2008年 10月 2日(木)午前 0時 37分
一時の寒いくらいの涼しさを脱し、普通の気候に戻ると、昼間は、結構暑いですね。黄紺のいる部屋には、コンピューターのサーバが入っているために、他の部屋に比べて暑いので、昨日の昼過ぎ、久しぶりにクーラーが入っていました。でも、また、明日は気温が下がるようです。変化の大きいのは、黄紺の体に堪えます。体調の維持にも、気をつけないと風邪をひきそうです。
今夜は、トリイホールへ連続で出かけてきました。「第169回TORII寄席〜東西落語会〜」があったのです。手を変え品を変え、トリイホールで、黄紺好みの企画があるもので、毎日のように通っています。今夜は、向かいの天丼屋さんで晩ご飯と決めていたのですが、水曜日は定休日だったのですね。急遽、近くのラーメン屋さんで済ませました。このラーメン屋さんは、白菜を入れたスープが美味しいお店。但し、黄紺は、おろしニンニクと豆板醤を入れて、自分好みのスープ味にして、初めて美味しくなると思っているお店です。ま、それはいいとして、さん都「動物園」、歌之助「阿弥陀池」、千朝「まめだ」、(中入り)、米朝・小米朝「対談」、翁屋勝丸「太神楽」、志ん橋「抜け雀」が、本日の番組でした。小米朝として最後となる米朝との対談を組んでいるばかりか、東京から、志ん橋らを喚んだというのが売りの落語会。そんなものですから、中入り前は、多少軽めに推移。千朝が終わったところで、まだ、開演後55分でした。また、いずれも、定番のネタですが、いろんな噺家さんが手がけるネタなもんで、前半の二番に対する客席の反応は、すこぶる重い。ようやく、千朝のところで、落語会らしい雰囲気になってきましたが、ちょっとした人情噺なもので、それ相応の反応。この秋初めての「まめだ」。手がける噺家さんは限られているとはいえ、このネタの出る季節になったのですね。対談は、その「まめだ」を受けて、三田純市の話から。次いで、東京時代の話へ。目白で二階借りをしていた話から、正岡容の話へ。となると、そこからは、必然的に米団治話へと移行し、小米朝の襲名へとつながっていき、対談としては、大成功。印象に残った話は、「まめだ」は、三田純市の全くのオリジナルなものではなく、イギリスの民話か何か、その辺のところにルーツがあるという話が、一つ。米団
治に入門したのは、二代目春団治にも、五代目松鶴には、それぞれ実子が後継者としていたからという点があったということを、米朝自身が認めていました。要するに、米団治には、後継者となる実子がいなかったから、誰かが継がねばの気持ちがあったということです。翁屋勝丸は、上方では見ることのできない籠を使ったボールの芸を見せてくれました。ちょっと馬にも似てるかという剣玉のような籠です。トリは、出演者が頑張って時間を与えたっていう感じの志ん橋。その志ん橋の出したネタは、「抜け雀」。宿屋の親父さんのキャラと、侍親子の描き分けが見事。そうなんだけど、徐々に、この親父の話を聴いていると、イライラきちゃいました。なんか、親父の台詞が長いのです。終わってみて、時計を見ると、45分はかかっていました。長すぎます。だいたい、若侍に金の催促に行くまでの夫婦の会話が長い。金
の請求に行ってこいというだけのところで、無駄が多いなと思いました。ですから、言葉の刈り込みをして、テンポを上げてもらわなくっちゃっていうところです。これでは、くっきりとした人物描写がもったいないと思ったのでした。
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