忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2010年 6月 20日(日)午前 6時 44分

  京都市遊歩(15)写真集

 昨日の朝は、5時半に目が覚めたのに、相変わらずぐずぐずしていて、気が付くと、予定していたお出かけ時刻に近づいている。なんか、時間の観念にひびが入ってしまったようです。抽象的に、時間の長さを計りにくくなってきているのかな。昨日は、なんとか間には合いましたが、ウォーキングのあとに、体を休めてからコンサートに行くという心づもりは実現しませんでした。そのウォーキングのコースは、次のようになりました。近鉄「伏見」駅〜加賀屋敷児童公園〜安楽寿院・鳥羽離宮跡・近衛天皇陵〜イタリア料理店「アルフォルノ」〜田中殿公園〜鴨川左岸〜鳥羽大橋〜国道1号久世橋交差点〜稲村橋〜祥島橋〜洛南中学校〜九条病院〜東寺〜西九條児童公園〜烏丸札ノ辻交差点〜長寿院〜宇賀神社〜韓国料理店「大邱」〜陶化橋〜京阪「鳥羽街道」駅。昨日は、城南宮を目指そうかという気持ちで歩いていたところ、広めの木立を発見、中へ入っていくと、安楽寿院でした。鳥羽離宮あととのプレート、おまけに御陵まである。そのため、城南宮は、またの機会に行くとします。鴨川には、鳥羽大橋の上流左岸に、突然出てしまいました。そして、その鳥羽大橋という橋が、どのような位置関係になってるのか、しばらく分からない状態。どうも地図を持って出ないと、ダメですね。久世橋通とクロスするなんてところまで来て、ようやく、1号線だと分かりましたが、晴れてないと、方角すらも分からないまま歩いている始末です。でも、終わってから考えてみると、桂川方向へ行ってしまうと、不慣れなところなもので、どこへ行き着くか、それに予測が立てられない状態だったと思いますから、これはこれで、良かったのかなと思い直しました。
 午後は、服を着替えて、京都コンサート・ホールであった「京都市交響楽団第536回定期演奏会」に行ってまいりました。昨日は、めったに出ない「マーラー交響曲第7番」の出る日だったのです。マーラー好きの黄紺も、7番のライヴに遭遇するのは、初めてのことです。指揮は、高関健でした。そのマーラーの前には、ウェーベルンが二つ、「管弦楽のための5つの小品op.10」「大管弦楽のための6つの小品op.6 1928年版」が演奏され、休憩を挟んで、後半にマーラーが演奏されました。長大なシンフォニーです。カウベルが入ったり、マンドリンが入ったりと、そういった普段では使われない楽器が入るだけではなく、オケ全員で103名が舞台に上がるという規模の大きさがすさまじいです。そのようななか、マンドリンの音だけが、とつとつと響き渡ったりします。そういった静かなパートを持っているところから、「夜の歌」なんて呼ばれ方をしています。黄紺は、マーラーの各シンフォニーの自分的ベストという演奏を決めていますが、この7番は、バーンスタイン。魑魅魍魎が徘徊してるのではと思わせられる妖しげな音色を出して、不思議ワールドに導いてくれる演奏が耳に残っているものですから、それと比較してしまいます。序盤は、正直、音を追っかけているという感じで、聴いていて居心地の悪い演奏。ところが、徐々にまどろみ出しました。この曲は、まどろみながら聴く曲だと思っている黄紺にとって、徐々に耳になじんできた証拠です。何か、この音楽を聴いて、人生を考えるとかという曲ではなく、音の流れを楽しむ曲だと思っているのです。そして、気分よくまどろめれば、最高と思っているのです。5楽章は、勢いとリズムで、走りに走るところです。もう気分は最高。ここで、まどろみから醒め、ジェットコースターに乗っちゃうのです。京響もすごいわ。好演です。
 コンサートが終わったのが、5時3分ほど前。そこから、地下鉄で三条まで移動し、5時40分上映開始の映画「告白」に、無事、間に合いました。場所は、「新京極シネラリーベ」です。新京極のど真ん中です。「告白」は、今、話題の映画。動員力もすごいですね。1回前の上映は満席だったようです。周りは、若い人ばっかり。でも、若い人向きという映画ではありません。誰が観ても楽しめる、とってもとってもおもしろい映画です。冒頭、中学校のクラス担任である松たか子の静かな告白から始まります。教室内は荒れていますが、担任役の松たか子は、静かな口調で、自分の娘が、このクラスの生徒二人に殺されたと言い、名前こそ明かしませんが、皆には誰かが判るように話していきます。そこから、殺人犯の二人が、どのようになっていくのか、また、告白を最後に学校を辞めた松たか子は、どのようになっていくのか、なんてことで、話が進んでいきます。デフォルメしたキャラ作りなんかが気にならないほど、展開がおもしろくできています。この映画、うまく作ってあるなと思ったのは、学校を辞した松たか子が、しばらく全く出てこないのです。いや、もう出てこないのだと思い込ませられた頃に出てきます。これが、倒叙の手法に役立ちます。原作は、どうなってるのでしょうか? 倒叙の種明かしと、新たな進行、そして結末へと導くという憎い進行です。ですから、見ている者を、最後までぐいぐいと引っ張っていきます。これは、お薦めの一品です。




2010年 6月 19日(土)午前 7時 39分

  大阪市遊歩(67)写真集

 昨日は、予報通り、雨の一日。一昨日に比べて、気温は下がりましたが、雨は嫌です。予定していた時間帯に、ウォーキングができなかったのです。午後には、降りが強くなるというので、午前中にウォーキングを設定していたのができませんでした。雨足が強くなれば、途中で止めることも考えて、一旦スタートしましたが、歩き出してからも躊躇する降り。ものの5分も歩くと、ズボンが、早くもギブアップ状態。それで観念しました。京阪「土居」駅から歩き出していたのですが、引き返しました。20〜30分歩いてから判断してもなんて考えていた黄紺が、バカでした。替わりに、雨は止んだと判断して、夕方にウォーキングに向かったのですが、ズボンが水びたしになり、もうサイテーでした。ウォーキングができたのはいいのですが、気持ち良くやりたいものです。そこで、昨日は、まず、ウォーキングのあとに行くつもりをしていましたワッハのライブラリーに向かうことになりました。従って、お昼ご飯も、思いの外早く食べてからの、ワッハ入りとなりました。昨日の試聴ラインナップは、次の通りです。@NHK-TV「東西浪曲特選」、天龍三郎(曲師:古川春光、G:安井久雄)「三河屋甚兵衛」、春野百合子(曲師:大林静、箏:小泉栄子)「新釈南部坂(高山敏春作)」A毎日放送「笑いころげてたっぷり枝雀」、ゲスト:友里千賀子、枝雀「船弁慶」BNHK-TV「芸能8時館〜師匠!今夜は無礼講・海原小浜〜」、1)ざこば「小浜の生い立ち」、2)お浜・小浜「漫才」(S.51.1.3第4回上方お笑い大賞)、3)(証言)タイヘイ夢路・藤田富美恵(秋田実長女)、海原さおりしおり、4)(VTR証言)上沼恵美子、鶴瓶、ミヤコ蝶々、5)(証言)梅本一夫(お浜実子、元めだかの相方)、ざこばC朝日放送TV「枝雀一座アメリカ・カナダ英語落語珍道中」、(出演者)枝雀、枝代夫人、枝雀の実子二人、南光、九雀、む雀、イーデス・ハンソン、非常階段。@の浪曲は、2度目の映像資料。「南部坂」だけを観ようとしたのですが、その前に、天龍三郎が入ってるものだから、一緒に観てしまいました。Aの「船弁慶」は、前半の雀のお松が印象に残るかと思っていたのですが、むしろ後半の能楽のパロディの部分が印象に残ってしまいました。雀のお松は、枝雀ならば、当然、これはやってくれるという先入観があるからなんでしょうね。それに対し、能がかりのところは、頭ぬけたうまさにびっくりしたのです。さすが、凝り性の枝雀です。徹底しています。Bは、以前、ざこばで検索していて見つけていたもの。小浜は4歳から舞台に立っていたそうですが、家が芸事の家ではなく、隣が芝居の小屋だった縁で、この世界に入ったよう。ミヤコ蝶々とは、この世界で10代の頃からの知り合いで、ツーショットで撮った写真が残っていました。Cは、先日観ようとして、検索していて見つからなかったので、昨日、また、「枝雀」で検索していると出てきたので、とにかく観ることができるときに観ておかなくっちゃで視聴しました。ただ、安上がりの番組で、映像は、同行した人たちが撮ったものを活用しているだけで、枝雀一行に同行取材したものではないという番組。だから、番組の主体は、参加者のスタジオでのトーク。枝雀の弟子で九雀とむ雀が同行しているのは、英語が解るということだそうで、南光は、番組の司会者として出演してました。映像が少ないものですから、時間が持たない。そこで、イーデス・ハンソンを出演させたり、当時、英語漫才をしていた非常階段を出演させています。ちょっと、お寂しい番組ですが、枝雀夫人(現かつら枝代)や実子(一知が高校1年)が出場して、枝雀の弟子らとの生の会話が聴けるのは、ケガの功名というやつですし、非常階段を観れるのも嬉しい限りです。シルクの方が、喋りっぱなしという漫才なんで、彼女らの大阪外大での学科を調べてみると、やっぱ、黄紺の勘は大当たりでした。シルクは英語学科。みやこはスペイン語学科でした。でも、みやこの元気だったときの姿を観ると、嬉しいと同時に、涙が出てきそうな感じになりますね。肝心の枝雀の英語落語は、バンクーバー公演の「White Lion」の終盤だけ。黄紺は、枝雀の英語落語のライヴを観ず終いでした。ほんの僅かの映像を観ただけでしたが、後悔でした。英語落語でも、枝雀、うまいわ、ホント。
 ワッハを出ると、雨が止んでいました。ひょっとしたらということで、すぐにウォーキングに移れるように準備をして、下に降りたのですが、まともに大当たりでした。とにかく、午前中に行っていれば、歩いただろうというコースの逆向きを目指し、最後は、手近な京阪の駅に到着しようということだけを決めて、歩き出しました。詳しいコースは、次のようになりました。NGK〜インド家庭料理店「SINGH'SKITCHEN」〜地下鉄&近鉄「日本橋」駅〜タイ風ラーメン店「ファン・サパロット」〜高津神社〜南税務署〜空堀商店街〜地下鉄「谷町4丁目」駅〜NHK大阪放送局〜大阪城〜京橋・大坂橋〜大阪私学会館〜東野田公園〜地下鉄「京橋」駅〜新京橋商店街〜地下鉄「野江内 代」駅〜京阪「野江」駅。最初は、雨は止んでいたのですが、歩き出してから40分後あたりから、再び降ってきて、最後の40分くらいは、さんざんな降りでした。ズボンが、前面は、完全に水が浮いている状態。ちょうど天満橋や京橋に逃げ込み易いところに来ていましたので、切り上げようかと思ったのですが、もうその段階で、完全にぐっしょり状態でしたので、もう手遅れということで、ならばと2時間歩き続けることにしました。ただ、一つ、頭を使ったのは、新京橋商店街を歩くことで、5分余は、雨を避けることができたことです。最後は、一旦、「関目」を目指しかけたのですが、無難にと、「野江」に切り替えました。大阪城では、トルコ人女性の3人づれを見かけました。閑散としている大阪城内に、トルコ語が響くという見慣れない光景に、にんまりでした。ほとんど人影を見なかったのですが、外国人が目についた大阪城でした。黄紺も、中国人らしき方に道を聞かれたりしてしまいまいた。
 「野江」から天満橋経由で南森町へ。夜は繁昌亭の「桂あさ吉独演会」でした。あさ吉が「地獄八景亡者戯」を初演するというので行ってまいりました。師匠吉朝の得意ネタですので、あさ吉テイストで、どうなるか、これはおもろいでぇというノリです。番組は、福丸「転失気」、あさ吉「鷺とり」、阿か枝「延陽伯」、豊来家玉之助・豊来家大治朗「獅子舞」、(中入り)、あさ吉「地獄八景亡者戯」となりました。福丸は、先日、ちょっと評価したのですが、昨日は逆戻り。ネタがネタなので、しゃーないかの気分です。「鷺とり」は、あさ吉にとって、入門後習った3つ目のネタだとか。終わって楽屋に引き上げると、お手伝いに来ていた吉坊から、「昔の状態に戻っている」と言われたとか。どうしても習ったときの口調になってしまうと、あとで出てきたときに、あさ吉は述懐。「延陽伯」は、ほぼダウンでした。ウォーキングの影響かと思います。「獅子舞」は、「深川」に合わせての舞い。あさ吉は、舞台の端に出て笛を吹いてくれました。これが聴きもの。日本舞踊の踊り手でもある豊来家のお二人もさることながら、あさ吉の笛は、やっぱ違います。ひしぎで解りますね、その辺は。それに加えて、音が生きているか、息吹があるかで解ります。あさ吉が違うというのは、この辺です。笛を吹く前、あさ吉は、「笛を吹いているときは、ホントぬ楽しい」と言ってましたが、それが音色に現れてきていると思いました。肝心の「地獄」ですが、なんか進み具合が早いなと思っていると、40分余の口演でした。渡船場や船賃あたりから短めに、六道の辻に入るまでの描写をカット、賑わいも短めかな、閻魔の庁にはいるところも短め、そして、お楽しみの一芸コーナーはカットという具合で、あれよあれよという間に、人呑鬼が出てきてしまいました。人呑鬼が出てきてしまうと、終わりだなの感じですもんね。古いくすぐりの中に、黄紺などには、解りにくい新しいくすぐりなんかも入り、やっぱ、このネタをするときの気負いのようなものを感じつつ、滑らかな口調に、思い入れの強さも感じました。




2010年 6月 18日(金)午前 0時 16分

 昨日は、高校時代の友人と、久しぶりに呑みました。タイ料理などを肴にしながらです。そして、今日は、とっても蒸し暑い一日でした。この夏になりかけ一番の蒸し暑さでした。相変わらずの寝不足のまま出勤した体には、かなり堪えましたが、明日からは、週末に入り3連休となりますから、もうこちらのものです。今夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってまいりました。番組は、生喬「青菜」、こごろう「鴻池の犬」、(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」というもので、落語の口演はもとより、後半の対談で、二人が話すネタあれこれが、とっても楽しみな会なのです。まず、生喬の「青菜」。これは、内弟子明け、初めての出稽古で、呂鶴から教わったもの。ちょうど、師匠の松喬が、落語を食べる会をやっていて、この「青菜」を食べる会が企画されたが、松喬一門には、「青菜」をする者がいないということで、生喬に行ってこいということになったとか。呂鶴には、あと「ちしゃ医者」をつけてもらっているそうです。生喬は、松葉に稽古をつけてもらうつもりで、「軽業」を教えてもらうことになっていたところに、この企画が出てきて、二つは同時にできないので困っていたところ、ちょうどこの時期に、松葉が検査入院をしたために、稽古に行く時期がずれたということなのだが、もう松葉の最晩年のこと。結局、松葉からは「軽業」の後半だけをつけてもらったそうです。前半、即ち「もぎ取り」までは、米之助につけてもらったと言ってました。呂鶴は、丁寧に、辛抱強く、ネタをきっちりつける人だそうです。逆に、普段の柔和な人柄の松葉が、厳しい人だと言ってまし。あと、松喬の下での内弟子時代には、9つのネタをもらったと言い、そのネタ全部を、さらさらと言ったのですが、早口過ぎて、よく分からなかったのが惜しまれます。生喬の「青菜」は、5人の登場人物が、きれいに描き分けられており、それがきっちりと、客のイメージ・ポケットに入り込んでいますので、定番のちょっとくさめのくすぐりも、あざとさとかを感じさせない気持ちのいい高座だったと思います。一方の「鴻池の犬」は、「わんわん連合」「骨吸い」が入りますから、千朝伝来ということは、丸分かりでしたし、対談で、こごろう自身、それを言っていました。そして、そこから、千朝落語について、話題は広がっていきました。あの一字一句まで、丁寧に語る口調の解明です。こごろうは、それを実演をしてくれました。間の取り方で、こごろうなんかが演じるときと、所要時間は同じだそうです。そういった手法で、感動を伝える、もう名人としか言い得ないとまで、こごろうは言ってました。実際、「千朝落語を聴く会」の動員力は、半端ではありません。千朝のリタイアの話にも及びましたが、千朝は、落語界を離れていた時期もネタを繰っていたはずとのこごろうの発言に、会場はどよめきました。で、肝心のこごろうの口演は、ナイスなもので、千朝仕様のくすぐりだけではなく、オリジナルなものも用意しています。こういった工夫を、どのネタにも織り込んでくれるこごろうに支持が集まるのは、当然の帰結かなと思います。




2010年 6月 15日(火)午後 10時 48分

  大阪市遊歩(66)写真集

 昨日は、真っ直ぐの帰宅。おまけに今日は、朝一番に、結核予防会で、胃カメラ検査を受ける日。朝一番で、さっさと済ますことができる火曜日か金曜日かで探すと、今日になってしまいました。ちーとは時間がかかるだろうと思っていたら、もう9時15分には、検査は終了。ならばと、その前からウォーキング。ただ雨が降っていましたので、降り方によっては、途中で切り上げることも考え歩き出しました。幸い雨は、中ほどであがり、2時間のウォーキングをすることができました。午後には、繁昌亭に行くことになっていたこと、ウォーキングはないだろうということで、地図を用意していませんでしたので、なくても大丈夫なコースとなりました。詳しいコースは、次のようになりました。結核予防会大阪支部〜コリアン・キッチン「初中後」〜地下鉄「本町」駅〜地下鉄「西大橋」〜高台橋公園〜大阪ドーム〜阪神なんば線「ドーム前」駅〜大阪市電創業の地碑・ナインモール〜松島〜松島公園・梅本橋顕彰碑〜本田小学校・日本聖公会川口基督教会〜城達蔵橋〜船津橋〜大阪卸売市場〜大阪厚生年金病院〜福島天満宮〜中之島ガーデンブリッジ〜京阪「大江橋」駅〜大阪水上バス&京阪「淀屋橋」駅〜京阪「北浜」駅。今日のコースは、その場その場の思いつきです。雨が強く降っていたときは、いつ切り上げて、ネットカフェに、簡単に逃げ込めるように、そして、雨が小降りになり出してから、えいやーっと西へ進路を切りました。九条まで行くと、朝早いので、松島が歩きやすいかな、松島まで行くと、松島公園にトイレがあるなと、場当たり的です。が、そこまで行ってしまうと、ぐるっと一周するのもいいかということで、福島経由梅田か、中之島を進み淀屋橋方面を目指すかの選択になり、時間的に、後者が無理のないものと考えました。「淀屋橋」駅で、ちょうど2時間でしたが、繁昌亭までの移動を考え、「北浜」まで、足を延ばし終わることとしました。
 「北浜」から繁昌亭は、おなじみのコース。先週の金曜日についで繁昌亭昼席です。今日は、吉弥が中トリをとり、あやめがトリをとるということで押さえてあったものです。その番組は、生寿「子ほめ」、三ノ助「動物園」、達瓶「うどん屋」、豊来屋一輝「太神楽」、仁嬌「湯屋番」、吉弥「ちりとてちん」、(中入り)、田淵岩夫「漫談」、文也「悋気の独楽」、喬楽「花色木綿」、あやめ「義理義理コミュニケーション」というものでした。今日は、地方からの爺さん、婆さんが、たくさん入っていて、出演者も、それを感じていたのでしょうね、ベタな演目が並びました。今の繁昌亭は、これが、一番アンラッキーなことです。替わりに、大入りでしたが。一方、黄紺は、胃カメ ラ検査を受けるということで、昨夜の8時以後、食事はできない、当然、酒も呑めないということで、寝不足。昨夜は、カメルーン戦を観る前に寝ていたもので、それが終わってから、ほとんど寝てないのです。そこへさして、できないと思っていたウォーキングができたものですから、かなりの部分、体が起きていないのです。まともに聴いた方を数えた方が早いくらいでした。豊来屋一輝、吉弥、あやめの三人は、ダウンを許しませんでした。豊来屋一輝の茶瓶の芸には、思わず声を上げてしまいます。吉弥は、カメルーン戦やアイスショー観戦ネタで笑いを取ったあと、「ちりとてちん」再放送PRなんでしょうか、おなじみのネタに。でも、これが、以前と随分と手が入っていました。吉朝が、自在にネタで遊んだ手法が、吉弥にも入ってきました。口笛を吹いたり、体の上下の動きを手で示す手法を入れたりと、何度も吉弥で聴いているネタが、とっても新鮮に映りました。あやめは、繁昌亭では、ネタを決めていますね。「大奥」か、これですね。でも、今日の客には、響き方がちょっと鈍かったな。言葉に対する響きが弱いですね。仕方ないかと思える客層でしたが。達瓶の「うどん屋」は、「上燗屋」だと思うのですが。ただ、途中でダウンしてしまったので。発表された書き方をしておきます。なかなか良かったのが、仁嬌。若旦那のぼんぼん度がおもしろい。それと、序盤に聴いたことのない部分がありました。若旦那を鬱陶しく思うかみさんに、ご飯を満足に与えられないから、若旦那が、喉に小骨が刺さったと言って、近所の家に、ご飯を求めに行くところ。こんなの記憶にないのです。そんなこんなで、「湯屋番」ベストかもしれません。また、笛が文太だったのに、びっくり。えらいうまいので、あさ吉あたりの若手の名手が吹いてるのかと思ったのですが、まさか文太が担当とは、びっくりでした。表での一番太鼓が飛梅、鳴り物にはさろめ、こんなのを見ると、新しくどんどんと変わっていってるのですね、上方落語界も。
 繁昌亭昼席が終わると、おなじみの南森町のネットカフェで時間調整。夜は、そこから歩いて10分のところにある北区民センターに行き、「第194回天満講談席」におじゃまをしました。今日は、上方講談協会の総会があったとかで、出番のない講談師さんも、会場に詰めておられました。南左衛門と南華のツーショットを見れるか期待したのですが、無理でした。で、今夜の番組は、南斗「秀吉と利休」、南青「荒川熊蔵」、南左衛門「左甚五郎旅日記〜竹の水仙〜」、左南陵「次郎長の貫禄」というものでした。「秀吉と利休」は、講談会では定番のネタ。秀吉が、何にも動じない利休の姿を見て、茶道の奥深さを知るというもの。「荒川熊蔵」とは、加藤清正の家臣のようです。ようですというのは、前半でダウンしてしまったのです。金太郎のような出で立ちで、力持ちの少年が取り立てられるところまでは大丈夫だったのですが、そこから時間を飛ばした後半戦は、ダメでした。「竹の水仙」は、落語の基になったもの。このネタを落語家したのは、行方不明の枝鶴ですが、ほとんど講談のままです。細かなくすぐりも、南左衛門の口演に入っており、それが、落語の方でも聴けます。ただ、甚五郎の泊まった宿は、鳴海の宿という設定ですが。左南陵の次郎長もの、今回も楽しみにしていたのですが、序盤に前回の繰り返しが入り、気が抜けた瞬間、もう意識が遠ざかっていました。




2010年 6月 13日(日)午後 10時 57分

 雨の一日になり、また気温が、このところに比べると、結構下がった日となりました。今日は、朝9時をメドにお出かけ。行き先は、10時半開演の文楽劇場。6月は、「文楽鑑賞教室」と称して、初心者向けの解説が入ったりする公演です。中でも、今日は、大阪市が「文楽デー」として、同じ公演でも格安の日となっています。番組は、「団子売」「解説 文楽へようこそ」「ひらかな盛衰記〜松右衛門内の段、逆櫓の段」というものでした。「ひらかな盛衰記」っていうのは、「源平盛衰記」、それを平たくというのが、「ひらかな」の意味らしい。今日、演じられたのは、木曽義仲亡き後、その遺子をめぐる物語。追っ手に踏み込まれ、義仲の遺子が、すんでのところで、同じ宿に泊まり合わした子どもと取り違えられ、難を逃れる。逆に、遺子を連れて逃げた一家は、取り違えた子どもを育てるとともに、息子が戻って来る日を心待ちにしている。ところが、希望を砕く知らせ。悲嘆が一家を襲うという、しんどいところ。ストーリー的には、またかと思う取り替えての首はね。幼い子どもが、簡単に殺されます。それを知ったときの、爺さんの嘆きが聴かせどころ。ど迫力の嘆きは大仰と言ってしまえば、それだけですが、でも、それが文楽と思えば、らしいです。ですから、堪能できました。続いて、超絶技巧の三味線の「逆櫓の段」に圧倒されました。三味線の掛け声も、大きな推進力になっています。ここまで、凄まじい三味線を聴いたのは、「テンペスト」以来です。
 文楽が終わったあと、食事をしてからウォーキングに入る予定にしていたのですが、外は、かなり強い雨が降っていたので、ウォーキングは断念。後ろに、予定が控えている場合は、雨が強いとウォーキングはできません。もう2時間歩くと、ズボンもカバンも、ぐっしょりで、どうしようもなくなりますから。そこで、急遽、ワッハのライブラリーが近いものですから、そちらに行くことにしました。本日のラインナップは、次のようなものとなりました。@朝日放送TV「枝雀寄席」、ゲスト:上岡龍太郎、枝雀「佐々木裁き」ANHK-TV「東西浪曲特選」、五月一朗「名月松阪城」、京山幸枝若「千人坊主」B朝日放送TV「和朗亭〜オールド寄席6〜」司会:米朝・大津十詩子、広沢瓢右衛門「征韓論、西郷南州と島田一郎」、篠田実「紺屋高尾」、木村松太郎「慶安太平記」。最初に、枝雀が、英語落語で、アメリカを回ったときのレポート番組を見つけていたので、それを観ようと探していたのですが見つからず、替わりに上岡龍太郎をゲストに迎えた「枝雀寄席」があったので、それを選びました。「佐々木裁き」は、他の噺家さんの口演と違って、全体的に明るい。だけれども、お奉行さんの威厳は、しっかりと表されているという、さすがの出来栄え。白吉を、お奉行さんは、自分の横に座らせて、対話をしていきますが、枝雀ほど、きっちりと二人の位置を意識しての高座は観たことがありません。そして、絶好調枝雀の最大のポイント目線も、それに合わせて、お奉行さんの威厳やら何やら一切を表しています。最後は、下げを言わないで、「××の若かりし頃のお話でした」で降りました。「東西特選」の映像はから、先日、小円嬢を観たのと同じ番組です。あのとき省いた五月一朗と、あのとき半寝で聴いてしまった幸枝若を、再度観るのを目的としました。五月一朗のネタは、昨日、天竜三郎で聴いたネタ。わりかし気に入ったこともあり、そして、まだ聴いたことのない大物がやってるというので、聴こうとしました。ネタ的には、基本的に同じ進行、内容ですが、天竜三郎の方が、おもしろくするため、若干いじってる箇所がある程度でした。聞き直してみて、やっぱりいいなと確認できました。「千人坊主」は、左甚五郎ものです。大久保彦左衛門が、島津の殿様と、意地の張り合いをしたために、結局、甚五郎に、難題がふりかかってきてしまう話。重点は、その張り合いと、彦左衛門が、難題を甚五郎に持ってきて、甚五郎が困るところ。で、できたのか、、、その前で切りました。クライマックスに行く前に切り上げられては、文句を言いたくなります。「和朗亭」は、ディープなものに仕上がっています。広沢瓢右衛門79歳、篠田実(初代)と木村松太郎は77歳の高座です。瓢右衛門は、典型的な悪声。どこかにおかしみが入るというので、米朝などに、晩年、随分と紹介された方。それは、よくわかっていたのですが、当時は、浪曲に関心がなかったもので、実演には接していないのが、今となっては、めちゃくちゃ惜しまれます。篠田実は、引退して、二代目の襲名も終わっているところを、番組が引っ張ってきたとか。大正年間以後、「紺屋高尾」で大ブレイクしたとか。「紺屋高尾」が、そないに人気を博したネタだと、初めて知りました。5月に木馬亭で聴いたところでしたが、そんなこととは、全く知らずに聴いていました。木村松太郎は、時間の関係で、半ばまでしか聴くことができませんでした。語りが、とっても小粋な感じで、好感を持てました。
 そして、時間を合わせて、「in→dependent theatre 2nd」に移動。「劇団925」の公演「福喜多さんちの三兄弟2」を観てまいりました。この劇団は、元「劇団そとばこまち」の中西邦子一人の劇団。客演も、関西小劇場界で知られた人たちだったので行ったのですが、役者は花◎、脚本は、えーっ、、、うーん、です。こんなのを、今どき芝居にする劇団があるんだの驚きです。後妻さんと先妻さんの息子さんたちとの関係性、それが描かれるだけの芝居です。下世話な日常が描かれる、そういった芝居です。これで、公演が打てるんだという不思議、それを好意的に受け入れている若い客がいることの不思議、大まじめに、しかも、めっちゃ上手に演じる役者がいることの不思議、そないな芝居です。違った人が脚本を担当するなら、喜んで観に行きたい劇団。今日の芝居で続編が作られれば、あまりにもの不思議で、行っちゃうかもと思わせられる不思議もあります。




2010年 6月 13日(日)午前 0時 25分

  大阪市遊歩(65)写真集

 昨夜、W杯を観ながらダウン。しかし、夜中に目が覚めてしまったために、結果的に朝寝坊。休日じゃないときは、寝不足で出勤となるところだが、休みの日は、朝寝坊となる替わりに、寝不足は解消できます。これは、ありがたいことと思わねばなりません。でも、午前中に予定していたことウォーキングができなくなり、それを夕方に回すこととなり、その夕方に予定していたワッハのライブラリーの利用が吹っ飛んでしまいました。ま、今日でなくっちゃということではありませんから、ダメージはあまりないのです。ですから、今日のお出かけは、午後の部からとなりました。まず出かけたのは、最近の恒例となっています「一心寺門前浪曲寄席」。今日は、天王寺駅から歩いてみました。今日の番組は、京山宗若「源太恋しぐれ」、真山誠太郎「長兵衛男の花道」、春野美恵子「樽屋おせん」、天竜三郎「名月松阪城」というものでした。「源太恋しぐれ」は、宗若さんの口演でだったかどうか、それは自信がないのだけれど、二度目の遭遇となるネタ。長いネタの一部のいいところ取りなんでしょうね。理不尽な荒い男がいたものです。金を持っている男と知ると、簡単に命を狙う。狙う方、狙われる方に、因縁がある関係だということも語られはするのですが、いいところ取りなんで、聴く者には、もう一つ分かり難いですね。志ん生の落語を聴いていても、同様の、わけのわからない荒い男が出てきますが、どうしても、その手の話に出逢うと引きます。このネタも、その一つです。「長兵衛男の花道」の「長兵衛」は、「播随院長兵衛」。これも、播随院長兵衛の話のいいところ取り。播随院長兵衛の最期が描かれます。旗本白柄組の傍若無人に対して町衆を守ろうとした町奴播随院長兵衛が、惨殺される部分です。その死を受けて、水野十郎左衛門が後始末に動くと繋いでいきました。これも、むごい話なんで引きました。二連発で引いてます。いや、引くのは三連発になってしまいます、実際は。「樽屋おせん」のご寮はんはあきません。こんなの野放しにしておいたら、あかんでぇという女。聴くたびに、同じことを感じてます。だけど、船のもやい綱を切るおせんて、興味を掻き立てさせられる女ですね。それに、春野美恵子さん、わりかし気に入ってしまいました。春野恵子の口演は、お嬢さん芸で、きれいに、そつなく仕上がってる感じ。大阪弁になっていないから、必要以上に、そのように見えてしまいます。春野美恵子は、ベタベタの大阪弁、しかも、かなりおばちゃんが入ってますから、語りの部分は、めちゃくちゃ庶民的。春野百合子の欠片すらも感じさせません。でも、節になると、品が出てきます。よく伸びる高温、いいっすねぇ。95歳となった天竜三郎師の口演は、朝日放送が収録してました。「名月松阪城」は、師が、初めてNHKで収録した演目だそうです。「名月松阪 城」は聴きたかったネタだったので、表に張り出されていた番組表で見つけときは、嬉しかったですね。酒癖の悪い殿さんが、家来を口汚く言うのを咎めた家臣を、閉門の措置にしてしまったため、その家臣は逃亡してしまった。あとでしまったと思っても後の祭り。でも、あとでしまったと思える殿さんだから、バカ殿ではない。そのため、逃亡したことも許せるし、また、自分に意見してくれたことに感謝もできる。となると、あとは、和解が設定されればいいのですが、それを、またおもしろく作ってあります。なかなか後味のいい作品。後味のよろしくないネタの三連発のあとに、ようやくほっとできるネタに出会えました。
 浪曲が終わると、その一心寺南会所前を起点に、ウォーキングのスタートです。今日は、JR環状線の南側、西成区内を歩いたあと、大正区内をしっかりと歩こうとしました。詳しいコースは、次のようになりました。一心寺南会所〜大阪市立美術館〜天王寺動物園〜新世界〜沖縄料理店「めんそ〜れ沖縄」〜今宮高校〜地下鉄「花園町」駅〜梅南2公園〜西成沖縄県人会館〜津守1交差点〜南海汐見橋線「津守」駅〜西成高校〜北津守小学校〜木津川大橋〜泉尾東小学校〜泉尾幼稚園〜臨港緑地〜大浪橋〜桜川公園〜南海「汐見橋」駅〜阪神なんば線「桜川」駅。ちょっと欲張ったコース設定を、いつもしてしまうのですが、今日も、そうでした。西成区内を歩く機会は多くないので、結構欲張ってしまうのです。「花園町」駅の真西辺りに津守があるということに気づき、そして、時計に目をやって、いつもの欲張りをやってしまったことに気づきーので、えらいこっちゃでした。木津川大橋を降りたところで、残り50分。大正区役所の真西辺りの海岸べりだけにターゲットを絞り込んで、あとは大正駅方向に向かうだけでした。大正駅までだと、時間が若干余るということで、汐見橋方向へ。最終的所要時間は、2時間10分ということとなりました。歩き始めたあたりは、太陽が強く、かなりの気温上昇でしたが、もう5時前には、空は雲で被われていました。明日は雨という天気予報は当たりですね。
 「桜川」駅からは、阪神戦で一駅、難波に移動。夜は、ワッハの5階であった「桂文我はなしの世界〜桂文我『柿ノ木金助』連続口演!其の1〜」に行ってまいりました。珍しい噺が並ぶという文我らしい会でした。その番組は、さん都「二人癖」、文我「柿ノ木金助〔其の1〕」、(中入り)、まん我「豆炭」、文我「月宮殿星の都」というものでした。さん都は、冒頭に、「別に、顔と名前を覚えてもらわなくてもいいです」と、改名話を紹介してました。「柿ノ木金助」が、本日の目玉。だけど、これって、落語なのというのが、第一印象。講談を、噺家が語ってるって感じでした。具体的な人物名が出てきますし、大河的に続き読みですしと、その辺を、どう理解していいのか混乱状態です。そんなですから、頭がついていかない。具体的な名前が、どんどんと出てくるのが、とっても苦手な黄紺なのです。すると、途端に、ウォーキング疲れが出てきてしまって、お目当てのところでぐったり気味。もう、サイテーです。「豆炭」も、ウルトラ珍しいネタ。まん我の紹介で思い出しました。先代の福郎が持ってたネタです。豆炭をペットとする男の噺です。変な噺ですが、こういった発想を持てる人がいたって、すごいなとも思ってしまいます。「月宮殿星の都」も、滅多に出ないネタ。天への昇り方として、ウナギの天上っていう型があるってことは知っていたのですが、遭遇は初めてです。今まで、このネタって、たいそうな題名のわりにとの印象があったのですが、文我の口演で、ちょっと見直しました。「地獄八景」よろしく、独自くすぐり連発を入れてくれてます。天尽くしですが、それで、このネタに厚みが出ましたし、芝居噺的な効果音、それに合わせる文我の位の高さが、かなり重いネタに仕上がっていました。そういった思いを、文我自身持ってるから、こういった重みを感じたのでしょう。文我ベストの一つであることは、間違いないでしょう。




2010年 6月 12日(土)午前 1時 30分

  大阪市遊歩(64)写真集

 自分的週末3連休に入っています。明るく、かなり暑い一日でした。今日も、朝からたっぷりと楽しい計画を立てました。まず8時40分をメドにお出かけ。ウォーキングの準備に取りかかりました。今日は、天気もいいことでしたので、久しぶりに淀川を渡り、西淀川区内に入ってみました。もちろんあとのスケジュールを考えてのことです。詳しいコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜中之島緑道〜朝日新聞社〜京阪中之島線「渡辺橋」駅〜毎日新聞社〜JR環状線「福島」駅〜将棋会館〜福島7交差点〜八坂中学校〜大淀西公園〜淀川左岸〜淀川大橋〜姫里小学校〜大野川歩行者専用道〜好文学園女子高校〜千船大橋〜阪神線「千船」駅〜佃西小学校〜韓国惣菜店「モッポ」〜神崎大橋〜JR東西線「御幣島」駅。「福島」駅を越えたところで、急に東海道線沿いを歩く気になり、考えていたコースを変更。ところが、淀川に近づくと、線路沿いの道がなくなります。おまけに東海道線が、淀川を渡るところには歩道が併設されていないことを失念していて、ここでも考えていたコースを断念し、淀川大橋に回ることに。渡る前で、ちょうど1時間経過っていうところでした。ウォーキングの間は、気温は上がっていたはずなのに、わりと爽やか。ちょっとでも風があると、楽です。汗をかいても、べとつかないので、そういった意味でも、爽やかなのです。最後は、北の方から神崎大橋を渡り、終点に向かいました。
 「御幣島」からJR東西線一本で「南森町」。午後の部は、繁昌亭の昼席です。中トリに雀松、トリに八方、三風、鶴笑も出るということで、前売りを買っていたのでした。番組は、三段「松山鏡」、福矢「みかん屋」、恭瓶「お花半七」、藤本健太郎「津軽三味線」、三風「あぁ定年」、雀松「替り目」、(中入り)、文喬「研修医山田一郎」、鶴笑「ゴジラ対モスラ」、八方「算段の平兵衛」というものでした。 三段は、大阪弁に直さないで通すようですね。三枝作品以外を、初めて聴きましたが、今日も東京弁でした。新作のようには、古典はいかなかったですね。想像力を働かせて、その時代、その場所を描くという点、なかでも代官の描き方が物足りませんでした。中味も、団姫の口演とは微妙に違います。鏡を、他の人の前で渡し、もらった方も、その場で、「父親と再会」します。他の人たちは、それを見ていちゃ、やっぱダメですね。なんで、こないなことにしてしまったのでしょうか? そういった伝わり方の道筋があるのかな? 福矢のおしゃべりを、久しぶりに聴きたかったのですが、時間の関係でしょうね、すぐにネタに入りました。これは、いい「みかん屋」に成長しています。ぶっきらぼう目の語り口が、はまりにはまっています。長屋の連中の庶民性を、人物描写ではなく、語り口で表すことに成功していました。福矢で、何度か聴いているネタなのですが、こないに良かったかなぁと思ってしまうほど、大拍手です。恭瓶の「お花半七」には、びっくり。これを、上方の噺家が手がけるのは初めてじゃないかな? でも、かなりの改作。家から閉め出された二人が、半七の叔父の家を訪ねて、誤解をされるところまで。半ばで切り上げるところだが、恭瓶は、ここで切り上げるために改作していますね。叔父の言葉に工夫をこらし、その言葉を下げに使っていましたから。ですから、切り上げ方も、雷で、二人が接近していくところまではいきません。なんか、つまみ食いの感じがして、後味がよくありませんでした。「あぁ定年」は、前半と後半が分かれるのが気になるとは、出会うたびに書いていること。でも、昼席で、2曲歌うところが、いいです、色物っぽい新作って感じで。寄席のおもしろさが堪能できます。雀松の「替り目」、接しているようで接してなかったのかな、いや接しているはずなんだけど、、、。となると、演出が変わった? とにかく、酒飲みのおやっさんが、おかみさんに甘えるのです。一方で、えらそうに振舞う。そんなですから、「おまえ、まだ、そこにおったんか!」のと ころが、強烈に説得力を持ってきます。また、雀松ですから、めっちゃ甘え上手。雀松ベストの一つとして、「へっつい幽霊」「太鼓腹」なんかと並ぶ名演です。フルヴァージョンを、ぜひ聴かなくてはなりません。文喬は、おなじみネタ。一蝶は久しぶりの遭遇。なれなれしいしゃべり方に抵抗を、いつも感じてしまい拒否反応が出てしまうのですが、今日は、そうじゃなく一安心。最近の若手が、ほとんど手がけない「黄金の大黒」の半ばまで。大家さんへんも挨拶のところまででした。冒頭の、猫、犬、カナリヤを食べる話は、初耳。鶴笑の「ゴジラ対モスラ」は、以前一度観ているはずなのですが、大幅改定でしょう。いきなり、「刻うどん」を、普通に前半をします。鶴笑で、普通の落語が聴けるのです。そして、後半のところで、うどんを食べていると、目の前にゴジラが現れるという、めちゃめちゃな設定。鶴笑らしいあほらしさが、最高です。後半のモスラとの対決は、「西遊記」の手法が踏襲されています。八方は、ちょっと期待の「算段の平兵衛」に当たり、満足。先日、このネタを、竹丸で聴いたとき、田舎の土俗的で、くら〜い雰囲気、それが、平兵衛のピカレスク風味を高めていくのですが、どないしたら出るのかなと気になったものですから、ちょうど八方の出番だったので、チャンスと思っていたのです。一つは、語り口の荒さを意図すること、次に、地語りの部分で、敢えて余計な話を入れる、この二つだなと思いました。後者は、語り手の魅力を示し、客を語り手に惹きつけるという工夫です。そして、そういった余計な話なんてのは、八方にとっては、お手の物ですから、聴き手は、語り手に惹きつけられていきます。特に、このネタは、先が読めない展開ですから、これで功を奏すると、今度は、語り口の工夫が生きてきます。そういった意味で、やはり八方の口演は、魅力的なものだったということができます。
 繁昌亭が終わると、南森町のなじみのネットカフェで、1時間40分程の時間調整。ここに、ウォーキングを持ってきたかったのですが、そこまでの時間はない。夜は、東西線で二駅戻って、新福島へ。ABCホールであった「ババロワーズ」という劇団の公演「ヒューマノイド自治区3丁目17番地ももいろタウン」を観に行きました。ちょこちょこと、劇団探しの網にかかりかけて、その網からもれていた劇団。今回も、ほとんど漏れていたのを、2日前に気が付き、予約を入れるということをしたくらい。でも、結論から言うと、そこまでして観に行くことはなかったなの印象です。まず、役者に目につく人がいないという問題もありますが、もっと根本的に、発声が十分にできてなかったり、動きに機敏性、切れがない、ちゅうことは、身体的な訓練が十分でないし、演出に甘いものがあり、役者の動きに対する満足度や要求度のレベルの問題を感じるので、まず台本以前で、マイナス部分を持つ劇団と見えてしまいます。そないななか、主役の男性二人が、演出によっては、もっと生きた演技のできる人たちだなとは思いました。筋立ては、改造人間を作り、人間を自在に操るというSFの世界です。それの拡大を防ごうとする男女と、改造人間を操る女社長との対決という構図が、話を前へ進める推進力です。そして、最後に、女社長が、改造人間を作りだそうとしたわけが取り明かされ、悲劇の実像が浮かび上がってくるという仕掛けです。でも、あぁ、そうだったかというよりは、なんかこじつけっぽくって、、、。どうも、総合的に言って、2回目は行かないだろなの雰囲気です。
 ABCホールに入る階段の途中で、歌之助さんと由瓶さんが立ち話。けったいなところで立ち話。ABCホールで、何か落語会でもあったのかなと思っていると、ABCホールの中でも遭遇。客として、この芝居を観に来ておられたことが判明。お二人は、芝居を観て、どのように思っておられたのでしょうね? お二人とすれ違いざま、由瓶さんが、歌之助さんに「ですます」調で話しておられたのが、妙に違和感が残りました。同期のはずなのにということで。そして、Tシャツ姿の歌之助さんを、初めて見ましたが、えらくマッチョな方なのですね。へぇ〜〜〜でした。由瓶さんもそうでしたが、なぜか、へぇ〜〜〜では、ありませんでした。




2010年 6月 11日(金)午前 7時 4分

 どんどんと蒸し暑くなってきました。これが普通なのでしょうが、でも、こないな蒸し暑さは嫌です。そのためもあるのでしょうね、かなり疲れを感じ、寝不足のため目が痛いなか、昨夜は、中崎町での落語会に出かけてきました。「第8回ひろば・そうばの提法寺寄席」という落語会で、これで3度目のおじゃまとなりました。3ヶ月に1度、ざこばの弟子二人が開いている会です。昨日の番組は、ひろば・そうば「トーク」、そうば「うなぎ屋」、ひろば「鷺取り」、そうば「強情」というものでした。「トーク」では、前回からの3ヶ月間にあったことを喋ります。そうばは、師匠ざこばのお付きで、名古屋の御園座に出演した話、ひろばは、帰ってきたばかりのインド旅行の話と、なかなか濃〜い話を披露してくれました。「うなぎ屋」は、ネタ下ろしを聴いてから3度目になるかな。序盤のうなぎと梅干しの食い合 わせの話は、変な話なんで省けばと思っていたのですが、そうばは、それを入れる替わりに、梅干しを使ったくすぐりを入れました。これは、ちょっとしたヒット。そないなくすぐりが、もい一カ所ありました。口に慣れてきた上、ちょっと洒落たことをしてくれると嬉しいものです。最後は、もうちょっと、うなぎを持ってうろつかせた方がいいかな。おいしいところを、あっさりと切り上げ過ぎたかなの感じでした。次のひろばが、インド旅行を終えての復帰戦。口の回転を、自身も心配しながらの高座でしたが、およそ昨日のようになめらかな口演に、ひろばでは接したことがありませんでした。昨日は、お囃子なしの会でしたので、終盤が寂しくなったのは、仕方のないこと。特に根問いの部分の運びは、びっくりです。そうばの「強情」もいい出来でした。こういった噺は、元気に気合いの入った高座が一番です。なんせ強情な人物ばかりが登場してくるわけですから、ちまちましているだけで、おもしろくなくなりますからね。昨日は、疲労から、夢見心地で、最初から最後まで聴いていました。上に書いたものが書ける程度の夢見心地ということです。兄弟子にあたるひろばで、入門10年です。もっと早い時期から注目を集めた噺家さんがいる一方で、ひろばのように、10年経ったところで、わりかしいけるじゃんと思われる噺家が出てくるのがおもしろいものですね。




2010年 6月 10日(木)午前 5時 49分

 蒸し暑くなってきました。おまけに、昨日は、仕事のきつい水曜日。なかなか疲れきってしまいました。なのに、お出かけです。行き先が京都だという気安さで、夜遊びを敢行しました。昨夜は、ちょっとご無沙汰の京都みなみ会館で、映画を観てきました。映画も、ちょっと間が空きました。昨夜観たのは、ハンガリー映画「だれのものでないチェレ」。ハンガリー映画の特集を、シネ・ヌーヴォが組んだとき、観ることのできなかった映画が、みなみ会館で上映するということで、行ってまいりました。この映画は、31年ぶりのリバイバル映画です。リバイバルされるだけのことはある強烈なインパクトのある映画です。チェレは、7歳くらいの女の子。始まってからしばらくずっと 素っ裸です。捨て子のチェレを、給付金目当てで引き取った里親は、服さえも着させない虐待を続けます。とにかく、この映画に出てくる大人は、一人を除いて、全員、こういった虐待をチェレにしていきます。ついには、二つ目の里親は、毒を盛って、チェレを殺そうとします。まるで、この世は、ソドムとゴモラ、ノアの箱船でリセットされようとしている世界そのままです。そこに現れたチェレという無垢な少女。それに手をさしのべた老人は、チェレを殺そうとした毒入りのミルクを、替わりに飲んでしまい亡くなってしまいます。更に、殺そうとした里親の女は、死んだ男の財産を奪い取り、チェレへの虐待を増幅させていきます。そないななか、自分を捨てたかもしれない母親への思いを、チェレは募らせていくあるクリスマス、里親たちは家族団欒の会食、何も与えられないチェレは、食卓の食べ物を取ります。それを咎められたチェレは、お仕置きのために小屋に閉じこめられ、神に祈ります。そのとき蝋燭の灯火のようにつけた火が原因で、その小屋が火事となり、チェレは亡くなったのでしょうね。この映画を観て、これじゃ、まるで、聖書の中でイエスが語った、自らは「路傍の石」として顧みられない、そういった存在だと言ったことを、チェレと重ねて看てしまいました。人々の傍らに見捨てられた石が、やがて人々にとって大変な石だったと気付かれることになるのだというのが、「路傍の石」の喩えなんでしょうが、チェレは、どうなんでしょう? 無垢な石が気付かれないまま捨てられたままなんじゃないかな? でも、観ていて、それでいいんだとも思えました。気付かれるために、人は生きているわけではないのです。無垢な心で生きる、自分が生きること、それで十分なんだと、そないなメッセージを感じました。すごい映画です。なんとも言えない気分になりますが、でも、暗く落ち込む映画ではないのです、この映画は。




2010年 6月 9日(水)午前 3時 50分

  大阪市遊歩(63)写真集

 一昨日は、真っ直ぐ帰宅。日曜日に続いて、夕方には家にいるという考えられないことが続いたのです。そして、昨日は、朝から一日中、鬱陶しい天気。替わりに涼しい一日で、薄い上着を、一枚羽織って過ごすことになりました。昨日は、かなり過密な予定を立ててしまい、お出かけは、なんと朝の8時。午後の部を難波に設定していましたので、ついでにワッハのライブラリーに行こう、じゃウォーキングはその前だと、逆算すると、8時出発となりました。まずウォーキングですが、昨日は、京橋から近鉄奈良線に向けて歩いてみよう、一番東は、どこまで行けるかの試みです。詳細なコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜城見1交差点〜シアターブラヴァ〜大阪城ホール〜弁天橋北詰〜上城見橋〜中浜歩道橋〜東中浜公園〜左専道大橋〜成城高校〜朝陽ヶ丘幼稚園〜布施公園〜高井田中5丁目交差点〜長栄寺西交差点〜鴨高田神社〜長栄律寺〜鴨高商店街〜大阪商業大学〜近鉄「八戸ノ里」駅。歩き始めてすぐに、雨が降り始めました。環状 線の外に出ると、コンビニが見つからない地域を歩くことになるため、傘を急には買えないので、強い降りにならないことを願っていましたら、運良く、歩き始めてちょうど1時間後に、雨がやみました。おかげで、その後も雨が降らなかったため、傘を無駄に持ち歩くことは避けることができました。だいたいが、城東区の住宅の建て込んだ地域、次いで東大阪市内に入ると、中小企業団地へと入っていきます。ヴィジュアル的に、あまりおもしろいところではありません。ただもくもくと歩くだけです。風景が、そないに変わらなくて、一方で、目標物が遠くに見えているときは、かなりたっぷり感が出てきます。昨日の場合で言えば、高井田で、阪神高速の下をくぐりつ、長栄寺地区、更に、そこから近鉄線までが、そうですね。「河内永和」手前で、残り20分。でも、そこから「八戸ノ里」駅までは、15分で行くことが できました。最後の5分は、「八戸ノ里」駅を、少し迂回してからの到着となりました。
 「八戸ノ里」駅から、近鉄奈良線一本で17分、日本橋へ移動です。1時間半余の間、ワッハのライブラリーで、映像資料を視聴しました。昨日の視聴ラインナップは、次のようなものでした。@関西TV「おたのしみ米朝噺し39〜守るも攻めるも歳の暮れ〜」、米朝「掛け取り」Aテレビ大阪「初夢三夜上方落語デラックス」、枝雀「口入屋」BNHK-TV「日本の話芸」、三代目南陵「木津の勘助」。米朝の「掛け取り」は、先日来、You Toubeで、円生の「掛け取り」を観ていて、これは名演と思うと、米朝のそれも、この際に観たくなったのです。映像では、DVDには入ってなく、関西TVの資料しかないのかな。掛け取りは三人登場し、最初が相撲好き、次が芝居好き、最後が喧嘩好きという構成になっていました。円生や染丸の入れる浄瑠璃は入れていませんでした。「口入屋」は、とっても動きの多い高座。高座でひっくり返ったり、完全に見台から、体一つ離れてしゃべっているところありという、大はしゃぎの舞台ですが、いやらしくないのが不思議なくらいです。枝雀自身が、動き回った挙げ句、「芸風を変えなあきませんな」と言うところが、バカ受け。これは、枝雀ベストの一つに入れていいのじゃないかな。あれだけ動き回り、違和感がないのは、合理性があるからですからね。「口入屋」で、そないに思うとは考えていませんでしたから、余計にインパクトの強い高座です。Bは、懸案の映像。南陵の口演は、これだけしかワッハには入ってないのです。ただ、この高座は、南陵が、えらく緊張をしており、言葉の運びが不安定で、無念な思いがします。映像として残っている「天野屋利兵衛」は、こないじゃなかったのにと思うと、余計に残念です。
 ワッハで、きわきわまで引っ張って、次に行ったのは、精華劇場。もう目と鼻の先にあるものだから、そないなことができたのでした。 平日の昼間の公演、ラッキーなことに、お休みの日に、それがあったのでした。しかも、東京で評判らしいと認識している「柿喰う客」という劇団の「露出狂」という芝居。期待でわくわく。そして、見事にそれに応えてくれました。芝居の筋立てとしては、そんなに注目すべきものではないのですが、群像劇としての動き、人の配置が、とにかく素晴らしいのです。そして、感情を制約しつつ、ト書き風に語られる台詞。全体的に無機的な印象を与える舞台。泣く場面は幾つか出てくるのですが、最後の1回を除いて、泣くという行為はしないで、泣く役者じゃない役者が、「このあと、○○は泣きじゃくった」という台詞が入るだけなのです。でも、描いている世界は、高校での部活で、生徒たちがチームワークを築いていく中で起こる衝突やら何やらを描く、とってもエモーシャルなもの。身体表現の工夫、台詞の使い方の工夫、そないなことを突き詰めていくと、どんどん新しい芝居が生まれてくる余地があることを教えてくれた目から鱗的な劇団です。ちょっと痺れました。
 難波から梅田へ移動。1時間ほど、久しぶりに東梅田のネットカフェで時間調整。夜も、芝居だったのです、昨日は。HEPホールであったクロムモリブデンとう劇団の芝居「恋する剥製」を観に行きました。クロムモリブデンは、大阪芸大出身者で作られ、東京進出をしてしまった劇団です。前回公演を観て、わりかし気に入った劇団ですので、今回も期待の公演でした。ところが、今回は、えらく難しい芝居にチャレンジしたものです。現代の仮構社会を、これまた仮構と言いたいんでしょうね、宗教とは何ぞや的な問いかけをしながら暴いていきます。いいかげんな占いで儲けようとする4人のところへ、恋を語ることを拒否する女がやってきて、自分は自分で生きていきたいと言うと、その女は、他の4人からは託宣を述べる教祖のように扱われ、どんどんと宗教化していく。その隣の部屋で、恋を破ったり、作りだしたりして、金儲けをしている男がいて、ダブルブッキングをして、金返せと迫られたり、また、新たな仕事で警官フェチの女に、警官との恋を作り出させてやっている。自分自身で生きていけない人たちの代行業で金儲けをしていることになる。この両者が、隣同士の部屋にいることから、間違って人が訪れることになるのだが、その人たちからすると、間違って訪れた人には、間違っていることが分からない。宗教って、そんなもの、また、それを頼る自分自身を持たない人たち、いいかげんなことを言われて、また、虚構を依頼したり、虚構に頼ったりして生きて行っている、そないなことを芝居で表そうとした、、、? 当たっているかどうか、判りません。言葉自体が堅く、そして、何を表現しようとしているのか、難解な芝居でした。




2010年 6月 7日(月)午前 3時 6分

  京都市遊歩(14)写真集

 今日は、朝の9時前には、もうウォーキングを始めていました。午後の部終了直後に始めても、暗くはならないとも思ったのですが、一応、時間的に大丈夫ならと、ちょっと慌ただしかったのですが、朝早くからのお出かけとしました。当然、午後の部として予定しているポイントに行きやすいコース設定ですが、その詳細は、次の通りです。京阪「丹波橋」駅〜旧伏見インクライン〜「撞木町廓入」碑〜京都教育大学付属高校〜名神高速道路(深草西浦町)〜龍谷大学〜メキシコ料理店「GOZAGOZA」〜陶化橋〜在日韓国老人ホーム「故郷の家京都」〜東九条市民文庫〜(鴨川右岸)〜七条大橋〜京阪「七条」駅〜老舗料理店「道楽」〜老舗銘菓「五建ういろ」〜六波羅蜜寺〜六道珍皇寺〜京都市バス「清水道」停留所。コースの前半で、師団街道を北上しようとしていたのですが、途中で、東九条が、今、どのようになってるかを知りたくて、十条通で西に折れました。こちらから入ると、大きな団地ができていて、すっかり様変わりですが、九条通が近づくと、見慣れた風景が残っていました。「パッチギ!」の世界です。そして、ふらふらと鴨川べりに降りると、気持ちが良く、川べりを歩いてしまいました。四条辺りと比べて、僅かですが自然が残っています。ましてや川風が爽やかで、もっと歩きたかったのですが、右岸は、七条大橋の下で、道が途絶えてしまいます。仕方なく上に上がり、徐々に東山通に近づいて行きました。それが、午後の部にありがたいコースとなるからです。日曜日ですが、まだ、11時前だったからでしょうか、ガイドブックを手に歩いている人は、チラホラ。ですが、さすが六波羅蜜寺は賑わっていました。一方の六道珍皇寺は、前に立ち止まりはするのですが、素通りしていきます。バッカじゃないのと、お腹の中で突っ込みながら、境内を一回り。小野篁を売りにしようなんてのが露骨になってきてます、こちらは。ちょっと早めの昼食をしようと思うと、11時前じゃ、食事場所を探すのも大変。観光地でも、清水さんを、僅かにずれるだけで、こないな状態です。日曜日なのに、いや、日曜日だからなのでしょうか?
 「清水道」から、バス停で5つ目が「東山仁王門」。ここから5分程のところに、京都観世会館。久しぶりの観能に、午後を当てました。記録を見てみますと、1年以上、観能はご無沙汰をしていました。この間、何やらとバッティングだけではなく、行こうとするその候補に上がるのが少なかったことも影響しているかと思います。今日は、「林定期能」がありました。おもしろい劇能が二つ並ぶという番組が、目を惹いたのです。番組は、能「自然居士」(河村和晃)、狂言「文荷」(茂山千五郎)、能「国栖」(河村晴久)というものでした。「自然居士」は、観阿弥の作品。古能っていうのは、こんなだったのかなと思わせる世阿弥の幽玄能とは趣の異なった作品。人商人(ワキ)から子どもを取り戻そうとする居士(シテ)。風体からして異形の男、青年と言った方がいいでしょう。シテとワキ、アイ三者の緊迫したやりとりが前半の山場。京都のワキ方(高安流)は、もう完全に若手の世界へ。原大さん、有松遼一さんの成長を確認できました。また、アイが茂山逸平、こちらも、若手のピッカピカ。後半は芸尽くしとなります。ささらを擦ったり、鞨鼓を付けて舞ったりと、見せ場が続きます。やっぱ、若手のシテは、動きが切れるので、ホント好きなのです。おじいちゃんの能は辟易です。年季が入ってるからいいなんてのは、演目と、それを演じる人の技量で決まります。一般化すると、若い人の方がいいというのが、黄紺の結論なもんで、この日の「自然居士」は、○なのです。次の狂言「文荷」が、凄いメンバー。シテの太郎冠者は千五郎、アドの次郎冠者が茂山七五三。この兄弟が、両シテっぽい「文荷」をするなんて、まあ観れないんじゃないかな、普段は。それどころか、この二人は、普段は、同じ会に出ないでしょう。それぞれ別の会に分かれてシテをとるものでしょう。それが、二人とも、しかも、息子を、お互いに率いての参加です。これは希有の体験です。これは、かつて、観世会の例会で、千作師が、孫にシテをやらせて、自らはアドに回ったとき以来の驚きです。しかも、もう一人のアドが、網谷さん。どうしたの、今日は、、、!? そして、「国栖」。壬申の乱に取材した、こちらも劇能。浄見原天皇(大海人皇子)が吉野に逃れ、国栖の老夫婦に助けられる話。食した鮎が整流に放たれると、元気に泳ぎ出す「鮎の段」、次いで、追っ手(アイ2人)が迫り、舟に隠れて難を逃れる場面。ここでも、アイが大活躍。茂山正邦、島田洋海のお二人。後場になると、天女の舞が入るわ、蔵王権現が、浄見原天皇の行く末を寿ぐわと、祝言能へと変化していきます。およそ幽玄能と、こちらも程遠いものです。ですから、黄紺は、「国栖」が終わりに近づいてくると、幽玄能も観たいよなと勝手な思いに捕らわれてきてしまってました。シテの河村晴久師も、まだ、若手と言えばいいでしょうか。この人のように、長身の方が舞われるとき、いつも思うのですが、能って、こないな長身の人が舞うことを想定してなかったろうなと思うのです。能って、型の芸能です。その型って、体型まで、一つの美意識で制約を受けていると思うのです。女性能楽師がシテを舞われると違和感を感じるのは、これだと思っていますが、長身の方がシテをとると、同様の違和感を感じます。それは、面とのバランスかなと、最近、思い出しています。最近、観能をしてなかったので、一度、観てしまうと、次を観たくなってしまいました。もう、やりたいこと、いっぱいです。




2010年 6月 6日(日)午前 6時 45分

  京都市遊歩(13)写真集

 一昨夜は、夜中に目が覚めてしまい、相変わらず、二度寝に向けて、深夜の一人酒。ところが、二度寝が思わぬ熟睡。急に朝がせわしなくなりました。午後は、京都で音楽会に行くため、午前中にウォーキングを済ませ、一旦、家で休憩してから、お出かけのつもりができなくなってしまいました。結局、ウォーキングのあと、そのまま音楽会に赴くことになりました。そのウォーキングの詳細なコースは、次の通りです。近鉄「伏見」駅〜改進公園〜松尾神社〜京都竹田郵便局〜近鉄「竹田」駅〜京都南大橋〜流池橋〜十条大宮交差点〜NTT西日本京都病院〜西九条児童公園〜東寺〜大宮八条交差点〜JR東海道線「とうかい106」橋梁〜梅小路公園〜JR山陰線「さんいん06」橋梁〜七条新千本交差点・京都市中央卸売市場〜松尾神社朱雀旅所〜七条七本松交差点〜焼肉店「しじゃん」〜韓麺館38〜壬生児童公園〜薙神社(元祇園社)〜阪急「大宮」駅。全く地図も持たず、最後は、少しでも四条烏丸に近づければという考えで歩き続けました。こういった歩き方が、いつでもできるのが、京都の強みです。その中で、めっけものと思ったのがいくつかあります。まず、東寺の南門の真正面の道に出てきたこと。そうなると、境内に入らないわけにはいきません。参観はしないを原則に歩いていますので、金堂や宝物館は、外から眺めるだけですが、境内を通り抜けるだけで値打ちものです。九条辺りから北へ歩くときには、東海道線を越えるのが難物の一つ。たまたま大宮通りを歩いていたので、これはするりと抜けたのですが、その出たところの左側に広がる梅小路公園に、びっくり。息子が小さい頃、機関車に乗りに行ったときは、こんなでなかったはずと、20年前の、比較しても意味のない記憶を引っ張り出していました。いやぁ〜、いいスペースです。最後は、七本松通りを北上し、四条通に出ました。ここで、ほとんど2時間。「大宮」に出るか、「西院」に出るか迷って、「大宮」へ。歩いてみて判ったこと。「西院」の方が、若干近いですね。
 「大宮」から、阪急で、駅を一つだけ移動して、「烏丸」へ。昨日の午後の部は、京都芸術センターであった「室内楽のひととき」と題するコンサートに行ってまいりました。このコンサートは、ある京都でコンサートに行ったときにもらったパンフレットで見つけたもの。なかなか聴くことのできない室内楽のコンサート、しかも、メンバーが素晴らしい。飛びつかないわけにはいきません。矢部達哉(vn)、林分七奈(vn)、豊嶋泰嗣(vn.va)、鈴木学(va)、向山佳絵子(vc)という5人のアンサンブルでした。この5人が、最初のドボルザークの弦楽三重奏「テルツェット」では、矢部、林、鈴木の3人で演奏し、次のシュルホフのヴァイオリンとチェロのための二重奏曲は、豊嶋(vn)、向山の二人が演奏し、最後のドボルザークの3番の弦楽五重奏は、全員で演奏するというものでした。最初のドボルザークで、高音の艶が、ちょっと響かないのが、これは、ホールのせいかななどと思いながら聴いておりました。この曲は、ディベルティメント気取りの音楽。そんなに肩肘張って、ガンガンと弾く曲ではありません。ハーモニーという意味では、第二ヴァイオリンも、ヴィオラも素晴らしくて、とっても合わせ上手。その上、ヴィオラの音色が柔らかくて、今まで、ヴィオラで、こないに惚れ込んだ音色ってないですね。曲風もそうなんだけど、二曲目は、がらっと雰囲気が変わり、シャープな音のぶつかり合い。豊嶋さんは、京都アルティ弦楽四重奏団で、ユーティリティ・プレーヤーぶりを発揮されているので、そないに何も思わなかったのですが、ソリストとして著名な向山さんの三曲目はどうなるのか、二曲目を聴いて、関心が高まりました。あにはからんや、5人の中では、最も自己主張が強かったですね。この曲はおもしろくて、ヴァイオリン二つが重奏しているかと思うと、第二ヴァイオリンは第一ヴィオラと重奏している。次は、ヴィオラ二つがチェロと重奏になってい ると、アンサンブルの形が、どんどんと変化していきます。その変化にも拘わらず、アンサンブルの質が変わりません。素晴らしいものを聴くことができました。
 昨日は、夜の部に向けて、京都から大阪への大移動。普段は、これだけは避けようとしているのですが、昨日だけは仕方ありません。室内楽と、浪曲&講談、この二つが、昼夜同じ日にあると、頑張って大移動に挑戦してしまいます。夜は、動楽亭であった「第3回なんことけいこ」に行ったのですが、幸い移動がスムーズに行き、時間が余りましたので、文楽劇場に立ち寄り、7月の文楽公演のチケットをゲットしてきました。それでも、余裕があったので、日本橋駅上のネットカフェで、30分余でしたが、時間調整までしておりました。で、「なんことけいこ」の昨日のテーマは、「本能寺の変」。中でも、春野恵子のネタが、斎藤内蔵助でしたので、南湖も、それを考えた口演となりました。番組の方は、南湖「斎藤内蔵助の最後と本能寺の変」、春野恵子(一風亭初月)「斎藤内蔵助〜落花恨みなし〜」、(中入り)、南湖・春野恵子「トーク:恵子のギモン〜なんこ兄おしえて!〜」、南湖「天王山の合戦」というものでした。まず、南湖は、斎藤内蔵助の紹介がてら、その最期を読んだようです。ようですと言うのは、南湖が、マクラでお遍路話をしている途中に、お腹に差し込むような痛みが走り、二度は我慢をしたのですが、さすがに三度目となると観念して、トイレへ。戻ってきたところで、ちょうど内蔵助の首が落ちたところでした。斎藤内蔵助は、明智光秀の家臣ですから、この最期の話は、本能寺の変よりは、あとの話。それを冒頭で扱ったのは、昨日の主役の紹介ということだったのでしょう。春野恵子の昨日のネタは、三つ目に覚えたネタだそうで、あまりかけたことがないので、自分の会で出してみようとしたとか。ストーリーは、落ち武者となった斎藤内蔵助は、近江の堅田にいる乳母に会いに行く途中で、道中を急ぐため、馬子を殺して馬を奪って、そして、実際、乳母と対面するのだが、話をしている内に、自分が殺した馬子こそが、乳母の実子だったことが判っていく。どうも、春野恵子のネタは、むごいものが続きます。次回の「なんことけいこ」は、「女殺し油地獄」ですから、ここに極まれりです。同じネタでも、春野百合子で聴くときと、春野恵子で聴くときとでは、やはり違います。春野恵子のくささが目立ちます。くさいので、えげつないネタは、辟易としてしまいます。そう思うたびに、春野百合子の偉大さが、身に沁みます。春野恵子のリアリティは、食傷気味になってしまいます。この辺の違いが、気品なんて言葉で表される百合子師の凄いところやと思ってしまいます。ホント、百合子師は、神のような存在です。春野恵子が、百合子師の高座を聴いて、入門を決意したというのが、いたいほど解ります。中入り明けの二人のトークに続いて、南湖が、本能寺の後日談で、「太閤記」の中で、重要な位置を締める「天王山の合戦」へ。これは、「太閤記」の定番ネタ。秀吉が、光秀をやぶるところで、この日の特集は完結しました。




2010年 6月 5日(土)午前 4時 50分

  大阪市遊歩(62)写真集

 週末の3連休始まっています。この週末は、かなり変化に富んだ計画を練っています。まず、とりあえずは、昨日は落語三昧の一日。この週末に落語を聴くのは、昨日だけの予定です。相変わらず、絶好のウォーキング日和が続いています。気温が上がってきているので、ちょっと疲れが取れにくくなっていますが、その一方で、汗をかく爽やかさを味わうことができるようになってきました。昨日のウォーキングは、最近通過するだけというのが多かった港区を、しっかりと歩き、お時間に合わせて、「弁天町」駅に到達しようという計画でした。午後の部を考え、最後は「弁天町」駅と決めかかっての出発でした。詳しいコースは、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜イタリア料理店「CottaCotta」〜インド料理店「MAYUR」〜平野町3交差点〜京町堀1交差点〜京町堀1西交差点〜木津川橋東詰〜千代崎橋〜ナインモール九条商店街〜大阪境川町郵便局〜市岡高校〜市岡東中学校〜市岡元町公園〜南市岡11番街〜尻無川水門〜港南中学校〜港税務署〜磯路中央公園〜JR環状線「弁天町」駅。北浜から出て、九条駅前のナインモールの中を歩いているところで、1時間経過でしたので、これは、せっかく港区内を目指しておきながら、あまり港区内は歩けないなの気持ちになっていたのですが、尻無川の水門まで行けたので、まあなんとかいいかなの気分です。環状線の外に出てからの所要時間が40分というところでした。起点を「淀屋橋」に置くと、朝潮橋まで行ってから「弁天町」に戻ってこれたかもしれません。正に、アーバン・ウォーキングとなりましたが、大阪市内は、ものの半時間も歩くと、街の姿はがらりと変わります。九条界隈の下町の雰囲気もいいし、それを抜け、弁天町駅周辺まで来ると、大阪の町の大きさを感じます。ここは、ここで新しく出来上がった大都会の雰囲気を感じさせてくれるからです。とにかく、天気のいい日のウォーキングは、気持ちが晴れ晴れです。
 「弁天町」から環状線一本で、「新今宮」に移動。昼の部は「動楽亭昼席」でした。こちらへは、月1回は行こうとしています。できたら、火曜日か金曜日、勤務のない日を狙っています。今日の番組は、弥太郎「軽業」、雀五郎「みかん屋」、あさ吉「鹿政談」、千朝「親子茶屋」、(中入り)、米平「猫の茶碗」、米団治「胴乱の幸助」というものでした。5月が22人の入り、今日が、このメンバーで12人に、びっくりです。トリの米団治が、自分がトリのときに、こないなことになってと言ってましたので、普段は、こないなことはないのでしょう。まず、冒頭の二人が、ダウンで記憶があまりないのです。最近、疲労の蓄積をやたら感じていますが、昨日は、始まる前からぐったりしてましたので、当然の結果です。特に雀五郎のときが最悪でした。ネタが「みかん屋」だと判った時点で、あとは覚えてないのです。やはり、雀五郎で、このネタを聴きすぎているからでしょう。弥太郎の方は、軽業小屋に入ったあたりから飛び飛び。もぎ取りは、「板血」と「とったりみたり」だけ。高座慣れをしていくと安定してくるのではとの予感はありますね、この人。あさ吉は、米朝に付いていた頃、一番よく聴いたネタと断ってから「鹿政談」。地噺系のネタって難しいですね。昨日のあさ吉の口演を聴いていて再確認です。あさ吉は、餌料着服の件に言及するとき、かなり声を荒げました。ところが、地噺系のネタには合わないのです。怒りを、ストレートに表現しにくい噺なのですね。ストレートではなく、怒り、威厳に満ちた怒りを表す、でも、それは地語りにはまった上でということなのです。米朝が、同じ箇所で地語り的言葉を添えるわけが解ったような気がします。千朝は、少ない客にも拘わらず、大ネタを出してくれました。ですが、昨日は、特に回りくどい口調に磨きがかかっていて、終始聴き苦しさが、先に立ちました。僅か12人で、この丁寧過ぎる語り口はきついものがあります。大きい場所でするなら、まだしもなと思いながら聴いていました。米平は、骨董がらみの小咄を続けたので、この位置で「はてなの茶碗」かと思ったのですが、いざ始まってみると「猫の茶碗」の方で、一安心。プラスチックなんて言葉を出すわりには、内容が古いですね。米団治は、マクラで、エジンバラで英語落語をしたことを言ってました。弟子の団治郎が「動物園」、米団治が「狸賽」 を、英語で演じたそうです。あさ吉が、用意したようなことを言ってました。で、12人の前で、何を出すのか、人数が多ければ、これかなという「胴乱の幸助」でした。最近、米団治が頻繁に出しているネタですからね。冒頭の「立ってんねん」に、ちょっと言葉を添えていました。あのフレーズが、ぴたりとはまる都丸のような人は別で、なかなか難しいところなんで、誰かやらないかなぁと思っていたら、なんと米団治がしてしまうとは思ってもみなかったことですが、これは、しっかりと己を知っているということ。だったら、贅沢な望みになるのかなぁ、胴乱の幸助のキャラを、なんとかして欲しかった。顔立ちの良さ、いい感じの太い声がじゃましてるなの感じ。いや根本的に、年かさを上に設定すれば、表現の仕方、気の持ち方も変わってくるのかなと思いました。そんなににこやかな表情では、このおやっさんの偏執的な一途さは出ないやろね。冒頭部で、「大阪のお城」関係が省かれていたのは、単に忘れたのかどうかは判定できませんが、伏見の浜は完全カットでした。「お半長」は、誰でもって知ってることという点が、他の場所で強調されているならばカットはありうると思っています。それができるのは、稽古屋でとなるわけですが、米団治の口演では、補いは足らないと思います。ならば、何のためのカットとなっちゃいます。カットの合理性に疑問符が付いてしまいますね。
 動楽亭がはねると、すぐに地下鉄で、難波に移動。1時間余り、時間を確保できそうでしたので、ワッハのライブラリーに行きました。時間調整にはうってつけです。昨日は、次の二つの番組を観ました。@関西TV「志ん朝OSAKA LIVE Part2〜火焔太鼓で歳の暮れ」、志ん朝「火焔太鼓」ANHK-TV「日本の話芸」、枝雀「くやみ」。@は、先日、「松鶴」で検索して見つけたもの。番組冒頭では、池波志乃が、粉浜の市場と住吉神社を歩き紹介をしています。志ん朝の高座のあとに、松鶴を交えた座談会が入っているということで、検索で引っかかってきたのでした。志ん朝の口演は、さすがに後半のたたみかけが圧倒的でした。時間の関係で、上に書いた池波志乃の案内の部分、後半の座談会はカットしました。Aは、閲覧時間を考え、30分間で観れるものということで、「日本の話芸」からチョイス。同時に、枝雀を押さえることができました。「くやみ」は、「向う付け」の後半部。これだけで、30分はきついので、マクラは長めに。人との応対の陰陽で、枝雀は全開。オーバーアクションが、既に、この段階で冴えます。オーバーアクション嫌いの黄紺が「冴える」と書くときは、合理性を感じるからなのです。噺の中で出るときは、流れの中にはまってるか否かがポイントです。でも、これはマクラ。「くやみ」っていうネタは、やっぱ、ありえないことの連続です。ありえないことだから笑えるのですから、もうマクラから、枝雀は、そのモードの噺ですよの告知をしてくれているのです。こういった理解を、ネタで伝えようとしながら演じる、すごいわぁ、ホント、この人。なお、ネタの運びですが、「何を申し上げていいのやら」ネタから入り、「炭屋の大将」がやって来て、そのあと語りで「最上屋のお内儀」について語られ、「手伝いの又はん」登場となりました。時間的に、又はんに10分間を費やしてました。
 夜の部は、トリイホールでした。そないな予定でしたので、ワッハで、時間調整がてら映像資料の視聴をしていたのです。昨夜のトリイホールは、「林家竹丸らくごLIVE in ミナミ」がありました。この時間帯は、「笑福亭福笑独演会〜VOL.25〜」「第4回桂そうば落語勉強会〜兄丸寄席〜え・エゾシカの巻」など、そそられる会がバッティングしたものですが、黄紺は、竹丸を選びました。落語会の常連さんには、完全に見放された会でしたね、この会は。黄紺は、以前、竹丸の会で「立候補」という三枝作品を聴いて、竹丸を気に入ってしまってたのです。番組は、石松「犬の目」、竹丸「天災」、風喬「壺算」、(中入り)、竹丸「算段の平兵衛」というもので、「悪い奴ほどよくウケる」という副題の付いた会となりました。「算段の平兵衛」に合わせたものだと思いますが、前半のネタは、「悪い奴」とまでは言い切れないのが、ご愛敬です。石松では、このネタ、聴いたことないですね。にわか覚えかなという感じすらしてしまいました。ちょっとあぶなかしいのですが、目のくりぬき方なんてところで、観たことのない下にくり抜いた目を落とすという型を取っていました。「天災」は、勢いがありません。無頼漢の男っていう感じではありません。言ってることが、あまりに不釣り合い。そう思ったからでしょうね、後半はうとうと。こんなところで、うとうとと来ると、やばいっす。風喬のネタでは初遭遇の「壺算」にも持ち越してしまいました。風喬で、このくらいの長いネタを聴くのは初めてだったので、いいものに当たったっていう感じでいたのですが、ダメだったのです。「算段の平兵衛」という、演じ手の少ないネタに取り組んでくれたので、その心意気を嬉しく思い、この会に、実は行ったのですが、「天災」よりは、かなりいい出来です。平兵衛の悪事が始まりかけると、客電を落とし、竹丸だけを、1本のサスで上から照らすという照明効果もあったのでしょうね。このネタって、ピカレスクもの、田舎の噺ですから、ぞんざいな語り口など、工夫が必要なんですが、そこまで、竹丸に求めるのは酷かなの口演でした。そう思うと、可朝、八方師弟の、このネタに対するスタンスは、たいしたものだなの感想を持っちゃいました。同時に、このネタの本家本元米朝の表現を確認するために、ワッハでの視聴をしようなどと思いながら聴いていました。




2010年 6月 3日(木)午後 10時 32分

 今夜は落語会です。最近、ライブラリーの利用の頻度が増えているため、足繁く通っているワッハの4階であった「左(the)らくご」に行ってまいりました。ちょっと、ここ数日へばり気味だったのですが、今日は、寝不足もかなり解消し、前日まで止めることも考えていた会に行くことができました。今日の会は、米左の会で、かなりヘビーな番組が組まれていました。それは、福丸「米揚げいかき」、米左「応挙の幽霊」、紅雀「逆さま盗人」、米左「らくだ」というものでした。福丸が、えらく変わってきたものです。スピードとテンポが上がり、小気味良い仕上がりに拍手です。道を尋ねるときに、ハイテンポにしたり工夫も、目に付き、聴き慣れた「米揚げいかき」を聴いて、久しぶりにわくわくしながら聴くことができました。変化のある間に磨きがきくと、このネタのベストになるかもという予感まで感じました。「応挙の幽霊」は、米朝一門では、他に手がける噺家はいないんじゃないかな。たいそうな題名が付いてはいるのですが、掛け軸を眺めながら、酒を呑んでいると、掛け軸に描かれている幽霊が、絵から抜け出て、一緒に酒を呑むというたわいのない噺。洒脱に、しかも滑稽にという、小品のわりに、気を遣う噺と思っています。な〜んだ、それだけかいと思わせない何かが欲しいネタだと思っています。米左は、何でも信じる買い手を嘲る道具屋が得をしたようで、実はバカをみるなんてところを、うまく表していたと思いました。な〜んだで終わらなかったいい例だと思っています。紅雀の「逆さま盗人」は、2度目の遭遇。前に聴いたときは、半ばでダウンしてしまったので、フルで聴いたと言えるのは、今日が初めてとなりました。紅雀ベストは「不動坊」なんだけど、それと並べてもいいと思えるベストな出来栄え。両腕を上げ、「さあ、どっからでもやってくれ」のポーズが、何度出てきてもおかしいのです。またかではなく、それが出てくると、また笑ってしまう。そのポーズを出すに至る紅雀の口演に説得力があるからなのでしょうね。必然性を感じさせるものがあるからなのだと思います。そして、「らくだ」。二人の登場人物の内、紙屑屋が、終始魅力を感じてしまいました。ところが、考えてみると、前半で、紙屑屋に目がいくということは、脳天の熊五郎に、目がいってないことになります。米左の悪い癖で、単に大声を出すことだけで、キャラクターの肉付けをしようとするので、魅力を感じないのです。また、こないな誤りもありました。家主のところへ、らくだをかついで行ったときに、すぐにカンカン踊りをさせました。これはいけません。強欲な家主が悪態をつく、それに対してカンカン踊りをさせるという道筋にすることにより、脳天の熊五郎の悪漢ぶりが強調されるはずなのです。そないなことで、軍配は、紙屑屋に上がるのですが、紙屑屋の酔い方に、ちょっと不満。熊五郎に命令するところで、紙屑屋の酔いが、階段を一段踏み跳ばしたように上がってしまったのです。あすこは、まず箸の使い方の変化を見せておけば、今日のような酔い方にも、合理性が出てくるのかもしれませんが、今日のでは、この段階まで来てしまった、あっ、まだ酔い方が軽いぞという感じで、米左が、急にギアチェンジをしてしまったという印象を拭い去ることができませんでした。そないな注文を書きましたが、総体的に随分とグレードの高い会だったなの印象でした。




2010年 6月 3日(木)午前 5時 16分

 暑さが、この時期のものになってきています。おまけに湿度も上昇で、一気に体が不適応気味になってきています。相変わらずの寝不足がついてまわっていますので、ちょっと不調ですね。おまけに、水曜日は、1週間の中では、飛び抜けて過酷な日の上に、昨日は、更に仕事が詰まっていたものですから、余計にへたってしまってました。なのに、夜はきっちりお出かけ。どこかでダウンするのは、ある程度織り込み済みでのお出かけとなりました。行き先は、トリイホール。今夜は、「第29回TORII講談席〜勝手にタイアップ!遷都千三百年記念『奈良物語』特集〜」がありました。会場に着くと、何やら講談会であって、そうではない雰囲気。客の入りも、普段よりは多い。あとでわかったのですが、今日の会には、「奈良特集」という副題が付いており、従って、全て奈良が舞台のネタばかり。その中に「中将姫」のネタがあったものだから、当麻寺のある葛城市がタイアップを申し出てきたということで、葛城市長を始めとした葛城市関係者多数、中には当麻寺関係者もおられたようで、えらく違った雰囲気が出来上がっていたのでした。そないな関係で、番組のいじりも行われ、「中将姫」を出す南華がトリに回り、中入り明けには、葛城市長がゆるキャラを伴い現れ挨拶、更に、当麻寺の修行僧(スミスさんと呼ばれていた)による尺八の演奏がありました。肝心の講談は、南青「太平記〜般若寺の大塔ノ宮〜」、南湖「実録・せんとくん物語」、南海「平城宮跡を守った男〜棚田嘉十郎の執念」、(中入り)、南華「中将姫物語」という順序となりました。南青は、「太平記」の概略を話したあと、般若寺における後醍醐天皇の嫡子大塔ノ宮と鎌倉方の軍勢との戦いを描きますが、大塔ノ宮が知恵を絞って、戦いを回避する話しが読まれました。南湖は、結局、安倍仲麻呂の話をして、その息子を満月丸と呼び、日中を往復する人物に仕上げ、「頭角を現した」ので「せんとくん」だという、かなり強引な話にしました。「棚田嘉十郎」の物語というのは、明治のお話し。今の平城宮跡が確保された功労者だということです。史蹟が荒れ果てていたり、保存のための確保、そないな話は近代の産物だというのは、一般的には了解しているのですが、それの平城宮版の功労者のお話が読まれたということです。南海さんらしい調べ上げた読み物でした。「中将姫物語」は、確か、どこかで聴いています。時系列的に、年表を読むが如く読まれました。南華の静かな口調が良かったなぁ。薄幸の女性を読むに相応しい語り口が、とっても印象に残る口演となりました。有名な「当麻曼荼羅」の話は、最後にエピソード的に読まれました。ここだけ、何とかして欲しかったな。ここまで時系列的に読まれていたのですから、これも、そこに挿入して欲しかったなと思います。一番、肝心な話が、エピソードとして、流れから外されて語られるのがもったいない気がしたのです。最後には、葛城市関係のグッズ、及び、トリイホ−ルのグッズの当たる抽選会がありましたが、最近はダメです。




2010年 6月 2日(水)午前 5時 51分

  大阪市遊歩(61)写真集

 昨日は、11時をメドにお出かけです。最近、いいお天気が続いています。嬉しい限りです。昨日は、まずワッハのライブラリー住まいをしました。動楽亭の寄席が始まっていますので、ちょっと迷ったのですが、他の日に回すことにしました。たっぷりと時間を取れるときの、最優先に置いているのが、ワッハのライブラリーになっています。とにかく、今の間に試聴しておかなくてはというのが、まず先行します。動楽亭寄席を回した日は、ひょっとしたら所用が入るかもしれないのです。そんなで、昨日は、ワッハを選択です。本日の試聴ラインナップは、次の通りとなりました。@NHK-TV「東西浪曲特選」、小円嬢「直助誉の国がえり」、幸枝若「千人坊主」A読売TV「とっておき米朝ばなし(2)ミナミと橋」、(出演者)米朝、雀々B毎日放送TV「笑いころげてたっぷり枝雀」ゲスト:佐藤陽子、枝雀「ふたなり」C朝日放送TV「枝雀寄席」、ゲスト:松鶴、枝雀「鷺取り」。小円嬢が映像で、ライブラリーに入っているのは、これだけ。91年の映像です。小円嬢は、今より大柄に見えます。そして、圧倒的に、今の方が可愛いです。ネタは、「忠僕直助」です。講談からのパクリ、短縮形です。直助が、刀鍛冶の名匠になって、岡嶋八十右衛門の屋敷に戻ってくるところからスターです。美味しいところ取りの浪曲らしい構成でした。小円嬢の特徴は、今と同じですが、今はくさくなっているというか、メリハリが付いているとか、自分的には、今の小円嬢、一押しです。幸枝若は、左甚五郎もの。これを聴きながらダウンしてしまったので、またの機会に再視聴しなければなりません。この「東西浪曲特選」には、東京から五月一郎が出演しています。それとワンセットで、もう一度聴いてみます。Aの「とっておき米朝ばなし(2)ミナミと橋」の映像資料が、ライブラリーにたくさん入っているので気になっていましたので視聴してみました。落語は、一切ありません。でも、落語をベースにして、解説が加えられるのですが、その解説に、うまく映像がかさらなかったりと、ちょっと残念。企画的におもしいものなんで、なんとか観続けたいのですが、番組作りとしては稚屈。雀々が出ていますが、ライブラリーで視聴する限り、雀々がじゃまっぽい。小米朝(当時)と米朝の親子トークで進行をすればいいのにと思うものです。Bは、毎回定番の番組。「ふたなり」は、枝雀の手にかかると、あまり田舎の噺という感じがしませんでした。なぜなんでしょう。栴檀の森の暗さとかを感じなかったからでしょうね。素朴で明るい人たちという部分が強かったからでしょうね。そういった人の印象が強く、それに引っ張られるという感じかな。その技量は普通じゃないんだけど、聴いていて、総体として、今まで聴いた中で、一番普通やなぁという思いで観てました。Cは、「松鶴」で検索していて見つけたもの。毎回、枝雀は一つにして、末永く楽しもうと考えているのですが、松鶴と枝雀の対談だなんて、、、もう絶句状態。時間的に大丈夫だったので、次回に回そうなどという気は起こりませんでした。「芸人の遊び」なんてことが話題として進行するのですが、極上のトークです。普段の二人の関係も浮かび上がるようなトークです。上方落語を愛する者からすると垂涎の映像資料だと言っていいと思います。そして、その番組で入れたのが「鷺取り」とは! ワッハのライブラリーで、随分と枝雀の聴いたことのないネタを知って、枝雀の凄さを再認識することしきりなんですが、その中で絶対に外せないネタであることが確実なのが、この「鷺取り」だったので、一日で観る二つ目にしたくなかったのですが、このカップリングだったために仕方ありません。鷺が目を覚ますときの表情、これだ、これだと、大満足。最後の方の「えらいこっちゃ」は、1回入ってました。帰り間際に、「ざこば」で検索を入れると、なかなかおもしろいものが引っ掛かってきました。「松鶴」での検索同様、新たなソースをゲットできそうです。
 ワッハでのライブラリー利用を終えると、その下、つまりNGK前からウォーキングの開始です。昨日は、大阪市内の南東部方向に向かい、その後、夜のことを考えて、終点探しとしました。詳細なコースは、次のようになりました。NGK〜黒門市場〜源聖寺坂〜銀山寺〜青蓮寺・竹田出雲墓所〜五条小学校〜五条公園〜生野東4丁目公園〜林寺商店街〜成恩寺〜百済交差点〜勝山愛和第四幼稚園〜明浄学院高校〜明浄通商店街〜文の里商店街〜苗代歩道橋〜阿倍野高校〜阪堺電車「松虫」駅〜史蹟丸山古墳跡碑〜地下鉄堺筋線「天下茶屋」駅。「寺田町」駅近くで、25分経過ということで、もう頭の中は、考えていたコースの短縮を、この時点で考え出していました。あまり詳しい地図を持っていなかったため、時計を見ながらの判断で、適当に道を南下しだすと、呆気なく生野銀座の商店街、それを抜けると、林寺商店街、あれれと思っていると、見慣れたお寺の傍らに出た。そこは、「生野弁天寄席」で、何度もおじゃまをしたことのある成恩寺。これで地理的感覚を持ったため、余計に終点を目指す大変さを自覚。だいぶと早足になりました。と言いますのも、「恵美須町」駅辺りに、夜は行きたかったので、堺筋線か阪堺電車、御堂筋線でもいいかと考えると、ちょっと離れていて、落ち着き先を躊躇したのですが、迂回をしないで西へ西へと向かう近道探しに精を出しました。最後に来て、大阪キリスト教短大の傍ら過ぎで、手持ちの地図と道が合わなくなり、勘で歩くハメに。でも、先日の放出界隈で経験したような大事にはならない前に、位置を知ることになり、一安心でした。
 「天下茶屋」駅から、地下鉄で2つ目、夜の部に向けて、「恵美須町」へ移動。「in→dependent theatre 1st」であった「ステージタイガー」という劇団の「病的船団」という芝居を観ました。「ステージタイガー」という劇団は、元「特攻舞台Baku-団」という劇団。知られた劇団だということはインプットされていましたので、劇団探しということで行ってまいりました。まだ、観に行ったことがなかったのです。最近の小劇場界は、とにかくエンターテイメントのみを求めています。ですから、ファンタジー系が多い。とにかく楽しめるということなんでしょう。社会問題を放り込んでも、一種のアイテム化してたりします。自分探しなんて、それだけで古臭いなと感じさせてしまうほど、していません。ですから、劇団探しをしていて、芝居自体はおもしろいのですが、何か物足りなかったのです。「突撃金魚」とか、そうじゃない劇団に出逢うと、何やら得体の知れない可能性を見出していた中に、新たな劇団が加わりました。それが、この「ステージタイガー」という劇団です。「治療」目的に「心を病む人」を、一つの船に乗り込ませるという発想自体がおもしろい。普通じゃない予感です。その目的が、最後は、下世話な目的ということが明らかになるのですが、「病気の人」「病気でない人」という二項対立の相対化、「ふれあい」の中から生まれる「生きていく普通の行動」なんてのが足早に語られます。足早なの、芝居である以上致し方ありません。足早と感じるのは、人間って厄介だということを、一方で、観る者は知っているからなのですが、でも、一方で、人間は、こういった行動を執るものという性善説的な考えを受け入れてもいいのではと思わせる力が、この芝居にはあります。「in→dependent theatre 1st」舞台は、随分と狭いです。その舞台を、本当に、存分なく使いこなした劇団、黄紺が、こちらで観た芝居では、最高の舞台上の動きを見せた劇団でもありました。役者の動きも、全体的に統一されています。敢えてぎこちない、加工された動きを作りだしていますが、それで統一されていますので、舞台での動きが美しくもあります。演出の良さでしょう。とにかく、ここしばらくの間で観た芝居では、頭抜けた内容を持つものであることは、間違いありません。




2010年 6月 1日(火)午前 6時 55分

 週末に、連続して3日間、一日12時間ほど遊び続けたもので、昨日は、その疲れが出てきて、お昼ご飯後、ぐったり状態。そのため、仕事が思惑通りには進まず、ちょっと情けない。ということは、あっさりと忘れましょう。夜は、「なんせいの講談格闘中」という講談会に行ってまいりました。ですが、ダメだったですね。昨日は、断続的にダウンを喫してしまいました。読み物は「太平記」です。以前、「講談毎日亭」で、1ヶ月間、「太平記」を読んだことのある南青くんが、こちらで、2ヶ月に1度、「太平記」に挑んでいます。「講談毎日亭」のときは、飛び飛びにしか聴いていませんので、チャンスとばかりに出かけたのですが、ダメだったのです。昨日読まれたのは、後醍醐天皇の挙兵の部分。それに先立つ正中の変の子細からスタートでした。このときに、反幕府の勢力と後醍醐天皇の結びつき、また「太平記」の主役楠木正行との結びつきが生まれようとして生まれない、そないなもったいぶったところがあり、いよいよと後醍醐天皇の挙兵となります。となると、楠木正行とのつながりはとなると、なんと、ある夜、後醍醐天皇の見た霊夢がきっかけだったとか。ま、講談らしいところですので、聞き流しましょう。いよいよ笠置山の決戦なのでしょうが、ここいらあたりに来ると、さっぱり頭に残ってない。完落ちのところがあったようです。




2010年 5月 31日(日)午前 1時 51分

  大阪市遊歩(60)写真集

 今日も、朝からいいお天気。絶好のウォーキング日和でした。ただ今日は、午後の部として、1時開演の芝居を観に行くつもりをしていましたので、ウォーキングは、その芝居が終わったところからスタートすることにしましたので、本日は、11時20分を、お出かけ時間と設定しました。まず、芝居ですが、「インディペンデントシアター1st」という地下鉄「恵美須町」駅の上にある小屋であった「月曜劇団」という劇団の「あたらしい凹凸」という芝居を観に行ってまいりました。劇団探しが進化していくと、小劇場の中でも、メジャーなところから、徐々に準メジャーなところ、更にと深化していっていますが、こちらの劇団は、そういった深みに入っていってる証拠の一つなのかもしれません。もっとも、そういう風に思っているのは、黄紺だけかもしれませんが。こちらの劇団の主役をはっている役者さんが、他の劇団に客演されているのを、二度ばかり観る機会があり、なかなか達者な方なので、自分でも、劇団を持っているということを知ったために、目をつけた劇団なのです。劇団探しというのが、黄紺の底にはあるので、あまり劇団の傾向とかを調べないで行ってます。あまり他人様のフィルターを通して判断しないように努めるのが、劇団探しの基本かと思っています。芝居の筋立てを追うのが下手くそなのを、今日は思い知りました。わかってみると、な〜んだという程度のことなのですが、判るまでがきつかったのです。現実の世界とフィクションの世界が混在として、ストーリーが展開し、やがてフィクションの世界だけが、芝居の本体になっていく。そういった中で、実は、フィクションが本体になってから解るという恥ずかしい経験。混在して始まった芝居なんだけど、わけわからんと、一旦思い出すと、ますます頭が拒絶状態。観ているのも苦痛に。睡魔が誘ってくるという悪循環。それが、パタッと解るようになった。これって、三姉妹の一番上が、締め切りに頭を抱えていた作家の書いた小説の中の世界を描いてるのだと判ったのでした。ただ、その小説の購読者というのは小学生当たりを対象としているということなので、内容は、お菓子の国やらが出てくるファンタジー系。それを描くことにより、三姉妹らの仲の良さを確認し合うということだったんだと思います。当たってるかな? だとしたら、うーん、稚屈。役者さんが、こんなじゃない脚本で芝居をすれば、全然違う芝居をできそうな人たちばかりなので、なんとかならないかなぁと思いました。
 芝居が終わると、その前から、ウォーキング開始です。今日は、恵美須町から真西に向かい、北津守から木津川を渡り、大正区に入り、今度は、岩崎橋から九条方向に抜け、次に、安治川トンネルを通り、此花区に入り、あとはお時間を考えながら、最後は、JR東西線の「海老江」か「新福島」に行けたらと、わりかし具体的なことを考えて歩き出しました。詳細なコースは、次のようになりました。「インディペンデントシアター1st」〜広田神社〜南海電車「今宮戎」駅〜木津卸売市場〜地下鉄「大国町」駅〜韓国料理店「若琳」〜JR関西線「今 宮」駅・「かんさい080」橋梁〜大阪市バス「浪速西3丁目」停留所〜来福子守地蔵尊〜南海汐見橋線「木津川」駅〜木津川大橋〜阪神ゴルフセンター〜泉尾公園〜JR環状線「かんじょう046」橋梁〜岩崎橋〜大阪ドーム〜安治川トンネル〜JR環状線&阪神なんば線「西九条」駅〜吉野東交差点〜阪神「野田」駅〜JR東西線「海老江」駅。かなり気温が上がってきました。歩いていると、当然汗をかきますが、これが、結構テンションを上げていきます。ウォーカーズ・ハイと、勝手に言ってますが、環境が整い、足取りが随分と軽くなりました。今日のコースで、岩崎橋を渡るところで、僅かですが1時間を超過。大正区を抜けるのに、30分ほど。ですから、岩崎橋を渡る辺りで、此花区内に入ってからは、とにかくJR「野田」駅まで行ければラッキーかなの雰囲気が漂ってきていました。でなければ、少し此花区内を寄り道して、「西九条」駅が無難かなと考え出していました。ところが、安治川トンネルを抜けた辺りで、JR「野田」駅を終点にするのならば、繁昌亭に行くためには、「天満」駅から10分は歩かねばなりません。一方、JR「野田」駅から「海老江駅」までは、10分で行ける、ならはと、2時間を超過しても「海老江」を目指そうと考えるに至りました。実際には、2時間ジャストで「海老江」駅到着です。安治川トンネルから「海老江」までの最多コースはこれだと、地図を見ながら考えたのが、功を奏したみたいです。今日の大ヒットは、秘境駅「木津川」駅への道を発見したこと。そして、その駅の前に立ったことです。正に秘境の駅です。駅自体は、木津川大橋の上り階段から、チラリと見えるのですが、駅に到達するのは難物です。阪神「淀川」駅より数段上の秘境駅です。
 「海老江」駅からは、東西線一本で大阪天満宮。夜は繁昌亭。今晩は、「第13回林家小染独演会」に行ってまいりました。番組の魅力で、前売りを買ってました。その番組は、ちょうば「ぜんざい公社」、ダグリー・ロマン「奇術」、小染「堀川」、(中入り)、幸枝若・小染(一風亭初月)「万両婿」。「堀川」は、最後までやってくれました。浄瑠璃の入る部分です。マクラは、回りくどい小染ですが、ネタに入ると、硬派なやかましさが支配してました。聴き物は、後半。浪曲とのコラボです。これが良かった。何が良かったかというと、最大の功績は、いいネタを選び、その台本を書いた主宰者小染の力。「万両婿」は、「小間物屋政談」と言われるネタ。変化が大きく、最後は大岡越前まで出てくるビッグなネタ。言うまでもなく、コラボの相手を務める幸枝若あったればこその公演、幸枝若も、その任に十分応えてました。小染も、若干、浪曲をする場面もあり、声は、決して名調子とは言い難いですが、節回しは達者ですから、噺家の浪曲として聴くと、とってもいい裏芸。掛け合いあり、ネタかどうかが判らない「ミス」を犯したりと、楽しい、楽しい。会場も、大受け。いい会に目を付けたものと、自画自賛です。




2010年 5月 30日(日)午前 1時 25分

  大阪市遊歩(59)写真集

 今日も、昨日に続き、朝から明るい一日でした。午後のちょっと遅めから、文楽劇場に行くことになっていましたので、その前に、今日も、ワッハのライブラリーを利用と思い、それに合わせて、午前中にウォーキングをすることにしました。昨日に続いて、朝8時半を、お出掛けの目安として、大阪へ。休みの日ながら、まるで平日のように動き回っております。今日は、先日渡り損ねた都島大橋を渡ることだけが狙いで、あとは、難波への移動がしやすいようにということだけを考えて、コース取りをしました。そのコースの詳細は、次のようなものです。京阪「天満橋」駅〜大川右岸〜都島橋〜大阪市立総合医療センター〜地下鉄谷町筋「都島」駅〜インド料理店「ティラガ」〜東都島福祉会館〜都島中通3交差点〜城東野江郵便局〜JR城東貨物線「じょうとう008」橋梁〜JR城東貨物線「蒲生」踏切〜聖賢小学校〜新喜多大橋〜JR環状線「かたまち072」橋梁〜八剱神社〜天王田楠根公園〜南新喜島橋〜阪東大橋〜地下鉄中央線「深江橋」。久しぶりに、大川端を歩きました。ましてや、天満橋から都島橋の間は、左岸は、何度か歩いているのですが、右岸は初めて。ゆとりが左岸の方が多いからでしょうね、ウォーキングやジョギングをしている人は、左岸の方が多いですね。都島橋のたもと辺りは、ちょっと汚れが目立ち、通りたがらない人も多いのではないでしょうか。都島橋を渡り終えるまでが、だいたい25分、そこから東に歩き、また南下ですから、なかなか午後の目的地難波には近づかない。そして、天王田まで入ったのはいいのですが、今回も、ここで迷ってしまいました。寝屋川をJRが渡って いるという分かり易いシテュエーションながらわからないのです。おまけに5月末の11時過ぎ、影が、どっちを向いているか分かりにくい。そんなで修正がきかず、阪東大橋を南に行かねばならないのに北上している有り様。かなりのロスをしてしまいました。最後は、かなりパニクリました。写真なんて撮っている場合じゃないっていうほどでした。
 「深江橋」から、堺筋本町乗り換えで日本橋へ移動。2時間半くらいの予定で、今日も、ワッハのライブラリーに行きました。難波界隈に行くときは、頑張って時間を作り、このライブラリーに行こうというのが、最近の定番。本日の試聴ラインナップは、次の通りです。@NHK-TV「夜の指定席」、米朝「百年目」AEMI-DVD「枝雀十八番」、枝雀「代書」(関西TV:とっておき米朝噺)、枝雀「蛇含草」(毎日放送TV:笑ってころげてたっぷり枝雀)BNHK-TV「日本の話芸」、文珍「心中恋電脳」。「百年目」は、以前から目をつけていたもの。DVD化されているものとは違うソース。時間の関係でだと思うのですが、冒頭の丁稚への小言が、途中でカットされています。ちょっと不自然なカット。やはり、一番いい聴かせどころは、最後の旦さんの話。番頭の恐縮に、とっても合理性を感じるということは、それだけ旦さんの物言いに、説得力があるっていうことでしょう。次いで、「枝雀寄席」をソースとしてない「枝雀十八番」の方で、枝雀を二番試聴しました。いずれも、個別のソースが、テレビ局から提供されたソースでも、ワッハのライブラリーで試聴することができますが、今日は、こちらで試聴しました。「代書」は、GWに、浅草で、権太楼のを観たために、枝雀ものも観ようと思い立ったのを、今日実現したのでした。とにかく代書を願いに来る男(枝雀版では松本留五郎)のキャラ作りが命。天然という言葉で表すと、ともに天然。権太楼の方が、めちゃくちゃ陽性。でも、自分が抜けてることを、ちょっとは自覚していて、笑って紛らわそうという顔が、チラリとだけ見える。いや、またやってしまったかということで、笑ってしまう男が権太楼。枝雀版は、まず、自分がすかたんを言ってしまってるということには気付いてないので、次から次へと外してしまってる。代書屋の顔が気の毒そうになっていくのが枝雀版。権太楼版の代書屋は、あまりにものあっけらかんとすかたんをする男を見て、一緒に楽しんでる風情。いずれにしても、「代書」の口演の歴史に残る二大名演です。「蛇含草」の方の枝雀は、なんか顔の感じが、ちょっと違う。むくんだ感じ、いや歳をとった感じ、疲れた感じと言っていいかもしれません。曲食いは、でぼちんで、一旦受けて落としてしまうまで。あと、ちょうど30分ほどあったので、「日本の話芸」で検索した中で、「心中恋電脳」を選びました。「百年目」を聴いたあとでしたので、船場物を避けようとして、こちらを選んだ次第です。以前から、文枝の「菊江仏壇」などをマークしながら、今回は断念しました。「心中恋電脳」は、小佐田作品。部分的には観たことはあったのですが、通しでは初遭遇なんです。ステレオタイプ的に、時間の経った夫婦関係を、いろいろといじり倒すのが前半。このネタのユニークなところは、居所のない夫が、バーチャルな世界に逃げ場を求めるところ。しかも、「曾根崎心中」をパロディとしている。途中から、浄瑠璃掛かりになり、太棹まで入り、文珍は、浄瑠璃を語る。着想の勝利です。
 時間を見計らって、ワッハを出て、近くの文楽劇場へ移動。今日は、小ホールで「浪曲錬声会」があったのです。キャリアの浅めの浪曲師さんが出る会です。1部、2部と、二つの公演があったのですが、その内の2部の方だけ行きました。こちらの方で、春野恵子が、師匠直伝の「おさん茂兵衛」をネタ下ろしをするということだったからです。その番組は、春野 一(沢村さくら)「田宮坊太郎」、京山宗若(岡本貞子)「小緑長吉」、春野恵子(一風亭初月)「おさん茂兵衛」(近松門左衛門作、住田八三嘉脚色)、真山広若(真山幸美)「大石東下り〜元禄秋晴れ街道〜(飯山栄浄作、西脇功音楽)というものでした。春野 一は、初遭遇。元曲師さんだそうです。緊張が、時間とともに解け、本来の美声を聴くことができました。「田宮坊太郎」は、7歳のときの旅立ちに重点を置き、最後は仇討ちを達成するところまで、なかなか欲張った構成になっていました。京山宗若は、野太い声で滑稽味のあるネタを出しました。6代目横綱阿武松を取り上げたもので、講談では、ストレートに「阿武松緑之助」で出されるネタ。武隈との一戦に入ったところで切り上げる憎い作法は、浪曲の定番です。先代幸枝若で聴いて以来の遭遇です。「おさん茂兵衛」は、春野百合子の超名演が、目に前に浮かんで困ってしまいました。春野百合子の口演を見聞していると、あまりの気品に圧倒されますが、それが浮かんでくるのです。全身全霊を使って表現しようとする春野恵子の姿が、随分とくさく、黄紺の目には映ってしまいました。女癖の悪い夫を懲らしめようとしたことから、不義密通の罪を負わされるハメになったおさん。丹後への逃避行、京に戻っての母親との今生の別れと、構造は、春野百合子のまんま。師弟の違いも知れて、満足の一席でした。耳慣れたネタが続いたからでしょうか、また、歌謡浪曲だったこともあり、真山広若の口演が新鮮に映ってしまいました。ネタもいい。大石東下り、即ち仇討ちために江戸にまいる大石、そのとき、関白の使者に化けているのだが、その当の本人の近隣に泊まり騒動が持ち上がるというもの。偽者暴きにかかるのですが、いわゆる武士の情けというやつで、相手が、大石の決意を知り、自らが偽者と名乗る、なかなかできた話で、情を掴む構造になっています。「赤穂浪士」は、ホント、おもしろい話の宝庫だと、改めて思わせられました。真山広若の印象が、とっても良くなりました。ネタ選びのおかげですね、それって。
 再び、ワッハに戻り、夜は、昨夜に続いて「南湖だんご50〜旭堂南湖話術研究会〜50回記念特別大興行」です。昨日は、大阪文化祭参加のため、審査員が来場。そのため、1時間10分で終了。審査員は、多くの公演を観るため、短めを所望だということだったそうで、、、。そないなヤツが審査員やっとるんかいなと思ったなぁ。南湖は、その補填をするということで、今日は、南舟の修羅場読みを除くと、2時間以上、南湖一人で高座を務めました。番組は、南舟「三方原の合戦」、南湖「お遍路報告」「薮原検校」、(中入り)、南湖「赤穂義士外伝〜忠僕直助〜」というものでした。「お遍路報告」は1時間以上。かぶるものも少なく、楽しませてもらいました。「薮原検校」は、先日の「講談毎日亭」の短縮版。師匠の薮原検校を殺すところまで、コンパクトにまとめてありました。「忠僕直助」は、なかなかいい話。またまた思ってしまいました。「赤穂義士」の物語には、いい話が詰まってると。直助は、岡島八十右衛門の足軽。主人が、浅野の家臣大野九郎兵衛により、刀をバカにされたため、刀鍛治の弟子になり、名刀を作って主人の汚名をそそぐというもの。直助の、怨みのエネルギーは大変なもの。これも、おもしろい話で、良くできています。琴線に触れる物語です。




2010年 5月 29日(土)午前 0時 51分

  大阪府守口市(22)〜大阪市鶴見区〜大阪府門真市(18)〜大阪府東大阪市(13)〜大阪市城東区写真集

 週末に入り、今日から3連休。その初っぱなの今日は、とってもいいお天気。同じウォーキングに出かけるにしても、明るい朝だと、足取りが軽くなります。そのウォーキングを、今日は午前中に組みました。もちろん、午後の予定を想定してのコース設定です。そのコースとは、次のようになりました。今日は、途中に、鶴見緑地を織り込むことを目指しました。京阪「滝井」駅〜大阪国際滝井高校〜花博記念公園北口交差点〜鶴見緑地〜古宮神社〜葭田橋〜茨田高校〜いこいの道〜徳庵小橋〜JR学研都市線「徳庵」駅〜JR学研都市線稲田踏切〜新金吾郎橋〜JRおおさか東線松之町踏切〜JR学研都市線「放出」駅。「滝井」駅から鶴見緑地の端っこまで、ちょっと遠回りの道で25分。思いのほか短く感じられました。鶴見緑地では、バラが満開。バラ園は、色とりどりのバラが咲き乱れていましたが、若干遅めだったみたいで、落ちた花びらが、ちょっと見苦しかったな。風車の前と旧オランダ館の真っ赤なけいとうが、一番良かったかな。風車前には、ポピーもありましたが、こちらは頭が大きくなりすぎて、全体的にへにゃとなっていて、こちらも、時期遅れ。ちょっと間を開けて、鶴見緑地に行ったもので、一番いい時期を逃したみたいです。鶴見緑地を出るあたりで、あと1時間ほど。一旦、安田方向に歩き出してから、時間的には、「高井田中央」か「放出」のチョイスとなりましたが、あとのことを考えて、ギリギリのところで、「放出」を選択しました。所要時間は、2時間10分でした。「徳庵」で切り上げるには早く、さりとて、他のところへ行くには時間を要するで、この時間の超過は致し方ありません。
 「放出」からは学研都市線一本で、大阪天満宮駅へ移動。今日の昼の部は、繁昌亭昼席でした。トリが仁智、中トリが文太という、なかなかそそられる組み合わせに飛びついたということです。今週の中トリは染二で、文太が、今日だけ代演という日に、狙いを定めたのでした。番組は、呂竹「初天神」、右喬「平の陰」、かい枝「丑三つタクシー」、伏見龍水「曲独楽」、仁福「粗忽長屋」、文太「幾代餅」、(中入り)、南陵「(武林)唯七の使者」、仁勇「猫の皿」、わかば「いらち俥」、仁智「スタディ・ベースボール」というものでした。呂竹は、久しぶりの遭遇でした。最近、全然見かけていなかったので、ネタも、呂竹では初めてとなる、季節外れの「初天神」。なんか台詞が 先行して、場のわあわあ感のようなものが出てない、そないな感じでした。呂竹では、感じたことのない雰囲気でした。右喬と仁福のところで、ちょっとウォーキング疲れが出たかな。昨夜も、寝不足だったので、ありうるなと思っていたら、案の定っていうところです。右喬も久しぶりだったので、なんせ独特の雰囲気を持った人ですので、ちょくちょく遭遇しておかないと、禁断症状まではいかなくても、聴いてみたくなる噺家さんの一人なのです。「平の陰」は、ちゃんと盃が隠れてたで落としてくれました。「丑三つタクシー」は、ようやく遭遇できました。今日の収穫の一つです。でも、小さなネタでした。タクシーの中で体験するホラー話。オムニバスでした。仁福のネタは、行き倒れたとされた男が、自分と対面するという噺。そして、文太。マクラで、恋わずらいの話をしだしたので、何をするのかと思ってると、「幾代餅」。この噺、幾代太夫が、男の嫁になるということの説得力が難しい噺。だけど、今日、幾代が、その台詞を言おうとしたとき、結構、胸にずしーんと来るものを感じたのですが、それで、文太の何がいいのかが判りました。男の幾代への純な気持ち、まじめに仕事に精進する男の気持ちが描き切れているからなんだと。文太の高座として、なかなか忘れえないものとなりました。仁勇は短く、短かすぎて、なかなか演じ手の少ないネタを。わかばは得意ネタをと来て、仁智には、「スタディ・ベースボール」以外を期待したのですが、ダメでした。高校野球の話に移りかけたので、ちょっと喜んだのですが、またまたっていう感じで、「スタディ・ベースボール」でした。と言いながら、このネタは楽しい。会場は、大受けでした。今日の繁昌亭は、今まで黄紺が行った中では最低の入り。でも、それがノーマルな状態なんでしょうね。でも、入りに関係なく、高座はもったいないくらい楽しめるんだよね。
 繁昌亭がハネると、ワッハへ移動。夜は、ワッハの4階に行くつもりでしたので、時間調整に、ワッハのライブラリーを活用しました。正味1時間半を切っていましたので、観ることがでかたのは、次の二つの番組でした。@毎日放送TV「笑ってころげてたっぷり枝雀」ゲスト:松原千明、枝雀「夏の医者」ANHK-TV「日本の話芸」、八方「高津の富」。@は、相変わらず真ん中を飛ばしての試聴。駅弁の紹介をしているところです。「夏の医者」は、冒頭の体全体を使った「夏の日照り」の描写が全てですね。最後に、もう一度、同じ描写を使います。うわばみが弱りきっている姿を表す直前です。この噺は、夏の日照りが全てですから、これを受け入れなければ成立しない噺。逆に、これを受け入れると、あとは、もう枝雀の手の上で転がされる雰囲気です。他のところで用いられると違和感のあるアクションでも、インパクトのある日照り表現と釣り合いがとれてしまうのです。ただ、体を小刻みに上下に揺するのが気になったのですが、こないな落語っぽい愉快な噺をしてるんだという枝雀の高揚感のようにもとれました。八方の「高津の富」は、「日本の話芸」で検索をして見つけたものです。全体として、えらく正調「高津の富」という感じで、教則本になりそうな口演です。空っけつの旦さんにすっとぼけた味わいがあればなと思いました。特に、そのような要望が出てくるのは、八方の堅い表情かな、その空っけつの旦さんの。群集の賑わいも、わあわあ感が出ていて楽しめたしと、むしろ八方だから、オリジナルのくすぐりなんかを期待して観るとすかされてしまうという正調派の口演でした。ただ、この高座にあったのですね。「トラブル」という言葉が使われてしまったというのが。「軒付け」だと思ってたのですが、、、。いや「軒付け」でもかもしれませんが。
 夜は、引き続きワッハでの「南湖だんご50〜旭堂南湖話術研究会〜50回記念特別大興行」です。こちらは、ライブラリーのすぐ横っちょの小演芸場での公演です。今回は、50回記念ということで、今日と明日の連続公演、しかも「大阪文化祭参加」が謳われた公演でした。今日の番組は、南斗「修羅場読み:三方ヶ原」、南湖「源平盛衰記〜那須余一〜」、(中入り)、南湖「無筆の出世」というものでした。今日が、大阪文化祭の審査員が来る日ということで、お遊びのない高座。四国巡りの話は、ネタを導くという観点だけで出されるという具合。そして、南湖は、こういったコンペに参加するときは、わりかし定番のネタを選ぶ傾向。今回のネタも、同じような観点からのネタ選び。それだけ口慣れたものを出し、安定した口演で勝負しようとしている感じ。去年は、口慣れしすぎていて、ネタ繰り状態になってしまい落選。上がり症なんですね。とんでもないスピードになってしまってましたから、去年のようにはならないか、黄紺もドキドキ。今年は、「無筆の出世」の前半で、ちょっとそないな傾向が出てしまい、唸りかけたのですが、去年ほどのスピードではありませんでしたし、トップギアまでは行かず、またその時間帯は短いものでした。「那須余一」は、有名な「扇の的」を射抜く話。「無筆の出世」は、仕えていた主人が酒癖が悪く、危うく刀の試し斬りにされかけた足軽が、無筆を克服して、更に御家人株を入手したのち、大変な出世をして、元の主人と再会し、以後、入魂の間柄となる人情話。前半の失態がなければ、かなりいい出来。審査員は、どのように判断するのでしょうか?




2010年 5月 28日(金)午前 0時 18分

 今夜は、講談会です。ここ3週間ほど、講談ずいています。ま、「講談毎日亭」があったのが大きいのですが、これだけ、細かくポツポツとあると、 なんか上方講談界の隆盛を感じてしまいます。今夜の講談会は、ワッハの4階であった「第380回上方講談を聞く会」です。番組は、南斗「細川の福の神」、南湖「拝領の首」、左南陵「八丈島物語」、南左衛門「侍の洋行」というものでした。南斗はおなじみのネタ。間がだいぶと変化が出てきて、良くなってきたぞと思ったら、八王子に松飾り売りを探しに行くところで飛んでしまいました。その直前に、瞬間的に言い淀みかけたのが響いたのかな。八王子の場面は、身分違いを印象づける大切な部分。筋立てが解らなくなるということはないのだが、なくなると、その場面の大切さが良く解りました。南湖は、明日、明後日と二日連続の独演会を控えているからでしょうね、大半はお遍路巡りの報告、そして、短く刈り込んで「拝領の首」。臆病者の武士が、既に戦場に出て、草むらに隠れている半ば辺りからスタートしました。このネタの「主君」として登場してくるのが福島正則。同じ福島正則が、これまた「主君」として出てきて、江戸へ広島の酒を運ばせる役割を演じるのが、左南陵のネタ。「関ヶ原の合戦」の「外伝」という言い方を、左南陵はしていました。船が八丈島にさしかかったとき、そこに上陸した家来が、関ヶ原で、三成側に回ったために、島流しにあった秀吉の重臣・宇喜多秀家と会い、酒をあてがい、急いで広島に戻り、主君に報告する。福島正則は、直ちに駿府に書状を送り、秀家に寛大な扱いを求める。素晴らしい熱演でした。この人の気迫がいいです。かっこよさに魅せられるファンがいます。「侍の洋行」は、伊藤博文や井上多聞の密航を扱ったもの。主役は伊藤で、井上はおちゃらけ役回り。延々と、同じパターンの井上のボケに付き合わされるネタで、クサめの南左衛門の口演なため、途中から食傷気味。今日の会は、当初は、南海さんが出るようになってたとか。ですから、左南陵の出演は、代演でということでした。




2010年 5月 27日(木)午前 4時 23分

 昨日は、午後からめいっぱいの仕事。目は疲れるわ、肩のこりは尋常ではありません。おまけに、夜は夜で、夜中に目が覚めてしまい、恒例の寝不足だしという悪コンディション。そないな鬱陶しい気分を晴らすには、やはり夜遊びです。昨夜は、梅田のHEPホールで、イキウメの芝居「プランクトンの踊り場」を観に行ってまいりました。黄紺の劇団探しの網の中に引っかかった東京の劇団です。しかも、大阪公演をやってくれている貴重な劇団なのです。以前に一度観たことがあり、そのときの印象が、頗る良く、新たな来阪を待っていた待望の劇団の公演です。昨日の芝居は、一人の人間が、他の人の想念で、二人にも、三人にも分裂する話。こういった超常現象を、芝居に取り込むことの常として、いかに最初から最後まで一貫して、観る者を納得させるでっち上げができるか、そして、それを通じて描こうとする物語が、客に共感を持たせることのできる日常性を持っていたり、宇宙論やら何やらのテーマ性のあることと思っています。まず、そのでっち上げ度という意味では、とってもおもしろく観ることができました。なぜ、こういった現象が起きたのかの分析、それを、次には、いつでも起こすことができるようにとの法則性、その現象を元に戻すという問題解決性、いずれをとっても、楽しめるもので、その辺の言葉の用い方も、らしく聞こえていました。じゃ、そういった超常現象により表現する物語は、一組の夫婦の離婚問題。夫を置いて、実家に女が戻ってきたところから始まるのですが、家を出てきたときの高揚した想念が、二人目の夫を生み出してしまうという設定です。ですから、物語自体は、語り尽くされた、男女の別れの物語。それを、超常現象を使い、いやむしろ、その謎解きが中心の展開だったと言えばいいかな。その謎解きがおもしろく、本来の物語の陳腐さは吹っ飛んだっていうところかもしれません。更に、でっち上げのおもしろさに加えて、達者な役者さんに、前回同様、楽しませてもらいました。東京でも人気があるわけ、観ていて解りますね。




2010年 5月 25日(火)午後 11時 24分

  大阪府寝屋川市(22)〜四条畷市(5)〜大東市(11)写真集

 今日は、勤務日ではないのに、仕事が入り、午前中だけ出勤。最近、こないなことばかりが続きます。週3日勤務などというものは、絵に描いた餅になりつつあります。まあ、振り替えができるので、夏のトルコ用に、せっせと休暇を貯めるということにはなっていますが。ひょっとしたら、この土曜日も、半日ほど出勤をしなければならないかもしれません。ぼやきはいいとして、午後からは、いいお天気のもと、ウォーキングをしました。今日は、寝屋川市駅から四条畷、大東方向を目指すというコース取りです。ちょっと久しぶりのコース設定でした。詳細なコースは、次のようになりました。京阪「寝屋川市」駅〜秦高宮北歩道橋〜寝屋川市民会館・寝屋川第一中学校〜高宮公民館〜高宮神社〜寝屋川市教育センター〜正縁寺〜JR学研都市線「忍ヶ丘」駅〜四條畷市民総合センター〜四條畷市立教育文化センター・四條畷南中学校〜正願寺〜御机神社・龍尾寺〜住吉平田神社〜四條畷神社〜四條畷学園〜JR学研都市線「四條畷」駅。今日は、蒸し暑く、歩いていると、かなりな汗だく。寝屋川から四条畷に抜けるとき、一つの目安にしているのが、寝屋川市教育センター。寝屋川市のはずれにあり、土地勘もあるところなので、ここを目安にして、コースを考えます。横を通るようなことがあれば、市の建物なんだからと、トイレをお借りできる。今日は、そこから東に歩き、「忍ヶ丘」駅を通り過ぎ、学研都市線の東側、即ち、山側を歩いてみました。すると、ちょっと欲が出てきて、室池へと続くハイキング・コースの入口となる御机神社まで行ってみました。実は、そこへ行くまで、気が付かなかったのですが、こちらへんは、もう20年ほど前、何度か来たところだと、そのときに判明しました。その向かいにある龍尾神社は、全く初めてのところ。下の道路からだいぶと上がらないといけないのですが、到着すると、一人のおじさんと出会いました。ヴォランティアで、手入れの行き届いてない境内の木を間引いておられました。おしゃべり好きの方で、この寺が、隠れキリシタン関係の場所だということを教えていただきました。確かに、四条畷の岡山や砂は、そういった人たちがいた場所だということを知っていましたが、南野地区にもあるとは、初めて知りました。更に、驚いたのは、梵鐘の裏側を見るように勧められ、実際に覗いてみると、そこには、十字が刻まれていました。隠れキリシタンの遺物を見るのは初めてだったもので、もう大興奮。そないな場所であるために、整備し直して、公開される予定と伺いました。そのあとも、山裾沿いに四条畷神社まで歩いて、最後は、予定通り、大東市内となる「四条畷」駅に到達しました。龍尾神社でおしゃべりをしたので、正解な所要時間が分からなくなってしまいましたが、ま、ちょうど2時間のコースじゃないかな、これで。
 「四条畷」駅から、学研都市線一本で、大阪天満宮駅へ移動。夜の繁昌亭まで、2時間ほどの時間がありましたが、何かをするには中途半端だし、どうせ、繁昌亭に戻って来なければならないのだしということで、おなじみの南森町のネットカフェで、時間調整をしていました。今夜の繁昌亭は、「第42回天神寄席」。久しぶりに、対談が復活し、しかも、そのゲストが、天満宮の宮司さんを迎えるということで、出演する噺家さんは、超豪華メンバー。その番組は、笑丸「湯屋番」、米二「質屋蔵」、春之輔・寺井種伯(大阪天満宮宮司)「対談」、(中入り)、染丸「やかんなめ」、三枝「仲直り」というものでした。ただ、客席は、大きく二極分解の様相。集団で来ている素人集団と、この豪華メンバーを楽しもうという濃い人たちに分かれていたように思いました。その両方のグループいずれにも受けが、もう一つだったのが、笑丸。自分的には、あざといテンションの上げ方は嫌われるよと言いたくなりました。ただ、リズムがはまると、どっかーんと来るのですが、変な笑い方をするおばさん(誰とは書くのは控えておきます)に、そのリズムを完全に狂わされ、ちょっと気の毒な感じすらしました。二番手で、早くも「質屋蔵」です。しかも、米二。でも、客席の暖まり方が悪い状態だったのがまずく、米二の口演が、かなりのハイスピード。印象深い高座だったもので、この前、米二の「質屋蔵」を聴いた場所(今は無き宇治市の「尾長猫寄席」)まで覚えているほどなのに。楽屋で、変な笑いをしきりに入れる客が、気になってたんじゃないかなぁ、米二のペースに狂いが生じてました。染丸は、控え目に短いネタ選び。弟子の染弥では聴いているのですが、染丸本人から聴くのは、初めてのはずです。染弥のくさめの演出に対し、染丸は控え目。でも、考えてみれば、やかんが合い薬なんてこと自体、ありえない落語世界の出来事。ましてや、禿頭をやかんの代用とする、二つ目の落語的発想。これだけあれば、多少のくささは許されるというもの。いや、くさめを意識して演じるべきと、染丸の控え目の高座を聴いていて、気が付きました。「仲直り」は、今年、発表された作品。一つの思い違いから、無二の親友と絶縁してしまった年配の男。仲直りをしたいと思うのだが、その友人は、突然死してしまい、仲直りできず終い。その男も、そのあと3年が経とうというときに、突然死してしまい、あっ、これは、あの世で再会し仲直りするのかと思いきや、無二の親友は再生していた。でも、仲直りができてたんやという展開。一人目が死んだとき、この話に、どう決着をつけるのか、興味津々になっていきました。二人目が死んだとき、ちょっと「地獄八景」の雰囲気となるので、メルヘン・タッチで、あの世で再会した二人がということを期待したら、そうではなかった。でも、そうではなかったことが判ったとき、メルヘンを期待していた黄紺は、ちょっとがっかり。最後に、ひねられて、ほんわかムードが、若干、薄まったと、黄紺は看ました。ここは、難しいところ。意見の分かれるところでしょう。でも、三枝作品は、常に、一定の水準を保ちます。これが、この人のすごいところだと思います。




2010年 5月 25日(火)午前 4時 46分

 昨日は、まだまだ雨が続きました。鬱陶しい話です。雨が止んでからも、どんよりとした天気で、鬱陶しいままでした。昨夜は、一昨日までの講談続き読みが終わり、久しぶりに落語会。しかも、場所も久しぶりに行く天満橋北詰近くの「常盤漢方薬局ビル」。昨夜は、こちらで「第5回客寄席熊猫」があったのです。自分的には、この会は2度目となります。雀三郎の弟子の雀喜が、新作を披露する会なのです。その番組は、弥生「狸賽」、雀喜「中学生ブルース」、三金「奥野君の同窓会」、雀喜「聞き耳トーマス」というものでした。弥生は、お手伝いに来ているところを見かけたことはあるのですが、高座に上がるのを観るのは、初めてとなります。吉弥門下の二番弟子で20歳。およそ風貌からして、なんで噺家になろうとしたのかわからない、そないな感じのするきゃしゃなで、可愛い女の子。噺は、まだこれからというところですが、時間が経つにつれ、落ち着いてきたのでしょうか、声もしっかりしていきました。こういった場数を踏んでいきながら、徐々に成長していくのでしょう。「中学生ブルース」は、長坂堅太郎こと、雀喜自身の書いた新作。中学生が、毎日、校門で待ち構えていては、いいかげんなものを売りつける噺。好奇心旺盛の中学生を、巧みに関心を引かせておいて、小遣いを巻き上げていきます。「秘伝書」や「もぎ取り」と、同型の作品。「奥野くん」シリーズは、三金の私落語と言えるもの。「同窓会」は、二度目か三度目の遭遇です。「奥野君」シリーズを続けて発表していた頃の作品。三金の作品は、このあたりが充実しています。小学校時代の友人らと、昔話に花を咲かせていると、先生も現れ、初恋の人も現れという噺。「聞き耳トーマス」は、元は、雀喜の元兄弟子、以西正明(又三郎)の作品。それを、雀喜が手直しをしすぎて、最早、以西名では出しにくくなったので、長坂名で出すことにしたと言ってました。ある日、テキサスの学校に行く途中、狐を助けたことで、動物の言葉が解るようになったといトーマスの物語。雀喜の新作って、笑いのツボを掴むのはうまいのですが、そのツボばっかを攻めすぎというか、それだけになっちゃってます。変化とか、広がりとかが出てくると、いい新作テラーになると思うのですが。




2010年 5月 23日(日)午後 11時 54分

 夜半から、かなり強い雨。午前中、ちょっとの間、買い物に出かけただけで、ズボンの裾は、ぐしょっとなる雨でした。今日は、午前中は、家でぐだぐだ。午後から活動開始しました。ちょっと芝居ずいてまして、午後はABCホールで、売込隊ビームの芝居「トバスアタマ」を観ました。この大阪芸大出身者で作る劇団は、自分的には、そないに評価は高くないのですが、脚本よりか、役者に魅力を感じ、見限れないでいます。きっかけは、昨日の南河内万歳一座の鴨鈴女が行ったプロデュース公演に、この劇団の役者さんが出ていて、黄紺の劇団探しの網にかかったのでした。今日は、えらくシリアスな劇。本線は、不登校児の不登校のわけが追求されていく中で、母親の、自分を捨てた、子どもの父親への復讐であることが判ってくることと、その子ども自身の自立の問題が語られていきます。ただ、芝居は、それだけを相手にしていると、単線構造になってしまいますから、母親からモラル・ハラスメントを受ける子どもの人格を二人で演じるという工夫がなされていました。また、その家庭を取り巻くご近所の人たち、同級生の家庭問題などの賑やかしを作り、芝居に膨らみを持たせていくのですが、その中の一番おもしろいものは、犬と人間の入れ替わりなどというものを登場させます。突如、犬の体に入ってしまった女が言います。「こんな大変なことが起こっているのに、誰も気づかないで、一つの家族の問題にうつつを抜かしている」、これはおもしろい話に発展していくかもと期待したのですが、そないな遠大なテーマには、この劇団はタッチしませんね。いや、最近の劇団の傾向ですが、ちまち ましたエンターテイメントに終始しますから、宇宙論とかなんてことには、遭遇しません。ですから、この犬になった人間、人間の体を得た犬というのは、話の膨らまし粉でしかありませんでした。それを承知で見れば、おもしろい芝居なのです。ちょっと、自分的評価を上げたかなの公演でした。
 実は、ABCホールに入る前に、雨が小降りになってきており、ウォーキングができそうな感じがしていたのですが、いざ芝居が終わってみると、突風は吹いているわ、雨足は激しさを増してるわで、大荒れ。ミニウォーキングも中止して、東西線で、「大阪満宮」まで行き、繁昌亭で前売り券を買い、南森町のネットカフェで時間調整をしていました。夜の「講談毎日亭」に備えてです。今日は、この連続読みの会は千秋楽。日曜日が千秋楽になると、入りが良くありません。毎日、客席には「通し券」を買ってる人ばかり。常連客で固まってしまってました。以前、南青くんが、高座から「今日、来ていただいてる方の名前、全部言えますよ」なんてことを言って、大爆笑をとったことがありましたが、正に、この1週間は、そないな固定客ばかりが詰めかけていました。今日の「竹中半兵衛」は、姉川の合戦で、加藤虎ノ助らの竹中三童子の活躍で、信長軍が、敵将の計略に陥らなかったという話で終わってしまいました。やっぱり、竹中半兵衛の活躍という話でもなく、生涯を描くでもなくでした。病のくだりが出てきたときには、飛ばしながらでも、死ぬ話が出てくるのかと想像したのですがかと三童子が、戦に出たいと言い出したときに、おかしな雲行きだぞと思ったのが、はからずも当たってしまいました。「薮原検校」は、大団円を迎えました。政談ものですから、そうならないとあかんわね。おとせの向かいに住む金太が、おとせの金を盗み、散財をしたことで、疑念を持たれ、お上に願い出られたことが糸口になり、全貌が明るみに出ます。タイミング良く、おとせの実父も、江戸に戻ってきて、実弟(与兵衛)を認知し、与兵衛も、実の姪を知らない内にいたぶっていたことを悔い、全てしゃべってしまいます。薮原検校を落とす切り札は、大岡越前が、薮原検校の元に送り込んでいた間者でした。実は、大岡越前は、薮原検校を泳がしていたんだとなるわけです。ピカレスクものは、いい色替わりとなり、今回、一番しっかりと聴いていたかな。「中岡慎太郎」は、最後がわかっていますから、千秋楽の、更に南海さんの口演が進むにつれ、気持ちが重たくなっていきました。しかし、中岡慎太郎っていうのは、舞台裏で、大車輪の活躍なんですね。薩長同盟結成の舞台裏を仕切り、次は、薩長土の同盟結成を仕切ります。ただ、山内家が、土佐の藩主に就くにあたり、幕府に恩義のある土佐藩は、大義名分を欲しがります。そこで、竜馬から「大政奉還」が出され、土佐藩の顔が立つのでした。となると、次は、公家、朝廷の分裂回避に動きます。岩倉具美と三条実美を結びつけるのでした。実際、大政奉還もなり、形では、天皇家が幕府の上にくるのですが、決して統一性を達成できていると言えない状況を、中岡慎太郎は憂います。坂本竜馬との違いも、鮮明です。目指すものは同じでも、その手法、また得るものが違う二人が、慶応3年11月、竜馬の隠れ家で、昔話を交えながら酒を呑んでいるときに、襲撃を受け、竜馬は、その場で、中岡慎太郎は、翌朝、命を落としてしまいます。いよいよ、薩長軍が、幕府を軍事的に制圧に出るという直前の出来事でした。幕末史に、皆目弱い黄紺は、ついていくのに一所懸命。竜馬と言い、中岡慎太郎と言い、西郷、高杉晋作とか、その果たした役割なんかが、ちょっとはわかったかな。今回は、見事に皆勤でした。皆勤をした7名の人たちに、雀のおやどの席亭さんから、お土産をいただいちゃいました。毎度、ありがとうございます。




2010年 5月 23日(日)午前 6時 55分

  大阪市遊歩(58)写真集

 昨日も暑くて、午前中は、いいお天気。昨日は、寝過ごすことなく、以前から立てていた予定を、つつがなくこなすことができました。昨日も、ウォーキングを夕方に回し、替わりに空いた午前中の時間を活用して、ワッハのライブラリーを利用し、貴重な映像資料を楽しみました。そのラインナップは、以下の通りです。@毎日放送TV「笑いころげてたっぷり枝雀」ゲスト:若原瞳、枝雀「千両みかん」ADVD「大師匠第弐巻」、権太楼「芝浜」、権太楼・雲助「対談」BNHK-TV「日本の話芸」、吉朝「狐芝居」。最近、「笑いころげてたっぷり枝雀」を追いかけています。ゲストを喚ぶのはいいとしても、そのゲストとは、なんの関係もない、他のゲストを喚ぶわけが解らない番組ですので、昨日は、そこは早送り。でも、枝雀一門の若いときの姿を見れて、喜んでいる番組です。昨日の枝雀落語は、「千両みかん」。時間の関係でしょうね、冒頭の番頭と若旦那のやりとりはカットされ、その内容を、番頭が報告するところから。とにかく細部へのこだわりが見られるネタで、また、それが実に的確。例えば、太陽を見上げるときの、体を沈み込ませながらの態勢、みかんを選り分けるときの仕方、若旦那がみかんを食べるときの番頭の表情、もうすごすきます。一方で、このネタのオーバーアクションはいただけません。唐突さを感じてしまいました。唐突さを感じさせるオーバーアクションは、ノーです。ネタがネタなんで、ついていけないのでしょうか。特に、最後、番頭が逃げ出すときのアクションは、枝雀自身、どうして良いのかわからずじまいでやっちゃったっていう感じのするものでした。権太楼の「芝浜」は、馬生、円窓と受け継がれてきたもの。ちょっと変則的です、継承の流れが。だから、柳家でありながら、50両であり、熊五郎であるとか。権太楼は、キャラ作りばかりか、表情が、とっても豊か。さっぱりとした江戸っ子を表す腹の中には何もないっていう感じの人物描写が、いいです。熊のさっぱりとした清々しい笑顔が似合います。これは、いいものが、ワッハにありました。同じDVDには、五街道雲助の「もう半分」は、今回はカットして、権太楼と二人の対談を見ました。僅かに、権太楼が先輩で、二人とも、大学の落研出身(権太楼:明治学院、雲助:明治)。同時期に学生生活を送り、修行に入ってるという関係。ネタのことでは、雲助の「もう半分」は、鼻の円遊の速記本からのものだそうです。二人とも、小ゑん時代の談志を誉めてました。入門に至る経緯など興味津々で聴ける内容です。吉朝の「狐芝居」も、待望の映像資料。かねてから狙っていたもの。DVD化されているものとは異なる音源です。4段目を再現してくれますが、そのときの吉朝の抜けるような声がいいですね。最後は、饅頭を置いていく型が採用されていました。だけど、「蔵丁稚」とは違うものを使って欲しかったなと思うのは、毎回のこと。小佐田センセに言いたいことです。
 ワッハからは、近鉄電車を使い、鶴橋へ移動。昨日の「講談毎日亭」は、午後に設定されていました。「竹中半兵衛」は、姉川の合戦で終わるみたいです。まず、今日は、加藤虎之助(清正)の8歳のときの勇姿が読まれました。竹中三童子の内、実際に戦らしいことをしたのが虎之助だけだったということでです。そして、話戻って姉川の合戦ということになるわけで、ここで出逢うのが、虎之助が、8歳のおりに退治した悪漢坊主のようです。敵方の足軽頭として登場してくるようなんですが、それが、「竹中半兵衛」のラストとは、ちょっと寂しいですね。「薮原検校」は、やっぱり、両国橋から身を投げた薄幸の女おとせは、助かりました。丁度、川を船で通過していた小間物問屋の男に助けられました。ただ、この小間物屋は、仕事がうまく進まず、店をたたむとともに、病で寝込んでしまいます。金を盗んだと嫌疑をかけられたことを知ったおとせの父親は、娘を勘当し、どこかへへやら行ってしまってますので、世話になった旦さんを、義父として世話をしていくことになるのですが、金が底をつくため、物貰いに立ちます。そないななかで、叔父(これが仙台屋与兵衛、薮原検校の番頭役におさまっている)と出くわすのですが、叔父は、名乗りをせずに金を渡して去っていきます。これで、生活の足しにはできるのですが、この金の一部をしまっていたところ、向かいに住む金太という男に盗まれたことから、おとせ自体が不審がられ、ついには逮捕、牢屋に入れられてしまいます。この話が、薮原検校につながっていくのですね。大団円となるのでしょうか? 最終日は、大岡越前が裁いてくれるのがお約束なのですが、大丈夫かなぁ、正直なつぶやきです。南海さんは、「蛤御門の変」は繰り返しみたい。その後、長州は、真っ二つに分かれてしまいます。徹底抗戦か、謝るかということです。一方で、薩長同盟へと進んでいきます。仲立ちとなるのが、西郷隆盛、坂本竜馬、中岡慎太郎というわけです。そして、長州を一つにするのが、高杉晋作ということです。いずれ出てきても、西郷隆盛に対する信頼は、かなり高く描かれ、中岡慎太郎も、西郷隆盛と会うことで、自らの考えを深めていきます。坂本竜馬と中岡慎太郎との再会も実現します。竜馬は、どっちかというと商売人としての利益から、薩長同盟、ひいては倒幕を思い描いたと描かれます。竜馬の方が実利的で、中岡慎太郎の方が、熱血漢、向こう見ずな男として描かれていきます。実際は、どうだったのでしょうね? 話は慶応年間に入ってきています。竜馬、慎太郎、ともに命の尽きるところまで、あと僅かとなってきています。
 「講談毎日亭」が終わると、雀のおやどを起点にして、ウォーキングに移りました。昨日は、一昨日とよく似た地域を歩き、最後は、学研都市線のいずれかの駅に到達すればということで歩き始めましたが、距離感を掴んでなくて、大幅修正でした。夜は、西天満で芝居を観る予定にしていましたので、こないな道筋を用意したのでしたが、でも、なんとか学研都市線に乗れる工夫をしました。詳細なコースは、次のようになりました。雀のおやど〜細工谷交差点〜生野聴覚支援学校〜韓国料理店「甲」〜猪飼野新橋〜韓国大阪教会〜高砂橋〜清見原神社〜金光藤蔭高校〜新生野中学校〜勝山高校〜寿町公園〜太平寺中学校〜布施警察署〜JR&近鉄「俊徳道」駅〜弥栄神社〜司馬遼太郎記念館〜小阪神社〜行者神変大菩薩〜立江地蔵尊〜大阪樟蔭女子大学〜小阪病院〜近鉄「河内永和」駅〜JRおおさか東線「河内永和」駅。うまくやれば、当初の予定を達成するのは難しかったかもしれませんが、地下鉄中央線の駅へは行けたと思います。「小路」駅から南へ行ったのが、原因です。手持ちの地図の下の方に勝山高校があったため、そこまで行ってから、「八戸ノ里」方向を目指していては、迂回もいいところです。あまり歩いたことがないため、完全に距離感を誤りました。だけど、ミスったおかげで、おおさか東線という乗ったことのないJRの路線に乗ることができました。このコースは、生野区を横断するコースです。かなり建て込んだ地域です。商店街も続く濃密なところです。前日に歩いた東成区横断のときと比べて、僅かに南に行っただけというつもりの黄紺にとって、周りの様子の違いに驚きです。千日前線が、小路や巽へとやって来たことと関係があるのかなと、そないなことを考えて歩いてました。
 「河内永和」から「放出」乗り換えで「大阪天満宮」へ移動。夜は、ここから歩いて西天満にある「エイトスタジオ(旧関西テレビ)」でありました南河内万歳一座の公演「びっくり仰天街」に行ってまいりました。南河内の客層は、他の劇団探しで訪れる劇団の雰囲気とは違います。年齢層が高く、ミーハー度が、えらく低いのです。そのため、集客力は、確実に落ちてしまってます。隔世の感がするのが、毎回のお約束になってしまってます。今回は、最近、観てなかった自分探し関係の芝居になってました。家賃が払えなかった人(男か女まで曖昧にしてある)の家財道具が、路上に放り出してあるところからスタートします。そこを通りかかる女3人。かつて付き合いのあった友人のお通夜に行こうとしています。登場人物は、一部を除いて、皆、どこかのお通夜に行こうとしていますが、誰も、お通夜の会場に、なかなか行き着くことができません。そこで出逢うのが、件の家財道具のぶちまけ。それを見ると、まるで、その家財道具を使っていた人物の生活が丸見えに見えてきます。だが、その人物が、よく判りません。2つのギャップが、並行して描かれていきます。人を知り、認識する、一方で生活がありますから、その作業が、中断されることは多々あります。年嵩が重なると、人と人との付き合いは、移ろっていきます。そういった移ろい行く中での人の認識、逆に言えば、自分は、どのように認識されているのか、そういったところからの自分探しの芝居と看ました。内藤裕敬のお遊びが、ちょっと足りなかったかなの印象を、芝居を観ながら感じてました。なんか、誰も彼もが、台詞が浮いてるようで。だいたい、鴨鈴女は、いつもそうなんだけど、全員、そういった感じで。来年は、30周年だそうです。但し、30周年記念で、1年間休団するそうです。その前に、「ラヴレター」の再演があるとか。




2010年 5月 22日(土)午前 7時 41分

  大阪市遊歩(57)写真集

 昨日は、出勤日ではないため、前日からタイムスケジュールを組んでいたのですが、寝過ごしてしまい、午前中の予定が狂ってしまいました。原因は、またしても寝られないっていうこと。何度も、夜中に目が覚め、挙げ句の果てに4時半には、眠れなくなったため起き上がり、お酒を呑みながら二度寝にチャレンジ。そしたら効果てきめん、二度寝ができたことはできたのですが、今度は熟睡。おまけに目覚ましのかけ忘れで、結果的には寝過ごしてしまったというわけです。一方で、ちょっとした熟睡感を持てたので、痛し痒しです。結局、午前中に予定していたウォーキングが飛んでしまったのです。とってもいいお天気で、絶好のウォーキング日和だったのですが、得てして、こういった天気の日に、寝過ごしっていうのをやらかしてしまいます。で、本日のスタートとなったのは、文楽劇場であった「第47回上方演芸特選会」となりました。様々な演芸を組み合わせての番組に魅力を感じ、以前から狙っていた会に、初めて行くことができました。昨日の番組は、生寿「手水廻し」、春野恵子「高田馬場」、南左衛門「徂徠豆腐」、福郎「指南書」、(中入り)、揚野バンリ「曲芸」、天中軒雲月「佐倉惣五郎〜妻子との別れ〜」、平和ラッパ・梅乃ハッパ「漫才」というものでした。生寿の口演は、ホント師匠の生喬に似ています。太い声の生喬の口調が、線の細い生寿の口から出てくるおかしさがあります。昨日の生寿、余計な一言が、2回、気になりました。大阪の宿屋に来た二人に、「顔を洗うみたいやけど」と言わせたらダメですね。そうと思わないということを前提に、ありえへん話として進めないと、話の枠組みを壊しかねません。春野恵子は、初日から「天狗の女房」「両国夫婦花火」と来て、「高田馬場」となったようです。だけど、当たると続くものです。南左衛門のネタは、「赤穂義士外伝」に入るんじゃないかな。荻生徂徠は、赤穂義士の処分決定に関わった重要人物。ですが、その直前まで、赤貧暮らしだったとして、それを助けた豆腐屋の親父との交流を描いたもの。福郎の「指南書」は初遭遇。福郎が持ってるネタに、こういったものがあるとは知ってはいたのですが、ただ古典なのかどうかも知らないネタです。そういうネタに当たったということが判りながら、ここでダウン。福郎の柔らかい口調は禁物です。揚野バンリも当たり出すと続きました。オリジナルの箱はさみの芸と、巧みなお喋りで盛り上げてくれます。雲月は、木馬亭で遭遇できなかったのを、一心寺とこちらで補ってくれました。クライマックスになればなるほど、顔の表情が険しくなっていきます。だけど、聴かせてくれます。「佐倉惣五郎」のほんのさわりなんでしょうね、時間の関係と、浪曲のいいところ取りの性格上、仕方ありません。平和ラッパ・梅乃ハッパという漫才さんは、「ラッパ」の名前から、ついつい先代を連想してしまいますが、ギターを使った見事な音曲漫才です。二人とも、ギターが、めっちゃうまいです。演歌からロックまで、なんでもやっちゃいます。こないな漫才さんがいたとは、奥深いです。
 演芸会が終わったのが、3時50分。そないな時間に終わるとは思ってなかったものですから、ウォーキングは断念せざるをえないと考えていたのですが、この時間ならできると、早速、文楽劇場の前からウォーキングを開始しました。夜の部は、雀のおやどですから、鶴橋に帰って来やすいようなことだけを考えて歩き出しました。鶴橋から離れすぎないように、玉造を通り、ちょっと迂回をしてみました。そのコースは、次のようなものです。文楽劇場〜ネパール料理店「CORKHBAZAR」〜地下鉄「谷町九丁目」〜ドイツ料理店「ハンブルク」〜妙法寺〜空清町公園〜カタリナ・ホール〜JR環状線「玉造」駅〜中道小学校〜丸橋〜南中本公園〜神路商店街〜神路小学校〜神路商店街〜門田橋〜西深江公園〜町栄寺西交差点〜東大阪長栄寺郵便局〜長栄寺交差点〜近鉄「河内小阪」駅。東成区を西から東へと、たっぷりと歩きました。でも、ここを歩くときは、目星となるところを写真に収める機会が激減します。庶民的な住宅と工場ばかりなんですもの。高井田に入ると、工場の割合が増えますから、ますます写真を撮る機会が減っていきます。最後は、「布施」駅にするか、若干躊躇したのですが、超過するかもしれないけれど、駅の周りを回って時間調整をする方よりはいいかもと、「河内小阪」を選びました。所要時間は2時間5分でした。
 「河内小阪」駅からは、近鉄一本で鶴橋。夜は、例の如く「講談毎日亭」。昨日は、三人の続き読みに、今日、明日と、大阪で仕事のある神田阿久鯉さんが、特別ゲスト。キャリアの順番なんでしょうね、三番手として登場されました。「竹中半平衛」は、朝倉攻めの話が続きました。情勢のより詳細な説明に加えて、一昨日は、あまり出番のなかった主役の竹中半平衛側から描かれました。雲を見て戦の到来を占う、まるで呪術師のように描かれる竹中半平衛。朝倉との戦いは、どうやら明日のようです。「薮原検校」は、師匠を殺し、薮原検校を継いだ杉の市は、今度は女漁りです。易をして生計を立てている浪人の娘に目をつけた薮原検校は、配下の者を使い、自分のものにしようとするのですが、うまくいかないとみると、今度は、意趣返しをします。盗人扱いされた娘は、両国橋の上から身を投げます。「さて娘の運命はどうなるのでしょう」と言って、南湖は終わりましたが、それって助かることなんでしょうか。「中岡慎太郎」は、かなり一昨日の繰り返し。一昨日、池田屋騒動まで行ったはずだったのですが、昨日も、そこに至るまでの話が詳しめに読まれました。長州に落ちた七卿も、再度登場です。長州と都との間を往来する中岡慎太郎が神戸に立ち寄り、そこで、偶然、坂本竜馬が、そこにいることを知る話が入ったりしていました。そして、池田屋の事件まできたところで、うとうと。せっかくの新しいパートがわからずじまい。「蛤御門の変」まで行ったのでしょうか、行ってるはずなんですが、、、。今日、確認します。神田阿久鯉さんは、松鯉師の弟子、そう思って聴いていると、語り口が似ているような気がしました。大阪に来るので、講談会がないか調べると、「講談毎日亭」が見つかり、「勉強させてください」と、南海さんに電話を入れると出演を依頼されたということです。ネタは、「天明白波伝」の冒頭部分でした。天狗小僧という鼠小僧同様の義賊が処刑場に引き立てられていく姿を見て、自分も、一回限りの人生、太く短く生きてみたいと思った男の初仕事を描きました。




2010年 5月 20日(木)午後 10時 30分

 まだまだ寝不足が続いているために、昨日に続き、かなり疲労感を感じています。3日勤務に慣れてしまった体に、連日の勤務が堪えています。でも、今日も、鶴橋の雀のおやどでやってます「講談毎日亭」に行ってまいりました。今日が中日、4日目でした。南青くんの「竹中半平衛」は、今日は、主役の竹中半平衛は、あまり出てこないで、信長の朝倉攻めの前史となる話。朝倉の元家臣で盲目の芸能者が、間者の役割で信長の前に現れ、情報提供をするのですが、何やら怪しい雰囲気。どうやら、それに対抗して、竹中半平衛が策を弄して、信長の勝利に貢献するという話になるのでしょうね。そないな話で5日目を迎えてしまうと、秀吉配下で腕を見せる話とは、1週間ではならない雰囲気です。南湖の「薮原検校」は、毎日、誰かが死ぬというピカレスクもの。今日は、最もたくさんの人が殺されました。杉の市自身は、手をくださず、しかも自身には嫌疑がかからないようにというクレバーさが際立ちます。ついに、自分の師匠を殺させ、自身が薮原検校と名乗るようになります。南海さんの「中岡慎太郎」は、佐久間象山を訪ねた中岡慎太郎はと書いて良かったのかな、いろいろと著名人を訪ね、情勢分析を聞く中で、長州に行くことを勧められ、実際、長州に向かいます。ここでは、ちょうど三条実美ら7人の公家が保護されている時期であり、また、中岡慎太郎自身も、高杉晋作や桂小五郎と会い、ここでも情勢分析を聞きます。そういった中で、尊皇攘夷という考え方の先に倒幕という考えがあることを知るのですが、そないなことができるのか、全く考えもしていなかったのが、中岡慎太郎でした。また、そないなことをするためには、長州が一つにまとまり、いやもっと大きなまとまりが必要だと説かれるのでした。中岡慎太 郎が京都に戻ってくる頃には、長州の一部先走りする人物らが、京都に潜伏するなか、それを取り締まる新撰組の活動も活発になり、そのようななか起こるのが、池田屋騒動とのことでした。新撰組の上に会津藩がいて、更に、その上には幕府がいる、そういった構造に気づいていく中岡慎太郎というところまでが、今日の口演。明日は、蛤御門の変あたりだということでした。話の中心は、土佐ではなく長州になってきています。




2010年 5月 19日(水)午後 10時 9分

 今日は、「講談毎日亭」の3日目。職場から、時間をはかって出かけます。今日は、寝不足のうえ、仕事がハードな1日、かなり堪えた1日だっただけに、かなり危ないのではと思っていたのですが、二番手の南湖までは、とっても快適。取り越し苦労だったなと思った途端、南海さんに入ると、冒頭の復習部分以後は、完落ちとなりました。あ〜情けない。でも、基本は、夜、眠れないのが、×なのですが、寝入りはいいのですが、夜中に目が覚め、二度寝がうまくいかないのです。まあ、それはさておき、肝心の講談の展開はと言いますと、まず、南青くんの「竹中半平太」は、今日は、秀吉が竹中半平太の庵を訪ねてきて、信長軍の軍師になることを求め、竹中半平太も、これを受け、後の加藤清正ら三人を引き受け、教育に携わるところまででした。一方で、竹中半平太は、血を吐く病を抱えた身であることも添えられました。今日の南青くんの高座は20分でした。「薮原検校」が、ピカレスクものということで、番組編成の妙もあり、とってもおもしろく聴かせてもらってます。昨日は、江戸を捨て、上方へ移ろうとしている途中で、胴巻きに200両を抱える男を針で殺したところまでだったが、実は、それを見ていた男がいた。その男も、胴巻きの金に目をつけ狙っていたのでした。気前よく杉の市が、100両を与えると、その気前の良さ、それに何よりも殺しの腕に惚れ込んだ件の男が、江戸の親分を紹介してくれます。それを機に江戸に戻った杉の市は、紹介された親分に、でかい仕事を持ちかけます。自分を追放した薮原検校を、一緒に滅ぼし、その途方もない身代を乗っ取ろうというものです。今日は、詫びを入れて、薮原検校に受け入れてもらうまで。手だては、親分に、杉の市の叔父という触れ込みをしてもらい、本心からの詫びと見せていきます。そして、南海さんの高座は、上に書いた通りです。今日は、土佐勤皇党事件から、脱藩が描かれているはず。話は、その先、どこまで行ったのやら。




2010年 5月 19日(水)午前 5時 25分

  大阪市遊歩(56)写真集

 昨日は、職員検診のため、出勤日ではないのに通常通りに出勤。ついでに雑務っぽい仕事をして、昼に職場をあとにしました。そして、向かった先は、最近の定番、ワッハのライブラリーに行き、そのあとに、ウォーキングをするという予定を立てました。陽が長くなったた め、こういったスケジュールが組めます。昨日のライブラリーでのラインナップは、次のようになりました。@「文珍十夜第七夜」、文珍「星野屋」「胴乱の幸助」A毎日放送TV「笑いころげてたっぷり枝雀」、ゲスト:三ツ矢歌子、枝雀「親子茶屋」B読売放送TV「平成紅梅亭スペシャル」、福笑「今日の料理」。「文珍十夜」は、聴くのは初めて。NGKでの同名の独演会の記録だ。ともに共通した問題点を感じてしまいました。次の台詞を引っ張り出すときに、「え〜」と引っ張ってしまうところ。癖とか間とかを作るためのものではなく、台詞を探している、選んでいる印象。ネタがくりきれてないというか、高座にかける頻度が少ないか、いずれかでしょう。「胴乱の幸助」の半ばからは大丈夫だったけれど、冒頭の二人の会話で、変な間が空くと抵抗を感じてしまいます。実際に、胴乱の幸助を目で追う場面などは、台詞が飛んでしまってます。キャラ作りなんかは、それはお手のものという感じで、特に「星野屋」が優れもの。そして、浄瑠璃を聴かせます。以外だったのは、マクラも含めて、オーソドックスなスタイルを踏襲する中で、文珍色を出そうとしているなの雰囲気です。もう少し、このシリーズを追いかけて、総合的に仕上がり具合を考えてみたいなと考えています。「笑いころげてたっぷり枝雀」は、昨日観たのが最終回だったようです。ちょうどうまい具合に、狙いの「親子茶屋」が入ってると知って飛びつきました。文珍の変な間が気になったあとに聴いたためか、流れる流れる。上下を切ってから台詞に入るというより、上下を切るのが、瞬間遅れているかのように感じます。流れるという感じは、その辺から来ています。その方が自然な印象を持ちます。枝雀、ホントにすごいぞと思わせられてしまいます。その流れに、 体の動きが、実に有機的に絡んでいる。オーバーアクションも、体内のエネルギーが突き動かしてるという感じがしました。もう名人芸と言っていいと思います。そして、息子がいいですね。親父さんより、これは、息子です。怒られているのに、常に陽気。陽気で陽気で、親父さんに小言を食らって、くさるどころか、毎日、ゲーム感覚で、親父の説教を聞き流し、またぞろお茶屋に現れる。それが、ぴったりのご陽気さ。「親子茶屋」を、枝雀が、どのように演じるのか、これが気になっていて、狙いの演目になっていたのですが、完全にやられたぁの感じです。やっぱ、すごすぎる。最後に、今の福笑を観ました。浅草で、柳家はん治がベタ誉めなんでしょうね、それを聴いて、再会を待っている「きょうの料理」が入っていたもので観ちゃいました。小さな駄洒落の繰り返しになってしまうなんてのは微塵もありません。もう、ルーチョンキ先生の無茶もんぶりが、桁違い。しょーもないレベルが、桁違いなのです。「狂」の域に達している発想、それが、このネタにあります。過ぎたるはではないのですが、何カ所か、カットが入っています。カット割りが不自然なので、黄紺にも判ります。そこ、知りたいわぁ。更に「狂」度が上がってるはずです。
 ワッハでのお楽しみを、4時を目安に切り上げ、ビルの下からウォーキングを開始しました。夜は、雀のおやどでの「講談毎日亭」がありますから、最後は、「鶴橋」に近いポイントで切り上げねばなりません。ということで、よく似たところを往復して、間違いのないようにしました。詳しいコースは、次のようになりました。NGK〜道具屋筋〜大阪府立体育館〜難波塩草敷津公園〜浪速公園〜かんじょう055架道橋〜大浪橋〜百済橋跡碑〜木津川大橋〜リバティ大阪〜JR環状線「芦原橋」駅〜塩草2交差点〜韓国家庭料理店「ソウル」〜地下鉄「大国町」駅〜南海「今宮戎」駅〜今宮戎神社〜地下鉄・阪堺電車「恵美須町」駅〜一心寺南会所〜堀越神社〜寺田町公園・興国高校〜NTT 西日本大阪病院〜JR環状線「桃谷」駅。大浪橋を越えるか越えないかで、ちょっと迷いました。起点から30分を越えていたら止めにすると決めて歩いていたのですが、橋にかかった辺りで30分、ま、これなら、繁華なところへ後半入るなということで渡りました。ただ、大浪橋から木津川大橋までが、そんなにかからなくって、あとは楽勝でした。「大国町」「今宮戎駅」「恵美須町」の各駅が、横一線で並んでることを、初めて知りました。東西のラインを押さえながら歩くというのも、フィールドワーク的観点から大切だと認識。「桃谷」駅到着が、ジャスト2時間。鶴橋に行くには、もう余裕になっちゃいました。
 鶴橋までは、僅か一駅。最高の切り上げとなりました。「講談毎日亭」2日目です。南青くんのネタの進み具合が判りました。策士竹中半兵衛は、賢すぎるために主君、及び、主君に仕える侍が、バカに見える。冷ややかに見ていると、バカはバカで、バカな見方を半兵衛にしてしまい、あなどりきってしまう。昨日は、そのバカどもを成敗するところ。主君をも葬り去ることもできた半兵衛だが、呆気なく主君に、城を確保することを許してしまい、自らは、小さな庵を結ぶ。そこへ、藤吉郎と思しき男が現れるところで、丁度お時間でした。今回の南青くんは、前日とかぶらないようにとの配慮があり、楽しみです。昨日も、かぶらないで32分の高座、頑張ってます。「薮原検校」は、いよいよ悪性なところを見せ始めます。育ててもらった検校のもとで修行中に、茶屋遊び、博打、盗み、、、ついに破門となります。がために、上方に向かうのですが、その道中に出逢った男が金を懐中に持ってると知ると、針を打つ格好で殺してしまいます。そして、まんまと200両を手に入れた杉の市、悪者度が高まりつつあります。ピカレスク講談、さて、次の一手は? それが、今日ですね。「中岡慎太郎」も大丈夫でした。昨日は、ウォーキングの直後なのに、お腹もいっぱいになってたのに、大丈夫だったのです。中岡慎太郎というのは、大庄屋の跡取りなんですね。竜馬に対する縛りとは違うプレッシャーのある男です。武市半平太が出てきました。江戸から土佐藩にやって来て、尊皇攘夷を唱える人物です。その土佐勤王党が、吉田東洋暗殺を試みようとするとき、中岡は、庄屋業に勤しみ、龍馬は、土佐藩だけで、人を殺す殺さないでいいのかと疑問を持ちます。そのようなとき、誰にだったか、龍馬は、久坂玄瑞に書面を使わすパシリに使われ、そこで、久坂玄瑞の近代的とも思える言辞に触れます。この辺は、南海さんの脚色が強いかもしれません。龍馬が自信を持っていく様が描かれていました。そんななか、吉田東洋暗殺話が煮詰まっていきます。慎太郎、龍馬の行く道、それは脱藩なわけですが、それに至る心情、経緯を描いてくれます。めっちゃ、勉強になります。久坂玄瑞と龍馬との間の書簡なんてものが、最近明らかになったようですが、その辺も踏まえての南海さんの口演は、講談の域を超えてるのでしょうね。




2010年 5月 18日(火)午前 3時 32分

 今晩から1週間、雀のおやどで、「講談毎日亭」が始まりました。この1週間の楽しみは、少し時間に余裕があると、韓国料理を、思い通りに食べられること。楽しみが2倍になるという仕掛けです。今日は、仕事をたっぷりしましたので、肩はコリコリ。もう居残り仕事なんてまっぴらっていう感じで、そそくさと職場をあとにして、「アリラン食堂」に向かいました。わりかし久しぶりです。ましてや、こちはのユッケジャンは久しぶり。最近、ユッケジャンと言えば、「大長今」ばっかでしたからね。で、講談会ですが、前回のように、初日にたくさんの人が詰め掛けるわけでもなく、客は、常連さんを中心に、15人というところでした。恐らくほぼ全員の方が、通し券を買ったのじゃないかな。黄紺は、絶不調もいいところ。今朝4時に、サッカーの結果が気になり強制起床したままで寝てないのが、完全に堪えました。南海さんの45分ほどの高座を、ほぼ覚えてないのだから、どうしようもありません。いずれにしても、今回の演目は、南青「竹中半兵衛」、南湖「大岡政談〜薮原検校〜」、南海「中岡慎太郎と竜馬」というものです。南青くんのネタは、「太閤記」の話みたいです。とにかく前半は、竹中半兵衛が仕えていた殿さんの領地内で起こった出来事から説き始めました。菊を愛でる男、それを妬む男がいるのだが、そうではない男が、その菊を荒らして去っていった。やがて、「このしたふじきちろう」と、秀吉を連想させる男が出てきて、、、だけど、主役が出てこないなと思っていると、夢の世界に入っていました。我に返ると、ちゃんと半兵衛が出てました。あれれと言っても、手遅れです。南湖さんの高座は、ばっちりでした。いつもは、逆なんですが、今日は、そないで、「薮原検校」はばっちりです。そういう巡り合わせなんでしょうね。今日は、主役の出自に関する部分。無理心中のようなところに居合わせたそば屋が、子どもを預かり黙って育てたのだが、ぼっくり亡くなってしまい、この子(既に盲になっている)を、「薮原検校」の元に預けるところまで。稀代の悪者と、南湖は言ってましたので楽しみです。南海さんは、昨日と同じ、中岡慎太郎の生まれ故郷で、中岡慎太郎物語をでっち上げて講談をした話をしていましたが、記憶があるのは、これだけ。明日が、土佐勤王党事件に脱藩へと進んでいきます。こちらは、南海さんで2回ほど聴いている部分。そこは、まあ、良くって、今日の部分を聴いておきたかったのにと思っても、あとの祭です。




2010年 5月 16日(日)午後 11時 20分

  大阪市遊歩(55)写真集

 普通の5月の晴れた日に戻っています。だいぶと陽が長くなったということで、ウォーキングを夕方に回し、空いた時間を使い、今日は、まずワッハのライブラリーへ。これからは、ワッハ近くでの会に行くときは、これができる季節となりました。今日、ライブラリーで試聴したラインナップは、次のようになりました。@朝日放送TV「枝雀寄席」ゲスト:広沢瓢右衛門、枝雀「壺算」A関西TV「とっておき米朝噺し 23.芝居のパロディ」米朝「小倉船」、歌之助「善光寺骨寄せ」B朝日放送TV「爆笑上方落語」、小染「禁酒関所」CNHK-TV「東西浪曲特選」、沢孝子(木村喜代子)「からかさ桜(池上勇作)」。「枝雀寄席」収録は、枝雀40歳、瓢右衛門82歳です。瓢右衛門は、米朝らに、世に紹介されたのが6年前と言ってました。かくしゃくとしていて、普通にしゃべってるだけでおもしろい。13歳で、散髪屋に奉公に出たところ、そこの親方が演芸好きで浪曲を始めたと言ってました。一時、噺家になってたこともあるとか。「壺算」は、まだまだ若々しさの残る枝雀ですが、笑わせるツボは心得ているのですが、もう少しあとの高座に比べると、オーバーアクションが、流れの中に収まりきってないきらいもありましたが、うまいものです。既に、下向きかげんの目の使い方も伺え、表情にすこぶる大きな変化を出しています。他の 映像資料で、違う時期の「壺算」も観てみたいものです。「とっておき米朝噺し」は、前回観た「本能寺」はノーカットで放映してましたが、「小倉船」は、省略形。問答の部分と、竜宮から逃げる部分の2箇所でした。冒頭と間に米朝の解説が入りました。「骨寄せ」は、模型を使って骨を操るところだけ。ひどい扱いですが、TV放映もので、歌之助ものは、これだけしか残ってないかもしれません。小染ものも、ワッハの映像資料として入っているのは、僅かです。長いもので残ってるのは「禁酒関所」だけでした。音声では、「堀川」のような大物が残っているのですが。「禁酒関所」を観てみて、うまいですね。もっちゃり言葉が似合い、淀みなく、台詞に説得力がありと、返す返す惜しいですと、今更ながらもったいないことをしたものです。最後は、浪曲。以前、春野百合子を聴いたとき、同じ番組に入っていながら、時間の関係で省いた沢孝子を聴いてみました。映像は、昭和60年のものらしいです。今は、とってもおばあちゃんになっている沢孝子ですが、当時は、かくしゃくとした風貌で、春野百合子に通じる気品を感じました。要マークの浪曲師さんです。ネタは、師匠広沢菊春譲りのものとか。首を吊ろうとした男女3人が、ひょんなことから命を長らえ、10年後に再会する話で、ハッピーエンドで終わります。今日は、30分もの4本しか試聴できませんでした。また、今度のお楽しみです。
 難波から動物園前へ移動。午後は、動楽亭での「第6回講談まつり」に行ってまいりました。番組は、南舟「秀吉の足軽時代」、南湖「鼓ヶ滝」、対談(南華・南海・南湖)「講談師と家庭について」、(中入り)、南海「坂本竜馬」、南華「豊志賀の死」というものでした。それぞれおなじみのネタが並びました。南舟の肩のもみもみのところが、なんか雰囲気が、他の人と違うのがいいです。たよりなさそうな南舟のしっかりした口演、その中のふっと素に戻るような感じなんですね。南湖は、巡礼話で終わるのかと思うほど、マクラでその話をたっぷり。ネタは、西行の満心を諫める話。出典ってあるのかと気になっています。南海さんは、中岡慎太郎の話を仕掛けて、それは明日からと勿体ぶってくれました。そうなんです、明日から、また雀のおやどで「講談毎日亭」が始まるのです。話は、竜馬の誕生から勝海舟と会い神戸にやって来るまでを、手短にまとめてくれました。「豊志賀の死」は、「真景累ヶ淵」の最初の部分。去年の独演会で出したもの。続きをするのかなってことを、聴きながら考えていました。ま、今は、「野狐三次」を片づける方が先かもしれませんが、そのあとは、これ、やって欲しいな。
 講談会が終わると、動楽亭の前から、直ちにウォーキング開始です。もう4時を回っていましたから、大急ぎの開始です。今日は、動楽亭から、一旦西に向かい、次いで南下。「岸里玉出」駅へ真っ直ぐに向かう道をチョイス。そして、その直前で、今度は、西に向かい、「美章園」駅か「東部市場」駅から、あとはお時間に任せようとの考えで歩き始めました。南下を続けると、帰りが困るので、こないな方法を採りました。詳しいコ−スは、次のようになりました。動楽亭〜阪堺電車「南霞町」駅〜花園北交差点〜南開交差点〜長橋小学校〜大衆演劇梅南座〜沖縄料理店「かりゆし」〜天神森天満宮〜王子神社・王子本通商店街〜桃山学院中学校・高校〜股ヶ池明神社・桃ヶ池公園〜北田辺小学校〜JR阪和線「美章園」駅〜美章園商店街〜近鉄南大阪線「河堀口」駅〜高松交差点〜JR環状線「寺田町」駅。今まで、桃ヶ池公園の横を歩いたことはあったのですが、中を貫通したのは初めて。で、びっくり。池が大きいので、公園自体も大きいものと勝手に考えていたところ、全然そうではありませんでした。南の方の建て込んだ住宅街を抜けて、ほっと一息のつもりが、逆にな〜んだで、ちょいと白けちゃいました。ここで、ラスト20分。「東部市場」駅、「天王寺」駅、「寺田町」駅、この3つの選択肢があったのですが、帰ることを考えると。迷わずに「美章園」駅経由で「寺田町」駅へ。「美章園」駅のガード沿いに、結構な飲屋街があったのですね。発見です。そして、なかなか出逢わないのではと思っていた「河堀口」駅発見です。「淀川」駅発見と並ぶ慶事です。




2010年 5月 16日(日)午前 7時 25分

  大阪市遊歩(54)写真集

 一昨日は、1週間ぶりに家に直行。だいたいそういったときの定番、晩酌で、あえなくダウン。替わりに、朝4時にお目覚め。寝る前には発表されていなかったアメリカ遠征のトルコ代表メンバーが発表されていました。エムレ・アシュクとオカンを帯同して、アメリカで代表引退試合だそうです。ま、それはそうとして、昨日は、一昨日までと違い、本来の5月の陽気が戻ってきました。絶好のウォーキング日和となりました。昨日も、午前中にウォーキングをして、午後からのお楽しみに備えました。昨日のウォーキングは、環状線の内側や外側を、微妙にずらしながら歩き、最後は、お時間に任せて、「大正」駅か、その前後の環状線の駅を目指そうじゃないかという計画でスター トしました。詳しいコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜大江橋〜北新地〜スペイン料理店「堂島スペインバル」〜ABCホール〜逆櫓之松祉碑〜西善寺〜上船津橋北詰交差点〜野田緑地〜野田6交差点〜恵美須神社御旅所〜きがさき橋〜阪神「千鳥橋」駅〜西貫島架道橋〜春日出公園〜安治川大橋〜波除公園〜市岡高校〜市岡歩道橋〜ハローワーク大阪西〜境川交差点〜大阪ドーム〜岩崎橋〜JR環状線「大正」駅。昨日は、分かりやすい道を発見しました。御堂筋のアメリカ総領事館前の道、即ち北新地の中を横断する道ですが、これを道なりに歩いていくと、ABCホールの横に出て、やがて上船津橋の北詰に出ます。これは分かりやすい。この道を取り、そのあとも最短コースを取ったと思いますが、「千鳥橋」駅前まで、62分というところ。残りの58分で、これまた最短コースで行き、結果的にジャスト2時間のコースでした。海に近づいてくると、ただでも明るい天気が、一層の明るさを持ってくるからおもしろいです。やっぱ、大阪は水の都です。
 「大正」駅から、環状線一本で天王寺。昨日の午後の部は、一心寺南会所へ行き、浪曲の定席「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。昨日は、出演者が、全員女性という珍しい番組編成。その番組は、長谷川公子「武士の情け」、春野恵子「高田馬場」、天中軒雲月 「決戦巌流島」、三原佐知子「異国の母」というもので、聴きたい人、聴きたいネタに当たりました。「武士の情け」は、「赤穂義士外伝」から「出世小太夫」の物語。大石蔵之助の介錯をした男の物語と言えば、有名なお話。それです。大石が、介錯人に、身分と名前を聞かれたとき、足軽とは言えず、高位の身分を名乗ったことを後悔した「足軽小太夫」が、1年後に、身仕舞いを整えて、大石の墓に行くと、偽っていることが見つかったのだが、律儀な男として許されるどころか、侍に取り立てられる話。講談では、数年経ってから見つかってしまいますが、浪曲の口演では、1年後に見つかってしまいました。黄紺的には、講談の方を支持します。だって、1年後っていうのは、あまりにせわしない。小太夫の深い思いが伝わらないですね。長谷川公子は、ちょっとおばあちゃん度が進み過ぎのきらいありです。春野恵子は、ようやく「高田馬場」が当たりました。南湖との二人会を外してから外れてばかり。浪曲はいいところ取りが常ですが、「中山安兵衛」の話はおいしいところが多い。まず、冒頭は、呑んだくれの安兵衛が手紙を読むところ。次いで、叔父が決闘で殺されるところ、次に安兵衛が駆けつけ、18人斬りというハイライト部分に入るのですが、ちゃっかり将来の嫁となる女性との出会い、そして帯をもらうくだりが入りました。おいしいところ取りで、話を知らないと混乱するんじゃないかというも部分も取り込みました。かなり、通常の浪曲と比べて欲張った構成。ですが、話を知ってる者からすると、頑張った構成だなの印象を持ちました。この辺が、難しいところですね。春野恵子は、常にハイテンション。手紙を読む部分とか、とっても変化の大きな難解なネタを、勢いいっぱいで演じてくれました。天中軒雲月は、襲名後、当席には初登場ということで、親友協会の事務局と、ネタについて打ち合わせをして、師匠ゆかりのネタをチョイスしたとか。ですが、昨日の「決戦巌流島」は、黄紺の知るものとは違いました。冒頭で、若い侍とのやりとりがあり、なかなか小次郎との決闘に出かけない武蔵を描くのは短め。ただ後半は、ウォーキング疲れで、ダウン気味だったので、確かなことは言えないのですが、船頭とのやりとりが主で、決闘の部分は短めだったと言えます。襲名後初めての遭遇だったのに、また、東京でかすりながら聴けなかったのに、十分に聴けずに、悔しさいっぱいです。元月子こと雲月さん、上手だもん。トリは三原佐知子。この人は、浪曲で社会的なテーマを扱う人。話には聴いていた在日韓国人ものに遭遇できました。ただ浪曲の常として、混みいった話は難しいとして、このくらいの単純な話で、手を打たないといけないかと思うと、ちょっと寂しい気持ちになります。孤児の三郎が、同じく子どもを亡くしたオモニと、心を通わせていく物語。三郎に、成功した叔父が現れ動揺するオモニ、でも、三郎の将来を思い、豊かな生活を送る叔父、その間で悩むオモニと三郎、さて、結論はというところのお話。あまりにステレオタイプで、ちょっとしらけ気味に、最後はなってしまいましたが、浪曲という手段で、このようなテーマを扱う方がいたかと思うと、世の中、広いよなと思うとともに、頭が下がる思いです。このネタは、半分、歌謡浪曲仕立てになっています。後ろで聴いていたおっさんが、「後半は歌謡ショーやなぁ」と言っておりました。歌謡浪曲の存在を知ってるか知らないかは別にして、そないな雰囲気は、十分ありました。
 「天王寺」から、阪和線で三つ目、「鶴ヶ丘」に行き、夜の部は、長居スタジアムでのサッカー「セレッソ大阪vsヴィッセル」戦。阪和線は、またまた人身事故で不通になっていたため、乗る前に、職員に聞くと、「動いてます」「普通に」、、、ええかげんですね、JR。嘘ばっか。かなり、天王寺の阪和線ホームは混乱でした。だって、全然、電車が来ないんだもの。どこが、「普通」なんだよと思いました。で、サッカーですが、偶然ですが、ドイツに移籍するセレッソの香川の最終試合となりました。チケットを買ってから、移籍が発表されたということです。試合は、とってもおもしろい試合でした。特にセレッソが、細かいパス回しがきれいに決まり、なかなか目を楽しませてくれました。得点も、それぞれファインゴールで、観ていて感心することしきりでした。ヴィッセルが1点目をあげたのですが、縦パス一本、ゴール前のボッティにパスが決まり、胸でトラップしたかと思うと、あまりに呆気なく得点が決まりました。日本ではあまり観るこ とができない得点シーンだけに、恐るべしヴィッセルの感が大きくなったのですが、基本的に後が続きませんでした。セレッソも楽しませてくれました。1点目は、流れの中で、スピード豊かに決まりました。美しいごーるでした。逆転となる2点目は、香川がフリーキックを直接決めました。セレッソ・ファン、大喜び。得点は前半だけで、後半は、ともに無得点。セレッソ、うまく逃げ込み勝ちました。試合終了後、香川の移籍セレモニー。マイクに向かっての挨拶、それが終わると場内一周セレモニーへと移ったのですが、黄紺は、そこで退場。帰りは、スムーズに阪和線に乗れました。




2010年 5月 14日(金)午前 5時 22分

 昨夜は、シンフォニーホールであった「大阪センチュリー交響楽団第151回 定期演奏会(沼尻竜典指揮)」に行ってまいりました。入りは大変なもの。一番音が悪いと言われている舞台後方に、少し空席が残っているかなという入りでした。黄紺もそうだったし、昨日詰めかけた皆さんのお目当ては、めったに聴けないメンデルスゾーンの2番のシンフォニー。この曲は合唱入りのシンフォニーで、メンデルスゾーンの合唱入りの曲って素敵だとインプットされている好事家らが詰めかけたのでしょう。関西フィルが、マーラーの復活を出したときも、そうでしたが、魅力あるプログラムだと、客が詰めかける、なんていい構図なのでしょう。そのプログラムとは、高橋悠治「大阪1694年」、メンデルスゾーン「交響曲第2番神をたたえる歌」というものでした。前半の高橋悠治の作品は、芭蕉の俳句に音楽をつけたもの。作曲者自身も客席に。高橋悠治も、いいおじいちゃんになっていました。音楽は、風の音を、俳句に合わせて、いろいろとイメージしたという感じかな。メンデルスゾーンは、70分ほどかかる大曲。序盤は、メンデルスゾーンの他のシンフォニーを聴いている感じですし、冒頭のトロンボーンのソロを始めとして、やたらと親しみやすいメロディーが並ぶ。そして、再度、トロンボーン・ソロのメロディーが出たところで、コーラスが入ってきました。昨日のコーラスは、「びわ湖ホール声楽アンサンブル」と「大阪センチュリー合唱団」。これが素晴らしい響きを聴かせてくれました。声楽のソロ(S:浜田理恵、Ms:寺谷千枝子、T:永田峰雄)も充実。なかでも、テノールが気に入っちゃいました。モーツァルトのスペシャリストとプログラムに書いてありましたが、リリカルなテナーで、ホント、モーツァルトに似合う声。そういった声が、これまた似合うのが、メンデルスゾーンのシンフォニー。前から2列目の席ということで、オケの音は、一番前に位置していた第一ヴァイオリンとヴィオラ以外は、全部頭の上を越えていくということで、音のバランスとか、音の色合いとかは解らずじまいでしたが、そういった音の流れであるなかでも、合唱はしっかりと受け止めることができました。全曲を通じて、明るさが支配し、なんとなくハッピーな気分を醸し出してくれる曲であり、演奏だったと思います。通常、オケが解散をしちゃうと、そこで、拍手が止みます。昨日も、そう でした。しかし、舞台上には、多くの人が出ていますから、退場に時間がかかります。オケの人たちがはけて、合唱の人たちがはけ出すと、客席から、再び拍手が起こりました。こんなの大阪では、初めてのこと。舞台から、合唱団全員がはけるまで、拍手が続きました。黄紺も、大変素晴らしいコーラスだったと思い、一旦は出かけた会場に踏みとどまり拍手を送りました。




2010年 5月 13日(木)午前 2時 49分

 水曜日は、1週間で、一番ハードな日、おまけに、今週は、今日から3日連続で出勤。そして、今日、判ったことは、来週の火曜日も、再来週の火曜日も出勤だということ。内1日は、午前中だけで済むのが、ちょっと助かりますが、でも、こないに出勤って、わりがあいません。ま、それは置いといて、今晩は、講談会です。天満橋の双馬ビルの一室であった「第30回南華講談はたちの会」に行ってまいりました。昨日も、南華さんを聴いているので、連続です。この会は、前回、南華さんが喉を傷め丸札になった会。今日は、「野狐三次」の続きが聴きたくて、それを楽しみに行ってきました。その番組は、南華「曽我物語」「野狐三次」というものでした。冒頭は、世間話をぐだぐだと、姉弟弟子の話やら、息子さんの話やら、そして、密かに楽しみにしている離婚話で、徐々に会場の雰囲気を暖めていきます。一人会は、これが大変です。普通の講談会なら、前座のする仕事も、一人で全部やらねばなりません。そして、まず「野狐三次」から。初めての方もおられるということで、昨日、「天満講談会」で聴いた部分を、上手に刈り込みながら読んでくれました。そして、いよいよ今日の目玉の部分に入ったあたりで、あれれれ、、、いい気分になり、うとうと。うとうと部分は軽いものだと思っていたのですが、今、それを書き留めようとすると思い出せません。あちゃ〜、です。ただ、昨日の話のところで、もっと懲らしめておかねばならなかった女房と番頭が、今日は牙を向いた話だったことは間違いありません。そう言えば、女房と番頭との関係を知りつつ、大恩あった人からの紹介で娶った女房なため、容易く離縁もできず、結局、旦那は、外に女をかこい、気を紛らわせている話から始まりました。そして、番頭が、旦那を殺すというところがありました。あ〜、思い出すのは、これくらいです。どこかで、もう一度やってくんないかなぁ。「曽我物語」の方は、少年時代の曽我兄弟が仇討ちばかりを考えているため、継父の恩を、母親が説き聞かせたり、それでもダメなら、弟の箱王を出家されるという事態となります。寺方に入り、兄と別れた箱王のところに、鎌倉殿の伴で、仇の工藤祐常がやって来る。一人でも仇討ちをしようかと迷う箱王。で、どないなったんだっけ? ここでも、記憶が飛んでいる。サイテーです。




2010年 5月 12日(水)午前 5時 46分

  大阪府守口市(21)〜大阪市旭区、都島区、北区写真集

 今週は、変則的な週で、仕事がないのは昨日だけ。金曜日には、仕事が入ってしまったのです。日曜日の午後にも出勤していますので、かなりハードな週になっています。ですから、昨日は束の間の休日。いつものように、午前中にウォーキングを済ませ、午後からは、ワッハのライブラリーで過ごし、夜は講談会という計画を立てました。朝、5時に目が覚めてしまい、二度寝も叶わなかったため、お出かけは9時。もう12時前には、2時間のウォーキングが終わってたことになります。昨日のウォーキングは、守口方向から城北公園に入り、その後は、都島本通を通り、大阪市の中心部に入り、あとはお時間に合わせて、終点を決めようじゃないかという考え方で行いました。詳しいコースは、次のようになりました。京阪「土居」駅〜滝井歩道橋〜守口市立西部公民館〜今市商店街〜寶龍寺〜大阪市立思斉特別支援学校〜城北公園〜赤三商店街〜城東貨物線じょうとう025橋梁〜大東橋〜友渕小学校〜ベルパークシティ〜都島北通1交差点〜地下鉄「都島」駅 〜韓国家庭料理店「オモニ家」〜都島自動車学校〜大阪市立総合医療センター〜JR環状線「桜ノ宮」駅〜源八橋〜韓国家庭料理店「漫奈無」〜龍海寺(緒方洪庵墓所碑)〜JR東西線「大阪天満宮」駅・地下鉄「南森町」駅。城北公園は、ちょっとご無沙汰。この辺りを歩くときは、川沿い道を歩くことが多いのですが、昨日は、思斉支援学校の前の道を直進。城北公園には、東側から入ることに。緑がきれいですね。またぞろ鶴見緑地に行きたくなりました。また、天気が随分と変わった一日でしたが、この城北公園では、とってもいい状態。近くの保育園児も、お散歩に来ていました。城北公園からは都島橋を目指して歩いたのですが、地下鉄「都島」駅のところで、道を間違え、結局、源八橋の方を渡ることになりました。幸い、間違いに早く気づき、大事には至りませんでした。最後は、「天満橋」まで歩くことも考えたのですが、そうすると、12時を回ってしまい、お昼どきにバッティングしてしまい困ったことになるので、「南森町」で思いとどまりました。
 「南森町」から日本橋へ移動。最近、週1くらいの頻度で行っているワッハのライブラリーへ。ワッハ自体がなくなりそうなので、大切な所蔵資料を、今の間に試聴しておこうの気持ちです。昨日のラインナップを記しておきます。@NHK-TV「東西浪曲特選」 真山一郎(音楽:西脇功)「落城の舞(飯山栄浄作)」、京山幸枝若(曲師:藤信初子・小池菊江、G:近江吾郎)「六代目横綱阿武松緑之助」A毎日放送TV「笑い転げてたっぷり枝雀」 (ゲスト)三林京子、枝雀「愛宕山」B関西TV「とっておき米朝噺〜12.芝居ばなし」 (ゲスト)長谷川貞信、米朝「本能寺」C朝日放送TV「なにわ女ののんき節〜吾妻ひな子を偲ぶ〜」 (司会)乾浩明、1)春やすこ・けいこ「漫才」 2)ミヤ蝶美・蝶子「漫才」 3)対談:枝雀・春蝶・朝丸 4)菊池章子「岸壁の母」 5)対談:いとしこいし・海原小浜・今日喜多代 6)玉川スミ「俗曲」 7)菊池章子「星の流れに」。@は定番の浪曲。真山一郎という人を、初めて聴きました。現浪曲親友協会会長さんです。歌謡浪曲です。全編カラオケが流れます。この音楽作りには、大変な労苦があるのではと、歌謡浪曲を聴く度に思います。真山一郎という人、とっても美声。歌手としての活動で、しばらく浪曲から離れていたことがあったと、解説されていました。ネタは、秀吉に敗れた柴田勝家とお市の方の運命を描いたもの。幸枝若のじゃまくさそうに、おかしなことを言うのがたまらないですね。気張らない、ライト感覚の節も、全体像に合っています。まだまだ、ワッハには幸枝若ものがありますから、順次聴いていきたいと思っています。Aは、枝雀ものを、TV放映映像探しの中で見つけたもの。三林京子が、まだ、すずめになる前です。既に、ちょっと太めになりがちですが、めっちゃ美形だった面影が残ってる頃の映像資料です。枝雀の「愛宕山」ですが、小判の重量感、人間が飛んでも大丈夫という傘の大きさ、そないなものをきっちり表してくれてます。こんなの見たことのない見事さです。冒頭のネタに入った直後の語りのわいわいさが、春の空気を出してます。米朝の春の表し方と違う名人芸です。一方で、若旦那には抵抗を感じました。まるで、誰が幇間か判らないはしゃぎ方です。これは、乗れませんでした。他にも、「愛宕山」は残っていますので、枝雀の中の変化などを追いかけられたらと考えています。Bは、いい番組です。落語一席、それに関連した話が、米朝とゲストで語られます。かなり目から鱗状態です。昨今、歌舞伎役者が「船乗り込み」をしますが、あれは、一種のショーだと、ずっと思っていましたが、じゃないんですね。道頓堀五座に来る客は、いや役者自身も、小屋入りを船を使ってたのですね。ゲストの先代が残した絵には、寝屋川・大川・東横堀川・道頓堀川を通って「船乗り込み」をして小屋入りする絵が残っていました。シェークスピアもそうですが、明かりは自然光だけの時代ですから、芝居は朝から始まりますから、「船乗り込み」をする客は、深夜に出発して、道頓堀に到着すると、芝居茶屋で休憩・朝食を摂り芝居に臨んだということです。肝心の「本能寺」ですが、米朝が復活して、まだ、3〜4度しかかけてないという段階での収録です。そのせいでしょうか、黄紺には判らなかったのですが、米朝に言わせると、鳴り物は1ヶ所ミスってるそうです。また、米朝の口演も、何気なくおかしな間がありましたから、瞬間、言葉を探してるところがあるのではと思わせられる新鮮な口演となっています。Cは、吾妻ひな子没後1年後に放映されたものですから、1981年の映像でした。もう30年近く前のものになるのですね。小浜にせよ、今日喜多代にせよ、すんなりと受け入れることができるのは、もう30年前にものなんですね。この番組、惜しいのは、吾妻ひな子の映像を持ってないということです。音声は持っているのですが、残念なところです。次回、ワッハを訪ねたとき、吾妻ひな子の映像が残ってないか、調べてみたいと思っています。おもしろかったのは、夢路いとしと吾妻ひな子は、時と場合によっては結婚していた仲だったとか。また、吾妻ひな子は、一時、亡きミスワカナの2代目という話があったそうで、その話が、夢路いとしとの結婚に陰りをさした要件の一つとか。女放談をするようになってからも、ネタに詰まると、いとしに相談し、ネタの提供も受けていたとか。晩年になっても、信頼関係は続いていたようで、微笑ましい話と聞こえました。
 長々とライブラリーにいたので、気分転換にと、千日前のネットカフェで、小1時間過ごし、夜は、地下鉄で扇町まで移動し、「第193回天満講談席」に行ってまいりました。番組は、南斗「赤穂義士外伝〜八百屋甚兵衛〜」、南舟「臆病の一番槍」、南青「我輩ハ後藤一山デアル」、南鱗「大久保彦左衛門の熊田」、南華「野狐三次〜怒りの鉄拳雨霰〜」というものでした。南斗は、前講です。南舟のネタも定番。「太閤記」ものです。家康が、家来の臆病な性格を、巧みな人心操縦でクリアさせ大いなる働きのできる武士にする話。家康礼賛になる話です。南青のネタは、かつてトリイホールで演じられたもの。落語の「くっしゃみ講釈」に至る話を、南海さんがでっち上げたネタ。今回、聴き直してみると、とっても良くできており、うまく「くっしゃむ講釈」に橋渡しがなるように出来上がっています。南青くんも、修羅場読みを、冒頭に入れながら好演。南鱗のネタも、家康礼賛につながる話。ですから、南鱗は上がるなり、「こういったネタの並び方は、師匠は嫌がったでしょうね」と言い、大阪人の気風のあるべき姿を披露。昨日は、珍しく南鱗がかんだり、想い出しながら演じていました。ハイライトは、南華。ネタ自体が変化に富むことは、木馬亭で、南華がやっているところからだいぶと後の話を聴いているので解っています。だから、前から手がけていっている南華の高座が楽しみなのです。鳶職になった三次の母親が世話になっているお店で、その母親が200両の小判を盗んだ疑いをかけられ、その疑いを、鳶職の親方の働きで晴らしていく、それが、昨日の話です。お店の番頭と主人の後添えがつるんでいるようだと臭わせていました。その辺の話は、今日、南華自身の会がありますから、そこで明らかになるはずです。楽しみやわぁ。




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