忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2011年 10月 28日(金)午後 11時 7分

  大阪市内遊歩(109)

 今日は、絶好の秋晴れ、おまけに非勤務日。となると、ウォーキングにとっては言うことなしです。そこで、午後からの予定を考えてのコース設定。今日は、大阪の西区を狙ってみました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜韓国料理店「健」〜大阪高麗橋郵便局〜韓国居酒屋「吉成」〜久宝寺橋〜せんば心斎橋〜南久宝寺町3交差点〜南船場3北交差点〜日本キリスト教会大阪西教会〜松島橋〜松島公園〜大阪南安治川郵便局〜安治川トンネル〜「さくらじま000」橋梁〜此花スポーツセンター〜大阪市立咲くやこの花中学校・高校〜六軒家橋〜西貫島架道橋〜安治川大橋〜波除公園〜阪神なんば線・地下鉄「九条」駅〜シネ・ヌーゥォ。一旦、尻無川を越え、九条地域に入り、それを突っ切り、此花区に入り、安治川大橋を渡り、再び九条地域に戻ってくるというものです。午後2時半から、シネ・ヌーゥォで映画を観ることにしていたために、弁天町に抜けずに、こういったコースとなりました。お天気がいいものですから、川が輝いています。ウォーキングを始めて知った大切なことは、やはり大阪は水の都だということ。特に今日のようないいお天気のときに、強く感じますね。このコースで、所要2時間15分弱です。少し余裕を見すぎて出てきたかなと思いましたので、それを考え、敢えて普段より長くなるようにとの考えてのコース取りです。今日は、一応狙い通りで動けたと思っています。
 シネ・ヌーゥォでは、今日まで「ブラジル映画祭」が行われています。今日は、その内の1本「ガールズ・トリップ」を観ました。3人の女の子、婚約者に浮気された者、優柔不断な者、上司にセクハラを受けている者、この3人が、婚約をしていた女の子が、ハネムーンで来るはずだった海岸リゾートにやってきて、思い思いの生活を送っている間に、男と出会ったり、ちょっとした入れ違いが起こったりしていく軽〜い筋立て。それにプラス、父親探しの女が加わるのだが、それも、さほどたいそうな話には仕立ててはいない。だから、筋立てを追いかけるよりも、この映画の楽しみ方は、若い女や男が、どのような感覚で描かれ、彼らは何を求めて生きているのかとか、そういった映画全体のノリってのが、どの辺にあるのかというところでしょう。が、ここに出てくる女も男も、男と女のことしか考えていない。それもあっけらかんで、実に陽性。喜怒哀楽がストレートなものだから、引きずらないし、簡単に次なる行動に移っちゃう。明るいまんまというのは、ずっと、この映画の持っている統一感。それで、終わったあと、爽快感とか満腹感があるかと言うと、それが、も一つなんだなぁ。そういう風に描こうとしている外部の目が見えてしまうからなのです。一つは演出上の問題、もう一つは、明るすぎる映画だからというか、パターンに変化が少ないからかな。
 今日は、映画三昧の日にしたため、夜の部の映画のある梅田に移動。時間調整は、そのため東梅田のネットカフェを利用。夜の映画は、テアトル梅田でのイタリア映画「やがて来る者へ」でした。この映画は、第二次世界大戦中、ボローニャ近郊の村で起こったドイツ軍による住民虐殺事件を、一人の言葉を持たない少女の目を通して描かれたものです。自分的には、第二次大戦中、イタリアでドイツが起こしたイタリア住民の虐殺事件というのが、新鮮なテーマで観に行こうという気が起こったのです。当時のイタリア、最初、1943年のクリスマスからスタートしますから、それ以後の出来事です。その時期に、ドイツ軍が、イタリアのパルチザン掃討のために、イタリアに入っていたのですね。ですから、村民からすると、ファシスト党とドイツ軍の横暴に怯えながら、日々の生活を送っていたことになります。虐殺に至る流れは単純です。村に潜むパルチザンがドイツ軍に抵抗したり、ドイツ兵を処刑したことに対する報復です。虐殺となることが、予め判っている映画というのは、観るのが辛いですね。ウイットネスの役割を担う少女に言葉を発せさせない演出は、逆に言えば、どこかで出させるということだなの思いで観ていたところ、なるほどここで使ったかという使い方をしてくれています。しんどさの念押しとなることはなるのですが、ちょっとだけだけど、ほっとする瞬間でもありました。この映画を観ていて、何が気に入ったかと言えば、それはロケに使われた村。トルコで言えば、シリンジェのような村。教会が丘の上にあるというのは演出だろうとは思いますが、実際、あんなに小さい村に、こないな大きな教会はないだろうと突っ込んでいましたが、それにしても、すぐにでも、行ってみたくなるような村でした。しかし、昼間に観たブラジル映画との落差が大きすぎます。くらくらしそうです。




2011年 10月 28日(金)午前 6時 28分

 かなりの冷え込みが続きます。秋の証拠なんでしょうが、朝の気温上昇に、なかなか体がついていきません。風邪をひくって、こないなときなんでしょうね。昨夜は、講談会を蹴飛ばして、雀のおやどでの「つるっぱし亭」へ。但し、落語会ではありません。この会の100回記念ということで、「桂雀三郎withまんぷく・ブラザーズ」のコンサートがあったのです。曲目は、次のようなラインナップとなりました。「恋の測量設計事務所」「やぐら行進曲」「二人のやぐら」「浜風ラプソディー」「煮えろ水炊き」「コモエスタ一人鍋」「寿限無の歌」「江戸の人魚者」「反逆者の歌」「星を回そう」「恐い夜」「あゞ青春の上方落語」「それぞれの味」「君に捧げる愛のネタ」「ヨーデル食べ放題」「忘れんぼうのサンタクロース」。「星を回そう」という曲が新曲です。相撲の世界の歌です。「あゞ青春の上方落語」は、雀三郎が入門した頃の上方落語界を歌ったものですが、この歌を聴くたびに、胸が熱くなってしまいます。「君に捧げる愛のネタ」からあとが、一応アンコール扱い。昨日は、会場が雀のおやどだということで、ステージをどうするのかと思っていたら、ステージに工夫するのではなく、ギターの二人が、座布団に胡座をかいて座るという方法を採りました。客席には、落語会でよく見かける顔ぶれもありましたが、およそ見かけない人たちが詰めかけました。それが雀のおやどですから、余計におかしくて。この前、このバンドを聴いたのは、城北学習センターでしたから、ちょうど1年ぶりとなりました。そのくらいのペースで、このようなコンサートがあると、また行っちゃいますね。




2011年 10月 27日(木)午前 4時 7分

 昨日の朝、電車の中で、携帯を使おうとすると、知らない間にロックがかかって動きが取れない。暗証番号を求めてきて、どうしようもない。メールの履歴すら見れない状態。昨日の予定すらも確認が取れない。えらいことと、昼休みを利用して、近くの携帯のショップへ。「こないな暗証番号すら設定した覚えすらない」という言葉尻を捉えて、「初期設定のままかもしれませんから★★★★を入れてみてください」で、あっという間に解決。同じような人がいるのでしょうね。
 昨夜は、JR「天満」駅近くの北区民センターであった「第210回天満講談席」へ。番組は、次のようなものでした。南斗「太閤記〜孫六馬の出世〜」、南青「平野の地雷火」、左南陵「小西屋騒動〜大岡裁き」、南海「赤穂義士外伝〜忠僕元助〜」。「孫六馬の出世」は、題名は頭に入っているのですが、中味は記憶が定かでないネタ。武士の出でありながら、浪人の身となった父親を持つ孫六が、う まく博労に取り入り弟子にしてもらい、持ち前の才能を発揮し、その馬さばきの見事さが、秀吉の目にとまり、家来に取り立てられ、出世を果す物語。南斗は、30分近くかかるネタを、しっかりとこなすところまでになりました。本日唯一のダウンは、南青くんのとき。「平野の地雷火」は、冒頭で、大阪城の外堀を埋める話をしていましたので、その仕返しに、家康を懲らしめる話なんではないかと思います。左南陵は、上方では出ない「大岡裁き」。さすが、一時、東京に身を置いていただけのことがあります。ただ、このネタは、さほどおもしろいと思える話ではありませんでした。小西屋の跡取り息子が、街で出会った女を見初め、結婚話が進むのだが、その女を狙っていた男が、幼なじみの医者の男を誘い、破談に持っていくが、そのやり方がひどいと、お裁きに持ち込まれ、悪は滅んでいくというもの。「忠僕元助」は、「赤穂義士」関連では、ポピュラーなネタ。南海さんが、よく出されます。大高源吾右衛門が、下僕元助を討ち入り直前に赤穂に帰そうとするのだが、忠義者の下僕には、それをうまく言えない。討ち入りの話をするわけにはいかないというわけです。左南陵のネタが冴えなかったからでしょうか、南海さんのところで、客席はわあわあと受けていました。
 終わったのが、ジャスト8時半。まだ、早いかなということで、「天満橋」駅まで歩くことにしました。コンビニなどに寄り道していたので、30分近くかかってしまいました。




2011年 10月 25日(火)午後 10時 51分

  大阪府門真市(33)〜大阪市鶴見区

 今日は、朝からどんよりとしたお天気。ですが、朝から全開の一日でした。こないだの週末に、ウォーキングが1回しかできなかったもので、今日は、朝からウォーキングを入れたからです。コース設定は、もちろん午後の予定を睨んでのものでした。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「大和田」駅〜ときわ温泉〜門真市立大和田小学校〜門真大橋〜堤根神社御旅所〜地下鉄「門真南」駅〜なみはやドーム駅〜大宮公民館〜安田2交差点〜茨田小学校〜中茶屋公民館〜徳庵橋〜鶴見今津郵便局〜大阪市立榎本小学校〜大阪市立今津中学校〜榎本南公園〜JR学研都市線「放出」駅。なみはやドーム近くまで、ずっと古川の左岸に沿っての道を歩いてみました。部分部分については、何度か歩いていますが、通してみたのは初めてです。右岸の方は、ウォーキングを始めた頃に歩いているのですが。そして、毎度のことながら、なみはやドーム辺りに来ると、道を迷わないかという心配が出てきます。今日は、地下道を使い、表示に従い歩くことで、すんなりと歩くことができました。茨田小学校から西に入った中茶屋地区は、初めての通過。道からして古く、それに調和するかのような家屋がいいですね。今日のヒットです。最後は、鴫野も視野に入れていたのですが、やはり無理でした。放出は、極めて妥当な終点です。
 「放出」から学研都市線一本で、「大阪天満宮」へ移動。午後の部は、繁昌亭昼席でした。お目当ては、笑福亭笑子。シンガポールからやってきた噺家さんですから。それに、トリが、久しぶりの八方、中トリも、久しぶりに遭遇の小春団治というのに、目をつけました。そればかりか、今日のメンバーは、なかなかの優れもの。今日だけの出演という噺家さんもいるので、瞬間的にできあがった好メンバーに遭遇できたということです。が、ウォーキングの最後30分に疲れが出てしまい、中入り前は、生寿と笑子を完璧に聴けた以外は、とってもあやしい状態でした。で、その番組は、次のようなものでした。生寿「狸の恩返し」、瓶太「延陽伯」、遊方「絶叫ドライブ、彼女を乗せて」、笑子「腹話術」、そめすけ「ちりとてちん」、小春団治「親子茶屋」、(中入り)、豊来家玉之助「太神楽」、三風「農と言える日本」、三金「奥野くんのデート」、八方「莨の火」。「狸の恩返し」は、東京では、とってもポピュラーな前座ネタ。上方の噺家さんで聴いたのは初めて。どういった経路で、生寿は手に入れたのかが気になります。遊方は、バカ受け。おかげで、完落ちにはなりませんでした。笑子は、シンガポール流「腹話術」、えらくバタ臭いという表現がぴったりか。2人目登場はあったのですが、雰囲気が違うので、反応はいまいち。スタンダップ腹話術でした。小春団治は、新作派が多いとみてか、古典中の古典を出したのですが、華やかさの欲しい「親子茶屋」が地味で地味で。この人は、アイデアで生きる人だなということの確認となりました。三風にせよ、そめすけ、三金と、聴いていて思ったのは、上方の噺家さんは、客席との一体感を作るのが、とっても上手い。東京の寄席との決定的な違いです。そして、八方、びっくりの「莨の火」でしたが、よく考えてみれば、NGKの独演会でも出してましたね。駕籠に乗りながらののんびりムードから、何者なのかが気になる中盤、そして、華やかな小判撒き、随分と大きな変化のある噺です。そういった意味でも、大ネタ中の大ネタ。そういった中で、八方の口演は、とっても堅実。ということは、変化の色合いにまで踏み込む勇気のようなものに、若干乏しかったと感じました。そういった中での話として書いたとして、一番気に入ったのは、駕籠での道中。駕籠屋の社会的役割について、飯の旦那が語った言葉。あんな台詞はなかったよなと思うので、八方自身の言葉と看ました。「仕事を懸命にしている姿が、それを見る人に元気を与えている」と言わせ、駕籠屋を感激させるもので、聴き手である我々の想像の世界を、パーッと広げてくれました。面目躍如の、素晴らしい演出でした。
 繁昌亭昼席がはねると、そのまま南森町のネットカフェへ。夜の部に備えての時間調整です。そして、頃合いを見計らい、谷町線で谷町六丁目へ移動。夜は、薬業年金会館であった「第171回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。「南総里見八犬伝」の続き読みが始まり4ヶ月目かな。今日は、犬塚信乃の物語。父親番作が、大塚に落ち着くに至ったわけのところから始まりました。そして、信乃の誕生にまつわる話、女として育てられる信乃、与四郎という犬と一心同体のようにして動き回る信乃、与四郎が蟇六、亀篠夫婦の飼い猫を殺したことから始まる信乃親子に対する圧力、更に悪徳夫婦によるでっち上げにより起こる番作の自害、与四郎の死による孝の珠の出現、犬川荘助との出会い、蟇六の下男の息子が八剣士の一人だということの判明とその下男の死、浜路を我が物としようとする代官の出現、信乃を亡きものにして村雨丸を奪うとともに浜路を代官に嫁がせようと図る蟇六夫婦、そのような順序で、話が進みました。確か、浜路の生き別れた兄が八剣士の一人だったですよね。その男が出てくるのは、信乃と荘助が、村雨丸を公方方に届けに行くあたりだったかな? 次回は、その辺のうろ覚えのことが、明確になっていくのでしょう。やはり「八犬伝」は、桁外れにおもしろい物語です。




2011年 10月 25日(火)午前 7時 27分

 10月も後半に入っているのに、気温はまだまだ高い日が続きます。昨夜は、シネ・ヌーヴォで、ブラジル映画を観ました。今、シネ・ヌーヴォでは、「ブラジル映画祭」が行われているのです。今まで質の高いブラジル映画に当たってきたものですから、時間を見つけては通ってみようかと思っていたのですが、早々と、先週の土曜日に、仕事が入り、初っぱなからついていません。今夜は、「あの日の幸せ」を観ることができました。簡単に行ってしまえば、家族の問題です。始まりは、第二次世界大戦が終わったところからスタートしますが、映画の進行は、時代を遡ったり、また時代が下ったりを繰返していきます。目安は、パウロという子どもです。その年嵩を把握しておれば、前後関係を外さないで観ることができます。終戦の頃が、家族の一番いいときだったのでしょうね。夫は、空軍のパイロットなのですが、内部での昇格がままならず、挫折感をつのらせていきます。夜、よく出かけて行くようになります。妻は、夫が浮気をしているのではと、疑念をつのらせ、また、働きたいと言っても、夫に遮られ、ストレスばかりをためていきます。ちょっと和ましてくれるのが、妻の両親です。特に爺さんのキャラが感じ良く、その寛容さ、奔放さは、孫をいつも包み込むおおらかなものがあります。パウロも成長するにつれ、大人の仲間入りをしていきます。特に、この映画は、パウロらの性に関する関心を通じて、パウロの成長を描こうとする特徴があり、仕事なんかについては、一切取り上げられないという物足りなさはあるのですが、周りの登場人物たちも、性に関する話題が多く、統一は取れています。最後の方で、妻が、廃品回収の男に、家族の肖像画を売ろうとして、当の廃品回収の男にたしなめられたり、パウロの言葉として、「父親のようにもなりたくないし、母親のようにもなりたくない」というのが出てきます。それは、パウロ自身の持つ目の成長を表しているようです。父親が、クラブの女にうつつを抜かしていることを現認しながら、その父親を労る言葉をかけるのですから。何かが、プラスの方向に向かう、そういった映画ではなさそうです。ですから、一つの家族の物語だということなのです。舞台は、リオデジャネイロだということです、あとで判ったことですが、、、。




2011年 10月 23日(日)午後 10時 6分

 最近、ちょっとお酒の呑み過ぎ。量が多くなっているのと、二度寝をするために、空きっ腹で呑むのが、体には悪いようで、体調がよろしくありません。大事に至るまでに自制を心がけねばなりません。で、今日は、お昼前に、十三の七芸まで行き、キルギスタン映画「明かりを灯す人」を観ました。明かりを灯す人というのは、村で働く一人の電気工のことです。彼は、電気工として働きながら、貧しい人には、メーターを操作して、電気代を浮かしてやったりしています。この冒頭の一件で、キルギスタンの貧しさ、中でも、この村の貧しさが判ります。その一方で、自宅に、自分のスキルを活かして、風力発電の小型施設を作っています。そこへ、国会議員への立候補をめざす男が、余った利用されていない土地に目をつけ、中国資本を呼び込み、開発をするとして、利権を狙いにやってきます。電気工の男にも、その手が延びてきます。風力発電施設を作ろうと持ちかけてきます。電気工の男にとっては、村に、安定した電気を供給できることになるので、大乗り気です。が、その電気工は、中国人投資家を接待する国会議員の姿に、ことの本質を見せられ激怒、そして逃走。自然と人間の営為、古くて新しい問題、それを、キルギスタンを舞台に見せられました。とにかく、映画の舞台に、こよなく新鮮なものを感じさせられました。
 「十三」から「梅田」経由で、「難波」に移動。今日も、時間調整のために、千日前のネットカフェを利用。午後、トリイホールで「松元ヒロ ソロライブ」があったのです。年に1回の機会ですので、逃すわけにはいきません。黄紺が、お笑い系ライヴで、落語以外で、唯一足を運ぶのが、この会なのです。トリイホールでのライヴは、舞台の片隅に、楽屋と称する机が置かれ、一つのネタが終わ ると、そこへ行き、水を飲んだり、汗を拭いたりして、軽いインターミッションがとられます。もちろん、その姿を、客は全部見ています。そして、カーテンを、手で上げる仕種をして、舞台中央に移動し、昭明も変われば、次のネタが始まるという仕掛けたんだけす。ネタは3本。予告された上でのアンコールが1本という構成でした。ネタは、@主として原発を中心とした政治状況A香月泰男の作品B母親と妹でした。@は、松元ヒロだから聴ける政治漫談。常にときの政府に批判的なスタンスが、人気のコーナーです。Aには、びっくり。ライヴが終わったあと寄った息子の家で、思わず検索をかけてしまいました。シベリア抑留経験を素材にした作品が、つとに知られた画家だそうです。松元ヒロは、山口県長門市で、その作品を観たときの感動を伝えてくれました。Bは、鶴瓶の母親ネタ「ALWAYS-お母ちゃんの笑顔」がオーバーラップしてくる肝っ玉母さんと僕、そして、その芽を受けつぐ妹と僕の物語を、少年期からのオムニバス風に。そして、アンコールが、お得意の、新聞を読ませて、パントマイムを繰り広げるという松元ヒロ・スペシャルで締めくくりました。
 1時間45分のライヴでした。まだ、5時前でしたので、ミニウォーキングがてら、息子の家に寄ってから帰ることになりました。結局、息子の家に上がり込んでしまったため、ミニウォーキングは、40分余りで切り上げたことになりました。




2011年 10月 23日(日)午前 0時 39分

 今日は、午前中から夕方まで、振り替えなしの出勤。仕方ありません。とにかく、朝、出がけに弟の家に寄ってからのお出かけでした。そして、夜は、阪急「正雀」駅へ。「正雀」と言えば、「第68回ジャッキー7」です。会場は「正雀市民ルーム」。番組は、次のようなものでした。吉の丞「強情」、雀喜「長柄橋」、生喬「笠碁」、雀喜「本能寺」。今日は、ゲストのネタは、存分に聴いてきたネタなのですが、主宰者の雀喜のネタ選びに惹かれ行ったようなものです。「長柄橋」は、元又三郎の以西正明氏の作品。結構、雀喜は、いろんなところでかけているのですが、黄紺は、巡り合わせが悪く、ようやく今日初めて聴くことができました。長堀橋にまつわる悲しい説話をふまえた、実にバカバカしい噺。ただバカバカしいが、ほのぼの系の噺に仕上がっているところが、雀喜落語らしいところ。よく流された長堀橋を、そのようなことが起こらないようにと、人柱となり亡くなった男が、閻魔大王に願い出て、期間限定で、いろんな動物の姿となり生き返るが、何度もあえなく閻魔の前に戻ってくる噺。もう一つの「本能寺」には、正直びっくり。芝居噺なんてのを出しているなんてのを見かけたことのない雀喜が、芝居噺を、しかも「本能寺」をかけるというのは、やはりびっくりでしょう。でも、こないだの佐ん吉同様、やりなれてないことをしたときに見られる体の切れとか、芝居用の声の張りや抑揚、そんなこんなが大変。逆に、雀喜は、何を考えて、この大ネタに、手を着けようと思ったのかが気になりました。笛に、あさ吉を迎えた高座でしたが、難しかったですね。なお、吉の丞が、おもしろいことを言っていました。「強情」は、円都が盛んにかけていたネタを、演じ手のいないなか、ざこばが復活したのだと。また、吉の丞自身も、当のざこばよりもらったそうです。それは、なんとなく、そうは思っていましたが。本人が言ったのですから、間違いない情報です。




2011年 10月 22日(土)午前 6時 19分

  大阪府枚方市(11)〜寝屋川市(36)

 週末は雨とかで、ウォーキングをするなら、今日の内にと、昨日は、朝9時に家を出てウォーキング。午後の予定を変更したくなかったので、朝一番に、ウォーキングをもってきたのでした。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「村野」駅〜京阪交野線「村野2号」踏切〜北川橋〜藤田橋〜山田神社〜香里受水場〜五本松交差点〜さだ山公園〜枚方市立第二中学校〜フランス料理店「アンリ」〜ひまわり保育園〜靹呂岐神社〜寝屋川市立木屋小学校〜太間交差点〜寝屋川市立北幼稚園・小学校清水橋〜八坂神社〜京阪「寝屋川市」駅。久しぶりに、枚方市内を、ウォーキングのコースに撰びました。終点を寝屋川にして、閉店が決まった寝屋川のお気に入りのお店で、お昼にしようという魂胆だったのです。お昼前は、しっかりと太陽も出ており、なかなかのウォーキング日和。歩き出しは、長閑な田園風景だったのですが、やがて香里の高級住宅街に入り、「香里園」駅近くまでが、ほぼ1時間。そのまま、「寝屋川市」駅に向かって歩くと、時間が余ってしまうということで、靹呂岐神社へと迂回してから、「寝屋川市」駅に向かいました。それで、2時間を2分ほど切るコースとなりました。
 「寝屋川市」駅から、「門真市」駅経由で「万博記念公園東口」駅まで移動。午後は、民族学博物館の特別展「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし〜ドイツコレクションを中心に〜」を観てきました。余った時間で、常設展にも入りたかったため、先日のゼミナールに行った日とは別の日を選びました。今回の展示は、民博自身の収蔵品だけではなく、ライプチヒとドレスデンの博物館から大量の展示品が提供されています。そんなわけで、副題に「ドイツ」が入っているのです。19世紀、ヨーロッパでは、アイヌを、白人種と同系列の民族と位置づけていたため、調査に熱が入った結果のようです。生活用具の数々、熊送りの祭壇の再現など、なかなか充実した展示だったと思います。特別展のあとは、常設展です。オセアニアとアメリカがリニューアルされたということで、それらを重点的に見て回りました。常設展の中で企画展「インド ポピュラー・アートの世界〜近代西欧との出会いと展開〜」が開かれており、これが、なかなかの見物。映画のポスターなんかに使われる描き方の源流が、ここにあるんですね。もう少し時間があれば、じっくりと見て回ることができるのでしょうが、あとに映像資料を観るという楽しみが控えていたものですから、ちょっと流してしまったなの印象です。結局、閉館時間ぎりぎりまで、映像資料を観ていました。そして、阪急「山田」駅まで徒歩で移動。そこから、「長堀橋」経由で、「四つ橋」駅へ。夜は、「イスタンブール・コナック」で、職場の同僚と食事会です。トルコ人ばっかのスタッフになっていて、びっくりでした。




2011年 10月 21日(金)午前 7時 55分

 昨日木曜日は、バタバタと忙しい日。そこへさして、昼休みに緊急の会議。よくぞその前のちょっとした時間を利用して、昼を食べておいたことです。そして、夕方になっても、バタバタとお出かけ。昨日は、1年ぶりくらいだと思います。京都の烏丸五条の近くで行われた「養蓮寺寄席」です。2日続けての地域寄席です。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「千早ふる」、右喬「二人癖」、都「星野屋」、仁智「川柳は心の憂さの吹きだまり」。今日で99回目を迎えた会ですが、次の12月の会は、100回記念で、仁鶴が来るそうで、またまた大混雑になるのでしょうね。で、昨日ですが、やはり一昨日の繰返し。吉の丞と右喬の高座は、ほぼダウン。ただ、都の「星野屋」が、自分的には初めてだったからでしょうか、かなりしっかりしていました。個々人を、そないに細かく描写できてるとは思わないのだけれど、台詞に気が籠ってるからでしょうね、うまい間合いが生まれたり、顔の表情が出ます。妾の女とお母ちゃんのやりとりは、丸で「都噺」のノリです。思いのほかのめっけもんの雰囲気十分です。そして、主宰者の仁智、ここでしか聴いてない「川柳〜」です。世相風刺の中にサラリーマン川柳を折り込んだ佳作。終演後、お約束の抽選会。出演者の色紙が当たるというもの、今回も外れでした。




2011年 10月 20日(木)午前 4時 12分

 今日は、月曜日に仕上がらなかった仕事が立て込み、夜遊びもままならないかと心配していたのですが、思いのほか順調に進み、落語会に行くことができました。行き先は、「第70回玉造猫間川寄席」。先月に続いてのおじゃまとなりました。番組は、次のようなものでした。鯛蔵「悋気の独楽」、歌之助「馬の田楽」、文我「コレコレ博打」、(中入り)、三象「失業リストラン」、文我「目黒のさんま」。今日は、完全にダウン続き。かなりの寝不足に、仕事疲れです。「悋気の独楽」は、「コーン」を聴いたところで、記憶が絶えていますから、早々のダウンです。「馬の田楽」では、前半の、子どもが悪さをするところが、完全に吹っ飛んでいます。「コレコレ博打」は下げだけ覚えているという凄まじさ。中入りで、気を取り直せるかなと期待したのですが、思惑は、見事に外れ。三象のマクラは大丈夫、でもネタに入るとダメ。最後の文我の、三象に関する長〜いマクラは、これまた大丈夫だったのですが、ネタに入ると、ダメの繰返し。結局、何をしに行ったんでしょうね。虚しさだけが残りました。




2011年 10月 19日(水)午前 0時 42分

 今日は、出勤のない日。そういった日の楽しみは、朝早めに目が覚めても、安心して二度寝ができること。今日は、その二度寝が、事の外進み、目が覚めたときには、びっくりの時間。どうせ大した時間は、寝ることはないだろうと、目覚ましをかけないで寝たものですから、ウォーキングの時間を確保することができませんでした。いい日和だったのですが。仕方がないので、午後の予定に入る前の時間に、ミニウォーキングをすることにしました。京阪「京橋」駅から、環状線の外側一駅ずつを辿るように歩いてみました。そのコースは、次のようなものでした。京阪「京橋」駅〜開明中学校・高校〜城東野江郵便局〜大阪市立蒲生中学校〜地下鉄「蒲生四丁目」駅〜大阪市立鯰江保育所〜城東今福西郵便局〜極楽橋・大阪市立永福小学校〜鴫野東2〜八劔神社〜新運橋〜東中浜公園〜イタリア・スペイン料理店「Rosemary」〜地下鉄「緑橋」駅。これで、所要70分というコースです。
 「緑橋」から、堺筋本町経由で、長堀橋へ移動。午後は、「ウィングフィールド」で芝居を観る日だったのです。今日は、こちらで、「A級MissingLink」と「三角フラスコ」の合同公演があったのです。「A級MissingLink」は、関西の劇団の中で、今、最も台詞の言葉にデリカシーを持っている劇団の一つだと思っています。「三角フラスコ」は、仙台の劇団です。地方の劇団でありながら、黄紺が知ってるくらいですから、世間の評価は高いのだと思います。合同公演と言っても、全く違う芝居を、5分間ほどのインターゥァルを置いて、相次いで、上演するというものでした。ただ、共通のテーマは震災と看ました。さすが、「三角フラスコ」の芝居は、具体的です。知人のスナックに非難する4人の男女の、避難後の日常、被災の話が語られ、元に戻ることを志向する性向と、再生に向けての気持ちが交錯する現実を描いてくれました。一方、先に演じた「A級MissingLink」お芝居は抽象的です。この劇団らしいと思うと同時に、被災しなかった大阪の劇団は、抽象的になるのも致し方のない話です。鹿により代表される自然が、人間に立ち向かおうとしますが、あえなく首領の鹿が交通事故で死んでしまいます。その首領の鹿の夢の中の世界が描かれたと言っていいのでしょうか。とっても逆説的な芝居と看ました。自然を押さえ込んできたと思っている人間の傲慢さ、一方で、自然のどうしようもない猛威に為す術もなく亡くなった人たちへの鎮魂の芝居と看ました。このテーマ、「ゴジラ」のそれだよなと考えながら観ていたのですが、的を外しているかもしれません。そういった芝居です。今、そういったことを考えさせる芝居って、本当に少ない。そんなことで、「A級MissingLink」っていう劇団は、記憶に留まっているのです。
 芝居が終わると、速攻で南森町に移動。夜は繁昌亭でしたので、小1時間、おなじみの南森町のネットカフェで時間調整。今夜の繁昌亭は、「佐ん吉大一番2011」がありました。とっても意欲的なネタを並べた会となりましたが、その番組は、次のようなものでした。そうば「うなぎ屋」、佐ん吉「商売根問」、佐ん吉「幽霊の辻」、(中入り)、千朝「夏の医者」、佐ん吉「蛸芝居」。そうばは、ちょっと季節外れとなってしまいましたが、小気味良い前座。佐ん吉は、まずは前座噺の「商売根問」。雀、鴬、がたろと続けました。そして、本日のハイライト、「幽霊の辻」。客席には、作者の小佐田センセの姿も。マクラは、アンパンマンの歌、ネタ出しがされていますから、「なんで」が点灯。どうやら、それが目的みたいで、切り替えて、いきなり「怪談噺に入ります」とやったり、ネタに入ってから、「なんで、あんなマクラをやったんやろ」という突っ込みを入れたりしていました。ネタの最大のおもしろみは、幽霊の辻に行くまでの各ポイントに関する、おばんの説明。さすが、語りに優れたものを持つ佐ん吉は、変化を付け、特に聞き手の男のリアクションに程よい変化を付け、飽きさせません。もし今回、佐ん吉が、芸術祭の何らの賞をもらうとしたら、このネタが対象になるはずです。それだけの値打ちのある口演でした。それに対して、最後の「蛸芝居」は、まだまだ発展途上。何よりも、芝居噺に馴れてないのが出てしまってました。「三番叟」の謡、所作全般に渡る体の切れが、それです。会全体が審査の対象になるのでしたら、足を引っ張ってしまいます。ゲストの千朝も、季節外れのネタ。前に聴いたときよりも、アクションのオーバー度が進化しています。それに、千朝スペシャルのレトロなギャグが重ねられると、千朝ワールド全開です。次回の繁昌亭での会では、佐ん吉は「抜け雀」を出すようです。グレードアップの勢いがすごいです。




2011年 10月 17日(月)午後 11時 26分

 今日は、目一杯以上の仕事。疲労困憊で、夜遊びへ。今夜は、昨日の続きです。「第4回徳徳亭連続講談席〜新鋭四人会〜」は、2日間だけですが、「連続読み」を掲げているのです。今日も、3部構成。私の行った7時開演の部は、残念ながら、ツバナレをしませんでした。今日の番組は、次のようなものでした。南斗「太閤記〜秀吉と利休〜」、南舟「寛政力士伝〜雷電の初相撲〜」、南青「大川友右衛門〜忠義の血達磨〜」、南湖「拳骨和尚〜京の夜嵐〜」南斗と南舟のネタは、おなじみのもの。当人らでも、何度か聴いているもの。「忠義の血達磨」は、なんとか2回に圧縮した分、無理な展開が出てきてしまいましたが、これはやむを得ません。大川友右衛門と伊波一馬が出逢い、一馬の身の上話を聞き、大川が支援約束していくばかりか、怪しげな関係になっていく話。大川が剣術を一馬に仕込む部分、その話を、細川の殿さんが知るところとなり、大川を家臣に取り立てる話、横山図書を、父親の仇として、一馬が討ち取る話、細川の宝物殿が火事になると、大川が命をかけて、細川家の宝物を守る、いわゆる忠義の血達磨の話、これだけを、30分ほどの間に詰め込むんだから、繋ぎに無理があっても、大目に見なければなりません。今日は、南舟のところで、既に軽くぐらっときてたのですが、南湖の「拳骨和尚」で撃沈しました。和尚が、なぜ尾道にいるかという話から始まったのと、拳骨をふるって、堰を壊し、水の中から生還する最後の場面の間が、ごっそりと抜けてしまっている情けないことになってしまいました。とにかく、休養を、しっかりとらなくっちゃの気持ちです。




2011年 10月 17日(月)午前 4時 59分

  大阪府門真市(32)〜守口市(41)〜大阪市鶴見区、城東区

 昨日は、一昨日とは一転して、いいお天気。正に秋晴れです。ですから、この2日間我慢していたウォーキングを敢行です。目指すは、久しぶりの鶴見緑地。出発点を京阪「門真市」駅と定め、午後の予定に、スムーズに移行できそうなところを目指して歩いてみました。その詳しいコースは、次のようになりました。京阪「門真市」駅〜門真神社御旅所〜菊水北公園〜菊水通3交差点〜大阪府立守口支援学校〜鶴見緑地〜大阪市立緑中学校〜花博記念公園西口交差点〜すみれ共同作業所〜大阪市立菫中学校〜今福東交差点・大阪市立鯰江東小学校〜古堤橋〜大阪市立今福小学校・極楽橋〜地下鉄今福筋線「鴫野」駅。ちょうど歩き初めと、終点間際に、秋祭りの地車行列に出逢いました。一つは、門真市駅を出てすぐに、門真神社の地車、もう一つは、鴫野駅近くで出逢いました。鴫野神社の地車だったのでしょうか、時間を超過して焦り気味だったもので、確かめもせずに、写真だけを撮り、先を急いでしまいました。去年は、夏祭り、秋祭りともに、よく遭遇したのですが、今年は、ホント、今日が初めて。祭の告知のポスターは、何度か目にしていたのですが、本番はダメだったのでした。鶴見緑地は、さすがに人出はなかなかで、中には団体で来られている人たちも、結構見かけました。年配の方たちの遠足日和というところでしょうか。1ヶ月後が楽しみです。一面に色づく季節まで、もう少しのわりには、気温が高いですね。
 「鴫野」駅から「今里」経由で、「日本橋」まで移動。午後の部は、トリイホールであった「入船亭扇遊・桂雀松二人会」に行ってまいりました。扇遊がお目当てです。こないだの浅草で聴いた「たらちね」も、鮮烈な印象を残しました。その記憶も、まだ覚めぬところで再会が実現しました。その番組は、次の通りです。鈴々「子ほめ」、扇遊「厩火事」、雀松「胴乱の幸助」、(中入り)、雀松「片棒」、扇遊「妾馬」。雀松の2席と扇遊の「厩火事」は、自分的には付き物。お目当ては「妾馬」。「厩火事」の方は、横浜での独演会で聴いているので、どうしても「妾馬」になっちゃいます。雀松のネタは、おなじみネタですから、これも付き物という認識。そして、この「妾馬」が良かった。一見、地味系の扇遊ですが、落語に入ると、これだけ陽性の声を響かせることのできる人はいないんじゃないかと思わせられるほど明るい。雀松のライト感覚の口演と並ぶと、味わいの拡がりを実感できます。八五郎の粗忽さ、お下品さが、人間臭くっていいなって思わせられる口演です。外れのない噺家さん扇遊の面目躍如たるものが看えました。田中三太夫の慌てぶり、困惑の様子が、若干、ワンパターンかなの印象は残りましたが、好演であることの値打ちが下がるものではありません。
 午後4時半過ぎにはねると、近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。夜は、同じビル内にある「徳徳亭」であった「第4回徳徳亭連続講談席〜新鋭四人会〜」に行きました。1日で3公演という大胆な企画、第2部までは、そこそこ客の入りがあったようですが、午後7時開演の会には、講談会の常連4人だけが客となりました。南湖などは、それを見透かしたかのようなマクラをふってくれました。大体、開演前の客同士の会話を出演者は、ただで聴いているものですから、こないなことができるいのです。要するに、皆さん、「講談毎日亭」の常連さんだけが、客席に侍ったのでした。番組は、次のようなものでした。、南斗「太閤記 太閤の風流」、南舟「寛政力士伝 三河屋幸吉」、南青「大川右衛門 義兄弟の契り」、南湖「拳骨和尚 幕末維新の快僧」。南斗、南舟の二人のネタは、既に幾度と聴いてきたネタ。だけど、確実に腕を上げてきています。特に今日は、同じネタを3度口演できますので、3度目は出来上がっている。南湖、南青クラスまで来ると、そうではないのでしょうが、南斗、南舟は、まだまだ発展途上、こういった機会を生かせるのは、まことにもって幸せな話です。南青くんのネタは、以前の「講談毎日亭」のリニューアル。昨日は、横山図書が、妖剣村正を手にして、次から次へと人を殺していく噺。そして、村正の本来の持ち主大川友右衛門と少年の出会いまで。南湖は、常連さんばかりの客席を見て、特別仕立てのマクラ。「拳骨和尚」は、「拳骨」と名付けられた由来話。大変な力持ちと判り、今で言うサインを求められた和尚が、替わりに碁盤に拳骨を突き立てたとか。そこに至るエピソードが読まれたわけですが、それはたわいのないケンカ話でした。




2011年 10月 15日(土)午後 11時 7分

 鬱陶しい天気が続きます。昨夜は、三三のいい落語を聴いて、大満足。気分良く、帰りも淀屋橋駅まで歩いて行こうかと思っていたのですが、雨足は一層強くなり断念。目の前にあると言っても、実際には遠い中之島駅から帰ることになってしまいました。今日は、一転、お昼前に出かけて、国立民族学博物館に行ってまいりました。チェックするのを、よく忘れてしまい、飛び飛びにしか行けていない、こちらで定期的に開催されているゼミナールが、今日の午後にあったのです。本日のテーマは、現在開催中の特別展に合わせて、「物にみるアイヌ文化の地域性 ―周辺民族との比較」(齋藤玲子民族文化研究部助教)というものでした。アイヌという人たちは、言語的には、系統の辿りにくい古アジア諸語の一つとかで、近くに住むツングース系の民族は、あとから入ってきた人たちだそうで、生業的にも、トナカイなどを追う狩猟に重点が置かれている人たち。それに対し、アイヌは、基本的に、生業は漁労に重点を置いた人たちで、カムチャッカやアラスカ辺りで、海獣を追い求める生業をする人たちとも違うという話は、なかなか解りやすい話でした。我々の視点というのは、なかなかそこまで拡げられないのは事実で、北緯45度以北に住む諸民族との比較の中でアイヌが定義されることから始まりました。ですから、中国東北部では、アムール川流域に住むとなり、その周囲を、ツングース系の民族が囲むという姿になります。その上で、北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌの特徴が、生活用具などを、視覚的に紹介されていったのですが、ダメでした。この辺でうとうと。最近、このパターンが多すぎます。午後3時に、これが終わると、阪急「山田」駅まで、徒歩で移動。大移動の始まりです。この大移動が、あまりにかったるいので、夜の部を取り止めるか、民博を取り止めるか、結構迷っていたのですが、敢然とチャレンジしました。行き先は「田辺寄席」。少し早かったので、一旦、日本橋に行き、駅上のネットカフェで時間調整。それから、谷町線「田辺」から、会場の「桃ヶ池公園市民活動センター」に回りました。
 今月の「田辺寄席」は、文太とゲストが二席ずつで、その内一席は、文太がトップに出るという趣向。更に、中トリは、講釈師さんがとるという趣向まで付いているという、なかなか凝った番組編成。今日の夜席は、ゲストが染左、講談は南青という布陣でした。その番組は、次のようなものでした。文太「千早振る」、染左「写真の仇討ち」、南青「難波戦記〜木村長門守〜」、(中入り)、文太「茶目八」、染左「淀五郎」。文太の「千早振る」はさすが。淀みがないというのは、正にこの口演。遊びもたっぷり入り、楽しい高座となりました。「写真の仇討ち」は珍しい。振られた女に意趣返しをしようという男に、中国の故事を引いて、無謀な行動を思い止まらせ、その故事に倣う行動をとらせるという噺。確かに演じ手は、なかなか出ないわなと思わせられた噺でした。「木村長門守」は、妻との出会い、そして結婚という話に、最後、妻が自害をする話を付け加えました。南青くんは、文太師に替わり、開口ゼロ番、最後の抽選会も担当と、大活躍でした。「茶目八」も珍しい。昔は、時々遭遇できたのですが、今は、ホントに出ない噺。「写真の仇討ち」よりは、出たっていいネタだと思うのですが。盗み癖のある幇間を懲らしめる他愛のない噺なんだけど、その他愛のなさがいいのですが。そして、最大の狙いだった染左の「淀五郎」。何度か逃してきたものを、ようやく取っ捕まえっていう感じです。「淀五郎」も出ない噺の一つですが、それは、とにかく難しいから。芝居噺ができないと話にならないばかりか、人情噺という側面もあるので、しっとりと語って聴かせる技術がたいとダメだし、説明を入れながら進めていかなければならないという側面もあるので、地の語りに説得力がないとダメという、大変な難物。で、染左は、それをクリアしたと思います。芝居噺ができるのは言うまでもないのですが、何が良かったかと言うと、親方の団蔵の叱りと、音羽屋の諭し、二人年嵩の男の語りが、実に引き締まっていて、この噺の芯柱が決まりました。願わくは、淀五郎の困りが、もう少しリアリティがあればと思ったくらいでした。最後は、いつもの抽選会。仕切ったのは、南青、染左のご両人で、文太は出てきませんでした。こんなの初めてです。




2011年 10月 14日(金)午後 11時 59分

 東京から帰ってきて、2日間は、仕事ものんびり、夜遊びもせずでのんびりと過ごしておりました。昨夜は、久しぶりに熟睡感を持て、今日は、復活ということで、朝から散髪に行きすっきりして、まずは寝屋川のお気に入りのお店で、お昼ご飯。そして、そのあとウォーキングをするつもりでしたす。ただ、お気に入りのお店が、11月に閉じられてしまうので、もうこうしたことは、あと何度もできなくなってしまいました。ウォーキングの方は、雨のなか始めたのですが、雨足が強まり、寝屋川市立楠根小学校まで行って断念。そこから、学研都市線「忍ヶ丘」駅をめざした方が近かったのでしょうが、京阪「萱島」駅をめざしたため、ズボンがぐっしょり。一応、「寝屋川市」駅からは、50分のミニウォーキングにはなりましたが、全くついていません。
 「萱島」から北浜経由で日本橋まで移動。11月の文楽公演のチケットを買って、ワッハに向かいました。時間ができたので、こちらの映像資料を観に行ったのでした。そのラインナップは、次の通りです。@毎日放送TV「特選落語全集」、きん枝「親子酒」、文枝「軽業講釈」A朝日放送TV「米朝・お浜 上方笑芸繁昌記」。@は、新しく収蔵されたもの。文枝の「軽業講釈」の映像は、他にないかもしれません。音声だけはあるのですが。ところが、文枝の出来が良くない。重たくて、噛むところ数ヶ所という感じで、こないな不出来な文枝も珍しいのじゃないかな。きん枝の「親子酒」は、他にも、ワッハに収蔵されています。酔い方なんか、音声だけで聴くと、きん枝の語り口のうまさがあり、いいのですが、目が生きてないので、変な酔い方になっています。それが、ずっとなんだから、始末が悪い。Aは、前回の続き。角座オープンの際には、船乗り込みをやってるですね。小浜と蝶々のツーショットの秘蔵写真には、びっくり。小浜の目指す目標というのが蝶々だったとか。そして、2人は、一緒に旅回りをした中だったとか。そのため、秘蔵写真が残っているそうです。秋田実の功績も、大きく取り上げられていました。捨丸・春代の神戸松竹座での記念の会では、昔ながらの万歳の祝言ものが出されたそうで、その貴重な映像が出ていましたが、昔の芸人さんは、本業以外に諸芸が多才だったようで、三味線を弾く人、鼓を打てる人が、簡単に集まったようです。捨丸の「よんろおしい」は、いつ観ても笑ってしまいます。ちなみに、春代は、元ミス神戸だそうです。信じられないと、ご両人も言ってました。などなどです。
 ワッハを、いつものように、2時間をメドに切り上げ、あとは千日前のネットカフェで休憩。そして、御堂筋線で、淀屋橋まで移動して、強い雨のなか、歩いてABCホールへ。今夜は、こちらで「柳家三三独演会」がありました。大阪で、これだけの規模で、三三が独演会を行うことは、初めてのことです。しかも、前座も、何も置かない、全く一人の会でした。その番組は、次のようなものでした。三三「三枚起請」、(中入り)、三三「文七元結」。超弩級二連発と言える番組でした。ともに廓が出てきますが、異質な出方たから、気にしなくていいという考え方でしょう。上方起源の「三枚起請」に、江戸落語の本流中の本流「文七元結」というのは、極めて妥当なネタ選びであると同時に、規模の大きなホールでの初めての独演会ということで、気合いの選択だったと思います。「三枚起請」は、源やんという仕切り役に相当するのが頭領。喜ぃ公に相当するのが若旦那。清やんが清さんと、こちらは、名前まで同じ。キャラが 違うのは、若旦那。頼りないけど、喜ぃ公のように抜けてはいないという入り方。でも、三枚目の起請が出てきてからは、どんどんと喜ぃ公化していくのがおかしい。一方で、頭領ほどのしっかり者が騙されるというのが、ちょっと腑に落ちないところ。頭領と呼ばれると、どうしても、そないになってしまいます。そないなことを考えていたら、最も大阪的な演出で、秀逸な松枝の口演が、何度も、頭の中を駆けていました。好対照な口演だったからだと思います。「文七元結」は、予想外のネタ。夫婦喧嘩のところから初めてくれました。「佐野槌」の女将の位がいいです。これが効くので、長兵衛に、多めに悪態を聞かせることができます。吾妻橋では、文七に、死のうとする心根を十分に語らせるものですから、長兵衛が、50両くれてやる気になる必然性のようなものを感じました。そして、いつ聴いても、ほろりときちゃう肴のところ。いや〜、合理的で説得力のある口演でした。来年4月には、2日連続公演を行うそうです。すっごい人気です。




2011年 10月 12日(水)午前 0時 53分

 3連休をはさんでの5連休は、東京プチ旅行。その記録です。

10月7日(金)

 朝7時半の新幹線に乗り東京へ。この秋には2度、東京へ行くことを予定していたのですが、その第1回目です。今回も、演芸、芝居、音楽を求めてのプチ旅行です。まず、東京に着くと、神田駅のコインロッカーに、荷物を預けて、御茶ノ水方向に、軽いミニウォーキング。一つは、その界隈の音楽ソフト屋さんに行き、冬のオペラ旅行のための、下勉強用のソフトを求めようとしたのです。成果は、まあまあというところかな。そして、地下鉄を利用して、浅草に移動。今日の午後は、月の上旬に、東京へ行ったときのお楽しみ、「浅草木馬亭」の「浪曲寄席」です。番組は、次のようなものとなりました。東家一太郎(沢村豊子)「小田原情け相撲」、宝井金柑「出世浄瑠璃」、澤恵子(玉川みね子)「権助提灯」、富士鷹雄(伊丹アキラ)「身代りの花嫁(武士の娘)」、大利根勝子(玉川みね子)「花売り娘」、(中入り)、国本武春(沢村豊子)「紺屋高尾」、東家浦太郎(伊丹アキラ)「国定忠治」。講談を含めて、最初の4人の内容が、全然解らないのです。どうやら、僅かずつ居眠りを繰り返してまみたいなのです。ここ何日も続く不眠が、そうさせているのでしょう。木馬亭のマイシートは最前列ですので、かなり深刻です。居眠りをしていたらしいことまで分からなかったため、最初は、自分の体がおかしくなったのかと思っていました。ま、それはいいとして、初っぱなの一太郎がいいですね。まだ若い人ですので、むちゃくちゃ期待してしまいます。あとの2人が頼りないものですから、余計に期待してしまいます。そんなですから、大利根勝子になるとほっとして、目はぱっちりです。節も語りも、全然違います。ただ、テキストが弱い、弱過ぎる。生き別れた親子の再会物語なのですが、偶然に起こることばかりで、おまけに別離について、語り尽くしているとは思えない稚屈さでした。中入り明けが、お目当ての国本武春。ネタは、病気療養に入る前に、木馬亭で聴いたものの再会。病気以前と比べるには、格好の機会。2度目ということもあるのかもしれないですが、迫力が落ちてます。声の勢いは戻ってきていると思うのですが、全体として迫ってくるものが違いました。ネタは、落語になると、「幾代餅」です。筋立ては、全く同じです。身分の違いを、よりクリアにしようとすれば紺屋は勝るものはありませんし、花魁が結婚してからの商売という点で言えば、餅屋がしゃれてますから、どっちもどっちですね。東家浦太郎は、秋を意識した物悲しいネタで、お開き。忠治が、赤城山が落ち、諸国を回りながら逃亡生活をしているときの話。銚子の信頼できる侠客を訪ね、歓待されます。忠治の様子は、逃亡生活に疲れ、どうやら病の身でもあるようです。この辺の描写が、あとで効いてきます。浦太郎の面目躍如のところです。ずっと、話は、この銚子で骨休めをする忠治の姿を描くのが、このネタの目的かと思っていると、終盤に入り、急転直下話が変わります。忠治は、銚子の信頼できる侠客に、自らの息子を託しにやってきたのでした。そのことが判ったときには、もう忠治の姿はありませんでした。これが最高で、忠治の息子に対する気遣い、何が大切なことと、忠治が考えているか、息子に対する心根が沁みわたります。まるで、「あとは松風ばかりが残るなり」と言って終わる能の茫漠感に通じます。面白いネタです。そして、それがトリネタで出てくるところが、いいですね。とっても余韻が残りました。
 夜は、大移動で、横浜にぎわい座です。通常は、余程のことでないと、こういうしたスケジュールを組まないのですが、移動の間に、ホテルにチェックインできるものですから、こういったコースを取ってみました。今夜の「にきわい座」は、「林家たい平独演会」があったのです。10月〜12月にかけて、たい平の大きなネタに接することができるのですが、今夜は、その第一弾です。番組は、次のようなものでした。楽大「短命」、たい平・恩田りゑ「対談」、たい平「宿屋の富」、(中入り)、あずみ「三味線漫談」、たい平「二番煎じ」。楽大は、六代目円楽の四番弟子。マクラは、爽やかで、とってもいいのですが、ネタに入ると、流れが悪くて。流暢に言葉が出ないところが、しばしばあり、本人は、それに気づいているのでしょうね、ちょっとびびっては、また、出が悪くなったりと、悪循環でした。人一倍ネタ繰りが必要なんでしょうね。恩田りゑとの対談は、被災地支援活動の話。今日も、会場で、石巻市の物産の販売が行われていました。恩田りゑが下りると、好きなスポーツ・トトで当たると、多額の義援金を送れると続け、そのスポーツ・トトの紹介から、「宿屋の富」へと、実に自然な流れ。「宿屋の富」は、上方の「高津の富」。たい平の口演は、その「高津の富」のまま。空っけつのおやじのキャラに、あまり魅力がありません。ホラを吹き続けるのですが、おおらかさを感じさせないので、そうなんでしょうね。群集のぬか喜びの話もほぼ同じ。いいセンスだなと思ったのは、当たったことに気づくところを、ほぼ声を出さないで、スローモーションで表現していたことと、宿屋の主人が、当たりに気づくところを、繰り返しを避けるために、簡潔にしてしまったこと。プラスマイナス合い半ばする口演でした。あずみは、たい平の弟子。まだまだ修行中の身。ミスが続き、途中で止めたりしてと、大変だったのですが、とっても今どきの美形の女の子というところで、客席の暖かな反応を受けていましたが、客の中に、大きな声で話しかける輩がいたのには、とっても不快。あずみのミスのきっかけの一つが、それでしたし、次のたい平に至っては、ネタを途中で変えるという事態にまでなりました。ですから、「二番煎じ」は、変 更後のネタ。最初は、「芝浜」もどきの新作をやり出していたのですが、そないなことで、聴けませんでした。で、「二番煎じ」ですが、なかなかおもしろいものでした。前半、ふれ番参加の人たちが、様々な言い方でふれ歩くのが、なかなか聞かせてくれます。宗助さんは、鍋を隠すときに、「上に座れ」と言われ、実際に座ります。そのため、着物にだし汁が染み込み、鍋を出したあと、着物を絞り、だし汁を元に戻します。そこまでの強烈なものを用意しているのなら、どうして、宗助いじりを入れないのでしょうね、センスがいいようで、ちょっと勿体ない部分も見えてきました。

10月8日(土)

 東京に来てのお楽しみの一つに、演芸とかに行かない午前中の美術館・博物館巡り。今回は、いい特別展が始まるのには、ほんの僅か早く、でも、そそられるものがあるというのが東京。今日、そんななかからサントリー美術館をチョイス。「あこがれのヴェネチアン・グラス展」が開かれていたものですから、目を付けていたのです。ちょうど午後の部にも都合がいいものですから、ベストな選択です。サントリー美術館は、六本木ミッドタウンにあります。なつかしい恵比寿駅から日比谷線に乗り上六本木へ向かいました。その昔、天現寺に行くのに、度々利用した路線です。当の美術展は、前半が、ヴェネチア様式の紹介、それのヨーロッパ各地への影響、更に、日本への影響と続きました。様々な技法に、目を奪われるところです。ところが、後半に入る前に、技芸員による「見所レクチャー」があるというので、そちらに行ってしまったため、後半は、時間の関係で駆け足となってしまいました。前半をわりかし丁寧に観ていた報いです。そして、レクチャーも、30分の予定が軽くオーヴァーということで、こちらも、途中でギヴアップ。結局、どっちもつかずに。でも、ガラス製法技法については聴けました。これは正解です。ヴェネチア・グラスでは、当初、火事発生のことを配慮し、また、製法を門外不出にするために、ヴェネチアの特定の島だけで製造されていたそうです。イスラームの影響やビザンツの影響などは、正しくヴェネチアならではです。
 サントリー美術館から、乃木坂駅に出て、渋谷に向かいました。今日の午後は、渋谷の東福寺涅槃堂で、「渋谷金王町講談会」に行ってまいりました。講談協会の方の定例会の一つです。前から存在は知っていたのですが、足を運ぶのは初めてです。渋谷駅から並木橋の方に、少し行ったところに会場はありますから、とっても行きやすいところ。番組は、次のようなものでした。貞鏡「那須与一扇の的」、駿之介「高野長英」、あおい「左甚五郎あやめ人形」、琴星「ヘンリー・フォールズ」、(中入り)、梅福「水戸黄門〜農は国の宝〜」、貞心「男の花道」。貞鏡は、えらく目鼻立ちの整ったべっぴんさん。着物を着てなければ、講釈師さんとは分かりにくい。東京の「那須与一」は、えらく短いと言っていいのか、前座だから短縮形だったのかは分からないのですが、射手を選ぶのに手間取らないし、平家側の計略もありませんでした。駿之介は、ぽっちゃり系で、随分と優しい声を出します。ところが、ここでダウン。高野長英が江戸に上るときの立て弁が、かすかにすごいと思ったのが記憶にあります。あおいも、明るい着物を着ていたせいか、若々しく、べっぴんさん。ネタは、「左甚五郎」ものにしては、スーパーマンではなく、日光のねむり猫を作るときの裏話。着想のヒントを得るために、妻と離縁し、秘蔵の絵を得るために、師匠の娘と結婚するという話を、離縁する主体が妻という描き方で進みます。技の追求のために、妻が自ら身を引くという描き方でした。「ヘンリー・フォールズ」は、大森貝塚の発掘中にヒントを得て、指紋発見をするイギリス人医師の物語。こういった素材を取り扱う講釈師さんがいるんですね。梅福は、女性の講釈師さん。「水戸黄門〜農は国の宝〜」は、南海さんで、一度ならず聴いたことのある、黄門様が隠居してから、農業を手掛けるきっかけになる物語。そして、貞心が素晴らしかった。松裡、愛山、貞水を、初めて聴いたとき以上の衝撃です。表現の豊かさ、それに節度があって、上品なのです。「男の花道」は、医師半井元太郎と、歌舞伎役者の暖かな絆に結ばれ、助け助けられる物語です。旭堂のどなたかで聴いたことは覚えているのですが、残念ながら、どなたの口演で聴いたのか思い出せません。
 講談会が終わると、渋谷にいるということで、パルコの斜め向かいにある「たばこと塩の博物館」に行ってみました。ちょうど「高野潤写真展〜インカとアンデス原産植物〜」という特別展をやっていましたので、好都合かと思ったのです。写真展は、インカの遺跡やアンデスの山々を撮った素晴らしいもの。また、南米原産植物の写真の展示も興味深く、じゃがいもやとうもろこしなどの種類の豊富さに圧倒されました。通常展は、塩関係が、特におもしろく、サハラ越えの有名な板状の岩塩の現物を見ることができ、興奮気味。また、伝統的な塩の精製方法を、映像資料で見ることができたのも嬉しいことでした。そして、渋谷から、JRを使って、両国まで移動。こういった経路の移動に、JRだけで移動するということが激減しましたね。地下鉄などの発達の結果ですが。昔は定番だったのにと、懐かしく思ってしまいました。両国では、「円楽一門・両国寄席」に行ってまいりました。月の前半15日まで、毎日、「お江戸両国亭」で開催されている会で、できるだけ行こうとするのですが、なかなか他の会との関係もあり、毎回というわけにはいかないのが現実です。今日の番組は、次のようなものでした。たい好「狸の恩返し」、楽市「堪忍袋」、幸之進「六尺棒」、栄楽「子ほめ」、京楽「あくびの稽古」、道楽「提灯屋」、(中入り)、好太郎「しの字嫌い」、ステェファニー「マジック」、円橘「稲川」。たい好は42歳の前座。入門して、まだ1年だそうです。入門に年齢制限をつける話が出ているというのは、こういった人が出てきているからみたいですね。「狸の恩返し」は、「狸賽」のアレンジ・ネタです。楽市は、この位置で「堪忍袋」。びっくりです。案の定、まだまだこなせる技量ではありませんでした。夫婦けんかに、残念ながらなっていなかったなぁ。幸之進は立川流。「六尺棒」ばかり聴きます、この人では。栄楽クラスが「子ほめ」をすると安定感抜群。年齢の繰返し部分、子ほめ実戦編でも、時間を考えてか、短め。東京版「子ほめ」が、そういう型かもしれませんが。京楽は、いかにも物腰が柔らかそうな噺家さん。表情たっぷりに、「あくびの稽古」を演じてくれました。本日のベストが、道楽と、次の好太郎。「提灯屋」 は、前半が、無筆の繰返し、後半が、提灯屋をからかう繰返し。2つの繰返しを、飽きさせないで、ぐいぐいと引っ張っていく実力は、なかなかのもの。しかし、考えてみると、提灯屋には気の毒な噺です。好太郎は、予定外の代演。お得感があります。また、ネタが珍しい。東京では、珍品ではないのだろうか、その辺は、分かりかねます。「しの字」抜きの言葉のやり取り、やりにくいんでしょうね。、ステェファニーは、前回こちらに来たときも、色物で出ていました。若い女の子二人組です。本日最大のお楽しみの円橘が、今日はハズレ。ほとんど相撲に関するうだうだ話。そして、ネタに入ると、おこじきさんが贔屓として現れ、その身分が明かされるところだけ。大阪では、文我がするだけなので、きっちりした形を聴きたかったですね。
 両国での寄席が終わったのが、8時半ちょうど。これだったら大丈夫と、大江戸線を使って、新宿に移動。「新宿末廣亭」での「深夜寄席」に行きました。ホント、有り難い大江戸線です。前回も、鈴本から末廣への移動が、容易くできましたしね。で、番組は、次のようなものでした。市江は、大阪で聴いたまんまの「権助魚」。客席も似た反応。ピリッとしないのです。単調なのでしょうね。次の「のめる」は、上方の「二人ぐせ」。内容は、冒頭部のカットがあるだけ。この小権太と、次の小太郎が、表情の豊かさが抜けています。その小太郎、こういった二つ目の会に行くと、よく当たります。「さぎ取り」には、びっくり。雀の話とさぎの話から成っています。明るく、軽く演じてくれました。この人、この明るさがいいですね。馬治は、「お見立て」。「お見立て」との遭遇は有り難いです。同じことの繰り返しでもあるのですが、内容がエスカレートしていきます。おかしさ一方、一体どうなるんだのどきどき感も必要な噺、そういった意味で十分だったろうかというと、クレッシェンドが足りなかったようだと言えますが、噺の力に引っ張られたことは事実です。

10月9日(日)

 3連休の真ん中です。自分的に言えば、5連休の半ばです。日曜日ということで、まずは、上野鈴本の「早朝寄席」です。どうも、土曜日の夜から日曜日の朝が、せわしなくていけません。今日の番組は、次のようなものでした。時松「秋刀魚芝居」、小太郎「新聞記事」、小駒「三方一両損」、遊一「干物箱」。素晴らしい演者が揃い、そして、いいネタが並びました。まずは、いきなりの「秋刀魚芝居」、いわゆる音曲噺で、東京の定席で、鳴り物入りの噺を聴いたのは、初めてとなります。上方では、文我しか演じ手のいないネタです。東京では、どうなんでしょうか。小太郎は、「深夜寄席」「早朝寄席」で、よく遭遇します。体の大きさが、今では気にならなくなってきました。「新聞記事」は、最近、東京の寄席で、遭遇機会が、異様に増えています。そういう中で、小太郎の口演はピカ一、頭抜けたピカ一です。リズム、明るさ、わあわあ感、いずれをとってもです。この寄席では、「三方一両損」で、ダウン。大岡さんのお裁きの記憶が、全部吹っ飛んでいます。そして、「干物箱」は、若旦那もの。放蕩三昧の若旦那が、父親の目を盗み吉原に行くために、自分の声色の上手な男を、身代わりに残して出かけることから起こる騒動が描かれます。遊一の口演には、勢いがあります。若旦那もので、小粋な感じが出るときの必要条件のような気がします。ちょっと上滑り気味ですが、小気味良さが何よりです。かなり満足度の高い会だったと言えます。とにかく二つ目の会としては、最上位です。
 上野広小路から、大江戸線を使い、両国に移動。午後は、日本講談協会主催の「本牧亭講談会」です。マスコミの報道にあったように、本牧亭は、先月で幕を閉じました。講談協会の決定に拠りますと、この会は、今月だけ、両国の料理屋さん「ちぎら」で行われ、来月から来年3月までは、お江戸両国亭で開催されることが決まっているそうです。ですから、今日の会場は、今回1回だけという貴重なときに遭遇したことになります。やっぱ、今日の会は狭すぎますからね。楽屋がないから、出番を待ったりしている講釈師は、屋外で待たねばならないというのは、ダメですね。本牧亭の席亭さんも駆けつけておられた今日の会の番組は、次のようなものでした。あっぷる「わんぱく竹千代」、松之丞「村井長庵〜長庵の騙り」、きらり「谷風の情け相撲」、阿久鯉「天明白浪伝〜首なし事件〜」、鯉風「赤穂義士銘々伝〜赤垣源蔵婿入り〜」、(中入り)、山吹「河村瑞軒」、愛山「荒大名の茶の湯」。あっぷると松之丞は、番組表には、名前の載ってない前講。「わんぱく竹千代」は、三代家光の幼少期、手がつけられないわんぱくだったために、不適格の烙印を押されそうになったとき、家康が、自ら駿府から江戸に赴き、確かめに行く話。松之丞は、やはり大器。「村井長庵」という長い物語に手を着けているとか。医者にして、稀代の悪党の物語だそうで、今日は、その一端。きらりは、確か初遭遇。女性講談師の力士ものって、初めて聴きました。きらりは、元気が前面に出た講釈師さんですから、全然違和感もありませんでした。しかし、両国で、このネタを聴くのは、格別な味がします。阿久鯉のところでダウン。上方では聴けない白浪もの、扱われた盗人は義賊だったということは、記憶に残っているのですが。鯉風も、初遭遇のはずです。先月、南海さんと二人会をしている人ということで、気にはなっていた講釈師さんに、簡単に遭遇できました。とっても丁寧な口演をされる方です。その辺が、南海さんに通じるものを感じました。ネタは、抜き読みものとして、有名なものでありながら、遭遇は初めてなのです。ここでは、源蔵が、兄と言葉を交わします。思わず、ほっこりしてしまっています。山吹も、初遭遇かもしれません。ちょっと流れの良くないしゃべり方をされます。よく似た話が続くネタだったので、必要以上に、気になったかもしれません。「河村瑞軒」は、若かりし頃の物語。お盆のときの江戸の風習を利用して、商才を発揮することが描かれます。愛山さんの「荒大名の茶の湯」は、予めネタ出しがされたもの。愛山さんだから、このネタでも行きますがということで、ネタ出しの功罪は、様々です。「上方の演出は汚いですよ」と、2〜3度ふるものですから、その上手があるなと思っていたら、大当り、お茶の中に、痰が吐かれました。
 両国から、JRで新宿に移動。最近定番となっている買い物をしてから、京王新線で「初台」へ。夜は、オペラ・シティのコンサート・ホールであった「読売日本交響楽団」のコンサートに行ってまいりました。ラフマニノフの2番のシンフォニーが出るということで、チケットを押さえてありました。その他のプログラムは、ラフマニノフの「前奏曲鐘」と、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(vn.バーナバス・ケレマン)でした。コンチェルトは、ソリストの奔放さに、ちょっと開いた口が塞がらないというところ。テンポを自在に動かすものだから、指揮者(渡辺一正)は大変。ソロがお休みのところでの指揮に影響が出ないか、ヒヤヒヤもの。また、テンポを異様に速くして、そこで超絶技巧を見せようとするくささを感じてしまいました。ラフマニノフのシンフォニーは、スケールの大きな曲。緩-急-緩-急の繰返しで進むのですが、「急」の楽章が素晴らしい演奏。ホールの響きがいいように働いているのでしょうね、音がキラキラと輝いていました。こういった音の響きって、初めての経験。ホールを追いかけたらいいのか、オケなのか、指揮者なのか、気になります。逆に「緩」の方は、1楽章は、テンポの自在性に欠けたなの印象、3楽章は、音の厚みに、様々な色合いの変化が欲しいところでした。でも、ラフマニノフのシンフォニーは、いいですね。

10月10日(月)

 東京に来て4日目の朝、ここが、今回、一番時間にゆとりのあるところ。来る前は、他のことを考えていたのですが、東京に来てから知った特別展に行ってまいりました。両国の江戸東京博物館で、なんと「ヴェネチア展」が、今開かれているのです。品川かどこかの駅に掲示されているポスターを見て知りました。ですから、今回は、とっても両国ずいています。ただ「ヴェネチア展」と名付けて、美術展をするわけではないでしょうから、過大な期待をしていたわけではありませんでした。まあ、その予想は的中で、ヴェネチアゆかりの絵画というのは、あくまでも、一部であり、絵画の展示があっても、風俗を表すものとしての展示でした。街並みの様子、運河、ドージュら貴族の衣裳などの展示のあとに、ベルリーニが一つ、カルパッチョが三つ来ていたのが、良かったかなというところでした。この特別展と、常設展のコンビ・チケットが売られていましたので、常設にも入ってきました。こちらは、以前行ったことがあるのですが、とっても素晴らしい展示でしたので、二度目の不満など、全くありません。ただ、量が多いものですから、半ばで切り上げねばなりませんでした。「江戸」の由来っていうのは、「江戸氏」からだったのですね。近郷には、「葛西氏」「豊島氏」もいて、全部地名として残ったのだそうです。いい勉強になりました。
 両国を、ちょっと早めに離れようとしたのは、そのあと、大移動が待っていたのです。三鷹まで芝居を観に行くことになっていました。その前に、最近の恒例、吉祥寺でのお買い物の時間も確保しておかねばならなかったのです。実は、今日の夜のことを考え、今日の午後に、昨夜行った読売日本交響楽団のコンサートを考えていたのですが、見事に完売。それで、予定変更、時間のないところでの大移動となってしまったのでした。で、芝居ですが、「ろりえ」という劇団の「三鷹の化け物」という芝居です。場所は「三鷹市芸術文化センター星のホール」でした。ところが、入場の際の掲示物を見てびっくり。上演予定時間が2時間55分。完全に夜の部がアウト。夜は、鈴本の夜席だから入れることは入れるのだが、完全に大遅刻です。開演予定時間通りには、絶対始まらないのが、小劇場の常。5分遅れで始まり、若干延びたので、5時ちょうどにスクリーンにキャスト名が流れたのをしおに、会場を出ました。きっちり終わるまで見るほどの芝居でもなかったということもあります。主役は、漫才コンビを、自分の才能のなさから解消した男、その男が、人生に絶望して、自殺をはかろうとしたときに出会った、ちょっと変わった女の子との恋の行方追うというのが基本線。ところが、この女が内親王であるという点、も一つは、男の母親が、巨大な体躯の持ち主で、さながらゴジラのごとしという点、よくも、これだけありえないキャラを二つも出したなという、呆気に取られるしかない芝居でした。大道具がちゃっちいものしか出てないことも、不満だったのですが、こっちはの方は、最後に、ゴジラの巨大な上半身をだしたので、目をつぶりましょう。舞台全体が、土手になっていたので、何か仕掛けを作ってあるなの予感がありましたが、ゴジラの巨大さには、これまた呆気にとられるしかありませんでした。
 午後5時20分開演の上野鈴本夜席に、実際に到着したのは、5時53分。前座と2人目の噺家さんがダメなだけに留まりました。今日、小三治がトリということで、かなり込み合うことが想定されたので、早く行きたかったのですが、ダメでした。そして、黄紺の予想通り、埋まり方が早かったですね。休日の夜は、客の入りが悪いと、鈴本の方に伺ったことがありましたが、今日は別物でした。黄紺が入ってからあとの番組は、次のようなものでした。鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」、福治「豆屋」、文左衛門「寄合酒」、遊平・かほり「漫才」、小燕枝「強情」、ぺぺ桜井「ギター漫談」、琴調「赤穂義士銘々伝〜赤垣源蔵徳利の別れ〜」、(中入り)、花島世津子「マジック」、小三治「猫の茶碗」。福治は、全く知らない噺家さん。だいぶと地味系噺家さんです。「豆屋」は、上方と、全く同じ進行です。文左衛門は、既にマーク付きの噺家さん。客を乗せる雰囲気、間合いを持ち合わせています。「寄合酒」は、料理の場面に入るところまで。鰹節まで、乾物物屋から調達してくるのがおかしい。与太郎が味噌を持ってくるところが、シシババ系。これも、犠牲者は乾物物屋。小燕枝も知らない噺家さん、そして、更に地味系。ネタとの解離を感じてしまいました。ざこば組のキャラが思い出されてしまいました。、ぺぺ桜井は、柳家紫文の代演。あまり鈴本では遭遇しない方。琴調の「徳利の別れ」は、時間の関係でしょうね、兄の着物を用意させるところから。源蔵が、討ち入りに加わっていたことを知らせるところなどで出す大きな声は、琴調にはないのが惜しまれます。でも、いつもながら聴かせてくれます。小三治は、まず長々とマクラをふります。中味は、なでしこジャパン。そして、正にネイセっていう感じで、刀の目利きの話へ。それをしばらく続けたかと思うと、「なんでも鑑定団」話へ。それを、あまりいいように言わなかったところから、「猫の茶碗」に決まり。これは、あまりに大きいがっかり。三鷹から苦労して駆けつけて、「猫の茶碗」は、悲しい結果でした。でも、高座に上がって降りるまで、40分でした。完全に、小三治ワールドです。これがたまんないんでしょうね。そのことがわかっただけでも、今日の夜席は、値打ちのあったことかなと思います。

10月11日(火)

 いよいよ東京プチ旅行最終日になりました。久しぶりに5日間東京にいたことになりますが、5日いると、日々の生活のパターンができあがってきますので、昔住んでいたときの感覚が甦ってきます。となると、なかなか去りがたいのですが、年内に、もう一度、今回よりは短い期間での東京プチ旅行を企画していますので、贅沢を言ってはいけません。今日は、浅草演芸ホールの入り浸り計画ですので、朝は、特に予定がなく、しかも、こちらは昼夜の入れ替えがないものですから、6時半までいて、あとは新幹線に飛び乗るだけです。浅草演芸ホールの開演時間前は、少々浅草寺周辺をウォーキング。ちょっと早めのお昼を済ませてから、浅草演芸ホールへ。本日の番組は、次のようなものでした。市助「?」、ぽっぽ「真田山」、彦丸「子ほめ」、きく麿「?」、ぺぺ桜井「ギター漫談」、白酒「米揚げざる」、さん吉「うだうだ」、遊平・かほり「漫才」、はん治「背で泣いてる唐獅子牡丹」、川柳「高校野球入場行進曲集(仮題)」、花島世津子「マジック」、正蔵「漫談」、圓蔵「無精床」、あした順子「漫談」、圓太郎「閑所板」、馬風「うだうだ」、(中入り)、木久蔵「上人とおもよ(仮題)」、ゆめじ・うたじ「漫才」、正雀「持参金」、木久扇「昭和映画史」、鏡味仙三郎社中「太神楽」、彦いち「天狗さばき」、(以下夜の部)朝呂久「手紙無筆」、さん若「饅頭怖い」、喬之助「小野小町(仮題)」、東京ガールズ「音曲バラエティ」、燕路「狸の恩返し」、金馬「親子酒」、翁家和楽社中「太神楽」、文楽「看板のピン」、扇遊「たらちね」。午前11時40分開演で、退出したのが、午後6時30分ジャストという長丁場。昼の部は、マスコミに乗った人たちが、多く出てきました。これだけ出て、そのあとのトリっていうのは、やりにくいでしょうね。でも、彦いちの口演の熱気は、すごいものがありました。時間の関係で、お奉行さん以後をはしょったかもしれませんが、一方で、繰返しのしつこさを避けるための薄味だったかもしれませんが、臨場感抜群の高座でした。その彦いちの口演を圧迫したのが、師匠の木久扇。ネタに入らなきゃと思ったのでしょうか、入った以上は、ある程度進まなきゃの感じでした。正蔵は、父三平ばりの高座。このスタイルは、定席に出たときは変わりませんね。それは、馬風も同様。しかし、今日は、馬風の力にびっくり。圓太郎の「閑所板」に、客がヒーヒー言ってるあとに出てきて、見事に、マイペースに持ち込みましたからね。逆に、圓蔵は、ネタをやりました。ひょっとしたら、圓鏡時代に、目黒名人会で遭遇して以来かもしれません。木久蔵は、何を考えてか、空海に思いを寄せる女の物語。完全に空気を読んでいない。前ふりが、たくさんあったのだから、もうちょっと考えないと、ダメですね。さん吉とはん治は、浅草演芸ホールでしか、なぜか出会わない。はん治は74歳、談志ネタは、ちょっと不発かな。はん治は、今回も三枝作品でした。白酒の「米揚げざる」は、特筆もの。温かく包んでしまいそうな声が、まずはいいのでしょうか。東京版の「米揚げいかき」は、強きの主人は、米相場に関わっているかは不明。兄の名前も、過剰なのを防いでいるという感じで、上方版を聴き慣れた者からすると物足りなさ感じていました。正雀の「持参金」は新鮮、こないな噺をするんだという意味です。今日中に金を返せではなく、4〜5日の内にと、最初は言ってますが、嫁入りが決まると、急に、金は今日中にとなります。あとは、基本的に、上方版と同じでした。夜の部を入れて、最高の出来は、頭抜けて扇遊。「たらちね」を、まさかワクワクしながら聴くとは思いませんでした。とにもかく、噺のスケールが大きく感じられ、思わぬ変化も見せてくれます。動きも大きく、いずれをとっても最高のものを見たぞの感じです。夜の部では、金馬、文楽も良かったな。「親子酒」は、父親側が酒を呑んで行く様が描かれ、倅の方は描かれないという特徴があります。父親が酔ってしまったところへ、既に酔っている倅が帰って来るという構成です。その倅の様子を、顔の表情一つで表してくれました。金馬、まだまだ達者です。小益の文楽、初めて聴かせるなと思いました。くささを排して、ネタのエッセンスのおもしろさを引き出してくれました。思わぬヒットです。先日、繁盛亭でがっかりだった燕路は、東京で聴くと一押しです。メルヘンチックなネタを、可愛らしく演じられます。色物さんでは、あした順子が印象的。今日は、ひろしが声の出演をしてくれました。新舞踊の音楽の台詞で出演しました。そして、最後に、あした順子は、「ひろしが出てくれるまで、何年でも待ちたいと思います」と締めくくりました。毎回、締めは、この言葉ですが、声の出演があったため、普段以上のインパクトがありました。もう一度、観たいね、この二人の漫才。
 6時半ジャストに、扇遊は下りました。もう30分、居残っていれば権太楼を聴けたのですが、余裕を持っての退出です。これだけは、仕方のないことです。




2011年 10月 7日(木)午前 5時 40分

 昨日は、仕事が立て込んでいて、時間が危なくなったのですが、頑張って夜の部の会場へ。雀のおやどなのですが、珍しく開演時間が6時半。昨日は、こちらで「おやどで出丸の会」がありました。出丸が、雀のおやどで会をするというのは、何か、我々には知りえない事情があるのでしょうか。なかなか渋くて、ヘビーな番組に魅せられて行ってみました。番組は、次のようなものでした。小鯛「つる」、出丸「天王寺詣り」、出丸「淀五郎」、雀三郎「くやみ」、出丸「鬼の面」。小鯛は、やはり優れた前座。口舌爽やかです。が、ときどき押せばいいのに、ふわっと引くときがあります。今後、それが、どのような持ち味になるかです。ゲストは雀三郎。贅沢過ぎるゲストです。実際は、雀三郎のホームなんですがね。「くやみ」は、「向こう付け」の後半部分。炭屋の大将、十一屋のおなごし、女房ののろけを言う男が出てきました。おなごしを出すのは珍しい。中でも最高は、のろけの男。行水の場面では、背中合わせの上下運動だけではなく、左右の動き、おまけに前面の上下運動なんてのが加わりました。こんな過激なの、普段やってたっけという代物です。出丸の三席は、全て雀三郎からもらったもの。だから、雀のおやどの最初の会にもってきて、雀三郎をゲストに迎えたということ。その三席では、「鬼の面」が抜けた出来栄え。あとの二つは、凸凹道を歩いている感覚で、どうもいただけないもの。噛みそうで噛まない、だけど、つまづき続くという、まあ出丸らしいと言えば、らしいのですが。そして、この二つについては、殆んどマクラをふらなかったのが、まずかったかな。出丸自身のウォーミングアップもできてないし、客を味方に付けないままのスタートでしたしね。それに対し、「鬼の面」は、しっかりと味方に付ける時間をもっていました。それに加え、感心したのは、全体の雰囲気を、随分と明るいカラーに終始させたこと。池田への往復道を暗くさせずに通させたのは、初めてじゃないかな。元来、メルヘンチックな素材ですから、いろんな料理の仕方があったはずだという風に考えられるようになりました。
 あともう少しで、プチ旅行に出発です。今回は、「東京演芸・芝居・音楽を求めて」です。元々は、ここへ韓国旅行を持ってくるつもりだったのですが、航空券を衝動買いしてしまい、9月になってしまったのです。おかげで、月の上旬ということで、浅草木馬亭で浪曲を聴くことができますが、、、。




2011年 10月 6日(水)午前 6時 00分

 昨日は、午前中から雨。これが、実は自分的には、ショックなこと。一昨日、ウォーキングをしている最中に、フラッとその気になり、昨日のサッカーのチケットを買ってしまったのです。昨日は、ナビスコ・カップの準々決勝のある日。長居と万博ともに、試合があったのですが、最近、長居ばかりに行っているからと、万博の方を買ってしまっていたのです。長居は屋根があるが、万博はないのです。寒々としたなか、平日の夜の、雨の万博、これはきつい。でも、4千人以上の客が入ります。皆さん、サッカーが好きなんですね。そして、合羽を用意している。すごい、日本の客は。ガンバの対戦相手は、ジュビロでした。万博の駅に着いたあたりでは、うまく雨が止んだのですが、試合開始と同時に降りだし、雨足は強くなるばかり。本降りになったのですが、後半に入ると、うまく止んでくれました。昨日は、リーグ戦が佳境に入っているためか、1軍半のメンバー。遠藤やイ・グノなんて選手は出ていません。しかも、前半7分だったかに先制され、静まり返るガンバ・サポーター。ガンバは、やはり遠藤を欠いているためか、ボールが、うまく散らない。真ん中ばかりに、ボールが集まってしまいます。ようやくサイド攻撃が出てきて、前半終了間際という有難い時間帯に同点。後半には、噂のラフィーニヤが、スルーパスに素早く反応したゴールを見ることができました。3点目が入ると、もう黄紺は、帰るタイミング考え出しました。結局、後半37分というところで、スタジアムをあとにしました。




2011年 10月 5日(水)午前 1時 34分

  大阪市内遊歩(108)

 今日は、見事な秋晴れ。先週末は、出勤日が入ったので、お休みしていたウォーキングを、今日はしないわけにはいきません。今日も、午後の予定を睨んでのコース設定。その詳細は、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜北御堂〜「本町3」交差点〜地下鉄「本町」駅〜韓国料理店「ヒャン」〜「岡崎橋」交差点〜地下鉄「阿波座」駅〜「立売堀3南」交差点〜大渉橋〜大阪本田郵便局〜松島公園〜阪神なんば線「九条」駅〜大阪境川町郵便局〜文化幼稚園〜「かんじょう042」橋梁〜尻無川右岸〜「南市岡3」交差点〜尻無川水門〜甚兵衛渡船場〜福崎住吉神社〜大阪市立港南中学校〜三先天満宮〜沖縄料理店「琉球ハウス」〜JR環状線「弁天町」。今日は、弁天町の西側、港区内に入るのを目的に、コースを組みました。大渉橋から松島公園の西側を通る道に入った記憶が、あまりありません。そして、松島公園の南側の道が、松島地区を貫きます。12時前後に、そこを歩いているのですが、早くも2軒から、声掛けを受けてしまいました。港区内は、まず尻無川右岸の堤防横を下流方向へ、甚兵衛渡船場で右に折れ、「弁天町」駅方向に戻りました。ちょっと早めの折り返しかと思ったのですが、実際、「弁天町」駅に着き、環状線のホームに上がったところで、ジャスト2時間となりました。
 「弁天町」から「新今宮」まで、環状線で移動。昼の部は、「動楽亭昼席」でした。最近の動楽亭の入りは安定しています。だからでしょうか、11月からは、月20日間の興行になるそうです。他の一門からの出演者も増えるようです。で、今日の番組は、次のようなものでした。二乗「普請ほめ」、まん我「寄合酒」、米紫「厩火事」、吉弥「風邪うどん」、(中入り)、九雀「反魂香」、米団治「胴乱の幸助」。どうも、聴き慣れたネタばかりが続いてしまいました。米団治がトリだったので、「胴乱の幸助」だけは、聴いたばかりでしたので避けたかったのですが、あれよあれよと、見事過ぎるくらいの慣れたネタばかり。唯一の例外が九雀。「高尾」なんですが、ネタの貼り出しは、「反魂香」となっていました。最近、とんとお目にかからなくなったネタです。確かに、おおげさな噺かと錯覚はさせますが、実際はそうじゃないというので、避けられるのでしょうか。
 動楽亭がはねると、新世界、日本橋でんでんタウンを抜け、千日前へ移動。夜の部までの時間調整を、おなじみのネットカフェでしてました。そして、夜は「徳徳亭」です。今夜は、南青くんが、初めて芸術祭に参加をする「なんせいの講談追究中!」という会があったのです。前座も置かない、全くの一人会です。番組は、次のようなものでした。「太閤記〜木村麻風呂敷〜」「浪華侠客伝〜木津勘助〜」(中入り)「赤穂義士銘々伝〜間十次郎〜」「木村麻風呂敷」は、加藤清正の家来になるところが、冒頭に付いてました。そして、おなじみの鎧兜を買い求める場面、合戦に加わり、手柄を立てる場面へと続いていきます。「木津の勘助」は、おなじみ過ぎるネタ。ところが、おなおが、勘助を評価する聴かせどころで、携帯音が、しかも、芸術祭の審査員が鳴らすというむちゃくちゃなことが起こりました。なんせ狭い会場ですから、響き渡ります。ひどい話があったものです。「間十次郎」は、ネタに変化を見せるために選んだのだと思うのですが、自分的には、びっくりの選択でした。やっぱ、声が出て、内面豊かな登場人物にいいところを発揮する南青くんには添いきれないような印象を持ったのでした。「雪の別れ」は、雪の冷たさ、茫漠たる大地、それらに導かれながらの進行ですが、もの悲しさが深まるかどうかの尺度は、この冷たさ、無情なまでの大地を、いかほど感じさせるかにかかっていると思っています。南青くんのスタイルからすると、かなり作らねばならない、そんな感じがしてしまったのです。実際、どうだったのかというと、間の取り方など、かなり配慮しているという印象を持ったのですが、結局、「持ってるな」と思わせてはダメなんですよね。演出だと思い聴いてしまっているということですから。難しいところです。




2011年 10月 3日(月)午後 11時 59分

 一段と涼しくなってきました。このくらいの気候が、ずっと続いてくれないかと思うのですが、短いんでしょうね。今夜は、久しぶりの芝居です。芝居は、行かないと、情報が入ってこなくて続きません。今日の「sunday」の公演も、つい最近まで知らなかったのですが、どこやらで偶然、今日の公演を、目にして、慌てて予約。無事、行くことができました。「ハイ/ウェイ」」という芝居です。会場に入って、まず舞台上に築かれた階段にびっくりさせられる。一つの階段が組まれているなんて生易しいものではなく、何重にも、幾方向にも積まれている。一番高いところなどは、天井の照明器材に立っていてはぶつかるほど。そして、この芝居は、常に、この階段を上り下りしながら続くので、その動きが幾何学的であるのも楽しめるものです。2時間の芝居、ほぼ全編、これを繰り返していきます。大変な体力戦、とにかく凄い。「sunday」の芝居で、集団の統率とれた動きで楽しませてもらった芝居を、以前も一度楽しませてもらったことがあったのですが、もう比較の対象にすらならないほど、今回の動きは素晴らしい。芝居の内容は、28歳で、高速道路を歩いていて、車にはねられて亡くなった女性の人生を振り返るというもの。また、この芝居、役者の配置もおもしろい。皆、役者は、同じ衣装を着て、同じめがねをかけ、カツラを付けている。役者が全て主人公を演じるのだ。1回の台詞のセンテンスごとに、役者が入れ替わっていくという場面もしばしば。リズミカルで、テンポが上がるという効果が出てきます。このような描き方をして、人のごく普通の営みが、因果関係の連鎖の中にはまり込んでおり、人の歴史が造り上げられているということが言いたいような気がしました。役者陣に、他の劇団に、度々客演を行っている赤星マサノリや宮川サキという関西小劇場界を代表する役者を抱えているものですから、申し分のない布陣。お薦めと言いたいのですが、今夜が千秋楽でした。




2011年 10月 3日(月)午前 0時 32分

 今日は、朝から10月に入ったということで、フランクフルト、ニュルンベルクというおおどころの歌劇場の前売りチケットが買えるので、ネットと格闘。この二つは、格闘なしで買えるはずだったのですが、こちらのプラウザが、ちょっと古いと、うまく動かないものだから大変。そのための対策も講じてはいるのですが、結果的には、黄紺のパソコン自体がストライキを起こしていては、うまくいきません。それに気づくまでに、結構時間がかかってしまいましたが、無事クリア。あとは、毎度ながら、発売の遅いシュトゥットガルト待ちです。でも、待つ値打ちがあるんだよね、この歌劇場。で、今日の昼間も、繁昌亭の昼席。今日も、東京から来演の柳亭燕路がお目当て。同じ週に2回、昼席に行くのは、初めてのことです。今日の番組は、次のようなものでした。吉の丞「刻うどん」、笑丸「居候講釈」、米紫「義眼」、豊来家大治朗「太神楽」、純瓶「いらち俥」、米左「七段目」、(中入り)、団四郎「百面相」、燕路「やかん」、福矢「阿弥陀池」、枝女太「住吉籠駕」。吉の丞は、今日も、落語の解説から入りました。すわ、また動物園かと思ったのですが、セーフでした。笑丸は、出番が変わっても同じネタ。今日も、こちらでダウン。あまりにも、とって付けたようなマクラに、体が反応してしまったみたいです。米紫は、なんとも珍しいネタ。この前聴いたのは、もう10年近く前、「雀の学校」で、南光が出したのを聴いて以来です。豊来家大治朗は、この土日で、繁昌亭初登場だとか。団姫のご主人です。オリジナル芸が、残念ながら決まりきりませんでした。純瓶は、1週間ずうっと、「いらち俥」だったとか。あとから出てきた米左がばらしました。それだけではなく、いつ繁昌亭で遭遇しても、「いらち俥」です。そんなですから、ここで気が緩み、ダウン。行きの電車で、眠ってしまい、寝過ごしたくらいですから、環境が整ってしまったようです。それが、次の米左の高座にも影響。本日のお目当て燕路は、「やかん」でした。上方の「癪の合薬」です。通常の合薬は、男の親指とふんどしだという話が入るのがおかしいですね。この噺のおかしさを継続させるポイントは、侍の困りと家来の笑い、この二つが絡むときだと思うのですが、だいぶと物足りなかったです。そう考えると、染弥は、やってくれます。福矢も、金曜日と同じネタ。でも、今日は、時間が気になったのかな。細かいところを飛ばしながらの口演。ひょっとしたら、福矢ですから、無意識の所作かもしれませんが。今週は、今日だけ、枝女太がトリ。普段は、トリをとらない人なので、それがおいしいかなとも思っていました。もちろん、枝女太の「住吉籠駕」は、初めて。全体的に明るいカラーで終始。オムニバス落語と言っていいわけですから、単色系に過ぎると、退屈になっていきます。ちょっと、そういった傾向があったかなの印象です。そして、嬉しかったのは、酔っ払い以後も省かずに続けてくれ、きっちりと「雲駕籠」で落としてくれました。
 繁昌亭がはねると、東梅田まで歩いて移動。こちらのネットカフェで、時間調整。南森町のネットカフェを利用しなかったのは、2時間ほどの利用となることが考えられたので、DVDが確実に観ることができるところに行きたかったからです。そして、夜の部は、九条のシネ・ヌーヴォで、エチオピア映画「テザ」を観ました。エチオピア映画なんてのを観るのは、初めての経験です。一人の男を通して見えるエチオピア現代史ですが、これが重たい。主人公は、医学を学びにドイツに留学したことのあるドクター。ちょっとした大切なプロローグが付くのですが、物語がスタートするのは、主人公の男が、故郷へ帰ってくるところから。男は、片足が義足で、睡眠中に悪夢にうなされたりと、過去に、かなり厳しい経験を持っていることが示唆され、映画が進むにつれ、それが解明されていくという仕掛けです。ハイレシェラシエ時代が、ドイツ留学時代、その政権が倒れ、希望を持ち帰国したが、既に社会主義を標榜する軍事独裁制に入っており、知識人狩りが横行しているといった具合。そういった社会から受けるストレスが、一つの流れとして描かれます。もう一つの流れとして、村に帰ってきてからの主人公の生活も描かれます。コプト教会の持つ因習にストレスを感じ、また内戦状態の国内では、政府方も、反政府方も、兵士確保のための若者狩りが横行している。それからくるストレスも描かれます。主人公は、そのような社会に、ときには激しく憤り、政治的な活動もするのですが、その中に潜むウソっぽさのようなものに冷静な目を向けていく一方、自分の溜めてきた知識が、ストレス解消には、なんとも力のないことに、更に大きなストレスを感じていきます。ただ、この映画、そういったかつても、今も、本質的には変わっていない閉塞状況に、一つのメッセージを出してくれます。ヒントは、若者狩りを避けるため、村の若者は、湖の中の洞窟に、ずっと身を隠していることです。主人公は考えます。ここにいる若者は、戦争を、決して受け継がないはず。逃げて、身を隠す者は、進行中の価値観とは、異にする価値観を受け継いでいってくれる。内部に隠れる外部への期待を出します。そのことは、自分の子どもを殺してしまった女を、主人公の母親は家に迎えているのですが、主人公は、その女と親しくなり、子どもができます。その女も、内部にいる外部性を持つ女ですし、女が出産する場所は、件の洞窟の中です。その出産間近の頃、村に帰ってきてから教えていた学校で、再び教え出します。子どもたちは、大きくなれば、兵士狩りの犠牲になるだけ、自分同様、知識は役に立たないと思い、一旦辞めていた学校に戻ります。子ど もたちに希望を見いだした証です。いかにも知的な主人公や、その学生時代の友人と、エチオピアの村、自然とのコントラストが強烈です。いつか知識が、この大地に、村に役立つ日が来るという希望を失ないかけ、でも失なっていない、ぎりぎりに詰めた映画です。お薦めできる、なかなか重たい映画です。




2011年 10月 2日(日)午前 7時 2分

 昨日は、丸一日仕事日。ところが、以前から、「千朝独演会」のチケットを買ってあったため、何とか仕事を、午前中に固めて、頃合いの時間に、職場を脱出することに成功。「千朝独演会」は、テイジン・ホールでありました。その番組は、次のようなものでした。二乗「ろくろ首」、千朝「つる」、九雀「軽石屁」、千朝「帯久」、(中入り)、千朝「蛸芝居」。昨夜は寝不足で、昨朝は4時半過ぎに目が覚め、おまけに午前中、目一杯働き、頑張って会場に駆けつけると、ここで万事休すで、椅子に腰かけるとぐったり。期待の「帯久」も、何ヵ所もすっ飛んでいる始末。完全に聴くことができたのは、最後の「蛸芝居」だけという低汰落でした。休暇までとって行った「千朝独演会」は、散々なことになっちゃいました。「蛸芝居」は、かつて「染屋町寄席」で、千朝の口演を聴いたことがあります。昨日は、噛んで含める千朝の口演が冴え渡りました。千朝の物言いが、メリハリを付け、次は、どないなことをしでかしてくれるのだろうかという期待感を生む基になったと思います。千朝と芝居噺というと、ここまでミスマッチ的なイメージがあったのですが、昨日で無意味なことと悟りました。繁昌亭で接した生喬の「蛸芝居」とともに、印象に残るものとなりました。
 テイジン・ホールでの落語会が終わると、ちょっとだけ息子に会い、夜の部のトリイホールに向かいました。こちらでは、毎月1日に行われている「トリイ寄席」に、ホントに久しぶりをのぞいてみました。昨日は、志ん朝の命日ということで、「東西落語会」とされているのです。東京からは、志ん輔と竜楽が来演と、わりかしお気に入りの噺家ですので飛び付いたのでした。で、その番組は、次のようなものでした。吉の丞「軽業」、竜楽「堪忍袋」、米団治「胴乱の幸助」、(中入り)、銀瓶「天災」、志ん輔「幾代餅」。吉の丞は、もぎとりの部分で、「天竺の孔雀」を省いての口演。「堪忍袋」は、奇しくも2日連続で、東京ものを聴くことになりました。竜楽のは、時間のことを考えてでしょうか、袋を縫いながらの痴話ケンカの省略、袋に向かって喋る部分の短縮化がありましたが、竜楽自身の常の型が、そうなのかもしれません。それだと、物足りなさが出てしまいます。また、最後が、大阪と同じ型。婆さんが元気になるというものでした。市馬は、袋からいろんな言葉が飛び出てくるというものでした。米団治の「胴乱の幸助」は、「動楽亭寄席」で聴いて以来の2度目。前回より格段の上昇と看ました。流れるような口演に、台詞一つ一つがはまっていきます。スピードが快適でしたが、京都に向かう当たりから時間を気にしたのでしょうか、荒くなっちゃいました。伏見の浜に着いたくだりも省かれていました。米団治の場合、意図的に省いているのか、うっかり抜かしたかが判定付かないのが辛いところです。志ん輔は「幾代餅」、清三という名前が早々と告げられると、ガッツポーズ。さん喬の口演が忘れられない黄紺ですが、志ん輔ものも気に入りました。清三も幾代も、可愛いんだから。それに尽きます。花魁の品格を求めるのではなく、清三の思いに心動かされた花魁の健気さがいいですね。良かったぁ。




2011年 9月 30日(金)午後 11時 1分

 今日は、朝10時半をメドにお出かけ。今日は落語デイ、且つ市馬デイ。繁昌亭に昼席に、市馬が出るというので、昼席に行き、市馬が来阪する本体が、夜のトリイホール。夜は、当然、そちらに向かったというわけです。昼席の番組は、次のようなものでした。吉の丞「動物園」、純瓶「いらち俥」、米紫「秘伝書」、サンデー西村「バイオリン漫談」、笑丸「清水次郎長伝」、あやめ「ちりとてちん」、(中入り)、団四郎「百面相」、市馬「目黒のさんま」、福矢「阿弥陀池」、松喬「持参金」。客席は、どこぞの地方から団体でやってきたとおぼしきお年寄が多数を占めるかと思うと、中学生の集団も入っているという異様な雰囲気。黄紺の周りは、いかにも田舎の爺さん婆さんが、村の寄り合いをしている感じでした。舞台の方も、それを意識してか、いかにもというベタなネタが続きました。吉の丞などは、落語の解説から入ってました。純瓶に米紫のネタ選びも、こないな中では致し方ありません。笑丸も、ベタなマクラから、まだ聴いたことのない笑丸オリジナル・ネタ(?)へ。ただ、ここでダウン。中味を検証できていません。あやめも、繁昌亭のオープンとドラマ「ちりとてちん」と引っかけ、皆になじみ多いネタ選びでした。市馬は、秋に繁昌亭で遭遇するのが3年連続。そして、3年連続で「目黒のさんま」。市馬の世間知らずの殿さんが、何度聴いてもおかしい。そして、毎回、先代小さんの「あさげ」のCMネタをマクラでふってくれます。市馬のあとには、気の毒としかいいようがない福矢。最近、めっきり遭遇機会が減っています。縦横無尽のマクラを聴いてから、ネタを聴いてみたいですね。今日は、繁昌亭ということで、よそ行き顔の福矢でした。松喬の「持参金」は、初めてかもしれません。繁昌亭ではかけているのが判ってましたので、今日の客席を考えると、納得のチョイスです。テキストは、米朝をほぼなぞるもの。まあ、この噺はいじりにくいわね。
 雨が降っていたので、繁昌亭のあと予定していたミニウォーキングは中止。地下鉄で日本橋まで移動し、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。夜は、トリイホールでの「第5回柳亭市馬独演会」でした。番組は、次のようなものでした。市江「権助魚」、市馬「堪忍袋」、鶴笑「義経千本桜」、(中入り)、市馬「らくだ」。市江は、市馬の二番弟子。二つ目だそうですが、市馬の弟子って、パッとしませんね。人物描写、間の置き方など、道のり遠しです。ですから、今日も、市馬のマクラは、弟子についてのぼやきから。なんか、恒例になってきています。そして、もう一つの恒例、今日の昼も、そうだったように、師匠小さんネタのマクラ。今回は、夫婦ケンカ話。そこから自然に、「堪忍袋」へ。にぎわい座で聴いていますので、2度目の遭遇です。にぎわい座のときは、えらく気に入ったのですが、夫婦ケンカのところに、陽性的雰囲気というか、華のような爆発力を感じさせませんでした。会場の広さの違いからくることなのでしょうが、物足りなく感じてしまったのです。「らくだ」の方が、従って好印象。誰しもとまで言うと、まずいとは思うのですが、らくだの兄貴分は、怖くてごっつい男ということを印象づけるところから始まます。ところが、市馬は、そうではありませんでした。じわじわと、紙くず屋に、要求を出していくに従い、そういった部分を出してきます。そして、紙くず屋が、その怖さで、言いなりになるにつれ、調子に乗り出すという顔を見せ出します。一番底辺にいるのでしょうね、普段、紙くず屋は。ですから、怖さに踊らされてしていながら、普段は、上から目線でしか見てない長屋の連中に、仕返しをしている気分になっているのでしょう。特に、棺桶用の樽を調達しに行くときは、自分から喜んで行っているような演出を採っていました。この手法を採られて気がついたのは、紙くず屋の、顔の二面性を予告しているようで、もちろん酒が入ることにより見せる紙くず屋の顔と、きれいにバランスが取れます。酒の呑み方が見事です。一杯ずつの違いが表されていました。これは、すごい技です。ですが、酒を呑み出してからのテキストが不満です。三三のときは、もうちょっと時間をかけていたように思えます。先日聴いた米団治がショートカットしたときと同様の物足りなさです。紙くず屋が身の上話をするところは、全くありませんでした。東京では、これが定番なのだろうか、検証が必要です。そんなですから、紙くず屋が、簡単に酔い、らくだの兄貴分との立場の逆転が起こったように思え、リアリティーに欠けます。棺桶に詰めるまでの時間も、せわしなくなっていました、当然ですが。今日は、きっちりと、落合の火屋まで行きました。途中で、らくだを落としてしまい、替わりに寝ていた男を棺桶に入れ、火屋まで運び、火屋(冷や)と燗で落とすという型どおりのものでした。三三の「らくだ」のような、キャラ作りのおいしさを求めるというよりか、「地の群れ」的な社会ドラマを見ているような気分になりました。ゲストの鶴笑は、噂には聴いていた「義経千本桜」に遭遇でき、ガッツポーズです。パペット落語の技フル活動の上、釣竿を使って、狐忠信を宙づりにしてくれました。外に出ると、朝から悩まされた雨は止んでいました。明日は、朝から仕事ですので、ミニウォーキングはせずに、家に直行でした。




2011年 9月 30日(金)午前 5時 26分

 昨日は、きつい一日でした。完全な寝不足。4時間も寝てなかったんじゃないかな。二度寝をしようと呑んだお酒が無駄になりました。でも、夜はお出かけ。昨夜は、徳徳亭であった「第13回なんせいの講談格闘中!」です。2ヶ月に1度行われている会で、ずっと「太平記」が読まれています。昨日は、「大塔宮護良親王〜吉野宮合戦〜」という副題が付いていました。後醍醐天皇は捕われの身で、隠岐に流されようかという時期。楠木正成も千早赤坂で討ち死にしたと信じられていた時期が、それに重なります。そこで登場するのが、大塔宮護良親王というわけです。難を逃れるとともに援軍を得る目的で、熊野に下っていくのですが、十津川に差し掛かったとき、その当てにしていた熊野は、最早鎌倉方に寝返っているという情報を得たばかりか、当の十津川は勤皇方ということを知らされ、当地に身を潜めるのだが、十津川で裏切りが出て熊野い通報する者が出たために、吉野に逃れ、ここで敵を迎え撃つという具合になったところで、丁度時間になりましたといいところで切られてしまいました。次回は2ヶ月後、このいいところを覚えてられるでしょうか? で、気になる情報。「講談毎日亭」が、来春を最後に終わるそうです。客足が伸びないというのが大きな原因のようです。かなりショックです。




2011年 9月 29日(木)午前 4時 39分

 繁昌亭に行きだすと、繁昌亭が続くというジンクスが生きています。1週間で4回行くことになるという状態です。昨夜は、「たまのお笑い落語道場」。この二人が組むと、客は入りました。 番組は、次のようなものでした。生寿「阿弥陀池」、たま「寝床」、まん我「胴乱の幸助」、(中入り)、内田祥一&小仲ペールワン(たま&まん我)「プロレス浄瑠璃」、まん我「豆炭」、たま「猿之助芝居」。二人の会となると、かなりの落語通が集まってくるため、生半可な口演では、爆笑とならない。そういった雰囲気の煽りを受けたのは生寿。師匠生喬の口振りを思い出させるようなところもあったりと、生寿も頑張ってはいるのですが、空気を暖めきれずに交代となりました。たまの「寝床」は、随分と聴いてきていて、その日の気分により評価が分かれてきたのですが、昨日は、良くない方。いとはんが出てきて、主人を諭すところまでは、いいのですが、そのあと、実際に浄瑠璃が始まり、被害者が出るという展開は、グロテスクに感じてしまいました。寝入ってしまって、抵抗のようなものを表す元の型がいとおしくなってしまったのです。「胴乱の幸助」で、昨日はダウンです。冒頭の二人の会話がおもしろくなかったのです。「ぼーっと、立って立ってんねん」という男らの間抜けで、単純だけど愛らしい、そんなだからしょーもないこと考え出す、そないなキャラを感じさせない普通の男の会話っていう感じがして、全然おもしろいとは思えないなと思ったら、ダウンしていました。中入り明けは、色物としてのプロレス。でも、繁昌亭の舞台。ホントのプロレスをするわけにはいきません。たまとまん我が大夫となり、二人の浄瑠璃に合わせて、本物のレスラーが動き、最後には乱入もあるという演出。「豆炭」で、いつものまん我に戻っていました。豆炭を相手に会話をするという落語らしい設定、ただ設定の変さだけが印象に残るネタを、たいそうにせず、でも不思議さを漂わす口演は、まん我の腕があるから可能なのでしょう。「猿之助芝居」は、初物かと思っていたら、「できちゃった」だったかなで聴いています。そして、あまりいい印象を持たなかったなということも思い出していました。猿之助が、スーパー歌舞伎と称して、オリジナルな歌舞伎演出をやってきたということを、パロディーにした作品。構成は、「仮名手本忠臣蔵」の段進行に伴って変化していくオムニバス落語の形。ダジャレ集であったり、まともな歌舞伎の再現だったりするのですが、噺に一本筋が通っていないのが痛い。猿之助をおもちゃにし過ぎたり、芝居の場面で使うお囃子が、既成のネタで使われているものだったりと、ちょっと白けてしまうところなんかがあり、ノリが悪かったな。そんなで、二人の会だからという期待が過大だったのかもしれませんが、若干、消化不良のままお開きとなりました。




2011年 9月 28日(水)午前 5時 22分

  大阪市内遊歩(107)

 今日は、朝8時25分をメドにお出かけ。梅田に直行して、珍しい文楽の記録映画を観ました。「冥途の飛脚〜淡路町の段・封印切の段・新口村の段〜」が演題です。場所はテアトル梅田。だいたいこの手の映画は、朝一番の上映が相場。従って、出勤日ではないのに拘わらず、目覚ましをかけてのお出かけとなりました。ところが、今朝は、5時前に目が覚めたまま、二度寝をしないで行ったために、前半がダメだったですね。また、この映画は、劇場公演の記録フィルムではなく、撮影所に、文楽用の舞台のセットを組んだ上での上演という形になっていて、そのセットが小さく、幅も奥行きも乏しいという問題を抱えています。そのため、リアリティに乏しく、また大写しはあるのだが、カメラを引くと、余計なものが映るからでしょうね、常に大写しで、観にくいったらありゃしない。人形では、玉男さんが忠兵衛。何気ない動きに、とってもリアリティを感じてしまいました。住太夫さんの30年余前の声を聴けたのも収穫でした。
 映画が終わると、簡単に食事を済ませ、映画館を起点に、お楽しみのウォーキングをスタート。今日は、淀川大橋を渡り、西淀川区内に入ろうとの、ざっくりとした目標を持ち、スタートしました。一番簡単に、淀川大橋を渡るためには、淀川の堤防に沿って歩けばいいのですが、それはそれで気分はいいのですが、変化に乏しいので、ジグザグに歩いていると、淀川大橋を渡るまでに、小1時間かかりました。ですから、あわよくば尼崎市内へ入ろうとの甘い考えは、淀川大橋辺りで、あえなく断念でした。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。テアトル梅田〜豊崎西公園〜JR「うめだ006」橋梁〜北消防署大淀町出張所〜大阪市立大淀小学校〜浦江公園西交差点〜大阪市立八阪中学校〜海老江上公園〜八坂神社〜淀川大橋〜慈雲寺〜大阪姫島郵便局〜姫島神社〜姫島公園〜大野川遊歩道〜大阪市立大和田小学校〜千北橋〜大阪市立佃南小学校〜中島大橋〜阪神なんば線「出来島」駅。淀川大橋から千北橋まで、姫島地区を通って行く道というのは、最短コースをとったと思うのですが、結構かかります。「出来島」辺りから「福」駅まで引き返して、頃合いかと思っていたのですが、とんでもありませんでした。これで、ジャスト2時間のコースです。
 「出来島」駅から、阪神電車で16分、「なんば」到着です。午後は、今日も、ワッハのライブラリーを利用しました。今回も、新収蔵資料を発見。経営母体が変わっても、このスタンスが続いていることが確認でき、嬉しい限りです。本日の試聴ラインナップは、次のようなものとなりました。@読売TV「平成紅梅亭〜桂米朝文化勲章受賞記念〜」、米朝・ざこば・南光・吉弥「座談会」、石井竜也が語る桂米朝、桂春団治が語る桂米朝、家族(米団治・妻絹子)が語る桂米朝、千原ジュニア・吉弥「対談」A毎日放送TV「特選落語全集」、五郎「深山がくれ」、米朝「鍋墨大根」B朝日放送TV「米朝・小浜の上方笑芸繁昌記」。@は、受賞記念をうたいながら、最後の「対談」が、えらく長いという、不思議な番組。一門対談や、お祝いの言葉の方が、黄紺には嬉しいコンテンツです。その中で出てきた耳より情報。米朝が、ネタの少ない春団治に、ネタを譲ったのは、知られたエピソードですが、「代書屋」「親子茶屋」は知っていたのですが、「皿屋敷」もそうだそうです。また、露の五郎や先代文我も、米朝宅に稽古に来ていたとか。となると、二代目春団治一門丸抱えになってしまいます。Aは、新しい収蔵資料。珍品集と言えるものです。「鍋墨大根」は、南天にもらったと言っていました。南天の名前が出てくると、毎度悔しい思いが蘇ってきます。生で聴くチャンスがありながら、聴き逃してしまった噺家さんなのです。Bは、1時間をだいぶと超える長い番組。今日は、戎橋松竹の部分だけで切り上げました。
 夜の部までは、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、谷六の薬業年金会館であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。7月から「南総里見八犬傳」が始まっております。残念ながら、8月はトルコに行っておりましたのでパス。今、一番外せない会ながら、こればかりは致し方ありませんでした。今日は、里見の家が、安房の国を統一する過程が、まず読まれました。ここでは、当然、玉梓が出てきて怨霊となる物語、そして、伏姫と八房の物語となります。そして、両者の死とともに、「仁義礼智忠信孝悌」の8つの珠が飛び散り、一段落。金碗大輔は、僧体となり珠探しの旅に出ます。ここで、物語は八剣士の物語へと移行、となると、まずは、犬塚信乃の物語です。今日は、結城の合戦に敗れ、信乃の父親番作と、その父が落ちていくところからスタート。村雨丸を持ったままです。その番作が、手束と出会い、大塚に戻り、これから、いよいよ姉夫婦の大塚蟇六・亀篠夫婦との確執が始まる前で時間がまいりました。「八犬傳」では、全ての物語は、ここから始まるという発端部分、よく知られた物語、血湧き肉躍る昂揚感があります。これから、剣士が出てくる度に、その昂揚感は高まっていくことでしょう。




2011年 9月 26日(月)午後 11時 10分

 今日は、出勤日なのですが、のんびりとした一日。そして、夜は、繁昌亭です。今夜は、「ドリームジャンボコンテスト8R」がありました。この会は、今回で2回目。前に来たときは、佐ん吉がチャンピオンになったときでした。番組は、次のようなものでした。三歩&参加者「挨拶と抽選」、二乗「癪の合薬」、ぽんぽ娘「赤ちゃん談義」、染太「堪忍袋」、笑助「田楽喰い」、(中入り)、三歩「ドリーム・ジャンボ・コンテスト(仮題)」、雀松・三歩「結果発表」。二乗は、ネタ出しを誤った気がします。骨格のしっかりした噺のできる二乗が、くだけた雰囲気と、くさい口演が身上のネタを、どうして選んだのか、ネタ出しを見たときから、気になっていたのですが、やはり予想が当たりました。ましてや、運悪くトップを引いてしまってはダメです。変わりネタとして持つならともかく、コンペに、二乗が出すネタではないです。ぽんぽ娘は、ネタが短いため、営業ネタをマクラでふり続けました。これも、コンペという観点からすると、大きなマイナス点。ネタで、きっちり勝負するという姿勢が、まずコンペで高評価を得るための前提だと思います。「赤ちゃん談義」というネタは、確か2度目ですが、内容は、かなり進化したように思えました。赤ちゃんだけに関わる事柄の資料収集を、更に進めて、ネタを、更に進化させて欲しいものです。染太のネタ選びも、意外性十分でした。合うのか合わないのか、その予想もできないほどの意外性がありました。前半の夫婦が、ケンカのわけを言い合う場面は、かなり荒い、大味で、「堪忍袋」は、染太向きじゃないなの感想。ところが、染太が、このネタをやりたがったわけが、後半に入り明らかになりました。堪忍袋に、お互いの文句を言うところが秀逸。染太夫婦の痴話喧嘩を再現する内容にしたのです。これに、客席も、大きく反応。結果的に、これが効いたのでしょうね、染太の優勝となりましたが、黄紺は、前半の粗さはダメ過ぎると判断し、2位までにも入れませんでした。黄紺は、最後の笑助に、1位を付けました。夏前に聴いた笑助の「遊山船」が良く、急速に実力を着けてきた噺家さんと看ています。14年のキャリアだそうですが、落語をやってなかった時期が長かった人ですから、伸び代は、まだまだかなり大きなものがあるのではと期待しています。今日の「田楽喰い」も、おもしろい出来。ぼやーっととぼけた味を、ナチュラルに出せる噺家さんているかなぁと、笑助の口演を聴きながら考えてしまいました。いいキャラです。落語をやり始めた頃には、想像もできなかった化け方です。「ん廻し」に入ってから、その持ち味に、一層の磨きがかかっていました。そして、最後に、「神泉苑」で始まる長いくだりをしゅっと出す、気持ちのいい変化です。そうした計算も見事でした。出番も、ラストを引くという運の強さもあり、堂々の1位かと思っていたら、結果は2位に止まりました。おまけの三歩は、元ネタを、今日のためにいじって出してくれたようです。一家が、皆、芸能人の追っかけをしているおもしろ家族。それをひとしきりボヤいたお父さんは、外に出ると、友人たちと待ち合わせて、本日の会に向かうというもの。お父さんも追っかけだったという落ちのつく噺です。コンペの結果を、もう一度書いておくと、1位染太、2位笑助でした。




2011年 9月 25日(日)午後 10時 34分

  大阪市内遊歩(106)

 今日から、冬の旅行に備えて、チケットの手配を開始。とりあえずは3日分を確保したのですが、その作業の途中で、歌劇場のスケジュール・チェックのミスに気づき中座。細心の注意を払ってはいるのですが、歌劇場によっては、スケジュールの公表が不十分だったりして、いろいろと違ったところから拾うものですから、こないなことが起こります。今から考えてみると、この歌劇場なら起こりうるというもの。チケットを購入済みのところの変更は効きませんから、既定方針を前提に動くか、只今思案中です。
 ところで、今日は、午後に演芸を楽しみ、そのあと、映画に行くか、ウォーキングに入るか、そのときの気分で決めようなんてことを考えて出かけたのですが、メガネを古いものをかけたまま出かけたもので、呆気なくチョイスの幅がなくなりました。で、まず、国立文楽劇場の「第55回上方演芸特選会」からです。わりかしお出かけの頻度が高まっている会です。浪曲が、番組に組まれているというのが、とってもおいしいところ。古いタイプの漫才も聴けるのが嬉しいところです。その番組は、次のようなものでした。小鯛「動物園」、大吾・小吾「漫才」、京山幸枝司(岡本貞子)「出世の白餅」、暁明夫・あきら「漫才」、(中入り)、渡辺あきら「ジャグリング」、京山小圓嬢「刺青丁半」、雀三郎「天王寺詣り」。今朝、5時前に目が覚め、しかも、文楽劇場に行く前に、息子のところに寄って行くつもりだったので、二度寝ができずで、日曜日なのに、大変な寝不足。中入り前に、それが、見事にたたってしまいました。小鯛と幸枝司は、後半半分が吹っ飛んでしまいました。「動物園かぁ」「出世の白餅かぁ」と思ってしまったことが影響してしまったことは、否定できないですね。大吾・小吾は、男女コンビなんですね。一瞬たりとも疑念を感じさせるものを持ってるって、おいしいところです。暁明夫・あきらは、初遭遇。ギターと三味線の音曲系かと思わせられるのがミソですね。渡辺 あきらは、繁昌亭で観たような、、、。掴みのはずのパントマイムが、この会の爺さん、婆さんにはむずいんじゃないかな? そして、期待の二人。全然、この二人は格違いです。小圓嬢の人物描写、リズムをとりながらの節、大好きです。ただ、このネタは、元ネタからのおいしい取りなんでしょうね。浪曲では、頻繁にあること。ただ、うまいこと構成されないと、展開が中途半端になります。このネタも、飛び飛びなんですね。繋ぎが悪いったらありゃしない、せっかくの小圓嬢の好演の足を引っ張った感じがします。そして、本日最高の高座、やっぱ、雀三郎の「天王寺詣り」は天下一品。特に境内へ入ってからが最高。「天王寺詣り」なんてネタが、こないに受けるのかと思えるほど受けていました。一つは、境内の様子に共感できる世代が客席を満たしていたことが大きかったのでしょうね。大満足の高座でした。
 文楽劇場を出ると、その前からウォーキングです。秋分の日を過ぎていますから、3時45分スタートのウォーキングは、ギリギリのところです。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。国立文楽劇場〜大阪市立高津小学校〜源聖寺坂〜大阪市立生魂小学校〜石ヶ辻公園〜大阪市立桃陽小学校〜タイ料理店「マルム」〜桃谷公園〜弥栄神社〜在日韓国民団生野西支部〜生野北鶴橋郵便局〜玉津南公園〜第二明の守たまつ保育園〜大阪市立玉津中学校〜大阪市立中道小学校〜玉津橋〜南中本公園〜東成中本郵便局〜神路公園〜東成室内プール〜大阪市立東中浜小学校〜城運橋〜南しぎの商店街〜大阪市立城東小学校〜JR「鴫野」駅〜新喜多大橋〜地下鉄「蒲生四丁目」駅。今日は、一応、京阪沿線を目指したのですが、天王寺区内で、近くを通りながら通ったことのない道を選び、結構迂回をしていましたので、思惑通りにはいきませんでした。ま、それは折り込み済みのこと。最後は、「鴫野」かと思っていたところ、実際に着いたのは、2時間には、まだ8分あったので、頑張って「蒲生四丁目」駅を目指したのですが、1分超過しただけでした。新喜多大橋を越えると、「蒲生四丁目」の交差点は、あっという間です。




2011年 9月 25日(日)午前 8時 27分

 昨日は、午後から振替なしの出勤。去年は、随分と、振替なしの出勤に、時間を取られましたが、今年度になってからは初めて。ま、仕方ないとして、気になるのは、昨日、ウォーキングを始めるまではあったデジカメの充電コードとUSBコードがなくなったこと。一昨日、家を出るとき急いでいたため、カメラだけではなく、普段デジカメ関係グッズを一まとめに入れている袋ごと鞄に放り込んでいったのがあだとなり、どこかで、その袋をなくしてしまったようなのです。無くなると言えば、ホントに限られたポイントしかないものですから、狙いをつけて探してみました。かなり可能性が高いと思ったワッハのライブラリーは、ないと言います。もう一つ可能性のある「鶴ヶ丘」駅前にも行ってみました。たとえあったとしても、ごみとして捨てられたでしょうね、ありませんでした。自分の意識の跳んだところで、こないなことが、まま起こるようになっていますので、自分の動きを決まりきった動きにしようとしているのですが、一昨日のように、普段しないデジカメの持って行き方なんてことをすると、あっという間に、抜け落ちることが出てしまいます。ま、こないなことは折り込み済みなんで、くよくよしてても始まりません。「鶴ヶ丘」からの戻り道、電気屋に寄り、なくなったものを注文してまいりました。そないなことをしていても、時間的に大丈夫だったので、夜は、梅田シネリーブルで、オーストリア映画「ミケランジェロの暗号」を観てきました。昨夜は、落語会枯れの週末なのです。「ミケランジェロの暗号」は、「ヒットラーの贋札」のスタッフが作った作品で、今回もヒットラーもの。ヒットラーが、オーストリアに侵攻してくる少し前から、物語はスタートします。主人公は、ウィーンで画商を営む家族と、この一家に長く仕えていた女性の子ども。このルディという男はドイツ人です。物語の進行を前へ進めていくのは、この画商が持つミケランジェロの画。ヒットラーは、イタリアのムッソリーニとの関係強化を目的に、この画を手に入れ、ムッソリーニに贈ろうとする。画商の主人は、何枚もの模写を作らせ、本物を隠す。その主人は、最初の模写が接収されたあと、収容所でなくなってしまうため、本物のありかを知っているのは、息子のヴィクトルしかいないはずと、親衛隊に付け狙われる。その親衛隊に入って、ヴィクトルと対抗する役割を担うのが、ルディということで、このミケランジェロ争奪戦は動いていきまし。しかし、この映画のひねりは、追求する側のルディと、される側のヴィクトルの立場が、途中から逆転をしていくことにあります。ベルリンへ移送されるヴィクトルの乗った飛行機が、パルチザンにより撃墜されたことに端を発し、ヴィクトルが親衛隊員に、ルディがユダヤ人のヴィクトルになってしまいます。ですから、ミケランジェロの作品が、どうなるのかだけではなく、この入れ替わりがバレないかの興味が湧くような仕掛けになっていきます。どのような終わらせ方をするのかが関心のあるところでしたが、無残な終わり方をさせないには、2つの方法が考えられます。一つは、ミケランジェロは、ヒットラーの手に渡らず無事で、ヴィクトルらも無事という、映画の流れで、観ている者をホッとさせるやり方。もう一つは、強制終了ですね。ヒットラー政権が崩壊すれば、ミケランジェロ獲りの意味も消滅、親衛隊も威張ることができなくなるという構図です。この映画、それらの選択肢を全部使いました。スイスに逃れたのは、ヴィクトルの母親と恋人、強制終了で、親衛隊の追求も消えました。そのとき、ヴィクトルとルディが、一つの約束をします。それが、この映画に落ちをつける戦後の出来事につながる伏線になります。この映画、素材を、ヒットラーの時代にとったパラパラドキドキもののサスペンス映画のノリといったらいいかな。主張の明確な社会派映画というよりは、エンターテイメントに徹した作品と看ました。そして、ミケランジェロの本物も無事だったと、最後に在りかが明かされましたが、これは、ちょっとお約束の位置にありましたね。




2011年 9月 24日(土)午前 7時 52分

  大阪市内遊歩(105)

 今月2回目の3連休。前回の3連休は韓国に行っていましたので、今回は、休日出勤もあり、なかなかのんびりできません。とりあえず昨日は、12時をメドにお出かけ。まずワッハのライブラリーで、映像資料の視聴をしていました。昨日はは、「三枝大全集」の中からのチョイスです。三枝「年上の人」「にわか易者」「メルチュウ一家」「大阪レジスタンス」という、VTR1巻に目を着けました。問題作「大阪レジスタンス」を観たくてチョイスしたのですが、これはVTRがために、「大阪レジスタンス」を観たくても、最初から観なければなりませんでした。それぞれ三枝テイストが満載なのですが、中でも気に入ったのは、「メルチュウ一家」。視覚的にもメールの内容が解るようにした舞台が印象的。肝心の「大阪レジスタンス」は、淀川さんが拘束され、その拘置所内で、レジスタンス活動に誘われるところで時間切れ。また、最初からと考えると、気が重いものがあります。
 ワッハのライブラリーを、途中で切り上げたのは、そのあと、通常のウォーキングを予定していたからなのです。そのウォーキングのコースは、次のようなものでした。昨日は、夜にキンチョウ・スタジアムで、サッカー観戦をする予定でしたので、そちらに直で行けることのみを考えていました。ワッハ上方・NGK〜大阪市立難波元町小学校〜鉄眼寺〜鴎町公園〜大国町北公園〜JR環状線「今宮」駅〜中開交差点〜大阪市立鶴見橋中学校〜大阪市立松之宮小学校〜大阪市立梅南小学校〜大阪市立松通保育所〜敷津之宮御旅所〜大阪市立橘小学校〜地下鉄御堂筋線「岸里」駅〜阪堺線「聖天坂」駅〜大阪市立晴明丘小学校〜阪堺線「東天下茶屋」駅〜王子神社前歩道〜王子本通商店街〜桃山学院高校〜地下鉄御堂筋線「西田辺」駅〜JR阪和線「鶴ヶ丘」駅〜キンチョウ・スタジアム。「鶴ヶ丘」駅までが、どんぴしゃの2時間でした。歩いていたときは、ちょっと欲張りすぎたかなの印象で歩いていたがため、終盤、ペースをあげたからでしょうか、どんぴしゃでした。御堂筋線「岸里」駅や「西田辺」駅は、ウォーキングをしていて、初めての通過ポイントです。「西田辺」駅周辺って、結構賑やかなのにびっくりでした。また、「岸里」駅が、「天下茶屋」駅の近くだということも学習でき、今後のウォーキングに生かせそうな情報です。
 キンチョウ・スタジアムには初めて入ったのですが、ここで試合があるときの周辺の雰囲気、サッカーの試合が、この地域に根付いているという感じで好印象です。ちょっとしたトルコの地方スタジアムでの観戦を思い出していました。スタジアムの中も外もです。ただ、日本の客の若い層のお上品さには、頭が下がるというか、呆れるというか、これが、日本のサッカー文化なのかな。試合は、セレッソとモンテディオの一戦。モンテディオがサッカーをできたのは序盤だけ。厚いディフェンスに、セレッソ攻めあぐね、ディフェンスに回らねばならなかったのは、序盤だけでした。1点目の流れるような得点シーンなど、これは、モンテディオが悪いのではなく、セレッソが良すぎました。清武不在で、こんなだったらすごいわの印象です。2点目のヘディングシュートも、セオリー通りの囮が跳び、後の選手にどんぴしゃ。こんなにきれいなシュートシーンが続くと、黄紺も、思わず拍手。後半早々に2点が追加され、試合はおしまい。あとはスタジアムを出るタイミングをはかるだけ。後半20分過ぎには、スタジアムを後にしました。日本は、こないな試合でも、最後まで観るのかな? 帰ってから結果を見ると、試合終了間際に、あと2点入り、6:0というスコアだったとか。ありうる結果だなとは思いました。今季は、Jリーグ観戦3試合目でした。巡り合わせか、全部、セレッソの試合。また、機会あれば、試合観戦を試みましょう。




2011年 9月 23日(金)午前 9時 24分

 随分と涼しくなったものです。こないな気候が長続きをして欲しいと思うのですが、なかなかそうはいかないのでしょうね。昨日は、まともな仕事の一日。そして、夜遊びも、きっちりとこなす通常の木曜日でした。昨夜の行き先は、ワッハの4階、昨夜は、こちらで「第396回上方講談を聞く会」がありました。昨日の番組は、次のようなものでした。南斗「真田大助駿府の使者」、左南陵「大岡裁き小西屋騒動」、南湖「源頼朝の夜這い」、南北「八丈島物語」。南斗のネタは、南斗自身でも、南度目かになるおなじみのネタ。真田幸村が、息子大助を死なす目的で、家康のもとに使者として送り込む話。緊迫感のあるネタです。南斗は、マクラを入れて、30分間の口演。そないな時間、客席を惹き付ける力がついてきました。何かの都合で、出番が、左南陵と南湖が入れ替わりました。左南陵は、東京にいたことがある関係か、兄弟弟子のやらないネタを見せてくれます。「大岡裁き」は、通常、大阪の講釈師さんはやりませんものね。昨日は、発端部になるのかな、小西屋の跡取息子が、今は浪々の身の侍の娘を見初めるところからの物語でした。続きを聴きたいものです。南湖は、時代を変え、頼朝もの。頼朝が伊豆に流され、その地で女と出会う話だということは解ったのですが、昨日唯一のボヤーッとした時間。前日の寝不足が祟り、3代目南陵が好みそうなネタをすっ飛ばしてしまいました。「八丈島物語」は、聴いてみて、前に聴いたことがあるぞの記憶が蘇ってきました。ということは、あまり出ないネタ。関ヶ原合戦後日談的物語です。関東方に付いた福島正則が、ご機嫌伺いに江戸に船で上るとき、八丈に着き、そこで石田方についた浮田秀家と出会うという物語です。もの悲しい語りは、南北さんお得意のところ。いいトリだったと思います。




2011年 9月 22日(木)午前 5時 4分

 昨日は、台風一過の一日。一昨日、帰ってきて正解と思っていたら、一日遅くても、黄紺の乗った飛行機は飛んだんじゃないかな。ま、それはいいとして、昨夜から早速落語会に復帰。玉造で毎月開催されている「第69回玉造 猫間川寄席」におじゃましました。番組は、次のようなものでした。智之介「目薬」、雀喜「ダンゴマン」、文我「妲妃のお百」、(中入り)、團朝「魚の狂句」、文我「吹替息子」。智之介は、こちらへは初登場とか。ここまで、ネタが全部違うという文我の会で困るのは、前座ネタでしょうね。そんななか、「目薬」を持っているというのは、貴重だったということでしょうか。雀喜は、新作で登場。「ダンゴマン」は、虫と人間がドッキングをして、身の回りの小さな悪を退治する噺。「動楽亭昼席」で、雀喜が、このネタにつき、南光に叱られたという噂を聞き付けた文我がオファーを出したとか。「妲妃のお百」は、ネタ下ろしの直前、京都の会でフライングして出したとき以来の遭遇。かなり長い噺であることは判っているのですが、文我が、常時どの部分を取り上げているのかは分からないのですが、昨日は、お百が、大阪にいて、亭主の子分が、亭主の無事を知らせにきたときに、2階に軟禁している女を殺させるところでした。そして、殺された女が化けて出てきたのではと思わせられるところで切りました。東京も大阪も、ともに講釈ネタだと言ってました。大阪の方は、文団治のネタ帳からだということは明らかになっていましたが、文団治自身は、講釈師時代に仕入れたものだろうと、文我は言ってました。「魚の狂句」も珍品。色街と様々な女を、魚を折り込んだ狂句で表すだけというネタ。とっても短いので、團朝は、現代版を披露し、大きな拍手を浴びていました。「吹替息子」に先立つマクラは、喜丸の奇行。そないな話を聞くにつけ、今生きていたら、いい味を出してたろうなと思ってしまいます。「吹替息子」は、道楽息子もの。お茶屋遊びに行きたいために、顔立ちが似ていて、声色のできる男と入れ替わるのですが、そこは落語、そないな設定から生まれるドタバタが描かれました。ネタが、ここまで69回、一つもネタが重ならないように、番組が組まれているため、結果的に不思議な番組が出来上がり、随分と楽しませてもらえたなの印象です。




2011年 9月 15日(木)午後 11時 27分

 明日からの自分的5連休を前の最後の勤務日、昨夜の寝不足が祟り、かなり厳しい一日となりました。勤務時間が終わると、そそくさと夜遊びに出発。昼間、体調的に厳しい日ほど、夜遊びでリフレッシュをの気持ちが大きくなります。今夜のお出かけ先は「徳徳亭」、トリイホールの1階下のスペースです。今日は、こちらで「とくとく寄席〜まるこ・ぽんぽ娘プチ二人会〜」があったのですが、主役の一人ぽんぽ娘が、ドクターストップとかで、お休み。慌てて、昨日になり、智六を確保、更に、今朝になり、団姫の新夫豊来家大治朗にも出演要請して、格好がつくようにしたということです。番組は、次のようなものとなりました。智六「色事根問」、豊来家大治朗「太神楽」、団姫「大福屋五平」、出演者全員「トーク」。時間が余ってしまうことを考え、たっぷりすることを許された智六は、なんと40分の高座。年季明け報告などのマクラをふってからネタへ。智六が、まともにマクラをふって落語をするのは初遭遇。だいたい高座に接するのも、確か2度目のはずです。あまり前座として使われない噺家さんとインプットされています。「色事根問」は、大変なくわせもので、「五精」から「動物園」に持っていってしまいました。まだまだ高座で使う丁寧言葉とかは不十分ですが、以前に比べると、かなり噺家口調になってきており、修行の成果が感じられました。あとで判ったのですが、団姫は結婚したのですね。そのお相手が、豊来家大治朗。今日は、あり得ない「徳徳亭」の高座。狭くて、傘に毬を乗せて回すと、天井に触れるのではの恐ろしいスペース。ついには、舞台を降り、客席の最前列の狭いスペースを使わねばならなくなっちゃいました。団姫のネタは、聞いたこともないネタだったのですが、団姫の説明を聞いて、ネタの由来が判明。和菓子会社のイベントで披露する新作でした。新しい和菓子を、団姫キャラで創作し、その発売に合わせて、この落語を披露するという仕掛けだそうです。ですから、噺の中身も、新しく和菓子を創作するものになっていました。本日ネタ下ろしでした。最後のトークでは、「太神楽」に、噺家さんが挑戦するコーナーがおもしろく、太神楽を演じているときのポイントが見えてくるようなもので した。




2011年 9月 15日(木)午前 4時 1分

 暑いまんまです。夜も涼しくなってくれません。ただただ我慢するだけですが、ウォーキングをしているときだけ、暑いのが苦にならないのです。汗をかくのが気持ちいいのです。昨日も、夜遊びに行くまでの僅かの時間をとり、ミニミニ・ウォーキング。夜は、天満橋の双馬ビルであった「南華はたちの会」に行ってきました。動楽亭では、「できちゃった」があったのですが、南華さんの会をセレクトです。南華さんは二席、前回で「曽我物語」が終わりましたが、新たな続き物を用意するのではなく、先日の「トリイ講談会」にかけられた「野口英世」が出され、もう一つは、「野狐三次」でした。この会の冒頭では、いつもマクラとして、近況報告がされるのですが、その内容が、結構、講談界の裏話的な話が聞けて、毎回のお楽しみ。裏話と言っても、言っちゃいけない危ない話が聞けるというのではなく、仲の良い3代目南陵門下のわちゃわちゃ話が聞けるというだけなのですが、これは聞いているだけで楽しくなる話ばかりなのです。昨日は、8月17日にあった「3代目南陵追善講談会」の口上や打ち上げネタ。お酒を呑むと出る困ったことに、大笑いさせていただきました。「野口英世」は、2代目南陵が、学校公演などで、よくかけていた自作の講談だそうです。それを、南海さんからもらったそうです。前回聴いたときには気づかなかったのですが、えらく言葉に推敲のあとを感じ、また、出てくる詩的とまで言える表現を聴き、これって、南華流じゃないぞと思っていたら、どんぴしゃの大当りでした。また、前回ぼやっとしていて、聴き逃した英世の火傷の原因ですが、特に母親が、何かをしたからというのではなく、母親が目を離した隙に、英世が、囲炉裏に落ちてしまったということでした。「野狐三次」は、前回、三次の妻お糸と、三次の育ての親が会いました。そして、二人は、一緒に江戸を目指したのですが、持っていた金目当ての男に、あっさり三次の育ての親は殺され、お糸は谷に身を投げます。生死は不明です。ここで話が切れ、今度は、親探しから江戸に戻ってきた三次の話。帰ってくると、育ての母親は亡くなっていました。寺に参ったり、江戸に戻ってきた挨拶回りの途中に、ケンカに出会いますが、そのケンカが、今後の展開を生む基だそうで、それが予告されて、会は終わりました。




2011年 9月 13日(火)午後 10時 43分

  大阪府寝屋川市(35)

 今日は、朝から金曜日スタートのプチ旅行の準備。一応、国外に出るので、お金の用意とかに、時間を取られてしまいます。最近入るようになった旅行保険も、今朝加入手続きをしました。そないなことで、バタバタしていると、お出かけが12時に。お気に入りの寝屋川市内のお店で、お昼を食べ、そのあと直ちにウォーキングに移行しました。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「寝屋川市」駅〜寝屋川郵便局〜寝屋川消防署秦出張所〜下観音橋〜春日神社〜成田山境橋口交差点〜寝屋川市立田井小学校〜音羽町交差点〜新平池橋〜寝屋川石津南郵便局〜寝屋川消防署〜寝屋川市立池田小学校〜韓国居酒屋「ハチ」〜大利元町公民館〜寝屋川市立西小学校〜寝屋川高柳郵便局〜上神田公民館〜上神田公園〜寝屋川市立神田小学校〜京阪「萱島」駅。このコースは、ちょうど京阪「寝屋川市」駅を中心に描いた円上のコースを歩いたようなものです。近くの道、交差をする道は、何度も歩いたことのある道、でも、そういった道から僅かにそれたところを通るだけで、ちょっと新鮮な気分。そんななか、春日神社などという手持ちの地図には記載されていないスポットを見つけたりもしました。ただ、今日の昼下がりは、半端な暑さではなく、2時間が2時間とも、とってもきついものがありました。特に前半ですね。2時間もつだろうかの不安を持ちながらのウォーキングでした。
 「萱島」から天満橋経由で「東梅田」に移動。最初の計画では、ワッハの視聴覚ライブラリーに行くつもりだったのですが、思いの外、ウォーキングで疲れを感じてしまったため、それをスルーして、夜の部に備えることにしました。夜は、テアトル梅田で、スペイン映画「ペーパーバード」を観ることにしていたのです。この映画は、スペイン内戦が終わり、ブランコが政権を執った時代の物語です。登場人物は、芸人一座の出演者と、その一座を監視する憲兵が主たる役割を担っています。主役のホルへは、内戦時代の爆撃で妻子を亡くし、一座を離れていたのが、その一座に戻ってきたところから、事実上物語はスタートします。一座を離れていた間のことは語られず、ホルへ自身の本音が、どこにあるのか判らないように作ってあるのがミソで、ブランコ体制に、どういったアクションを起こすのかと、観る者を想像逞しくさせてくれます。この映画の、とっても上手い作りの最大のポイントです。もう一方の主役が、その一座に紛れ込んできミゲルという少年です。自称、芸人だった両親は死亡ということで、本人は、芸人志望であることは間違いないようです。それに加えて、ホルへの相棒らとの間で、疑似家族の雰囲気が、次第に出来上がってくる一方で、ファシスト政権の弾圧も厳しさを増してきます。また、ブランコ賛美のニュース映画の中に、ミゲルの母親らしき女性が出てきたと、ミゲルが騒いだため、母親探しの物語が、途中から加わっていきます。そういった中で、やがてミゲルの母親の居どころが知れ、また、一座が、ブランコの御前での公演が組まれていきます。クライマックスに入っていくのですが、あとから考えると、この2つが出てくる唐突感があります。あくまでも、あとから考えると、仕掛けが見えるのですが。クライマックスに入ると、客席で鼻をすする音が出てきます。黄紺も、涙腺が刺激を受けてしまいました。ホルへのスタンスに心が動かされてしまったのです。ホルへが、何を考えてきたのか、彼の言動の軸が、ここに至って、ようやく見えてくるのです。この映画の最後には、年老いたミゲルが、芸人として大家となって登場し、短いのですが、昔語りをします。これが、またいいですね。彼が目をやる窓の外では、現代の自由なスペインの風景が写されるのも、心を締め付けます。これは、お薦め映画です、最大級のお薦め映画です。




2011年 9月 12日(月)午後 11時 19分

 暑いです。毎日、同じことを書いてしまいます。どこかで涼しくなるのでしょうが、どこから涼しくなるのでしょうね。ま、週末のプチ旅行は、服の心配だけはしなくて済みそうですが。で、今夜も繁昌亭。今日は、2つ目の3連休には、繁昌亭の朝席三昧をしようと、繁昌亭に行くついでに、前売り券を買うつもりをしていたところ、その辺りで、休日出勤が入ってきそうなことが判明。世の中、思い通りにはいかないものです。今夜の繁昌亭は、「第12回桂文三の満腹全席」がありました。自分的には優先順位の高い会の一つ。その番組は、次のようなものでした。市楼「普請ほめ」、文三「喧嘩屋」、風喬「試し酒」、(中入り)、文三「植木屋娘」。市楼は、若干はしょりめの「普請ほめ」。「牛ほめ」的要素を排除した上での、更にはしょりめでした。「普請ほめ」の後半から、次の「喧嘩屋」で、今日は朦朧状態に。変則的な睡眠をとったバチが当たりました。殊に「喧嘩屋」は初遭遇だったので、まともに聴きたかったのですが。風喬は、大ネタの「試し酒」。手掛けているとの情報は持っていたのですが、遭遇は初めてです。「試し酒」は、一時、塩鯛が頻繁に掛けていた頃に聴いて以来じゃないかな。あまり出ないネタです。それほど難しいネタということでしょう。風喬は、田舎者の九蔵を、博多弁にしました。怪しげな博多弁もありましたが、それはそれで違和感なく入ってきました。一番気に入ったのは、酔い方が、実に自然だということです。人物描写に安定さを欠いたり、気になった部分もあったのですが、この酔い方がうまいというのは、他に替えがたい強みです。文三が、自分の会の中トリに置き、このネタをさせた気持ちが伝わってくる高座です。これから、風喬の「試し酒」が、いかに熟成していくかは、注目に値すると思いました。そして、客席に大受けの「植木屋娘」が、本日のトリ。とにかく、きょとで慌て者の幸右衛門を、デフォルメしながら、嫌味なく受け入れられたということでしょう。あまりに、強烈な個性で描かれるものですから、幸右衛門とその他の登場人物という感じで、他のキャラは、極力個性を抑制した演出。これが上手いですね、個性と個性の衝突に持っていかないところが。ここ数年、文三の声域が、どんどんと上がっていっていたのが気になり仕方なかったのですが、今日の会に限って言えば、だいぶと落ち着いたかなの感じ。それも追い風になり、花◎の口演と言えるでしょう。




2011年 9月 11日(日)午後 8時 54分

 明け方に、ほんの少しだけ涼しくはなりますが、真夏の暑さは続いています。今朝は、この週末に向かうプチ旅行の資料集め。ここ数日続けてきたことに、おおよそのメドがたちました。で、そないなことに時間を割かねばならなかったため、今日は、ウォーキングを中止。替わりに、昨日、時間を見つけては歩いていたのです。日は、まず一心寺南会所へ。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。8月が跳んでいますから、2ヶ月ぶりのおじゃましたことになります。本日の番組は、次のようなものでした。真山誠太郎(真山裕子)「長兵衛男の花道」、春野美恵子(虹友美)「田宮坊太郎」、京山幸枝司(岡本貞子)「破れ太鼓」、松浦四郎若(藤信初子)「太閣記〜禁酒百石〜」。毎回、浪曲親友協会の事務局のNさんが書かれているのでしょうか、受付前に、3日分の番組表が貼り出されます。が、今日は、その番組表を見て、がっくり。前の3人の出演者の演題は、おなじみすぎるもの。殊に、真山誠太郎、京山幸枝司のお二人は、前にこの席で遭遇したときのネタのはず。また、春野美恵子さんの「田宮坊太郎」は初めてですが、「田宮坊太郎」はかかり過ぎです。てなことで、リラックスして聴いていると、半ばで、判を押したように、いい心地に入ってしまいました。そんなで、最大の期待は、松浦四郎若師。滑稽な噺にも魅力を発揮する松浦四郎若師、この噺は、場内やんやの喝采。厄年に産んだ子どもは、一旦捨て子にすると、よく育つとの言い伝え、その子どもを拾った佐助さんの右往左往が可笑しくて、大受けだったということです。最後に盛り上がり、ようやく浪曲席に来た気分になれました。
 一心寺南会所を出ると、直ちに新世界へ移動。移動時間は、50分を切っていました。と言うのも、午後4時という変則的な時間から、動楽亭で「第3回吉の丞進学塾」があったのです。ディープな落語ファンは、「宗助独演会」に回っていたようで、見かけない客層で、客席はうまっていました。その番組は、次のようなものでした。團治郎「動物園」、吉の丞「餅屋問答」、歌之助「花筏」、吉の丞「化物つかい」。團治郎は巻き舌が、だいぶと直りましたが、まだ出ますね。いかにも落研出身という感じなのですが、直す人がいなかったみたいですね。歌之助の「花筏」は初遭遇というか、歌之助自体が久しぶり。吉の丞の作った粗っぽい雰囲気の、いい色変わりになる端正な高座。やっぱり歌之助となると、人物の描き分けがしっかりしていて、更に、それが安定しています。また、それを崩すのが、くすぐりとなります。吉の丞は、「化物つかい」がネタ出し、且つネタ下ろし。「餅屋問答」の方は、前から手掛けていたのですね、自分的には、初遭遇でした。ところが、これが、とってもいい出来栄え。主人公に合わせて、噺の語り口調全体に、敢えて粗野な言葉づかいで通すというコンセプトに、見事に成功してました。それが、わざとらしくもなければ、浮きもしていない、実に見事です。おまけに、吉の丞のキャラにも合ってるということで、今後の吉の丞の売りとなるネタになるのじゃないかな。「化物つかい」も、ネタ下ろしとは思えない上出来。えらそうに仕切るオヤジが、しっかりと安定して描くことが、最初から最後まで一貫してできてるからでしょうね、どないな化物が出てきても、びびりそうですものね。そのように考えると、吉の丞は、とってもいいネタ選びをしています。所謂、人に合ったネタを、自分のものにしているということです。となると、今度は、ミスマッチとも思えるようなネタを処理する吉の丞を見てみたくなりました。それだけ、いい会だったということです。




2011年 9月 11日(日)午前 7時 43分

 昨日は、一昨日同様、完全に真夏の復活。むっとくる暑さです。そないな土曜日の一日は、繁昌亭三昧の一日。昼席と夜席を続けて行くという、久しぶりの連ちゃんをしました。東京からの菊之丞が、昼夜ともに出るということが、その理由です。福笑が出る昼席は、必ず行くと決めているのですが、週末は避けていたのですが、菊之丞が出るのは昨日だけということで、土曜日となった次第です。番組は、次のようなものでした。呂竹「狸賽」、竹丸「角力場風景」、春駒「刻うどん」、ビックリツカサ「マジック」、団朝「秘伝書」、枝女太「持参金」、(中入り)、米平「立体紙芝居」、菊之丞「太鼓腹」、喬楽「上燗屋」、福笑「宿屋ばばあ」。どうも中入り前は、型どおりのネタが続き、ちょっと退屈。ちょっとだけ、それをしのいでくれたのが、枝女太の「持参金」、かと言っても、枝女太では、聴いた記憶がないという程度。色物も、ビックリツカサでは、ピリッとしないつうか、いいものを見たというところまではいかないものです。後半に入り、「立体紙芝居」は、「シンデレラ」。「西遊記」を見慣れた者からすると、仕掛けが淋しいですね。菊之丞は「太鼓腹」。この手の噺をきっちりやってくれると、申し分ありません。東京版は、実際に針を指すまでに時間を割きます。菊之丞も、そうでした。実にテンポがよく、昼席一番の満足です。喬楽の「上燗屋」が思いの外、おもしろい繰返しフレーズを聴かせてくれました。カウンターにこぼれているもの、置いてあるものを尋ねるときの「これ、何」が、「平の陰」の「書いたある」的効果を狙い、それなりのものが出ていたと思いました。福笑は「宿屋ばばあ」。このネタをおもしろいと感じるときと、あまりにデフォルメされた婆さんに引いてしまうときとに分かれるのが常ですが、昨日は、婆さんにあくの強さを感じられず、聴いている者にノリを生まなかったような感じがしてしまいました。
 繁昌亭を出ると、直ちにウォーキングに移行。但し、繁昌亭の近くを、45分くらいをメドに一回りをするミニウォーキング。昨日は、繁昌亭に入る前に、40分余のミニウォーキングをしていますので、合計1時間半ほどのウォーキングをしたことになります。少しだけ、南森町のネットカフェで時間調整のあと、午後6時開演の繁昌亭夜席に向かいました。昨日の夜は、「銀の花瓶に菊之情」がありました。この会は、銀瓶と菊之丞の二人会。去年はパスしましたから、2年ぶりとなります。昨日の番組は、次のようなものでした。佐ん吉「代脈」、菊之丞「船徳」、銀瓶「一文笛」、(中入り)、銀瓶「宿題」、菊之丞「幾代餅」。佐ん吉の「代脈」は、往診に行ってから、遊び過ぎ。おもしろくしなきゃの意識が働き過ぎたかなの印象。菊之丞のネタの並びが、いかにも東京の噺というところで、感じがよかったですね。「船徳」は、テンポが命ですね。不慣れな魯をこぐ若旦那のドタバタを、ちょっとはすかい目線でテンポ良く仕上げる、菊之丞の評価が高いわけが解ります。一方の「幾代餅」、人の届かないような高味に昇華した清三の一途の思い、それに応える崇高な託宣のように聞こえる幾代の声、どうしても、そういったものを期待してしまう黄紺の視点からすると、そこまでの高味には届いていませんでした。さん喬の名演が耳に残っているものですから、不完全燃焼感が残りました。銀瓶は、馴染みのネタを並べました。静かな語り口と得意とする銀瓶が手がけようとする気の理解できる「一文笛」ですが、銀瓶は、場面転換、気を換える場面で、どうして息をのみ、間を作らないのでしょうか? とっても気になりました。下げを言うときも、それをするだけで、効果倍増だと思うのですが。「宿題」はいじってました。最初の問題に、新しい、そして短い問題を持ってきて、2つ目以後を、元の問題にしました。徐々に問題が複雑になるようにとの工夫です。一つの見識だとは思いましたが、問題に突っ込みを入れて、噺の流れを徹底させるという意味では、原型が最高なんではないかな。この二人会、菊之丞が、随分とアウェー気分を脱してきています。4年目に入った効果でしょう。一方の銀瓶は、菊之丞より5歳上ということもあり、完全にホーム気分の更に上気したノリでの高座になってきています。おもしろい会ですので、1年先を楽しみにしておきましょう。




2011年 9月 10日(土)午前 1時 00分

  大阪市内遊歩(104)

 トルコから帰ってきて、その疲れがとれないなか、慌ただしい日々を送っていたため、更に疲労が蓄積していっていたため控えていたウォーキングを、今日から再開しました。天気予報が気になっていたのですが、太陽が出ているというお天気。午後からの予定をにらみながらのコース設定は、いつもながらのこと。その詳細は、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜筋違橋の碑〜大阪市立西船場幼稚園〜大阪江戸堀郵便局〜大阪市立花乃井中学校〜靭公園〜地下鉄「阿波座」駅〜新町西公園〜松島橋〜松島公園〜大阪ドーム〜ハローワーク大阪西〜「かんじょう042」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜尻無川大橋〜尻無川水門〜甚兵衛渡船場〜泉尾浜公園〜大阪府立泉尾工業高校〜順教寺〜大正泉尾一郵便局〜大正郵便局〜JR環状線「大正」駅。阿弥陀池筋を主として南下して、松島橋から九条に入る、更に、できるだけ、コンパクトに歩き、尻無川大橋を越え、大正区内に入り、そのあとは、お時間に合わせて、「大正」駅にたどり着こうというものでした。大正区内に入ったあと、「芦原橋」駅に向かおうかとも考えていたのですが、なんか、せっかく大正区に入り、横切るだけではつまらないということで、尻無川左岸道路を、下流に向かい歩くことにしました。久しぶりのウォーキングにしては、体が軽く、ブランクを感じなかったのですが、1時間半を過ぎたあたりから、急に足取りが重くなり、最後は、かなり顎を出してしまってました。一つには、最近の涼しさに比べれば、かなり気温が上がったことに原因があるのでしょうね。前半に比べて、後半の汗のかきかたは、比較にならないほどの激しさもありましたしね。
 「大正駅から「新今宮」に移動。午後は、今月3回目となる「動楽亭昼席」。前2回と、うまい具合に、出演者がずれたこともあり、こないなことになりました。今日の番組は、次のようなものでした。鈴々「子ほめ」、小鯛「兵庫船」、吉坊「米揚げいかき」、塩鯛「時の氏神」、雀々「がまの油」、(中入り)、米輔「悋気の独楽」、よね吉「鴻池の犬」。今日は、久しぶりのウォーキングが堪えてしまいました。塩鯛、雀々、よね吉は、まともに聴けたかな。あとはとびとびっていうところです。ま、米輔の「悋気の独楽」だけは、いいかげんにしてくれということで、自主的に休憩時間にしちゃいました。今日、一番客席をわかせたのは塩鯛。雀々が「やり過ぎ」と言うくらいですから、その凄まじさが知れようというものです。初遭遇の「時の氏神」は、ケンカの噺ですから、こりゃ、ざこば一門としては、ネタが豊富。異様に盛り上がりました。塩鯛が、時間オーバーもいいところだったので、短めのネタで、塩鯛に対抗しようとしたら、雀々は、鉄板ネタの「がまの油」となるのは、必然の流れ。前半が終わり、そのあとのがまの油売りの行動を説明するところから、既に、雀々の口調は、酔っ払い口調。この演出は、素晴らしい。雀々の非凡なところです。よね吉は、二人の先輩に圧倒されながら、それを肴に、徐々にマイペースに。「鴻池の犬」を手がけ出しているという情報はキャッチしていたのですが、こないに早く遭遇できて、自分的には、かなりのお得感を味わったのですが、犬の場面になってからの雰囲気のかけ変えが、今日はも一つだったですね。前半の呈示部分は、さすがよね吉、しっかり口調と拍手を送っていたのですが。枝雀や千朝は、ここのスイッチを変えるのが上手いんだということが、よね吉の口演を聴いていて理解できました。ただ、弟犬との再会譚を聴いていると、人情噺風に持っていきたかったみたいですね。
 動楽亭がはねると、千日前のいつものネットカフェに、歩いて移動。30分ちょっとかかります。夜の部への移動には、こちらのネットカフェが、好位置にあったのです。そして、夜は、九条のシネヌーヴォで映画「ミラル」を観てきました。パレスチナ問題を取り扱った映画です。主人公は二人いると言えばいいかな。親を失ったパレスチナ人の子どもを育てるヒンディという女性、そして、その施設で育ったミラルという女性。ヒンディが、私財をはたき、その施設を作るきっかけは、イスラエルの建国。その施設で育った女の子がミラル。最後の方で、ミラルの出自が、少し明らかになりますが、ずっとその施設をサポートするイマームの子どもとして、ミラルは育てられます。この施設は、ずっと政治的なアクションから引いているということで、存在を維持してきているのですが、一方で、パレスチナ人のアイデンティティを育むという難しいコンセプトのもと、教育を行っています。その方針のもと、難民キャンプの子どもたちの指導に派遣されたミラルは、イスラエルによる不法占領、それに対するインティファーダを目の当たりにします。多感なミラルは、戦うパレスチナ人に共感を覚え、政治的活動に関心を持ち、その中で活動家の恋人もできてしまいます。ミラルは、そのため拘束を受けたり、拷問を経験したりします。そういったミラルを心配するイマームの父親の品格が、心に沁みます。ときは、1993年のオスロ合意の時代。その推進役であったミラルの恋人ハーニは、反対派に殺害され、また、ミラルの父親が病で亡くなります。そこをしおどきに、ヒンディは、ミラルにイタリア留学の手続きをします。とここで、映画は終わります。この話は、実話ですので、そのあとが気になります。オスロ合意が、その後、現実のものにならなかったのは判っていること、それを外して、こんなところで終わっていいものでしょうか? 一つは、ヒィンディの死が1994年、ミラルの留学直後だということで、主役二人が、パレスチナを離れるということで、そうなったのでしょうが、もう15年以上経っています。制作者としては、オスロ合意がピークという考え方なんでしょうね。ストーリーの中で、ミラルとユダヤ人女性との交流に、かなりの時間が裂かれています。そういったことを考えると、オスロ合意がという考え方は当たりのような気がします。それ以後は、悪くなるばかりとの認識なんでしょうね。それは置いておいて、パレスチナ問題を考えるに、貴重な作品という価値が落ちるわけではありません。




2011年 9月 9日(金)午前 8時 13分

 一昨日は、家に直行。かなり疲れ気味だったので、いい休養になったみたいなのですが、完全に、疲れが取れたわけではないのです。ちょっと、疲労が溜まりすぎという感じがするということは、トルコで溜めてきた疲労が取れきってなかったってことなんでしょうね。今日からは、3連休となりますから、この間に快復しなければなりません。来週の週末には、再び日本を離れる予定ですので、ここいらでゆっくりしなければならないのです。で、今夜は落語会。ワッハの4階であった「第33回お笑いまん我道場〜大阪編〜」に行ってまいりました。この会におじゃまをするのは、ちょっと間があいたかなの感覚です。ま、廻り合わせというやつだと思います。番組は、次のようなものでした。吉の丞「強情」、まん我「矢橋船」、雀松「腕喰い」、まん我「三十石」。吉の丞は、人に合ったネタ で、ばっちりと前座の役を果たしました。昨日は、そのあとからの番組が、興味津々のラインナップ。「矢橋船」だけは、ネタ出しがされてませんでしたが、旅ネタで固めたいというまん我の意向ですが、船で固めてしまいました。色尽くしのところは、ちょっと考えながらという感じがしないわけではなかったのですが、明るく陽気な雰囲気を出そうという気持ちが伝わってくる口演で、好感を持ちました。ただ、同じネタをするたまの口演のインパクトが強すぎて、どうしても、そちらに引っ張られながら聴いてしまいました。雀松の「腕喰い」は、先日の自身の会でもかけていましたので、新たにネタに加えたのではと思っています。前半の若旦那が徳兵衛を訊ねる場面が、落ち着いて語られ、この噺の枠組みを、しっかりと呈示していたのが、まず印象的。若旦那が、とことん落ちぶれることにより、世間が見えてきたのだなと解らせること、また、徳兵衛の暖かな心根を解らせること、この二つが、じっくりと染み入らせるのに十分な落ち着いた語り口と看ました。怪奇的展開を見せる後半部分に、雀松特有のライト感覚の演出が光りました。腕喰いの現場を見つけたときの、若旦那の反応、これは、雀松にしかできない軽さ、一方で、腕を喰う妻に語りかける言葉に入る気のようなものに、前半の呈示の部分が生きてきており、このネタに、結構なリアリティーが生まれたように思えました。雀松十八番に入れていい出来栄えだったと思います。「三十石」は、「矢橋船」の延長戦のような色合い。明るくご陽気にを心がけた口演に好感が持てました。京見物からのフルヴァージョンですが、船宿での帳面を取る場面、お女中に妄想を巡らす場面で、軽い刈り込みは納得のもの、そして、最後は、枚方の民俗歌を歌い、「三十石は夢の通い路」で切るというオ−ソドックスな仕上げでした。ただ、舟唄が入ってくるあたりからの、時間の経過を表す長閑な情緒が物足りなかったですね。とっても難しいところですが、この切り上げ方では重要なことだと思いますので、今後に期待しましょう。




2011年 9月 7日(水)午前 5時 56分

 昨日は、日曜日の代休。でも、黄紺は非勤務日のため、別途振り替え。但し、トルコ旅行に、既に使ってしまってますが。で、昨日は、落語三昧の一日。午後は、今月2回目となる「動楽亭昼席」。その番組は、次のようなものでした。鈴々「子ほめ」、吉の丞「軽業」、吉弥「書割り盗人」、雀松「船弁慶」、(中入り)、わかば「つる」、米団治「らくだ」。昨日は、ここまで疲労困憊していたのかを、この昼席で知りました。まともに、全部聴けたのは、最後の「らくだ」だけ。ひさびさの、吉弥による「書割り盗人」とか、雀松の「船弁慶」が出ているのに、残念な話でした。米団治は、びっくりの「らくだ」。手掛けているのは、把握していたのですが、「動楽亭昼席」で出すとは考えもしてませんでした。スタートが3時55分。そこから、35分間の口演でした。だから、酒を呑み出してから、進行は荒くなりだし、でも、千日前の火屋までたどり着きました。ですから、後半はいいとして、前半では、紙屑屋の描き方を考えて欲しいなと思いました。脳天の熊五郎と紙屑屋の二人は初対面だということを把握した上での描写が要るのじゃないでしょうか。そこへ、らくだ以上に見える脳天の熊五郎が現れた、そしたら怯えから入らないとダメなのかなと。カンカン踊りも、なんか中途半端で。二人の役割分担を、きっちり示して欲しいところです。
 黄紺は、ふがいない調子でしたが、逆に、体を休めたためか、動楽亭を出る頃には、だいぶと快復。夜の部が繁昌亭だったもので、南森町まで歩くことにしました。松屋町筋・天神橋筋を、一路北上しての最短コースで、所要70分。途中、右脚筋肉が、ピリッときて、ギプアップかと思ったのですが、軽く筋肉をマッサージすると、しばらくして快復。そないなことがあり、その後は、歩幅を変えたり、体重移動を工夫しながら歩かざるをえないため、少し時間はかかりすぎと思います。南森町に着いても、繁昌亭の開演まで時間があったため、おなじみのネットカフェで、約30分ほど、時間調整をしていました。そして、一昨日から連続で、昨夜も繁昌亭。昨夜は、「第81回創作落語の会」がありました。番組は、次のようなものでした。由瓶「今日のお菓子です」、枝曾丸「おばちゃん旅日記」、あやめ「大阪でゆうたら」、福笑「大統領の陰謀」、(中入り)、仁智「月光仮面は流星号に乗って」、三枝「天王寺の母」。由瓶作品は、1日に限定数しか販売しない和菓子屋に反感を覚える男の物語。途中で、東京対丹波などというプロットも入って来たりしたのですが、素材の扱い方、他の扱い方はないのかなと思う作品でした。枝曽丸は、和歌山弁落語の新作。表題通りのネタ。あやめは、さすがに雰囲気を変えてくれました。ここからが本番の雰囲気を作ってくれました。世界どこへ行っても、身近な大阪もんに喩えると解りやすくなるというマクラをしっかり振ってから、ネタへ。ニューヨークに旅行に来た一家が、ニューヨーク各地を、大阪になぞらえていくというだけの話なのだが、その発想自体がおかしく、満足できる出来栄え。福笑は、社会派作品。「大統領の陰謀」とは、反原発ムードが高まるなか、原発誘致でバカ儲けをする噺で、太平洋上の小国の物語として描かれます。こういった発想、好きですね。ただ、消化し切れてないくすぐりもあり、発展途上的作品と看ました。仁智作品は、とってつけた王女救出作戦に起用された男の物語なのですが、その男は、明日、定年を迎えるという団塊世代の男。その男の、結局、妄想が噺になったと言っていいかな。救出作戦に求められた試練というのが、初期TV世代にしか解らない問題解決能力が求められるという流れ。そして、三枝作品なのですが、はっきり言って駄作。三枝作品では、ホント、そういう感想を持つのは初めてと言っていいと思います。「天王寺の母」って、占い師を指します。その占い師のところへ行こうとするきっかけは、2人の女のいずれと結婚するかという問題。ここは、ありきたりの展開。当たる占い師は、いかさま。じゃ、もう一人の当たる占い師に行こうとしても、こちらもいかさまだったというだけの噺。どこかで、三枝作品らしいウィットとかユーモアがあるかと期待したのですが、何もなしで終わってしまいました。こないなこともあるのですね。




2011年 9月 6日(火)午前 7時 11分

 一昨日は、日曜日ながら勤務日。しかも、遅くまで仕事があったため、夜遊びはお休み。そして、昨日も引き続き、お仕事。かなりお疲れだったのですが、繁昌亭へ。昨夜は、「第21回彦八まつり“彦八まつり・あとの祭り”〜宴は終わってからもオモシロイ〜」がありました。今年の「彦八まつり」は、3日の土曜日が、台風で中止。そして、一昨日の日曜日は、仕事で行けずということで、昨日の会を楽しみにしていました。昨日の出演者は、今年の「彦八まつり」実行委員長梅団治以下、実行委員の皆さん。ハブニングで、番組が若干変更されましたが、番組は、次のようなものでした。遊方・生喬「挨拶」、雀喜「ポイントカード」、あやめ「私はおばさんにならない」、今年幻となった素人演芸バトルのコーナー、(中入り)、今年の祭りを振り返る魅惑のスライドショー、梅団治「ねずみ」、あとの祭り・生玉の富。雀喜と三金が、今年初めて、実行委員になったそうです。冒頭の二人の落語は、おなじみのものですが、あやめのネタはひさびさに遭遇。最近は、も一つ先の「おじさんにならない」を、よくかけているのですが。番組表では、あやめのあとに、プロジェクターを使い、スライドショーをみせるつもりだったのですが、プロジェクターが機嫌が悪く後回しになり、素人演芸バトル参加予定者の方3組が登場。「予定者」というのは、中止になった日に行われる予定だったためです。肝心のスライドショーは、機器が回復せず、PCを舞台に持ち込み、その小さなPC画面を見ながらというものとなりました。黄紺は、わりかし後ろに座っていたのですが、何が映っているかは、辛うじて解り、一応、満足。そして、梅団治が、なんと「ねずみ」。梅団治が「ねずみ」をやり出しているとは知っていたのですが、まさかの遭遇に大満足。「竹の水仙」に次いで、甚五郎ものです。「竹の水仙」の噛んで含めるような口演に慣れている者からすると、びっくりのスピード。もう、それに圧倒されました。心地好い運びに聴き惚れていました。さすが、実行委員長です。そして、富籤の抽選会。黄紺は、商品に関心がなかったもので、富籤は買いませんでした。ということで、今年も、「彦八まつり」は、「あとの祭り」で楽しむこととなりました。




2011年 9月 3日(土)午後 11時 55分

 今日は、朝から、台風のため、一日自宅待機かと思っていたら、存外風雨が強くならない。大阪市内に住んでいる息子に聞いてみても、同じような状態だったので、昼すぎから大阪にお出かけ。まず、ワッハのライブラリーで、映像資料を観ることにしました。そのラインナップは、次の二つでした。@朝日放送TV「追悼おおきに文さん〜上方落語に捧げた74年〜」A関西TV「落語に捧げた半世紀〜文化功労者〜」。@は、文枝追悼番組ですが、お別れ式の場面に、略歴、上の弟子3人らに短いインタビューに、文枝の「天王寺詣り」で、あとは、ヴァラエティに出た文枝の映像と、追悼番組にしては、物足りない内容。Aは、米朝はもちろんのこと、ざこば、南光、小米朝、わかぎえふ、桑原征平の鼎談形式の番組、気心が知れた同士の番組だったため、軽さは否めないが、ざっくばらんな話題の豊富さはさすがで、観ていて気持ちのいいものでした。米朝も、まだ老けこんではなく、弟子らとのやり取りもおもしろみのあるものでした。こちらの方の口演は、なんと「除夜の雪」でした。これが、毎日放送ではなく、関西TVに残っているのが、すごいところです。
 2つ目の映像が終わったところで、ワッハを離れ、千日前のネットカフェへ。夜の部まで約2時間、こちらで時間調整。これだけの時間調整が必要なら、もっとゆっくり出てきたらと、見通しの効いてない自分に突っ込んでいました。夜は、應天院で芝居を観に行ってまいりました。今夜は、こちらで、コトリ会議の公演「桃の花を飾る」がありました。コトリ会議の公演は2度目になります。わりかし気に入っている劇団「baghdad cafe'」との合同公演に行って、行ってみたいなの気になった劇団です。いまどきの劇団とは趣を異にし、言葉が豊富で、言葉遊びも嗜むという、ちょっとノスタルジアを感じる劇団です。肩肘張ってるような自分たちの日常を超えた空間を編み出そうとしていたりするのも、ノスタルジーを感じてしまいます。今日の公演は、2組の夫婦の物語。しかし、その内の1つの夫婦は、もう一つの夫婦の妻が書くフィクションの世界の夫婦。現実の夫婦は、ぼんぼんの夫が社長として働いていた会社がつぶれ、借金取りに追いかけられ、夫婦喧嘩が絶えない。その思いを書き物に認めているため、違った形ではあるのだが、フィクションの中の夫婦もうまくいってない。この2組の夫婦の展開が、言葉にこだわるためか、展開が遅く、時計を何度も見るハメに。でも、解ってきたことは、幸せの追求をしているということだという平坦なテーマ。その平坦なテーマを、どれだけ回りくどく見せるか、その結論に至る回りくどさを楽しむ芝居と看ました。なかなか直接的な表現も多く、しかし、それは、30歳過ぎくらいの男女の日常の風景を活写していることになるのかぁと思うと、この劇団に並ぶような劇団ってないのじゃないかなぁ。世代ウォッチング的な意味で、見守っていく必要のある劇団のような気がしています。




2011年 9月 2日(金)午後 11時 51分

 昨日は、家に直行。そして、今日は、台風が近づいてきた一日。にも拘らず、勇気を持ち、大阪に出かけてきました。幸い、大事に至らず、帰ってくることができました。おまけに、サラリーマンも、足早に帰路に着いたとみえ、帰りの電車は、ゆとりをもって座ることもできました。まず、そのようななか向かったのは動楽亭。結構な入りとまではいきませんでしたが、台風接近のなかにしては集まったかなの入りでした。今日は、動楽亭の昼席があったのです。その番組は、次のようなものでした。鈴々「子ほめ」、そうば「刻そば」、ちょうば「世帯念仏」、米左「悋気の独楽」、あさ吉「まめだ」、(中入り)、ざこば「桃太郎」、米二「まんじゅう怖い」。鈴々は、雀々な弟子。女性の噺家さんです。噺家というよりか、普通のお嬢さんという感じ。僅かながら、今風の言葉が挟まるのは、ご愛嬌。そうばのところで、完全にダウン。今日は、ダウンは、ここだけなのですが、ダウンの状態は、かなりえぐいものがありました。ちょうばの「世帯念仏」は、形式だけ残し、そこで語られる台詞は、全部創作でした。米左の「悋気の独楽」は、米輔からもらったもの。米輔の口演に、声を大きくして、抑揚を大きく付ければ、米左の口演となります。あさ吉の「まめだ」は、意外性抜群。しかも、9月の初っぱなに出るというのも、気が早いチョイス。この高座の途中、また、お腹がおかしくなり中座。ちょうど難しい繰返しの部分を聴き逃してしまいました。ざこばは、修行時代の、主として子守りに焦点を当てたマクラをふりました。こうした貴重な話が聴けるのは、とっても嬉しい。今日は、このうだうだで下りるのかと思っていると、「桃太郎」に入りました。「桃太郎」を想定しての長大なマクラだったのでした。米二は、「今日のメンバーを見て、まめだをするつもりできました」「まあ、大丈夫と思っていたら、意外な伏兵がいました」「狸賽が出ると困るなくらいは思っていたのですが」に、場内は大爆笑。で、何をするのかと思っていたら、「まんじゅう怖い」。やはり、キャリアがものを言います。冒頭の「好きなものの言い合い」はカットして、「嫌いなものの言い合い」からスタートしました。明日は、暴風警報が出ると中止は間違いないそうですが、9時と言ってたかな、ブログか何かで告知するそうです。
 動楽亭から千日前のおなじみのネットカフェで、夜の部の開演10分前まで待機。夕食も、コンビニで買ったものを、オペラのDVDを観ながら食べました。夜は、近くの「トリイホール」であった「トリイ講談会」に行ってまいりました。今日は、「東北復興」を掲げての番組となりました。その番組は、次のようなものとなりました。南舟「猫餅の由来」、南海「東北の勇者 伊達政宗」、南華「不屈の学者 野口英世」、(^_-)、南海・群時「書生節 東北復興節」、南湖「祝島 原発反対30年」。南舟は、開口一番。甚五郎ものです。「伊達政宗」は、徳川の直臣に疎まれた正宗がぶん殴られるが、その視野の広さに、ぶん殴った本人が恥じ入るというもの。「野口英世」は、講談向きと思っていたら、ようやくこちらで出会いました。左手を、幼少の頃、母親が目を離した隙に大火傷を負う話から、それを負い目とさせられてしまい、いじめられる話、そして、英世自身が、その負い目を克服し、医師を目指す強い意志を持つまでを描きました。南華さんのしんみりした口演が染み入った高座でした。「書生節」では、関東大震災のときに歌われたものに、「東北復興」をのせた替え歌が本日の目玉。そして、メーンエベェントの南湖の高座。祝島の物語を、家族の問題、隣人との関係の問題として描く構想力に、南湖の実力を看た思いがしました。45分の長大な新作に仕上げました。飽くまでも、視点は原発反対に置いていることも、解りやすいものに出来上がっていた基ではないかと思いました。
 9時少し前に、「トリイホール」を出ることができましたので、京阪「北浜」駅まで歩くことにしました。鰻谷では、客引きに遭い嫌なのですが、堺筋を歩くのも、またありきたりでおもしろくないと、客引きをかいくぐりながら歩いていました。そのためか、早足になり、30分ちょいで「北浜」駅に着くことができました。




2011年 9月 1日(木)午前 5時 47分

 台風の動向が気になる日が続いていますが、昨日は、仕事が延びてしまい、考えあぐねた末に選んだ「ラクゴリラ」を断念。遅めから始まる候補の内、最初は、南青、由瓶二人の会に行くつもりだったのですが、京橋に近づいたところで、急に「たまの微笑落語会」に行きたくなり、昨日の3つの会では、一番行かないかもと思っていた会に行ってしまいました。番組は、次のようなものでした。太遊「犬の目」、たま「くっしゃみ講釈」、鯛蔵「鹿政談」、たま「遊山船」、(中入り)、たま「ショート落語」「ドーベルマン刑事」。太遊の落語は初めて。さすが、漫才で、一定のキャリアを積んでいる。落ち着いている上に、様になっているところに加え、節度が解っている。また一人の有望な噺家さんの誕生です。ゲスト枠は鯛蔵。それが、なんと「鹿政談」を出しました。なんかやられてみると、鯛蔵のイメージからすると、最も対極に位置しそうなネタを選んだなの感じです。その一方で、こなしてしまいそうな感じもしてしまう業師の顔も持ちますが、お奉行さんの品格には届きませんでした。それに、地噺の部分との差違も出しきれていなかったなぁと、この手のネタの難しさを再認識できました。たまは、「遊山船」と「ドーベルマン刑事」をネタ出し。もう一つは「お楽しみ」とされていました。たまは、それで「船弁慶」をするつもりだったようで、開場間際まで、お囃子と合わせていたが、30分やって合わなかったため、「くっしゃみ」に変えたとか。たまの「くっしゃみ」は久しぶりなのですが、以前に比べて、こってり感が和らいでいました。がなり立てるような声を抑え、繰返しを減らしたからでしょうか。「遊山船」の方は、そう多くは接してないネタ。喜六のボケ方がうまいので、漫才的展開も飽きがこない。そして、ビーナッツの一件で山を作る。うまいもんです。山を越えると、ウナギのやり取りだけで、だし巻きや巻き寿司のくだりはカットして、稽古屋の船を登場させ、一気に下げに向かいます。長屋の場面も、喜六が戻ってくるときの描写は割愛して、いきなり核心部分へ。その辺の展開の妙は抜群のセンス。感服も、納得もした一席でした。「ドーベルマン刑事」は、大幅手入れ。シナモンが出てきて、麻薬の密売人捜しをしていくなかで、シナモンが色々なジェスチャーで、情報を出していくところぐらいが残ったというところでした。前半は、シナモンは出てこないで、天神橋筋五丁目から、色々な情報がもたらされ、それに振り回される警察が描かれます。それが、仁智的ギャグで綴る、ちょっとしたオムニバス落語になっており、なんで、こないに間違った情報が来るのか考えたら、「天五」だからという素敵な落ちまで付いていました。この改作は大ヒットです。「天五」のところで出てきた情報が、最後の下げにも繋がる、言い換えると密売人が判るという展開も用意されているという妙もあり、構成も素敵な作品に生まれ変わりました。やはりたまは、只者ではないことを再確認できた会となりました。




2011年 8月 31日(水)午前 0時 11分

 昨日は、まっすぐ家に直行した日。そして、今日は、トルコから帰ってきて、初めての繁昌亭に行ってまいりました。平日の繁昌亭は、大入り。立ち見まで出た昼席は、実にひさしぶり。中入りに吉弥、トリに三枝ということが原因でしょうか、チケット売り出し3日後くらいに、黄紺が買った時点で、整理番号が100でしたから、納得の大入りでした。番組は、次のようなものでした。咲之輔「お公家女房」、吉坊「寄合酒」、遊方「飯店エキサイティング」、ナオユキ「漫談」、三扇「僕たちハローキッズ」、吉弥「七段目」、(中入り)、南海・群時「書生節」、米輔「悋気の独楽」、右喬「手紙無筆」、三枝「鯛」。咲之輔は、九雀からもらった「お公家女房」。九雀から許可が出てないにも拘わらず、かけまくったという咲之輔ならではのエピソード付きのネタ。語り口に、かなりの上達を感じたのですが、佐ん吉の口演が耳に焼き付いているものですから、どうしても比較をしてしまいます。時間の関係でしょうね、名前の部分をカットして、最後まで行きました。吉坊の「寄合酒」は、繁昌亭で、よく当たります。今日も、大当り。「飯店エキサイティング」は、実は、今日、初めて遭遇しました。遊方の鉄板ネタと承知しながら、遭遇体験がなかったのです。客を前に、ケンカしまくり夫婦の経営する中華料理店の物語。確かに鉄板ネタのグレードでした。三扇は、急に歳をとった雰囲気。おばちゃんが、なにかしらおもしろい噺をしてくれてるの雰囲気が出てきました。味が出てきたというところです。吉弥、米輔は、やはりこれでした。吉弥の、豊かな声色がいいですね。右喬は、笑福亭の得意のネタ。ワンパターンの繰返しネタを、おもしろく聴かせるのは、なかなか難しい。団体客が多かったからでしょうか、三枝は、まさかの「鯛」。細かいところは、自身でも進化させているのですね。緞帳が下がり、外に出ると、いつものように、出演者の皆さんのお見送りを受ける。その中で、目を引いたのは、舞台衣装のまま、「熱海の海岸〜♪」の演奏をしながらお見送りをしていた書生節のお二人。客の写真攻めに逢っていました。
 繁昌亭がはねると、そのまま、千日前のおなじみのネットカフェまで、歩いて移動。43分間のミニウォーキングとなりました。繁昌亭に入るまでに、その周辺を、ほぼ同じくらいの時間、ミニウォーキングをしましたから、特に2時間のウォーキングと設定しなくとも、わりかしウォーキングに時間を割いた一日でもありました。そして、夜は、動楽亭へ。今度の移動は、地下鉄を使いました。今夜の動楽亭は、「get's待っツ動楽亭」があった日でした。結果的に、吉弥を、昼夜で聴いたことになりました。こちらの会での吉弥の出番が判ってきたとき、昼夜で、ネタがかぶるのではと心配したのですが、それはセーフでした。番組は、次のようなものでした。ひろば「寿限無」、佐ん吉「疝気の虫」、吉の丞「がまの油」、出演者全員「対談」、吉弥「天狗裁き」、紅雀「三枚起請」。ひろばは、今日の24回目まで、ネタを変えてくると厳しくなってきたので、普段の落語会ではかけないネタということで「寿限無」。学校公演用ということでしょう。今日のヒットは、次の佐ん吉。こういったくだけたネタもするようになってきたのですね。最後は、高座から立ち上がって、幕内に消えていくざこばヴァージョン。吉の丞の「がまの油」はお勧め品じゃないなの印象は、前に聴いたときと同じ。酔ってから出てくる現代的な言葉づかいが気になってしまいます。吉弥の「天狗裁き」は、初遭遇。繰返しネタですから、しつこくなるのを防ぐためでしょうね、細かな台詞のカットを繰返していくのはグーなんだけど、気に入らなかったのは、聞き出そうとする人たちが、本当にそう思っているのかと突っ込みたくなるトーン。あまり好きにはなれない口演でした。紅雀が、「三枚起請」をネタにしたというのは把握していたのですが、こないに容易く遭遇できるとは思っていませんでした。小てるが居直り出すあたりから、現代的な言葉が顔を出したり、ふてくされ、居直れば十分なのに、指の隙間から源さんの顔を覗いてみたりと、不要なデフォルメは、情緒を崩してしまいました。テンポの良さが心地好い紅雀落語ですが、3人のキャラがクリアにならないとむずいですね。喜六だけでは、ダメってことです。その辺があるのか、若手は、なかなか手を着けないネタですからこそ、紅雀には磨き上げを期待したいものです。




2011年 8月 28日(日)午後 10時 1分

 この週末は、ウォーキングの時間を、HPの遅れていた部分を取り戻す作業に当てました。おかげで旅行で疲れていた体を休めることができ、HPの方も、リアルタイムに追い付きました。で、今日は、12時あたりをメドにお出かけ。まず、午後の部は落語会。高津神社で行われている「田辺寄席in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」におじゃましました。ひさしぶりです。1年ぶり、いやそれ以上かもしれません。今日の番組は、次のようなものでした。天使「子ほめ」、文太「無いもの買い」、春駒「書置き違い」、文太「南京屋裁き」。天使は、さろめの代演とか。どうしたのでしょうか、さろめ。おかげで、天使を聴けることになりました。実際の口演を聴くのは、初めてとなります。間合いとか、テンポとか、かなり師匠の八天から細かな指示が出ているなの印象。この「子ほめ」の途中から、楽しみにしていた「無いもの買い」まで、なぜかダウン。もう疲労から来るダウンはないはずなのにです。ま、よく解りません。春駒は、毎年、自身の独演会にかけるネタを、この会で試運転。いつぞやの「地獄」が馬鹿ウケをしていたのは、強く印象に残っています。さて、「書置き違い」なんていう古典など聞いたことがない。ということは新作か。などと考えていたら、「ふたなり」でした。確かに「書置き違い」なのですが。「ふたなり」ないしは、それと同等となる言葉、概念に当たる部分には、一切触れずというスタンスでした。あまり出ない噺なので、黄紺自身も筋立てを楽しみながら聴いていましたが、おもしろいですね、このネタ。展開の妙というか、意外性がありますものね。「ふたなり」のおやっさんが、昔、角界に関わった人という設定にし、それで下げも作っていました。「南京屋裁き」は、東京の「唐茄子屋政談」の贋作版。季節ものです。文太の描く若旦那が、頼りなげで、世間知らずで、なんでこんなのがいるんだと思ってしまうほどのミスター若旦那。一旦は、身投げを図り、おじさんに見つけられ、そして諭され、叱られても、新町を、遠目に眺めながら、昔の思い出に浸っている。それが、どのように変わっていくのか見たかったな。その南京を売りながら、夢想に耽る場面で切られました。25分の口演でした。
 高津神社から千日前まで歩いて移動しても、10分もかからない距離。小1時間の時間調整のため、ネットカフェを利用。トルコに行っている間に、値上げが行われていました。そして、夜は、長居スタジアムで、サッカー観戦。夏休み最後の日曜日ということで、2万6千人以上が入りました。カードは、セレッソと浦和というものでした。なかなかおもしろい試合で、前半は、浦和が引き気味ということもあり、セレッソの攻めが目立ったのですが、いいサイド攻撃を仕掛けても、中の上がりが遅いことがしばしば。詰めも甘いしと、こんなときって、呆気なく相手に点が入るものと思っていると、後半開始早々に、浦和の右サイド奥にできたスペースをついて、きれいなゴール。ところが、ここから一転して、セレッソは浦和陣内にすら入れない。サイドの選手が疲れたのか、上がりが悪くなっている。浦和のサイドからの攻めが続くので、怖くて上がれないのか、完全に浦和ペース。そういった中で、当然のように生まれた浦和の同点ゴール。足が止まり気味のセレッソが逆転されるのは、時間の問題という雰囲気なのだが、監督は、年嵩の播戸を型通り交代させるだけ。ところが、試合ってのは分からないですね。打ち損ないかと思えるような中途半端な、距離も中途半端だったシュートが、上のバーに当たり、ゴールインしちゃうんだから。一気に雰囲気の変わったセレッソは、終了5分ほど前にも得点。最近、試合は終わったと思ったところで席を立つことがほとんどの黄紺は、ここで、即刻家路に着きました。ちょうど「鶴ヶ丘」駅のホームに立ったところで、駅の業務連絡放送で、試合終了を知りました。




2011年 8月 28日(日)午前 8時 31分

 昨日は、朝からトルコに行っている間に入ってきたサッカー関係の情報を、「黄紺の部屋」に載せる準備に時間を使ったのですが、4週間分というのは、なかなかの量で、あえなく時間切れ。昨夜から今日にかけても、その作業が続けています。ところで、昨日は、まず文楽劇場にお出かけ。昨日の午後、こちらの小ホールで、9月に行われる「聲明〜満ちあふれる“声”を聴く〜」という公演のプレ企画として、公開講座「聲の魅力〜密教系の声明を中心にして〜」が開かれたのです。黄紺は、本公演には行かないのですが、講座だけ行くことにしたのです。講師は、洗足学園音楽大学の澤田篤子氏でした。こないだもギリシアで聴いた東方教会の聖歌同様、自分的には、なかなか音楽として聴くにはしんどいのですが、宗教音楽としての歴史的な位置づけや、音楽的特長というものを、理論的に把握するということについては関心のあるところだったので行ってみようかと思ったのでしたが、密教なるものを、しっかりと把握できてないところへもって、テクニカル・タームを、概念規定なしに使われるものですから、解りにくいったらありゃしませんでした。ただ、密教というもの、儀式性に富み、且つ、表に出されるアクションに対する意味づけとともに、導師が、他者には見えないところで允を結んだりするアクションと言葉により、その儀式が構成されていることが判りました。黄紺には、そないな初歩的なことが解っただけでも、大収穫でした。ただ、講演会の途中、昼に食べたカレーラーメンが、腹にさわったのか、激痛が走り、退場しなければならなくなるってことが起こり、残念でなりません。どうも、日本橋界隈のラーメン屋は、黄紺には鬼門です。で、講演会が終わり、外に出ようとすると、外はどしゃ降り。30分以上、文楽劇場を離れることができず、予定変更。少し小降りになったところで、地下道を使い、日本橋駅上のネットカフェに避難。
 夜は、ちょっとした移動で正雀へ。「第67回ジャッキー7〜チャリティセブン〜」に行ってまいりました。昨日は、新作オンリーの会という番組構成でした。番組は、次の通りです。雀喜「ケチケチ家族」「塞翁失馬」以西正明「入試に出ない!歴史こぼれ話」雀喜「歴史が苦手」「ノラえもん」。以西正明は、元雀三郎の一番弟子の又三郎。1年7ヶ月で噺家を止め、その後、大学に進学。現在は塾の講師をしており、一方で、雀喜に、新作を提供したりしているお方。この会では、時々受付に座ったりされていますので、顔は見ていたのですが、顔と名前が、ようやく一致しました。黄紺は、又三郎時代は知らないのです。昨日は、塾講師と噺家の違い、似ているところを話したあと、実際、知られざる日本の歴史の講釈がなされました。一方、雀喜の方ですが、雀喜作品+以西原作ものが並びました。「塞翁失馬」が、ちょっと簡単に終わったかなと思う以外は、なかなか新作としての質の高いもの。また、いずれをとっても、雀喜作品はほのぼの系、このテイストが売りですから、スパイスの効いた作品が、こうして4本も並ぶと欲しくなっちゃいました。ま、これは、ないものねだりですが。終演後、持ち寄りの「チャリティ・オークション」が行われ、雀喜が、師匠のお付きで岩手に行ったとき訪ねた地区への寄付が募られました。




2011年 8月 27日(土)午前 0時 21分

 今日は、まず久しぶりということで、寝屋川のお気に入りの店でお昼ご飯。冬にドイツなどを一緒に回った方との久しぶりの会合も兼ねてのものでした。それから、1時間ほどのミニウォーキング。昨晩の熟睡が効いたか、身体が軽い。そのため、今日は、ウォーキングは止めておこうと思っていたのが、距離が伸びてしまいました。
 午後は、これまた再開の気持ちも兼ねて、ワッハのライブラリーに。3時間弱の試聴をしたことになりましたが、そのラインナップは、次の通りです。@朝日放送TV「繁昌亭にいらっしゃい」、A朝日放送TV「エキスタ寄席」(1983.11.20)、1)龍太郎の芸人スペシャル「春蝶・八方、こうすれば阪神タイガースは優勝できる」(上岡龍太郎・春蝶・八方・板東英二)、2)春蝶「親子茶屋」、BDVD「国立劇場での10日間連続独演会は、どんな風に始まり、どんな風に過ぎていったのか、そのいろいろを記録した映像日記」。@は、収容された映像というのは判っていたのだが、検索に引っ掛かってこなかったところ、今日、「八方」で検索をしたところかかってくれました。言うまでもなく、繁昌亭開場記念番組なのですが、随分と、天神橋商店街グルメ探訪で時間を潰している番組ですが、開場当日の「口上」が収録されている有り難い番組でもあります。Aは、春蝶の口演目当て。上岡龍太郎の粋がった物言いが嫌いな黄紺は、1)については、ほぼカット。気分が悪くなってきました、上岡龍太郎の発言。最近では、島田紳助に通じるものがあります。2人とも、よくぞ消えてくれたことです。2)ですが、どうも収録現場が良くない感じ。春蝶の集中度が落ちているのが気になりました。Bは、2時間半に及ぶ記録もの。最初の30分を観たところで時間切れとなりました。
 ワッハを出ると、歩いて、京阪「北浜」まで移動。定期券を持っているので、一駅だけ、京阪電車に乗り、「天満橋」に移動。夜は、「天満橋」駅近くの「常盤漢方薬局」であった「常盤寄席」を覗いてみました。年に一度行くかなという落語会です。この会は、常盤漢方薬局との繋がりを持つ染太が主宰者。今日の番組は、次のようなものでした。智之介「動物園」、染太「Four Habit」、智之介「マジック」、染太「寝床」。智之介の「マジック」が、本会最高の盛り上がり。ネタが増えているし、とっても鮮やかになっています。ネタが決まるたびに、会場に歓声が上がっていました。これで、会場は、最高の寄席モードに。いい環境で上がった染太は、見事に、そのほぐれきった空気を生かしていました。正直、「寝床」は、染太の口演では、最高水準のものだったと思います。そうなんです、染太テイストが、うまく合うネタだということが判りました。噺自体が漫画的だし、そういった落語を心がけている染太にはまってしまってました。合わないネタは、染太自身が浮く感じがしてしまいますが、とってもはまった感じでした。特に「芸惜しみ」の部分の、緊張がほぐれるところが良かったな。染太のもう一席は、カナダ公演記念という感じ。カナダの大学での公演を終え、今日は帰国直後のよう。「Four Habit」のようなオーバーアクションを伴うようなネタを選び持っていったということのようでした。今日の口演は、通常の口演に比べると、アクションの大きさ、大げささが目立ちました。智之介の「動物園」は、「最近やる機会が減っている」ということでの登場。やはりこのクラスの人が出すと、同じ「動物園」でも、味わいが違います。檻に入れられた虎の男が、何度も池田はんを喚ぶところを長めに置いたものの、原型ヴァージョンに近いものを聴かせてくれました。




2011年 8月 26日(金)午前 0時 16分

 日本に復帰して、早速、演芸の日々がスタート。その一方で、トルコに行く前から始めていた冬の旅行に向けての準備も、再スタートです。ま、それは置いておいて、今夜は、ワッハの4階であった「第395回上方講談を聞く会」に行ってまいりました。講談の会では、8月に入ってから、「講談毎日亭」「三代目南陵七回忌追善の会」「南海の何回続く会」と、もう大変な会が続いたのですが、残念ながら、全部パスということで、今日が復帰戦となりました。今夜の番組は、次ようなものでした。南舟「道具屋吉兵衛」、南湖「笹野名槍伝・海賊退治」、南左衛門「王将・阪田三吉」、南鱗「応挙と幽霊の花魁」。南舟は、自分が住んでいる岸和田のアピールをしてからネタに突入。南舟では初めてでしたが、その他の講談師の口演でも聴いた記憶がないネタです。侍から買った道具から多額の金子が出てくるのだが、それを返金しなかった道具屋が落ちぶれて行くのだが、正直者の妻と倅の行動により、当の侍から許され、家族再会を果たすばかりか、侍により倅が世に出るきっかけを与えられるというもの。幕末から明治への切り替えの世相が巧みに絡んでいるのが心地よい世話講談。南湖のネタは、「講談毎日亭」で取り上げたものと思われます。今日の部分は、「海賊退治」の言葉以外の表現が見当たらない活劇的内容。ヒーローは、一番あとから現れ、スーパーな活躍を繰り広げるというセオリー通りの展開。南湖の口演も、活劇的オーバーさがあり、実に心地よいものでした。南左衛門は、相次ぐテレビ出演の宣伝をマクラにしてから、ネタに。ただ、ネタはおもしろくない。クロニカル的に、様々な事象を連ねていくのが多すぎです。作家さんが付いてのネタのようですが、平坦で起伏の少ない展開に、ちょっとガッカリしました。南鱗のネタは、怪談っぽい表題が付いているため、よく夏にかかるネタですが、決して怪談と分類できる話ではないでしょう。廓で粗末な部屋に押し込まれている病気の花魁をモデルにして、幽霊画を描く応挙。その絵を持ち、京都に戻ってきた応挙は、知り合いの居酒屋が、流行らないのを嘆いているので、その絵を掛け軸にして、店に掛けておくと、店は流行り、描かれた花魁の身元が判るというもの。やっぱ、三代目南陵が好まなかったということで、怪談には成り切らないネタでした。




2011年 7月 28日(木)午後 11時 24分

 いよいよ明日からトルコ。これから4週間近く、職場とはお別れです。職場からの出がけ、かなりの雷雨。ズボンも、かなり濡れてしまいました。ところが、大阪市内に着いてみると、かなりの湿度なんですが、雨の降った形跡など、まるでない。傘を持ち歩くバツの悪さを感じてしまいました。今日は、ワッハの4階であった「第394回上方講談を聞く会」に行ってまいりました。この1週間、わりと講談が続きました。ま、そういうときもあるということですね。今夜の番組は、次のようなものでした。南斗「雷電の初相撲」、南湖「怪談・恨みの鎌」、南華「桜姫全伝曙草紙」、左南陵「名月若松城」。南斗「雷電の初相撲」は定番のネタ。南斗でも、何回か聴いています。南湖の「怪談・恨みの鎌」は初もの。道をすれ違う際、荷が触れ落馬させたということで、無礼討ちになった男の女房の無念な思いが、幼い子どもをも動かし、仇を討つというもの。途中、女房が、その無念な気持ちを、子どもに解らせるために、鎌を使って自害をします。亡くなった女房の霊が、子どもを突き動かし、無礼討ちにした侍を狙うという辺りが、怪談の雰囲気です。楽屋で急に南舟に叫ばせたりと、南湖は、いろいろとやってくれました。南華の「桜姫全伝曙草紙」は、以前、自身の「はたちの会」で、連続読みしていたもの。それの冒頭部分。本妻野分に子どもができないため、白拍子上がりの女を妾に持つと、期待通り、その女は孕み、また、そのことを野分に言うと、表向きは平気を装うが、内心は嫉妬で煮えくりかえっている。そこで、人を介して自宅に呼び寄せもてなす顔をして殺してしまう。ほぼこの辺りまでだったと思うのですが、ちょっとボーッとする時間ができてしまいました。「名月若松城」は、「松阪城」とされる場合があります。これは、主人公の一人藤堂氏郷が、国替えしたことを話に入れるかどうかで変わってくるみたいです。酒の勢いで、人の手柄を自分の手柄と言いふらす主君を懲らしめようと、力比べの際に思いきり主君を投げ飛ばす家来、そして、そのまま姿を消します。そして、5年後、また、主君の元に戻ってくる家臣、元の主君に勝る主君はなしと、浪々の身の中で悟る一方、主君の方も失ってこそ知る家臣の大事さ、相互に解り合い元の鞘に戻るというもの。講談では南青くんで、浪曲でも聴いたことがありますが、左南陵師の迫力は類を看ないものがあります。




2011年 7月 27日(水)午後 10時 50分

 せっかく涼しい夜が、3日続いてくれたのですが、また熱帯夜に逆戻り。去年も、黄紺がトルコに行く前に、涼しくなったことを思い出していました。トルコに行ったあと、動き方のアウトラインが、一応頭の中にでき上がってきています。なんせ、トルコ・リーグのオープニングがふざけた時期になってしまったもので、却って構想は練りやすくなりました。なことで、トルコへの出発が近づいてきているということは、日々働いているということでもあります。今日は、勤務時間を過ぎての仕事が組まれていましたので、夜遊びに支障はないか不安があったのですが、無事支障なく行くことができました。行き先はトリイホール。今夜は、こちらで「たい平発見伝inTORII HALL」がありました。たい平の独演会に、大阪で行くのは、これで3度目となります。その番組は、次のようなものとなりました。たい平「たがや」「禁酒番屋」「千両みかん」。「たがや」は、たい平スペシャルと思っていたのですが、アクロバティックな動きはやってくれませんでした。喉を傷めているということで湯呑みを出してたのと関係があるのかなぁなんて思ってしまいましたが、あとで、なんかどこかを傷めていて、最近はやってませんでしたね。噺は短いということで、何度も脱線しながらの進行となりました。下げも変えていました。侍を追い散らしたたがやさんを讃えて、町衆が胴上げをするで、「上がった上がった」となる仕掛けでした。2つ目は「禁酒番屋」。序盤が、上方の「禁酒関所」と違いました。酒を注文する侍が、番所の外にある酒屋で呑むくだりです。更に呑みたいので、酒を持ってくるように言いつけるとなるのです。3回持って行きます。2つ目は、なんと「呑んでよく解る漢字ドリル」、こういったものに、センスが光ります。1つ目、3つ目は聴き慣れた運びでした。「千両みかん」の前に中入りが入りました。「季節の食べ物」の話をマクラでふって、オーソドックスに入っていきました。全体を通じて、ここまでの2つの噺と違い、オーソドックスを心がけていたのが、「千両みかん」。より人情噺風に聴こえました。みかんを探すところで、ちょっとお遊びが入ったくらい。寄り道した店も、ちょっと多め、中には金物屋なんかに入ったりしていました。千両を払うに至るところも、ラストのところも同じ、ですから、パーツパーツを丁寧に、ちょっとしつこいめに描いていたと言えばいいのかと思います。終わると、「花火を上げます」と言うので、ここのおまけに残しておいたのかと、一瞬期待したのですが、床を叩いて、花火の音を表しただけでした。




2011年 7月 27日(水)午前 0時 9分

 今日は、昨日に続いて文楽の日。昨日、今日で、7月公演を全部観てしまおうの魂胆です。まず、11時開演の第1部は「親子劇場」、多くの親子連れが詰めかけていました。その番組は、次の通りです。「日高川入相花王〜渡し場の段〜」「解説 文楽へのごあんない」「舌切雀」。「日高川入相花王」は、上演頻度が高いですね。「道成寺」の話ですから、有名だし、おもしろい、分かりやすいなんてことで、上演頻度が高いのでしょう。上演されたのは、道成寺に向けて、清姫が蛇体と変じて、日高川を渡るところでした。豊松清十郎師が、今回も清姫を扱いました。解説は、この回の定番のプログラム。相子太夫&清丈という解説黄金コンビの名前がなかったのは淋しい限り。「舌切雀」は、初遭遇。筋立て的には、おなじみのもの。親子連れ対象ということで、おもしろい仕掛けが用意されていました。一つは宙乗り、もう一つは、婆さんの葛から出るモンスターが、なかなかこったものが出てきたりして。ただ一つ文句があります。BGMは使って欲しくないのです。文楽で使う三味線とお囃子の可能性を追求しながら、新しいサウンドにチャレンジして欲しいと思もうのです。大道具に照明と、この分野でも工夫が看られました。こちらの方は、普段の公演から、活用されているので、とりたてて言うつもりはないのですが。この公演、間に30分も休憩時間を入れてました。それで2時間の公演です。お昼ご飯休憩なのかもしれませんが、開演時間を遅くするなりで対応して欲しかったな。
 第1部が終わり、食事を摂って戻り、展示室でボランティア・ガイドをされている海舟氏のところに寄ると、もう第2部の開演時間。慌ただしい話です。第2部は「名作劇場」と銘打たれ、「絵本太功記〜二条城配膳の段、千本通光秀館の段、妙心寺の段、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段〜」が上演されました。「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」は、上演機会も多く、黄紺も観たことがあったのですが、その前の3つの段は、あまり上演機会のないもので、それを楽しみにしていました。文楽の上演機会は少ないにしても、扱われている話は有名なもので、講談では、何度もと言っていいほど、遭遇機会があったものです。「二条城配膳の段」は、信長が森蘭丸に、光秀を打擲させる場面、「千本通光秀館の段」は、それを受け、副臣たちによる蜂起か自重の激論のなか、信長から国替えの話が持ち込まれ、光秀が蜂起を決意するくだり、そのあとに本能寺の変が起こるのですが、文楽では、その場面はありません。「妙心寺の段」は、本能寺の変後になり、主人に歯向かい逆賊となったことを憂う光秀の母親の苦悩、その周りにいる光秀の妻、息子十次郎、その許嫁初菊の心情が描かれるとともに、光秀自身の苦悩も、大きく描かれます。本能寺の変後、皆が一様に苦しんでいます。光秀を、単に行け行けドンドンと描いてないのに、好感が持てます。「夕顔棚の段」「尼ヶ崎の段」は続いていて、逆賊となったことを憂えた母親は、京を離れ、尼崎に閑居を構えていると、妻操と初菊が訪ねてくる。ここでも、不忠者の息子を抱えた母親の嘆き、更に長男十次郎の初陣は、必死の戦いとなることの哀れも描かれます。この嘆きは、母親が、僧に身を変えた秀吉の身代わりとなり、光秀の槍を受けるという行為となり、十次郎の討ち死にという結果に繋がります。これって、家族の物語なんだと思えてきました。光秀の弱点は、自分がくだした判断で、自分が苦しむのはともかくも、家族の崩壊を生むということを読んでなかったなんてところに重きを置いているような展開にしていると看えてきました。この場面の光秀は、人が変わったように、人間が大きいというか、デリカシーがないというか、それまでとは、かなり異なるキャラです。対人関係の軸が変わるからでしょうね。信長から秀吉に変わることによる変化です。最後は、秀吉と、天王山で決着をつけようと言って別れ、幕となりました。文楽劇場では知り合いと良く会います。今日は、講談会で常にお目にかかる方とお会いし、暫し談笑。海舟氏も含め、3人が夜の部に移動しました。
 その夜の部は、「薬業年金会館」であった「第168回旭堂南海の何回続く会?」です。文楽劇場からだと、ほぼ15分で歩いていけます。今夜から、いよいよ「南総里見八犬伝」が始まりました。今日は、発端ということで、八犬士はもとより伏姫も出てきません。里見家が、鎌倉公方側に組みし、城を落とされるが、辛うじて逃げのびた里見家の血を引く里見義実が、安房に落ち延びていく話が、まず中心。次に、安房の国の事情が読まれ、その状況を踏まえ、里見義実が、滝田城主神余光弘を謀殺した逆臣山下定包を討つべく、安西らに近づいていくところまでが読まれました。山下定包とつるんでいるのが玉梓。ですが、まだ、玉梓が怨霊となり、里見家を呪う話にまでも至っていません。恐らく、次回には、犬の八房に伏姫の物語が出てくるのでしょう。やっぱ「八犬伝」は、血湧き肉躍る物語です。




2011年 7月 25日(月)午後 11時 40分

 トルコ出発まで、あと僅かになってきました。出発までには完成させておこうという仕事も、本日無事完成。おかげで、肩はカンカンに凝り固まってしまっています。相変わらず、股関節の具合は不調。最後に30分だけ歩くのが関の山でした。今日は、文楽の日です。毎年、夏の公演は、海の日あたりで始まるのですが、今年は、1週間遅く始まり、トルコに行く時期とかんでくるので、かなり焦りましたが、うまく出勤しない日と絡ませて、3部とも、スムーズに鑑賞できる運びになっています。とりあえず、今日は第3部の「サマーレイトショー」に行きました。「心中宵庚申」が上演されました。待望の心中ものです。待望というのは、なかなか遭遇できなかったという意味です。まず、お千代が離縁され実家に戻ってくるところから始まります。不縁な女で、これで3度目。何も不運なだけで、この女性に何かがあるわけではなく、むしろそつがなく器量のいい女性です。夫半兵衛が遠方に行っている間に、姑に追い出されたので。そこへ旅姿の半兵衛が立ち寄ります。半兵衛は、通り道にあたることから立ち寄ったのですが、お千代がいるのでびっくり。事情を呑み込んだ半兵衛は、お千代を離縁するつもりはないのですが、育ての母親が気に入らない女を手元に置いておくと、母親に不義理をすることになる。また、母親が追い出したことで離縁となれば、世間体があまりに悪く、育ての親に傷がつく。一方で、別れることなど、本心では全く思ってないわけですから、心配する病身の妻の父親平右衛門には、妻を大事にするという堅い約束をします。完全な板挟みになった半兵衛は、自らの手で、妻に離縁状を叩きつけ、母親の顔を立て、そして、決して離れないという誓いを守るために、心中に向かうというものでした。この話で、一番気になったのは、そこまでして顔を立てねばならない母親のキャラです。わわしく叫び回る婆さんなのです。身勝手丸出しのひどいキャラでした。その婆さんが出てわめく面は、チャリ場としては、おもしろいのですが、こんな婆さんのメンツのために死ななければならないなんてと思うと、作品自体の質に疑問を感じてしまいました。それとも、その考え方は、時代背景をすっ飛ばしたナンセンスな感想? 半兵衛は武士の出という設定になっており、もう上演されることのない前半で、どうやら八百屋に預けられる話があるようなんです。そこがカットされているため、夫の独自の考え方が解りにくくなっているようです。10分休憩のとき、席に戻ってくると、後ろから声がかかり、びっくり。海舟氏でした。木馬亭は言うに及ばず、海舟氏とは、よく偶然遭遇します。氏は、今日一日で、1部〜3部を通しで、全部ご覧になったそうです。凄い! 上には上がいます。黄紺は、1部と2部を連続で観る手筈をつけているのですが、それでも、体力面で大丈夫かと思い、かなりびびっているのですが、上には上です、やっぱり。




2011年 7月 25日(月)午前 4時 32分

 昨日は、朝から旅行準備。まだ、出発までには、勤務のない日があるのですが、あまり時間的に余裕がないものだから、昨日にしました。ちょっとした買い物の用もあり、結構な時間を使ってしまいました。できれば、午後の前に、ウォーキングをしておきたかったのですが、そういうわけにはいきませんでした。そして、午後は、京都コンサート・ホールへ、京都市交響楽団の定期演奏会を聴きに行ってまいりました。昨日は、大野和士が、大曲マーラーの3番のシンフォニーを振るということで、チケットは、1ヶ月前には完売するというプラチナ・チケットを、早手回しに購入した黄紺は持っていたのです。90分はかかるという長大な曲のため、この日は、この一曲のみ。黄紺も、ライヴで、この曲を聴くのは、20年ぶりくらいになると思います。さすが、マーラー・イヤーということで、このようなプログラムが生まれたのでしょう。随分と前からホントに楽しみにしていました。ところが考えられないことが起こりました。隣の客が、コンサート中、大きな音で、鼻をすすり続けたのです。鼻が悪けりゃ悪いで、周りに音が聞こえないようにするものですが、そんな兆候は、いささかもなし。実際、会場の空気が乾燥していたので、喉がいがらくなり咳が出そうになりました。黄紺は、大急ぎでハンカチを取り出し、口をハンカチで押さえつけました。そんなもんじゃないみたいね、世の中は。ヨーロッパで、頗る評判の良い大野和士が振って、大好きなマーラーの3番を聴きに行き、こんなのに遭遇した不幸って、何なのでしょうね。1楽章なんて、気が動転して、まともに音が入っていませんでした。これではいけないと、集中力を高め、大野和士の音楽作りを考えてみました。インテンポで、とにかく振ろうとします。言い換えれば、懐が深いというか、そうかと思うと、突如、テンポを崩します。この落差が凄い。それに、京響が付ききれたかは、ちょっと「?」が残りますが。「自分はどこから来て、どこへ行くのか」というマーラー的悩める音楽という観点から看ると、なんて爽やかなマーラーだということです。マーラーの3番の終わり方が解ってなかった人が多かったようで、フィナーレのあとの盛り上がりが、今一だったのは、マーラー・ビギナーを除けば、この爽やかななマーラーに違和感を感じたからではないかな。コンサートが終わり、さあウォーキングだと意気込み歩き出して、僅か5分も経たないとき、ちょうど京都府立大学の前で写真を撮った直後、股関節に痛みが発生。ウォーキングのときに使う歩幅を大きくしての歩き方を執ると痛むので、昨日は、あっさりとウォーキングは断念。確かに、朝から股関節の痺れが、前日に比べ大きかったのは事実ですので、こういうときは、あっさりと諦めるに限ります。トルコ前最後のウォーキングになるかと、3日連続を考えたのがダメだったのですね。休み休みのウォーキング、この本来の考え方に立ち戻ります。




2011年 7月 24日(日)午前 6時 32分

  大阪市内遊歩(103)

 昨夜も、一昨夜も涼しかった、ホントに涼しかった。窓を閉め、明け方になると、布団をかけないと、体が冷えてしまう、そんなに涼しかったのに、一昨夜は、なかなか寝付けないわ、睡眠時間は短いわで、昨日は、あまり朝から気分爽快というわけにはいかない一日でした。寝付けないため、パソコンいじりをしていたら、肩はカンカンにこってしまったしという感じです。
 で、昨日は浪曲デイです。昼は「一心寺門前浪曲寄席」、夜は「なんことけいこ」という浪曲三昧ができたのです。そして、その両者の間が、3時間余りあるということで、その時間を利用して、ウォーキングをするという、とっても具合のスケジュールを組むことができました。まず、「一心寺門前浪曲寄席」ですが、その番組は、次のようなものでした。真山一郎(真山幸美)「涙の花嫁姿」、春野恵子(一風亭初月)「女殺し油の地獄」、天光軒満月(紀ノ本孝子・美勝勝廣)「昭和立志伝」、天中軒雲月(一風亭初月)「男一匹天野屋」。「涙の花嫁姿」は、誰それのこういう話というのならお付き合いもできそうなものなのですが、そうでなければ、お涙ちょうだい的発想でこしらえられたネタは、ノリが悪くなってしまいます。家の主人が女中に手を出し産ました子どもを取り上げ、女中は宿下がり。だが、結局、その子どもは里子に出されるのではなく、正妻が育てる。産みの親と育ての親が、20年後、偶然に再会し、話がスタートする。産みの親はあくまでも控え目であるが、娘の花嫁姿を見たくて、しかも、その希望もかなう手筈になってるのだが、結局見るとことはなかった。そないなストーリーかな。春野恵子の「女殺し油の地獄」は、「なんことけいこ」で発表されたものですが、行けなかったので、とってもラッキーな遭遇。春野恵子自身も、この一心寺の会では、初めて出すと言ってましたから、ホント運がついています。また、今日だったら、「両国夫婦花火」ということで、これでは、「なんことけいこ」とバッティング、随分ついていました。そして、これが、昨日の番組では、頭一つ抜けたいいネタ。河内屋与兵衛の父親徳兵衛、次いで母親お沢が、豊島屋を訪ねてくるところからです。それを、戸外で聞いている与兵衛。身勝手な悪人と描かれていました。金に困っているわけは、殺しにかかる直前に、ちょっと1回だけ触れられます。また、与兵衛が、向かいのよしみでお吉に助けられている話などは、触れる時間がありませんから、目の前の金にしか興味を示さない性根の腐った男でしかありません。おいしいところ取りをする浪曲だから、仕方ないのかな。天光軒満月のところで、7割以上のダウン。大音響の真ん前でダウンするのですから、かなりの重症です。でも、満月師は、ネタ数が多くないようなことが解ってきましたから、そんない落胆していません。すぐに出会えそうな気がするのです。天中軒雲月は、4月席のとき、入院で代演が立った記憶も生々しい。高血圧で緊急入院だったそうです。「男一匹天野屋」は、「赤穂義士外伝」に入る有名な天野屋利兵衛のお取り調べの話。本人ばかりか倅に対する拷問を受けても、何も言わない天野屋利兵衛の決め言葉は、「天野屋利兵衛は男でござる」、それを聞いた奉行が拷問を止め、入牢を申し付ける。夜討ち武器売却先に、メドが立ったのでしょうか。でも、この言葉を受けた当の奉行も立派だという進行でした。でも、このネタ、それだけのネタ。20分ちょっとで終わっちゃいました。トリだったので、余計に寂しくなってしまいました。
 「一心寺門前浪曲寄席」がはねると、予定通り、南会所の前からウォーキング開始です。昨日は、少し津守辺りを回ってから、木津川を超え、大正区内を、お時間に合わせて歩こうじゃないかを目安に開始しました。その詳細なコースは、次の通りです。一心寺南会所〜地下鉄「恵美須町」駅〜大阪市立恵美小学校〜大阪市立木津中学校〜JR「今宮」駅〜南開交差点〜西成山城郵便局〜大阪市立長橋小学校〜鈴成座〜大阪市立橘小学校〜大阪市立津守小学校〜津守神社〜南海汐見橋線「津守」駅〜大阪府立西成高校〜大阪市立北津守小学校〜木津川大橋〜三軒家公園〜泉尾上公園〜泉尾中一商店街〜順教寺〜大正三軒家郵便局〜JR環状線「大正」駅。一旦、汐見橋線の東側を橘地区まで南下し、その西の津守地区まで行くと、今度は、汐見橋線の西側を歩き、再び線路をまたぎ、木津川大橋を渡るのに備えました。昨日は、暑かったからでしょうか、この木津川大橋を渡る頃がきつく、足に力が入らない状態になっていましたが、終盤になってから回復。「大正」駅には、2時間を切っての到着になりそうでしたので、わざわざ迂回して行くと、今度は、迂回しすぎで、結局、所要時間は、2時間3分となりました。西成区内を多く歩きましたが、この地域って、人口の密集度が高いのでしょうか、えらくたくさんの学校を通り過ぎた感じがします。
 「大正」から環状線で「新今宮」に移動。夜は、「動楽亭」であった「第7回なんことけいこ〜夏祭りスペシャル〜」に行ってまいりました。この回も、、もう7回目を迎えるんですね。思いの外、客を集め、会自体も継続しています。昨日は、「夏祭り」をテーマに、若干、変型ヴァージョンで行われました。番組は、次の通りです。春野恵子(一風亭初月)「浪曲・両国夫婦花火」、南湖「講談・夏祭浪花鑑」、(中入り)、南湖・恵子「対談」、春野恵子「河内音頭・高田馬場」(一風亭初月、太鼓:みゆき)。「両国夫婦花火」は、展開に意外性があり、好きなネタです。たま屋さんの度量の大きさが光ります。同時に、江戸の職人気質が素敵です。南湖の講談は、「夏祭浪花鑑」の異本があるのか、南湖の創作か、判定がつかない作品。元の話とは似ても似つかぬものとなっています。団七、一寸徳兵衛、お梶という名前は使われ、子どもの諍いが大きく発展していくという話に仕上がっていったのはいいにせよ、何を考えたのか、隠れキリシタン噺を引っ掛けてしまったのです。一寸徳兵衛が、十字架を持っていたのが元で、団七もお上の狙うところとなるという展開でした。「河内音頭・高田馬場」は、春野百合子直伝のもの。浪曲師さんは、夏には、河内音頭、江州音頭を、櫓で歌い営業をしているそうです。春野百合子も、この「高田馬場」と「両国夫婦花火」と、2つの河内音頭ネタを持っているそうで、昨日は、浪曲で「両国夫婦花火」の方を出したので、河内音頭は「高田馬場」となりました。これが、なかなか聴きもので、途中に、台詞が、そして節が入り、浪曲っぽくなるのです。浪曲に比べると短いものですが、きっちり、堀江の母娘との話も入っていますから、ダイジェスト版として楽しく聴くことができました。しかし、河内音頭の太鼓って、奔放で、でも理に適っていて、すごいものを生で聴いたなっていう感じです。




2011年 7月 22日(金)午後 11時 52分

  大阪府寝屋川市(34)〜守口市(40)

 いよいよ夏のトルコが迫ってきています。ところが、サッカー界の八百長問題で、トルコ・リーグの開催のメドが立っていません。今年は、ここ3年ほどに比べ、開催日が早く、3節まで観戦してくる手筈だったのが、ダメになりそうで、いたく落胆しています。
 それはそれとして、今日は、久しぶりのウォーキング。その前に、寝屋川のお気に入りのお店で食事。トルコに行くので、しばらくは行けないと思うと、行きたくなってしまいました。その後のウォーキングのコースは、次のようになりました。京阪「寝屋川市」駅〜大利元町公民館〜寝屋川市立西小学校〜寝屋川消防署西出張所〜寝屋川市対馬江郵便局〜津嶋部神社〜守口金田郵便局〜金田町2丁目交差点〜本性寺〜大庭浄水場〜守口市立庭窪小学校・守口中央保育所〜大日町2丁目交差点〜守口市立八雲小学校・同やくも保育所〜守口市立八雲中学校〜守口市立守口小学校〜大阪法務局守口出張所〜大阪電気通信大学高等学校〜京阪「西三荘」駅。今日は、先ず大利商店街を突き抜け、まっすぐ西に進むコース。そのまままっすぐ突き抜けてしまうコースは、以前採ったことがあったので、少し変化をつけてみました。それが、西小学校の方に回る道。津嶋部神社は、寝屋川市の端っこ、金田という地名になってしまうと、もう守口市内に入ります。ところが、守口市内に入ると、町が明るくなった気がします。そうなんです、この寝屋川市の端っこの辺りっていうのが、伝統的家屋が残り、落ち着いたいい感じなのです。庭窪地区では、手元に詳しい地図があったので、今まで通ったことのない道筋を選びながらのウォーキング。でもすぐに見覚えのある場所に出てしまいます。浄水場なんてのもそうだし、八雲地区も、そういった道を選んでたのですが、結局、八雲中学校に出ると、今まで利用したことのある道とクロスしただけでした。これって、結構楽しいことです。最後は、時間に少々ゆとりがあったので、守口市駅だと、早く着き過ぎるということで、西三荘駅に向かうことにしました。途中、アクシデントもあり、所要時間は、1時間50分を僅かに超えたかなというものでした。
 「西三荘」から淀屋橋へ移動。旅行に備えて、ユーロを購入。ユーロ高に振れた日で、前日比を見ると、かなり損をしましたが、買える日が限られているので、こればかりは、仕方ありません。それから、難波に移り、ワッハの視聴覚ライブラリーを、1時間半余り利用しましたが、その視聴ラインナップは、次の通りです。@NHK-TV「NHK上方落語の会」、松葉「馬の田楽」ANHK-TV「NHK上方落語の会」、松葉「隣の桜」、春蝶「植木屋娘」。今日は、七代目松鶴でもある松葉を中心に観ることになりました。「馬の田楽」は、別ヴァージョンも収容されていますが、一番長い口演のものをチョイス。そしたら、時間を延ばすためでしょうね、長いマクラが振られていましたが、そのマクラが、今となっては辛い、でもお宝映像となっています。要するに、入院体験談なのです。ネタに入ると、これは聴きものです。序盤のこどもの会話が、頗る付きでいいのです。いじられキャラの子どもが最高。ヘタすると危なくなるところを、微塵も感じさせない、見事な業師ぶりを発揮しています。「隣の桜」は、それに比べると、どうしても平板に看えてしまいます。春蝶の「植木屋娘」も、聴き応えがあります。この人、こんなに聴かせる噺家だったろうかと思うほど、じっくりと語り、空気を作ってしまってます。また、幸右衛門に、おもしろい脚色をしています。かなりの金持ちの植木屋さんです。無筆というのと、齟齬をきたさないかと思うほどにしていました。また、幸右衛門を、下戸としていました。お酒を、伝吉にふるまうときの算段でしょう。下げは、めでたく一つの夫婦が誕生しましたというもので、それに合わそうとして、金持ちの植木屋としたのでしょうか。
 夜の部が始まるまで、千日前のネットカフェで、今日も時間調整。夜の部は、そこから歩いて移動。場所は、「薬業年金会館」、こちらで「神田愛山独演会IN大阪」がありました。前々から楽しみにしていた会の一つ。番組は、南海「太閤記〜尼崎の一騎駆け〜」愛山「大岡政談・伊勢の初旅」「やかましい休日」「キッチンドリンカー」というものでした。南海さんの「太閤記」は聴いたことのない部分。本能寺の変後、明智方と秀吉方の駆け引きが本筋。明智は、なんとか秀吉包囲網を作ろうとする、秀吉は、光秀サイドに悟られないよう、兵を光秀に向けようとする。その駆け引きの中で、秀吉は、八右衛門という影武者を使って、光秀側の目をくらまそうとする、それに、結果的には欺かれてしまう光秀軍といったところ。「伊勢の初旅」は、「鰯屋政談」という長い噺の発端部分とか。貧しい親子を助けようと飯と手持ちの金を渡した八百屋さん、数日経って、様子を見に行くと、両親は亡くなり、子ども2人が取り残されていた。わけを聞くと、強欲な大家が、八百屋が渡した金を取り上げたため、悲嘆に暮れた親が自害してしまったとか。子どもを引き取っていた人から、八百屋さんが、2人の子どもを引き取り育てる決意をするというもの。その後は、子どもが成長していっての話にあるそうで、特に女の子をめぐる話で、最後は大岡裁きになるそうです。かなり、哀しみ度が、どんどん増していくと、愛山さんは言ってました。神田ろ山師からもらったものだそうです。「やかましい休日」「キッチンドリンカー」は、「ショート講談」と名付けて読まれました。「やかましい休日」は、最後の数行で逆転が用意されている噺。休日に休んでいると訪問販売等に悩まされる男が、実は、、、という噺。ちょっと倒叙推理小説を読んでいる感じ。「キッチンドリンカー」は、更に倒叙度が上がる作品。とってもよく使われる倒叙の手法ながら、引っ掛かってしまいました。南海さんの高座が30分、愛山さんが1時間という会でした。




2011年 7月 21日(木)午前 5時 4分

台風6号は、何だったんでしょうね。昨夜、上陸したあたりから、急に雨風が衰えたように思えました。にも拘らず、朝7時前の天気予報では、昼前頃、関西地方には一番接近と言ってました。信じてしまったのです。そしたら、10時頃には陽が射し始め、騙されたを実感しました。ビニールの長靴を履いて、出勤してきた人もいてたのに。大きなチョンボです。で、昨夜は、京都市内での落語会。京都府立文化芸術会館の3階和室で行われた「第92回桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「ろくろ首」、文我「胴取り」、米平「手紙無筆」、文我「莨の火」、(中入り)、文我「死神」。どうも、この2日間は、睡眠不足で、昨日は、ゆったりと落語を聴ける体調ではありませんでした。おまけに、昨日は、パソコンに向かい過ぎで、肩がパンパン。じっと座蒲団に座りながら聴いていると、首や背中が重くてだるくてで、もう大変。ネタは、おもしろいものが並びました。さすが文我です。なかでも「胴取り」は珍品中の珍品。「胴斬り」は、上半身と下半身が、別々の行動を執るようになりますが、こちらでは、どこかに行ってしまった首から下を、首から上が探すという噺だったはずです。「はず」というのは、虚ろな状態で聴いていたからです。「莨の火」は、文我では、随分と前だが、1度聴いているはずです。この会は、本当にその場でネタを決めているようで、そのため鳴り物との打合せが十分ではないのが惜しまれます。小判まきの華やかで明るい雰囲気は、鳴り物に寄っ掛かっていることは事実ですから。「死神」をする前に、三遊亭円朝の偉大さを、ひとくさりふれていました。もう9時を回っていましたので、「夏の噺をします」と言うものですから、お時間の合いそうな「応挙の幽霊」「夏の医者」あたりを思い浮かべていると、なんと「死神」でした。




2011年 7月 19日(火)午後 11時 30分

 今日は、勤務日ではないのですが、ちょっと用事があり、いつものように出勤。ただ用件が済むと、直ちに職場を出ましたので、あとはフリーな一日。そのあと大阪に向かうつもりをしていたのですが、台風の影響で、雨風が激しく、家に帰るのが難しくなってはと思い、家に直行。どこかが、雨風は激しさを和らげてきたため、昼過ぎにいいことを思いつきました。今、京都市美術舘で「フェルメールからのラブレター展」をやっているのですが、こうした日に行くと、すかすかで入れるんじゃないかと。これは、グッドアイディアでした。入場客はまばら、たっぷりと鑑賞することができました。この特別展、行くまでは、フェルメールは一つだけ、「手紙を読む青衣の女」だけが来たと思っていました。ポスターや京阪電車の車内放送は、「青衣の女」ばかりです。修復後世界初公開というのが売りになっているようです。むしろ、黄紺などは、あとの二つの方が好きなのですが。「手紙を書く女と召使い」は、ダブリンの美術舘にありますから、チャンスはないとは思っていませんでしたが、「手紙を書く女」の方は、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のものなので、生涯生で見ることはないと思っていたもの。これは、嬉しかったなぁ。それぞれ、手紙を読んだり、書いたりしています。その手紙を手にする女たちの並々ならぬ心情が、作品そのものから溢れてきます。一番気に入ったのは、ダブリンにある「手紙を書く女と召使い」です。手紙の女の必死さが伝わってきます。自分から離れようとする恋人に、思いの丈を書こうとしているのでしょう。それを補うにあまりある召し使いの呆れたと見える顔。いいですねぇ。今回の展示は、フェルメールの3つの作品をメーンに、17世紀オランダの風俗画が集められていました。とっても気になるジャンルなため、ホント、台風のおかげです。
 美術舘を出ると、雨はあがっていましたので、ミニウォーキングをすることにしました。メドは1時間、ないしは雨が強く降ってくるまでとしました。知恩院、円山公園、八坂の五重塔、六道珍皇寺、耳塚を経て、京阪「七条」駅まで、所要47分でした。1時間未満ということは、雨足が強くなってしまい、途中で断念したということです。円山公園なんか、外国人観光客が、ほんの数人が歩いているだけという状態でした。人のいない円山公園を見れたのも、台風のおかげです。




2011年 7月 18日(月)午後 11時 52分

 3連休をはさんでの5連休、その内の4日を使い、東京プチ旅行。その記録です。

7月15日(金)

 GW以来の東京です。今回も演芸三昧+芝居にコンサートという予定で、東京にやってきました。まず、今日の午後は、国立演芸場の7月上席に行きました。節電ということで、通常は1時開演なのですが、今月は11時開演だったため、京都出発を急いだのですが、いつもと同じ新幹線。早めの昼食を、有楽町駅近くで摂り、国立演芸場に着くと、もう前座が始まっていました。番組は、次のようなものとなりました。扇「真田山」、志ん公「子ほめ」、志ん丸「欲の皮」、結城たかし「ギター漫談」、圓十郎「湯屋番」、喬太郎「へっつい幽霊」、(中入り)、彦いち「ちりとてちん」、ホンキートンク「漫才」、ニューマリオネット「あやつり人形」、志ん橋「井戸の茶碗」。早々と、「真田山」に出会ってしまいました。次いでは「子ほめ」では、耳慣れた前座噺が続きすぎです。志ん丸は、大阪で聴いたときとは、だいぶとイメージが変わりました。やはり、大阪は完全アウェーなのでしょう。「欲の皮」は、どないな噺だったか思い出せません。圓十郎は、初遭遇。なかなか自在な口演が気に入ってしまいました。「湯屋番」は、過剰に受け狙いに走る場合もあるのですが、その辺の心得も感じ、次回の東京プチ旅行では、「圓十郎」で検索をかけて計画を練ってみようかなの気分です。喬太郎は、時間の関係か、マクラというものは、殆どふらないで、すぐにネタに入りました。上方版と違い、主役の二人に、キャラ的には違いをつけませんでした。あのやさ男のさくぽんが懐かしくなってしまいました。後半の幽霊が出てくるあたりの記憶が欠落しています。ダウンをしていたのかな。喬太郎の高座でダウンするなんて、黄紺も度胸がついたものです。彦いちの古典は、初めて聴きましたが、やっぱりルーティン・ワークが、しっかりしてるんだなの感じです。間合い、言葉の変化が、しっかりしてるのです。だから、どのような新作を生み出しても、作品の良さを引き出せるのだと、当たり前のことに感心してしまってました。志ん橋の「井戸の茶碗」に、びっくり。昼席で、「井戸の茶碗」やってくれるんだの気持ちです。志ん橋は、上品すぎるのかな。くず屋さん同士が、いろいろと想像をめぐらすところの、ある意味では、盛り上がるところが、そうはならないのですが、終盤の、二人の侍の間を、くず屋さんが往き来するところになると、その上品さが、真摯な二人の侍の心情を表すのにうってつけでした。何度聴いても、ホロッとさせられる名作、志ん橋の語りに誘われてしまいました。
 国立演芸場を出ると、半蔵門線で、神保町に移動。その界隈にあるCD屋巡りは、最近の定番。夜は、横浜にぎわい座でしたので、石川町まで、JRに乗り、中華街をぶらつき、1月に来たときに見つけてあった古くさい中華料理屋で、あさりラーメン食べ、大満足。それから、横浜スタジアムの東側の道を歩き、横浜にぎわい座へ。20分余りで着いてしまったので、ミニミニ・ウォーキングにすらなりませんでした。今夜は、こちらで「柳亭市馬独演会」があったのです。去年の5月に次いで2度目の遭遇となります。定席では、市馬には逢わないのですが、「二人のビッグショー」ともども、ラッキーな遭遇が続きます。で、今夜の番組は、次のようなものでした。市也「手紙無筆」、市馬「品川心中」、(中入り)、めおと楽団ジキジキ「音曲漫才」、市馬「鰻の幇間」。市馬は、時々、あまり起伏を置かない口演をするときがあり、こないなはずではと思ってしまうことがあるのですが、例えば「付き馬」「百川」がそうだったのですが、今日は、ばっちしでした。「品川心中」は、おそめと金蔵の噛み合わないやり取り、身投げの場面の暗さも、よく出てたと思えたのは、可笑しくもあり、緊迫感もありに、空気をはりつめる起伏を示すことができていた証拠だと思います。「品川心中」は、金蔵が、ずぶ濡れになって、親方のところへ帰ってきたあとは、だいたいカットされますが、確かに前半の質の高い可笑しさに比べると、あまりにドタバタ噺になってしまうということが、よく解りました。「鰻の幇間」の前半が、幇間のテンションに起伏が乏しいのが、ちょっと気にはなっていましたが、後半の伏線とするならば、更にテンションを上げ、幇間が興奮していくことと比較するならば、まあセーフかなの気分です。確かに、後半、幇間がだまされたことを知り、八つ当たりをしていくわけですから、そして、それが興奮状態ならば、可笑しさが増すからなのです。逃げられるまで、なんとか機嫌をとろうとするときの幇間は、下心丸見え的に、市馬は描きます。それが騙されたのだから仕方がないやの方が、もっと商売っけたっぷりで、にこやかにべんちゃらを言っていて騙されたら可哀想なんて気持ちで、やってたのだろうか。なんてことを考えてしまいました。めおと楽団ジキジキは、なんと30分ちょいの大のりのり。市馬から、「好きなようにやっていいよ」と言われたのでというのが、ジキジキ爆発の根拠。だが、あとから出てきた市馬は、「そうは言っても、30分やるとは思わなかった」には、会場、大爆笑。

7月16日(土)

 昨日、職場から電話が入り、急用ができてしまい、19日の夜に帰るつもりをしていたのですが、19日の朝一番に帰ることに決定しました(その後、18日夜に帰ることに変更)。そしたら、その日の午前中には、職場に入れるのかなと考えています。そちらの方も気にはなるのですが、とにかく今日から3連休に入りましたので、こちらはこちらで楽しむことにしたいと思います。今日は、昼から予定を入れているのですが、午前中は、時間的に余裕があるので、美術舘に行くことにしました。幾つか候補地をピックアップしてきたのですが、午後の部への移動を考え、国立西洋美術舘を選びました。「大英博物館古代ギリシャ展」が行われていたのです。今回の展示の目玉は、円盤投げのアスリート。地下2階の最初の部屋にありました。この作品に限らず、古代ギリシアの彫刻は、四方から見ても、鑑賞に耐えうるように作られているそうです。ただ、この作品は、元の作品は残ってなくて、ローマ時代のコピーだそうです。そういった作品は、多いようですね。ギリシア彫刻の進化の様子も知ることができた貴重な展覧会でもありました。写実的な作品が生まれるきっかけは、古代エジプトの彫刻だそうです。ファラオが、足を前後にずらしていることだそうで、それが写実的作品のスタート地点だったとか。ヨーロッパの美術舘の定番の赤絵の壺、黒絵の壺に、大変な作品が展示されたのは、大ヒットの展示だったと思います。春画そのまんまと思える絵にびっくりしました。古代ギリシア人の生活を知る展示コーナーに、「性生活」なんてコーナーが用意されていたのです。ヨーロッパの美術舘でも見たことのない作品群に、びっくりでした。また、障害者に対する応対が解る展示も、力入ってるなぁっていう感じがしました。
 午後は、同じ上野にある「上野広小路亭」です。最近、東京に来ると、1回は、こちらの何らかの催しに顔を出しています。今日は、「立川流広小路寄席」があった日なのです。毎月、こちらでは、16日と17日には、立川流の昼席が行われているのです。立川流の噺家さんは、寄席には出ていませんので、こういった機会を生かさなければ、遭遇することができないということで、チョイスしてみました。2回目となります。その番組は、次のようなものでした。吉笑「道潅」、談修「転失気」、三四楼「青菜」、らく里「秘伝書〜がまの油」、談之助「うだうだ」、談笑「堀之内」、(中入り)、志ら乃「おしの釣り」、幸之進「六尺棒」、左談次「町内の若い衆」、志遊「片棒」。吉笑は前座。談修は、幸之進と交替で前に出ました。また「転失気」だと思うとうつらうつら。「青菜」は、義経が出てくると、義経に関し、フィクション、ノンフィクション入り交じっての講釈が入る。植木屋さんが、家に戻ってから、同じことをかみさんにやらせるのではなく、かみさんの下品なふるまいに閉口するというもの。これが、東京版の型なのかは不明。らく里は、「がまの油」が短いと看たのか、「秘伝書」の短縮版を付け加えました。談之助は、高校野球や相撲話での漫談。今日のメンバーで、一のお気に入りは、談笑です。受けようが受けなかろうが、どんどんと噺が崩れない程度に、くすぐりを放り込んでいくのが心地よいですね。自分的には、不快なくすぐりでないものですから、気に入っちゃいました。次回、この人で検索を入れてみて、予定を組むのもありかなの気分です。「唖の釣り」とは、びっくり。このやりにくい噺が、東京ではかかっているのでしょうか。大阪では、ワッハができた頃に、吉朝で聴いたきりです。殺生禁断の池は不忍池となっていました。幸之進は、この度二つ目に昇進した若手。邪魔くさそうに話し始め、マクラにもならないうだうだを、少し話してネタに。急に若い溌剌口調になりました。「六尺棒」は、極道息子が閉め出されことに、悪口をたたいたために、父親に六尺棒を持って追いかけられたのだが、石に躓き、父親が倒れた隙に、家に入り込み、逆に父親を閉め出してしまう噺です。左談次は、好好爺風雰囲気。「町内の若い衆」をさらりと演じて下りました。志遊は、語り口はさわやかなのですが、淡白な内容に、盛り下がってしまいました。派手さの乏しい噺家さんなので、兄二人のところより、弟のしみったれ噺のところが、一番合ってたかな。これで、立川流だけの会は2回目となりましたが、なんか満足度から言うと中途半端なんだなぁ。
 上野広小路亭を出ると、当初予定していた池袋演芸場ではなく、上野鈴本への変更を、既に決断していたため、上野で時間調整の必要が生じたので、根津方向に向かい、ミニミニ・ウォーキングを開始。近道を発見できたおかげで、根津神社までの往復が可能となりました。最近、根津神社を、2回目指して、2回とも、直前で時間切れになってしまい断念したところに、ようやく行くことができました。さすがの規模でした。鈴本は、当初予定していた18日の方がメンバーはいい(扇辰と雲助が出る)ので、だいぶと迷ったのですが、三三がトリをとるということで、鈴本は捨てられませんでした。番組は、次のようなものでした。やえ馬「二人癖」、初花「牛ほめ」、小円歌「三味線漫談」、左龍「お菊の皿」、喜多八「短命」、和楽社中「太神楽曲芸」、琴調「いかけ松」、菊志ん「湯屋番」、(中入り)、ゆめじ・うたじ「漫才」、花鳥世津子「マジック」、三三「らくだ」。やえ馬は前座で、鈴々舎を名乗っています。上方の言葉で、上方の噺を聴かせてくれました。なんか損した感じがします。将棋のところでは、裸玉の詰め将棋を使ってなかったのが目新しいところです。「牛ほめ」は、与太郎ものなんですね、東京では。初花は、与太郎が似合いますね。かなりの進化と看ました。左龍が最高です。それは、前も鈴本で聴いたときに思ったこと。歌舞伎口調で、お菊が皿を数え出すのが傑作です。喜多八がだるそうに喋り出すだけで、客席からはクスクス笑い。「短命」では、なかなか解らない男に解らせる最後の場面は、無言のやり取り。もう、これは、喜多八にしかできない芸当です。和楽社中は毎回当たります。琴調は、鈴本で、よく当たります。白浪の話の発端となるようなネタでした。頭が切れすぎ、解雇になり、街中を見て、世の中の矛盾を感じた松五郎が、まともに生きることを拒否するくだりが読まれました。菊志んは、やんちゃ坊主のような出で立ち、語り口。「湯屋番」にぴったりかな。テンポが良くて、軽くて、でも、なんか気乗りがしていない風情が気に入りませんでした。「芝浜」を聴いたときも、そういった気配があったので、そういったキャラの噺家さんってことでしょうか。中入り明けは、色物2つが並んで、いきなりトリという番組編成には驚きました。三三は、マクラをふらないで、いきなり「らくだ」に入りました。この人の太めの声が、実に生き生きと、物語に変化をつけていきます。前半の、らくだの兄貴分の怖い雰囲気、後半の、くず屋の目の座った雰囲気と、この太めの声が、最高に生きていました。こうした決めとなるキャラが固まりますので、それに対応するもう一人の登場人物を表し易くなるのですね。最後は、目の座ったくず屋が、たしなめるらくだの兄貴分に、恫喝を入れるところで切りました。それで、正味37分間でした。
 鈴本がはねたのが、8時32分ということで、「新宿末廣亭深夜寄席」に行くことを決意。都営大江戸線に乗ると、御徒町から新宿まで、16分で行けるようになっているからです。その番組は、次のようなものでした。こみち「田楽食い」、駒次「泣いた赤い電車」、小んぶ「短命」、緑君「湯屋番」。こみちは女流。東京の噺家さんで、初めて「田楽食い」を聴きました。神泉苑のくだりを決めにして、様々な「ん廻し」を聴かせてくれましたが、「ん」が一目上がりになってませんでした。これは、いくらオリジナリティの「ん廻し」を出せても良くありません。駒次の「泣いた赤い電車」は、2度目になるのですが、前に、どこで聴いたのか思い出せません。鉄ちゃんの駒次ならではの作品。紙芝居です。中味は、京浜急行が赤鬼役、京浜東北線が青鬼です。小んぶは、「死刑囚の顔」と言ってから「短命」を始めるミスマッチが可笑しい。手が触れる喩え話、顔がじゃまします。おいしくもあり、おいしくなくもありっていうところです。この「短命」と「湯屋番」は、本日2回目。喜多八の場合は特異な高座だけに、比較するということはないのですが、「湯屋番」は、どうしても比較してしまいました。勢いとか華やかさというものって、落語には大切だということの再認識ができました。終わったのは、11時5分前。さすが、落語3つのはしごは、疲れてしまいました。「深夜寄席」の最後の2つが、2回目ということもあり、最後は、ちょっぴり朦朧気味でした。

7月17日(日)

 土曜日の夜から日曜日の朝というのが、東京にいると、最もせわしない時間帯。「深夜寄席」に行き、「早朝寄席」に行くからです。「早朝寄席」の方は鈴本です。9時20分に着くと、もう開場を待つ人たちが列を作っていました。その番組は、次のようなものでした。鏡太「風呂敷」、花ん謝「伝えたいこと」、小権太「棒鱈」、粋歌「コオロギ」。鏡太は、メガネのまま、そしてカタカナ言葉を入れての口演。ネタがネタだけに、ちょっぴり抵抗を感じてしまいました。「風呂敷」は、「紙入れ」の姉妹編的ネタです。花ん謝は、被災地に慰問に行ったとき、営業を組み込まれたという「伝えたいこと」。小権太は、ちょっと小太りくん。「棒鱈」というお酒ネタをするのに、お得な体型且つ風貌。そして、なかなか若手には難しい酔いっぷりが良い。田舎者の侍なんてのも、似合っている。だから、パーツは揃っているのだが、間合いなんでしょうね、それともさん喬の名演の残像があるからでしょうか、しっくりと収まらない感じを持ってしまいました。粋歌は、歌る多門下の女流噺家。高校時代の友人が結婚するので、プレゼント目的で作ったという新作。結婚しフランスに行きたいという娘の相手に不安を覚えた父親が、なんとか引き留めようと、死んだふりをするというところで、娘の本音が引き出され、結局は和解して送り出すという噺。最後のところで、ちょいとほろりときてしまいます。
 鈴本を出ると、昨晩同様、大江戸線を使って新宿へ移動。昼の部まで時間があったので、買い物と新宿御苑内ウォーキングをしていました。昼の部は、その新宿御苑の横にある四谷区民ホールでの「浪曲ルネサンス」。木馬亭の開催期間でないときに東京に行き、浪曲を聴けるっていうのは嬉しい話です。番組は、次のようなものでした。春野恵子(一風亭初月)「お菊と播磨」、玉川奈々福(沢村豊子)「金魚夢幻」、(中入り)、瑞姫「壺坂霊現記」、国本武春「赤垣源蔵」。春野恵子で、またしても「お菊と播磨」。東京に来てまでも出会うかというところです。玉川奈々福は新作。金魚の職人と、その職人が作り出した青い金魚の幻が、人間の姿となり心を通わすという幻想的な物語。それを主軸に、金魚同士の会話が入ったり、青い金魚がオークションに売られ、アラブの金持ちに買われるが、故郷さして帰ってきたりと、変幻自在な作りになっていました。また、節付けも独特で、映画のBGM風の節付けが入ったりで、たっぷりと聴かせてくれます。この人の音感、すごいです。西洋音楽で、そういう教育を受けたことがあるのでしょうか。瑞姫は、元の太田ともこ。「壺坂霊現記」は、沢市が、行く末を悲観し身投げをしたあと、お里も、それを知ったため身投げ。その二人を、観音が救うというクライマックスの抜き出し。瑞姫、今日は、音が不安定でした。どうしても、奈々福のあとだと気になります。国本武春は、5月以来の遭遇。やはり声のかすれ方は、5月に聴いたままでした。が、この人の表現力は、尋常じゃない多彩さ。今まで聴いてきた「赤垣源蔵」とは、微妙に違うというのもおもしろい。兄の家で、源蔵は、そないに長い間、お酒を呑んでないというのが、武春流。今までは、逆に、そんなにたくさん酒は残ってないはずなのに、最後に振舞い酒の話が入ると思っていました。市助が、遠くから呼び掛ける場面がないというのも、武春流。市助を送り出すときは、そない市助に言ってるのだが、その場面は描かれませんでした。
 浪曲の会がはねると、「新宿御苑」駅から、荻窪経由で、吉祥寺へ。GWのときと同じ行動を執っています。吉祥寺で買い物をして、下北沢に移動。今夜は、芝居を観に行きました。場所は、同じ「下北沢駅前劇場」。今回も、劇団探しをしている中で把握していた「LEMON LIVE」という劇団の芝居「TRAIN-TRAIN」を観ました。1時間半ほどの芝居でしたが、役者陣が皆さん達者で、解りやすく、展開が気になる楽しめる筋立てで、上々のチョイスだったと満足しています。芝居は、ほぼ列車の中の一つの4人がけ座席で進行します。列車は、1日1本走るウェディング・タウン行き。列車の乗客は、すべて結婚式の参列者たち。同じ4人がけ座席に座り合わせた男4人が、それぞれ列車に乗っているわけを話し出します。それぞれ参列する結婚式に気乗りのしない模様。そして、やがて駅に到着して別れていきます。ここで、黄紺の展開予想が、ぴったり当たってしまいました。4人が4人とも、同じ女性のことを言ってたらおもしろいなぁと。それは当たったのですが、だったら、その先、どう始末をつけるんだと。4人がけ座席の4人に加えて、も一人婚約者がいるわけですからね。結末は、一番まともな終わり方かな、でも、その始末のつけ方の演出が楽しかったな。もっと負けの美学で突き進めて欲しかったな。結婚をことほぐように持って行けなかったのかな、そないな感じもしました。

7月18日(月)

 結局、いろいろ考えて、予定を1日短縮して、今日、帰ることになりました。台風も来ていることだしなの気分です。今日は、早朝4時半過ぎに目が覚め、W杯を観てしまったため、寝不足もいいところで、東京でのお出かけ予定にも響きそうです。とにかく、午前中は、池袋演芸場であった「旗日限定福袋演芸場」に行ってまいりました。池袋でも「早朝寄席」をやっていることを、前回、池袋演芸場の定席に行ったときに知り、今回行ってみようということにしました。東京に住んでた頃、既に、鈴本の「早朝寄席」も、末廣亭の「深夜寄席」もあったにも拘わらず、行ったことはなかったのですが、東京を離れると、どうしても貪欲になってしまいます。で、番組は、次のようなものでした。小んぶ「天災」、正太郎「粗忽の釘」、朝太「火焔太鼓」、喬之進「ハワイの雪」。小んぶは、「深夜寄席」に次いでの遭遇。殺人者顔を売りにしている噺家さんです。「天災」はむちゃ者を、いかにむちゃらしく、しかも落語ですから漫画的に描くことができるかでしょうが、小んぶは顔は怖いが分、やりにくいのかなぁ、デフォルメしたりして、漫画的に描く術を覚えねばなりません。なお、いきなり心学の先生が、手紙を読むところから始まりました。正太郎は、正朝の弟子。なんか外す人だなぁの印象です。序盤の荷造りするとき、軽いものから下ろすくすぐりは、せいぜい2つまでだと思うのに、4回やっちゃいました。向かい側の家に釘を確認に行くときは、隣に行ってるはずなのに違う、その違うというのは、すとーんと出すから笑えるのに、回りくどくするから、客にばれる。外されるのです。朝太は、そないな心配はありませんでした。テンポはいいのですが、それにプラスされる粋さとか、ほんわかムードとかいうものが欲しいです。なかなか難しいことですが。下げを言うのを照れてたりしてましたから、ちょっと時間がかかるかもしれません。「ハワイの雪」は、喬太郎作品。一度聴いてみたかったのですが、弟弟子で聴くことができました。結婚を誓いあいながら、活動的な女性はハワイに。死期が近づいた女性は、その男性に会いたいと思う。噺は、男性側で進んでいきます。ハワイに行くための費用を得るための挿話が入り、実際に、孫同伴で、ハワイに行きます。そして、再会は、また別れのときでもあるという流れですが、「落語だから」ということで、スキップさせることで笑いをとり、通常のドラマなどでは、決して許されない展開をみせていきます。そんなのを、敢えて入れることにより、落語の可能性を提示しています。大変な才能を感じますね、喬太郎には。また、「喬太郎に教えられた通りやってます」と言う喬之進も、以前遭遇したときに比べ、大変な好演。爺さんと孫娘の会話がいいですね。ほろっときてしまいました。
 池袋からは駒込に回り、六義園に行き時間調整。一度行ってみたかったところ。ちょうど頃合いのところで、いい時間調整ができました。そして、六本木一丁目まで、南北線で移動。都合のいい地下鉄ができたものです。今日のお昼は、東京都交響楽団の定期演奏会に行ってまいりました。指揮を執るのは、ニューヨーク・フィルの新常任指揮者アラン・ギルバート。プログラムは、ブラームスの1番のシンフォニーとハイドンの主題によるヴァリエーション、それに加えて、ベルクのヴァイオリン協奏曲でした。ヴァイオリンのソロは、ツィンメルマンでした。ブラームスが終わると、ブラボーマンが叫んでましたが、黄紺の頭の中では「?」が点りっぱなしでした。おもしろい音の使い方をする人とは看ましたが、そんなのに叫ぶことはないだろうと思ったのです。1番のシンフォニーで、あんなにコントラバスを響かせるものなのでしょうか。地響きを立てるコントラバスに、目をパチクリでした。ハイドンの主題の提示部分の音の扱いもおもしろくて、テヌート気味に音が大事に扱われるのが、新鮮なサウンドを作り出していました。そうかと思うと、1番のシンフォニーの3楽章か4楽章でしたが、フルートソロを、ホルンソロでかき消してしまったりというドッキリ場面もありました。そんなのに比べて、何かが残るというものが乏しいもので、ニューヨークのマエストロと言われても、も一つピンと来ないですね。ツィンメルマンも、前に聴いたときと同じ印象。音は出ないが叙情的演奏のできる人、そのまんまでした。でも、ベルクってすごいですね。十二音技法分を使って、熟れた後期ロマン派の音楽を創るのですから。今日、この演奏会で嬉しいことがありました。プログラムに挟まれてあったプレゼント用紙を見ると、なんとB賞。早速、休憩時間にプレゼントを貰いに行きました。CDだとは判っていたのですが、なんと、そのCDって、インバルの振ったマーラーの6番のシンフォニーでした。ウソみたいに強運です。
 最後に、思い出の地目黒に簡単に出られるので、おいしい豚カツ屋さんでも行こうとしたら、定休日。もう、このあたりで変な風に雨模様。他に用事があり、息子と電話で話していると、大阪は台風の影響を受けているとか。東京で変な風が吹いているということは、そりゃそうだよなと、ここで初めて焦りだし、結局、駅弁を買い新幹線に飛び乗りました。




2011年 7月 15日(金)午前 5時 33分

 暑い暑いと言い続る毎日、日からの5連休を前にして、目先のかったるさにまいっていました。定時になると、さっさと職場をあとにして、動楽亭に向かいました。動楽亭での会は、7時開演というのが定番ですが、今夜の「できちゃった落語」の会は、30分繰り上げての開演。いつも、必要以上に長くなり、客足が引き気味でしたから、いい試みなんじゃないでしょうか。でも、この30分が痛いのです。食事を、動楽亭に行くまでに摂ろうとすると、かなり頑張って、職場を出なければならないのです。ま、昨日は、無事に出てこれましたが、出る前には、帰るぞのオーラを出し、新たな仕事を言わさない雰囲気を作っておかねばなりません。で、今夜の番組は、次のようなものとなりました。三風「祭囃子が聞こえる」、あやめ「生玉詣で彦八まつり」、三金「奥野くんの祭」、南湖「西モナリ小学校文化祭(仮題)」、(中入り)、遊方「後の祭り」、たま「夏祭浪花鑑」。今日は、「祭」をテーマに創られた噺の特集。ただ最初の二人は、旧作の改作ということで、出番を前に持ってこられました。三風作品は、秋祭りとして創られたのを、夏祭りに変えただけというもの。噺を聴いていて、ネタ下ろしのときに聴いています。老人社会化してしまった万里ニュータウンの活性化ということで、途絶えていた祭を復活させる噺。あやめ作品は、あやめが、彦八まつりの実行委員長をしたときに発足した、繁昌亭での「彦八まつりガイド」的落語会用に創ったもの。旅噺風の作品。三金は、「奥野くんシリーズ」を持ってきました。祭で、奥野くんが、神の遣いとされたため、日頃鬱積した怒りを爆発させていきます。神輿に乗り担がれる場面を考え出しただけで、まずは成功と言わねばなりません。南湖は、変な噺を創りあげました。大阪からの転校生が、秋田のある町の小学校に転校してきます。そこの学校の文化祭では、暗黒舞踊をするという習わし。麿赤児らの世界を前提にして語られていました。そして、その発表の日、町の人々も、暗黒舞踊を躍りながらやってくるというもの。そして、噺が終わると、「時間がありますので、寄席の踊りを」ということで、当の「暗黒舞踊」を始めました。身体表現としての舞踊を唱えていたはずと思い、変な動きに見入っていると、南湖が、「はよ、終わってなぁ」、、、打合せでは、お囃子が短く切り上げるところ、さろめと和女の弟子の三味線が、延々と前衛的なメロディーを流し続けたのでした。でも、このお囃子、らしくて良かったですよ。でも、南湖は、大阪芸大お舞台芸術の大学院を出ていますから、大駱駝艦とかが守備範囲に入っているということですね。南湖の新作として、最近になく気に入ってしまいました。新境地というところです。噺として、この会の秀逸と看たのが、遊方作品。祭りに、寝坊してしまった男が駆け付けたところ、祭りは終わっている。残っていた人に、祭りの様子を聞くと、びっくりするような企画が、新たに行われていたという趣向で、その繰り返しネタなんだけど、次に、どんな変な趣向が出てくるか、わくわくしながら聴いてしまいました。たまの新作も力作。芝居噺の形式を踏襲しているのが凄いです。それに加え、新風を吹き込むとか理屈をつけて、役者に、子ども相手の劇団の人間を起用して可笑しさを出そうとしていました。それがなければ、真性芝居噺になっちゃうほどの構成になっていました。たまの新作の常ですが、際きわまで考えているので、肝心の芝居のところで、詰まりかけているのが見え見え状態。しっかりと覚えて詰めていくと、かなりグレードの高い新作が生まれるのではないでしょぅか。総じて、失敗作と看えるものがなく、しかも、力作、発想の豊かさを感じた「できちゃった」になったかと思います。




2011年 7月 14日(木)午前 5時 2分

 昨日は、梅雨明けをしての完全なる真夏日の一日、職場にいると、クーラーの冷気にあたれる幸せを、腹一杯享受しています。建物内完全冷房ではないものですから、着ているものが、常に柔らかいのです。言葉を変えると、しんなりというか、ときにはじとっとしています。そんなで、昨夜は、天満橋駅近くの双馬ビル内であった「南華はたちの会」に行ってまいりました。会場までは、大阪城内抜ける定番のコースで、30分のミニウォーキング。で、この会は、前回は、「講談毎日亭」と正面衝突。少ない市場で、なんともはやもったいないことが起こりました。ですから、今日は、4ヶ月ぶりの「はたちの会」となりました。番組は、次の通りです。南華「曽我物語」「野狐三次」。「曽我物語」は、仇討ち本番の日でした。ところが、随分とのんびりヴァージョン。曽我兄弟が、狩場の中にいることを知りながら、工藤祐経側は、警備がゆるゆる。兄十郎が、様子伺いに来ると、わざわざ陣屋に招き入れ、酒を振る舞う始末。ですから、五郎ともども、工藤祐経を討ちに、再度陣屋を訪れても、素通り状態。御所五郎丸は、この人を出すと、人となりから触れていかねばならないということで、南華さんは削ってしまいました。そんなで素通り状態になってしまったのかもしれません。斬るときも、熟睡中の祐経を起こしてからにしています。五郎の生け捕りも、御所五郎丸が出てきませんから、何やら味気ない。最期は、頼朝の前に引き出され、首を落とすことが決まります。だいたいこの辺で終わるのでしょうが、南華さんは、兄弟の母親へ首が届けられる話、十郎の女大磯のとらによる念仏供養話へと続き、とらの死をもって、完結となりました。女たちの曽我物語話というのが、仇討ち後もあるらしいのです。そうそう、大藤内が、祐経の陣屋におり、一緒に斬られてしまいます。こないだの南海さんの「曽我物語」では、一切省かれたところですが、能「夜討曽我」では、大藤内は、女物の小袖を着て逃げ出してきて、討ち入りの様子を語るという場面があります。間狂言の演じる場面で、かなり臆病者と描かれますが、能には、兄弟が祐経を討つ場面はないため、そのときの様子を語るという重要な役割を与えられています。ですから、斬られてしまったので、唖然、呆然となってしまいました。「野狐三次」は、正に東家浦太郎の浪曲で聴いたところでした。三次を追いかけて江戸に向かういとを、ボディーガード役の岩見権次が襲っているところを、一人の大工に助けられたのはいいのですが、今度は、その大工が、いとの命と金を狙う。だが、失敗したときに、身の上話をしている中で、大工が、三次の育ての親だとわかり、一緒に江戸に向かうことになります。ただ、すんなりといくわけではないことを匂わせて、南華さんは切り上げてしまいました。確か、このあと三次の育ての親が殺されてしまうという展開だということを聞いた記憶があるのですが、黄紺の記憶が正しければ、波乱万丈もいいところです。




2011年 7月 12日(火)午後 11時 57分

  大阪府寝屋川市(33)〜守口市(39)〜門真市(31)

 今日は、出勤日ではありません。ですから、3時前に目が覚めたのですが、二度寝をするためと称して、明け方に痛飮、まだ夜中の続きというところです。そして、目覚ましをかけて目覚めるまで熟睡。勤務日でないって、こういうことができるからたまりません。
 で、今日は、まず寝屋川のお気に入りのお店で昼食。そして、そのあとウォーキングをという定番メニュー。そのウォーキングのコースは、次のようになりました。京阪「寝屋川市」駅〜住吉神社〜東大利町公民館〜寝屋川市立成美小学校〜寝屋川市立第九中学校〜高柳4交差点〜西高柳公民館〜黒原旭町公園〜金田第二公園〜金田商店街〜守口市立梶小学校〜守口自動車教習所〜梶第一公園〜松葉町交差点〜カトリック門真教会〜インド&ネパール料理店「エベレスト」〜京阪「西三荘」駅〜京阪「守口市」駅。寝屋川に着いた頃から、何やら怪しげな雲行き。最初は、雨雲を避けるように歩いていたのですが、ラスト30分で、雨が降りだしてしまいました。雨足が強くなるばかりで、ところが、コンビニを見つけられず、ならば切り上げるかと、京阪「門真」駅に近づいたところで、ようやくコンビニを発見し、傘を購入。無事、2時間のウォーキングを続けることができました。今日のコースの序盤は、寝屋川市内の内、淀川との間。この地域は、完全なるスプロールになっているため、毎回迷わないか不安なところ。地図を持っていてもやっちゃいます。相変わらず、今日もその類いに入ってしまいました。知らない間に、さっき渡ったはずの寝屋川に出てしまってはいけません。
 「守口市」から北浜経由で日本橋へ移動。駅上のネットカフェに、体を休めるのと時間調整で、小1時間いました。それから應天院に移動。午後は、こちらで「プラズマみかん」の芝居「わんころが揺れ雲をめぐる冒険」を観ました。劇団探しの網にかかっていながら、実際に観るのは初めての劇団でした。近畿大学の卒業生で作る劇団だそうです。役者陣もしっかり、台本もしっかりで、なかなか見応えがあったと言えます。ストーリーは、東日本大震災に触発され、阪神淡路大震災の追憶を検証しようというもので、かなり骨太の芝居でしたが、多くのプロットを詰め込み過ぎたかなと思うのと、こだわり過ぎのプロット、中途半端に終わったプロットがあったと思います。ということは、盛り込んだプロットの消化の仕方のバランスとか、重心の置き方に、若干気になったところがあったと思います。プロットとして使われた主なものは、震災に遭ったときの犬の視点、生き残った者の心の傷と癒し、死んだことが認められない被災者の無念さ(「赤い鳥逃げた」っぽくなるけれど深めて欲しかったなぁ)、犠牲者を持たない者と持つ者の被災者体験の重み、被災した小学生の転校と受け入れる側の対応、被災者の被災体験に基づく生き方。前半は、誰が死者で、誰が生き残った者かを、わざと判りにくくしてあり、その中で、深い鎮魂の気持ちが伝わってくる秀逸な展開。小学校の教員夫婦の対話劇の部分は、その最たるものだったと思います。ただ後半に入ると、人間と犬の共生施設が出てきて、ちょっと腰くだけ気味。東日本大震災は、震災直後ですが、神戸の震災は、時間が経過しているから、その後を書かねばならないという作家の良心と見ましたが、急に現実解離をした展開となり、これで、何を伝えたかったのかが、分からなくなってしまいました。でも、とっても真摯で印象に残る芝居で、要マークの劇団と看ました。
 芝居がはねると、ちょうど5時半。心配していた移動は大丈夫でした。夜は、繁昌亭だったのですが、繁昌亭の開演時間が6時半だったのです。芝居が2時間を超えるとやばいと思っていたのです。で、繁昌亭は、「林家のご先祖様の落語会」のあった日。今夜は、おいしい会が3つもあったのですが、発売日が早かった繁昌亭の会を、早々、阿か枝「子ほめ」、染弥「浮かれの掛取り」、染二「不動坊火焔」、(中入り)、花丸「月宮殿星の都」、染丸「堀川猿回し」。「堀川」を除いて、林家蘭丸作、「堀川」だけが菊丸作品です。これらの作品は、上方落語の中でも異彩を放つものばかり。それが解る人は解るのでしょうね、今夜の繁昌亭には、通常の夜席では見られない客が詰めかけました。染弥は、普段やらない芝居掛かりの噺をあてがわれて、勝手が違ったのかな。聴いていて、どうしても不安で、、、。「狂歌」「浄瑠璃」「芝居」「けんか」の順で、借金取りを撃退しましたが、やはり完璧を期するなら、染雀起用が妥当と思いました。染二の「不動坊」、これが、いつもの過剰に走らず、好演。雪降るなか、幽霊を出そうということ自体、お笑いぐさ。そのおかしさを伝えることに眼目を置いた染二に拍手です。ですから、太鼓を屋根に上げるときの紐のかけ方は省いていました。大拍手です。心憎い演出に大拍手です。ここで、エンジン全開になりました、今日の会。中入りが入ったといえ、一旦スイッチが入ると、怒濤の口演が続きました。花丸は、なんと初演。それを、そうとは思わせられませんでした。花丸流アレンジが冴え渡りました。この噺、おもしろくないから、あまり出ない原因でしょう。それを、よく読み解いた花丸は、オリジナルなくすぐりを、これでもかと入れてくれたのです。並大抵なことではない力の入る姿に立ち会えたころに感謝です。オークションでの買い物という発想を持ち込むこと自体、ぶっとんでいます。独自アレンジで冴え渡った花丸に対し、御大染丸は、正攻法で圧倒してくれました。けんか極道の息子に応対する婆さんが、ホントにいい。かつて、松之助で聴いたとき、けんか極道の息子の表現に、「豪快松之助」と勝手に褒め讃えていたのですが、婆さんから描く手があったのですね。おまけに、猿回しの段に入ると、染丸の浄瑠璃が冴え渡ります。「堀川」の違った視点を教えてもらった高座となりました。




2011年 7月 12日(火)午前 4時 42分

 昨日も、暑い暑い一日。職場では、今年は、クーラーのある部屋におれ、ホント胸を撫で下ろしています。そして、定時に職場を出て、真っ直ぐに帰るつもりだったのですが、明日が出勤日ではないという気楽さから、映画を観に行くことにしました。中国映画の「サンザシの樹の下で」という映画なのですが、数日前に調べたときには、夜の上映はなかったのですが、今日、ネットで確認をしてみると、夜の部が入っていましたので、急遽予定変更となったわけです。この映画は、チャン・イーモウ監督の作品。文革の時代を描いた作品ということで、気になっていた作品だったのです。静かな静かな純愛物語でした。そして、二人の男女の間には、小波と言える程度の波はあると言っても、それとて女の子の方が、あまりにもうぶなところからくる誤解だったりして、波と言える程度のものではないのです。ただ、二人の関係をじゃまするものとして、保守的な母親、文革時代の権威主義、世間の風評といったもの。「走資派と看なされているから就職が危うい」「男女関係が明らかになると就職できない」などという言説の中で、二人の物語が進行していきます。わざとらしく大波を作られるより、遥かに自然体の二人の物語としていました。もう一つ、そして、これが最大要因と言えるのが、主役の二人がいいからでしょうね。静かな静かな物語を退屈させないで、観る者を惹き付ける最大要因は、これです。特に、ジンチュウ役のチョウ・ドンユイの、純な可愛らしさ、いたいけな表情の変化が素晴らしいのです。それに加えて、なんてぴったりくるロケ地を選んだことでしょう。この映画に行く途中、偶然、中国から数年前にやって来た知り合いと会い、立ち話をしました。とっても純な考え方のできる人で、映画の主人公と重なってしまい、さもありなんと映画の主人公に肩入れしてしまいました。ちょっと韓国映画ぽくって、最後を除けばくささのない素敵な映画でした。




2011年 7月 10日(日)午後 9時 26分

 完全なる寝不足の朝、日曜日なのに、寝不足とは、最低な話です。明日は出勤日だというのに、前の日から、これでは思いやられます。今日は、午後に、トリイホールの会に行くつもりでしたので、昼前から、ワッハの視聴覚ライブラリーを利用することにしました。今日の視聴ラインナップは、次の通りです。@朝日放送制作DVD「日本浪曲名人選第一巻」、京山幸枝若(藤信初子・小池菊江)「会津の小鉄〜小鉄と今弁慶〜」「河内十人斬り〜おとこ花〜」A東芝EMI「米朝全集」、米朝「植木屋娘」「軽業」。@は、最近収用されたものと思われます。朝日放送TVで制作されたものが、同社の制作著作で発売されたものです。ソースは、昭和57年と記されていました。「一心寺門前浪曲寄席」で聴いてから、先代の幸枝若で聴いてみたかったのが実現。創作話なのかは知るところではないのですが、明らかに「吉原百人斬り」を意識しての作品。あろうことが、主人公の一人木戸熊太郎が、道頓堀で、「吉原百人斬り」の芝居を観て、気持ちを高ぶらせる場面が入ってました。こちらの話は、間男されたに熊太郎が、文句を言いに行き、逆に返り討ち遭い、その仕返しを、弟分の谷弥五郎と企てる話。但し、いよいよこれから出入りに行くところで切られてしまいましたが。「会津の小鉄」は、今弁慶を名乗る侍に惨殺された夫婦ものに、生き残った子どもに、仇を討たせてやってくれと頼まれた小鉄が、子どもを背負いながら、今弁慶に挑むが、今弁慶は剣術の達人。際どいところで助太刀が入るのですが、それが誰かは明かさないで終わりました。浪曲の常套手段が、両方に使われていました。Aは、昨日、米二の「植木屋娘」を聴いて、米朝の「植木屋娘」を聴いたことがなかったことを思い出し、今日、早速観てみましたが昨日の米二の口演が、頗る付きで良かったわけが判りました。米二は、見事に米朝の教えを忠実に継承しているからなのです。幸右衛門がいいと、昨日書きました。もっといいのは、米朝の描く伝吉に若さと、育ちの良さが、きちんと出されていました。下げも、米朝オリジナルを継承していたのでした。「軽業」は、「植木屋娘」と同じDVDに入っていたもの。一つ発見がありました。「一間の大いたち」「天竺の孔雀」「とったりみたり」は定番ですが、米朝は、もう一つ「たげ」というのを入れています。要するに、下駄のひっくり返されたものなんですが、こんなのが入ってるのは、記憶にありません。
 いつものように、2時間をメドに、ワッハを出て、千日前のネットカフェで時間調整。午後は、トリイホールであった「南海・染左二人会〜講談と落語で聞く“船弁慶”〜」に行ってまいりました。阪大出身の二人の会ですが、今日は、「船弁慶」を、落語と講談からアプローチをしようというもの。但し、落語の方は、ネタを普通に演じるだけですが。番組は、次のようなものでした。生寿「手水廻し」、染左「ろくろ首」、南海「楠木の泣き男」、(中入り)、南海・染左「対談」、南海「講談船弁慶」、染左「落語船弁慶」。南海さんの「講談船弁慶」は、知盛の一の谷合戦時、息子の知章も、部下を失い逃げ落ちる話が、主として読まれました。確かに、ここで、源平合戦の行方は見えたのですから、取り上げておもしろいのでしょう。あとの屋島、壇之浦は、その流れの負け戦として触れられていきました。むろん、有名な最期の場面は、碇ではなく、鎧を二枚重ねにしたそうです。それが誇張され、碇になったようです。「対談」で、なぜ知盛が、こないに取り上げられるのかということが、話題にされていました。大物の沖に、知盛の亡霊が現れるときは、平家の亡霊がたくさん現れますが、知盛は特別扱いです。落語「船弁慶」は、能「船弁慶」の、弁慶の祈りの場面のパロディなのです。能と言えば、今日の染左の謡は、いい感じでした。ここまで、違和感なく、この謡の場面を聴けたことってないと思います。さすが、芸事には造詣の深い染左です。ところが、流れ的には、あまり乗れないのです、染左の「船弁慶」には。毎度、最近の染左を聴く度に感じる声です。変に引きずることは、今日はなかったのですが、やたら大きい声に、引いてしまうのです。若い頃の端正な噺が、どのように変わるだろうかと楽しみにしていた染左だったのですが、デリカシーのないと思える声の使い手になるとは思いませんでした。南海さんは、「泣き男」が良かったです。定番の話ですが、南海さんが演じると、こうまでも気品が出てくるのかと感心させられました。蘊蓄が、まず語られます。そして、背景が語られます。どんどんと聴き手のイメージを膨らませていきます。これは、もう南海さんほどの素養を持ってないとできないことです。同じ定番ネタをするにしても、ここまでも気品の高まるものかと思わせられました。今日のこの企画、ありそうでなかった企画。異種交流公演ならではの好企画、でも、こういった凝った企画って、客の入りが少ないですね。ホントに、勿体ないことです。
 今日は、ウォーキングをせずに身体を休めた日なのですが、どうも身体が疼いてしまったので、トリイホールからの帰りは、丁度30分程、「北浜」までのミニミニ・ウォーキングをして帰路に着きました。気温は高かったのでしょうが、心地好い風が吹き、歩いている分には爽やかな時間でした。




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