シャコンヌ‶(a)」「ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調 作品69(bc)」「メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 作品49(abc)」。べたな有名曲ばかりだけど、室内楽のそういった曲って、生で接する機会というのは、さほど多いものではない。ましてや、名手3人が揃うというのは、外せないものです。このコンサート、このホール内のプラネタリウムでの落語や浪曲の公演がなかったら、恐らく知らないままだったと思う。そういった意味で、ラッキーな遭遇。バッハを弾いたあと、豊島さんがマイクを持ち挨拶、そして、音楽祭について話された。これ、来年からが本番で、今年はプレ企画だそうだ。他のところで知ったのでは、そのトップに豊島さんが着いてられるようですね。そこで、プレ企画が登場となったようで、宮津と舞鶴と言われてかな、既に、公演を行って来たと言われてた。ということで、来年から、本格的に情報も入ってくるのでしょうね。この3人で、聴いた機会の少ないのが田村さんだった。間違ってるかもしれないけど、前に郷古さんとのジョイントを聴いたような気がするんだけど、自信がない。それが思い違いだと、今回が初遭遇となる。とっても、音のクリアな方だ。大変な技だと思うのだけど、タッチやペダルの使い方などで、そういった音を出されてるはずと看たのだけど、ホント、クリア。これは、ソロの演奏会、聴きに行かなくてはなりません。ホールがいいのかもしれないけど、不必要な残響はなくというのは、ヴァイオリンにもチェロにも共通だった。それぞれ、とってもしっかりとした音に聴こえていた。上村さんのチェロは、相変わらずハスキーだけど、その音を久しぶりに聴くと、逆にテンションが上がってしまう。その上村さんのベートーヴェン、冒頭の有名なメロディ、スラーのかけ方が緩んだので、お歳かと思ってしまったんだけど、徐々に復調。音の掴み方がクリア、とってもしっかりとしたものになっていった。豊島さんは、メンデルスゾーンは申し分なかったんだけど、バッハは、ポーズに、ちょっとしたフェルマータがあればなとか、テンポの揺れを、もう少し大きくすればなとは思ったが、ちょっと欲張りすぎかもしれません。そして、メンデルスゾーンのアンサンブルはさすが。ええもん、聴けました。アンコールでは、メンデルスゾーンの第3楽章を、もう1度、演奏してくれました。


2024年 10月 14日(月)午前 7時 1分

 3連休の2日目は日曜日。朝からは「日曜美術館」の新作が流れ、溜まっていた洗濯をして、その合間をぬって、町内の仕事。そんなことをしていたものだから、忙しない。お昼も、午後の行き先途上で食べることにしたら、ここがとろこい。狭い店に客は入っているけど、なんか、独特の時間が流れているのか、客を待たせっぱなし。これはいかんと、お昼抜きになってしまいそうだったので、タイムリミットと思い、「時間かかるようでしたら、、、」と言うと、「あと5、6分で」と言うので、待ってしまったために、午後のお出かけ先に、めっちゃ際どく到着。その問題のお昼ご飯だけど、最初は、三条川端上るの韓国屋さんに行ったら、外で並んでたので、あっさりと諦め、近所のアジア料理屋に行ったら、そういった具合だった。パッタイを食べたけど、お値段高いわ、そんな独特のペースだから、もう行かないね。味は悪くないけど。午後の行き先は京都大学芝蘭会館、東一条の南西角の一角にあるところでの市民向け公開講演会だった。
 まずは「日曜美術館」だけど、今回のお題は「つながる私 塩田千春」。待望の新作、まだ行ってないが、既に前売り券を買ってある「塩田千春展」の現場に、MCの2人が足を運び、この展覧会を企画したキュレーター氏とともに、会場を巡るのが1本の柱。その合間に、塩田千春の略歴を時系列的に追いかけるというもの。その中で、かつて、森美術館で「塩田千春展」をキュレーションした現館長片岡真実さんのインタビューが入った。最後は、坂本美雨が、会場で塩田千春自身とトークをするというものまであった。塩田千春の作品は、豊田市美術館などで観ているので、かなり入れ込み気味に楽しみにしていたんだけど、この人のキャリアは、全く知らなかった。「大阪生まれ」「大学は洋画、自分らしい絵が描けているのか?との疑問を持ち続ける、ドイツへ留学して、マリーナ・アブラノヴィッチの下で学ぶ、その中であったのが断食の授業、断食の最後に紙を渡され書いたのが〝japoan‶だった、そこから自分らしさの追求が加速度的に進展」「‶不在の中の存在‶をテーマにして作品制作、祖母の死をきっかけに‶不在の中の存在‶がテーマに」「最初の糸は赤ではなく黒だった、平面で描けなくなったときに空間に線を引いた」「2回、卵巣がんの手術経験を持つ、それが作品制作に影響しているようだ」。紹介された作品をメモっておく。①**(入口前にあるインスタレーション、コロナ禍を受け制作、つながり=愛&eye&心というコンセプトでの展覧会、上からつるされた〈ドレス=第2の皮膚〉から伸びる赤い糸)②巡る記憶(入口直後にあるインスタレーション、水滴=ここにいない人の記憶、別府市で発表、温泉の湯気にインスパイアされた作品)③無題(油彩、20歳くらいの作品)④風景1992(③と同じ年の制作、抽象画、迷いの時期)⑤中学1年時のポスター⑥絵になること(‶japan‶と書いた後の作品、自身の身体にエナメル塗料を塗って絵になる、自分らしさを見つけ出す)⑦Try and go home(洞窟に上り転げ落ちる、裸で、‶japan‶からインスパイア)⑧皮膚からの記憶(泥に染まったドレス、水がかかっても取れない泥=その人の記憶)⑨家から家⑩静けさの中で(30歳、9歳のころの思い出、火事で焼け出されたピアノ)⑪眠っている間に(30歳頃から発表、空っぽだけどしわの着いたシーツの敷かれたベット、人がいないのに存在を感じさせる)⑫宇宙と繋がる⑬だれか、来る(ドローイング、がんの経験をきっかけ)⑭無題⑮手の平の鍵(ヴェネツィア・ビエンナーレ出展作)⑯不確かな旅(過去最大の個展を森美術館に出展したときの作品、キュレーションは片岡さん、残った卵巣にがんが見つかり入院したときの新作)⑰外在化された身体⑱つながる輪(公募したメッセージを赤い糸の中に吊るした今回の新作)。
 午後の市民向け公開講演会は「京都大学医学部附属病院開設125周年記念事業/第3回市民公開講座」だった。この講座、全4回あるが、その内の2回目と3回目に申し込んであった。昨日のテーマは「最先端がん治療を知る」で、講演が3本あったが、それは次のようなものだった。「①大腸がん手術の今」(消化管外科准教授肥田候矢)「②最新の抗がん薬治療を知る(腫瘍内科准教授松原淳一)「③『個』を重視した前立腺がん・腎がん・膀胱がんの最新治療」(泌尿器科准教授齊藤亮一)。②と③の後半で少し居眠り。そういった中で記憶に留めておきたいことをメモっておく。①は、大腸ポリープ除去なんかをしたことがあるので、一番、身近なお話、と同時に、わりかし知っていた内容が続いた。人工肛門のトピックは、そういった意味で知識がなかったので興味を引いた。手術の部位で装着の必要が出てくるようだ。肛門も含めて切除しなければならないと、当然、そうなるが、部位によっては、選択が可能な場合があるとか。そこで、人工肛門のメリット、デメリットが出てくる。デメリットは見てくれだけだと言われてたと思う。メリットは、結腸部を切除すると、便を溜めておくところがなくなるので、頻繁にトイレに行かねばならないそうだ。これは、全く知らなかったこと。手術に関しては、映像で解説していただけた。ロボットを使うのが70%だということだった。ロボットと言っても、手術をするのはロボットだが、人間が操作する。②が、知らないことばかりだったので、興味を引いた。がんの種類により、薬の効果が違うそうだ。効きやすいのが、リンパ腫など。水泳のなんとかという選手は、これで助かったと言われていた。逆に効きにくいのが、食道がん、肝がん、胆道がん、甲状腺がんなどを上げられていた。がん治療の効果を上げることの1つの目標は、この効きにくいがんに効く薬を開発していくことが大事なことになる。そのためには、、、ということで、薬には2種類あるという。「細胞障害**」という薬で、古典的なものでもあり、効果があるが、正常な細胞にまで攻撃をしてしまうため副作用が出る。「分子標的薬」は、特定の分子にピンポイントで攻撃を加える薬。だから、どの分子をターゲットにすればいいかが判っていると効果が出る、また、副作用もない。ただ、そのターゲットにすればいい分子が判っているのが少ない。そこで、この両者を併用する「抗体薬物複合体」という方法が考えられているそうだ。「がんゲノム検査」をして、ターゲットにすべき分子が特定できるそうだ。そういったことで、延命するには、手術、放射線治療、そして、抗がん剤治療の併用が大事だということになる。③では、その具体例を、泌尿器科で示していただいたことになる。前立腺がんでは、放射線科との連携の大事さを説かれていたようでしたし、腎がんでは、手術の手法の進歩を説かれていたと思う。全摘出から部分切除で済むように手術が移行していると言う。メモも、このくらいしか取っていないので、ここで、かなり寝落ちしていたようだな。この講演会には、弟も来ていたので、終了後、会館のソファに座り、しばし歓談。11月に夫婦で、フィジーだったか、タヒチに旅行に行くと言ってた。親父の急な発病で新婚旅行に行けなかったことの埋め合わせだと言ってた。あのときは、ニューカレドニアだったが、行き先はマイナーチェンジで南太平洋に行くようです。帰宅後、フィジーだと、国内情勢が気になり、資料を送ったが、その直後、確か、フランスの海外県だと言ってたように思えたので、タヒチだったかもと思い出している。


2024年 10月 12日(土)午後 8時 14分

 今日から、世間的には3連休。その内2日はコンサート。さすが秋本番ということで、コンサートへ密な日程で行く予定となっている。今日は大津、もう1日は城陽と、相変わらず大阪に行かないで、生音楽を聴けている。今日も、コンサートは午後だったので、午前中はミニのウォーキング。コンサート会場への往復と併せて、本日のウォーキングは14600歩弱だった。こういったスケジュールのときは仕方ありません。
 コンサートはびわ湖ホールであった「びわ湖ホール声楽アンサンブル 第79回定期公演」。毎回、お題を見て、行くかどうか決めているが、今回は「4人の作曲家たち ~フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランク~」とフランス音楽で決めていたので、即決だった。指揮に佐藤正浩、ピアノに下村景を迎えての公演だったが、佐藤さん、合唱のところは指揮をするが、それだと働いてないみたいだからと、作曲家1人につき1回は、伴奏も受け持っていました。そのプログラムは、次のようなものだった。(*=pf佐藤)(c=合唱)。【フォーレ】ラシーヌの雅歌(c+pf)、月の光(小林由佳)、ヴェネツィアの5つの歌より‶マンドリン‶(大野光星)、夢のあと(有ヶ谷友輝*)、マドリガル(c)、【ドビュッシー】星の夜(佐々木真衣)、美しき夕べ(岩石智華子*)、マンドリン(福西仁)、「3つのメロディ」より‶海は大伽藍よりも美しい‶(平欣史)、シャルル・ドルレアンの3つの詩より‶神よ!眺めるのはよいものだ‶‶太鼓の音を聞くとき‶‶冬はただの厄介者‶(c、ソロ/高田瑞希・徳田あさひ・奥本凱哉・西田昴平)、【ラヴェル】3つの歌‶ニコレット‶‶楽園の美しい三羽の鳥‶‶ロンド‶(c、ソロ/山岸裕梨・藤居知佳子・有本康人・林隆史)、ヴォカリーズ/ハバネラ形式のエチュード(山内由香)、5つのギリシャ民謡より‶花嫁の歌‶(高田瑞希)、ドゥルシネアに思いを寄せるドン・キホーテより‶ロマネスクな歌‶(西田昴平*)、夢(奥本凱哉)、【プーランク】7つの歌より‶美とそれに似たもの‶‶マリー‶(c)フランスの歌より‶王様の小さなお姫様‶(c)、偽りの結婚より‶ヴァイオリン‶(徳田あさひ)、月並みより‶パリへの旅‶‶ホテル‶(有本康人)、愛の小径(山岸裕梨)、平和への祈り〈佐藤正浩編曲〉(c+pf)。佐藤さんが、作曲家1人には1回、マイクを持って、ちょっとした解説を込めたトークをされながらの進行。その中で言われていたけれど、このびわ湖ホール声楽アンサンブルは、コーラスではない。ヨーロッパの歌劇場にあるアンサンブルを取り入れたもの、だから、ソロ歌手の集団。この定演では、演奏会形式のオペラの上演があったり、今回のように、リートを1人1人歌うというコンサートがあったり、コーラスも入ったりと、臨機応変にプログラムが組まれている。佐藤さんも言われてたけど、フランスのリートって、そんなに歌う機会があるわけではない。アンサンブルの中には、初めて手掛ける人もいたそうだ。発音がままならないからね、それが大きなネックになってるかもしれない。ま、こちらとしても、フランス語の歌詞を聴いても解るわけでもないが、雰囲気としては、やっぱ、難しいんだろうなとは思った。こうやって、4人の作曲家を並べると、個性が滲み出てきます。フォーレは、やっぱ、メロディの美しさが際立つ。ラヴェルは業師という印象を持った。ピアノも歌もアクセントが強い、濃いキャラという印象を残した。プーランクは、まともにいい感じといった音楽。とろりとするような音楽を書くというのも知ってるだけに、えらく直球だなという感じだったが、問題は、個性が際立つはずのドビュッシーが、今日のプログラムで、つまらなかったという点で際立ってしまった。歌手の問題もあるかも、ピアノの問題もあるかもと、そんな風なことで抜けてしまってた。歌手陣で言うと、新人さんが良かったな、ということは、冒頭のフォーレが粒ぞろいだった。そして、何よりも嬉しかったのは、ソロ歌手集団の聴かせるコーラスが素晴らしかったな。最初と最後だけはピアノ伴奏が付いたが、あとはアカペラだった。佐藤さんの自在の指揮に応え、とってもいい雰囲気だったな。次回は「ウィーン・ロマンス」などという気になるお題が付いていた。シューベルトとヨハン・シュトラウスだそうだ。小芝居でもしながら歌ってくれるんだろうか? もう、行く気になっています。


2024年 10月 12日(土)午前 7時 34分

 昨日は、この秋を代表する展覧会に行った。そのために神戸三宮まで行った。近くまでは行ってはいたが、三宮まで行くのは、コロナ禍明けでは初めてとなる。一昨日まで、神戸市立博物館に行くか、兵庫県立美術館に行くか、迷っていた。両方とも、この秋の特別展には行くつもりをしてるんだけど、昨日はどっちにするか、その決め手は、兵庫県立美術館近くのJICAビル内に入っているレストランの今月のメニューで決めた。月替わりの各国メニュー、今月は「東アフリカ料理」と出ていた。ざっくりとしたものだったので、来月以降に期待することにして、昨日は、神戸市立博物館の方を選んだのだった。こちらは「デ・キリコ展」ということで、さすがに、これは外せない。ただ、難解なんで、Youtubeの動画で、キリコについて解説しているものを観てから行った。キリコと言えば、シュールレアリスムの作家だと思ってた。それはそれで間違いないんだろうが、とっても振れ幅の広い人、それが、その予習の成果だったし、実際に、作品を観ると、それが確認できるのだけど、とにかく制作年を観ておかないと、時系列的な把握が難しい作家でもある。展示も、その辺がごっちゃになってるものだから、要注意だと思い、常に制作年のチェックだけはしながら鑑賞した。冒頭が、「①自画像・肖像画」という章立てには、ちょっと驚いた。名刺代わりに肖像画ということなんだろうけど、トレド美術館(アメリカ)から来ていた「肖像画」は、ギリシア彫刻と対面しているものだから、らしいといったら、そうなんだけど、古典回帰的な作品でもあるから、これがいきなりかと思ったが、その後には、「闘牛士の衣装をまとった自画像」(カーサ・ロドルフォ・シヴィエーロ美術館/フィレンツェ)「鎧をまとった自画像」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)というバロック回帰をした作品が並んだので、そこからスタートさせるのかと、困惑。だが、その並びに、「弟の肖像」というシュールレアリスム的作品を描く前の作品が置かれてあった。「肖像画」でまとめたのは、この絵の置き所に困ったからじゃないのとすら思ってしまった。これ、超貴重なんだよね、キリコ展と言われるものでは。こうなってあうなって、そんなこと考えないで観ることのできる唯一の作品でした。次の章が、お待ちかね「②形而上絵画」。ここが細かく分けてあり、「形而上絵画以前」として、没入直前作品として、アンリ・ルソー風の「山上への行列」(ブレシア市立美術館)があった。次いで「イタリア広場」。「沈黙の像(アリアドネ)」(ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館/デュッセルドルフ)で、距離感が崩れ出した。「バラ色の塔のあるイタリア広場」(トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館)「イタリア広場(詩人の記念碑)」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)と、ザ・キリコという作品が続くが、これらは、1934年と1969年の制作。キリコは、何度も、似た作品を描くが、こういった形而上絵画もそうだ。後年、「新形而上絵画」を謳い、過去作品を模写するような作品を出したり、過去作のモチーフをコラージュのように組み合わせたりするものだから、1910年代ものって、並んでないことが多いんだなぁ、「形而上絵画」というジャンルでも。だけど、その1910年代ものが3点並んだコーナーが、大事なハイライト場面だと思った。これらは「形而上的室内」の章立てに入っていた。「運命の神殿」(フィラデルフィア美術館)「福音書的な静物 I」(大阪中之島美術館)「形而上のコンポジション」(ジャン・エンツォ・スペローネ・コレクション)の3つだ。一番、何で、こういった物が並ぶの?と聞きたくなる、所謂解らない難物作品だけど、最も、らしい1つだ。確かに、こんなの観ると、アンドレ・ブルトン、舞い上がるわね。シュールレアリスム宣言が1924年なんだけど、解説文読んでいると、キリコの古典回帰は1919年に始まったと書いてあった。第1次大戦後ということになりますね。方向転換してから、アンドレ・ブルトンらと付き合ってることになる。このタイムラグ、教えてくれ、誰か! 古典回帰の端緒に立ったぞの雰囲気出してる「哲学者の頭部がある形而上的室内」(ナーマド・コレクション)は、その並びにあった。描いてあるものが判るようになった。これで1926年制作だから、アンドレ・ブルトンとの関係が微妙なところだよね。この辺の微妙なところの作品が、あまり来てない。テイストが同じような作品として、その並びに出ていたのは、いずれも、戦後の作品でリアルタイムじゃなかった。残念。ここまで出さなかった、らしい作品群は、2階に降りなければ観ることができなかった。そう「マヌカン」のセクションで、ようやく出て来た。「予言者」(ニューヨーク近代美術館)が、そのとっかかりとなったもので、次いで、チラシに使われた「形而上的なミューズたち」(カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館)が並ぶ。「予言者」の方は、手のないマヌカン、正体が不明な影なんかが描かれている。正面には遠近感を崩して、どこかで観かけた建物が描かれている。「形而上的なミューズたち」は、ポスターに使われるだけあって、インパクト抜群。中をくりぬいた頭部2個が、大きく描かれてある。やっぱ、第1次大戦の衝撃を引きずってるってことなのかな? そうだと言っても、古典回帰を思わせる神話に取材した「ヘクトルとアンドロマケ」(ローマ国立近現代美術館)があったり、ルノアールぶりを感じさせられる「南の歌」(ウフィツィ美術館群ピッティ宮近代美術館)なんてものもある。無機質なマヌカンの身体に柔らかさ、優しさを感じさせる、不思議な感覚、いっぱいな作品が後者だ。「オレステスとエレクトラ」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)なんて、物語を知っていると、戯画化されたアニメ作品に観えてしまった。「③1920年代の展開」という章立てが、次いでされていたが、既に、そういった括りの作品が出てるのになと思ってしまう。「ホワイエのミューズたち」(ナーマド・コレクション)は、マヌカンではないけど、10頭身以上の人間の姿が2体。この並びに、既視感のある「考古学者たち」(カルロ・ビロッティ美術館/ローマ)「谷間の家具」(トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館)が出ていた。更に、「室内にある屋外風景」のシリーズ、「剣闘士」のシリーズと並ぶ。次なる章立ては「④伝統的な絵画への回帰̶‶秩序への回帰‶から‶ネオ・バロック‶へ」。伝統への回帰は、各所で顔を出しながら、ここで、こういった章立てが出てくるのは、冒頭の自画像群にも現れていた「猛烈な回帰もの」といったものが並ぶからでしょう。テンペラ画が出て来たり、描く素材、構図、いずれも振れ幅が大きすぎるのに驚くばかり。この辺が、予習をしておいて、心の準備ができていたが、それまで観てきたものとの違いの激しさは、やっぱ驚きでしかなかった。ティツィアーノに関心を寄せたというのは学習していたが、オマージュ作品「男性の頭部」があったり、ヴァトーの原画に基づく「眠れる少女」なんてものまであった。2人目の妻となったイーザをモデルに描いた「横たわって水浴する女(アルクメネの休息)」(ローマ国立近現代美術館)「風景の中で水浴する女たちと赤い布」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)もここにあった。が、その一方で、組み合わせがおかしくない?と思える「鎧とスイカ」(ウニクレディト・アート・コレクション)があるのもここ。こんなのまで描いたのと思える歴史画「アレクサンドロス大王の上陸」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)もあった。「⑤新形而上絵画」が章立てとしては最後、晩年の回帰作品が並んだが、既に、前の章立てで、この時期に描いたものは並んでるが、ここに来て、新しいモチーフも出てくる。シダ状の形状物が両脇に描かれる作品、太陽を図案化した形状物が入ってきたりする。これらも、キリコを表していますよね。既視感のある「オデュッセウスの帰還」(ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団/ローマ)なんて、昔の作品のコラージュと言えるもの。そこへ、自分をオデュッセウスに例えるてなことをやってる。その他、途中には、ジャン・コクトーとのコラボ作品が出ていたり、舞台芸術にも関わっていたようで、芝居の衣装なども、最後には展示されていた。堪能させてもらった。世界中の著名な美術館から、結構な作品が来ています。見どころが多いという触れ込み、間違いありません。
 博物館を出ると、寄り道もせず、まっすぐに来た道を、また、ほぼ2時間近くかけて帰った。幸い、三宮からは座って梅田まで帰ることができた。美術館にも、ほぼ2時間いたので、腰が心配だったが、これで助かったな。まだ、もう1回、神戸まで行かなくてはならない。やっぱ、遠いわ。交通費、高いわ。


2024年 10月 10日(木)午後 11時 38分

 今日は、完全休養日に充てた日。3日程前までは、映画を観よう、その足で美術館へも行こうなどという予定を入れていたが、1週間に1日も休養日を入れないのは異常事態と考えた。先日来、疲労を感じていることは事実。そこで、お出かけなしで、外出時間は日に2回のウォーキング時だけとなった。涼しいのでウォーキングにはもってこいの日和になっているが、夕方のウォーキングの半ばで顎が出てしまった。やっぱ、疲れてんだというのが、正直な感想。明日からは、また、お出かけなんで、いいことをしたと思っているが、疲労自体は取れたかどうかは、今のところ不明だ。本日のウォーキング、万歩計は17500歩余を指している。申し分ない結果だ。
 午後の一時は、明日、もしかして「キリコ展」に行くのならということで、Youtubeで予習をしようとした。山田五郎のチャンネルが出している動画にキリコを扱ったものを、1回は観ているのだが、観返そうと思ったのだったが、2本立てで、各々が40分ずつという長丁場。半ばで寝落ち。それが、1時間半は続いたみたい。さすが、もう1度、観ようとしなかった。しばし、そのまま、ベッドに横たわっていた。背中が伸びると、心地よい。そして、やおら、11月末出発で予定している韓国旅行の下調べをした。テグ(大邱)からポハン(浦項)、ウルサン(蔚山)を経て釜山入り、そして、テグへ戻るというコースで、ほぼ決定のつもりでいる。この地域の鉄道に乗ろうの魂胆だ。だが、路線の関係で、「ポハン~ウルサン」の移動はバスにしようと思っている。韓国鉄道の様子を勉強しながらコースを決めているなかで、少しずつ、韓国鉄道の路線図を覚えようとしている。今日は、ウルサンについての情報を集めた。前回、ウルサン入りをしたときに訪れたソセンポウエソン(西生浦倭城)を省いて、今回はウルサンを歩こうと思っているので、情報集めをしたというわけだ。ソセンポウエソンまで行くと遠いので、それは、今回カットしようと思ってるのだ。幾つか、気になる博物館が出てきている。郊外に行けたらという希望もあるので、それが見つかりかけたところで時間切れ。またの機会となったけど、そんなにも時間があるわけではない。韓国に行く前に、地方美術館巡りもするので、ちょっと慌ただしくなってきている。
 先日、滋賀県立美術館に一緒に行った元同僚から、昨晩以来、電話をもらっていたが、ようやく、今日の夕方になって繋がった。会って話してたときに、小説&映画「太白山脈」が話題になった。黄紺が「橋本農場」という、日本統治時代に実在をした日本人による農業経営の跡を話しているとき、元同僚が「太白山脈」に出て来たと言い出したのだった。太白山脈とキムジェ(金堤)は、えらく離れているのでおかしいとは思ったのだが、、、。それに関して、「橋本農場」ではなく「中島堤防」だったということで、修正の電話だったのだった。結局、「橋本農場」に関する情報が出て来たわけではなかったが、「太白山脈」の講釈を聴いて、実におもしろかった。「太白山脈」に主人公の一人の出自を書いてあるところに、「中島堤防」が出て来たというのだ。当然、重層構造になり、韓国農民を搾取したということだけの繋がりだったのだが、その「中島堤防」について、その小説が認めてあることがおもしろかった。小説のことだから、「中島堤防」自体が、モデルはあっても架空の代物だったのかもしれないが、そこにありそうな記述がされているというのだ。架空のものを真実足らしめようとすれば、実在した著名なものと比較をすれば解りやすい。その比較としてあるものの中に、日本人経営者の本拠はポルギョ(筏橋)にしてあるそうだ。周辺の米どころの記述も出てきており、その1つにナガン(楽安)が入っていると言っていた。東洋拓殖会社の先兵として開発に当たったのかもしれないけど、そういった日本人入植者がいるんだね。スンチョンは、干潟で有名だしね。ポルギョは、「1泊2日」でやってたけど、日本の有明海のムツゴロウ漁のようなことしてるのを観た記憶があるしね。ここまで、干潟は続いているということですね、それを背景にして、人物配置をしているようです。でも、「橋本農場」の情報は皆無だったのは、残念。


2024年 10月 9日(水)午後 8時 15分

 今日は、丁度、昼時に上映開始となる映画を観た。場所が京都シネマであるということで、昼は外食にしなければならなかったが、近くの好き家の牛丼にして、節約。前の晩は飲んだし、出かけ先で食事をすることが増えているので、牛丼で済ませるのは始末のつもりだ。そこで、ちょこっと時間を稼いで、出かける前に、近所でミニミニのウォーキング。ちょっとだけでも、ウォーキングを入れると、気分がいい。今日は、これと、映画館の往復に、少し色を付けてコースを長くした。それで、万歩計を見ると15800歩余だから、まあ上出来の部類だ。
 映画は「春画と日本人」。これ、数年前に上映され、そのとき迷いながら観なかったので、今回は観ることにした。今回の再上映は、細見美術館での展覧会に合わせたもの。1週間限定での再上映と、当初はHPに出ていたので慌てたが、今日、再度、確認をしたら、「11月にも上映が決まった」と出ていた。客の入りがいいらしい。確かに、足を運んでみて、そうなるわけがわかった。この映画は、東京での春画展の記録といったものだ。かなり、マスコミも取り上げていたので、展覧会自体は、もちろん知っていたし、その関連企画での映画制作だということも知ってはいたが、今回、映画を観て、知らないことだらけだった。その辺をメモっておこう。「春画展の発端は、大英博物館での展覧会だった」「巡回展として企画されたが、里帰りの地日本では開催を引き受けるところが出なかった」「それを引き受けたのが細川護熙元首相だった、元細川家の下屋敷のあった永青文庫での展覧会が実現した」「だが、結局、展覧会のスポンサーは出なかった」「22万人の動員、年間来場者数が2万人の美術館に、その10倍の人が展覧会期間中にやって来た」「研究者から、研究をすることの圧力、それが、取り締まり的な公安によるというものより、学界でアンタッチャブル的位置に置かれていた、従って触れてはならぬものとなっていった、研究も遅れた」「明治以後、近代国家を目指す政府には、目障りなものとして排除が積極的に行われた、実際、多くの作品や版木が燃やされ、処分をされた、そういった背景のなか、どんどんとアンタッチャブル化が進んでいった」「学問の世界でも触れるな、触れると先がない的な圧力が現実にあった」「画期は、出版が成ったこと、高価なものとして売ることで、興味本位の対象にならないことを、公安は暗に求めたようだった(と聞こえた)」「でも、一旦、出版が成ったことで、一挙に垣根が下がり、後発の出版物が続いた」「出版物が良くて、その実物がダメという不思議な状態が続いていた」「その間、一方で、収集が進んでいた」「日文研の収蔵物が、細見美術館での展示でも出ていたが、その先駆となった」「この展覧会の実行委員も務められた画商の収集の努力もインタビューで紹介されていたが、、、」「その中で衝撃が走った、歌麿だったかの傑作をオークションで競り落としたが、その出所を聴いたときだった、高橋誠一郎さんのコレクションだった」「実は、黄紺的には高橋誠一郎コレクションは既知のことだった、ご本人から直で聴いたわけではないが、そういった噂が流れているのをキャッチしていた」「高橋さん没後、その所蔵品が、一括して所縁の大学に寄贈された、だが、大学側は、春画だけは受け取らなかったそうだ」「そのため、流出をしてしまい、流れ流れてオークションにかかったそうだ」、、、とにかく、そうそうたる学者がインタビューに答え、それを編集してくれています。この映画、作品自体も、当然、流れます。が、一切のトリミングは使用されていない。そういった映画が、年齢制限があるにしても、通常の上映で流れるということも、画期的なんですよね。そうそう、大英博物館での展示でも年齢制限をしたんだって。これはこれで、驚いたな。イギリスでも、そんなことあるんだね。


2024年 10月 9日(水)午前 6時 25分

 昨日は、昔の同僚と滋賀県立美術館に行った。前回、同美術館に行ったとき、フロアでアンケートを取っていた学生さんの膨大なアンケートに応じたら、新たに始まった展覧会「滋賀県立美術館開館40周年記念/生誕100年記念 人間国宝 志村ふくみ展 色と言葉のつむぎおり」の招待券をくれた。黄紺的には、年間パスポートを持っているので、もらっても意味がなかったが、「他の人に譲ってもいい」と言ってくれたので、それをもらった。そこで声をかけた元同僚が「行く」というので、一緒に行くことになったのだった。会期の始まった初日だった。志村ふくみという作家さんは、この美術館に来るようになるまでは、全く知らなかった。2年程前、こちらのコレクション展で観て、びっくりした。能装束というもので、着物は観ることはあっても、そうでないものを観て、驚き、感銘を覚えた。そこで、この展覧会が予定されていることを知ったとき、これは見逃せないと思った待望の展覧会だった。
 元同僚とは京都駅で待ち合わせ。初めて、瀬田駅からバスに乗った。美術館前というバス停、わざわざ立派なものまであるのも、おかげで初めて知った。周りの公園が立派そうなのは判ってはいたが、その中を歩いたのも初めてだったし、美術館の隣に図書館があるらしいのは知ってはいたが、その建物を見たのも初めてだった。公園内を散策しながら美術館に到着といったところだった。いつもは。ウォーキングがてら歩いて行くので、駅とは反対方向に拡がる公園内を歩くことはなかったのだった。アールブリュットの展覧会を、いつかDやSに見せたいと思ってるが、併せて、この公園内を歩かせてやりたいと思う、素敵な空間だった。展覧会は、作品展示の合間に、着物について解説があったのが助かった。エッセイも書く志村ふくみということで、作品のところどころに、その書いたものも、作品解説ともに配備されていた。それに加えて、映像が2箇所。1つは、石牟礼道子とのコラボに関し、インタビューに答える志村ふくみ。もう一つは、文化庁が、作家紹介をしている映像。さすが人間国宝です。こういった映像を作ってるのですね。おかげで、制作風景、それにコメントを入れる志村ふくみのお話も聴けた。元同僚とともに、これを観て驚いたのは、全く自分で全部やってるってことだった。草木染にするための草を刈るところからだ。草の煮汁を取り、実際に絹を染めていた。一方、繭から糸を紡ぐという作業も、自分でやっていた。織るという作業というのは、映像で、これまで、いろいろと観たことはあったが、その下準備の様子を観たのは初めて。それも、自身でやってた。織りに入るには下絵が要る。それも、自身で描いていた。最後、縫うのも自らやってた。染めの場面などで、助手的な人が周りにいたけれど、あくまでも助手だった。工房があり、それを差配するという姿ではなかったのだ。こういったことを母親から習ったとだけ解説には書かれており、誰か師匠となる人はいなかった。「民芸運動を惹かれた」人だと解説には書かれていたが、色合い、紬の持つ結び玉のようなアクセント、全体的なデザイン感覚、そういったものに、その影響が出ているように思えた。特に色の濃い色を使った作品なんかは、その影響を受けてるなとは、黄紺にも解ったような気がした。能装束の段格子になった模様、焼き物の色合い、そういったものからインスパイアされた作品もあった。初めて、この人の作品を観たとき以来、とっても気に入った微妙なグラデーションを付けた色合いの、とっても繊細な作品が、この人の特徴なのかと、勝手に決めつけていたが、そうではなかった。それは、その一部であって、むしろ多彩なアイデアというのが、この作家さんの特徴と思えた。デザイン性にシフトした作品があったり、この人の核となるようなシリーズだとされているような「源氏物語」にインスパイアされた作品、故郷の琵琶湖をモチーフにした作品群と、実に多彩。そういったもの全てを観終わって、改めて、グラデーションの見事な作品たちに、やっぱ、心躍った。元同僚に、照明の具合を尋ねた作品もあった。「これ、照明の具合で、色の変化を出てるのじゃないでしょうね」と。それほど、細やかな変化だった。最後のコーナーにあった映像を観ていると、閉館時間が近づいてきた。残り10分というところで、思い切って映像を諦め、他の2つの展示室に向かった、一人で。2つの部屋を使い、「SMoA コレクション −女性作家特集−」という展示があったからだ。時間的に、作品を鑑賞する時間はないが、どんな作品が出てるのかだけは知りたかったのだった。なんせ、HPに作品リストが出てなかったものだから。日本画は、予想通り、野口小蘋ものが幾つか並び、多くは知らない作家さんだったが、中に、梶原緋佐子、福田美蘭、三橋節子があった。2つ目の部屋には、搭本シスコ、川内倫子、イケムラレイコ、田中敦子、草間彌生があった。
 閉館間際に退出。特別停留所にはバスは来ないことが判ったので、外の道路脇から乗車。下校時に当たったため、車内は大混雑。そして、駅前の王将で飲んだ。周りの状況に、あまり頓着をしない元同僚は、京都駅前はどうかと言ったが、「大混雑、気になりません?」と言ったら、ようやく気付いたみたい。おかげで、前から素通りばかりをしていた王将に入れた。珍しく、黄紺の韓国話なんかしたな。いつもは聞き役ばっかなんだけど。でも、「橋本農場」で盛り上がりかけた。ドラマ「太白山脈」に出て来たような気がすると言ってた。とんでもない情報だ、間違いがなければ。めっちゃ、気になるわ。あのドラマ、全羅道が舞台の物語だと言ってた。だと、話が合う、けど、なんで、題が「太白山脈」なんだ、気になる。だから、「橋本農場」について、何か判ったら教えてくれとお願いしておいたが、覚えてるやろか? そんなで、またの再会を約して、京都駅で別れたが、車内で、simカードの話で盛り上がった。不思議な人で、初歩的なPC&スマホ操作が解らない人なのに、そこいら辺の爺婆は、絶対知らないsimについて語る。わけわからん!


2024年 10月 7日(月)午後 10時 58分

 今日は、大阪でハシゴをした日。高島屋史料館で新たな展覧会が始まったので、それと組み合わせて動楽亭の昼席に行こうというプランだった。これをするときは、高島屋の方が、火水曜日が休館だから、それを避けて行く日を決めねばならないのが、ちょっと困った点。動楽亭の顔付けの問題があるので、曜日と顔付けを睨み合わせながら日にち選びをしなければならない。今日の顔付けは、行きたい、けど混むだろうと予想が立つので、普段だと避けていたかもしれないが、うまくいい日が見つからなかったので、今日にした。しかも、月曜日だから他の予定は入りにくいというのはいいということだったが、案の定、混んだ。開演30分以上前から入口に並ぶ人影、10人近くいたかもしれないね。
 高島屋の展覧会は「DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~」というもの。HPでアウトラインを見ず、このお題だけで行ったものだから、行ってみて、初めて高島屋の歴史を広告デザインから追いかけるものと知った。もう少し、一般的なものかと思ってた。というのも、この史料館では、高島屋の歴史を常設展示をしているものだから、そうとは思わなかったのだった。でも、これはこれでおもしろかった。現代的な大型店第1号が難波店だった。南海電車が駅ビルを建設するということを知り、高島屋側から働きかけたという趣旨のことが書かれていた。1930年のこととは、また、気の毒な話だ。このあと東京日本橋店がオープンするのだが、こちらも、確か30年代後半だった。凄い時期にと思ってしまうが、よく投資する気になったものです。難波店開業時の広告を担当した今竹七郎のデザインがモダン。「メンソレータム」「南海ホークス」「関西電力」などのデザインを残した広告業界の大物だそうだ。東京のそれは、むしろ京都発祥ということを意識させるのを目標としたような広告デザインだったのが可笑しい。和田三造がデザインを担当していた。「南風」という美術の教科書で観た重文の作品を残した作家だ。その京都を意識させた挿話の1つに驚きの試みが紹介されていた。祇園祭の月鉾を東京に持って行って、屋上で組み立てたのだそうだ。これ、凄いよね。鉾の中でも最も重要文化財を積んでると言われる月鉾を持っていく、とんでもない着想です。それを屋上にというのも、かつてのデパートの屋上の位置の高さが見えてきます。京都の現高島屋は、戦前計画され、途中まで造られ停止。戦後に完全形でオープンしたそうだ。ということは、あの場所、それまで、何があったのだろうか? 元々の高島屋発祥の地は烏丸松原だったそうだ。「SC」というのはショッピングセンター。その先駆けが二子玉川店。これ、「ブラタモリ」でも取り上げてたな。玉電が消えたと同じ時期に、二子玉川が、一躍クローズアップされた記憶がある。東京にいたときだったので、よく覚えている。でも、二子玉川には行ったことがない。これ、いつから「モール」というタームを使うようになったのだろうか? 京都店がリニューアルオープンしたり、日本橋店もリニューアルオープンしたのが話題になってたことの記憶はあった。日本橋店は巨大化してる。てっきり白木屋を吸収したと思ってたんだけど、そうなのかな、どうかな。展示には白木屋パネルもあったが、記載内容には吸収したとは読めなかった。けど、だったら、なんで白木屋のパネルがあったのか? 京都もそうだけど、百貨店業務とSC業務を併設してるようですね。そう言えば、京都店に「任天堂」が入ってる。でも、自分がそれを何で知ってるのか、いや、その場には入ってないけど、現認してる。何をしに行ったのだろう、全く思い出せない。蔦屋も入ってるの、映像を観て、思い出した。これも、生で観た記憶がある。なんで、知ってるの? そんな、自分の記憶を思い出したり、子どものころ、屋上に連れて行ってもらえるのって、とってもハレの日だったなと思ったりすると、結構、百貨店って、自分の生活に密接だったので、展示されているもの観ていて、飽きないのです。狭いスペースだったが45分くらい観てたんじゃないかな。受付の人が、「後期もありますよ」と、展示替えを教えてくれました。
 高島屋史料館を出ると、行先は、毎度決まっている。黄紺的一番美味いタイ料理屋で昼食。今日はカオマンガイにした。最近、ガッパオばっかだったからね。そして、動楽亭へは徒歩移動。スーパー玉出で、久しぶりに買い物。コロナ禍を経て、スーパー玉出も、普通のスーパーマーケット化してしまってますね。で、動楽亭昼席なんだけど、南光、南天、紅雀が、一緒に出番があるというので、ヤバいと思ったのだった。聴きたいのは山々なんだけど、やっぱ、混むわね。その辺は、客は、よく解っている。番組は次のようなものだった。弥っこ「いらち俥」、米輝「シックスパック」、紅雀「さかさま盗人」、南天「だんじり狸」、(中入り)、あさ吉「住吉駕籠」、南光「蔵丁稚」。弥っこの「いらち俥」は定番。この昼席でも、何度目かだ。米輝の「シックスパック」は、以前、ここ出たとき、あろうことか、このけったいな噺を聴いて寝てしまったので、ようやく噺の内容が判った。「シックスパック」の意味も知らなかった。この題で、米輝が口演しているのは知ってはいたが、遭遇はしたが、そんなで、その意味も、今日初めて知った次第。田所萬吉シリーズの1つだった。この噺では、田所萬吉は、トレーナーとして登場。筋肉もりもりではなく、おかしな鼻の形をしたトレーナーとして登場させてました。鼻を鍛えた女子は、田所萬吉そっくりになって出てくるという趣向。もう、ワケが解らない米輝ワールド全開の噺でした。後から出た紅雀が、「まともな古典をやります」と言ったけど、もう、この言葉自体、紅雀の口から出るだけで、おもろい。「さかさま盗人」は「打飼盗人」のこと。紅雀は、どういったわけか「さかさま」を使う。内容を表しているが、よく使われる言い方をしない心が知りたいね。今日は、あろうことか、南天の高座で寝落ち。「このネタ、あまり好きじゃないんだよね」「ちょっと作り過ぎ感があるんだよね」と思ったところまでは覚えている。7月だったか、その頃に、南天の梅田での会が平日の昼間にあったので聴きに行ったら、確か、ネタがこれで、そのときは満足して聴いてたんだけど、心の片隅に、満足してない部分があるようです。あさ吉のマクラはおもしろいぞと期待してたら、見事、応えてくれた。福団治と、この1週間、喜楽館で一緒したということで、福団治と米朝2人に関わる話をしてくれた。福団治の「藪入り」は、名人金馬からもらったもの。鈴本で10日連続、金馬がトリを取り、ネタは、全日「藪入り」だった。それを、失礼しますと言ってから客席で聴いた当時の小春は、10日が終わったところで、「ネタをもらいたい」とお願いしたら、金馬は、小春が客席で聴いてたことを知ってた。でも、教えてくれた。そのことを米朝に言ったら、大阪に持ち帰ってくれたことを褒めたが、一方で、「まだ早い」と言った。ところが、小春から福団治を襲名したとき、そういったことを憶えていた米朝が、自分の方から福団治に「そろそろやってもええんちゃうか」と言ってくれた。それまで、小春時代には、教えてもらったが、米朝に言われたことで、実際には口演していなかったそうだ。その物語を、喜楽館でしてくれたそうだ。めっちゃ、ええ話です。あさ吉は、米朝の傍にいた噺家だということで、自然と、こういった話が出るのでしょうね。「住吉駕籠」は、酔っ払いのところまで。この位置では、そこまでが妥当です。南光の「蔵丁稚」って、聴いていそうで覚えてない。可能性としては初めてもありうる。「四段目」をまねるときって、三味線の音を口で入れてたっけ? 南光は、それをしてたので、そんなこと、他の噺家さんしてたっけと思ってしまったのだが、口三味線入れるの、風情が上がるな。この部分を聴いただけで、通常はどうかはどうでも良くて、ええもん聴けた感が上がるな。南光の芝居噺って、これだけかもしれないですね。そう思うと、余計に貴重さが大きくなりますね。


2024年 10月 7日(月)午前 6時 48分

 昨日は、午後にオペラを観た。京都でだったので、往復が便利なため、そんなに忙しなく動いたわけではなかったが、日曜日の定番「日曜美術館」があるため、縛りがあるので、小1時間を使い、ミニのウォーキングはできた。昨日は、かなり気温が上昇。明け方からの気温上昇は、半端ないものがあった。それと、オペラの往復が、昨日のウォーキング。幸い、帰りの電車が都合よく乗れたので、お酒を買えるマートに寄ることができた。でも、万歩計を見ると13500歩余で、ちょっと寂しいが、昨日の時間の流れを考えると仕方ない。
 「日曜美術館」のお題は「この世を楽しく美しく 江戸のレジェンド絵師英一蝶」。これは、今、東京で特別展が進行中ということでの企画。おかげで、ええもん、観れました。今回は、MCは登場せず、解説とゲストによる観覧という構成だった。ゲストは、イッセー尾形と神田伯山。特に後者にびっくり。講談に「浅妻船」というネタがあって、それは、英一蝶が多賀朝湖と名乗っていた頃の物語だそうだ。初耳だった。それを持ちネタにする伯山が招請されたということだった。ほんの講談のさわりまで流していた。英一蝶については、以前にも「日曜美術館」で取り上げたことがあったのかな、違う番組だったかもしれないけど、Youtubeに動画がアップされていたので観たことがあったので、その生涯については、そのときに聴いたことの確認になった。それにつけても、波乱万丈の生涯です。番組で取り上げられた作品をメモっておく。①投扇図(願掛けの様子、扇を投げ鳥居の間を抜くと幸運が来る)②僧正遍照落馬図(女郎花を取ろうして落馬した僧)③二代高嵩谷/英一蝶像④雑画帖⑤立美人画(菱川師宣風ポーズ、顔は一蝶風)⑥四条河原納涼図(夕涼み風景、視点が客観的、自分で観てきた光景を客観的に描く)⑦人物画巻(大原女売りが自分の荷の家に上り花を取ろうとしている)⑧朝暾曳馬図(影の表現がある、空気感を捉えている)⑨朝顔に日傘図(句に絵を添える、乳母(おんば)日傘を描く=子どもへの慈愛、芭蕉との交流があり、特に其角と深いつながり)⑩吉野・龍田図屏風(桂昌院に送った?)⑪七福神相撲図(三宅島に流されて以後を島一蝶と言う)⑫神馬図額(島一蝶、御蔵島に残る、絵馬)⑬天神図(島一蝶、新島に庇護者=梅田家がいた、大宰府の道真に己の境遇を重ねる、当時の書簡も残るが内容は金の無心)⑭布晒舞図(島一蝶だが島から江戸へ送る、川での布を晒す姿を舞にしたもの、着物に赤&金泥)⑮朝妻舟図⑯吉原風俗図巻(絵巻、島一蝶、乗り込みから始まる、腹を立てている人物を描くのが上手い)⑰四季日待図鑑(島一蝶、影を使う巧みさ)⑱雨宿り図屏風(畢生の作、種々雑多な人が雨のため1箇所に集っている、この絵に対しては、国貞や歌麿のリスペクトした作品がある、但し、歌麿作では雨宿りをするのは美人だけ)⑲釈迦十六善神図(仏画、初公開、緻密な描写)。
 オペラはロームシアター京都。「2024年度全国共同制作オペラ」というもので、昨年だったかは名古屋まで観に行った思い出がある公演。演目は「ボエーム」。狙いは、演出が森山開次で、指揮が、今年で引退する井上道義ということだった。特に、森山開次に要注目の気でチケットを購入してあった。出演者等は、次のようなものだった。ミミ:ルザン・マンタシャン、ロドルフォ:工藤和真、ムゼッタ:イローナ・レヴォルスカヤ、マルチェッロ:池内 響、コッリーネ:スタニスラフ・ヴォロビョフ、ショナール:高橋洋介、ベノア:晴 雅彦、アルチンドロ:仲田尋一、パルピニョール:谷口耕平、ダンサー:梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯、管弦楽:京都市交響楽団、バンダ:バンダ・ペル・ラ・ボエーム、合唱:ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団。なお、森山開次は、演出だけではなく、振付・美術・衣裳も担当していた。舞台上には、一貫して、敷き舞台に奥に壁&ドアの付いた装置が出ている。1幕と4幕は同じ場面だが、幕で、正面から見える空間を制限するという工夫があった。狭い部屋のはずという考えですね。1幕の方では、敷き舞台の周りにイーゼルを並べてたのに対し、4幕では、それらは畳み、重ねて寝かせてあった。登場人物の気持ちの推移ということなんでしょう。そのイーゼルに、2幕では窓の枠を置くという工夫。この窓枠は、2幕スタート時からしばらく、コーラスの人が幾人かで持っていた。また、左右の奥に、窓枠を吊っていた。街中の雰囲気を、そういった形で出していた。逆に3幕は、冒頭、コーラスの人が出る箇所は、歌手陣が、白い布をまとい、雪を被った木を表していた。その状態を続けるのかと思ってたら、コーラスの必要がなくなると、全部はけてしまい、後は、舞台は何もなし。背後のドア付き壁はそのまま。このドアを酒場の出入り口に使うのかと思ったんだけど、それもしてなかった。照明(その使い方が、ずっと秀逸だった!)で、暗い街角を出していた。ここの評価は、分かれるかもしれない。黄紺的には、ここまでのアイデア満載の舞台作りにしては、ちょっと寂しい気がしたな。雰囲気という点で言えば、不満だったのは、2幕でムゼッタが出てきてから、知らない間にムゼッタのアリアになっていたという感じ。ムゼッタのかき回しが欲しいな。そこでキャラを定着させないとと思うんだけど、それが欠けていた思うな。マルチェッロと盛り上がったり、3幕で喧嘩したり、4幕で、「こいつええやつ」と思える空気が出てこないんだよね。いい声をした歌手だったので、ここは演出の責任だね。歌手は、女性陣とマルチェッロが良かった。ロドルフォは、いい高音を持ってんだけど、中音部以下が頼りなくて、満足とまではいかなかったな。問題は井上道義。1幕のエモさは抜群、いい雰囲気じゃんと思って聴いていたんだけど、進行につれて「おやおや」となっていった。会場で会った知人と、この件が話題に上った。知人は「井上さん、体調良くないみたい」と言われてた。それに対し、「進むにつれて、間延びして行ってる」と応じると、同意されていた。そんな感じで、いいところ、そうじゃないところ、両面に出逢ったという印象だった。カーテンコールは、その井上さん、はしゃいでいたので、体調じゃないのかなとも思った。京都が初公演ではないのだけど、カーテンコールには森山開次も出て来た。井上さんとは、パンフレットを読むと、これで、3回目の共演となるのだそうですね。へぇ~だった。


2024年 10月 5日(土)午後 8時 35分

 この土日は音楽を聴くことになっている。秋本番という感じ。涼しくなったし、コンサートでも、この土日がピークかもしれないなと思いながら、あと、オペラもあるし、ブルックナーの大曲もあるしと、まだまだ、ピークと思うのは早いかかもしれない。これらの音楽会が、全部、京都と滋賀で賄えるというのが凄いね。しかも、変化の富んだものが並んでる。ちなみに、今日は室内楽で、明日はオペラだ。今日のコンサートは、午後3時開演だったが、京都コンサートホールへ行く場合は、その往復が十分すぎるウォーキングとなるので、出かける前のウォーキングは超ミニ。ウォーミングアップというところ。むしろ、音楽会のチケット購入に時間を使った。ちょっと早めの昼食を食べて、出かける前、しばし、Youtubeを観ていると寝落ちをしてしまった。これは焦った。また、出かけ先で寝てしまうのではないかと。やっぱ、疲労が溜まってるのかも?
 京都コンサートホールでのコンサートは「没後100年記念公演――フォーレ ピアノ五重奏曲 全曲演奏会」というもの。全曲と言っても2曲しかないけど、その両方を出しちゃおうというもの。まず、曲目にぎょっとして、演奏者を見て、即決だった。弓新の名があった。知らない演奏者がいても、いくらなんでも、弓新とバランスは取るだろうと考えての即決だった。ピアノ五重奏曲って、まあ出ない。出ても、ブラームスが関の山。名曲ドボルザークも出ないな。それがフォーレとは、恐れ入った。プログラムは次の通り。もちろん、オール・フォーレだ。「主題と変奏 嬰ハ短調 作品73(ピアノ独奏)」「ピアノ五重奏曲 第1番 ニ短調 作品89」「ピアノ五重奏曲 第2番 ハ短調 作品115」。演奏は、次の5名の演奏者だった。[ピアノ]エリック・ル・サージュ、[ヴァイオリン]弓 新、藤江扶紀、[ヴィオラ]横島礼理、[チェロ]上村文乃。なお、ヴァイオリンは、1番では藤江さんが第1ヴァイオリンを、2番では逆だった。このプログラムで、客席は、ほぼ満席。チケットを買い忘れて、若干、発売日からずれたんだが、その時点で、かなりの売れ行きだったから、予想されたことだったが、フォーレで、こんなに入るって、凄いよね。やっぱ、人の望むプログラムにいい演奏家、集客の原則です。フォーレのピアノ五重奏って、1番も2番も、とにかく弦の重奏が延々と続く。その音のうねりが途絶えることなく迫ってくるというもの。その背後か前面かは別にして、ピアノが転げ回るように走り回るという独特の世界。2番の方が、ほんの僅か、楽器間の掛け合いがあるかなという程度で、うねってうねってが続く。大波、中波、小波に身を委ねると、そのうねりが、どこかへ運んで行ってくれそうな曲想だ。だから、演奏する方、めっちゃ、難しいと思う。一定のバランスを保ちながら重奏で、そのうねってうねってを続けねばならない。1番の前半、そのうねりが、リズムを刻もうとしているように聴こえて、あれれと思ってしまった。これ、演奏者がうねりに乗り切れないで合わせよう、作り出そうとしていると聴こえてしまったのだが、それは助走だったと、前へ進むにつれ思えるようになった。そうなると、お任せするだけ、どこへでも連れてってになった。今日のお席は中ほどの左端だった。初めて座ったが、この場所、ピアノがいい。思いがけないことだった。直で音が向かってきていると思えた。だから、弦が負けないか気になったが、ほぼ杞憂に終わった。というのは、2番の方で、パワーが上がったように思えたからだ。エリック・ル・サージュというピアニストは、全然知らない人だった。ソロで弾いた曲自体を解ってないので、何とも言いようがないが、五重奏で聴く限りでは、ノリが良く、細かな音の進行が弾むようで、軽やかに、いい感じだと思った。そんなで、正解だね。会場でいただいたパンフを見ると、来月だったかな、郷古廉が来て、この2曲を、大阪で出すんだね。N響のコンマスになった郷古廉を久しぶりに聴きたくなり、そそられてしまったが、自重。あれもこれもは止めています。が、惜しいな。未練が残る。


2024年 10月 4日(金)午後 11時 3分

 今日は、朝からお出かけ。金曜日だということで、アスニー京都での市民向け公開講演会だ。そして、その後の行動を迷っていた。昨日、何気に覗いた中信美術館のHPに、今日から新しい展覧会が始まっているのを見つけてしまったのだ。できたら、アスニー京都へ行ったときに行きたい。徒歩移動で行けるのでね。ところが、他に、いい日が見つからない。この展覧会も、いつまでもあるわけではないので、行くなら今日がベスト。だけど、結構、疲れているから、即、帰宅して、休養に充てようか、いや、いっそのこと、先週のように、全日、休養に充てようかとの選択肢も、頭には浮かんだ。だけど、結果は、まず、出かけた。講演のお題に引っ張られたかもしれない。しかも、講演会が終わったときに、美術館も行こうの気になってしまった。そこで、先日同様、千本丸太町のインド屋さんで昼食。ここ、美味しい。しかも、美術館が大正解の内容だったもので、テンションが上がってしまった。「来て、良かった」と思った。だけど、帰宅後、昨日の欧州リーグの情報集めてると、PCの前で寝ていた。やっぱ、疲れている。気分的に疲れているという印象。予定表に行きたいところ詰め込んだのはいいけど、それに追ったてられている感じで、その場は楽しい、けど、時間に制約が掛かってしまうのに疲れている。そんな日が続いている。
 アスニー京都での講演、今日は、京都市文化観光資源保護財団との共催。この共催での講演が、普段、聴けないテーマ設定があるので、結構、楽しみにしている。今日は、「京都三山の植生変遷と五山送り火」というお題で、小椋純一(京都精華大学名誉教授)さんのお話を聴くことができた。「植生」と「送り火」、なんか、ミスマッチのようで、そそられたのだ。とにかくおもしろかったのは、この両者を繋ぐのは、京都の周りの三山を撮った古写真、古絵図だった。歴史を読み解く方法として、絵図なり、絵巻を手掛かりに、風俗などを解析していくということは、社会史の発展の中で生まれ、定番化していったと思っているが、その手法を、植生の分析に使うというのが、実に新鮮だった。近代に入ると、今度は写真がある。但し、色は着いてないけど、プロが観ると、木の種類まで見えてしまう。そのお話に入る前に、「植生は変わる」ということを印象付けるために、現代でも起こっている変化を紹介された。「陽樹」「陰樹」というタームは初耳だったが、三山は、前者から後者へ変化して言っている、そのため、京都の周りからは松が消え、シイに変わっていった。これは、現代のことだから、写真で示されると、あっさりと判る。そういった植生の変化が、既に古写真で確認できる。木がないのだ。生えていても偏りがある。また、木の生えてる写真を見ると、丈が低い。成長過程のようだ。近代に入り、京都の山は植林が進んだ結果、今のような風景になったという。それを、原在中の絵画、洛中洛外図などを使い、各々の時代は、どうだったかを検証していかれた。すると、大文字山にある滝が描かれていたりする、が、そういった滝の存在すら、我々、市中に済む者は知らない。それは、普段、見えてないから。絵図に描かれているということは、それが見えた。木の生え方が、今とは違うことを示している。同様に、大きく岩場が描かれたりするが、それと同じ場所と思われる界隈には、そんなものがあることに、我々は気が付いていない。こういったことを、多くの資料を見せながら解説されていかれた。ここでも、木が少ない。いやそれどころが、はげ山と言ってもいいのが、京都の周りの風景だった。要するに、送り火が、いつ、どのようなきっかけで始まったにせよ(お話の中では、その点についての解説はもちろんあった)、「はげ山だからできた」。今のように生い茂った山に、火床を作り、設営することは、極めて困難。そうじゃない環境だったからこそ、送り火というパフォーマンスができたのだというお考えだった。それを、「消えた送り火」というテーマ設定をされて、証明もされていった。「い」の字の送り火があったというのは、どこかで聴いた記憶がある。その他にも、幾つも消えたものがあるそうだ。その代表として、「消えた‶い‶」を取り上げられた。火床跡は、実際に歩くと想像がつくと言います。市中から見えるためには、自ずと尾根が想定される。その確認の映像も見せていただけた。その送り火が消えた。それは木だった。木の成長が、市中から見えるはずの「い」の字を隠すようになって行った。ですから、生まれたのも、消えるのも、植生絡みだというのが、この講演の趣旨だった。自然と文化のコラボそのものですね。
 中信美術館の展覧会は「面屋庄甫の世界 その軌跡」という人形師さんの作品が展示されるというもの。全く知らない作家さんだが、京人形の世界の人だった。全く、予備知識なく入った。いきなり、入口前に作品が並ぶ。若い頃の作品だと、受付の方が教えてくれた。まるで、エジプトのミイラのような形状をしていた。ただ、身体をくねらせて横たわってたりするところが違う。思わぬ斬新なものが、いきなり出て来たので、その受付の方に、作り方を尋ねたら、仏像を作るのと同じだということを言ってられたと思う。が、仏像の作り方、知らないから、猫に小判状態。最初の部屋は、段ボールを切って作ったかと思える、平べったい人形が吊るされているという作品。何やら、祈りの場を創作したかったのかと思ってしまった。2階に上がる。ここはほのぼの空間。最近の作品が並んだ。長閑で、ほっこりする作品が並んだ。どの作品にも少年、いや、伸び縮みをして、ある作品では、お兄ちゃんになってるが、また、ある作品では、赤ちゃんに戻りかけている。なんか、一人の少年が、その空間を飛び回ってるような気がした。その少年の半生を切り取り、可視化したという印象。可愛い、そして、観ていて、楽しかった。今一つの部屋では、すっぽりと布を被せられた人形は、足元なんかの布の端を縛られていた。縛られた内から観ればいいのか、物体を外から眺めればいいのか、戸惑った。ものの見方を可視化したのだろうか? 数は少ないが、とても、いろいろを学べる空間だった。なんか、行く前、止めようかとも思ってたこと、恥じた。それだけ、自分的には斬新と看えた。あまり見たことのない世界、いい機会を与えてもらった。


2024年 10月 4日(金)午前 6時 37分

 一昨夜から雨。久しぶりの雨だったが、ちょっとした遠出、しかも、移動を徒歩で考えている、そういったときに、雨降るなと、雨音を聞いて思った。朝になると、雨脚は、結構、強めだったが、完全に行くつもりだったので、そのまま決行。行先が奈良だったものだから、京都とは違うと、勝手に、都合のいいように決めつけて出発。ま、酷くはなかったけど、京都並みの降り方をした時間帯もあったが、概ね、思惑通りになった。遠出をして、一昨日は、思い付きで店に入ってしまったので、昨日は始末の日と考えていた。学園前の方に行くつもりだったため、今のところ、手頃な店を見つけれてないので、この駅界隈の美術館へ行くときは、毎回、おむすびを買って行き、屋外で食べているが、昨日は雨だったので、学園前駅は広いので、端っこの方の椅子に腰かけ、ホームで食べることにした。1つ目が松伯美術館、2つ目が中野美術館だった。両者間の移動は、徒歩35分弱。その移動だけが、ほぼ本日のウォーキングというところ。帰宅後、万歩計を見ると12500歩余でした。雨だから仕方ないね。
 松伯美術館は2回目。今、「人物を描く -松園、松篁、淳之、それぞれの人物画-」という展覧会が行われている。もちろん、こちらは、上村家3代の作品を展示するための美術館だけど、お題に偽りありで、今回の展示の重点は松篁で、淳之に至っては、模写2点(いずれも、フラ・アンジェリコ「受胎告知」の部分図)ともう1点だけだった。ま、花鳥画中心の人だから仕方ないけど、いえいえ、松篁もそうじゃないかと突っ込みたくなるのだけど、それがそうではなく、松篁は、井上靖がサンデー毎日に発表した小説「額田女王」の挿絵を描いていた。他の作品でも、挿絵を担当しているようだ。それを展示するのが主たる目的で、それに合わせて、松園、淳之の作品を引っ張り出してきたというところ。お題からすると、どうしても、松園中心かと思ってしまうが、あれれとかわされてしまった。松園の方は、本絵で出てたのは「楊貴妃」だけだった。湯上り姿の楊貴妃、これ、どこかで観ている。松園が裸婦を描くのって、珍しいんだよね。その珍しいものの1つですね。リストには、他の作品も載っているが見かけていない。松園ものは、下絵ばかりだった。ま、下絵を多く見せるというのも、この美術館ならではだと思うので、これは引き下がることにしましょう。下絵の中で、白眉は「花がたみ」。本絵の方は、展示替えで出すそうだ。ま、本絵は、大丸での展示で観ているけどね。岩倉へ人物観察に行ったという挿話は、そのときの解説文に書かれてたけど、祇園の芸妓もモデルとしているということが、この展示での解説文には認めてあった。大丸での展示の際にあったかどうか、記憶からは飛んでしまってる。仕上がった作品を観ると、松園って、とっても和らぎを感じるタッチになっているが、下絵はそうじゃない。日本画だから、枠線をしっかりと捉えるものだから、それだけが残る下絵では、とっても強靭な作品と観える。直線の力強さは凄い。曲線にも迷いを感じさせない。その上へ、絵具を使うことで、あの雰囲気を醸し出すのですね。この線の強いタッチを観てしまうと、その後の技量の凄まじさが想像を絶するものと思えた。作品の傍には解説とともに、作品改題的に松園自身の言葉も添えられていた。古典に取材するものが、作家活動の大きな部分を占めているし、今回の展示にも、能(花筐、重衡朗吟/千手、草紙洗小町など)や文楽(娘美雪、烈女サツ)に取材した下絵が多く出ていたが、漢籍にも通じてたそうで、そういった作品も加わっていた。背後にある教養も凄いね。松篁は、「額田女王」の下絵が出るということからでしょうか、大作「万葉の春」が出ていたが、とんでも大きな作品といえど、その構図や人物表現は、挿絵の小さな作品と同質のものだった。人物の居る面と花の乱れる面は異なる、それを重ねているという趣向。観る者に、重なりを拡げて、3Dにするように求めるような作品で、なかなかユニークな出で立ちだった。この作品の場合も下絵、もっと前のスケッチから展示されていた。松篁ものは、万葉ものとは別途、1つ目の部屋には、自身の子どもをモデルにした爽やかな人物画もあった。「冬暖」「幼女(暖日)」「羊と遊ぶ」といった作品がそれだ。そして、もう1点「鹿寄せ」という作品もあった。少年が鹿寄せをしてるらしいのだが、とても中性的な印象。そうした描き方をした心が気になったが、解説には「少年」とだけ書かれてあった。黄紺などは、それを読んで「少年」だと判ったのにね。ちょっと、自分の思い描いていた展覧会とは趣は異にしたものだったが、その分、自分の想像を超えていたということでの新鮮さのあった展覧会だったな。
 中野美術館では、秋季展「富岡鉄斎、村上華岳から梅原龍三郎まで-近代・南画の表現-」という展覧会が開かれている。所蔵品の多いとは言えない美術館がため、新たな展覧会が始まったとは言え、展示作品に、大きな変化があるわけではないのだけど、少しずつ、横滑りしながら、変化を遂げていく姿を見せていただけるだけで、ありがたいことと考えている。洋画の部屋に入る。冒頭に、浅井忠が2点並んだ。暗めの色彩の「秋郊」、思いっきり明るい「網干し」だ。前者は毎回観るが、後者は、どうだったか? 青木繁「婦人像」、岸田劉生「青年のくび」、小出楢重「鏡のある静物」といったおなじみの作品が並ぶが、小出楢重の静物画の存在感が、毎度、周りを圧する。安井曾太郎「風景」、藤田嗣治「婦人」、古賀春江「婦人像」と、初めてじゃないかと思う作品が並んだが、自分的お気に入りは古賀作品。いい面構えという風な書き方をすると、その表情に難クセをつけているようだが、横向きだが、深刻そうな表情に惹かれてしまった。着物のことは、よく判らないが、直観、いいもの着てると思ったのだが、その辺が判ると、もっとイマジネーションが働くのでしょうね。入口と対峙する位置に、須田国太郎が3点、「ヴァイオリン」「牛のいる風景」「滞船」。趣の異なる3点だ。「牛、、、」の描き方の秀逸さは、光りますね。国吉康雄「裸像」も初めて観るのじゃないかな。長谷川潔、駒井哲郎の版画作品集が側面に。駒井の「手」の不気味さ、気になった。どういった手を表そうとしてるんでしょうか? 恩地孝四郎作品3点、これも、前出てたっけ? 階下に降りる。毎度のお楽しみは、床の間に掛かる掛け軸。何が出てるか、角で首を捻るのが楽しみだが、今回も大ヒット! 須田国太郎「黒馬」だった。踊るように疾走する馬の絵だった。「静寂の和室にこれか」と感嘆。ピックアップするキュレーターさんの目にも感嘆。富岡鉄斎が3点。左端の「寿老人」が秀逸。初めて観た。可愛いお顔に惹かれます。真ん中の「分泉煎月図」は毎回観てるかな。右端の「水墨瀑布図」は初めて、左側の作品と比べて、「荒っぽい」のか、「粗っぽい」のか? 自分的には後者だ。富田渓仙も3点。左から「沢雨散雲花」「物外佳遊」「花の吉野山」と、水墨画に色を加えた作品だが、その趣向、あまり乗れないなと思っていると、その背後にあった岸田劉生「童子喜戯図」は、カラフルさが、童子の戯れに合う様子を引き立たせていた。「寿老人」とともに、今回の花◎の2点です。その左にある「狗子図」は、犬ころ?洋犬?と疑問が並んだ。村上華岳「桜島」「広成子」「中国列仙伝/しょう師道」「中国列仙伝/秋山之図」「中国列仙伝/米法山濤」が、次いで展示されていた。そんなで、小規模だが、勝手知ったる美術館ということで、どんな組み合わせで見せてくれるかが楽しみで通っています。


2024年 10月 3日(木)午前 6時 40分

 昨日も2部制を採った一日。大阪方向へ出かけるときは、できるだけ、そうすることで、交通費の節約に努めている。昨日は、午前10時前の電車に乗り、天満橋へ。落語会に行き、それがはねると、阪神梅田駅まで徒歩移動。その途中、偶然、見つけたおばんざいの店で日替わり定食を食べ、昼食。韓国屋さんに行くつもりで歩いてたら、偶然、見つけたお店。古民家を使った感じのいい店だったので、たまには純和風でもいいかと思ったら、中は、若い女子が多数を占めているので、瞬間ひるんでしまったが、後にもひけず、そのまま入店。おばんざいの店なのに、定食のメーンがチキンカツ。変な予感がしたら、そのカツ、美味くなかった。値段からしても、もう少しいい肉使わないと、客、逃げると思った。阪神電車では芦屋まで行った。阪神芦屋駅で降りるのは、今年になって4回目、そして、今年の最後になるはずです。行先は、当地の美術館。たっぷりと美術館で過ごし、帰宅したら、もう午後6時前でした。この間、寝冷えの影響で、体調不良が続いてたけど、ようやく、恢復かな? でも、100%じゃないな。
 落語会は、猫も杓子もであった「朝活らくご」。番組は、次のようなものだった。棗「ふぐ鍋」、秀都「Gメン」、新幸「くっしゃみが止まらない」。新幸の持ち小屋で、毎週、行われている会。これで3回目となる。ここまでの2回は、中之島美術館との組み合わせだったが、一度、兵庫県下の美術館との組み合わせを実行に移したかったのが、実現した格好。棗の飛び入りは早めに決まってたところへ、急遽、秀都も参戦という番組。秀都は、前回も聴けてたので、今回の目当ては棗。久しぶりだったが、とっても、いい感じになっていた。「ふぐ鍋」って、ほとんど、おっさん2人の会話で進行。そのおっさんぶりがいいのだ。テキストは、吉朝のものだったから、頃合いを見て放り込まれるくすぐりを入れる間合いが、なかなかムズい。その間も、進化途中という印象で、練ってきてるなという印象だから、この人の自力を知った思いがした。今度、独演会で「船弁慶」を出すそうだが、そういったネタよりか、おっさんが活躍するネタ、どんどんとやってけばいいのにと思った。秀都の印象が、前回で上がったということ書いたと思うけど、昨日の口演で、また階段が上がった感じ。と同時に、本人は、自作のネタ、表に出せるのは1本で、残りの4本はお蔵入りなんてこと言ってたけど、昨日出したお蔵入りものからの1本、それと、出せないネタと言いながら、そのネタのアイデアを喋ってたけど、それも含めて、なかなかいいセンスしてるやんと思った。昨日のネタは、万引き防止に動くGメンが主役で、万引き犯を見つけ、その犯人を問い詰めたときのやりとりで落とす、それを繰り返していくというもの。仁智の「源太と兄貴」的な構成。その構成がおもしろかったが、本人もヘルプを出してたけど、オムニバスの個々のくすぐりと落ちのアイデアに苦しんでる模様。頑張れと言いたくなったな、この構成、おもしろいと思ったもので。新幸は、終演後、このネタが中島らも作だということを明かしてくれました。ひたすらしゃっくりを続けねばならないネタ。こんなけったいなネタ、でも、おもろい、新幸が作ったのかと、驚きながら聴いていたら、らも作品と聴き、納得。120%、納得した。そのけったいなネタ、新幸、上手いものです。しゃっくり男と、それを止めるために頑張る男の描き分け、見事です。終演後、自身で新作も書く棗が、新作が並んだからか、自分もすれば良かったと言ってました。そう、それ、機会あったら聴いてみたいと、以前から思ってるのですよ。そんなで、いい会に遭遇でき、満足。3人は同期で、10年目です。確実に10年の重みを感じさせる口演だったと思いました。
 芦屋美術博物館では、今、特別展「今井祝雄 ―長い未来をひきつれて」が行われている。今井祝雄と聞いて、すぐにはピンと来なかったが、なんてことはない、具体に最年少で入った作家さんのことだった。当時17歳、大阪市立工芸高校出身ということで、そこでの活動を目にした𠮷原治良に引っ張られたとのことだった。まだ、健在で、最新作を1階の広いスペースに展示。だから、現在から過去に遡るという構成。2階に上がる階段には、この30年以上、毎日撮り続けてきたポートレイトが積んであった。前日、ポラロイドカメラで撮った写真を、右手に持ち、また、ポラロイドカメラで自撮りをする。余白に、撮影日を記入するということを繰り返してきた。この人の大きなテーマ「時間」を形あるもので表すという作業の一環となる。2階の通路には、文献資料が並ぶ。活動を紹介する雑誌の記事、当然、具体に関わる記事が含まれる、個展の記録、自身の著作などが並んでたが、その傍に書かれてある解説を、丁寧に読んだので、実際の作品の意図するものを考えるのに、とっても役立った。腰への負担と、まだ、作品展示に入ってないのに、腰を考えると、一方で不安感が増す中だったが、基本を押さえることって、理解する上に大事だね、実感。第1室はほぼ写真が並んだ。「時間」という大きなテーマのもと、いろんなアイデアが炸裂していると言えばいいかな。「1分間のシャッタースピードにしてTV画面を撮る、これをすると、時間表示だけがクリアで画面は変わり続けるのでぼやける」「8段階のシャッタースピードで自撮りをする、被写体となる自分は同じ姿勢をしているが、シャッタースピードが長くなれば、ぼやける度合いが高まっていく」「同じアングルで、信号が青のときと赤のときに撮った写真を重ねる」「ウォーキングをしながら曲がり角に来るとシャッターを押す、こちらは連作で、撮った写真を同じ枚数並べる」「赤信号になったときだけシャッターを押すというルールを作り撮った写真の連作」、こういった作品群で、「時間」を表そうとしていた。第2室が初期の作品群、一部、それに再現作品が加わっていた。𠮷原治良に誘われた作品が再現されていた。「しろからはじまる」というお題が付けられていたが、白いキャンパス、それが、部分的に円錐状に盛り上がり、突端部に口が開けられているというもの。その形状は不思議感が漂う。その作品を、今度は布で似た形状で作り、盛り上がった部分が上下に動くように仕掛けたのが、その進化系。それに映像を投射すると、平面に歪み、立体感が出てくるが、その変化の様子を映像化した作品と発展していく。同じく映像作品だが、「草月実験映画祭」に出展して注目されたことは、文献資料の箇所で学習済みだったが、その作品の上映があった。フィルム1枚1枚に円形の穴を開け、それを上映するというもの。ほぼ同形の円だが微妙にずれているため、それを映像として観ると、微妙に円が揺れ続けて観えるというもの。おもしろい。𠮷原治良が、「誰も考えつかないこと考え出せ」と言い続けていたそうだけど、正に、それ、体現しています。その言葉が、観る自分の中で重なるものだから、「やるやん!」と思え、とってもいい気分で鑑賞できた。やっぱ、この日も、具体はおもしろい、これの再確認をさせてもらいました。


2024年 10月 2日(水)午前 7時 30分

 昨日は、朝方から出かけ、京都市内でハシゴをした日。出町座で映画を観て、徒歩移動で岡崎へ。ググると37分だったかが出たので、手頃な時間と判断。細見美術館に行ったのだ。そして、帰宅すると、もう午後6時前だった。一日が終わってみると、実に呆気なかったが、それこそ、時間の経つのも気にならないほど、濃~い時間を過ごせた一日だったことは、間違いない。
 出町座では、タミル語映画「ジガルタンダ・ダブルX」を観た。3時間の長丁場だったが、それを長いと思うことはなかった、ホント、楽しませてもらった。最初、誰が誰やで、また、誰のことをそしったり、殺しにかかったり、その弁別が、全く判らなかった。いや、現実の話と映画での話とが混交したままで進めようとしているのかというのまでありで、さっぱり判らなかった。長丁場に不安を感じたのはここだけ。どうやら、無頼漢のアリアス・シーザーという男を殺しにかかろうとしていることが判ってくる。その役割を担っているのが、映画の中の話だと思っていたのが、現実にあったことで、その中で殺人の罪を着せられた新米警官キルバカランだが、4人の殺人罪で収監されているのと引き換えに、その役割を担わされたようだ。それとは別個の物語として出てくるのも、当初は混乱の基だったのだが、それは、アリアス・シーザーの故郷の山村で起こっている、違法な象狩り、それと、村の住民を弾圧する警察の姿。実は、この山村の物語は、この映画の後半部、そして、ラストへと繋がる重要な物語なんだが、前半では、その意味が見えてこない。で、前半は、アリアス・シーザーを殺そうとするキルバカランが映画監督に扮し、アリアス・シーザーの物語を作ると言って近づいて行く。そういったなか、キルバカランに殺人の罪をなすりつけたのも、アリアス・シーザーと判ってきて、キルバカランは、単に依頼されたからではなく、自分でやらねばならないことだと自覚をしていくが、キルバカランと同じような指示を受けた男が、その目的を達成したことから、アリアス・シーザーが、自分を狙う刺客が周りにいることを自覚していき、キルバカランに目を付けたのではないかと思わせる終わり方で、ブレイクタイムに入った(映画館では継続)。が、それが明けると、問題の2人は語り合っている。キルバカランは、自分で手を下したくない(血を見るのが怖いキャラ設定)だから、アリアス・シーザーの村で象狩りをしているシェッターニと対決させて、シェッターニに殺させようと考え、アリアス・シーザーの映画の価値を高めるには、単に腕力の強さの誇示だけではだめで、観る者に感動を与えるようなものではないとダメだから、村に帰り、村の窮状を救う仕事をしてはどうかと呼びかけると、アリアス・シーザーも納得。後半は、その山村での物語になる。シェッターニとの対決だけではなく、そのシェッターニ討伐に動いているはずの警察官たちの動きに不穏なものを、キルバカランもアリアス・シーザーも気づきだす。背後に州首相といった政治勢力が、山林地域を一掃して、政治的な実績作りを築こうとしていることに気づきだす。となると、村の人々が、わけもなく捕縛されたりすることも説明がついてくることに気づきだす2人。それを知ったところから、しっかりとした2人に共闘態勢が組まれていく。この映画で、1つだけ不満が残るのは、アリアス・シーザーが、キルバカランの本当の姿を知ることがないという点。それは、キルバカランの中だけでいいのかもしれない。確かにそうだけど、知ったうえで、キルバカランがアリアス・シーザー支援に向かおうとしていることも認識してほしかったとは思う。アリアス・シーザーは、シェッターニとの闘いを制したあと、ついに人数も武器も豊富な警官隊の攻撃を武器を持たないで受け入れようとする。当然、死ぬつもりだ。それをフィルムに収めるのがキルバカランの任務をなった。抵抗しても勝ち目はない、無抵抗であっても連中は皆殺しにする。その判断を、皆に伝え、映画に収める。その前に、森の象との挿話が入るが、この撮影、どうしてできたのか、、、! 驚きの映像だったな。CGも多用してるだろうが、それにつけても、象と触れる場面まであったしね。最後、警官隊が到着する前にあるアリアス・シーザーの演説がいいね。前半ではパワーでだけ動いてた男が、後半に入り、村に戻り、村の人たちとの中で、確実に成長して行っている。映画に残すということを支えに成長して行っている。そういった印象を与える、インドのエンタメ映画って、あったっけ?と思ってしまった。キルバカランも、一旦は、やられたかに見えるように作り、最後は、アリアス・シーザーを偲ぶ方法で、巨悪を潰しました。この映画、一貫して、クリント・イーストウッドの撮った西部劇へのオマージュになっています。だから、アリアス・シーザーを偲ぶには、やはり、クリント・イーストウッドを出しました。総じて、インドのエンタメ映画はおもしろいが、これは、特級の出来栄えです。お見事!
 細見美術館では、「美しい春画-北斎・歌麿、交歓の競艶-」という話題の展覧会に行った。春画展が開かれるのは、東京に次いで2度目。東京では、1回目ということで、随分と騒然とした空気も感じたし、そういった辺も含めて映画も作られた。その映画、黄紺は、公開時にはスルーしたが、後になり後悔していたところ、今回の京都での展示に合わせて、京都シネマで公開されます。1週間限定なので、ちょっと頑張ってスケジュールにこじ入れました。まず、美術館に到着して、驚いた。入口に特設の受付が設えてあった。思わず、尋ねてしまった。「混んでるんですか?」「今は大丈夫です」との応対、確かに混んではいなかったが、いつもの細見美術館とは違う雰囲気。人が多い。警備に当たるアルバイトの学生さんも、各所に配置されていました。展示されていた作品の特徴らしきものは、幾点か、自分の頭の中に浮かんだが、それは、自分の頭の中に留めておくことにする。おもしろかったのは、春画は個人の密かな楽しみという常識のようなものがあるのだけど、大部な作品があったり、掛け軸があったり、解説にも書かれていたが、これを、どのように鑑賞していたかの疑問が残ります。文化が違う、そんな印象です。作家では、葛飾北斎、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、勝川春章、鈴木春信、歌川国芳、歌川国貞、英一蝶、松村景文、、、凄い顔ぶれです。こういった大家が、美人画、役者絵、風景画といった、今まで知られたジャンルと同じように制作に励んだということなんですね。そこで、気になるのは、来年の大河ドラマ、この浮世絵師の世界を取り上げるんだけど、この春画の世界を、どのように扱うんでしょうね。スルーされてしまうと、それだけで嘘くさくなっちまいます。そういったなか、凄い作品だと思ったのは、国貞の「正写相生源氏」などの色擦り。倹約令のなか、どうやら闇で作られたため、贅沢な色使いをしている。これだけの見事な色合いの摺り、観たことありません。傑作中の傑作とされる所以、十分に感じ取りました。国際日本文化研究センターの所蔵なんですね。他にも、同センター所蔵ものが幾つも出ていた。さすがです。「北斎の肉筆春画の傑作‶肉筆浪千鳥‶、日本の美術館で初公開!」、このコピーがHPには踊っています。最大の売りです。それと並べて、版画もの、枠だけ版画に肉筆で色付けしたもの、これら、同じ図案ものが3つ並べるという展示がハイライト。第3室は、これだけの展示となっていた。意外だったのは、全てが、大描きだということ。画面をはみ出るように、絡む男女が描かれていた。こんな構図、他の北斎作品に、あったっけ?


2024年 9月 30日(月)午後 10時 34分

 今日は、昨日の余韻を引きずったままの一日。完全にDロスの一日だった。昨日の今頃、どこにいたとか、そんなことばかりを考えてた。写真を、もっと撮っとけば良かったと思うけど、おしゃべりするのに夢中だし、写真を撮ることは、ふと思い出すといった感じだったな。そんな一日だったが、やっぱ、丸一日の遠出は、一日経つと、身体には、ずしりと来ていることも事実。ま、そうなると思い、今日は、午後にオンライン配信の講演会を予約しておいただけで、外出は、午前中のミニに抑えたウォーキングと夕方の医者通い。1ヶ月半に1回のペースで行っている皮膚科へ。そのついでに、弟の家に寄ったり、食糧の買い出しがてらのウォーキング。そんなで、日が暮れていった。
 午後の講演会は「日本GIFオンラインセミナー」。以前にも一度、モルディヴを取り上げたセミナーを聴いたことがあったが、今日は「パナマ運河の未来:気候変動とグローバル物流の行方」といったお題で、松田琢磨(拓殖大学 商学部 国際ビジネス学科教授)さんのお話を聴くことができた。司会は中山幹康(日本GIF理事長)さんだった。冒頭、中山さんが、高校の授業で聴いたことに触れられ、それ以外の知識に乏しい旨の発言をされていたが、それが最大公約数でしょうね。「パナマ地峡」「アメリカの管理、そこからの脱出」「高低差があり閘門を活用している」「スエズ運河と同じにしてはいけない」、こんなことかな、授業で出てきたっていうのは。それが、気候変動の影響を受けてるって、どういうことと思うと、そそられてしまい登録をしたのだけど、始まる前からPCの前で寝落ち。開始10分前に設定しておいたアラームで起こされる始末。そんなだから、かなり跳んでしまってるが、覚えてることだけはメモっておくことにする。「北米東部とアジアの交易船が最多、7割がアメリカ関連、3位が日本関係で輸入が多い」「‶第3閘門=パナマックス‶までできている、これで大きな船を扱えることになった、LNG・LPGの輸出経路使えるようになった」「パナマ運河というのは、高低差が特徴と思っていた、それを解消するために、幾段階かの階段状の閘門があるものと思っていたが、そういう話は、一切出ずに、閘門が出てきた。1つの閘門で、一挙に高低差を埋めているのか、いや、聴いてきたように何段階かになってるか、講演の中では不明なままだった」「水不足が起こり、23年7月に通航制限措置が執られた、そのため滞船が起こった」「その際、コンテナ船優先にしたとの噂が立った、そのため、荷物を降ろして鉄道輸送したケースもあった」「水不足の原因は、気候変動だけではない、パナマの人口増で飲料水に回ったこと、保水機能を持っている森林の伐採が進んだという要素も加わった」「ニカラグアやホンジュラスにも運河建設の計画がある、アメリカの影響力の大きなパナマ運河を避けようとの中国の思惑も見える」。こんなところかな。


2024年 9月 30日(月)午前 6時 48分

 昨日は、Ⅾのお誕生日。お誕生日プレゼントは、「京都一周」をリクエストされた。一旦は、舞鶴&福知山を回るコースを考えたが、午前6時半に出発、帰宅は午後9時が、息子に嫌がられ、出発時間を遅らせ、帰宅は午後6時となった。その条件下で考えたのは、舞鶴はカット。福知山の鉄道博物館フクレルを目標とすることにした。そこで、捻らないと気が済まない身として編み出したのは、「大阪~福知山~京都」とぐるっと回るコース。自宅最寄駅に午前8時半に集合、大阪駅午前9時20分発の篠山口往き快速に乗り、篠山口まで1時間余、更に、乗り換えて1時間で、福知山駅に到着。午前11時半過ぎだった。ところが、出口を反対に出てしまった。だけど、そのおかげで、駅前に設えられているSLを見れ、一気にテンションが上がってしまった。フクレルは福知山城の下にあるので、お城を目指して歩くつもりだった。バスもあるんだけど、事前に調べてみると、日曜日は少ないので、歩くつもりだった。ところが、駅前のSLでテンションが上がり、写真を、2人で撮りまくっている内に、少ないバスの時間が目の前となっていた。それに加えて、方角を間違ってて、駅の反対側に出ていたため、益々、バスの時間直前になった。駅の反対側に出ると、バスは入線していた。「福知山城行きますか」と尋ねると、あっさりと「行ける」ということだったので、急遽、バス移動。僅か、停留所2つで、お城下に到着。まずは、昼食。お城下の傍に「ゆらのガーデン」という区域がある。ここが狙いどころだった。とっても、いい感じ。芝生の中に、レストランが幾つか立っている。芝生のスペースでは。クラフト作品の展示即売をやってる。とっても、おしゃれ。Dは、最初、ラーメン屋をチョイス。だけど、順番待ちをしないとダメだったので、再度、検討。案内図の前で思案を続けるDが選んだのは、なんと、まさかの海鮮丼。焼肉とか、ローストビーフとか、そういったお肉系は、昼間は食べないんだって! 黄紺的好みとは真逆の選択だったけど、お誕生日だから仕方ありません。魚を出す店に入り、Dは「海鮮丼+ミニうどん」、黄紺は、刺身系は食べたくないので「だし巻き定食」を選んだ。Dのドリンクは、牛乳が入荷できてないということでカルピス、黄紺は、Dの許可を得てビール。わちゃわちゃ、お話をしながら、Dとのお昼、とっても、いい時間。福知山での持ち時間4時間しかないのに、お店を出た段階で、はや、1時間半は経過していた。そして、お目当てのフクレル入館。予想通り、広くないので、ぱっと見、その後のことを考えてたけれど、結局、残り時間を、全部、ここで使った。Dは、最初は「行く」と言ってた、フクレル2号館(SLの静態展示)も諦めて、この本館で遊んでた。展示は、一切、見向きもせずに、ジオラマを懸命に眺め、カメラまで構え、プラレールで遊び、CGを駆使した線路作りをして、運転シミュレーターで遊び、まだ、時間が欲しかったみたい。電車までの時間を考えて、フクレルを出る時間を設定。ぎりぎりまで、最後は、ジオラマにカメラを向けていた。そして、Sへのお土産と、自分へのお土産を、Dが選び、帰りは歩いて駅前へ。ところが、駅前で、アイスを食べると、最初は言ってたのに、歩いていると、「アイスはいい」「(黄紺の持って行った)お菓子を電車の中で食べたい」に変わったので、駅前にはゆとりを持って到着。お土産売り場があったので、家で待機のパパとママ、S用にお土産を買っていると、もう出発時間20分前。早いね。我々は、京都行特急に乗ったけど、隣のホームでは、ほぼ同時刻に新大阪行特急が出ることになってた。往きとは違い、速い。綾部、園部、亀岡、二条でおしまい。でも、往きも帰りも、この路線、とっても、いい感じの沿線風景。福知山も、とってもきれいな街だった。Dが、もう少し大きくなったら、今度は、隣のお城へ、連れて行ってやりたい。そのときは、Sも一緒に。午後6時ジャスト、自宅最寄り駅に到着。息子が迎えに来てくれてました。


2024年 9月 28日(土)午後 7時 38分

 今日は予定していたことを、そのまま実行に移した。でも、疲れてるのか、体力が落ちてると感じた日だった。暑さが一段落をして、その暑さでくたびれたことが影響してるのかもしれない。明日は、Dとプチ旅行をするというのに、ちょっと体調に不安を抱えてしまっている。昼前から出かけて、京都市立芸術大学芸術資料館に行き、その後、JRで二条駅まで乗り、午後のアスニー京都での市民向け公開講演会に備えるというコースだった。お昼は、久しぶりに、千本丸太町にあるインド屋さん。こんなに美味かったっけ、この店と思ってしまった。講演会の開場前に行くのが鬱陶しかったので、近くの公園で待機。ちょっとだけ読書をしたが、草刈りの行き届いた公園だったのに、やたら蚊が元気で辟易としてしまった。ところが、会場に着くと、しんどい。疲れがどっと出て、椅子に腰かけ、ぐったり。2時間、ほとんど聴けなかった。ぐったりしたまんまで推移。そんな予定だったので、午前中、少し早めに出かけてウォーキングをしたのも、体調に合わせてしないとダメだったかなと、一日が終わると思ってしまってる。万歩計を見ると18000歩弱になってるから、本来なら優秀と褒めねばならないのに、今日に限ってはやり過ぎと言ってもいいかもしれない、こういった疲れ具合を見ると。
 京都市立芸術大学芸術資料館は、「移転記念特別展」を4回に分けて行っているが、今日行ったのは第3期「道を拓きしものたち—知られざる先駆者—」。4期の展示で、有名な作家が誰も出ないのが、今期じゃないかな。ホント、知らない人ばかりだった。だって、今期は、同大学にとって「初めて」の人ばかりを集めたからだ。「初めての卒業生」「初めての洋画の卒業生」「初めての図案科の卒業生」「初めての外国人留学生(中国編・台湾編・朝鮮編)」、、、といった流れで、その人たちの卒業後の活動は、不明というものが多く。判っていても、画業から遠のいた人もいる。そういったなかで、その後の活動なんかから、評価されているのではと思えるのが、星野画廊所蔵となっていた原撫松「友人の像」と西川桃嶺「玄武洞図屏風」じゃないかな? 前者が初めての洋画卒業生、後者が初めての卒業(日本画)となる作家さんです。原作品は、特に気になるというわけではない肖像画だったが、西川作品は、地震の被害を受ける前の玄武洞を描き、西洋の遠近法を駆使して、荒々しい洞窟を白色で描いている。漆黒の岩石を白で描いているのでぎょっとする。惹きつけられてしまう勇壮さがあった。この作品、同大学の修復を専攻する人たちにより、修復作業が成され、今回、初公開だそうだ。作家の末裔の家から、最近、発見されたものだそうで、もう1品あるそうなんで、どこかで出逢えること、楽しみにしておきます。台湾の作家さんなどは、故国の教育活動で功績を残しておられるようです。朝鮮人の作家さんも、そうだったかな。なかには、「熱風捲砂」(河本魏山)がラクダと砂嵐を描いていたり、「荒涼」(岡西湖)が、どうみてもイエス像にインスパイアされているとしか見えない作品があったり、でも、卒業後の活動が不明となってるものだから、こんな絵を描いてて、その後、どうなったのという疑問だけを置いて行っているものもあった。北垣静処という作家の作品が2点(春光、牡丹杜若図)あったが、この人、北垣知事の長男だそうだが、そういった出自とは別に、この人、「鴨緑茶話会」を中心になり結成して、20代の日本画家を中心に絵画研究をしたということで、そこに集った顔ぶれが、豪華だった。川村曼舟、木島桜谷、西村五雲、西山翠嶂といった名が入っていた。北垣邸に集い、談論の花が咲いたとか。そういった卒業生の作品とは別に、初期に収集された工芸作品も展示されていたが、中に尾形乾山「色絵菊文向付」を見つけてしまった。そう言えば、今、京都工芸繊維大学美術工芸資料館でも、初期の陶器の収集品の展示をしてますね。全然、方向違いの場所で、思い出してしまってた。
 アスニー京都は、土曜日ということで「京都学講座」。今日は、「モダン建築の室内意匠と家具 新島旧邸、長楽館、大丸ヴィラのインテリア」というお題で、京都市文化財保護課の千木良礼子さんがお話された。まずは、京都に残り、文化財登録をされている近代建築の総ざらえをされ、その中から、お題にある3つの建築そのものではなく、その建築物に付属する家具や調度品など、建築物の価値を補完し高めているものを集めて紹介するという内容だった。こういったものを「付指定(つけたり指定)」と行政的には分類するそうだ。こういった前置きまでは覚えているが、肝心の具体的なものの紹介でダメだった。長楽館という、実際に、何度か行ったことのある、だから、ちょっとは知っているところだけは、まだ聴けてたんだけど、入ったことのない2つについては、正に完落ちだった。ひょっとしたら、昨晩、寝冷えをしたかもしれないね、この不調さは。


2024年 9月 27日(金)午後 8時 28分

 今日の予定表には、朝からアスニー京都へ行き、市民向け公開講演会を聴きに行くことになっていた。だが、目が覚めた段階で、止めようの気になった。帰ってからは、オンライン配信の予約も入れていたから、かなり過密なことになっていた。一瞬、やっぱ、昨日は休養日にしておいた方が良かったかという思いも過ったが、元には戻せない。要するに、出かけてばかりで、なんとなく身体がだるく、気分的に出かけようとはならなかった。あっさりと決めた。昨晩は、UEFA欧州リーグのマッチもあったことだし、それを、ゆっくりと押さえることもできる。しかし、それにつけても、ベシクタシュの惨敗はショックだった。トルコ・サッカー界の勢いがなくなってきているので、以前だと、ベルギーやチェコのクラブに負けるなんて、ほぼ考えなかったことが、そうではなくなってきている。ベシクタシュの相手はアヤックスだった。今季のベシクタシュは、いい選手を集めたと思ってる。その辺の手腕を監督が見せたと思っていた。が、それが惨敗。相手が悪かったにせよ、アヤックス相手で、こんな惨敗かと思うと、やっぱ、きついなと思ってしまう。ガラタサライは、これまた地盤沈下が目立つギリシアのクラブだったし、これは勝って、当然。フェネルバフチェは、ユニオン・サン・ジロワーズを退けた。以前は、ベルギーのクラブからトルコのクラブへの移籍って、出世だと思ってたが、勝つと、よくやったと思ってしまってる。この3クラブ、どこか残るだろうか、トーナメントに。残るなら、相手を見ると、ガラタサライかと思ってる。存外、カンフェランスリーグのバシャクシェヒル・スポルは残る可能性が高いと看ているので、何とか、年越し、してほしいね。
 オンライン配信は、埼玉県気候変動適応センター主催の「気候変動適応サイエンスカフェ/安全は正しい気象知識から」というもの。お話をされたのは、藤森涼子(気象キャスター・気象予報士〈日テレnews24出演中〉、環境省地球温暖化防止トップコミュニケーター)さんで、ファシリテーターは、埼玉県環境科学国際センター主任研究員の長谷川就一さんが務められた。相変わらず、途中、寝落ちしてしまったので、話が飛んでしまっているが、気候変動の様相という一般的なお話から、熱中症対策、災害対策的なお話をされていたが、「カフェ」と銘打たれた講演だったので、ほぼ、ここまで、様々な機会で聴いてきたものだったので、また、冒頭に、そのように断られてのお話だったので、メモを取らないで聴いていたら、半ばで寝落ちしてしまっていた。さほど長い寝落ちではなかったが、展開は、よく判らないまま。ただ、藤森さんは、30年間、キャスターを務められているということで、30年前の天気予報と、現在のそれとの違いを話されていたのが印象的。その内容は書くのは禁ということで、自分の記憶に留めておくことにする。
 そのオンライン配信が始まるまで、日曜日にⅮと行くプチ旅行用の準備をした。自分だけの旅行のとき同様、万が一、スマホが使えなくなったとき用のペーパーの用意だ。Dを連れていく以上、張り切った。行ったことのないところへ連れていくので、出たとこ勝負的なところがある。思いの外、時間が余るかもしれないので、目的地以外も調べたが、いいところあるんだけど、そこまでは行けそうもなかった。お天気だといんだけどね。夕方のウオーキングがてらの食糧の買い出しをしたとき、D用にお菓子も調達。あとは、当日、せっかく買ったものを、リュックに入れるのを忘れないかが心配だ。


2024年 9月 27日(金)午前 7時 38分

 昨日は、少し気温が上昇。夕方、外出から帰ってくると、エアコンのお世話になった。出かける前は我慢できたが、外から帰ってくると我慢できなかったな。天気はいいので、午前中は洗濯日に当て、ミニのウォーキングもできた。昨日は、出かけようか迷いもあったが、自分の予定表を見ると、行きたいところがたくさんあるので、一日空けるのが勿体なく思え、ハシゴとかの強硬日程は止め、1箇所に集中しようと考え、中之島美術館を選んだ。混雑が予想されるので、閉館時間前2時間程を、その鑑賞に充てるという方式。そういった展覧会が、今、この美術館で行われているということで、それをチョイスした。「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」という展覧会だ。既に、東京会場での展示は終わっているので、かなり前から評判になっていたので、気になっていたもの。そんなで、混んでいるのではと思い、特別扱いをした。もっと早い時間に行ったら、どうだったろう? 若い人が多かった、爺婆は、ホント、少なかった。爺婆を見かけると、場違いな感じを持ってしまうほど、若い人が多かった。となると、爺婆は、朝の内に行ってしまってるからか、それとも、「モダンアート」などと銘打たれると、行かないのかもしれない。先に「塩田千春展」に行き、こちらの入り具合、客層をチェックしてから、行く時間を決めた方が賢かったかもしれないとは思った。とにかく、企画が凝ったものなのだ。結局、「34」だったが、それだけの個数のテーマを決め、それにあった作品を、3つの美術館が用意して、それらを並べて展示するというもの。その3つの美術館は、中之島美術館以外は、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館。縛りは、テーマとモダンアートだけ。著名な作品も出るという情報は掴んでたが、縛りの方に惹かれて行ったというところがあるな。冒頭は「コレクションのはじまり」で、いきなり佐伯祐三「郵便配達夫」が出てきた。東京の方は安井曽太郎「金蓉」だから、最高レベルからスタートしてくれた。ちなみに、パリはロベール・ドローネー「鏡台の前の裸婦(読書する女性)」だった。キュビズム展で、パリの風景を描いてた作家だ。だけど、こちらの絵は、キュビズムでなくて、お尻がエロい裸婦像だった。いきなり濃い! 各テーマは、章立てがされており、その章立てに応じたテーマ設定がされているという趣向だった。「①3つの都市:パリ、東京、大阪」と都市の風景を持ってきた。「川のある都市風景」では、小出楢重「街景」(大阪)の重厚さが光る。俯瞰した位置から中之島かな、色彩も渋い。「都市と人々」の3枚が、揃ってるという印象。パリのユトリロ(セヴェスト通り)が、なぜか、一番、違和感がない不思議。大阪の河合新蔵「道頓堀」は、川の照り返しがいい感じで、絵に描かれていない通りの賑わいを想像させてくれる。東京は、こてこての油彩で、長谷川利行「新宿風景」。マチエールも大きく、街の姿がクリアではないが、白の使い方が上手いのかな、繁華街の空気が出てる。「②近代化する都市」に入ると、「加速する都市」で、近代化の進行、それを交通機関で表したパリと東京に対し、大阪は未来派のウンベルト・ボッチョーニで「街路の力」。躍動する街の息遣いを表していたようだ。「都市の遊歩者」が揃った。ここでも、パリはユトリロ(モンマルトルの通り)で、一番、なじみがある感じ。大阪が佐伯祐三で「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」で、パリの人影のないレストランが出た。軽い線で描かれた椅子やテーブルが、人を引き寄せる力を出しているからおもしろい。更に秀逸が、東京の松本竣介「並木道」。いかにも、人の手が入ったと感じさせる真っすぐな並木道、そこに、人が一人歩いているが、人影はクリアに描かれていない。木があり、人がいるのに、えらく無機質な空気を出している。このテーマで、この作品をピックアップしたキュレーターさん、凄いと思ってしまった。でも、ネットに、この絵が上がっているので、観たけれど、生で観たときのようなインパクトは受けなかった、なぜだろう? 「近代都市のアレゴリー」はおもしろかった。パリのラウル・デュフィ「電気の精」は、この美術館の売りのようですね。10枚の連作。電気の誕生から、それが広まっていく様を描くと同時に、他のエネルギーを使っている人も描き、その比重が変化して行く様を描いていく、時系列を想定した描き方で、最後は妖精に収斂していく。ファンタジックでもあり、生々しい現実でもありという作品。リトグラフによる作品。東京は古賀春江「海」。とっても、おもしろい作品。中央に生身の海が描かれ、いい感じで魚が泳いでいるが、周囲に貼り付けたように、飛行船が飛んでいたり、潜水艦が潜っているかと思うと、水着の女性、都市の断片が描かれている。「近代」です。大阪は池田遙邨「戦後の大阪」。茫漠たる背景に、こちらも、戦争で壊れたかのような風景の断片を貼り合わせたように描かれている。「戦後」を、痛いほど感じさせてくれた。「都市のグラフィティ」は「落書き」集めだと思った。東京からは佐伯祐三「ガス灯と広告」が出て、大阪からはジャン=ミシェル・バスキア「無題」が出てたけど、バスキア、難解。「③夢と無意識」の1つ目の「空想の庭」は、お題そのまんまの3点、ラウル・デュフィ「家と庭」(パリ)、辻永「椿と仔山羊」(東京)、アンドレ・ボーシャン「果物棚」(大阪)。幸福度が高いのはボーシャンかな? 「夢と幻影」では。シャガール(パリ/夢)、ダリ(大阪/幽霊と幻影)が出ていた。シャガールは、ウサギが男の子を背に乗せていた。そして、らしい、青の世界。「戦争の影」では、北脇昇(東京/空港)が植物化したプロペラを描き、吉原治良(大阪/菊(ロ))が、白い閉じた菊花で反戦の気分を出していた。「現実と非現実のあわい」辺りの界隈が有名作品の集中ポイント。このセクションでは、過去の有名作品のパロディものが並んだ。ヴィクトル・ブローネル「ペレル通り2番地2の出会い」(パリ)は、ルソーの「蛇使いの女」だし、ルネ・マグリット「レディ・メイドの花束」(大阪)は、自身の過去作にプリマヴェーラを重ねているという、あれです。有元利夫「室内楽」(東京)は、「モナリザ」にボテロを加えている。めっちゃ、おもしろいのが続く。「まどろむ頭部」では、コンスタンティン・ブランクーシ(大阪/眠れるミューズ)とジョルジョ・デ・キリコ(パリ/慰めのアンティゴネ)が並び、東京はイケムラレイコ。角を曲がると「④生まれ変わる人物表現」という章立てで、「モデルたちのパワー」で大家の作品が出てきた。この展覧会一番の三つ揃えの大家作品だ。真ん中に重要文化財の萬鉄五郎「裸体美人」(東京)、初めて生を観たぞ。裸婦像を縦描きにした名品。想像してたより大きな作品だった。その右にアンリ・マティス「椅子にもたれるオダリスク」(パリ)、左にアメデオ・モディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」(大阪)、、、しかし、この並びは凄い、凄すぎる! 「こどもの肖像」は、3つの似た絵が並んだ。藤田嗣治(レオナール・フジタ)「少女」(パリ)、岸田劉生「麗子肖像(麗子五歳之像)」(東京)、原勝四郎「少女像」(大阪)だ。「人物とコンポジション」の3点が、最も異質な並び。岡本更園「西鶴のお夏」(大阪)が掛け軸に描かれた純粋日本画、しかも、美人画。小倉遊亀「浴女 その一」(東京)は、視点を微妙にずらし、遠近感も込めた新しい日本画。それに、マリア・ブランシャール「果物籠を持った女性」(パリ)は、バリバリのキュビズム作品。視点がバラバラで、でも、対象物を捉えるというヤツですね。この並びはおもしろい。ここまでが、ついていけるという展示。このあとからが、部屋も変わり、現代アートの部屋へと移って行った。「⑤人間の新しい形」という章立てだ。気になった作品だけをピックアップしておく。「分解された体」で出ていた萬鉄五郎「もたれて立つ人」(東京)は、ポテロのような作品。「機械と人間」のコーナーにあったフェルナン・レジェ「パイプを持つ男性」(パリ)は、円柱で人体を表していたのだが、その横の東郷青児「サルタンバンク」(東京)は、それにインスパイアされたような作品だった。「プリミティヴな線」では、カレル・アペル「村の上の動物たち」(パリ)の勢いのある太い線と「プリミティブ」らしい色使いと、その傍のパウル・クレー「黄色の中の思考」を観て、今年度、どこかで観ようと思ってるクレー展に思いをはせた。「⑥響きあう色とフォルム」の「色彩とリズム」に、田中敦子「作品66-SA」(東京)が出ていた。この日も出逢った具体、やっぱ、会場では目立つな、具体は。「差異と反復」の3点がおもしろかった。真っ赤なキャンパスに、よく見ると、細かな水玉が見えた草間彌生「No. H. Red」(東京)、杜若を連ねたのかと思えた中西夏之「紫・むらさき XIV」(大阪)には、大きな文字のような筋が隠れていた。アンリ・ミショー「コンポジション」(パリ)は、水墨によるアートかという印象を与える黒のインクをはたいたような形状が連なっていた。これも勢いあったなぁ。「軽やかな彫刻」では、北代省三「モビール・オブジェ(回転する面による構成)」(東京)は動く彫刻、アレクサンダー・カルダー「テーブルの下」(パリ)は影を楽しませるのかな? 「⑦越境するアート」の「ガラクタとアート」で出ていたアルマン(アルマン・フェルナンデス)「イリスの肖像」が傑作。女性の使用済みアイテムをパッケージしたもの。びっくりした。「日常生活とアート」では倉俣史朗「Miss Blanche(ミス・ブランチ)」(大阪)が出ていたし、「ポップとキッチュ」では、奈良美智(東京/In the Box)、森村泰昌(大阪/肖像(カミーユ・ルラン))も出ていた。と、現代アートに入ると、気になるかどうかだけで、流す、流さないが、瞬間的に決まってしまう。映像作品もあったが、百瀬文「Social Dance」(大阪)を時間をかけて観たが、いまいち解らなかった。コミュニケーションを対象化しようとの工夫なんでしょうが、、、。省かれているもの、残されているもの、想像と現実のずれとか、そんなものを映像化しようとの試みじゃないかとは思ったんだけどね。難解。そんなで、駆け足でメモりました。名品を観れた、知らなかった作品にも触れられた。テーマ設定をおもしろいと思った反面、理解しきれないはがゆさも感じた。そういった意味で、成功だね。


2024年 9月 26日(木)午前 7時 26分

 昨日は、午後に京都で市民向け公開講演会をハシゴした日。お昼を、持参したおむすびを鴨川縁で食べることにして、時間稼ぎをして、午前中にミニのウォーキング。途中、10分ほどの読書時間も入れた。1つ目は京都歴彩館。ここでの講演が終了すると、短時間、京都府立植物園に関する同館の展示を観て、北大路通まで出てバス移動。北大路から西大路に入るバスはヤバいと思ってたが、嫌な予想は当たり、金閣寺道からは大混雑。幸い、円町では降りる人が多かった関係で、なんなく降車。円町駅で、この日曜日にDの誕生日祝いの小旅行用の切符を購入。Dに在来線特急に乗せるという大奮発の用意。無事、買えました。そして、夕方からは、花園大学での講演会。帰宅したら、すっかり、午後7時を回っていた。万歩計を見ると、18600歩余とは、極めて優秀でした。
 歴彩館での講演は、おなじみの「京都を学ぶセミナー【丹後編】」。昨日は、「海を魅せつづける伊根浦の舟屋」というお題で、河原典史(立命館大学教授)さんのお話を聴くことができた。学部論文の段階から、伊根をフィールドにしておられる方、今も、伊根の観光開発にも関わっておられる。お話を聴いて、とっても伊根愛を感じるお話しぶり。こういった熱のこもった講演って、なかなか遭遇できないもの。ええもん聴けたと思うわりに、一番肝心な、伊根に舟屋が残り、今のような風景になった時系列的な展開については、うつらうつらで聴き落としている。相変わらず、肝心なところを抜かす癖があります。冒頭、NHKで流された伊根を取り扱った番組の映像を見せていただけた。黄紺的には、間人に友人が住んでたことがあり、その友人を訪ねたときに、丹後半島を一周しているので、この伊根も立ち寄っている。その僅かに1回だけしか、伊根には行ってないが、強烈だったなぁ。こんなところが日本にあるんだと、そのとき思った。それから、もうん十年が経ったけど、そのインパクトの強さは忘れられないな。地形的な理由で、舟屋ができ、また、残ったというトピックは憶えている。リアス式海岸であることは大きな好条件だけど、それだと、一帯がそうだ。だが、ここの湾、南に向かって開けている。ということは、日本海に向いてない。外海の荒々しい波に晒されない上に、湾の入り口に青島があり、自然の防波堤の役目をしているという好条件が揃っているというのだ。そこにある猫の額のような平地数か所に集落が散在している。丹後半島を一周したとき、強烈に覚えているのが、この平地が少ないということ。ちょっとでもあると、そこに何軒かの家屋があった。生活できるのかと思えるような空間が続いていたから、伊根のようなところは御の字と言えるところだったが、山が迫ってたな。そのとき通った道路は、実は、湾沿いにあった舟屋の中庭を貫いて造ったものだそうだ。家屋間の移動は、ほんの近くだと、その中庭を通り抜けてしていて、少し離れると、舟を出しての移動を、かつてはしていたそうだ。家屋の海側は、舟が入り、その上で加工などの収穫の処理をしており、要するに作業をする区域で、住居部分は、中庭を越えた山側部にあり、今の道路ができるまでは、家屋を貫く道はなかったというのが、この地区の特徴だそうだ。景観の変化、これがポイントだったのだけど、ここを抜かしたんだけど、レジュメを見て、そして、うろ覚えに覚えていることを足すと、ちょっとは様子が判る。屋根が瓦葺になっているのは、明治以降の台風や火事の影響で替えられたもの。2階部分の使い方の変化は、昭和20年代のブリ景気(こんな時期があったんだ!)は、当然、漁具なんかの収納に使ってた。ところが、その後の景気は落ちていくと、生業も変わる。漁業を続けると、同じ機能だろうが、それを縮小したり、仕事が変わると居住空間へとなり、やがて観光客がやてくると宿泊施設へと変わる。肝心の船揚げ場は、1つは、機業の導入(丹後ちりめんの生産地へ)がされると、その関係の商品収納場として、景観は一変。漁業を続けても、F.R.P船の導入がされると、かつての船揚げ場は使えなくなる。船の係留場は外になってしまうから。その船も小型のものなら、船揚げ場は使えるが改装が必要だったりと、そういった要素で、舟屋の景観が変わっていくというのだ。だから、今、海側から舟屋を見た場合、船揚げ場のある家屋とそうじゃない家屋が点在しているが、その風景というのは、戦後に作られてきた景観だそうだ。観光の引き金になったのは、TVドラマのロケ地になったことがきっかけだそうだ。確かに、知る人ぞ知るから、多くの人が知っているに変わった時期があった。それがそういうことだった。が、観光客数は横ばいだったそうだ。言い換えると、安定した観光客がやってくる土地だったのが、近年増えている。インスタ映えするので、インバウンドの影響を受けてるそうだ。どこにでも現れる外国人観光客、京都市内観光を楽しんだ後は「海の京都」(これキャッチコピーにあったな!)を楽しむそうだ。海上タクシーやガイド、宿泊施設、食堂、観光関連の仕事が出てくる。その中で大きく取り上げられていたのは、漁業権の問題。漁業に関わるプランを、海上タクシーやガイドの中に盛り込もうとすると、漁業権がないとできない。その漁業権を得るためには、それなりのお金が要るというわけで、簡単にはいかなくて、それが壁になっていることから、土地の人も、外部の人の観光業への参入を拒んでいると言われていた。Dのお誕生日プチ旅行に伊根も考えたんだけど、早々にアクセスで諦めたが、こういった話を聴くと、連れて行きたくなったな。
 花園大学での講演は、「古今和歌集をよもう」というお題で、鎌田智恵(同大学文学部日本文学科講師)さんのお話を聴くことができた。歌学(歌論)が専門だと言われていた。純粋文学を、こういった市民向け公開講演会で取り上げられる機会は少ないので、とっても嬉しい設定。お話の構成はシンプル、そして、シンプル・イズ・ベストの代表的な講演だった。古今和歌集収録の2つの歌を題材に、その読み方、そして、その背景にある、当時の人たちの美意識、和歌を作る精神のようなものを教えていただけた。その和歌は次の2つ。「①草も木も色かはれどもわたつみの浪の花にぞ秋なかりける(文屋康秀)」「②白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月(よみ人しらず)」、ともに秋の歌。季節に相応しい選択だ。①は、草木は秋になると色づいて秋を示してくれるが、水はその草木の色変わりを映すことで秋を知らせてくれるだけだとの意。でも、新古今和歌集には、月の光が波の花に映えて秋を教えてくれるという、「本歌取り」のお話をしていただけた。謡曲で言えば、「龍田」の世界から「姥捨」の世界への拡がりですね。②は、その月がテーマ。「数(かす)」の部分が、写本により2つの捉え方があるというのだ。「かす」と「かけ」。前者だと、飛んでいる雁の数まで判るほど明るい月光となる。後者だと、飛ぶ雁の影が地面に映るほど明るい月となる。現在、「かす」を採っているのは、それを支持した藤原定家の影響だと言いつつも、その定家が大事にした「本意(ほい)」の大事さ、歌を詠むときの大事さを教えていただけた。「ある題材が本来備えている、最もそれにふさわしいと考えられる性質・あり方」と定義されていた「本意」。これを聴いて、また、謡曲を思い出していた。金春禅竹の功績は、1曲の心象を統一する詞章を書いたことだとされているのに通じると思った。「野宮」なんてそうだということを、昔、聴いたことがあるが、定家の生きた時代を考えれば、この「本意」という考え方、当然、能の作者は知っているはずだから、能の構成に反映されていてもおかしくない。ええこと知りました。勉強になった。


2024年 9月 24日(火)午後 8時 44分

 今日は、ロイヤルオペラのライブビューイングを観た日。先日の「カルメン」同様、イオンシネマ桂川での朝9時半からの上映。この時間帯かどうかは、上映開始3日程前まで判らなかった。先週の金曜日からの上映に先立ち、先に、それを見つけた高校時代の友人から連絡が入った。もし京都で、午前中に上映がない場合には、大阪に行かねばならなかったので、これは助かった。同様の時間帯に、大阪で上映があると、通勤時間と被るので、京都から準急に乗り行かねばならないから、自分的には京都での朝からの上映を願っていたのが、その願いが叶ったのだった。この1週間は「アンドレア・シェニエ」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)の上映だったが、このプロダクションの大事な売りは、同歌劇場の音楽監督のアントニオ・パッパーノのラスト公演だった。ただ、福井から今日もやって来た友人と話していて判ったのは、以前、同じプロダクションを、同じライブビューイングで、一緒に観たということ。行くまでは、パリ・オペラ座のライブビューイングだったかもしれないと思ってたが、そうではなかった。主役3人は、前回と同じなのは、タイトルロールを歌ったヨナス・カウフマンだけで、マッダレーナは、エヴァ・マリア・ヴェストブロクからソンドラ・ラドヴァノフスキーへ、ジェラードは、ジェリコ・ルキッチからアマルトゥブシン・エンクバートに替わった。最後のバリトン歌手は初耳、友人もそう言っていた。ドイツへのオペラ紀行に行ってたときですら、どんどんと出てくる歌手を追えてなかったのだから、判るわけはない。だから、こうやって、ライブビューイングにでも起用される歌手は、それなりの評価があるんだろうが、一方では、マイクを通しての声として聴いてしまう。その上での、自分なりの評価だが、この新しいバリトン、朝青龍似だからモンゴル系なんでしょうが、逸材と思えた。面構えも、バリトンの能力の1つだろうが、申し分ない。あとの2人よりか、カーテンコールでの歓声が大きかったかもしれない。その主役2人だけど、随分と名演を聴いてきたが、いかんせん、加齢ばかりは、どうしようもない。そんなことは言わなくても判ってるので、書くだけ野暮かもしれないね。装置とかは、よく覚えていた。過不足ないまで覚えてたとまでは書けないが、でも、おおよそのところは、よく覚えていた。デイヴィッド・マクヴィカーも映像で出てきていたが、時代に沿ったものを作ったと言っていた。そういった意味では申し分ない。ここまでのものを示されると、それでいいのか的な議論しかできない。それほどのものを出してくれていると思う。パッパーノに対する賛辞を述べる関係者のインタビューの中で、このオペラを最後に取り上げたということで、このオペラについての豆知識的なものも得られた。ワグナーやプッチーニが入っていると言っていた。ま、プッチーニは、「トスカ」と同じ台本作者だから、オペラの構造が似てるわね。ワグナーはどうかと思い、友人とも話してたら、ライトモチーフらしきものを使ってるというようなことを言っていた。ワグナーの名が出るとそうなんだけど、ヴェルディのようには、しかとは判らなかったが、友人は、具体的に指定しとりました。機会があれば、聴きなおしてみましょう、DVDもあることなので。
 オペラ終了後は、モール内のフードコートで昼食。2人とも、目を付けたのは同じで天丼にした。久しぶりの外食での和食。これは、「カルメン」に行ったときは、インド屋さんだったが、その隣の天丼屋が気になっていて、行く前から決めていたのだった。そして、場所を変えて雑談。大垣書店が、手頃なカフェを出してくれてます、モール内に。主にオペラ話と、京都や福井の話。珍しく、落語ネタは出なかった。友人とは、事情があり、モール内で別れ、急に思い立って、ウォーキングがてら歩いて帰ることにした。久しぶりだ、乙訓方向から伏見へ向け歩くのは。1時間50分程かかったが、無事、到着。ググった時点では、そのくらいが出てたが、それを信じないで歩き出したが、久我大橋までで55分かかったので、腹が決まりました。実際は、帰路、マートで買い物をしたので、グーグルの表示よりは短かったけど、連続的に、それだけ歩けたのは、やはり涼しいからでしょうね。


2024年 9月 23日(月)午後 8時 12分

 世間的には、今日までが3連休。先週と2週連続なんですね。おかげで、今日の午後にコンサートに行くことができた。明日は、朝から出かける予定が入っているので、できるときにと、まずは洗濯日にした。天気予報通り、涼しくなったが、まだまだ、朝の内に洗濯をしておくと、出かけて帰ってくると、洗濯物を取り入れることができる。もう、それが終わると、ほぼお出かけ準備。忙しない。今日は、土曜日に続き、京都コンサートホールに行った。但し、今日は、小ホールの方だった。今日は、こちらで葵トリオ(Vn:小川響子、Vc:伊東 裕、Pf:秋元孝介)のコンサートがあった。去年? いや、今年に入ってからだったかな、守山で聴いて以来となる。小ホールと言っても、なかなかのキャパを、ほぼ満席にするだけの集客力のあるトリオ。そのプログラムは、次のようなものだった。「エルガー:愛の挨拶」「ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調 作品11 ‶街の歌‶」「コルンゴルト:ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品1」「メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49」。なんともはや、コルンゴルトが珍品。それに惹かれたこともあったが、やっぱ、珍品だけあった。12歳のときの作品だそうだ。その後のようなコルンゴルトを期待していくと、見事に肩透かし。やたら、騒々しいだけだった。ま、1度は、プログラムに入っていると飛びつくだろうから、いい経験させてもらったと思い、諦めながら聴いていた。エルガーはサービスのようなものだから、その両脇のベートーヴェンとメンデルスゾーンは、定番中の定番。コルンゴルトを挟むためのお品書きという配慮と看ました。そして、この4曲に加えて、アンコールとして演奏された「ドビュッシー:ピアノ三重奏曲第3楽章」を含めて、全てにチェロのソロが入った。こないなことも珍しい。でも、その中で、メンデルスゾーンが圧巻だった。その逆がベートーヴェン。ちょっと、まだ、気が乗ってなかった。それに触発されたのか、小川さんとのバランスが悪く、葵トリオでも、こないなことがと思う出来だったのが、ベートーヴェンの前半。徐々に持ち直し、それこそ騒々しいコルンゴルトで全開。バランスがいいから、とっても感じのいいアンサンブル。それが神がかり的になったのがメンデルスゾーン。やっぱ、ピアノ三重奏曲の超有名曲であるとともに、冒頭のチェロのソロは、1回聴くと耳に残るから、演奏機会が多いんじゃないかな。練り込みに練り込んだ、そして、それを演奏する機会が多い分、熟練度が増して行ってるという印象を受けた演奏だった。終わり良ければ全て良し、です。葵トリオのおかげで、今まで聴く機会が稀だった、ピアノ三重奏曲のいい曲、相次いで聴けてます。守山はシューベルトだったしね。
 帰りは、いつものように、三条までウォーキングを兼ねての徒歩移動。実に爽やか。最後になって、薄っすらと汗をかく程度の涼しさ。2日前は汗だくだったことを考えると、俄かに信じがたい変化だ。帰宅後、万歩計を見ると18000歩余とは、めっちゃ、優秀!


2024年 9月 23日(月)午前 7時 18分

 昨日は、「日曜美術館」の新作が流れなかった日曜日。来週も流れないそうだ。でも、「アートシーン」は新しいものだった。普通、そうだから、時間が思うがままに使えない。「No Art No Life」が終わった途端、ミニミニでウォーキングに出発。明け方から降っていた雨も止んだかと思ってたのに、途中から降ってきた。帰ってきて時計を見ると、「アートシーン」が始まりかけていた。先日行った「梅津庸一 クリスタルパレス」が入っていた。やっぱ、この人の評価高いんだね。佐賀県美や新潟県立近代美術館といった、今まで取り上げられた記憶のない美術館が取り上げられていた。確かに、そそられるものだった。日本の地方美術館は、ホント、奥が深い。ファイトが湧くというものです。昨日は、少し早めにお昼を食べて、お出かけ。京都でハシゴをした。ロームシアターのギャラリーで恒例の「オペラの扉」というミニ展示を観て、すぐ近くの京都国立近代美術館のコレクション展へ。そして、それが終わると、そこから歩いて15分弱の京都華頂大学へ。市民向け公開講演会に申し込んであった。岡崎界隈で、ミニも含めて3箇所回った。でも、ウォーキングが足りないので、インバウンドでごった返す祇園、建仁寺を抜け、久しぶりに五条まで歩いた。久しぶりというのは鴨川東部が久しぶりのウォーキングのコースになったということ。それでも、万歩計は13300歩余と少ない。そのわりには、美術館に1時間余いたので、腰に来ています。
 「オペラの扉」は、新国立劇場の高校生のためのオペラ教室を、ロームシアターで開くのに合わせて開かれている模様。今年は「ドン・パスクワーレ」だからということで、ブッフォものの特集だった。そこで、いい情報をもらった。新国立劇場の「フィガロの結婚」って、アンドレアス・ホモキ演出だということを知ったのだ。これ、何年か待つと、このオペラ教室で京都に来るんじゃないかと期待しちゃう。その前に死んでしまいそうだが。で、今年は、開催直前に売り出されるであろう一般発売を当てにしている。買えたら、生の「ドン・パスクワーレ」をん十年ぶりで観ることになります。これ、ドイツで観てないから、その昔、東京時代に二期会か、いえいえ、藤原歌劇団だったような気がするが、それでしか観てないのです、もちろん、生でね。
 コレクション展は、いつものように幾つかのセクションに分かれている。「①シュルレアリスム宣言100周年」は、絵画作品より、文献資料の方が多かった。マックス・エルンストが2点、両方ともわけわかんなかったけど、「怒れる人々」の方は、なんとか人型を確認できた。形を取ることができただけで、にんまり。北脇昇「秋の驚異」は、初めて観た。大きな双葉の下にあるのは何? バックは濃いめの紺、なんか、らしいと思ってしまった。日本画が集うコーナーは「②創画会改称50周年記念特集」だった。反官展を標榜して、上村松篁、福田豊四郎、吉岡堅二の3人が中心なんだって。上村松篁の作品展示で、そのようなことが書かれていた解説文を読んだ記憶はあるが、こうして、まとまっては初めてかもしれない。もうじき、堂本印象美術館で、福田豊四郎展が始まるのは、こういったアニヴァーサリーだったのですね。ところが、このコーナーの作品群、新しさのようなものが、いまいち解らない。そう思って観ていると、上村松篁「孔雀」は、あのテイストのまんまで、めっちゃ伝統的だった。そういったなか、やっぱ、光るのは秋野不矩。後期にも、新しい展示があるそうだが、今のところは2点。これが、全く違うテイストなのには驚いた。だが、共通項があった。それは、黄色や緑色が基調になっている点。インドに行ってからだったろうか、この色彩。「裸童」は、描き手の位置と子どもの位置が、めっちゃ近い。いや、全体像が画面に収まらない程、近い。裸ん坊で走り回ってるのかな、この子ども、その瞬間を捉えたのかなと、勝手判断。「カミの泉Ⅱ」は、河岸段丘の大きな段丘崖の下をゆったりと流れる川を、流れの先の方から俯瞰しているというもの。とっても雄大な印象だから、走り回る子どもと、全然違う。この2つが同居しているのが秋野不矩かもしれない。この人も、奥が深いわ。石本正(聴)も、ここに入るんだね、ちょっと意外な気がしてしまった。作品自体は、以前の回顧展で見慣れたテイストだった。それら以外でメモを残した作品を記しておく。小嶋悠司の大作は、何か近寄りがたい、それも、近づきたくないという意味での近寄りがたさ、題名を見て、引いた。同時に納得。「穢土」と書かれていた。なんで、こんな絵を描いたのだろう? 某美術館のサイトに、この人の作品が3点出ていたが、みんな、同じテイストだった。東寺の近くに住んでて、ここの曼陀羅を観ていたのが影響している作風と書かれていた。人の顔が気になったのが2点、川端健生「北の杜」に描かれている子どもと思える体つきの男、顔が子どもでなかった。ブリューゲルの絵の子どものよう。調べると、この人、子どもを描いている作家さんだ。覚えておこう。広田多津「想」は、上半身裸の女性を描いているが、その顔つきに自信がチラつく。心性が気になる2つだった。調べると、この人、甲斐庄楠音の元で学んだことがあるんだって! なるほどとうなずいてしまった。麻田鷹司「夏山」は、森の俯瞰図。いい感じの緑色が季節を出しているよう。烏頭尾精の鳥の作品は不思議な作品。特に「花と鳥」は、区分された空間に角張った形状の鳥が居る。区分されているので、ばらばらの空間にいるはずだけど、なんか、区切ってある線を外しても成り立ちそう。大きさはばらばらなのに。とまあ、このコーナーに集う作品、めっちゃ推しはないんだけど、気になる作品が並んでた。後期には、このコーナーは展示替えがあるようなんで、もう1回、行きます。「③愛と欲望とファッション」は中央のスペース。資本主義は欲望を刺激するもの、それを写真で表現した作品群だ。都築響一「着倒れ方丈記」の連作は、有名ブランドに凝った人の部屋を撮ったもの。笠原恵実子「MANUS-CURE」はネイルカラーを並べただけの作品だけど、強烈なメッセージ性を感じさせるインパクトがあった。元田敬三のつっぱり・シリーズの写真もおもろい。つっぱりを表すのに使う題名に惹かれた。つっぱりになるためのファッション、これも欲望を刺激された結果なんだね、お見事! 澤田知子「SKINHEAD」は成りきりもの。自らのスキンヘッド姿を4枚。これ、逆説なのか、これもファッションと言いたいのか、どっち? 「④志村ふくみと紬織」には驚いた。まもなく、滋賀県美で志村ふくみの回顧展が行われる。しかも、先日、この展覧会の招待券をもらったものだから、先日会った昔の同僚に、「行くならば差し上げます」と言ったら、一緒に行くことになった。だから、とっても、いい予習になるはずだったけど、展示がダメだった。とっても繊細な色の変化を持ち味とする着物、特に、志村作品は、照明に弱い。このこと、コロナ禍真っただ中の「日本伝統工芸展」に行って、とっても、よく判った。TVで流されると、それこそ細心の注意を払った照明、また、それが可能なのはTVだからこそ。それが、生で観ると、TVで観たテイストとは別物だったのだ。つくづく、着物は照明に弱いと思った。この展示でもそうだった。上の方と下の方では、明らかに照明の当たり方が違うのが見え見え。せっかくの志村作品が安っぽく見えてしまった。繊細な繊細なグラデーションが持ち味なのに、、、残念。ショーウインドウの中での展示だったのが原因と看ました。志村作品以外の3人の作家さんの作品は、ショーウインドウの外に置かれていたため、照明はいい感じになってた分、見栄えがしてました。「⑤身体のうちそと」は、コンセプトが掴めなかったけれど、身体の部位を、思いがけない素材で作られると、さすが、解る、そして、おもいしろい。小名木陽一「人工心臓」は、素材は木綿、立体織というタームが使われていた。「⑥自画像に見るIn Search of Myself」は、壁に並ぶ設え。自画像が並ぶ、なかなか壮観だけど、観ていて、見せてやろうというアピールが強そうで、そうでないものを探してしまった。そういった中でピックアップしてたのは、3枚あった岸田劉生ものの1つ「外套着たる自画像」、これ、HPの紹介画像にも入っていた。寛いだ空気が出ていた、見せよう感が吹っ飛んでいる。川端弥之助「自画像」が2つ目のお気に入り。こちらも、周りの空気を和らげる雰囲気が気に入ってしまった。池田満寿夫が3点あったけど、相変わらず難解。ラストを飾ったのが、森村泰昌「自画像の美術史(ゴッホ/青)」、絵画仕立てで成りきっていた。思わず、傍の表記を観てしまった。「カラー写真」だった。そうでしょうね。でも、そうとは思えなかったので、観てしまったのだった。最後のスペースは、下の企画展の続きみたいで、服飾の展示があった。服は体を覆うが、身体にひっそうものではないとの提案を示していた作品があり、かなり驚かされてしまったな。この企画展はパスするつもりでいだけど、それでいいかなと思ってしまった。
 京都華頂大学での公開講座は、「小袖に描かれた古典文学の世界」というお題で、馬場まみ(京都華頂大学現代生活学部教授)さんのお話を聴くことができたが、序盤の、小袖(=着物)に使われる柄、それに、古典文学が活用される心のようなことを話されていたと思うのだが、そこで寝落ち。がために、根本が判らずじまいで、例示される文学(源氏物語中心)や謡曲などの絵を観ても、そうなんだろうとしか思えず、自己責任とは言え、完全に滑ってしまった。使われたのは、江戸時代の型付けと言われてたかな、デザイン帳のようなものが残っており、そこで示されている絵付け、そういったなかから、古典文学絡みのものを見せていただけていたように思います。


2024年 9月 22日(日)午前 5時 56分

 ちょっと涼しくなり出したかなと思える土曜日。そう言えば、先日、ラジオで土日辺りで、気候が変わりそうだと言ってたから、当たりの気配がしてきている。そんな土曜日、朝から出かけて、京都でハシゴをした。午前中は、一昨日行った京都文化博物館での講演会、午後は、京都コンサートホールでのコンサートといったコンビネーション。お昼は、いろいろと考え、ヘビーなものが食べられそうもなかったので、北大路駅近くの王将でキムチチャーハンだけ。店の人に追加注文を期待するような素振りを見せられたが、それで十分だった。この移動時間で困るかと思ったが、コンサート前のトークがあることを思い出し、開演45分程前に会場入りしたら、鴨川の河原で読書できた時間って、ほぼ10分程だった。昨日は、太陽も出てなかったので、河原での読書日和だったのだけど、仕方なかった、残念。
 講演会は、一昨日行った特別展関連企画。この特別展を企画された植田彩芳子(同館主任学芸員)さんが、「石崎光瑤 魅力、再発見」というお題でお話された。植田さんは、この博物館の近代日本画を担当される学芸員さん。こちらへ来る前は、国立新美術館で調査員と言われてたかな、おもしろそうな作品を発掘してくる仕事をしていたと言われていた。その中で出会ったのが、今回の石崎光瑤で、自分の書いた著書にも取り上げたことがあるとのこと、思い入れのある作家さんだそうだ。珍しく、そういった自分語りから話し始められた。内容は、時系列的に、そのキャリアを紹介するというものだったので、既に、展示を観ている身には、その展示と同じ流れだったということもあり、とっても解りやすいものとなった。むしろ、前日眺めてきた展示の復習といったもので、とても有難かった。その中で、新たに知ったことなど、メモっておく必要のあるものだけを記しておく。「京都へ出てきて竹内栖鳳の門に入るが、最初は今尾景年を考えてたそうだ、そのわけは失念してしまってる」「‶熱国妍春‶は、左右で描き方を変えている、右隻では輪郭線を描いたのに対し、左隻では描いてない」「‶燦雨‶の背景には金泥を使っている」「‶雪‶の左隻は金地で、視点を変えた描き方をしている、右隻は若冲似」「土田麦僊の始めた国選に入らなかった理由は不明」「ヨーロッパから帰国後に描いた‶春律‶‶笹百合‶では幾何学模様が増え、古画やヨーロッパの影響を観ることができる、‶紅楓‶は狩野派風」「中国の院体画の影響というのは余白を大きく取り入れることを指していたようだった」「‶寂光‶は宗教的感性の強いもの、ありえないもの放り込むことで、自分の持つイメージを描こうとした、写実的ではあるが、そのまんまを描くというスタンスではなく、イメージ化したのを作品にしているようだ」。
 京都コンサートホールでのコンサートは京都市響の定期コンサート。阪哲朗指揮ということで行ってみた。コロナ禍真っただ中で開かれたコンサートで聴いた、阪さん指揮の「四季」が、なかなかの思い出のコンサートなもので、行ってみたくなったのだった。そのプログラムは、次のようなものだった。「ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88」「ブラームス:ハンガリー舞曲集から、第1番、第4番、第5番、第6番、第7番、第10番」「ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 作品39」。おもしろい構成で、普通だとメーンとなるドヴォルザークの8番が前半で演奏されるというもの。アンコール・ピースとしておなじみのハンダリアン・ダンスが、まとめて演奏され、ラストも、20分ばかりの曲で締めくくるというもの。しかも、作曲家が、ドヴォルザークとブラームスという同時代人のメロディ・メーカーを並べるというものだった。とにかく、先月聴いたマーラーは、京都市響としては、決して満足できたものではなかったのだが、一転して、普段の京都市響に戻り、鳴っていたのが嬉しかった。コントラバスとホルンの位置を逆にしてくれたのが、そういった印象を持ったのかもしれない。黄紺的ベストポジは、3階の右サイド。それだと、コントラバスが隠れてしまうのが多い。だと、左サイドを取ればいいかというと、指揮者が出てくるのが見えないのが嫌なため、どうしても右サイドを取ると、時々、昨日のようにコントラバスとホルンを入れ替えてくれる指揮者がいる。そのときは、決まって、自分的評価が高くなる。昨日などは、コントラバスとチェロの音が被るときなど、コントラバス多くないとすら思った程だった。相変わらず、木管は健在。小峰さんの姿が消えたのが悲しいけど、札幌、京都と迂回して、東京に行ってしまった。阪さんの指揮は堅実。安定の音楽です。ハンガリアン・ダンスの4番って、実に久ぶりに聴いたけど、テイストが、めっちゃカールマンの「チャルダーシュの女王」の音楽風で、思わず、胸が熱くなってしまった。毎シーズンのように観ていたオペレッタ、ドイツでは、当たり前にようにして観ることのできたオペレッタを思い出し、もう観る機会はないかと思うと、そんな気分になってしまってました。「チェコ組曲」は、恐らく初ものと思う。最後の曲は、コンサートを締めをするに足る盛り上がりを見せる音楽だったが、総じて、イージーリスニング系の音楽が流れ、濃いめのハンガリアン・ダンスといい対比。そういった意味でのコンビネーションも考えてのプログラミングと看ました。だから、いいプログラムだったなが、最大の成果かもしれない。阪さんのチョイスだったようだ。そう言えば、レーゲンスブルクで聴いた「ニューイヤー・コンサート」のプログラミングもおもしろかったの、思い出していました。なお、このコンサート、定演なのにアンコールが演奏され、ハンガリアン・ダンスの21番でした。


2024年 9月 21日(土)午前 6時 55分

 昨日は、午後に京都文化博物館での展覧会に行った。特別展「生誕140年記念 石崎光瑤」が行われているからだ。石崎光瑤という作家さん、この展覧会があることで知った。また、巡回をする展覧会で、これだけの規模の回顧展は、かつてなかったということもあり、また、キャッチコピーが凄い! 「若冲に学び、若冲を超える⁉」、えっ、超える!と、言葉が詰まってしまうようなコピーなので、と言うと失礼かもしれないけれど、美術関係の有名Youtuber氏も、早々に反応して、動画の中で取り上げていた。富山出身ということで、地元には、その作品の寄託をきっかけにして、美術館も誕生しているほどだけど、県外での回顧展は初めてのようだ。そういったコピーや、ましてや、文化博物館で取り上げるとなると、少なくとも観ておこうの気になってしまう。金沢で、江戸琳派の絵師山本光一に師事、「光瑤」の「光」の文字は、師匠からもらってるそうだ。その後、京都に出て竹内栖鳳に入門。竹内栖鳳からは、自身の技をなぞるより、自分の技を磨くようにとの指示を与えられたということで、琳派の豪華というか、派手な作風に加えて、とっても写実に特化したものを持ち合わせている。色彩や配置、花鳥画を描いても、題材とする鳥や花が、吉祥に関わるような、その存在だけで豪華さが出てくる作品を描くというのが特徴と言えそうな作家だ。「画業修行と登山」というのが、最初の章立て。もう修業時代の作品から、ド派手。「筧」という作品の華やかさは、早々に圧倒されてしまった。琳派の影響を受けているので、同じような型の白い花が、細かく細かく連なり、拡がる。その盛りに盛った感が凄いのだ。葉っぱには、小さいのだが、垂らし込みってのを使ってる。この感触が、このあと進化していく。それと、この章立てには「登山」と入っている。それが、素人の嗜みどころじゃない、完全なアルピニスト。立山や白山を素材にした作品があったが、実際に、高山に登り、間近に見て描いている、それが、登山素人の自分にも伝わってくる。次の章は、なんと、「インドへの旅、新しい日本画へ」となっており、インドに行ったのは、登山のため、実際、4000m級の山に登っている。「日本人で初めて登頂に成功」などということも、傍の解説文に書かれていたが、そのときに描いたもの、そこで知った、新たな自然環境をモチーフにして、その豪華というか、派手な作品が出てくるのだ。その中に、帝展や文展で高評価をされた代表作が生まれた。「熱国妍春」「燦雨」がそれだ。ともに緑が基調というのが、異国感を漂わせている。前者は六曲一双で、右隻に大きなビンロウの葉が描かれているのに対し、左隻はジャンブル。右隻は形が取れるが、左隻は、熱帯の湿った空気の中に放り込まれたという感じで、左右の不釣り合いなところに、魅力があるのでしょうか。左右に分けておいて、観る者の中で両者を併せることを求められているのかと、受け止め方に戸惑ってしまったのに対し、後者は、ジャングルの中で始まったスコールという感じの雨が、右上から左下へと斜めに降っている。その雨が金泥で描かれていたのには、面食らってしまった。基調となる色彩は緑、そこへ横殴りの金泥の雨が降る。緑に金だから、離れて観ると、雨に騒ぐ鳥の羽ばたき、あわてぶりが、よく判るのだけど、雨が観にくい。光瑤の作品、概ね、距離を取って観た方が捕まえやすかったのだが、この絵だけは、近づきすぎてもダメだったが、距離を短めにして観ることで、その雨を目に止めることができたけど、その降り方が、熱帯のそれで力強いものがあったな。ここに孔雀を飛ばすんだよ、普通、スコールの中に孔雀は飛ばさないだろと思うのだけど、飛ばすんだね。でも、この絵に馴染んでるんだよね、孔雀が、それがおかしい、凄いと思ってしまってました。この「燦雨」に影響を受けたのが上村松篁。似た作品どころか、熱帯ものを多く描いているのは、その証拠だそうだ。確かに、多いよね! 対面には「雪」という、インパクトのある作品があった。左隻の方は木立に囲まれた空間に雪という姿が、自然と入ってくるのだが、但し、木立の主張が大きく、えらく迫られるのだけど、右隻の方は、木立の間の空間に群青を使っている。雪景色に群青は派手だなぁ、ホント。めっちゃ、目立っていました。「深まる絵画表現」という章立てが、同じスペースにあるのだけど、ここでは、若冲の模写があったり、若冲風作品が並ぶ。花鳥画が並ぶが、この人の描く花の絵、特に、牡丹のような花自体が派手で花弁が盛り盛りのものを描くのに、とっても相応しい印象を持つ画風。精巧だし、丁寧だし、ぴったしという感じ。「寂光」という作品が有名なもののようだが、これなど、様々な孔雀が7羽も、木にとまったり、飛んだりしていた。徐々に、イエテル状態になってきた。下の階にと降りていくと、そういった傾向が続くものだから、上の階で丹念に見てきたわりには、若干、流し気味に。そういったなか、門外不出だった屏風絵が、実際に使われている様で展示されていた。金剛峯寺の「奥殿襖絵」だ。「虹雉」「雪嶺」と題された2点。これを描くために、2度目のインド旅を行ったそうだが、インドらしさは、ヒマラヤの図案化された山に活かされただけだったんじゃないかな。花鳥も配されているが、ここまでの派手さからすると、抑制気味と言っていいかもしれない。黄紺的には、前者に軍配かな。「静謐なる境地へ」が晩年の作品を集めている。「中国絵画に関心を見せた」と解説文には書かれていた。「後圃」などは、徽宗の鳥の絵にインスパイアされたそうだが、徽宗もののシックな落ち着きじゃなくて、明るい。持ち味と言えばそうだけど、徽宗ものが目に残ってると、少し引いてしまった。山水テイストを入れたのかもと思うのが「奔淵」。流木の力強さ、その波立ちがインスパイアされた部分かもしれないが、無彩色の波に、上から紅い紅葉が散るというもの。どうしても、艶やかさを求めてしまう画風。最晩年が戦争と重なるものだから、戦意高揚ものも描いているが、鷹の力強さで、それを表しながら、吉祥ものになってました。とにかく、解りやすさがいいな。でも、この人、土田麦僊と懇意にしてたんだって。国画協会だったっけ、土田麦僊らが作った団体には入らなかったそうだけど、その交流は、画風を見る限りではしっくりとこなかったな。「へぇ~」でした。さて、今日、この特別展の関連企画として行われる講演会に行く予定。予習ばっちしなんで、楽しみです。


2024年 9月 19日(木)午後 8時 18分

 今日は、久しぶりにお出かけなしの一日。行きたいところはあったが、ずっと出かけっぱなしだったので、自重した。丁度、昼時に、例のオンライン配信での講演会を予約していたことで、そうすることの背中を押してくれた。「令和6年度ランチタイムセミナー(東北気候変動適応セミナー)」の第3回として、「農業・林業・水産業分野」の講演があったのだ。「スルメイカやサンマはどこに? 気候変動と食卓の変化」というお題で、桜井泰憲(一般財団法人函館国際水産・海洋都市推進機構 函館頭足類科学研究所所長)さんのお話だったが、これが音声環境が酷く、聴けたものじゃなかった。このオンライン配信、今まで、こないなことはなかったのに、興味をそそるお題だったのに、さっぱりだった。止めようかと思いつつも、流したままにしていると、いつの間にか寝ていた。今日ばかりは、自分の責任はゼロだと、自信を持って言える。講師の方の不慣れさや、機材の使い方の不案内があったのだと思います。エメックリで所長という肩書を持った方だったようなんで、頭の中はクリアでも、細かな配慮が足りないってことなんでしょうな。「そんな爺さんにはなりたかねえ」という人のようでした。
 そんなで、昼時にあるので、こちらの昼食時間とかの調整もして、オンライン配信に備えたのに、散々な目に遭ってしまったが、お出かけなしの日の定番の過ごし方は、これ以外では普通だった。日に2回のウォーキングを、ごく普通にできたのも久しぶりだった。もう夕方のウォーキングは、後半になると暗闇の中になってしまっている。これから、半年、こういった暗闇の中でウォーキングをすることになると思うと、ちょっと寂しい気分になった。午後の一時は、Radikoのタイムフリーを使い、桂米団治と桂りょうばがMCを務める番組を聴き、あとは、10月に予定しているプチ旅行の準備に充てた。プチ旅行は、つい先日まで、日取りを間違っているのに気づいておらず、慌てた。もちろん、このプチ旅行は、地方美術館巡りなんだけど、その美術館での企画展の日取りを間違っていて、当初、まだ、開催されていない日取りで日程を組んでいたのだ。準備をしているなかで気づいて慌てた。わりかし、秋は、いろんなイベントがあるものだから、こうなると融通が効きにくい。既に、9月も半ばで、これだから、ホント、焦った。何かを潰すか、いっそのこと、プチ旅行を諦めるてなこともチラついたが、11月末に韓国旅行を予定しているから、もう秋のプチ旅行は、この1回だけにしておこうと思ってたことを思い出し、後ろに持っていってもいいということに気づき、うまく収めることができた。今日は、経路の確定ができた。宿泊地も決めた。但し、ホテルを押さえるのは、まだ。10月下旬だから、台風は大丈夫と思うので、早めに押さえてもいいかな。ついでに、韓国旅行のコースも検討してみた。テグ(大邱)イン&アウトで、プサン2泊は決めている。テグで遊んでも宿泊は他所にしよう、ここまでは決めている。最後の日は、プサンから鉄道で、トンテグ(東大邱)まで行き、空港への移動も決めている。そして、できるだけ、最近はまっている鉄道を使うというのも考えている。となると、ポハン(浦項)、ウルサン(蔚山)かなと、一応は考えている。あくまでも一応だが。ポハンはお気に入りの町だから、行った回数は多いのだけど、ウルサンの方は、1回行っただけで、いまいちそそられていないので、逆に、久しぶりに行きたいなとは思ってる。でも、やっぱ、ええわの気になる可能性もある。残りの1日分次第ですね。出かけることが増えると、こういった旅行準備をする時間が取れないのが、一番、困ることですね。


2024年 9月 18日(水)午後 9時 48分

 今日は、朝から出かけて、京都と大津で市民向け公開講演会に行った。今日は水曜日ということで、朝の部はアスニー山科、午後は滋賀県の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」。山科から大津への移動だから、とっても効率がいい。お昼は、琵琶湖畔で買って行ったパンをかじった。近くのサラリーマン氏も、弁当を食べてる、いい場所。食後は、しばし読書。そして、びわ湖ホールに寄ってから、会場のコラボしが21へ。でも、この間、しばし屋外にいたのがまずかったようで、始まるまで、椅子に座ってぐったり。始まってもぐったりで、冒頭の1/3が吹っ飛んでしまった。2日程前も、外から自宅へ戻ってくると、1時間程、椅子に腰かけたまま寝込んでしまってた。身体が、椅子に吸い込まれそうになったのだけは覚えてたので、これも、今日と同じようです。気を付けてるはずの熱中症らしきこと、発生しています。
 アスニー山科では、「京都の風流踊り再考」というお題で、八木透(佛教大学教授・京都民俗学会会長)さんのお話を聴くことができた。全国で41件、「風流踊」として、ユネスコ無形文化遺産に指定されたものがあり、その内3件が、京都市内で行われている。それを中心に、指定はされてないが有名なものとして2件、それを具体的に辿って行こうという流れのお話。冒頭、「風流踊」の定義づけのようなお話があった。中世に起源を持つ民俗芸能、「風流=music and dance」とされ、エンターテインメント性の高いものとされた。「風流能」というタームがあるが、それに使われている「風流」の意ですね。取り上げられた「3(①②③)+2」の「風流踊」は、次の通り。①やすらい祭②六斎念仏③久多花笠踊④はねず踊り⑤八瀬赦免地踊り。①は、アスニー京都での祇園祭だったかの講演か、京都学講座の何かで、これを紹介されたことがあった。他の講演会でだったかもしれないが、これについては、聴いたことがあった、また、花笠の画像、その祭りの様子の映像を観たことがあった。だから、エンターテインメント性が強いというのは、よ~く判っている。剣を持った若い男の激しい踊りが見せる、正に、エンタメ感の強い祭りだけど、これは、「念仏踊り」が基にあったのだろうとの指摘。この祭り、疫病退散を祈願するもの。春、桜の花が散るとともに、それに乗ってやって来る疫病の退散が眼目。花笠の下に入り、疫病から身を守る(これは今も続く!)、また、亡くなった人の鎮魂を願い、念仏踊りをする。根本はそれで、エンタメ的要素が加わって行ったのだろうとのこと。この祭り、今宮神社の摂社である疫神社の祭り、紫野界隈となると、近くに船岡山があるということで、船岡山の御霊会だったことが想定されると言われていた。「疫病」「死」「葬送」「船岡山」という流れですね。②「六斎」は仏教で言う「六斎日」から来ており、悪鬼が出て人命を奪う日だから精進潔斎をして念仏を唱える日。だから、元来、念仏を唱えるだけだったようだ。そういった伝統的な「念仏六斎」の流れと、空也の踊り念仏(芸能六斎)の流れが合流したのが、今に伝わるもののルーツのようだと言われていた。要するに、ルーツが2つ考えられるとのことです。前者を「光福寺系」、後者を「空也堂系」という言い方をされていた。芸能六斎は進化する。伊勢の太神楽(獅子舞)を取り入れたり、流行りの芸能を取り入れていく。その1つに、祇園祭の「棒振り」(祓いの業)が入ったのが、現在の六斎念仏の名物になっている。八木さんも触れられていたが、綾傘鉾が復活したとき、棒振りも復活させようと、その棒振りを六斎念仏に学んだということを聴いたことがあったが、これって、元に戻ったってことだよね。③は、これは、アスニー京都で、これ自体をお題にしての講演会を聴いたことがある。実は、そのとき、初めて久多という地名も知った。そして、花笠踊なるものを知った。映像も見せてもらった。最も、中世を感じさせるもの。ただ、久多は、行政的には京都市左京区だが、文化的には、滋賀県の朽木村のそれだということだった。似た芸能が存在しているのは朽木村だけだそうで、どうやら、この辺りの木材を伐り出し、川を伝って流していたそうだ。その筏の安全を祈願するというのが出発点だろうということだ。最も、中世的なのは宮座組織が残っており、それが機能して、祭りが行われている点だそうだ。お話の多くは、その宮座の活動を押さえながら、祭り当日へとの動き、そして、祭り当日の様子となっていた。風流踊の特徴としては「灯籠踊り」という点。灯籠に付ける造花製作が大変。その制作風景は、以前の映像を憶えている。実に精巧な造花を作るんだよね。それを、昔は被ってたようだとのこと。今は、それを持ち、実に緩~い踊りを続けるというものです。④は随心院に伝わるもの。深草少々の百夜通いがモチーフになっている。ここにも死が付いてくる。死者の供養を目的としたものだそうだ。「はねず」とは、薄紅色の梅花の色を表すのだそうだ。⑤は八瀬だから、八瀬童子を思い出す。天皇家との関りがあるということで、延暦寺との結界でもめたとき、八瀬側有利な裁定が下り、それを記念しての祭りごとだそうだ。そこで、「赦免地」という呼称が付いているとか。これも「灯籠踊り」だそうだ。④も⑤も知らなかったが、八木さんの口ぶりだと、かなり有名なものと看た。それなのに、ユネスコ無形文化遺産登録に入らないのは、まずは府の指定に入ってない。それは、長い歴史を持つというわけではなく、ないしは、それを証明できないで、近代以降、盛んになった、登場したということに原因があるそうだ。①②③は、たまたま、パフォーマンスの動きを知っていたので、お話の内容と、頭の中で結びついたが、画像だけでは、なかなか難しいよ。それが証拠に、④⑤のイメージって、全く湧かなかったもんね。いいお話が、勿体ない。でも、こういった民俗芸能の話は楽しいよね。歴史学の守備範囲はいっぱい出るが、民俗学は稀というのは、如何なものでしょうな。これも、市民向け公開講演会の偏りの1つですね。
 「花湖さんの打出のコヅチ」は、今日が、今年度の第5回、お題は「建造物文化財修理の最前線~国宝延暦寺根本中堂①・重文不動寺本堂②を中心に~」。お話は、県文化財保護課の若き専門家3名の方が担当された。①長谷川聡子②福吉直樹③として「文化財建造物の耐震対策について」を坪田叡伴の皆さんでした。で、①でぐったりしてしまったのだった。だから、根本中堂関係は、ホント、全く聴けてない。②の不動寺、知らなかった。場所的には大津市内になるそうなんだけど、福吉さん、アクセスには山道1時間歩かねばならないと言われていた。ヴィジュアル的に、とっても見栄えがする。舞台という表現を使われていたけれど、岩の上に柱を立て、その上に本堂が造られている。しかも、構造が2重になってると言われてた。ということは、別々に建てたってことなの? 信じられない地形のところに、何をしてくれるのかと思うほど、気になる寺だ。念のために、ググってみると、確かにアクセスが厳しい。グーグルマップでは、アクセスを出すのを拒否されてしまった。重文だそうだ。かなり朽ちている。それの修復作業を紹介していただけた。檜皮葺って、耐用年数が35年と言われていた。それを、かなり上回ってるから、雨の影響なんでしょうね、木は雨に弱い。屋根の貼り換えどころじゃない。腐ったところを変えねばならないが、彫りのある箇所は、そこだけ剝ぎ取るかのようにして残す。新しい木材に剥ぎ取ったものを貼り付けるなんてことで、残さねばならないものは残すをいう姿勢を貫いていた。そういった箇所は、新たな木材と旧の素材の齟齬をきたしてしまうということで、柿渋を使って、似た色合いで合わせるということをしている。清水の舞台のような構造になっている支えの木が朽ちている。でも、その部分だけど、なんちゃら工法を使い、朽ちている部分だけ,取り出し、新たな木材に替えるということもやっていた。それに加えて耐震補強をする。その方法については③でまとめられていた。できるだけ、外観に齟齬をきたさないような補強。だけど、幾つか、同じ時期に補強を行わねばならない場合には、補強箇所の優先順位を考慮するので、外観優先とは限らないとのお話だった。梅小路公園の場合は、外観は次の次の順序になったとかで、補強のクロスした補強材は、外から丸見えであった。だが、他の箇所より優先順位が上がった場合を想定して、補強材の取り外しに配慮してあるんだって。その辺の着想、それを実現する技術的裏付けって、凄いね。そんな知らない話のオンパレード、いい勉強になりました。なかなかの好企画です。あまり聴く機会が多いとは言えない分、楽しませてもらったという実感が残りました。


2024年 9月 17日(火)午後 7時 46分

 今日は、初めてのことをした日。アスニー山科の事業の1つに、映画の上映会があるが、これには行ったことがなかった。外国映画の場合は吹き替えを使うというのが嫌だった。日本映画でも観たいと思うものもあったが、なかなか足が向かなかった。どうしても観たいというわけでもなかったのかもしれない。映画は、1日に2回上映となっているので、混むことを想定していたので、それが嫌だったこともあった。これは、実は、自分の勝手判断だということが、実際、行ってみて判った。会場を半分に制限しているのだ。他の催しでも使うという制約があるのかもしれない。映画だとスクリーンが観にくいでは話にならないからかもしれない。理由は判らないけど、会場を仕切るということでの、上映を2回、行うということになっているようだ。ということは、講演会は、仕切りなしだから、結局、講演会と映画上映会の動員数は同じとなる。これを知って、結構、ハードルが下がった。朝に比べて昼の方が少ないだろうの読みが当たり、少なめだったのかもしれない。ま、行ってみるものだなというのが、正直な感想。で、今回、ぜひ観たかった映画が出たのだけど、それは「十三の眼」という映画。こういった映画があったのは知らなかった、名前も聞いたことがなかった。だけど、これ、片岡千恵蔵主演の「多羅尾伴内」ものだと知ったから、放ってはおけなかったのだ。片岡千恵蔵と言えば、時代劇の看板スター、なのに、現代劇でシリーズ化した映画を撮っている。しかも、黄紺が知ってるくらいだからヒット作だ。このイメージ・ギャップが、以前から気になっていたところへ、今回の上映となり飛びついたのだった。配布されたチラシで、片岡千恵蔵が現代劇を撮ったわけは、あっさりと判った。戦後、GHQが、剣劇を軍国主義を煽る危険があるとのことで禁止したからだった。そんな話は聞いたことがあったが、それと、この映画とを結びつけれなかったというわけだ。多羅尾伴内は、過去に何か暗いものを持つキャラという設定の刑事。この映画では、どうやら、その間で世話になった刑事がいたらしく、その刑事らが殺された、それが事件の発端だった。多羅尾伴内の今一つの大きなキャラは「七つの顔の男」とされている。最後には、本人も、その言い方をして見栄っぽいものを切るところがある。捜査に、変装をして現れるという趣向。「十三の眼」という映画では、素顔以外では、片目の遊び人、金持ちで裏家業を営んでそうな男、、、、これだけだから、3つ、、、おいおい七つ、ちゃうやんと思ったけど、変装での捜査が売りのよう。1947年の作品ということで、テンポが、最近の映画に比べると落ちるかなと、でも、仕方ないかとも思いながら観始めたのだけど、それは、とんでもない認識不足。脚本がいいのか、監督がいいのか、小気味良いと言っても言い過ぎじゃない。贋金とか、吊り天井とか、プロット的には、時代劇テイストを感じるものがあったりとするのも、かえって面白みを増していた。千恵蔵の台詞回しが、冒頭部は抵抗を持ったが、こちらが慣れてくると、気にもならなくなっていく。立ち回りも用意されていたりと、サービスも行き届いている。なるほど、これだと、チャンバラの替わりとして人気が上がると思ったな。京都文化博物館のアーカイブ上映でも、このシリーズ、やってくれないかな。いや、既にやってるかもしれないね。そんなで、行って、正解。
 今日は火曜日だから、ラスト2回ということが、急遽、先週、発表された「まーぶる」を聴いた。これを書いている時点では、まだ、全部、聴けてないが、今のところ、番組が終了する事実だけは、繰り返し出てくるが、ここで、突然、終了発表となったわけは、全く触れられていない。二葉、どんなに多忙になっても、この番組は続けるのじゃないかと読んでいた身には、読みそこないという意味も込めて、結構な衝撃が走っている。これで、東京で、ラジオの番組を始めたら、かなり、関西のファンは白けると思うのは、黄紺だけだろうか? そんなで、番組の中で、何を言うのか、要注意と思いながら、残りと来週は聴きたいと思っている。


2024年 9月 16日(月)午後 8時 26分

 世間的には3連休の最終日。特にお出かけ予定は入ってなかったが、月曜日だが祝日だということで、どこかの美術館に行こうと考えた。一昨日の土曜日から、多くの美術館で、秋の展覧会が始まった。一挙に予定表に、日にちを特定していない行きたいところが増えた。だから、祝日だから、混雑するところは避け、行けるときに行っておこうと思った。だから、都心部の有名美術館は避けねばならない。また、注目の展覧会、但し、現代アート系は混まないので、省かなくてもいいが、そういった人の行きたがりそうなところを省いたところ、今日、行ってみようの気になったのは、山崎にあるアサヒビール大山崎山荘美術館。全く都会とは無縁の場所にあり、しかも、これまた、この土曜日から始まった「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展―追憶のオルソン・ハウス」という展覧会なんて、誰も知らないだろうと思って、これだと思い、決めた。JR山崎駅から歩き出すと、先を歩くおばさまたちがいる。間違って、天王山に登りかけ、変に気づき、正しい道を歩き出し、途中、腰かけてパンをかじるいい場所があるので、前回に続き、そこで昼食を摂っていると、列を成してということはないが、間断なく、人が坂を上がっていくどころか、逆に下りてくる。坂道だということで、歩いても10分強の距離だが走らせている送迎車があるのだけど、その車が通ると、10人程乗れるのかな、席が埋まった状態で通り過ぎた。あれれ??? こんなはずじゃなかった、そうなんです、この美術館を目指す人たちだったのです。帰りに、JR山崎駅前の送迎車乗り場では、1回では乗れそうもないくらいの人が、列を作って送迎車が来るのを待ってた程だった。まさか、いくら展望がいいと言っても、美術館への入場料を払ってまでも、この美術館のカフェにだけは行かないだろうね、、、? そんなで、ちょっとビビりながら、中に入ったのだけど、歩けないとか、作品が見えない程まではいかなかったけれど、この美術館に、これだけの人が来るというのは、全くの想定外だった。第一、この美術館の存在を知っているだけでも、凄いよ。でも、ここ、1回、来ると、また、来たくなるよね、誰か連れて行きたくなるよね、そう思うと、今日の人の出は、いたく納得でした。自分的には、アンドリュー・ワイエスというアメリカの作家だけど、全く知らない人だった。前回、「中国やきもの7000年の旅」という展覧会に行ったとき、今回の展覧会のポスターが貼ってあり、20世紀のアメリカで、こないな古典的な風景画を描く人がいて評価されていることの不思議が気になったものだから、行きたい展覧会の1つにリストアップしていたのだった。その絵は、「霧の中のオルソンの家」か「オルソンの家」か、これらのどっちかだと思う。モノトーンだったという記憶もあるので、後者かもしれない。それこそ、「大草原の家」イメージで観てしまった。そして、作品自体、今回、間近で観て、確認できたが、とっても幻想的だと感じた。そのオルソンの家を、ずっと描き続けた作家と、ポスターには認められていたので、余計に気になった。20世紀の作家で、そういった作品を残して、しかも、アメリカで、そういった絵が評価されているというのが気になったのだった。まず、家は、大草原の中ではなかった。メーン州の海に面した家だった。だから、長年、描き続けられると、潮の影響でしょうね、経年劣化が進んでいくのが判るという家。現在は、文化財に指定され保存の対象となっているそうだ。そこに住み、オルソンとクリスティーナの姉弟だったかなの家。オルソンの方は肖像画も残っていたり、作業姿も含めた家の絵も残っているが、クリスティーナの方は1枚だけ。後ろ姿で、しかも、足が不自由なため、動くのに手を使っている姿の絵だけが残っている。その作品が、アンドリュー・ワイエスの代表作だそうで、その作品自体は来てなくて、画像でだけ展示されていたが、それを描くための習作が、5点ほど展示されていた。これ、観たかったな。この作品もそうだが、水彩を主とするというのが、アンドリュー・ワイエスだそうだ。これ、実は、ポスターの作品をモノトーンだと思ってたものだから、一番、意外な点だった。基本は写実的な作品だが、100%写実というわけではなかった。輪郭と絵具の部分をずらしていたりと、若干、奔放さも見せる作品が主流だった、外から家を望む作品は。これを、ポスターで観ていたら、来なかったかもとは思った。が、家内の絵は、そういった遊びはなく、写実に徹すると同時に、描く、描こうとする対象の切り取りが気に入り、何よりも、外から描いている作品には感じなかった生活感を感じたからだ。階段を切り取ったり、入口を切り取ったりしてるだけなんだが。実際の色はどうかは判らないが、色彩は茶色がベース。思わず、佐伯祐三の描くパリの市街地の壁の色を思い出してしまってた。描き続けることで、「時間」も描いている感じが出てくるのがいいのかなと思い、眺めていました。1階や2階の部屋には、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチといった民芸運動に関わった陶芸作家の作品が並べられていた。地下には、前回同様、モネが3点といった展示がされていた。濱田庄司、名前は聞いてるが、しっかりと名前と作品がくっついてなかった。この人、バーナード・リーチ作品に看られる「スリップウェア」という釉薬の使い方を日本に伝えたそうで、沖縄のきび文様を図案化して用いるのが得意にしてたそうだ。そういった勉強にもなった。
 美術館を出ると、もう1つ、山崎で行きたいところがあった。史跡公園になっている山崎瓦窯跡だ。美術館から歩いて10分程の距離だった。阪急線・JR線に沿った位置だ。平安京建設に必要だった瓦を焼いた現場だ。官窯というやつですね。10程、窯があったようで、発掘されたものは、全部埋め戻され、窯があった位置が判るようにしてあり、1つだけ、窯跡の発掘されたときの姿が画像として置かれてあった。各々、斜面を活用した登り窯です。そして、すぐ傍らに山崎津があったそうだ。運び出しが簡単な好立地を活用しての窯だったようです。


2024年 9月 15日(日)午後 7時 20分

 今日は日曜日。先週は、「日曜美術館」の放送が始まる時間には、家を出かけていた。DとSと遊んでから、あっさりと1週間が経ってしまった。呆気ない。今日は、しっかりと「日曜美術館」は、観ることができた。「伝統に新しい風 〜第71回日本伝統工芸展〜」が、今日のお題。はや1年が経ったという印象。受賞作は次の通り。①(朝日新聞社賞)松崎森平/螺鈿堆錦箱「汽水域」/漆芸(夜光貝を使う、沖縄の風景、マングローブの森を描く、漆芸が大学での専門、貝を漆の上に置いていく、伏彩色手法=螺鈿の裏に金箔、それを裏から見ると淡い色が出る、夜光貝を煮込んで真珠層を剥がす)②(高松宮記念賞)満丸正人/木芯桐塑和紙貼「あかばな」/人形③(日本工芸会保持者賞)井戸川豊/銀泥彩磁鬼灯文鉢/陶芸④(日本工芸会奨励賞)田中義光/蒔絵箱「盛夏」/漆芸(輪島での制作)⑤(東京都知事賞)遠藤あけみ/型絵染着物「あすなろの森」/染織(3色だけを使う)⑥(日本工芸会総裁賞)原智/鐵地象嵌花器/金工(蝶の鱗粉をモチーフ、象嵌で幾何学模様を描く、線に揺らぎを敢えて作る)⑦(日本工芸会新人賞)藤川耕生/布目象眼五角鉢「濤」/金工(豪華客船の形状に模してある)⑧(NHK会長賞)高橋朋子/五金彩鉢「游ぐ月」/陶芸⑨(日本工芸会会長賞)安藤令子/七宝鉢「律」/諸工芸⑩(日本工芸会新人賞)松原輝/欅拭漆蓋物「夕映鯨」/木竹工(上蓋との間の節目が合っている)⑪(文部科学大臣賞)角間泰憲/神代杉造箱/木竹工(側面=黒檀を使い透かし彫り、面取りを入れて機械的に見えないようにした、指物の技法=金物を使わないで箱を作る)⑫(日本工芸会奨励賞)江里朋子/截金飾筥「宙の調べ」/諸工芸⑬(日本工芸会奨励賞)森田由利子/線描幾何文花入/陶芸⑭(日本工芸会奨励賞)尾崎久乃/友禅着物「汽水域」/染織⑮(日本工芸会新人賞)十六代小原治五右衛門/城端蒔絵飾箱「Eclipse」/漆芸(日食の瞬間を表す)⑯(日本工芸会奨励賞)大木淑恵/花籃「兆」/木竹工芸(底から1本の竹で作る、竹の持つ自然な歪みを作品に活かす)。坂本美雨が訪ねたのが⑪、アナウンサー氏が訪ねたのが①と⑯。数が多いから仕方ありません。毎年思うんだけど、必ずしも、重い受賞作を時間をかけて取材をするわけではない。この辺の基準は、どうなってるのだろうかと思うが、様々なジャンルがあるので、振り分けてるのかなとも思う。
 午後は、市民向け公開講演会の申し込みがしてあった。行き先は京都烏丸コンベンションホール、初めて行った。こちらで、「京都大学医学部附属病院開設125周年記念事業 第2回市民公開講座」。京大からは、こういったイベントがあると、案内をもらえるので行く機会を得た。この講座、全4回あるのだが、自分のスケジュールの都合、及び、関心のありなしで、実際に申し込んであるのは、今回と次回だけ。同じ案内をもらった弟も、同じ回を選んでいた。今回のテーマは「脳心血管病を防ぐ」。3本の講演が用意されていた。①脳卒中に負けないために〜予防から最新治療まで〜/池堂太一(脳神経外科特定病院助教)②最近の心臓手術-狭心症、弁膜症から大動脈解離まで-/松尾武彦(心臓血管外科講師)③心房細動の見つけ方と新しい治療法-どうやって見つけて、どう治療するの?/塩見紘樹(循環器内科 助教)。基本的にメモも取らず、ボーっと、家でTVを観る感覚で聴くことにした。相手が市民なので、とっても基本的な押さえから始まり、最新の治療法まで、中には、手術の映像も見せながらのお話で、とっても、興味がわいた。手術では、高齢の患者も多いこともあり、手術で患者に負担をかけないようにとの技術進歩が著しいことを知った。メスを入れるにしても、できるだけ切らない方がいいということで、切る部分を減らす、大きく切った方が、視覚的にも判りやすいが、それを機材で補い、患者の負担を抑える。脳梗塞の手術も、カテーテルを脳にまで入れることが可能になっている。そして、ステントを置いて血流を確保する。血栓を吸い出すことも可能にもなっている。心臓にしても、そうしたカテーテルを入れるとなると、股間を切って、そこから入れるのだろうが、そんなところから入れて、細かな操作ができるというのが凄いわ。③の心房細動で手術を受けた人が身近にいるけれど、そういった手術を受けたって言ってたこと、思い出していた。そして、心房細動って、怖い病気なんですね。脳血栓を誘発するわけも説明されていた。心臓の弁膜症手術も、胸を開かないでもできちゃう。手術の様子を映像で見せられると納得するしかないね。こういった最新の医療技術の紹介映像を見ていると、ちょっとしたエンターテイメントのショーを見ている気分になるから、不謹慎です。自戒します。


2024年 9月 15日(日)午前 7時 52分

 昨日も、酷暑の一日。土曜日だったが、兵庫県下の美術館のはしごをした。混雑予想をしなかった美術館を、他に予定が入ってなかったもので、朝から出かけてはしごをした。もう、午前9時前には出発、帰宅は午後6時前だった。内容もそうだったが、要した時間も、とっても濃~い一日だった。行先は午前中に市立伊丹ミュージアム、午後は尼崎市総合文化センターの美術ホールへ。移動はJRを使うが、そんなにかからない。JR尼崎駅前にインド屋さんがあったので、こちらで昼食。そこから徒歩移動30分で尼崎市総合文化センターに向かった。ウォーキングも兼ねようの気持ちだったが、猛暑の最中の移動は、かなり厳しいものがあった。各々の美術館の滞在時間は2時間ずつ。伊丹では、使用された展示室が、いつもより1つ多かったので、気合が入った。休憩なしの2時間だった。尼崎は、偶然、入館の50分後からギャラリートークが始まる日だった。だから、いい具合に予習ができた。ギャラリートークが始まる前の時間、映像で展示についての解説があったので、それを観て腰を休めてからギャラリートークに臨んだが、これが、たっぷりと1時間あったから、もう腰は悲鳴を上げていたが、最近、腰がもつようになってきている。訓練が行き届き、耐えられるようになってきているといった感じだ。そんな腰との闘いでもあったが、何よりも、2つの美術館の展示の内容が、ホント、ツボにはまったという感じだったな。気分的な高揚が、腰痛を忘れさせる効果もあるのだろうか、なわけないな、たまたま、最近、快調なだけでしょう。
 市立伊丹ミュージアムでは「虫展」が行われている。虫を切り口にして、博物館的展示と美術館的展示が行われている、正に、ミュージアムの名に相応しい展覧会だ。これ、「日曜美術館」のアートシーンでも紹介されていた。肝いりの、素晴らしい企画だった。キュレーターさん、凄い! いきなり「虫に擬える」という章がおもしろい。百足やトンボ、蝶は後ろ向きには動かない、退散しないと考えられ、武将が、兜に、それらを飾りとして付けていた。これは驚いた。「鉄六枚張桃形前付臥蝶兜」「鉄一枚張南蛮鎖兜」といった兜が、国立歴史民俗博物館から来ていた。物語には、虫を擬人化して絵巻にするというものがあるのは、これは知っていた。「玉むし物語」などの展示があった。「虫と生きる」という章では、養蚕が取り上げられていた。蚕にはネズミが大敵ということで、猫が重宝されたとか。歌川匡利(福神養蚕手引草)、国芳(蚕家織子之図)の作品もあったが、この後も、要所要所で、世相を伝える浮世絵が出てきたのは、解りやすくて有難かった。「虫を知る」は、ここまで、虫が生活に関わる様子を見せてきたということで、「知ろう」としたことを表そうとしていた。中国の本草学、西洋の博物学といったところで、前者の影響が強いのはもちろんだ。「虫譜」という図鑑のようなものが並んでいたが、その中に、司馬江漢が描画を銅版画で担当した「以顕微鏡観虫類図」なんてものもあった。次が「虫を描く」という章立て。葛飾北斎「牡丹に蝶」は縁起物。北斎漫画もあった。高橋草坪「白菜に蜂図」も縁起物だそうだ。謂れが書かれてあったけど、忘れてしまってる。円山応挙門下の森徹山「仔犬図」は、めっちゃ可愛い犬ころだけど、宙に虫を飛ばしてる。これ定番の構図。ちょっと虫を気にしている仔犬の可愛さ度が、それでアップするんだよね。歌川国芳「《准源氏教訓図会》より‶空蝉‶」「《小倉擬百人一首》より‶柿本人麿‶」、喜多川歌麿「化物の夢」という浮世絵もあった。「虫を聴く」というのが、次の章立て。虫の鳴き声を楽しむ、これをテーマにした絵画、虫を扱った歌、俳諧が、この章立ての守備範囲。「《東都名所》より‶道灌山虫聞之図‶」という広重ものがあったが、「道灌山」というところが、虫の音を楽しむ江戸の名所だったんだって。「虫歌合」なんて、作者不詳の作品の並びに、酒井抱一「虫之大名行列図」が、さすがの逸品。弧を描くような行列、虫たちが掲げる草の茎が、いいアクセントで見せてくれるのだけど、この絵が、この章に入ってたのが判らなかった。松尾芭蕉筆になる「みのむしの」句自画賛まであった。地下には民俗学的章立て。「病と虫」「畏れと虫」。前者は病に関する見方がおもしろい。体内に居る虫が病を引き起こすという考え方、「画図百鬼夜行」(鳥山石燕)なんてものも出てきたり、薬と虫が対決する図(歌川芳虎/神農諸病退治図)なんてのまであった。後者で出てきたのが、「土蜘蛛」であったり、田原藤太の百足退治だったりといった類のものが並んだ。ここで、まさかの月岡芳年に遭遇。《和漢百物語》より「田原藤太秀郷 瀬田之竜女」、《新形三十六怪撰》より「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」、《和漢百物語》より「源頼光朝臣」。歌川国芳は、「源頼光の四天王土蜘退治之図」「源頼光館土蜘蛛作妖怪図」。この辺りとなると、浮世絵師の得意分野ですわね。国貞もの、芳虎ものなど、楽しい、楽しい。振り返ってみると、構成が素晴らしいんだよね。そして、その構成に叶う作品を、いろんなところから集めてくれています。大変な労作展覧会だったと思います。腰の不安がなければ、そして、後がなければ、もっと時間をかけて観ていたと思うな。好企画でした。
 尼崎市総合文化センターでは、「生誕100年 白髪一雄展/行為にこそ総てをかけて」という展覧会が行われている。生誕100年というアニバーサリー・イヤーということで、白髪一雄展は、これで3箇所目となった。記念室の展示も入れれば、もう1箇所増える。そうそう、「具体」の展覧会もあった。こちらの展示は、白髪一雄の生涯も知ってもらおうとの構成になっていた。入口からして、白髪一雄の実家が、尼崎では知られた呉服店だったということで、その店構えにするという凝りよう。同時に、100年前の尼崎も知ってもらおうとの配慮だ。作品は、子どもの頃の絵から、日本画学科での美術学校時代の作品。この人、生まれが裕福な家庭だったからでしょうね、歌舞伎や能狂言にも造詣が深かったそうだ。コレクションにしていた狂言面の展示もあったが、習作としては、風景画(これは記念室の展示で観ている)とともに、役者絵まで描いていた。が、絵画制作では、日本画にはなじめなかったようなのは、その後の活動で、容易に察しがつくが、油彩画に入っていくと、どんどんと変化が判る。そういった展示になっている。上手い展示だ。形がなくなっていく。色合いが暗くなっていく。そして、筆でなく、爪や指を使いだすと、マチエールが生まれ、抽象画へと変貌を遂げていくが、フット・ペインティングをするまでは、線が一定方向に並んでいたりと、秩序を感じさせる。既にフット・ペインティングを始めていた頃合いに、吉原治郎と出会ったと、ギャラリートークで言われていたと思う、要するに「具体」へと誘われるとなった。ここからあとが、フット・ペインティングの巨大作品群が並んだ。このスペースに入ると、個々の作品を眺めるという歩き方はしない。スペースの真ん中に立ち、どれが、今日は気に入るかを眺めまわすことにしている。なんちゃらというアンフォルメルを推進したフランス人との邂逅が生まれ、世界へを出ていくことになるのだけど、そのとき受けたアドバイス、「複雑に」と言われたようで、色彩を多く加えるようになるのは、そのためだったと言われていた。更に絵具以外のものを、キャンパスに貼り付ける。イノシシの毛皮を貼り付けた作品は、初めて観たのではないかな。赤と黒の絵具を塗りたくった中に毛皮が潜んでいたので、最初は何か、解らなかった。キュレーターさんのお話では、犬の死骸を貼り付けるアイデアも持っていたそうだが、さすが、止めたそうだ。板を使って描くというのも、新しい試みだったそうだ。そして、仏門に入る。色彩が変わる。円環が出てくる。芯に何かが入ると、円環のように、中心が出てきたり、秩序らしきものが出てくる。下の階に降りると、更にそれ以後、晩年の作品になると、再び、荒々しさが戻ってくる。黄紺的に好きな、白い余白ができ、絵具の色合いが減る、これらが、この時期の作品だ。そのフット・ペインティングを、エッチングで表現したものも残していた。もちろん版画系はマチエールのおもしろさはないけれど、とっても、あっさりとエッセンスを抜き出した感があり、これ、とっても気に入った。記念室の方に、白髪一雄の作品をTシャツのデザインに取り込んだものがあったが、正に、それに活用してもらいたいと思った。だったら、少々のお値段でも買うぞと思ったほどだった。正直言って、フット・ペインティングの勢い、奔放さは、兵庫県立美術館で観たものに軍配を上げたくなったが、生涯を辿るという構成は、この展覧会の持ち味。それを考えると、やっぱ、ええもん観た、ですね。ホント、伊丹と言い、堪能しまくり、めっちゃ濃い一日だった。


2024年 9月 14日(土)午前 7時 20分

 昨日は、朝から出かけて、京都ではしごをした日。金曜日に朝からだから、行き先はアスニー京都。昨日も、弟が来ていたので、一緒にタイ・カレー屋さんで昼食。弟は、アスニー京都の午後の講演会を聴きに戻って行ったが、黄紺は嵐山文華館へ。酷暑のなか、嵐山はインバウンドでいっぱい。その中を抜けて同館へ。帰宅すると、最近、はしごってやつをすると、疲労がたまり、PCの前で寝落ちするのが定番化している。特に昨日は、朝から出かけることが多くなっているため、一休みしてから洗濯、買い物がてら、ミニミニでウォーキングをしたから、余計に疲労がたまったのかもしれない。万歩計は15900歩余を示していたから、ま、こんなものでしょう。
 アスニー京都での市民向け公開講演会は、令和6年度双京構想連続講座/テーマ「婚姻からみた京都の皇室」第5回と銘打ったもの。「江戸前中期の朝廷と幕府ー後水尾天皇から光格天皇までー」というお題で、京都産業大学教授の若松正志さんのお話を聴くことができた。最近、江戸時代の天皇制についての講演というのを、時々、見かけるが、これもその1つ。そのわけは、以前は軽んじられてきたこの時代の様子についての研究が進んでいるからだとのお話。今後も、公家の日記などが、どんどんと解読されていくはずだから、更なる進化が期待できるとのことだった。確かに、貴族の日記、どこかで聴きましたな、史料も豊富なことでしょう。そういった成果を踏まえてのお話、取り上げられたトピックをメモっておく。「江戸時代の朝幕関係は基本的には良好、幕府の権威付けの役割、宗教的機能を果たしていた」「禁中並公家中諸法度が後水尾天皇のときに確立、幕府による朝廷支配が確立、両者の協調時代が続く、末期はそうではなくなるのは言うまでもないが、関係が崩れ出すのは光格天皇のとき以後」「南北朝以後の天皇には制度上の正妻(皇后=中宮、女御)はいない、財政上の都合、天下統一後の安定した時代になり、久々に女御が登場、後陽成天皇のとき」「天皇の正室(皇后)は親王家(宮家)の王女、摂関家の娘が多い、女官(尚侍、典侍など)は公家の娘が多く、ここから天皇の子を産む女性も出る」「将軍の正室は摂関家・親王家の女が多い」「後水尾天皇と徳川和子(東福門院)との結婚時のもめごと話、東福門院入内についての屏風絵の紹介、東福門院は徳川の出なので二条城を拠点にしている」「東山天皇、光格天皇の即位に関わるエピソードの紹介があったが、最後の時間切れで、よく判らないままで終了」。あと、当時の御所のレイアウトについてのお話もあったが、よく覚えていない。その辺で、うとっときているかもしれないが、基本的に、大胆な寝落ちがなかった。ここ数日では、珍しい展開。それにつけても、参加者が多い。特に、このシリーズは。昨日など、いつもの電車がトラブルで、急遽、行き方を変えたため、席の確保の心配までしたほどだった。幸い、変えた行き方が順調に運んだため、事なきを得ました。
 嵐山文華館では、「嵯峨嵐山かちょうえん」という企画展が行われている。福田美術館が動物園、こちらは花鳥園というコンビネーションだ。既に後期に入っている。前期には、西郷弧月、橋本関雪、徳岡神泉、⽯崎光瑤らの気になる名が出ているが、福田美術館ともども、自重。またの機会に遭遇を期待した。それでも、榊原紫峰が3点、虎で見せた大橋翠石、西村五雲、山口華楊ら大家が並んだ。そういったなか、自分的に気に入ったものをメモっておく。1階の部屋で、まず、目を引いたのが、今尾景年「余物百種図」。「余物」なんてお題が付けてあるのが皮肉っぽいと思える艶やかさ、華やかさがある作品。S字形に伸びる枝には、細かな葉と花が咲き、そこへ細かな小鳥が絡んでいる。榊原紫峰「池畔群禽図」を観たあと、振り返った途端、他の作品が並ぶなか、真っ先に目に飛び込むパワーを持っていた。その上を行く関心をそそったのが、速水御舟「飛鴨図」。鴨が1羽飛んでいるだけの作品だが、首の伸ばし方一つで、この鴨の飛んでいるスピード感と地上からの高さを感じさせる。見事な逸品だった。同じ並びにあった円山応挙「黄蜀葵鵞鳥小禽図」は、描かれている鵞鳥をグロテスクに感じてしまった。それだけ、写実に過ぎたということでしょうね。生々しすぎて、ぎょっとするというやつです。岸連山の大作「花鳥図屏風」には、鶴、鸚鵡、孔雀、鷺といった鳥が、同じ空間に配置されている見世物的作品、それを、傍の解説文に「花鳥茶屋」と喩えていた。この物言いに1票入れたい気分。2階は大広間、狭い方の壁には大作が1点ずつ。山内信一「十二ヶ月花鳥図屏風」と望月玉渓「鳳凰図屏風」。前者は12区分した縦長の絵が並ぶ。なんか、各区分がせせこましくて、勿体ないという印象。こういったお題で描かれる屏風絵で、時々、感じてしまう。だから、お座敷で楽しむ自然という感じで、人間の勝手さを感じてしまうな。後者は祝言ものなんでしょうね、左に飛ぶ鳳凰、右に立つ鳳凰が描かれていた。この構図、引いちゃうね。そういったなか、2階でのお気に入りのトップは、長沢芦雪「喜雀図」。地べたで雀が群れており、そこへ飛んできた1羽も参加しようかというもの。とにかく、長沢芦雪の描いたものという印象、群れている雀、手の平に乗せたくなる質感、可愛らしさが引き立っていた。次いで、京都ではほぼお初かもしれない児玉希望の「首夏」。水墨の草、透かして見える葉(凄い!)、サギの力強さが際立つ逸品。筆力の確かさが滲み出ている。菱田春草ものがあった。「春庭」という作品。近くで観ていると、空き過ぎているスペースが気に入らなかったが、離れて観ると、独特の色彩で、空気感が出ているが、春とは思えなかった。今尾景年「桃花錦鶏図」は、鶏が古木に立つ姿。その古木の先の方に新芽が出ている。そのしたたかさと、鶏の獰猛な印象が合致させるアイデアかと思ったが、時代の違いからか、ここでも、鶏をグロテスクに感じてしまってた。それが鷲となると「キショイ」とまでなったのが堀井江亭「老松鷲図」。猛禽類とまでなると、獰猛すぎて、観ていたくなくなるのだ。池上秀畝に遭遇できた。「黒光司」という、黒白の鳥、黒白の花というコンビネーションというアイデアなんでしょうが、スルーしちゃったな。ていうか、2階はスルーする作品が多かった印象。生き物に対する感性の違いを感じながら。だから、滞在時間は短め。これだと、福田美術館とワンセットでも、腰は大丈夫だったかもしれないなんて思いながら、混雑する嵐山を後にしました。


2024年 9月 12日(木)午後 7時 24分

 今日は、またまた酷暑の一日。陽が出ると、酷い暑さだった。ただ、時々、雲に隠れてくれたときは、やっぱ、ちょっとましになったかとも思ったが、再び、陽が出ると、ダメやったね。そんななか、ここ3週間、木曜日になると出かけていた同志社大学田辺キャンパス、今日が、夏の部の最終日だった。12時過ぎに興戸駅に着く電車で、その興戸駅でおむすびをぱくついての昼食を、その3回、続けた。家を出る前に昼食を摂ると、あまりにも早くなってしまうので、人の少ない駅なもので、毎回、そうした。なんせ、何もないところなので、これがベストと判断。でも、冬の部、これ、きついよ。そんなで、お出かけ前にミニのウォーキング。それと、この市民向け公開講演会の往復を加えると、今日のウォーキングとなった。但し、帰りは、京田辺駅まで徒歩移動。35分くらいかな、長閑な道が好みでもあるのです。夕方、万歩計は15900歩余を示していたので、いい出来具合です。
 今日のお題は「鉄・鉄器生産からみた和鉄誕生」、お話をされたのは真鍋成史(交野市教育委員会社会教育課長)さん。この方も同志社大学の考古学出身の方で、お題の通り、鉄器のプロパーだ。鉄の話は関心があるんだよね。社会が変わるし、渡来人の物語にも嚙むしと、とっても拡がりを持つテーマと思うからです。だけど、鋼と銑鉄の違いすらも解ってない。言葉は知っていても。だから、会場入口で渡されたレジュメに書かれたことが判らない。これは手強いと思ったからでしょうか、いえいえ、たとえそうであっても、関心があるから必死に聴くでしょうが、聴こうとしてもダメだった。やっぱ、坂を上って、汗をむっちゃかいて、エアコンの効いた部屋に入ると、どっと疲労が出てしまう。今日は、ちょっとクールダウンするのに、時間を要した。あぶない兆しだなとは思ってたら、案の定、聴ける状態じゃなかったみたい。あっさりと寝落ちしてしまった。ほぼ記憶に残っていない。僅かに覚えているのは、「和鉄と洋鉄の違い、たたらを用いての製鉄で、高炉を使った洋鉄ではない、現在は日本刀や茶釜などを作るのに使われている」「和鉄制作は、古代、出雲地方で行われるようになったらしい、それが、伝搬していった」「江戸時代になり大量生産がされるようになると、砂鉄の多くとれる地域の特産物化していき、中国地方に集中していくが、それまでは、生活に必要なものを、各地で作っていた、ということは、砂鉄は少量だと広く取れるということのようだ」「そのわけとして、花崗岩には鉄が含まれているからだということで、日本では広く分布している花崗岩のおかげだと言われていた」、このくらいかな、近隣の遺跡で、鉄の生産跡の出てくるところを紹介されていたようだが、ダメですね。そんなで、今回の3回の講座、1勝2敗というところで、成績、悪い!


2024年 9月 12日(木)午前 6時 48分

 昨日は、朝から出かけて、大阪ではしごをした。中之島の国立国際美術館へ行き、福島方向へ歩き、前回に続き、タイ料理屋さんで昼食。ガッパオを食べ、環状線で新今宮駅へ移動。動楽亭昼席に行った。この間、月一で動楽亭昼席に行くことを守っている。行けそうな日から、顔付けを見て、行く日を決定。それに合わせて、美術館に行くというスタイルでした。
 国立国際美術館では、特別展「梅津庸一 クリスタルパレス」を観た。名前も聞いたことのない作家さんだったが、現代アートの方ということで、こういった大美術館で個展を開けるというくらいだから、評価が高いのだろう、たとえ、さっぱりと検討がつかなくとも、誰かが評価している作家さん、何に、そんなに惹かれてるのか、それを探りに行こうの気分でのチョイスだった。まず、こういったこともあるんだなと思ったことに、早々に出逢った。どうやら、美術教育批判、そこまでも行かなくとも、現在、日本で進行している美術教育に問題を感じているらしい。中でも、気になるのが、美大進学者が通う予備校の存在。美術で身を成そうとするものが通る関門。ここでの教育、そして、次に、美大に合格したあとも、美大パラダイムのようなものがあるとの指摘を感じた。日本の洋画は、東京美術学校で率いた黒田清輝、その師のラファエル・コランを問題にしている。その統率下に、今も縛られていると言いたいのか、その辺りを対象化しようとの試みを行っているという印象。点描で描かれた作品が並んだり、ラファエル・コランの作品をパロディってみたりすることで、その拘束力の強さを指摘しているようだ。ただ、絵画制作で、どういった部分が、その指摘があるような部分があるのかが、点描以外では判らないのだが、1つ、おもしろかったのは、自身が小学校6年だったかに描いた絵(校庭から見える風景)を展示していた。色彩から構成から、その後の作品とは全く違う。そこから感じ取れということなのでしょう。ここの章立てが「知られざる蒙古斑たちへ」。知らぬ間に染み込んでいってしまったものを「蒙古斑」というタームを使ったのでしょう。次の章立ては「花粉を飛ばしたい」だから、美大を出て。作家として生きていく、そういった縛りから抜き出て、己の感性の飛沫を飛ばしたいということなのでしょうか。養護施設で働きながら描いた紙に描いた線画が、所狭しと展示されていた。作家として生きていくために雑誌などのカット制作をしていたのかな、そのための下書きっぽいと、敢えて、それを捉えようとしたときに思い浮かぶ表現がそれとなる。それを観ていたときは、書きなぐりのようにも観える線画が、この後の作品のベースになるとは思わなかった。同じコーナーの後半には、そういった線画状のものに、水彩で色を付けている。なんか、伊丹で観た牡丹靖佳のドローイングの色彩、そして、たらしこみ風のグラデュエーションで一貫している。絵画作品では、この線画+色彩というのが、このあと最後まで続くテイストだった。次の章では、絵画制作から離れる。自分の中にある「蒙古斑」から逃れるということなんだろうと思った。陶の世界に踏み込む。そして、作品のお題が「花粉濾し器」。花粉は感性の飛沫だが、そこに残る蒙古斑の残滓を「濾す」ということなのでしょう。この陶作品にも、一貫性がある。形状だ。耳の形状をしたものを2つ並べるというもの。それが「濾し器」のようだ。自身で美術家の後継者養成にも踏み込む。「現代美術産業」という章立てとなり、教室にやってくる人たちとの共同作品や、その教室の雰囲気を再現したかのような空間が設えられていた。更に、陶という異分野に入るだけではなく、今一つ、版画の世界にも入る。ここの作品も、線画で、テイストは、先に展示されているものと変わらない。後半の版画では色彩も着いているが、これを版画の手法で着けたのか、そうでないのかは、自分の目では判らなかった。そして、最後が「パビリオン、水晶宮」という、ともに万博を連想させるタームが使われている。今の時点で、お見せできるものという、一つの到達点を見せるという趣向だったと思う。ドローイング作品は、ここまでの作品を継承発展している。陶の作品は、いろいろ。冒頭にあった「パームツリー」(エロい感じがしないまでもない)から、それこそ、小学生が奔放に土をこねていいと言われて作ったかのような作品が並ぶ。これは、原色が多用され、ちょっとプリミティブ・アート感が残る。なんちゃらというヴィジュアル系グループの歌に、自身の作品をCG加工した映像も流れていた。とにかく、作品数が多い。テイストが判ってきたので、終盤の作品は、流すようにして観なければならなかった。展示室各所には、自身の裸を描いた作品が並び、「自分史」を強調していたように観えた。続編を、いつか、どこかで観てみたい気分ができたので、機会があればということで、作家さんの名は覚えておかねばなりません。
 動楽亭昼席の番組は、次の通り。りょうば「普請ほめ」、石松「寄合酒」、しん吉「駅名選定委員会」、松喬「借家会談」、(中入り)、あさ吉「紙入れ」、米団治「花筏」。美術館で、ほぼ2時間連続で観て回ったからか、お疲れ。中入り前で、まともに聴けたのが石松だけ。しん吉のネタ、聴きたかった。いろんなところで出しているのを見かけるので、自信作なんでしょう。大阪の環状線の駅が集まって、自分たちの改名を話し合うというものという枠組みだけは覚えている。なんで、石松だけ、寝なかったのだろうと、逆に不思議がっています。どことなく、微妙にテキストの違う口演。松之助由来のものでしょうか? 福郎からもらってたとしても、そうなるかもしれないしね。そういったものを聴けるという思いが、目覚めさせていたのかもしれません。あさ吉は、マクラで「吉朝襲名」問題を話題にしてた。軽口的に否定していくというものなんだけど、マジで言ってると思ったのは、吉坊が、なんかの襲名を考えているらしいということ。「坊」が付いている以上、どこかで変えなきゃと思うのは、本人だけじゃないはずだから、本当らしいと思ってしまったな。吉弥は、ずっと、吉弥を使いたいと言っているそうです。ネタは、あさ吉のおどおどした風の口調が、生々しさを増しているのがおもしろかった。米団治の「花筏」は初物。ネタ出しなんかで、時々、見かけるが、遭遇は初。米団治の口調に、時々、バタ臭いと思うときがあるので、こういった地方色の要るネタってという部分もあったが、千鳥ヶ浜の親父さんがいい感じでというか、勧進元という顔じゃなくて、親の顔で一貫したキャラだったのが良くて、あすこで引き締まった口演になったと思いました。米朝の口演とは、テキストを微妙に変えてたように思ったのだけど、当たってるかは、自信はない。そんなで、不調だったけど、また、来月に取り返しましょう。でも、昨日はいい入りだったなぁ。松喬と米団治が並ぶ顔付けが良かったのかな。


2024年 9月 11日(水)午前 6時 28分

 昨日は、夕方から、昔の同僚と一緒に映画を観て、その後、吞むという日だった。だから、午前中は普段と変わらない時間。そして、午後4時くらいを目途にお出かけ。映画は京都文化博物館での上映。アーカイブに収納されている映画を上映してくれています。今月のテーマは「水上勉」。自分的には「霧と影」を観たかったのだけど、今回の上映に入ってなかった。そこで、選んだのは「飢餓海峡」。これなら、元同僚は関心を示すのではと思い、誘ってみた。最初のレスは、「既に観たことがある」というものだったので、今回は見送りかと思ったところ、後日、「もう1度、観てもいい」の連絡が入り、昨日のお出かけが実現した。「飢餓海峡」は、映画の進行的に「砂の器」に似たものがあるとの情報は得ていた。確かに、有名人が犯人という意味、その背景として、深い社会問題が潜んでいるという点では同じだった。が、進行が違った。序盤で、犯罪の構造が看えてくる。犯人も、犯罪動機なども、殺人事件を取り上げるのだけど、予め判っている。それから10年後、著名になった主人公(三國連太郎)が犯行を隠すために、更なる殺人を犯す。「更なる」が当を得ているのか、映像的には、そうでもないように見えるが、捜査官らには事実が見えてこない中で結末を迎えるという趣向になっていた。映画は、3部構成になっていると言えばいいかな。1つ目が北海道から下北、ここで空知での犯罪、函館から荒れた海を越えての逃亡&犯人の内2人の死、函館署の刑事(伴淳三郎)の捜査、2つ目が、主人公が大湊で客となった娼妓(左幸子)の上京と函館署の刑事の東京での捜査、3つ目が10年後、元娼妓と主人公の再会から新たな事件、捜査、この舞台は東舞鶴。3つ目の場面で、北海道の事件を関係があると判ってから、伴淳三郎が再登場。舞鶴の刑事役の高倉健も登場してくる。やっぱ、水上勉は若狭の人だから、舞鶴が出てきたものと思われる。一緒に行った元同僚が、長年の付き合いながら聞いたことのない話を告白。両親が舞鶴出身だということ。そこで、ひとしきり、山一つ越えたところから始まる若狭談義。主人公の出身地とされた丹後のなんちゃらという土地も然りで、貧困が話題に。とにかく、水上勉の小説には故郷若狭の貧しさが出てくる。これは黄紺的にも、よく解ってる。よく言う話、中野重治の小説の舞台(越前)とは、同じ福井県だけど、豊かさは明らかに違う。こんな思い出も、元同僚に言った。子どものころ、親に連れられ行った若狭高浜、水泳シーズンが終わったら、どんな生活を地元の人たちはしているのか、子ども心にも想像して空恐ろしくなった。だから、原発銀座になるのも解るという話だ。主人公も、生い立ちの根本に貧困があると吐露する。それが本当なのか、真実を語っているのかが、いまいち不明なように感じさせるような映画の作りにはなっているが、本籍地の丹後のなんちゃらという土地の名を聞いて、元同僚は「あすこは、貧しい、大変だ」と言ってました。子どものころ、親の里に行ったときの印象を教えてくれました。物語は、突然の終了となる。北海道での物語は曖昧さを残したまま、そして、本州での出来事は語らずじまいで終えるという選択となっています。これは、映画化でのチョイスなのか、水上勉自身が、そのような結末にしているのか、その辺は、2人とも、原作を読んでないものだから不明なままです。3時間の映画、一番、心に残るのは、左幸子演じる女が、なんとも切ない、その切なさは重いね。上手いメイクで、10年の時の経過を表していたけど、そのピュアさが、10年経っても変わらない、その切なさはたまらないものがあった。映画終了後、近くの居酒屋で飲み、映画談義。その中で、元同僚は、この映画で出されている貧困を「絶対的貧困」と言い、我々が、今、使う「貧困」と区別していたのが印象的。そう言われると、その意味合いが、即、理解できてしまうのが、この映画の舞台となった時代と近い時代を生きたことの証拠ですね。久しぶりに、午後11時前まで呑んだ。やはり、電車の中で寝落ち。気が付いたときに、電車は自宅最寄り駅を出たところ。でも、もっと先でなくて良かった。次の駅で、反対方向の電車が発車間近だったため、あっさりと修正できました。


2024年 9月 10日(火)午前 6時 45分

 昨日も、朝からお出かけ。そんな予定ではなかった。夕方からのつもりでいた。以前、ロイヤルオペラのライブビューイングに行ったときは、1週間全部が、夕方に上映開始だった。ずっと、その時間にするものと思ってたら、日曜日は夕方だったけど、平日は朝からとなっていたので、びっくり。場所が、JR桂川駅前のイオンシネマ桂川というシネコンなものだから、午前8時過ぎには出かけねばならなかった。が、JRが膳所駅での事故で動いてないとの放送があった。でも、JR西日本の運行状況を、スマホで見ると、その時点で動き出していた。JRシフトを取っていたので、迷った挙句、JR京都駅まで行ってみようの気になった。ダメなら、阪急に回ればいいか、早めに出たので、間に合うと踏んだ。京都駅のホームに入る。存外、混んでなかった。おまけに、電車が来そうな雰囲気、でも、来たのは快速、新快速ばかり。どんどん来る。普通電車が走ってないことはないのに、来るのは、そうではない電車ばかり。走ってるので、普通電車も来ると思った。そう思ってから、45分近くで出発した。それも、大津方向から来た電車でなく、大阪方向から来た電車の折り返し。桂川駅は2駅目だが、途中、止まることを心配したが大丈夫だった。駅から映画館までが大変。朝だから映画館までの行き方で困ると思い、早めに出たわけだったが、予想通り、困った。地図が書いてあるけど、ここのモールって、このライブビューイングしか行かないから、様子を知らない。案の定、迷いながらだったが、それにしては上出来のコース取りができた。到着したら、既に、上映開始予定時刻を1分過ぎていた。でも、肝心のライブビューイングの前に、散々、上映予定映画の宣伝をしてくれるから、余裕だった。ようやく観れた。これだけ苦労して、オペラ自体が惨憺たるものだと、踏んだり蹴ったりなんだろうが、そうじゃなかったのが救い。極上のプロダクションだった。演目は「カルメン」(ダミアーノ・ミキエレット演出)。ダミアーノ・ミキエレット、名前を憶えてなかったが、MCの述べたことから、かなり評判のスター演出家と知った。そして、何よりも、今回の「カルメン」を観て、大変な実力者と観たので、ネットで調べてみた。データベースのサイトを見るまでもなく、Wikipediaで十分だった。この人のキャリアを見て、納得した。ロイヤルオペラの「ウィリアムテル」って、物議をかもしたプロダクションだったはず。あの人か! この「カルメン」、そら、やるわなと思った。このプロダクションの特徴、①ドン・ホセの母親を出したこと②コーラスをコロスとしたこと③回転舞台に小屋を乗せ、その内部も回転の具合で見えるようにしたこと④重層になった対立関係を盛り込もうとした、このようになるかもしれない。①については、MCから予告されていた。「椿姫」で、アルフレードの妹を出すのを観たことがあるが、それと同じく、テキストでは出てきていても、歌も台詞もないものだから、通常は省かれる。それを、敢えて出したというのは、ゴッドマザーを示すものだと思った。家族道徳を体現する存在、それが母親だということなのでしょう。頻繁に舞台に現れ、ドン・ホセが、アプリオリに持っている考え方との印象を植え付ける効果は抜群だった。②は、こういった解釈に行きつくには時間を要した。ようやく、山のアジトの場面後半になり、群衆が必要になったときに現れる、衣装は、常に普段着風で同じだということで、「そか」となった。ギリシア劇では、コロスが、様々な役割をこなしたと言う、観客の役割までも、あれだ、あの使い方ですね。③は上手いに尽きる。回転舞台に置く小屋の位置まで計算づく。内部が正面に向いてないときに、その設えを変える。SNSでの呟きが、インターバルのときに流れるが、その中にも、裏方さんの働きを称えれるものすらあった。全体的なト-ンは、スペイン何でしょうか、ホリゾンドには横並びの草、照り付ける太陽、そうそう、照明の使い方も抜群だったな。スペインを、明らかに意識してるなと思わせたのは、母親の衣装、やはり黒一色でした。小屋一つで、兵隊の詰め所、酒場、山賊の隠れ家、マタドールの控室を表していた。④が、なかなか難しい問題。ロマと非ロマ、定住者と非定住者、、、こういった設定は言わずもがなだが、そして、言葉は、いろいろと変えることができるだろうが、それだけではない、対立軸があり、その接点にドン・ホセがいると考えると、この物語が読み解けると思っている。それが交差する場面を、舞台上で見せたのが、このプロダクションの更なるグッジョブ的なポイント。山へミカエラが迎えに来る。母親の病のことを持ち出され、ドン・ホセは帰ろうとする。そこで、トライアングル状態であることを舞台で見せたのだ。要にいるのはドン・ホセ。その左右に大きく開いて、カルメンとミカエラ。カルメンに、ドン・ホセへの拘りを示させたのだ。多くのプロダクションでは、ここでは、ドン・ホセから、カルメンの心は離れてしまってると見せるが、このプロダクションは、そうではなかった。やられましたね。この演出一つで、対立軸が、もう1つあることを示せる。要するに、ドン・ホセとカルメンは、同じ穴のムジナで、それとそれ以外の世界という、もう一つの対立軸があるってことを。ホント、ええもん観れました。歌手陣も充実。話題は、タイトルロールを歌ったアイグル・アクメチーナ。ロイヤルオペラのアカデミー出身の28歳。19歳のときにモスクワで発見され、このアカデミー入学を勧められ、それで、見事に本舞台で大役をゲットしたそうだ。1幕は硬さが歌唱にも出てたが、コントラルト的な深い声は素晴らしい、物語が進むにつれ、その良さが、どんどんと出て行った。そして、若いから動きが切れてる、シャープなのが良く、動けるのがいい。ドン・ホセはピョートル・ベチャワ。つくづく、この役、リリックかと思うと、どんどんダイナミズムが求められていくので、大変な役だと思った。なんせ、マリオ・デル・モナコが歌ったわけだから、そうなるわね。ピョートル・ベチャワ、お見事です。ミカエラはオルガ・クルチンスカ、黄紺的には、主役2人に比べると、物足りなさを感じたけれど、客席の反応は上々だったので、ライブ感覚は違ったのでしょう。エスカミーリョはコスタス・スモリギナス、この人も知らなかったが、十分なパワーだったけど、芝居はイマイチかな。視線が判るだけに、そう思っちゃいました。
 帰りは、もう大丈夫だろうと思いながらも、不安だったので、伏見方向へ行くバスを調べると、45分、待たねばならなかったので。JRで帰ろうとしたら、朝と同じで、結局45分近く待つと乗れたが、来ても、途中止まるかもと思ったので、バス乗り場へ。駅を見ていると、バス発車3分前に電車は来ていた。「やってしまった」とは思わなかった。バスで十分だからね。そんなで、アクセスが酷かったが、いいプロダクションを観れて、ほんわか気分でした。歩き足らないので、夕方、ミニでウォーキング。万歩計は15900歩余を出していた。正解でした。


2024年 9月 8日(日)午後 7時 5分

 今日は日曜日なのに、毎度お楽しみの「日曜美術館」を観ないで出かけた。それ以上の楽しみがあったからだ。DとSと一緒に遊びに行く日だったのだ。息子に連れられたDとSとは淀屋橋駅構内で待ち合わせ。そして、御堂筋線で長居へ。大阪市立自然史博物館の特別展「ネコ~にゃんと!クールなハンターたち~」に行った。この博物館へ行くのは初めてだったので、勝手が判らなかった。2階が入り口だった。しかも、館内には入らないで、外側の階段を上がって行く。同じような子ども連れが多い。やっぱ、日曜日、人が多い、子どもが多い。チケット売り場には列ができている。現金でしか買えないというので、できるだけ現金を使いたくないため、その場でオンラインで買おうとすると、いろいろと聞いてくる。書かねばならないことが多い、しかも、クレジットカード決済に二重の縛りが掛かっており、これ、久しぶりだったので、暗証番号が混乱して、2枚持っているカードの違う方のカードの番号を書き、ギヴアップかと思ったけれど、何とかクリア。さっさと列に並んだ方が早かった、けど、現金を使わないで済んだ。やっと入っても、中はいっぱい。そして、狭い。また、歴史博物館のような展示、おいおい、これって、すべったと、入った途端、思った。子どもに見せるには、ちょっときつい。ちびのSは剥製の動物に驚かないし、剥製を観て、オオカミもラッコも、オットセイも知ってた。あれれ、、、? どうなってんの? そか、剥製じゃなくって、動物園で、生の、動く動物を観ているんだ、ちびのSの方も。となると、Dは解ってるだけに、驚くわけではなしで、すべったな。そんなで、掲示されている文章の方は素通りで、さほど時間をかけないで、出てしまいました。同じチケットで、植物園も行けたので、2人に行こうと言っても、無理でした。Dが、早々に「行かない」オーラ全開。結局、ご飯を食べに行くことに。その前に遊具のある公園を見つけた2人は、炎天下、走り回ることになり、憂さ晴らしになったようでした。お昼は、長居公園側のデニーズ。日曜日の昼間、順番待ちは仕方ないね、でも、存外、早く順番が回ってきた。Dは、いつものようにもりもり食べるが、Sは、思いの外、少食。せっかくのお子様ランチに付いていたハンバークを、Dと黄紺に半分ずつくれました。大人は、昼間からアルコール。いい時間です。ご飯替わりに、サイドメニューから選んだものの量が、お粗末だったので、デザートは場所を変えて。結局、淀屋橋まで戻って、カフェへ。子どもたちはアイスを食べたんだけど、いつも間にか、Sは、上手にソフトクリームを食べれるようになってた。但し、コップにキュラーを入れてのものだったけど。そんなで、僅かな時間だったけど、先週に続いて、DとSと遊ぶことができた。バンザーイ!!


2024年 9月 8日(日)午前 6時 5分

 昨日は、朝からお出かけ。枚方まで行った。枚方市主催の「令和5年度発掘調査報告会・市民歴史講座‶茨田堤と枚方の古墳時代‶」に行った。以前、同様のイベントに行ったことがあり、その後、案内をもらえるようになり、申し込んであったのだ。枚方市は、身近な存在ということもあり、土地勘もあるので、ローカルな遺跡発掘も解るので、新しい情報をいただけるのは、とても有難いので、行ってみたくなる。そして、後半の講演会は、とてもそそられるお題。これだけでも申し込めたが、いっそのことなら、全部聴こうじゃないかと、朝から出かけた。午前10時半開演、お昼の休憩を1時間取り、終了は午後4時半という長丁場。普段なら、この時間の長さだけで尻込みするのだけど、昨日は、その気になってしまった。プログラムは、次のような、ものだった。「第1部令和5年度発掘調査報告会」①杉遺跡(文化財課主任 井戸竜太)②禁野本町遺跡(文化財課主任 井戸竜太)③中振北遺跡(文化財課課長 松野元宏、文化財課主任 井戸竜太)④伊加賀遺跡(公益財団法人大阪府文化財センター 田中秀弥)「第2部市民歴史講座」⑤茨田堤と枚方の古墳時代(京都府立大学文学部教授 菱田哲郎)。①の冒頭、今年の発掘調査報告会が、長丁場になったわけを話された。枚方市では開発が活発化しているというのだ。すると、遺跡があると、その前に調査をしなければならない。これは、文化財保護法で決まっている。遺跡指定が受けてなくても、確定地域から拡がる可能性があると看ると、協力要請をして調査に入るというのだ。その幾つかの段階も説明されていた。発掘調査は最終段階、その前に、遺物と思えるものが落ちてないかを調べるという、めっちゃ地道な作業もされているそうだ。そして、お試しとしての試掘、地層を調べると、目星がつくという話は、京都学講座で何度も聴いている。発掘調査となれば、工事に入れない、費用は業者負担となるのだから、なかなか気も使わねばならない作業だ。そんなことを聴いて、いきなり杉が出てきて、びっくり。参加者の多くは枚方市民でしょうが、その人たち相手に、井戸さん、「杉って、どこか判りますか?」と尋ねていた。ところが、黄紺は、事情があって、この枚方市の東端の山に入っていく杉地域に行ったことがある。だから、そこに遺跡があるって聴いて、驚いたのだ。山の中過ぎる。でも、説明を聴いて、地形図を見せてもらい、更に、ある情報を出されて、納得した。まず、現在は、住宅地が広がっているが、そもそもの杉集落は、穂谷川のもたらした土砂でできた谷底平野(と言っていいと思う、扇状地と言うには谷あいの地域だから)の一角にある。その歴史は奈良時代に遡ると言います。どうやら、須恵器を焼く窯が、近くにあったことから集落ができたのではないかと考えていると言われていた。なら、納得だが、肝心の窯は、まだ見つかってないそうだ。連綿と僅かな平野を利用して生活が営まれていた跡を、発掘で辿ることができるが、川の流路に歪みができており、それは、江戸時代の地層を観て判ったとのこと。大量の土石流が流れ込み、そういった事態になったと考えられると言われていた。だが、集落は続いた。その後、その土石流で土砂の溜まった土地に、再度、入っていったのだろうということだった。これは感動もの、地層から苦難の生活、歴史が浮かび上がってきた。杉に対する印象が変わりました。②もおもしろい。この遺跡は、百済寺の背後に広がる地域。百済寺は、薬師寺と同じ、二塔を備える寺院だった。規模は、薬師寺に劣るとは言え、格式は立派なものだ、なんせ、百済の王族の末裔がいたわけだからね。近辺は、歴史公園として、かなり整備が進んでるとのお話だったので、行ってみなくっちゃの気になってしまった。DとSを連れて行こうかな。問題は、その百済寺背後に町が作られていたというのだ。これは、全くの初耳、それが②の遺跡なのだ。既に、行われた発掘で、街路の交差部が判ってきており、碁盤の目状の街路だというのだ。おいおい、大変なこと聴いてしまった。そないな大層なものがあったなんて。そか、関西外大の新たなキャンパスができたときに、発掘ができたんだな。それで、どえらいことが判ったみたい。そんなに古い話じゃない。だから、その都市の規模が、まだ確定できてないという。それを見定めるために、ぜひ必要な発掘だったようだ。現在の空中写真を見せてもらって、驚いた! だって、百済寺跡の背後、ど真ん中から、一直線に伸びる道があるんだから。だから、ここに計画都市が作られたときのメーンストリートが、現在も、そのまま残っているというのだ。今回の発掘は、そのメーンストリート沿いの一角。すると、かつての路の方が幅広だったことが判ったそうだ。狭かったら、現在の路の部分を発掘しないと判らないが、今の道路沿いの地域を発掘して、そこから路跡が出てきたら、広いわね。その路の傍らには側溝跡があり、築地塀跡も判るように出てきている画像を見せていただけた。発掘場所は、もう1箇所、今まで街路と想定されていた区域の外、街路の広がりを想定しての発掘が、見事に想定が当たったということも話されていた。めっちゃ、ロマンある、おもしろかった。③は旧茨田郡地域。現枚方市は、交野郡が多くを占めるのだが、枚方公園から光善寺界隈は茨田郡だったそうだ。交野郡が丘陵、及び、その裾野地域になるのに対し、こちらは淀川に向かい平坦な地域となる。⑤の講演にも繋がる発掘なのだ。③と④は近接地域、光善寺駅前の再開発に伴う発掘だそうだが、市と府、縄張りがあるのでしょうね、④は京阪電車絡みのようで府の担当になった模様。古墳時代、10~13世紀、14世紀と、3層の異なった遺跡が出てきたという。古くから栄えた地域のようだ。13世紀と14世紀の間に耕地として使われていたことも判った。上の2層では、建物跡、井戸跡が出てきている。その井戸と貯水池に繋ぐ竹筒の水道管に相当するものも出てきた。水に関わるところには、こういった遺物が出る。保存ができるんだね。10~13世紀の層からは、高床式建物を想定できる遺構もあるとか。有力者の邸宅かもしれない。井戸さんが言われてたことだけど、近接した地域に光善寺があるが、こういった集落があったから、蓮如も目を付けて、ここに光善寺造営を考えたのではないかと、なるほど。④も似た地域だからでしょうね、同様の遺跡成果が出ていた。こちらは、弥生時代後期の竪穴建物跡から始まり、鎌倉時代まで続く遺跡が出てきている。そして、井戸跡は古墳時代のものから出てきたと言われていた。この発掘の中での注目は、古墳時代中期の谷、土杭、井戸の跡ということで、そのわけを説明されていた。ここから多くの韓式土器(こういったタームを使うのですね)が出てきていることから、渡来人の影を看て取れるというのだ。確かに、近くの寝屋川には「秦」「太秦」という地名が残っている。土器の表面にできるつぶつぶの点跡が、その証拠だと言う。成形するときなのか、独特のへらで叩くそうだ。「蒸す」ための道具だったとも言われていた。それと、井戸に使われた木材が、何かの転用だと言われてたの、③だったかな? それを観ると、木の切り方、成形の仕方が判ると言われてたのだが、、、。④では、舟型の木べらが出てきている。祭祀に使われたそうだが、木の成形のトピックは、ここだったのだろうか、、、混乱しています。⑤では、茨田堤の位置の特定から。思わない場所を示された。古川沿いの堤だというのだ。「古川橋」の「古川」だ。あの川、確か、一級河川だよね、それを知っていたので、わりかし、あっさりと受け入れてしまった。淀川の分流で、その分岐点が、伊加賀遺跡のところだと言われていた。俄然、伊加賀遺跡のポイントが上がった。だから、古墳時代、いや、それ以前からの遺跡が出てくる、重要なスポットだったというのだ。そのわけも、当然、説かれていた。古川の東側北部、即ち、分岐点からすぐの下流部分は米の産地、南に下ると、蔀屋があることから、馬の産地、牧があった。逆の西側は、菰の産地だったというのだ。両岸に経済面での重要箇所を備えていた。その補修活動に関わったことが考えられるのが行基だったということで、行基伝説の背景が話題に。行基は。大デヴェロッパーだった聖武天皇の意を受け、それを実現していった実務者集団だった。行基は、既にあるものの補修で成果を残したので、伝説的な名を留めるようになったと、その業績の特徴を述べられて、お話は終わった。「へぇ~」でしかなかった。全く、予想外というか、思いもつかない展開に、必死についていくのが精一杯でした。以前、行ったときに比べて、市民向け公開講演会的性格の強そうな客層に対し、ハードなお話が続き、皆さん、頭、ついていってるのだろうかと、ちょっと心配になったな。私は、とにかく、いっぱいいっぱい、でした。
 帰宅後、洗濯とミニミニのウォーキング。今日の日曜日も、朝から出かけるということで、洗濯は頑張りました。ウォーキングは、ずっと座りっぱなしで、昼休憩のときに淀川沿いを、ちょろっと歩いただけだったので、あかんと思い、実施。こちらも頑張ったけど、万歩計は1万を超えなかったな。


2024年 9月 6日(金)午後 7時 51分

 朝晩の気温が下がってきている。夜中に目が覚めたとき、窓を閉める日もある。ふとんが、自分の体温で温まり、寝るに寝られなかった酷暑の夜なんてあったのかと思えるようになってきた。昼間は相変わらずだけど、上手くしたもので、ゆっくりと秋に近づいているということだ。
 今日は、午後に浪曲を聴くことになっていたが、それまでは平常通り。いつもより、少し早めに出かけて、いつも通りのウォーキングをして、午後のお出かけで歩くことも含めて、1日のウォーキングとした。夕方、万歩計を見ると、17600歩余とは、とっても優秀。お出かけまでに、プチ旅行の記録を書くことを頑張った。早いときだと、旅行中に書き上げるときもあるが、今回は、あっさりと寝落ちが続いたため、そういった時間が確保できず、後回しになってしまってる。ようやく、今朝、お出かけ前に、1日目の記録を書けた。が、読み返してみると、めっちゃ雑。でも、書いた量を見ると、それ以上は無理だから、内容の薄いものになってしまった。1日目は、移動のことであくせくした分、美術館巡りに集中できなかったのかもしれない。ハードだったわりには、腰がしっかりとしていてくれたのが助かった。だから、無理をしたかもしれないね。その影響が、呆気ない寝落ちに現れたのかもしれない。午後のお出かけ先は、文化パルク城陽のプラネタリウム。ここで、2ヶ月に1回のペースで続けられている「京山幸乃浪曲の会」に行った。番組は、「転宅」「米屋剣法」だった。もちろん、1席目の後にプラネタリウム解説が入るのは、いつも通り。曲師は、もちろん一風亭初月。ところがだ、ネタおろしの「転宅」が始まった途端、寝落ち。プログラムに幸乃さんが、メモってくれてたので、落語に取材したものだとは判ってたが、冒頭に、「転宅」と言ってくれなかったら、ネタの貼り出しを見るまで、ネタが判らなかったほど、寝てしまった。暑いなか出かけていき、いい感じの空調を受け、いいソファーに座りで、あっさりと寝落ち。東京の師匠にもらったと、プログラムに書いてたけど、誰だったのだろう、噺家さんの名前を、どこかで出したのだろうか、これ、気になるな。そのまま筋を追えば、限られた時間に収まらないはずだから、どのようにええとこ取りをしてまとめたんだろう、気になる。でもね、「転宅」って、コンパクトにまとめにくくなかろうかと、瞬間、思ったけど、だから、関心はあったのだけど、その直後から覚えてないのです。プラネタリウム解説も99%、覚えてない。中入り時間も、プラネタリウムの椅子にもたれて、ぐったりしていた。それが良かったのか、覚醒。2つ目のネタ、筋立てとしては、単純なもののように見えるので、これ、ひょっとして、長い物語のつまみ食いかもと思ったのだけど、幸枝若節で聴かせるから、テキストがおもしろく、クライマックスへと向けて、ぐんぐんと上昇させていく節が聴かせ、お約束のぶち切りがきれいに決まるようになっている。幸乃さん、大阪弁が、めっちゃ上手くなっている。もう5年経つのだから、板についたのでしょうね。お見事でした。それと、息の長い幸枝若節の安定感が素晴らしかった。東京から来て幸枝若節、大丈夫と思ってたのがウソのような上達ぶりに、感服。話は、剣法を習いに来る米屋、この無理無理設定に、何かあると思ってしまったのです。なんかの物語からのつまみ食いなのかと思ったのです。話は、師匠となる剣術道場の主と米屋との心温まる交流を描いたものかと思ってたら、終盤に入りかけて、突如、近隣の道場との諍い話へとエスカレートしていく、この唐突感はなんで? また、大きな物語の一部でないかと思ったのでした。幸枝若本人でも聴いたことのないネタだったもので、「?」が点ったままで終わったな。幸乃さんは上手いのだけど、ネタがどうもイマイチだったなぁ。浪曲の持つ悩ましい部分を見た思いだった。いや、昔の人は、これで、物語の全貌の中に嵌めることができたのかもしれないね。この辺、悔しいんだよね。そういった捉え方の正否すら判らないからね。


2024年 9月 5日(木)午後 10時 21分

 昨夜の午後6時を回ってから、自宅最寄り駅に帰還。あっさりと、1泊のプチ旅行は終わってしまった。長い移動が多く、それが、ちょっと負担だったので、ノリが、今までより低かったのだけど、一旦出かけると、あっさりと吹っ飛んだ。帰りは、余程、近鉄特急に乗ろうかと思ったけど、別に、早く帰っても、何かするわけではなかったので、4回も乗り継いで帰着。おかげで、青山高原を貫く、三重県から奈良県へと抜けるコース、初めて、時間をかけて通ることができた。ええとこです。DとSを連れて行きたくなる雰囲気。榛原までは行ったことがあったので、ここまで来ると、帰ったという気分になってました。夜は、Radikoで「まーぶる」を聴きながら、呆気なく寝落ち。とにかく、毎度、プチ旅行では疲れます。四日市の夜も、TVかけながら寝落ちしていたしね。そんなで、次回のプチ旅行は、早くも10月中旬に設定しています。また、似たところに行くんだけど。かつて、ドイツでオペラ紀行をしたおかげで、ルールの都市の位置関係を、完全マスターしたように、東海地方の位置関係が、徐々に頭に浸透しつつあります。
 今日は、午後に市民向け公開講演会を予約してあった日。昨夜、たっぷりと睡眠をとれたおかげで、ほぼ疲労感はなく、出かけることができた。今日の行先は同志社大学田辺キャンパス。先週に続き、行ってきました。今日は、「弥生~古墳時代の集落・墳墓の変化」というお題で、三好玄(大阪府立弥生文化博物館学芸総括)さんのお話を聴くことができた。問題の関心は「集落」。どのような形状であったか、それを見れば社会の様子、経済活動の様子が判る。だが、古墳時代には、あまりに巨大な墳墓が現れるということで、その時代の分析は、政治状況に終始してしまうため、前の時代との比較考察がしにくい。弥生時代と古墳時代は継続してながら、それを分析していく手法が異なるため、両者の比較検討がしづらい傾向があるということで、両者を総合的に分析するために必要な方法を確認しながら、問題に迫っていくとのお話が前半。そして、考案された分析法で、資料を集め、その上で表記のテーマについてまとめていくというのが後半。三好さんは、そういった作業の中で和泉地域を担当されたということで、その地域の分析結果を中心に、奈良盆地の地域との相違性も示しながら報告されるというのが、この講演の趣旨と言えばいいかな。弥生時代後期前半には、大規模な集落が現れてくるが、幾つかの小さな集落の集合体という形で、集落の規模が大きいからと言って、集中した権力の存在は看られなかった。それを示す館と考えられる遺構は出てこない。弥生時代後期後半から庄内式並行期(弥生時代から古墳時代への移行期)は、それが解体してしまう。小規模に分散してしまう。この変化の原因は自明のことのように、最後まで語られなかった。常識的な識見を持たない身には、こういったことが辛い。古墳時代前期には、奈良盆地では、巨大古墳群の時代に入っていくが、和泉地域では、一部を除いて出てこない。ただ、集落の規模が、再び、大きくなってくる。手工業生産の拠点、宗教儀礼の拠点のようなものとしてのようで、そのための集住と看られ、まだ、首長と呼べそうな者の住んだと思える館は出てきてない。大規模な建物跡と思える遺構があるが、それは、宗教的な儀礼のためのものと考えられる。が、中期になると、首長の館(正方形をとる)が顕在化してくる。だから、これらの時代を通じて、階層化が進み、集団の統合・拡大が起こっていったことが考えられる。権力形態も、共同性といった性格の強かった時代から、ネットワーク化(権力の集中化)が起こったようだ。陶器制作や金属器制作といった面で、朝鮮半島からの技術の導入が看られた時期と重なるのかな。そういったところから、手工業の世界に現れた変化といったものが、社会の結合の仕方を変えていったということなのかな? 祭祀という面からの集団化では、共同性の強い社会だったのが、この国の持っていた風景かと思われるといったことを言ってられた記憶が残っている。箸墓古墳のあるような地域は、特異な地域で、一般化できる変化は、この和泉地域のようなものだったという言い方をされていたと捉えればいいのかな、、、解ったつもりで聴いていたけれど、思い返してみると、きっちりと理解できていなかったようで、単純化し過ぎたメモになってるかもしれないという不安が残る。
 会場への往復は、昨日に続いて、近鉄電車。明日も、近鉄電車を利用してのお出かけを計画している。3日連続で、近鉄電車のお世話になる。人生初かもしれない。ちょっと、電車運行の癖らしきものが見えてきたぞ。ダイヤ編成に、他の電鉄会社に比べると、余裕を持った組み方をしている。だから、ちょっとの遅れなんかは、端から余裕付きだから吸収できるようになっている。その分、ゆっくりと安心しての移動ができるのだが、はっきり言って、しんきくさい、普通に運転していると。そんなことを知る楽しみも、旅の醍醐味なんでしょうね。


2024年 9月 4日(水)

 四日市の朝は、特にどこへ行くこともなく、近鉄電車に乗車。駅前だけは、前夜も眺めたが、繁華街が続くという感じもなし、賑やかな駅前が広がるわけでもなしと、肩透かしを受けたため、軽く駅前を歩いただけで乗車。津まで行き、駅前のコンビニでパンを買い、近くの公園で朝食。津駅は、県庁所在地の駅だけど、大津より小さな駅だった。行き先は、前から狙っていた三重県立美術館。気になる企画展をしているのを目にするものだから、どこかで行きたいと思っていた美術館だ。丁度、今回、こちらでの展覧会「長崎県美術館・三重県立美術館コレクション/果てなきスペイン美術―拓かれる表現の地平」が行われているということで、これをチャンスと行った次第。駅からは、徒歩10分余、いい環境のなか、とっても素敵な建物。アクセスの良さ、環境の良さ、美術館巡りを始めてから行ったところではぴか一かもしれない。中世以後のスペイン美術を、日本の美術館所蔵の作品で見せるということ自体が、凄いことですね。長崎は、スペイン美術の収集家のコレクションがあるとか、また、三重は、県がヴァレンシア州と姉妹関係を結んだことから、収集に動いたことが、各々、多くのスペイン美術を所蔵している所以だそうだ。驚いたのは、中世の聖画像の板絵から始まったこと。まさか、日本で、この方面のものの所蔵があるなんて、考えもしなかった。その並びには、近代初期の作品も出ていた。ファン・カレーニョ・デ・ミランダ「聖アンナ、聖ヨアキム、洗礼者聖ヨハネのいる聖母子」がいい。17世紀の人だからバロックの作家だね。視線や動きで、描かれている人物が、皆、リンクしているので、安定感が生まれてるようだ。その傍にあったムリリョ「アレクサンドリアの聖カタリナ」が、今回の展示では、自分的最高傑作。自分的には、ウィーンで観たムリリョの描いた子どもが気に入り、それ以後、ムリリョは子どもと決め掛かり観るようになっており、また、ムリリョとなると、子どもを描いた作品に遭遇できていたところへ、このカタリナの表情には、まいったなぁ、この虚ろさに見惚れるしかなかった。ウィーンで観たムリリョの描いた子どものときも、表情に引き付けられたのだったことを思い出した。この展覧会の展示は、確かに、中世の板絵から始まり、章立ても「宗教―神秘なるものへの志向」(1.スペイン・カトリック美術、2.物質に宿る神秘)辺りはまだしも、次なる章立て「現実なるものへの視線」となり、何を指して、そういった表現が出てきているのか、解らなくなってくる。ここに、ゴヤの「戦争の惨禍」が、また、ピカソの「ロマの女」、ダリやミロの作品が数点ずつ入っていたのだが、その心が判りかねたものだから、印象が薄い。最初の「宗教―神秘なるものへの志向」への対抗的な章立てかなとは思うのだが。なお、ピカソは1900年制作だから、「青の時代」の更に前となる。次なる章は「場の空間」(1.モティーフとしての空間、2.現実空間へのひろがり)と続き、展示されているのが現代アートとなり、混乱どころか放棄の気分。「光と影」(薄闇の世界を描く:ゴヤの創意、2.明暗をよすがにして)で、再び、ゴヤが登場。しかも、「戦争の惨禍」が再登場してくる。併せて「闘牛技」と版画作品が並ぶ。描かれている素材を指して、光と影? それとも、描かれている絵での光と影? それにしては、これらの作品は、他の作品のように暗さがない。で、気が付いたんだけど、スペイン美術って、漠然と黒をイメージしてしまう。ヴェルディの「ドン・カルロス」を観ていて、黒の衣装を使われると、それだけでスペイン感が出る。ここまで観てきた作品群も、確かに黒が基調になってた。そして、モノトーンが基本的な色彩になってた。その辺からして、光と影を読み解かねばならないのか? 全く、総体としてのスペイン美術が判ってないものだから、既にお手上げ状態だった。すると、次なる章立てが「伝統と革新」(1.肖像:身体のイメージ、2.静物画の変容、3.素材と技法の研究)で、復古的な肖像画が出てきた。ゴヤの「アルベルト・フォラステールの肖像」が入り、ここにもゴヤが出てくる。という風に、他の作家も、幾つもの章に分散して出てくるものだから、一層、困惑を深めるばかり。ピカソの「ふたつの裸体」は「1」に、「静物」「鳩のいる静物」は「2」に登場。後者が、今回の展覧会のメーンキャラに使われている作品。典型的なキュービズム作品。視点を極端に変えている。テーブルの上の鳩が気がかり。解説に書かれていたが、鳩は、ピカソが平和を表すのに使ったものだから、それと重ねてと考えてしまう。机上が真上の視点から描かれているものだから、余計、鳩にメッセージが籠っているのかと考えてしまう。「素材と技法の研究」では、ミロが多く出ていた。ピカソがあるとミロが出てくる。いずれも、軽いタッチのらしさが出ている作品だった。とまあ、スペイン美術を学習するんだの意気込みだったが、ダメでした。章立ての責任にはしたくないが、理解できるようにして欲しかったな。でなかったので、記憶に残らない、留めることができない。期待が大きかった分、残念感も大きい。
 コレクション展に移る。ここは、3つのセクションに分かれていた。「①コレクション・ハイライト②小特集/小林研三 ―生誕100年を記念して③ネイチャー・アブストラクション」といった構成。①は大家が並んだ。シャガール、ルノワール、モネ、安井曾太郎、村山槐多、佐伯祐三、藤島武二、須田国太郎らが並ぶ。佐伯祐三って、わりかし、いろんな美術館が所蔵しているものなんですね。これだけの大家が並んだ中で、黄紺的お気に入りは須田国太郎(信楽)。あの牛が前を歩く絵と同様の緑の濃淡で区分けされた木々と畑の風景がたまらない。距離を置いて観ることに限ると思っているので、そうすると、「なんて穏やかなんだろう」と、声を出さないで呟いてしまってました。この部屋の後半部は、抽象にシフトした作品が並ぶ。ミロが、ここでも出ていた。が、関心を引いたのは元永定正(赤と黄色と)。今回も出逢ってしまった具体の作家さん。このコレクション展で、一番の印象を残したのは②、数が多かったのもあるが、作家さんの変化が気になったのだ。10代の頃の作品から展示されていたのだが、その若い頃の作品は、決して濃くはないけど、後半に比べると、明らかに濃い絵の具を使い、素材(鳥、小動物)と背景が混然一体となった作品、どういった精神性が、こういった絵を生むのか、しかも、若いときのものなので、えらく気になった。ところが、後半になると、全体が、とっても淡い色彩で、パステルっぽい色合いで描いている。素材と背景は、淡い淡い色彩ながら区別はついている。このような変化が気になってしまった。特に若い頃の作品の心はと問いたくなった。最後の辺りに、秋に桑名の博物館で、この人の回顧展があると出ていたので、即決です。丁度、10月にプチ旅行を計画していたので組み込みました。③は現代アート。館勝生はアンフォルメルと言える作品だけど、意図が見え隠れしてしまってる。秋岡美帆は写真、動きを感じさせる自然界を撮っている。諏訪直樹は、日本画のモチーフがプロットになってるようだ。調べてみると、四日市出身で30台で夭逝した作家さんだそうだ。あと、イケムラレイコの作品にメモを取っているのだが、自分で書いた字が読めない! もう1つ、特集展示があった。「植松永次 ―土と火」というものだった。1つ目の部屋は、様々な焼き方、釉薬、形、テイストの異なるものが展示。もう1つは、広い部屋全体を使ったインスタレーション作品と言えばいいかな。と思って、作品リストを見ると、そうじゃない。広い壁一面に、細かな陶器を貼ってあるのは、それはそれで1個の作品で「満天の星」となっていた。でも、そのお題だと、この部屋全体でのネーミングもいいじゃないと思える、そういった空間になってた。奥の方には、ベンチに腰かけて、窓際の作品を観ると、透明樹脂の壁の向こうの風景が借景になってるしと、この空間、めっちゃ広がるやんと思い、部屋全体が、一つの作品と思ってしまってた。外光を取り入れ、壁や天井の色も、ほとんど白っぽいし、パステルカラーの釉薬が使われた陶器の破片かと思えるものも、全体の色合いにあっている。いろんな、おもしろい試みがあるものですね。
 近鉄津駅に戻り、今回の最終訪問地へ向かった。事前に検索していたよりは早めの電車があったので、まずは宇治山田まで行き、そこで、賢島行き普通電車に乗り換え、五十鈴川駅で下車。着いてから、この駅が内宮最寄りの駅だと知り、且つ、これから行こうとしている美術館と同じ方角だと知った。ここまで、こないな虚けた状態だった。ようやく、同じ方角だったのは、美術館に着いてから知った。その美術館は伊藤小坡美術館。作家さんの名を持ち、その作家さんの作品を展示する。なんで、この場所なのかは、その経歴を認めた文で知った。伊藤小坡は、猿田彦神社宮司の娘として生まれたというのだ。だから、同神社の境内なのか、隣接した位置と言っていいのか、どちらが適切かも判断できないんだけど、とにかく、この場所にあるわけが判った。展示室は2つ、1つ目の部屋は短冊に描かれた小さめの作品が主として展示されていたので、ある程度の大きさのある作品は、もう1つの部屋にあった。1つ目の部屋で、特に目に止まったのは「鶴ケ岡の舞」というお題で静御前の舞う姿を描いた作品。舞姿を描いた作品というのは、能を観るからか、身体全体が、如何に有機的に繋がり、バランスを保っているかが、まず気にかかるが、それが、お見事、万全と看ました。すると、動きが見えるわ、周りの空気も感じさせてくれるというものです。「バナナ」も良かった。伊藤小坡の生きてた時代って、バナナ、高価だったはずです。この作品を観て、そのこと思い出しました。同じバナナでも高級そうなものに観えてしまったのです。美人画という風情の「色紙十二ヶ月 八月 新月」「同 九月 新涼」は、純然たる美人画。それが、却って新鮮な印象を与えてました。2つ目の部屋は、わりかし物語や芝居に取材した作品が並んだ。この人、こういった分野を得意としたんだと、ちょっと持ってたイメージと異なると思ったほど、その分野の作品が並んでた。「制作の前」という作品が、どっちかというと、自分的なイメージだった。そういった中で、ぴか一と、自分的に思ったのは「秋好中宮図」。中宮の周りに紅葉が散りばめられている豪華さには驚かされた。「伊賀のつぼね」の透け透けの上衣、同様の上衣で見せるのが「幻想」、凄い技です。「山内一豊の妻」は、思わず、南海さんの顔が浮かんでしまった。お気に入りの馬を買いたい夫に手持ちの金子を差し出す妻の話が絵になっていた。でも、妻の表情は、自分のイメージとは違い、きりっとしすぎ。自分的イメージでは、もっと穏やかな表情だ。それで、金子を出すからかっこええエピソードになると思ってました。「常盤図」は冬景色で描いていた。これは、自分的には季節を感じてなかったエピソードだったので、「へぇ~」だった。こういった物語から取材したものが主だったので、「納涼図」「涼宵」といった作品が生活感のあるもので、目立っていたというのが、全体の印象でした。
 効率的に動けたおかげで、五十鈴川からは午後4時台の電車になるかと思っていたが、午後3時台の電車で帰路につけることになった。京都行の特急にも乗れたが、近鉄電車は、特急券が要るので諦めた。でも、この辺りの近鉄電車、特急中心ですね。だから、それに乗らなければ、1時間に1本のようです、京都に向かうには。結局、名古屋行き急行に乗り、伊勢中川で上本町行き急行に乗り換え、大和八木で、更に京都行き急行へ。時刻表検索では、乗り換え時間が短く出てこなかった急行に乗れ、時間短縮に貢献。午後6時半頃には最寄り駅に戻ることができました。


2024年 9月 3日(火)四日市から

 今日から、1泊2日のミニ旅行。初めて、往きに名神の高速バスを使う気になった。でも、これが大変なことになった。結果を書くと、70分遅れで、名古屋駅に着いた。原因は、瀬田と尾張一宮での工事だった。瀬田の方は10分程の遅れだったが、あと少しで名古屋というところで、一旦は、渋滞を抜けるには100分という表示が出ていたので、行動開始は12時になるかと思ったほどだった。最初の美術館は名古屋市美術館。スタートは、午前11時を少し回りたところ。こちらであった特別展「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」が狙いの美術館。コレクション展もあったので、午後1時半をメドに回ることにしたが、「北川民次展」は、3会場にまで渡る展示数、また、コレクション展も質が高く、一方で腰の不安もありで、かなりハ-ドなことになった。北川民次は、今まで幾つかの展覧会で遭遇し、メキシコものを描く作家というユニークさが気になっていた。ただ、今回初めて知ったことが、幾つかあった。藤田嗣治との交流は、メキシコでの出逢いから帰国後も続いた。その帰国ということは、知らなかった。ずっとメキシコ在住の人だと、勝手に決めていた。そういった作品しか、今まで観てこなかったのが原因だ。帰国は、1930年代という時期。メキシコで民衆の姿を描いていた身から、かなり反戦の意識を持っていたようだし、メキシコの前はアメリカで学んだ身には、勝つはずのない戦争との認識を持っていたようだと、解説文にはあった。が、戦争協力を促す作品提供を求められる。藤田嗣治は協力的姿勢を見せた(戦後、これを批判された藤田はフランスへ行っちゃう)ため、藤田嗣治とは疎遠になったという。こういった戦争に関わる作品が、メキシコ在住時の作品以上に、この展覧会では重きをなしていたように思う。そういった時期に、疎開先となったのが、妻の実家だった瀬戸。そして、戦後も、瀬戸に留まり、作家活動を続ける。かなり、地域へ貢献している。瀬戸の陶器作りに関わる職人さんや、その作業ぶりを描いている。戦後は、そのような活動とは別に、絵画制作を通じての教育(メキシコでの経験を活かす)、絵本制作もやってた。この辺の活動の記録としての作品展示が、後半。これが多かった。また、晩年には、公的施設の壁画制作にも下絵を提供している。思いがけない拡がりを持つ展覧会、その嬉しさがある一方、思いの外、メキシコもので、暗い色彩のものが多く、太陽のもと、明るいお国柄というテイスト、それが、この人の作風だと期待していた身には、ちょっと透かされた印象だけど、それは、自分が知らなかっただけということでもあるね。この人の作品を観ていて、今まで観ていたのとは違った印象を持ったことが1つあった。展覧会場に入って間もなくにあった「水浴」辺りで気になり出したのだが、だから、それまでにも同様の作品が続いていたのかもしれないが、ここで気になり出すと、その後に続く「メキシコ水浴の図」「アメリカ婦人よメキシコ女」もそうなので、同様の感覚が続いた。人物が描かれていると、やたら作家との距離が近いのだ。手が届きそうな位置にいるように描かれている作品ばかりと言っていいほどだった。メキシコものに、そういった感触の作品が多かったような気がするので、スジャックな人間関係なのかなぁなんて、勝手な想像を持ってしまっていた。そして、もう1つ、メモっておきたいのが、この人、シュールレアリスムに傾いたときもあったようで、セクション立てとして「幻想と象徴」というものも用意されていたのには驚かされた。そのコーナーに展示されていた作品群は、帰国後のものだったので、ひょっとすると、社会状況からして、写実を避けていたのかもしれません。傍の解説文を読むと、作品の読み解き方が認められており、そこには、反戦的な思いが隠れているといったことが書かれていたのも印象的だった。
 コレクション展は、幾つかのセクションに分かれていた。「①エコール・ド・パリ:画家と画商」「 ②メキシコ・ルネサンス:北川民次ゆかりの画家たち 」「③現代の美術:生誕100年記念 芥川(間所)紗織と1950年代 」「④郷土の美術:東海の画家と春陽会・独立美術協会」という分類だった。入口の小部屋にあったのが、芥川(間所)紗織作品。素材が何かと気になる、不思議な狐を描いたもの(古事記より)だったので、思わず近づいてみた。木綿地の作品だったので、狐に続き、2度目の驚き。次なる大部屋にも、全くテイストの異なる抽象作品があったり、知らない作家さんだったもので気になっていると、3度目の驚きは、更に強烈だった。この人、芥川也寸志と結婚と書かれてあったからだ。そういったカップルだったとは! 現代ア-トの作品が、大部屋の中央部を占め、両脇の仕切られたスペースに、①と②&④に分かれていた。①は、この美術館の誇る、19世紀の西洋絵画の大家の作品なんでしょう、黄紺も知る作家ばかりが並んだ。ユトリロ、スーチン、キスリング、モディリアーニ、マリー・ローランサン、バスキン、シャガールが並んでいた。キスリングの「マルセル・シャルダンの肖像」の頭部の描き方の異様さが強烈な印象。もう一つのスペースは、特別展関連と地方美術館のお楽しみとなっている地元の作家作品という構成。ホセ・クレメンテ・オロスコ、ダヴィッド・アルファロ・シケイロス、ディエゴ・リベラらの作品が前者、後者では、名前を聴いたことのあるのは、中川一政、三岸好太郎くらいだったなか、気になったとして、メモっているのは、木村荘八「リンゴ」のウルトラ写実性と、宮脇晴「橋」。橋の上に佇む人たちを描いた作品で、家族かなと思わせるものだが、日傘をさした女は反対方向を向き顔を見せていない。もう1人、気になる少女がいる。この娘だけが、他の人たちとは違った視線。他の人と同じ方角は見てるのだけど、視線は違う。だけど、橋上の人たちを、家族だと看てしまった不思議、なんか、余韻の残る作品だったからでしょうね。中央のスペースを使った③では、芥川作品以外にもおもしろいものがあった。石井茂雄「暴力シリーズ」から2点、「昔の聖者」がおもしろい。礫刑のイエスを思わせる男、その背後ににやけるマフィアっぽい男たち。とってもニヒルな感じ。アンゼルム・キーファー「シベリア王女」は巨大な作品、線路上から廃屋のような駅舎を表したもの。茫漠感漂う巨大作品、このお題は何なんでしょうね? こんな、わけが分からないけど、気になる作品があるというのが、現代アートの引き付けるところなのでしょうね。
 名古屋市美術館を出ると、地下鉄大須観音駅から赤池乗り換えで、豊田市へ。2度目となる豊田市美術館へ。いい建物だけど、美術館のある地形が、どうしても気になってしまいます。こちらでは、特別展「エッシャー 不思議のヒミツ」と、同時開催のコレクション展を観た。幸い、こちらの美術館は、閉館時間が午後5時半と、ありがたい。前回来たとき、こちらのコレクション展がおもしろかったもので、こちらにも時間を残したかったので、エッシャーにばかり集中するのだけは避けようの思いからスタート。俗に「騙し絵」と言われる作品群は、既に、何らかの機会に目にしているのも多く、そちらは確認程度に眺めることにして、自分的には知らない作品も、ある程度、パターンが判ってきていると、さほど時間をかけるることもなく観ることができたおかげで、コレクション展の方にも時間を割くことができたが、前回時ほどには、しびれなかったのも事実で、双方、観るのに、思いの外、時間をかけずに回ることができた。で、エッシャー展だが、エッシャーの全貌を取り上げていたのに、とても、好感を持った。この人、木版画から出発してました。北斎にインスパイアされたと見える作品(天地創造2日目)もあったりで、何よりも、作業が、細かなところまで行き届く作品群と看ました。それから、リトグラフが出てくると、そちらに移る。リトグラフの方が、より繊細なものを作ることができるものだから、それこそ、腕の見せ所とばかりに、細かな表現に磨きがかかった。そういった制作活動をしながら、取材目的もあったのでしょう、スペインに行き、メスキ-タのようなイスラ-ム建築に出逢い、幾何学模様に関心を持ったばかりか、模写を続けたそうだ。繰り返し、幾何学模様を連ねること(テセレーション)の模写、この作業で、騙し絵の技法を歩み出したということでした。だから、騙し絵が出て来る前が、後のエッシャーにとっては重要ということで、その時代の作品が展示されたのは、ありがたかった。そういった技を編み出せば、あとはアイデア勝負という印象。そして、そのアイデアが凄いというのが、エッシャーがエッシャーである由縁と看ました。「メタモルフォーゼⅡ」という作品など、超横長作品で、正に表題にある通り、変容を続けていくという力作。メビウスの輪を使った作品というのが、結構、モチーフに使われているのも特徴。全く知らなかった技に、リボンが巻きながら垂れている姿を描き、そのリボンに顔の部分を描くことで、そこに肉体も備わりつつ、変容していくというものがあったのには、驚いた。アイデアが半端じゃない。会場では、そういった「騙し絵」をアニメーション化して、その映像を、何ヶ所かで流すという工夫もしていました。やっぱ、エッシャーは人気者で、平日の夕方なのに、若い人も多かった展覧会だった。
 コレクション展は、前回に比べて、2階の展示室は半分に、3階もパーテーションの具合で、かなり展示空間が狭められていた。結果、時間を余して、鑑賞終了となった次第だった。冒頭に、草間彌生、猪熊弦一郎、李禹煥、井田照一といった大家の作品が並ぶも、難解。ダメダメ、全く、イマジネーションが働かず、何も思いつかず、感じずで通過するしかなかった。2階に下りる。狭くされていた部屋だが、入って一目瞭然、正面に、この美術館の売りのクリムトとエゴン・シーレの作品が掛かっている。クリムトは、前回と同じ「オイゲニア・プリマフェージの肖像」、エゴン・シーレは、前回、2点、油彩が展示されていたが、1917年制作だから、若い時の方「カール・グリュンヴァルトの肖像」が出ていた。この10年後の作品があったが、そちらは、もう最晩年となるから、どことなく病的な表情を見せていた記憶があるが、こちらは、そうとは思えないけど、ハスを向いた肖像と、そのアングルだけで、その後を予感させそうな雰囲気が漂う一品。そのサイドのウインドウには、多くはエッチングやリトグラフ、ドライポイントといった版画というタームで括れる作品が展示されていた。その中に、数点、エゴン・シーレものもあった。そんな作品も残してるんだと、エゴン・シーレ情報が増えるという有難い展示。クリムトの鉛筆画もあった。ムンクのリトグラフもというように、やはり、この美術館は、大家の作品を持っている。どうも、この部屋もスルー気味になったのだが、漆原木虫「木立」という作品に印をつけている。だけど、どういった作品だったかが思い出せない。リストを見ると「木版」となっている。20世紀に入っての木版というのが気になったため、印を付けたのかもしれない。ネットで調べてみると、当該の「木立」は出てこなかったが、他の作品の画像は幾つも出てきたので、テイストは判った。「新版画」の世代になりますね。そして、その技法をヨーロッパに伝えたとある。今回のプチ旅行で、日本画を最後の美術館でしか観てないものだから、気になって印を付けたのかもしれないが、おそらく、他の作品から判断して抒情性豊かな作品だったのだと思っています。これ以外で、このコレクション展でメモってるのが、作家の名前だけ。知ってる人出てるぞ、だけど、さっぱりイマジネーションが働かないぞと言わんばかりに、名前だけしか、メモってないのでしょう。草間彌生に関しては「水玉でない」と書いてはいます。それと、2点出ていたルーチョ・フォンターの作品に「アールブリュットみたい」とメモを残している。でも、書いたときの記憶がある。「アールブリュット作品に看られる作為性のなさのようなものを感じさせない」というのが、その記憶。「それ考えると、具体は凄いよな」とも思ったのを思い出していた。その具体に、三重で、1点、遭遇することになります。
 豊田市美術館を出たのは、午後5時10分程前、まさか、5時前に出ることになるとは思ってなかったが、それで十分だった。今度は、豊田市駅ではなく、上拳母駅へ。この三河線だけが、まだ、運転制限のままだったが、名鉄の運行状況をネットで見ると、ひどくはないと判断、来るときとは違う方法で、名古屋駅に戻りたかったので、こちらを採った。知立乗り換え以後は立ったままだろうと思ってたら、座れた。これは有難かった。そして、名古屋駅乗り換えで、こちら方面から初となる近鉄電車で四日市へ。長い一日が終わりました。もう午後7時を回ってホテルへチェックイン。ホテル近くのコンビニで夕飯を調達。晩酌をしながら食べたら、呆気なく寝落ちをしておりました。


2024年 9月 2日(月)午後 8時 28分

 明日から予定していたプチ旅行を実行に移すことにした。東海地方の天候、交通事情を調べた。天気はいいが、この間の雨で地盤が弱ってるということで、電車に遅延・運休が残っていた。でも、影響を最小限に食い止める路線を使えば、被害は小さく済みそうだと判断。それと、1日経過すると、大丈夫かもとの希望的観測も入れて考えた。判断を急いだのは、往きを高速バスを使おうと思い、今から押さえることができるかと確かめたところ、「残席4」となってたので、先延ばしにして、交通事情を再確認ということが無理と判断、今回のスケジュールは、かなり移動がハードだということもあり、それだけで躊躇する要素があったため、そもそも行く気になるかも、今日まで引き延ばしていた。行くことは大丈夫だろう、次に行こうという気持ちになってるか、そのモチベーションは、韓国へ行ってから、ずっと京都にいる、もう2ヶ月、大人しくしてたと思うと、その気になった。そこで、まずは、バスを押さえた。次に宿をどこで取るかで迷った。名古屋駅前でか、四日市駅前でか、迷った。名古屋なら、宿を押さえたことのない駅前を考えてたので、ここで手頃な宿がなければ、名古屋はなしとして臨んでいた。一旦は、移動時間を、程よい時間でばら撒くには、名古屋駅前がベストと考えて探したが、気に入ったところが出てこなかった。そこで、知らない町、初めての町で四日市にした。桑名も考えたけど、こちらも、手頃な宿がなかった。2日目は三重県内を巡るのだけど、これも迷いに迷った。三重県の主要都市から京都市内への移動って、めっちゃ面倒だから、効率的な行き方を考えた。最後は、ポイントの滞在時間の比較まですることで判断した。そんなで、明日明後日のミニ旅行、狙い通り行くのだろうか、結構な不安要素を抱えながらの出発です。いや、一番心配なのは、調子の良くないスマホの機嫌かもしれない。万が一のため、新たな情報を含め、ペーパーにして行くことの大事さを噛みしめています。


2024年 9月 2日(月)午前 8時 10分

 昨日は、お昼ご飯を、息子家族と一緒にした日。朝からは「日曜美術館」の新作が流れたので、それが終わってから出かけられるように、皆と会う時間を設定してのお出かけ。ピザを食べたいというと、手頃な店がないので、結局、サングリアに行くことになった。子どもたちはスパゲッティ、息子はサイコロステーキ、ママはドリアをメーンに注文して、あとは色々追加で、ビールを昼から呑んだ。いい時間。小さい頃は動き回り、大丈夫かと思ったDは、すっかりお兄ちゃんになり、落ち着いたけど、Sは、もう喋り過ぎ。ほたえることに生きがいを見出している年頃。だけど、これ、見てるの、めっちゃ、おもろい。食後は、近くのカフェでデザートがてら、お喋り。Dは誕生日が近づいているので、そのプレゼントを考えた結果、京都周回ツアーを希望。プレゼントは、「別にものではなくって、ご飯を食べに連れて行ってもらうなんてのもありやで」と言うと、こんなこと考え出した。やっぱ、Sはイマジネーションが豊かだ。電車に乗りたいが一番で、そんなこと考え出した。グーグルマップで、京都府の地図を見せて、広いということを教えたら、「海の方へ行こう」なんて言い出した。電車のアプリを使って、舞鶴、宮津辺りへ行くのに、とっても時間がかかるのを見せても「行く」と言うので、1日丸々空ける約束をして、後日、ルートを調べて送る約束をした。その日は、ずっと、2人で喋ってるやろな。で、今日の共通の話題は、やっぱ、タイ旅行のお話。結局、パタヤ、アユタヤと、行こうとしていたところは、全部、行けたそうだ。替りに、子どもたちの疲労があったので、バンコク市内で、チャオプラヤ川の船に乗ってのお寺ツアーはできなかったそうだ。おいおい、それ、初めて行く者にはメーンとなるとこちゃうかと思ったけど、また、行けるわね、それは、いつでも。寝仏を観てないなと思うと、アユタヤで観てた。アユタヤは、鉄道駅前で、トゥクトゥクをチャーターしたと言ってたかな、それは効率的だ、4人家族、子ども連れなら、グッジョブだ。おかげで、街中だけではなく、郊外の遺跡も観てきたようだ。替りに、駅から街中へ入るときの渡河は、トゥクトゥクでクリアしたみたい。渡しの有無、これ、知りたかったのに。Dは写真好き、以前、プレゼントしたカメラで、写真を、いっぱい撮ってきた。パタヤでは、ソンテウに乗ったそうだ。ソンテウという言葉は覚えてなかったけれど、「トラックの荷台に乗るやつ」と言ったら、すぐに判った。そして、行く前に教えた2つのタイ語を使ったそうだ。「トップンカープ」「アロイアロイ」だ。ええ経験してきてる。Sまで使ってたというから、恐るべし、子どもたち! 冬休みは鹿児島へ行くそうだ。いいね。随分と喋り、帰宅。昼間からアルコールが入っていたので、あっさりとダウン。気がつくと、午後6時を回っていた。爆睡だ。
 後先になるけど、今日の「日曜美術館」をメモっておく。「終わらない記憶の冒険 田名網敬一」というお題で、8月に入ってから亡くなった田名網敬一を取り上げた。名前だけは、どこかで目にした程度だったので、自分的には、新たな出会いと言っていい新作だった。番組は、亡くなる直前まで関わった、自身の回顧展(現在開催中、国立新美術館)へ向けての制作の様子、展覧会の企画の様子を追いかけつつ、そのキャリアを振り返るという構成だったが、その合間に、MCの2人(with山下裕二)が国立新美術館を観て回るだけではなく、ゲスト(篠原有司男、磯村勇斗、朝吹真理子、池上裕子)も、別途、同じ会場で撮影したインタビューを流してた。取り上げられた作品をメモっておく。①百橋図(新作、北斎にインスパイアされたもの、赤い太鼓橋〈雅叙園で見た橋がモチーフになっている〉が変容、100以上のモチーフ〈若冲の鶏、アメリカのコミックのヒーローなど〉、コラージュ〈自分で描いたものだけではなく、印刷物も使う、下絵もなく貼り付けられる、記憶の断片を繋いだもので本人は‶編集的絵画‶と呼ぶ〉、アシスタントに任せず自分だけで制作)②Order made(女性誌のアートディレクションをしていて知ったポップアートに注目、シルクスクリーン、アンディ・ウォーホールに刺激を受ける)③アルチンボルドの迷宮(立体ドローイング)④ピカソの模写(2020年~ コロナ禍で600枚/4年描いた、コロナ禍明けも続く、オリジナルのものを組み合わせる、新たに入れる、色を変える、藤田嗣治が使ったという面相筆を使う)⑤死と再生のドラマ(幼少期の記憶として戦争がある、1936年生、新潟に疎開、そこで終戦、焦土の目黒〈青い空、赤い土、鶏の赤いとさか=火〉がモチーフになっている)⑤***(アメリカ映画をモチーフ)⑥Comic Strip(コミックのスターのコラージュ、何かに支配されているようなポーズをとるスーパーマン)⑦DO NOT BOMB(映像作品、絵画に出てくるモチーフが動く、スクリーンの上の天井にB29〈丸っぽい、子どもの見た飛行機を表現、人生通じて離れなかったもの〉)。戦禍の状態を目の当たりにして、それが、一生、眼の底に焼き付いているといったことも、インタビューで語っていた。それが、常に表現の根底にあるといった構成になってたと思えた。


2024年 8月 31日(土)午後 8時 17分

 かなり台風のことで、この1週間は大変だった。週明けくらいには来てた、いや、もっと前に来る予報だったのが、遅れに遅れた。かなり強烈な台風だとの前触れだった。確かに、上陸しそうというときはそうだったかもしれないけど、いざ、来てみると、ちょっとした雨降りが続いただけだった。今回は、台風の暴風圏とは別に、その影響だろうけど、全然、別の場所に大雨が降った。台風が九州に上陸かという位置にあるのに、静岡県から関東に大雨が来た。どうも、東京界隈に、そういった被害が出ると、全国、どこでも同じもの扱いされてしまうようで、今後の進路にあたる近畿圏では動かないような印象を与えるような情報が流れた。だが、その間、近畿圏は台風の影響が、ほとんどなかった。九州と関東で大雨でも、その間の近畿圏は、雨雲レーダーを見ても、雨が降ってなく、すっぽりと空洞化していた。計画運行で鉄道は止める話をするわで、どんどんと危機が作られていく。実際、今日、午前中に3時間ほど、やや強めの雨が降った程度で、今まで台風で経験したのとは、格段におとなしかった。やや多めの雨が降っているという感じ、風はなし。京都府北部の一部で警報が出てたようだが、南部は関係なし。だと、今日の予定表に入れてたこと、実行できるのではないかと思い出した。予定表には、午前中に嵐山文華館に行き、午後は、アスニー京都で市民向け公開講演会に行くことになってた。美術館は、チケットは買ってあるが、今日でなくてもよい、また、講演会も飛び込みで行けるというものだったので、行かなくてはいけない日というのではなかったが、行けるのだったら行きたかった。早速、HPを調べると、嵐山文華館の方は、閉めるのだとお知らせするといった感じの書き込みがあるが、それを書いたあと、何にも書かれてないということは、開けていると看た。アスニー京都は、「警報」が基準になってた。時間により、細かな規定を書いてたけど、要するに「警報」が出ればの話で、出てなければ、予定通りということだった。こちらも、ある。どうしようか、考えた。予定通り出るつもりで、アラームもセットした。が、そのアラームが鳴る時間というのが、強めの雨が降ってきて、いよいよ台風だとの感触が出てきた頃合いだった。でも、雨雲レーダーを見ると、そんなに強そうじゃないし、長続きもしそうでない。若干、躊躇したが、今回は、台風に敬意を表して、午前中は見送ることにした。そして、自宅で昼食を摂り、出かけることにした。外は雨だったが、アスニー京都の最寄駅に到着前に、雨は止んでいた。西の空では青空すら見えていた。台風一過の姿はこんなで、あっさりと京都の台風は終わった。
 とここまで書いて、何気に、Yahooの天気情報を見て、唖然、愕然、、、声を失った。それを見た時点で、台風は、紀伊半島沖にいたが、その後の進路だ。真上に向かってた。ということは、近畿圏直撃だ。そのまま日本海へ抜けるようなコースになってた。そして、近畿圏を全て覆いつくすのが月曜日の昼間、あれ? 近畿圏に停滞するというのは、こういうことだったのか、声を失った。それだと、火曜日から行こうか、まだ迷ってる部分もあるが、一応、計画しているプチ旅行、台風で潰れ?かもしれない。自分の意志以外で起こるというのは許せない。今日の昼間、息子とメールのやり取りをしていて、明日の午後、DとSを連れ出そうとしたときの反応がおかしかったのは、これだった。ここで、ようやく、台風の様子を把握できたってことだよね。ただ、温帯低気圧にはなるようなので、むっちゃえぐいことにはならないようだけど、台風の残り香だと思うと、それだけでプレッシャーがかかってくるね。
 そんなことも知らず、台風一過だと思い行った講演会、今日は「京都学講座」の日。「京都市内の祭礼行列にみる鼓笛隊」というお題で、京都市文化財保護課文化財保護技師(民俗文化財担当)の今中崇文さんのお話を聴くことができた。「祭礼行列の鼓笛隊」と聴けば、すぐに思いつくのが時代祭の鼓笛隊。京都の鼓笛隊一覧に、確かに、それが入っていたから、イメージとしては間違いない。そういった鼓笛隊が、京都にどれだけあるか、それを映像に収集されている。それらの紹介とともに、先行研究(こんながあるのが凄い! 世の中は広い、しかも、その1つは音楽畑の研究者!)で判ってることを紹介するというもの。そう言えば、伏見では藤森祭でもあったような気がした。とにかく、源は、京北町の維新勤皇山国隊のようだ。この地の農民が、維新のときに、新政府軍の支援に動いたそうで、実際に従軍したのか、農民だたっということで、後方支援だったのか、よくは判らないようなのだが、その人たちが地元に戻ってきた際、西洋式の従軍の様子を再現して、その行動を顕彰しようとしたのが始まりだったようだ。だけど、実際に動いた人の加齢で、その行事が続きにくくなりかけた頃に、時代祭が企画され、それへの参加を求められた(時代祭・維新勤王隊)ことから、鼓笛隊が続くことになったそうだ。熊野神社や壬生の元祇園梛神社の鼓笛隊は、その時代祭の鼓笛隊を見て、遷宮のときなどのイベントとして取り入れたのが、今、それらの神社で残ってるものじゃないかと考えられるそうだ。それに対し、藤森神社のそれは昭和も30年代になって始まってる。晴明神社、西院春日神社のそれも、同様だ。これは、他の都市でも看られるそうで、今後の探求の課題だと言われていた。視野を全国に広げると、北海道神宮や岡山の宗忠神社の鼓笛隊は京都の時代祭から学んだものというものもあれば、山形県の天童や上山などのそれは、維新時の追憶に係るものとの想像が働き、人吉藩鼓笛隊は薩摩の影響が考えられたりと、ここでも維新、その後の西南の役に繋がることを想像させると言われていた。まだまだ、全国に残る鼓笛隊を総括するところまでは行っていない報告でした。だから、かなり物足りなさが残ったな。もうそっと、まとまってからの報告をお願いしたものですね。なかには、観光目的のようなものもあるような気がしたり、地域起こし的なイベント作りから生まれたようなものもないではなかったな。京北町の鼓笛隊カラーでだけ分析するのは危ないなという印象も持ってしまったお話でした。


2024年 8月 30日(金)午後 8時 32分

 今日も、台風は来なかった。九州に上陸して、四国に再上陸して、のろのろと進んでいる。だと、勢力、かなり下がってるはずと思うが、今夜から明日にかけて、ようやく近畿圏にも近づいて来るようだ。さっさと通り抜けてくれればいいのだが、こんなにのろい台風もあるんだね。朝起きたときは、午後になるとやばくなると、勝手に判断していて、早々に洗濯をしておかないと、土日ができないとなると困ると急いだが、それも取り越し苦労にしかならなかった。全く、普通の暑い夏の一日だった。
 今日は、当初から予定なしの日だった。土日が台風でダメだから、今の内に、どこかへ行こうかとも考えたが、午後からやばくなると、勝手に思ってたから、そういうこともせず、丸一日、定番の日に2回のウォーキング時以外は外出もせず、おとなしく暮らす日となった。ただ、夕方のウォーキングに出かける際、スマホを見ると、昔の同僚から電話が入っていたことに気づいたため、こちらから電話を入れ、長話をしてしまい、それで、ウォーキングを短縮することになってしまい、帰宅後、万歩計を見ると14900歩弱だった。ま、偶然だから、仕方ありません。で、電話で、今度、京都文化博物館のアーカイブで上映される映画を、一緒に観に行くことで、話がまとまった。午後の一時は、最近、よくお世話になる美術系Youtuberの動画を観ていたら、いつしか寝落ち。結構な間、寝ていたので、気を変えようと、ベッドに寝転んで、スマホでRadikoを聴くことにした。KBS京都の「米団治日和」に、沖澤のどかが出てると知ったから。この2人、以前、一緒に仕事をした間柄。へぇ~だった。オーケストラ・アンサンブル金沢の仕事だったようだ。まだまだ、沖澤のどかが、裏方の仕事をしていたときだそうだ。そして、1つ、情報をもらった。京都市響の定演で、沖澤のどかの振る予定がキャンセルになり、代演が立つ予定ということを、先日のマーラーを聴きに行ったときに知ったのだが、そのわけが判明。出産を控えているようだ。それでも、指揮台には立たないで、京都入りしたということですね、この番組で出たということは。出産明けで、京都市響の定演に出るには、来年の3月、藤倉大の作品と、「英雄の生涯」を振ると言っていた。これは、マークしていたコンサートです。トークの合間に、就任記念コンサートで振ったブラームスの3番の一部が流れた。生で聞いたが、この放送で聴いた方が良かったと思った。ここまで、しんみりと沁みる豊かな響きだったとは、、、。これ聴いて、俄然、「英雄の生涯」、楽しみになってきたぞ。それと、中之島美術館の秋の展覧会2つの前売りチケットを買ったことくらいだな、今日したことというのは。


2024年 8月 29日(木)午後 7時 53分

 台風が近づいては来ているが、まだ、暴風雨圏内には入っていない。でも、台風の影響なんでしょう、いろんなところを刺激しているみたいで、昨夜からは雨。朝、ミニウォーキングに出かけたら、突然の激しい雨に遭った。でも、長続きはしない。おかげで、一旦は無理と思った市民向け公開講演会に行けた。でも、帰りは、さすがに雨だろうと思ったが、僅かな小雨に遭った程度で、まさか、できるとは思ってなかったウォーキングを兼ねた徒歩移動ができた。気温も下がり気味。昨夜は、窓を閉めることになった。外出から帰ってきたときは、汗をかいていたこともあり、エアコンをつけたが、長くつけていると寒くなってきて、止めた。窓さえ開けてれば、過ごしやすい。こんなの久しぶりだ。予報を見ると、やはり土日だ。そして、ほとんど動かないという予報。長く、暴風雨に晒されるということのようだ。土曜日までの食糧は確保してあるが、もう1日分、足さねばならないね。
 市民向け公開講演会は、同志社大学の公開講座。毎年、行われているものだが、これ、田辺キャンパスで行われるから、こういった天気では躊躇われてしまう。往きは、近鉄興戸駅から歩き、帰りは、ウォーキングを兼ねて、新田辺駅まで歩くのが定番だけど、先に書いたように、まさか新田辺駅まで歩けるとは思ってなかったができた。そんなで、夕方、万歩計を見ると13700歩余だった。これは、こういった日にしては優秀だ。今年度の講座は「過去を見る眼」と何でもできるようにしてある。冒頭、そういった説明がされた。ここの講座は、担当されている方が考古学を専門にされていることから、考古学にシフトしたプログラムが組まれるのが特徴だ。偏りすぎとも思うが、そういった特徴は大事にしたいと思うようになっていたが、去年辺りから、それ以外のお題が設定されるようになった。今年度は、冬季の3回がそれに当たり、夏季の分は考古学だ。今日は、講師の方を長野から呼んでおられたので、開催が懸念されたが、朝、HPで確認すると実施となっていた。「京都まで来て長野まで帰れる」を確認した上での開催だとのお話もあった。そのお題は「縄文玉の系譜」で、川崎保(長野県埋蔵文化財センター調査部長)さんのお話を聴くことができたのだけど、この会場、マイクの使い方が悪かったり、籠った話し方、早口、これが禁物。1年に1回は、それで泣かされている。今日がそれだった。マイクを服に引っ掛けられるのを、若干、上にさえしてくれば、そして、もう少しゆっくりと喋ってもらいさえすれば、黄紺の耳にも大丈夫だったのだけど、きつかった。となると、レジュメや、スクリーンに映される画像、更に、雰囲気で、何とかとらまえようとする。聴き取れる単語も、いい糸口だけど、一方では、こういったときは、根気との勝負になり、往々にして睡魔に負ける。今日も、結局はそうだった。とにかく、記憶に残ってることだけでも、せめてメモっておこう。「玉」は「ぎょく」「たま」という二様の読み方ができるが、前者の場合は、材質重視で、磨くと輝きのあるもので、後者は、丸いという形状を意味する。従って、ここで、まず取り上げられたのは「ぎょく」の方。それが、次第に「たま」化するようなことを言われていた。「玉」の製品として「玦状耳飾」がよく出てくる。形状は「5円玉」のようになっており、輪っかが細く切られている。これは、糸状のもので切ったもの。その目的は聴き取れていない。また、装身具セットの一つとして玦状耳飾が出てくるケースもある。他の装身具には、形状が釣りに使うルアーの幅が太いもの細いもの、そういったものがあった。使用目的、なぜ、それが装身具と看られているのかなど、細部は不明。玦状耳飾は、北海道を含み、各地で出土している。中国や朝鮮、ロシアの沿海部でも出ているので、極東地域で重用されたことが判るが、その起源、伝搬といった問題は解決できていない。「勾玉」は、この玦状耳飾が割れて2つになったものが起源だろう。それを磨いたり、形状に加工が施されて、知られた形状になったのだろう。「アカホヤ火山灰(鬼界カルデラの噴火で生成/「ブラタモリ」でやってた!)」の降下(7500年前)で、人々の生活、社会の構造なんかが、大きく変わったという話をされていたが、これと、こういった「玉」の出現とも関係があるようなことを言われていたように記憶する。その時期に「階層化」が進んだことが、「副葬品を持つ墓の出現」で想定できるということも話されていたので、そういった新たな社会と関係があるのかもしれない。思いがけないところで、鬼界カルデラの噴火話が出てきた、びっくり! 灰は九州だけではなく、日本列島全土に及んだと言われていました。こういった縄文時代の階層性を伺える一方で、職能による差異が出てきていた可能性もあるとのことだった。弥生時代のような階層性とは違う、要するに農耕社会の大きな変化に伴う階層性とは違う、持つ者と持たざる者の区別が出てきていることを指摘されていた。なるほど、こういった話に展開すると、めっちゃ大事な問題ですね。奥深いテーマだけど、細かなこと、ほぼスルーしてしまってます。


2024年 8月 29日(木)午前 6時 52分

 昨日は、夕方に市民向け公開講演会に行った日。夜半からの雨までは、台風の影響は、まだ出てなかったようだ。若干、気温が、この間のことを考えると、低めだ。そんなだから、昼過ぎまで、お出かけなしのパターンで動き、昼前のウォーキングも、ここしばらくお出かけが多いものだから、行けてなかったコースを採ることにした。そして、午後のウォーキングは、講演会の往復を充てた。夕方、万歩計を見ると16500歩余は、ごく普通ってこと。お出かけ前の一時は、Youtubeで美術系動画を視聴していたら、いつの間にか寝落ちをしていたので、講演会もやばいかなと思っていたら、昨日は大丈夫だった。そんな日もあるってことです。
 講演会は、花園大学主催のもの。月1で行われている。先月は、テーマが自分に合わないと思い、お休みしたので、2ヶ月ぶりとなった。昨日のお題は「平安時代の貴族社会~貴族の日記を読む~」というもので、中町美香子(同大学文学部日本史学科准教授)さんのお話を聴くことができた。お題を見ただけでは、大河便乗ものと看ていたのだけど、それは先入観もいいところ。文学や社会史的なものではなく、「日記」そのものを扱う、中身は、日記の特徴を把握するための例示としてだけ使われるというもの。史料価値としての日記と言えばいいかな、扱われた対象は。従って、とっても地味な内容だったけど、大河や、その関連企画で知った「小右記」「権記」「御堂関白記」などの平安時代の日記とは、どういったものかが、しっかりと判りました。一言でいえば、私事ではなく、公事を書き残すもの。しきたり社会、前例が大事な社会、それを書き留めていく。基本は、いついっかに何をしたかを記す。誰かがミスをすれば、それも書き記す。それは、同じミスを犯すことを恐れるための重要なことという認識で記す。あくまでも、しきたりが大事だという認識。だから、書き始めるのは公の職に就き、そして、亡くなるか、リタイアするとき、即ち、出家をすると書くのを終える。そして、書く用紙は、「具注暦」という暦が多い。というのも、その暦には日付が、既に記されているので、その余白に書き込めば、日々の記録を取りやすいということだったようだ。だから、国宝の「御堂関白記」も、これだ。さすがに、びっくりした。権勢を誇る関白が、今でいうカレンダーの余白を使い、日記を認めていたとは! 目的は明白なので、後々、使い勝手がいいように、今で言うインデックスに相当する「首書(首付)」や、目録を作ったりしている。抄出本も作ることもある。必要な部分を切り取り、編集しなおす「部類」という手も使っている。そうしたものを残しておくと、将来、お家の者が重用される、家の繁栄に繋がるとの認識なのだ。貴族が、生き抜くための手段ですね、日記というのは。確かに地味な内容だったけど、平安時代の一つの姿が浮かび上がってくるお話、とっても興味深く聴かせていただけた。昨日は、大当たりの日でした。


2024年 8月 27日(火)午後 8時 21分

 台風が近づいているからと、食糧調達まで考えたけど、台風予報が迷走。水曜日は、台風でお出かけはダメだろうと踏んでたが、台風が来るのは、この週末らしい。ということで、水木と行く予定にしていた市民向け公開講演会は、大丈夫なみたいで、土日の方に予定していた市民向け公開講演会がダメになる模様。と考えてみると、今週は、えらく市民向け公開講演会がある。秋がシーズンなんだけど、早くも、それが始まっているという感じ。今日も、午後に、歴彩館であった市民向け公開講演会に行った。ところがだ、いつものように、帰路は三条までウォーキングがてら徒歩移動をしている途中に、惨劇が起きた。歴彩館を出るとき、時間と天気をチェックすると、「左京区に雨、警戒」が出てたが、ちょっと気にしながら歩き出した。途中、逃げる場所はある。河原町通にはバスが走ってる。出町柳駅で京阪にも逃げられる。だから、様子を伺いながら歩けばいいと考えていた。この判断は間違っていなかった。だが、出町柳までは問題なく進んだ。雲行きが怪しいけど、西の空を見ると、太陽が出ている。東山辺りは雲があっても、山際は青空が見えている。これだと三条まで行ける、そして、河原に下りた。ここの2つの判断と行動が間違った。府立病院裏で雨が降り出した。いきなりの激しい雨だった。河原に下りていたため、木立の下に隠れるしかなかったが、雨が激しすぎて、最初は大丈夫だった木の下も危なくなり、より大きな木立に動こうとしたが、雨脚が、更に上回った。となると、激しい雨の中を、川端通に上がり、更に反対側歩道に渡り、軒先の出ている建物へ避難しなければならなかったが、歩道添の植え込みから出られず、出町柳方向に逃げて、かなり駅近くまで来て、ようやく反対側に移れたが、もうびしゃびしゃだった。雨脚は、凄まじかった。かなり待ち、僅かに雨脚が鈍ったかと思ったときに、駅に避難したが、鈍ったのは瞬間だったので、どうしようもないほど濡れた。こんなこと、いつ以来だろう? なんで、出町柳駅を通り過ごしたのか、なんで、河原に下りたのか、あほもええとこ。電車のクーラーで身体は冷え切り、帰宅後は、しばらくは空調要らず。むしろ、気温の高さで、身体を温めていました。それにつけても、凄い雨だった。
 歴彩館での講演会は、「京都を学ぶセミナー【丹後編】」の第4回目で、「丹後の荘園と京都の寺院ー平安院政期から室町期へー」というお題で、山田徹(同志社大学文学部准教授)さんのお話を聴くことができた。丹後地方は、この時代の荘園に関する史料が、よく残っているそうで、序盤では、その史料紹介的なお話があったようで、ようでと書いたのは、ここで、早々の居眠り。暑いなか出かけて、到着して、いい感じの空調のもと、ぐったりとするパターンだった。始まる前からヤバいと感じてたから、これは仕方ないかも。その後、史料に出てくる大荘園の紹介、それに加えて荘園主の紹介が続いた。現地にまで赴いて撮ってこられた写真も見せてもらえたが、そうなのとしか言えないな、これ。後者として出てきたのが、摂関家(法成寺)、宝荘巌院(鳥羽上皇の御願寺、後に東寺の荘園となったので、関係資料が東寺百合文書に残っている)、八条院瞕子(鳥羽天皇と美福門院の娘)、常在光寺、実相院、西大寺、醍醐三宝院、安国寺。都の位置する荘園主、それらの位置を捉えていくという流れの繰り返しで、列挙されるだけのお話だったと言えばいいかな。一応まとめとしては、平安時代は、摂関家や天皇家といったところの荘園があり、中世的な支配体制を支えていた。それが丹後にあったということなんですね。室町時代になると、そういった所領の地頭職が、足利政権の関係者に付与していき、新たな支配構造を下支えしていくというもので、主が替わっても、荘園制が、その統治を支えていくということが判ったということで、それって、トップとそれにまとわりつく連中が替わっただけで、支配構造は維持されていくということで、それで、何か新たな発見があったようには思えなかった。日本史に疎いものだから、勝手なこと書いてるけど、そういうことなんだと思うと、端から判ってることじゃないのと思ってしまった。そんなで、つまらなかったのです。


2024年 8月 26日(月)午後 8時 26分

 台風が近づいているそうだ。関東の方に向かうのだと思ってたら、若干、方向が変わり、列島を縦断するという予想が出ている。明日あたり、食糧の買い足しをしておかないとと思い始めている。洗濯日も考えておかないと、困ったことになる。それは、たまたま、今日が洗濯日になったので、気が付いたこと。木曜日が、一番やばそうなことになると、予報では出ている。その日は、とてもじゃないけど行けそうもない場所で、市民向け公開講演会の予約を入れてある。無理だろうな。
 そんなことを思いつつ、今日は、お出かけなしの月曜日。朝から洗濯をして、あとは定番の日に2回のウォーキング時だけが外出時間で、午後の一時を楽しんで、夜は、米朝事務所のYoutube配信を観てというはずだった。ところが、午後の一時が吹っ飛んでしまった。まずは、来週に予定しているプチ旅行の資料を、ペーパーにしておこうと準備をした。相変わらず、地方美術館巡りを旨とした旅行なんだけど、その中の某美術館の資料を開けて、愕然。その美術館、週休2日だった。その内の1日に行くことにしていたため、真っ青。でも、落ち着いて考えると、これって、資料準備をし出した最初の頃、気が付いていて、それを考えて、旅行日を設定していたのだけど、その日取りを、2回、変えた。そんなことをしている内に、大事な休館日を忘れてしまったのだ。困った。日にちをずらせないことは、予定表を開ければ、あっさりと判った。中止にするか、1日目と2日目を入れ替えるかのどっちかだった。せっかく楽しみにしていたJR在来線の乗り継ぎが、パーになってしまった衝撃があり、止めようと弱気になってしまった。でも、頑張って、一応、タイムスケジュールを立ててみた。今回は、移動が、かなり厄介なので、これが憂鬱。宿泊地を変える案も採用。幸い、台風を想定して、直前予約のつもりだったので、宿を押さえてなかったことはラッキーだった。問題のJR在来線乗り継ぎを、往きではなく帰りにも使えることが判明。但し、美術館での滞在時間に枠がかかってしまうが、それを優先させると、望みは叶う。最悪、他のルートもあるので、JRに拘らなければいいということで、フレキシブルに対応しないといけないということを、肝に銘じておこう。そんなで、あとは、往きのバスが取れなくて気持ちが萎えないことが大事だね。やっぱ、交通の切符も、直前に買おうとしているので、これが心配材料になっている。そんなことをしていたら、呆気なく、午後の一時は終了、なんてこった、です。


2024年 8月 26日(月)午前 6時 24分

 久しぶりに「日曜美術館」の新作が流れた日曜日の朝。昨日も午後に市民向け公開講演会に行くことになっていたので、朝のウォーキングはミニで実施。午後は、その講演会の往復プラスαでウォーキングに充てようとしていたら、何気に見たスマホの雨雲レーダーで、雨が近づいていることを察知。また、雨量が多そうだから、とんでもないことになりかねないと、真っすぐに帰宅。自宅20m前で雨が降り出した。瞬く間に、とんでもない降りに変わった。だから、真っすぐに帰宅という選択が大正解。替りに、ウォーキングの量は明らかに少ない。万歩計を見ると9800歩弱だから、えらく少ないけど、傘さしウォーキングすら、全く考えられない降りに、仕方ありません。
 「日曜美術館」の新作は「美術家・内藤礼 地上に生きる祝福」というお題で、今、東京国立博物館で行われている展覧会「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」に足を運んでの、全編ロケでの番組となった。内藤礼、知らなかった。生存中のアーティストの個展は珍しいと言われる東京国立博物館。その建物を使い、そこから入る光の時間の経緯を体感させ、生きていることの実感、それを肯定していこうというメッセージ(「祝福」というタームを使うようだ)を込めたインスタレーションが展開されたというものだ。個々の作品をメモるのは困難なので、その特徴らしきものをメモることにする。「東京国立博物館所蔵品を使い、縄文時代の遺物を使うことになったが、それらを展示、他の小物(ビーズ、絵画など)とコラボさせている、キュレーターさんに‶作為のないもの‶を求めていたという、結果、子どもの足型やイノシシの骨、鹿の骨などが選ばれていた」「戦後開けられたことはなかったろうと言われる展示室の窓を開け、自然光を入れる、縄文時代の遺物を、それが使われていたときの光に当てる」「MCの2人だけではなく、ゲストを異なった時間に展示室に入ってもらい感想を聴いていた、ゲストは次の通り、、、小池一子(内藤礼の展覧会のプロデュース経験を持つ)、西沢立衛(豊島美術館を作った建築家)、三本松倫代(神奈川県立近代美術館学芸員)、畠山直哉(写真家)、若松英輔(文芸評論家・随筆家)」「1991年に小池プロデュースの‶地上にひとつの場所‶を発表、女性の体内を連想させる閉鎖空間に時間制限で1人ずつ入れていくというインスタレーションで注目される」「直島にある作品‶このことを‶、ここも15分間1人だけで入る空間」「豊島美術館、、、内藤だけの作品を展示、内には何もない空間、でも、開いた天井からは自然光が入る、それが時間とともに変化を見せる、そこからは雨、雪、虫なども入ってくる、時間により違う世界を見せてくれる(自然の要素だけで)それを、坂本美雨は贅沢な時間、そんな毎日を生きていることを実感させるものがあると言っていた」「若松さんが言ってたこと、、、自分と向き合うのには時間がいる、存在していることがかけがえないことを感じさせる、光があることが凄いこと、祝福されていることを思い出せ」。この番組を観ていて、「川内倫子写真展」を思い出していた。彼女の展覧会では、「今、自分の生きている世界を見せてもらってる」と思ったが、そう思ったのは、最後のスペースに来たときだった。それを思い出した。「気づくのに時間がかかる」ってこと、それだ、それを示してくれてるように思えた。
 市民向け公開講演会は「第14回華頂公開講座」、今年度2回目となった。昨日は、「藤原道長がめざした世界―願文を読む」というお題で、工藤美和子(華頂短期大学総合文化学科教授)さんがお話された。これが思いがけない内容だった。王朝絵巻のような平安貴族の生活や政治、そういったものだろうと思ってたが、それは、お題に書かれている「願文」というものを、全く解ってなかったから。仏に「願い」をかける、それを認めた「文」だから「願文」。昨日のお話は、道長に重点というよりか、平安仏教に重点が置かれていたものだった。冒頭、「願文」とは何ぞやがあり判った次第だったが、それとともに、これを取り上げるわけのようなもの、また、そのスタンスをお話しされたが、これが、なかなかいい。こういったことから話される研究者って期待してしまいます。「願文」とは、仏教法会に際して、自己と他者(ここが大乗仏教!)を悟りへと導くために、どのような信仰を持ち、仏教的作善(初めて聞いたタームだ!)を行うかを仏に誓う「信仰告白」。それを通じて、当時の人々は、どのように仏教を信仰したか、仏に何を願ったのか、そのためには、何をなすべきか、それをどのように考えたのか? それらが判ってくると言われてた。これって、社会史じゃないかと思い、俄然、聴く気が高まってしまった。そして、実際の「願文」が、幾つか紹介された。「①左大臣の為の浄妙寺(宇治市木幡にあった)供養の願文」「②右大臣(藤原基経)の為、故太政大臣(藤原良房)の遺教に依り水田を以て興福寺に施入する願文」「③一条院の四十九日の御願文」。①は、道長一族が、代々仏道修行を続けてきたを訴え、「自らの悟りと一切衆生への利他行の仏教作善を続けること」を誓っている。②も、遺言に基づき、仏教的作善を行うというもの。③は表記の願いを請い願うものだが、その中に「帝は実は仏である、仮に帝の姿となりこの世に現れた」「帝の仏としての教えが遠近に及ぶことを願う」という表記が出ている。要するに、道長は、そうした帝の臣下として、儒教的仏教的に補佐する役割を担ったとしている。天皇は釈迦の化身で、それに仕える貴族は菩薩だとの認識、その役割に応じた任務を行う。仏のために何ができるかを問うという心性があったのだろうということだった。確かに文面では、そのように見えるのだけど、こういった「願文」は、それを認めるのを生業にするような貴族がいて成立するものとの話があった。菅原家なんて、その代表格だそうだ。「権記」を書いた藤原行成も、そうした任務を帯びていたという。そういった専門職がいて、でも、確かに仏教に覆われた世界、そういったことを考えると、多分にレトリックという性格も考えられ、生身の信仰心との乖離も看られないかとも思う。ただ、その乖離の幅を詰めるのが追及のポイントとも思わないでもなかったが、、、。そんなことができるのかどうかは、知らんけど。終了後、個別に工藤さんに尋ねた。というのも、一条院を「孝文帝」になぞらえる部分があったので、もっと近くに「金輪」と言われた唐の皇帝が居並ぶのに、ん百年も前の「孝文帝」を引き合いに出すのに違和感を感じたので尋ねた。「孝文帝に何か意味があるのか?」、それに対してのお答えは、「願文」作成に当った家々で、漢籍をあたり、いい文言探しをしていた。どれを、誰を引き合いに出すか、家により特徴が看られるということだった。すると、黄紺的懸念も、ちょっとは首肯できるような気がしたのだけど、、、、これも知らんけど。


2024年 8月 25日(日)午前 7時 10分

 昨日は、朝から出かけて落語会に行った。午前10時開演、しかも、場所が山科。「山科落語会~京都山科で桂弥っこの落語を聴く会」という落語会。つい数日前に、桂雪鹿のXを見て知った。偶然のことだった。雪鹿がゲストで出るということで、呟いていたのだった。場所は山科別院、本願寺だ。とっても由緒ある史跡なのに、行ったことがなかったことも影響した。一石二鳥だと思い、即刻、予約。丁度、午後には大津市歴史博物館のれきはく講座が、あろうことか2回連続当選していたので、これはいい流れだと思った。山科から大津京駅まで一駅乗ると、この博物館にはアクセスがいいのだ。そこで、迷った挙句、大津京まで行ってから昼を食べることにした。一昨日も外食をしているので、コンビニでおむすびでも買おうかとも思ったのだが、大津京界隈のごはん屋さん、ググってみると、ポツンと離れた場所に定食屋さんが出てきた。駅から10分弱だったが、ま、いいかの気分で行ってみた。住宅街の中に1軒だけ、それも、作りは、ちょっとくたびれた普通の家。恐る恐る入る。先客がいたので大丈夫と判断。めっちゃローカルな飯屋さん、なんで、こんなところにあるのか、最後まで判らなかったが、入口近くの椅子に腰かけた婆さんがフロア係。とっても気さくな婆さんで、いい感じだから、こちらもつい声をかけてしまう。他の客にもそうだ。聴いていると、外国人の客も、結構、来るそうだ。近江神宮でも観に来る観光客かもしれない。食べるところ探すのに、黄紺同様、ググる、すると、ポツンと変な場所に1軒出てくる。これにそそられるのでしょうな。うどんや丼ものに、3~4種類の定食。その一番上に豚生姜焼き定食が書かれてあったので注文。お汁の替りに冷たいそばが出てきた。食後にはコーヒーまで出た。気に入ったぞ。ここ行くだけでいいから、大津京、また、行ってみようかと思った。DやSも連れて行きたくなった。二昔前の食堂、見せたくなった。
 落語会の番組は、次のようなものだった。弥っこ「上燗屋」「寄合酒」、雪鹿「癪の合薬」、弥っこ「青菜」、(中入り)、弥っこ「雪の戸田川」。弥っこ1人で4席とは、頑張ります。全部で2時間、計ったかのように2時間、いや、弥っこのことだから計ってるんでしょうね。その証拠に、「寄合酒」は、仕込みで切り上げました。その内3席は滑稽ネタ、普段から、弥っこのキャリアからすると口演の機会の多いネタなんでしょうね。でも、口演する機会があれば、どんどんとやってみたいな意欲家の弥っこだから、やったんでしょうね。総じて、滑稽ネタは、アホが合うよりか、地のキャラの合う、教え手とか旦さん的役柄が合っている。自然だ。どうしても、アホは演じてる感が残ってしまう。それに対して、怪談は、しっかりとした話しぶりなら鉄板だから、むしろ、こちらの方がいい感じだなと思いながら聴いていた。自分的には「雪の戸田川」と「怪談市川堤」の違いはここだと言い切れる箇所は最後しかない。それが「雪の戸田川」の方だったから、ここでようやく「市川堤」じゃないことが判り、びっくり! 米朝一門なのに、露のの噺をやっちゃった。その心を、ぜひ知りたい。帰り際、それとなく「市川堤じゃなかったですねぇ」と言おうかと思ってたら、顔なじみの客から、次から次へと声をかけられる弥っこの姿を見て、断念。でも、「市川堤」にせよ「雪の戸田川」にせよ、このネタを手掛ける若手の噺家さん、出てきてますね。今夏、新幸でも聴いて、びっくりしたところへ、また聴けた。上方落語界の異変の1つですね。雪鹿は人気噺家さんです、幕内でという注釈が要るけど。いろいろと、こういったゲスト枠に、その名前が入っているのを、よく見かける。マクラでは、「ここの客に判らないやろ」と思ったが、文鹿、弥壱、智丸らの物真似を聴かせてくれました。もう、智丸が秀逸過ぎて、笑ってもた。そんな業師だから、落語も奔放に自分のものにしているのだけど、言葉遣いやくすぐりの感性が現代なものが挟まるので、統一性が崩れ、噺の絵が浮かびにくかった。ぶち切って、個々のくすぐりはおもしろいんだけどね。マクラも含めての色物的落語を追及してほしいな。
 れきはく講座は、昨日は、企画展「京極高次」関連記念講演会と銘打たれ、「京極高次をめぐる女性たち」というお題で、九州大学基幹教育院教授の福田千鶴さんがお話をされた。が、黄紺的には細かすぎると言っていい内容。1週間前で受けた講演で、辛うじて知ったと思っていた縁戚関係が、結構、崩れてしまったと思いつつ、キャラを押さえていくと、細かな展開も理解できそうだった。要するに、基本となる浅井長政兄妹、それと、浅井三姉妹、主役の京極高次の関係が、すぐに頭に思い浮かばないものだから、何が何だか判らなくなってしまうということでした。そんなこと、序盤で触れていただけてるのに、その後になると混乱してる。クリアにならないものだから、解らない、眠たくなる、目が覚めると一層解らなくなってる。この繰り返しでギヴアップでした。戦国大名が話題になるもの、鬼門です。先週、ようやくおもしろさらしきものが解りかけたと思ってたのに、この様でした。予習していけば良かったですね、ものごっつう反省です。


2024年 8月 24日(土)午前 0時 13分

 今日は、京都で昼と夜のハシゴ。本当は、朝も入れたかったが、さすが3部制になると、夜まで体力が持ちそうにない。大枚はたいたコンサートで寝てしまってはダメということで、朝はカット。金曜日だから、アスニー京都での市民向け公開講演会があったのだが、断念。だけど、午後の部は、そのアスニー京都での有料での市民向け公開講演会だった。無料の方を捨て、有料の方を取ったというわけだが、お題に惹かれてのもの。ほとんど外国ものは取り上げない市民向け公開講演会で、珍しく外国ものが取り上げられた。入りも、良かったんじゃないかな。自分が行くくらいだから、同じような好事家が集まったのかもしれない。日本史の特定の時代にシフトするにも程があるほどのシフトしてるからね。変な突っ込みを恐れて、市の事業には、自ずと限界があります。そのお題は「イスラームの歴史的展開」ということで、イスラームが取り上げられたのだ。お話をされたのは京都女子大学文学部教授の谷口淳一さんだった。冒頭、イスラームを取り上げることに対するスタンスを話された。「おいおい、仏教のときは、そんな話はないよ」と突っ込んでしまったが、これなど、講師よりか、主催者の方からかけられたプレッシャーのように感じてしまった。真相は、知らんけど。黄紺的関心は、こういった場で取り上げられるイスラームって、どんなお話をされるのか、それが興味津々だったから行ってみた、有料だったけど。すると、前半は、予想通り、イスラームの基本として六信五行なんてことや、イスラーム世界の展開といった歴史を話されていた。だけど、後半は、そういったベタなお話ではなくて、研究者の間では言わずもがなのことかもしれないけど、門外漢には、とっても新鮮なお話を聴けた。だから、この後半部の核心部だけ、メモることにする。「一神教であったキリスト教が、自然科学の発達に貢献した、その理由を聞けば、中世イスラーム世界の自然科学の発達抜かしてるよとは思ったけど、この一神教と近代自然科学の発達を結びつけるトピックがおもしろかった、‶絶対的な真理は1つ‶という考え方を導き出したというのだ、言われてみればその通りとしか言いようがない」「イスラーム世界の展開を見ると、初っ端から宗教国家として展開していることから、法と宗教が不可分なってしまった、ところが、ユダヤ教だと苦難の歴史ということから判るように、そうではなかった、キリスト教に至っては、初期のローマ帝国は迫害の歴史だったから、これもありえない、ここに、イスラームが根本的に持っている政教不分離という特徴を持つ、これは、イスラームが近代知からして遅れているという視点ではなく、宗教として根本的に持つ性格という観点で観なければならないという点がある、近代知というものが、いかにキリスト教世界の論理で動いているか、思い知らされるポイントですね」。なかなか、おもしろいお話です。いずれも、言われてみればそうだと、簡単に判る考え方。だけど、そうは思えないほど、我々は近代主義にはまってるということなんでしょうね。ええ勉強させてもらいました。
 夜の部は、京都コンサートホールでのコンサート。京都市交響楽団の定期演奏会のあった日だった。移動は、ウォーキングを兼ねて徒歩移動。ググると81分と出た。実際は、暑いのでゆっくりと歩いたので、もっと時間がかかったと思う。途中、北大路通に出て、インド屋さんで夕食。ビリアニの美味しい店なので、マトン入りを注文。でも、美味しいけど、多いというのはあかん。美味しいと思うのには程というものがある、臨界点を超えると、食べるのに必死だった。おかげで、帰宅後、酒の肴として用意していたものが日延べになってしまった。定演は、マーラーの3番が出る日だった。自分的には、明日の土曜日に行きたかったが、チケットを買うのを忘れていて、気づいたときには、土曜日は完売でした。指揮が広上淳一だったのだが、実は、広上淳一の京響常任指揮者退任記念コンサートに、このマーラーが予定されていたのだけど、少年少女合唱団にストップがかかり、曲目の差し替えになったという経緯がある。コロナ禍でのことだ。そこで仕切り直し、ソリストも、前回同様、藤村実穂子を迎えた。コーラスは、京響コーラス(女声)と京都市少年合唱団だった。自分的には、人生最後のマーラーの3番になるかもの気持ちで行ったコンサートでもあった。いつものように、3階右サイドの席だったが、1ブロックだけ、舞台に近いお席。ちょっと動いただけなのに、思いの外、こもらないでコントラバスが、よく聴こえる。だけど、その他の弦が、いつもの席に比べると、全然、迫力がない。なんで、1ブロック違いじゃないか。それを噛みしめることになるのが、弦での演奏が主となる第6楽章。実は、それまで、そんなにも気になっていなかったので、とっても順調だったし、最後かもしれないし、そうだとするとラッキーだと思ってたのに、東京から呼んだというポストホルン奏者が見事過ぎて、藤村実穂子も、気になっていた口先で共鳴じゃないしと、ま、順調だったのだが、重厚な弦の響き、音のうねりを楽しみにしていた身には、残念なことになってしまいました。15人以上いたかもしれない第1ヴァイオリン、力に乏しかったよ! これじゃ、終わり良ければ全て良しの真逆じゃん! 


2024年 8月 22日(木)午後 8時 35分

 今日は、お出かけなしの木曜日。だが、昼間にオンライン配信の予約を入れていた。1時間も要しない配信だから、その他の動きには、ほぼ影響なし。となると、定番の日に2回のウォーキングができるはずだったが、先ずは弟の家へ行かねばならなかった。先日、アマゾン屋さんで本を買ったのだが、何を間違ったのか、弟宅の住所をポチってしまった。これ、2回目のミス。郵便受けに入らないかもしれないものを買ったときに、弟宅を送付先にしたことがあり、その住所が、そのまま残っており、何かの間違いが起こると、ポチってしまう。そのため、送られてきた本を取りに行ったのだ。それだけで行き、お喋り。そのために、ウォーキングのための時間を圧迫。夕方は、それを、少し補うかのようなウォーキングをして、万歩計を見ると16400歩余だから、うまくバランスが取れました。
 オンライン配信は、月1といったペースで続く、東北環境事務所主催の「ランチタイム・セミナー」。今日は「自然災害・沿岸域分野」で、「台風・水害に備える~できることから始めよう~」というお題で、気象予報士・防災士、健康気象アドバイザーの吉田晴香さんのお話があったんだけど、序盤の気候変動の特徴をまとめられているところまでは大丈夫だったんだけど、その後、気が付くと、お話は終わっていた。また、やってしまった。これで3日連続だ。お話の本筋であるはずの「備える」関連の話題については、欠片も聴けてない。さっぱりです。
 午後の一時は、台湾東部旅を流す旅系Youtuberの動画を観て、読み残していたヒュリエット紙の署名記事を1本読んだが、これが、めっちゃおもしろかった。NATO加盟国同士が戦争になるかもと思われたキプロス紛争、それを止めに入ったキッシンジャーが、トルコ・ギリシア両国に対し、トラキヤに配備されている核弾頭の引き上げを持ち出したというのだ。キッシンジャー回顧録からの引用だったので、間違いないようだ。冷戦最中だから効いた脅しですね。本気度を見せるために、言い出してから24時間以内の回答を求めたんだって。当時、イスタンブル県内になるのかな、チョッルやチャクマクルに配備されてたと書かれてあった。えらいところにあったものです。当時の首相はエジェビット。えらい民族主義者じゃないけど、領土問題、覇権争いになると、イデオロギーじゃないかと思わせられる。それと、もう一つ、先日もやってた家計に係るクレジットカードの使い方のチェックをした。ま、変なことになってなかった。変な使い方もしてなかった。それで当たり前だけど、確認しとけば安心できる。そんな雑用ができるのも、何もない日だからこそ、です。


2024年 8月 22日(木)午前 5時 5分

 昨日は、朝から出かけて京都でハシゴをした日。水曜日の朝からということで、アスニー山科で市民向け公開講演会を聴いたあと、地下鉄で北大路まで移動。駅近くに王将があることを知ったので、久しぶりに、こちらの贔屓の味噌ラーメンで昼食。少しだけ、鴨川の河原で読書をして、時間調整。そして、北山通回りで京都歴彩館へ。こちらでの映画会に行くというスケジュール。歴彩館からの帰りは、毎度、三条までウォーキングを兼ねての徒歩移動。約70分の行程だ。途中、決まったマートに寄り買い物をしての時間。それで、帰宅後、万歩計を見ると15500歩余だから、結構な結果となっていた。
 アスニー山科での講演会は、珍しいジャンルが取り上げられた。「夏の夜空を眺めよう<星座の話>」というお題で、京都市青少年科学センター専門主事の浅田浩さんのお話を聴くことができた。城陽プラネタリウムでの会で、星座の話に味をしめているので行ったのだが、星座に関連してのギリシア神話を延々と、前半、お話になったものだから、あっさりと寝落ち。その後、恒星の生涯的なお話に移ったのだけど、これは逃したのが痛かった。せめて、これだけは聴いておきたかった。その後では、「陰陽師と天体」「宇宙探査」と、2つのテーマが続いたが、再び、寝落ちというか、ほぼ、ずっと寝ていた。2日連続での完落ちとは、ちょっと度が過ぎます。
 歴彩館の映画は、国際交流基金京都支部との共催で日本名作映画上映会「ミュジコフィリア」(英語字幕付き)。これ、年に1回行われてんじゃないかな? 京都や日本文化を題材に取り上げられた映画を、外国人にも観てもらおうと、英語字幕付きで上映してくれています。これ、ありがたい、無料で、しかも、耳が怪しくなってきている身には、聴き取れなかったとき、字幕で補える。翻訳機を使った字幕じゃなかったので、結構、役に立った。で、肝心の映画だが、漫画が原作だそうだが、何がユニークかと言えば、物語の素材に現代音楽が使われているのだ。京都文化芸術大学なる大学が舞台。なかでも、現代音楽研究会というサークルが、大きな役割を果たしている。また、学内での演奏会なんかも、演奏される曲目というのが、ほとんどが現代音楽。学生オケで、ブラームスの1番を演奏する場面があったとき、最後の方で、主人公の母親が、くじけて帰宅した息子を慰めるかのように、バッハをピアノで弾くところ、大学の授業でだったかな、現代音楽の系譜を教えるという場面で、半音階が並ぶ「トリスタンとイゾルデ」の2幕の音楽が流れたところくらいが、例外だった。演奏される音楽が現代音楽ばっかというのは、これだけで、めっちゃ稀少。中には、ジョン・ケージの「4分33秒」まであった。そんなで、設定は、とってもユニークなんだけど、物語は、めっちゃベタ。異母兄弟の確執の物語。父親に英才教育を受けた兄、その姿を見て、触りたくなったピアノには触らせてももらえなかった弟。やがで、母親のもとへと追い出されてしまう。チェリストの母親に音楽教育は受けたようで、豊かな音楽性を育てていく。その弟の方が主役で、この弟が大学の美術科に入り(表向きには音楽をすることを止められているとなっているから)、現代音楽のサークルに引っ張り込まれるところから物語はスタート。兄の方は、同じ大学の大学院で指揮&作曲を学び、将来を嘱望されているが、その一方で、父親の音楽をなぞっているだけとの批判もある。にぎやかしのサークルの連中のコンサートに使われたりして、音楽の演奏も見せる弟。音楽性が豊かで、オリジナリティを持つ。この設定って、あまりにベタ。この設定での確執って、似たもの、昔の日本映画をほじくれば、いくらでも出てきそう。ま、「スターウォーズ」が、中世の物語の焼き直しという批判があるのと同じと言えば、いいかも? 最後のクレジットを観ていると、「門川大作」「茂山逸平」なんて名前が出てきて、びっくり。どの役だったか、思い出そうとしてもダメだった。ネットで、そのため、この映画の公式サイトが残ってないか調べたけど、役名は判らずじまい。悲しい。ということで、筋立て的には、かなりうんざり。これ、名作と銘打たれて出す映画では、ないね。


2024年 8月 20日(火)午後 7時 54分

 昨夜から、かなり激しい雨、久しぶりだった。簡単には止みそうな感じがしないほど、強い降りだった。朝から洗濯をするつもりだったし、今日も、午後にはお出かけがあったし、昼食用にパンを買っておいて、あすこの場所をとって食べるんだと、そこまで計算していたのに、止みそうな感じがしなくて、かなり憂鬱だったが、朝になると小降り、そして、止んだ。洗濯も、普通にできた。夕方には乾いていた。ミニだったけど、午前中のウォーキングもできた。こんなこともあるんだね。ウォーキングは、今日も、午後のお出かけを含めてで考えると、17700歩余を、万歩計は示していた。グッジョブだが、これが、午後の講演会に響いてしまったようだ。完全に寝落ち。完璧と言える、寝落ちだった。行先&講演のお題だけはメモっておく、ほぼ意味はないが、お出かけ先のメモにはなるだろう。「花湖さんの打出のコヅチ」という名が付いた滋賀県立琵琶湖文化館主催の文化講座。今日は、今年のラインナップで、一番、楽しみにしていたのにも拘わらず、こんな様だった。「隈研吾建築と滋賀県」が、そのお題。お話は、同館主任学芸員田澤梓さんだった。琵琶湖文化館が新たに建てられる、浜大津に。それが隈研吾建築設計事務所が担当することになった。もう、これだけでも売りになる。そこで、こういった企画が生まれたということで、隈研吾について知りたかったものだから、一の楽しみにしていたのだった。田澤さんは、こちらの学芸員で、仏教工芸のプロ。「あれれ、建築じゃない」と思ったのが、多分、寝落ちの最大の原因と言い切る自信はないけど、でも、ちょっとはある。そんななか、ほんの少しだけ覚えてることを、メモっておく。ほとんど書けないなか、ほんのちょっとだけ。「ミュージアムが新築された場合、法律かなんかで、すぐには文化財を搬入できない。建築資材の中に入っている物質が消える=乾かす期間を2年と言われたかな、設定しなけれなばならない、だから、落札から開館までは時間を要する」「隈研吾の建築は和の要素を取り入れるという特徴がある、滋賀県下では守山市図書館(ええ! 昨日、見てきてたのに、知ってたら、、、衝撃だった、これは覚えてる)、東京だとサントリー美術館の入っている東京ミッドタウン、それらの外枠は木組みが使われている」、これだけやね。
 2週間のお休みを経て、「まーぶる」に二葉が登場。本日の最大のお楽しみとなった。やはり、入院ネタが飛び交った。守山の会で言ってた、豪快な看護師さん、静かだが押しの強い看護師さんネタを喋ってくれただけではなく、喉の手術だからと食事が大変だった模様は、かなり深刻。でも、食べないと、体力は落ちるし、点滴だと空腹感はないけど、体力落ちるしね、でも、かなり痩せてると、梶原さんは言ってたけど、守山で観たとき、前から4列目だったけど、着物だからでしょうか、ほぼ、そんな感じはしなかったけど、心持ち、しないわけではなかったけど、そういった目で見たら、そうかなという程度だったけど、間近だと痩せてるというのが判るらしい。また、本人もそう言ってた。声だけ聴いている分には、そんなこと思わないんだけどね。


2024年 8月 19日(月)午後 7時 43分

 今日は、朝9時半に歯医者の予約があり、午後に韓国映画を観に行くことにしていた月曜日。映画館はMovix京都で、上映開始が午後1時25分ということで、昼食は、近くの好き家で摂ることにした。少し、これで時間を稼いで、歯医者のあと、ミニウォーキングの時間を確保。映画館の往復に、色々と迂回コースを採ることで、ウォーキングの量を確保。夕方、万歩計を見ると17200歩弱となっていた。大満足だ。ただ、映画館終わりは、雨が降っていたが、さほど強い雨ではなかったので、傘さしウォーキングができた結果だ。
 映画は「ニューノーマル」というホラー映画。原則としてホラーは観ないんだけど、そのホラーにチェ・ジゥが出てるのを見つけて、即決。開始10分程で、チェ・ジゥが殺人鬼になるという思わぬ展開。男の喉元に包丁を突き刺すという、えぐい殺しをして見せます。更に、もう1回、エレベーターの中で、若い女(イ・ユミ)の腹に、包丁を突き立て、血まみれにしてしまう。凄まじい展開。でも、チェ・ジゥの出番は、これでおしまい。この映画、1つを除いて(と言っていいと思う)、人が殺される物語のオムニバスで進行する映画。その1つ目と3つ目に、チェ・ジゥは出てきて、2回の殺人を犯す。1つ目は、チェ・ジゥ演じる女とガスの点検に来た男の物語として展開するが、3つ目の物語は、若い女がマッチングアプリを使い、デート相手を探す物語に、男に成りすましてアプリに登録する。自分の人となり、要求などをアプリに登録をしておくと、そのマッチング度が高いと、アプリが鳴る。これが、イ・ユミとチェ・ジゥの乗り込んだエレベーターの中で、双方のスマホでアプリが鳴るんだよね。これ、怖いよ! この映画の、一番の名シーンじゃないかな。殺人鬼チェ・ジゥは、女のどてっ腹に包丁を突き刺すというとんでもシーンになるわけです。これで、役者が、複数の物語に咬んだので、この後も、そういった展開をするのかと思ってみてると、ほぼ肩透かし。最後のコンビニの女の場面に、チェ・ジゥなんかは出なかったけど、それまでの物語に出てた誰かが、この場面に客として顔を出すということで、各オムニバスの物語がリンクしているようだが、結局、覗きをしている男(ピョ・ジフン)も殺されたのだと思うけど、そこで、覗き男を殺したろう男とコンビニの女のバトルってことで、一応、リンクさせてるけど、チェ・ジゥは、その後、どうなったんでしょうね? 見落としてるのかもしれないけど、何か物足らない。はっきりとそう言える映画だった。人の死の物語だけど、1件は、事故死だということが、コンビニの女の物語のところで、ちょろっと出てきて、「なんじゃ、それ」って、突っ込んでしまったな。ネットで、簡単にだけど、評価はどんなかなと思い眺めてると、やっぱ、黄紺と似たこと書いてますね。ということは、見落としてないよな、第一、寝てないもん、今日は、だから、きっちり観てたし、個々の物語は、それはそれで緊張しながら観てたんだけど、で、どうなの? どう繋がってるのと考えると、あれれ、そんなのでいいのと思ってしまったのです。ま、そんな日もある。どこかのネット・ニュースで、チェ・ジゥが、映画の宣伝に来日したって書いてたの思い出したけど、この映画のためだったようで、それはそれで愕然だな。だって、出番、少なすぎるよ!


2024年 8月 18日(日)午後 9時 11分

 今日も、先週に続いて「日曜美術館」(新作)はなかった。しかも、「アートシーン」も、旧作を編集しなおして流してた。だから、せっかくの日曜日の朝のお楽しみは「No art No life」だけ。たったの5分間だけ。でも、「アートシーン」は、そうだとは判らなかったので、待機していた。だから、午前10時前までは外出がままならず、お出かけ前のウォーキングは、今日もミニ。そして、午前11時半をメドに出発。行先は守山。遠出だ。しかも、滋賀県だ。丁度1年前同様、守山市民ホールでの「ほたる寄席」で「桂二葉独演会」があったものだから、頑張って行ってきました。冬にはコンサートも行ってるので、年2回のペースかな。この1月にも、いいコンサートがあるようなので、これからの1年も、同じペースで、ここへ行くことになります。このホールに行くときは、守山駅から片道30分余を歩いて行くことにしている。往復ともにだ。適度なウォーキングになる。そして、途中のコンビニがイートインできることを、前回、発見しているので、今日もそうした。ガーリックの効いたチキンの乗った焼き飯、なかなかいけました。落語会の番組は、次のようなものでした。二葉「上燗屋」、希遊「厩火事」、二葉「まめだ」。二葉は扁桃腺摘出手術を受けて、復帰してから、さほど日が経っていない。この火曜日に退院して、翌水曜日の「ぽかぽか」は休んだと言ってました。その闘病記が、1席目のマクラ。今日は退院直後なので、落語を期待するというよりも、この「闘病記」が、一の期待だった。まさか、喉が完調じゃないのに、夏だからと言って、「次の御用日」はやらないだろうし、最近手掛けている、これまた、喉への負担が大きそうな「くっしゃみ講釈」はやらないだろうし、じゃ、何を期待すればと思うと、今が旬の「闘病記」となります。東京の病院、入院費50万円での手術入院だったそうだ。1泊48,000円の個室だそうだ。大阪で手術を受けたものと思ってたので、いい情報だった。「上燗屋」は、入院明けの会で出してたので、ま、このくらいだろと思ってたネタだけど、ちょっとしたサービスをしてくれた。ずっとやってた雀太テイストを薄め、定番の進行に近づける口演だった。冒頭の「パパりこしゃん」を止め、ハチャメチャ感を薄めてのは、喉への負担を小さくするための手かもしれません。弾け方も小さめな印象を持ってしまいました。豆の曲食いは残してたけど、弾け方が小さかったので、爆発的な笑いを誘うとはなってなかったというのが、この口演を象徴していると言えばいいかな。希遊が、マクラで落ち着かなかったな。他所行きの口演という感じがしたな。個々のネタはおもしろいのだけど、繋がらない。そういったことって、誰もやってんだけど、繋ぎのところになると、なんかモゴモゴ言ってしまってて、なんかおかしかったな。「なに、下手してんねん」と思うと、急に睡魔に襲われてしまった。辛うじて、ネタが何だったかが判る程度しか聴けてない。二葉の2つ目は、まだ聴けてなかった「まめだ」。確かに、喉の負担は小さい、いいネタの選択です。秋のネタだけど、「ほたる寄席」での二葉の出番は、真夏だから、季節が違っても問題はなし。この「まめだ」が良かった。元々、語り口のしっかりした噺家さんだから、それに磨きがかかると、こうなるかと思わせるものでした。冒頭の「闘病記」で、キャッキャッとおもしろ話をするのとは好対照、おばんもええけど、息子の語り口が、噺に落ち着きを与えています。ラスト、ほろっとさせられてしまいました。思わず、「上手いなぁ」と漏らしてしまってました。


2024年 8月 17日(土)午後 8時 10分

 この頃、府境を越えて他府県に、連日、出かけている。大阪府を通り越して兵庫県、奈良県と続き、今日明日は滋賀県だ。火曜日にも滋賀県に行く予定が入っている。ま、それはいいとして、明日は、かなりの遠出になるので、洗濯を、今日しておくのは必須。今日は、昨日同様、台風の影響を受けているのか、少し涼しめだから、洗濯なんかは助かる。終わってから、少しだけ超ミニでのウォーキング。お昼は、家で食べないで出かけた。行き先は大津市歴史博物館。お昼は、博物館のちょっと下にあるベンチで、買って行ったおむすびで済ませた。遠出が続くので節約だ。博物館では、企画展「京極高次」関連記念講演会に行った。京極氏って、よく判ってないのに、申し込んだ。ここの講演会は、人気が高く、3回応募して1回当たるという勘定なものだから、幅を広めて申し込むと、何と2回連続当選してしまった。2回とも外れても、今での経験では、何ら不思議ではないのに、当たった。1回は外れるだろうのつもりで、外れの日にDとSと遊ぼうと考えてたんだけど、それがパーになってしまった。京極氏って戦国大名なんだよね、企画展をされるくらいだから、滋賀県で勢力張ってたんじゃないの? でも消えてる。名古屋も近いし、第一、浅井が頑張ってたんじゃなかったっけ? 六角や三好もいたよね、一応、名前だけは知っている、けど、こういった武将が、どういった経緯で台頭し、また、消えていったか、日本史に疎い身には、さっぱりと判らない。そんなので行っていいのと思いつつ、講談のおかげで、この辺のことに興味だけは湧いているということで、申し込んだら当たってしまった。だから、朝から、聴いてて解るやろかの不安。今日のお題は「高次の後継者・京極忠高―近江・若狭・出雲―」で、お話をされたのは西島太郎(追手門学院大学文学部教授)さんだった。「おいおい、高次が主役だったのじゃないか」と突っ込みたいんだけど、肝心の高次、及び、それ以前を扱った講演は外れ。それで判るのか、かなりきつかった。今日の主役忠高に入る前に、復習といった感じで、高次が取り上げられた。皆さんは解ってんだろうな、でも、なんか白けてしまってる、だって、言葉だけは解るのだけど、時系列的に、それが何?的に、頭に入らない。半寝で聴いてしまった。講師の真ん前で、そんな状態で聴くという不遜な態度。でも、しっかりとしたレジュメがあった、そして、松江藩主になってからの話は、わりとすんなりと入ってきたので、レジュメを見て、遡ってみると、ちょっと判ってきたが、若狭藩主になる前の流れまでは、復習してくれなかったので、戦国大名化する以前の京極氏、その時期が、どっちかというと、滋賀県で頑張ってたんじゃないかなと思うのだけど、その辺は判らずじまいだった。とにかく、織田が権力を握った辺りからの復習を聴いていると、また、レジュメを見ていると、京極って、めっちゃ揺れてる。その一方で、姻戚関係が、めっちゃ豪華。秀吉とも、家康とも繋がっている。それに加えて、明智側にも付いている。そら、他の権力者の怒りを買う、でも、姻戚関係を利用して生き延びていく。その辺を、メモっておこう。「明智につき秀吉の怒りを買うが、姉妹が秀吉の側室に入り許される」「今度は秀吉に貢献する、九州攻め、小田原攻めに従軍、近江の国に領地をもらい、滋賀郡6万石大津城主になる」「関ヶ原の戦いで大津籠城の功績で若狭国を与えられる、、、ここまでが高次」「忠高の‶忠‶は家忠から拝領、義母初は、秀忠の母江(こう、浅井三姉妹)の姉妹、ということは、三姉妹のもう一人は茶々(淀殿)になる、、、、華麗すぎる姻戚関係」「17歳で家督相続した忠高、家臣団の再構成、幕府の土木工事=普請で業績を残していく、政治手腕が評価され、また、大坂の陣で見せた交渉術が評価される、妻は秀忠&江夫妻の娘初姫、そんなで松江藩を拝領、家忠からは石見銀山も任されるので、大変な抜擢人事ということは、高評価されていたということ」「松江藩主としても土木事業で功績を上げる、技術的発達が整った場面に重なっているのを活用している(堤防の技術、戦乱で石垣や土塁の技術発達、天下普請で高度な技術が地方にも行き渡った)、功績を代表するのが‶3つの若狭土手‶、それに伴い‶新田開発‶、たたら製鉄で禁止されていた‶鉄穴(かんな)流し‶を認めることで鉱山開発が進展(川床に溜まる砂に対処できるようになった? 宍道湖の汽水の状態なんかも変わると思うのだが、、、‶ブラタモリ‶でも、その辺、触れてたな、内容は忘れたけど)」「城下町の整備、家臣団の再編成、、、これらを3年半でやった! 凄い辣腕ぶりです!!」「だが、この忠高は43歳で亡くなった、世継ぎがいなかったが、そして、後継届け出をする前に亡くなったため、敏腕家老佐々九郎兵衛(この人がいてこその忠高だったようです)の動きで、幕府は弟の子を世継ぎと認めるが、配置換えで、その後は龍野藩へ、京極はこの地で生き延びた」「幕府は松江藩の後継に松平直政を入れた、中国地方は外様大名ばかりだったので、親藩大名を入れることで、この地域の拠点作りをしたことになる」。メモってみると、お話のストーリーができてる。半寝で聴いていたわりに、なかなか上出来です。次回のお題は「京極高次をめぐる女性たち」と、これは、今日聴いたことで、予習ばっちしです。これだけ、華麗な姻戚関係を築いてるのですから、話題は豊富でしょう、急に楽しみになってきている。やっぱ、ちょっとでもかじって解り出すと、おもしろくなってくるもんだね。


2024年 8月 17日(土)午前 6時 41分

 昨日は、奈良でのハシゴ。まず、学園前駅近くの大和文華館に行き、たっぷりと浮世絵を観て、その後、近鉄奈良駅に移動。駅近くにある韓国料理屋でお昼。前に行ったとき、同じような時間に、あまり人が入ってなかったので、若い人向きの店だけど行ってみようとしたら、昨日は、その若い人たちで、大繁盛。一瞬、躊躇ったけど、口が韓国料理になってたので入った。かかってる音楽からして、この前と違った。ソウルのどこかにありそうな店で、店内はハングルだらけ。ソウルだったら、絶対に入らない店だけど、そんなに韓国料理があるわけではないので、入った。スンドゥブチゲを頼んだ。前は、キムチチゲで、一応、及第かなだったけど、スンドゥブはペケだった。というか、〇でないという言い方が正確かな。スンドゥブは、めっちゃ外れないからね。そして、店から徒歩2分で行ける落語会場へ。すぐ前に、インド屋さんがあった。次回は、ここか、また、近くにあるベトナム屋だね。
 大和文華館では、あべのハルカス美術館とコラボの展示は行われている。特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物―パリから来た北斎・広重・北渓・岳亭―」というものだ。あべのハルカス美術館での「広重展」は、このレスコヴィッチコレクションからの出品だから、出所が同じなのだが、こちらは「摺物」という断り書きがしてある。このターム、特殊なものだということ、会場に行くまで知らず、昨日、覚えたてのタームなんだけど、これって大変なものを指している。浮世絵って、大量に摺って、大衆の娯楽の1つだと思っていた。役者絵は、現在のプロマイドだし、風景画は、旅が盛んになった時代を反映して、今で言う、旅行ガイド写真集というものだと言えるとだけ思ってた。それらが、多数出回り、その中で原型を留めているものが、各地の美術館に収容されているとだけ思ってた。ところが、「摺物」となれば、そういった大衆向きに摺られたわけではなかった。だから、数は少ない、手の込んだ下絵に彫り、摺りの技が使われている。マニア向け、それも、絵を嗜むだけじゃなくで、賛にあらず、狂歌が添えられている。狂歌と浮世絵のコラボ、当然、その両者は絡み合っている、そして、タネがある。それらが、源氏物語を始めとした古典、それも物語だけではなく、謡曲なんかも、下地がないと判らないようなものも多々ある。もちろん、芝居・浄瑠璃をネタにしているものもある。自分的には、謡曲ネタは、ほぼ何を出されても、仕掛けが見えてくるんだけど、芝居・浄瑠璃となると、人名は聴いたことがあるのは多いことは多いのだけど、でも、物語をしっかりと把握してないものだから、イメージが拡がらない。ましてや、狂歌の言い回しまでは手が届かない。文人や商家の旦那衆の教養って、半端じゃない。そういったコミュニティに流通させようというのだから、浮世絵師らの作家連の教養も凄いわ。そして、何よりも絵が精緻極まるものばかり。今まで観てきた浮世絵の線は、比べると、明らかに大味と言える。それで、あれなんやから、この世界、凄すぎます。浮世絵師ごとに分類されて展示されていたが、冒頭の葛飾北斎、第3章の「国貞・国芳・広重と歌川派」に出てくる作家以外は、知らない人ばかり。第2章では北斎門人らを集め、第4章は「清長・俊満・英泉、他」という章立てをしてあったが、さっぱり知らない作家ばかりでした。だが、どれをとっても、上に書いたような仕掛けが施されるているものが多く、それ以外では、大首絵が少し、小物を描いたもの、何でも「八景」にしたいようで、「廓八景」(歌川貞景)なんてのもあった。しかし、落語も聴いておくものです。「三浦大助」(魚屋北渓)、「太田道灌」(魚屋北渓、岳亭春信)、先に書いた「廓八景」も、この範疇に入る。展示は、後期に入っていた。前後期では、展示品が、ほぼ入れ替えられたそうで、これは抜かったね。これだけのものが来てるとは知らず、最近、浮世絵を扱う展覧会が多いものだから、ま、行けるときに1回という考え方だったのは、完全にミスです。1回だけのつもりのときって、絶対、前期に行くべしを肝に銘じておきます。そうしてたつもりが、色々と、予定が立て込んでくると、抜け落ちるんですね。
 落語会は、初めて行った古々粋亭。ここで行われている「お盆寄席」に行ってきた。昨日から3日間の興行。やはり、天吾の日を取ってしまいました。その番組は次のようなものでした。天吾・喬路「トーク」、天吾「代脈」、喬路「子盗人」、(中入り)、天吾「仔猫」。「トーク」は、やはり、この2人が揃うと、自己紹介がてら関学話になってしまう。後半は昨日の昼ご飯。おいしいビリヤニを食べさせる店が、古々粋亭の近くにあるそうです。やっぱ、向かいの店かなぁ。喬路は初遭遇。しゅっとしている分、もっちゃりとした大阪感に欠けるきらいがあるのが、気になってしまった。ネタは、師匠松喬の持ちネタながら、兄弟子では聴いたことがない。だから、伝承ということで、喬路に託したのかもしれません。関学落研部長組では、一番、時間がかかりそうな印象を受けてしまいました。天吾は、予め、Xを使い、「仔猫」は予告していた。もう一番が「代脈」とは、良く出しているネタですね。天吾は、落研臭を出さないようにしているようだけど、昨日は、ちょっとだけ出てしまってた。それが、オリジナルのくすぐりと言えるようになれば、鬼に金棒なのですが。でも、圧倒的に上手い。聴くたびに、そのポテンシャルの高さを、どんどんと評価するようになっている。ここまで流れるような口演、若手でできるの、九ノ一とこの人だけやと、これは、きっぱりと言えます。上下を振るのを、表情一つでやって見せたり、たまばりの前後で振って見せたりと、ちょっと、この年期で考えられない技まで持っている。これは、昨日の2つのネタで、いずれも言えること。「仔猫」で、おもしろいことやってくれました。おなべのぶさいくさを、一切、言わなかった。「人三化七」なんて、とんでもない。それで、この噺が成り立つかを気にしながら聴いていた。難しいところだ。おなべの負の評価を入れないと、この人の健気さを始めとした正の評価が活きてこない面は、確かにある。そう思うのは、いかに「人三化七」を聴いてきたからだと思うのだけど、じゃ、どうすれば、このやり方が活きていくのか、これ、大きな問題だけど、コンプライアンスに引っかかるような物言いを、何とかしたいという考え方は大事にしたいと思う。これからの変化が待ち遠しいし、二葉なんかにも取り組んでほしいポイントと思いました。「代脈」の方には、南天テイストが残っているのが嬉しかった。そういったところを、ほぼ観たことがなかったので、そう思ったのかな。とにかく、天吾は押さえておかねばならない噺家さんだということ、強く認識した会でした。


2024年 8月 16日(金)午前 7時 17分

 昨日は、朝から出かけて兵庫県でハシゴをした。行くのが大変だった。電車の時刻表検索を使ってたら、京阪が停電の影響を受け、京橋と淀屋橋の間が停まってた。いつも、阪神電車を利用するときは、淀屋橋駅から歩いて阪神梅田駅に行っているのだけど、それができない。とにかく、京橋界隈が停電だから、京橋に行っても、そこから動けないのだ。そこで、阪急を使う計画を立てたが、お出かけ前には停電は解除、電車は動き出してたが、運行状況を見て、愕然。普通と準急しか動いてなかった。しかも、電車の間隔が狭く、溜まっているという印象だったから、これ、まともには動いてないと判断。阪急で芦屋川駅まで行き、芦屋市立美術博物館まで歩くことにした。阪急芦屋川駅から阪神芦屋駅まで、徒歩15分と出たから、それだけ、いつもよりは余計に歩かねばならないけど、その替り、御堂筋を歩く必要はないと考えると、ほぼとんとんかなというところだった。途中、いつものように、阪神芦屋駅前のインド屋さんで昼食。そんなに美味い店じゃないけど、絶好の位置にあるものだから利用している。2軒目は、阪神電車で西宮まで移動、えびす亭での落語会だった。芦屋や西宮の美術館に行くようになり、こちらでの落語会に出かけるようになった。昨日も、落語会に合わせての美術館行きだった。もう会期が終わりかけの展覧会だったが、ここまで我慢、それは、この落語会を見つけたからだった。
 芦屋市立美術博物館では、今、特別展「創立100周年記念信濃橋洋画研究所 ―大阪にひとつ美術の花が咲く―」が行われている。これを見つけたとき、もう即決だった。期待大の展覧会だ。関西の洋画界のリーダー的な位置にいた「小出楢重、国枝金三、黒田重太郎、鍋井克之」の4人が作った絵画教室。後進の指導に当たるとともに、発表の場でもあった。大阪信濃橋のビル内にあったので、その名が付いている。後に中之島に移転すると、名前は中之島に替わった。そのくらいの知識は持っていた。知らなかったことは、小出楢重って、44歳で亡くなってるってことと、この美術博物館の敷地内に、何やら古臭い建物が立ってるのは知っていたが、それって、小出楢重のアトリエを移転して保存しているものだったというの、昨日、初めて知った。内部も再現されていて、あの背中に長い髪を垂れる裸婦の絵も飾ってあった。実物は京都にあるので、レプリカだと思うのだけど。展示数は、めっちゃ多いというわけではなかったけれど、この美術館の所蔵品だけではなく、京都や大阪の有名美術館などから、また、星野画廊からも数点、良さげな作品が来ていたりと、なかなか気合の入った展覧会。この美術館も、このテーマでできる数を用意できるというのも強みなんでしょうね。大阪に作家が集まったきっかけ、そして、下地になる二科展の大阪開催のきっかけは、関東大震災だった。二科展の開催初日に震災があったそうだ。そこに展示されていたのでしょうね、プロローグが「創立前夜・1923年 第10回二科展と関東大震災」が冒頭にあった。当時、パリにいた鍋井克之を除く発起人3名の作品が並んでいた。小出楢重「帽子のある静物」(西宮市大谷記念美術館)、黒田重太郎「渚に座せる女」(京都市美術館)、国枝金三「都会風景」(大阪市立美術館)、この3点並べただけでも、気合感じました。ばら撒き感のある静物、無機質な都会、キャンパスに裸婦を収めないで空間の広がりを感じさせる海岸。今回の展示では、黒田作品ばかりに目が行く傾向にあったなかでの、最優秀作品と、勝手に決めたのが、この裸婦と海岸。「第1章 創立 ―講師4人と大大阪」で、前の3人に、ここで鍋井克之が加わる。小出楢重「横たわる裸女A」「草花静物」、前者はアトリエにも展示されていたということは代表作? 国枝金三「都会風景1(信濃橋)」「中之島風景」と、ここでも都市の風景だけど、先の作品とは異なり、写実にシフト。後者に使われている白がいいアクセントで、一押し。黒田重太郎「蟠桃のある静物」、アングルが、1つの絵に4ヶ所ほどある。鍋井克之「鴨飛ぶ湖畔」「静物」、後者は、同じ静物画でもアングルは1つ、写実に徹しているので、黒田作品と好対照、存在感は、こちらに軍配。鍋井作品はまとまり過ぎてると見えてしまう。おもしろいのが前者。動きを表している波と鳥だけど、明らかに動的なのは鳥で、波は止まった感じ。これ、敢えてしてるのかなぁ。そう見えたから、鳥の羽ばたきが、余計にリアルに感じられてしまった。「第2章 洋画を学ぶということ ―講師たちの修業時代の作品から」では、国枝以外の3名の作家の習作が並ぶ。「第3章 日々の講習」「第4章 巣立った研究生たちの活躍」では、研究所で学んだ作家さんの作品と講師陣の作品が並べてあった。中には、研究所で、講師陣の補佐として指導にあたる人たちも出てくる(古家新、松井正、田村孝之介、山本直治、浜田葆光、伊藤継郎、小出卓二、藤井二郎)。その作品が並ぶとともに、これらでは、活動を紹介した雑誌の記事、また、作家さんのメモ、書簡など史料も並べてあった。「第5章 夏季講習会」「第6章 信濃橋洋画研究所展覧会・全関西洋画展覧会」では、お題に関する資料が並ぶとともに、国枝金三を除く3名の作品が展示されていた。第3章以後で、気になる作品、気に入った作品をメモっておく。気に入った黒田作品からメモると、「静物」は、赤で描かれたリンゴや花の上に皿を敷いたかのようにして、その上にものを置いている。艶やかな静物画って、そうはないでしょう。「網小屋」は、光を跳ね返す家の描写が、えらくリアルに見える。「北野早春」は木立の中に射し込んだ明るい陽射しが印象的。バラの艶やかさが映える「不老早春図」など、名品が揃ってた。黒田重太郎「浴後(エスキース)」、田村孝之介「裸女群像」「裸婦」は、セザンヌの「沐浴図」にインスパイアされた作品だそうだ。小出楢重は、「海辺風景」「雪の市街風景」といった、あまり描かなかったという風景画があったり、静物画が出ていた。「雪の市街風景」は、研究所のビルから屋外を描いたもの。同じアングルから、松井正と国枝金三の「都会風景」という作品があった。小出作品は雪、松井作品は人、国枝作品は簡素が取り柄。同じアングルで描いても、作家の個性が出てる。古家新「河畔」や小出卓二「和歌山風景」は写実に徹して、でも整い過ぎていたり、髙岡徳太郎「踊子」は、縦の線を強調した上に、強く斜めの線を意識させ、描いた人物の性格付けをしていたり、浜田葆光「水辺の鹿」は、相似形の大小の三角形の組み合わせで構図を決めていたり、各々、上手いなぁと思う反面、そんなのが見えてくるのが、ちょっと嫌だったりしたが、その一方で、伊藤継郎「二人の司教」なんかは、マチエールなんかを駆使して描いていて、作為らしきものを感じるけど、メルヘンチックに仕上がっている方に目が行き、これいいなと思ったり、山崎隆夫「きつねのよめいり(富嶽シリーズより)」は、三角で富士を、ひっかき傷のような線で雨を描いてる。ここまで行くと、作為も作為もとなるけど、アイデアの方に惹かれてしまうものですね。その傍らに、抽象画の津高和一作品が1点あるのも、ちょっと不思議な並びでした。
 西宮えびす亭では「小鯛・染吉二人会」があった。半年ほど前にも、同じような会があり行っている。いい組み合わせの会だから、逃せないのです。昼夜2回あるのだけど、やはり、昼しか行けません。その番組は、次のようなものだった。小鯛・染吉「トーク」、小鯛「上燗屋」、染吉「盆唄」、(中入り)、染吉「雪の旅笠」、小鯛「高津の富」。ところがだ、到着して、椅子に座ってると、横になりたいほど、疲れてた。頑張って美術館で歩いたからか、暑いなかエアコンの効いた部屋に入ったからか、とにかくしんどかった。案の定、中入り前が寝落ち。ようやく遭遇できた「盆唄」だったのに、、、。微かに覚えているのでは、この噺、いいですね。迷子になった子どもを育てた夫婦が、盆唄をきっかけに親御さんの元へと子どもを返しに行くという、人情噺だった。しっかりと、聴き返さなくっちゃの気持ちです。ようやく、中入りで覚醒。その後の2つが良かった。「雪の旅笠」は、以前、「親不知子不知」というお題で見かけたことのあるネタだと思う。露ののネタのはずです。怪談じみたおバカなネタです。下げまで怪談調で進むのが、めっちゃいい。染吉、グッジョブです。そして、小鯛の「高津の富」が抜群。この人の持つ、テンポの良さ、小気味のいいリズム、そういった良さのうえ、おとぼけ味も全開。今後の、このネタの到達点として目標にされるんじゃないかな、それほど、見事な出来だったと思います。


2024年 8月 14日(水)午後 8時 30分

 今日は、お出かけなしの水曜日。明日から、またぞろ、お出かけ続きとなるので、のんびりとした水曜日だった。トルコ・サッカーは、新シーズンが始まっている。ヨーロッパのカップ戦も盛んだ。昨夜は、フェネルバフチェがフランスのリールと戦ったが、チャンピオンズリーグから敗退してしまった。今季は、ヨーロッパのカップ戦には、ガラタサライ、ベシクタシュ、トラブゾン・スポル、バシャクシェヒル・スポルも参戦している。年内は、本戦に、いくつ残るか。そして、その本戦で、幾つのクラブが勝ち上がるか、また、生き残るかが、関心の的。一時、年内で総崩れなんて、惨憺たるときもあったが、ここ数年は、1つか、2つは年越しをしてくれてる。そんな楽しみが生まれてきている。これが、週の半ばの楽しみ、週末はトルコ・リーグへと関心は移る。こういった生活をして、25年は経っています。全然、飽きないから、死ぬまで、このままなんでしょうね。
 明日からのお出かけに備え、今朝は洗濯日にした。その合間に、明日と明後日は、買い物時間が確保できる保障がないので、今日は、3日分の食糧と酒の買い出しをした。夕方のウォーキング時は、お酒を、毎度買ってるマートを組み込んだコース。朝はいつものウォーキングができたので、万歩計を見ると17450歩余と理想的だった。午後の一時は、Youtubeで山田五郎のやってるチャンネルを観てたが、ほとんど半寝。お得意の美術解説をするチャンネルなんだけど、これ、おもしろい試みをしている。美術解説に欠かせない画像紹介だが、これが著作権が切れてればいいけど、そうでないものも、いっぱいある。現代の作品は、50年なり、70年なりの著作権がある。それらを使うには著作権料を払わねばならない。その資金調達をするために、生配信をして、スーパーチャットで、その資金調達をしている。そして、その生配信の中で、前回の生配信以後の会計報告をするというシステム。おもしろいことやってます。今日観てた動画では、ルネ・マルグリットは、著作権が切れてると思って、幾つも使ったため、27万円だかの著作権料払わねばならなかったと言ってました。その辺は聴いていたが、あとは半寝だったため、これはいかんと、気分転換で、今度は、同じYoutubeなんだけど、「Oper Vision」に宿替え。ようやく、チューリヒ歌劇場の「カルメン」を完走。アンドレアス・ホモキ演出ということでのピックアップだったが、あまりおもしろいとは思わなかった。確かに、お得意の、装置を、ほとんど使わないで、歌手とコーラスといった人だけを動かして物語を進めるというスタイルだったのだが、それだけで、特段、気になる解釈があったわけでもなく、ユニークなのは、そういった人を動かす演出だったというだけだったように思えた。時間があったので、次の作品も少し観た。レアルマドリードの「ニュルンベルクの名歌手」を選んだ。理由は簡単、ロラン・ペリーのプロダクションだったから。ということで、早速、1幕の教会堂におもしろい装置が登場。教会自体が斜め、それは、ホリゾントに描かれている枠組みで判る。教会が傾いている。祭壇前は、板をミルフィール状に積んであった。これで、どんな物語にしようというのでしょう? ただ、この映像、字幕が埋め込まれており、自動翻訳を使えないから、スペイン語と英語しか字幕が出てこないのが、癪の種。でも、嬉しいことに、英語は、自動翻訳機で作ったかのような英語じゃなく、人手を感じるものだから解りやすいのが有難いので、なんとか、観れるかなと思ってるところだ。あとは、時間の確保だな。


2024年 8月 14日(水)午前 5時 30分

 昨日は、お昼に映画を観た日。初めて行く出町座だった。1週間程前まで、一昨日からの3日間は、休養日になっていた。さすが、うずうずしてしまい、今まで行ったことのなかった出町座の上映日程を見てみると、なんと、タイ映画の上映があるのを見つけ、即決。ただ、朝から、一昨日買った韓国への航空券の発券で手間取り、気が付くと、食糧調達に行く予定にしていた時間に入ってしまっていた。慌てて、買い物。というのも、今週は、この後、外食をしなければならない日が2日あるので、昨日は、おにぎりを買ってでかけ、出町柳駅近くで食べてから映画館に行こうと考えていたのだ。なんせ、午前11時50分という、なんとも悩ましい時間設定だったもので、映画館に入る直前で食べたかったのだ。そんなで、朝のウォーキングはカット。この映画館への往復と、夕方のウォーキングで、昨日のウォーキングとした。ただ、暑い外から帰ってくると、どうしても疲労が出てしまい、ぐったりとしてしまう。夕方のウォーキングに出かけるには、ちょっと気合が要った。でも、その前にアイスを1本食べ、エネルギー補給はできていたので、歩き出すと快調だった。で、万歩計を見ると15000歩余となっている。上出来です、こういった日にすると。
 出町座は、いい雰囲気の映画館。レトロなところがいい。1階はカフェと本屋になっている。入ると、東南アジアの匂いが漂っている。メニューを見て、納得。ガッパオが入っていた。いつか、近くを通ったら、これだけ食べに入ってもいいかなと思ってしまった。本は映画関係ばっか、これは凄い! 肝心の映画は「ふたごのユーとミー 忘れられない夏」という作品。主役は中学生のユーとミー。二人は一卵性双生児の姉妹という設定。だけど、一人の俳優さんが演じている。ずっと一緒だった姉妹、だけど、二人の両親は仲が悪く、いつも喧嘩ばかりをしている。物語の発端では、バンコクの学校に通う二人の様子が描かれている。そこで、そっくりだということで、追試のときに入れ替わって受験するという挿話が描かれるが、これが、後の展開に大きく関わってくる。両親の仲たがいは、ついに別居となる。姉妹を連れて、実家の母親のもとに帰る母親。それが、イサーンのナコーンパノムだそうだ。多くは、この町の郊外、田園地帯で、物語は推移する。この風景が素晴らしい。とっても、癒しの光景だ。変調が見られ出すのが、一人の男子が現れてから。実は、これが冒頭の挿話に係る男子。ところが、この男子と会ったときは、双子が入れ替わってたとき。そこから、誤解の恋愛が始まる。そして、お約束的に出てきたトライアングル。それと、両親の離婚が決まる話が絡んでしまう。双子は別々の道を歩むようになるのか、それとも、二人ともが、好きになった男子を諦めることで、物語を終わらせようとするのか気になっていたら、どちらでもなかった。この辺から、監督の腕力を感じてしまった。これは、双子が、いつかは通らねばならない道、違うのは、通り方が濃いか淡いかだけの違い。それを通じて、確実に成長していく二人。通過儀礼のように、人生で通らねばならなかった二人の関係、今までと今後。その境界での物語と言えばいいかな。少女が、大人になっていく姿を、ある意味ではベタな双子という設定で見せてくれてました。両親の離婚問題を絡めて、二人の今後を、もっと広く言えば、今後の人生を考えさせた、そういった設定が功を奏しているように看えました。観ていて、なんとなく、韓国映画「ハチドリ」を思い出していた。あの映画も、結末への展開に腕力効かしたという性格の映画だったが、そういった点で二つの映画が似ているために、そのように思ったのだと思う。序盤は、双子のベタな展開だったため、失敗したかと思ったのだが、それは浅はかだったと反省。いい感じの映画だった。何よりも、タイの田舎のロケが最高!
 帰宅後、身体を休めながら、Radikoで「まーぶる」を聴いた。先週に続き、二葉はお休み。替りは、ドラッククィーンのタレントだった。ドラッククィーンの歴史の話はおもしろかったけど、やっぱ、落語ネタがないと退屈なので、1時間ちょいで聴くのを止めてしまった。米紫で続けてくれれば良かったのにね。大人の事情があるのかもしれませんな、知らんけど。


2024年 8月 12日(月)午後 7時 47分

 今日は、世間的には祝日の月曜日。お出かけなしの休養日。いい落語会ないかなと思い調べたが、考えてみると、今週2回も、既に落語会に行こうと予約を入れているので、無理しないというか、頑張って行こうかという気になる会がなかった。となると、定番の日に2回のウォーキング時だけが外出時間。でも、今日は、わけがあって、夕方に洗濯をすることにしたので、その分、時間を取られたため、夕方はミニになった。その替り、昼前のウォーキングは9800歩余、歩いてしまった。
 午後の一時は、始まったトルコ・リーグのチェックや、溜めていたYoutubeの動画を観たりしたが、なんか、画面を観るのが嫌になり、寝落ち覚悟で読書をすることにした。この間、読んでいるフランス革命関係の新たな本を持ち出してきた。ところが、実におもしろいので、寝落ちはしなかったのだ。今朝、3時に目が覚めたままなんだけどな。こんな日もあるということです。それと、「Oper Vision」で、先日観ていた「カルメン」(チューリヒ歌劇場)が、公開期間が短かったはずとチェックを入れると、案の定、8月15日までだったので、慌てた。が、その頃には、午後の一時の残り時間があまりなく、ピンチです。
 そうそう、朝早く、目が覚めたので、TRT3で、サッカーの実況中継を聴いていたが、手持ち無沙汰なので、航空券の値段を調べてみた。釜山が、相変わらず高い。狙いの11月は、もう少し待ってから買った方がいいかなと思い出していたというか、この間、調べるたびに、この結論に達してたのだが、テグ(大邱)便を詳しく観ていると、日により、値段に凸凹がある。木曜日出発が安いというのは、定着気味という認識を持つようになってたが、そこが、確かに凹なのだ。すると、28000円を下回る日があるじゃないか。しかも、往きは午前出発、帰りは午後出発でだ。今、やたら、釜山に行きたいので、釜山往復がダメなら、テグ往復で釜山行ったろやないかと決意。買いました。だから、テグからアンドン(安東)や、キムチョン(金泉)方向へは行きません。釜山を入れたコースを考えますというか、既に、頭の中では、かなり出来上がっている。できるだけ、鉄道に乗ろうがコンセプトかな? ということで、今年3回目の韓国、決まりました。


2024年 8月 11日(日)午後 8時 22分

 今日は、オリンピックと高校野球のせいで、「日曜美術館」(新作)も「光る君へ」もない日曜日。ふざけてるわ。世間の人って、オリンピックや高校野球ばっか、観てるのとちゃうと思うねんけど、人の楽しみは、あっさりと奪ってしまう。悲しいわ。「日曜美術館」は、旧作が放送されても「アートシーン」だけは新しいってことあるので、これだけは観れると思ってたが、こちらも旧作だった。巡回展するものを使い回していた。どうだろうと思ってたので、「アートシーン」の時間帯まで、ウォーキングに出かけられず、結局、終わってから出かけたら、ミニミニウォーキングしかできなかった。というのも、午後にお出かけ予定を入れていた関係で、その時間を考えると、ミニミニになってしまった。そのお出かけの往復、行きたいマート経由にして迂回コースを採ることで、量を増やしたが、万歩計を見ると13500歩余と少ない。仕方ありません、こういった流れだと。しかし、せっかく、昨日楽だったウォーキングも、また元の木阿弥。めっちゃ気温、上がった。特に午後の上がり方は異常。疲労度を考えると、このくらいが適量かもと思ってしまうな。
 お出かけ先は京セラ美術館。今日の午後、こちらのコレクションルームの展示で、ギャラリートークが行われるというので行ってきた。こういったギャラリートークが、こちらで行われているというのは知らなかったので、初めての試みかと思ってたが、それは間違いだった。解説をされたキュレーターさん、「おなじみさんがおられますね」なんて言われていた。既に、今行われている展示は観ているが、事前に、ざっと観ておこうと、開始時間より早めに行った。それで正解だった。システムが判ってなかったので、入口で尋ねると、当日申込み制だという。既に並んでる人がいたので、その後ろについた。20名限定との貼り紙もされていた。そして、ワイヤレスのイヤホンを渡される。それで受付完了。それから、出入りはできるというので、ざっと復習がてら、展示を眺めておいた。展示は日本画だけではないのだけど、一人のキュレーターさんが、現代アートの展示まで解説された。既に、作品についての感想はまとめているので、キュレーターさんから聴いた目ぼしいものをメモっておくことにする。「第1の部屋は、上村松園と伊藤小坡だったわけだが、二人の違いから解説、上村松園は、母親が家事万端を担っていたが、伊藤小坡はそうではなかった、家事もこなし、画業も勤しむ、‶夏‶という作品では、階下に家族がいるような家で、寸暇を惜しんで画業に係る、秋には帝展があるので、夏は踏ん張り時、その多忙さもあり、そういったものが強く伝わってくる、上村松園が母親を亡くすことで、家事もするようになった、それが伺えるのが‶晴日‶という作品、それ以前の作品‶春光‶と対比できるということで、上村松園は2点が展示されている」「梶原緋佐子は、東山の造り酒屋の出で家庭的には裕福だったが、戦前の作風は、それに反して働く女性を描いている、それに対して、戦後は、比較的裕福な女性を描くようになった、その戦後の制作を示すのが‶鏡‶という作品で、他の5点と、明らかに、女性の表情も使っている色彩も異なる、‶暮れゆく停留所‶は22歳のときの作品、停留所は中書島、だと、描かれた時代を考えると、働く女性は遊郭絡みだと思ったので、終了後、質問をしてみたが、そういう考えもあるようだとか曖昧な答えしか返ってこなかった」「秋野不矩と三谷十糸子は、ともに西山翠嶂門下、年齢も5歳ほどしか違わない、秋野不矩の‶砂上‶は、故郷の天竜川の砂浜、三谷十糸子の‶女‶は新古典主義の描き方、線をくっきり描き、構図に拘り、この作品だと余白の美を追求している」「北沢映月は上村松園門下」「第3室の‶よそゆきの姿‶のコーナーは昭和モダンの作品、ラジオが普及し、西洋の文化が入ってきた時代のもの、望遠鏡、西洋の楽器、ゴルフ」「秋野不矩‶紅裳‶は出世作、5人の女性が描かれているが、実際には2人の女性しか描いていない、一人は作者で、あとの4人は、皆、同じ人、その女性に、様々なポーズをとらせ写生したものをアレンジして並べている、色彩の様々な赤色を駆使して描いている」「北沢映月の‶ある日の安英さん‶は、山本安英の家へ通い写生をしたっものをアレンジしたもの」「小松均の‶夏山‶は線と面で描いた作品、下方に小さく描かれた大原女はカラフルに描かれている、小松均は、風景を観ながら、そのまま手元を観ないで写生をしたそうだ、それだけ鍛えた画力があったということ」「シルクスクリーンというものは、欧米では、アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインといったポップアートの担い手が、1960年代には使っていたが、日本では1970年代から、だから、その新しい手法を使って何ができるかを模索する作品が続いた、泉茂なんかは、その先駆者の一人だということで、今回の‶シルクスクリーンの可能性‶というコーナーでも取り上げられた」「18点の小野耕石作品は、その並べ方は美術館側に任されたそうだ」。


2024年 8月 10日(土)午後 8時 40分

 今日は、久しぶりの休養日。そんなで、ゆっくりできるかと思ってたが、存外、そうはいかない。日に2回のウォーキングは、ごく普通にできた。ましてや、昼前のウォーキング時は、曇り空で直射日光が射さない上に、微風があった。夕方は、陽射しがあったが、昼より、もっといい風が吹いていた。身体の体温を奪っていく力すらあった。こんな風があったんだとすら思うほど、久しぶりのいい風だった。おかげで、ウォーキングは極めて順調。夕方、万歩計を見ると17300歩余と、全く普通だった。
 午後の一時は、久しぶりにオペラを観て、溜まっている、贔屓のYoutuber氏の動画を観るつもりだったが、ふと頭を過ったのは、9月初めに考えている1泊旅行の準備、大丈夫だったか気になったので、チェックを入れると、確かに、かなり進んではいるが、完璧ではなかった。場合によると、8月初めにでも行こうかと考えていたので、準備を進んではいたが、交通関係の資料なんか、ダメだったので、それを補充。台風の季節なんで、近づいて来ないと、実際、行けるかどうかは判らないところがあるのが、悲しい。一段落したので、じゃ、予定していたことするかと思ったとき、頭を過ったのが、カード支払いのために、お金が引き落とされるという連絡が、銀行から来ていたが、その金額が腑に落ちなかったこと。カードを使うと、金額と日付をメモっているのだけど、どうも、ざっと見ても、腑に落ちなかったので、細かくチェックをすることに。まだ、全部のチェックはできてないが、案の定、メモが抜けていた。差が大きかったので、あれれと思うと、すぐさま抜けているものが、頭に浮かんだ。にも拘わらず、すぐには判らなかった。でも、突然、気づく。これって、時々、あるんだね。忘れていたこと、ずっと忘れたままになることが多いんだけど、突然、何の前触れもなく思い出すことがあるが、今日は、それだった。あと、まだチェックできてない箇所も、そうなんでしょうね。でも、気が済むまでやっておかないと、変なことになってたら、嫌だからね。そんなことをしていると、結局、午後の一時は吹っ飛んでしまった。だから、何もない休養日となった。そして、来週は、今週と違い、時間に余裕があるからと、DとSと遊びたいと思ったのに、日程が合わず、ぽしゃってしまった。あいつら、タイから帰ってきたところなのに、また、次の予定を入れている。癪な話です。


2024年 8月 10日(土)午前 7時 20分

 月曜日から続いたハシゴでのお出かけ、昨日で一段落。暑いなか、頑張りました。熱中症が怖いものだから、身体が、異様に熱してないかには、結構、注意をしていた。最近、体内の水分が沸騰するってことなんだなと思ってる。エアコンの効いたところで、しっかりと身体が冷えていると、熱いなか歩いても、15分程は、汗が出ないけど、急に汗をかきだすときってある。そこが沸点だと思うようにしている。去年、実際にあったことだが、電車に20分も乗ってれば、エアコンが、しっかりと効いていて、身体は冷え、汗をかくってことは収まってるはずというのも、一つのメルクマールにしている。冷えていいはずなのに、冷えない身体って、その先に異様なことが起こるということの印だと思うようにしている。そんなで、この5日間は、結構な炎天下歩いてたけど、大丈夫でした。
 昨日は、朝から出かけということは、金曜日ということでアスニー京都。先週同様、嵐山に行くつもりをしてたんだけど、昨日でなければというものを見つけたので、数日前に予定変更。どっちにしても、京都でハシゴをするということだったが。変更先は京都文化博物館。ここの展覧会でギャラリートークがあるというのを見つけたのでした。行くつもりをしていた展覧会のギャラリートークが、平日にある、これは外してはいけないでしょう。その間の移動は、毎度、ウォーキングがてらの徒歩移動。小1時間の距離だ。そして、このコースを採るときは、昼食は決まっている。烏丸押小路下がるにあるインド屋さん。ここのビリアニが美味いのだ。暑くても、これが楽しみで歩くことができた。それを含めて、万歩計を見ると15600歩余となっている。この暑さで、これは良しとしましょう。
 アスニー京都の市民向け公開講演会は、「令和6年度双京構想連続講座第3回」として行われたもの。昨日のお題は「鎌倉時代の朝廷と幕府ー源実朝を中心にー」というもので、京都産業大学教授小林一彦さんのお話を聴くことができた。小林さんは、アスニー京都で話すのは初めてと言われていたが、どこかで聴いている。多分、アスニー山科の方でだったと思うが、和歌の専門家で、とっても骨格のしっかりとしたお話をされた記憶があったが、今回も、正に、そういった言い方が当てはまるおもしろいものだった。実朝が切り口だった。実朝は、和歌の名手だったということは聴いたことがある。お話は、その辺のわけを、実際、実朝が残した歌を紹介されながら、その作品の質を話されていた。その辺の話を聴いている際は、「あれれ、双京構想だの、朝廷だの、天皇だの、そこがテーマなはずなのに、、、」と思いつつも、和歌の話は、それはそれでおもしろい。が、しっかりと、ニーズに合う話だったのだ。素晴らしいと言われる実朝の歌が、なぜ、素晴らしいのかが問題なのだ。その1として、京都の公家らとの交流があった。いや、実朝らは、定家の添削を受けていた。今で言う、通信添削を受けていた。後鳥羽院なんかは、東国の武士との交流をすることを良しとせず、そうしたことをしている公家を疎んじたそうです。それはそれで、腹が座ってると思うが、そういったことが進行していた。実朝の歌には、古歌を繋ぎ合わせたものとか、御家人の歌にそっくりなものがあるそうだ。その中に宇都宮氏兄弟(兄が後の蓮生法師の宇都宮頼綱、弟が後の信生法師の宇都宮朝業)がいた。彼らは、幼少期を京都で育ち、公家との接触もありで、そういった教養を持ち、東国にやってきて、京都の文化を引きづっていた。そうした御家人と実朝は交流があったようで、先程の真似る歌も出てきたようだった。そういったことから、御家人の間でも京都の文化が息づいていた。正に、双京の姿があったと言ってもいいのではということだった。頼朝も歌人として相当な腕前だったのは、頼朝自身は京都育ちだったからと言えるが、実朝の場合は、京都で育ってない。その替りに、こういった経歴を持つ御家人との交流があったということなんですね。宇都宮氏兄弟の一人が、後に出家をした。あらぬ嫌疑をかけられたため、身の潔白を証明するために出家をして、政からは身を引き、やがて京都に移り住み、小倉山に住み、定家に対し、古今の和歌からの精選集を編むことを求めて出来上がったのが「小倉百人一首」だそうだ。本格的な京都かぶれをした御家人、筋金入りですな、これは。そういったことで、双京に収斂して、お見事! おもしろい話を聴けました。
 京都文化博物館では、今、2階の展示場のスペースを使い、「足利将軍、京都に住まう。」「福井勇─ あいまいな輪郭」という2つの展示が行われている。狙いは後者だが、前者も並んだスペースにあるので、一緒にギャラリートークが行われた。こちらでは、室町幕府の将軍の住まいがどこにあったかを示すのが、本題。というのも、京都文化博物館の位置が、その1つのほん近所だからというのが、この展示の着想だそうだ。その将軍自筆の花押入りの国宝文書が売りの展示。東寺百合文書に、そういったものがある。これは、京都府の施設ご自慢の史料、それを観ることができる。また、資料館から暦彩館に引っ越す際に大量に見つかった中世文書の中から、当時の生活に係る文書の展示があった。一方の福井勇一という作家さん、知らなかった。そういった作家さんの回顧展があると行くようにしているが、これもそうだった。ましてや、知らない人についての解説を聴きながら鑑賞できる、外せません。洋画の作家さんで、小中学校の教員をしながら創作をされていた方だそうで、綾部出身で、多くを亀岡で住まわれていたそうで、その亀岡の穴太寺を描いたものが、多く残っているそうだ。戦前から始まる画業、展示の多くは戦後の作品でした。おもしろい画風の持ち主だった。「柘榴」「柿」といった作品に現れているが、同じ果物を並べて描いてあるが、各々の質感が異なる。1つの果物を置いておいて、その変化した姿、要するに、熟れて、やがて腐りだす、そういった経緯を、同じ果物で追いかける、それを描き連ねる、同じキャンバスに。すると、そこに「時間」が現れる。へぇ~、凄い着想! 「五月の穴太寺」という作品を取り上げ、特徴その2を解説していただけた。境内にある門だかを描いているのだが、その全体像を描かないものだから、黄紺などは、その前の空間が、えらくリアルに見えたり、そこにある草を描きたいのかと錯覚しそうだけど、キュレーターさんが用意されたのは、その門の全体の姿を、更に、周りの空間と一緒に撮った写真だった。それを観て言われたこと、「写真の構図だと、それだけになってしまう」、確かにそうだ、「だけど、一部を描いて見せると、その周りなどへのイマジネーションが搔き立てるものがある」、なるほど、納得できました。ギャラリートークが始まるまでに、一通り、作品を観ながら書いた自分のメモに目を落とすと、「鳥とぶ峡谷」には「部分」とメモり、「校倉と瓦と柿」には「フェードイン」とメモったりしている。「野川の朝霧」という題のついた作品は、1つに「部分?」、もう一つには「フェードアウト」と書いていた。この2作品は、同じ河原を描いていた。という風に、作家拘りの構図だということですね。「光の中の像」は、母親が亡くなったのを追悼の気持ちで描かれたそうだが、確かに、撞木?を担ぐ女性たちに、それを看ることができ、左端の彼岸花で、心情を表しているのかと思えるが、明るい逆光に包まれていることから、そういった不幸を前提に描かれているとは、なかなか思えないし、撞木?だと判らなければ、その心情にも迫れない、そういった「あいまいさ」が、この人の作品にはあると言われていた。構図の問題も、そのタームで表現できるかもしれませんね。やっぱ、聴いてみるものです。そうったなか、◎を付けた作品があった。「水辺の花」という戦前に描かれたもの。確かに、目立つ花々を観ると、確かに「部分」を描いているようだけど、遠目から観ると、前の池の広がりが、しっかりと描かれていた。画力の凄さを観る思いがした逸品でした。


2024年 8月 9日(金)午前 7時 27分

 昨日は、午後から出かけて、京都でハシゴをした。だから、帰宅は夜。ほほ9時というところか。京都工芸繊維大学資料館に行き、次いで、京都新聞文化ホールでシンポジウムを聴くというのが、大まかな流れ。午前中は普通の日だったので、午後の動きを考えミニのウォーキング。午後のウォーキングは、外出時に、結構、歩くだろということで、移動時間を、それに読み替えた。帰宅後、万歩計を見ると18200歩余と、極めて優秀。夕食は、竹間公園で、用意しておいたパンとおむすびで済ませ、帰宅後、晩酌をしながら飲むというパターン。夜に出かけたときの定番だ。
 京都工芸繊維大学資料館では、このミュージアムお得意のポスター展だ。「大博覧会展ー博覧会を楽しむ20のエピソード」「パリをめぐるデザイン」の2つが、今、行われている。後者は、博物館学の実習として、学生さんがキュレーションをされたものだそうだ。「フランスのポスター」という展覧会があったところなので、よく似た展示とはなったが、展示されるものが好きなものだから、2つ併せて、しっかりと楽しむことができた。まず、博覧会の方だが、明治以後、近代化をめざし開かれたというのは知っていた。実際、京都の岡崎地域のスペースというのが、その会場跡で、平安神宮が、その遺物だということも。それが、第4回だそうだ。それまでは、東京でだけの開催。会場は上野。あすこのスペースも、岡崎と同じで、今まで続く、文化ゾーンになっている。展示物でおもしろかったのは、そのポスター。有名な絵師たちが、その下絵を描いていた。河鍋暁斎、二代歌川国輝、三代歌川国重らの名前が出ていたのには、めっちゃありがたかった。それと、三越が作ったポスター、岡田三郎助の下絵による「紫の調べ」。女の人の構える小鼓の調べが紫色だった、かっこええです。ホールには、大礼記念京都大博覧会のポスターがあった。どうやらコンペがあったようで、その1~3等賞が揃ったと、ちょっと自慢気な解説があった。真ん中から光が出ている、色合いが違えば横尾忠則かというポスターが1等賞だった。どうやら、産業振興に繋がるということで、博覧会は引く手数多だったようで、北海道、名古屋、岐阜、新潟などの都市でもあった博覧会のポスターにはびっくりだったが、その中の秀逸は、岐阜。鵜の首に輪っかを付けたものだが、その上には飛行機がデザイン化され飛んでいた。軍事色も入ったものだったが、鵜のデザインが良かった。外国の博覧会に、ウィーン以後、日本は参加したとのことだが、その証拠のように、メダルや賞状の類が多く展示されていた。そういった中で、おもしろいエピソードを知った。浅井忠がヘッドハンティングされ、東京から京都に移ったのは知られた話だが、それは、1900年のパリ万博でのことだったそうだ。2階が、もう一つの展示。章立てをしてあり、1つ目は「香る日本」として、ジャポニズムが取り上げられていた。平面的な描き方ばかりか、もろに日本的なものを入れ込むというポスターが展示されていた。ミュシャ「椿姫」とミュッラー「サダコ」が、正面の壁に並べてあったのは、そういうことなんでしょうね。おなじみのジュール・シュレ「ペレ・ド・グレーヌ」、ピエール・モナールもの、ロートレックものもあった。ま、外せない。テオフィル・アレクサンデル・スタンラン「ヴァンジャンヌの殺菌牛乳」が気に入った。可愛い女の子に、背を伸ばす3匹の猫が可愛すぎ。次のコーナーが「アール・ヌーヴォーとアール・デコ」。前者では、マニュエル・オラジ「ロイ・フラー劇場」が目立つ。花だけを散らし、下半分は大きな空白、淡い黄色も目立つ。斬新なところが目立った。後者では、このコーナーの代表作になるらしい、アドルフ・ジャン・マリー・ムーロン・カッサンドル「ノルマンデイ号」がいい。大きな客船を正面から描き、僅かに波立ち、前を列をなした鳥が飛ぶ。「北の星号」は、レールだけで旅を誘う作品、これもいい。「パリの街に酔う」と題したお酒のポスターを並べるコーナーが続いた。多くのポスターの中から、酒と乗り物に特化した「パリから見た各地の風景」とが用意されていた。前者では、ルロン「デローゾのリキュール」がいい。身体を伸ばした白熊が、女性が出すグラスを求めるという大胆なもの。丸い顔のデザインがおもしろい「食前酒にロッシをどうぞ」(作者不詳)は、おもしろ路線で目立った。後者は、パリ市交通局、SNCF、エアフランス+α的な展示。パリ市交通局は、二色(黄と茶)の切符のカラーを、どこかに入れている。SNCFは、なんと、ダリを起用していた。エアフランスは、最早、我々の感性のものだった。
 夜のシンポジウムは「第9回 日文研―京都アカデミック ブリッジ」というイベント。「中国人学者が語る‶風月同天‶―大陸からみた日本の古代・中世―」というもので、京都新聞と日文研が共催するもの。そのプログラムは、次のようなものだった。①講演「日本における夏商古道」(韓東育:国際日本文化研究センター外国人研究員)②講演「海上シルクロードにおける京都と明州」(劉恒武:国際日本文化研究センター外国人研究員)③講演「無題」(孫詩彧:国際日本文化研究センター助教)④シンポジウム(進行/伊東貴之:国際日本文化研究センター教授)。正直言って、おもしろくなかった。①は、殷(商)と周との断絶を捉え、殷の王室が日本に流れてきたというお話をされたようだったが、内容も荒唐無稽だし、第一、聴こえない。あまりにも籠った声で喋られていたため、その本意が判らないままだった。②は、ただただ、お題のまんま、時系列的に押さえられただけというお話。明州は寧波のこと。③は、現代のお話で、現代の中国の若い人たちの日本へのアプローチを話されていたかと思うと、いきなり、古代・中世の日本の婚姻のシステムに入り、ジェンダー論のようで、それと、現代の若者話と、どのように繋がるのかと興味津々だったが、繋がらなかった。とまあ、講演がさっぱりだったもので、まじで、休憩時間に帰ろうかと思ったほどだけど、これ、京都新聞、後日、記事にすると言ってたけど、困るだろうなぁ。


2024年 8月 8日(木)午前 7時 20分

 昨日は、朝から出かけ、京都と滋賀でハシゴをした一日。水曜日の朝からとなると、アスニー山科。そして、そこから行きやすい滋賀県立美術館に行った。お昼は、瀬田駅前でおにぎりを買い、いつもの四阿で食べた。美術館に入ったのが、午後1時を僅かに過ぎた時間、それから3時間、こちらの新たな展示を、しっかりと観てきた。ウォーキングを兼ねて、瀬田駅と美術館の往復は徒歩移動。これを含めて一切合切で、帰宅後、万歩計を見ると16500歩余とは、とっても優秀。一昨日もそうだったけれど、腰が、意外と元気。昨日は、途中、休憩を入れたが、僅かの休憩で、この長丁場をこなすことができた。
 アスニー山科の市民向け公開講演会は、「幕末の諸侯はなぜ上洛し、どこに住んだのか―そのとき山科は?」というお題で、京都女子大学等非常勤講師の中村武生さんのお話を聴くことができた。最近、ちょっとご無沙汰の幕末がテーマ。また、その細かなところが取り上げられたものだから、基本が、さっぱり解っていない身には、とっても厳しかった。だから、かなり寝てしまった。起きても解らない、また、寝落ちする。なのに、お話の骨子は判った気になっているという不思議なことが起こった。大名は、参勤交代の際、京都は通る。が、基本的に伏見まで来て、そこから大岩街道を抜け、山科、大津へと抜けるというのがコースで、入洛させなかった。慣習として、しっかりと励行されていたという。もちろん、公家なんかと縁戚関係のある大名などは、入洛は可だったそうだが、それとて、伏見に宿をとり、京都との間を往復することになっていたという。朝廷との接触を、幕府が嫌っていた、警戒していたというのだ。それが、日米の通商条約が結ばれた辺りから変化が出てくる。大名が、京都市中に居を構え、住み出すというのだ。殊に、東山の山麓地域は、京都市中を見渡せるとして、その辺りの土地を入手していく。市中に屋敷を構えていても、その地域に、新たに土地を得ていったという。その入手の経緯が、勤皇派、佐幕派の権力闘争の激化とリンクしているというのが、お話の粗っぽい概要。勤皇、佐幕の争い、それを細かく抑えながらやられると、さっぱり解らないのだ。安政の大獄、桜田門の変、それがあったあと、誰が、幕府の政治の中枢についた、そんなこと知るか! そこに、水戸、要するに慶喜のことのようだが、尾張や紀伊といった徳川家内部の権力闘争も絡むらしい。天皇は、薩摩となの、長州となの、そのつるみ方の推移も知るかいな! 家茂って、入洛したらしい。それに合わせて、また、大名は京都に屋敷を構える。その辺の情報合戦が凄かったみたい。それに乗り遅れたのが、伊達なんだって。だから、会津と、どこだっけ、最後まで幕府支援に回った。がため、京都に屋敷を構えないままなんだってと、幕末の権力闘争の鏡となるのが、大名の上洛だということなんでしょう、知らんけど。かなり辛いものがある、あまりにも幕末史の知識がないことに。じゃ、知ろうとすればと思わないんだなぁ、そんなことするなら、他のことしようの気になってしまうのです。
 滋賀県立美術館では、今、3つの展覧会が行われている。去年までとは違い、3つの展示室の開催期間を同じにしたものだから、以前のように、少しずつ重点を移しながら観ることができない。ま、複数回、同じ展示のときに行けばいいのだが、心理的に、面倒な感じがしてしまう。開催時期がずらされてると、そうは思わなかったのに、、、。一番広い展示室3では、「滋賀の家展」という美術館の展示としてはユニークなものが行われている。直感的には、歴史のある滋賀県だから、伝統的家屋を追うということかなと思ったけど、いやいや、博物館じゃないんだからと思い直す。「1960年代の日本の住宅産業と滋賀県のつながり」をヒントに、滋賀県に係る現代建築の跡、現在進行形の建築を追うというもの。プレハブ住宅の工場が県内にあったということから、その工場での生産状況、そのカタログ、設計図などの展示から始まった。建築関係の雑誌が、かなりのスペースを占めている。ニュース映像なんかも展示され、当時の社会状況とともに、住宅事情、工場の状況などが流されていた。黒川紀章設計の《中銀カプセルタワービル》のカプセルも、県内で制作され搬出されたということで、その紹介もあった。これ、「日曜美術館」でも紹介されたことがあったから知っていた。黒川紀章のインタビュー映像も流れていた。展示スペースを大きく占めていたのが、「建築家たちの実践 ―新しい暮らしと周縁とのつながり」。バブル崩壊以後の新しい建築を、もちろん、県内で施工された事例を紹介するというコーナーだ。設計図や、家屋の画像・映像だけではなく、家具や、生活されている方のインタビューも用意されていた。そういった、新しいユニークな建築物と、過疎に見舞われた地域の住の部分での再生プロジェクト、それは、地域おこしとリンクしているのだけど、その紹介もあった。琵琶湖内の住民のいる島での取り組みなどが紹介されていた。今一つの展示が大掛かりなもの。美術館のエントランス、及び、前庭に、この展示のための新たな製作が行われ、展示されていた。竹原義二|無有建築工房による縁側《素の縁側》は、重厚な木の組み上げで作られた和の建築物の骨格。装飾を施してない分、重厚さと爽快さがあった。これがエントランスにあった。前庭の方は、芝生の中に設置されていた。伊礼智による小屋《湖畔の方丈》。四畳半の広さの、外から見ると小屋に見えたが、中は、現代風のダイニングという感じだった。
 第1展示室では「日本画って何だろう?」という展示。日本画の基礎を紹介するもので、しかも、子ども用に作られたクイズが、なかなかツボをついていて、しかも、作品が大物を揃えているという、なかなかの展示。このテーマに惹かれてきた人に、ほんまもの見せたろ感、満載だった。いきなり、冨田溪仙から。「宇治川之巻/⽊幡」という絵巻。水墨画じゃないもので、びっくり。桜の描き方の比較をということで、吉田善彦「桜」と池上秀畝「山桜図」。山元春挙の師になる野村文挙の「夜の梅図」は、水墨画に、部分的に色彩が入ったものだが、ぱっと見、水墨画に思えない。月の明るさが冴えている。岸竹堂、菊池契月らが続き、大部な下村観山「鵜鷗図」だが、鵜と鴎の向き、波の左右での違い、それに関わるクイズが用意されていたが、下村観山は苦手なものだから、今日もそうだと、スルー。堅山南風「銷夏帖朝顔」は、上下にある金で描かれた雲は異空間を示すという解説、ありがたい。速水御舟「遊漁」に描かれた魚2匹、描いている視点が違う。セザンヌより早い。前田青邨の「猫」も、猫と下の絨毯を描く視点が違う。小林古径「竹取物語難破」、安田靫彦「飛鳥の春の額田王」は、この美術館の誇る名品と思っている。その傍らに、北野常富が2点、「鏡の前」「暖か」。こんなの持ってんだ。「鏡の前」がいいな。可愛い。でも、この2作品、同じ女を描いたそうだ。10頭身くらいあるのは、竹久夢二風なんだって。山元春挙の「富士二題」の富士は圧巻。フェードアウトせずに描いている。にも拘わらず、左隻の方は、すぐ手前に民家が描かれているので、かなりの違和感がある。茨木杉風「近江八景図」は、屏風絵なんだけど、折り方を意識して構図を考えているという見本。守屋多々志「衣香」と三橋節子「田鶴来」は、ともに「異時同図法」の例示としての展示でした。傍らの「小倉遊亀コ-ナー」では、「童女入浴」が、本絵とともに、下絵、大下絵とともに展示してくれていました。それと、マチスばりの「月」が出てた。
 第2展示室では「”みかた”のちょっと多い常設展」は、昨年あった「“みかた”の多い美術館展」という企画展の続編。ジョナサン・ボロフスキー「飛ぶ夢を見た」、アンリ・マティス「パーシパエーミノスの歌(クレタ島の人々)」を、視覚障がい者用に触って判るようにしたものを用意しているのは、前回と同じだが、ワシリー・カンディンスキー作品を画像化して、更に引き延ばし、自撮りをできるようにしてあったり、奥のスペースを使い、全方位に作品を並べ、その感想を中央で紙に書かせ、それも展示しておくという試みが傑作。並べてあった作品のチョイスが最高だったのだ。舟越桂「Quiet Summer 1」は肖像画、塔本シスコ「夕食後」、高松次郎「影(母子)」は影を描いた作品、この3つを並べたのが1つの壁、岡崎莉望「目」、李禹煥「線より」(布かと思った!)、金山明「Work 1961」(具体の作家)という抽象画が並んだのが1つの壁、野口謙蔵「五月の風景」、アーシル・ゴーキー「無題/バージニア風景」、古久保憲満「オレゴン州の町」(アールブリュット)という形の取れる作品が並ぶ1つの壁、丸を描いた吉原治良「無題71」と吉原と活動をともにした山口長男「安定する四角」という抽象画が1つの壁。これらの組み合わせに、考えた人に脱帽しちゃったな。古久保作品の収まりのいいこと、野口作品が前衛的に見えてくる、対面にある具体の作品も安定感を輩出している。塔本作品も分類ではアールブリュットに入るとは思えない。めっちゃ、おもしろい空間に、しばし、見とれてしまってました。その他、陶器作品の展示位置を変えて観れるようにしてあったりと、ここ、もう1度行きたいな。いえいえ、あとの2つの展示室も、もう1度、行きたいね。いや、行くでしょうね。


2024年 8月 7日(水)午前 6時 43分

 昨日は、一昨日同様、大阪で、美術館と落語会をハシゴした。お出かけが11時を回っても大丈夫だということで、朝には洗濯と、かなりタイトな動きとなった。ただ、行き先が、同じビル内だったため、暑さを知らないまま。行きも帰りも、ほとんど外を歩いてないものだから、久しぶりに汗をかくことが、ほぼないという一日だった。替りに、ウォーキングはしてないのに等しい一日でもあった。
 混雑が予想された美術館は後回しにして、まず、落語会から。久しぶりに行った「あべのハルカス寄席」を、1部、2部の通しで行った。その番組は、次のようなものだった。呂好「代書屋」、九ノ一「一文笛」、新治「宇治の柴舟」/かい枝「堪忍袋」、雪鹿「天覧文福一門会」、春若「抜け雀」。呂好の「代書屋」、アホなおっさんの出てくるだけなんだけど、運びは同じでも、微妙にテキストやくすぐりが違う。誰にもらったんだろうと思ってたら、1部が終わり、外で待機してたら、ディープな落語ファン氏が教えてくれました。鶴志のものでした。黄紺も、聴いたことがあるんだけど、その微妙にいじったテキストまで覚えてなかった。九ノ一は、先日行ってきたフジロック話をマクラで。2度ばかり聴いたことのある、去年の矢沢永吉出演話もしれくれた。このマクラ好きなものだから、何度聴いても、楽しい。特に、矢沢永吉と雀三郎が同い年というところが最高と思ってる。ネタは、九ノ一で初となる「一文笛」。もう大ベテランの口演だった。流れる流れる、いいテンポ、ノリも最高。間の変化が凄い。そんなのできるの、大ベテランといえどもできないよと思ってしまった。やはり、九ノ一は只者ではありません。改めて認識しました。新治は、思いがけないネタを出してくれた。夏のネタだけど、「宇治の柴舟」って、新治が持っていることすら知らなかった。久しぶりに出したんじゃないかな? 珍しく、いつものような爽快さが、ちょっと陰っていた。だからでしょうか、宇治での行動の開放感に、若干、欠けたかなという感想を持ってしまった。あすこで、急に、噺の質感が変わり、宇治川の爽やかな空気と、何が起こるのかという不安な雰囲気が出るといいんだが、新治なら、当然出せるはずだしと思うと、そんな風に思ってしまいました。かい枝は定番の得意ネタを出してくれた。オリジナルの「文句」も入れ~ので、申し分なし。時間の関係か、ラストを刈り込んでいた。これを定型にしているかもとは思ったが。雪鹿は期待のネタを出してくれた。最近、このネタを出しているのを見かけるので、期待通りとなった。師匠文鹿の爆笑ネタなところへ、雪鹿お得意の物真似が入るから、独自のテイストを成していた。その一方で、文鹿の毒気は薄めてあった。それでも、ネタの強靭さは、相変わらず。いいネタを手掛けるようになったものです。春若、なんか、貫禄が出てきました。マクラでは、ジョークを言うのが定番だが、時間を考え、少なめ。そそくさとネタに入りました。半ば辺りから、ここまで大丈夫だったのに、うとうとと来てしまった。せっかく、下げを変えてくれたのに、違うものだったというのは判ったんだけど、半分、夢の中だったもので思い出せない。残念。久しぶりに行って、「ハルカス寄席」、たっぷり感あるやんと、結構、インパクトあったので、また、狙うことにします。
 美術館はあべのハルカス美術館。エスカレーターを使い、上に上がれば済むという、まことに結構な移動。今、こちらで「広重 ―摺の極―」という展覧会が行われている。広重、大人気だ。初刷りものを多く所蔵しているというのが売りの「ジョルジュ・レスコヴィッチ・コレクション」を中心とした展示でした。浮世絵は、なんせ、作品が小さいものだから、それを警戒して、「ハルカス寄席」終わりで行くことにした。その狙いがドンピシャ。ゆったりと観ることができたが、展示されている作品数が、べらぼうに多い。しかも、解説文に目を通しながら、それも、正確に読むなんてこともせずで、丸2時間、かかった。それも、腰の調子が良かったので、休憩なしでだ。とにかく、数が多い分、広重で知らなかったジャンルの作品を、たくさん、観ることができた。最後には、数点だったが、肉筆画まであった。冒頭には役者絵もあったし、人物画も描いていた。全体を観て、とにかく思ったこと、風景画で名を成したといえども、何でもかんでも手掛けているということ。それで、ヒットすると、そこを深めていく。それが風景画だったということになる。一方で、「東海道五拾三次」で、大胆な構図に目を見張ってきたが、じゃ、他の作品もそうかというと、そうでもない。だから、多くの作品を観たが、有名になるには、やはり、それだけのものを見せてるな、でないジャンルは、それなりの制作だったんだということだった。「東海道五拾三次」が当たると、二番煎じ的に、類似品で当たりを狙うというのは、今も昔も変わらなかったようで、旅もの、名所ものを出したのは、そういうことだったよう。その中で、おもしろいと思ったのは、「木曽海道六拾九次」がおもしろいんじゃないかな。ちょっと凸凹があるようだが。但し、どれもこれもというのではなく、中に目につくものを見つけたという感じ。「本山」では、倒木が、画面を、大きく横切っている。「宮ノ越」は、背後の木がデザイン化され、前景との差別化がなされることで、前景が浮かび上がっている。「須原」も、同様の効果を狙ったかのような図だ。「東海道五拾三次」の続編のようなつもりで出されたのが、「東海道之内江之島路」「近江八景」「京都名所図会」なんかが、その中に分類できるようだ。「近江八景」は、いいタイミングで、前日、予習ができたようだったが、展示としておもしろかったのは、「石山秋月」「比良暮雪」で、摺の異なる作品が展示されていた点。「比良暮雪」なんて、片方には入ってない山があったりで、摺で変えてるんですね。相変わらず「堅田落雁」が秀逸の構図と思ったのは、前日と同じだった。「広重ブルー」と言われ、藍の入れ方が抜群だと言われるが、役者絵なんかには使われておらず、こういった風景画を扱うようになってから、出てくるというのが判った。また、結構、濃く使っています。そんなに数は多くはなかったが、同じものが2枚出てると、摺の比較ができるが、「ジョルジュ・レスコヴィッチ・コレクション」の方が、総じて、その藍が薄めだったように感じた。前後期で、かなりの展示替えがあるようで、「京都名所之内」は展示されておらず、替りに「浪花名所図会」が出ていたりしていた。「名所絵の円熟」と題したコーナーが用意されており、風景画の進化を見せようとしていたが、「金沢八景」のシリーズがお気に入りに入った。ここに、おもしろいと、先に書いた「木曽海道六拾九次」があったということで、円熟の技というところか。「江戸近郊八景之内」「東都八景」と、江戸を素材にした「八景」ものが続いたが、どうやら「八景」と付ければ売れたのかなぁ、でも、都市部の「八景」ものって、いかがなものか! 「帰帆」の帆も大きく描かれていたり、変化を狙ったのかもしれないが、、、、。「東都八景」は扇絵だったが、団扇絵も描いている。ホント、なんでもありの多作家で、しかも質を保っている。「六十余州名所図会」「名所江戸百景」は縦長作品。この変化は大きく、新鮮。「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」の大胆な煙、「廓中東雲」の前景の欄干も大胆だ。そして、超名作の「大はしあたけの夕立」。これは2点、展示されていたが、川面に2艘、舟が描かれているもの、ないものがあるんですね。「京橋竹がし」のアングルもおもしろい。ここにきての、この大胆さは何なんでしょうね? 「浅草田甫酉の町詣」では、解説を読むまで、酉の市に出かける人の列は判らなかった。こちらは、大胆過ぎる細やかさだ。広重は「花鳥画」も描いていた。これは、全くの初ものだったかもしれない。「月に雁」があったので、いやいや、そうじゃないだろと打ち消さねばならなかったが、まるで、西洋の静物画のようなものもあった。次いで「美人画と戯画」「多彩な活動」というコーナーもあった。「忠臣蔵」のような芝居の場面も描いている。「道中膝栗毛」などという物語の場面も描いている。多彩すぎます。しかも、団扇絵が出てきたのがここだから、売ること、売れるもの、そういった意識が強く働いていそうな印象を持ってしまった。いやいや、げっぷが出てきそうなほど、広重を観てしまいました。


2024年 8月 6日(火)午前 5時 50分

 昨日は、朝から出かけ、大阪でハシゴをした日。大阪浮世絵美術館に行き、昼食は、毎度おなじみのタイ屋さんでガッパオを食べ、動楽亭の昼席に行くという、定番のコースとなった。この間、全て、徒歩移動。これが、昨日のウォーキングだったけれど、これだったため、帰宅後、万歩計を見ると11300歩余にしかなってなかったけれど、これが精一杯だな。帰りは、もちろん電車を使い、帰宅したのは、もう午後6時前だから、こういった日は、致し方ありません。
 大阪浮世絵美術館は、新たな企画展が始まったということで、行ってみた。「葛飾北斎 吉田博 歌川広重 浮世絵が語る日本の名山」という企画展だが、葛飾北斎で「山」と言えば「富嶽三十六景」からだろうし、歌川広重はと言えば、「東海道五十三次」も「山」が出てくるので、ここからが多いだろうがということで、それ以外のもので、どれだけ楽しませてくれるかが、これが関心のポイント。それと、吉田博が入っている。「浮世絵」を名乗る美術館なものだから、ちょっと意外性があるが、吉田博を観れるなら、それに越したことはないので、ただ、山好きな人だったため、いろんな山を版画にしている。さて、どれを出すのだろうかというのが、関心の的だった。ただ、この企画展のプレス発表用のメモを見ると「当館初公開」となっていた。この言葉にもそそられた。展示数は、全部で58点。その内、「富嶽三十六景」が28点、「東海道五十三次」から11点、出ていた。これらは、この1年で、お目にかかることが複数回あったので、メモは割愛して、それ以外の作品をメモっておく。吉田博は7点だったが、4点が富士山を描いたもので、更に、その内3点が「富士拾景」というシリーズものだった。とにかく、写実の極みとも言える富士が圧巻。これを観て「富嶽三十六景」が、構図や組合せに腐心しているかが、よく判る。吉田博作品は、抒情の極みとも書ける。その範疇に入るのが「池之端」という作品。靄がかかったかのような家々、そのしっとり感はたまりません。あとの2点は、1つはアメリカもの(米国シリーズ/ナイヤガラ瀑布)とインドもの(印度と東南アジア/アジュメルのブレンデルワジャー)だった。熱海でも、このアメリカもの、インドものは観たけれど、いまいち好きになれなかったが、今回も同様だった。やっぱ、「池之端」のテイストに近いものが推しになってしまう。それら以外では、広重ものでは、「京都名所図会」「近江八景之内」「名所江戸百景」からのピックアップされたものが出ていた。秀逸は「近江八景之内/堅田落雁」。雁の連なりが、天上に通るかのように描かれていたのが気に入った。「名所江戸百景/深川洲崎十万坪」。実物は初となるものだが、鷲の地点から地上を描いている。手前に物を大きく描き、その背後との対比をおもしろく見せる手法の1つだが、鷲の目に映ってるかのような地上の風景というもの。才走った作品だ。「名所江戸百景/水道橋駿河台」では、鷲ではなく、前方に鯉を描くというもの。お題に挙げられた3人の作家以外では、歌川芳宗、貞秀、二代国貞ものがあった。
 動楽亭昼席は、昨日も、いい入り。黄紺は、自分の都合のつく日で、顔付けを見ながら、行く日を決めているが、昨日のチョイスの要因は、中堅の噺家さんの粒が揃ったから。それを見越したかのように、いい入りだった。若い客もいたりして、Dを、いつ、繫昌亭なり、動楽亭なりに連れていくか、頃合いを考えている身には、ちょっと焦ってしまいました。で、番組は、次のようなものだった。八十助「始末の極意」、米輝「寿司屋兄弟」、まん我「胴斬り」、吉弥「猫の忠信」、(中入り)、佐ん吉「うなぎ屋」、歌之助「明烏」。八十助は、師匠八十八のちょっとした動きまで似ている。歯切れが完璧かというと、そうとは言えないと思うけど、この師匠譲りの動き、口調を観て聴けるだけでも、ありがたい。「寿司屋兄弟」は、米輝の自信作なのか、以前の動楽亭昼席でも聴いたことがある。寿司にカレーをかけるという、米輝らしい、変な設定だ。まん我は、久しぶりだ。それ故、楽しみにしていたのに、そうしたときに限り、寝落ち。後半の記憶がないが、昨日はここだけだった。最近、「胴斬り」の遭遇度が高い気がする。吉弥は、会場を見て「難しいかも」と言いながら、こちらには有難い大ネタを出してくれた。もちろん、吉弥では初めてとなる「猫の忠信」だ。とっても自然に聴けた。スムーズにキャラが入ってきたからでしょうね。安定の吉弥というところ。猫の名乗りのところで、三味線を見上げる前に、大きな間を取った。お囃子ともいい連携だったので、狙いの間であることは確かで、それで、怪異感が増していたことは事実だ。この大きな間は、初遭遇だった。佐ん吉が、白眉の口演。この人の明るさが、見事にネタとシンクロした逸品となった。喜丸の「うなぎ屋」に迫る、このネタの最高傑作と言ってもいいくらいだった。「立ってんねん」で始まるものだから、「どっち?」と思いつつ、この位置だからと、慌てて、もう1つは消して、正解。歌之助は、なんと、子どもさんがいるのに、廓噺という大胆なこと、やってくれました。「明烏」を、上方でするのって、あと誰だっけと考えたら、文太しか思いつかなかった。筋立ては、吉原を新町に置き換えただけで、同じだなと思って聴いていたら、最後を変えた。子どもさん仕様かもしれない、さすが、ここは。2人の男が、若旦那を起こしに行くのではなく、若旦那の方から男2人のいる方に現れるということにしていた。いつも、そのようにしているのか、これは不明。もちろん、歌之助ではお初となるものだから。これが、この日の特別ヴァージョンだったとしても、危ない言葉がいっぱいでした。もちろん、子どもさんには。ええかいな!


2024年 8月 4日(日)午後 9時 35分

 今日は、久しぶりに予定を入れていない日。日曜日ということで、朝から「日曜美術館」だけが決まったもの。夜は「光る君へ」もある。息子家族は、2日からタイに行っている。今、パタヤにいるらしい。朝、メールを開けると、思い通りに行かなかったボヤキを書いたメールが入っていた。クレジットカード関係ばかりでトラブルだそうだ。配車アプリにクレジットカードを登録しておいたのに、それが使えなかったり、それをいじってたら、アクセス過多でロックされてしまったり、オンラインでバスのチケットを買おうとしたら、SNSでの認証を求められたが、電話回線の入ってないsimカードを買ったものだから、そこでストップしてしまったり、なんか、大変。黄紺などは、アプリにクレジットカード登録となると、躊躇ってしまい、現金で払おうとなる方だし、第一、バスのチケットって、わりかしデリケートになり、着いたところで、翌日なりのチケットを買うものだから、ほぼ、オンラインでバスのチケットを買ったことがない。ゼロではないけど、買ったときって、なんか事情があったような記憶がある。それと、クレジットカードって、国によっては、外国ものは拒否されるときがある。韓国などは、「外国のクレジットカードなんだけど、いいかな?」と尋ねると、明確に答えが返って来るけど、トルコのホテルなんかは、それを知らないものだから、「このカードがおかしい」と言い出す。そんなこともあるよといったことを書いて、レスを送っておきました。こういったときになると、急に頼りにされてしまってます。
 「京都・神護寺の旅 空海と9つの国宝」というのが、今日の「日曜美術館」もお題。東京国立博物館で行われている「神護寺展」に合わせたもの。番組では、実際に、坂本美雨が、神護寺を訪ねて、そのロケを中心に制作されてされていた。神護寺は、空海が、実践として、帰朝後、活動を開始したスポットだということは、わりかし最近知ったこと。そのため、当然、空海絡みの逸品があるようだ。番組で取り上げられた国宝など、メモっておく。①薬師如来立像(国宝)(神護寺本尊、金堂にあり、平安時代の作、一木造り 翻波式衣文)②両界(高雄)曼荼羅(国宝)(空海が係った唯一の曼荼羅、秘宝中の秘宝、東寺の立体曼陀羅の不動妙王はここの写し、染料=紫根で、現在、絶滅危惧種なくらい希少性が高いことから、天皇家が関わったと考えられる)③伝源頼朝(国宝)④観楓図屏風(国宝)⑤桜門⑥大師堂(重文)(空海の住まい)⑦弘法大師像(重文)⑧真言八祖像(国宝)⑨金堂密教法具(国宝)⑩灌頂歴名(国宝)(間違った記載は上から墨で消している、それでも、1200年経つと国宝)⑪金堂⑫文書四十五箇条⑬釈迦如来像(赤釈迦)(現存するもので唯一、平安時代のもので釈迦一尊を描いたもの、)⑭山水屏風(やまと絵最古の屏風)⑮梵鐘(国宝)(3梵鐘の1つ、3絶の鐘、展覧会に行かなかった唯一の国宝、側面にある謂れを書いた文字が素晴らしい、また寛政期落書きもある)⑯五大虚空蔵菩薩(多宝塔のなか、フレンドリーな表情、木彫、木屎漆〈柔らかい感じが出る〉、唇が愛らしい、五体身体の色が全部違う/五色、5つ如来が姿を変えた=立体曼陀羅、境内全体が曼荼羅になっていると考えられ、空海が意図していたことのようだ)。
 午前中は、いつも通りのウォーキング。ここだけで、9000歩を超えていたから、正に、いつも通り。だが、夕方のウォーキングに出かけようとすると、遠雷が聞こえてる。それが、次第に近づいてきた。雨雲レーダーを見ると、とてもやないが外出はダメ。そこで、1時間以上、屋内待機。「光る君へ」が、後に控えるので、悩ましいところだったが、マートへの買い物がてらということで、ウォーキングに出発。マートに着くまでは、傘さしウォーキング。買い物を終わって外に出ると、急に汗が出だし、身体がふらついた。雨上がり後だったので、若干、気温が下がってたにも拘わらず、早い話が軽い熱中症と思える症状。ふらつくのが怖い。水分と糖分補給。少し戻るとコンビニがあったが、逆戻りをしたくなかった、ふらついてたんでね。そこで、マートで買ったところの菓子を数個食べて、糖分補給に充てた。少し歩くと公園があったので、暫し、休憩。そんなで、散々な夕方のウォーキング。こんなこともあるんだね。


2024年 8月 4日(日)午前 7時 7分

 昨日も、午後にお出かけを入れていた。昨日は、堂本印象美術館のギャラリートークがあったのだ。午後2時開始ということだったので、朝からミニウォーキング。最近、少し早めに出かけて、小まめにウォーキングをするようにしている。でないと、暑いものだから、ついつい外出が億劫になるので、意識的に早めに出るようにしている。午後のお出かけの往復をウォーキングと考えるとして、そこで歩きそうな量を考え、朝のウォーキングを設定している。フルでウォーキングをする時間は確保はできないし、また、お出かけの様子で歩き過ぎても、この時節、体力が持たないので、加減をしながら「ミニ」度を定めている。堂本印象美術館に行くときは、学生街を抜けていくので、土曜日だったが、狙いの定食屋で昼食。大学のキャンパスに近い方の定食屋の幾つかは休業だったが、狙いの店は大丈夫だった。並びの2件の店も開けていたので、土日に行く場合は、この界隈が正解なようだ。土曜日だから空いてるかなと思ってたけれど、かなり混み混みだった。学生さん、ご飯だけ食べに来るのかな?
 堂本印象美術館では、今、「五彩を感じて 印象の墨の世界」という展覧会が行われており、既に、この展覧会は観ているが、一度、堂本印象の作品を、解説付きで鑑賞したかったので狙ってみた。なんせ、日本画の名手だった人が、前衛絵画を描き出したのだから、その辺、話だけでも聴いてみたかったのだ。ここの美術館は、展示替えがある度に行くようになり、堂本印象の日本画に触れることが増えるにつけ、オーソドックスな日本画作品にも関心が生まれたことも事実。そこへさして、アンフォルメルと来るわけだから、気になってしまう。そのアンフォルメル作品も、有名な「交響」なんていう作品を観ると、惹かれるんだな、これが。そのわけは、以前、書いている。書いた内容まで覚えているから、相当、強い印象を持った作品。だから、一層、気になってしまったのだ。ギャラリートークだから、展示を担当されたキュレーターさんが説明していただけるのだと思ってると、様子が、何やら変。会場は2階の部屋だと入場の際、確認しておいたが、30分前を切る辺りから、関係者の方たちが、会場設営を始められた。モニターが用意され、長机に椅子が並ぶ。折りたたみ椅子が幾つも並べられる。見慣れているギャラリートークというよりか、ミニ講演会の雰囲気。ここの普段のギャラリートークを知らないから、何とも言えないんだけど、昨日は「特別仕立て」だったみたい。勝手に、そう思ってます。担当のキュレーターさんは司会をされただけで、実際、お話をされたのは館長さん。三輪晃久さんという方で、堂本印象の甥にあたる方だそうで、ご自身も画業を生業とされている方のようです。司会の方より、「堂本印象を直接知る、貴重な方」と紹介があった。御年90歳。終わってから、教えを請うた人たちが挨拶をされていたので、偉い人なんだと認識。お話しも、しっかりされたものの、さすが、動きは緩いものがあったけれど、頭の中はクリア。後半になると、お話も緩いものも出てきて、思わず笑っちゃう場面も。にも拘わらず、美術学校の卒業制作が31歳だったわけを聴いたところで、寝落ちをしてしまったよう。いや、聴いているのだが、頭に入らない状態、何を言われているのか解らない状態が続いたというのが正解かもしれない。だから、聴きたかった東福寺の天井画制作あれこれは、完全に吹っ飛んでしまってる。言い訳をすると、この猛暑のなか出かけ、しこたま汗をかいてから入ったエアコンの効いた美術館で寝るなという方が間違っています。とまあ、開き直ったけれど、得られるはずのものを得られなかったことは事実。記憶に残ってることだけでも、メモっておくことにする。「堂本印象は、中学校卒業後、家の助けとして、美術学校に行かず働いた、三越、龍村織物で働いた、龍村の社長に画才を認められ京都市立絵画専門学校、そのため、ここでの卒業制作が31歳になった」「卒業制作は墨絵で描き、異色のものだった、才覚を認められ、卒業作品が買い上げになった」「‶華厳‶、別府への療養で知った寺院の長押の絵の模写、依頼で描いたものだけど、柔らかい線など、その後の仏画の制作に役立った」「‶夕顔‶は、墨の滲みを最高度に出した作品、墨に西洋の顔料を混ぜて、黒の濃淡をより出していたようだ、この‶夕顔‶は、たらし込みを高度に使った見事な作品と言われていた、、、黄紺的には濃すぎる黒が気になってしまう」「狩野山楽の名を出しながら、ある作品を解説されていたが、寝落ちしている」「‶雲収日昇‶は、東福寺天井画と同年に制作、画塾‶東丘社‶の展覧会第1回で出品、左隻の雲はむしろ霧、右隻の雲との対比が見事」「‶清閑、一口村の初夏‶、中国の水墨画の手法を使う、一面平ったい巨椋池界隈なのに凹凸のあるようにデフォルメして描いている」「‶アンフォルメル作品‶と言われる抽象画、偶然性を旨とする作品のはずなのに、下絵を描いている、だから、アンフォルメルの運動に乗っかったというふりをしていたということだ、筆からほとばしった滴のような跡は、その全き偶然性に頼ったかもしれないが、あとはそうとは言えない、下絵の方がいい感じに見える、、、これは同感できる」「‶風神‶、晩年のトリノでの個展用に描いた、‶雷神‶とセットだったが、‶風神雷神‶の構図が解らない外国人が別々に買い上げてしまった」「‶はるかな海‶、これは瀬戸内海を描いたもの、同時期に太平洋を描いたものがあるが、それと比べると穏やかなタッチ」「‶交響‶に代表されるアンフォルメル作品、中央部が3次元に見える、紙を丸めて望遠鏡を覗くようにして観ると、それが判りやすい」。


2024年 8月 3日(土)午前 7時 40分

 昨日は、急な予定変更を強いられた日。予定では奈良に行くつもりをしていた。が、一昨日、MOVIX京都で忘れ物をしてしまった。映画の途中に冷えてきたらウインドブレーカーを着ようと、予めカバンから出し、横の空いている座席に置いておいたら、そのままになってしまったのだ。昨日でなくても良かったのだが、MOVIX京都へ回りやすい日が見つからなかったので、奈良行きは後日に回し、全く違う予定を入れた。それだと、寺町三条へ回れるかという判断だった。その行き先は、初めて行くことになったアサヒビール大山崎山荘美術館。伏見から大山崎へ行く方法は、幾つかあるが、その1つが河原町から阪急に乗って行く方法。JRを使うと、運賃が上がるので、それも方法の1つなのだが、それは埒外。あと、運賃の安いのが、近鉄竹田駅から長岡京駅まで出ている市バスを使うという手がある。本数は少ないが、昨日のように、時間に拘らなければ、バスの時間に合わせて動けばいいのだ。長岡京駅まで行けば、JRの山崎駅は次の駅なのだ。でも、これを使うと、MOVIX京都には行けないので、往きは、このバスを使い、帰りに阪急電車を使い、MOVIX京都へ行くことにした。逆にすると、バスの本数が少ないので、下手をすると、長岡京駅での待ち時間がえらいことになってしまうので、この手を使った。ただ、このコースだと、ウォーキングを兼ねても、量は出ないということで、朝早く家を出て、お出かけ前にミニウォーキング。銀行でお金を出すのを兼ねてと、何かと慌ただしい。お昼は、奈良に行くつもりだったので、食べるところに困るはずということで、パンを買ってあった。だから、それを持って行って、山崎駅から美術館までの間で食べた。いい具合に、腰を掛ける場所を見つけることができた。が、その道は、天王山へ登る道。まさか、この道とは思わず、駅から歩き出して気づいたときは、かなりの衝撃が走ったが、登り口から、そんな無茶な距離ではなく、ホッとした。と同時に、とっても素晴らしい山荘。金持ちって、何してくれるのと思うくらい、立派なお屋敷だった。門がある、すぐにトンネルがある、洋館の山荘、見事なお庭、、、と、凄いところへ行ってしまった。しかも、美術館に設えをいじってるのだが、そのいじり方に拘りがあった。山荘のスペースだけだと、展示する場所が限られるもだから、そのスペースを、新たに造り加えている。それが2ヶ所、1つは背後、もう1つは地下だった。だから、外から入っていくと、この2つは見えないのだ。背後の展示室は、見落としかけて、手持ちの館内図で確かめて発見。地下の展示室は、館内図で位置が判っても、入り方が判らなかったので、係の方に教えてもらった。そんな具合な設計になっていた。「ここ来るだけでも、ええやん」と、黄紺の頭の中には、毎年行っている巡検にどうかという考えがチラついてしまった。近くには、大山崎官窯跡が整備されて公園化されてるし、史跡もあるようだからいいんじゃないでしょうか? 但し、天王山に登ろうなんて、元気な人は言い出すからやばいとも思ったけどね。で、肝心の展覧会は、「愛知県陶磁美術館コレクション/中国やきもの7000年の旅―大山崎山荘でめぐる陶磁器ヒストリー」というもの。愛知県陶磁美術館は、瀬戸にある美術館で、まだ行ったことがない。ここが改装中ということで、所蔵品の借り出しがしやすかったのか、名品を京都で観ることができた。久しぶりの中国陶磁器鑑賞、久しぶりの身にはありがたい、丁寧で判りやすい解説。中には、知らんかった的なものもあり、とっても感謝。その第一は、青磁って、後漢の時代で作られていたってこと。鉄分を含んだ釉薬を使うことで、独特の色合いが出るって基本情報もありがたい。どうしても、名品が揃うという宋以後に注目が集まるものだから、その辺で出てきたものと思ってた。時系列に展示がしてあった。そこで、嬉しいものがあった。「白陶」ってものの存在は知ってたつもりだが、生で観たことあったっけ? 釉薬を使わないで、白粉を塗ったかのような白が出てる。彩陶は、農耕社会を駆け抜ける土器だが、トルコの博物館で、よく見かけるオリーブ油運搬に使われたアンフォラに似た形状のものがあった。オリエントとの関連はありそうでなさそうな解説、判ってないということか! 同じく彩陶だけど、文様に羊の角をデザイン化したものがあった。その時代に、中国で羊とは驚きだ! 初期王朝時代の土器には、観ていて判るのだけど、三足のものがあったりと、青銅器の形状と同じようなものが、結構、あるということも解った。この最初のセクションから次の「戦国時代から漢時代」にかけて出てくるのが、「墓におさめられた死者への思い」という副題が添えられていたからか、明器があったのが嬉しい。家や仕事の様子を表したものを、特に「建築明器」と言うらしい。これがおもしろいんだよね。そして、ここに、「原始青磁鼎」などと名付けられた陶器があった。「青磁」「鼎」、今までだったら、「??」が点るタームが一緒になっている。今回の展示で、それもありということ教えてもらった。だから、次の「三国時代から隋時代 うわぐすり発展の兆し」では、青磁が主になってました。白磁も、ここから出始めるということで、初期のものが展示されていた。そう言えば、白磁が開花するという元ものが、今回の展示では出てなかったのじゃないかな? 「唐時代から宋・元時代 世界に広がる中国のやきもの」が背後の展示室。ここが凄かった! 「三彩武官庸」に出迎えられ、「おや、ええもん来てるやん」と思い、その背後に回り、びっくり。日本の美術館が、これほど見事な唐三彩を持っていたとは、もう唖然の逸品、「三彩駱駝」があった。大きさと言い、色彩と言い、こんなものがあるとは! 唐三彩は、これだけではなかった。三彩の枕、椀などの小物もあった。同じような小物だったが、「三彩牡丹文海棠形盤」は、なんと、「遼三彩」だった! 写真でしか観たことのないもの。めっちゃ、感激してしまった。青磁は、「唐/北宋/南宋」と色比べをするかのように並べてあるという、めっちゃセンスを感じる展示。黄紺的には、当然、南宋ものなんだけど、蓮弁形という形状が、あまりにステレオタイプだったので、マイナス効果でした。「青磁貼花蓮華文香炉」、これ、俗に「千鳥の香炉」と言われる形状をしてるんだって! 「千鳥の香炉」だよ!! 足が付けてあるが、その足が床につかないで浮いた状態になってるものを、そのように読んでんだって。お宝情報です。ありがたい。「黄釉」と言われる釉薬にそそられた一方、3点出てた「天目茶碗」は、好きになれなかったな。本館の2階に「明・清時代のやきもの 青花・五彩と文人趣味」と、新たな色合いが加わってきます。「青花」というのが染付のことで、「五彩」が赤絵のことだと、翻訳してくれてる解説、ありがたい。ものも大きく、色彩が多様になった分、艶やかさが増します。貴族趣味的印象とともに、青っぽいものには、文人趣味を感じてしまいます。そして、最後に、地下の展示室へ。こちらは西洋絵画。ドガ「ばら色の踊り子」、ピカソ「横たわる女」、ミロ「窓辺の人物」、モネ「アイリス」「睡蓮」「睡蓮」が展示されていた。ドガとモネの「アイリス」はスルー。ピカソは、キュビズムお約束の視点色々で描いてくれている。ベッドの視点の数よりか、女への視点の方が多いのがミソだな。横たわる女への関心の強さを感じます。ミロは、題名通りの絵で、そんな解りやすい絵を描くんだで、気になった。だけど、人の顔は遊んでくれてる。問題は、2つの「睡蓮」。眺め倒した。最初、そんなに関心が行かなかったが、少しずつ、気になりだした。右の「睡蓮」は、花だけが絵具の質感を感じさせるマチエールで描いている。水面は平凡なものだから、やたら花に目が行っちゃう。左の「睡蓮」は、花だけではなく、水面の一部にもマチエールがある。その辺りは筆が横に流れている。が、そいうじゃない中央部に筆が縦に流れているスペースがある。色彩も濃くなっている。この濃さは光線の加減なのか、水深から来ているものなのか、水中の藻の繁茂状態から来ているものなのかは判らないが、離れた位置で観ると、その縦の筆致は判らず、色彩の濃さに深みを与えているように見えた。照明の加減で、正面から観ると、てかてか光るので、右にシフトして観ないと見えにくかったが、その位置から観ての感想だ。いろんな試みをしてんですね、モネって人。何枚も何枚も、同じ睡蓮を描いたはずです。そんなことを知ることができただけでも、この2枚観れて、正解でした。


2024年 8月 1日(木)午後 8時 2分

 今日は、火曜日と、よく似た動き。同じ時間帯に映画を観たのだ。ただ、今日は、月曜日と同じMOVIX京都だったが、これで、今週3回目の映画となった。観たい映画が重なり、上手い具合に交通整理が効き、3本とも観ることができたのだった。当初の予定では、今日は空きにして、休養に充てるつもりだった。それが、火曜日になると、金曜日から始まる、次の1週間の映画の上映予定が判るものだから、それを眺めていて、見落としに気付いた。新たな1週間でも上映があるのだけど、朝一番か、夜の上映では、なかなか厳しい。今日だと、お昼間の上映があったので、急遽、予定に放り込んだ。だから、火曜日同様、朝少し早めに出かけて、ミニのウォーキング。午後のウォーキングは、映画館との往復だが、今日も、マートに寄る迂回コースを採り、食糧補充に役立てた。万歩計を見ると、14800歩余と、少し少ないけど、今日の時間の流れからすると、こんなものかな?
 映画は、イスラエル&ポーランド映画「お隣さんはヒトラー?」。アドルフ・アイヒマンが拘束されたという新聞記事が画面にも出てきたので、その頃という設定。それに引っ張られて、舞台はアルゼンチンだと思っていたが、映画の梗概を見ると、コロンビアとなっていた。アルゼンチンは、国民の殆どが白人だから隠れやすいという思い込みが、まず、あるのでしょうね。そこに住む男一人。ナチスにより、家族を全員を殺され、一人生き残ったユダヤ人の男だ。それが、今、コロンビアの田舎で一人住まいをしている。そこへ、隣の1軒屋にドイツ人の、年恰好の似た男が引っ越してくる。ある日、敷地内で育てている、妻との思い出の黒いバラが、隣家の犬により傷つけられてしまったので、文句を言いに行き、そこで、初めて隣家の男の顔を見た男は、驚いた。家族を奪ったヒトラーにそっくりの目、目元をしていた。男は、かつて、チェスの大会で、間近で、ヒトラーを見たことがあるので、間違いないと思う。そこで、イスラエル大使館に行き、その旨を告げるも、ヒトラーは死んでいると、まともに応対されないものだから、自らカメラを買い求め、隣家の様子をチェックし始める。そういったなか、土地の区画が不正確であるとの指摘が隣家が出され、一もめ起こる。それで、隣家に出向いて行った男は、隣家の男が、一人でチェスの棋譜を確かめたままになっている姿を見て、「詰み」の手を告げる。このチェスの一件がきっかけとなり、両者の交流が始まる。ユダヤ人の男からすると、相手の本性を探るに好都合と、チェスの相手を続ける。そういったことが続くことで、ドイツ人の男も、相手に気を許し、さっくばらんな話もするようになっていくのだが、あるとき、ドイツ人の男のところへ客人が2人現れ、去り際に、「総統」と声をかけたものだから、確信に変わっていく。探りを入れているなかで、ドイツ人の男が絵を嗜むことから、ヒトラーも画学生だったことがあったので、男の描いた絵なんかを取ろうとしたりしていたときもあったのだが、何の縁だったか、ドイツ人の男が、ユダヤ人の男の肖像を描くことになる。その絵を眺めては、ほっこりしているように見えるユダヤ人の男。そうなんでしょうね、実に穏やかに描かれている自分の姿に、軽く笑みも浮かべていたが、先の「総統」という声に間違いないと思った男は、その絵を切り裂き、証拠物件として分析するように大使館に持ち込むが、精神に異常をきたしているとして、相手にされない。カウンセラーまで宛がおうとする始末。そんなこともあり、ついに男は隣家に踏み込み、ドイツ人の男の正体を知るに至る。ドイツ人の男は、ユダヤ人の男の家に行ったとき、わざと布を被せ隠してあった家族写真を見ていたものだから、委細承知となり、正体を明かす。打ち解ける2人。正体は、全く、予想だにしてなかったが、この2人、どのようにして接近して、それで打ち解けるのか、その方法って、どこから引っ張るのか、、、要するに、この物語にラストは用意できるのか不安な感じで観ていたのだけど、収まりが付いた。それが真実と思わせるラストが用意されていました。これ、制作しているのが、イスラエルとポーランドの人たちなんだよね。だから、観てられる映画じゃないかな。笑うに笑えない映画だけど、敢えて分類するならコメディなんだろうけど、これ、他の国では映画化できないよね、シャレにもならない映画になってしまう恐れが、多分にある。それがあるものだから、いい映画を観たぞと、素直に言えない感じが残る。いや、いい映画と言っていいものかも、ちょっと不安になって来る。あんまりない感覚、ちょっと浮遊した感じがしてしまってます。


2024年 8月 1日(木)午前 7時 42分

 昨日は、朝からお出かけ。水曜日で朝からお出かけと言えば、アスニー山科。そして、その後、岡崎に回るという、よくあるハシゴ。昼食は、東山三条のネパール屋さんというのも定番。昨日は、この店で初のチャオミン。ビーフンのような麺を使っており、めっちゃ薄味。このネパール屋さん、メニューが豊富だから、ナン系が続くようだと、いろんなもの試すことができる。そして、京セラ美術館へ。移動距離は短いが、灼熱の太陽、日傘をさす気分が、よく解ります。そういったなか、帰宅すると、またまた、椅子に座ったまま、ぐったり。「まーぶる」を、全部聴けてなかったので聴こうとしたが、あっさりと寝落ち。だから、元に戻り聴く。すると、最後に大きなお知らせ。二葉は、扁桃腺切除の手術を決意したそうで、この番組を、2回、休まねばならないと言ってた。この間、扁桃腺炎で、随分と悩まされていたので、仕方のない判断ですね。来週のスケは米紫だそうだ。米朝事務所から調達? 別に米紫が悪いわけではない、代演としてはベストだと思うけど、この間の経緯を考えると、すっきりしないな。夕方、若干、短めのウォーキングを実施。朝からのお出かけをウォーキングと看做すと、万歩計は15700歩余を示していた。適正なのかもしれないけど、年々、僅かずつ歩数が落ちて行っています。
 アスニー山科での市民向け公開講演会は、「南禅寺の開創と亀山法皇」というお題で、関西大学文学部教授関西大学博物館長の原田正俊さんのお話を聴くことができた。だが、昨日もまたと書けばいいのかな、前半の2/3は、かなり寝落ちをしてしまった。残りの1/3は、講演に係る画像を見せていただけた。こちらは大丈夫だったが、前半が心もとない状態だったので、解ったと言えるのかな? でも、レジュメを見ると、さほど、大掛かりな、手の込んだお話をされたという痕跡はなかった。早い話が、南禅寺創建と亀山法皇の関係を主とするものだったようだ。でも、それが肝心で、というのは、南禅寺は禅宗。ところが、それまでの朝廷が懇意にしていた仏教は、そうじゃなかった。顕密というタームを使われていたが、「顕」で表すのは南都仏教、ようするに奈良仏教だ。これが、「密」で表される平安仏教、密教だが、密教に取って代わられたのではなく、南禅寺創建時、即ち、鎌倉時代でも、「顕」の方も、相変わらず健在だったという。確かに、勧進帳は、東大寺への「勧進」ですものね。そこへ、禅宗に寄進をする、サポートするというのがポイントなのだ。次に、禅宗と言えば武士というイメージで、鎌倉に禅宗の寺院が多くを占めることから生まれたようだが、決して、そうではなかったと言われていた。そういったなか、亀山天皇が、禅林寺殿を禅寺に、無関普門を招いたという。その禅林寺殿での妖怪騒ぎがあり、それが顕密の仏教では押さえることができず、禅宗に頼ったのが、関係強化が生まれるきっかけだったとか。南禅寺の整備に貢献したのが、次の規庵祖円。南禅寺という呼称を使ったのも、ここから。伽藍造営などの功績があるそうだ。そして、重要なのは、「清規(しんき)」という中国から持ち帰った規律に則った生活を始めた。顕密とは違うシステムがこれだと言われていた記憶がある。その後の「十方住持制」などは、また、寝落ち。レジュメを見ても、さっぱり理解ができません。南禅寺の充実が話されていったようだけど、判りません。後半のスライドでは、南禅寺の地図も参照しながら、寺宝を紹介されていた。その中で「塔頭」というタームは、本来は禅宗特有のものだそうだ。それが、便利なものだから、他の宗派にも広まったと言われていた。南禅院が、亀山法皇の離宮跡に建てられた塔頭。ここが南禅寺の発祥の地だそうで、亀山法皇の墓所もあると言う。ここにだったかな、亀山法皇の法衣姿の像があるのは。無関普門の墓所があるのが天授院、紅葉の名所でもあるそうだ。そんなお話を聴いていると、入れるものなら、行ってみたくなった。南禅寺は、通りがかりに山門を眺める程度でしかなかったので、由緒を知ると、行ってみたくなりますね。
 京セラ美術館では「奥村厚一 光の風景画家展」が開かれている。奥村厚一、初めて聞く名前だった。京セラ美術館で行われる回顧展、知らない作家さんのものがあると飛びつく。勉強をするいい機会だと思うからだ。日本の美術に疎いものだから、そう思うのだ。北回廊を使った展示ということで、作品数は多い。が、後半は、風景画らしく、また、とってもマメにスケッチをするための旅をしていたというのだ。中には、海外にまで及んでいたり、山口華揚とともに、スケッチを旅行をしたりしている。ともに、西村五雲門下だ。そういった位置にありながら、知らなかった。どこかで目にしているのかもしれないが、覚えていなかったことになる。そんなで絵画作品は前半。その最初の部屋にある掛軸以外の作品が特徴的な色合いというか、色彩感覚と言えるので、この人、このタッチで描くのが特徴かと思った。描かれている素材は風景なんだけど、そのぼやーっとした色彩が、マリーローランサンの色彩を観ているような感覚に捉われたからだった。「松林の秋」に全面にチラついている雪?なのか、でも、秋だし、、、その雪っぽいものは鳥の羽のような軽さ、肌触りを感じさせる、このテイストかと思ったのだが、山に写実を得意とするような感覚を与えた「八瀬の雪」「凍風」のタッチが、その後の作品に通底するものだった。それが、次の部屋ん入ると、あっさりと判る。主として、水墨画と思える大部な屏風絵が2点、「笠ケ岳(志賀高原)」「妙高山」があるかと思うと、「林道」のような、デザイン化したような木々が並ぶ奥行きのある作品があり、最初の部屋で観た淡い色彩というものが消えている。「清光」もそういった感覚だが、代表作「浄晨」は、両方の感覚を併せ持っているように思えた。おれを観よ的に、1点だけ、部屋の中央に置かれた「浄晨」は、ポスターにも使われていたので既視感があったが、別格の雰囲気を漂わせていた。折り重なるように林立する木々は、ここでもデザイン化されているが雪の白さの微妙な変化で、淡いなかにも、厳しさがある。白の変化に光を感じさせているのだと思う。「画業を追う―創造美術以降」というコーナーに入ると、単なる風景画というのではない、何かが入ってくる。自然を描いても、ズームアウトして、しかも、山を俯瞰しながら描くかと思うと、今度は、ズームインして、海岸を、そのポイントが気に入ったかのように、幾つかの岩礁を取り出して描いたりしている。海を描きたいからか、描く手の込め方が、海にシフトしていたり、色々な試みをしていると言えばいいかな。岩礁をピックアップ、しかも、俯瞰しながら描いた「黒潮」、暗い海の波に特化した「浪」、この2つが、時間をかけて観ていると、味わいが出てくる。そういった中で、「浄晨」と並ぶ逸品と看たのが「川」。全体的に暗い。大雨でも降ったのか、濁流が流れている。その上と下に無機質な家並み。暗いタッチ、ここでもデザイン化されてるのでしょうね、描かれている家に人の気配が、ほぼ感じられないのだ。必然、川に目が行く。人がいても息を潜めてるのでしょうね、この濁流に怯えて。お見事、自然の前に立ちすくまざるをえない、そういった我々と自然の関係を表してくれています。「オランダの風景」は、パッと見、ロイスダールだと思った。この8割以上空、下方に横並びの家屋を観ると、どうしても、ロイスダールと言ってしまう。どこかに、「馬込の月」を思わせる構図の作品もあった。川瀬巴水と、どっちが先? 同じような木々、デザイン化され、木々という表現を採っても、塊としてデザイン化されてる作品が、幾つかあった。「北岬」などで出てくる木々なんだけど、その心は掴めずじまいだったな。「風景と光」のコーナーに入ると、一転、何かを狙うような雰囲気は消え、ごくノーマルな、そして、小ぶりな風景画が出てきたが、ここまで観てきた作品からすると、ノーマル過ぎて、ちょっと頼りなかった。いずれも、木が威張ってるような作品で、きれいなんだけど、頼りなさも感じてしまった。このあとがスケッチ集となった。大きく分けて、彩色してない方が良かった。鉛筆のタッチの細やかさの残っている方が、迫力があった。描かれている素材に関係なく、そう思った。数が多かったので、気に入ったものだけ、メモっておく。最高と思ったのが、「四国の山<徳島県剣山>」「四国の山<愛媛県石鎚山>」という四国シリーズが圧巻。「街道と里」というセクションにあった「藁屋根の農家」の緻密さも、凄かった。概して、外国ものは、迫力に欠けていたように思った。ということで、恒例、出る前に、もう1周、どうしても、「浄晨」は、念押しをしておきたかったからね。


2024年 7月 31日(水)午前 6時 23分

 昨日は、一昨日に続き、映画を観た日。しかも、同じ京都シネマで、同じ台湾映画だった。但し、テイストは、全く違う映画だったが。ただ、昨日は、昼間に上映されたのが、違った点。そのため、近くで昼食を摂ってから行くことにした。定番のインド屋さんだった。そんな時間に出かけるということで、普段よりは、少し早めに出かけて、ミニウォーキングもする時間を確保した。京都シネマへの往復を併せて、昨日のウォーキングとしたが、帰路では買い物もする迂回コースを採ったこともあり、夕方、万歩計を見ると19700歩余は、歩き過ぎた。しかも、夕方には洗濯までしたので、かなり体力を消耗。PCの前にすると、疲労が先に出てしまい、椅子に腰かけたまま、居眠り。でも、熱中症もどきにはならなかった。効果的な水分補給が功を奏しているようだ。
 昨日観たのは「流麻溝十五号」という映画。台湾の白色テロを取り扱った作品を観たことがなかったので、観てみようとの気になったのだ。蒋介石の国民党が台湾に入って以後、その反共を掲げた思想統制の猛威が奮ったことは、知識としては知っていた。その時代、思想犯として収容された島があった。日本統治時代は火焼島と呼ばれ、戦後になり緑島と呼ばれるようになった島だ。映画では、両方の呼称が出てきたが、同じ島のことだった。この映画では、この島に収容された人たち、なかでも女性収容者を中心に扱った映画だ。「台湾初の女性政治犯を扱った映画」とのコピーが付いている。主人公の女性3人の様子を追いかけることで、収容の実態を伝えようとする映画。1人は、絵を描くことが好きな高校生。この映画、収容されていた人たちの解放の様子は描かれない。が、島から脱出後の様子が画面に現れるのが、この高校生だけだから、この女性が、島の様子を伝えたことになる。確か、クレジットで、「実話に基づく」と出たので、その報告に基づくことになる。2人目は、モダンダンサーであることから、この島でも舞踏団に属し、その踊る姿に目を付けられ、中隊長の女という位置に置かれる。女の方も、妹と会いたいために、その便宜を図ってもらうために、中隊長に接近していくという側面も持っている。中隊長は、そのことが、最後にはばれ、しかも、スパイ容疑の濡れ衣を着せられてしまう。この女のその後は、どうなったんだろう? 明白にはされなかったのだったろうか? 思い出せないので。3人目の女は、一児の母親だが、出産後、さほど日を経ずして拘束。看護婦の資格を持ち、正義感が強く、リーダーシップを持つ。収容者内部で、外の様子を伝える新聞を極秘裏に回している。キリスト者として、聖書を携帯し、高校生の女の面倒を見て、聖書の英訳も教える。最後は転向を拒否して処刑される。この女が引き立てられ、写真を撮られるところで、収容所の様子は終わるが、そのとき、女が撮られたと同じ構図の写真が、何枚も画面に出てくる。その写真は本物のようだ。犠牲になった収容者のものと思われるが、その処刑を指示する文書には、全て、蔣介石の署名が入っているとのナレーターが被る。実際、蔣介石の署名の入った文書も、画面に流れる。印象的だったのは、様々なトピックとともに流れる、日本語による会話だ。収容者同士の会話として日本語が使われていた。公式サイトには、台湾語も使われているとあるが、少数民族の言葉ではなかろうから、その意味が判りかねている。台湾の中国語は北京語だから、国民党系の兵士には解らないという前提で日本語を使っていると思われる。台湾語というタームは、台湾風のアクセントの入った北京語と思うのだが、、、、。調べてみると、本省人の言葉のようで、狭義では福建語系と書かれていた。だと、北京語の連中には解らないね。出口のない、しんどい映画だった。ましてや解放のときを描かないものだから、しんどいなと思っていたら、ラストに思いがけないシーンが用意されていた。登場人物が、普段の服装をして、島の海岸でパーティーをする姿だった。処刑された女も加わっていた。夢の世界を用意して終わった。鬱屈した気分で観てきただけに、ホッとする瞬間だった。映画でしかできない、素敵な場面だったように思えた。こんな時代でなかったら、そして、この人たちが出会ったなら、こんな感じだったかという、そういったシーンを用意されるだけで、癒されました。


2024年 7月 29日(月)午後 10時 20分

 今日は、夕方に台湾映画を観に行った日。夕方だったので、午後の一時の半ばくらいまでが、何もない一日と同じ時間の流れ。だから、昼前のウォーキングは普段通り。午後のウォーキングは、映画館との往復で読み替え、帰宅後、万歩計を見ると15400歩余だった。猛暑が続くが、今日は、大過なくウォーキングをすることができた。
 映画は京都シネマでの「台北アフタースクール」。青春グラフィティ的な映画だということで、しかも、台湾映画だということで観に行こうとした。すると、その青春グラフィティと言っても、主役4人の男女の内男3人のセクシュアリティ見っけ、カミングアウト的なところに焦点化した作品だった。青春グラフィティものは、幾つも制作されてきただろうが、セクシュアリティに特化した作品というのは、そうはないかもしれない。だから、今どきと言えば今どきなんだが、クレジットで判るのだが、実話に基づくもの、しかも、監督の青春回顧録的な作品のようだ。主役の男女は、台北の予備校「成功補習班」に通っている。そこで、いたずらばかりして、勉強に身が入らない。その1人は、その予備校の経営者の息子。あとの2人は、同じ家で生活している。1人の家庭が生活するには不便な事情があるのを知り、親が、自宅に引き取って面倒を見ているからなのだ。その2人の男の同性愛のようでもあり、そうでもない深い友情が描かれるのが1つ。もう1人の男は女装趣味で、最後は、タイへ行き手術を受けるのを決断する。いずれの親、特に父親は、真正面から、息子のセクシュアリティを知ると、拒絶反応を示す。この辺りはステレオタイプな反応を見せていた。経営者の息子に恋心を、最初持っていたのが、主役の1人の女性。男に告白するが、逆に女装趣味者であることを告げられ、自分の服装、装飾品を提供して、その気持ちを満たしてやる。そういった生徒がいる教室に、あるとき現れたのが、映画の勉強に渡米していたが帰ってきて、生活のためと予備校講師として現れた先生。この男の授業がユニークで、セクシュアリティの多様性、恋をすることを奨めるという授業をするものだから、生徒の人気は抜群。でも、予備校経営者からは排除されるが、個別の付き合いの続く生徒たち。この先生が、男3人のセクシュアリティの自覚、性自認に大きく貢献していくというストーリーと言えばいいかな。判りにくいのが、同性愛的繋がりと、バイセクシャル的な関係が同時並行で、1人の男に出てくる展開。それを、そのまま受け入れて然るべきなのかの判断に迷う。いや、そういった判断は無駄なのかもしれないがあるから、余計、すっきりしない。その気持ちのまんまで、映画は終わった。


2024年 7月 29日(月)午前 6時 42分

 昨日は、午後にお出かけ予定を入れていた日曜日。朝は、お楽しみ「日曜美術館」があるので、午前10時までは、外出不能となると、それまでに、ゆとりがないということで、昼前のウォーキングは中止。食料不足買い出しのマートに行くのに、少し迂回コースを採り、ウォーキングの真似事。昨日の「日曜美術館」は、「鎮魂 香月泰男のシベリア・シリーズ」というお題。香月泰男、気になっていた作家さんです。よくぞ、取り上げてくれました。毎年、夏になると、戦争に係る作家さんや作品を取り上げてくれます、この番組。今年はこれかなと思っています。香月泰男は、昭和17年、31歳で召集令状を受け、海拉爾(ハイラル)(満州)へ派遣され、敗戦後、シベリアで抑留生活(セーヤ村の収容所で樹木伐採作業)、昭和22年5月に故郷に戻る。以後、シベリア・シリーズを描き始める。昭和42年、画集が出たことから、世間に知られるようになる。シベリアを忘れないために、アトリエに有刺鉄線を置き、描き続けた。昭和49年に62歳で亡くなった。紹介された作品をメモっておく。①別***(家族の姿を黒い日の丸で描き、兵士の姿は遺影のよう)②海拉爾(ハイラル)(煙突の煙、真冬の姿、人間生活を感じる煙)③護(男女の姿〈香月と妻〉の写真、胸にお守りの写真、アトリエに貼り描き続ける)④青の太陽(暗い蟻の巣穴から空を仰ぎ見る絵、ほふく前進の訓練で蟻の巣を見ていた)⑤朕(同じ部隊の兵士たち、真ん中に白っぽい四角〈=軍人勅諭〉、私憤を表す)⑥雨<牛>(色彩あざやか、失ったものの回復、もう1枚描いて、その後、8年間シベリア・シリーズから遠ざかる、その後の描き方を検討、独時の下塗りの方法を作り上げる、暗さは木炭を使う〈独自の黒〉、黒の内に濃淡)⑦雨(ハイラルの雨、本当の戦場に降る雨を描けた)⑧1945?(貨車で移動するときに観た光景、処刑された日本人の死体)⑨業火(貨車の外、兵舎の燃える姿)⑩凍土(ツンドラ地帯、ソ連の戦車のキャタピラの軌道に踏み敷かれた骸骨で戦争の悲惨さを表す)⑪北へ西へ(昭和34年制作、貨車に詰め込まれた兵士、窓から見ている、高度経済成長期に入りシベリア・シリーズを多く描くようになる、初めて自画像を描いた作品)⑫海<ペーチカ>冬(右下に本物の地図/シベリアから観た日本地図)⑬神農(食料不足、こーりゃんばかり食べていた、草まで食べた記憶)⑭雪(死者を弔う様子)⑮涅槃(弔いの様子、死者と取り囲む仲間、合掌している、死者のスケッチを描くがソ連兵に焼かれる、厚い絵具層は本当に骨が埋まってるよう、鎮魂の思いが凄い)⑯荊(有刺鉄線を表す)⑰渚<ナホトカ>(絶筆、港で一晩寝たときの様子、岸壁に亡くなった戦友の顔)⑱復員<タラップ>(手を上げてタラップを降りる人たち、背中に亡霊を背負っている感じ)。
 午後のお出かけ先は歴彩館。こちらで、府民協働連続講座「鴨川運河の誕生と海外の運河事情」があった。鴨川運河会議主催のイベントだった。内容は、講演が2本あった。「①鴨川運河の誕生」(琵琶湖疏水記念館  久岡道武)「②海外の運河事情」(京都景観フォーラム篁正康)だった。①は聴き慣れたテーマだということで、北口知事がどうしたとかというお話はスルーすることにしようと思い臨んでしまった。レジュメもなく、めっちゃ早口のお話しだったので、聴き辛いということもあったが、資金集めのお話しで聴いたこともないようなトピックを話されていた記憶。その大事なところが、しっかりと聴けていない。ひょっとしたら居眠りをしていたかもしれない、若しくは、自分の耳では聴き取れてないかもしれない。②はタイの運河事情が具体的な内容だった。だと、てっきりバンコク市内に行き交う運河がテーマだと思ってたら、旅行話から始まった。タイ&ラオス旅行の話は聴きたいけど、そんなことならYoutubeがあるから、暑いなか、ここまで来るにしてはと思ってたら、ようやく本題の運河へ。なんと、空港で航空機を逃したため、空港近郊での時間つぶしの合間に見つけた運河がテーマだった。あの空港鉄道で、空港から1つ目の駅界隈にある運河だった。確かに、この駅から、どどーっと、人が乗ってくるんだよね。また、降りるんだよね。この空港鉄道は、空港利用客よりか、圧倒的に、こういった通勤客が使ってるという印象。黄紺は、そういった姿を見たとき、ここがターミナル化して、ここへバスなんかで人が集まってきて、市中へと通勤してんだと思ってた。どうやら、それに運河利用客が加わるということなのかな? いや、こちらが主流なのかな? なんだと思うと、寝てしまった。横着な話だ。予想外な場所じゃないか、何で寝たんだと、自分に突っ込んでも後の祭りだった。①に関して、メモっておくこと、少しあるので、次に書いておく。「七條までは鴨川を回収、七条以南は開削」「1895(m28)年、インクライン完成(鴨川運河完成年とのずれがある?)」「京都三大事業として外堀を改修して延長(この具体的な箇所を示してもらえなかった、鴨川運河が伏見橋詰町までとするなら、そこで濠川に繋がっている、既に外堀を活用してるじゃないかと思うのだが?)」「1925年/伏見新放水路完成、1931年/伏見閘門完成、ともに具体的な場所を示すことなく進行、いずれも、新高瀬川の改修と関係があると言ってたので、前者は住吉小学校の傍らを流れる水路を指すのかと思うのだが、、、? 後者は三栖の閘門のことなのか? 講師の方、判ってるものとしてお話しされてるが、伏見の人間の使うタームとは違う行政用語を使われると、たちまち解らなくなってしまう、第一、地元の人間は〈鴨川運河〉などとは言わない!」「経済効果⑴舟運/伏見から京都は石炭・木炭というエネルギー源が最多、京都から伏見は屎尿を含む雑品が最多」「同⑵精米/水車を動力とした」「同⑶農業用水/九条から深草地域で田畑に引水」「同⑷工業用水/津田電線のような伸銅を業務とする企業があった」。
 酷暑のなか迷ったが、いつものように、三条までウォーキングを兼ねて徒歩移動を試みた。連日、熱中症のようなことが起こってるので不安だったが、昨日は大丈夫だった。予め、水分を摂っておいたことが良かったみたい。これから汗をかきそうと思ったときは、トイレの心配をよそに、水分を多めに摂ることが肝要ですね。鴨川右岸を歩く方が賢明と思ったが、いつものように、僅かだが距離の短い左岸を歩いた。途中、いつものようなマートで買い物をしたので、所要1時間15分で、御池通の京阪電車入口に到着。その後も、体調は変わらず、昨日は大丈夫だった。帰宅後、万歩計を見ると17450歩だった。めっちゃ上出来です。


2024年 7月 28日(日)午前 7時 12分

 昨日も猛暑の一日。でも、午後に予定を入れていた。しかし、昨日も、危うく、一昨日同様のミスを犯しかけた。電車の出発時間を家からの出発時間と混同するミスだ。でも、昨日は、早めに気が付いた。だけど、一旦は、アラームをセットしていたから、一昨日の教訓が、全く生きてない。アスニー京都での市民向け公開講演会、昨日は午後2時開演ということで、もう10時台に昼食を摂ることになった。今は、もうないんだが、大腸ポリープの切除をするまでは、常にお腹のことを気にしてないといけなかったので、出かけるときは、余裕を持って食事する癖が残ってる。昨日は洗濯日でもあったので、そのあと、若干、時間的余裕があったが、ウォーキングは止め、買い出しのためにだけ、外出。一昨日の太陽の勢いが凄かったので、午後にお出かけ予定を入れていると、どうしても委縮してしまった。そんなけ注意を払ってたのに、軽い熱中症の症状が、昨日も出た。先日の大阪のときは、大阪で移動しているときから変調を感じてたけど、昨日は、汗をかきすぎるな(大阪のときはかかなかった!)とは思ったけれど、大阪のときのように、身体にだるさはなく、歩くのは苦にはならなかったから、変だとは思ってなかった。が、電車に乗り、当然、エアコンが効いているから、熱した身体が冷えていくが、昨日は、汗が引ききらなかった。結構な時間が経っても、頭から汗が垂れてきたため、あれれとなった。で、電車から降りて、会場まで歩いても、えらく汗はかくけど、体調が悪いわけではなかった。が、会場に到着して、椅子に腰かけるとぐったりしてしまった。手持ちの水を飲んでも足らないと思ったので、水道水を足し、また、それを飲んだ。ひたすら水を求めた。これ、歴彩館で経験した、あのときほどではなかったけれど、ぐったりすると動くのが嫌になった。そのままの状態で、開演。聴こうとしているが、あまり頭に入ってこない。ダメだぁと思っていると、眠ったようだ。前半は、ほとんど覚えていない。昨日は土曜日なので「京都学講座」の日。「御土居の新知見―御土居の堀は障子堀だった?!―」というお題で、京都市埋蔵文化財研究所の松吉祐希さんのお話しだった。御土居がテーマだったからでしょうか、開場予定時間前に開場したのじゃないかな? 開場時間くらいに着いたはずが、もう、半分くらい席が埋まっていた。それだけの人がロビー待機では、密もいいところだから、時間前に入れたのでしょう。そんなだったから、御土居とは的な導入部、発掘できている箇所の概要と、その具体的な発掘の成果、そっから判る御土居の構造的な内容で、前半は進んだんじゃないかな? お題にある「新知見」が、それらを踏まえてのものだったようだが、基本を知らないでも、それが後半だったのは幸いした。この講演会、2時間の長丁場ということ、そして、参加者の多くが爺婆だということだからでしょう、半ばでトイレ休憩を入れてくれたのが助かった。あれだけ水を飲んでも、トイレはパスをした。それだけ、汗が出て、水分補給を求めていたのでしょう、身体が。だから、熱中症になったのだなと思ったのだ。でも、ぐったりしで、居眠りをしたのが、また、大量の水分補給をしたのも、良かったのでしょう。再生できたのでした。歴彩館のときは、講演時間が1時間という講演会だったので、万事休すだったが、昨日は長かったので助かった。手ぶらでは帰らなかった。発掘箇所の中でも、JR丹波口周辺での発掘で、記者会見をするような発見があり、御土居の新たな姿が出てきたというのだ。それが「障子堀」と言われる堀の形をしていたからだった。土塁の外側に掘られた堀が、なるU字型の掘り方をされているのではなく、堀の中に、堀の両サイドに直角に、堀の底に畝状に土盛りがされているのだ。障子堀というのがこれだ。これが、他で観られるのが東国小田原城。北条の戦略が生んだ代物だそうだ。小田原城の支城でも採用されていると言う。それを秀吉は学び、御土居の外側の堀に採用したようだ。凹みの部分に泥が溜まり、堀を乗り越えようとしても困難さが増すことから、防御機能が上がるという。御土居が、全面、調査が行き届いているわけではないので、御土居のどこかしこにされていた工作なのかは判らないとされていたが、少なくとも、丹波口駅界隈には、京の七口の1つという丹波口があったから、少なくとも、ここだけは守らねばの意識があったことから、こういった細工が施されたのだろうと言われていた。特に丹波口は、西方に開けている。東方は、鴨川という自然の防御が効いているが、こちらは、外が平たんな地形だから、防御強化のために、こういった造りを採用した可能性があるとも言われていた。ところで、「京の七口」というタームは聴いたことがあったが、この御土居に係るタームだったということを、初めて知った。これも、大きな成果だった。あと、丹波口の辺りの御土居は、正南北より、少し西に振れて歪んだ形状になっていると言います。これ、なんでか想像した話をされていた記憶があるんだけど、思い出せない。また、メモっていない。ちょっと残念! 講演会終了後は、来た道を戻ったが、往きのような感じにはならなかった。汗をかき過ぎるということもなくだ。どうも、変調が続くので、今日のお出かけを、どうしようか考え込んでしまったな。でも、場当たり的に対応することで出かける決定。さて、今日は大丈夫でしょうか?


2024年 7月 27日(土)午前 7時 12分

 昨日は、朝からお出かけ。金曜日の朝からと言えば、アスニー京都なんだけど、韓国に行ってたときに、市民向け公開講演会があったはずなんで、ちょっと久しぶり感があった。ただ、今回2回目なんだけど、電車の出発時刻を家からのお出かけ時刻と間違い、会場へはぎりぎりの到着。昨日は、テーマからして混雑が予想されたので、行っているかもしれない弟に席の確保をお願いするメールを送ったが、メールを開けてなかった。でも、運よく、席は確保できた、最前列やったけど。終了後は、弟と昼食。何軒か回って、お席のあったお好み焼き屋へ。潰瘍の話をすると、脅かされたので、夕方、帰宅後、医者に行くことにした。自分も、鎮痛剤が原因なのか、気になってたところへ、知らなかったピロリ菌のことを教えてくれたものだから、行かざるをえなくなった。午後は、嵐山の福田美術館へ。強烈な陽射し、その中を、多数の観光客が闊歩する。ありえない光景だけど、何度行っても、嵐山はきれいなところだ。昔は、そこまでは思わなかったが、加齢のせいか、そう思うようになった。帰宅後は、案の定、ぐったり。椅子に座ったまま居眠りをしてから、医者に行ってきた。そんなに心配しなさんな的な話だった。一応、念のためにピロリ菌の検査をしてくれた。結果は、1週間後だそうだ。
 アスニー京都での講演会は、「令和6年度双京構想連続講座/テーマ『婚姻からみた京都の皇室』」の第2回として行われたもの。お題は「平安後期の朝廷と平家ー平清盛を中心にー」で、お話をされたのは京都産業大学准教授の久禮旦雄さんだった。扱われたのは、摂関政治が揺らぎだす時代が扱われ、保元・平治の乱を経て、平清盛の時代へ、更に平家の滅亡までを扱ったお話だが、なんせ、日本史に疎いものだから、基本がダメだから、ついて行くのが必死。でも、かなり置いてけぼりをくったな。でも、こういった機会でないと、自分の足らない部分を補えないから聴こうとします。摂関政治って、偶然性的要素がある。権力を維持していこうとしても、自分に娘がいないと、入内させる弾がいないことになる。また、入内させても、天皇との間に男子が生まれないと、天皇のお爺ちゃんになり権力を握れない。この偶然性で、道長の直系にも陰りが出てくる。権力闘争が激化して、武力沙汰にまでエスカレートすると、武力を担う者たちが台頭する。しかも、戦うということ自体に、東と西ではスタンスが違う。西では、寒いから止めにしとこ、今日は何の日だから止めにしとこだが、東は勇猛だから、そんなちゃらっけな考え方がない。そんな言い方をされていたが、政が東へと移っていく契機にもなる時代でもある。後三条天皇の即位から、その揺らぎが出てくる。御堂関白家の血が続かなくなっていく。白河天皇の母、鳥羽天皇の母を出した家(閑院流)が摂政の位を望むと、御堂流でないと摂政になれないとして、何とか権力を維持しようとするが、ここで、摂政と外戚が分離してしまう。そういった時代に、国政の実務で台頭してくるのが平氏。最初は支える後白河院と崇徳院との対立、これが保元の乱? 二条天皇の養育を担った美福門院と後白河の対立に絡むのが平治の乱? こうなったときの摂関家は、どうなってるの? レジュメを観直しても、あかん、やっぱ、ついて行けてなかった。平氏が権力を握っても、外戚になっていく。ここでも、摂関家はどうしたのが疑問となるが、解らない。そして、源氏との対立で没していく、この流れは解るが、さっぱり詳細は、結局、ダメだ。がっくり!
 福田美術館では、「福田どうぶつえん」という展覧会が行われている。様々な動物絵画を集めたものだ。一応、章立てはしてある。「①猛獣とはたらく動物」「②ツルツル、ニョロニョロ、ふわふわっ!」「③もふもふ可愛いわんにゃんたち」、ま、どうでもいいよな章立てで、このコピーで、雰囲気作りが仕上がってるというだけで、十分なものだけど、実際、観てみると、そんなにも、もふもふがあったわけではなかった。また、目が慣れてしまったのか、今回の展示で、そそられるものがぎょうさんあったというわけでもなかった。いつものいいやつはいい、でも、それ以外は、もそっとあるやろというのが、全体としての感想。冒頭に、今回の展示の目玉と言える大橋翠石と大橋万峰(兄)兄弟の虎の絵が並ぶ。獰猛さが際立つ。この2人、初めて知った作家だけど、ここまでお目にかかってこなかったわけみたいなものが解った。リアルすぎる、獰猛さが。目力が、なかでも、より際立つ、これが、獰猛さの極みかもしれない。竹内栖鳳の獅子図も猛獣ぶりを表しているが、もふもふがあるので、対象物として観れるが、大橋兄弟ものは、同じ場に居合わせた感が先になってしまうので、対象化しにくいのだ。それ程、リアルだということにもなるが。だから、流してしまった。①のお題になっている「はたらく動物」は、原田西湖の「夏の夕」があるから。横山大観の「牧童」も、そのカテゴリーに入るかもしれない。原田西湖は、全く知らなかった作家。大部な屏風絵。右隻には、夏草が生い茂り、いや茂りすぎやろというほど、草の圧がある。左隻にまで及んでる。その左に、馬と働く女性。草の圧に追いやられてる印象。逆に「牧童」は、素朴な風景画。人と水牛かな、小さく、俯瞰気味に描かれており、長閑さが漂う。水牛が出てきたのは、もう1つあった。寺崎広業の「春山帰牧」。こちらは、明確な俯瞰図。峠を越えて帰ってきたのでしょう、長閑さ全開です。寺崎広業も知らなかった作家さん。他に、どんな作品があるのか、ちょっと気になってしまう。その並びのなかに、本日の秀逸候補、山元春挙「白狐図」がある。滋賀県美の「山元春挙展」で観たのでしょう、既視感があった。白い狐が神秘的で、際立つ作品です。それに対し、岸駒「福禄寿図」、今村紫紅「春暖」、鈴木松年「昔話猿蟹合戦図屏風」といった大家の作品は流してしまう。チラシなんかに使われている山内信一「春光」も、単に、様々な動物が並んでるだけやないかとしか思えなかった。2階に上がる。冒頭に、森一鳳「百蝠百鹿図」が気に入った。群れる蝙蝠、鹿の個々の描写より、それらが群れた全体の形がいい。群れて、蠢いてる、その様が感じられたからだ。小川芋銭「いもり」、入江波光「湖のえび」、松本奉時「群蝦蟇図」、石崎光瑤「裏園秋興之図」(蛇)と、小動物が続く。その並びに、森狙仙「親子猿図」があった。子猿を抱え込む親猿が毛づくろいをする図。何度か見返すと、親猿と目が合っちゃう感じがありますね。すると、途端に愛おしくなる作品です。富田渓仙「急流渉蟹図」は水墨画に小動物なんだけど、水の流れを白く塗る心が、先日より気になっています。逆サイドのトップにあった山口華楊「待春」が、なかなかいい。雪の下で耐えるウサギを描いている、象徴化した描き方、色合いも、イメージで描いている。なかなか、渋い。伊藤若冲、速水御舟、西村五雲、榊原紫峰、野長瀬晩花といった大家の作品が並ぶなか、一際、目立ったのが円山応挙「竹に狗子図」。もふもふ感、可愛らしさでは、一番。そして、「竹」と「犬」って、組み合わせると「笑」になるということで、にこっとさせる力も持っている。この部屋の最高傑作だと思った作品。木島櫻谷、川合玉堂、前田青邨との並びにあった速水御舟「春眠」に、自分的グッジョブのマークを付けていながら、思い出せない。残念。こういうときってネット検索する。判った。寝そべる猫の上に、大きく伸びる細い木。この猫のもふもふもいい。木は木でなく、「そっとしておいておやり」「そういった空間だよ」とのメッセージみたい。3つ目の展示会場は、何となく新しめの作品が並んだ。勝田哲「芽ぶく」は、デザイン化された大きな木に、塀の上を歩く猫という構図、大黒の中に、それらが描かれる。暖簾にでもしたいデザイン性が際立つ。同じく、加山又造「猫ト牡丹」も、暖簾のデザインにいいなと思わせられる。華やかな牡丹とおしゃれな猫を、敢えて平面的に描くデザイン性が優れている。大橋翠石がここでも出てきて「仔猫之図」。3匹の仔猫の右端の子が最高、この展覧会で観た、一番の可愛さだった。速水御舟「洋犬」もいい。めちゃ気取った犬、「さすがに洋犬」と思うのは偏見が潜んでるかも? 作品リストを見ると、かなり前後期で入れ替えがあるようだ。しかも、後期の方が、自分的に気になるものが並んでる。どうしましょう? 思案中です。


2024年 7月 26日(金)午前 6時 16分

 昨日は、午後に、オンライン配信の予約を2件、入れていた日。いずれも、気候変動に関するもので、うまい具合に、程よい時間のずれがあったので、申し込んであった。だから、昨日は、お出かけなしで、外出は、ルーティンにしている日に2回のウォーキングだけだった。また、一昨日から心配していた肩の痛みが和らいだ朝だった。一昨晩、続けて6時間ほど寝たんじゃないかな、小刻みに目が覚める身には、信じがたいような睡眠が取れ、且つ、目が覚めたとき、首を動かすと、一昨晩までとは打って変わって、スムーズ。正直、ホッとした。今回は、左肩だけで、この時点では済んだと思ったが、そんな簡単なものじゃないね。夕方からは、今度は、右肩に、その痛みが移ってきた。簡単には許してくれません。ただ、左肩は、さほど酷いというものではなかったので、安心はしているところだ。
 オンライン配信1発目は、毎年開催されている、気候変動適応東北協議会主催の「気候変動適応ランチタイムセミナー」。お昼休みを利用しての配信。毎年、昼休みは休憩する時間じゃねえのと思いながら、申し込んでいる。参加される方は、行政の方をはじめ、気候変動に関わっている方のようだが、それにしては、素人にも解りやすいお話しなので、新たな開催を見つけると申し込んでいる。昨日が、今年の第1回で、「健康/地球沸騰時代の健康管理を考える ~熱中症対策を中心に ~」というお題で、医療福祉センターさくら院長服部益治さんのお話を聴くことができた。気候変動に関する講演で、ホントに多いのが、熱中症問題。一昨日の発熱は、結局、熱中症だったんじゃないかと、朝から思うようになってたので、とっても切実感があった。が、半ば過ぎで居眠り。でも、しっかりしたレジュメをいただけていたので、概要は、しっかりと掴めたと思います。ポイントをメモっておく。「熱中症では脳がやられる、だから、めまい、立ち眩みといったことが起こる」「熱中症の分類でもⅡ度となると意識の混濁に関わる症状が上げられている」「だから、熱中症と思えば救急車を呼び、太い血管のある箇所を冷やすことが大事」「コピーを見ると、変化の激しさを実感できる、1985年に‶地球温暖化‶、1995年に‶熱波‶というタームが出現、2010年に日本で‶熱中症‶というタームが出る、2018年に‶熱波災害‶として上げられたのは、竜巻、大雨・洪水、超大型台風、2022年には‶熱波災害‶、2023年には‶地球沸騰時代‶というタームまで出てきた、、そして、2050年には絶滅危惧種にヒトが入るとまで言われるようになった」「2024年は、この120年で最も暑い4月」「インドネシアは、気候変動のため、5年内で首都移転」「ヒトのような恒温動物は気温が上がると脳が破壊される、だから、生命維持に酸素・体液が重要」「高齢者は体液が少なめなため、熱中症に罹りやすい」「筋肉は体液の貯蔵庫、だから、筋肉の少ない人(高齢者・子ども・女性)が重症化」「コロナ禍の影響、、、運動不足で筋肉量の低下、一日三食の励行が崩れ、水分補給の機会が少なくなってしまった、マスクの使用は喉の渇きを感じにくくさせたため、水分補給がおろそかになった」「デコ活」「経口補水液を常備化することは大事」。こんなところかな?
 2つ目の配信は「日本GIFオンラインセミナー」。こちらでは、「課題先進国モルディブ:小島嶼国の未来の行方」というお題で、髙城元生(JICAモルディブ支所長)さんのお話を聴くことができた。平均海抜が低い国として、気候変動に伴う海面上昇で、いつも話題になるモルディブがテーマということで、詳しいお話を聴きたくなり、申し込んであった。モルディブは、リゾート立国という顔を持っていること、そういった面も語られることなので、知ってはいたが、のっけに基本情報を与えていただいたところで、既に、自分の知識のなさが露呈。イスラームの国だということは知ってたが、そもそも、その位置が、とってもインドに近いということは知らなかった。もっともっと離れたインド洋に浮かぶサンゴ礁の国と思っていた。中国の進出が著しいということも知ってたつもり。だが、位置から考えると、インドとの繋がりがないわけではない近さ。だから、中国のみならず、インド、それに加えて湾岸諸国との関係も密だそうだ。そういった国々とのバランスを取りながらの外交を見せているしたたかさが滲む国だとのお話しだった。ので、中国一辺倒というイメージは、嫌中の人たちがばら撒いたネタかもしれないと思った。危ないわぁ、しっかりとせんとあきません。細かな話は聴くにとどめて、問題の海面上昇に関して、とっても重要な情報をいただけた。海面の変化に伴い、自然って凄いなと思ったところなんだけど、海岸は自然による維持機能を持っているというのだ。海流によりもたらされる砂が、海面上昇に伴い、自然に変化が起こり、島の形を維持する作用が起こり、島の形を維持しようとするんだって! 押し寄せる砂と削られて消える砂との収支バランスをとる作用が起こると言われていた。むしろ、港を造ったり、埋め立てをしたり、人工物ができると、その作用を妨害してしまう。その一方で、海面上昇とともに起こるだろう海水温の上昇が、この国の国土を成しているサンゴ礁の死滅を起こしてしまうのが懸念されることと言われていた。実際、海岸線の変化を、空中写真で見せられると、一目瞭然で、港ができることで、海岸線が後退している。また、空港の拡張工事が行われ、今後の海岸線の変化が気になるところと言われていたし、宅地の造成のため、政府の進める埋め立て事業も懸念材料と言われていた。なんせ、島数の多い国、そのため、首都マレのある島の地域と、他の島の格差も大きく、ごみの処理など、環境問題への取り組みの姿勢も、島により、差があるそうだ。リゾート島は、資金があるので、そういったことへの配慮ができるし、また、そうしないと観光客を呼び込めないが、そうじゃない島々との差が大きいのも課題だと、モルディブという国の課題を取り上げられていた。そういったことを踏まえてのJICAの協力事業が行われているとのこと。海岸保全、リーフ保全、土砂管理などが、主な事業内容だと言われていた。司会の方も、モルディブに通じておられる方で、国内の日常も見えてくるトーク、なかなか、興味のあるものでした。


2024年 7月 25日(木)午前 6時 46分

 昨日は、朝から出かけて、大阪でハシゴをした。落語会と美術館の組み合わせだった。お昼は、天満橋駅近くのネパール屋さんでカレー。相変わらず、食欲がないので、ナン1枚でも、お腹が膨れるのに、小さくごはんまで付いていたから、帰宅後、胃薬を飲んだ。美術館の展示数は、そんなに多くなかったので、帰宅すると、まだ、午後3時台だった。気温は、当然、上がってんだけど、汗を、あまりかかない。しかも、やたら、身体が重い。帰宅すると、ベッドに倒れ込んだ。でも、おかしいので、念のために熱を計った。やっぱり、そうだった。36.7度だった。平熱が低いものだから、これで、微熱なのだ。しんどい原因が判った。でも、発熱の原因は判らない。風邪の症状はない。ただただ、身体が、少しだるいのだ。頭では、少し休憩してから、夕方のウォーキングに出かける算段をしていたが、止めた。Radikoで、まだ、全部、聴けてなかった「まーぶる」を聴くことにした。Wi-fiを使うようになり、スマホでRadikoを聴けるようになったので、ベッドに寝そべりながらだ。聴きたくないところはスルーすることができるし、これはいい。熱中症かなとも思ったが、身体が冷えたあとも、軽く熱っぽい状態は取れていない。ただ、3日前から、左肩がおかしい。また、頚椎の手術絡みのことが起ころうとしている痛みが出てきている。発熱は、これとの関係があるのかもしれない。軽く熱っぽくなったことが、かつて、あった。記録を取っているが、2年2ヶ月ぶりだ、こういった痛み。今の状態で治まれば、大事には至らないが、左から右に回ったり、肩以外にも症状が出てくると、事です。6月の胃カメラ検査で、潰瘍が見つかっているので、痛み止めが飲めないから、余計に厄介なのだ。いや、椎間板ヘルニアの痛みに苦しんだとき、その痛み止めに助けてもらったが、どうやら、その後遺症で潰瘍ができたと、自分では思っている。医者には、この副作用は告げられてたからね。知ってから、前にも増して、食欲がない気がする。ま、それは、さすがに、精神的なものだろうが。
 落語会は、猫も杓子もであった朝活らくご。新幸が、毎週水曜日の午前11時から開催している会だ。昨日は、秀都が飛び入り参加。その番組は、次のようなものだった。秀都「胴切り」「替り目」、新幸「雪の戸田川」。秀都は、落研色があり、また、師匠の文都の不適切なくすぐり、漢語などの刺し込みがあり、あまり好感を持ってなかった。でも、コロナ禍を経て、少なくとも落研色は落ちたと看た。笑わす術を持ってるぞと、暗に匂わすような喋りではなくなってた。これだったら、聴きに行けるやんと思ってたが、後者は嫌だった。師匠を変えろとは言えないけど、漢語に言い換えたり、自己満足的なくすぐり、これが気になる。でも、コロナ禍前に比べて、秀都のお喋りに、勢いやパワーがあるから、嫌みな感じは薄められていたことは、そうなんだが。「胴切り」は、「久しぶりの口演だったので噛んでしまった」と言ってたけど、確かに噛んだ箇所が多かった。又はんが、切られたあとに、胴体と足を連れる前に、足と話してたのに、麩屋で、足が話してるのに驚いていた。これは、あかん。そういった調整が必要だけど、そして、不適切な箇所のカット(「湯屋番」のような言い草を入れてた箇所など)をすれば、十分に、いい口演だ。麩屋に、足を連れて行き、仕事を頼む箇所はカットという切り込みをやってた。それはありですね。「替り目」は、俥屋は出てこず、いきなり、家の戸を叩くところから。破天荒な酔い方を、ここで見せてくれた。めっちゃ、腕を上げてます。その派手な酔いっぷりで、全編通せとは思わないが、また、男には、台詞がいっぱいあるから、酔いの描写に、多くの時間を取られたくない気持ちは解るが、冒頭の酔いっぷりが激しかった分、徐々につまらなくなっていったな。平板になったと言えばいいかもしれない。だから、友だちの娘の嫁ぐ日の描写も、その流れで行っちゃった。そう思って聴いていると、「替り目」は、めっちゃムズイ噺だね。捲土重来、時間をかけて育てていってほしいものだ。新幸は、まさかのネタを聴かせてくれた。米朝一門では「怪談市川堤」、旭堂では「お紺殺し」で出されているもの。大ネタだ。米朝一門と違うのは、最後は、雪景色の描写で終わってた。「雪の戸田川」は、露のの誰かで聴いた記憶があるんだけど、誰だったかは思い出せない。以前、Youtubeに上がっていた団四郎の口演は、音が悪く、半ばで止めた記憶がある。五郎兵衛で聴いた可能性が、一番高いかもしれないな思っている。語り口がしっかりしている新幸のことだから、こなすのかなと思い、聴いていたが、テキストを追うということに留まってたのじゃないかな? 決めどころ、アクセント、これは、クライマックスだけではなく、次郎兵衛とお紺の再会場面なんかでも、変化が欲しいな。クサくてもいいから、こういった自分の小屋を持ってるのだから、試みは、いくらでもできるはずです。五郎兵衛から師匠新治へと、独特のネタが流れているのだから、それを受けた新幸の語り口に、どうしても期待してしまいます。
 美術館は中之島香雪美術館。今、こちらで、特別展「珠玉の西洋絵画:モネ・ルノワール・ピカソ-和泉市久保惣記念美術館所蔵品展-」が行われている。和泉市久保惣記念美術館は遠いので、足が向かないので、いい機会と思い、前売り券を買ってあった。中之島香雪美術館では、初の西洋絵画を展示する展覧会だということだったが、なんせ、展示されている作品数が25点は、少なすぎる。名だたる大家の作品が並んだとはいえ、少ない。同館所蔵作品で、修理に出された作品の公開というおまけもあったが、それでも少ない。ま、この美術館自体が狭いので、規模的には、このくらいなのかと思ってしまうが。セクション分けをしてあったが、壁に沿って歩くと、その区分から外れてしまう。それに気づいたのが、後半に入ってからだから、どうでもいいやの気になり、観ることになった。冒頭に、ゴヤのエッチング作品1点(連作「闘牛技」より)、ミレーの鉛筆画が2点という小ぶりの作品があった。長い剣が牛に突き刺さった瞬間を捉えたゴヤもの、迫力満点。対峙する人と牛の質感が抜群。コローが1点(風景)だが、家を描いた風景画で、最近、コローに出会うと、こういった作品ばっか。「‶印象派‶の時代」として括られたセクションには、ゴッホ3点、ルノワール2点、ゴーギャン、ドガ、モネ、ロダンがあった。今回の展示で一番いいなと思ったのはロダン。「永遠の青春」というブロンズ像。めっちゃ、官能的、それに尽きる。子どもには見せられない雰囲気があります。次いで、ルノワールの「花飾りの女」。全体的に、オレンジ色や赤系の色合いが占めているので、明るく、華やかさがある。頭の花飾りがマチエールで、華やかさが増すというもの。ルノワールのもう1点は「カーニュのメゾン・ド・ラ・ポスト」は、右前から観ると、えらく奥行きが引き立つ。モネの「睡蓮」は、夕方の陽射しが。池に反射したもの。青い色合いというのが「睡蓮」の定番だと思ってる身には、結構、意外性に富む。ルノワール2点と「睡蓮」が、この展示の中央部に占めていたので、展示する側からは、一番の売りという意識があったようだ。ドガは、扇型作品だった。ジャポニズムですな。「20世紀前半 パリ」では、モディリアーニとロートレックが1点ずつと、藤田嗣治が2点あった。藤田の細い線の際立つ「青い目の赤毛の少女」が、らしさが出ている逸品。なるほど、あの線は目立つ。連作「子どもたち」に含まれているもの。その連作、確か、岐阜県美だったかで観た記憶がある。ロートレックの「マルセル・ランデ嬢 胸像」は、若干、下から仰ぎ見るような構図の大首図。浮世絵からのインスパイアされたものかと、解説に書かれてあった。「夢の再生」という、何でと思うようなセクション名の付いた最後の区域では、戦後の作品を並べたのかな。ピカソとシャガールが2点ずつ、ルオー、マティス、ミロが1点ずつあった。ピカソの「タバコを吸う男」が目を引く。複数の視点で描くという、キュビズムらしい作品だが、線が細く、線だけで描いていおるので、えらくポップな感じなのが、描かれている男のキャラまで表しているようだ。明るい色も使ってるしね。マティスの「‶ジャズ‶よりラグーン」は、自在の形を並べた抽象画、でも、カンディンスキーを思わせる、音楽を感じさせる軽快さがあった。これがあったため、ミロ(燃えさかる翼への微小)が目立たなかったな。解説を、全部読み、時間をかけて回っても、1時間あれば、お釣りが来る程度の数の展覧会でした。


2024年 7月 24日(水)午前 6時 9分

 昨日は、午後の遅めから出かけ、京都の岡崎でハシゴをした日。だから、それまでは空き時間だったので、洗濯+ウォーキングに充てた。相変わらず、暑い。完全に突き抜けた暑さだ。お出かけ先は、京都国立近代美術館とロームシアター。ロームシアターは午後7時開演の市民寄席だったが、先日の飲み会に続き、なかなか、夜間のお出かけは勇気がいる。先に、市民寄席のチケットを買ってあったところに、飲み会の連絡を受けたのでした。夕飯は、とりあえずは、京都府立図書館横の公園でパンを食べた。外食が増えているので、こういったパンの用意なんかができるときは、外食は慎もうの方針を採るようになっている。
 京都国立近代美術館では、「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」なる展覧会が行われている。「日曜美術館」で取り上げられるまでは、知らなかった作家さん。「日曜美術館」で知ると、俄然、関心が高まった。京都で展覧会が開催されたということは、ラッキーな話。倉俣史朗の作品は知らなかったが、実際、展覧会に行ってみると、既視感があった。だって、黄紺が東京にいた頃の銀座なんかで見かけた光景そのまんまだったから。三愛に務め、松屋では、イッセイミヤケの店のデザインを手がけ、渋谷の西武百貨店でも、同様の仕事をしていた。冒頭の展示作品が、引き出し付きのソファー、次いで、スプリングを胴体に使った丸椅子。その後から、倉俣史朗のデザインを特徴づける「透明な家具類」が現れてくる。当初は、アクリルを使い、それがガラス並行して、再び、アクリルに戻るという流れだった。その間に、アイデア一杯の形状の家具類が並んだ。市松模様と見える収納ボックス、くねくねと縦に並ぶ収納ボックス、一室を設けられたのが、照明器具。光る椅子にテーブル、「おばQ」型の照明器具。他の場所では、その「おばQ」が、実際に使われた屋内デザインの写真があった。そういった作品とともに、実際に倉俣史朗の描いた設計図、アイデア画が、壁に展示されていた。やがて、透明な家具に色がついたり、ガラスの割れ目をデザインとして取り入れたりと、新たな工夫が出てくる。でも、「透明性」というポイントは、ずっとデザインの根本に置かれている。無機質な印象を与える家具類は、正にモダニズムを体現している。モニターでは、倉俣史朗が手掛けたインテリア作品を映してくれていた。ブティックのショップから、寿司屋、バーといったものが、結構、多い。なんか、同時代の雑誌で見かけたり、それこそ、銀座なんかを歩いていると見かけた店舗のインテリアそのまんまだった。そこに、素材に異なった椅子なんかもあった。金網を使った椅子がそれだ。でも、コンセプトは、金網だから「透明性」を維持する。さすがに、小物では、透明性を維持するのは困難だったようで、中には、そうじゃないものもあったが、何やらの液体入れでは、外形だけではなく、液体の入る空間にも変化を与えるデザインまであった。当然、内部が見え、それは透明性が維持されていた。そういったなかに、「ミス・ブランチ」があった。倉俣史朗の傑作と言われる椅子だ。アクリル樹脂内部にバラの花を入れ込んだ椅子。技術的な裏付けを受けた衝撃の椅子ですね。イメージしてたものより、低かった。でも、座るとなると、いい高さだと思ったということは、衝撃が、ものを大きく感じさせたのだろうなと思った。今、存命でも80歳くらいだと思うと、勿体ない才能の若くしての他界だった、つくずく思ってしまった、そういった展覧会でした。
 「市民寄席」の番組は、次のようなものだった。呂翔「米揚げ笊」、鯛蔵「風呂屋番」、一蝶「親子酒」、小文枝「熊野詣」。珍しい顔付け、惹かれた点は、正にそれ。個々の落語会だと、行くのは鯛蔵だけだけど、こういった並びで出ると、なんか行ってみようと思った。そして、こう言っちゃなんだけど、とっても正解、満足度の高い会でした。それは、色の違う皆さんの奮闘、いい口演を聴けたから、それに尽きます。コロナ禍を経て、若い呂翔は、しっかりと成長してました。語り口に自信を感じさせるものがあった。道行を全編カット、最後は「下がる」場面をカットしての時間調整も、うまく成立していた。鯛蔵の持つテンポの良さ、それが、見事に開花した口演に、何度も「上手いなぁ」を、口の中で繰り返していました。一蝶は、こういった大会場で、どないな落語をするのか、正直、怖いもの見たさだった。が、冒頭で「東山高校出身」という、思いがけないことを言い出した。滋賀県から、片道2時間かけて通ってた話は、ナイスなマクラ。そして、この人、よくやる余計な掴みやくすぐりを入れなかった。だから、とっても本格派の「親子酒」だった。以前、「崇徳院」の口演で唸ったことがあったが、まともな落語家人生、歩んで行って欲しいなと思う。小文枝は、冒頭、市民寄席と上方落語協会成立がリンクしていると説明。なんか、聴いたことがあるが、こういった話ができる小文枝に大物感が出ていた。最初発表されたネタは「お文さん」だったが「熊野詣」に変更。両方とも聴きたい心境。「熊野詣」は、5代目文枝作品。長い熊野詣の道のりを、上手く処理してるというのが、最大の印象だった。旅の挿話も入れ、長いので端折るという工夫もあり、旅をする2人の男のキャラを噺に上手く取り入れと、なかなかの労作だった。総体としても、機会があれば、どんどんと口演の機会を作って欲しいなとまで思った。小文枝の語り口は、しっかりしているのは、この噺でもそうだったが、どうしても噺の性質上、同じパターンの語り口になったのが惜しかったけど、いいもの聴かせてもらえ、感謝、です。


2024年 7月 22日(月)午後 10時 39分

 今日は、お昼時から上映が始まる映画を観に行った。行き先がMOVIX京都でお昼時だったので、こういったときの定番、好き家で牛丼を昼食とした。朝から食欲が、全くなかったため、これが、今日初めてお腹に入れたものだった。出かける前に、ミニでもいいからウォーキングをしておこうと考え、実行に移したのだが、それでも、出かける前に、何かをお腹に入れようとは思わなかった。やっぱ、潰瘍の影響が、こういった形で出てるのかなと思ってしまう。映画終了後、少々、アーバン・ウォーキングをして、且つ、自宅最寄り駅手前で降りて、買い物をして帰るつもりだった。ところが、空が変、雨が迫っていた。スマホでも確認。傘を持って出てなかったもので、買い物をせず、そのまま家に直行。万歩計を見ると13100歩余だったので、少し休憩をして、雨もやり過ごしてから、ミニウォーキングをしようと考えてたのに、机に座った途端、なんか、しんどい。暑さに当てられたみたいで、エアコンの効いた部屋でぐったりとしてしまった。早くも、軽い熱中症にでもなってたのかもしれないね。椅子に腰かけたまま、眠ってしまってた。それで身体も冷え、大事には至らなかったが、あとでミニウォーキングでもやろうと考えてたくらいだから、自覚がなかったということ。そんなで、それで1日が終わってしまった。こんな日もあるってことかな?
 映画は韓流で「密輸 1970」。「韓国で大ヒット」「海女が密輸」「クライムアクション」といったコピーに惹かれて観に行くことを考えてた作品。人間関係の騙しあい、これは、登場人物間だけではなく、観ている者も騙される、ミスリードする展開があったり、アクションシーンも、よくある殴り合いといったものはともかくも、海中でのアクションが用意されているのが、おもしろい。なんせ、素潜りのできる海女さんが、海の中で悪漢退治をしてくれる。どうして撮ったんだろうと思わせるシーンが随所に出てくる、素晴らしさ。クライマックスに相応しいアクションシーンだった。しかも、お題にある通り、時は1970年。公害が、1つのプロットになっており、そのため仕事が上がったりになった海女さんたちが、密輸に手を染めるという展開。海中投棄された密輸品を、海女さんたちが引き上げるというのが、その仕事。それを取り締まる、日本で言えば海上保安庁が追いかける、海中にはサメもいる。1970年ということで、レトロな音楽を流してくれる。役者も揃ってた。主演は2人の女性。キム・ヘスは、名前は聞いたことはあるが、出演作は全くの初めて。もう1人の主役がヨム・ジョンア。出演したドラマや映画は観ていないが、この人の顔立ちに既視感があった。調べていると、「1泊2日」の「女優特集」に出ている。ひょっとしたら、そこで観たのかもしれない。密輸王役のチョ・インソン、何か名前にひっかるので調べてたら、「マドレーヌ」「ラヴスト-リー」の主役やってる。20年も前の映画だけど、この人、思い出した。チンピラ役のパク・チョンミンは、「空と風と星の詩人~尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯~」に出てたの、これも、調べていく内に思い出した。そんなだから、役者目当てで行った映画ではなかったのだけど、知らない役者さんではなかったみたい。それにつけても、楽しめた作品。アイデアが湯水のように湧き出る韓流ものは、やっぱ、おもしろい。それを、再確認できた作品だった。


2024年 7月 22日(月)午前 6時 51分

 猛烈な暑さが続く土曜日。昨日は、珍しく、夜にお出かけ予定が入っていた。午後5時過ぎの電車に乗ればいいということで、それまでは、ごく普通の日。午前中のウォーキングは、汗まみれになるので、若干、薄め。この時間帯のウォーキングは9000歩に近づけようとするんだけど、それに至らなかった。ただただ、汗まみれだったから、ちょっと尻込みしてしまった。午後の一時は、Youtubeのお世話になり、シンガポール旅行の動画、美術系Youtuberの動画で、青木繫を扱ったものを視聴していると、起きているのが辛くなり、ベッドに横になり、今度は、スマホでYoutubeの音声配信でアップされていた角淳一と桂りょうばのトークを聴いた。そうこうしている内に、お時間。
 夜のお出かけは、昔の同僚との飲み会。コロナ禍明け、初の飲み会になった。皆さん、加齢が進んでいるので、最後かもと思いながら、参加。コロナ禍前と、参加者は、ほぼ変わらなかったのじゃないかな? 皆さんと一緒だった時期から、既に20年が経ったから、ぱっと見で判らない人もいる。それだけ、自分も加齢が進んでるということだなと、自戒。5年間、空いていたにも拘わらず、この飲み会を企画してくれた人たちには、感謝しかない。個々人による、この間の様子を話すという時間が、最も楽しい時間。年齢を考えると、体調のこと、かつての思い出話が多い。はらはらしたり、懐かしんだり、とっても、いい時間。自分も、最近の生活のリズムや椎間板ヘルニアのため遠出に億劫になっている話をした。5年間のブランクがあるにも拘わらず、話すことが少ない。自分の周りに不幸のあった人には、それどころではないだろうが、自分的には、野放図なまんまでしかないなと、それはそれで良かったのだなと思えた。世間で話題になってること、これは、全く解らなかった。今に始まったわけではなく、時の流れに身を任せるというのも大事だなと思ってしまった時間帯。それほど、社会情勢に疎くなってるなの自覚をしたな。個別の話は、まだまだあるが、この人たちと、同じ空間で働いていた、帰りたいとは思わないけど、いいところにいた時間が、自分の人生であったとの思いを再確認できたのが、嬉しいな。夜のお出かけで尻込みして、コミュニケーション能力が落ちているなか、行っていいんだろうかと思いながらの参加だったけど、結果オーライですね。
 時系列的には前後するけど、朝は「日曜美術館」の視聴。昨日は「まなざしのヒント 日本近代洋画」というお題で、大原美術館でのロケで行われた新作だった。講義形式の構成で、最近の新作で、よく観かけるもの。講師役は、いつものの三浦篤(大原美術館館長)さんに、森村泰昌さんが加わるという豪華さ。講義は、「A:近代とは?①」「B:ヌード②③④」「Ⅽ:宗教・信仰⑤⑥⑦⑧」「Ⅾ:絵画性⑨⑩⑪⑫」と、そのテーマが設定された。19世紀後半~20世紀という時期は、「異文化の発見・受容」「原始的なもの、神秘的なものへの関心」「写真の発明、、、写実の後退、絵画でしかない方向へ」ということで進行。番組で取り上げられた作品をメモっておく。①ゴーギャン/かぐわしき大地(フランスの植民地であったタヒチ島、原始的なところへ行きたい、ギリシアは時代の様式だけはしっかりしているが、そこにはない個人的なスタイルを極めている)②ルノワール/泉による女(柔らかい・優しさを感じさせる、輪郭がぼやかしている、いろんな解釈が可能、夢の中、作者の記憶の中、憧れ? 現実離れしたものを描いている、1915年に日本で公開、ヌードというのは理想的な美を宿すと考えられた、人間が中心の証)③満谷国四郎/緋毛氈(知り合いの裸を見てしまったようだ、満谷はルノワールを大原にもって来た人、でも、ルノワール風は描けなかった、日本風にしている)④藤田嗣治/舞踏会の前に(色合いきれい、繊細な線、細い輪郭線、日本画の筆で描いている、フランスにいた藤田は外国の画家と勝負、それが、輪郭や白い肌に現れている、パリで開店してフランス人に食べてもらうという「グランメゾン藤田」、ルノワールはパリの店だが田舎の風味、満谷は肌の色は天ぷらを思わせ、日本人に合う洋食)⑤グレコ/受胎告知(鳩=精霊、百合=純潔、赤=慈愛、青=天の真実、マリアの顔が縦長なのは、仰ぎ見ると顔が縮むようになるという観る者の視点まで計算している)⑥岸田劉生/画家の妻(洋服の色は同じで、キリスト教を意識、アーチ状の枠取りも同様、北方ルネサンス絵画を模写してた時期の作品)⑦中村彝/頭蓋骨を持てる自画像(作家死の直前に描いた自画像、セザンヌ風の空間表現、未完成かも? ただセザンヌも塗り残しがある、敢えて完成させないところがあった、ここにも青と赤・アーチがある)⑧関根正二/信仰の悲しみ(19歳の作品、20歳で没、非キリスト教徒、ここでも背景がブルーで赤を使う、自画像? 1人の人間のうつりゆく姿を描いたのでは? 右端=過去、赤=今、左=未来)⑨モネ/睡蓮(絵画は1つの平面、2次元を意識している、写真の登場による、浮世絵の影響? マチエール=絵具の物質感)⑩マティス/マティス嬢の肖像(背景が暗く、帽子を被せ、女性の目に行くように描いている、目で生命を与えている、左に花を置き面の世界に命)⑪児島虎次郎/少女像(強い陽射し、点描に似た筆致、点描に見える白い部分は塗り残し、マチエールに独自のタッチがある)⑫熊谷守一/陽の死んだ日(息子の死に顔、マチエールを使いこなしている)。


2024年 7月 21日(日)午前 6時 39分

 昨日は、朝から、一日中、動いていた。洗濯をして、皮膚科の医院に行き、息子家族と会ってたため観ることができなかった「光る君へ」の再放送を観て、それが終わると、速攻でお出かけ。岡崎の2つの美術館の、いずれもコレクション展を観に行くという流れ。外は、猛烈な暑さだから、少しでも歩くと、もう汗だく。美術館巡りが、2つ併せても、1時間半もいかなかったため、午後5時過ぎには帰宅。でも、洗濯ものの取り込みで、また、汗だく。ばたばた動いて、万歩計を見ると13100歩余と、特段、ウォーキングにかかったわけではなくて、この歩数。帰りの電車で、うとっとしたはずです。
 1つ目の美術館は京都国立近代美術館。今、行われているコレクション展は、既に2回行っている。3回目に行ったのは、後期展示が始まったから。前期展示が、変則的だったため、3回目となったのだ。前後期で展示替えがあったのは、福田平八郎ものだけだったので、横尾忠則ものは、さすが、もう1度、観ておきたかったので、じっくり観たが、あとは流したので、こちらでは、あまり時間を要しなかった。それだけではなく、想定内だったが、福田平八郎ものが、あまりそそられなかったのだ。これは、前期展示で、既に感じていたことだった。旧ソ連所蔵ものを分けての展示そうだったからだ。写実の凝ったものとか、ちょっとおしゃれな構図とか、独自の色合いとか単純化とか、らしさを、あまり感じなかったのだ。相変わらず「桃」が一のお気に入りになったし、「青柿写生」の葉っぱ、「茄子」の丸みなんかが、それに続いた。こららは、通期での展示だったのだった。後期のみの展示ものでは、「納涼」が良かったな。後期では、これだけが人物画。しかも、後ろ姿。それが、わりかし可愛い系の女性の空気を出しているのに、目が行ってしまったのだった。
 2つ目は、向かいの京セラ美術館。年4回あったコレクション展が、今年度は2回しか予定されていない。今年度だけなのか、それとも、今後はそうなるのか、どこにも説明がない。そんなで、今年度の第1回が始まったところなのだ。毎回、幾つかのテーマが設定されていて、それらが展示室ごとに分かれているが、冒頭のテーマがおもしろかった。「女性が描く女性たち」という特集が組まれ、それが3パートに分かれていた。「①先駆者の試み」では、上村松園の「春光」「晴日」、伊藤小坡「夏」の3点だけが展示。「春光」は、左下方向に飛ぶ蝶に視線が行く、典型的な美人画。「晴日」は、母親を想起して家事をする女性を描いている。「夏」は、一転して自画像。かなり、生活感が出ている。それらを踏まえてということでしょうか、「②着飾らない姿」というコーナーで、広いスペースを占めていた。その片面全部が梶原緋佐子が占めた。「暮れゆく停留所」の女のいわくありげな様子は、以前、観て、そそられた記憶があるが、他の5点も、多寡はともかくも、いずれも、何やらを内に秘めてそうな女たちだ。気になる女たちだ。異色な作品は、裸の女を描いた作品が2点。三谷十糸子は初遭遇かもしれない。いえいえ、ネットで作品を調べてみると、観てました。「三人の裸婦」という作品は、3美神を連想していいのかな。裸の女が3人だから3美神という単純ものではなく、各々、異なったキャラの女たちと看たからだ。大らかでウエルカムといったキャラ、椅子に腰かけ、まなじりを決したかのようなキャラ、それと中庸のキャラと思えたからだった。今一つは、秋野不矩もの。海辺で、子どもを遊ばせている背中を向け寝そべっている女を描いた「砂上」。既視感のある作品。時代は変わっても、母性を感じさせる。秋野不矩ものは、何点か、この美術館持ってるはずなのだが、こういった新しい時代を感じさせるものをピックアップしたようだった、今回の展示は。北沢映月という作家は、初遭遇は間違いないと思う。上村松園門下と解説には出てたが、その後、土田麦僊門へと移ったようだ。次の部屋では、山本安英をモデルにした作品があり、それが、ちょっとポップな感じがしたが、この人の作品、ネットで調べると、もっとポップだ。そういったテイストを得意とするのかで、納得です。「娘」「明裳」という2点。えらく平板な絵だな、ペラペラとは言わないまでも、重量を感じさせることには頓着しないようなタッチ、これが作風のようだ。それで一貫してるのかと思うと、なかなかおもしろそうとなるのだけど、現場では、スルー気味に観てしまってました。反省。「③よそゆきの姿」のセクションは、お題を表すかのように明るい雰囲気が漂う。時代の新しさの息吹が漂ってるからでしょうね。多くの作品は、このコレクション展で観た記憶のあるもの。この美術館のご自慢の作品群かもしれません。丹羽阿樹子ものが3点、初めて観たとき衝撃を受けた「遠矢」に、何ともモダンな「ゴルフ」、ヴァイオリンを弾く女性を描いた「奏楽」、いずれも印象的な作品。由里本景子の「望遠鏡」も、負けず劣らずのモダンさだ。秋野不矩の「紅裳」は都ホテルの従業員だったのですね。働く女性です。それに、北沢映月の「ある日の安英さん」が加わり、更に、一面の展示棚を占めたのが、三谷十糸子の「独楽」。独楽を見つめる女性、どのように捉えればいいのでしょう。えらく平板な体つきの女性、このデフォルメは何だろう? でも、存在感を感じる、この不思議。洋装で、顔つきは独楽を観るにしては明るさがない。勝手に回るようにしか見つめてない眼差し。独楽で遊んでるような光景なんだけど、それを楽しんでる風情を感じさせないのだ。解らない。これだけ、他の作品から離して展示してあるのも、そういったかげんがあるからなんでしょうね。中間のスペースは、いつものように陶磁器。今回は青磁と染付だった。後半の1つ目の部屋は、特集から離れて「青々とした緑」と題したコーナー。夏をいっぱい感じさせる逸品が並んでた。小松均ものが2点、水墨画に一部色の入った「夏山」は、以前、ここで遭遇したときに圧倒された印象のある作品。枠線の太い、雄大な作品だ。その側に「くぬぎ林」も存在感がある。木の幹に濃い色合いを使い、それと薄緑色の葉っぱの差異で、遠近感を出している。林の中を潜り抜けてる臨場感があります。金島桂華の「叢」は、ここは熱帯かと思わせられる豊かに生える草、色合いの華やかさも熱帯感がある。待てよ、どこかで観たぞと思い始めたら。若冲の豪華さにシンクロしちゃってました。この人、竹内栖鳳門にいたみたいです。伊藤久三郎の「合歓の木」は、木々の生い茂る狭間にある道の俯瞰図。風を描いた作品です。これも、明るい色調なんだけど、その並びに、くすんだ色調の作品が2点、1つは、すぐに浅井忠だなと思った。「グレーの柳」というお題が付いていたが、夏の終わりの佇まいかな、静謐さが支配していました。もう1点は、17歳の安井曽太郎が描いた「粟田口風景」。青蓮院の前の路を描いていた。夏の強い陽射しが、青蓮院の木々の間に射している。「暑いなぁ」、思わず、そういった言葉が出てしまいます。「シルクスクリーンの可能性」というコ-ナーが次の部屋だったんだけど、明らかに、お向かいさんの企画展に同調したものと看た。しかも、木村秀樹の「Pencil」が3点も出てた。こちらを観て、あちらも観てねということなのでしょうか? 知らんけど。泉茂ものもあった。立て続けに、泉茂作品に遭遇。「日曜美術館」の「アートシーン」でも取り上げられてもいた。そんなにも大物だったこと、改めて認識しています。吉岡俊直の連作、解らないが先行したけど、しかも、シルクスクリーン自体が解ってないものだから、描かれているもの自体が、不思議でたまらなかった。そして、最後のコーナーが「大量消費がもたらす儚さ」。三島喜美代が亡くなったので、急遽、作られたコーナーなんだろうか? 小さめの作品が出てたものだから、そう思ってしまった。やなぎみわの「案内嬢の部屋1F」もおもしろい。エレベーターの案内嬢をショーウインドウに並べたり、エスカレーターに寝かせたり、コーナーのお題そのものですね。三島作品ともども、楽しい上に、解りやすいメッセージ性に感服でした。


2024年 7月 20日(土)午前 5時 56分

 梅雨は明けたのかな? 猛烈な暑さに突入している。昨日は、暑いなか、大阪でハシゴをした。美術館に行き、その後、動楽亭昼席に行ったのだ。その間の移動だけが、ウォーキングに替わるものだったので、帰宅後、万歩計を見ると8800歩余、さすがに、これは少ない。けど、時間的には無理だったし、それだけだったにも拘わらず、美術館から動楽亭への移動で汗だく。ハンカチを、落語を聴きながら乾かさねばならない程だった。昼食は、2ヶ所の移動中ということで、タイ屋さんでガッパオを食べた。
 美術館は高島屋史料館。今、こちらで、「特別展示 没後100年富岡鉄斎『贈君百扇』ー君に百扇を贈るー」が行われている。富岡鉄斎も、前回の竹内栖鳳同様、高島屋と関係があった。富岡鉄斎が、世間に知られるようになったきっかけが、高島屋での個展、後には、高島屋でしか個展を開いてないんだって。ずぼずぼの関係。これは、富岡鉄斎のイメージから外れた。学者肌、厭世人のようなイメージを持ってしまってるものだから、とっても意外な感じがした。しかも、今回展示された「贈君百扇」も、その富岡鉄斎の作品を推進した高島屋の美術部長を通じて、久邇宮家に贈られたもの。「贈君」の「君」は宮家を指しているのだ。これも、そんな人だったのと思ってしまった。更に、「百扇」の中には、「日清交戦図並詩」「日露交戦図」という戦争を鼓舞するものまである。添えられている漢詩の訳文まで、資料として用意されていたので、それを読むと、この人、アブナイよ! めっちゃ戦意高揚の威勢のいい内容。完全にイメージが変わってしまった。これが、第一の成果。次に、扇の実物、そのものが、開いた状態で展示されていたものだから、折り目が邪魔になり、とっても観にくい。殊に、お得意の山水なんて、多くのものを描くと、構図が、こういった展示に合っている僅かの作品を除いて、観にくいのだ。戦争もの以外の描画の素材は、鉄斎らしい、教養に溢れるものなんだが、戦争ものは、あまりに露骨すぎる。ドン引きだった。花卉図や木といったものを描いたものも、山水同様だった。逆に、観るにつけていいなと感じさせる扇絵は、空白の多い作品。空白があっても、なんか、悪戦苦闘してるなと思わせないもの。人物、動物、そういったものだけを描いているものが印象的だった。人物では、「寿老人図」「鐘馗図」、動物では「狗子図」「金魚図」に、お気に入りマークを付けた。扇絵とは別に、久邇宮家への献上繋がりで、鉄斎ものでは少ないと思われる「盆踊り図」が2隻あった。既視感があったので、京都の富岡鉄斎展で観たのと、同じ構図だと思われます。人の列が右上がりに描いていたところに共通点を見た思いがしました。扇絵にも盆踊りがあったが、これは、扇という空間に苦闘しているようで、、、。これらの展示とは別に、作家さんに原画を描いてもらい、豪華な扇を制作して販売しているということをやってた、いや、続けている?といいうことで、その原画と扇とを対にして展示しているスペースがあった。こちらは、鉄斎とは関係なく、それ以外の著名な作家さんの作品が展示されていた。福田平八郎が「竹」というお題で作品を提供していたり、その「竹」と同じような背景色を使った小野竹喬の「滝旦」という作品があったりと、らしいが、とっつきが悪そうな作品のある一方、おもしろいなと思ったのは2点、前田青邨「松」と安田靫彦「富士図」が印象的。「松」のデザイン性と、扇というスペースにも、うまく富士を嵌め込み、らしさが抜群の「富士図」が、自分の目には抜きん出てたようだった。もう1つ上げるなら、上村松篁「暁」かな。
 動楽亭昼席は、おもしろい顔付け。それを、見越してからか、50人くらい入ったんだじゃなかな。席の追加なんてこと、やってました。受付をしていたりょうばさん、席の付け足しなどで、なかなか大変だった。多くの客が入ったのに、男女比が頗る悪かった。圧倒的に、おっさん度が高かった。その番組は、次のようなものだった。天吾「強情灸」、小鯛「親子酒」、たま「誉田屋」、小春団治「さやわか侍」、(中入り)、銀瓶「紙入れ」、雀三郎「青菜」。天吾は流れる。とってもリズミカルで、いいテンポ、この人が注目なわけが判る口演。小鯛は、確か、「親子酒」でNHK出たんだよね。自分的には初ものだった。父親ではなく、倅の方の酔いっぷりが秀逸。酒ネタでは辛口のNHKで評価されたのは、こちらの方だったんだなと、勝手に納得。たまは、マクラで、「小鯛と天吾との間に線がある」と言い、最若手の噺家がシュッとしていることを言い出したので、若手落語家論を展開するのかと思ったら、早々にネタへ。時間を考えての切り上げだったみたい。最近、幾つかの会で出してた「誉田屋」だった。「米朝一門の多い寄席」ということでの選択だったようだが、誰もしないネタ。いや、文我では聴いたことがある。聴き出したら思い出した。発端が意外性抜群というか、ありえない展開だから、覚えてたんだね。ここまでの3人のエネルギーは、かなり熱かった。名前を見ただけでも、容易に想像できる展開だった。だから、ちょっと小春団治には気の毒な並び。「さやわか侍」、聴きたかったネタだったのに、ここでダウン。せっかくのところで、また、うとうと。銀瓶は、お約束のように、会長選挙ネタをマクラで話した。「たまにドクター中松みたいと言われた」に、大爆笑。「でも、ドクター中松と違い、3位でした」と、追い打ちをかけるあたり、さすがのトーク。「紙入れ」とは、想定外のネタだった。「そう言えば、持ってたな」程度の記憶だったが、この口演の冒頭の女と新吉のやり取りが抜群。ぎとぎとの女の妖艶さを出してました。ここまで、結構、重量の重いネタが出たので、雀三郎の「青菜」も、いいネタ選び。雀三郎も、久しぶりだったが、他の噺家さんに加齢を感じるなか、この人は変わらなかった。おちょけたキャラの植木屋さん、ここが源かもと思わせるものだったな。でも、嫌みな感じを与えないのが。雀三郎の技ありというところなんだろうな。元気、元気、それが、客席に伝わる口演だからでしょう、めっちゃ、受けてました。


2024年 7月 18日(木)午後 10時 25分

 最近、出かけることが多いので、今日は、休息日にした。木曜日が、月曜日に次いで、そういった日に当たるのが多い。そのため、今日は、日に2回のウォーキングの時間だけが外出時間。定番のコースを歩いたが、万歩計を見ると15700歩余にしかなっていない。なわけないだろと思うけれど、それしか出てなかった。陽射しも強くなったんだけど、そんなに暑さに強烈なものを感じなかった。一人前に汗をかいてんだけど、午後の一時の時間、途中からエアコンを切ってしまった。夕方も、ウォーキングから戻ったときはエアコンを必要としたが、どうしてもエアコンでは身体が冷えてしまうので、切ってしまう。これって、熱中症の発症は屋内が一番と繋がることなんだろうか。でも、身体が冷え、それはそれできついのだ。
 午後の一時は、Youtubeのお世話になった。前半は落語。笑福亭鉄瓶という噺家さんには、あまり関心がないのだが、彼が作ってるチャンネルに、偶然、必見の動画を見つけてしまった。自分の会に大先輩を呼び対談をしているのだ。もちろん、落語の口演は視聴できないが、この対談は流してくれているのだが、その大先輩3人が(だから、動画3本が必見!)、とってもいい人選。仁智、新治、福団治の3人だ。仁智には、会長としての話は、これは聴く機会はあるが、師仁鶴について語ってくれてるのだ。超多忙時の仁鶴に入門したというのが、話のポイントだった。新治の語りが、最もレアかもしれない。恐らく、本人も公の場では語ったこともなかったろう、林家染三のことを語っているのだ。新治は、最初、染三門下(6年いたそうだ)、その後、露の五郎門下に移籍したという経歴の持ち主。それも、今日初めて「移籍」だと知った次第。どういった経緯で、師匠を変えたのか、そこは、ずっと気になってたことだったので、耳はダンボとは、正にこういった話を聴くためにあるような言い草だ。その移籍を仲介したのが、三栄企画の長沢さんだった。ここで、この名前が出てくるとは、全くの想定外。上方落語界周縁で生きる、可笑しな人として著名な長沢さんが、しかも、めっちゃ若いのに仲介したのだそうな。染三の「莨の火」に惚れ込んで、入門したと言ってました。福団治はええしの出だと聞いたことがあるが、かなり後ろ指を指されての入門だったようだが、その福団治の談志話がおもしろかった。「ねずみ穴」は、談志からもらったネタだとは知っていたが、その経緯が、頗るおもしろい。やっぱ、経歴の長い噺家さんは、各々、個性的なおもしろ話を持っています。それにつけても、福団治の元気さには驚かされる。また、この3人には、鉄瓶自身がネタをリクエストしたらしい。そのネタだけは明らかにしていました。仁智「崇徳院」、新治「井戸の茶碗」、福団治「悋気の独楽」。このラインナップは凄いよ。なかでも、福団治のネタは、持ってることすら知らなかった!
 午後の一時の後半は、「Oper vision」に入ってるチューリヒ歌劇場の「カルメン」。アンドレアス・ホモキのプロダクションにそそられる。しかも、指揮が、こちらの音楽監督になったのかな、ノセダというのにも。この2人が関わるからか、公開期間が、僅か2ヶ月ということで、忘れない内に観ておこうの考えでのチョイス。ただ、いつものように寝落ち、あっさりと。ただ、アンドレアス・ホモキの演出は、装置というものを使わないもの。舞台に上がる歌手やコーラスの人たちの力量が問われるもの。そういったなか、このプロダクションは、オペラ・コミークのヴァージョン。だから、レシタティーヴォじゃなくて台詞になってるのだが、居眠りの多かった1幕は気にならなかったのだが、2幕になり、こんなアンサンブルあったっけというものが入ったから、ここでストップ。ネットで、「カルメン」の様々な版について情報を拾った。すると、混乱するばかり。「カルメン」って、原作のオペラ・コミークと、ウィーンでだかの上演用のグランド・オペラ版の2つだけかと思ってたら、でもない様子。でも、それ以上のものを含めても、台詞かレシタティーヴォかの選択のような気がしてきたが、それだと、こちらのニーズに合わない。そんなに思い、情報収集してると、メロディーにまで手を入れたものがあるというものが出てきた。具体的には、3幕の「カルタの重唱」が上がってたけど、それでもニーズに合わない。今日は、ここでストップ。「カルメン」って、考えさせられることあるなと思い始めてるところへ、この新たな問題が発生。で、立ち往生です。


2024年 7月 18日(木)午前 5時 32分

 昨日も、午後からのお出かけ予定が入っていた。市民向け公開講演会に申し込んであったのだ。だから、一昨日と、よく似た時間の流れ。昨日は、午前中のウォーキングに出かける前に、洗濯の時間を入れた。今日でもいいかと思ったが、雨が、よく降るので、せめて雨の降ってない日にと思い、昨日、やってしまった。天気は、ずっと曇天だったけど、外出から帰ってくると、きっちりと乾いていた。さすがに、ここまで気温が上がると、大丈夫だ。そんなで、昨日も、外出前のウォーキングはミニになってしまった。それと、外出先の大津までの往復が、昨日のウォーキング。夕方、万歩計を見ると15600歩弱だったから、こういった日だから、ま、いいでしょう。
 午後のお出かけ先はコラボしが21、びわ湖ホールの真ん前のビルだ。ここで、「花湖さんの打出のコヅチ」と名付けられた滋賀の文化財講座が行われる日だったのだ。今年度の第3回として、琵琶湖文化館の武内里水さんのお話を聴くことができた。お題は「文化財保存の仕事~‶地域文化財サポートセンター‶実現に向けて」だった。武内さんは、文化財保存のプロパー。昨年の9月に琵琶湖にやって来られたということで、こういったテーマは、この講座に行き出してからは、初めてとなった。この文化財保存というテーマ、ずっと気になってたんだよね。つい先日の「日曜美術館」では、若冲の屏風絵の再現をやってたけど、あの技術も、地道な保存の仕事の積み上げがあるからこそできるもの。岐阜県美では、この保存・修復に関する展示まであった。また、修復がなったとして、大きく公開されることもある。こういったトピックが、わんさか飛び交う業界ということもあり、基礎を知りたかったテーマだった。が、また、やらかしてしまった。肝心の、その保存の仕事を、要するに技術面を説明されている前半部分が、全く寝てしまった。昨日は、言い訳があると言っても、元を正せば、自分が悪いのだけど、出かける時間を間違ったのだ。乗る予定の電車の出発時間を、家を出る時間と思い込んでしまい、出発が、かなり遅れてしまい、且つ、急がないと、更に遅れるということになりかねなかった。電車の間隔がずれてしまい、自分の出発遅れ以上の遅れになりそうだったから、懸命になって、1本前の電車に乗ろうとして歩いた。それに乗れても、元々が遅れているものだから、その電車に乗れればいいというものでもなかったので、その後も、頑張った。昨日は、テーマがテーマだったため、いつもの3/4程度の参加者だったので、遅れても、前の画面が観にくいところの席にはならなかったのだけど、それは、行ってから判ったことで、行く前はそうじゃなかった。それで、結果、疲れ切ってしまった。暑いなか到着、エアコンがいい具合に効いていた。上着を引っかけなくともいい、絶妙の温度調整。ぐったりとしてしまったのだ。そんななか、新たなタームを知った。「燻蒸」というもの。細菌が付いたり、黴が発生しないように化学的な処理をすることを示すタームだ。細部は不明。使える薬品に制約がかかって来てるなんて話もされてたようなんだけど、詳細は不明。というか、理解できてないということ。一時預かり的なことも保存事業の1つとも言われてた。建て替えなどの事情で、文化財の置き場に困る、それの預かりという業務。「ガラス乾板」が、かつての保存の花形だった時代があったそうだ。実際、法隆寺の金堂だったっけが焼失した際、この乾板のおかげで、壁画の再現ができたそうだ。そんな具合に、全く、断片的にしか残っていない。琵琶湖文化館が、新装オープンするまで、まだ、時間を要するようだが、文化財の豊富な滋賀県にとって、お題にあるような「地域文化財サポートセンター」という役割を担っていくということなんでしょうか? 1つだけ、気になったのは.旧のも、新のも、いずれも琵琶湖文化館、湖畔にあるということ。保存庫の位置、地下にしてないだろうかと。横浜だったかどこかのミュージアムが泥の侵入を受け、大変なことなってしまったこと、思い出してしまいました。


2024年 7月 17日(水)午前 5時 13分

 昨日は、午後に、大阪で落語会に行った。お昼ご飯は、一昨日、買っておいたパンを、落語会場近くの公園で食べることにして、時間を稼いだ。出費も防いだ。稼いだ時間を有効にと、出かける前にミニウォーキング。昨日のウォーキングはこれと、あとは大阪までの往復。帰宅後、万歩計を見ると13200歩余と少なかったが、昨日の時間配分を考えれば、最善を尽くしていると思う。一昨夜から強い雨が朝方まで降っていたが、黄紺がウォーキングに出かけようかという時間帯には、うまく止んでくれた。週間天気予報を見ると、この雨を最後にして、梅雨明けになるんじゃないかな。
 落語会は、コロナ禍明けで初となる太融寺であった「梅田太融寺 南天の会」。平日の昼開催は、初めてだそうだ。会場の都合、お手伝いをされているさかいひろこワークスさんの都合で、平日開催になったと、南天は、高座に上がると、それを言ってました。自分の都合ではないと。さかいひろこさんは、東京在住だそうで、そうなの? 大阪にお住いの方は残ってられないの? 今日、吉坊の会を、大阪で手伝われるので、それに合わせたこともあると言ってました。ここから、吉坊を持ち上げる話が出ました。土日には出てもらえない噺家、差し入れが違うだのということなど、聴いているだけで、楽しい。その番組は、次のようなものでした。天吾「禍は下」、南天「皿屋敷」、(中入り)、吉坊「昆陽の御池」、南天「だんじり狸」。このネタ並び、いいですね。珍しいネタが並ぶなかに、南天の「皿屋敷」が入ってるというものだったが、その「皿屋敷」が、めっちゃグレードアップしてた。この会の秀逸と言って、文句はないでしょう。序盤の皿屋敷の謂れの部分を、大幅に改変。「近日息子」のような、しょーもないこと言いの男を入れて、その男にかき回させるというもの。その男が、道行の場面で、思いっきり怖がりになる。2つの場面で、キャラ設定を揃えるというやり方、さすが、南天、狙いが素晴らしい。「だんじり狸」は小佐田作品、南天の口演で、これが3度目の遭遇となる。取って付けたような筋立てだという記憶だけで、そのディテールは覚えてなかったが、聴き終わると、今回も、同様の印象を持ってしまった。ファンタジックな噺だし、リアリティのある噺ではないので、でっち上げがスムーズでないと、そう感じてしまう。設定に無理があるのかなぁ、そんなことを考えてしまう。だんじりのお囃子、1回目は米左、2回目は生喬が打った記憶、昨日は、天吾なのか、吉坊なのか、それとも、誰かを雇った? 公表して欲しかったな。天吾は「禍は下」を手掛けているということは判っていながら、遭遇は初めて。この人の口演、流れる流れる。だからと言って、個々のキャラには怠りがない。そして、起伏が付いているのでしょうね、いや、こちらが付いていけてなかったのかもしれないが、知らない内に起伏が入ってくるのでしょうね、客席の反応がヴィヴィッド。こういった天吾の口演がトレンドなのかもと、えらく爺さんっぽい感想を持ってしまった。「昆陽の御池」は、「唖の釣り」ともいうことから判るように、演じにくいネタということで、持っている人が少ない。どうしても、このネタは、昔、ワッハで聴いた吉朝の口演を思い出す。展開がどうなるのか、わくわくして聴いた記憶がある。その直系の吉坊ということで期待満々だったにも拘わらず、その序盤で居眠り。気が付くと、釣りに出かける相談になってた。毎度のことながら、期待をしているところで居眠り。そして、1人目の男が見つかり、嘘八百で逃れ、いよいよ、唖に入るかというところで、切っちゃった! もう、絶句しかなかった。吉坊は「お時間で」と言って切ったけれど、その本当のところは、どうなんだろうという疑問が、どうしても湧いちゃう。いつも、こんなことやってんだろうか? そんなで、ちょっと後味が悪かった。今週は、もう1回、落語を聴く。来週も、1回、落語を聴く。いい季節に入っています。


2024年 7月 15日(月)午後 7時 8分

 世間的には3連休の最終日。今日は、午前中からヘビーなお出かけ計画を考えていたが。昨日、DとSに会ったので、ヘビーなお出かけは止めた。重量級が2日続くのは、きつい。そこで、午前中は、少し早めに出かけて、いつものウォーキングを、若干、軽めにして、お昼に出かけることにした。食事を、外で摂ると、時間の回転が良さげになるということで、好き家の牛丼にすることにした。お値段と、時間を要しないというのが美点。黄紺は、牛丼は、幾つかのチェーン店では、お味の一番濃いと思ってる好き家を贔屓にしている。濃いのが好きというよりは、他のチェーン店の味は薄いだろうと思ってるのだ。だから、好き家は、特段、濃いとは思っていない。好き家に行くと、わりかし外国人観光客が入って来ることがある。地図アプリなんかの情報によるのだと思うけど、中国語を喋る人が多いようだ。黄紺も、韓国なんかでは、めっちゃローカルな店に入ってるから、ま、その類かなと思って、見ている。でも、今日はいなかったな。そういった日の方が珍しいかもしれないね。
 お出かけ先は、一昨日と同じ趣向で、京都文化博物館で映画を観ようとの魂胆だった。「宝の山に入る退屈男」という映画。旗本退屈男ものということで観に行った。だが、音声が、黄紺の耳にはきつく、台詞が、うまく聴き取れないものだから、眠ってしまった。ところどころ、覚醒しても、その都度、また、聴き取れないものだから、また、居眠り。60余分の映画だったが、それに終始。今日は、完敗だった。せめて衣装でもなんだけど、白黒映画なものだから、大きな柄で派手な感じは持ったが、なんせ、色がないと、迫力に欠けてしまった。冒頭のクレジットでは、衣装が誰かまで出なかった。さて、甲斐荘ものだったんだろうか?
 そんなで失意の帰路へ。少し、駅を先まで延ばし、歩いた。雨雲レーダーを見ると、帰宅するまでは、雨は大丈夫そうなので、歩いたのだった。更に、自宅最寄り駅の手前で降りて、しかも、迂回してマートで買い物。酒の買い出しをした。それで、帰宅後、万歩計を見ると19700歩余だった。これは凄い。歩きすぎだよ。そんなに気温が高くなかったのが良かったのかもしれないね。万歩計を見るまで、そこまで歩いてるとは思ってなかったということは、身体が軽かったということなんでしょう。それだけ歩いても、空腹感は出ない。今に始まったわけじゃないところへ、潰瘍があるから、一層、出ないのでしょうな。それはそれで困ったことだ。


2024年 7月 15日(月)午前 5時 40分

 昨日は、急な変化のあった日曜日。朝から「日曜美術館」を観て、その後、洗濯をして、買い物を兼ねてのウォーキングをしていて、昨日は、雨模様だったので、屋根のある公園で休憩に入ったところで、スマホを見ると、息子からの着信履歴があったのに気づき、電話を入れると、来週、会う予定だったのが都合が悪くなったので、この連休中に来ないかというものだった。この2日間、空けようと思えば空けられるので、どちらでもと言うと、「じゃ、今日、来ないか」ということになり、夕方から出かけて行くことになった。昨日は、久しぶりに、何もない日にしていたので、二つ返事だったが、「光る君へ」は、最後の15分程しか観ることができなかったが、今回は、再放送を観ることができそうなんで、ま、いいかのところだ。
 まず、「日曜美術館」の新作のメモから。昨日のお題は「若冲 よみがえる幻の傑作〜12万の升目に込めた祈り〜」。大阪大空襲で焼失したものを思われている伊藤若冲の大作「釈迦十六羅漢図」の再現作業を追ったもの。この作品は、戦前、大阪で展示された際の図録に白黒写真が残っており、それを唯一の手掛かりとしての再現作業。しかも、この作品、「升目描き」という特殊な描法。12万もの升目により画面を構成するというもの。「升目描き」は、若冲ものとして、あと2作品が残っているので、それが、一つの手掛かり。が、白黒写真だから、色に関する情報がない。また、図録に載っている写真だから小さいから、それを拡大すると、自ずと細部が不鮮明になる。升目の方形のどこに色を塗るか、升目の大きさにも差異があるなか、「静岡本」と言われる「樹下鳥獣図屏風」に使われている絵具の分析、升の塗り方に規則性(9パターン)があることを突き止めたり、絵具の塗り方で生まれる「輪染み」も再現して、微妙な色の変化も出したりと、アナログの手法とデジタルの手法を組み合わせた大プロジェクト。そして、完成するのだが、そもそも、この作品は、どのような目的で作られたかの検討が、最後になされたが、こちらも、圧巻の内容。若冲は、晩年、伏見の石峰寺(禅宗)で過ごし、そこで制作したらしい。描いた絵を売り、それで、同寺に残る五百羅漢を設えて行ったそうだ。それと同様の発想で、この再現された絵を中央に、「樹下鳥獣図屏風」ともう1つを、両脇に配置させていたのではと言っていた。要するに、相国寺のあの絵と同じ配置だというのだ。確かに、3つの屏風を並べると、大きさのバランスがぴったりだ。それが、伏見の石峰寺でとは、驚きだった。珍しく、スタジオ収録の制作。坂本美雨になってから、初めてだったかもしれません。
 夕方5時に、息子宅へ。Sの誕生日が6月4日なのに、プレゼントを渡すのを失念していたのが発端。三室戸寺へ行ったとき、失念していたことを思い出し、でも、そのすぐ後に、韓国へ行ったものだから、渡せてなかったのだ。だから、昨日は、そのプレゼントと、韓国土産を持って行った。テジョン(大田)のヨクチョン(駅前)市場で、慌てて買った土産。DとS用に買った韓国菓子が、どんなだか判らないまま買ったが。事の外、美味かった。これは正解。今後も狙うことにしようと思ったな。更に、もう1品、持って行った。インスタント麵になってるフォー。Dが気に入ったようだったので、持って行った。Dは、包み紙に書かれているフォーの文字を見つけると、喜んでくれたので、大正解。そして、皆でアジア食を食べに。あと半月すると、連中はタイへ行く。いいね。


2024年 7月 14日(日)午前 7時 6分

 昨日は、三条駅を挟んだ2ヶ所をハシゴをした土曜日。ずっと、曇天で、そんなに気温は上がらず、わりかし楽をした一日。お出かけは午後からだったので、午前中は、若干、早めにウォーキングを開始。午後のウォーキングは、お出かけの往復をウォーキングと読み替え、帰宅後、万歩計を見ると17200歩余は、なかなか優秀。
 1つ目の行き先は京都華頂大学。こちらの市民向け公開講演会に行った。今年度初めての参加だ。今年度は、「日本文化学部開設記念講演」として行われ、副題には「日本文化の特質と普遍性」と付いている。既に、2回行われていたのだが、都合が合わず、今回からの参加となった。昨日のお題は「祇園祭と鱧料理」として、塩田二三子(京都華頂大学現代生活学部教授/令和7年度より日本文化学部日本文化学科教授就任予定)さんのお話を聴けたんだけど、講演の前に、「祇園祭」がテーマだったからでしょうか、綾傘鉾の棒振り囃子の実演を見せてもらえた。既に、生で観たことはあったが、何度、観てもいいもの。賑やかに演じる歌舞音曲でもって、疫神を集め、それらをまとめて祓おうという趣旨ですよね。路傍に佇む疫病患者に思いを馳せて観なきゃならないんでしょうね。そうなると、なかなか厳しいものがあります。講演のテーマは鱧。この食材を、色んな角度から分析するというもの。そのコズは、やはり専門の食品としての分析。ところが、毎度のことながら、その核心部に差し掛かると出る居眠り。昨日もそうだった。ちょっと苦手な化学物質の名が出てくると、引いてしまうのが、身体全体でとなったのが、寝落ちとして現れたみたいです。その前に、おもしろい情報を与えてもらった。鱧って、白身魚にしては、タンパク質とビタミンAが多いんだって。ウナギに至っては、ビタミンAが、めっちゃ多い。数字で示されると、あっさりと納得。魚の遊泳型と魚肉のコラーゲン含量と肉質の比較というデータも、めっちゃおもしろい。尾ひれだけを動かして進むイワシやアジ、サバと、身体全体を大きくくねらせる鱧、ウナギの類とでは、要するに運動が大きい方が、コラーゲン含量が多く、従って、肉質が堅い。堅い肉質で刺身にして食す習慣のあるフグは、薄切りにして食べる。でないと、硬くて食べにくいからだそうだ。目からウロコだ! 歴史的には、弥生遺跡から、鱧の骨が出てくるそうだが、「骨切り」が、文献に出てくるのが江戸時代中期だから、それまでは、骨ごと汁物にして食べてたのだろうと言われていた。想像を絶することだ。それまでの公家・武家、然りだそうだ。この鱧、2000年ころまでは、主として関西だけで食べられていたとか。その関西へ提供される鱧の漁場は、淡路島の東部沼島界隈。紀伊半島と淡路島の間、少し狭くなったところが海流の流れが変わるから、好漁場だそうだ。海の中で対流が起き、下部のプランクトンが上昇してきてんでしょうね。四国の西部にも狭くなったところもあるが、そこも、好漁場だそうで、従って、大分も鱧を好物にしている土地だそうだ。そして、本題の魚肉の死後変化(生鮮度)と旨味の変化を、データを示されながらのお話しへ。が、ここでダウンしたのだ。イノシン酸が旨味を表す指標だとは記憶にある程度だが、「鱧の湯向き」に関連してのお話だと思うのだが、その辺での自分のメモに、「ATP(アデノシン三リン酸)」は、鱧の場合、加熱をすると、急激に下がり、イノシン酸に変わるとある。これで、柔らかくなり、食べやすくなるとともに、旨味が出て美味しくなる、ということらしい。それを、こういったデータ分析をしないで、京の人たちは、経験的に知っていた、それが、京都の鱧料理だということのようだ。この結論に至るために、食品分析のデータを示しながら、お話しされていたようだ、黄紺の居眠りの間に。勿体ないことしてる、ホントに、毎度!!
 2ヶ所目は京都文化博物館。ここのフィルムシアターで、アーカイブに残る映画上映を観てきた。今回は「丹下左膳余話 百万両の壺」。言わずと知れた大河内傳次郎の丹下左膳、これ、観ておきたかった。共演の呑気なぼんぼん侍を沢村国太郎が、いい味、出していたので調べると、長門裕之・津川雅彦兄弟の父親、妹が沢村貞子、弟が加藤大介だった。特に、加藤大介そっくりだね。大河内傳次郎と好対照のキャラで、絶妙のコンビネーション。そこへ加えて、丹下左膳が居候している射的屋の女主人役の喜代三も、いい味出してる。気になり、調べると、芸者から歌手になり、中山晋平の後妻に入った人だそうだ。映画の中で、歌を披露するので、その経歴に納得だ。丹下左膳とは、こなれた夫婦会話という感じ。2人で、父親を殺された子どもを育てるという流れ。おいおい、丹下左膳のキャラじゃないよ、それって、これも調べてみると、公開時も同じことがあったそうだ。ニヒルなキャラの丹下左膳が子育てをしたんじゃ、そりゃ、騒がれます。そこへ、ぼんぼん侍が所有する百万両の壺を巡ってのドタバタが加わる。人情喜劇のテイスト、益々、丹下左膳イメージから離れていくが、ごく僅かに入る剣劇シーンは、凄かった。大河内傳次郎の動きが、めっちゃシャープなのだ。これは、本来のキャラの丹下左膳もの、観たいな。フィルムは残ってるのだろうか、とっても、気になってしまいました。今月、このフィルムシアターで、旗本退屈男も出るので、観に行くつもり。衣装は甲斐荘なんだろうか?


2024年 7月 12日(金)午後 8時 21分

 昨夜から、ずっと雨が降っていた。かなり、雨脚は強かった。朝方は、だから、午後にお出かけを入れていたので、いや~な気分。到底、ウォーキングはできまいと思っていた。でも、せめて食料調達は必要ということで、9時半頃に出かけた。すると、屋根を打つ雨音の大きさから来るイメージと違い、ミニミニだけど、傘さしウォーキングができるということで、ホント、少しだけして、近くのマートへ。ちょっと迂回して、狙いのマートに行っただけだけど。店内にインスタントのフォーが売ってあったので、今度、息子の家へ行くときに持って行ってやろうと思い、あるときに買っておこうということで買った。Ⅾが、丸々一杯、平らげたことがあったので、持って行ってやろうと考えたのだ。タイ旅行を控えている息子家族に、グリーンカレー味のインスタント麺を買って行きたいんだけど、辛さに耐えられるのは息子だけだから、こちらは自重。今日は、こちらもあったけど、そんなでフォーだけにした。これだと、皆、食べれるからね。
 午後のお出かけ先は、文化パルク城陽。今日は、京山幸乃の浪曲を聴ける日だった。三味線は一風亭初月は、いつもの通り。間にプラネタリウムの時間を挟み、ネタは2つだが、マクラをたっぷり。5周年を迎えるそうだが、やっぱ、時間というものは人を作っていきます。そして、この人、アトラクションの台本を書いたりしてんだね。いろいろと持ってる能力を発揮してきています。ネタは「暗がりの乙松(山本周五郎原作)」「寛永御前試合」。2つ目は、奈々福さんは「仙台の鬼夫婦」という題名を付けて持ちネタにされてるもので、幸乃さんの口演でも、この会場で聴いたことがある。よくできたネタであることは言うまでもない。そして、痛快、ダメ亭主の心根をたたき直すものです。「暗がりの乙松」は、幸乃さんが翻案された模様。余興の台本だけではなく、こういった小説から浪曲の台本を作るという作業って、生半可ではできないはず、それをやっちゃう、どんどんと見せてなかった能力が表に出てきています。また、上手くできてた。盗人が改心して、堅気になるという展開。その変化に立ち会う、元盗人に、かなり大物感が出てるんだけど、何で、そんなに大物なのを解りやすくして欲しかったくらいかな、注文は。そんなで、ええもん聴けた感が残り、正解。次回も行けそう。だけど、喬介の会の方の日取りが決まってたので、教えてもらったのだが、こちらは、ピンポイントで被ってしまった。もう予約済のものとバッティングだった。周りはスカスカなのに、ぶち当たった。そんなものだね、世の中は。


2024年 7月 12日(金)午前 6時 43分

 昨日は、神戸まで出かけてハシゴをした日。2つの美術館を巡ったのだが、その内の1つの会期が終わりかけていたので、昨日に設定せざるを得なかったのだった。片道2時間かかるので、しかも、平日なので、朝のラッシュを避けるとなると、まずは、行先まで、昼前に行ってしまうことにしている。そして、まず食事。連日、お昼が外食というのはもったいないかとも思い、パンでも買っておこうかと考えないこともなかったが、雨降りの日だったもので、そうしなくて正解。そう言いながらも、外で歩いている時間帯には、殆ど雨に遭わないラッキーさ。遭っても、霧雨のような雨だったしと、ついている。行先は阪神電車の岩屋駅。前は兵庫県立美術館だったが、昨日は王子動物園方向に向かった。お昼は、ググって、狙いを付けていた洋食の定食屋さんで日替わり定食。「替りメンチカツ定食」と言われていた。思わず、「えっ!」と言ってしまった。「替り」は、具にマカロニに加えて、何やら入っていたのを示しているようだった。
 1つ目の美術館は、その定食屋さんから徒歩3分程で行ける横尾忠則現代美術館。初めて行った。遠いので、なかなか行こうとしてなかったのが、兵庫県立美術館に行き、勇気が着いた。しかも、この界隈に、もう1つ、美術館があるのだ。その展示品にビッグな作家の名があったものだから、それと組み合わせようということで、気合が入った。この美術館は、横尾忠則の名が付いているので、専用美術館なんでしょうね。今、こちらで、気になっていた「寒山百得展」が開かれているというので、これはモティベーションが上がった。「日曜美術館」で、横尾忠則の特集があり、それは、東京国立博物館で横尾忠則展が開かれたことに伴うものであったのだけど、その番組で紹介されたものだから、これは観なきゃの気になったのだった。作品の冒頭に、曾我蕭白の「寒山拾得」に、横尾忠則は触発されたとあった。そして、4階の展示室には、その曾我蕭白作品の写真の展示までしてくれていた。全部で、「百」という数字を入れてあるだけあって、102点だったかを描いたそうで、それが、今回、この美術館で、初めて展示されたそうだ。黄紺的には、長沢芦雪もので、「寒山拾得」を観て、事の外、そそられてしまったキャラクターだったが、その実、「寒山拾得」について、何かを知っているわけではない。おかげで、知識を仕入れながらの鑑賞となった。2人が僧で、詩作をする、ネイチャーボーイという感じで奔放さが取り柄、このくらいのイメージはあったが、「寒山が経巻を開き、拾得が箒を持つ」というお約束があるそうだ、画題となると。横尾忠則は、経巻の替りにトイレットペーパーで表すものだから、ついでに便器もモティーフとして、随分と出てきてた。拾得の箒は、モップだったり、電気掃除機だったり。この2つのアイテムは、ほぼ必須という感じで現れてきた。実は、今一人、キャラクターがいるそうで、3人で表す場合もあるということで、作品のプロットとして使われていた。その3人目が豊干、虎を手なづけ、その虎に乗り移動しているというキャラ。そういう縛りのもと、あとは、奔放に、横尾忠則がイメージを膨らませて描いた。それが、オリンピックのような時事ネタ(制作が東京オリンピックに重なる)、5歳のときに描いたという「小次郎と武蔵」が入ったり、アインシュタインの相対性理論に拘ったり、ドンキホーテとサンチョパンザの道行に見えるものがあったり、モネの「草上の昼食」の構図そのまんまが使われたり、キュビズムかと思わせるような角張った形の組み合わせがあるかと思うと、印象派を想起させる点描があったり、山水で首から下の身体を描き、その上に頭を乗せてあったり(これは秀逸だった!)、モナリザのパロディもあったしと、箒だからということで、「メリー・ポピンズ」をパロッテみたり、ついには、魔女の箒となり、箒にまたがって宙を飛んでいたというのまであった。描き方も多様、それらを観ていると、最初から最後まで楽しい。自分で判ったパロディだけでも結構な数だから、判らないものも多くあるのでしょう。「百」は「いっぱい」という意味でもあるので、正に、そういう奔放な発想をぶつけてくれたのでしょう。常に、主役2人の顔、表情はにこやか、そのコンセプトで統一されている。でなくちゃ、「寒山拾得」じゃないですね。超人気が、キャラクターであるのは、その奔放さですものね。楽しかったぁ。
 2つ目の美術館は、岩屋駅からほんの僅かに海側に行ったところにあるBBプラザ美術館。こちらも、初めて行った。会期が迫っている「開館15周年記念 コレクション展 |明日への出発| 前期:関西の作家たちの交差点」が開かれている。どこかで見たチラシに出展作家の名を見て、飛びついてしまったのでした。展示室に入った小口にあるロビーと称されるスペースと、それから奥へと入る広いスペースに分かれた展示だが、いずれも、関西を京都・大阪・兵庫と区分しての展示。自分的には、やっぱ、京都、大阪、兵庫の順で、なじみのある作家さんが並んでいた。知った作家さんは、自分の中に、一定、イメージが出来上がっているので、その照合となり、観やすくなってしまうのは、致し方ないとは言え、逆になじみのない作家さんだと、現代アートと同じで、琴線に響かないとスルーしてしまう傾向になる。何やら解説があると、例えば、作家さんの紹介があり、その中に知ったタームがあると、また、そこからイメージが湧いてくるので、それと照合できるのだが、ないと、スルーしてしまう。嫌な傾向も、自分の中に生まれてきてるなと、なじみの薄い兵庫の作家さんの作品を観ながら思っていた。その中から、気になった作品をピックアップしておきます。まず、兵庫から。奥の展示室入口正面は、小磯良平、やっぱ、この人が売りのよう。「婦人像」という名の作品が2点。いずれも、服装、特にスカートの盛り盛り感が凄い。それだけで、婦人の気品、上品さを感じさせる。大家では、東山魁夷が1点。「五月の山」という作品。靄がかかったような色彩。コローを想起させるかのよう。全作品の中でも自分的1位候補の1つが、上村亮太の「Dom sight」。木々の間に見える堰を描いたものだけど、木漏れ陽を見事に表している。堰の壁に黄色っぽい色合いを使い、それが引き立ち、水面の反射する光表現を強めているように思えた。堰の壁の質感は、後でも出てきた佐伯祐三の描く壁の質感を思わせるもの。金山平三も1点(コンカルノー)あったが、県美で観た作品群って、こんなだったっけとスルーしちゃいました。上前智祐が具体の作家さんだそうだけど、作品からは判らなかったな。大阪では、やっぱ、佐伯祐三がお宝。「オワーズ河周辺風景」「レ・ジェ・ド・ノエル」の2点。後者がらしさがあって、惹かれてしまった。1戸建の住宅を描いたもの。茶色系の絵具をたっぷりと使ってた。小出卓二という作家さん、知らない人だけど、2点出ていた内の「淀川風景」の色彩に目は釘付け。薄い黄緑の川辺の上に横に拡がる幅厚の赤いスペースは何なの? 忌避したいでなく、気になるということは、全体に嵌ってるからなんでしょうね。北野恒富、鍋井克之は、短冊という小物で登場。泉茂は3点。その内、2点は、自分的には意外な抽象絵画だった。京都では、石本正の「夢のあとに」が秀逸。艶めかしさ、抜群。作家のイメージともぴったりだしね。梅原龍三郎が3点、「カンヌ」「牡丹」はともかくも、「中国服の女」が抜けた感じというか、自分にはストライクと言えばいいかな。線の太さだけでも、描かれている女性の内面が出てる。だから、意志を感じさせる表情とバランスがいい。富田渓仙は短冊で参加だけど、いい感じの短冊が並ぶなかで、この人の「塔」が気に入った。薄い墨で、軽いタッチで描かれている。その軽快さが、塔に上昇感を与えているようだった。下村良之介が数点。「普通」の絵に、この人を入れるということができるというのは、地域で区分するという展示方式だからでしょうね。らしさのある作品は、いいアクセント。あれれと思ったのは、浅井忠「大原女」。浅井忠と書いてなかったら目に止まらなかったかも。安井曾太郎「黒き髪の女」もあったけど、同様だったな。野々村良樹という作家さん、知らなかったけど、「庭の春」「緑映」の2点。観るからに日本画という印象の花鳥画なんだけど、タッチが上村松篁を想起させてしまってました、特に後者。このコレクション展、後期では外国の作家の作品が出るようだ。今回、なかなか楽しめたので、後期も行かなくっちゃの気になってしまってます。でも、片道2時間だよ! これが、辛い。


2024年 7月 11日(木)午前 4時 56分

 まだ、旅行疲れが残っているが、昨日から、普段の生活に戻った。しかし、確実に体感できる疲労があるものだから、何とか疲れないようにしようという気が働いてしまう。そんななか、昨日は、朝から出かけ、京都でハシゴをした。水曜日の朝からのお出かけは、アスニー山科での市民向け公開講演会。その後、地下鉄で東山へ移動。いつものように、近くのネパール屋さんで昼食。そして、京都国立近代美術館へ行った。ま、定番中の定番のハシゴをしたことになる。
 アスニー山科での講演は、「室町時代の祇園祭」と題して、奈良大学文学部史学科教授の河内将芳さんのお話を聴くことができた。が、昨日は、というか、昨日もダメだったな。旅行中は爆睡続きだったが、帰国すると、途端に睡眠不足になる。それが、もろに出てしまった。だから、かなり雑なメモとなるが、覚えている範囲でメモることにする。京都に住んでいながら、祇園祭の全貌を解っていないのだが、祭自体の期間が長いことくらいは知っている。目立ったデモンストレーションは、どうしても山鉾巡行だが、その煽りで、神輿の巡行は忘れがち。でも、時系列的には、神輿が先で山鉾巡行が後だそうだ。市中を回り、疫神を集め、外に出すのが山鉾巡行の狙いだそうで、歌舞音曲で疫神を集めて回るというのが巡行。疫神は歌舞音曲が好きなんだとか。こちらの方が遅れて出てくるそうだ。神輿は平安時代から、山鉾は鎌倉時代から始まったそうだ。そして、「山」と「鉾」の違い、これ、正確に知らなかった。「山」は。正に山だから木が生えているから、何らの木を乗せる。「鉾」は、先端部に金属が付いているもの。長刀鉾が、典型的なものと言われていた。大きな図体をしていても「山」と称するのは、これで判断すればいいということですね。そういったなか、このお話のテーマは「室町時代」となっている。その時代の要人、最高権力者は、「将軍」ではなく、将軍を退いた「室町殿」、それに、当然、「上皇・天皇」がいる。そういった要人が、この神輿と山鉾の巡行を見物している。どうやら、それらの要人が見物しやすいように、巡行のコースが設定されたようだ。「少将井(現京都新聞社辺り)」と「大政所(**専門学校辺り)」に御旅所があったから、そこも通ったのかな、いや、通ったのでしょう。その巡行を見物の記録を、将軍代々、上皇・天皇代々で、追いかけるというのが、講演の本体だったようだ。が、この本体が近づいていった辺りでダウン。早々のダウンだったようだ、レジュメを見ての判断だが。「北畠鷺笠桙」「大舎人桙」なんていう「桙(ほこ)」もあったというトピックが話されているのを、微かに覚えている。なんで、「桙」という字を使うのか、判らない。ここで「鷺舞」が行われていたのが、この舞だけが残ってということ? 途切れは、応仁・文明の乱でだったようだが、ここで、山鉾の数も、半分近くにまで減ったようだ。また、室町殿の見物もなくなり、巡行が南の方にシフトしていき、より町衆の祭りになっていく。それが、今に伝わる形態になっているようだ。高度経済成長期までは、寺町通とか、もっと狭い通りを通っていたそうで、写真を見せてもらったが、町衆のものという雰囲気が、その方が出てますね。
 京都国立近代美術館のコレクション展は、1度、行っている。が、「福田平八郎と装飾性」「特集:横尾忠則 ― 反復とスター ―」、この目玉となるコーナーが始まってなかった。何で、そういった展示の仕方をしたのか不明だが、結果、2度手間、3度手間になってしまった。3度というのは、福田平八郎が、ご多分に漏れず、前後期で展示替えをするから、もう1度、行かねばならないのだ。更に驚いたのは、ここに展示された福田平八郎は、全品、「旧ソ連寄贈」となっていた。何で、ソ連が、福田平八郎を持っているのか、さすがに気になったので調べてみると、福田平八郎の後援者のコレクションが、終戦後、大連において手放され、それが、モスクワの東洋諸民族博物館に回り、保管されていたことがあったそうで、それが、ブレジネフ時代に、日ソ友好を掲げ、日本に寄贈されたそうだ。当時の日本は、三木首相・宮沢外相時代、時は1975年。「へぇ~、そんなものがあったの!」というところだ。福田平八郎の青年時代の作品群だそうだが、そういったものだということ、解説文には欠片も書いてなかった。それはあかんね。「旧ソ連寄贈」の経緯を知っている人はいいけど、知らない者には気になってしゃーない! 作品は、掛軸に収まる、比較的小さな作品が並んでいた。写実の極みにシフトしていく福田平八郎の作品としては、正直、物足りないものが並んだと、偉そうなことを思いながら観ていた。写実という点で言えば、「桃」が作品として抜けてたんじゃないかな。それと、同じ観点で言って、「青薄」の草の部分が素晴らしかったが、この作品、空の部分が、その写実とは打って変わって、抽象画かと思わせる色彩になってる。ちょっと異様な作品になってた。気になったのは、「少女」と「牛車」。前者は、あどけない表情の少女だが、後ろ手にしていたり、その手で棒を持ってたり、何か不自然な印象。だから、気になった。後者は、縦長に牛車の列、うまく奥行きが出てるが、牛車を操る男たちの顔はのっぺらぼう、牛もそうだし、車も外枠はしっかりと描かれているが、細部は色塗りをしただけで描かれてない。その簡素化が気になった。お得意の「竹」もあったが、色彩の大胆さが、この竹にはなかった。「紅梅紋鶲」と名が付いた作品が2つあったが、そこに描かれた木の幹、写実であって写実でない、色彩も、「竹」同様、大胆さという点では物足りない。なんか、皮が剥ける一時代前の作品たちという感じだった。中には「大勝利」などという国威発揚の作品もあった。「皇紀」で制作年まで書き込んでました。おそらく、こういったコレクション展でしか観る機会はないと思える作品群が並んだのじゃないかな。後期展示、観に行くモティベーションが、ちょっと下がった作品群だけど、そういったレアものを観に行くと定義すれば、モティベーションは生まれるかな? それに反して、横尾忠則は圧巻としか言いようがなかった。イラストレーター時代の作品群が並んだからだ。今日、「寒山百得」を観に行く予定なので、いい前景気になりました。コーナーのお題に「反復」というタームが使われているけれど、太陽を思わせられる放射状の線、それに、赤色の多用、和洋折衷、エロティシズム、これらが詰まった作品に惹き付けられるのが、当時の「アングラ」の表現者たち。唐十郎、寺山修司、土方巽、そういった人たちの作品と一体となって、横尾忠則制作のポスターは、自分の中に滲み込んでいるものだから、観ていて、ホント、楽しい。三島も惹かれたんだよね、高橋悠治も入ってた、凄い、時代の先端、突っ走ってる。「状況劇場」や「天井桟敷」の公演用ポスターが並んでました。もう垂涎のコーナー。やっぱ、3度目は絶対だな。「『ポストモダンの地平』を振り返る」もおもしろいし、「ガラス ―透明な流動体」は、ガラスの可能性を教えてくれるし、「生誕140年 霜鳥之彦」は、作家のイメージを変えてくれる作品群が並ぶしと、今回のコレクション展、とっても多彩。楽しめます。


2024年 7月 10日(水)午前 5時 26分

 一昨日、午後5時過ぎに、関空に到着。示されていた時刻よりは、かなり早く着いたようだった。最近は、韓国旅行は6日間で行くことにしているが、動ける範囲を考えると、この期間が最適だと思うのだけど、体力的に落ちてきていることを、やっぱ、実感せざるを得ない。5日間に縮めようかなと、今回、初めて思ったけど、そうなると、行動範囲が狭まるので嫌~な感じがしてしまう。この辺のバランスが辛いところです。できたら、今年度中に、もう1度、行きたいな。冬でなければ、1つのコースが出来上がってるんだけど、それ以外でも、コーストまではいかないにしても、ピンポイント的に行きたいところがあるので、あとは航空券のお値段と照合して、どこかで考えましょう。
 昨日は、さすが疲労を感じるので、端から出かける予定は入れてなかったが、この間、かかっている歯医者の予約が入ってた。その歯医者に行ったついでに、弟の家へ土産を持って行った。歯の治療が麻酔をかけられることが判っていたので、その後、2時間程は、食事ができないからと、その時間を利用して弟の家に行ったのだった。午後は、オンライン配信の予約を入れていた。埼玉県気候変動適応センター主催の「気候変動適応サイエンスカフェ」がそれ。久しぶりに、気候変動関係の講演を聴いた。お話をされたのは、国立環境研究所気候変動適応センターの気候変動影響観測研究室長岡和孝さん、お題は「気候変動により高まる熱中症リスクとその対策」。お話は、気温の変化を、データでもって示されるところから。次いで、熱中症の現状へと進まれた。「発生場所の4割が家」「高齢者が半数」「死亡者数の8割が高齢者」「屋内志望者9割がエアコンを使用してなかった(東京)」「学校管理下の熱中症としては、部活の始まる中学生から増える、高1が最多、活動場所が外部のスポーツが多いが、それだけではない」といったトピックが取り上げられていた。更に「複合被害」といったタームを使い、自然災害が健康影響を生む状況が紹介された。台風などで、夏季に停電が起こると、エアコンが使えないため、熱中症が発生するといったケースが、これに当たるというわけだ。「熱中症の将来」というテーマでは、RCPシナリオに基づき、数値予測のお話し。「RCP2.6」では、2050年でピークアウトするそうだ。2050年までは、数値は上昇するが、それ以後は横ばいになるそうだ。「対策(緩和策と適応策)」では、気象庁・環境省が出す「熱中症警戒アラート」についてのお話し。その核心は、気温、湿度、日射状況で弾き出される「暑さ指数WBGT」。このデータでもって、警戒アラートが出されるというシステムが出来上がっているようだ。警戒アラートの存在は知ってはいても、その基準となるものを知れたことは上首尾だ。これに基づいて、環境省・文科省が出した「学校における熱中症対策ガイドライン手引き」が成り立っているということだった。この辺りから、時間切れが迫り、はしょりながらになった。そういったなか、こういったことまで行われていると知ったのが、指定暑熱避難施設(クーリングシェルター)の存在。熱中症対策として、涼を取れる場所を、街中に設置するというもの。正直、世間は、ここまで進んでるのかという思いがした。また、今後、バイタルチェックをする装置が標準装備となるだろうとの見解も出されていた。高齢者は、「暑いと感じにくい」「渇きを感じにくい」から、それをデータで示し、一定数値に達すれば、警戒に入るというシステムのようだ。これも、ここまで行かねばならないのかと思うほど、進んでいると感じると同時に、気候変動による影響の大きさを知る思いがした。講演後は、Q&Aがあったが、参加者が、決して、気候変動の専門家だけではなく、小学校あたりの教員や介護・養護施設の職員といった、生の現場で動かれている方の切なる身近な問いかけが出てきて、なかなかおもしろいものがあった。中でも、そう言われればそうだと思ったのは、アラートが発せられることで、子どもたちは避難をする。屋外での活動を制限されることになる。それはそれで、熱中症対策なんだけど、それで、子どもたちの体力などに影響が出ないかという懸念が出されていた。また、避難をすることで防ぐ方法だけではなく、暑熱順化も必要ではないかということも言われていた。これとは別で、エアコンの使用を奨励することで、熱中症対策にはなろうが、ヒートアイランド現象を促しはしないかという懸念も出ていた。首肯できる心配だ。それらは、研究中だとの回答だったが、これもシミュレートしておかねばならないこと、黄紺にも理解できました。判りやすいお話しだったこともあり、最後までついていけたのは、嬉しいことだった。
 そんなで「まーぶる」を、ようやく夜に入ってから聴くことができた。二葉の声の調子が戻っていた。まだ、本調子ではないと言ってたけど、聴いている分では、全然、だ丈夫だった。そんなでも、独演会が続いている。高石での会が、この1週間であったということだった。東京でもそうだが、こういった大都市の周縁部で独演会を持てるというのが、人気落語家の証ですね。もう少し近くで会をやってくれれば、行くんだけどね。大阪市内を抜けて行かねばならないと、どうしても引いてしまいます。でなくて、滋賀県、奈良県だったら、行こうと思うんだけどね。


2024年 7月 8日(月)帰国の日

 今日は帰国する日。チョンジュ(清州)空港に向かうのに、鉄道を使うことにした。飛行機の出発時間に都合のいい列車が走ってるからだった。鉄道の時刻検索をすると、キムジェからは直行する電車はなく、チョンジュ空港駅へ行く列車に乗り換えねばならないということで、いいアイデアを思いついた。敢えて、ソテジョン(西大田)駅で降り、テジョン駅へ移動するという手だ。その移動中に、市場があるから、そこで、土産物を買い、昼ご飯も食べようとの思惑だった。その間、2時間弱、思惑通りに行けば、格好の時間だ。だが、上手くいかなかった。原因は、昨夜からの雨。韓国中部に線状降水帯ができたようで、大変な雨が降った。また、今日も降るという天気。アンドン(安東)が酷かったようで、酷かったところにテジョンも入っていた。それが業をした。キムジェからソテジョンまでの列車が20分遅延。おまけに、テジョンからチョンジュ空港へ行く列車は、テジョン出発だから遅延なし。ということは、テジョンで使える時間が減ったということ。その20分で慌てた。まず、優先すべき、土産物。駅前の市場で、韓国菓子の店を見つけた。軽いが、嵩があるので、街歩き用に持って来ていたエコバッグを出さねばならなかった。お店の人が、それを見て、エコバッグと言われてたので、1つ、韓国語を覚えた。食事を、市場内で食べることは諦め、駅で食べようと思ったが、トイレが近い弱点が、ここで出てしまった。テジョン駅のトイレって、奥の奥にあるんだよね。慌てて、狙いの店に行ったが、待ち人がいて、万事休す。仕方なく、コンビニでサンドイッチを買い、ベンチに座って食べるハメに。どうも、韓国食に嫌われる旅になりました。一の楽しみなのにね。結局、テジョンからの列車も、短い区間だったが、こちらも徐行することがあった。ま、飛行機には、何ら影響はなかったけれど。
 本日の食事。朝6時に、どうせ、どこもダメだろうと、コンビニに買い出しに行こうとして、宿を出て、10m程歩くと、いい匂いがする。あれっと思い、角を曲がり、表通りに出て、びっくり。角のシクタンに明かり点いていた。表から中を覗くと、4人も客がいるではないか。即、入りました。ペッパンがあったので、注文。ワンプレートで、パンチャンが出てきた。ペッパンで出すときに、ワンプレートで出すのは、商売的にえぐい。6~7種類程あったが、量が少な過ぎる。ただ、お汁の方には、肉が入ってたりで、辻褄合わせにしてんだろうが、総体の量が、これでw7000は、あかんな。そんなで、普段食べないお昼を食べるには、いい条件が揃ったのに、悲しい結果となりました。ということで、楽しみな食事で、色合いあったなという印象。思い通りに食べられなかったかと思うと、意外な展開があったりと、思いがけないことが多かったね。そして、地方都市の土日は、要注意だということ、肝に銘じておきます。


2024年 7月 7日(日)キムジェ(金堤)から

 今日からは、ここまで来た道の逆戻りをして行く行程。今日は、一挙にキムジェ(金堤)まで戻った。今まで2回、キムジェには入ったことがあったが、いずれもバスでだったのに対し、今日は、モッポからセマウル号で入ることになった。かなり中心部から離れた位置に、鉄道の駅がある。確か、以前、駅を通過したとき、かなり寂しそうなところだったという記憶があるので、宿を、どこにとるか、考えていた。ところが、2日前に、キムジェを通過したとき、駅近くにモ-テルがあることが判り、ちょっと動揺。ひょっとしたらあるかなと思っていたが、情報としては持ってなかったので、どうするか迷ったが、駅前に、シクタンやコンビニが確認できれば、そのモ-テルに泊まろうのつもりだった。実際は、思っていたほど寂しいところではなかったが、必要なものはなかったので、市場のある辺りで押さることにした。それまでは、荷物を担いだままの街歩き。鉄道駅の美味しい点は、駅側に、日本家屋が残っていること、もう1つは、日本の統治期に建てられた韓屋が残っていることだ。同じ時期の日本家屋は、今や珍しくはないが、同時期の韓屋は珍しい。そう断っているのを知らないだけかもしれないが。高塀に囲まれてるのなんか、日本家屋からの影響かと思ってしまった。ここでも、モッポで観た豪邸の面影を観た気がした。家屋自体は変わってはいるが、そうした高塀や塀側の植木は、日本家屋の影響かもしれないと思った。そう思い、周りを見ると、幾つか、高塀に囲まれた家があったので、但し、内にある家屋は、今風だったが、それらも同じような韓屋だったか、日本家屋だったかもしれないなと思った。そこから、もう一度、駅前に戻り、バスを待った。ただただ、ネイバーだけを頼りにしてバスを待った。狙いのバスは、思いの外あり、それを見て、帰りの心配は、かなり減った。往きのバスは、あっさりと来てくれた。タイミングが良かった。バスで40分程かかったが、着いたところは、田舎だが、ごく小さな町だった。目的地は橋本農場跡。穀倉地帯に土地を得た日本人農業家のオフィスが残っているというので行ってみたのだった。西洋式建築で、大きくはないが、立派な建築物だった。これだけのオフィスを持ち、また、その敷地も広く、その羽振りの良さが伺い知れるものだった。文化財にも指定され、修復作業も施されていた。また、内部には、経営者夫婦と思える2人の写真も置かれていた。敷地内には、もう一つ、平屋の日本家屋もあったが、こちらは、中には入れなかった。これだけのオフィスを構えてたということは、その周辺には、多くの農業労働者が住んでたことなんでしょうね。それが、周囲の町として残ったのだろうなと想像した。行くまでは、そうした光景を思い描けてなかった。帰りは、30分程待つと、行きとは違うバスが来たので、運転手に、「キムジェ市内へ行く?」と尋ねると、「行く」ということで、それに乗り、市場の近くで降り、今回の最難関かと思っていた橋本農場訪問も、無事達成できた。実は、橋本農場から1時間歩き、ピョッコルジェ(碧骨堤)にも行こうかと考えていたが、日曜日でバスが間引きされているとヤバいと考え、断念した。駅前のバス停にあった時刻表だと、杞憂かもしれないとも思ったが、次回の楽しみにすることにした。宿も見つけ、暫し、休憩。そして、市場に向かうと、その背後に、何やらある。全くマ-クしてなかったキムジェ・ヒャンギョ(金堤郷校)とキムジェ・カナ(金堤官衙)があった。これは、望外の喜び。存在を知らなかったから、前に2回、キムジェに来ていながら、初ものになった。ヒャンギョは、幾つか、韓国で観たが、立派さでは一番だ。官衙より、設えで圧倒していたので、何か、謂れがあるのかもしれません。すぐ近くの「伝統」の名が付く市場に入ると、日曜日ということで、ほとんどやってなかった。いや、街中の店は、同じだった。その後に起こる悲劇に気づいてなかった黄紺は、バスターミナルが見たくなったので、そちらに向かった。場所は微妙に変わっていた。かつてのターミナルのあったビルは残っているが、そこはターミナルではなかった。替わりに、その隣のビルの一角の狭いスペースを使い、バスターミナルと称していた。ポウンのターミナルの半分くらいで、縮小ぶりに驚いた。これ、今後、他の都市で進むかもしれない現象ですね。人口減、自家用車の普及、鉄道網の充実、これらが原因と看ています。まだ、午後5時を回った時間だったが、宿方向に向かいながら、シクタン探しをしだすと、異変に、ようやく気づいた。この町、シクタンが少ない。キンパフなんちゃらすら、見つからない。しかも、あっても、日曜日のため、閉まってる。やってたのは、ハンバーガーショップとピザ屋だけ。そこで、韓国旅行では飲んでなかったビールの部屋飲みをしようと考え、コンビニでビールとスルメを買い、久しぶりに、パリバゲのパンを食べることにした。悲しい夕食になったけど、長年、韓国旅行をしていて、こんな夕食は初めてだ。で、後先が逆になったが、逆に、朝食は、大ヒットだった。モッポの朝、店は開いてないと決めかかっていたが、淡い希望を持ち、駅前を歩く。すると、「へジャンク」と大書された看板を掲げるシクタンに電飾が煌めいていた。朝の7時前からやってました。隣のシクタンと合わせ、へジャンクを看板に、TVでも紹介された名店だったようだ。車に送られ、食べに来ていた人もいたのには、さすが驚いたが、そうした店に、偶然入れたのだった。ビョヘジャンクを出す店だった。これ、久しぶりだった。昔、チョングプ(井邑)駅前で食べて以来だ。背骨がごろごろ入ってるやつね、食べにくいけど、「ザ・韓国」という感じがする逸品でした。


2024年 7月 6日(土)モッポ(木浦)から

 今日は、クワンジュからKTXに、僅か40分も乗らないで、モッポ(木浦)に移動。手頃な時間には、KTXしかなかったので、仕方ありません。地下鉄移動もあるので、早めに出たため、駅での待ち時間というのが、電車に乗ってた時間と、そんなに変わらなかったのじゃなかいかな。モッポでの行き先は、いろいろと用意をしてあったが、まずは、日本の建物を観て歩くということを第一に考えていた。同じことを、以前にも試みたことがあるが、全く当てがないなか歩き、あまり見つけられなかった。かなりの大物が残っているということは、今回の下調べで判ってきた。だから、ここまで、2回目を試みて、それなりに成果があったかと思うので、このモッポへの期待も大きかった。その成果も、たっぷりあったと思う。カンギョン(江景)などもそうだが、やはり、日本人街は、港の背後に広がる。ええとこ取りをするということ。このモッポでは、それが、モッポ駅の南側になるので、「南村」と呼ばれていたそうだ。一番の目玉は、博物館にもなっている、元日本総領事館。立証な建物だ。丁度、ユダルサン(儒達山)の山腹を利用しているので、かなりの威圧感がある。その背後の山を掘って、防空壕まで造ってた。岩をくり抜いたものだった。その少し離れた向かい側の位置に、これも博物館に使われている元東洋拓殖会社の建物も残っている。こちらも、煉瓦造りの立派な威容。となると、正に、日本の統治の中枢部があった地域となるため、その辺りの日本家屋跡と思われる家々は豪邸ばかり。高塀で囲まれ、立派な植木があるため、家屋そのものは、外からは見にくいほど。間から見ると、家屋自体は改装されてしまってるものもあるが、囲いは、半端じゃない立派な日本家屋跡を示していた。今まで、幾つかの町で、日本家屋跡を見てきたが、このようなセレブな地域は見たことはない。それだけ、モッポが、日本の統治の中で大きな位置にあったということが判ったような気がした。こうした中枢部の周縁にも、他の町で見かけるような民家跡はもちろんのこと、東の方だろうたかな、本願寺跡が残ってたり、神社本体は残ってないのは当然だろうが、その参道跡になる階段だけが残ってたりと、多士済々だった。この地域から、ネイバーで調べると20分もかからないと出た壁画村に行こうとして、実際、行ってみたが、行き方がまずかった。グ-グルせよ、こうした地図アプリは、高低差が判らないため、そのまま従うと、とんでもないことが起こるが、このときがそうだった。海に臨む崖の上に出てしまったのだ。下まで下りきると、その後、宿に向かおうとすると、方角からして、その崖を、また登らねばならなくなるので、結局、半ばまで降り、壁画の一部を見たので、それ以上の探求は諦めた。そこから、宿までが、予想を上回るアップダウン、汗いっぱいで、宿に着くことになったが、今日の宿は、民家の一室を借りるゲストハウス。今回は、マンションを借りたりと、変化に富んでいる。1時間半は休憩をとり、夕方から向かったのは、カッパウィという奇岩のあるところ。その背後に、わりかしホテルが集まっていたので、その辺りがモッポの中心街かとも思ったので行ってみたが、そうではなかった。海岸リゾート感覚で集まってるホテルだった。若い人たちの集まる場という感じだったので、場違いと思い、あっさりと引き上げることにしたのだが、バスが来ない。行くときも、かなりバスを待ったが、それ以上だった。バス待ちの人も、若い人ばっかだった。ようやく、モッポ駅まで戻ったけど、ここで、新たな問題が発生。駅前なのに、食事場所を探すのに苦労した。いや、ほとんどなかった。まいったわぁ。ということで、結局、このモッポでは、そうしたシクタンが、そこいらじゅうにあるという、他所では当たり前の風景を見ずじまいに終わった。結局、辛うじて見つけた中華料理屋に入り、ムルネンミョンを食べた。ネンミョンは、25年ぶりくらいじゃないかな? 最後に食べたのが、チョングプ(井邑)だったことまで覚えてる。ネンミョン用の麺を好きになれず、それ以後食べてなかったのだけど、中華に入り、ククスやクッパはあかんやろということで食べたネンミョンだけど、これが、なかなか良かった。麺もゴムのようなことはなく、これだったらいいやんと思えた。出汁も美味かった。これだったら贔屓にできそうです。なお、本日の朝食は、宿に付いていた。但し、食パン2切れにジャムを塗っただけだったが。そして、昼抜きで、夜まで何も食べずだから、ちょっと変な一日でした。


2024年 7月 5日(金)クワンジュ(光州)から

 今日から鉄道移動。そのためもあり、ソテジョン(西大田)駅まで徒歩移動のできる宿を確保。2回目となる宿なもので、この地域を知ろうと、軽く、朝散歩。だけど、周りはマンションばかりが林立してた。そのマンションの1つに、投宿していたことになる。ソテジョンからは、敢えて、行き止まり駅になってしまってるクワンジュ(光州)駅に行くムグンファ号に乗った。モッポ(木浦)に行くためには、クァンジュソンジョン(光州松汀)駅を使うので、到着はこちらにしよう、第一、こちらの方が、中心部に近いということでのチョイス。クワンジュは久しぶりだということで、行きたいところが多く、とても、一日では回れないほど、行き先候補が出ていた。大きく分けて、堅いコ-スに柔らかコ-スになっていた。それに加えて、ヤンドン(良洞)市場は、絶対入れるという制約。電車の中で、ネイバーとにらめっこしてると、3つの大きなミュ-ジアム集中地域が、存外、クワンジュ駅から近そうと思い出した。ならば、この機会に行こうじゃないかと考えた。初めて行くミュ-ジアムなので、規模が判らないので、とりあえずは、一番行きやすいと看たので、クワンジュ・ビエンナーレを目指した。その会場の裏手に、クワンジュ歴史民俗博物館があるのだ。そこへは、バス1本で、クワンジュ駅から行けたので選んだ。このあと行ったミュ-ジアムもそうだが、いずれも入場無料、これはありがたい。展示内容は、解説文は解らないので、展示物を観て、想像力を働かすしかない。民俗資料は、その点、解りやすい。2階の展示室では、植民地時代の街角の再現があった。青野商店という日本人の店も再現されており、どうやら造り酒屋だったようで、銘柄の入った大きな徳利が、幾つも展示されていたのが、目新しかったな。企画展示の会場では、2つの展示があった。1つは、「韓流」と言われる文化の流れを、戦後のアメリカ音楽のアレンジから押さようとの試みで、大変な数のレコードや映像資料(ビデオテープ、ポスターなど)が集められていた。それらが、日本などの周辺諸国への波及を示すために、例えば、日本の雑誌も展示されていた。正に、現在進行中でもある大事な民俗資料の展示だった。これ、受け入れ側となる日本のどこかの機関、同じような収集、やってんだろうかね? もう1つは、金大中の生涯&業績を辿るという展示。こちらは、解説文が解らないから、ざっと流すしかなかった。時間を、さほど要さなかったので、近くにあるというクワンジュ国立博物館にも行くことにした。ネイバーでは、徒歩20分と出たが、うまく駐車場を突き切れば、そんなにはかからない。ただ、黄紺は、それに気づかず、大回りをしてしまった。展示室は2つ。1つは、高麗以降の陶磁器の展示。これは、数量、質ともに、圧巻だった。青磁、白磁が中心だが、中には黒釉の壺なんてのもあった。知らなかったことが1点。薄い薄い青磁かと思ってたものが、白磁という分類だった。李朝では、青磁よりも白磁の方が人気だったそうだが、日本だと「染付」と言われる、白磁に藍色の釉薬で模様を入れる「青画」と言われる陶磁器の、その藍色にも、様々な色合いがあるのですね。とっても味わい深いところでした。展示室の一角には数揃え的なものが、幾つかずつ積み上げられた展示もありで、産業としても成り立っていた様子が垣間見えました。もう1つの展示のコンセプトがよく解らなかったので、想像するしかなかったのだけれど、書画を嗜む人たちが、どのような環境で、どのような感性で、その環境に浸っていたのかを、現代の感性で再現しようとしたのかを表したのではないかと思ったのだが、そういう中で、1つの発見があった。会場には、「月の光」を始めとしたドビュッシーのピアノ曲が流されていたことで思い浮かんだことだった。ドビュッシーは、ジャポニズムに浸った代表的な文化人。会場に設えられた庵をイメージした建て付けに、書画の展示、周りの壁には竹林の画像、そこに、ドビュッシーが流れると、実にマッチしてるのだ。ジャポニズムを通じて知ったオリエントの感性、それに、見事にはまったのがドビュッシーだったのでしょうね。これからしばらく、特に「月の光」を聴くと、今日の風景が思い出されるものと思われます。ここも、さほど時間を要しなかったので、クンナムノオ-ガ(錦南路五街)方向へ行くバスを探した。2本見つかったが、そのバスにより、ヤンドン市場近くで降りた方が賢いかということだったので、バスにより、行き先の後先は委ねることにした。結果、ヤンドン市場は後で、クンナムノオ-ガ駅近くの光州学生独立運動記念歴史館に、まず行くことにした。前回は、ナジュ(羅州)で、この運動の記念館に行っているので、今回、狙いの1つだった。ここも、解説文は読めないので、写真を眺めることしかできなかったが、その写真も、見覚えのあるものだというのは、致し方ない。ここの展示は、当時の様子を振り返るだけではなく、その運動を顕彰すべく動いた活動の様子も展示されていたようで、そうなると、更に理解ができなかったな。この記念館からヤンドン市場までは、徒歩10分足らず。韓国の市場で最もお気に入りのヤンドン市場だが、かつての面影は半減以下でした。時代の流れで、整備が進み、古いものは一掃されていた。救いは、鶏とアヒルの生け簀があったこと。注文があれば、店内でさばいてくれるというシステム。昔は、これに犬もいたんだけどな、ここ。正直言って、これじゃ、テジョンのヨクチョン市場と変わらないと思った。いやいや、ヨクチョン市場も、整備された後を見ているに過ぎないのでしょうが。市場前の地下鉄駅からウンチョン(雲泉)駅に移動して、本日のお宿にチェックイン。1時間程、休憩してから、地下鉄でクワンジュソンジョン(光州松汀)駅へ。明日のための駅の下見と、すぐ近くにあるヨクチョン(駅前)市場へ行きたかったのだ。クワンジュの昔の写真を見ると出てくるので、その市場の今を観ようという魂胆だった。不思議な空間だった。レトロの建物があるかと思うと、若い人好みの小じゃれた店がある。このブレンドが、唯一無二的な雰囲気出してました。ただ、雨が降ってきたので、早々に引き上げざるをえなかったが。
 本日の食事。朝は、コンバニで買ったサンドイッチ。卵とチャムチのサンドイッチでした。夕食は、ウンチョン駅近くのキムガネへ。トゥンシムトンカスというのがあったので注文。なんと、トンカツソース付きで出て来たのには、びっくり。だから、トンカツ自体には、何もソースはかかっていない。傍らの小皿に、僅かにコチュの入ったトンカツソースが添えられていた。嬉しかったのは、ごはん、サラダ、キムチをおかわりしてくれたこと。おかげで、お腹はパンパン。


2024年 7月 4日(木)テジョン(大田)から

 ポウンから、朝9時40分発のバスに乗りソンニサン(俗離山)へ。早朝に2本、ソンニサンへ行くバスはあるのだが、2時間近く間が空いているので、この、バスで行くしか、手がなかった。ポウンからチョンジュ行きは、そこそこあるのだが、前に来たときには、もっとあったはずのテジョン(大田)行きのバスが減っていた。これが、このあとに起こる悲劇の前兆だったのかもしれない。ソンニサンでは、国立公園内をトレッキングができるのだが、踵に不安を抱えるものだから、上下移動が続く道は歩かないようにしているので、今回も、前回同様、ホプチュサ(法住寺)だけのつもりだった。来てから知ったのだが、山岳地帯の仏教寺院が、まとまって世界遺産になったとき、このホプチュサも入ったようで、そのための周辺整備が著しく、寺に入るまでは、全く違う導線が敷かれたのじゃないのかな? 旅館街を抜け、土産物屋街を抜けるくねくね道は、どこなんでしょう? バスターミナルもできてる。そこから、ホプチュサまで、30分以上、歩かねばならない。その間の半分以上が、高原地域の森を抜けるというコ-スになっていた。超巨大仏に再開はしたけれど、これ、金色に塗られていたっけ? 伽藍配置も立派で、異彩を放つ木造の塔状の建物は、超一級の国宝。名前は忘れたが、主となる建物で、僧侶によるお務めが行われていたが、韓国の仏教寺院で聞いたことのない派手なものだった。まるで、壬生狂言の親玉のような伴奏が付いていて、びっくり。切りのいいところまで、結構長く、聞きこんでしまってました。ここまでは良かった。歩いている途中、ホプチュサ博物館があったので、開いていたら入ろう、人気を感じなかったので、閉まっていたら、12時10分発のテジョン行きに乗ろうのつもりで動き出した。博物館は閉まってたので、すぐにバスに乗ることに。チケットが販売機だと、そこで会話がないからダメだね。時刻表には書いてあるが、バスは来なかった。始発のはずだから、待ち構えていてもいいはずなのに、時間が過ぎても、バスは来なかった。辛うじて、ターミナルの人らしき方がいたので、尋ねると、テジョン行きは2時半、12時10分はないとのことが、「書いたぁる!」と言っても、ないものはないのです。仕方ないので、2時半まで待った。1つには、ホプチュサと反対側にあるというので、行けてなかった正二品松を見に行ったが、見つからなかった。もっと先にまで行かねばならなかったのだ。テジョン行きのバスの中から、念のために見落としがないかと思い、窓の外を見てると、写真で見覚えのある立派な松の木があった。バスは、ポウンとヨクチョン(沃川)に寄り、テジョン入り。新しくなったバスターミナルを、暫し、観察。その後、ターミナル前からバスに乗り、チュンガンノ(中央路)へ。この近くに、日本統治時代の名残りがあるというので、探しに行った。1つは、レトロなカフェになっていた。もう1つは、チュンチョンド(忠清道)のトチョン(道庁)だったそうだ。現在は、生涯学習センターとして活用されていた。この2つを確認できると、本日は探査は終了。次回の楽しみにすることとした。あとは、夕食場所を探しに、ヨクチョン(駅前)市場方向へ。橋より駅方向へ行かないと、若い人向きの店が並ぶので、そうした。一旦、セウタンという、まだ食べたことのないものを見つけ、その店に入ったが、2人分からと言われ、断念。韓国は、これがあるから、制約がある。じゃ、チェユク・ポックムかなということで、前回と同じ店に入ったが、メニュー表の値段を見ただけで、ここのチェユク・ポックムも2人分と判断。予備にと考えていたトンテタンにした。が、ここのトンテタンは外れだった。釜山で食べたトンテタンと違い、肝心のスケトウダラが少ない。具材も物足らないし、味も気に入らない。かなりの外れだった。ちょっと悲しい思いで、地下街を散策。チュンガンノ(中央路)駅から地下鉄でオリョン(五龍)駅へ移動。本日の宿は、マンションの一室です。前回同様で、気に入ったのが一つ、そして、何よりもソテジョン(西大田)駅まで、歩いて行けるのが大きい。
 本日の食事。夕食は、上に書いた通り。昼食抜きは、韓国旅行の常。だから、ここでは朝食だけ記す。ポウンの朝は、ほぼコンビニ食と諦めていた。良くて、パリバゲあたりのパンであれば御の字と考えながら、バスターミナル方向に向かう。そこに、キムガネがあったからだったが、ナジュのキムガネは、朝はダメだったしと、あまり期待をしてなかったのだが、やってた。やっぱ、バスターミナル前はこれがあるから嬉しい。チジュ・キンパプにした。1本が4000ウォン、凄いことになっています。


2024年 7月 3日(水)ポウン(報恩)から

 朝6時過ぎに、自宅を出発。今年2回目の韓国に向かった。今回は、チョンジュ(清州)行きの航空券が、安く出回っていたのを、衝動買いをしてしまい、それからコ-スを考えるということをした。コロナ禍前にも、飛んでいたチョンジュ便、知らない間に消え、そのまま、コロナ禍に入り、すっかり忘れていたのを思い出させてくれたのは、某Youtubepr氏。自身の動画で、チョンジュに出かけるものをアップしてくれたのを見つけてしまい、それで、航空券を調べて、衝動買いした次第だ。エアロK(Aero-K)という航空会社。成田、関空からチョンジュ便を飛ばしている。驚いたのは、客室乗務員さんの服装。男性はトレーナー、女性はジャケットを着てはいるのだが、それが、めっちゃカジュアルなものだから、搭乗したときには、乗務員さんとは思わなかった。ただ、なじみがないせいか、かなり空席があった。おかげで、黄紺は、初めて、機内で、simの交換をすることができた。でも、相変わらず、説明書きにあるように、交換するだけで、自動的につながるということはなかった。今回は、接続先を、自力で入力しなければならなかったが、説明書き通りで、あっさり解決。気分よく出かけ、空港からチョンジュ市外バスターミナルまで行くバスに、すぐに乗れたのだが、韓国のバスのトラップに引っかかった。常に危ないと思ってたことが、実際に起こってしまった。「今度」が「次に停まるバス停」で、「次」が「次の次に停まるバス停」という東京的表記にやられてしまい、1つ前のバス停で降りてしまい、しかも、「エクスプレス」のバスだったから、次までが長いから、結局、もう1回、違うバスに乗ることになってしまった。チョンジュからはバス移動で、ポウン(報恩)へ。今回の狙いの町です。以前と言っても、20年程前になるが、この町の郊外にあるサンニョンサンソン(三年山城)に行ったのはいいが、強い雨のため、途中で断念したので、そのリベンジを果たしたかったのだ。アクセスは、チョムチョン(店村)やサンジュ(尚州)からも可能だということ(バスがあった!)は、今回初めて知ったが、主たるアクセス・ポイントは、チョンジュとテジョンだ。そんなで、今回、チョンジュ便を使うということで、実行に移すことになった。2時半発のバスで、約1時間15分でポウン到着。宿は、思いの外、数も揃っており、あっさり確保。時計を見ると、まだ、午後4時10分だったので、サンニョンサンソンへ行くことに決定。今は、ネイバーがあるので、徒歩ルートも、あっさりと判るが、前に来たときは、バスターミナルの隣にある果物屋さんで教えてもらった。そのとき、韓国語オンリーだったのに、それが理解できて、そのまま行って行けたけど、今は、そのときの記憶より、どうしても、ネイバーに頼ってしまうが、歩いていると、昔の風景が蘇ってきた。鉄橋からの真っすぐの道、昔は切り通しのように、道が貫通していたが、今は、更に拡張されて、スポーツ公園になっていた。右に折れると、もうサンニョンサンソンの一部が見えるのだが、昔は田畑しかなかったのに、その前に、新しい道路が貫通していて、その傍らには、サンニョンサンソンに向かう人を想定して作ったのでしょうね、公衆トイレまであった。そんなだから、予想はついた。その通りで、整備が行き届き、補修も進み、城壁沿いには遊歩道、高低差のある道には、木で階段が設えられていた。おかげで、城壁の側道を、85%は歩くことができた。見晴らしのいいところでは、城壁を活用した展望所までできていた。新羅の時代のものだと言う、素晴らしい歴史遺産です。おかげで、完全にリベンジを果たせました。あとは、ポウンの街を散策。もう夕食の時間だったもので、シクタン探しを兼ねてのもの。ポウン、存外、市街地はありますね。食べるところも揃ってる。
 本日の食事。関空で、持参したパンを食べて、朝昼兼用にして、もう、ここから旅用食事のスタイルに突入。毎度のように、旅行中は、1日2食体制です。夜は、街を歩いていると、とあるククス屋さんが、スジェビも出すということで、スジェビを食べたことがなかったので、そのお店に決定。マンドゥクックと同じようなス-プだろうと思ってたのだが、もっと、胡椒の辛さの強いものだった。そのため、追加薬味のようにして、コチュ系の粉末が添えられていたが、手は出さずじまいだった。具は、スジェビ以外に、トックと薄切りのジャガイモが入ってました。完食。また、どこかで見かけたら、食べることにしましょう。


2024年 7月 2日(火)午後 8時 43分

 いよいよ、明日から、今年2回目の韓国。プチ旅行を含めて、最近は、前日となると、何かしら緊張が高まるのだが、今回は、かなり昔に戻ってきている。でも、弛緩しているとまでは言い難いから、かつてののんびりでもない。ここ数日、雨続きなものだから、持って行くものの用意が、計画通りにいかないのが、1つ、嫌なところ。そこへ来て、嫌なことができた。どうも、お腹の調子が、いまいちなんだな。大腸検査以後、調子が良かったのが、少しずつ、元に戻りだしているという感じ。丁度、椎間板ヘルニアを薬で散らしておきながら、時の経過とともに、椎間板ヘルニアによる痛みとともに消えた、普段からあった痛みが元に戻ってきたのと、同じような調子なのだ。そうなるのも、緊張のため。これで、胃に潰瘍ができたのかもしれないね。当てのない不安感、これがストレスの原因かもしれないね。旅行準備を、ほぼ昨日の内にできていたので、その確認と、明日の朝、出かける前に詰め込むものの確認、それと、毎回、同じものを買っているが、simカードの確認。でも、これ、同じものを買ってたけど、使用説明に書いてあることが、今までと違ってたので、確認をしておいて正解。それと、普段、いじらない設定の部分の確認だから、やってて良かった。前にしたこと、毎回、忘れてしまってる。このカード、説明書には、「入れ替えるだけど繋がる」とは書いてあるのだが、マレーシアでも、2回の韓国でも、そうはならなかったので、毎回、設定を開いて操作してる。スマホを買い替えて、e-sim使えるようにしたいんだけどな。
 旅行前日は、通常は出かけないのだが、今日は、歴彩館まで市民向け公開講演会を聴きに行った。今日は、この間続いている「京都を学ぶセミナー【丹後編】」があったのだ。前回は、ちょっと外したかなという内容だったが、今回は気になるテーマだった。「日本海三大古墳が丹後に築かれた意味」というお題は、日本史に疎い黄紺でも、そそられた。お話をされたのは、高橋克壽(花園大学文学部教授)さんだった。花園大学の講演会で、お話をお聴きした記憶がある。いや、花園大学が、この地域の考古学調査に係っているということ、そこで、この先生から聴いたから、今日のテーマにそそられたのだと思う。が、肝心の「三大古墳」の紹介のところで、完全に寝落ち。欠片も、記憶に残っていない。ただ、残っているのは、弥生時代後半から、多くの墳墓が造られ、数だけではなく、その規模も、他を圧するものがあるということ。それと、畿内の大王政権との関りだけではなく、出雲や因幡といった日本海沿岸地域に残る墳墓や出土品と比較して、その連関性を探ろうというお話しだったようだというのは、後半の埴輪を切り口にしたお話しで判った。だから、丹後の墳墓の形状や出土品の紹介されるというお話は、全く、記憶に残っていないのが、全くもって痛いのだ。埴輪って、人型や動物型、家型のようなものが出てくるのは、古墳時代が始まろうかという時期のことで、それまでは、もっと寸胴型のものだったそうだ。ただ、その形状は、人を表したものだったのではと考えることはできるとも言われていた。それが妥当なら、「日本書紀」に書かれている埴輪の起源に合致するそうだ。注目されたのは、その埴輪の表面に見える刷毛でこすったように残る筋目。縦の筋目ではなく、横に入った筋目。これは、ろくろを使ったことを示していると言われていた。そうした横に入った筋目を持つ埴輪は、出雲や因幡で出てくる。それと畿内。ここに、弥生後期に文化が伝わる道筋があったのではないか。日本海で繋がる海の路、そして、丹後から由良川と大堰川を辿り、乙訓へと繋がるルート。乙訓からは綴喜郡方向へ入り(巨椋池の舟運を使ってということなんでしょうね)、大和へと繋がる。しかも、それぞれが、別個の自立した文化園、政治的領域だったのではないかということだった。だから、丹後に、比類を観ないほどの大きな墳墓が造られた。三大墳墓が海の見える場所にあるのも、畿内の巨大墳墓が、海からやってくる外来者に威力を見せびらかすものとの考え方に合致する。古墳時代に入り、大和王権の勢力が増すことで、丹後も勢力下に入っていく。その中でのローカルな勢力としては残っても、独立した勢力圏というものではなくなったことから、巨大な墳墓が消えていく。そういった勢力図の変遷をも示しているのではというお話しだったのだろうと、起きていた後半だけからの判断で感じることができました。ま、当たらずも遠からずだとは思うけれど、十全たるメモという自信は、残念ながらない。
 いつものように、帰途は、ウォーキングがてら三条まで徒歩移動。ほぼ傘さしウォーキング。帰宅後、万歩計を見ると16300歩余ということで、満足。帰宅後に、ようやく、本日放送の「まーぶる」を、Radikoで聴いた。二葉の声が、とんでもないことになっていた。土曜日だったかの横浜にぎわい座の独演会、かなり声の調子が悪かったと流れていたが、「今の声より酷かった」と言ってたから、聴く方も、えらい緊張したんじゃないかな。当然、喋る方は、大変。でも、集中力が上がったようで、口演そのものには満足感があったようだ。3席やった、この声で、超人的、です。「青菜」の話もしていた。岐阜で、その口演を聴いたたまが、「久しぶりに聴いた二葉さん、本格的になってる」と言ってたけど、今日の話を聴いて、その表現、とっても適切と思った。このネタのおもしろいのは、旦さんと植木屋さんの階級差、住む世界の違う者が同じ席に着いたときに出てくる、その階級差のおかしみが描かれているところだと思うのだが、近ごろは、植木屋さんをデフォルメして、おっちょこちょい、アホげなおっさんに描く傾向ばかりが進むなか、二葉の口演は、元々のおかしみ追及をしているところにあると思ってる。それを、たまは「本格的」と表現したのでしょう。今日の話を聴いて、二葉、狙いを持ってやってるなと確信しちゃいました。


2024年 7月 1日(月)午後 8時 39分

 いよいよ、韓国旅行が迫ってきた。その前の空き日とした月曜日。そこへ、歯医者の予約が入った。韓国旅行中の日取りを、一旦は言われたが、旅行でいないということで、今日に回してもらった。夕方の5時半と、あまり予約を入れない時間帯。いつもだと、夕方のウォーキング時間。そのため、ウォーキングに食い込んだため、今日1日のウォーキングは15800歩余と、お出かけなしの日にしては少ないが、仕方ない。おまけに、夕方のウォーキング時は、途中から雨。もう止んだと勝手判断をして、嫌な目にあってしまった。半ば前辺りから、ずっと降っていた。傘はなし、自宅を中心に円を描くようなコース取りもしていないから、かなり濡れた。とにかく、帰ることに急いだ。その結果だから、仕方がない。
 午後の一時は、当然、旅行に向けての最終準備。集めた情報をプリントアウトするのは、いつもの通りだけど、今日は、ほぼできているので、補充分だけ。ホテルの地図は、ホテル側からの連絡(アパートメント・スタイルのところがあるので、機械操作の手順を控えておいたのだ)、航空会社のチェックイン情報も、念のために用意した。うっかりしていたのが、「Visit Japan」への情報入力。出発前に、帰国時に提出する書類に替わるもの。最後は、入力完了後にもらえるQRコードのスクショをすれば、おしまい。これ、まさかと思い、気が付いてない人、多いんじゃないかな。スクショでできるのです。そうだ、忘れない内に、夏休みを利用して、タイへの家族旅行を計画している息子に、その旨、書いて送っておいた。Air Asiaを使うようなんで、この航空会社のチェックイン、2週間前からできることも、教えておかんとあかんこと、後になり思い出した。存外、忘れるのが、ホテル検索サイトや、韓国鉄道などの、ログイン情報。荷造りも、ほぼできた。と言っても、小さめのバックパックを持っていくので、たいした荷物じゃないけど。でも、今日、雨降りの日なのに洗濯をして、それの一部を持って行こうとしたが、全部は乾かなかった。7月なのに、雨が降ると、乾ききらない。以前は、そんなこと、なかったものなのに。それで、予定が狂ったが、まだ、出発前日ではないから、焦ることはありません。だが、やっぱ、抜けた。夏なのに、短パンを持っていくこと、全く、失念していた。慌てて、直前チェック・リストに入れた。今日、洗濯をしようか迷い、この迷ったときは、旅行に持っていくことに、頭が巡らなかった。それが、突然、荷物の準備をしているときに気が付いた。こんな、すっとぼけた状態で、外国行っていいんだろうか? 同じ短パンでも、嵩を考えると、この間、履いていた短パンを持って行くのが賢明なのに、それが抜けてた。明日は、天気が良いそうだから、洗濯をしても、今日のようなことはないはずと、都合のいいこと、考えていて、大丈夫なんでしょうか? ひょっとしたら、明日の今頃、泣いとるかもしれん。


2024年 6月 30日(日)午後 9時 57分

 今日は、DとSに会った日曜日。半月程前に計画しながら、2人の発熱で潰れたものを、今日に移したのだった。その前に、朝のお楽しみ「日曜美術館」を観た。今日は、学習シリーズとでも言おうか、テーマを決めて解説をしていただけるもの。お題は「まなざしのヒント シュルレアリスム」、会場は、福島県の諸橋近代美術館。こちらへ、MCの2人に加えて、このシリーズの先生役である三浦篤さんと、今日は、それに加えて脳科学者の中野信子さんも入った。更に、芝居でダリを演じたことのある島田淳平さんも加わってのロケだった。今。この美術館で「生誕120周年 サルバドール・ダリー天才の秘密ー」という展覧会が行われているということに合わせての企画だった。作品を眺めながら、シュルレアリズムを解説するというもの。その間に、アンドレ・ブルトン「シュルレアリズム宣言」のトピックが入ったり、その背景として第1次世界大戦での近代兵器による殺戮から近代化への疑問が提出されたり、フロイトの心理学の影響を受けていたりすることなどが語られた。紹介された作品をメモっておく。①ダリ/ヴィーナスの夢(1939年、ニューヨーク万博の壁画として制作、それまでのダリの作品のモチーフを集めてある、なんでだらけ、原画は広島県立美術館にある、無意識の探求と表現、夢、幻想、幻覚、欲望といったものを表現、柔らかい時計はカマンベールチーズからの着想、時空の歪み(アインシュタイン)を知っていたのだろう、引き出しの付いた人間は内心のものを明るみに出すイメージだが、それを堅いロブスターがプロテクトするという矛盾するイメージ、蟻は動物の死骸に群がる死の象徴、キリンは宇宙の終末のモンスター、遠景の山は横から観た顔に見える)②ダリ/ビキニのスフィンクス(木が3本、人の形? 煙? 1つの形象に複数のイメージを読み解けるダブルイメージの描き方、核実験を意識しており人間というのは恐ろしい存在という認識、樹木が救いとなっている、色が暗いと重いと感じるが、それが上に配置、大きなものが上に配置され、不穏な感じ怖いものですよと感じさせている)③キリコ/イタリア広場(シュルレアリズムの画家に影響を与えた作家、汽車の煙が後ろではなく真上へ、大きな煙突、大きな影が、違和感を醸し出す、暗い空は、朝? 西日? いつなのか判らない、1914年制作、形而上絵画〈現実的が描き方だが、不安や不穏を感じさせる、第1次大戦から〉、デペイズマン〈「異なった環境に置くこと」を意味する〉の手法、不安なものを観ることで、本当に起こったときに備える、より安全な生き方を示唆、そういった意味で制作する意味は大きい)④ルネ・マルグリット/人間嫌いたち(デペイズマンの手法で本来の目的とは違う使い方をして不安を表す、カーテンとか劇場の幕とか見えるものは、人の話を聴いていないように見える、遮るものとして存在しており、作家の人となりが見えてこない、表情を見せないということで、より不安を誘う、対話のない、コミットしたくない人が隠れているようだ、回避的人格と言う)⑤マックス・エルンスト/****(質感が不思議な描き方、偶然性が活かされている、デカルコマニーという手法、偶発性が介入、どういう形が現れているか分からないイメージを膨らませている、深層心理の探求という意味があるようだ)⑥マックス・エルンスト/14歳以下の稲妻(トンボの羽に葉網、フロッタージュという手法)⑦マックス・エルンスト/暗黒の神々(フロッタージュの応用=グラッタージュ、自分の作為を残さないところに拘る)⑧ダリ/三角形の時間(幼少期に観た風景が基、デペイズマンの手法、解らないことを楽しむことができるのは人間だけ、人間はそれを抱える装置を持っている)。
 「日曜美術館」の「アートシーン」が終わった途端、出発。息子が指定してきた時間に間に合うようには、そうしなければならなかった。で、合流して行ったのは三室戸寺。紫陽花を観に行った。もうダメかと思った6月末日。紫色の紫陽花は、かなり色が落ち、花自体がくたびれていたが、薄い黄色の紫陽花は、まだまだ生きていた。ガクアジサイも大丈夫。でも、紫色が定番だから、全体としては、遅かったという印象。人が多かったな。そして、入場料が、驚きの値段だった。Dは、あまり関心を見せてなかったにも拘わらず、カメラで写真を撮りまくっていた。Sは、解ってなかったろうね。そして、お昼ご飯は、三室戸駅近くまで戻り、お好み焼き屋へ。お酒も飲み、いい感じ。デザートは、宇治に来たのだから抹茶アイスだということで、近くの店に行こうとしたが、店の前に列ができてたので、結局、京阪宇治駅前の通圓に行った。ここも列、が、アイスを買って、外で食べることができた。抹茶アイス1個が380円はきついね。それで、おしまい。ぐずぐず言いながら、もっとDとSと遊びたかったな。


2024年 6月 30日(日)午前 6時 27分

 昨日は、朝から胃カメラ検査を受けた日。毎年、6月下旬に受けている。医者の指示は、前日は、午後6時までには食事を済ませておくようにという、かなり大胆な指示。検査のときに消化しきってない人がいるようで、こういった大胆な指示を出しているみたい。この医院で、検査を受けるまでは、午後10時と言われていたので、最近は、せめて、午後8時までに食事を済ませている。予約は午前8時半だった。ここ2年は、カメラを挿入されるときにえずくことはなく、替りに十二指腸に入るときや、抜かれたときにえずいていた。昨日は、十二指腸に入るときだった。結果は、初めて言われたことがあった。「潰瘍があります」と。確かに、映像を止めて見せられると、今まで見たこともない状態の箇所が幾つかあった。「食事を制限した方がいいんですか」「いや、要りません」「ストレスです」「え?」「ストレスですから」「仕事してないですから、ストレスが溜まりようがないんですが」「今の状態がストレスなんでしょうか?」、こんなやり取りのあと、胃薬を処方された。食欲がないのは、今に始まったことでもなし、何も変わらないのにと思っても、見つかってしまった。
 午後は、市民向け公開講演会の予約を入れてあった。京都市学校歴史博物館の企画展「京都市における新教育の軌跡―京都に眠る‶児童本位‶の教育の世界―」の関連企画としての講演会があった。「新教育とNIE―京都市の教育実践の歴史を例に考える―」というお題で、同館学芸員の林潤平さんのお話を聴くことができた。「新教育」というタームが引っ掛かった。戦後教育を意味するのかなと、勝手に決め込んで、講演会に臨んだ。以前から、少し気になることがあるので、このお題に引き寄せられてしまった。でも、ここで言う「新教育」は、それもカバーしてはいたが、主となるターゲットは、大正デモクラシーに触発された自由主義的な教育運動を意味するものだった。その背景に関するトピックは、講演の中では割愛されたが、展示の中では、当然の如く、冒頭に配置されてあった。予想通り、欧米の自由主義的な教育思想、実践の影響を受けたものだった。お題にもあるように、「児童本位」の教育、子どもたちの自治、自由に関する能力を伸ばそうとすることを考えての教育実践だ。講演のお題には、もう1つのエレメントが入っている。「NIE」だが、その「N」は「Newspaper」を表している。新聞を教育に活かそうという試みだ。新聞が読めるようになることだけではなく、そこから得たものを生活に活かす、また、自ら新聞を制作して情報発信をしていくことで、子どもの自治能力の増進を目指そうという試みだ。この2つを絡めたのは、8月に、NIEの全国大会が、京都で初めて開催されれるということになっているからだと説明されていた。まず、戦前の実践の事例から始まった。国定教科書に記された新聞に関する記述、それを批評する新聞の扱い、記録に残る学校での実践例、正直言って、退屈だった。教員側の実践報告書的な史料が出てこないからだと、途中、気が付いた。この博物館に収蔵されている資料は、各学校のオフィシャルなものだからでしょうね。「学校要覧」というものから関係項目をピックアップされた仕事には、その大変さには敬意を表するが、「自治」を目指すものにしては、子どもの顔が見えにくい資料ばかりが使われている。また、時代が時代だから、実践に当たった教員の認めた記録のようなのは残ってないことが想定されるので、期待もできそうもないのだ。そうなると、上の空になり、眠くなる。でも、かくんと来たときがなかったわけではなかったが、結構、聴いていたつもりだが、頭に残ってない。どうでもいいかの判断が働いてたんでしょうね。戦後は、まだ、子どもたちが作った新聞自体が残っているので、ちょっとでも、子どもの顔が見えてくる。でも、学校に残るオフィシャルな資料だけを使われているので、教師の狙いとか、意図とかが見えたと言っていいのか、不安になる。戦後だと、例えば、実践報告が出版されたり、教員側の記録もあるだろうにと思ってしまう。教職員組合も、資料を精査して観ると、戦後しばらくは、読める、いい実践記録を残してると思うのですが。終盤は、NIEの実践というのは、考現学的効果があるのではとの、林さんのお考えの展開だった。それだと、一時期的な教育の実践ではなく、現代の教育にも役立つ手法だというのだ。なるほどと思う。新聞には、社会の様々な問題が、しかも同時期の諸問題が詰まっているわけだから、社会全体に通底している感性、パラダイムの把握に繋がる。でも、それって、都市民俗学じゃねえのと、自分の頭の中で変換が起こってしまってました。講演終了後、展示室を回る。気になってたことを探すが、やはりない。戦後教育のスタート地点を探したが、教育行政の文書が1つ、そして、予想通り、コア関係の文書からだった。コアが出てくる前の、そして、終戦との狭間の教育活動に係るものはなかった。これは想定範囲内だった。ただ、おもしろい解説ボードを見つけた。京都の男女師範学校が、「戦前から、この新教育に熱心に取り組んできた」「その実践が市内の小学校に影響を与えた」というもの。じゃ、少なくとも、師範付属小学校(今の京都教育大学付属小学校)が、戦前の軍国教育のタガが外れた終戦後、どのような教育をしたか、気になりません? 別に師範付属を想定していたわけではないが、この狭間が気になってたことだったので、これを確かめたかったのだ。展示室を歩いていると、一人の女性に声を掛けられ、展示のことなどを喋っていると、そこへ、講演をされた林さんが現れたので、この話をぶつけてしまった。「ここに収蔵されている資料にはないですね」という回答。「教育大学にはあるかもしれないですね」とも言われていた。確かにね、学芸員さんだから、そういうスタンスになるわね、でも、気にならなかったのかなぁ。「何か出てきたら連絡します」とまで言っていただけたので、少し踏み込んだ話もしておいた。帰途、死ぬまでに、これ、知りたいなと思った。これ、母親が亡くなる前に残した言葉と関係があるんだよね。だからってこともあって、頭の片隅に残ってること。それが、今回の展示で刺激されてしまったんだね。


2024年 6月 29日(土)午前 5時 59分

 昨日は、朝から出かけて、京都でハシゴをした日。金曜日ということで、朝からのお出かけはアスニー京都。そして、昼食を、千丸東入にあるインド屋さんで摂り、JRを使い京都駅に向かった。京都市立芸大ギャラリーというのが、2つ目の行き先。ずっと、雨が降り続けていた。だが、小降りだったので、ギャラリーを出ると、ウォーキングがてら徒歩で帰宅。途中、マートに寄ったこともあり、1時間半程かかったが、完遂。万歩計を見ると、17600歩余となっていた。この朝からの動きだけで、こんなけになった。帰宅後、Youtube動画を観ようとしたのだけど、暫し、ぐったりしてしまった。動けなかった。気温が低かったので、まだましなことなんだなと思うと、どんどんと体力がなくなってきていることを実感せざるをえません。
 アスニー京都での市民向け公開講演会は、「京都市立芸術大学移転記念講座」と副題が付いていた。ということで、「祇園祭の懸装品~鶏鉾、鷹山のプロジェクトに関して~」というお題で、京都市立芸術大学教授の吉田雅子さんのお話を聴くことができた。芸術品が動くとも言われる祇園祭の山鉾巡行。その芸術品の復元、新調ということに、お話が及びました。特に、鷹山は、200年程、「休み山」だった。それを復元して、巡行に参加させようとのプロジェクトです。2022年に巡行が、まだ復元途中ながら実現した。そこへ至る過程が、注目のトピックだったと言えます。鶏鉾にせよ、その部品を復元なり新調する場合の、事業進行プロセスを聴かせてもらった。経年劣化に基づく作業、まず、復元するのか、新調するのか、復元新調という形式もあるそうだ。復元するには、基になる資料が残ってないと無理だ。文献資料、絵画として描かれているか、そういったものの点検、それを基に、どういった形式を採るかが審議されることから始まる。鶏鉾の場合には、鉾の胴体部の周囲を締める水引(下絵は松村景文が描いたと判っている)の復元事業に関するものだったが、鷹山は、黄紺も知っていたが、全く途絶えていたものを再現するという事業。山の素材は、他の山や鉾に残っているものを使ったということだった。現時点で、素材になる木材が、簡単に手に入らないこと、仮令、入手できても、実用化できるまでには、乾燥作業とか、かなりの年数を要するので、時間的に難しいだからということだった。水引の復元作業も、間に合うかどうかで、新調されたものもあったと言われていた。四面に掛かる懸装品には、外国製織物が使われたりするが、この鷹山復元でも、年代物のトルコ絨毯、ペルシャ絨毯の購入があったそうだ。見送りは、皆川月華寄贈の作品が使われたそうだ。裾幕と小物類の復元作業が、京都市芸大へ付託され、授業の一環として、学生さんの制作したものを、委員会に諮り、選ばれたものを制作していくというものだったそうだ。小物というのは、車引き、囃子方等、巡行に係る人たちの衣装のデザインを意味する。これは数が多いということもあり、大変な作業。出来上がったあとに発生した裾幕のバランスの悪さ、それを修正していくトピックがおもしろかったな、特に。くじら幕のデザイン採用ということが告げられたとき、会場に、軽いどよめきが起こった。情報を、既に与えられていながら、思いつかなかったという意外性、同時に、そのデザインが画面に出ると、とっても嵌ってる、その姿に、ちょっとした感動があったのでしょうな、これだけ、ヴィヴィッドに講演に会場が反応することないから、驚いた。が、黄紺も、「おっ!」と声を上げた口でした。とっても、興味の湧くお話し。強い雨が降るなか、出かけて正解、大正解でした。
 京都市芸大では、「京都市立芸術大学芸術資料館移転記念特別展 京都芸大〈はじめて〉物語」が引き続き行われており、今は、第2期「日本最初京都画学校—京都御苑からの出発—」というお題の付いた展覧会が行われている。スペースの半面は、第1期のときと似た展示。大学の沿革などが掲示されているのだが、今回は、展示と関連させて、開校当初の、東西南北の名を採った学科区分の紹介があった。そして、もう1つ、新しかったのは、今の学生に、水墨画の描き方の基礎を、実技を交えての指導ぶりを流していたこと。それを観ていると、筆遣いの多彩さ、筆に含ませる水の調節などが見えてくる。素人には、とっても有難い企画。そして、作品の展示だが、それは、学科で教鞭を執っていた大家の作品が並んだ。当時は、模写が奨励されたとかで、教師も、お手本の作品を描いて提供。学生たちは、それらを観て描く。人気の作品は、お手本のくたびれ具合で判る。もう1つの半面に、そのお手本と、大家の作品、それらに加えて、初代校長だった田能村直入が寄贈した中国絵画が展示されていた。その田能村直入自身の作品「春景山水図」を始め、教鞭を執った作家の作品が並んだ。幸野楳嶺、望月玉泉、鈴木百年・松年父子、田村宗立、原在泉、森寛斎、池田雲樵という作家のものが並んだ。その中で気に入ったのは、望月玉泉「糺森昇月図」と鈴木百年「牧童観瀑図」。前者は、図案化された木を背後に、リアルな木を前面に置き、立体感を出そうとしている。その色彩が月下のそれに見合うのがいい。後者は、瀑布を、離れた位置から見上げるのが牧童というのが、素朴な意志を表しているようで、記憶に残る描き方と思えたのだ。その百年とは親子の間柄なのに、松年の「紅梅図」の武骨さは、その牧童の絵とは好対照だった。これほどまでにタッチが違うかと思わせるものがある。田村宗立は洋画家で仏画を描くという人。ここでも「不顧像」が展示されていた。その田村宗立を含めて、幸野楳嶺、望月玉泉、原在泉の4人の共作「京都府画学校教員寄合書画軸」などという作品があった。どうやら、酒席で、4人が即興に描いたらしい。そんなで、数は少ないが、所蔵品を4期に分けて展示してくれています。


2024年 6月 27日(木)午後 8時 45分

 今日は、お出かけなしにした木曜日。10日程前までは、予定が入っていたが、今日、なしにしないと、連続10日程のお出かけになってしまうので、これは、韓国旅行前にいかんだろうと思い、消した。まだ、変更が可能だったのが、幸いした。昼間は、まるまる曇天のまま、おかげで気温は30度を超えない。エアコンも使わなかった。となると、定番の日に2回のウォーキング時だけが外出時間。公園での休憩時間には、ゆっくりと読書ができた。フランス革命を題材にした伝記を読んでいる。学際的だが、読み物的記述なので、とっても解りやすい。上下2巻の本なので、韓国旅行に行く前に、せめて半分は読んでおきたいなと思ってたら、おもしろいので読み進めるスピードが、やたら速い。余裕で、目標達成できそうだ。いや、明日にも目標達成かもしれない。
 午後の一時は、まず、Tverで「探偵!ナイトスクープ」の先週放送分を観ることにした。終了後、何気に、どんな番組が上がってるのがチラ見をしていると、古い番組も入っている。そうなのか、全然、知らなかった。目に入ったのが、懐かしい「古畑任三郎」。思わず、1本だけど、観てしまった。それで、気を取り直して、旅行準備として、今日の仕事と決めていたことをすることにした。1つは、今回初めて使う航空会社のチェックイン方法。韓国でチェックインをするのなら、スマホでしなければならないので、チェックもスマホで試みた。確かにポチるとことはあったが、そこには「準備中」と書いてあった。自分の航空券番号を入れて、予約を確認した後だったので、まだ、早すぎるとして、そのような表示が出たのかと思い、念のために、ログアウトをしてから試みても、その考えは関係なく、全てが、そのように出たので、何か変だと思い、ネット検索で、「**航空 チェックイン方法」と入れてみた。すると、ドンピシャのサイトがあった。やっぱ、書いてくれてる人がいる! しかも、記載日が2024年6月となってる。最近やないか! そこにも「準備中」しか出ないと書いてあった。となると、空港で、チェックイン・カウンターに行くか、機械を使ってのチェックインしかない。通常だと、チェックイン・カウンターを利用すると有料なんだって、この航空会社。恐るべし、LCCだ! となると、機械を使う? でも、その機械が、韓国国内じゃなければないそうだ。おいおい、、、(+_+) そのため、現在は、無料でチェックイン・カウンターで処理してるんだって。なんじゃ、これ。でも、嬉しい情報、見つけることができた。オンラインでのチェックインが可で、荷物ドロップなしだと、めっちゃ楽なんだけどな。それを経験してしまうと、こんなのに遭遇すると、なんじゃ!と思ってしまうな。2つ目は、手持ちの韓国ウォン調査。あまりにもの円安で、前回から米ドルを持って行っている。その持って行き、両替をする米ドルを110ドルと算出。外貨をいじったついでに、いいこと思いついた。息子家族が、夏にタイ旅行を計画してるので、DとSにタイバーツでおこづかいを用意することにした。「外国のお金を見せる」、これ、子どもって、喜ばないかなの魂胆だ。近々、2人に会うことになっているので、そのときに渡そうかと考えている。


2024年 6月 27日(木)午前 7時 7分

 昨日は、夕方開催の市民向け公開講演会に行った日。だから、午前中は、全くのフリーだということで、歯医者の予約が入れてあった。歯茎が腫れたことがきっかけで行くようになり、歯槽膿漏防止の措置をしてもらっている。それ終わりで、昼前のウォーキングに出かけた。梅雨の間で晴れるというわけには行かず、どんよりとした天気。おかげで、気温上昇は酷くはならなかったが、蒸す。講演会場への往復と併せて、万歩計は16100歩余を示しているから、まあまあです。ちょっとだけ、時間があったので、韓国旅行用資料の補充を作った。宿を予約していない2つの町で、簡単に宿探しができるようにとのマップを作っておいた。万が一、スマホが使えなくなっても、これで大丈夫としておいたのだ。ペーパーへの印刷は、直前にすることにする。また、何か、思いつくかもしれないからね。
 市民向け公開講演会は、花園大学地域連携講座「まなび庵」。円町まで行き、そこから歩いて行ける。今回は、「中世の古文書入門」というお題で、同大学文学部日本史学科准教授生駒孝臣さんのお話を聴くことができた。正に、お題の通りの内容。直接、くずし字を読んで、その内容を吟味するというものではなく、「古文書とは?」から始まり、その書式のルール、その移り変わり、それらを見ていくときのターム、そういったことを教えていただけた。これは有難かった。これで、文献資料が展示されている展覧会に行っても、傍らに書かれている解説が解りやすくなるはず、です。生駒さんも、そのことを、何度も言われていた。こんなことも言われていた。通常、古文書、くずし字とかが話題にあると、ほぼ江戸時代の古文書が対象となるそうだ。が、昨日の場合は、「中世」なのです。なかでも、武家社会の古文書を扱うのが、生駒さんのフィールドだそうだ。お話しされたこと、メモっておく。昨日は、途中、うとっとすら来なかった。一昨夜、午前3時前に目が覚めたのにね。自分の体調が、よくわからん。「古文書は、人の意志を書き記したもの、日記や歴史書は対象外、最近は、他に働きかける、機能するという点を重視すべきとの考え、従って、レシートも、100年経てば、立派な古文書」「中世の古文書は、圧倒的に寺社に残ったもの」「権利を示すものとか、半永久的に効力を持つものが残る、古文書になる」「身分の上の方から出すのが一般的、それを、文書の書き方で示している、ヴィジュアル的に判るようにしている、お上への嘆願などを認めた下から上へというものもある」「ヴィジュアル的に判る=決まったフォーマットで作成される(ここの話がおもしろかった、全く知らなかったことだったので)」「律令施行で決められたのが‶公式様文書‶、複雑なため廃れていく、残ったのが詔勅・牒」「平安時代に登場したのが‶公家様文書‶、それまでのものを簡略化したもの、武家社会は、それを踏襲した‶武家様文書‶」「身分の高い者は従者に書かせていた、綸旨(天皇)、院宣(上皇)、御教書(三位以上の貴族=公卿)と呼ぶ」「下文は、身分の上から下へ、冒頭に‶下‶の書く」「綸旨では、天皇を表す‶天気‶という語句は、必ず改行をして行頭に置く、、、だから、そのタームさえ見つければ、誰の出した文書かが判る」「花押は平安中期以後の登場、大きさで権威を表していた、名前を草書体で書き、それが判読できないほど図案化されたものを花押と言う」「判物は、守護や大名が判(花押)を据えた文書、戦国時代以前は書下(状)と呼ばれた、印判状は戦国大名が印判を捺して出した文書、印は権威の象徴だった、用いた色により文書の重みが異なる、朱印が厚礼、黒印が薄礼、信長は‶天下布武‶の印を朱黒両様に用いた」「いろいろな文書として紹介されたものでは、筆跡の異なる字体で書かれたものがある、願出に対し、その回答を、出された文書に書きこみ返すという形式のもの、その後からの書き込みを外題と言う、文だけではなく花押も添えてある(証判)、こういった文書は願出た者の方に残る」。知らなかったことばかりで、そういったことを聴けて、満足度の高いお話しだった。ただ、時間帯が遅いので、帰宅すると午後7時を過ぎるんだな、これだけが困ったことです。


2024年 6月 26日(水)午前 6時 45分

 昨日は、午後に、市民向け公開講演会へ行くという予定を入れていた。午前中に余裕があるというわけではないが、時間が取れるということで、こういった日は洗濯日にするに限る。どうしても、夏場になると、マメに洗濯日を取らねばならなくなる。時々、雨も降ろうかという天気だったが、気にせずに洗濯をした。そして、銀行や郵便局に行かねばならないということも、結構、忙しなかった。火曜日なので、「まーぶる」も聴きたいが、早めの昼食時間に、ちょこっとだけ、Radikoで聴いた。また、声の調子が普通じゃない二葉。冒頭、あまり表に出ない仕事の話をしていた。仁福から入った小さな落語会、そんなの、今でもやってんですね。間近にいる客に、「燃えた」と言ってました。その感覚がぶっ飛んでるように思えてしまった。後ろ髪をひかれる思いで、出発。ホント、Radikoって、ありがたい。聴きたい、こちらの都合で聴けるのは、助かる。ラジオの聴取者って、これで、格段に増えたんじゃないやろか?
 午後の行先は京都歴彩館。昨日は、「京都を学ぶセミナー【丹後編】」の第2回があった日。今回は、「京都丹後地域の庭園文化」というお題で、京都芸術大学日本庭園・歴史遺産研究センター研究員の町田香さんのお話を聴くことができた。ただ、言っちゃ悪いが、「丹後」と「庭園」ってミスマッチの雰囲気。端から、そんなことで興味本位での参加。ま、今の時代だから、そういったことを研究されてる方がおられるのだろうと思ってたのだけど、そうではなかった。町田さんは、確かに、日本庭園を研究されてる方だが、特に丹後をフィールドにされてるわけではない。個別の区域、行政単位ごとの庭園については、各区域の教育委員会なり、文化財保護の担当の方で、調査、記録などをやってるだろうが、それらをまとめて、「丹後」という区切りで、更に広く、日本の庭園文化の中での個々の庭園の位置づけなどを行おうとすると、冊子編集を企画するときに困ったんじゃないかな。そこで、地域史の専門じゃない町田さんに声が掛けられたと看ました。実際、個々の庭園を、この調査のために、初めて訪れたという庭園ばかりだったようですね。しかも、滞在時間が各1時間程のものだったと言われていた。悉皆調査というタームを使われていたが、そういった調査はできるはずもない調査の報告と、前置きされたのを聴いて、正直、「外れ」と思った。講師の方の責任というよりか、研究の割り振り、要するにプロデュースをした人の責任だよ、これ。「ダメだ」と思うと、あっさりと寝落ちした。だから、聴いてない、聴けていない。ので、何もメモれない。
 失意の帰路。来週、もう1度、同じセミナーの第3回がある。翌日が、韓国に向け出発だから、同じような外れだと、気が重いなぁと思いつつ、いつものように、ウォーキングがてら三条まで歩いた。最近は、この帰途に、新たなマートがオープンしたので、そこで買い物をして帰るのが定番になっている。昨日も、カバンがパンクするほどの買い物。だって、ここ、とっても安いんだから。だから、このウォーキングの所要時間が、1時間10分を超えるようになってます。帰宅後、万歩計を見ると17300歩余となってた。なかなかの好成績です。そして、ようやく「まーぶる」を聴けた。聴きものは、ざこばの思い出だった。それを求める投書が、かなり来たようだ。エピソードは2本、1つは動楽亭昼席出演に至るプロセス、もう1つは、その昼席で、ざこばは「子は鎹」を口演中、止まってしまい、それを助けようとして、自分も立ち往生した件だった。いずれも、有名なエピソードなんで、既に聴いていたこと。特に、後者は、そのまんまだったが、問題は前者だ。今まで、ぼやかされていたことがクリアになった。「出番がなくても昼席の手伝いに通ってた」「団朝が口添えした話は伝えられていたが、口添えをしたのは、昼席の楽屋でざこばに直で言った」「このざこばに直に言ったというのは、今まで、曖昧にされていた、しかも、そのとき、二葉が手伝いに行っていたから、その眼前での出来事だった!、これも初耳だ!」「ざこばは逡巡した、二葉は、‶自分の考えに拘らねばという顔も持たねばという気持ちもあったろう‶と思うと言ってた、ざこばならそうだろうし、それを乗り越えられるのもざこばだろうと思える」「そのとき、側にいた二葉が‶頑張ります‶と声を掛けた、これも凄い! ここが二葉だ! これも初耳」「それを聴いたざこばが、電話を取り米朝事務所に電話をかけ、‶二葉を昼席に出してやってくれ‶と言った」「それを聴いて、二葉は泣き崩れたと言ってた」、これが顛末だった。こんなことも言ってた、「団朝は、自分の会に二葉を出してくれていた(団朝は二葉落語を認めていたということになりますね)」、この団朝は、二葉に「寄合酒」の稽古をつけているので、その落語は解ってるはずです。更に、今回語った中に入ってなかったエピソードに、南座での米朝一門会に二葉が起用されたとき(これも大事件なので、この顛末も知りたい!)、それを聴いた某師匠が、昼席に出られるように口添えをしたというものを聴いたことがある。だから、その「某師匠」は団朝だと思っていたが、この点が、一連の経緯で、まだクリアになってないことだ。また、この出番が決まるまでに、ざこば自身は、二葉の口演を聴いていて(出番が同じだったことがあったということ)、「姉ちゃん、おもろいや」「ええやん」と声を掛けてくれていたそうです。梶原さんが、いい質問をした。「結局、女性噺家に出番を与えないと決めてたのは、ざこばさん? 米朝事務所?」、それに対して「わからへん」と応えてはいました。判ってても、曖昧にしておくのでしょうが、どうしても気になる。ここまで、ラジオで喋ったということは、先日の「チャレンジ」のマクラでも、この話をしたようだけど、ここまで喋ったということなんでしょうね。このエピソード語りの落ち「そのあと、米朝事務所辞めたんで、今度は出られんようになった」、これは「チャレンジ」でも言って、大うけだったのは伝わってたんだけどね。これ、上方落語史に残る名場面だと思います。語り継いでいって欲しいな。


2024年 6月 25日(火)午前 5時 47分

 昨日は、朝から出かけて、Movix京都へ。メトライブビューイングの、今シーズンの最終演目が、この1週間、流れている。プッチーニ・イヤーということで、今シーズンは、プッチーニが2本出たが、その2本目、「蝶々夫人」(アンソニー・ミンゲラ演出)が上映されているのだ。このプロダクションは、メトロポリタンの中でも、名作の誉れの高いもの。自分自身、DVDも持っているし、また、それとは異なるキャストでも、このライブビューイングで観ている。確かにいいけど、今回は、期待の歌手。先日も、ロイヤルオペラのライブビューイングでも、タイトルロールを務めたアスミック・グリゴリアンが出るということで、福井から高校時代の友人もやって来た。ロイヤルオペラの方が、京都での上映時間が夕方からということで、友人は避けたことで、黄紺的には、2つとも観ることになった。大阪での上映が、午前中にあると気づくのが遅かったため、このようになってしまったのだった。おかげで、自分的には、観る予定ではなかった、この名作を、再度、観ることができた。ホリゾントから出入りするというのが、まず、この舞台設定のナイスなところ。上から港を見下ろせる位置に蝶々夫人邸があるわけだから、これを思いついたのが大きい。中でも、蝶々夫人の登場場面が、音楽もそうだが、ヴィジュアル的にも、この上ない幻想的な、それは異国へと誘う要素を持っていると言い換えても良いが、その効果抜群なのだ。それと、スライドさせながら使う障子の効果も抜群。巧みな場面転換を生み出している。1幕終わりで、「何度、観ても、このプロダクション、いいな」と、友人と言い合っていました。そして、2幕になると、このプロダクションの最大の売りとなっている、パペット、文楽にインスパイアされた3人使いのパペットが出る。操る人形師は黒子スタイル。それに合わせて、場面転換に、ふんだんに黒子が使われている。これで、日本を見せるに十分だ。だから、衣装の中国風味は許す気に、ちょっとはなる。中国にシフトしてるなと思ってたら、衣装は、中国人デザイナーだった。納得。アメリカだったら、日本も中国も同じでしょうからね。生の舞台では、ハンブルクのプロダクションを除くと、わりかし着物をきっちり着ているものに遭遇してきているので、こういった中国趣味や無国籍風味って、自分的には珍品になってしまってたが、ここに来て、先日のロイヤルオペラの衣装も、そのカテゴリーに入るので、変が2回、続いてしまった。アスミック・グリゴリアンは、やっぱ、凄い。声の色合いが素晴らしい。友人は、表情の豊かさを強調していました。ピンカートンのジョナサン・テテルマンは、先日の「つばめ」よりいい出来。かなり、自分内での評価が上がりました。スズキのエリザベス・ドゥショングはコントラルト。ここまで根太い声のスズキは初めて。安定感が抜群だったので、とっても支持されていたな。シャープレスのルーカス・ミーチェムは、この広いメトロポリタンでどうだろうと思ってたら、スズキ並みと言っていいほどの支持を得ていたので、生で聴いた方がいいのかもしれません。
 上映終了が午後1時半。昼食は、それから。ググるとベトナム屋さんが近くにあったので行ったが、クローズだった。そこで、近くのカフェ・レストランに。パスタ・ランチでお昼。三条通界隈は、おしゃれな店があります。圧倒的に女性客のお店だったので、ちょっと居心地が良くなかったけど、午後2時で閉まるということもなかったので、ゆっくりできました。その後は、再び、MOVIX京都側まで戻り、お茶。いつものように、とりとめもない、オペラ、落語、映画の話なんかを、のんびりと。いつもだと、烏丸通のカフェに行くのだけど、昨日は、あとでロームシアター京都まで行かねばならなかったので、MOVIX京都でお茶をしたのでした。次回は、9月の「アンドレア・シェニエ」。こちらは、ロイヤルオペラのライブビューイングとなる。上映時間の関係で、大阪で観ることになるのでしょうね。最近の映画館、上映時間を数日前にならないと出さないから、予定を立てるのが直前になる。ホント、迷惑だね。


2024年 6月 24日(月)午前 6時 34分

 昨日は、忙しい日曜日。朝のお楽しみ「日曜美術館」を観る前に、ほぼお出かけ用意を整え、番組が終わると、その15分後に出発という忙しなさ。滋賀県立美術館に行った。午後にシンポジウムがあるというので、それに申し込んであった。その前に、最終日という企画展を、ざっと観ておこうとの魂胆だった。既に、それらは、1度は観ているので、ざっとのつもり。だけど、もう1度観ておきたかったのだ。お昼は、いつものように公園内にある四阿で、持参のパンで済ませた。シンポジウム終了時刻が午後4時半だったから、帰宅したら6時を回っていた。でも、いつものようにJR瀬田駅と美術館の往復は、ウォーキングを兼ねての徒歩移動。雨が心配だったが、移動中には止んでいてくれた。帰宅後、万歩計を見ると14000歩弱、仕方ありません、昨日は。
 「日曜美術館」のお題は「印象派150年 美の革命 パリ・オルセー美術館」。オルセー美術館の映像を流しながら、オルセー美術館準備室にいたという経歴を持ち、現東京都美術館館長高橋明也さんと、MCの坂本美雨とのトークを、音声で入れるというもの。こういった構成って、お初じゃないでしょうか? お題にもあるように、印象派アニバーサリー番組。おかげで、番組もそうだけど、展覧会のお世話にもなってますね、印象派は、今年。番組は、印象派の作品を、時系列的に紹介していくというもの。よく耳にするお話が並んだが、何度聴いても、ためになります。扱われた作品をメモっておく。①マネ/草上の昼食(不自然に女性が裸、リアルな情景を描こうの気持ちが出ている)②マネ/オランピア(こちらも裸の女性、娼館のスター、こちらをピリッと見つている、①とともに物議を醸す)③アレクサンドル・カバネル/ヴィーナスの誕生(①②と同じ時期の作品、裸の女、艶めかしい、目が誘っている、でも、神話の女神だから受け入れられる)④モネ/印象、日の出(1874年、ナダール写真館展示、印象だけと酷評され「印象派誕生」となった作品)⑤ルノワール/ムーランドギャレットの舞踏会(木漏れ日が美しい、暗いところが全くない、布の動きが浮かび上がる、絵具を混ぜ合わさない、それだと同じ色を出すにも明るくなる)⑥ドガ/ダンス教室(集中力の切れた踊り子、背中を掻く踊り子など)⑦ドガ/カフェにて(憂いのある女性、隣の男との関係も気になる、アブサンを呑んでいる、左側にスペースを取り不安を煽っている)⑧モネ/サンラザール駅(もやもやとした空気感)⑨モネ/アルジャントイユの橋(郊外に出かけるというレジャーの発達を反映、色を混ぜない)⑩ピサロ/エラニーの風景(重ねて削って重ねてグラデーションを出す空、印象派は1つにくくれない)⑪モネ/青い水連(晩年好きなものだけを描く、明け方、一刻も留まっていないものを描き続けた)⑫ゴーガン/アレアレア(近代化を反映、ポスト印象派、光の芸術は過ぎ去っている、もっと内面的なものの表現、奥に祈りをささげる女性=自然と神の一致した生活、ゴーガンは、元々、南米生まれ、タヒチに親近感)⑬ジョルジュ・スーラ/サーカス(淡いタッチで描くような状況ではない、全部が点描=時間がかかるので寡作)⑭ゴッホ/自画像(どこを観ているかわからない、孤独)⑮ゴッホ/星降る夜(パリへ来てから印象派の影響を受け、明るい作品を描くようになった)。
 滋賀県立美術館での企画展は、次の3つを観た。「つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人」「モノクローム ただひとつの色にのせて」「近江商人のたからもの」。いずれも再訪だったけど、やはり、もう1度観ておきたかったのは、アールブリュット。今回は、中ほどにある映像は割愛。少し流し目で、全作品を目に焼き付けておきました。昨日は、この3つの展示の最終日だったのだけど、その日に合わせて、シンポジウムが組まれたので、この日を再訪の日としたのだった。そのシンポジウムは、「アートと障害を考えるネットワークフォーラム2024」と題されたもの。そのプログラムは、次のようなものでした。①講演:アートで‶まぜこぜの社会‶をめざす(東ちづる/俳優・一般社団法人Get in touch代表)②講演:世界を変えるにはまずは自分から。地域での実践を通した気づきと学び(関根祥平/studio COOCA施設長)③ディスカッション(2人の講演者、岩原勇気/特定非営利活動法人BRAH=art.理事長、保坂健二朗/滋賀県立美術館ディレクター&館長)。東ちづるが、アールブリュットに深く関り、アート作品を世に出すことに努めたり、それこそ‶まぜこぜ‶の集団でのパフォーマンスを企画したりしている人だとは、全く知らなかった。が、聴いていると、保坂さんが、国立西洋美術館で企画したアールブリュット展のキュレーターまで務めていた。お二人は、そういった意味で旧知の間柄。キュレーションを依頼されるくらいだから、それだけ、全国のアールブリュット作品の開拓に務めているということになる。関りの発端から、お話は始まった。凄い、エネルギッシュな人です。1つは、アールブリュット作品を、アートとして世に出す活動の中でも、印象的だったこと、それは、全く知らなかったことだが、スタバが、そういった作品を購入して、店に展示しているという事実。その仲介をする仕事。東さんの方から、声掛けをすると、即、乗ってこられたそうだ。条件が付いた。「買い取り(これはスタバの方からの申し出)」「動物と何だったかを作品に入れる」「改装をする店舗にのみ入れる(既成の店舗は、既にコンセプトに基づいて出来上がった店舗だから)」ということだったが、困ったのは2点目。アールブリュット作品って、作家の自由奔放なところがおもしろい。条件を付けて、作家となる人たちが描こうとするのか。作家を抱える施設なども、その条件を付けて大丈夫かの疑問を持った。ただ、これはやったことがなかったことが原因。杞憂だったそうだ。ただ、施設で、スタバに提供する作品を選ばなければならない。選ばれる人がいれば、そうではない人がいる。でも、選ばれなかった人も、選ばれた人を応援するのが常だったと言われていた。実際、展示が実現すると、作家家族が観に行く、作家自身が観に行く、今までスタバなどへ行かなかった人たちが行くようになったと言われていた。そういった中で出てきたエピソード、2つ。アールブリュット作品は西高東低、西日本の方が、活動が活発だそうだ。施設により、「指導」が入ってる作品は、画一的になりやすく、観ていておもしろくないそうだ。なるほど、、、。2つ目の活動は、「まぜこぜ一座」というパフォーマンス集団を作り、実際、舞台公演を行っていること。本来、この社会は「まぜこぜ」なんだからということで、多様な出演者による舞台パフォーマンスだ。Youtubeに、その公演の様子をアップしていると言われていたので、昨夜、1時間半の公演の動画を観てしまった。ドラッグクイーン、小人、全盲噺家(桂福点)、義足パフォーマー、引き籠りダンサー、、、正に、まぜこぜで物語が進むというものだった。TV局が来て撮影して行ったが、翌日、その番組で流れたのには、小人、義足パフォーマーらは、一切、映ってなかったそうだ。パワフルです。②は、平塚でアトリエを経営されている方のお話し。保坂さん曰く、「西高東低」だから、東から来てもらった。でも、ここで、完落ち。活動内容、全く、覚えていない有様。後日、Youtubeで配信があるそうだから、観ます。③は、正直、今の自分には難解だった。「アールブリュット作品の日常化」がテーマになっていたが、その問題設定自体から難解で、お話の進行で、なんとなく解って来たかな?というレベルだ。ここで、新たに登場された岩原さんは、瀬田でアトリエを経営されている方。障がい者用のアトリエで、アールブリュット作品を世に出しているのか、一般的なアトリエで、そこへ、障がい者が通ってきているから、アールブリュットに係ってるのか、そんなところから、もう判らないのだ。というのも、石山での臨時マルシェにも係ったエピソードも言われてるので、それが、アールブリュットと関係があるのか、別途の活動紹介なのかも判らないから、イメージが掴めない。②の活動も、その辺が見えてこないから、解らない。アートになるためには、金になること? アートなんだから、そういった評価として考えていいの? そんな根本的なことまで浮かぶ。しかし、その一方で、小物のデザインとして取り込まれ、商品化されているものも増えている模様。だと、作家の社会への関りで自覚、自信なんかが生まれる。なんか、アートとは何なのという問題にも係る、大きなテーマが潜んでるように思ってしまう。今回の展示で、「志村けん」を描き続けた作家が、当の志村けんに会い、自身の作品を渡したあと、制作を止めてしまったというエピソードの後日談が、おもしろかった。その後、就職を果たした作家さん、すると、再び、描き出したんだって! これって、描くというモティベーションに繋がることだよね。アートの原点にも連なる。保坂さんが、サンフランシスコの美術館のアールブリュット作品収集の方針を話されていたのに興味が引かれたが、思い出せないので、これも、Youtubeで確認します。とっても刺激的なトーク。②も含めて、観直すこと、必須です。めっちゃ、おもしろい、けど、難解。


2024年 6月 23日(日)午前 7時 17分

 昨日は、また、雨が降った。梅雨らしくなってきた。相変わらず、雨が降ると、気温は下がり気味。昨日は、この雨のおかげで、夕方の買い物ができないかと、諦めた。午後に市民向け公開講演会を聴きに行き、帰途、マートに寄り、お酒の買い出しをしようと考えていた。ついでに、今日の用意もできるという思惑だったが、なんてことはない、傘を持って出るのを抜かしてしまったため、迂回コースになるマートへは寄れなかったのだ。でも、その道筋にある違うマートに寄ると、思いがけない買い物ができた。但し、そこは、酒が高いから買えないけどね。だけど、今日の用意はできた。これで、気の向くまま、朝から出かけることができる。
 昨日は、午後にアスニー京都へ行くつもりだったので、わりかし近い中信美術館へ行くことにした。先に美術館へ行き、お昼を、移動途中に摂り、アスニー京都へ行こうというコースを設定した。お昼は、迷った挙句、洋食を出す定食屋を見つけて行ったが、混んでいたので、あっさりと断念。結局、最近、行ってなかった韓国屋さんで、キムチチゲにした。行ってない内に、100円値上げされていた。おいおい! 中信美術館では、「伊部京子展 和紙物語」という新たな展覧会が始まっているのだ。和紙を素材にしたアート、全く初めてだった。もちろん、伊部京子という作家さんも知らなかった。京都府文化功労賞などの受賞経験を持たれている作家さん。作品だけではなく、その制作風景の取材を受けている映像も流されていた。制作の拠点を、京都だけではなくアメリカでも持たれているようで、そのアメリカでの制作風景だった。というのも、この人、展覧会で作品を発表するだけではなく、他の領域のアーティストとコラボもしている。その映像で紹介されていたのは、舞台を使ったパフォーマンスだった。舞台と言っても、目に見える舞台というのではなく、仕切られたスペースという意味での舞台なのだが、そこの舞台装置の提供、そこで行われるのは、舞踊と言っていいのか、身体表現と言った方がいいのかもしれないが、それも、日本の民俗に取材をしたようなものだった。演奏者の1人なんでしょうか、何と、能楽大鼓方の大倉正之助が加わっていた。弟は、小鼓大倉流の人間国宝大倉源次郎だ。この人、家の芸である小鼓ではなく大鼓を選んで、且つ、他ジャンルのアーティストとのセッションなんかをやってる飛んだ人とは承知していたが、ここで会うとは、驚いた。上から吊り下げられた和紙の作品というのが舞台装置としての作品。実は、行く前に、オンライン上で作品を観ていると、そういった形態的にも、いろいろ多様なものがありそうと思い、いざ美術館に入ると、展示されていたのは、壁に掛かったり、屏風に装丁されているものばかりだった。漉きをする前に、楮の繊維が入った水槽に、絵具を落とし、それを漉き上げるというのが制作風景で映っていた。そこへ、反古となった文字の書かれた古紙の文字を入れ込む、この方法は、映ってなかったが、作品に、多少はあっても、古紙にあった文字を、作品に写しているというのが、展示された作品の主流。これら、あまりおもしろいとは思えなかった。あまり濃淡のくっきりしない色彩の組み合わせだったもので、どれを取っても、カオスにしか見えなかった。それよりか、制作方法が判らないのだが、漉かれた和紙に、細かな線状で切れ端のようなものが浮かんでいるという素材を使った作品がおもしろかった。その線状に繋がったように見える和紙を繰り抜いてるのかな、繰り抜かれた箇所には、切れ端のようなものが浮かんでない和紙を使い、それで、大きな形をとるという手法の作品が、どれをとってもおもしろい。月の形に繰り抜けれているものだったり、上下に分割して、異なった漉きをした紙を繋げている、その作り方の判らない和紙を使ってるのが、どれを観ても、楽しかったな。こんなマチエールのようなことできるんだと、その意外性と、異なった素材のコンビネーションの楽しさと言えばいいかな、そういった作品に見入ってしまってました。
 アスニー京都では、土曜日の午後ということで、京都学講座。この間、続けられている「京都市考古資料館文化財講座連続講座/紫式部の平安京」の第5回として、「道長の子・藤原頼通の邸第『高陽院』 ~平安京左京二条二坊調査成果から探る~」というお題で、(公財)京都市埋蔵文化財研究所の西田倫子さんのお話を聴くことができた。賀陽院とも称される高陽院、桓武天皇の皇子賀陽親王の邸宅跡地に建てられた邸宅だそうだ。内裏の東方近くにあったそうで、4町という破格の規模。東三条殿や土御門殿といった道長の邸宅で2町だというから、破格も破格だ。「栄花物語」に、ぞの様子が書かれ、「小右記」には、ここで行われたイベントの様子の描写があるそうだ。そういったことで、場所的には特定できているようで、発掘成果と、それとを照合できるもののようだ。前後11回、発掘の機会があったそうで、その個々の成果を紹介いただくのが、今回のお話の主眼だった。文献にも書かれている通り、池の確認が主たる発掘成果の報告だった。池は、どうやら大小2つあったようで、出島か先島かの判断は、まだ確定はできないが、そういったものの存在が確認できる。そんなことができるほどの大きな池だということです。その池、全面ではないが、発掘の各所で州浜が確認されていた。画像でも見せていただいたが、細かな石が連なっているところと、そうじゃないところが、くっきりと分かれている。ただ、この11ヶ所では、まだ、寝殿造りの建物跡と言える遺構は出てきてないそうだ。この遺跡発掘報告のあと、平等院の発掘成果との比較をしたかったようだが、時間切れ。西田さんは、元宇治市で勤務されていたそうで、平等院発掘のプロのようです。ただ、「似ている」と言われていた。だから、取り上げようとされたようだったのですが。但し、貴族の邸宅と阿弥陀堂との違いはあるけどとは言われていたが。阿弥陀堂って、元の姿は、池に囲まれた中にあったそうですね。そこで、頼道は、阿弥陀仏から引かれた糸と繋がりながら亡くなった。これ、昔、日本史に詳しい人から聞いた記憶があります。


2024年 6月 22日(土)午前 5時 47分

 昨日と今日は、同じ時間帯に、アスニー京都で市民向け公開講演会に行くという予定を入れていた。そこへ、アスニー京都から徒歩で行ける中信美術館で、新たな展覧会が始まっているという情報を得たものだから、この2日のいずれかで行こうと考えていた。もう当日判断としていたが、昨朝は、凄い雨が降っていた。洗濯もしたいし、でも、この雨だと、さすがに洗濯は憚れると思い、今日回しにすると、午前中は、しっかりと空けておいた方が得策と考え、一旦は、昨日、中信美術館経由でアスニー京都へ行くとして、時間の配分まで用意した。ところがだ、この用意をしている間に、どんどんと雨が大人しくなっていくどころか、もう少しすると止むのではと思え始めた。洗濯は、できるときにやっておかないとという考えが先行した。そこで、急遽、中信美術館へ行くのは今日に回し、昼食も、昨日は、自宅で食べ、それから出かけることに変更。洗濯、買い出しの時間が確保できるとの判断、間違いありませんでした。少し、余裕を見て、お出かけ計画を練ったのが、結果としては正解だった。梅雨に入ったのかな、でも、もう夏至だよ、それで、「入ったのかな」なんて言ってる。考えたら、変な天気だね。雨が降ると、気温は下がるしね。だから、昨朝も、冷えた。これも、もう夏至だよと思う低さだった。
 アスニー京都での市民向け公開講演会、金曜日の午後の設定は有料。自分的には、基本的には行かないことにしている。これに行かなくても、いっぱい、出かけたいところがあるので、わざわざ有料の講演会までは行かないことにしている。が、1回、行ったことがある。「李朝の王朝史」がお題になったときだった。要するに、気に入ったお題が出れば、どうしても外したくないお題が出れば、金の問題じゃないとの考え方なのだ。昨日も、正にそれだった。「仏教はなぜこれほど多様化しているのか」というのが、昨日のお題。お話をされたのは、花園大学文学部特別教授の佐々木閑さんだった。とっても、上手なお話し。僧籍を持ちながら、そこからのお話ではない。「釈迦教徒」という言い方をされ、原始仏教(こんな言い方があるかは知らないけど)には敬意を払うが、その後の展開には批判的な目で分析されていく。実に痛快。その方が、禅宗系大学で教鞭を取られている、何と、日本の仏教の懐の深いところと思ったけれど、最後まで、お話を聴いて、正に、そういった姿こそが、ご自分のスタンスを含めて、それが、今回のお話の到達点であったことになる。日本の仏教は、極めて特殊なのだ、これが判るお話し、それを、仏教史は教えてくれる。その多様化への道筋、それが、このお話のテーマでした。まずは、釈迦の唱えた教えから。その特質として、①超越者の存在を認めない。輪廻と業の世界を説く。②努力の領域を肉体ではなく、精神に限定する。③修行のシステムとして。出家者による手段生活体制(僧団)を採る。これが基本だとまとめられた。ところが、アショーカ王の出現で様変わりをする。アショーカ王は、インドの一部を除き統一。自身の帰依する仏教を、国の根幹に据えたため、仏教が、インド全域に広まり、結果、地域ごとに異なった意見を持つグループが出てくる。それを「部派」と呼ぶそうだ。そういった中から「大乗仏教」が生まれてくる。「出家して特別な修行をしなくても悟りの道を歩めるか」「ブッダの弟子としての悟りではなくて、私たち自身がブッダになれる道はあるのか」という問いに答えようとする。「衆生救済」というタームは使われなかったが、それを説くのが大乗仏教。その道を説く、その諸説が「経典」というのだ。この辺から、目からウロコ的なお話し。「般若経」「法華経」「浄土経(無量寿経、阿弥陀経など)」「華厳経」「涅槃経」なんてのが、それだ。「無量寿経」について、詳しくお話しされていた。「阿弥陀信仰」が出てくるからだ。ブッダが仏になれたのは、過去世のどこかで、仏に会い、仏になろうという決意、誓いを立てたから。その仏に会うということ、次は、50何億年先(要するに弥勒仏の到来)まで待たねばならないから、いろんな仕掛けを考えた。それが経典に書かれている。多重世界を考え、そこに寿命が無限(=無量)の仏がいる。その無量仏(=阿弥陀如来)のいる世界と結ぶ道を説く。その阿弥陀が、修行を誓ったことを「本願」と言うのだそうだ。だから、阿弥陀信仰を唱える西や東の寺で「本願」という呼称が使われる。「おおおお~~」、納得。法華経は、過去世で仏に会い、修行の誓いを立てた人(=菩薩)が、この世にもいると言ったのかな? だから、法華経を唱えていると、その願いが叶えられる? この世は、仏の中に囲まれているというようなことを言ったのが、華厳経や密教。だから、曼荼羅が重要なのかな? とにかく、衆生救済への道を説いたのが「経典」なのだ。それが判っただけでも、とんでもない収穫。だから、経典を求めて、日本からだと入唐をするは、中国僧だとインドを目指すということになるのだ! が、シルクロードの時代になり、この仏教が、堰を切って、一挙になだれ込んできた、中国へ。既に、多様化していた仏教が入ったから、何がなんだか、何が正しいのかが判らない。言ってることが、全然違うわけだから。結果、「宗派」が生まれる。どの考えを採るかで分かれる。そして、その状態で日本に入ってくる。ところが、仏教を表わす「仏・法・僧」の内、「僧(=僧団、サンガ)」の思想が、日本には定着しなかった。それは、大和朝廷が、当初、外交的手法として仏教を受け入れたため、僧侶の数を制限したりしていた。古来の信仰も守ろうの考え方があったので、サンガを運営する規則である「律蔵」の使用を止めたためだった。結果、「僧侶の生活を規定する法律のない仏教」となった。これが、日本の仏教の特徴。こんなエピソードを言われていた。新たな僧団を作るためには、既に、10人を超える僧の存在、サンガがあってこそ、新たな僧侶が生まれる。だから、仏教を受け入れたときに、中国から、10人の僧を迎えねばならなかった。が、渡日をしてくれる中国僧のいないなか、行こうと言ったのが鑑真だった! 東大寺で華やかに歓迎される。この間の経緯を著したのが「天平の甍」! 「へぇ~」という声が出てしまった。が、外向けの顔が整うと、規制を始める大和朝廷。だから、鑑真和上は、その後、不具をかこつ。が、ために身を引く。その場所が唐招提寺だった! 「おおおお~~」、また、声が出てしまった。ピースが繋がっていく快感です。「律蔵の効かない仏教」となった日本の仏教だからこそ、「僧侶が結婚」「僧侶が酒を呑む」「平服で暮らす僧侶」といった光景が、日本で看られる。これ、世界で日本だけ! 目からウロコがぼろぼろ落ちてしまった。ようやく、仏教の仕掛け、少し、解った気になりました。


2024年 6月 21日(金)午前 7時 7分

 昨日は、大阪でハシゴをした日。先日、休館日を思い違いをしていた高島屋史料館の企画展に行けるのは昨日くらいということで、午後に予定していた繫昌亭昼席と組み合わせた。更に、これだと、朝から出かけることになるので、ウォーキングができないということで、せめてもの気で、北浜から高島屋史料館まで歩いての移動。45分間の徒歩移動。コロナ禍明けで初のコースだった。こういった努力をしながら、夕方、万歩計を見ると11800歩余でしかなかった。仕方ないけど、残念感が残るな。
 高島屋史料館では、「人間 栖鳳 生誕160年 知られざる竹内栖鳳」の後期展示が行われているということで行った。既に、前期の展示には行っているが、なんせ、有名作家、入れ替え後の後期展示も観たかったので行くことにした。冒頭に、酔画という長襦袢の下絵「龍」。こういった下絵になるものを描いていた、それが、竹内栖鳳の高島屋との縁。「傘に山吹」「富士山」の2品があり、それに並び、「小心胆大」「和解の茶碗」が並んでいた。「傘に山吹」は、大きな傘が画面を大きく占め、それに囲われるように山吹を描くという構図がおもしろい。「富士山」の傾斜は、わりと急だけど、雲が下方でたなびいているのが、富士を雄大に見せている。これも、構図の勝利。「小心胆大」は、右半分に大きな糸瓜が描かれているのが目を引く。これが「大」で、「小」は蟻との解説が付くが、黄紺の目には蟻が見えなかった。それだけ、「小」だということだ。「和解の茶碗」は、師幸野楳嶺と弟子たちとの間に溝ができたとき、飯田新七が間を取り持ち和解をしたときに用意した茶碗だとか。それだけ、高島屋との縁が深いということだ。「栖鳳画伯筆十二帖」は、通期での展示。前期で観たときは、「ベスト2は「申」と「戌」、次いで、「子」と「丑」が推しです」と書いていたが、今回は、「丑」が群を抜いた出来で、それに次ぐのが「子」で、この2つが群を抜いていると思った。「申」は、画面の中で占める大きさが幅を利かし過ぎと看て、「戌」はあざというとすら思いながら観ておりました。時が異なると、これだけ変わる。「アレ夕立に」は、栖鳳には珍しい人物画。下絵付きでの展示。これ、京セラ美術館での「竹内栖鳳展」で観ているはず。「国瑞」は、皇室献上品と書かれていた記憶。大皿からはみ出る程の大きさと勢いのある2匹の鯉。大きすぎて、ちょっとグロテスクな印象。なんせ、精緻な筆なものですから。鱗は金粉まで使ってます。こちらも下絵付きだった。「花市」が、なかなかの作品と看た。花籠を前後の担ぎにした花屋が、荷を下ろして休んでる様子を描いているが、なんか、しっくりこない。よく見ると、花屋は辮髪、中国の花屋だったのだ。辮髪が判るまでに感じた違和感、空間自体に違和感を出してた模様。その技法は判らぬままだったけど、その判らぬままというところに、栖鳳の奥深さを感じてた。「家鴨」は、写生帖の描かれたもの。そして、最後のコーナーは、前期同様、戦意高揚に協力した「織物額宮城」2点が展示、原画を描いているのだけど、前回同様、ごちゃついていて好きにはなれなかった。それらの背の場所に「栖鳳絣」が展示されていました。2回目だったので、書簡は、ほぼスルーしたので、30分弱で十分だった。次回は、富岡鉄斎だって! ええもん、持ってますね。
 昼時に高島屋史料館に行くと、お昼は、近くのタイ屋さんに決めている。3軒あるが、完全に1軒にしぼっている。先日、ガッパオを食べたので、昨日はパッタイにした。日本で食べれるパッタイで、ここのが、タイで食べるそのまんまのお味だ。大満足。「トップンカー」の声に送られます。今度は、地下鉄移動で南森町へ。開場まで20分余あったので、天満宮で読書。境内の休憩所には、外国人観光客がにぎやかにたまってたので、場所を逸らすことに。大阪も、インバウンド、多いね。
 繫昌亭昼席は久しぶり。今週は、「あの時出来なかった佐ん吉記念ウィーク」と銘打たれた公演。5年前に受賞した繫昌亭大賞奨励賞の記念ウィーク興行が、コロナ禍でできなかったためのもの。その番組は、次のようなものでした。源太「普請ほめ」、団治郎「看板のピン」、たま「ちしゃ医者」、ラッキー舞「太神楽」、吉の丞「上燗屋」、文之助「片棒」、(中入り)、文之助・吉坊・鉄瓶・佐ん吉、吉の丞(司会)「記念口上」、吉坊「初音の鼓」、鉄瓶「お花半七なれそめ(宮戸川)」、佐ん吉「蛸芝居」。2階まで客が入るという結構な入り。半分は、佐ん吉のウィークだと知ってて来ていたので、たいしたものだ。開演前、表に現れた佐ん吉、誰にも気づかれてなかったので、そのときは心配したけど、全くの杞憂でした。時間を守る意識が徹底しているからでしょう、そこへ、マクラを喋りすぎると、ネタを最後まで持っていけない、それが続出した昼席、これも珍しい。源太、たま、文之助と3人も出た。鉄瓶は、刈り込みが上手く、しかも、オリジナルな下げを使うことでセーフでした。残念だったのは、団治郎の口演で寝落ち。でも、ここだけだったので、ま、ええかの気になっています。その団治郎と吉坊が、東住吉高校繋がり。吉朝一門が3人、文之助が、師匠吉朝と、ほぼ同期。鉄瓶は佐ん吉自身の同期。鉄瓶の方が、僅かに早いそうだ。これは、初めて知りました。でも、これだけの顔付け、凄いものがあります。たまがマクラで言ってたけど、「おもしろいときとそうでないときがあります」「今日はおもしろいときです」、これ、マジなんだよね。こんなけいい顔付けがあると、当然、歪みができる。今年は、ましてや、吉坊が大賞、福丸が奨励賞ということで、集客力のある噺家さんがウォークをするため、そこへも、いい顔付けが集まるから、ますます歪みが大きくなってる模様です。口上では、文之助の言葉が滲みました。吉朝の話をして、弟子を、よろしく頼むという親代わりの言葉、思わず、涙が出かけてしまったな。他の日でも、いい話が出ているようですね。こういったときって、旧Twitterって、お役立ちです。で、トリの佐ん吉、袴姿、見台なしで登場。芝居噺の匂いが、一気に上がった。「七段目」かどっちだろと思いながらマクラを聴く。「七段目」の流れではないと判断、「蛸芝居」と、早々に判明した。まだ、佐ん吉の「蛸芝居」は聴いてなかったんだよね。で、聴いていると、次第に、このネタ、こんなに長いものだったろうかと感じ出した。佐ん吉も力が入ってるようで、終盤、「疲れた」という主旨の言葉を吐いた。小気味良さとか、登場人物が楽しんでる感、そういった点で物足りなかったのかもしれません。米朝、染丸、生喬らの名演は、時間を短いと感じたものですね。捲土重来、またの機会を楽しみにしましょう。


2024年 6月 20日(木)午前 6時 52分

 昨日は、京都と大津で、市民向け公開講演会のハシゴをした日。大津へのお出かけ自体が久しぶりだ。最近、びわ湖ホールも行ってないしと思ってたら、毎年、この時期に開催されている滋賀県の文化財保護課が行っている公開講座のチェックを忘れていたことを思い出した。時期を逸するということを、毎年繰り返しているが、今年は、第1回目だけが終わっていて、残りの講演は聴くことができる。でも、昨日は、2つとも、どこかで寝落ち。特に、大津での方が酷かったな。この2つの講演会の移動は、JRで山科から大津なので、時間はかからない。でも、2つの講演の間には2時間半あった。最近、外食が増えているので、昨日は、経費節約のため、事前に買っておいたパンを、山科の公園で食べることにした。一昨日までとは違い、気温の上昇の激しい日だったもので、確実に日陰を確保できる山科の公園を選んだが、見晴らしという点では、琵琶湖を眺めながらの方がいいに決まってる。あとで、湖岸で時間潰しをしなければならなかったので、辺りをぶらついたが、午後1時に迫ると、日陰のベンチの確保は容易だが、それまでは、出たとこ勝負だということが判ったな。
 午前中の講演会は、おなじみのアスニー山科でのもの。昨日は、「東寺と仏舎利~弘法大師空海の仏舎利とは~」というお題で、東寺文化財保護課課長の新見康子さんのお話を聴くことができた。国宝だらけの東寺の文化財に関するエースのお話ということで、楽しみにしていた講演だった。冒頭で、東寺の略史と伽藍配置のお話があった。東寺の宝物についてのお話を聴くときの基本ということで、復習になるので、ありがたい構成。そこで、早速、新しい知識を得た。空海が嵯峨天皇から東寺勅給されたときは、まだ、顕教の影響を受けていたということで、奈良仏教の伝統を踏襲しているものがある。その証拠が、金堂に残る本尊薬師三尊だそうだ。入唐から空海が帰ってきてから20年ほどは経ってるのだがと思うのだけど、、、。昨日のお話のテーマになっている仏舎利は、空海が唐から持ち帰って来たもの。唐で教えを請うた恵果から授かったものだそうで、仏舎利以外にも、経典、曼荼羅、仏具、肖像といったものがあるそうで、それを記録した「請来目録」という文書あるとか。そして、それらが収蔵されているのが、現在でも、平安時代の建築物として残る宝蔵だそうだ。東寺版正倉院ということです。但し、かつての威容の一部が残存ということだそうです。それらの収蔵物の核を成すのが仏舎利。なんせ、仏陀の骨だだのなんだのと言われる、ま、聖遺物です。その言い換えは聴いたことがないけど。当然、崇拝の対象になるということで、黄紺などは、例えば五重塔の基壇部に埋め込まれているものというイメージを持っていたが、それは検証しようがないと言われていた。解体修理なんてことがないと、確認しようがないということ。他の建造物然りです。一方で、文覚による勧進時などで、講堂の諸尊の頭部から仏舎利が見つかったり(仏舎利をこういったところに格納するって知らなかった!)、五重塔の上部の修理を行った際には、そういった部分にも仏舎利の嵌め込みが確認されていることから、基壇部にもあるだろうと推測されてるそうだ。今回知った新知識の1つ、仏舎利というのは小さな球であることが多いことから、数える単位は「粒」だとか。それに次いで、新見さんは、そういった仏舎利が、法会など、宗教的儀式に、どのような役割を果たしたのか、それに伴う東寺の宝物群、仏舎利の「勘計(かんけい)」と「奉請(ぶしょう)」についてお話が進んだ。これは、仏舎利の数を定期的に数えるという儀礼。その増減が(なぜ増減が起こるのかは聴き落としている!)、国家の興隆と衰退を表すとかで、とっても重要な儀式だったそうだが、その辺のコンテキストがお手上げ。この辺で寝落ちした模様です。密教の習慣だの、使用される法具については、それが始まっただけで避けたいと思う傾向があるので、そういった傾向とがっちゃんこしたこともあって、睡魔に襲われた模様。で、気が付くと、そういった仏舎利の盗難経験のトピックに移っていた。盗人が盗った経緯など、そして、その後が判る史料を、具体的に2点紹介してもらったが、そういったお話ができるということは記録が残っているということ。だが、それらの記録では、「盗まれても戻る」ということで同じだと言います。そこに、仏舎利の特別な力を看ていて、それを伝えようとして、記録が残っているようです。なるほど、ガッテンしました。
 大津での講演会は、「花湖さんの打出のコヅチ」というもの。今回は、「目からウロコの仏像の基本」というお題で、和澄浩介さん(琵琶湖文化館)のお話を聴くことができた。信仰の対象となる仏像、その物体としての特徴、分類の仕方を教えてもらえるという、ホントの基本講座。聴いたことはあるが、どのような位置づけをしていいのかが判らない、だから、他との違いが判らない、そういった基本知識を教えてもらえるありがたいテーマ設定だったので、ウエルカム状態で臨みながら、かなりの寝落ち。情けない。まず、仏像の種類から。「如来」「菩薩」「明王」「天部」の4種類。「天部」というタームは初耳だが、バラモン教・ヒンドゥー教から回ってきた「***天」というのが、これ。だから、「天部」という言い方のようだ。そして、仏像の形態上の分類をするときのメルクマールとして、身体表現の特徴は無論のこと、あと「台座(蓮華の上とか、邪鬼を踏みつけてるとか、、、)」「光背(後光のこと)」「印相(手の形、、、これ知りたかった、一番、でも、完落ち!)」「持物(蓮華、宝珠、法具。武器など)」といったものが、そうなる。次いで、各仏像の種類ごとに、その特徴を上げていかれたが、飛び飛びでしか残っていない。「パンチパーマ(螺髪)は如来」「如来はアクセサリーを付けないのに対し、菩薩は、ネックレス(胸飾)、ブレスレット(腕釧)、足輪(足釧)などを付ける」「三尊像は、中央に如来、傍らに菩薩、組み合わせが決まってる、阿弥陀如来だと、右に観音菩薩、左に勢至菩薩という具合」「菩薩は、まげのような髻(もとどり)を結っているが、地蔵菩薩は例外で、頭を剃っている(円頂)、そして、笏杖と宝珠を持つ」「明王は、能の祈りの場面で列挙される仏体の名があるが、それらがこれに相当、怒った顔、逆立つ髪が特徴、顔・眼・手の格好が異様(不動明王を思い浮かべれば、了解)、不動明王は一面二臂」。印の結び方の違い、菩薩の見分け方、この辺の実用性のあるお話は、全く飛んでいる。唯一、覚えているのが、後者に関して、「頭部に注目せよ」と言われていたこと。「化物」というターム、よく聴くやつだ! これは観音菩薩。レジュメを見ると、「普賢菩薩は白象に乗る」とある。これ、「江口」の最後の方のテキストに出てきますね。あと、仏像制作の違い、これは、最後の方に言われていたのを覚えている。「一木造」「割矧造」「寄木造」。「割矧造」は、「一木造」「寄木造」のミックスしたもの。「寄木造」は、大きな像、分業が可と言います。ま、そりゃそうでしょうね。幾つもの木をくっつけるわけですから。それらの見分け方というマニアックな話を、最後にされていた。墨書されていると、制作者も、願主などが判りやすいが、でない場合が、研究者の腕の見せ所のようですね。きっちりと聴きたかったテーマ。昨日は、そんなことが続いた1日でした。


2024年 6月 18日(火)午後 8時 47分

 今日は、休養日にした火曜日。明日からは、怒涛の予定が詰まっている。韓国旅行が近づいているのに、予定を入れ過ぎの傾向。お天気は、昨日から変調。雨が降るだけではなく、えらく気温が下がった。昨夜、インド屋さんを出た時点で、半袖でいるのが、ちょっときついかもになっていた。そして、昨日は、普段、そんなに食べないのに、食べ放題、飲み放題だったため、意地汚く、食べた、飲んだ。朝になって、全く、空腹感が出ない。珍しく、朝を抜いたくらいだ。雨は続いており、今朝は、かなりの降りだった。そのため、傘さしウォーキングも憚れるほどの、えぐい降りだったもので、少なくとも、午前中は、ウォーキングはなしだなと思ってると、11時前には止んだ。そこで、ミニウォーキングで十分とばかりに、いつもよりは、1時間は遅く、ウォーキングに出かけたため、今日のウォーキングは少なめ。万歩計を見ると、14,500歩余となっているが、これは致し方ない。
 朝方の雨で自宅待機の時間を利用して、韓国旅行のホテルを押さえた。今回は、ポウン(報恩)とキムジェ(金堤)は、booking.comやagodaでは押さえることができなかったので、この2つの町では、飛び込みになる。ポウンはそうなるだろうとは思っていたが、キムジェまでとは、ちょっと予想外だった。まあ、前に戻っただけだが、この頃は便利になったもので、Googleマップでは、ホテルの位置を描き込んでくれている。それを手掛かりにすると、歩き回っての宿探しをする必要はない。描き込んでくれてあるポイントに行けば宿があるんだからね。地方は、やっぱ車で移動する人が多いのかな、市街地から離れたところに宿、ま、モ-テルを称しているが、そういった場所に、わりかしあるが、それは、公共交通利用者には使い勝手が悪い。バスターミナルの側に宿が集まっているという時代ではなくなってきてますね。そんなで、テジョン(大田)、クワンジュ(光州)、モッポ(木浦)の宿だけ押さえることができた。これは、偶然だが、クワンジュでは、朝食付きのモーテルなんてのがあったので、値段的には、もっと安いところもあったが、珍しいので、そこを予約した。あとは、宿の場所の地図をペーパーに落とすということが、まだできていない。テジョンは、前と同じだから、2ヶ所作ればいいだけなんで、たいした時間もかからないでしょう。
 午後の一時は、Radikoで「まーぶる」を聴いたのだが、ベッドに横になり、スマホで聴いていたら、あっさりと昼寝に変わってしまった。ので、これを書いている時点では、最後まで聴けていない。でも、大事な話は済んでいる。先週あった「二葉チャレンジ」のことだ。「雲古塾」のことが、その場にいなかった者には、一番、気になってたところ。雲助の方から言い出したようだ。そして、この会は、雲助が稽古をつけて、その成果の発表会的なものだそうだ。だから、雲助は、言い出しておきながら、「そうなると、稽古をつけなきゃならないね」と言ってたそうだ。二葉は、そのネタを考えているようで、「死神なんか、、、」と、1つだけ、具体的なネタを口走っていた。そう言えば、東京の二葉応援隊の某氏が、「死神」を呟いていたのを思い出した。何でもいいから、早く聴きたいものだ。その前に、まずは、「くっしゃみ」を、どこかで聴けたらいいんだけど。さて、守山では、何を出してくれるでしょうか? 今年は、今のところ、二葉の口演を聴ける機会は、これだけだしね。それに、期待することにしましょう。


2024年 6月 18日(火)午前 7時 2分

 昨日は、午後の遅めの時間帯に映画を観に行った。映画好きのかつての同僚も誘ってみた。この映画なら、観たあと、酒を吞みながらのいい話題になると思ったからだ。それが、今まで一緒に観た映画の中で、最高の盛り上がりを見せることになり、成功。そんなだから、映画までは、通常の時間が流れ、昼前のウォーキングはいつも通り、午後の一時も僅かながら入った。ウォーキングは、映画館への往復も併せると、15000歩弱、こういった日では、こんなものでしょう。空いた時間では、韓国旅行関係のお仕事。鉄道の切符を2枚買い、これで、鉄道関係は完了。ホテルを予約できるところはするということにしているが、今回も、可能なところはするということで、とりあえず、テジョン(大田)とモッポ(木浦)の2ヶ所を押さえた。テジョンは、ソテジョン(西大田)駅を利用するということで、昨秋の宿が位置的にいいので、同じところにした。
 映画は京都シネマでのフランス映画「美しき仕事」。1999年の制作映画だが、日本初公開の作品。1日に1回の上映ということもあったからか、結構な入りに驚かされた。結構、ネット上では期待を抱かせる書き方がされていたことの影響なのでしょうね。黄紺もその1人だ。何よりも、クレール・ドゥニ監督が、女性であること、しかも、メルヴィルの「ビリー・バッド」にインスパイアされて作ったというのが大きい。「ビリー・バッド」は、ブリテンもオペラ化しており、ブリテンと言えば、ゲイとして知られ、その自らのセクシュアリティに絡む要素が、作品の中に、何らの形で入れるというところがある。コロナ禍で、多くの歌劇場が、手持ちの映像をオンライン配信をしてくれたが、その中でグラインドボーン音楽祭のプロダクションで、「ビリー・バッド」が流されたので観た。歌手陣の動きに、セクシュアリティを示すものはなかったが、観終わったあと、それまでに観たブリテンものでは、最も、濃厚なセクシュアリティを感じさせる作品だった。ここを抜きにしては語れない筋立て、展開になっていたので、同じ「ビリー・バッド」をルーツに作られた作品が、どのように扱われているかが知りたかったのが、一のポイント。描き方の濃淡もあろうから、元同僚が、そういった空気を感じ取らないかもしれないと思い、「ビリー・バッド」にインスパイアされた作品だということは、事前に伝えておいたが、セクシュアリティに関しては伝えておかなかったが、元同僚は、「ビリー・バッド」を調べてしまってて、その臭いを、予め持ってしまってたので、この作戦はうまく行かなかった。ブリテンのオペラでは、フランス革命時の英仏の対立を背景にした、ある船内での出来事となっているが、この映画では、ジプチに駐屯するフランスの外人部隊内での出来事となっていた。下士官が、上級士官に気に入られたい、認めてもらいたいとの気持ち、それが「同性愛的な気持ち」へと昇華しているという点が1つ。そこへ入ってきた新兵が、同僚にも人気で、上級士官にも気に入られる、それに嫉妬を感じ、その若い兵士を塩湖に彷徨わせてしまう、場合によっては死に至ることもありうる地へと追いやってしまうという流れだった。「同性愛的な気持ち」という書き方をしたが、これは、元同僚の評価。黄紺的には、そんなのあると感じさせられなかったところ。だから、ブリテンもので感じた濃厚な雰囲気というものは、黄紺は感じなかったが、元同僚が、おもしろいことを言った。軍隊という設定自体で、もう、その枠組みができあがっているのだ。軍隊というのは、そういった要素を持つものとして考えないといけない。ましてや、この映画のような人物関係の中ではということで、入り方が違った。また、軍隊の中で、男性性というものは強調されるもの、通常の訓練生活を描くだけで、それは出てくる。そこから、より軍隊内部での同性愛志向が強まるように感じさせるのではと、ここでも、軍隊を、この作品の枠組みに選んだのが全てという認識を見せていました。映画では、兵士の訓練の様子を、度々、流します。そこでは、速さ、強さ、敏捷性といった肉体を通じて示す男性性の属性を見せています。女性監督ということで、それを、淡々と描いているという見方でいいのか、そこに、それ以上のもの、筋立てに係るとは異なった見方が存するのか、それは判らなかった。
 飲み会は、烏丸仏光寺を東に入ったところにあるインド屋さんで。普段、食べないタンドリーチキンやシークカバブなど、お肉系を食べながら飲んだ。大島渚や山田洋次といった監督の講釈を、随分と聴いた。「戦場のメリークリスマス」なんて映画も、この「美しき仕事」に似た作品なんですね。それがきっかけで、戦後民主主義の講釈へと発展、共同体と個のトピックから「寅さん」映画へと発展したのだったかな、聞き役に徹しました。突っ込みを入れる程度だったらいいのだけど、黄紺が喋り出すと、何か変な流れになります。どうも、うまく聴き取ってもらえない。これ、この人と会うと、毎度、感じてるのに、昨日も、うっかりと長講釈をしていまい、「あっちゃー」だったな。その前は、ペルー映画を観に行ったとき、迂闊にも寝落ちをしてしまい、その間の展開を聴いただけで、聞き違いを発生してしまってた。そのときの「あっちゃー」があるのに、長講釈をした自分が悪いのです。という場面もあったが、そうでない時間は、勉強させてもらったという印象。今、そういった時間って、他にないと言ってもいい状態なので、とっても貴重な時間。また、琴線に触れそうな映画見つけましょう。


2024年 6月 16日(日)午後 10時 25分

 今日は、午後に、市民向け公開講演会の申込みをしてあった日曜日。日曜日と言っても、今日は、「日曜美術館」の新作は流れなかった。以前流した福田平八郎ものを流してたので、今回も観てしまった。丁度、今、大分県立美術館で、この展覧会が行われているはず、それに合わせての再放送となったようです。それを観てから、洗濯とミニミニウォーキングで、午前中はおしまい。夜は、いつものように「光る君へ」が楽しみ。もう次回は、結婚のため、まひろは京に戻るようです。周明の出番は、今回で終わるのかな。あっけなく越前編は終わるのでしょうか? それとも日宋関係に、何らの進展が盛り込まれるのでしょうか? でも、定子が内裏に戻ったので、ぼちぼちと彰子の出番となるのか、その辺の見通しの立たないのです。なんせ、日本史に疎い。
 午後のお出かけ先は京都歴彩館。今日は、こちらで、「第14回都草講演会」というイベントがあった。京都府立植物園長の戸部博さんの2部構成の講演を聴くことができるということで申込んであった。①京都府立植物園100年の歩み②植物の進化、この2つの講演を、同じ方がされるというもの。京都府立植物園は、全国的にも初の植物園。現在でも、公立の植物園は、高知と富山だけにしかないと言われていた。①では、その成り立ちを話され、その後の経緯を話されたが、半ばで寝落ち。それが、②にまで続いてしまい、②に関しては、ほぼ全面降伏。①に関しても、初期のお話しか記憶にない。でも、①で聴きたかったのは、そこだから、ま、許せるとしても、②の完落ちは、どうしようもないね。まず、今の場所で、大正天皇大典記念博覧会が計画されたそうだ。資金は三井家が請け負い、企画は京都府に任すということで出発。土地も購入。だが、アクセスを期待して市電の新たな敷設を期待したが、これが府議会を通過しなかったため、博覧会自体が頓挫してしまった。が、土地は購入済。そのため、土地の有効活用が検討された。なかには、元の土地所有者に戻すという案もあったそうだが、その他の案に大学誘致のようなものがあるかと思うと、遊郭を作るなんてのもあったそうだ。もし、これが通ってたら、北山のおしゃれな雰囲気はなかったね。その検討段階で、ヨーロッパ滞在経験もある建築家の武田五一の意見を聴いた当時の知事が、植物園を発案したそうだ。この武田五一という人物が大事だと言われていた。調べてみると、円山公園の整備も担当していました。その他、たくさん、有名どころが並んでる、大変な大家。その意見を聴いた知事も知事というところだそうだ。資金を提供した三井家も、追加資金の要請にも応じたそうだ。覚えてるのは、これだけ。あまりにも少ないね。つまみ食い的に、②の講演で覚えているのは、植物の進化過程で、花を付けた植物が登場するのは、かなりあとのことだそうだ。やっぱ、細胞分裂が起こり、植物自体の成長が進む最初は、細胞1つだけが、それも先端部の細胞1つだけが分裂を見せ、変化、成長が看られていくのだそうだ。花同様、根っこも後回しだそうだ。それらは、複雑な細胞分裂で、形状の変化を促すから、後回しだそうだ。コケや地衣類といったものが、最も原始的だったのだ、身体が大きくなると、その重量を支える装置がないから、その重さに耐えられる地面の際に生息するのだそうだ。地面に落ちた種子は、アリが運ぶが、それは、種子の一部に甘味が集中する部分があり、それに惹かれたアリが動かす。そうすることで、他の地域へと伝搬していったんだって、最初期の植物は。それと、プレートの動き関連で、大陸が分かれることで、他所へと拡がっていく。きっちりと聴けたら、おもしろさ全開だったんだろうが、そういうわけにも行かずで、情けない結果となりました。今日も、歴彩館の往復は、ウォーキングを兼ねたもの。従って、帰りは三条駅まで歩いた。夜半になってからは、雨が降ったが、その予感が出てきたなか家路を急いだ。結局、万歩計は15900歩余を示していたので、ま、成功かな。


2024年 6月 16日(日)午前 7時 3分

 昨日は、一昨日の予定から回した美術館行きに加えて、落語会に行った。伊丹から福島に回るというコースだ。落語会が午後だったので、朝から出かけた。伊丹市立ミュージアムまでは、2時間程かかる。阪急電車を使うと、一番、お安く行けるということで、いつも、そうしている。お昼は伊丹のインド屋さんで食べ、福島へはJRで移動。新福島駅から聖天通劇場へと向かった。初めて行く劇場だった。そして、帰宅したのは、もう午後6時前。こんなけ回ったけど、万歩計を見ると10200歩余という悲しい現実。遠出をしたわりに、ウォーキングはしていない。こういったケースのあるある話ですね。
 伊丹市立ミュージアムの新たな展覧会「泉茂 1950s 陽はまた昇る」が始まったということで行ってきた。知らない作家さんの回顧展があれば行くようにしている。何かがあるはずということで行ってみることにしているのだ。泉茂という作家さん、版画作家だが、そのテイストは、時代により大きく変化して行っていた。その振れ幅の大きさがおもしろかった。版画の技法は、よくわからないが、視覚的にも、その変化は判った。色彩の着いていくもの、タッチの変わるものといった具合だ。冒頭は、戦争の影響を受けているのでしょうか、ひっかき傷のような線が痛々しい。そして、産業化に邁進する姿を相対化しようとのメッセージも感じられ、結構、重そうな予感がしたが、シュルレアリスムに傾倒していく。ありえない組み合わせが出てくると言った特有の素材群が出てくるが、この人、えらくくだけている。シュルレアリスムっぽいので、ありえない素材のコンビネーションが登場するが、そのありえないものを結び付け、それにプラス、擬人化が入るというのが、この人の、この時期の特徴のように思えた。前者を「デペイズマン」というそうだが、組み合わさったものに足が生えている、歩いているというパターンが、結構、あったんじゃないかな。その姿は滑稽味すら感じさせる。なかには、「LOST」という文字が書き込まれていたりする。堅いかなと思ってると、あっさりと、それが外されてしまうというゆるさも併せ持つ作品群だった。そういった版画作品が並ぶなかに、「逃げたスペード」という油彩の作品があった。ボディがトランプのカード、頭がサイコロで、その目は奇数ばかりというもの。もちろん、足や手も小物で表している。これに、逃げたスペードを表しているのか、追っ手となる者を表しているのかが不明なままの人物?が、大きく描かれたもの。この作品に呼応した「逃げたスペード(2)」という、これまた大部なアクリルで描かれた作品が、一番最後の展示作品としてあったが、これは、「逃げたスペード」のアンサー作品。逃げたスペ-ドが見つかったようで、スペ-ドを、ダイヤやハート、クラブが囲んで、その無事を祝ってるようなものだった。作家さんの内面を表しているのでしょうか? 何かに結末を迎えた。納得がいったように思えた。初期の戦争や産業化といったモチーフと関係があるのでしょうか? 展示を元に戻ると、この人、北川民次と交流があったと、前の方の解説に書かれてあったので、その影響があったのかと思ってると、1つ目の展示室の後半の1/3以上は、メキシコものというか、そのテイストの入ったものだった。明るく、色彩も豊かで、原色も入りで、何よりも、滑稽味の増す作品群。時計や楽器のモチーフが使われたり、音楽そのものを視覚化したり、「インディアン」という代表作があったりと、多士済々のお遊びを観ることができた。そのコーナーに入る前に、マックス・エルンストの作品2点(雑誌に載った作品)があり、この人にも影響を受けていると書かれていた。大きな目玉が描かれていたが、かなりエモいという印象だが。それが、先の「逃げたスペード」や、これらのメキシコものに繋がったと看ればいいのかな? マックス・エルンストは、どこかで観ている。岡崎だったろうか? そして、北川民次は、近々、名古屋で回顧展が始まるので、迷っているところだったが、ちょっと背中を押されてしまったかな? 2つ目の展示室の冒頭には、これまた、影響を受けたというフェルナン・レジェの「サーカス」からの作品群があった。メキシコものも、この人の明るさ、色彩を受け継いだのかもしれません。でも、このフェルナン・レジェものの対面の展示は、その明るさや陽気さが消えている。新たな変化に入ったような作品。洒脱さもないが、太陽をモチーフにしたものに、メキシコの名残があるようだった。そして、最後の大きな部屋に至る。ここの最後に「逃げたスペード(2)」があったのだが、ここに来ると、渡米した後の作品だと解説にはあり、孔雀をモチーフに使うようになったとあったが、なぜ、孔雀かまでは書いてなかった。確かに、作品の中には、孔雀の羽をモチーフにしたと思えるもの、孔雀の形をモチーフにしたものなどがあったが、よく判らなかった、何をしたいのかが。「ピーコック」の副題も付いている、大部な油彩画「Work」は抽象画。シュールレアリスムにシフトしていても、基本的に「人」からは外れなかった作家が、ここに来て、抽象画になってる。その心は? でも、最後の展示が「逃げたスペード(2)」だった。これも、「逃げたスペード」がなければ、「?」となったでしょうね。とにかく、変化がある。各展示室には、作品だけではなく、作家関連資料も展示。雑誌なんかで作家を紹介するものが多かったが、それだけ、評価のあった作家さんということです。作品リストに書かれた制作年代が、わりと1950年代に集中していた。ということは、それだけ、短期間に、そういった変化を見せたということなんでしょう。そして、何よりも、多くの作品で見せたユーモアに目が行ったな。「逃げたスペード(2)」なんて、その最たるものじゃないかな。
 聖天通劇場は初めて行った劇場。八聖亭のあったところから、僅かに福島駅の方に歩いたところにあった。40名キャパで落語会には、いいスペース。ここで「桂源太落語会」があった。源太の高座は遭遇経験があったが、個人の会はお初だった。その番組は次のようなものだった。源太「牛ほめ」「猿後家」、小鯛「狸の化け寺」、(中入り)、小鯛&源太「トーク」、源太「青菜」。昨日も「牛ほめ」で寝落ち。どうも、座った直後、開始直後がやばいみたい。座って、ほっこりとしてしまうようだ。源太は、落研臭が出てたので、いまいちとの認識があったが、「牛ほめ」のマクラを聴いていると、そうでもないな、いや、それが、かえって肥やしになってるかなと思ってたのに、このざまだった。その嫌な感じが消え、客席との距離の取り方がいい感じになってると思いながら聴けた「猿後家」「青菜」は、なかなかの口演。口舌爽やかなところへ、改変部分が、心地よく決まっていく。改変の度合いが小さく、そして、インパクトは控えめにしているので、流れを崩さないのがいいのでしょうね。「青菜」の方は、師雀太のテキストを使ってたが、源太風味になってる。自分のものにできてる。自分的には、「猿後家」の方を取りたいけどね。理由は明確、キャラの濃淡が、こちらの方がくっきりしていたからだが、「青菜」のしつこいようで、抑制しているテキストは、雀太のままだったかが判定がつかないのだが、後半がポンポンと進んだのが、テキストで言えば秀逸だったな。ゲスト枠に小鯛が呼ばれる時代に入ったのですね。一挙に時間が進んだ感じがしてしまったが、貫禄も感じた小鯛の高座。体型だけではありません。そして、ざこばネタを入れてくれたマクラ。心意気に拍手です。しかも、ネタはさこばの思い出。唯一、稽古をお願いしたものだそうで、でも、当日になり、「覚えてんな、ほな、それでやれ」でおしまいだったという思い出。そのネタをやってくれました。でも、これって、お囃子が入るだろと思ってると、口三味線ならず、自分で、何やらを口ずさみながら補っていました。この辺が、小鯛のいいところですね。才走ってるとも思わせられたな。「トーク」は、落研ネタ。落研時代の高座名で盛り上がったけれど、マックスが、愛染の高座名。愛染は、小鯛の後輩だったこと、そうだ、そうなると、今頃になり気づいておりました。


2024年 6月 15日(土)午前 6時 5分

 昨日は、朝になり、急に予定を変更した。数日前から考えはしていたが、一昨日の時点では、やっぱ、予定通りに動くだったのだが、行くつもりだった美術館のハシゴの双方の会期が、まだ始まったばかりだったので、そんなに急ぐことはない。その内の1つは、会期が10月まであるものだから、さすがに急ぎ過ぎが先行してしまい、昨日は休もうとなった。今一つは、会期自体が1ヶ月余というものなので、今日に回し、一旦は諦めていた落語会と組み合わせて行くことにした。ちょっとした賭けで、落語会の予約が満杯でダメだと、再度、考え直さねばならなかったのだけど、それは杞憂だった。午前中の内に、「受け付けました」とのレスをいただいた。ということで、昨日はお出かけなしの日となった。京都の最高気温は35度、ここ数日の気温上昇は凄まじい。完全に真夏の気温だ。だから、昨日、この夏、初めて、クーラーを入れた。存外、大丈夫だったのだけど、室内では、じっとしてればいいのだけど、ちょっとした用事のため身体を動かすとダメだったな。
 お出かけなしだったが、ウォーキングついでに、伏見区内にある京セラ・ギャラリーの展覧会に行った。このギャラリーの存在は知っていたが、展覧会に行ったのは初めてだった。立派なビルの1階にあった。この1ヶ月間、こちらのギャラリーでは、京セラギャラリー2024年春期特別展として「『心地の良い場所』-京都 日本画新展入賞者展-小谷光/森萌衣/山部杏奈」が行われている。知らない作家さんばかりだけど、若い日本画の作家さんは、どんな作品を描くのか、どのような作品が評価されるのか、そんなことを知りたくて行ってみた。観覧順にメモっておく。森萌衣さんは、日本画の絵具を使っているが、ぱっと見は、アクリルで描いたのじゃないかと思わせる、色彩のクリアさ、全体を観ても、明るさを持っている。「ドラゴンの鱗」では、線香から灰が落ちた瞬間を捉えているが、その灰のクリアさ、マティエールを楽しむかのような線がこんもりとして、やたら目立つ。岩絵の具に、何かを混ぜているのかもしれません。彩も違ったしね。どの作品を観ても、日本画の伝統よろしく、平板なのが共通項のようだった。そして、ベトナムやロシアで描いたとの解説がされていたが、描かれている対象は、恐らく、ご本人だと思われる若い女性の姿と側にある小物との組み合わせ。ロシアで描いたというものには、ちょっとロシアっぽいものが配置されていたかな。その展示の1つに、透明なケースに入れられた制作に使われた小物が展示されていた。これらの展示を併せて、作家の周りを示しているようだった。ちょっとしたインスタレーションにもなっている。そういった展示だったが、一角に、雪舟作「四季花鳥図屏風」の模写も展示されていたが、これが素晴らしい。飛ぶ鳥に動きがあり、大木に上へ伸びる勢い、堂々たる存在感まで出ている。雪舟の持つ、こういった筆致まで模写しているのには、驚きでしかなかった。小谷光さんは、滋賀県在住で、今回の展示では琵琶湖に特化した作品を出していた。何がおもしろいかというと、この人、段ボールや、断熱材の上に新聞紙や不織布を貼り付けて、その上に、日本画の絵具や墨で描くという点。わざと、段ボールを引きちぎったまま、整形しないでキャンパスにしていました。更に、色合いも段ボールの色にひっそうたもの。ちょっとした哀愁が漂うというタッチ。「朝もやの向こう」では、断熱材を何枚も繋ぎ合わせて、湖畔に立つ、恐らく自分の姿を描き、側にある木を描くのだけど、湖は描かないという手を使い、キャンパスの向こうに拡がる琵琶湖は、鑑賞者のイマジネーションに託すということをしている。上手いことを考えるものです。「そぞろ歩き」では、時間の流れを左から右へと流すという、日本画の定石の逆で描いたりと、アイデアの豊富な方です。山部杏奈さんも、特徴のある作品を描いていた。少し幅のある縦の筋を組み合わせて、光を表すという試みだ。その濃淡、筋に僅かに忍びこむ異なった色合いで、光の微妙な変化を出す。薄いグレーに青系の薄い色を混ぜてるのかな、そういった色彩で統一されているようだった。必然的に、窓辺の風景画が多くなる。どうしても、微妙な光加減を表すには、そうなるのでしょう。そこへ、植木鉢を置いたりして、アクセントをつけるという作品は、確かにユニークだ。「日のあたる」「光の射す」「日の陰る」の3点は、全く同じ構図で同じ場所を描いて、表題の微妙な変化、違いを表したもの。おもしろい作品だったが、この描き方って、他の素材を描くのって可能なんだろうかと思ってしまった。「棲むアカシア」という花を描いた作品が、唯一、異なった素材を扱ったものだったけど、急に、描こうとしているものが見えなくなっていた。観る自分に想像力が働かなかった ということなんだろうが、それを喚起する力は、それまでとは違ったということだと思ったな。とまあ、新しい日本画って、楽しいね。現代アートを観るときほどの混乱はなかったけれど、いろいろと考える、そういった楽しみを提供してもらえたようで、行ってみて、大正解でした。
 午後の一時はYoutube三昧だったが、あえなく寝落ち。最近はまっている「山田五郎のオトナの教養講座」を観ていて、3本目かでダメだった。ならば、暑いなか、まだ、クーラーをつけず、ベッドに横になり、Radikoで噺家さんがMCをしている番組を聴いたり、また、Youtubeに戻り、音楽をかけながら読書の時間という過ごし方。これ、なかなか、いいと評価。Wi-Fiを飛ばすことで、ベッドに寝そべったり、座ったりして、スマホを使って、そういったことができるようになった。なんか、クセになるそうな予感がしています。


2024年 6月 13日(木)午後 10時 21分

 今日は、午後に、京都文化博物館で映画を観ることにしていた。1週間前と同じ行動。だから、午前中にミニウォーキングを行い、お出かけ時の往復+αを、本日のウォーキングとした。わりかし成功で、夕方、万歩計を見ると、18300歩弱となっていた。優秀だと言えるが、昨日から始まった真夏の気温は、かなり堪える。まだ、最高気温が32度なんてものだから、今後が心配になった。今日の映画は「ゼロの焦点」。さすがに名の通った映画なため、会場は、この上映会では最高の入りだった。空席は数えるほどしかなかったのじゃないかな。黄紺的には、松本清張の推理小説は、「点と線」がつまらなかったから、この「ゼロの焦点」は読まなかった。社会派推理小説を立ち上げた3人の小説家では、水上勉ばかりを読んでいた。有馬頼義は、さすがに手に入らなかった。松本清張は、推理小説は外したが、一般小説は、随分と読んだ。だから、小説家として否定なんてしていないのだが、、、。ただ、「ゼロの焦点」、TVだったかな、いや、TVでは流せないような単語が出てくるが、観たときは、まだ緩かったのかもしれないが、なんかチラッと観て、いい緊張感のある映画なので、どこかでフルで観たいと思ってたので、好都合と飛びついた。混むのが判ってるので、そうでなければ、選ばないんだけどね。だが、今日の上映で、困ったことが起きた。いずれ、そういったときが来るとは思ってたが、音声が悪いのか、自分の耳の許容以下だったのか、判然としないが、半ばから、台詞が聴き取れなくなってしまった。丁度、主人公の女(久我美子)が、直接、細かな情報収集に向かい始めるところ、これは痛かった。夫の知らなかった顔を見つけるわけで、画面を観ていると、なんとなく流れは解ったのだけど、せっかく推理ものなんだから、細かな詰めは知りたいもの、それがダメだった。そんななのに、流れが押さえられたのは、それまでに、展開が読めたからだった。失踪した夫(南原宏治)が、今は営業マンだが、元は立川署勤務の警官だったという、かなり力技の設定。その経歴紹介を待たなくとも、立川と言えば米軍、となれば、戦後のこと、想像がつく。そこへ出てきたのが、夫が金沢勤務時代に昵懇にしていた実業家(加藤嘉)とその妻(高千穂ひづる)。夫の金沢時代を探る主人公の前に出てきたのだが、妻のキャラ付けが、えらくけばい。更に、その男の会社の受付に、アメリカ人相手に流暢に英語を操る女(有馬稲子)がいる。これで、映画の仕掛けが読めたというものです。あまりに「バタ臭い」女2人は、立川絡みだろう。「パンパン」だったんじゃないか、それを、夫は、警察官として知ってた、それが、何かしらの偶然で、立川組が顔を揃えてしまってからの事件じゃないかという想像、ドンピシャだったものだから、それに沿って進んでるんだろうの思い込みで観ていると、筋立てが追えたというわけだったが、細部は、台詞が正確には不明朗なままだから、判らずじまいだった。舞台が能登半島、しかも、羽咋だの、能登金剛が出てくる。子どもの頃、数少ない家族旅行の行先だから、とっても親近感を覚えてしまった。本筋はそうなんだろうが、夫の兄(西村晃)の殺人事件も絡めるという、筋立てを複雑にしてある。そういった巧妙さもあり、ヒット作となったのだと思います。その他、沢村貞子や十朱久雄といった懐かしい顔を観ることができた。だけど、台詞が聴き取れないというのは致命的だね。これはいけないね。どうしたものなんだろう? ベートーヴェンの心境です。


2024年 6月 13日(木)午前 7時 12分

 昨日は、朝から虚けたことがあった。当初の予定では、某美術館に行き、そこから動楽亭昼席に回ることになっていた。だが、今朝、その美術館のHPで内容の確認をとると、昨日は休館日だった。火曜日だけが休館日と思ってたら、火水曜日の2日間が休館日だった。そこで、迷った。すっかり、お出かけ気分になっているので、出かけること自体を、キャンセルする気にならなかったからだ。他の日の予定をスライドすることが可能と看て、その気になったことはなったんだが、動楽亭昼席の顔付けがいいものだから、昨日の動楽亭昼席に拘ってしまい、万が一、昨日の動楽亭昼席を諦めた場合、自分の都合と、顔付けを比べると、どうも、今月は動楽亭昼席に行けそうもない。こじ入れても、昨日の顔付けと比べると、気が進まない。そこで、閃いた。他の美術館に行き、動楽亭に回るということもできそうだと考えたというか、以前にやってたことを思い出した。これが良かった。まず、中之島美術館に行き、しかも、今の展覧会は、朝から行っても混雑はしそうもないはずと読んだ。そして、福島駅近くのタイ料理屋で昼食(ガッパオを食べた)、環状線で新今宮駅へ回ると、動楽亭に行けるのだ。この動楽亭に拘ったというのは、後から考えると、完全な虫の知らせというやつだった。終了後、地下鉄でスマホを見て、愕然! さこばが亡くなったと出てた。確か、中入りのときにスマホをいじったはず、だけど、出てなかった。しかも、トリが塩鯛だった。この偶然! 塩鯛の口演を聴いていて、正直なところ「覇気がない」と思ってた。コロナ禍を経て。5年ぶりくらいに聴いた塩鯛だったものだから、「塩鯛も歳か!」と思った。ざこばが76歳で、塩鯛は、その8歳下だから68歳だ。「ちょっと早いな」と思ったけど、このニュースを知って、納得。総領弟子だから、夜中に叩き起こされたんじゃないかな? 疲れてたんでしょうね。しかし、驚いた。死因は喘息と出ていた。ずっと悩まされていた持病で、ついに亡くなってしまった。最後は、呼吸不全になったということでしょうから、苦しんだかもしれないと思うと、きつい! 初めて、朝丸(ざこば)の存在を知ったのは、米朝がやってたKBS京都のラジオ番組に、小米(枝雀)と、毎回のように出ていたときだった。弟に、おもしろいラジオ番組があると教えられたときだった。そして、最後の生舞台は、長岡京市での米朝一門会で聴いた「鉄砲勇助」。まさか、あれが最後とは、夢にも思わなかった。2年程前のことになる。黄紺的最高の口演は、繁昌亭開場後、まだ、繁昌亭の使用が少なかった頃、繫昌亭主催の夜席があった。そこで聴いた「崇徳院」は神がかり的口演だった。後に、ざこばは、「崇徳院」で芸術選奨文部科学大臣賞をもらうんだよね。それと、なぜか、金毘羅で聴いた「せむし茶屋(この題で出していた)」のネタ下しが出てくる。もう半世紀も前のことになるのにね。
 中之島美術館では「没後30年 木下佳通代」という展覧会が行われている。チケットをオンラインで買ったときは、名前すら知らなかったが、この美術館で回顧展が行われるということは只者ではないはずということでチケットを買ってあったのだが、その後、他でも名前を見かけることがあり、納得の回顧展だった。展示は、時系列でのものだが、その作風は、明確に変化を見せている。とっても豊かな才覚を持った人だと思った。ガン宣告を受け、55歳で夭逝。早すぎる死で、もっと長いスパンの人生だったら、どのような作風になったか、観たいと思わせるものだった。冒頭は、人物画もありで、具象画を描いていたよう。そういった中で、植物をモチーフにした作品も混じるが、具象的なドローイングはここまで。あっさりと抽象画となる。面切りのおもしろさを取り上げたり、平面を感じさせるグリッド線と、3次元を感じさせる色彩とを組み合わせるという、おもしろい試みをしたりして、早くも、その才覚を感じさせる。が、その次のコーナーに行くと、写真での制作のコーナーに入っていく。水槽に温度計を突っ込んだ同じ写真が並ぶが、温度計の目盛りが違う。それで、温度というものを視覚化しようとしたり、同じ時計の連続的な写真、針は同じ時間を指しているが、日付表示が進んでいくということで、時間を視覚化するが、その変化は表せないこと、だから、観る者のイマジネーションに託すというようなもの、そうなると、インスタレーション作品と言えるよね。コンパスで真円を描いて見せるが、その真円を傾けた線を重ねると、その真円は真円ではなく楕円に見せる、そういった認識のずれを視覚化する作品が、結構、多くあった。しわくちゃになった紙と、その紙の原型を線で描くことで、認識のずれだけではなく、時間の変化、ずれといったものを表現したり、そういったコンセプトの作品が並ぶ。アイデアの宝庫のような展示だった。この展覧会で、一番、唸ったところじゃないかな。海外でも注目された、また、本人も、それで海外に打って出ようとしたようで、実際、ハイデルベルクで個展を開いている。その辺りの紹介も展示されていたり、本人が、海外での個展を開くべく、その働きかけをする書簡までも展示されていた。この展覧会の特徴の1つに、とにかく制作などの記録が残っていること。音楽界では、その作品の制作過程を知ることで、作品の形成過程を検証するということが研究として行われている。それを見越して、作曲家自身が、克明に記録を残す場合もあるとかという話を聞いたことがある。確か、シェーンベルクだったかが、それに熱心だったそうだが、そのエピソードを思い出した。ある意味では、自分の作品に大いなる自身のある証左でもあると思うのだけど、それも納得の才覚と看ました。が、このおもしろいコーナーの末尾に、突然、油彩の抽象画が出てくる。そして、コーナーが変わると、また、それが上手い展示で、パーテーションで先が見えなくされていて、そのコーナーに入る、パーテーションで狭められた入口の正面に、そのあとの展示作品を予告するかのように1枚だけ見えるようにしてあった。キュレーター氏の憎い演出です。抽象絵画へと変わるのです。それも、初期の作品で看られたものとは、全くテイストは異なる。確かに力強いが、スペースいっぱい塗りつぶした作品が続いた。塗りの強さを感じつつも、筆致が判りにくい、塊になっているからだった。このコーナーの最後に、夫奥田善巳の作品と対になった巨大作品があった。が、この先が違った。最後の広い空間を使い、晩年の抽象画、いずれも絶筆となる作品を除き大部な作品が並んだが、ここで、ようやくチラシにも使われている作品と同じテイストのものが並んだ。同じ抽象画だけど、スペースが多い、圧倒的に多い、空間とのバランス感覚がおもしろい作品群だ。ゾウリムシのような太いタッチの筆跡のバランスを楽しむと、その側を細い線が駆ける。抽象画となってから、この人、描いた絵具を拭き取るという作業をすることで、タッチの変化、多様さを見せることで、独特の雰囲気を出しているということだ。その意味を解説してくれていたが、解らなかった。もう少し、黄色や青の純色が入ると、線が細いのばばりだと、こんなけ条件をつけると意味がなくなるかもしれないけど、カンディンスキーの作品群が頭をかすめた。あすこまで軽やかではない線が、逆に魅力的だった。かなりインパクトの強い作品群ですね。
 動楽亭昼席は、後半の米朝一門以外の噺家さんもでる顔付け。その彩に惹かれた。その番組は、次のようなものだった。八十助「狸賽」、生寿「ちりとてちん」、三幸「遺産相続」、文三「転失気」、(中入り)、紅雀「湯屋番」、塩鯛「鹿政談」。相変わらず、寝落ちも出てしまったが、いい顔付けです。八十助がネタに入ったところ、生寿の口演で、清六(!)が出てきたところで寝落ちだった。だから、あまり聴けていない、2人の口演。でも、生寿の「ちりとてちん」が、普段聴かないテキストだったのは覚えている。誰のものかと、想像もつかない。それと、5年ぶりくらいで聴いた生寿の口演が、えらくスピーディーになってたのが気になる。他のネタでも、こうなってるのだろうか? 三幸は期待通りの変化を見せてくれたので、覚醒できました。このネタ、聴いたことがある。封筒に入った遺言書を見ながらの口演。わけの判らないものを、次から次へと残されるという兄弟のやり取りというもの。グッジョブです、三幸。文三が、中トリで「転失気」はあかんやろと思ったけれど、聴いている内に、いやいや噺を口演一つで大きくしてると感じ、納得できました。文三のキャラ爆発の進行、あの笑い声を聴くだけで楽しめる。紅雀も快調。東京ネタで奔放なマクラから定番の「湯屋番」は、鉄板の流れ。塩鯛は、今となってはご苦労様、です。ネタに入るまでの長いマクラ、それは塩鯛の長口舌というよりか、定番のマクラをフルでやってくれたから。三都の話から入る、あれのフルです。替りに、鹿茸(ろくじょう)の仕込みを抜かしたようだったけど。そんなで、月1で、今のところ、動楽亭昼席に通っております。別にポリシーにしてるわけではないんだけど、それだけ行けてるということです。


2024年 6月 12日(水)午前 5時 51分

 昨日は、近鉄沿線でハシゴをした日。1週間程前に、こういったことを思いついた。バカにならない交通費の節約を考えてのこと。朝から学園前まで行き、中野美術館へ。いつもだと、学園前や奈良にある美術館などと組み合わせるのだが、今回は行こうという気になるものがなかったので、中野美術館は、小さな美術館なので、今回はパスになるかなと考えてたところ、同じ近鉄沿線の城陽で落語会があるじゃないかと、この2つを組み合わせることが閃いたのだ。昼前に学園前まで行ってから、城陽まで戻るという行程。戻りの大和西大寺駅での乗り換えでミスり、余計な時間がかかったが、余裕を持って出かけたおかげで事なきを得た。昼食は、毎度、学園前で困るので、城陽に移動してからにした。うまい具合に、寺田駅近くにインド屋さんがあった。何度と、傍らを通過していたのに、そんなところにインド屋さんがあるとは知らなかった。美味しいカレーをいただけたので、贔屓にしようかな、チャンスがあれば、優先的に利用すること、覚えておきましょう。
 中野美術館では、コレクションの中から「日本画・洋画の名品」として、約40点の展示があった。ただ、洋画の部屋は、以前に観た作品が半数以上で、ちょっとがっかり。収蔵品自体が、さほど多くないのかもしれません。萬鉄五郎や岸田劉生、前回気に入った中村彝「大島風景」、須田国太郎の「ヴァイオリン」「牛の居る風景」はそのままといった具合だ。須田国太郎の、この2つは、会心の所蔵品という感じなのかなぁ、定位置を占めているという感じ。小出楢重の「鏡のある静物画」も、存在感、あるなぁ。これも、ずっと展示されている。そういった中で、初の遭遇と思える中で、気に入ったのをメモる。冒頭に置かれた久米桂一郎の「夏の少女」が、その1になる。べたっとして描かれている夏草を背に、立体感のある女が、浮き上がってくるかのようだ。背景との描き方の対比がおもしろい。児島善三郎の「盛花」も気になった。花瓶に活けた花を描いたものだが、一番外で、他の花々を被うかのように描かれているカスミソウが浮き上がって見える。視点が右上にあるようで、正面にあるようで、、、。こういった作品あるある話なんだけど、花のふんわり感に対し、敢えてやってんのかなぁ、平板な花瓶というコンビネーション。この作品でも感じてしまった。須田国太郎ものは、定番の2つと並び、「古銅器」が展示されていた。「ヴァイオリン」とテイストは似た作品で、マチエールも楽しませようかという背景に描かれたお題に書かれた品。ヴァイオリンはクリアだが、こちらは、背景との境界がクリアじゃない。色彩も、「ヴァイオリン」程は、濃淡が強くないものだから、「古」の様態が出てるように思えた。国吉康雄の「スザンナ」があった位置には、同じく女性の胸像となる前田寛治の「人物(婦人像)」があった。頑強な骨格を持ったという印象を持つ女性像だ。「スザンナ」も似た印象だったから、収集者の意志のようなものを感じてしまいました。長谷川潔、駒井哲郎、清宮質文の版画作品は、入口から左側に占めていた。清宮作品は初遭遇のはず。長谷川の「薔薇と時」では、グラデーションのある影を薔薇の葉などに付けている、とっても繊細な作品。駒井の「エチュード」では、油脂に弾かれた水滴という、えらくデリケートな点や線で描かれた抽象画。版画というタームでは一括りできるのだろうかという疑問が出てくる。階下の日本画の部屋に入るときに気になるのは、床の間付きの和室の掛軸。今回は、徳岡神泉の「茄子」。いいね、これ。床の間に置かれることで映えてんでしょうね。展示されている掛軸も、こうした床の間も併せて、その作品を思い浮かべないと、作品の値打ちが判らないなと思ってしまった。富岡鉄斎の書と水墨画は、前回から続いての展示。その並びに、冨田渓仙が並んだ。「鵜飼」と「遊鯉図」が変。ともに水が描かれているのだけど、共通して水も色彩が変と感じてしまった。前者は、篝火を焚いているので、夜なんだろうが。左の1/3の水面が黄色っぽい色合いなものだから、明かりがあるように見えてしまう。それに反して、残りの2/3の水面が、逆に異様に黒っぽい。何を表そうとしてるんだろうか? 後者も、水面は地のままで、そこに僅かに波打つ様子を表すかのように線を描いているが、それが青。水面なら青でいいじゃないかと、頭の中で囁くが、感性では、それを拒否している。鮮やか過ぎる青だからなんでしょうね。その線が、鯉の身体から透けて見えている。あれれ、、、? その傍らに水墨画が2点、冨田渓仙ものが続く。1点が山水。粗っぽい描き方、自然の剛直さを表しているようだが、馴染めなかった。もう1点は、森の中の庵。藤色の花が、各所の木々から垂れている。水墨に、この色合いに馴染めなかった。どうも、冨田渓仙ものには馴染めないまま。今まで、そうだったかなぁと思ってしまった。対面には、入江波光と村上華岳の掛軸が並ぶが、各々4点ずつ。が、自分的には、入江波光ものに乗った。鯉が威張ってる「遊鯉図」はともかくも、扇面に描かれた「雛鶏」のもふもふ感がいい。けど、足の大きさが気になる。「川ゑび」「青梅」の2点は、実際に床の間にかけて欲しい、可愛げのある作品だった。村上華岳ものは、「朝顔」はギュッと詰まり過ぎが気になり、「魚菜」は生臭い感じ、「野菜と果物」は、蕪の黒さと赤いリンゴのコンビネーションに馴染めなかった。それと、定番の「山科写生」だった。全部で40分程で観て回った。この美術館、とっても、いい佇まい。それに惹かれてしまいます。次は秋だな。
 城陽の落語会と言えば、文化パルク城陽プラネタリウムでの笑福亭喬介の会。喬明が年季明けしたので、師匠のお付きでなくなったので、この間続いていた前座はなしの、丸々喬介三昧の会。マクラでは、喬明ネタを話してくれました。奈良と姫路のTV局の仕事を持っているそうだ。奈良は知ってたけど、姫路もとなると、えらい人気だ。それはいい話だが、喬明らしい変な話も紹介してくれた。マグドのバイト応募をして落ちたネタは、マクラとして十分使えるもの。それを聴いていて、現松喬が、喬介の「あほぼん」ぶりを、よくマクラで喋ってたこと、思い出しました。弟子のエピソードで笑いを取れる、いい一門です。マクラでは、智六の話もしてくれた。若い頃、智之介も一緒に、某病院の皿洗いバイトをして、智六の家でゲームをして、夜になると、智六を応援している人にご飯を食べさせてもらってた。これ、初耳だったが、以前、智六との交友をマクラで話していたとき、かなりの行き来があることを言ってたので、すんなりと入るエピソードだった。そして、智六と言えば、酒。先輩噺家がいる楽屋にも、缶酎ハイを手に現れていたそうだが、気の小ささが酒に手を出させたのだろうと言ってました。4つのネタで、ずっと回してたそうです。そんな思い出話、全て、納得がいきました。ネタは3席、「平林」「幇間腹」「替り目」。「平林」以外は、喬介の定番のネタ。「平林」は、喬明の前ではやりにくいと、師匠風を吹かしていました。あまりにもの前座噺を、正規の高座でやってるところを見られたくないとのことなんでしょうね。


2024年 6月 10日(月)午後 8時 17分

 昨日に続き、今日もお出かけなしの1日。2日連続で、お出かけなしというのは珍しいかもしれない。が、今日は月曜日、昨日は、急遽、予定が中止になったので、致し方ない。また、明日から、濃いめのお出かけ予定が入っているので、うまい具合の休養日だと思っている。となると、定番の日に2回のウォーキングだけが、外出時間。日中は気温が上がるが、夕方になると、陽が長いうえに、心地よい風が吹くものだから、ウォーキングが、頗る付きのいい感じ。今日は、少し早めに出て、休憩がてら、公園で読書。夕方は、殆どしないんだけど、今日はやってみた。伸びてきて、鬱陶しくなってきていた雑草も刈り込んでくれてあったので、一層、いい感じだった。あと10日程で、もう夏至なんだね。それが過ぎると、早くも日照時間が短くなるかと思うと、毎年、寂しくなる。去年も、同じこと思ってたなと、つい、思い出してしまった。
 午後の一時は、今日も、「Oper Vision」の世話になった。あともう少しで配信期間が終わる、新国立劇場の「修道女アンジェリカ」(粟国淳演出)を観たが、冒頭しか覚えていない。粟国淳の演出って、オーソドックスで、何かが起こるとは思えないしな、冒頭で観たところで、やっぱりと思ったのが、ダメだったのでしょうね。そんなだから、メモを残すこともできない。配信期間も迫ってきているので、もう1度、観直す機会はないだろうなと思い、次の作品のピックアップにかかることにした。それにつけても、ヨーロッパの歌劇場と並び、新国立劇場の公演が、「Oper Vision」に参入するって、凄いことですね。でも、以前、配信された「カルメン」のような、おもいしろいプロダクションを流して欲しいものです。来年のびわ湖の「死者の都」も、粟国淳ものじゃなかったっけ? これじゃ、端から、何かが起こるかもというワクワク感が起こらないよ。


2024年 6月 10日(月)午前 6時 27分

 昨日は、お出かけなしの日曜日。となると、楽しみは、朝の「日曜美術館」と夜の「光る君へ」となる。先週と同じだが、ちょっと様子が違う。というのは、一昨日まで、1つの予定が入っていた。DとSと連れて、三室戸寺の紫陽花を観に行くつもりをしていたのだが、一昨日、息子から連絡が入り、ここ数日、2人ともが発熱をしたので、今回は見送ってほしいということだった。そんなで、お出かけなしとなった日曜日。お楽しみは、朝の「日曜美術館」と夜の「光る君へ」だけとなった。いずれも、NHKプラスのお世話になった。お天気は雨模様。日に2回のウォーキングも、昼前のときは、傘を持って出かけた。途中、小雨がぱらついたが、傘をさすほどでもなかったので、ずっと持ったままだったが。ずっと、そんな天気だったが、定番のウォーキングは平常通り。万歩計は16500歩余だったので、まあ普通だ。
 「日曜美術館」は、「美を見つめ、美を届ける(2)名画を見る眼 高階秀爾」ということで、前回の辻惟雄に次いで、今回は高階秀爾の登場となった。今回も、2人の対談が流れた。高階秀爾だから、当然、テーマは西洋絵画。番組で取り上げられた作品をメモっておく。途中、この番組ではお馴染みの三浦篤(大原美術館館長)さんとアーティストの布施琳太郎さんのコメントも入った。三浦さんは、東大での直弟子じゃないかな? ①ファン・エイク/アルノルフィーニ夫妻の肖像(油彩画、輝いて見える、1本の蝋燭=婚約、犬=忠実を各々表している、写実主義の作品、描かれている鏡に部屋の様子がそのまま映る、部屋の入口には2人の来訪者がいて、1人はファン・エイク、更に、ファン・エイクここにありきの書き込みもあることから、ファン・エイク自身が2人の婚約の証人となったのだろう)②ボッティチェルリ/春(役割に応じてフリを付ける、揺れる髪で判る西風は春をヨーロッパでは表すもの、口に花を加えているのも春、ヴィーナスや三美神ら9人が「平面的」に並ぶ)③ベラスケス/ラス・メニーナス(真ん中の子ども姿の王女が主人公、2人の侍女がなだめている、そこへ国王がやってきた瞬間の侍女の表情、宮廷でのエピソードを表現、ファン・エイクと異なり鏡と奥の扉を開けて空間を拡げているる、ベラスケス自身を描き込んでいることから画家の存在が大きくなってきた時代を反映している、即ち、職人ではない芸術家、筆使いの跡が判る、それは残している、印象派を予告した感がある)④マネ/オランピア(神ではない女のヌード、発表当時は許されないことだった、空間表現、3次元の表現に努力してきた西洋絵画への反逆、マネは平面的に描く、輪郭線もくっきり付けている)⑤ルノワール/ピアノの前の少女(印象派、市民社会で受け入れられた素材、構図が上手い、平和な輝き)⑥ルソー/眠るジプシー女(ヨーロッパの歴史に入りきらない、辻さんの著作でルソーに注目している、夢の中の世界、ライオンのたてがみのリアル、2つの世界をつなぐ、絵空事、理屈でない世界)⑦ピカソ/アヴィニョンの娘たち(描かれている女は官能的魅力に乏しいが、娘たちは娼婦、アヴィニョンはバルセロナ市内)⑧モンドリアン/ブロードウエイ・ブギブギ(ピカソの作品に刺激を受ける、ニューヨークの風景、ニューヨークはバラバラ、それをまとめるのが光、垂直線と水平線だけで描く。
 午後の一時は、韓国旅行の準備に充てた。1つは、1ヶ月前を切ったので、鉄道の切符を買ったが、韓国鉄道公社のサイトからは、1回に3枚しか買えない。それも、1つのクレジットカードでは2枚、2つ目のクレジットカードでは1枚、計3枚しか買えない。こうした買い方をしてから、今回が3回目なので、そうなんだ、今回もだで済んでいるが、最初は焦った。だって、決済まで行ってからエラーメッセージが出るからだ。でも、直後に購入履歴を見ても入ってないし、購入済の連絡メールも来ないので、買えてないと思ってた。実際、カード会社からの購入履歴にも入ってないので、お金の動きもないので、そういった捉え方で間違いはないのだが、これ、なんとかして欲しいな。あと2枚、買わないといけないので、忘れないようにしなければならない。ほぼ当日でも買えるとは思っている、実際に、当日に買って買えなかったことはないのだが、確実にクレジットカード決済が、オンラインではできるので助かるのだ。カンギョン(江景)で、チョングプ(井邑)行きの切符を買ったとき、「外国」のクレジットカードは使えなかったこともあったしね。そうなんだよね、韓国は、「韓国」のと「外国」のとで、使える使えないがあるんだよね。実際、「韓国のか?」と、一旦尋ねられたし、「外国のだ」と応えたあと、そのカードが使えるか試したがダメだった。でもね、クミ(亀尾)で買ったときは、「外国」のカードは使えた。10年ほど前にも、確か、ヨンドン(永同)駅などでも使えた記憶があるのだが、実際、カンギョンではダメだったことがあるので、できるだけオンラインで買っておきたいのだ。そうすると、手持ちの現金を抑えることのできるメリットがあるからね。しかし、鉄道の味を覚えると、鉄道を選んじゃう。何よりも、トイレの心配をしなくても良いのが嬉しい。韓国は、バスターミナルの様子も、1つの文化なので、それを味わえないのが惜しいけど、鉄道だけで、全てをカバーするわけではないので、まずは鉄道移動を考えてプランを練ってますね、最近は。鉄道の切符を買ったあと、ここまで下調べをしたもので、ほぼ出揃ったと思えたので、印刷に入った。毎度の旅行には、国内も含めて、ペーパーで持っていくことにしているので、どこかでしなければならないこと。時間のあるときにやっておこうの考えだ。今回、宿泊予定のテジョン(大田)では、あまり時間が取れないので、郊外に出かけることはできない。そこで、昨秋のテジョン歩き用に作った資料で要らないところはカットして印刷しようと思ってたが、市中に、どこかおもしろそうなところがないか調べると、昨秋には見つけてなかったものを見つけることができた。テジョンにも日本統治時代の名残りを示す家屋が残ってる。しかも、とっても行き易いところに。だから、時間の関係で、今回行けなくても、どこかで行けたらと思い、ファイル化しておいた。上手くいけば、モッポ(木浦)、キムジェ(金提)に続いて、テジョンでも日本家屋探しをやってみることができます。大きな成果が上がりました。


2024年 6月 9日(日)午前 5時 13分

 昨日は、ロイヤル・オペラのライブビューイングを観に、桂川駅前のイオンシネマまで行った日。ロイヤル・オペラのライブビューイングは、メト・ライブビューイングに比べて、認知度が低いためか、すぐに存在を忘れてしまう。今季も始まってるのも失念していたため、「ラインの黄金」を観ることができなかった。これが、午後5時5分の上映開始と、遅い時間。大阪まで行けば、午前中に上映があるんだけど、交通費がバカにならないので、京都で観ることにすると、黄紺の生活リズムを崩す時間設定。そんな遅い時間のお出かけだったので、昼前のウォーキングどころか、少し短かったが、午後の一時も取れた。桂川までの往復を夕方のウォーキングと読み替えると、万歩計は15000歩弱だったから、いいんじゃないかな。
 オペラは「蝶々夫人」(モッシュ・ライザー、パトリス・コーリエ演出、デイジー・エヴァンス再演演出)。リセウ歌劇場との共同制作だそうだ、プレミアは2003年だそうで、ちょっと時代を感じないわけでもないプロダクションだった。観慣れた演目なのに、しかも、古いプロダクションなのに、桂川まで出かけたのは、主演のアスミク・グリゴリアンがお目当て。今月中にも、メト・ライブビューイングで、同じ「蝶々夫人」を歌うのだが、ロイヤル・オペラの「蝶々夫人」は知らなかったものだから、敢えて行くことにした。アスミク・グリゴリアンを教えてくれた福井の友人は、こちらには現れないで、メト・ライブビューイングの方に来るそうだ。上映時間が気に食わないと言ってました。だったら、大阪ではと誘ってはみたのだけど、回答は「ノー」だった。観慣れたメトの「蝶々夫人」に拘っています。確かに、いいプロダクションだけど。こちらは、襖を模したかのような4枚の壁が背後に控えた舞台。その壁は、上下にも左右にも動き、外部との境界となり、単なる入口にもなる。その壁の背後には、画像を映していると思ったのだが、初演の時期を考えると、書割なのかもしれない。1幕前半では、長崎港の古写真、同後半では、山野の風景画だった。ただ、その壁も、2幕に入ると、それまでの機能を忘れたかのようになってしまってた。単なる壁&入口でしかなかった。背後の画像は出てこなかった。花の二重唱に先立ち、花びら集めをするとき、その壁が上がると、左右に植え込みが用意されていたくらいで、壁に囲まれた空間だった。ヤマドリは、壁が2枚上がった背後を人力車に乗り現れた。幕末だとしたら、人力車ってないよ、まして、長崎で。3幕も、壁のままで、ラストになり、その壁が、全部上がり、大黒に桜の枝がかかるというものだった。だから、冒頭の長崎の古写真を使ったりしての趣向が続かなかったという印象。装置としても、小物が出る程度で、変化技はなし。ただ、そういった小物の出し入れを、床の各所の蓋を開けることでするというのは、工夫というよりは、無茶な感じがしてしまった。動き的にも目立ったものはなかったが、ピンカートンが、チャラチャラ系キャラで始まったのが、徐々に変化を見せていくというのは、歌手の工夫なのか、演出なのか、迷うなぁ。そんなで、プロダクションとしては、さしてそそられることはなかった。そうそう、衣装もそう言える。蝶々さんが、2幕からは洋装の上に着物状のものを羽織ったり、ゴローもそうだった、ヤマドリは、袴をデフォルメしたようなものを着ていた。各々、今少し、着物をデザイン化して見せるなら、上手な方法ってないものだろうかとは思った。メトロポリタンの舞台などと比べて、着物の着付け一つをとっても、雑な印象で、らしくするなら、らしくせよと言いたいし、デフォルメするならするで、それなりのものを作れよと言いたくなったな。歌手陣では、客席の反応を聴くと、アスミク・グリゴリアンが圧倒的な支持を得ていた。映像を通しても、圧巻の一言。意思の明確な歌唱、それに相応しい声質だった。スズキ(ホンニ・ウー)への支持が次いで多く、ピンカートン(ジョシュア・ゲレーロ)やシャープレス(ラウリ・ヴァサール)には、生温かな拍手でしかなかった。ピンカートンは、もっと拍手をもらってもいいかなとは、映像の音声では思ったんだけど、生ではそうじゃなかったのかな?
 時系列的には前後するが、午後の一時をメモっておくと言っても、寝落ちの記録だけど。「Oper Vision」での「アンドレア・シェニエ」の続きだ。前からの続きで、前面の平台上が基本的な舞台で、後面に装置を加えるというもの。3幕はサンキュロットが詰めかける座席で、4幕は、牢屋の格子越しにギロチン台が設えてあるということで、特段のものではなかった。前回観たとき、やっぱ、名の売れてる人は違うと思わせられたグレゴリー・クンデも、後半に入り、疲れが出たかなの印象を持ってしまった。Youtubeで、ボローニャ歌劇場ものは、幾つか観てきたが、似たテイストですね。オーソドックスな舞台にばっか、接してきたなの記憶だったけど、これも、その枠内に、すっぽりと収まったという印象でした。





進む メイン・ページ 戻る