2011年 3月 12日(月)午前 4時 35分
昨日は、天気がいいので、これはウォーキングをと意気込んだのですが、腰に筋肉痛が出ている。一昨日、病院に行くのに、ミニウォーキングがてら歩いては行ったのですが、筋肉痛を起こすほどは歩いていない。とにかく、1年半ほど前に、股関節が痛み出す前って、これに似ていたなの記憶が甦り、通常のウォーキングは断念。ま、実際には、ウォーキングをしようかという時間帯には雨が降って、やる気になったとは思わないのですが、準備段階で断念ということです。
とりあえずは、月に1度の楽しみ「一心寺門前浪曲寄席」へ行ってまいりました。昨日の番組は、次のようなものでした。松浦四郎若(岡本貞子)「藤堂高虎」、真山誠太郎(真山裕子)「刃傷松の廊下」、泉敏栄(岡本貞子)「無筆の出世」、三原佐知子(岡本貞子)「ああ残留孤児」。前の3人は講釈ネタ。「藤堂高虎」には「出世の白餅」という題もついています。泉敏栄さんは、初遭遇の浪曲師さん。とてもよく伸びる声を持っておられ、節はなかなか聴かせてくれます。ただ語りが弱いな。それが残念なところ。「無筆の出世」の発端はえげつない話。こいつは無学無知だから、試し切りに使ってくれという書状を持って使いに出された下人が、たまたまその書状の内容を知るところから始まります。そこから文字を覚え出世をしていくとなるわけです。「残留孤児」は2回目かな、遭遇は。現在と過去がオーバーラップしながらの進行。残留孤児が来日しての肉親捜し、そのテレビ画面を見つめる肉親という設定に、現在はなっている。この話の議論を呼ぶかもしれないのは、その二人を会わせないところ。母親が再婚し、血の通わない子どもらの世話になっているとなっているからなのです。浪曲の常として、複雑な話は似合わないので、それ以上は突っ込まない構造になっているのが、なんとももどかしい。これは、前回も同じことを感じた記憶があります。
一心寺から歩いてワッハに移動。せっかく大阪に出たので、まっすぐに帰るのはもったいないとばかりに、視聴覚ライブラリーを利用して帰ることにしました。その視聴ラインナップは次の通りです。@「特選!米朝落語全集(23)」、米朝「ふたなり」A「講談と評話〜伝統話芸の比較研究〜」(シンポジウム「日中両国の伝統話芸、日中友好講談大会」)、(1)講談入門、神田陽子・神田京子「鉢の木」、神田陽子「加賀の千代」から、(2)中国講談、袁小良・王瑾・王池良・南左衛門「対談」、王池良「三国志」より長坂橋の戦い、袁小良・王瑾「水滸伝」より潘金蓮。@は、先日枝雀で同じネタを聴いて、序盤をカットをしていたので、その確認用に聴いてみました。結構カット部分が長かったはずという記憶だったのですが、その通りで、10両という金が要るようになったというくだりが語られます。それが至ってバカバカしく、枚方の宿で廓に居続けた経緯が語られます。Aは、「牛の丸薬」を聴きたくて、「牛」で検索したらひっかかってきてびっくり。中国講談の口演が記録されていたこと自体、大ヒットです。映像資料は、黄紺も実際に現場にいたワッハでの公演のもの。「三国志」は、曹操の大軍を迎え撃つ張飛の豪傑ぶりを描き、「水滸伝」は滑稽もので、ある醜男の弟が虎退治のヒーローで美男、またその醜男の妻は美人、美男美女が出会ってどうかなる話のようですが、この口演では出会いが、楽器入り、また2人の掛け合いで演じられました。馬の描写がリアルで記憶に残っていたのですが、それは「三国志」の方でした。Aの映像資料には、「日本の講談」というパートも用意されていますので、それは次回の楽しみです。松鯉や琴梅、南左衛門らが収録されていますので、とっても楽しみな資料です。「牛」で検索したら出てくるということを覚えておかねばなりません。
昨日、検査の結果、短期間で仕事に復帰できることが判明できたので、ワッハを5時半あたりで切り上げ、文楽劇場へ。4月公演のチケットを買わないでいたので、買いに行きました。普通の生活に制約を加えなければならなくなって、あらためて普通の生活ができる喜びを感じるってやつです。4月は、「講談毎日亭」最終シリーズのあることですので、また手術の時期を避けてチケットを購入。「帯屋」が出るんですよね、4月公演では。楽しみやわぁ。
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