忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2009年 5月 16日(土)午前 0時 22分

 今夜は、ちょっと間が空いた演劇鑑賞の日です。本当なら、今日から始まった講談毎日亭に行くところなのですが、うっかり間違って、芝居の前売り券を買ってしまったものですから、雀のおやどは、明日からということになりました。うまく、講談の公演日時と重ならないように調整をしなければと思っていながら、こういったミスを、年に2〜3回やっちゅいます。で、今日、行ってまいりましたのは、伊丹のAIホール。去年の夏だったかな、「デス電所」の公演以来だと思います。今日は、こちらで、「スイス銀行」という新たに設立された劇団の旗揚げ公演「地球のみなさん、悪く思わないでください」があったのです。かなり開演前から眠たく、実際に、途中、眠気に負けてしまった時間帯があったのですが、筋立ては、幸い外すことなく見ることができました。舞台は、学校の修学旅行のさなかに設定されています。賭け卓球に興じる教師、教え子の女の子の話で盛り上がる教師に、難題が降りかかってきます。生徒が、宿の近くで無銭飲食をしたために、平謝りに謝るハメとなります。一方、行きのバスの中で、バスガイドの財布がなくなるために、質の悪いバスガイドは、それをネタに、教師たちを強請にかかりますが、その凄腕はプロ級です。そんななか、ある教師に、女生徒からと思わせる手紙が届きます。それには、時間と場所が指定され、会いたい旨の文が認められていました。女生徒の噂で盛り上がるような教師ですから、かなり動揺するとともに、ある種の期待すら抱いています。そういった事件が、最後に見事に結びついていきます。そういった、ばらまいた、一見関係のないような出来事が結びつくという、仕掛けのバラしの妙が冴えるだけではなく、人間が、人間に復讐するということがあるならば、何を、人間から取り上げればいいかなどというメッセージ、それは、人間にとって大切なことは何かを説くメッセージになっていました。「スイス銀行」という劇団は、経験豊かな二人の女優さんのユニットですが、客演として迎えた役者さんは、関西の演劇界をリードする面々、さすが、名前に恥じない好演で、舞台を盛り上げていました。作家は、どうやら専属ということで、桝野幸宏が書いています。




2009年 5月 14日(木)午後 10時 57分

 今日は、仕事の関係で、1本、とっても素敵な映画を見る機会を得ました。「ブタのいる教室」という映画で、昨年、結構、話題となった映画です。実話に基づいた映画だそうですが、ある小学校の新任の教師が、自分のクラスに、生徒の同意を得て、ブタを飼い始めます。卒業のときには、みんなで食べようという前提で。ところが、生徒は、クラスにペットを飼っている気分で、ブタを育てていくのですが、次第に、卒業が近づいてきますと、そのブタを、卒業後、どうするかで、クラス内で、大きな議論が持ち上がっていきます。台本には、そこは、全く空白にされており、小学生役の子役が、自由に討論をしていったそうで、そのクラス討論が、素晴らしい出来栄えで、問題の所在を浮き上がらせます。そういった命と向き合う授業で、生徒たちが、自分の頭で考え、悩んでいった姿を追った、とっても素敵な映画でした。教師役の妻夫木聡が、ずっと生徒に問題を投げかけ、そして、それを真剣に受け止める生徒を、見守る役に徹した役柄にふさわしい好演です。仕事で、こんなのに出会えるなんて、とってもラッキーなことでした。
 夜は、ワッハの4階でありました「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってまいりました。大阪芸大の同期生同士の会で、なかなかグレードの高い会と思っているものです。今日も、生喬さんの奥様が受付。番組は、生寿「兵庫船」、こごろう「仔猫」、生喬「愛宕山」、(中入り)、こごろう・生喬「夕焼け対談」というもので、長講三席となりました。まず、今日の「兵庫船」が、超貴重ヴァージョン。師匠の生喬が、春若から習った古い型を、せっかく教えるならと、全部伝わたそうで、普段聴かない川尽くしやネズミ尽くしが入ったり、冒頭の船に乗り込む前にも、聴いたことのない台詞回しが入っていました。実際、生寿が、高座で演じるとき、このようなフルヴァージョンを演じる機会は少ないと思いますが、船の中のお遊びの部分っていうのは、適当に継ぎ接ぎができますから、ネタが多い方がやりくりはしやすいはずです。「仔猫」は、大師匠の枝雀譲りのものとか。先日、このネタを下ろした生喬も、枝雀の音源で覚え、九雀に見てもらったそうで、一門の違う二人が、結果的には、ほぼ同じ言い回しになってることを確認しあってました。こごろうは、いつもながら、落語の舞台となっている場面、その場の雰囲気について、実に巧みに想像力を働かせ、それを、まず客に解らせようと努めてくれますし、その想像が、随分と納得のいくものです。あとの対談で言ってましたが、主人公のお鍋を、化け物のような醜い顔とする演出には反対だと言ってました。それには、生喬も、全く同感のようでしたが、彼らは、そのお鍋を、かわいい女、ちょっとくらいおもしろい顔をしているかもしれないが、かわいい女なんだという設定でいきたいと考えています。お鍋のキャラをクリアにするために、顔と心という二項対立方式で、米朝風に言う「人三化七」的表現に異を唱える話を聴いて、ちょっと考え込まされてしまいました。「愛宕山」は、春の野の描写をショートカットし、山登りの部分を膨らまし、力いっぱいにやってくれるという、黄紺の嫌う構成。金を取りに飛び降り、しかも、「金、金、、、」と叫びながら、染二も、ここまではやらなかったという嫌らしい出来上がりになっていました。生喬の口演を聴きながら、文太や米二の「愛宕山」が思い出されていました。所詮、お遊びで、粋な噺、いや、もっと言えば、春の陽気に誘われたお伽噺っていう趣向が欲しいのです、自分的には。ですから、写実的に頑張られると、嫌なんです、この噺は。




2009年 5月 13日(水)午後 10時 12分

最近、韓国ドラマ「4月のキス」にはまっていて、寝不足が続いています。仕事をしながら、パソコンに向かっていて、こっくりきていることが、今日は、2回もありました。幸い、夕方近くになってきて、だいぶと気温が下がり、体調への影響は、今のところ出ていないのが、ラッキーなところです。今夜は、天満橋駅近くのビルの一角で行われました「南華講談 はたちの会〜24〜」に行ってまいりました。この会は、なかなか日取りが判らなく、気が付いたときには、他の会の前売り券を持っていたということが続き、だいぶと間が空いてしまいました。番組は、「難波戦記:有馬御難」「桜姫全伝曙草紙 その八」の2席で、ほぼ1時間半近くだったのですが、その1/3は、南華トークで、それはそれで、講談界の様子が解ったりして楽しませてもらいました。ただネタに入ると、リズミカルに進行しますから、これが、寝不足の瞼を刺激してしまい、2席とも、中途ダウンを喫してしまいました。ですから、記憶に残る範囲でメモっておきたいと思います。「有馬御難」は、秀吉亡きあと、秀頼を盛り立てようと後ろ盾の任を引き受けておきながら、それを全うしない家康に、敵意ありと見做した石田三成が、有馬某を使って、家康討ちを命じるところまでは、きっちり把握をしているのですが、言われた方が、どのように動いたのかは、全然頭に残っていないという有り様です。「桜姫」の方は、確か、その二と三には行ったと記憶しているのですが、今日は、最終回となっていました。だいたい続き物の場合、初回からの振り返りを演者はしてくれるのですが、それが、よりによって、既に聴いたところまでは、ちゃんと聴けていながら、それが過ぎたあたりで、意識がなくなっているのですから、全く始末におえません。どうやら、最初の方で殺された女の怨霊が、他の者に乗り移り演じた復讐劇だったようです。そんなで、かなり悔しい思いで、家路につきました。




2009年 5月 12日(火)午後 11時 41分

 今日は、昼間、気温がどんどん上昇。そこへさして、日曜日のウォーキングの結果、筋肉痛が発生。2日後に出てくるのは、年齢から考えて仕方のないところです。その急いで歩いたり、階段をくだるのが大儀な足を引きずり、今夜も繁昌亭に行ってまいりました。今夜は、「第1回“夢”露の新治寄席〜さん喬・新治 二人会〜」がありました。繁昌亭で、さん喬を聴くのは、2度目となります。前は、猿笑(現円笑)の会にゲストで出たさん喬を聴いたのでした。番組は、喬介「犬の目」、新治「ちりとてちん」、さん喬「百川」、(中入り)、千田やすし「腹話術」、さん喬「短命」、新治「鹿政談」というものでした。期待のさん喬の大ネタは、「百川」でしたが、前回、繁昌亭で、黄紺が聴いたときのネタが「棒鱈」でしたから、いずれも、田舎者が活躍する噺ということになりました。不思議な縁です。田舎者の女の第一声で、ぐぐっと引き込まれてしまいました。穏やかな口調、短的に客の心を掴む言葉廻し、ホントに巧みです。このソフトで、穏やかな口調を地として持っているのが、さん喬の強みですね、様々なキャラに変身しやすく、また、その変身の術を持っています。二つ目の噺のマクラは、「美人薄命」「月下美人」からマクラに入りましたが、そこから、マクラが、更に転がりそうで、「短命」に入るとは、簡単には思えませんでした。そういったマクラを楽しませてくれるという顔も見せてもらえました。新治は、5年前の今日、甲状腺の全摘手術を受けたそうです。そこで、それから5年経ち、再発をしていないということで、今日の会を開いたそうです。さん喬とは、師の五郎兵衛に着いて、東京に行っていた時期に知り合ったそうですが、今のさん喬を招請して、このような会を持つということは、それ相応の意気込みがないとできないことだと思います。以前に比べて、声が悪くなったなと思いながら聴いていましたら、それは手術のためだと、最後に挨拶がてら言っていました。「ちりとてちん」は、大阪の噺家さんでは聴いたことのない部分が、随分と出てきました。「酢豆腐」を使ったのかと思いつつ、旦さんの相手をするのが、「大橋さん」だったので、林家系のヴージョンなんですかね? そう言えば、林家の噺家さんから、あまりこのネタを聴いたことがないことに気づきました。「鹿政談」の方は、いつもよく聴くパターン。ただ、六兵衛さんが芝居掛りで話したりするところなんかが入っていましたが、それは、新治の演出でしょう。それを初めとして、総体的にくさめに演じてました。ちょっと、このネタに、そういった色を付けられると、引いちゃいますね。お奉行さんの位も足りなかったようでしたので、乗れないままで終始しました。最後になりますが、相変わらず喬介の甲高い声、とぼけた味わい、これに惹かれます。客席も和む、こないな前座は、なかなかいないんじゃないかなぁと、今日も思ってしまいました。




2009年 5月 11日(月)午後 11時 38分

 もう初夏の陽気ですね。暑くて、おまけに寝不足で、かなりきつい1日でしたが、夜遊びは、きっちりとこなし、動楽亭に行ってまいりました。動楽亭では、「できちゃったらくご!」があったのですが、実は、動楽亭に、この会が移ってからは、初めてとなります。ここまでの2回は、いずれも外国旅行中だったので行けてなかったのです。いつものように、開演前に、ジャンケンで出番を決め、次のような番組となりました。南湖「ヨーグルト」、たま「母を訪ねて三千円」、三金「奥野くんの激ヤセ」、遊方「いらちの相談室」、(中入り)、三風「集まれ、ブラックエンペラー」、あやめ「婿を訪ねて、130万円」。南湖は、先日の「南湖だんご」のマクラで話したことを、今日も話しました。新作ができなかったということで、そのような内容になり、出番も、トップになりました。途中に、波照間島で、幻の焼酎を手に入れた話が挿入されていました。たまの噺は、ユニークな点が二つ。亡くなった妻の顔を再現する複顔というプロットを使ったのと、墓を掘り起こすときに、様々の落語のパロディを使ったことでしたが、なぜに、亡くなった妻を老婆にしたのかの必然性については、最後まで分かりませんでした。三金は、マクラをたっぷりと。あとの遊方に、ネタを作り、それをくる時間を与えるためでした。ネタは、カフカの「変身」よろしく、ある朝、目が覚めると、奥野くんがスリムになっていたという噺。発想はおもしろいのですが、ネタの推移は、今までのデブネタの裏返しただけのことでしたので、これは尻すぼみ落語になってしまいました。遊方のネタは、これも、一つの着想に基づき、同じことを何度も繰り返していくというもの。悩み事相談を受ける者が、相手のちょっとした言葉を捉えて、勝手に、どんどんと膨らませては、元に戻され、また、何か言い出すと、勝手に止めどとなく喋り出す、極端にコミュニケーション能力のない人たちのおかしさを描いたもの。同じパターンの繰り返しに終始する構造なので、勝手話が、とにかくバカバカしいものでないと始まりません。その飽くことなく、マシーンのように喋り続けるヒントは、都噺に置かれていました。これは、本人自身の口から、マクラの中で触れられておりましたし、実際、都テイスト満載の話が展開されていました。その雰囲気は心地よく、練り上げを進めて欲しいものだと思いました。三風は、暴走族なんていう、落語には珍しい、そして、ちょっとレトロな雰囲気のあるものを取り上げました。但し、老いた元暴走族の物語でした。今日は、客席参加にはしませんでしたが、替わりに楽屋参加落語になっていました。あやめは、婚活をするアラフォーの女二人の物語。結婚相談所に登録するにあたり、この年齢まで結婚してこなかった理由を、二人で考えるところが楽しいネタでした。最後には、いつも通り、次回のチケットをプレゼントをする抽選会が行われ、お開きとなりました。本日の出来では、黄紺は、たまに1票です。




2009年 5月 10日(日)午後 10時 39分

  京都市内遊歩(1)写真集

 今日は、蒸し暑かったですね。そのなか、黄紺は、京都みなみ会館で、映画2本を見て、そのあと、京都市内で、ウォーキングをしようという計画を立てました。まず映画の方です。1本目の映画は、大阪のシネヌーヴォで見るつもりをしていながら、タイミングが合わず、見逃していたロシア映画「チェチェンへ アレクサンドラの旅」です。ソクーロフ監督の最新作で、主演に、著名なオペラ歌手ヴィシネフスカヤを起用したことでも話題を呼んだ作品です。ヴィシネフスカヤは、世界的なチェリストだった故ロストロポーヴッチの妻としても知られた人で、俳優業は、恐らく、これが初めてでしょう。筋立ては、チェチェンの最前線に勤務する孫を、アレクサンドラが訪ねる数日間を描いたもので、特段、政治的な主張を、アレクサンドラがするわけでもないのですが、普通の老婆の感性として、内戦の最前線の基地に足を運ぶと感じるだろうこと、及び、チェチェンの人たちとの交流で感じるだろうことを、そのまま描くことにより、反戦の意志を表していると言える作品です。特に、「子どものよう」とアレクサンドラの言う兵士に、煙草を買ってやろうと繰り出す市場での、チェチェン人との出会いは、多くのものを語っているように思えました。アレクサンドラを訝しげに見る人々の目、でも、中に一人、普通の婆さんと見てくれた物売りと出会います。「あんた、ロシア語、上手だね」というアレクサンドラの台詞が出てくるところです。物売りの婆さんは、自分の家に、アレクサンドラを案内します。その道すがら、アレクサンドラが目にするのは、崩れ落ちた瓦礫、爆撃を受けたままのビルです。この映像だけで十分とばかりに、この姿に対する台詞は、一切ありません。これが、尚更、戦争の惨禍を訴えてきます。やがて、ビルの一角に入ると、件の婆さんの家がありますが、身の上話を聞くでもなく聞くと、誰もが、この辺りでは蒙っている惨状が出てきます。アレクサンドラは、老いからくる孤独と重ね合わせて、苦悩を理解します。孫が前線に出る日、アレクサンドラは、もう一度、市場を訪ねます。煙草代を返すということで、市場の人、なかでも、家に案内してくれた婆さんに会いに行き、その足で汽車に乗り込みます。見送りに来てくれるチェチェンの人たちの中で、件の婆さんだけが、軽く挨拶をしただけで、その場を離れ、列車の出ていく方向を背に立ち尽くします。別れの悲しみが心に沁みる場面です。ヴィシネフスカヤの普通の婆さんぶりが、いいですね。
 2本目は、「小三治」です。今や、名人扱いされ、東京では、小三治しか聴かないっていう通の人がいるとも言われている柳家小三治を追いかけたドキュメンタリー。NHKが、一度、土曜のドキュメンタリーを流したことがありますが、スタンスは、とても似ていたように思いました。小三治は、口演が素晴らしいだけではなく、その博学ぶり、なんでもやってやろうという意欲、多趣味で知られた人ですから、その辺の押さえは、全てではないにしろ、片鱗は、十分に解るような出来栄えでした。上の鈴本にベーゼンドルファーを持子込み、日本歌曲を歌う小三治、バイクのツーリングに触れる小三治、スキーを滑る小三治と、きっちりと押さえてくれてました。一方、小三治は、弟子には、一切稽古をつけない噺家としても知られていますが、それの意味するところを述べるとともに、これに触れると、自ずと師匠の小さんに触れないわけにいかず、また、自らの弟子について語らないわけにはいきません。三三の真打ち披露の席での小三治の挨拶がいいですね。この挨拶を聴きに行くだけで、この映画を観る値打ちはあると思います。入船亭扇橋との仲睦まじい交流には、心暖まります。この二人は、同じときに真打ちになったのでした。黄紺は、目黒名人会に、二人の真打ち披露公演を聴きに行っています。扇橋は「御神酒徳利」、小三治は「時そば」を出しました。懐かしい思い出です。最後は、小三治、久しぶりの口演だったという解説入りで、「鰍沢」で終わりました。黄紺が、三三を初めて聴いたのは、お江戸日本橋亭での「鰍沢」、なんか、不思議な縁を感じてしまいました。
 映画が終わると、今日は、2時間をメドにと、ウォーキングをすることにしました。九条通を九条大橋半ば過ぎまで行き、そこから下におり、東福寺駅前の本町通りを北上、一橋(いっきょう)小学校のところで、東大路通方面へと向かい、東大路通に出ると、泉涌寺には向かわず、東山七条まで北上。途中、観阿弥・世阿弥親子が、義満の前で演能をしたという新熊野神社に寄りました。東山トンネルの写真は、橋にフェンスが作られてしまってましたので、撮るのが大変。東山七条からは、ひたすら東進。これまた、中途にある新日吉(いまひえ)神社に寄りましたが、今日が、祭礼当日ということで、社殿から神輿のところまで、神が歩く道として白布あ敷いてありました。相変わらず、豊国廟への階段は辛いものがあります。みなみ会館を出発して、丁度1時間半後に、階段を上り終え、豊国廟の前に立つことができました。時間的余裕があれば、最終地点を、「東福寺」駅と考えていたのですが、そこまでの余裕がなく、結局、京阪「七条」駅としました。同駅到着は、2時間10分後でしたから、ま、目的は達成したかなの気分です。




2009年 5月 9日(土)午後 10時 44分

 今日は、朝から通常勤務、いわゆる半ドンの勤務。大体、土曜日の通常勤務は、とってもきついのです。そして、終わってすぐに、ヨシモト∞ホールで行われました「花花寄席」に向かいましたが、到着してみると、とってもお疲れ。ほっとして席に着くと、朦朧状態ということが、こちらではよくあります。番組は、三幸「狸のさいころ」、三金「野崎詣り」、えんにち「漫才」、三風「振り込め!」、(中入り)、川上じゅん「腹話術」、文華「はてなの茶碗」というものとなりました。残念ながら、中入り前は、ホントきつい日でした。その中で記憶に残っていることだけ、メモっておきます。三幸は勉強家の顔を持っています。遭遇するたびに、ネタを変えてくれます。これは、すごいことです。今日は、九雀版の「狸賽」。これをするには勝手にはできないでしょうから、九雀のもとで稽古を受けてるのでしょうね、よく頑張ります。三金も、「野崎詣り」をかけるという心掛けが嬉しいです。虫干しの意味もあったのかもしれませんが、でも、よく頑張るなぁと思います。三風のあたりから、だいぶと覚醒。でも、完璧じゃありませんでした。そんなときに、このネタとは。三風定番のネタなのに、あまり出会えないのに、なんてこったの気分です。文華は、最初、DVDの収録があると思っていて「近日息子」を出すつもりだったようですが、日にち間違いということで、急遽変えたネタが、なんと、「はてなの茶碗」とは、、、。聞いていて、文華では初めてだなと確信しました。とてもいい出来です。油屋さんのちょっと下卑た感じ、茶金さんの位なんかを意識しているのが解る出来具合。これは理屈で解っていても、客に聞かせていて、そう思ってもらえるかは別物だけに、文華はすごいと思ってしまったのです。でも、何かが足りない、、、聞いていて、それは、「気を変える」ということじゃないかなぁと気がつきました。茶金さんには、また、お公家さん、お天子さん、それぞれに、「気を変える」ということが必要なんですね。そう思うと、米朝はすごい人です。文華の場合、お天子さんが奇抜で、なるほど、これもありかと思わせられる演出でした。
 ヨシモト∞ホールでの落語会が終わったあと、千日前のネットカフェで、2時間ほど時間調整。その間、息子から飲みに行こうとのお誘いがあったのですが、夜の落語会を既に予約していたものですから、お流れになりました。で、その夜の落語会というのは、ワッハの4階でありました「林家亭5月席〜林家竹丸主演“すべれども すべれども”〜」です。この会、こんなにも集客力があったのかなぁと思う入りに、びっくりです。落語会で、よく目にする顔には出会いませんでしたから、にわかファン、ないしは、関係者が来られていたのかもしれません。番組は、喬介「阿弥陀池」、竹丸「始末の極意」、卯三郎「くっしゃみ講釈」、(中入り)、竹丸「花筏」というもので、事前には、「花筏」だけが発表されていました。開演前に、竹丸と出演者が、一人ずつ、簡単なトークをするのが、この会の特徴。主として、ゲストの紹介を旨としたもので、会の雰囲気を盛り上げるのに貢献している企画です。今日の二人は、噺家さんとしては、珍しい資格を持っているということで、それが紹介を兼ねました。卯三郎が獣医師の資格を持っていることは有名ですが、喬介は、教員免許、学芸員と司書の免許も持っているとか。そのために、上方落語協会の資料収集の仕事が回ってきたそうです。その喬介の「阿弥陀池」は、2度目の遭遇。甲高い声、天然の明るさ、とぼけた感じの語り口も天然系、それに三喬テイストが加味されます。不思議な空気が流れた時間でした。この空気感は癖になります。卯三郎の「くっしゃみ」も、2度目。前は、ネタおろしのときじゃなかっかな、確か。まだ、完全に手の内に入ってないなと思う一方、大変な飛躍も感じた口演だった記憶が残っています。今回、そないなことを思い出したっていうことは、かなりの進化を遂げていたということです。後藤一山に一杯喰わす二人は、兄貴分と弟分という関係ではなく、甚兵衛さんとすかたんな男という関係で描かれていました。これは、初物ですね。からくりのところも、八百屋お七の出まで、タメがあり、これは嬉しいところ。講談で見せる表情も変化を意識し、また、その表現も決まっており、なかなか卯三郎、隅に置けないぞの雰囲気が十分にしました。惜しかったのは、くっしゃみが激しくなっていったときに、講談の言葉がわからなくなるのが早過ぎましたね。もう少しの変化を期待したいところです。でも、中トリとして、立派に、その務めを果たしたということで、合格点以上を出せると思います。竹丸は、「始末の極意」の方が良かったかな。「花筏」は、千鳥ヶ浜の勘当の必然性が弱ったですね。ですから、千秋楽の日の千鳥ヶ浜の思い詰めた雰囲気が弱くなってしまいました。あすこまでは、快調なペースで進んでいた竹丸でした、あまりにあっさりと、父親が諭す場面が過ぎてしまい、ちょっと呆気にとられてしまいました。竹丸も、入門時に比べて、ホントに、しっかりとした語り口調に魅力が出てきました。ですから、表現の豊かさで楽しませるというよりか、地の部分が多く、そのしっかりとした語り口が生きるネタが魅力です(「鹿政談」は素晴らしい!)し、ネタ本体が持つおかしさを、正確に、しっかりと伝えられる噺家さんと思うようになってきています。「始末の極意」は、そういった意味で、立派な及第点でした。




2009年 5月 8日(金)午後 11時 54分

 昨日は、GW明けで、久しぶりの仕事。特に、夜は行くあてもなく、家へ直行。そういったときの定番、宵の口に横になり、夜中に起き上がるのですが、その夜中に起きたまま二度寝が叶わず、そのまま出勤。今日は、とてもきつい1日となりましたが、そのきつさは、とにかく眠いということであり、体は、まだまだ大丈夫です。韓国での山歩き、そして、先日のちょっとしたウォーキングが効いているのかなと思ったりしています。
 今日は、ちょっと間が開いたワッハの4階に出かけてまいりました。「南湖だんご45〜旭堂南湖話術研究会〜」という講談会があったからですが、最近、講談会があると、他の催しとバッティングする傾向にあり、講談会自体、行くのが久しぶりという状態でした。で、今日の番組は、南舟「道具屋吉兵衛」、南湖「難波戦記:真田の入城」、南湖「藪井玄意2 玄意、按摩になる」、(中入り)、南湖「赤穂義士銘々伝:杉野十平太2」というものとなりました。南舟は、前講ということで、開演前の口演となりました。あとで、南湖が話したところによりますと、開演前に、「着物を持ってきているか」と尋ねると、持ってきていたので、出番を与えたとか。「1回でも多く人の前ですることが大きいですから」と、兄弟子としての配慮だったようです。肝心の南湖は、いつものように、冒頭は、近況報告。GW期間中の恒例となっている東京公演のとき泊まっていたホテルで、怖い夢を見た話、結婚記念日に高級ホテルで食事をする習慣のある話、奥さんと京都のディスコに行った話など、とりとめのない話が続きましたが、希少性の高い講釈師さんが、普段、どのような生活を送ったはるかが判り、毎回、楽しみにしているトークです。そして、急にネタに入ります。まず、先日の「育っちゃった」でも出した「真田の入城」。あのときは、本題に入った途端に、ダウンをしてしまいましたから、とてもラッキーな話でした。軽い話だったのですね。真田幸村が入城するというので、重臣が迎えに行くと、やってくるのは、真田の家臣ばかりで、ずっこけるというたわいのない話ですが、擬音が上手に挿入されるというおもしろい部分を持ち合わせています。「藪井玄意」は、医者の話。息子との関係が、どのようなものと受け取っていいかわからないのは、前回お休みしていますので、ピンとは来ませんでした。とにかく、今日は、息子との関係がよくなく、結果的に大阪に住みだした玄意が、赤ひげ先生よろしく、町の人たちに役立ったという話でした。「杉野十平太」は、間者となって、吉良邸の屋敷を探るため、そば屋になります。そして、井戸水を借りると言っては、吉良邸屋敷の絵図面を作りますが、そないななか、俵星玄蕃とも出会います。名乗りを上げることはないのですが、俵星玄蕃が、吉良邸に仕官が叶いそうと知ったとき、偽の仕官話をでっち上げ、敵に回らないように動きます。そして、やがて討ち入りを迎えます。異変に気が付いた玄蕃が、騒ぎ声の方角に向かうと、そこには、吉良邸から引き上げる赤穂の面々。そこで、初めて、杉野十平太の姿を見つけた俵星玄蕃は、それと知り、引き上げる際の警護の役をかって出るのでした。これも、なかなかいい話です。「赤穂義士」の話には、こういったいい話が、綺羅星の如く詰まっています。




2009年 5月 7日(木)午前 5時 9分

 昨日も、午後1時20分をメドにして、繁昌亭に向かいました。これで、GW期間中4回目となります。昨日は、福笑が出るだけではなく、米二までついてくるということで、チョイスした次第です。番組は、染弥「刻うどん」、瓶太「大安売り」、文昇「鹿政談」、吉次「がまの油」、米二「ろくろ首」、(中入り)、蝶美・蝶子「漫才」、仁嬌「替り目」、福笑「大道易者」というものになりました。このGW期間中に、「刻うどん」は2回目となりましたが、これは季節外れですね。でも、人気のネタだから出るのでしょうが、ちょっと出過ぎです。瓶太は、えらく上手に、客を乗せていました。相撲ネタをするということで、朝青龍の形態模写なんかで、がっちりと笑いを取っていました。それに反して、文昇は静かに、おかしなことを言います。ここ3人までは、配列の妙です。米二は、お化けのマクラをふったので、まさか「皿屋敷」なんてのを期待したり、米二は「足上り」はやらないしと考えたりしていましたら、なんてことはなく、「ろくろ首」でした。な〜んだと思う一方で、記憶の範囲内では、米二で、このネタは初めてのはずですから、ある意味ではラッキーということです。ざこば一門では、前座ネタの定番ですが、米二も持ちネタだったのです。弟子の二乗では聴いているのですが。米二は、おもしろいくすぐりを入れました。こよりを3本ではなく、10本つなぐというアイデア。このこよりで、いつも思うこと、この養子、すかたんばかりやってますが、引っ張られたこよりに、見事に対応する台詞を言います。これは、神業と思ってしまいます。真ん前で聴いたものですから、このクラスになると、臨場感抜群です。そういった意味では、仁嬌が、とてもよく聞こえました。得てして気の乗らないような口演と聞こえがちなのですが、間近で聴くと、かなり変化を、大きく認識できるものですから、臨場感が高まります。福笑の場合は、客席の盛り上がりも、自分の高揚感に技しますから、あんまり真ん前は、逆によろしくないのです。真ん前は、さしで聴いている気分になっちゃいますからね。「大道易者」の、わけのわからないおもしろさを、昨日、確認できました。どうも、このネタに当たるときは、いつも体調が良くなかったみたいで、ボーっとしながら聴いていたっていうことが、よく解りました。あと、蝶美・蝶子を聴けたのは、とても嬉しいことでした。繁昌亭に出番があるということはわかっていましたから、いつか機会はめぐってくるだろうとは思っていたのが、昨日、実現しました。デビュー後4年でやめたのを、17年ぶりに再結成したそうです。きっかけは、師匠の死だったそうで、そないな話を聞くと、胸が熱くなります。
 繁昌亭がはねると、その足で、東梅田経由で、梅田シティにある映画館へ。先日、映画館まで行きながら、満席で入れなかったいわくつきの韓国映画「アンティーク 西洋骨董洋菓子店」を見に行ったのです。比較的若い人が中心の客の中には、韓国語で話すグループもいて、同じ韓国映画でも、心斎橋で見るときとは、雰囲気が、随分と違いました。筋立ては、「宮」「魔王」のチュ・ジフン扮する男が、親の援助を受けて、ケーキ屋さんを始める。そこに、パティシエとして雇われるのが、高校時代の同級生で、自称「魔性のゲイ」を名乗る男。「コーヒープリンス1号店」のキム・ジェウクが演じます。更に、元ボクサーの男(ユ・アイン)と、オーナーを「若」と呼ぶボディーガードの男(チェ・ジホ)を入れて、全部で4人で、そのケーキ屋さんを切り盛りしていきます。そもそも、オーナーが、なぜ、ケーキ嫌いなのにケーキ屋を始めたのか、また、オーナーの親が、本人の好むと好まざるにも拘わらず、四六時中ボディーガードを付けているのかということが、この映画の本筋。それに、ゲイ絡みの話が入ったり、フランスからパティシエの勧誘話が入っていきますが、本題は、オーナーが少年のときに経験したある事件に起因したことだったのです。それが、解決したかと見えたところで、この映画は終わっていきますが、この終わり方には、議論が出てくるでしょうね。オーナーの求めていた収束の仕方とは思えないからです。いずれにしても、黄紺自身は、なんか、ちょっとすかされた感じがしました。ただ、この映画、進行が、とってもアップテンポのうえ、画面転換のスピードも、大概のものがあります。辛うじてついていけるかどうかというスピードなのです。そこへさして、聞いたこともないようなケーキの名前が連なるものですから、おじさんには大変難しい映画ですが、難しいなと思うと流す気分で見ていると、なかなか美味しそうなケーキが、次から次へと出てきますから、なかなか心地よいものです。俳優では、チュ・ジフンは、ちょっと叫びすぎで、ちょっとキャラ的には物足りなさを感じますが、パティシエ役のキム・ジェウクが、ゲイ役に指名されただけある愛くるしい顔立ちで印象に残りますし、役柄的にも変化があって、おいしいものがありますので、こちらの方が印象的でした。もう一人、元ボクサー役のユ・アインも、いいですね。ちょっと知り合いに顔立ちや、たち居振る舞いが似ていますので、印象が強かったものと思っています。あと、「アイルランド」で、イ・ナヨンの実母役の女優さんが出ていました。今まで見たことのない雰囲気を備えている韓国映画であることは間違いない佳作と言っていいと思います。




2009年 5月 6日(水)午前 4時 1分

  石切神社写真集富野荘写真集

 一昨日は、持ち帰り仕事を、朝から夕方までかけてしておりました。GW中の宿題ということで、仕事を持ち帰っていたのでした。完成とまではいきませんでしたが、あとは、今日の午前中までには片付けたいと思っています。で、昨日は、繁昌亭のGW特別公演第1部 に行くために、家を、9時半をメドに出ました。繁昌亭の番組は、阿か枝「子ほめ」、花丸「狸の鯉」、楽珍「青菜」、ナオユキ「漫談」、米輔「悋気の独楽」、(中入り)、藤本健太郎「津軽三味線」、八天「おごろもち盗人」、鶴瓶「All ways お母ちゃんの笑顔」というもので、鶴瓶がトリをとるというのが目玉となるものでした。阿か枝は、舞台上から、空席を見つけ、立ち見の人に座るように勧めるが、楽屋から、「指定席」の声。「昨日、師匠に入門したばっかりで」と、楽屋からも受けた笑い声が上がる程の、うまい返しをしたのですが、阿か枝は、そのあと絶句。どう続けたものか、困ったみたい。うまい返しと絶句のミスマッチで、大受け、一挙に客席がほぐれました。「子ほめ」は、伊勢屋の番頭も押さえ、きっちり15分。花丸は、明るいキャラがいいですね。季節にぴったりのこのネタに出会えたのは、15年ぶりくらいかな? 楽珍が登場すると、客席から「結婚おめでとう」の声。元妻と、再度結婚するとか。それに乗せられてか、「トキエ」と、楽珍が名付けている人形について、ひとくさり。隣の席には、小学生が座っていたので、ひやひやものでしたが、怪しい話に大笑いしてしまいました。おかげで、用意していた「青菜」は、青菜が出てくる前の鯉のくだりで打ち切られました。ナオユキを、これだけ喜んで迎える舞台って、繁昌亭が一番じゃないかな? 繁昌亭発の色物芸人です。凝った言葉遊びがおもしろいです。客席が、微妙についてこれなさそうなところをついてきます。最後のお酒のチャンポンの話は、ちょっとうなっちゃいました。米輔は、予想通りのネタで、且つ、再生機のスイッチを押したものなので、うつらうつらしてしまいました。八天は、見台を使わないで、「おごろもち盗人」、ちょっと体がきつそうでした。鶴瓶は、軽く冒頭で、瓶成のことと解る人には解るという言い方で触れ、あとは専ら、雑誌の取材で、生家界隈を訪ねた話から、自然に私落語の傑作に突入。なぜか、黄紺は、私落語と言うと、このネタに、よく当たります。
 繁昌亭が終わったあと、このGWは、ほぼ体を動かすということがなかったものですから、雨が降り出してはいたのですが、鶴橋から近鉄電車に乗り、石切まで行ってまいりました。一応、出掛けに地図で位置確認をして行ったので、石切駅と石切剣箭神社の位置は、頭の中に入っていたのですが、あのあたりは、近鉄電車、山の中腹をなぞるように走り、間もなく、生駒のトンネルに入っていくというところなんですね。おまけに、生駒山地は、断層山地として知られたところ。ですから、石切剣箭神社までの道は下り坂で楽勝なんですが、戻りは大変。おまけに、帰りには、近鉄電車の線路を越え、更に坂を上り、同神社の上ノ宮まで行ったものですから、なかなか厳しい道でした。と言っても、距離は、そないな距離ではありませんので助かりました。ここは、参道の古くさいお店がいいですね。伏見稲荷で見慣れているとは言え、道が狭く、坂道だというだけで、独特の雰囲気を持っています。今のご時世ですから、そないなところに目を付けて、外から入ってきた店も目につきますが、こんなのが残ってるっていうお店もありましたので、しっかりとカメラに収めてきました。あと目立つのは、占い師のお店。易のお店が、以前は軒を並べていたのでしょうね。今は、タロット占いなども看板に出しているお店まで出ていました。今まで、こないに多くの占い師の店が並んでいるのは、香港のなんとかっていう寺以来でした。神社自体は、思ってたほど広いものではありませんでした。「でんぼの神さん」として知られているはずですのに、それを伺わすような表示は、境内では見受けませんでした。最初、駅を降りてから、1時間20分後、再び駅に戻った黄紺は、帰り道、他の場所で、ウォーキングを継続することにしました。元々、近鉄電車で、西大寺経由で、京都まで戻るつもりをしていましたので、近鉄京都線の富野荘駅で下車することにしたのです。以前、久津川や寺田という城陽市内の駅を起点にウォーキングをしたことはありましたが、富野荘は、まだ手つかずで残っていたのです。この富野荘というところは、最も何もなかったところというイメージが、数十年前に染み付いていますから、駅前を歩いていて、寺田のようなクラシックな雰囲気がないのに、いたく納得。駅から5分も歩かない内に、かつての富野荘の主要道路と思われるところに出ると、その道沿いに、確かに、昔の百姓屋と覚しき家々を発見。残っている家は、それなりの建て前を持っているから残ったのでしょうね、蔵なんかを備えている家が目につきました。ただ、それらの家の背後には、農地が広がっていた模様で、背後には、簡単に新しめの家へと変化を遂げていきます。あとで気が付いたのですが、主要道路の街村風に連なっていた家々は、実は、木津川の堤防と並行に連なっていました。堅固な堤防が築かれる以前の自然堤防の上にでも築かれたのかという想像が広がります。木津川の堤防からは、なかなか木津川本体は見えませんでした。それだけ、河川敷が広いということです。ようやく、近鉄電車と交差する辺りで、川面が広がるようになりました。夏だけ、数十年前には、対岸に「木津川駅」という臨時駅があったところです。堤防の上は、きれいな遊歩道があり、ウォーキングには絶好の場所と看ました。道路表示の一つに、「三川合流地点まで10km」とあるのを見つけました。今度、機会を見つけて、富野荘から三川合流地点までウォーキングをしようかなの気分となりました。こちらでも、約1時間20分のウォーキング。合計2時間40分、わりかし頑張りました。




2009年 5月 3日(日)午後 11時 8分

 ぶつぶつ文句を言いつつ、何度となく突っ込みを入れながらも、韓国ドラマ「アイルランド」を、最後まで見てしまいました。そもそも見ようとしたきっかけは、映画「フー・アー・ユー?」「英語完全征服」「私たちの幸せな時間」のイ・ナヨンが出ているということでしたが、そのイ・ナヨンは、アメリカ人に、貧しさのあまり、養子に出され、養子先の親が、アイリッシュだったために、アイルランドに移ったのはいいのですが、内戦の犠牲となり、家族を全て失い、失意の内に韓国へ戻ってくるという役柄。それに同情したところから結婚に至る夫役は、映画「百万長者の初恋」「ふたつの恋と砂時計」のヒョンビン。両親を早くに亡くし、施設に預けられた男で、冷静で、実直な生き方をするというキャラ。イ・ナヨン扮するジョンアという女の実兄ということは、観る者には判っている男に「チェオクの剣」のキム・ミンジュン。この男が、最初はひもとして同棲している女をキム・ミンジョン。この女は、女優になることを夢に、日々AV女優として働き、大家族の生計を支えていますが、徐々に夢を叶えていくという役柄。この4人の四角関係が描かれていきます。アイルランドで家族が、内戦の犠牲になったという話は、最初、少しは扱われますが、ジョンアの生き方を問う場合、全くと言っていいほど触れられることはありません。「アイルランド」という題は、いったい何なのでしょうというのが、最大の突っ込みです。ただ単にチェボクとの関係に色合いを付けたかっただけみたいっていう感じです。また、実の兄と妹という関係が、大きく取り上げられるということが、あまりありません。実母が、大きな抵抗を示す場面が、大きいもので、一つあるだけです。本人たちは、そんなの関係ねえよの雰囲気大です。チェボクは確認すること自体を拒否しますし、ジョンアに至っては、それが確定しながらも、その事実を偽って近づいていきます。製作者の方も、それは、さほど重要じゃないという扱い方なのです。関心事は、そういった人間の属性を越え、また、一人の人間が、同時に二人の人間を愛せるかとか、そういった、簡単には出口のない男女の愛の形が、収まりもつかずに進行していく、その中で、各自が悩み、また、自分なりの決意をしていく姿を映していきます。それ自体が目的化していますから、ハッピーエンドとか、そういった言葉で言い表せるものは出てきません。それぞれが悩んだまま終わりますし、このドラマのエンディングで形成された関係のまま、このあとも、ずっと続くとは思えるものでもないでしょう。このドラマを見ていて、何が歯がゆかったかと言えば、ジョンアとチェボクの関係です。この二人の関係が出来上がっていく過程が、ほんとに軽くしか描かれていませんので、なぜ二人が、ここまでも出来上がってしまうのか、悩んでしまうのかが、ホント、納得がいかないのです。このドラマに感情移入できない最大の原因です。じゃ、4人の中で、誰を、最も応援したくなるかと言えば、あるウエブ・サイトでは、一番のれないと書いている人がいましたが、黄紺は、家族を、自分の細腕一本で支え、自分には能力がないのを自覚しながら、必死に這い上がろうとしているキム・ミンジョン演じるシヨンという女性です。キム・ミンジョンの好演に帰するところも大きいでしょうね。そして、その家族のおバカさは尋常ではありません。韓国のドラマでは、この手合いが、よく出てきます。「パリの恋人」では、キム・ジョンウン扮する主人公の叔父、「ローズマリー」では、ペ・ドゥナ扮する女の父親が、これに当たります。こういうパターンの登場人物を見て、韓国の視聴者は、どのように見ているのかな、これが、いつも気になってしまいます。
 そして、今日も、昼過ぎからのお出かけ。落語会と韓国映画というコンビネーションとなりました。まず、高津神社で、毎月行われています「文太の会in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」に、おじゃましました。毎回、文太が3席披露し、若手のゲストがからむという構成ですが、今日は、文太「味噌蔵」、文太「高津の富」、わかば「口合小町」、文太「嵐雪抄伝」ということで、初物2つに、大ネタ1つ、珍品1つという、これだけのネタが揃うのは、めったにない会となりましたが、そこは、さすが文太と言えるところです。文太のネタ3つとも、それぞれ持ち味が違い、それぞれの楽しみ方ができましたが、中でも一のお気に入りは、「嵐雪抄伝」でした。狩野派の流れをくむ絵師ながら、芝居絵を描いたために破門となった絵師が出会った数奇な体験が、その描いた絵に現れ、「芋棒」を救うという噺とまとめられましょうか。しんみりと、心に沁みるものがあります。「味噌蔵」は、ケチん坊な店主の居ぬ間に、散財を上げて楽しむ店の者たち、それがばれないわけはありません。旦那に叱責を受けているときに、注文の田楽が届きます。船場の味噌問屋での長閑な噺です。「高津の富」も、文太の手にかかると、どことなく気張らないライト感覚のネタとなります。所詮、富くじが当たった当たらないという噺なわけですから、こういったスタンスって、えらく心地良いなぁと思ってしまいました。ドラマを追及するあまり、肩がこっちゃダメ〜っていうことを教えられたっていうところです。わかばは、談志の前で、落語を演じたことがあると、そのいきさつを語ってくれました。もう、客席は、耳がダンボになって聞き入ってしまいました。一通り終わると、「私のマクラはネタとは全然関係ないというのが特徴で」に、客席、大爆笑となりました。とっても上手に客席を暖めたために、ネタに入ってからも、大受けでした。
 落語会が終わって、谷九から、難波・四ツ橋経由で、心斎橋シネマートに行ってきました。混んでいるようでしたら、7時台の上映にしようかとも思っていたのですが、そないな心配は無用。黄紺が見た韓国映画「チェイサー」は、あまり人気がないようです。話は、刑事崩れで、今は売春組織の手配師をしている男(キム・ユンソク)が、自分の配下の売春婦が姿を消していくことを不審に思ったことが発端になります。実は、それらの女性は、特定の客に出向いることが判るのですが、その男(ハ・ジョンウ)こそが、連続猟奇殺人事件の犯人だったのです。二人は、ひょんなことから出会い、そして、殺人犯は、警察に拘束され、且つ、殺人について話しているにも拘わらず、警察は、それには真剣に取り組みません。ここが、この映画の弱いところ。またしても、おバカキャラを用意したのです。この映画では、警察そのものを、おバカキャラにしちゃいました。そうすることにより、元刑事という肩書きを持つ売春組織の男、即ち、はぐれ者が活躍できるようにしてしまったのです。これは、引きます。監督も引いたのでしょうか、連続殺人事件と並行して、突発的にソウル市長襲撃事件を用意して、手が回せなかったという設定を用いています。あまりに、おバカなので、イライラしちゃいました。他にも、よくわからないことがあります。被害者の子どもは、なぜ倒れていたのたろうかとか、あまりにもお粗末な尾行、最後の犯行のあと、血だらけで逃走する犯人を、見張りの女刑事は見てなかったのかとか、、、ちょっと突っ込みが、多いですね。ただ、犯人役のハ・ジョンウの異様性は、なかなかでしたよ。とにかく、おバカキャラだけは、なんとかして欲しいものです。




2009年 5月 2日(土)午後 10時 46分

 昨日は、GWの谷間の出勤日。電車は空いてるし、谷間のため体はついてこないはで、なかなか厳しい1日でした。帰りに、息子と呑みに行こうかと算段をしたのですが、タイミングが合わずに取りやめとなりました。替わりに、4日の日に呑む約束をしています。
 今日は、繁昌亭三昧の日。繁昌亭は、GWの間は、三部制をとっていますので、今日は、その内の昼の部と夜の部に行ってまいりました。まず、昼の部の番組は、吉坊「子ほめ」、遊喬「看板のピン」、蝶六「豊竹屋」、笑子「腹話術」、都丸「試し酒」、(中入り)、枝曾丸「和歌山落語士」、岐代松「刻うどん」、仁智「スタディベースボール」となりました。かなり、繁昌亭での出番では定番となっているネタが並びましたが、この回の最高のめっけものは、都丸の「試し酒」。酒のマクラをふったので、「替り目」「首提灯」を予想したのですが、最近、いろんな会で取り上げているからでしょうか、繁昌亭ではちょっと想定外のネタが出て、自分的には、角度の違うところから、このネタを演じる都丸を見ることができ、ホント、感謝です。周りの客が、何杯目かを、中には、小さく口に出して、数えてるんですよね。酔いすぎず、しかし、5升まで、果たしていくのだろうか、そういった気をもませる危うい雰囲気をも、都丸の口演は醸し出していました。最早、都丸は、上方落語界の立派な大看板だということを確認させる見事な高座でした。次に印象深かったのは、吉坊の類い希なる安定感です。この位置に出て、こういった前座ネタを聴けるのは、GW特別興業ならではのことです。もう一人、良くなったなぁの印象を残したのは、笑子。だいぶと、日本に慣れてきました。代わりに、ベタなギャグを入れるようになりましたが、それは、ご愛嬌です。腹話術で、人形が三体も出てくる物珍しさと、人形が腹話術をするというアイデア、それで、何が起こるのだろうというワクワク感があります。昼の部で特筆しなければならなかったのは、この3つかな。
 昼の部が終わったのが、5時5分。30分以内でということで、南森町で、時間調整に、よく使うネットカフェへ。晩ご飯を、南森町の松屋のカレーで、さらっと済ませて、再び、繁昌亭にまいりました。その夜の部は、ちょっと客は少なめ。雀三郎の中トリ、染丸の トリと、申し分ない組合せなのに、これですから、繁昌亭の動員力も、だいぶと落ちてきています。ま、それはいいとして、夜の部の番組は、三弥「延陽伯」、純瓶「目薬」、春雨「京の茶漬」、春野恵子「浪曲:両国夫婦花火」、雀三郎「親子酒」、(中入り)、米八「曲独楽」、仁福「始末の極意」、染丸「寝床」というもので、期待の雀三郎と染丸が、十八番ネタを出してくれ、とっても満足のいくものとなりました。雀三郎は、舞台が堅かったのか、おでこから落ちるところは、ごく控えめでしたが、全開の高座。この「親子酒」を、繁昌亭で見れただけで、舞い上がってしまってる黄紺です。一方、染丸ですが、前に聴いたときには、とっても気に入った「寝床」だったのですが、今日は、染丸の評価には使ってはいけないコードであるパワーとかテンションなんてものが、欲しいなと思ってしまったのです。近所にふれ回ってきた内容も軽め、また、玉子屋さんと提灯屋さんは、個別に登場させましたが、長家の人たちの言い訳はカット、これは、お店の人たちにも当てはまる扱い方。ある意味では聞かせどころとなるはずのところが、軽く扱われたと感じたからでしょうね、パワーとかテンションなんて言葉を使いたくなったのは。下げは、通常のものでした。この2人以外でインパクトがあったのは、当然の如く、春野恵子。うまく刈り込んで、辛うじて、筋立てが解りましたが、夫婦の馴れ初めや、たまやの主人の太っ腹さの語りなんかを聴いてみたくなりました。米八は定番ですから横に置くとして、あとの高座は、ちょっと暗かったかな、重たかったかなっていうところです。三弥は、長い名前を立て弁で言わないとダメですよ。ご本人もまずったなの感じがしてたのかな、気まずそうに切り上げてしまいました。「目薬」は、上方では珍しい。艶笑噺とするのか、そこまでもいかなくとも、軽い滑稽噺でおさめるのかなんでしょうね、こういったネタは。ですから、尻をまくらせることに、変に心遣いを見せて欲しくないのですね。純瓶は、ここを間違いました。そして、なぜ、目薬になったかを、もうちょっと大仰にやらないと、、、山場なんですから。春雨は、ギャグに使ってますが、この人の高座、ホントに暗いんだもの、、、! そこへさして、地味なネタを選ぶのですから、ますますってところです。仁福は、ええかげんさが、可笑しさを生むのですが、度が過ぎると困ります。なんか、今日は、虫の居所でも悪かったのでしょうか、そないな感じがしてしまいました。
 ということで、5連休初日は、あえなく繁昌亭三昧で終わってしまいました。これからは、韓国ドラマを、DVDで見て、GWの夜長を過ごしたいと思っています。




2009年 5月 1日(金)午前 5時 33分

 昨日は、日曜日の代休ということで、お休み。朝から、民博に行く計画を練っていたのですが、よく考えてみると、民博は、水曜日が休館日、ということは、昨日は休みなのではということで、慌ててネットで調べると、大当たり。他のことも考えたのですが、昨日は、あっさりと、もう一つ予定していたことだけにするということにしました。それは、アカデミー賞の「スラムドッグ$ミリオネア」を見るということです。民博が休館日でなければ、民博からの帰り道、高槻で見ようかと考えていたのですが、こないなことですので、あっさりと、京都のシネコンで見ることとなりました。既に、息子は見ていますので、原作には忠実ではないそうで、何やしら違和感を感じたと伝わってはきていましたが、原作を知らない者からすると、とっても楽しめたと言っていいと思います。予告編などで伝わってきているところから、クイズ一つ一つの設問が、主人公ジャマールが生きてきた人生の様々な場面で遭遇してきた出来事を反映しています。便所から脱出するために、糞まみれになってまでも、見に行った映画スターの話から、母を亡くす宗教紛争、やがて、ラティカとの出会い、別れ、再会も含む、スラムドッグであったために出会った出来事が語られていきますが、それは、最終問題を控えた警察の中でだったのですね。スラムの様子を描くという縦糸に、ラティカへの一途な思いが絡まっていきます。兄の行動を、もう少し違った描き方できなかったのかなぁ、そないな気持ちが残りますが、携帯を、うまく使った感動の終盤。主人公の顔には、最終問題に答える前に、初期の目標を到達した満足感が溢れていました。映画は、そのあとの部分っていうのは、単なるエンディングでした。最終問題が正答であろうがなかろうが、それはエンディングの一部だという描き方をしていると思えました。映画の一番最後に、インド映画でおなじみの歌とダンスを持ってきてくれて、ホッとしました。主人公二人の背格好の釣り合いも良く、満足の終わり方でした。




2009年 4月 29日(水)午後 8時 23分

 今日から、GWが始まりました。その初日は、午前中、新たに見出している韓国ドラマ「アイルランド」を見るのに当て、午後からお出かけです。高津神社境内での「宵酔落語会クラシック」に行ってまいりました。冒頭は、毎度のことながら、福車・出丸・遊喬・文華によるフリートーク。それが終わってから、通常の落語会に入りました。番組は、福車「豆屋」、遊喬「二人癖」、文華「太鼓腹」、出丸「花筏」というものになりましたが、冒頭のトークに50分もとったにしては、オーソドックスな番組編成になりましたし、その質も、とっても粒揃いで、聴き応えのあるものとなりました。中でも、充実の高座は、出丸。出丸ベストと言っていい高座じゃなかったでしょうか。勢いがあって、ドラマを感じさせるもので、地語りの多い噺に、息つく暇を与えない緊迫感のあるものでした。オリジナルなくすぐりも、ピリッと効いていましたしね。ただ、このネタは、出丸の主宰する東梅田の会で出たところのもので、これだけはないと思っていたネタでした。「豆屋」は、珍しいネタ。もうちょっと、二人の男に威圧感があればいいのでしょうが、まあ、贅沢な注文です。遊喬は、冒頭をさらりと流し、本題へ。あとは、定番通り、きっちりと演じ、十分な笑いをとっていました。文華の「太鼓腹」は、久しぶりの遭遇体験。どんなネタを手がけても達者にこなす文華、中でも、こういったおちょけたお遊びネタは、うまいものです。
 会が終わったのが、ちょうど5時半。谷町線を使って梅田に移動し、目指した先は、梅田シティの映画館、狙った映画は、韓国映画の「アンティーク −西洋骨董洋菓子店−」。いくら、GWとは言え、同じ映画館で上映されている「スラムドッグ」は、かなりの可能性でダメだろうと思っていたのですが、黄紺の目指した韓国映画は、開演20分前とは言え、まさかの満席。がっくりでした。上映開始直前に、お腹に入れようと買ってあったコンビニのおむすびとパンを、結局、下の広場に腰掛けながら食べるハメとなってしまいました。あ〜あ、悔しい。ということで、仕方ないので、福島駅まで歩き、すごすごと家路につくこととなりました。




2009年 4月 28日(火)午後 11時 23分

 宿泊を伴う出張から帰ってきて、しばらく職場で、補充的な仕事をしたあと、繁昌亭へお出かけです。ちょっと疲れているので、不安な気持ちで、繁昌亭へ行ってまいりましたが、南湖の高座以外は、なんとか大丈夫でした。ちょうど、南湖が中トリで、そのあと中入りとなったので、なんとか持ち直したものと思われます。今日は、繁昌亭で、「育っちゃったらくご!」があったのでした。番組は、たま「寄合酒」、遊方「迷走配達人」、あやめ「はてなの茶碗」、南湖「真田の入城」、(中入り)、三風「モレパシー」、三金「温泉旅館望洋楼一泊?」というものでした。「寄合酒」は、ほぼオーソドックスなもの。久しぶりに、すりこぎの出てくる部分を聞きました。持ち合いのところで、味噌が出てきたのは、たまオリジナルでしょうか? 遊方のネタは、それはありえへんやろという方向音痴の男の話。あまりに大げさに、話を展開すると、引き気味になってしまうという典型パターンかな、遊方が、それをすると、自分的には、まだついては行けるのですが。あやめは、楽茶会の公演で、当たるかもしれないということで、このネタを取り上げとか。ネタ下ろしは、1998年って言ったかな? 文枝自作の茶碗に、米朝に「はてな」と箱書きをしてもらった話をマクラでしてから、ネタに入りました。ネタの扱いは、きれいに刈り取り可能と思われる部分をカットしてくれました。演じ方も、オーソドックスに、茶店のおやじを婆さんに変えたくらいが変化技で、茶金さんも、随分と上品で落ち着いた感じに仕上がっており、今や、こないなネタを取り上げても、あやめは、立派に演じ切るようになっています。南湖のところで、力尽き、本題に入ったあたりで、何がなんだか分からなくなりました。三風のネタは、「テレパシー」を文字って、「モレパシー」、自分が口に出さないで思ってることが、相手にもれてしまい、失敗をやらかしてしまう男の物語。となると、女の子の前で、妄想を膨らませて、関係が怪しくなってしまうという、お定まりの物語に。発想良し、だけど、展開は通俗的という仕上がりでした。三金のネタは、三枝作品。秘湯の民宿に泊まりに行き、民宿の経営者夫婦に、散々になぶられる男の物語。ハハハと笑いながら、なんで、この主人公の男が、こないになぶられるのか、ちょっと、婆さん、ええ加減にせえよという気もする作品でした。ちゅうことで、本日のいち押しと言える高座は、あやめの「はてなの茶碗」でした。意外性も含めて、自信を持っての一票です。




2009年 4月 26日(日)午前 6時 6分

 昨日は、10時20分をメドに家を出て、まず、十三に向かいました。七芸で上映されていますイラン映画「子供の情景」を見るためでしたが、これが、大変な入り。順番待ちで、階段に並んだのは、初めてでした。補助席まで出ていました。映画の人気とともに、この上映のあとに、この映画に関してということは、アフガン問題に関するティーチインを、七芸側が用意していたのです。一昨日の朝日新聞の夕刊にも取り上げられたこともあるのでしょうね、しかも、監督が、映画「カンダハル」で著名なマフマルバフ監督の19歳の娘さんだということも、話題を呼んだのでしょう。映画は、バーミヤンに住む少女が、隣の男の子が勉強している姿を見て、自分も勉強したいと思い、ノートを買うために、卵を売り歩くのが、序盤。ノートを手に持ち学校に行く途中、タリバン気取りで、戦争ごっこをする少年たちに邪魔されるのが、中ほど。そして、ようやく学校にたどり着き、その学校での様子が、第3パート。そして、学校からの帰りの出来事が、最後のパートという構成です。アフガンの少女が、勉強したくとも、なかなかそれができないという状況を、一人の健気で、機転の利く、なかなか勇気というものも持ち合わせている少女が、勉強したいという素朴な気持ちからとった行動を描いた作品です。そして、それを遮るのが、戦争ごっこをしながら、まるで、タリバンを思わせる行動をとる男の子という具合なのだ。その男の子が、少女のノートをとり飛行機にするっていうことは、予告編で見ていましたので、戦闘そのものが、アフガンに暗い影を落としていることで描かれるとは思っていましたが、その少年たちは、そこまでのことで、なんとか、学校にたどり着いて、終息に向かっていくのかという予感で見に行ったのですが、帰り道にも現れ、映画全体の印象を作り上げている重要な要素を形成していました。隣の男の子が発した言葉が残ります。戦争ごっこをする男のたちは、「死んだ格好をすると、もう構わないんだ」、そして「死んだら自由になれるんだ」という言葉です。この言葉を、黄紺は、「自由になるためには死ぬしかない」「生きている間は自由にはなれない」という絶望感の言葉として聞いてしまいました。そういった絶望感に対し、少女の素直な気持ちを対置させることに意味を考えた映画だったのかなと思います。
 映画のあとのティーチインは、宝塚アフガニスタン友好協会の方と京大の先生のお話でした。それが、まだ続いていましたが、あとの予定が迫っていましたので、途中で抜けました。ちょうど会場からの質問を受け付けるというのが始まったのですが、ちょっとレベルの低いものでしたので、いい頃合いでした。十三、梅田、難波経由で日本橋到着。夜は、文楽劇場で、「義経千本桜」の通しの後半を見ることになりました。「椎の木の段」「小金吾討死の段」「すしやの段」「道行初音旅」「河連法眼館の段」が、後半の段で、有名な、「すし屋」「道行」「狐忠信」の3つを一挙に見れるという、周年記念に相応しいものです。最初の二つは、「すし屋」のための下準備。いや〜、これは、よくできた話です。いがみの権太という、どんでん返しを生むキャラ、おもしろいですね。お里さんというすし屋の娘も、切ない役柄です。更に辛いのは、権太の妻と息子。死ぬ間際の権太が、縄をかけたときの話をします。あすこでだけ、妻と息子の心情が表されます。なかなかいいところです。権太の父親も、息子を手に掛けるという怒りを持ちますが、そのあとに、更に残酷ですが、癒される一方、新たな後悔が生まれます。一番最後に、維盛は、これは、梶原のお見通しだったはずというのは、腰を折りますが、死んだはずの男を生き返らせて作った物語ですから、致し方ないのかもしれません。見る方も、そこまで楽しませてもらったのですから、我慢をしなければならないのでしょう。「すし屋」の切が、住太夫、心に滲みます、あの語りには。道行は、2度目になりますが、ホント華やかですね。これが、落ち武者を追いかける者を描く舞台かと、2回とも突っ込んでしまいました。そないなことは、とっくにジャンプしてしまってるのでしょうね。子犬が、じゃれ遊ぶかのような二人の道行です。辛いはずの逃避行でも、静も忠信も、愛する人のそばに行ける、そばにおれるということで、わくわく感があるのでしょうね。いっぱいに満開の桜は、ホントに明るくて、道行の軽やかさを演出します。蓑助の静、勘十郎の忠信、花形のペアの舞台でした。そして、「河連法眼館」で、偽忠信の正体が明らかにされます。落語「猫の忠信」の元になっている部分ですが、ここは、狐忠信の哀しみに、義経一行の悲哀を重ねているだけと言えば、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そないな話としても、おもしろいことを考えつくものですね。最後は、忠信を操作する勘十郎一人が宙乗りとなり、忠信は、空に舞い上がっていきました。霊狐的な存在ですから、とっても素敵な演出で、会場のどよめきのなか、幕は降りました。5時間を越える公演には、さすがに疲れましたが、とっても充実した内容に圧倒されました。




2009年 4月 24日(金)午前 4時 35分

 韓国ドラマ「ローズマリー」を、この間見ていたのですが、全18話完走致しました。「パリの恋人」を見たあと、「漢江の怪物、グムエル」を見たときに、期待のペ・ドゥナが、決定的な役割をすることはするのですが、ドラマの中でのウェートが、ネームバリューほどには至っていなかったと思った黄紺は、そのペ・ドゥナの出ているということで、「ローズマリー」を選んだのでした。でも、このドラマでは、主役ではありません。主役は、映画「人生の逆転」「天軍」のキム・スンウ演じる夫と、その妻で、ガン患者となる妻の物語です。妻は、ユ・ホジョンが演じていますが、自分的には、ここまで印象には残ってなかった女優さんです。ペ・ドゥナは、その夫の方が働く会社の同僚で、その夫に、ほのかな思いを寄せる女という役割です。前半は、妻がガンに罹ったことが判り、それに苦しむ本人というよりか、夫の姿が主として描かれます。妻は、自分がガンに罹っていながら、苦しむ夫のことで苦悩するという形で表せられます。おいおい、一番大変なのは、妻じゃないのかと突っ込みたくなります。更に困ったちゃんがいます。夫の母親です。その母親は、亡くなった長男の嫁と二人暮らしです。このシテュエーションが、まず目を見張りますが、ガンに罹った嫁本人ではなく、そのことで困るであろう息子と孫の苦悩にしか、頭が回りません。これは、すごいぜ、韓国の儒教社会。そういったシテュエーションのドラマが作られるだけで、驚きでした。一方で、ペ・ドゥナ扮する女は、父親がアル中で、様々な困ったことをしでかすため、家にすら帰るという気が起こりません。そんな女を気遣い、女の幼なじみで、一途に思いを寄せるのが、映画「ふたつの恋と砂時計」に出ていたヨン・ジョンフンです。ストーリーは、ガンの進行、どんどんと悪化していくということですが、それに伴って深化していきます。余命幾ばくもないということが判ったとき、妻は、思いもかけないことを考え出します。自分がいなくなると、何もできない(この辺が韓国的)夫や子どものために、自分の替わりを用意しようとします。このドラマが、どのように進むのか、一番はらはらするところです。その相手に、ほのかな好意を寄せるペ・ドゥナ扮する女を考えるのです。妻とも、また子どもとも親しくなっていた女が、夫に好意を持っていると告白(そのことを許してもらいたかったと、後日夫に言います)された妻が考え出した離れ技でした。ただ、これは、相手の女に告げずに、妻が、一人で考え、行動に移しますから、かなりの混乱を生んでしまいます。ちょうど、その時期に、ペ・ドゥナの飲んだくれの父親が、交通事故死します。これがきっかけとなり、壊れかけた人間関係が修復されていきます。その中で語られるこのドラマ最大のメッセージ、「愛には、様々な形がある」、あれほど困ったペ・ドゥナの父親も、それなりの愛情を娘に注ごうとした、死期の近い妻は、自分の替わりを残して死んで行こうとした、ペ・ドゥナは、お気に入りの夫婦に、自分の本心を言うことで許しを請おうとした、ペ・ドゥナの幼なじみの男は、常にペ・ドゥナに寄り添っていた、人それぞれの愛の形だということに、各自が気付いていきます。見ている私は、これでホッとします。そして、静かに妻の死を、観る者も受け入れていくことができました。
 夜は、昨日も繁昌亭です。「桂三風25周年独演会〜4月席(新作の月)〜」があったからですが、この会は、月一で開かれていますが、黄紺は、東京からゲストが喚ばれたときだけ覗いてみようかと考えています。昨日は、白鳥が出演ということで行ってきました。番組は、三幸「男と女の他力本願」、三風「下町通り商店街の人々」、あやめ「サカイで一つだけの花」、(中入り)、白鳥「新あたま山」、三風「せんたく」でした。三風のネタは出されていましたが、あやめのネタは、当日のパンフレットで知りガッツポーズ、白鳥のネタは、パンフレットでも「お楽しみ」でしたが、出されたネタは、なんと存在は知っておりましたが、初遭遇のネタということで、大満足となりました。三幸は、男女の対話のおもしろさで進むと思いきや、結局、競馬の話だったみたい。ちょっと肩すかしかな。三風のネタは、いずれも初演に立ち会ったネタ、そればかりか、グレードアップした再演にも接していますので、特に新たな感慨というものはありませんが、「せんたく」っていうネタ、もうちょっと回り道があったはず、それが、ネタに深みを増していたはずと思うのですが、、、。おしゃべりの人がしゃべってしまい、それで、簡単に終息に向かう話でしたっけ? 「下町」は、「職業病」という言葉を使っちゃいけません。確かに、葬儀屋さんは、おもしろいキャラなんですが、それで、先行してしまった人がいるのですから、まずいと思いましたが。あやめは、準備のかげんがあるのでしょうね、なかなか聴きたくても聴けないネタを出してくれました。花をネタに広がるイマジネーションに、ただただ脱帽です。擬人化落語第2弾が、白鳥の高座でした。これは傑作な落語。人体の中にある内臓と、それを動かす脳との闘いを描いた作品。酒飲みの男の体内で起こっているだろうことを描いたということです。白鳥らしい奇想天を突く発想です。




2009年 4月 22日(水)午後 10時 52分

 今日は、余裕をもって職場を出ることができました。余裕で、落語会に到着できただけではなく、行き先が、鶴橋なものですから、晩ご飯は、韓国料理を食べることができました。こないだうちの韓国旅行中では食べなかったユッケジャンを食べることになりました。今や、このユッケジャンやスンドゥプは、鶴橋で食べても、韓国で食べるのと変わらないお味ですから、これらは、韓国では食べなくなってしまいました。で、今日の雀のおやどでは、「第70回雀三郎つるっぱし亭」があったのです。番組は、さん都「二人癖」、雀三郎「いらち車」、出丸「近日息子」、雀三郎「鴻池の犬」でした。今日のお目当ては、雀三郎が、あまり出したという記憶がない「鴻池の犬」でした。ただ、昨夜は、睡眠時間が、多く見積もっても、4時間半ですから、とっても危険な状態で、この会に臨んでしまいました。あに図らんや、さん都の高座の終盤、将棋の駒を握りしめて待ってるあたりからあやしくなっていきました。さん都は、根問物や、こういった掛け合い的な噺が、ホントに小気味よく、聴いていて心地良いですね。次の「いらち車」「近日息子」は、半分、意識が混濁したなかで聴いておりました。「いらち車」は、最近、若い噺家さんが、よく手がけるようになっていますが、その基本型が、これなんだの確認ができた思いでした。出丸は、えらく気の乗った口演。ただ気になったのは、この噺の山場となるいらんこと言いの男に突っ込んでいくところで、通常の型を使わず、オリジナルなものを挿入し、途中から、通常の型に合流するという手法を採りました。それは、果たして成功したと言えるでしょうか? 合流しちゃったので、正直、な〜んだの気分になっちゃいました。とまあ、混濁のなか、厚かましい感想を書いています。「鴻池の犬」は、鴻池家に移ってからの場面で、雀三郎は、ディズニーの映画に出てくる葉巻をくわえた犬のイメージを持ち込みました。客席は大喜び。それを見た雀三郎、「米朝師匠は、決してやられないやり方です」と言いながら、同じところを、もう一度やってくれました。あとは、特に目立った演出があったというわけではありませんでした。ですから、余計に葉巻をくわえた犬っていうのが残りました。




2009年 4月 22日(水)午前 5時 29分

 今日も、繁昌亭に行ったのですが、仕事の関係で、完全に遅刻。職場で体調を崩された方が出たため、急遽、この日曜日から出張に出なければならなくなり、その打ち合わせをしていたのです。今夜の繁昌亭は、「福笑・松喬 二人会」という、とてもビッグな会がありました。番組は、たま「鼻ねじ」、松喬「壷算」、福笑「千早ふる」、(中入り)、松喬「住吉駕籠」、福笑「釣道入門」というもので、松鶴門下で、入門が僅かの違いで兄弟弟子となった二人の持ち味の違いがくっきりで、とても興味尽きない会となりました。遅刻をした関係で、繁昌亭に着くと、たまの高座は、丁稚が、漢学の先生の前で、口上を述べていました。漢学の先生の返歌は、口頭では言われず、その内容をわかりやすく、丁稚に伝えるというもので、丁稚が預かってきた文の中に、問題の返歌は認められていました。これは、ちょっとやり過ぎの丁寧さ。また、気に喰わなかったのは、番頭が、作戦を明かしてから、準備に入ったことです。言葉遊びの下げが用意されてるから、それでもいいのではという発想でしょうが、やっぱり、作戦はトップシークレットにしなきゃ。時々、理解し難い改変をやらかしてしまいます。御大の二人は、松喬に、普段と違う力味のようなものを感じました。「壷算」で言えば、小さい方の壷を買って、店を出るときのはしゃぎ方が物足りなかったですね。うろが来てうろたえる壷屋の困りも、もっと迫力があったはずと、なぜだか引いてる感じがしたものです。「住吉駕籠」の酔っ払いも、何かテンポが重い感じと、多少は突っ込みを入れておきますが、松喬は正攻法です。古典を、これだけきっちり描いて、聴き慣れた耳にもおかしみが込み上げてくるというのは、大変な実力です。それに対して、福笑は絶好調。福笑の「千早ふる」は、おもしろかったですね。以前聴いたときは、筋をなぞる傍ら、それにかぶせてくすぐりを加えていくという印象だったのに対し、ぐんと自分の方にネタを引き寄せてしまったなの印象。ですから、くすぐりが不自然じゃないのですね。それに、「和女・あやめ」のくすぐりが復活していたのは、嬉しかったな。ということで、満足度は、ぐんと上がった「千早ふる」でした。「釣道入門」は、運が悪く、自分的には、なかなか遭遇できず、ようやく2度目です。久しぶりに聴きましたので、新鮮で、傑作で、大爆笑です。福笑は、ネタに入る前に、「ビギナーズ・ラックのお話です」と言ってしまい、ま、要するにネタ晴らしをしてしまい、その上で、「それでも笑わせるのが、腕や!」と豪語。そして、その通りにしちゃうのです。それに酔うカルト集団化してしまってました、客は。黄紺も、その一人です。パンフレットに、松喬は、「福笑兄の同意があれば、1年に1度は続けていきたい」とありました。ぜひ、そうなるように期待します。ホント、そうはないビッグな会なんですから。




2009年 4月 20日(月)午後 10時 40分

 ちょっと繁昌亭づいています。行き出すと続きます。今夜は、「第12回桂ざこば一門会」でした。2ヶ月に1度の割合で開かれていますが、都丸の出るときに合わせて、この会には行くようにしています。今日の出番は、入門順ということになり、全員での挨拶の次いで、さん都「ろくろ首」、ひろば「替り目」、都丸「鯛」、(中入り)、都んぼ「おごろもち盗人」、ざこば「天災」というものになりました。さん都は、一門の定番ネタ。二番手のひろばが出る前に、見台がしまわれたので、「動物園」になっちゃうのかと思いきや、ひろばが、最近手がけ出したという情報を掴んでいたので、聴いてみたいと思っていた「替り目」で、ガッツポーズ。最初、酔っ払い方がぎこちないなと思っていたところ、家の中に入ってからは、ぐんぐんと調子を上げていきました。客席の反応が良く、まるで、それに呼応したかのような上昇でした。先人たちが築き上げたくすぐりを、ていねいに、且つ過不足なくなぞることができただけで、たいしたものだと思いました。ちょっと、ひろばを見直しました。都丸は、定番化した三枝作品を出しました。僅かに、マイナーチェンジを入れていますね。マクラのくえの顔が、都丸らしくって、良かったな。都んぼは、先日の喜丸追善の会で下ろしたネタを、早速披露。また、このネタを出すには好位置を出番としてもらったものです。盗人の困りは笑いどころですが、力が入る都んぼの口演では、おかしみが極上のものとなります。人に合ったいいネタを手がけるようになったものです。そして、今日は、トリに回ったざこばは、マクラで、酒を呑んだために、奥さんとの約束を忘れてしまった話をしましたので、夫婦ものかということで、「厩火事」を連想してしまったのですが、なんと、ざこばベストと言っていいネタでした。一番、キャラとかぶり、ネタの魅力が倍増するという意味で、ざこばベストと書きました。もう、客席は、ヒーヒー言わせられました。めちゃくちゃいい出来でした、本日のざこば。
 今日、夏のトルコの日程が固まりました。要するに、飛行機を押さえることができたということです。今回は、トルコに行く前に、ちょっと寄り道をしてから、トルコに入ってみることにしました。




2009年 4月 19日(日)午後 10時 59分

 今日は、朝から韓国ドラマ「ローズマリー」を、一話半見てから、お出かけ。1時開演のたまの落語会「たまのフレンドリー寄席スペシャル」に行きました。ワッハの5階で、独演会があったのですが、大ホールをいっぱいにする集客力があるのか、かなり心配でした。今日は、ほぼ同じ時間帯に、文楽劇場を使って、まん我が、同じく独演会を開くのです。同世代の中でも、先を走ってる二人が、場所も、似通ったところで会を持ちますので、確実に分散してしまうはずです。結果的には、3分の2ほどが埋まったかな、まず、初っ端としては、これだけ入れば、成功じゃないかな? 番組は、南青「楠木の使者」、たま「火焔太鼓」、たま「伝説の組長」、三象「三象噺」、(中入り)、たま「宿屋仇」でしたが、今日は、まだ寝足りないのか、中入り前が不調で、南青くんの講談以外は、夢現つの状態でした。なんか、最近お楽しみとして行ったお目当て高座で、このようなことが起こり過ぎです。そのようななか、「火焔太鼓」の冒頭部分で、ちょっと疑問視するところがありました。道具屋の女将さんが、貧乏をぼやき、主人をなじる部分がカットされたのです。他のところで、それは判るだろうという、たまの判断でしょうが、あれは入れて欲しいな。噺を知る者は、重複すると見るのでしょうが、噺の大枠提示として、冒頭に要るところじゃないかな? 「伝説の組長」が、えらく受けていました。ようやく出逢えたと、楽しみにしていたのですが、水泡に帰しました。三象は、ネタはなしで、いつもマクラで話すものを並べたようですが、三象噺でダウンするのは、体調不良に対する警鐘かもしれません。「宿屋仇」は、たまベストと考えているネタ。序盤のカットは、とても合理的。眠れない、眠れなかったを、鼻をいじることで表現するという手法は、やはり秀逸。今日、気が付いたのは、源兵衛、人を殺めた話は、あとの二人には嘘だと言ってから、「色事師」と囃されるとなっていたのですね。ワンクッション置いた誉め方をするなんて、なかなか小癪な男たちです。
 たまの会が終わってから、難波パークスに回り、映画「スラムドッグ」を見ようとしたのですが、夜8時の回しかダメと言われ諦めました。替わりに、十三の七芸に行き、中国映画「長江にいきる 秉愛の物語」を見ました。これは、ドキュメンタリー映画です。最初から、これを見るつもりをしていたのですが、時間的に、ひょっとしたら「スラムドッグ」が見れるかもと思ったので確かめに行ったのでした。「長江にいきる 秉愛の物語」は、三峡ダムができるために水没する村の物語です。焦点を当てられるのが、題名にも使われている「秉愛」という女性の一家。ただ、水没する家の立ち退き問題、それに副次的に起こってくる諸問題にだけ、光を当てた作品ではありません。「秉愛」の結婚や生き方、そういったものにも光を当て、結果的には、水没問題に揺れる村の女性を、その家族を、総体として描こうとしています。それとともに、中国の政策遂行の様子、それを受け止める国民の様子も垣間見れ、なかなか見込んでしまう作品となっていました。村の女性の生き方が、その女性の口から、能弁に語られるのは魅力の一つでしたが、村外に移住していった土地の活用策を、行政が音頭を取りつつ、村人が話し合う場面が映っていましたが、こんなに見事な直接民主制が実践している姿っていうのが、世界で行われているところがあるとはっていう感じで、驚きのシーンでした。しかも、中国だから、余計でした。ま、一つには、移住問題での不満を解消させるガス抜きなのでしょうが、それにしても、そういった試みが、アイデアとして出てくるだけで、中国も変わったものだと思いましたし、役人との交渉場面など、この映画を成り立たせている主要な場面の撮影が許可され、このような映画として公開されている点に、更に驚きは高まります。一方で、この映画には、実際に起こったことに対するコメントは入りません。事実を、淡々と伝える中で、観る者が判断すべきように作られています。だったら、「秉愛」さん一家が、結局、行政側があてがった土地を拒否をし、他の選択肢を選んだということを、単にテロップを流すだけという手は使って欲しくなかったと思います。肝心のチョイスに至る過程を省いたのは、どのような判断があったのでしょうかね。とっても気になるところです。




2009年 4月 18日(土)午後 11時 34分

 週末に合わせたかのように、再び、気温上昇です。今日は、午後から、繁昌亭に詰めておりました。昼席も夜席も行ったということです。昼席は、三段「How to プレイボーイ」、喬若「ちりとてちん」、伯枝「ん廻し」、内海英華「女道楽」、春駒「お忘れもの承り所」、春若「天狗裁き」、(中入り)、南左衛門「講談:黄門様と淀辰」、三風「あぁ、定年」、鶴二「道具屋」、小枝「くっしゃみ講釈」という番組でした。実は、この1週間、雀三郎がトリをとっていたので、チケットを買ったのですが、今日だけ、田辺寄席に出番のある雀三郎は出ないのです。でも、買った以上は行かなくっちゃということで、行ってきました。三段は、今日も東京弁。そのまま、やっていくのでしょうか? 喬若は、以前よりあくをきかせるようになってます。ネタの関係かもしれませんが。くさくならないように気を付けて欲しいものです。伯枝は定番ネタ。こないな短いネタを、時間で伸縮させて、さらりと降りられると、東京の寄席みたいです。春駒も、よく似た感じ。珍しく、三枝ネタを、この1週間かけています。春若は、予想通りのネタ。時間の関係でしょう、天狗は出てきませんでした。後半は、講談からスタート。講談が、この位置に入るのは、今日だけみたいです。出番の関係でしょう。前半戦の出番が過ぎて、南左衛門が出てくると、貫禄という言葉が、頭をかすめました。言葉の明瞭さ、表現の豊かさ、講談という異なった演芸種ですが、ものの違いを感じてしまいました。圧倒感っていうやつでしょう。それに次いで、三風の新作は、身につまされる世代が、客席に多いせいか、リアルタイムで聴いているような雰囲気で、どんどんと暖まっていきます。鶴二は、その雰囲気に上手に乗りました。べたなマクラででしたが、客はノリノリ。そこに「道具屋」、そないな雰囲気の中で聴きますと、このネタ、よくできているなぁと感じます。時間の関係で、店出しをする前は、のこぎりの件を入れただけでいきました。後半の笑いの種になるネタ振りの部分は、品物を並べるときに、それとなく入れて補いました。うまい補正です。「ションベンされてる」の繰り返しが、ちょっと不十分だったため、ここだけすべりかげんでしたが、上手に繁昌亭ヴァージョンを作り上げ、大成功です。小枝は、予想通りのネタでしたが、傑作なのは、講釈場には、米朝・米団治親子に三枝やきん枝、文珍が、勉強に来ていました。特に時間をかけて喋ったのが、米団治ネタ。普通にネタが推移することなく、こないなお楽しみコーナーを用意していてくれて、客席は、もうヒーヒーと言わせられました。結果的に、いい昼席でしたよ。
 夜の繁昌亭は、「第3回立命寄席」がありました。なかなかおもしろい組み合わせの二人会。おじゃまをするのは、初めてとなります。番組は、当日発表で、そうば「ろくろ首」、都丸「試し酒」、小春団治「くっしゃみ講釈」、(中入り)、小春団治「アルカトラズ病院」、都丸「崇徳院」というものでした。繁昌亭も、夜になって、黄紺はダウン気味。まず、そうばが、よくなりましたね。賑やかに、わちゃわちゃする様子が、なかなかで、周りの空気まで、客席に運んできてくれているよう。ただ、訛りは消えきりませんね。ちょっと、気になるところです。「試し酒」は、都丸では、2度目だと思います。酒呑みの久蔵さんが登場するだけで、客席がざわつきます。都丸の凄腕ぶりです。そして、この久蔵さん、朗らかに呑んでくれます。上気した都丸の顔が白く、そして、ぽっと紅味がさしたような気がしました。「くっしゃみ」は、本日2度目。そのせいか、ダウンのピークが、夜の部では、ここにやってきました。中入り後は、更にグレードアップ。「アルカトラズ」は、2度目の遭遇。小春団治が、わりかし出すネタのわりには、遭遇体験の少ない作品ですが、最初に当たったときには、それをラッキーだと思ったという記憶が残っています。ところが、今日聴いてみると、おもしろくてねぇ。行いの悪い不良入院患者ばかりを集めた病院という着想が、小春団治のセンスの見せどころ。当然、影に隠れて悪さをする患者、それを取り締まる病院側。ところが、病院側には、恐ろしい計画が隠されていたというものですが、患者たちが、隠れて悪さを工夫するところがおかしいですね。おそらく、最初に聴いたときは、場面転換の多さが気になり、ギャグ落語っていう感じに映ったのだと思います。今回は、骨格のユニークさも見えてきたのかな? そして、圧巻は「崇徳院」。都丸の「崇徳院」も、記憶にある範囲では、2度目。とっても素晴らしい出来との印象があったので、これが出ることが判ったときは、ちょっとしたバンザイ気分。確かに、今回も、スーパーな出来上がりで、各人物の豊かな表情、その周りの空気感のようなものまで提示してくれました。熊五郎はもちろん、人には合いそうもない若旦那も、きっちりと雰囲気を伝えてく れるんだから、凄いわぁ。熊五郎は嫌がりますが、若旦那が、熊五郎の手を握りに行く雰囲気っていうのは、聴く者を納得させてしまう行為と見えてしまいます。最近、都丸を聴く機会が減っていますから、もっと聴かなくっちゃと、ちょっと自省しながら聴いておりました。




2009年 4月 17日(金)午後 11時 42分

 今夜は、天満橋駅近くで行われました「第47回常盤寄席〜誘惑に負けない落語会〜」に行ったのはいいのですが、実際に天満橋駅を降りて、唖然。造幣局の通り抜けに行く人で、ごった返していました。そないななか、この会は、確か2度目のおじゃまです。間は、随分と空きましたが、開演時間が近づくにつれ、お客の数が、以前よりかなり増えてきたのには、ちょっと驚きました。番組は、三幸「初恋」、智之介「千早ふる」、染太「隣の桜」というものでした。なかなか興味深い若手の噺家さんとネタっていう感じの番組。いつも、ちょっとした他の噺家さんとは異なる感性の持ち主だと感じさせてくれる三幸。前座が捕まらないという話から始まったマクラは、時間のことを考えてか、ちょっとたっぷりめ。ところが、ネタが始まって間なしに、ダウンを喫してしまいました。この1週間の疲れが出てしまったのでしょうが、どうも最近、落語会の序盤でダウンする傾向にあります。お腹がふくれて、ほっこりしてしまうのかもしれません。智之介は、第一部と称して、2つほどマジックを披露してくれました。これは、ラッキー。なんか、智之介の定番化してきています。ネタは、他の演者と、微妙に異なる「千早ふる」。誰からもらったのか知りたくなりました。染太も、他の二人に劣らず、なかなか健闘。修行時代の失敗話を、兄弟弟子の失敗話を含めて紹介しつつ、丁稚の登場を示して、本題へ。今日、染太が、このネタを出すことを知ったとき、ちょっと怖いもの見たさ的関心が生まれました。「上方落語界のアンパンマン」をキャッチフレーズに、漫画的な落語を心がけてそうな染太が、そういったスタンスのまま演じるのか、それとも、一転、正攻法で演じようとするのか、もしそうだったら、その意図通りに演じることができるのか、そないなところに、そそられてしまってました。で、結果は、正攻法で演じようとし、そこそこ、それに成功したのではないでしょうか。その中に、僅かでしたが、漫画チックな仕草を挿入しますから、素直に笑えました。明るい春の噺ですから、そういったキャラに、うまくはまったものと言えます。まずは、ネタ選びが、成功の鍵でしょう。また、他のネタも聴いてみたくなりましたよ。




2009年 4月 17日(金)午前 5時 20分

 一昨日は、家に直行。主として韓国ドラマ「ローズマリー」を見ておりました。「パリの恋人」以後、新たに見始めている韓国ドラマです。ペ・ドゥナが出ているということで、チョイスした作品です。家に直行しますと、超早寝早起きは、毎度のこと。昨日は、3時半に目が覚め、そのまま出勤です。おかげで、えらく疲れを感じた1日でしたが、夜は、きっちりと、京都の五条で、隔月で行われています養蓮寺寄席に行ってまいりました。仁智がお世話をし、毎回出演している落語会です。昨日の番組は、なかなかいいメンバーで、今井克典「仕舞:兼平」、ひろば「動物園」、つく枝「芋俵」、小染「くっしゃみ講釈」、仁智「トクさん、トメさん」というものでした。ひろばは、だいぶと「動物園」を出してきたのでしょうね、この人の他のネタでは見られないような所作が、タイミング良く入っていきます。ただ、虎の皮を着るところは、ひろばの売りですからいいとして、全体的に、ちょっと着膨れ状態かな。ポイントを絞って、見せ場を作ればいいのにとは思いました。ひろばは、ちょっと気張って笑わせているという感じなのですが、つく枝になると、ちょっとした世間話風に、マクラをふるだけで、客席の反応が違います。愛くるしい雰囲気に、すっとぼけた味わいの話しぶりで、客は乗せられてしまうのですね。西成で、泥棒に遭った話というシテュエーションだけで、もう、つく枝が語れば、落語的です。ネタはネタで、アホな男1と2では、グレードの違いがあるというのが、傑作です。小染の口調は、かなりがなり口調、この人、こないな口調だったっけと思ってしまいました。ネタが、そうさせたのでしょうか、昨日は、拒否反応が、自分的には出てしまいました。仁智はお得意ネタ、おまけに、客席とは、既に長いお付き合いで、すっかりできあがっていますから、こういうときのゆる〜いマクラは、それこそ何を言っても、キャーキャー。いい雰囲気で、自分的にも久しぶりの定番ネタでした。楽屋に控えている噺家さんらも、結構、高い声で笑い声が上がり、客席と同様の雰囲気になってたようです。




2009年 4月 15日(水)午前 3時 44分

 昨夜は、雨のなか新世界にあります動楽亭に行ってまいりました。「復刻!らくごDEきまるin動楽亭」という落語会があったのですが、この間、一番楽しみにしていた落語会であるのは間違いありません。喜丸は、ざこばの二番弟子。とても精力的に落語会を開催し、黄紺も、太融寺などで、随分と聴いた噺家さんだったのですが、この人も、酒が過ぎたようで、今からちょうど5年前に亡くなってしまいました。昨年末、ざこばが動楽亭をオープンさせましたので、その動楽亭で、この会を開き、喜丸にも、動楽亭の舞台に登場してもらおうと、甥っ子弟子にあたる都んぼが呼びかけて、その命日に、この会が行われる運びとなったようです。番組は、とま都「子ほめ」、都んぼ「おごろもち盗人」、こごろう「野崎詣り」、竹林「親子酒」、(中入り)、ざこば・都丸・竹林・こごろう・都んぼ「座談会」、都丸「阿弥陀池」というもので、全て、喜丸の持ちネタで番組は組まれました。中でも都んぼは、この日のために、ネタ下ろしだそうです。とま都は、ちょっと訛りがありますね。今まで、気になったっていう記憶はないのですが、昨夜は、それだけ気になる箇所が多かったのでしょうね。口調のいい人だけに、さっさと直しておいて欲しいものです。都んぼは、昨夜も、全力投球。こういった滑稽なというか、頼りない泥棒の出る噺っていうのは、その全力投球がはまっていきます。見台の下から、手を出してのおごろもちぶりが新鮮でした。こごろうの「野崎詣り」は、喜六がすかたんを連発して、とても明るい雰囲気を演出してくれます。これだけほたえてくれますと、陽のぬくもりとか明るさというものを味あわせてくれます。こごろうの得意技であるとともに、そうは簡単には真似のできない芸だと思います。竹林の「親子酒」は、聴いたことのない展開。親の方が、家で、妻の制止を押さえ、呑んでいくという構図。全編、この話が占めます。そこへ、ぐでんぐでんになった息子が帰ってくるというもの。座談会は、発表された段階では入ってなかったざこばも加わってのもの。皆さん、異口同音に、天然で、おもしろい男、気のいい男というイメージ。それは、舞台に見る喜丸の人柄とぴったりです。そして、都丸が、オーソドックスに「阿弥陀池」をなぞってくれました。こういった大物さんが、軽めのネタをかけるときっていうのって、大切なんです。体を動かすタイミングとか、台詞の抑揚のつけ方なんてもののお手本を見たり聴いたりできるからです。「月とすっぽん」という、当時の小米朝との二人会など知ってるのだろうかという雰囲気の人が、結構多いなか、追善の会は行われました。黄紺が、会場に着いたとき、丁度、喜丸夫人が到着されたところでした。楽屋には、一門の噺家さんも詰めていたようで、さぞや喜丸の思い出話に花が咲いたことでしょう。黄紺も、この会では出ませんでしたが、喜丸ベストと思っている「うなぎ屋」の高座を思い出していました。




2009年 4月 14日(火)午前 0時 21分

 寝不足が、なかなか解消しないなか、痛い目を気にしながら、今夜は、久しぶりに中崎町での落語会「ナイトヘッド〜第2章〜」へ行きました。たまたま、日程が合わず、たま主催の落語会に行くのは、ちょっと間が開いた感じがしますし、たまの中崎町での会自体、ちょっと間を置いた開催のように思います。こちらの会は、いつも7時半開演。今日も、そのつもりをしていましたら、何の気なしに、仕事をしながら、たまのHPで開演時間を確認しますと、7時になっています。勤務時間は、もう終わっていましたから、大慌てで職場をあとにして、会場に着きますと、「7時半開演」の表示。「な〜んだ」と声に出してぼやくと、横におられたおばさんと言ってもいい女性が、「間違ってたのですよ」と、HPの件は把握されておりました。結局、無駄な時間を、30分使ってしまいました。これ、大きいです。どこかで埋め合わせをしなければならないので、差し引き1時間の損失です。本日の番組は、たま「ショート落語」、たま「牛ほめ」、南青「太閤の風流」、たま「遊山船」、松五「応挙の幽霊」、(中入り)、たま「人間国宝(仮題)」というものでした。まず、挨拶がてらに、ショート落語を、10連発以上。ラジオで公開した分を除くと、初公開のものばかり。爆発的に受けたものは、残念ながらありませんでした。中には、枝雀風のSR落語風と断ってかけたものが、二つありました。たまは、高座を降りずに、そのまま「牛ほめ」に入りましたが、やはり寝不足が響いて、ダウン。「牛ほめ」は、8割がた、「太閤の風流」は、4分の1ほどがダメでした。たまの「遊山船」は聴いたことがあったっけと思いながら聴いておりました。毎度のことながら、難しい二人のやりとり。人の賑わいが出るか否かという点で言えば、たまは、ちょっと裏技を使ったかなというところです。二人がおもしろ過ぎて、周りの人らは、どうでもいい、要するに気にもならないという雰囲気を創り出したのです。これも、グーです。そして、家庭内での転換が、秀逸。これほど見事に刈り込みがヒットした例はないのではないでしょうか。松五は、中入り前という位置に戸惑いながらも、二つのネタをくってきましたと言い、客の拍手で、ネタを決めました。「応挙の幽霊」と「うなぎ屋」で拍手を求められれば、結果は、へそ曲がりでなければ、こちらでしょう。この位置だったら、「八五郎坊主」かと思っていたところ、「応挙の幽霊」で、自分的には、得をした感じがしました。あまり派手さのない松五、地味系のネタなので、自身の地味さが隠れて、ちょっと得をしたネタ選び。体を大きく使ったり、所作に、ちょっとしたメリハリを付ければ、もう少し明るい高座ができるのにと思いつつ、このネタだと、こないな感じかなとも思ってしまいましたが、一方で、「応挙の幽霊」の成功例と思っている生喬の口演では、幽霊が、そないに陰気じゃなかったなぁとも考えていました。酒を呑みながらの雰囲気なんか、もっと精進する必要ありっていうところです。松五は、このネタを、染丸からもらったと言っていました。最後の新作ネタおろしが、なかなかおもしろい趣向。ポイントは、文楽の人形遣いで、人間国宝に選定されながら、授賞式の朝に亡くなってしまったために、弟子らが、亡骸を人形に見立てて、授賞式に参加するというところ。当然、認証状を渡すのは天皇。現天皇の声色も出てくる際物的新作。声色のところでは、楽屋内からも、くすくす笑いが漏れてきていました。今日の披露は、骨格部分だけという感じでしたから、遊びとなる部分を増やしていけば、おもしろいネタになるような気がしました。




2009年 4月 12日(日)午後 10時 47分

 「パリの恋人」を見終わったあと、空いた時間を活用して、韓国映画「グムエル、漢江の怪物」という、大変評判になった映画を見ました。黄紺の行くレンタル屋さんでは、韓国映画が並んでいるところではなく、「ホラー、モンスター」もののところに置かれていたものですから、ごく最近まで、見ることを諦めていたほどでした。単なる怪物ものではないとの評判くらいは知っていましたが、確かにそうですね。ここまで、漫画的と言ってもいいほど分かり易く、公共の利益と個人的な利益を語っちゃいますと、評価は上がるものなんですね。確かに、現実にはありえない怪物を出していますから、ヒール役は、漫画的とまで言える描き方をしても、直視できる映画なのだと思います。世間や公的機関が当てにならないなら、協議すらせず、家族は、自分たちの手で守るんだと、自明のことのように、動き出す家族が、何よりすごいし、また、それをやり遂げちゃうんだから、なおすごい。うだつの上がらないあかんたれの親父、それを、見事に、ソン・ガンホが演じ切っていますが、その最後の姿は、黄紺の目には、中村主人を思い起こさせました。爺さん、格好良かったですね。「パリの恋人」の会長のように、やたら権威を振り回すことにより、家父長の役割を果たすのではなく、家族に対する優しい眼差しと、行動力で、立派な家父長であったことを知らしめてくれます。家族の誰もがダメージを受けているとき、それを打開するのが、一番知的でない父親です。橋の上から飛び降り、警官に飛びかかるのが、きっかけでした。完全に仕事人の世界です。浮浪者のおっさん、やってくれます。家族と共に闘うのは、この浮浪者と、これまたストリート・チルドレンです。公共の福祉の手が届いてない人らだけが、公共の利益に反すると指名手配された家族4人と共闘できるのでした。一つ残念だったのは、決定的な役割を果たすと言えども、ペ・ドゥナの出番が少なかったということです。今まで見たことのない長髪のペ・ドゥナだったのにね。一つ疑問があります。「グムエル」っていうのは、どこから引っ張ってきたネーミングなのでしょうか? 台詞の中では、「グムエル」なんて出て来なかったような? 原題は「怪物(ケムル)」です。それを基に、日本で作ったのでしょうか?
 今日は、振り替えなしの出勤。お昼で、仕事は終わり、動楽亭に向かいました。外は、完全に夏でした。動楽亭では、「第7回桂ちょうばひとり会〜ちょうばのちょin大阪〜」があったのです。ちょうばは、ざこばの弟子ですが、彼自身の会に行ったのは、これが2度目となります。前回は、動楽亭ができる前にあった軽井沢亭でした。今日の番組は、ちょうばトーク、咲之輔「煮売屋」、ちょうば「はてなの茶碗」、(中入り)、ちょうば「ねずみ」でした。まず、冒頭で、ちょうばは挨拶とともに、最近あったことを紹介。大きく二つの内容。一つは、3月15日に、大阪天満宮での自身の結婚披露宴の話。なかでも、師匠ざこばの挨拶と、号泣しながらしたという自身の挨拶。ざこばは、噺家の収入をしたあと、夫婦で守らないといけない4つのことを紹介してくれたとか。二つ目の話は、地下鉄の中に、着物が入ったかばんを忘れたが、それが出てきた話。それを届けてくれたのが、ちょうばの前で座っていた浮浪者風おじさん。人は見てくれで判断をしてはいけないというお話でした。咲之輔は、マクラでおかしなことを言って、なんとか受けようとするのですが、話せば話すほど、客席は引いていく。その話の中心は、弟子入りの話。受けを狙わないで、普通の世間話をすればいいのにと思って聴いておりました。ちょうばは、「はてなの茶碗」が、ネタ下ろしのようですが、大作を二つ、持ち味の飄々とした味わいで踏破してみせました。ただ、今日も、体調はよろしくなく、「はてなの茶碗」は、冒頭とお天子様が出たあと以後しか記憶にありません。よくあることですが、前座ネタがスムーズにこなせ、いよいよ大作へと手を着け始めると、途端に力の配分に滞りが起こり、こないなはずではなかったと思わせられることがあります。最近では、佐ん吉や吉之丞という期待の噺家さんですら、その傾向が看られたのですが、その二人からすると、自分的には期待度が低かったはずのちょうばが、そういった一種の壁のようなものを、ふわりと越えてしまったような気がしました。穏やかな、気張らないテンポが、まずいいですね。いろんなネタに可能性を開くような安定したテンポです。次に、どないなネタがいいかななんて考えながら聴いていました。抑揚を大きくつけるのに相応しい声質ではありませんから、目ざす方向は正しいように思えました。そないなことを確認できただけでも、この会をチョイスして、今日は正確でした。
 動楽亭の会がはねたあと、御堂筋線で梅田へ移動。今日は、東梅田駅上にあるネットカフェで、小1時間時間調整。そのあと、阪急宝塚線の岡町での落語会「第77回月なみ九雀の日」に向かいました。今年に入って2度目になるでしょうか、自分的には、最も遠いところでの落語会です。番組は、九雀「軽石屁」、小権太「寝床」、青空「マジック」、九雀「平林」でした。青空は、九雀の長男、小学校3、4年っていう感じ、大歓声を受けていました。九雀は、「平林」の改作が秀逸。宛名を、何度も同じ人に聴くという聴いたこともないパターンだったので、珍しいなぁっていう感じで聴いていると、最後に大変な仕掛けが用意されていました。最後に、もう一度大笑いをさせてもらえる秀逸な仕掛けです。冒頭で、お使いを言い渡された途端に、定吉が町内を一周するというのは、「いらち俥」の応用ですが、これも笑えました。「軽石屁」の方は、九雀の定番。でも、九雀では初めてかも。恐らく九雀からもらったであろう雀喜では、何度か聴いているのですが。小権太は、ちょっと平板でした。どこに、力を入れるかは別にして、同じトーンで推移しちゃいました。殊に抑揚の着けやすい噺だと思うのにって思ってしまいました。九雀との関係は、九雀が、東京で、落語をネタにした芝居をしたときに、出番をもらった仲だそうです。今日は、小学生を含めて、客の平均年齢が、随分と低いのに、びっくりです。学生っていう若い人たちが多かったのは、どうしたことでしょう。




2009年 4月 11日(土)午後 11時 12分

 今日は、朝からお出かけの2部制を採りました。なかなかない組み合わせとなったものです。まず、第1部は、文楽4月公演、夜は、西京極競技場でのサッカー観戦です。文楽は、開場25周年記念とかで、今月は、「義経千本桜」の通しが出ています。黄紺は、文楽を観るのは、混み方がましということで、夜の部に固めているのですが、今回は、通しということで、昼夜の入れ替えがありませんから、久しぶりに11時開演の公演に行くことになりました。昼の部で上演されましたのは、「寿式三番叟」「義経千本桜〜(初段)堀川御所の段(二段目)伏見稲荷の段、渡海屋・大物浦の段〜」です。「寿式三番叟」は、文楽では初めて。登場するのは、翁(黒い尉)、千歳、三番叟が二人で計4人です。能楽の上掛かりの流派の場合、狂言方が務める面箱はいません。だからと言って、千歳が面箱を務めるわけではなく、後見が用意します。「鳴るは滝の水」から千歳の舞が始まるのは同じですが、舞自体は短い。翁も三番叟も、基本は同じ、能楽の詞章を、ちょっとだけかじって、文楽風の舞に持っていくという趣向です。能の小書にはある三番叟が二人というのも、派手さ志向の結果でしょうか、舞疲れて、一人がくつろぐと、それを叱るなんていう滑稽な場面が用意されています。もう神事なんていう部分は吹っ飛んしまったのでしょう。「義経千本桜」の方は、睡眠不足が出てしまい、きつかったのです。今回は、通しと言っても、最初の二つの段は省れています。義経が、京を追われて落ちていくことのきっかけとなる話からです。キーワードは、初音の鼓、これは、頼朝との仲をさく道具として使われていくとともに、忠信登場のきっかけを与えるアイテムともなります。狐と忠信が、最初に出てくるのが、「伏見稲荷の段」。この鼓は、義経から静に渡され、静を守るアイテムにもなります。その静に大きな役割が与えられるきっかけが、「堀川御所の段」での義経の正妻御台所卿の君の自害。そして、大物浦にやってきますが、話はめちゃくちゃ支離滅裂。大物浦から義経一行が九州方面に逃れる話と壇ノ浦の合戦を合体したかったのでしょう。ですから、わけのわからない話がたくさんなのです。知盛の怨霊が宿屋の主人に変身していたり、安徳帝は生きていたり、しかも女の子。それを、男だと、清盛が偽って、天皇にしたものだから、平家は滅んだと、知盛に言わせたり、義経一行にケチらされると、再び、安徳帝入水場面があるかと思うと、それを、義経は止めに入り、結局、安徳帝は生き延びるのでしょうね、そして、最後に、知盛が、碇をかついで入水をします。もう呆気にとられて、お口あんぐりです。このなんでもありの怖いものなしが、文楽の特徴なんでしょうね。とにかくおもしろければ良いの精神だなぁっていうのを、今回、特に強く感じました。今公演は、豊竹咲太夫さんが切太夫になって、初めての公演でした。今回は、「大物浦の段」の「切」を務めたはります。
 文楽が終わってからは、日本橋駅上のネットカフェで、1時間半の時間調整。堺筋戦と阪急を使って、西京極競技場へ移動。久しぶりに、日本で、サッカーを観戦しました。今日観たのは、「京都vs新潟」です。今日は、夏のような天気でしたので、絶好の観戦日和でした。そんな状態だったからでしょうか、結構な入りで、また久しぶりに来てみると、応援のグレードも上がったようで、時々は、日本でも、サッカー観戦しないとあかんなの気分になりました。考えてみると、前節まで、新潟は首位なんですね。一瞬の切れ味や選手の資質が高いのに、ちょっと驚きのチームでした。意外性やスピード、そういった質で語ることのできるチームの新潟に対し、京都は融通の効かないワンパターンのチーム。サイド攻撃を言われてるんでしょうね、だけど、シュートをする勇気とか、センタリングの精度に欠けています。でも、そうじゃなかったカウンターの立てパス一本で得点が入りました。得点は、それだけ。新潟には、得点となってもおかしくなかったシュートは、5本以上ありました。運がなかったのでしょう。でも、新潟といういいチームを見れたことは、ラッキーだと思えました。




2009年 4月 11日(土)午前 8時 4分

 ついに、韓国ドラマ「パリの恋人」全20話を見終えました。登場人物のしつこさとか、筋立てに、必ずしも満足はしていないながらも、はまってはまって、夜更かしもしたり、夜遊びをセーヴしたりなどして、次が見たくて、次が見たくて、見ておりました。韓国映画は、とにかくこの間、随分と見てきましたが、ドラマとなると、それだけの時間を確保しなければなりませんから、今まで手控えていたのですが、韓国から帰ってきて、若干、時間的に余裕があるのではと思い、見始めてみましたが、はまっちゃいました。とにかく、韓国ドラマに手を着けるならば、「パリの恋人」からにしようと、いつしか決めておりました。最終回には、視聴率が50%を越えたとか、主演の一人がパク・シニャンであるとか、その辺に惹かれていたのだと思います。そして、実際に見てみると、パク・シニャンの相手役キム・ジョンウン演じるカン・テヨンという女性に惹かれちゃいました。キム・ジョンウンの表情の豊かさ、とにかく、よく笑い、よく泣く、カット割りが始まったところで、感情を込めてるのでしょうね、涙目になってるってこと、多数。そして、常に周りの人全ての幸せを考えている。ええかげんに切れろよと思うようなところでも、周りの人のこと、なかでも自分の愛するパク・シニャン演じる男のことを考えている。それって、決して韓国的家父長社会で言う男ではなく、愛する男の幸せを第一に考えている。こいつ、なんて純粋なんだろうと思うこと、しばしばです。そういったとき、必ず、キム・ジョンウン演じるカン・テヨンという女性の目は涙目です。これに、鷲掴みにされた黄紺のハートです。こないな女が近くにおれば、素直になるしか、それに応えてはいけません。そこには、男の家系とか名誉とか、吹っ飛んでしまいます。そこが、このドラマのみそです。そうなんです、この映画は、身分違いの恋なのです。男は、韓国を代表する自動車メーカーの御曹司、現役の社長。女は、亡くなった父親に聞いたパリを訪れてはいるのですが、貧しい家の出。一緒に暮らしているのは、訳の解らない映画を作って、借金取りに追いかけられている叔父親子。シンデレラ・ストーリーって、ヒールもはっきりしますし、身分違いからくる生活観のギャップなんかも、おかしさを誘いますから、とっても解りやすいのです。このドラマには、主演が、もう一人います。それは、パク・シニャン演じる男の甥っ子として、イ・ドンゴンが出ています。カン・テヨンを愛し続ける、でも、叔父の方に、愛する女性は行ってしまう、でも、それが諦められない。その執念は、ときとして鬼気迫るものを感じます。そのしつこさは、もう一人の女性にも込められています。それは、社長一家のスキャンダルを知る国会議員が、自分の娘と、パク・シニャン演じる男との結婚を無理強いしてくるのです。特に、その娘と母親のやらしさといったらありません。こちらも鬼気迫るものがあります。その異様さを、このドラマを見た韓国民の目には、どのように映っていたのでしょう? こんなのもありなんでしょうか? ストーリーは、会社の中の権力闘争やライバル会社との新車販売競争という問題が絡みながら、終盤へと入っていきます。で、どういった道筋を進んでいっても、こうなるんじゃないって思っていたラストで、見事にすかされました。まともに行っちゃおもしろくないと思ったのでしょうか? 大体、カン・テヨンをパリに行かせるって、、、この辺から変調を見せ始めました。2年という時間を空けるのも、変調2です。そして、家の問題とか、二人のことについての解決を見せないで、決定的な変調へと入っていきます。黄紺は、変調だと断じておきます。そういうことで、最後にすかされましたが、ここ1週間ほど、ホント楽しませてもらいました。
 昨夜は、勤め始めています息子の話を聴くために、呑みに行っておりました。なんか、ヘルプを出してきましたので、急遽、落語会に行くことを止めました。でも、酒量では、息子には、全然適いませんから2時間で切り上げました。息子は、また、呑みに出かけました。仕事のストレスを抱えるようになった息子です。




2009年 4月 9日(木)午後 11時 24分

 3日ぶりの夜遊びは、繁昌亭です。今日は、「桂しん吉 春の祭典’09」があったのです。しん吉「学校落語に行こう@」、しん吉「鷺とり」、しん吉「学校落語に行こうA」、しん吉「頂き物」、元祖お囃子カントリーぐんきち・蒲生四丁目フィルハーモニー管弦楽団「ぷちミニライブ」、(中入り)、しん吉「桜の宮」というのが、本日の番組、しん吉は出ずっぱり。しん吉の会は、このパターンが多く、それぞれにエスプリがきいています。なのですが、今日はダメです。体は悲鳴なんて上げてはいないのですが、韓国ドラマ「パリの恋人」に夢中になり、著しい寝不足。連日、続きを観たいものですから、結局、睡眠時間を削ってしまってます。そのため、「学校落語に行こうA」、しん吉「頂き物」が、音として、しん吉の口演は、耳に入っているのですが、内容は、全く理解できてない状態。まいりました。「学校落語に行こう」は、米井さんの作品。米井さんとしん吉がタッグを組んで、新作を出したのは初めてじゃないかなぁ。それだけに、情けない。「学校落語に行こう@」の方は、舞台に、太鼓など楽器を並べ、学校公演での様子を再現するのですが、鳴り物担当の佐ん吉が来ないし、三味線のお師匠さんも遅れてくるので、一人で解説を始めてしまうというもの。軽いもので、本日のちょっと変わった落語会の幕開けに相応しいもの。「鷺とり」は、雀を捕る話もなしで、いきなり鷺の話へ。えらいこっちゃも省き、最後は、下の布団がトランポリンとなり、元に戻ってしまうと、ここでも変化を持たしました。ぐんきちは、「安宅の松」を演奏している途中から、土瓶が登場、最後は、3人とも、やかん、ポットを持ち重奏に。軍時さんが、しん吉の喋りに合いの手を入れるようになったので、繁昌亭の色物として出てもいけるんじゃないかなぁ、もう十分に。「桜の宮」は、とってもスピーディーな展開で、春の爽やかさのようなものを感じさせてもらえて、なかなかグーな出来栄え。田舎侍が、何の疑いも持たず、善意で関わってくるのも、このスピーディーな展開に、きれいにはまっていました。




2009年 4月 7日(火)午前 0時 12分

 今日は、繁昌亭の夜席としてありました「きん枝のがっぷり寄席 四番勝負」にお出かけです。ここ数日、韓国ドラマのヒット作「パリの恋人」を、ちょっとでも、時間を見つけては観ています。昨夜は、ついに1時を過ぎても観ていましたので、とってもやばいぞの気持ちで、繁昌亭に行ってまいった次第です。今日の会は、きん枝が、東西の有名噺家を呼び、一席ずつ、たっぷりと聴かせるものです。今日は、残念ながら、前回に続き、ネタ下ろしはありませんでした。ゲストは、垂涎の噺家喬太郎。これは外せない会だったのです。きん枝「挨拶」、三若「妄想の書(仮題)」、喬太郎「竹の水仙」、きん枝「天神山」、(中入り)、きん枝・喬太郎「対談」というのが、本日の番組でした。パンフレットでは、とにかく、きん枝はネタ出しをしていたのですが、喬太郎は「お楽しみ」という状態。幕内でも、何を出すのか見守られていたみたいでしたが、「竹の水仙」でした。前半は、どちらかというと、静かに推移。竹の水仙の売り買いが起こり始めるところからヒートアップ。間を取り持つ地元の役人に、大きなボケ役を与え、ついには、「お前は、権太楼か!」で、ピークに。バンジョーを弾く真似をして、「今日は、新作をやらないよ」、それだけで、ギャーという悲鳴にも似た爆笑があったりと、明らかに、喬太郎目当ての客が詰めかけていました。実は、黄紺もそうだったのですが。と言いますのも、きん枝が、今日はネタ下ろしをしませんでしたから、どうしても関心の比重は、喬太郎に移ってしまいました。「竹に水仙」は、人物配置がおもしろいのです。宿屋の主人、おかみさん、地元の役人、毛利藩の侍には、おちょけさせるのですが、売り手と買い手の極にいる甚五郎と毛利藩主には、品格を保たせたままにするのです。これで、話の骨格が崩れない。うまいものです。きん枝の「天神山」は、2年ぶりくらいかな? しっかりとした語り口は、相変わらず聴き応えがあるのですが、生真面目に堅すぎるのですね。特に、あの「竹の水仙」を聴いたあとには、強く感じてしまいました。それだからなのでしょうね、危ないぞと心配していましたこっくりが、天神山の神社で願い事をしているところで出てしまいました。狐を逃がすまでのやり取りが、記憶から吹っ飛んでいます。歌を書いてからあとは、「コン」という言葉を使っての下げまで演じてくれました。この下げを、実に久しぶりに聴けたのは、大収穫でした。最後の対談は、「東京の粋 大阪の粋」「師匠と弟子」「お稽古」「人工衛星」がお題でした。最後に、「人工衛星」で「テポドン」の話をしたあと、きん枝が「大阪のテポドンを紹介します」と、突然言って音楽が鳴り出すと、現れたのが、三象で、例の三象踊りを披露しました。これだけが、サプライズかと思うと、もう一つ用意されていました。喬太郎が作詞作曲をし、自らが歌っている「東京ホテトル音頭」が流されました。そないなことで、賑やかにお開きになりました。




2009年 4月 5日(日)午後 10時 38分

 今日も、動物園前の動楽亭に、午後から出かけてきました。「上方講談協会まつりIN動楽亭」が、昨日に引き続いてあったのです。南海「山内一豊とその妻」、全員「口上」&抽選会、(中入り)、南舟「木津の勘助」、南北「東玉と伯燕」、南左衛門「三代目桂文昇」というのが、本日の番組でした。昨日は、出演者と最若手の二人だけが、会場に詰めていましたが、今日は、この2日間、全く顔を見ていない南青くん以外は、総出演でした。ただ、南海さんは仕事が入っているらしく、トップバッターで舞台に上がり、口上の一番最初に挨拶をして、早々に退散しました。南海さんのネタは、とってもおなじみネタ、馬に大阪弁で喋らすというアイデアは、いつ聴いてもおかしい。南舟も、一番最初に手がけたネタを披露。この人の、ト書きのようなところで喋るボソボソという言い方が、キャラにふさわしい感じがして、それが楽しみです。南北さんは、東京の神田派講釈師の留め名伯龍の初代に繋がる逸話。ただ、今日は、南北さんの語りが心地よく、ダウンしちゃいました。「三代目桂文昇」に、ようやく出逢えました。昨日の繁昌亭の「桂文昇独演会」で、これがかかっていましたので、かなりそそられていて、結局行かなくて正確。そんなに思っていたのですが、実際に聴いてみると、全然ダメ。小佐田作品としては、駄作でしょう。終わってから、考えてみると、結局、三代目文昇について、何を伝えたのかというと、文昇という人が、元教員だったということ、一時、二足のわらじをはいていたことがある程度の話しか残ってないのです。いや、話に盛り込まれていないのです。それで、その題はあかんやろと言いたいわけです。
 動物園前から御堂筋線で、心斎橋に移動。まず、夜の部に備えて、映画のチケットを購入したあと、千日前まで行って、時間調整のために、ネットカフェで、40分ほど過ごしました。この辺をうろついたり、こちらのネットカフェに、足を運んだのは久しぶりです。この方面での落語会に行かなかったのか、行っても、時間調整の必要がなかったみたいです。夜のお目当ては、韓国映画「映画は映画だ」。キム・ギドク監督が制作した映画ですが、実は、私は、キム・ギドク監督関係の映画は、DVDでも観たことはなかったのです。この著名な監督を避けていたというほど、監督について知っているわけではありませんから、たまたまということです。主役は、二人の男。一人は、ソ・ジソブ演じるヤクザ。このヤクザは、俳優崩れという設定。もう一人は、のカン・ジファン演じる暴力的な俳優。この俳優、暴力的であるため、共演者が尻込みしてしまうほど。そこで、たまたま知り合ったヤクザの男を、自分の相手役に勧誘し、映画を撮ろうとします。ヤクザの男が引き受ける条件は、格闘シーンは、全て実戦でというもの。ヤクザは、映画でヤクザを演じ、俳優は、映画の中で、本物の格闘をするということになるのです。微妙なずれの中で、映画の中で、よりリアルに演じることの難しさ、また、その難しさがあることによる楽しさも感じ出していきます。二人の間に、お互いの関係性を大事にしようという雰囲気が生まれくる中で、ヤクザはヤクザでトラブルが持ち上がり、俳優は女のことでトラブルが持ち上がってきます。そのトラブルが、映画の中断という事態に入っていくあたりから、ラストへと流れ込んでいきます。映画は、ある意味では残酷な終わり方をしますが、ラストシーンで、一人が涙を溜め相手を見つめ、一方の男は、それに微笑みを返す姿を見て、なぜだか、心が休まるのです。違う世界で生きた男たちが、映画で出会い、言葉でというよりか、そこで一緒に撮ったことで、いや殴り合った中で、なにがしかの心の変化、それは、ちょっとした穏やかさと言ってもいいかもしれませんが持つことになった証しだったと言えるでしょう。自分的には、ソ・ジソブの何か心の奥底に冷たい鉄の塊のような澱を潜めたような雰囲気が気に入っちゃいました。わりかし、いい映画ですよ。




2009年 4月 5日(日)午前 8時 58分

 昨日は、午前中、振り替えなしの出勤。そして、午後からは、動物園前駅上に、ざこばが作った動楽亭でありました「上方講談協会まつりIN動楽亭」に行ってまいりました。動楽亭は、昨年の暮れにオープンしてから、なぜだか巡り合わせが悪く、ようやく、昨日、行くことができました。場所は、ざこばの生家あとを建て替えてできたマンションの2階部分を占めています。昨日の番組は、南斗「太閤の風流」、南湖「天王山のやり取り」、南華「秋色桜」、座談会「三代目旭堂南陵を語る」&抽選会、(中入り)、南鱗「荒大名の茶の湯」、左南陵「安宅関勧進帳」というものでした。南斗は、開演前の前講。初めての遭遇。しっかりとしたいい声をしていますが、語りは、まだまだこれから。南斗の舞台に接すると、南舟の語り口の味わいっていうのが、引き立ってしまいました。南湖は、昨日が、ちょうど入門10年目の記念日。ということで、師匠から最初に習ったネタを出しました。織田信長を討った明智光秀と秀吉の決戦の一シーンという、講談では、とっても有名なくだり。なのですが、一昨日の寝不足が、一番出てしまったのが、ここでした。南華は、俳諧の天才少女の親孝行話。何かの話の一部分なのでしょうか?  でなければ、この話が生まれ、残ったのはなぜかなと思ってしまいました。悪い話ではないのですが、ちょっと小ぶりなネタだったもので。南鱗のネタは、あまりにベタ。南鱗は、これがあるのです。そう思って考えてみると、昨日は、南華以外は、そういったコンセプトで、番組を作ろうの意図があったっていう感じがしました。そうは言っても、左南陵の立て弁、間髪を入れない呼吸、リズムがいいですね。かっこよさ、そないなことを感じさせる風貌と高座でした。座談会は、南湖の司会で進行。一番兄弟子の左南陵は寡黙で、南鱗と南華を中心に話が進行。南陵の酒の話が主だったもので、その酒量たるものや、聴いているだけで酔ってしまいそうな量です。南鱗などは呑めない口だそうで、でも、まず酒の相手をしなければ稽古をつけてもらえなかったそうです。この酒の話と、あと一つ記憶に残っているのは、歴代の弟子について、8人残って8人止めていったそうです。そのほぼ全員についてのコメントがありました。そう言えば、どこぞで目にしたことがあるなと思うお名前もありました。
 会がはねると、外は。えらい雨。向かいのパチンコ屋の軒を借りて、息子へ電話。黄紺同様、休日出勤をしていました息子に連絡を取り、鶴橋で呑むことになりました。アリラン食堂です。小学校3年生だったと記憶していますが、子どもだった息子を連れて、鶴橋駅界隈の朝鮮市場を歩いたことがありましたが、考えてみると、それ以来です。息子も、かなりのインパクトがあったのでしょうね、そのことを覚えておりました。息子の方が記憶がよく、その前に、どこへ行ったかまで覚えておりました。それで、そのもう、15年以上前の1日の行程を思い出した黄紺でした。アリラン食堂は、黄紺らが入ってからどんどん客が増えてきて、満杯のなか、カムジャタンとオジンゴ・ポックムで、どぶろくを呑み交わしていました。黄紺は、完全に適量を超えてしまい、完全に二日酔い状態です、今日は。




2009年 4月 4日(土)午前 0時 1分

 今日から、仕事に復帰。まだまだ、仕事は忙しくないかなと思っていたのですが、とんでもありませんでした。旅行の疲れが残っているなか、ちょっとあごを出しながらの復帰初日でした。夜は、ワッハの4階で行われました「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってまいりました。生寿「豆屋」、生喬「相撲場風景」、こごろう「はてなの茶碗」、(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」というのが、今日の番組でした。「豆屋」とは、最近、とんと出なくなったネタが出たものです。豪快な声が出る人にふさわしいネタ。師匠の生喬にはうってつけのネタですが、線の細い生寿は大丈夫だろうかと思っていましたが、豆屋の弱々しさを出すことで克服しようとしていました。その努力を買いましょう。「相撲場風景」に入る前に、生喬は、今回も近況報告。これが、この会に行くときのお楽しみの一つ。最近、書き物を頼まれることが多いそうです。そして、ネタに入るためのマクラとしては、自身の出身高校三重高校の話。と言いますのも、三重高校では、1年生全員、相撲が必須科目だったそうです。本日の「相撲場風景」は、普段聴けないパートが入っていました。オムニバス落語ですから、笑いの多いエピソードが、普段演じられるため、かからないものもあるということです。出ないエピソードというのは、背の高い人に、体を曲げてもらう話と、子どもを放り投げてしまう「子ほり」のエピソードです。今日は、これらに加えて、おむすびのエピソード、まわしを掴むつもりで帯を掴むエピソード、それに有名なジョンジョロリンです。あとの対談での話によりますと、文枝が手がけたのが早く、松鶴は、そのあとだそうで、そのときから、ジョンジョロリンが入ったそうです。現染丸も、自身では高座にかけないが、先代の染丸の「相撲場風景」を受け継いでおり、その中に「子ほり」が入っているようで、現在、笑丸が、その型を受け継いでいるそうです。こごろうも、大阪では演じないが、地方では高座にかけているとか。なお、生喬は、師匠松喬の高座を観て覚えたネタとかで、そもそも、口移しで教えてもらうネタではないと言っていました。納得です。「はてなの茶碗」は、こごろうにとっては、2度目の口演とか。1回目は、師匠南光のやり方通りに演じたが、今日は、自分なりアレンジを加えたということです。南光は、京都での襲名のときに、これを演じ、それを聴いた枝雀が、米朝のやり方は、茶金さんから山を登るが、南光のそれは、油屋さんから山を登ったと言って、その発想をえらく誉めたそうですが、今日のこごろうは、その南光流に、こごろうテイストで、更に磨きをかけたっていう感じで、すごく陽気で軽やかに演じられ、大変、好感を持ちました。やはり、演者が、自らの演出意図を、そのまま表現仕切ったときって、爽やかさが残ります。とってもいいものを聴けたという満足感が残りました。




2009年 4月 3日(金)午前 5時 48分

 昨日は、韓国から帰ってきて、関空から南森町へ直行。繁昌亭の夜席で、「福笑と異常な仲間たちVol.2〜アブノーマル人物伝〜」があったため、昨日の帰国便を、この会に合わせて押さえたのでした。その番組は、たま「胎児」、メグ・マリコ「メス動物園」、福笑「ちしゃ医者」、(中入り)、メグ・マリコ「昭和の歌」、福笑「憧れの甲子園」というものでした。「胎児」は久しぶり、なんか、このネタを聴くというか、観ると、最早、落語を超えているっていう感じになっちゃいます。たまの才能です。メグ・マリコは、名前は聞いてはいたのですが、初めての遭遇。「メス動物園」は、オリジナルな「動物園」に色付けしたもので、基本的な筋立ては同じで、下げが、小枝演じる「水族館」と同じものでした。福笑の一つ目は、強烈な個性の炸裂する、とっても汚い「ちしゃ医者」。元々、汚くて、お下品なネタ、それを、これでもかと言わんばかりに、福笑は汚くしてくれました。福笑の、このネタの汚さには免疫ができている黄紺は、もっとやれやれの気分になっていました。これって、許されないお下品さかな? 中入り明けのメグ・マリコは、物まね歌謡ショーと言っても、3曲歌っただけかな。最後は、吉本の舞台で、トリオを組んでいる「3女美」の「非常階段」のシルクとコッコが登場。去年の松元ヒロの記憶が強烈過ぎて、この程度で引っ込まれては、あまりにも物足りなさ過ぎでした。ちょっと、繁昌亭の舞台に位負けしてしまったかな? 客である我々は、落語をやってくれるよりは、こちらの本芸をたっぷり見せてくれる方が嬉しかったのですが、、、。圧巻は、福笑の「憧れの甲子園」。実に久しぶりに、このネタに出逢えました。福笑のネタの中で、ダジャレや、言い間違いや聞き間違いで笑いをとるのではなく、完全に、「甲子園の初戦で大敗を喫した監督」というテーマから、よくぞ、これだけイメージを膨らましたなと思える正味のネタ。「一人酒盛」の甲子園ヴァージョンっていうところになるかな。こないな福笑落語に接してしまうと、追っかけを続けたくなります。気合い、ノリという部分でも、最高の一品であり、且つ、最高の出来栄えと看ました。




2009年 3月 27日(金)午後 11時 13分

 今日は、今年度最後の仕事。幸い、午前中で、仕事は済みましたので、随分と余っている休暇をとり、家で、映画を2本観ました。1本目は、今頃になって、ようやく観ました。トルコ映画「少女ヘジャル」です。クルド人ヘジャルは、貧しさのため、里子に出されますが、その家族が、警察の急襲を受け殺されてしまいます。その部屋の向かいに住んでいたのが老いた元判事のルファトです。彼は、戸棚に隠れていて命拾いをしたヘジャルを偶然匿ってしまいます。クルド語しか喋れないヘジャルに対して、クルド嫌いのルファトからすると鬱陶しい話ではあるのですが、その一方で、放ってはおけないのです、あまりにも幼気な子どもなものですから、ヘジャルは。ヘジャルが、たまたまもっていたメモから、爺さんの存在を知り、ルファトは、その爺さんを訪ねて、イスタンブルのゲジェコンドゥに会いに行きます。ですが、その一家の貧しさを初めとした家族事情を知ったルファトは、ヘジャルを預かっているとは言い出せず、自分が育てようという気になっていきます。お手伝いさんの女性が、クルド人だと知ったため、その女性の家庭を訪れ、クルド語を覚えようとしていきます。徐々に、ヘジャルとの間に、爺さんと孫という関係が浮かび上がっていきます。いよいよ、それを、正式に法的手続きをしようとしたときに、結末へとつながる出会いが待っています。そのような流れなわけですが、イデオロギーに先行する、人と人との出会い、その関係ができあがっていく中で、クルド問題を浮かび上がらせていってくれます。無垢な少女に、しかも、身より頼りのない少女に、イデオロギーをかざしてみても、何の意味もありません。ヨーロッパの近代主義を鵜呑みにしてしまったトルコの国家体制が、個別的人と人との関係性構築には、何ら役に立ってないどころか、暴力にも等しいものだということが描かれていきます。主役の二人が素敵です。硬骨漢を絵に描いたようなルファト、幼気なへジェル、この子、目で見せる表情がいいです。ただ、DVDには、メイキング映像が特典として入っているのですが、それを観ていると、ヘジャル役の子は、想像以上に幼い子役です。よくぞ映像で観られるような表情を引き出したものだと感心しました。
 2本目は、韓国映画「大統領の理髪師」です。主演が、「復讐者に憐れみを」「殺人の追憶」「シークレット・サンシャイン」などのソン・ガンホ、その妻役が、なんと、普通のおばさん役で、「オアシス」「ペパーミント・キャンディー」「チ・ジニ×ムン・ソリ 女教授」のムン・ソリです。もう、これだけでむしゃぶりつきたくなるような組合せです。この映画、大統領でいえば、李承晩、朴正煕、全斗煥3人の時代を映し、それを、たまたま大統領の理髪師となった男を通して、なかでも朴正煕の時代を描くというものです。ナンセンスな赤狩りを断行した朴正煕の強権政治に翻弄される市井の人々、理髪師の子どもにも、スパイの容疑がかけられ拷問が課せられていきます。その結果、子どもは脚を損傷し、歩けなくなってしまいます。その子どもの脚の快復を願い奔走するという家族の物語でもあります。この映画は、デリケートな政治的なストーリーを、戯画的な構造にすることにより、強烈な皮肉を表しているように思えます。そういった視点で見なければ、不快な感じを持ってしまいかねない映画です。暴力で、ものが決まり、暴力で権力を得た者は、また、新たな暴力に屈する、ついこないだまで、韓国は、そういったことの繰り返しだったなと、そないなことを考えてしまいます。民主化が進み、それがすっかり定着した韓国であらばこそ、こういった映画が制作されたのでしょう。ですから、こういった映画を観ると、ついこないだのことだった、でも、絶対に戻らない過去だと思えるのです。それだけ、韓国は、政治的に、短期間で成熟した国なんだと、再認識です。その韓国に、明日から、2年ぶりに行ってまいります。




2009年 3月 27日(金)午前 5時 57分

 この2日間、空いた時間を飛び飛びに使って、韓国映画「天軍」を観ました。設定が、大変にぶっ飛んだもの、まず、それに驚かせられます。南北両国で、核兵器の開発をしており、更に、開発チームに加わっている北側の軍人が、その核兵器を奪って逃走、その追撃チームを、韓国側が引き受け、追走をしている最中に、ハレー彗星以上の巨大彗星の接近により、南北軍がともに、タイムスリップをしてしまい、1572年の朝鮮の辺境の村に出てしまい、そこで出会うのが、科挙に失敗し、自暴自棄になってしまっている李舜臣。北方の蛮族(女真族)の侵入に悩む朝鮮だったのです。タイムスリップしたあと、争いの最中に現れた南北軍の兵士は、現代の火器を使ったものですから、彼らは、「天軍」と呼ばれてしまいます。何やら、この設定っていうの、「トンマッコル」を思い出します。タイムスリップしたあとは、課題は、4つ。李舜臣にやる気を起こさせること、タイムスリップしたときに行方不明になった核爆弾を見つけること、蛮族の侵入を食い止めること、そして、元の世界に戻ることです。核爆弾を持って、現代世界に戻らないと、話が終わらないのは明らかなのですが、問題は、誰が、どのように戻るかです。そないなことを含めて考えると、まあまあおもしろかったかな。この映画に出ていました著名な俳優を記しておきます。タイムスリップ韓国軍人のリーダー役が、「ユア・マイ・サンシャイン」「ハピネス」「スーパーマンだった男」のファン・ジョンミン、核爆弾を盗み出し、タイムスリップした北朝鮮軍人のリーダー役を「人生の逆転」のキム・スンウ、李舜臣を、パク・チュンフンが務めました。
 夜は、ワッハの4階でありました落語会「第5回三幸・さん都『さん三の会』」に行ってまいりました。4階の小演芸場に張り出し舞台が付いたというニュースはキャッチしていたのですが、実際に目にしたのは、昨日が初めてでした。番組は、「三幸紹介映像」、三幸・さん都「前説」、さん都「初天神」、三幸「男と女の他力本願」、三若「餅屋問答」、(中入り)、三若・三幸・さん都・さろめ「三幸とさん都の人間性診断」、エンディング映像という番組でした。三幸が、パソコンを、かなり使えるようで、様々な映像処理をしたり、借り物映像に字幕を入れたりと、三幸の独特の感性で作り上げたものを見せてくれました。昨日もまた、この人は、何かしら他にはないものを持っていると思わせてくれました。かなり、自己満足的なところもありますが、それだけではないと思わせてくれます。それは、映像だけではなく、新作落語においても同様の質をキープしてくれました。単に、お茶を飲みながらの恋人同士の会話なんですが。繰り返し技もはまり、作品自体の質を口演が、更に盛り上げていました。三若は、今までのギトギトとしたあくの強さが影を潜め、昨日は、爽やかな兄貴分という雰囲気を溢れさせていました。ネタのみならず、後のトークでも同様でした。「人間性判断」も、軽めのコントをして、さん都をヒールにしての気儘勝手な映像で、しょーもなささはかなりのものですが、楽しんでる自分がありました。




2009年 3月 26日(木)午前 1時 55分

 今日は、オペラの映画を観に行きました。テアトル梅田で上映されています「ラ・ボエーム」です。昨年の暮れ、ブダペストの歌劇場で観た「ラ・ボエーム」が忘れられず、この映画に目をつけていたのですが、今日、ようやく観に行くことができたのです。制作は、ドイツとオーストリアの共同制作となっていました。映画の進行は、オペラの音楽部分に、全く過不足なく映像を重ねたもので、音楽の流れない部分は、最初、ほんの僅かに、パリの雑踏が映り、音楽が鳴りだすまでの間と、最後、ミミの死が、ロドルフォに、ほんの短い会話で知らされるときだけです。映像のお得なところは、第1幕で言えば、ミミが現れて、仲間に追いつけなくなったロドルフォが、仲間に、行けない旨を知らせるときは、下宿部屋と屋外からの対話になるとか、第3幕の別れの場面では、二人の中睦まじかったときの映像が重ねられるといった具合で、、、いや、それは、映像の特性を、むしろ控えめだったと言えると思います。第2幕のカフェの場面では、実際のオペラでも、様々なパーフォーマーを出して、街の賑わいを出しますが、発想的には、全く同じで、人間ポンプまで出す演出を、実際の舞台の映像を観たことがありますが、それもやっておりました。時代は、ルイ・フィリップとギゾーという目印になる名前が出てきますから、1840年代、ということは、ナポレオン3世によるパリ大改造の前、ちゅうことは、道が狭く、街角は、せせこましさが支配していたはず。そこは、抜け目なく押さえていましたが、そこに、先ほどのパーフォーマーを出しということでしたので、実は、ごちゃつきすぎだったのです。舞台という仮構の空間と、映像による街角の実写では、演出を変えねばならないはずです。舞台同様の賑わいの出し方では、実写ではごちゃついてしまうのです。カフェでのテーブルの配置や、カメラの位置なんてのも、そないな感じがしました。一つ嬉しかったのは、第3幕、なんか、ブダペスト歌劇場と、全く同じ絵コンテを使ったんじゃないかと思われる建物の配置、鉄柵、中庭の雰囲気に、少々興奮気味。但し、客の目線は、ブダペストと90度異なりました。そこは、完全に、ブダペストに軍配が上がります。でも、カメラ・アングルを考えると、この映画のやり方で仕方なかったかな? 歌手陣は、言うことなしです。ミミがアンナ・ネトレプコで、ロドルフォがローランド・ビリャソンでした。なお、指揮はベルトラン・ド・ビリー、オケと合唱はバイエルン放送交響楽団・合唱団でした。




2009年 3月 25日(水)午前 5時 50分

 一昨日で、年度末の大きな仕事が一段落しましたので、昨日は、丸1日休暇をとり、土日のようなお遊び計画を立てました。いや、こうなるだろうの予測を立てていたところ、その予測が、まんまと当たったというわけです。おかげで、福笑にあやめ、染雀、姉キンが加わり、繁昌亭大賞創作賞受賞記念の三金と、よだれの出そうな繁昌亭昼席に行くことができました。2ヶ月前に、この予測を立て、まんまと当たる快感かなというところです。その繁昌亭へ行く前に、韓国映画を1本観ました。「サッド・ムービー」や「最強☆彼女」「マドレーヌ」に出ていたシン・ミナが出ているということで目をつけた「美女と野獣」という映画で、相手役は、黄紺が、今まで観た映画で言うと、「復讐者に憐れみを」で、脳性麻痺の男を演じていたリュ・スンボムです。シン・ミナは、目の不自由なピアニスト、ところが、角膜のドナーが現れたということで、手術で目が見えるようになる。そこで困ったのが、シン・ミナ演じる女と付き合っていたリュ・スンボム扮する男。この男が不男で、そのため、見てくれを、高校時代のかっこのいい友人の風貌を伝えていたために、大困り。更に、具合の悪いことに、その友人そのものが現れたことにより、混乱は深まるというもの。しかも、その友人が、シン・ミナ扮する女を一目見て気に入ってしまうものですから、、、でも、誰が見ても、この映画の結末は見えています。ホント、最後まで、このネタで、よく持たしたな、いや持たそうとしたな思う映画でした。
 繁昌亭の昼席です。今回は、旅行も控えていることもあり、福笑の出番を外してしまうかと、一旦は考えていたのですが、うまく空くかもしれない日を見つけたものですと、これは、既に書きましたね。で、昨日の番組は、二乗「子ほめ」、壱之輔「平林」、染雀「蛸芝居」、千田やすし「腹話術」、あやめ「厩火事」、三金「デブのお肉に恋してる」、(中入り)、姉様キングス「音曲漫才」、仁嬌「八五郎坊主」、三象「旅日記:農業祭」、福笑「油屋金兵衛」というものでした。昨日は、わざとこないなメンバーを組んだのでしょうか? そないに思うほど、茶臼山の舞台とかが解る人だったら思うでしょう。いいメンバーなのです。二乗は、安定感抜群の開口一番。噺と身体表現のバランスが、ますます良くなっていってます。壱之輔は、ちょっと丁寧過ぎる口調、でも、名前の変化で、きっちり受けていました。染雀は、「芝居噺をやります」的なことを言い出したものですから、てっきり「七段目」かと思いましたら、いきなり「ここにございました砂糖問屋」で、えっえっ〜です。仏壇を前にした芝居を除いて、全部もれなく演じ切りました。さすが、しっかりと型が決まり、声がいいです。千田やすしは、久しぶり。川上のぼるに入門35年とか。舞台の展開が、師匠にそっくりなのが、微笑ましいところです。あやめは、古典をかけました。次に出る「繁昌亭大賞創作賞」受賞記念の三金が出るということに配慮したのでしょうね。「厩火事」は、2度目になりますが、最初のときの方が、お腹から出ている言葉っていう感じがしたものです。「好き」という言葉なんて出してなかったように記憶しているのですが、、、。三金は快調でした。「奥野くん」ネタをするために、登場の途中で、お腹を2回たたき、マクラでも、デブネタを振りまくりました。中入り明けになると、異様な高揚。その火をつけたのが姉キン。二人ともお揃いの桜模様の着物でした。姉キンのあとに出てきた仁嬌曰わく、「後半は、異常な人ばかりが出てきますので、普通の落語を聴きたい人は今のうちですよ」。「八五郎坊主」は、ちょっと小ぶりの口演でしたが、なかなか整ったもので、これに、より多くのくすぐりが加えられていって、最近、よく演じられる型が出来上がっていったのだろうという成長過程のものを聴いた気がしましたが、一つだけ気になったのは、春先の噺だということを分かるようにしてほしかったなとは思いました。三象は、よくマクラで使う話を膨らませて、一席の新作に仕上げてしまったというところ。東京の寄席で見られる手法ですね。福笑は、残念なことに「油屋金兵衛」、3回連続、福笑の高座は、このネタに当たってんじゃないかな? 福笑的毒素の薄い作品で、全体的にゆる〜い雰囲気と感じます。このネタだけは避けたいと思っていたのに当たってしまいました。
 繁昌亭がはねたあと、JRで京橋経由で、鶴橋へ移動。1時間余り、鶴橋駅前のネットカフェで、時間調整をしたあと、時間にゆとりもありましたので、アリラン食堂で晩ご飯。お料理は、テンジャン・チゲにしました。アリラン食堂に、今まで気が付いていなかったのですが、チャジャンミョン(ジャージャー麺)のあることを知り、次回は、それをいただくことにします。鶴橋で行ったのは、雀のおやどで続いています「桂雀三郎30日間連続落語会」です。これで、3回目で、このシリーズでは、昨日が、最後になると思っています。終わりに近づいて、客が、どんどんと増えている模様です。予約をしていないと入れなくなってきています。昨日は、どうやら、こっそりと入れてもらったみたいです。昨日の番組は、三四郎「十七才」、雀三郎「替り目」、米二「まめだ」、雀三郎「軒付け」でした。三四郎が、今日はものすごくいいところを見せてくれました。前に、このネタを聴いたときとは、大違い。今回は、落語になっていました。会話が噛み合うようになり、人物の描き分けも、丁寧になされ、落語らしく仕上がったっていうところです。三四郎は、落語家らしくなるとともに、慣れからくる自己流デフォルメのようなものが出だしていたのが気になっていたのですが、昨日は、きれいに消えていました。三四郎ベストでしょう、間違いなく。昨日の雀三郎の出来は、二つのネタに、甲乙が付けがたいいい出来。敢えて、一つ選ぶなら「替り目」。それほど、「替り目」の出来の良さに圧倒されました。相変わらず、人物の描き分けには極上の味わいを見せ、且つ、ノリがとってもいいっていうのが、昨日の口演の特徴。「替り目」のマクラでは、枝雀に、酔い方の稽古をつけてもらったときの様子を再現してくれ、一挙に、会場はヒートアップしたのが良かったのかな? 雀三郎の「替り目」は初めてではなかったのですが、ここまで会場と一体となって酔ったという雰囲気じゃなかったと思いますので、昨日の口演は、一期一会のものだったのかもしれません。「軒付け」も、歌手雀三郎の話をマクラでしてくれたものですから、口演に吸いよせられるようになってしまいます。「今で言うと、路上ライヴをやってる連中が、軒先でライヴやらしてもらってるようなもの」「昔は、異常なことやってたんですね」、、、これは、臨場感を醸し出してくれた雀三郎のマクラの中での言葉です。それに加えて、雀三郎自身の浄瑠璃が聴かせますから、更に吸い寄せられてしまいました。ゲストの米二は、秋のネタ。これだけ、30日間、ネタ出しをされていると困ったでしょうね、ご本人も言ってましたが。黄紺は、米二が出たならば、くまざわ作品なんかを出すのかなと思っていたのですが、「まめだ」でした。




2009年 3月 24日(火)午前 4時 57分

 昨日は、仕事が一段落をした時点で、時間休をとって、帰宅。目の前に来ている旅行準備を整え、夜は、京都のYIC京都工科専門学校でありました南青くんの講談会「第2回なんせいの講談研究中」に行ってまいりました。番組は、南青「木村長門守重成(前)」、由瓶「千両みかん」、南青「木村長門守重成(後)」というものでした。前の日のたっぷりめの睡眠を受け、前夜は、睡眠時間が、極端に短かったあおりを受けてしまい、南青くんの調子が上がると心地よくなり、講談が全滅。要するに、筋立てもままならないほど、ダウンしちゃったということです。ただ、合戦で討ち死にする話などが出てきており、木村長門守重成に関しては表街道の話だったため後悔しております。一方、由瓶は、南青くんと三四郎の「男前寄席」に喚ばれたときの打ち上げ話や、もっちゃりーずでの打ち上げ話、三弥の借金話と、何か、本人は気に入っている話なようなのですが、何がお気に入りなのかがさっぱり伝わらず、その伝わらないおかしさに、客席はくすくす笑いが出てくるのですが、由瓶自身は、そのくすくす笑いの意味が解ってないものですから、同じような噛みあわない話を続けて、やおら「千両みかん」などという大ネタを出しました。ネタ下ろしのときと違って、船場言葉も板に付いてきたって感じで、かなりスムーズになってきました。ならば、どひゃーという驚きは止めて欲しいものです。もう一つ気になったのは、みかんを探すところ、最後の一箱は丹念に調べて欲しいものです。あれによって、みかんの値打ちが出てきますから。ということで、マクラは噛みあわないテンション、ネタに入って、ようやく天から舞い降りたって感じになりました。




2009年 3月 23日(月)午前 0時 13分

 今日は、3連休の最終日。午後から出勤だったのですが、合間を見て、映画を2本観ることができました。まず、1本目は、韓国映画「ファミリー」という超B級ヤクザ映画を観ました。ハードな抗争を繰り広げるというヤクザ映画の定番と言えば定番の筋立てなのですが、かなりのおちゃらけモードで、その上、あれでは、いくらなんでも死んだだろうと思われるにも拘わらず、次のシーンでは、ごく普通の姿で現れてきたり、元気に、大型トラックを運転していたり、B級と言うのもはばかれるC級映画と言った方がいいかもしれない作品でした。筋立ては、仁川の裏社会を手に入れた兄弟ヤクザが、裏切りと仕返しに遭ってしまうというものなのですが、主として、自分たちが追い出した元のボスが押さえていたクラブのホステスとの争いという風に描かれるものですから、それからして頼りない映画。おまけに、急に兄の方が、ホステスの一人を好きになったりと、脈絡もあやしい。そないななか、特別出演として、「B型の彼氏」のイ・ドンゴンや、「ラスト・プレゼント」のクォン・ヘヒョが出てたりと、ちょっとは目を引くところと言えば、そないなところかな。
 2本目は、アメリカ映画「君のためなら千回でも」を観ました。アメリカに避難したアフガン難民の男が、友人の息子を救いにアフガンに入り、無事、子どもを救出してくる話で、公開時にわりかし評判になったもので、観てなかったために観てみようと思い立ったのでした。まず、映画を観る前に、考えていなかったのは、二人の少年の関係でした。片方が、裕福な家の子どもで、もう一人は、その召使いという関係なんですね。ですから、つくすということを教えられ、また、そうすることに、アイデンティティを見いだしている少年に対して、もう一人の裕福な家庭の子どもは、それになかなか応えることのできない少年です。そして、そのことが、二人の別離につながっていきます。実は、二人の関係は、それだけで語れる関係ではなかったのですが。やがて、アメリカで大学も卒業というときになり、病身の知り合いを訪ねて、パキスタンに行き、そこで初めて、別れた召使いの子どもの死を知り、それも、その病身の男に促されて、アフガンに入って行きます。なんで、彼は、危険なアフガンに入っていったのか、何か曖昧なままで入っていくのに、何やら釈然としないものが残ります。子どもを、タリバンから救出するときの、映画的偶然性のようなものにも、釈然としませんが、そのタリバンの戦士が、大切なことを、一つ言います。「ソ連が侵攻してきたとき、お前は国外へ逃げ、俺は、ソ連と戦った」と。こないなことを言わせながら、アフガン、イコール悪的な描き方だと、「ランボー、怒りのアフガン」と、どのように違うのかということが、なかなか説明が難しいような感じがしてしまいました。一方で、ソ連侵攻があったとき、主人公親子のような家庭の場合、身の危険を味わったでしょうしとも思うのですが、設定に敷衍するものがなく、説得力を欠く部分だと思います。徹底的に悪く描かれるソ連とタリバン。裕福な人間は、アメリカに逃げ延び、召使いはアフガンに残り殺され、その子どもは、タリバンに連れ去られてしまう。そういった構図に抵抗を感じてしまいました。やはり、アメリカ映画なんですね、この映画は。
 夜は、仕事の関係で無理かと思っていた雀のおやどで続いています「桂雀三郎30日間連続落語会」に行くことができました。今日で、まだ2回目です。他の会とのバッティングはさておき、仕事で行けなかったこともあり、そないなことになっています。本日の番組は、市楼「長短」、雀三郎「わいの悲劇」、生喬「応挙の幽霊」、雀三郎「愛宕山」というものでした。思いの外と言っちゃ悪いのですが、市楼の「長短」が、とってもいい出来で、今まで聴いた市楼の中では、間違いなくベストです。鶴志からもらったことは、本人が断るまでもなく丸解りのごっつい声で始めてくれました。かなり鶴志コピー的な仕上がりなのですが、鶴志コピーがてぎるだけで、上首尾です。かなり、鶴志に鍛えられたんだろうなと思うテンポと間でした。ゲストは、生喬。これだけ、主役の雀三郎にネタ出しをされていると、ゲストはネタ選びに苦労するはず。そういった意味で言いますと、生喬は、いいネタを用意したものです。ちょっとなれなれしくて、我が儘な幽霊がおかしい。生喬が演じると、愛くるしさまで付いてくるので、余計におかしみが増します。生喬の奥様も来られていましたので、15日にあった成恩寺で、生喬が下ろしたネタを伺うことができました。九雀からもらった「仔猫」だったとか。九雀からは、初めてもらったネタだそうで、生喬のネタを考えると納得です。希少性を重んじて、「アジアン映画祭」に行った報いで、「仔猫」は聴けなかったのですが、聴きたかったなぁと思わせられるネタでした。残念なことをしてしまいました。で、肝心の雀三郎ですが、「わいの悲劇」が素晴らしい出来だったのに対し、「愛宕山」は、聴いていてせわしなくて、落ち着かなくて。「わいの悲劇」は、湯水のように、日本芸能ネタが飛び出すのが、圧巻。それが、実際にはありえない落語的世界の住人が繰り広げてくれました。間髪を入れずに、芸能ネタが飛び込んでくる勢いが、とっても心地良いものがあります。最近、雀三郎の口演を聴いていて、口の中でもごついてしまうことがあります。早口で、「愛宕山」のようにせわしなく進むときに、それが現れると、ちょっと興ざめになってしまいます。「わいの悲劇」は、そのもごつきが出ないで、パーフェクトな出来、「愛宕山」は、その逆でした。




2009年 3月 22日(日)午前 9時 14分

 昨日は、今年2度目となる観能に当てました。前回は、NHKホールでしたので、ちゃんとした能楽堂では、今年初めてとなりました。京都の観世会館に行ってきたのですが、観世会館も久しぶりで、1年は、間違いなく行っておりません。ひょっとしたら、2年空いているかもしれません。「京都観世蛍雪会」という京都在住の観世流師範の人たちの出る会で、月例の観世流の定期能に次ぐ格を持っている会です。番組は、能「通小町」河村博重、 狂言「雁礫」茂山忠三郎、能「班女」越賀隆之、 能「舎利」松野浩行というもので、3月に「班女」は、びっくりの番組でした。3月に、もう、(夏に使う)扇は見捨てられていく運命なの、私も、契りを飼わした印にと与えられた扇だったけれど、結局、あの人は、秋になろうというのに現れないわ、私も、この扇と同じように、秋となった今は捨てられてしまったのね、、、こないな能は、あまりに似つかわしくありません。そないなこともあったのでしょうかと、責任転嫁をしていますが、一番の幽玄の眠りへと入ってしまいました。今回、久しぶりに、「通小町」って、すごい能だなぁと思ってしまいました。だって、小町の幽霊が現れ、菩提を弔ってくれと、旅の僧にお願いしているところへ、ちょっと待て〜、おまえさんに、そないに簡単に成仏してもらっては困るんだよぉと、小町に執念を残したまま亡くなった、あの百夜通いの深草少将が現れてきます。そりゃそうよと、観る者は納得の態。だけど、怨念、執念ていうのはすごいです。そういった凄さがあるからこそ、百夜通いを決行したのでしょう。、辻褄が合ってます。やっぱ、「通小町」って、すげえやの再認識でした。演者に感心しましたのは、「舎利」。泉涌寺の舎利を奪った足疾鬼に対し、韋駄天が参上して、「おんどりゃ〜、何さらしとんのや〜〜〜」と現れ、丁々発止取り合い、壮絶な格闘を展開するという典型的な5番目能。こういう能があって、幽玄の眠りに誘う能っていうのがあって、バランスをとりながら能楽っていう芸能は発展してきたのでしょう。こういった能の演者として大切な点は、どれだけ、体の切れがいいかっていうこと。そういった意味では、松野師は、素晴らしすぎました。正先に出された一畳台から横っ飛びに、韋駄天から落とされ、と同時に、下居しながら右袖を頭上にかざす、この切れはカミソリの味。更にびっくりは、正先の一畳台は、一番前まで出さず、そこに足疾鬼が韋駄天に抑えつけられたあと、足疾鬼は、後ろ向きに、一畳台に飛び乗り、連続して後ろ向きに一畳台を飛び降りるという、あっと驚く早業に仰天です。一歩間違えば、一畳台は動くは、自身もバランスを崩すわで、危険な技、こういった切れのいい動きは、もちろん、常の動きの随所に見られ、とにかく、この日の圧巻。余程の運動神経がないとできるものではありません。いや〜、大満足でした。狂言の忠三郎は、まもなく81歳、全然、変わりませんね。元々、枯れた芸風の人ですから、老いというものが出てこない人です。ついでに、「班女」のアイも観たかったなぁ、久しぶりに。昨日は、息子の良暢が務めましたが、ちょっとがなりすぎていたので、忠三郎のアイを見たかったと思ったものです。
 昨日のお出かけは、観能だけ。あとは、家で、日本映画「キサラギ」を観ました。2年ほど前だったでしょうか、えらくヒットした映画で、映画館にも、足を運ぼうかとすら思った映画でしたが、時間が合わなくって、レンタルでも、未だ観ていなかったのです。ようやく観たのですが、納得です、ヒットしたわけが。ほぼ、一室で展開される台詞劇、しかも、推理劇で、謎が深まるばかりっていう筋立てですから、これは、おもしろい。登場人物それぞれに、仕掛けも用意されていて、「でぶっちゃー」は、かなり無理っぽいですが、ま、そのくらいはご愛敬で良しとしましょう。
 ということで、3連休の3日目に入っています。黄紺は、この日曜日は、午後から振り替えなしの出勤です。外は雨です、出るだけで鬱陶しいのですが、この雨は嫌ですね。救いは、昨夜、珍しく10時間も眠ったことかな? でも、気分が晴れないのは、仕事と雨のせいですね、きっと。




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