2011年 1月 19日(木)午後 11時 45分
天気予報と違い、かなり寒くなった一日、昼前からは雨となりました。なんか日本で、傘をさして歩くのは、実に久しぶりのこと。夜は、今年初めての繁昌亭。仕事が延びてしまい、開演直前に入ることができました。夕食も、繁昌亭到着後3分で、サンドイッチを掻き込むことができました。今夜は、「熊野復興祈願 文枝一門会」という会が開かれました。お目当ては、文枝が創作に係わったという「熊野詣」。それを含めた番組は、次のようなものでした。ちきん「牛ほめ」、枝曾丸「和歌山弁落語」、三歩「救援家族」、文太「熊野詣」、(中入り)、きん枝・文太・文福・坊枝・枝曾丸「座談会」、文福「紀州・八代将軍吉宗公」。今日は、和歌山の水害支援を目的とする会だったので、文枝一門の中でも、和歌山県出身者が出番をもらいました。それに、前座のちきんと、「熊野詣」を唯一人口演している文太という番組でした。ちきんは、初遭遇。少しはしょりながらの「牛ほめ」。喋り方に、若干文枝テイストを感じましたから、ひょっとしたら文枝の遺した音源から覚えた可能性があります。次ぐ枝曾丸と三歩の高座が、ほぼ吹っ飛んでいます。このところ続く寝不足のせいです。「熊野詣」も、中盤からあやしくなっていくのですが、擬古典と分類できる作品。京都の男が、カラスを可愛がった父親の菩提を弔いたく、カラスが、そのお使いだという熊野権現を訪ねる旅ネタに仕上がっていました。旅の途中に立ち寄る熊野関連の地、そして、和歌山に入ると、名所が紹介されていくという旅ネタのお定まりの道を進んでいっていたのは、頭にあるのですが、やはり熊野に入ってからが思い出せません。空を飛ぶようなシーンもあったような、、、。やはりダウンが、意外と早かったのかもしれません。「座談会」は、文枝一門と熊野の係わり、そして、文枝の筆になる「熊野川」の石碑辺りの水害の様子が、枝曾丸の撮ってきた画像を見ながら紹介されました。想像を越える水害のすごさに、会場も、息をのむ雰囲気。最後は、いつもの文福のパフォーマンスに次いで、「紀州」に入りました。
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