忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2011年 6月 29日(金)午前 5時 43分

 昨日は、涼しい一日。その涼しさのおかげで、のんびりと過ごせ、仕事疲れも癒されました。そして、夜はワッハの4階へ。今夜は、こちらで「第405回上方講談を聞く会」がありました。毎月のように来ていた会ですが、日程の発表が遅く、先に行き先が決まっていることが多く、ちょっとご無沙汰していました。どうやら会の担当が、南湖さんから南舟くんにかわったことが影響したのじゃないかな。で、昨日の番組は、次のようなものでした。南舟「角屋舟の由来」、南青「神崎与五郎」、南鱗「木村重成の堪忍袋」、南北「最後の大評定」。わりかしと知られた噺が並んだ会となりました。「角屋舟の由来」は、本能寺の変のあと、明智軍に追い詰められる家康一行の逃避行を描いたもの。最後は、伊勢から干し鰯船に身を隠し逃げていきます。家康をできるだけ惨めに描くのが上方流です。南舟では、初めて聴くネタでした。南青くんは、文化庁の東西交流で、宝井琴梅師に指導してもらった「神崎与五郎」。東京弁での口演となりました。これが琴梅流かと思われる間、それは、微妙に長めで、今までの南青くんでは聴いたことのないもの。それが、聴いたことのないような格調が生まれていました。ネタは、神崎与五郎が江戸入り途中、浜松で馬方に絡まれ、大事の前の小事とばかり我慢する神崎与五郎。詫び状まで認める。そして、やがて討ち入り完了。その様子を読む講釈師が浜松にやってくる。その講釈を聴いた当の無頼の馬方が大反省。ついには泉岳寺まで出かけ詫びを入れるどころか、泉岳寺に留まり墓を守していくという結末。南鱗さんは、相変わらずネタが限られれている。「木村重成の堪忍袋」は、若手もよく出すネタ。重成を困らせようとした茶坊主が、重成の大きさに気づき、生涯仕えていく話。聴き慣れたネタでもあり、真ん中あたりからうとうと。それが、次の南北さんの高座にも影響。こちらも、いい具合になってしまいました。涼しいといっても、体はきっちりと仕事の疲労を感じていたようです。「最後の大評定」も赤穂義士の物語。これも有名な話。刃傷が伝わった赤穂で、大石内蔵助が、家臣の心根を確かめ、討ち入りに向けてのメンバーを絞っていく過程の部分です。ということで、ベテランのお二人の高座が、中途半端なことになってしまいました。確かに疲れていたようで、帰りの電車のなかでも起きてられませんでしたから。




2011年 6月 27日(水)午後 11時 00分

  大阪市内遊歩(138)

 今日は、雨という天気予報。ところが、午前中は晴れていた。ならばとウォーキングを敢行。実は、お昼時から七芸で、一本映画を観てから、晴れてた場合にはウォーキングを考えてたのだけれども、あえなく二度寝で寝過ごしてしまい、まずウォーキングからスタートの一日となりました。コースの詳細は、次のようになりましたが、これは、七芸スタートで考えていたコースを生かそうとしたものでした。京阪「北浜」駅〜大阪市立西天満小学校〜インド料理店「ヴィーナ」〜東梅田教会〜「神山」交差点〜大阪市立天満中学校〜大阪市立扇町小学校・北野病院〜大阪北逓信病院〜JR「かんじょう132」橋梁〜地下鉄「中崎町」駅〜インド料理店「SAGUN」〜JR「とうかい208-2」鉄橋〜新十三大橋〜地下鉄「西中島南方」駅〜阪急「宮筋西」踏切〜大阪市立中島中学校〜新駅2号公園〜大阪市立東淀川体育館〜中島総社〜JR「東淀川」駅〜JR「北宮原第二」踏切〜地下鉄「東三国」駅〜大阪市立北中島小学校〜大阪府立東淀川高校〜地下鉄「新大阪」駅。淀川の堤防に至るまでに40分もかかってしまいました。考えてみたら、そのくらいかかっても仕方のないコースですが、最初は脳天気にそないにかからないとふんでいたため、西淀川区内を目指そうなどと考えていたのですが、もうこの時点でギブアップ。そこで、今までほぼ歩いたことのない東淀川駅から東三国駅方向に向かいました。ポイントとする建物の一つに東淀川体育館を考え、実際にそちらの方角へ歩いて行ってみて、びっくり。崇禅寺駅界隈を歩いたときに通ったところ。存外、その間の距離の近さに意外なものを感じてしまいました。中島総社という神社は、以前にも写真を撮り記録に残しているところです。最後は、阪急の神崎川駅も候補かと思ったのですが、あとの移動を考え、電車一本で行ける利便性を考え、御堂筋線の走ってる新大阪駅を選びました。ただ、ここでも目測を誤り、迂回した分、2時間を超過してしまいました。
 「新大阪」駅から御堂筋線で難波に移動。いつもの千日前のネットカフェで、休養と時間調整をしました。最近の仕事疲れのせいでしょうね、かなりぐったり、TRT-3のクラシック音楽の心地よさもあり、ほとんど半寝状態。おかげで夜の部に障ることはありませんでした。で、夜は心斎橋シネマートで、韓国映画「ワンドゥギ」を観ました。あとから考えると、昼間に映画を観てから、ウォーキングという手があったのですが、今日は、結局天気予報に振り回されてしまいました。雨が降る前にウォーキングを済ませたいという気持ちから、先にウォーキング、あとから映画となりました。具合の悪いことに、映画の上映が夕方になかったため、このような時間配置となりました。まあ、ウォーキングの疲れ具合を考えると、結果的には、この配置で正解だったことは確かでしたが。肝心の映画ですが、主人公は、ケンカっぱやい高校生ワンドゥク。そして、それを見守る担任の物語です。ただ、この担任が、かなり破天荒。ぶっきらぼうで、資産家の息子ながら、父親の儲け一辺倒の経営に愛想をつかし、自分は貧しい生活をしている。家も、ワンドゥクの向かいに住み、ワンドゥクにいろいろと絡んでくる。ワンドゥクの方は、父親が障害者で、ちょっと頭の弱そうな男二人で、キャバレーのダンサー、キャバレーが潰れてからは、大道芸をしながらの行商をして、僅かながらの日銭を稼ぐ生活。母親は、父親がキャバレー時代に一緒に働いていたフィリピン人。今は長期の別居状態。気になる生徒ワンドゥクの母親に関する情報を、担任が、外国人労働者支援活動をしている中で得てくる。その母親との再会、また母親と父親の再会、ワンドゥク自身のキックボクシングへの打ち込み、クラス一の出来を誇る女子生徒との恋、近所の男とのトラブル、担任の教師の恋、そのようなプロットを経ながら、ワンドゥク自身の成長、家族の再生、地域社会作りが語られていきます。ワンドゥクは、やんちゃということで描かれていますが、正義感が強く、直なところがあるのが、観ていて清々しいところがあります。担任が投げかけてくる課題を鬱陶しいと思いながら、まともに受けている。かわそうとしてもかわしきれない課題を持つ高校生と言えばいいでしょうか、嫌がりながらも直で受けねばならないということが解る高校生であり、ただ、その理解がひんね曲がっていると、きっちり指摘してくれる担任がおり、直に向き直してもらえることの有り難さを理解していくということが、彼の成長なんでしょうね。それぞれ、個性的な俳優さんが集っています。主役の二人ばかりか、おどおどした感じを、いつもみせている父親役の役者さんがいいし、どこから探してきたのだろうと思った母親役のフィリピン女性を、ネットで調べてみると、この4月に国会議員に当選していました。控えめで知的な雰囲気が素敵です。見終わって、韓国では受けるだろうなと思いました。教師らしくない教師、マルクスを語ります、正論が正論として語られる、厳しい家庭環境で、迷いつつも健気に生きる高校生、外国人労働者支援をする御曹司、、、こういうところからかな、そのように思ったのは。




2011年 6月 27日(水)午前 0時 2分

 一昨日、息子に会ったとき、具合が悪く、息子は、早々に退散。それが前兆だったようで、そのあと、えらい発熱。風邪をひいている人は、周りには多くはないのですが、いざ罹ると、えらく苦しんでる。息子も、その一人なのですが、一人暮らしをしてからは、そないなことがあると、必要以上に気になってしまいます。自分よりしっかりしているにも拘わらず、相変わらず小さい子どもを相手にしているような気になってしまいます。
 昨日は、なくした携帯が出てきた日。警察に取りに行ったのはいいのですが、再び、その携帯を使おうとすると、中に水が入ってしまっていて使えないことが判り、せっかく出てきたのにと残念がっても仕方ありません。なくした日は、だいぶと雨が降りましたから仕方ありません。そして、夜遊びなしの月曜日。
 仕事の方は、火曜日がきつくて、もう時間になると逃げ出すようにして夜遊びに。体の疲労を癒やすのは、夜遊びでほっこりするのが一番です。今夜は、谷六にある「薬業年金記念会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。ずっと読み続けられている「南総里見八犬伝」が、今日も読まれたのですが、前半は「マニアックな話」と断って、南海さんの出身地加古川縁の赤松家についての話をされました。題して「読切・玉ヲ奪還セヨ!(後南朝秘話)」というものでした。足利の第6代将軍の首をハネたため攻め滅ぼされた赤松家再興をかけ奔走する縁の侍たちの動きが、「南総里見八犬伝」で里見家再興に奔走する人々の動きと相似形をなしているばかりか、馬琴が設定した年号にも符合しているということで、前半の口演となりました。赤松家は、三種の神器の一つ玉を、南朝側から奪い北朝側に献上することで、お家再興が叶うという結末に至ったそうです。ここまでは調子よく、南海さんの口演を楽しんでいたのですが、本題の「南総里見八犬伝 11・悪婦、船虫登場!」に入ると、あえなくダウン。やはり昼間の仕事疲れが、今日は半端なものではありませんでした。ただ断片的に記憶に留まっているのは、八犬士の内、本日の主役は犬田小文吾だったこと、その小文吾が、悪役船虫に命を狙われたり、あらぬ罪をきせられかかったりと、船虫との争いが描かれていました。ただ、両者出逢い、争いの原因などは、口演の中で触れられているのでしょうが、完全に記憶の彼方です。来月は、「南総里見八犬伝」はお休みで、「後藤一山物語」が読まれます。




2011年 6月 25日(日)午前 4時 40分

 昨日は観能の日。久しぶりです。夏前に2回、稀曲が出ます。抜け目なく押さえています。昨日は、奈良県新公会堂での金春流の公演です。あとの番組を見ると、金春流の今年の公演は昨日だけとなるはずなのですが、その昨日に「藍染川」という曲が出たのです。黄紺も、20年前に1度だけ遭遇体験のある曲です。それを含めた番組は、次のようになものでした。能「八島」(高橋忍)狂言「文荷」(茂山あきら)能「藍染川」(金春穂高)。ところで、会場に着いてみると、普段の開場時間に着いているのに、入れてもらえない。高校生の団体さんが入っているので、当日券の方は、残席があれば開場15分前に入ってもらいますとのこと。これには切れました。「そないなこと、どこで公示したのか」「いつもは30分前に当日券は入れてるじゃないか」「藍染川などという稀曲が出る日に本当に観たくて来ている者を疎外するのか」と、あまりの仕打ちに、かなり声高に迫ったところ、応対に出られた方は、それに納得されたようで、上層部と相談していただけました。おかげで無事に入ることができました。しかしながら勝手な話です。「藍染川」のような稀曲を出す心得がなっていません。同じような方がもう一人おられたので、言いたいことを言わしてもらいました。で、「八島」は「屋島」とも表記される源平合戦の屋島の戦いに取材したもの。勝ち修羅と言って、勝った立場から描いた曲で、能の中では少ない方に分類されるものです。が、この「八島」がおもしろくない。年寄り用小書に「長床几」なんていうものがありますが、金春の「八島」は、正にそれ。翔に入るほぼ直前に、床几から立ち上がるというもの。弓流しのところも、床几に座ったまま。確かに総大将がうろうろすると安っぽくなるということで、位を保つという主張なんでしょうが、ちょっと寂しすぎないかなぁ、あれでは。「藍染川」は、ドラマの展開として見るとおもしろい劇能。演じ手には人気のない劇能のうえ、シテはほとんど出てこない。能の会のプロデュースはシテ方がたいがいしていますから、この曲は出ないのでしょう。話は、可哀想な女と勝手な男の物語です。都に不任中に京都妻を持った大宰府の神主、期限を過ぎると、さっさと大宰府に帰ってしまった。そこで、京都妻は、二人の間にできた子どもを連れて大宰府までやってきた。ところが神主は生憎不在。文を残して行くが、悋気をした神主の本妻(間狂言)が、偽の文を書いてよこし、追い返そうとする。それに落胆した京都妻は、藍染川に身投げして亡くなってしまう。残された子どもを不憫に思う人が、京都妻の残した文を、大宰府に戻ってきた神主に見せると、事情を初めて知った神主は、子どもの世話を請け負ったばかりか、祝詞をあげて、京都妻を蘇生させようとすると、天満天神が現れ、皆を言祝ぐというもの。この中で、前シテは、亡くなってしまう京都妻、そして後シテは、最後にちょっとだけ出てくる天神さん。神主や左近尉という甚兵衛さんのような男は、ワキ方。それに、可哀想な子どもが大活躍と、シテのお仕事は霞むばかり。出ないわけです。しかし臭い元は、全部神主の女好き。そう考えると、天神さんまで出すような話なんかいと突っ込みを入れたくなります。あまりに下世話過ぎますからね。ワキ方には重い曲でしょうね。ちょっとした型なんかが入りますから、珍しいワキ方仕舞なんてのにも入ってんじゃないかなぁ。「文荷」は、大好きな曲。遊び心だらけで、裏に少年愛が隠れているかと思うと、余計におかしさが増します。
 奈良からは、近鉄電車で大阪に回り、息子と待ち合わせ。ところが、息子は体調不良。早々と切り上げ帰路に着いたのですが、息子は、昼間から友人と呑んでたようで、それがたたったものと看られます。酒が強いわりには、デリケートな体をしているヤツです。




2011年 6月 23日(土)午後 11時 43分

  大阪市内遊歩(137)

 今日は、昨日ほどのいいお天気ではないのですが、雨が降るというお天気ではないので、午前中にウォーキングを計画。汗をかきながらのウォーキングが、自分的には快適なもので、2日連続のウォーキングに出かけました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜「谷町1」交差点〜「大手前」交差点〜大阪府庁〜大阪歴史博物館・NHK大阪〜史跡難波宮跡〜広小路公演〜大阪市立聴覚特別支援学校〜大阪府立清水谷高校〜大阪市立高津中学校〜大阪南郵便局城南寺町分室〜東高津公園〜小橋公園〜産湯稲荷〜大阪市立味原小学校〜韓国食堂「鄭」〜「舟橋町」交差点〜玉津南公園〜南弁天橋〜大阪市立大成保育所〜韓国料理店「つる」〜生野こもれび保育園〜大阪市立北巽小学校〜北巽橋〜巽北さくら公園〜生野北巽郵便局〜岸田堂だんじり保存会倉庫〜東大阪市立太平寺小学校〜東大阪市立三ノ瀬小学校〜三ノ瀬公園〜近鉄「布施」駅。今日の発見は産湯稲荷。落語の世界に出てくる稲荷社で、まだ押さえていなかったところ。それが、道を誤ったために発見できたのです。地図の見誤りから、清水谷高校と高津高校を同じ筋にあると勘違いをして、間違いに気づいたのが、もう長堀通の手前、味原小学校のところでのこと。その角をちょいと曲がると、何やら稲荷社があるので覗いてみると、それが産湯稲荷でした。振り返ってみると、確かに通ったことのない通り。今日は、これだけで元をとった感じです。それから、今日は、地図上でまっすぐな道を歩くことを考えてみました。だいたいそういった道は、昔からある道か、逆にあとから立ち退きなんかがあってできた新しい道です。「舟橋町」交差点から東に入り、やがて表通りに出る道なんかったは、古い道なんでしょうね。逆に、北巽小学校に向かう道なんかは、かなり無理のある道。細い道が交わる角度が、なんとも変です。そないなことを観測しながら歩くのも楽しいことです。今日は、一旦、その北巽まで南下し、「布施」駅の南方から北に向かうという道を取りました。あとの移動を考えて、時間を節約するためでした。
 「布施」から、近鉄電車で「日本橋」に移動。午後は、文楽劇場で「第12回若手文楽会」を観てきました。毎年6月恒例の公演です。その番組は、次のようなものでした。「二人三番叟」「義経千本桜〜すしやの段・道行初音旅〜」。なんと言っても、ハイライトは「すし屋」。文楽らしい荒唐無稽な設定。死んだはずの平家の公達維盛が生きているという前提で、ストーリーが進みます。となると、それを匿う人間と追いかける人間というドラマが成立するのです。この「すし屋」は、ひねりが2つ加わります。1つ目は、性格のいがんだ男「いがみの権太」が、自らの妻子を犠牲にして窮地を救うという仕掛け。ヒールが、一転してベビーフェースに寝返るというプロレス的展開。2つ目は、頼朝は、全てお見通しだったというばらしです。そのことに気づくためには、暗号が如き歌を読み解かねばならないという推理小説的展開が用意されています。いや〜、作者は遊んでいます。しかし、「すし屋」を観ると、いがみの権太に肩入れしちゃいます。今日は、そのクライマックスを咲甫太夫が受け持ちました。完全に、未来のエースです。その後を受け持った相子太夫も奮闘。また、梶原景時が引き込むときには、三味線に特異な手が入り、緊張が高まりました。「道行」の方は、狐忠信の出てくる部分。鼓の音に合わせて、狐が飛び出してきて、しばらく走り回ったあと、木立に姿を消したかと思うと、忠信の姿になって現れてきます。人形は持ち替えれば済みますが、人形遣いの方が大変。それまでの上下白装束の上に黒の呂の着物を着けて出てきます。早変わりっぽいところです。そして、静御前とともに歩んで行くというだけの場面ですが、バックは一面の桜、とっても華やか。人気の秘訣です。「二人三番叟」は、両シテの趣向で、揉の段、鈴の段を舞うだけのもの。能では、厳格に神事扱いが続いていますが、文楽では、一人に舞わせておいて、他の一人は、サボってくつろぐなどという能ではありえない滑稽な型が入ります。終わったのは4時ちょうど。3時間の公演でした。
 文楽劇場を出ると、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜の部へと、地下鉄と阪急を乗り継いで「正雀」に移動。夜は「正雀市民ルーム」であった「第72回ジャッキー7」に行ってまいりました。雀喜が、年季明けから続けている勉強会。年6回の内何回かは覗いている会。但し、自分的には、行きにくい帰りにくいところでの開催のため、行くのにくじけそうになる会でもあります。番組は、次のようなものでした。呂竹「近日息子」、雀喜「犬の目」、文三「芋俵」、雀喜「瘤弁慶」。呂竹が続きます。久しぶりのことです。ただ呂竹は、ちょっと伸び悩み。ネタが増えないばかりか、噛み方の頻度が上がり、語り口も平板になってきています。「近日息子」のようなネタだったから、目立ったのかもしれません。「犬の目」は、変化球が出ました。くりぬいた目は、犬のジャッキがおもちゃにして傷つけるとしました。そのため、替わりを用意しなければならなくなるというものでした。また下げも、足が上がるで終わらず、犬のジャッキが、二本足で立ち競馬新聞を読んでるというものでした。文三の「芋俵」は定番ネタですが、遭遇は久しぶりです。アホがが二人出てくるという噺。これの差をつけねばなりませんが、文三はうまく、度の高いアホをアブナい系キャラにして差別化を図っていました。トリは、大ネタ「瘤弁慶」。「宿屋町」の部分を演じる人が少なくなったため、全編を一挙に聴いても、随分と新鮮な感じ。「犬の目」とは違い、さすがこちらの方は、ごく小さなくすぐりを放り込んだ以外は、オーソドックスなテキスト。ただ「本能寺」のときもそうだったように、芝居がかりになると、型があやしくなってしまいました。こういった長講は、なかなか他人様の会ではかけにくいので、自分のものにするには時間がかかるところ、気の長い取り組みが必要です。




2011年 6月 23日(土)午前 0時 29分

  大阪市内遊歩(136)

 雨続きであったお天気が、見事に一掃されました。ならばとウォーキング。でも、明け方に早々と目が覚めてしまったため、お酒を呑みながら、オペラのDVDを観ていると、爆睡の二度寝。今度、目が覚めるとお昼前。慌ててのお出かけ。今日は、年に一度の「弁天町」スタートのウォーキングの日となりました。この時期、「弁天町」に行かなければならないことがあるもので。所用を済ませてから、ウォーキングはスタート。その詳細なコースは、次のようになりました。JR「弁天町」駅〜大阪市立市岡商業高校〜ネパール・インド料理店「アサー」〜大阪市立田中小学校〜大阪市立港スポーツセンター〜北向延命地蔵尊〜大阪市中央体育館〜夕焼け橋〜千舟橋〜地下鉄「大阪港」駅〜大阪築港郵便局〜「天保山」交差点〜海遊館〜「ツタンカーメン展」会場〜大阪市立築港小学校〜大阪市立築港中学校〜難波津橋〜日和橋〜新福崎橋〜福栄橋〜尻無川水門〜尻無大橋〜「三軒屋西3西」交差点〜大阪ドーム〜大阪市バス「大正橋」停留所。とにかく今日は、港区をこってりと回ろうというコース。「大阪港」駅まで行ったのは、二度目のはず。ましてや「海遊館」まで行ったのは初めてのことですし、港区を東西に往復するようなコース取りをしたのも初めてです。ただ「弁天町」駅から、ちょっと迂回コースを採ったため、「海遊館」までで、既に50分を越えていました。そこから「福栄橋」まで行くのも時間がかかる上、周りは倉庫街、工場街が続き、眺め的に楽しいものではないのが、辛いところ。尻無大橋を越えたところで、表通りを歩き、時間がくれば切り上げ、バスに乗ろうかとも考えたのですが、時間的にオーバーしても、高々10分だろうということで、当初の計画通り、尻無川沿いから「大正」駅方向に向かいました。予定では「桜川」がいいなと思っていたのですが、さすが無謀でした。でも、晴れた日に水のある風景はたまりません。一昨日同様、かなり頑張ったウォーキングですが、なかなかナイスなコースだったと言えると思います。
 「大正」駅前から「難波」まで、バスで移動。地下鉄での移動も考えたのですが、乗り換えなしで行けるのが魅力。でも、汗まみれのシャツを変えられないのがデメリット。いつものように、千日前のネットカフェで、体を休めながらの時間調整。夜はワッハの4階であった「人情噺百撰」に行ってまいりました。南湖さんの会で、当初は大阪文化祭賞狙いで企画された会なのですが、参加資格がないと判断され、普通の講談会となりましたが、ゲストはそのままで、東京から三三を迎えるという豪華版でした。その番組は、次のようなものでした。南舟「黒田節の由来」、南湖「大石内蔵助の東下り」、三三「締め込み」、南湖「名月松坂城」、(中入り)、南湖「旭堂南北伝〜血染の太鼓〜」。南湖さんは三番。大阪文化祭の件が消えてから、「旭堂南北伝」を加えました。審査員に配慮して、賞狙いのときは、コンパクトな番組にする傾向にありますから。「東下り」は、いつ聴いてもいい噺。内蔵助が仇討ちのため江戸入りをするとき、公家に仕える身と偽っていると、偽った本人と出逢い、窮地に陥るというもの。特に変化のない口演。この噺は、いつきいてもしみじみと心に沁みる佳作です。「名月松坂城」は、南湖口演では2度目ですが、筋立てをいじったのかな? それとも、他の講釈師さんの口演とごっちゃにしてるのかな? 自分の頭の中にあるネタの筋立てと若干変化がありました。酔った上での勝負は角力だと思っていたら、槍の勝負、次いで組み合いの勝負、組み合いと言っても角力ではなく、槍を捨てて組み合うというもの。主君を投げ飛ばした侍は、今日の口演のように、悪態をついて出て行かなかった、むしろ逆で黙って姿をくらましたというのが、今まで聴いてきたもの。姿を消したあと、その侍の悔悟を描くのが南湖流。戻ってきて初めて、その胸の内が語られるのとは違いました。勝負を始めるきっかけも、南湖流は生々しいものがありました。主君が戦場での功績を横取りしたことが強調されます。ここの生々しさが、それ以後のいじりになったのかなという感じでした。それに対し、今まで聴いてきた口演(浪曲も含めて)では、酒の酔いが引き起こしたものというところからの視線が強かった感じがします。後者の場合は、噺が軽くなり、滑稽味も出てきます。「旭堂南北伝」は、南北さんが広島商高のとき応援団だったことのエピソード、と言ってもほとんどは、広島商高と作新学院との甲子園での一戦の話でした。三三は、3年連続でのゲスト。どうやらたまが楽屋に来てたようで、南湖さんも含めた東西仲良し組ができあがっているようです。「締め込み」は、上方では「盗人の仲裁」。途中に夫婦ののろけ話が入ったりと、「盗人の仲裁」ほど軽いネタではない。盗人が縁の下から出てくるきっかけは、鉄瓶が転がってきて熱湯がこぼれてくるからと、これは合理的。テンポ良く自在な三三の口演に魅せられました。声がいいのは、ホントに強みですね。なざだか、下げの直前まで行きながら、下げを言わないで「おなじみのお笑いで」で下りました。その心は、何なのでしょうか?




2011年 6月 22日(金)午前 4時 50分

 昨日は、仕事に追いかけられっぱなしの一日。定時を過ぎても終わらない。そのため、予定していた南青くんの会は行けず、ぎりぎり間に合うかもと、京都五条である「養蓮寺寄席」に行ってまいりました。ちょっと迷っていたこともあり、惜しい気持ちはさほど大きくはありませんが、仕事が延びて行けないというのは悔しい話です。で、落語会の番組は、次のようなものでした。今井克紀「仕舞:兼平」、呂竹「江戸荒物」、染雀「軽業講釈」、あやめ「ちりとてちん」、仁智「竜宮城の戦い」。到着したら、開演予定時刻を過ぎていたのですが、幸い始まっていませんでした。ちょうど玄関に入ると、仁智さんが、主宰者に「始めましょうか?」と確認に降りてこられたところでした。ぎりぎりセーフで、頭から聴くことができました。今井さんは、金剛流の能楽師。「兼平」の姓は今井。仁智がまさかという感じで尋ねたら、兼平と縁のある家系だそうです。へぇ〜〜でした。呂竹は相変わらずのネタ、10年経ったのにと思ってしまいます。それに対し、こういった地域寄席でも頑張ってしまうのが染雀。普段でも、あまり出ない「軽業講釈」を出してしまいます。おかげで鳴り物に回らねばならない呂竹は、裏では大変だったみたいです。大音響になっても、ちょっと反応が鈍い客席でしたが、染雀はマイペース。染雀に次いであやめとなると、姉キンの出番でもあったときに、仁智が横にいて、この会のブッキングをしたなんてことを想像してしまいます。でも、聴く者にとってはありがたい出番。あやめ流「ちりとてちん」が、すっかり定着した型となりました。最初聴いたとき、無理っぽいと感じたものが、すっかりそぎ落とされという感じです。隣のお座敷から三味線がと言ったときに、実際に三味線を弾くというのも固まってきています。隣の書道の先生というのも、あざといですが、最近は許容してしまっています。そんなで安心して聴けるネタに成長しちゃいました。「竜宮城の戦い」は初遭遇。浦島太郎の子孫が竜宮城に行き、様々な魚と会い、ダジャレのオンパレードが前半、後半は鮫の軍団との戦いへ。鮫が、「白波5人男」ばりに見栄を切るなんて、仁智では初遭遇の芝居仕立てが新鮮。さすが、このメンバーが揃うと、満腹感があります。ただ、雨脚が強く、客席に空席が目立ったのがもったいないことでした。




2011年 6月 20日(水)午後 9時 57分

  京都市内遊歩(20)

 この2日間は、まっすぐ家に直行。夜遊びなしの2日間でした。特に昨日は、台風の影響で、京都で行くはずだった落語会を自重。結果的に2日間家で酒ばかりを喰らうということになってしまいました。
 で、今日は、夜、京都で、高校時代の友人と会うことになっていたので、またまた家で自重。また酒浸り。ちょっと体調がいいと、これだからいけません。ただ、台風一過、雨は上がったので、午後はウォーキングの時間に当てました。久しぶりの京都でのウォーキングです。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「中書島」駅〜肥後橋・三栖神社〜三栖橋〜三栖神社〜「横大路」交差点〜南部クリーンセンター〜横大路運動公園〜京都市立洛水中学校〜京都府立洛水高校〜「外環横大路」交差点〜一念寺〜「鳥羽伏見の戦跡」碑〜須釜児童公園〜伏見警察署〜三雲橋〜丹波橋〜京都市伏見社会福祉総合センター〜京阪「丹波橋」駅。このコースは、横大路運動公園まで行き、無事に、京阪沿線まで戻ってくるというものです。横大路というところは、伏見区なんだけど、とにかく足の便の悪いところ。桂川の西側に抜けることも考えられるのだが、そうするとあとが困るので、とにかく戻るという考えでスタート。しかも、同じコースを戻るのではおもしろくありませんから、違った道を考えるなら、戻りの方が時間がかかるだろうの想定で動いた結果が、上記のコ−スです。横大路運動公園までが50分、中はちょっとだけ歩いてみて、すぐに戻るというのが、実際に歩いてみたところです。「伏見桃山」駅を目指していれば、もう少し楽だったのでしょうが、頑張って「丹波橋」駅を目指したため、かなりのがんばりが必要なウォーキングでしたが、無事にジャスト2時間で到着できました。
 そして、夜は、京都のモロッコ料理店でおしゃべり。クスクスを食べて、おなかいっぱい。ベルベル人のご主人の出身地はワルザザード。サハラだというので、ひょっとしたらと思い、息子にメールで確かめると、行ってました。アトラス山脈を越え、サハラへの入口だそうです。急に、モロッコが身近に感じられてきました。




2011年 6月 17日(日)午後 11時 43分

 雨があがり蒸しっぽくなりました。今日は、朝から失ったDVDのデータを復元。携帯を失う前に、さっさとパソコンに送り保存をしておけば、こないな労苦は避けられたのでしょうが、今となっては後の祭りです。そして、午後には太融寺へ。久しぶりです、太融寺は。ま、こちらでの落語会自体が減っているので、こないなことなんでしょう。今日は、こちらで「宗助はんの会」がありました。この会も久しぶりです。何かとバッティングが続いたような記憶があります。番組は、なかなかそそられるもので、今日パンフレットを見て、初めて判ったものですが、それは次のようなものでした。小鯛「向う付け」、宗助「牛の丸薬」、しん吉「高宮川天狗酒盛」、宗助「次の御用日」。小鯛の「向う付け」は初遭遇。毎度このネタで気にすることは、喜六がアブナい人間になってないか。だって言ってることは、完全に踏み越えてるのですから。そういった意味では、小鯛の演じ方は及第点だったと思います。落語聴いて、笑って楽しめないとダメですからね。「牛の丸薬」は、演じ手の少ない噺なのに、今日の最大のピンチはこちら。あまり覚えていないのです。但し、マクラで紹介された「宗助はんの会」の由来話は、よく覚えているのですがね。「高宮川天狗酒盛」も珍しいネタ。文華、文我くらいしか、あとはやらないんじゃないかな。「東の旅」の帰路の、更に寄り道する噺です。長い序があるようで、しん吉は、それを要約して話してからネタに入りました。旅の二人が天狗に間違われ、大金を手にするのだが、それは夢だったというちょっと頼りない噺。「次の御用日」も演じ手が少ないですね。とまあ、今日は珍品特集のような番組でした。「次のご用日」は真夏の噺。この真夏のギラギラ照りつける陽射しが感じられれば成功というネタ。そのためには、売り声をいかにうまく出せるかなんでしょうね。すると、人通りのない道の向こうから、半天を日除け代わりに使いながら歩いてくるシルエットが見えてきます。それが見えたのは、都丸時代の塩鯛の口演と、今日の宗助の口演くらいじゃないかな。2回とも、道の脇には木立が見えてしまいました。そして、終盤は奇抜な展開。その奇抜さを思い着いた人って、自分にはない凄さを持っているんだと、この噺を聴くたびに思います。
 太融寺の会が終わると、近くの東通りのネットカフェで時間調整。そして、歩いて繁昌亭に移動。15分かかったかな程度の距離でした。今夜の繁昌亭は、「文華・銀瓶ふたり会vol.2」がありました。もう上方落語界の中核を担っているという二人の会、外すわけにはいきませんでした。その番組は、次のようなものでした。華紋「寄合酒」、銀瓶「書割盗人」、文華「遊山船」、(中入り)、文華「世帯念仏」、銀瓶「宿屋仇」。華紋は、土曜日とは打って変わった素晴らしい出来。彼の場合、技術的には申し分ない人なので、どのように間を使い分ければおもしろくできるかという大局感なんだと判りました。銀瓶の「書割盗人」は、おなじみネタ。「宿屋仇」の方は、もっちゃり三人組というのが、銀瓶にはなじまないかもと思っていたら、当たっちゃったので、銀瓶の今日のメニューでは、こちらに軍配。銀瓶の端正な語り口が生きるネタを選ばないときついなと思えました。「宿屋仇」の場合、もっちゃり感が乏しいので、侍の語り口との差が出にくくなるので、侍の位が落ちてしまいます。となると、こそこそと3人がし出すのが不自然になってしまうと、悪循環に陥ります。それに対し、文華は絶好調。ネタ選びも適切。自分的には、文華は、「立ち切り」「親子茶屋」に否定的な一方、庶民性の高いネタが合っていると思っています。「遊山船」は、このネタのベストでしょう。勢やんが、「暑苦しい」というほど、喜六がアホなことを言って絡んでくる、最高です。確かに、最近、「遊山船」の好演が増えてきていますが、ついにここまできたかと思えるほどの好演です。人混みが多いはずなのに、2人の会話しか出てこない。1つは、後ろの群衆を音のないシルエット化する方法、もう1つは、喋り続ける2人のわあわあ感で、周囲を巻き込む方法と思っています。最近は、後者の好演が目立ちますが、その中でも目立ったものでした。「世帯念仏」も、陰陽の噺で、もうボルテージは上がり切るほどの勢い。そして、ネタに入ると、最高度に上がった空気が維持できるほどの時間で切り上げました。うまいものです。




2011年 6月 17日(日)午前 1時 1分

 夜半から強い雨。まだその強い雨が残る午前8時半過ぎにお出かけ。今日は、まず「繁昌亭朝席」に。今日は、外せない朝席「出丸・文華 長講の会」があったのです。その番組は、次のようなものでした。華紋「阿弥陀池」、文華「子は鎹」、出丸「淀五郎」。朝からにしては、ヘビー過ぎる番組、でも、それがおいしい会です。並外れた大器と思っている華紋ですが、さすがに「阿弥陀池」は、荷が重かったようです。あざとさがない分、いいとは思う一方、も少し間の取り方など、緩急の平板なネタではできていたことをやって欲しかったと思ってしまいました。フォルテとフォルティッシモ、フォルティッティッシモを使い分けなければならない噺ですから。「子は鎹」は、虎ちゃんが母親と暮らしているヴァージョンでした。虎ちゃんの語りがいいですね。語り出しは、声的にきついところがあり、ちょっと絵空事っぽいのですが、語り込んでいく内に、どんどん引き込まれていきます。絶妙なる間の使い分け、表情と合体していけば、もう鬼に金棒です。その余韻が残るなか、うなぎ屋のくだりが、あまりにあっさりしています。くさくやれとはいいませんが、虎ちゃんの語りを、もう少し楽しませてもらえるくらいの引っ張りがあっても、いいんじゃないでしょうか。「淀五郎」の方は、くつろぎ過ぎ、椅子に深く腰をかけて聴いていたら、半寝状態になってしまい、ちょっと印象をメモるのははばかれるのですが、普段、芝居噺をしない人には、やはり芝居の場面は苦労しているなということだけは記しておきたいと思います。
 繁昌亭を出ると、その足で文楽劇場へ。チケットを11枚買って、いつもの千日前のネットカフェへ。夜の部が中途半端な時間から始まるため、今日は、こちらに3時間もいるはめに。おかげで、観始めていた「ナブッコ」というオペラを、最後まで観ることができました。グレギーナの出ているメト版です。このオペラはいいわぁ。そして、今までは、そないにこだわりを持っていなかったグレギーナに関心が高まってしまいました。そこを出ると、難波から「尼崎」に移動。夕方から始まる「関西歌劇団」の公演「カルメン」を観てまいりました。日本でのオペラ公演に臨むのは、昨年の「ロンディーヌ」以来です。関西歌劇団は、舞台の上はともかくも、客質は、二期会関西支部の公演に比べて、ちょっと落ちますね。ですから、せっかくの舞台の足を引っ張ってる感じ。アルカイック・ホールの広さはかなりのものがあるのですが、それを突き抜けてくる歌手陣のパワーに、正直驚きました。レベルが高いのです、パワーという点では。歌手陣の中では、ドン・ホセを歌った清水徹太郎がピカ一。ドン・ホセにしては、ちょっとリリックな感じのするテノールですが、声の伸び、艶、張りなど、抜けてたような気がします。カルメンを歌った西原綾子は、パワー十分な歌い手。ただ、メゾのわりには低温が響かない、それに、お定まりの動けないでは、現代では通用しません。とまあ、気になるところはあるのですが、歌手陣のレベルは十分満足できるもの。ホールの大きさからすると、素晴らしいことです。演出面では、第1幕冒頭のミカエラと軍関係者との掛け合い、子どもの行進が割愛されました。あまりカットする理由が思い浮かばないのですが、ただ、カットしても筋立てに影響があるわけでもないので、そうしたのか、時間の節約にもなるしなというぐらいが思い浮かびます。でも、そうなると、あまりよく解らないタップダンスを何とかして欲しかったな。第1幕と第2幕の間のパントマイム的タップダンス、同じく第4幕前のタップダンスが、よく解らなかったのです。その煽りというのでは、ちょっと悲しい。第2幕の酒場でも、タップが長々と続きました。削られたところ、増えたところの差し引きを考えて欲しいものです。装置は、4幕が、全て別物。特に奇抜なものはなく、セビリアの街角などのイメージで作られたもの。段差をほぼつけないという装置に、若干疑問。そういった構造になっていれば、腰をかけるにせよ、トランプ占いをする場所にせよ、選択の幅が広がるものなのにという目で見ておりました。シュトゥットガルトで観た「カルメン」の口直し的な意味で観に行こうとした公演でしたが、オーソドックスなスタイルだったことで、十分に目的は果たすことができました。これだけ観れれば十分という認識で観終えることができました。今日、支払ったチケット代で、日常的に、このレベルのオペラを観ることができれば、わざわざドイツにまで行かないのですが、現実は、そんなに生やさしいものではありません。
 オペラは、職場の同僚父娘お二人と観てまいりました。たまたま同じ日に観ることになったので、終わったあと食事にということで、阪神なんば線を使って難波に出て、「イスタンブール・コナック」に行ってまいりました。難波駅を出ると、滝のような雨。一番ひどい時間帯の移動だったようです。お嬢さんの方とは、カイセリで7年前にお会いして以来の再会。必然的に、トルコ話に花が咲きました。ぼちぼち食事も終盤に入ろうかというときに、なんとおなじみトルコ人のK氏のお姿をみかけたので、飛んでいきました。お元気で何よりです。消息もほぼ絶えていましたので、ホントお元気で何よりです。またの再会を約して、黄紺らはお店をあとにしてまいりました。




2011年 6月 16日(土)午前 6時 10分

  大阪市内遊歩(135)

 今日から雨続きだそうで、この週末、ウォーキングをするならば昨日ぐらいということで、迷わずにウォーキングを計画。夜のことを考え、昨日も、千日前のネットカフェに行くことを想定してのコース設定です。その詳細なコース設定は、次のようなものでした。京阪「野江」駅〜JR「じょうとう009」橋梁〜JR「じょうとう010」橋梁〜成育歩道橋〜関目東公園〜城東屋内プール〜鯰江公園〜今福北橋〜今福北歩道橋〜鶴見北中央公園〜鶴見神社〜大阪市立茨田南小学校〜今津諸口橋〜JR「外島」踏切〜さわらび保育園〜「七軒屋北」交差点〜長田北公園〜地下鉄「長田」駅。昨日は、2回も道に迷ってしまいました。1回は、「野江」駅からの出口を間違い、しばらく気づかず、元に戻るのに、ちょっと苦労。ここで、15分のロス。もう1回は、「徳庵」駅横で、線路を越えた辺りで、完全に地図の読み間違い。地番だけを頼りに歩き、見事修正。あとから地図を眺めながら、歩いたコースを振り返ってみると、三角形の二辺を歩いた勘定に。ここでも大きくロスと、当初の目標としていた近鉄沿線まで行くのは断念。これだけミスると致し方ないことです。特に「野江」駅でのミスは2回連続。全く同じミスを2回連続では、学習効果なしです。
 「長田」から「堺筋本町」経由で「日本橋」へ移動。予定通り、千日前のネットカフェで、体休め兼時間調整。夜は、「一心寺シアター」で「南河内万歳一座」の公演「夕陽ケ丘まぼろし営業所」に行ってまいりました。「一心寺シアター」で行われていた「万歳フェア」のトリを、本物の「南河内万歳一座」が、新作を引っさげて、しかも休団からの復活を飾ったのでした。客席は、思いの外若い人が多く、「フェア」効果かなぁなんて思いながら見ておりました。芝居は、夏にどこに出かけるか悩む客を相手に営業を続ける旅行社が、一つの舞台。行く目的も不明確で旅行先を探す客、お仕着せのプランに容易く乗ってしまう客、それは、丸で生きる目的を見失った現代人の縮図というメッセージが、この芝居の設定枠。その客の中に、夏合宿を考えている高校の演劇部を含み、演劇論が繰り広げられるのが傑作。もちろん演劇論と、現代人の生き方を重ね合うことができるとして使われているのだが、演劇界、高校演劇にメスを入れる毒のある言葉が痛快。「夕陽ヶ丘」という言葉が、目的地として用いられている言葉。その「夕陽ヶ丘」は行き着こうとして行き着けない、行き着いても行き着いたかどうかが判らない、「夕陽ヶ丘」に行き着こうとすると、目の前に恐怖が現れる、恐怖に追い詰められて、「夕陽ヶ丘」に着いたら恐怖は消えている。内藤裕敬の難解な言葉が並びます。具体的には、演劇論のところで触れられていることがある。高校の演劇部が全国大会に出るという目的のために用意する芝居は、演劇としての完成度が高いとは限らない。演劇としての質を求めての作品を持ってしては、全国大会には出られない。だから、目的するべきものなどはないのではないか、だから、「夕陽ヶ丘」というものなど、本来的にはないかもしれない。だから到達した場合、そこがどこだか解らないし、戻り方も判らないとなるのでしょう。自分探し、自分の生き方など、内藤作品らしい出来栄え。そして、旅行代理店の大騒ぎ、もう南河内万歳一座健在なりをしめしてくれました。大満足の芝居でした。




2011年 6月 15日(金)午前 6時 30分

 携帯が見つからない鬱屈とした日が続いていますが、ほとんど諦め状態に近づきつつあります。仕事の方は、嵐の前の静けさのようでのんびりと、先を見越した仕事で、溜めを作った一日。夜は、シンフォニーホールで、関西フィルの定期演奏会に。今夜は「ワグナー特集」ということで、「ワルキューレ第3幕」が演奏会形式で演奏されました。他には、「ローエングリン」から、第1幕と第3幕への前奏曲と「エルザの大聖堂への入場」が演奏されました。「ワルキューレ」の第3幕は、ブリュンヒルデが、ヴォータンに背いてジークムントを助けに入り、それを果たせずジークリンデを連れ帰るところから。でも、後から追いかけてきたヴォータンからは逃れることはできず、ヴォータンからお仕置きを受けるのだが、その逃れられないとわかったとき、ブリュンヒルデが問いかける。「私はそれほど悪いことをしたのでしょうか」という言葉から、お互いを思い合う父娘の対話へと進み、ブリュンヒルデの言葉に感動したヴォータンが、ブリュンヒルデの提案を受け、眠りに入るブリュンヒルデを火で包み、その火を越えることのできる英雄こそが、ブリュンヒルデと結ばれるとします。そして、それが、ジークリンデのお腹の中にいるジークフリートだと暗示するジークフリートのモチーフが、高らかに響く中で幕となります。幕開けは、ブリュンヒルデの妹たち8人のワルキューレの騎行から始まります。このオペラは、合唱が入らないので、それに替わる場面として貴重な場面です。大オーケストラに8人の女声が挑むところです。昨日の女声陣は、どうだったかな? 欲を言えば、もう一回り大きな馬力が欲しかったかな。ジークリンデがなかなかいいなと思ってたら、この第3幕のジークリンデは、悲しいかな出番が少ない。そのジークリンデとブリュンヒルデの掛け合いの中で、初めてジークリンデのお腹に子どもがいることが出てきます。初めてジークフリートのモチーフが出てくるところでもあります。ただそのときは、オケに清々しいサウンドを求めたいのですが、昨日はちょっとくすんだサウンドだったかな。なんか欲張りな音の探求をしてるようですが、ポイントはポイントです。大きなポイントが、も一つあります。ヴォータンとブリュンヒルデの対話が進み、いよいよヴォータンがブリュンヒルデの神性を剥奪する最後のキスに入るところです。「おまえの目は、どれほどワシを癒してくれたことか」、「アウゲン」という語句がヴォータンから出てくるところからです。神々の長という地位とか何やらを振り捨て、永久の別れを告げねばならない娘に対する父親の顔だけになるところです。ここで柔らかく慈愛に満ちた歌唱が、聴く者の胸を打つところです。それが難しいんだなぁ。昨日も、そうでした。ワグナー特有の大オーケストラを気にして、なかなか声を引くような歌い方がしにくいところ、でもやってくんなきゃ、そして、その大オーケーストラを抜けないとワグナーの音楽じゃありません。それがあって、最後のジークフリートのモチーフも、炎のモチーフも、聴く者をほっとさせてくれるんだから。でも日本で、ワグナーのオペラが演奏されることすら無理と言われていた時代を知るものからすると、最初のワルキューレたちのかけ声を聴いただけで無上の喜びですね。




2011年 6月 13日(水)午後 10時 55分

  大阪市内遊歩(134)

 昨日、携帯をなくしてしまいました。恐らく朝の出勤途中に落としたようなのですが、気づいたのが夕方。落語会に行こうとして乗った電車の中で気づき、慌てて探しに行っても手遅れ。警察に届けたり、携帯の会社に携帯を使えなくしたりと、傷心のなか動き回っておりました。かなりダメージを受けています。
 今日も、傷心のまま。携帯に入っているデータの紛失が痛く、朝から失ったデータの保存作業をしてました。そんなで家で暗い時間。これではと思い、午後2時をメドにお出かけ。ウォーキングをして、憂さ晴らしをしようとしたのです。夜には落語会に行くこともあり、それに合わせてコースを設定しました。その詳細は、次のようなものです。京阪「淀屋橋」駅〜イタリア料理店「Voce」〜沖縄そばの店「赤瓦」〜イタリアン・カフェ「VisEst Cafe」〜韓国料理店「ヌルンジ」〜大阪市立南幼稚園〜大阪南船場郵便局〜イタリア料理店「Hibiki」〜地下鉄「四ツ橋」駅〜地下鉄「西大橋」駅〜インド料理店「ビンドゥ」〜日吉公園〜大阪市立日吉小学校〜日吉橋〜桜川公園〜「かんじょう053」橋梁〜大浪橋〜大阪市立栄小学校〜木津川橋〜木津川水門〜大阪府立西成高校〜南海汐見橋線「津守」駅〜大阪市立津守保育所〜大阪市津守下水処理場〜「津守神社前」交差点〜西成中津守郵便局・大阪市立津守小学校〜南海汐見橋線踏切(松3丁目)〜梅南多目的スポーツ広場〜梅南集会所〜松通公園〜松通東公園〜「松」交差点〜地下鉄「花園町」駅。木津川の近くまで行き、そのまま南下。そして、時間が来れば、あとの移動を考えて、木津川沿いの道を切り上げるというものです。大浪橋より南で木津川の東側の道を歩くのは久しぶりです。しかし、このコ−スだと判で押したように津守神社が限界です。先日も、近くを歩き、「花園町」を終点としたため、今日は「萩ノ茶屋」を、多少のオーバーを覚悟で目指そうとしたのですが、「難波」に着いたとき、千日前までの移動にも時間がかかると思い、「萩ノ茶屋」に向かいかけ途中で進路変更。これがなければジャスト2時間のコースですね、このコースは。
 「花園町」から地下鉄で「難波」に移動。いつものように、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、道頓堀の「ZAZA」であった「道頓堀太郎寄席〜6月の会〜藍の会」でした。今日の主役は雀五郎。ネームバリューがない分、客の入りは悪かったのですが、集まった顔ぶれは、落語会の常連さんが占めていました。それだけ雀五郎の実力に対する信頼があるということだと思います。で、その番組は、次のようになりました。優々「田楽食い」、雀五郎「看板のピン」、智之助「おごろもち盗人」、(中入り)、雀五郎「質屋蔵」。前半は、軽めのネタのオンパレード。雀五郎が「看板のピン」を出した時点で、長いネタを出すな、ひょっとして「質屋蔵」かなと思ったら、ドンピシャでした。やはりこの人の小気味の良い喋りは、流れが良く、理詰めなところがあり、聴いていて心地よさがあります。その流れ中に身を置いていると、何度も聴いているはずのくすぐりも笑えるのです。視線のもって行き方もいいですね。表情を動かすよりも、視線で説得力をもっていかせます。茫然とする熊はんの眼、離れの二人がびびるところと、この視線が生きますし、旦さんの毅然たる態度も、視線一つで決めて見せます。久しぶりに雀五郎の長講を聴いて、グレードアップした姿を確認できました。今日のゲスト役は智之助。まず智之助と雀五郎という組合せが新鮮です。どうしてこないな組合せが生まれたのでしょうかね。智之助は、とぼけた味に好感を持っており、もっと遭遇機会があればと思っている噺家さんの一人。今日の「おごろもち盗人」なんか、合うネタじゃないかな? その「おごろもち盗人」でおもしろいところがありました。盗人が両手を縛られてしまうのです。こんなの初めてでした。しかも、左手を掴む前に、店の主人は寝に行ったふりをするというフェイントが用意されていました。こんなの聴いたことがないので、おそらく智之助スペシャルでしょう。替わりに、小便をかける犬は出て来ませんでした。バランスをとったのでしょうね。しつこさの排除という意味で。なかなかいいセンスです。ただ、中トリなんだから、もう少し大きなネタが欲しかったな、あとに「質屋蔵」が控えてるとはいえ。




2011年 6月 11日(月)午後 11時 30分

 今日も、寝不足での出勤。目が痛いまま、一日が過ぎていきました。夜遊びをするには辛いところなのですが、既に芝居のチケットが買ってありました。その芝居ですが、関西の小劇場で活躍する「サキトサンズ」を名乗る「宮川サキ」と「SUN」の二人芝居を、中崎町の「ムーブファクトリー 」で観てまいりました。「梨の礫の梨」という芝居です。舞台は、ある酒場。設定がなかなか判らないように作られた芝居が、カウンター越しに進みます。一人の40台の女(宮川サキ)が、電車の中の出来事を喋っているところから始まります。そこへ、その話に絡むように、もう一人の女(SUN)が入ってきます。どうやら二人は、この酒場で待ち合わせをしていたようです。話が動き出すのは、最初からいた女が35歳のときに戻りたいと言ったところからです。そして、その歳で出会った男のことを語り出します。しかし、それ以前の年齢の話になると、女はくそみそに、自らの人生を否定します。もう一人の女は、客観的に聞いているようでもあり、そうでもないよな対応の仕方です。この辺が、この芝居のうまい演出であり、演技のところで、それはあとで判るところで、リアルタイム的には、SUNが、普段の舞台ではやらないようなキャラを演じているため苦労してるなの印象を持ってしまいます。男の話が一段落をすると、その女は尋ねます。「あんた、さっき35のときがあったら良かったと言ったな」と糺します。そう言えばそう言いました。そのときには気にならなかったのですが、ここで確認されると、おかしな言い方だと解るばかりか、SUNが演じる女の方が若い女のはずなのに、そう思い始めたあたりで、手早く種明かしがされます。客の頭の中に疑問符を現すことを避けてきたのが、ここに来て、急に疑問符を点灯させ、光が灯り始めたのを見透かしたように種明かしです。とっても巧妙です。完全に、作・演出の横山拓也に手玉にとられました。若い方の女は、40台の女の母親だったのです。子どもが7歳のときに自殺をしていたのです。ここから母親と娘の語り合い、ときには怒号、罵声という言葉も飛び交わせながらの母娘の対話となります。問題は、なぜ今、二人が語り合うのかということですが、具体的には触れられないのですが、娘の方が、自殺を考えているようなのです。それを、必死に止める母親、娘は、母親に罵声を浴びせます。「あんたはやっといて、何ゆうてんねん」「あんたかて頼りにしてくれる人がいるかもしれん」「道端の石でも頼りになるときがあるかもしれん」「ほな、私はあんたの石にもなれんかったんか」、ここまで来ると、母親は謝るしかありません。「ごめん」と言って去って行きます。照明が、カウンターに酔いつぶれた女にあたります。泣きじゃくった女は、顔をあげ、「お母さん」と一言つぶやき、またカウンターに突っ伏し、やがて顔をあげ、新たにボトルキープして去って行きます。結局、カウンターで呑んでいた女の想念の世界を見せられた芝居だったのです。自分の生き方を反芻しながら生きていく女の、自己否定的な部分だけを、舞台化した芝居だったのだということが、最後に判るようになっています。当然、否定的なものを乗り越える部分は表現されていません。それを表現する芝居ではありません。前向きになる何かを培ってるんだなということが判れば十分という芝居作りです。良くできた台本です。そして、2人のとってもいい、そして難しい役回りを巧妙に演じたことに拍手です。終盤、狭い会場に、鼻をすする音が、随所で聞かれました。1時間の芝居ですが、密度の高いものだったと言えます。




2011年 6月 10日(日)午後 8時 52分

 この3連休は、あまり眠れませんでした。今日は、幸い二度寝をすることができたので、なんとか睡眠時間は確保はできたのですが、仕事のある日だったらと思うと、気が重くなります。眠れないと、お酒の世話になることが多く、体にいいことはないのですが、睡眠不足のしんどさから逃れる術だから、仕方がないのかなぁ。
 今日のお出かけは、11時が目安。今日は、ずっと一心寺で、いろいろと楽しませていただきました。その第一弾は、南会所であった「一心寺門前浪曲寄席」の6月公演。その番組は、次のようなものでした。京山幸枝司(岡本貞子)「阿武松」、春野ココ(沢村さくら)「谷風と佐野山」、松浦四郎若(藤信初子)「松前蔵之助」、京山小圓嬢(岡本貞子)「定九郎出世噺」。今日は、どうしたのでしょう。二度寝用のお酒が残っていたということは考えにくいので、結局慢性的な寝不足ということなんでしょうか? 初めの3つが、半寝状態で聴くことになっちゃいました。ですからうろ覚えのなか、記憶に残っていることをメモっておきます。「阿武松」「谷風と佐野山」と、相撲ネタが、2つ続いてしまいました。普通は、ネタがつくと言って避けるものですが。ともに、落語や講談でおなじみのもの。「佐野山」は、いわゆる「人情相撲」と言われる噺です。松浦四郎若の「松前蔵之助」は、ちゃんと覚醒しておきたかったな。仙台潘の話です。潘主が、有望と見込んだ松前を、いろいろと試して、自らの眼を確めるという話のはずです。待望の京山小圓嬢は、今日は、ちょっと声の調子が良くなかったみたいだが、この人は、声だけを聴きに行くわけではないので、ノープロブレム。「定九郎出世噺」は2度目の遭遇のはず。これも、落語でおなじみ(釈ネタとは思うのですが)「中村仲蔵」です。「定九郎が出世した噺」ではなく、「定九郎で出世した噺」です。落語の「中村仲蔵」は芸談ですが、浪曲では夫婦の物語です。見込みのなさそうな役者と結婚した仲蔵夫婦の愛の物語で、定九郎の格好については、ちょっとした奇跡物語にして差し込まれる程度で、しかも夫婦愛という枠を強化するのに使われるだけです。会場では、浪曲親友協会に対する応援金を求める印刷物が配布されていました。補助金が来なくなるようです。文化というものは、好事家のためのもの、贅沢なもの化する傾向にあります。
 今日は一心寺デイで、浪曲が終わったのが、ちょうど3時。南会所のすぐ近くにある一心寺シアターの芝居が始まったのが4時でした。グッドタイミングで、2つの公演を渡り歩くことができました。間のちょっとした待ち時間は、安居神社をぶらぶらとしてました。完全に「天神山」です。芝居は、一心寺シアターで行われている「万歳フェア」の一環として上演された「唇に聴いてみる」でした。上演劇団は「浪花グランドロマン」でした。「万歳フェア」は、「南河内万歳一座」が、これまでに上演した3作品と、「南河内万歳一座」の新作を上演するというものです。黄紺は、当初旧作の3つとも観ようかと思ったのですが、あとの2作品は、聞いたことのないような劇団が上演するので止めました。観ることによるリスクの方を恐れたのです。「浪花グランドロマン」は、公演を観るのは初めて。でも知られた劇団ですので、行ってみようかと思ったのですが、歴史のある劇団である分、劇団員の年齢構成がバラバラ。それを、うまくキャストに散らばらせることができれば良かったのですが、それはなかなか難しいこと。このばらつきが、キャストの割りふり面とともに、周知の如く、「南河内万歳一座」の芝居は、体力を求められる芝居であるために、年齢層のばらつきは、動きの不揃いを生んでしまってました。また、自分探しをする主役の男は、女優が演じ、そういったキャストが、他にも出てきてました。舞台は、6畳か4畳半一間なのですが、今日は、閉じた空間にせず、部屋の枠を表すものとして、かもいの位置に、鉄骨を張り巡らしていました。そして、正面に、押し入れの扉があるというもの。最後の空缶が流れてくるのも、そこからでした。ただ空缶が流れてくる先に、炬燵が置かれていて、そこに、空缶が止まるという失敗をおかしていました。まさか、客席に流れるのを防いだのではないと思います。自分探しをしていくと、自分の記憶を育んできたものが、どんどんと壊されていく現実にいたり、ヴァナキュラーのもの、文化だけではなく、記憶そのものも消されていく、自分たちは、何を拠り所にして生きていけばいいのかという荒野にも似た現代社会を描いた名作、名作だけに、よくシーンを覚えています。「荒野の七人」のパロディ部分、運動会の玉入ればかりか、バトンが渡らない場面、冒頭の窓の外を眺める刑事の乾いた台詞のやりとりなどなど。ノスタルジックな場面に入ると、徐々にうるうるきだしていました。BGMは、一部「南河内万歳一座」のものを使ってはいましたが、大半は新たに用意されていました。最近観る芝居と違い、内藤作品は、骨太感があります。一つの時代だったと言うだけではもったいないいい芝居だということを再確認できた次第です。




2011年 6月 10日(日)午前 6時 48分

  大阪市内遊歩(133)

 金曜日の夜から雨でした。おかげで金曜の夜の帰りはびしょ濡れ。上に羽織っていたものは、朝になっても、まだしっとり。昨日のお出かけの目安は、午前9時。睡眠が不十分にしかとれないなかのお出かけでした。まず文楽劇場へ。毎年、6月は、文楽の公演が2つあります。昨日はその1つ、「文楽鑑賞教室」です。平日に行くと、中高校生でいっぱいなので、土日を選ばねばなりません。土日にも、そういった人たちがいることはいるのですが、まあ数が少ないのです。で、今年の番組は、次のようなものでした。「伊達娘恋緋鹿子〜火の見櫓の段〜」「解説:文楽へようこそ」「菅原伝授手習鑑〜寺入りの段・寺子屋の段〜」。「伊達娘恋緋鹿子」は、八百屋お七が半鐘を鳴らしに、火の見櫓に上がり、その半鐘を鳴らすだけの短いもの。お七が上がるとき、人形つかいなしで上がっているように見えるのが見せどころ。途中まで上がり、一度落ちるというのは、落語「七段目」でも見ることができます。「解説」は、今年も、相子太夫と清丈のお笑いコンビに当たりました。いや、幾つか候補がある場合は、このお二人が出られる日を選ぶことにしています。今年は、ブータン王妃を登場させての義太夫を披露してくれました。人形の方を担当されたのは吉田簑紫郎さんでした。「菅原伝授手習鑑」が、この観賞会の番組に入ってびっくり。だって大曲という印象を持っているものですから。菅丞相の息子菅秀才の命を守るために、身代わりに息子を差し出すという凄まじい話です。ある意味では、文楽っぽい展開ですが。「寺入りの段」は、松王丸の妻が、息子を連れて寺子屋に来るところ、要するに、既に松王丸夫婦は、息子に言い聞かせて、首を差し出しに来たところです。「寺子屋の段」の方が、菅秀才の首を出せと言われ苦悩する武部源蔵夫婦、首実検に来た松王丸らに詰め寄られ、身代わりの首を差し出す源蔵、そして松王丸夫婦による種明かし、そして犠牲になった息子を回向と続きます。ただ種明かしをしてから、最後にいい節が待っているのですが、松王丸夫婦が、パ・ドゥ・ドゥのように舞う場面があったりして、ちょっと冗長。昨日は、松王丸を、なんと勘十郎さんが遣うというもの。「観賞会」はお休みだと思っていたので、とっても目っけ物をした気分です。
 文楽が終わると、まずは昼食。そのあと直ちにウォーキングを開始。最初は夏の日照りでしたが、長続きはせずに、あっと言う間に、雲が広がってしまいました。でも、ウォーキングが終わると、汗がぐっしょり。着替えの必要な季節になったということです。自分的には、大好きな季節です。体を動かしたぞの実感に浸れるからです。で、そのウォーキングの詳細なコースは、次のようなものとなりました。文楽劇場〜生国魂神社〜清風学園〜石ヶ辻公園〜「細工谷」交差点〜大阪市立桃陽小学校〜JR「桃谷」駅〜桃谷公園〜大阪市立鶴橋幼稚園〜東大阪朝鮮第4初級学校・大阪市立御幸森小学校〜コリア・タウン〜御幸橋〜新今里公園〜東中川会館〜大阪市立片江小学校〜熊野大神宮〜神路銀座〜神路公園〜「東今里2」交差点〜「東今里1」交差点〜千間川みどり公園〜永田小橋〜永田公園〜大阪府立成城高校〜諏訪神社〜新田橋〜JR「放出」駅。「細工谷」交差点から南南西に切れ込む道は、最近歩いたばかり。昨日は、「桃谷」駅から御幸森小学校に向かい、少しだけ「コリア・タウン」を歩きました。土曜日の昼間、明らかに観光客っぽい人たちが、たくさん歩いているのには、驚くばかりです。韓国を売りにしたお店の増え具合も半端じゃないような気がしました。「中川2」交差点を目安に、その近くで道を北に折れ、あとはその方角に進むつもりだったのですが、「東今里1」交差点で、急に心変わり。「放出」駅に向かうと、時間的にいいかなと。ましてや、あとのことを考えるとベストかなと。ただ、このときは、まだ、前者には不安で、要するに早く着きすぎるのではとの懸念でした。でも、時間的にはぴったり。成城高校方向から「放出」駅に入るのは、不案内な者にとっては、かなり難しい。入り組んだ道、川の存在が、なかなか駅に着かせてくれません。毎度のことですが。所要時間、でも2時間1分でした。
 「放出」から「京橋」へ移動。そして、時間調整は「京橋」でしました。夜は、更に「京橋」から「中之島」に移動してABCホ−ルへ。こちらであった「赤鬼」という神戸の劇団の公演「Paper Trailer」に行ってまいりました。「赤鬼」は、関西の有名劇団の一つですが、今回が初めてです。神戸の公演は行かないですし、大阪であったときはいろいろと行けなかったのです。芝居のテイストは判っていたのですが、実際遭遇してみて、正直、なんでここまで知られた劇団なのか、解らなくなってしまいました。なんか中学生や高校生を相手にして見せるような芝居なのです。従軍カメラマンならず、従軍絵師が敵に捕まり、生き延びるために、自分は民間人だと偽る。それを信じた女の子が、その男を匿い、その絵師の描く絵の世界に魅せられていく。ここから絵の中の冒険ファンタジー物語とが錯綜していくという展開。だが、その嘘がばれてしまうと、今度は、一転して戦争の世界へ。だが、この描く戦争が甘いというか、現実遊離している。ということで、絵本の中の戦争という感じがしてしまいました。役者として、関西演劇会で縦横無尽に活躍されている人も抱える人気劇団かと思いきや、集客力がさほどでもなかったのを目の当たりにして、芝居の中身と見合ってるなと思いました。BGMのスマートさに比べ、場面転換はスマートさに欠けたりと、ちょっと引き気味。もう一度くらい観てからの判断でしょうが、見切りをつけるかもしれません。明らかに見切りをつけた有名劇団がありますが、「赤鬼」も入るかもしれません、これじゃ。




2011年 6月 8日(金)午後 11時 00分

 3週間ぶりに、週末の3連休に入っています。雨の予報があったため、ウォーキングはしない予定で、朝からお酒を呑みながら、DVDで「オテロ」を観ておりました。ドミンゴが、メトでルネ・フレミングと共演したものですが、何か物足りなさを感じるプロダクションです。声の張りが絶好調には見えないのです。そして、やがて沈没。要するに二度寝なのですが、お出かけは、12時をメドにしました。まず午後は「動楽亭昼席」。米朝一門だけが出る月初めの10日間の内2日は行きたいなと思っているのですが、なかなかそうはいきません。今月も、今日だけしか行けないのです。ですから出演者を見て、行く日を決めるなどという贅沢はできていないのが現状です。で、今日の番組は、次のようなものでした。優々「田楽食い」、ひろば「テレスコ」、よね吉「刻うどん」、米輔「親子茶屋」、(中入り)、あさ吉「うなぎ屋」、塩鯛「壷算」。優々は、前回同様で「田楽食い」なのですが、出来栄えはツーステップ上がったという印象。思いっきりの良さが、噺の中に入り込ませていきます。ひろばの「テレスコ」は珍しい。円都、先代歌之助、現小米でしか聴いた記憶はありません。ひろばがやっているということは知ってはいたのですが、初遭遇です。「刻うどん」の後半から「親子茶屋」はダウンしてしまいました。なお、「刻うどん」は、やはり吉朝の弟子、一人ヴァージョンでした。あさ吉のマクラは、客席のみならず、楽屋まで大受け。ポトフ作りの話に、鍋奉行南光に逆らった話をしてくれました。そして、食べ物つながりで、「うなぎ屋」に入りました。塩鯛は「壷算」でした。今年は「壷算」の当たり年。冒頭の布袋さんが落ちる話も入っている原典版。塩鯛ならば、とぼけた味がおもしろいかなと思ったのですが、それほど濃いものではありませんでした。
 動楽亭を出ると、歩いて千日前のいつものネットカフェへ移動。約35分のミニミニウォーキングでもあります。雨が降ってましたが、本降りは、動楽亭にいた間のことだったようで、傘なしでも十分に歩ける状態でした。で、夜は、ワッハの7階であった「林家亭6月席〜染左開発計画〜」に行ってまいりました。先日の「大阪書生節協会」の公演に来られていた方も来られていて、同公演で演奏された曲目一覧をいただけることになりました。メモをとるのを失念しており、気がついたときには手遅れだったので朗報です。黄紺のように、落語会通いをされている方とも、このようにして面識が増えつつあります。肝心の落語会の番組は、次のようなものでした。雅「平林」、染左「東の旅〜発端から煮売屋」、呂竹「青菜」、染左「悋気の独楽」。雅は、マクラで自分の故郷の三重県の話。素朴な話に好感。「平林」は、定吉が、人に尋ねるたびに発する「ありがとう」という声に拍手。変な名前、どんどん変わる返答に、不安になっていく定吉の気持ちが表れていました。染左の一つ目は、入門後初めて習った「東の旅」を、発端から煮売屋までをはしょりながら通しました。久しぶりだったのでしょう、ちょっと思い出しながらの口演という印象。呂竹は、久しぶりの遭遇。そして、初めてじゃないかな、この位置での呂竹は。今年は、既に何度か聴いている「青菜」。オーソドックス・ヴァージョンを聴けたと思えば、目っけ物の遭遇です。おかみさんをデフォルメする口演が大はやりのなか、ちょっとしたきつい言葉を発するだけで、このネタは、こないにおもしろいのだということを再確認。そしてトリは、初演となる「悋気の独楽」。少し躓きかげんだった「東の旅」に対し、こちらは心地よく流れました。語尾を引っ張る癖が影を潜め、聴き易いものとなっていました。一のお気に入りは、おてかけさん宅から帰る定吉の台詞。「こないに待たせるからませるんや」、そして、ここで、おてかけさんからもらった50銭から、万年筆のことを言わせました。この2つは大ヒット。染左のオリジナルなのでしょうか、それとも、師匠の染丸が入れているのでしょうか、他の噺家さんでは聴いたことのないフレーズだけに気になりました。




2011年 6月 7日(木)午後 10時 47分

 今日も暑い一日。いや、これからは、このような日ばかりが続きます。まだまだ序の口というところでしょう。特に今年は、クーラーのない部屋にいますから、このくらいで、へこたれるわけにはいきません。で、夜は繁昌亭。今夜は「桂三枝はなしの世界その十八」がありました。来月、文枝を襲名する三枝にとっては、この会もラストとなりました。会場では、最後の三枝グッズが売られ、嫌が応にも、襲名間近の雰囲気が醸し出されていました。三枝も、三枝で最後を意識して、三枝としては最後の新作、しかも、かなり佳作のレベルとなる作品を発表してくれました。その番組は、次のようなものでした。三之助「手水廻し」、三枝「妻の旅行」、三歩「医ー家族」、三枝「神様のご臨終」、(中入り)、三枝「芸者チドリ・27才」。三之助は相変わらず平板。三歩のところではダウンと、弟子の高座は、違った意味で、2つとも、なんか素通りしてしまいました。中でも、三枝作品の「医ー家族」は、まだ出逢ったことのない作品でしたので、惜しいことをしてしまいました。三枝は、まず「妻の旅行」を最初に持ってきました。この会で初演した思い出の作品ですが、わりかし長めの作品ですので、この位置に持ってくるのに違和感を感じていたら、前半で切ってしまいました。ま、そのつもりで置いたのか、新作が短めのものになったときは、これをトリネタに持って行くつもりじゃなかったのだろうかと想像していました。ちょっとした保険をかけておいたのかもしれません。「神様のご臨終」は、弟子たちも、頻繁にかける三枝らしい才覚の光る作品。談志が、三枝作品を、他の新作テラーが思いつかないものを創ると評したといいますが、その最たる作品じゃないかな。今日は、BGMを入れたり、照明の操作があったりと、だいぶとヴァージョンアップしたものとなっていました。そして、トリが、今日が初演となる「芸者チドリ・27才」。まず着想の豊かさに驚かされます。新潟の温泉街にやってきた大阪のサラリーマン2人、芸者遊びをしようとしたら、若い芸者に90歳の婆さん芸者が付いてきたというもの。最近の三枝作品に多い年よりが出てくる噺なのですが、この作品は、芸者というひねりが加えられ、更に、婆さん芸者ときと、その娘かもめ、そして孫のちどりの物語が入るという、結構盛りだくさんなエッセンスの詰まる佳作です。そして、最後に下げに繋がるコーダの部分に、どんでん返しが用意されているばかりか、舞台が新潟の温泉街にされているわけも判るという仕掛けになっています。今、振り返ってみても、計算され尽くした構造に感服すること、しきりです。最後の三枝作品に相応しい佳作と言えると思います。跳ね太鼓で、一旦緞帳が下がったのですが、もう一度、緞帳を上げ、来月に迫っている文枝襲名についての挨拶をしてから、お開きとなりました。記憶に留めねばならない会だったと言えます。




2011年 6月 6日(水)午後 11時 47分

  大阪府寝屋川市(40)〜門真市(37)〜大東市(14)

 真夏のお天気。その暑さに気がつかないほど、午前中は、眠りこけていました。非出勤日なのに、一旦いつもの時間に目が覚めたのですが、休みの日の恒例、お酒を呑みながらのオペラ鑑賞。ある程度まで呑むとダウン。一挙に眠りこけました。
 今日は、まず暑い陽射しのなか、着替えをカバンに入れてのウォーキング。久方ぶりの寝屋川スタートです。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「萱島」駅〜新佐伯橋〜門真市立北巣本小学校〜「巣本西」交差点〜北岸和田自治会館〜弁天池公園〜岸和田産土神社〜五軒堀橋〜深北緑地〜権現橋〜深北橋〜三箇菅原神社・三箇城址碑〜上三箇保育園〜氷野公園〜「住道北」交差点〜JR「住道」駅。今日は、実に久しぶりに、深北緑地を目指しました。ついでに、こちらもご無沙汰の弁天池公園にも寄ってというコースです。「萱島」駅から弁天池までは、20分ほどで行けます。そこから深北緑地は近いのですが、なんせ門真市と寝屋川市の境を越えねばなりません。大きな通りを行くならば、さして問題があるわけではありませんが、補助的な道を行こうとすると、門真市と寝屋川市の連係など、微塵も見られないのです。例えば、弁天池公園の南側道路は、寝屋川市の手前で行き止まり。岸和田産土神社の方に回ると、簡単には寝屋川市域に移れないのです。ですから、ここを越えようとするときは、田んぼの畦道を歩くことになります。久しぶりの深北緑地は、たっぶりと回ることにしました。北側の緑地を一周したのは、更に久しぶりじゃないでしょうか。南側には、ちょっとだけ深野池の名残があります。看板には、「警戒警報が出ると緑地を立ち退きましょう」と、寝屋川が溢れ、水が緑地に入る図入りで掲げられています。かつては、災害に晒されたところだという記憶が、そんなので甦ってきます。三箇菅原神社前で写真を撮っていると、地元の方に声をかけられました。神社の向かいにある地車倉庫に、地車の点検に来られた方でした。黄紺が写真を撮っていたものですから、地車の一部だけど見せてあげようかと思って声をかけましたと言っていただき、ただただ感謝でした。10月の祭には、6台の地車が、住道まで行くそうです。6台とはすごい話です。テレビも撮りにきたことがあると誇らしげに言われていましたが、そりゃそうでしょう。この三箇地区は、そないな盛大な祭とともに、随分と多くの伝統的家屋の、しかも、かなり大きめの家屋が残っているところです。実は、三箇地区を抜けて、住道駅に向かったのは、今日が初めてでした。いつもは、野崎や四条畷ばかりに向かってましたからね。いいところ発見の気分です。
 「住道」から、JR一本で「大阪天満宮」に移動。いつものネットカフェで時間調整をして、夜は繁昌亭に行きました。今夜は「桂吉弥のコラボDEお仕事です〜スクエア篇〜」の3日目でした。だいたい連続興行のときは、1回だけ行くことにしています。今回も、ネタは違うと宣伝されていましたが、いつもの自分的ルールはキープしました。で、番組は、次のようなものでした。吉弥「はてなの茶碗」、スクエア「コント」、(中入り)、スクエア「コンサート」、吉弥「風邪うどん」、吉弥・スクエア「トーク」。吉弥の「はてなの茶碗」は、初めての遭遇のはずです。何かすごく運びが、自然な感じがしました。ちょっと小さなつなぎの言葉が入れられていたり、表情がその替わりの役割を果たしたりとしていくので、そのように感じさせられるのだと思います。「風邪うどん」は定番でしょうが、まさかこの暑い日に、これを出すとは思いませんでしたので、マクラで物売りの話をしたときには、びっくりするとともに、他の噺だろうと決めかかっていたのですが、この季節外れのネタでした。スクエアは、もちろん新人さんはなしで、普段はやらないコントと、かつて芝居として上演したコンサートの一部でした。3日間違ったものを出したはずですから、なかなか大変だったのではないかな? コンサートは、設定が細かい。会社帰りのサラリーマンが、路上パフォーマンスをしているという設定で、各人の会社、仕事内容、役職まで決まっている。そして、憂さ晴らしに、会社ネタの歌を歌うというもの。コラボとしては成功だったと思います。それぞれの異なったおもしろさ、楽しさを、同じ空間で味わうことができたのですから。




2011年 6月 5日(火)午後 11時 59分

 今日は疲れました。気温の上がり方がおとなしかった分、助かりました。ウォーキングを順調に続けているからでしょうか、疲労が腰に蓄積しないのが嬉しいことです。1年間の中で最も体力を消耗する時期にさしかかっています。今日程度のことで顎を出していると、このあとが心配ですから、あまり弱音を吐かないようにしましょう。で、今夜は、中崎町駅から歩いて行くことになる「提法寺寄席」へ行ってまいりました。都合がつけば行くことにしているマイナーな会です。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、そうば「青菜」、ひろば「色事根問」、そうば「餅屋問答」。この会の特徴は、冒頭に主催者の二人の「トーク」が置かれているところ。毎回、前の会以後の3ヶ月間に起こったことを、30分という時間設定をして、とりとめなく話します。今回は、この間、二人がともに始めているダイエットについて。そうばの動機はともかくも、ひろばの動機がおもしろかった。ネタを教えてもらうとき、一つの台詞の息の長さを指定されるときがあるが、最近、息の長い台詞が言えなくなってきているので、肉体改造に取り組んでいるそうです。興味があったのは、ネタの教え手が、そのような指示を出しているということでした。なお、ひろばは、肉体改造の結果、100キロを切るようなことになると、中2以来のことだそうです。落語に入ると、二人とも小ぶりのネタに、この会でも、わりかし最近取り上げたものを出したので、ちょっと不満。そないな不満がためか、単に睡眠不足が解消してないだけかは判らないのですが、「色事根問」は、ほぼ沈没。「青菜」の終盤も跳んでしまってます。ただ「青菜」は、最近、たまの変型ばかりを聴いているので、オーソドックス版を聴くと、逆に新鮮な感じがしました。今日のそうばを聴いてもそうだったのですが、やはり旦さんには、一定品格、それも古風な品格が欲しいですね。でないと、柳かげ、鯉のアライという言い方、そして肝心要の「鞍馬から、、、」の言い方とのバランスが保てるものではありません。ですから、そうばも、「餅屋問答」のテンションで、「青菜」をやっちゃいけないということだと思います。「餅屋問答」のアクション、「地獄に落ちろ」は、前に聴いたときも思いましたが、外来アクションは、やり過ぎと言わねばならないところです。ところで、今日は、この会、最高の入りじゃなかった かな? しかも、ご近所の方が多いということで、良き地域寄席パターンの会へと脱皮できるのかもしれないなと思えました。




2011年 6月 4日(月)午後 11時 46分

 今日もまた、寝不足のまま出勤。かなり目が痛いまま、一日が過ぎていきました。帰りは、冬にヨーロッパに行こうと言っている方と情報交換。ベルリンの情報を持ち寄ると、一気に気分は、年の暮れはベルリンでの雰囲気。チェチーリア・バルトリが、ベルリン・フィルと共演したり、チョーフィが、ベルリン・ドイツ・オペラで、「ルチア」を歌うなんてのがあるものですから。という長閑な話をしながら、黄紺はワッハに向かいました。今夜は「らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」がある日だったのです。ただ今回は、主役の一人生喬が、落語を一席すると、すぐに会場を離れ、北海道に旅立つ日だということで、シークレットなゲストが用意されました。ただこのシークレットだったはずのゲストがつぶやいてしまい、一部の客は知っていたようですが。その番組は、次のようなものとなりました。生喬「平の陰」、たま「青菜」、南天「くっしゃみ講釈」、(中入り)、南天・たま「対談:夕焼け日記」。生喬の「平の陰」は、初遭遇だと思います。テキストは、最近のスタイルを踏襲。でも繰返しがしつこくない、なかなかのいい出来。思わず、何でと考えてしまいました。結びの言葉の、無用な繰返しを避けたからじゃないかなと思っています。シークレット・ゲストだったたまは、またしても「青菜」。何回当たるのでしょうか、この夏。南天の「くっしゃみ講釈」も久しぶり。「トリイ講談会」で、「後藤一三物語」が出たとき、本家の落語も入れられたのですが、その日が「彦八まつり」だったため、非協会員の南天が喚ばれたときに聴いて以来のはずです。喜ぃ公が、後藤一三が憎いのだが、政やんと一緒に仕返しができるのが嬉しくてたまらない、この表現って、「へっつい盗人」を聴いている気分にさせられました。喜ぃ公が、八百屋で費やしたであろう時間を、キープする術も示してくれました。こういった南天のこだわりは、合理的な展開を心がけている南天らしさが出ているところで、なかなか他の噺家さんでは出てこない気遣いです。そして、「対談:夕焼け日記」は、南天とたまの二人。生喬とのときと違い、ネタ解題的なことをせず、芸談ぽい話がなされました。なかでも、マクラについてが可笑しかったな。それと関わり、前座の役割が熱く語られました。




2011年 6月 4日(月)午前 4時 42分

  大阪市内遊歩(132)

 随分と疲労がたまっています。そのわりには、夜中に目が覚める。仕方がないので、パソコンをいじっていると、起きておれなくなり、再びダウン。起きていたのは、1時間半もなかったでしょうが、こないなことが起こります。幸い日曜日だったおかげで、しっかりと二度寝ができ、疲れの方は、若干ましになったかな。昨日のお出かけは、11時がメド。まず、「independent theatre 1st」で、東京の劇団「箱庭円舞曲」の公演「どうしても地味」を観に行ってまいりました。最近、少しずつですが、小劇場系の東京の劇団が、大阪で公演することが出てきています。ありがたいことです。ところで、この芝居、地方の目立たない町で、町おこし的に線香花火を制作しているグループが主人公です。どう考えても、ここで起こる日常的な出来事が、世間を騒がしたり注目を浴びたりすることのない、そのような地域の、ごく日常的に起こる出来事を描きます。様々な形で夫婦仲がしっくりいってないカップルたち、風俗上がりの女を愛人としている住職、関係の良くない姉妹など、どこにでもありそうな風景。そのなかで、男は、女は、ちょっとした安定を求めるためか、諍いが様々なところで起きます。でも、それらが、一体なんだという視線を、ずっと浴びながら、そういった日常の風景が描かれている気がしました。社会の枠がどのように変わろうと、変わらなかろうが、ずっと続いている人間の営為、それは、その社会の枠組みから何ら影響を受けるのではなく、また、影響を与えることなく、粛々と同様のことが繰り返されている。町の規模が小さければ小さいほど、大状況よりも、このようなちまちまとした人間関係での満足を求める気ままのようなものが大きくなってしまう、デフォルメされてしまう、そういった日常を紡いで見せた芝居と看たのですが、、、、。果たして当たっているかどうか? 東京で観た劇団に客演をされていた役者さんも出ておられ、その達者な演技に感服。東京では人気を誇っておられることを、そのようなところからも確認できました。
 芝居が終わると、「independent theatre 1st」の前から速効でウォーキング開始。昨日は、前回のウォーキングの逆コースっぽいところを歩いてみました。自分的好みの川のある風景を満喫できるコースです。その詳細は、次の通りです。「independent theatre 1st」〜大阪市立恵美小学校〜大阪市立木津中学校〜韓国料理店「南大門」〜大阪市立大国保育所〜JR「今宮」駅〜浪速消防署浪速出張所〜木津川橋〜南泉尾公園〜泉尾公園〜大阪府立泉尾工業高校〜大阪府立大正高校〜尻無大橋〜大阪市立南市岡小学校・南市岡公園〜JR「かんじょう044」橋梁〜大阪市立九条南小学校・九条南公園〜阪神なんば線「九条」駅・地下鉄「九条」〜大阪市立九条東小学校〜本田公園〜西税務署〜木津川大橋〜大阪西郵便局〜地下鉄「阿波座」駅〜大阪西本町郵便局〜地下鉄「本町」駅。木津川と尻無川の二つを越えるというプラン。両者に比較的近いポイントを起点にできないと、あまり実現の機会のないコース設定。ならばついでに安治川も、地下道ではなく、橋で越えようかとも考えたのですが、決して無理ではなかったのですが、夜の部との繋ぎを考えると、ちょっと無理な移動を控えることになるので断念。替わりに、中之島の西端から「新福島」駅を目指すことを想定していたのですが、西税務署の西側を通過したときに、残り時間が10分余りということで、こちらも断念。木津川大橋を渡り、中央本通を東進。「阿波座」駅であと5分となったので、ならばと「本町」駅を目指すことに。四ツ橋筋の「本町」駅入口で、ジャスト2時間となりました。やはり川を越えるコースは爽快です。周囲の景色は、決してきれいと言える地域ではありませんが、川があるだけで、爽快になれます。
 「本町」から「南森町」に移動。夜は、繁昌亭ではなく、茶論「無花果」であった「大阪書生節協会」の公演に行って来ました。ただ、「南森町」駅で降りた関係で、繁昌亭に前売券を買いには立ち寄りました。今夜は、「松喬一門会」があったからでしょう。繁昌亭の前では、生喬さんを囲んで、宝塚の話に花が咲いていました。まことにもって、長閑な光景です。肝心の書生節は、こちらで、最近定期的に会を開かれているのですが、黄紺は、まだ2回目。南海さんの関係で、講談会でおなじみの方々から、「珍しいですな」とお声をいただいたのですが、懸命に「初めてじゃないですよ」と、触れ回っておりました。今回は、大阪発信の書生節を披露するというのが、セールスポイントの会。歌われる前に、題名を披露されていたのですが、控えるのを失念していたため、売られた歌集に記された曲の題名だけを書き留めておくことにします。「大阪行進曲」「潜水艦淡路沖遭難の歌」「洒落男(知事男)」が、それです。元歌に加え、替歌を披露されるのが、実に楽しい。書生節なるもの、世相を風刺して、客を惹き付けていたということに習い、特に地元の政界、世相を題材にして、お二人が、それぞれ替歌を持ち寄っていただけます。この公演も、素材集めからして、既に学者の世界っぽいものです。南海さんだけでなく、群時さんも、その素質たっぷりの方なものですから、作者についての蘊蓄が、どんどんと飛んで出てきます。こんなのも魅力の会です。途中、10分ほどのインターヴァルを入れて、2時間半の公演に大満足。公演後のプチパーティは失礼して帰途に着くことにしました。




2011年 6月 3日(日)午前 3時 40分

 昨日は、天気予報では雨、てなことで、端からウォーキングは諦めていたら、雨には程遠いお天気。雨ヴァージョンで動いていたために、ウォーキングは外してしまいました。そこで、朝からDVDで、ホセ・クーラがカバラドッシを歌う「トスカ」を観て、満足。トスカの歌う「愛に生き、恋に 生き」で、またしても泣いてしまいました。英語の字幕を見てですが、プッチーニも推敲に関わったという言葉が素晴らしいです。「トスカ」は終わり、今度は、チューリヒ歌劇場のプロダクションを映像化した「皇帝ティトゥスの慈悲」に移っています。そして、午後1時半を目安にお出かけ。昨日は、「トリイホール」であった「TORII講談席〜『古事記』成立1300年記念特集〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南斗「黒田節の由来」、南青「元祖講釈師・稗田阿礼」、南湖「万物創造神・イザナギ、イザナミ」、南華「荒ぶる神・スサノオ」、(中入り)、南海「白鳥伝説・ヤマトタケル」。昨日は、'「古事記」成立1300年記念特集'のあとに、更に「我ラ語リ部末裔ナリ!」と題して行われましたが、前座の南斗くんを除いて、全員が、ネタ下ろしという会でした。ところが、昨日は、一昨日の疲れが出てしまったようで、全然ダメでした。こういった会が開かれた現場にいただけということです。記憶に留まっているのは、南湖さんが、開演時間を夜と思っていたために、南海さんにいじられていたことと、南海さんが、子どもさんがいるとしにくい話をされたことくらいかな? 昨日は、この講談会のためにだけ、大阪に行って、これなんですから、情けないったらありゃしません。仕方がないので、淀屋橋駅まで、ミニミニウォーキングをしてみましたが、歩いてみて判ったのは、やっぱり疲れてるなということの再確認でした。




2011年 6月 1日(金)午後 10時 40分

 今日は、お疲れの一日。でも、夜遊びは予定通り。今夜は繁昌亭です。繁昌亭シリーズが、まだ続いています。「雀松向上委員会in繁昌亭〜平成二十三年度芸術祭優秀賞受賞記念〜」があった夜です。普段はトリイホールである会ですが、協会に復帰してからは、年一回は、繁昌亭に場所を移してやってますと、雀松自身が、冒頭のフリートークで言ってました。その番組は、次のようなものでした。雀松「雀松時遊本舗」、喬介「米揚げいかき」、雀松「蛇含草」、梅団治「荒茶の大名」、雀松「宇治の柴舟」。「雀松時遊本舗」は、雀松のフリートークの時間。毎回、これで雀松ワールドに、引き込まれる時間です。かつて、ゲストで出た三喬が、「雀松教の信者」と、客席に向かって呼び掛けたことがありましたが、そういった言い方で言うと、洗脳の時間と言えばいいでしょうか。雀松の一つ目は「蛇含草」。雀松のライトな喋りが冴え渡る一席です。餅を食べる男が、どんどんとハイになりながら芸を披露していくクレッシェンドが、たまらなくいいです。雀松の代表作の一つに数えていいのじゃないかな。ゲストは梅団治。梅団治がゲストということは、さてはと閃いたことが、ドンピシャでした。あとの「宇治の柴舟」を、梅団治からもらったのです。「荒茶の大名」は、釈ネタ。鶴光がやり始めて、弟子の学光が広めたネタと、勝手に考えています。まあ、当たっているでしょう。茶の作法を知らない武将が、すかたんばかりをする噺です。噺の構造自体が滑稽なものですが、名だたる武将が実名で出てくる違和感は避けられません。そして、お目 当ての「宇治の柴舟」。元来、三代目のネタのわりには、弟子たちはやってくれない。今は、梅団治以外ネタにしている噺家さんはいるのでしょうか? かつては、先代春蝶がやってたんですが。恋患いの噺ですが、恋する相手がやばい。絵に描かれた女なのです。どうしようもないので、宇治に出養生に行く。そこで、絵の女に瓜二つの女を見掛け、伏見に帰るという女を舟に乗せる、ここで、ようやく「宇治の柴舟」が出てくるという仕掛け。出てきた途端というほどすぐではありませんが、もう完全に噺の終盤に入ってしまってます。舞台は、明治というよりか、大正というところでしょうか。「お父様」「お母様」という物言いが、階層ばかりか、時代を拘束していきます。他にはない独自の雰囲気を持ったネタです。「電話の散財」と、時代は、どちらが古いかななんてことを考えながら聴いていました。




2011年 5月 31日(木)午後 9時 45分

 今日は、午前中に屋外での仕事があったため、ちょっとぐったり気味。昨夜の超寝不足も重なり、午後はかなり厳しい時間となりました。でも、予定通り夜遊びは敢行。今日も、昨夜に続いて、いい会が目白押しの日。迷いに迷った結果、続けて行くことに値打ちありと思い、「徳徳亭」の「第17回なんせいの講談格闘中!」に行ってまいりました。演目は「太平記〜足利高氏謀反 六波羅滅亡〜」です。今日は、今までの楠木正成側からではなく、足利高氏側からの話になりました。当時、北条高時に仕えていた高氏兄弟が、後醍醐天皇側からの誘いもあり、後醍醐側を攻める行軍に同道しながら、途中で進軍を止め、鎌倉から離れて行く様子が描かれていきました。そして、次回へのつなぎ辺りになったあたりで、心配していたことが起こりました。意識が飛んでしまったのですが、それは、最後のほんの僅かなところ。よくぞ、こないな寝不足、且つ疲労の蓄積した日に、こないなところまで持ちこたえたものです。南青くんの言葉の豊富さが、一層進化してきたことに、始まったあたりで舌を巻いたからですかね? なんなんでしょうか。とにかくも、終演後、呑み会に誘っていただいたのですが、さすがに今日は辞退して、家路を急ぐことにしました。
 話は、全然違うことですが、この冬の旅行話が、急に浮上してきました。以前、パリからバーゼルに駆け抜ける旅をご一緒した方と、イタリアからクロアチア・オーストリア方向か、フランス方向かに行こうかという話が出てきているのです。ついにイタリアで、オペラを観るという話が具体化してきました。これから、時間をかけて、イタリアの歌劇場情報収集に努めることになりそうです。そういう話が出るまでは、行き慣れたドイツやスイスを調べていて、ボン歌劇場で「ノルマ」「イエヌファ」が2日続けて出る日と、ニュルンベルクの「トリスタンとイゾルデ」を外さず、最後に、ドレスデンのゼンパーで「仮面舞踏会」かなというあらかたのコースを考えていたところ、昨夜、ローザンヌ歌劇場で、今年の正月、ゼンパーの「トスカ」で、タイトル・ロールを歌ったオクサナ・ディカが、同じ役を歌うというので、ちょっと色めき立っていたところでした。が、イタリアに行くには、誰かが背中を押してくれないと行かなかったからでしょうから、とってもいい機会と思い、喜んで乗ることにしています。間に合わせのイタリア語も、かなり忘れてしまっているので、またお勉強のやり直しです。




2011年 5月 30日(水)午後 9時 54分

  大阪市内遊歩(131)

 昨日は、家に直行。晩酌をすると大爆睡。寝不足と疲労がたまっていたのでしょうね。堰を切ったように眠りこけました。そして、今日は、非出勤日。朝からのんびりと、お酒を呑みながら、DVDで、オペラを観るという生活は相変わらずのことです。そして、午後1時45分をメドにお出かけ。まずはウォーキングです。少し円高傾向なので、今の内に、ユーロを買っておこうと考えたため、まず「淀屋橋」からスタート。ここをスタートすると、川のある風景を見に行きたくなってしまいます。今日は、木津川沿いに歩き、大正区に入り、最終的には木津川大橋を渡り、津守地区に入ることを想定し、時計をにらみながら、大正区内を歩くことにしました。そして、最終地点は、近くを通りながら、今までウォーキングでは、一度しか利用したことのない「花園町」駅になるように歩くと、これがドンピシャ。最初から、わりかしハイペースを維持したままの2時間ジャストでした。そのコースの詳細は、次の通りです。京阪「淀屋橋」駅〜難波神社〜立売堀公園〜松島橋〜松島公園〜地下鉄「ドーム前千代崎」駅〜大阪ドーム〜岩松橋〜JR「かんじょう046」架橋〜泉尾中一商店街〜「泉尾」交差点〜八坂神社〜木津川大橋〜大阪市立西成人権文化センター津守分室〜大阪市立北津守小学校〜「津守1」交差点〜津守商店街〜鶴見橋商店街〜西成鶴見橋郵便局〜「鶴見橋」交差点〜地下鉄「花園町」駅。
 「花園町」から「難波」へ移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整をしたあと、北浜経由で「天満橋」へ移動。夜は、落語会の多いなか、「常盤漢方薬局」であった「第17回客寄席熊猫」に行ってまいりました。雀喜が、新作を発表する会で、わりかし行くことの多い会の一つです。今日は、落語会が揃っている日ということは、出演の噺家さんも意識されていたようで、いつもほどには椅子を出されていなかったのですが、実際は、椅子を足さなければならない状況でした。番組は、次のようなものでした。雀喜「知ってるつもり」。雀喜「ダンゴマン」、三金「天の岩戸」、雀喜「」。「ダンゴマン」は、雀喜の旧作。雀喜らしいほのぼの落語の一つ。ダンゴムシを大事に育てる長坂くんが、ダンゴムシと合体して、世の中の悪を懲らしめるというもの。その世の中の悪というのが、「ムシ」繋がりで構成されているのですが、それのキャラが、ちょっと弱いな。いじりどころやと思います。噺の枠はおもしろいのですから、ぜひ改良して欲しいものです。三金の「天の岩戸」は初遭遇。「古事記」を落語でと依頼を受けて作ったと言っていたのですが、噺に入る前に、「あまり落語に接したことのない方に依頼を受けたものですから」「まず落語というものはおもしろいものだと思っていただかなければなりませんので」と断ったところで、ピンと来ました。「こりゃ、パルーンショーを入れるな」と。噺はいたって簡単。天の岩戸に隠れた天照を外に出すために、神々を集め、色々な芸を披露するというもの。と言っても、落語の神米澤彦八が出てきて、落とし噺をし、イエス・キリストが出てきて、パルーンショーをするというものでした。もう一つの「知ってるつもり」が、今まで雀喜になかった噺。なかなかの力作だと思います。ビートルズ・マニアの男二人が、それぞれが持っている知識を自慢しあうというだけの噺なのですが、その蘊蓄を聴くだけでもおもしろいうえ、その自慢話が、あらぬ方向に広がっていき、何の話なのか解らなくなったところで、ビートルズに戻るという、昔からある笑いのパターンなのですが、その長い話がよくできているものだから、客の耳を引っ張っていく力を感じさせられました。新境地っていうところで、拍手です。雀喜は、まだまだ湧いてくるものを持ってるなの印象を持つことができました。




2011年 5月 28日(月)午後 10時 20分

 今日は暑い。一応、薄手の上着を引っ掛けていったのですが、朝だけお世話になっただけで、完全にお荷物。今週は、また金曜日に出勤しなくてはならないようになり、ちょっとあんぐり。ということで、時間になるとさっさと、職場をあとにしました。で、行き先は道頓堀。最近、落語会が増え気味のZAZAへ。こちらであった「くいだおれ太郎の道頓堀太郎寄席〜5月の会〜松の会」に行ってまいりました。今日の主役は花丸。花丸を中心に据えた「太郎寄席」は、これで2度目となります。その番組は、次のようなものでした。染八「寄合酒」、花丸「阿弥陀池」、由瓶「真田小僧」、花丸「お父っつぁんは魔法使い」。染八は、小染と和女夫婦の息子、叔母があやめである。中学生・高校生の頃から、落語会で受付などを担当していたので、顔はよく知っているのだが、高座に上がった姿を見るのは初めてのこと。まだ噺家としての声ができあがってないなの印象はあるが、周りの空気を作る術を持っているという感じがしました。人と人の掛け合いの間がいいのでしょうね。但し、後半は、それが崩れてしまってましたが。でも楽しみな噺家さんだなという印象です。ゲスト役の由瓶は、豪華客船での仕事や自分の子どもの話をマクラで喋ってからネタへ。由瓶の「真田小僧」は、以前に一度聴いて、嫌な感じがしたのを、聴きながら思い出していました。子どもが、父親をからかって、小遣いを手に入れる噺です、由瓶は、その手口がおもしろいからと、デフォルメしてしまうので、嫌な息子、ふざけた息子という匂いが漂ってしまうのです。親子のほのぼの話を、艶笑噺っぽくしたりするのも、嫌な感じがしてしまいます。主役の花丸は、登場するなり「噺家宝塚ファン倶楽部落語会」話でわかしてくれました。裏話なんか聴けて大正解。そないなマクラをふって、何を出すのかと思っていたら「阿弥陀池」。昔からあるくすぐりに、花丸流改変をミックスしているあたりに、らしさを感じることができました。2つ目の「お父っつぁんは魔法使い」が始まっても、ネタがなかなか判らない。冒頭、古典の香りのする場面があるので、ちょっと混乱。爺さんが、魔法使いを名乗るまで判りませんでした。随分と久しぶりに聴くネタです。借金とりに攻められ困る男の祖父が、急に魔法使いだと言い出し、その由緒話をしたあと、魔法を使うのだが、そこは、落語に出てくる魔法使いですから、変なことをしてくれるというもの。結局、花丸は小ぶりのネタを2つ並べて、おしまいとなりました。前回は、「幸助餅」を出したので、そのクラスの噺を期待していたのですが、肩すかしでした。でも、宝塚話が聴けたので、帳消しかな?




2011年 5月 28日(月)午前 5時 31分

  大阪市内遊歩(130)

 昨日は、朝から夏のようなお天気。黄紺は屋内遊びが多いの、薄手のパーカーをひっかけては出ましたが、かばんの中で眠ってることが多かったですね。それに、一昨夜も夜更かしで、眠たくって仕方のない一日。歌劇場のプログラム漁りです。ボン歌劇場で、「ノルマ」が出ることが判り、柱となる出物が出てきています。「トリスタンとイゾルデ」も観なくっちゃならないので、家にいる知忙しくって、結果的に夜更かしです。
 昨日は、朝8時半をメドにお出かけ。久しぶりに繁昌亭の朝席に行ってまいりました。時々のぞきに行っている「あされん〜若手鍛錬会〜」があったからです。三弥が、繁昌亭開場以来主宰している会で、昨日は、なぜだか構な入りでびっくり。表に、バスの旗を持ったお兄さんが立っていたので、ツアー客が入ったのかなと思います。演者さんは、落語初心者とベテランが入っているのを看て取ったようで、三四郎とたまはなんかは、かなりマクラで探りを入れていました。三弥は、我関せずという人なんで、そういうことをしないで我が道を行ってました。演者さんいろいろでおもしろいところです。で、番組は、次のようなものとなりました。三河「初恋」、三四郎「満員電車(仮題)」、たま「書割盗人」、三弥「竹の水仙」。「初恋」は三枝作品。それに、三河は初遭遇でしたが、この人、どこの人なんでしょうか? 独特のアクセントがあります。三段のように、思い切って大阪弁を捨てた方がいいかもと思う雰囲気でした。三四郎のネタは自作? とってもいい出来栄えで、且つ、古典の手法も踏襲しているというもの。内容は、満員電車の風景を描いているだけなのですが、チョイスする人物、ぜんぜん違う人を絡めてしまう可笑しさ、よくできていました。三四郎の作品だったらいいのですが。たまは、「青菜」のつもりで出てきたそうですが、恐らくコアな落語ファンに配慮しての変更じゃないかな? 「青菜」を、いろんなところでかけすぎたの気持が働いたものと看られます。三弥は、「竹の水仙」と決めてたのでしょうね。三弥で聴く、初の本格的な大ネタです。梅団治にもらったんだろうと想像させるフズが出ていました。宿屋のちょっと気弱で人のいいキャラが、三弥にかぶるのかな、こういった人物、例えば「真田山」の親父なんか、合ってますね、三弥に。それを意識しての、ネタのチョイスでしょうか。終演が11時35分。外に出ると真夏の陽ざしになっていました。
 繁昌亭を出ると、食事を済ませ、繁昌亭前からウォーキングを開始。1号線から2号線に入り、阪神「野田」駅近くから脇道にそれ、「西九条」駅方向までは予定通りに進み、あとは、お時間に合わせコースを選ぶというものでした。その詳細なコースは、次のようなものでした。繁昌亭〜地下鉄「南森町」駅〜インド料理店「New Mehfil」〜JR「北新地」駅〜ロシア料理店「ボーチカ」〜阪神「福島」駅〜JR「新福島」駅〜「福島4丁目」交差点〜新橋横丁〜野田新橋筋商店街〜フランス食堂「ビストロかたおか」〜大阪市立大開小学校〜西野田労働基準監督署〜朝日橋〜昇陽中学校・高校〜白砂大神〜六軒家川水門〜安治川大橋〜波除公園〜抱月小公園〜抱月公園〜阪神難波線「九条」駅。最終地点を「九条」になるよう、3つの選択肢を用意していました。「西九条」へ現れたあと、安治川トンネルを抜けて九条地区に入る、次に、「咲くやこの花高校」横の橋を渡り九条地区に入る、最後が「安治川大橋」を渡る、結局、最後の方法を採りました。もし、時間が厳しくなるようであれば、「弁天町」駅に入ればいいじゃないかと思い、「安治川大橋」を渡る快感を優先させました。
 「九条」から難波へ移動。難波のネットカフェで時間調整をしてから心斎橋シネマートへ。昨日は、こちらで夕方から映画を2本観ました。1本目は、インドのタミル語の映画。ラジニカーント主演の映画「ロボット」です。久しぶりに公開されたインド映画。ホント、ラジニカーント主演の映画くらいです、日本公開は。この映画は、CGだらけの映画でした。ラジニカーントは、ロボット制作の科学者と、その男が作ったロボットの二役。ロボットが感情を持ち、制作者の恋人を奪おうとすると、そりゃ科学者が怒ります。そのため破壊されゴミとして破棄されると、その部品を拾い上げて再生を試みようとする男が現れても不思議ではありません。その男が、この映画のヒール、ラジニカーントの指導教授の妬みが高じ、悪のチップが埋め込まれてしまいます。ここからが、今や悪役と化したロボットが大暴れ。1人でも最強なのに、増殖して、合体攻撃なんてやっちゃうものだから、どうしようもない。でも、弱点がありました。磁石に、ロボットは吸い寄せられてしまいました。いくら攻撃を受けても傷まないのに、磁石に弱い、あぁ、鉄製だったのです、このロボット。チタン製だったら、この映画、成り立たなくなるところでした。もう1本は、韓国映画の「サニー」。おばさんたちの青春グラフィティです。7人組の女たちのグループ名が「サニー」。こういった映画の常として、現在と過去が入れ子細工のようになり進行していきます。過去は高校生時代。1人の女の子が転校してくるところから始まります。現在の方は、その転校してきた女の子だったおばさんが、サニーのリーダー格の女と再会するところから始まります。ただ、リーダー格の女は、余命2ヶ月を宣告されているガン患者でした。2人が再会して話していると、ガンを患っている女が、死ぬ前に、サニーのメンバーに会いたいと言いだしたので、皆を集める努力が始まります。実際に出会うと、高校生の頃、キャピキャピと夢などを語っていた女も、決して潤沢な人生を歩んではきてはいない人も出てきます。だけど、昔の仲間と再会することで、忘れていた夢だの、気概だのを思い出し、現状を見つめるという作業を、各自にさせていったようです。思い出の時間は80年代です。その頃のヒットナンバー、もちろん韓国でですが、これを解る人だとたまんないでしょうね。80年代の音楽喫茶が出てきますが、黄紺にとっては、この喫茶店の造りが懐かしかったなぁ。もちろん韓国の80年代の喫茶店の風景を思い浮かべてですが、このくらいでした、記憶に残るものは。そのようなことがなくても、青春グラフィティものは、いいです、どうしても来てしまうものがあります。80年代の韓国を知っているかどうかではない何かが、そして、誰しもがほのぼのとするものがあるからでしょうね。それを十分に味わわせてくれる力を持つ作品です。おかげで、ほんわか気分で帰途につくことができました。




2011年 5月 26日(土)午後 11時 36分

 今週は、一日少ない週末。その分、週末の楽しみ、朝からお酒を呑みながらのオペラ鑑賞の時間が少なくなるというので、今日は、たっぷりと、その時間に当てました。珍しいフランス語版の「メリーウイドウ」(リヨン歌劇場版)が終わり、この冬を意識して、「トリスタンとイゾルデ」にかかっています。だけど、お酒を呑んでいると、知らない内にダウン。目覚ましに起こされました。
 今日のお出かけは、まずは文楽劇場。今日は、こちらで「浪曲錬声会」のあった日。二部制だったのですが、ネタの関係で、午後3時からの部だけ覗きに行きました。その番組は、次の通りです。真山隼人(真山幸美)「嗚呼吉田松陰」、春野美恵子(虹友美)「両国夫婦花火」、(中入り)、幸いってん(沢村さくら)「大井川乗り切り」、三原佐知子(岡本貞子)「亀甲組」。現役の高校3年生の真山隼人が、実は最大の狙い。一心寺で聴き、びっくりした記憶も新しいところ。今日も、彼のネタで、第2部の方をチョイス。ネタは、吉田松陰の生涯をコンパクトにまとめたもの。浪曲特有のおいしいところ取り的なネタでないだけに難しいですね。だけど、節だけではなく、顔の表情といい、身体の動きといい、有機的な動きを見るにつけ、ホントただ者ではありません。春野美恵子の「両国夫婦花火」は、一門の春野恵子で、幾度と聴いているもの。放蕩息子が、立派な花火師になり戻ってくる話。裏に、鍵屋と玉屋の篤い信頼関係があるのが清々しい話です。幸いってんは、復帰後2度目の遭遇。この調子で、元気に活動を続けて欲しいものです。師幸枝若の芸を継げる人なんだから、ホントに元気でいて欲しいものです。ネタは、「寛永三馬術」からの有名なネタ。どど平と間垣平九郎主従が、村人を助けるために、激しい流れの大井川を渡りきる話ですが、終盤の渡る場面のたたき込むような節はさすがでした。そして、いいところで、おしまいとすとーんと落とす幸枝若の型が健在でした。母親もののスペシャリスト三原佐知子が、そうではないネタを、「練声会」というところだから、自分も勉強させてもらうと、あまりしていないというネタを持ってきました。「亀甲組」は、叔父にあたる近江勝がやっていたのでということです。一心寺でも出したときには、ダウンしてしまい、中味の記憶がないだけに、今回の遭遇はラッキーなことです。明治の話で、土建屋さん同士の対立を背景に、金のために身を売った女を、意地悪く、対立する組の頭が買いに来て起こる騒動を扱っています。拒否をする女を、廓の男が折檻します。その姿を見て、姉さん女郎が励ますところが、一番の聴かせどころと看ました。三原佐知子では、滅多に聴けそうもない女郎もの、芸風の広さを見せられました。
 文楽劇場を出ると、すぐ近くのネットカフェで時間調整。夜は、「肥後橋」まで地下鉄で行き、ABCホールに移動。こちらであったスクエアという劇団の芝居「ワンサ」を観てまいりました。なかなかよくできた芝居で、ただ全体としてみてみると、前半が良すぎた分、後半が尻すぼみかなというものでした。西大阪市という架空の町が、町の活性化、町の宣伝を考え、市民参加の芝居を企画します。だが、オーディションに集まった人たちは、くせのある人ばかり。人とのコミュニケーションのとれない人、存在感のない人、常に緊張している人、おたくで自分というものを捉えられてない人、自信過剰の過ぎる人という取り合わせです。それぞれ、場において、自分の位置を捉えきれない、ないしは認められない人ばかりです。そういった人たちが、なぜオーディションに来たのかを喋り出すところが、この芝居のハイライト。市の芝居の演出家が、引き出し役をするのですが、うまいのは、喋るきっかけを得たなと看ると、演出家が、照明や音声に指示を出し、またオーディションに来ている他の参加者に指示を出し、芝居仕立てにしていくところ。一人一人が本音を語り出すのに、他の参加者が加わることで、喋りそうもない他の参加者が喋り出すように組み立てています。最後には、緘黙の男までが喋り出していくように持っていくところは圧巻です。その喋りを、上演しなければならない芝居に、どのように反映させていくかが後半の正念場のはずなのですが、結論は、先に書いたように、残念ながら拍子抜け。前半の盛り上がりに呼応する質のものを産み出せたとは言いがたいものがありました。前半の各自の独白を、劇中芝居に反映しきれたとは思えませんでした。惜しいな、ホント、惜しいな。




2011年 5月 26日(土)午前 7時 00分

 昨日は金曜日なので、出勤日ではないのですが、仕事が入ってしまったので、いつも通り出勤。丸々一日、きっちりと働きました。一昨夜、家に帰る と、シュトゥットガルト歌劇場から、新シーズンのラインナップが発表されたとのメルマガが入っていたので、喜びいさんでHPにアクセス。去年は、もう半月ほどしてから届いたのですが、今年はちょっと早めのお知らせ。自分が行けそうなところだけチェック。3月に、「ナブッコ」「トスカ」と並ぶ日があり、もうその気分。シュトゥットガルトが発表ならばと、お気に入りの歌劇場をチェックなんかをしていると、完全に寝不足。ですから、職場での仕事っぷりの鈍いこと。お昼ご飯を食べたあたりから覚醒してきたかなの状態でした。話は戻るのですが、ニュルンベルクで、ベナツキーの「白馬亭にて」が出ます。こないな大きめの歌劇場でも、こないなオペレッタをやってくれるんですね。これは、嬉しい誤算。同じ歌劇場で、ワグナーもするのだからすごいわ。もちろんニュルンベルクのことですが。オペレッタと言えば、レーゲンスブルクで「チャルダーシュの女王」がかかります。秋に始まったオペレッタが、年末まで引っ張るという例年のパターンだったら、ここで、お気に入りオペレッタを押さえて、なんて夢が拡がるばかりです。
 で、昨夜は、ワッハの4階であった「本格講釈 難波戦記」に行ってまいりました。南湖さんの会ですが、最近、何かにつけ、日本にいなかったり、バッティングが続き、南湖さんの会に、なかなか行けてなかったので、久しぶりという感じ。講談会は、ただでも少ない客のうえ、住み分けのようなものもあり、なかなか客が集まらないというのが常態化していますが、昨日も、残念ながらつばなれをしない入りでした。その番組は、次のようなものでした。南湖「挨拶」、南斗「那須の余一、扇の的」、南湖「難波戦記〜大助駿府の使者のこと〜」、(中入り)、南湖「難波戦記〜真田幸村大坂入城〜」。「挨拶」で、番組の説明がてら、近況報告。貞水師に習ったことの報告も。「大助駿府の使者のこと」がそのネタで、大阪で、以前、貞水師も来られての発表会に行けなかったもので、昨夜が初遭遇。ネタは、上方でもおなじみのもので、何度か聴いているのですが、言葉に力強さがあります。ふっと断定的な物言いが入ったりで、貞水師の顔が浮かんだりする口演。そのテイスト、ずっと南湖さんに保存しておいて欲しいものです。ただ、残念なのは、前夜の寝不足が中程で出てしまいました。大助が家康の命を実際に狙いに行き、捕まり、死を覚悟するいい場面などが夢の中です。再度の遭遇を待たねばならなくなりました。「真田幸村大坂入城」の方は、いつもの旭堂の柔らかい口調。なんとなくほっとします。特にこのネタは、幸村が阿呆姿で出てきますから、余計空気が緩みます。これで、ほぼ2時間、帰りしなに、南湖さんに、次回の会の予約を入れてから家路に着きました。




2011年 5月 24日(木)午後 11時 43分

 今日は、とってもいいお天気。気温も、随分と上がりました。でも、今日は、屋内にこもりっぱなしのお仕事。明日は出勤日じゃないのに、仕事が入り、出勤することになったため、簡単に明日回しにする仕事の割り振りをして、さっさと職場をあとにして、夜遊びに。今夜も繁昌亭。ホント、繁昌亭は続きます。今夜は「桂かい枝・林家彦いち二人会vol.05ふたり《情熱》あるき〜カザフスタンへ行くの巻!〜」がありました。その番組は、次のようなものでした。たま「僕は米朝一門」、彦いち「意気地なし(仮題)」、かい枝「豊竹屋」、(中入り)、かい枝「犬と猫(仮題)」、彦いち「満月の夜」。たまは、昨日、出番を頼まれたとか。そのおかげで、ようやく「僕は米朝一門」に遭遇できました。米朝一門と笑福亭一門の対決落語会と出だしは威勢が良かったわりには、後半は尻すぼみ気味。「らくだ」のさわりを入れたのなら、「百年目」も入れて欲しかったな。落語のパロディを入れて、どんどんと成長の期待が抱ける作品と看ました。彦いちは、新作を2席。2つとも、期待に違わぬ出来栄えに感嘆です。さすがです。「意気地なし(仮題)」の方は、子どもたちに受け入れられず、限界を越えてしまった保育士が、銀行強盗を働くというもの。噺の展開のぶっ飛び方に、彦いちの非凡さが出ています。もう一つの「満月の夜」は、彦いち風私落語。国士舘大時代の合コンで、子どもの頃のおもしろ話を求められるのだが、あまりに文化が違いすぎて答えられない自分の姿を描きます。要するに、彦いちが生まれ育った島は、東京とは違いすぎたということ。彦いち曰く、この噺は「カミングアウト落語」だということになります。かい枝は、おなじみの「豊竹屋」と、出来立ての新作「犬と猫(仮題)」。ネタ出ししていた新作ものは、引っ込めてしまいました。これは反則ですね。「犬と猫(仮題)」は、前半は、犬の世界のぼやき、後半は、その内の一匹のぼやきをとらえて、猫との対決となります。こういった新作のアイデアが出てくるのですから、かい枝には、引き続き新作を作り続けて欲しいものです。落語がはねると、「カザフスタンへ行くの巻」の映像紹介のはずだったところ、都合で取りやめになったとかで、「株式会社カザフ」の会社見学の様子が、画像で紹介されました。これはこれでおもしろかったのですが、カザフスタンにちーとは期待していたので、あれれれでした。




2011年 5月 23日(水)午後 11時 56分

  大阪府門真市(36)〜守口市(49)〜大阪市鶴見区、城東区

 今日は、出勤日ではないので、朝から持ち帰り仕事をしてからは、DVDでオペラ鑑賞。ヴェルディの「シチリア島の夕べの祈り」が終わり、リヨン歌劇場の「メリーウィドウ」を観始めています。珍しいフランス語版です。ナンシー歌劇場で観たときは、ドイツ語上演だったのですが、リヨンはフランス語でやってます。原版と、人名なんかが変わってるのが可笑しいです。マキシムの女たちの名前が、ドド、ジュジュじゃなくて、マノンなんてのが嬉しいところです。で、午後2時をメドにお出かけ。まず、ウォーキングです。その詳細なコースは、次の通りです。京阪「大和田」駅〜門真常磐郵便局〜「打越」交差点〜門真大橋〜「柳町東」交差点〜大阪市立焼野小学校〜鶴見緑地〜「横堤4」交差点〜大阪鶴見五郵便局〜鶴見だんじり収納庫〜大阪市立鶴見小学校〜今福北橋〜鯰江公園〜京阪「野江」駅。最初、「大和田」からではなく、「古川橋」から歩き出すつもりをしていたところ、急にお腹に差し込みが来たため緊急下車。あらためて電車に乗り直すのは時間のムダということで、そのまま「大和田」をスタート地点としました。その結果が、最終的には、到達点に、当然影響が出てしまいました。一応「鴫野」駅か、あわよくば「京橋」駅をめざしていたのですが。また鶴見緑地に入る時点で、このコースだと、ほぼ1時間かかります。鶴見緑地の一番南東部から入るということもあるのですが、これで、ちょっと慌て気味。鶴見緑地で、この入口から入り、池の南側を通っても、単に入っただけになるので、北回りをとると、なかなか時間を要します。その鶴見緑地ですが、今日は、バラ園が最高。何度も鶴見緑地に入っていますが、これほど見事に、バラが咲き乱れている姿を見るのは初めてのことです。また、その近くになる風車の前と、旧花博時のオランダ庭園にも、赤いサルビアが咲き乱れていました。5月の後半っていうのはメモっておかのばなりません。最終的には、このコースで、2時間を8分ほどかな超過というコースでした。
 「野江」駅から、京阪で「天満橋」まで移動。そこから歩いて10分余り、夜の部に向けて、南森町に向かいました。もちろん夜は繁昌亭なのですが、開場までは、時間があったので、いつも使うネットカフェで時間調整。今夜の繁昌亭は「人生半分噺家の会」がありました。文華の独演会です。単純に「文華独演会」を名乗ればいいと思うのですが、シャイなんでしょうね、何かとってつけた名前を掲げる癖があります、文華は。その番組は、次のようなものでした。華紋「つる」、文華「無いもん買い」、梅団治「佐々木裁き」、文華「皿屋敷」、(中入り)、美月家バット「子ほめ」「煮売屋」、文華「淀五郎」。文華は、3つのネタを用意しましたが、最初の2つは、思い出のネタ。「無いもん買い」は、中学生のとき、母親に買ってもらった仁鶴のレコードに入ってたネタで、一番気に入ったもの。「皿屋敷」は、小学生のとき、下げのところだけやったことのあるネタだそうです。「無いもん買い」は、笑いのパターンが同じなので、やりにくく、おいしくないので、あまり出ないネタと断わってからネタに入っていきました。そこで、文華は、表情に変化つけたりすることで、克服しようとしていたと看ました。文華は、間の取り方がうまいからでしょうね、テキストを同じでも、受け方が違うことを、「皿屋敷」を含めて感じることができました。「皿屋敷」は、序盤をいじっていました。皿屋敷の由来の教え手となるおやっさんは出てきません。若い者が、皿屋敷に行く相談をしているところからスタートしました。あとは同じです。初演の「淀五郎」については、「立ち切り」を聴いたときと似た印象。ここでも、やっぱシャイなんでしょうね。人情噺を、じっくりと聴かせることに抵抗があるのか、何か喜んでもらおうというサービス精神なのか、余計なことをしてしまう、そないな感じでした。余計なことというのは、ちょっとしたくすぐりが、噺全体の雰囲気を壊しかねないのです。淀五郎が尾上民蔵に意見を聞くときの民蔵の態度、ここでの芝居がかったデフォルメを見て、雀三郎からもらったのかなと思いましたが、雀三郎は、しまった雰囲気を壊さなかったのですが、文華の場合は、緊張が緩んでしまい、せっかくのいいところが弛緩してしまいます。ま、初演ということもあったのかもしれません。客席の反応を掴みきっていないというところがあったのかもしれないなとも思えます。「淀五郎」の前にあった美月家バットは、文華の大学時代の高座名です。「素人名人会」に出て、名人賞をもらったとき(2回)の映像を流してくれたのです。既に、今の口調の原型ができあがっているのにびっくりでした。それに、ゲストの梅団治が良かったですね。黄紺は、ここでウォーキング疲れが出たのでしょうね、中程から記憶が飛んでいるのですが、序盤の子どもによるお奉行ごっこがすごくいいのです。「佐々木裁き」は、梅団治襲名披露のときのネタ、当時は、こないな演出自体がなかったなと思いつつも、子どもを大仰に描き分けておもしろおかしくしてくれているのに、驚くだけではなく、その合理性に感心させられました。




2011年 5月 22日(火)午後 11時 45分

 今日は、なりふり構わずに仕事。そうでもしないと、持ち帰り仕事が出てしまう、いや出るのは覚悟のうえなので、増えるのを防ぐ目的で、なりふり構わない仕事ぶり。でも帰ろうとして、急ぐ仕事を書き出してみると、抜けてた仕事が思い出されてきて、ちょっと不安に。ま、なんとかなるかもと、金曜日を出勤日にしなければならないので、その日を使えばなんとかなるかなという際どいところにあることを認識して、職場をあとにして、行き先は繁昌亭。ちょっと間が開いたのですが、今週はいい会が揃っているので、お世話になることが多いと思っています。で、今日は、「三金・吉弥ふたり会」がありました。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「つる」、吉弥「天神山」、三金「船弁慶」、(中入り)、三金・吉弥「対談」、吉弥「あさげ」、三金「デブのお肉に恋してる」。弥太郎は、久しぶりの遭遇。口舌爽やかになってはいるのですが、元来生真面目そうなキャラからか、弾けるような大胆さを期待できないので、もっとあっていい伸び代が小さいような気がしてしまいました。吉弥も、久しぶりの遭遇。ましてや、吉弥の「天神山」は、初めて聴きました。同じ吉朝門下のよね吉と違い、終始リラックス感のある高座が、吉弥の魅力か。客席の共感を生みやすそうな感じがしました。それが、登場人物に反映するのが、更に嬉しいところです。のほほんとした長閑な雰囲気が醸し出され、春のお伽噺の雰囲気。なかなかいい雰囲気の口演だったと思いました。一方の三金も大ネタで「船弁慶」。テキストは極めてオーソドックス。しかし、三金の口演は、きめ細かくしようとしているのだが、いい意味にも悪い意味でも大味。古風な長屋の雰囲気が出にくいんだけど、清八にせよ喜六にせよ、なんか生きてる感じを与えてくれます。三金の口調の端々に現れる今風口調に、そういったものが見えてくるのかもしれません。後半は、ともに新作をかけるということで、古典を先にもってきた模様。従って、「対談」は、創作に関わるお話が飛び出してきました。吉弥の創作落語経験、5レンジャー時代の試み、街中でもらうデブネタ、新幹線内でも創作に励む三枝など、耳がダンボになる話がてんこ盛りでした。吉弥の「あさげ」は、吉弥作。亡くなった父親と一緒に食べるあさげの描写ですが、最初、場面設定が判らないときは、何があるのか、この先はの雰囲気ですが、それが判っちゃうと、急に尻すぼみ感が出てきてしまいました。もう一ひねり、二ひねりが必要なところでしょう。三金のトリネタは、デブネタの代表作。奥野くんに恋人ができる噺です。




2011年 5月 21日(月)午後 9時 53分

 今日は、金環食の日。い家を出た段階で、あたりは薄暗くまではいかなかったけれど、明らかに太陽の威力は落ちていました。やけにカラスが鳴き声を出し、飛び回っていました。思わず太陽を見上げたのですが、まぶしくて全然見れたものではありませんでした。クライマックスの時間は電車の中。端っこから出るだけで、太陽は明るいものだということが、よく解りました。
 そして、仕事の方がせわしなくて、次から次へと、仕事が入ってきます。おまけに出張まで。大阪市内までの運び屋さんの出張。その流れで夜遊びに。但し、時間が早かったので、京橋のネットカフェで時間調整。行き先は、久しぶりの心斎橋シネマート、映画を観に行ってきました。こちらで、ブルガリア映画「さあ帰ろう、ペダルをこいで」を上映していたからです。ブルガリアの映画を観るというのは、多分初めてのことだと思います。映画は、交通事故から始まります。その車には、一つの家族が乗っていたのですが、助かったのは、息子だけ。しかも、自分の名前すら思い出せない記憶喪失となっています。その息子を助けに、ブルガリアから事故のあったドイツに、祖父に当たる男がドイツにやってきて、記憶を取り戻すためのブルガリアへの帰郷の旅が始まります。アイテムは、タンデムの自転車とバックギャモン。昔、この2人の絆を培ったのが、バックギャモンだったからです。その旅と、記憶喪失の男の家族3人が、なぜブルガリアからドイツに渡ったかが交錯しながら、それに加え、ブルガリアに残った祖父と祖母の暮らしも絡まりながら、映画は進んで行きます。記憶喪失の男は、トリエステにある難民キャンプに着いたとき、記憶が蘇ります。それを確認すると、祖父は、翌朝、一人で汽車に乗り、ブルガリアに帰ってしまいます。そのメッセージを読み取った孫は、一人で、タンデムの自転車に乗り、ブルガリアに戻っていきます。この映画、過去のシーンに出てきた主だった人の消息が、あとで判るようになっていますが、一人だけ特定しないというのが憎らしいですね。難民キャンプで友だちになった女の子です。あの子の名前、確かマリアだったはずです。となると、主人公が、最後に訪れる女の人? この「?」付きにしなきゃならないところがしゃれてますね。「あのときの、、、」にしちゃうとくさすぎます。「ひょっとしたら、、、」に留めているのが、おしゃれというか、あざといというか、黄紺は、いい感じの方をとります。ドイツの、事故が起きるところは、ライプチヒ近郊、主人公の住むアパルトマンがあるのはエアフルトと思えます。エアフルトでは、ドネルジが、主人公の自宅近くのお店として、3〜4度出てきます。旧東独は、ドネルジが少ないですから、エアフルトのどこだろうかと、気になって仕方ありませんでした。山越えのきれいな道を、2人は越えて行きますが、クレジットでは、スロベニアと出ていて、「へぇ〜」でした。なかなかハート・ウォーミングな素敵な映画です。




2011年 5月 21日(月)午前 4時 53分

 昨日は、観能の日に当てました。程よい間をとって、こういった日を作っておかないと禁断症状が現れます。もちろん番組、演者を見て、かえってストレスが溜まらないようにしなければなりませんが。昨日は、京都観世会館であった「林定期能」に行ってまいりました。とっても充実した演者が揃い、観てみたくなる曲が2つ並んだのでした。その番組は、次のようなものでした。能「邯鄲」(松野浩行)、狂言「寝音曲」(茂山正邦)、能「鞍馬天狗」(河村晴久)。まず観たかったのは「邯鄲」。それに「鞍馬天狗」が付いていたというのが大きいのです。やはり「邯鄲」は異色の能です。能のお約束っぽいところがありません。前後半に分かれてないし、幽霊が出てきて昔語りをするなんてことはありません。替わりに、現実の世界と夢の中の世界という分かれ方をします。その区分けを示すのが「邯鄲の枕」。枕が出ていると現実の世界、引っ込むと夢の中になります。夢の中で、主人公は皇帝にまで昇りつめ、50年の栄華をほしいままにします。しかし、宿の主人に、「飯が炊けたよ〜」と起こされてしまいます。そこで主人公は、「50年の栄華も粟飯一炊のとき」と哲学的結論に。人生の虚しさ、儚さが説かれるわけで、ま、のんびりいこうよのメッセージなもので、自分に合っているのです。シテは、謡の方はもうちょっと力を抜いて欲しいなと思っていたのですが、舞は切れが良く、そこで、ひょっとしたらと期待したら、なんと、ドンピシャ。夢から覚める直前、一畳台、ダイビング一回転、見事に決まりました。屋形を付けないで試みた舞台は観たことがありましたが、付けて試みたのは初めて。そして成功だから、すごいことです。狂言のシテ正邦くんは、七五三さんの代演。この前行った「市民狂言会」でも、七五三さんに代演が出ていました。何かあったのでしょうか、それとも偶然? 「鞍馬天狗」は「白頭」の小書付。「白頭」というのは、歳を重ねたと同じ意味であるので、動きが少なくなり、重い動きをするというのが通り相場。この「鞍馬天狗」でもそうで、舞働が省かれ、後シテが重厚な動きとなるという具合です。舞働が省かれるというのは、正直言って物足りないのです。この曲のストーリーは、よく知られた話で、牛若丸が、鞍馬山で剣術の指導を天狗から受けたというお話。開演前の解説で、この2人には「恋慕」の感情という視点で見る必要があるとの大胆なお話に、いたく納得の黄紺なのです。でも、昨日は、子方が務める牛若は、女の子が演じていました。なんか、ちょっと違うんだけど。演者さんでは、シテは貫禄があり、ワキには清水利宣師が入っておられたのが嬉しい。一昔前に見た顔で、残っておられるのが清水師だけなのです。間狂言が4人も出てくる珍しい曲でもあります。1人目が大きなアイ。花見の子どもたちを前に、滑稽な舞を見せねばなりません。それを、あきらさんが担当。あきらさん、どうされたんでしょうか? 科白の力は変わらなかったのですが、舞が一挙に老けられました。正邦くんがいるのだから、彼にやって欲しかったな。
 終わったのが、4時40分、ちょっと中途半端な時間だったので、五条までミニウォーキング。青蓮院、円山公園、五条坂と、京都の観光地を抜け五条まで、夕方でしたから、観光客の数も落ち着いたかという雰囲気でしたが、五条坂は人が、まだまだ多かったですね。




2011年 5月 19日(土)午後 11時 40分

 今日も、朝からオペラのDVDを観ながら、お酒を呑むという極楽生活。今は、レオンタイン・プライスの引退記念となったメトロポリタンのプロダクションで、ヴェルディの「運命の力」を観ています。引退直前のレオンタイン・プライスがすばらしく、もっと若い頃の作品が手に入ればと思うのですがが。そして、頃合いの時間にお出かけ。今日は、まず昨夜に引き続き動楽亭へ。今月は、「動楽亭昼席」に行けてなかったので、土曜日ですが行ってみることにしました。今日の番組は、次のようなものでした。優々「田楽食い」、雀太「色事根問」、たま「青菜」、小春団治「将棋大名」、(中入り)、晃瓶「茶漬間男」、きん枝「親子酒」。優々は伸び盛り。変化がつき、言葉が自分のものになってきました。雀太は定番の「色事根問」。軽いネタをするときに、よく出します。たまは、後が小春団治ということで、「新作を避けます」と言って「青菜」。旦さんと植木屋さんの会話に、無駄がなさすぎるのが気になります。家での再現をコンパクトにするためなんでしょうが、二人は初対面という設定にした点と矛盾するように思えます。おかみさんの大仰な動きには、今回も引いてしまいました。小春団治は新作ではなく、古典の「将棋大名」でした。釈ネタの「大名将棋」を持ちネタにしているのは、現在、仁鶴、文我、それに小春団治しか知りません。滅多に出ない噺を聴けて、めっけものです。将棋で威張るのを注意された大名が、今度は仁輪伽に凝るという展開に、小春団治はしていました。晃瓶の遭遇機会は、繁昌亭くらいだったのが、思わぬところで実現したのですが、これまた珍しいネタを出しました。自宅に、夫が帰っているのに、間男を連れ込むという際どいネタ。やりようによっては、艶笑噺になる際どさがあるのですが、正に晃瓶の演じ方はそれ。余興用っていうところかなと思って聴いていました。きん枝は、マクラで、亡くなった噺家の中で、酒癖の悪かった3人の経験談を披露。こういう話って、とっても嬉しいところ。その3人とは、6代目と先代小染、先代の春蝶です。名前を聴いただけで納得してしまいます。きん枝の「親子酒」は、初遭遇のはずです。随分と前からやっているネタにも拘わらずです。今まで聴いたことのなかった部分がありました。息子の方が、うどん屋を冷やかすところで、うどん屋に、いろんな種類のうどんがあり、それぞれにケチをつけていくというものでした。ということで、終わったのが4時半。そこまでかかるかとは思ったのですが、珍しいネタ2つは、お得感がありました。
 動楽亭を出ると、難波まで地下鉄で移動。時間調整が、動物園前ではしにくいので、仕方ありませんでした。そして、夜は長居まで行き、今季初となるJリーグ観戦。長居スタジアムの方であった「セレッソvsレイソル」の試合でした。季節もいいし、ドイツ移籍前の清武も観ることはできるし、雨の心配もないしと、絶好の観戦日和。ただ子どもが多くてたまりません。しかも、よりによって、子どもの多くいる辺りに座ってしまったために、雰囲気がよろしくなかったのが惜しまれます。きわきわに行ったため、席を選んでる場合ではなかったのです。試合は、完全にレイソル・ペース。ディフェンスの押し上げがしっかりしていて、高い位置からボールを狙いにくるというサッカー。セレッソが、ボールを前に出し、攻撃をしかけても、常にレイソルの選手がいる、しかも数が多いときているので、このままだったら、セットプレーかカウンターでないと、セレッソは点を入れられないぞと思っていたら、なんと、それがドンピシャで、セレッソが先制してしまいました。サッカーではよくあること。レイソルは、攻撃面でも、レアンドロなんか、セレッソのストッパーとスピードが違いますから、簡単にかわしてしまいます。前半だけで、2本がバー直撃。2本が、相手GKときれいに1対1になりながらシュートを外したというもの。前半だけで、レイソルが4点入れていてもおかしくない展開。それが、1:0で終わったんだから、セレッソはとってもラッキー。でも、後半も持ちこたえることはできませんでした。2点が相次いで入りました。ともに右サイドからの似たような攻撃。一番離れた位置にいたので、センタリングを上げたのが、噂の酒井なのか、スタンドからは判りませんでした。家に帰ってから確かめると、2つとも酒井でした。後半の時間が経っていっても、両者のバランスは変わらず。そないな試合も珍しいんじゃないかと思うほど変わらずなので、後半38分を回り、攻守の切れのところで、席を立ちました。なんかアクシデントのような点が、セレッソに生まれ同点になるかもわからなかったのですが、それは交通事故みたいなものとしか思えず、あとから知っても惜しくわないなの感じだったもので、家路を急ぎました。




2011年 5月 19日(土)午前 0時 2分

  大阪市内遊歩(129)

 今日は、出勤日じゃないということで、朝からラクを呑みながら、DVDでオペラ鑑賞。ナタリー・デセイの出ている「夢遊病の女」の素晴らしい演出に歌手陣に大感激。ついついラクが進み、昼からの演芸会に悪影響。おまけにお腹の具合もよろしくないと、性懲りもなく同じことを繰り返しています。今年は、ちょこっとというのを含めて、トルコによく行っているので、ラクが途絶えるということがありません。
 で、その演芸会というのは、文楽劇場であった「第59回上方演芸特選会」。幸枝若をお目当てに、行ってまいりました。ただ、ラクが抜けるまでに、若干時間を要しましたが。その番組は、次のようなものとなりました。喬介「平林」、真山誠太郎(真山裕子)「播随院長兵衛・男の花道」、明夫・あきら「音曲漫才」、文也「阿弥陀池」、(中入り)、豊来家玉之助「太神楽」、三吾・美ユル「漫才」、京山幸枝若(岡本貞子・京山幸光)「小田原相撲」。喬介と真山誠太郎の高座は夢の中。次の漫才からお目覚め。明夫・あきらは「音曲漫才」と名乗っていますが、あきらのギターは弾かないというのが売り。明夫の三味線は、暁を名乗るだけあり聴かせます。文也の「阿弥陀池」は初遭遇。序盤はカットするという最近多いヴァージョン。「西宮」に連れて行くのではなく「新今宮」にしたりする変更があるかと思うと、ちょっと古い言い回しが出てきたりと、わりかし楽しめました。豊来家玉之助に遭遇すると、毎回感心します。確実に喋りが上達し、本芸に変化がついたりと、目新しくなっていくのです。今日も、後半は獅子舞を見せてくれたのですが、格段の進歩をしていました。三吾・美ユルは父娘という異色コンビ。この会でしか遭遇できませんが、微笑ましくて、遭遇できるのが嬉しいコンビです。そして、幸枝若は「小田原相撲」でした。谷風ものです。威張る素人相撲を懲らしめるネタですが、東京で聴いたときと、雷電のかみ方が違いました。東京は、谷風が、素人の相手に雷電が名乗りを上げるようにしむけるという風になっていましたが、幸枝若の口演は、そないな小細工話は出てきませんでした。序盤に、ちょっと居眠りをしてしまったのを除いて、変化のある番組に満足させていただきました。
 「上方演芸特選会」が終わると、すぐに文楽劇場の前からウォーキングを開始。タイトな時間を使っての、しかも、よく似たところに戻ってこなければならないという条件の付いたウォーキングとなりました。その詳細なコースは、次のようになりました。文楽劇場〜生国魂神社〜近鉄「大阪上本町」駅〜大阪上本町六郵便局〜「小橋町」交差点〜「細工谷」交差点〜桃谷幼稚園・宗玄寺〜弥栄神社〜生野鶴橋本通郵便局〜大阪市立鶴橋幼稚園〜韓国人会館〜大池橋〜大阪市立生野スポーツセンター〜巽公園〜上丁之田橋〜大阪府立勝山高校〜柏田北公園〜JR「長瀬」駅〜東大阪市立長瀬青少年センター〜東大阪市立長瀬人権文化センター〜近鉄&JR「俊徳道」駅〜東大阪市立俊徳中学校〜東大阪三ノ瀬郵便局〜近鉄「布施」。当初、「北巽」駅辺りから南に向かい、JRの「平野」駅か「加美」駅をかすめ、その西方向、ないしは北方向のいずれかの駅に向かおうと考えていたのですが、「上方演芸特選会」が、予想より早く終わったため、どこかで時間調整の必要が生じ、結局、日本橋に戻るのがベストと判断し、とにかくまだ行ったことのない「長瀬」駅を通り、近鉄沿線に向かうことを考えました。時間的には、余裕があるかと思い、「八戸ノ里」駅辺りへ、南側から回り込もうかと考えていたところ、存外時間がかかり、最後は、かなりピッチを上げて、「俊徳道」から「布施」まで向かい、2時間を2〜3分上回る程度で着くことができました。
 「布施」駅から近鉄電車で「日本橋」駅まで移動。千日前のいつもは行かないネットカフェで時間調整。更に御堂筋線で「動物園前」へ移動。夜は、動楽亭であった「第8回なんことけいこ〜観音霊験記の巻〜」に行ってまいりました。この会は、熱心に行っている方ですが、会自体が、久しぶりの開催になりました。今日は、「壷坂霊験記」がテーマ。恵子さんが、盲老人の会で、ぜひにとリクエストを受け、持ちネタにしたのがきっかけで、会の開催となったようです。百合子師匠は持ちネタにしてないので、いろいろと参考にしながら、自分で作り上げたネタのようです。文楽と、構成、筋立てが一緒でした。文楽も参考にしたと言ってたので、それに合わせたのかな? 黄紺は、まだ、小円嬢の「壷坂霊験記」を聴いていないので、早く聴きたいものです。確かめたいこともできましたしね。一方の南湖さんですが、講談に「壷坂霊験記」はあるのかな? 黄紺が聴いたことがないだけかもしれませんが、どこかで出たという情報もないので、今回用に作ったんだろうか? 南湖さんは、西国三十三ヶ所や観音信仰に時間を使っていましたので、少なくとも、講談ではポピュラーじゃないのかもしれません。話が横道系だったため、ぼーっとしていると本題に入ってしまってました。どうも集中力の足りない黄紺です。「対談」で、「リクエストは?」という話が出ましたので、前々から、この会でやれば2人ともやりやすいだろうにと思っていた「南部坂」を言ってみました。印象的なネタですしね。すると、恵子さんが、浪曲には、「南部坂」は2種類あって、大石と瑤泉院(浅野内匠頭の未亡人)が会うものと会わないものがあると言われていました。これはおもしろい。両方とも聴きたい気分です。




2011年 5月 17日(木)午後 11時 15分

 今日は出勤日。いっぱいいっぱいの仕事におったてられて、気がつくと、もう夕方。結局、夜遊びをするためには、仕事を持ち帰るハメに。割りに合わない話で、目一杯働いて、持ち帰りとは悔し涙です。で、外せなかったのが、ワッハであった「らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」。最近は、毎月必ず行ってますからね。今日の番組は、次のようになりました。南天「前説」、生喬「隣の桜」、南天「仔猫」、(中入り)、南天・生喬「対談:夕焼け日記」。ということだったのですが、今日も体調不良。以前のように、お腹の具合が悪いのではなく、寝不足なのです。昨夜、さっさと横になればいいのに夜更かししてしまったツケが出てしまいました。ですから、あとの対談で聴いた話をメモっておきます。南天の「仔猫」は、当然のことのように、枝雀系の噺。生喬は、このネタを、九雀からもらっていますので、テキストはほぼ同じとか。現在使われている下げ、「猫かぶっとったんか」は、先代米団治考案のもので、元は、おなべに出身地を尋ね、「芸州」と答えると、「道理で猫かじるはずや」ということだったと言っていたのを聞いて、誰かで聴いたぞの記憶が蘇ってきました。古い噺家さんでなければと思うと、可能性は唯一人、円都師でしょうね。あまり自信があるわけではないのですが。生喬の「隣の桜」は、染丸から。年季開け早い内にもらいに行ったそうです。現在までに9つのネタを、染丸からもらっているそうで、これは大変な数になるようです。このネタは、黄紺でもそうですが、やはり林家のネタという印象が強いもの。染丸は、自身で三味線を弾きながら、稽古をつけてくれたそうです。生喬が、染丸からもらった最新のネタは「堀川」で、こないだ小里んとの二人会で出していました。先代の染丸は、桜を梅に替えて、春以外にも、このネタを出していたとか。そのために生まれた題名が「鼻ねじ」だそうです。「鼻ねじ」の方が先にあったものかと思っていたのですが、本当は逆でした。また、ネタの中で、最後鼻をねじるのが番頭というのが、染丸から習ったときの型だそうで、主人にしている方が、変化をつけたものとか。生喬も、その変化型を使っていますが、生喬が言うには、ケンカをしている当人同士を対峙させなくてはおもしろくないからと言っていました。なるほどと思わせられました。来月は、生喬が師匠松喬に付いて北海道に行くことになり、南天プロデュースの変則開催になるそうです。誰かを喚んでくるそうですが、誰とは決まっていないそうです。同じような「対談」をやってくれればいいのですが。




2011年 5月 16日(水)午後 10時 18分

 今日は、朝から、先週に続いて、MOVIX京都で「メト・ライブビューイング」を観てきました。今日の演目は「椿姫」、しかもタイトル・ロールを歌うのが、「歌う女優」とまで言われるナタリー・デセイということで、期待が嫌が応にも高まるものでした。ただ一つ残念なのは、ネトレプコで、既にDVD化されているプロダクションと同じものだということ。かなり斬新なプロダクションだということで、とってもインパクトの強いものなのですが、知らないで観るというのと、知っていて観るというのは、かなりの違いがあります。従って、自ずと関心は、ナタリー・デセイとなるのですが、どうしても、ナタリー・デセイとなると、創造性豊かな、切れのある演技を期待したのですが、どうも動きを、かなり細かに指示されているような印象で、彼女らしい奔放さが出てない感じがしてなりませんでした。それに、ちょっと歳をくってしまったなの印象は、残念ながら否定し難いところがあり、中低音に弱いところが出ていました。一方のアルフレードを歌ったマシュー・ポレンザーニは大柄で、ちょっと歳かさを感じる風貌、だけど声は、とっても若々しくて、アルフレードに合っている。これは、めっけもの。そして、ジェルモンがいい。自分的お気に入りのバリトン、ディミトリ・ホヴォロストフスキーが受け持ちました。この人が、フェニーチェ劇場再開の柿落としで、この役を歌った映像が残っていますが、そのときは40歳過ぎ。声は大丈夫にしても、やはり無理があります。が、あれから10年、風格が備わった分、どこから見ても、ジェルモン役にはぴったりです。ということで、こちらの思惑で、若干歌手に対する見方が変わってきましたが、もちろん総体としては、とっても水準の高いものであることに変わるわけではありません。今日の「椿姫」で、今シーズンの「メト・ライブビューイング」は終わりました。既に、来季のラインナップか発表されていますが、ヴェルディ・イヤーにかかるということで、ヴェルディ作品が4つも予定されているそうです。となると、ドイツの歌劇場も、そうなのかな? だったら、嬉しいのですが。6月の声を聞いたら、ドイツの歌劇場の新シーズンのプログラムを追いかけてみようかと考えているところです。
 MOVIX京都を出ると、床屋に寄り家に直行。今日は、夜の部までの時間調整を、自宅で行うことにしたのです。お金も要らないし、好きな格好でくつろげますからね。で、夜は、天満橋へ直行。双馬ビルの一室であった「はたちの講談会」に行ってまいりました。南華さんの会で、自分的には、優先度の高い会です。番組は、次のようになりました。南華「野狐三次〜これは意外!位牌が盗人!?〜」「浜野矩随」。ネタに入る前、いつも近況報告をして、マクラとされるのですが、それがなかなか楽しい時間。今回は、ちょうど文化庁の事業で、東京の宝井琴調師に、お稽古をつけてもらったお話。その内の1回は、上野鈴本の昼席と、夜の講談会の間に空いた4時間を使い、上野広小路亭を使い行われたということです。かなり細かなダメ出しを受けたと言われていました。米朝一門はこんなんかなという稽古だったようで、先代南陵の稽古の仕方も、比較ということで披露していただけました。先代南陵は、自身のネタ帳を棒読みするのを弟子がメモり、あとは、弟子の工夫で肉付けをしていたそうです。こうした話を聴けるのが、自分的には、とっても嬉しいのです。で、「浜野矩随」は、琴調師から持ち出されたネタとかで、南華さんの口演は、今までに聴いたことのないテイストを感じ、この東西交流の成果のようなものを、実感することができました。わりかししんみり系の語って聴かせるネタを得意にされている南華講談に、一段と磨きがかかってきたという感じがしました。細かなダメ出しが出たということは、間の置き方、抑揚、そないなところまで出たものと想像できますので、それが、見事に口演に現れていたように思えました。しかも、琴調師から受け継いだものを、大阪弁に移し替えるという作業をされた上でのことですから、大拍手です。琴調師から、場所を選ばないでかけることを勧められ、客に合わせ変化をつける稽古を勧められたそうなんで、これから幾度となく遭遇する機会があるかもしれませんが、その折々の変化にも注目していきたいと思います。「浜野矩随」は、何かがあって化ける話でないのが、ちょっとしんどいところですね。「野狐三次」は、大きな流れが、以前は見えていたのですが、最近は見えなくなってきています。三次の周りで起こるエピソード集っていうところと考えていいんだろうか、それとも、流れの中に取り込まれていながら、今は、それが判らないということだけなのだろうか? 会が終わると、いつものように、客が会場の片付け。南華さん一人だけしかいないので、せざるをえません。準備をするときと違い、南華さんは着物姿ですからね。




2011年 5月 15日(火)午後 11時 46分

 今日は、仕事で、なんとなく嫌〜な感じで、一日が終わったなぁ。不可抗力なんてものを感じるときって、虚しいよなっていうところです。時間も、しっかりと超過。きわどく予約済みの落語会に間に合わないかもと思ってしまいました。これは、不可抗力ってやつかもしれないというのが見えてきたときは、思い切らねばなりません。それ以上は、自分の生活を犠牲にする気はありません。見極めだけはいい方かもしれないと思うところがあるので、あとは気持ちを切り替えるだけです。雨模様のなか、道頓堀の「ZAZA」で行われた「くいだおれ太郎の道頓堀太郎寄席〜5月の会〜藍の会」に行ってまいりました。今日の主役は桂しん吉。精鋭揃いの吉朝門下の噺家さんです。その番組は、次のようなものでした。そうば「狸賽」、しん吉「七段目」、雀五郎「短命」、(中入り)、しん吉「トワイライト・エクスプレス(仮題)」。開演5分前に、際どく滑り込めたのはいいのですが、こういったときってダメ。着いた途端、疲れが、ドーッと出てしまいました。そないにいい椅子ではなかったのですが、体が椅子に吸い込まれていく感じを、久しぶりに味わいました。昨日といい、今日といい、散々です。今日も、中入り前は、体が椅子に吸い込まれたまんま。しん吉の「七段目」と、次の「短命」は、ほんの一部しか覚えていないという低汰落でした。主役のしん吉は、一つ目が「七段目」だったので、何か大ネタを持ってくるのかと思っていたら、出囃子が「鉄道唱歌」、ひょっとしたら、鉄ちゃんぶりを発揮するのかと思ったら、大当たり。まだ聴いたことのない新作落語でした。トワイライト・エクスプレスに乗った男2人が、車内見学に出かけるなか、こだわりを持つのが食堂車。フランス料理のフルコースの解説が聴かせどころ。そして、ボケ役の男が、自宅での再現を言い出し、実際にはわけのわからない料理を作るというもの。辛うじて、この変なトリネタだけを聴くことができました。終演時間を見てびっくり。この番組で、2時間を超えたということです。そないにかかってたのかぁ。ダウンを喫すると、時間の流れにも、変調をきたすようです。




2011年 5月 14日(月)午後 11時 31分

 今日は、爽やかな気候、このくらいがいいですね。ただ、天気予報通り、夕方から曇ってしまいましたが。今夜も、仕事が終わると、夜遊びに。まず文楽劇場に寄り、6月の公演のチケットをゲット。かなり団体さんが入ってるみたいで、避けたつもりなのですが、外すかもしれません。で、今夜の行き先は、昨日の続きで「徳徳亭」。「徳徳亭連続講談席〜新鋭四人会〜」が、今日もありました。番組は、次のようなものでした。南湖「初代横綱 明石志賀之助涙の土俵」、南斗「太閤記 太閤の初陣」、南舟「軍神廣瀬武夫 日露決戦」、南青「明智光秀 光秀越前退去」。今日は、昨日と違い、仕事疲れが、この時間帯に出てしまい、かなり不調。ぼやーっとしている内に、話が飛んでしまってました、最後の南青くん以外は、終始、そないな感じで推移してしまいました。今日は、南湖さんがトップ。会がはねた時間には、その姿を見かけなかったものですから、他に仕事が入ったのでしょう。「明石志賀之助」は、横綱誕生話です。東日本代表の明石志賀之助と、西日本代表の仁王某の一戦が、御所で行われました。その話に先立ち、横綱の言葉の由来が解説された辺りは大丈夫だったのですが、本題に入られた辺りで、ぼやーっとしてしまったのです。なお横綱は、要するに注連縄だと考えればいいというようなことを言われてました。南斗の高座が、自分的には、最悪の状態に陥った時間帯。何もメモることもできない始末です。だけど、マクラだけは覚えています。「今までで一番緊張したとき」でしたが、そのマクラと、ネタに関係があったのかすら思い出せないのです。南舟は、DNa応援メッセージを、マクラで喋り、客席をポカーンとさせてからネタに。でも、昨日といい、今日といい、「軍神」を名乗る話ではないのが、南舟らしいネタのチョイスか。ロシア遊学時代の力比べ的な話で、呆気なく終わりすぎ、客席はポカーン。もっとも、途中が吹っ飛んでるもので、ポカーンとしてたのは、黄紺だけかもしれませんが。南青くんの「明智光秀」は、朝倉に仕えていた時代の話。足利の将軍を匿う話に、朝倉の家臣に疎まれる話が重なります。疎まれる話は俗っぽいので、南青くん的演出かもしれないところですが、肝心の匿った話のあとが続かなかったですね。そのため突然、木下藤吉郎が出てきて、尾張へと光秀を招請する話に移りました。もちろん時間を考えると、それ以後を読むわけにはいきませんから、終わらせるための方便でしょう。だったら、足利の将軍を迎えた朝倉を読んで欲しかったな。ちょっとテキスト不足を感じちゃいました。次回は8月です。ちょうどトルコにいるので行けないので、遠くからエールを送ることしかできないのですが、「続き読み」を謳うなら、若い衆2人には、自身でテキストを創る勉強もして欲しいものです。南舟は、「廣瀬武夫」「乃木希典」と、明治の軍関係者という、誰も取り上げて来なかった分野で、テキストを創ろうとしているのかな? ま、あまり触れようとされない分野だということを気にしないのは、南舟らしいと言えばらしいのですが、まあ、それは置いておいても、テキスト創りの練習を、この機会に勉強して欲しいと思います。一方の南斗は、その気はあるのかな? 測りかねているところです。




2011年 5月 13日(日)午後 11時 11分

 昨夜、ガラタサライの優勝が決まりました。今季から、ポストシーズン制となり、絵に描いたように、ビッグ4が、スーパーファイナルの優勝決定グループに残り、ダービーマッチが増え大成功となりました。ましてや、ガラタサライのぶっちぎりかと見えたノーマルシーズンだったのですが、ポストシーズンに入りフェネルバフチェが追い上げ、最後は勝ち点差1で最終試合を迎えるというこの上ない展開で大成功。昨年でなくって良かったです、興行的には。5位にはブルサが入り、これで優勝経験チームが上位を占めるという、嘘みたいな結果となりました。来年以降は、こないにうまくいくのでしょうかね? そのときは、このシステムって、どうなるのでしょうか?
 今日は、午前中がゆっくりできたので、オペラのDVDを観て過ごし、午後からお出かけ。今日は、まず、スイス銀行という劇団の公演「ラブソングでも書いてみる(ヒマだから)」を観に行きました。場所は、「in→dependent theatre 1st」でした。この劇団は、1人の座付き作家と2人の役者で構成され、公演により客演を呼ぶというシステムで運営されています。脚本もいい、役者もいいということで、外さないで観ている劇団の一つです。今日の芝居も、まさにその範疇で、とっても楽しませてもらいました。舞台は、ある病院の屋上。そこに集う人は、余命いくばくもないという人たち、そこへニューフェースが1にん入ってくるところから、芝居はスタートします。その女性は、元ツアコンで、人に頼りにされることを生きがいだったことに気付きます。既に、その場にいた3人は、幼い頃から入退院を繰り返し働いたことのない女性、おたくで人との関わりをうまくできないため女性と付き合ったことのない男性、元ロッカーで離婚経験があるが子どもとは会いたがっている男、それに、その元ロッカーの男を支えている女が絡み、芝居は進んでいきます。ポイントは、死を迎えるために残された時間を生きるのではなく、残りの時間でやり残したことをしてから生きようとするところに収斂していくところ。そのために、彼らは管理の厳しい病院からの脱出を考案します。元ロッカーの男は子どもに会いに、おたくの男はソープランドに、入退院を繰り返してきた女は、駅前でティッシュ配りのバイトに、そして脱出劇をコーディネートするのが、元ツアコンの女という具合です。なんか、ほんわかする芝居です。限りある時間をどのように生きるのか、アンゲロプロス監督の「永遠と一日」で取り上げられたテーマです。残った時間を生きる者が満たされた時間を生きること、今日の芝居と、同じ問いかけだったなと思い出しながら観ておりました。その辺がほんわかきた源だと思いました。つい先日、ちょっとだけ、そないな気分を味わった者として、余計にほんわかきちゃったのかもしれません。いい芝居を観たなの印象でです。
 芝居がはねると、歩いて、今日も、千日前のネットカフェへ移動。夜のことを考えると最適の位置のネットカフェです。というのも、夜は徳徳亭での「徳徳亭連続講談席〜新鋭四人会〜」に行ったからです。番組は、次のようなもんでした。南斗「太閤記 藤吉郎の子守奉公」、南舟「軍神廣瀬武夫 若き時代」、南青「明智光秀 光秀の嫁取り」、南湖「初代横綱 明石志賀之助誕生」。南斗の「藤吉郎の子守奉公」は、偶然、野武士に言いがかりをつけられ命を奪われた武士の頼みを聞いて刀を届けた籐吉郎が、届け先でお抱えとなり、最初は子守奉公をしているのだが、それが武芸を教えてもらえるきっかけとなる話。「太閤記」の中では、あまり聴いたことのないネタです。南舟は、明治時代の軍隊ものをネタにしようとしています。今までも乃木将軍ものを持ちネタにしたりしていますからね。「廣瀬武夫 若き時代」は、友人の結婚話を通じて、大物政治家山本某と懇意になっていくというもの。南青くんは、「明智光秀」を、以前、「講談毎日亭」で取り上げたことがあります。ところが、「嫁取り」の部分の記憶がありません。どうしたことでしょう? 斎藤道三に滅ぼされた明智の家を再興すべく、武芸上達をめざし遍歴している際に救った武家の娘との結婚話を、3年後、朝倉に仕官が叶ってから現実のものとしようとするのだが、話は、そうは簡単ではなかったというもの。ここでの明智光秀は、とても心根の優しい人物に描かれています。南湖さんは、「寛政力士伝」から。「明石志賀之助」は初遭遇ネタです。武家の家に生まれた大柄な男が、武芸で身を立てるよりも、父親の意志に反し、その体を生かした角力の世界に入っていく話が中心の一席でした。「続き読み」形式を採っているこの会は、2日間で完結ということで、明日も続きます。




2011年 5月 12日(土)午後 10時 25分

 今日は、朝一番で、病院に行き、検査の結果を聞きに行ってまいりました。ある程度想定していたのですが、異常なし。だけど、お酒を呑むのが怖いのです。一番気にしていたことは、セーフだったにも拘わらず、不安がつきまとうのです。違った目で診てもらう必要があるかなと考えているところです。
 病院の方は、早々と片付いたので、午後の予定に入る前に、京橋のネットカフェで時間調整をしなければなりませんでした。そして、天王寺にまわり一心寺へ。今日の午後、「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。幸いってん(一風亭初月、安藤記江)「竹の水仙」、天光軒満月(紀ノ本孝子、美勝勝廣)「空海」、春野恵子(一風亭初月)「出世太閤記」、真山一郎(真山幸美)「大石妻子別れ」。幸いってんは、病に倒れてから初めての遭遇です。まだ治療は継続中らしいですが、こうやって高座を務められるようになったことは、何よりです。師匠譲りの滑稽味のある浪曲を受け継ぐことができる大切な人材ですからね。とにもかくにも、元気に、以前と変わらぬ高座を務めてくれただけでも、バンザイです。なお、初月さんと相三味線を務められた安藤記江さんは、初月さんの妹弟子だそうで、お顔は見かけたことはあったのですが、実際に三味線を弾かれるのを見かけたのは初めてのことです。「竹の水仙」は、落語から移されたのでしょうね。同じくすぐりが使われていましたから。天光軒満月師は、同じネタばかりに当たります。持ちネタが少ないからでしょうね。またかと思ったら眠ってしまいました。春野恵子は、5月だからと言うことで、今席は、子どもの出てくるネタばかりを並べてみたとか。「出世太閤記」は、日吉丸が、矢作橋で、蜂須賀小六に遭遇する話ですが、春野恵子の持ちネタでは、遭遇体験の少ないもので、2回目くらいじゃないかな?なお、このネタは、師匠から初めてつけてもらったネタだそうです。真山一郎師は、「大石妻子別れ」を、一般客の前で、初披露するネタだと断ってからの口演。随分と以前に、先代からもらっていたのだが、先代が引退間際まで、よく出されていたので、自身が出すわけにはいかなかったとか。そういうしきたりの世界なんですね。ネタは、有名な話で、大石内蔵助が、妻りくを、出産にかこつけて、実家に帰らせるところ。最初、主税も、りくに同道させるのですが、内蔵助の腹の内を見抜いたりくにより、主税は内蔵助の元に送り帰らされるとなっていました。という流れで、お開きになったのが、ちょうど3時。時間があったので、電気屋街のDVD屋さんに寄ろうと、同じ方向に行かれる常連さんと連れもて向かいました。
 結局、時間調整を、電気屋街からの流れで、今日もまた、千日前のネットカフェですることにしました。そして、夜は、南森町に移動。今夜も、繁昌亭。よく似たところに座る方に、声を掛けられました。「いい会が続きますね」で一致しました。今夜は、「柳家小里ん・笑福亭生喬 粋な二人会」があったのですが、その番組は、次のようになりました。生寿「狸の鯉」、小里ん「五人廻し」、生喬「堀川」、(中入り)、生喬「須磨の浦風」、小里ん「お直し」。小里んは、今日は、ネタがつくことを度外視して、上方にない廓噺を、主催者から依頼を受けたようです。「五人廻し」は、以前、志ん橋が、松喬との二人会で出したことのあるネタですが、大阪では、なかなか聴けないネタ。上方には、「廻し」の習慣がなかったので、移植しにくい、やりにくいということなのでしょう。でも、なかなかおもしろいネタで、自分的には、好きなネタ。花魁が廻って来なくて、フラレた男たちの姿態が描きます。それだけのネタなのですが、客の豊かなキャラがおもしろくしています。生喬は、太の三味線が入るという、こちらも上方色の強いネタでした。酒極道をアシライながら、ケンカ極道の無軌道ぶりを描くのが、本筋の噺。そのケンカ極道を描くのに、ちょっと大きな声だけで描いてしまおうという姿勢が、生喬に見えたのが惜しいな。松之助の見せる「豪放さ」とか、「豪快さ」というものに欠けるように思いました。終盤の浄瑠璃部分は、お見事でした。生喬の2つ目は、この並びで、これが来るかという「須磨の浦風」。ししばば系のネタですからね。その口直しとして、生喬は、下げを言ったあと、「かっぽれ」をフルヴァージョンで踊りました。トリは、小里んで「お直し」。廓噺であって、夫婦愛を描くような不思議な噺。しかも、吉原の正当派廓だけではなく、場末の女郎屋が舞台となる珍しい噺です。廓噺2題、小里んのちょっと無骨な語り口の中から出てくる、廓の柔な風景が可笑しいですね。いいもの聴かせてもらいました。




2011年 5月 12日(土)午前 1時 18分

  大阪市内遊歩(128)

 昨日は、昔の職場の同僚3人と、1月以来の会食。場所は、毎回、「イスタンブール・コナック」を使わせていただいています。そして、今日は、朝から「メト・ライブビューイング」、場所は、京都MOVIXです。演目は、マスネの「マノン」でした。タイトル・ロールをネトレプコだったからでしょうか、結構な入りでびっくりです。京都に、これだけ、平日の朝に、オペラを観に来る人がいるとはの驚きと、「マノン」で入りがいいというのに驚きなのです。マスネの「マノン」は、プッチーニの「マノン・レスコー」と、原作は同じだけど、プッチーニが、マノンの娼婦性を薄めようとするのに対しマスネは、それを正面に据える曲作りをしたというのが定説。ところが、今日の演出は、時代設定を、18世紀から19世紀にした分、貴族の持ち物からブルジョワジーの持ち物とした分、娼婦性が薄まり、自由奔放に生きる女という雰囲気が強まった感じ。従って、パリの社交界に戻ったマノンを描く場面では、どこやらの貴族の邸宅でのパーティーではなく、パリの大通りを行き交う麗装の人たちの中に、マノンが現れたり、パリ・オペラ座から喚ばれたバレエ団が路上で踊るというもの。そないな感じなので、マノンの奔放さも薄味系。ようやく、その顔が色濃く出てくるのが、4幕に入って賭博の場面。でも、マノンの逮捕理由に意外な感じは拭えませんでした。最後の場面、要するにマノンが亡くなる場面は、プッチーニと違い、アメリカへなんでしょうね、送られていく波止場とおぼしき場面。とまあ、「マノン」を再び観てみて、存外、マノンが、デ・グリューの元を去って行くまでに、大きなウエートが置かれているなということでした。社交界の場面よりも、そちらに目がいくということは、このプロダクションの特徴かなというところです。相変わらずちょっと太目になったネトレプコの凄さは言うことなしの出来栄え。それに引けをとらなかったデ・グリュー役のビョートル・ベチョワが、いいテノールですね。軽くなく、しっかりと芯のあるようなテノールは、替えがたいものがあります。指揮は、首席指揮者に就任したファビオ・ルイジ。そして、このプロダクション、メトらしさのない豪華さを排除した舞台。例えば、2幕の2人の貧しい部屋は、周りには何もなしで、舞台真ん中に階段付きの狭い部屋が用意され、遠景にパリの風景らしきものがあしらわれているだけという簡素なもの。3幕のパリの社交界は、街路に見立てることのできる坂3つ、一番上に、フラットな道が置かれ、これまた、遠景にパリの風景。教会は、大黒に椅子を並べ、柱を立ててあるだけというもので、その一角に、ベッドが一つ置かれ、デ・グリューの私室としてありました。こないな感じなものですから、メトと言えば、豪華なセットというのとは違った舞台造りだったというわけです。「マノン」が終わり、今季で残るメニューは、ナタリー・デセイの歌う「椿姫」だけとなりました。また、来季のラインナップも、既に明らかになっていますが、さすがヴェルディ・イヤーにかかってくるということで、4/12がヴェルディ作品です。
 オペラが終わると、今度は、大阪まで大移動。夜に、京橋で宴会が入っていたので、大阪でウォーキングをすることにしました。「淀屋橋」駅から九条方向に川口地区から入り、安治川大橋を越え此花区に入り、最後は、阪神なんば線のいずれかの駅に着こうというのが、コース設定の基本。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜「伏見町3」交差点〜大阪肥後橋郵便局〜大阪市立西船場小学校〜西船場公園〜沖縄居酒屋「石垣島」〜花乃井公園〜大阪市立花乃井中学校〜江戸堀公園〜「雑喉場魚市場跡」碑〜江之子島公園〜木津川橋〜「大坂船手会所跡」碑〜西警察署〜川口聖マリア幼稚園・「冨島天主堂跡」碑〜安治川トンネル入口(九条側)〜安治川大橋〜春日出南公園〜JR「墓地道」踏切〜「春日出中3」交差点〜大阪市立梅香中学校〜北港新橋〜大阪市立西島保育所〜阪神なんば線橋梁(伝法4丁目)〜森巣橋〜阪神なんば線「千鳥橋」駅。一番最初、西区でのウォーキングを考えた際、西区のHPで調べものをしてから歩いたという記憶があるのですが、そこで浮かび上がってきたスポットを、必ず順調に見つけられず、そのままになっていたものがあるのですが、今日は、それらを見つけようという意識を持たずに歩いていたのですが、続々と目に入ってくるのですから、不思議なものです。ちょっと足を伸ばせばあったもの、ちょっと裏に回ればあったもの、ちょっと振り替えれば目に入ったものばかりだったのにと思うところに、それはらありました。このコースで、安治川トンネル入口と安治川大橋の間辺りで、1時間経過、あとは、時計とにらめっこをしながら、北港新橋折り返しにしたところ、「千鳥橋」駅を終点に選んだところ、どんぴしゃの2時間ジャストに、終点に到着できました。「西九条」駅が終点になれば、「京橋」駅のネットカフェで時間調整をしようと考えていたのですが、「千鳥橋」駅が終点となったので、「なんば」駅まで行き、いつもの千日前のネットカフェで時間調整をすることにしました。こちはのネットカフェでは、DVDのドライバーが、確実に機能するPCを知っているものですからね。
 そして、夜は、京橋のコムズガーデンで、職場の同僚と宴会。開宴が7時半と遅め。従って、お開きが10時となりました。ちょっと遊び疲れしました。




2011年 5月 10日(木)午前 5時 40分

 昨日は、朝から体調不良の原因を明らかにしたく、手術を受けた病院へ。手術前に受けたと同じ検査を、再度受けました。結果は、担当医に急用が入り、後日聞きに行くことに。ここまでは、自分に都合のいい結果ばかりが出ているのですが、それでは不調の原因が特定できないままに終わっちゃうことにもなりかねないので、それはそれで、また困ったことになるのです。ですから、何を喜んでいいのかが分からない状態に陥っています。
 ということに、昨日は、時間をとられ、午後の予定はキャンセル。夜遊びは予定通りすることができました。行き先は、今夜も繁昌亭。3連夜となります。今夜は、大ヒット企画「はなしか宝塚ファン倶楽部」がありました。チケットは完売、補助席まで出る人気でしたし、客席の沸きようはただ者ではない状態でした。その番組は、次のようなものでした。染雀「稽古屋」、花丸「レッスン屋」、あやめ「歌劇場風景」、生喬「ヅカタツ!」、(中入り)、レビューショー「花詩歌王朝絵巻」花丸・あやめ「宝塚新音頭」、あやめ・染雀「エリザベートによせて」「愛と死のロンド」、生喬「キッチュ」、生喬・染雀「デュエットダンス」、生喬・花丸「最後のダンス」、ファナーレ(全員)「愛あればこそ」。前半は落語、後半はレビューという構成。その落語も宝塚にちなむものばかり。唯一の例外が、トップに出た染雀の「稽古屋」。普通に古典を演じたのですが、これは、あとの花丸の「レッスン屋」の仕込みのため。既に、染雀が、それを冒頭に告げた上での口演でした。また、「レッスン屋」が、ほぼ「稽古屋」をなぞったパロディもので、すごくいい出来栄え。もちろん、レッスン屋とは、宝塚の必須科目を教えているところ。あやめの「歌劇場風景」は、「相撲場風景」をヒントにしたもので、宝塚初体験の女の子を連れての宝塚体験を描写するもので、宝塚のコアなファンの間に生きているしきたりというか、お約束が盛り込まれていきます。生喬の「ヅカタツ!」は、孫に宝塚に連れて行かれた爺さんが、宝塚ファンになってしまう噺で、生喬自身の作品。普段は、古典しかしない生喬が、「オールナイト落語会」にだけ新作をかけるそうで、それ用に創った作品を披露してくれました。最後は、着物の下に着込んでた衣裳で、爺さんが歌い狂うという姿を表すという、普段の生喬には考えられないド派手な高座になりました。ここまで、どれ一つをとってもゆるんだ高座のない素晴らしいもの。ホント、久しぶりに、どっかんどっかんと、立て続けに沸く繁昌亭を看た思いです。そして、新作ものを手がけた3人のマニア度の高さに驚くばかりでした。後半は、「エリザベート」の中からの曲を中心に歌われ、アンコールは、言うまでもなく「スミレの花咲く頃」でした。それが終わっても、拍手が鳴り止まず、繁昌亭で、初めてカーテンコールを見るかと思ったのですが、演者さんが、既にお見送りのために、正面に回っており、実現しませんでした。




2011年 5月 9日(水)午前 0時 10分

 普通の火曜日です。去年まで、火曜日は休みだったのですが、今年から火曜日を休みにしなくなったことを後悔し始めています。日曜日のいっぱいいっぱいに、旅行から帰ってきて、すぐ働く場合、2日続きで働くのは、なかなか辛いこと。東京から帰ってきたときも、韓国から帰ってきたときも、その辛さを味わっています。もっとも、東京に行ったときは、火曜日が休みだったら、もう一日長く、東京にいただけですが。
 で、今夜は、連夜の繁昌亭。繁昌亭は続くというジンクスは、やはり生きています。今夜は、「米二・南天二人会」がありました。珍しい二人会ですが、南天襲名記念ということなのでしょうか。その番組は、次のようなものでした。米二・南天「対談」、南天「青菜」、米二「茶の湯」、南天「崇徳院」、(中入り)、米二「景清」。今日は、旅行帰りのうえ、たっぷりと2日間働いたつけが出てしまいました。中入り前が、かなりきつく、結構噺が飛んでしまってます。ま、遊び続けですから、どこかに歪みが出るのは致し方ないのかもしれないところです。「対談」は、どうしても襲名話から。襲名は、南天の師匠南光が考え、南天に言い渡したもので、襲名話の出始めは、もう3年も前にさかのぼるとか。確かに、情報は、随分と前から流れていた記憶があります。襲名の口上での市馬の手際よさも出てました。結論は、東京の噺家さんは、口上慣れをしているということ。も一つの話題は、綾鷹のCM話。普段から綾鷹ファンだった米二が、自分に、出番が回って来なかったことに対するぼやきからスタートし、実際にモニタリングの一人になった南天の経験話に発展。前座を置かないで、客席を温める格好の企画でした。落語に入ると、「青菜」「茶の湯」と、まずは、二人の定番ネタからスタート。南天の「青菜」は、「植木屋さん、植木屋さん」の呼びかけの前に、植木屋さんの仕事ぶりが入るオリジナリティー溢れるもの。ただお酒をいただく植木屋さんが、ちょっとがさつかな。でも、ここで、あまりにもかしこまり過ぎると、家に帰ってからの雰囲気と落差が出過ぎてしまいます。難しいところです。南天は、2つ目に「崇徳院」を持ってきました。聴いたことがあっただろうか? 聴いていたら、とっても久しぶりです。おもしろかったのは、定番のくすぐりを外さず、南天風自然な流れを意識しながら、微調整を行おうとしているところです。うまい具合に、言葉を挟んだり、仕種を補っていきます。「ひしおぜのちゃぶくさ」なんて、知らない者にとり、一度聞いたくらいでは、復唱できるものではないと思ったら、熊五郎には、この言葉を言わせない、こうした配慮が嬉しいのです。南天の感性が喜ばれるところでしょうね。そして、トリネタは、米二が「景清」を持ってきました。いや〜、お見事です。今、これだけの説得力のある「景清」をできる人っているのでしょうか。特に、作次郎を、心の底から叱りつける甚兵衛さんの言葉には、渾身の力がこもっています。そのあとに続く作次郎の本音を引き出す言葉の力を、米二の口演から感じとれ、ちょっとした感動です。素晴らしい出来栄え。正統派米二の面目躍如です。




2011年 5月 7日(月)午後 11時 48分

 GWが終わり、あえなく仕事に復帰。一日前には、テベクにいたんだよな、この違い、なんて呟きながらの出勤。とりあえずは、リハビリのような一日。時間がくると、そそくさと夜遊びにお出かけ。久しぶりの繁昌亭。今夜は、「第15回満腹全席」がありました。この会も久しぶり。なぜか、ずっと同期の生喬と南天の「らくご道」とバッティング続き。そちらの方ばかりをチョイスしていたのでした。ようやく、今回行くことができました。で、今夜の番組は、次のようなものでした。小鯛「口合小町」、文三「平の陰」、染左「質屋芝居」、(中入り)、文三「猿後家」。小鯛の「口合小町」を、よく耳にします。軽いネタで、演じ手の極めて少ないネタということで、先輩噺家さんから重宝がられているのでしょう。文三は、2つ目には、大きいネタを出してくれるんだろうという予感のするネタ選び。一方で、「平の陰かぁ」というところで、気落ちの部分もあり、後半はダウン気味。今日は、染左がゲスト。あまり他門の会では見かけない人なんで、ネタが判って納得。文三は、自分のしない芝居噺が得意な染左の口演で、会に彩りを着けたかったのでしょう。やはり、疲れが溜まっているのか、こちらも、多少ダウン気味。「こちらは裏門〜」の幕内の声は、誰だったのか、気になるところ。声だけでは、誰かが判然としませんでした。番組表とともに渡されたチラシから判断すると、卯三郎かなというので精一杯のところです。そして、中入りを挟んだあとの文三は「猿後家」でした。まだ、つく枝時代に、この会で聴いた記憶があります。文枝直系にとっては、大切な噺です。こうしたテンションを上げるネタというか、立て弁の続くネタの場合、文三の声の調子が上がっていきます。文三の落語を聴くたびに、まず、その調子が気になるのですが、今日の口演は、一段と高く感じました。どうしても、それが気になって仕方ありませんでした。ただ、文三の口演では、お世辞言いの太平の登場がいいですね。でぼちんを叩きながら幇間さながらの登場です。ここで掴んでしまうと、噺はまっしぐら一直線の噺ですからやりやすいでしょうね。




2011年 4月 27日(金)午前 5時 56分

  大阪府守口市(48)〜大阪市鶴見区〜東大阪市(27)

 どうも手術のあとがいけません。体調が悪いのです。なんのために手術を受けたんだろうという疑問までがわいてくる状態に陥っています。不快感が高まれば高まるほど、体のバランスが崩れていくようで、痛みというまでのものでなくても、不快な部位が、体のそこいら中に生まれてきています。先日受けた手術は、不快感の終わりじゃなくて、更に大きな不快感の始まりなんじゃないかなとまで思い始めています。今日から、GW前半のプチ旅行に出かけます。この体調では、なかなか楽しいものも楽しいと感じられないかもしれません。やだなぁ。という嫌な気分を引きずりながら、昨日も、動楽亭に出かけてきました。今夜は、「たまの一週間連続落語会」の第4夜でした。その番組は、次のようなものでした。智六「煮売屋」、たま「青菜」、佐ん吉「抜け雀」、(中入り)、ナオユキ「漫談」、たま「ショート落語」「MySelves」。智六の前座は珍しい。だいぶと緊張があったみたいで、言葉の滑らかさがイマイチでした。たまは、まず前座役の智六にコメントをしたあと、ゲストの2人についてコメント。ナオユキだけだと、できるだけ多く落語聴きたいと言っている人には物足りないだろうということで、2人目のゲスト佐ん吉を呼んだとか。佐ん吉は、後輩で中トリを任せられる人と言い、評価はかなり高そう。たまの「青菜」が良かったなぁ。たまで、あまり遭遇体験のないネタですが、「植木屋さん、植木屋さん」と声をかける前に語られる情景描写がいい。南天の「青菜」にも看ることのできる表現です。それに加えて、旦さんの落ち着きがいい。植木屋さん、松本留五郎という名ですが、ちょっと調子外れのことを言っても、しっかりと受け止める度量があります。植木屋さんが家に戻ると、今度は思いっきり暴れるところです。なんか冒頭の落ち着いた情景描写に、旦さんの度量が、後半の大暴れを支えているようで、とっても、この口演、気に入りました。佐ん吉の「抜け雀」は初遭遇。しっかりとした語り口は、相変わらず抜群。中トリの大役を十分に果たしました。ナオユキがゲストというのは、新作を発表しはじめたときの「ハイブリッド落語会」の第一回のときのゲストだったからだそうです。そして、ラストは「たまよね作品ですが」という断りを入れてからの口。各世代の自分が出てくるもので、着想のおもしろさが気を引く作品です。最近はやってくれないので、久しぶりに聴くことができ満足でした。




2011年 4月 26日(木)午前 0時 23分

 今日は、出勤日ではないので、それを利用して朝から旅行準備。GW前半の旅行と後半の旅行が、間1日ということで、今日、両方の準備をしました。あとは、前半の旅行から帰ってきたときに、必要なものを後半の旅行用バッグに移し替えさえすれば大丈夫のはずです。
 で、午後からお出かけ。長らく休んでいたウォーキングに挑戦です。手術の傷口がベルトに触れ痛んできた場合には、途中で切り上げることを想定してのスタートとしましたが、無事何事もなく終えることができ、一段階クリアできました。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜勧正寺〜西郷通商店街〜守口西郷郵便局〜守口市立第二中学校〜守口市立南小学校〜鶴見緑地〜古宮神社〜葭田橋〜宮前橋〜安田公園〜安田大宮橋〜大阪市立茨田小学校〜鴻池水みらいセンター〜万代橋〜大阪瓦斯河内供給所〜東大阪楠根郵便局〜「楠根2丁目」交差点〜地下鉄「長田」駅。久しぶりのウォーキングだったため、最後の20分が、かなり堪えました。ま、これだけは仕方ありません。久しぶりとなると、どうしても鶴見緑地を選んでしまいます。今日は、とっても気温が上がったためでしょうか、平日の昼下がりにも拘わらず、鶴見緑地は結構な人出。黄紺同様、ウォーキングをする人が多かったですね。守口市内で迂回しながら歩いたため、鶴見緑地を出てからがなかなか進まないものです。安田の交差点方向から「高井田」駅を終点と想定していたのですが、結果的にギヴアップでした。これで、ジャスト2時間のコースです。
 「長田」駅から「堺筋本町」経由で「日本橋」へ移動。夜に備えて、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、今日は地下鉄で「動物園前」まで移動し、動楽亭が夜の行き先でした。「たまの一週間連続落語会」の第3夜があったのです。月曜日に行くつもりが、体調が優れず断念した曰く付きとなった会です。今日の番組は、次のようなものでした。福丸「平の陰」、たま「ストーカー」、南天「桜の宮」、(中入り)、たま「新作ショート落語」「愛宕山」。福丸は、人とは違うネタに手を出すことをします。「八五郎坊主」は大成功だったのですが、「平の陰」は厳しかった。「八五郎坊主」のように発散系のネタじゃないから、人に合わないと余計に難しくなるものなんですね。南天は、福丸のマクラのパロディで客席をわかしてからネタへ。ところが、今日はテンションが上がってたような気がしてなりません。ちょっと前滑りかげんなほどテンションが上がってたんじゃないかなぁ。後輩の、しかもたまの会のゲストという意識が高じたっていうところかもしれません。南天には珍しく、数箇所かんでしまいました。たまは、まず会長選挙の話題から、と言っても実際は三象ネタ。これはおもしろかった。「ストーカー」は、2度目くらいの遭遇。ストーカーを防ごうとしていたのがストーカー行為だったり、男女の関係性に逆転があったりと、かなりこったはちゃめちゃぶりがおかしいネタ。たまの「愛宕山」は久しぶり。たまの口演の中では、辛口で観てきたネタです。序盤の春の風景の刈り込みが気に入らないのと、頑張りすぎの山登りなんかが、その原因です。久しぶりに聴いてみて、テキストの改変が進み、全編を通じて、たまのテキストになってしまっているところに明確な進化の跡がありました。序盤の春の風景は、相変わらず手短に進み、焦点化されるポイントは、山登りと小判巻き以後の一連の動きに重心が置かれている。焦点はここではないでしょうという意味で、山登りで頑張りすぎるのが嫌いな黄紺は引き気味。土器投げをするところも、遊びとなる部分が削りの対象になってしまってるため、視界がなかなか広げられない。風向きを調べる土器は投げられませんし、曲投げの道筋を追わないので、谷に向いて立つ若旦那や幇間に目が行き、谷間全体の視界が広がらないのです。一方で、先ほど書いたテキストいじりの進化、お囃子いじりも含めて、「愛宕山」というネタが、異なった雰囲気を持つネタへと脱皮しようとしているようにも思えました。漫画チックにしようとするならするで、どんどん進めて欲しいな。間を開けて聴くと、変わりようが判るのでありがたいことです。




2011年 4月 24日(火)午後 11時 00分

 昨日は、たまの会に行くつもりをしていたのですが、午後からどんどんと体調がおかしくなり、取り止めてしまいました。滅多にないことですが、今日の体調を考えると、夜遊びしなくて正解だったかなというところです。今日は、随分と気温が上がり疲れた一日でしたが、夜遊びには支障なく行くことができました。お出かけ先は、谷六の「薬業年金会館」。「第177回旭堂南海の何回続く会?」のあった日だったのです。今日は「南総里見八犬傳(十)“犬山道節忠与”」ということで、どないなことがあっても外せない会でした。今日の活躍の中心となった八剣士は、犬塚信乃、犬田小文吾、犬川荘助、犬飼源八の四剣士と、犬山道節です。特に四剣士と犬山道節の出会いが、一番の眼目となった日でした。先月はドイツに行っていましたから聴けてないのですが、犬川荘助と犬山道節の出会い、浜路の死、犬川荘助の危機を、信乃、源八、小文吾が救出するところだったようです。てすから、今日のスタートは、既に信乃、源八、小文吾に、荘助が行動を伴にしています。その四剣士が、荘助が出会ったという犬山道節を探しに行くところからでした。一方の犬山道節は、剣士としての自覚がないものですから、親の仇をつけ狙っています。ところが、なかなかうまくいかず、仇を討ったかと思うと影武者だったりして、うまくいかない内に窮地に立ち、それを知った四剣士が助けたり、逆に四剣士の窮地を道節が救ったりとすれ違いが起こり、わりかしハラハラさせてくれますが、四剣士が追いかけられたときに出会った元侍で、どうやら里見家縁の男が出てきてから、四剣士と犬山道節のベクトルは、出会い、相互理解へと進んでいきました。八剣士の中でも、犬塚信乃、犬坂化野と並ぶ人気キャラの犬山道節が、ついに八剣士の一人という自覚を持つようになった記念の回となりました。いつ聴いても、またどこから聴いてもおもしろい「八犬伝」です。




2011年 4月 22日(日)午後 11時 26分

 GW前の最後の週末、GWは目一杯に遊ぶ計画を立てているので、若干自粛気味の日曜日、朝から夏のトルコのための航空券探し。早くも想定通りにいかなくなっているのに慌てました。で、15年以上したことのなかったアンカラ・インで見つけました、手頃な航空券を。しかも、アンカラ・アウトです。場合によれば、イスタンブルに入らないということも可能なのをゲット。ま、前後の予定は、サッカーのスケジュール次第となります。ちょっとラクなどを呑んだので一眠りをしたあとお出かけ。行き先は文楽劇場。金曜日に続いて、今日は文楽デーだったのです。今日の番組は、次のようなものでした。「加賀見山旧錦絵〜又助住家の段、草履打の段、廊下の段、長局の段、奥庭の段」。「又助住家の段」は、他の段と違って、同工異曲から取られたもの。稀曲だそうですが、見事にダウン。最近、こないなことが多すぎます。「草履打の段」からは、同じお家騒動話ですが、違う話になっていきます。お家乗っ取りを企む局の岩藤は、何か秘密を知ってるのではと睨んだ中老尾上をいじめ、ついには公衆の面前で、尾上を草履で打擲します。刃向かわせて、それをネタに成敗しようという、典型的な女のヒールです。尾上は、自分を慕い、忠義を尽くしてくれる初にも、胸の内を明かさないまま、悔しさと恥ずかしさで自害をしてしまいます。ただ岩藤の悪行を掴んでおり、証拠の品を残して。尾上の命に従い、使いに出ていた初ですが、辻占が悪く、託された品を開け、尾上の覚悟を知り、慌てて引き返すのですが、尾上は自害をしたあとでした。この辺りから、初が人格が変わったように気丈で強い女に変わります。尾上にかしづく控えめな女から、実力で持って仇を討とうというわけです。普段男の人形を使われることの多い勘十郎さんが使われたわけが、これで判りました。「長局の段」の終盤からの動きは只者でないスーパーウーマンのそれに変わりました。「長局の段」は切場扱いなのでしょうが、尾上を源太夫さんが、初を千歳太夫さんが受持ち掛け合いで進むという珍しい形。初のスーパーウーマンぶりは、尾上が亡くなってからですから、そこからは、千歳太夫さんの独壇場。元々バワー抜群の声を持たれている上に、更にそれを全開にされたものですから、ど迫力。人形の動きと言い、これだけの激しい場面って、あまりないんじゃないかな。というわけで、最後は、お約束の仇討ち成就、お家騒動も一件落着ということになりました。しかし、悪役も、わりかし頓馬で、人目につく長廊下で密談をして、初に立ち聞きされたり、間者に、悪行の証拠の品を庭に埋めさせ、これまた、初に目撃されたりと、あまり知的な犯罪者じゃないのが惜しいと思う反面、あすこまで凄いいじめをしたら、そないな頓馬なことをしても、印象に残らないから、ま、いいかの気分です。確かに、こうやって突っ込みを入れている黄紺も、終わった途端、「おもしろかったぁ」と素直に喜んでいましたから。今度の文楽は6月です。それまで、ちょっと休憩です。




2011年 4月 22日(日)午前 7時 33分

 かなり疲れがたまっているのでしょうね、眠れるかどうかは別にして、昼の日中でも瞼が重い状態が続いています。また同じ睡眠時間でも、睡眠の深さが違うのでしょうね、起き上がったときの体の状態の違いがあります。昨夜は、起きてられませんでした。そして、起き上がったときの腰の重さなどから、ここにきて、ようやく先週のハードさを実感できる疲労を感じだしています。体の緊張自体が解けてなくて、ようやく感じられるようになってきたみたいです。
 昨日は、大遠征の日。今年に入り、観能日が1日しかなかったため、ちょっと禁断症状気味だったのを快復に神戸遠征、それも長田まで行ってきました。「上田能楽堂」で行われた「上田観正会定式能」に行ってきました。10年ぶりくらいかもしれません。前に行ったときは、まだまだ「震災の復興」ということを意識しながら歩いてたなぁなんてことを思い出しながら、久しぶりの長田の街を歩いてきました。その番組は、次の通りです。能「俊寛」(松山幸親)狂言「寝音曲」(善竹忠亮)能「西行櫻」(上田拓司)「殺生石」(上田彰敏)。最後の「殺生石」は、無料公開の「青年研究能」として行われたものです。「俊寛」については、文楽の4月公演のパンフレットにたまたま能と文楽の比較が書かれており、とっともおもしろく読んだのですが、能はシンプルに俊ェが取り残されることの悲哀を出しますが、文楽はくどく脚色するというようなことが出ています。くどさの目玉が、島の娘と成経が結婚しているという設定。能に慣れている者からすると、「へぇ〜」です。能の一点集中主義的描き方の功罪がよりクリアになった気がしました。おシテは小柄な方。小柄すぎると、面が大きく見えて困りものです。「西行櫻」の方は、花見客が帰り、ということは日が暮れていくってことでもあるのですが、この時間の経過に伴い、月が出て、その月明かりの下、無心に桜の老木の精が舞を舞うという幻想的な曲。ところが、皆さん張り切りすぎたのでしょうか、おシテも囃子方(小鼓の荒木賀光さんを除き)も力が入りすぎて、、、。野口傳之輔師って、もっと森田流のアシライ笛の上手だったと思っていたのですが。「殺生石」が、結果的に一の満足だったかな。切能で、きびきびした動きを求められる曲は若手に限ります。身体表現としての能という観点が必要です。ですからお爺ちゃんの能は拒否をする黄紺なのですが、その対極にあったすばらしい身体表現だったと看ました。体の各部位の有機的動きが素晴らしかったです。
 会が終わると直ちに大移動。2時間かけて京都に戻りがてら、落語会に立ち寄ろうとしたのです。珍しく土曜日にあった「第102回養蓮寺寄席」です。五条烏丸の近くのお寺で行われている会ですが、3回ほど無沙汰をしていましたが、数少なくなってしまった京都の会です。番組は、次のようなものとなりました。今井克典「仕舞:鞍馬天狗」、三幸「みかん屋」、福矢「野崎詣り」、小染「猫の災難」、仁智「手水廻し」。ところが、三幸の口演が始まり、「愛媛ヴァージョン」だと確認したところから、「眠い」との自覚もないままダウン。こないだの手術の時の麻酔以上に即座にダウンでした。福矢も、久しぶりに聴くTVショッピングのマクラまで、小染に至っては、よく受けてるなぁくらいしか記憶がございません。番組表を見たとき、これはおいしいものに出逢ったと思っていたのに、この様です。仁智の高座が、一番ましだったかな。この会でしかなかなか聴けない仁智の古典。マクラも、とってもオーソドックスに、各地の方言特集をたっぷりめに。ということで、頑張って神戸から帰ってきて、なんなのだという低汰落。この辺から、緊張が解けて疲れが表面化してきたものと思えます。帰宅すると、PCの前で座ってられなかったもんね。




2011年 4月 21日(土)午前 1時 26分

 今日は雨模様。かなり疲れが溜まっているようで、昨夜はあえなくダウン。今日は、出勤日ではないのですが、ゆっくりはできなかったのです。郵送すれば済む書類が、期日ぎりぎりまで揃わず、朝から届け先まで持って行くはめに。仕事だったのです、朝っぱらから。結局、疲れがとれないままにお出かけ。ただラッキーだったのは、そのお届け先が、今日予定していたお出かけ場所に、比較的近かったこと。不幸中の幸いでした。で、お出かけ先というのは文楽劇場。ちょっと遅くなりましたが、「文楽4月公演」を、この週末に予定していたのです。今月の初旬には手術があったので、文楽行きは、遅めに設定していたということです。今日の番組は、次のようなものでした。「祇園祭礼信仰記〜金閣寺の段、爪先鼠の段〜」「桂川連理柵〜六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川〜」。今日の演目は、既に観たことのあるものの中でも、特に印象に残っているもの。「祇園祭礼信仰記」は、金閣寺を上下に動かすことにより、秀吉が、金閣寺の最上階に捕らわれの人を救出するとくだりは、大がかりな仕掛けにびっくりしたものです。「桂川連理柵」の方は、落語「胴乱の幸助」の基となる演目ですから、眼をギラつかせて観たものでした。ということなのですが、「祇園祭礼信仰記」で、秀吉が、どういった流れで上に上がって行くかは、すっかり吹っ飛んでいる始末。話自体は、足利政権末期、将軍を殺し、一時権力を手中にした松永大膳に対する織田信長軍が、秀吉を姿を変えという文楽お得意の手を使い、相手方に送り込み戦いを挑むというもの。「桂川連理柵」の方は、お半長右衛門の心中を描いたもの。しかしながら、貞女の鑑とされるお絹さんが気の毒すぎ。長右衛門は、お半とのことだけではなく、15年前にも、心中未遂事件を起こしてるんですね。しかも、相手の女は死に、自分は怖じ気づき逃げるという前科持ち。となると、お絹さんの我慢もほどほどにしてもらわねばなりませんね。てなところに突っ込みを入れながらの鑑賞となりました。
 文楽劇場を出ると、外は雨。お天気が良ければミニウォーキングを考えていたのですが、雨では致し方ありません。そこで、千日前のいつものネッ トカフェに行き時間調整。夜は、「in→dependent theatre 2nd」であった「化石オートバイ」という劇団の公演「桃源郷のスペクター」に行ってまいりました。関西小演劇界の名の知れた役者を集めての公演。年に1回程度の公演ですが、わりかし続けて観に行ってるんじゃないかな。今日の芝居は「桃源郷」をテーマに、幾つかのグループが桃源郷を求めてさまよう姿を、早いテンポで見せるというものでした。シベリアの永久凍土からの発見に夢を膨らませる男、ずっと友だちでいようと人魚の肉を食べ不老不死を得た女2人、雪山で遭難から逃れる手段として一人の男の夢の中に入る男たち、巨人の体内に探検に出かける子どもたちといった人たちの動きを、速いテンポで入れ替えさせながら見せてくれたのですが、詐欺にあったり、永遠の生命を受けたことにより悩んだり、人間関係が壊れたり、単なる夢だったりと、どれ一つをとっても満ち足りたものがあったわけではないという収束の仕方。そんなの判ってるじゃないと突っ込みたくもなるのですが、それらを冒険譚として、楽しく見せてくれたことに感謝しなければならないなとも思ったのですが、今を生きることの楽しさってことになるのなら、やっぱ陳腐かなの結論でしたね。それに悲しいかな、皆さん、ぼちぼち年齢を感じる年頃になってきたようで、今までの体の切れが見られなくなってきています。これは、悲しい現実と言わねばなりません。




2011年 4月 20日(金)午前 6時 38分

 昨日も、朝からずっと仕事に追いかけられっぱなし。事務的なことばかりで追いかけられると、いらいらはつのるばかり。そういった専門職には向かないなと、こういったときに、自分の能力を自覚します。そして、疲れがたまったまま、夜遊びにお出かけ。行きたいという気力があるから、疲れた体を引きずりながらのお出かけとなりました。昨日は、ワッハの4階であった「・らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」に行ってまいりました。こごろうが南天を襲名してから初めてとなります。襲名披露公演には行ってないのですが、その裏話だけは、ちゃっかりと聴きたくて、この会を狙っちゃいました。番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、南天「刻うどん」、生喬「高津の富」、(中入り)、南天・生喬「対談:夕焼け日記」。襲名直後の南天は、軽めに「刻うどん」。だけど、この口演がとびきりにいい。うどん屋に向かう道筋の会話、「半分分け」の話を、しつこく喜ぃ公がしていきます。都々逸を唄いながらという型は聴いたことがありますが、この型は珍しい。南天は、師匠南光からもらったそうですが、習ったときには入っていたそうです。なんか、遊び帰りの長閑な雰囲気が気に入りました。更に、南天自身、あとの対談で言ってたのですが、しこみを少なくして、従ってばらしの部分の笑いは少なくなるのですが、この噺の本筋は、真似をしたくて仕方のない喜ぃ公の気持ちだから、それを優先したという手法を採りました。めっちゃグーな発想です。さすが、南天、読みが鋭いです。また、それを口演で表現できるのですから、すごい。最後、お金を払うのが嬉しくて仕方がない喜ぃ公の表情は最高に受けていました。一方の「高津の富」は、とってもオーソドックスに演じることを旨にしたと生喬が言ってた通りの口演。それは、ネタの強さ、おもしろさを最大限に引き出すためと言ってましたが、これって、大切な考え方なんですよね。何が何でも、そうであらねばならないとは思いませんが、これはこうと思ったら実行する意志を持つということの大切さ、そして、また、それを口演で実行できる強さ、旨さ、それを、生喬も持っています。やっぱ、毎月通わさせるだけのものを、この2人は持っています。対談は、ネタのこともさることながら、やはり襲名のときの話。ネタは、昼が「阿弥陀池」、夜が「野崎詣り」だったそうですが、師匠南光の感激ぶりに、聴いていてしばし感動。更に、当日、訪れてきた人の話などを聞いていると、2人の絆の深さをあらためて知る思いです。2人が出会って、今年で25年だそうです。




2011年 4月 18日(水)午後 10時 51分

 今日は、朝から胃カメラ検査を受ける日。せっかくのお休み日なのに、出勤するときよりは1台早い電車で大阪へ。1年で最も気の重い朝かもしれません。検査自体には時間がかからないので、早々と解放されたのはいいのですが、検査後1時間は食事ができない、ウォーキングは、2時間通しの方法は無理と判断したこともあり、とりあえずは千日前のネットカフェで時間調整。今日は、短いウォーキングを積み重ねてしてみようとの魂胆で、移動は、無理のない場合は歩いての移動としました。胃カメラをのんだ病院から千日前までの移動は40分、千日前から動楽亭までの移動の往復で約1時間でした。で、動楽亭は、通常の昼席。今日は、ざこばが出たからでしょうか、入りは上々のものがありました。番組は、次のようなものでした。吉の丞「犬の目」、まん我「野崎詣り」、銀瓶「千早ふる」、ざこば「うどん屋」、(中入り)、遊方「憧れの一人暮らし」、小春団治「壷算」。吉の丞は、どんどんとネタをいじっていっています。特級の前座からの脱皮なんでしょうが、必ずしも、いじりのセンスも特級でないのが残念な気がします。今日は、まん我の「野崎詣り」を聴けたのが、一の収穫。春団治ヴァージョンの「野崎詣り」ですが、細かな補正が的確で、噺の流れがクリアになっていました。するとおかしなもので、春の陽射しや温もりも出てきましたから、すごい手入れがなされているのだと了解しました。銀瓶は、若い頃に、随分と聴いた「千早ふる」。銀瓶は、どのネタをするにせよ、華を感じます。空気が柔らかくなり、明るくなる感じがしたものです。ざこばは、「親子酒」のうどん屋をからかう場面の抜き出しでした。出口に貼り出されたネタ一覧表には「うどん屋」と記されていました。遊方は「憧れの一人暮らし」と、お得意ネタ。新作が入ると、ホントいい色変わりになります。ここで新作が出ると、やはり小春団治は、新作を出しづらいのでしょうね。小春団治が「壷算」とはびっくり。その「壷算」も、また古風なものでしたが、こういう形で、今日まで伝わってきたんだということが判るので、結構好きなんだなぁ、古い形を聴けるのは。それにつけても、最近、「壷算」に大当たりです。
 動楽亭を出ると、元来た道を通り、再び千日前へ移動。午前中とは違うネットカフェで時間調整。それから、近鉄電車で鶴橋に移動。夜は、いよいよ「講談毎日亭」の最終日でした。もちろん「雀のおやど」です。今日は、南湖さんがトップで登場。今回2度目です。どうやら南青くんのネタの方が重いからじゃないのかと思ってみたり、会がはねたときに、南湖さんの姿が見えなかったので、仕事の都合と思ってみたりしています。真相は判りません。「猿飛佐助」は、だいぶと軽く終わりました。家康を攻めるということが、前日に予告されていましたので、何か大きな展開が用意されているのかと思ったら、肩透かし。千代田城の絵図面を手に入れるために、下級武士に取り入る話が、詳しめに読まれた以後は、経過が流された感じ。あれよあれよという間に、家康に刃を突きつけていたり、さらりと、その話も流されると、今度は、大阪合戦で、幸村の替え玉になり殺されたかと思うと、それも忍術だったりと、何かにつけ話が軽いのです。やはり超能力を持つキャラクターの話って、そうなっちゃうんだよねというところでした。「楠木正成」は、逆に重たい。足利尊氏の蜂起に対し、戦略を練っても聞き入られなかった正成は、死を覚悟の上で湊川に向かい、総大将新田義貞と入れ替わります。湊川に行く途中では、有名な桜井の別れが、如才なく挿入されます。そして、湊川での討死の様子が読まれたあと、京都に攻め入った足利軍に対し、後醍醐天皇側は、正成が説いた戦法を、この期に及んで執らざるを得ず、今更ながら正成の偉大さを認識したところで終わりとなりました。南青くんのなかなか重厚な口演が印象に残りました。大トリは、もちろん南海さんの「浪花五人男」。贋金作りのヤクザ野田藤、与力朝山彦九郎、両替商岩木屋の巨悪3人と、5人の、極印の奪い合いは、ついに高津神社で最後を迎えます。千右衛門は、親の敵野田藤を刺し殺したのを始め、悪に連なる男どもを、5人が、それぞれ1人ずつ殺します。そして、岩木屋を捕まえ、御奉行所に出頭。お白砂で巨悪の一部始終を、雁文七がぶちまけたことが奉行を動かします。奉行の感謝の言葉を受けはしたが、人を殺めた罪は問われ、最後は、千日前の刑場の露と消えます。刑場に入る直前、文七は母親に、一右衛門は妹つゆに見送られ、更に、獄門台にさらされた5人の首から、その2人の女性が髪を切り取り、回向を頼みに行きます。最後は、かなりきてしまいました。いい終わり方です。余韻が残っちゃいます。これで、「講談毎日亭」は終わりました。不定期であっても再開して欲しいものです。




2011年 4月 17日(火)午後 11時 22分

 今日も、仕事が立て込んでアップアップの状態。疲れがたまっていけません。ですから、今日も、悪コンディションのもと、夜遊びに出かけることになりました。今日は、「講談毎日亭」の4日目です。明日が、最後の最後となります。まず、トップの出番に戻った南青くんの「楠木正成」では、後醍醐天皇が、笠置、千早赤坂での挙兵失敗ということで、隠岐に流されてしまってました。笠置の戦いは、そこに繋がるんですね。ですから、その後醍醐天皇を助ける人物が、楠木正成以外に出てこないものだろうかというところを、中国の故事をひいて読まれることが多かった日となりました。そして、実際に、そういった人物が出てきて、後醍醐天皇が救い出される話、新田義定の挙兵、鎌倉幕府の崩壊は、経過報告程度に流されていきました。「太平記」のおいしいところ取りが、南青くんのセンスで行われているところです。確かに「太平記」を5日間で読むこと自体が、どだい無理なことですから、それは致し方ないことです。「猿飛佐助」は、若い幸村に仕えている頃の話が続いています。昨日は、猿飛佐助の初陣の話だったということです。そういった言葉が、黄紺の耳からは抜け落ちてしまっています。どうも、今日の話は、忍術にシフトした話で、猿飛佐助の仕える幸村の動きにつれ、猿飛佐助が、どのような活躍をしたのかという話の立て方ではないようです。「浪花五人男」の聞き慣れない展開は、南海さんのミスだったようで、庵の平兵衛が野田藤をつけ、見つかり、拷問を受け、すぐに助け出しに来るという話にはなりませんでした。庵平兵衛には、もう少し我慢をしてもらわねばなりません。平兵衛が行方不明になっている間に、話は新たな角度から展開を見せます。巨悪の構造が、更に明らかになっていきます。与力の朝山彦九郎を追っている内に、両替商とつるんでいることが見えてきたのです。要するに、出来上がった贋金を流通させる役割を担う人物が要るからです。これで、贋金の製造元、流通元、官憲がつるむという悪のトライアングルの出現です。その両替商探索に活躍するのが雷庄九郎。野田藤配下の下っ腹を装ってのさぐり、これ、どうなったんでしたっけ? 実は、今日は、ここで力尽きてしまったのです。今日は、客席に、海舟氏と、同じ高座に上がったりされている東京の社会人講談師さんが聴きにこられていました。海舟氏に紹介していただいたのですが、紹介していただく前から、東京の講談界の方だなという臭いは感じていました。黄紺も、いつしか、そのような嗅ぎ分けができるまでになるほど、講談の会に足を運んでいるということですね。




2011年 4月 16日(月)午後 10時 51分

 年度初めということで、仕事に追いかけられ追いかけられという感じで、気がつくと終業の時間になってるという感じ。この分じゃ、出勤日じゃない日に出張を入れなければならないハメになりそうです。そして夕方からは「講談毎日亭」へお出かけ。仕事疲れと寝不足のなか、気力をふりしぼってというところです。でも、予想通りと言えば何なのですが、南海さんの「浪花五人男」以外は不調でした。今日は、トップに南湖さんがあがったのですが、若き幸村の配下になった猿飛佐助が、海ノ口城の攻防戦で活躍する話であったように思います。「楠木正成」は、若い頃の話から一挙に話が飛び、後醍醐天皇が、鎌倉幕府倒幕を掲げ、追っ手をかわしながら都を脱出をして笠置に移ったところから。その後醍醐天皇が霊夢を見たところから、楠木正成が呼び込まれます。そこまでは大丈夫だったのですが、あとはダメでした。「浪花五人男」は、5人が出逢い、布袋市右衛門と極印千右衛門が、野田藤の一団と出逢ったいきさつが語られ、雁文七らが、その2人を助けることになります。その直後、千右衛門の父親の遺体があがったことが高札で告知されたのを受け、千右衛門が役所に出頭するのですが、様子がおかしい。ここから話は、野田藤が、役人を抱き込み、贋金作りをしている構造が明らかになってきて、千右衛門の父親が、そのために殺されたことが判ってきます。終盤は、構造が見えてきたため、様子を探りに、雁文七らが出かけている隙に、ええかっこしぃの雷庄九郎が千右衛門を芝居に誘います。そこで、野田藤と役人がつるみながら観劇をしている姿を見た千右衛門の大立ち回り、それを助ける3人、野田藤がこっそりと逃げるのを目撃した庵平兵衛の追跡、拘束、拷問、救出と続いて、今日は切られました。主人公5人のキャラがおもしろいこと、また話の枠組みを押さえねばならないということで、5人が出逢うまでは、南海さんもゆっくりペースで読まれてきましたが、5人がつるんで、贋金作りの一団との抗争になってきて、はしょり出されています。あと2日で、5人が、やくざの一団との抗争にけりをつけ、最後には獄門台の露と消えねばならないのです。聴く者の共感を生む悪漢、でも性根まではくさっていない5人の男の青春グラフィティです。




2011年 4月 16日(月)午前 3時 14分

 この2日ほど、また眠れなくなってきています。ですから、手術直後の睡眠不足解消は、手術とは関係なく、単に鎮痛剤のせいだということが判ってきています。ただ昨日は日曜日。朝からちびちびお酒を呑みながら、オペラのDVDを観ていると、酔いが回り、結果的にたっぷりと二度寝ができたために、睡眠は確保できました。ということで、昼には、「雀のおやど」へ向け出発。もちろん「講談毎日亭」です。昨日は、二度寝のおかげで大丈夫でしたが、替わりに、南海さんの口演の際、腹に急な差し込みがきて退出、アクシデント続きです。「楠木正成」は、まだ正成が多聞丸と呼ばれた少年時代、八尾別当兼行との争いを制した話、正中の変から、後醍醐天皇から倒幕の密使が届く話と、ちょっと飛び飛びの話になってしまったきらいがありました。長い長い「太平記」ですから致し方ないことかもしれませんが。「猿飛佐助」は、真田十勇士ならず、真田七勇士ができ上がる話でした。ですから霧隠才蔵なんかは、まだ出てきてないところです。「浪花五人男」は、以前に詳しいヴァージョンを聴いていますし、とってもおもしろかったということもあり、急な退出があり、話が飛びに飛んでもついていけます。一昨日は、雁文七、雷庄九郎、庵平兵衛の3人がつるむようになったくだりでしたから布袋市右衛門、極印平右衛門の2人が出てくる番でした。まず平右衛門の親父がうまく博打に引き込まれ、極印を作らされるに至るくだり、次いで布袋市右衛門が、僅か半日で人生を転がり落ちる話、そして、両者の出逢う本町橋、でも、それは、平右衛門が、父の死に出逢うところであり、このあとの極印を巡る争いを予告するところでもあり、且つ、5人が顔を揃えるところでもあります。最後の最後で、雁文七ら3人が出てきて、2人を助けに行こうというところで切られました。やっぱりこの話はおもしろい。南海さんの口演に依るところも大きいのでしょうが、よくできたネタだと思います。侠客ものは、特に上方の侠客ものがおもしろいのです。
 「雀のおやど」を出ると、花見客の群がる大阪城公園抜けで京橋まで歩いてみました。途中、玉造で買い物をした時間も入れ、ちょうど1時間。これで、手術痕は痛んでこなかったので、ぼちぼちウォーキング復活のゴーサインをもらったかなの感じです。




2011年 4月 14日(土)午後 10時 51分

 最近、休日となると、お酒をちびちびとしながら、オペラのDVDを観るという習慣が復活してきています。とにかくお酒を呑めるようになったということが嬉しくて。手術前、調子が悪くてお酒が呑めなくなってしまう前は、ちょっと呑むことが多かったという反省から、自省しながら呑んでいるのは呑んでいます。ただ呑むのが午前中というのが、今日の場合はまずかったようで、午後からのお出かけに、大変な影響を及ぼしてしまいました。今日の午後から、「講談毎日亭」、しかも最終回が始まったのですが、完全にダウンを喫してしまったのです。ですから、今日は、今回の演目だけ記すに留めておきたいと思います。南青「楠木正成」、南湖「猿飛佐助」、南海「浪花五人男」です。
 雀のおやどを出ると、歩いて千日前まで移動。30分近くかかったのですが、手術痕は痛んでこなかったので、ぼちぼちウォーキングの準備に入ろうかなの雰囲気が出てきています。千日前では、いつものネットカフェで時間調整。そして、夜は、久しぶりにワッハの7階に行きました。落語会は、確実に4階の方にシフトしているなか、頑なに以前からの会場の7階をキープし続けている「林家亭4月席〜染左開発計画〜」がありました。この会は避けていたわけじゃないのですが、よく他の予定とバッティングをするものだから、ホントに久しぶりになりました。その番組は、次のようたものでした。呂好「つる」、染左「花色木綿」、雀太「天災」、染左「鶴満寺」。今日は、他の落語会と競合していたのでしょうか、入りは、だいぶと淋しいものがありましたが、高座はいたって充実、満足のいくものでした。呂好がいいですね。語り口の自然さ、稽古の賜物でしょうが、何か天性の勘の良さのようなものを持っていそうな感じがしました。根問ものですから、1対1でしゃべるわけですが、呂好の場合は、それを的確にイメージ化できているのでしょうね、間合いがいい、語り口の自然さとか、イメージをそのまま表現できる、そないな感じがしました。呂鶴門下なので、どれだけネタを増やせるか気になりますが、極めて楽しみな存在です。雀太は、噺の濃さが、最早売りになってきているなの印象です。細かなことが気になり仕方がないというキャラですから、そないになっていくのでしょうが、もう、それは個性として維持、発展させればいいんだと、今日の高座を見て思いました。雀太のような濃い噺家がいて、またそうじゃない噺家がいて寄席が成り立つと考えればいいのかなと。主宰者染左は、「花色木綿」を持ってきたところを見ると、「鶴満寺」に全力投球ということでしょう。プログラムに、染左自身が書いていましたが、染丸が、先代の病床で教わったネタということで、一門では、特別な思い入れのあるネタのようです。それで、演じ手が少ないようです。黄紺にとっては、落語初体験のときに、現染丸から聴いた記念すべきネタでもあります。そう言えば、若かりし染丸が、「師匠に最後に教しえてもらったネタ」と言ってたのを思い出しました。その「鶴満寺」が、とってもいい出来。染左ベストと言ってもおかしくないほどの出来栄えでした。染左のイメージからして意外なんですが、権助の酔いっぷりがいいのです。欲を言えば、桜の下で呑んで、寝てしまうわけですから、桜の花びらが見える工夫が欲しかったのですが。それは、ぼちぼちということで、核心の部分がいいのですから、今後の期待としておきましょう。




2011年 4月 14日(土)午前 0時 5分

 ほぼ完全に日常生活を取り戻しています。相変わらず、勤務じゃない日は、朝からお酒をちびちび呑みながら、オペラのDVDを観ています。そして、頃合いを見計らってのお出かけ。いつものことですが、このいつものことができないかもの恐怖感を、今回味わったがため、いたって普通のことを送れる有り難さを噛みしめています。で、今日の午後は、文楽劇場へ。今日は、「公演記録鑑賞会」のあった日だったのです。演目は、天網島時雨炬燵〜紙屋内の段〜」でした。「心中天網島」の同工異曲です。紙屋治兵衛と小春の心中物語に、治兵衛の女房おさんの苦悩、せつなさが絡みます。どうしても、治兵衛や小春の心情よりは、おさんの心情に組みしてしまいます。人形は、おさんを玉男さんがつかい、治兵衛を文雀、小春を紋寿さんがつかっていましたが、おさんに肩入れしてしまったのは、玉男さんがつかっていたからかもしれません。なお太夫さんは、切り場を越路太夫(鶴澤清治)が語るという豪華版でした。
 文楽劇場を出ると、今日も、時間調整のために、千日前のネットカフェへ。時間がたっぷりとあっても、まだウォーキングをするわけにはいきません。手術痕の痛みは消えましたが、長い距離を歩くと、まだ痛んでくるからです。その痛みが、あとどのくらいで消えるのかのメドは判りません。少しずつ試しながら、ウォーキングを復活させていかねばなりません。そして、夜は、「in→dependent theatre 1st」であった「芝居処 味一番」という劇団の「からあげ」という芝居を観に行って来ました。初めての劇団なのですが、関西小劇場界で活躍されている役者さんが出られているので、それを手がかりに、狙いをつけた劇団でしたが、えらく真面目な芝居をされて、随分と面食らってしまいました。ある小さな会社のプレハブ建ての事務所が一貫して舞台です。そこには、なにがしかの心の傷を持っていそうな人たちが集まっています。震災との関連で、心に傷を持った人たちもいます。社長さんは、頼りにされることにアイデンティティを見いだしている穏やかな人物です。そして、今日も、高校を中退した男が、新たに入社してくるところから始まりました。ところが、なかなか話が前に進みません。状況設定に時間をかけてくれるのですが、そのわりには、新しい情報が増えるわけではありません。ようやく進展が見えかけるのが、社員の一人が、心の傷から、集団での生活になじめず、ずっと会社に寝泊まりしているのですが、その会社に、夜、若い女が通りかかるようになってからです。毎日、女はやってきますが、女は探し物をしていると言うので、男は一緒に探そうということになります。女は、予感として死んだ世界の人物ではないかと思われてきますので、一緒に探そうということは、この男の心のトラウマが解き明かされていき、クライマックスが準備されているのだろうと期待していたのですが、、、、。よく解らない終わり方です。一切、男の過去、他の男の過去に関する種明かし的なことがなく終わります。大まじめに、震災からの復興を言葉にしてきた流れが、呆気なく肩すかしを食らった気分です。達者な役者さんが、引っ張ってきてくれた、観ている者には、なかなか前掛かりにならず苦しみましたが、その役者さんに引っ張ってもらった芝居が、不完全燃焼。一酸化炭素充満で終わってしまいました。




2011年 4月 12日(木)午後 11時 51分

 昨日は、退院後の通院。術後は順調ということで、一切解放となりました。そして、午後には出張に出かけ、終われば家に直行という一日。そして、今日は、仕事に追われっぱなしの一日。体力を消耗仕切ってしまいました。そんななか半寝で電車に乗り、夜遊びにお出かけ。今日の落語会は外したくない一心でのお出かけでした。行き先はお初天神、今夜は、こちらで「お初天神こごろうの会」がありました。3日後に、「南天」を襲名する「こごろう」最後の落語会だったのです。その番組は、次のようなものでした。優々「四人ぐせ」、雀喜「熊のプー太郎」、紅雀「向こう付け」、ねこまんま「漫才」、(中入り)、こごろう「動物園」。優々は、思いっきりの良さが出ればいいのだがと、このネタで、前と同じことを感じました。雀喜は、ねこまんまの相方のついでに落語を頼まれたというのをギャグに、こごろうとの付き合いの深さを紹介してからネタへ。「熊のプー太郎」は初遭遇。雀喜の新作ものではベストかもしれません。オムニバス落語で、熊野堅太郎が職探しに行っては失敗する話の連続です。つなぎのBGMとして、携帯から流れる音楽を繰返し使うのも、なかなかグーなアイデア。紅雀は、雀喜の着替え時間確保要員的扱い。相変わらず、一つ一つの口演はおもしろいのですが、この人も、ネタを頑張って増やさないとダメですね。本日のお楽しみ、ねこまんまは、真っ赤なジャケットに、白のズボンで登場。ほんわかネタが楽しい漫才です。こごろうは、とにかく大きな声を出して、こごろうを終わりたかったと、「阿弥陀池」と「くっしゃみ講釈」を用意してきたとか。そして、実際、「くっしゃみ講釈」を始めたのですが、ノリが悪いらしく、すぐに止めてしまいました。そして、こごろう自身がどうしようか迷っているところへ、客席から「動物園」の声。それに、こごろう自身も乗り、客席も応援するという雰囲気になり、結局、こごろうとしての最後は、「動物園」となりました。黄紺も、わりかし「動物園」を支持したい気持ちになりました。とにかく、こごろうが、雀々からもらい、前座としてやりたおしたネタであるうえ、独自の工夫が入り進化させたネタだということを、客席は知っているからなのです。ということで、今度観るときは、こごろうではなく、南天になっています。




2011年 4月 10日(火)午後 11時 44分

 今日は、朝から力のいる仕事。痛いお腹を抱え頑張ってしまいました。午後は、逆に事務仕事、逆だったら助かったのですが、うまくいかないものです。ただ夕刻になると、かなり痛みが和らぎ、苦痛というものではなくなってきました。1週間かかりました。まだ完全に戻ったわけではないのですが、それだけかかって落ち着くのですね。ということで、今日も夜遊びは継続。お出かけ先は、久しぶりの「雀のおやど」。今夜は、こちらで「第10回米紫の会」がありました。番組は、次のようなものでした。小鯛「つる」、米紫「犬の目」、塩鯛「愛宕山」、米紫「子は鎹」。米紫以外はネタ出しなし。今日こそは、塩鯛も「愛宕山」をしないのではと期待していたのですが、見事に外れ。また、いくら米紫といえども、「犬の目」は流してしまったので、結局、真剣に聞き耳を立てたのは、「子は鎹」ということになりました。米紫はざこば直系なので、ざこばの採っている型かと思っていたのですが、それは外れ。寅ちゃんは父親と住んでいる、お花さんが出ていったとなっているので、寅ちゃんが久しぶりに再会するのはお花さんの方。寅ちゃん父子が住んでる近くに、昔の長屋の近所に住んでた女性のところへ、お花さんが遊びに来たのが、母子再会のきっかけになります。間に立つ女性の役割が、非常に高くなるというものを、米紫は選び、また、今日の口演では、その女性の描き方が、一番ナチュラルで感じのいいものでした。主役の夫婦二人は、いつもの米紫に比べると控えめだったのですが、描かんかなの気持ちが出てしまってたのが惜しいと言えます。そう惜しいのです。「子は鎹」は、今日がネタ下ろしだそうです。そんなに簡単な噺でないことは明々白々たるものがあるネタです。これから、どんどんとこなれていき、いいものへと熟成していく予感のする出来栄えだったと思います。今日は、2〜3日前まで、京都でこごろうの会に行くつもりをしていたところ、息子の家に寄らなければならない用事ができ、急遽変更したものでしたが、米紫の「子は鎹」を聴けただけで、十分に元をとった気持ちがしています。




2011年 4月 9日(月)午後 10時 46分

 今日から仕事に復帰。体力はくじけてないのですが、まだまだ傷みは続いています。幸い、今日は力仕事は回ってこなかったので助かりました。そして、夜は、今夜も繁昌亭。これで、三夜連続の繁昌亭です。今夜の繁昌亭は「入門15周年記念〜平成9年同期会〜」がありました。その番組は、次のようなものでした。出演者全員「挨拶」、染吉「子ほめ」、笑助「へっつい盗人」、三弥「隣の桜」、(中入り)、出演者全員「四題芝居噺」、由瓶「真田小僧」、歌之助「壷算」。個性の違う噺家さんが集う同期会、今年から、新たに笑助が加わったとか。他の3人とは、異なったキャリアを持つ笑助が、ここまでは入ってなかったというのは納得の流れ。同期の中で、一番早い入門の三弥中トリ、実力者の歌之助がトリというのは、最も妥当な番組か。残念ながら、久しぶりの職場復帰が響いたのか、前半はダウン。トリの「壷算」は、歌之助の定番ネタだし、そうなると、新鮮だったのは、由瓶の「真田小 僧」。三弥の「真田小僧」が、上方では絶品なんだけど、由瓶のそれは、いじりすぎてよくない方向に流れたっていう感じがします。寅ちゃんは、最後まで可愛らしく、こまっしゃくれた調子でやって欲しいなと思うのです。受けるとなると、寅ちゃんのキャラを、デフォルメして、よりおもしろくしようとすると、それが落とし穴で、逆効果で、一挙にどっちらけになってしまいます。歌之助の「壷算」も、ちょっとその傾向がちらつく。デフォルメというよりか、売り手が混乱する中で、その売り手を混乱させる言葉を投げつけてしまいました。以前にはなかった台詞。これなども、由瓶の勇み足と似た落とし穴に入ってしまったというところでしょう。「四題芝居噺」、「三題噺」を、芝居形式にして見せるというもので、数が多いのは、噺家の数に合わせただけ。おもしろい工夫としては、四題の内三つは、冒頭の「挨拶」のときに募られたのですが、最後の一つを、実際に芝居が始まる直前にもらうというところ。最初の三つは、「なぞかけ」「漁り火」「夜桜」、最後の一つが「大そうじ」でした。ちょっと客の入りは少ないだろうなと思いながら行くとどんぴしゃでしたが、おもしろい個性が揃っている4人なんで、自分的には満足できるものでした。




2011年 4月 8日(日)午後 11時 20分

 復活第2日目ですが、痛み止めが、昨日の昼できれたため、痛みは、2日ほど逆戻りです。1時間のウォーキングをしたときのことを思い出しています。でも、この程度の逆戻りだったら、我慢できないということではないので、奥の手はパスすることにしました。薬物を使うよりは、自然な治癒力に委ねる気持ちです。で、今日のお出かけは、昨日とほぼ同じ時間。今日は、まず應天院に芝居を観に行きました。オリゴ党という劇団の「事件の夢 夢の事件 ?多羅尾 伴内の世 界・千年女王編?」という芝居です。ただ序盤に、アニメのキャラを並べられたり、役者の動きが、えらく稚屈に見えたりで眠くなってしまうという不届きなことになりました。一人の男が、夢の中なのか、現実かが判然としないなか、一人の女性の呼びかけに応え、旅に出ます。場所はミャンマー、そこに群がっている日本人の中に入っていくあたりから、アニメ・キャラが出始め、ギヴアップ。この劇団、こないな芝居だったっけといぶかしがってる間に、意識が離れていき、再生しても、よく解らなくなってしまいました。ただ、終盤を観ていて、思い描いていた劇団だったことに納得のいく展開となっていました。探していた者と探されていた者との逆転が示され、思考の軸の相対化が示されていたこと、そして、探していた者と規定されるようになった女性は、自らの言葉を、アニメの世界だけからだけ紡いでいたってことが明かされ、探されていた男は、そういったアニメ世界の言葉も持つが、それ以外の言葉も持つ男と規定することにより、人と人とのコミュニケーション・ギャップを、その言葉に表れる人の生活感に求め、生き方の違いというものを、各自が紡いできた言葉に求めようとしたということを視覚化、即ち芝居化してくれたような気がしたのですが、気が着いた時点では、時既に遅しというところでした。やはり、この劇団は、骨太のテーマ性を持つ芝居をしてくれるという印象は、間違いありませんでした。
 應天院を出ると、千日前まで移動。今日も、こちらのネットカフェで時間調整。時間が来ると、今度は南森町まで移動。今夜も繁昌亭です。繁昌亭は、一度行くと続くというジンクスは生きています。今夜の繁昌亭は「第14回鶴志一人舞台」がありました。その番組は、次のようなものでした。雅「初天神」、鶴志「花見酒」、チキチキジョニー「漫才」、鶴志「近日息子」、(中入り)、鶴志「雑穀八」。前座とゲストを合わせて、「今日は、ぶさいくなんばっかり集めました」は、鶴志の弁。都の弟子3人が、ホントものになってきました。経験って、ホントに大きなことです。鶴志の中では、「雑穀八」が売りのネタだったのですが、ちょっと不完全燃焼。冒頭東京帰りの男が啖呵を切りますが、あまりにもの切れ方にびっくり。思い当たる節がないわけではない男が、あないに切れたら、単なるアホです。それと、最後ですが、「先の仏の精進日」でケンカをしたあとに、「めでたい話です」で切り上げたらアカンでしょう。と、最後に不満が残りましたが、全編鶴志ワールド満開のマクラで雰囲気を作りネタに突入というスタイルが心地好く、いい会だったなの感じです。「花見酒」は、存在すら知らなかったネタ。新作なのかなとも思ったりします。樽酒を担いで、花見客に売ろうと企てた男2人、現場に着くまでに、すっかりと樽を空けてしまう噺。「近日息子」は、呂鶴ではおなじみネタだけど、鶴志では初物。キレていくのが突っ込まれていく方という珍しいヴァージョン。いろいろとあるものです。今日の黄紺には、鶴志落語は禁物、だって腹を抱えて笑うことが度々。もう切ったところが痛くて、大変でした。




2011年 4月 7日(土)午後 11時 51分

 今日は、手術後、初めての本格的な外出です。痛み止めが効いていても、わりと痛みが、まだまだ残っている状態です。その痛み止めも、今日の昼ごはん後に切れてしまいました。痛みに関しては、あとは運に任せるしかありません。我慢できないようでしたら、奥の手を一つ残してあるので、まだ安心感はあります。で、今日のお出かけ第一発は「一心寺門前浪曲寄席」となりました。毎月恒例の寄席が、復帰初戦となったわけでした。今日の番組は、次のようなものでした。春野冨美代(沢村さくら)「両国夫婦花火」、真山隼人(真山幸美)「日本の妻」、天中軒雲月(沢村さくら)「南部坂涙の別れ」、京山幸枝若(岡本貞子、京山幸光)「会津の小鉄」。春野冨美代は、初めての遭遇のはず。語りはしっかりとされているのですが、節が不安定なのが気になります。「両国夫婦花火」は、春野恵子で再三再四聴いているネタ。常に玉屋さんが太っ腹なのがいいですね。鍵屋の跡取り息子を育て上げたのも、玉屋さんじゃないのって、今日初めて思いました。真山隼人は、待望の遭遇。半年程前に、その存在を知ったとき、演芸好きの某氏より「現役高校生」と教えてもらい、嫌が応にも期待が膨らんでいたお方。始まる前、既に、客席から「うまいでぇ〜」の声が聞こえてくるのでますます期待が膨らむ。そして、何と言う声の良さにびっくり仰天。二代目真山一郎門下だそうで、師匠の節を彷彿とさせるのも、超嬉しい。今、歌謡浪曲をする若い人がいないわけだから、これで、歌謡浪曲は、今後半世紀は棲息可能となりました。いや〜、すごいのが現れた。「日本の妻」は、インドネシアで終戦を迎え、その後、インドネシア独立戦争に加わり、インドネシアで家庭を持った元日本兵の家族の苦悩、そして再会を描くものだけれど、真山隼人くんが、今後生きていくためには、このネタは、あまりに時代に合わないですね。そういったネタに関するチャレンジも、彼には課題となっていくのでしょうね。「南部坂涙の別れ」は、大石内蔵助が、陽成院に、それとなく討ち入りの意志を伝えつつ、永久の暇乞いに行く有名なくだり。今日のネタは、浪曲評論家芦川淳平氏の書かれたものだそうです。雲月師の抑制した語りに惹かれました。「会津の小鉄」は、題名を見なければ、さっぱり「小鉄もの」とは判らない。今も、13歳の少年がそうだったのかと推測しているだけ。一旗上げようと江戸を目指した少年が、財布を盗まれ、矢作橋で睡眠をとっていたときに救ってくれた土地の親分に世話になるくだりを、幸枝若特有の軽妙洒脱な口演で魅了してくれました。ということで、とっても変化に富んだ番組に満足。毎回こうでなくっちゃと思うのは黄紺だけでしょうか?
 一心寺南会所を出て、徒歩40分で、千日前のおなじみのネットカフェへ。途中、店に立ち寄りながら、所要40分なら、これは普通のペースで歩けてます。もう手術跡の痛みを、痛みを残しつつ克服できたかなの感じが、ここで初めてできたかな。それから南森町に移動。久しぶりの繁昌亭です。おかげで、たっぷりと前売券を買わねばなりませんでした。今夜の夜席は「第6回立命寄席」がありました。立命館大学出身の塩鯛と小春団治の二人会です。去年は行かなかったので、2年ぶりとなりました。この会は、立命の関係者が1階を占めてしまうので、一般の我々は、毎回2階席となります。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「子ほめ」、小春団治「アーバン紙芝居」、塩鯛「愛宕山」、(中入り)、塩鯛「読書の時間」、小春団治「親子茶屋」わりかし定番ネタが揃った番組。塩鯛の方は、まだ「読書の時間」を、この会で出してなかったんだと思ってしまいました。もちろん三枝作品。「愛宕山」の方は、最近手がけだしたのかな? とにかく塩鯛は、各地で頻繁にかけています。黄紺も2度目の遭遇です。前回は、塩鯛の出来からして、ちょっと引き気味だったものです。春の野の暖かさ、陽の明るさのようなものが感じられない、後半にドラマが感じられないと、塩鯛の口演では、珍しく評価できないと思っていたのですが、今回は、随分と進歩。後半にドラマを感じました。土器投げあたりから、登場人物に気が乗っていく感じがしましたし、それとともに、春の緑にきらきら光る小判が見えました。陽の光を感じられるようになってきたのです。ただ、前半です。大阪と京都の比べ合いをショートカット気味にしなくてフルヴァージョンにすれば、この噺のバックボーンが出てくるのにって思うのですが。それでも、塩鯛の人からして、温もりや浮き立つような陽気が出るだろうかとも思ってしまいます。ぼちぼちいっぱいいっぱいまで来てるかなとも思います。一方の小春団治、「アーバン紙芝居」は「いかけ屋」的ネタ。子どもの大人なぶりで共通なんだけど、「アーバン紙芝居」の方は、他の世代を虚仮にするような噺なんで、あまり好きじゃないんだけど、今日は、ポン菓子屋が、子どもをびっくりさせるところで、ちょっと気分が晴れました。「親子茶屋」ですが、小春団治が地味に見えて。リストラではなく脱サラの紙芝居屋と同じようなキャラにしか見えないのが、そう感じさせるのでしょうね。ですから、「愛宕山」の後半から「読書の時間」が、本日のウェーブの頂点だったような感じの会でした。




2011年 4月 6日(金)午後 9時 15分

 4月3日(火)に入院、同日手術、翌4日(水)退院、以後自宅療養を続けてきました。医療の進歩の結果、日帰りも可能となった手術でしたが、びびりの黄紺は、1泊病院で過ごしてからの退院。結果的に、病院で、意識を失い倒れるということもあり、1泊して正解だったかなと思っています。ただ、短くですが、腹部を4ヶ所切っていますので、そこが痛んで、ずっと痛み止めの薬を飲んでいるのですが、それを飲んでも痛いし、歩くと響くということで、ずっと退院後は自宅療養。この際、DVDでも観て過ごすチャンスと思っていても、座っていること自体がきつい上に、痛み止めには睡眠作用があるようで、普段眠れない黄紺が眠り続けています。そんなで、HP更新もできずに今日まできました。一つ嬉しいことがあります。これは思わぬ結果なのかどうかも不明なのですが、ドイツから帰る間際、3日間ほど続いた腰痛、実は股関節痛に発展するかもと考えていた腰痛が、手術後、完全に消えてしまっていることです。ひょっとしたら、腰痛、股関節痛と、今回の手術が関係しているのかもと思い始めています。素人考えではありえないと考えている痛みが、因果関係があったのなら、これは手術大正解となります。術後検診のときに、まず担当医に伺ってみなければならないことと考えています。
 週明けから仕事への復帰を、一応目指しています。こういった目標は、気持ちの問題ですから、それに合わせて行動をとるようにしています。最大の障害は痛みですから、これは、日にち薬。痛みが取れてから動き出しては体がついていきませんから、明日の週末から、演芸通い復帰、その前の今日は、1時間のウォーキング、その前日の昨日は外出と決め、体を動かしにかかっています。昨日は買い物と弟の家へドイツ土産を持って行く、今日は1時間のウォーキング実施、これは実行に移しました。歩いて判ったこと、ゆっくり歩いても、速く歩いても、足をぐっと踏み込んだりして強く歩かない限り、痛みへの影響はほぼ変わらないということ、ならば普通に歩こう、これが結論です。かばって歩くと、痛みはさほど変わらないののに、気持ちが暗くなるだけという結論です。ということで、明日の演芸通いは大丈夫との結論に達したところです。20年前の大手術に比べれば、ほんに些細な手術ですが、違うのは、痛みが今回はあること。前回は、痛みは完全にコントロールされたのですが、あまりにも怖い手術だったことは頭で解っていた。でも、頭で解っていると、対応を頭で考えることができるということですね。痛み止めを飲めば眠れるという程度の痛みならまだまだだと、骨折の手術をしている息子に言われているのですが、痛みには弱いので、頭で考えていることって実行に躊躇いが出てしまいますね。そんなで社会復帰に徐々に向かっているところです。




2011年 4月 3日(火)午前 0時 4分

 今日は、お昼過ぎまで、病院に拘束。それが済むと、慌ててタクシーをとばし、家の用事を済ませると、年度初めの仕事が始まっている職場に駆け付け、明日から休まねばならないので、段取り、見通しなんてのをつける。夜は、芝居を観て、帰り道、明日からに備えて、息子のところに寄る。芝居は、ドイツからの帰途の睡眠不足で、ほぼダウン。観に行ったのは、ウィングフィールドでのコンブリ団の公演「ムイカ」だったのですが、、、。




2011年 3月 19日(月)午前 5時 36分

 この週末唯一のお休みとなった昨日も、お天気はよろしくない。今日から日本を離れるので、昨日は、お遊び計画は、お昼過ぎまで。あとは、旅行準備に当てました。それまでは、MOVIX京都であった「メト・ライブビューイング」の「エルナーニ」を観てきました。ヴェルディの初期の作品です。実は、観に行っていながら、このように書くのは変なのですが、筋立てがしっくりこないので、ヴェルディ作品の中では、横っちょの方に置いている作品なのです。というのも、後のカルロス5世に反逆するエルナーニが、王の寛大な心で許されたかと思うと、また謀反を企んだり、人の妻となろうかという女性を恋人とし、王の一声で、その女性と結婚することになり、男と引き離してしまう。引き離される男というのが、エルナーニが謀反を企らむ同士で、かつては命を助けてくれた男ときている。こないな人間関係が、あまりに軽薄なものに見えてしまい、好きにはなれないのです。ヴェルディの「ドン・カルロス」も不可思議な終わり方をしますが、あちらは謎っぽい、軽薄とは違います。物語性に秀でているというのが、ヴェルディ作品の特徴とされますが、初期のものの中には、ついてけないものもあります。この公演の売りは、エルヴィラ役のアンジェラ・ミード。メトのオーディションで入賞した新進気鋭の歌手ということで、ディミトリ・ホヴォロストフスキー、フェルッチオ・フルラネットといった名歌手を相手に回しても堂々とした歌いっぷりは、確かに評価が高いのも解ります。が、やっぱ体型には注意を払って欲しいな。カバリエ風体躯には引いてしまいます。タイトルロールは、マルコ・アルミリアートというイタリア人テノール。調べてみると、昨秋に観た「アンナ・ボレーナ」を歌っているのではなく、指揮をしています。これはびっくりの発見です。指揮者兼歌手という人なんですね。この人も、わりかし大きい系。堂々体躯の2人が主役という布陣。低音系の2人は、すばらし過ぎます。ホヴォロストフスキーはかっこのいい憎まれ役です。この人で、オネーギン、聴いてみたいですね。フルラネットは存在感抜群、貫禄抜群、この人を聴けた幸せは、めっちゃ大きいです。この公演は、1983年初演のプロダクションだそうです。大きな装置、しかも大階段が使われます。こういった装置を見ただけでも、時代を感じさせられます。その階段で、カルロス王に対する謀反の相談、発覚が扱われ、最終場面のエルナーニの死も扱われます。階段は見栄えがすることは否定しませんが、ちょっと無理からに使っているという印象は消えませんでした。




2011年 3月 17日(土)午後 11時 29分

 今日は土曜日ながら、丸一日の出勤日。これで4日連続の勤務となります。こんなの久しぶり。ちょっと昔に戻った気分ですが、こんなのが続くと困るなぁというのが、正直なところ。完全に、普段のペースが身に付いているのを感じます。で、今夜は、伊丹のAIホールで芝居を観ました。「空の驛舎」という劇団の「追伸」という芝居です。この劇団は、以前からチェックしてあったのですが、実際に公演を観に行くのは初めてとなります。芝居は、3部に分かれたオムニバス形式。但し、観ていて、2つ目の芝居が、よく理解できないでぼやーっとしていると、うとうとと来てしまい、よく解らぬまま終わってしまったので、芝居全体を見渡せたかというと、全然自信がありません。ただ、全編を通じて貫かれているテーマというのは、「人の死」であることは間違いはありません。ひょっとすると、大震災に触発されて書かれたものかもしれません。第1部は、葬式帰りの中学校とおぼしき3人の男女の会話劇。ただ、3人の間の思い出話で、会話は推移し亡くなった人に関しては、微かに出てくるだけで発展していかないままで終わってしまいました。生きている人間同士の思い出話と、亡くなった人間に対する記憶の喪失を対比させたかったのだろうか? 第2部では、2人の男女の前に行き倒れた男が一人、ずっとうつ伏せに倒れた状態で、芝居は進行。行き倒れに対する関心のなさから、行き倒れた男が、徐々に自己主張しだす芝居と看たのですが外している可能性はあることと思います。第3部は、2人の男女の楽しげな会話から始まります。そこへ女の知り合いが訪ねてきます。その女性との会話は、微妙にずれるように、台詞が散らされているのに、不自然さを感じていると、その訪ねて来た女性は、随分と以前に亡くなった燕の子であると名乗ります。思い出を蘇らせるために、死者が訪ねてきたとの設定です。更に、その話を伝えに来られた女も亡くなった人間ということが、最後に判るようになっています。この女も、男の記憶を蘇らせるために、男を訪ねてきたという設定なのでしょう。人間、死して、言葉を亡くし、肉体も亡くし、残るは、人の記憶に思い出としてのみ生きいけるのだということを、せつない舞台で見せてくれたように思います。生きている人間の意志として、亡くなった人の思い出は生きていくということなのでしょう。台詞は、全て大阪弁。達者な台詞回しの役者さんを揃えていました。ただ、舞台作りが物足りない。両翼いっぱい壁まで、そのままの広い空間を舞台としていたのですが、実際に使うのは、限られたスペース。これ、なんとかならなかったのかなぁ。




2011年 3月 17日(土)午前 4時 10分

 一昨日は、まっすぐに帰った日。そして、なぜかしっかりと睡眠がとれた日。手術ということになりながら、約2週間ぶりに、軽くお酒を呑んだからでしょうか、簡単にダウンするほども呑んでないのに、そないなことになりました。何事にも程よいころかげんというのが、いいっていうことなんでしょうね。
 昨夜は、きっちりとお出かけ。天満橋の「あい粂旅館」であった「ゆるりふたり〜こごろう・花丸の旅館落語会その11〜」に行ってまいりました。ちょっと間を空けながら出かける機会の多い会かな。なんせ人気噺家さん2人の会ですから。番組は、次のようなものでした。花丸・こごろう「対談」、優々「狸賽」、花丸「平成宗論」、こごろう「胴乱の幸助」。「対談」は、どうしても旬の話題であるこごろうの南天襲名話が中心となってしまいましたが、こちらも、それを心待ちにしていたことも事実。挨拶回りの新ネタを聴けて、悦に入っておりました。優々の「狸賽」は、なかなかいいですね。他の噺家さんより、仕種を多めに入れているのが、理に叶っていて、好感を持ちました。花丸の「平成宗論」は待望の口演。神社の息子がクリスチャンという設定。神社の改造計画まで進んでいくというぶっ飛び方です。問題は、こごろうの「胴乱の幸助」。45分かかりました。もう最初の2人が消えるまでに、時間の長さが気になりだしていましたから、全編水増し状態だったと言えます。増えていく理由は、こごろうテイストの細やかな描写、くすぐりが、たっぷりと入った結果なのですが、これがまずい。一つ一つのくすぐりや描写は納得できるものなのですが、このネタは、こないに微にわたるほどの膨らましは厳禁だと思うのです。「胴乱の幸助」ほど、噺の展開に意外性のある噺はないはず、だから、展開の妙を聴かせるという点に重心を置かなくっちゃと思うのです。ですから、結果的には、ごちゃつき過ぎました。京都の帯屋に来てからも、番頭以外に、2人も出してしまいました。断片を捉え、そこでのやりとりを抜き出せばおもしろいと思われるかもしれないけど、京都にまで行っちゃうと、あとは落とすだけの気持ちでいなくっちゃ。展開の意外性を楽しむ客は、結論に関心があるのだから。オペレッタの結末は、さらりさせるものというのがセオリーです。「胴乱の幸助」って噺は、正に、その類型に収まるネタだと思うのですが。




2011年 3月 14日(水)午後 10時 16分

 今日は、気温は低めだけど、とっても明るい一日。陽射し的には、春っぽい感じがしてきました。黄紺が日本を離れるときには、もう少し暖かくなってないと困ります。真冬に逆戻りしていたトゥールーズの寒さが、どうしてもちらついてきてしまいます。今夜は、講談会でした。よく抜かしてしまい、悲鳴を上げている「はたちの会」、今日は、しっかりとメモっていました。もちろん南華さんの一人会です。場所は、「天満橋」駅近くの「双馬ビル」の一室で行なわれました。その番組は、次のようなものでした。「清盛と白拍子」「野狐三次〜生かすも殺すも勝手にしろ〜」。まず、ネタに入る前のマクラが、毎回の楽しみ。今日は、文化庁の主催で行われているお稽古のお話。こないだの9日、貞水師が来阪されて、実際に稽古をつけられた南海さんと南湖さんともども会をされたのですが、その会のお話が前半。後半は、お稽古の第2弾で、南華さんが、琴調師に稽古をつけてもらえるようになった話で、これは、耳がダンボになって聴いてしまいました。こういった講談界のニュースは、この会で初めて伺う機会が多いような気がします。南華さんとともに、お稽古をしてもらえるのは南青くんで、琴梅師に教えてもらえるそうです。となると、琴梅・琴調両師を、大阪で聴く機会があるってことかな? 南華さんに聞き忘れてしまいました。ネタの1つ目は、先日の「トリイ 講談席」で出されたもの。意外だったのですが、南華さんは、「トリイ講談席」が、このネタのネタ下ろしだったとか。わりかし知られたネタなもので、以前からやっておられたものと思っていました。2度目だったので、気楽に聴いていて、お目当ての「野狐三次」を待ったのですが、「野狐三次」が始まったら、序盤しか思い出せないのです。待ちくたびれて、肝心要なところで、あえなく沈没してしまいました。運のない話です。会が終わると、皆さんと、会場のばらしをして帰るのが、今や定番となっています。




2011年 3月 13日(火)午後 10時 43分

 今日は、朝から家の用事に手術に向けての準備ということで、お役所や病院、ついでに弟の家と、全て徒歩でうろうろ。最大50分の徒歩移動を含んでいるので、頃合いのウォーキングとなりました。実際、大阪への移動の電車の中では、股関節が気になるほどのたっぷり感のある移動の連続でした。大阪に移動後は、まず少しだけどユーロを買い、小紙幣をキープしてから、今日もワッハへ。こちらの移動も徒歩でということで、今日は、合計時間で言うと、一人前のウォーキングをしたのと同じくらい歩く時間をとることができ、かなり満足。ワッハの視聴覚ライブラリーでの視聴ラインナップは、次のようになりました。@「講談と評弾」より「日本の講談」、桃川鶴女「中国製の故事来歴西遊記より」、神田陽子「トゥーランドット」、神田松鯉「天野屋利兵衛」、宝井琴梅「出世浄瑠璃」、旭堂南左衛門「徂徠豆腐」A「枝雀落語大全(31)」、枝雀「牛の丸薬」。@は前回の続きで、今日は、「日本の講談」を視聴。桃川鶴女は初めて見る講釈師さん。「中国製の故事来歴」は、中国の有名な故事を、西遊記の登場人物をして語らせるというもの。小学生相手にするような内容で、どん引き状態。「トゥーランドット」は、「オペラ講談」と銘打って始まりました。カラフが、トゥーランドットの出す3つの謎解きは割愛された筋立て。変なはしょり方です。神田松鯉の「天野屋利兵衛」は聴かせてくれました。ただ、あとの講釈師の口演全てに共通したことですが、時間の関係でしょうね、はしょられてますから、話が飛んでしまうのが惜しい。特に松鯉の高座はもったいない。冒頭、大石内蔵助から、天野屋が、武器調達の依頼されるところが入ってたのが新鮮でした。宝井琴梅と南左衛門の高座は、眠ってしまい、またあらためて視聴しなければなりません。Aは、前回視聴しようとしながら、お預けになっていたもの。「牛の丸薬」は、米朝ものはなかったですね。枝雀の口演は、前半の道中の場面がいいですね。仕事を持ちかけられた男のテンションが高く、はしゃぎ倒してくれます。「へっつい盗人」の雰囲気です。こちらは、いざ仕事となると失敗しません。詐欺商法が、まんまと成功するピカレスク落語ですから、前半の大はしゃぎが嬉しいのです。さすが枝雀、理に叶った演出です。
 ワッハを出ると、千日前のおなじみのネットカフェで時間調整。そして、夜は、御堂筋線で「中津」に移動。「提法寺寄席」に行ってまいりました。ひろばとそうばという、ざこば一門の兄弟弟子が、定期的に開いている会。わりかし覗いている会で、ただ今回は、ちょっと間が開いたかな。今日の番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、ひろば「狸の化け寺」、そうば「近日息子」、ひろば「厩火事」。冒頭の「トーク」は30分間。結構、この「トーク」が売りになっているっていう会です。今日のネタは、そうばの結婚報告と、ひろばのバンコク旅行報告が中心でした。落語の方は、見事に、ざこば一門の会としか言いようのないネタが並びました。ひろば「狸の化け寺」は、お囃子なしでの口演。寺の掃除するところはともかくも、終盤の狸が化けるところは、お囃子がないと困ってしまいます。そうば「近日息子」だったのですが、こういったあくの強いネタは、今のそうばは厳しいです。訛りの残る言葉が気になるうえ、表現に振幅が弱いので、そんな感じがしてしまいます。そう思って、ひろばの「厩火事」を聴くと、なんて豊かな色合いが出ていることでしょう。ひろばも、いつからか急に色合いが出てきました。経験のなせる技です。変化のある間を使えるようになると、更に一層楽しみな噺家さんになるなと思わせてくれています、最近のひろばは。この会に、足を運ぶことが多いのは、2人のトークや落語もさることながら、提法寺さんでの会というのがいいのです。一昔前の落語会って、こういった雰囲気の中であったなぁの感慨に耽ることができるのです。それも、梅田の近くというのがいいです。




2011年 3月 13日(火)午前 11時 33分

 今日は、全くの冬装束でのお出かけ。冬に逆戻りでした。こないに気温が下がると、1週間ほどに迫った日本脱出の服装に悩ましくなってしまうのです。そないな寒いなか、夜のお出かけは繁昌亭。今夜は、「五代目桂文枝一門会」が行われました。毎年、文枝の命日あたりで行われる会で、欠かさずに行くようにしています。今夜の番組は、次のようなものでした。三枝・きん枝・文珍・文太・文福・文喬・文也・枝光・あやめ・坊枝・文昇・枝曾丸・阿か枝「ご挨拶」、かい枝「京の茶漬け」、文三「宿替え」、文華「立ち切れ線香」、(中入り)、枝女太「猿後家」、小枝「くっしゃみ講釈」。「ご挨拶」は、トップスリーを含め、落語をしない門弟が揃いました。顔がなかったのは、小軽、こけ枝の2人かな。今日のネタは、全て文枝ゆかりのものを並べたものとか。「猿後家」のように、文枝スペシャル的なネタがあるかと思う一方、「くっしゃみ講釈」のように思いがけないものが出たりしていました。「京の茶漬け」をするのがかい枝というのも、意外性抜群の組合せ。かい枝テイストのくすぐりも交え、ちょっとデフォルメ気味かなという進行具合。文三の「宿替え」は定番ネタ。ますますハイトーンになり気味の文三の声に、若干閉口。でも、浮かれた男のわけわからなさが可笑しいのです。文華の「立ち切れ線香」は、自分的には評価が低く、その原因は、文華のダミ声が重なるように進んでいくのは、この噺に合ってないと思うからなのです。ただ今日は、木之庄の女将の毅然たる物腰を表そうとするときの声質が良かったですね。一番締めになるところですので、引き締まりました。位が出たと思ったのですが、どうもお店での様子は、品に欠けるように聴こえちゃいました。「猿後家」は文枝十八番中の十八番ですが、枝女太との組合せにそそられました。爽やか口調ですから、文枝の口調は引きずってはいないのですが、爽やか過ぎて、さらさらと流れていきました。小枝の「くっしゃみ」は2度目かなぁ。余計な繋ぎがなく、エッセンスだけが、トントン拍子で進んでいくかと思うと、講釈場に米朝親子が座っていたりする。そして、米団治の失敗談が続くというわけで、これが小枝スペシャル。中入り休憩の時間を使いサイン会なんかが行われたため、時間は大丈夫かと思っていたのですが、後半がわりかしとんとんと進み、丁度9時に終演となりました。




進む メイン・ページ 戻る