忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2014年 10月 24日(金)午後 11時 21分

  大阪府守口市(82)〜大阪市旭区、都島区、北区

 昨日は、久しぶりに家に直行。晩酌にビールを呑むと、呆気なく沈没。今週末は3連休ではなく、土曜出勤が入っています。そのため、週末に体を休めることができない悲しさがあります。そんなで、なんとなく勝手の違う金曜日は芝居三昧の一日。その前にウォーキングです。そのコースは、次のようになりました。京阪「滝井」駅〜「今市1」交差点〜大宮幼稚園〜大阪市立大宮中学校〜城北公園〜「生江3西」交差点〜西浪橋〜JR「じょうとう021」橋梁〜大阪市立高倉小学校〜善源寺公園〜大川左岸〜春風橋〜毛馬橋〜大川右岸〜大阪市立新豊崎中学校〜淀川天神社〜国分寺公園〜地下鉄「天神橋6丁目」駅〜JR環状線「天満」駅。今日は、前後のことは考えないで、城北公園に行こうということだけを考えてのコース設定。毎年、城北公園では、秋のこの時期に「菊花展」をしているもので、ひょっとしたら始まってるのではの思惑を持っていたのです。が、実際には、まだ早かったみたいで、その気配さえありませんでした。11月の末までには、今日と似たコースで、もう一度行ってみなければなりません。今日は、終点を「天満」駅と定めてのコース設定だったもので、大川べりに着いた段階では、まだたっぷりと時期が残っていたため、目の前にあった水晶橋ではなく、毛馬橋まで行ってから大川を渡ることにしたら、ドンピシャ2時間の行程となりました。
 ウォーキングが終わると、「天満」駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、午後は、「千林大宮」まで移動して、「大阪芸術創造館」であった「カンセイの法則+10デシリットル 合同公演」の公演「スタンダードな人たち」に行ってまいりました。公開ゲネプロということで、少しお安く、人数限定で行われた公演。金曜日が非出勤日だということを活用させてもらいました。舞台は、原発誘致が囁かれている琴浦海岸。原発問題という具体的な社会問題をテーマとした芝居かと、始まって間もなく判明し、この芝居を選んだのはミスだったかと思ったのですが、進むにつれ、原発問題自体を正面から捉えた芝居ではないことが明らかになってきて、ちょっとホッとしました。より具体的で、観る者を拘束してしまう芝居は避けているもので、そういった感じになったってわけでした。ストーリーの本筋は、優柔不断で、決められなくなると逃げてしまうという頼りない父親のいる家族。その頼りない父親が家出をして帰ってくるところからスタート。能天気な母親(中西邦子が好演)、東京の大学から帰省した姉(キャラが薄くて調整役という感じ)と、若さ溌剌の弟という家族。その家族の中で、頼りない父親が、原発用地の対象になった駄菓子屋の土地を守ることを決意するまでを描いたもの。原発誘致については、裏で暗躍する政治家の存在が、最後にはバラされるという仕掛けも用意されており、最後まで、ストーリー展開でも引っ張ってはくれたのですが、主役の父親のキャラは、余りにも弱すぎます。これで、引っ張っていくというのは、ちょっと反則技じゃないかとすら思ってしまいました。久しぶりに観る「カンセイの法則」の舞台は、以前に観たときと同様、インパクトに欠けるというものでした。今回は、中西邦子をゲストに迎えるということで、何か気になってしまったのですが、家族の物語が好きではない黄紺にとって、ちょっと無理強いしたようなキャラの父親を中心に据えるのは納得がいきませんでした。原発に関わる物語だけでは、ないしは、それを中心に据えることを躊躇ったとしか思えませんでした。原発問題に関わる物語は、それはそれでおもしろかったですのになと思います。
 「大阪芸術創造館」での芝居が終わると、「森小路」から「北浜」経由で「日本橋」に移動。いつもの千日前のネットカフェで、本日2回目の時間調整。そして、買い物をしてから「応天院」に移動。夜は、「ステージタイガー」の公演「MATCH」を観てまいりました。黄紺は、「ステージタイガー」の舞台って、関西の小劇場界では、最もおもしろいものの一つと位置づけていました。サービス精神旺盛で、娯楽的要素が強く、でも、それに加えてメッセージ性が豊かで、しかも、それが哲学的でと、いろんな顔を、一つの芝居の中に含む脚本と演出がいいうえ、役者さんが、その内容に応える人たちで、何よりも活気に満ちているというのがいいと思っていました。ところが、今回の芝居は、娯楽時代劇というだけの要素だけが浮かび上がったという点だけが印象に残りました。相変わらず活気はあるのですが、脚本が、そんなだと空元気のように、黄紺の目には映ってしまいました。特に序盤は、時間稼ぎ的な挿話が続きましたしね。話は、江戸と大坂の話が交替で進みます。接点は一つ。江戸の主役、飛脚のユウジが、侍だった頃通っていた道場の娘が、思いを告げぬまま大坂に嫁いでしまったということ。江戸では、ユウジが飛脚として腕を伸ばしていく中で、仕事が思うようにいかなかったときに連れていかれた吉原の遊女にうつつを抜かすようになるのだが、その関係が潰れたときに、長州藩士に誘われ京都に向かいます。大坂に嫁いだ女の話は、夫婦の関係が、うまく出来上がっていく物語。二人の間には、やがて子どもができるのですが、刀の研師である夫は、人殺しの道具となる刀を作らなくなったため家計が続かず、知り合いから頼まれ、幕府見廻り組から密書の運び屋となり京都に向かいます。ここで、江戸の男と大坂の男が出逢います。そして、更に本来の接点であったはずの男女が出会うのがラストとなります。これだけの話ですから、このストーリー展開に入り込むものは、何もありません。最後は、二人が会うのだろうとは思って観ているところへ、用意されていた会い方は、確かに意外性はあったのですが、おもしろかったのは、そこくらいかな。初めて「ステージタイガー」で、これを観たならば、次回は、ちょっと考えたかもしれません。とりあえずは、もう一度は観ようかなんて判断になるのでしょうか。




2014年 10月 22日(水)午後 11時 26分

 今日は、朝方は気温が高かったのですが、時間が経つにつれて下がったよう。夜は、京都で落語会。昨日今日と、京都で遊ぶ日々です。行ったのは、「京都文化芸術会館」であった「第126回 桂文我上方落語選」。毎月、こちらの和室を使い行われている落語会です。その番組は、次のようなものでした。呂好「寿限無」、文我「コレコレ博打」、伯枝「長短」、文我「藁人形」、(中入り)、文我「佐々木裁き」。文我の会に、呂好の前座というのは初めての経験。呂好の「寿限無」も初めて。誰からもらったのでしょうか。わりかし古くさい言い回しが気になりました。名前の繰り返しは、子どもが誘いに来るのと、こぶができるエピロードでしたから、通常の型でした。「コレコレ博打」は、「東の旅」の帰路での噺。水口が舞台と言ったでしょうか、文我は、往路と帰路の具体的な道筋を、お伊勢さん近辺については説明してくれましたが、三重県の聞いたことのない地名は解りませんでした。「コレコレ博打」は珍品。今、この噺をするのは、文我以外では、九雀くらいでしょう。博打で負けた喜六と清八が、宿屋を脱け出し、たどり着いたお堂では賭場が開かれている。そこに入って行った二人は、化け物と間違えられてしまうというもの。最後のオチを動作で示す代表的な噺です。残念ながら、水曜日は、どうしても集中力が続かず、今日は、このネタの半ばでうとっときてしまいました。ゲスト枠の伯枝は、文我の会に喚ばれる常連組の一人。マクラで、角座話から、往年の歌謡ショーのテーマソングを披露してくれたので、これはないだろうと踏んだ「長短」が出ました。ついこの前も聴いたはずと思うのですが、どの会だったかを思い出せないでいます。文我の2つ目は、未知の噺「藁人形」。暗い噺です。せっせと貯めた30両の金をだまし取られた乞食坊主。家に閉じこもり藁人形を油煮にする。様子を見にきた甥がいぶかしがると、「騙した女は、糠家の娘だから釘は打てない」という下げ。騙した女に復讐するエピロードが続くのかと思っていたら、この下げに向かいました。なんか肩透かしを食らったという感じがしました。中入り明けは軽めかと思っていたら、「佐々木裁き」にびっくり。しかし、この「佐々木裁き」が良かった。文我ベストと言える出来栄え。テンポが自在に動かされ、臨場感が高まります。登場人物の描き方も、過剰にならず適度のデフォルメが心地よいものでした。




2014年 10月 21日(火)午後 11時 24分

 京都市内遊歩(74)〜写真なし〜

 今日は、朝から冬のオペラ紀行に備えて、鉄道の早割切符を購入する日に当てました。ただ、ちょっと早すぎて、途中から買えなくなり、一時は大慌て。なんせ、クレジットカードの情報を入れてから、「払えない」と出たものですから、クレジットカードの支払ができなくなったのかと、残額を調べに行ったほど慌てました。どうやら、早すぎたようです。で、ひと安心。今日のお出かけ予定は、夜の「カフェ・モンタージュ」だけにしていましたので、ウォーキングも、ゆっくりめにスタート。今日は、雨の予報だったのですが、幸い外れてくれましたので、ゆっくりめのスタートでウォーキングを始めることができました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「七条」駅〜正面橋〜眼科・外科医療器具博物館〜市比売神社〜世継地蔵(上徳寺)〜京都市立有隣小学校〜ジュンク堂書店〜イタリア料理店「フクムラ」〜京都市立生祥幼稚園・みやこ子ども土曜塾〜柳池自治会館〜日本基督教団京都教会〜「京都市立商業実習学校跡」碑〜京都市立御所南小学校〜京都竹屋町高倉郵便局〜京都御所〜京都府計量検定所〜京都中立売新町郵便局〜京都市立新町小学校〜京都府京都林務事務所〜京都府京都児童相談所〜堀川第一橋〜白山湯〜京都こども文化会館〜北町児童公園〜・奥澤家住宅(京都市指定有形文化財)〜安楽寺天満宮〜中保橋〜京都西ノ京上合郵便局〜地下鉄「西大路御池」駅。思いつきのままに歩いたのですが、わりかしいいコース。一つは、富小路を北上したのが良かったですね。京都らしい町家が続き、御所に突き当たるコースは、わりと満足。次に一条通を西に向かい、途中から中立売通に合流。北野天満宮には向かわず、終点と定めたを「西大路御池」駅に向かうというコースでした。終了は5時半ジャスト。かなり暗くなっていました。
 「西大路御池」から「京都市役所前」まで地下鉄で移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、今夜も「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は、「秋の大音楽会」と題して「浄夜」と「カプリッチオ序曲」が演奏されました。昨夜と合わせて二夜連続公演です。「浄夜」を看板に二夜連続とは、驚異的なことです。昨夜はどうか知りませんが、お互い顔見知り同士という関係の方々が入っておられましたので、業界関係の人たちが来てこられたのかもしれません。演奏は、「ヴァイオリン:谷本華子、佐藤一紀、ヴィオラ:小峰航一、中島悦子、ヴァイオリン: 谷本華子、佐藤一紀、ヴィオラ: 小峰航一、中島悦子、チェロ: 上森祥平、福富祥子チェロ:上森祥平、福富祥子」の6人。「カプリッチオ」はオリジナルが弦楽六重奏ですから、原曲のままの演奏。「浄夜」の方は、原曲は弦楽合奏ですが、今日のような弦楽六重奏版も、演奏頻度の高いもの。で、「カプリッチオ」はともかく、「浄夜」の弦楽六重奏版を聴くたびに思うのは、「やっぱり、この曲は弦楽合奏やぞ」ということ。どうも弦楽合奏版が耳にしっかりと入っていますから、編成が小さいと物足りなく感じてしまうのです。特に、再現部と言っていいのかどうかは解らないのですが、最初のテーマが再び現れ、穏やかに赦しのパートに入るといいのだが、それに至るまでの動揺の部分となると、どうしても頼りなくなってしまいました、今回もという感じです。そして、第一ヴァイオリンが生真面目過ぎるという感じ。「カプリッチオ」のときもそのような印象を持ったのはもちろん、以前、こちらで聴いたブラームスもそうだったななんてことを思い出してしまいました。会場は、演奏者を取り囲むようにセッティングされていました。おもしろかったのは、同じ楽器の演奏者が、向かい合わに座るというもの。間近で見ていて気づいたのは、6つの楽器が、それぞれ主張し合う構造になっているということ。「浄夜」と言えば、どうしても濃密な後期ロマンの熟しきった音楽。そういった意味では、イメージ先行で物足りなさが残りましたが、「浄夜」を、こういった空間で聴けること自体、ついこないだまで考えもしなかったこと。それに対する感謝の気持ちにとらわれました。




2014年 10月 20日(月)午後 11時 35分

 秋晴れの天気が一転して、朝から雨模様のお天気。夕方には強く降る時間帯があったので、長引く雨かと思うと、そうではありませんでした。今夜は繁昌亭での「第24回 桂文三の満腹全席」、文三が年4回のペースで続けている会、つく枝時代から通っていますので、もう随分と時間が経ちました。今日の番組は、次のようなものでした。佐ん吉「桃太郎」、文三「食通夜」、新治「まめだ」、(中入り)、文三「船弁慶」。佐ん吉の「堪忍袋」は、文三からもらったものと、今日初めて知りました。意外と簡単なところに、二人の接点がありました。佐ん吉の「桃太郎」って聴いたことあったかなぁと考えながら聴いていました。程よい頻度で、まことに的を得た、そして質の高いくすぐりが、小気味よく入ります。ただ、その一つの「ダイマル・ラケット」の突っ込みだけは、聴いた記憶があるので、以前にも聴いた記憶があるので、ひょっとしたら聴いたことがあると思ったりしているのですが、他のくすぐりは記憶には全くありません。文三の一つ目は、聴く機会が少ないにも拘わらず、肝心の気持ち悪くなりそうな主人公の食べっぷりのところに来ると、居眠りをしてしまうというジンクスのあるネタです。そないなことを思い出しながら聴いていると、今日も居眠りをしてしまいました。なんてことでしょう。なお「食通夜」は小佐田作品です。「満腹全席」では、初めて喚ぶ先輩噺家だそうです、新治が。ま、これで判りましたね。文三が手がける「井戸の茶碗」の流れが。新治のネタは、意外にも「まめだ」。正直、びっくりしました。米朝系の噺ですから、また、実際にも、新治が「まめだ」を出している落語会なんてのは見たこともなかったものですから。帰り際、新治落語を高く評価されている落語ファンにお尋ねすると、千朝からもらったもので、新治自身、まだ2回目くらいの口演だそうです。それで納得です。今日の口演も、新治にしては、何度か、えらく間が詰まるなぁという印象を持っていたからです。新治が登場した時点で、ちょうど8時になったところでしたので、短めのネタに心がけた恩恵にあずかったことになります。季節的にもいいですからね。逆に季節外れのネタを選んだのが文三。前回7月の会向けに用意しながら、気が進まず、ネタの差し換えをしたと言ってました。やりたいけど、何かに満足がいかなかったのでしょうね。雀のおまつが出てくる辺りで頂点に達するのですが、文三の声が、どんどんと高くなり、ついにはスピンがかかった状態となり、言葉が聞き取れなくなっていきました。ここまできてしまうと、最早考えものと思ってしまいます。ですから、おまつの登場シーンで、それが早速現れました。言葉が、ほんの僅かに跳ぶものですから、笑いのツボを外してしまいます。かなり由々しき問題と看ました。能掛かりになったところ、おまつの登場での台詞の繰り返し、正統派の口演を聴いた思いがする一方、やっぱ言葉が跳ぶのは、御法度です。そうなりそうで、今まではなっていなかったのですが、ついになっちゃったというところです。




2014年 10月 19日(日)午後 8時 29分

 昨夜は眠れない夜。土曜日の夜だというのに、睡眠時間が3時間というのは、あまりに悲し過ぎる。当然、お出かけ予定に出てくるだろうことは必至との覚悟を持つ。一つには、8時半にはお出かけ準備に入らねばならなかったというのも、睡眠時間が不十分な原因。予約を入れていた芝居の開演時間が11時だったために、午前中、ゆっくりできなかったのです。お出かけ先は「十三」の「Black Boxx」。劇団「そとばこまち」のアトリエでもあるのですが、こちらで「スイス銀行」の公演「昨日、未来に行きまして。」があったのです。暗転から照明が当たると事務所らしきところで、男女4人が、1人の男に文句を言っているところ。そのわけは、すぐに判ります。タイムマシーンを事業化するために集められた人たち。まもなくタイムマシーンに試乗してきたという2人の女が加わり、事業化の話が続くが、まずはタイムマシーンの真偽の話からスタート。どうやら本物らしいと判ってくるのですが、他の者たちが試乗しようとしないなか、経営に着手する場合の話が進んでいくのですが、結局回帰していくのは、試乗の話。その過程で、各自のキャリア、課題が明らかになるという仕掛け。それぞれが、変えたい過去を持つ身、それまでの経営の話から、一挙に個人的なレベルで、タイムマシーンの必要性を考え出す。そこへ、予想外の展開が起こります。タイムマシーンが作動し、30年後の世界から、一人の男がやって来ます。その男は、そこに集っている男女がペアになり生まれたという設定。30年後の世界から、会社を立ち上げなかったから立ち上げるようにというメッセージを持ってやってきたのでした。でも、ここで、これまでの筋立てが停滞します。おもしろいプロットが放り込まれたのですが、それまでの進み方とは異なった方向に向かうのです。30年後の世界はどうなってるのか、なんでカップルが生まれるのかなどです。ただ未来を知ることで、今を変えることの是非が、皆の脳裡をかすめさせるような効果を狙ったのかなとは思いますが、判りにくかったですね。やがて、本題に戻り、会社立ち上げの賛否が問われます。結局、個々人の気持ちの大切さ、何かを変えようという自分自身の意気込みに期待をかけてないことに気づいていくということなんだなというところなのですが、ま、それだったら、よくあるメッセージですね。それを、タイムマシーンというものを持ち込むことでの表現となると、ちょっと新味に欠けます。スイス銀行の女性お二人は、相変わらず達者な方。ただ狭い舞台に、ちょっと多めの役者さんが、常に舞台に出ている芝居、もう少しムダな動きがないと、不自然ですね。最後、カップル誕生秘話が用意されているのか期待したのですが、外れでした。これは出して欲しかったな。
 「十三」から「西宮北口」に移動。午後は、「兵庫県立芸術文化センター」でありました「白鳥・三三両極端の会 in 秋のひょうご」に行ってまいりました。こちらの中ホールは初めて、落語会は初めてとなります。この間、こちらの大ホールで、オペラが続くということで、こちらのホールの予定を調べている内に、おもしろい会を見つけたのでした。その番組は、次のようなものでした。白鳥・三三「挨拶」、三三「転宅」、白鳥「トキそば」、(中入り)、三三「殿様と海」、白鳥「ミミちゃん版富Q」。この会は、全く方向性の違う二人が組むことで、他の落語会と差別化を図ろうとするもので、東京では、何度か開かれているようで、内容が徐々にエスカレートし、お互いに次の会に向けて宿題を課すようになっているとか。西宮では初開催なもので、主催者の方から、今までの取っておきのものという注文が入った結果が、中入り後の二つの噺となりました。最近、関西ではちょっと名前を聞かなかった白鳥は、西宮では初めての落語会。一方、三三は、度々、関西で落語会を開いているということで、そういった会に通われている方には、普段見せない顔を見ることができるという差別化された会となるわけです。日曜日の午後ということもあり、中ホールが、ほぼ満席という上々の入り。そんなに追いかけているわけではないのですが、三三の軽めのネタでは、盗人ネタによく当たります。進行では、特段、変化があったわけではありませんでした。白鳥の「トキそば」は鉄板ネタ。繁昌亭初登場のときも、このネタでした。そば粉を練るとき、座布団を使うという変化技が出るほか、バラシの部分で、白鳥特有の毒を吐いたり、あらぬ方向に行きかけたりと、ホント楽しいネタです。そして、後半、三三は白鳥作品を、白鳥は人情噺をという宿題の結婚、生まれた高座だそうです。「殿様と海」は、最初の釣りで、大物を釣ったため、そのときの引きの感触しか、釣れていると思わなくなった殿様、その後は一匹も釣っていない。なんとか釣らしてやろうという三太夫さんが、伝説の釣り棹を見つけた。最後は、伝説の釣り師の魂が仕込まれた釣り棹が、巨大マグロを釣るのですが、そのときの格闘が傑作。今度は、座布団がマグロになりました。仕上がりは擬古典という白鳥作品だったので、三三の口演でも、さしたる違和感はありませんでした。「富Q」は、売れない噺家柳家みみ(三三)の噺。池袋のポロアパートと言えば、「アジアそば」にも出てきますが、白鳥の若い頃の姿を彷彿とさせます。北朝鮮の婆さんや中国人のアンさんが出てきます。日本人で住んでいるのはみみだけというところ。でも、部屋には、真打ちになったとき、師匠の小三治からもらった黒紋付きが掛けてあるという風景。その落語への情熱が切れかけているとき、知り合いの銀行員に買わされた宝くじを買わされ、紋付きのところにかけた提灯に仕舞われます。ちょうど、その頃、火事が起こり、みみのアパート一帯は灰塵に。黒紋付きも宝くじも無くしたみみが、死のうとしているところに現れた北朝鮮の婆さんが、紋付きも提灯も確保してくれていたことが判り、下げに向かいます。噺の流れは、売れない貧しい噺家の哀しい噺家人生を描いてはいるのですが、ただでは済まないのが、白鳥作品。三三も、最後に出てきたときには、「これって人情噺ですか?」というものになっていました。いや〜、おもしろい落語会でした。次回があるなら、行かねばならない会ですね、間違いなく。




2014年 10月 18日(土)午後 11時 12分

 かなり気温が下がってきましたが、今日も、秋晴れのいいお天気。今日は、いい落語会、コンサートがあるなかで、2つをチョイス。まず、午後は「民博ゼミナール」に行ってまいりました。文之助独演会やファジル・サイの出るコンサートを蹴飛ばして行ってまいりました。迷ったときは安いもに行くを実践したことになります。今日のテーマは「はるかなる北の大地、グリーンランドの自然と人びとの暮らし」(講師:岸上伸啓氏)。未知の地ゆえそそられてしまいました。世界で一番大きな島グリーンランド、極北の地ということで、その内実は何も知りません。デンマーク領内で自治政府による管理がなされているというくらいは、かすかに知っていますが、そこに暮らす民族がイヌイットと言われれば、なるほど極北の地だからなと納得する程度。エスキモーという語句がイヌイットに言い換えられた話は知っていても、蔑視的意味合いで、この語句を使っていたのが、カナダ北部のインディアンだったということは、今日初めて知りました。ということは、カナダ北部の人たちはエスキモーと呼ばれていたが、そうじゃない地域に住んでいる人たちは、また別の呼び方が存在していることになります。だから、イヌイットと言い換える必要性のある人たちと必要性のない人たちがいるということになります。グリーンランドに住んでいる人たちの中には、カナダ北部からの移住者もいれば、そうじゃない人たちもいるそうで、グリーンランドでは、カラーヒットと自称しているということです。この人たちがグリーンランド人で、残りの10%はデンマーク人だそうです。このグリーンランドでは、4600年前から、人間が住んでいた跡を確認できるようですが、それが、今のグリーンランド人に繋がるわけではないということは、最近のDNA鑑定で明らかになってきているとか。そういった最新の調査で、グリーンランドでは、今まで人間集団の交替が3回確認できており、その3回目に、アラスカからやって来たチューレ人(イヌイット)が、現在のグリーンランド人の祖先になるそうです。ただ、グリーンランドは寒冷で、とても厚い氷塊に被われているため、島内の移動が難しいところから、地域ごとの特徴が現れてくるとか。どうも、このあたりから居眠りをしてしまい、デンマーク人の到来、それとグリーンランド人との関係、近年の温暖化に伴う社会的な変化などについては跳んでしまってます。温暖化は、氷の下に眠っている資源開発を容易にするため、これはグリーンランド社会に変化をもたらすはず。それが、政局にも大きく影を落としているという話は、講演終了後の質疑応答で聞くことができました。相変わらず中国の触手が伸びているようで、その中国との連携が、一つの大きな政治課題になっているようで、政局を動かす要素になっているそうです。グリーンランドと言えば、今でもカヌーにでも乗り、アザラシ狩りをやっていそうなイメージで見てしまいそうですが、そういったハンター生活を続けている人たちはごく僅か。あとは、世界どことも変わらないような仕事をし〜の、同じような街の風景があり〜ののようです。しかし、どうも午後に何やら聴きに行くと眠り、替わりに夜は大丈夫というのが、最近の傾向です。
 「民博ゼミナール」が終わると、阪急「山田」駅まで歩いて移動。ちょっとしたミニミニ・ウォーキングになります。「扇町」まで移動し、近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、「繁昌亭」であった「桂三金独演会」に行ってまいりました。三枝作品の逸品「赤トンボ」を、弟子に当たる三金が、どのように演じるのかを聴きたくて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。喬介「牛ほめ」、三金「ダイエッ闘!」、八方「温泉劇場(?)」、(中入り)、三金「赤とんぼ」、三象「三象踊り」、三金「莨の火」。かなり番組作りに、会主三金の意向が強く入っているなの印象。やはり入門20年記念という色彩が濃く出ています。前座から、その意志を感じます。弟弟子も多数いるなかで、喬介起用ですからね。ゲストに大ものを起用のうえ、色ものに三象まで起用ですから、そういうことなのでしょう。喬介は、時間を考えてか、はしょり気味の「牛ほめ」。「ダイエッ闘!」は、先日の「できちゃった」で披露したデブネタ。三金の内蔵や身体の部位が、旺盛な食欲をぼやくもの。「できちゃった」のときとは、後半を改定。正に題名通りのダイエットへの挑戦を、ボクシングのラウンドに見立てて進めるようになっていました。ゲストの八方は、クライマックス・シリーズに軽く触れ、大衆演劇の話へ。ネタは、そのまま大衆演劇の劇団の解散話へ。解散後、座長がイタリア料理店で奮闘するのですが、その奮闘ぶりが、大衆演劇の演目に絡めてあるという、なかなか凝ったもので、完全に芝居噺化していくという大ネタ。ひょっとしたら、三金が、八方におねだりをしたのかもしれません。「赤トンボ」は、三枝時代の現文枝の初演時に聴いて以来。蘊蓄が多いとは言え、種になっている曲を、客が知っているというのが大きいのでくさくなりません。むしろ次から次へと出てくる省歌や童謡に共感が広がっていくのが解り、このネタの質的な高さを示していました。よくできた噺です。三金の歌が、文枝レベルじゃないのが惜しいところ。三金って、歌が上手いと思っていたのですが、ちょっとハズレでした。三象は、前半は、いつもマクラで使っている話をしてから「二輪草」へ。ただ、この人の咳き込む話し方が気になります。前に遭遇してから、結構な時間が経つのに、治ってないどころか、若干ひどくなってるように思えたのですが、大事にならなければいいのですが。トリは、一転気を変えて「莨の火」。聴くまでは、三金の現代的物言いが出たら、噺を壊してしまうしと、出そうな予感がするものですから、言って悪いのですが、さほど期待していなかったのですが、存外良かったぞの印象。序盤の住吉街道ののんびりとした風情が良く、旦さんの雰囲気も、その中に、心地よく溶け込んでいました。何をするんだろう、何が起こるんだろうの雰囲気が、しっかりと用意されたと思いました。その一方で、大変なお大尽だということが判る小判まきのところ、鰹節で拵えたという山車の場面の華やかさは、明らかに物足りませんでした。序盤の雰囲気から振幅幅が極めて大きくとらねばならない場面です。両方とも出さねばならないということで、このネタは難しいんでしょうね。なかなか高座にかける機会の少ないネタでしょうが、時間をかけて熟成していって欲しいものです。今年20年目を迎えた噺家さんは、逸材が多いというのは、誰が言ってもそうでしょう。そういった節目に、こうした立派な会を披露してくれるのは、ホントに嬉しいことですね。




2014年 10月 17日(金)午後 11時 12分

  大阪市内遊歩(221)

 今週末は、ひょっとしたら今日だけしかできないかもと思うウォーキング優先で組んだ週末第1日目の記録です。お出かけは、午後1時半までにはと準備。秋晴れのなかウォーキングは、大阪市内で行うことに。これは、夜の予定を考えてのこと。その具体的なコースは、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜大阪市立開平小学校〜大阪東郵便局〜地下鉄「堺筋本町」駅〜タイ料理店「Bootsarin」〜大阪市立南幼稚園〜ハワイアン・ストア「Hula」〜大阪南船場郵便局〜阿弥陀池公園〜高台橋公園〜大阪市立日吉幼稚園〜日吉橋〜桜川公園〜芦原橋自動車教習所〜浪速中公園〜中北公園〜「出城西」交差点〜大阪市立長橋第五保育所〜天竜湯〜大阪市立今宮中学校〜地下鉄「動物園前」駅〜オーエス劇場〜地下鉄「阿倍野」駅。とにかく地図を用意しないで、芦原橋方向に歩くというのが、半ば過ぎまでの方針。最近まで、わりかしきっちりとコースをメモったりして、大阪市の中心部は歩いてたのですが、それを止めた方がおもしろいコースどりができるということで、今日のようなやり方に変更。あとは、時計を睨みながら天王寺に向かうというもの。最後に来て、「出城西」交差点から、まっすぐ天王寺に向かえば良かったのですが、飛田方向に道を取ったものですから、10分ほど超過してしまいました。ま、これは覚悟の超過なので、目測を誤ったわけではありません。
 「阿倍野」駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、歩いて「動楽亭」に移動。「第16回南湖の会〜これが難波戦記〜」に行ってまいりました。毎月開かれているこの会も、今年は、今日が最後となりました。11月と12月は、ともに黄紺が外国にいるときにありますので。せっかく「難波戦記」が佳境に入っているところなんですが。今日の番組は、「雷電初相撲」「難波戦記」と続きました。南湖さんで、「雷電の初相撲」を聴くのは、恐らく初めてでしょう。聴いていても、忘れるくらい前のことでしょう。その辺は、南湖さんも言われていて、このネタは、入門間なしで習うネタ(南湖さんで3つ目)のため、後輩が入ると、できなくなるネタになってしまったと言われてました。ところが、入門間なしで覚えたネタは、今でも簡単に出てくるそうです。ネタのもっていき方は、小ギャグを除くと、南舟くんや南斗くんで聴いているのと同じです。こうして、旭堂のネタが継承されているのだということを実感されてもらいました。「難波戦記」は、冬の陣のクライマックスといったところ。前回は、真田山の出丸をめぐる攻防戦だったのが、今日は、一挙に大坂城本体での合戦となりました。ただ、幸村の計略が勝り、家康軍を敗走させます。逃げ込むのが、なぜか富田となっているのが不思議な話。南湖さんもそう言ってました。そこから京都に移り、和議が持ち出されるのですが、このあたりで、ちょっとだけうとっときたみたいで、和議が進められる話へとワープしてしまってました。例の外堀を埋める話ですが、その文書を持って家康側使者が来たところまでが読まれ、このあと、木村重成が、文書を持ち家康側に出向く話には、具体的には入られませんでした。重成が大坂城を出て、谷町筋なんかを進むところで切られました。今日の南湖さんは、風邪の影響か、喉の調子が本調子と言えず、南湖さん自身も、それが気になるのか、リズムまで崩されていました。このようなお姿は、初めて見るものでした。




2014年 10月 17日(金)午前 0時 5分

 今週は、祝日があったおかげで、勤務日は2日間。あっという間に花木を迎えました。今日は、「カフェ・モンタージュ」でのコンサートに行ってまいりました。いいところを教えてもらい、足しげく通うようになりました。今日のテーマは「無伴奏」というもの、チェロの無伴奏のコンサートでした。こないだの台風の来た日にも、違った演奏者(金子倫太郎)による無伴奏のチェロのコンサートが、こちらであったようで、偶然なのか必然なのかは知りませんが、相次ぐ無伴奏チェロのコンサートが開かれたということです。本日のチェリストは「エフゲニー・オーソーキン」。そして、プログラムは「プロコフィエフ 無伴奏チェロ・ソナタ」「M.オーソーキン 無伴奏チェロ・ソナタ」「カサド 無伴奏チェロ組曲」となりました。オーナー氏によると、「今日はバッハなしでお願いしました」ということで、「無伴奏」と聞けば、まずバッハを思い浮かぶところを、バッハを外してのプログラム作りのリクエストに対し、演奏者からは、まずカサドが上がったそうです。確かにそうですよね。この3曲が並んだとき、ピンと微かに来るのはカサドくらい。有名度で言えば、プロコフィエフなんですが、プロコフィエフに、無伴奏チェロの曲ってあったっけという感じがしてしまいます。実際に聴いてみて、プロコフィエフと言われて聴くからプロコフィエフと思って聴くのですが、らしくないですね。習作ぽい感じすらしてしまったのは、黄紺の未熟さゆえかもしれません。オーソーキンは、演奏者自身の祖父に当たる作曲家で、ショスタコービッチの2歳下で、かなり著名な方らしいのですが、黄紺は知りませんでした。ショスタコービッチとツーショットの写真も残っているそうです。かなりチェロという楽器に精通した作曲家のようで、ポジショニングを心得つつ、変わり弾きを求める箇所が幾つかあり、少なくともプロコフィエフよりはおもしろいと思いました。カサドの曲は組曲。バッハの無伴奏同様となります。ですから、掴みどころありの、解りやすく、楽しめる曲ですね。オーソーキンというチェリストは若いロシア人でしたが、京都在住なんでしょうか。よく知らないまま聴きに行きました。もっと自在に、テンポを揺らしてもと思いはしましたが、それは欲張りなことかとも思います。次回は、12月に、ブラームスの2番のソナタを弾いてくれるそうです。聴き慣れた曲で判断をしてみたいと思います。




2014年 10月 15日(水)午後 11時 3分

 自分的5連休明けというのは、さすがに身体はしっかりとしています。2日連続の勤務ですが、余裕で夜遊びにお出かけ。今夜は、玉造の「サンクス・ホール」であった「猫間川寄席」に行ってまいりました。文我がお世話する会、珍しいネタを聴けるのが魅力の会でもあります。その番組は、次のようなものでした。真「四人癖」、石松「江戸荒物」、文我「歯抜き茶屋」、(中入り)、福矢「笠碁」、文我「かっぱ芝居」。ずっとネタがかぶらないように番組作りがされてきた会ですが、さすが、文我は続けられても、他の噺家さんは難しいということで、そないな企画はなくなったようですが、文我は、相変わらず珍品を並べてくれました。「歯抜き茶屋」は、お茶屋でいたずらしようと考えた音たち、自分たちを狐や狸と思い込ませる算段をして、お茶屋に乗り込むが、一人が寝過ぎてしまいということで下げになるのですが、歯抜きという変わった仕事を持つ男を登場させたわけは、下げで判明しました。「タヌキ」と「歯抜き」のダジャレでした。「かっぱ芝居」は新作もの。芝居三昧の男が、あまりにも楽しく芝居の声色をするのを見ていた河童が、自分も観たくなり、件の男に頼み込み仮想して連れて行ってもらう。芝居の演目は「番町皿屋敷」。皿がなくて苦悶するお菊さんを見た河童は立ち上がって、自分の頭を隠していた頭巾を取り、「皿ならここにあるがな」。よくできた噺です。広まって欲しいなとさえ思う落語らしい噺です。文我はお喋りですから、マクラで、埋もれた小咄を披露してくれたり、亡くなった噺家さんや米朝から聞いた昔話をいろいろとしてくれます。そういった中で、よく出てくる一人が、先代文我ネタ。河童が出てくるところから、前名我太呂の先代文我となったのですが、今日、我太呂時代に、河童の紋付きを作った話。梅田花月にも出ていたとき、林正之助の目に留まり、「よう判らん紋は止めろ」と言われたそうです。春輔の話もすごい。いやすごい話しか残ってないのが春輔かもしれません。紋つながりでの話で、春輔は、春団治にしか許されていなかった三升の花菱の紋付きを作り、それが春団治にバレた話なんてのもありました。春輔らしい破天荒さです。前座は真。久しぶりの遭遇。「四人癖」を聴きながら、この声で「蛸芝居」するそうだけど、いったいどうなるのかと、余計なことを考えていました。石松の落語は、毎回楽しみ。古風な言い回しが出てくると、ついつい誰にもらったのかを考えてしまいましす。そして、福矢も久しぶり。以前は、もっと遭遇機会の多かった噺家さん。最近は、ぐっと減っています。独特の言葉の調子があるのですが、再び、二人が碁盤を囲むに至るまでのクレッシェンドは楽しめました。マクラは、半年ほど聴いたのと同じだったのが惜しい。だって、福矢のマクラはおもしろいのですから。6時半に始まり、終わったのが9時10分、さすが、水曜日に、2時間半超えの落語会は疲れます。




2014年 10月 15日(水)午前 5時 34分

  大阪府守口市(81)〜門真市(56)〜大阪市鶴見区、城東区

 自分的5連休も最終日となってしまいました。台風は、夜半に通り過ぎ、すっかり普通の日に。そないな日でもあったため、予定に入れていたのは夜だけ。従って、昼間はウォーキング。昨日は、「守口市」駅から城北公園方向に向かい、天六辺りを終点にするつもりだったのですが、「守口市」駅に着いたところで、急に鶴見緑地に行きたくなり、簡単に予定変更してしまいました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜大枝温泉〜大枝公園〜守口市立寺方小学校〜「南寺方東通3」交差点〜守口市立錦中学校〜大阪府立守口支援学校〜鶴見緑地〜鶴見神社〜大阪市立鶴見南小学校〜鶴見公民館〜今福南保育園〜南今福橋〜大阪市立今福小学校・極楽橋〜華厳温泉〜JR学研都市線「鴫野」駅。守口支援学校を出たところで、道に迷ってしまいました。鶴見緑地も目に入る位置まで来ているにも拘らず、歩いても歩いても視界に入ってこないため、道行く人に尋ねると、逆戻りしていました。従って、北から鶴見緑地に入るつもりが、結局、焼野方向から入ることになりました。このため、終点の「鴫野」は妥当なところですね。
 「鴫野」から「天満」に移動。駅前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、「北区民センター」であった「天満講談席」に行ってまいりました。最近、聴き慣れたネタが多くなり、月例の会は、ちょっとご無沙汰傾向なんですが、今日は、南海さんが空海ネタを出されるということで、「たけくらべ」の方を捨てることにしました。その番組は、次のようなものでした。南舟「正直俥夫」、南青「大助初陣」、南鱗「無銘の碑」、南海「弘法大師、決心の入唐」。今日は、人情噺系のちょっといい話が、2本出ることになりました。「正直俥夫」は、以前にも南舟くんで聴いているもの。黒田清隆公が出てくるというもので、市井の俥夫と対極の位置を占めます。別にヒールとして出てくるわけではないのですが、持てる者のうっかりが、俥夫の気分を逆なでします。俥夫を助ける警官も心暖まる存在です。ちょっといい話のもう一つは南鱗さんのネタ。忘れた頃に、南鱗さんは、このネタを出してくれます。お伊勢詣りの途中、盗人に遭った男が、正当防衛ながら、一人の男を殺してしまいます。それを悔いた男は、18年後、自ら討たれに、その現場に戻ります。結末が気になる展開なのですが、うまく知らされていなかった事実が出てきて、最後はハッピーエンドとなります。こうしたネタって、南鱗さんの口調に合ってますね。南青くんの「大助の初陣」は、以前にも聴いているのですが、眠ってしまった苦い思い出のあるネタ。今日は、ばっちりでした。大坂城側は出丸を築き、家康側は天王寺界隈で陣を張り膠着状態が続くなか、しびれを切らした家康側武将が、単独で出丸を攻めようとして、真田大助率いる大坂方に敗れるというもの。大助が、少数の手勢を使い、朝靄のなか立ち込める霧を使い、相手方の大軍を敗走させるというもの。「難波戦記」の中でも、高座にかかる機会の多いネタです。お目当ての南海さんの「空海」は、ネタの運びからして、南海さん自作ものですね。年代記的にまとめられるときの、南海さんの特徴がよく出ていました。地方官吏の家に産まれた空海。聡明であったため、叔父の支援を得て、国学、大学へと進むのですが、そこで、長岡京建設に動員され使役される人々を見て、仏教に関心を持つようになり、密教を修め入唐を志すとなっていました。南海さんは、空海一代記をまとめようとされているのでしょうか。だったら、また一つの楽しみが生まれたことになるのですが。




2014年 10月 14日(火)午前 7時 53分

 昨日は、台風がやって来た日。でも、黄紺は、「兵庫県立芸術文化センター」での「ラ・ヴェネクシアーナ」の公演「ポッペイアの戴冠」のチケットを持っていました。12時に公演の決行が発表されたのですが、躊躇することなく行くことを決めました。一緒に行くことになっていた同僚は、帰りが心配と断念。確かに、この前の台風でも、遅延が続出した沿線にお住まいです。黄紺は、ちょっと早めに会場入り。既に、開演前には、西宮北口駅前は、祝日だというのに閑散としていました。「ラ・ヴェネクシアーナ」は、歌手陣とたもに、7人のアンサンブルと指揮者(兼チェンバロ)という編成。会場が大ホールなため、この編成で大丈夫だろうかの不安もあったのですが、やはり慣れというものは恐ろしいもので、第2幕に入ったあたりでは、そのあたりのことは気にはならなくなっていました。これは、歌手陣にも言えることで、最初は、ポッペイアを歌った「」ぐらいでしか、器に見合ったパワーを出していなかったのですが、これは、こちらの慣れというのではなく、歌手の皆さんの方で、明らかに修正をされていたため、どんどんと時間が経つにつれ、このオペラの筋立てに入って行くことができました。総じて、ラテン的というか、開けっ広げな登場人物という印象。中でも、ポッペイア(ロベルタ・マメリ)とオッターヴィア(セニア・マイヤー)は情熱的な人物と描かれていました。オッターヴィアは、皇后のプライドを深く出すと、あまり嫉妬に狂うとは描きにくいと思うのですが、かなり女を強調したものでした。ポッペイアという人物は微妙なキャラですね。ネロの愛し方、愛情の度合いのようなものを、どう看るか、彼女は策士としてはどうなのか。オットーネ(ラファエレ・ピ)に対する感情を、どう看るか、その辺のブレンドの具合で、彼女の描き方が変わってくるとは思うのです。ロバート・カーセンのプロダクションなどを観ていると、ポッペイアがネロの愛人を演じていると、勝手に動いちゃって皇后になっちゃった、でも、それが、ポッペイアの思う壺という描き方のように看たのですが、昨日のポッペイアは、かなり感情を表に出すことで、引っ張っていってるというところでしょうか。一応、昨日の公演は演奏会形式なもので、芝居がかった動きは少ないうえ、自分の出番であっても、歌うところがなくなると、後ろに下がってしまうというものでしたが、アルナルタ(アルベルト・アレグレッツァ)などは、かなり芝居がかりに動いてくれてました。また、歌唱が、会場の寸法に合ってきたりすると、こちらのイマジネーションが高まっていきます。ですから、第2幕は、かなり聴きごたえってものがありました。時間とかを考えてのことでしょうか、幾つかのカットがされていました。オットーネが、ドラジッルラから服を借りに行ったり、オットーネがポッペイアに会い、罵られるところ、小姓と侍女のじゃれあいなどに気づきました。このオペラの一番最後に、とっても理不尽なデュエットを、モンテヴェルディは用意しました。権力にものを言わせ、好き放題のネロ、念願の皇后の地位を手に入れるポッペイア、その一方では、セネカ(サルヴォ・ヴィターレ)の死、オッターヴィアやオットーネ(ドラジッルラも)の追放があります。そないな中での結末なのに、どうして、あんなに美しいデュエットを書けたのでしょうね。女声のデュエットの中でも特筆すべき美しさです。ところが、最後のピアニッシモが終わったのか(まだ終わってなかったでしょう)と思った途端、ブラボーマンがわめきました。ぶち壊しもいいところ。ブラボーマンは迷惑マンだという認識が定着したと思っていたのに、この様です。極上のモンテヴェルディの音楽が解っているとは、到底思えない「俺、バカ」宣言の「ブラボー」でした。客席は、かなりスカスカ。このコンサートに関しては、主催者が、払い戻しに応じるとしたからでしょうが、わりかし日本的やなと思っていたのですが、午後4時の時点で、JR西日本全線不通じゃ、やむを得ないのかと思う一方、なんか釈然しません。私鉄は、普通に動いてましたし、会場の最寄駅は私鉄ですのにと思ってしまいました。帰りの電車は、台風のおかげでがら空きでした。




2014年 10月 13日(月)午前 8時 26分

  京都市内遊歩(74)

 昨日は、午後から予定が詰まっているということで、午前中にウォーキングを敢行。台風が近づいているので、ウォーキングはできるときにやっておかないとダメですからね。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜日本基督教団伏見教会〜大手筋〜御菓子司富英堂〜御香宮橘会御旅所〜阿波橋〜縄手橋〜東高瀬川右岸〜「横大路」交差点〜円面田児童公園〜三雲橋〜玉乃光酒造酒蔵〜第二あけぼの保育園〜京都市立住吉小学校〜津和橋〜出雲橋〜京阪「墨染」駅。淀方向に向かうというコース、最近、続いています。ただ、こちら方向に向かうと、工場街となるものですから、カメラに収めるものがないというのが悲しいところ。結局、行き帰りに通る旧伏見市内の中心部中心の記録のようになってしまいます。致し方なしかとは思うのですが、、、。
  音楽三昧の一日は、昼「びわこホール」で「リゴレット」、夜は「カフェ・モンタージュ」で日本人の現代音楽作品。まず「リゴレット」、日本で観るのは、東京にいた頃に観ていますから、随分と久しぶりにになります。ドイツでは、ケルンとデュッセルドルフで観ています。で、今日の「リゴレット」は、歌手の充実、オケの充実、ということは、沼尻竜典の指揮がいいということになろうかと思います。中でも、ピカ一は、ジルダを歌った森谷真理。ジルダは、1幕の後半からの登場。リゴレットとの掛け合いで、既に声質を聴いていて、「慕わしい人の名は」が楽しみだと思っていたら、ドンピシャの大当り。声の輝きとかというときに、きらびやかさを感じさせる声というのには、なかなか出逢えるものではありませんが、それに遭遇し、且つ、そのあとに控えているのが、コロラトゥーラの技法が詰まったアリアが待ち構えていたのですから、そして、それに応えてくれたのですから、大当りもいいところでした。リゴレットを歌った牧野正人は、とにかく声量の豊かな人。となると、リゴレットの屈折した気持ちの表現がうまくいけばいいのですが、そうはいきませんでした。一言で言えば大味。特に、前半は、声量だけが目立っていました。マントーヴァ公爵は、芸文センターの「コジ・ファン・トゥッテ」で失望させられたジョン・健・ヌッツォ。ところが、昨日は、目を見はる出来。それはそれで良かったのですが、体力がないのかなぁ。3幕では、「コジ・ファン・トゥッテ」のときにほぼ逆戻り。昨日の公演を観た同僚から、オケ(日本センチュリー響)がいいと聞いていたのが、正にその通り。生きた音、躍動感のある音に出逢えました。沼尻がいいのでしょうね、あないな音が出るのは。オケとともに、装置がいいと聞いていましたが、こちらは、黄紺的には、それほどのことではなかろうというもの。装置をピースに分け、それを組み合わせると、様々な形ができるというもの。それに、全てではないのですが、回転舞台を回すことにより場面転換を図るというもの。黄紺的には、こないな装置は珍しくはないとだけ書いておきましょう。田尾下哲の演出は、基本的にはオーソドックスなもの。装置以外で気になったのは、最後場面を照明だけで表現したこと、次に、ジルダが扉を叩くと、黒装束の男が取り囲み、そして、その一人がジルダに剣を突き刺します。スパラフチレは、それを眺めるだけというもの。黒装束の男は、誰が使わしたのか。公爵の手のものだと、話を混乱するだけですが、そうだとなると、話は混乱するばかりですが、それ以外では、その可能性を伺わせるものはありませんでしたから、その把握は外れかもしれません。ならば、もっと抽象的なもの? 運命とか、そんなのかもしれません。日本で観たオペラで、こないな変わり演出は、まあないので、それで、ちょっとオペラを観たぞの気分になっています。それにつけても、ジルダが聴かせてくれました。
 「びわこホール」では、新たに3枚のチケットを買いました。いずれも来年の公演となります。そういえば、黄紺も2ヶ月ちょいで、オペラ紀行に出かけています。で、「びわこホール」を出ると、京阪&地下鉄で「京都市役所前」まで移動。近くのネットカフェで時間調整をしてから、夜は、予定通り「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は「きのこのつぎの音楽〜ネクスト・マッシュルーム・プロモーション〜」というテーマで、日本人の現代作品が演奏されました。そのプログラムは、次のようなものでした。「細川俊夫:エディ (2009)」「C.ナンカロウ:ソナチネ (1935)」「福井とも子:Schlaglicht (2002)」「細川俊夫:Vertical Time Study (1998)」「徳永崇:陰影のある刺繍の入れ方 (2009)」「J.エストラーダ:“Yuunohui'Ome" (1983)」「川上統:ラナ・ラナンキュラス (2011)」「細川俊夫:時の花 (2008)」。テーマの「きのこ」は、出演者(クラリネット:上田希、ピアノ:大宅さおり、ヴァイオリン:辺見康孝、ヴィオラ:多井千洋、チェロ:大西泰徳の方が組まれているユニット名だそうで、どうやら定期的に、現代音楽を、このメンバーで演奏されているようです。最近、ドイツに行くようになってから、現代美術なるものに関心を持つようになりました。いろんな作品を観ていて、解るとか解らないという視点で観るのではなく、ボーッと眺めていて、感覚的に構成や手法とかで、おもしろいと思えるものを探す楽しみです。自分の発想なんてものは大したものではないというのは分かりきったことなのですが、そういった自分が、およそ思いもつかないものを探すのが楽しくなってきたのです。それと同じようなものを求めて、プログラムに並んだ作曲家の名前は、誰も知らないという中で行ってまいりました。全体で、1時間40分も要したのコンサート、前半4曲と後半4曲という具合に2部構成で行われたのですが、インターバルは5分だけというハードなもの。前半4曲を聴くと、手法に慣れてきてしまい、後半に入ると、音の出し方の変化に、ちょっと飽きが出てしまいました。そういったなか、「ラナ・ラナンキュラス 」が蛙の物真似的な音の並びを志向したとかで、ちょっとした変化に出逢えたのですが、それでどうなんだと言いたくなるものでした。音の出る方法は、何から何まで使うというのはおもしろかったですね。ピアノでは、弦を指で弾いたり、弦を押さえて鍵盤を叩くという手法は、幾つもの曲で採られ、ついには鍵盤の蓋を、バタンと閉じるのが出てきたのにはびっくり。クラリネットでは、音を出さずに、空気を吐く音が使われるかと思うと、声を出しながら、クラリネットを吹くなんてものもありました。バイオリンなどの弦楽器は、ほとんどまともな音を出さずじまいだったでしょう。そういった手法が、逆に続いてしまうため、最初は、新鮮でおもしろがって聴いていたのが、徐々に飽きが出てきてしまいました。音色と大切な要素となるリズムは、もうすごいとしか言いようはありません。アンサンブルとなり、楽器の数が増えるにつれ、その難しさはどんどんと上がっていきます。それが合うのだからすごいと、とっても初歩的な関心の仕方をしていました。まあ、現代音楽初心者ですから、こないなものです。カフェ・モンタージュのおかげとしか言いようがありません、こないなコンサートに出逢えるのは。新しい体験をしてみようかなと思わしてもらえるのですから。それにしても驚いたのは、満席となった客席です。モーツァルトの珍しい曲が入ったコンサートでは、少なかった客席に反し、満席の客席にびっくりするばかり。中でも若い人たちが目立ちました。どういった人たちなんでしょうか。とっても気になってしまいました。




2014年 10月 11日(土)午後 11時 36分

 台風前の静けさというところでしょうか、今日も、気温は高めですが、穏やかな一日。午前中に、息子と一緒に家の用事を済ませ、午後には「一心寺南会所」へ。「一心寺門前浪曲寄席」の日でした。その番組は、次のようなものでした。五月一秀(沢村さくら)「書損の軸」、天光軒満月(美勝勝廣、紀之本孝子)「父帰る」、三原佐知子(虹友美)「は組小町」、京山倖若(沢村さくら)「難波戦記」。今日は、息子と一緒に軽い昼食をとったときに、ちょっとビールを呑んだのがまずく、わりかし居眠りをしてしまいました。ちょっとまずいなと思ったので、満月師のところで眠ろうと思っていたら、一秀師の後半で早くもダウン。ようやく覚醒したのが、三原佐知子師の半ばででした。まあ、満月師は、ホントに持ちネタが少ないので、腹が立つほど、「父帰る」に当たるものですから、これはパスで良かったのですが、惜しいのは一秀師のネタ。まず、題名すら聞いたことのないもの。さすが東京で修行を積まれた方。予想外のネタを披露なさいます。「赤穂浪士」ものでした。山科閑居時代の大石に、骨董屋で、狩野某の掛軸を手に入れた男が、算を書いてもらい、掛軸に箔を着けようとするところまでは大丈夫だったのですが、、、。「赤穂浪士」ものだけに、とっても悔やまれてなりません。「は組小町」の方は、前に聴いたことのあるもので、男のジェラシーから、夫を炙り殺された女が、同じ手法で復讐を果たすというもの。江戸の火消しものでは、わりかし気に入っているネタです。そして、今日のトリは倖若師。幸枝若テイストの浪曲を、しっかりと継承されているので、聴けるのが楽しみな方なのですが、高座に触れる機会が減っているのが気になっていますが、お元気な様子で何よりです。ネタは「後藤又兵衛」でした。黒田長政との反目から、福岡藩を離れ、浪々の身となった又兵衛が、小倉藩中に入り援助をもらう下りでした。これは、南海さんの千日亭の会で聴いた耳新しいところ。確かに、浪曲は、講談のおいしいどころ取りをするものです。
 一心寺南会所を出ると、文楽劇場に移動。文楽11月公演のチケットを買い求めに行ってきました。そして、その流れで千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「北浜」経由で「森小路」に移動。「大阪芸術創造館」であった「暇だけどすてき」の公演「トウシンダイ」を観てまいりました。以前からマークはしていたのですが、実際に公演に接するのは、初めてという経験。チラシを見ていて、シリアスものではなう、単純に楽しめるエンターテイメント作品を見せてもらえるということを承知のうえで観に行ってきました。お笑いコント集団が、相次ぐ不審死を遂げるわけを追求するという探偵ものの雰囲気。特に前半がおもしろかったですね。謎が深まっていくからですが、その中に、パネルが人間の形をとり動き出すというプロットを入れたため、それの解決法とかも気になるような感じを持ったので、展開やキャラ作りが、潤沢だったということかと思うのですが、バラシの方が、もたついたり、意味が解らなかったりしたりして、ちょっと風呂敷を広げたかなの印象。ですから、基本的に老若男女が楽しめる芝居を目指す劇団と、黄紺の目には映りました。お笑い集団を出したものですから、それにみあったコントが2本入りました。2つとも楽しめるものだったのですが、なかでも河童ネタのアホらしさにびっくりでした。それに、ダンスの切れがすごいなぁと思って観てました。




2014年 10月 11日(土)午前 3時 14分

  大阪市内遊歩(220)

 自分的5連休がスタート。ただ、台風が来るようなんで、せっかくの5連休が、ラしクなくなってしまう可能性大です。パリ・オペラ座のライブビューイングを、月曜日か火曜日に見に行くつもりだったのを、今日に上げました。動かせるのは、こうやって対応できるのですが、動かせない大物が、このあと控えているのです。ま、それは、運に任せるしかありません。今日のパリ・オペラ座は、ディアナ・ダムラウがヴィオレッタを歌う「椿姫」。これが、ラインナップに入っていることを知ってから、一の楽しみにしていたもの。高校時代の友人から、ディアナ・ダムラウは、ミラノ・スカラ座でネタ下ろしをしたところと聞いていました。黄紺は、パリがネタ下ろしかとも思ったのですが、そうじゃなかったのです。ところが、今日観た中で、3回目と言っていました。回数がもう1回増えたことになります。ネットで調べると、コヴェントガーデンでも歌っていました。配役を調べると、ミラノがすごいですね。アルフレードがピョートル・ベチョワ、パパ・ジェルモンがルチッチです。ロンドンとパリのアルフレードがフランチェスコ・デムーロ、ロンドンのパパ・ジェルモンがフヴォロトフスキー(これも聴きたい!)、そして、パリがリュドヴィク・テジエ(この人のスカルピアを聴きたくなっちゃいました)。と並ぶと、やっぱミラノに軍配です。やっぱ、ディアナ・ダムラウがいいです。すっごい感情がこもっていて、いやこめすぎたのか、2幕のパパ・ジェルモンとのデュエットでは、涙を流しながら歌っていました。もう、かなり巨体となってしまったディアナ・ダムラウですが、死に化粧(このアップがすごい、あの美形の顔立ちが粉が噴いたかのようなカサカサ顔に見えた!)に、感情のこもった動きで、巨体が邪魔にならないほど。歌唱では、相変わらずピアニッシモがきれいで、一方でコロラトゥーラの技巧に頼らない歌い方に好感。もう絶賛したい気分。リュドヴィク・テジエもいいですね。梃子でも動きそうでない堅物の頑固親父です。おまけに世間てなものを、背中に乗せている風情がばっちりで、いい憎まれ役です。アルフレードも、ライブビューイングで観る限りでは、もうちょっと伸びや艶が欲しいとは思うけど、いいんじゃないと思っていたのですが、カーテンコールではいまいち支持を得てませんでしたね。軽くて伸びなかったのかな、この辺が、現場にいない分、判断ができないのですね。演出(ブノワ・ジャコ)はオーソドックス。舞台転換を大きく意識した装置作りが特徴か。それとコーラスを、一つの塊としてだけ動かそうという方針。舞踏会の場面でも、コーラスの人たちはばらつかない。見えない枠にでも囲われたかのように動いていました。そのわけとして言えるのは、舞台を狭く使っているから。1幕の冒頭は、デコレーションを施したベッド(要するにヴィオレッタの仕事場)が設えているのと、ちょっとした机と椅子だけ。後ろの幕が開き、舞踏会となっても、大きなベットと家具は残してあるものだから、舞台の半分ほどで舞踏会の場面が進むという具合。ヴィオレッタとアルフレードの家は軒先だけ出て、その前に大きな木が植わっている状態で、2幕は進む。この場面が舞台の左半分、右半分が、後半の夜会の場面。軒先だった部分から右が夜会の場となる仕掛け。だから、場面転換は早い。照明の操作だけなんだから。だから、場面転換はいいのだが、一つ一つの場が、狭くなるのです。ただ、人の動きはオーソドックス。これで、13-14シーズンのライブビューイングはおしまいです。ま、こうやって上映されるプロダクションは、いずれもオーソドックスですね。有名歌手に遭遇できるのは嬉しいのですが、もうちょっと大胆な演出って、こういった大歌劇場には難しいのかな?
 「椿姫」が終わると、昼食後、直ちにウォーキングに移行。今日は、終点を千日前と定め、それに合わせてコース設定。西は阿弥陀池筋を越えたところ、東は上町筋の一つ東と定めてのもの。その詳細は、次のようになりました。JR「大阪」駅〜「桜橋西」交差点〜田簑橋〜国立国際美術館・大阪市立科学館〜筑前橋〜中沢佐伯記念野球会館〜大阪市立西船場小学校〜西船場公園〜インド・ネパール料理店「シダラタ」〜靭公園〜大阪市立靭幼稚園〜スリランカ料理店「シーギリヤ」〜韓国料理店「ケンちゃん食堂」〜南御堂〜久宝公園〜インド料理店「AKASH」〜久宝寺橋〜大阪市立南大江小学校〜銅座公園〜東堀橋〜道仁公園〜韓国スーパー「プサン」〜下大和橋〜トリイホール。今日は、台風の影響でしょうか、気温が高く、着替えを持っていて正解というもの。でも、汗をかくと、体が動いていることが自覚でき、気分的にはいいものがありますね。
 ウォーキング後は、時間調整がてら休憩に当てるために、千日前のいつものネットカフェへ。今日は、夜が遅くからの予定を入れていたため、たっぷり系の時間調整となりました。そして、夜は「関目」へ。駅近くのカラオケ喫茶「」であった「満月動物園」の公演「空箱」に行ってまいりました。定員20名限定のカフェ公演。内容的には、地味で、且つ生真面目な公演でした。幾つか観てきたこの劇団の公演とは異質な感じがして、ちょっと戸惑いを感じたのは事実。簡単に言ってしまうと、妾の子どもとして産まれた一人の女性が、その内実を知る中で、それまでの生き方を認識し、また、これからの生き方を確かめていく中で、それまでの生き方を相対化していく過程を描いたと言えばいいでしょうか。開演前には、70分ちょいの芝居と聞かされていたため、主人公の環境が短時間で明かされたのは、またれたのは致し方なしかと思っていたのですが、ところが、実際には110分ほどもかかってしまいました。それだけのエピソードは用意されてはいました。本妻母娘と、主人公の母娘、計4人の個々の人間関係まで描く丁寧さ。イマジネーションの豊かさを見るのですが、黄紺的にはあまり好きではない演劇や映画のジャンル。掘り下げの深さ、それを演じる役者さんの達者さは解るのですが、満足感はあまり上がるものではありませんでした。




2014年 10月 9日(木)午後 11時 7分

 今日が終わると、自分的5連休が始まるのですが、ひょっとしたら連休中に出ていかなければならないかと、ひやひやの一日。ちょっと仕事が停滞気味だったのです。ところがセーフでした。うまく間に合いました。これで、立派な5連休が、明日から始まります。ただ台風の動向が気にはなるのですが。今日のお出かけは動楽亭。今夜は、「第11回生寿成熟の会」のあった日だったのです。昨日は、カフェ・モンタージュに行ってしまったので、師匠の生喬の方は蹴飛ばしてしまったのですが、今日は遮るものなしと、動楽亭に向かいました。その番組、次のようなものでした。優々「田楽食い」、生寿「三人旅」、ひろば「天災」、(中入り)、生寿「代書屋」。優々の前座って、あまり見ないのですが、そうなると、生寿との接点はと考えてしまいます。優々にとっては、アウェー感のある場なのか、動楽亭の昼席なんかで聴くときとは、上滑りの印象。「田楽食い」と、優々にとっては手慣れたネタなんですがね。ゲスト枠はひろば。生喬も、自分の会に喚んでいましたから、この師弟との繋がりを感じます。ひろばも、すごくリラックス。自分の会の「提法寺寄席」よりも、口は滑らかだったんじゃないかな。自らの離婚話をするものだから、何のネタをするのかと思ったのですが、なんてことはない「天災」でした。主役の生寿は、いつもに比べて、マクラでのお喋りは控え目。「三人旅」は、生喬ゆずりの口調が、そこかしこに出てくるもの。馬に乗る辺りからいい気持ちになってしまいました。本日のネタ下ろしは、5ヶ月9回かかったと、パンフレットに、生寿自身が書いてたものですから、芝居噺の新しいのを仕入れたなと勝手判断をしたところ、全く予想外のネタが登場しました。しかも、始まりから、口調や台詞が耳慣れないもの。明らかに枝雀系でもなく、春団治系ではないものが流れてきました。この時点で、フルヴァージョンと看ました。もちろん当たりだったのですが、じゃ、誰からもらったのかと考えてみたのですが、一応、米二かなと考えていたのですが、こちらは外れで、文我のところに行ったそうです。フルヴァージョンは長く、問題の「トッコン証明」がありますから、随分とOKをもらうまで時間を要したようです。ひょっとしたら、米朝一門以外でフルヴァージョンをする初めての噺家さんかもしれません。ただ、このネタは、生寿に合うのでしょうか。アブナイ与太郎系アホが、生寿に合うのやろかと思ってしまいました。今日のところは、下ろしたというところでしょう。2人目からは大丈夫でしょうが、1人目は、生寿の声室とか、キャラからは難題と映って仕方ありませんでした。




2014年 10月 8日(水)午後 11時 10分

 今日は、「生喬百席」のあった日なのですが、最近、夜遊びに出かけるのがきついときがあるので、ちょうど「カフェ・モンタージュ」でいいコンサートがあるということで、そちらをチョイスしました。水曜日なもんで、一番きつい日だったもので、帰るのが楽な方を採ったということになります。今日は「古典的な二重奏」と題したコンサートで、田村安祐美さんのバイオリン、小峰航一さんのビオラのデュエットの演奏を聴くことができましたが、そのプログラムは、次のようなものでした。「ハイドン 二重奏曲Hob.6-5」「ホフマイスター 無伴奏ビオラのための練習曲第5番」「ロッラ 協奏的二重奏曲Op.12-1」「モーツァルト 二重奏曲K.424」。バイオリンとビオラの二重奏なんて、正に、こちらのコンサートでしか聴けないもの。ましてや、モーツァルトの二重奏曲って、数多くのモーツァルトの曲を聴いてきましたが、ピンと響かない曲ということで、「生喬百席」を捨てるのもやむなしということでもありましたが、正解でした。曲では、ハイドンのものが、ビオラの役目が、かなり可哀想な役回り。予想されたこととはいえ、やはり伴奏楽器に回されてしまってました。でも、この冒頭の曲で、バイオリンの田村さんの音色を確かめることができたのです。とっても突き抜けるように明確で綺麗なものだったのです。若干ムラはないことはないのですが、むしろどっきりとさせられる生きた音色を確認させてもらいました。可哀想なビオラを考えてか、2番手に、ビオラのソロが入りました。今回のコンサートは、ビオラの小峰さんが、モーツァルトを弾きたくて実現したと、オーナー氏が言われていましたから、当然、プログラムも、ご自身でお考えになったのでしょう。きっちりと、曲の持つ性格を把握してのプログラム構成となりました。そして、本日の白眉は、モーツァルトよりか、一つ前のロッラだったでしょう。バイオリンとビオラのバランスがいい構成ばかりか、ロッラの曲なんて聴いたことないどころか、ロッラの名前すら知りませんでした。だから、お二人の音色が、そのまま、この曲の音色と感じました。それが色濃く残っていたのか、モーツァルトになると、なんか違うなの空気。あれだけ伸びていたバイオリンの音色に違和感を感じてしまったのです。なんか、もっとモーツァルトの音楽に身を委ねて欲しいなという感じかな。大きな場所で聴けば、もっと違った印象をもったかもしれないのですが、、、。お二人は、京響のメンバーです。長岡京と言い、京都に住んでる有り難さを感じてしまいます。京芸もあるしと、恵まれていますね。




2014年 10月 7日(火)午後 11時 4分

  大阪市内遊歩(219)

 台風一過の秋晴という言い方のお手本のようなお天気。秋、真っ只中というところです。今日は、まず映画から。「シネ・ヌーヴォ」で、日本映画「シュトゥルム・ウント・ドゥランク」を観てまいりました。この映画は、「レッドファミリー」を観に行ったとき、手に入れた情報。特別出演に、天野天街やあがた森魚の名前、更に主演の一人が、天野天街の劇団の女優さんということに、えらくそそがれてしまいました。ましてや、舞台が大正年間となると、天野天街の描く芝居の舞台と重なる。というあたりで、観に行く気になったと言えるでしょうか。筋立ては、大杉栄とのつながりを持つギロチン社会活動を描いたもの。その団体に集った男たちの青春グラフィティを描いたと看ました。思想的な話、議論の類いは、ほぼ出てきません。行動についての議論は出てきても、イデオロギーに関わるものは出てこないように描いていました。変わった素材を使ったものだと納得ができてからは、ちょっと襲われていた眠気が跳んで行ってしまいました。関東大震災以後、朝鮮人狩りが始まり、社会主義者への弾圧が始まり、間もなく大杉栄は虐殺されます。そうなると、ギロチン社の動きもヒートアップし、また追及も始まり、先が見えてくるわけですから、鬱屈たる気分になっていくのが常なのですが、この映画は、そうはならないのです。リアルに描きながら、リアリティに滴が垂れるかのように、穴が開いているような印象なのです。最後には、ギロチン社の仇をとるかのような展開になるのも、何か開いた穴を見ているような気がしてしまいました。ですから、青春グラフィティを観てい気にさせられ、それに満足感を、ある程度味わっている自覚があるのです。なんだか不思議なテイストの映画でした。但し、人に勧めるかというと、そうじゃないような気もするのです。
 映画が終わると直ちにウォーキングを開始。今日は、港区、此花区を重点的に歩くコースを選びました。そのコースの詳細は、次の通りです。シネ・ヌーヴォ〜大阪府立市岡高校〜大阪市立市岡東中学校〜三社神社〜磯路中央公園〜韓国食材店「弓月商店」〜三津神社〜「三先2」交差点〜大阪市立港中学校〜大阪市立港近隣センター〜入舟公園〜八幡屋商店街〜大阪市中央体育館〜「石田1」交差点〜安治川大橋〜「八州軒の跡」碑〜春日出公園〜阪神なんば線「千鳥橋」駅〜千鳥橋〜「大阪福島新家」郵便局〜吉野町公園〜JR環状線「野田」駅。久しぶりに港区内の西方に行くことができました。朝潮橋の少し西側までです。最後は、環状線の駅に戻りたかったため、そこでUターン。ちょっと時間が気になったため、表通りを安治川橋へ。その安治川橋を降り、「千鳥橋」駅前で、残り20分。「西九条」に行くには余裕があるということで、頑張って「野田」を目指してみました。結果的に、それで正解。この距離感を、頭にインプットしておきます。いい情報です。
 「野田」から「天満」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整がてら休憩。そして、夜は繁昌亭。今夜は、「チームお笑い国際便『アフガン報告会』ー全員無事でした(ホッ)」のあった日でした。数日前まで、他の落語会があると勘違いをしていて、それに気づいてから慌てて買ったら、よくぞ買えたと思うほどの大入り。辛うじて1階に席を確保できました。その番組は、次のようなものでした。出演者全員「挨拶」、西谷文和「アフガン影像報告」、(中入り)、阪野登「手品」、鶴笑「アフガン活動報告」、三金「お話をせがまれて(仮題)」。中入り前は、フリージャーナリスト西谷さんによるアフガンの現状、西谷さんの行われている活動報告、今回のツアーの報告が行われました。中心部は、高層マンションなどの建設ラッシュが起こっているかと思うと、劣悪な環境の中にある難民キャンプ。あとの鶴笑渾身の訴えにありましたが、この落差が、タリバンへの補充を促す可能性は大きなものがあると思えました。鶴笑の訴えのもう一つのポイントは、教育が行き届いてないと、笑いが起きないということ。学校では受けても、学校に行けない子のいる難民キャンプでは受けないという事実、これは大きいですね。学校で知識を得るだけではなく、知識を得ることでイマジネーションを養っているということでしょうか。その辺を、アフガンで認識してきたのでしょう。迫力あったなぁ、あんな鶴笑、観たの初めてです。三金は、アフガンを題材にした落語を用意。これが、なかなかいい。保育園児にお昼寝前に求められるお話を創る先生、いくつか用意する最後に持ってきたのが、アフガンの絵本。この絵本の最後がいい。よくぞ見つけて来ました。そこんとこをついた下げという工夫もナイスでした。




2014年 10月 6日(月)午後 11時 11分

 朝6時頃、台風が通っていったみたい。今朝は、4時過ぎに目が覚めたのですが、まだ、台風の中にいるのまではいっていない雨の降り。それが、次第に激しくなり、6時頃がピークでした。お出かけは、いつものように7時過ぎ。この時点では、まだ大阪も京都も暴風警報が出ていました。が、どんどんと勢いは下り坂に入っていった関係で、仕事には影響なし。結局は、普通の月曜日になりました。夜は、予定通り、動楽亭へ。今夜は、こちらで「できちゃったらくご!」のあった日だったのです。開演前の出番を決めるジャンケンには、一歩遅れてあやめが登場。動楽亭の駐車場が使えず、近所で停められるところを探してたとか。そのあやめが、ジャンケンに負けてトップを引いてしまいました。その番組は、次のようなものとなりました。あやめ「骨折れました」、三金「奥野くんの内蔵」、南湖「自転車に乗って」、たま「香道」、(中入り)、遊方「大人じゃ」、三風「復活、六太夫」。今日は、かなり苦し紛れの作品の多かった日。今まで、開演時に「まだ仕上がってない」と叫んでいても、それなりの形に持ってきていたのですが、今日は、そうじゃなかった。高座にかけられたものの荒さや粗雑さが目についた日でした。あやめ作品は、彦八まつりで、団治郎が骨折した件と、師匠の米団治がコーラ好きということを結びつけたセミ・ドキュメンタリー落語。三金作品は、今回もデブネタだったのですが、趣向を変えて、奥野の内蔵が、その対策を話し合うというもの。仁智の「びっくり解体新書」でしたっけ、プロットとしては目新しいことはないのですが、デブネタということで許容範囲でしょう。南湖も、子どもの話、東京の講釈師の来阪話で時間を取ったかと思うと、その流れで琴梅師ネタでした。「それは、ずっこい」と思ったところまでは記憶があるのですが、、、。本日、唯一のダウンです。たまの作品が、最も完成度が高いもの。雑誌記者が香道の家元を取材するというもの。但し、香道の家では跡目相続問題が起こっていた。前半は、雑誌記者による、マスメディア・ギャグで通し、一転、香道の話へと入っていきました。香道自体が新鮮ですが、香道についての講釈、相続に関する物語をでっち上げれば、大きなネタになりそうです。遊方も苦しかった。大人なんだけど、子どもの風貌をする男と、コンビニ店長との対話が、ほとんどというもの。同じプロットが、延々と繰り返されます。三風は、一番、厳しかったんじゃないかな。構想が単純だし、三風には珍しい、ダジャレの小ギャグが並んだり、古典のパロディを使ったりと、三風テイストからはほど遠いもの。というわけで、全体として低調の「できちゃった」でした。ま、こういうときもあります。




2014年 10月 5日(日)午後 10時 39分

 今日は、台風が来るかもしれない日。午前中は、その気配なしということで、一応、傘だけは持って出かける。お出かけ先は繁昌亭。今のところ、12月の第1週まで、昼席には行くつもりはないので、ひょっとしたら、これが、今年最後の繁昌亭昼席になるかもしれません。今日だけ、福笑がトリをとるというので、チケットを買ってありません。整理番号が遅いので、この日にだけ、福笑が出るというのに気づくのが遅かったものと思われます。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「兵庫船」、たま「崇禅寺馬場」、新治「紙入れ」、ミスター・スキン「マジック」、出丸「酒の粕」、米二「はてなの茶碗」、(中入り)、鶴笑「鶴笑ワールド」、坊枝「刻うどん」、伯枝「長短」、福笑「葬儀屋さん」。鞠輔を、繁昌亭で見るのは初めてじゃないかな。船への乗り込みをはしょりながら、問答のところだけで下りました。たまは、冒頭にショート落語をしてからネタへ。マザコンの追い剥ぎは、もう思いついた時点で勝ちですね。新治の艶笑ネタに、急激に客席の空気が変わりました。今日の客席に合ってたみたい。たままでは、何が飛び出すか手探り状態の客席が、一挙に客席が安心して聴けるようになったという感じでした。新治は、しつこくならず、程の良さを心得ています。出丸は、燗の温度による分類を説くものですから長いマクラ。ネタの時間が短くなるぞと思っていたら、心配無用。短い「酒の粕」でした。今日は、米二のところだけ寝てしまいました。昨夜は、3時間しか睡眠を取れてないことを考えると優秀でしょう。鶴笑は、新ネタではなく、おなじみの「西遊記」。坊枝は、一旦「刻うどん」は止めますと言いながら、蓋を開けると、異様にテンションの高い「刻うどん」でした。よく解りません。「長短」は、伯枝では初めてのはずです。内容的には型通りでした。福笑は、久しぶりに「葬儀屋さん」を聴かせてくれました。福笑作品では、最上位に入る逸品と思っているネタです。ポタージュやひろっちゃんのボケを、今か今かと待っていました。「葬儀屋さん」を聴いたついでに、最近聴いてない「入院」を聴いてみたくなりました。
 繁昌亭を出ると、扇町まで行き、ネットカフェで時間調整。そして、夜は梅田に回り、「テアトル梅田」で韓国映画「レッドファミリー」を観てまいりました。心斎橋シヌマートで上映中の韓国映画と迷い、恋愛ものより、今日は、南北ものをチョイス。以前のように、詰めて韓国映画を観ることはなくなりましたが、こうやって時々観たくなるときがあるのです。一つの家族を装った北の工作員4人の家には、工作員組と同じような家族構成の4人が住んでいる。何かとケンカの絶えない家族だけど、ある意味では、一般的な家族を、ちょっとデフォルメしてあると看ていればいいのでしょう。工作員の方は、表向きは平穏な家族を装いつつ、実態は、上下関係がくっきりした軍隊的関係で結ばれている。だが、工作員は、自分たちの家族を人質に取られているため、任務の遂行を怠るわけにはいかない。そういった風に、家族を切り口に、工作員の変化を追っていく。工作員らが、ケンカの絶えない隣の家族を見れば見るほど、家族が偲ばれ、任務との乖離を自覚し、自らの家族を思い出し、家族のために理不尽な任務の遂行をしていくというもの。当然、その乖離が大きくなれば、自ずと彼らの命の問題へと発展していく、終盤へと向かっていく。先に変化など見えない、その先へと突き進む映画にならざるをえないものですから、観ていて鬱屈たる気分になっていきます。館内は、鼻をすする音に満たされていきました。が、この映画は、僅かだけですが、救いのようなものを用意してはくれてはいましたが、やっぱしんどいですね。恋愛映画にしときゃ良かったと思っても、それは後の祭でした。




2014年 10月 4日(土)午後 11時 47分

  大阪府枚方市(15)〜寝屋川市(46)

 今日は、午前中だけだけど勤務日。辛い話だけど、仕方がない。勤務が終わると、早速ウォーキングに。台風の接近が言われているなか、この週末にウォーキングができるのは、今日しかありません。そのコースは、次のようになりました。京阪「枚方市」駅〜岡本町公園〜三矢公園〜旧枚方宿問屋役人(木南喜衛門家)〜市立枚方宿鍵屋資料館〜栄町地区公園〜「伊加賀緑町」交差点〜枚方伊加賀西町郵便局〜枚方市立伊加賀スポーツセンター〜枚方市立伊加賀小学校〜出口ふれあい公園〜枚方市立さだ中学校〜「南中振2丁目」交差点〜木屋地区墓地〜ぴまわり保育園〜田井西公園〜寝屋川市立田井小学校〜「清水橋北」交差点〜八坂公民館〜京阪「寝屋川市」駅。今日は、久しぶりに枚方市内から出発。しかも、ウォーキングで枚方宿跡を歩くのは初めて。枚方市が、かなり整備してはいるようなんですが、古い家屋がかなり減っています。整備に動き出すのが遅かったみたいですね。鍵屋など、古い家屋は、「枚方公園」駅近くの方に、多く残っています。歩いていて、偶然、昔の同僚に会いました。その方のお話によると、枚方市がテコ入れをして、五六市というのが、定期的に開かれているとか。一度行ってみてわとのお話をいただきました。旧枚方宿を離れると無機質な風景が続きます。ま、そういったところだと知っていながら歩くのですから、致し方ありません。「香里園」駅近くで、残り30分になったのですが、頑張って「寝屋川市」駅まで行ってみました。やはりきついですね。今でこそ一駅ですが、かつては二駅目だったのですから。ということで、頑張って歩いたのですが、2時間を若干超えてしまいました。台風の影響でしょうか、結構な風が吹く中のウォーキング。でも、じゃまになるというより、身体を程よく冷やす程度ということで、快適なウォーキングになりました。
 「寝屋川市」から「北浜」経由で「日本橋」へ移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。今日は、たっぷり時間があったので、ルネ・フレミングら超豪華キャストの「バラの騎士」を、しっかりと観ることができました。そして、夜は「天下茶屋」に移動。「can tutku」であった「オリゴ党」の公演「プラスティック爆弾とシュレディンガーの猫」を観てまいりました。初のカフェ公演とかで、短編を、無理やり3本並べた作品の上演でしたが、途中1回の休憩込みで、約2時間の上演時間。それだけの時間を使うのなら、新作を1本作れよと言いたくなる長さ。と同時に、1本1本が頼りないうえ、それを無理強い的に繋げる不快さのようなものもあり〜ので、そないなことを思ってしまいました。繋ぎを、2人の男女の会話でするのだけれど、ちょっとこじつけっぽくて、最後には、2人の関係が明らかになって、落ちのようなものも用意をされてはいるのですが、わざとらしくて引いちゃいました。1本目(髪を切った姉妹は無意識のように恐ろしい)は、劇作家の妹と同居する姉との対話劇。だけど、その内容が、台本の精査、それも、劇の中に宇宙人を出すとか出さんとかの議論で、この芝居ってなんなのさっていうところ。2本目(革命の昼と夜と真夜中)は、変な設定。貴族による政治を目指そうと革命を志向する男。同じ革命でも、着想が平易な共産主義革命を志向する男も出てくる。今どき「革命」を連呼する芝居に出逢おうとは思いもかけない椿事。革命の中味はどうあれ、大状況を変えようと意気込む人間の、小状況からのカイリがテーマと見受けました。古くて新しい問題。昨今のイスラーム国なんかを想定した芝居なんでしょうか。それとも、ノスタルジックなだけの芝居なのでしょうか。3本目(おじさんのジャム)は、下世話な不倫がテーマ。パン屋職人の出来のいいパンに群がるかのように群がる女たち。男中心に運ぶ筋立てが、終盤逆転をします。群がった女たちが話し合い、男をシェアするという意思決定をするというところが見せ場か。蜂に喩え、女王蜂か働き蜂かという問いかけで、終息に向かいましたが、あくまでも、それがどうしたのという問いかけが出てしまいます。ということで、3作品ともフラストレーションの溜まるもの。この劇団って、もっとシビアな、奥行きのある芝居をする劇団との認識を持っていたのですが、完全に外されました。




2014年 10月 3日(金)午後 7時 17分

 今日から3連休のはずが、明日が出勤日となり、あえなく崩れてしまいました。週末の3連休は、いいリフレッシュになっているのがつぶれということで、今日は、控えめのお出かけ。昼間の動楽亭昼席に留めておきました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「二人くせ」、佐ん吉「雑俳」、南光「あくびの稽古」、千朝「鴻池の犬」、(中入り)、南天「兵庫船」、雀三郎「素人浄瑠璃」。今日は、南光が出るからでしょうか、それだけではなく、大変な好メンバーということからでしょうか、金曜日というのに、凄い入りとなりました。久しぶりに見ました、動楽亭の大入りを。この日は外せないと来られている方、この日しか来れない方が入り乱れているのでしょうが、いずれにしても大入りでした。前座、二番手からしていいですものね。鯛蔵はおなじみのネタ。佐ん吉は、最近手がけ出した上方では珍しいネタを出してくれました。南光が出てくると、やはりがらりと、空気が変わります。期待の空気、また、それに自在に応える南光、やはりスターですね。自分の趣味である碁について語るにしても、ざこばを絡めて喋る手法などは、半端じゃない巧みさです。ネタは、この位置だとこれかあれかの範疇内のもの。教え手に位を、ちょっと着けるようになっていました。千朝は、明日の独演会の口慣らしをしないかなと、微かな期待を持っていたのですが外れでした。千朝お得意の「鴻池の犬」は、最近聴いてなかったもの。南天のネタが、唯一新鮮な印象を受けたもの。あとの噺家さんのネタが、あまりに定番ものだった分、南天が光ってしまいました。「らくご道」で聴いた記憶はあるのですが、そんなに出すネタじゃないものですから、そういった印象を持ってしまったのでしょう。南天オリジナルなくすぐりが、最後の方で用意されていました。フカに身入れられた人物探しのところで、旅日記を投げる男がいるのは定番ですが、その旅日記を読むという趣向を入れ、更に、その中身がくだらないので、「捨てろ」と、他の男に言わせるというもの。雀三郎の「寝床」は、最近聴いたところですが、やっぱ凄いとしか言いようがありません。圧巻だったハイテンションの先代歌之助の口演を思い出すほどでした。高座に上がったのが、4時8分だったかな、ちょっと押してるなと思ってたら、途中で切り上げてしまいました。「素人浄瑠璃半ばです」と言って。旦さんが復活して、「絶好調」と叫んだところでのカットでした。




2014年 10月 2日(木)午後 11時 26分

 今日も勤務日ということは、イコール寝不足。この悪循環は、仕事を辞めない限りは治らないみたい。パソコン見ながら、舟を漕いでしまいました。が、夜遊びは健在、なんせ花木ですから。でも、今週の土曜日は、午前中だけですが勤務しなければなりません。中途半端な花木です。お出かけ先は「高津神社」。こちらで、今夜は「笑福亭たまの微笑落語会」がありました。その番組は、次のようなものでした。紋四郎「千早ふる」、たま「うなぎ屋」「紙屑屋」、(中入り)、生寿「幽霊の辻」、たま「芋俵」たまのネタ出しは、「うなぎ屋」と「芋俵」。あともう一つは何をするのかを楽しみにして行ったら、「紙屑屋」にびっくり。大ネタにしても、予想外の大ネタ。しかも、舞台上を動き回らねばならないものですから、高津の富亭の舞台にでは狭すぎるのです。でも、普段とは違い、安定性のある、そして若干広めの舞台を組んでいました。でも、動きはセーブしながら演じねばなりませんでした。久しぶりに稽古に行ったネタということで、行き先は染雀。染丸に行くところを、染雀へということなんでしょう。マクラでは、染丸の持ちネタをするということで、染丸一門の噺家さん紹介をしてくれました。舞台が小さい分、動きは控えめにしなければなりません。そのせいでしょうか、日本舞踊の素養がさほどあるとは聞いたことのないたまですが、えらく躍りの型が決まってたように思います。居候が暴れて、お隣さんが困る様はデフォルメしていたのと、冒頭を簡略化していたのには気がつきました。それに、お囃子が入るまでには、もうちょっとおちょける種になる紙屑を見つけていた記憶があるのですが。なお、たまは、染丸からもらったネタは、「蛸芝居」「質屋芝居」に「愛宕山」も上げていてびっくりしました。「うなぎ屋」は、6代目が手がけていたということで、門下の噺家さんのエピソード満載のマクラ。先日、新宿末広亭で鶴光と話したところということも、モチベーションになったみたいです。「うなぎ屋」は、おかみさんと糠箱が出てきませんでした。それでも筋立てが変わるというものではありませんでした。「芋俵」は東京ネタ。上方で持ちネタにしているのは、文三だけのはず。内側から鍵を開けるために、芋俵に身を潜める盗人。お腹を空かした丁稚が芋を取ろうとすることで、七転八倒する盗人という滑稽噺。しかし、一度に三席もネタ下ろしをするたまのヴァイタリティにびっくりです。生寿に言わせると、「ホントに落語が好きなんですね」となります。その生寿は、たまに言わせると、自分を出す噺家なんで、キャリアは浅いが、今日の位置が相応しいと言ってました。生寿は生寿で、最近、たまとよく出逢う話を、マクラでたっぷりと紹介してくれました。その中で、たまの「うなぎ屋」の稽古のために参考にしたのは、自分の口演の音源だとも。一緒の落語会に出たときに、それとなくおねだりを受けたため、その日は「うなぎ屋」をしなければならなかったとか。相変わらず生寿のマクラは可笑しい。前座の紋四郎は、注目の本格派。前座から、えらく骨格のはっきりした噺を聴かせてもらいました。ということで、えらくグレードの高い会となりました。それが、15年以下の噺家さんだけでできるということが、何よりもすごいところです。




2014年 10月 1日(水)午後 10時 34分

 どうも勤務日は、朝早く起きなければならないということで、毎回寝不足傾向。おまけに最近の朝晩の寒暖の違いは、しっかりと身体に堪えます。今日なんか、正に、その典型例。きついんだなぁ、そういった日に限り、自分的には外したくない夜遊びが待っています。今夜は、天満橋の「双馬ビル」であった「南華はたちの会」に行ってまいりました。マクラを兼ねた近況報告では、東京の講釈師さんのお話をお聞きすることができました。やはり、話の糸口は、9月5日に行われた「東西講談会」。この会で、琴柳さんが「野狐三次」を出されたのが、南華さんにとっては大事件だったようです。南華さんご自身も、「木っ端売りの三次」を昔からネタにされているのですが、そのネタをもらわれた小金井芦洲師の口演しか聴かれたことがなかったところへ、思いがけず、このネタに遭遇ということで、大興奮だったようです。おかげで、南華さんが、芦洲師からもらわれた際のエピソードも伺うこともでき、めっちゃラッキーな気分です。その辺から、他の講釈師さんの話題へと発展。貴重なお話です。それに次いで、ネタを2つ披露。「奴の小萬」と「隅田川・梅若丸」でした。「奴の小萬」は南海作品。先日の「トリイ講談席」で、南華さんがネタ下ろしされたもの。45分くらいかかったんじゃないかなぁ、長講です。「隅田川」の方は、琴柳さんからもらったようなことを言われていたように聞こえたのですが、黄紺の聞き違いかもしれません。筋立て的には、謡曲の「隅田川」をなぞっていくのですが、女が身の上話を終えると、いきなり渡し守が正体を現し、同じ船に乗っている漂泊の商人が、問題の人買いだと迫ります。えーって感じで、ここからアレンジが始まり、未知の展開が待ってるんだと前のめりになったのですが、きれいに肩透かしをかけられてしまいました。渡し守が商人を、川中に放り込み、あとは大念仏を唱えるとなり、えらい拍子抜け。一瞬、期待を抱いただけに、その反動は大きいですね。




2014年 9月 30日(火)午後 10時 36分

  大阪府守口市(80)〜大阪市東淀川区〜吹田(11)

  今日は、お天気がぐずつくと、天気予報で言ってたので、ウォーキングはダメかもと思っていたら、朝から快晴。当然のことのように、お昼過ぎからウォーキング。最初は暑かったのですが、天気予報通り、次第にぐずついてきました。そんなだったからでしょうか、今日は、ごく普通にウォーキングをすることができました。きつかった最近のウォーキングとは、一味違いました。そのコースは、次のようなものでした。京阪「土居」駅〜豊里大橋〜大門公園〜飯原病院〜瑞松寺〜小松公園〜阪急京都線橋梁(小松1丁目)〜神崎川&安威川合流点〜高浜橋〜春日温泉〜たかしろ児童会館〜安威川公園〜新京阪橋〜阪急「相川」駅〜大阪高校〜日本基督教団大阪相川教会〜井高野橋〜大阪市立井高野小学校〜大阪市立井高野中学校〜大阪市立東井高野小学校〜井高野車庫。守口から吹田に入り、最後は井高野車庫を目指すというもの。ときには井高野に行ってみたくなるのです。今でこそ、地下鉄の駅ができましたが、それまでは、全く縁のなかったところ。そんなで、ときには行ってみたくなるのです。今日は、高浜橋から吹田に入り、新京阪橋を渡り、相川・井高野方向に入るというコースを採りました。高浜橋に渡る前、少しだけ神崎川の左岸を歩いたのですが、そこで1時間を越えました。吹田側を30分ちょいの目安で歩き、それから新京阪橋を渡るという時間配分にしたのですが、井高野車庫まで距離感を失念していたために、早めに到着してしまい、且つ始発のバスですから、時間はアバウトに考えることもできず、結局10分早めに切り上げることになってしまいました。
 「井高野車庫」から「天神橋五丁目」へ移動。時間的にゆとりがあるときにしかできない移動です。近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は繁昌亭へ。今夜は「第87回創作落語の会」がありました。毎月30日と日にちを決めて行われている文枝主宰の落語会です。その番組は、次のようなものでした。笑丸「観光案内人」、しん吉「マル子」、福笑「怪談・呪いの瓢箪」、(中入り)、あやめ「夫婦善哉」、文枝「寿司職人ふるかわばし二郎」。笑丸は、オファーを受けて、新作を、この会で発表しなければならないと思ったよう。「動物園」「道具屋」のパターンで始まり、仕事を世話されたのが奈良の観光案内。教える場面がないので、仕込み〜バラシと型ではなく、行き先でボケるというもの。旅ネタの「奈良名所」的パターンになりました。もっと本格的に旅情報を入れて、きっちりと仕上げたら、それなりのものが出来上がるのに、勿体ないことに、ちょっと中途半端でしたね。「マル子」は、以前、「春の祭典」だか「秋の祭典」で発表したもの。阪急宝塚線を走っている電車を擬人化し、運転手との間のほのかな恋物語の仕上げた佳作。今日のしん吉は、自分の会のリラックスモードから離れて、他流試合の気合いが出ていて、とってもいい出来栄えと看ました。福笑は、夏に連続して主宰している「怪談噺の会」で披露したものを出してくれました。これ、ありがたいのです。「怪談噺の会」は、毎年、トルコに行っている間に開かれるため、黄紺にはなじみの薄い会。ですから、まだ聴けていなかった福笑作品を聴けて、とってもお得感がありました。瓢箪の設定がおもしろいのですが、その来歴を噺にしないで、短く説明するのが福笑流。むしろ福笑の真骨頂は、前半のアホげな噺。瓢箪が出てくるまでには、清盛の尿瓶の類いのガラクタで、散々ボケたおすというものでした。福笑作品としては、グレードはまあまあってところかな。文枝は、もちろん新作のネタ下ろし。題名が長かったりこったものの場合は、内容が伴わないものと、新作メーカーのさる噺家さんが言ってましたが、今回の新ネタは、ちょっとその傾向。伝説の寿司職人は、単に年寄りで握っているから話題だというのは、かなりの肩すかし。終盤に入り、違った方向へと噺を持っていき、展開のダイナミズムを見せるのは、三枝作品の常套手段。でも、それは、噺の大枠の中でだから、新鮮、斬新と映るのですが、それも、ちょっと反則気味。ということで、数寄屋橋二郎を文字ったこった題名は、内容と反比例かと思ってしまいました。振り返ってみると、しん吉作品が最も印象的でした、黄紺的には。




2014年 9月 29日(月)午後 10時 59分

 昨夜は、眠りに入るのが遅く、且つ早く目覚めるという最悪のパターン。今日は、仕事が立て込んでいるからと思い、それを気にしていると、その気にしている方向へと呼び込まれてしまいました。よくあることと言いながら、そのときになると、かなりきついものがあります。そういったときに限り、夜遊びも融通の利かないことになっています。今夜のお出かけは繁昌亭。「桂しん吉秋の祭典’14〜もうひとつの顔〜」のあった夜。トルコから帰ってきてから、急いで買ったチケットでした。その番組は、次のようなものでした。あおば「刻うどん」、しん吉「矢橋船」、花丸「レッスン屋」、(中入り)、雀喜「仮面ライダーなにわ」、しん吉「嫁と電車」。会主しん吉が組んだ番組のコンセプトは、噺家の趣味を落語に取り入れた場合ということになろうかと思います。そういった番組を組もうとするのも、しん吉自身が鉄ちゃんだからです。ですから、自分と同じようなこだわりを持つ噺家を集めて、そのこだわりネタを披露してもらおうというもの。花丸は宝塚ファンだから、「稽古屋」の改作で、稽古屋では、宝塚風にバレエや歌、台詞回しを教えるというもの。四芸に入る一から三の段階で、宝塚ネタが出ていました。雀喜は、大の最初期の「仮面ライダー」を愛するということで、大阪を舞台に、コアラ男やショッカーと、仮面ライダーを戦わせました。そして、しん吉は鉄ちゃんですから、鉄ちゃんの夫を持つ妻の怒り、それをかわそうとする夫を描きました。思わぬ猫と人間の、更に人間と鉄道と入れ替わりを描いてくれました。しん吉は、もう一つは「矢橋船」。ここの問答のところで、うとっときてしまいました。ただ、長かったなぁの印象だけ残っています。前座はあおば。久しぶりに聴いたのですが、えらく進歩しています。先輩噺家に指導を受けているのでしょうね、細かく注意を払っているところが透いて見えてきました。でも、それを、しっかりと実践できるレベルへと入ってきているということ。他のネタでもどうなのか、聴いてみたくなりました。




2014年 9月 28日(日)午後 10時 11分

  京都市内遊歩(73)

 今日もいいお天気ということで、この自分的3連休3日とも、ウォーキングを組んじゃいました。そのコースは、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜改進公園〜中央緑地〜松尾神社〜竹田児童公園〜近鉄・地下鉄「竹田」駅〜京都市立竹田小学校〜京都市立竹田幼稚園〜上出橋〜東高瀬川左岸〜京都府自動車学校〜地下鉄「くいな橋」駅〜京都医療福祉専門学校〜深草西公園〜深草東児童公園〜京阪踏切(藤森駅南)〜軍人湯〜京都教育大学〜藤森神社〜西福寺幼稚園〜JR奈良線「藤森」駅〜JR奈良線「大亀谷」踏切〜京阪「墨染」駅。当初は、鴨川の西に向かうつもりで歩いていたのですが、「くいな橋」駅まで来て、急に気が変わり、京阪線の東側に向かうことにしました。このコースで目新しいのは、JR「藤森」駅の東側を歩いたことです。かなりの坂道になり、普段ウォーキングでは使わない筋肉を使え、そういった意味では成功なのですが、わりかしいい住宅の連なる地域には、カメラに納めるものが見つからず、そういった意味では、ちょっと寂しいものとなりました。でも可能性のある地域、近々、また歩いてみようかと考えています。
 ウォーキングが終わると、一旦自宅に戻り、昼食と休憩。そして、午後は、阪急「桂」駅近くの「日本基督教団桂教会」であった「キオスク・コンサート」に行ってまいりました。これは、長岡京アンサンブルがプロデュースする地域コンサート。長岡京の主宰者森さんも見えておられて、受付から挨拶までされるという活躍ぶり。教会に入って行くと、森さんが受付に立っておられて、こちらは逆に緊張してしまいましたが、フランスでプチコンサートをやられていたことを、この京都でも実践されているのに頭が下がります。このコンサートは、カフェ・モンタージュに行くようになって知ったもの。京都で、質の高いコンサートが、こうした形で出会える幸せを噛み締めています。今日のコンサート、ジュネス弦楽四重奏団のコンサート。このカルテットの第一ヴァイオリンに、石上真由子さんが入っておられるのにそそられてしまいました。あとの3人の方は、京都芸大や作陽音大を出られた若手の演奏家。もっとも石上さんご自身も、現役の学生さんですが、受賞歴では群を抜いた存在です。プログラムは、モーツァルトの3番と14番「春」を両脇に、ドホナーニの「弦楽セレナード」を間に挟んだものとなりました。独奏ヴァイオリンかのように弾む第一ヴァイオリン、それに反して、通奏低音のように堅実な音を求められるチェロ、そして内奏部を堅実に固める第二ヴァイオリンとヴィオラという定番の形を採る3番。チェロのアンサンブルとしての安定感が堅実な展開に、まず目が行きました。ただ、通奏低音的役割を離れるときが来ると、途端におもしろくなくなったのは、どうしたことでしょう。総じてアンサンブル重視、それは間違ってはいないはずですが、よく言われる自発性という部分では、石上さんはともかく堅実に過ぎたかもしれません。この3番と14番は、かなり作曲年代は離れているはず。それが、同じような重厚な響きがありました。重厚という言葉は、モーツァルトのカルテットには似合わないなら、初期の作品には、軽さとか快活さとか、こだわりのなさのような素直さみたいなものがあっても良かったのじゃないかな。アンサンブル重視から空気を支配するまでは、かなりの距離があるものなんでしょうね。聴いている者は、勝手なことを言いますが。日本で、教会コンサートなんてものに出会えるとは、このコンサートを知るまでは考えてもいませんでした。そういった機会をまらい、何よりも、それに感謝です。
 教会を出ると、桂駅前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、一駅移動して「西京極」へ。今夜も、サッカー観戦に行ってまいりました。これで、1週間に3回目となるサッカー観戦です。今日は、「サンガvs横浜FC」の試合でした。際どい時間に行ったためか、入口は長蛇の列。日本では、未だ経験のないこと。間際に来た団体客が、一挙に並んだからと思います。サンガは、先日のベルマーレ戦の後半のように、どうしてならないのでしょうね。方針も何もない雑な攻撃。個々の力量では。サンガが勝っているようで、ボール支配率では、サンガが勝っているのだが、横浜の方は、個々の力量では劣るものの、とってもよく鍛えられている。素早い、人数をかけた守備、それは、横浜の方が優れている。監督の指示を、しっかりと守っていることが理解ができるものでした。そないな堅実な守備を見せる相手には、速い攻撃なり、変化のある攻撃なんてのをしなくてはならないと思うのだが、攻撃が一本調子なものだから、守る方は守りやすかったでしょうね。横浜のカウンターで、あえなく1点を献上しましたが、前半終了直前の得点は、正に大黒の個人技の世界。ニアに入ったセンタリングに、トリッキーな動きでシュート・コースを変えると、ファインゴールとなりました。そして逆転をした2点目は、速い攻撃が実を結んだもの。あと12分くらいのところで、工藤がレッドカードをもらったため、サンガは10人となってしまったこともあり、黄紺は、後半40分になったのを機に、席を立ちました。結果は変わらずで、サンガの勝ちという結果は、帰ってから知りました。




2014年 9月 27日(土)午後 11時 12分

  大阪市内遊歩(218)

 今日も、気温が上がり、且つ快晴。ウォーキングをしない手はありません。夜のことを考えて、今日は大阪市内でウォーキングをすることにしました。そのコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜朝日橋〜全愛幼稚園〜大阪市立城陽中学校〜城東中央病院〜天一橋〜天王田公園〜天王田大橋・大阪府平野川分水路排水機場〜「諏訪3」交差点〜インド料理店「ラクシュミー」〜東大阪市立高井田西小学校〜東大阪市高井田郵便局〜「柳通東」交差点〜長堂東公園〜進修第二幼稚園〜恵果保育園・東大阪市立俊徳中学校〜東大阪市立太平寺中学校〜天平温泉〜俊徳公園〜東大阪市立長瀬青少年運動広場〜近鉄「俊徳道」駅。今日は、最近無沙汰をしていた京橋から城東区を斜めに突ききり、東大阪市内に入るというコースを選択。最短距離を使えば、京橋から布施までは、1時間半はかかりません。むしろ1時間余りということでしょうか。今日は、布施駅と河内永和の間を抜け、長瀬を目指し、最終的には俊徳道に引き返すというコースとしました。
 「俊徳道」から「日本橋」まで移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。夜は、更に「長居」に移動して、今週2回目となるサッカー観戦の日としました。今日の試合は、セレッソとレッズの一戦。人気クラブとの一戦ということで、今日は、大きなスタジアムでの試合となりました。やはり、ここでの試合は、応援の声の響きが違います。西京極は、どうしてもエラズーを思い出す長閑さがあります。でも、長居でも、浦和の応援席は埋まり、どっちがホームか解らないほどの迫力ある応援。そんなのを聞くと、もう一度埼玉スタジアムへ観戦に行きたくなりますね。両チームを観ていて、やはり浦和はスター軍団ですね。個々の能力の違いはいかんともし難いものを感じてしまいました。フィードの正確さと判断力の素早さで、明らかな違いに気づいてしまいました。ボールを持つ前に状況を把握している浦和の選手たち、それに反し、セレッソの方は、極端に言えば、ボールが足元に収まってから出所を探すと言えばいいでしょうか。これでは、プレーの速度は落ちますから、速い攻撃なんてのはできない。攻撃に移る前に、既にディフェンスが先んじてるって感じでした。南野とか杉本、長谷川といった名の通った選手で、そうなんですから、これでは降格圏に入っているはずです。でも、試合というのは、そうした能力面での違いとは関係なく動くものだから、サッカーは解らない。それまでボールが集まらず孤立傾向にあり、且つ、ボールが来ても、他の選手とのイメージに差があり、そう言った意味でも噛み合ってなかったカカウが、チームにフィットしだしたかなと思い始めた途端、カカウの見事なゴールが決まりました。ゴール左斜め前、どのくらいあったでしょうか、まさか打つとは思ってなかったのでしょうね、きれいにゴール・コースが空いたのを見逃さなかったのはさすがです。かなり後半の後半、セレッソは攻め立てられていたのですが、試合が途切れた後半41分過ぎに、席を立ちました。家に帰り、結果を確かめると、変化なしでセレッソの勝利というものでした。




2014年 9月 26日(金)午後 10時 43分

  京都市内遊歩(72)

 今日も、気温の高い一日。そして、いいお天気。絶好のウォーキング日和ということで、まず京都でウォーキングをしてから、午後からの予定をこなすことにしました。そのコースは、次のようになりました。京阪「稲荷」駅〜京阪「鳥羽街道」駅〜田中神社〜京都市立月輪小学校〜法性寺(洛陽三十三所観音霊場)東山橋〜京都市立陶化小学校〜明田児童公園〜柳の内公園〜上鳥羽公園〜新道橋〜鴨川・堀川合流地点〜火打形橋〜鳥羽大橋〜近鉄「竹田第二号」踏切道〜清和荘(「近藤勇遭難の地」碑)〜京阪「墨染」駅。稲荷から東福寺まで北上し、今度は、ちょっとジグザグだったのですが、油小路を越えるところまで西に向かい、近鉄「上鳥羽」駅の南方向で鴨川右岸を歩き、堀川との合流地点まで行ったというのが特徴かな。あとは、時計を睨み終点を「墨染」駅に定めたというもの。鴨川と堀川の合流地点を横らも眺めたことがなかったものだから、そういった意味では、値打ちのあるコース。ただ合流地点間際に橋はあるだろうの勝手判断は墓穴を掘ってしまい、逆戻りを余儀なくされたのは、初めて行くところだから致し方ないところか。それが、結果的には2時間を超えることにも繋がったようでした。
 「墨染」から「京橋」乗り換えで「伊丹」に移動。とんでもない大移動です。電車の中で休息をとろうという魂胆です。確かに睡眠までとれたのですが、トルコから帰ってきてから、ウォーキング疲れがかなりひどく、この程度の休息では十分と言えないのが現状。案の定、次の芝居が飛び飛びの記憶になってしまいました。その芝居とは、「AI-HALL」であった「突撃金魚」の公演「漏れて100年」を観てまいりました。が、不十分なのです。舞台は、高くて、前方に傾いており、中央には箱を積み上げたような形で、小型の高台が作られている。設定は、一貫して、鬼が出てきたりする土俗的な世界。主人公は、どうやら東日本大震災で起こった津波の生き残り。最初に出て来たのが5歳と言っていました。子ども一人が、家族を失ない取り残されたという設定。その男の子が仙人と呼ぶ女と歩いているところから始まりました。最初は、この仙人もさることながら、遊び仲間の子どもとの交流が描かれていきます。が、その子どもが、村を出て行こうとするあたりから、飛び飛びになっていきます。気がつくと、その子どもと仙人が消え、主人公の男は、連れだった子どもの父親と一緒に歩いていますが、やがて主人公の男は、その父親とも別れ、但し、この別れが、死別なのか、事故とか何かが原因であるかは飛んでしまっています。そんななか、黄紺の勝手判断かもしれないのですが、相当の時間の経過があるように看ました。一人になった男は、最後、鬼に喰われて亡くなりますが、その直前に印象的な台詞を吐きます。ひょっとしたら、この台詞を、孤児となった男に言わせたいがために、この芝居が創られたのではと思う台詞です。一つは、生きてきた人生への感謝と喜び、もう一つは、失った家族のもとに行ける喜びでした。後者は、痛烈な孤独を表しているのですが、それを制して、まず生きてきた喜び、人生讃歌でした。仙人やら何やらの登場人物との交流で表されていたと思われる男の人生というのが、実像なのでしょうが、被災者を通じての作家のメッセージということになります。最高度の孤独を経験した者の口を通じて、そのメッセージを吐かせることで、そのメッセージに猛烈な重みを与えたということにもなるかと思いました。機会があれば、黄紺の感じたことを検証するために、もう一度観たい雰囲気です。しかし、最近の体力の落ち込みは、気にしなければならないと思うほど、更に一段と進んだように思います。そう考えると、今から冬のオペラ紀行に不安が募ってきてしまっています。
 「伊丹」から「大阪天満宮」へ移動。南森町のネットカフェで時間調整後、「動物園前」へ。夜は、「動楽亭」であった「小鯛の落語漬け」に行ってまいりました。「鶴橋」での「つるっぱし亭」と迷った挙げ句、こちらを選びました。雀三郎か小鯛かという、すごい選択をしてしまいましたが、若手のバリバリを選んだというところです。ご常連さんも、わりかし動楽亭に来られていましたね。その番組は、次のようなものでした。小鯛「十徳」、ちょうば「掛取り」、小鯛「くっしゃみ講釈」、(中入り)、小鯛「メッセージ・ボックス(仮題)」。今日は、小鯛の新作披露は三席目ということで、今日は、古典を三席出すのかと思わせるような番組でした。その内、ネタ出しをしていたのは「くっしゃみ講釈」だけ。冒頭の「十徳」は、小鯛では初めて。このネタを持っていること自体、知らないことでした。こういった根問ものは、今の小鯛にとってはパーフェクトに仕上げてきます。後半の数字が上がっていく、この噺のクライマックスになると、テンポアップを図り、盛り上げを試みます。申し分ない出来栄え。「くっしゃみ講釈」は、ネタ下ろしでした。全体的にライト感覚の仕上がりぶり。そして、わりかし時間の経過を、合理的に追求しようとしていたようで好感が持てました。例えば八百屋に行く時間の確保、八百屋の店先が荒らされるまでの時間、覗きからくりをゆったり目に取ったりと、こだわりが看て取れました。もう一つの特徴は、表情をうまく使い、その場その場の状況を豊かに表現したということが上げられます。それは、決してオーバー・アクションになるものではないのが、更に良かったと思えました。そんなのを観ていると、「くっしゃみ講釈」を持ちネタにしようというモチベーションが看て取れるように思えました。中入り明けの新作は、生寿との「ご近所落語会」で下ろしたもの。生寿から、福笑の「釣道入門」に似てると指摘を受けたネタです。要するにビギナーズ・ラックを扱ったところが似ているというわけです。前に聴いた内容を、そないにきっちりと覚えているわけではありませんが、手入れがあったとは思えませんでした。ベテラン釣り師のキャラは崩壊していますが、その方が得難いということで、そのままで行くのかなというところです。ゲスト枠はちょうば。相撲の話をマクラでしたものですから、「花筏」でも持ちネタにしたのかと思ったところ、年末ネタの「掛取り」にびっくり。ただ、撃退法の一つに、相撲尽くしを入れてた関係で、マクラで相撲ネタを振ったようです。借金取りの得意技は、相撲、ケンカ、芝居の順でした。相撲尽くしとケンカは、ちょうばオリジナル。ケンカは、通常の型ではなく、ちょっとしたケンカ言葉のやり取りで追い返すというもの。最後の芝居道楽相手には驚かせられました。だって、ちょうばは芝居噺をしませんから。ところが、これは正攻法の型を踏襲。普段しないことをする照れが若干出てしまったようで、ちょっと芝居の場面で、台詞が不明確になるところが出たのが惜しまれます。さて、これから芝居噺に手を着けるつもりで、「掛取り」を持ちネタにしたのでしょうか。ちょうばの今までの静かに語って聴かせる噺とは違い、語句にメリハリを着けねばならないでしょうから、もしそうだとしたら家、なかなか大変なことなんでしょうね。




2014年 9月 25日(木)午後 11時 26分

 昨夜は、かなりの雨。天気予報通りで、家を出る頃に止むという、これも天気予報通り。でも、今日の陽射しは、真夏のそれでした。トルコにいる頃から、疲労感を感じるのが顕著になってきています。それが、トルコを出る頃に風邪をひくということにも繋がったのかなと考えています。どこかに不調があるというよりか、単に加齢によるもののような感じがしていて、夜遊びなんてものを、いつまで続けることができるのだろうなんてことすら考え出しています。悲しい現実ですね、こればかりは。でも今日は花木。待望のマーラーの6番のシンフォニーを聴きに行くことになってた日ですから、わりかし気分高揚の一日。めったに聴けないものを聴ける嬉しさですね。大阪フィルハーモニーの定期演奏会が、フェスティバル・ホールであった日なのです。指揮は大植英次。それもあり、自分的関心度も高いコンサートでした。この曲を、大植英次が大フィルで指揮するのは初めてかと思っていたのですが、ロビーで会った知り合いの方から、9年前の定期で演奏したばかりか、東京公演にも持って行ったものだということを聞き、このコンビの自信作だと判り、一層の興味が湧いたのですが、冒頭の行進曲を聴いて、確かに乾いた激しいリズムを刻むのだけれど、単にリズムの激しさなのではの印象。冒頭の行進曲で、今日の演奏の見通しがきくと思っていたのですが、どうやら、それが当たっていきます。この1楽章は、この行進曲が、何度も遮られ、曲想が変わります。そして、また行進曲に戻りを繰り返していきます。それが魅力でもあるのですが、なんか機械的なんだなぁ。いや大植英次は動かそうとするのだけれど、オケがついてきていない、ないしは自在に動いていないという感じ。いつもは、そういった意味では、好印象を持つ木管に、味気ない印象を持ち続けてしまいました。一番ソロで活躍するホルンに至っては、あまりに音が不安定。近来まれな不安定さを見せていました。1楽章の後半から持ち直したかなと2楽章以後に期待が膨らんだのですが、木管のつまらなさは、ここが一番でした。それに反し、いつもは好きになれないヴァイオリンは頑張っているという印象だったのが、3楽章の緩叙楽章のパワーのなさに腰砕け。ヴァイオリンは、単独でメロディラインを弾く箇所になると、急に貧弱になっちゃいました。オケ全体がフル稼働しているときには、決してそないな印象を持たないのにです。ですから、4楽章の冒頭でも、ちょっとこけ、でもあとは気にならないという展開。長大な4楽章に節目を着けるのは大ハンマー。そこに向かっての振幅。もっとくさくやってもいいんじゃないかなぁ。大植英次の指揮で、そう思うなですから、やっぱ、オケの自発性とかの問題じゃないのでしょうか。という具合で、マーラーの6番を聴いたぞに留まるというところかな。この次、いつ聴けるのやら。その前に、黄紺はダウンしているのじゃないかな。それほど関西じゃ出ない曲ですね。




2014年 9月 24日(水)午後 11時 15分

 今日は、台風が通過する日と、天気予報で言ってた日。でも、夜遊びは、予定通り敢行。今日は、3つもいい落語会のあった日。迷った挙げ句に動楽亭の「四尺玉」を選択。同期の噺家さんの定期的な落語会。その番組は、次のようなものでした。二葉「道具屋」、二乗「千早ふる」、石松「高津の富」、(中入り)、鯛蔵「打飼盗人」、松五「足上り」。なかなかおもしろい番組だったという点で、この会をチョイスしたのですが、前半の2席で、途中ダウンをしてしまいました。二乗の「千早ふる」はネタ出しをしてなかった代物。二乗自身の解説では、チラシを作ったときには、まだ新ネタが上がってなかったということ。ということは、「千早ふる」は、まだあまりかけていないネタということ。確かに、黄紺も初遭遇でした。なのになんです。勿体ないことをしました。石松の「高津の富」も、あまりかけていないもの。おまけに、出だしからして聴いたことがない珍しいフレーズが入ったりします。福郎直伝のものかもしれませんが、石松の場合、こういったときは松之助の影がちらついてくるので油断がならないに、ダウンを喫してしまいました。半ばの富くじの場面が吹っ飛んでしまったのですが、からっけつのおやっさんのホラ話の場面では、大幅に違うということはないのですが、そのホラ話が、部屋に通ってからのものであったり、最近、カットする人も多い漬け物石として千両箱を使う話が入ったりしていました。からっけつのおやっさんのキャラ作りも、しっかりとできており、中途半端な形でしか聴けなかったことを、大変後悔しています。後半は大丈夫でした。こちらも、最近の若手が手を出さないネタが続きました。鯛蔵は、序盤の盗人尽くしをするところで、珍しく「アー」とか「ウー」が入りました。ネタをくるのが足りなかったのかもしれません。盗人にわりかし凄みを感じたのが、わりかし意外な印象。挙動不審男的なイメージが、鯛蔵にはあるものですから、居丈高な物言いってありえないと思い込んでるからでしょうね。それに、変に胆の座った男も、居そうな感じで、おもしろいリアリティのある高座となりました。松五が「足上り」をするというのは知っていたのですが、初めての遭遇。だいたい「足上り」を持ちネタにしようかと思ってくれるだけでも嬉しい話。勉強家だと思ってしまいます。後半に出てくる旦さんの威厳ある態度が、なかなか良かったですね。躊躇することなく、トップとしての判断をするのに呼応したキャラ作り。これ拍手です。一方で、番頭が帰ってからは芝居噺となっていきます。他には、芝居噺を持っていないはずの松五が、どのように演じるかに注目していたのですが、ここは不満が残りました。他の芝居噺も稽古してみて、もう一度、「足上り」に戻ってきてもらいたいものです。前座は二葉。不思議な噺家さんです。アフロヘアーでイラストレーターとしてもやっていけそうと書いていいかな、プロかもしれないので、もしそうだっら失礼なことを書いています。彦八まつりのガールズバンドでは、待望なボーカルだそうで、で、なんで落語家なのか、それも、よりによって米二の門を叩いたのか、ホント、不思議な女性です。落語は、自分的には2つ目。「動物園」に続くもの。序盤に言い間違いがあり、ちょっと混乱しましたが、その口演も、おもしろいというか、不思議な雰囲気というか、もっと他のネタも聴いてみたくなる、ちょっと色物的噺家さんです。そないな彼女が、なぜ米二のところに行ったのでしょうね。




2014年 9月 23日(火)午後 9時 8分

  京都市内遊歩(71)

 今日は、気分を変えて、サッカーを観に行くことにしました。なもんで、昼間に時間ができウォーキングに充てることができました。ちょっと蒸し暑い昼間、そのウォーキングのコースは、次のようになりました。京阪「七条」駅〜京都市立貞教幼稚園・一橋小学校〜京料理老舗「道楽」〜京阪「五条」駅〜弁天湯〜五條会館〜市比神社〜蓮光寺(長曽我部盛親の墓)〜大谷保育園〜風俗博物館〜京都市立松原中学校〜たちばな保育園(勝光寺)〜京都産業大学附属中学校・高校〜光徳公園〜京都市立朱雀第三小学校〜京都市衛生研究所〜朱七保育所〜西院保育園〜阪急「松原通」踏切道〜井御料児童公園〜京都西院春日神社〜京都市立西院小学校〜嵐電「西大路三条」駅〜京都両洋高校〜京都西ノ京西月光郵便局〜月かげみどり保育園〜地下鉄「二条」駅。七条から五条に回り、五条通の脇道を、北に行ったり南に行ったりで、西大路通を越えてから、時計を睨みながら北上。当初は、西大路御池が終点かなと思いながら歩いていたのですが、それなら迂回してからの到着か と考えたのですが、西大路三条で、あと15分あったので、「二条」駅を目指し、大正解のどんぴしゃの2時間で到着となりました。
 「二条」から「京都市役所前」まで移動。近くのネットカフェで、時間調整がてらの休憩。今日は、ウォーキングで疲れてしまい、休憩というよりは、軽い睡眠をとったという感じでした。そして、夜は「西京極競技場」へ。今夜は、こちらで、J2の試合ですが、「サンガvsベルマーレ」の試合がありました。J2の試合は、落語会へ行くお値段で観ることができるので、ありがたい限りです。試合の、前半はおもしろくないこと限りなし。サンガがサッカーになってない。後ろからロングボールを放り込むだけ。それも正確じゃないものだから試合になってない。ベルマーレが、その悪いペースにお付き合いしたかのようで、消極的というか、能ある鷹は爪を隠すの類い。でも、きっちりと1点はゲット。後半に入ると、見違えるばかりのサンガ。監督の力が、こういった場合は大きいのでしょうね。攻撃パターンが多彩になりました。特に意識的にロングシュートを放つようになったため、ディフェンスが前に出てくる。その間隙をぬってスリーパスが通るようになる。まるで教科書に載っているかのような変化を見せ、きれいに2点を入れ逆転。得点はともに大黒でした。これで終わるかと思い始めた後半37分だったかなぁ。完全にディフェンスの集中力が途切れたところで、あっさりと同点に追いつかれてしまいました。黄紺は、カドゥキョイ以外では、試合終了まで観ないことにしてますので、後半43分で席を立ち帰路に。家に帰ってから、結果を確かめると変わっていませんでした。




2014年 9月 23日(火)午前 6時 59分

 いい日和が続きます。今年は、早く秋がやってきたので、このいい季節を、たっぷりと楽しめそうです。昨夜は、久しぶりに京都での落語会。「京都府立文化芸術会館」の和室であった「桂文我上方落語選」に行ってまいりました。最近、京都での落語会と言えば、こればっかじゃないかな。その番組は、次のようなものでした。小梅「転失気」、文我、「茗荷宿」、梅団治「鉄道勇助」、文我「三十石難船事始」、(中入り)、文我「目黒のさんま」。文我らしく、「目黒のさんま」を除いて珍品を並べてくれました。ま、「目黒のさんま」も、上方では演じる噺家さんはいませんが。「茗荷宿」は、8月の「生喬百選」で出たのですが、トルコにいたため聴けなかったのが、こないなところで回復できるとは思ってもいませんでした。茗荷は物忘れを誘発するというエピソードを使い、悪巧みを働く宿屋の経営者夫婦。成功するわけもなく、逆に損をするという噺。「三十石難船」は、今日、配られた落語会の案内ちらしの中に、文我のネタ出しの中に、初めて見いだしたネタ。怪談噺です。一瞬、「禁酒関所」を思わせる展開。敵討ちをベースに、迷子を我が子として育てる夫婦の物語。その二つのプロットが交わったところに、人が亡くなります。殺しの場面、三十石が絡んでいるというところです。なかなかしっかりとした枠組みを持っている噺です。いいものを発掘したものです。鳴り物入りとして改良されていくと、いい怪談噺になると思います。「目黒のさんま」は大幅改作。大阪のさる大名が参勤交代江戸に滞在中の噺に仕立ててありましたが、大名の世間知らずを描く時間を、あまりとりません。替わりに、さんまを焼く描写を細かめに入れたりしてました。えらく下世話になったなぁの印象。下げに向かっても、さんまを黒田公に自慢すると、黒田公は、房州よりさんまを取り寄せ、但し料理の仕方がダメなところから、「さんまは目黒に限る」と落とすもの。江戸版の、食事の用意をしてなかったために、苦し紛れに目黒でさんまをあてがい、それを必死に隠そうとするおかしさなんてのは吹っ飛んでいました。ちょっといじりすぎて、おもしろくなくなっていました。珍しい噺は、ゲストの梅団治のリクエストでもあるとか。その梅団治は、鉄道落語の新作もの。これが、アホらしい噺で傑作。「鉄砲勇助」のパロディ。千三と呼ばれる男が、全国鉄道の旅に出かけるというもの。アホらしいくすぐりの連続で、客席はヒーヒー言わせられました。全編、梅団治の楽しいマクラのノリでした。




2014年 9月 21日(日)午後 11時 12分

  京都市内遊歩(70)

 今日は、この週末では、一番いいお天気。気温も高め。夏の終わりの陽射しを感じました。まずはウォーキング。今日は、伏見区内で、初めてじゃないかなぁ。横大路より南方向に足を伸ばしたのは。そのコースは、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜越前橋〜住吉児童公園〜「招徳」酒蔵〜三雲橋〜須釜児童公園〜上三栖児童公園〜フットサルスクエア京都南横大路コート〜「横大路」交差点〜円面田児童公園〜法伝寺〜田中神社御旅所〜柳長児童公園〜渡瀬児童公園〜下鳥羽公園〜高瀬橋〜榎橋〜第二あけぼの保育園〜京阪「丹波橋」駅。京都は、迷う心配がないということで、最近は地図なしで歩いています。方角は、それでも大丈夫なのですが、距離感は、全くの勘です。前半は、そないなことはどうでもいいのですが、制限時間を2時間と、自分でルールを決めていますので、後半は、そうはいきません。今日は、「丹波橋」駅を終点にすると、あとの移動が楽なもので、そこに向けて無理のないコース取りをしようとのコンセプトでスタートしていたのでした。ところが、高瀬橋まで来たところで真っ青。高瀬橋からまっすぐ東に行くと、完全に振り出しに戻るところまで、北に行ってしまってたのです。そこから猛烈にスピードアップ。3分オーバーで終点に到着となりました。
 「丹波橋」から「京橋」経由で「新今宮」への大移動。電車の中を休憩場所と定めたところ、幸い睡眠をとることができました。もちろん「動楽亭」に行ったわけですが、今日の午後は「吉の丞進学塾」があったのです。その番組は、次のようなものでした。弥っこ「子ほめ」、吉の丞「ガマの油」、花丸「電話の散財」、吉の丞「まめだ」。弥っこは初遭遇。なんかひ弱な印象。上下を振らない福笑一門のような落語をします。ゲスト枠は花丸。米朝一門にはないネタをということで、「電話の散財」をチョイス。この二人のところで、今日は、半ばダウン。替わりに、主役の吉の丞のところでは、ばっちり大丈夫でした。吉の丞は、NHKのコンクールで落選したネタをということで、「ガマの油」を出しました。こうしたコンクールでは、今や本命候補の一人だということは認めますが、黄紺は「ガマの油」ではダメだと思います。前に一度聴いていますので、コンクールで「ガマの油」を出したと言った時点で、落選やむなしと思いました。前半のノーマルな口上は完璧ですが、後半がまずい。前半の男の物言いを超えた形まで崩してしまっているからです。先の男が酔っぱらっても、そないな物言いはしないだろうという口調にまでなってしまっているのに、抵抗を感じてしまうのです。ただ、吉の丞式口演もおもしろいことはおもしろいのですが、、、。もう一つの「まめだ」は、本人も「入門したての頃はやるなんて考えもしないねた」と言ってましたが、我々のイメージも、正にその通り。前半の繰り返しは、極めてあっさり。でも、婆さんの応対が感じいい。らしいのです。ただ、後半部分の中で、言葉としては秋を感じさせられますが、総体としてはまだかな? 年齢が嵩むにつれ変化が出てくるのでしょうね。
 動楽亭を出ると、「扇町」へ移動。ネットカフェで時間調整後、繁昌亭へ。今夜は、「第7回銀の花瓶に菊之情?銀瓶・菊之丞ふたり会?」がありました。銀瓶もさりながら、お目当ては菊之丞。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「動物園」、銀瓶「阿弥陀池」、菊之丞「死神」、(中入り)、菊之丞「短命」、銀瓶「宿屋仇」。弥太郎の「動物園」は初遭遇。誰にもらったのでしょうか? 南天のようで南天でなしという印象でした。銀瓶は「阿弥陀池」は手慣れたもの。オリジナルなくすぐりは、この「阿弥陀池」でははまる感じがするのですが、「宿屋仇」は崩しがち。3人のはしゃぎ方も、銀瓶なら普通にやればいいのに、テンションを上げる方向にもっていくものだから、収まりが悪いのです。そこへ奇声っぽいのは、ちょっと引きますね。特に、色事師源兵衛のところに来てからの崩れが大きかったように思いました。無理して変化をつけなくても、ネタの持っている強さを信じて欲しいですね。安定感という点では、菊之丞に軍配。「死神」は、死神自身がいいですね。特に、終盤に出てくる方の死神が気に入りました。降格から出るやつれの一方で見せる凄味のようなものは不気味でしたね。この死神のキャラ作りに、本日一番の菊之丞の実力を看た思いがしました。最後は、男がろうそくに火をつけることができたのですが、それを、死神がふっと吹き消してしまうため、男は倒れ込んで終わりました。「短命」は、過去の3人の養子を振り返るところを簡潔にしているのがいいですね。鈍感な男が解るまでのところは引っぱり、下げに連なるところもあっさり系と、緩急自在。しつこくもあり、しつこくもないというバランス感覚。やっぱ、実力者です。




2014年 9月 21日(日)午前 0時 56分

 今日は、芝居三昧の一日。一つ目は、「ABCホール」であった「スクエア」の公演「ひかげの軍団」を観てまいりました。8年前の作品の再演ということで、最近入れた若い役者さんの出ない本来の4人による芝居でした。芝居の舞台は、千早赤阪村にあるとする日本歴史テーマパーク。そこで歴史劇を演じる役者たちの世界。一人が、所用で抜けたため、替わりの役者が登場してくるところから、話はスタート。新しい男と、今までいた3人が、なかなか噛み合わない。でも、もう翌日には本番を迎える。稽古であって稽古にならない稽古。でも本番がやってきた。その本番の場面の頓珍漢さが、この芝居の見せ場。まあ、芸達者な4人ですから、計算しつくした可笑しさを次から次へと見せてくれる。その歴史劇のストーリーは、大坂合戦直前の家康や幸村の動きを追ったものですから、どんどんと崩れていくどころか、サブストーリーが複数現れる可笑しさも出てきててんやわんや。それを、最終的に収束させ、且つ4人が考えたテーマにも持って行くという豪腕さは、これは脚本(森澤匡晴)の威力。また、本番の芝居を演じていく中で、4人の気持ちが通い、好きなことに打ち込む良さを認識していくという芝居としての収束地点も、きっちりと仕掛けられています。アブナイ系の男をやらせたら天下一品の北村守を、替わりの役者にあてがい、彼を軸にした達者な上田一軒の演出も冴えた舞台でした。再演ものだったからでしょうか、土曜日の午後という時間帯にも拘わらず、7割がたの入り。「スクエア」でこないな入りなのかと、ちょっと驚きでした。
 ABCホールを出ると、「淀屋橋」まで歩き「難波」まで移動。今日も、時間調整には、千日前のネットカフェを使いました。そして、夜は、「ウイングフィールド」であった「プラズマみかん」の公演「緩やかなモンブラン」を観てまいりました。公演があれば観に行くことにしている劇団で、その枠の際どいところに位置させている劇団の一つです。舞台は老舗の飴屋。その飴屋では、主人が失踪、あとを、主人の弟、その嫁、主人の若い後妻、アルバイトの大学生が、善後策を考えているところへ、失踪した主人から、店舗譲渡の書類を持った女が現れる。その女は、店舗を改装して、洋菓子屋にすると言う。そこから、飴屋に集う男女の、店に対する気持ちや、中には生き方まで描かれていく人物もいる。エピソード的には、主人の娘がロックにはまっていたり、店を省みないってものが入ったり、主人の弟が、ぼやく相手として、女のもとを頻繁に訪れたりしている。その女の生き方が、なかなか、この芝居のコンセプトを表すに大きな役割を果たしたりします。主人という経営面での軸を失った人たちは、有効な手を打てないまま、方向転換に同意をしていきます。支配されていることに慣れてしまっている人たちは、自由を与えられても、結局落ち着きを取り戻すのは、新たな支配に服従することでであると言いたげな芝居と看ました。なかなか難解な芝居で、仕込みの部分が長く、ちょっときつかったのですが、金太郎探しのプロットが出だしてから、観ていてヒートアップしました。その落差の大きな芝居でした。最後は、ピカレスクものになってましたね。趣向をいろいろと考えるものです。




2014年 9月 19日(金)午後 11時 41分

  大阪府門真市(55)〜大阪市鶴見区〜守口市(79)〜大阪市旭区、城東区

   自分的5連休のあと、2日働いただけで、もう週末がやってきました。この週末も、予定が満載。今日は、まずウォーキングからです。ちょっと間が空いた鶴見緑地に行くことを旨にコースを考えてみました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「門真市」駅〜韓国料理店「チョアチョア」〜沖縄料理店「しまんちゅう」〜インド・ネパール料理店「デイプ」〜大阪市立焼野小学校〜焼野南さくら公園〜鶴見緑地〜「南寺方東通1北」交差点〜大阪市立光陽特別支援学校〜大阪市立新森小路小学校〜新森小橋〜京阪南森小路架道橋〜京阪「関目」駅。鶴見緑地到着までに、このコースだと40分。南東隅から北西隅に抜けるはずが、気がつくと、かなり東側に出てしまってました。目の前に西三荘に向かう道が出てきて混乱するばかり。その様子を見て、近くを通られた方が声をかけてくださいました。163号線への行き方を教えていただき、あとは地図とにらめっこ。だいたい地図を持っていながら迷うのですから、世話がやけます。このことで、時間をだいぶとロス。結局、「関目」駅に着くと、ちょうど2時間でした。
 「関目」から「京橋」経由で「天王寺」に移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は「動楽亭」であった「第15回『南湖の会』〜これが難波戦記〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。「長短槍試合」「難波戦記」。今日は、予定されていたネタで、時間が満杯だったためか、マクラは短め。そのマクラも、先日の東京の講釈師さん3人が来られた話。聴きたかった話なんで、もうそっと長めの方がありがたかったのですが。どうやら、ここのところで、南湖さんは、琴調師から「さじ加減」をもらうようになったようです。「槍試合」は、「太閤記」の中でも、秀吉の才覚がよく現れているだけではなく、話の展開がおもしろいので、いろんな講釈師さんが手がけているネタ。ですが、今日、南湖さんの口演を聴いていて、これ初めてだと気づきました。他の方にはないテイストが詰まっていたため、また、それを聴いたことがないことに気づいなのでした。そして、考えたのですが、先代南陵の口演っては、これじゃないかなと思ったのです。普段の南湖さんの口演にもない雰囲気だったもので、師匠からもらったままで出してくれたのじゃないかと思ってしまったのでした。「難波戦記」は、冬合戦で、家康が敗走するところをやられていたはずです。「はず」というのは、「難波戦記」に入って間なしに、記憶が飛んでおり、断続的にしか記憶に残ってないのです。ウォーキングのあと、わりかし疲労感があったので、ネットカフェでの休憩だけでは不十分だったようです。でも、もったいないな。




2014年 9月 19日(金)午前 5時 55分

 昨日は、仕事が終わるや速攻で、職場をあとにして、「兵庫芸術文化センター」に向かいました。昨夜は、こちらで「題名のない音楽会」の公開録画があったのです。職場の同僚が申込んでおいたのが当たり、誘っていただいたのでした。「題名のない音楽会」は、まだ黛敏郎が司会をしていたときに、京都と東京で1回ずつ、公開録画に足を運んだことはあるのですが、それらは、随分と昔の話。今回、このようにお誘いをいただかないと考えもしなかったことです。この番組の録画は、普段は東京で行われているのですが、司会の佐渡裕が、兵庫芸術文化センターの芸術監督をしている関係上、年に1〜2回は、こちらでの録画が行われているそうです。1つ目の録画は「阪神・淡路大震災から20年〜“祈り”から生まれた劇場」と題してのもの。放映日が1月11日ということで、阪神・淡路大震災20周年に合わせた内容となっていました。兵庫芸術文化センターそのものが主役というもの。ゲストは安藤忠雄と、芸文センターの館長さん。自然災害と音楽の果たす役割といったテーマで、兵庫芸術文化センターが、復興のシンボルとして、震災10年目に建てられたことを背景に作られたもの。演奏曲目は、バッハの「G線上のアリア」、オッフェンバッハの「天国と地獄」序曲、シューベルトの「未完成交響曲」でした。2つ目の録画は「日本のオーケストラ文化は兵庫発!?〜ブルックナー交響曲第4番」というテーマ。ブルックナーの4番のシンフォニーの日本初演を行ったのが、宝塚歌劇団のオケ宝塚交響楽団だったという事実を踏まえて、ブルックナーが取り上げられました。演奏曲目は、4番のシンフォニーの第1楽章と第4楽章。間で、宝塚交響楽団による公演背景が、根岸一美氏により語られ、宝塚交響楽団は、宝塚歌劇団の専属オケだということで、元秘宝塚ジェンヌの純名里沙がゲストとして登場し、更に宝塚交響楽団の初演を聴いた音楽家の子どもさんまで登場するという賑やかなトークとなりました。ブルックナーの曲が、「題名のない音楽会」で取り上げられること自体が珍しいことのうえ、更に驚かせたのは、佐渡裕が、今回初めて、ブルックナーを指揮するという事実でした。ベルリンを拠点に活動する指揮者が、ブルックナーの演奏経験がないとは、考えだにしなかったことでした。演奏では、とにかく弦のトレモロの美しさが際立つものがありました。長大な曲を短くまとめた抜粋を演奏するのですが、抜粋の仕方が、第1楽章は、この曲の持ち味を引き出してくれていたのですが、第4楽章の方は考えものでした。
 終わったのが、午後9時5分前。そこから急いで芸文センター近くで呑みました。急がないと帰るのが大変ですからね。黄紺は、西宮から京都、もう一人は西宮から四条畷に帰るのですから。結局、家に帰った途端、日付が替わり、即効でダウンしてしまいました。




2014年 9月 17日(水)午後 10時 52分

 自分的5連休が終わり、今日から仕事再開。なんとなく、身体はお休み気分。だるくて、きびきびとした動きがとれない一日でした。夜は、「船場センタービル」の地下にある「船場寄席」であった「南斗講談拳」に行ってまいりました。この1週間は、かなり講談がウエイトを占めています。5連休は、南海さんに始まり、南海さんで終わりましたし、その翌日に、南斗くんの勉強会続き、明後日の金曜日には、南湖さんの会が控えているという具合です。で、今日の番組は、次のようなものでした。南斗「太閤の生い立ち」、小鯛「書割り盗人」、小鯛・南斗「対談」、「青木民部と千姫」。今日は、やっぱ変調でした。そないに疲れるようなことをしているはずがないのに、えらくぐったりし、やたらと眠たかったのです。それがまた、今日の主役の南斗くんのところでばかり現れてしまいました。1席目は、マクラ以外は完全ダウン。2席目は、肝心の終盤に朦朧としてしまったのでした。その2席目ですが、家康の命を受け、千姫を大坂城から連れ出そうとする青木民部。ちょうど真田大助に横恋慕をされて困っている侍を、その女とともに逃がれさすのを利用して、千姫を連れ出そうとするのですが、、、このあとが判らないのです。ただでは済まない展開のような気がします。というのは、聡明な伜と判で押したようなキャラの真田大助の動きが変だからです。真田大助の背後には、当然、ミスター軍師幸村がいますから、なんか単調な結末じゃないような気がして、ダウンを恨みます。小鯛は、南斗くんの少し先輩。彼の「書割り盗人」は、初遭遇なので、とってもラッキーな話。おおらかなネタの運びを意識したお遊び心に満ちた口演に心憎いものを感じるほどなのですが、絵を描くときに、えらく細かく、丁寧に描こうとしてたのが、バランスが悪くて。もっとマンガチックに描く場面を増やした方が、このネタのコンセプトに合っているように思えました。「対談」が、なかなかスムーズで、お二人の日頃の仲の良さ伺わせるもの。南舟ネタから始まり、対談の中心は彦八まつり。黄紺も、実際に彦八まつりで、南斗くんと言葉を交わしましたが、彼は、南湖さんの代理で、文太師のブースを手伝っていたのですが、その隣にあったのが、小鯛がいた塩鯛ブース。鯛焼き修行の話は初めてではありませんでしたが、今回聴いても笑える話。最後は質問を受けてのトーク。1つ目の質問が良かったですね。ネタの練り上げ方についてのもので、お二人がまともに答えてくれたので、お二人の好感度は、随分と上がりました。9回目を迎え、客足も伸びているとか。確かに、以前行ったときとは、雰囲気が変わっていました。「対談」を入れたにせよ、2時間近くの時間を持たせることができるようになっています。明らかに進歩です。




2014年 9月 16日(火)午後 10時 9分

  大阪市内遊歩(217)

 いよいよ自分的5連休の最終日。今日は、まず、先日の「ミロー寄席」で当たったお食事券を使うため、喫茶「ミロー」へ。場所は、「桜川」駅の近く。お昼をいただくために、とんでもない遠出です。食事が終わると、直ちにウォーキングに移行。こないな地点をスタート場所にできることは、まあないと思うので、今日は、ディープな大正区巡りをすることにしました。そのコースは、次のようなものとなりました。喫茶「ミロー」〜幸西橋〜地下鉄「桜川」駅〜赤手拭稲荷神社〜JR環状線「芦原橋」駅〜浪速中公園〜太鼓屋又兵衛屋敷跡〜浪速神社〜木津川大橋〜泉尾東公園〜三軒屋水門〜落合上渡船場〜小林公園〜落合下渡船場〜平尾亥開公園〜千本松渡船場〜南恩加島天満宮〜大阪市立南恩加島小学校〜沖縄料理店「正」〜大正区ふれあい福祉センター〜大阪市立泉尾幼稚園〜大阪市バス「大正区役所前」停留場。今日のヒットは、木津川にかかる3つの渡船場を、初めて3つとも制覇できたこと。落合下渡船場の方は、表通を通ったことまではあったのですが、千本松渡船場までは、今までのスタート地点では無理な話。千本松渡船場の上を走る道路に歩道が付いていることも発見でき、自分的大きな発見となりました。しかし、この千本松渡船場から、大回りをしたとはいえ、終点の「大正区役所前」まで、30分近くかかりましたから、今度、いつ、このコースを歩けるかは、全く予想はできませんね。そして、一度は、実際に渡船場から船に乗り、川越えのコースを歩いてみたいものです。渡船場の前に行くと、毎回、そのように考えるのですが、未だに実現してないんだなぁ、これが。15分に1本は、船が出るので、そないに待ち時間で困ることはないはずですから、実現したいものです。
 「大正区役所前」からバス一本で「難波」へ移動。いつものように、千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、「谷六」の「薬業年金会館」へ。今夜は、毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」が、いつもより1週間早く開催されました。ちょうど前回に行ったときに、初めて日程変更を知り、かなり慌てたのですが、うまい具合に都合のつく日でした。こういったこともあるのですね。今日は、「天下茶屋の敵討」の2回目で「林兄弟、大坂御難」と題して読まれました。前回は、この仇討ちの背景となる関ヶ原の合戦における宇喜多家の行動がテーマだったのですが、今日は、仇討ちの基になる林兄弟の父親の斬殺に至るところからスタート。宇喜多家の当主が、徳川に背いたということで、姿を隠してしまっているなか、宇喜多家を残すことを画策する動きが進むのだが、その動きを利用して、お家乗っ取りを企む家老。それを咎める林兄弟の父親。これで斬殺された父親、追っ手が来るところから身を隠す林兄弟と母親、そして下僕たち。結局、家老たちの企みは、家康の逆鱗に触れ、宇喜多家は召し上げ、家老は即日切腹となり、仇の黒幕の一人が消え、また主家の召し上げで意気消沈する林兄弟。ここから林家の苦悩が続きます。兄が下半身麻痺となり寝たきりの状態へ、当初は兄の看病をしていた母親の死、下僕の一人の裏切りと続きます。その裏切った下僕は、もう一人の下僕を殺し、蓄えだった金子を持ち去り、大坂へ逐電します。しかし、その逃亡先の大坂で、林兄弟の父親斬殺の実行犯を見てしまうとなるのです。ここで終わりました。切る場面が、とっても心憎い。話の構成から何から何まで行き届いているのが、南海さんの講談です。この分だと、次回で終わりそうです。でも、暗い話です。ま、仇討ちものってやつは、そんなものかもしれませんが。




2014年 9月 15日(月)午後 9時 43分

 自分的5連休も、呆気なく後半に入りました。今日は、移動に気を揉む日です。まず、昨日よりは1時間早くのお出かけ。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。9月の連休は、毎年、どこかに行っているため、この浪曲寄席には行けないのですが、今年はばっちし行けました。先月は、トルコに行ってましたから行けてないわけで、東京に行かなかったいい方の産物です。その番組は、次のようなものでした。春野一(虹友美)「梶川大力の粗忽」、春野美恵子(沢村さくら)「高田馬場」、京山幸枝司(岡本貞子)「名張屋新造」、京山小圓嬢(沢村さくら)「東雲座」。今日は、春野百合子師のお弟子さんがお二人が、同時に出られたため、聴き慣れたネタが、冒頭に2つ並んでしまいました。どうしても春野恵子さんの露出度が高いうえ、浪曲のネタっていうのは、数が多くはないものですから、こないなことが起こってしまいます。「梶川大力」は、松の廊下で、浅野内匠頭を止めた男。その行為を、曽我物語を引き合いに出して諌めるというもの。「曽我物語」は、「夜討曽我」から採られ、御所五郎丸とのエピソードに触れ、梶川を諌めるとなるわけですが、その五郎丸が陣営を教える箇所は、恐らく講談の修羅場読みから採られたのではと思わせる調子となっていました。最近、南湖さんの手がけている「夜討曽我」の調子と言えばいいでしょうか。次の「高田馬場」は中途から、「名張屋新造」はほぼ全滅状態。一番前の席で眠ってしまったようです。「名張屋新造」ってネタは、題名すら知らないものなので、惜しいことをしてしまいました。小圓嬢師で覚醒。「東雲座」は、以前聴いているはずなのですが、筋立てはすっかり忘れてしまってました。いきなり、ヤクザの親分を取ったということで、当の二人が殺されかけるところから始まるというダイナミックな展開。もちろん、ここで殺されたら、話は前に進まないので、許され放逐されるのですが、役者である男は、二度と再び、事件発生の地熊本に入ることが叶わなくなります。やがて女が病で亡くなり、死に際に、子どもの父親について知らせ、また子どもを役者として育てて欲しいことを頼んで亡くなります。役者としての後ろ楯を失っている男は、川上音次郎の劇団に入り、子どもとともに役者稼業を続けていくなか、川上音次郎劇団が熊本に入ることに。その劇場が東雲座というわけです。最後は、ちょっといい話に仕上がっています。クライマックスでは、ラップ調の節が入ります。小圓嬢師の迫力が、一段と高まるところです。9月席に行けたことで、小圓嬢師に遭遇できました。小圓嬢師の浪曲を聴けるというのが、黄紺にとっては、関西にいることの美味しい点の一つなのです。
 一心寺南会所を出ると、大急ぎで、「天満橋」経由で「三条」へ移動。なんせ、浪曲寄席が終わったのが、午後3時3分。そして、夕方の5時から始まる「カフェ・モンタージュ」であるコンサートに急いだのでした。幸い、天満橋発午後3時23分の特急に乗れたもので、安心して、この大移動を成功させることができました。今日のプログラムは、「短調のソナタ」というテーマで、シューベルトのピアノ・ソナタが2曲演奏されたのでした。6番(ホ短調)と16番(イ短調)の2曲でした。ピアノは佐藤卓史さんでした。佐藤さんは、東京でも、またカフェ・モンタージュでも、シューベルトのピアノ・ソナタ全曲演奏を進行中のビアニスト。6番の方には、問題のソナタということで、佐藤さんご自身から解説が入りました。断続的に楽譜が発見され、それらを見て、学者が、曲の配置について推測を立てることにより、ソナタの体裁が作られてきた曲だそうで、「今日は、世界初の試みかもしれない」と言い、モデラート〜アレグレッシモ〜トリオという順で演奏すると言われたと思います。結果的に緩叙楽章のない3楽章形式のソナタとして演奏されましたが、早いテンポの音楽が3つ並ぶというのは、聴いていて落ち着きの悪いものですね。もう一つの16番は、「のだれカンタービレ」で使われ有名ですと言われましたが、その映画を観てない黄紺には、どの部分が使われたのかが判らないため、この説明は説明になっていませんでしたが、別に、そないな説明を受けなくても、第1楽章冒頭のメロディを聴けば、納得できる有名なもの。但し、その部分が、映画に使われたかどうかは知るところではありませんが。黄紺は、CDで、この曲を聴くと、やたらとD960のソナタを聴きたくなります。時間さえあれば聴きますね、必ず。それは、自分自身がシューベルトのピアノ・ソナタに求めるものがあるからなのだと思っています。冗長とも言える何でも包み込むようなゆったり感。なんか好きな曲を全てと考えていると言えばそれまでなのですが、それだけ、永遠に続くとまで思わせられるゆったり感は特別なものなのでしょう、黄紺には。ですから、16番だけを聴いているとはがゆくて、仕方ないのでしょう。そう思わせる厳しさが、今日の演奏にあったのでしょうね。また、これから、シューベルトのシリーズは続くようですので、追いかけてみたいなの気持ちです。




2014年 9月 14日(日)午後 9時 8分

  大阪府吹田市(10)〜大阪市東淀川区〜守口市(78)

 自分的5連休、3日目の記録です。今日も、12時過ぎをメドにお出かけ。今日は、JR吹田駅前であった「サンクス寄席」に行ってまいりました。雀三郎がお世話をする会、毎回、充実した顔ぶれが揃うので、わりかし行こうとしている会の一つです。その番組は、次のようなものでした。治門「牛ほめ」、たま「漫談家の幽霊」、文喬「住吉駕籠」、雀三郎「口入屋」。治門は、彦八まつりで骨折した団治郎の代演。プログラムには、「団治郎 初天神」とした上に、治郎のネタが書かれていました。アホが、見えてないものを褒める箇所が2つあり、ちょっと「?」が点ってしまいました。牛を褒める場面はカットした「普請ほめ」ヴァージョンでした。たまの「漫談家の幽霊」って久しぶり。ひょっとしたら、まだ1回しか聴いてなかったかもしれません。いろんな幽霊を出しては、ダジャレで落とすといった繰返しネタ。そんなんだったっけと、すっかり前の記憶がぶっ飛んでいました。文喬は、気を変えるかのように、まあネタでしょうが、自身の父親のおとぼけぶりを披露。そして、半ば強引にネタへ。ですが、覚えているのは暴動部分だけ。どうやら酔っぱらいのところで切り上げたようだくらいの記憶しかありません。せっかくの雀三郎の高座も、その変調が尾を引いてしまいました。番頭が、ドガチャカと語り続ける聴かせどころが、情けないことに吹っ飛んでしまいました。吹田まで出かけて行って、これは情けないこと。なお、この寄席は、毎年9月には抽選会をやってるとか。それを知らなかったということは、9月に行ったのは初めてということになります。残念ながら、今日は、ダメでした。
 落語会が終わると、直ちにウォーキングに移行。目指すのは、淀川を渡り京阪沿線。電車賃の節約にもなるコース設定は、「サンクス寄席」のあとの定番になりつつあります。そのコースは、次のようなものとなりました。吹田サンクスホール〜友の会新温泉〜済生会吹田病院〜高濱神社御旅所〜浜屋敷(吹田歴史文化まちづくりセンター)〜泉殿堂御旅所社〜吹田大橋〜明治東洋医学院専門学校〜保育所豊新聖愛園〜六原公園〜大阪府東淀川警察署〜大阪府立北淀高校〜大阪市立豊里南小学校〜豊里大橋〜京阪「守口市」駅。川を2回渡らねばならないということで、そないに変化のあるコースを作りにくいのが、このウォーキング。敢えて、今日のコースの特徴を上げると、吹田大橋を渡ることを前提にしたものであること、従って東淀川区内では、瑞光4丁目方向には行かなかったということかな。結果的に北淀高校方面を巡ることになりました。




2014年 9月 14日(日)午前 1時 51分

 自分的5連休の2日目は晴天かと思っていたら、お出かけ前ににわかの雨にびっくり。でも、それはほんの一過性のもの。完全に秋の風情でした。今日のお出かけは、まず「南堀江」であった「文太噺の世界in堀江・ミロー寄席」から。文太を中心にした田辺寄席グループの会、初めておじゃましました。幾つか候補の落語会がありながら、こちらをチョイスした大きな要素というのが、この「初めて」というものでした。更にネタ的にもおもしろいものが出てましたしね。その番組は、次のようなものでした。天使「犬の目」、文太「桑名船」、塩鯛「一人酒盛」、文太「高倉狐」。天使は緊張する質なのかなぁ。ちょっと落ち着かないというか、おどおどとした高座。ゲストの塩鯛は「一人酒盛」をネタ出し。これが楽しみの一つ。今、お酒のネタでは、雀三郎と双璧でしょう。マクラはざこばネタ。ネタ提供満載の師匠を持ち、そういった意味では恵まれているのでしょうが、それに付き合ってきた弟子は、忍の一文字だったかもしれませんね。時間を持たせる方法として、燗の出来具合多用は、ときとして冗長になるかもしれませんね。ま、それは、ちょっと注文過多かもしれませんが。文太の二席は、わりと珍しめのネタが並びました。「桑名船」は、他には文我・まん我子弟ぐらいじゃないかな。「東の旅」の傍系的ネタ。威張る侍に恥をかかすというのがいい感じのネタです。「高倉狐」をする噺家って、あとはすずめしか思いつきません。文我はするでしょうが。手頃な時間で、狐が出てくる噺で、黄紺的にはおもしろいのですが、やり手が続きませんね。ということで、ネタ的にそそられる会であり、演じ手も確かだしと、元は十分にいただいた会だったのですが、更に嬉しいことに、最後の抽選会で、多くの当たりが出るにも拘わらず、黄紺は当たらないので諦め気味だったところに、びっくりの当たりが出てしまいました。お食事券なんてのをいただいてしまい、なんか初めて行って、こんなのもらっていいのかなぁの気分です。この5連休中に使わせてもらうことを考えています。
 「桜川」から一駅移動すれば「難波」です。今日も、時間調整は千日前のネットカフェを使いました。そして、夜は、「TOHOシネマなんば」で、「パリ・オペラ座ライブビューイング」に行ってまいりました。大阪では、上映が、2つの時期に分かれていることが幸いして、「フィガロの結婚」を観ることができました。ちょうどトルコに行っている間に、いつも、このライブビューイングを観るために行く「ステーション・シネマ」では、上映が行われてしまっているのです。このずらしは、ホントにありがたいことです。ただ、上映開始時間が、なんと午後7時。まるでヨーロッパで、オペラを観に行く感覚です。モーツァルトを、この時間帯にやられると、あとが大変です。今日、終わったのは午後10時25分。でも、一つだけいいことがありました。お喋りMCのおじさんが、控えめに喋らざるを得なかったことです。このプロダクションは、1973年って言ったかなぁ。ジョルジョ・ストレーレル演出の超ロングランものだそうです。とにかくいいのが装置と衣裳。フラゴナールの絵画を基に、物語の舞台を再現したというのですから。アンサンブルでは、一貫して、そのときに同じ立場にある人間を固め、視覚的に筋立てを押さえようとしていること。特段、大きなな動きを要求したり、奇をてらうような動きを求めるということは確認できないオーソアドックスなものでした。でも、これだけシリアスな印象を持って観た「フィガロ」って、初めてじゃないかなぁ。遊び心なんてものを持ち、登場人物らが動いているというという感じが、全然しないのです。まじで、威信にかけても、スザンナをものにしようと考えている伯爵、それを演じたリュドヴィク・テジエの苦み走った憎らしい顔つきは、芸達者が多いなか特筆もの。それに呼応して、伯爵夫人のバルバラ・フリットリは、今回のプロダクションの中では随一の知名度。冷え切った、いや凍てついたとまで言っていい、夫婦関係を見事に演じていました。総じて芸達者な歌手陣が揃っていましたが、スザンナのエカテリーナ・シウリーナと、フィガロのルカ・ピサローニのナチュラルな演技に共感してしまいました。下世話な雰囲気とともに、フィガロ一途の愛くるしさをもったスザンナは、決して別嬪さんじゃないのが親近感が湧き、共感を覚えました。その一方で、ケルビーノのカリーヌ・デエは、歌唱は完璧すぎるほど、いやそれを通り越して、若干臭さのようなものを感じさせる技を見せてはくれたのですが、体型が女性そのものでは引いてしまいます。相変わらず、おいしい役なため、熱烈歓迎を受けてはいましたが、今では歌唱だけで喜んじゃ、ちょっと寂しいものがあります。これは、永久保存してほしいプロダクションであることは、よく解りました。やっぱ、こういうのを持っているっていうのが、大歌劇場の証ってやつなんでしょうね。




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