2014年 6月 17日(火)午前 4時 46分
また、新たな1週間が始まりました。時間が経つのが、実に早い。もう1ヶ月半もしない内にトルコにいます。もう1年が経ったのです。冬のオペラ紀行のスケシュールも、かなり煮詰まってますしね。一方で、また寝不足傾向になっています。昨日も、目が痛い一日でした。仕事も詰まっていたので、かなり辛い一日でした。でも、夜遊はお出かけ。今夜は、「京都芸術文化会館」であった「第122回 桂文我上方落語選」に行ってまいりました。毎月行われている会です。その番組は、次のようなものでした。石松「江戸荒物」、文我「蝋燭喰い」、宗助「稲荷俥」、文我「鬼薊」、(中入り)、文我「武助芝居」。ところが、「蝋燭喰い」と「稲荷俥」で、どうしようもありませんでした。もう目が開けてられないほど、目が痛かったですね。2つとも貴重な噺。「蝋燭喰い」は、文我しかしない噺だし、「稲荷俥」は、演者の少ない噺という具合。そういったネタが出ると、寝てしまうというジンクスが、また昨日も出てしまったのです。前座は石松。最近、石松を聴くのが、ホントに楽しみなんです。あとから出た文我が、「旧い、なつかしくなる」と言ってましたが、正にその通り。石松の「江戸荒物」は、聴いたのは初めてのはずですが、元の形はこうであって、世間に流布している「江戸荒物」が、これを刈り込み出来上がっていったのではと思わせられるというもので、もうわくわくものです。松之助からでしょうか、師匠の福郎からでしょうか。出所を知りたくなる口演。この味わいを持ち続けて欲しいものです。「鬼薊」は、吉の丞で聴いて以来。こないな間隔で聴ける話じゃないだけに、ちょっと感激。吉の丞の口演と、若干違うぞと気づいたのは、清吉の奉公先での悪事が、10年前の話のところで入ってなかったこと。夫婦が、大家から話を聞いて、大家の世話になることを決意したところで、一旦切れました。そして、後日談として、奉公先での悪事、即ち、店の金を使い込み、それで「店がつぶれた」と、文我の口演ではなっていました。南光から吉の丞へと流れた噺は、香川登志緒、小佐田定雄の手が入ったものと、吉の丞は言ってましたから、この辺かもしれません。10年の時が、あっさりと飛んでしまいすぎる文我版(これが元祖文団治版か?)よりか、噺のふくらみ、たっぷり感が、吉の丞版にはあったと思いました。中入り時点で、時計は8時45分を少し過ぎていた。9時半明け渡しのはずの会場で大丈夫かと思ったら、中入り明けは、あっさりと「武助芝居」。初期の江戸噺だと講釈が入りました。ネットで調べると、確かにそうであり、かなり文我の肉付けがあるようですね。本体は、馬の足で出てきた知り合いの役者を、やんやの喝采で持ち上げる噺のようです。ということで、文我色のかなり濃〜い会で、満足度の高い会であったのですが、いずれにせよ体調が良いにこしたことはないですね。
|