2011年 6月 29日(金)午前 5時 43分
昨日は、涼しい一日。その涼しさのおかげで、のんびりと過ごせ、仕事疲れも癒されました。そして、夜はワッハの4階へ。今夜は、こちらで「第405回上方講談を聞く会」がありました。毎月のように来ていた会ですが、日程の発表が遅く、先に行き先が決まっていることが多く、ちょっとご無沙汰していました。どうやら会の担当が、南湖さんから南舟くんにかわったことが影響したのじゃないかな。で、昨日の番組は、次のようなものでした。南舟「角屋舟の由来」、南青「神崎与五郎」、南鱗「木村重成の堪忍袋」、南北「最後の大評定」。わりかしと知られた噺が並んだ会となりました。「角屋舟の由来」は、本能寺の変のあと、明智軍に追い詰められる家康一行の逃避行を描いたもの。最後は、伊勢から干し鰯船に身を隠し逃げていきます。家康をできるだけ惨めに描くのが上方流です。南舟では、初めて聴くネタでした。南青くんは、文化庁の東西交流で、宝井琴梅師に指導してもらった「神崎与五郎」。東京弁での口演となりました。これが琴梅流かと思われる間、それは、微妙に長めで、今までの南青くんでは聴いたことのないもの。それが、聴いたことのないような格調が生まれていました。ネタは、神崎与五郎が江戸入り途中、浜松で馬方に絡まれ、大事の前の小事とばかり我慢する神崎与五郎。詫び状まで認める。そして、やがて討ち入り完了。その様子を読む講釈師が浜松にやってくる。その講釈を聴いた当の無頼の馬方が大反省。ついには泉岳寺まで出かけ詫びを入れるどころか、泉岳寺に留まり墓を守していくという結末。南鱗さんは、相変わらずネタが限られれている。「木村重成の堪忍袋」は、若手もよく出すネタ。重成を困らせようとした茶坊主が、重成の大きさに気づき、生涯仕えていく話。聴き慣れたネタでもあり、真ん中あたりからうとうと。それが、次の南北さんの高座にも影響。こちらも、いい具合になってしまいました。涼しいといっても、体はきっちりと仕事の疲労を感じていたようです。「最後の大評定」も赤穂義士の物語。これも有名な話。刃傷が伝わった赤穂で、大石内蔵助が、家臣の心根を確かめ、討ち入りに向けてのメンバーを絞っていく過程の部分です。ということで、ベテランのお二人の高座が、中途半端なことになってしまいました。確かに疲れていたようで、帰りの電車のなかでも起きてられませんでしたから。
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