忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2011年 1月 15日(土)午前 0時 11分

 旅行疲れなのか、仕事になれないことからくる疲れなのか、かなり朝からきつかった一日。今日は、まず、朝9時半をお出かけの目安にして、文楽を観に行ってまいりました。本日の演目は、次の通りです。「ひばり山姫捨松〜中将姫雪責の段〜」「傾城恋飛脚〜新口村の段〜」「小鍛冶」。「ひばり山姫捨松」は、中将姫の物語。帝の位をめぐる争いの中に引き込まれてしまった中将姫が、継母から折檻を受ける段。その折檻が、雪中で行われるものだから、この時期に上演されるのが習わしとか。だけど、この段だけだと、折檻が見せ場という、ちょっとサディスティックなもの。最後は、侍女の発案で、辛うじて逃げ仰せるというもの。中将姫が死んでも致し方ないと述懐する父親って、今じゃ通用しないですね。えらい心性のまかり通る話です。そして、中将姫の逃亡先が雲雀山という仕掛けです。切りの太夫さんは、お待ちかねの嶋太夫さんだったのですが、どうも、嶋太夫さんの勢いが落ちてきていると感じ始めてたのですが、今日も、そう感じたのが、残念でなりませんでした。「新口村の段」は、つい3年前の1月公演に出たばかり。他でも頻繁にかけるのだから、ちょっとくらい、本公演では間を開けて欲しいものです。やはり、前半の、バタバタと人が行き交うシーンと、後半の梅川忠兵衛と父親との邂逅とのコントラストが、良くできた作品です。切りは、綱太夫さんでしたが、やっぱりおじいちゃんでした。「小鍛冶」は、昭和の作品。能「小鍛冶」の完全なパクリです。違うのは、前半が、童子ではなく翁であること、前半には勅使が出ないのだが、後半には、刀作りの場にいること、能では下居の状態で、歴史に残る名刀譚が語られるのですが、文楽では動き回る、後半、相槌を打った稲荷明神が、そのあとは、狐足で動き回るという見せ場を作るというとなっている。細かな部分は置いておくと、そないな具合で、一種の祝言物と言えばいい作品でしょうか。今日は、行く前に予想されていたのですが、ダウンの連続。体全体が重いままの文楽鑑賞でした。ただ、珍しい方にお会いできたのが嬉しかった出来事でした。
 文楽が終わったのが、2時半にもなっていませんでした。あっさり味だっただけではなく、時間も短い。夜の部は、7時半からでしたので、時間調整に、まず、1時間ちょいのミニウォーキング。アメリカ村を抜け、阿弥陀池筋まで行き、千日前まで引き返してきました。そして、3時間パックで、ネットカフェに入り、時間調整。ここで、軽い睡眠をとるつもりが、ずっとネットサーフィン。目が疲れただけでしたが、少し体を動かしたのが良かったみたいで、夕方からは、だいぶと元気が回復していきました。そして、夜は、應天院であった「満月動物園」という劇団の「太陽物語」という芝居を観に行ってきました。以前から、劇団探しの中で引っ掛かっていた劇団の一つですが、公演日にうまく合わせられず、今回が初めての遭遇となりました。クローン技術を盛り込んだSF的作品なのですが、自分探し的な要素のある作品で、こんなのをやってみようという劇団があるんだということだけで、ちょっと嬉しくなってしまいました。クローンですから、コピーと本体があるわけで、ここんところを、上手く使って、観る者の混乱を生み出す操作なんか、嬉しかったですね。人が人となる、それは、幾つもの自分殺しを行い、人格が固まっていく、ありきたりと言えばありきたりかもしれませんが、それを、クローン同士の殺戮という現象として見せるという着想もおもしろかったな。アイデアに満ちています。そして、それをおもしろく見せる意欲を感じましたが、まだまだグレードアップする可能性を感じたということは、この公演自体が、成長の途中ということなのかもしれません。客演も、小劇場界で、よく見かける達者な役者さんを集め、好演。役者の動きは稚屈かな。ここが踏ん張りどころ。場面転換の多さもウィークポイントと看ました。でも、その場面転換に使われたアルゼンチン・タンゴが新鮮で、次の場面への期待を膨らませる効果がありました。自分的には、ブックマーク入りの劇団です。




2011年 1月 14日(金)午前 0時 29分

 昨日は、久しぶりの仕事だったこともあり、一応、旅行に行く前には、仕事のやりだめはしてはいたのですが、そこはそれ、久しぶりの職場となると、やらねばならないことが出てきたということで、夜遊びは中止。家に直行しました。そして、今夜は、繁昌亭。でも、この2日間の寝不足がたまり、かなり危ない状態。そないななかの繁昌亭は、「第五回繁昌亭大賞受賞記念落語会」があった夜。受賞者の充実が素晴らしく、いい夜を過ごすことはできましたが、やはり予想していたことが発生。文三の高座で、目の前が朦朧として行くのを意識していても、どうしようもありませんでした。番組は、次のようなものでした。三枝「挨拶」、かい枝「キョウコ(仮題)」、花丸「無いもん買い物」、文三「崇徳院」、(中入り)、「受賞式」(授与者:松枝、司会:たま)、鯛蔵「強情灸」、文華「景清」。大賞と奨励賞の二人が、大ネタを出すという、なんとも言えないグレードの高さを感じる会。その文三の半ばで、意識が遠ざかっていきました。序盤の、熊はんが若旦那を訪ねて行くところを、こないにおもしろく表現できた人がいたでしょうか。ナチュラルで納得の表情に仕種、これは、大変な高座に出会ったなの実感を持ちながらのダウンですから、体調不良もいいところです。文華も、負けじと素晴らしい高座を務めました。作次郎の慟哭にこだわった演出、とっても妥当です。心の叫びを表現してくれました。ですから、作次郎の軽い部分も、意味が出てきます。その辺の目の付け所が違います。目をもらったところでの切り上げで、「目の見えない人が目が見えるようになったというおめでたい噺です」で下りました。花丸は、「ちょっとだけ新作をいじってます」「どこをいじったか探してみてください」と言ってから、いきなり、「ビリー」ですから、それだけで、会場は沸きかえります。この改作シリーズは、花丸オリジナル。ちょっと離れて聴いてみると、グレードアップしています。鯛蔵が、知らない人も、今日の口演を聴けば納得でしょう。演じ慣れたネタを、自然な身体表現とともに、素晴らしい口演で演じてくれました。ある意味では気の毒だったのが、かい枝。彼は、最近、創作ものをしていないのです。かつて創ったものからも、最近、高座に出すのは、「ハルコとカズコ」「丑三つタクシー」くらい。雀喜、三幸という受賞が妥当と言う人がいるのに、この二人は、時期尚早と看られたのでしょうか。




2011年 1月 11日(火)午後 11時 10分

 まだ、自分的には、仕事始めとはなっていません。バーゼルから帰ってきて、まだ勤務日がやってきてないということだけで、いよいよ明日から、仕事始めとなります。そこで、今日は、朝から、三条にあるMOVIX京都での「メト・ライブビューイング」に行ってまいりました。今月は、大作オペラ「ドン・カルロ」(伊語版)でした。上演回数の少ない方の伊語版ですから、5幕物でしたので、休憩2回を挟んで、上映時間4時間半というものでした。先日、チューリヒで観た「ファガロの結婚」が、休憩時間を入れて、3時間40分でした。そのたっぷり感どころではないはずですから、オペラ鑑賞も、なかなか体力勝負という部分もあります。メトでの上演の際には、もっと、休憩時間は取っているでしょうから、5時間ほどかかったんじゃないかな。物語は、ドン・カルロと父のスペイン王フィリッポ2世との、女をめぐる、また政治的な相克を描いたもの。ドン・カルロをロベルト・アラーニャ、フィリッポ2世をフェルッチオ・フルラネットという、当代のスター歌手が歌っていました。ドン・カルロの元婚約者にして、後にフィリッポ2世の王妃となりエリザベートという難役を、ロシアのマリーナ・ポプラフスカヤが、見事に演じきっていました。ドン・カルロとの友情を貫くロドリーゴは、サイモン・キーンリーサイド。二人の友情を表すモチーフの使い方に、ワグナーの影響が出ています。観ていて、暗い、陰惨な部分を持つこのオペラで、そのモチーフが出てくるときが、最もホッとする瞬間です。時代は、スペインの統治に、フランドルが抵抗運動を展開する時代で、それが、筋立てにもモチーフともなっています。従って、第3幕の異端審問の場面が出てきますと、一挙に政治色・宗教色が濃くなっていきます。第3幕は、有名なメロディーが出てきたり、多人数の群像劇でもありますから、とっても印象に残るところでもあります。となると、一方の極に構えるのが、異端審問官(名前が出てない、どこにも!)。この人が実に上手い。これでは、宗教改革が成功でもすれば、教会の破壊などというものが進むはずと思わせる保守の権化を演じきっていました。後のドン・カルロの悲劇を生むためには、フィリッポ2世は、若干なりともためらいを見せるのですが、この異端審問官は、動じない一徹さを表さねばなりませんから、もううってつけ。「ドン・カルロ」には、6人の主役がいると言いますが、その6人目が、アンナ・スミルノヴァ演じるエボリ公女。横恋慕の気持ちが、悲劇の導火線を引く重要な役柄。しかし、決してドン・カルロには振り向いてもらえない。エリザベートと違い、ちょっと太めの歌手を当てるという配慮も。それに加えて、指揮のヤニック・ネゼ=セガンの躍動感に溢れる音楽作りが、一層素晴らしい出来栄えを演出していました。それにつけても、メトの舞台の奥行きの深さはすごい。縦に道をとり、それが様になる圧倒感は、ブダペスト歌劇場で思い知りましたが、メトの舞台は、それ以上でしょう。それに、薄暗い城内の窓から差し込む光の筋が印象的で、この近代初頭の陰惨な物語を暗示するかのようで、とても気に入りました。
 映画館を出たあと、三条通で、ちょっとだけ買い物。夜の部に向け、今度は、一挙に京阪特急で、京橋まで移動。「天満講談席」までの時間調整も兼ね、京阪京橋駅から、南森町のおなじみのネットカフェまで、徒歩で移動。この時点では、「天満講談席」の会場を、北区市民センターと信じ切っていました。ところが、いざ会場の前に立つと、同センターは灯りが落ちていたのです。それから、双馬ビル(天満橋)に変わったのに気が付くまで、スリーテンポほどかかりました。慌てて、JRで京橋まで行き、京阪で天満橋へ。会場にたどり着いたときには、3分ほど遅刻をしてしまいました。本日の番組は、以下のようなものでした。南舟「矢頭右衛門七」、南華「平賀源内〜瓢箪50両〜」、南海「女侠客奴の小萬」、南北「名医と名優」。いつもながらの充実した高座が続きましたが、自分的には、侠客ものが好きなため、南海さんのネタが、一のお気に入りでした。「浪花侠客伝」よりの抜き読みです。三好屋四郎右衛門に弟子入りする奴の獅子奮迅の活躍譚です。痛快、女だてらの意外性、そんなのがてんこ盛りの話で、前のめりで聴いてしまいました。「名医と名優」は、オランダ医学を学んだ医師と三代目歌右衛門との深い絆の物語だけで、歌右衛門を呼びつける動機となる話しがおもしろくない。医師の人柄が、ここに来て、急にしぼんでしまいます。それが残念なところであるが、南北さんの語りは、切々と胸に染み入ります。南華さんのネタは、長い話の抜き読みとか。そういったネタがあるのを知りました。今日語られたのは、平賀源内が知恵者であることを示す部分か。僅かに、ことっとダウンをしてしまったのが惜しまれます。でも、前夜の寝不足からすると、その程度で、よく済んだものと思われます。南舟は、充実の一途。ポピュラーなネタでありますが、先輩講釈師さんと遜色なくなってきています。ネタのおもしろさが、かなりグレードの高い会でしたので、大満足です。




2011年 1月 11日(火)午前 1時 41分

 日本に帰ってきたときには、日本は暖かくていいなと思ったのですが、今日などは、スイスの方が、穏やかな感じです。チューリヒでは、オープンテラスで、昼食用のパンをかじっていたほどでしたから。今日のお出かけは、11時がメド。運良く、月曜日が休日となったので、「一心寺門前浪曲寄席」に行くことができました。1月席に行くのは初めて。1月席は、3日間日替わりで、番組が組まれます。3日とも行きたい気分なのですが、昨日は、仕事で断念。本日の番組は、次のようなものでした。京山倖若「稲川の東下り」、天中軒雲月「徳川家康〜人質から生活〜」、松浦四郎若「伊達騒動〜南部鉄之助の出府〜」、京山小円嬢「赤穂の人妻」。軽妙な話が得意な倖若は、今日はおとなしめ。上方相撲の稲川が江戸に出て、勝ち続けたのですが、贔屓筋は欠片も現れない。そういったとこに、おこもの贔屓が現れという話。天中軒雲月のところは、半寝状態で聴いていました。一番前に座っていながら、申し訳ない話です。話は、家康の幼少時代、人質生活を繰り返す話です。松浦四郎若の「伊達騒動」は、発端部分じゃないかな。南部鉄之助は、伊達公の命を受け、江戸の蔵屋敷に派遣される男。その南部鉄之助が取り立てられる話がメーン。そして、終盤は、伊達公自身が、南部鉄之助に極秘命令を託すくだりとなりました。松浦四郎若ってすごいなと、この口演を聴いて初めて思いました。気を乗せようとして乗せられる人は、感動を生みます。トリは、お目当の小円嬢。春野百合子が聴けない今、小円嬢を聴けるのが至極の楽しみです。「赤穂の人妻」は、不破数右衛門の物語。彼が義士として活躍するベースが語られます。しかし、奥方の藤の覚悟は凄まじいものがあります。このネタを、今度、NHKに収録し、菊池まどかの口演とともに、ラジオでオンエアされるそうです。小円嬢の物言いを聴いていると、師弟共演というのが嬉しそうでした。お互い、自慢の師匠であり、自慢の弟子でしょうから。
 浪曲を聴き終わると、桃谷駅まで、ごく軽いウォーキング。そして、息子宅により、夜はおでんで軽く呑んでから帰宅です。




2011年 1月 10日(月)午前 9時 56分

 8日(土)の晩、バーゼルから、イスタンブル経由で帰国して、昨日は、日曜日というのに、早速、午前中出勤となっていました。まだ、時差ボケのまま、仕事が済むと、職場で仮眠をとってから、シネ・ヌーヴォに。夜の繁昌亭までの時間調整の意味も兼ね、神代辰巳の映画全作品が、今、シネ・ヌーヴォで上映されているのです。ちょうど、「一条さゆり 濡れた欲情」を観れるというので、シネ・ヌーヴォ経由で、繁昌亭に向かいました。一条さゆりは、伝説的ストリッパー。映画制作の契機が、警察による逮捕というもので、話題性を考えて作られたというより、警察の逮捕に敢然と向き合うという趣旨で作られたという認識が一般的な、日活ロマンポルノの代表作品の一つ。「一条さゆり」が題名に入っていますが、筋立ては、伊佐山ひろ子演じるストリッパーが、一条さゆりに対抗心を燃やすしがなさが中心。70年代の阪神野田駅周辺など、大阪のかつての姿を観れるのが、なによりも嬉しい作品です。それにしても、すっごい人気で、客で映画館はごった返していました。
 繁昌亭までの移動は、頃合い加減の時間は。昨夜は、「む雀30周年!」という注目の会があったのです。脳溢血で倒れて6年近く、舞台から遠ざかっていたむ雀の復活の会だったのです。ただ、右半身不随になっていますので、喋るのも、まだまだ不十分なため、む雀自身は、ハーモニカ演奏と長唄での舞台。それに、同期の噺家さんが、そして、この会のプロデュースをした九雀が落語を演じるという会となりました。番組は、次のようなものとなりました。九雀「みかん屋」、米平「天狗裁き」、む雀・あらいなおこ「ハーモニカ演奏」、(中入り)、豊来家板里「太神楽曲芸」、三歩「神様のご臨終」、む雀・今藤政之祐(唄)・今藤佐敏郎(三味線)「長唄:明けの鏡・越後獅子」、竹林「親子酒」、む雀「挨拶」。なお、幕間のおしゃべりは、ABCアナウンサーの三代澤康司が担当しました。九雀は、かつて、む雀が、米治郎からもらい、よく演じていたというネタをチョイス。米治郎(米朝の弟弟子)が、若い噺家に稽古をつけていたということを、初めて知りました。ハーモニカ演奏は、「君が代」「母さんの歌」「大きな古時計」「ふるさと」。「あいさつ」のときには、「仰げば尊し」でした。ハーモニカ演奏を聴いているさなか、涙が出てきてこらえるのに懸命になっていました。とにかく、芝居噺・音曲噺に意欲を見せていたむ雀でしたから、新たな楽器にも、懸命に稽古をしてきたことでしょう。長唄の今藤政之祐は、八方の娘婿に当たる方。む雀自身が、長唄を習っている方だそうです。長唄は、言葉もはっきりしていて、リハビリを進めることで、まだまだ快復は進むのではと思わせられました。竹林が、心暖まる「親子酒」。親父さんが酔うところで、む雀に関しての注文とかが入りました。中でも、「晩年の松鶴の方が、呂律が回ってなかった」には、場内大爆笑。会が終わると、む雀自身が、表でお見送り。楽屋には、多くの噺家さんが集い、この日を祝福していたということで、繁昌亭全体が、む雀の復帰で暖まっていました。

(12月23日の記録です)
 今日は、パリに向けて出発する日。トルコ航空で行くので、昼間は、大阪市内で落語会に行っていました。徳徳亭であった「恵まれない女流噺家に愛の手を」に行っていました。上の階での志ん橋の会をパスして、ぽんぽ娘を選びました。番組は、次のようなものでした。和歌ぽん「大安売り」、八斗「動物園」、ぽんぽ娘「ちりとてちん」、(中入り)、ぽんぽ娘・さろめ・八斗「対談」、さろめ「セールスウーマン」、ぽんぽ娘「宗論」。ぽんぽ娘の師匠の文福も、仕事納めも済んだということで、会場に姿を見せただけではなく、「対談」の際に、舞台にも登場。ぽんぽ娘と、絶妙のやり取りで笑わせたうえ、お約束の相撲甚句を披露。会場、大満足。それにしても、ここまで、入門年数の低い会も珍しい。和歌ぼん、八斗は、初遭遇。八斗に、先行きの楽しみを感じてしまいました。さろめには、こういったあやめ作品を、上手に継承できる楽しみを看ることができました。ぽんぽ娘は、「ちりとてちん」を、女性ヴァージョンで。動楽亭でも聴きましたが、確実に、効果的に改作を重ね、商品になってきました。こういった臨機応変さが、ぽんぽ娘にはあります。それに対して、「宗論」はまだまだ。笑いのツボが、ワンパターンになっていることは、ぽんぽ娘自身も気付いていることでしょうから、またの遭遇を楽しみにしておきましょう。それにつけても、ぽんぽ娘、大成長です。こういった会があれば、次回も足を運んでみようと思わせられるものがありました。




2010年 12月 23日(木)午前 7時 22分

 昨日は、今年最後の勤務の日。あらかじめ、それがわかっていたので、準備万端怠りなくで、ゆったり気分で、夜遊びに出かけることができました。そうはしていても、常に気になっていたのは、パリの雪。飛行機は飛ぶんだろうか、到着日の天気は、無情にも雪。ま、それはおいておいて、今夜の落語会は、「笑いのタニマチvol.93〜仁智の新作落語道場〜」。場所は、一昨夜の南海さんの会と同じく、薬業年金会館。この会は、仁智が、毎回2席披露してくれる会。いつも、客の入りはなかなかのものがあります。この会が、今年最後の落語会となりました。番組は、次のようなものでした。三四郎「かずとも」、仁智「ニコニコ警察」、たま「伝説の組長」、仁智「仁智版忠臣蔵(仮題)」。三四郎は、奔放に思ったことを口にする子どもと、それにうろたえる母親の噺。お通夜や葬式の場面で、噺が進んでいきます。演出の問題として、子どものしゃべり方を、もう少し可愛げのある言い方にした方が、受けがいいのでは。子どもの言う言葉は、とってつけたような言葉ではないので、残念な気がします。たまは、定番ネタ。前半の肝心なところが判らないという発想は、ホントに優れもの。パターンがわかっていても、おかしい。後半に入ると、今度も、繰り返しのおかしさなんだけど、前半とは違うパターン。繰り返しに入ると、どっかーんとくるんだから、すごい話です。仁智の一つ目は、もし警察が民営化されたらという噺。その本題に入る前には、市役所、消防署の救急車をふってから、警察に入りました。自分的には、初遭遇だったのですが、もっと、いろんなところでかけられてもいいのではと思わせられた作品。「忠臣蔵」が、本日のネタ下ろし。大石内蔵助には、電話で、刀傷の連絡が入ったり、TVレポーターが、松の廊下から生中継をしたりと、現代のアイテムを使って、討ち入りへと噺は進んでいきました。レポーターが、刀傷の背景を語るところでは、フリップを用意して、後ろにカンペを貼り付けての口演。ちょっとずるをしましたが、討ち入りに参加する義士が、最初は断る場面では、仁智らしいショートコント的場面も用意されていました。しかし、いろんなことのできる人です、仁智は。今日の会を聴いて、そのことの再確認ができました。




2010年 12月 21日(火)午前 5時 22分

 昨夜は、二度寝がえらく充実。一日が短くなってしまいました。短い午前中から昼間にかけて、旅行準備。そして、午後2時10分をメドに、お出かけ。目指したのは、ワッハのライブラリー。股関節の痛みが、一段落をしたので、京阪「北浜」駅からワッハまで、歩いて行ってみました。ゆったりめに歩いて、所要45分です。ワッハでの試聴ラインナップは、次の2つとなりました。@関西TV「大河駅伝落語・東の旅」(案内:和多田勝)、千朝「矢橋船」、米朝「瘤弁慶」、A朝日放送TV「紫綬褒章受賞おめでとう米朝さん」。@は、伊勢神宮への往きと帰りに分けて放映されたもの。こないな番組があったのですね。「矢橋船」なんてのは、最近では、とんと聴く機会がありません。福笑・たまという師弟で聴いたくらいです。千朝が持っていたことも、失念していました。昔、聴いた可能性はあるのでしょうが、記憶には残っていません。下げまで聴いたのは、何年ぶりでしょうか。雀が刀に飛んでくるという展開も、鳥かごを持った客が乗り込んできたことで、思い出したほどです。「瘤弁慶」も手がける若手が出なくなって、寂しいと感じているネタの一つです。米朝の場合は、当然、「宿屋町」から入るわけですが、その「宿屋町」ですら、やり手がいなくなってきています。おなごしの描写なんてのは、誠にもって、落語的なんですが。後半は、しかし、けったいな話です。だからでしょうか、やり手がいなくなってきているのは。Aは、文字通り紫綬褒章受賞記念。「弟子によるリレーメッセージ」「対談:米朝・小文枝・枝雀・三枝」という進行で、最後に、米朝の口演で、「馬の尾」が付くのですが、時間切れで、その前で、引き上げねばなりませんでした。上方の演芸界では、二代目南陵、六代目、それに次ぐ受賞となるそうです。昭和62年と言ってましたが、今から四半世紀も前のものです。番組自体としては、あまりおもしろいものではありません。原因は、対談で、三枝があまりうまく絡まないのです。ワッハは、この26日で、一旦、閉館です。ライブラリーは、再開したとき、残るのでしょうか。そして、何よりも気の毒なのは、今、ワッハで働かれている方々が失職されることじゃないかな。
 ワッハに入る前に、少し雨が降りかけていましたが、出てくると本降りになっていたため、夜の部の会場「薬業年金会館」への移動は、徒歩でなく地下鉄で。「第161回旭堂南海の何回続く会?」が、こちらであったのです。年末に雨が重なり、客足は伸びませんでした。「浪花五人男」が読み続けられていますが、前回、布袋市右衛門と、極印千右衛門が会いかける直前で終わったのですが、この二人が会うということは、千右衛門の父親死と、布袋の妹お露が死にかけるという代償を払ってのものでした。悪役は、野田藤という贋金作りの一団です。それとつるむ与力。布袋市右衛門と極印千右衛門が、野田藤の配下の者に、ぼこぼこにやられているとき、通りかかったのが、雁金文七と雷庄九郎、庵平兵衛の3人、これで、ようやく5人が揃ったというわけです。贋金作りの一味からすると、千右衛門が、父親から託された極印が目当てです。千右衛門からすると、極印を求める一団は、父親の仇です。そして、その千右衛門をサポートする、あとの4人という形で、昨日の講談の後半部分は進みました。そして、千右衛門が雷庄九郎と一緒に、道頓堀で芝居を観に行っているとき、野田藤と与力が、子分を引き連れて芝居小屋に現れ、直情的な千右衛門が挑みかかるというところで、次回のお楽しみとなりました。昨夜の南海さんは、珍しく言い淀みや言い間違えがあったりで、どうされたのでしょうか? 余興のやりすぎ、かもしれません。




2010年 12月 21日(火)午前 5時 22分

 昨日は、年内最後から2つ目の勤務日。水曜日に、職場に行くと、次の出勤予定日は、1月12日になっているため、その間に、本来なら手を着けておかねばならない仕事を、今の間にしておかねばならないし、さりとて、すぐに結果を出さねばならない仕事もあり〜ので、大忙しの一日。勤務時間をオーバーして、誰もいない部屋で仕事を続けておりました。更に、その上、夜遊びにもお出かけ。行き先は、精華小劇場。今夜は、こちらであった「悪い芝居」の「きょむ」という芝居を観ました。「悪い芝居」という劇団は、京都を本拠に活躍している劇団で、評価はかなり高いものがあると思っているのですが、自分的には、不運続きで、バッティングの繰り返しで、昨日、ようやくその舞台に接することができました。結論から言うと、正に期待通り、評判通りの劇団でした。芝居は、前半が、ホームレスの松本さん殺しを、警察官二人が、ホームレスらを相手に捜査をする場面。一人一人の証言に入る瞬間の照明の使い方、役者の動きなんかに、目は釘付けです。犯人は、単独犯ではないのかなと思わせておいて、前半は打ち切られます。ただ動機は判らない。証言にも、何かを隠そうとしている雰囲気が、微かに出だしたところで切られます。後半に入るに当たり、ここからは、松本さんが殺される前から始まると宣告があり、更には、「この芝居の最後で、松本さんを殺します」と告げられます。松本さんは、実は、ホームレス仲間から慕われ、愛されていた人物であるということが判ります。その松本の夢は、生き別れになっている娘との再会ですが、その再会が実現したところから、悲劇は始まります。娘は、実父がホームレスだと知り自殺をしてしまうのです。「虚無」の状態となった松本さんを、仲間たちは、生きる望みを絶たれ死ぬのを待つばかりなら、自分たちの手で死なせてやろうとなるのですが、いざ実行となると、、、。ここから、舞台の照明は落とされ、舞台周辺に当てられた明かりでだけ、芝居は進んでいきます。芝居であって芝居でないという雰囲気を作り出します。役者としての台詞なのか、役者個人の声なのか、その辺を判らなくしてしまう効果抜群です。この当たりでは、会場各所から鼻をすする音が上がっていました。これほどの涙を流させた芝居は、未経験のことでした。確かに、最後、松本さんは殺されます。この芝居は、あらゆる価値観に対し立ち向かうものという位置付けの言葉が、何度か繰り返されました。唸る唸る、それほどしっかりとしたパフォーマンスを見せてもらえたっていう印象が残りました。才走った脚本、演出、それに応える役者陣、なるほど、注目されるに値する劇団と看ました。




2010年 12月 19日(日)午後 9時 50分

 今日の午前中は、振り替えなしの出勤。それが終わって、ちょっと遅めの昼ご飯を、京橋で息子ととりました。昼ご飯というよりは、昼間から呑んだというのが、正しい言い方になります。すっかり酩酊気味の黄紺だったのですが、そのあとは、息子と別れ、歩いて南森町まで移動。いつものネットカフェで、酔い冷まし兼時間調整をするつもりだったのですが、1時間半くらいは熟睡しました。そして、繁昌亭へ。今夜の繁昌亭では、昨年に続き、「第2回繁昌亭美女倶楽部」がありました。三味線の花登益子さんを中心に行われている会のはずです。その番組は、次のようなものでした。団姫「挨拶」、福丸「金明竹」、春野恵子(沢村さくら)「お菊と播磨」、団姫「鹿政談」、(中入り)、「AKB48的美女コーナー」、仁智「めざせ甲子園」。福丸が、マクラからはじけまくり、大受け。その空気をネタの方にも持ち込み、これまた大受け。「金明竹」のトンチンカンなおかしさが、十二分に伝わった結果です。この人の早口は、一つの売りになります。花登さんとの繋がりの関係で、春野恵子の曲師は、沢村さくらさんが務めました。浪曲版「播州皿屋敷」の心性っていうのは、普段聴く浪曲や講談の心性を超える新しさがあるように思います。純愛を貫くために、人を斬るというのは、ぶっ飛んでると思ってしまうのです。団姫のネタは、中トリという位置、袴姿の登場で、直感しました。初遭遇です。地語りの多いネタに、団姫の場合、よく出会うのですが、繁昌亭くらいのキャパでは、声に不安を感じてしまいました。落ち着いた丁寧な語り口に、「鹿政談」なんかは合ってるのかと思っていたのですが、声が割れてしまうと、興ざめになってしまいました。中入り明けが、本公演の売り。団姫のAKB48の振りに、ぽんぽ娘が割って入り、メイド漫談に。さすが、今日は下ネタなしでした。次いで、花登さん、さくらさん、福丸で、「ピンクレディ特集」、最後に、団姫・ぽんぽ娘のダンスが入り「AKB48」。異様な雰囲気のなか、トリの仁智登場。むちゃくちゃやりなくそう。でも、仁智は仁智。自分の空気に持っていきます。ネタは、ちょっと間があいたかなという「めざせ甲子園」でした。終わると、ロビーの人力車横で、AKB48の衣装を着た団姫とぽんぽ娘の撮影会が行われていました。




2010年 12月 19日(日)午前 8時 3分

 昨日は、まず、旅行準備。足りないものに気づき、買い物に行ったり、当該国のお金を揃えたりという下準備をしていました。それから、能「皇帝」が出るからと、観能の予定をしていたのですが、過去の記録を見ていて、そないなおもしろい能ではなかったことを思い出し、夜に行くことを考えていた動楽亭での会に、無難に移動できることを最優先に、急遽、落語会に切り替えました。昨日は、わりかしいい会が揃っていたのですが、その中から、ちょっと間があいた感じでおじゃましたのが、「宵酔落語会クラシック」。この会の特徴は、落語に入る前に、4人のメンバーが、放談を行うこと。ここで聴いたことは、この場限りの話と聴くというのが、暗黙の了解。昨日も、35分以上続いたあと、着替えのための小休憩が走ったあとに、ようやく落語会に突入となりました。番組は、次のようなものとなりました。福車・出丸・遊喬・文華「鼎談」、出丸「阿弥陀池」、文華「初天神」、遊喬「池田の猪飼い」、福車「らくだ」。福車の高座以外は、どこかでダウンしてしまってました。特に、冒頭の2つでのダウンが著しい。せっかくの「初天神」、2度目の遭遇も、あえない事態になってしまいました。「池田の猪飼い」も、半ばが吹っ飛んでしまっています。はっきりと覚醒したのは、福車が、まさかまさかの「らくだ」をするということがわかった時。福車は、あまりネタを増やそうとしているとは見えてなかったものですから、仰天の事態でした。53分間の渾身の口演でした。らくだを棺桶に入れる準備をし出すところまでで、それだけかかっていますので、正真正銘の「らくだ」です。台詞は入りきっていました。仕込みに不安などは微塵も感じさせることは、全くなく進行。その中で、いくつか気になることがあったものですから、書き留めておきます。何ヶ所か、現代的な言葉をはさむのは、ペケです。酒を呑む量が違うのが気になったり、箸を持ち替えるのは止めた方がいいと思ったり、紙屑屋の酔い方も、緩やかなクレッシェンドがいいなと思ったりと、細かなところでは気になったのですが、台詞がしっかりと入っているいうのが魅力で、伸び代を十二分に感じさせる口演。気迫の口演などという表現は、普段の福車には思いもつかない言葉、それが、昨日の福車にはありました。
 会が終わると、移動時間を考えると、思いの外の切羽詰まった時間に入っていましたが、地下鉄を利用するということではなかったので、全て移動は徒歩で行いました。まず、日本橋へ行き食事、また、歩き出して動楽亭までという具合です。昨夜の動楽亭では。「第5回なんことけいこ〜忠臣蔵の巻〜」がありました。この会は、最優先マークを付けている会の一つ。番組は、次のようなものでした。南湖「殿中松の廊下」、春野恵子(一風亭初月)「浪曲・梶川大力の粗忽」、トークコーナー「恵子のギモン〜なんこ兄おしえて!〜」、(中入り)、南湖「梶川与惣兵衛」。昨日は、「殿中でござる」と浅野内匠頭を、背後から羽交い締めにした梶川与惣兵衛がテーマ。なので、浅野内匠頭以前の刃傷の可能性を、南湖が口演。浅野内匠頭が、可能性とは3度目だったとの話を受けてで、梶川与惣兵衛が登場となったわけです。そして、梶川与惣兵衛は、羽交い締めで、一挙にヒールに転落。浪曲では、「粗忽」とまで表現され、「曽我物語」を引き合いに出して、諭される話。それを聴いて、梶川与惣兵衛は出家をするとなっていきます。ところが、講談では、大石瀬左衛門信清により討たれる話となっていきます。この辺がおもしろい。講談と浪曲では違い、更に、事実っていうのがあるのでしょうね。そんなで、お二人の高座を満喫できたのですが、昨日は、更にサポライズが。大阪に来ていた神田山陽が、トークのゲストで現れ、自分の持ちネタの一部まで披露してくれました。大満足です。




2010年 12月 18日(土)午前 7時 14分

 昨日は、少し寒さが落ち着いたかなの一日、お天気も、とってもいい一日でした。慌ただしい3日連続の勤務を終え、ゆったりとした週末に入ったのですが、また日曜日の午前中は、振り替えなしの出勤が待っています。昨日は、夜には、昔の同僚の方々と、旧交を温める呑み会が予定されていましたので、それまでに一人遊びと、旅行の打ち合わせを済まさねばなりませんでした。まず、10時半をメドに出かけて、繁昌亭に向かいました。「枝鶴襲名披露」が、この1週間行われていますので、昼席を外すわけにはいきません。最近、繁昌亭に行くときには、「京橋」駅から歩くことにしています。30分もかからないで、繁昌亭に到着します。繁昌亭の近くで、お昼ご飯を食べて、繁昌亭の開場を待つという決まったコースが、自分の中に出来上がっています。昨日の番組は、次のようなものでした。智之介「桃太郎」、由瓶「阿弥陀池」、鶴二「野ざらし」、春之輔「お玉牛」、豊来家玉之助「太神楽・獅子舞」、米団治「蔵丁稚」、(中入り)、枝鶴・鶴志・仁智・米団治・鶴二「口上」、仁智「兄貴と源太」、鶴志「うだうだ」、枝鶴「宿替え」。智之介のトップは贅沢品。「桃太郎」で、先がどうなるのか楽しめるなんて、、、。「猿犬雉やのうて、いたち、バッタ、きつつきでないのは、なんでや解るか、お父ちゃん」、この類いなのだけど、ちょっとした工夫が、噺自体を活性化させるものだということのお手本のような口演。それは、目線などという落語の基本を忠実に実行しているという前提が、しっかりと実行されているからでした。今日の花◎の一番は、由瓶の口座。素晴らしい身体表現を伴った高座でした。ボケ倒すところは、動きを伴って表現すると、より陽気で派手になったのはもちろん、それ以外の場面でも、身体表現を有効に使っていました。「西宮」のところですら、身体表現を抜く高座にも出会う昨今、待たれた表現方法が出てきました。「野ざらし」「お玉牛」は、聴き慣れたネタでしたので、前夜の寝不足が効いたねか、うとうとしながら聴いておりました。米団治は、予想されたネタ。昨日の口演は、ちょっと荒いかなの印象。「口上」は、どうしても、先代の枝鶴話が出てきます。決して悪くなかった噺家さんなのに、 もったいないことをしたという思いが蘇ってきます。仁智は、鉄板ネタ。あとから出た鶴志も、このネタのファンだと言っていました。鶴志は、松鶴ネタをひとしきりやり倒して、ネタをしないで降りてしまいました。枝鶴は、ぐだぐだとマクラ、これが鶴志が言うように暗い、地味。さっさとネタに入ってよの気になってしまいました。「宿替え」は、移ってきたあとから、要するに釘を打つところから。その釘を打つためには、もっと腕を上げて欲しかったなぁ。この辺も、地味系。そないなことを考えると、トップの2人が抜群の高座を見せてくれたのと、「口上」で、先代の枝鶴話を聴けたのが成果なのかなという印象でした。
 昼席が終わったのが、4時15分。大急ぎで、京橋に移動。旅行の、ほぼ最終打合せ。そして、夜は、同じく京橋で、かつての同僚との呑み会。8人が集まりました。お腹の膨れすぎと、酔いが進むのを防ぐために、水割りを呑んでいたにも拘わらず、あえなく寝てしまいました。どんどんとお酒が弱くなっていってます。




2010年 12月 17日(金)午前 4時 29分

 昨日は、この冬一番の冷え込み。完全に真冬の寒さです。仕事の方も、山を越し、あとはなだらかな下り坂を下りて行くと、クリスマスが待っているという仕掛けですが、この寒さに、ますます旅行への躊躇いが高まってきています。こないな寒さにも耐えられないのにと、昨年のドイツ・オーストリアの寒さを思い出しています。ところで、昨夜も、京都で落語会にお出かけ。今週は、これで、週に3回も京都での落語会に行ったことになります。京都での会が減った今、こないなことは、とっても珍しいことになりました。昨夜は、京都のおなじみ「第94回養蓮寺寄席」に行ってまいりました。大阪の福島である会と迷った結果、こちらをチョイスです。完全に地の利で、迷ったときは、終わったあとの帰りのことを考えてしまいました。その番組は、次のようなものでした。三金「奥野君の選挙」、今井克紀「仕舞:紅葉狩」、石松「つる」、染二「井戸の茶碗」、仁智「だじゃれ禁止法」。いつもは、開演前に仁智が出てきて挨拶をしたあと、今井さんと仕舞について話すのですが、それもこれも、全部、三金の高座が済んでから。三金に、テレビの正月番組の録画撮りが入ったそうです。「奥野君の選挙」は、選挙演説という方法を取りながら、デブネタを連続的に披露するもの。マクラで、三金が喋るネタが、どんどんと出てき ます。石松は、頼りなさから、なかなか抜け出ないですね。でも、今日は、小さな進歩ですが、語り口に出ているのを見つけました。染二の「井戸の茶碗」には、びっくり。こういう地域寄席で、こういう大ネタを出してくれるんだという驚きです。でも、演出は、両論分かれるでしょうね。とにかくおもしろいことを編み出し、いろいろとくすぐりの工夫をしてくれていると評価する人が出る一方で、せっかくのハートウォーミングな噺を、余計ないじり方をして台無しにしているという見方です。黄紺は、どちらかと言えば、後者の立場を取ります。じっくりと聴かせさえすれば、必ず感動を呼び起こすという保障のある噺と言ってもいいネタ。ですから、その雰囲気を壊すなんて、なんて勿体ないことをするのだろうという思いです。もっとネタの持つ力を信じてもいいんじゃないかな。仁智は、先日の繁昌亭での「創作落語会」用にネタ下ろしをしたものです。もったいを付けて、駄洒落遊びに終始をするという着想がいいですね。昨夜は、寒いせいか、出足が悪かったですが、開演後も客が詰めかけ、満席状態に。でも、昨日の客は良くなかったですね。開演時間なんて屁だと思っているのでしょうか、後ろの扉をやかましく音を出して入ってくるわ、余計な声掛けをするバカな客、抽選で外れが判ると、仁智が喋っているのにも拘わらず、帰り出す客、いい歳をして、何でもありの客が多すぎです。ここの会、こないに客の質は悪くなかったのですが、、、。




2010年 12月 15日(水)午後 11時 21分

 年内の勤務日は、今日を入れて、あと4日。それで、無事に仕事納め、直ちに日本脱出。でも、その日にちの少ないなかでも、しなければならないことは詰まっている。それだけの日数でできるだろうかと考えると、ちょっと不安。そないなことを考えながらも、切りのいいところで、同室の皆さんと一緒に、定時に職場を出ました。ですから、余裕を持って、夜遊びにお出かけ。行き先は、再び京都文化芸術会館。今夜は、こちらで「第48回桂米二臨時停車の会」がありました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「子ほめ」、宗助「釜猫」、米二「厄払い」、(中入り)、米二「三枚起請」。小鯛は、「子ほめ」をフルヴージョンで。21分かかりました。前座の小鯛以外は、お目当てのネタが並びました。珍品「釜猫」は、自分的には初遭遇。放蕩の若旦那が禁足を食らったため、なんとか抜け出そうとして釜の中に身を潜めて運び出される算段をするのだが、その計略がばれ、釜を空炊きされ懲らしめられるところまではおもしろいのですが、後半のバ バ垂れ猫を入れ、釜を運び出そうとする男を懲らしめるところは、なんか噺の値打ちを落としてしまいます。でも、ここまでの珍品になってしまったのは解りかねるというのが、黄紺の判断です。続く米二の二本が、いい聴きものでした。「厄払い」に出てくる光景、我々らの世代でも知らない光景を知ることができるのが、落語の楽しいところの一つ。年越し作業に忙しいお店の様子もいいです。描かれている世界は古臭いものだけど、最後の厄払いの言葉を文字る言葉遊びを聴くと、なんだか清々しい気分に浸れるのです。そして、「三枚起請」が、抜群の出来栄え。米二の「三枚起請」は、抑制されたおとなしめ表現というのが、黄紺の頭の中にはインプットされていますが、今日の高座は、スピード感に煽られ、置いてけぼりを食らうのではなく、逆に、それに乗せられて乗せられて、とっても臨場感溢れかえっていました。素晴らしい掛け合い、そのスピード感に感服です。米二の落語会に行くのは久しぶりでした。米二の主たる持ちネタは聴き尽くしたかなということで、足が遠ざかっていましたが、この「三枚起請」など、前に聴いて持っている印象と、だいぶと違うものですから、他のネタでも、そういったものが出てないか、確認行脚をしてみる気が出てきています。




2010年 12月 14日(火)午後 11時 32分

 今日から、3日連続で勤務日です。本年最後の踏ん張りどころです。クリスマスには、異国の地に立っているのですから、今少しの辛抱と踏ん張りです。股関節も、かなり介抱に向かった日でもありました。携帯付属の万歩計を睨みながら、旅行に行くまでは、控え目に控え目に動きたいなと考えております。仕事の方は、計画通りに進んだので、今日は、定時を若干過ぎたあたりで、夜遊びに出かけることができました。今夜は、雀のおやどであった「第2回米紫の会」に行ってまいりました。雀松の会も、千日前であったのですが、米紫の用意したネタが気になり、こちらをチョイスです。番組は、弥太郎「刻うどん」、米紫「首提灯」、吉之丞「強情」、米紫「宿屋仇」というもので、この米紫のネタを見て、米紫の挑み方を見てみたくなったのでした。弥太郎の「刻うどん」は、まだまだこなれていません。なんせ、吉朝から吉弥と受け継がれてきたものを引き継ぐのは、並み大抵のことではできないはずです。頑張って精進して欲しいなと思うのですが、この人、吉朝を思い出させるほどに、お汁の飲み方がうまいのには感服でした。米紫の「首提灯」も、ざこばから塩鯛と受け継がれてきた一門の得意ネタ。「上燗屋」での酔い方が、ワンパターン過ぎます。それに、もうちょっと酒を口につけて欲しいものです。酔っ払いを見せなきゃ、酔っ払いを演じているのを見せるのではないはずです。仕込み杖を持ってから雰囲気を変えないというのが、米紫のコンセプトのよう。ですから、「首提灯」にはせずに、首が落ちた途端、火事に逃げ惑う人に蹴り跳ばされ、その首が、上燗屋のカウンターに飛んでくるとし、更に、上燗屋と首が喋るなどというシーンを用意しました。なんか、わけのわからない劇画タッチの展開にしてしまいました。夜の暗さの中に、上燗屋の明かり、夜店道具屋の明かり、火事の炎、行き交う人の手にある提灯の薄くらい明かり、、、だから、「首提灯」が生きる噺。猟奇的だけど、夜の暗がりを感じさせられたときにぞくっとくる、夜の風景、雰囲気を表す噺を、なんとも騒々しい噺へと変えてしまったものです。吉之丞は、いいネタ選び。怖い顔を持つ一方で、お茶目で、愛想をふりまくキャラの吉之丞には、うってつけのネタ選びです。でも、吉之丞は顔が柔らかくなってきました。加齢によることもあるのでしょうが、そういった中で、これからの展開が気になる人です。「強情」などは、声の勢いに頼り過ぎの感じがする一方で、これはこれでいいという面があるのですが、他のネタではどうかとも思ってしまいます。「宿屋仇」は、心配していたことが起こりました。3人の旅人が、宿屋の2階に上がり、芸者を喚ぶあたりから、半ダウン状態になってしまいました。今、何をしているのかは解るのですが、それに対して、感想を持てないのです。脳の一部が、休眠状態に入ってしまったのでしょう。ただ、そこまでで、米紫は、とってもいい解釈を見せていました。宿屋に入り、夜中に騒ぐような連中は、普段からやかましいはずだという、やられてみれば当たり前のことを演じて見せてくれました。もう、これだけで、このネタの成功を予感したのですが、体調不良のため、残念な結果に終わりました。なお、米紫は、このネタを前から持っていたのだが、実際にかけることの少なかったネタと断ってから本題に入りました。てっきりネタ下ろしかと思っていたのは、間違いでした。




2010年 12月 13日(月)午後 11時 27分

 今日は、朝から雨。本来なら、今日は勤務日なのですが、勤務日でない明日に仕事が入ったため、今日と振り替えました。と言いますのも、今日を休みにすると、ちょっと行けてなかった「一心寺門前浪曲寄席」に行けるのです。替わりに、明日からは3日連続で勤務となり ます。本日の番組は、次のようなものでした。春野恵子(一風亭初月)「両国夫婦花火」、天光軒満月(紀之本孝子・美勝勝廣)「父帰る」、菊地まどか(虹友美)「田宮坊太郎」、京山倖若(一風亭初月)「左甚五郎〜竹の水仙〜」。今月は、今年2回目となる、菊地まどかと春野恵子が顔を揃えたからでしょうか、雨の、しかも平日に、満員の客席となりました。まず、春野恵子、今月は、3つとも、初期に覚えたネタを並べていました。自分的には「両国夫婦花火」に遭遇するのは久しぶりです。今まで聴いた中で、一番感動しました。最後、鍵屋の息子が作った二尺玉が打ち上げられ、それは、息子の嫁(玉屋の娘)が打ち上げたものと判るところがクライマックスで、こちらの感情輸入も、最高潮に。思わず、打ち上げられた花火は、黄紺の想像を超える素晴らしいものだとは思うのですが、その自分なりの想像の花火を眺めていました。人物描写、場の描写、目線一つにしても、充実を極めてきた証拠じゃないかな。「父帰る」は、前に聴いたときは、途中でうとうと。わけが判りました。何がおもしろいのか、さっぱり見当がつかないのです。どないなことがあって、父親が家族を捨てて行ったのか、また、逆に許そうとする家族のそれぞれの心情の表現が希薄で、ドラマになってないと思ったからです。ひょっとしたら長い物語のつまみ食いで、その食い方がまずいのかもしれません。浪曲の失敗例のパターンです。「父帰る」は、ギターも入り、途中、歌謡浪曲化する部分が含まれています。満月さんは、「父帰る」を演じたあと、「蟹工船」を歌われました。浪曲の会に行くと、ときたま出会えるシーンです。昭和の姿を思い出す瞬間です。菊地まどかが、レコード大賞新人賞だそうです。倖若さんが言うには、浪曲界初めてじゃないかということです。菊地まどかは、歌のキャンペーンに回るとき、「赤垣源蔵」か「嫁ぐ日」のいずれかの短縮版も披露しているとか。浪曲界を大切にしているぞのメッセージを発信して、詰めかけた老男老女のハートを掴もうとしてました。ネタは、おなじみの「田宮坊太郎」でした。そして、トリが京山倖若。先代幸枝若の芸風を、当代の幸枝若ともども、しっかりと伝えてくれています。「浪曲版竹の水仙」は、話の運び、台詞の使い回しが、「落語版竹の水仙」にそっくりです。原型は、講談のはずですし、となると、テキストの流れは、どちらに、まず流れていったのでしょうか。別々に流れたとは考えられないほど、そっくりさんです。倖若が言うには、先代幸枝若が、「鳴海」の話を「大津」に移したと言っていたそうですが、本当のところは、どうなんでしょうか。倖若の口演が終わると、衣装を変えた菊地まどかが、歌を一曲「人恋さんさ」披露してくれました。
 一心寺南会所を出て、日本橋駅まで歩いて移動。股関節に、まだまだ痛みが残っていますので、危険な行為かと思ったのですが、30分もかからないはずだし、昨日や一昨日ならともかくも、今日は、だいぶとましになったからと敢行。そして、日本橋駅上のネットカフェで、1時間余り時間調整をしたのですが、25分歩いた直後は、傷めてないときに、3時間歩き続けても、ここまでは腰に負荷はかかってないだろうという状態でした。やっぱり慌ててはいけません。今の状態では、25分間歩き続けることすら、危険極まりないないということが、よく解りました。時間調整後は、京都への移動をしました。基本的に、京都と大阪という大移動は避けることを考えて、お遊び計画を立てるのですが、今日は避けられなかった日です。12月中に、もう一度、この大移動があるかもしれません。で、夜は、京都府立文化芸術会館の3階和室であった「第86回桂文我上方落語選〜京都編〜特番!東西落語会」に行ってまいりました。考えたら、一心寺から文化芸術会館への移動は、確かに大移動です。この会も久しぶりのおじゃまですが、今日は、普段と違い、東西落語家交流の一貫として開催されました。その番組は、次の通りです。まん我「十徳」、鯉朝「よるのてんやもの」、文我「大仏餅」、好太郎「親子酒」、(中入り)、宗助「近眼の煮売屋」、文我「田舎芝居」。今日は、出演者が6人ということで、長講は避けていました。前座役のまん我などは、11分で降りました。鯉朝のネタは、「彦八まつり あとのまつり」として行われた繁昌亭の会で出したもの。とっても下げの鮮やかな、だけで際物の新作です。文我の一つ目は、本人曰わく、「鯉朝の落語を聴いていて思いついた」「これも、作られたときは新作だった」、ということで、円朝が、三題噺としてこしらえた「大仏餅」にしたということでした。「大仏餅」は、先代文我が、彦六の正蔵からもらってきたものを教わったと言っていました。眼が開くところが、ちょっと頼りない感じがします。上方の「親子酒」は、息子の方を演じますが、東京の「親子酒」は、父親の方から描きます。婆さんが、湯呑みに替えて、灰皿で呑ませようとしたりと、毎回、必ず海老蔵ネタが、落語会では出てきます。宗助も、時間を意識してか、「近眼の煮売屋」という短いネタをチョイス。実演に接するのは、ホントに久しぶりとなります。ただ、序盤は、酒を呑むシーンなので、「親子酒」とついてしまいますね。「田舎芝居」は、文我が持っていることは知ってはいたのですが、遭遇は初めてです。田舎の祭りの場で繰り広げられる恒例の田舎芝居のはちゃめちゃぶりが描かれます。なかなかおもしろい噺でした。滑稽ネタと考えればいいです。




2010年 12月 13日(月)午前 0時 2分

 股関節の具合が最悪一歩手前です。昨日、痛みの進行がほぼなかったので、今回は、この程度で終わるのかと思っていたら外れました。普通に歩くだけで、痛みが走りますから、どうしても歩みはのろくなってしまいます。そして、嫌なのは、炎症を起こしているからでしょうね、軽く発熱をしているようで、なんとなく、風邪のひき始めに似た状態ですから、不快感が増します。おまけに、昨夜は、睡眠時間をあまり確保できなかったものですから、不快感が2倍になっています。こういったときは、じっとしているに限りますが、いい落語会があるものですから、前売り券を早々と買ってしまってます。ですから、今日も、大阪まで出かけてきました。昼間は、昨日に続き、ワッハの5階です。この会で、自分的には、このワッハ・ホールとお別れとなります。今日は、こちらで「たまよね〜新作で江戸の名作に挑む!」がありました。たまよね、久しぶりの復活です。それに加えて、東京から、鈴々舎馬桜も聴けるという、とってもおいしい会。その番組は、次のようなものでした。福丸「道具屋」、たま「兵庫船」、たま「三味線あり」、馬桜「文七元結」、(中入り)、「米井が撮った写真」、たま「カケ酒」、たま・米井「反省会」。福丸は、たまの会に、よく喚ばれます。たまに、とってもおもしろがられています。また、噺家らしい口調が、徐々に固まってきています。前座で出番の多い福丸は、ネタを何度も生で演じる機会をもらえてますから、上達が目に見えて分かるようになってきたのでしょう。馬桜は、わりかし推奨したい東京の噺家さんだったのですが、最後の長兵衛家の場面を除いて、言葉に気の乗った感じがしなく、ちょっと老成した噺家さんの口演のように聴こえてしまいました。もっと朗らかで、自分が前に出る噺家さんだということで、お気に入りに入っていたのですが。冒頭は、長兵衛家で、娘のお久がいないということで騒ぎになってるところからスタート。博打三昧で困っている話は、あまり強調されません。その辺が物足りないのです。そこへ、吉原から遣いが来て、所在が判るという仕掛け。文七が、店に帰り、事態が判明したあと、長兵衛宅に切り替わるのではなく、切り替わらないで、大宮屋一行が訪ねていく道すがらの描写となり、家の場所を聞くと、昨夜からケンカばかりしている家だとのコメントが入り、ようやく長兵衛宅に切り替わるという具合で、これほど夫婦ケンカが大きく扱われない口演は珍しいのでは。最後、大宮屋さんの方から、酒が出され、文七の後見役になる話が先。だから、酒と肴が離れてしまいました。とまあ、突っ込んだりしていますが、肴の話になると、ほっこりしてしまいます。馬桜の口演にも、熱を帯びてきていた証拠かなと思います。主宰者のたまですが、「兵庫船」は、自分的たまベストの一つに上げているもの。当たっただけで嬉しくなっちゃいます。「三味線あり」は、福笑の「テーマ落語会」で発表されたもの。落語のネタの取り込みが、一層進み、マニア向け落語の度合いが進んでいます。「立ち切り」と引っ掛けて、「呪いの三味線」なんてものを設定した着想の勝利です。「カケ酒」は、米井さんとの合作ネタ。今回の売りの新作。「一人酒盛」的落語を作ろうとしたという、その発端について、終わったあとの「反省会」で、二人が言ってたことです。今までもチャレンジしながら、うまくいかなかったのだが、何か言って間をとるときに、にやっと笑うということを思いついたので、再度チャレンジしたということでした。海老蔵問題直後なんで、客の頭にあるマスコミ報道を巧みに使った進行になっていました。下ネタが出てきたり、ダジャレで推移するという、ちょっと気にはなることもあるのですが、久しぶりのたまよねとして、記憶に残しておきたいと思います。
 ワッハを出ると、堺筋線で南森町に直行。おなじみのネットカフェで、45分間の時間調整。夜は、繁昌亭であった「第11回笑福亭鶴志一人舞台」に行きました。えらく重量級のネタが並んだ番組は、次の通りです。福丸「桃太郎」、鶴志「くしゃみ講釈」、揚野バンリ「お笑い曲芸」、鶴志「市助酒」、(中入り)、鶴志「堀川」。鶴志の高座では、「くしゃみ」が一番印象に残りました。とっても、バカバカしさがある口演だったのです。前半の無理やり的な設定の「覗きからくり」のところ、リアルであっては、そないなアホはおらんでとなります。でも、落語世界の住人として、皆がおもしろおかしい存在として認めることができる、そのちょっとおかしな世界全体を語りかけてくれているっていうところかな、鶴志の「くしゃみ」は。「市助酒」は、ネタとして持っている噺家さんが少ないものたから、なかなか当たらないネタであるのですが、遭遇すると、毎回印象が薄いのです。鶴志は、師匠松鶴に、おもろないから止めたらと言って、破門直前まで行ったいわく付きのネタだとか。酔いながら夜回りする市助に、激しい言葉をかけたのは言い過ぎと諭された、さる店の番頭が、詫びの印として、市助に酒を振る舞うのが、酒呑みの場面。昼間だったんだと、思い返していました。「堀川」は、予想通り、猿回しのところはカットされました。鶴志と浄瑠璃が結びつかなかったからです。だったら、なぜ、トリネタにしたでしょうね。どうしても、終わり方のきれいなネタを選んで欲しいという気があるものですから、気になってしまいました。鶴志は、今日の高座、全て、椅子に座ってのものでした。体重の増えすぎで、ぼちぼち長講になると正座が難しくなったのでしょうか。だからと言って、口演時の身体の動き自体が小さくなってはいけません。むしろ膝に心配がなくなるわけですから、動いてもらわないと、、、。「堀川」で、火事道楽の息子が、友だちの家に入っていくところは、スピード感が命のところです。やっぱ、それを出してもらわないとあきません。わあわあ言うところのおもしろさに輪をかけたおもしろさが出るのは、そのスピード感だと思うものですから。






2010年 12月 12日(日)午前 0時 37分

 またしても、股関節が痛み出しています。僅か2週間で再発です。痛みが取れたあとの慎重さが欠けていたからでしょう。こんなに簡単に痛みが出てくると、あまり出歩くこと自体を控えねばならなくなってしまいます。またまた旅行前に、こないなことになってしまいと、だいぶと衝撃を受けています。それでも、前売り券を買っている手前、ちょうど12時をメドにお出かけ。まず、ワッハの5階へと向かいました。ネタは、次のようなものでした。生寿「狸の鯉」、松喬「按摩炬燵」、さん喬「掛取万歳」、さん喬「棒だら」、松喬「百年目」。「掛取万歳」と「百年目」はネタ出しをされていたのですが、あとの2つは、当日発表。「按摩炬燵」は大拍手、「棒だら」の方は、さん喬の素晴らしい口演を、既に聴いているので、もう一度聴きたい気分と、他の演目も聴いてみたい気持ちと、ちょっと微妙なところでした。「掛取万歳」は、狂歌、浄瑠璃、芝居、ケンカ、三河万歳という順番でしたが、ケンカは、こないなところに入るのが常だったでしょうか。さん喬は、「棒だら」で出てきたとき、大阪弁のところが山でと、大阪で大阪弁を使わねばならないことのきつさを言ってました。確かに、アクセントは、ネイティブの者からすると、違和感のあるもので、円生の口演は、こんなだったなと思い出しながら聴いておりました。一番、変化のあるケンカの位置を変えた方が、アクセントが付きそうなものなのにと、全体を通じては、華やかさには欠ける高座となり、さん喬ものとしては、満足を得られないものとなりました。他方、「棒だら」はいいですね。薩摩弁を使う田舎侍がいいし、それの相手になる年増芸者の対話が、ほんわかとしているのが、なんとも言えません。芸者は、田舎もんということで、小ばかにするというよりか、あまりに無粋なため、呆れ、次には珍獣を可愛がる気持ちで楽しんでいます。隣りの部屋の男が出てこないと、噺は前に進みませんが、もうちょっと、この二人に話させておきたいですね。松喬の方は、「百年目」で、半寝状態になり、しっかりと聴けていません。うつらうつら状態ですので、感想を書くのは控えておきます。
 ワッハから出ると、千日前のネットカフェで、小1時間の時間調整。そして、地下鉄で扇町へ移動。夜は、北区民センターであった「第200回天満講談席〜記念興行〜」に行ってまいりました。受付にいた南青くんが、客の多さに「びっくりしますよ〜」の声に送られて、会場に入って、確かにびっくり。こんなに講談を聴こうという人がいたのですね。その記念の会の番組は、次のようなものでした。南青・南舟・南斗「立体講談:八百屋甚兵衛」、南華「堀部安兵衛」、南北「赤垣の徳利」、南鱗・南青・南舟・南斗「大喜利」、(中入り)、左南陵「俵屋玄蕃」、南海・南湖「車読み:矢頭右衛門七」、南鱗「間十次郎」。「立体講談」とは、地のところを南青が読み、八百屋甚兵衛を南舟、その他の登場人物を南斗が、主として受け持つというもの。危なっかしいと心配されていた企画ですが、無事に進みました。「堀部安兵衛」は、仇討ちの場面とかという、よく読まれるところではなく、安兵衛が、八百屋に身を変えて、上杉の屋敷を探る話でした。そして、 南北さんの「赤垣源蔵」が、本日一の聴きもの。涙する人多数でした。南北さんのしみじみ系の話は、客のハートを掴みます。「大喜利」をしようという発想がおかしいです。だいたい講釈師のするものじゃないことをして、且つ、出演者に、南舟と南斗を配して楽しんでみようの魂胆です。「俵屋玄蕃」っていうのは、「赤穂義士外伝」の話。今日の話は、俵屋玄蕃が、上杉から抱えるという申し出を断ることを、そば屋に身を変えた杉野十郎左衛門に語る部分がクライマックス。討ち入り当日、槍を抱えて出ていくところで終わりました。「車読み」というのは、前後半を分担して読むということでした。前半を、小南湖を背負った南湖が担当、後半が南海さんでした。「矢頭右衛門七」自体は、借金を抱えた矢頭右衛門七が、討ち入り直前に詫び状を書くという有名なところです。「間十次郎」は、これまたよく読まれる「雪の別れ」でした。考えたら、凄まじい話です。一旦立ち去る間十次郎は、あまりに理不尽。江戸を離れて、手紙一通よこさず、討ち入り直前に再会した妻子、しかも赤貧の妻子に、僅かの当座の金を渡しただけで死んでいく、これ、あかんやろと、突っ込みたくなりました。今まで、このネタを聴いたときには考えなかったことですが。今日の南鱗さんは調子が悪かったですね。独特のリズム、声の調子で流れていく南鱗節が、演出ではない間が生まれたりして、流れないと感じたのが数度あり、ちょっと興ざめしました。最後は、出演者の皆さんの持ち寄ったものの抽選会が行われ、黄紺はコーヒーメーカーが当たったのはいいのですが、扱いに困っています。




2010年 12月 11日(土)午前 8時 39分

 木曜日(12/9)は、仕事が立て込み、予定していた夜遊びができずで、家に直行。昨日の朝は、朝一番に散髪屋さんへ。旅行前には行こうと決めていたのを、実行する時間を取れました。もう子どもが生まれる前から行っている散髪屋さんです。そして、午後のことも睨みながら、昨日も、ワッハのライブラリーへ。閉鎖までカウントダウンに入っているワッハに、あと何度行くことができるのでしょうか。ワッハ・ホールでは、「お名残公演」と銘打たれた公演が打たれたりしています。昨日のラインナップは、次の通りでした。@「笑福亭仁鶴 独演会DVD」、仁鶴「口入屋」、インタビュー(なんばグランド花月について、独演会のお客様について、落語家になったきっかけ、桂枝雀師匠について、落語家になる前の話、「池田の猪買い」について、「口入屋」について)、A読売TV「特別番組追悼笑福亭松鶴」、1)上方お笑い大賞授賞式、2)松鶴「青菜」、座談会(春団治・小文枝・仁鶴・鶴志・三田純市・いとしこいし)、3)インタビュー(紫綬褒章授賞記念・天神祭船渡御)。@は、このシリーズに、仁鶴のインタビューが入ってるということで、目を付けていました。昨日の分は、ネタ解題は、わりかし短く、むしろ仁鶴自身に関するものが多いという内容です。その中に、初耳のことに、耳がダンボになりました。仁鶴は、歳がいってから噺家になったことは知っていましたが、その間、役者のプロダクションに所属していて、映画なんかで端役をもらっていたそうで、その時期に、素人演芸番組に出て、名を打った存在だったそうです。そして、同じ時期に、番組荒らし的な存在として知られていたのが、枝雀だそうで、噺家になる前から、二人は知り合いだったとか。へ〜っていうところで、貴重な話を聞けました。ただ、「口入屋」は、「質屋蔵」に比べると、口慣れてない印象は否めず、また、体をあまり動かそうとしなかったりと、変化のある噺なのに、だいぶと平板な印象を持ってしまいました。Aの「松鶴追悼番組」の方は、時間切れで途中までしか試聴できませんでした。藤本義一の司会がしっくりきてなくて、中途半端に松鶴と交流があるよりは、それだと、もっとフラットなアナウンサー氏に任した方がいいなと思えるもので、続きを試聴するかは、今のところ白紙です。
 ワッハから下に降りると、講談会の常連さんで、ご自身も講談をなさる海舟氏とばったり。今日の再会を確認をして、黄紺は、動楽亭に向かいました。今回も歩いての移動です。先週に続いて、「動楽亭昼席」です。考えてみれば、今年の最終日です。その番組は、次のようになりました。鯛蔵「初天神」、雀五郎「牛ほめ」、米紫「掛取り」、南光「小言幸兵衛」、(中入り)、米左「菅原息子」、千朝「鴻池の犬」。最近、この昼席の番組の充実には、大満足です。昨日は、「菅原息子」などという超珍品が出ました。これは、今まで、雀三郎と月亭ハッピーで聴いたことのある「浄瑠璃息子」と思います。最後に聴いたのが、20年以上前ですので、自信を持って言えるわけではないのですが。「寺子屋」の浄瑠璃を語りながら、浄瑠璃狂いの息子が、父親を言いくるめようとする噺です。「小言幸兵衛」に出会えたのも、大ヒット。上方の噺家で、このネタをする人は少なく、それこそ、南光が代表的な演じ手で、確か、以前に一度だけ、南光の口演を聴いた記憶はあるはずなのですが、ほとんど記憶から消えています。無理筋の小言というか、いちゃもんを言い続ける聴かせどころを、実に淀みない語りで聴かせてくれました。こうなると、南光の悪声が気にならなくなるから不思議です。千朝の得意ネタに出会えたのも、嬉しい出来事。犬の世界になると、えらくテンポを上げていました。意識してなんだろうか、そのあたりが気になりました。米紫の「掛取り」も、待望の再会。「噺家ずくし」が聴きもの。昨日は、歌舞伎好きとの2パターンでした。「初天神」は、先日の文華の絶品の記憶が強く、鯛蔵の口演に合わせるかのように、フラッシュバックしてしまい困りました。鯛蔵の小気味よい口演も、かすむのはやむを得ません。雀五郎の手の内に入り込んだ「牛ほめ」も楽しめました。前座で、散々やりつくした成果というやつです。ということで、値打ちあります。さすが米朝一門の会っていう番組に、大満足でした。
 再び、動楽亭から日本橋方向へ、歩いて移動。日本橋駅上のネットカフェで、45分程の時間調整をしてから、中座くいだおれビル地下1階にある「ZAZA HOUSE」に向かいました。初めて行くスペースです。昨夜は、こちらで「武春・鶴二・春蝶 三人会〜冬の巻〜」がありました。狙いは、国本武春です。番組は、次のようなものでした壱之輔「転失気」、春蝶「ふぐ鍋」、鶴二「不動坊」、(中入り)、国本武春「忠臣蔵」。鶴二が言ってましたが、道頓堀での落語会っていうのが、確かに魅力です。B1角座がなくなってから無理かと思っていたら、こういったフリースペースを活用する手があったのですね。ネタは、季節ものばかり。テーマに合わせてのチョイスです。春蝶の「ふぐ鍋」は、吉朝からもらったものでしょう。淀みがなく、かなり手の中に入ったネタという印象です。「ふぐ鍋」は、今冬2度目の遭遇です。今冬初めてとなるのが「不動坊」。風呂で妄想を話しまくる利吉、それに対して復讐を誓う男たちの執った手、ともに稚気に満ちたもの。それを落語にしてしまうこと自体が落語のような感じのネタです。そんなだから、「アルコール」と「あんころ」を間違うくすぐりが生きてくるのでしょう。お目当て国本武春は、ほぼ三味線ライヴという高座。討ち入りを一曲に仕立て、歌謡浪曲でもない、三味線での弾き語りとなっていました。そういった国本武春を聴いてみて、この人の音楽的な才能の豊かさを、改めて確認。浪曲が本職でしょうが、彼にとっては、それも一つの表現手段として出会ったのかなと思わせるものがありました。そんなことを確認できただけでも、満足な会でした。




2010年 12月 8日(水)午後 11時 58分

 昨夜は、遅く帰ってきたために、今日は完全なる寝不足。そんなのは予想できていたにも拘わらず、遅くまで夜遊びをしていたのは、今日は、体力的にさほど消費しないで働けるとの読み。当たりでした。ということで、一応想定内で過ごせた一日、夜は雀のおやどに行ってまいりました。今夜は、「第8回文華の勉強会」があったのです。文華は、この度「繁昌亭大賞」の受賞が決まりました。その発表があった直後に、この会とは、めっちゃグッドタイミングです。この会は、全く文華一人だけの会。演目だけ記しておきます。「初天神」、「後家馬子」、「へっつい幽霊」。「後家馬子」は、今、文三が手がける程度のネタ。文華は、ネタ下ろしの会の「地盤珍華の会」用に、ネタ探しをしているときに、客からやってみないかと言われやって以来の口演と言ってました。ところがついてないことおびただしいのですが、危ない危ないと思っていた半寝状態が、ここで訪れてしまいました。文華によると、このネタは暗いので、中トリにしか置けないと言い、今日も、「後家馬子」のあとには、中入り休憩を取りました。まあ、全くの一人会ですので、そうしないと、体がきついでしょう。「初 天神」「へっつい幽霊」ともに、秀逸な出来栄え。「初天神」を、これだけワクワクしながら聴いたのは、雀三郎の口演を聴いて以来です。とにかく虎ちゃんの表情が最高です。子どもがじわーっと泣き出す顔、なんか楽しくなってくるという感じの顔、子どもの実に自然な表情を再現してくれました。普通、「初天神」では、起こらないところで、笑いが起こる、それも、突拍子もないことを言ったり、しゃれたくすぐりを入れるなんてことではない、自然な流れの中で、とってもありそうなことをしてみせることで、笑いが取れる、やはり大賞に相応しい。「へっつい幽霊」の方も、幽霊がおもしろい。同じように、顔がものを言います。当然、それを導き出すためには、熊五郎の勢いが大切。そういったところは、絶対に逃さない目を持っているのも、文華です。ということで、自身が、ほとんど演じない演目をやり直すことを目的に開かれている会ですから、口慣れてないネタばかりで、この出来栄えというのは、やはり文華の充実を示しているのでしょう。最後に抽選会、そして、上方落語協会情報誌「んなあほな」に、繁昌亭大賞受賞記念として載せられる写真撮影があって、会は終わりました。




2010年 12月 8日(水)午前 5時 53分

 昨日は、お昼ご飯を食べながら、冬の旅行の打ち合わせ。定番となっている寝屋川のお気に入りのお店に、それも兼ねておじゃましました。そのあとは、定番にしている京阪「萱島」駅までのミニミニ・ウォーキング。いつものように、30分弱のかわいらしいものです。それから、時間があるときにと、外貨の両替へ。レートがいいと教えてもらった金券ショップ経由で、閉鎖間近のワッハへ。昨日も、ライブラリーを利用しました。そのラインナップは、次のようなものとなりました。@毎日放送TV「初笑い米朝一門勢揃い」(司会:小米朝・藤山直美)、1)コント「バス旅行」(朝丸・都丸・九雀・喜丸・雀々)、2)日本舞踊「再春祝舞鶴」(米朝・枝雀・朝丸・べかこ・米紫・歌之助・都丸・米平)、3)手品(朝太郎)、4)対談(べかこ・鶴瓶)、5)立体紙芝居「滝の白糸」(べかこ)、6)対談(米朝・三林京子)、7)米朝「看板のピン」、A毎日放送TV「特選落語全集」、吉朝「蛸芝居」。@は、前回、時間切れで、途中で試聴を断念したもの。三林京子の対談相手は、米朝でした。かなり古くからの知り合いという感じ。そないなこともあり、後の入門につながるのでしょう。立体紙芝居は、三亀坊の残したものを、そのまま使ってのもので、まだ、この時点では、米平は手がけていなかったみたいです。なお、これが収録された時期は、米裕が内弟子修行中であり、廃業したあかべが、べかこの一番弟子と紹介されています。
 ワッハは、1時間半をメドに切り上げ、千日前のネットカフェへ。と言いますのも、昨日は、帰りが遅くなることが予想されましたので、ここでHP更新作業をしておこうという計画でした。小1時間いたあと、阪神なんば線で九条に移動。シネヌーヴォに行きました。今、こちらでは、「大阪アジアン映画祭2009-2010セレクション上映」が行われています。これは、ありがたい企画で、映画祭のときは、上映期間内では観ることができなかったものが、いくつもありますから、ホントにありがたい。昨日は、2本上映され、2本とも観ることができました。1本目は、フィリピン映画「見捨てられた青春」です。マニラでしょうか、スラム街が隣接する下町で、4人の男と1人の女の物語が、オムニバス形式で描かれますが、1つ目の話と4つ目の話はリンクしています。1つ目の話で出てくる不可思議なシーンのわけが、最後の話で解明できる仕掛けになっています。それぞれの若者たちの不幸な青春が語られるという点での共通点があるのと、各話の主人公らが、何気なくすれ違う場面が用意されており、近場で起こった出来事であるということを示すことにより、個人の責任、いやそれ以上に、街の不幸を、更に、そういった街を抱えるフィリピンの不幸を描いているように看えました。オムニバス4話の内、2話にゲイというプロットを使っているのは、ちょっといただけません。もうちょっとイメージを膨らまして欲しかったのと、贅沢な要求をするのならば、4話全部を絡めて欲しかったと思います。そういった構成はさておき、この映画の素晴らしいのは、一つに映像、二にBGM。中でも映像は、ハンパではありません。テンポよくアングルを小刻みに変えていく、そのセンスの良さに、舌を巻きます。相当アングルにこっています。どうすれば、リアルに、下町の様子を伝えられるかに腐心しています。手持ちカメラで現場を撮っているという雰囲気を出すために、客が気持ち悪くならない程度に、画面が小刻みに揺れています。色合いも、モノトーンに近づくような撮り方、処理をしています。このあたりの才能は大変なものがあります。そういった意味で、これは、自分の中に残る映画になると思います。
 引き続き、中国映画「好猫」を観ました。「アヒルを背負った少年」の監督の作品ですから、絶対に外せない映画です。現代中国の経済発展に伴う、様々に現れる人間社会の矛盾、課題を撮り続ける監督に、中国の良心を看た思いをしたものです。今回も、テーマは同じですが、インパクトは少々薄いかなという出来栄えです。主人公は、不動産業者の使いっ走りをしている男。不動産会社の社長の運転手を務め、その言いなりになって動いていれば、金になり生きていけるという、ある意味では、現代中国だからこそ生まれる人種。妻や、妻の家族は、浮き沈みのある、ましてや使いっ走り的な仕事じゃないものを求め、ぎくしゃく。そうだからでしょうか、脳天気な女を相手に、浮気をしている。不動産会社の社長は、政府の事業を請け負い、土地収用に向かうが、価格が安く、地主らから総スカン。社長は、そこが乗り越えられず、おかしくなってしまう。主人公自身は、妻に離婚を求められ、それを埋め合わせるつもりだったのでしょうか、自分の女と思っている女に対し結婚を求めるが、、、、。経済成長が人々の心を切り刻んでいく、小市民的哀れさを見せてくれます。主人公は、さして阿漕に生きているわけではないけれど、また、自分が、社会の流れに乗っかかって、金儲けを企もうという意欲的な人間ではないけれど、その流れに身を任せているだけの普通の人間だけど、なんと哀れな結末を迎えるものよという構成になっているように思えました。最後のシーンを撮った場所は、社長が変になってしまったことを示す場面に使われた「何かの建設現場を思わせる掘り返された場所」ではなく、「豊かな自然をたたえた川沿いの場所」だというところに、主人公が、その正に普通の市井の人だったということ、そして、こういった世界で生きたら、この人は、こないな末路を見なかったろうというようなメッセージと看ました。「アヒルを背負った少年」の強い印象に比べると、インパクトが弱いという感じはしますが、やっぱ、この監督の心根には感服します。こういった感性を持った人たちが多数を占めるようになるなら、中国の体制、国際的役割も含めて、いろんなことが変わると思います。やはり、中国の良心、そないな言葉が、この監督の映画を観ると、浮かんでくる言葉です。




2010年 12月 7日(火)午前 5時 39分

 昨日は、暖かな一日でした。12月とは思えない暖かさです。セーターを出して、最近は、全然着てません。昨日は、仕事の方は、かなり詰まっていたのですが、うまい具合に定時直前で段取りがつくというラッキーさ。おかげで、気になっていた持ち帰り仕事はなしとなりました。で、夜遊びの行き先は繁昌亭。「福笑・鯉昇二人会〜上方落語VS江戸落語〜」があったからです。主役の二人は、30年以上の付き合いがあるとか。鯉昇は、今や芸術協会を代表する噺家さんです。番組は、たま「近日息子」、福笑「博士の新薬」、鯉昇「二番煎じ」、(中入り)、鯉昇「粗忽の釘」、福笑「崇徳院」というものでした。たまの「近日息子」は、時間を考えてでしょうか、例の間違い男を追求するところに焦点化。何の噺かが、ぼけてしまったのはいただけません。もうちょっと、作次郎のぬけさ加減を入れないと、下げのおもしろさも出ないと思うのです。福笑の「博士の新薬」は、動楽亭での「できちゃった」に特別出演をしてネタおろしをしたもの。それ以来となる2度目の遭遇。序盤の、助手を薬の実験役に使う部分が、このネタとしては、一番福笑らしさのあるところ。破天荒な部分です。そして、新たな登場人物が出てきて、不老長寿薬の話はストップしてしまい、薬の入れ違えの下げの準備が始まってしまいます。肩すかしをされたような気分になります。鯉昇は、持ち味の違うネタを出してくれ、度量の広さを感じさせました。福笑に言わせると、カントリー風江戸落語。いなせなとか、気っ風がいいとか、江戸落語の持ち味として語られる言葉では飾られない噺家さんですが、逆に、それを持ち味にして、楽しませてくれます。マクラのぼそぼそ喋りが、まさにそれ。ぼそぼそ喋りに似合わない跳んだくすぐりに、大爆笑の連続。自分のペースを客に見せ、それになじんだかとみるや、ネタに突入。噺が急展開をする役人が番小屋に現れるところがクライマックスだとすると、ここにかける時間が、とっても短く、あっと言う間に下げへという流れでした。番小屋で、酒を飲み交わすところが、そのあとの緊張が走る場面の仕込みになっているので、ここに時間をかけるのは、納得の時間配分なのだが、鯉昇の場合は、その前の見回りのところも、たっぷりと時間をかけるものだから、クライマックスが、余計に短いと感じちゃいました。それにしても、うまい。その場の登場者であり、ライブ中継を、自身で担当する、出演者兼アナウンサーという雰囲気かな。「粗忽の釘」は、ポップな感じ。釘にかけるものも、箒ではなく、エキスハンダーだったりして。へたに打った釘の出どころを尋ねに回る際の尋ね方は、「生きてますか」というものだったりと、現代語的感覚が持ち込まれたりと、お遊びがいろいろ入ってる仕上がりぶりに、この人の幅の広さを見た思いがしました。かなり湧いた会場に発憤したかどうかは分かりませんが、「崇徳院」が、勝るとも劣らない出来栄えに、会場のボルテージはかなり上昇。とにかく、福笑の「崇徳院」のコンセプトは、正攻法。福笑が、古典を、こないにも正攻法で演じたのって、最近、記憶がありません。もちろん福笑テイストの言葉、アクションが入るのですが、正攻法という味わいを損なうどころか、完全に活性化するに貢献しています。福笑は悪声で、大きな声を出そうとしても、しわがれてしまい、そういった面での効果を出す人ではありません。だからこそ、いろんな人物の描き分けの妙が見えてくるのです。




2010年 12月 5日(日)午後 11時 51分

 今日は、繁昌亭三昧の一日でした。とにかく権太楼が、年に1回の染丸との二人会に来るということで、また、昼席にも出るので、これもいだだいてしまおうとの魂胆でした。ところが、最初発表された番組とは違い、権太楼は、昼席は出ずということで、がっくり。でも、夜だけでも良しとしましょう。今週は、週末に、さん喬を聴くことができ、東京落語の重鎮を相次いで聴ける週です。本日の番組は、次の通りです。三四郎「子ほめ」、福矢「延陽伯」、わかば「片棒」、ナオユキ「漫談」、仁勇「しびんの花活」、松喬「掛取り」、(中入り)、三象「踊り」、染二「替り目」、かい枝「ハルコとカズコ」、小枝「悋気の独楽」。三四郎の「子ほめ」は久しぶり。初めて聴いたとき、躍動感いっぱいの口演に驚いたもの。今、聴いてみると、手の内に入り過ぎた感じ。最初のときの感動はありませんでした。今日は、このあと、変わり映えのしないネタ選びもあり、ナオユキを除いて、仁勇までダウン。松喬が「掛取り」をするのを知らなかったものですから、始まっても半信半疑。ただ出来栄えは感心しません。しかも、狂歌好きとケンカ好きしか出てきません。狂歌も3つしか言わないというのは反則。いつも、こんなけで切り上げてるのでしょうか。松喬が、浄瑠璃や歌舞伎を演じた姿を見たことがありませんから、その可能性はあります。だったら、鶴志のやってるような「睨み返し」をすればと思うのですが。染二の「替り目」も、しっくり来ない口演。なんかしっくりこない進行。行き先を、俥屋が聞くと、急におばさんの話をしだす酔っ払い。そのくだりをしてから、「札幌へ行け」と言う。逆ですよね。酔っ払いが、思考回路を順を追って話して、どないするねんと突っ込みたくなったり、「家でよろしいか」とあっさりと言うのも、おかしい。頼んで乗ってもらっておきながら、「札幌」の話をされたからと言って、いきなり「家でよろしいか」は変。「お宅にでも送らせてもらいましょうか」でしょう。入口で、しっくり来ない居心地の悪さを味わされると、ずっとついて回ります。かい枝は、ほとんどこのネタばかり。いかに鉄板ネタだからと言っても、度が過ぎます。小枝は、やはりこのネタを仕入れたのですね。口演回数不足とい うのは拭えません。身体表現としての落語には、まだまだ時間がかかる出来栄え。一瞬、違う台詞が出かけそうになったりするのも、血肉化してないからだと思います。でも、この人も、落語回帰の意欲を見せてくれていますので、嬉しい限りです。
 昼席が終わると、繁昌亭の周辺を、ちょうど30分、ミニミニ・ウォーキング。今日は、繁昌亭に行くまでに約45分、夜席終了後、繁昌亭から天満橋駅までウォーキングと、先日の股関節の痛み再発にも負けずに歩きました。ミニミニ・ウォーキングのあとは、約1時間、南森町のネットカフェで時間調整。夜席は、「第5回東西噺の華咲き競う〜染丸・権太楼 二人会〜」があったのです。番組は、次のようなものでした。花丸「鉄砲勇助」、右太楼「のめる」、権太楼「居残り佐平次」、(中入り)、染二「貧乏神」、染丸「包丁」。花丸は、病気休演の卯三郎の代演。花丸のトップなんて、贅沢過ぎます。「のめる」は、大阪の「二人癖」。ご隠居に、相談をしているところから始まり、2つのアイデアは、そのままです。右太楼は、口元爽やかな噺家さんです。権太楼は、いつ、どこで聴いても聴かせてもらいます。「居残り佐平次」というネタが、初めておもしろく思えました。居残りが、お茶屋で人気者になっていく姿は、権太楼でないと、嫌みなく、バカバカしくは、なかなか出せないのじゃないかな。そして、一番最後に来て、冒頭の自信に溢れた言葉の裏打ちをしてくれます。その納得を導くために要るのが、人気者にのし上がっていく部分なのでしょうね。全て計算ずくだったという権太楼の仕掛けが判り、納得もするのであります。「貧乏神」は、好きじゃない噺。貧乏神の設定、他になかったのでしょうか。問題は、なんで、このネタをする気になったかというところだと思います。小佐田作品で、枝雀口演ネタは、他にもあるでしょうにとまで言うほど、好きじゃないネタなのです。ただ、染二の人の描き分けは、なかなかグーで、そのおもしろさに目は釘付けでした。そして、お楽しみの「包丁」ですが、失望ですね。染丸、もごもご言い過ぎ。間男を持ちかけられた男が、いかに頼りない男とせよ、もごもごはやりすぎ。練れてないのかなぁとまで思わせると、それはあかんね。でも、浄瑠璃はうまい。最後の拍手が生暖かだったのは、染丸の高座に対して引いている証拠だと言っていいんじゃないかな。




2010年 12月 5日(日)午前 7時 35分

 昨日は、午前中、まずオペラを観ました。前から、一度は行ってみようと考えていて、なかなかうまくスケジュールが折り合わず、ようやく行けることになりました。映画館で、メトロポリタン歌劇場のパブリック・ビューイングが行われているのです。お値段は高いのですが、今シーズンのものを、直ちに観ることができるというおいしさがあります。昨日は、ドニゼッティの楽しい楽しい歌劇「ドン・パスクワーレ」を観ることができました。つい半月前の11月13日の公演です。随分と前に、一度生で観た思い出のある楽しい歌劇。そのときの楽しさを胸に観に行きました。単に、オペラの上演を見せるだけではなく、舞台転換の様子も、逐次収録してくれており、インターミッションでは、舞台袖ですぐに、インタビューに入るというサービスぶり。字幕も入りますので、値段の高い分の、ちーとは元を取ったかなの気分です。指揮は、ジェームズ・レヴァイン、主要にキャストは、次の通りです。(ノリーナ)アンナ・ネトレプコ(エルネスト)マシュー・ポレンザーニ(マラテス)マリウシュ・クヴィエチェン(ドン・パスクワーレ)ジョン・デル・カルロ。「ドン・パスクワーレ」の筋立て自体は単純なものです。自分の思い通りの結婚をのまない甥っ子には、財産は譲らず、自分自身が結婚しようとするのを取り消させるためのドタバタ劇。爺さんいじめ的にもなっていくものです。最後が、こないにも呆気なかったかと思うほど、もうちょっと余韻があっていいところです。有名なセレナードを、さっき聴いたところじゃないかというところで、終わっちゃいます。でも、さすがドニゼッティ、メロディ・ラインが、とても美しいです。こないなものを観出すと、続け様に観に行きそうです。
 映画のあと、京都市内を買い物がてら、ぶらぶら。四条通なんてのは、ちょっと様変わりした雰囲気。どんどんと、地方都市化しています。にもかかわらず、お昼を食べに入ると、満席続き。どないになってんでしょうか。そして、京阪特急で、大阪へ大移動。この大移動にならないよう、いつもは避けているのですが、最初計画していたことが、見事に外れてしまい、おまけに、手回しよく、夜の部のための手配をしていたために、こないな大移動が生まれてしまいました。まず、大阪では、いつものワッハへ。昨日も、約2時間、映像資料の試聴に当てました。そのラインナップは、次の通りです。@NHK-TV「夢のようなうつつのような桂枝雀のめざしたもの」(ナレーター:段田安則)、南光、雀三郎、佐渡裕、岸田今日子、財津和夫、(インタビュー)文我、小佐田定雄、雀々、む雀、雀松、九雀、小朝、鴻上尚史、米朝、紅雀。枝雀「夢たまご」「宿替え」。A毎日放送TV「初笑い米朝一門勢揃い」(司会:小米朝・藤山直美)、1)長唄「五郎時政」(唄:雀松・米二・小米朝、三味線:米輔・勢朝・米裕、太鼓:喜丸、大鼓:九雀、小鼓:む雀、笛:吉朝)。2)書き初め(米朝・枝雀・朝丸・べかこ)、3)枝雀・松原千明「対談」、4)千朝・吉朝・小米朝「二人羽織」、5)春蝶・朝丸「対談」。@は、枝雀追善の特別番組。枝雀ゆかりの人たちのインタビューと、枝雀の口演二つが収録されています。ところが、「宿替え」で、荷造りをしているところで、紐をかけ忘れ、本来ならば、その紐を掛けるときに、ネダに引っかけてしまい、荷物が持ち上がらないとなるのですが、掛けてないのに上がらない演技をしてしまった枝雀は、途中で気がつき、絶句。それを告白して、後戻りもできず、仕方なくはしょり、宿替え先に着いたところまで飛ばしてしまうというもの。それを、追善番組で流すという、NHKも、すごいおもしろいことをしています。Aは、米朝一門の正月番組。いくつかワッハに収容されています。時間に限りがあることを承知で、とにかく観れるところまで観ようという心づもりでチョイスです。特に、この番組は、ゲストに、春蝶・鶴瓶が出ているというので、そそられてしまいました。米朝一門勢揃いの番組に、他門の噺家さんは、普通は出ないでしょうから。そしたら、対談が組まれていました。春蝶と朝丸の組合せを、ちょうど観ている途中に、時間切れとなってしまいました。あと、鶴瓶は、誰との対談が予定されているのでしょうか。もう一人のゲストが、現すずめの三林京子というのも、おかしい。米朝に入門前に、どないな話をしていたのか、興味が湧きます。
 ワッハを出て、歩いて移動。夜は、ウィング・フィールドで、「妄想プロデュース」の芝居「夜の瞳〜バスタブの海にて、それは艶かしい程に〜」を観に行きました。「妄想プロデュース」も、劇団探しをしている中で引っかかってきた劇団です。自分的には、ちょっと観ていきたいなと思っている劇団と近しい関係にあるということを知り、引っかかってきたというところです。箕面東高校演劇部卒業生で構成されているそうです。なかなか難解な芝居で、描こうとしている内容は、難解なものではないのかもしれないのだけど、そういったテーマよりか、描き方そのものを楽しむという芝居じゃないかと思いました。狭い舞台の使い方が気になるスペースに、両脇に簡易楽屋、舞台の背後にも、通路程度のスペースを作り、前後の変化を出したばかりか、それらにより狭くなった舞台にも拘わらず、狭さを感じさせない演出と、これだけでも、とっても印象に残る劇団なのですが、照明の使い方がうまいのでしょうね、サスを使って、狭い舞台に異空間を作ったり、最後には、舞台に仕掛けを施しておいて、舞台上に将棋盤を作ってみせたりと、大変な業師です。芝居は、現実の世界と、自分の記憶の中の世界が並行しながら流れているかと思うと、交錯しだしたりして、頭の中は混乱という赤信号。主役の男は、かつて付き合いのあった女性との間にできた子どもを堕胎したことがあり、そのことの悔恨から、自己喪失状態になってしまってるということの表現だと看ました。BGMの使い方なんてのが、唐作品を想起させますが、関西に、こないな劇団があったんだと、要注意マークを付けておきます。




2010年 12月 4日(土)午前 8時 14分

 昨日の午前中は、一層の暖かで、着る物にも困るほどの暖かさでしたが、午後から急な冷え込みと、突風に悩まされた一日でした。明け方5時過ぎに、目が覚めたものですから、持ち帰り仕事をしていました。時間はかかりましたが、そこそこ進んだかなと思い、心づもりをしていた時間に、お出かけ。その時間をのメドを9時半においていたのですが、余裕で出かけることができました。まず行き先は、ワッハのライブラリー。午後の部が動楽亭でしたので、行きがけに楽しんでおこうという狙いです。その試聴ラインアップは、次のようになりました。@DVD「四代目小染(2)」、1)小染「景清」(83.10.18「上方落語らいぶ100選」近鉄百貨店アベノ店)、2)小染「鍬潟」(83.9.11「花王名人劇場」)、3)小染「らくだ」(80.5.11「上方落語の会」厚生年金会館)。ANHK-TV「BK芸能スペシャル ニューウェーブ落語」(司会:上岡龍太郎)、1)八方「演歌人」、2)仁智{びっくり解体新書」、3)文珍「マイセルフ」。「景清」は、目が見えないといことに関する人物描写は少なめ。甚兵衛さんは、満願の日には同行せず、作次郎が観音さんに文句を垂れていると突如として現れました。その辺は突っ込みたくなりましたが、30代半ばとは思えない達者と老練さは、この人の持ち味。50台の小染を聴きたかったなぁと、しみじみです。2)は、10分くらいの短縮版。残っているだけで、感謝です。3)は音声のみ。音源は、NHKが持っているものだそうです。生涯3度だけ、小染は「らくだ」を口演しているそうです。その2回目です。38分で、火屋まで行き下げまで入っています。貴重な資料に感謝です。Aは、昨日、突如として発見した映像資料。新作落語ばかりを集めた番組です。合間に、鶴志の「ニューウェーブ小咄」が2つ入りました。この中では、やはり「解体新書」が、抜けた秀逸さを見せています。身体の各部所が集まって会議するという発想自体が、びっくりです。文珍ネタは、噺が拡散しすぎです。地球のマイセルフまで出してしまうと、何の噺だったか分からなくなっちゃいます。「演歌人」は、中田明成作と出てました。なお、この番組は、全部が収容されてないみたいです。番組に顔を出している三枝と春蝶の口演が収録されていないからです。公開に関し、支障があるのかな? この辺が判らないところです。
 ワッハを出て歩いて、動楽亭へ移動。月の上旬は、動楽亭の定席があります。だいたい無理がなければ、月2回は行けたらと考えています。昨日の番組は、次のようなものでした。小鯛「強情灸」、佐ん吉「おごろもち盗人」、紅雀「向こう付け」、米団治「算段の平兵衛」、(中入り)、宗助「足上がり」、雀松「住吉籠」。小鯛、佐ん吉は、それぞれおなじみのネタ。小鯛が、あまり上下を切らず、顔の表情の変化を使い、人物の描き分けるようになってきています。紅雀が、素晴らしい出来でした。この人、「不動坊」がそうであるように、ツボにはまると、すごい。紅雀で、向こう付け」は初めてです。主人公の喜ぃ公を、「祝いのし」の主人公のような扱いにしてしまったのです。上方落語にはいない与太郎というアブナい系キャラに仕上げ、それを、見事に演じ切りました。米団治以後は、惜しみなく大きいネタが続きました。米団治が、「算段の平兵衛」に取り組んでいるという情報は掴んでいたのですが、こないに早く、実演に接しられるとは、ラッキーでしたが、懸念していたことも、当たってしまいました。田舎の、しかも、ピカレスクものという、陰影に満ちた世界に合わないのです。お坊ちゃん度が高すぎるのがじゃまをしてしまいます。「足上がり」は、夏の噺としての扱いですから、宗助の出番からすれば、こちらでしょうが、まさかと思い、宗助の遊びがおもしろい「蔵丁稚」かの方かと考えていたら、「足上がり」の方でした。芝居掛かりになると、あっさりと下げに入ってしまうのが、すかされたような感じがしてしまうネタです。雀松は、見台を出さなかったので、かもなと思っていたら、そうでした。いろんな客を外さず、全部出してから、いよいよ真打ちの酔っ払い登場となると、わくわくしちゃいます。進行が早かったので、最後までやってくれるんじゃないかと考えていたのですが、残念ながら、酔っ払いが去ったところで終わりました。
 動楽亭を出て、また歩いて日本橋駅上のネットカフェへ。松屋町筋へと迂回して歩いたため、所要時間30分です。ちなみにワッハから動楽亭まで、往きは25分で行けました。ネットカフェでは、小1時間の時間調整。それから、南森町に移動して、夜は繁昌亭にまいりました。今夜は、「第78回創作落語の会」があったのでした。久しぶりに、三枝、福笑、仁智の3人が、顔を並べる豪華な布陣となりました。しかも、オールネタ下ろしが売りの会です。その番組は、次のようなものとなりました。三幸「自分に届け」、たま「人型ロボット」、遊方「ハローの災難」、福笑「裏切り同窓会」、(中入り)、仁智「だじゃれ禁止法」、三枝「家族の絆」。三幸は、タイムトラベルもの。30歳になった男が、自分が一番戻りたい15歳の自分に会いに行き、どうするねと思いきやって、15歳以後の自分を、15歳の自分に伝え驚かすだけのネタでした。もう一工夫も二工夫お欲しいところです。たまのネタは、どこかで聴いた記憶がありますから、純粋なネタ下ろしではないはずです。人間そっくりなロボット、感情も人間そっくりという設定。機械であるはずのロボットが、人間と同じ感情を持っているという矛盾をネタ化したかったと思いますが、ちょっと難しくなっちゃいました。後半は、客席引きかげん。たまも、それが解ったのでしょうね、首をかしげながら降りていきました。遊方のところで、ほぼダウンを喫してしまったのですが、「ハロー」と名付けられた彫刻作品の腕を折ったことによる勘違い、ドタバタ、そういった噺だということは、ちゃんと理解できていますから、ダウンの重さはひどくなかったようですが、ストーリー展開は大丈夫です。福笑ネタは、あとの三枝のネタとつく感じの、年寄りネタ。老人性のマイナス思考に陥った男を、高校の同級生が誘い、同窓会に行くと、立場が逆転していく話。異彩を放ったのが仁智。タイトルとは逆に、ダジャレの連発。隠れダジャレ連盟のような組織内で、ダジャレを言い合うという構成。最後は、取り締まり組織との対決になると、スケッチブックを取りだしてキーワードを書いて、ダジャレを連発していきます。そして、三枝。ばらばらになった家族の絆を取り戻すために、家族でクイズ番組に出演。解答が進むにつれて、、、となる噺です。いつもの爆発的なパワーはなかったかもしれないけれど、おろしたての危うさを感じさせる会で、満足度高でした。




2010年 12月 2日(木)午後 11時 59分

 水曜日(12/1)は、久しぶりに家に直行。珍しく、帰りしなに、軽く呑んで帰りました。そして、今日ですが、12月に入ったにも拘わらず、暖かな一日です。夜半になり、小雨が降り出しました。天気予報では、午後9時頃から雨だったんですね。夜に行った講談会で、南華さんが、マクラで話されて、初めて知った黄紺でした。その講談会というのは「第32回TORII講談席〜講談で聴く『名人』物語〜」。もちろんトリイホールで、定期的に開かれている講談会です。今日は、「名人特集」と銘打たれ、いろんな名人が登場しました。その番組は、次のようなものでした。南青「盗人名人 石川五右衛門」、南華「剣術名人 真説・宮本武蔵」、南海・南華・南青「トーク:どないしたら名人になれるのやろか、、、」、(中入り)、南湖「刀工名人 五郎正宗」、南海「弓矢名人 三十三間堂通し矢由来」。ところが、そないに疲れを感じていなかったのですが、南青くんと南華さんの高座は、ほとんどダウンをしてしまいました。「石川五右衛門」は、少年時代の話に、そないに時間を取ると、処刑につながる話はできないぞと感じながら聴いていたのは覚えていますから、そこそこは持ったようなんですが、南華さんの方は、マクラの途中で、ダウンしちゃったみたい。情けない話です。3つ目が、ちょうど色変わりになるトークだったので、覚醒できたみたいです。自分が、「名人上手」と思う人はとのテーマで始まりましたが、いきなり南青の下ネタから始まるけったいな名人上手が並びました。後半は、自分的には快調。「正宗」は、少年時代、継母にいじめ抜かれるが、親孝行を尽くす少年五郎正宗の話。でも、この話って、刀鍛冶の家の話でなくっても、全然問題ないではないかと、突っ込みながら聴いてしまいましたが、その割りには、ポロリと来てしまってました。「三十三間堂」は、紀伊藩と尾張藩のお抱えの弓手が、三十三間堂の通し矢の数を競う中から生まれ美談です。紀伊藩の弓手親子は、自らの名誉のため、紀伊家のためと、ガチガチになり弓を放つのに対し、尾張家の弓手は、スポーツとしての弓道という楽しみ方をする人物。それを教えられた紀伊家の弓手は、数では勝るが、それも、そういった楽しみ方を教えられたからであることの解る人たち。そこんところがいいですね。以後、深い絆に繋がれた両者に加え、水戸の弓手も入り、三者が組んで、何やらを始める長い物語の序に当たるのが、今日、南海さんが読んだ部分だそうです。抜き読みにしても、展開がとてもおもしろい話でした。




2010年 11月 30日(火)午後 10時 37分

 歩くのに困難はなくなりましたが、患部のしびれが、かなり大きなものがあります。股関節が炎症を起こすと、周辺の筋肉に緊張が走るんでしょうか、その痛みが尋常ではなく、歩行困難となってしまいます。せっかくしびれがひき、ウォーキングも、1時間というスパンまでできるようになっていたのにと思うと残念でなりません。ただ、ましになったからと、続けすぎたきらいがあります。疲労の蓄積、立ちっぱなしの仕事、こういったものが重なると再発するということも、よく解りました。というところで、今日の午後は、浪曲が聴けるということで、文楽劇場で行われています「第50回上方演芸特選会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。市楼「軽業」、京山倖若(一風亭初月)「谷風の少年時代奥州奴」、染丸「小咄集」、二葉由紀子・羽田たか志「漫才」、(中入り)、サムライ勇・朝「漫才」、三原佐知子(岡本貞子・鵜川せつ子)「はばたけ千羽鶴」、福団治「薮入り」。市楼は、福丸と交互出演。「軽業」を持ってるとは知りませんでした。「もぎ取り」だけで下りました。倖若の浪曲は、自由奔放。語りの部分はアドリブではないかと思わせる雰囲気があり、聴いていて、実に楽しい。初月さんは合わせるのが、大変だったんじゃないかな。話は、御店に奉公している少年谷風が、街のよた者に絡まれたり、その男にけしかけられた相撲とりたちと渡り合うというもので、どうやら、その辺から角界への入門話へと行く模様。染丸は反則です。NGKなんかでは、こないなことをしているのではと想像させるものでした。この会での楽しみの一つは、未知の漫才さんに出会えること。年季のかかった漫才さんは、いろいろと個性を持っています。二葉由紀子・羽田たか志は、夫婦漫才。とってもきれいな声で、歌を聴かせる由紀子、とってもリアルな動物物まねのたか志、それが売りです。サムライ勇・朝は、チャンバラ系かと思わせるものもあるのですが、おもしろいのは、勇の方が、一方的にボヤキをまくし立てるのを、朝は、かみ合わない突っ込みを入れ続け、ときおり噛み合わすというもの。アホらしいおもしろさが、徐々にわいてきます。三原佐知子の売り物のネタに出会えました。千羽鶴の由来となる佐々木サダ子さんの話です。広島で公演をしてきたとき、千羽鶴を託されてきたので、今席は、このネタで通していると言ってました。サダ子さんが亡くなった瞬間、アカペラでしみじみとしたフレーズに入ります。いい演出で、歌謡浪曲でもない、何とも言えない雰囲気を醸し出していました。三原佐知子の社会派浪曲は、時間の関係でしょうか、どうしてもステレオ・タイプになってしまいます。むしろ、余計な説明を要しない、誰もが知っている話っていう方が、浪曲化に向いていますね。今月は、50回記念ということで、関西演芸協会長の福団治がトリとなったのでしょう。だからなのかもしれないのですが、またしても「薮入り」でした。亀ちゃんが風呂に行くのを送り出すところで切り上げました。
 文楽劇場を出ると、千日前のおなじみのネットカフェで、1時間40分余の時間調整。股関節を傷めてなければ、格好のミニ・ウォーキングができる時間なのですが、今は、恐ろしくて、そんなことはできません。ネットカフェを出てからは、せめて夜の部の会場「薬業年金会館」まで、歩いて移動をしました。千日前から谷六までの移動ですから、僅か18分でおしまいでした。今日は、こちらで「第160回旭堂南海の何回続く会?」がありました。今夜は、徳徳亭で、南青くんが「太平記」を読んでる日なのですが、侠客ものの好きな私は、南海さんを選んでしまいました。先月から、「浪花五人男」が始まっています。前回は、雁金文七楽が中心に読まれ、それに対抗する人物として、器は、文七に比べるとだいぶ落ちるキャラとして描かれた雷庄九郎と庵平兵衛とが登場しましたが、今日は、残りの二人、布袋市右衛門と極印千右衛門が出てきました。布袋は、体つきからとられたネーミング。体を傷めた父親に替わり始めた仲仕の仕事、力があり、まじめに働いているため、親方に可愛がられるが、父親に人参を食べさせたいがため、出来心で、当の親方から金を盗んでしまう。そこから半日の間に、そそのかされて2度目の盗みに手を染め、今は、まさに殺人をもやらされようとしている。一方、極印もまじめ男。お上の出す小判に、公認印、即ち極印を彫るのが仕事。その腕に、目を付けたのが、贋金作りの一団。手下の者を使い、うまく極印を博打場に誘い、借財を作らせてしまい、極印を贋金に彫るための型を作らせる。それが間に合うものであれば、極印は消される。その仕事が、布袋にあてがわれたという構造。待ち構える布袋、そこに近づく極印、、、。と、ここで切られてしまい、会場、一斉に、「エーッ!」。次は、絶対に行かねばなりません。




2010年 11月 30日(火)午前 0時 4分

 股関節の具合が、だいぶと良くなり、痛くて判りにくかった患部が判明してきました。でも、ちょっと屈んだり、体をひねったりすると、痛みに顔を強ばらせていました。そんな一日、今夜はトリイホール。こちらでは、「第2回林家たい平のなにわ交遊録」が開かれました。たい平は、自分的には、旧そごう劇場で聴いた「お見立て」が、強く印象に残っていますので、こういった会があると、足が向いてしまいます。番組は、次のようなものでした。福丸「桃太郎」、春蝶「紙入れ」、たい平・春蝶「対談」、(中入り)、たい平「芝浜」。福丸は、独自のくすぐりを入れてきていますが、数は、今日程度にしておかないと、噺が崩れてしまいます。春蝶の世間話風マクラは、この人の持ち味になってしまいました。先代ネタから本題へ。噺を膨らませるために、酔っぱらいの小咄を放り込むところが1ヶ所、マクラ的話しかけに戻ったところが、1ヶ所と、かなりきわどくなってきています。そればかりか、女をデフォルメするあまり、年齢が、随分と若くなってしまいます。これも、きわどいものがあります。対談は、二世の話、でも、多くは、春蝶に関するもので、場内大爆笑。肝心の「芝浜」は、55分ちょっとの口演。冒頭は、財布を見つける前夜の夫婦の痴話喧嘩から。結構、時間を取りました。財布を見つけて帰ってきてからの夫婦のやり取りも、時間をかけていました。それに対し、時間をかけて欲しい3年後の大晦日があっさり系。女房が告白し、それに応える亭主。それぞれ、長い台詞だが、1回ずつだけという演出。万感込めた台詞は1回に詰め込み、そこに焦点化しようという意図が見えたのですが、だったら、上に書いた2ヶ所の刈り込みをして欲しかったなぁ。3年後には、主人公夫婦の3年前を思わせる夫婦を登場させ、主人公の男は、何かと気を遣っています。これを出すことで、3年間の変化が凝縮できます。余計な台詞は要らないとすることができる アイデアです。最後の酒も、そちらのおかみさんからの感謝に意を込めた年越しの酒です。そういった思いの籠もった酒だから、呑もうする、そして、呑まない。酒に、通常の意味付け以上の思いが籠められているという演出。なかなかやってくれます。こういった人情噺が、では、たい平に向いているのかというと、「お見立て」的な脳天気系の噺の方が合ってるって思いました。こういったネタになると、演出のおもしろさに比べると、表現の幅が狭いです。そこへさして、刈り込みが進んでいない序盤、中盤で、早く進みなよとの気になってしま うのでしょう。




2010年 11月 28日(日)午後 9時 23分

 股関節の状態が最悪一歩手前まで進行しています。東京のときの経験で、恐らく今日がピークだろうと考えています。これで、ひどい痛みを発症したのは2度目。炎症を起こしているからでしょうね、軽く発熱している感覚もあります。この2回の発症が、いずれも木曜日というのに、その原因を考えるポイントがあるように思います。金曜日から、毎週3連休です。そして、1日行って、またお休み。休みの日はウォーキングを必ずします。水曜日が、その疲労蓄積がピークのうえ、立ちっぱなし仕事の、最もハードな日。こないだの水曜日なんて、4時間半、立ちっぱなしだったもんね。で、その翌日から、来るぞ来るぞと思ってると、どんぴしゃでした。今度の水曜日までには、痛みが引いてないと、治るものも治りません。そないな痛みのあるなか、今日は、芝居を2本観ました。まず、一つ目は、ウィング・フィールドであった「コトリ会議」という劇団の芝居「わたしノほしデハ鯨ガおよグ」です。初めての劇団ですが、自分的劇団探しの網に引っかかってきた劇団です。芝居は、二本の筋が通っています。一つは、全自動の高性能ダッチワイフを買い、恋人ともめている男の話。ダッチワイフの電源も、残り数日で切れようとしているという設定。もう一本が、ギリシアの神々を想起させるような神々の世界。またも、神を出す芝居に遭遇です。基本的に、神を出す芝居は、安易だという先入観があるため、それだけで引く傾向にあります。ましてや自由奔放な生活を送る神としての設定は、お遊び的挿入という雰囲気であると、ますます引いてしまいます。神々を出すなら、その神々に、何を、芝居の中で委託するのかが明確になってないと反則です。この芝居では、時空間を自由に往来できるという点以外に何があったのか。まあ、それはそれで意味のあることで、ダッチワイフとの関係で、人間の人間としてのらしさを表現してみせ、且つ、それを普遍的なものとするための方便だったのかなと思いました。ちょっと設定がベタかなと思ったのですが、とっても言葉の豊富な脚本で、むしろ、それに注目です。役者も、しっかりしているので、次回作も外さないようにしたいと思いました。
 一つ目の芝居が終わると、とことことしか歩けませんが、千日前のネットカフェへ。ここで、小1時間の時間調整。それから、梅田に移動。2つ目の芝居は、HEPホールであった「デス電所」の「空洞メディアクリエイター」という芝居でした。実は、こちらの方は、前売りチケットを買っていたため、股関節が痛むにも拘わらず、大阪まで出て行ったのでした。芝居は、暴力、暴力、暴力の芝居でした。3人の主人公は、それぞれ、生育歴に問題を持った男一人に女二人。異常な父親の過保護、暴力で、子どもに危害を加えそうな輩を処分していく。二人目の女は、交通事故で失明。だが、その他の感覚を鍛え、ギャンブラーで成功。負けた相手からは、歯をもらっていくという暴力装置を編み出す。もう一人は、悪の主役の男に暴力を受け続けている。その3人が出会い、悪の主役と戦い、助け合いながら生きていくことを選択するまでの物語。スプラッターものと言ってもいいと思います。小劇場の世界では見たことのないと言ってもいいんじゃないかな。ましてや、デス電所には似合わない芝居でしょう。見せる芝居という感じで、ダンスや演出ぶりに目立ったところがあればとも思うのですが、切れの悪いダンス、人の動きは、工夫っぽいものがあるわけではなしと、文句ばかり垂れています。一つ良かったなと思ったのは、映像と芝居の組み合わせ。CGを使って、窓から鳩を飛ばしたり、お化けが現れたりと、これは楽しませてもらったと思います。この芝居は、なんかデス電所が、らしくない芝居をやったなという程度だけ、記憶に残っていくのでしょうね。




2010年 11月 28日(日)午前 2時 31分

 昨日、心配していた腰の具合が、予想通り悪化。ただ、東京でのように、歩けないとか、立ち上がるのにも激痛が走るというわけではない。でも、帰りの電車あたりになると、かなりひどい状態になっていました。ただ、どのような前兆があれば、こないな痛みが発生するかは解ったつもりでいますので、この経験を生かしたいと思います。昨日も、冬の旅行の打合せをしたときに、くれぐれも大事にならないようにと注意を受けてまいりました。ところで、今日は、午後、「島之内寄席」(ワッハ5階)に行くということで、同じビル内にあるライブラリーを、開演までの時間、利用することにしました。本日の試聴ラインナップは、次の通りです。@読売放送TV「平成紅梅亭(14)」、八方「口合小町」、南光「質屋蔵」、A朝日放送TV「枝雀寄席」、南光・小枝「対談」、雀三郎「G&G」、BNHK-TV「日本の話芸」、米朝「胴乱の幸助」。@は、南光が目当てで、同じDVDに、八方の珍しいネタが入っているというのでチョイス。八方風の口合も入っており楽しめます。南光は、これも小気味良い。声が良くないと言っても、今ほどではないのが幸いしているという点はあるでしょうね。Aは、小枝が対談相手ということでチョイス。南光とは、プライベートで一緒に旅行に行く仲だとか。小枝自身は落語はせずに、対談だけのゲスト。枝雀欠席ヴァージョンですので、落語は二題。雀三郎ともう一人は文枝。ネタが、「天王寺詣り」だったので止めました。Bは、残り30分となったとき用に残してあったもの。えらく会場の反応が鈍いというか、遠い感じがして、自分的には、も一つ気に入るとは言い難い記録です。
 午後2時前をもって、4階から5階に移動。「島之内寄席」を、久しぶりに覗いてみました。ワッハの閉鎖に伴い、とにかく、来年の1〜3月は、お休みだそうです。5階は、ベースヨシモトになるということですから、場所は、どうなるのでしょうか。場所を変えるなら、お休みをしなくともと思うのですが。番組は、次のようなものとなりました。咲ノ輔「煮売屋」、きん太郎「宿題」、仁勇「死神」、九雀「軽業講釈」、(中入り)、鶴笑「西遊記」、染丸「淀五郎」。咲ノ輔は大進歩です。語り口が、噺家のそれになってきました。ただ、手などの体の動きは、相変わらず変ですが。「宿題」に出される問題は3つ。1つ目と3つ目は、定番もの。2つ目の兄弟の問題は使って欲しいですね。それと、父親は、帰ってから、答を言おうして欲しいです。「死神」も、改変が気にくわない。最後、ろうそくを勝手に継ぎ足してしまうという、とんでもない話に。人間の手では、どうにもならない摂理としないと、何の値打ちもない噺となってしまいます。九雀の「軽業講釈」は、小佐田センセの手が入ってんでしょうね。「三大」なんちゃらを散りばめ、下げも、それを採用してました。鶴笑は、紙切りはせずに、パペット落語オンリー。そして、期待の「淀五郎」。雀三郎のようなドラマチックなものではなく、語りに徹しています。特に説明的部分を多用したわけではありません。語り芸に、完全に引き込まれました。これは値打ちものでした。
 「島之内寄席」が終わると、千日前のおなじみのネットカフェで、45分ほど時間調整。それから、難波駅から、阪神線で「九条」へと移動。夜は、シネ・ヌーヴォで、映画を2本観ました。その2本は、全く異質な2本。一つ目は、日本映画「信さん」。鄭義信脚本ということでチョイス。炭坑の島を舞台に、東京から子どもを連れて戻ってきた親子と、子どもが初めて友人となった兄貴分的男の子と、母親(小雪)とのほのぼの交流などが描かれていきます。朝鮮人との交流も挿入されるのが、鄭義信らしいのだが、それが、とっても自然体で、すんなりと入ってくる。この「すんなり」と入ってくるというのが、脚本の力です。とってつけたような設定は、小雪の存在感だけで十分で、カットカット、どれをとってもにんまりとしてしまいます。同時を生きた者として、「すんなり」と入ってくるのです。60年代、70年代オタク的な映像に馴染んでしまいます。
 引き続き、ブルガリア映画「ソフィアの夜明け」です。東京映画祭で絶賛を博したという触れ込み、ブルガリア映画、トルコ人との関係が大きな役割を担うなど、事前に触れ込みとして、黄紺の頭の中を占めていました。出口のない鬱屈としたブルガリアの若い世代の生きようとするもがきを散りばめた作品です。ネオナチに加わる男、その兄で、アル中だが、弟が襲撃したトルコ人一家を、たまたま助けようとした男、印象に残るのは、この兄弟は、開発地を前にして語り合う場面。この映画の背景を、ここで全て語ってくれます。トルコ人一家も、息子のいるベルリンへと、自家用車で向かうところだった。ブルガリアのネオナチが狙うトルコ人が、ちょっと豊かで、でも、出稼ぎなのか、移ってしまったかは判らないけれどベルリンにいるという家族を襲う。これ、うまいです。「地の群れ」的雰囲気出ています。でも、家父長権の強いトルコ人一家は、父親の一声で、イスタンブルに戻っていく。そのあとの間延びしたような時間、これは、男の決断を導く時間だったみたいですね。最後は、ボスポラスに向かって立つ男の映像でした。彼は、トルコ人の女性に、自分の希望を見出したということなんでしょうか? 間延びした時間は、見極めの時間と考えねばならないのかな? なかなか難解な映画です。




2010年 11月 27日(土)午前 7時 49分

 秋晴れの昨日、勤務がないので、鶴見緑地に行ってみたくなりました。股関節を傷めてから、鶴見緑地へは行けてません。どうしても、時間がかかるというのがネックになります。電車で行くと、えらく時間がかかるし、そないにして行くのも癪だということで、股関節の回復を待っていました。最近、1時間連続のウォーキングなんかもできていますので、前日から、今日はと狙っていたのですが、朝から腰の調子が良くない。あの痛みが爆発した前日って、こないな感じだったしなぁと、恐ろしい記憶も蘇ってきます。ですが、今、おかしくなっても、コントロールの仕方を見つける時間があると考え、強行。翌日、翌々日、自分の腰、股関節が、どのような反応を見せるか、要注意ですが、かなり危ない状態ですね。ところで、ウォーキングのコースは、次のようなもので、所要時間は、72分でした。時間的には、最近、このくらいは歩いてたのですが。京阪「守口市」駅〜大枝公園〜守口市立寺方小学校〜鶴見緑地〜咲くやこのはな館前交差点〜地下鉄「横堤」駅。
 「横堤」駅から、地下鉄で、堺筋本町乗り換えで、日本橋へ移動。昨日の午後は、ワッハのライブラリーを利用しました。そのラインナップは、次の通りです。@朝日放送TV「枝雀寄席」、1)文枝・南光「対談」、2)文枝「三十石」、3)「大喜利」(雀三郎・九雀・文我・む雀・こごろう・雀々 司会:雀松)Aテレビ大阪「初夢三夜上方落語デラックス」、べかこ「宿屋仇」。@の「枝雀寄席」は、枝雀お休みヴァージョンです。ちょうど、南座で、「街道一の大親分」公演中の収録です。枝雀が不調にも拘わらず、南座には出続けねばならなかった時期のもので、番組の司会役は、南光が担当し、大喜利などを、番組内に入れているヴァージョンです。文枝は、紫綬褒章をもらった直後の時期で、話題は、その話から始まり、戦後間もない時期の噺家の生活の模様へと発展していきました。ただ「三十石」は、重たい感じがしましたが、「京名所」の部分は、原型は、こうであったんだろうなというものを残してくれています。蛸薬師の言われ、誓願寺の唄、一力茶屋の部分と、普段カットされるものが、丁寧に演じられていました。最後は、枚方の出てくる舟唄で終わりました。「京名所」がきっちり演じられたので、ひょっとしたらフルヴァージョンなのではと期待したのですが、ダメでした。Aは、かねてから狙いの映像資料。これが、素晴らしい出来。南光の口演では、南光を初めて聴いたとき以来の感動です。実にテンポがいい、程よいデフォルメが決まるわ決まるわで、やっぱ、南光の才能はすごいと思わせられる口演です。べかこ時代のものですが、声が、今ほど潰れてないのが幸いしていることも事実ですが、声質の問題ではない小気味良さがあります。初めて聴いたときの「壺算」も、それで魅せられたなぁということを思い出していました。
 4時20分くらいを目安に、前の職場へ。ちょうど勤務時間が終わる当たりで到着。ちょっと冬の旅行の打合せ。夜は、前の職場の同僚との呑み会でした。このあたりから、ぼちぼち腰の具合がよろしくありません。椅子から立ち上がったりするたびに、腰が気になります。ただ、救いは、一夜明けた今、左腰に痛みが、かなりあるのですが、東京でのようなことはないので助かっています。痛みを気にはしながら、普通の動きをとれています。




2010年 11月 25日(木)午後 11時 23分

 昨日の寝不足による影響が、まだ続いています。お腹が膨れたあとは、仕事にならない。間違ったことをしでかさないか、ひやひやものでした。そして、夜は、ワッハの4階へ。但し、今日は、京阪「北浜」駅から、ワッハまでミニミニ・ウォーキング。所要40分でした。今夜は、そちらで、「第386回上方講談を聞く会」がありました。毎月、定例の会ですが、ちょっと客足は伸びずというところでした。本日の番組は、南斗「真田大助駿府の使者」、南湖「水沼の腹切魚」、南海「拳骨和尚」、南鱗「河村瑞賢」というものでした。「真田大助」は、父幸村の計略で、16歳の大助が、家康の刺客として、駿府城に派遣される、かなり緊迫した噺。南斗は、初口演ではないはずですのに、言い淀みかけること、2、3度。あとは、緊迫した空気が出てましたね。まだまだ上達中です。南湖のネタは、大高源吾が、中村勘助とともに、江戸に向かうとき、義兄弟の契りを結んだ侍に会いに行く噺。何度か、当の南湖の口演で聴いているもの。何度聴いても、目頭が熱くなるネタです。「拳骨和尚」は、ネタとしては、馴染みの薄い作品。剣術の達人の和尚に、無頼の輩が絡むという前半は、別に他の人物でいい代物。ただ、無頼の輩たちの通う道場主が、剣の道を極めたお方。お互いを認めあい、やがて、和尚は長州藩に、元道場主は新撰組の指南役となる。ここで初めて、こういう噺だったのかと判る仕掛け。そして、もったいぶってから、南海さんは、高座を降りました。今日は、「河村瑞賢」のところでダウン。「河村瑞賢」は鬼門で、前にも同様の経験をしています。そのときも南鱗さんでした。昨日、それに今日の昼間のことを考えると、これでも上出来です。




2010年 11月 25日(木)午前 5時 48分

 昨日は、めちゃくちゃハードな一日、おまけに寝不足と、毎週水曜は、こないな感じですが、特に昨日はきついものがありました。そんな具合なものですから、ミニ・ウォーキングもする気は起こらず、夜は、予定していたトリイホールでの会に向かいました。「白鳥・恵子の会〜三遊亭白鳥が浪曲に!?春野恵子が落語に!?挑戦!!〜」があったのです。番組は、次のようなものでした。白鳥・春野恵子「挨 拶」、春野恵子「桃太郎」、白鳥(一風亭初月)「流山のブタ次」、(中入り)、春野恵子(一風亭初月)「樽屋おせん」、白鳥「火炎太鼓」。昨日の試みは、落語と浪曲、それぞれの本芸じゃないものを出すというもの。ですから、「流山のブタ次」の第4作、即ち最新作も、浪曲での口演となりました。そないな試みであったのですが、まともに聴いたのは、「桃太郎」だけ。これは、大阪弁での口演ですが、ネイティヴもんからすると、やっぱり変。「流山のブタ次」は、ブタ次が、大阪入りをしたという設定だけしか覚えていない。「樽屋おせん」は、大阪弁に慣れが出てきていること、気が乗るのか、体が前後に動き身体表現としての一体感が出てきていて、これこそ、このネタをかけ続けた効果が出てきているぞ、いい感じだぞと思ったところまでは覚えているのですが、、、。「火焔太鼓」に至っては、完落ちでした。ここまでダウンすると、情けないのを通り過ぎています。昨日は、随分と良さげな会が集中した日でしたが、結局、どこへ行ってもダメだったのですね。あ〜、勿体ないというため息は、怨み節でもあります。




2010年 11月 24日(水)午前 0時 11分

 今日は、昼前に息子のところへ行き、お酒を呑みながら、雑用を少々。それが済むと、お昼ご飯を食べようと、「天満橋」駅近くまで、徒歩で移動。以前にも行ったことのあるインド料理店へ。それから、肥後橋へ、これまた徒歩で移動。今日も、「大阪ヨーロッパ映画祭」に行ったのでした。狙いは、ギリシアエ映画「テラシア島のおまわりさん」という映画を観たくて行くのは行ったのですが、ちょっとアルコールを入れすぎーの、歩きすぎーので、見事なダウンを喫してしまいました。パーフェクトと言ってもいい、ダウンでした。それが終わると、がっくりと失意のなか、ミニ・ウォーキングを開始。映画が始まるまでに、約30分、終わってからは50分と、わりかし合計すると、いい時間、ウォーキングをすることができました。後半のウォーキングのコースは、イシハラ・ホールから、国立美術館、中之島西端、本遇寺、JR環状線「福島」、八聖亭というものでした。
 夜は、初めての八聖亭での落語会に行きました。八方の作った寄席小屋です。ウォーキングをしていて、2度ばかり歩いたことのあるところでしたので、八聖亭の位置は、予想はついていたのですが、どんぴしゃ大当たり、イタリア料理店の2階でした。今夜は、こちらで、「東西落語タッグマッチ第3戦」が行われました。その番組は、次の通りです。鯉朝「ペコちゃん(仮題)」、三金「動物園」、市楼「ふぐ鍋」、(中入り)、初花「芝浜」。出番は、冒頭のじゃいけんで決まったものです。二番目に勝った初花がトリを取ったので、大ネタを準備してるなの雰囲気、そしたら、「芝浜」でした。こちらも大当たり。鯉朝の高座は、繁昌亭に次いで、2度目となりますが、新作のテンション、着想がおもしろい噺家さんです。今日のネタも、南千住駅前の不二家の店前に置かれているペコちゃんの目を通して見える人間模様を描くというもの。南千住いじりも入り、大受けでした。三金は、時間を考えて手短なネタをというチョイス。そのわりには、マクラが長い。今年も、「ふぐ鍋」に遭遇する季節になりました。この秋、初めてです。市楼も、手短かを心がけたのか、とってもあっさり系の仕上げ。普段も、こうだったっけという感じでした。そして「芝浜」。ほぼ50分の口演でした。全体的に言って、切れに乏しいというのは否めません。ですから、亭主の江戸っ子らしい気っ風の良さなんてものが出てこないのです。財布を拾ってきて、散財をしたり、夢だと言われ、手を返して働き出したりと、そういったシャープな対応に似合わない、そないな感じかな。ただ、3年経ったあとの口演は、それまでと比べ、テンポが上がったり、やり取りの切れも出てきたりで、雰囲気が、少し上がったかな。聴いていて、「芝浜」っていい噺だなと、心に刻むことができましたから。なかなか、東京の若手の噺家さんの高座に触れる機会がないものですから、貴重な会がだったと思います。




2010年 11月 23日(火)午前 8時 56分

 昨日は、午後から雨が降りました。夕方には、雨足が、だいぶと強くなったのですが、最近恒例にしている京橋から歩いての繁昌亭入りを、昨日も敢行。昨夜の繁昌亭は、「三枝・米團治二人会」があったのですが、不思議な組合せの二人会。不思議というか、通常ではありえない二人会でしたので、何か臭うなという直感から、際どいながらも、チケットをゲット。そしたら、その直感が当たりました。談志を繁昌亭に呼び、舞台に上がってもらおうの試みだったのです。三枝会長、そして、米朝との親交ということで米団治、この二人で、談志を呼ぶ試みだったのです。いや〜、驚きました。「東京からゲストを呼んでいる」と、「挨拶」の中で、二人は言うのですが、黄紺の頭の中では、三枝・米団治の組合せの意味が解ってなかったため、そう言って、鶴瓶でも出てくるのやろと思ってたほど。ところが、中入り明けで出てきた二人が、「一度は、繁昌亭の舞台に上がってもらいたかったんです」という言い方が出た途端、黄紺の頭の中は、「まさか、まさか」の連発。そしたら、その「まさか」でした。という会の番組は、次の通りでした。三枝・米団治「挨拶」、米市「小咄二題」、三若「パパになる日(仮題)」、米団治「掛取り」、(中入り)、談志・三枝・米団治「トーク」、三枝「背なで泣いてる唐獅子牡丹」。三若の新作は、子どもが生まれた記念落語。49歳で、初めて子どもを授かる男に、21歳で3人目の父親になる男の会話に、三若が父親になった気持ちがこもっていて、とっても爽やか系落語に仕上がっていました。米団治の「掛取り」は、少なくとも10年は出逢ってなかったもの。掛取りは3人登場。トップが、米団治スペシャルのクラシック音楽尽くし。次いで、ケンカ、歌舞伎と続き、下げを言わないで下りました。クラシック尽くしは、以前聴いたのとは違ってるんじゃないかな。クセナキス、マスカーニ、バルトークなんての、前はなかったように思えてしまいます。ケンカもオリジナル。ケンカ口調でのやりとりで、売り言葉に買い言葉で、「支払いはええわい」と言わせるというもので、時間短縮が目的か。「唐獅子牡丹」は、ワッハの映像ライブラリーで試聴したことはありますが、生では初遭遇。そんなに好きな噺ではなにです、このネタ。冒頭からのトーンが、最後まで続くというので、だら〜となってしまうのです。実は、昨夜もそれを実感した次第です。談志は、三枝が作った繁昌亭を見てみたいと思ったのと、米朝と会えたらと思いやって来たといって思ってました。米朝への敬愛の深さは、前からも感じていましたが、再認識です。談志は、声帯を手術したからでしょうね、かなり話し声が聞き取りにくいものがありました。ですから、肝心のところが抜けてしまったりと、残念なこともあったのですが、とっても貴重な現場に立ち会えて、ガッツポーズです。




2010年 11月 22日(月)午前 5時 44分

 昨日は、振り替えなしの勤務のあった日。おかげで、講談会が一つ吹っ飛びました。解放されたのが1時半を少し回ったところでしたので、昨日同様、「大阪ヨーロッパ映画祭」に向かいました。昨日は、夜には、繁昌亭に行くことになっていますので、観るのは一本だけ。クロアチア映画「的中」です。これがおもしろい。昨日と、えらい違いです。期間中1回だけの上映ですから、当たりはずれの多いなか、これはラッキー極まりありません。この話、内戦時代の狙撃兵(クロアチア人)と、その狙撃兵が的として狙ったセルビア人将校の女との恋です。照準器で見た瞬間、一目惚れしてしまった男は、将校を撃ったとき、どうしても泣き叫ぶ女は撃てなかった。その女(当然セルビア人)が、AV女優として知られた女だということを知り、その女を買い戻しに、クロアチアからセルビアに行くところから、物語はスタートする。案内を頼むのは、AV男優として名を馳せ、当の女と「赤頭巾ちゃん」という名のAVに出演した男。この辺が、すっごく洒落てて、冒頭で、一挙に、客の心を鷲掴み的なやりとり、台詞が続く。その感性の良さに、きっとおもしろい映画だとの確信すら持たせてくれる作品です。更に上手いのは、映画に節目があり、その度に、そうじゃないかなと思い始めたことの解答が、その節目ごとに用意されているのだ。スナイパーだったのでは? その狙った女ではなかたのか? なんてのは、そういった感じで提出され、解決されていく。上手いのです。洒落ているのです。でも、描かれるのは、泥臭い世界を描きます。ハイライトは、相手を信じるということです。「狙撃するのにどれだけかかるの?」「3秒」、女は、男が、スナイパーが自分を狙うのを知って、立つと狙われるという窓際に立ちます。映画では、カウントが入ります。「3秒」という言葉が流れた瞬間、一発の銃声音。でも、女は立ったままです。男が、相手のスナイパーを撃った音だったのです。男、「なぜ、窓際に立った?」「あなたを愛しているからよ」。女は、将校が撃たれたとき、泣き叫びながら、窓際に「3秒以上、いやもっとの時間」立っていたことを知っているのです。将校を撃った男は、自分を撃たなかった、その男だから、窓際に立つと、相手のスナイパーは自分を狙う、その瞬間、男は、そのスナイパーを撃ってくれるはずだとの信頼。これは、すごい、すごすぎる! そのあとに、蛇足が入ります。そこまでしなくっていいという蛇足が入ります。「窓際に立った」で十分じゃないかと思う蛇足が入ります。クロアチア人とセルビア人って、そこまでしなくっちゃいけないのというメッセージとも思えましたが、ドラマ的には、蛇足と看ました。二人の橋渡し的役割、また、語り手となるAV男優が、ロマだという設定もいいですね。国境を越える民だからこそ、クロアチア人とセルビア人の特異な関係の男女の物語を語る資格があるのでしょう。素晴らしい映画です。
 映画上映が終わると、この映画祭の実行委員長さんの質疑応答があったのですが、移動時間を考えて、5時ちょうどを潮時に、会場をあとにして、徒歩で繁昌亭まで移動。北浜から浪速橋を渡ると、思いのほか早く到着です。所要時間21分というところでした。おかげで、ゆとりを持って、晩ご飯を食べることができました。昨夜の繁昌亭は、年1回の「銀瓶・文三ふたり会〜vol.2〜」がありました。番組は、次のようになりましたが、目玉は、やはり文三の「立ち切れ」でした。文三「宿替え」、銀瓶「天災」、銀瓶・文三「対談」、(中入り)、銀瓶「お忘れ物承り所」、文三「立ち切れ」。二人とも、中入り明けの高座が、数段上の出来。文三の方の「宿替え」は、なんか乗り切らない内に終わった感じ。新しい家に行き釘を打つところから始まったのですが、はしゃぎ過ぎる男に、周りの人がかみ合ってない感じ。周りの人は困ってるのだけど、嫌がって迷惑顔が見えてきそうなのです。だから、異様にはしゃぎ過ぎと見えてしまうのです。文三は、痩せてから、トーンが上がってしまったようで、こないな印象を持つようになったのかなと思います。サゲまで行かなかったのも、ちょっと不満です。銀瓶の方も、無茶もんぶりが、とってつけたような印象。心学の先生を紹介することになる甚兵衛さんの困りとか、突っ込みが足らないのだと思います。韓国に1ヶ月滞在した影響なのでしょうか? 一方、「お忘れ物」を、銀瓶で聴いたのは、確か初めてのはずですが、かなりお気に入りの出来上がり。人物の変化を、的確に作り上げることに成功しています。間違いなく、このネタのベスト演者でしょう。そして、いよいよ文三の「立ち切れ」。これは、去年のこの会でのお約束。銀瓶は、「景清」を約束しながら、約束を守れませんでした。文三には不向きかなとも思っていたネタですが、これが良かったんだなぁ。特に、冒頭の定吉が気に入りました。子どもらしい無邪気さなんてのを強調しない演出。噺の枠組みを説き、展開への期待を掻き立てるかのような、狂言口開的役割を十二分に果たす抑制した語り口が秀逸。会場が、一挙に「立ち切れ」モードに包まれ、空気が張り詰めているのが解りました。お茶屋に、若旦那が現れてからは、台詞が飛んだのか、敢えてカットしたのか、よく解ってないのですが、「雪」という題名、そして、それが、若旦那の好きな曲ということが触れられず、若旦那に、「そこまで、おまえが、私のことを思ってくれてるっていうのを知らなかった」と言わせたり、朋輩集がやってきたときの、女将さんの対応とかもカット。という具合に、気になるところが、幾つか出てきたために、緊張が、若干緩んだかなと思います。文三が、このネタをここまでするならばという感じで、「菊江仏壇」「三枚起請」あたりへ、更に「百年目」までも進んでもらえる噺家だということが判りました。やっぱ、期待されるだけあり、ポテンシャルはすごいわ。




2010年 11月 20日(土)午後 11時 38分

 今日も、暖かくていいお天気でした。そのいいお天気のなか、万博公園に出かけました。久しぶりに、民博で、定期的に開かれている「民博ゼミナール」に行ってまいりました。これは要チェックなんだけど、ついつい忘れてしまうのですが、先日、民博の特別展に行ったときに、失念していたことを思い出し、今日、行ってみようという運びになりました。今日のテーマは「アフリカの王様たちは今〜ナイジェリアの政治と文化〜」(講師:横浜国大教育人間科学部松本尚之准教授)、アフリカの現状なんてことを学ぶ機会などは、こちらでしかありませんから、とても楽しみに出かけて行きました。が、意気込みのわりには、昨夜の寝不足がたたり、かなりうとうと。ただ1時間半の予定が、早く終わったため、質問を受け付けてくれたため、概要が判りました。ナイジェリアのイボ族に限らず、他の多数部族でも、村がいくつか集まった単位であるタウンで、エゼ(王)とかチーフと呼ばれる人が選ばれるという習慣があるのだそうです。何やしらの権限が決まっているわけではなく、選ばれ人の才覚や社会的な地位により、すること、できることが決まってくるそうですが、政治的地位だのとかいうものではなく、文化的な統括者的な地位だそうです。地域へ一定の功労のあった人が選ばれるというもので、ときには外国人が選ばれることもあるとかで、中国人企業家が選ばれニュースになったこともあるとか。ルーツは、この地を植民者が支配の道具に、地域の首長を使おうとしたとき、伝統的に、この地域には、そのような地位の人物がいなかったため、そのような人物を選定し、肩書きを名乗らせ、間接統治を試みたことに由来するそうです。質疑応答を聴きながら、それと、自分の中に微かに残っている記憶とを紡ぐと以上のようになるが、あまり興味深い話とは思えないというのが感想です。かつてのソンガイ王国だのガーナ王国だのとの関連を期待していたからかもしれません。それで、直感的にうとうとと、、、。こじつけかな?
 民博を出て、万博公園を抜け、「万博公園」駅は素通り。阪急「山田」駅まで、ミニミニ・ウォーキングがてら歩きました。以前に一度歩いてますから、道筋はわかっていますし、時間もわかっているということで、これは予定通り。32分で到着です。そして、「梅田」駅まで移動。そこから、今度は肥後橋まで徒歩で移動。目指したのは、イシハラ・ホール。今、こちらでは、「大阪ヨーロッパ映画祭」が行われているのだ。今日は、こちらで、2本の映画を観に行きました。1本目は、ボスニア映画「サラエボ、希望の街角」。監督が「サラエボの花」のヤスミラ・ジュバニッチ監督だということで、期待の作品でした。が、観たあとの感じとしては、ちょっと肩すかしかな。一組のカップルの物語です。女はスチュワーデス。男は管制官だったのだが、アル中で失職してしまう。そんなおり、内戦時代の戦友に、偶然会い、仕事を紹介してもらう。だが、その仕事は、イスラーム原理主義的な運動を実践する集団で、そこでの教えに、男は共鳴していくのです。二人の関係のあり方についても、イスラームの原理を求めていくようになります。男にとっては、戒律的に飲酒ができない都合良さと同時に、失職したことから生まれる心の隙間を埋めるように思えたのでしょう。男の友だちも、内戦後の心の空洞を埋めてくれたのが、原理主義的な信仰だったと言ってます。女は、内戦で、両親を目の前で殺されたという経験を持っています。彼女は、それに向き合ってきたという気持ちが強いのでしょう。また、クルバン・バイラムは祝うが、復古的な原理主義的主張には、全くなじめないという人物です。どんどんと、二人の間は乖離していきます。観ていて、乗れないなと思ったのは、原理主義的活動が、ステレオ・タイプ過ぎたのと、これっ て、結局、「アチュクとカパル」だと思ってしまったからなのです。そして、よく考えてみると、この二点っていうのは、底は同じだなということですね。
 続けて観たのは、久しぶり公開のトルコ映画「40」。これはいけません。ドキュメンタリーとの境目が、よく分からないように作られている映像の斬新さ以外に、何を見る映画なのでしょう。偶然と偶然を、そして、更なる偶然が重なるとという展開なのですが、それは、あまりに取って付けたものでは、観る者がバカにされているようで。例えば、金を持って高飛びしようとしている女を、どうして、タクシーの運転手が拾えるのか? その前に、何やらアクションがあって、会うならば合点もいくというものですが、それはいけません。アフリカの男が、カバンを拾うところはいいんだけど、逆に落とす話は、あんまりです。「40」も、どこに出てきたのか、よく分からない。カバンをなくし、顔を切られる男も間抜けです。警官を監禁する話って、単なるドタバタです。いや、ここまで偶然は重なれば笑わないと仕方がないという映画なんでしょうか? トルコ映画だからということで観てしまった、我の愚かさを認識しております。




2010年 11月 20日(土)午前 0時 58分

 今日は、いよいよ「講談毎日亭」の最終日。それが、なんと平日の昼間に設定されたのですが、うまい具合に、金曜日は勤務日ではなく、聴きに行くことができました。そこで、「雀のおやど」に行く前に、寝屋川のお気に入りのお店「晴れ晴れ」で食事をして、そこからウォーキング。京阪「萱島」駅、大阪国際大和田高校までは、予定通りだったのですが、トイレ探しにうろうろしたり、時間も考えないで、迂回して、京阪「古川橋」駅に行こうとしたため、途中でその無茶さを認識して、結局、京阪「大和田」駅に逆戻り。バタバタしたウォーキングになってしまいましたが、それで、所要時間は、予定していた1時間で収めることができました。あとに「講談毎日亭」が控えていますので、安全第一のコース選びです。今日はいいお天気で、気温も、そこそこ高く、絶好のウォーキング日和でした。で、肝心の講談会ですが、懸念された客足は、8人と、最低人数を下回らず、楽屋も常連さんも、ホッとはしたのですが、つばなれしませんでした。今日は、初めての方もおられたということで、演者さんが復習の時間を取られていましたので、終演は4時20分とはすごすぎです。3人で、2時間20分釘付けにするのですから。「安倍晴明」は、やはり謎の人物が、最後は活躍しました。安倍晴明と、異母兄となる、件の保名と狐との間の子どもが、満を持しての登場となりました。最後は、二人が合体するかのようにして、芦屋道満を倒したのですが、蛇足となる話を、南青くんは付け加えました。芦屋道満は敗走して、酒呑童子となり、頼光らと戦うことになるというのです。「小夜衣双紙」は、小夜衣の幽霊騒動の後日談が締めくくりとなりました。小夜衣が花魁としていたお茶屋、置屋が潰れていく話。源次郎の家、浜田屋は、田沼意次に近づき、富を築き上げたが、これをきっかけに潰れていくというものでした。ただ、今日も、ここでダウン気味。南湖の口演が終わると50分も経過していましたので、内容的に、もっと深く濃いものだった可能性は、大いにあります。そして、「難波戦記」。今回は、「特撰冬の陣」ですから、和睦が最終到達地点となります。その主役は、若き木村重成。老獪な徳川家康や諸大名を向こうに回し、堂々たる和睦の使者ぶりです。幸村の策略を受け、茶臼山に待ち構える家康の陣に行くまでに、途中控える諸大名を挑発をしていきます。これは、相手 が挑発に乗ってきた場合は、即、死を意味する行為。それに対する不安を微塵も感じさせない威丈夫ぶりは、すごすぎます。小南湖に重成と名付けた南湖の親バカぶりに納得です。ということで、客足が、残念ながら伸びなかったなか、黄紺は皆勤を達成です。
 雀のおやどを出ると、最近、うまい具合に入ることのできている鶴橋駅前のネットカフェで、40分間の時間調整。それから、「森之宮」駅まで、迂回して時計を睨みながらのミニミニ・ウォーキング2。時間にして28分間。これで、今日は、2回に分けてですが、計1時間半のウォーキングをしたことになります。明日の股関節の具合が気にはなりますが、悪くなければ、ウォーキングの時間を、もう一段上げてみたいなと考えています。夜は、JRで京橋経由伊丹へ移動です。AIホールに向かいました。今夜は、こちらで、「売り込み隊ビーム」プロデュース公演の「アイスクリームマン-中産階級の劇的休日-」があったのです。作品は、岩松了の作品で、過去の作品を復活上演するという、AIホールの試みの一貫としての上演です。黄紺自身としては、岩松作品は観てこなかったもので、関西の小劇場界の役者さんたちが集まって上演するということで観に行きました。なかなか難解な作品で、舞台は、合宿で運転免許を取りに集まっている人たちの宿泊施設。そして、そこに集まってきている人たち、施設の事務員と、その姉、教習所の教員たちが、様々に関わりながら、いろんな関係性が生まれていく姿を表していきます。かつての恋人に追いかけられている男は、若い女に関心のあるそぶりを見せるため、女はすっかりのぼせてしまってるのだが、実際に関心を示すのは、事務員の女を訪ねてきた姉。病気を持っているらしく、電話で投薬について、医者ともめているように見える女の子に関心を示す男は、お誕生日パーティーを企画し、実際、その当日は、その施設に集まる若い人たちに声かけをして、パーティーを行う。でも、そういった輪に含まれない人たちもいる。行動が変わっているため、うまくコミュニケーションを取れない男、事務員の女は、姉との会話で判ることは、母親に敵意を持ち、母親の葬儀にも行かなかったことが判る。でも、その詳細については、最後まで明かされないままだが、観ている者には、頑なに、自らを閉ざしてしまっているかのように見える。結局、この二人が主人公なのでしょう、この芝居。あともう一人、パチンコで損をしてばかりいる男が出てきますが、コミュニケーションの取れない男ではなく、ベクトルがひたすら自分に向いているだけであり、自分から閉じたり、人に関わろうとしても、うまくできないわけではないので、主人公二人の男女とは異なるカテゴリーにいる人物だ。その主人公二人のやり取りで、最も気になるのは、最後のシーンだ。二人が、お互い似ていると言い出す。「どこが似ている?」「そうさ似ている」「お前が似ていると言ったんだぞ。だから、似ていることを見せてやる」と、男は女に馬乗りになり、顔にペインティングをしだす。「段々似てきたぞ」「似てなんかいないわよ」「誰がこんなことをしてくれと言ったのよ」「お前が言ったんだよ」「いや言ってない」、これが、何度か繰り返されたあと、女は「言った」と言います。すると、男は、それまで「読まない」と言っていた、女が昔書いた大事な作文を読み上げます。このやり取りを聞いていて、これらが、二人の愛の言葉の掛け合いであり、人間とは言葉の掛け合いで関係性を紡ぎ出しているなんてことを示すばかりか、最後の「言った」「言わない」のやり取りに至っては、二人の男女が、お互いを愛撫をしあいながら交わしているとさえ聞こえてきました。言葉の「交わし」が、芝居の台詞として、こないな感受性を喚起する力があるものと感じさせられたのって、経験のないことで、不思議な感動が、ゆっくりと湧いてきました。貴重な体験をさせてもらった芝居となりました。馬乗りになり、男がペインティングをしていくとき、女の腕が脱力していく演出にも、目が奪われていきました。なんか最後の場面に収斂させるための芝居という感じでした。




2010年 11月 18日(木)午後 11時 37分

 今日は、職場を定時に出られず、夕方に予定していたミニミニ・ウォーキングが際どくなったので、先に鶴橋へ移動し、晩ご飯をかっこんで、26分間のミニミニ・ウォーキングを敢行。「雀のおやど」へ、開演10分前を切ってから到着。そのウォーキングが効いたのかな。わりかし疲れが、体にたまっているところへ歩いたものですから、講談に影響が出てしまいました。南青くんの高座の後半から南湖の高座が、吹っ飛んでしまいました。ですから、「小夜衣双紙」は、全く書くことができません。「安倍晴明」の方は、晴明が拘束されているところから始まりました。その経過の復習が若干入ったので思い出しました。帝の病気平癒のため、晴明が用意したお札が、芦屋道満の手の者にすり替えられたがため、その責任を問われていたのですが、残されていたお札の仕掛けを解いたことから信頼を回復した晴明は、再び、偽の、しかも帝に災いをもたらすお札へ交換に来るだろう人物を待ち構えるのです。一方、芦屋道満は発覚を防ぐため、交換に赴かせる手の者を消しにかかります。最後は、災いを未然に防ぐのに、晴明側が成功するのですが、細かな経緯が吹っ飛んでしまっています。ただ、今日初めて出てきて、晴明を助け、成功したときに姿が見えなくなっている人物がいます。ちょっとした見当はついているのですが、明日 はもう大団円の日です。芦屋道満との対決にはキリをつけてもらわねばならないのですが、それだけでは終わった気分にはならないですね。南青くんは、きっちりと答えを出してくれるのでしょうか。「難波戦記」は、「真田大助の初陣」が読まれました。5500人の相手との戦に、500人の者しか、父幸村から与えらんない大助。幸村から、策略を用いて、相手を倒せという指令なのです。相手は、よく出てくる藤堂の殿さん。幸村も、大助も考えたのは、霧を使い、人数を解らなくして戦う戦法。それに成功した大助は、藤堂の殿さんを抱えて逃げた家臣を追い詰めながら、首を落とさないで戻ったため、形の残らない初陣となります。勝った大助軍が体を休めているところに襲いかかってくるのが、井伊掃部。こちらも初陣。虚を突かれ、戦にもならない状態だった大助に対し、当の井伊掃部は、大助の前に出て、詫びを入れます。初陣の功を焦った家老の軽率さに動かされてしまい、これで首を取ったならば、初陣が恥さらしの行動になるだけというのです。こういう形式大事の時代だからこそ、講談の格好の標的になるのでしょうね。明日は、木村重成が、再び登場して、休戦が結ばれる話へと入るようでした。なお、本日の入場者は7人。つばなれしないのが、当たり前になってしまいました。こないにおもしろいのにと思うのです が。




2010年 11月 18日(木)午前 0時 31分

 水曜日は疲れます。1週間で、一番きつい日。夕方になると、ぐったりしています。でも、携帯付属の万歩計を見ると、6千歩もいってないということで、京阪「京橋」駅から鶴橋まで歩きました。森ノ宮で、一旦食事をしたのですが、食事が終わってみると、まだまだ時間的に余裕があったので、結局、「雀のおやど」まで歩くことにしました。合計47分のウォーキングとなりました。今日は、「講談毎日亭」の客は5人。毎日一人ずつ減っていきます。つばなれどころではありません。今日のトップは、南海さん。南海さん自身の都合だったようです。鴫野、今福に控える徳川軍との合戦の模様が描かれました。今福に陣を張ったのは上杉。鴫野の方は、名前を覚えられませんでしたが、ともに、関ヶ原では、三成の軍に加わり、戦後、家康に詫びを入れた外様です。ともに、戦の指示が出てないところで、挑発されたこともあるのですが、兵を進めてしまいます。これを迎えうったのが木村重成。今日は、この木村重成の初陣が描かれる日だったのです。重成21歳のときの話です。南海さんの口演では、若いながらにも、とても冷静で凛々しい武者と描かれていました。むろん大きな功績を残し、幸村も、秀頼も、その能力を認めるのでした。「安倍晴明」は、清明が、帝の病気平癒のために用意したお札を、宮中の局を使い取り替えようと試みる芦屋道満との攻防の日でした。その攻防の具体的ところは、ボヤーッとしています。軽いダウンを喫したみたいです。「芦屋道満大内鑑」を基に、噺を組み立てているようですが、そのままじゃないようです。「小夜衣双紙」は、ようやく「蛤の吸物」に到達です。蛤の吸物は、この時代、結婚式につきものの品だったということで、源次郎の婚姻に向けて、また、結婚式の日の混乱が描かれました。要するに、次から次へと、小夜衣の幽霊が登場となったわけです。抜き読みでされる場合の革新となる部分です。ここまでの筋立ては、なんとなく解っていたのですが、このあとです。先代南陵のハッピーエンドでは、少なくともないようで、いろんなところで業を成すのが、小夜衣の幽霊で、次回も、そてに関わるもののようです。




2010年 11月 17日(水)午前 5時 56分

 今日は、とってもいいお天気、秋晴れです。但し、気温は、昨日からかなり下がっています。今日は、午後からの講談会の前に、まずワッハのライブラリーを利用することにしました。本日の視聴ラインナップは、次の通りです。@毎日放送TV「ありがとう文枝さん〜はんなりと艶やかな74年の噺家人生〜」(米之助・米朝・春団治・仁鶴・西川きよし・三枝・文珍 ナレーション:きん枝)、文枝「悋気の独楽」A朝日放送TV「枝雀寄席」、1)南光・松村邦洋「対談」、2)吉朝「住吉駕籠」。@は、文枝追善の番組。通り一編の経歴を辿り、関係者から言葉をもらうというもの。歌舞伎のお囃子方の方に動いた時期があったというのは知りませんでした。米朝が、文枝の「悋気の独楽」の丁稚がいいと言っていたのが印象に残りました。女を演じるばかりか、誰を演じても良かったというコンテクストの中で出てきた言葉でした。Aは、枝雀がお休み中の「枝雀寄席」。吉朝と雀松の「へっつい幽霊」とが入っています。吉朝の手の動きに魅せられる「住吉駕籠」です。「しゅーっと、あっち行ってしまいました」というときに、指先を突き出して、人の動きを表す仕草が、噺を随分と大きなものにしていました。
 ワッハを出て、文楽劇場に立ち寄り、「師走浪曲名人会」のチケットを買おうとしたら、もう売り切れ。これは、楽しみにしていたので、大ショック。ローセン・チケットを当たってもダメ。ということで、悲しくて悲しくて。とにかく、近鉄電車で鶴橋に移動。「講談毎日亭」の4日目です。平日の昼間ということで、客は7人。昨日を一人下回ってしまいました。「安倍晴明」は、葛の葉と保名の子どもが大暴れ。帝の病を平癒できない芦屋道満と、術の掛け合いで勝負し、これに勝ち、帝に召し抱えられる。ここから、安倍晴明を名乗るようになるというのだが、安倍晴明って、狐と保名の方の子どもじゃなかったのかな? 噺は、帝お抱えの陰陽師としての地位を失った芦屋道満側からの反撃へと移っていってます。「小夜衣双紙」は、「蛤の吸物」に進むのかと思いきや、その前に怖い話があるのです。まず、吉原のお茶屋に生き、話を詰めに行った六兵衛ら二人が、お店に帰ろうとしても、幽霊が出てきて帰れないので、お茶屋に戻ると、そこでも出てくる。朝になり、ようやくお店に帰っても、また幽霊が出るわで、源次郎をはじめ、すっかり関係者が衰弱していくというのが、今日の噺でした。そして、いよいよ、明日、婚礼のところへ進み、「蛤の吸物」となるのです。南湖自身が予告しましたので、明日は間違いありません。「難波戦記」は、いよいよ冬の陣に突入しました。現三光神社のところに築かれた出丸を最前線にした攻防です。幸村が、楠木正成の戦略を手本に策を練り、蹴散らしていきます。その中で、幸村の兄の子ども二人が、家康側についており、それに出陣が命じられたのを、いざ突入というところで、それを留める話、それに感謝の意を表す幸村の話が印象的でした。敵味方が、戦いの途中に邂逅し、相手を 讃え、扇を贈るという、なんともはやのんびりしたエピソードですが、そんなのが入るのが、また聴く楽しみとなります。
 雀のおやどを出ると、鶴橋駅前のネットカフェで、約1時間、時間調整。それから梅田に向かってウォーキング開始。夜は、梅田で芝居を観ることになっていましたので、このコースを取りました。大阪女学館、谷町4丁目、天神橋、西天満交差点、お初天神を経て、梅田までで75分。西天満交差点で、鶴橋を出て、ちょうど1時間でした。股関節の具合が、最近は、随分と改善されたので、こないな時間、歩くことができます。まだ、歩いたあとは、軽くしびれが出てきますが、以前に比べると、かなり良くなっています。これで、冬の旅行は大丈夫だろうと、自信が出てきています。梅田での芝居というのは、HEPホールであった東京の劇団「イキウメ」の公演「図書館的人生Vol.3 たべもの連鎖」でした。4つのエピソードのオムニバス作品ですが、4つ目はエピローグ的な役割で短いもの。その他では、2つ目が例外的で、1つ目、3つ目、4つ目は、流れの中で理解できるもの。#1で、ベジタリアンの夫婦の話を振っておいて、#3で、きっちりとケリが付けてあります。ベジタリアンの料理教室が、#1で語られ、#3で、ベジタリアンであるわけが語られるというわけです。但し、#1では、ベジタリアンの妻が夫にも健康的だと、肉を食べさせないという善意が、結果的に夫婦としての機能を停滞させていくという話ですが。#3で語られる話がおもしろい。不老不死に繋がる話で、「吸血」という非人間的なことをして、それが可能だという設定で、若さを保つことができても、人間が築き上げてきた人間らしさが、どんどんと奪われていくという筋立てがおもしろい。だから、普通に老いを重ねるということで、人間の社会、文化は成り立っているということでしょう。それを見せてくれたことで十分な芝居です。#2は、万引きの話。万引きにも、一つのルールがあり、そのルールを守ることが、万引きの美学だという主人公。店を潰すような万引きはダメ、万引き自体を目的化する万引きはダメとかが、ルールです。となると、そういったルールや、美学なんて屁みたいなものと考える万引きが、一方で存在するととなるわけです。ここにも、#3の話とは、全然内容は異なりますが、ルールとか、矛盾とかが、テーマ化されています。オムニバス形式であって、そうじゃない芝居の進行、やはり、イキウメは只者ではありません。脚本がおもしろいし、とっても達者な、個性豊かな役者さんが魅力の劇団です。




2010年 11月 16日(火)午前 5時 50分

 先週の途中から、仕事が、ちょっと手空きのような時間帯が生まれ、特に、昨日、それが著しいものですから、午後になってから時間休を取り、映画を観に行くことにしました。チョイスしたのは、シネ歌舞伎の「大江戸リビングデッド」です。場所は、ナンバ・シネパークス。大阪で上映しているのは、ここだけ。夜の「講談毎日亭」への移動も、好都合ということもありました。「大江戸リビングデッド」は、宮藤官九郎作・演出で、歌舞伎座のさよなら公演を飾ったもの。クドカン作品は、今まで観たことがないという前提で、観に行ったのですが、あまりおもしろい作品とは、正直思いませんでした。途中、うとうとしたくらいです。疲れているからうとうとではなく、なんとベタなとか、受け狙いだけじゃんとか、設定のおもしろなさとか、とにかく気を削がれてしまう作品です。歌舞伎の様式とか、それがどうのこうのという感想は、自分的にも言えないし、言うつもりはなく、ただ、おもしろいかどうかでの判断です。くさやを持ってきただけで、引いてしまいます。冒頭で、しかも、しつこく臭いという表現をされると、掴みのつもりだろうけど、ベタなことをしつこくやられているとしか感じません。ハケンなんて出てくるだけで、媚びてると感じてしまいます。ゾンビを出すのは、別になんとも思いません。むしろおもしろい発想とは思いますが、それをハケンと結びつけるところで、どん引きです。生者と死者が入れ替わったりする展開はおもしろいのですが、また、永代橋の使い方もそそられるのですが、全体の趣向におもしろいと思ってないものですから、引いたまま観てしまいます。野田秀樹の成功が頭の中にこびりついてますから、同様の成功を期待していったのですが、見事すかされました。
 映画が終わると、その下から、ミニ・ウォーキング開始。道がごちゃついてないだろうということで、南の方から、ナンバ・パークスを出て、日本橋の電気店街へ、通天閣、動物園、一心寺、天王寺区役所、清風高校と経由して、鶴橋まで、所要時間は、ジャスト1時間。今回の「講談毎日亭」は、常連さんの欠席が重なり、日々、つばなれするかを心配していましたが、今日は7人と、黄紺が知る限り、最近では最低記録となってしまいました。「安倍晴明」は、白狐が、葛の葉として、保名の妻となり10年が経っています。そこへ、相模の国から、本物の葛の葉親子が、罪を許され戻ってきます。そこで素性がばれるということで、有名な歌を残して去っていきます。子どもも、狐のあとを追い姿を消します。また5年が経ちます。本物の葛の葉との間に子どももできています。その子どもが、突然、相模から祖父を呼び戻すのに功績のあった人物に会うと言い都に向かいます。また訪ねられる方も、それを待ち受けています。二人の出会いには、白狐の霊夢が働いていたのです。「小夜衣双紙」は、源次郎と小夜衣が起請を交わしていたということで、番頭の六兵衛が人を伴い、金を持ち、取り戻しに出かけます。花魁の身である小夜衣は承知せざるをえませんが、源次郎の結婚に至る子細を聞くにつけ、絶望から自害をしてしまいます。昨日は、この部分だけで35分を要しました。人を介して人を介してしたばかりに、また起請を受け取ると、あとは知らないぞのスタンスで、源次郎側が臨んだ失態ぶりがクリアになりました。「難波戦記」は、抜き読みで頻繁に取り上げられる「般若寺の焼き討ち」が前半。大坂方を攻めようと、大和側から河内に入った家康の滞在していた般若寺を、大坂方が夜討ちをかけ、家康が逃げ回る姿を描く有名な場面です。家康がみすぼらしくなればなるほど、大阪では喜ばれる、その頂点に立つ部分です。家康が、ようやく二条城に戻ってくると、既に秀忠は、東に向け出立したあと。その秀忠が、大坂方に狙われ、地雷が爆発するところまでは記憶があるのですが、そこまででした。 今日は、平日の昼に「講談毎日亭」がある日です。つばなれは難しいでしょうね、この分だと。




2010年 11月 15日(月)午前 4時 19分

 毎週訪れる3連休にも拘わらず、日曜日になると、最終日ということで憂鬱になるという贅沢な気分に浸っています。気温は高いのですが、ずっと曇り空、あまりテンションが上がりません。一昨日は、ちょっとゆっくりめのお出かけだったため、昨日の朝は9時半をメドにお出かけ。12月26日で、大阪府が手を引き、一旦閉じられるということになっているワッハに向かいました。4月から、吉本の直接経営で再開するとは言われてはいますが、中味については、ワッハの方に伺っても分からないとの回答。そんなですから、時間があれば、ライブラリーに通うようにしています。昨日の試聴ラインナップは、次の通りです。@EMI-DVD「小米朝十番勝負」、1)たい平・昇太・花緑・喬太郎とそれぞれ「対談」、2)小米朝「代書」A朝日放送TV「枝雀寄席」、1)む雀「道具屋」2)枝雀・木川かえる「対談」。@の対談集は、前回、ワッハで試聴していたときに、隣りに座ってた人が試聴していたのを見て、「十番勝負」のDVDに収録されていることを知り、今回、早速試聴することにしました。同じDVDに、小米朝が米団治襲名を契機に、ネタ下ろしをした「代書」が入っていたので、ついでにと言えばなんなのですが、いい機会と思い、試聴することにしました。なんと、フルヴァージョンです。朝鮮人のおっちゃんのところはいじってるようにも思えるのですが、この部分を聴いた回数は少ないものですから、よくわかりません。変にデフォルメされず自然体の口演で、好感を持ちました。Aは、枝雀ものを探していて、倒れる前のむ雀の口演が、映像として残っているのを発見。懐かしさのあまり、即座に試聴を決めました。同じ番組には、枝雀の「壷算」が入っていましたが、以前に観ているので、昨日はカット。替わりに、木川かえるとの対談を観ました。木川かえるは、米朝の2歳上だと言っていました。
 ワッハを、1時20分をメドに切り上げ、近鉄電車で鶴橋に移動。昨日は、「講談毎日亭」の2日目。一昨日は、ほぼ全滅状態でしたので、昨日は、しっかりと、それぞれの噺の枠組みを捉えることができました。昨日の出番は、年功序列。「安倍晴明」は、父保名が、葛の葉と出会い、恋に陥るのだが、名誉欲に駆られる人間により、保名の父に対する讒言により、二人は別れ別れとなってしまい、保名が悲しみにくれ、神に願をかけているとき、人間に終われて逃げてきた一匹の白狐を助けるということで、いよいよ狐の登場となりました。その狐と保名の物語は次回となりました。「小夜衣双紙」は、男の主役源次郎が、廓狂いとなり、小夜衣と深い仲になり起請をかわすまでになってしまい、頭を抱える父親が番頭と図り、偶然を装って、武家筋の女と出会わせると、今度は、その女が気に入り、徐々に小夜衣の方へは、足が遠ざかっていく。それとともに婚礼の儀が整っていく。とまあ、怪談の下準備が整ってきました。今日は、いよいよ幽霊登場となるのでしょう。南湖は、師匠の短縮ヴァージョンとは違い、舞台を、元の江戸に置いたまま演じています。「難波戦記」は、抜き読みで、何度か出逢ったことのある「幸村の入城」と、関ヶ原のあと大名職を離れ、京都東山七条界隈で、乞食生活をしていた長宗我部が、朗等を引き連れ、これまた入城するところが読まれました。長宗我部がらみは、それだけではなく、藤堂高虎軍との合戦でのエピソードも入りました。関ヶ原のあと、長宗我部から藤堂の家臣に走った男の物語で、うるうるくる話で、抜き読みにもなっている、ちょっといい話です。とまあ、ほぼばっちりでした。なお、客席には、東京の浪曲師玉川奈々福さんが、お友だちと一緒に来場されていました。
 講談会が終わると、直ちにミニ・ウォーキングを開始。夕陽ヶ丘高校、四天王寺、一心寺を経て、恵美須町にある「in→dependent theatre 2nd」まで、所要53分のミニ・ウォーキングでした。午後5時開演の芝居を観るための移動を兼ねるウォーキングでした。昨夜は、こちらで「劇団ショウダウン」の芝居「世界機械と海の姫」があったのです。この芝居、なんと3時間20分かかりました。一昨日が、2時間50分ですから、連日長丁場もいいところなのですが、正直言って、2日間も、それだけの時間をかけるまでの芝居とは思えませんでした。特に昨日のは、そう思います。昨日の芝居は、時空間を自在に行き来する話です。そのタイムトラベル中で遭遇し、自分の手で斬ってしまったことに疑問を感じた伯爵と呼ばれる男。この男は、魔法を使い、死ぬことのない男を召し抱え、時空間を飛び回る。そして、歴史を書き替えることになる、殺してしまった女を救おうと動く。結局、歴史を書き替えることはできない、過去は変えられないという自明の真理に行き当たり涙する。涙することには共感できるのですが、過去を書き替えられるのかという問題設定自体が陳腐というか、今更、テーマになるんだろうかということをテーマに掲げて芝居を書くことに、どないな意味があるのかと思いながら観ていても、何かが出てくるわけではない。これが、3時間を超えてやられるものだから、見終わったあと、これだけの時間をかけてするものかなと感じてしまうのである。役者って言うのも、役柄に応じた身長とか、体型とか、そんなの必要だなと思わせられたのも、この芝居。そういった意味で、演出というのも気になりました。「1」の舞台ではなく、「2」の方なのに、舞台が狭く感じて。とまあ、ちょっと文句が出てきます。




2010年 11月 13日(土)午後 10時 51分

 気温は、昨日から上昇、過ごしやすい気温ですが、今日は曇り空。昨日のような快適さはありませんでした。今日は、11時半をメドにお出かけ。ミニ・ウォーキングをしてから、今日から始まる「講談毎日亭」にお出かけです。ミニ・ウォーキングは、京阪「京橋」駅から、「講談毎日亭」の会場の「雀のおやど」を目指しました。大阪城、ビース大阪、三光神社を経由して、あまりロスのないコースで57分、1時間を超えるかと思っていたのですが、存外早く着くことができました。で、今回の「講談毎日亭」の読み物は、次の通りです。南青「安倍晴明」、南湖「小夜衣双紙」、南海「特撰難波戦記〜冬合戦〜」。せっかくの初日で、楽しみにしていたのですが、今日は、3人とも、まともに全然聴けてないのです。そんなにむちゃくちゃな寝不足だというわけではありませんから、直前のミニ・ウォーキングが効いたみたいです。今日は、余興が入ったらしく、南海さんがトップに出て50分の高座。秀吉の死に際から始まり、関ヶ原、家康の隠居と、徐々に、秀吉との約束を破っていく家康の姿までは覚えていますが、あとは、、、。最後に、「明日は、幸村の入城になります」と言って、南海さんは降りたので、かなり戦闘モードになっているところまで進んだようです。「安倍晴明」は、保名の物語として進んでいるようだくらいの記憶。「恋しくば訪ね来てみよ」の歌が3日目あたりに出てくると、冒頭で言ってました。どうやら「芦屋道満大内鑑」が下敷きになっているようです。「小夜衣双紙」は、捨てられる遊女と、新たに結婚相手となる二人の主要女性が登場してきたのは理解できています。物語の枠組みの紹介だったということでしょうか。
 雀のおやどを出ると、久しぶりに鶴橋のネットカフェで時間調整。このネットカフェは、よく満員で、肝心なときに使えないのですが、今日は、うまくいきました。小1時間の利用のあと、環状線で、「福島」駅に移動。夜は、ABCホールであった「ピースピット」の公演「有毒少年」を観てきました。関西小劇場界を代表する役者を揃えた公演にそそられてのお出かけです。「ピースピット」の公演は、2度目となります。前に観た公演でもそうでしたが、架空の時空間に、舞台を設定して、自在にストーリーをでっち上げるエンターテイメント系の芝居です。あまり深い主張だの、社会的背景などを考えて観る芝居ではありません。関西の小劇場界っていうのは、現在では、その手の芝居が主流を占めているような気がします。未来のある時期、他の世界では、全て人間は死に絶えているのに、ここだけ人間が生きているという空間が舞台。太陽は昇らず、月だけが昇る世界、この世界で生きている人間で名前を持っているのは、無毒少女と呼ばれる、常に無菌室で生きている少女だけ。一方、地下180mのシェルターには、生まれてからこの方、ずっとこの空間以外の世界を知らない少年が生活している。これが、有毒少年。偶然、怪盗蝙蝠男が、地下のシェルターに紛れ込んできた男に連れられて、初めてシェルター以外の世界を知る。そして、芝居は、この二人が出会うように出会うようにと、話が進んでいくのだが、それにつれて、なぜ、そういった特殊な環境で生きる二人の少年に少女がいるのかの謎が深まっていきます。そして、ついに会うはずのない二人が会ったことから、そのわけが、次第に明らかになっていくのですが、それを、2時間50分かけて展開していきますが、内容的には、そこまでかかるものではないはずです。その一方で、冗長な印象も持たないのですが、この展開だったら、もう少しコンパクトにしなきゃと思ってしまうのです。SF的な芝居っていうのは、架空の世界が、どれだけ有機的な秩序で描かれているかが、勝負の別れ道。登場人物で、人間だというのは、限られた人だけとアイデアはおもしろいものを感じたのですが、二人の出自に関するでっち上げは、ちょっと陳腐なところがあったり、有毒少年が人前に現れたときのリアクションとかが、も一つ物足りないものを感じてしまいました。




2010年 11月 13日(土)午前 5時 2分

 昨日は、ぽかぽかといいお天気。朝から、家の用事をこなさなければならず、この陽気を楽しむことができず、あたふたとお出かけ。11時がメドでした。昨日のお出かけは、まず繁昌亭の昼席。市馬が出るという、それだけの理由で、昼席に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。石松「つる」、三ノ助「お忘れ物承り所」、団朝「寄合酒」、千田やすし「腹話術」、勢朝「ハイウェイ歌合戦」、春若「京の茶漬け」、(中入り)、ジキジキ「音曲漫才」、市馬「目黒のさんま」、仁昇「勘所板」、鶴志「竹の水仙」。期待の市馬は、去年だったかの秋に繁昌亭に出たときと同じネタでしたが、これがいい。世間知らずそうな殿さんだけど、幼い頃から叩き込まれた位を持ってます。何度も聴きたい逸品です。次に目立ったのが鶴志。何がいいと言ったって、このネタの原型を守っていること。最近、宿屋の主人夫婦が、宿代請求に関しケンカをしているところから始めるのが一般的ですが、鶴志のでは、冒頭で、左甚五郎の経歴みたいなのが紹介されます。ここで、大変重要な情報が流されるのです。「竹の水仙」の作り物で名を馳せ、「左」姓を許されたというものです。ですから、このネタの焦点化されるアイテムが「竹の水仙」であり、細川の殿さんが、その重要さを容易く認識するのです。納得です。そう言えば、この原型、以前に聴いたことがあるぞと思い出していましたが、それを忘れてしまっていて、ずっと細川の殿さんの唐突な行動に疑問を持っていたのでした。客引きの場面も入れてました。そこで、主人のキャラも解り、あとの夫婦ケンカも納得なのです。ですから、鶴志の話術の巧みさもあるのでしょうが、甚五郎がお金を分けたりするときに、ほっかほっかくるんですね。もう一人、勢朝の高座が大爆笑だったことを書き添えておかねばなりません。ネタは、定番の小佐田作品なのですが、商店街の皆さんを、民主党の政治家の名前を使い、各政治家のキャラを盛り込むという脚色になっていました。このヴァージョンは初遭遇で、とっても上手にはまっており、これは傑作。マニアックなものも入ってあるのがミソですね。誰しもが解るものだけにしてないのが、集中力を高めるコツだなと感じ取りました。あとは定番ネタが続きました。それは致し方ないことでしょう。春若は、運悪く、「京の茶漬け」か「天狗裁き」ばかりが当たります。演じ手の少ない「禍は下」に、なかなか当たらないのです。
 繁昌亭が終わると、その前からウォーキング開始。目的地は、千日前のおなじみのネットカフェ。トリイホールのすぐ近くです。まっすぐ行けば、40分で行けるだろうと判断し、昨日のウォーキングは、この時間帯だけだと考え、1時間を目標にするため、天神橋筋を単純に南下するのではなく、途中から谷町筋に回り、敢えて迂回コースを取ることにしました。谷町筋から西側の空堀商店街を、初めて全部歩きました。途中、2度短い買い物をした時間も入れて、所要時間は68分でした。そして、そのネットカフェで、小1時間の時間調整ののち向かったのは、ワッハの4階。昨日は、こちらで、「南湖だんご53〜旭堂南湖話術研究会〜」がありました。南湖の一人会です。番組は、次のようなものとなりました。「落語紙芝居 雨乞い源兵衛」、「小夜衣草紙ダイジェスト版」、「大石内蔵助4 松山城受取」、(中入り)、「木村重成の堪忍袋」。今日から、「講談毎日亭」が始まるからでしょうか、大胆な挑戦をしようかというネタはありませんした。「落語紙芝居」は、中西らつ子さんの個展で、南湖が、紙芝居を読むという役割が与えられたからでしょうか、ちょっとした稽古がてらという感じでした。「雨乞い源兵衛」は、南湖が、大阪芸大の落研時代の卒業公演で取り上げたネタだとか。それを紙芝居で演じるのは、もちろん偶然です。「小夜衣草紙」は、「蛤の吸い物」という題名でも、よく演じられるもの。先代南陵の数少ない怪談もののネタとして知られているもの。それを、「小夜衣草紙」として、今日から始まる「講談毎日亭」として、フルヴァージョンを、南湖は読み続けることになっています。そのフルヴァージョンを、抜き読み風に短縮したのが、「ダイジェスト版」として演じられて先代のアレンジ。「師匠は恐がりでしたから」と、南湖は、先代が怪談を演じようとはしなかった理由、また、アレンジするとき、ソフトな表現をしている理由に上げていました。まあ、語り口からして、怪談は向かないと、黄紺は思いますが。「松山城受取」は、殿中で鞘走ってしまった殿さんが、将軍が肝要な応対をしたにも拘わらず、緊張から発狂してしまい、刃傷に及んでしまったので、身は切腹、お家断絶となってしまったとき、居城の明け渡しに、大石内蔵助が尽力し、そこで辣腕ぶりを発揮して、うなく処理する話。要するに、大石内蔵助が遣り手の武士であるとの評判を高め、やがて、自身の主人が刃傷を起こしたときに、彼に期待がかけられる背景が読まれたということです。「木村重成」は、つい最近、南湖で聴いたところどころではなく、これまた、いろんな講釈師さんにより読まれるネタ。無頼漢的な僧にして秀頼の家臣が、木村重成に敵愾心を持って接するが、木村重成の冷静さ、大きさにうたれて、生涯、木村重成の忠臣として尽くすようになるというもの。定番中の定番ネタですが、今、聴いてみると、心地好いネタであるとも思えないのですが、これが抜き読みとして残ってきた感性というものを考えてみなきゃならないのでしょうね。どうでもいいことかなとも思いつつ。




2010年 11月 11日(木)午後 11時 17分

 今日も、定時に職場を出て、京橋へ。今夜は、7時半開演の芝居を観に行くことにしていましたので、昨日同様、この時間帯に、ミニミニウォーキングを入れました。繁昌亭までの30分弱というかわいらしいウォーキングでした。実は、昼休みに食事に出たついでに、同じくらいのミニミニ・ウォーキングをしていますので、ちょっと控えめなのです。繁昌亭では、前売り券を1枚購入。そして、南森町のいつものネットカフェで、40分ほど時間調整後、「エイトスタジオ」まで移動。2度目ですので、迷わず到着。今夜は、こちらで、南河内万歳一座の公演「ラブレター」がありました。もう20年ほど前になるはずです、この作品の初演を観たのは。幕開けは、トタンが並べられ、雨の中の風景、それが、一転して、コインランドリーに変化。そこへ、コインランドリーから人が現れたりと、南河内特有の喧騒が始まるという構図でした。今回も、同様の始まり方をしたことはしたのだが、どこか勝手が違う。かつて観た公演の様子をクリアに覚えているわけではないのだが、違和感だけは、しっかりと自覚してしまってるのです。最大の違和感は、雨に打たれていた主人公の男が、内藤裕敬を連想させる劇作家であること。他の登場人物たちは、その作家が書いた劇中人物だということです。内藤が、こないな芝居を書いたという記憶が、全くないものですから、違和感につながったのでしょう。繰り返し出てくる言葉は、「巡る」「回る」というもので、人生の、いや作家人生のかもしれないし、劇作りという狭い範囲を指しているのかもしれないのですが、そういったものでの、さまよい、彷徨を表しているようで、そういった彷徨こそが、人間、劇作家、劇作りに存在感を持たせるものであり、いや存在感そのものとまで言っているようです。作家と劇中人物が、対等な関係として、会話する場面がたくさん出てきます。そういったことで、芝居というものは、劇作家のものではないことを表しているのでしょう。ときあたかも、南河内は、今年が結成30周年、来年は、それを記念して、休団とするそうです。そして、再来年には、「何もなかったように再開します」と、内藤は挨拶をしていました。そういった意味合いで、書き続けることにより、自らのレゾン・デートゥルを確認しようということのように思いました。今回は、河野洋一郎、荒谷清水、鴨鈴女が、全て顔を揃えていました。




2010年 11月 10日(水)午後 9時 55分

 今日も、職場を定時に出て、夜遊びに行く前にウォーキング。今日は、京阪「京橋」駅から、片町橋、大阪城と、ここまでは、月曜日と同じなのですが、今日は、森ノ宮方向ではなく、NHK大阪局へ。中でトイレを借りて、谷町4丁目交差点経由で、双馬ビルまでというコース。所要は48分でした。夜の大阪城が気に入り、ときどきこのコースを歩くなんてことをすることになりそうです。で、双馬ビルで、今夜は、「南華講談 第33回はたちの会」がありました。この会は、つい日にちを忘れがち。今回は大丈夫でした。南華さんの全くの一人会、その出し物は、「野狐三次〜はたととまどう色男三次〜」「曽我物語(7)兄弟にチャンス到来」というものでしたが、それぞれ、ずっとこの会で、読み続けられてきたものです。「野狐三次」の方は、父親探しに行った大阪で、世話になった育ての親の弟分のところに投宿。仕事を手伝いながら、父親探し。あるとき、頼まれた仕事で出かけた家で、そこの娘に見初められてしまう。婚礼の段取りも決まっている娘に、しかも、家柄も違う娘に見初められてはたまったものではないと、端から相手にしない三次だが、娘の方は諦められないため、女中を使って、いろいろと迫ってくる中で、迂闊にも、三次は、その女中に、実父に繋がる唯一のアイテムを奪われてしまい、渋々、娘の待つ場所に向かうとき、奉行所の者に拘束されてしまう。いきなり奉行所が出てきて、びっくり。違法なことをするとかしてないなんて話じゃないところに、これですから、びっくりなのです。南華さんの話では、ここで出てくる人物らが、今後活躍すると言います。だったら、とっても気になってしまいます。「曽我物語」の方は、兄弟が、20歳及び17歳になっています。今日は、兄弟が、何度か仇に遭遇できてはいるのですが、多勢に無勢ということで、近寄ることすらもできないということが繰り返されます。ちょっとくらい頭を使えやと思うくらいです。ただ、狩り場にいるところを狙うのが得策ということにはなってきていました。協力者や計略、そういった話へと発展しつつ、仇討ち本懐遂げるということになっていくのでしょうか。




2010年 11月 10日(水)午前 4時 35分

 昨日は、9時前に出かけ、家の用事を京都市内で済ませ、一路、京阪特急で大阪へ。まず、ワッハの視聴覚ライブラリーの利用です。ワッハも、一応年内までということですので、あまり時間がありません。昨日の試聴ラインナップは、次の通りです。@読売TV「平成紅梅亭(8)」、吉朝「狐芝居」、三枝「悲しみよ!ありがとう」、A読売TV「YTVサロン 上方寄席西の旅」、1)米之助「兵庫船」、2)千葉琴月連「木遣り崩し」「都々逸」「とっちりとん〜たぬき」「踊り:宇治は茶どころ」。@は、以前聴いたものの後半。吉朝の「狐芝居」は、NHKにも残っていますが、まだ試聴していません。前半の役者のくさい演技、後半の「四段目」の場面、いずれも楽しませてくれるのが吉朝ですね。最後は、雀松の作ったという「饅頭を置いていく」型はとっていません。三枝は、教師の通夜で昔を懐かしむ内に、いろんな同級生の消息に話題が及ぶ内に、意外な同級生の今の姿が。いつもながら、笑わしどころを心得るだけではなく、意外性も盛り込まれています。Aは、以前から狙いの資料。米之助の高座が、こうやって映像として残っただけでも拍手です。恐らく「兵庫船」の原型は、さもありなんの口演。現在は、演じ手が減っている作品。演じ手がいても、この方では演じてないだろうというものを観ることができます。その幾つかをピックアップしておきましょう。1)乗合の衆が座るところの細かな描写、荷物の移動などが描かれていますが、これは初めて。2)船に乗るのを怖がる喜ぃ公が、最後にはご詠歌のようなものを歌い出す。3)出身地を尋ねるところが長く、「川シリーズ」になっていく。これは、全く初めて。4)ねずみずくし。これは、生寿の口演で知ったもの。師の生喬は、どこから仕入れたのでしょうか? Aの後半の千葉琴月という方が、大変な人だということを、ネット上で知りました。ここに残っているのは、3人ヴァージョンです。山田五十鈴が舞台化して評判をとった「たぬき」は、千葉琴月の師匠のもの。映像資料には、しっかりと、千葉琴月を主人公とした「たぬき」も入っています。
 ワッハから歩いて「動楽亭」に移動。昨日は、ちょっと迂回路を通ったので、所要25分でした。昨日も、「動楽亭昼席」です。だいたい月2のペースで、こちらには行けたらと考えています。昨日の番組は、次のようなものでした。団治郎「狸賽」、雀太「道具屋」、こごろう「強情灸」、千朝「鹿政談」、(中入り)、九雀「どじょう丁稚」、米団治「蔵丁稚」。昨日は、ネタ的に嬉しいものに出逢ったばかりか、いい口演にも出逢えて、大満足の会となりました。珍品は、「どじょう丁稚」。これは、九雀らのやっている「超古典の会」で発表されたもの。都合で行けなかったときに発表された作品で、大ラッキーです。帰りしなに、九雀さんに伺うと、彦八作品を、荻田さんが脚色したものだそうです。噺は単純で、殺生戒を守らねばならない僧侶がどじょうを食べ、みつかりそうになるという、ただそれだけの噺でした。千朝の「鹿政談」は初めてだったねでしょうね。目新しい演出と感じましたから。塚原出雲が、餌料着服疑惑があるとされますが、そのキャラを、まるでテレビの時代劇に出てくる悪代官風に演じ、敢えてくさくくさく見せてくれました。それが新鮮で、おかしくっておかしくって。米団治の「蔵丁稚」は、米団治ベストの一つに、黄紺は数えています。「稽古屋」「小倉船」「七段目」と並べてです。芝居がかった音曲ものが似合ってるということです。それ以外について記しておくと、団治郎は、「狸賽」ばかりに当たります。語り口調は達者なのですが、巻き舌が、やたら気になります。雀太の「道具屋」は、結構聴いているもの。金魚すくいやら、いろんな店の描写がしつこいのが、毎度気になっていたのですが、昨日のはあっさりめ。ただ、いろんな店に寄らない替わりに、金魚すくいにこだわり過ぎです。この人の個性と言えば個性でしょうが、このあたりは、この人独特のものがあります。こごろうは文句なしに楽しい高座。下げが変わってました。強情な男が、「(灸なんて)二度とやらん」「やいとが効いたんや」というものでした。
 動楽亭を出ると、直ちにミニミニ・ウォーキング。谷町九丁目の駅まで32分の行程でした。動物園の上を通り、一心寺から谷町筋に入りました。なかなかいいコースです。そして、地下鉄で南森町に移動、いつものネットカフェで、40分弱の時間調整。夜は繁昌亭ではなく、そこから、更に10分ほど歩いたところにある北区民センターでの「第199回天満講談席」に向かいました。昨日の番組は、次の通りです。南舟「般若寺の焼き討ち」、南青「孫六馬の出世」、左南陵「名月若松城」、南華「三方目出鯛」。「般若寺」は、難波戦記の中で、家康が厠に入っているときに襲撃されるという、大阪方からすると、最も痛快な話として、抜き読みでよく取り上げられるもの。南海・南湖のお二人は、ここから「家康の死」へ持っていかれたのを聴いたことがあります。昨日は、南青くんの口演中にダウンを喫してしまいました。昼夜通じて唯一のダウンが、こないなところでとは。「孫六」の話で記憶に残っているのは、孫六が、馬方の馬に乗り、去ってしまったかと思うと、馬方の家に先回りして戻っておき、逆に馬方を待ち受けるところまで。30分ちょいかかったネタの、ほんの序盤です。南青くんの口演が終わった途端、講談会では見かけないおっさんが、「これはおもろい」と大きな声を上げたものですから、余計に悔しくて。左南陵のネタは、南青くんや浪曲界では、「名月松阪城」として演じているもの。主人公の一人蒲生氏郷が、国替えをして、桑名から会津の殿さんになったので、両用の題名があるのでしょう。筋立て自体が変わるわけではありません。「三方目出鯛」は初遭遇のネタ。江戸っ子の喜びそうな人情話系。中間がお使い先を間違えたことから生まれる美談で、ほっこり系です。間違いが起こったのは、「欠字」という習慣。身分の上の人に書簡を出すときには、宛先の一字を、敢えて書かないで送るのが礼儀とか。「松下」を、なんと「松平」と間違えたことから起こる、ちょっとした混乱が、最後は、ハッピーエンドとなります。しかし、「松平」と間違うちゅうのは、話が大きくなります。ちょっと出来すぎた話です。この「天満講談席」も、次回で、いよいよ200回となります。




2010年 11月 9日(火)午前 7時 50分

 昨日は、定時に職場を離れ、夜遊びに出かける途中に、ミニミニ・ウォーキングを入れました。7時開演の落語会に行くことになっていましたので、そないなことができました。京阪「京橋」駅から、片町橋経由で大阪ビジネスパーク・大阪城に入り、JR環状線「森ノ宮」駅に抜けて、ジャスト30分です。ちょっと道は暗いですが、ジョギングしている人も目につき、いいウォーキングのコースです。昨夜の落語会は、動楽亭であった「できちゃった落語会」です。これで、たまの出る落語会3連続となりますし、動楽亭に行く機会が増えています。番組は、次の通りです。福笑「博士の新薬」、三金「奥野くんの流出」、あやめ「ざっぱいナウ」、(中入り)、南湖「クリスマス」、遊方「愛が止まらない」。昨日は、福笑が臨時参戦。ネタ下ろしをするときには、こちらでかけるのが恒例化しつつあります。そのため、昨日は、三風とたまはMCに回っていました。じゃいけんの結果、なんと、福笑がトップ。繁昌亭でかける予定の中に、「博士の新薬」が入ってましたので、こういった新作を作っていることは把握していたのですが、早々と遭遇できて、とってもラッキー。噺は、前半が、新薬の実験台に助手を使いまくってたことがバレていく話。後半は、女の子を産むための新薬を求めにやってくる男とのやりとり。そして、前後半がごちゃごちゃになる終盤。アホらしくておもしろいのですが、福笑らしい爆裂がとまではいきません。くすぐりが、ちょっとベたなものが続いたからだと思います。三金の口演が、この日一のお気に入り。全編、パソコンの画面をにらみながら、一人で喜んだり困ったりする噺。自分自身の映像がネット上に流出しているというおかしさ、それだけと言えばそれだけなんですが、ポイントポイントにうまい駄洒落を入れて、アクセントがついています。下げに至る終盤が改善されたら、変わったおかしさのあるネタになると思いました。「ざっぱい」は、「雑俳」の移植版。鯉朝からもらった柳昇の口演を基に作り直したということ。但し、さろめ用にしたのを自分でもやってみるということでした。南湖は、まくらで「子ほめ」をするのは、今や恒例。ネタは、変わった幼稚園児3人が、クリスマス・プレゼントを願い、そしてもらうだけのもので、3人のキャラを楽しむもの。ちょっとした起承転結がないとダメです。遊方は、おならが出て命にかかわる妻をなんとかしてやろうと動く男の物語。おならの音を小道具を使い出そうとするのですが、うなくいかないため、度々中断のあげく、ギヴアップ。ま、それはいいとして、おなら云々では、苦し紛れっていう印象を拭えません。なんか、後半は、不満が残りました。




2010年 11月 8日(月)午前 5時 7分

今日は、昼間に家の用事があったので、それに取り掛かる前に、家の近くのウォーキングを40分。長閑なお天気で、ウォーキングは一層心地よいものがあります。そして、家の用事が済むと、弟に車で駅まで送ってもらい、大阪へ移動。少し早かったので、先に日本橋へ行き、いつものネットカフェで、小1時間の時間調整。そして、高津神社まで移動。今夜は、こちらで「たまのセキララ落語会」があったのです。この会は、寒空はだかが、昨日、京都での公演があることを聞いたたまが企画したもの。二人は、寒空はだかが繁昌亭に出演したときに知り合ったということです。で、番組は、生寿「二人癖」、南湖「南湖版子ほめ」、たま「七度狐」、寒空はだか「漫談」、(中入り)、寒空はだか・南湖・たま「座談会:寒空はだかを暴く!」、たま「初天神」というものでした。生寿は、たまが「七度狐」をネタ出ししていることを知らずに来てしまい、「狸の鯉」を出すつもりで来たのだが、ネタがつくということで、急遽ネタを変更したことを告白。癖の話をし出したので、「四人癖」かと思ったら、「二人癖」の方でした。両方とも持ってるんですね。貴重な噺家さんです。南湖は、最近の定番、長男の話。たまの「七度狐」は久しぶり。かなり改作の激しいもので、なかなか同意できないところの多い高座です。「七度狐」は、いろんな場面で使われる言葉が、とっても練り上がったネタ。しかも、選ばれた言葉は、その場面の言葉として生きているだけではなく、田舎の、日が暮れの雰囲気を、同時に表しているのだというが解ってきました。どうしても、このネタのこのシーンっていうのはいじって欲しくないという気持ちが強く働いてしまいました。もう一つは、「青菜」「初天神」「火焔太鼓」「寝床」「質屋芝居」から、客席にアンケートをとり決めようとしたのですが、どれともつかずに、たま自身が決定。でも、話し始めると長くなりすぎるのではと、一旦、噺を止めて客席に問いかけるたま。でも、「初天神」を続けることに。でも、これがいいのです。たま古典ベストには、「兵庫船」「矢橋船」「宿屋仇」などがありますが、これも入れたいですね。このネタに限って言えることかもしれませんが、えらく繊細なのです、このネタのたまの表現が。冒頭の「こないだの夜の話」なんかが、そうなんですが、逆に凧揚げの場面は、エッセンスだけはきっちり押さえるが心意気と看ました。ですから、聴いていて、「七度狐」とは違い、たまの口演にしては珍しく、常の口演と変わらないなぁと聞こえてしまいます。細かなくすぐりでは、変化は出てきますが。そして、目玉の寒空はだか。これで、3度目の遭遇です。冒頭で、この会が生まれたきっかけをひとくさり。ネタは、エアー・ギター(バラライカなども)ものを、たっぷりと聴くことができました。客席には、はだかのCDを持っているという人が多数。その多くは若い女性。ですから、たまのファンというよりか、はだか目当てという人の方が多かったかもしれません。




2010年 11月 7日(日)午前 7時 2分

 昨日は、とっても長閑な秋晴れの一日です。今日は、家の用事で、昼間がつぶれてしまいますので、昨日は、たっぷりめに遊ぼうということで、9時半をメドにお出かけ。前夜が、伊丹から帰宅したのが、11時半でしたから、遊びに出かけるには、なかなか根性が要ります。昨日は、昼夜とも動楽亭での落語会に狙いを定めていましたので、ならばと11時の開館間近の時間に合わせて、ワッハのライブラリーで映像資料を試聴することにしました。ワッハから動楽亭への移動は、歩いても、20分程度であっけないですからね。で、昨日の試聴ラインナップは、次のようになりました。@DVD「大師匠(4)志ん輔・歌之介」、1)志ん輔「井戸の茶碗」2)歌之介「B型人間」3)志ん輔・歌之介「対談」、ANHK-TV「日本の話芸」、染丸「堀川」。@は、東京の噺家さんのDVDが、なぜだか、ワッハに、このシリーズだけ入っている。口演だけではなく、対談が魅力で、全部を観ようとしています。先日聴いた志ん輔が収容されてるということでチョイス。歌之介とのカップリングという、変な組み合わせだけど、興味津々の組み合わせ。志ん輔の、ぽんと頭の先の方に抜ける声がいいですね。師匠の志ん朝を彷彿とさせます。江戸っ子表現には欠かせない手法として、記憶に残ります。長屋の侍に位があり、細川の侍には、若さを感じさせる好演。ちょっとした顔の表情の変化も魅力的。歌之介は、先代三平に憧れていると、対談でも言っていましたが、芸風も、ショートショートで繋いでいく。血液型の話は、そういったショートショートの中に出てくるパート。それを、演題に使っているだけです。普段、寄席のマクラで聴くことのてきるものが、ずっと続き、飽きさせないのです。いくつかのパートに、噺は分かれていましたから、お時間に合わせて、いくつかのものを継ぎ接ぎして、一つの高座を作っているのでしょう。なかなかおもしろいDVDでした。
 ワッハから歩いて、動楽亭に移動。22分の行程です。だいたいこのくらいの所要時間ということで、それを考えて、ワッハを切り上げました。昼の部は、動楽亭の昼席です。昨日の番組は、次のようなものです。米市「桃太郎」、しん吉「みかん屋」、すずめ「高倉狐」、米二「替り目」、(中入り)、米平「猫の茶碗」、米団治「胴乱の幸助」。米市は久しぶりの遭遇。父親の話のところは、堅いのだが、子どもが話し出すと、急に達者になりますが、まだまだ身体の動きが伴いません。「みかん屋」は、トイレの紙を取りに行くところをカット。しん吉くらいが、このネタをすると、台詞の届く空間が広く感じられます。すずめは、ホントに久しぶり。骨折明けということで、一番短い「高倉狐」をチョイス。「また、これかと思われますが」と、ネタが増えてないことを告白。でも、完全に噺家口調になっていました。噺 家としては、しん吉の下くらいですから、当然と言えば当然なんですが、ちゅうことは、それだけ久しぶりということになるでしょう。ベテラン3人は、定番のネタが並びました。米二には、もうちょっと酔ってもらいたかったな。米団治は、足の指の骨髄炎での退院明け。小さな床几を敷いての口演。2ヶ月前だったかに、こちらで聴いたときも、同じネタでした。そのときに比べて、勢いはあるのですが、ちょっと荒くなったかなの印象。序盤では、台詞のカットも。序盤のあいたい喧嘩を軽く扱ったという印象を持ちました。おいしいところもあるので、カットしたなら、センスに疑問です。昨日は、米朝の85歳の誕生日、会のあと、直系の方は武庫之荘へ。終演時には、米二は、担当の串カツを買い求めたと関係者に言っていました。
 夜も、動楽亭での会に行くつもりだったもので、昼席が終わると、その動楽亭を起点に、津守神社までを往復するウォーキングをしました。所要時間68分のウォーキングです。一昨日に続く、1時間以上のウォーキングです。一昨日も、そうでしたが、昨日も、一旦途中で、股関節に軽い痛みのようなものが発生。歩き続けると、5分余りで治まりましたが、まだまだ万全ではないということです。ところで、動楽亭の夜席は、「たまの緊急独演会」があったのです。なぜ「緊急」なのかは、たまからは説明はありませんでした。笑子が、日本にやって来るということになったからかなとは思っていたのですが。番組は、次のようなものでした。笑子「おかんみたいな女(仮題)」、たま「高津の富」、由瓶「足袋と帯」、(中入り)、南青「忠僕元助」、たま「プロレス」。たまは、「高津の富」にこだわりがあるのかな。よくこういった会で遭遇し、内容的にも、マイナーチェンジを繰り返しています。たまは、以前から、空っけしのおやっさんのホラ話をカットしますが、あくまでも、宿屋の客で、空っけしとの設定をいじってなかったのですが、昨日のは、いきなり富くじを買いに、扱っている宿屋に入ってくるという導入部に、びっくり。財布を落としたという設定にしました。あくまでも、このおやっさんのキャラを狭める方針。大きなウェイトを置かれたのは、群衆の中の妄想男であるという点は変わらずです。でも、やっぱ、空っけしの方がおもしろいです。最後の喜びが、真に迫るからです。「プロレス」は駄作。前半は、プロレス博物館で、過去のレスラーを懐かしみ、後半は、実際にプロレス会場に足を運んだ男二人がリングに上がるという噺。この後半が、わけ判らない。リングに上がる設定をなんとかしないと、おもしろくない。笑子は、早朝に日本入り。シンガポール話を、ちょろっとしてネタへ。自作。笑子は、日本を離れると感性が変わってしまいます。そのなんか居心地の悪さというのが、なにがしらの異文化体験のような空気。でも、噺として聴くと、まとまりが悪い。なぜ、最後に38年後でしたっけ、これを出したのか、意味不明のまま終わりました。噺自体は、久しぶりに、昔の恋人に再会した42歳の女の心境を綴ったもの。全体的に、丁寧さが欲しいな。由瓶も新作。由瓶の新作は、確か3つ目。今回のが飛び抜けたいい出来で、まともというか、まともすぎる作品にびっくり。でも、内輪ネタ。噺家由瓶の私落語として聴くなら、上出来どころではないいい作品。自身を若干自虐的に脚色した噺家が主人公。自分の会を持っても、さほど客が集まらない噺家が、同じ日、同じビルで、同期の噺家が大ホールで独演会を開くという設定。ところが、その噺家に困ったことが生じ、主人公が助けるという筋立て。由瓶自身の噺家人生を振り返っているところ、落語界全般の向上を目指すような台詞立てがいいですね。独演会を開く噺家は吉弥かと尋ねると、そうではないと否定し、2人の噺家を上げたと、たまは言っていました。一人は歌之助であることは間違いないのですが、もう一人は判りません。この由瓶と、トリイホールからかけつけたのが南青。彼の高座が、昨日、一番安定感を感じました。但し、定番過ぎるネタです。そういった出来すぎの高座を聴いていますと、あやういものの魅力に、目が行ってしまいます。そういった意味では、いつも、そのあやうさを求められるようになってしまったのが、たまなんでしょうね。




2010年 11月 6日(土)午前 5時 53分

 今日は、一昨日に続いて、文楽を観る日でした。基本的に、文楽の定期公演は、すいている夜の部を観ることにしているのですが、他の予定のことを考えると、今公演に限っては、昼の部に行かざるをえないのです。その番組は、「嬢景清八嶋日記〜花菱屋の段、日向嶋の段〜」「近頃河原の達引〜四条河原の段、堀川猿廻しの段〜」ということで、夜の部も含めて、有名な曲が並びも並んだものです。また、後者は、落語「堀川」の基になったもの、遭遇できるのを楽しみにしていた演目です。「嬢景清八嶋日記」も、能や落語に取られている。落語の場合は、目をくり抜くという部分だけの繋がりだが、能とは、娘との再会譚が共通部分である。だが、文楽になると、めっちゃウエットで、実利的な話になってくる。自分を育ててくれた婆さんが、死に際に残した言葉で、自分の出自を知る娘。その娘は、父のために、自ら身を売り、その金で、父が任官されるようにと願うのです。景清には、金の出については嘘をついて渡すために、父の怒りをかい追い返されてしまいますが、その後に事実を知った景清は頼朝に許しを請うことを決意というところで終わります。えーっという終わり方に唖然! あとで、パンフレットを読むと、あくまでも、これは、娘を助ける方便であり、最後は、頼朝の下では、平家への義理が立たずということで自害するという結末になるそうで、それで一安心です。能の「景清」が染み付いている者からすると、なんともはやどぎつい台本です。でも、文楽のこの作者は、しっかりと能の「景清」を押さえています。「日向嶋の段」は、能のときの謡を使いながら始まるのですから。ですから、意図的に、どぎつく脚色しているのです。そして、能では、舞台は山中というイメージで、想像力を働かせていましたが、文楽では、日向は同じですが、舞台は海岸となっていました。景清のいる庵が、海の描き割りの前に描かれていたので、びっくり。これは、黄紺の勝手な思い込みだったのでしょうか。「近頃河原の達引」は、純粋な世話物。一人の女をめぐる横恋慕に、宝物の茶碗が絡み、ヒールの官左衛門は、伝兵衛にやりたい放題。めっちゃ解りやすいヒールです。ついに堪忍袋の緒を切ってしまった伝兵衛は、もみ合いの中で、そのヒールを斬ってしまいます。経緯は別にして、斬り殺した以上は、命は取られる運命の伝兵衛。一方、女の母親、兄与次郎は、関わりになっては大変とばかりに、女に「退き状」を書かせますが、無筆の与次郎、盲目の母親の前で、実際には「置き状」を書きます。家族に対する別離の書状であると同時に、伝兵衛には、自らの気持ちを伝える書状となるわけです。「女が立たぬ」は、決め文句です。悲劇の中に、ちょっとしたチャリ場が入り、いいアクセントとなる場面が入ります。そこで、手違いで、訪ねてきた伝兵衛を、与次郎が家に入れてしまいます。そして、伝兵衛が、書状を、家族の前で読み上げるというシテュエーションが出来上がります。伝兵衛は、女を救おうという言辞を吐きますが、そこで、「そりゃ聞こえぬわ、伝兵衛さん」という有名な台詞が入り、二人との永久の別れとなる前に、与次郎が猿回しをして祝言に換えるとなり、落語「堀川」で出てくるものとなります。落語「堀川」の後半場面で歌われるわけですが、染丸一門でしか聴けませんが、その噺家さんから聴いた義太夫に比べて、遥かに複雑で、テンポの揺れ、複雑なリズムとまあ、素人耳でも、そうは真似のできそうもないと聞こえました。ただ、猿の動きが可愛く、滑稽でもあり、軽妙で、親しみやすいメロディーということで、これは人気を博しただろうなと思い、落語に取り入れられたわけも、大いに納得です。ここの部分は、住太夫さんの切の後ということで、呂勢太夫さん、三味線が鶴澤寛治という組み合わせで、光り輝いていました。
 股関節の具合がいいということで、昨日は、文楽が終わると、すぐに文楽劇場の前から、1時間を目標とするウォーキングに出かけました。目的地は、夜の移動を考えて、南森町のおなじみのネットカフェとしました。コースは、松屋町筋一本西側の筋を北上〜天神橋筋〜中之島〜天神橋筋〜南森町というもので、結果的に70分のウォーキングとなりました。さすがに、終盤になると、股関節に違和感を感じ出しましたが、そこに至るまでの時間が、1週間前とは、随分と違います。大事にしつつも、ウォーキングを続けていても大丈夫なんだなという感じを持てるようになってきました。そして、ネットカフェで、1時間20分の時間調整をしたあと、夜は、JR東西線を使い、「伊丹」駅に移動。AIホールであった「A級MissingLink」という劇団の芝居「蒼天、神を殺すにはいい日だ」を観てきました。前半、様々なプロットをばらまかれる手法、苦手なんです。解らなくなってしまうのです。ましてや、超フィクション的な芝居ですから、自分で整理するのではなく、芝居の進行に身を委ねばなりません。これ、ダメっす。神が出てきたり、秩序のほころびを直す者が出てきたりとなると、、、。うとうととしてしまったのです、解らないから。でも、後悔。どうやら、後半には、ばらまかれたプロットが収束している風情。しかも、漏れがない模様と思えたのです。脚本がしっかりしているのでしょうね。ということで、まともな感想は控えますというか、書けないのです。しかし、伊丹で、午後7時半開演はきつい。一日の動きが、おかげで1時間後ろにずれてしまいました。




2010年 11月 5日(金)午前 5時 1分

 昨夜も、一昨日に引き続き、シネヌーヴォに行ってきました。「中国映画の全貌2010」で上映されている映画を観るためです。昨日の映画は、「北京の自転車」(ワン・シャオシュアイ監督)という映画です。北京に出てきた地方出身者の物語です。宅配便業者に、うまく入り込むことができた男にとって、仕事用に支給された自転車は、北京での成功に繋がる重要なアイテムです。おまけに、一定成績をあげ、会社に貢献すると、その自転車が自分のものになります。そうなると、継続的に収入確保に繋がるということになっており、あと一日で手には入るというところで盗まれてしまう。ところが運良く、自分の自転車を発見したのはいいんだけど、もう人手に渡ってしまっている。最初、乗り回していた高校生が盗んだのかという雰囲気だったのだが、どうやら親の金を盗んで中古品として買った模様。豊かではない高校生にとっては、自転車は、仲間と付き合える、また裕福な家庭の女性と付き合える重要なアイテムでもあるのだ。暴力による取り戻し騒ぎで、話は動くのかと思っていると、不思議な展開となります。二人が、一日交代で乗るということで折り合いがつきます。何日も、交代している中で、確実に約束を履行しあうところから、初めて名前を名乗り合ったりします。そういう話で収束していくのかと思っていると、一つの事件が起こります。どのような関係は明らかにされないまま、映画の中でずっと主人公の地方出身者に寄り添い、支える年配の男が、近所の地方出身者が、主人の衣服を売り飛ばし、ドロンした話を知ったときに、「地方から出てきていたことが分かっていれば、なんとかしてやったのに」、この言葉が印象的です。北京という大都市、近代化が進む中(北京五輪の前)で、その街の片隅に、もがぎながら生きていこうとする地方出身者、その必死さを表した印象深い作品でした。その上に立った繁栄であり、彼らは、代わりがいくらでもいる、そういう存在であり、ドロップアウトすると遭遇する世界は、十分に味わってきたからこそ生まれてくる必死さと言えるのだと思います。一方、その地方出身者が、必死に生きようとする大都会北京の生活者の中にも、厳然たる格差があり、もがきながら生きようとする人たちがいるという状況を表します。そういった様々な想いが交差するのが、自転車。その自転車に、中国の縮図が現れているのです。そのヴィヴィッドな表現からか、今まで公開できずにいた作品だそうです。2001年、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品です。こういった中国の良心を感じさせる作品は、ホントそそられてしまいます。




2010年 11月 3日(水)午後 10時 37分

 祝日のおかげで、連休になりました。相変わらず夜中に目が覚め、二度寝のために酒を呑み始める。今日は、功を奏して、二度寝がしっかりとれ、爽やかな一日。午前中に家の周辺で30分のミニミニ・ウォーキング。更に、お出かけついでに、京阪「北浜」駅から32分歩いて、トリイホールに到着。昨夜の逆コースとなりましたが、昨日のスピードは出ませんでした。そのトリイホールでは、「古今亭志ん輔独演会」があったのです。トリイホールの社長さん、千日前界隈に、かつての雰囲気を取り戻すんだと、様々な芸人さんを招聘して会を提供してくれています。上方旅館時代の古今亭志ん朝との親交から、古今亭の噺家さんを聴ける機会が多いのが喜ばしいことです。本日の番組は、次のようなものでした。春雨や雷太「鮑熨斗」、志ん輔「品川心中」、(中入り)、志ん輔「掛取万歳」。雷太は、高座への登場姿が、三三にそっくり。体つき、顔の輪郭まで似ています。初遭遇です。「鮑熨斗」は、上方の「祝のし」の原型を、ほぼなぞっています。上方では、ないはずの与太郎もの的雰囲気で演じられるのですが、東京では、キャラは完全に与太郎ですが、名前は甚兵衛。このギャップが気持ち悪く、居心地の悪さは、最後まで続きました。上方と同じテンションで進むということは、自分的には好きになれないネタ。ここまで危ないキャラはなじめないですし、それに対するかみさんの利発さが抜けてます。この設定も好きになれないネタです。上方の原型をなぞるということは、雷太の口演でも、そうだったということです。ただ雷太の高座は、そういったキャラを、着実に表現はできていて、好感を持ちました。志ん輔の出来が素晴らしかったです。こないだ浅草で聴いたときに、この人、こんなに陽性の人だったのかと思うと、急にこの人の落語が聴きたくなったものなんですが、そういった観点で、この人の高座を観ていると、軽妙で、お茶目でと見えてきました。ご本人は、そのつもりだったのかもしれないのですが、聴いている私が、そのような心づもりではなかったために、この人の良さを、今まで理解できていなかったということが判りました。そういったキャラの噺家さんだということで、「品川心中」を聴くと、この噺の設定が際立っていきます。狂言の心中を考案する女、それに容易く乗ってしまう男。そういった様子が、とても滑稽に描かれます。最後は、金造が、海から上がり、親分の家に戻ってくると、博打をしていたために起こるドタバタまでで切り上げました。「掛取」は、これがフルヴージョンだという型でしょう。追い返す方法を順に記すと、狂歌、義太夫、ケンカ、芝居、三河万歳という順でした。義太夫と芝居で、お囃子が入りました。追い返す方も、追い返れる方も、楽しんでる雰囲気が、よく出ていて、やはり、志ん輔のキャラが、そうさせるのでしょうね。いや〜、極上の落語会でした。
 落語会が終わると、トリイホールの近くのネットカフェで、30分弱の時間調整。そして、阪神電車で九条まで移動。夜は、シネヌーヴォで、現在行われている「中国映画の全貌2010セレクション」より「青い稲妻」を観ました。「長江哀歌」などのジャ・ジャンクー監督作品です。変わりゆく中国の中で、確実に取り残されていく人々を捉えようとしています。こういった映画の中に、共鳴できる、また、中国の価値観の多様性と良心を看る思いがしますので、自分的には好んで観る傾向にあります。舞台は、山西省のとある町(大同だそうです)で、近々、高速道路が開通しようかという時期、ですから町中は、再開発のためと思われ、掘り返しが行われているかと思うと、昔ながらの光景にも、たっぷりと出逢えるという状態です。ちょうど、北京がオリンピック開催地に選ばれるという時期でもあります。そこに、ごく普通の、何かに秀でた技能を持っているというわけではない20歳直前の男二人が主人公です。この二人は、自分の将来に何らかの展望を持っているわけではなく、また家が豊なわけではないので、食いつなぐ方策を探さないと生きていけないという境遇ですが、一所懸命に仕事探しをしている風でもないという、その辺りにごろごろといそうな男で、でも女にはしっかりと関心を持っている。こういった男が、何か夢や希望を持って生きていけるような社会なのかを問うているように思えます。最終的には、一人は入隊することで解決しようとしますが、メディカル・チェックで、無理だと判るどころか、ドクターに、感染症ゆえ、恋人との交際も止めるように諭されてしまいます。もう一 人の男は、町のヤクザのような男の女に手を出し、危ない目にも遭うのですが、ヤクザ男が事故で亡くなったにも拘わらず、女はあっけなく去っていきます。希望も何も、元々持っていなかったわけだが、ささやかながらも、自分的楽しみを奪われた男二人が、最後に採った行動は、、、。でも、その行動にしても、何かをしでかすことにより、自らのアイデンティティを創出するんだというファナティックなものもなく、二人寄って、たまたま出た話に乗るだけと思えるような動機で、動きます。一人は、警察に捕まり、意味もなく命令一つで歌を歌わされ、その歌う歌というのが、病気のたも自らが身を引いたかつての恋人と歌った愛が全て的な歌。これは、あまりにやるせない。もう一人は逃走です。こういった逃走が闘争なのかなぁとも思うのですが、当局が、こないな男など、歯牙にもかけてないでしょうから、闘争 にもなってないかと思うと、どうしようもないやるせなさを、こちらでも感じてしまいます。逃走した男から離れた女の最後の台詞は、金をちらつかせる男に、「そんなのでは、私を相手にはできないわよ」です。主人公二人に、こう言って面と迎える何かがあれば、いや、でなくても、生きていける社会なんてのを模索しようと言いたいのかなと思いました。




2010年 11月 3日(水)午前 4時 25分

 昨日は、まず朝から頑張って、HPの引っ越し作業。サッカー関係の古いニュースはさておき、それ以外は完了。「なんでもトルコ」関係の引っ越し作業途中で、時間切れ。お昼ご飯の時間に合わせて、冬の旅行の打ち合わせ。これは、毎度、寝屋川のお気に入りのお店で。今回、そないにマニアックなところを選んでないつもりだったのですが、アクセス方法や町の情報を集めていると、なかなか、これが手ごわい。ということは、知らない間に、人が目に止めないようなところに行こうとしていることに気づきました。そして、京阪「萱島」駅まで、28分間のミニウォーキング。昨日は、股関節の具合がわりかしいい方。28分間のウォーキングで、大丈夫とか、そうでないと言っていては、心細い限りです。大阪市内へ、京阪電車で移動。時間調整がてら、ワッハのライブラリーを利用。曽の試聴ラインナップは、次の通りです。@DVD「楽悟家 笑福亭松之助」(吉本天然記念物保護の会収録)、1)松之助・さんま・のんき「口上」、2)松之助「三十石」、3)松 之助・さんま「師弟トーク」ADVD「笑福亭仁鶴独演会」、1)仁鶴「質屋蔵」、2)「貧乏花見」について&「質屋蔵」について、3)「貧乏花見」(マクラのみ)。@は、NGKで開かれた会での松之助登場場面を録画したもの。2年前の収録だが、あまり松之助の調子が良くない。いつもかみかげんな口演だが、いつも以上だし、くすぐりがぞんざいになってしまってます。さすが松之助も、老いを感じさせますが、83歳で、「三十石」をやってのけるのですから、やはり超人的です。中書島の浜から、枚方の出てくる舟唄のあとに、聴いたことのない歌詞の舟唄が二つ付いてから終わりました。鳴り物なしで、舟唄は楽屋との掛け合いなしでした。一方、仁鶴ですが、「質屋蔵」の出来栄えが素晴らしいです。仁鶴自身も、あとのネタ解題的なインタビューに答えて言っているのですが、前半が勝負だと。そして、旦さんの長い話が終わったときに、小さいながらも笑いが起こると成功だと。正に、その通りだと思います。あぁ、この話は、ここにつながる話だったんだと判り、その先が気になってる、ここまで、しっかりと聴いてるんだという証明です。そして、この仁鶴の口演が、そうなっているのです。仁鶴の口演っていうと、歳をとるにつれ、一本調子的になってきていたのが、ウソみたいに、深みがあり、説得力があるのです。間をとるについても、変化をつけてるために、リアリティの精度が高まっているのが理解できますし、若いときのように表情に豊かさを感じます。いいものが、映像資料として残りました。そして、インタビューがいい。仁鶴の落語にかける真摯な態度が、よく現れており、また内容が、随分と聴き応えがあります。
 昨日は、午後4時開演の文楽公演に行くのがメーンでしたので、その時間が来ると、ワッハを退散。いつものように、おむすびを二つ買ってから、文楽劇場入りです。昨日の夜の部の番組は、有名なものが二つ並びました。まず一つ目は「一谷嫩軍記〜陣門の段・須磨浦の段・組討の段・熊谷桜の段・熊谷陣屋の段〜」。二つ目は「伊達娘恋緋鹿子〜八百屋内の段・火の見櫓の段〜」でした。「一谷嫩軍記」は、敦盛と熊谷次郎直実の物語だと思っていたら、それは一部であり、全体は、もっと大きなもののようです。昨日は、その有名なところだけが出ました。最も有名なのが、「熊谷陣屋の段」。そういったパートがあることは、あらすじを知らなくても知っている有名なところ。ところが、この物語も、身代わりで、自分の息子を殺すという話です。またしてもまたしてもというところです。熊谷次郎直実は、義経の謎解き的なメッセージを読み取り、敦盛を救うために自分の息子の首をはねるというものです。そして、その菩提を弔うために、出家をしてしまいます。熊谷の妻は踏んだり蹴ったりです。遠くから息子に会いに来た妻は、そこで、夫が息子の首をはね、しかも、夫には出家されてしまいます。もう踏んだり蹴ったりなのです。それに、義経が敦盛を救うというのでは、源平合戦になりません。また、敦盛と息小太郎を入れ替える話は、熊谷自身が説明を入れますが、不自然なところが残ります。「組討の段」のどこで、二人が入れ替わったのか、解りません。とまあ、突っ込みたくなるところがあるのですが、とっても決め所の多い作品。人気の秘密の一端が解りました。「伊達娘恋緋鹿子」は、八百屋お七の物語。純な恋を貫く健気な女の物語なんでしょうが、「八百屋内の段」に出てくるお七は、あまりに子ども。物事の判断が、どれほどついてるんだろうかとまで思わせられるキャラとして描かれているのに、ホント、びっくりしました。ですから、観ていて、あまり悲壮感を感じないのです。「火の見櫓の段」でおもいろい場面があります。火の見櫓を、お七が上る場面では、人形遣いさん3人とも、人形から離れます。両手を釣り上げることにより、お七は上っていく姿を表すのですが、それだけじゃなく、お七は体を反転させ、客席の方に向きます。この仕掛けが解らない。なお、「八百屋内の段」の切が嶋大夫さんでした。いきなり切から入りますから、難しいでしょうね。だって、客は、この物語につき、何にも解ってないのですから。




2010年 11月 2日(火)午前 6時 3分

 一昨日の日曜日は、一日中、振り替えの効かない出勤。そして、まっすぐに帰宅という、悲しすぎる日曜日。すると、見事な早寝。そして、夜中に起き上がって、びっくり。黄紺のHPにアクセスできない。単にメンテナンスだと思っていたら、とんでもありません、閉鎖だということに、明け方になってから気づきました。ですから、これから引っ越し作業をしなければなりません。「黄紺の部屋裏口」として収容していたところにまとめようと考えていますが、こちらへは、ファイルの転送が、とっても面倒なので、完全引っ越しまで、どれだけの日数がかかるか、考えるだに、恐ろしい話です。とりあえずは、サッカー関係の最新のニュースだけは、早急に引っ越しをして、あとは転送しやすいところを、新たに探すことも考えています。ところで、昨日の夜遊びは繁昌亭。「繁昌亭夜席〜めざせ繁昌亭輝き賞パート4〜」がありました。「輝き賞」受賞者が、これで、全員、トリを務めたことになるはずです。黄紺は、1回を除いて聴いたことになりますが、昨日のが最も低調でした。その番組は、団姫「刻うどん」、松五「手水廻し」、鯛蔵「軽業講釈」、雀太「代書」、(中入り)、プリンセス金魚「漫才」、吉之丞「ガマの油」というものでした。低調だと感じたのは、ネタ選びに、原因があります。団姫の「刻うどん」はミスマッチも、いいところ。語るネタにいいところを見せられるのだから、それを伸ばさないといけないですね。チャレンジ精神で、「刻うどん」をするのなら、丁寧さに欠けます。もうちょっと、うどんを食べるのに、時間をかけないとダメだし、丹精な語り口だけではダメなネタです。このままだったら、このネタは捨てた方がいいとまで思いました。「手水廻し」の途中からダウン。松五は、ちょっと向上したとは思うのですが、歯切れの悪さは相変わらずでした。鯛蔵が、この日一番の出来栄え。しかも抜けてました。冒頭に、「発端」の最後の部分を入れてから、白髭神社へ。雀太も、ボケが白々しいと感じさせてしまう「代書」。客が、噺家さんのパフォーマンスに引っかかってしまうというのは無理だよと囁きたくなるパフォーマンスと感じ、ここでも、中途ダウン。雀太は、いろいろと考え工夫をしてくれる人です。はまればいいのですが、でないと鼻についてしまいます。そして、締めなければならない吉之丞が、「ガマの油」ではいけません。遠慮したのかな? トリなんだから、もうちょっと大きなネタを出さないといけません。ま、それはそれとして、「ガマの油」自体が、今まで聴いた吉之丞では、飛び抜けての不出来。酔った後が短すぎます。そして、酔ったところで、現代的言辞を連発。これでは、そこまでの物言いとのバランスが崩れてしまいます。「酔う」というのは、とっても難しい芸と知りました。




2010年 10月 31日(日)午前 3時 7分

 台風は、どこへ行ってしまったんでしょうか。昨日あたりが、大変なことになると考えていたのですが、近畿地方は、南端部を除くと大丈夫みたいです。そこで、考えていた予定を実行に移しました。昨日は、ワッハの小演芸場での週末ライヴが浪曲ですので、入場料金を支払って入る日。そして、桂米朝特別展を観る日。この特別展を観るために待ち構えていたのです、お気に入りのライヴがあるのを。以前、こごろうらが出る日を狙っていながら、きれいに寝過ごし、昨日まで待っていたのです。そして、その前後の時間を利用して、ライブラリーも利用しようと魂胆でした。更に、ワッハに行く前に、ミニウォーキングを実行。京阪「北浜」駅からワッハを目指しました。ワッハまで、所要40分。歩き始めは大丈夫だったのですが、歩き始めてから10分ほどで、股関節のしびれがひどくなり、ちょっとびびってしまったのですが、一応、最後まで歩きました。事後は大丈夫なんですが。まず、ライヴが始まる前の試聴ラインナップは、次の通りです。@EMI-DVD 枝雀「幽霊の辻」、横山ホットブラザーズとの対談、A毎日放送TV「米朝一門顔見世大興行」 1)義太夫「萬歳」(義太夫)枝雀・雀三郎・吉朝・米二(三味線)鶴澤寛輔・鶴澤寛也・雀司 2)ざこば「ニューヨーク珍道中」 3)大喜利(司会:べかこ、助手:米左) (西軍)小米・雀三郎・米二・雀々(東軍)歌之助・千朝・雀松・都丸 4)枝雀「スミマセンおじさん」。「幽霊の辻」は、一昨日の佐ん吉の口演を受けてのもの。おばんを、陰気に描いています。佐ん吉のように、何やしら怖がらせてやろうという雰囲気は見せません。次から次へと、本当かどうかは分からない話を続けるおかしさ、続くだけで出てくるおかしさを追求している感じです。そして、下げを言ってから、「かどうかは、お客様にお任せします」と言って、高座を降りました。ホットの師匠さんとの対談を含め、「枝雀寄席」がソース。ホットの師匠さん方の、おかしな楽器演奏に、枝雀も加わったりしています。Aは、ライヴが始まっても、途中で切りやすいソースをということで、前から目を付けていたものをチョイスしました。「スミマセンおじさん」は、ショート落語の連続もの。自作と思わせられます。頬の端っこが、ちょろっと緩むという感じのものが多いですね。あとは、特にメモる内容ではないのですが、歌之助や吉朝の姿を観ると、ほろっときますね。そして、2時半から始まったライヴです。昨日は浪曲だったので、外せなかったのです。番組は、春野一「新釈南部坂」、京山宗若「破れ太鼓」というものでした。「新釈南部坂」は、前半が、大石が陽成院に会いに行き追い返される下り。後半が、討ち入り報告というもの。大石には会わない型でしたし、報告者は、寺坂吉右衛門ではなく、大石某という者で、報告が終わると、他の同士に合流するために、足早に立ち去って行きました。報告のときのリズミカルな節付けが印象的なものでした。「破れ太鼓」は、紀伊藩内の無頼漢を討った昼行灯と看られていた男の知恵者としての活躍ぶりを描いたもの。計略だけが残るネタです。ライヴが終わってから、また小1時間、ライブラリーの試聴に使いました。それは、かねてから狙いのニューフェースの次の資料です。B読売放送TV「平成紅梅亭」、小米朝「モーツァルト(三枝作)」、福笑「憧れの甲子園」。時間の関係で、同じ回に放映された、吉朝と三枝の高座は、いずれ後日ということにしました。小米朝のネタは、通常、「君よ、モーツァルトを聴け」と題して出されるネタです。小米朝がモーツァルト好きだということで企画されたテレビ的なネタ出しと思いました。吉朝も、この回では、小佐田作品をかけるということで、この回は「新作特集」ということです。この「平成紅梅亭」を試聴していて、笑いが人工的に入れられていることが気になりました。不自然な笑いが気になり、素直に演者の口演を楽しめなかったなぁ。
 ワッハを、4時半過ぎに出ることとし、それに合わせて、映像資料のピックアップをしていたのですが、昨日は、そのあとに大移動が待っていたのです。夜は、京都で、室内楽のコンサートに行くことにしていたのです。考えてみると、台風の影響を受けないで、ホントにラッキーな話です。そのコンサートというのは、年に1度の楽しみ、京都アルティ弦楽四重奏団の演奏会です。日本を代表する奏者が、京都府民ホール、通称アルティ・ホールのレジデンツ・カルテットとして、年に1度、当ホールで、公演を行っているのです。毎年、うっかりしていると見過ごしやすく、今回も、3週間ほど前に、たまたま気づき、慌てて日程調整を行った結果、行くことができました。昨日のプログラムは、ドボルザークの13番と、ベートーベンのラズモフスキーの2番の2曲でした。ドボルザークより、ベートーベンが、とっても気に入りました。第1楽章は、若干、流れとしては、楽譜を忠実に再現することに邁進していたという感がしましたが、第2ヴァイオリン(豊嶋)が、第1ヴァイオリンと、ときとしてはビオラとの合奏となるときの音の豊かさに惹かれ始めていました。第2楽章では、第1ヴァイオリン(矢部)の、中音域の音が抜けるような感じが、若干気にはなったのですが、アンサンブルのバランスの良さに感嘆しだします。ドボルザークのときのように、チェロの頑張りすぎもなく、アンサンブルの良さの上に、第1ヴァイオリンが自由に躍動します。高音での音の掴みが素敵です。この辺では、完全に前のめりになり聴いている状態です。いや〜、良かった、満足。ドボルザークは、そうではないと解ってはいるのですが、自分の中に、なにがしらの土の香りのするような音の響きを求めてしまいます。なんか、音の響きがきれいすぎて、特に第1ヴァイオリン(豊嶋)に対する違和感が、ずっと最後まで続いたってところでした。そこへさして、チェロのバランスの悪さが居心地の悪さがありました。最初は、席の位置の悪さかと思っていたのですが、ベートーベンでは、そうではなかったですからね。昨日も、満足でした。年に1回、京都で聴ける嬉しさが、いつまでも続きますようにと願っています。帰りは、当ホールから「三条」駅までのミニウォーキング。35分も要しない距離です。御所の周囲二面を歩くものでした。




2010年 10月 29日(金)午後 9時 37分

 ちょっと寒さが遠のいた感じですが、一方で、台風が近づいているという金曜日。午後からのお出かけを考えていたので、午前中、家の近くを、ちょうど30分、ミニミニ・ウォーキング。30分歩いただけで、だいぶと体が火照ってしまいました。全然、昨日や一昨日とは違います。このくらいの気温が続いてくれたら、ありがたいのですが。12時半をメドに外出。今日は、まず、梅田シティの「ガーデンシネマ」で、イラン映画「ペルシア猫を誰も知らない」を観ました。なお、梅田シティまでは、京阪「淀屋橋」駅からの歩きを選択。ミニミニ・ウォーキングの第2弾のつもりでした。所要時間、28分で到着です。コース取りが良かったからかもしれませんが、思いの外、簡単に到着できました。ですから、今日は、合計1時間近くのウォーキングです。股関節の具合を考えると、これ以上は怖いのです。ところで、肝心の映画ですが、とにかく、こんなイラン映画観たことないというのが、第一印象。まず、イランの音楽シーンが、画面から溢れそうなほど出てくる。ポップスからフォーク、果ては、伝統音楽からラップまで出てくる。そして、そういった音楽が流れると、テヘランなんでしょうか、今まで観たこともない下町を、カメラが舐め回すように疾走するのです。政治の手が行き届いていない人たちの、実に生々しい生活風景を追いかけていきます。ストーリーは、検閲下に置かれ、自由な音楽活動を制限されているミュージシャンたちが、オリジナルなコンサートを開き、主人公の男女二人は、それを最後に、極秘に国外脱出を考え、手を打っていきます。そして、万事、用意が整い、コンサートの当日を迎えたときに、事件は起こり、突如として物語は閉じます。ラストの英語の歌が、あまりにも切なく、黄紺は、完全にフリーズしてしまいました。この映画館に行くために、淀屋橋から歩くなんてことをしたためか、前半は、半寝の状態。筋立てを外すほどはくたびれてはいなかったのですが、登場人物のキャラを押さえきれてないことを後悔しています。
 梅田シティから東梅田へ、歩いて移動。行きの逆方向です。時々、時間調整に使うネットカフェで、45分。今度は、東梅田から天満橋経由で、守口に移動。夜は、初めておじゃまする「第19回とびきり寄席」に行ってまいりました。場所は、守口文化センターの地下にある和室でした。行ってみてわかったのは、佐ん吉とちょうばの二人がお世話をしている会だということです。今日の番組は、次のようなものでした。小鯛「強情灸」、ちょうば「狸賽」、雀五郎「ねずみ」、佐ん吉「幽霊の辻」。「強情灸」は、ざこば一門の定番のネタ。熱くなっているところの困り方が、ちょっとマニュアル通りでした。左腕の使い方に工夫が欲しいと思いました。ちょうばの「狸賽」は、初物と思います。実際に勝負となっていったときの均質なおしゃべりが気になっていました。有頂天になっていく男、一方で困りもあるので、均質じゃないはずです。下げの前に、通常の下げを言い、それを否定してました。結局、腹鼓を打っているという下げ。ちょっとしらけました。通常の下げを否定するのなら、新機軸が出てくるのではと期待してしまいます。それを外してはいけません。雀五郎の「ねずみ」は、雀五郎自身の会で聴いて以来。なんかじっくりと語って聴かせるという姿勢が薄くなってしまったっていう風に感じてしまいました。いわゆる流れてしまったというやつです。それと、ねずみ屋の主人が、それまでのことを語って聴かせるという部分で、雀五郎は、上下をきらないで、ねずみ屋親子、分銅屋主人、おこんと達三を、一つの方角を向いたままという手法を採りました。甚五郎に語って聴かせるという観点からすると、正解なんでしょうが、これだけの人数を、上下をきらないのなら、それなりの工夫が要るのではないかな。前後での使い分けを試みようとはしていましたが、今日のでは不十分です。佐ん吉は、予想もしてなかったネタを出してくれました。マクラで、幽霊話をするものですから、「へっつい幽霊」とばかり、黄紺の頭は待ち構えていました。また、これの出来がいい。佐ん吉ベストと言ってもいい出来栄えでした。茶店のおばんの話は、同じパターンの話が4回繰り返されます。にも拘わらず、佐ん吉の口演は、話が変わる度に、次は、どんな話がくるのか、前のめりにさせます。おばんのとぼけた味がいいのでしょうね。そして、実際に、おばんの言った地点に来たときの怖がり方が抜群。いや、いい出来栄えの枝雀スペシャルのネタを聴くと、ワッハのライブラリーで、枝雀のDVDと比較したくなります。佐ん吉の「幽霊の辻」を聴けただけでも、今晩、この会をチョイスした値打ちがあったというものです。




2010年 10月 29日(金)午前 8時 24分

 一昨日は、家に直行。最近、水曜日に直行することが続いています。偶然ということもありますが、水曜日と木曜日だけが、連続で勤務ですので、水曜日は無理をしない傾向が出てきています。去年まで、毎日働いていたにもかかわらず、この始末です。そして、判を押したように、翌日は寝不足。昨日も、そうでした。昨夜は、ワッハの4階です。「第385回上方講談を聞く会」があったからですが、今週は、火曜日の南海さんの会に続き、講談会は2度目となりました。昨日の番組は、次のようなものでした。南斗「秀吉と利休」、南舟「荒浜藤蔵」、南湖「木村重成の堪忍袋」、南左衛門「佐野山権平」、南華「幽霊の親孝行」。どうも、今日は小ぶりなネタが続いたものです。南斗は、開演前の前座役。「荒浜藤蔵」は、「水戸黄門漫遊記」からの抜き読みで、仙台藩領内で、荒浜藤蔵なる無頼漢を懲らしめる話で、変化のある話ではない。「木村重成」も、秀頼配下の坊主が、青っちょろいと見て、木村重成にケンカを得るが、賢明な重成が、それをかわしていく話。無頼漢が続きました。これに対し、あとの二つは、世話もの系。「佐野山権平」は、以前にも、南左衛門で聴いたことのある谷風もの。佐野山権平というのは、十両の関取。親孝行の佐野山を支援するために、谷風が、生涯一度の「こしらえ相撲」をするというもの。「幽霊の親孝行」は、全く初遭遇のネタ。娘に死なれてから、自堕落な生活を送る亭主は、当然、夫婦仲も悪くなる。そういった夫婦のもとへ、死んだ娘が幽霊となり現れ、両親を諭すという話。どれをとっても、単線系のネタばかり。もう少し変化をつけて欲しいと願うのは、それだけ講談を聴いたということに繋がるのかも、しれません。




2010年 10月 27日(火)午後 10時 21分

 今日は、朝から家の仕事で、近くまで、お出かけ。実は、しなくてもいいはずの仕事をしなければならなくなってしまったのです。これが、思いの外スムーズに済んだため、近くの弟の家へ。弟のヨメさんと、しばし雑談をして、繁昌亭を目指しました。昨日、結構、動いたからでしょうか、朝から腰が重いのです。ウォーキングをしてないからかもしれません。疲労からくる腰痛が、ウォーキングをすることにより抑えられていたのが、これくらいの中断で、復活するかと思うと、頭が痛いですね。相変わらず股関節には、しびれがあるし、頑張って歩くわけにはいかないというところなのに、30分ほど早く着いてしまったために、京橋から繁昌亭まで歩いてしまいました。所要時間は、25分ちょっとでした。こないだよりかスピードアップして歩いてしまったようです。ところで、今日の繁昌亭昼席には、三遊亭白鳥が出るということで、チケットを買ってあったのです。その番組は、次の通りです。雀太「色事根問」、七福「犬の目」、珍念「二人癖」、センター・オーバー「漫才」、白鳥「アジアそば」、呂鶴「近日息子」、(中入り)、内海英華「女道楽」、学光「荒茶の大名」、遊喬「いらち車」、仁智「スタディ・ベースボール」。25分ちょっとしか歩いてないのに、前半戦の途中から、眠たくなってしまいました。ちょうど 「犬の目」で、目が消えてしまうあたり。塩酸につけてしまったというわけのわからない変形にさしかかったあたりです。「何してくれるねん」と思い、急に高座への関心が失せたところからでした。「二人癖」は、ラップ調になったところ、いいリズムになって、再びダウン。それが、漫才まで引きずってしまいました。初遭遇の漫才さんだったので聴きたかったのですが。トップの雀太は15分。「色事根問」の十までを片付けてしまいました。白鳥は、池袋の安アパート時代思い出のアジア系住人との、あやしくもあり、かわいらしくもありの対話が落語になっていました。今日出てきたのは、インド人でした。呂鶴の「近日息子」は、先日、ワッハのライブラリーで観たところ。マクラも同じでしたが、年を経てから、こないな変なマクラを使う呂鶴が可笑しくて。「天ぷら食いたい」の男に、最後は立ち上がって突っかかっていきます。随分と前、「彦八まつり」で聴いたときは、そこまでは過激なアクションはしてませんでした。学光は、客を味方につける術にたけています。最後も、ネタが終わってるにも拘わらず、「終わっていいですか?」と問いかけて降りました。もっと評価されて欲しい噺家さんですが、もっと他のネタも出して欲しいとも思います。遊喬が、「いらち車」を持っているとは知りませんでした。ちょっと年齢的にきついかな。市電とすれ違ったところで切りました。仁智は、定番ネタ。隣のおじさん、身を乗り出して聴いていました。へたしたら、マクラのBGMを一緒に歌い出すようなノリになっていました。仁智の高座の持ち味です。
 繁昌亭昼席が終わると、南森町のネットカフェで、今日も、こちらで時間調整。更に、時間に余裕があったこともあり、ぶらぶらと天満橋駅まで歩いてから、谷六に地下鉄で移動。夜は、こちらもおなじみの薬業年金会館での「第159回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。今日から、新しいネタ「浪花五人男」が始まりました。以前、南海さんが、「浪花侠客伝」を、「講談毎日亭」で読まれたとき、とっても痛快で、おもしろかったものですから、大変楽しみにしていた連続読みです。今日の主人公は、雁金文七。前にも聴いたことのある生い立ちから成長していく姿から始まりました。そして、剣術の道場で、道場主を叩きのめし名を上げた頃に、それをやっつけて名を上げようと付け狙う男が現れます。それが、雷庄九郎と子分の庵平兵衛。だが、文七とは力が違いすぎます。でも、懲りずに付け狙います。これが、今日の話の、大切な縦糸。ある意味では、可笑しさを誘うだけではなく、新たな展開を生むバネになっていました。そんななか、初天神の日に、天神橋で、中間奴にいたぶられている女性二人を、文七は助けたことにより、益々名を上げることは上げるのですが、一方で、その中間奴との間に因縁が生じ、連中との確執話が展開していくのですが、雷庄九郎の子分庵平兵衛が、中間奴と関係があることから、この両者が結びつき、文七との抗争が続いていきます。やっぱ、侠客ものはおもしろいですね。今日読まれたところは、生い立ちは先にも書きましたが、それに加えて、天神橋の事件も、抜き読みで取り上げられることのあるところ。今日のところでは、「五人男」の内、まだ三人しか出てきていません。あとの2人が、どのような絡み方で出てくるかが楽しみであると同時に、最後は、一斉に処刑されることで、話に終わりが来るのがわかっていますので、その収束の仕方も気になるところです。




2010年 10月 26日(月)午前 4時 53分

 どうも、股関節の具合が芳しくありません。昨日同様、左腰の奥の方のしびれが気になります。仕事がら、昨日も1万歩は簡単に超えてしまいました。健康にはいいのでしょうが、このあと、どうなるのか、不安いっぱいです。外国へ行ったとき、大好きな街角ぶらぶら歩きができなくなったらと思うと、不安になります。そないななか、一昨日に続いて、トリイホールに行ってまいりました。昨夜は、「立川生志らくごLIVE〜ひとりブタでっせ〜」がありました。実は、この噺家さん、今まで聴いたことはありませんでした。ただ、いい評判は、耳に入っていましたので、今回、初物ということで行ってきました。客の入りは、そないに多くありません。30名くらいでしょうか。でも、ところどころに、コアな落語ファンの顔がありました。小佐田センセの顔もありました。奥様とは、一緒ではありませんでしたが。やはり知ってる人は知ってんだの雰囲気です。番組は、次のようなものでした。生志「挨拶」「映像:福岡市長表敬訪問」「明烏」、(中入り)、「芝浜」。全く、生志一人の会。出囃子も、生でなく、前座もいないという会でした。そして、出されたネタが、江戸前のバリバリ。とっても上手そうに聞こえますが、聴いてる者として、なんか乗り切れないものを感じます。寝不足もあり、うとうとした場面も、若干出てきてしまいました。「芝浜」は原因が解ります。序盤の、財布を見つけるまでの場面に、ちょっと引き気味になってしまったのです。師走の噺だとことわってから始めました。「掛取り」なんてのをするかと思った瞬間、「芝浜」と判明。明け方の師走。そこで、朝焼けの描写されて、気持ちが乗っていきます? 談志が、そないな描写を入れてんだろうかと、前のめりになりかけたのですが、同時に、それは呆気ない否定へと変わります。そんなわけないよなと。急に、丁寧な表現に、気乗りがしなくなってしまったというわけです。「明烏」は、どうなのか? 吉原に入るまでのデフォルメの仕方が足りないのかな? 堅物の若旦那、24歳になっても、本ばっか読んでるという、設定自体にこじつけっていうのですから、そこをくさく演じておくと、あとは流れるはず。若旦那を誘う男二人のくささが欲しいのだと思います。それと、この人のしわがれ声もじゃましてるかな? というわけで、名作2本を聴けたことはありがたいのですが、ちょっとノリがもう一つだったのが、心残りです。




2010年 10月 25日(月)午前 0時 4分

 今日は、午後からトリイホールに行くことが決まっていましたので、お時間まで、ワッハのライブラリーを利用することにしました。ウォーキングは、ちょっと疲れているので、トリイホールへ行った前後に、ミニミニ・ウォーキングを1回だけ、それも、無理なく設定できるのならば行うことにして、無理やり時間をひねり出してまでは行わないようにと考えてのお出かけとなりました。ですが、これは中止。股関節の状態が、あまり良くないのです。で、ワッハでの試聴ラインナップは、次のようになりました。@読売放送TV「平成紅梅亭」、三枝「湯けむりが目にしみる」、福笑「狼の挽歌」A朝日放送「枝雀寄席」、ゲスト:三代目南陵、枝雀「貧乏神」BDVD「楽悟家 笑福亭松之助」、松之助「片袖」「後家殺し」。@は、漫才と春若の「京の茶漬」を割愛してのいいところ取り。三枝は、いつも思うのですが、マクラが、とっても上手。さすが、TVで鍛え上げています。この高座でも、最初、子どもの話から始まって知らない間に温泉話に。ネタは、不倫をする男が、旅先で、会うはずのない妻にあってのドタバタ。「狼の挽歌」は、2度目の遭遇。以前は、よく福笑も出していたネタですが、最近は遭遇しにくいネタ。うまい具合に、ワッハに収容されていました。タクシーをつかまえて、その運転手を人質として逃走するヤクザと、その運転手との会話で進行します。何年か前の独演会用に作った作品です。Bは、ゲストが先代南陵だということでのチョイス。「貧乏神」は好きな作品ではないので、そちらは、ちょっと半寝気味。Cは、ネタのレアさで、以前から目をつけていたもの。余っている時間が、この二つを観るのに、ちょうどいいということで選びました。「片袖」は、どうやらNHKの映像だと思います。松之助の痩せ方が尋常じゃないのに、びっくりです。それと打って変わってふっくらとしているのが、「後家殺し」の方。こちらは、「平成紅梅亭」の映像。改めて、この二つを聴いてみて、演じ手がほぼいないという状態は、なんとかして欲しいと思います。そんなに変な噺ではないことを確認できました。
 ワッハを出ると、どうも股関節のしびれが、またまた大きくなったという感じ。腰全体にも、疲れがたまってる感じがしています。そんなで、トリイホールに直接向かいました。今日は、こちらで、「松元ヒロ ソロライブin TORII HALL」がありました。この秋、東京に行ったときに、僅かに日程がずれ、行けなかったものに、大阪で行けるとは感激。舞台の傍らに、楽屋と称するスペースを、舞台に置き、そこで、簡単な休息をとりながら、ネタを続けていくというスタイル。従って、ネタは、幾つかに区分されているのです。その中で印象に残っているネタは、「安保クン」「祝うる島を観て」「醤油問屋の○○さん」「父親のこと」という感じかな。本人が言っているように、この人、社会問題をネタにしすぎ、考え方も「革新」的な言辞で彩られる関係で、マスコミが怖がって使わない、でも、本物ののスタンダップ・コメディ。「安保クン」では、幾人かの首相物真似入りが入る。吉田首相の孫とか、岸首相の孫という形でだが。「祝うる島を観て」などは、コメディというよりか、大まじめな意見発表。それが、立派に舞台が務まるのが、松元ヒロの舞台です。
 トリイホールを出ると、すぐ近くにあるネットカフェで、小1時間の時間調整。雨足が、結構激しくなっていました。そして、日本橋から南森町に移動。夜は繁昌亭です。「第四回花丸染雀二人会」があったのですが、こちらの会へは、2日前に、急遽行けることになり、チケットを買ったため、久しぶりに2階の指定席となりました。それだけ、この二人には、集客力があるということです。番組は、次のようなものでした。市楼「普請ほめ」、染雀「按七」、花丸「近日息子」、(中入り)、花丸「夏の医者」、染雀「小倉船」。「按七」は、今まで、染丸で一度、染雀で一度聴いたことがあるだけという珍品。無筆な男を、財産を得た途端に威張り散らすようになったので、からかおうというストーリー。無筆ものが少ないので、伝えていって欲しいですね。「小倉船」は、染雀ならではのネタ。浦島到来以後は、見台も座布団も片付けての口演。浦島を、立ち上がって、たっぷり目の踊り。あとは、特段変わった型が入ったわけではありませんでした。浦島をたっぷりと踊った分、テンポが悪くなりました。だけど、染雀の達者さは申し分ありません。花丸は、二席とも、会場内、大爆笑の連続。花丸の「近日息子」は久しぶり。うまいなぁと感心したのは、文句を言う場面で、作り上げてこられたギャグを生かし、それにプラス・アルファ的に入れるくすぐりの入れかげん。やっぱ、「天麩羅食いたい」なんて入れたのは、天才的閃き。そんなのは崩しようがないというメッセージなんでしょうね。そういった見極め、バランス感覚、ホント、花丸のさじ加減はグーです。「夏の医者」は、花丸がかけている頻度のわりに遭遇できなかったものが、ようやく実現。医者の家の場面からのスタートでした。父様が倒れたり、医者を迎えに行くところからと言っても、医者の家の場面に到着してからの物語になっていました。そして、このネタが、爆笑編に仕上げる花丸の力に、とっても感動です。マクラが。もっちゃりーずでのケガ体験、そこから医者へと繋いでいきました。




2010年 10月 24日(日)午前 6時 51分

 せっかくの土曜日なんですが、朝5時に目が覚めたまま、昨日は二度寝ができなかったパターン。一昨日と、えらい違いで、なんか1日中、体がかったるい。そないな関係かはわからないのですが、先日痛めた股関節の違和感が、ちょっと大きくなってきている感じがしてしまっています。そこへ、出掛けに見た郵便物に、ちょっと不快なことがあり、どうも遊びに出かけても、も一つ気の晴れない一日でした。その脚の違和感を感じ出したのは、午前中、30分間という時間をとり、家の近くをウォーキングをしたあと。一日に、コンスタントに1万歩を歩くということを実行に移すと、こないなことになるんだったら、これから、どうすればいいのでしょうか。だいぶと暗くなる話です。
 ところで、昨日は、午後と夜、2回芝居を観るということになりました。単なる偶然の産物です。午後の部は、ABCホールであった「スクエア」という劇団の「マンガマン」という芝居です。売れない漫画家が、一つの時期を境に、妻と、漫画に見切りを付けると約束するのですが、思い切ることができず漫画を描いていると、それをおもしろいと言い出す編集者が現れ、共同作業のような形で、漫画制作を続けていくが、確実に妻との関係が悪くなっていく。一方で、漫画制作が起動に乗っていく。今度は、人気を持続するための案を練っていく。書いてみると、それだけで、最後はハッピーエンドとくれば、なんと頼りないと受け取られるだろう。確かに、前半は、くだらないものを観ようとしてしまったの感覚。ところが、尻上がりに引き込まれていってしまったのです。関西小劇場界で知られた存在だということに納得の芝居だったのですが、この芝居をおもしろくしたのは、漫画の登場人物のキャラに、現実の登場人物のキャラを使っていった、即ち、芝居の登場人物のキャラを反映させ、また、実際、その人たちが、漫画に描かれた人物を論評していくという、言わば合わせ鏡のおもしろさを、芝居の中に取り込んだことに成功の基があるのでしょう。そして、なんか役者が、空々しいおもしろさがあるのに惹かれますね。不思議な感覚の芝居を観たものだと思い、次回作が楽しみになってしまいました。
 一つ目の芝居がはねると、ABCホールからウォーキングを開始。午前中に、1度ウォーキングをしているので、今回も、ミニミニ・ウォーキング。一応、「淀屋橋」駅か、「北浜」駅を目指したのですが、中之島を歩くのは、気分がいいこともあり、また、「北浜」駅到着で、まだ25分しか経ってなかったこともあり、「堺筋本町」駅まで続けてしまいました。所要37分でした。あとは、堺筋線で日本橋まで移動。駅上のいつものネットカフェで、1時間半余りの時間調整。夜は、午後7時半開演の芝居を観に、應天院に行ってまいりました。今夜は、こちらで、「超人予備校」という劇団の芝居がかかっていました。こちらの劇団の主宰者にして、座付き作者の魔人ハンターミツルギという人は、関西小劇場界では、わりかし知られた名前ということで、一度はと思っていたのが、昨日、ようやく辿り着いたということです。でも、おもしろくなかったと言っていいのか、よく解らなかったと言っていいのか迷うところですが、要するに、頭がついていかなかったのです。芝居は、二本線が縦糸に進行し、最後にきて、その二本線が交わり、ハッピーエンドとなったと考えて、いいのでしょうね。二本線は、一つが、動物園の檻の中のトラの世界。野生を失ったトラが、猫のように人間にじゃれつこうとしたら、人間に怖れられ、噛みついたとされたことが発端で、野生を取り戻したトラの闘う神様に祭り上げられていきます。一方、もう一本のラインは、妻の浮気を疑った気弱な男が、夫としての強さを見せるために、トラと闘おうとします。ここに、トラと闘う人間、人間と闘うトラができあがります。お互いに、心から闘おうとしないにもかかわらず、闘わねばならなくなっていくというわけです。しかし、闘うということは、関係性の一つの姿であり、その関係性は、シテュエーションの偶然性により、質を変えてしまいます。「闘う」から「癒し」「和み」へと変わっていく姿を舞台に送り出した偶然性の続く物語です。で、それで楽しめたかというと、そないなことはなかったな。演出面での当たり前さということとか、場面転換の多さ、拙さが、おもしろくならないようにしている感じ。外れでした、正直言って。




2010年 10月 22日(金)午後 10時 41分

 ちょっと寝不足が続いていたためか、昨夜は、随分と睡眠時間を確保できました。但し、5時に目が覚め、二度寝に備えて、お酒を2合ばかり呑んだ成果が出た結果です。で、今日のお出かけは、幸い出発時間に縛られるものではなかったので、助かりました。ところが、出かける時間になってから、家の用事で滞っていたことを思い出し、またまたお出かけ時間が遅れる始末。そないななか出向いたのは、年2度の特別展に合わせて、少なくとも行くと決めている民族学博物館。この秋は、「彫刻家エル・アナツイのアフリカ〜アートと文化をめぐる旅〜」と題し、アフリカの現代アートの展示が行われていました。全く予備知識なしに行ってみたのですが、キャリアの紹介文を読んでいると、ヨーロッパを始めとして、とっても評価の高い作家さん。黄紺も、驚きと同時に、とっても気に入ってしまいました。初期の作品には、メッセージ性豊かな作品が多いようですが、ここ10数年の作品は、発想に驚きです。ビール缶などの廃物を活用して、それらを細かく分別し、それらを針金でつなぎ合わせて、一種のモザイク模様を作り上げていくのですが、その仕上がり具合が、見事にタペストリーの雰囲気を持つのです。これは圧巻です。缶の引き金の組み合わせに至っては、シースルーの布に見えました。これは見ないと損です、知らない人は、人生で損をしたと言っていい作品群です。エル・アナツイは、ガーナ生まれで、活動の拠点を、ナイジェリアに置いてる作家さんです。えらいものに出会ってしまったの感がしています。
 特別展を見終えると、定番の常設展へ。音楽関係の展示がリニューアルされているはずでしたので、それがお目当てでした。以前に比べて、展示品の数で圧倒するということはなくなりましたが、実際に、演奏している姿を、当然、音とともに試聴できるようになっていました。それを確かめたあとは、毎度定番の映像資料の試聴です。今まで見ていなかった「トルコの断食」「ポルトガルのファド」「シェウシェンチェン?(アンダルシアの残照・モロッコ)」「ケープタウン」「キルギス族の生活」を観ました。「断食」は、40年近く前の映像資料ですので、今まで避けていたのですが、今回は、逆に、今の様子と比較してみようということで、試聴してみました。当たり前かもしれませんが、同じでした。ただイフタールの時間を、ラジオで知っていました。キョイでの撮影ですから、ホントに粗末なものを、ソフラを囲んで食べていました。「アンダルシアの残照」はいいもの遭遇です。アンダルシアから追い出されて来たイスラーム教徒が逃げ込んだ場所だそうです。
 民博を出ると、阪急「山田」駅まで、35分間のミニミニ・ウォーキング。歩いてみて、結局、民博から「万博公園」駅までの方が遠かったですね。阪急電車&堺筋線で、一旦南森町まで移動。繁昌亭に立ち寄り、急に空いた日のチケットを購入。おなじみのネットカフェで、30分余の時間調整をしてから、日本橋へ移動。夜は、ワッハの4階であった「世話講談の会」に行ってまいりました。これは、南湖が、この会場で続けている会の特別ヴァージョン。「芸術祭参加」をうたう特別ヴァージョンなのです。番組は、次のようなものとなりました。南舟「太閤の風流」、南湖「出世の纏」、三三「看板のピン」、南湖「柳田格之進」。賞狙いの会は、審査員がいるということで、余分な時間を削ぎ落としての口演に終始するのが常。さすが三三だけは、それでは仕事にならないと、マクラをしっかりとふってくれましたが、南湖は直ちにネタに入っていました。こういう特別な会のときは、概ね、気が乗るのでしょうか、早口になる傾向にある南湖なんですが、今日は、「出世の纏」で、対話のあとの地語りに入ると、テンポを変えねばの意識が勝つのか、早口になってしまってました。「出世の纏」は、それ以外は、ネタ自体が出来上がっているからでしょう、殿様かげんやいなせな纏持ちの雰囲気が出ていたと思うのですが、「柳田格之進」は、どうだったでしょうか、かなり内容をいじったこともあり、またネタ自体がかなりの量を誇るため刈り込まねばならないということからでしょうね、序盤の描き足りなさが、気になってしまいました。この話は、最初から最後まで、碁仇同士の信頼関係は揺るぎないものです。でないと、金がなくなったときの、大店の主人の対応や、今日の改作で言うと、刀の買い戻しという行動も説明がつきません。そこが描き足りなかったきらいがあります。その部分が早口だったというわけではないのですが、あとから思うと、そうだったんじゃないかと思ってしまうのです。でも、南湖は語り巧者ですから、また改作により、展開も気になってか、かなり柳田との再会以後は、ぐいぐいと引っ張られていきました。改作部分というのは、柳田の金の調達の仕方。娘の身売りによる金の調達という後味の悪さを、南湖も気になっていたのでしょうね。碁を打ちながら、柳田の刀に関する話を出したので、予測がついてしまいました。消えた50両の行き先については、時系列の中で出てきました。やはり先に言わない方が賢明です。柳田が六兵衛と再会したとき、柳田は、まだ浪々の身で、謡をうたい、投げ銭をもらい生きているという極貧生活を送っていました。刀の買い戻し、柳田の任官、いずれも、お金が発見されてから、主人の計らいで、うまく準備がされていました。また、二人を斬らないという決断は、碁を打つことにより生まれるということにしましたが、ちょっと芝居かかったくさい改定、そして、これでは、六兵衛を斬らないわけが出てきません。こうやって考えてみると、改作っていうのは難しいですね。ゲストは、なんと三三。たまとともに南湖も、三三と親交があるのは知ってはいたのですが、大盤振る舞いの雰囲気です。ネタの「看板のピン」は、三三の場合は、大阪で演じられている型でした。仕込みとバラシという分かりやすい二部構成。こないだ東京で聴いたのは、考えてみると、おもしろくならないようならないようにしているという感じでした。それにしても、三三はうまい。台詞の言いまわし、抑揚から、何から何まで素晴らしい。聴き慣れたネタだからこそ、一層、よく判るというものです。




2010年 10月 22日(金)午前 5時 10分

 一昨日(10/20)は、家に直行の日。でも、携帯付属の万歩計を見ると、全然歩いてないということで、職場を出て、駅と反対方向に歩き、約35分のウォーキング。最近は、勤務のある日も、1万歩を超えることを目標にしています。ですから、昨日も、お昼ご飯を外に食べに出たついでに、ウォーキングを30分。いい昼休みになりました。夜は、京都の五条で、よくおじゃまをする「第93回養蓮寺寄席」へ。この会は、仁智がお世話をしているので、毎回、仁智を聴くことができるというお得な会です。昨日の番組は、次の通りでした。今井克紀「仕舞:松風」、市楼「刻うどん」、生喬「笠碁」、仁勇「猫の皿」、仁智「ハードラック」。わりかし、最近、聴いた噺が並んでしまいました。仁智は、この会で、1年も経たない内に、「ハードラック」を出してしまったんじゃないかなぁ。そのせいか、会場に響く笑い声が、いつもよりか小さめでした。確かに、昨日は、会場はおとなしめ。一つには、会場が、今回から2階の本堂に移り、広くなったことがありますが、なにやしら生暖かい反応に終始しました。「笠碁」も、もっとびんびんきてもいいのにという反応だったことは、確かです。でも、「笠碁」が、徐々に右肩上がりになってきています。特に、店先で、男を待っている方の描写が、とっても素晴らしくなってきています。 「あー」とか、「うー」という言葉にならない音が入ってきて、やたら臨場感が出てきて、雨の降る街角が浮かび上がってきたように感じました。がなり立てるような物言いに、セーブがかかったのも、いい方に進歩したなの印象となりました。かなりグレードの高い出来と看ました。「猫の皿」は、演じ手の少ないネタなんだけど、仁勇のこのネタは、「繁昌亭」で聴いたところでした。




2010年 10月 20日(水)午前 5時 9分

 月曜日は、この24日から、ピースボートに乗り、世界一周してくる元同僚がいるので、ちょっとした壮行会のつもりで呑みました。南米の知らないような町やイースター島にまで上陸する機会があるようで、なかなか貴重な旅になるようです。黄紺的には、あんましやってみようとは思わないのは、歩き回るのが好きだからでしょうね。その結果が、股関節を痛めるなんてことなんですが、、、。
 そして、昨日は、明け方、5時頃に目が覚めると、決まったように、二度寝をするために、お酒を呑みます。今も、そうですが。でも、悲劇が起こるときって、二度寝ができないで、中途半端に酒が抜けないとき。昨日が、まさにこれで、せっかくの休みが、一挙に暗くなってしまいます。ですから、昨日は、そのお酒を抜くために、家の近くを、40分間ウォーキングしました。おかげで、アルコール分は抜けましたが、目は痛いまんま。お出かけは、10時10分過ぎ。昨日は、大阪に出る前に、京阪「寝屋川市」駅で下車して、お昼を食べながら、冬の旅行の相談。それが終わると、京阪「萱島」駅まで、本日2回目のウォーキング。所要時間33分でした。そして、そのあとは、ワッハに直行し、昨日も、楽しくライブラリーを利用してました。昨日の試聴ラインナップは、次の通りです。@読売放送TV「平成紅梅亭〜桂吉朝TV独演会〜」、1)コメント(さんま・千朝・小米朝・ざこば・小佐田定雄・米朝)、2)吉朝「高津の富」、3)寄席囃子(森垣と美・大川貴子・米輔・米左・吉弥・吉朝)、4)パロディ漫才(吉朝・千朝、吉朝・都丸・む雀)、5)ゲスト対談(藤舎名生・吉朝)、6)吉朝「蛸芝居」ATV大阪「初夢三夜長講上方落語」(司会:小米朝)、米朝「煮売屋〜七度狐」B読売放送TV「米朝ばなし〜9.五重っさん、天神さん〜」。3ヵ月ほど前に、ワッハに収容された一つが、@の映像。正に、吉朝の全貌を知るには、うってつけのもの。亡き吉朝を偲ぶには、格好の資料です。落語二題も、代表作。評判の「高津の富」が、こうやって残ったことは、何よりも嬉しいこと。エコーをかけるのは、妄想男の話の中だったのですね。そして、宿屋の亭主は、当たったことを、まずおかみさんに報告しています。二人の興奮の度合いに温度差をつける狙いと看ました。「蛸芝居」の冒頭を飾る三番叟の型で、随分と荘重なものを見せています。あとの軽さと好対照です。「漫才」は、千朝とが、ダイマル・ラケット。千朝のダイマルが、そっくりです。もう一つが、宮川左近ショー。吉朝の左近、む雀の暁照男、そして、都丸が、ギターを抱えた人、名前何でしたっけ、その割り振りで、これも、よくできた裏芸です。「寄席囃子」は、よくある「お囃子紹介」、吉朝が司会をし、落語も演じるというもの。特に「小倉船」は、フラスコで海中に入ってくるところから、河豚腸長安に追われるところまでを、程よく刈り込みながらでしたから、贅沢なメニューでした。それらを含めて、紹介されたお囃子は、次の通りです。二番太鼓、石段、じんじろ、三下り鞨鼓相方、草競馬、「宿屋仇」、雨、風、雪、「小倉船」。Aは、かねてから狙いの映像。検索をしたファイルには、「七度狐」で39分と出ていたものですから、気になっていたのですが、なんてことはありませんでした。「野辺」の終わりあたりから「煮売屋」を経由してのものでした。それが判っても、止めようという気は起こりませんでした。単純な「煮売屋」を聴いてもおもしろいのです。米朝の口演を聴いていて、簡単には遭遇できない空間の広がりを感じてしまったのです。現在、変に繰り返すという対話が横行しているなかで、それが少ない。違った言葉が返ってくる。言葉も豊か、そないなところから、リアリティがあり、広がりを体感してしまうのだろうと感じていました。「七度狐」も、山道にさしかかるところが、最近では短く扱われる傾向にあるのですが、大切なところということを教えられました。ここから怪談めいた話へと展開していくということを、客に解らせる序なんですね、あすこは。省かれない口演を聴くと、よく判るというものです。いやぁ、名演です。これだけ聴き慣れた噺で、次が楽しみと思わせられる口演は、やっぱ、只者ではありません。Bは、30分弱の時間が残ったときに、試聴してきたシリーズもの。昨日選んだ巻は、四天王寺と大阪天満宮がテーマでした。
 ワッハを出たあと、日本橋駅上のいつものネットカフェで、小1時間の時間調整。夜は、日本橋から歩いて、恵美須町へ移動。一昨日の日曜日と同じ「in→dependent theatre 1st 」で、「ステージタイガー」という劇団の「そこにあるヒビ/メディアライフ」という芝居を観ました。夏前に観た「病的船団」という芝居が気に入り、今回も、楽しみにして行った芝居です。まず、設定がおもしろい。周囲を壁で囲まれた空間に、外界とは遮断されている。そして、その空間内には、メディアというものが存在しないという設定。ところがある日、ゴミ処理の仕事をしている男が、ゴミ探索をしているときに、メディアなるもののアイテムを発見、外の世界があることを知ることになり、外の世界へ出ようと決意するというもの。その内なる世界の人たちの物語と、オムニバス形式で、各メディアにまつわるショートコントで繋いでいくというのが、この芝居の進行の手だて。なかなかおもしろい発想。そういった構成のなか、人と人との手渡し的な、言い換えればアナログ的な関係性の大切さが説かれていきます。人は、大衆的なメディアを手に入れることにより、伝えたい相手が見えてこなくなっていった、それを、こないな設定で説こうとしました。いい芝居です。ですから、外界に脱出を成功した男が「手紙」で、外界の情報を伝えてきたというラストの言葉は、正に、人間がメディアをゲットした原初的姿を表現しているのでしょうね。ということは、循環的芝居? そう考えると、ますます優れ物の芝居です。「ステージタイガー」という劇団、とってもお気に入りです。台本がよく、狭い空間の使い方が上手いですからね。




2010年 10月 17日(日)午後 8時 45分

 朝から家の周りをウォーキング。ミニミニ・ウォーキングの一つです。一応、30〜45分に留めようとしたのですが、最後にきて、自宅の近くにも拘わらず、知らない道を発見してしまい、結果的に迂回して、家に戻ったために、47分間のウォーキングとなりました。お出かけは、10時半。少し早めに出て、ミニミニ・ウォーキングの2回目を考えていたからです。今日は、午後に、久しぶりに「田辺寄席」に行ってみました。ですから、始まるまでの間、25分間のウォーキングを、桃ヶ池周辺ですることにしたのでした。肝心の番組は、次の通りでした。雀太「色事根問い」、団朝「米揚げいかき」、文太「禁酒関所」、(中入り)、ダイアン吉日「バルーン・ショー」、団朝「幸助餅」。ところが、今日の田辺寄席は、絶不調。眠たくて眠たくて、前半は、ほぼダウンという状態。昨夜の寝不足に、ミニミニ・ウォーキングがプラスしたみたいです。ですから、後半だけ、メモっておきます。ダイアンの「バルーンショー」は、ようやく遭遇できたっていうところ。お目当ては、「幸助餅」だったことは確かなんですが、ダイアンの高座も、実は、そういうわけで、狙いの一つだったのです。外国人っぽいキャラを残しながらの高座が新鮮でしたし、バルーンで作られるものも新鮮。幾つかの違ったバルーンを組み合わせての作品は、ホント見ものでした。「幸助餅」は、講釈ネタ。ですから、講釈と、ちょっと比較してみると、大黒屋さんと雷の再会が、あまりに唐突。二人が会わないと、この噺は始まらないが、会えばいいというものではない。そこに逡巡とか、そういう表現がないと、あまりに大黒屋が安っぽい人間になってしまいます。雷の誠意を表す対象である大黒屋が、それなりの人格を持った人間でなければ、雷の行為も、薄っぺらなものになってしまいます。語り口の確かさは申し分ない団朝だが、その辺のデリカシーが欲しいと思いました。冒頭の金を借りるところの苦 悩とか、雷に金を渡したことを、家で報告するところを含めて、同様の感想を持ってしまいました。
 田辺寄席が終わると、御堂筋線の「昭和町」駅から動物園前経由で、恵美須町まで移動。夕方の5時開演の芝居を観に行きました。場所は「in→dependent theatre 1st」で、観た芝居は、スイス銀行という劇団の「おっぱい博士」という芝居です。スイス銀行は、二人の女優さんと作家さんで作る劇団。これで、3回目の公演になりますが、脚本がしっかりしている上に、毎回招請されるゲストの役者さんを含めて、芸達者な人が揃い、楽しませてもらえるので観に行っています。今日の物語は、あるエッチ系TV番組を制作する現場、MCを予定してい た女の子がドタキャンをして、混乱しているところが舞台。代役として、無理やりスタッフの女性が選ばれるまで、次いで、その女性が、ワンクールを引き受けるまでが描かれました。選ばれたスタッフの女性は、番組が番組だけに尻込みし、一度放送に出ると、内容が内容だけに、反応が異様で尻込みをしてしまう。だが、最後には、MCを引き受けるのだが、そこに至る過程で、現場に集う、AV業界のプロダクション社長、AV男優、期限付社員として働く女性の、自分の才能を考える本気度に触発される姿が描かれます。触発される女性は、終盤、ほとんど台詞がありません。周囲の人たちの語り合いばかりが描かれていきます。この芝居の台本構成の秀逸なところで、その女性には、語り合われた内容には、一切コメントを言わせず、ただ動き出すというだけで、意志を表すので、逆に、その意志の強さ、才能、それに目覚めた強さに対する深い理解を示していました。AV業界が取り上げられたのは、仕事内容に目を奪われ易い業界ということなんでしょう。やはり、この劇団の強みは、脚本がしっかりしていることですね。芯となるテーマをしっかりと見つめて、台本を書いてるなという印象を持ちました。




2010年 10月 17日(日)午前 6時 18分

 昨日は、木曜日に受けたMR検査の結果を聞きに行く日。朝一番で行こうと思っていたら、明け方に目が覚め、結局二度寝をしてしまったために、もう病院に着いたら、お昼。でも、昨日は、受付を済ませ、外でご飯を食べて戻ってきたら、10分も経たない内に呼び込まれました。MRの結果は異常なし。これは、骨そのものには、何ら問題ないということ、ただ、血液検査で、炎症を示す数値が、若干高めということで、関節炎という診断。要するに歩き過ぎということでした。幸い痛みは、完全に消えていますので、様子見ということで、痛み止めの薬には、炎症止めが入ってるとかで、変調をきたしたときの対処法を聞いてまいりましたが、激痛の凄まじさからしては、ちょっと頼りない結果となりました。これを良しとすべきなのか、それじゃダメなのかは、今後の推移を観ないとわからないのでしょう。とりあえず、健康の維持のためのミニ・ウォーキングは、続けることに。昨日は、京阪「北浜」駅から文楽劇場経由で、ワッハまで歩きました。文楽劇場でチケットを買う時間を入れて小1時間です。ちょっと連続で歩くには、今の黄紺の脚には負荷がかかりすぎかもしれないなというのが、歩きながら感じていたことで、翌日以降、脚が、腰が、どのような反応をするか、要観察というところです。
 で、ワッハに行ったのは、視聴覚ライブラリーを利用するためでした。昨日の試聴ラインナップは、次の通りです。@読売放送TV「平成紅梅亭」、呂鶴「近日息子」、南光「付き馬」、吉朝「愛宕山」、松之助「らくだ」A毎日放送TV「特選落語全集」、南光「ざこ八」。「付き馬」は、小佐田センセ脚色もの。一夜明けて、金の支払いのやりとりから始まりました。結構、横着な態度をとるのは、東京版と同じなんだけど、その横着さの根拠らしきものを提示しておかないと、ちょっと不合理な感じがしました。ただ、あとの方で、無理やり引っ張り込まれた話は出てくるのですが、あとでは遅いですね。お金を借りると言って立ち寄る先は、「おじさんの経営する棺桶屋」ではなく、「おばさんの経営する小料理屋」に変わっていました。「棺桶屋」というのを避けたのでしょうか、「棺桶屋」の方が、落語チックなんですがね。南光のもう一つの「ざこ八」は、前半の重苦しさに反し、後半が、あまりにくだらない。お糸さんが、「先の仏」の命日にこだわるわけも触れられないで、魚屋がうろうろするだけの話になってしまいます。どうするのがいいのでしょうね。この「ざこ八」の口演は、「南光襲名披露」を兼ねた「特選落語全集」としてのもの。「紅梅亭」に戻ると、吉朝の「愛宕山」の映像が残ったのには、大拍手です。吉朝は、「紅梅亭」では、実にリラックスした高座を披露してくれてます。普段の高座の洒脱さ、お茶目さなど、持ち味が、ふんだんと発揮されています。それに、声が良く、距離感を出したい「愛宕山」というネタにとっての、大切な要件を満たしている噺家さんです。山登りの場面も、文太や米二のように、頑張らないで、スタミナが尽きていくのを表現できてます。いい口演の記録が残ったものです。松之助の「らくだ」は、とっても時間を意識した口演で、気の毒なくらい。「らくだ」は、いくつかの場面に、きれいに分ける事ができますが、どの場面を削るというのではなく、均等に薄めていくという手法を取っていました。そのため、一番具合の悪かったと感じたのは、熊五郎と紙屑屋の攻守が逆転するところ。あまりに簡単に酔っ払ってしまう紙屑屋さんに、ブレーキをかけたい気分でした。なお、呂鶴は、鉄板過ぎて、カットです。と思い、カットしようかと思いながら、全編観てしまいました。それにつけても、この人、ネタが少ない。
 ワッハから、堺筋線を使って、南森町に移動。夜は、繁昌亭であった「桂ちょうば落語会」に行ってまいりました。ちょうばの勉強会に、最近行けてなかったこともあり、ちょうど、この間、ちょうばが手がけてきたネタのおさらいができるかもという思いで行ってまいりました。もちろん、ちょうば自身は、「咲くやこの花賞」受賞者ですので、実力は高く評価されている噺家さんなのですが。その番組は、次の通りです。福丸「道具屋」、ちょうば「風邪うどん」、ざこば「強情」、ちょうば「ハンカチ」、(中入り)、ちょうば「一文笛」。ちょうばが注目を浴びたのは、やはり「ねずみ」の口演でしょう。じっくりと聴かせる術を心得たと言えるものだったと、黄紺も思います。ま ず、この会のネタを見てみても、一つの路線が明確になっています。3席するのに、もう少し色合いを変えた方が、独演会ではいいんじゃないと思うものです。プログラムには、「風邪うどん」は「うどん屋」とされていました。「風邪」というオチに関わる言葉を避けたかったのでしょう。冬の寒空のなか、大きく騒ぎ立てることが似合わないネタを選んだというところです。人情噺系ネタ2連発で新作と擬古典ということで、差別化を図りました。「ハンカチ」は、新作台本募集の優秀作。三風以外の演者が出てきたことは嬉しいのですが、改めて聴いてみると、展開に無理筋があります。夫婦の心の通いを、補綴できないものだろうかと思いました。結論が唐突すぎる感じを受けてしまいました。そして、「一文笛」。このあと、ネタに「まめだ」なんかが加わっていくようですが、9年目で、ここまで絞っていいのかなぁと思います。この人の、一番いいのは子どもかもしれないのにと思うのに、そないなことを、「一文笛」を聴きながら考えていました。だって、この人、人情噺系のネタがいいからと言って、決して「立ち切り」が似合うとも思えないし、聴かせる噺として、「菊江仏壇」「百年目」が似合うとも思えないのです。ですから、ネタを狭めない方がいいと思うのですが。助演陣の充実は、良かったですね。ざこばは、言うことなしの「強情」。人に合った噺は、ホントにいい。この日は、たっぷりと、芸能人との偶然の遭遇話をマクラで語り、ネタへ。これはと、ネタにはまったときのざこばは、やっぱ凄いわ。福丸も、どんどん良くなっています。この人、落語の主人公になりきっちゃうんですね。演じるという枠を超える雰囲気が出てきているのです。ですから聴き倒している「道具屋」で笑えるのです。もっちゃり口調じゃないのに笑えるのです。努力家ですね、福丸っていう人は。




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