忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


2025年 7月 3日(木)午前 5時 58分

 昨日は、朝から出かけて、京都でハシゴをした。水曜日といううことで、朝からの出かけはアスニー山科での市民向け公開講演会。終了後は、近くの公園で、一昨日に買ってあったパンで昼食。そして、地下鉄で蹴上駅まで移動。南禅寺界隈を抜け行ったのが、久しぶりの泉屋博古館。休館をしていたために、1年以上、間が開いたんじゃないかな。気温、湿度は、真夏のそれだが、幸い、陽が出ていなかった。公園での昼食も、それで助かった。帰路は、徒歩移動で、ロームシアター京都経由で三条まで移動。ロームシアター京都に寄ったのは、先日、釜山への出発間近に取れたチケットの引き取りに行ったためだ。仕事の関係で20分遅れで、同じチケットを買おうとした福井の友人は、完売だったそうだから、自分の強運さに驚くばかりだ。
 アスニー山科での講演会は、「南北朝時代の東寺 ~足利氏の宿陣と祈祷~」というお題で、東寺文化財保護課課長の新見康子さんのお話を聴くことができた。お題にもあるように、南北朝時代に、東寺に関わった権力者を看ると、この激動の時代に移り変わりを知ることができるということで、いくつかの段階に分け、その時々に関わった権力者、その関り方を追いかけるというのが、今回の新見さんのお話の趣旨だった。時系列的に押さえられたものをメモっておく。①後醍醐天皇/五重塔の焼失に対し、再建・供養を行う②足利尊氏/宿陣、祈祷命令(戦勝祈願)、庄園の寄進、祈祷組織を作る(=祈禱の継続)③足利氏による修理(尊氏・直義仲良し時代)/五重塔&灌頂院の修理、築地塀修理、梵鐘鋳造④観応の擾乱時に足利義詮/宿陣、祈祷命令、庄園の寄進、祈祷組織(これに伴い、寺内組織の拡大、庄園の増加が進む)、後村上天皇も祈祷命令出している⑤南北朝の騒乱終了後、足利氏、いや室町幕府が、御影堂の再建等、庄園の寄進、対山名氏&対大内氏という風に守護大名を押さえるために戦勝祈願を求め祈祷命令を出している。①~⑤へと進むにつれ、朝廷の祈祷から武家の祈祷要請へという、時代の変遷に伴い、その主体が変わるなか、それとともに庄園の寄進が進み、東寺内の組織拡大が進んでいく。ということいなのでしょうが、日本史に疎いものだから、南北朝時代の推移が解っていない。だから、①~⑤の政治状況の変化が判らないものだから、いまいち、何が起こっているのかが判らないまま、聴いてしまった。修理の具体的なお話になると、東寺の伽藍配置、それの今と昔の対比も話題になる。そういったトピックも挟みながらのお話、そんなで、半ばで半寝で聴いたこともあり、しっかりと理解できてるかと言われれば、あまり自信ないね。
 泉屋博古館では、「リニューアル記念名品展Ⅱ 続・帰ってきた泉屋博古館 近代の美術、もうひとつの在り方」という展覧会が行われていた。「リニューアル記念名品展I」は、工芸中心のような気がしたのでスルー。再開第2弾を覗いてみた。青銅器は名品揃いだが、以前に観ているので、今度はスルー。展覧会のコンセプトは、万博に合わせて、明治初期に開催された博物館に展示された作品を展示するというのが、この企画展のコンセプト。だから、キャプションには、どの博覧会に出品されたものか、それが明記されていた。なかには、住友家お買い上げというものがあり、こちらのコレクションの一角を担っているものも、結構、出てたんじゃないかな。大広間と、今回初めて知った、その大広間に奥の間があったが、それらの部屋を、4章に分けていたが、その章立てに従い観るのもムズいため、気の赴くままにメモっておく。正直言って、お買い上げや別注したようなものに、名品があったとは言えなかったな、いいのは、それ以外だよと突っ込みながら楽しませてもらえた展示。最初に眼に入ってきた香田勝太「乱菊図」は、いきなり本日の秀逸が出たかと思う名品。野に咲く菊花、花が小さく、野に咲く花に混じると、どれがどれだか判らなくなるのもいい感じ。それが咲き乱れている。それが、実にいい。住友家当主も気に入ったらしい。別注で、同じものを描いてもらった。それが「春秋草花図屏風」。奥まった部屋に展示されていた一つだが、外の展示室にある方が良かった。スペースの使い方の違いのようで、いいなと思った方が、華やかさがある。適度なスペースが、主役の草花を引きだたせていました。磁器の板谷波山「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)」が入口間近に合った。板谷波山独特のテイストである薄っすらという色彩の表面を持った花瓶、アールヌーヴォーの影響を受けてるって、キャプションに書いてたかな? 富田范溪「鰻籠」は沢辺を描いたもの。前面にデザイン化された草が延び、その向こうに水が流れる? 溜まる? その辺にぼかしが入っているから、幻想的な雰囲気が漂うかと思うと、仕掛けの籠の辺りはクリアに描いてあるので、技巧に過ぎるかと思ったが。全体的な薄い色彩が情緒を湛えていた。東山魁夷「スオミ、」はフィンランドの風景画。青を使うお得意の作品だが、湖沼の静謐さが、見事に表されている。「特集 はじまりは天王寺-第5回内国勧業博覧会と「美術」」というコーナーがあったが、見栄えを狙ったような気がして、スルー気味。大広間の中央部にはケースに入った絵巻形式の作品が展示されていたが、その中に、田能村直入「設色花卉図巻」があった。水墨画なんかが思い浮かぶ作家の、とっても繊細な草花の作品にびっくり。今まで知っていたテイストと違うので、じっと見入ってしまった。ここの章立てが「類は名作をもって集まる-文人の交流と美術」というもの。田能村作品の横には日根対山「四季山水図巻」、離れたところに、その弟子にあたる野口小蘋「春山明麗図」。当然、南画系作品。富岡鉄斎の扇図も数点出てたが、キャンパスが狭すぎる。岸田劉生が掛軸に描いた「四時競甘図(しいじきょうかん)」「塘芽帖(とうがじょう)」、中川一政「鰈図(かれいず)」と、洋画家が描いた日本画テイストの作品が並び、珍しいもの観た感を味わえた。奥の一角が「空間を飾る、客人をもてなす」。蒔絵や陶器といった工芸作品が並ぶなか、狩野芳崖「寿老人図」があったが、作品自体が大きく、且つ、描かれている寿老人も大きく、且つ、クリアなため、詰めて並ぶ展示に違和感。それほど、場所を選ぶ作品と感じた。住友家のもののようだが、どこに置いてたのでしょうか? その側に、菊池容斎「桜図」があったが、立派な枝ぶり、今を盛りに咲く満開の桜が、キャンパスにすっぽりとおさまっている、きっちりとおさまってるため、えらく小さく見える。ましてや、側に大きく見える狩野芳崖があるので、余計にちっこく見えたんじゃないかな? それらを観ていると、チラ見で、燕子花が目に入る。それが、奥まった部屋の木島櫻谷「燕子花図屏風」だった。琳派の豪華な燕子花というよりか、淡泊系の作品だけど、これ観ると、琳派の作家が描いた同種に作品と被ってしまう。だから、正面から観ているよりか、大広間からチラ見で見えるのがいいかなと思ってしまった。この美術館、青銅器を観なければ、数は多くないからと、一つ一つを、ゆっくりと観てしまうため、結構な時間を要した。おかげで、帰路に着くまで、しばし、入口にあった竹で作ったベンチに座ったままでいなければならなかったな。思わず、こんなで、下旬に考えてるプチ旅行、大丈夫かと、自分に突っ込んでおりました。


2025年 7月 2日(水)午前 6時 10分

 昨日は、朝から出かけて、メトライブビューイングを観に行った。今回も、福井から高校時代の友人が観に来ていたが、その友人にとっては、このライブビューイングは、今季の最後。黄紺的には、あと、もう一つ、観る予定。7月は、それがあり、且つ、生オペラを2本も観ることができる。友人は、その内の1本は観に来ることになっている。さすが、同じ月に、何度も来れないということで精選したようです。昨日は、R・シュトラウス「サロメ」(クラウス・グート演出)だった。クラウス・グートものは待ち遠しい。ましてや、「サロメ」は、ベルリン・ドイツ・オペラのプロダクションが、クラウス・グートものだ。プレミアのときに観た。だけど、難解で、よく判らなかった。記憶も、ほぼほぼ残っていない。でも、今回、予告なんかを観ると、どうも、ベルリンでのものに繋がらなさそうだったので、気になっていたもの。そして、その期待に応えるものと看た。今度は、自分なりに、プロダクションの把握ができたようだと思っている。演出家の意図に沿った理解かどうかは判らないが。断定的に、自分の理解を言えるとまでは思っていないのだ。舞台は、1幕ものだから変化はないはずだが、「サロメ」は、生だけではなく、DVDなんかで、何本かのプロダクションを観てきてはいるが、ヨカナーンが閉じ込められている地下室を舞台上に表したのは、初めて観た。サロメは、まず、自らが地下室に降りて行き、ヨカナーンを観に行く。更に、処刑されたヨカナーンを観に、自ら、地下室に降りて行く。だから、有名な生首へのキスは、その地下室で行われる。それを見せるために、舞台が上下に動く。この仕掛けを使われると、初ものということで、観ていて興奮気味。ヘロデ王の宮殿は、まるで、絶対王政期の雰囲気。ヘロディアスだけが、赤のコステュームを着ていたが、あとは、モノトーン。特に黒が際立つので、スペインを連想はしたが、上着のデザインや靴、帽子、下半身の衣装デザインは、スペインのそれらしくはなかったので、ま、時代は近代初期に移し替え、場所は、欧州だろうが、どこかの特定はできないようにしてあった。別に、このいじりは、どうでもいいことで、物語の助けにも邪魔にもならなかったと看た。ただ、地下室には、サロメが、子どもの頃、遊んだ玩具が並び、それらをしまったお部屋という雰囲気を醸し出していた。それと、サロメの踊りが7枚のヴェールを剥いでいくとなってることから、「7人サロメ」を採用していた。「2人ミミ」「2人ロドルフォ」とか、同じ役を複数人で演じるという演出は、これまでも、何度か観ているが、今回の7人は、文句なしの最多。但し、それらは、今のサロメに至るまでの姿。一番成長した、大きなサロメが、現実のサロメで、これを歌手が演じる。踊りでは、どんどんと入れ替わっていく。ヨカナーンの生首が出て来るシーンでは、同時に7人が舞台に揃うこともあった。それを観て、笑福亭たまの新作落語「Myselves」そのまんまだと思った。1人の人間の各世代の姿を表している。で、何が言いたいのか。むすろ、サロメというキャラの異常性を、これで表そうとしたのじゃないかと思った。人間というもの、時系列のなかで、様々な経験を積みながら「成長」していく。それを、「7人サロメ」で見せているが、この物語のサロメは、それが「欠如」しているから「狂」のふるまいをすると見せたと思ったのだ。逆に、段階を経て成長する姿を見せ、そうじゃない現実のサロメとはという人物表現をしたと看た。要するに、真ん中が欠如しているため、「子ども性」を持ったまま、大人としての肉体を持った女、それがサロメで、子どもの玩具を弄ぶかのように、ヨカナーンの肉体に惹かれる。そういった大人の身体を持った女の見せるエロティシズムが出て来る。そのいった性が、象徴的に首、唇に焦点化されてはいるが、クラウス・グートは、首のないヨカナーンの身体を出し、それに腕を手を絡ませさせるという演出をした。最初は、手を股間に、そして、胸へ、切られた首にキスをする。やがて、子ども世代のサロメが、玩具を持つように生首を持ってくる。そして、有名な生首の唇へのキスとなった。サロメの「狂」は何かを見せたプロダクションだと思ったのだが、演出家本人の意図は如何なものでしょうか? 友人に、そういったことを言うと、「う~ん」と言ったままでした。そういったプロダクションに、サロメ役のエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーが、見事に応えていた。ヨカナーンへの拘りを見せる辺りから、サロメの「狂」が現れ出す。それに伴い、ノンビブラート気味に強い声を出してきたものだから、何かが「憑いた」ように聴こえた。お見事だった! 次いで、気に入ったのは、キャラクター・テノールの難役を見事に歌ったヘロデ王のゲルハルド・ジーゲル。この人、60歳を超えているが、しっかりとした声に圧倒されました。ヨカナーンが、名歌手ペーター・マッテイ。残念だったのは。ヨカナーンの声質、バスっぽい重さが欲しいんだけどなと思ったが、そういった要望って、今や無理かもしれません。若干、物足りなさを感じたのは、周りが良かったかもしれないからなと感じたのが、ヘロディアスのミシェル・デ・ヤングだった。それよか、出番のあまりないナラボートのピョートル・ブシェフスキが良かったのじゃないですか。そして、指揮はヤニック・ネゼ・セガンだった。
 終了後、花遊小路にあるタイ料理屋で昼食にするつもりで行くが、お休みなのか、閉まっていたので、隣の食堂のランチ。普通のランチを食べるなんて、久しぶり。そして、四条通にあるカフェでお喋り。オペラ、落語、鉄道と、たわいないことを延々と喋り、生オペラでの再会を約して別れました。猛暑だったけど、超迂回コースを採り、ウォーキングをしながら帰宅。万歩計は13300歩弱を示していた。


2025年 6月 30日(月)午後 8時 50分

 暑い日が続く。今日で、まだ、6月末。早くも、暑さにうんざりしている。そんななか、大津と京都で、市民向け公開講演会のハシゴをした。大津は、滋賀県庁新館の大会議室を使ってのもの。「琵琶湖疏水施設国宝答申記念講座」というものがあったのです。疎水が国宝になった。第1疎水だけではなく、鴨川運河まで、疎水全体が、国宝ないしは重要文化財に指定されたのだ。伏見に国宝が雨ざらしであることになった。蹴上のインクラインは、国宝指定だとか。それ考えると、バカだね、墨染のインクラインを撤去しなければ、もう1個、伏見に国宝が増えただろうに。ま、それを記念して、「琵琶湖疏水施設の特徴と歴史的価値について」と題して、滋賀県文化財保護課の坪田叡伴さんのお話を聴くことができた。ほぼ、今まで知っている、ないしは聴いたことがあるお話だったので、新たにメモる必要はなかった。そんなことは、予約する前から判っていること、でも、「国宝指定」ということで申し込んだ。こういったイベント、京都に先駆けて滋賀県、やってくれた。指定されたものは、当然、京都にある方が多い。でも、大津市歴史博物館に徒歩移動で行くようになり、琵琶湖から疎水の入り口を観たときは、ホント、感動的だった。思いっきり、写真を撮りまくった記憶がある。知らなかったことというのは、「申請を出したときの計画は、蹴上から北上してという大きなものだったのが、蹴上で止めるというのが、最初の工事となった」「疎水ができると水位の変化が生じると、滋賀県、大阪府が反対した」「本願寺疎水というものがあるそうな」、このくらいかな。
 終了後、JRで山科乗り換えで、地下鉄で北大路まで移動。京都駅乗り換えの方が、運賃が安いと出たが、インバウンドで激混みの京都駅を通るのを避けたく、山科乗り換えを採用。昨日、買ってあったパンで食事。もちろん、鴨川縁でのこと。ほんの僅か、読書をすれば、もうお時間。京都歴彩館であった「京都を学ぶセミナー【洛南編】」に行った。今日は、「御所に勤める村の神主、非蔵人・村・公家の交流―近世の築山村と吉祥院村―」というお題で、東昇(京都府立大学)さんのお話があったが、ほぼ通しで寝落ちしてしまった。覚えてるのは、築山村というのが、吉祥院村と、桂川を挟んだ対岸にある村だということと、お題のような人たちが住み、その村に日記という史料が残ってることから、神人らの生活の様子が判るということで、それらを紹介するというものだった、このくらいだ。どうしようもない。
 帰りは、いつものように徒歩移動で三条までは行かず、今日は、出町柳で切り上げた。時間稼ぎをして、帰宅後、洗濯時間を確保したかったからだ。明日も、明後日も、朝から出かけ、帰宅は夕方になるので、これは洗濯時間が取れそうもないということで、いつものように三条まで歩くのは避けた。それでも、万歩計を見ると15400歩余となっていた。


2025年 6月 30日(月)午前 4時 26分

 韓国旅行から帰ってから、1日、休養日を設けただけで、お出かけが続く。今日は、予定していた講演会を止め、休養日に充ててもいいかと思ってると、思わぬ映画があることを掴んでしまい、やはりお出かけ日になってしまった。それは午後。今日は日曜日ということで、まずは「日曜美術館」。お題は「ビアズリー 禁忌(タブー)の線/戦慄の白黒(モノクローム)」。丁度、今週、メトライブビューイングで「サロメ」を観るから、絶好のタイミング。おまけに後半の「アートシーン」では、「ルノワール&セザンヌ」「アルフォンス・ミュシャ」を取り上げた展覧会、次回の「日曜美術館」は「ジャポニズム」と並ぶ。完全に、NHK仕込んでます。有難い。で、この番組、知らなかったのだが、久留米市美術館でビアズリー展が行われているということで、MCの二人が、同美術館に足を運んでのもの。それに、別途、萩尾望都が出てきて、ビアズリーを語るというコーナーを設けていた。萩尾望都は、ビアズリーを称し、「悪魔と契約した作家」とまで言っていました。それらの合間には、ビアズリーの略歴を挟むというもの。取り上げられた作品をメモっておく。①おまえの口に口づけ(サロメ)/細かい線、生き物みたい、現実にはあり得ない髪、原作を凌駕、オスカー・ワイルドもびっくりで英語版の挿絵に採用②「ジークフリート」第1巻/デビュー以前の作品、20歳前? 但し、舞台そのままの描いてはいない③ペルセウス怪物④詩人の残骸(自画像)⑤湖水の麗人、アーサー王***/挿絵⑥アーサー王は、唸る***⑦月の中***/サロメの挿絵、序盤の部分、宴会に向け兵士が宴を語り合う姿を描く⑧黒いケープ/サロメの挿絵⑨孔雀の裳裾/サロメの挿絵⑩ヨカナーン/サロメの挿絵⑪ヘロデヤの登場/サロメの挿絵⑫ヘロデ王の眼/サロメの挿絵⑬ベリーダンス/サロメの挿絵⑭踊り手の褒美⑮巻末飾り/サロメの挿絵、抑圧された時代、裏側でたぎる欲望、それを、サロメが暴いて見せた⑯サロメの化粧/独特の線、構図、動的な絵⑰プラトニックな動き⑱雑誌「イエローブックThe yellow book」⑲ワーグナー崇拝者/22歳のときの作品、富裕層の女性、表情いじわるそうな、かっこつけてワーグナーを見に来る人を描いている、このあと暗転、オスカー・ワイルド(男色)告訴、そのとき黄色い本を持っていたため、イエローブックで仕事ができなくなる⑳雑誌「The Savoy」/新しい雑誌㉑大修道院長/ビアズリーの書いた小説の挿絵、濃密な植物、蝶々など緻密な表現㉒伊達男と美女の争い/大きな変化、それまでのスタイルから変わろう㉓モーパン嬢挿絵数点/縦線と横線の中に曲線で女性、美人画を描こうとしている。
 映画は、京都シネマでのタイ映画「親友かよ」。タイ発進の青春グラフィティ。主役は、付き合ってきた女子に振られ、そのため暴力をふるい退学になった男子ペー。転校先で男子生徒ジョーと知り合うが、その途端、ジョーが交通事故で亡くなってしまう。そこで、ジョーの書いたミニ小説を基に、クラスで追悼映画を作ることになり、その監督をペーが引き受ける。学校を巻き込んだ映画づくりとなり、後半の仕込みも兼ねていてとなってるはず、、、なのに、この仕込み的部分で、幾ら頑張っても眠くて観てられなかった。でも、徐々に学校全体を巻き込んでの映画作りになったろうということは、覚醒後の展開で読める。その覚醒したのは、クラスに見知らぬ男が現れてから。いいタイミングで目覚めた。その男、病気で学校を休んでた。それも死期が近いという設定。「おいおい、韓流的になっとるやんけ」と突っ込んでしまった。そう考えると、中国映画への影響と言い、このタイ映画への影響と言い、韓流は偉大です。ペーとの出会い。そして、隠された秘密を知る。困惑をするペー。ここからの急ピッチの展開、見せます。どのように始末をつけるのか? 登場人物らは、判る人は判るけど、判らない人は判らない、けど、映画を観ている者は知っている。だから、ハラハラしてしまうという手法。こんなのも韓流的かも、しれない! すごくタイ的と感じたというか、日本映画でも、韓国映画でも、恐らく他のどこの映画でもない、興味のあるシテュエーションがあった。男子生徒と女子生徒の徹底的な友情というテーマが、幾つか出て来る。かなり重要な要素として。友情から恋へと進展と言っていいか判らないけど、変化するものも1件あった。これ、おもしろいと思ったな、独特の感性がタイ映画に看た思いです。客は、映画の中身にしては、年齢層が高く、日曜日ということもあるのか、現役世代が多かったという印象ということで、これ、タイ・フリークが集まったかなと思い、観ておりました。こういった生の感性を知れる映画、大好きです。寝落ちしていながら、偉そうなこと言えないけど、そういったこと知ってて、初めて、大状況を論じる「資格」というもの出て来ると思うのですが、、、これって、律儀すぎる? それとも、単なる凝り性?


2025年 6月 29日(日)午前 6時 6分

 昨日は、午後に市民向け公開講演会に出かけた土曜日。もう京都市中に出かけるだけで、鬱陶しくなる暑さだ。6月から、これだけの暑さが続くのは、あまりなかったと天気予報で言ってた。出かけるとき、最寄りの駅まで歩いて、これから3ヶ月、この暑さが続くのかと思うと、ホント、げんなりしてしまう。だからと言って、家にいてもだるい。クーラーは効くと寒いし、温度を上げると、効いてるのか判らないような感じになるしと、どっちも嫌だ。出かける時間の関係で、朝はミニミニでのウォーキング。それと、午後のお出かけ時とを併せると、昨日のウォーキング。12900歩弱は少ないね。韓国旅行の疲れも取れてきてるので、これはあかんけど、時間の制約があると、致し方ない。
 お出かけ先はアスニー京都。月1のペースで行われる「京都学講座」。考古学の発掘報告的な内容が中心の講座だ。昨日は、「石見城跡の最新成果」というお題で、黒須亜希子(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課)さんのお話を聴くことができた。石見城というのは、初めて聴く遺跡の名。西京区大原野にあるそうだ。善峰川の南岸と言われていたが、善峯寺と字は違うが、その辺なんだろう。たまたま、その寺を知っているものだから、場所の見当はつく。この地域、「西岡(にしのおか)」と呼ばれる地域で、古くから人の住む土地だったそうだ。多分、いや、間違いなく桂川水系だから、早くから発展したのでしょう。中世には、小領主が住み、応仁の乱に呼応して争いの地になったそうだ。そういった環境の中で築かれた城のようだ。土塁や堀を持つといった規模の城との見方で、発掘調査が、しっかりと行われているようだ。もちろん、開発ということで発掘の機会が生まれたということと、赤色なんちゃらなんちゃらというものを使い、地形が判るということで、城の存在も、ある程度、特定できたうえでの発掘ということだった。その辺の詳細は、程よい寝落ちを経験してしまい、あやしいものがある。そして、発掘は中世ものに絞ってのもので、その下に眠ってるはずの古代の遺跡までは掘らなかったと言われていた。中世の地層に古代の土器の欠片が混じってることがあり、確実に下に古代の遺跡が眠ってると言われていたが、そこまで掘らなかった事情は、多分、黄紺が寝落ちしている間に、発掘の趣旨等をお話されているところで触れられていたのでしょうね。赤色なんちゃらでおおよその規模が判ってるとはいえ、発掘の順序は、曖昧な箇所、規模の特定から進まれる模様。だから、城の周辺部に狙いを定めての発掘から始まるようだ。そこに盛土の跡(これが細かく判るそうで地層の断面に線を入れ特定されていた)、それから判る勾配、石の堆積跡から、堀の存在を特定していく。それらが行われる。その過程で、文化庁からも視察に来て、発掘の進め方の指示も出している。それだけの規模の遺跡ということのようです。そこでも出された指示は、外枠の特定だった。そういった規模を特定してから、黄紺などは、肝心の城の中心部にある櫓なりを知りたくなるのだが、それを後回しにして発掘するんだねぇ。密な柱跡が出て来ることで、中の建物を想像できるようだ。考古学的発掘報告というのは、その発掘跡の写真、それの解説と続くというのが定番。それをおもしろいと思い、毎度、参加をしている。が、今回のように、当然、発掘と文献史料との照合話で、遺跡の全貌が判るのだけど、今回は、後者の方で寝落ち、よくあることだが、応仁の乱のことを言われていたのは記憶にあるのだが、それ以上の詳細が判らない。もったいない話。広く言って乙訓地域は、やっぱ、遺跡が多い。次回は、伏見らしい。秀吉の土木工事が対処だそうなんで、寝てはおれないんだけど、暑いおり、程よい空調にじゃまされるかもしれませんな。おまけに、その直前にプチ旅行を計画してるものだから、余計に自信がない。


2025年 6月 28日(土)午前 8時 20分

 酷くはないが、なんとなく腰の辺りに、旅の疲れが残るのだが、昨日から活動を再開した。昨日は、朝9時をメドにお出かけ。西宮と伊丹の美術館のハシゴをした。疲労の残る身体に、展示数を考えると、この2箇所の組合せなら大丈夫との読みだったが、やっぱ、美術館巡りは腰に厳しい。帰りの電車、本を読もうとするのだが、疲れから来る睡魔で読めたものじゃなかった。今度の「日曜美術館」がビアズリーを特集するそうなんで、アールヌーヴォー絡みの本を、少しでも読んでおきたいのだが、なかなか許してもらえなかった。
 で、まずは、西宮市大谷記念美術館へ行った。今、ここでは、場所柄か、「野球とデザイン デザインで辿る阪神タイガース」というふざけた展覧会が行われている。「阪神タイガース創設90周年、西宮市100周年、阪神電鉄開業120周年」という、たいそうな副題まで付いている。これが目当てでなく、同時開催の展覧会「当館所蔵5人の具体作家展」が目当てに行った。この美術館、展示室が4ヶ所に分かれているが、その1つだけを使ったのが、お目当ての展示。だけど、入場券は、「野球」の展示込みのものを買わねばならない。お高くつく。そう思っても、「具体」だから、その無茶な設定を鵜呑みにしなければならなかった。ま、お金を払ってんだから、観なきゃ損で、「野球」も観たが、これが、甲子園球場界隈の歴史、また、野球関連の施設を、甲子園だけではなく取り上げてくれていたので、思わぬめっけものの展覧会となった。野球グッズなんかは、興味がないので、さっささっさと前へ進んだが、チラ見した入場券のコレクションが凄かった。プロ野球の名シーンのあった日のチケットが並んでるのには、これはびっくらぽんだ。バース、掛布、それと誰だっけ、3連発のホームランの日とか、江夏が三振の日本記録を出した日という風に、阪神には忘れられない試合の入場券ばかりか、長嶋が何とかした日とか、近鉄バッファロー最後の日なんてのもありで、一番、驚かされた。でも、その入場券を見て、「それがどないしてん」とも思ったけどね。そういったなかで、メモっておきたいことは、「岡本太郎が近鉄バッファローズの猛牛のデザイン、今竹七郎が南海ホークスの鷲のデザインをした、へぇ~だったが、岡本太郎の話が凄かった、千葉監督のイメージでパールスからバッファローズに替わるんだけど、飲み屋で岡本太郎にあった千葉が依頼したとか、もう一度、へぇ~だった」「小出楢重が、雑誌‶アサヒ・スポ-ツ‶の表紙を描いていた」「早川源一が描いた虎の頭のタイガースのマーク、これだけが、唯一、創世期の職業野球時代から続くものだとか、それだけの優れものということなんでしょう」「宝塚ファミリーランドのあったところは、元野球場だった、プロ野球の試合も開催していた」「阪神パークは、昭和天皇の御大典記念博覧会会場の跡地、、、これ、微かに聴いた記憶あり」「甲子園球場では、野球、アメリカン・フットボールのようなスポーツだけではなく、スキーのジャンプ競技も行われたことがある」。こんなことを知っただけでも、めっけものと言える。
 「当館所蔵5人の具体作家展」の方で取り上げられた5人について、次にメモる。知っている作家、いや、観ているだろうけど、名前を覚えてない作家が5人、並んだ。①正延正俊/抽象画だけど、なんかイメージを持ちながら描いている、流れ、空気の通り道?と看た作品、印象的だ。②元永定正/アンフォルメル、メルヘンタッチ、 線描と多彩だ。③白髪一雄/露の五郎兵衛との交流があったことを、初めて知った。露の五郎兵衛に請われて描いた、規模も小さめの幽霊画2点「女幽霊之図」「男幽霊之図」と、「作品」という名のアンフォルメル作品が出てた。もちろん、幽霊画もアンフォルメル。④松谷武判(たけさだ)/ビニール接着剤使用、垂れない、固まりで前後感出る、おもしろい。⑤村上三郎/名を馳せたのが、投球絵画、紙の突き破り(これは映像で観たことあり)、、、この関係の展示はなかった、滝のような、ほとばしり、流れが出てるアンフォルメルが印象的。やっぱ、具体は、いろいろやってくれる、おもしろい、楽しいね。今年中に、芦屋でも具体の展覧会あるので、これも、楽しみにしてる。
 西宮市大谷記念美術館を出ると、夙川沿いのベンチでお昼ご飯。持参したパンで済ました。これで、ちょっと交通費を浮かすというもの。そして、さくら夙川駅へ行き、尼崎乗り換えで伊丹へ。市立伊丹ミュージアムであった美術所蔵品展「人間へのまなざしー戦争と社会の檻のなかで」に行った。企画展もあったが、それはスルー。ケーテ・コルヴィッツが出るということで、それをターゲットで向かった。おまけに、企画展は有料だけど、この所蔵品展は無料とは出来過ぎ! 展示室は地下だった。導線に従い、まずは、フランシスコ・デ・ゴヤ「戦争の惨禍」から。全部で23点も出てた。冒頭に、アピールのために使われた「来るべきものへの悲しき予感」があり、ゴヤと言えばという、ナポレオン戦争の惨禍が続く。著名な「1808年5月3日、マドリード」のテイストの作品が続くものだから、観て行くのが、かなりしんどい。そういったなか、特に印象的なのは、相手のフランス兵を描かないで、でも、目の前にフランス兵が居ることが判る作品、絶望感がたまりません。「もう助かる道はない」「見るにたえない」と、お題も凄い。それと、背中向けに描かれている女性の絶望感、狂気にも等しい感情が出てる「何と勇敢な」も凄まじい。一人で大砲をぶっ放しています。そういったゴヤとは背中合わせにケーテ・コルヴィッツ「農民戦争」があった。ケーテ・コルヴィッツを知ったのは、ハーゲンのミュージアムでの回顧展。そのときに、恐らく「農民戦争」も観てるんだろうが、やはり、この人の自画像に惹かれた。「農民戦争」というお題の付いた作品を観たという記憶は、ケルンの作家の名を冠したミュージアムでだ。日本では、沖縄と藤沢の美術館に所蔵されていることは知ってたのだが(もっと他にもあるようだが、、、)、こないに近くに所蔵されているとは、めっちゃ嬉しい。民衆の悲哀、苦悩を描いた作品、もちろん、「農民戦争」もそうだ。「耕すもの」に描かれた農夫の肩にかかる力、「刀をとぐ者」で描かれた農夫の気合、「地下室(ドーム)での武装」で描かれる集団としての農民たちの勢いなど、全7点、上下左右、力のかかるベクトルが見えてきます。奥まった部屋には、教科書で見たことのある、ジョルジュ=フェルディナン・ビゴーの石版諷刺画雑誌『トバエ』1号4より「釣りの勝負」(日清の対立とそれを眺めるロシア)やジェイムズ・ギルレイ「プラム・プディングの危機」(ピットとナポレオンで世界分割)といった作品と並び展示されていた浜田知明作品がおもしろかった。巨悪は、背後で糸を引くという「ボタン(B)」、また、その巨悪キャラを、後年、彫刻で復刻までしている。オノレ・ドーミエの風刺画の模倣をしたしりあがり寿の作品、文字アートの福岡道雄「何もすることがない」は、もう禅問答で難解。そんなで、とってもおもしろい展示です。これ、多くの人に観てもらいたいな。これ、無料だよ。


2025年 6月 27日(金)午前 5時 42分

 一昨日、午後6時半に関空に着いた。帰宅ラッシュと正面衝突かと思ったが、淀屋橋駅に午後8時台に入れたので、それは回避できた。午後9時を過ぎると、帰宅ラッシュの2つ目のピークが来るので、それを恐れていたので、助かったというわけだ。あまり疲れたという印象は、今回、あまり持っていない。去年の、この時期とは、随分と違う。それは、偏に気候のおかげだ。去年は、日本と同じで湿度が高かった。梅雨前線が北上するようになったんだと、そう思い込んでいた。だが、今年は、雨に2回、遭ったが、湿度が上がらなかった。昔の韓国のように、気温は上がっても湿度が低い、それだったのが助かった。雨に遭ったのは、ヨングンサ(龍宮寺)に行った日と、トンヨン(統営)でロープウェイに乗ったときだ。よりによって、屋外でのお楽しみとしていたときに、雨にやられてしまった。ヨングンサへ行ったときは、天気予報で、かなり驚かされていたので、先を急いだので、ヘニョチョン(海女村)を省くハメになった。その日は、結局、大雨になったのは夜半だった。トンヨンのときは、前日が、正に快晴だったので、油断してしまった。前の日にロープウェイに乗っておけば、絶景を堪能できたはずだった。結局、このトンヨンで、一番、酷い降りに遭った。早々にトンヨンを引き上げたおかげで、釜山で近代・現代博物館に行けたので、まあ、よしとしないとダメなのかなぁ。釜山は、行きたいところが多いので、どれを選ぶかで困ってた。このミュージアム、前にはねられているので行っておきたかったが、入れたら入れたで、行程を組むのがムズいと思っていたところ、トンヨンを早めに引き上げたおかげで、あの日に入れることができた。それと、午後6時まで開けているということで、これも、ゆっくりと観て回ることができたポイントだった。コロナ禍明け以後、荷物を担いだまま、観光などしてるものだから、雨になると、一番、困るんだよね。出発する前の天気予報では、雨は回避できるかもと期待したけど、これは崩れてしまった。そんなで、次回の韓国は10月中旬以後の予定。今度は連れがいます、珍しい。かつての同僚と行くことになっています。ぼちぼち、打ち合わせをしようかと思ってるところ。今度、繁昌亭に行くときの前後でやろうかなと、自分では計画しています。
 で、昨日は休養日。疲労感が、あまりないと言っても、やっぱ、腰の辺りが、じんわりと重い。ウォーキングも控えめ。ならば、この日に、弟のところへ土産を持って行こうとした。ケグム(開琴)で買った粟おこしのようなお菓子を買ってきた。そんな店があればいいなと思ってたらあったのだ。このケグムもそうだが、釜山系Youtuberの聖地巡り的なことをした。ローカルな市場ということで、また、ササンの近くだということで、ケグムは狙いの場所だった。小ぶりだけど、いい通りがあるので、これからも、覗いてみようと思った。いい公園を紹介しているYoutuberもいたので、これも狙ったが、やはり、そこだけを狙って行くのなら行けただろうが、せっかく、そこへ行くのならと近くの狙いのミュージアムも組み合わせたら、それが良くて、時間的にヤバいとなり、次回以降に回すことにした。ナンポドン(南浦洞)やチャガルチの、飛び切りのローカルなシクタンもYoutubeで仕入れたものだった。こちらは旅系Youtuberが紹介していた。一人は、かなりの通。もう一人も通だけど、買い物組。でも、いいとこ、知ってる。ソウルのお店紹介より、釜山のお店紹介動画の方が、足が向くところを紹介してくれてる。やっぱ、ソウルは別世界だなと思う。トンヨンは、30年ぶりくらいだった。旧の市街地は観光に特化してきていた。替わりに、表通りがシャッター街的になってた。新たに発展した地域に活気を感じた。地方都市では、あまりない活気。あのオーシャンビューのマンション、韓国に住むならここだと思った。あくまでも妄想だが。そんなで、また、行きましょ。


2025年 6月 25日(水)プサン(釜山)~大阪

 雨は、朝方には止んでいた。ただ、かなりの曇天。この旅行の間、雨上がりでも、湿気が多くないのが嬉しい。去年と大きく違う。だから、昔、夏に韓国に来ても、日本ほどにへこたれなかったことを思い出すような感じだった。だから、疲労感が、さほどないんだよね。今日は、朝から3箇所を、釜山港以東地域でピックアップして、お時間に合わせて回るということ、土産は、最後のササン(沙上)で買わないと、リュック以外のカバンを持ち歩かねばならないので、それは避ける。ササンに行く前に、黄紺が贔屓にしているYoutuberの地元のケグムコルモク(開琴路地)市場に行く。そういった計画を立て、まず、最初の候補地3つの中から、国立日帝強制動員歴史館を選んだ。Naverで検索すると、チャガルチのバス停から乗り、途中、1回の乗り換えで行けると出たので、それを選んだ。この地域に行くには、地下鉄利用でなくバスがあるはずと思っていたが、実際、そうしたバスを利用したのは初めて。博物館は、なんてことはない、釜山博物館に近接したUN墓地の向かい側の坂を上がれば良かった。なんだ、ここだと来たことがあるじゃないというところだ。この博物館は、館名通り、日本統治時代、様々な労働力の補充のために、朝鮮人が動員されていく姿を、パターンに分け紹介するものと、まとめて書くとそうなる。それをパネル展示、この展示には、英語と日本語が添えられているのでありがたい。軍事国家日本が、ありとあらゆる形で、人的補充をして、植民地支配、国内の労働力補充、そして、中国進出の支えにして行ったかが、よく判る、緻密な構成。創氏改名や教育制度なども、そうしたコンセプトに沿う、即ち、労働力補充のスムーズな方策としたとの位置づけ。個々の別の柱建てじゃなく、一貫した方針、政策観のようなものが見えてくる。もちろん、各動員の手段を証明する史料展示が、各セクションごとにあるが、漢字表記が理解できるところは、まだ解るが、でないところは、なかなか難しいのは仕方がない。証言も集めていた。それを聴けるようになっていたが、さすが、これは聴き取れないのでスルー。関係者の家族写真などの、壁一面の巨大な写真群、この圧は凄い。言い方は悪いが、オブジェとして観ても、かなりグッジョブと言える、このミュージアムの白眉。また、慰霊堂のような空間もあり、鎮魂の願いを感じるところだった。そういった展示としての工夫もありだったのだが、ドイツで、ユダヤ人関連の展示を観てきたが、それに比べると、証言の数が少ないのが惜しまれる。昨今の修正主義的企てがはびこるなか、動かぬ証拠的な、生の声を示す、それも、数多く示すというの、大事だなと、ドイツと比べて思った。
 ミュージアムを出て、時計を見て、予定していた残りの2箇所の内、空港に近い方を選んだ。もう1箇所は、このミュージアムまで行けば、そこそこ近いはずと思っていたが、バス移動がベストだったので、時間の見通しが立ちにくい、バスを降りてからも、そこそこ歩かねばならない。帰りも、それだけ歩かねばならないということで、空港方向にある目的地を選んだ。それは、ウアムドン(牛岩洞)ソマク村。ミュージアムから歩いて10分程のバス停から5つ程先のバス停で降りれば良かった。ここは、ネット上で見つけた地域。その説明書きには、物語が書いてあったが、実際に行ってみて、後付けじゃないかと、失礼なこと、考えてしまった。要するに、ゲジェコンドゥの街おこし地域ですね。ここも。最初は、物語に関心が行き、古い家屋が、狭い区域に残ってるのを観たいの気持ちで行ったが、地名に「ウ(牛)」が入ってるところから「牛舎」を導き、それにまつわる物語が出た?と思ってしまったのだ。最近、韓国でのダウンタウンの再生、活性化が、各地で看られるので、それを観るのを楽しみにしているので、それはそれでいいのだが、ここは、牛の大きなモニュメント、牛舎の壁画以外、若干、他にも壁画はあったが、自然なままの狭い路地が売りにされているというのが、おもしろいと思った。目につくモニュメントで関心を喚起して、あとは路地歩きでイマジネーションを歩く人に掻き立ててもらう? そんなコンセプトがあるのかなと思った。
 Naberで調べると、ウアムドンから、ソミョン(西面)経由でケグムへダイレクトで行けるバスが走っていた。そのバス、ケグムのあと、ササンへ向かいハダン(下端)に向かうと、バスの行き先表示を見て、驚いた。とんでもない大回りなバスがあるものです。そして、ケグムの市場。ここは、贔屓にしているYoutuberの地元。Youtuber氏の聖地巡礼となる。今回、先程、行くのを諦めた公園も、実は聖地巡礼だった。ソウルの紹介動画を観ても、行こうという気は起らないが、釜山のローカルな場所を紹介されると、行く気になってしまう。そんなに広い市場じゃないけど、いい活気。DとSの土産は、ササンで買うつもりをしていたが、ササンで買えそうもないお菓子が売ってたので、買ってしまい。急に荷物が増えてしまった。荷物が増えるのは、ササンでにしようと思ってたが、仕方がなかった。おかげで、ケグムの思い出ができちゃいました。最後は、地下鉄移動でササンへ。狙いのマートがあるので、そこへ行き、DとS用のお土産とするお菓子を買う。敢えて、日本でも買えるものを選んだ。話題作りだ。お腹は空いてなかったが、最後の韓国食ということで、Dと一緒に来たときに入ったプンシクで食事をして空港に向かったのだった。帰ってきて、先程の断念した公園を紹介していたYoutuberが、なんと、ササン関係の新しい動画をアップしてた。鉄道駅方向が、ちょっと変わってるの、映してくれていた。ほん近くにいながら、その変化、観なかった。残念。

(本日の食事)
 チャガルチに、めっちゃコスパのいいペッパンを朝から出す食堂街があると、某Youtuberが紹介していたので、探しに行った。入口部分の映像を覚えていたので、苦労しないで見つけられた。フードコート状に店が何軒か入っている。声をかけられた店に座る。一応、「ペッパン、ある?」と尋ねると、当たり前のような応対をしてくれたアジュマ。やや、待つと、いきなり、カレイの煮つけが出て、その後、大きなお盆にどっさりとパンチャンが出てきた。7皿とわかめスープ。食べ出すと、新たに太刀魚の皿が加わり、「えっ!」と思ったら、その後、更に、テンジャンチゲも加わった。だから、お汁が2つ。凄いと予想はしていたが、ここまで凄いとは思わなかった。これで9千ウォンとは、、、言葉を失った。普通に、パンチャンをつまみながら食べてると、横に座ったハルモニが、パンチャンを、どんどん、ご飯の上にかけ、かき混ぜだした。そか、この食べ方かと思い、真似ると、これが、めっちゃ、美味い。パンチャンとともに、醬油系の味のソースも付いてきたのは、これをするためだったんだと、これをかけたのが、味を引き立たせたんだね。もう、最高! そして、最後、ササンで食べたのは、最初は、キンパプを食べるつもりだったが、献立表に書いてあるのに見落としてしまい、「あれれ、この店、キンパプやめたんかいな」と思ってしまい、ならば、最近食べてない、うどんだということで、「チュクソク・ウドン」を注文。韓国のうどんの出汁を、そんなにも美味いと思ってなかったので、長い間、食べてなかったうどん。麺は即席麵だろうなと思うけど、ラーメンの麺だった。以前、うどんを食べたときは、そうじゃなかったけど、それはいいとして、出汁が、めっちゃ美味かった。「うめぇ、うめぇ」を声には出さずとも、連発しながら食べた。これだと、うどん、これからも欠かせないですね。これまた、長い間、食べてないカルグクスも食べないとあかんかもね。


2025年 6月 24日(火)トンヨン(統営)~プサン(釜山)

 今日は、トンヨン(統営)で遊べるだけ遊び、その後、釜山に移動しようという一日。ただ、今日は、昨日と違い、一転して雨の日。朝方は降ってなかったが、もう最初の移動の途中に降ってきた。その最初の移動は閑麗水道眺望ケーブルカー。ここへ行こうとして、最寄りのバス停を降りたところで降り出した。ケーブルのチケット発売開始が午前9時半、運行開始が午前10時。待ち構えたのは、黄紺だけではなかったのが慰みにはなったが、山上の到着駅すら見えない状態で上に上がっても、周りが見えるはずもなく、皆さんとともに、あっさりと戻りのケーブルカーに乗ることになった。ここで、時間を使わなかった分、行こうか迷っていたチョン・ヒョクリム美術館に向かった。ケーブルカー乗り場から徒歩20分。だけど、ここ、月曜日だけではなく火曜日も休みだった。愕然。このあたりから、雨脚が酷くなっていたので、セビョンガン(洗兵館)だけ行き、その近くにある東ピラン壁画村へ行くのは無理と判断。替わりに、セビョンガンまで行くと、前に歴史展示館なるものがあったので、そこへ入った。デジタル技術を活かして、秀吉軍撃退の様子の紹介。なかなか、勉強になるだけではなく、デジタル映像を楽しむことにもなった。セビョンガンに入るのは有料になっていた。周りの環境も整えられ、立派な観光地になっていた。以前にも行っているが、この町一の観光名所は外せなかったな。最後に、もう一度、中央市場を歩き、バスターミナルへ。Naverが、旧のバスターミナルを示したため、バスの乗り換えになってしまったが、無事、到着。昨日調べておいた、釜山ダイレクトに乗り移動。1時間25分が所要時間。バスの中で眠っていて、目が覚めたら、キメ(金海)だったのには、正直、驚いた。午後3時前にササン(沙上)到着だったので、迷わず、クッチェシジャン(国際市場)まで行くバスに乗り、行ったのは、待望の釜山近代・現代歴史博物館。2年前だったか、ナンポドン(南浦洞)で宿をとったとき、せっかく近くにいるのだからと行ったことがあるのだが、そのときは、リニューアル工中だったので、ようやく行けたわけだ。特別展として、戦後の釜山で、商業写真を撮っていた方の回顧展として、その作品を並べるとともに、同時代の釜山の様子を紹介するというものがあった。撮影現場再現というコーナーもあり、当時のカメラは、感光度がよくないものだから、美しく撮るたむの光の集め方、苦労しただろうなと思わせられた。常設展で興味を惹いたのは、釜山という町の変化。展示では、「釜山の近代は日本統治で生まれたもの」と断言。その発展の様子をアニメーションで説明してくれるものだから、もう釘付けにされてしまった。トンネ(東來)から、今の先端部への中心の移行。それは、埋め立てとともに進展していったようだ。ヨンド(影島)に橋が架かり、釜山港が整備され、トラムまで走らせていた。確かに、日本主導の近代化だったが、それは、収奪のためのもの、その後の大陸進行を支える兵站基地でしかなかったという押さえ、大事な押さえです。かなり、詳細に、街の構造も確認が進んでいるようです。どこに誰が住み、どのような商売をしてたか。それをCG化する作業も進み、その映像に囲まれると、実際、街を歩く雰囲気を味わえます。パネルと文献資料、遺物では感じることのできないものを、こういったデジタル技術を使った展示は見せてくれるが、その根本には史料に順じた街の再現作業も行われているのでしょう。戦後に入ると、経済発展の基になる港、そこを利用するものの出入りの中心としての釜山が説かれるのだが、1983年の釜山を生体験しているものだから、ちょっとスピードが早すぎはしないかとも思ったのだが、釜山は、抜けていたのかもしれないなとも思った。解りやすい、観ようかなにさせる展示が続き、飽きさせない魅力のある展示だったと思った。この博物館から予約していたホテルは、徒歩圏内。今回は、釜山駅とチュンアンドン(中央洞)の間で1つ目、2つ目は、ナンポドン(南浦洞)で予約を入れてあったのだ。

(本日の食事)
 昨夜のこともあり、朝はコンビニ食と覚悟していたのだが、ふと、予約していたホテルを探している途中に、頃合いのシクタンの前を通ったことを思い出し、まず。そこへ行くと、なんと、そのお店、午前6時から開けていた。即決。クッパ中心の店だったが、それ以外のものもあった。「コンナムル・へジャンク」がそれ。へジャンクは、ウルサンで食べてたけど、「コンナムル、、、」を見るのが久しぶりだったので、注文。薄味が、とっても美味。おまけに、へにゃけないもやし、このシャキシャキ感がたまらなかった。夕食は、この店に行きたいから、ナンポドンに宿を取ったようなもの。某Youtuberが紹介していたので知った「プサン・デパート地下食堂街」。こんな華やかな街に、こんなローカル感の滲む食堂街がというので、行ってみたくなったのだ。注文したのは「トゥルチギ」。甘めの効いたヤンニョムで豚肉を炒めたもの。チェユックとの違いが、実際、食してみて判らなかった。チシャの葉、シソの葉も出てきて、生にんにくも、一緒に巻いて食べる。もう、絶品だけど、スンチョンでチェユック・ポックムを注文したときも、こんな味だったし、あのときは、チシャとともに白菜も、巻く用に出てきたことで、違いを考えてしまった。第一、先日、釜山駅前のシクタンで食べた「テジプルコギ」とも似ている。こちらとは、味が、若干、異なる。今日の方が、甘みが強いのだ。そんなで、呼称について微妙なことを考えてしまったが、そんなことより、美味かった、めっちゃ。そして、パンチャンが半端な量じゃなかった。今どきじゃない量だった。お汁は、もろにテンジャンチゲが出てきたのには、ホント、驚いたなぁ。


2025年 6月 23日(月)テグ(大邱)~マサン/チャンゴン(馬山/昌原)~トンヨン(統営)

 大雨が通過後は、気温上昇の著しい韓国。でも、去年と違って、乾燥しているので、あまり疲労感が出ない。これはありがたい。今日は、今回の旅行で、最長の移動。テグ(大邱)から、マサン(馬山)経由でトンヨン(統営)まで移動した。まず、マサンまでは、トンテグ(東大邱)駅からKTXで移動。本数が少ないからか、黄紺の乗った車両は満席。約1時間10分で、マサン到着。バスの乗り換えで、2回だけ、来たことがある町。今は、合併して、チャンゴン(昌原)という名にはなっているが、今回は、マサン地区を、少し歩いてからトンヨンに向かった。駅前からバスに乗り訪ねたのはマサン・オ・シジャン(魚市場)。すぐ裏手がマサン港だということで、チャガルチのような姿を期待してのチョイスだったが、普通の市場だった。が、スケールはかなりのもの。せっかくなので、海も観に行ったが、ホント、島々の奥に港がある姿が判り、この町の発展が判ったような気になった。海と反対側に、チャンドン(倉洞)芸術村があるというので行ってみた。ここがヒットだった。いわゆる「壁画村」ではないが、狙いは同じで、ゲジェコンドゥ的地域の活性化を図るもの。ここは、民家を改装し、アトリエが並ぶ、こじゃれた店に改造してた。小さなホ-ルまであり、そこには、「ダウンタウンの再生事業」と認められてあった。これは凄いと思ったな、壁画村が、各地に生まれたのも、この狙いだと、言葉で書かれており、それが成し遂げられてる姿に凄いと思ったのだった。そして、その地域の側のバス停からマサン南部ターミナルまで移動。そこからバスでトンヨンまで移動。今回、下調べで、一番、手がかかったのがマサンだったのだが、この南部ターミナルからトンヨンへ行ける、そこまでの途中に、マサン旧市街地で歩くところを見つけることができたのが、最大のヒットだと思っている。トンヨンは、ほぼ30年ぶりになる。前回は、釜山から船でトンヨン入りした。今回は、入るのがバスでなものだから、出るのは船という可能性も考えていたが、統営港旅客船ターミナルに行ってみると、およそ、その雰囲気が感じられず、あっさりと撤回した。バスターミナルは、かなり郊外へと移動した模様。街中に移動するときには、海沿いも走る。道に沿って、マンションが並ぶ。オ-シャンビュ-の、まことに結構なロケーション。韓国に住むならここだなと、夢のようなことを考えていた。バスは、中央市場前の停留所で降りる。ローカル度という点では、高得点を得そうな雰囲気。背後が、トンヨンの街に食い込む湾。それに面した通りには、今も「キンパプ」の店が多い。もちろん、頭に「チュンム(忠武)」の名がついている。前回来たときは、朝食にそれを食べた。そして、二度と食べないと決めた。ご飯に海苔を巻いただけで、名物にされちゃ、たまったものではないと思ったからだ。今回は、だから、いい店が見つからなくても、コンビニ食にしようとも、食べないと決めており、それを貫くつもりだ。海岸沿いを歩き、ナマンサン(南望山)に向かう。上からの展望を期待してのもの。だけど、山道を歩き出すと、木が多いのが気になったので、上に上がっても、展望は期待薄と考え、中腹の見晴らしのいいところで、休憩&写真撮影。それに夢中になっていて、側に置いたスマホを置いたまま、立ち去ってしまった。少し歩き出すと、下から「アジョシ!」の声がしたので戻る。置き忘れていたスマホを見つけたアジュマが叫んでくれたのだった。命拾いだった。山の上は、予想通り、展望はダメ。むしろ、山の中腹から伸びた橋、湾の出口に架けられた橋の上からの景色が良かった。あとは、宿探しをしながら、併せて、海岸沿いを歩くことができた。予約していた宿、部屋によってはオ-シャンビュ-。残念ながら当たりませんでした。

(本日の食事)
 朝は、昨夜と同じところで食べるつもりで出かけたら、見事に、全店がカパル。そこで、地上に出て、少し歩くと、まさか、開けている店があった。クッパがメ-ンのお店だったが、今回、釜山で食べてたので、もう一つのメ-ン、麺類から、名前を聞いて判らないものを選んだ。「マッククス」。ピビンマッククスがあったが、何もなしの方を注文すると、「お汁のやつ?」的なことを尋ねられた。一応の確認だろう。そしたら出てきたのが、ぱっと見、ネンミョンだった。みぞれ状の氷が入ったあれ、です。お味もネンミョンのあれ。違ったのか麺、日本のおそばの色、感触だった。ただ量が凄い。夜は、困った。前回、トンヨンに来たときのように、シジャンへ行けば良かったのだが、それに気づいたのは、食べてから。とにかく、シクタンがあっても、一人飯が無理そうなところばかり。ようやく、ククスをメ-ンにする店があった。だけど、朝、食べたとこ。そこで、唯一、例外的にあった「キムチチゲ」を注文。すると、ほぼ辛くないものが出てきた。キムチは、たっぷり入ってるのに。おまけに、薄らとトマト味らしきものを感じた。びっくりしたな、ホント。そないな珍なるものも食べたということです。


2025年 6月 22日(日)ウルサン(蔚山)~テグ(大邱)

 今日も、電車移動。昨日の電車移動は、JRの快速に乗る感じで、カ-ドを使ってのものだったが、今日は、予め買ってある切符で、全席指定。これは、前回、旧ウルサン駅がテファガン(太和江)駅として生きているということで、テファガンからプジョン(釜田)まで乗ったのだが、そのとき、テファガンからトンテグ(東大邱)行きが出てることを知ったので、今回は、それに乗ることを、一つの狙いにしていた。そして、今日も、出発前、行き先ボ-ド、到着ボ-ドを見ていると、完全に、東海岸沿いが開通しており、カンヌン(江陵)行きがあり、更に、驚いたのは、チョニャンニ(清涼里)行きまであった。しかも、KTX。こうした電車に乗りに、また、ウルサン入りせねばなりません。テファガンからトンテグは、1時間20分もしないで、到着。駅前からバスを乗り継ぎ行った先は、テグ美術館。特別展とコレクション展を、ともに観ることができた。テグでは、幾つか、行き先候補があったが、まず、こちらへ行こうとした。行き当たりばったりではなく、展覧会の概要は、事前に調べてあった。特別展は「ショーン·スカリー:水平と垂直」。ショ-ン・スカリ-は知らなかった作家だけど、キャンパスの面割りが、ほとんどという作風。なかなか難解どころではない作品群。そういった作品ばかりが並ぶから、ある意味では異様な展覧会でもある。時々、作家のメッセージが、キャプション替わりかのように、掲示されているが、英語表記のものを読めても、理解できないというやつで、まるで、禅問答のような内容だったので、助けになるどころか、余計に混乱するばかり。一つ大事なこととしてメモらねばならないのは、「The Horizontal」というタ-ムを「水平線」イメージで使ってのものだということ。じゃ、「The Vertical」の方は何かというと、それは見つけることができなかった。自分の力量だとは思うけど。格子状に描かれた作品もあるが、多くは、横線中心で、縦線が混じるという描き方だったが、徐々に気になり出したのは、同じような横線(水平線)を描きながら、「この人、色彩を選んでいる」ということ。更に、面白いことに気づいたのだが、同じ格子状の作品を色違いで、3つ、縦に並べた作品。これ、照明のかげんもあるのか、上から下にかけて、3D感が出てくる。ここも色彩だ。だから、幾何学的な描き方を通じて、色彩にメッセージを込めた作品群と看たのだけど、それで、どうなの?と、そこで立ち往生してしまった。2階では、この美術館のコレクション展だった。1920年代から10年ずつの区切りを入れての展示。一番印象に残ったのは、西洋絵画なんかが入っていてもいい時代の朝鮮独自の絵画って?というのが、以前から気になっていたことだったので、それに出逢えたのはラッキーだった。展示されていたのは、中国絵画の伝統を受け継いだ水墨画だった。山水に草木を描いたものという風ものが多かったが、その中で目に付いたのは、山水で、下部に橋を渡る人を小さく描き、その傍らの木を、勢いをつけ描き、それが、中上部の山裾に連なるもので、とっても、自然に観ることができ、なかなか山水で経験できない印象を持った。洋画の中で、えらく目立つ女性の像を描いたものがあった。あまりにも垢抜けた顔立ち、服装に姿態、作家の視野が、どこにあるのか、1930年代ものだったかな、それも混乱を招く要素だった。同じフロアに、木版画の佳品があった。戦後も含めて、具象画の多くは写実を追求したもの、デフォルメが認められても、作家の脳裏から、写実世界が抜けない的な作品が多いなか、その作品は、集団の個々人の思いつめた何かがあるようで、それに、作家も共感しているかのように感じさせるパワーがあった。こうした作品が少なかったのを選んで展示したか、何やら時代の雰囲気があったのか、全体を通じて、そんなことを思ってしまった。韓国の作品と言えば、現代アートの佳品を観る機会はあっても、近代絵画、現代アートでない戦後の作品を観る機会が、初めてであったこともあり、結構な戸惑いもあった。機会を作って、また、接することにしましょう。新しめの日本の美術館同様、えらくいい環境にあるテグ美術館、アクセスには、時間がかかった。ただ、帰路、地下鉄駅からは、そんなに遠くないことが判り、ホッとした。その地下鉄に乗り、一本での移動。次の行き先は内唐(ネダン)駅だった。徒歩で移動できる範囲に、トゥリュ(頭流)壁画村があるというので、テグにもあるなら観に行こうと探してみたが、Naverには、その名は入っているのだが、そこへ行っても見つけられなかった。しばし、Naverに出ている地域を歩いてみると、いい壁がある、幾つも。そして、その表面は、いずれも、あまり時間が経っているとは思えない状態で、薄いクリーム色で被われていた。多分だが、壁画の上塗りしたのでしょう。理由は判らないが。場所は、テグ・タワー(83タワー)の近く。ここも、ゲジェコンドゥのような地域。せっかく、知らない区域に来たということで、近くに見つけてあったサンダン(聖堂)市場に行ってみた。日曜日なのに、平常と変わらない営業。ただ、いかんせん、小ぶりのシジャン。物足りないと思ったので、もう一つ、シジャンを目指した。予約していた宿まで徒歩移動のできる位置にあるチルソン(七星)市場へ行くことにした。便利なことに、バス一本で行けた。でも、こちらは日曜日で、ほぼ休みだったが、風情はなかなかのものを感じた。しかも、川沿いに伸びている。これは要チェックのシジャンです。次回のお楽しみができたな。

(本日の食事)
 ホテルの向かいのシクタンというよりか、プンシクと言った方がいいかという店が開けていた。前に来たとき、この店が開けてたらいいなと思っていたのだが、前回はダメで、今回は大丈夫だった。後で判ったのだが、この店、夜通し開けていて、今回は、店じまいをする直前だったようだ。麺類が多いメニューに、ご飯ものとして、ピビンバがあったので、実に久しぶりに、ピビンバを食べた。もう、安定の美味さだ。夜は、宿近くにシクタンはあっても、やってない。たたんでしまってるかもしれないね、韓国、そうした店が多いからね。仕方なく、テグ駅の地下街狙いで行くと、小ぶりの、いかにも忙しなく動く人たち目当ての店に入り、「トゥンシムトンカス」を注文。トンカスを出す店を選んだ。ただ「トゥンシム」の意味が判らない。出てきたものから判断すると、豆が2種類とポテトが少しついてたのが違った。カツ自体もそうだったが、あまりいい出来ではなかったな。


2025年 6月 21日(土)プサン(釜山)~ウルサン(蔚山)

 今日は、大雨情報に振り回された一日。朝起きると、全くの曇天。いつ降り出しても、おかしくない。その日に、降られては困る予定を入れていた。だから、常に逃げられることを考え、無理しないをモットーに出かけた。まず、地下鉄でキョデ(教大)駅まで行き、東海線に乗り換え、オシリアまで乗った。同じような観光客が、ほぼいなかったので安心してたら、ここから乗るバスが来ると、非東洋系観光客が乗っていた。釜山中心部から、ずっとバスに乗ってきた連中だ。行き先はヘドンヨングンサ(海東龍宮寺)。近頃、一段と人気の観光地だ。実際、寺の入口に着くと、雨のこと知ってるのかと思うほどの人の多さ。コ-スを作り、人の流れまで作らねばならないほどの人の出だった。運悪く、バス停から歩き出したところで、雨が降り出した。この時点の雨はたいしたことはないということを知らなかったため、慌てた。海辺の寺なものだから、見所を駆け足で回り、早々に退散。キジャン(機張)行きのバスに乗る。当初の予定では、キジャンまでの間にある、最近流行りのヘニョチョン(海女村)に寄るつもりだった。単純往復でも、20分以上かかると、Naberは教えてくれたので、入口のバス停留所で躊躇はしたが、断念。テチョン(大川)港のように見えたので、それで満足することにした。キジャンでは、これまた、最近、話題に上がることの多い、海産物を扱うキジャン・シジャン(市場)に、バスは横付け。確かに、活気のある海産物の売り場や、ビルのワンフロア全体が海産物売りが集まっていたりと、らしいものは満載だけど、市場の規模は、さほど大きなものではなかった。ちょっと盛り過ぎの印象を持ってしまったな。キジャンでは狙いはここだけだったので、駅周辺を、ぐるりと回り、キジャン駅へ行き、再び、テファガン(太和江)行きに乗る。7ヶ月ぶりのウルサン(蔚山)。ここも、雨が頭にあるため、安全を期してウルサン博物館を選択。特別展の端境期のうえ、産業を扱う常設展も工事中ということで、歴史分野の常設展だけを観ることになった。英語表記のキャプションは読み、ちょっとくらいは理解して観る。各セクションの展示物が多く、それらに、個々のキャプションはなく、どんぶりでのキャプションは助かる。新しい展示の仕方かもしれない。各時代を追っての展示。ウルサンという地域、韓国語読みは覚えてないが、「彦陽」と呼ばれていた地域とが合体したのが、現ウルサンになるそうだ。高麗時代だったかな、鐘の形をした舎利器に驚かされたり、青磁もまとめて展示されていた。そういう中で、一番の収穫は、ソセンボウェソン(西生浦倭城)のジオラマ。初めて全体像を知りました。海岸沿いに造られた、ほとんど海城と言えるもの。そこから城壁が伸び、小高い丘を包む。その丘の上に、櫓や天守があった。だから、以前、ここを訪れたときは、その丘に行ったことになるということが判ったのだ。バスの通過した道も見当がついた。かなり、将来を意識して、子どもたちをターゲットにした展示やスペースもある博物館だった。少し時間的にゆとりがあったので、隣にあるウルサン大公園に寄ってみた。地図で見ると、広大な敷地。それだけでそそられたが、東門を入ったところのスペースが、えらく俗っぽく、先へ行く気をなくし、近くのベンチに座り、しばし休憩の場として利用されてもらっただけだった。そして、気になっていた市外バスターミナル裏、西側の区域が、果たして、最初にウルサン入りしたときに見つけた盛り場区域かの確認に行くことにした。その思惑は当たりだった。このおかげで、記憶に残るウルサンの地図と今のウルサンが重なった。ウルサンは、現在の韓国の地方都市で、唯一と言っていいくらい、活気を持続している町という自分的認識の確認にもなった。さすが、ヒョンデ(現代)財閥の城下町だ。

(本日の食事)
 釜山駅界隈で開けている店を探した結果、東横イン界隈で開けていた店が1軒だけあった。そこで、「スンデ・クッパ」を注文。メニューには「肉+スンデ」とあったが、スンデは2個だけで、ほぼ豚肉で、ちょろっとネジャンが入っていた。味は悪くないが、スンデを待ち構えていた口は、ちょっと寂しかったな。夜は、これを狙いにウルサン入りした「ソンジ・ヘジャンク」。一口目で、味が濃いのに、あれれとなり、そのあれれが、最後まで続いてしまった。普通のお味になってしまったという印象。ま、あるある話と言えば、それまでだけどね。


2025年 6月 20日(金)大阪~プサン(釜山)

 今日から、今年2回目となる韓国旅行。今回は、釜山イン&アウトで、飛行機を押さえた。ところが、着いて早々に、トラブル発生。この間、ずっと使ってたsimが作動しなかったのだ。そうした話を聞くこともあるので、ここまで大丈夫だったメーカーのものを使ってたのに、ここに来て、ダメだった。最後は、設定画面のスクショを送ってくれとまで、トラブル発生時の対応には書かれていたが、その回答が、いつ返ってくるか判らないので、その時点で諦め、空港で売っているsimを買った。セットアップをしてくれているのを見てて、かなり苦労してたという印象。もう、自分のスマホが対応しなくなってるかと、その様子を見て思った。帰国したら、新しいスマホに買い替えねばなりません。かなりの時間的ロスを、空港でやらかしてしまったが、予定していたことを実行。空港からバスに乗り、釜山現代美術館に横付け。「Seeing with Ten Fingers」「busan MoCA Collection_Chan Sook Choi: Myitkyina」が企画展のテーマ。前者は、人間の感覚を、視覚は目、聴覚は耳としているようなことを対象化、相対化しようとの試みだったが、実際の展示では、なかなか難解で、かなりお手上げだった。現代アートあるあると言えば、そういうことなのだが。映像に撮ったパフォーマンスに、目隠しをして、脚立に上がり、ガラクタと言えるものを、身体にくくりつけ、そのあと、それらを引きずりながら歩き、最後は、全てを脱ぎ去るというものがあったが、なんとなく、らしい感じがしたが、視覚のずれを印象づける映像作品や、人と動物、男と女の境界を曖昧にして、我々の感性を混乱させたりするものがあった。恐らく、この展示の関連企画だと思うのだが、映像作品の上映会があり、日本のドキュメンタリー作品が出るというので行ってみた。視覚障害者が映画を観るというものだったので、行こうとしたのだが、全編、韓国語吹き替えだったので、早々に退散するハメに。今一つのコレクション展は、お題に記された映像作品。内容は、ミャンマー人慰安婦から聴き取ったものを、日本人、韓国人はいたかな? 白人の女性が、語りで演じるというもの。背後に、抽象的な映像が流れるのだけど、字幕に出てくる英語を読むのに必死で、背後のスクリーンには、なかなか目が行かなかったな。それらと、恐らく、これも展示じゃないかと思ったのは、階段の壁、美術館の外壁、但し、いずれも透明箇所にのみ書かれた「落書き」。多くはハングル表記なので解らなかったが、英語表記のものには、特別なメッセージはなかったように思うのだけど、、、。現代アートの美術館は、何が出てくるのか判らないのが魅力。また、釜山に来れば、行きましょう。もう、午後4時近くになっていたが、うまく閉館時間前に、臨時首都記念館に行くことができた。行き方は、美術館前からバスに乗り、ハダン(下端)駅まで移動、地下鉄に乗り換え、トソン(土城)まで行き、そこから歩きだった。臨時首都記念館では、半分の区域は改修中のようで、建物は1つ、入れただけだった。中は博物館になっており、朝鮮戦争時の人の移動、生活、及び、再生に寄与した文化活動が展示されていた。そんなで、短時間要しただけだったので、近くにあるはずのタッパッコル壁画村・所望階段に行った。韓国らしい民家の壁画ア-トで、有名なところ。バスで行くと、うまい具合に、最上部につけてくれた。それこそ、ゲジェコンドゥのような地域の活入れなんかなぁ。そういう地域の活性化を考えての仕掛けに、感心するばかり。規模的には、思ってたほどは広くない。ホント、民家と民家の狭い路地を歩かねばなりません。この地域って、釜山駅から見て、山側にあるトンネルを抜けたところだったので、釜山駅へのバス移動は、とっても呆気ないもの。今日は、うまい具合に、釜山駅近くの宿を押さえてあったのです。

(本日の食事)
 関空で、パンを食べただけで、あとは、釜山駅界隈で夕食。狙いは、中華街際のお店。ところが、多分、そう信じたいのだが、改装中。潰れだったら、嫌だよ! そこで、近くにあり、気になっていたシクタンに行く。「テジプルコギ・ペッパン」を注文。びっくりしたなぁ。たっぷり入ったパンチャン6皿、めっちゃめちゃたっぷりの豚焼き肉、それにお汁で、8千ウォンだった。釜山駅の真ん前で、マジかよという量に値段にお味。最高!


2025年 6月 19日(木)午後 8時 45分

 明日から韓国旅行を控えた今日は、お出かけは控えて、準備に当たった。と言っても、荷造りと、最終点検かなくらいの気で、呑気に構えていたら、銀行に行かねばならないことができてしまった。明日からいないので、今日中に片付けておこうと思い、当の銀行に行くと、結構、時間がかかった。その前には、溜まった洗濯物を片付けるという作業もやらねばならなかったしと、朝から汗を、たっぷりとかいた。なんせ、真夏の気温だから、ちょっと動いただけで、汗だく。疲労も溜まる。今日は、前日だから、身体休めもあり、出かけないんだけどと思っても、ダメだったな。銀行に行ったついでに、明日の朝、関空で食べる朝食用のパンを買いにマートも寄った。そして、そのまま、洗濯物の取り入れ、ついでに、荷造りまでしてしまった。だって、汗だくついでに、汗をかくことを仕上げたかった。午後の一時は、ぐったりで、Youtubeで韓国系の動画を観ようとしたが、かなり寝落ちしてしまってた。そりゃ、疲れすぎに、クーラーはあかん。寝て下さいと言わんばかりの設えだ。で、ようやく、最終チェックに入って、あれれとなった。チェック表を作ってあるので、毎回、海外用を観ることにしてある。ちなみに、国内用のチェック表も作ってある。その海外用の項目に、「韓国の入国方法チェック」とある。先日も確認したのだが、一応、「最終」なので、もう1回、オンラインで、その旨放り込み、検索してみると、あれれだったのだ。この前、出てこなかったよ、いえいえ、3月に出ててもいいはずなのに、同様の検索したとき出てこなかった。というのは、EDカードをオンラインで作れるのだ。それで判った。前回の往きのチョンジュ(清州)便の機内で、紙のEDカードをもらう人が少なすぎたわけが。あのコロナ禍で生まれた事前登録システムが行き届いてるのかと思った。黄紺のものは、期限切れとなり、更新を求める連絡もいただいたのだが、あれ、日本円で千円程かかる、要するに有料なんだよね。一方で、期限付きだけど、そのシステムが免除となったので、ならば、面倒だけど、千円払うより、面倒さを取ろうと、期限切れ以後は、毎回、昔のように機内で書くことにしていた。今回も、そのつもりだったのが、新たなシステムが、今年の2月に生まれたとか、そして、こちらは無料。ならば、やらねばということで、やりました。前の事前登録システムと似た情報を入れるのだけど、今度のシステム、AIくんが進化してた。パスポートの写真入り画面を画像として送付すると、そっから個人情報を読み取り、こちらが記入しなくてもよくなっていた。賢いわ、ホント! この登録システム、一番面倒なのが、自分で撮るパスポートの写真。光を反射して、とにかく撮りにくい。前は、かなり苦しんだ。なんせ、有料で、ダメとされれば、再申請だったのですから。だけど、今回は、2回目の撮影で、めっちゃクリアな写真、画面が光ってない写真が撮れた。そんなことをしてると、夕方のウォーキングにしわ寄せ。でも、午前中だけで、ジャスト1万歩になってたので、少なくていいのです。16100歩余と、万歩計は示しているから、上出来の調整だ。


2025年 6月 19日(木)午前 6時 20分

 韓国旅行が迫って来た。ここに来て、ちょっと様相が変わって来た。先日まで、気温が低く、雨が続くといった天気から、一転して、梅雨明けの様相。強い陽射し、高温と、真夏に入ってしまってる。週間天気予報を見ても、晴れが続く。これは、全くの想定外。当初は、去年同様、7月に入ってから行くつもりだったのが、航空運賃の関係で、6月に入れた。真夏の暑さはないだろうが、替わりに雨が心配だった。特に、去年、最終の夜、寝ている間に線状降水帯が発生して、朝には、雨は小ぶりだったが、地盤が緩んでるかもしれないと、列車は徐行運転。おかげで、ゆとりのあるはずだったテジョンが忙しなくなり、帰国直前の昼食が、コンビニのサンドイッチに化けてしまったという苦い思い出がある。それを心配してたら、一転して、苦手な暑さに負けそうな気配になってしまった。大丈夫かなぁ。一挙に、活動が鈍くなりそうだ。
 昨日は、午後に市民向け公開講演会の予約が入っていた。滋賀県の文化講座「花湖さんの打出のコヅチ」のあった日。昼食は、晴れてたら、毎度狙いにしている琵琶湖湖畔でパンをかじるができるということで、それに合わせてのタイムスケジュールを組み、午前中は、短めのウォーキング。1時間余のウォーキングをしただけで、着替えねばならない季節に入った。クーラーもかけるようになっている。毎年、6月のどこかで、そうした日が訪れるのだが、こないにはっきりと替わり目があったって、そうはないだろうという、大きな変化だ。で、講演会は、「湖国の文化財建造物~新県指定と近年の保存修理状況~」というお題で、滋賀県文化財保護課の坪田叡伴さんと佐々木悠貴さんが、「指定」と「修理」を分担してお話された。滋賀県は、京都、奈良に次いで文化財の多い県。だから、毎年、こういったテーマが取り上げられる。前者は、野洲市の兵主(ひょうず)神社。近世の築造だ。その特徴を4点、挙げられていた。①本殿が、県内に多い流造ではなく、切妻造。前者は、前部に屋根がせり出しているが。要するに参詣者をも屋根がカバーできるようになっているが、切妻造は、それがないというもの。全国的にも少数派だそうだ。そして、規模の大きな一間社。柱間に他の柱がない社だが、その間が、異様に広い。全国的にも最大級だそうだ。②技術的にも意匠的にも質の高い建築物。要所に残る装飾が優れものだと言われていた。③中世から近世への過渡的な技法を使っている。屋根のことを言われていた記憶だけがあり、この辺から寝落ち。④大工棟梁谷川家(長谷川家)の代表的な作品、ここも記憶なし。ということで。早々に寝落ち。後半の修理も完落ちだったので、こちらは、対象物だけメモっておく。大津市内の不動寺本堂だった。


2025年 6月 18日(水)午前 7時 28分

 昨日は、午後に美術館に行った火曜日。午前中は、全く、お出かけなしのパターンだけど、お出かけ先が京都駅ということで、帰りは徒歩移動となるということで、セーヴを心がけての、午前中のウォーキングだったが、気が付くと、ほぼほぼ7千歩、歩いてた。これは、まずいと思ったけど、昨日の、真夏の気温上昇があったにも拘わらず、その美術展からの帰りの徒歩移動、何の障りもなく完遂。調子が良かったみたい。帰宅後、万歩計を見ると18600歩余とは、こちらも優秀。
 行き先は美術館「えき」KYOTO。決して広いとは言えない美術展だけに、却って、超大家とまではいかない作家の回顧展なんかを観ることができる、貴重な美術館と思っている。今回は「没後40年 鴨居玲展 見えないものを描く」というもの。鴨居玲は、京セラ美術館などのコレクション展で、何点か、作品は観たことがある程度、それをまとめて観ることができるということで、即決で前売券が買ってあった。作品は、鴨居玲の支援者でもあったコレクションを集めた笠間日動美術館のコレクションを中心に、長崎、石川、広島の美術館からも作品が来ていました。展示は、6つのパートに分けられていた。冒頭の第1章が、後から考えると、分類不可能で、後のパートの作品に比べて異色の作品が並んでたような気がした。「モティーフの模索と選択」とお題が付いていた。このパートでは、正直、正体不明という印象。「赤い髪」は、女性の後ろ姿かと思いきや、石の積み重ねに女性の髪がたなびくというもの。シュールレアリスムの臭いがしたかと思うと、「時計」のキャプションには、アンフォルメルの影響下と書かれてはあるが、ロールシャッハの絵のようで、なんかの抽象画のようでもありかと思うと、しっかりとしたデッサンを見せるが、全体としては粗削りなままの「太鼓」「御陣乗太鼓」がある。「群がる」では、手が人格を表しているように見える絵があったり、変質狂的な表情を見せる男どもの表情だけが、異様にリアルだったりする「サイコロ」のような作品が出てくるといった具合。各々のキャプションを読むと、内面の追求の表象であるかのような小難しいことが書かれてあり、一層の困惑しか出てこなかった。そういったキャプションの記述に呼応したかのように、第2章では「自画像」となっていた。口から蛆が出てきている「蛾」とか、キリコばりのマネキン頭の人物が首を持つ「肖像」などというものもあったが、あとの自画像は、結構、スタイリッシュで、髪をメッシュにしてあったりと、自分探しとともに、そういった自分を顕示するかのように思える作品がならんだが、いずれの顔も、口を半開きにしている。その心はと、気になってしまった。そういった作品の中で、一番の大作が「1982年 私」。キャンパスの前に佇む私、クールベの「画家のアトリエ」を思い出す作品。ここでも宙を見つめる「私」が大きなキャンバスの前に座り、それを眺める人々という構図だが、深刻そうな周りの人たちに比べると、彷徨するかにょうな顔立ちの「私」、なんか読み解けない。「内面の追求」的な書き方が、キャプションに続くので、そして、晩年のことの書き方が曖昧にされていたように感じたので、帰宅後調べてみると、鴨居玲って、最後、自死をしてた。病気と制作の行き詰まりからと出ていた。それで、キャプションでの記述の曖昧さが、ようやく判った。ハイライトは、「私の村の酔っぱらい」という章立てのコーナー。この人、スペインに滞在して、村の人たちを描き続けた時期があったそうなんだが、ここに出て来る作品が、ホント、いい。描かれている男は、どれも、村の爺さん。それが酔っぱらっている。道化のように見えてくる。その二面性、両義性を、表そうとしたのか? 可能性はあるかも? 遠藤周作の「沈黙」にインスパイアされたと書かれてあった「私の話を聞いてくれ」も酔っ払いなのか? 無宗教だと公言していた鴨居玲は、「沈黙」を、どのように捉えたのか? 欺瞞と看たのか、それを酔いの上で告白でもしているのでしょうか? 男のポーズが独特なだけに、印象に強く残る作品。これが大部な作品なのだが、その横にも、同じ大部な「廃兵」があった。キャプションには、傷痍軍人の記憶と重なる的なことが書かれていたが、鴨居玲の戦争体験と重なるということなのでしょうか? 1925年生まれだから、すかしては通れないはずです。その目立つ2点もいいけど、やっぱと、道化を思わせる爺さんの酔っ払いの絵に眼は行ってしまう。石川県立美術館所蔵の「酔って候」を最高傑作と看た、もちろん自分的にだが。「女性像」というのが、次の章立てで、えらく雰囲気が変わる。裸像、着衣の女性と、いろいろと出ていたが、前の酔っ払いの強烈な印象が強いのか、平凡に観えてしまう。そういったなか、2点、気になった。このコーナーの秀逸は、それは、このコーナーでは異色作なのだが、朝鮮人女性がアリランを熱唱する「望郷を歌う(故高英洋に)」の圧倒的熱量に惹かれた。それとクールな「恋人達(B)」。窓を、一切省いた教会の前で抱き合う男女像を描いたもの。このあとの章立てと関連するのだが、敢えて、教会を無機質に描いている。その前の男女の熱量との差異が際立つのが見せます。そういった教会の描き方は、もっともっとあるというのが、次なる章立て「教会」。スペイン滞在経験のある鴨居玲だから、いやというほどカトリック教会を観てきているはずだが、描かれた教会は、宙に浮いていたり、傾いていたり、教会の上に宙に浮いた巨石を描いたりしたものばかり。その心を問われた鴨居玲は、「自分は無宗教だから」と答えたという。逆に、アプリオリに教会のある世界を観てきたことの違和感を描いたのでしょうね。奥まったコーナーが作られており、「弥縫録」という章立てになっていた。陳舜臣の著作に描いたカット集だった。全体として振り返ると、「自画像」コーナーから、ぐいぐいと引き付けられていったことは間違いない。「酔っ払い」は、確かにピークで、いやピーク過ぎるから、その後の作品制作に苦しんだのかもしれませんね。


2025年 6月 16日(月)午後 8時 16分

 今日は、前代未聞の失態をしでかした日。昨日に続けて、上映開始時間が5分の違いだけのUPLINK京都での映画に行く日だった。だが、家を出たとき、何気に時間を見て、唖然。あと2分で、上映開始時間だったのだ。要するに、出かける時間を、1時間間違って、設定してしまってたのだ。毎朝、その日の予定の確認。今日だと映画なんで、その時点で、オンラインでチケットも買ってしまい、電車の時間、また、昼食を、どうするかも、そこで考える。あとで考えると、出かける電車の検索までは間違っていないのに、出かけるためにアラーム設定を、1時間間違った。でも、家を出て時計を見る瞬間まで、1時間ずれていることに気が付かなかった。完全に、おかしい。その段階で気づくのだったら、それまでに、気づく機会は、何度もあったはずだ。確かに、1度、今日は、時間に余裕があるなとは感じ、そこで間違いに気づかず、じゃ、この余裕のある時間の使い方を考えるという方向へと流れてしまった。なんと、普段しない、1坪程の庭の草刈りをやってしまってた。なんか、これって、異様だよ! まるまる、チケット代はボツ、サイテーだ。もう、その映画は観るのも不愉快、というか、韓国旅行が控えているから、出発前日に行かない限り、観れないだろう。クウォン・サンユ主演、チェ・ジウまで出る映画だから、楽しみにしてたのに。こんなことになるんだと、昨日は、インド映画でなく、こっちにしとけば良かったと思っても、完全に後の祭り。日曜日は、こっちの方が混むと思ったので、今日に回したんだよね。
 それで、完全にやる気をなくし、呆然と、Youtubeの動画を、半寝で観ていた。やる気なしの、どうしようもない落ち込みだった。午後の遅くになり、ようやく気を取り直して、韓国旅行の準備で残ってたことをやったことぐらいが、前向きなことだったかな。後遺症が大きいな。


2025年 6月 16日(月)午前 6時 24分

 昨日は、昼間に映画に行った日曜日。普段は、日曜日の映画館は混むだろうということで行かないんだけど、韓国旅行が迫ってきているので、映画に行ける日が限られているということで、敢えて、日曜日を選んだ。場所はUPLINK京都、上映開始が午後0時。おまけに、日曜日だから、午前10時までは「日曜美術館」がある。昨日は、旧作の再放送だったが、後半15分の「アートシーン」は外せないから、新作が出なくとも、10時までは動けない。これは窮屈。食糧調達に行かねばならない、映画の前には昼食も摂りたい、そんなで、窮屈だったけど、なんとか詰め込んだ。天気の方は、映画を観ている間に降った程度だったが、ずっと曇り空。傘を持ってのお出かけとなった。帰りは、ウォーキングがてら、超迂回コースを採り、買い出しの補充もしてのという風に頑張ったが、帰宅後、万歩計を見ると13800歩余だった。仕方のない数字です。
 映画は、またしてもインド映画が出るというので、行こうとしたのだった。昨日のはテルグ語映画「オレンジ」だった。お題の意味が、終わってからも判らないままなんだけど、今まで観たことのないテイストのインド映画だった。それで、おもしろかったのかと言われると、決して、そうは言えないもの。というのも、取り上げられたテーマが、愛とか恋とか、その持続性とか、そういった、普遍的なものだから、別にインド映画で観なくてもええやないかと思うからだ。恐らく、インド映画でなければ、筋立ての概要が判っていれば、観ないだろうなと思ったから。実際、賑やかなインド映画では、珍しく、途中、軽い寝落ちをしてしまった程だった。でも、簡単に覚醒できたのは、永遠の愛を信じる女が、初っ端ではきゃぴきゃぴの女子大生だったのが、恋人の男性に、愛の持続性という問いを投げかけられ、人間として成長していく姿が表されて行っているのに気づき、寝てる場合じゃないと思った途端、覚醒できた。この女優さん、ジェネリヤという人だそうだが、そういった意味で、とっても上手な人だと思った。舞台はシドニー、一部の回想場面で、ハイデラバードとムンバイが出て来るが、95%はシドニーという映画だった。その意図は、、、テーマ的にインド的じゃなかったから? 主人公たちは、外国への留学生、外国在住者とした方が、テーマに沿うから? 主人公の関係性を、周りからごちゃごちゃ言う人間を減らしたいから、それにリアリティを持たせたいから、そんなことを考えてしまった。映画の中で流れる時間は、ごく僅か。主人公の男、これが、ストリート・アーティストなんだけど、その男が描いた巨大な彼女の絵を、スプレーで台無しにしようとしていると、そこへ現れた警察官と、彼女の父親&叔父とのやり取りをしている時間。その中で、テルグ語の解る警察官が、男に、なんで、こうしたことをやってるのかを尋ね、それに応えて、男が、ここに至るまでの経緯を述べる。要するに回想する場面へと飛ぶ、これを繰り返し、最後には、それを聴いていた父親も理解、警察官も理解をして終わるというもの。だから、回想場面が一区切りつくと、その警察官とのやり取りという冒頭の場面に戻り、それに対する疑問を、警察官が投げかけると、また、新たな回想場面へと飛ぶ、これの繰り返しで映画は進行して行った。ただ、常に、投げかける問いの根本は同じで、それを、3時間近くやるわけだから、そういった意味では、はまるかはまらないかで、感想は変わって来るでしょうね。黄紺的には、珍しいインド映画を観てるという感じが、徐々に湧いてきて、覚醒してからは、なんとか、最後までもったかなというところ。多くのインド映画が紹介されるようになってきて、内容的にも多様性を発揮してきています。それらを観ることで、少しでも、インドが見えてくればと思い、やっぱ、このあとも追いかけるのでしょうね。


2025年 6月 15日(日)午前 6時 8分

 昨日も、また、雨。午前中は、特に雨脚が強かった。外に出たくないと思ったが、そういった日に限り、前売り券を買っている。昨日は、午後に、びわ湖ホールでバレエを観ることになっていた。久しぶりの生バレエの期待感と、雨の鬱陶しさが、ないまぜになった変な気分だった。午前中のウォーキングは、早々に諦めたので、それならばと、午後に観るバレエ、久しぶりだったので、筋立てを忘れてないかという不安もあったので、この際、Youtubeに上がっている、当該演目「眠れる森の美女」の動画を観ることにした。あっさりと、日本語でしか検索しなかったのに、いいのが引っかかった。概要欄には、何も書かれてなくて、見出しと、動画のクレジットが合ってたので、間違いはないと思うが、「Staatsballett Berlin - Deutsche Oper Berlin」と書いてあった。2つの劇場専属の人たちによる合同公演かなと思う一方、そう言えば、こういった書き方をしてあるの、観たことがあるような気もする。Staatsballett Berlinの公演が、Deutsche Oper Berlinであったのは間違いないのだが、その記憶から派生してしまってるかもしれないが。2時間は、しっかりとかかるものを、一気見した。筋立ては、大丈夫だった。一応、ネットに上がってる、このバレエの梗概も眺めながらだったので、その気になったかもしれないが。オーロラちゃん役のバレリーナさん、素人目にもいい感じ。演出面で、おもしろかったのは、王子が登場してきて、リラ様の案内で、王子がついていくきっかけは、リラ様のまじないで、オーロラちゃんの幻を見せるというもの。最初は、ホリゾンドに、オーロラちゃんの絵姿を映すだけだが、そのあとは、舞台に呼び込んでしまう。リラ様の意図的な行為とする、一つの見識と看た。これを観ておいたのがよく、本番でも、この絵姿を見せ、王子をオーロラちゃんの元へと導いたんだけど、ベルリン版は、他の人がいるなかで、最初の絵姿を見せている。が、昨日の本番では、王子に、森の中を彷徨わせていた。知っている筋立てでは、この彷徨いで、偶然、木に被われた城を発見するとなってたはずだから、とってもすんなりと入った。その彷徨っているところへ、リラ様が現れ、オーロラちゃんの幻を見せる。このプロダクションでも、オーロラちゃんを舞台に登場させるが、ここが上手いんだなぁ、めっちゃ、感心したところなんだけど、王子が、オーロラちゃんに近づこうとすると、リラ様の手下のような妖精たちが、行く手を阻むようにする。この阻み方が絶妙。阻むというのは、観ている者の目には、そう入ってくるだけど、妖精たちの群舞が、阻んでいるように見えるだけ。そういった動きになるように、妖精たちを動かす、見事な振付だった。ということで、あくまでも、リラ様が見せている幻、それにつられて、王子はリラ様についていく。話は、前後するが、オーロラちゃんが眠ってしまうところ、ベルリン版では、城内の人を、すべてはけさせて、舞台にはリラ様だけが残り、1幕は終わる。王子が、オーロラちゃんにキスをして目覚めさせるときには、周りは誰もいない。要するに、城内では、人が眠りにつき、オーロラちゃんともども、100年間、眠っている体で、物語を進めていくという手を使った。「観る者の頭になかには、眠っている人たちがいるはずだから、舞台には出さないよ」という手だ。それに対し、昨日のプロダクションは違った。オーロラちゃんが眠りに入り、その身体を担ぎ上げ、あとの人たちは、それについて歩き出す。が、少し歩いただけで、全員、ストップモーションとなり固まってしまい、舞台では、リラ様一人だけが、踊っているとした。また、王子がオーロラちゃんを目覚めさせるときは、その周りでは、両親だけではなく、城にいた人たちも、そのまんま眠ってた。目覚めたオーロラちゃんが、両親らを起こすという流れとなってた。カラボスは、両方とも男性が演じてたといううのは同じだったが、びわ湖の方は、めっちゃ魔女婆さんとしてあった。ベルリン版は、婆というイメージは払拭してあったという違いがあったが、黄紺的には、ベルリン版に軍配だな。男性ダンサーだと、大柄だし、動きがパワフルになるという点を選んだのでしょうか。そんなで、両方とも楽しんだ「眠れる森の美女」三昧の一日だった。後先になったが、びわ湖ホールの公演は、「東京バレエ団」の公演だった。ロームシアター京都での、同団の「くるみ割り人形」は平凡だったけど、今回のプロダクションは違った。公演概要には、「原振付:マリウス・プティパ、新演出・振付:斎藤友佳理」となっているので、マリウス・プティパなる人物を調べると、そもそも「眠れる森の美女」の大元の振付を創った人物らしい。大立者だ。それで納得が行った。ベルリン版で観たのと似た振付が散見できたわけが、それで判った。だから、今回のプロダクションは、斎藤友佳理さんのものと言えばいいのでしょう。ということで、このお名前、しっかりと記憶に残しておかねばなりません。上に描いたようなおもしろいポイントだけではなく、群像劇となる部分の群れた人たちを、実に丁寧に動かしてました。これって、演出家のいいかどうか、腕があるかどうかの、重要ポイントだからね。そして、オーロラちゃんが沖香菜子、デジレ王子が宮川新大、リラ様が榊優美枝だった。それに、なぜか、九州交響楽団がオケピットに入り、指揮は、井田勝大だった。前半は、音が出るし、いい感じだったけど、後半に入ると、粗さが目立ち、ちょっと引いてしまった演奏だったな。なかでも、金管、木管問わず、管楽器に問題を感じながら聴いておりました。


2025年 6月 13日(金)午後 8時 38分

 今日は、朝から出かけて、京都市内でハシゴをした。金曜日と言うことで、まずは、アスニー京都。それが終わると、二条堀川まで歩き、そこにあるなか卯で昼食。昼時だったので、混雑が予想されるということで、第2弾、第3弾と考えていたが、そういったときに限り、席はあった。そして、ウイングス京都に移動。ただ、時間にゆとりがあったので、隣の公園で、お時間まで読書。全て、徒歩移動。時間もあり、ウォーキングがてら歩いたのだった。途中に昼食を入れてので、いい休憩がとれ、思いの外、あっさりと移動できた。そして、ウイングス京都では、ここで行われている映画上映の予約がしてあった。先日、アスニー京都に行ったとき、この上映会の情報を得て、事前に申し込んだいたというわけ。夕刻、万歩計を見ると16600歩余と、いたって順調だった。
 アスニー京都での市民向け公開講演会は、寝た。というのも、お話をされた講師の方の年齢は80歳、お声に張りがなく、ここの音響環境は悪くないのだが、あまり聞き取れなかったのだ。だから、無理と判ったとき、己の意思で「寝よう」としたら、上手い具合に、ほぼほぼ寝ることができた。昨夜、午前2時半過ぎに眼が覚めてしまい、それ以後、寝れてなかったので、ハシゴをするいずれかのどこかで寝るだろうとは思ってたが、自分の意思で、「寝よう」という前代未聞の措置を執った。一応、講演のお題と講師の方のお名前を記しておく。「藤原定家の家柄の成立と実像~顕注密勘を中心として~」(龍谷大学客員教授藤本孝一)というものだった。
 ウイングス京都であったのは、「男女共同参画週間 DVD映画上映会」というイベント。「男女共同参画社会基本法」の公布・施行日である1999年6月23日を記念して、6月23日からの1週間を「男女共同参画週間」に指定されてあるんだって、、、知らなかった。おかげで、こういった映画会が企画される。有難いことだ。上映されたのは韓国映画「サムジンカンパニー1995」。時代設定を1990年代にとり、女性の職場環境が、かなり酷い状況のなか、高卒女子3人が、自分たちの位置を切り開いていく物語。それを、自らが働く大手企業の公害垂れ流し問題の扱いを巡る、内部告発を、その女子3名が行うことで実現していくというもの。一つに、実話に基づくとあったので、具体的に90年代に起こったことなのかもしれないが、職場での女性の立場が劣悪であるということが描きやすかったということもあるのだと思う。最後は、当該企業の買収問題まで発展するという大きなお話。諸々の問題をほじくり出し、それらを、筋立てに絡ませ、時には、主役3人に探偵役、身体を張る探偵役などもさせるなど、エンタメ映画にも仕上げる韓流映画のしたたかさも感じたがだ、この映画、映画館上映で観てた。筋立ては、まるで覚えてなかったが、映画が始まり、主役の3人が出てきて、「あれれ、、、」となった。一部の場面には、はっきりと見覚えはあったが、話の展開は、初めて観るようであったので助かった。その覚えていた3人、まずは、「グエムル 漢江の怪物」で娘役を演じてたコ・アソンというよりか、「ケナは韓国が嫌いで」の主役と言った方がいいか! 3人の中で、一番印象の薄かったのがイ・ソム。逆に、眼鏡をかけた姿で、幼顔だったパク・ヘスを観たとき、「観ている」という確信を持たされた。一番、印象に残ってたみたいだった。


2025年 6月 12日(木)午後 8時 35分

 今日は、午後に繫昌亭昼席のチケットを買ってあった。それに合わせて、朝から、とても忙しないスケジュールを組んでしまった。梅雨に入り、洗濯日を取りにくくなっていることもあり、且つ、明日は朝から出かけるということもあり、今日のお出かけ前にやっておきたい。節約を考え、昼ご飯は家で食べたい。ウォーキングをする時間が取れそうもないの、せめて、繫昌亭へは、京橋駅から徒歩移動しよう。これだけの条件を組み込むと、なかなか、大変、忙しない。明日のことを考え、食糧調達もしておきたいというのもあったな。午前10時半までには、昼食準備に入れた。ちょっと早いから、いつもは、外食にするんだけど、昨日の奈良でも外食だったし、明日も、外食にせざるをえなさそうだしということから、時間が、多少早いのに文句を言っててはダメと、こういったスケジュールを組み、完遂。繁昌亭に到着すると、あとは落語を楽しむだけ、終われば帰ればいいだけ、なんか腑抜けのようになった。万歩計を見ると10100歩余は、さすが、仕方がない。
 繫昌亭は、今週、「三人同時襲名披露公演ウィーク」と銘打った興行ということで行くことにした。襲名は、やっぱ華やかかなと思い行ったのだが、その期待は、少し外れたかな。いい客だなとは思ったが、襲名だから来た人たちというのは、ごくごく少数だったのじゃないかな? その空気感が、華やかさからは遠いものだったからだ。その番組は、次のようなものだった。二豆「ろくろ首」、治門「ん廻し」、阿か枝「千早振る」、内海英華「女道楽」、団朝「ああ、ざこば師匠」、千朝「鹿政談」、(中入り)、【口上】(惣兵衛、米之助、力造、阿か枝、団朝、千朝、治門/司会)、惣兵衛「代書屋」、米之助「地獄巡り」、力造「笠碁」。今日は、ざこばの命日でもあった。その日に襲名披露ということで、かなり、主役はざこばという色合いが強くなった。冒頭の二豆が、それを告知。そして、ざこば縁のネタを披露。ところが、顔付けで、多門の噺家さんを入れようとしたのか、その話題が続かないもどかしさ。治門の穏やかな口調が良かったな。オリジナルな「ん廻し」も、噺にはまってるし、とてもいい感じだった。この人、どこかで評価して欲しいな。阿か枝は、可もなく不可もなくだが、絞り出すような声だけは、しっかりと耳の奥に残っている。色物は、英華さんでラッキー。ちょっと、声のパワーが落ちたようで、心配。加齢によるものだろうし、仕方ないね。団朝が、ここで、ざこばネタが爆発。二人で、急に白浜に行った話は、結構、ひやひやもの。どこかで脱線しないか、ハラハラ、でも、そうする方が、聴く者にはおもろいんだけど。これだけだと、「うだうだ」と、ネタ発表では書かれてしまうと、決して、TVでは言えない、ざこばの絶品の謎かけを紹介して下りました。その高座を受け、千朝は、何か突っ込むのかと思ったら、何も触れなかった。でも、それで、「いつものこと」という雰囲気が出て、良かったかもと思ってしまった。兄弟弟子だからこその連続プレーのように思えてしまった。気を変えるかのように、千朝が話し出したのが、昔、千葉県の余興で困ったことというか、わけのわからない出演者の並びに、呆然とするおかしな話。このマクラ、聴いたこともなかったけど、これで、何のネタをするのか、興味津々だったが、あっさりと、「所変われば、、、」的な物言いになり、あれれ、、、と思ったら、ドンピシャ、百ぺらぺん聴いた「鹿政談」だった。口上も、主役の3人に立ち入るような話は出ずで、期待外れ。主役は、どっちかと言うと、ざこばだった。これに続く、主役の3人の高座が、皆さん、いい出来だったな。惣兵衛の「代書屋」って、グランプリ取ったときのネタだよね。結構な評判だったもので、聴く機会があればいいなと思ってたもの。忘れていたことも思い出した。Youtubeの動画で、吉の丞が誉めてたことを。「オリジナルなくすぐりが仕込んであって、なかなかおもしろいものになってた」と言ってた、確か。で、その通りだと思った。雀太からもらったようなフレーズも含み~のだけど、かなり新鮮なくすぐりが続いた。それだけの仕込みをしてあった。それよりか、自分的には、惣兵衛の口演自体が、今まで聴いた惣兵衛ものではなかった明るさがあり、一方で、過剰さもない、とっても、いい空気を作っていた。これなら、グランプリ取れるわと思ってしまった。米之助も、確か、「地獄巡り」でグランプリ取ったんだよね。冒頭に閻魔の顔をして見せて、閻魔の庁のお裁きを見せてから、地獄にやって来た者の描写、その者たちが現れたのが、メイド銀座(この言葉は使わなかったと思うが)で、寄席では、「ざこばデビュー1周年記念独演会」があり、念仏屋へ行き、念仏を買った亡者どもが、次に現れたのが三途の川という具合に、「地獄八景」を解体して、新たに並べ直して、あとはお時間に合わせて、くすぐりを連発するというもので、これまた、グランプリに値するものと看た。今日は、力造がトリ。7日間興行、力造が、一番先輩ということで、トリを、3回とるようです。力造のマクラは長かった。大須を思い出した。でも、おもしろいマクラだった。襲名の苦労話、それと、師匠ざこばの思い出話。それで取り上げたのが、碁のこと。で、一挙に、ネタがバレたけど、「笠碁」を選んだのが大事。命日なのに、前の2人がざこばネタをしなかったから、自分がやろうということだったのだ。前にも聴いているが、「主役2人が、若すぎない?」と思ったままというか、以前、聴いたときよりか、更に若くなってしまってた。それと、笠はかぶったが、最後の場面で笠は出てこなかった。互いに張った意地が解けたら、おしまいだった。「碁仇は、憎しも憎し、、、」で終わってしまったため、笠の出る幕はなかった。雨も降らしたけど、笠を持ち出すために降らしたが、あとで笠は出てこなかった。なんか、変。いっそのこと、「強情」というお題にすればという口演だった。


2025年 6月 12日(木)午前 7時 3分

 昨日も雨、完全に梅雨入りだ。午前中は、かなり雨脚が強かったが、昼過ぎから弱まった。これは。天気予報通り。それを信じて、お出かけコースの設定をして、ドンピシャとなった。帰路では、雨は止んでたしと、狙い通り。というのも、昨日は、奈良でのハシゴを考えていたのだ。行き先は、奈良県立美術館と松伯美術館。前者は、近鉄奈良駅から近いが、後者は、いつものように、ウォーキングがてら、片道25分余を徒歩移動したいのだ。ここが、雨脚が強いと困るのだ。で、こちらを午後回しにして、思惑通りの徒歩移動に困らなかったというわけだ。もう一つ、昨日は考えた。京都からは、近鉄電車を使い、奈良に向かうのだが、最近のインバウンドで、これが混む。前回は、ついに電車では座れなかった。美術館巡りは、ただでも腰との勝負なのに、早々でハンデを背負わされることになってしまったのだ。その対策として、家を早く出ようと考えた。幸い、奈良県美の開場時間が午前9時。美術館の開場時間としては少数派の早い時間。だから、家を早く出ても対応してもらえる。だから、昨日は、午前8時半より前に家を出て、これまた狙い通りとなり、良好なコンディションで鑑賞できた。
 奈良県美では、今、特別展「生誕100年 中村正義 -その熱と渦-」が行われている。豊橋での展示が行われているときに、「日曜美術館」で取り上げられ、そのときに、奈良へも来ることを知り、楽しみにしていた展覧会。中村岳陵に師事していたが、その制作の途中から、既存の日本画の世界に反発を持ち、反逆を続けた作家との紹介がされるのがこの人。それが作品に出ている。また、同好の作家との連携も多く、お互いに触発しながら制作を進めたようで、それを作品で観て判るかは別にして、行動を共にした作家の作品も多く並んだ展覧会。「日曜美術館」でもそうだったが、作家の名を冠した美術館にある「顔」シリーズを、壁前面に貼り付ける展示の再現もあり、そして、晩年には、セピア色の風景画を描いたり、かと思うと、多彩な原色を使い、形状も奔放な作品も描く、かと思うと、最晩年には仏画を描いている。それも様々と、とっても、大きな展開を見せたのが、作品を通して判る人。それを求めて行ったのだが、それに応えてくれてたかと思う展覧会だった。展示室は5つに分かれており、1つ目が、この人の作風の変化を、一挙にまとめて観る部屋という印象だった。そして、代表的な作品を集めたようだった。それと、中村岳陵の作品もありで、日本画の世界への反逆も、ここで観てもらおうというつもりの部屋だと思った。「斜陽」なんか、感じのいい作品だと思った。木立ちの向こうに家屋を配し、光の当て方に工夫があり、梢の方の光の明るさと、その半ばから下の部分の光の当て方に微妙な変化を見せているが、この発想自体、日本画的じゃないね。色合いも、小野竹喬や、木立のタッチが福田平八郎ばりで、いいなと思った。「斜陽」小下図も出てたが、こちらで使ってる色彩よりか、明らかに淡い。どっちもどっちで、ともにいいなと思った。「谿泉」に描かれた3人の裸婦の肉感というのは、西洋画を意識したようなものだが、背景は日本画のそれなんだな。そういった工夫とか、日本画的なものを超えようとしているかのようなものを感じた。そういったタッチの作品が並ぶ先に、いきなり、源平海戦絵巻「海戦」と「修羅」(東京国立近代美術館所蔵)が出て来る。ともに俯瞰図だが、多視点的要素も入っている。具象だけど、舟や武者の配置や海面の動きとか、明らかに、それまでとは異なる。後者も似たタッチだが、こちらは、背景に大きな渦を描き、もがき、苦しむ修羅道を表したり、動の世界を描こうとしている。ついには、「爽爽」という抽象画が出て来る。右隻が愛知県美術館所蔵、左隻が岡崎市美術館所蔵だから、合わせて観れる貴重な機会なのでしょう。マグマのうねりのような形状をしたものを、明確な色を使い描いている。この人、岩絵の具どころから、アクリルやら何やら、洋画で使う絵具を、どんどんと組み合わせていく。油も使ってるのか、中にはマチエールに、何やらを込めて描いた作品も出て来る。全体的に、色彩としては、黄色や緑が、よく使わていた、最初の部屋の度肝を抜かせられる作品というのは、そうだった。「舞妓」では、目を赤で描くという凄いこと、やってる。「男と女」では、春画からインスパイアされたものとキャプションには書かれてあり、確かに、そのように観える構図になっている。「イト」という作品では、「ノミの夫婦」を描いている。大柄な女に寄り添う小柄な男と、こうなってくると、単に、絵の描き方、作風の問題じゃなくて、価値観自体の相対化を求めている。おもしろい。ここで、中村正義という人を、たっぷりと学習させようとのキュレーターさんの思惑かと思った。会場のレイアウトも違うからでしょうか、用意された作品リストは、豊橋のもののようで、それとは、かなり異なる構成で、展覧会は進んでいったものだから、観ていても、かなり混乱。第2室と第3室は、中村正義の作品は、若干数は展示されてあるのだが、他は、何らかの形で、中村正義と接触のあった作家の作品を紹介するコーナーとなっていた。朝倉文夫の娘の朝倉摂(伊東深水門下)の「つり下げられたもの」(豊橋市美術博物館所蔵)は、護符のようなものが吊り下げられた小ぶりの絵。横山操「富士雷鳴」(三重県立美術館所蔵)は、「富嶽三十六景」の「山下白雨」を想起させる。金を使い雷光を表している。片岡球子の「面構」シリーズより「足利尊氏」(神奈川県立近代美術館所蔵)は、大黒さんのような福与かなお顔で、尊氏のイメージを壊している。大森運夫「ふきだまりⅡ」(豊橋市美術博物館所蔵)は、ドヤ街に住む男を描いている。パンリアルの星野眞吾は「人体による作品」、足裏から人体を眺めるというもの。その妻高畑郁子の作品も出ていた。上田臥牛「裸木(A)」(奈良県立美術館)はアンフォルメル作品。このような作品が並ぶなか、気に入ったのが、長崎莫人「崖」(奈良県立美術館)。お題を見なければ、抽象画にしか観えないが、お題を見ると、あっさりと自分の中でイメージがわき上がる、更に、距離を取ってみると3D画に観えてしまった。第3室も同様のコンセプトでの展示だが、ここにあった中村正義の作品が、第1室で観た変化後の作品とも異なる。身体全体を描いても、首から下は、背景に組み込まれようかというほど暗く描かれてある。背景自体が無彩色、身体もそうだから、やたら顔を目立たせている。その表情付けは、ちょっとイラストっぽいなと思ったけど、そこだけで、人と人との関係性を表したり、人物そのものの内面を炙り出そうとしているかのように思えた。後の「顔」シリーズの根本なのかなとも思ったが。そういったなかに、めっちゃ目立つ「ピエロ」(神奈川県立近代美術館所蔵)があった。どっかで、この展覧会の案内用のチラシかなんかで観た記憶がある。白塗り、それが浮き上がって見えてくる。笑みを見せてるようで、その笑みも意味深にも観える、複雑な心の内に触れてしまったような感じだ。「うしろに立っている私」(豊橋市美術博物館所蔵)も白塗り、そこへ影のように寄り添う、もう一人、人の二面性、表があれば裏もあるということでしょうか? そういったシビアな空気が流れているかと思うと、「鉄拐仙人図」(名古屋市美術館所蔵)なんてのがあり、漫画チックな印象まで与えてしまう。とっても、多才な印象が高まるところだ。この第3室の多くは、関りのあった作家の作品が並んだ。既視感のあったのが、斎藤真一の2つの作品、「梅雨の頃」(豊橋市美術博物館所蔵)と「津軽よされ節「津軽悲歌」」(刈谷市美術館所蔵)、どこで観たんだろう? 後者は、確かシリーズになってるんじゃなかったっけ? パンリアルの三上誠「女の輪廻」(日本画廊所蔵)はともかくも、山下菊二ものが2点あったのには驚いた。同人会を作ってたようだが、出ていた作品が、ともにイラストっぽいものだったからだ。「昭和20年・夏」(日本画廊所蔵)と「絵師人人」(刈谷市美術館所蔵)。田島征三「赤い山羊」(刈谷市美術館所蔵)は山羊の乳しぼりを描いた作品だが、既視感があるようでないようで、、、。井上長三郎「群像」(平塚市美術館所蔵)は、キャンパスの前に立つ人を描いたもの。そのキャンパスも人の存在感が薄い。人は通過する人なんだろうか? その辺の情報を与えていないことで、現代の人の往来を描いたのかな? 岡本太郎や岸本清子の作品になると、距離を遠くに感じてしまう。お手上げというところだ。その傍らにあった水野朝「子どもたち」は、子どもの顔を全面に並べたものは、子どもの声が喧しく聞こえてきそうと判りやすいのとは好対照だった。第4室に、件の「顔」が並んだ。TVで観たとき、生で観てみたいと思ったもの、よくぞ、再現してくれました。狭い方の壁一面を使うという工夫は、キュレーターさんの上手いところ。次いで、「花」を描いたものが集められ、「風景」を扱ったものが続く。「花」作品は、強烈なものがないなか、「花(アネモネ)」(刈谷市美術館所蔵)は、赤い大きな花が3つ、度肝を抜く。これだけ、別格。「風景」も、TVで取り上げられた「風景(跨線橋)」「ガスタンク」のようにノスタルジックなものがあるかと思うと、「瀟湘八景」(豊橋市美術博物館所蔵)に遭遇すると、身体が引けてしまう。変化後仕様の作品だ。「雪景色」(岡崎市美術館所蔵)や「陽」(豊橋市美術博物館寄託)のような超写実的なものもある。なんでもできるということやなと思ってしまう。これらは晩年の作品。第5室は階下の部屋。ここに、「顔」シリーズの有名人ものがあった。壁一面の展示から、敢えて外したのでしょう。似顔絵で、且つ、知った顔が並ぶものだから、そういった配慮をしたようだった。仏画もここ。それにも、多様さを見せていた。一応、仏画と判る範囲内でのことだったが。この展示室の一角には、御園座の緞帳の下絵があり、建築物のデザインもやってたということで、その設計図やミニチュアでの模型まであった。ジャンルを超えての異才ぶりだ。「一ノ谷物語」衣装デザインというのは、武智鉄二、武満徹と組んだ舞台でのもの。「坊ちゃん」挿絵原画というのもあり、そういった活動もしていた。驚くべき活動の広さと同時に人気を感じることができた。豊橋市出身ということで、主として愛知県の美術館が、その作品を、多く所蔵しているようで、関係の美術館から多くの作品が来ていた。ひょっとすると、何度か、地方美術館巡りをしている中で遭遇しているかもしれませんね。去年の不染鉄といい、おもしろい作家を、奈良県美は取り上げてくれました。
 松伯美術館では、「追悼 上村淳之展 学生時代から晩年までⅠ -鳥・鳥・鳥-」という展覧会が行われている。昨年亡くなった上村淳之ものを展示するものだが、ごく一部、松園・松篁ものも展示されていた。1階の一番狭い空間にだ。ここは、いつも、ひっそりと大事な展示があるところ。そこに忍ばせてあった。上村淳之と言えば「鳥」ということで、ホント、そればっか並んだ。ご本人の書き残した言葉が、関連作品に添えられているのが嬉しい展示です。その中で判った大事なこと、日本画で特有の背景をどのように描くかに、かなり頭を悩ませていたようだ。どうしても、淳之作品は、描かれている鳥が、背景に溶け込みそうな印象を持ち、周囲との一体感、そういった独特のものを感じてしまう。そういったものだと思っていた。が、それは、到達点だったようだ。ご本人の言葉だと、空気感が出せるようになったのが、そういった描き方だったようだ。その試みが判るような展示だったと思う。それと、これも、ご本人の言葉として注目したのは、そういった到達点に至るきっかけというのが、アルタミラ洞窟の模写を続けたからだということだった。今回、鳥ばかり、いろんな作品を観て、その空気感、黄紺的書き方をすると、背景に溶け込みそうと思える作品は、水辺で、水の中にすっくと立っている鳥に、一番、その特徴が出ているように思えた。だから、空を飛ぶ鳥、水面があっても、その上を滑空する鳥では、その特徴が減じているように思えたのだ。足が水に消え入るように描かれていることで、水を意識させ、水が意識されると、その上のスペースとの境目が意識させられる。この二重に働くイマジネーションが、空気感を出してるようだと思えたのだ。だから、1階で、まず入る部屋の正面にあった「白孔雀」は、遠目からも、えらく目に着く作品だけど、近づいて行くと、興趣は薄れていく。「ずぼっと孔雀がいるだけ」と、極端に書けば、そんな風に感じるが、背景を塗ってないのじゃないかと思うほど、背景が白っぽい「鴫」になると違う。溶け込んでいる。「幼鳥」という枝にとまる鳥2羽を描いたものは、その竹の色合いと鳥の色合いが似ているからか、溶け込みそうに見えてしまったのか、自分的には気に入った。大きな部屋では、大部な作品も出てたが、ここでも「鴫」という小ぶりの作品が気に入った。月下、湿原に立つ鴫、めっちゃ雰囲気出てる。周りが拡がる。複数の鳥が出て来ると、まるでコピペをしたように描かれている。鳥って、そういうものなんでしょうね。人の形状の多様さとは違うことを意識させられます。「双鶴」は、大きなだけに、上の階に上がって眺めても、めっちゃ目立つ。鶴は得な生き物です。松園・松篁ものが出てた小部屋、春から梅雨を経て夏へと向かう季節感が漂う展示。そういったなか、松園の「ささやき」の下絵も。さすが、あとの作品が寄ってたかっても敵わない威厳を示すほどの迫力があったな。


2025年 6月 10日(火)午後 8時 13分

 今日は、昼に出かけて、インド映画を観た。でも、外出となると、あまり気が進まないほど、雨脚が強かった。だから、出かける前のミニでのウォーキングも中止。食糧調達は外せないので、近くのマートには行ったが、雨のせいでしょうね、閑散としていた。雨が降っても賑わいのあるマートだが、さすが、雨に負けたみたいだった。映画の帰りは、雨脚は軽くなっていたので、映画館は出町座だったので、ここへ行ったときの常で、ウォーキングがてら三条まで歩いた。そんなだから、帰宅後、万歩計を見ると8700歩余だった。これは仕方ない。だから、家内にいる時間があったというので、昨日の続きをすることにした。今度の韓国旅行で行きそうな場所のハングル表記を、1ヶ所にまとめるという作業。釜山編が残っていたので、それを仕上げたというわけだ。やはり、釜山は、まだまだ行き先予定にしているところが多いので、ここだけ残してあったが、それも完成。これ、準備するのが面倒だけど、それだけ手をかけると、その見返りは大きいので、頑張りがいがある。それと、春の美術展が、ぼちぼちお色直しの時期になっているので、前売り券を買ったりしていた。
 出町座のインド映画は「政党大会 陰謀のタイムループ」というタミル語映画。またしても、タミル語ものだ。先日観た映画もそうだったが、バイオレンスものが大流行だけど、これは、めっちゃ捻りの効いた逸品。要人暗殺阻止というのが、物語の柱なので、バイオレンスの要素はないことはないのだけど、それが売りではない。バイオレンスに必然性がある。暗殺阻止と強行、そりゃ、両者の衝突となれば、力と力のぶつかり合いは生じるが、それを見せる映画ではない。全編、ループに次ぐループが持ち味の映画。だから、同じところが繰り返し出て来る。ドバイから友人の結婚式に参列するためにインドに帰ってきた青年カーリクが、飛行機を降り、友人たちに迎えられ、結婚式に参加して、友人とともに、花嫁を略奪する。どうやら、無理強いの結婚から花嫁を救い出すということのようだ、その逃亡のなか、道路に飛び出した男と衝突、そこへ運よくというよりか、運悪く、警官の一団が現れる。それが、悪徳警官、州首相を政党大会で暗殺を試みようとしていた連中だった。暗殺犯に仕立てられる男が逃げ、車に衝突したのだ。そこで逮捕されるカーリクたち。今度はカーリクが暗殺犯に仕立てられてしまう。そして、それを実行させるために、友人を殺され、脅されたカーリクが暗殺の引き金に指をかけようかと躊躇した途端、他所から弾が飛んできて、州首相は殺されてしまう。が、銃を持っているカーリクは犯人にされ追いかけられ、ついに射殺される。が、カーリクは、殺されると、最初の帰国便にループする。そのわけは、最後まで語られることはなかったが、また、同じ物語が始まるが、カーリクは、同じ道を進んでいることに気づき、自分が犯人に仕立てられるのを阻もうとする。それを阻止するのが、悪徳警官。この悪徳警官、この間のどっかの映画でも観たヒールがお得意の俳優さん。調べてみると、S・J・スーリヤーという名だった。話が進んでいくと、この悪徳警官も、死ぬとループする。だから、敵対する2人のいずれかが亡くなると、また、初めからに戻ってしまう。ついには、それが解った2人は、殺さないで進める、いや、自ら死んでやり直すをやり出す。それとともに、真の黒幕も、徐々に現れて来る。上手く書かれた脚本だ。どう始末をつけるのか、そういった追い込みもありで、おもしろい映画を観たぞの印象。こういうエンタメに特化した、そして、バイオレンスも、そのエンタメに組み込まれていると、それはそれで楽しめる。筋立ての特殊性はらしくなかったかもしれないけど、これはこれで、インド映画の進化なのでしょうね。大金をかけて大がかり、ド迫力もいいかもしれんけど、こういった知的に捻りを効かされると、ぐんぐんと引っ張って行かれるね。大正解のインド映画だった。


2025年 6月 9日(月)午後 8時 6分

 今日は、午後から雨になった月曜日。3日程前までは、映画を観に行くつもりだった、諸般の事情で、それを明日に回した。替わりに、明日の休養日を今日に回したことになった。天気予報で、雨が降るだろうということで、昼前のウォーキングを多めにして、1万歩近く歩いた。実は、意図的に多めに歩かなくとも、買い物、銀行と、外出時に固めたものだから、順番を間違い、結果、迂回コースとなったため、自然とかかる時間が増えてしまった。替わりに、夕方のウォーキングは短め。上手い具合に、前半は雨が止んだ時間帯。でも、それは長続きはしないで、後半は傘さしウォーキングとなってしまった。でも、頑張って歩いた結果、夕方、万歩計を見ると17000歩余とは、見事な調整ぶりを発揮してしまった。
 午後の一時は、約10日後に迫って来た韓国旅行の準備。毎度、やっているようにペーパーにして、資料を持って行くことにして、その最終段階になったのだ。前日までに出来上がってるつもりだったが、1ヶ所、調べ物が時間切れになり、それを忘れないようなレイアウトにしていながら、すっかり失念するわ、目印のようにして作った箇所を、何もないような目で見てしまっていた。ま、よくやることだけど。そのため、その補充にも、時間を使った。これが、結構、時間を取る。原稿が完成すると、プリントアウトをせなばならない。物理simの設定もした。ずっと同じ会社のものを、アマゾン屋さんで買ってるんだけど、以前は、そうじゃなかったのに、ここ数回、「登録したらメールで連絡する」という記述が、取扱説明書にあるにも拘わらず、来たためしがない。毎回、連絡を取り、そこに書いておくと書かれてあるAPNをもらっている。まだ、購入時に、商品とともに、APNを送ってくれてたとき、これを入れないと作動しなかったことがあり、神経質になっている。今回も、また、送られてこない。それが嫌だから、他の業者のものにしようと考えたのだが、日にちを自在に選べるものって、そうはないんだよね。値段との相談もあるので、日数を多めなものを買うと困るということもありで、結局、同じものを買っている。順調に作動さえすれば、あとは、問題ないという信頼があるけど、このルーズさなんとかならないものかなぁ。このルーズさは、日本企業にはないところですな。フランクフルトの東急インのように、過剰にきっちりしすぎて、キショかったこともあるので、どっちもどっちなんだけどね。そんなで、ほぼほぼ、準備はできたかな。あとは、visit Japanの入力とか、Naberへの入力用に、ハングル表記の地名・施設名なんかを用意するという作業も、3/4は、今日、やったしな。と余裕をこいてると、また、慌てないといけないんで、何か抜けてないか、今一度、点検をしておきましょう。


2025年 6月 9日(月)午前 5時 48分

 昨日は曇り空の日曜日。いよいよ、梅雨に入りそうな気配だ。昨日は、午後に、ちょっと背伸びをして、某学会の総会に行ってみた。先日、アスニー京都で、そのチラシが置かれてあった。内容は、とってもそそられるもの。丸1日のスケジュールで行われるとなっていた。が、それは付き合ってられない。朝には「日曜美術館」も観なきゃならない。一番、聴きたい講演は午後に入っていたので、そこだけに行くことにした。予定では、講演の時間なのに、延々と総会を続けていた。タイムテーブルは、おおよその目安のようだ。長閑なものと思ってしまった。待たされた上に、さっぱり付いていけなかったら、わやくちゃだと思ってたが、講演は、しっかりと把握できたとは思わないが、なかなか、期待通りだった。でも、頭で押した分、講演を2本聴いて出てきた。日曜日なんで、あまり予定時刻を超過して帰宅したくなかった。なんせ、「べらぼう」があるので、いい加減な時間の使い方には付き合ってられないとの判断だった。この往復と、朝、買い物がてらのミニミニでのウォーキングを併せると、昨日のウォーキング。万歩計は14200歩余と、少し少な目だった。
 まず、「日曜美術館」からメモっておく。昨日は、「地図から消えた国の芸術家たち 若きポーランド」というお題で、先日行ってきた京都国立近代美術館での、現在進行形の展覧会を取り上げてくれた。今回は、坂本美雨はお休みで、アナウンサー氏一人で、同美術館を訪ね、この展覧会のキュレーションを担当された方とのコンビでの進行だった。途中、ポーランドで研鑽の経験のある反田恭平も、同館を訪れ、感想を述べるという構成。それと、クラクフの博物館のキュレーターさんの解説も随所に入り、且つ、わりかしクラクフの風景を流したんじゃないかな。そして、やっぱ、この展覧会を観ているだけに、つくづく思ったな、知らないで観るよりは、こういった解説は、しっかりと聴いた方が賢明だということ、ようく解りました。取り上げられた作品をメモっておく。①ヤン・マテイコ/ラウアヴィツェの戦い②ヤン・マテイコ/スタンチク(道化)③ヤツェク・マルチェフスキ/春(女性と枯れた枝、春=無垢な女性、下は若草、水面に蛙、若い世代を表す)④ヤツェク・マルチェフスキ/クラクフ美術友の会建物フリーズ装飾「自然と芸術」のためのデザイン(若き芸術、芸術の化身、自然擬人化、支配下のため象徴的表現)⑤ヴォイチェフ・ヴァイス/ケシの花(左端で子どもが口を開けている、子ども=芸術家の化身)⑥スタニスワフ・ヴィスピャンスキ/夜明けのプランティ公園(王宮を望むクラクフの公園、オーストリアの兵舎があった、占領下からの解放=春、日本美術からの影響=木立ち越しの王宮)⑦ユゼフ・パンキェーヴィチ/日本女性⑧ユゼフ・メホッフェル/***(女性の身体全体を描いていない)⑨オルガ・ボズナンスカ/***(前・中・奥と三区分、室内から窓を見る、日本絵画の影響、女性画家、男と違う立ち位置、キャプションにも構図が日本絵画の影響と書いてあった記憶が鮮明に残っている!)⑩オルガ・ボズナンスカ/散歩より(白いドレスを着た婦人)(視線=まっすぐでないのが気にかかる)⑪オルガ・ボズナンスカ/菊を抱く少女(菊だけが白い、吸い込まれそうな目、ポスターに使われた作品)⑫ヤツェク・マルチェフスキ/秋⑬フェルディナント・ルシュチツ/冬のお伽噺?⑭エドヴァルト・オクン/紅葉(反田恭平のポーランドの思い出)⑮ヴワディスワフ・ポトコヴィンスキ/葬送行進曲(天に召された人が薄っすらと描かれている)⑯ヴウォジミェシュ・テトマイェル/芸術家の家族(貴族と農民の結婚=フォークロアに原点、芸術家自らの生活で表す)⑰スタニスワフ・ヴィスピャンスキ/***⑱スタニスワフ・ヴィスピャンスキ/聖フランシスコ教会壁画。途中、在日ポーランド人が、この展覧会に来る人もありで、その人たちへのインタビューが入ってたというのも、この展覧会ならではという感じだったな。
 午後に出かけたのは同志社大学今出川キャンパス。ここで、「第62回藝能史研究会大会」があった。行ったときに行われた総会では、会長の交替話がされていたが、前会長が天野文雄氏だったので、えらいところへ紛れ込んでしまったと思った。場違いなところへ来たと、正直思った。同時に、去年、歴彩館で聴いた天野さんの講演が、もやもやのまま終わったことも。かつて大槻能楽堂で聴いた天野さんの講演とは格段の差があり、お歳を感じたものだったことも。一抹の寂しさも感じた。黄紺が聴いた講演は2本、共通テーマは「動物をめぐる芸能、文化」、これだけでおもしろい。①中世歌謡の鵜飼・鷹狩 ―今様・早歌・田植歌―(同志社大学教授植木朝子)、②鷹狩の卓越化 ―獣猟・鵜飼との比較から―(上智大学教授中澤克昭)。わりかし似通ったお話を聴けたと思う。黄紺的関心は「鵜飼」だった。能「鵜飼」を読み解くことの参考にしたいという気持ちで、この講演会を聴きたいと思ったのだったが、お二人とも、「鵜飼」を読み解くのに、「鷹狩」との比較考察をされたのが新鮮だった。確かに、能「鵜飼」は「三卑賤」ものの1つの数らえられる。漁労(阿漕)、鳥刺し(善知鳥)と併せて、「卑賤」なのだ。それに対して、「鷹狩」は、同じ生き物を捉える「殺生」をしながら、貴族の間に残り、近世になると、それこそ、将軍の嗜みにまでなる。その辺の違い、乖離を、中世歌謡の様々から導き出そうとしたのが、①の講演だった。②では、変化の詳細を跡付けようとされていた。古代国家では、様々な狩猟が行われていた。その具体例が知らないことばかり。「祈狩(うけひがり)」というのがあり、狩の成功度で神意を伺っていた。「薬猟(くすりがり)」、獣肉が薬用として使われていた。「野行幸」という天皇の鷹狩があった。これは、天皇・貴族に猟を見せるというもの。「六道絵」には「焼狩」を行っていたことが判るものもある。但し、「六道絵」には鷹狩は確認できないそうだ。「六道絵」は、無論、狩が禁断のものとして扱われるようになってからの資料だが。そういった狩猟に変化が出だす。一つに、国家デザインの変化を言われていた。中国の専制国家体制を真似る「中国隣国型国家」、これは、高麗や李朝などに見られる。もう一つは「辺境型国家」、マジャパヒド王国に看られる分権型国家。日本は後者へと移っていく、即ち「武者」中心となり、その「武者」の職能に狩猟はなっていく。天皇・貴族の世界から脱落していく。それと、殺生罪業感が大きい。承久の変で、後鳥羽院が勝ってたら、言い換えれば、「武者」をも、天皇・貴族が配下に置くことになっていたら、狩猟に対する考え方も変わったかもしれないと言われていた。で、「鷹狩」が残った。「二重の野性性のキャプチャー」という言い方をされていた。野生の鳥を捕獲、その野性性を制御しながら野生の鳥・魚を捕獲する。単に肉を手に入れるだけではない楽しみがあるということなのでしょう。でも、これだと、「鵜飼」と変わらない。場所の問題とか、飼育の問題とか、そんなことも触れられていたので、そこで違いが出てきたということなのでしょうか、、、、。結局、解ったようで、解ってないかもしれないな。


2025年 6月 8日(日)午前 6時 25分

 昨日は、午前8時前に出かけて、MOVIX京都へ。映画を1本観て、東山三条まで移動、贔屓のネパール屋さんで昼食。席が埋まってしまうほど、流行っていた。そして、京都国立近代美術館へ。要するに三条通を、東西にハシゴをしたということだった。迂回コースを採り、買い物がてら、帰路はウォーキングのつもり。案の定、気温が上がって来てるので、帰宅後は、疲れが出て、PCの前で寝落ち。1時間は寝てたみたい。でも、昨日は、夕方に洗濯をするつもりだったので、身体がしゃきっとしないなか、敢行。おまけに、家の近くでも買い物をしたかったので、それに合わせて、ミニミニ仕様でウォーキングまでやっちゃった。それでも、万歩計は14600歩余を示すだけだった。疲労度と歩数は、必ずしも見合っていないな。
 MOVIX京都に着くと、まだ、開場前だった。初めてのこと。開場は午前8時半、上映開始は8時40分とは、忙しない。6階の上映ルームだったけど、この頃のシネコン、実際の映画が始まるまで、10分以上、関係ないものやってくれる。でも、それで、新たな韓国映画とインド映画の情報を仕入れてしまった。まんまと、映画館の罠にはまってる黄紺です。昨日の映画もインド映画。、最近、毎月のように、シネコンでインド映画の新作が上映される。その多くはタミル語映画だが、今回のもそうだった。但し、制作は2022年の映画「ヴィクラム」。めっちゃ、ヴァイオレンスもの。この傾向、かなり過激になって来てるという印象。最近のインド映画を観てると、「動物愛護」「禁煙推進」といったメッセージが流れる割りには、こと「暴力」 に関しては過剰になっていっている。警察の要請で動き出した特殊部隊と麻薬組織との対立話かと思うと、そうではない、複雑さがあった。お題にもなっているヴィクラムを名乗る男、冒頭近くで殺されたかと思ってたら、そうではなかったが、正体が知れないものだから、なんか、三すくみ的な展開を見せ始め、これは、苦手だなと思い始めたが、それが、徐々に三すくみから二者対立へと変化するとともに、巨悪というほど「巨」ではなかったが、「悪」の本体が現れだす。お約束です、インドの警察は「悪」なのです。特殊部隊に捜査を依頼した本体が大ボスだった。一時、四すくみにするんかい、それは、頭が付いて行かないと思い始めたら、逆に二者に収斂することになり、ホッとした。役者的には、三すくみの3人の役者は、どこかで観た記憶がある。題名になっているヴィクラムは、結局、元特殊部隊の長で、捜査から排除された経験を持ち、それが背後で蠢く悪のためと、その浄化に動く連中だと判るのだが、そのヴィクラムを演じたのがカマル・ハーサン。この人、調べてみると、現70歳。これは、驚いた。ダンスもこなしてたし、凄い70歳だ。特殊部隊として雇われた男がファハド・ファーシル、半ばまで、この男が映画の主人公かと思ってた。そして、悪役麻薬組織の長がヴィジャイ・セードゥパティ。ポマードでこてこてにした髪、それに髭面が、いい悪役顔を作ってた。特殊部隊の男に彼女がおり、ヴィクラムに孫がいるという設定は、あまりにもベタ。先が見えるちゅうねん。可哀そうに、彼女は殺されてしまう。孫までかは、さすがになかったけど、その子の父親は、残酷な殺され方をしてました。「15歳」という年齢制限が入った映画、確かに、要るな、この制限。残酷なシーン、多すぎ! という風に、最近のインド映画で、引いてしまうことがあるというのが、一つの悩みです。
 京都国立近代美術館は、コレクション展に行った。今期のコレクション展は、既に1回、行っている。今回は、展示替えを狙ってのもの。日本画のコーナーが、毎度、展示替えがあるので、1回のコレクション展で2回行くというのが、定番になっている。お目当ては、その展示替えのある「大正時代の日本画」のコーナー。冒頭に、意外や、都路華香の仏画「達磨図」があったが、正直言って、仕切りのある前のスペースの展示は、あっさりと流すという感じだった。高谷仙外の「象と鳩」では、象はともかくもいい感じだが、鳩の描き方が粗い印象。平井楳仙「山陰の風景」は、左隻に水辺の風景を描き、右隻には橋下から覗ける風景を描いているが、思いっ切り、浮世絵の発想そのままという印象。大正期の作家さんということで、しっかりと浮世絵を学習していたんでしょうね。仕切りの向こうに入る。富田渓仙「大原女図」が最初の作品。山水の構図を拝借したもので、下部に大原女2人なんだけど、結構、大きくて、半ば、上部とのバランスが悪そう。前田青邨「竹取物語図屏風」が、六曲一双の大作。右隻に、かぐや姫が天女に導かれ昇天する図、左隻に、それに矢を撃つ武者を描く。全体的に右肩上がりで、昇天の動きが出てる。天女、かぐや姫ともに、身体は右肩上がりだが、顔は、左下の武者を見ているため、一層の上昇感が出てる優れもの。計算され尽くしている。小林古径も「竹取物語」。こちらは絵巻で、前期も出ていて、場面替えとなっていた。こちらも昇天の場面。だが、絵巻で縦幅が狭いので、斜めの構図にせず、左から右へと流れるようにしてあるため、上昇感が出ない替わりに、スピード感がやたら出るようにしてある。天女らを小さく描かないから、左右移動にしかできないというわけだ。農耕場面を描いた作品が3点並べてあった。村上華岳「春日耕牛図」、伊藤草白「耕牛図」、小川千甕「田舎楽」だ。多視点で描いた小川作品に関心が行った。奥の正面の壁には木島櫻谷「行路難」、二曲一双の屏風絵だ。左隻に難儀をしている人物3名、右隻に鳥居前に大きく木が生える図。意図が判らず、困ってしまった。対面の壁にある作品で目立ったもの、気になったもの3点を記しておく。前期にも展示されていた石川晴彦「黒衣を着た女」は目立つ。横ずわりで、何かを訴えかける女、何を訴えてんだろうと、気になって仕方がない。梶原緋佐子「唄へる女」も目立つ。さすがと思ってしまう。縦長のキャンパスに、ずぼっと立った女が、口を大きく開けて歌ってる。歌わされてるのかとも思ってしまう。女の生活感とか、そういった想像を掻き立ててしまう。川端龍子「佳人好在」は気になる作品。和室からお庭を望むという構図だが、手前の和室、そこに置かれたものは、とっても写実的に描かれてあるのだが、庭先から向こうは、絵画を貼り付けたような描き方。現実と非現実をないまぜにしている。心はと問いたくなった。日本画のコーナー以外は、前期と同じなので、流しながら観る。でも、目立つ作品の前に来ると、どうしても足が止まる。「彼女たちの‶戦後‶」では、田中敦子、木下佳通子、三島喜美代、菅野聖子と、前と同じところで立ち止まってしまうな。「工芸」のコーナーでは北大路魯山人。「音楽とともに」のコーナーは、堂本尚郎のアンフォルメル作品と、マティスのコラージュ。「すわって、みる」では、安井曾太郎、奥まった部屋にある大久保作次郎と太田喜二郎の印象派からもろに影響を受けた作品と、なりきりもののやなぎみわものだった。


2025年 6月 6日(金)午後 10時 51分

 今日も、朝から出かけて、京都でハシゴをした日。金曜日ということで、朝一番にアスニー京都へ行き、市民向け公開講演会を聴き、次いで、徒歩移動で衣笠方面へ。こちらへ行くときは、毎度、立命館大学があるということで、学生街の定食屋さんでお昼にしている。今日のサービス定食はヘビー。お皿に大きく拡がったチキンカツに、海老フライが2つ付き、サラダに、小鉢3つにみそ汁にご飯で、750円。前回、抽選で50円の割引券をもらったので700円だった。コスパ、良すぎ。お腹いっぱい。横を見ると、学生さんは大盛りご飯を食べてた。ありえない! そして、今日は、立命館大学構内にある衣笠キャンパス アート・リサーチセンターに行ったのだった。ということで、最近、月1程度の割合で、この界隈に行くものだから、定食屋さんにも、そのペースで行ってることになる。この往復と、夕方のミニウォーキングを加えると、本日のウォーキングとなる。万歩計は18800歩余となっていた。久しぶりの18000超えとなった。嬉しい。
 アスニー京都での講演会は、「歌舞伎と文楽に見る京都~忠臣蔵に即して~」というお題で、同志社大学名誉教授の山田和人さんのお話を聴くことができた。こうした講演会では、実に珍しい芸能が取り上げられた。しかも、「忠臣蔵」に焦点が当てられている。これは、期待大だった。大だっただけに、失望も大きかった。冒頭、歌舞伎の入門の入門を触れられるのは、仕方ないだろう。次いで、「忠臣蔵」の入門をお話された。ここでの収穫は、そう言えば、、、という内容なのだが、2年間の物語を、お芝居に脚色するとき、1年間の物語に変えた。がために、春から始まり冬で終わるという筋立てになった。段ごとに季節が宛がわれている、段の進行に伴い、季節が動いていく。そう言えば、大序は、花の舞う鶴岡八幡宮だし、討ち入りは冬だ。そういった基本を話され、次いで7段目と9段目の解説に入られた。この辺で、さすがに入門過ぎて、眠たくなった。というのも、こちらの耳が悪いのか、今日は、音声環境、良くなかった。ここで聞き取りにくいときって、ほぼないから、これは、自分の耳の責任じゃないと思いたい。良く分からないところへ、入門過ぎるとなると、寝るわなぁ。要は、9段目を、超豪華メンバーで行われた公演の映像を見せるのが、今日の講演のメーンだったようだ。早い話が、その舞台映像を見せるための、露払い的な前置き話だということで、がっかり。でも、配役が超豪華、戸無瀬が坂東玉三郎、お石が中村勘三郎、加古川本蔵は片岡仁左衛門、大石内蔵助は中村富十郎、若い役者では、力弥が片岡孝太郎、小浪が中村勘九郎という布陣。名場面を区切りながらでも見せてもらったことは、それはそれで嬉しいのだけど、まさか、みんなで映像を見ようという講演会になるとは、全く、想定外だった。
 衣笠キャンパス アート・リサーチセンターでは、「W.S.ビゲロー本『酒呑童子絵巻』と頼光四天王を巡る京都の伝説」という名の付いた展覧会が行われているというので行ってみた。W.S.ビゲローというアメリカ人は、明治初期に日本で多くの美術作品を収集して帰国したそうで、そのコレクションの多くは、現在、ボストン美術館に収蔵されているそうだが、その寄託する際、お気に入りの美術品は、友人に譲ったというのだ。今回の「酒呑童子絵巻」も、そういった友人に譲られたもので、その友人が、絵巻も持って、後にヨーロッパに渡り、戦禍も潜り抜けたというのだ。一方で、作品の劣化が進み、持ち主が、そのことをチェコの東洋美術の専門家に相談したことが、どうやら、作品の帰国に関わったようだ。傷んだ状態の写真も展示されていたが、修復後の絵巻の色彩の鮮やかさから、表装の修復で元の姿が蘇ったと言ってもいいかのような修復の技を見た気が来た。絵巻の展示は、部分展示でしかなかったため、一部を観ただけに過ぎないが、映像で示された、酒呑童子物で重文になっている小林逸翁美術館の絵巻と、素人目では遜色がないように思えた。修復を終えたところ、そして、制作時期が、その重文よりは新しいということもあり、全然、遜色ないように思えてしまったのだ。あとは、酒吞童子を扱った屏風絵や錦絵、小本などが展示されていた。酒吞童子退治となれば、源頼光、その四天王と、相場が決まっている。また、退治の前には、さんざんな酒宴を行い、酒吞童子を酔わせてから仕留めえるというのは、結局、どれを見ても、同じ。巨大な首をかかげ、都に凱旋する一行の絵まであった。展示では、頼光や四天王は、ここでの活躍で知られたということで、いろんな活劇で活躍している。そういった錦絵などの展示も、関連作品の展示ということで観ることができた。作家的には、国芳だけではなく、門下の芳幾、芳虎、芳艶、芳年が並び、北尾政美、勝川春亭、豊春国周、橋本周延なんかが出てた。芳年の作品でおなじみの保昌って、何も芳年だけじゃないんだね。笛を悠長と吹く男に、影から、その男を狙う侍という構図、長い歴史というものがあったってこと、今日、知ることができた。そんなだから、浮世絵の世界って、そそられてしまうようです。残念だったのは、頼光と言えば鵺でしょうと思うのだが、鵺ものはなかった。手持ちの作品にはなかったのかな?


2025年 6月 5日(木)午後 10時 21分

 今日は、大阪まで出かけて、日本橋と新世界でハシゴをした。午前10時過ぎに出かければいいということで、朝方、食糧調達のための買い物に行けた。ごくミニのウォーキングも試みた。それと、お出かけを併せると、本日のウォーキング。帰宅後、万歩計を見ると12300歩余と少ない。これでも、日本橋と新世界の移動は、いつものように徒歩移動したのだが、仕方ないね。いつも、この移動だと、タイ屋さんで昼食というのを定番化していたが、そのお店の入っているビルの建て替えで、追い出されてしまい、調べてみると、北加賀屋で再開していることが判り、がっかり。最後に行ったとき、「この近くで店をするから、また、来てください」と言われてたんだけど、ちょっと遠いね。住之江の方って、まあ、行かないからね、残念。それが、予め判っていたので、今日も、昨日に買ってあったパンで昼食。高島屋史料館の裏手に、程よい公園があり、活用させていただいた。
 日本橋で行ったのは高島屋史料館。ここで、「リニューアルオープン5周年記念展 EXPO 博覧会の時代」という企画展が行われているのだが、これが、3部に分かれている。小さなミュージアムだが、毎回、総入れ替えをするというので、今期が第2部になるのだが行ってきた。第1部に行ったときにもらった作品リストを見ると、3回とも行きたくなったのだ。まず、大家の残した友禅と刺繍の下絵の展示。岸竹堂が3点出た。「旭陽桐花鳳凰図」が圧倒的ド迫力。威風堂々たる正面の鳳凰が圧巻。驚きの逸品。「芥子に鶏図」は、芥子の花びらがひらりひらりと散る下で、雄の鶏2羽が睨みあっている。下部の鶏の迫力と対比させるべき、芥子を持ってきたのでしょうが、芥子が描き足りてないようで、ちょっと不満。「金地虎の図」は、動物、なかでも、猛獣系の動物が得意なはずなんだけど、猫っぽくて、ちょっと変調。今尾景年が1点「秋草に鶏」。右上1/4が空白、これが、全体としての淡泊感が出ており、秋ですね。神坂雪佳の刺繍のための下絵が1点「紫陽花と百合花図」は、構図が好きになれなくて、フェードアウトした拡がりのある光景を想像できなかった。花のデザイン化と神坂雪佳らしい作品なのですが。それと、もう1点、作者不詳の「竹と薔薇と鶏図」が並んでいた。次なる壁には、超絶技巧の刺繍作品、その下絵が並んだ。水禽、虎、犬といった動物のリアルさは、形状だけではなく、毛並みを刺繍で表す技巧が魅せる。洋犬を表した作品の下絵は、写真を基に下絵が描かれたのだろうと、1点の「洋犬」表現に使われた写真の展示もあった。黄紺的には、技巧の見事さは了解なんだけど、むしろ、その並びにあった、大部な友禅の下絵が凄いと思った。ビロード友禅壁掛「世界三景」の内「ベニスの月」に魅せられた。描いたのは竹内栖鳳。あとの二景は「ロッキーの雪」(山元春挙)と「吉野の桜」(都路華香)だと、キャプションに出ていた。壁掛けそのものは、現在、大英博物館に収蔵されているそうだ。少し靄ってる水都の風景は、とても幻想的。これは素晴らしい。それと、写真で、あとの2点は展示があったが、「ロッキーの雪」は、滋賀県美と、あと、どこだったかなぁ、もう1回、観たことがあるが、友禅の下絵と書かれてたかな? 同じ構図で違う作品なのかなぁ。自分的には、春挙最高傑作と思ってる作品だ。実に雄大、それしか言葉が出てこない、圧倒的なものがある。それらの展示の背後に、セントルイス万博に出品され、大変な評価を得たビロード友禅壁掛下絵「波上飛雁」が出ていた。今尾景年門下の上田萬秋の作品だ。連なりながら飛ぶ雁、だけど、先端部の雁は、作家の目の前を飛ぶ。が、それが海上なものだから、めっちゃ居心地が悪い。自分自身が宙に浮いたような感じになってしまうのだ。そんなこと感じるの、自分だけ? 側面には、鯉の絵が2点、いずれも作者不詳と出てたが、2点とも、鯉の群れ方に違和感を持ってしまい、スルー傾向だった。そして、最後に、毎度、ロビーに展示されている大部な作品を観るのだが、今回は、ビロード友禅壁掛大下絵「波に千鳥」だったが、これは、竹内栖鳳が下絵監修で、それに基づき、千鳥は日本画組(谷口香嶠ら)が担当、海は洋画組が担当して出来上がったそうだ。パリ万博に展示され、なんと、サラ・ベルナールが購入したと、キャプションにあったものだから、これには驚かされた。「サラ・ベルナールと同じ図柄を観てる」と思っただけで、舞い上がってしまってました。でも、買い上げられた壁掛は、所在が不明とか、、、。悲しい現実だ!
 新世界で行ったのは動楽亭昼席。おもしろい顔付け、しかも、雀五郎の動楽亭昼席初トリ。なのに、中トリが南光、膝替わりが雀三郎、要するに、「南光、雀三郎、雀五郎」と並ぶのだ。雀五郎が言うに、「出番は事務所が作るけど、、、」「この並びですよ」でした。おまけに、師匠雀三郎は上がるなり、「今日は雀五郎の初トリです」「さぞや古典落語の神髄を聴かせてくれるでしょうから、私は変わったところをやります」と、益々、ハードルを上げていくものだから、それを聴けただけど、もう、今日を選んだ自分を誉めてやりたくなった。他の日にも動楽亭昼席に行けたのだが、今日を選んで、大正解だった。同じように看た人が多かったのでしょうか、めっちゃいい入りの昼席だった。で、番組は、次のようなものだった。八十助「つる」、二乗「写真の仇討ち」、歌之助「はなし家入門」、南光「ちりとてちん」、(中入り)、雀三郎「わいの悲劇」、雀五郎「ねずみ」。動楽亭昼席で、八十助に当たること、多いような気がする。でも、今日が一番という印象。何て言ったって、熱量を感じたからだ。若手と言っても、入門が遅かった関係で、どうしても、おっさん顔が出かかっているという損な経歴だけど、それを打破する熱量があった。好感度、上がりました。二乗は、相変わらず、マクラの使い回し。これはマイナスだけど、二乗の「写真の仇討ち」は、何度、聴いても、上手いと思う。クレッシェンドが、最高に上手いからだ。安定のネタです。歌之助は、これも定番化してる学校寄席をマクラで紹介。ネタに入ると、「道具屋」が始まった。「久しぶりの遭遇や」と、最近、なかなか遭遇できない「道具屋」と思ってたら、すぐに切り上げた。が、噺は続く。一瞬、「あれ?」だったが、次の瞬間には、「ひょっとしたら、あれ?」になった。「あがき」という呼称を付けて、勉強会をやってた時期にこしらえた新作だということに気が付いた。3連勝の気になってしまった。南光は、若い頃にした、いや、させられた変な仕事ネタを喋っては、また、新しいことを思い出すものだから、いろいろと派生していく。ネタは、これだけ、マクラを喋ると、これかなと思った通りのものだった。やっぱ、さすが、です。自在のお喋りは、追随を許さないものがあります。雀三郎は、先程書いた物言いから、新作だろうなと思ったら、久しぶりの「わいの悲劇」とは有り難い。主人公の家族が、古典好きというのを、すっかり失念していた。アメリカ人がやって来るというネタやったくらいは、きっちり覚えてたんだけど、忘れてたところって、わりかしネタの屋台骨という感じですね。雀五郎のネタも、いろいろ、想像してた。本命は「崇徳院」かなと思ってたけど、結構、押してた印象だったので、「肝つぶし」かと予想を立ててた。見台は下げられて、、、結果は「ねずみ」だった。以前にも、雀五郎の口演では聴いている。相変わらず、リズムとテンポがいいというのは、雀五郎のいいところ、今日の口演でも、その威力は、十分に感じたが、その一方で、一層の高みを求める癖が出てしまった。このいいリズムでは、ポーズになる間をかげんしながら入れるのはムズいかもと思ったけれど、そこを頑張ると、クォリティが、より上がるのではと思ってしまった。


2025年 6月 5日(木)午前 6時 18分

 昨日は、朝から出かけて、山科と北山というハシゴをした。水曜日なので、朝から出かけるとなると、定番のアスニー山科だが、一応、市民向け公開講演会の枠なのだが、昨日は、年2回ある弁士付き無声映画の上映だった。それが終わると、地下鉄で北大路まで移動。鴨川の河川敷で、一昨日買っておいたパンで昼食。時間があったと言っても、10分余なんだけど、そん間、そのままの位置で読書。日陰だと、実に心地よい。そして、京都歴彩館に移動。こちらは、講演会だった。そして、帰路は、いつものように三条まで、ウォーキングを兼ねて、徒歩移動。途中、買い物をしたので、所要1時間15分程度。昨日は、このお出かけ時間が、そのまんまウォーキング時間。帰宅後、万歩計を見ると14700歩余だった。
 アスニー山科での映画は、小津安二郎作品「浮草物語」が上映された。上映前には、毎回、京都の文化を映像で記録する会の濱口十四郎さんのお話が入る。濱口さんは、この上映会の作品選びもされている。そして、そのお話が、経験が豊かなものだから、実に味わい深い。ここで上映される無声映画には音楽が入っている。その謎が、昨日、判った。濱口さんが入れられているのだ。いい音楽の選択、タイミングがいいから、ずっと気になってたことだった。弁士は遊花さんの名調子、今回も楽しませてもらった。映画は、坂本武演じる喜八が主人公の「喜八もの」、このシリーズ、題名は忘れたけど、ここの上映会で、1度、観ている。その喜八が、今回は旅芸人一座の座長。その一座が、信州のようだが、ある町に到着するところから、話は始まる。その町には、町の小料理屋の女と、その間にできた息子が住んでいる。そこへ訪ねる喜八。だが、喜八には、一座の中に女がいる。その女が、町の女、息子の存在を知ることになり、嫉妬にかられて、後輩の女役者に、喜八の息子を誘惑することを持ちかける。だが、若い後輩の女は、初めは金目当てで引き受けるが、次第に、本気になり、息子と出来上がってしまう。それが喜八の知るところとなり、父親の名乗りをしてなかった喜八の正体も明かされ、すったもんだが起こるという筋立てなんで、そんなに筋立てがおもしろいわけではない。弁士がいいのか、また、映画のセットやロケがいいのか、こちらのノスタルジーを掻き立てられるものだから、結構、引っ張られて行く映画。小津作品の持つイメージとは、少し違うな。喜八のキャラ付けがあるのかもしれないけど、淡々じゃなくて、がさつな印象も混じって来る。戦後、小津安二郎は、これをリメイクしているそうだ。だから、気に入った作品なのかもしれない。濱口さんによると、無声映画の方が上質だと言われてた。でも、気になるので、京都文化博物館のアーカイブからの上映で、出るようなことがあれば、観ることにしましょう。町の女役が飯田蝶子だった。旅芸人の一人が連れている子どもが突貫小僧だった以外は、知らない俳優さんばかりだったな。ま、そんなものだろうが。飯田蝶子は、遭遇機会が多いな。晩年は、リアルタイムで知ってるものだから、その長いキャリアに驚くばかりだ。
 歴彩館では、「京都を学ぶセミナー【洛南編】」の第2回として、吉永隆記(京都精華大学)さんが、「久我家領のなかの久我庄」というお題で、お話された。「久我」は、伏見区にはかかってないようだけど、隣り合わせた区域として、なじみのあるところ。阪急京都線の沿線から伏見までは、1時間程で歩いて移動できるが、その途中にあるところ。桂川の西に拡がる地域、その昔、久我と隣接した下鳥羽に行ったとき、あまりの田舎だったので、びっくりして、上鳥羽に住む友人に、その旨、伝えると、「甘い」「久我がある」と言ったものでした。それ程のところだが、今や、向日市の住宅地とは境界が判らないほど、建て込んできている。そういったことを知っているのは伏見在住だから言えることなんだけど、息子など、つい最近まで「くが」と読んでたほど。身近な人間でも解ってないのに、昨日の入りにはびっくりした。「久我」の名すら聞いたことのない、有象無象が集ったとしかいいようがないなと思い、会場の風景を眺めていた。今回のお話の中心は、久我家の持つ荘園についてのもの。これは苦手意識が大きい。久我でなかったら、行ってなかったかもしれない。ということで、早々に寝落ちしてしまったんだけど、ただ、とっても大事な、今まで知らなかったことを教えてもらった。「久我」という呼称は、かつて、この地域を所有した久我家に由来する。その起源は、白河上皇期に遡る。その白河上皇が、鳥羽離宮を造ったことから、貴族も、近隣に、それに合わせて別荘を造った。その一人、源何某もその一人で、それが、後に久我姓を名乗るようになったが、その久我家というのは、五摂家に次ぐ家格を持つ貴族だったそうだ。その久我家の本体、邸宅は、今の、久我の旧街区(桂川右岸で流路に沿っている)の西側にあったそうだ。名主の家屋が、かつては桂川の微高地に並び、その西側、地形的には氾濫原となる区域にあったそうで、今の旧街区の背後(=西側)にある新興住宅地と水田区域が、それに当たるそうだ。予想される場所を、地図に入れて紹介されていたが、かなりの広さ。家格が伺えた。その久我家は、久我庄と呼ばれる近隣地域、少し離れた、今の向日市中心地域に相当するのかと思いながら看ていた、いくつかに分かれた久世庄、そういった地域だけではなく、小谷城近く、それと、現兵庫県西脇市に位置するといった、遠隔地にも荘園を持っていた。その管理、要するに年貢の取り立てが、どこでもそうだが、時の経過とともに困難になっていく。その対策話が、こういった遠隔地荘園の経営というトピックとして、大きな柱としてお話され、それと、お膝元の近隣地域の荘園経営が、もう1本の柱としてお話されていたが、先に書いたように関心が向かないので、寝落ちしてなかった箇所についても、ここへのメモは止めておく。自分的には、久我が、そういった由緒ある地域だということが判ったことで十分だった。


2025年 6月 3日(火)午後 8時 42分

 今日は、朝からずっと雨が降った火曜日。朝方は、かなり強い降りだった。おかげで、午前中は、ウォーキングどころではなかった。食糧の買い出しに出かけたら、短時間で足元が、かなり濡れてしまってた。幸い、今日は休養日だったが、また、明日から予定を入れているので、今日やらねばの気持ちで、洗濯日に充てた。乾くのは、明日になってもいいと、屋根付きの物干し台にかけたままにしてある。雨は、ようやく夕方にあがった。でも、まだ降るんじゃないかという空模様だったので、夕方は、傘持ちのままでのウォーキング。そんなで、万歩計を見ると12100歩余は致し方ない。気温の上昇はなかったのだが、夕方のウォーキング時、熱中症のような感じになりかけた。歩くのがきつく、顎が出てしまった。それも、半ば以前に。公園のベンチも濡れているので、腰かけることもできずで、で、途中、信号待ちのとき、水分補給をした。すると、効果てきめん。瞬く間に、体調回復。気温が上がらなくても、ずっと歩き続けていると、上にウインドブレーカーを羽織ってるため、汗をかいてしまってので、かなり体温が上がってんでしょうね。
 そんなで、時間があったので、韓国旅行の最終準備を行った。物理simの注文は、一昨日に完了。鉄道の切符の手配は、既に、終わってた。今日は、ホテルの予約が、まだだったので、それをすることになった。釜山の宿は、前回と同じところにする気でいたら、お値段が上がっていたので、新たに探すことになった。今回も、釜山は2泊するが、連泊ではないので、別々の宿をとり、品定めをすることにした。蔚山は前回と同じ宿。蔚山での狙いは、ソンジ・ヘジャンクだから、そのお店に行きやすいとなれば、前と同じで決まりだった。鉄道の駅にも徒歩移動できるからね。大邱は、トンテグ(東大邱)のホテル街は、今は、どうなってるかは知らないが、昔は、落ち着いたいい感じだったが、食べ物屋探しに苦労しそうで、その心配がない大邱駅近くにした。トンヨン(統営)は、2回目だけど、前は30年も前のこと。でも、泊まった宿のあった位置の大体は覚えてるので、その近くを狙い、手ごろな宿を見つけた。トンヨンは、飛び込みかもと思ってたが、その必要はなかった。黄紺が使う、2つのホテル検索サイトともに、そこそこ登録されていた。でも、韓国は、宿の数にしては、登録してるところが少ない。コロナ禍を経ても、この辺の事情は、さほど、大きな変化がないという実感だ。プライベート・ルームの登録も、ほぼ見かけない。コロナ禍以後、宿は予約してから出かけるようになったが、プレイベート・ルームを利用したのは、モッポ(木浦)でだけだな。あとは、各都市の情報収集、それをペーパーで持って行くので、その準備。それも完了と考えてもいい。あとは、どこかで印刷の時間が要るから、それをすれば、全て完了だ。知らない間に、3週間を切ってしまっている。


2025年 6月 2日(月)午後 8時 32分

 今日は、昼間に映画を観て、その帰路、定期的に通っている皮膚科の医院に行くという行程を立てた。映画は、UPLINK京都でだったので、昨日の京都市立学校歴史博物館とは、わりかし近い位置にあるということで、ほぼ、昨日と同じようなことを考えた。出かける前に、ミニ仕様でのウォーキング。そして、映画館への往復を併せて、本日のウォーキングとする。ただ、医者に行くついでに、時間的な余裕もあったので、弟の家へ寄ってから行くことにした。いつもだと、医者に行ってから、近くにある弟の家に寄るのだが、今日は、ウォーキングのために、帰路は迂回コースを採るものだから、こうした行程になった。結局、夕方、万歩計を見ると17700歩余とは、計算通りと、ちょっと胸を張っとります。
 映画は、1週間程前に見つけたもの。大体、火曜日をメドに、新たな1週間の映画館の上映スケジュールを押さえているのだが、先週、それをしていて、目が点になった。日本映画でトルコ語の題名を付けてるものがあったからだ。「Ondan sonra」に、一応、カタカナが添えてあったが、さすが、これはトルコ語だろうと思い、慌ててチェックに入ると、舞台は砺波。そうなると、チューリップ、で、実際、もう25年程前になるが、この砺波にあるチューリップ四季彩館だったかな、チューリップ関係のミュージアムに行ったことがある。トルコずいている土地だ。ヤロワ(ヤロヴァ表記はダメですよ)と姉妹都市関係にある。その両都市の姉妹都市提携35周年、日本とトルコは外交関係樹立100周年を掲げて作られた映画のようだ。全面、砺波ロケ、最後に、ちょろっとだけ、ヤロワでのロケが入った。砺波を舞台にしたからトルコでなければならないが、でなければ、トルコでなくとも、筋立てに障りはない。物語に、トルコである必然性はない物語だ。映画館の梗概なんかを見ると、「女3人の物語」とあるが、1人でしょう、物語の柱は。山田真歩演じる未知子は専業主婦。その未知子が、娘との関係で、スーパーでパートとして働き出すことで、一人の女性の視野が、大きく拡がっていく物語と言える。そこに2人の女が関わる。彩凪翔演じる千花は、スーパーの花屋を担当。穏やかで人のいいキャラで、この千花が、もう一人の女性、彩雪演じるゆうとを繋ぐ。そのゆうが謎めいた役柄だが、実は、本業はカメラマンで、インフルエンサーとして人気の人だと、後半になり明かされる。暗いとまで言っていいか判らないけど、何やら過去を持っている。がために、世界を放浪して来た女として描かれる。そのゆうが拘ったのがヤロワだったとなっていた。このゆうのキャラやバックボーン、もっとほじくって欲しかったな。突然の強制終了のような終わらせ方をしてしまった映画という印象が残ったので、なんか、もったいない気がしたな。千花の絡みが、後半、薄くなったんで、この両者を絡ませたら、おもしろくなっただろうにと思った。でも、やっぱ、未知子の物語だから、薄くしちゃったのかな? 強制終了だったからこそ、未知子はヤロワに行こうとしたのかな? この映画のパネル掲示なし、チラシも置いてなかった。そんな宣伝的には、富山では大きかったそうだが(彩凪翔のYoutubeチャンネルで動画出している)、京都では、そうじゃないので、「客入るの?」と思ってたら、思いの外、入った。立派に、つ離れしてた! 客層を見ても、若い人もいる、年配の人もいる、皆さん、トルコに関わる人? いや、富山県人? とまあ、いろいろと考えてしまったけど、全く、思いつかない人たち。不思議だった。


2025年 6月 1日(日)午後 7時 20分

 今日も、午後にお出かけ予定を入れていた。京都市立学校歴史博物館での市民向け公開講演会に予約を入れていたのだ。午後2時開演だということで、家で昼食を摂ってから出かけた。ただ、日曜日ということで、毎度、楽しみな「日曜美術館」があるので、午前10時までは外出できないということで、午前中のウォーキングはミニにならざるをえない。それと、講演会の往復、但し、帰路は、いつものように、大幅な迂回コース。それで、夕方、万歩計を見ると16100歩弱は、とっても優秀。ただ、どんなけ、迂回しとるねんということだけど、、、。
 「日曜美術館」の今日のお題は「ルドンさんに会いにいく」というもの。となれば、自分的にはおなじみの岐阜県美が大活躍。「世界有数のルドン作品の所蔵」を触れ込みに、作品の物理的分析などもやっている学芸員さんの作業&解説が入ったり、現在進行中のパナソニック汐留美術館の「ルドン展」に出向いた坂本美雨の案内役は、岐阜県美館長の日比野克彦さんだったりと、さすが、凄い活躍。既に、岐阜県美で紹介されていた、日比野さんが、ルドンの壁画がある修道院を訪ね、最新テクノロジーVRを使っての、その壁画模写の様子も放映してくれていた。せっかくなら、この番組、岐阜県美で「ルドン展」が出たときにやって欲しかったな。ルドンの作品は、題名がやたら長いので、紹介された作品をメモることができるかと思ってたが、その辺は、NHK、うまくやってくれました。短くしたり、「〇〇集から」という表現でかわしてくれたので、メモれたので、ここに記しておく。①窓(窓の向こうに天使、光、自分の行きたい世界を描いた?)②樹(20代に描いた素描)③自画像④夢の中へ(モノクロームの版画集、象徴主義の批評家が支持)⑤エドガーアランポーに⑥起源⑦光の横顔(内側、内面から光っていることだけを描いている)⑧花の枠組み***⑨花冠****⑩気球1883年⑪沼の花⑫目を閉じて(妻を描いた? 色が出て来る)⑬目を閉じて1889年⑭神秘的な対話(草花が色で溢れる)⑮蜘蛛⑯青い花瓶の花々(60歳から花瓶に生けられた花を描くようになる、パステル画、ルドン発注のパステルのリスト、残っている、ルドンの使ったパステルは顔料だけで油が入っていない、厚塗りをしている、パステルは普通はしないこと)⑰野の花の花瓶(岐阜県美新収蔵品)⑲フォンスロワド修道院図書館壁画/昼&夜(最晩年の作品、日比野さんが模写したのはこれ)⑳アポロンの馬車㉑オルフェウスの死(死後の世界をまばゆい光で満たす)㉒オリヴィエ・センサー***(屏風絵、アールヌーボーの影響)。岐阜県美のコレクション展で、毎度の如く、ルドンの作品が出ていたが、それは、木炭画ばかりだったところへ、「所蔵全作品260点を出す」を売りに行われた「ルドン展」で、初めて、色彩の入った作品を観た。呆気にとられた、正直。自分の意識下にあることを掘り起こしたのか、夢でも見ているのかという不思議な作品しか知らなかったものだから、色が入ってるだけで驚いたし、また、その色彩が鮮やかなものだから、狐につままれたままで、作品を眺めていった記憶。それだけではなく、まともな形、してた。「普通の作家になったみたい」と、あのときは思った。しかし、木炭で描いていたときの、その描き方を、解説されたり、パステルを描くようになったときの細かな指示を教えられると、この人、無彩色だろうが有彩色だろうが関係ない、色へのこだわり、変わってないやんと思うものがあった。今度、ルドンを観たとき、印象が変わるかもしれないね。後半期の作品、もう一度、ゆっくり、観てみたいな、そう思った。
 講演会は、同博物館の企画展「美術にあらわされた動物たち -京の学校文化財-」 関連イベントとして行われたもの。「学校文化財にあらわされた動物たち」というお題で、同館学芸員の森田淑乃さんのお話を聴くことができた。まずは、同博物館の概要から始まる。定番のお話だが、でないと、収蔵品の背景が判らないということでお話されるから、これは付き合わねばならない。そこから後は、今回の展示作品を、描かれている動物ごとに区切って解説されていった。いくら小さな展示室といえども、展示作品は、全部、動物が入ってるから、結果、全作品の紹介となった。既に、作品は、前回、こちらへ来たときに観ているので、ほぼ判ってる。ほぼというのは、さすが、全部は覚えてない。多くは、スライドに出て来ると思い出す。でも、お話は、絵のちょっとした着眼点に触れたあとは、所蔵されている学校と作家の縁やら、作品を記した各学校の記念誌の紹介へと進んでしまう。著名な作家なら、その作家の紹介もできるだろうが、そこまで著名でないとなると、その辺のことをお喋りする手間を省かれてしまう。致し方ないとは思うが、その辺の作家の こと、作風とか、評価として定まっているものでなくてもいいから、学芸員の目での評価、個人的な評価なんてもの交えてでももらえたら、興趣も上がろうものでしょうが、数も多いこともあり、突っ込みは入らずじまい。ということで、またぞろ、居眠りが出てしまった。そんなで、西村五雲「油断大敵」、廣田百豊「仔犬群」、鈴木松年「猿廻し」などという、大家の作品は寝ている間に過ぎてしまっていた。結局、キャプションを読んで、作品を鑑賞するというので十分だったかな、それ以上の情報って、あまり出てこなかったかな。一つだけ、徽宗の作品を模しているというトピックがあったけど、その徽宗の作品は紹介されず、替わりに、同じく徽宗ものを模した菱田春草の作品を出されていた。「?」だったけど、菱田春草も、そういったことをしてたんだということを知れて、それはそれで良かったと思ったくらいかな。講演会終了後、3階の展示室から、もう一度、流しながら作品を観たが、染織作品のキリンと漆芸のシマウマ、この2つ、冴えてたなぁ。1階では、牛3点が並んでるのが、いいね。なんか、前と同じこと、書いてしまいました。


2025年 5月 31日(土)午後 6時 23分

 今日は、午後に落語会に行く予定を入れていた土曜日。大阪で、午後2時開演だったということもあり、午前中のウォーキングはミニ仕様で。それと、その落語会への往復だけが、今日のウォーキング。万歩計を見ると、僅かに10800歩余は寂しいが、時間の流れからすると致し方ない。帰宅が午後5時過ぎで、それから、改めてウォーキングをする気にはならないね。
 落語会はツギハギ荘であった「染吉っとんの会」。午後開催で都合が合えば、外さないようにしている落語会だ。ただ、主宰者の染吉が、宣伝して、情報を拡散して、客を呼び込もうという気がない。でも、少ないけど、毎度、客は集まる。マニアックな客ばかりだと、染吉自身が言ってる。毎回3席披露してくれる。20年余のキャリアの噺家さんでは、上方では随一と言っていいほどのネタ数を持っているから、毎度、大ネタが出る。今日の3席は、「一眼国」「腕喰い」「猫の忠信」ということで、このネタの並びだけで、濃~い。ネタ出しは「腕喰い」だったので、確かにトリネタではあるが、長さで言うと、大きなネタが隠れてるんじゃないかと、ましてや、染吉だから隠れてんじゃないかと思ったが、正解。なんと、「猫の忠信」だったのには、恐れ入った。長尺で、終わってから時計を見ると、ほぼほぼ50分、かかっていた。そんなにかかったっけと思うほど、時間の長さは感じなかった。駆け出しの頃は、前に個性を出す大胆さが、なかなか出なくて苦労していた染吉だが、時間は、人を育てます。稽古熱心、勉強熱心な噺家さんだから、精進が、確実に己の血肉になってるって感じがする。3席とも色の違う噺、出て来る人物も違う、それを描き分けて行ってる。殊に、「猫の忠信」は、これだけでも人物の描き分けが大変なのに、それが成果を生んでるから、地力が凄いものになっている。近年、コンペで評価されるようになったわけが、そんなのを見てると感じるな。「一眼国」は、ホント、久しぶりの遭遇。そもそも、露ののネタだし、あまり拡散してないから、そういうことになるのだが、ひょっとしたら、生で聴くのって、結婚する前の団姫の口演で聴いて以来かもしれない。「腕喰い」では、おもしろいことをやってくれました。通常の落ちの続きをしてくれた。師匠染丸の工夫だそうだ。あまりに中途半端な終わり方。下げにはなってるが、また、落語といえどもということで、夢落ちにしたということだった。これは、染吉自身が、終わってから解説をしてくれたが、聴くのも初めて、存在するのも知らなかった改変だった。この3つのネタの並び、終わってから、「今日は怪異ネタが並びました」と言っていました。なるほど、上手く言ったものです。


2025年 5月 31日(土)午前 7時 31分

 昨日は、1週間前と同じ行動。朝から出かけて、アスニー京都で市民向け公開講演会に行き、そのあと、嵐山に向かった。違ったのは、昼食を、昨日は、円町近くの公園で、一昨日の内に買ってあったパンで済ませたこと。先週食べたなか卯の親子丼の半分以下の出費で済む。僅かだけどね。でも、普通の定食を食べたとすれば、随分と節約になっている。もう一つ違ったのは、嵐山で行ったのは、福田美術館ではなく、嵐山文華館の方だった。二館共通券を買い、1枚ずつ使ったことになる。腰の安全を考えてのことは、先週も書いた。昨日は、このお出かけだけが外出。万歩計を見ると13400歩弱は少ない。だからと言って、夕方、ウォーキングのために出かける気にはならなかった。
 アスニー京都の講演会は、京都市都市緑化協会連携講座(梅小路公園開園30周年記念)として行われ、「京都の庭園から環境を考える」と題して、森本幸裕(京都大学名誉教授/京都市都市緑化協会理事長)さんのお話を聴くことができた。森本さんは、ここでの講演会、オンライン配信の講演でも聴いたことがあり、とても、お喋りの上手な方で、素人の自分にも判りやすくお話しいただける方という印象が強く残っているので、楽しみにしていた。確かに、その通りなんだけど、「雨庭」というタームを使い、環境問題を説き、実践されている方、その活動を具体的にお話されるとともに、そういったコンセプトに合致しているのが、京都に残る庭園だということで、その素晴らしさ、先人たちが、既に、森本さんが理論化されていることを、既に実践していたということを説かれたお話だったと思うけど、あれれ、去年もそうだったんじゃないと思ってしまった。新味という点で、残念だったというのが、率直な感想。それを察知したのか、丁度半ばで15分程、うとっとしてしまったので、そこで、新しい大事なことをお話されていたかもしれないが、、、。印象に残ったのは、梅小路公園が、平安遷都1200年を期しての事業で、森本さんの差配で、それこそ、「雨庭」を具体化するものとして作られたとか。あれ、忘れてたけど、ヤードの跡地なんですね。東京の汐留にせよ、大阪の梅田にせよ、いずれも商業施設に変身してしまったけど、京都はそうじゃなかったと言われてた。環境問題に熱心だった門川市長の時代だと言われてた。桂離宮の優秀性の中で印象に残っているのは、自然堤防を利用し、氾濫原も取り込むような形で作られているという点。しかも、自然堤防上に竹林を置いている。堤防としての強化とヴィジュアル的効果を兼ねているそうだ。修学院離宮って、初めて知ったのだけど、3箇所に分かれてるんだね、そして、それを繋ぐ道を作った。3箇所の離宮を移動しながら、自然の風景のみならず、道の脇で野良作業をする人々を眺めるのも、一興として捉えれるように作ったそうだ。それを差配したのが、実に後水尾天皇自身だった。変装して、作庭現場にまで来て指示を出したなんてエピソードまで残ってるそうな。名プロデューサーです。
 嵐山文華館では、「京都の巨匠・木島櫻谷 画三昧の生涯」と、福田美術館とタッグを組んでの展覧会が行われている。前後期に分けるなんて、余計なことをしたりするので、二館での展示数を確保するためか、1階では、「山水図屏風」という大部な屏風絵だけが、作品としては木島櫻谷もので、あとの絵画作品は、同時代を生きた大家の作品が並んだ。肝心の屏風絵は、右肩上がりに描かれ、要するに、それで、山の上昇感が出てるんだけど、とっても勇壮な印象を持ってしまう。それと、木島櫻谷ものでは、スケッチ旅行にでも出かけた際に持ち歩いたであろうアイテムが展示されていた。木島櫻谷は衣笠に住んでおり、その衣笠が、著名な作家が住んだところということで、ほぼ同時代に生きた著名作家の作品が1階の展示場を飾った。菊池契月が、あまり観たことのない歴史上の人物の肖像画「在五中将」、ちょっと花が大きく、頭が重そうな、村上華岳の「牡丹の園」、赤と紺とだけで描かれた、さすが独特の色彩感の小野竹喬「比叡」、水深が、意外と深そうなところに鯉を泳がせた徳岡神泉「鯉」を始め、堂本印象「新竹に雀」、金島桂華「鶺鴒」、山口華楊「蜜柑」、宇田荻邨「嵐山新緑」「大原女」が並ぶなか、自分的に気に入った、ないしは気になった作品が3点。1つ目は岩佐古香「朝顔日記図屏風」、二曲一双の屏風絵で、お題の通り、朝顔日記をテーマにしたもの。左隻に朝顔が乗って来たと思しき籠を描き、右隻に籠を出た朝顔さん、草履が脱げたのに、思わず後ろを振り返ったところを描いている。なんか、タッチが、上村松園の「焔」を思い出させてしまう。内なる感情の高まりを、なんかポップに描いてるように思えて、籠も、ポップな感じだし、そうかと思うと、振り返る朝顔さんの身体の線、見返り美人のそれなんだよね。気になった作品なんだね。その一方で、このときの朝顔さん、盲目のはずなんだけど、足弱じゃないのは、恋心のゆえ?と、突っ込んだり、、、。土田麦僊「大原風景」は機知に富んだ作品と見えてしまった。風景そのものは、別に普通なんだけど、それにフレームを加えている。絵の外枠に色を薄くして木や何やらを描いているから、フレームに見えてしまう。こんな構図の絵って、土田麦僊、他に観たことがないんで、印象に残ってしまった。3つ目は福田平八郎「若鮎」。お得意のデザイン化した鮎を、わりかし窮屈に泳がせている。狭いスペースに鮎を詰めて描いてるんだけど、その狭いスペースを、鮎が輪を作り泳いでる、動いてる。凄い画力だ! 2階の広い和室に移る。全て、木島櫻谷作品。3面に展示されるのは、いつも通り。その一面ごとに、各々、がたいも、テイストも異なる屏風絵が配置され、あとは掛け軸が並んだが、その屛風絵が良かった。1つ目は「松図屏風」、高砂の相生の松を描いた六曲一双の大作。左右で松の上下を描いたのかな。右隻に下部、左隻に上部なのかな? そういったおもしろい構図に眼が行った。2つ目が「鴉群飛図」、金地に墨で烏が6羽、飛んでるが、その鴉の配置が絶妙。その群れ方、瞬間を写真で捉えたような配置なのだ。高速度シャッターを切らないと、こんな配置、リアルな配置、捉えることできないよと思ってしまうほどの見事さだった。3つ目も絶妙の屏風絵「嵐山筏引船図」。保津川の筏引きを描いた横長の六曲一双の屏風絵。縦幅を著しく抑えてあるため、筏が川を長く伸びた感じが、見事に出てる。90度回転すると、目の前に、当の川が流れてる。今、正に、筏下りが来るのじゃないかと思わせる、見事な作品だった。掛け軸は、言い方は悪いが、祝言ものとして、頼まれものとして描いたんじゃないかと思えるものが多く、あまり興趣をそそられなかったが、その中で印象に残ったものだけ、メモっておく。秀逸は「布袋」、ふくよかなお腹、満面の笑みがこぼれそうな布袋さん、グッジョブです。「孤鹿図」は、鹿の後ろ姿を描いたもの。しかも、餌のない雪の積もった道に鹿、なるほど、それで後ろ姿かと、納得。でも、一瞬、牛に見えたが、鹿のリアルは、こうなんでしょうね。「夏山飛瀑」は、勇壮な瀑布を描いている。「滝」じゃなくて「瀑布」と描きたくなる描写力に立ちすくんでしまった。もう一つ、書くならば「月下竹林」かな? 勢い良く伸びた竹を3本だけにしぼり、大きな月を配置したもので、技巧に過ぎるなと思ったので、「もう一つ書くなら」と書いてしまった。それらの掛け軸には、自身が賛を認めたものもあり、これが、素人目にも、凄腕の書と見えたのが印象に残った。


2025年 5月 30日(金)午前 6時 12分

 昨日は休養日。但し、午前中にオンライン配信で講演を聴く予約をしてあった。それに加えて、一昨日に続き、昨日も洗濯日にしたので、午前中が、えらく窮屈になった。ウォーキングが、さすがにミニでしかできなかった。午後から、いつもの休養日に戻り、夕方のウォーキングは通常通り。万歩計を見ると15200歩余だから、こういった時間の流れからしたら、頑張ったと言えそうだ。
 講演会は、日本GIF主催のオンラインセミナー。今回は、「川がつなぐ国と国—ブラマプトラ川から見る国際機関業務の現場」というお題で、世界銀行 水グローバルプラクティス 上級水資源専門官の田中幸夫さん。アメリカ西海岸からZoomでの出演ということで、珍しい時間に、このイベントは設定された。お話は、定番の自己紹介から。田中さん、博士論文だったと言われてたと思うが、ユーフラテス川を書かれてる。いきなり、ツボにはまってきた。そして、お話は、国際河川の定義から。言葉としてまとめてもらうと有難い。「流域」に複数の国がある場合、国際河川というのが定義。「流域」の定義もされていた。分水嶺で囲まれた区域となる。その国際河川の使い方に、「上流優先」と「古田優先」という考え方が存している。早速、ユーフラテス川を例示された。前者で言えばトルコになり、後者で言えば古代文明が栄えたイラクとなる。へたすると、水争いになりかねないわけだから、優先を主張する国のまんまとなると、国際紛争に発展しかねない。1997年に、国連で国際水路に関する条約が出来上がり、成立するに必要な批准国数を満たしてはいるが、アメリカ、中国、ロシアなど大国は未批准、日本も、政治的配慮からか未批准という状態なため、関係国の間を取り持ちながら、河川管理の共同作業をコーディネートする世界銀行のような国連の組織が動いているということになっている。そこで、本題の南アジアに移る。南アジアにおける国際河川として、インダス、ガンジス、ブラマプトラがあるが、全てにインドが関わっている。インダス、ガンジスは、上流優位の状態になっているそうだ。ただ、インダス川は、世界銀行の仲介で妥協が成立していたが、今年の紛争で、インドが水協定を一旦停止するということがあったそうで、ここから、紛争が拡大していく要素をはらんでるということになる。お題のブラマプトラ川は、水源が中国にあり、ブータン、インド、バングラディシュと流れる大河。インド北東部のアッサム地方では、近年、洪水が増え、特産物の茶の品質が落ちていたり、河岸浸食が激しいという問題を抱えていたりする。下流にあるバングラディシュは、増水期に著しい洪水被害に悩まされている。逆に、渇水期に水を止められると困る。とまあ、この辺までは、頭がついていったが、世界銀行の活動として、具体的な施策内容になると、解らなくなっていき、寝落ちで、一層、理解が苦しくなっていった。後半の質疑応答で、中国のダム建設計画のトピックが話されていた。中国は、単独で計画するのが常だそうだが、このブラマプトラ川の場合は、水不足にまでの脅威にはならないとの見方が言われていた。それだけ、中下流域が多雨だということか! メコン川は、世銀の取り組みが成功した例として言われていたが、ここも中国に源があり、ダム建設をしたとの話を聞いたことあるが、成功したということは、脅威ではなかったというころなのか? お話では、東南アジアの経済成長と重なる時期に協力体制を築けたことで、自立した体制を組めたと言われていた。インドの政治的スタンスというのがおもしろかった。やっぱ、インドは大国のプライドがあるそうで、同じ下流国としてバングラディシュと手を組むという考えは取らないとか。そんな断片的なことは解るのだけど、結局、肝心のブラマプトラ川に関し、世銀がどう動いたかを、どう動けるかが判らずじまいだったので、もったいない時間を過ごしただけだったかもしれないな。
 午後の一時は韓国旅行の準備。もう3週間ちょいになってしまってる。昨日は、まず、韓国鉄道の鉄化しつつあるので、今まで乗ったことのない路線を2つ、押さえた。今回は少ない。釜山からの郊外電車を利用したり、釜山に戻るときはバスを利用するからだ。今回初めて、韓国鉄道の切符を買うのにスマホでやってみた。手先の不自由さがあるので、PCでもいい場合は、そちらでやってたが、今回は変えてみたら、かなりスマホで買う方が買いやすそうだし、チケット表示も容易い。でも、驚いたのは、まだ、売り出してからさほど日が経ってないにも拘わらず、「トンテグ(東大邱)~マサン(馬山)」は、売れ行きがいい。KTXだったこともあるが、ソウル辺りからも、一気にマサンまで来ようかという人が多いということなんだね。こんなことも、新たな勉強になったなと思う。そして、テグの調べものをした。去年の暮れに行ったときに、短時間のわりには、行くべきところ、わりかし行った。そこで、補充。先日から気になってた大邱美術館を、まず押さえて、国立大邱博物館も調べた。前者は、様々な展覧会を行っている。所蔵展もあれば、特別展もあると、韓国の美術館、追いかけるという楽しみができ、満足。今回も、現代アートの優れもののの展覧会があるようだが、難解な戦後のアメリカ事情が解ってないんで、着いて行けそうもないけど、行こうかなと考えている。韓国での美術館巡り、3月のチョンジュ(清州)&ソウルで、すっかり味を占めています。今回、釜山では、現代アート専用の美術館にも行く気になってるので、一面、自分好みのアートを巡る旅になりそうだ。ただ、テグで行きたいなと思う場所の繋ぎ方が難しそうなので、どういった組み合わせにすればいいかで、頭を悩ませそう。ソムンシジャン(西門市場)の再訪もしたいけど、他にも良さげなシジャンないか調べてる。時間から考えると、美術館とシジャンとの組み合わせかなとは思い始めてるため、またぞろ、都市公園巡りはムズイかもしれない。こういった下調べをして資料作りをしてると、ホント、時間の経つのは早いね。


2025年 5月 29日(木)午前 4時 41分

 昨日は、久しぶりに、午後から京都文化博物館の映画アーカイブの上映会に行った。丁度、同博物館の総合展示内のミニ展示で、新たなものが始まったということで、そちらも観てこようの計画だった。その行き帰り、帰りは、いつものように迂回コースでウォーキング仕様。それと、午前中の限られた時間内でのウォーキングを併せ、夕方、万歩計を見ると14400歩余と出ていた。昨日は、朝から洗濯もしたので、どうしても、午前中に時間の制約ができてしまった。気温が回復、そうなればそうで、ウォーキングをして帰宅すると、途端にTシャツは着替えねばならない。そんな一日だった。
 京都文化博物館の上映会、今月は「食べてる映画−映画での食の役割」というお題が付いている。それで、なんで、「用心棒」が入ってるのと、終わってからも思ったけど、その黒澤明作品を観に行った。考えてみると、主役の侍が、じっと抗争の成り行きを見守っているのが、街の中ほどにある飯屋だからということなんだと、ようやく納得。黒澤明ものということで、この映画の存在は、もちろん、知ってはいたが、観たことがなかったので、いい機会だということでのピックアップだ。主役の三船敏郎扮する侍が、適当に桑畑三十郎と名乗ったから、「あれ?」と思い、終わってから調べてみると、「椿三十郎」は、この映画を受けてのものだそうだ。その侍、超の字の付く凄腕。その侍が、木の棒を適当に倒して示された行き先だった町に来ると、その町は、二手に分かれて抗争の真っ最中。その両者を戦わせて、それで、双方ともに潰れるように持って行き、町の平穏を取り戻そうとする物語だ、簡単に書けば。茫漠感のある町の風景はいい。ときには砂ぼこりが舞い上がり、雨が降る。西部劇にリメイクされるという有名な話があるが、このセット、雰囲気、殺伐たる人間同士の抗争となると、テイストに共感したでしょうね。TVで放映された「三匹の侍」の見せたテイストって、こういった先行作品があればこそ、出来上がったのだと納得した。小汚い浪人、でも、凄腕、そして、正義感のある主人公。相手にも、飛び切りの腕利きが用意されてある。それを演じるのが仲代達矢。冒頭から、この男を出さないという台本的工夫も、上手い。出てないところで、主役の侍の凄腕を見せ、この男が、何をしようとしているのかを、観る者の頭に定着させるという役割を持たせている。何度か、両者はむき出しの対立を見せるかと思うと、妥協が成立をして、また、新たな火種が用意される。その辺の台本の差配が上手いのでしょうね、飽きることなく楽しむことができる。終盤には、桑畑三十郎が拘束され、拷問まで受ける。しかも、そこから、単独で逃げ出すというアイデアも用意されている。脇を固める役者がいい。侍の居場所になる飯屋の主人が東野英治郎、抗争グループのボスが、藤原釜足と河津清三郎。河津清三郎の女房が山田五十鈴、ちょっと頭の弱い男で筋立てのアクセント役が加藤大介、役人の殺しを頼まれた男に西村晃が出たり、司葉子や志村喬までキャスティングされてる。めっちゃ、豪華。夏木陽介は子役で出てた。1961年公開ということで、なじみの多い役者が数多く出てました。続編の「椿三十郎」も観たくなったな。これも観てないんで。
 映画の前後にミニ展示「ガラスの丹後王国の世界」を観た。弥生時代に出土したガラス製品を展示するものだった。数は多くないが、出土状況の写真や、墓の副葬品として出土してくるようで、細かなもののため、それらのガラス製品が出た周囲の土ごと掘り出し、そのまま保存、展示するというものもあった。当然、出てきたガラス製品を繋げて、埋葬されたときの状態にして展示されてるものが、ヴィジュアル的にはメ-ンかな? 時間の経過とともに科学変化を遂げ、白くなってるものも多数。水晶を加工したものもあり、なんせ堅いということで、その加工技術についても、キャプションで紹介されていた。こういったガラス製品は、特に、日本海側、なかでも、九州と丹後が多いそうだ。しかも、形状など、九州で出土するものとは違うそうで、交流相手の相違を示唆するそうだ。また、これだけのものが出るということは、それだけの権力者がいたわけで、門脇禎二が「丹後王国」の存在を言ったなんてトピックも紹介されていた。これはレプリカの展示だったが、「ガラス釧」と書かれた青のガラス、刀の束のような形状をした展示品が、誰が観ても最高の逸品。それだけで、十分、どえらい権力の存在を想像してしまったな。なお、この展示の冒頭には、丹後ではなく、京都御苑(公家町遺跡)で出土した「黒曜石」が展示されていた。ただ、時代は「旧石器時代から縄文時代」のものとされており、恐らく成分分析をされたからでしょうね、例の新潟県ものだそうだ。「ブラタモリ」でやってたあれです。広範囲の交易を臭わすものとして、番組で、大きく取り上げていたものが、京都にもやって来てたということになります。ホントにミニミニ展示だけど、なかなか楽しませてもらえるものだったな。


2025年 5月 28日(水)午前 7時 12分

 昨日は、午後の少し遅めに出かけて、京都の岡崎でハシゴをした。珍しく、夜に市民寄席に行くことにしていたので、それまでの時間を有効活用ということで、京セラ美術館に行ったのだ。だから、昨日のウォーキングは、午前中は、ごく普通。だけど、午後の行動を考え、少し多めに歩こうとしたら、午前中だけで1万歩近く、歩いてた。夜、万歩計を見ると17800歩余だったから、調整はうまくいったようだ。
 京セラ美術館では、「松本市美術館所蔵 草間彌生 版画の世界ー反復と増殖ー」という展覧会が行われている。どうやら、この後、巡回するようだが、かなりの作品が用意されているようで、前後期で、総入れ替えをするという。この展覧会があるまで、草間彌生を、版画制作という目で観たことがなかった。結構な数の草間作品は観ていると思うが、版画だと意識して観てなかった。それだけ、目の前にある水玉模様に眼を奪われていたということか。そして、キャプションを読んでいると、版画の方法、全てを駆使して、作品を発表しているという。近年では、浮世絵の手法を受け継いでいる、なんちゃらというグループと巨大な木版の富士山を描いている。「富士山、わたし大好き」などという題の付いた作品だが、草間彌生の描いた下絵は超巨大。それを縮小して彫り、摺るという作業について、手すき紙の調達も含めて、作品とともに特別なキャプションを設けてあった。終盤の「境界なきイメージ境界なきイメージ Endless Images」「単色のメッセージ単色のメッセージ Monochromes」という章立て以外は、抽象表現ではなく、全て、形あるものだった。付けてあるお題に符合する形があったが、それらは、全て、網目や水玉で出来上がっている。人の顔に眼や鼻を付け加える程度で、それ以外の筆が運ばれているというもの。それらの作品の種明かしは、折々のキャプションに書かれてある草間彌生の精神状態に関わるということで、その内容については、草間作品の展示があるとき、毎度のようにキャプションでお目にかかってきたもの。ここまで、そうなんだという理解だったが、今回の最後の2つの章立てで、出発点はここなんだと了解できたように思えた。これらの章では、「道」「街」などのようなお題が付いていても、それらを、そのままの形では捉えることはできない。まるで、アールブリュットの作品を観ているみたいと思ってしまった。繰り返し繰り返し、網目や水玉の原型が連なっている。この日曜日に放映された「no art, no life」で観た釘の造形と、どこが違うんだろうかと思ってしまうような線画なのだ。そのプロットを使い、形あるものにした、そういった作品が、最後の2つの章に至るまでの章立てだったように思え、「種明かし」だと思ってしまったのだった。ただ、色彩が異彩を放ち、強烈なインパクトを与えることは間違いない。黄色や赤のインパクトは強い。キャプションに、草間は、新たな試みをする場合は、まずはモノクロ作品を出し、それから色彩の入った作品を出してきたと書いてあった。だから、2段階になってるということで、色彩も込めてのものが、アプリオリに浮かんでるんじゃないってことですね。一つの章立て(愛すべき南瓜たち愛すべき南瓜たち I Love Pumpkins)にもなっていた南瓜もそうだが、同じ原画に着色を替えてる作品も、結構、あったんじゃないかな。「輝きの世界輝きの世界 A World of Brilliance」という章立てでは、ラメを使うという作品が並んでいた。色が入ると、今度は、輝きを求めた、そういったディスコースのようだ。最後は、最新の作品「愛はとこしえ愛はとこしえ Love Forever」連作。これも、またしても、モノクロ作品。制作風景の動画も展示されていた。大きなキャンパスにマジックインキかな、それを使い、描いていた。線描的な感じだが、それに、ここまでの網目や水玉が加わり、具体的な顔や花といったものが描き加えられるという巨大作品群だった。新たな進化が始まってるのかもしれないけど、草間彌生、既に、齢90を超えてるよ!
 美術館では、現代アートの展示が、無料で観ることができる。「ザ・トライアングル」で行われているのだが、今は「迎英里子:approach 3.1」という展示だ。上から階段を降りて行った。すると、布が何枚も垂らされている。そして、下のスペースには、布を折りたたみ、それらを一まとめに括って置かれてあり、その側に映像が流されている。時間もあったので、それを眺める。すると、映像には、スペースの中央に置かれてある布が、実は、垂らされている布を切ったものだと判る。次に、それらの布を一まとめにして括って終わりだったが、映像が最初に戻ると、冒頭は、大きな布袋を上から落とすところからスタート。次に、上から、布を垂らしていく。となると、最初、映像を観たところに繋がると思い、ここで、初めてキャプション を読みに行き、びっくり。「月経」を表したものという。それを、可視化しようとする試みだと、すぐに判った。大きな布袋を上から落としたことから始まるというのは「排卵」が始まったことを示すのだ。「そか」と思い、再度、映像を観に行く。でも、結構な時間が経っていたので、時計を見る。午後6時3分前だった。ここ、午後6時、閉館だということで、続きを観ることを諦めたが、おもしろい! 作家さんの名前、どこかで観たような気がするんだけど、おもしろいこと、考える人だ!
 「京都市民寄席」は、すぐ近くのロームシアター京都のサウスホールであった。手前の広場で、買って行ったパンで虫あしらいをして、開場時間を少し過ぎてから行ったが、凄い列。でも、並ばないと入れないので並んだ。この市民寄席には、番組を見て、行く行かないを決めている。昨日の番組は気に入ったということでのチョイスだった。その番組は、次のようなものだった。小文三「子ほめ」、眞「コンパ大作戦(桂あやめ作)」、竹林「いらちの愛宕詣り」、桂雀三郎「三十石」。四者四様、狙いがあった。小文三は、コロナ禍前に年季明けしていたはずなのだが、遭遇経験がなかった。どんな噺家さんだか、聴いてみたかった。えらく落ち着いていた。この広い会場で、物おじしていないのに好感。一方で、それは、初々しさに欠けるということでもあった。でも、お喋りがしっかりしているのがいい。落研出身かなぁという臭さも感じた噺家さんだった。京都外大出身だと、初めて知った。眞のこのネタも狙いだった。これやり出してから、わりかし時間が経ってるはずなんで、聴いてみたかったのだ。本人も言ってたけれど、眞には「冒険」だったはず。人に合わないもん。女性の上方落語家で唯一、男着物を着る噺家さん。それが似合うボーイッシュな顔立ち。その噺家さんには縁遠いネタのはずだからだ。「こわもの観たさ」という目が自分にあったのか、ネタに入ると、「頑張ってる」「表現の幅、拡がるかもしれんで、今後」と思わせられた。素敵なチャレンジです。竹林は、この人が聴きたかった。とにかく、自分の空気を作ることが、めっちゃ上手い人。マクラで、しょーもないこと言って、どんどんと自分のテリトリーに入れていく。そうそう、これが聴きたかったんだよ! ただ、ちょっと喉の調子が良くないのかな? ハスキーな感じ。本人も気にしているようで、用意した湯呑から白湯でしょうが、何度も口にしていました。ネタは、元々がこってり感のあるものなんで、さらり系で演じるのも、いいな。そして、最後の狙いは、雀三郎で「三十石」を聴ける幸せだった。よく後輩の噺家さんが「雀三郎師匠は、元気やわぁ」という言い方をするが、全く、同感。老いが感じられない。凄いわ、それだけでも。ネタは、伏見の浜から。舟唄は、全部、自分で歌うパターン。これ、久しぶりじゃないかな。今日のメンバーだと、幕内からだと、鳴り物で入ってる二豆の可能性あるかなと思ったのですが、完全に外れた。最初、えへん虫がいた雀三郎の喉だったけど、徐々にいなくなり、期待通りの舟唄、半ばからばっちりでした。


2025年 5月 26日(月)午後 8時 32分

 今週は、3回、落語会に行くという予定を入れている。前売券を買ったのが2回。もう1回も、既に予約を入れてある。今日は、前売券を買ってあったもの。繫昌亭昼席だった。開演が午後1時半だということで、午前中のウォーキングはミニで。それと、今日も、気温が低いので、午後のお出かけの格好の見立てを立てることも兼ねてだった。迷ったが、結局、昨日と同じ格好。半袖のTシャツに、薄いウインドブレーカーをひっかけて行った。昨日より、気温が下がってるようなので、もう少し厚手のものの方がいいかなと思ったが、どうしても5月末だからと思うと、薄手の方を採ってしまったが、それで判断は間違ってなかった。だけど、朝晩、電気ストーブをつけたほど、屋内だと冷える。それで、午前中のミニでのウォーキングと繁昌亭の往復が、本日のウォーキング。万歩計を見ると、13600歩余だが、これは、お昼を、京橋駅構内の立食いソバで済ませたあと、京橋駅から繫昌亭まで徒歩移動をしたからだ。30分弱の距離だけど、これで、ウォーキングの量を稼ぐという、ちょっとした努力の結果でもある。
 繫昌亭昼席は、今週は「露の紫 第19回繁昌亭大賞奨励賞受賞記念ウィーク」と銘打たれた興行。これに行くつもりだったので、「花形演芸フェスティバル」の際の紫トリの日を断念した。1週間の内、予定の詰まってない日で、今日を選んだのは、紫の師匠都が出るというのが最大の理由だが、それに加えて、口上の司会を福丸が担当して、その口上にたまが並ぶというのが、とってもおいしいと思ったからだ。その番組は、次のようなものだった。源太「牛ほめ」、三語「青い瞳をした会長さん(桂三枝作)」、文三「あご外し」、大森くみこ「無声映画/お隣さん」、福丸「阿弥陀池」、都「星野屋」、(中入り)、【記念口上】文三・都・たま・紫・福丸(司会)、たま「ブラックコーヒー」、真山隼人(沢村さくら)「水戸黄門/石碑建立」、紫「厩火事」。源太は、大谷と同年齢という掴みがヒット。一挙に空気が温まる。あとで出た隼人くんも同い年だった。こういったとき、あとで出て、同じことを言っても、おっさん顔だから使える。「牛ほめ」は、上手く刈り込みながら、牛ほめまで行く。但し、牛ほめというか娘ほめ。三語は、若いときの方がしっかり口調。それが、時を経て、ぶっきら口調になり、個性を前に出せるようになったなと思う噺家さん。毒を吐いて、文鹿のようになってくれてもいいのになと思ってしまった。文三は、ビッグマックを一口で食べようとして、顎が外れた話。これ、実話で、何度か聴いたことがあるけど、うだうだ話にして、繫昌亭でもやるようになってるんですね。東京の寄席では、こういったうだうだ話で高座を降りる人、結構いるけど、大阪にはいないなと思ってたら、やってくれるようになっています。「落語をする」という有形無形の縛りが、繫昌亭ではあったような気がしていたが、そうでもなくなってきてるのかな? 大森くみこは、ようやく遭遇できました。思いの外、若い女の子風の人が出てきて、あれれとなった。声優さんみたいに、声の色を、いろいろ持っている人という感じで、弁士のイメージとは、微妙に違うけど、これはこれで、おもしろい。で、取り上げた映画は、バスター・キートン主演の「お隣さん」。CGも何もない時代に、とんでもないアクロバチックなことやってます。こんな凄いの見せられると、一度、どこかでバスター・キートンものを、まとめ観しなきゃの気になってしまった。福丸も、おもしろい刈り込みを見せてくれた。言いふらしに行く男、2件で試してみるが、それを1回にまとめてしまったのだ。こんな刈り込みを見せたの、福丸が初めて、遭遇したのがだが、そうはいるまいと思う。端正なお喋りが得意な印象がありがちな福丸だが、巧みなクレッシェンドが噺を盛り上げていました。都は健在だった。年齢による衰え、一切、感じさせない。それを確認できただけでも、都の高座を聴いたかいというものがある。相変わらず、マクラが絶品。喋り過ぎたが、ネタは、きっちりとやってくれた。都が「星野屋」を持っていることは知っていたが、遭遇、初めてのはず。めっちゃ、良かった。ここまで、キャラ付けの上手い人だったのか、声質に幅のある人だったのかとも思った。老成するどころか、進化途中とも思える高座に遭遇できて、狙いが当たり過ぎだった。口上がいい感じで、各々が、紫のこと、よく判ってるという感じで、毒を吐いても、スムーズに入って来る。紫、喜んでると思えるからだ。師匠が弟子のことを語る、これ、聴く値打ちがある。結果、口上が押してしまい、たまは上がるなり、「持ち時間2分です」と言い、ホントに、落ちのある噺をして下りちゃった。その噺は、都の元弟子の話。すぐに下りたので慌てたのが隼人くん。噺家さんとの付き合いがあるあるの浪曲師さんなので、繫昌亭ではホーム感を持って喋ってるという感じだ。ネタはおなじみのもの。毛利の殿さんが、黄門の書いた高札を見るかという際々で終えるという定番の切り上げ方も、短時間の口演の中に仕込んでました。そして、トリの紫は「厩火事」。紫も、久しぶりに聴いたけど、腕上げたなと、率直に思った。特に、終盤に入る前までが抜群に上手いと思った。男だけではなく、女の描き方が、落語というフィルターが入っている。終盤前までと書いたのは、その後は、過剰だと思う所作なり台詞が入ったからだ。いい感じで推移すると、それが出てしまう。「頭に乗る」という書き方は書き過ぎだけど、そこまで行けるという判断を、そこまで行ったらあかんかもと思ってしまったのだった。でも、貫禄の口演。いいウィークのスタートでした。


2025年 5月 26日(月)午前 5時 50分

 一昨日から気温が低下。一昨晩からは、夜も遅くなると、電気ストーブをつけている。寒い。おかげで、ストーブの前が気持ちよくて、冬のように、その前で寝落ち。昨日は昼間も、肌寒い。変な天気だ。昨日は日曜日ということで、朝から「日曜美術館」の新作を楽しんだが、「アートシーン」が終わろうとしている時間に外出。だから、「日曜美術館」が始まる前に、お出かけ準備は整えてあった。その格好で「日曜美術館」は視聴。というのも、午前11時に淀屋橋駅集合で息子と待ち合わせ。ところが、電車を降りる前にメールを開けると、「Dは体調不良のため、Sとだけ向かいます」とあった。一昨日、息子と、昨日のことを打ち合わせをしていると、横から割り込んできたDは元気な声を出していたのだけど、出がけにお腹の不調を訴えたので、お休みとなった由。昨日の計画は、「六甲ライナー」に乗ること。電車好きのDが言い出したのだろうと思い、Sに会うと、早速、「Sくんは、六甲ライナーでいいの?」と尋ねると、「僕も乗りたい」「ポートライナーは乗ったことがあるけど、六甲ライナー、まだやねん」と、Dと同じことを言う。じゃ行こうということで、北新地駅から住吉駅へ向かうことにした。一昨日の内にググっておいて、住吉駅前に、手ごろな韓国料理屋があるので、そこへ行こうと言うと、難色を示す。「こないだ、行ったやんか」と言っても、「よくなかった」と応じる。横から、息子が「タイ料理は、どうやった?」と振る。去年のタイ旅行で経験しているはずなんだけど、「嫌」と答えて、次に言った言い方がおもろかった。「都道府県のもんがええねん」。結局、外国もんはだめで、だからと言って、日本のものを食べるわけでもない。めっちゃ、嫌いが多いのがS。仕方ないので、電車に乗る前に、駅前ビルで食べて行こうとなったが、11時半になってなかったものだから、まだ、多くの店は開ける前。「ラーメンが食べたい」と言うS、大人二人は、昼から飲む気になってるものだから、開いてそうで、それらしき店を言っても、乗ってくれない。ようやく、ある居酒屋前で、「ここ、どう?」と言うと、「いいよ」と言ってくれた。さっきまで、「居酒屋はダメ」と言ってたのだが、あまり店が開いてないのを見て「いいよ」と言ってくれたようだった。思わず、息子に、「ここ、ええよと言うてくれてるでぇ」で、即決。また、うまい具合に、その店、ラーメンをメニューに入れてくれていたから、結果、Sにも良かったとなった。いつもなら、大人が飲みながら喋っていても、子ども二人で遊ぶのだけど、昨日は、相手がいないから、飽きるのが早い。もうちょっと飲みたかったが、「Sがあかんわ」ということで、退散。再び、北新地駅へ戻り、甲子園口乗り換えで住吉駅へ。甲子園口乗り換えなんて、電車、あるんですね。始発駅から六甲ライナーに乗る。発車間際だったので、一番前は座れないけど、ちっこいSは、一番前に立って進行方向を観ることができた。この電車、路線は短いけど、六甲アイランドに渡るところが、いいんだよね。海を渡る、あまりない経験だけど、ポートライナーでSは経験済み。「ポートライナーの方が速い」と言ってました。マリンパーク終点まで乗るが、周りには、何もなさそうということで、乗ってきた電車で、アイランドセンター駅まで戻り下車。上から見えてたんだけど、駅前の広場を使い、出店やアトラクションで、人がいっぱい。子どもが多そうに見えたので、足は、自然とそちらに向かう。あとで調べて判ったのだが、「六甲アイランドウェルカムフェスティバル2025」というイベントが行われていたのだ。「これがあるの判ってたら、ここでご飯を食べたのに」と、後悔。「ケバブを、缶ビールで食べたかった」とは、息子の残念の表現。有料で、子どもたちが遊べる場も用意。それこそ、クリスマス・マーケットにでもあるような場が用意されていた。Sが目を付けたのは、ワニの作り物が目立つ、早い話が滑り台。えらく人が並んでる。そういった遊具が一番人気のようだった。「並ぶ」というので、一緒に並んだ。その間に、息子が金券を買いに行ってくれた。4分間という時間制限内で、何度も滑ることができる。S、めっちゃ、楽しそうだった。それが終わると、池の周りに配置されている石で遊ぶS。子どもは、なんでも、遊びにつなげる力を持っている。写真も、いっぱい撮った。撮った写真で見ると、めっちゃ、Sが可愛く見える。何もないかなと思っていた六甲アイランドだったが、このイベントのおかげで、とってもいい時間を過ごせた。帰りは、阪神電車。Sには、なかなか乗る機会のない電車だ。電車内では、そこまでに撮った写真を、Sと二人でわいわい。そして、電車内で、お誕生日プレゼントを渡す。Sのちっちゃなリュックにも入った。梅田に着く。甘いものを食べて帰ろうと、阪神の地下とか、ディアモールに行くも、適当なところが見つからず、結局、前にも行ったことのあるカフェへ。以前は、うまく食べれなかったソフトクリームも、上手に食べれるようになっている。お兄ちゃんになったものだ。帰りの電車は、気が付けば、Sは居眠り。そのまま抱きかかえられて、電車を降りて行った。めっちゃ、可愛い。
 後先になるが、「日曜美術館」の内容をメモっておく。「日本の宝 祈りのかたち」というお題で、MCの二人が奈良国立博物館に行き、ここで行われている「超国宝展」の会場でのロケを中心に、同じように、国宝を集めた展覧会を行っている京都国立博物館、大阪市美術館での展示品も挟みながら、時代を追っての祈りの形を伝えるというものだった。紹介されたものをメモっておく。【飛鳥時代】①観音菩薩立像/百済観音/法隆寺(1400年前、日本で制作、樟の木の一木造り、上半身は我々と変わらないが腰から下が長い、光背は灯が揺らいでいて腕から天衣が下がる、足元に須弥山、その上に立つ観音、これらで神々しさを演出している)、【奈良時代】②刺繍釈迦如来説法図(刺繍作品の最高傑作、唐の工房から日本に伝わる)③小観音菩薩立像/薬師寺[大阪](遣唐使が伝えた)④鑑真和上坐像/唐招提寺)[大阪](脱活乾漆という手法)、【平安時代】⑤釈迦如座像/室生寺(ほぼ1本のかやの木で作られている、安定感のある三角形で生まれた量感が存在感を表す、衣の波・ひだ=翻波式衣紋)⑥八幡宮三神坐像(神の像)⑦宝誌和尚立像[京都](和尚の顔が割れ、内から観音が現れる、日本で唯一現存の造形、なた彫り=十一面観音像にある彫り方)⑧宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱[京都](醍醐天皇が空海が唐から持ち帰った経典を守るために作らせた蒔絵の箱)⑧金地螺鈿毛抜形太刀(藤原氏が春日大社へ献上、竹林の中の猫、雀を捉えようとしている、猫を表した最古のもの、目に色ガラス、光の関係で七色に光る)、【鎌倉時代】⑨大日如来坐像/円成寺(運慶作、写実性を追求、「生身」(この世にあらわれる)を求める信仰がリアルな表現進める、奈良で肉体表現の仏像を見て育った運慶ならでは)⑩天燈鬼立像/興福寺(燈ろうを捧げる鬼、仏のために頑張る鬼)⑪重源上人坐像(しわ、たるみのリアリティ、寄木造り、生きざまのリアリティまで表している、東大寺再建に生涯を捧げた僧、運慶作? 快慶作?)。いずれの展覧会も行く予定に入れてないため、ここでの放映は有難かった。仕方のないことだが、ダイジェスト版なので、何か月か後には後悔するかもしれないけど、仏像とかの仏教美術は行かないようにしている。何でもかんでもになるので、一応の線引きをしてるので行かないのだけど、面割れの仏体だけは、生で観てみたいと思ったな。あまりにも異形すぎるから、また、発想も異形だよと思ってしまったから。


2025年 5月 24日(土)午後 8時 52分

 今日は、午後に、昨日同様、アスニー京都へ行く予定が入っていた。雨模様の天気が、一日中、続いたが、午前中は、お時間に合わせて、ミニでのウォーキングと、明日は、息子家族と、朝から出かけることになっているので、明日の分も含めて、一応の食糧調達をしておいた。午後、メールボックスを開けると、思わぬ嬉しい知らせが入っていた。先日、アマゾン屋さんで買ったSへのお誕生日プレゼントが、明日、配送予定との通知をもらっていたが、今日中に届きそうというメールだった。これだと、明日、ちょっと早いけど、Sに渡すことができる。息子に、その旨、伝えて、若干、大きめのカバンを持ってくるように伝えると、ものを失念している息子は難色を示した。「Sくんに聞いてみ」「プレゼントは何か、覚えてるから」と言うと、僅かの間を置いて、電話の向こうで大きな声を上げる息子。すっかり、息子はものが何かを忘れてたけど、Sは、しっかりと覚えてた。これ、1年前、「来年は、○○やで」「Dにも、同じ歳のときに買ったからな」と言っただけやったのに、こないだ会ったとき、自分から言い出したこと、しっかりと覚えてたので、息子に、「聞いてみ」と言ったのだった。で、今日のウォーキング、万歩計を見ると14300歩余になっていた。
 アスニー京都は、土曜日ということで「京都学講座」だった。これは、月1での開催だ。今日は、「長岡京北郊の様相-溝路遺跡の調査成果を中心に」というお題で、京都市埋蔵文化財研究所の中谷正和さんのお話を聴くことができた。長岡京跡は、向日市、長岡京市、大山崎町にまたがっているが、京都市内にも入り込んでいる。お題にある「溝路遺跡」は、JR向日駅の東側に位置する。桂川の西にも京都市があるのは判っていたが、この遺跡は、向日駅の僅かに東でしかない、かなり迫ったところまで京都市内。だから、京都市の文化財講座で、このようなお話を聴くことができるというわけだ。実は、今日も、寝落ちをしてしまった。それが、今日は、珍しく、講演の山というか、本体部分、即ち、「溝路遺跡」の発掘結果報告の部分は、しっかりと聴けていたが、序に相当する長岡京というものは、そういった概略的な内容、それと、「溝路遺跡」のあと、お題にある「長岡京北郊」を知り、発掘の成果の位置づけをされようとして、近郊の遺跡についてのお話もされたところが抜けてしまっている。そういった前提で、メモを残しておきたいと思う。長岡京域は、そもそも確定していない、このトピックは聴いたことがある。なんせ、短期間だったこともあり、未整備のまま、引き揚げられてしまったこともあるだろうし、なんせ、近接地域に桂川が流れている。かなり氾濫を起こしたようであるため、南東部なんか、手出しすらされる前に引き上げられた、そんな話を聴いたことがある。が、今日のお題は、「北郊」で、従来、長岡京の外とされてきた区域の発掘になるが、その発掘で、長岡京の区画から伸びた道跡が見つかったというのだ。しかも、南北だけではなく、それに直行する東西の道路跡もだ。側溝に挟まれたスペースが道と考えられるということで、それが、内部から続いているというのだ。更に、そういった区域から住居跡、倉庫跡と考えられる柱跡が見つかり、公的な施設があったのじゃないか、それに関わる人たちの住居跡なのかもしれない、そういった発掘結果が出てきたものだから、長岡京域の外にも内部同様のようになっていたと考えられると言っておられた。二区画分北に行ったところまで、道跡が確認できるそうだが、発掘区域は、かなり限られた箇所になるので、今後の発掘で、そういった想定が証明されればいいのだがと言われていた。出土品のトピックで覚えているのが、なんせ、初耳のもので、中身が変わってるものだったおかげで、しっかりと記憶に残っているのが「人面墨書土器」。境界祭祀に使われたアイテムだ。疫病とかの災いを、宮域から追い出したいとの願いから行われた祭祀で使われた道具だそうなんだが、それを、外へと追い出すために、境界で行われた。そういった境界域で出土してくるのでしょうが、その境界の3箇所が判ってるそうだ。宮域の平面図は四角形だから、その四隅が確定できれば、長岡京域が判明するということで、ただ、それを証明する考古学的発見がないと確定できないが、「溝路遺跡」の発掘により、そこに近づく、一つの前進だったようだ。


2025年 5月 24日(土)午前 6時 42分

 昨日は、朝から出かけて、京都市内でハシゴをした。金曜日の朝から出かけるとなれば、アスニー京都での市民向け公開講演会。そして、終了後、円町のなか卯で親子丼で昼食。午後は嵐山に行った。インバウンドと修学旅行生で大混雑の嵐山。これを考えると尻込みをしてしまうのだが、福田美術館での展覧会を観たくて行ってしまった。渡月橋と大徳寺の間は異常だわ。日本国内だと来れるんだから、修学旅行で嵐山行くの、止めて欲しい。ちょっとでもましになるのではと、勝手なこと考えたけど、あながち変でもないと思う。あんな大混雑の観光地へ、生徒を連れて行こうと思うのこそが尋常でないと思ってしまうのだが、、、。昨日は、この往復だけが外出時間ということで、それが、昨日のウォーキングとなるが、万歩計を見ると12300歩余だった。福田美術館は、小ぶりな美術館だから、ゆっくり回っても、腰への負担はさほどではないが、だからと言って。展覧会の第2会場となっている嵐山文華館には、日を替えて行く。これは、2つの美術館を、腰の不安を考えないで観て回るためで、今回もそうする。となると、再度、あの大混雑に遭遇しなければならない。それが不安だ。
 アスニー京都での講演会は、「空飛ぶ亀の物語~説話から読み解く怨霊について~」というお題で、佐藤愛弓(大谷大学文学部文学科教授)さんのお話を聴くことができた。説話から、時代の雰囲気なりなんなりを読み解く、なかなかおもしろいテーマだが、お題で「空飛ぶ亀」と書かれてあるものだから、得体の知れない講演のようで、集客力が落ちるのではと思いながら出かけたが、そうでもなかった。結構な入りで、それに、まず驚かされた。亀が読経をしている僧の側に現れ、それに気づきながら、そのまま、僧は読経を続けていると、亀が宙に舞い上がり空に飛んで行ってしまうという説話が、「真言記」に出て来るという。「真言記」という説話集の存在を、まず知らなかった。「今昔物語」「宇治拾遺物語」というのが定番だろう、説話集と言えば。確かに、佐藤さんも、そう言われていた。「真言記」を研究をする人はレアだとのことだ。この説話、続きがあり、その翌日、火雷伸が現れ、「昨日、見て見ぬふりをしたな」と、その僧にクレームをつける。しかも、そのわけというのが、びっくりで、「わいの話も、ちーとは聞いてくれや」的な物言いをする。えらく、やわな神だ。この苦しむ神というトピックって、能を観てると、そんなに珍しくない。「苦しみを持ち、読経を願う」神、「葛城」なんかが、すぐに思い出される。本地垂迹であるあるモチーフだ。ただ、この火雷神、クレームをつけたあと、「そんなんしてると、来年の6月、清涼殿で、また、えらいこと起こるで」と、意味深というか、脅しのようなことを言って立ち去るというのだ。ここまで来て、その話かと思った。能「雷電」じゃないか! 道真の物語が、こういった形で出てきてるというわけだ。その道真の怨霊物語を拡散したのは「北野天神絵巻」。これ、どこかの博物館の展示で観たことがある。亜流の絵巻だったかもしれない。結構、無茶なこと描いてるというトピックを挟みながら、その道真の怨霊物語自体が変だと、問題を投げかけられた。道真をはめた誰だったか、それはいいとして、その貴族が亡くなったのが、道真が大宰府で亡くなってから6年も経ってから。怨霊の仕業にしては、間が開いている。しかも、清涼殿に落雷したりして、道真を祀り上げるとなったのは、30年近くも経ってからという。となると、言われるまでもなく解る。仕掛人がいるいということだ。特に、道真が仇を成すなら、自身をハメた人物にこそすれ、朝廷を敵に回すような清涼殿攻撃というのは、辻褄が合わない。道真の苦悩、神となった道真の苦悩を癒すのは、仏の教えというディスコースへと流し込む、これが仕掛だという。そのための方策として、「真言記」のような説話集が、大きな役割を果たしたというような内容だったと思う。勧修寺や醍醐寺の創建とも、このことが関連しているかもしれないと言われていた。となると、かなりどころではない、大掛かりなこと。密教による鎮護国家が図られるというトピックは、言葉としては理解している。そういったコンテキストのお話だったということですね。ただ、そうだとなると、お題にある「空を飛ぶ」は理解できても、「なんで、亀?」は残っちゃう。ここが判ってないとは言われていた。ま、それはいいとして、なかなか、おもしろいお話。当たりだった。どんなお話か、始まる前は、全く判らなかっただけに、余計におもしろかった。
 福田美術館では、「京都の巨匠・木島櫻谷 画三昧の生涯」という展覧会が、近所の嵐山文華館とともに行われている。いつものことだが、両館共通券買うのだが、嵐山文華館の方は後日にしている。そうしておくと、不安のある腰のことを考えないで、1つ1つ、ゆっくりと楽しめるからだ。嵐山文華館へは、先程、予定表を見ると、来週、同じパターンで行けそうだ。お昼は、どうしよう。今度は、安くあげるなら、好き家だな。パンを買っても、食べれるところに程よいところがなさそうなんでね。で、木島櫻谷にターゲットをしぼった展覧会を、福田美術館で観るのは初めてだ。以前、同じような展覧会があったのだが、なぜか、スルーしてしまっている。もちろん、木島櫻谷ものは、さすが、京都だけあり、いろんなところで観てるけどね。福田美術館は、木島櫻谷ものを、さすがに多く持っているので、自在の展示ができそうだ。今回は、木島文庫や個人の所蔵品だけではなく、京セラ美術館所蔵品も、何点か来ているようだ。1階は、師匠筋に当たる2名の作家、今尾景年(牡丹唐山雀図、巻丹錦鶏図、胡枝花渡雁図、寒菊飛鴨図)と菊池容斎(船上山行幸之図)と並び、木島櫻谷が模写を残しているという渡辺崋山の「春江煙雨」も展示されていたが、師匠筋の作品では、渡辺崋山ものが、気に入ったという点では抜き出ていた。水墨画で、山水図と言っていい作品なのだが、何か、春の花を抱く草木が目に入るわけではないのだけれど、どう見ても春にしか見えないのだ、この絵。ゆったりとした空気が流れ、気温も感じてんでしょうね、暑いとか寒いという言葉が出てこない。秋でもない、春の軽くけだるそうな空気が流れている。山を表す曲線の描き方や、川と山の間が、どことなく間延びをしたようなスペースにしてあったりで、そういった空気を感じさせてるのだと、勝手に了解。それらを挟むようにして、主役の作品が並ぶ。龍を描いていたり(龍頭観音図)、美人画があったり(双美図)、歴史画があったり(家康奇智、剣の舞)と、あれれ、あまりなじみのない素材を描いたものから始まった。風景を描いたり、それとともに、動物が描かれてあるというのが、自分的なる木島櫻谷だからだ。師匠筋の作家に次ぐ木島櫻谷作品が、そういった自分的イメージに応えてくれるものが並んだ。動物画が出てきた。大部な「鶴図屏風」が目を引く。右隻には親鳥1羽に若い雛鳥2羽、左隻には親鳥1羽だけと、数で左右のバランスをとるという定石のままだけど、鶴とともに描かれてある竹が違う。視点を変えてるだけかもしれないが、右隻の竹は、真横からで上の部分に葉っぱがあるが、左隻の竹は斜め前上から描いてるから、葉に包まれた姿になっている。この視点の違いを左右に持って来るのは、変化を持たせるため? 「定番すぎるやろ」と突っ込んだ「月下鵆図」があるかと思うと、馬の大首絵と言っていい「馬図」があり、木立の下をうろつく狸を描いた「竹雨」がありで、なかなかおもしろい。この狸、どことなくかいらしい。その並びに、浅井忠「風景」(なんと、水墨画!)まで展示されている。木島櫻谷が洋画も研究していたからだというが、その浅井作品に並べて、木島櫻谷の「東海霊山」がある。これは、木島櫻谷が洋画にインスパイアされて描いた作品だとか。色彩感が違うところへ、影を使い、遠近感を出している。対面の壁に、名作が揃った印象を持った。「遅日」という作品では、右隻に母親と娘の立ち姿、左隻にはアヒルの行列。母子の目線は、明らかに、そのアヒルを捉えている。そのバランスがいい。二曲一双なんで、いまいち拡がりが欲しいところがあるけど。その横に「画三昧」という、自らを描いたのではと想像される作品があった。これは、今回の展覧会のパンフに使われていた作品だ。イメージと違い、大きな作品だった。その隣が、京セラ美術館からやって来た「角とぐ鹿」。衣笠に居を構えた自宅庭に迷い込んできたのか、そもそも棲息してるのか、鹿が木の側に描かれている。どうやら、櫻谷さん、観慣れた鹿のようだ。そういったことを考えさせる作家の視線を感じる。逸品だ。「峡中の秋」があり、次いで「望郷」。えらくでかい作品。匈奴に拘束されていた蘇武を描いたもの。足元には愛らしい羊数匹、これで、匈奴拘束下を表し、蘇武自身は虚空を見つめている。穏やかな表情が、拘束年月の長さを想像させる。2階に上がる。木島櫻谷の父親は、岸派の作家門下だそうで、木島櫻谷自身も影響を受けているということからでしょうね、冒頭に、岸派の作品が3点、贔屓の岸駒に、岸岱、岸連山の作品だったが、岸連山の「嵐山春景図」は、正に、この美術館の前の風景を描いているからおもしろい。渡月橋の周りは自然がいっぱい。なのに、今は人がいっぱい。そして、今回の展示作品の目玉、岸竹堂との共作「嵐山清流」、六曲一双の屏風絵。右隻が岸竹堂で、左隻が木島櫻谷というもので、同じような図柄、川の流れを描いているが、キャプションによると、この2つ、20年の時を経て描かれたという。先に、岸竹堂の作品があり、20年後に木島櫻谷が描いたということだそうだ。よく観ると、絵の大きさが違う、微妙に。その側に、木島桃村と名が記された「猿猴図」があった。将来を嘱望され早逝した櫻谷さんの弟の作品だそうだ。反対側の壁にも、大部な作品が出てた。右隻に春、左隻に秋を描いた「細雨・落葉」。当然、「細雨」が春。色彩は似ているが、雨の茫漠感が魅力的。同じような色彩の「寒月」も、京セラ美術館からやって来たもの。そして、今期の売りの一つ、「駅路之春」があった。これも、六曲一双だったかな、大部な作品。自然を、ここまでたっぷりと楽しませてもらってきた身に、突如、人の営みを感じさせる作品。街道沿いの店、そこに集う人たちを、俯瞰図として、しかも、ズームイン状態で描いている。そこへ、花が散るというもの。周りの風景が、ぱ~っと拡がる効果を狙った作品なのは判ったが、自分にイマジネーションがないからか、あまり拡がらなかった。最後の出口際に、テイストの異なる作品が並んだ。「夏山飛瀑」は、滝の前にある岩場の上に猿が集うというもの。その猿がちっちゃい、それだけ、勇壮な風景に猿が集っているのだ。「孔雀」は、色が強烈。ここまで観なかった群青で描かれている。「厩」は、前にあった馬の大首絵に近い、馬の頭部のアップ図。労働のあとの安らぎを、馬が得ているのかな? 最後は「獅子」ということで、龍で始まり、獅子で終わるという展示だった。第3室は、団扇絵、それも、「京都画壇名家」と銘打たれた大家のものが、主として展示されていた。一番、気に入ったのは菊池契月ものでした。


2025年 5月 22日(木)午後 8時 14分

 今日は、お出かけなしの休養日。出かける予定が詰まっているので、この日とばかりに、まずは、洗濯日に充てた。そして、6月に入ると、すぐに誕生日を迎えるSのプレゼントの準備に入った。これ、月曜日にすつもりだったのに、抜かしてしまって、大慌て。でも、これが、まずいことを引き起こしてしまった。デジカメをプレゼントするのは、かなり前からの約束。Sは、きっちりと、それを覚えている。それを、家電量販店で買おうとした。ネットで買えば、買い物に行くという手間が省けるのだけど、某家電量販店のアプリを入れていて、そのクーポンが使える。今月のお誕生日特典クーポンが使えるというので、直に買いに行こうとした。それを月曜日にするはずが、今日になったのだ。ところがだ、ある程度、予想はしていたのだけど、店頭に、今や、デジカメなんて置いてない。店には1種類しかなかった。価格は、こちらの心づもりと違った。やっぱ、Dに買ったものとのバランスがあるので、その心づもりに合わなかったのだ。仕方ないので、アマゾン屋さんのお世話になることになり、心づもりの価格のものがあったので注文したが、これの到着予定日に、頭を抱えた。月曜日に失念したのを、思いっきり後悔した。というのも、この日曜日に、Sに会うので、少し早いが、プレゼントを渡すつもりが、間に合わなくなってしまったのだ。日曜日に渡したいのに、木曜日にアマゾン屋さんへの注文はあかんね。だから、月曜日に買いに行き、こういったことに備えるはずだったのだ。しかし、忘れが出てしまった。このドタバタで、午前中、結構、動いてしまった。万歩計を見ると、この時点で1万歩、行ってた。
 午後の一時は、今日は、事実上、なし。午前中に疲れをとるために、Youtube動画を観ながら、休息。釜山のいい公園の存在を教えてもらえて、得るものが多い動画だった。他の韓国系Youtuberは、金浦空港のロケをしてくれていた。昔々に行ったことのある国内線のロケだった。これが、思いがけないめっけもの。ここ、食事するだけでもいいところだよ。国際線より、遊ぶのだと、こちらの方がいいよ。国際線に乗る前に、ここで食事してから行く手、十分にありだと思った。が、最近、ソウル便、仁川より、金浦便の方がお高くなっている。おまけに、安かったはずのソウル便が高騰してきている。だから、なかなか行く機会ないかもというところだ。で、今日は、もう一つ、しておきたかったことがあった。それは散髪。もう4ヶ月経っていた。洗髪をするにも、多いよと思うくらいになっていた。丁度、ここに来て、真夏の気温に入って来たから、このタイミングとして、行くことに決めていた。外出したついでに、買い物がてらのウォーキングも、散髪の後に実施。でも、午前中に歩きすぎており、いつもと違い、昼の日中のことになったので、控えめに歩いた。帰宅後、万歩計を見ると15400歩余だった。これは、セーヴのしすぎだったかもしれないね。


2025年 5月 22日(木)午前 5時 34分

 昨日は、朝から出かけて、山科と大津でハシゴをした一日。昨日は水曜日ということで、朝からのお出かけは、定番のアスニー山科での市民向け公開講演会。だから、連日でアスニー山科へ行ったことになった。そして、終了後は、すぐさま、JRで大津へ移動。琵琶湖岸まで行き、いい木陰のある広場があるので、昨日、買っておいたパンで昼食。午後の部まで時間があったので、そのまま読書。でも、背中や肩のこりが酷く、座ってられなくなった。これって、先日の城陽と同じ。昼休みに出てきて、黄紺同様、お昼を食べていたサラリーマンたちが仕事に戻り、広場に誰もいなかったので、城陽同様、ベンチに仰向けに寝ることにした。背中や腰が伸び、快適。そのまま、うとっとしてたかもしれない。季節的にも、そんなことができるいい時期です。少し楽になったところで、読書を再開。午後の行き先はコラボしが21へ。こちらで、「滋賀の文化講座」が、昨日から始まった。今年は、第1回目から参加することができた。しっかりと、情報収集をすることができたからだ。天気予報では、午後から雨だったが、帰りの電車を降りたところで、その雨に遭遇。あと少しで帰宅だったのに、惜しい。万歩計は11100歩余と寂しい数字だが、この行程では仕方ないね。
 アスニー山科の講演会は、「地球以外に生命を宿す天体はあるのだろうか?」というお題で、佐々木貴教(京都大学大学院理学研究科宇宙物理学教室助教)さんのお話を聴くことができたが、自然科学がテーマだという、こういった講演会では珍しいお題だったが、えらくいい入り。驚いたな、開場予定時刻前に開場しなければならない程の集客力を発揮していた。お話は、前半が、太陽系内での生命の存在の可能性として、①火星②木星の衛星エウロパ③土星の衛星タイタンが取り上げられ、後半は、④系外惑星での可能性が取り上げられた。①と②は、似た仕組みでの可能性だった。これは、報道なんかで耳にしたことのある話で、水が地中に閉じ込められている可能性の話。もちろん、前提として、液体(水)が存在しておれば、生命の存在の可能性があるという考えだ。①では、地形からして、水が地表を流れた可能性が考えられる。探索機が、地中を掘ると、氷が現れたため、閉じ込められた状態にあることは間違いなかろうとのことだった。②は、表面が氷におおわれているが、表面には無数のひび割れがある。それは、偶然発見された間欠泉でできたもののようだ。内部から、氷の粒や水蒸気が吹き上げているというのだ。想像されているのは、内部に閉じ込められた氷があるが、木星の引力の影響を受け、即ち潮汐力で、内部の氷が溶け、噴出していると考えられているのだ。③は、様子が違う。窒素大気を持っている。表面にメタンの湖があり、地表にはメタンの霧雨が降っている。地球同様、大気の循環が看られるのだ。地球と同じ現象が起こっているが、ここは水ではなく、メタンだから、生命が存在していても、地球とは、全く別物であることが考えられる。これは、おもしろい。④は、まず、発見に、大変な時間を要したが、一旦、発見されると、とんでもない数の惑星があることが判ってきている。そこで、「ハビタブルゾーン」で絞ることになる。地球的規模で、地表に液体の水が存在できる可能性のある惑星を絞っていくという作業だ。それに該当するのが「Earth 2.0」、次いで「地球の‶従兄弟‶」「地球の‶7姉妹‶」と称される惑星。特に「7姉妹」は、近接していて、規模も似ているため、1つと言わず、複数の惑星で生命の存在が確認される可能性すらある。そんなで地球外文明はたくさんあるという認識に入っている時代になってるとのことだった。だが、そのどれ一つとも接触経験がないから、「我々は、地球外文明は存在しない」という命題も立てている。この矛盾。それを解く、とっても悲観的な解決法があるというトピックで終わられたのだが、それは、地球外文明があったとしても、「接触をする間もなく滅んでいる」という解き方だ。各文明は点として存在して、面になってないからだということになる。この考え方が正しければ、地球の文明は、いずれは消滅するということになっちゃう。めっちゃ、おもしろいお話。中学生に説くときの内容だったようだが、これで十分。発見に繋がる望遠鏡のトピックも語ってられた、どれ、聴いても、新鮮で、おもしろいものだった。
 滋賀の文化講座は、毎年、「花湖さんの打出のコヅチ」と称して行われているもの。昨日は、「近江梵鐘紀行」と題して、古川史隆(県文化財保護課兼琵琶湖文化館)のお話を聴くことができたのだが、かなりの寝落ち。貴重な梵鐘話の大部分は、記憶の欠片もないのだ。序で、梵鐘の構造、部位の名称といった基礎から入られ、素人には有難い構成だったのだけど、その序で、早々に寝落ちしていた。覚えているのは、近江に残る梵鐘を、お仕事柄、修理や耐震・防火設備の設営などのために、各々の梵鐘巡りをされたときのお話。そんなことを、地道にされている方がおられるのですね。言われてみれば、文化財保護という点で大事なこと。その積み上げが、今回のお話になったようだ。最後に、そういった作業は、金がかかり不要なのではと言う意見に対する考えを述べられていた。文化財保護が、人の温もりといった人間生活の大事さを伝えていくことにもなるといったお話だったようだ。そう言えば、アスニー山科の講演でも、NASAの事業が、トランプ政権で停滞することが懸念されているそうだ。そんなところで、共通点のあった2つの講演だった。


2025年 5月 21日(水)午前 6時 43分

 昨日は、朝から出かけて、山科と岡崎のハシゴをした。火曜日の朝の山科は珍しい。初めてかもしれない。でも、行き先はアスニー山科。月1のペースで行われている「アスニー山科ムービー」は、火曜日に2部制で行われているのだ。昨日は、先月も行った「青い山脈」の後編の上映があったので外せなかった。調べてみると、この石坂洋次郎の原作、何度も、映画化されているそうだが、今回の上映は、1949年制作のもの。原節子が教師役をするものだった。戦後間もない時期の雰囲気を、よく表していると、前編を観て、とっても気に入った。旧態依然たる感性と戦後の新しい空気を吸った世代とのギャップ、そう言えば、こんなことの繰り返しで、世の中進んでるんだなと、最近も思うことがよくある。問題は、この映画でもそうだが、年配の世代だけが古いのじゃないのが曲者。この映画でも、生徒の中でのギクシャクが、結果、有名な「変しい変しい」のラヴレターになるのだから、決して、年齢で分けることができない。理事会が名場面と聞いていたが、それだからか、そんな大騒ぎするほどの場面とは思わなかった。その場面で活躍するのは、木暮実千代だった。真正面から空中戦を展開させるという台本でないのが、いい場面と言われる所以かなとも思った。原節子の教員を支援する校医沼田の背景とか、原作では、どのように描いてるのでしょうか? 今回の上映は、時間の関係で2回に分けての上映になったが、1ヶ月、間が開くと、さすが、流れを忘れてしまってる。登場人物も、判然としない始末。だから、前半の迫力を受け継がないで観てしまい、ちょっと残念だった。でも、これは観ておいて良かった。理論武装して、旧態を崩すというよりか、石坂洋次郎のような雰囲気の小説が、世の中を変えてきたのかもしれないなと思ったな。時間は要るけどね。
 山科から岡崎への移動となると、定番の昼食、東山三条のネパール屋さん。先週の金曜日に、寺田でナンとともにカレーを食べたばかりだったので、昨日はビリアニをチョイス。ここのネパール屋さんのビリアニ、ちょっとお味は薄めだけど、と言っても、ビリアニは美味。いいお昼となった。そして、京都国立近代美術館へ行った。今、こちらで、「〈若きポーランド〉-色彩と魂の詩うた 1890-1918」という展覧会が行われている。ポーランドに入ったが、まともに、ポーランド美術に接する前に、コロナ禍になり、退散となってしまったので、今回の展示作品を観ても、その心とか、全く掴めない。それが判っていながら、半ばで頓挫したポーランドへ、思いを馳せて観ることになった。お題にある通り、この時期は、ポーランドは、国土を持たなかった時期。他国により分割支配されていた時代だ。それが、第1次大戦で終わるまでをターゲットにしている。一般的なポーランドの歴史は、そういった具合なんだけど、それが解ってると言っても、決して、その時代の美術を知っているわけではない。今回の展示品は、ほぼ国立いクラクフ博物館所属のもの。クラクフも行っているが、この博物館には行っていない。どういったコンセプトで、展示品が選ばれるのかが、まずは関心の的だった。冒頭は「描かれたポーランド」という章立てとなっていた。占領下のポーランドを擬人化したアルトゥル・グロットゲルの連作「ポロニア」から始まった。同様の作品が並ぶのかと思うと、そうじゃなくて、この時代を代表する作家の作品が並んだ。そして、この時代を代表する作家としてヤン・マテイコとヤツェク・マルチェフスキの作品が並んだ。前者の作品は、いずれも古典的な作品。歴史画が並んだと言えばいいかな。「《〈スタンチク〉草稿》」は、道化を表すことで、ポーランドの状況を示唆すると言えそうだ。この「道化」、一番最後にも出てきた。もう1つ、最も重厚に感じたのは「盲目のファイト・シュトスとその孫」。ファイト・シュトスって調べてみると、ドイツ人の作家で、祭壇画制作でポーランド王に招かれたとあったが、この絵の悲しみの表情は、何を指してるのだろうか? 後者の作品として展示されていたものは、いずれも、掛け軸を90度回転させたような横長の連作「ルサウキ(ルサールカたち)」がおもしろい。「ルサウキ」は「ルサルカ」だ。スラヴ社会に広まっていたようだ。但し、キャプションを読むと、「魔物」的要素を持つとなっているので、持っているイメージとは違った。その特徴あるキャンパスの中に、横に対峙する2人の人物を描いた「彼と彼女」は、まさにはみ出す絵の魅力を存分に持っていた。横長に立ち姿を2体でははみ出ます。でも、一挙に、目の前には2人の身体全体が思い浮かぶというやつで、それだけ、描かれている人物に魅力があるからでしょうね、。「妖精に抱かれた浮遊者たち」は、月明かりのもと、彷徨う人物像が、とっても幻想的で印象に残った。「自然と芸術/魂の情景」という2つ目の章立てから、日本での展示を意識したと言えばいいのか、浮世絵も出てきた。ポーランドのジャポニズムに焦点が当てられているのだ。風景画の構図に、浮世絵からインスパイアされたものがあるということだった。とってもクリアな雪原の中の川を描いた、ユリアン・ファワト「冬景色」は、歌川広重「『神奈川八景』より「内川暮雪」」を受けてだったり、木立を前景に描いた、ヤン・スタニスワフスキ「水辺のポプラ」は。歌川広重「『名所雪月花』より「井の頭の池弁財天の社雪の景」」を受けてのものということだった。広重の作品もクラクフ博物館所蔵品が、お互いの作品が、向かい合わせで展示するという工夫もおもしろかった。お互い振り返ると、似た構図の作品があるというレイアウト、キュレーターさんの腕の見せ所です。この木立ちを前景に置くという構図は、スタニスワフ・カモツキ「チェルナの僧院の眺め」もそうだった。エドヴァルト・オクン「紅葉」は、描く素材そのものが日本的だ。次なる章立ても「日本との架け橋/フェリクス・“マンガ”・ヤシェンスキ」というお題で、コレクターのコーナーで日本が続く。ポーランドのジャポニズムに多大の功績のあったコレクターの肖像が並び、更に次の章には「インスピレーション源としての日本」と、日本が素材として描かれた作品が並んだ。日本女性や、着物を着た女性が描かれた作品があったり、和傘や日本人形をアイテムにした作品、どこかで観たことのある「髪を梳く女」も素材になっていた。そこのアイテムは鏡だ。この構図そのものが、浮世絵からのインスパイアだと言います。この章立てで多かったのはオルガ・ボズナンスカという女性画家の作品。ジャポニズム絵画を残した代表的な作家だそうだ。ただ、展示されていたのは、日本風アイテムを描いたものではなく、却っておもしろいと思ったのは、そちらのジャンルの作品だった。「散歩より(白いドレスを着た婦人)」は、無彩色の豪華さを表したもので、その白を、とっても上手に、小磯良平ばりの見事なドレスで、存在感たっぷりの女性を描いた「ゾフィア・フェデローヴィチの肖像(白いドレスを着た婦人の肖像)」が印象的だった。そして、「フォークロア」という章立てに移る。ヨーロッパの博物館らしく、美術作品と博物誌的な収蔵品を持つようだ。占領下に置かれているポーランドの国民的なアイデンティティを確認するものたちというコンセプトなんだと思う作品群。ただ、こちらは、そこまでポーランドに詳しくないのが難点。ポーランドの国民的戯曲家を上げられても解らないのだ。「へぇ~」でしかないのが、惜しいし、勿体ない気になってしまった。6月に入ってからなようだが、「日曜美術館」が、この展覧会を取り上げるという情報をキャッチしているので、そのときの解説を頼りにすることにします。MCのお二人が、京都出張でロケをしたようだ。最後は「近代に向かって/新たなポーランドの誕生」で、主として年代設定の最末期の作品が数点あった。おもしろいことに、ギリシア神話にインスパイアというよりか、もろに援用した作品やキリスト教に取材した作品だった。ヤツェク・マルチェフスキ「義勇軍のニケ」「ピューティアー」が前者で、ゾフィア・ストリイェンスカ「復活:連作「過越」より」が後者だ。締めは「道化」が登場。レオン・ヴィチュウコフスキ「スタンチク」で、今度の道化は頭を抱えていた。
 かなり気温が上がり、夜になっても窓を開けっぱなしにしなければならなかった暑さだったからか、帰宅するとぐったり。椅子に腰かけて動けなかった。美術館滞在時間は1時間半程だったのに、この有様では、先が思いやられます。万歩計は11200歩余しか示してないんだけど、やっぱ、美術館は疲れるということのようです。


2025年 5月 19日(月)午後 8時 30分

 今日は、お出かけなしの休養日。月曜日に、休養日となることが多い。天気も良く、絶好のウォーキング日和。定番の日に2回のウォーキングは、2回とも、買い物を考えてのコース設定。日本酒のパックを買うときだけ、リュックを担いでウォーキングに出かける。今日は、午前中のウォーキングは、身体がとても軽かったが、夕方のウォーキングは、結構、きつかった。途中、休憩をとるまでが、昼前とえらく違い、身体が重かった。このバランスの悪さは、よくあること。逆の場合もあるしね。ちょっとエネルギー不足かという気がして、どこかでアイスで補填しようかという考えが、ちらっと頭をかすめたが、休憩後、元気が戻ったので、途端にアイスのことは、頭から消えていた。万歩計を見ると17600歩余だから、とってもいい数字が出ています。
 午後の一時は、こういった日の定番になっていることを、今日もやった。溜まっていたトルコ・ニュースを読むのは、いつも通りだったが、同じく溜まっていたYoutubeの動画を観ることはなく、替わりに、昨日のマッチのダイジェスト動画を観ていた。ガラタサライの優勝は、その日が来ただけだったが、終盤に入ると、試合日を分散しなくなるものだから、昨夜などは、8試合も一斉に行われた。ガラタサライの優勝とともに、シワス・スポルの2部への陥落も決まった日だった。最後にトルコ・リーグのマッチを観たのが、シワスだっただけに、悲しいね。、前回の陥落時は、確か1年で復帰だったと記憶するので、そうなってくれることを願うな。だけど、今季のガラタサライは強かった。当初は、フェネルバフチェとマッチレースかと思う時期もあったが、そんなには長続きしなかったな。1抜け、2抜けで、あとはドングリのなんとかという形だったな。午後の一時の主役は、韓国旅行の準備。トンヨン(統営)関係が残ってるかと思ったけど、もう出来上がっていた。ちょっと間が開くと、どこまでやったかが曖昧になって来る。そこで、プサン(釜山)のキジャン(機張)界隈の補充をすることにした。ヘドンヨングンサ(海東龍宮寺)からキジャンへ向かう途中に、最近、よく耳にするヘニョチョン(海女村)を名乗る地域があることを発見。Naberだけじゃなくて、Googleも併用していると、こういった発見があるときがある。2ヶ所も、ヘニョチョンを看板に出す場所を見つけた。この看板が当たったことで、そこらじゅうに誕生してるんじゃないやろか? そして、去年の暮れに行ったウルサン(蔚山)の情報整理をした。既に行ったところを省き、新たに加えたものもありで、且つ、前回は、バスでウルサン入りしたので、起点をバスターミナルにしていたのを、今度は、鉄道で入るので、テファンガン(太和江)駅を起点に、地図を作り変えた。多分、プサンからキジャン界隈を寄ってからのウルサン入りなんで、そんなに時間はないはずなんで、ウルサンは、そんなに頑張らなくてもいいかなとは思いつつ、いざ、やり出すと頑張っちゃいます。そんなで、なかなか、前へ進まないけど、これをするのが、旅行をする楽しみなんだから、仕方ありません。


2025年 5月 18日(日)午後 9時 50分

 今日は日曜日。と言えば、朝から「日曜美術館」なんだけど、今日は工芸が取り上げられたので、ボーっと観るだけにしておいた。「日本一豪華な嫁入り道具 国宝 初音の調度」というお題で、10年ぶりに公開された「初音の調度」がテーマ。MCの坂本美雨だけが、徳川美術館に足を運んでのロケ。説明役の学芸員さんだけではなく、この再現に取り組む蒔絵の人間国宝・室瀬和美さんも登場しての番組となった。凄く細かい技のオンパレードのようだった。地中海産の石だったかな、当時の日本としては、ありえないほどの貴重な素材も使われているそうだ。家光の娘の嫁入り道具だそうだ。目の保養ということだったが、途中で、うとっとしてしまってた。今日は、このあとも眠り続けることになる。夜は、しっかりと眠れないのに、昼間だと眠れる。午後に、お出かけ予定があったが、1時間程の空きができたので、ミニでのウォーキング。午後は、そのお出かけ先への往復+買い物のための迂回コースで、万歩計を見ると14600歩余とは、こういったスケジュールのなか、よく歩いた方かもしれない。
 お出かけ先は京都市学校歴史博物館。今日は、こちらで、「佐々木丞平館長講演会/文化芸術の玉手箱」と題したイベントがあった。前回は、館長ご自身のお話だったが、今回は、長楽館の重要文化財指定を受けて企画された講演会。お題はそのまんまで、「新しく重要文化財に指定された京都の近代洋風建築『長楽館』について」というもので、千木良礼子(京都市文化財保護技師)さんのお話を聴くことができた。アスニー京都の「京都学講座」で取り上げられそうな内容だった。序で、文化財保護技師の仕事を説明して、自己紹介に替えられた。最近、講演会に行くと、この「自己紹介」が入る。なんか、講演会の模式図のようなものがあるのだろうかと思うほどだ。本題を導くマクラ的な内容だといいのだが、申し訳ないけど、今日の自己紹介は、導入でもなんでもなかったので、「先に行こうよ」と思って聴いていたのが悪かったのか、「ようやく本題に入るぞ」までは覚えていても、その後を覚えていない。断続的に覚醒すると、その都度、長楽館内部の写真を示しつつ、それらを解説されていた。「京都学講座」的だったので、それで誤ってはいないと思う。メモれる程の中身を押さえてられないので、印象だけ記しておく。1階部分のカフェには、何度か行っているので、様子は覚えている。外観通りで、洋館なら、こういったインテリアになるだろうくらいの認識だった。ちょっとだけ、雰囲気が違うのは、2階へ上がる階段、これも、洋館らしさがあるのだが、中ほどで、一旦平らになるところがあり、そこの壁の上に額が架かっている。伊藤博文揮毫の「長楽館」の文字が躍っている。今日のお話では、この額により、「長楽館」という呼称が定着したと言われていたと思うが、洋館の雰囲気とは異なる額なのだ。ちょっと違和感があるけど、今までは、それ以上、何も考えてなかったが、実は、それがヒントだったこと、今日のお話で判った。ここ、上の階には和室に茶室まであるんだね。しかも、外観のファサード部分では、バラ窓よろしく半円形の窓になっているが、内側は立派な和室という、びっくりの設計になっているそうだ。設計者はJ.M.ガーディナー。立教関係の人で、教会建築を、あとは、日本で残しているらしい。洋室部分でも、バロック様式も、古典的なルネサンス様式など、多岐に渡っているらしい。そんなで、重要文化財、知った場所だけに、嬉しい限りだった。


2025年 5月 17日(土)午後 8時 40分

 昨日の夜半から雨。また、気温が下がるのかと思ったが、ぬくいままという感じ。でも、洗濯物が溜まっていたため、朝から洗濯。乾くのは明日でもいいやで、時間の取りやすいときにするべきとの判断。そして、午後には落語会に行く予定になっていた。私市まで行った。生駒の山が迫っていて、いいとこだな、私市って。行くたびに思う。星の里いわふねの体育室を使った落語会、時間が合えば行くことにしている「桂南天の会」。今日の番組は、次のようなものだった。二豆「ろくろ首」、南天「代脈」、米之助「虫売り」、南天「崇徳院」。今日は、主役の南天の口演で、少し寝落ち、しかも、2席とも。1つには、南天の「代脈」、あまり好きじゃないのです。マクラで。検査入院をした話をしたので、「代脈」だなと思いつつ、他のネタはないかと探ったけど、やっぱ、「代脈」だわなと思ってたら、その通りだった。ボケた男が、それこそ、代脈に行き、失敗する軽い噺を、やたら引っ張る。この過剰さが嫌なのです。「そこまで奥のある噺やないやろ」と思ってしまうのです。「崇徳院」も、かなり過剰だった。これも、半ばで、軽く寝落ち。こちらは、噺が大きいから、まだ、聴いてられるが、熊五郎いじりは、でも、耐えられなかった。寝落ちは、そんなことと関係があるかもしれない。上手い盛り上げをする噺家さんのはずなのに、聴いてて、一線を超えたと思える過剰さは、嫌だ。あくまでも、自分的許容範囲での話だけど。今日の、一番、お気に入りは二豆。アホをデフォルメしすぎることなく、こんなアホならいてて、可愛げたっぷりやなと思わせるものがある。だから、突発的な過剰な台詞が効く。娘さんに向かい、1回だけ、毒を吐くアホに、声を出して笑ってしまった。「ろくろ首」で、こんな体験、ないよ。米之助のコーナンいじりのマクラ、めっちゃ、受けていた。確かにおもしろかった。そして、ネタの準備になった。「虫売り」というネタは、米之助の新作。擬古典と言える作品。聴きながら、小佐田センセの作品かなと思ったほどの、いいテイストだと思った。構想としては、小佐田センセが作ってもおかしくないなとは思ったが、くすぐりや、このネタの眼目とならなければならない虫の声が、人の言葉に聴こえるという部分のアイデアのグレードが、小佐田センセやないでと思ったら、案の定、そうじゃなかった。終了後のネタ発表で、「米之助作」となっていた。構想がいいので、アイデアの絞り出しで頑張って欲しいなと思えるものだった。米之助、もっと、他に作ってんだろうか? もう少し、あればだが、他のネタも聴いてみたいと思ったのは確かだ。
 帰りの電車のなか、息子から電話が入った。電話に出れないので、SNSで応答して判ったのは、今度、一緒に買いに行くはずだった、S用のランドセル、ええもん、見つけたので買っていいかということだった。せっかくのもの、見過ごすの、勿体ないと思ったので、OKのレスを送ったけど、一緒に買いに行きたかったな。Dのときも行けてないので、余計に残念感が残るな。


2025年 5月 17日(土)午前 6時 30分

 昨日は、朝9時過ぎに出かけて、奈良へ行った。近鉄沿線でのハシゴを計画したのだ。ところがだ、前回行ったときもそいうだったが、近鉄電車が混む。こないだは、インバウンド様々でえらい迷惑、今回は、遠足に巻き込まれてしまった。伏見から奈良に行くのに、電車は立ったままって、生まれて初めてや。奈良県立美術館に行き、余裕を持って京都へ引き返す。新田辺で乗り換え寺田へ。このコースの場合、昼食は、寺田駅近くのインド屋さん。ここ、なかなか美味い。ただ、時間に余裕を見過ぎたため、次なる浪曲の会までは時間があったので、会場の文化パルク城陽前の広場で読書。肩のこり、背中のこりが酷いので、読書をしていると、却ってしんどくなってきたので、行儀が悪かったが、ベンチに寝転がった。仰向けに寝ると、木のベンチが、背中だけではなく、腰も伸ばしてくれた。周りに人がいなかったからできたが、これで具合がよくなったから、自分的には正解だった。新たに読み出しているのは、浮世絵の本。日本美術に関するものって、初めてじゃないかな? 帰宅すると午後5時だった。一昨日と、時間の流れはほぼ同じ。万歩計は11500歩余を示している。美術館で、またしても、腰に負担をかけたから、この程度でいいかな? 一昨日の夜、腰がやばいかもと思ったが、一晩、寝ると、恢復していた。立ったままで奈良まで行ったが、今のところ、大丈夫な模様。
 奈良県美には、先月にも行った。そのとき行われていたコレクション展「新・古美術鑑賞 New Ways of Seeing Japanese Art―いにしえを想いて愛せる未来かな」は、まだ続いている。所謂、展示替えが、この間、あったのだ。それを外せないと思ったので、再訪を期していたのを、昨日、実現したということだ。狙いは、最後の章立てとしてあった「浮世絵 ―手元でみる美」の展示替え。既に、前回、ここのコレクション、えぐいでと思ったのだ。そして、作品リストを見ると、この章立てでは、全とっかえになっていたので、これは行かねばなるまいと思ったのだった。そして、それが、ど正解だった。まず、気に入ったのが、礒田湖竜斎「案内」。お茶屋で、どこかの青白っぽい若旦那が、鼻の下を伸ばしたかのように、店の者に「案内」されて部屋に行くところを描いたもの。この、なよっとした男の雰囲気が、めっちゃお茶屋の雰囲気、出してる。並びに、東洲斎写楽の役者絵が2点、入れ替わっていた。「谷村虎蔵の鷲塚八平次」「中山富三郎の宮城野」が出てたが、前者に眼は行ってしまう。有名な「大谷鬼次」の目をしてるものだから、どうしても、そっちに眼が行っちゃう。歌川国貞(三代歌川豊国)「其由縁十二時斗 酉ノ刻」は、蚊帳を吊った中に女がいて、外に男が立っている。この男が、また、なよっとだらしがない。それに、女は2人いる、何をおっぱじめようというんだと突っ込んでしまったな。渓斎英泉「江戸名勝尽 隅田川」は、贅沢禁止令をもろに受けたとかで、多色刷りができなくなったため、藍色だけで描いてる。が、口紅だけは、しっかりと紅をさしている。却って、艶っぽくって、贅沢しそうな印象を受けてしまった。菊川英山「風流七小町 通ひ小町」というお題での美人画。すっくと廊下かな、そんなところに立っている女を描いてるけど、お題との照合を図っても、それが判らない。キャプションにも、「これかも?」とは書いてあるけど、「百夜通い」と、どこで通じるのかまで書いてなかった。「おいおい」だ! 渓斎英泉「時世美女競 東都芸子」に描かれた女は。緑色の紅をさしていた。トレンドだったのか、尖がってたのか、どっちなのでしょうか? 前にあったのか、よく覚えてないんだけど、「柱絵」というものがあるんだね。「秋葉さんのお札」じゃないが、柱の節隠し用の細長い紙に絵を描いたものを言う。鳥高斎栄昌「花魁と若衆」と礒田湖竜斎「七福神乗宝船」が「柱絵」だったが、完全に構図勝負。役者絵は、前期に出た歌川国兼「岩井半四郎のやゑ」が印象的だったというか、モデルがいいから、そうだったのかもしれなかったが、今回は、それに勝るものはあったとは言えなかったが、もちろん自分的にだが、そういった中で、「かっこええ」と思ったのが、勝川春扇(二代勝川春好)「関三十郎の鬼王新左衛門」。どんな役柄か知らないけど、しゅっとした姿が印象的だった。相撲絵は役者絵と同じブロマイド。今回は、歌川豊重(二代歌川豊国)「逐手風喜太郎」。「逐手風」は、現在では「追手風」と表記しますね。喜多川歌麿「富士・鷹・茄子図」は、縁起物なんでしょうか? 凝ったものとしては、前期同様、人体の組合せで人の顔を描いた歌川芳藤「からの子がよりかたまつて人になる」が出てたが、前期の国芳ものに軍配だった。さすが、師匠の技です。影絵は落合芳幾「くまなき影」で、こちらは、前後期でページ替え。仲間の絵師を追悼する冊子に入っているものだった。「北斎漫画」は、風神と雷神を描いたものが出てたり、歌川広重では「魚尽し ぐぢとかさご」なんてのが、露払いのように並び、展示の終盤になって来ると、さすが、葛飾北斎や歌川広重の風景画が出て来る。大トリという位置づけのように感じてしまう。歌川広重「名所江戸百景」は8点出ていた。大きな鯉のぼりの「水道橋駿河台」、亀のぶら下がりの「深川万年橋」(これ、「万年」だから亀っていうこと?)という、定番中の定番とともに、さぎの飛翔が分解写真のように描かれている「逆井のわたし」が、めっちゃいい! さぎと風景の間に距離感出てる。凄いわ! 更に気に入ったのが「はねたのわたし弁天の社」。船頭全体を描かず、船頭の腕と竿の間から風景を描くというもの。鯉のぼりも亀もそうだけど、近景と遠景の極端な描き分けに究極の姿のように思えた。かと思うと、「王子不動之瀧」は、一直線の、しかも、藍色の滝には引いてしまったりと、それはそれで楽しいものがある。葛飾北斎「富嶽三十六景」は、前後期で1点ずつ。今回は「相州七里浜」だった。この章立てでは、時間に余裕ができたので、再度、展示室を一周。屏風絵の折り方、拡げ方、これが、やっぱ、斬新でおもしろかったのを、再確認させてもらった。その展示室と和室に荒井恵子の水墨画が展示されてあるんだけど、いいアクセントで、あるなしで、随分と、会場の雰囲気が変わるようで、この着想、キュレーターさんのグッジョブだと思った。
 浪曲の会は、おなじみの「京山幸乃浪曲の会」。残念なのは、この会でも、ずっと三味線を務められてきた一風亭初月さんが亡くなられたこと。舞台には、しっかりと初月さんの名が入った幟も置かれていた。パンフレットに、その初月さんとの思い出を、幸乃さんは綴られていた。会場へは、毎度、初月さんの運転する車で来られていた由、一緒にランチをして、会場入りするのが毎度のことだったそうだ。三味線さんがいなくなったことで、昨日の会も、一旦は中止も考えたそうだが、春野一さんが、務められてることで開催にこぎつけたと言われていた。春野一さんが、元曲師だったことは、今回、初めて知った。曲師から浪曲師への変身だということです。で、番組は、「左甚五郎/千人坊主(後編)」「プラネタリウム解説」「寛永御前試合」。「千人坊主」は、幸枝若が、よく出すネタなんだけど、遭遇したことはあるはずだけど、この後半は、初めてだったと思う。小さなものに千人もの坊主を彫るという、名人気質ものなんだけど、最後は、「機械仕掛けの神」的な終わり方に、ちょっと驚いた。大久保彦左衛門ものでもあるのですね。彦左と言えば、一心太助かと思うんだけど、左甚五郎とも、太助同様の関係で描かれていた。「寛永御前試合」は、奈々福流の名では「仙台の鬼夫婦」だったっけ? それに、最後に「御前試合」が付け加わったというもの。でも、このネタ、最近、この会で出たところじゃなかったっけ? 幸乃さん、ハードワークなのかな? いつものような声ではなかったようで、高音を絞り出すようにしてられたのが気になってしまった。


2025年 5月 16日(金)午前 6時 50分

 昨日は、大阪へ、朝から出かけた。午前9時に出発。京橋からウォーキングを兼ねて、森之宮と玉造の間にある百年長屋で、久しぶりに講談を聴き、終了後、近くの公園で、昨日も、一昨日に買っておいたパンで昼食。そして、地下鉄で肥後橋まで移動して、中之島香雪美術館に行った。市立伊丹ミュージアムとともに行くはずだった中之島香雪美術館に、ようやく行けた。小さな美術館なのに、2時間近くもいた。帰宅すると、午後4時。万歩計を見ると10700歩弱なのに、やたら腰に来ている。危ないかもしれないと、時間が経つにつれ思い始めている。帰りの電車も爆睡だったしと、結構なお疲れだ。
 百年長屋では、「木曜おはよう講談会」が行われる日だった。これで3回目。月2回のペースで行われている。一海くんが常時出演、それと、南華さんか南湖さんとの組み合わせと言うのが基本。昨日は、左燕さんが加わった。その番組は、次のようなものだった。南湖&一海「トーク」、左燕「左甚五郎の生立ち」、一海「名月松阪城」、南湖「英国密航」。「トーク」は、ほぼ万博ネタで終始。会場で講談の仕事が入っているそうで、今日、二人で出かけると言われてた。でも、「そうなんだ」という世間に着いて行く程度の情報として聴いていた。自分的には、全く関心がない。地下鉄移動のとき、中央線を利用したら混んでた。万博のせいと腹立てるのが、関の山だ。左燕さんは、これで3回目の遭遇。今までの2回と違い、格段に上達。前回とのギャップが凄かった。言葉を、短く切りながら喋るスタイルになっていた。それで、いい間ができたのと、言葉がしっかりとした。そうなると、元々、落ち着きすぎている人だけど、それが様になって来た。次回の遭遇が楽しみになった。そして、ネタは初耳。左甚五郎ものって、大河的な流れがあるのですね。一海くんは、どんどんと大きくなってきた。前回に見たときよりも、また、大きくなっていた。首に肉が付きすぎたのか、喋る機会が増えて、声の調子を落としているのか、こんなに絞り出すような声じゃなかったのにと思ってしまった。スマートさが減ってしまったのが、勿体ない。減量でできるなら、いい声、ストレートないい声、復活させて欲しいと思った。ネタは、講釈師さんには人気のネタのようで、いろんな人で聴いてきたものだが、そこへ、一人、増えた。そして、西村権四郎ではなく、石坂久四郎と言ってたんじゃなかったかな? 記憶違いかもしれないけど。それと、通常省かれる、石坂久四郎が、戦場で蒲生氏郷を助けるくだりが、序で入った。これ、初めてかもしれない。あとは、流れは同じだったと思う。随分と、間が開いているので、あまり自信がないが。南湖さんは、昔から持っているネタだけど、なぜか、これは聴いてなかったというネタを出してくれました。久々に行ったご褒美かもしれないと思いながら聴いていた。密航を助けてくれるイギリス人との交渉と言うか、やり取りが、結構、チャリになっていて、おもしろいネタだった。終演後、南湖さんと話す機会があった。コロナ禍以後、お話したことがなかったが、覚えていていただけ、恐縮した。また、講談好きの坊さんご夫婦も来ておられた。去年の4月に京都で会って以来だった。そんなで、一挙に、コロナ禍前に戻ったかのようだった。そんなこんなをしていると、一海くんに、丁寧なご挨拶を受けてしまった。ここでも恐縮。
 中之島香雪美術館では、特別展「すべてを描く萬よろず絵師 暁斎 ―河鍋暁斎記念美術館所蔵」が行われている。河鍋暁斎は待望の作家だ。浮世絵の展覧会で、ごく限られた数しか、観たことのない作家、だけど、その図柄が、いずれを観てもおもしろく、奇才イメージを持っていた。でも、それだけしか観てなかったこと、今回の展覧会で、よ~く判りました。この人、歌川国芳の指導を受けている一方で、狩野派を、しっかりと学んでる正統派の作家だった。だから、戯画を期待して行った身には、驚きでしかなかった。肉筆画が殆どだった。やまと絵(日本神話など)があるかと思うと、中国絵画を思わせるもの(秋冬山水図、蝦蟇仙人・鉄拐仙人図など))から、何と、美人画(文読む美人図、横たわる美人と猫図など)もあった。そうかと思うと、生首をくわえた狼の図(月に狼図)、どこかで聴いたことのある九相図というドン引きする図柄もある、かと思うと、この人、大蔵流の狂言を稽古したということで、能狂言を素材にした作品(瓜盗人図、膏薬練図、唐人相撲之図、三番叟図など)、習作なんでしょうか、大家の模写図(雪舟模写/観音図、常信模写/文殊菩薩図など)とまあ、とにかく、何でもできちゃう、オールマイティの作家だった。そういった画力があるうえ、機知に富んでいるということで、肉筆画にも戯画っぽい作品があった。「美人観蛙戯図」は、基本、美人画なんだけど、女性の視線の先には、蛙たちが相撲をとっている。その様子を美人さんが見入るという光景を描いている。ダンスマカーブルかと思わせる「骸骨の首引き」、「人物三長図」はおかしい、足の長い人、腕の長い人に、頭の異様に長い人を同時に描いている。こんなに出逢うと、今まで持っていたイメージ通り。「九尾之狐図屏風」では、日中印3国を表す人物や目印の上を、九尾之狐が飛ぶという構図、「殺生石」の詞章に、玉藻前に変じた狐は、この3国に出現したというものがあるが、そのことを指しているのだろうか? 日本は富士で表していたが、中印を表す人物像は、どこかオカシイ! 無茶苦茶なのが「放屁合戦絵巻」。屁を思いの限り茶化す、そのアイデアが凄い! また、屁を線で表しているので、えらくリアルで、絵に描かれている男が鼻を塞いでいるが、こちらまで臭ってきそうな勢いだった。これは、掛け値なしの秀逸。本絵の下絵も多く展示されていたのも特徴。さすが、作家一族の管理する河鍋暁斎記念美術館所蔵作品を展示しただけあります。その中には、動物を擬人化した「蛙の軽業」「狐の足芸」「鳥獣戯画 猫又と狸」など、こうなると、完全に独壇場だ。数的には少なかった錦絵は、当然のことながら、圧巻。「天竺渡来大評判 象の戯遊 道成寺ほか」は、象の擬人化。象に皿回しのような曲芸までさせていた。これも、今回の最高傑作かと思ったが、それと甲乙つけがたいと思ったのが「風流蛙大合戦之図(異版)」。蛙の擬人化で、合戦場面が描かれてあるが、構図が素晴らしく、リアルタイムで、合戦が行われているかのような迫力があった。大判3枚綴りの錦絵の大作だった。そして、最後のコーナーには、「鴉ー画業の極北」と書かれており肉筆画で評価を受け、高額で売られた「枯木寒鴉図」(榮太樓總本鋪所蔵)があった。これだけの画力があったので、なんでもありで、なんでもできたのだとのメッセージだと受け止めた。


2025年 5月 15日(木)午前 6時 52分

 昨日も、気温は上がったまま。天気予報を信じて、半袖のTシャツの上にウィンドブレーカーを羽織って出かけて、正解。午後には半袖で歩いていた。昨日は、朝から出かけて山科へ、と言えば、アスニー山科での市民向け公開講演会。それが終わると、アスニー山科近くの公園で、一昨日買っておいたパンで昼食。お出かけが続くと、倹約も肝要。その後、京都駅まで一駅移動。駅近くの京都芸大芸術資料館に行った。ここからの戻りは、毎回、自宅まで徒歩移動。気温が上がってるので、これは、結構きついが、帰宅後、昨日は寝落ちしなかった。しばし、Youtubeの動画を観ながら、静養に努め、時間があったので、溜まっていたトルコのニュースを読んだ。夏至まで1ヶ月ということで、かなり陽が長くなっているので、まだ時間があると思ってしまう。夕方になり、ミニでのウォーキングに出かけた。ちょっと物足りないと感じてたからだ。結果、万歩計を見ると17400歩余になっていた。
 アスニー山科での講演会は、「仏像の衣にまつわるエトセトラ」というお題で、熊谷貴史(佛教大学宗教文化ミュージアム学芸員)さんのお話だった。ミュージアムの紹介から始まった。ここの展覧会の情報は、結構、把握してはいて、更に、そそられるお題であっても行ったことがない。大覚寺の近くでは、さすが行こうという気が起こらない。昨日のお話は、企画展「仏像のドレスコード」で紹介した内容だと言われてた辺りまでは覚えている。この2日間、寝落ちが続いていたが、どんどんとエスカレードしている。昨日は、完落ちと言ってもいいくらいの低汰落だった。人のせいにするわけではないが、熊谷さんの籠った声に引いているところへ、レジェメを見ると、仏教&仏像関係のテクニカルタームが、ずらりと並んでた。「聴き取りにくい声質に、このタームかよ」と思ったところまでだったな。所々で覚えているのは、仏像って、彫りで衣まで表すものと思い込んでいたら、着衣させる仏像があるそうだ。ということは、仏体自体は裸ん坊、これには驚いた。裸繋がりで覚えているのは、右肩はもろ肌出しになった仏像もあるようだ。衣をしっかりと着ているものでも、身体の線がもろに判るという衣を着た仏像もある。お話の中では、「グプタ朝の仏像のように」と言われていたが、レジュメには、しっかりと「マトゥーラ仏」と書かれてあった。このマトゥーラ仏、前から気になってんだよね。よく、「ガンダーラ仏のインド化」というコンテキストで、このマトゥーラ仏は上げられる。ヴィジュアル的には判りやすい。ごわごわの衣を着ていた仏像が、身体の線くっきりの衣になるんだからね。で、それを「インド化」と言う。確かに、ヘレニズム文化の特徴が消えたことは判るが、「なぜ、インド化が、そういった造形になるか」を説明したものは目にしたことがない。丁度いいチャンスと思い、聞きに行きたかったのだが、ずっと寝ていて、それはあかんやろと思い、断念した。
 京都芸大芸術資料館では、「herstories-女性の視点でたどる美術史」という展覧会が行われていた。京芸で教鞭を執った、執っている女性作家の作品が並んだ。最近、女性作家の作品を並べる展覧会がブームのようにして続く。チラシには、京芸初の女性学長赤松玉女退官を記念しての開催とあった。黄紺的には、赤松さんの名は、東芸の学長との対談が行われるというので、そこで初めて知った方。出展のあった作家さんでは、確実に知っていると言える作家は2人しかいなかった。でも、どこかで見覚えのある作品はあったが、ほぼほぼお名前は知らない作家の作品の方が多かったが、楽しい作品が多く、と言っても、全体数が少ないので、多くなんて言っていいのか躊躇うけれど、いい時間を過ごせたと思っている。冒頭に知った作家、一人目は上野リチ。「壁紙」となっていた。一部が、今回の展覧会のチラシに使われたもの。デザイン化された花かな、それと植物の一部を散らばらせる構図。薄めの黄色が目立つ、らしい作品。お隣が秋野不矩「雨期」。こちらは黄緑色が大きく画面を占めているので、この人の作品からだとインドでしょう。上部に黒雲を思わせる黒色部分。そうは思っても、抽象画だなと思い観ていると、少ししてから、雨が見えてきた。大串佐知子「Untitled」は、ぱっと見、花をデザイン化したのか、抽象化もしているのかと思ったが、すぐに眼鏡のようにも観え、仮面のようでもあり、内なる模様へと、次は吸い込まれて行く。ロールシャッハ検査のようでもあり、どこに焦点を合わせていいのか困る、おもしろい作品。主役の赤松玉女は2つ出ていた。「彗星問答」「梅雨の音」。前者は、ぱっと見。ごちゃごちゃしていない福田美蘭に見えた。不思議な作品で、描かれているキャラ、おっさんのようだけど、同じ人物だ。上から飛び込む男、それの分解写真のような姿があり、ついには、見えない壁を突き抜けている。かと思うと、反対側へと分解写真は続いている。白っぽい部分と色彩感が、福田美蘭だと思ったみたいだけど、これ、何なんだろうとを考えさせられて、結果、何も思いつかないというパターンだけど、考えている時間が楽しい。後者は、雨粒が、右上から左下にかけていっぱい同じ斜度で描かれており、それを、顔を手で挟んだ人物が浴びている。確かに、雨だ、突然の雨だったのか、困ってるのかな? これも、何かストーリーがあるようだ。そう思わせる、不思議な力がある。粗いタッチで描く背景、白色で描かない前者の背景と、何か通じるものを感じてしまった。反対側の壁にあった谷澤紗知子作品がおもしろい。素材は紙、大きな紙切り芸のようだ。1枚で作った「わたしはすべてのあなた」は大きな木を切ったもの。「女性像の演習」と題された2作品は、今度は、切り取ったものを繋ぎ合わせた複雑な作品。形状だけを観ていても、おもしろいが、いずれも、古典的な作品に描かれている女性像を織り込みながら切ったように見えた。紐状のものも切り、それを紐を掛けるように絡ませたりと、目を楽しませてくれる作品でもあった。唐仁原希「遭遇/空から舞い降りた少女」は目立つ。しっかりと写実的に描かれた庭園に、アニメ・キャラのような女性が、ふわりと舞い降りたという感じで、微妙に宙に浮かせてるのが、アニメ・キャラ風とともに、目を引き付けるのだ。で、何か言いたいことあるのと思ってしまう、でも、タッチは、油彩の精緻な作品だった。その他、重松あゆみ、ひろいのぶこの作品と、中央部分には、上野リチの「プリント図案」が展示されていた。


2025年 5月 14日(水)午前 5時 28分

 昨日は、一転して、気温が上がった。いい天気だったにで、朝から洗濯。午後に、久しぶりに京都歴彩館に行くことになっていたので、いつもより、若干早めに洗濯に取り掛かった。そして、一昨日、買っておいたパンを持って出発。鴨川の河原で昼食を摂ろうの考え。気温は高かったが、心地よい風が吹いていたので、この昼食は正解。少し時間が早かったので、少しの間、そのまま読書。途中、京都コンサートホールに寄り、先日、オンラインで購入した市民寄席のチケットを引き取り、お隣の歴彩館へ。昨日から、今年度の「京都を学ぶセミナー【洛南編】」が始まった。抜け目なく、情報を掴んだ爺婆で、会場は混んだ。このセミナーで一番混んだかもしれない。その第1回は、「陸路・船路が織りなす洛南八幡域の交流の考古学」というお題で、小池寛(京都府埋蔵文化財調査研究センター)さんがお話をされた。埋蔵文化財センターの方が考古学をテーマに話されるというのは、アスニー京都での京都学講座と同じパターン。場所は八幡。三川合流という地。当然、交通の要所。大阪方向、京都方向は言うに及ばず、奈良にも向かえる。舟運だけではなく、そういった交通の要所ということで、街道が整備されて行く。山陽山陰に、北国街道の結節点にもなっている。巨椋池へ宇治川が注いでいる古地図は見たことがあったが、ここで示された地図には、宇治川は入らず、木津川の方が入っていた。そういった地の利を解説されたあと、弥生時代から、この八幡地域に観ることのできる考古学遺跡を紹介するというのが、この講演の柱で、いかに人とものが行きかったかを示すというのが趣旨だったが、ほぼ寝落ちをしてしまった。一昨日も、かなりの寝落ちだったのだが、その比じゃないほどの寝落ち。入口のお話は大丈夫だったが、個別の時代を時系列的に押さえられていく段階になりダメだった。主として内里八丁遺跡を取り上げられ、その遺跡の各時代地層から出てきたものを紹介されていたように思う。レジュメと、薄っすらと耳に残っていることとを組み合わせて、メモれることだけを記しておく。「古墳時代の製塩土器が出土している、日本では岩塩がないから海浜部で土器製塩された固形塩がそのまま持って来られた模様、大阪湾岸で製塩されたものと考えられている」「古墳時代の横穴墓が多数出ている」「現城陽市には規模の大きな墳墓が残る、久津川車塚古墳が最大規模(これは直に観に行ったことがある!)、継体天皇は、樟葉宮→筒城(綴喜のもと?)宮→弟国(乙訓のもと?)宮と遷宮を繰り返した」「奈良時代の遺構から‶中国製絞胎陶枕‶が出てきている、陶製枕、ないしは、文字を書くときの腕置台と考えられている、中国から直接ではなく平城京から山陰道経由でもたらされたようだ」「上奈良遺跡には則天文字で墨書された土器が出土している、経典を通じて日本にやって来た模様、養老律令にも則天文字を見い出すことができる」「だけど気になったのは、養老律令って757年だよ、則天武后が亡くなって半世紀経ってるのに、則天文字が生きてたとは!?」「奈良時代や平安時代の瓦話、瓦の一般的な解説は聴けてたのに、肝心の出土瓦の分析話は寝てた!」「石清水八幡宮は、平安時代に宇佐神宮を勧請しての創建、平安京の裏鬼門を守る神宮、円融天皇が行幸して以後、人気になる」「従って、東高野街道も、この時期以後、高野聖の活動が活発化したのも大きく作用」。
 帰りは、いつものように徒歩移動で三条へ。一昨日と同じコース。一昨日は涼しかったが、昨日は、気温が高く、しかも、鴨川左岸は、西日をもろに受けるので心配したが、大丈夫だった。それどころか、いい風が吹いていたので、最高の環境だった。これが真夏になると、風が吹いても熱いんだろうなと思いながら歩いておりました。でも、帰宅後、ホッとすると、椅子に腰かけたまま、ぐったり。こういったこと、最近の定番になってる。やはり、体力が落ちて行っていますね。仕方ないけど。万歩計を見ると17000歩余だった。優秀です。


2025年 5月 13日(火)午前 6時 21分

 昨日は、午後にコンサート付きレクチャーを聴きに行った。京都市北文化会館のスペースを使い行われている、半年に1回のイベント「第7回佐竹裕介先生の音楽講座 ー知ってるようで知らない音楽の謎ー」に行った。ここへ行くと、帰りは三条までウォーキングがてら歩くので、午前中のウォーキングは控えめ。郵便局に用事があったので、普段、あまり利用しない郵便局に寄るコース。そして、三条までの徒歩移動を併せると、万歩計には15700歩余と出てたから、ほぼ計算通り。昨日は涼しかったから、これだけ歩いたという実感が薄い。今日も、同じ、鴨川沿いの道を歩くことになるが、昨日のような気温だといいのだが、、、。
 「佐竹裕介先生の音楽講座」は、大作曲家を取り上げるシリーズに入っている。バッハ、ハイドンに次いで、今回はモーツァルトだった。ヘンデルは省かれるようだ。お話は、ここまでの歴史の振り返りを、簡単にしてから本題へ。この辺は、しっかりと聴けてたんだけど、肝心のモーツァルトに入ってから、昨日も寝落ちしてしまった。レジュメを見ながら、薄っすらと覚えてることをメモっておく。「対位法」を駆使して、「全体の秩序」を構築したバッハの音楽。息子のJ.C.バッハは、「旋律とそれを支える和声」というスタイルを生み出し、「旋律」が主役に躍り出た。そこに現れたのが、ハイドンであり、モーツァルト。「旋律とそれを支える和声」を切り取り、その素材を組み合わせて、その形を整えた。ソナタ形式がそれになる。素材を作る嗅覚が、誰よりも優れていたのがモーツァルト。この「嗅覚」とか、そもそも「素材」というタームが解りにくかった。音の並びとか、和声の付け方、変化のさせ方といったことに、動物的な勘で操作を加えて行ったということか? メロディ・メーカーということとも違うようだ。これは、後で、実際の譜面を示しながら、こういったところがおもしろいのだということを話されていたことからの連想だ。「モーツァルトが書いたようにではなく、こうだったら、、、」と言いながら、佐竹さんが、ピアノを弾いて見せられると、モーツァルトの方がおもしろいのだ。これは、全く感覚的な反応だが。それを見越しての作曲だから、いや見越す前に書いてんだろうな、モーツァルトは。その譜面を見せてのお話で、特におもしろかったのは、「レクイエム」の「ラクリモーサ」。モーツァルトの絶筆のところだ。この「ラクリモーサ」の途中から、ジュスマイヤーが補っていく。そこで、佐竹さんは、「ラクリモーサ」全曲を聴かせ、どこからジュスマイヤーが書き足したかを考えさせるということを、参加者に求められた。これを、毎回、このレクチャーの白眉となる、音楽を流しながら、パワーポイントに楽譜、それにコメントを加えた画像を、次から次へと流すというやり方、これ、準備が大変だろうなとは思うのだが、観ていて、めっちゃおもしろい。あとで答えを発表されたとき、「そうだった」とは思ったが、指示に従い考えたが、大外れだった。8小節しか書いてなかったこと、すっかり忘れてたけど、知識じゃなくて、音楽を聴いて当てるというのは、かなりムズイ。それだけ、ジュスマイヤーが上手いということになるのだろうが、佐竹さんには、そうとは映らず、やっぱ、腕の差を言われていた。そういったモーツァルトの特徴を、いろいろと言葉を替えて説かれていた。「音楽理論は、過去の天才たちの感性に共通する法則を体系化したもの」という物言いがある、それだと、音楽理論に基づき作曲すると、新たな感性は出てこない、だから、作曲は神に選ばれた人しかできるものではない、その作曲をするに足る人物こその代表選手がモーツァルトということなのだろう。「ガラスの多面体」の喩えは、いまいち解りにくかったけど、頻繁に使われた「素材」の組合せに長けていることを言われてたようだが、、、、。一番、解りやすかったのが「子ども」の比喩。子どもは、些細な感情の移ろいで動いている、これを遊びと言い、目的地があるわけではない。でも、大人になると、この目的地というものを知り、ただ単に、歩くこと、遊ぶことの楽しさを逃してしまう。些細な感情の移ろいが、自分の中にあることを忘れてしまう。この子どもの行動に、モーツァルトは似ているというのだ。よく、モーツァルトを子どもの感性を持ち続けたというように、子どもに喩える物言いがあるが、それを、理詰めで説いた言い方は見たことがなかったが、佐竹さんは、それを言ってのけたと思った。これを聴けただけでも、運よく、ここでは覚醒していたが、ホント、このレクチャーを聴いて正解だった。後半は、ヴァイオリンの田村安祐美、コントラバスの神吉正というお二人を加えてのミニコンサート。プログラムは、「ヴァイオリン•ソナタ ホ短調 K.304」「ピアノ三重奏曲 ハ長調 K.548(コントラバス編曲版)」「アヴェヴェルムコルオプ(ピアノ独奏)」だった。


2025年 5月 12日(月)午前 8時 13分

 気温の下がった日曜日。昨日は、朝10時に「日曜美術館」の「アートシーン」が完全に終わってないのに、出発。一気に、京阪電車で淀屋橋駅まで行き、2軒の美術館をハシゴした。狙いは、午後に予定されていた中之島美術館での講演会。それに合わせて、お隣の国立国際美術館での特別展へ行った。現代アートの展覧会だったので、あまり混まないとの予想。観るには、全く困らなかったが、ほぼ若い人だったが、結構、入っていた。韓国もそうだったけど、現代アートは、若い世代が圧倒します。昼ご飯は、一昨日、買っておいたパンを持って行き、国立国際美術館の前の広場で食べた。これができると思ったので、「日曜美術館」終了後に出ても大丈夫と踏んだが、時間は足りなかった。同美術館には2時間はいたが、それでも不十分だった。パンを食べている内に、講演会の開場時間となり、実際に、中之島美術館の講演会場に着いたのは、その10分後だったが、席は確保できたが、ここ、座布団持参でないとダメなこと、失念していた。幸い、気温が低かったためウインドブレーカーを着て行ったので、それを座布団替わりにして、ぎりぎり耐えることができた。薄いウインドブレーカーでさえ、あるなしでは大違いだった。帰宅すると、もう午後5時。あっさりと1日が終わったな。
 「日曜美術館」は、「デザインミュージアムジャパン」というお題で、普段のMCはお休みで、全く別番組という感じで進行。第一線のクリエーター(と言っても、黄紺は知らない、番組でそう言ってた)が、日本各地に存在する「デザインの宝物」を探すというもの。8人のクリエーターさんが登場した。取り上げられたものだけ、メモっておく。「 」内は、番組で、デザインの魅力としたもの。①魔法瓶/「喜び」、内部を上から見ると、ガラスの輝きで万華鏡のよう、美しいるつぼ②大漁旗/「喜び」、8つの原色を使う、通常では考えられない色の組合せもある、それは海で映えることが狙い③スナックの看板/「遊び心」、フォントやスペースの使い方は本能に訴えるものがある④ヒラギノ明朝体・フォント/「合理性」、読みやすい文字、手書き、敢えて個性を出さない、お経の版木が基、‶田‶の字にある4つのスペースは全部異なる⑤ほうろうの生活用品/「合理性」、金属ベースにガラス質の***⑥氷室/「合理性」、尾根に氷を保存、雨が左右に流れ氷を守る、下に氷池⑦街路市/「豊かさ」⑧石州瓦/「雰囲気」、寒いところに強い瓦、重い、頑丈、赤い、水が沁み込みにくい瓦。
 国立国際美術館の特別展は「ノー・バウンダリーズ」というお題が付いていたが、HPの梗概を見て、「境界」ものだということが判り、期待満々で行くことになった。ただ、どういったものに「境界」を持ち込んでいるのか、キャプションで判ればいいが、解説っぽいキャプションのないものもあり、あっても、読んでも、そのキャプションに書かれてあることが、理解不能だったり、書かれてあることが了解できても、面前の作品に当てはまるポイントが判らなかったりと、ま、それだからこそ、現代アートはおもしろいんだけど、イマジネーションの問題だし、己の知識量の問題だしと、なかなかムズイが、お手上げものが幾つ出ても、それは仕方がないの気持ちで臨んだ。展覧会の趣旨を読んだとき、「これはある」と思った作家の作品が、一番最初にあった。森村泰昌作品だ。ジェンダーも人種も、なんでも越境してしまう森村作品、有名な「肖像(ゴッホ)」が、真っ先にあり、隣に「肖像(カミーユ・ルーラン)」があった。ともにゴッホだ。シンディ・シャーマンの作品もなりきりもの。森村作品が形から入るのに対し、こちらは、イメージのなりきりもの。やなぎみわ作品も、ちょっとすれ違うようなもの。モデルとなる女性に、自分の50年後を思い描いてもらい、作家と対話をしながら深化させ、できあがったイメージを作家自身が演じて写真を撮るというもののようだ。年齢を越境している。ミン・フォンは映像作品が2点、出ていた。映像作品「ライフ・オブ・イミテーション」が、なかなかおもしろい。映画の一シーンの、黒人である母親を隠そうとして、その母親と縁を娘が切るという場面を、人種や民族の異なる役者に演じさせ、しかも、カットごとに、人種や民族を入れ替える、しかも、その場面を、同時に2つのスクリーンで見せていくから、元の映画の設定が、どんどんとわけがわからなくなっていく。問題の相対化どころじゃなくて、無意味化を図ったのかな? おもしろいこと、考え付くものです。マイク・ケリー「カンドール」シリーズは、スーパーマンの故郷となる町が縮小されているそうだが、その物語の記憶を再現しようとしたもの、らしい。イメージの差異を意識させるものかと思ったのだが、当たってるだろうか。山城知佳子「BORDER」という映像作品は既視感がある。多分、この美術館のコレクション展でなかったかなぁ。沖縄人の墓が、基地内にあり、それとの境界を強く意識させるもの。「オキナワ TOURIST-I like Okinawa Sweet」は、女装した男(と思うのだが、、、)がアイスクリームを食べ続ける光景が続き、エロい何かを表しているようでもあり、でなかったら、これは何だという映像が流れたあと、国会議事堂の前でパネルを持ち、アピールを行う作者と思える女性が何かを訴える光景を撮るというもの。でも、女性が言っているのは、ステレオタイプの沖縄の誉め言葉。沖縄の現実と作られた沖縄イメージの境界を描いているのか? 1つのコーナーには、三島喜美代作品があるかと思うと、廣直高の「無題(陽)」は、どうやら、キャンパスを着ながら、それに絵具を塗りたくったようだし、田中功起の映像作品「誰かのガラクタは、誰かの宝物」は、拾ってきたヤシの葉を、フリマで売る姿を撮ったもの。「もの」とは何かを問うたもののようだった。鎌田友介「Japanese Houses in the Tokonoma(Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)」は、「床の間」というよりか、「棚」に、世界各地に残る日本家屋の写真を陳列したもの。お題を見ないと、どこで撮ったのかが判らないのが、ちょっと困った。キャプションを読んだ途端、おもしろいと思ったのに。クリスチャン・ボルタンスキー「モニュメント」は、キャプションに「祭壇」というタームが使われていたので、そう思って観れば、そのように観えるが、その補足がなければ、スルーするしかない。傑作だったのは、1つの壁に同じコンセプトで幾つかのキャンパスらしきものが架かったシリーズ作品、カリン・ザンダーの「Mailed Painting(郵送された絵画)」。新しいキャンパスの注文をして、それが手元に届いた姿を展示するというもの。「郵送」で、注文品が、どのような変化を遂げるかを見せるもの。送り札が貼り付けたままであったり、傷がいっていたり、人間社会の一断面が切り取られているようだった。田島美加の種々の造形作品や、エヴェリン・タオチェン・ワン作品には「トルコ人女性たちのブラックベリー」とお題に「トルコ」が入っているのに、全く、イマジネーションが湧かなかったり、たくさん出ていたヴォルフガング・ティルマンスの平面作品なんかは、全然、判らなかった。ミヤギフトシの映像作品「The Ocean View Resort」は、沖縄ものなのか、セクシュアリティに関わるものなのか、全く的外れなのか、、、静かに流れる映像が気になったのだけど、実際、2人連れの外国人女性は、じっと時間をかけて観ていたのだけど、時間切れで諦めたりした。一角には、光を使ったというか、光が作品のエレメントになっている作品も出てたが、こちらもお手上げだった。こんなに時間がかかる展覧会だと思ってなかったので、時間設定を間違ったね。現代アート作品展は、映像作品が出るということをイメージしておかないと、時間に追われてしまいますね。
 中之島美術館での講演会は、レクチャー「女性画家たちの20世紀」として行われたもの。現在、開催されている「生誕150年記念 上村松園」展の関連企画だった。2部構成で進行。まず、この展覧会のキュレーションを担当された同館学芸員の小川知子さんから、上村松園についての解説があった。その中で触れられたトピックで、メモっておきたいものだけを記しておく。「初期の目標は文展、池田焦園、島成園もそうだった、院展は、横山大観や下村観山が牛耳っており評価されるのが難しかった」「そういった制約もあったので女性画家による、独自のグループ活動や美術教育が発生していく」「東京美術学校は女子拒否だったので生まれたのが女子美」「東京での女性画家の中心的役割は、池田焦園が若くして亡くなっているので栗原玉葉」「京都では梶原緋佐子、そして、三谷十糸子、大阪では木谷千種」「上村松園は女性画家という意識はなく日本画家という意識」「女性日本画家の落款話がユニーク」「上村松園は、南画の影響か、初めは‶女史‶、‶松墨‶と書いたものもあるが、大正時代になると‶女‶を使っている」「島成園は大正8年に‶女‶が消える」「木谷千種は、大正7年に‶千種‶のみとなり‶女‶が消える」「池田焦園は挿絵画家出身からか端から‶女‶が入っていない」「柿内青葉は昭和になっても‶女‶を入れている」。後半は、北原恵(大阪大学名誉教授)さんによる「女性画家たちの20世紀~谷口富美枝を中心に」というお題でのお話だった。が、「谷口富美枝って」だった。作品を観ているかもしれないけど、「?」となってしまった。それもありうることで、この人の経歴を押さえると、川端龍子門下で青龍社で活動するも、やがて脱退。画家船田玉樹との出会い、結婚、ここまでは、その画業は続けるのだが、やがて、2人の子どもを船田の元に残し、離婚。そして、再婚を機に渡米。だが、そこでも離婚、しかし、日本に戻らなかった。ここで、日本画壇との縁が切れてしまい、忘れられてしまったようだ。だが、船田との結婚生活時に、戦争疎開で滞在した船田の故郷呉市で、谷口の作品が発見され、再評価が、近年、進む作家さんだそうだ。そんなだから、遭遇もしてないかもしれない。その辺のお話や、作風についての解説を、半寝で聴いてしまったので曖昧だ。ただ、日本髪の女性は描いたことがない、モダンガールを描いているということで、様子は、ちょっとは想像できる。北原さんのお話で、しっかりと記憶があり、大事だと思ったのは「戦争画」のトピック。「戦争画」と言っても、一概に作戦の記録もあれば、露骨の戦意高揚ものがあるが、精神化・象徴化することで、「戦争画」となるものもあるということで、横山大観の「富士」、上村松園の「美人画」を上げられていた。若桑みどりは、著作の中で「女性の働く姿を描く」という意味合いで「戦争画」を評価しているとも言われていた。女性画家で、「戦争画」の旗振り役を担ったのは長谷川春子だったというトピックは、どこかで読んだ記憶がある。もう1つ、おもしろいトピック。「ヌード画」のトピック。上村松園に薄い衣は着ていても、それと言ってもいいのが残っているのは、松伯美術館で観ているので知っていたが、女性画家は「ヌード画」を描きにくいとしたもの。美術の世界で、「ヌード画」を描くということで、人体の特徴を把握して画業を進めるという考え方があり、それはそうかもしれないが、その「ヌード画」を、女性が描きにくいために、女性に大家と言われる作家が現れなかったとするリンダ・ノックリンの説を紹介されていた。そうなんだろうかという疑問付きだったが。という具合に、拡散のあるお話で、寝落ちしてなかったら、もっと有意義だったのでしょうな。相変わらず、あかん。


2025年 5月 10日(土)午後 8時 43分

 今日は休養日。土曜日では珍しい。予定を入れてないわけではなかったが、他の日との比較で、今日、休養日に充てたまでだ。いつものように、何でもかんでもはダメとの考えだ。体力の問題もあるしね。それで、今日は、朝10時を期して、音楽会のチケットを買った。アクセスに失敗すると、あっという間に、席は、かなり埋まっていた。やっぱ、知ってる人は知っている。2人の有名指揮者による、ピアノ・デュオのコンサートなのだ。黄紺も、ごく最近知り、これは外せないと思った。あとは、日に2回のウォーキング時だけが、外出時間というのは、いつも通り。今日は、税金の支払いなんかがあったので、銀行に寄ったりしながらのコース選び。夕方は、買い物がてらのウォーキング。それで、夕方、万歩計を見ると16400歩余で、ごく普通だった。
 午後の一時は、またぞろ、Youtubeで動画を観ていると、寝落ち。日本国内の旅動画、韓国のモッパン動画を観ている内でのことだった。覚醒後、気を取り直して、韓国旅行の準備。トンヨン(統営)の補足と、新たにマサン(馬山)を調べ始めたが、なかなか、これと言ったものが出てこなかった。マサン市というのは存在せず、チャンウォン(昌原)で調べなきゃと思い、調べ出しても、何も出てこない。その内に、チャンウォンは、韓国を代表する計画都市だと出てきた。そう言われれば、この町を通ったことが2回あるのだが、その内の1回、キメ(金海)空港から、ダイレクトにマサン行きバス(当時は、まだ合併してなかった)に乗ったとき、道幅がやたら広くて、無機質な印象を持った思い出があるのを思い出した。もう1回は、そこまでではなかった気もするが、団地といった近代的な建物が、えらく目に入った記憶。このときは、チネ(鎮海)からの移動だった。でもね、旧マサンは、歴史があるはずと思うのだけど。そういったことをしている内に、マサン魚市場が見つかった。海沿いの地域だ。更に、旧マサン市街の再生事業で変身した地域というのも入って来ることで、旧マサン市街地が、どの辺りかが判って来た。でも、今のところ、そんなに興味を惹くものが出てきていない。そこで考えた。「マサン1泊、トンヨン1泊」という心づもりを変えようじゃないかの気になってきた。マサン泊を外し、トンヨンだけの宿泊にして、そのトンヨンまで移動する間に チャンウォンを通るので、マサン旧市街を歩いて、その足で、マサン南部ターミナルからトンヨン行きバスに乗り(幸い、マサン駅から南部ターミナルへの途中にマサン旧市街中心域がある!)、その日はトンヨンまで行っちゃう。その分、その日のトンヨンでの行動時間が減るんで、トンヨンの翌日、少なくとも午前中はトンヨンで遊び、その後、プサン(釜山)に入り、その日はプサン泊にすればいいのだと考えを変えた。元々の「マサン泊なし、トンヨン泊、プサン泊」に戻るわけだ。これが、最終決定だな。だから、プサン、ウルサン(蔚山)、テグ(大邱)、トンヨン(統営)、プサンの5泊ということで、プサン2泊が復活することになった。これで、プサンをもっと知りたい欲も、一応、満たされるかなの気になっている。こんな風にして、毎度だけど、こうでもない、ああでもないと、旅程検討は、ホント、楽しい。


2025年 5月 9日(金)午後 11時 58分

 今日は、朝からお出かけ。金曜日ということで、アスニー京都での市民向け公開講演会だ。そして、終了後、衣笠方向へ移動。そうなると、学生さん相手の定食屋さんが贔屓の店ということで、そこで昼食。サービス定食は、とんかつとアジのフライだった。割引券を使わしてもらい、また、新たな抽選券で当たりが出た。また、行かねばならない。2つ目の行き先は立命館大学国際平和ミュージアム。ここでの企画展を2つ観ようと思って行ったら、小さな企画展は、まだ始まってなかった。この辺の不注意、よくやらかしてしまう。帰宅すると、もう午後4時前だった。この頃、このパターンだと、ここで、PCを前に寝落ちするが、今日もそうだった。それだけ、じわじわと体力が落ちて行ってるのでしょうね。外出はこれだけで、万歩計を見ると13000歩余だったが、この行程では、こんなものでしょう。これで、アスニー京都から立命館大学国際平和ミュージアムまでは徒歩移動をしたり、帰りも駅までは徒歩移動してのものだから、仕方ない。
 アスニー京都での講演会は、「奈良末・平安初期の后妃たち」というお題で、立命館大学文学部特命教授/京都市社会教育委員の本郷真紹さんのお話を聴くことができた。今までも聴いたことがあり、毎度、熱量のあるお話で、ご自分の見解をしっかりと示すという内容で、とっても好感度の高い講師の方なんだけど、にも拘らず、冒頭からすぐ、半ば過ぎまで寝落ちをしてしまった。だから、奈良時代末期から桓武天皇の時代へと繋がる、時系列的な展開の前の部分が欠落したことになるので、特に、苦手な固有名詞が判らないものだから、かなりどころでない苦戦を強いられてしまった。この時代は、皇族や貴族の結婚というものは、政治そのもの。だから、誰は、誰の子どもで、どういった血統になるかにより、政治家としての人生が決まっていく。だから、黄紺が寝落ちをしてる間に、奈良時代末期の后妃たちが、どのような血筋で、誰と結婚して、誰を産んだかを話されていた模様。それがネタふりで、本丸は桓武天皇。この時代、聖武・草壁系が本流だがら、誰がそうなのかの押さえが要る。井上内親王から酒人女王という流れがそのようだ。その酒人女王が、山部親王、後の桓武天皇だが、その妃のなり、20数人いた妃の中では、家柄は最上位になると言います。が、この人、皇后ではなかった。皇后は、ランクでは2位になる藤原乙牟礼。それは、この人が男子後継(平城天皇、嵯峨天皇)を産んでいるからそうなったと言われていた。この時期から、男子後継を産んだ者が皇后という最高位になったとか。この2人の妃以外の20数人の女性の出自を示されていたが、特定の一族に集中しているのではなく、多様性に富み、どこかに偏らないような配慮がされているかのように見える。また、桓武天皇は、天皇家の血筋で言うと、本流ではない天智系、母親は、黄紺でも知っている高野新笠。渡来系の血筋。ということで、聖武・草壁系の血を引く女性を妃に迎えつつ、有力貴族の女性を妃に迎え、権力基盤の強化を図ったのだろうということだった。しかも、最高位の女性を皇后にしないという新たな手を打ち、桓武系という、新たな血筋を作り上げることまでも考えていたのだろうということだ。実際、20数人も妃がいると、それだけ多くの子どもが産まれるということも意味する。それまでだと、そういった子どもは、すべからく皇族として扶養されていったが、桓武天皇は、それらの子どもには臣籍降下をさせる。臣下とすることで、経費節減も行い、役人として支えるという役割を与えていくということをした。ま、桓武平氏などが誕生していくというわけですね。壮大なお話だったと思える展開。もっともっと、内容は豊富だったのでしょうが、寝落ちの関係で、メモれるのは、この程度かな。「高野」「菅原」、、、といった姓の由来に関するお話も、多く出てきたのだが、お話の本筋からは外れるので割愛です。
 立命館大学国際平和ミュージアムでは、「村山康文写真展 ベトナム戦争の傷痕—戦争終結から50年」という展覧会があるということで行った。同時開催があると思い込んでいたのは、ユン・ドンジュ(尹東柱)関連の展示だった。村山康文さんのお名前を聞いたのは初めて。キャプションによると、石川文洋という、黄紺も知る著名な報道写真家の触発を受け、写真家の道を歩み出したという方だった。展示は、幾つかのセクションに分かれていた。「ベトナム戦争」「韓国軍の派遣」「韓国軍による民間人虐殺事件とライダイハン」「 アメリカのなかの戦争」「ソンミ虐殺事件」「枯れ葉剤~終わることのない苦しみ~」「それぞれのベトナム戦争」。村山さんの凄いところは、ベトナム戦争の実相だけではなく、戦後を、丹念に追いかけられていることだ。南北、各々に参加した人たち、民間人として、戦争に巻き込まれた人たち、アメリカ軍、韓国軍、、、。韓国の関わりについての写真が多かったように思える。韓国軍による虐殺事件、ライダイハン問題といった、日本では、あまり知られていないことを取り上げられているということが、いい勉強になった。ライダイハンというタームすら知らなかったというのが、正直なところだ。「ダイ」=混血、「ダイハン」=大韓のようだ、そこには蔑称の意味合いが込められているようだ。虐殺は、ソンミ村だけではなかったということですね、しかも、アメリカ軍だけではなかった。枯葉剤の犠牲者は、何も、ベトちゃん、ドクちゃんだけではなく、4世の子どもまで症状が出てきているということだった。村山さんは、人を写します。キャプションに、各々の人の背景が書き込まれ、ようやく表情のわけ、場合によっては複雑さを伴いながら、ベトナム戦争の悲惨さを伝えてくれていました。


2025年 5月 8日(木)午後 8時 48分

 今日は、1年ぶりに、昔の同僚と再開した日。毎年、GW明けの木曜日に集まり、午前中に巡検をして、お昼を食べ、しばし、カフェで雑談をする。そして、1年後の再開を約束して別れる。今日も話題になってたけど、もう10年くらい続けている。今日の集合は京阪丹波橋駅。もろに地元だ。伏見の巡検。「ブラタモリ」では、「伏見はかつては日本の首都だった」なんてコピーを使ってたけど、それだけ、見どころが多いってことは間違いない。今回のコース担当者の指示で、まずは大黒寺へ。地元だから、名前を聞いて、場所は判るが、ここの重要性、全然、知らなかった。今日は、この連続。お向かいの金札宮は知っている。謡蹟だから。コースの予定には入ってなかったが、「大黒寺へ行くなら金札宮がある、お向かいだ」と告げ、まず、金札宮を覗く。立札に、能「金札」についての解説もあった。但し、実際はどうかは知らないが、能になるだけ知られたお宮だったのでしょう。大黒寺は、その辺り一帯に薩摩藩屋敷があったそうで、殊に幕末には志士の動きが活発だったところのようだ。「寺田屋事件の九烈士」の墓もある。墓の烈士名の揮毫は西郷隆盛だそうだ。土木事業の責をとり自刃した薩摩藩家老の平田靱負の碑文もあり、更に伏見義民顕彰碑もあった。同じような碑文、どこかで見たことあるんだけど、肝心の伏見義民のこと、知らなかった。次いで、丹波橋駅に戻り、墨染駅まで電車で移動。今度は、今回の巡検の発端になった墨染寺へ。これ、「ぼくせんじ」って読むの、今日、初めて知った。ここでは、立て札にあった「墨染」の基になった歌の確認。それで終わるかなと思っていたので、どなたも持ってなかろうということで、金剛流だけの現行曲「墨染桜」の謡本から、梗概と進行を書いた部分をコピーして持って行っておいた。ここでも、ちょこっと能の解説。次いで、栄春寺へ向かうということだったので、地図を見て場所を確認後、その途中に鴨川運河の船溜まりに寄ることを勧めた。蹴上のインクラインは、つとに知られているが、墨染のインクラインは、知名度では劣るので、いい機会だった。そして、栄春寺に向かったつもりが、東に行ってしまい、先に海宝寺へ。黄檗宗の寺で萬福寺と関係が深いと、案内板に書かれてあった。以前、黄紺不参加のときに、黄檗の巡検があったようで、それで話題が咲く。と言っても、普茶料理話だったけど。ここは、伊達政宗の伏見城上屋敷があったところだということで、その案内板は仙台市が建てていた。これは、突っ込みが入った。深草に「伊達」という地番があることを、伏見の人間として紹介した。かなり、この寺よりは北になるので、伊達家の家領の広さに驚かされた。ここも中身を知らない寺だった。そして、最後の訪問地は、予定されていた順とは後先が逆になったけど、栄春寺へ。あとの昼食場所として考えていた食堂へ行くには、この後先逆の方が良かったかもしれない。この寺の驚きは、伏見城の惣構跡が残っているということ。これも驚いた。伏見城の堀跡の残ってるところは、その様子を観ることができると思ってるんだけど、堀跡から離れてる場所であるため、余計に驚いた。結構、高くて、上は広かった。墓に使われていたが、東の端まで行くと、隣接する家屋と比較すると、その土塁の高さはかなりのものだった。これも、大ヒット! ここで、もう12時を回っていたので、食事にはいい時間だった。1年前、「食事するところある?」と尋ねられたとき、即、思いついたのは、その少し前にDと一緒にフォーを食べに行ったベトナム屋さん。今回の参加者には、ベトナム・フリークの方も居るということで、ベストかなと思ったのだった。開けてるか心配だったが杞憂だった。あとの人は、皆さん、バインミーだったが、黄紺は、今や貴重な米飯が付く定食にした。めっちゃ、美味かった! えらく流行ってて、ベトナム人のグループは、昼からビールを呑むために来るやら、若い女の子のグループが来るやらで、そんなに流行ってるとは、知らんかったなぁ。近くに、もう1軒、ベトナム屋さんあるのに。ホント、伏見のアジアタウン化進む中でも、一番、進化が速いのが、このベトナム屋さんがある界隈だ。食べながら、近況報告。食後は、場所を変えて喋ろうということで、丹波橋、墨染、伏見、どの駅がいいかと尋ねると、大阪方向からの参加者が多いということで、あっさりと丹波橋駅近くへ。ふりだしに戻ったことになった。あれやこれや、そして、来年の行き先決めが話題に。ショックだったのは、お一人の病気の進行具合。参加できるという前提で、来年は、大阪の上町台地を、その北端から登ることからスタートすることに決定。で、それで解散したんだけど、内お一人と、韓国、一緒に行くことになりました。6月は、もうコースを決めているので、その次。秋に行くときに、行きましょうとなった。この人、韓国語できるんだよね、だけど、ソウルと釜山、あとはツアーでしか韓国巡りをしていないんで、黄紺の足りてる分と足りない分を併せると、いい組合せになりそうです。久しぶりの、連れもての旅になりそうです。楽しみ。


2025年 5月 8日(木)午前 6時 43分

 昨日は、夕方から映画を観るという予定を入れていた。上映終了後、監督のトークショーがあったので、帰宅すると午後9時だった。こういった時間の流れ、慣れてない。夕食を摂る、晩酌をする、眠くなるまでしか、自由な時間がないものだから、夕食を摂りながら、ヒュリエット紙のチェックをしようとすると、これがアクセスできない。ないことが行った。しばらくしてたら寝落ちするので、昨夜は、アクシャム紙のチェックで、それに替えた。トルコで新聞を買うときはこれと決めていたからね。3大新聞は、広告や何やらが多くて、分厚くて困るので、内容がしっかりしていて、分厚くないアクシャム紙の贔屓だった。しかし、時間が遅い分、あっさりと寝落ちしたので、これの書き始めも、朝、起きてから。これ、最近、なかったこと。そんな時間の過ごし方をしたので、午後3時までは、普段の休養日と同じ時間の流れ。そうだ、洗濯日にして、ウォーキングもしてと、頑張った朝だった。そう言えば、日が変わってるのに、洗濯ものを取り込んでいないのに、今、気が付いた。午後の一時もちょっとあった。Youtubeの動画をちょこっと観て、あとは韓国旅行の準備。トンヨン(統営)関係の資料は、全然、持ってなかったので、それを作っていた。以前行ったときの記憶と、さほど変わってないの印象だから、観光名所的なところはだが、だけど、30年近く前のことだから、やっぱ、ここは街だね、旅客船ターミナルから海岸沿いに歩いた港の風景、結構、覚えてる。第一、プサンから船で入ったから、街への第一歩が港だった。今度、その逆をやってみようか、考え中だ。市外バスを、最近、使わなくなってるから、それにも乗りたいし、、、。ウォーキングは、映画館への往復を入れて、万歩計には12400歩余となっていた。映画館の単純往復しかしてないから、こんなものでしょ。午前中だけだと、9000歩を超過してたんだけどね。
 映画は、UPLINK京都で観た。「KYOTOGRAPHIE 2025開催記念上映」と銘打たれたもので、お題は「オキナワより愛を込めて」(砂入博史監督)、昨日と一昨日の2日間だけ、上映されたものだった。映画情報を丹念にしていると、こういった有難い企画に出逢えます。「写真家石川真生作品の展示に併せて」となっていた(作品自体は既に観ているので、展示は、今回行っていない)。石川真生という写真家、国立国際美術館のコレクション展だったかな、とにかく、同美術館で、初めて知った作家だった。インパクトが強かったもので覚えていた。沖縄出身の女性で、高校生の頃にコザでの騒乱に遭遇している。それを観て、写真家になり、自らコザの黒人相手のバーで働き、そこに集う黒人兵、働く女を撮り続けた写真家ということが、キャプションに書かれてあることで、その作品に現れている情景が判った。ここまで入り込んで写真を撮った、それを発表した、もう、それだけで、インパクトは強すぎだった。映画を観ていて知った追加情報、コザが、かつての勢いがなくなると、金武にも移り、同じようにバーで働き、写真を撮ったそうだ。海兵隊のキャンプがあったので、金武がハデハデしくなったという話は聞いたことがあった。終盤、多分、その金武だと思うけど、石川さんが、以前、働いていた地域を訪ねる場面があるけど、ゴーストタウンのようだった。映画自体は、石川さんの人生振り返りという形で進んでいく。それに、撮った写真が被さっていく。コザでは、白人用地域と黒人用地域に分かれていたという。知らないで迷い込んでくるなら、それだけで、えらい騒動になったそうだ。そこへ来る黒人兵との付き合い、同棲、別れ、新たな出会い、そういった中で、常にカメラを持っていた石川さんの撮ったものは、外から眺めているものじゃない迫力、生々しさがあるから、初めて観たときの強烈なインパクトを生んだと思う。そこに、そこで何があったか、黒人の個々の思い出も赤裸々に語られて行く、それに写真が被さると、これ以上の迫力、生々しさはない。そこには、結婚を求められたり、嘘をつかれたり、思い出も様々だが、それらの個の付き合いを、石川さんは「愛」という言葉を使い表していた。軍隊は嫌いだ、ましてや、それを動かすホワイトハウスは最悪の嫌いになるが、個々の兵士は別だ。それは、個々の兵士を観てきた、付き合ってきたから言えるということなのでしょう。監督のトークでも、レイシズムを語るとき、黒人は、白人はという総体として看る見方とは違う迫力があり、関心が行ったことで、映画撮影のオファーを出したと言われていた。それは、バーで働く女たちに向けるまなざしと、全く同じだった。個に対する関心、歴史や差別を乗り越えるパワーを感じたというようなことを、監督は言われてたように思う。石川さんは、自分は撮ることをしてきたから。撮られることは拒まない。いや、自分の全てを見せようとする人だ。それで、衝撃の場面があった。映画の中でも経緯は出て来るが、トークで補充してもらったことで詳細が判ったこのなのだが、石川さんは、がんを患っており、何度も手術を受けている。その姿、要するに手術痕を見せ、今の自分を晒そうということで、シャワーを浴びる日に、監督に連絡をとり、その姿を撮影を求めたのだ。全裸になり、シャワーを浴びながら、一部に貼ってあるテーピングの交換の様子まで映像化されていた。そして、そのあとには、自分の死についても語っていた。やはり、自分にも個の生き方を求めるというか、真っ当しようとの思いが語られていた。子どもも孫もおられるようなことを語りの中で出てきてたが、そういった生き方を伝えてあると言われていた。ディープな沖縄が見えてくるだけではなく、一人の人間の生き方の迫力に圧倒される作品です。多くの人に観てもらいたい作品だ。


2025年 5月 6日(火)午後 8時 23分

 GW最終日、夜半から雨だった。そして、気温が急降下。外に出るには、1枚、多めに着て出なければならなかった。朝起きて、いつものように、スマホに入れてある予定表を眺めながら、その日のスケジュールを確認するのだけど、今日は、そこで、ミスに気が付いた。某美術館に行くことになってたんだけど、今日、行かない方が賢明だと判断。他の日に回すことが可能なことが判ったので、その予定はキャンセルすることになった。替わりに、他の日に行くことになっているものから回せるものがないか調べたが、なんか、行くつもりになってたものが行かないことにしたことで、ちょっと、元気がなくなり、また、どうしてもというものが見つからなかったので、休養日にすることにした。一つには、昨日の滋賀県美で、またぞろ腰の調子が良くないこともあり、前向きにならなかったことは、間違いなくあったと思う。そんなで、今日は、雨も降ってたが、ウォーキングには、いつものように出かけた。幸い、夕方は、雨が上がったが、昼前は、完全に傘さしウォーキングだった。夕方、万歩計を見ると17000歩余とは、腰への負担が気になる数字が出てた。
 この2日、睡眠が、また、うまく取れてないんで、目が重い一日。案の定、午後の一時で、Youtubeの動画を観ていて、寝落ち。今まで観てなかった桂天吾の動画、観れるやんと思い、立て続けに観ているどこかで、寝てしまっていた。PCは、知らない間にスリープになっていた。寝たとしても、1時間も寝てないと思うけど、僅かでも寝ることで、ちょっと視界がきりっとするようになった。そこで、韓国旅行の下調べをすることにした。久しぶりにトンヨン(統営)に行こうと考えている。チンジュ(晋州)から向かうつもりだったが、どうせなら、通過したり、バスの乗り換えでしか利用したことのない町、馬山(マサン)から行こうと考えた。マサンでの宿泊も考えている。チンジュからはバスが出てることは知ってるのだが、マサンからは出てるだろうけど、市外バスなのか、市内バスなのか、また、マサンは、バスターミナルが複数あるのが判ってるので、これは、乗り換え経験があるから知ってる、どのバスターミナルを利用すればいいか、これを探すのに、わりかし苦労した。結論は、南部ターミナルから市外バスが出てることは判り、時刻表も押さえたが、プサンからマサン経由でトンヨンへ行くバスがあるようなんだけど、これの情報を、まだ掴めてない。マサン市内の情報把握はこれからだが、トンヨン関係は、ちょっと調べたが、既に、頭に入ってるものしか、手に入っていない。前に行った、30年程前のこと、記憶にあるからね。30年は大きいから、町に行くだけで値打ちもんやと思ってます。いい港町でね、前に行ったときは。まだ、チュンム(忠武)と言ってた頃だ。その町の名を付けたキンパプは「食べることべからず」だけは、しっかりと覚えてるな。相変わらず、この下調べは、楽しい!


2025年 5月 6日(火)午前 5時 31分

 4連休3日目の月曜日。昨日は、遠出の美術館通いに充てた。家を、午前10時過ぎに出て、滋賀県立美術館に行った。毎年、年度初めの企画展には、このGWに行っている気がする。足の便も良くないので混まないのだ。それを見越して、GWにスケジュールを入れることにしている。いつものように、ウォーキングを兼ねて、JR瀬田駅から徒歩での往復。片道35~40分の距離だ。今回の企画展は、おもしろい展示だということで、「日曜美術館」の「アートシーン」でも紹介されたもの。「落語であーっ!と展 そこまでやっちゃう? 落語と美術の無理矢理コラボレーション」というユニークなもの。滋賀県出身者で、江戸落語で初の真打が生まれたということの記念にもなっている。その真打三遊亭わん丈が落語監修者となっており、会期中に1回、美術館で落語会を開く。滋賀県出身の噺家が、もう二人、この企画展に噛んでいる。桂三度は、新作落語「虹」を提供。それが、会場で、常時流れている。三度と同期の二葉が、三度の推薦で実現したそうだが、その新作にイラストを付け、紙芝居形式で映像化したものを流してくれていた。これが、なかなかいい出来。三度の新作もおもしろいし、二葉のイラスト、忙しいのに、たくさん、描いている。タッチが、とても、噺に合っていて、軽妙で、いい感じだった。もう一人は、ここまでの二人に比べて知名度が落ちるからでしょう、それは、仕方がない、桂優々が落語のワークショップを開くとなっていた。桂慶枝や桂歌之助、桂紅雀も、滋賀県出身者だが、お声はかからなかったみたい。まだ、滋賀県者いるかもしれない。でも、わん丈を表に出すということで、上方落語は控えに回ってたから、仕方ないか! 構成は、「虹」を流すモニターと、アニメーション映像「頭山」が流される映写コーナー以外は、ピックアップされた落語のエピソード関係、いや、そういったものから連想できるものを、同美術館の所蔵品から引っ張り出すというもので、他の滋賀県の施設保管ものも、ごく一部は出ていたが、これだけは、どうしようもないといくことで借り出されたのが「井戸の茶碗 銘/雨雲」(北村美術館所蔵)。「猫の皿」は、「絵高麗梅鉢」ではなく「柿右衛門」を選び、真道黎明/柿右衛門大壺が出ていた。これも、個人蔵のものだが、リストを見ると、同美術館への寄託品となっていた。そんなで、ほぼ美術館所蔵品で、企画一つで、違った顔を見せてるようだった。取り上げられた落語、そこで展示された主なものをメモっておく。①近江八景(野村文挙「近江八景図」8つとも全部、下げが「銭」に絡んでるということで、赤瀬川原平「千円札印刷作品」、これは、京都国立近代美術館で観て以来)②長屋の花見(池上秀畝と吉田善彦の桜の図)③夜桜(このネタ、知らなかった、「親子茶屋」の江戸ヴァージョン、当然、夜桜を描いた作品、但し、祇園の桜)④竹の水仙(木村武山や横山大観の竹が入った作品)⑤唐茄子屋政談(塔本シスコが永源寺でもらい写生したオモチャカボチャ登場)⑥つる(岸竹堂の六曲一双屏風絵「富士群鶴図」という壮大な作品が出るかと思えば、つるは飛ぶということから、なんと、コンスタンティン・ブランクーシ「空間の鳥」も、ここに出ていた!、キャプションはお詫びの言葉から入ってた、なんでもありで)⑦井戸の茶碗(高台になってるのが特徴とか、確かに高台だった! 色合いは屑屋が買ってもおかしくないな、確かに、千代田卜斎の娘は美人だったろうということで、幸野楳嶺「美人図」、高木佐久左衛門と結婚することになるということで、小幡正雄「無題(結婚式)」が4枚出てたが、アールブリュット作品と幸野楳嶺が並ぶという、めっちゃ配置に盛り上がってしまった!)⑧牛ほめ(よくぞ見つけた! 柱に秋葉さんじゃないけど、お札の貼った風呂場の風景、あの桶の風呂の姿を描いた沢宏靱「牟始風呂」、民俗資料になる作品です)⑨天狗裁き(天狗を描いた岸竹堂ものと並んだのは、現代アートで夢の中を描いたと思われる冬木偉沙夫「夢・幻・煌」、タイムマシンに乗って時空間に吸い込まれて行きそうな作品が並んだ)⑩掛取萬歳(萬歳図は柴田晩葉の作品、ここに茨木杉風「近江八景図」という六曲一隻の屏風図が出てたわけが思い出せない!)⑪加賀の千代(詠まれた歌の素材として朝顔は解るが、梅となるとお手上げ、この梅が安田靫彦の「紅梅」だった)⑫狼講釈(岸竹堂大活躍で「月下吼狼図」が出たほかは、出まかせ講釈に出て来るということで、冨田溪仙「六歌仙」と松室加世子「潮音-平家物語より」が出てた)⑬浜野矩随(矩随が仏像を彫り再生したということで、ほんまもんの仏像「森大造/木造観音菩薩坐像」ととってもデフォルメの著しいアート系作品の観音図が出てた、こちらは岩下哲士作とあった)⑭雁風呂(噺はさておいて、雁絡みでは志村ふくみの「雁」という名の付いた着物、風呂絡みで、小倉遊亀「童女入浴」、前田青邨「浴女群像」と、えらく大家の作品が並んだ、そして、光圀ものの噺なんで光圀像も)⑮猫の皿(柿右衛門は先述の通り、猫が出て来るということで、猫の絵が出るのは当然、前田青邨、奥村土牛、塔本シスコと並んだが、この並びも、まあ、ないだろう、特に関西じゃ、ホント、奥村土牛ものって、遭遇機会ないね)⑯あたま山(先述のアニメーションと桜の図)⑰青菜(義経と弁慶の図は致し方ない、安田靫彦「静訣別之図」「鞍馬寺参籠の牛若」、青菜を表したのは小倉遊亀「蕪」、そして、ご丁寧に鯉も、「鯉のあらい」というものを知ったのは、このネタだったしと思うと、有難い挿入、山﨑與嗣夫「鯉鮎図」が出てた)⑱動物園(これは、もうライオンとトラ、岸竹堂のいいトラの絵があるから、出るのは想定済み、しかも、丁寧に、岸竹堂が、実物のトラを観る前に描いたものと観た後に描いたもの、両方とも出していた、芸の細やかなキュレーションです! ライオンは、冨田溪仙の獅子図と並んだのが大辻良介「ライオン」、これ、アールブリュット作品だよねと、確認しなければならないほど、流れに嵌ってる)⑲松曳き(山元春挙の六曲一双屏風「松図」の右肩に塔本シスコの「月光(雲に入る)」、この配置、絶妙、見事なマッチングだった! これも、キュレーションの業が冴えてる!)⑳やかん(水を注ぐもの、全員集合的な展示、ブランクーシから清水卯一の陶から、ジョージ・シーガルの「コーヒーを注ぐウェイトレス」という作り物の作品、水注しの置かれた「窓辺」を描いた小倉遊亀なども)㉑元犬(珍しく犬を描いている山元春挙「柳下番狗図」は有難かった、これ、山元春挙展のときに出てたっけ? 鹿は見た記憶はあるのですが、森村泰昌のなりきりものにも犬はいた)㉒抜け雀(岸竹堂はここでも登場して「刈田喜雀図」、大きいことはいいことで、長谷川玉峰の六曲一双屏風図「群雀図」は凄い数の雀、きっちりと、親に描かせた「鳥かご」も、こちらは島州一のシルクスクリーンの作品だった)。やっぱ、落語を知ってるってこと、大きいわ! なるほどと納得したり、そなあほなと突っ込んだりしてと、そんなことできるもんね!
 常設展も2ヶ所は、いつもと同じ。日本画の世界の方から入り、小倉遊亀コーナーは、何度も観てるので、今回は、何が出てるかのチェックだけして流すのも、いつも通り。「春らんまん! SMoA 春のUKI★UKI ⽇本美術まつり」という派手なお題が付いている部屋だが、要するに春を描いた作品の並ぶコーナー。桜が多く、新緑、それをイメージしたものが多いというのは定番。メモっておきたいことを残しておく。岸連山「林和靖図」は、北宋の林和靖にインスパイアされた作品とのこと。一見、南画風だが、横長、遠近感がある。珍しい、いいもの観たぞという感じ。企画展で幾つか観た岸竹堂は、今度は動物画ではなく花鳥画で「花卉鳥禽図」とは新鮮。森寛斎「春秋花鳥図」は、六曲一双の大作。左右のバランスは、春秋の描き分けだが、左右ともに盛った描き方。重い感じがしてしまう。そう観えるから、左右で描き分けがされるのだと判った。野口小蘋は近江商人の家の出ということで、この美術館ではおなじみの作家。山水を得てとしている作家と思ってる。が、今回出ている「春奚訪友図」は、尾根の描き方、いい筋で描いてることで、それだけで遠近感が出ている。いい感じだ。斎内一秀「早春風景」は、パっと観、洋画。ぼかした感じ、色彩の明るさが、そう思わせたようだった。山元春挙「武陵桃源図」は、回顧展で観て、感動した作品。舟と水面のリアリティ、自然の大きさを表すと、やはり、この人が一番だな。その側に、池田遙邨「湖畔残春」。パッと観、水の色、木の色を観て、野長瀬晩花かと思った。南から湖北方面を眺める雄大な風景画。志村ふくみが2点、その内の「若柳」の若々しい色彩に、いいねです。もう一つの部屋は「コレクションに橋をわたす」というお題が付いていた。「橋」という語句が入っているのは、異なるジャンルの作品を、切り口を変えた視点で並べてみる、それらを「繋ぐ橋」ということらしいが、この展示は、正に滋賀県美らしいと感服したものだった。違った切り口、視点というのは、次のようなものだった。「①たとえば、花」「②ここではないどこか」「③不穏さ」「④わたしについて」「⑤点の力」「⑥タイムレス」。おもしろかったのは、知ってる作品は、これは誰の作品と、作者により、自分が区分している目が入ってしまう。誰のでなくとも、こういったジャンルの人とか、ここでも区分が入ってしまう。そういったことを知らない作品は、一つにパッと観の印象があり、自分なりの空想があり、次いで、キャプションで知識の補充と展開していく。そういった流れで観ていて、徐々に気づいたのが、どれが、アールブリュットで、どれが、そうでないかの区分が判らなくなっていくのだ。塔本シスコ作品のように、書類上はアールブリュットだけど、アールブリュットという語句から受けるイメージでは測れない作品もあるので、混迷は深まるばかり。冒頭のキャプションにある通り、「視点を変えようじゃないか」という呼びかけより、「アートって、何なの?」という問いかけを求める「攪乱」を意図したのではないかという思いが持ち上がって行った。滋賀県美なら、やりそうだと、そう思い始めると考え出してしまっていた。衝動とか欲動とか、根源的なところから湧き上がっていくものを探そう、追求しようとしているところから、作る、描く、、、という活動もあれば、知的作業として、自らの知を、形あるもの、見えるものにしていくという作業もあるだろうが、出来上がったものを、アールブリュット作品と並べると、何が何だか判らなくなってくる、結果として並んでいるものを、作家がどのような人であるかで区分することの意味のなさのようなものを感じさせてしまっている。となると、何をもって、作品となるのか、解らなくなってくるが、送り手がどうであろうが、受け手である一鑑賞者の誰かが気に入ったものだからここにあると思うと、それらを観る一般の鑑賞者が、その何かを探そうとしている。この展示で、個々の作品よりか、この展示そのものに関心が行ってしまった。この美術館が、一番多く、アールブリュット作品を持ってるだろうから、今後も、こうしたキュレーションによる展覧会に接することができるでしょうね。そう言えば、落語の企画展にも、アールブリュットと分類されてる作品が、結構、出てたしね。おもしろいわぁ。


2025年 5月 5日(月)午前 6時 37分

 4連休の2日目は日曜日。ここ2日、京都を離れたので、昨日は休養日に充てた。朝から「日曜美術館」を観て、ウォーキング。午後の一時は、溜まってあったトルコ情報を読み、そして、ちょこっとだけ、6月の韓国旅行の準備をした。5月に考えてたプチ旅行は、ほぼ消滅させたつもり。京都に居ながら、手一杯の予定が詰まりそうなものだから、他所に行っている場合じゃないとの判断が、今のところ、強く働いたからだ。韓国旅行も、鉄道のタイムスケジュールを調べてて、マイナーチェンジをした方が良さそうだと思い始めている。釜山2泊を1泊にすると、行程が、ぐんと組みやすくなること気が付いたのだ。釜山は、いつでも行けるから、減らしてもええかいなの気分、でも、それで、知らぬ間に釜山の変貌を、すっかり抜かしてしまったんだけどね。そして、鉄道路線が、ポハン(浦項)からカンヌン(江陵)が繋がったこと、今頃になり知った。次回の狙いは、これだね。ヨンドク(盈徳)やピョンゲ(平海)に鉄道が走るようになってんだね。駅ができてるみたいよ。
 日曜美術館は、「蔦重と歌麿・写楽・北斎」というお題。大河関連だと思うが、最近では少なくなったMCの出ない番組となった。蔦重の経歴って、巷間、伝えられるイメージでばかり捉えていたということが、よく判った時間になった。確かに、有名絵師の起用で成功を収めたことは収めたが、大河で描かれているように、先行の出版元との競争は苛烈を極めたのも理解していたが、最後にはメディア王として、成功裏に人生を閉じるものと、勝手に考えていた。その辺がイメージ先行、いえいえ、大河の主役だからそうなんだろうと勝手に考えていたことのようで、結局は、争いの中で終えていく。むしろ、最後は出し抜かれてしまったように思えた。気になったので、一応、浮世絵の世界を取り上げた本を手に入れているので、近々、読んでみようの気になった。取り上げられた作品、上手く抑えられてないが、一応、メモっておく。①画本虫撰(歌麿画)(とうもろこしの粒を凸凹表現、版木を押し当てて作った凸凹)②吉原細見③見立て***④鈴木晴信/風俗四季歌仙⑤雛形若菜初模様(吉原遊女の錦絵、西村屋(日本橋)と共同出版=版権が共同、だが、後半になると蔦重の印消える=蔦重追い出し、版権争いが苛烈を極めたようだが、版権を持つと重版・類版を禁止できる、その判断は、作品のテーマと大きさ)⑥青楼俄尽⑥雛形若菜初模様女芸者部(歌麿画、芸者の身支度姿、単なる美人画ではない、大判で出版=資金調達面で企画頓挫、西村屋の反撃も大きかった)⑦婦人相楽十体(歌麿画、美人大首絵(色数絞れる)=新商品、彫り摺りを考えている、選びに選んだ線、女性の心理描写、寛政の改革の産物)⑧婦人相楽十体/かせんこいのぶ⑨婦人相楽十体/タバコを吸う女⑩高名三美人(人気の町娘がモデル)⑪霞織り娘ひながた(歌麿画)⑫青楼十二時(歌麿画、遊郭の一日を一刻ずつ(2時間ごと)描いたもの)⑬俳諧おた巻(北斎画、美人画)⑭俄狂言(北斎画)⑮三代目大谷鬼次(北斎に役者絵を描かせ、実力を試す)⑯三代目大谷鬼次(写楽画、写楽は阿波の能役、28枚同時出版、背景は雲母刷り、同じ構図、黒背景、更に10ヶ月で134枚(4期)、次第に版が小さくする(予定していた)、数で他の版元を圧倒しようとした)⑰市川鯛蔵⑱嵐龍蔵⑲二代目仲蔵・三代目瀬川菊之丞(新発見の写楽、3期の2枚、7~8版すり、青色鮮やか、紅2色の使い分け⑳役者舞台の・・・(豊国画、大判)㉑勝川春栄/三代目市川駒蔵㉒老人図(写楽の肉筆、富本節太夫を描く)㉓婦人手業(歌麿画、市井の女性を描く)㉔実競色***(歌麿画、紙屋治兵衛を描く)。最晩年、蔦重は、役者絵から撤退、更に、錦絵からも遠ざかるということで、人生を終えていくという。写楽は、今でこそ、あのデフォルメが注視されるが、どうも、写楽で攻勢をかけようとして、首尾は良くなかったようですな。それからジリ貧になっていったというような印象を持ってしまったけれど、捉え方、それでいいのかな? 「べらぼう」でも、既に西村屋は出てきている。最初、演じてるのが西村まさ彦なんで、西村屋という屋号は、適当に付けたんじゃないかと思ってけど、とんでもない大立者で、重要な役柄なんだね。鱗形屋が大物感あったのだけど、番組では、全く出てこなかった。昨日の「べらぼう」の新作で、どうやら唐丸は、写楽ではなく歌麿のようだと判ったので、この「日曜美術館」はグッドタイミングていうか、それに合わせて、ここに持ってきたものと理解した。写楽は阿波の能役者と言ってたけど、「べらぼう」では、どうするのだろう? 北斎は、歌麿の噛ませ犬的な言い方だったしと、「べらぼう」での扱いも気になってきました。


2025年 5月 3日(土)午後 8時 12分

 世間的には4連休が始まった。今日は、午後に、豊中でのコンサートのチケットを買ってあった。いいプログラムに魅せられ、早々にチケットを購入してあった。それと組み合わせるものが、突如、現れた。先日、神戸市立小磯記念美術館で展示されていた松本奉山の作品が、大阪大学総合学術博物館で展示されていることを、その神戸で知ったのだ。コンサートが曽祢、阪大が石橋だから、この2つを併せて行かない手はないということで、今日、ハシゴをした。阪大の博物館は行ったこともないので規模も判らず、また、回顧展の作品リスト数を見ると、えらい数になってるものだから、一応、1時間半弱を想定して、今日のタイムスケジュールを組んだ。出発を午前9時40分にして、まず、石橋へ。でも、数は多かったが、資料的なものも多く、結局、観覧は40分程で、十分だった。今日は、昼食を持参しなかったので、石橋で食べた。節約目的で、なか卯で親子丼。ま、よくあるパターンだ。騒動のあったすき家にも行ってみたかったが、今日は自重。そして、曾祢へ移動。だけど、早すぎた。しばし、駅のベンチで読書。先日の福山で理解するのに困ったので、ベルエポック関係の本を読んでいるが、おもしろい本だが、社会史の本。だから、おもしろいのだが、文学・美術・思想、そういったジャンルから離れてるのが、まずいかなと思い出してるが、おもしろいから読み続けてる。時代背景、いや、時代の空気を知るには、この上ない本だ。コンサートは、豊中市立文化芸術センターでのものだった。よくコンサート会場でお会いする方と、今日もばったり。コンサート終了後は、一旦、梅田まで出て淀屋橋まで歩き、そこから京都へ。これが、実は、交通費、一番安い。でも、時間がかかるから、往きは京都から阪急に乗った。で、帰宅したのは、午後6時前。この頃、遠出が多いから疲労蓄積気味。でも、残りのGW、まだ、遠出を2回、計画しています。
 阪大の博物館の展覧会は「生誕100周年記念 松本奉山ー水墨画で世界を描くー」。松本奉山という作家さん、神戸での展覧会で、初めて知ったのだが、水墨画の作家、昔ながらの徒弟修業で、松本尚山の下で研鑽を積み、美山を名乗る。その時期の作品というものは、火事のため、ほとんど残っていないという。が、この展覧会で出てた。「叱られて」という作品。少女が、野にぽつりと立ち、悲しそうな表情をしているというもの。知っている作品とは、テイストが違い、驚かされた。この作品には、火事の後遺症、一部に焦げた跡が残っている。なお、この作品には草稿も残っていた。この時期のスケッチブックなども残っていたようで展示されていたが、ここでも、デッサン力って、凄いものを観た。こうやって、回顧展なんかが開かれる作家のデッサン力って、ホント、凄いものがある。特に、この人のデッサン力を知り、納得も得心もしたのだが、デッサン力が高いということは、対象物を即座に捉え、それを描けるという力があることだと思うと、この人のアメリカへ行ってからの作品って、正に、この力で描いてるんだと思った。でないと、あんなに単純化して、少ない線で、形を捉えるなんてことできないよと思ってしまった。だけど、今回の展示の流れで言うと、「メインの森1(メイン州)」と言った作品は、アメリカ行ってからの作品で、最初の方の作品って、鉛筆書きしたかのような細い線で、細かく、丁寧に形を作っていき、その濃淡で明暗を付けたりして、簡素化などとは縁遠い。「ミシガンの花(ミシガン州)」「アメリカの花」などでは着色したりしている。ところが、薄い薄い色合いで墨を使う気配が出て来る「柳」という作品辺りから、作品の空気感が変わって来る。まだ、「柳」では、目の前にある柳に焦点が当たり、湖や建物は後景だから、薄く薄くというようにも取れる。この「柳」は2点あるが、最近、見つかった作品のようで、シアトルに行ったとき、ワシントン湖を描いたと考えられているそうだ。そこへ、突然、「エンパイアステートビルディング」が現れる。時期は、少しずれるが「ニューヨッ子」も、同じテイストの作品だ。なんか、こうして観ると、完全に、ニューヨークにはまってる! ニューヨークが変えた、そんな風に思ってしまった。キャプションに、筆を上から一気に下へと描いたそうだ。それが、この線、しびれるわ、この高さが出る、見事な線。キャプションに、おもしろいこと書いてた。高層ビルは林立してるはずなのに、そうはしてない。この構図も、優れものということだ。「柳」の延長線上にあるのが「Trees and buildings マンハッタン」、手前の木立ちは、鉛筆描きテイストの描き方に、遠景の高層ビルは霞んでる。このニューヨークものとともに、この作家の、もう一つの目立ったものが「Sunset in Stockholm」。川を入れた風景画。半分以上のスペースに、何も描かないで、橋を薄っすらと、しかも、高層ビルを簡素に捉えた線で表すというやつ。で、こうした技を、日本の風景画でも使っている作品も出ていたが、これも、先日の神戸と同じ感想を持ってしまった。「東福寺通天橋」「南禅寺の水道橋」など、知った風景もあり~のだったが、一言、「似合わない」「ニューヨークに限る」「川も通天の橋じゃ似合わない」だった。ということは、この人の描く風景画、大きいんだよ、たゆとうとする大きさがある、感じさせる力があるということかな、日本のような狭い風景、描いてる場合じゃないと思ってしまった。晩年の薄い薄い、それこそ、黄紺の目には、何が描かれてあるのか判然としない作品のキャプションに、「晩年、空気のような見えないものを描きたかったみたい」、凄い発想だ。「セントラルパークの池」のキャプションだった。そんなで、日本の風景や仏画は、あまり関心が向かなかった。また、四曲一双の屏風図「セントラルパーク (旧題:樹海)」なんかでは、樹海の部分に点描を使ってたり、新たな工夫もやったようだけど、これも、関心が向かなかった。
 コンサートは、「ハンスイェルク・シェレンベルガー室内楽プロジェクト in Toyonaka」と見出しの出ているもの。かつてのベルリン・フィル首席オーボエ奏者ハンスイェルク・シェレンベルガーも魅力だが、プログラムが、モーツァルトの機会音楽だけで作られているというのが、何とも魅力的。そのプログラムは、次のようなものだった。「セレナード第12番 ハ短調 K.388(384a)」「ディヴェルティメント第9番 変ロ長調 K.240」「セレナード第10番 変ロ長調 K.361(370a) ‶グラン・パルティータ‶」。演奏は、このホールで、名曲シリーズの定期演奏会をしている日本センチュリー交響楽団ピックアップ・メンバー+1という構成だった。次のようなメンバーだった。オーボエ:ハンスイェルク・シェンベルガー、宮本克江、クラリネット:持丸秀一郎、森奈穂子、バセットホルン:鈴木祐子、藤田華、ホルン:鎌田渓志、岩井理紗子、矢野めぐみ、篠邊千菜、ファゴット:安井悠陽、児玉桃歌、コントラバス:内藤謙一。一番の驚きは、主役ハンスイェルク・シェレンベルガーのオーボエが素晴らしかったこと。突き抜けるようなクリアな音、透明感のある素晴らしい音色だった。年齢は如何かと思ったら77歳だった。見かけも、その音色も、ともに、驚くしかない年齢だ。曲の順序だが、どうして、この並びにしたのかな? K.361は、楽器編成が小さいので、そう思ったんだけど。グランパルティータ程の規模でないと、どうしても、ホルンが目立ってしまう。バセットホルンやファゴットは、なかでもパワーで見劣りするから、クラリネットも、どっちかというとそうだしね、バランスが難しい。それと、聴く者の態度として、機会音楽は、どうしても心地よく、流しながら聴けるように作ってあると言えば、そうだから、ついつい、その気になり聴いてしまう。要するに、半寝で聴いてしまう。それをコンサートでもやっちゃう傾向。今日も、前の2曲の一部で、そんな感じになってしまった。グランパルティータは、今日、聴いてて思ったんだけど、これって、クラリネットとオーボエのダブル・コンチェルトっぽい! それを考えてか、ハンスイェルク・シェンベルガーと持丸さんの席が向かい合っていた。オーボエが軽やかさを追求しようかという吹き方に比して、クラリネットはエモい感じで吹いてくれる。このやり取り、聴いてて、おもしろかったな。 バセットホルンとファゴットって、ホント、縁の下で支えてくれてる感、いっぱいしました。そして、今回も、低音補強はコントラバスだった。京都市響で聴いたときほど、気にならず、いい補強になってたんじゃないかな? 4連休1日目は、こんなとこかな。


2025年 5月 3日(土)午前 7時 28分

 昨日は、神戸と西宮という兵庫県下でハシゴをした金曜日。ともに美術館を巡った。先日、伊丹行きで、ぐったりしたのに懲りずに出かけてしまった。午前9時に出かけて、最寄りの岩屋駅に着いたのが午前11時。ここまで行くと、往復4時間、帰宅は午後5時。1日仕事だ。11時だったので、そのままBBプラザ美術館へ。ここで、「コレクション展 青とモノクローム ―フランスと日本の色を読む」という展覧会が始まったところだった。色に焦点を当てるという試みに惹かれて行ってみた。導入部は「青銅と青磁」と「青」に拘った展示。ロダンのリアルなブロンズ像2体の対面には青磁が配置されるというもの。青磁にもいろいろあり、青銅にもいろいろある。三代宮永東山「滝の音」は、変形の崖にデザイン化された縦の線が入っている。確かに、滝だ。エミール・アントワーヌ・ブールデルの作品が4体、ロダンは知っていても、こちらは知らなかった作家、でも、調べてみると、とんでもない無知な話だった。確かに、作品の力強さは半端ない。「瓶」は、器の面のこってり感が凄い。「三つのポーランド」が気になった。顔を上に向けた3人は、何を訴えてるのか、いや、擬人化されたポーランドなんだろうか? すすがれたようなブロンズの色合いも気になった。ドガ、ルノワール、ダリの立体作品もあった。ルノワールは、晩年、彫刻の制作もやってたということは、聞いた覚えはあったが、あとの2人は知らなかった。ドガは「靴下をはく踊り子」と、ここでも踊り子だった。絵画のスペースに入る。まず、フランス絵画からだ。キャプションに、おもしろいことが書かれていた。焦点化されている「青」を、色彩分析をして数字化したのだ。同じ「青」でも、それで違いを出そうとの試みだったが、その数値の読み方が判らなく、お手上げになってしまった。ウジューヌ・ラヴィエンヌのような純粋に自然の姿を描いたもの(風景「森の中の沼」)から始まり、ピエール・ラプラード「教会」、モーリス・ユトリロ「植物園のキュヴィエ家」、ピエール・アルベール・マルケ「ノートルダム 曇天」と言った、人の気配の混じった風景画が並んだが、自分的お気に入りは、モーリス・ド・ヴラマンク。ヴラマンクは、フォービズム真っただ中に付き合うのは、ちょっときついところもあるが、その後、その傾向が消え出す風景画には関心がある。この辺は、名古屋で勉強させてもらったこと。風景画でも「雪」のある風景を描くヴラマンクには惹かれる。「雪の中の風景」という、そのまんまの作品はど真ん中ストライクだ、自分的に。その横には、雪はないがタッチがそっくりな「池」もあった。雪がなくても惹かれた。そういった作品とは別の場所に設えられた「花と青」のコーナーにも、ヴラマンクがあった。「花瓶の花束」という作品だが、これは、先の2点と違い、前半期の作品なんでしょうね、青どころか、色のてんこ盛りの作品、花だけではなく、背景には絵具が枯れかけた筆で描きなぐったような跡を着けているが、そこも色彩豊か。花瓶だけは無彩色だから花などの色彩が目立ってしまう。この好対照、心の変化は何なんでしょうかね? そういった色に拘りを見せているとしか思えないのが、アンドレ・ドラン「南仏の風景」。使用する色に制限を加えて、限られた絵の具だけで描こうとしている、そう思えた。およそ、南仏のイメージに合わないものだから、そう思ってしまった。そんなのもフォービズムの手法? ヴラマンクの側には、佐伯祐三を置くという皮肉な配置。ヴラマンクの一喝で変わったという佐伯祐三は「レ・ジェ・ド・ノエル」。白っぽい絵具の使い方で、家が歪んで見えたが、どういうこと? この辺、青つながりで、「空と海」というお題を付けたコーナーになっていた。小出卓二作品が3点、「捕鯨船のある風景」「勝木の夕」「瀬戸内海」、いずれも、写実より、雰囲気、目の入った印象優先で描き上げたようで、わりかし好みに思えた。覚えておきたい作家さんだ。知らべてみると、信濃橋洋画研究所で学んだ作家なので、今まで観ているはず。名前は見た記憶はあるのだが、作品は思い出せないな。兵庫県に行くと遭遇できる機会が多いのが金山平三。今回は「コンカルノー」。暗い作品で、海岸線の見つけるのにワンクッションが要った。暗い作品ばかり描く作家じゃないのに、この暗さは何なんでしょうね? 「花と青」というコーナー立てに、先程のヴラマンクがあったのだが、そのヴラマンク同様、色彩の洪水、それも、黄色だからきつい印象を与えるのが、モイズ・キスリング「エニシダの花束」。ルノアール・タッチの梅原龍三郎「薔薇」も、この並び。その対面に、師になるルノワール「薔薇をつけた少女」があり、バラで向かい合っていたが、ルノワールのオレンジ色っぽい赤の使い方が、すっごい和らいだ印象を与えてる。絵全体、モデルの少女、全てにだ。このルノワールからが「青をまとう」というコーナー立てなんだが、この辺で、「青」がキーワードだということ、すっかり、自分の頭からは飛んでしまってる。「へぇ~」が続き、さらに進むと、今度は「?」が続いた。「へぇ~」は、モーリス・ドニ「裸婦」、東郷青児「モンパルナスの女」、アンドレ・ドラン「水差し、果物籠と果物皿」、マルク・シャガール「花束の前の母子」「果物がある静物」。「?」は、辰野登恵子、津高知一、上前智祐、奥田善巳らの作品だった。むしろ、最後のコーナー「モノクロームの世界」が興味をそそられた。ここに出てた津高和一の作品なんかは、キャンパスの中に占める空間配置の妙で、おもしろいと思わせられ、濃淡と構図だけで風景画になっている高野卯港「無題」。墨画の可能性を示すもののように思えた。秀島踏波「生」は書の作品、「生」という字が、大地に根を張る姿、震災を踏まえた上での作品だった。ちょっと無理やり感のあるお題設定のように思えたが、観ている内に、目の前にある作品にしか、気にならなくて、お題はスルーした感じの展覧会だったな。
 1時間ほどで美術館を退出。まだ、12過ぎだったの、お昼ご飯より、移動を選択。各停で20分余で香櫨園駅へ到着。西宮市大谷美術館へ行くためだ。同美術館のお庭で食事をしたことがあったので、そこで、買ってきたパンで昼食にしようかも思ったが、昨日は、朝から強い雨が降ったので、香櫨園駅のベンチで、持参して行ったパンで昼食。外食を避けることで、昨日の往復運賃の半分くらいは取り戻せたかと思う。程よいところで外食を避けるというのは肝要。「―西宮市大谷記念美術館の― 展覧会とコレクション(3) つなげる美術館ヒストリー」という展覧会が行われていた。(3)となっているのだが、前の2回は観てないはずなんで、流れがよく理解できてないが、今回の展示を観ている限りでは、コレクションを系統立てて紹介するもののようだ。今回の構成は、12人の作家ごとに分かれており、最後の大野麥風は、新収蔵品だった。それまでの作家に関するキャプションには、各々の経歴とともに、収蔵品が、この美術館にやって来た経緯が書かれてあった。そして、その経歴を読んでいると、いずれもが西宮縁の作家ということで、こういった地方美術館のコレクションを観たいと思い、プチ旅行なんかも組んでるかげんで、とっても有難い展覧会だった。津高和一や奥田善巳のように、BBプラザ美術館で観てきたばかりの作家もいれば、植松奎二のように、どこかでお目にかかった記憶のある作家、今竹七郎や山下摩起のように、この美術館で出逢い、強い印象の残った作家もいるという具合だが、あとの作家さんは、多分、初めての遭遇になると思いながら観ていた。配列順に従って、メモを残しておく。①津高和一/この人、詩人から画家へ転身、そのため、雑誌への寄稿文といった資料も展示、「対比」は、右に白い四角、左に斜めの細い黒の台形、支え合ってるようで、「作品」というお題の作品とともに、この人の特徴と思える空間配置の妙を確認できた。②奥田善巳/木下佳通代がこの人の妻になるそうだ、「ロ-プたち」という作品は、側に写真展示があり、ここで展示されていたものは、インスタレーションの一部のようだった。となると、作品そのものを残すのが困難だわね、「エヴァの」というお題が付いた作品も、そのようだった。こちらは、側の写真を観ても、本来の作品の姿を想像できなかった。③植松奎二/「不可視な力を可視化する」というのが、この作家のコンセプトのようだが、作品が、めっちゃ、おもしろい、「置-3つの石/傾」「まちがってつかわれた机−浮」といった作品は、とっても微妙なバランスをとり、ものとものとを組み合わせたもの、展示のための再現、大変だったでしょうね、傍らには、その設計図も展示されていた。④大石輝一/洋画、岡田三郎助門下、ゴッホを敬愛、故郷紀州の作品が並び、確かにゴッホと思わせられる、「西宮の街見ゆ」は遠近感がよく出ていて、いい感じの風景画、「金閣寺雪景」では、金閣寺と周りの風景の描き方を変え、金閣寺を際立たせる技を使っている、「ハルビンの中央聖堂」は聖堂前ので、穏やかな空気が出てると思う一方、その分、聖堂の印象が減じたという感じ、この人、ハルビンの風景画も多く残している。⑤伊藤慶之助/赤松麟作門下、岡田三郎助にも学ぶ、「フォントネ・オウ・ローズ」はパリで入選した作品、いい感じの風景画、「巴里の娘」は、都会の女という印象だがモデルをすることに緊張してる! 作家との関係性が気になる、「黒衣の女」は、長椅子に横になり寛いでいる、くったくのない笑顔、ここでもまた、作家との関係性が気になった。⑥今竹七郎/バウハウスの理念を学んだグラフィックデザイナー、神戸大丸・大阪高島屋で勤務、広告などのデザインを手がける、新聞広告なども、多数、展示されていたが、この人の描いたデザイン画だけが、周りとミスマッチでぶっ飛んでいる、「大毎フェア・ランド」が、最高のぶっ飛びじゃないかな、斜めによぎる女性の肢体が圧巻だ、だが、時代は戦時一色、悲しい現実が、ここにもあった。⑦松井正/小出楢重門下、信濃橋洋画研究所で学ぶ、外国旅行のスケッチが多く展示されていたが、漁夫を描いた3点がいい、臨場感を出す軽い俯瞰という技が冴えたりするかと思えば、正面から見据え人と向き合ったり、働く人の力強さがある作品だ。⑧河野通紀/国枝金三門下、「失われた数字」では、何を描こうとしているなかわからないが、木や時計のリアルさすごい、「水」も、机に乗せられた浅いお盆のような器に水がたたえられているというものだが、すごいリアルな水。静物画の風情だったりするが、、、象徴画のようにも思える。⑨大森啓助/金山平三門下、芝居絵が並んだ、金山平三も芝居絵が得意だったとか、挿絵として描いた模様の作品が並んだ。⑩福田眉仙/久保田米僊門下、橋本雅邦にも教えを請う、「興隆灘図」は、巨大な六曲一双屏風図、しかも、右隻から左隻へと川が流れるづけるものだから、屏風の大きさ以上のものがある、しかも、人が細かく、その小ささで、一層、巨大な風景になっている、「秦嶺桟図」がおもしろい作品、上2/3は山水図によくある光景を描いているが、下1/3に描かれた渓谷は俯瞰で描くというもので、ひとまとめにまとまっていた。⑪山下摩起/日本画に油彩画の手法を取り入れる、「雪」は、以前観た竹に雪の大きな六曲一双屏風図、迫力満点という言葉以外出てこない、昨年度の新収蔵品として、この「雪」を描くためのスケッチ帖が入ったそうだ、試行錯誤している様子が判るもの。⑫大野麥風/新収蔵品として展示、魚の画家と言われているそうだが、見ものは「朝鮮絵巻」、日本統治時代のソウルとその近郊を描いたもの、民俗史料としても価値が大きそうだ、今後、この美術館で、全面公開を予定しているとキャプションにあったので、楽しみなことだ、「脚長えび図」「カレイ図」とお魚系も展示、なかなか可愛い! こういった展示って、一貫した筋立てがない替わりに、いろんなもの観れるという利点がある。そういった意味で、変化があり、楽しかったな。観てる間は腰のきつさは、さほど感じないのだが、もう、昨日も、帰りの電車ではへたってた。特に、淀屋橋からの京阪電車、乗り過ごさなかったこと、自分を誉めたい。


2025年 5月 1日(木)午後 8時 48分

 昨日は、さすがに疲れた。と感じ出したのは帰路。帰宅すると、その疲労は増し、夜、よく寝た。朝、起きると、めっちゃ、腰が重かった。そんなことを見越して、昨日の予定を入れたときから、今日は休養日に充てておき、大正解。天気は、とってもいい。この2日間の、気温の低下から恢復。またぞろ、昼間など、夏のように暑い。午前中は、ウィンドブレーカーなんかを着て外に出て、ウォーキングをして帰宅すると、シャツを替えねばならないほど、汗ぐっしょりだった。そんなにいいお天気、明日から、また出かける予定があるので、今日は洗濯日に充てた。そして、日に2回のウォーキング。これは定番。夕方、万歩計を見ると16800歩余だったから、ごく平均的な出来だった。
 午後の一時で、ようやく、先日のプチ旅行の記録を書き上げた。もう1週間以上経っている。ここまで引っ張ったのは新記録。せいぜい1週間止まりだったから。でも、1週間も経てば、記憶は、かなり薄れている。そのため、メモを取っているのだが、そのメモが読めない。汚い字で走り書きをするものだから、判読に困っている。そういうときは、思い出す契機にと、美術館で観た作品自体を、ネット検索をする。探しもの自体が、ダイレクトで出てくれば苦労はしないのだが、多くはそうではない。でも、作家を特定して、その作品が出ていると、どういった作品かを思い出せること、半々以上かな。ま、そんなことをしながらだから、とっても時間がかかった。それにつけても、地方美術館巡りとは、いいこと思いついたと思っている。久しぶりに、西に行ったものだから、東方向とは異なった作家シフトが看られるのも嬉しいこと。そんなで、5月も行きたいと思い、一応、行くならばとコースまで出来上がっているが、行くかは判らない。美術館巡り、京阪神で、かなりいっぱいいっぱいなのだ。わざわざ、地方に行かなくても、いい展覧会が目白押しなのだ。もちろん、美術館巡りだけが楽しみなわけではないので、コンサートに行く時間、落語を聴きに行く時間などなど、いっぱいやりたいことあるからね。地方に行くことで、時間を空ける余裕があるか、これが心配なのです。今年は、6月に韓国旅行を入れてしまってるので、5月に行くと、忙しなくなってしまうのも、マイナス要因。春と秋は、やっぱ、出かけるのにいい季節なもので、やはりイベント多いから、それに身を任せるだけで、十分、楽しめるきらいがあるのも、マイナス要因になってる。だから、気の問題なのでしょうね。プチ旅行に出かける最大の利点は、同じことの繰り返しの閉塞感に、ちっちゃな穴を開けることだから、そんなの要らんわと思えたら、行かないことになるはず。ま、一応、行き先は「西岐阜→小牧→四日市→津」のつもりで予定は立っています。


2025年 5月 1日(木)午前 8時 38分

 世間的にはGWの谷間の平日。昨日は、予定では、美術館と落語という組み合わせのつもりだった。が、その落語会の顔付けが、直前に明らかになることで、行く気が失せた。あまり聴く気の起こらない噺家さんが2/4も占めていた。これ、かなり引いてしまう割合。で、あっさりと落語会に行くのは止めた。そこで、少し小ぶりの美術館を、替わりに宛がい、美術館のハシゴをしようと思い、その気で家を出た。一番効率的に時間が使えるようにと、確実に大阪まで電車に座って行ける、一番早い電車に乗った。まず行ったのは市⽴伊丹ミュージアム。美術館到着時間が10時半だった。だけど、時間を要した。4ヶ所に分かれた展示の最初の部屋で1時間かかった。これはヤバいと思い、休憩を取らないで観覧した。だけど、終わって、外に出たら、午後1時半を回っていた。ランチを食べれるかすら心配した。3時間、立ちっぱなし、これは、あかん。その場で、他所へ回るのは諦めた。ダメもとで、伊丹で昼食と言えば行くのが、インド屋さんかな、ネパール屋さんかな、どっちかだが、その手の店に、一応は行ってみた。ラッキーなことに、ランチ・メニューを午後3時までやってる店だったので、食いはぐれにはならなかった。伊丹で歩いているときは、存外、腰大丈夫なんて思ってたが、戻りの電車ではぐったり。家に帰ると、更に、ぐったり。腰、大丈夫かなぁ、ほんま。
 ミュージアムでは、「動物画譚展 おもしろくて不思議な動物たちの絵物語」というおもしろい企画展。以前、こちらでは「虫展」が開かれ、とても凝ったもので、ミュージアムを名乗るだけのことのある展覧会だったので、今回もその期待に応えてくれるものと思ってたら、想定以上だった。展示の方針は、お伽噺が切り口。有名なお話から始まり、そこから、どんどんと深みにハマっていくという進行。もちろん、動物の出てくるものばかりをピックアップ。そのお話の紹介、それを認めた絵巻やら、それこそ、今やってる大河の主人公たちの出した江戸時代の本、そこには、当然、名だたる絵師の描いた版画が挿絵で入っている。それだけでなかったのが、凄いと思わせられる展示。必ずや動物が出てくるという縛りのある展示、だから、お話で出てきた動物が活躍する、他のお話も、一つにまとめてある。花咲爺さんが取り上げらると、当然、犬が出てくる。だとすると、今度は、犬の出てくる物語として「南総里見八犬伝」が並ぶという具合だ。そればかりか、伏見人形など、人形で犬が出てくる(高槻市立しろあと歴史館所蔵)、犬を描いた大家の作品も並ぶ、それが、円山応挙(時⾬狗⼦図/府中市美術館所蔵)だったり長沢蘆雪(狗⼦図(⽉下仔⽝図)/公益財団法人摘⽔軒記念⽂化振興財団所蔵・府中市美術館寄託)なんだから、たまらん。浮世絵も、歌川国貞、歌川国芳、月岡芳年、落合芳幾らが、次から次へと出てくる。狐も、当然出てくるだろうから、「月百姿」の「吼噦(釣狐)」(国⽴歴史⺠俗博物館所蔵)は、ドンピシャだなと思ってたら、後期展示なんだって! 写真だけは掲示されていたけどね。この物語と動物が多く、2階の2つの部屋が宛がわれており、地下では、歌物語・歌合関連をまとめてあった。その地下の奥まったスペースは、「この世ならざる動物たち」という章立てで、想像上の動物コーナーということになり、1階のスペースでは、「舶来の動物たち」という章立てでコンプリートだった。大枠はそないな感じで、細かくメモを取ると、膨大なものになりそうなんで、ポイントだけでも、次にピックアップしておく。少しでもメモをして、記憶に留めたいもの、てんこ盛りのどストライクの展覧会だったことは間違いなかったな。展示は「桃太郎」からスタート。「桃太郎」の絵巻って少ないそうだ。桃太郎の誕生譚って、爺さん婆さんの回春ヴァージョンてのがあるそうだ。それだと、桃太郎は二人の実子! 歌川国貞「桃太郎快童丸取組図」(江⼾東京博物館所蔵)が傑作、桃太郎と金太郎が相撲をとっている図柄。いきなり、何でもありが出てた。「⾦時幼稚⽴」(早稲⽥⼤学図書館所蔵)は、鱗形の出版したものなんだってと、「べらぼう」で知った人物も絡んでくるのが嬉しい。「猿蟹合戦」「鶴の恩返し」関係が並ぶ側では「文福茶釜」。「ぶんぷく」は、「分福」から来てるとか、初めて知った。祝言的要素の強いお話ということだ。その関連で、月岡芳年「新形三十六怪撰 茂林寺の文福茶釜」が出てた。「鶴の恩返し」に関わるということで、「新形三十六怪撰 さぎむすめ」も出てた。「猿蟹合戦」では、落合芳幾「猿蟹敵討之図」(公文教育研究会所蔵)という大判で綴りになった大部な作品が目立ってた。「舌切り雀」では、婆が悪者。近代以後は、改心する婆という脚色もあるそうだが、元来は悪は悪のまま。傑作だったのは歌川芳盛(国芳門人)「昔ばなし舌切雀」(東洋大学附属図書館所蔵)。禁門の変とがっちゃんこさせての絵になってた。なんでもありで、おもしろいものに仕上げるということでしょうね。ここにも月岡芳年があり「和漢百物語 頓欲ノ婆々」(国立歴史民俗博物館所蔵)。「花咲爺さん」では、先に書いた犬絡みに眼を奪われたが、色彩の鮮やかさが目を引く、三代歌川豊国らが描いた「雪梅芳譚犬の草紙」や、歌川国芳や落合芳幾らが描いた「かな讀八犬傳」があった。いずれも東洋大学附属図書館所蔵だ。「猿蟹合戦」関連では、山沢与平が挿絵を描いた「猿蟹」(東洋大学附属図書館所蔵)や北尾重政が挿絵を描いた「増補獼猴蟹合戦」(大阪大学附属図書館所蔵)は、蔦重が出版したもの。歌川芳虎画「かちかち山」(江戸東京博物館所蔵)は、豆本と言い、子ども向けに出したものとか。江戸時代の出版状況って、凄いね。うさぎ関連で出ていた、狩野常信「兎遊月図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)のキャプションにおもしろいこと書いてあった。うさぎが豊穣イメージだそうで、月を三日月で描くと、これから大きくなるから「増える」イメージで、この取り合わせは、いずれも同じイメージで統一されてるそうだ。2つ目の部屋に移る。ここからは、お伽噺から外れ、様々な動物物語ということで、章立ては「むかしむかし あるところに」から「めくるめく動物たちの物語」へよ変わった。冒頭に出たのが玉藻の前の物語。能「殺生石」でおなじみのものだが、この石が業をするエピソードは、あとからの付け足しだそうだ。宮中での物語が本筋ということだった。ここでも国芳と芳年もの、大活躍です。国芳ものでは、「三国妖狐図会 蘇妲己駅堂に被魅」「和漢準源氏 乙女 天羅国斑足王悪狐華陽夫人顕」「下野之国奈須の原 金毛白面九尾の悪狐たいじの図」が出ていた。前二つが神戸市立博物館(池長孟コレクション)所蔵で、三つ目が兵庫県立歴史博物館所蔵だ。「妲己」が出て来るのは、この物語の大元が中国にあるということだ。芳年では、「新形三十六怪撰 奈須野原殺生石之図」「新形三十六怪撰 二十四孝狐火之図」と、いずれも国立歴史民俗博物館所蔵で、後者は、狐関連ということで、八重垣姫物語だ。文楽を観ておいたおかげで、こういったものも解るようになった。狐の物語、狐関連では、さすが、展示物が多い。せつない物語「玉水物語」を書いた本は京都大学附属図書館所蔵。化けた人間がユニークな姿をしている「大石兵六物語絵巻」も国立歴史民俗博物館所蔵。著名絵師の作品では、歌川芳虎「時参不計狐嫁入見図」(国立歴史民俗博物館所蔵)に加えて、英一蝶ものが出ていた。名が通っているわりには、その作品に触れる機会が少ない絵師だ。「狐罠図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)と「稲荷狐図」(関西大学図書館所蔵)を観れたのは、嬉しい限り。このあとに出てきた物語は、猫の「おこま」の物語以外は、知らないものばかり。メモのし忘れだと思うが、大黒やネズミのトピック関連の作品があったので、例の「因幡の白兎」が出てたかもしれない。それは置いといて、出てきた動物は、ねずみ、それが出れば猫、で、「猫展」で知った「おこま」となるわけだ。ねずみは大黒天のつかいとしてワンセットのイメージ、それに対抗するのがえびす、大黒との相克の原因は、えびすのアイテム鯛をねずみが狙うからとか、そうなんや、ベタ過ぎる。「ゑひす大こくかつせん」(慶應義塾大学文学部古文書室所蔵)なんて図柄が、そういったわけで成立するのだ。猫とネズミという対抗するキャラを仲良くさせた伝英一蝶「猫と鼠の行列図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)なんかを観ると、なんでもあり感、出てくる。ネズミを擬人化した「鼠草子絵巻」(サントリー美術館所蔵)は、今回の展覧会のポスターにも掲載されていた。葛飾北斎画もあり「頼豪阿闍梨恠鼠傳」(京都大学附属図書館所蔵)という本の挿絵だった。おこまの物語は、山東京山の書いた物語、「朧月猫の草紙」(和泉市久保惣記念美術館)で、挿絵は、猫好き絵師歌川国芳だ。その側には、曲亭馬琴作で、絵が歌川豊国という「猫奴牝忠義合奏」(西尾市岩瀬文庫)も出ていた。その並びに、猿関連で出ていた一宮長常「紅蔦手長猿図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)が、とってもおもしろい作品。手長猿が、縦に数珠つなぎになってる。地下に降りる。「生きとし生けるものの歌」という章立て。鳥の絵を描いた絵巻なんかがあり、鳥になぞらえたのか、歌合わせをやってる。そんなで、鳥繋がりで、鳥の出てくる物語、鳥の書かれた絵、最後には、どこにも入れようがないのか、山の神がおこぜに恋をするというわけのわからない絵巻「をこせ」(東洋大学附属図書館所蔵)なんてのも出ていた。多くの動物が出て来るというのも置き場に困ったか、ここにあったが、その中に、歌川国芳「道外 獣の雨やどり」(和泉市久保惣記念美術館)があり、長沢蘆雪「十二支図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)がでるという、有難い展示。「十二支図」では、さすが蘆雪、犬が、ちっちゃく描かれ、これが、めっちゃかいらしい! ええわぁ。地下の奥まったスペースは「この世ならざる動物たち」。「春日曼荼羅図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)は、鹿をどんと中央に据えた図。これ、定番なのかなぁ、同じ構図の絵、細見美術館で観たことがある。神鹿ということで、このコーナーにあったようだ。同じ意味合いで、釈迦の涅槃に集う動物たちが描かれてある「しやかほん地」(西尾市岩瀬文庫所蔵)もここにあった。「霊獣図(麒麟・象・獏・獅子・狛犬)」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)という大きな掛軸5点が、正面の壁に並ぶ。黄紺的贔屓にした霊獣は獅子。いかつそうな体躯なのに、表情が可愛い。正面右の壁には鵺が出た。こちらは、霊獣ではなく魔物。鵺退治の図に、大家が並ぶ。芳年が「新形三十六怪撰 内裏に猪早太鵺を刺図」、国芳が「源三位頼政鵺退治之図」と「木曽街道六十九次之内 京都 鵺 大尾」。3点とも兵庫県立歴史博物館所蔵だ。北斎漫画(和泉市久保惣記念美術館)もあり、更に、広重の「江戸名所道戯尽 二 両国の夕立」(サントリー美術館)も並んだが、この広重作品が傑作、川に落ちた雷を描いていた。想像上の獣の極め付きは「件」、絵だけじゃなくて、剥製(個人蔵)まで出展されていた。但し、キャプションには奇形の牛の子どもだろうと書かれてはいた。1階に戻ると、「舶来の動物たち」という章立て。こちらは物語とは関係ないから、まずは、出ていた動物をメモることにする。ラクダ、象、虎、豹、洋犬、アザラシ、オットセイ、アシカ、ワニ、ヒクイドリ、ダチョウ、ミュー。そういった動物を描いた作品の中でメモりたいものを書いておく。円山応挙「猛虎図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵/府中市美術館寄託)は言うことなし。豹は幕末に入って来て、見世物で巡回した模様、その様子を描いた歌川芳豊画「西両国に於て興行 豹図」(神戸市立博物館(池長孟コレクション)所蔵)。歌川国芳画「犬図」(公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵)が傑作で、洋犬が立ってシルクハットを被ってる。大窪昌章画「海豹画賛」と岩田霞岳画「海獺画賛」は、いずれも公益財団法人摘水軒記念文化振興財団所蔵もので、アザラシやアシカ、オットセイといった海の動物を描いたものだが、おそらく、西洋の本を観ながら描いたのじゃないかとの推測が、キャプションに書かれていた。前者などは制作年が判ってるようで、それによると開国前のこと。街には、珍しい情報が流れてたってことになるのかな。ラクダや象が、見世物として、江戸時代、市井の人の目に止まったというトピックは、かねてから聴いてはいたが、そんなところに留まらなかったというわけだけど、そういった見世物に供された動物の飼育、どうしてたんだろうね、そんなこと、気になってしまった。
 しかしまあ、とんでもなく充実した内容。多くの人に楽しんでもらいたいな。「アートシーン」で、この規模のミュージアムが紹介されることは珍しいなか、紹介されていた。それだけのことがある値打ちもの。昨年の「虫展」と並ぶ労作。これだけ、多くのミュージアムからの借用も、この規模のミュージアムにしては稀有のことと思います。太っ腹な伊丹市にも感謝ですね。


2025年 4月 29日(火)午後 8時 40分

 今日は、午後に落語会に行った日。場所が、心斎橋パルコだったので、京阪沿線からの徒歩移動、往きは北浜駅から、帰りは淀屋橋駅へと歩いた。そのため、それを見越して出発。往きは、途中の公園で、持参したパンで昼食。それが、一番、効率のいい時間の使い方と判断、節約にもなるしとの判断で、昨日の内にパンを買っておいた。それでも、夕方、万歩計を見ると11100歩余でしかなかった。一つには、朝、出かける準備に入る時間の設定をしておきながら、自分の記憶では、違った時間となっていたため、朝方、ミニでのウォーキングすらできなかったからだが、それができたとしても、ウォーキングとしては物足りと感じたことだろうな、でも、今日は、仕方ないね。
 心斎橋パルコって、昔のそごうだった。その後、大丸になってなかったっけ? とにかく、会場は心斎橋大丸劇場だったとこ、今はSPACE14という名になっていた。エレベーターが混んでるので、14階までエスカレーターで上がった。かなりの根気が要る。「桂九ノ一独演会」があった。昼夜公演で完売だそうだ。見たことのあるような顔は見なかった。一体、誰が、そんなに多くやって来たのでしょうか? めっちゃ有望な噺家だと思っている。東京との二重生活で、東京での評価も上がってるようで、下手すると、大阪で何か具体的に形になる前に、東京で何かをもらいかねない。そんな不細工なことだけは止めて欲しいと、かねてから思ってる噺家さんだ。今年の、繁昌亭の新人グランプリのファイナルに残さなかったしと、かなり心配している。情報公開となったとき、即決で行くことにした会だった。その番組は、次のようなものだった。九ノ一「挨拶」、九寿玉「元犬」、九ノ一「植木屋娘」、二葉「佐々木裁き」、(中入り)、九ノ一「胴乱の幸助」。九ノ一、冒頭に出てきて、緊張してるのかと思いきや、全然、そうじゃなくて、ちょっと安心。これだけの会場で開くだけの度胸、十分でした。客席の反応も、皆さん、九ノ一を知っていそうな印象を持った。それも、安心材料。それだけの噺家さんになったってことですね。トップは、遭遇が2回目となる弟弟子。言葉が明瞭で、元気があるのがいい。ところが、半ばで寝落ち。なんでや! 往きの電車で寝たりしてたので、ヤバいとは思いながらも、徒歩移動している内に、そんなこと忘れてたのに、、、。テキストが、師匠九雀譲りなんでしょうね、解りよいように手直しされてるなという印象を持ったのだけは覚えてる。九ノ一は、昼夜4席をネタ出しをしてたが、いずれも、大ネタばかり。まずは、「植木屋娘」。オーソドックスなテキストを継承してるけど、この勢いは、凄いものがある。きょとの慌て者幸右衛門のキャラ付けは、かなりオーバーな感じもするが、噺の中で浮いてない。和尚や伝吉、お光との会話が、自然だからでしょうね。変に突出していない。ということは、噺の骨格ができてるってことですね。だから、聴いてて、楽しい。二葉は、今年初めて。半年は聴いてなかったと思うけど、今回も、貫禄を感じた。余裕のマクラ。九ノ一に関わるトピックから、探偵ナイトスクープをネタにしたりで、中には、「九ノ一を今後もよろしく」なんてことまで言う、カッコいいね。こういったときに、自身のネタを何にするのか、いろいろと想像したけど、「佐々木裁き」を持ってきた。本息という感じもするけど、大きすぎないかとも思った。でも、位置は中トリを宛がわれたら、やらなければということかもしれませんね。九ノ一のネタが、重量級2つだから、決して、大きすぎる感は出ないということかもしれません。そして、この「佐々木裁き」が、良かった。去年も、岐阜で聴いたけど、まだ、進化してる。「二葉の落語はわかりやすい」という言い方で評価されるのを聴いたことがあるけど、序盤の子どものお奉行ごっごなんか、その代表例かもしれません。黄紺的には、初めて聴いたとき、二葉は只者ではないと感じさせられた記念すべきネタ。お奉行さんの重心が定まった台詞回しも、いいしね。九ノ一の「胴乱の幸助」は、「植木屋娘」同様、よく出しているにも拘わらず、初遭遇。この口演は、序盤の相対喧嘩で、噺を引っ張っていくエネルギーを充填できたという感じで、その勢いで、最後まで持って行ったなという印象。数多く、聴いた中でも、決して、大仰に相対喧嘩をやって見せたという感じじゃないけど、確実に、アホげな2人の男ではなく、主人公はこちらという受け渡しが出てたんじゃないかな。だから、何が起こるんかいなという関心をひきずれたと思う。先の2人の男も、稽古屋の人たちも、もっとキャラを濃くしたり、煽ったりするようなこともできるかと思うけど、そうではないけど、前へ前へとひきずる勢いは出てたと思う。何が、そうさせるんだろう? 噺の進行、流れという、大きな構えの部分が、しっかりと出来上がってるからなのでしょうね。あっという間の2時間、9年目で、この偉業です。間違いなく、大物です。


2025年 4月 28日(月)午後 7時 54分

 今日は、プチ旅行以後、初めての休養日。なんやかんやで、出かけてしまってた。遊びながら、疲れを取るという、結構、無茶なことをやってたけど、なんとか、無事に、ここまで辿り着けた。世間では、GWに入ってるが、自分的には、相変わらず、変わりはない。DとSには、このGW期間中、会えないことが判明。自分の空いている日を書いて、遊べる日を教えてというメールを送ったんだけど、回答は、全滅だった。ここ2年程は、毎年、どっかへ行ってたんだけどな。替わりに、来年、小学生になるSのランドセルを買いに行くことになった。日にちは、これも、息子からの回答待ちだ。5月の土日のどこかになるのでしょう。
 ということで、今日は、こういった日の定番、日に2回のウォーキング時だけが外出時間。昼前のウォーキングは、最後は、雨にたたられた。まだ大丈夫との読みは外れてしまったが、休憩時間の読書は確保できた。夕方のウォーキング前に、上手い具合に、雨は止んでくれたが、昼前のことがあるので、傘持ちウォーキング。夕方、万歩計を見ると18700歩余とは優秀過ぎます。そして、午後の一時は、プチ旅行の記録書き。1週間経つのに、3割くらいしか書けてなかった。頑張ったが、これが、時間がかかる。結局、53%くらいまで書けたかな。また、明日から出かけるのに、あとを書き足す時間、いつ、取れるのだろうか? 既に、かなりの記憶が薄れてきてしまってる。そうならないように、記録を付けることにしているのに、なんか、あっちゃこっちゃになってしまってる。帰ってきてすぐに、そういった時間を確保しようとすると、あっさりと寝落ちするのが見えてるんだけど、さりとて、ここまで休養日を設けなかった自分が悪い。反省だね。毎回、プチ旅行から帰ってくると、同様の反省材料を残しながら、今回は、一番、ダメかもしれない。せっかく、美術館で、いいもの観てきても、記憶から抜け落ちするって、勿体ないこと、夥しい!


2025年 4月 28日(月)午前 8時 51分

 昨日は、盛りだくさんな日曜日。朝から定番の「日曜美術館」を観て、その後のちょっとした時間を使い、洗濯、合い間に、食糧調達。昼食を摂ると、早々に出かけた。昨日は、岡崎でハシゴをした。1つは、一昨日同様、ロームシアター京都でのコンサートだったんだけど、同じ岡崎に行くならと、新たに始まっていた京セラ美術館のコレクション展に行った。時計を見ながらの鑑賞。ぐずぐずしていると、後のコンサートを抜かす懸念があるからだ。コンサートの休憩時間に、思いがけない人と再会。家族連れだった。奥さんもお嬢さんも知っているので、もう、びっくりの再会となった。去年は、このコンサートで、また、違ったご夫婦と再会した記憶。そんな、縁を結ぶコンサートになっている。結局、帰宅すると、もう午後7時前だった。
 まず、メモるのは「日曜美術館」。今回は、二条城で行われている展覧会に合わせた企画で、「体感するキーファー in KYOTO」というものだった。アンゼルム・キーファーというアーティスト、二条城で展覧会があるということで、最近、名前を知ったばかり。アンゼルム・キーファーは、1945年生まれ。荒廃したドイツで生まれ、反ナチスが徹底された時代に成長。が、時とともに薄れる戦争の記憶、その、ドイツ人が忘れようとしたものを描くというのが、この人のアーティストとしてのモチベーションの根本のよう。美術の世界へ入るきっかけは、フランスのル・コルビジュ作ラ・トゥーレット修道院に衝撃を受けたことだった。そういった人となりなどを示しながら、作品が、どんどんと紹介されて行った。今回も、MC二人が会場へ足を運んだ。前のMCの小野さんも登場、解説の方と4人で回るというもの。紹介された作品をメモっておく。①ラー(エジプト・イメージ、ラーに対抗するかのように下部に蛇、パレットに羽が生えているような巨大なオブジェ)②オクタビオ・パスのために③【旧作紹介】ナチス式のポーズで自身が写真に納まる作品(カメラで、ドイツ人が忘れようとしたものを撮る、ドイツ以外でも、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ作品と同じ構図で)④アンセルムここにありき(背中を向け何かを観ている、ゴッホのようなタッチ、両義的な作り)⑤オーロラ(日本にちなんだ作品、原爆で鉄骨だけとなった学校の写真から取材、乳母車は映画「ポチョムキン」からのイメージ、オーロラ=日露戦争でのロシアの軍艦、金=普遍性の象徴、錆を使う意味は金に対峙するということ)⑤月のきるるさかの雫より(江戸時代の和歌から取材)⑥「古代の女」シリーズ/ダリア(ドレス姿の女性、顔がない、替わりに岩がのっている)⑦「古代の女」シリーズ/アンティオキアの****(顔を奪われてきた女性、コルセットで縛られた肉体を表すかのようにドレス姿の女性)⑧モーゲンソー計画(敷き詰められた砂の上に生える植物〈とうもろこし、麦〉のイメージ、金の蛇がはっている、本も置かれている、米政治家モーゲンゾーが、戦中に戦後のドイツの姿を提示、それによると農業国家ドイツにすれば良いとしたことを背景に)。この展覧会、行くか迷ってるところだった。観光客いっぱいの二条城に行きたくないからだ。そこへ、この番組、ありがたかった。これで満足しところかなの気になっている。
 京セラ美術館のコレクション展は、特集「染織をめぐる冒険―京都の作家を中⼼に」と題されて行われていた。お題の染織は後半で、まずは、季節にちなんで「春の名品 花香−花香る絵画」という章立て。入口から見て、左側に花を素材にした作品が並び、右側に女性を素材にした作品が並ぶという趣向。だけど、女性の側に、1点だけ花を忍ばせるという趣向もありで、キュレーターさんの腕の見せ所ということか。花で、自分的に際立ったのが2点、会津勝巳「花」と大森翠「花発不逢人4 (Plus que les fleurs)」。前者は、淡い色彩で、後景にこぶのような山が連なり、前景には野が拡がり花が咲くというものだけど、淡い色彩なものだから、よく観ないと判然としないほど、淡い。とっても幻想的で気に入ってしまった。後者は、縦長の板3枚を並べ、真ん中の板には、花を象徴するかのように青色濃淡2色の丸みを持ったものがてんこ盛り、サイドの2枚にその丸みを持ったものが、2~3個、ポツンと描かれてる。満開の桜の花びらが、ちらりと落ちたという風景かな、こちらのイマジネーションを掻き立てる逸品。名を知ってる作家では、三輪晃久、三輪晁勢といった作家の作品が出ていた。女性側では花側ほどのインパクトを受けなかった。小磯良平「踊りの前」が出てたが、相変わらず、服の描き方が上手く、ドレスの質感まで判るというものだったが、そこまで。黒田重太郎「梳る女」はキュビスムの入った作品、川端弥之助「ウクライナの女」は三角構図で、えらく安定感があり、描かれている女性が高慢な印象を与えてしまってた。そういったメモだけを残したくらいだった。スペース中央には、ねじというかキノコというか、そういった形状の大理石作品があった。花にも見える。だから、このスペースに置いてもらったのかもしれない。次の部屋に入る。野村はるみの日展特選作品が2点、「共生」「雨後」という作品。絵の具をキャンパスにぶちまけて、塗りたくったかのように、瞬間、観えたが、あれれ、何かが見える。前者は峡谷が、後者は叢の中を伸びる山道が、自分の目には見えた。となると、途端に、自然に囲まれた山に居る雰囲気が出てきた。太陽光も観えるようで、、、、。おもしろい作品。「PAT in Kyoto関連展示」という章立ても、この部屋。同時開催中の版画トリエンナーレ関連ということで、過去に展示されたものを、ここで紹介するというもの。入江明日香「醍醐枝垂桜」は、ミュッシャ、アニメ、絵巻が入ったコラボ作品という印象、それを屏風仕立てにしてた。金光男「row-mat」は、すっかり絨毯を版画化したもの。こういった章立てではなかったら、そうとは、思わないな。そして、今まで、2度、観たことのある、手と鉛筆作品、木村秀樹の「Pencil 2-3」も出ていた。次の部屋は「陶芸オブジェの先駆者 林康夫」というコーナー。この作家さん、走泥社にもいたことのある前衛陶芸の作家さん。キャプションを手掛かりに、制作意図なり、観方を模索するのだが、キャプションを読めば読むほど、解らなくなる。代表作とされる「坐像」なんかは、直弧文と分析的キュビズムが合わさったもの、判るわけない。「No Sound D」は、二次元と三次元の境界が曖昧とかなんとか、これも、判るわけないが、この作品の形状は、確かに変だった。平面かと観てると、そうではなかったりと、それを、言語化すると、そういった書き方になるのかものしれない。「寓舎」シリーズというものがあるようで、その名の付いた作品が3点あったが、このキャプションが、最難関。諦めてしまった。「染織をめぐる冒険−京都の作家を中心に」と、ようやく全体のお題に入ってる染織が登場した。染織関連で、3部屋宛がわれていたが、なかなかの見ものだった。黄紺が、名前は目にしたことがあるのだから、いずれも、その世界では大家の方ばかりなのだと思うが、キャプションを観ていると、デザインを神坂雪佳に、絵画を都路華香に学んだりと、下地がしっかりされている。その中で気に入ったもの、気になったものをメモっておく。山鹿清華「手織錦屏風立花」は、丈の異なる立花2体を錦で織ってる。その細かな技は凄いと思ったが、立花って、華かやさのなかに、わびさびのようなものってないのかなとは思ったが、そうじゃないんだろうな、こういった作品があるってことは。中村鵬生「手織錦壁掛温室」は、お題のごとく、温室を表している。デザイン化した両脇の大きな葉の南洋的雰囲気に囲まれた内なる鉢に入った花が可愛い、随分と新しさを感じる作品。昭和6年制作だそうだから、新しい印象を与えたはずだ。稲垣稔次郎明「牡丹之図和紙糊絵屏風」は、二曲一隻の屏風、右隻に大輪の花、左隻に剪定を受けた枝だけを描くという、対比の妙が素晴らしい。人の生命、生活、人生をも表しているようだった。岸本景春明「両面刺繡潮衝立」は、ただただ、両面刺繡の凄技に見とれるばかり。そして、最高傑作と、自分的に思ったのが伊砂利彦「松−月−」。めっちゃ、おしゃれ! 型紙作品だそうだから、組み合わせたのかな、色彩は藍の濃淡で、丸い形だけで、月が浮かび上がる。凄い! 「染織集団∞(無限大)」の部屋があり、最後がファイバーアートの部屋。となると、お向かいの京都国立近代美術館であった小林正和作品展が思い出される。小林正和ものは1点「音のコラージュ 1-93」が出てた。ファイバーアートで、抽象絵画でよくある形状分割、画面分割を表したものと思ってる作品だ。盟友の草間喆雄ものは「G WALL-1」、小名木陽一ものは「自立の試み− white W」「壁に掛けられた黄色い半球Ⅲ」が出てた。そういった中で、観る位置で、色彩や形状の変わるおもしろい作品が2点、先程の草間作品がその1つで、前を横切ると、色彩が動いて行った。高木敏子「綴織壁掛日時計」は、太陽なんかなぁ、まん丸い形状の下半分の色彩が増減してた。これは、作品からの距離で変化してた。朝倉美津子「変化と平衡」は、平織りの折りたたんだものを繋げる作品だが、中央部が膨れて観える。何でか考えて、判った。横長で全体としては長方形になるのだけど、それが、正確な長方形でなく、中央部が、ほんの僅かに縦長になってる長方形だった。凄いな、これ。久保田繁雄「海音Ⅲ」のごつごつ感も印象に残る。麻を織ったものと、帰宅後、作品リストで確認して、納得。とまあ、ファイバーアートは、相変わらず、楽しい。
 コンサートは、昨日も、前日に続き、「ローム ミュージック フェスティバル」のコンサート。昨日は、「オーケストラ・コンサート オール・ドヴォルザーク with 宮田大」というお題の付いたもの。黄紺的には、宮田大を聴いたことがなかったのでチョイスした。なんせ、彼のコンサート、チケットがお高いから行けなかったので、これをチャンスと看て、行ったのでした。プログラムは、「スラブ舞曲 第1集 Op.46, B.83より 第1番 第3番 第8番」「スラブ舞曲 第2集 Op.72, B.147より 第1番 第2番 第7番」「チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104, B.191」で、チェロ協奏曲がメーンとなっていた。オケは東京交響楽団、指揮は田中祐子だった。田中さんも初めて。とっても、切れのいい指揮ぶりで、選ばれたスラヴ舞曲は、1曲を覗き、激しいリズムのものが多く、ぴったし感があったな。アンコール・ピースとしては、スラヴ舞曲は聴いても、まとまって聴く機会はないから、ありがたいプログラミング。そして、宮田大のチェロ、とにかく、この人のチェロ、濃~い。パワーもあるし、ファナティックでもなく、濃いのだ。暑苦しいとまでは行かないが、濃厚という印象。ほぼ初めてだな、チェロを聴いて、そう思ったのは。その個性が惹きつけるのかな。人気の秘密かもしれません。皆さん、濃いのがお好きなんだと、呟きながら聴いておりました。


2025年 4月 26日(土)午後 8時 48分

 今日は、朝から出かけた長い一日。まず、Movix京都へ行き、メトライブの上映。今日も、福井から高校時代の友人が来ていたので、終わってから、映画館近くの韓国料理屋で昼食。辛さの苦手な友人には、プルコギ定食を薦め、自分は、アサリ入りというのに惹かれ、テンジャンチゲ定食。ほんの僅かにピリ辛味のテンジャンチゲ、パンチャンは二皿。食後は、近くのカフェでお喋り。オペラに落語という定番ネタが、その材料であるのは、いつも通り。今朝知った、月亭太遊廃業のわけを知らせると、友人は、唖然としてました。次回の京都は6月ということで、再会を約して、黄紺は岡崎へ。夕方からのコンサートに向かった。コンサートの予定が入っているのに、今日、メトライブを観に行ったのは、GWに入り、子どもたちが福井に来るという友人の予定に合わせたものだった。〈br〉  メトライブは「フィデリオ」(ユルゲン・フリム演出)。メトライブでは、初めての上映だそうだ。レオノ-レを歌っだリーゼ・ダーヴィドセンのおかげです。我々も、最大のお目当ては、この人。現在、双子を妊娠中で、このあと、産休に入り、復帰は、1年後のイゾルデだそう。これも楽しみだけど、その間に出演予定のロイヤルオペラの「ワルキューレ」は流れそうなため、友人が悔しがっていた。ジ-クリンデを歌う予定になってるからね。「フィデリオ」の演出は、そんなに目新しいものでなく、メトロポリタンでは、20年以上使われているもの。1幕では、右サイドが鉄格子になっており、監獄前でのやり取りで推移。2幕は、正面に、天井から下がる梯子があり、地下に降りて来る体になっていた。墓堀は、床を開け堀るということにして、開けた床の板が、フロレスタンとレオノ-レを隔てるということになっていたが、かなり、無理筋。そもそも、台本の流れに無理があるので、これは我慢。3幕は、2幕にあった背後の壁が持ち上がり、平台で重ねられているだけの舞台で、正面背後に、ピサロの騎馬像があるが、それが取り壊されていき、最後は、ピサロを処刑するという体で終わった。そんなで、装置や動きは観ていて、特筆することはなかったが、歌手陣の充実が素晴らしかった。リーゼ・ダーヴィドセン以外を記しておく。フロレスタンはデイヴィッド・バット・フィリップ、とてもきれいな声に魅了された。ロッコはルネ・パ-ベ。黄紺が、ベルリン国立歌劇場で観たときも、この人だった。ピサロはトマシュ・コニエチュニ。若干、口先で歌うような癖があったのが気にはなったが、声量はたっぷりのポーランド人歌手。インタビューでは、ウッチの人にエールを送っていたので、当地縁の歌手のよう。ウッチ、行きたいな。マルツェリーネは、中国人歌手イン・ファン。既視感があったが、どうやら、「ドンジョバンニ」に出てたみたい。そう言えばという感じで、薄っすらと思い出した。
 コンサートは、ロームシアター京都のサウスホールであったもので、毎年、この時期に行われている「ローム ミュージック フェスティバル」のコンサートの1つ。毎年、土日2日を使い行われ、目移りのするプログラムが並ぶが、黄紺は、1日1つに決めている。あれもこれもは、ここでもダメとしている。今年も、今日1つ、明日1つのチケットを買ってある。まず、今日は、「日下紗矢子×日下知奈~姉妹で奏でるブラームスの世界」と題されたコンサートを選んだ。枚方で聴いた読響ピックアップ・メンバーでのコンサートでの、日下さんのヴァイオリン、かなり入れ込んでしまったから、即決で、このコンサートをチョイス。プログラムは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲を演奏するという、まことに結構なものだった。枚方で聴いたときは、筋の通った音色に、1回のボウイングの中でも、音の変化の出せるテクニックという印象だった。が、今日は、わりかし印象が違った。パワーは、枚方より広いホールでも、しっかりとしたものを感じさせられた。パワーというものの判断、弾き始めに、どのように感じるかがポイント。音量というものは、次第に慣れてくるから、パッと聴きの印象を最優先している。だけど、今日の演奏のポイントは、パワーではなく、繊細なピアノからピアノッシモだった。そこに、微妙な色合いを、細かな音量のかげんをしていく、そこだった。が、同時に、それは、日下さんの浸っている自分の世界を見せるであって、決して、共感を求めるようなものでもないという、ちょっと距離感をかんじてしまってた。番号通りに演奏されたので、2番までは、そんな印象で推移。人によっては、「勝手にやれば」的な感想が出てかねないものだったが、3番が違った。まず、曲想が、2番までとは違う。かなり、メロディラインがエモい。それだけで、聴く者との距離が近づいてしまう。そこで、フォルテに磨きがかかるだけのパワーがあるから、「勝手にやってれば」的なものは出てきにくい。だから、全体としてみれば、バランスが取れている。なお、アンコールは、「シューマン:3つのロマンス op.22より第1曲」だった。


2025年 4月 26日(土)午前 6時 48分

 プチ旅行から帰って2日目で、少し、腰の重みも楽になった。ま、そうでなくても、予定表には、どこかのミュージアムに行こうとなっていた金曜日。今日からGWに入るので、混みそうな展覧会に行こうということなら、昨日の内に行っておかないと、次に行けるのは、GW明けになる。わりかし先になるんで、会期なんかを考慮しながら、スケジュールを組まねばならないということで、さっさと、入れ込みがちの展覧会に、今の内に行ってしまおうの気になった。それは、中之島美術館の「生誕150年記念上村松園」なる展覧会。長沢蘆雪や福田平八郎で、昼過ぎに行って大丈夫だったからと言って、上村松園は、そういうわけにはいかないだろうの読みで、モネ展に行ったときと同じ扱い。午後3時少し前に入館して、閉館間際まで居ようの狙いで行くことにした。だから、昨日のお出かけは、これだけ、ハシゴなんて、余計なことは考えないという、全くの特別扱い。でも、入館時には、結構、人がいた。黄紺同様の狙いと見える人がいるんだね。でも、4時が近づくと減っていく。混雑を想定してか、キャプションも、ポイントを考えてしか設置されていない。でも、行ってから、丁寧さが欠けたなと思ってしまった。重要文化財2点は、展示時期ではなかった。「母子」の方は、さほど観たいとは思わないんだけど、「序の舞」の方は、どんなものか、生で観たら、どのように感じるか、特に演能を描いたものだから、他のものより、自分的に想像力が働きやすいというのがあるから、観ておきたかったな。自分の行きやすい日だけで、足を運ぶ日を決めては行けないね。所謂、名品扱いされている作品では、「草紙洗小町」(東京藝術大学所蔵)を観れたのは、大きかった。正に、お題になってる場面を描いたもの。この能の最大の見せ場を描いたものだが、緋の大口に、唐織を壺折にして着てるはずだよね。下はそのまんまだけど、唐織の色なのという感じだった。色入りなので、地が白っぽくなるか、色とりどりの鮮やかな織りになってるものと思うのだけど、全体的に、薄いピンクなのかな、あの色。柄が入っているのか、そこだけが濃い色合いで、どちらかというと無彩色に近い色合いだった。色入りの「色」はどうしたにだろうと思う、大胆なもの。顔立ちは能面風で、面で言えば増かな? 松園は金剛流だから、本面を使うなら孫次郎だけど、そうとは観えなかった。大伴黒主の盗作を暴くというものだから、華やかさが上がるのを避けたのかなぁ。装束に戸惑うばかりだった。「人生の花」が、京セラ美術館の2点が並ぶのじゃなくて、京セラもの(花嫁の左手が前に出てない方)と名都美術館所蔵のもの(花嫁の左手が前に出ている)とを並べていた。ということは、「前に出ている」のが2つあるということになる。念のために、2つとも京セラ美術館から来てるはずと、キャプションの所蔵先を観て、びっくりしたのでした。こんな風に、同じ素材のものを、幾つも描いてんだね。評判が上がれば依頼が出て、同じ素材のものを描いてた模様。それらをピックアップしておく。先日、松伯美術館で下絵を観たばかりの「四季美人図」(光ミュージアム、岐阜プラスチック工業株式会社)。4人の女性の配置は、ほぼ同じだが、何かしてる、その何かは異なる。下絵を観たのは、後者所蔵のもののはずだ。「三美人之図」(光ミュージアム)「花」(姫路市立美術館)は、構図が同じで、3人の女性が重なるように描かれている。特に、一番奥の女性は、顔も半分ほどしか見えない。その女性がいない図を想像すると、花見の賑わいが、かくんと落ちるから、凄い着想です。更に「花のにぎわい」(京都国立近代美術館)では、重なる女性が増える。構図は、先の2点と同じで、人が増えるというもの。確かに賑わってるけど、前の2点を観ているので、「要る?」と思ってしまった。「美人図」(所蔵先無記入)と「虫の音図」は、ともに簾の間から身体を出そうかというもので、秋の作品。後者はお題で状況を示すばかりか、簾の前には萩まで描いている。しつこい、それは。「吹雪」(個人蔵)「冬雨」(所蔵先無記入)「雪」(東京国立近代美術館)の3点は、傘をさす女性を描いていて、その構図が似ている。降っているのが雪と雨の違いはあるが。同じ雪でも、降り方は違う。「雪」などは、雪が2点だか描かれてるだけ。「吹雪」は身体ほぼ全部を描き、あとの2点は、アップ図だが、しかも、同じ軸装ながら、縦長と横長の違いがある。で、自分的趣味で書けば、推しは「雪」。一番、女性のアップ度が高く、何か、女性の息遣いまで聴こえてきそうだったので。「天保歌妓」(名都美術館)「古代歌妓図」(大分県立美術館)「美人之図」(光ミュージアム)の3点は、構図は、どれも同じで、芸妓を描いてるのかな、衣装で、時代差をだしてるのでしょうが、共通しているのは、仁王立ち風で、両足を、軽く開いて立っているという姿。ちょっと女性の姿としては観ないものなので、女性の位置とかへの思い入れがあるようにも観えた。「古代汐くみ」(所蔵先無記入)「汐くみ」(名都美術館)「汐くみ」(中之島美術館)の3点も似た構図。お題からして「松風」から借用した素材。「古代」だけが、汐桶を紐で引っ張っている。あとの2点は担いでいるという違いがあるが、担ぐ女の顔立ち、表情はそっくり。身体でしなを作ってるようにも観えるので、歌舞伎舞踊の方から取材したのかもしれません。「美人詠哥」(吉野石膏コレクション)「詠哥」(名都美術館)も、このグループに入るもの。次に、逸品と言われてるもので出ていたもの、そうじゃないかというものも含めてをメモっておく。「月蝕の宵」(大分県立美術館)は、二曲一双という大部な屏風絵。左右で、人の固まりを分けるという定番の作業、それを見せてくれてんだけど、それが、ものの見事に決まってる。右隻に1人、その視線の先、左隻の3人の女性、この人数の割り振りで、一挙に、賑わいや華やぎが高まるものなんだね。「娘」(松伯美術館)は、既視感のある逸品。二曲一隻の左右に一人ずつ描かれた娘。その2人が、外方向を向いているというもの。右隻の女は自分の左を向き、左隻の女は自分の右を向いてる。そんなことやられると、一挙に空間が拡がり、周りにいる人たちとともに談論が高まってる、楽しさなり、賑やかさまで出てきてる。「青眉」(吉野石膏コレクション)は、展示の冒頭に置かれた作品。掴みを考えてのものでしょうね、確かに、存在感がある。「わか葉」(名都美術館)は、下絵まで出ていたが、物思いに耽る女性がいい。「ほたる」(吉野石膏コレクション)は、蚊帳を吊っている女性の側に蛍が! 「待月」(京都市美術館)は、背中が語る作品。「キャプション」に、「待っているのは月か人か」は、いいねぇ。「楊貴妃」は松伯美術館の持つ名品。上半身、透けた衣をまとうという図。初めて観たとき、「こんなの描くの?」と思った思い出がある。「鼓の音」(松伯美術館)も名品。安定感のある女性が奏者というもの。位すら感じさせます。「暮らしを描く」という章立てでは、風俗を描いたものが並ぶとともに、戦時中特有の作品が並んだ。戦時中の作品では、銃後を担うという女性の姿を描いていた。但し、その時代とは限らないもの。「志んし」「献燈」「古代扇折ノ図」なんかが、このジャンルに入るようだ。「人形つかい」というおもしろい作品も出てた。これ、確か、京都大丸であった展覧会で観た記憶。襖を開けて、覗き込む商家の女たちの楽しさが出てる銘品だ。珍しい風景画も展示されていたが、「柳陰鵲之図」は、タッチなんかが、師の鈴木松年と竹内栖鳳のそれが入ってるそうだ。所謂、習作の部類。メモり出すとキリがないというのが、松園です。松伯美術館の協力ということが断ってあったこともあり、下絵やスケッチが、本絵の合い間に、随分と展示されているという、有難い展覧会。さて、展示替えも多いようなので、あと1回くらい行くかもしれないけど、「序の舞」の展示期間は長くないようなので、やっぱ、混雑を考えると尻込みしてしまうな。


2025年 4月 25日(金)午前 6時 53分

 一昨日の午後5時半過ぎに京都駅に戻ってきた。福山からの帰り、前回は、まだ、のぞみの自由席車両が3両だったが、今回は2両。ましてや、福山駅では、たくさんの人が待っていたので座れるか心配だったが、大丈夫だった。岡山、神戸と、下車する人と乗って来る人のバランスをうまく取れていて、皆さん、座れてた。今回も、1日2館ずつの美術館巡りをしたが、1日に1つは、若干、小ぶりの美術館だったこと、それに、両日ともに、先に行った美術館の開館時間が午前9時と早かったので、時間に余裕が持てた。おかげで、倉敷と尾道という有名観光地を、少しでも回れた。ただ、腰に不安を抱えているため、ほどほどにしておかないと、肝心の美術館巡りに障りが出てしまうというので、はしょりながらという感じだった。倉敷は、いつだったかも覚えてないが、美観地区は歩いたことがあるので、そういったはしょり歩きでも良かった。尾道は、坂を歩くのは初めて。前に行ったときは平地ばかりを歩いていたが、登り口で見えてる坂で、既に傾斜はえぐかった記憶があるにも拘わらず、ググると、駅から美術館まで徒歩17分だかが出たので登ってみた。えぐかったな、あの坂。でも、登った分、楽しみがある。向島との間を流れる水道のある風景って、極上のものと思った。人気があるはずです。駅の真ん前が海って、絵になります。これ、新幹線使えば、日帰りでDとSを連れて行けるじゃないかと思ってしまった。ええとこです。岡山は、牛窓に2回行っているので、その際、繁華街を歩いた記憶のあるところ。福山は、鞆の浦に行くためにだけ、これも、随分前に行ったことがある。そのときも、美術館巡りでの2回を加えても、駅のほんの周辺しか知らないな。草戸千軒も行っておきたいのだけど、駅前の歴史博物館すら行けていない。美術館巡りは楽しかったけれど、そういった心残りもある。いつも思うこと、何でもかんでもやろうはダメ。身体がもたない、でも、しぼると、こうやって心残りができてしまう。
 さすがに、疲れは半端じゃない。腰のあたりに、どーんと疲れを感じる。歩くと、その疲労を、より強く感じる。だから、昨日は、ゆっくりと休養に充てるべしなのに拘わらず、映画に行った。昨日が木曜日だから、今日から上映時間が変わる。続映はするのだが、時間が変わり、自分的には行きにくくなる時間になるので、できれば、昨日、行きたかったのだ。そんなで、疲労があっても行く気が出れば行こうと、予定表には入れてあった。それがですね、朝、全く迷うことなく、行く気になった。腰が、どーんと重いのにね。午後の上映だったので、昼前に身体の具合を確かめるために、ごくミニのウォーキングを、買い物がてらした。無茶できないことは確認できた。映画館の往復は、そのときの気分で、コースは選ぶことに。でも、選んだのは迂回コース。止めときゃいいのに、朝行ったとは違うマートでの買い出しをしておきたかったのもあったしね。万歩計を見ると、13400歩余だった。昨日は、この数字では、歩きすぎだな。
 映画館はMOVIX京都。観た映画は韓国映画「ベテラン 凶悪犯罪捜査班」。ファン・ジョンミン主演のアクション映画だ。10年程前にあった映画の2作目だそうだ。前の「ベテラン」は観ていないが、今回は観ることにした。「ソウルの春」のファン・ジョンミンは、やっぱ、圧巻だったしと思うと、映画のテイストは、全く違うものだが観たくなった。犯罪捜査に当たる警察物語。凶悪犯専門という警察官、班長はオ・ダルス、この人、何度も、映画なんかで観ているけど、警察官という役柄、あったっけ? 人の好い、頼りなさげなキャラが得意分野だったはず。でも、激しい中に、ちょっと和らぎの空気を出せる班長としてはいい感じ。この映画で、捜査の対象になったのは、必殺仕事人的キャラの犯人。裁判では、確かな証拠がなかったり、また、上手く立ち回られ、処罰を免れた真犯人を、人々の不満に替わり、殺すという犯罪を繰り広げる相手。正義なのか、犯罪者なのか、両面を持つキャラという特異な設定。その犯人役がチョン・へインという若い俳優さん。調べてみると、「ソウルの春」にも出てたようだが、多くの俳優さんが出た映画だから、さっぱり、どこだったか、判らない。役柄は、捜査班に加わる若い警察官。わりかし早い段階で、客に、犯人が誰かを知らした上での進行。警察の動きを、逐一把握した上での犯行も出てくるので、犯人を示しておいた方がいいかという判断のようだ。犯罪自体が、SNSを活用したもの、それに加えて、必殺仕事人的殺しという犯罪の性格上、推しも出てくるわけで、そういった連中の焚き付け、更に、金稼ぎに、無茶な動画配信をする者たちと、なかなか観ていて、犯罪の進め方にしても、こういった現代世相反映の進行なため、本筋が掴みにくいところもあった。対抗する警察の動きで使われるタームも、なかなかムズいけど、なんとか、筋立てはついていけた。結局、犯人は、必殺仕事人的でありながら、殺人をすることに生きがいのようなものを感じてる、ちょっと病的な存在のように、終盤は進んでいく。ファン・ジョンミンの泥くさい刑事役、上手いもんです。チョン・へインの優し気で、でも、なんか病的な空気をチラ見せするのも、韓流あるあるのキャラで魅かれるものがあった。もう一人、犯人にされる若い男役のアン・ボヒョンも、暗さの出た、壊れたキャラで、上手いなぁと思って観てた。ラストは、大掛かりで、どうするのかと思って観てたら、あれれで推移した印象。せっかくの大きな装置、もったいない感じがしてしまった。けど、暴力シーン、なかなかの迫力、見せてくれました。あっという間の2時間、腰の重いの、すっかり忘れさせてくれました。行って、良かったな。


2025年 4月 23日(水)福山~尾道~福山~京都

 プチ旅行2日目。今日は、まず、福山から尾道に移動。東尾道から尾道への路線が大好物。尾道駅では山側改札口に出る。尾道市立美術館が目的地。ググってみると、17分と出たかな、駅から歩いて。だけど、当然、山を登らなければならないのは覚悟の内。そのくらいなら、多少のことと考え、歩いて向かうことにした。あとで判ることだが、ロープウェイを使うにしても、その乗り口まで、徒歩で同じくらいかかるので、結局、登るしかないのかな。要するに、変なところに美術館を作ってくれたってこと。以前、なかた美術館に行っているので、この山側の改札口は知ってたが、登り口を見て、呆然としてしまった。いきなりの急勾配で、普通の山道だった。えらい決断をしたものと思いながら、グーグルを信じて登る。確かに、時間的には間違いなかったが、勾配はえぐかった。途中、眼下に海が見えてくるので癒されることは癒されるが。
 尾道市立美術館では「江戸庶民の美 大津絵と浮世絵版画-幻の東海道五拾三次-」が起こなわれているということでのチョイス。ベタなお題かもしれないなと思ったけど、決して、そうではなかった。というのも、「幻の」とされているのがミソ。観たことがないはずの「丸清版」と書かれた「歌川広重:東海道五拾三次」が出たのだ。全然、図柄が違った。通常、我々が目にするものを「保永堂版」と言い、この「丸清版」は、その15年後に出版されたものだそうだ。好評を博し、出版元を替え、図柄も変えて出された、それが「丸清版」。でも、我々は知らない。なぜか、理由は簡単。黄紺の目にも、「保永堂版」の大胆な構図など、こっち取ります。結論を先に書いてしまったけれど、今回、観ることのできた「丸清版」の特徴、メモっておきたいこと、ここに書いておく。「日本橋は横からの構図」「川崎は多摩川の渡し」「程か谷(保土ヶ谷)は雪」「藤澤は、大山・江ノ島・富士への分岐点ということで、夜の街の賑わい」「小田原は川越えの風景」「沼津は大きな富士と農作業」「吉原は左富士」「鞠子も雪の風景」「嶋田は大井川」「懸川は秋葉山への道」「見附の川は天竜川?」「舞坂は浜名湖の出口、これは、地震で海への出口(今切り)ができたことで成立、そこの渡しを描いている」「二川は、名物の餅屋」「赤坂は宿屋街」「藤川は大名行列を描く」「岡崎は矢作の橋」「知立は、この時期‶池鯉鮒‶と書いた」「関も雪景色」「草津は矢橋が描かれてあるが、それ、草津やないやろと突っ込んでしまった」「大津絵は宿屋町を描く、その店の中に大津絵を目印にした店があった」。次に階を上がり、大津絵の展示を観る。今回の展示は、小絲源太郎コレクションを中心とした展示。そのコレクターへ、どのような旧所蔵者から渡ったかの記録を掲示されていた。それによると、半分ほどが、富岡鉄斎旧蔵のもので、それいがいの経緯を眺めると、梅原龍三郎や北大路魯山人旧蔵というものもあった。それらを、大津絵の歴史を辿るように、時系列に分けて展示という趣向。こういった展示は、初めての経験だった。それによると、初期には仏画を描いたものがあり、展示されていたものに「青面金剛」「天神」といったものがあり、大津絵の展示では、あまり見かけないもの。「鬼の念仏」といったモチーフは、既に初期からあった模様だということも判ったが、今回の展示で、初期のものは、これらの3点に加えて、逸品中の逸品「傘をさす女」だけだったが、いずれもが、今まで観たことのないような筆力というか、絵に存在感なるものを感じさせるものがあった。その筆力というものが、時の経過とともに下がっていくことは確かだ。大量に売るということが、大津絵の人気とともに出てきたことに伴うものと推測できることだが、それとともに、大津絵あるあるだが、絵の周りに文字が書き込まれて行く。しゃれた言葉、狂歌っぽいものを付け加えていき、こちらも人気になったようで、富岡鉄斎旧蔵の作品は、関心が、そちらに向いていたのか、この後期の大津絵ばかりが出ていた、確かに、富岡鉄斎自身の作品が、絵に賛を加えて出来上がりだから、同じ趣向の大津絵に関心が行ったのかもしれないなと、勝手に想像していた。その中での、自分的セレクトをメモっておく。初期では、圧巻の「傘をさす女」。全盛期と記されたコーナーに展示されていたものからは、鬼として描かれていた「頼光」、犬にふんどしを引っ張られているという滑稽味のある「座頭」、立派な尻尾が、着物の裾から顔を出している「狐女」、仏画の残り香のような「塔」と、定番のデザイン以外のものに、関心が行ってしまったけれど、「長刀弁慶」「奴」ものなど、定番のものは、それはそれで楽しいことには変わりはない。後期のものになると、洒落の効いたものに眼が行くが、絵自体は、ちょっと寂しくなってるから、字を拾ってくれてたので、それを読む方に関心が、どうしても行ってしまう。「瓢箪駒」では、駒は馬で表したり、「提灯釣鐘」「梅に鶯」という言葉遊び、「鬼」もの、雁文七を素材にした「五人男」といったパロディものとか、お遊びに手が込んでいったようでした。
 山の上の美術館。頂上の展望台へ行き、ロープウェイで下りようかと思ったら、修学旅行の一団が、道を塞いでしまい向かえない。仕方ないので、千光寺に向かう。ここもビューポイントなので、行って、正解。「ブラタモリ」でも行ってましたね。ここへは、車で行けるからでしょうね。向島との間にある水道は、ホント、見栄えがする。しかも、地形的に、なかなか新しい建物の進出がムズいので、昔のままの景観が残っているのが、頗る付きでいい。尾道人気、ようく解りました。結局、歩いて下山。そこから、ようやく海岸に出て、海岸沿いに駅に向かう。途中、海岸沿いのちょっとしたスペースで、電車の時間調整のため、休憩。ええとこです。駅の真ん前がロータリーを挟んで海という最高のロケーションでした。こんな、お散歩ができたのは、尾道市立美術館の開館時間が午前9時だったから。今回、岡山も9時開館だったいおかげで、倉敷美観地区も歩けたしね、1時間早いだけで、これだけの楽しみが増えたのは、嬉しいことだった。で、電車で福山に戻り、いよいよ、最後の訪問地ふくやま美術館へ到着だった。
 今回、このふくやま美術館だけが再訪となった。第20回世界バラ会議福山大会記念事業として「「Rose イメージの系譜 ルドゥーテからシャガール、北斎、芦雪、『ベルサイユのばら』まで」という展覧会が行われていたのです。福山限定の美術展。ばらを切り口にして、何をしてくれるのか、一応、構成は予想通り。ヨーロッパ近代絵画、日本の近世・近代絵画、そして、現代アートから、バラを素材にした作品を展示するというものだったけど、近世の日本画にバラはあるのだろうかということが、想像したときの不安材料。そして、ヨーロッパ近代絵画にはバラを描いたものは、多くあるだろうが、それを所蔵してるだろうか、なければ、他所から借りてこなければならないだろうから、それはそれで大変だしなと思いながら、展覧会に臨んだけど、しっかりとクリアしてくれていました。願わくば、現代アートのコーナー、も少し、作品が多ければ良かったのにと思いはしたけれど、でも、十分でした。序章は「植物図譜―科学的描写から鑑賞の対象へ」は、やっぱ、これが出たかと思いつつ、これは流した。図鑑を観ているというところからだ。第1章がハイライト、「西洋美術におけるバラ―永遠であり、はかなきもの」。ほぼ、他所の美術館からの借用もの。中央には、エミール・ガレやドーム兄弟のガラス作品が並びと、ヨーロッパの美術館に迷い込んだ雰囲気。アンブロワーズ・デュボワ「フローラ」(東京富士美術館所蔵)が16世紀後半ものということで、一番古く、絵画作品は、多くは19世紀もので20世紀の作品が混じるという構成。その中で、華やかさが目立つ、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「ユスーポフ公爵夫人」(東京富士美術館所蔵)が、一のお気に入り。作家は、マリー・アントワネットの宮廷にいた人とのことだった。次いで、画体が大きいこともあり目立ってしまう、フランソワ・ブーシェ(原画)、ルイ=マラン・ボネ「フローラ」。ブーシェ原画の意味は判らなかった。宮廷の華やかさまで取り込んだ逸品。その一方で、ルノワール「帽子の娘」(SOMPO美術館)は、時代も時代ということで、市井の娘。らしい色使いが、モデルの若々しさを感じさせてくれます。いずれお、どこかにバラが入っているのは言うまでもない。絵筆の先っぽの筆致で、質感に変化を示そうとして見える、ディアズ・ド・ラ・ペーニャ「花」やアンリ・ファンタン=ラトゥール「花瓶の花」(DIC川村記念美術館所蔵)があるかと思うと、マルク・シャガール「二つの花束」(埼玉県立近代美術館所蔵)がある。背景に、判然とはしにくいが、家屋が描き込まれていて、自身の故郷の家だそうで、かつての思い出を描きこんだのかもしれない作品があったり、普通に形をとっているジョルジュ・ブラック「ティー・ローズの花籠」(ポーラ美術館所蔵)に、らしさのあるジョルジョ・デ・キリコ「薔薇」(東京富士美術館所蔵)もあった。第2章は「近世日本におけるバラ―花鳥画の中に添えられた彩」。近世日本画の世界に薔薇はいくらでもあった。ただ、花弁は細く、バラのイメージにしては、外へ開いている。要するに、我々が持っているバラのイメージは、洋バラだということで、それは近代以後。それ以前のバラおちうことで、ここも本草学的資料から出発。南画の作家宋紫石の作品が何点か並び、同じく南画の鏑木梅渓の作品に描きこまれたバラが出ていたが、そのバラの姿が、先に書いたような形状だから、完全に、南画の中に溶け込んでいる。その並びに、逸品、この展覧会で最高とも思った逸品、岸駒「九雀図」(善法律寺)があった。一曲の屏風図。左右に孔雀が1羽ずつ。右隻の孔雀が、谷に向かい首を下げ覗き込む姿、左隻の孔雀は、凛として上を向いている。この対比もいいけど、右隻の孔雀の愛らしさが際立ち、その細かな動きまで描きこまれている感じがしてしまった。長沢蘆雪が円山応挙門に入る前に描いたという「梅に鴉図」、若冲門の意冲「薔薇に鶏図」は、師の作品を写したようだったり、浦上玉堂の息春琴「富貴長春図」、倉敷で観てきたばかりの黒田綾山「薔薇に美人」などが出ていた。また、このコーナーの最後の方には、広重や北斎、二代広重らの浮世絵に描かれたバラも出ていた。第3章は「近代日本におけるバラ―華やかで優美なるもの」。冒頭は、明治に入ってから出た浮世絵師の作品。楊洲周延、小林清親らの作品に並び、月岡芳年「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間妻君之風俗」(サントリー美術館所蔵)も。顔立ちは浮世絵の女だが、洋装、帽子には洋バラが設えてあるという代物。洋バラは、文明開化を象徴するアイテムだったようなことが、キャプションに書かれてあった。逆に、近世のバラが南画に多かったのは、中国イメージが伴う花だったようだ。幸野楳嶺や今尾景年の描いた「画譜」(千葉市美術館所蔵)、お手本になるのかな、その中のバラの展示があったり、山元春挙が静物画を描いてた! 「瓶花図」なんてのが出てたりと、なかなか、おもしろい。池田遙邨「ばら/赤」は、髙島屋史料館所蔵となっていたので、件の商標や包み紙のデザインと関係があるのでしょう。川村清雄下絵断片「シーザーの香炉」(薔薇)は、杉戸用の下絵のようだ。バラと杉戸というミスマッチのようにも思えるもの。花瓶にいっぱいのバラが豪華な印象を与える和田英作「薔薇」(ポーラ美術館所蔵)、その並びの村山槐多「バラと少女」が、なかなか印象的。左右をバラに囲まれ、すっくと立つ少女が描かれている。着物姿だけど、洋バラに囲まれていうることで、表情に初々しさだけではない何かを感じさせる。その側にあった矢田清四郎「支那服の少女」も気になった。支那服は着ているが、その服のすらりとした線から、背が高そうに思えたのかな、東洋系女子とは思えなかったが、ネット上にある、この絵の詳細を認めたものには、典型的な東洋系美女を書いてあった。そうなんや。明るい外交と裏腹に、少し憂いを含んだ表情が魅せます。中川一政の「バラ」は、バランスのいい配置。その他、黒田清輝、梅原龍三郎、小磯良平ら、大家がバラを素材にした作品が並んでいた。第4章は「現代のバラ―「美」のイメージの一般化とその虚構性の露呈」。バラということで、高島屋の包装紙(髙島屋史料館所蔵)の変化を示す展示があった。言われてみればそうというやつで、現在の包装紙デザインは4代目だそうで、前2代はバラは個別に描かれてあった。それを、輪っか状にしたのが、3代目のデザインを委嘱された髙岡徳太郎、その原画の展示があった。バラは、マイセン陶器からインスパイアされたものと、キャプションにはあった。あまり数は多くはなかったが、バラの入ったアート作品が並んだが、目立ったのは、福田美蘭の2点。「ダイヤル・ショッピング」(作家蔵)。大量消費社会を対象化するかのように、都市の風景の断片に遊興の様子が入子細工のようになっている作品。「つるばら「エドゥアール・マネ」」(練馬区立美術館)は、「草上の昼食」を切り刻んで、コラージュのようにした作品なんだけど、そうだと、なかなかわかりづらいところもあり、且つ、その画面の中には、作家自身が。この絵自体を描いている姿まで入っている。マネの絵に関する知識は、あることはあるが、浅薄なもので、当たっているとは思えないのでメモらないことにするが、世相批判的な目で作品を制作していると考えられるので、認知に関することかななんて思ったりしている。山江真友美「再生」も印象に残る作品。どこかで観た記憶がある。写真かと、一瞬思ってしまう。淡い淡い線で描いている。画面は、ほぼ白いものだが、その淡い線で形を取っている。今回だとバラになるが、そういった画面なのに、華やいだ空間を演出しているようだ。滋賀県美で観たのかなぁ、知らんけど。津村果奈「食卓に生きる薔薇」(作家蔵)は、作家のInstagramを見ると、きわきわに搬入した新作のようだ。写実に徹したバラの花束にピンクのヴェールをかけたような印象。側にあるようで、危険な香りも漂う。そういった作品に囲まれ、置かれてあったのが倉俣史朗「ミス・ブランチ」(大阪中之島美術館)。その他、小林ドンゲ、吉岡堅二、川井徳寛らの作品が出ていた。
 朝9時半少し前スタートだったので、時間は大丈夫、腰がダメなら中抜けをしようと、2階に上がり、春季所蔵品展「ベストセレクション—「今」見るふくやまの名品」にも入る。第1室の「西洋美術」からスタート。冒頭が、クールベ「波」。クールベって、風景画になじみがない。写実に徹した作品だった。ルチオ・フォンタナ「空間概念-銀のヴェネツィア」では、キャンパスに穴が開けられている。丁寧な解説書によると、それで、二次元から空間へと作品が拡がったそうだ。インスタレーション作品なんかの先駆けということなのかな? ソーニャ・ドローネー「色彩のリズム」は、画面分割・色彩分割の作品。そういった作品は、現代アートの展覧会に行くと、よく観れる光景だが、この作家なんかが、その先駆けだとか。1953年制作となっていた。キュビズムの作家としては、ピカソ2点(りんごとグラス、タバコの包み、近衛騎兵(17、18世紀の近衛騎兵))とともに、ウンベルト・ボッチョーニ「カフェの男の習作」。ボッチョーニはともかくも、ピカソは、あまりキュビズムという印象ではない。「アヴィニョンの娘たち」の制作後のふりかえりの時代のものと解説されている。ボッチョーニの師がジャコモ・バッラ「輪を持つ女の子」は、動きを感じさせる。同室の「日本近代美術」に移る。児島虎次郎「ベルギー、ガン市郊外」は、この人らしい、光に溢れている。同じくらしいと思わせるのが、荻須高徳「パリ風景」に東郷青児「星座の女」。隣同士に配置されながら、描かれている女性の顔が、お互いを避けてるように置かれたのが、熊谷守一「女の顔」と小磯良平「婦人像」。内面の表れがぶつからないように、キュレーターさんが避けたみたいに感じた。安井曾太郎「手袋」は、女性が椅子に腰かけたもの。右肘に体重がかかった座り方で、モダンな印象を持ってしまう。制作年は1943‐44年では、一層のモダンさが際立ったんじゃないかな。岸田劉生は3点、「晩春の草道」「新富座幕合之写生」「麗子十六歳之像」、この3点では目立つのが「麗子像」。大人の入口に立った麗子が新鮮なのと、左頬に当たる光が、洋々たる未来を期待する心根が出てるようだ。子どもの麗子像に比べると、明らかに明るい。青で統一した梅原龍三郎「仙酔島の朝」は幻想的、塩出英雄「瀬戸の浮島」は小野竹喬タッチ、このいずれもが俯瞰図になっている。その他、吉田博(靭之港/木版画)、須田国太郎「冬の漁村」、北川民次「女のつどい」、高松次郎「パイプをくわえた男」、草間彌生「NO.X」、池田遙邨(みなとの曇り日)などが出ていた。第2室は、書・刀剣・陶器もあったが、日本画だけを観ることにした。ここにも池田遙邨もの(林丘寺)があったが、花びらが舞う児玉希望「暮春」に眼が行き、竹内栖鳳門の大村廣陽「軍鶏」に眼が行く。穏やかな風景画を描く池田遙邨ものは、どうしても後回しになってしまう。癒されるんだけどね。その他、西村五雲門の「若桐」、月下の狐を描いた大島祥丘「月下遊牧」などが出ていた。
 すっごい、充実した2日間、4つの美術館巡り。堪能した。巡回展もあった。地方美術館独自の展覧会で、多くの美術館から借りてきての企画ものもあった。そして、地方美術館巡りの一番の狙い、コレクション展も堪能できた。そういった意味で変化に富んでいます。腰も頑張ってくれました。こんなこと、腰のこともあるので、いつまで続けられるか判らないけど、でも、楽しい。岡山・広島方向に来ると、池田遙邨、児島虎次郎、児玉希望らが増えてくるのが嬉しい。地元の美術館に、そうした地元出身や地元に居を構えた作家の作品があるのが嬉しい。ふくやま美術館のロビーで、しばし、感慨に耽り、帰りの新幹線の時間に合わせて休んでおりました。あんまし、時間があったとは言えないけどね。


2025年 4月 22日(火)京都~岡山~倉敷~福山(泊)

 今日からプチ旅行。今回は、久しぶりに、西に向かった。「日曜美術館」の「ア-トシ-ン」で、倉敷市立美術館の企画展が紹介されたのが、決断のきっかけ。結論から言えば、そんなに目立った企画展でないのに、「ア-トシ-ン」が選んだ。やっぱ、NHKの美術スタッフの目は確かだと思わせられたものでした。朝7時前には、最寄り駅から出発。久しぶりに、新幹線に乗るものだからか、最近にはなかった、出かける前のワクワク感が、不安な気持ちに勝っていた。のぞみは自由席を少なくしたというので、贔屓になっているひかりで。岡山駅へは、京都からは、ほぼ1時間で到着。すっかり、いい気分になり、新幹線車内で一人酒盛。美術館の近くで食べようと、持参していた昼食用のパンも、新幹線車内で食べてしまった。めっちゃ快調。
 最初の行き先は、初めてとなる岡山県立美術館。「ベル・エポック―美しき時代― パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケルコレクションを中心に」という特別展が行われているのを目当てに行った。東京のパナソニック汐留美術館で行われていたものの巡回展だ。栃木、山梨の県美と、関東圏中心で、西日本では岡山だけ。このお題で浅はかだったのは、ロ-トレックやミュシャの作品が並び、エミ-ル・ガレのガラス製品が彩を添えるのだろうという考えで行くと、とんでもない、総合芸術としてのベル・エポックという、真っ正面からの展示だった。となると、同時期の文学、演劇、音楽がどうで、画家らのアーティストとどういった関係があるのか、全く、解っていない。やられてみると、その通りだと思うが、カバーのできてない己の寂しさばかりを認識させられる展覧会となった。展示は、いくつかの章立てにはなっていたが、作品リストの並びとは、かなり違うものとなっていたが、一応、章立てに従って、メモを残しておこうと思う。最初の章は「古き良き時代のパリ、街と人々」ということで、ベル・エポックに至る前の時代をまとめたのかな。この展覧会、ルオーの作品が、多く出ていたのだが、この章立てに入っているルオー、らしさを感じないものということで、至る道を表している作品を集めたのかなと思い観ていると、ロ-トレックのポスターなんかで見かける女性の顔たちをした女性に似た女性が出てくる、出てくる。そうした時代をサポートする展示品には、エミ-ル・ガレはもちろんのこと、マイセン磁器や、どこかで観たことのあるド-ム兄弟のガラス製品が、色を添える。2つめの章立ては「総合芸術が開花するパリ」。モンパルナスに、様々な出自の人たちが集まり、新たな文化が生まれるという挿話は、良く耳にする。モンパルナスを代表するム-ラン・ル-ジュを描いたものが、多く出ていた。ム-ラン・ル-ジュをアピールする初めてのポスターは、ジュ-ル・ショレ作品だそうだ。特徴ある形の建物をモチ-フにしたものだけではなく、キャバレー内の様々なパフォーマンスを表したものも多く、その様子を伝えてくれていた。この中に、ロ-トレックやイベルスの版画集などが、その賑わいや華やぎを示してくれていたが、その流れ変わ中に、ロ-トレックの「ブリャアンはモンパルナスに戻り『オ・バ・ダフ』を歌う」や、黒猫のモチ-フで有名なデオフィル・アレクサンドル・スタンラン「シャ・ノワ-ル」があった。そういった著名なポスターが並ぶと思っていたのだったが、そうではなかった。でも、自分的には知らなかった、けど、ここで、ムーランルージュ以外のお店のポスターも出ていた。だけど、「ヴァリエテ劇場」(ルイ・アベル・トリッシュ)って、「チャルダーシュの女王」で出てこなかったっけ? でなければ、黄紺の観たプロダクションで使われていたかだ。フロベール、マラルメ、ヴェルレーヌ、エドガー・アラン・ポー、プル-スト、ポール・ヴァレリーといった文人の作品が展示されるとともに、そういった文人の作品にインスパイアされた画家の作品が並ぶという展示だ。例えば、「悪の華」については、ルドンが描いているわ、これは、既視感のあるものだったが、ルオーも描いていた。そういった文人の周りに、他ジャンルの作家が集い、そういった作品が生まれる。マラルメの「半獣神の午後」に刺激されて生まれたのが、ドビュッシーの「牧神の午後」だったり、プルーストの「失われた時を求めて」には、アーンが作曲していた。フローベール「聖アントワーヌの誘惑」は、人気のモチーフだったようで、映像化して流されていたが、ここだったかな、岐阜県美で、随分とお世話になっているルドンの長たらしい名の付いた作品が使われてたりしたんだけど、音楽は、誰のものだったか、メモを忘れている。総じて、異なったジャンルの文化人のコラボ作品が目白押しだった。時代的には、第3共和政から世紀末、そして、世紀をまたぐという時代になります。次なる章立ては「華麗なるエンターテイメント、劇場の誘惑」。アンリ・ガブリエル・イベルスの挿絵付き上演目録が並び、ルオーの逸品などが並んだコーナーだ。サーカスを取り扱った作品が出ていたルオーだが、「道化師」という作品が引き立つ。太い黒の線で枠線を描き、無彩色で仕上げる、力のこもった作品。そういったタッチからでしょうか、道化師の悲哀が滲み出ています。ジョゼフ・ファブロやアンリ・ガブリエル・イベルスも、同様にサーカスを素材にした作品が出ていた。「女性たちが活躍する時代へ」が次なる章立て。先のロートレック作品が、人気俳優をモデルにしたものだが、そのジャンルで言えば、女優と断らなくても、真っ先に思い出すのがサラ・ベルナール、彼女とともに、その名が轟いたのがミュッシャ。この二人のコラボって、こういった展覧会の花形だけど、出ていたのは1点だけ。サラ・ベルナールの首絵だった。後期展示では「トスカ」が出るようだが、前期は、芝居のポスターではなかった。そのミッシャがデザインして、ルネ・ラリック制作の舞台用冠「ユリ」が、その傍らにあった。実際に、サラ・ベルナールが舞台で使用したものだという。更に、側には、サラ・ベルナール出演の舞台用プログラム、メダルなどを制作したルネ・ラリックの作品が並んだ。ラベルやドビュッシーのオペラ制作に関わったジョルジュ・ド・フールの作品や、ドガとの交流があったジュサンヌ・ヴァラドンの作品と、否が応でも、時代背景が押さえられてないと、到底、把握できない。片方を知っていても、その相方が判らないから、全体像が掴めないのだ。そんなで、結局は、勉強を、しっかりしなさいということ、ようく解りました。
 この特別展は地下だったが、こちらの2階では、「ときめきのボタンたち―加藤コレクションから」という珍しい展示もあった。ガラス、シェル、メタルから、木や陶磁器で作ったものまで並ぶ、大変なコレクション。単なる、服の付属品ではなく、完全に自己主張をしているものばかり。完全な装飾品だ。あまりの数の多さに、ざっと観るに留まるのが惜しい。そのボタンの展示の背後、ぐるっと外回り一周で、コレクション展(岡山の美術展1)も開かれていた。3部構成になっており、1つ目は、特別展に合わせて「憧れのパリ」、2つ目が「岡山ゆかりの女性日本画家たち」、3つ目が「収蔵品からのボタン、ファイバー・アート」となっていた。1つ目は、パリに遊学した作家の作品が並んでた。その中で気になった作品をメモっておく。四角いキャンパスに、小さな四角形で画面分割と言えばいいかな、その中から丸い形が、ぼんやり浮かんできた木原千珂「LUMIERE」は、幻想的な雰囲気すらする。。その隣にあった工藤哲巳「限定プールにおける増殖性連鎖反応」に関し、何やらメモを取っているのだが、それが読めない。国吉康雄「風景(パリ)」「夜の巡回(パリ)」は、いずれもリトグラフ作品だが、まるで墨画でパリを描いたみたい。片岡銀蔵「融和」は、伝統的な洋画に出てくる白人の裸婦がベッドに横たわる側に、肌の黒い女性が座っているという構図で「融和」となっていた。女性の無防備な落ち着き感と、何やら居心地悪そうな女性という組み合わせで、「融和」の中身を表してるのかな? 1934年の作品だ。背景を知りたい気になった作品だった。2つ目は、まず、異様な風体という感じで、片岡球子もの3点が、目に飛び込む。「舞楽(抜頭)」「面構(鍬形蕙斎・山東京伝)」「裸婦」だ。作品自体が大きく、前2点は、特に奇抜で、大仰な図柄、背景が判らないので、たじろぐしかない作品。片岡球子、勉強せなあかんのやけどな。波多野華涯の作品が3点、「墨梅図」の凛とした枝ぶりに眼が行った。野口小蘋の大部な作品が出てたけど、この人、近江商人の家の出で、岡山と、どのような関係があるのだろう? 調べたが判らなかった。単に収蔵しているだけということかもしれない。女性作家で、雄渾な山水なんかを描く人と、インプットされている。「四季山水図」という四曲一隻の屏風絵、四季各々が描かれているなか、とっても、自然な印象を持ったのは「冬」だった。「春という名の神話」という金谷朱尾子の作品は、かなり、ここまでの作品とはテイストが違い、日本画と思えない作品。花々と地模様が、一体化してしまいそうなファンタジックな印象を持ってしまった。3つ目の展示の中に、小林正和のファイバーアートがあった。「It SELF」という作品。一見して、小林作品だと判るものだった。
 少し、腰を休めて、電車の時間を睨みながら、岡山県美を出る。岡山滞在はここまでで、次は、倉敷に、JRで移動。ん十年ぶりの倉敷だ。美観地区のすぐ側にある倉敷市立美術館が目的地。美術館に着いて、初めて知ったのは、この建物、丹下健三制作のものだった。今じゃ、懐かしさが湧いてくるモダン建築だ。だから、中を歩いていると、旧の京都会館を歩いているような感じになってくる。調べてみると、元は市庁舎だったそうで、国の登録有形文化財に登録されているそうだ。そこで、コレクション展「光の奥行き」が開かれている。そして、これが、「アートシーン」で紹介されたのだった。展示は、細かく10の章立てになっていた。「①継がれる光 その1 黒田綾山から」に出ている黒田綾山は、池大雅やその門下の福原五岳に学んだとあった。もちろん、初めて聞く名だった。「東方朔図」が観たことのない構図。桃の実を、右手に持ち、上に突きあげる図柄だったからだ。だいたい、桃の実は、西王母とともに語られ、女性が持っているというイメージが根付いているからだ。変だと思い調べてみると、西王母の植えた桃の実を盗んだという挿話があるそうだ。それで納得、桃の実を掲げる男の顔が意気揚々としていたわけも、それで納得。張飛に関わる挿話を絵画化したと書かれてあったかな、キャプションに。でも、戯画化した背景もあり、あんまし関心は行かず。黒田綾山の弟子に松村景文がいた、この人は知っている。呉春の異母弟でもあるそうだ。この人の「小禽図」には、「群れている小禽の声がするようだ」とメモっているが、どんな作品だったか、思い出せない。「②継がれる光  その② 鳥越烟村」、鳥越烟村は、浦上玉堂の長男浦上春琴の弟子ということで、子弟一品すつの展示。「③新たな光 堀和平の模索」で、がらりと様相が変わり、近代に繋がる。いきなり、この展示のお題「光」を、最も意識させた作品が出た。堀和平は、幕末から明治に活動、洋画の先駆者だそうだ。初めて聞く名だったが、ここで、確実に記憶に残った。カラヴァジェスキが登場したかのような、光の使い方だったからだ。「ランプを持つ女性像」なんか、キャンパス内に光源を持った作品。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールかと思わせるもので、びっくりした。ここまで、明確でなくても、いずれも、光と影を使った表現に、びっくりは止まらなかった。「富士山」という題の付いた風景画を覗き、あとの4点は肖像画で、こういったテイスト。しかも、和服姿で、このテイストだから、かなり、インパクトがあったなぁ。父親が満谷家から養子に入ったということで、満谷国四郎とは縁戚関係。その関係で、満谷国四郎の作品が、このコーナーに3点、展示されていた。印象派といった感じの「オリーブの畑」に「もたるる裸婦」、それと、描かれている人たちの視線が交わっていないという、かなり意味深な「戦の話」の3点だった。「たゆたう光 平木政次の風景画」が次の章立て。満谷国四郎同様、五姓田芳柳門下だと、キャプションに書かれていた。ということで、丹念な筆遣いとなる。お題のように、作品には光が溢れている。「河口風景」「伊豆下田港」では、水面に煌めく光、「風景」という作品では道に光を感じる。「房州野島崎燈台」では、全面に光を感じさせる。「光をもとめて 児島虎次郎と鹿子木孟郎」と、次の章立てでは大家二人だ。鹿子木孟郎も岡山出身なんだね。キャプションには、満谷国四郎と一緒に渡欧したと書かれていた。「男の裸体」「放牧」の2点が出ていたが、温かな光を感じさせる後者が印象に残る。児島虎次郎は4点、まぶしい程のこもれびが魅力の「緑陰」、ルノワールばりの「婦人」「異郷の夜」、キャンパス内に光源を置いた「宵の灯」が出ていた。岡山と言えばということで、岡山の作家さんが続くが、「遙邨さんのコントラスト」が次なる章立て。一見、リトグラフに見える線画の「番する老婆」と、同じタッチだが、こちらは着色してある「蘇州郊外」が印象的。一色で描かれた「中支蘇州の川」は薄い青、緑一色で描かれ、両サイドのすすきが目に残る「丘の道」、絵本タッチの「森の唄」、幻想的な「天の川」「月あかり」、海の俯瞰図となる「灯の饗宴」、メモには◎を2つも付けた「霧」と、とても多様な作品を観ることができた。「光をあてる人 斎藤真一」が続く章立て。斎藤真一、知らない作家さんだったが、キャプションには、「瞽女に魅せられた作家」と紹介されていた。確かに、瞽女を描いたものが、展示品の中にもあり、「ふさ子・杉本家 「髪」 瞽女」「草間瞽女一覧」「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」の3点だが、イラストっぽい作品で、特徴をかいつまみ、単純化したものに、作画同様、感情も凝縮されてるようだ。家々のタッチなんかは、谷内六郎の作品を思い出させるものがあった。ノスタルジックもあり、エモくもありで、あとに残っていく力を持っている。「内なる光  坂田一男 岡本唐貴 海見久子」という章立てで、坂田作品で2点で、あとは1点ずつの展示。坂田一男がキュビズムのレジェ門下で、岡本唐貴が、漫画家白土三平の実子だということしか、メモを残しいないし、思い出すこともできない。「反射光 髙原洋一の水面」「光の奥行き  工藤哲巳と草間彌生」と、同じ空間に、一応、キャプションで仕切るという仕方で、章立てが続くが、いずれも抽象絵画にインスタレーションといったものが並んだ。高原作品は、トリックアートなのか、そうではないのか、判断がつかないのだが、地面に立てられた棒が何本か、それが、その下にある水面に映ってるのだが、それが合わない。反射している棒の並びが、微妙に、実際に立っている棒の姿と違うのだ。不思議な映像なんだが、可視的世界の曖昧さを、こうした形で表現しているのかもしれません。工藤哲巳の作品は、国立国際美術館で観たことがある。鳥かごに、なにやらガラクタとも思えるモノが入れられており、それに、こむつかしいお題が付いている。大阪でも「わからん」だったが、倉敷でも同じで「わからん」まま。ここまで来て、「おかしい」を呟き続けていた。「アートシーン」で紹介されたときにも映り、この展覧会のパンフレットにも画像が印刷されてある草間作品が見当たらないのだ。ただ、最後の空間の工藤作品に囲まれたように草間作品と明記したキャプションがある。でも、見覚えのある画像に映ってるものではない。ただ、そのこぶりの作り物に覗き窓があるので、「ま、覗くのはただ」と覗くと、お目当てのものがそこにあって、びっくり。巨大なインスタレーション作品だと思ってたのに、何たるこっちゃ! 思わず、近くにおられた係の方に確認をとった。チラシの画像を示しながら、「これは、これですか?」、係の方、満面の笑みで「そうなんです」「時々、聞かれます」。黄紺は、その何度も聴かれた何番目かの人になってしまった! 「鏡の部屋 愛は永遠に(No.2)」というのが、その作品のお題。確かに、そうやって、コミュニケーションをして、お互いに微笑んでしまうと、「愛は永遠に」だ。でも、まさか、そんなことを考えたインスタレーション作品ではないわね。
 展覧会を出て、上の階に上がる。そこに、池田遙邨コーナーが、常時、設えられているということで行ってみた。ここは無料で、展示替えもあるようなので、常時、池田遙邨作品を観れるという、嬉しい場所。軽く回って、美術館を退出。数は多くはなかったので、時間に余裕ができたので、美観地区に回る。アイビースクエアに行き、中の広場に面したベンチで休憩をとり、腰を休めることにした。細かく回ると、腰に障りが出るといけないので、児島虎次郎記念館なるものがあるということだったので、それ経由で駅に向かうことにした。児島虎次郎記念館は、大原美術館の別館だそうで、大原美術館のチケットがあれば入れるそうなので、いつか、来てみることにしましょう。1度、大原美術館を入れるコースも計画したことはあったのだけど、流しちゃったので、またの機会を考えることにしましょう。倉敷からは、JRで福山まで移動。そのまま、ホテルにチェックイン。まだ、午後5時にもなってなかったが、今日の予定は終了。夕食も、最近の定番、コンビニ食。こういったときの贔屓にしているローソンが、幸い、福山駅前にあり買い出しで、お出かけも、それでおしまい。





進む メイン・ページ 戻る