忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2011年 3月 15日(火)午後 11時 24分

 一昨日の日曜日は、振替なしの出勤、遊びに行く気力が失せて、家に直行。昨日は、特に行きたいと思うところもなく、夜遊びなしで家に直行と、2日にわたりおとなしい日となりました。替わりに、昨日は、「ゆるりふたり」に行ったとき傷めた足の指の様子を知りたくて、職場の近くの整形外科に行ってまいりました。旅行前に、骨折と聞かされたら大変ですので、行くのを躊躇っていたのですが、人に、骨折だったら歩けないはずと言われ、だったらこの痛みは何と気になって仕方がなかったため、医者に行ってみよう気になったのでした。そしたら、過屈曲で関節膜が破損し、内出血をおこしたと診断されました。2週間ほどで治るそうで、できるだけ硬い靴を履いた方が、足が固定されるので、治りが早いそうです。でも、これで、すっきり気分で旅行に行けます。
 今日は、まず旅行の準備。そして、ちょうどお昼頃にお出かけ。寝屋川のお気に入りの店で、お昼を食べ、足をけがしているにもかかわらず、ミニミニウォーキングを敢行。こないなことをしているので、なかなか治らないのでしょう。お昼は、心斎橋シネマートで、台湾映画「台北の朝、僕は恋をする」を見ました。コミカルで、ロマンチックで、軽〜い映画でした。パリに行った恋人との連絡が取れなくなった男の子が、パリに行くため、お金を借りた相手から、運び屋を頼まれる。それが金になると思い、狙ったのが、頼んだ男の甥っ子。その追いかけっこの中で、フランスに行くために、毎日立ち読みしていた本屋で働く顔見知りの女の子と出会い、その女の子を巻き込んだ追いかけっこになります。その追いかけっこに警察官も絡む一夜の物語。朝が来て、追いかけっこも終わり、男の子はパリに旅立つ時間となりました。さて、というところで、フィナーレとなります。軽〜いのりの映画です。その軽さが快いか、そうでないかは好みの問題でしょう。おもしろかったのは、台湾の雑踏に似つかわしくないムーディーなヴァイオリン、スイングジャズのBGMが聞かせます。
 映画が終わると、千日前のお馴染みのネットカフェで、小1時間時間調整。それから歩いて、高津神社に移動。夜は、こちらでの「微笑落語会」に行ってまいりました。この会は、黄紺自身も焦ったのですが、たま自身のHPにも載ってない、有名寄席情報サイト、情報誌にも載ってないということで、客足はどうなんだろうという感じで行ったのですが、きっちりと、たまの情報は押さえられてるんですね。満杯の客でした。その番組は、次の通りです。飛梅「延陽伯」、たま「京の茶漬」、南青「敵討!忠義の男色」、たま「茶屋迎い」、(中入り)、たま「質屋芝居」。飛梅の高座は初遭遇。どうしてどうして、堂々たる高座でした。あとから出たたまも絶賛でした。また、楽しみな若手の登場です。長めの時間をもらったため、最近は聴く機会の少なくなったぬか袋が出てきたり、カンテキで火をおこす場面が入りました。南青のネタは、「講談毎日亭」で出されたものを、客が喜びそうな男色の部分をデフォルメしたもの。たまの三席は、それぞれがおもしろい仕上がり具合。「京の茶漬」は、春若からもらい、4年前に1度かけたきりなネタとか。教えてもらった通りに演じてうまくいかなかったのを、リニューアルしてのお披露目。訪ねて来る男の大阪度をアップさせるというのが、このネタ克服のアイデアであったよう。「茶屋迎い」は、東京では、前半を「木乃伊取り」、後半を「不幸者」として演じているが、元々大阪では、一つの噺であったもの。東京では、「木乃伊取り」を演じる人は多いが、後半の「不幸者」を演じる人が少ないなか、三三がネタにしているので、直に教えてもらったのに、手入れをしたものとか。三三の口演は、繁昌亭で聴いたことがあります。「木乃伊取り」の部分が、もっと長く時間をかけていたように思えます。後半の「不幸者」のところは、旦さんが、昔の女と再会するところですが、たまの言い方だと、くさくて、自分にはできないので、女のキャラをいじってみたと言っていました。後半の展開の意外性に惹かれるネタです。「質屋芝居」は、ここまでとは違い演じ慣れ ているネタ。極めてオーソドックスに演じてくれました。幕内の掛け合い担当は、生寿でした。ということで、なかなか充実した会で堪能できました。




2011年 3月 13日(日)午前 1時 18分

 大地震の翌日です。神戸のときや、マルマラ地震のときほど、切迫感がありません。自分自身が被災地を目の当たりにしたり、近くに被災者がいないからなのでしょうね。でも、遊興に出かける気後れのようなものは、少なからずあります。まさか休止はしてないだろうという気も、多少は持ちながらのお出かけです。まずは、「一心寺門前浪曲寄席」です。昨日に引き続き、浪曲を聴ける有り難さよです。番組は次のようなものでした。松浦四郎若(虹友美)「高麗茶碗」、春野ココ(岡本貞子)「舌切雀」、真山一郎(真山幸美)「日本の妻」、京山小圓嬢(岡本貞子)「定九郎出世噺」。今日は、落語から転用したネタが、2つも出ました。「高麗茶碗」と「定九郎出世」です。「高麗茶碗」は「井戸の茶碗」ですが、浪曲の苦しいところが出てしまいました。どうしても起こることですが、短縮形にした場合、捨てるものが出てきます。「井戸の茶碗」には、3人の正直者が出てきますが、その内の一人くず屋さんを省いてしまった。出てはきますが、お金にこすい下々の人間とだけ出てきます。身分に関係なく正直者が出てくるところから、このネタの品格が生まれているはずですが、くず屋さんを行ったり来たりさせる時間がなかったのでしょうね。ですから、仏像を買った方の侍が行き来します。そして、その侍は結婚をしていて、かなり年配の侍です。これは、最後の方で判ります。要するに、自分の息子の嫁に、浪人の侍の娘をもらうとなります。若い侍の正直さに、殿さんも感動するのではありません。はしょって、なんとかの辻褄合わせを考えているという感じです。ま、基の噺が、よくできた噺ですので、おもしろさがなくなるわけではありますが、逆に改変されてみると、元の噺の素晴らしさが、よく分かります。「定九郎出世」は「中村仲蔵」です。落語の「中村仲蔵」は芸談です。どうしたら、「五段目」の定九郎で、お師匠さんに認知してもらうか、それに苦悩し、偶然に出会った雨水を浴びた侍からインスピレーションを受けるわけですが、その話は経過報告的に、ちょっとだけ出てくるだけ。浪曲の方は、芸に苦しむというより、生活に苦しみ、門閥が幅をきかし認められない腹立たしさから、すさんだ生き様をさらす男を支える女房との夫婦愛の物語にトーンダウンしてしまってます。せっかくの噺を、よくある夫婦の噺にしてしまった脚色者の感性の問題と思います。ココは、お伽話浪曲に精を出しています。ハスキーな声、及び声量からすると、納得できる方向性かもしれません。「舌切雀」は初遭遇。雀を愛でる爺さんにやきもちをやく婆さんは、女ができたと思ったり、爺さんが、雀のおやどから帰ってくると、女のところから戻ってきたとやきもちをやき、且つ、宝物の入ったつづらの話を聞くと、それを欲しがる欲張り婆さんです。ですから、お伽話の中に出てくる性悪爺さんのキャラに、悋気という要素の加わったというキャラに仕上げられていました。「日本の妻」は、結婚し子どももできたところで召集され、戦死通告を受けた夫から、インドネシアに残留し、インドネシア独立軍に入り、現地妻を設け、子どもも4人いるという連絡が、戦後8年経ってから入り、愕然とする妻と実母。更に、その13年後に、日本を訪問という形で、一時帰国をした夫を迎える妻と子どもとの間で起こるドラマを描いたもの。「日本の妻」というのは、夫には、インドネシアにも妻がいるので、こういった題が付いたものでしょうが、三原佐知子の戦争物は受け入れられても、この物語の脚色の仕方、また演じ手が真山一郎だったからでしょうか、どん引きになっちゃいました。なお、当初は、春野恵美子が出演予定だったのですが、急病で入院ということで、松浦四郎若が代演しました。今席は、土日が松浦四郎若の代演、月曜日が春野恵子の代演ということです。
 一心寺南会所から新世界を経由して、日本橋交差点までミニウォーキング。所要時間30分というものでした。そして、おなじみの日本橋駅上のネットカフェで、1時間45分の時間調整。夜の部は繁昌亭でしたから、更に堺筋線で、南森町に移動。今夜の繁昌亭は、「七回忌追善特別公演 五代目桂文枝一門会」がありました。毎年文枝の命日を挟んで、追善興行が繁昌亭で行われています。番組は、次の通りでした。文福「師匠の思い出」、かい枝「豊竹屋」、枝曽丸「和歌山弁落語:入院上々」、文喬「悋気の独楽」、(中入り)、坊枝「四人癖」、あやめ「ちりとてちん芸者編」、三枝「誕生日」でした。かい枝の「豊竹屋」は、自分的には意外。こないなネタを持っていたのですね。しかし、そのあとの枝曽丸と文喬は、かなりのダウン。文喬は、あまり普段出さないネタを出してくれたのに、残念です。坊枝は、癖を間違いそうで、ひやひやもの。際どいところで、手が止まったりという具合。でも、ノリのいい客は、癖らしいアクションが出るだけでドカーン。そうなると、巧者坊枝ですから、手の平で転がすように伸縮自在。あやめは改作ネタですが、定番化しつつあります。三枝は、いつぞや繁昌亭で聴いたネタ。88才の父親の誕生日に、家族一同が、一堂に会する。兄弟のキャラのつけ方もうまいものです。6時半開演で、8時20分終演。いろんな意味で、忘れられない文枝一門会。兄弟仲良くが、文枝の口癖だったとか、会がはねると、出番のない噺家さんも多数詰めかけていたことが判りました。孫弟子の顔も、各所で見受けることができました。そういった雰囲気が、会自体の、そして高座にも反映するものなんですね。そないなことも再確認できる会じゃないでしょうか。




2011年 3月 12日(土)午前 5時 57分

 昨日も寒い一日でしたが、明るくいいお天気。朝一番で歯医者に行き、その足で大阪へ。昨日はうつけた話で、午後に行った「上方演芸特選会」のチケットを2枚買ってしまい、真っ青。年に1.2度やっちゃいます。こないだ、東京の国立演芸場に行ったときに、4月の文楽のチケットと一緒に買ったにも拘わらず、ネットで、東京から帰ってきてすぐに買ってしまったのです。そのため、持ちになってしまった1枚を、平日の昼間に行ける人は限られているなか、元の同僚で、退職をして時間を持て余している方に譲り、一緒に文楽劇場に行きました。番組は、次のようになりました。雀太「道具屋」、チキチキジョニー「漫才」、真山誠太郎「刃傷松廊下」、ミヤ蝶美・蝶子「漫才」、(中入り)、上純一「サウンドコピー」、松浦四郎若「太閤記〜報恩旅行〜」、松喬「つぼ算」。雀太は、しこみをはしょりながら、ばらしに必要なところだけ触れ、時間の節約に努めました。「刃傷松廊下」は、真山誠太郎のお得意ネタ。我慢を促し、前夜に畳のすげ替えをする内匠頭の家臣団、でも、当日になっても続く吉良のいじめ。刃傷に至る過程が語られ、最後は、梶川某に押さえられるところまで、エッセンスが詰まっていました。上純一は、トリオ・ザ・ミミックの生き残り。様々な音を口で表し、世界一周をして見せてくれました。「報恩旅行」は、「太閤記」の一部でしょうが、二つの話を一つにしてしまったので、まとまりに弱いものとなりました。小田原遠征の帰途、関白秀吉は、故郷を通過することから、懐かしい思い出の詰まった人たちに会うというもの。一つ目は、秀吉の初婚の相手。二つ目は、取り上げ婆さんや家族縁の人たちということでした。この浪曲のさなかに、上の幕が揺れおかしいなと思っていたところ、それが地震でした。トリに出た松喬が、開口一番、地震報告。聞いた数字の大きさに、会場では驚きの声が上がりました。でも、地震の実際を目で見てない会場では、「つぼ算」のおかしな世界にわいていたのでした。
 文楽劇場から出ると、一緒に行った方と、新世界に歩いて移動。串カツ屋さんで、そこそこ呑んでから解散。黄紺は、御堂筋線と千日前線を使って「西長堀」駅に移動。夜は、大阪市立こども文化センターでありました「柳家喬太郎・笑福亭三喬 東西笑いの喬演」に行ってまいりました。当センターで、このような落語会があるのは、初めてじゃないかな。ワッハなきあと、探せば程良い会場っていうのがあるものと思えるいいところでした。番組は、次の通りでした。風車「真田山」、喬太郎「白日の約束」、三喬「鴻池の犬」、(中入り)、三喬「鷺取り」、喬太郎「錦木検校」。風車は、大阪と東京の違いをしゃべり、随分と客席を暖めてからネタへ。最近、「真田山」にしつこく遭遇します。真田山のくだりは省かれ、こどもが出ていくと、すぐにかみさんが現れ落ちに向かうというものでした。喬太郎は、新作と古典一つずつ。「白日」は、「ホワイトデイ」のこと。3月14日がホワイトデイであることと、浅野内匠頭の命日が同じ日だということを使っての勘違い物語。若い女の子が、忠臣蔵ファンだというのがおかしい。「錦木検校」は、二度目の遭遇のはず。記憶があやしいが、間違ってないでしょう。父親に嫌われた大名の倅が家臣の扱いをされ、様々な巷の人たちに出会い成長するというのがポイントで、その中でも、按摩錦木に出会ったことにより、癒やしを受けるだけではなく、頭をめぐらす指針を授けられる。錦木が、骨相から考えて、「あなたは大名の器」と言うのにし、「万一、さようなことがあれば、錦木を検校にする」と約束する。そして、それが実現したときには、錦木は事切れているという人情噺。ネタ自体、もう少しエピソード集のような噺が入っていると、重厚味が出てくるのですが、、、。三喬のネタは、ともに三喬口演としては初遭遇。鴻池本家の場面に入り、この日、ここだけといううとうと、、、。かなりホール内の温度上昇により、酒の回り度が上昇です。「鷺取り」の方は、こぼれんめ、鶯取り、そして、鷺取りへという珍しい順序。7月には、お互いの師匠同士の二人会が、同じホールで企画されていますが、いつもならトルコに出かけた直後。どうしようかなぁ、この二人会を聴いてから、日本を出ようかという悩ましい問題が浮上してきています。




2011年 3月 11日(金)午前 5時 11分

 昨日も、寒くって、おまけに、股関節の具合が、なんとなく変。最近、変調をきたしてなかったのですが、またまた気になり出しています。ところで、昨夜は、天満橋の「あい粂旅館」であった「ゆるりふたり その8」に行ってきました。落語に関するのではないトークが入る会は、あまり行かない傾向にあるのですが、ちょっと間があいたかなということもあり、久しぶりに覗いてみました。さすがに人気噺家さんを配した会だけあって、えらい人気です。番組は、花丸・こごろう「対談」、二乗「普請ほめ」、こごろう「花筏」、花丸「近日息子」というものでした。「対談」は、客が主役の二人に書いたお手紙、内容的には、二人にしゃべって欲しいことを記したお手紙を読みながら、トークは進んでいきました。落語では、こごろうの「花筏」が圧巻。花丸の「近日息子」は、どうしても花丸の照れが出てしまうので、花丸落語としては評価をしてない代表格。そないなこともあり、プログラムを観た段階から、狙いはこれと、照準と定めていましたが、期待違わぬ素晴らしい仕上がりでした。声の調子を、自在に操り、ユニークなくすぐりが、ポイントを心得ていますから、おもしろいように決まります。最後の相撲場面が盛り上がってくると、パタッと止めます。そして、エラリー・クイーンの「読者への挑戦」風に、噺を止め客に、「この勝負の結果は私だけが知っている」と言うなんて、これには笑っちゃいました。こごろうの「花筏」を久しぶりに聴き、その成長ぶりを知った次第です。ところが、帰りしなにアクシデント発生。靴を脱ぐために、玄関を降りしなに、あがりがまちの一部だけが空いていたために、そこに足をついたら、靴下に石はダメですね。すべってしまい、そのはずみに左足の指が折れ曲がってしまい、激痛が走りました。かつて、韓国の山中で骨折をした瞬間を思い出してしまいました。あれから8時間ほど経ちましたが、だいぶと痛みは治まりましたが、まだ残っています。韓国のときは、発熱をしましたが、今回は、それがありませんので大丈夫かなとは思うのですが、帰り道、あと10日ほどで出発する旅行がダメになったのではと、意気消沈していました。大事じゃないことを祈ります。




2011年 3月 10日(木)午前 4時 53分

 昨日は、ホント寒かった。東京での雪中ウォーキングもたいがいでしたが、昨日の寒さは、真冬です。そんななか昨夜も、一昨日と同じ双馬ビルであった「南華はたちの会」に行ってまいりました。完全に、南華一人が、1時間半近く、しゃべり続ける会です。昨日は、「野狐三次」の、今までのかいつまんだ復習から始まって、新たな部分が、最後に付け加えられました。無理やり三次に思いを馳せる女がいたのは覚えていますが、その結果、三次が探し求める生みの親の絵姿が描かれたものを奪い、三次が身動きとれなくしまっ てしまいます。一方で、その女は、親から無理強いされた婚礼を控えています。三次は逃げようとするが、逃げ切ると、大事なものが戻らない、女も逃げようとするが、それは同時に追いかける行為。その追いかけようと、実家を飛び出し乗った籠が怪しい蜘蛛籠。危ないというところで助けられるそうですが、これが意外な人物とのコメント。どうやら、この先の場面が、東家浦太郎の浪曲で聴いたところじゃないかな。もし当たりだったら、三次の実父なんですが。これが、随分と長く、口演時間は、1時間近くあったかもしれません。次いで、これも読み続けられている「曽我物語」。こちらは、能で演じられるので言えば、「元服曽我」じゃないかな。出家を勧めていた弟の五郎が、出家をせずに、勝手に元服してしまったので、立腹の母。しかし、頼朝の狩り場に赴き、兄弟で力を合わせて仇討つのを前にして、今生の別れになるやもしれないと、兄弟同道して、母を訪ねる。母は、怒りを隠さないが、一方で、兄弟の気持ちを理解した母は、五郎を許し、酒宴を設けます。親子の永久の別れでもあり、頼もしい息子たちを見守る母の目が描かれます。次回が、いよいよ仇討ち現場に突入のようなのですが、次回の日程を聴いて、あれまとなってしまいました。「講談毎日亭 皐月席」と、見事にバッティングでした。




2011年 3月 9日(水)午前 3時 5分

 いつもの生活に戻っています。本来なら、今日は勤務日ではないのですが、仕事の関係上、今日を勤務日にして、昨日を勤務しない日としました。おかげで4連休となり、プチ旅行が実現したのでした。で、仕事は定時に終え、夜は、天満橋の双馬ビルであった「天満講談席」に行ってまいりました。番組は、次の通りです。南舟「太閤記〜秀吉足軽時代〜」、南湖「熊谷直実」、南北「太閤記〜間違いの婚礼〜」、南左衛門「寛永三馬術〜愛宕山梅花折り取り〜」。南舟の「太閤記」は、足軽時代、藤吉郎が、懐に信長の草履を暖めた話が前半、後半は、柴田勝家に嫌われた藤吉郎が、勝家に仕返しをする話です。「熊谷直実」は、出自から始まって、敦盛との闘い、出家など、ダイジェスト版一代記でし南北さんは、今日もたっぷりと。秀吉とねねとの結婚に至る過程です。前田犬千代に求婚されたねねを救う何でも屋藤吉郎が、犬千代に断念させるための方便として言った「ねねとの関係」が、本当になる話。南左衛門は、久しぶりのお目通り。幸四郎に誘われ、東京での歌舞伎公演に出ていたため。まず、そおレポートをたっぷりと。もっと触れる機会が多くてもいいのにと思われるネタに拘わらず、出ないのです。将軍家光が目にした梅木を採りに、馬に乗って急怪談を上り下りする、また、間垣平九郎が、それをやってのけるという話。南左衛門の大仰な口演を、おかげで久しぶりに聴くことができました。




2011年 3月 8日(火)午前 2時 10分

 3月4日(金)〜7日(月)の期間、再び、東京へ行っておりました。その間の記録を、以下に記しておきます。なお、3月2日(水)と3日(木)の記録がないのは、特に認めることなしのためです。

3月4日(金)

 またまた東京に来ています。うまい具合に、4日連休となることから、東京行きを決めました。昨日より真冬の天気だとかで心配したのですが、あとのことを考えて、真冬よりか若干ゆるやかな格好で東京へ来たのですが、大丈夫かなの天気です。まず、品川で新幹線を降りて、あとのことを考えて有楽町へ行き、荷物を預けて、気になる銀座のお気に入りの店の再生がなってるか見に行ったのですが、ダメでした。致し方なく、お茶の水へ。駅周辺から神保町にかけての中古DVD屋さんを探索。全部回りきれずに、「神保町」駅から半蔵門線で、「半蔵門」駅へ移動。午後の部は国立演芸場の定席にまいりました。今月の上旬は、正雀が、大ネタをネタ出しでトリを務めます。今日は、「梅若礼三郎」が出るというので行ったのですが、こないだの繁昌亭の二の舞を、またまた経験してしまいました。1/3ほどの客席を、高校生でしょうか、あの状態は、演者から見ると壮観でしょうね。当然のことながら、ネタに影響しました。その番組は、次のようなものでした。なお、ぽっぽは前座で、開演前の口演でした。ぽっぽ「転失気」、彦丸「高砂や」、小せん「鷺取り」、ホームラン「漫才」、蔵之助「ひょっとこ蕎麦」、小ゑん「鉄道マニア(仮題)」、(中入り)、白酒「金明竹」、小菊「俗曲」、正雀「梅若礼三郎」。前座噺が2つ続いたあと登場の小せんも、前座噺と言えば、そういうことができる「鷺取り」。「商売根問」のおいしいとこ取りのネタ。東京でもやってる噺家さんがいるのですね。新小せんは初遭遇ですが、わりかし気にいってしまいました。噺が明るくて、「そんなアホな」と突っ込みたくなるネタにぴったり。また、そういった手合いの噺ですよと言ってから、アホらしい雰囲気を醸し出せる噺家さんです。上方では、東京の雀が飛んできますが、東京では上方雀が飛んできます。そして、鷺取りの部分は、上方の方が、夜の雰囲気を出した上で鷺取りが描かれますから、鷺の寝込みを襲う雰囲気がよく出てるので、そっちの方がいいですね。そしてしがみつくのは浅草の五重塔で、最後は坊さんは死にません。これは、死なない方がいいのに決まってます。小ゑんは、完全な鉄ちゃん落語。小ゑん自身がマニアなんでしょうね。最初は面白がっていた客が、徐々に引き出したのが解りました。だけど、この人のくったくのなさは愛すべきものです。お勧めできる噺家さんです。蔵之助は、番組表では、膝替わりの位置だったのですが、白酒と入れ替わりました。その蔵之助のところで、唯一のダウン。ネタも判然としない始末。白酒は、もろに学校公演ネタで、つかみはバッチリ。「このような日は与太郎噺に限ります」と、客席を意識しっぱなし。でも、うまいですね、この人。国立演芸場金賞受賞だそうです。ぼちぼちこの人の長講を聴かないとダメです。正雀は、流れがいいとも思わないので、自分的には、そんなに高くは評価してないのですが、とにかく「梅若礼三郎」というネタに惹かれました。盗人のネタです。「梅若礼三郎」という名前は、最後の最後で意味もなくと言ってたら変ですが、盗人が名乗りを上げるときに、自分は能役者の梅若礼三郎に似ているから、そのように呼ばれているというところだけです。「梅若」姓が気になっていたのですが、わけは判ってみると、なんともはや頼りない話です。主人公は、むしろ赤貧の暮らしをしている夫婦と、梅若礼三郎が、その夫婦に恵んだ金を盗んだ隣人の魚屋。盗んだ金を吉原で使い、その金が盗まれた極印入りの金だと判り、その夫婦ものがお縄になった話を聞いてしまった梅若礼三郎が名乗りを上げ、その夫婦を助けるという噺です。この手の噺は、円生の音源で聴いてみたくなるものですね。
 国立演芸場を出ると、今度は、地下鉄有楽町線で、「有楽町」駅に出て、それからJRを使って、「桜木町」駅まで移動。少し時間があったので、久しぶりに、すっかりと様変わりした港をぶらぶら。帆船や電飾に飾られた観覧車を眺めながら、うろうろしてました。寒いことは寒いのですが、天気予報が言うほど、ひどい寒さではありません。夜は、「横浜にぎわい座」であった「柳家権太楼独演会」に行ってまいりました。今回のプチ旅行の目玉です。番組は、次のようなものでした。おじさん「たらちね」、ほたる「宗論」、権太楼「壺算」、ロス・アミーゴス「バンド演奏」、(中入り)、権太楼「らくだ」。名前で気になっていた柳家おじさんに初遭遇。おじさん顔してるからの命名かと想像していたのですが、全然普通の青年でした。達者なしゃべりっぷりだったのですが、丁寧な名乗りで崩れました。ほたるの方は、もうちょっと頑張ってデフォルメすればと思うくらい。「お父さま」という台詞を使うんだったら、無理してもいいんじゃないかな。肝心の権太楼は、「壺算」の方が気に入りました。瓶屋の困りが最高です。流れや、細かな言い回しは、上方の原型を踏襲。下げだけが変わってるっていう感じかな。「3円も返すし、小さい方の瓶も持って帰ってくれ」というもの。勘違いが具合が悪いということを示せていて、なかなか洒落たもの。上方の「思う壺」の「壺」が使えないから変えたのでしょうが、題名は、「壺算」を使ってます。「らくだ」は、紙屑屋のキャラにばらつきがある感じがしたのが気になりました。気弱な暗い感じかと思うと、わりかしあっけらかんとしている、これ、ちょっとなじめません。それと、紙屑屋が酒を呑んでの変化の仕方の急さもなじめなかったなぁ。あまりに豹変し過ぎました。それは、一つに酒を呑むのに使う時間が少ないことに因るんじゃないかな。棺桶に入れる作業も、なんか飛び飛びのような感じがしたしと、文句が多いですね。高田馬場から落合の火屋まで行く関係か、棺桶を担いでの道中に、街中の風景は出てきません。途中で、らくだを落とし火屋まで行ってから、探しに行って、替わりの者を入れてくるのは、ちょっと無理があるように思えました。終わったら、9時半を回っていました。50分くらいの口演だったと思います。正確には計ってなかったのですが。「らくだ」のいい口演を聴いてきたからでしょうか、だいぶとハードル高く感想を持ってしまいます。

3月5日(土)

 昨日より少し暖かくなったかな、そして青空です。東京に来て2日目です。午前中が、今回のプチ旅行で一番自由が効くということで、博物館ないしは美術館巡りの日です。2つの候補を用意してきたのですが、街自体に、若干の思い出のある大森駅周辺も、ついでに歩くことができるということで、品川歴史館に行ってまいりました。最寄りの駅が大森駅で、駅から歩いて10分で行ける距離にありました。ただ、その途中に、大森貝塚跡を顕彰する石碑や遺跡公園なんてのがあるため、行きはかなり時間がかかってしまいましたが、まっすぐ歩いた帰り道は10分で戻ってこれました。当館は、小さな博物館ですが、全部見るのに、1時間15分も、かかってしまいました。東海道の品川宿が、実際の距離にして50mにわたり、模型で再現されているのに目を見張り、企画展「江戸の旅にようこそ〜今井金吾コレクション〜」は、江戸時代の道中記が多く展示されていて、これがおもしろい。今のガイドブックに相当するものが、多数発刊されていたのですね。南湖さんが、お遍路の旅に出られたとき、昔からのマニュアル本があると言ってましたが、まさしくそれですね。もう一つの企画展は「中原街道」。こちらは、当時の資料があれば、それの写真資料、それと現在の写真が並列して展示されていました。虎ノ門から平塚宿(こちらで東海道に合流)へと続く街道です。その昔、現在の中原街道を通るバスを、日々利用していたこともあり、興味津々の眼で見ておりました。大森駅に戻ると、西口前の階段を上がってみました。何度か歩いたことのある道です。この道が強烈に印象に残っているのは、この界隈の半端じゃないお屋敷群に、目を奪われたからでした。ところが、あれから経ってしまった時間は、あまりに大きなものがあったようで、道筋は変わったようには思えないのですが、お屋敷と言えるものは、ほぼ消えていました。当たり前と言えば当たり前なのですが、どうしても寂しさは禁じえません。
 大森から、JRを使って、新宿に移動。買い物に立ち寄りました。買い物先にいると、息子から電話。国際対応の携帯を探してもらっているのです。こないだのヨーロッパ旅行で困ったことが起きたため、海外からも使える携帯を持とうとしているのです。そして、昼の部の池袋に移動しようとして、元新宿区民の黄紺が、反対方向に乗ってしまったのです。ホームの認識違いではなく、目が見えてなかったのです。一番端っこから乗ったつもりが、そうではなかったのでした。池袋では、東京芸術劇場の大ホールであった東京都交響楽団のコンサートに行きました。この時期に、毎年、「都民芸術フェスティバル」というものが開催されていますが、その一貫の催しとしてのコンサートです。黄紺が東京にいた頃に始まった催しで、ちょっと懐かしく、またかつて気に入っていた東京都響のコンサートということでのチョイスでした。今日のプログラムは、「シベリウス特集」で、「フィンランディア」、「ヴァイオリン協奏曲」、「交響曲第2番」が演奏されました。指揮は梅田俊明でした。一番印象に残ったのは、「フィンランディア」ですね。冒頭の金管の和音の美しさにしびれ、そのあとに続く弦のパワーを聴いて、もう身を委ねました。それに次ぐ出来は、シンフォニーかな。北欧の自然を思い起こさせる重層的な音の流れが、厳しい緊張感を醸し出す、これが、この曲の真骨頂と思い聴いていたのですが、どうだったでしょうか。特に2楽章の最終部分は、どうだったでしょうか。はっとするような瞬間があったような感じすらしてしまいました。ヴァイオリン協奏曲は、ヴァイオリン(二村英仁)にパワーがなく、それだけで、だいぶと気が萎えてしまいました。ブラボーマンがいましたが、かなり信じられない出来事でした。でも久しぶりに聴く都響は、えらくパワフルになっていました。
 コンサートのあと、芸術劇場前の路上パフォーマンスを、暫し見たあと、東口に回り、お買い物のつもりが、当てにしていたものがなく、替わりに、高田馬場に移動して、浮いたお金を、こちらで使ってしまいました。それから、久しぶりの渋谷に移動。こちらでも、東急ハンズ近くでのお買い物を考えていたのですが、こちらでも不調。結局、少し早めだったのですが、夜の会場、駒場東大前への移動。以前、井の頭線を利用したのは、陸橋が工事中でしたから、かなりの時間が経ってしまってるのでしょう。横道から井の頭線に入ろうとして、勘が狂ってしまってましたが、無事到達。夜の部は、駒場アゴラ劇場で、「チャリT企画」の芝居「ねずみ狩り」を観ました。この劇場も行ってみたかったところでしたが、ようやく行くことができました。「チャリT企画」はマークしていた劇団で、今回、うまくスケジュールが合いました。早稲田の演劇研究会系の劇団です。名前だけは押さえてはいたのですが、内容は分からないまま、芝居に臨みました。そしたら、これがおもしろい。扱っている問題は、少年犯罪と死刑の問題で、取り上げられた議論は、びっくりするようなものがあったわけではないのですが、絶妙の設定が、テーマの重要さを、身近に引き寄せ、幾重にか考えさせる構造になっていました。舞台は、ある蕎麦屋です。店を切り盛しているのは、3人姉弟の姉。ところが、3人の父親は、少年に殺されて、その少年の栽判が、現在進行中というところ。妹は、埼京線内での痴漢行為を受け、電車に乗れなくなってしまったため、犯罪者に対しては厳罰を望んでいます。弟は、無関心でバンド三昧ですが、姉は、死刑には反対で、被告人証人にも立とうかという人物。それは、亡くなった父親が、かつて問題を起こしたことから更正してから、今度は、更正の手助けになるようにと、蕎麦屋で働かせており、そして、実際犯罪を犯した少年たちが更正していった姿を見てきたからでした。そして、その仕事を、今も継続している。ということは、今の従業員2人も、犯罪を犯し、更正を目指している者がいるということ。その一人が、「サカキバラ」という着想が、ぶっ飛んでいました。とまあ、いろいろと仕掛けを用意していましたが、これに勝るものはないでしょう。周りに、雑誌記者、近所のおしゃべりなおばさん、弟のバンド仲間などを入れ、混乱を巻き起こしていきます。終了後、後ろにいた若い女の子が、「うわぁ〜、感動した」って言ってました、何度も。「サカキバラ」は、最後に「サカキバラ」だと告げて去っていきます。一方で、息子を殺された母親の叫び、それに呼応した電車に乗れなくなってしまった妹の叫びも、真実です。一方で、「サカキバラ」の謝罪も真実と思えました。「サカキバラ」と付き合い始めた女の子が、「サカキバラ」がカミングアウトすると、恐怖に打ちひしがれてしまいます。それも真実です。人の話しとしか聞けてない我々に、そして、結論があるわけではない問題に、胸ぐら掴まれて考えさせられている感覚を持たされてしまいました。「サカキバラ」を出したことが、最大の要因かもしれないのですが、しかし、自分に引き寄せさせる力は、「サカキバラ」に勝るものはないかもしれませんね。ですから、それを思いついただけでも、凄い話です。

3月6日(日)

 今日から明日にかけては、演芸三昧という予定を立てました。特に、今日は、上野鈴本演芸場に、朝と夜に行こうという計画を立てました。ま、今日は日曜日ですから、朝席は当然のことながら、夜席の方は、トリにさん喬が出ますので、夕方、鈴本に戻って行ったのです。計画を立てるときの要領は、定席をどこに入れるかです。なんせ開演時間が5時、ないしはそれ以前というのですから。それと移動距離ですね。そんなで、鈴本の朝席の番組は、次のようなものでした。う勝「真田山」、一之輔「ろくろ首」、駒次「泣いた赤い電車」、小太郎「死神」。だいたい多くの客が詰め掛ける朝席ですが、今日は立ち見まで出ました。まだ、この人が二ッ目と言われる一之輔が出たからでしょうか、いえいえ4人とも、将来を嘱望される噺家さんが揃ったのが大きかったのでしょう。う勝は初遭遇でしたが、早口ですが、垢抜けたしゃべりをする感じで、爽やかな声と、知らない内にボケてるっていう感じが、とってもいい。一之輔の評価が高いのは、今日の口演で再確認。声の調子の変化、間の変化は自由自在。タイミングのいいくすぐりも入るしと、文句なしです。大きな噺も、ぜひ聴いてみたいものです。駒次は、しん吉と、「鉄人落語会」を開くなど、鉄ちゃんとして知られた存在だということで、いきなりマクラで、そのことを前提に、「今日は鉄道の話はしません」「泣いた赤鬼を基にした紙芝居をします」と言って取り出した紙芝居には、「泣いた赤い電車」と書かれてありました。「赤い電車」、即ち京浜急行を指し、「緑色とオレンジ色の電車」、即ち東海道線に勝てない京浜急行を助けてやろうと名乗りを上げるのが、「青い電車」こと京浜東北線となってます。もう会場大受けの高座でした。小太郎は、「ネタがついてしまいますが」と言って、やおら「死神」に入りました。最後が、初遭遇の形。海岸縁で落とし物を拾おうとして海に転落、ふとんを逆転して得た金の重みで亡くなっていくのですが、その転落したあと、言い換えれば亡くなる直前に、死神と再会、自分の火が消えかかってることを知るという流れでした。最後の死神の笑い方を考えて欲しいですね。最初に遭遇したときから認める達者なしゃべりの一方で、どうしても気になってしまう体の小粒さ。今日は、この死神が笑うところで、小粒さが気になってしまいました。ということは、不自然な笑いだったということなんでしょうね。しかし、全体としていい4人が揃ったものだと思います。
 鈴本の朝席がはねたのが11時30分。昼の部は、月の上旬に、東京に来たときのお楽しみ、「浪曲定席木馬亭」に行くために、浅草に移動。こちらへは、移動のことを考えて、この日に設定しました。金曜日か土曜日でしたら、まだ生で聴いたことのない澤孝子を聴けたのですが、今回は、結果的に断念となりました。番組は、次のようなものでした。玉川太福(吉野正樹)「長短槍試合」、澤恵子(沢村豊子)「猫の忠信」、玉川福助(吉野正樹)「祐天吉松」、一龍斎春水「夫婦餅」、港家小柳(沢村豊子)「最後の蕎麦屋勢揃い」、(中入り)、三門柳(伊丹秀敏)「萩の餅」、東家浦太郎(伊丹秀敏)「大竹重兵衛、雪の朝風呂」。最初と最後の両脇が男性浪曲師で、あとは講談を含めて女流が、ずらりと並びました。ただ、聴いて満足感を得られたのは、トリの東家浦太郎と港家小柳の2人だけでした。前の3人は、音が不安定で、しっくりと収まらない感じで、聴いている者を不安にさせます。「長短槍試合」は、講談の筋立てを、ほぼなぞっています。つまみ食いのしにくい話でしょうから、こないなものと思われます。澤恵子さんは、「落語浪曲」をしていると言っていました。そないなジャンルがあったのですね。落語と大きく違うのは、冒頭部分。稽古屋(常磐津の師匠)を覗くところがカットで、あとは同じ。下げで終わりました。「祐天吉松」は、序の部分で、吉松が、妻子を残して家を出たわけが語られました。これで、ようやく納得。小圓嬢は触れないまま、親子の再会譚に入っちゃいますからね。こりゃ、誰か講釈師さん、「祐天吉松」の続き読みをやって欲しいという気持ちが高まってしまいました。「最後の蕎麦屋」は、赤穂義士の本伝の中の有名な場面でありながら、特段、取り上げられない、討ち入り直前の集合場所。八百屋に身を変えていた安兵衛が、八百屋の寄合があると言って設定したとなっていました。「萩の餅」は、下総民話との触れ込み。醜女に、からかいで嫁にすると言ったため、本気にした女が、そのつもりで男を訪ねていくのですが、もとより男には、その気がないので、女は追い返される。だが、女は郷里には戻れず赤貧の生活を送る。そないになってるとは知らない男が、その地を通り過ぎた際に再会。で、、、この辺りからの記憶が飛んでいます。うとうととしてしまったみたいです。東家浦太郎も「赤穂義士」から。朝風呂につかり上がってくると討ち入りの知らせ。読売を買って、娘婿勝田新左衛門の消息を確かめる。そして、勝田新左衛門が確かめられる。そして、前夜永久の別れに訪れた勝田新左衛門が残していったものの中から、妻への離縁状が出てきて、妻子への愛情が浮き彫りになります。「赤穂義士銘々伝」からの話でしょうが、講談でも聴いたことのない話でした。浪曲が終わると、昨日も、歌を2曲披露してくれました。近々、新曲が発売されるそうです。
 浪曲席がはねたのが4時半。東家浦太郎が歌を披露するというので、終演時間が気になったのですがが大丈夫、この時間なら余裕をもっての移動です。再び、鈴本に戻ると、ちょうど開場したところ。日曜日の夜は、やはり余裕での入場となりました。おかげで、鈴本の自分的ベストシートを、見極めることができました。番組は、次のようなものでした。緑太「道灌」、喬太郎「金明竹」、和楽社中「太神楽曲芸」、左龍「棒鱈」、藤兵衛「?」、遊平・かほり「漫才」、琴調「大岡政談〜人情さじ加減〜」、正朝「宗論」、(中入り)、小菊「粋曲」、正楽「紙切り」、さん喬「柳田格之進」。「金明竹」は、最後の金明竹が出てくるところだけ。でも、それだけでも、一つの噺になっていました。和楽社中は、毎回、東京に来ると出会います。今日は、小太郎ではなく、小春が出てきました。左龍は初遭遇。顔つきも、何やら怪しい雰囲気。色白で四角顔、目が大きくてギロギロしてる。それが、変な田舎侍を演じるのだから、それだけでも図になりました。好演です。藤兵衛のネタがわからない。前半は「向こう付け」。通夜に行って、手伝わないで帰ってきたために、かみさんにこけにされるという噺でした。遊平・かほりも、初遭遇の漫才さん。夫婦漫才で、女の方がしゃべりというパターンです。琴調は、寄席での高座だということを心得ています。講談の落語化と言われる雰囲気です。大阪にはない「大岡政談」を聴け、ラッキーでした。名医阿部玄益が、遊女を見受けして、病を治したにも拘わらず、元気になった遊女を、手元に証文があることから、再度引き戻そうとしてもめ事発生という流れでした。正朝の「宗論」は、「権太楼独演会」で聴いたほたるの口演と、細部に至るまで同じ。ほたるは、正朝からか、同系の噺家さんからもらったものと思われます。中入り後は、色物2つに、落語1つという珍しい展開。お待ちかねさん喬が出てくると、大拍手。なりやまないため、さん喬自身は、両手を上げて、それを制しました。そして、時候の挨拶をした途端、「柳田格之進」の名前が出てくると、思わず「おーっ」と声が出てしまいました。15年ほど前に池袋演芸場で聴いて以来、心待ちにしていた再遭遇がかないました。記憶にあった流れが間違ってなかったことを、再確認できたのが、何よりも嬉しいことですが、やはり細部は忘れていました。番頭に金のことを言われ、腹を切る覚悟をします。娘に親戚への届けものをさせて、娘がいなくなったところで、腹を切るつもりだったのですが、娘に見破られ、娘から諫められます。そして、そこで身売りの話が決まるのでした。柳田は、彦根藩に仕官がかなったあと、自身の手で、娘を吉原から見受けしていましたが、娘は、部屋に閉じこもり泣くばかりという状態になっているという話を、再会した井筒屋と番頭の前で言います。そこで、お互いをかばいあっていた二人が覚悟を決めるという流れです。最後は、やはり碁盤を斬りました。その後の話として紹介されたのは、番頭が娘の介護にあたり、やがて二人は結婚して、男の子が生まれ、その子が柳田家の跡取りとなるということでした。身売りの件は、この噺のいたたまれない部分です。が、このことが入ることにより、噺に起伏の大きさが出てくるのが判りました。さん喬の口演の素晴らしさもあるのでしょうが、噺のポイントの最大の部分ですね。なお、「柳田格之進」の口演時間は47分でした。ということで、大正解の鈴本の夜席でした。

3月7日(日)

 今回のプチ旅行は、4日間の予定でしたので、今日が最終日となります。ここまで天気が良かったのですが、夜半から雨です。そして気温が下がりました。最終日に気温が上がると、荷物の整理に困ると思っていたのですが、気温が上がって、また気温が下がることを想定して持ってきた荷物で正解でした。今日は、帰りのことを考えて、山手線「神田」駅に直行。荷物を預けて、まず下町ウォーキングをすることにしました。それは、昨日は移動時間がタイトであったため、歩いていた時間が短かったこと、また、今日も同様だろうということでの選択です。とにかく「神田」駅から浅草を目指すことにしました。ただ雨がひどいと、途中で切り上げるということで。コースは、次のようになりました。山手線「神田」駅〜地下鉄「小伝馬町」駅〜JR「馬喰町」駅〜JR「浅草橋」〜地下鉄「蔵前」〜地下鉄「田原町」。山手線に乗っている途中から、雨が雪に変わりました。ですから、ウォーキングは雪の中でした。やはり、浅草 橋から浅草までは、そんなにかからなかったのですが、そこまでが結構な時間がかかりました。所要43分間でしたから、ま、ミニミニ・ウォーキング程度ですが。
 今日の午後は、浅草演芸ホールの昼席及び夜席の序盤までとしました。あとは帰るだけですし、頃合いのいい時間で切り上げ、東京駅で、新幹線に飛び乗ろうという計画を立てました。3月上旬の昼席トリが扇遊、それにプラス、喬太郎や白鳥、歌之介、扇橋、権太楼が出るというので、こちらを選んだというわけです。その番組は、次のようなものでした。(昼の部)多ぼう「たらちね」、遊一「真田山」、扇里「高砂や」、夢葉「マジック」、白鳥「山奥のお寿司屋さん」、さん吉「うだうだ」、志げる「アコーディオン漫談」、歌之介「うだうだ」、栄枝「餞」、仙三郎社中「曲芸」、はん治「ぼやき酒屋」、扇橋「子盗人」、小円歌「三味線漫談」、喬太郎「粗忽長屋」、南喬「三人旅」、(中入り)、扇治「新聞記事」、のいる・こいる「漫才」、権太楼「町内の若い衆」、馬風「うだうだ」、紋之助「曲独楽」、扇遊「夢の酒」、(夜の部)おじさん「子ほめ」、川柳「昭和音曲噺」、元九郎「津軽三味線」、駒三「後生鰻」、金馬「健康決闘(仮題)」、正楽「紙切り」、菊之丞「初天神」、志ん橋「酒の粕」。多ぼうは女性、亭号は三遊亭です。遊一は、う勝との交互出演。う勝を、もう一度聴いておきたかったのですが、外れました。次の扇里も外れ。扇辰との交互出演だったのです。伊藤夢葉は、コミック・マジック。最後に、いいカードマジックを見せてくれました。白鳥の新作は、無茶苦茶な噺。山奥の誰も来そうもないところにあるという設定の寿司屋に並ぶ珍メニューで楽しませてくれました。ありえない設定が、白鳥ならでは。さん吉は、よく当たります。74歳になった爺さんの世間話が聴けますが、今日は平坦。ヒットは、近藤しげる。元流しの歌手だけあって、どないな曲にも、すぐ対応します。その売り文句にはウソはありませんでした。盛り上がったあとに出ても、更に熱くしたのは歌之介。やっぱ、この人は、現代の三平です。そのあおりを食らったのは栄枝。百栄の師匠って、こないな地味な人だったのですね。それを、歌之介のあとに上げちゃ、気の毒です。はん治は、「背なで泣いてる唐獅子牡丹」に次いで、三枝作品。扇橋は、何を言ってるか、前から2列目でも分かりません。あとで出た権太楼が、「扇橋の落語で笑おうと思ってはあきません」と言い、場内、大爆笑でした。「とにかく扇橋を見れたというだけでいいんだから」と。小円歌が、名人たちの出囃子を紹介してくれました。喬太郎は、行き倒れを、その本人が確認に来るという奇想天外なネタを。短いので、誰かが出すネタっていうもの。それを、喬太郎が取ってしまった感じ。南喬は、初遭遇のはず。わりかし懐の深そうなしゃべりっぷりが気に入りました。大きめのネタを聴きたくなりました。本日、要マーク第一の噺家さんです。今日も出ました「新聞記事」。扇治は、口元爽やかですが、あまり印象に残りませんね。のいる・こいるは、おもしろい。浅草演芸ホールで知った漫才さん。のいるの方かな、天然の軽さが、しかも60がらみの人だから、あっけにとられるおかしさがあります。権太楼も、このネタ取っちゃいました。だけど、仕込みを抜かしたんじゃないかな。亭主が、「町内の若い衆」という言葉の奥ゆかしさを、かみさんに言う場面がなかったものですから。そして、お待ちかね扇遊。大黒屋の若旦那が、夢の中で、どこぞのご新造さんにもてなされたと悋気する妻の姿を見た義父が、その夢の続きを見ようとして成功し、そのご新造さんに会い、また倅同様にもてなされたのだけれど、途中で起こされてしまい、、、という噺。登場人物それぞれに勢いのよい息吹きが吹き込まれ、とっても躍動感のあるドキドキ落語になりました。特に親旦那の困りと、夢の中の柔らかさが、気に入りました。昼の部が終わって10分ほどで、夜の部開演です。おじさんと再会。2度目となると、トーンの平坦さが気になりました。わさびは、映画で主演をはったというあのわさびだったのですね。帰り道、田原町の駅で買った朝日新聞に囲み記事を見て、そのことを思い出しました。そして、この人、ホントに台詞を忘れたかのような演出をします。ほとんどの人は、演出だと分からなかったんじゃないかな。川柳、80歳直前の高座。びっくりするくらい、歌を歌うと声が出ます。元九郎は、久しぶりの遭遇。外国の知られた曲を、津軽三味線で弾いてくれました。駒三のネタも、聴いた記憶はあるのですが、なかなか題名が出てこなかったネタ。放生をテーマにした噺です。金馬は新作。どこか悪いところがあると言われるのが、ステータスと考えている老人二人の意地の張り合いがおかしい。菊之丞は、市馬の代演。マクラが長かったため、みたらし屋の前での、親子の攻防のみ。志ん橋は、与太郎絡みの小咄集。この志ん橋が終わったところで、6時半が回りましたので退出。2人あとに、さん喬の出番が控えていたのですが、明日からは仕事ということで、更に、今日は、東京でも雪が降ったので、新幹線の状態に異変があれば困るので、6時半という時間を守ることを優先しました。これで、今回の東京プチ旅行はおしまいです。次回は、7月の予定。それまでに、時間が取れればいいのでしょうが、見通しとしては、無理でしょう。




2011年 3月 2日(水)午前 5時 30分

 最近、雨がよく降ります。三寒四温とはよく言ったもので、その節目ごとに、雨が降ってるような気がします。3月に入り、今までなら年度末の喧騒に巻き込まれていたのでしょうが、勤務となると、気分的に、全然違います。一昨日の月曜日は、歯医者に行くために、夜遊びはできず、替わりに昨日は、落語三昧の日となりました。まず昼席に福笑が出るというので、昼間は繁昌亭にまいりました。繁昌亭も、サービスを考え進化していますが、雨の日は、隣の「輪茶輪茶庵」からも、客を入れるようにしていました。先日の牧伸二が出た日もそうでしたが、昨日も、修学旅行でしょうか、小学生が多数入場。体験学習としてはいいのかもしれませんが、客としては、気が塞ぎます。演者は、当然、この姿を見てネタを選ぶはずですから。その番組は、次のようになりました。智之介「桃太郎」、あさ吉「刻うどん」、竹林「相撲場風景」、南華「太閤の風流」、伯枝「ん廻し」、文喬「天狗裁き」、(中入り)、団四郎「百面相」、小染「くっしゃみ講釈」、三風「寿限無」、福笑「霊媒詐欺」。この昼席に来ると、最近、眠ってしまうことが多々あります。智之介、あさ吉と相次いでダウン。これで大丈夫かと思ったら、また文喬でといった具合です。竹林は、心優しい顔が出ました。冒頭で、落語の解説を入れました。そして、ネタも分かりやすい「相撲場風景」。南華も、続いて講談というものはというお話が入りました。ネタも、納得なチョイスですが、秀吉をよく知らない小学生には、公家と言われても、ピンと来なかったでしょうね。伯枝の「ん廻し」も、小学生用というチョイスですね。言葉遊びのおもしろさを伝わったでしょうか。文喬の「天狗裁き」は、おそらく初遭遇。決まりきったネタばかりを出してた文喬の新しいネタを久しぶりに聴きました。抑揚が大きく、いい口演だなぁと思っていたら、再びダウンを喫してしまってました。「百面相」が、小学生に大受け。「くっしゃみ」は、声が大きく元気はいいのですが、そこ止まりです。そないなことを考えながら聴いていると、またうとうととしてしまいました。三風は、究極の小学生仕様。100人以上小学生が入ると、こうなるわね。舞台から見ると、この圧迫感は凄いのでしょうね。ですから、さすがの福笑も、いつものように、たっぷりとはマクラをふらないで、早々にネタに入りました。「霊媒詐欺」は、確か2度目。割れたツボを使って、霊感商法を試みて、なんとか騙そうとしていると、ツボの精が現れ、「質屋蔵」風の雰囲気になっていく噺。客席が、そないな状態なため、反応がダメで、なかなか盛り上がらない。客席のどっかーんに、演者も客席も反応していくという相乗作用が生まれないのです。今年に入って2度も、小学生の団体に当たるとは、まことにもって、アンラッキーです。
 繁昌亭が終わると、その足で、南森町のおなじみのネットカフェで時間調整。1時間40分くらいいました。そして、徒歩で夜の会場に移動。場所は、「中崎町」駅と「中津」駅の中間にある「提法寺」。こちらで、3ヶ月に1度行われている「提法寺寄席」に行ってまいりました。わりかしバッティングが起こりにくいという会なため、行く機会の多くなっている会です。ひろばとそうばというざこば門下の二人が行っているものです。番組は、次のようになりました。ひろば・そうば「対談」、ひろば「☆?★」、そうば「一文笛」、ひろば「替り目」。毎回、最初の30分は、二人の近況報告をメーンとしたトークが行われます。あおばという弟子が、ざこば門下に入ったという話を、初めて聞いたのも、このトークででした。最近は、そうばの裁判話に至るプロセスが、大きな話題となっています。昨日の最初の二つの高座は、ともにネタ下ろし。特にひろばの高座は、ネタ下ろしにも入れられないということで、マル秘高座となりました。「一文笛」を、そうばが取り上げた理由は、「今までは滑稽噺ばかりやってきたので、ちょっと違った噺もやってみたくなった」ということでしたが、こういった人情噺っていうのは、言葉の重みっていうのは大きなものだと、つくずく感じました。滑稽噺は、おかしさで言葉へのこだわりが減じてしまってるのだなという印象です。なぜそないなことを考えたのかというと、そうばの訛りの問題で、昨日の口演ほど、そうばの訛りが気になり、許容範囲を超えてるなの印象を持ったことがないからです。ひろばの「替り目」は、確か2度目の遭遇のはず。一本調子で、登場する夫婦の味わいの深さを出すには、まだまだ時間がかかるものと期待してなかったのですが、短期間でえらく上達したものです。特に、家で飲み直し始めてからがいいですね。同じようなリズムで体が前後に揺れるのが、ひろばにとっては、台詞を挟んでいくタイミングがとれたからでしょうね。間合い、抑揚が、小気味よく決まっていきました。いいぞいいぞという気分になってきたところで、きれいにかわされました。女房に「えらいことを聴かれた」というところで、残念なことに切り上げてしまいました。まだまだ時間があったのですから、下げまでやればいいと思うのですがね。




2011年 2月 27日(日)午後 8時 4分

 気温が下がったり上がったりで、不安定な天気が続いています。今日は、半年ぶりに、観能の日に当てました。ちょうど半年前同様、京都観世会例会で、今回もまた稀曲が出たのです。前回は「玉井」、今回は「寝覚」でした。稀曲度は、「寝覚」でしょうね。観能経験25年を超えますが、「寝覚」は、関西の能楽会では、宝生の香里能楽堂で出たことはありますが、観世では出てないんじゃないかな。今回も、稀曲の演能をやってられる井上裕久師がシテを務められました。前場は、複式夢幻能でよくあるパターンで、尉が出てきて、所のことを説明する。今回は、場所が寝覚であるだけです。後場は、当然「寝覚」は脇能ですから神が出てくるのです、その神が楽という舞を荘重に舞う前に、天女が出てきて舞を舞います。ツレ舞です。天女が二人出てくるのです。これで、おっと思っていると、「寝覚」は、シテが楽を舞ったあとに、龍神が出てきて、しかも二人(二柱というべきなのでしょうね)出てきて、激しい働という舞を舞います。このサービス精神旺盛、舞がてんこ盛りには、おののくばかり。普通の演能感覚からすると敬遠してしまうのでしょうね。今や、「寝覚の床」なんてのは、めっちゃローカルな観光地でしょうし、これだけ出演者がいると経費が嵩むからでしょう、稀曲度が高くなるはずです。「寝覚」が終わると帰ろうかと思ったほどのベタな番組。狂言「舟船」能「東北」「熊坂」だったんです。でも、入場料が高いですから勿体ないことしません。「東北」は、片山伸吾さんがシテ。先刻亡くなられた片山慶次郎の息子さんです。この人、若い頃、声が出ないというか、悪いというか、そういったイメージがあるものですから、止めようかなんて思ったのですが、とでもありまえん。久しぶりに聴いてみると、随分と改善されていて驚きでした。それが気にならなくなると、舞い姿の美しさにほのぼのです。優雅な舞い、それを意識して作りだしている。それが解るとき、内なるエネルギーが、身体のバランスを崩さしてしまうものですが、この方落ち着いている。なかなか楽しませてもらえました。「熊坂」のシテは、田茂井廣道さん、林家所属の能楽師さん、なかなか楽しみな方だとの情報が、黄紺の頭には入っています。そして、それを裏切らない出来栄え。この人、詞章を噛みしげながら、動きを考えている。通りいっぺんの型を押さえようとしていないのが判る演能ぶり。まだまだお若いはずだから、もうちょっと身体の切れがあった方がいいかと思いますが、それは、敢えて言うならばの類。地謡(地頭:河村晴道)の美しさと緩急自在さの見事さ、それが、シテの動きと合致しており、とっても充実した舞台になりました。4月には、稀曲「志賀」が出ます。こちらも、京都観世会主宰の会。ちょっと心を入れ替えたみたいです、京都観世会。




2011年 2月 27日(日)午前 7時 31分

 昨日は、お昼前に、近所でミニウォーキング。所要47分間のミニウォーキングでした。そして、お出かけ前、3月のオペラ旅行のおさらいとして、ヴェルディの「マクベス」「椿姫」の一部を観ていました。お出かけの目安は、2時ジャスト。谷町九丁目から應天院に向かい、オリゴ党の公演「死なない薬」を観ました。劇団探しをしている中で引っかかってきたもので、今回初めて行くことになりました。序盤、やたら眠たく、うつらうつらしながら観ることにはなったのですが、筋立ては外すことはなく、ついていくことができました。芝居は、老いを、生きるということを問うという芝居です。それは、ある実験場に集められた老人たちに不老不死の薬を飲ませると、体が最盛期の状態にまで戻り、且つその状態で固定されるという設定。体が若い頃の状態に戻ることと、時間がさかのぼることとの混同とか、肉体が戻っても、人生をほぼやり終えた記憶を持っているとか、おもしろいプロットが放り込まれているので、途中からは、目をぎらつかせて観ていました。で、結末をどのように持っていくのか、一応、途中までは、でっち上げが成功していましたので、わくわくして観ていたのですが、かくんと外されました。「人間は死なない人生を送るという哲学を持ち合わせていない」といういい言葉が出たところまでは良かったのですが、治験者全員に同じ行動をとらさなくてもいいと思うのですが。しかも、投薬後20年へと時間が飛んだときに、既に、足の不自由だった女性を自死させてんだから尚更です。とまあ、文句も大きくあるのですが、骨太の芝居ができる劇団だということが判りましたので、今後も要チェックの劇団かと思いました。昨日は、ちょっと無理して、この芝居を観に行くことにしたのですが、そのチョイスは間違ってなかったかなと思っています。
 芝居が終わると、慌てて「日本橋」駅へ。「移動+食事」の時間は、1時間半を切っておりました。地下鉄堺筋線と阪急電車を使って、「正雀」駅に移動しなければならなかったのです。正雀と言えば、「ジャッキー7〜雪まつり〜」。昨日は、落語とともに、雀三郎の落語「G&G」を題材にした映画の上映が行われるということで、何はともあれ最優先にして行ってきました。ただ、その上映が、正雀市民ルーム備え付けの機材ではうまくいかなく、落語会が始まってからも、楽屋では調整が行われていた模様です。番組は、次のようなものでした。雀喜「聞き耳トーマス」、三金「奥野君のコンパ」、雀喜「仮面ライダーなにわ」、(中入り)、映画「G&G」、松井公一×雀喜「対談」。今日は、前半を新作で固めました。そのため、ゲストを三金にしたのでしょう。「聞き耳トーマス」は、テキサスに住むトーマスが、登校途中、狐を助けたことから、インディアンの神様から、一つの魔法の羽をもらい、動物たちとお話しができるようになるという噺。雀喜らしいメルヘンタッチの噺です。「仮面ライダー」は、そのまま、天王寺動物園に出現したコアラ男と仮面ライダーが戦う話を、実際のBGMを操作しながら口演しました。三金のネタは定番の「奥野君シリーズ」の初期のもの。そして、お目当ての映画。その上映前に、5分ほど、雀喜のプロモーション・ビデオが流れました。雀喜は、いろんなアイデアの持ち主です。映画は、「G&G」となっていますが、小佐田作品とは、内容に関しては、全く関係ありません。筋立ては、とっても単純なもので、呑んだくれの噺家が、周りの人たちの応援を受けて、再生していく、それを見つめる長い間生き別れになっていた娘というところです。呑んだくれの噺家雀右衛門に雀三郎、応援者に、「PM/飛ぶ教室」座長の蟷螂襲、おかま役の支援者に林家染二、娘に、「南河内万歳一座」の重定礼子、雀右衛門の弟子に雀喜という布陣でした。上映が終わると、監督との対談がありました。監督の松井氏は、雀三郎の後援者の一人で、大阪美術専門学校の映像の先生だそうです。上映が終わって、灯りが点くと、客席の一角がぼそっと空席に。失礼な客がいるものです。「ジャッキー7」始まって以来の大入りの反面では、なんとも言えない人たちがいるものんです。だったら、来るなと言いたくなるてあいです。




2011年 2月 26日(土)午前 0時 16分

 今日は、大爆睡の日。ずっと寝不足でしたから、こないな日がきても、全然不思議なことではないのですが、眠れるときは眠れるものです。何度も起きる機会がありながら、また寝ています。朝の8時半前に、携帯が鳴り、一旦起き上がっているのに、それから、また眠ってしまいました。そして、9時45分にセットしておいた目覚ましで起きるという爆睡、まことに結構な話です。ま、これも、今日が勤務日ではないから可能なこと。で、朝、携帯が鳴ったのは、年末年始のヨーロッパ旅行反省会2を、今日することになっていたことの確認でした。そのため、今日は、寝屋川のお気に入りのところで昼食。シュトゥットガルトで観た「こうもり」を気に入り、この7月に西宮である公演のチケットを、家族4人分買ったと、先週に会ったときに言われていたので、黄紺も購入を試みたところ、全然ダメだったので、購入された方法を伺いました。そのとき、お互いに一致した考えというのは、「日本では高いチケットは求めない」「こないだ、あんな値段であれを観れたんだから」「そんなに高いの買うくらいだったら、ヨーロッパで観た方がいい」、これです。オペラを観るならヨーロッパ、それに染まると、3月に、またぞろオペラ・ツアーを組んだ気持ちっていうのがわかってもらえるかもしれません。反省会2が終わると、京阪「大和田」駅まで、所要42分間のミニウォーキング。気温が高いためか、暑くていけません。それから、京阪で「北浜」駅に移動。しばし時間があったので、心斎橋まで徒歩で移動。所要時間50分のミニウォーキング2となりました。 心斎橋では、先週観ることができなかった韓国映画「私の愛、私のそばに」を観ました。もちろん心斎橋シネマートです。「愛しのサガジ」「恋する神父」「ふたつの恋と砂時計」「チェオクの剣」のハ・ジウォン主演ということで、目をつけていた映画でした。映画自体は、ルー・ゲーリック病(筋萎縮性側索硬化症)にかかった男と恋に落ちたハ・ジウォン扮するチニという女の子が、男の最後までを看取る話。相手役の男は、「ファム・ファタール」「白い巨塔」「ベートーベン・ウイルス」のキム・ミョンミン。男は、女と出会ったときに、既に車椅子生活をしているところからスタートし、どんどんと症状が進行していく中で、ターミナルケアに関わる諸問題を取り扱っていきます。いや、それだけの筋立ての映画です。ですから、二人のカップルが、最後まで関係を維持できるベースというか、関係を維持できる手続きのようなものは、完全にはしょられています。この映画は、そないなことを描く映画ではないとのメッセージが、そこには込められています。おもしろいプロットというのは、ターミナルケア絡みでは出てきませんでしたが、設定の中で、一つおもしろいことがありました。ハ・ジウォン扮する女の子というのが、バツニだということと、仕事が送り人だということです。バツニというのは、単にハ・ジウォンも、そういった役をするようになったかというだけで、興味あるのは後者。遺体と、体が動かなくなった病人との比較なんてプロットを持ち込めるのです。そして、亡くなった男を、送り人の彼女が、自分の手で、正にあの世に送ってやることができる、女の子、こういう形にせよ、完全に独占できるシテュエーションを作ることができたのです。「送り人=死に関わる」というところから来る差別観まで触れる台詞も出てこないわけではなかったのですが、なんか断ち切れのような感じになってしまったのは惜しまれます。ただ、死に向かうことを描く映画は、ハ・ジウォンのような華のある女優さんを起用しようが、どうしてもしんどくなるのはいかんともしがたいですね。キム・ミョンミンが時間が経つにつれ、激ヤセしていきます。これは、すごいプロ根性です。ハ・ジウォンの年齢を調べると、今年31歳になります。こういったシリアスな役柄をしなければならなくなってきたのでしょうね。
 映画が終わると、歩いて千日前のおなじみのネットカフェに移動。1時間の時間調整をしてから、トリイホールに行きました。今夜は、こちらで、「入船亭扇遊・桂雀松二人会」がありました。扇遊がわりかし気に入っている私にとって、雀松とのジョイントは極上のものなのです。その番組は、次のようになりました。二乗「阿弥陀池」、雀松「くっしゃみ講釈」、扇遊「明烏」、(中入り)、扇遊「ねずみ」、雀松「替り目」。二乗を最近聴いてないなと思っていると、今度は続いてしまいました。「阿弥陀池」に進化の跡を看ることができました。新聞の勧めをするところで、「日清日露の戦いのことも分かるしな」と入れました。「過ぎし日露の戦いで」を突然出さないための工夫です。これは、大拍手です。序の序のところで、時代提示ができるのが、とってもおいしい工夫です。「ぬきみ」を「ふんどしをしてない」ではなく、「むきみ」と取り違えるにしたり、こないなことをしながら、淘汰されていって、二乗オリジナルが出来上がっていくのでしょう。「くっしゃみ」が傑作。「覗きからくり」のボケ方の軽いこと、完全に雀松ベース。更におかしいのは、釈場に入り、唐辛子の粉を試しにくすべるときに、「六甲おろし」のメロディーを、こっそりと歌ったり、後藤一山が、くっしゃみをして中断するたびにおねえ言葉になったり、もうおかしいのを突き抜けています。一方の「替り目」は雀松定番のネタ。今日は、酒のネタが出てないから、出そうだなと思っていたら、どんぴしゃでした。酔っぱらいの扱い方を熟知し、それを楽しむおかみさんが、実にかわいい世話女房に看えました。扇遊の二つのネタでは、圧倒的に「明烏」。扇辰の「明烏」にもしびれましたが、扇遊も3D画面のごとく、登場人物の立ち位置の前後左右まで見えてきそうな臨場感がありました。なんか言葉の勢いなんてもので、そういった臨場感を、この人は出せるんですね。横浜で聴いた「天狗裁き」と双璧の素晴らしい噺を聴けました。それに反し、「ねずみ」は、臨場感を感じにくい外からの言葉が並びました。「明烏」のなりきり的な言葉の調子が、すっかり薄れてしまっているのです。気合いの問題なのでしょうか、それとも表現の問題なのでしょうか。




2011年 2月 25日(金)午前 5時 57分

 昨日は、仕事では谷間の一日。こういったときばかりだったらいいのですが。もうちょっと、均等に仕事はあって欲しいものです。夜は、動楽亭での「第389回上方講談を聞く会」に行ってまいりました。若干、時間的に余裕があったため、恵美須町界隈で買い物をしてからと思ったのですが、狙いのものはなく、結局、新世界をぶらぶら歩きをしながら、動楽亭に行くことになりました。今夜の番組は、次のようなものでした。なお、南斗は、開演前の空板扱いの高座でした。南斗「那須の余一」、南舟「宮本無三四の狼退治」、南湖「太閤記〜矢矧橋〜」、南北「難波戦記〜平野の地雷火〜」、南海「善悪二筋道」。南湖のネタまでは、よく聴く機会のあるものです。更に、南北の「平野の地雷火」も、なんてことはない、家康が便所に入っているときに、幸村の仕掛けた地雷が爆発して、家康が逃げ回る話ですから、これも頻繁に出るネタとなると、結局、南海の「善悪二筋道」だけが、上演の機会が、さほど多くないネタです。確か、以前に一度だけ、南鱗(?)で聴いたことがあります。真正直な男が、売り払わなければならなくなとた田地田畑を取り戻すべく、10年間奉公して貯めた金を持ちながら、郷里に帰る。ところが、その途中、盗人に遭い、せっかく貯めた金を取られたさけではなく、命も狙われるが、盗人が足を取られ、危うく命を長らえた男は、元の奉公先へと戻ったところ、盗人から安心させるために与えられた短剣が、大変な業物と判り大金を手にした男は、再び郷里を目指す。そして、手にした金より、汗水垂らして手に入れた金こそ大事と、盗人の家を再度訪ね交換を求めようとするが、そのときには、盗人は死の床にあった。足を取られたときに入った毒で瀕死の床にあったのです。話をしている内に、その盗人が、借金を作った張本人の男の兄と判明。ここで改悛した兄は、自らを恥じて自害。兄の嫁も拐かされてきた女性と判った男は、その女を妻として郷里に帰るというもの。旭堂では重い習いとされているネタだそうです。南海さんは、ネタ下ろしだったようですが、そこは南海さん、しんみりとさせるだけではなく、笑いも入れ、暖か気分にさせてくれました。昨日は、ほかほか気分に、いつもはさせてくれる南北さんが、戦記物を読まれましたので、その役目は南海さんでした。いや、南海さんが、このネタを下ろされるということで、兄弟子が配慮されたのでしょう。いつもながら、ほのぼの系の旭堂一門です。




2011年 2月 24日(木)午前 5時 32分

 昨日は、変則的な勤務の日。いつもよりは、30分だけ勤務が前にずれた日。ということは、30分早く職場を離れられるということ。それを利用して、夜遊びの前に、ミニミニ・ウォーキングを入れました。ちょうど行き先が玉造でしたので、京阪「京橋」駅から環状線「玉造」駅近くまで歩きました。所要34分です。昨夜は、サンクス・ホールでの「猫間川寄席」におじゃましました。月一のペースで、文我が手配し、自らも出演している会で、年に2〜3度は覗いている会です。今夜の番組は、次のようなものでした。松五「寄合酒」、たま「伝説の組長」、文我「怪談お紺殺し」、(中入り)、梅団治「有馬小便」、文我「薮入り」。昨日のお目当ては、「怪談お紺殺し」。釈ネタであるとともに、米朝がやっている「怪談市川堤」の原型。露の五郎兵衛は、「雪の戸田川」という題名でしていたもの。文我によると、「吉原百人斬り」の序にあたる噺だそうです。繰り返しネタは避けているという会ですから、「お紺殺し」を始めとして、あまり出ないネタで、番組は組まれています。新作を入れると、それはクリアしやすいということでしょうね、たまは、そういった点では、ありがたい存在。かなり年齢層の高い客の集まるこの会でも、そのおもしろさは通じていました。撮り鉄の梅団治は、高岡方面へ、写真を撮りに行っての帰り道で、この落語会に出演。そのあたりを、ひとくさりしゃべってくれました。成功談に失敗談、好きなんですね、この人。ネタは、きちゃない「有馬小便」。福笑の「ししばばネタ特集」で、確か、春若で聴いて以来じゃないかなぁ。最後は、ネタとしては、あまり好きじゃないか「薮入り」。あまりにもベタベタな感じが、聴くに耐えない感じを持ってしまうのです。ぼやーっとして聴いていたら、半分くらい意識が飛びながら聴いてしまいました。冒頭、子どもを奉公に出すところから始めたのは、あまりないのじゃないかな。ま、文我ですから、こちらの方が、本来の姿かもしれませんが。




2011年 2月 22日(火)午後 10時 12分

 今日は、完全に春の陽気。日差しからしてからしてパワーが違いました。お天気はいいしと、以前のようなウォーキングをしたいのですが、股関節が恐ろしくて、できかねています。今日は、午後に繁昌亭昼席に行きました。何かのきっかけがあると、昼席に行くのですが、今日は、東京の歌武蔵が出るというのが、行ってみようのきっかけとなりました。番組は、次の通りでした。二乗「普請ほめ」、卯三郎「ふぐ鍋」、坊枝「火焔太鼓」、レッツゴウー正児「漫談」、歌武蔵「支度部屋外伝」、米二「貧乏花見」、(中入り)、三風「テレショップ・パニック」、千橘「厩火事」、米八「曲独楽」、松喬「お文さん」。外の暖かさが誘ったのでしょうか、典型的な冬の噺に加えて、典型的な春のネタが出ました。前者は、この冬も聴きたおした「ふぐ鍋」、後者は「貧乏花見」。こういった微妙な時期って、そういった意味でおもしろい。「貧乏花見」は、酒柱が立ってすぐに終わりました。中入り前は、正児と歌武蔵が盛り上げ過ぎと言っていいくらいの暖め方。正児は、レッツゴー三匹のあとの二人の消息話で盛り上げ、最後は、「買い物ブギ」という難曲をアカペラで歌い、大喝采。歌武蔵は、話題の大相撲裏話で、ヒーヒー言わせてました。ネタも聴きたかったのですが、これはこれで、歌武蔵スペシャルですから大満足。そういった二人のあとでも、マイペースを崩さないのが米二です。これもらしさが出ていて、グーです。後半に入っても、ポルテージは下がりませんでした。三風は、マクラに時間を取りすぎです。ネタに入るや、すぐに終わってしまいました。せっかく客席参加を求めたのですから、これはマイナス点。ぞんがいいいなと思わせたのが千橘。夫婦の間のすれ違い話って、客に共感を生むようで、いいタイミングの笑いが出ていました。ただ、調子に乗ったわけではないでしょうが、くすぐりとして、現代語を入れて、逆に引いてしまいました。千橘も、工夫をのつもりかもしれませんが、今日の客席の反応では、オーソドックスにするのが一番だったんじゃないかな。その辺の臨機応変さが欲しいところです。「お文さん」は、御堂筋の言われ、船場、島之内の説明から始まり、お文さんの話へと、たっぷりとネタにつながる情報が提供されてからの口演。こういった感じで進むと、たっぷり感があります、ネタ自体に。かなり満足度の高い昼席公演だったんじゃないでしょうか。
 繁昌亭を出ると、南森町のおなじみのネットカフェで、1時間余の時間調整。それから、夜の部の会場(薬業年金会館)がある谷町六丁目まで徒歩による移動。ミニミニ・ウォーキングです。思いの外、時間がかからず、ちょうど30分で到着です。ですから、午前中の30分と合算すると、1時間のウォーキング時間となりました。夜は、こちらで「第163回 旭堂南海の何回続く会?」があったのです。この間読み続けられてきた「浪花五人男」の最終回があったのです。前回は、さすがの南海さんも混乱をきたし、いるはずのない庵平兵衛がいたり、またいなくなったりなんてこともありましたので、少し前のところからの復習に、時間を割かれました。捕らわれの庵平兵衛を探しに行った雁文七、雷庄九郎、布袋市右衛門ですが、逆に罠にかかり捕らわれの身となったのを助けたのは、隠れ家で待機をしているはずの極印平右衛門でした。ここからは、庵平兵衛を救い出しに行くこと、野田藤らの悪者が、極印を目指して五人男に追いすがる攻防戦が展開されます。高津神社が火に包まれたり、生国魂神社の屋根の上での攻防戦などが繰り広げられるさなか、野田藤が放り投げられた極印に気をとられている間に、平右衛門が親の仇を討ちます。また、悪とつながった与力が、五人の捕縛に訪れたとき、雷庄九郎の投げた礫が乗っていた馬に当たったがため、落馬してしまい、そこを押さえた雁文七が刺し殺します。この事態に、立ちすくんだ取り手に、奉行所への出頭を約束した五人は、もう一人の悪者両替商の岩木屋を捕まえ、同道しながら奉行所に行き、お裁きを受けるとともに、贋金造りの告発をします。こちらの奉行は、よくできた人で、五人の罪は罪として扱い、しかし、彼らの告発には耳を傾けるのでした。最後に、市中引き回しの情景が読まれますが、ちょっと心を締めつけられたのは、雁文七を見送る文七の母親、また、兄市右衛門を見送る妹つゆの姿でした。最後の最後、獄門台に並ぶ五人の首から、この二人が遺髪を切り取り、それを持ち、寺に供養を頼む話が入ります。そないなしんみりした形で、大団円を迎えました。世間をすねて生きた五人男、侠客の話は、自分らなりの論理を持ち、正義をかざす部分があります。その硬派なところがあるのがおもしろいですね。それに、五人の団結力がすごい。性根までは腐っていない、いやとっても人間っぽい純粋なところを持ち合わせている五人男は、とっても魅力的なキャラでした。




2011年 2月 22日(火)午前 8時 19分

 またまた眠れない日が続いています。一昨夜は、2時間ちょっとで目が覚めてしまい、お酒を呑んで二度寝ちチャレンジ。で、運良く眠れたのですが、悲しいかな、昨日は勤務日。目覚ましでたたき起こされのはいいのですが、またまた電車の中でダウン。なかなか寝付けないわりには、余計なところで眠くなる。結局、降りねばならない駅を寝過ごし、大慌てで引き返し、かろうじてセーフ。そして、昼間は眠たくて、なかなかまともな仕事ができない有り様でした。にもかかわらず、夜はお出かけ。ようやくたどり着くことができた劇団「空晴」。劇団探しをしている中で、ずっと以前からマークしながら、常に何かとぶつかる運命だった劇団に、ようやく遭遇できたというわけです。常に、昨日のような芝居を作っているのかどうかは判断しかねますが、とにかく昨日の芝居は、分類的には、完全に家族志向、ほんわか系の芝居でした。ホントに多いです、このグループ。深夜、二人の男が、ビルの一室に、怪しい物音、物陰を聴いた、見たということで探索に現れるところから、本筋はスタートします。怖がりあったりで進行している中に、既にもう二人の男が潜んでいます。それに、そのビルの真向かいに住む夫婦が、物音を怪しみ加わります。その混乱が収まり、それぞれが何者なのかを互いに認識すると、最初の二人の男の内の一人が、「タイムマシーン」(実際はタイムカプセル)を、この部屋で見たと言います。このべたな言い間違いは苦にはならない雰囲気は醸し出されてはいるのですが、一方で、冷ややかに芝居の推移を観ている自分があります。このタイムカプセルを開けることにより、かつての思い出が蘇り、家族再帰へと繋がるというものも、あまりにもベタではありませんか! 芝居の流れに引き込まれたということは、それだけ、達者な役者がいるということなのでしょう。
 芝居がはねると、会場の「ウイングフィールド」(地下鉄「長堀橋」駅南)から歩いて京阪「北浜」駅まで、ミニミニ・ウォーキング。この日唯一のウォーキングらしきもの。僅か25分のことでしたが、爽やかです。体を動かすことって、爽やかなのです。




2011年 2月 21日(月)午前 5時 12分

 一昨夜は、夜中の3時頃に、目が覚めてしまい、仕方なくパソコンいじりをしながら、酒を呑んだりしていると、うまい具合に二度寝ができ、今度目が覚めると、お昼前。なんか一日が短くなってしまったよう。幸い今日は、朝早くのお出かけ計画はなかったので、こないなことでも、問題は起こりませんでした。そして、午後3時から始まるコンサートへとお出かけ。場所は、京都コンサート・ホール。昨日は、こちらで、京都市交響楽団特別演奏会として、マスカーニの歌劇「イリス」の演奏会形式の公演があったのです。この公演は、東京芸術劇場&読売日本交響楽団との共同制作で実現したもので、東京での公演は、既に1月末に済んでいます。ちょうど東京に行ったときに、その公演があるということでしたので、そちらの方に行こうかなとも思ったのですが、せっかく京都であるのだからと、止めたのでした。指揮は、両公演とも、井上道義。井上は演出も担当した公演です。まず、舞台ですが、オケの背後に特設舞台が用意されているのと、その特設舞台の上から、オケの間を通る階段が、指揮者の横も抜け、舞台一番前まで貫いている。更に、舞台の一番前、即ち、オケの前にもスペースが用意されており、そこも使われました。歌手陣は全員、衣装を着けていますから、通常のオペラ公演に、極めて近い形態を取りました。オケの楽譜立てには、小さな照明が付けられていましたから、オケが、オケピットから舞台上に上がったという感じです。ストーリーは、単純でつまらないもの。「イリス」というのは日本女性の名前。そのイリスが、盲目の父親の前から拐かされ、吉原に売られる。そこへ、娘の居所を探しあてた父親が来ると、身の上に苦しみ、身を投げて亡くなる。その亡骸に対し、人生って、ま、そのようなものと言う者がいるなか、イリスは、天に召されていくというもの。舞台は日本です。登場人物に、「トウキョウ」「オオサカ」「キョウト」と着いてたりで、変なオペラです。ただ、作曲者はマスカーニですから、メロディーラインはさすがと思わせるものが目白押しです。ですから、ストーリーは二の次として、音楽を楽しむだけでも十分聴ける曲でした。動きについても、かなり細かなところまで指示が出ていたようで、演奏会形式の枠を飛び出し、簡易オペラという雰囲気でした。最後、イリスが昇天をしていくところは、どうするのか気になっていたのですが、これが素晴らしいアイデア。この場面まで、後部座席のカバーは、客の視界に入ると目障りという配慮から、黒い布で被われているのだと思っていたのですが、そのクライマックスの場面では、「太陽の賛歌」に合わせて、両脇から引かれていくと、更に、その下は、白い布で座席が被われていました。そして、舞台にある階段から続く階段が現れ、その階段は、パイプオルガンに入る狭い通路につなげてありました。イリスが、ゆっくり階段を上がると、白い布に、更にスモークがたかれます。まるで、イリスが雲を超えて天上に昇るがごとき幻想的の光景が生まれました。とっても感動的な光景で、少なくとも、これを観ただけでも、このオペラを観に行ったかいというものがありました。
 コンサート・ホールを出ると、地下鉄「丸太町」駅まで、ミニウォーキング。所要時間52分と、暗闇の中を歩いていました。そして、所要があり弟の家に寄り帰宅です。




2011年 2月 19日(土)午後 10時 39分

今日は、久しぶりに朝昼晩の三部制を取ってのお出かけ。要するに、朝から晩まで遊び通そうという計画を立てたのです。それだけそそられるものが目白押しということだったということです。従って、朝のお出かけは、目覚ましまでかけて8時半。とってもいいお天気のなか、繁昌亭に向かいました。最近、自宅から繁昌亭に向かうときの定番、京阪「京橋」駅から歩いての移動で、繁昌亭到着です。繁昌亭朝席では、「出丸・文華 長講の会」という朝席にしては、えらくヘビーな会が設定されていました。1月に続き2回目ですが、自分的には、初めてのおじゃまです。番組は、次のようなものでした。華紋「色事根問」、出丸「質屋蔵」、文華「三枚起請」。華紋は初遭遇。これがまた、驚きの逸材です。マクラからして、次に、どんなおもしろいことを言ってくれるのかという楽しみすらあります。しかも、内容が等身大というのがいいうえ、ちょっと無理のないスパイスを効かす言い方をしてくれる。その感性に目を奪われました。ネタに入っても、もうこのネタを、かなり仕込んでるかどうかは分からないのですが、実際は、どうであれ、最初から、こないなペースだったのではと思わせる間や声の調子があります。楽しみな新顔が現れたものです。肝心の二人ですが、今日の出来具合は、出丸が気に入りました。この人、かみさえしなかったら、結構なスピード感豊かなしゃべりをするんだと思うと、そないな感じを持てるのは、今日はかみ方が少ないからだと気がついた次第です。冒頭の長い旦さんの一人喋りが良く、その調子で進むと、これは、噺家さんペースとなります。熊はんの威勢良さと、びびり方の落差も、あざとさなどは微塵も感じさせないで楽しませてもらえたのも、主導権を、完全に出丸が握っていたからでしょう。最後の蔵の中の描き方が物足りなかったのだけが惜しまれます。全くの異空間的演出を、声の調子を変えることで、多くの噺家さんはされますが、蔵の外の流れ、勢いで、出丸はやっちゃいました。文華の方は、どうも「親子茶屋」「立ち切れ」を聴いたときと同じような感想を持ってしまいました。難波新地の場面に入っても、空気が変わらないのです。それにプラス、怒ってることは怒ってても、どこかしら遊びの延長的部分があって欲しいなと思う噺なもんで、文華の描く源兵衛ほど、声を荒げて怒ってはいけません。まだ清八が、そうするならば解らないわけでもないのですが。廓ものって、どこかしら空気が合わない、文華に変なイメージができつつあります。
 時間があったので、繁昌亭から地下鉄「天満橋」駅まで歩いてから、地下鉄に乗車。移動先は、「四天王寺夕陽丘」。そして行ったのは、一心寺南会所。こちらで、今日から3日間行われる「一心寺門前浪曲寄席」の初日に行ってまいりました。番組は、次の通りでした。春野一(一風亭初月)「斉藤内蔵助」、真山誠太郎(真山裕子)「源平悲恋物語」、松浦四郎若(藤信初子)「夢の財布」、三原佐知子(岡本貞子・鵜川せつ子)「ああ残留孤児」。「斉藤内蔵助」は、明智の家臣、既に明智が亡くなり、斉藤自身も落ちている途中、匿ってもらうために、堅田に住む乳母を訪ねるが、その先を急ぐために、道中で出会った百姓を殺し、馬を奪う。そして、乳母宅に着くが、乳母の話を聞いていて、殺したのが乳母の息子だと判る。しかも、倅は、斉藤が落ちてきたならばと、馬を引いて待ち構えていたものを殺してしまったというなんとも言えない話です。「源平悲恋物語」は、既に頼朝の世になっている時期、平家の落ち武者刈りをしている那須大八郎が捕らえた落ち武者を殺すのではなく、命を助ける話と、その中の女鶴富と悲しい恋に落ちるという、これでもかという設定のネタ。限りのある、即ち、那須大八郎は、お役が終わると、早晩、鎌倉に引き上げねばならない身の上、そういった限りのある恋は燃え上がるとともに、聴く者の琴線を、よりくすぐるのです。「夢の財布」は、「芝浜」です。落語からの移植ヴァージョンは、初遭遇です。また、味付けは個性の範囲内でしょうが、筋立ては、きれいに落語の展開をなぞっていました。落ちまでなぞったのには、逆にびっくりでした。女房のキャラは、しっかり型というよりか、世話やきと言ったらいいでしょうか。ソフトな大阪のおばさんとして演じてましたので、統一性がとれています。松浦四郎若師のふくよかで柔和な表情とも合い、とっても感じのいい仕上がり具合で、展開に客席がヴィヴィッドに反応していたのも特筆ものです。「ああ残留孤児」は、三原佐知子師お得意の反戦ものの一つ。訪日してきた残留孤児の報道画面を見ながら、時々、ソ連軍の侵攻が始まって以降の状況がフラッシュバックするという構成にしてあります。戦争末期の様子と、数十年後の訪日団をともに描くための賢明な手法です。最終的には、母親は名乗りを上げませんが、そのわけが弱かったですね。母親は、日本に引き上げてから再婚しているという話が入れられますから、それとの関連かなとは思わせられるのですが、もう少しクリアな描き方が必要でしょう。なお、歌謡浪曲化する部分もあるという構成になっていました。
 一心寺を出て、恵美須町方向に歩き、途中、電気屋街で、DVDを一つ買い、千日前のおなじみのネットカフェへ。こちらで、今日は、2時間弱の時間調整。夜は、HEP-HALLで芝居を観るため、梅田に移動でした。北に戻ったことになります。今夜は、こちらで、レトルト内閣という劇団の公演「さらばアイドル、君の放つ光線ゆえに」がありました。この劇団は、初めて覗いてみた劇団ですが、既に舞台上のセットの作り方を見て、ちょっと期待の気持ちが、2割ほど減退しました。簡単に言うと、ちょっと安っぽい感じがしたからです。箱とかを明らかに使ってますよという作りの大道具は、そのように感じてしまいます。主役は、あまりパッとしない女性アイドル・ユニット桃ねこ。ところが、この3人の女性たちは、かつて自分たちより人気のあるアイドルの女の子をゴンドラから突き落とし、表舞台から葬り去ったという経験がある。最初は、その秘密は、客には隠されていたのですが、あっさりと序盤で明かされてしまいます。そして、そこから始まるのは、その女の亡霊、実際には、その女の子は死んでないのですから、恨みのたまった生霊というのがいいのかもしれませんが、その女の復讐劇に仕上がっています。ただ単純な復讐劇ではないスパイスは利かしてはありますが、内容的には、もう少しひねりを加えてもらわないと、大道具同様の言い方をしなければならないでしょう。二度目を観に行くことがあるでしょうか、かなり微妙なところです。




2011年 2月 19日(土)午前 0時 16分

 今日は、寒の戻りで、再び気温は低下。でも、お天気は悪くない一日。今日は、10時半をメドにお出かけ。まず、寝屋川のお気に入りのお店で昼食。その後、年末から年始にかけてのヨーロッパ旅行の軽い反省会パート1。黄紺は、近々、またしてもシュトゥットガルトへ行くと言うと、笑われてしまいました。「私は、こないだの旅行で1年もたすのに」と。確かに余韻に浸ってる間もなく、動き出している黄紺は、変ですね。そして、京阪電車で「天満橋」駅まで移動。昼の部に移るまでの時間、ミニウォーキングをすることにしました。京阪「天満橋」駅〜(中之島)〜肥後橋〜(四ツ橋筋)〜地下鉄「四ツ橋」駅〜心斎橋シネマート、このコースで、所要51分でした。ところが、チェックミスで、映画の上映開始まで、40分近く待つことになっちゃいました。心斎橋シネマートでは、今、ハ・ジウォン主演の韓国映画が上映されていますが、今日観たのは、それではなく、ファーティフ・アクンの作品。ようやくファーティフ・アクンの作品が、大阪で、一般館で上映させることになりました。新しく公開された「ソウル・キッチン」という映画です。主人公は、ギリシャ人です。兄貴と呼ばれる男も、ギリシャ人と思われる名前です。イリアスですから、あだ名かもしれませんが。廃棄されていたと思われる倉庫を改造した安物レストランが「ソウル・キッチン」。「ソウル」は、ソウル・ミュージックの「ソウル」です。ここのオーナーが主人公。彼女が上海に行ってしまったので、自分もあとを追いかけて行きたいと思っている。一方で、レストランは流行ってないのだが、とんでもない腕を持った料理人がコックとして働くようになるのだが、客は、いい料理なんてものには、全く関心がない。そこへ、兄貴分の男が仮釈放で刑務所から出てきて、レストランに転がりこんでくる。最初はぶらぶらしているだけだが、店にライブが入り出すと、DJをして店の運営に加わってくる。ライブを担当するバンドも、元をただせば、閑古鳥がなくレストランで練習していたのを活用すると、ヒットしてしまったのでした。金がたまります。上海へ行く手筈を整え、店は兄貴分に譲り、空港で飛行機に乗る直前、彼女が中国人と思しき男と戻ってくるところに出会ってしまいます。彼女とのことに破れ、店を、自分の手で、再び運営しようとすると、兄貴分は博打でできた借金のかたに、店を取られてしまってる始末。更に、前から傷めていた腰が、ヘルニアだと診断され、最悪の状態に立ち入ります。この当たりから、漫画的展開を見せて行きます。もちろん稚屈な作りという意味ではなく、敢えてそうして、猥雑な下卑た作りで統一した映画のコンセプトに合わせるが如き始末を、物語につけるのです。ここだけ、トルコ人を出します。腰を一気に治してしまう、めっちゃ怪しげな整体師です。最後は、ハッピーエンドです。映画の目指したものっていうのは、街の中で猥雑に生きている人たちの日常を、だいぶとお下品に、少しはデフォルメしながら、生き生きと遊び感覚で描くということなんでしょう。主要な登場人物が希望を持って生きているのがおもしろいです。主人公のギリシア人は、店を繁盛させたい、彼女に会いに生きたい。兄貴分の男は、軽くてダメ男ですが、琴線に触れたDJをしだすと生き生きとしました。店で働く女は謎っぽいところがあるのですが、美術関係に夢を持っているらしい、天才的な料理人は、腕に絶対的な自信を持っている。それが、この映画に箔を付けています。ただ、だからと言って、「ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞&ヤングシネマ賞」をもらうほどの映画とは思わないのですが、、、。
 映画館を出ると、地下鉄で梅田まで移動。時々利用する東梅田のネットカフェで、1時間の時間調整。そして、夜の部のコンサートに向けて、東梅田からシンフォニー・ホールまで、徒歩で移動。東梅田からJR「福島」駅まで、桜橋経由で15分で行けました。20分ちょっとのミニミニ・ウォーキングをしたことになります。今夜のシンフォニー・ホールは、大阪フィルハーモニーの定期演奏会があったのです。指揮が大植英次、それに、プログラムに、ブルックナーの9番のシンフォニーが入っていましたから外せないコンサートでした。なお、プログラムの前半は、ショスタコービチの9番のシンフォニーでしたが、演奏の出来という点では、圧倒的に、このショスタコービチを支持します。普段、この曲は、自分的には聴かない曲なのですが、40年以上前のコンサートで聴いた記憶が、ふつふつと蘇ってきました。ショスタコービチのシンフォニーでは、例のないと言っていいのかな、軽やかで、重苦しい7番のシンフォニーなどを思い出すと、冗談音楽かと思うほどの軽やかさ。しかも、春先の野を思い出させる自然色に満ちている。無機質な音にショスタコービチのイメージを固定していると、どうも居心地が悪くなる。社会主義リアリズムの音楽の作り手であったはずのショスタコービチが、社会主義崩壊後も生き残り人気を博すわけは、この9番を聴くと、よく解るような気になります。そういった理解を幇助してくれるのが、今日の演奏と書けば、かなり回りくどいか。でも、大植と大フィルの組合せでは、躊躇うことなく、ベストに上げるでしょう。一方のブルックナーはいただけませんでした。とにかく重いのです。1楽章なんて、刷毛を、紙の上に、思いっ切り押しつけながら引きづっている感じの音楽なのです。次に、ブルックナー休止が、休止になっていない。休止で気分を変えるという作業をしなくっちゃ、ますます、インテンポで、思いっ切り押しつけて音の束を引きづってるという音楽になっています。特に第1楽章が、聴いているのがきつくて、第3楽章は、変化の妙味が失せたからか、まどろみながら聴いておりました。ちょっと、不満たらたら。今日は、舞台の背後から聴いたからでしょうか、こないな不満が出たのかもしれません。舞台前から聴いたら、もっと異なった印象を持ったかもしれません。オケの配置も、また、人数も凄かったです。第1ヴァイオリンが上手に、人数は、実に16人。第2ヴァイオリンが、逆の下手に14人。ヴィオラが、中央下手よりに12人、チェロは、第1ヴァイオリンが多いためか、ほとんど中央に位置、こちらは10人。ティンパニーは、一番の下手で、舞台の前面に。ショスタコービッチでも、パーカッションが、ティンパニーの前に出て、同じ位置に。これは、前から聴いて、どうだったのでしょうか。弦の音も、前から聴きたかったものです。金管は、舞台向かって右奥。音の出方、奔放さも含め、木管がいい出来でした。だから、ショスタコービッチを楽しめたのだと思います。




2011年 2月 17日(木)午後 11時 36分

 今日も暖かな一日、但し、ずっと曇り模様。夕方からは、ぼちぼちと雨が降り出しました。ちょうど、ミニミニ・ウォーキングをしている途中でしたが、大事には至らず、ちょっとラッキー。今夜は、芝居に行く前に、京阪「京橋」駅〜大阪市立扇町総合高校〜地下鉄「南森町」駅〜天満橋〜ドーン・センターというコースで、ミニミニ・ウォーキングをしていたのでした。所要47分です。芝居の方は、今夜観たのは、期間限定で、女性作家たちが結成したユニット「Saccharin」の公演「その鉄塔に女たちはいるという」という芝居です。演出は、「A級MissingLink」の土橋淳志。ドーン・センターのパフォーマンス・エリアという小劇場の芝居を演じるにはいいスペースを見つけたものです。今日の作品は、土田英生が、以前に発表したものとか。初めて観る芝居で、とにかく芝居が佳境に入ってくるや、とにかくいい芝居を見せてくれたことに、拍手を送りたい気持ちになりました。この芝居は、日本が海外派兵をして、実際に戦闘行為に入っている外国の基地に慰問に行ったショーガールたちが、基地内の異様な雰囲気に嫌気がさし、そこから脱出して、近くの鉄塔に立てこもっているところからスタートします。4人の女性がいる鉄塔に、基地から一人脱走兵が加わります。この兵士も、戦争に異様に高ぶる基地の様子が嫌になり逃げてきたのでした。基地内の情報から、1週間後に、近くのゲリラ掃討作戦が行われるので、それが済めば、皆は日本に帰れるという楽観的に気持ちでいます。それまでの期間の過ごし方や、些細な日常的なことで、議論をかわしたり、意地をはったりと、そないな時を待つという過ごし方をしているのですが、掃討作戦が近づくにつれ、銃撃戦の音が近くで聞こえるようになり、鉄塔内部でも緊張が高まっていきます。5人の対応が描き分けられるあたりから、ただならぬ芝居を観ているぞの感覚に捕らわれていきます。ここに至りできることがあればと頭をフル回転をさせる者、ただ「怖い」だけを言い続け、自分のことだけしか口にできない者、戦争を批判しても、それと同じレベルで、アンチテーゼを発し続けるのもダメなのではと言う者、、、中には、自分たちの日常生活の中にこそ、諍いを起こしうるものがあるが、その諍いと、何が違うのかと言い放つ者と、戦争の本質を、反戦の言質の本質を言い当てる素晴らしい場面が用意されていました。自己の対象化、相対化が、きれいに芝居という形を与えられました。脱走兵を加えて、ショーの練習に入ります。戦争のロジックでない反戦のメッセージを出す場面です。ちょっと胸にこみ上げてくるものがありました。やがて、戦闘が終わり、日本兵が引き上げてきて、10数名の兵士が、鉄塔を取り囲んだところで、フィナーレに入っていきます。う〜ん、いい芝居です。もっと多くの人たちに、ぜひとも観て欲しい芝居です。




2011年 2月 16日(水)午後 11時 47分

 一挙に暖かくなりました。午後からは、ストーブがじゃまに感じるほど。でも、ストーブを切ると、気温は急降下。まだまだ生易しいものではありません。そして、夕方には、再び鶴橋へ。今日は、「講談毎日亭」の千秋楽。今回は、避けよう避けようとしながら、仕事が入ってしまった日曜日を除き、行くことができたのですが、残念ながら、皆勤というわけにはまいりませんでした。今日も、時間に余裕があったので、京橋から鶴橋までは、歩いて移動。ミニミニ・ウォーキングのつもりです。若干、コースを変えてみたのですが、所要時間は43分でした。今日は快調で、玉造辺りからは、飛ぶような感じで歩くことができました。この飛ぶような感じというのは、リズミカルで、膝のバネが効いている感じがする状態です。肝心の講談ですが、「明智光秀」は、終始秀吉ペース。頭のきれる光秀を疎く思う秀吉の画策ということで、話が出来上がっていますが、秀吉の話を鵜呑みにして、秀吉の言う通りに動く光秀の魅力は減ずるばかり。本能寺の変の詳細は読まれず、天王山の合戦も、その名称だけですので、頭に「?」が灯ったりしていると、南青くんは、きっちりと、そのあとにおもしろい話を用意していました。光秀は、小栗栖で雑兵の手にかかり死ぬのではなく、際どいところで、家康の手の者に救い出され、家康とともに、天下を操ったとさで、打ち上げました。「ハブ娘」は、やはり昨日、かなりの部分を抜かしていました。これは、南湖のHPで読んでいましたので、今日の復習の部分で、再確認。博多小僧が、手下の大川勘十郎が亡くなったのを利用し、入れ替わって逃亡してしまったのでした。そして、つてを頼り、姉の消息を聞き、姉のいる下関で、姉の旦那の元で働くのですが、長い間会ってなかった姉だったのですが、危ない身の上だと感じ、旦那のつてで沖縄に渡り、ここで、おかめと再会するとなるわけです。当時のおかめは、若松弁護士と棲んでるとき。そこへ、昔の男が現れたわけですから、もめないわけはない。決闘ということになり、両者がにらみ合っていると、おかめは、若松弁護士を背後から刺し殺してしまいます。南湖の、このあとの口演は、二人は捕まり刑を受けた。にもかかわらず、二人の子どもは、普通に育った、これでおしまいになりました。いわゆるピカレスクものですが、こないな悪さをしたの連続なだけの話でしかなく、作品に対する失望が大きかったかな。「大石内蔵助」は、討ち入り後の挿話集となりました。戸田局が泉岳寺に訪ねてくる話、幕府お目付役の沙汰、寺坂吉右衛門への離脱命令、大石ら4人が老中屋敷へ呼び出された話、細川家に預けられた義士の様子、そして、上意が伝えられる前後の動き、切腹。南海さんの描く内蔵助は、泰然自若としていて、穏やかで、言葉に気持ちがこもっていて、ほれぼれとしながら聴いておりました。「赤穂義士」は、ホントにおもしろい話が詰まっているものです。「講談毎日亭」の次回は5月です。本日、その日程が発表され、早速、携帯の予定表に書き込みました。




2011年 2月 15日(火)午後 11時 22分

 今日のお昼ご飯は、お気に入りの寝屋川のお店に食べに行きたいなと思っていたのですが、近々、寝屋川内に用事ができたので、その日に回すこととし、今日は、ダイレクトに京阪「淀屋橋」駅へ、そちらから、ミニミニ・ウォーキングがてら、またちょっとした買い物がてら、梅田シティまで歩いてみました。回り道しないでも、30分程度のところですので、ウォーキングというものではないですね。今日の午後は、梅田ガーデンシネマで、フランス映画「君を想って海をゆく」を観ました。「クルド人」がどうのこうのというコピーに導かれて、行こうという気になったのでした。昼間の映画館は、年寄りだらけ。映画館から足が遠のく原因の一つです、特に、一般の映画館からは遠のきます。ま、それはいいとして、肝心の映画ですが、問題のクルド人青年ビラルは、イラクからロンドンにいる恋人に会いに行くために、フランスまでやってきた。イギリスに渡るため、一旦、トラックの荷台に潜り込み試みて失敗したため、今度は、ドーバー海峡を泳いで渡ることを考え、スイミングに通い出す。そこで出会ったのが、もう一人の主人公シモン、スイミングのコーチで、妻との離婚調停が整いつつある男。妻は、働きながら、ボランティアとして、不法滞在者向けの炊き出し支援をしているが、活動としては、そのレベルで留まっている女性。男は、そういった活動には積極的でないという描き方。だが、スイミングのインストラクターをしていて、件のクルド人青年と出会い、熱心さの背後を読み取ってしまうと、離婚しようとしている妻の忠告も関係なく、匿ってやったり、スイミングのコーチをしてやったりと、何かと世話をやく。その時期に、ロンドンにいる彼女ミナとの連絡がつき、彼女が、父親命令で結婚させられようと知ったクルド人青年は、冬の海を越えようとして、漁船に救助され、フランスに送還されてくる。それを支援したとして、シモンが、警察に拘束されたりするのだが、一途に恋人に会いたい一心でいるクルド人青年を見るにつけ、放ってはおけない。が、また、新たにロンドンから電話が入る。「ロンドンには来ないでくれ」「あきらめて結婚することになった」「このことを彼に伝えてくれ」、警察に目をつけられているため、クルド人と接触するのが危険ななか、男は伝えに行くが、それを聞いたクルド人青年ビラルは、二度目のチャレンジに向かってしまうというところで、クライマックスに向かっていきます。一番最後、男は、地区から出てはいけないという警察の警告にも拘わらず、ロンドンに赴き、ミナという名のクルド人女性に会いに行きます。きついところです。と同時に、せつなく、そして、これがないと終わらないやという場面です。ハッピーエンドじゃないのが、この映画に、深みや重み、それにリアリティを与えています。主人公のスイミングのコーチは、なぜに、クルド人青年に関わっていったのだろうという点が、一番気になりました。妻との関係があるのかもしれません。ガーデンシネマの作品紹介には、それらしきことが書かれています。だったら、二人の関係が壊れていったことについて、もう少し描いてくれないと、男を動かしたものは見えてきません。ならば、なぜなのか。「永遠と一日」という素敵なギリシア映画がありますが、あの映画では、明日、入院をしなければならない、そして、その入院をすると、確実に二度とは生きては出てはこれないという病気にかかっているから、その男にとっては、人生最後の日にも等しい日にもかかわらず、男は、町で偶然出会ったアルバニア人の少年を国境まで送ってやり、最後の一日を終えてしまうのだが、その男の心の中には、失望感どころか、満足感がわいてくるという、その感覚、それを、スイミングのコーチにも看たような気がしました。「気がかり」という、さしたる深みを持つ言葉ではないのかもしれないのですが、その「気がかり」を拭えなかったりするのっていうのが、俗な言葉で言うと、「愛」なんて言葉で表さねばならない言い方かもしれません。
 梅田シティから「福島」駅経由で西梅田へ、ミニミニ・ウォーキング。30分ちょいでした。そして、駅前第3ビルで買い物をしてから、「北新地」駅から「鶴橋」駅へ移動。夜の「講談毎日亭」までは時間があったので、ときたま行くことのある駅前のネットカフェで、1時間半近くの時間調整。「講談毎日亭」は、今日で6日目となり、明日は、いよいよ千秋楽。大団円を迎えるはずです。「明智光秀」は、構想が見えてきていましたが、それが一層クリアになりました。大団円は、本能寺の変になるのでしょう。そして、信長殺戮を画策したのは、中国遠征、即ち毛利攻めをしているはずの秀吉。毛利攻めをしているのは影武者だとして、秀吉が、信長、光秀、蘭丸の周りをうろつき、様々な入れ知恵をしていき、光秀を信長暗殺に向けていこうとします。そして、今日は、光秀と組み、天下を押さえることを提案し、信長攻めをさせ、中国遠征軍も、まもなく馳せ参じると言い、光秀をそそのかすのでした。「ハブ娘」で出てきていた若松なる人物の正体が判りました。神山との離婚話を進める弁護士でした。毒婦おかめは、離婚後、この弁護士と住み出したところで、何もかも知っている婆さんがじゃまになってくる。そして、これを殺してしまうという無茶もんぶりを発揮。そこへ、博多小僧の手下で、監獄から抜けてきた大川勘十郎がやって来る。ここで、本日唯一の小ダウン。気がつくと、「じゃまなのが若松」と、南湖が言ってたのです。男から男を渡り歩く毒婦の行く末は、どのような形で大団円を迎えるのかが、まだ明確ではありません。「大石内蔵助」は、幾つもの有名な部分を、ときにははしょりながら、ときには触れもしないで、討ち入りまで行っちゃいました。「天王寺屋五兵衛宅での阿呆ぶり」「りくへの三下り半」「山科出立、江戸入り」「南部坂雪の別れ」「討ち入り後、両国橋の応対」と盛りだくさん。「阿呆ぶり」は、昨日、随分と出てきたので、今日はカットして、替わりに入れて欲しかったのがあったな。江戸へ下るところで、偽名を使っているのがばれそうになるところ、あれはお気に入りの話なもんで、省かれたときには、仕方がないのは解っていながらも、残念な気がしました。「南部坂」は、特にお気に入りの話。旭堂では、大石が血判状を、旅日記と称して渡します。討ち入りが終わったあと、寺坂吉右衛門が、報告に来るところは、あまり重く扱わないのが、旭堂の習いからか、南海さんは、一切触れませんでした。討ち入りの子細は省かれ、突入から吉良の首を討つところへと跳ぶ台本構成でした。確かに、各義士の勇猛ぶりを描くのが、その抜けた部分であり、あまり大石が、ちゃんちゃんばらばらするわけではないので、賢明なやり方です。明日は、切腹に拘わる物語が読まれるのでしょう。




2011年 2月 14日(月)午後 11時 4分

 昨日は、日曜日に拘わらず、朝から振り替えなしの全日仕事。真っ暗になってから、自分で全部施錠しなくちゃなりませんでした。ちょっとだけ、セキュリティ会社の世話にもなってしまいましたが、人気のない街を歩く悲しさを、しみじみと味わいながらの帰途となりました。
 今日は、昼から雪。ちょうど、お昼ご飯を、外に食べに行こうかという時間帯から降り続けました。夕方、「講談毎日亭」に行くため、鶴橋に向かう頃合いから、また帰りの時間帯も、JRは遅れっぱなしでした。で、今夜も、寝不足からくるダウンを喫してしまわないか、こわものでの講談会だったのですが、睡眠時間3時間半のわりには、もった方じゃないでしょうか。「明智光秀」は、朝倉の家臣から、木下藤吉郎の推薦で、織田信長の家臣になっていました。ところが、才覚豊かな光秀に対する妬みが、そうさせるのでしょうが、藤吉郎の讒言に振り回される話が展開されました。信長には、光秀は謀反を企んでいると言い、また、森蘭丸にも、同様の物言いをするとともに、光秀の娘に関し、蘭丸の気持ちをそそるようなことを言いつつ、光秀に対する悪感情を増幅させていくなんてことをしていきます。そして、それで、二人がどのように動いたのか、今日の「結」の部分に当たるところで、力が尽きてしまいました。「ハブ娘」は、大宰府に身を移し、神山伝造という男と結婚しています。そして、出産をするのですが、どうも、その子どもが、伝造の子どもではない雰囲気。そこへ、博多小僧の手下田中文次がやってきて、金をせびりに来ますが、これは追い返します。で、こちらで記憶が途切れてしまいます。記憶が戻るのは、おかめと婆さん、それに、若松という男が一緒に住んでおり、鹿児島以来、ずっとおかめの動きを見てきた婆さんを消す話になっていました。今日の南湖の口演時間は22分、なのに、えらく変わってしまってるというところで、明日、確認し直さないといけません。「大石内蔵助」は、山科に居を構え、阿呆ぶりを晒す姿が描かれました。撞木町で、阿呆踊りをして、上杉配下の侍の目を欺く話、助太刀をするからと討ち入りの期日をしつこく訪ねる薩摩の侍の前で、酔いたんぼを演じる話が入れられました。ところが、この薩摩の侍は、大石を本当の阿呆だと思い、不躾な態度をとったことを恥じ、討ち入りを知ったあと、大石の墓の前で切腹をしてしまいます。そないな話が、本日の口演の最後に紹介されました。




2011年 2月 12日(土)午後 11時 0分

 今日も、昼前に家を出て、雀のおやどに向かいました。出かける前には、いろいろとしておかねばならないことがあるはずなのですが、いつも中途半端なお出かけ。今日も、京阪「京橋」駅から歩いて、雀のおやどに行くつもりだったのですが、環状線「森之宮」駅前まで、30分近く歩いたあと、お昼ご飯を食べている間に、雨足が強まったため、ミニウォーキングは断念。鉄道での移動となりました。ところが、今日の体調が絶不調。危ないぞの感覚なしに、落ち続け。一番まともに聴けた南湖の口演でも、2/3も聴けてないんじゃないかなぁ。南海さんの「大石内蔵助」は知っている話ですので、ごく一部を聴いただけでも、ストーリー展開は読めるのですが、「明智光秀」は、個人史的な作り方をしているものですから、さっぱり分からないのです。とにかく、明智光秀が朝倉の家臣になったということから新しい部分だということは、昨日に判っていますから、復習の部分が終わるか終わらないかでダウンを喫したみたいです。「ハブ娘」は、警察の事情聴取から、おかめが、手伝いの婆さんとともに、良からぬ企みをしていたことが判ってしまいますので、横山弁護士から、何がしかの金をもらい暇を出されてしまいます。そして、今度は博多に行き、佐賀のお大尽、神山伝造に接近しようとしているという導入部で、事切れてしまいました。「大石内蔵助」は、刃傷に続いて、お家断絶、赤穂城明け渡しと続く中で、大石を始めとした家臣たちの身のふり方を段階的に進めていき、信頼のおける家臣を絞っていき、ついには血判状をかわし、仇討ちの約束をかわす話が中心だったはずです。これは、ほんの断片的な言葉からの類推ですが、まあ間違ってないと思います。
 雀のおやどを出ると、雨が止んでいたので、昨日同様歩いて、日本橋まで移動。20分ちょっとの距離です。そして、これも、昨日同様、駅上のネットカフェで、1時間半弱の時間調整。それから、電気店街で買い物をしながら、「in→dependent theatre 2nd」へ移動。夜は、「The Stone Age ヘンドリックス」という劇団の「富士山ゾンビ」という芝居を観ました。劇団探しの中で引っかかってきた劇団で、初めて観に行きました。気になっている劇団の役者さんが客演で出ていたので、黄紺のマークが付いていたのでした。結婚の挨拶に、彼女の実家を訪ねて行ったら、その村全体が、ゾンビの村だったという、学芸会みたいな設定。笑いを露骨に求めるようなノリに、眉をひそめながら観ていたのですが、ゾンビというものを、他のいろんなものに置き換えられるなと思い観ていると、台詞の一つ一つが重たく感じられていきました。異種婚姻譚で、結婚に至る道筋は愛という見え透いた結論に至る部分よりも、ゾンビの村を守るために、一人の女の勇気ある行動、その子を一人にはさせないぞという家族の行動が、一番客席の涙を誘っていました。どういう経緯で、今に至っているのかを、知る由もないのですが、客演の役者さんはさておき、劇団員さんは、さして若くはありません。ちょっとこましな家族の物語が書けたというのが売りの芝居かな。




2011年 2月 12日(土)午前 8時 13分

 昨日は、雪が降りました。夜半には雨音だったのですが、起きてみると、うっすらと積もっていました。午前3時半頃に目が覚め、明け方に二度寝をしたために、お出かけまでは、あまり時間がなく、午前中は慌ただしい時間となりました。京都の三条で買い物をしてから、大阪への大移動。京阪「京橋」駅から雀のおやどへは、歩いて移動。所要47分でした。今日も、「講談毎日亭」です。祝日ということで、今日は15人くらい入っていました。「明智光秀」は、昨日の主役小西万兵衛が、明智光秀だったということが明かされ、また、なぜ偽名を使っているかということから、光秀の運命、出自が読まれました。そこで、光秀は、津牧出羽守に、仕官が叶うまで、娘との結婚を待ってもらう了解を得て、旅に出ます。そして、5年後、朝倉に仕官が叶った光秀は、津牧の娘を嫁に迎えるのでした。ただ、5年の間に、娘は病気に罹り、かなり後遺症が残ったため、光秀との結婚を諦め、替わりに妹が姉と偽り、光秀の気持ちに応えようという挿話が入りますが、あくまで、それは挿話。「ハブ娘」は、なぜ、そのような異名が、おかめにあるのかが提示されました。おかめは、かなり腹黒い女です。見受けをされたり、沖縄から出る手段として、横山弁護士を利用したのです。従って、博多小僧が、おかめの居所を見いだし、訪ねてくると、これを引っ張りこむ始末です。ある日、横山が出張の旅に出ていることをいいことに、博多小僧を引っ張りこんでいると、突然、横山が戻ってきます。慌てて押し入れに隠れた博多小僧だったのですが、誤ってそこにあった痺れ薬入りの酒を呑んでしまい仮死状態に。死んだと思ったおかめは、同居の婆やに頼み、博多小僧を柳行李に詰め込み、婆やに命じ海に捨てようとするのですが、休憩をしている間に、博多小僧の手下大川勘十郎に盗まれてしまうのですが、その大川自身が、不信人物としてポリスに掴まり、なかから死体が、しかも親分の死体が出てきて驚くのですが、検死の結果、死んでないことが判ります。一方、横山弁護士は、おかめの家を訪ね、柳行李の存在を尋ねます。答えに窮したおかめと婆や、、、さて、どうなるのでしょう、それは、今日のお楽しみです。「大石内蔵助」は、浅野家家老の大石家の跡取り探しの続編です。池田伊予守の次男久馬を断られたのが、前日の内容。落胆の大石頼母、江戸からの帰途、有馬温泉に投宿します。たまたま隣り合わせた池田家の家老と碁を打ったことから親しくなり、お互い素性を明かす中で、久馬を譲り受けることを、ここでも嘆願。ついに許しを得ます。ここに大石内蔵助の誕生です。ここで終わるかと思いきや、南海さん、1週間の流れを考えてでしょうね、妻となるりくとの遭遇が読まれました。酔いたんぼにからまれる内蔵助、その応対の潔さに助太刀を申し出る石塚源兵衛、その娘がりくでした。それぞれ、佳境へと入ってきています。今日は行けるのですが、明日は、丸々1日仕事、帰りが、夜半遅くなる仕事があるため、「講談毎日亭」に行けないのです。悲しすぎる現実です。
 「講談毎日亭」がはねると、歩いて日本橋まで移動。30分だけ、ネットカフェで時間調整したあと、精華劇場へ。「劇団青い鳥」の公演「スモールワールド“ちょっとうれしい”」があったからです。「劇団青い鳥」は、4.5年ぶりです。伊丹で観て以来ですが、それまでに大阪での公演があったみたいですが、見つけられなかったみたいで、今回は、久しぶりの感じです。もう活動は30年以上のキャリアを持っている劇団ですが、今や、続けてくれているだけで、元気がもらえそうです。今回の公演は、コント集っていう感じです。統一したテーマがあるのかと考えてみたのですが、結論は、ないですね。芝居のオーディションに集まった人たち、4人の姉妹の芝居、正しい日本語を検討して、唱歌の矛盾を追及する人たち、家族団欒を壊すもの、まとめるものを見せてくれる人たちなどを描き続けていきます。共通したテーマらしきものがないなと判ったあたりで、ちょっと気乗りがしなくなります。「青い鳥」の一つの顔でもあるなと思いながら、一方で、こういった活動を見せてくれるのも、らしいなと思うと、楽しく観ることができました。
 精華劇場を出てから、息子に電話してみる。時間は空いているということなので、呑むことに。堺筋本町の交差点で待ち合わせをして、近くの焼き肉屋で呑みました。息子は、相変わらず自転車ボーイです。幾つになっても、昔からの習性は変わりません。TVでも報道がありましたように、法円坂で不発弾発見ということで、今日の午前中は立ち退きとか。そのため、淡路の友人宅に泊めてもらうと言い、また、自転車で淡路に向かっていきました。大丈夫かいな、、、。




2011年 2月 10日(木)午後 11時 9分

 今日は、寒いなか立ちっぱなしのお仕事がメーン。同じ立ちっぱなしでも、風の通る位置での立ちっぱなしは、半端ではありません。まだ、明日でなくて良かったは慰めになりますが、昨日の方が良かったという愚痴も出てきます。夜は、今日から「講談毎日亭」が始まりましたので、雀のおやどです。今回の番組は、次の通りです。南青「明智光秀」、南湖「探偵講談琉球ハブ娘」、南海「大石内蔵助」。まず、「明智光秀」は、今日は、小西万兵衛という男が主人公。ただ、この男が、どのような男かは、今日の時点では明らかにされていません。その小西が、津牧出羽守の娘ひろの病気平癒に手助けしたことから、二人の結婚話へと発展していったところで、小西が何者なのか、また、この結婚話が、このあとの展開に、どのような影響があるのかは、明日のお楽しみになりました。「ハブ娘」は、横山弁護士が、裁判のために訪れた沖縄で、元遊女だったおかめという女と出会います。南湖は、このおかめが、「ハブ娘」だと明かしましたが、なぜそうなのかは触れませんでした。横山は、おかめを妾として、鹿児島に連れ帰ります。ある日、二人が桜島に行く船に乗っているとき、見覚えのある博多小僧の乗る船とすれ違います。小西は、判事時代に、博多小僧を懲役刑に処し、おかめは、遊女時代に、客としてとったという二人に縁のある盗人でした。その博多小僧は、脱獄をしていたのでした。どうやら、この三人が絡みながらの進行していくみたいです。今日は、南海さんのところで、ほぼ完落ちでした。話のさわりだけの記憶をたどると、かつて南湖の口演で、2.3度聴いたことのある内蔵助を養子に迎える話の前史についての口演だと思います。明日には、内蔵助本人が出てくると、南海さんは言ってましたので、その養子話がまとまるのでしょう。




2011年 2月 9日(水)午後 11時 27分

 ゆるゆるの一日、こういうときもあるんだと、1週間も先でいい仕事をしたり、体力増強も仕事の内と、昼食後は、約45分間のミニウォーキングをしたりしていた一日、夜は、繁昌亭です。今夜の繁昌亭は、「月亭遊方・春風亭百栄のまたたび〜と」。東京の新作派、ゆるキャラの百栄を迎えての遊方との二人会です。番組は、次のようなものでした。遊方・百栄「じゃれあいっこ(挨拶)」、遊方「絶叫ドライブ 彼女を乗せて」、百栄「その後の桃太郎(仮題)」、(中入り)、百栄「新しいかんざし(仮題)」、遊方「戦え戦え!サンダーマン」。冒頭20分に渡るトーク。32歳になってからの百栄の入門話のあとは、遊方が喋り過ぎ。東京からやって来た百栄の紹介話にして欲しかったな。遊方は、ネタ出ししてなかった出番でも、定番ネタ「絶叫ドライブ」でした。免許取り立ての男が、横に彼女を乗せて、危ない運転を繰り広げる噺です。百栄の一つ目は、プログラムには「天使と悪魔」になっていたのですが、「いろいろと都合がありまして」で、ネタが変わりました。桃太郎が鬼ヶ島から帰ったあと、キビ団子一つで、よくもこれだけ働かせてくれたと、犬、猿、雉が居座って、桃太郎一家や村の人たちを困らせるという、呆気にとられる作品。二つ目は、擬古典的作品。一瞬、「厩火事」が始まったのではの錯覚が入る作品。何かと言うと、手を上げる亭主の小言を言う女も、その後には、亭主が詫びがてらに、いろいろとものを買ってくれるので、実は、さほど怒っているわけではない様子。その話を聴かされた近所の女も、買ってもらえることを羨ましく思うのだが、亭主は、いたって温厚。そこで、困った女は、、という噺で、長屋の中の世間話が膨らんだような作品でした。「サンダーマン」は、遊方の代表作。遊園地のキャラクターショーに、警察に追われた強盗犯が逃げ込んで、ショーを見に来ていた子どもを人質にとったところから、キャラクターショーに出ているサンダーマンや怪獣らが協力して、犯人を捕らえとするのだが、、、その中のアホらしい混乱を描いた作品。客席には、リクルートスーツを着た若い人たちが、多数座っているという、不思議な光景に出会いました。演者さんもやりにくかったみたいですね。また、百栄に関しては、これで3度目の遭遇になりますが、確かに抜けた発想ができる人だとは思うのですが、煌めきのようなものを感じません。カリスマ性という意味での煌めきです。ですから、何をさておいても聴きに行かねばと思えないのです。現に、次回、東京に行くときに、百栄の独演会のある日にちに合ってはいたのですが、結局、最終的にはカットしてしまいました。




2011年 2月 8日(火)午後 10時 46分

 昨夜の冷え込みで、再び寒くなるのかと思っていたのですが、嬉しい誤算。昨日の昼間と変わらぬ気温上昇。そんななか、11時半をメドにお出かけ。まず、京阪「京橋」駅から、途中、食事もとって、JR「玉造」駅までのミニウォーキング。正味40分弱の行程です。そして、本日の昼間のメニュー、「動楽亭」昼席を覗いてみました。都合がつけば、月に2回のペースで行こうと考えている米朝一門の定席ですが、1月は、ヨーロッパへ行っていたために行けず、今年初めてのおじゃまとなりました。来月も、都合で行けないだろうと思っていますので、誰が出るから、行くとか、行かないというレベルの判断ができないのが、悲しい現実です。今日の番組は、次のようなものでした。あおば「子ほめ」、そうば「動物園」、まん我「胴斬り」、ざこば「お玉牛」、吉弥「青菜」、(中入り)、塩鯛「読書の時間」、あさ吉「鹿政談」。あおばは、開演前の口演。あおばが出る前に、塩鯛が出てきて、予めことわりが入りました。まだまだ、落語らしくなるのには、時間がかかりそうです。だから、こういった機会が必要なのでしょう。本ちゃんで始まると、なんか山のない展開に。ざこばが、この位置で、「お玉牛」を出したんだから、中トリやトリは、それ以上のネタを出して欲しいものです。吉弥の「青菜」には、呆気にとられました。季節外れというおまけ付きです。吉弥は、出し惜しみの傾向があるなと思いましたが、もう確信に変わりました。あさ吉は、三番手の位置で出ても、「鹿政談」だし、トリで出ても、「鹿政談」では困ったもの。ま、「鹿政談」自体は、釈ネタの立派なトリネタだとは思うのですが。心がけの問題です。あさ吉が演じてしまうと、お奉行さんが弱い、位に欠けてしまいます。それに、下げを間違った鳴り物が、「斬らずにおくぞ」で、チョーンと入れてしまいました。これは、あかんね。ざこばは、下げを変えてしまいました。牛が動き出したとき、隠れていたお玉の父親が現れ、忍んできた男をとっちめるという展開になりました。予め、そのため、ざこばは伏線をはり、父親に、「物陰に隠れているから」と言わせていました。塩鯛に覇気がなかったのも気になりました。教室での教師の物言いに、僅かながらタイミングが、後ろにずれるような感じなものですから、笑いの波が小さくなってしまってました。こないな塩鯛を観るのは、初めてじゃないかな。そんなで、かなり不完全燃焼の会となってしまいました。
 動楽亭を出ると、日本橋の交差点まで、徒歩で移動。所要23分というところで、補充ウォーキングっていうところです。そして、おなじみのネットカフェで、ほぼ1時間の時間調整。夜は、更に、地下鉄と京阪を使い、天満橋へ移動、常盤漢方薬局ビルで「第3回かつらふくまる研鑽会」があったのです。今日は、「天満講談席」があったのですが、講談会が立て込んでいるので、今日は落語会の方を選びました。番組は、次のようなものでした。福丸「狸賽」、生寿「池田の猪買い」、(中入り)、福丸「実験コーナー」、染太「ふぐ鍋」、福丸「八五郎坊主」。この間の際立ったニュースは、相撲の八百長問題。ですから、福丸も生寿も、マクラで、そのネタにコメント。福丸は、八百長つながりで、「狸賽」へ。ですから、正真正銘のマクラとしての相撲話。生寿の場合は、一つの意見表明としての相撲話。どうやら、繁昌亭の楽屋で、たまと生寿が意見の一致をみたようで、昨日、上新庄で、たまから聴いた相撲ネタと、今日、生寿から聴いた話は、内容が同じものでした。「狸賽」ですが、もっちゃり言葉にしようとするのだが、なかなかそうはならないという、初期の福丸状態に戻った口演となってしまってました。それに対し、「八五郎坊主」は、今まで聴いた福丸落語では、抜きん出たトップの出来栄え。正直、ネタに入って、「八五郎坊主」と判ったときは、えらいネタに手を着けたと、引いてしまったのですが、すぐに、それは杞憂だと判りました。八五郎のぞんざいな物言い、でも、天真爛漫で憎めない男を、見事に出していました。一つには、八五郎の対極にいる二人の人物、即ち、甚兵衛とお住持の落ち着きと、八五郎を見るまなざしが描けているからでしょうね。年季が明け、大きめのネタに取り組み出したとき、壁らしきものを、ひょいと超えてしまう若手の噺家さんが、時々いますが、福丸も、その一人に数えていいかなというところです。いや、福丸の場合は、前座ネタでは物足りなさがあったのが、ウソのような出来栄えでした。前座ネタからの脱却を簡単にしてしまった代表格が生寿でしょう。「池田の猪買い」も、精緻を極めます。そして、聴いていて、生喬テイストが、そんなにも顔を出さなくなってきているのに、二重のびっくり。あとは、大胆さが加われば、鬼に金棒っていうところです。六太夫が、鉄砲を喜六に向けるときは、照れを捨て去ることが要るのでしょうね。「実験コーナー」は、「実験」という看板は外し、三味線の長嶺さんのコーナーにすればいいんじゃないかな。今日は、端唄「四季の歌」を披露してくれました。また、染太は、シークレット・ゲストと紹介されての登場。どこがシークレットやねんと、突っ込まざるをえませんでした。ネタの「ふぐ鍋」は、3週間ほど前に、染太で、同じ場所で聴いたところのものでした。とにかく、今日は、「八五郎坊主」に尽きます。




2011年 2月 8日(火)午前 4時 51分

 2日間続けて、ビールのロング缶1本で、あえなくダウン。こちらへの原稿を用意しながらアップしないままでした。まとめて書いておきます。

2月6日(日)

 今朝は、東京の宿探しに一苦労。今まで定宿にしていたところが、リニューアルするため、半月ほど休んでしまうときに、東京に行こうと思っているために、探さねばならなくなったのです。随分と、時間をとられてしまいました。そして、「ルチア」の残りを観て、新たに「エウゲニー・オネーギン」のおさらいに取りかかっています。昼間は、再び徳徳亭へ。今日が最後でした。南湖受賞記念の会最終日の番組は、以下の通りです。南舟「乃木将軍の墓参」、南湖「寛政力士伝〜越ノ海勇蔵〜」「赤穂義士銘々伝〜大高源吾〜」、(中入り)、南湖「柳田格之進」。昨日も、定番のネタが並びました。最後に、芸術祭受賞となった「柳田格之進」を持ってきて閉めるという形を採りました。まあ、「受賞記念」ですから、当然のことです。黄紺は、芸術祭参加公演以来2度目の遭遇となりました。南湖の「柳田格之進」の特徴は、娘が身売りをしないことが、最大の点か。これは、南海さんと相談しながら、案を練ったと、南湖は言ってました。となると、50両という金の工面はとなるわけですが、それは、刀や家財道具を処分してとなるわけです。そのため、序盤で、二人が碁を打ってるときに、柳田の刀が、かなりのものであるという話を挿入する用意周到さです。もう一つ、大きな違いがあります。井筒屋と再会したときの柳田の地位です。南湖の口演では、浪々の身を続けています。そして、和解したあと、井筒屋の仲介で、復帰が叶うとともに、井筒屋が機転を利かせて、柳田が50両の調達をするならば、刀を売るしかないと考え、四方手を尽くし、刀をあらかじめ買い戻していたとしました。だけど、それならば、その時点で、柳田が金を盗んでないことが判ったことと同じだと思うのですが。前に聴いたときも思ったことですが、ちょっと辻褄を合わせ過ぎというところです。刀の件、仕官の件はやりすぎ、、、でも、どうすればいいのかがわかりません。この辺が、難しいところです。
 徳徳亭を出ると、その足で、50分余のミニウォーキング。恵美須町駅までを、少し大回りで往復すると、それだけの時間がかかりました。そして、再び千日前に戻ってきて、おなじみのネットカフェで時間調整。今夜は、精華劇場であった、「突撃金魚」という劇団の公演「巨大シアワセ獣のホネ」に行ってまいりました。ところが、さっぱり解らないのです。毎回、サリngROCKの書く脚本は、難解を極めますが、今回は、完全にお手上げ状態。ただ、芝居の中には、様々な二項対立が散りばめられています。川の中洲と岸、川岸とそれを見下ろす高層マンション、都会の明るさと川の暗闇、健常者と障害者、引きこもりと外の世界をさまよう人という具合である。そして、その境界を乗り越えようとした人たちが、登場人物と言ってよいかな。そして、その人たちが、どうなったと言っていいのかがが、判然としないのです。分からないのと、セーブした台詞回しの関係で、台詞を捉えきれてなかったりして、知らない内にうとうときてたのかもしれません。そして、正気になる。このときに、全く解らなくなってしまうと、最後です。昨日は、そこまでひどくなかったのですが。井上光晴の「地の群れ」的な話なのかなぁと思ってみたりしたのですが、しかとしたことが判りかねるのです。

2月7日(月)

 昨日ほどではないにせよ、比較的気温の高かった昼間に比べ、夕方からは、どんどんと気温が下がっていきました。再び防寒具セットのお世話になっています。今日は、ちょっと仕事は一段落をした一日、少しはのんびりと過ごすことができましたが、夜は、久しぶりに「上新庄えきまえ寄席」におじゃましました。今日は、落語会枯れの日かなと思っていたところ、数日前に、こちらの会があることを知りました。三幸の担当の月ですから、こちらの会は、1年ぶりじゃないかな。前に、三幸狙いで行った記憶がありますから。今回の魅力は、たまとの二人会という形を取るところ。この企画に飛びついてしまいました。その会の番組は、次のようなものとなりました。福丸「転失気」、三幸「くもんもん式学習塾」、たま「池田の猪買い」、(中入り)、三金「尻餅」、たま「カケ酒」、三幸「ロボG」。福丸は、子どものマクラをふったので、「桃太郎」かと思いきや、「転失気」。なんか、直前に変えたっていう感じ。「くもんもん式」を三枝以外で、初めて聴きました。東京の方ではいるかもしれませんが、大阪の噺家さんで、この三枝作品をする人はいただろうか。ヤクザが学習塾を経営する噺です。公文式と、くりからもんもんをかけてあります。たまの「池田の猪買い」は、初めてではなかったのですが、今日の印象は強烈なものがありました。道筋教えてもらうところで、短めのカットが入ったり、池田に着いて、牛を引いて出てくるのが、六太夫さんだったりと、短い刈り取りが、随所に出てきますが、膨らますところ、言い換えると、たまがおいしいところと目を付けたところは、どんどん膨らませていきます。一つは、道を尋ねるところ、もう一つは、実際に猪を撃つところです。同じようなペースで、しつこくくすぐりを入れ続けるという特徴を持つネタに、新たな息吹きを与えてくれたように思います。特に聴き慣れた人たちには、支持を受ける改変だと看ました。中入り明けに、名ビラがひっくり返されてしまったので、あれっと思ったところで、三金が登場。本日のシークレット・ゲストとのことです。しかも、ネタが「尻餅」とは、びっくり。だって、もう2月に入ってるのですもの。後の三幸も、そうだったのですが、毎月、こちらの会は開かれていますから、ネタがかぶったり、ついたりするのを防ごうとして、こないになったのかもしれません。でも、三金でしたら、自作ネタで対応できたでしょうに。わりかしオーソドックスな進行。今冬初の「尻餅」遭遇となりました。たまの新作は、たまよね作品。酔っ払いが、カウンター腰に、スナックのママに、ダジャレを連発していき、後半では、ママの男が現れ、その男と諍いを起こしながら、ダジャレを連発する男を描きます。たまが、この作品を発表したときに、「一人酒盛」のような噺を作りかったので、作ったと言っていたネタです。ダジャレを言うたびに、ママに対し言う「好き」という言葉が効くようになり、グレードアップしました。トリの三幸は、思いがけず三枝作品の2連発でした。そのわけが、上記のようなものだったという説明が、はねたあと述べていました。「ロボG」は、あまり膨らみや変化の少ない作品です。何かが起こる前に、噺が終わってしまうという感じです。「起承転結」の「転」に出逢わない作品ですので、トリネタとしては、ちょっと寂しい感じがしました。今日は、たまがゲストと発表されていたからでしょうか、昨年のこの会に比べると、客の入りは、かなり上がったなの印象でした。




2011年 2月 6日(日)午前 5時 12分

 昨日は、朝から、ドニゼッティのオペラ「ランメルムーアのルチア」を、DVDで観る。これは、3月に、再び、ヨーロッパ・オペラ旅行を計画しているので、その予行演習のためのおさらいをしているのだ。そして、12時20分をメドにお出かけ。行き先は徳徳亭。一昨日、お休みをせざるをえなかった南湖の会に行ったのです。昨日の番組は、次のようなものでした。南斗「那須与一」、南湖「纏の出世」「赤穂義士銘々伝〜大高源吾〜」、(中入り)、南湖「寛政力士伝〜谷風の情け相撲〜」。一昨日までで、ゲストの登場はおしまい。昨日から、普段の「南湖だんご」同様に、南湖の全く一人会です。ただ、空板と言われる前講が、開演前に入ります。これは、後輩に対し、客の前で喋る機会を与えようという南湖の配慮です。昨日の南湖のネタは、定番揃い。1日行かなかったら、「藪井玄意」は終わっていました。「纏いの出世」は、南湖の芸能祭参加の際、「柳田格之進」とともに口演されながら、受賞対象にならなかったもの。口演ということでは、こちらの方が良かったかもと思ってしまうのですが、審査員は、どうやら「柳田格之進」の改作部分が気に入ったみたいです。「大高源吾」は、義兄と別れの部分、南湖の口演の中では、特上のものと思っているもの。仇討ちを悟られまいと、必死につれない態度を、大高がとればとるほど、その裏の心情が、義兄には解るのでしょうね。心と心が通いあう珠玉の作品です。「谷風」は、八百長相撲に引っ掛けて、取り上げたよう。親孝行な相撲とりを助けるために、谷風が、八百長相撲をとるという物語です。
 講談会がはねると、すぐ近くのおなじみのネットカフェへ。1時間余りの時間調整。「ルチア」の続きを観たりなどしてました。そして、昨日は、千日前から繁昌亭まで歩いてみました。途中、文楽劇場で、東京の国立演芸場のチケットを引き取り、晩ご飯を軽く食べと、2度の寄り道を差し引くと、正味50分のミニウォーキングとなりました。というわけで、夜は繁昌亭。「笑福亭福笑一門会Vol.5〜たった二人の一門会〜」がありましたので、外すわけにはいきません。さすがに、この会は入ります。4席で、2時間半、福笑に言わせるまでもなく、安い買い物。その番組は、次のようになりました。たま「山寺瓢吉」、福笑「幽霊狂詩曲」、(中入り)、たま「初天神」、福笑「口入屋」。新作と古典を、師弟が一つずつ出して、笑わせっぱなしというのは、ホントにすごい一門会です。「山寺瓢吉」は、自分的には初遭遇のはず。福笑作品だというのを、昨日初めて知りました。脱獄犯が、人家に押し入り、母子を人質にして立てこもったところへ、窓際刑事山寺瓢吉が現れ、はちゃめちゃなやりとりをするというものなのだが、この作品のおもしろいのは、人質と警官隊、犯人の、それぞれの立場が、次から次へと変わっていくところ。人質が、犯人に、刑事を撃てと言ったり、刑事と人質が口論になり、刑事が犯人に、「おい、そいつ撃ってくれ」と頼んだりするという具合なところです。たまは、師匠の前でする初めての口演だったそうです。「幽霊」は、毎年夏に、福笑らが、繁昌亭でやってる納涼寄席用に作った作品。だいたいトルコに行っている間に開かれるので、ほぼ行けない会ですが、この作品は、昨年の会で発表したものだそうです。お化け屋敷の近くに、幽霊が出るので、客が集まらないというので調べてみると、確かに幽霊は出て、それは、自分を弄んだ男に対する恨みが残っているので、幽霊となって出てきていると言う。その弄んだ男を知っているというので、気の毒に思った男たちが、幽霊を男に引き合わせるところで、ドタバタが起こるというもの。昨日一番弾けまくったのが、「初天神」。常の「初天神」の枠を崩さずに、膨らますところは膨らまし、カットする場合は、気が付かない程度にですので、たまにしては、珍しいいじり方。膨らますところは、向かいのおっさんに喋るところが、その代表格。おいしいところは膨らまし、冗長に感じられるところは、わからない程度にカットするという手法。そういったスタンスは、このネタをかけだした当初から、そうだったと思いますが、少なくともマイナーチェンジが続いています。「口入屋」は、福笑で聴く、久しぶりの本格的な古典落語。冒頭の口入屋の場面はカットされ、丁稚が、口入屋から戻ってくるところからスタート。その後は、特に奇をてらうことなく、オーソドックスに推移。特に目についたのは、あたらしいおなごしが、得意技を連発するところで、福笑は、テンポを上げるのではなく、逆に落としました。これは、初遭遇の演出。確かに、速く言うことがポイントではなく、あまりにも多くの技を持っているおなごしに、その数の多さが笑いを誘うものとの見極めができているからでしょうね。繁昌亭が終わると、最近は、「天満橋」駅まで歩くのが習慣化しつつあります。暖かいので、これも、なかなか心地好いものでした。




2011年 2月 5日(土)午前 5時 48分

 なんか春の陽気を思わせるぽかぽかした一日。昨日は、繁昌亭三昧の一日を過ごしました。従って、昨日は、徳徳亭での南湖の会は、お休みです。まず、繁昌亭の昼席。若干変則的なのですが、塩鯛襲名披露ウィークに入っています。逃すわけにはいかない公演です。その番組は、次のようなものでした。そうば「動物園」、ちょうば「ぜんざい公社」、米左「豊竹屋」、牧伸二「漫談」、米二「牛ほめ」、三枝「ピッカピカの1年生」、(中入り)、塩鯛・三枝・文福・雀三郎・米二「襲名披露口上」、雀三郎「親子酒」、文福「小咄&相撲甚句」、塩鯛「鯛」。昨日は、小学生がたくさん入ったり、ロビーで酒を呑んでるのがいたりで、あまり感じのよくない昼席でした。実際、20人以上の小学生が、前の方の一角を占められると、噺家さんはやりにくいでしょうね。ネタ選びには、当然影響は出るでしょうが、こんなのをものともしなかったのが、牧伸二。小学生には聴かせたくない下ネタが飛び出していました。77歳って言ってました。もの忘れの話など、等身大のネタが続きました。あとは、見事に定番ネタが続きました。「ピッカピカの1年生」は、創作者の三枝自身で聴くのは初めてでした。酒の噺は、雀三郎と塩鯛どっちがするのかと思っていたら、先に出番のあった雀三郎の方が取ってしまいました。他の日でも、塩鯛は「鯛」を出していますから、名前に合わせて出しているのでしょう。三枝が、ひょっとしたら祝言替わりに出すかもとは考えてはいましたが、黄紺の予想は外れました。
 繁昌亭昼席が終わると、天満界隈を、30分間ミニミニ・ウォーキング。そして、南森町のネットカフェへ。夜も繁昌亭でしたので、こちらで、小1時間の時間調整。繁昌亭の夜席は、「第79回創作落語の会」でした。大変な強力メンバーが集まった会となりました。その番組は、以下の通りです。笑丸「カルチャースクール」、三風「たまり場」、あやめ「妙齢女子の微妙なところ」、福笑「霊媒詐欺」、(中入り)、仁智「兄貴の頭」、三枝「親父の演歌」。各自ネタ下ろしばかりという会でしたが、後ろの4人の出来栄えは、正にスーパーなもので、とってもグレードの高い会でした。笑丸は、紙切りとウクレレ演奏を入れたいがためだけの新作。終わったばかりなのに、三風の噺が思い出せません。それだけ、後の4人が目立っていたからかもしれません。あやめは、等身大の女性を描きます。40代半ばのできること、できないことを、ファッションのいろんな視点から出してくれます。ポカンとして聴いていて、分からない言葉がポンポンと出てくるのですが、言わんとすることが解り、おかしいというあやめ落語の独自性が、昨日のネタでも、いかんなく発揮されました。終盤は、ギャル言葉に戸惑う妙齢女子が描かれました。福笑は、題名通りのもの。山伏姿になり、値打ちのないひび割れしたツボを売りに行く霊感商法のドタバタが描かれていきました。仁智は、ハゲネタ。ハゲの人に対する禁句を、次から次へと出すおかしさが最高。言葉に対する感覚のするどさ、これでもかというたたみかけるしつこさは、さすが仁智です。三枝は、またしても歌ネタ。子どもたちが唖然とするなか、爺さんが歌手デビューする噺。そして、その爺さんが亡くなると、買い取ったCDが山積みされていたという落ち。噺が終わると、その爺さんになりきった三枝が、特別出演の文福の司会で、一曲披露してくれました。「アンコール」の声に、ぼそっと悲しげに、三枝が一言、「アンコール、あらへんねん」というのに対し、また、会場、笑いに包まれて、緞帳が下がりました。




2011年 2月 4日(金)午前 0時 7分

 暖かくなってきました。職場で、昨日までのように、室内でストーブをつけていると、すっかりのぼせてしまいます。防寒具は、朝方に使ったままで、あとはカバンにまとめて入ったままでした。夜は、昨日同様、徳徳亭です。南湖の芸術祭新人賞受賞記念の会です。今日の番組は、次のようなものでした。南舟「木津の勘助」、坂本頼光・米紫・南湖「対談」、南湖「鼓ヶ滝」、米紫「まめだ」、南湖「藪井玄意B」、(中入り)、坂本頼光(活動弁士)「ジャックと豆の木」「中山安兵衛」、南湖「赤穂義士伝〜矢頭右衛門七〜」。今日のゲストは、米紫と、無声映画の活動弁士の坂本頼光。米紫も、芸術祭新人賞受賞ということで喚ばれたのですが、その手の話は、今日はお休み。話題の焦点は、自ずと、今どきの活動弁士に。ありえないことを生業にしていることに対する関心と、かつて映画監督を志したことのある米紫の関心も、そちらに注がれるものですから、「対談」は映画関係にばかり終始しました。実際、プロジェクターを使った無声映画の上映2本が行われたあと、急遽上映しようということになった坂本自作のアニメ「サザザさん」は、再生機とソフトが合わず流れてしまいました。米紫のネタは、秋のネタ「まめだ」。口演していることは知っていましたので、聴いてみたいなぁ、米紫には合いにくいネタだと思うので聴いてみたいなぁと思っていたものでした。ですから、ちょっとほくそ笑んだのですが、繰り返しの続くという肝心のところでダウン。ついてないことです。「鼓ヶ滝」は、最近では、噺家さんも演じるようになった西行が主人公となるネタ。「赤穂義士」の方も、「矢頭右衛門七」と、南湖は、今日は抜き読みとしての定番ネタが続きました。「矢頭右衛門七」に入る前に、浅野内匠頭の切腹の場面と、大石の仇討ちの面子を絞る話が入り、その中で出てくる矢頭右衛門七を取り上げていくという流れるような展開でした。「藪井玄意」の方は、大阪に疫癘が流行り、ついには豪商天王寺屋も感染。そこで、藪井玄意のお出ましとなるわけですが、詳細は書けないのです。ここでもダウンを喫したからです。この間、ずっと寝れて睡眠時間5時間では、持たないのです。




2011年 2月 3日(木)午前 6時 1分

 やっつけ仕事に、ようやくメドが立ち、ほっとしたのも束の間、追い立てられるように、新しい仕事にいそいそ。夜は、昨夜も徳徳亭。「文化庁芸術祭受賞記念!『南湖十八番』」の2日目です。昨日の番組は、次のようなものでした。南斗「太閤の初陣」、かい枝・吉弥・南湖「対談」、南湖「子ほめ」、吉弥「風邪うどん」、(中入り)、南湖「藪井玄意A」、かい枝「丑三つタクシー」、南湖「赤穂義士銘々伝〜武林唯七A〜、刀傷松の廊下」。昨日は、豪華ゲスト。もちろん二人とも、芸術祭新人賞受賞者。でも、この二人を、同時にゲストとして喚ぶというのは、おかしい。贅沢すぎるのである。原因は、南湖の調整ミス。そのため、ゲストのない日が出てきてしまう。それを聴いたかい枝、「日曜日、空いてんのに」、どうやら、南湖の聴き方が悪かったみたいです。「南湖だんご」という、南湖が続けている自身の会の第1回のゲストがかい枝で、第3回が吉弥、ちなみに第2回が歌之助だとか。そういった関係だからこそ、今や人気の噺家さんを喚ぶことができるのでしょう。その他、お互いの関係が紹介されたのが、「対談」でした。ネタは、おなじみのものばかりが揃いました。吉弥は、自身の独演会などで、いろいろなところでかけているそのままの姿で、吉朝伝来の「風邪うどん」を、もの売りの声から入ってくれました。かい枝は自作のホラー作品を、わざと最後までやらずに、講談風に、いいところで切り上げるという手を使いました。こういった臨機応変さが、すごいなと思わせられます。南湖のネタでは、「子ほめ」は、南湖が落語を演じたのではなく、定番の息子自慢です。「藪井玄意」は、大阪に移った藪井玄意は、三十石の中で助けた人の好意で、一軒の長屋をあてがってもらい、あんま稼業で、生計を立てている内に、医療サービスを行い、また赤ひげ的先生であったため、慕う人々が増えてきた頃、大阪に疫癘が流行り出す。京都では帝も感染し、大騒ぎとなっていた。さて、どうなるのでしょうというタイミングで終わりました。「赤穂義士」は、「武林唯七」の粗忽ぶりの補足が読まれたあとは、定番の「松の廊下」。この辺で、暖房が効きすぎたのか、うとうと。狭い空間でうとうとは、演者さんに失礼ですね。




2011年 2月 1日(火)午後 11時 39分

 今日は、朝から遊びっぱなし。おまけに、夜更かしも過ぎたために、寝不足でもある。春の旅行に向けて、いろいろと手配の最中で、昨夜は、かなりの難関をクリアできました。朝からというのは、メトロポリタン歌劇場のライヴ・ビューイングを観に行きました。MOVIX京都で観ましたので、午前10時上映開始です。今日は、1月8日に上演された「西部の娘」でした。プッチーニの作品の中では、上演頻度では低い作品ですが、この作品は、このメトロポリタンで初演されたもので、今年が、それからちょうど100年になるということで、今シーズンのラインナップに加えられたそうです。初演時の指揮はトスカニーニ、ディック・ジョンソン役がエンリコ・カルーソーだったそうです。タイトルロールを歌った女性歌手も、伝説の世界に入る人だそうですが、黄紺の知らない歌手でしたので、名前を覚えられませんでした。この作品の3年前に、これまた、メトロポリタンで「蝶々夫人」を初演したプッチーニが、メトロポリタンより委嘱を受け、今度は、舞台をアメリカにということで作曲したものとか。初演時には、プッチーニの姿が客席にあったということです。舞台は、ゴールドラッシュにわくカリフォルニア。鉱山で働く荒くれ男たちが集うパブで働くミニー(デボラ・ヴォイト)は、男たちの金の見張り役でもあり、聖書の先生でもある。そこへ、以前通りかかったときに、ミニーが胸をときめかせた男ディック・ジョンソン(マルチェロ・ジョルダーニ)が入ってくる。舞い上がるミニー。ジョンソンを教養のある男と思い、「私のような、教育を受けてない女が、あなたの横に座って、何をお話していいのかしら」と歌う第1幕の幕切れは、なんとせつないのでしょう。そこを、プッチーニの甘美な音楽が撫で上げてくれますから、もう黄紺の涙腺はうるうると来てしまってました。第2幕は、ミニーの山の中の家。ジョンソンが訪ねてきます。既に、二人は恋に落ちています。お互いの気持ちを確認しあったところへ、鉱夫たちがやってきます。この間、お騒がせだった盗賊団の首領を追い詰めてきたら、この辺りで見失ったと言うのです。そこで、男たちが帰ったあと、ミニーは問い詰め、そして、それこそジョンソンの本当の姿だと知ったミニーは、何の目的で、町にやって来たかを悟り、更に、自分の家まで来たのは、盗みを働くために来たものと邪推します。ジョンソンは、愛しい人に会いに来たと言っても聞き入れてもらえず、家から追い出されるのですが、その直後に、保安官ランス(ルチオ・ガッロ)に撃たれてしまっため、再びミニーの家に逃げ込むと、ミニーはかくまってやります。追ってきたランスにより、ジョンソンは見つけられ連行されようとするのですが、ミニーに気のあるランスに、ポーカー勝負を挑みます。ミニーが勝つと、ジョンソンはミニーのものになり、ミニーが負けると、ジョンソンもミニーも、ランスのものになるというもの。ミニーは、この勝負に、いかさまをして勝ちますが、長居はできないジョンソンは、遠いところに逃げようとするところで見つかり、縛り首になりかけます。その直前にミニーが現れ、鉱夫たちに銃口を向け、力で奪おうとするのですが、そのやり方に違和感を感じたミニーは、銃を置き、仲間の男たちにお願いをして回ります。クライマックスのところです。今まで、世話になったミニーに、そうしてお願いされると、嫌だとは言えません。でも、それを受け入れるということは、ミニーがジョンソンと、この町を出ていくことを意味していますから、男たちの声、ミニー、ジョンソンの声も、ティクレッシェンドで、「アデュー・カリフォルニア」を歌って、静かに終わります。あ〜、涙、涙です。プッチーニは、小憎たらしいほどの美しいメロディーを乗せますから、余計に涙腺が刺激されてしまいます。舞台奥に去っていく二人を、ただ一人、通りに立ち尽くしたランスは、一旦、銃に手を触れ、そして、諦めたのか、手を放します。そして、振り返り、客席に向かい、実に悲しげな顔をしたところで、幕がさらりとおりてしまいでした。ランスも、ミニーへの迫り方は、下世話なものもありましたが、この男も、ホントにホントに、ミニーを愛してたのですね。素晴らしい演出にうっとりです。それに、メトの舞台は、やはり広い。第1幕と第3幕の舞台を、縦に取りました。これは圧巻です。特に、第3幕の街路の舞台は、まるで西部劇映画のセットそのままで、びっくり。本物の馬も登場したしと、見所満載でした。なお、指揮は、ニコラ・ルイゾッティでした。
 京都から大阪への大移動を、今日はしなければなりませんでした。今日も、徳徳亭で講談会が予定されていたのです。それも、3部構成。3時からは南青、5時からは南舟・南斗の二人、そして、7時からは南湖という具合です。3時の会は無理なのですが、5時の会は、今日だけ行けますので覗いてみたのですが、客は、黄紺一人だけでした。5時という時間帯がダメなんでしょうね。南斗・南舟のお二人には、南青の前の1時開演の方がいいのではと言っておきました。番組は、次のようなものでした。南斗「大助駿府の使者」、南舟「宮本無三四狼退治」。「駿府の使者」は、既に、南斗の口演で聴いたことのあるネタ。真田幸村が、息子大助を、生きては帰って来れぬのを覚悟で、家康のもとへ刺客として送り込む物語。暗殺に失敗し捕縛されるが、そこで大助の首をとると、逆に豊臣方を活気づけてしまうとして、丁重に大助を大阪へ送り返してしまいます。幸村と家康の丁々発刺のやり取りが聴きものです。南斗は、最近、喉で声を詰める発声をするのが気になり出しています。「宮本無三四」は、二代目宮本むさし。こちらも剣豪。箱根の山で、雲助につかまり籠に乗るハメになる無三四。だが、この雲助も、無三四同様、剣の修行中。見込みのある剣士を見つけては、籠に乗せ、度胸や剣豪としての才覚があるか見極めていたが、初めてお眼鏡にかかったのが無三四。二人の手合わせがクライマックスだが、あくまでも剣の道を求めての爽やかな手合わせ。このネタは、確か、以前、南海・南湖のどちらかで聴いたきりのネタで、南舟では初めて聴 くものでした。
 徳徳亭を出て、夕食をとり、軽いお散歩をして、もう一度、徳徳亭に戻る。第3部となる南湖の講談会にも、おじゃましました。トリイの社長から続き読みの会を依頼されたことが発端で、ちょうど芸術祭新人賞受賞が決まったときでもあったので、過去の受賞者をゲストに招き、記念講談会としたということでした。今日から、日曜日まで6日間続きます。本日の番組は、次の通りです。南舟「般若寺の焼き討ち」、歌之助・南湖「対談」、南湖「荒大名の茶の湯」、歌之助「片棒」、南湖「赤穂義士銘々伝〜武林唯七〜」、(中入り)、南湖「名医藪井玄意」。本日のゲストは歌之助。歌之助は、芸術祭受賞の年に、咲くやこの花賞、繁昌亭大賞輝き賞ももらい、「三冠王」と言われたお方。「片棒」を、最近のニュースも、軽く入れながらの口演、進化しています。南湖の三つのネタの中で、「武林唯七」を、ほぼダウン。昨夜、4時間しか寝れてないのに、朝からダウンは、ここだけというのは、逆に立派。こういう立派なときもあります。「荒茶」は、いつ、誰から聴いても、楽しいネタ。落語的講談です。「藪井玄意」は、「南湖だんご」で、南湖が読み続けていたもの。今日は、発端として、死にかけていた子どもを、自らの子どもとして育て、医者としての教育をしてやったにも拘わらず、成長した後の息子に裏切られるところでした。




2011年 2月 1日(火)午前 2時 8分

 東京でのプチ旅行から戻ってきて、今日は思いっきりハードな仕事。これは、覚悟はしていたのですが、東京へ行く前にはできなかったもので、仕方ありません。目の前がボーっとなる感じで職場をあとにすることになりました。夜遊びは、千日前の徳徳亭。今日から、随分と徳徳亭通いが続くことになります。今夜は、こちで「第9回なんせいの講談格闘中!」があったのです。南青くんは、こちらで、2ヶ月に1度、「太平記」を読んでいます。今日は、抜き読みでも、よく読まれる「楠木の泣き男」を中心に、だいぶと脱線をした展開になりました。楠木正成は、一芸に秀でた者を、家来に召し上げようということにします。様々な芸を持った者たちが集まってきますが、その中に「泣き男」が入っていました。自分の生い立ちと称して語った話に、一堂の者たちが、涙にくれてしまうのです。父は殺され、母はなぶりものにされたことを悔い自害したため、7歳で一人取り残された男の悲しい物語。その技に感嘆し、家来に召し抱えられます。そして、その男の活躍する話もあるようですが、今日は、その男の話の中に、「六波羅探題」が出てきたものですから、南青くんは、それに食いつき、「六波羅密寺」界隈の話へと展開。そして、ついに「六波羅珍皇寺」に関わる落語を一席。これが長い。「片袖」に似た噺で、「高台寺」という噺かもしれません。で、その長い噺が終わると、ほとんど時間切れというものでした。こんなですから、「太平記」自体に進捗があったかといいと、ほとんどなしでした。




2011年 1月 31日(月)午前 6時 36分

1月27日(木)〜30日(日)まで、東京プチ旅行に行っていましたので、その記録を認めておきます。

1月27日(木)

 朝の10時過ぎに東京に着く。午後の部は、「上野広小路亭」での「広小路亭講談会」なので、御徒町駅に向かう。少し開演までに時間があるので、湯島から神田方向をウォーキング。どうも、最近、この界隈での落語会などに赴く関係からか、この辺りでのウォーキングが増えている。かつて東京に住んでた頃には、神田はともかくも、それよりか下町よりは、ほとんど足を踏み入れたことのないところのため、いささか土地不案内のところである。時間が来たので、上野広小路に戻る。「広小路亭講談会」があったのです、今日の午後は。番組は、次の通りであった。梅湯「平家物語〜源氏揃い〜」、貞鏡「御方ヶ原軍記〜斎藤の物見〜」、貞弥「川中島の合戦」、一乃「若き日の勝海舟」、貞橘「源八郎の琴平船の騒動」、一邑「竹の水仙」、琴梅「小松菜の由来」、(中入り)、すみれ「赤穂義士銘々伝〜神崎与五郎則安〜」、貞水「忠治赤城落ち、入札」。梅湯、貞鏡、貞弥の3人は前講、中でも、梅湯と貞鏡は、釈台に本を置いての口演。修羅場読みを中心に、声出しとリズム掴みの稽古といったところ。内容的に把握しにくいですね、こういったのは。「川中島の合戦」は、謙信と信玄の人となりから合戦後までを10分でやっちゃいました。「勝海舟」は、古本屋で立ち読みをして知識を広げる勝海舟と、趣味で新しい知識を得ようとする商人が、その古本屋で出会い、その二人の交流が深まる話。先日、大阪で見たときに比べ、かなりリラックス・モードの貞橘、今日は、語尾が、かなり聴き取り易く、抵抗はない。「源八郎」は、浪曲で、よくかかる「田宮坊太郎」の父親。やっぱり浪曲ネタには、長い講談の元ネタがあったのですね。今日のネタは、僧侶に、船中で無理難題をふっかける男たちを、源八郎が懲らしめる話。話が終わったあとの最後に、貞橘が、やがて源八郎が殺され、息子坊太郎が敵討ちに向かうという話になっていきますと言ったことから、判明したこと。「竹の水仙」の舞台は、大津ではなく鳴海。旭堂でも、そうだったかもしれません。竹の水仙の値段は、200や300両ではなく、50両でした。「小松菜の由来」は、正月の話と言ってから、琴梅が始めたにもかかわらず、最後になっても解らずじまい。というのは、途中でダウンを喫してしまったからなのです。家光に、町人が名もなき草を食べさせ、家光が気に入り、小松川沿いに生えていたから、「小松菜」としたというところは間違いないのですが、なんで家光が出てきて、そないな場所にいたのかは、さっぱりです。「神崎与五郎」は小さな話。東下りをする途中、三島宿で、酔っ払いに言いがかりをつけられた神崎が、大事の前の小事と、我慢するだけの話。そして、今回の大ヒット、貞水を聴くことができました。しかも、「国定忠治」、しかも、「赤城の山も今宵限り」の場面。忠治が主人公というよりか、子分たちの心理戦のような部分が聴かせどころか。貞水は、客席全体を包み込むかのような風格がありました。聴けて、大満足です。
 「広小路亭講談会」が終わったのが、4時10分。大慌てで、ホテルにチェックイン。そして、荷物を部屋に放り込むと、横浜に移動。夜は、神奈川県民ホールであった「268回県民ホール寄席 入船亭扇遊独演会」に行ってきました。神奈川県民ホールは、JR「関内」駅からは15分くらいかかるでしょうか。ただ中華街の周囲をなでるように歩いて行くとたどり着けるので、晩ご飯は中華街の端っこの方でとることができました。今回の東京行きで、落語会の目玉となったこの独演会の番組は、次のようなものでした。遊一「真田小僧」、扇遊「天狗裁き」、扇遊「厩火事」、(中入り)、扇遊「付き馬」。配布されたプログラムでは、扇遊は二席と書かれていたのですが、二席目を演じたあと、高座からは下りないで、少しインターヴァルとなるうだうだ兼「厩火事」のマクラを降りました。ですから、1時間ちょいほど、高座に座りっぱなしの、喋りっぱなしという状態でした。本日の秀逸は、「天狗裁き」。鞍馬を高尾に変えたくらいで、米朝版と、テキストはほぼ同じ。ということは、大阪で聴くのと変わらない。しかも、散々聴き、随分と退屈なものも聴いてきたもの。ましてや繰り返しネタなんで、退屈と、一旦感じてしまうと、拷問が如きネタと化してしまうという代物との認識を持っている黄紺が聴いて、おもしろいのである。声の表情の豊さ、何を、どのように、どこで使えばいいかという選球眼に、ホント長けている噺家さんです。見込んだ通りの実力を、初っ端で見せてもらえました。「厩火事」は、おさきさんに、夫への執着は十分看て取れ、及第点はクリアは、しっかりとしているのだが、がさつさが出てしまい、いや庶民の女という強調の仕方は妥当なのですが、そのため、可愛らしさ、色気のようなものを、少し消してしまったのが惜しまれました。「付き馬」は、9月の市馬に続き、大阪では南光と、大家により大当たりが続いています。扇遊の「付き馬」は、志ん朝が透けて見える高座。吉原を出て、のべつくまなく名所案内的に喋り続ける趣向、その喋りの雰囲気って、正にそれ。もうちょっとテンポを上げた方がいいんじゃないかな。一切、馬に喋らせない、それにより馬の困りが見えてきますが、ちょっとテンポが落ちると、馬はどうしてるんだの思いが出てきてしまいます。挙げ句には、馬の困りを描いて欲しいなとなっちゃいます。扇遊の場合、序盤が良かったなの感じです。客か、吉原の若い衆のどちらか優位に立つかが呈示される、噺のベースとなる部分。そこを、きっちり描ける扇遊は、やはりお気に入りの噺家さんだと確認でき、自分的には、大満足の会でした。

1月28日(金)

 今日は、まず気になるところからのスタートです。東京に来ると、よくすることなのですが、昔住んでいたところを訪ねてみること、それを、今回も実行に移しました。西武新宿線「中井」駅から歩いて10分の、新宿区の外れに住んでいたのですが、たらたらと坂を下ると、もう中野区。今日は、その中野区側からのアクセスを試みようとしました。となると、「中井」駅ではなく、「新井薬師」駅からのアクセスとなります。そして、「中井」駅まで歩き、今日は、地下鉄東西線の「落合」駅に回り、「早稲田」駅へ移動。早稲田通の古本屋街を覗きながら、「高田馬場」駅へ。更に、「池袋」駅まで移動し、ようやく本日の午後の部の地へとたどり着いたというわけです。午後は、池袋演芸場の昼席におじゃまをしてみました。平日の午後ですので、さほど選択肢のないなか、「上野広小路亭」を諦めて、池袋をチョイスしてみました。池袋には、30分ほど早く着いたため、鬼子母神界隈をウォーキング。で、池袋演芸場の本日の番組は、次の通りでした。ありがとう「牛ほめ」、ちよりん「?」、百栄「生徒の作文」、菊千代「宮戸川」、ぺぺ桜井「ギター漫談」、南喬「三人旅」、正雀「鴻池の犬」、(中入り)、木久蔵「新聞記事」、今松「替り目」、ホンキートンク「漫才」、菊志ん「芝浜」。池袋演芸場に行くまで、結構歩いたので、肝心の演芸場に入ると、わりとうとうと。ちよりんのネタも、「花色木綿」のような入り方をして、あとが、よく分からないので「?」。百栄は、評判になるだけに、そつのない新作。小学校の教師をしている友人の持っていた作文を読ませてもらうと、次から次へと、おもしろいものに遭遇するというだけの枠組み。菊千代は、なんと、この位置で、「宮戸川」とはびっくり。おじさんの家に、お花と半七が行き、二人が2階に上がったあと、おじさん夫婦の描写で切り上げました。女性噺家さんは、逆に2階の描写は、どうするのだろうかと、触れられなかったために、えらく気になってしまいました。南喬と正雀は、飛び飛びにしか記憶にないという低汰落。正雀のネタには、びっくりさせられました。鴻池本家が出てくる噺が、東京で演じられているとは考えもしてなかったのです。が、正雀の口演では、鴻池本家は、そのままで、最初、捨て犬を拾うお店は江戸となって いました。ですから、犬は、江戸から大阪まで、籠に乗っていったことになります。正雀って、もうちょっと緻密な噺をする人と、勝手に決めつけていましたが、見事に裏切られました。「新聞記事」は、「阿弥陀池」の移植されたもの。よく東京の寄席でお目にかかりますが、甚だしい改悪。泥棒の部分だけが扱われます。木久蔵は、くすぐりにピッキングのような現代風演出を入れてました。ただ、あまり好きになれない噺家さんです。自己満足的で、黄紺には合いませんでした。今松は、わりとお気に入りの噺家さん。「替り目」は、家に帰ってきたところから始まりました。そして、友人の娘が嫁入りした部分はカットされていました。東京は、それが型かもしれません。酔いがもう一つだったのでしょうか、上方版に比べて、たっぷり感に欠けるという印象でした。そして、トリの菊志ん、なんと、「芝浜」でした。この「芝浜」が問題作。主人は、夢だとされたことを知っていながら、嫁さんの気を感じ、だまされていたという風にしたのです。それが判るために、菊志んは、おもしろい演出を入れました。最初、家を出たあと、犬に出会います。毎朝、まともに仕事に出ていけば、出会う犬なのですが、長い間働こうとしてなかったため、手を差し出しても、その手を、犬は噛みついてしまいます。それを聴いたときは、嫁さんとの会話では薄かったため、仕事から離れていたことを表す巧みな演出と感じましたが、実は、噛まれたあとが残り、それで、夢の話はウソだと判ったというのです。用意周到です。となると、下げはどうするのだとなるところ、「今が夢になるといけないから」としました。夫婦が、お互いの気持ちを述べあったこと自体の大切さを謳うのです。これは、しびれる演出。この人に、トリの大役が回ってくるわけが解ったような気がしました。また、嫁さんが、大家さんに相談することなく、自分の判断で動くのも、こだわりの演出と看ました。夫婦二人の物語としたかったのでしょう。とっても共感できる一方で、時代的背景は、常の大家さんが出てくる方が自然だとは思います。これだけ才走った演出をした菊志んの口演はどうだったかというと、とにかく聴いていて、せわしないのです。それが、最大の問題点。池袋演芸場の方から、何か言われてたのかと考えたくもなるせわしなさでした。工夫されたいい下げも、せわしなく言えば、値打ちは半減以下となります。ですから、口演以上に、才走った演出能力というのが、今日の菊志んに対する印象。でも、記憶に留めて置かなければならない噺家さんだということは、間違いありません。
 「芝浜」が終わったのが、5時20分。想定範囲内の終演時間。地下鉄の有楽町線・東西線を使い、「九段下」駅へ移動。神田の古本屋街を覗きながら、神保町へ。夜の部は、神保町交差点近くの「らくごカフェ」に、初めておじゃましました。場所は分かりにくかったのですが、結局、黄紺が昔からよくおじゃましていた古書店ビルの5階にありました。今晩は、こちらで、「神田愛山独演会」があったのです。今回の東京プチ旅行の最大の目玉です。「らくごカフェ」にも、ようやく行くことができ、自分的には大満足。本日は、愛山だけしか出ない会。それは、それで満足。番組は、「鼠小僧次郎吉〜蜆売り〜」「高齢化社会」というものでした。愛山さん曰く、「講談は、やはり続き読みをしなくっちゃ」ということで、この間、「鼠小僧次郎吉」を読んでるということだが、昔の講談本を仕立て直しても、4つにしかならなかったそうです。あとは使いものにならないとの弁。それが、どないなものか読んでみたくなりました。「蜆売り」という一席なのですが、完全に落語の「蜆売り」。いや、落語の「蜆売り」の本説ということです。確かに、落語の「蜆売り」のいわくありげな部分が氷解です。次郎吉が助けた男女の女の方が、蜆売りの少年の姉。だが、次郎吉が与えた金は、土蔵破りをした金。だが、その金には、特別な極印がしてあったため、蜆売りの姉と男が捕縛されてしまう。姉の方は解放されたが、男の方は、拘束されたままだが、誰からもらったか言わない気丈夫さを見せている。次郎吉からすると、善意でしたことが、とんでもないことになってしまっていることを、蜆売りの少年から聴いてしまうのです。沈み込む次郎吉。ここで、ちょっと無理筋的な展開となります。次郎吉は助かるのですが、他の男、次郎吉に恩義を感じている男が、自分が犯した罪の一つに、次郎吉の土蔵破りも加えて、獄門送りとなるのでした。無理筋は無理筋だけど、講談らしい解決法かもしれません。「高齢化社会」は、愛山自身の作品。時間の経つ感覚が速くなるということで、人の寿命が短 くなってしまうというだけの作品。ちょっと「?」の付く作品でした。「鼠小僧」が、マクラを入れて50分間の口演。これじゃ、1時間半くらいの会になるかと思っていたら、最終的には、1時間12分ほどで終わってしまいました。愛山さんの独演会は、いつも、このくらいですね。

1月29日(土)

 寒いけれど、とってもいいお天気の東京、3日目の朝です。今日の午前中は、東京国立博物館でやってる「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」を見てきました。こういった演芸を楽しむことができない時間帯を活用して、街中ウォーキングや博物館・美術館巡りをするのも、東京へ行くことの楽しみの一つ。あまり気にいった特別展が見つからなかった今回、これを見つけました。そう言えば、昨年の夏、イスタンブルのペラ美術館で、「平山郁夫展」に遭遇できたことを思い出していました。展示は、平山郁夫氏の文化財保護の業績を知らせるとともに、氏が歩いた地域についての文化財を、地域ごとにコーナーが設けられ、各コーナーには、氏が残したその地の絵画を一つずつ配するという展示手法。そして、後半には、氏が、薬師寺に奉納した「大唐西域壁画」全てが展示されていました。薬師寺側としては、氏の一周忌にあたることから、東京国立博物館での公開を決断したとのことでした。日本画の手法で描かれたデカン高原、ナーランダー寺院など、クリアでないだけに、余計に臨場感を与えてくれました。大正解の特別展でした。博物館を出ると、少し時間があったので、谷中界隈を通り抜け、「日暮里」駅まで、約40分間のウォーキング。この2日間、東京に来てから、わりかし歩いているもので、かなり腰に負担がたまってきていますので、またぞろ股関節に痛みが発生しないか気をつけねばなりません。
 「日暮里」駅から、山手線で「水道橋」に移動。今日の昼間は、昨日同様、神保町の「らくごカフェ」での講談会。「若手講談勉強会vol.4」と名付けられた講談会で、今回の東京プチ旅行では、3回目となる講談会となるとともに、最もマイナーな会となりました。番組は、次のようなものでした。山緑「清水次郎長〜生い立ち〜」、松之丞「寛永宮本武蔵伝〜吉岡次太夫〜」、(中入り)、蘭「こまつ姫」、貞橘「姉川戦記〜木村又蔵の?〜」。この会は、講談協会と日本講談協会(神田派)の若手による交流の場。トリの貞橘で、入門10年目というキャリア。この中で聴いたことのあるのが、貞橘と松之丞。だいたい講釈師さんは、噺家さんと違い、外れがないと、黄紺の頭にはインプットされていますので、若手であろうが、聴いたことがなくても、聴く不安などというものは、一切ありませんでした。そして、実際そうでした。なかでも、松之丞という、ちょっと生意気な物言いをし、「宮本武蔵」ばかりしかやってくれない若い講釈師が気になり、この会をチョイスしました。山緑は、出番では、あとになるようですが、余興が入ったということで、トップに上がりました。次郎長と母親の確執というか、母親の姦通を暴くというのが、終わってみると、それが、この部分の主旨。ただ、急に江戸に行くと言ったり、父親の金を持ち出したり、遊興三昧だったりと、次郎長のイメージが統一されていないというのが気になりました。「宮本武蔵」には、宮本武蔵は出てきませんでした。武蔵と、どのような関係にあるかが分からないのですが、主人公は吉岡次太夫。吉岡次太夫が京都で道場を開くが、弟子がやってこないなか、一人の町人が弟子入りする。なかなか筋が良く上達するが、近くの三条小橋にある他の道場を覗いていると、顔を知られているため、中に引っ張り込まれ、他流試合をさせられてしまう。弟子連には勝つが、道場主に、まいったと言っているにも拘わらず、打ち込まれケガをしてしまったのを、後日知った吉岡次太夫がリベンジをする話。相変わらず、松之丞は、思いっ切り熱く、濃い読み方を披露してくれたので、ここで元を取った気分。お釣りのような感じになったのが、蘭の内容は擬古典風、だが表現は、全然違うという新作。現代語多用で、軍談物を読むというもの。「こまつ姫」とは、本多忠勝の娘にして、真田幸村の兄信之に嫁いだ女性。キャピキャピのお姫様根性を指摘した信之に惚れ込み結婚する話が前半、後半は、真田が2つに分かれて戦うことになる話が展開されていくなか、適切な判断を進言できる大人の女に成長した「こまつ姫」を描いていました。講談の世界も様々と思わせられた高座でした。ここまできて、貞橘のところで、あえなくダウン。あとから思い出そうとしても、さっぱり思い出せないほどです。情けない話です。
 神保町からは、時間調整を兼ね、JR「水道橋」を抜け、地下鉄大江戸線の「春日」駅まで歩いてみました。夜は、上野鈴本演芸場の夜席に行ってきました。ただ、開場時間と開演時間を間違えていたため、だいぶと入口前で待つことになりました。番組は、次のようになりました。はな平「子ほめ」、才紫「たらちね」、和楽社中「太神楽曲芸」、菊太楼「壷算」、柳朝「宗論」、正楽「紙切り」、小ゑん「ぐつぐつ(仮題)」、雲助「粗忽の釘」、(中入り)、ホームラン「漫才」、琴調「木村重成の堪忍袋」、小菊「粋曲」、扇辰「明烏」。1月下席のトリは白酒だったのですが、今日だけお休み。ところが、替わりに出た扇辰が、評判通りの素晴らしさを見せてくれました。声の調子の変化は自由自在、全身を使った表現は、目の動きに至るまで、神経が行き届いている。決して派手な動きではないが、無駄な動きはなく、的を得た表現ばかりなのです。もう、今日は、この扇辰の高座を聴けただけで、元を取った感じがしました。はな平は、前座とは思えない達者な口演、ただ顔が、あまりにも無表情。才紫は、落語口調になりきってないのかなぁ。聴いていて、も一つしっくりこない。ですから、菊太楼の高座になって、聴いていて落ち着けた感じ。ただ、下げが「それが、こっちの思うツボ」ではなく、変な下げを使っていたのだけど、思い出せない。柳朝は、声の出ない円太郎の代演。染雀が、このネタを演じるときの雰囲気に似ていました。染雀の方が濃いですが。違う噺で、どうなるかを見てみたいなと思いました。やはり、柳朝という名を継いだのですから、見極めてみたいということです。小ゑんが、今日のナンバー2です。新作で、おでんに煮詰められている具が会話するというもの。オムニバスで話の合間に、「ぐつぐつ」と体を揺らしていくのも、秀逸。雲助は、もうちょっとネタを考えて欲しいな。滑稽噺では、わざとらしさが出てしまい、ずっと居心地が悪いまま。琴調は初遭遇。愛山が、酒乱時代に転がり込んでいた相手。寄席を意識してんでしょうね、大阪で講談を聴いている雰囲気でした。でも、まさかまさかの「木村重成」には、びっくり。ということで、トリの扇辰につながりました。

1月30日(日)

 サッカーのオーストラリア戦を観ていて、寝不足の朝です。東京にいると、日曜日の朝には、必ず行くところがあります。上野鈴本演芸場の早朝寄席です。昨夜が、鈴本の夜席ですから、連続になります。昨日は、終演が、ほとんど9時になっていましたから、行かなかったのですが、いつもだったら、土曜日の夜は、新宿末廣亭の深夜寄席に行くものですから、ますます日曜日の朝は、寝不足傾向です。で、今日の早朝寄席の番組は、次のようになりました。馬吉「辰巳の辻占」、麟太郎「佐々木政談」、ろべえ「やかんなめ」、花いち「だくだく」。花いちが、二つ目になって、初の「早朝寄席」登場ということで、トリとなった模様なのだが、大きな噺は最初の二つ。但し、「辰巳の辻占」は、東京では扱いが小さいのかもしれません。上方の「辻占茶屋」です。だが、上方のように、鳴り物が入りませんから、味気ないったらありゃしないものになっています。単に、女の気持ちを知るために死のうとして死なないというだけの噺になってしまいました。それも、最初から死なないのがわかってるのですから、深みが消えてしまってます。ネタいじりのおもしろなさに比べて、馬吉は、えらく達者な噺家さんです。要マークです。一方、上方の「佐々木裁き」の「佐々木政談」は、上方版をほぼなぞっていました。下げは言わない手法も、さほど珍しくはありません。冒頭、市井回りをしている佐々木信濃守が変装しているという細かな配慮は嬉しい限りです。ただ、麟太郎は、よくかみます。ネタくりが足らないのかと思うほどでした。ろべえは、侍ものが出てしまったのだが、二つ目の勉強会だから、用意していたものを出しますと言うので、何をするのかと期待したのですが、「やかん」でした。上方では、「癪の合薬」と言います。この軽妙な噺を、ろべえは力いっぱい演じます。それはそれで、上手に力いっぱいなので、受けることは受けるのだが、そこまで、このネタで気張らないでもいいのにという力の入りよう。もう少し、力を抜き、軽くを基本に描いた方が、大爆笑につながると思いました。「だくだく」は、上方の「書き割り盗人」。最後に来る噺ではないのですが、ネタの方が用意されていて、あとから出番が決まったのでしょう。家財一切を描いてもらう動機が回りくどい感じがしました。描き出すと、細部は違っても、「気を気で養う」という共通のコンスプトで続いていきます。そして、下げで、「血がだくだくと出たつもり」となり、上方の「死んだつもり」とは異なります。花いちは、口の回転が柔らかく、描き出してからのアップテンポの進行にぴったりです。総じて、今日の4人のレベルが高く、聴きごたえというものがありました。また、出されたネタが4つとも、上方生まれのネタばかり。そればかり、無理っぽいネタの移植版まで聴くことができ、めっちゃお得な会となりました。
 鈴本がはねると、「上野」駅から、山手線で「駒込」駅へ移動。先日、「ぶらタモリ」で観た旧古川邸庭園に行ってきました。自然の崖を活用した庭園作りというおもしろい趣向、西洋式庭園と日本庭園の両者があるというもの。洋館造りの邸宅内部は、1日3回の決められた時間のみガイド付きで入れるようになっているが、午後の予定からすると無理なもので、今回は諦めることにしました。そして、山手線で池袋に移動。午後は、芝居を、シアター・グリーンで観ました。シアター・グリーンは初めて。一度覗いてみたかったところ。今回、うまい具合に、劇団探しをしている中で見つけた「靖二」というユニットが、こちらで公演をしているということで、日曜日の昼間、様々なジャンルで様々な催しのあるなか、こちらをチョイスしました。「ソムリエ」というのが、芝居の題名。だが、この「ソムリエ」は、ワインのソムリエではなく、本のソムリエ、街の本屋さんを、敢えて、このような呼び方をしたというもの。芝居のジャンル分けをすると、ハートウォーミング系に、完璧に収まるというもの。街の本屋に生きがいを感じ、生計の苦しいなか、経営を続けてきた父親が亡くなった。一番小さな妹は、まだ幼すぎた。兄は、音楽をやりたくて、家には目もくれずに、東京へ行き、借金を作り戻ってくる。姉が、店を継いでいるが、やりくりが難しく、結局、店をたたみ、その金で、妹を大学に行かせようとする。ただ、それは、姉一人の判断。3人が、それぞれ違ったところを見ているのが、店をたたむということで動いていることを知ったとき、一つに向かって歩み出すというものなのだが、話自体が小さいのです。わざわざ時間を取って、観に行くほどの芝居ではなかったなの気持ちです。でも、東京以外では、なかなか東京の小劇場の情報収集は、困難が伴いますから、気長に探してみたいと思っています。これで、今回の東京で予定していたことは終了です。最近の定番、最後は銀座のお気に入りのお店で食事をして帰るだけと思い、そのお店に行くと、お店には人影が見えませんでした。どうやらビル自体を建て替えるようですので、建て替えられたときには復活してくれることを祈るしかありません。最後の最後で、ちょっと衝撃が走ってしまいました。




2011年 1月 27日(木)午前 5時 44分

 一昨夜、サッカーの日韓戦を観ていたため、かなりの寝不足。ただ幸い、仕事の方が立て込んでなかったのには助かりました。でも、そういったときは、必要以上のことを考え出し、結果的に時間に追われる展開に。従って、夜遊びに出かける直前まで仕事に集中。おまけに、持ち帰り仕事までしようと、資料をバックに詰め込んでしまったのはいいのですが、今日から東京に遊びに行くのに、どうしましょう。
 ま、それはいいとして、今夜は、動楽亭での「笑子&ぽんぽん娘2人会〜色物とよばないで〜」に行ってまいりました。シンガポールから笑子は戻ってくるたびに、ちょっと小さめの会を持っています。観ておかないと、次はいつになるかわからないので、足を運んでしまっています。昨日の番組は、次のようになりました。ぽんぽん娘「上燗屋」、笑子「腹話術」、ぽんぽん娘・笑子・文福「対談」、ぽんぽん娘「メイド漫談」、笑子「シンガポール・ドリーム」。ぽんぽん娘の「上燗屋」は、2度目の遭遇。店の主人も酔客ともに、女性との設定のはずだが、今回は、酔客の方だけ、男にもとれる演じ方。曖昧な演じ方をしました。なるほどと思わせる演出。女と演じると、こぼれた豆を食べるには、あまりに違和感がありますから。「シンガポール・ドリーム」が、わりかし聴かせるネタ。シンガポールで、仕事を取る苦労話の繰り返しネタかと、最初は思っていたところ、正に「ドリーム」を掴む話に。最初の苦労話の繰り返しが、「ドリーム」が実現する展開に生きてきました。しょーもないダジャレの繰り返しも、後半で引き込んでいくものですから、そのダジャレの軽さが心地よくなっていきます。練り上げて練り上げていって、残していって欲しいとすら思いました。色物の方は、相変わらずのネタなんだけど、もちろん双方なのだが、それが出るから、それと落語が聴けるから、昨日は、この会を選んでしまったのでした。昨日も、文福の闖入がありました。笑子の上方落語協会入会には、文福の支援があったそうです。そりゃそうで、ロンドン在住だった笑子を、誰もが知っているわけはないはずです。そこで、シンガポールで鶴笑と会ったことのある文福が、その際の情報を提供し入会がなったということです。また、ぽんぽ娘の入門に至ることも披露されました。ぽんぽ娘は、元は東京二の弟子で、大須演芸場に出演中、文福と一緒になり、文福流落語に出会ったことから、目から鱗になったそうで、元々噺家志望だったこともあり、師匠から文福が預かるという形で文福の弟子となったそう。修行期間が明けたときには、元師匠も出演する会を、木馬亭で催し、東京に凱旋したなんて話は、ちょっとしたものです。義理堅い文福らしい話です。




2011年 1月 25日(火)午後 10時 57分

 昨夜は、このたびピースポートで、世界一周してきた元同僚の土産話を聴きながら呑みました。ピースポートには、リピーターが、結構多いそうです。4人の相部屋だったら、87日間世界一周が90万円だそうです。そして、乗客は、年配の方と若い人に分かれるそうで、時間とお金がよくあるなと思える若い人が、たくさん乗っているそうです。最近、若い人たちが、パックツアーでしか、なかなか外国に行かなくなった現象の一つと言えましょうが、それにしても、お金もそうですが、時間があるのが納得いかないなと、そのような感想を持ってしまいました。そして、今日は、平日の午後ながら、大阪市芸術創造館で、東京の「柿食う客」という劇団の公演があるということで、先週に引き続き、寝屋川のお気に入りのお店で、お昼ご飯を食べ、いつものように、お店を出たところからミニウォーキング。ゆったりめに歩いて、京阪「萱島」駅まで28分、更に14分歩いて「大和田」駅到着となりました。合計42分間のミニウォーキングとなりました。そして、「森小路」駅まで京阪で移動。大阪市芸術創造館到着です。「柿食う客」は、2度目の遭遇。いずれも大阪でとなりました。「愉快犯」というのが、芝居の題名。物語の発端は、寿家の娘が、ぼっくり死したのが発端。寿家の家族は、ストレスに弱いから、ぼっくり死したということなのだが、そのストレスの原因はというのが、最大のばらしとされていました。悪魔の子と言われるほど、DVなんかを繰り返していた娘の死。歪んだ愛情がテーマなのだが、正面から描くと、身も蓋もないと、亡くなった娘が、ストレスがたまったままでは死にきれないと、おばあちゃんに乗り移ったり、母親の歪んだ愛情表現として、娘が亡くなって悲しむ夫のストレスを和らげるために、娘が亡くなったのは殺されたからとして、その犯人をでっち上げる。そのために、刑事の子どもを誘拐し、それを人質に、犯人をでっち上げてしまうというように、こちらも歪んでいる。とまあ、いろいろとスパイスが効かせてあるのだが、最大のスパイスは、音楽の装飾音のような言葉が台詞に付くこと、そして、独特の身体の動き、これらに目が奪われてしまう。前回は、多くの女優陣の台詞のパワーに圧倒されたが、今回は、また違った表現方法で楽しませてもらいました。ただ、ストーリーの終結点は、そんなのかよとは突っ込んでしまいましたが。
 芸術創造館を出て、「森小路」から「京橋」まで、京阪で移動。時間調整の意味もあり、南森町までミニウォーキング。25分の短いものですが、寝屋川市内を歩いた分を入れると、1時間を超えてしまいました。南森町では、おなじみのネットカフェで、1時間半の時間調整をしたあと、谷町六丁目に移動。夜は、「薬業年金会館」であった「第162回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。この間、南海さんは、こちらでは「浪花五人男」を読まれていますが、どうも、戦記物に比べて、侠客物は、客足が伸びません。そのためか、このネタは、来月で切り上げると、南海さんは言っていますが、逆に侠客物の好きな私からすると、それは本位ではありません。前回のラストで起こった道頓堀の芝居小屋での出入り。5人全員が捕まったりしてはとの配慮から外に残されていた庵平兵衛が、流れから、逆に、贋金作りの本体の野田藤と、それとつるむ同心に捕まってしまいます。今日の新しいところは、この平兵衛を助けに行く話に終始しました。その中で、新しい悪党の登場です。贋金の流通役を担っている岩木屋です。うまく雷庄九郎の働きで、岩木屋を拘束し、平兵衛を助けに行ったはずのところで、逆に、3人ともに、捕縛され、天満の奉行所に引き立てられていくのですが、これを救ったのが、隠れ家で待ってるはずだった極印千右衛門。いてもたってもしていられなくて、狙いを定めて様子を探りに来ていたのでした。人目につくところで、狙いの極印を晒すことから生まれる混乱を狙ったのでした。まんまと逃げた3人と千右衛門は、庵平兵衛を助けに行きます。高津神社境内で、再び出入りが始まりました。というところで、今日は時間となってしまいました。今日は、南海さんにしては珍しく、いないはずの平兵衛が、雁文七らと一緒にいたりしてしまってました。そんなで、ちょっと終盤がドタバタ。こないなこともあるのですね。




2011年 1月 24日(月)午前 0時 43分

 今日も、朝から3月の旅行に向けての下調べ作業。家の用事もしなくっちゃならないので、なかなかはかどりませんが、いつも、この段階で、迷いに迷う黄紺。そろそろ煮詰まってきているいますので、決断のときです。そして、12時20分をメドにお出かけ。今日の午後は、トリイホールでありました「南海・貞橘二人会〜東西、武芸・男伊達競べ〜」に行ってまいりました。番組は、次のようなものでした。南舟「般若寺の焼き討ち」、南海「柳生二蓋笠の由来」、貞橘「荒木又右衛門」、(中入り)、貞橘「一心太助」、南海「木津の勘助」。貞橘という講釈師さんは、初遭遇です。南海さんと二人会をするので、どんな人だろうという興味があったのですが、南湖とほぼ同じくらいのキャリアの方です。かなりの好男子。ですが、かなり声がこもりがちなうえ、語尾不明瞭なため、少し広い会場だと、聴き取りにくいんじゃないかな。くだけた部分も堅く、ちょっと南海さんと二人会をするには、家賃が高いと言わざるを得ません。一方、黄紺の体調は相変わらずで、ダウン癖が治っていません。今日は大丈夫だろうと思い出向いて行ったのですが、しかも、南舟のところでは、気配すらなかったのに、南海さんが始まるとダメでは、失礼過ぎです。結局、中入り前の武芸もの、ともに柳生一族繋がりでの武芸ものが、さっぱりでした。「一心太助」は、太助と大久保彦左衛門の出会いの話でした。男伊達の太助に惚れ込み、彦左衛門が太助を助ける挿話が、物語の中心でした。「木津の勘助」は、悪漢に襲われた淀屋の娘を、勘助が助ける話が入りました。初めて聴く挿話でした。後の、嫁入りの伏線になるだけに、大切なポイントとなるところです。勘助が、淀屋さんへ入っていくところからは、通常演じられるものと変わりませんでした。ただ、持参金の額が、1万両になっていました。南鱗さんなどの口演では、3千両でしたね。まあ、どっちゃでもいいことかもしれませんが。
 講談会がはねると、トリイホールの前からミニ・ウォーキング。目的地は、「森之宮」駅。途中、息子のところへ寄って、もしおれば一緒に晩ご飯でもと思ったのですが、息子は出かけていましたので、その心づもりは外れとなりました。




2011年 1月 22日(土)午後 10時 49分

 今日も、朝から春の旅行の下調べ。いろいろと行き先を迷っているなか、迷っていないところから、先の行動を取ろうということで、手持ちのデータの確認作業を取ると、あえなくデータ把握のミスに気づいて頓挫。コース設定のキーとなるポイントだったので、作業のやり直し。結局、今朝最初に手がけたところまで戻ることになってしまいました。作業のタイムリミットは11時。お出かけ先は、国立民族学博物館。今日は、まず、こちらの特別企画で行われた映画会に行ってまいりました。マレーシア映画「タレンタイム」が上映されました。近年、日本で急激に評価が高まり、その作品の上映が見られるようになった矢先、昨年でしたか、一昨年でしたかに、若くして亡くなってしまったヤスミン・アフマド監督の作品です。「タレンタイム」とは、イポーのさる高校のフェスティバルの名称。一芸を持つ生徒7人が選抜され、これまた教員の中から選抜された7人の審査員が審査をするというもの。「タレンタイム」の当日には、保護者家族が正装で見守るというもの。映画のヒロインは、この7人の内の1人で、裕福なマレー系の家庭に生まれた女子高校生。その相手になるのは、フェスティバルまでの練習期間、会場までの送迎役を任された、裕福とは言えない家庭の男子で、インド系で、且つ、聾という設定。それに、同じ選抜メンバーの男子2人が絡んでくる。1人は、マレー系の男子で弾き語りの名手。母親が、ステロイド剤を投与されている重症患者。もう一人が、華人で、二胡の名手。惜しいのは、この男子生徒が、最後に大きな役割を与えられるが、ちょっと描ききれてない。気になるのは、それくらいで、各人が、「タレンタイム」の練習期間に起こす青春グラフィティが描かれるのだけど、それぞれが属しているエスニック・グループの影が、これらの高校生に降りかかってくるという物語。いろいろと、印象深い場面が散りばめられています。バイクで女の子を、聾の男の子が送迎する場面では、街の音を消します。そして、静かなピアノ音楽を流します。その場面が、他の場面から完全に浮いて感じますので、「?」が、頭の中に灯ります。しばらくすると、男の子が聾だと判り、納得します。男の子が、マレー人の女の子の家に泊めてもらっため、母親に怒りをかいます。母親は、狂ったように伝統を振りかざします。そのとき、男の子は言います。「お母さんの言うことに従います」「彼女とは会いません」「だから、その苦しみから逃れる方法を教えて下さい」。全知全能の神の如き、母の口を通じて出てくる言葉、ならば、そないな言葉を伝えるくらいならば、簡単なことのはずというメッセージなのでしょう。いい言葉です。ヒロインの裕福な家庭の、アットホームな雰囲気が、ホントに上手に描かれているのも、印象に残ります。とまあ、観ていて、ほかほか気分にさせてもらうとともに、監督のメッセージも伝わり、感じのいい余韻を残す計算も看えてくる映画でした。監督は51歳で亡くなったと、パンフレットに記されていました。まことに残念なことです。
 映画が終わると、マレーシアの専門家による、映画の背景紹介が始まりました。ところが、夜の部への移動を考えて、20分弱聴いてから退席しました。移動の困難さを考えて、早めに手を打ち、結果的には正解でした。阪急「山田」駅まで歩き(所要27分)、梅田を経由して福島までという大移動でした。夜は、ABCホールでの「美津乃あわ二人芝居」に行きました。ちょうど、今晩の朝日新聞の夕刊に、この芝居にひっかけて、美津乃あわに対するインタビュー記事が載っています。芝居の題名は「レス〜懲りない生き方〜」と言います。この芝居は、美津乃あわが、ゲストの役者さん4人と、オムニバス形式の芝居を繰り広げていくという形が取られています。美津乃あわの夫役の藤元英樹は、話の展開上、いくつかの場面に出てきたのですが、他の3人は、一場面だけという変則型。それに、話はつながっていますから、役者の個性と、展開の妙味を、どのように組み合わせてくるだろうかという楽しみがありました。夫婦仲が悪く、会話のない姿から始まります。俳優夫婦です。宮川サキが、2つ目のパートで、美津乃あわの幼なじみ兼週刊誌の記者役で出てきます。ここでは、美津乃あわは別れたが、同居しているという話が展開しますが、美津乃あわのキャラが、しつこいと感じさせる描き方、それと、宗教団体らしいところを紹介されるというのが、気になることとして残ります。3つ目の場面の相手役が、ニューハーフの荒木優貴で、美津乃あわの相談相手役でもある宝石店主として登場。主人公を、精神を病んだ人という目線を持っているのではと、我々に思わせた途端、バラシのキーワードを口ずさむという大きな役割を担っています。そして、種明かしの役を担うのが、行澤孝が演じる美津乃あわのマネージャー役。このあたりから、会場で鼻をすする音が高まります。終わってみると、「ゴ−スト」のぱくりっぽいと言えますが、それを伏せておき、プロットは振ってあるのですが、ネタばれすることなく、あとで納得できるといううまい作りになっているので、涙を誘うのだと思います。午後の映画といい、この芝居といい、2本続けて、ハートウォーミングなものを観ることができて、今日は、大満足の一日でした。




2011年 1月 21日(金)午後 10時 16分

 昨夜は、実に久しぶりに、大学時代の友人たちと呑んだ。他の友人たちは、時々会っては呑んでいたようなのですが、黄紺とは連絡がつかず、なんとか連絡をとろうと努めてくれていたようで、ようやくその努力が実った結果、仲間入りができたのでした。その努力に、いや、覚えてくれていたことに感謝なのです。長い時間が経っていましたが、顔を会わすと、その長い時間がなかったかのように昔に戻りました。なかなかいい時間を過ごすことができました。
 そして、この週末は、3連休。明け方から、昨日予約した飛行機のチケットの扱いを考え、悶々としながら熟考。手直しを決意して、チケットを買い替えを実行しようとしたら、ソールドアウト。確かに、黄紺の買ったチケットは、最後から2枚目でしたから。長い間悩んで、損をしました。結果的に、帰ってくる日の出発時間は、5時前になります。そして、3時間の移動をして、飛行機に飛び乗ることになりました。
 今日は、まず繁昌亭の昼席です。東京の円丈と、存在は知りながら、遭遇の記憶のない鶴松という噺家さんが出るというので行ってみました。番組は、次のようなものでした。笑助「牛ほめ」、円丈「金明竹」、しん吉「茶漬け間男」、豊来家板里「太神楽」、鶴松「道具屋」、きん枝「うだうだ」、(中入り)、ナオユキ「漫談」、蝶六「豊竹屋」、竹丸「相撲場風景」、雀三郎「風邪うどん」。今日の繁昌亭は、睡眠不足が祟りました。各演者さんの半ばになると、瞼が重たくなってしまいました。かなり重症でした。前座役の噺家さんの持ち時間は、15分になったのでしょうか。笑助は、かなり噺家口調が板についてきました。円丈は、ちょっと名古屋弁ネタをふってから、あれれ古典でした。いきなり傘の断りから入ったので、状況がわかりにくいところがありました。しん吉は、たっぷりめに小咄をするので、何をするのかと思っていたら、しん吉では、初遭遇ネタ。「雨乞い源兵衛」に次ぐ、枝雀・小佐田作品です。鶴松は、顔立ちに記憶がありますので、どこかで遭遇経験があるものと思われます。舞台数が減ってるからでしょうね、ゆとりというものに乏しい感じを受けました。きん枝は、「選挙噺」でした。ある程度は、そうなるかなとは思っていたのが、当たりでした。ここまで、田舎の団体さんっていう感じで、客席と演者がすれ違いっ放しという感じだったのを、一変させたのが、ナオユキ。あれ、こんなのに反応しちゃってるという印象。すると、次の蝶六が、狂言や義太夫を披露するとわき返るという具合。どないな客でも、暖め役っていうのは大切なものです。そうなると、竹丸にも、客が味方に付いてくれました。竹丸が、簡単な統計資料を出すと、へ〜てな感じで、竹丸に吸い寄せられる空気が感じられました。そして、トリの雀三郎。つかみで、いきなり「ヨーデル食べ放題」のサービス。やりにくい客だなの認識が看て取れました。マクラは、売り声シリーズ。枝雀を彷彿とさせるもので、雀三郎も、「これがお家芸で」の言葉が入りました。下げの直前に咳払いを入れるという、丁寧な演出。今日のような客用なんでしょうか。雀三郎の「風邪うどん」は、初遭遇なので、確認のしようがありません。
 繁昌亭昼席がはねると、繁昌亭前から、55分間のミニウォーキング。繁昌亭に行くのに、京橋から30分ほどかけて歩いていますので、合計すると、1時間半近くのウォーキングをしたことになります。コースは、繁昌亭から天満橋北詰まで行き、あとは、中之島に入り、大阪市役所まで行き、そこから南森町へ引き返してきました。そして、時間調整のために、おなじみのネットカフェに、1時間余いて、歩いて天満橋北詰近くの「常盤漢方薬局」に移動。夜も落語会で、「常磐寄席」に行ってまいりました。番組は、染太「いらち車」、福丸「書き割り盗人」、染太「ふぐ鍋」、染太・福丸「トーク」というものでした。こちらは、福丸の口演の半ばでダウン。福丸の「書き割り盗人」は、初めてだったのに、もったいないことをしました。染太の方は、「ふぐ鍋」に一票です。ふくよかな笑顔が持ち味のため、ネタ選びが難しそうに思える染太。林家のお家芸とは言え、いいネタをものにしました。キャラに合うネタを持つっていうのは大切です。作為性を感じさせないという点では、ホントに助かります。その対極にあるネタが「いらち車」。体が大き過ぎる染太にとっては大変なことでしょう。でも、染太は、100kgの体を、連続的に宙に浮かせるという荒技を披露し、びっくりさせていました。「トーク」では、灘中・灘高についての質問が、染太から福丸へ浴びせられました。新しい情報としては、この二人は、枝雀の通っていたこともある英会話スクールに通っていた頃の知り合いだそうです。




2011年 1月 19日(水)午後 11時 15分

 股関節の具合が悪くなり、常に患部がしびれているということになり、確実に体重のリバウンドが進んでいます。ですから歩かねばならないのですが、一方で、立ちっぱなし仕事も多く、ウォーキングをすると痛み出さないかとの不安もあり、かなり悩ましい日々を送っています。お酒を止めればいいのかもしれませんが、その気はないしと、困った状態にいます。電車の中で立ちっぱなしですと、悪くない右脚の方に重心を移してしまいますので、今度は、右股関節が傷むのではと、ついつい考えてしまいます。そんなに、股関節のことを気にしながら、3月末の仕事の見通しができてきましたので、またまた日本脱出計画を練りだしています。ところで、今夜は、徳徳亭であった「連続講談席〜新鋭四人会〜」に行ってまいりました。オーナーの方から、続き読みの会をとのお誘いで始まったそうですが、僅か2日間(但し1日3公演)での開催に加え、2日目の7時開演の公演は中止というドタバタ。どうやら料理屋さんが会場ですので、宴会が入ってしまったようです。しかも、2日目の4時開演の公演は、南湖が、芸術祭の授賞式があるため欠席ということも追加されてしまいました。本日の番組は、南斗「難波戦記〜発端〜」、南舟「太閤記〜秀吉の生い立ち〜」、南青「自来也 浪人、軍太夫の奸計」、南湖「熊谷次郎直実 敦盛」。あとで判ったのですが、南斗と南舟は、南湖から、マクラをたっぷりとふるようにとの指示を受けていたとか。1日3回公演ですから、ネタもそうですが、微調整が可能ですから、喋る稽古になるからということだったよう。南斗は、師匠南左衛門の出ている歌舞伎公演を観に行った話、南舟は、AKB48の話をしていました。ネタは、おなじみのものです。今夜は、南青のところでダウン。ネタ的には、一番期待していたものだけに、悔しい話です。最近のダウン続きは、まだ続いているのです。「熊谷次郎」は、桓武平氏の流れを汲む熊谷氏が源氏の組することのなったことを前半に読み、中盤からは、没落が始まる平氏のあと、源氏の台頭をさっさと読み、一ノ谷に入っていきました。そういった経緯の挿話的扱いで、敦盛の首を落とすところへと入っていきます。逃げていく平氏に対し、熊谷が恥ずべき行為と言うと、敦盛が戻ってきて、熊谷との一騎打ちになるというものでした。笛は、首を落としたあと、敦盛の胸にしまわれていたものを、熊谷が見つけるという流れで、そこで、前夜の笛の音は敦盛のものだったと知ることになりました。講談のこのくだりを聴くと、能「敦盛」の風情、ワビサビの表出は、やはり秀逸だと、あらためて感じ入りました。




2011年 1月 18日(火)午後 10時 19分

 今日は、勤務日ではないため、ゆっくりめに起床。勤務日でないのに、朝早く目が覚めることが多いにも拘わらず、今日は、いつも電車に乗っている時間に、お目覚め。もう、それだけで、朝から気分が良いのです。ホントに、ささやかなものですが。お昼ご飯を、寝屋川のお気に入りのお店に、今年初めておじゃまをして、お店の方に、あわせて新年のご挨拶。そして、いつものように、「萱島」駅まで、ミニミニ・ウォーキングも定番。少し4時開演の文楽までには時間があったので、日本橋駅上のネットカフェで、小1時間の時間調整をしてから、文楽劇場入り。今日の番組は、次のようなものでした。「寿式三番叟」「傾城反魂香〜土佐将監閑居の段〜」「染模様妹背門松〜油店の段・蔵前の段〜」。「三番叟」は、能「翁」の変形。お調べから始まり、翁渡り、千歳の舞、翁の舞、三番叟と進むが、表題のように、三番叟中心。千歳や翁の舞は、あっけなく終わってしまう。三番叟も、派手さのある「鈴の段」が長い。滑稽な場面も入り、正月気分にさせてくれます。「傾城反魂香」は、通常「吃又」という、すごい言い方をされているとか。吃音の絵師が、功を上げようとあせるが、なかなか思うに任せず、死を考えるまでになる。そこで描いた絵が、一念通じ認められるというもの。「傾城反魂香」って、「高尾」の基になったと思っていたのですが、全然、黄紺の勘違いだったのかと調べ直してみると、両者は、中国の故事を基に作られたものらしいのです。2つの演目を繋げてみようという書き方も看ることができます。てなことで、黄紺の記憶は、間違ってなかったということですが、今日観た文楽では、落語の「高尾」を思い浮かべるようなところはありませんでした。「染模様妹背門松」は、お染・久松もの。去年だったかに、「新版歌祭文」の方が出ていますから、これで、お染・久松ものの代表作2つを観たことになります。「油店の段」の方は、主役は、お染・久松ではなく、善六という番頭。お染に横恋慕したり、盗みをしたりという小悪党。ただ、チャリで憎めない存在。そのチャリ場が、最大の見せ場。黄紺が、今まで観た中では、「桂川連理柵」の「帯屋」と並ぶもの。今日のチャリ場の太夫さんは、咲太夫さん。今一番勢いのある太夫さんだと思います。しかし、清兵衛さんは、いい人です。ここまで、我々の感覚にフィットするいい人、登場人物でいないんじゃないかなぁ。主君のために、誰かのために、正義を掲げるなんて話は、いくらでもあります。芝居の中の人物でありながら、芝居の外にいて、行動を考えてるみたいな存在。今日は、ええとこどりをして、2つの段が出されましたが、どういったコンテキストで、このような人物が生まれたのか、興味津々です。一つ言えることは、そういったキャラの清兵衛が描かれることにより、お染・久松が、すごく子どもっぽく見えてくるのです。ならば、とっても気に入った作劇法と思えてきます。優れもののチャリ場にしても、同工異曲の多いお染久松ものでの差別化を図ったとも取れます。なかなか心にくい演目と看ました。




2011年 1月 17日(月)午後 11時 7分

 寒さは続いています。外に出るのももどかしい日が続きます。1月も後半に入り、次第に、先日までのヨーロッパ旅行を思い出すと、オペラハウスの華麗さにうっとり、もう一度、早急に行ってみたいなと、3月の末にでも行けないものかと調整に入っています。股関節の状態は、相変わらず芳しくないため、昼間は歩き回るというより、おいしいものを食べ、ビール、ワインを呑み、夜はオペラ三昧、これなら行けるということで、現実味が出てきています。それはいいとして、今夜は、久しぶりの「蒲生四丁目寄席」におじゃまをしました。こちらは、右喬、染弥、雀五郎、花鱗で始まった会。花鱗は休眠状態ですから、残りの3人で続いています。取り合わせがおもしろく、うまくスケジュールが合えば、出かけていくことにしています。場所は、「聖賢会館」というところで、蒲生四丁目駅近くの自転車置き場にある自治会館のようなところです。その番組は、次のようなものでした。右喬「狸賽」、雀五郎「阿弥陀池」、染弥「天狗裁き」。雀五郎が高座に上がったときには、染弥は到着していなかった由。丹後の方に仕事に行き、雪の影響を受けてしまったためとか。黄紺の方は、右喬、雀五郎と、連続ダウン。どうも、最近、こんなのが続いています。気が付くと、「政が死んでしもた」で、雀五郎が大弾けをしてしまっていました。染弥は、「天狗裁き」を持ちネタにしてたんですね。初めて知りました。ずーっと、オーソドックスに展開。キャラの描き分けはおとなしめ。染弥ならできるので、物足りなさを感じてしまいました。下げを言ってからも続け、ちょっとしてから、「この噺は、どこまでも続きそうなんで」と言って、切り上げました。循環落語にしてしまったということは、一連の繰り返し自体が夢だったとしなかったことになっちゃいますが、、、。そこまで考えた上での変更なのかどうかは分かりかねます。7時開演で、終演が、8時10分にもなっていませんでした。3人の会は、この早すぎる終演が嫌なんで、避ける傾向にあります。帰りは、関目経由にしてみました。




2011年 1月 16日(日)午後 11時 53分

 この2日間、落語会やらに行っては、ぐったりしています。いろいろと疲れがたまってるみたい。そないなこともあり、今日の午前中は、何もしないで、部屋の中でごろ〜んでした。そして、12時20分をメドにお出かけ。行き先は、JR環状線「玉造」駅前のカタリーナ・ホール。「らくごのたまりば」という、毎月、このホールで行われている会があったのです。久しぶりのおじゃまとなりました。この会は、急遽決まった会らしく、黄紺が、その存在を知ったのは、数日前、繁昌亭に置いてあった手書きのチラシ。そないな感じで行く会もあります。今日の番組は、さろめ「ちりとてちん」、三弥「おごろもち盗人」、三四郎「おじいちゃんの病室(仮題)」、三金「みかん屋」。さろめの「ちりとてちん」は初遭遇。あやめヴァージョンを受け継いでいます。あやめの薫陶を受けている箇所が、さろめの口演を聴いていると、よく分かります。また、さろめも、よくこなしてるなぁと、さろめの高座に触れるたびに感じます。最後、旦さんも、ちりとてちんを食べるというのはいただけません。三弥は、明日のコンペに備えての口演。ただ不安定な箇所がいくつかあり、大丈夫でしょうか。序盤の、家の内と外との掛け合いとなるおもしろさを、三弥は理解しているのかなんて思ってしまいました。三四郎は、私落語を口演。マクラで、三四郎がよく話す、噺家であることを隠す親の話を膨らませたもの。三四郎の新作で、自然体の噺に仕上がっていると、初めて感じました。楽しみになってきました。三金は、デビューしたての頃、仁智や都丸に古典で誉められたことを紹介してからネタに。どないにたいそうな古典をするのかと思ったら、「みかん屋」でした。このネタのせんち場の場面が、長家の雰囲気がよく出ているので、好きなネタの一つです。今日は、演者もびっくりする程の入りとか。ディープな落語ファンから、演者の知り合いまで、多士済々の大入りでした。
 落語会が終わると、夜の部まで、若干の余裕があったので、40分の予定で、ミニミニ・ウォーキングをしました。玉造駅前から、大阪城を抜け、新鴫野橋経由、但し、片町橋は通らずに、京阪「京橋」駅までのコースです。実質所要時間は、41分と1分オーバーしました。そして、京阪電車で「森小路」駅まで移動。「芸術創造館」であっ た「劇団壱劇屋」の芝居「ブラック・スペース」を観に行ってまいりました。「壱劇屋」は、知人たちのやっている劇団。久しぶりにおじゃまをしました。その間に、えらく成長し、このたび、嬉しくも「ロクソドンタフェスティバル2010」で優勝し、今回は、その受賞を記念して、受賞作品の再演を行ったのです。黄紺の劇団探しの網にも引っかかってこようかというところまできていましたので、ぼちぼちおじゃまをしようかと思っていたのですが、今回の受賞の事実、及び再演についての情報を、すっかりスルーしてしまっていた黄紺に、知人から、その旨のメールが入り、無事、行くことができた次第です。他の劇団に観られない売りが、マイム・パフォーマンス。梯子やUFOを使ったマイム・パフォーマンスに、目を奪われてしまいました。随所に、そのようなパフォーマンスが繰り広げられるのですが、筋立てが、なかなか解らなくて、頭は混乱するばかり。昔は、こんな芝居はやってなかったんだけどと思うも、確実にオリジナリティどころか、強烈な売りを持ってしまった劇団に頼もしさを感じてしまいました。ようやく、単純に考えればいいんだということが判ると、今度は、どんなマイム・パフォーマンスが入ってくるかが楽しみになってきました。昔から知っている劇団が、大変大きなステップを踏み越えてしまった劇団となってしまいました。これからも、機会あるごとに見守っていきたいと思っています。




2011年 1月 16日(日)午前 0時 6分

 今日は、朝から夕方まで、またしても振り替えなしの出勤。こないだの日曜日も、そうでしたから、休日に職場にばかりいます。いくらストーブを入れても、なかなか暖まらないものですから、今日は重装備で出勤。少しくらいは効果があったかもしれません。そして、夕方、気温が更に下がっていくなか、京橋経由で南田辺まで移動。今夜は、久しぶりに「田辺寄席」におじゃましてきました。その番組は、次の通りでした。呂好「犬の目」、生喬「須磨の浦風」、文太「桃太郎」、(中入り)、枝太郎「悋気の火の玉」、生喬「吉野狐」。今日は、生喬たっぷりの段の日。珍品を2つ並べたのですが、枝太郎の出したネタも珍品。なんか珍品特集のようになりました。が、相変わらず寝不足が続いており、「桃太郎」の後半、「吉野狐」は、相当部分が、記憶にございません。寒いなか、「田辺寄席」まで行き、この様は情けないと言わざるを得ません。「須磨の浦風」では、鴻池の旦さんに位が欲しいものです。鴻池本家の人たちも、下卑た物言いは禁物と思うのですが。しかし、きれいようで、やっぱりきちゃない噺です。「悋気の火の玉」も、一部欠落をしているのですが、結局は、短い噺。死んでも悋気は続くというだけの噺でした。文太が「桃太郎」を出したのは、「笑呆亭」の出題の関係があったようです。そして、中トリをとったのも。子どものネタとなれば、文太は、お約束、娘さんの話です。蟯虫検査の話は傑作です。呂好は、初遭遇。緊張しているのか、口の回転が、決して滑らかとは言えませんが、その口から、古くさい大阪弁が出てくるものですから、おかしくて。まだまだ、これからの精進が求められます。中入りには、1月席のお約束、ぜんざいが振る舞われたのですが、なんせ寒い。屋外、夜、寒いのは当たり前、ボランティアの方々に頭が下がります。




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