忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


「黄紺のお部屋〜紀行編〜」



2013年 2月 9日(土)午前 0時 18分

 今日は、冷たい冷たい一日。天気は良かったのですが、寒すぎました。おまけに非勤務日なのに、仕事が入ってしまい、いつも通りに出勤。半日だけの勤務でしたが、朝早く目覚ましをかけて起きなければならないのは辛い。午後からは、仕事のあるなしに関係なく予定していた文楽劇場での「公演記録鑑賞会」に行ってまいりました。今日、上映された映像は文楽で、「新版歌祭文」。ここで取り上げられる演目の一つの傾向として、近々の劇場公演演目があります。この「新版歌祭文」も、文楽劇場の4月公演の演目に上がっているものなのです。この「新版歌祭文」は、お染・久松の物語。ところが、今日もまたまたダウン。特に今日は、寝不足のうえ、かなりしっかりと身体を使って働いてかた行ったものですから、座席に着いた途端、ほとんど覚悟していたら、案の定でした。今日は、「野崎村の段」だけが上映されたのですが、有名な連れ弾きのところ(春団治の出囃子「野崎」の基)は、段を改めると思っていたのですが、「野崎村の段」の一番ラストに入っていました。いや、単なる黄紺の思い違いが修正できました。今日は、「婆付き」とか言って、通常の上演では省く部分が入っていたりで、貴重な記録だったようなので、情けないことになっちゃいました。切語りは住太夫さん。今でもすごいと思うのに、今日聴けた住太夫さんは、今より数倍すごいです。やはりお若い(20年前の公演)ですから、声の張り、勢いが、全然違い、表現の幅が途方もなく拡がっていました。ですからでしょうか、会場には、補助席まで出る盛況。4月公演の「新版歌祭文」の切り場は、源太夫、住太夫のお二方が分けて語られるそうです。おじいちゃん度が増しすぎている源太夫さんはともかくも、まだまだ元気な住太夫さんの20年後を聴けるのが楽しみになってきました。
 文楽劇場を出ると、時間調整のため、千日前のネットカフェへ。いつも行く方じゃない方のネットカフェをチョイスです。それから、「淀屋橋」「中書島」経由で「桃山南口」への大移動。帰りが楽になる分、この大移動は大変。今夜は、こちらであった「ももやま亭」という落語会に行ってきました。実は、これ、先日、この会の出演者生喬さんの会で、希望者に招待券が提供されていたのをいただいたもので、おかげで行くチャンスに恵まれたのです。その番組は、次のようなものでした。呂好「寄合酒」、生喬「ピカソ」、(中入り)、生喬「鴻池の犬」。呂好は、久しぶりの遭遇。聴くたびに「寄合酒」のような気がします。これが、空間の広さを感じさせるいい高座。もっちゃり系の喋りもお手のもので、なかなかいいのです。他のネタも、また前座ネタ以外も聴いてみたいのですが、これが当たらないのです。大体、呂鶴一門は、ネタを増やさないのが困ったところ。生喬は、じっくりとマクラで暖めていくのが、とっても上手。人気の秘密の一つです。今日は、特注の扇子が、なかなか出来上がってこないことで、たっぷりとお喋りをしてくれました。そして、一つ目のネタが「ピカソ」でびっくり。こうした地域寄席でも出すのですね。「ピカソ」は、先代春蝶の作品。もちろん現春蝶や一門の許可を得ての口演。大阪芸大の油絵を出た生喬らしい美術に関する蘊蓄が詰まった一席でした。中入り明けは、ちょっと意外な感じのした「鴻池の犬」。ひょっとしたら、生喬の口演では、初めてかもしれません。これが、なかなかいいのです。生喬十八番に入れていいんじゃないかなぁ。特に序盤の犬を拾った家の旦さんの風格が気に入りました。噺がしまるというやつで、犬の世界の噺に入ってからも、位を保ち続けることのできる原動力になっていました。弟犬のか弱い語りにも説得力があったなぁ。ということで、とっても気に入った口演でした。通常の下げが気になってたんでしょうね、その気持ちは解ります。頼りない下げですものね。今日の生喬は、夫婦犬が仲裁を求めてきたところ、「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」を使い、仲裁を断って終わるというものでしたが、これも、なんか強制終了的な下げなんで、自分的にはのり切れません。何がいいのでしょうかね?




2013年 2月 8日(金)午前 3時 49分

 4日連続で、繁昌亭に行ってきました。ちょっと仕事が延び、食事の心配をしたのですが、無事、セーフ。昨夜は「南光塩鯛二人会」がありました。南光を、一昨日聴いたばかりですが、繁昌亭で聴ける機会が少ないわけですから、簡単には逃すわけにはいきません。その番組は、次のようなものでした。優々「七度狐」、塩鯛「強情」、南光「五貫裁き」、(中入り)、塩鯛「市助酒」。塩鯛以外は、上方落語協会非協会員、だから、普段は繁昌亭では見れない顔ぶれ。南光は、文枝からは繁昌亭を使ってもいいと言われてるのだが、けじめはつけないとダメなんで、このような機会にしか出ないと言ってました。優々の方は、そんなだからでしょうか、普段は見せない前のめりの口演。高座に出てくるときの勢いというか、焦った登場の仕方一つをとっても判りました。昨日は、塩鯛の高座で、うとっときてしまいました。何か、そうなるのが定番化しつつあるのが悲しい現実。体力的に厳しくなってきているのでしょうか? 「強情」は、ざこば組の定番のネタなんでともかくも、「市助酒」は演じ手の少ないネタ。以前にも、塩鯛の「市助酒」でぼやーっとしてしまった記憶があったので、今回はの気持ちで臨んだのですが、よく似たことが起こってしまいました。「一人酒盛」風のネタなんで、塩鯛の酔い方はぴか一なものだから楽しみにしていたのに、不様なことになりました。そないなものですから、南光の「五貫裁き」は、しっかりと聴けたのは、事の外嬉しいこと。ネタの展開は、どこぞで聴いた記憶があるので、全く初遭遇の噺ではないのですが、元来は江戸落語で、上方落語ではありません。南光は、幾つか江戸落語を移植していますので、その一つと言えばいいでしょうか。恩を恩と感じてない因業な質屋。作次郎が奉加帳を回しに行くと、ビタ銭を渡しただけ。怒った大家が大活躍。奉行には訴えるし、当の質屋との掛け合いもすごいしと、スーパーな活躍。それが痛快。一昨日から、南光の話術にはまってしまってます。たっぷり感のある噺と合わせて、お得感に浸ることができました。




2013年 2月 7日(木)午前 0時 5分

 今日は、朝から雨。かなり冷え込みました。そのため定番のウォーキングは断念。替わりに、空いた時間を使い、春のオペラ紀行用に、鉄道の早割チケットの手配・購入をしていました。これで、旅行準備の内で、手配関係はおしまいです。あとは細かなことだけ揃えればいいだけとなりました。あと1ヶ月半ほどすると、またまたオペラ三昧の日をおくれます。
 ところで、今日は、12時過ぎをメドにお出かけ。先週の金曜日同様、「動楽亭昼席」に行ってまいりました。できれば、米朝一門だけの公演は、月2回行きたいなの目標を、今月は、久しぶりに達成できました。今日の番組は、次のようなものでした。鯛蔵「初天神」、ひろば「天災」、しん吉「風邪うどん」、南光「素人浄瑠璃」、(中入り)、歌之助「書き割り盗人」、米左「胴乱の幸助」。鯛蔵の「初天神」は、初めてだったかな? 全体的に、若干薄目の味付け。向かいのおやじのところや、飴を買うところがそう。小気味良いテンポがいいですね。今日は、このあとからぼやーっとしっぱなし。寝不足でもなし、ウォーキングのあとでもなし、それにも拘わらずなのです。動楽亭の昼席は、座椅子が出るのですが、くつろぎすぎるのかな? 書いていいかなと思うことだけをメモっておきます。ひろばは、マクラで、散々奥さんの愚痴を言ってからネタへ。そして入ったのが「天災」だから、目が回りました。だって、無頼漢の亭主の噺なんですから。しん吉のところが、一番跳んでますね、あとから考えると。南光は、さすがにマクラがおもしろい。先に出たしん吉の鉄ちゃんぶりや、昨日行ってきた小曽根真のコンサートの話とか、趣味の話をたっぷりと。となれば「素人浄瑠璃」。「旦さん中心の寝床をする」と言ってからネタに入りました。そういった意識があるので、「素人浄瑠璃」という名を使っているのでしょう。冒頭に、会を前に張り切る旦さんを、たっぷりと描きます。時間の関係で、お店の者もダメというところまででした。歌之助は、久しぶりの遭遇。初期の頃から手がけていたネタを出してくれました。米左は、毎度のことながら大味ですね。浄瑠璃ネタが、中トリとトリで出るという変則的な番組となりました。
 動楽亭を出ると、堺筋線で「扇町」へ移動。天神橋商店街にあるネットカフェで時間調整。そして、夜は、今夜も繁昌亭。まだまだ続きます、繁昌亭シリーズ。今夜は、「育っちゃったらくごプレミアム」があったのです。その番組は、次のようなものでした。たま「カケ酒」、南湖「旭堂南北伝」、三金「奥野君の祭」、あやめ「女子会平家物語」、(中入り)、遊方「ルーキーズ・スリル」、三風「下町の散髪屋さん」。「できちゃった落語」のメンバーの作品の中からのセレクト作品集というのが、この会のコンセプト。自分的に印象に残っているもの、その逆のもの、聴き逃したものといろいろ。ご本人が繰返し演じられ、かなり練り上がったなの印象の強いものもあります。そのように区分できるのが、「カケ酒」と「南北伝」。「カケ酒」が、繰返しが過ぎたりしていたのが修正され、かなりグレードが上昇。「南北伝」は、南湖さん自身が気に入っているようで、いろんなところでかけています。黄紺は、これは、「高校野球熱闘編」であって、「南北伝」ではないのではないかと思ってしまってます。これを「南北伝」と謳うなら、他の作品も創る必要があるでしょう。「奥野君の祭」は、「奥野君シリーズ」では、ちょっと苦し紛れ的作品。デブネタは、担ぐところで使えるのですから、それはそれでいいとして、祭からふくらむプロット作りができてなくて、謎かけでお茶をにごしているといったものになっています。「下町の散髪屋」も、以前一度聴いたことがあります。相撲界を引退し、断髪をしてもらうために、生まれ育った商店街に帰ってきた男を、暖かく商店街の人たちが迎える人情噺系新作。2004年に創ったもので、茶臼山で発表したと言ってました。ネタ下ろしで聴いたつもりだったのですが、そうではなかったことが、それで判明。下げにつながる部分に余韻が残ったように記憶していたのですが、今日聴いたのは、ちょっとじり貧気味の終わり方。今回のためにいじったのでしょうか。いじったとしたら、のりが悪くなってしまってます。あやめ作品と遊方作品が、初遭遇もの。あやめ作品は、アイデアだけでなく、なかなかの労作。平家物語の登場人物3人を、現代に蘇らせ女子会をするというもので、あのときは、実際にはこうだったと語らせていきます。傑作だったのは、安徳天皇の入水。子どもの安徳天皇が、船の上を走り回り海にはまってしまったというもの。遊方作品は、新米のスリを扱ったもの。スリをしようとして、痴漢に間違えられるド新米スリの噺。ベテラン・スリの手口、新米スリの失敗話がおかしい。アブナイ系の女が出てくるのだけが、ちょっと気にくわないけど、遊方の才走った顔が出ていて佳作です。




2013年 2月 6日(水)午前 8時 4分

 昨日は、昼間は暖かったですねぇ。ところが、天気予報はよくしたもので、夕方からは気温が下がりだしました。そないななか、昨夜も繁昌亭。昨日は「"落語と語り芸の会" 鈴木美智子の語り芝居with福笑」がありました。ラジオのパーソナリティとして著名な鈴木美智子を、生で見るのは初めて。福笑との掛け合いを楽しみに出かけてきました。その番組は、次のようなものでした。たま「鼻ねじ」、純瓶「いらち俥」、鈴木美智子・福笑「朗読劇:良心(曽我廼家五郎・作)」」、(中入り)、鈴木美智子・福笑「対談」、福笑「裏切り同窓会」。まだちょっと早い気もしますが、「鼻ねじ」の出る季節となりました。お囃子に、頻繁に強弱を求めたり、ストップ・モーションまで求める、たまスペシャルの演出満載の「鼻ねじ」。一つ気にくわないのが、番頭が考えた秘策を、予めしゃべらすこと。もちろん下げにつながる言葉は、上手に言い換えはしていますが、ちょっとフライングです。純瓶は、「俥」→「赤い人力俥」→「鈴木美智子」の連想で、昼席で頻繁に出している「いらち俥」を出すために出番をもらったようです。昨夜は、繁昌亭主催の会でしたから。ぐるっと楽屋裏を回ってくるという演出であっけにとるのが売りの高座です。「朗読劇」は、松竹家庭劇風人情喜劇。舞台に、2人が座っての朗読ですが、福笑が台本にないアドリブを効かしているようで、ちょっと「人情」的部分が削がれてしまいましたが、それはそれでおもろい。「対談」は、福笑がインタビューアーの位置。知らなかったのですが、鈴木美智子は、大手術を2回も経験しているのですね。体型もふっくらとし、声もはつらつとしているので、とりあえずはホッとしました。そして、病気の出てくる噺ということでしょうか、福笑は「裏切り同窓会」。最近の新作では快心の作品です。婆さんを引きずりながら走る二人三脚は、客席、ヒーヒー状態でした。




2013年 2月 5日(火)午前 2時 29分

 新しい週が始まりましたが、今週は、いつもよりは、半日多く勤務のある週。ちょっと気が重いのですが、そのあとに3連休があるので、来週は、一日少ない勘定に。それを励みに、今週は頑張ることにしましょう。で、今夜の夜遊びは繁昌亭。今週は、随分と繁昌亭のお世話になる週ですが、その手始めの日でした。今夜は「第18回満腹全席」の日でしたが、その番組は、次のようなものでした。生寿「花色木綿」、文三「道具屋」、たま「憧れの人間国宝」、(中入り)、文三「莨の火」。生寿は、昨日に続いての遭遇。「花色木綿」も、何度目かの遭遇。毎回思うこと、師匠の生喬や、笑福亭全般のごっついしゃべり方は、生寿には似合わないなということ。その辺を意識してのしゃべりを試みていることは判るのですが、声質が合わないものだから、なかなか苦労しています。「花色木綿」は、しつこくならないようにとの配慮からでしょうか、刀は省かれていました。文三の一つ目の「道具屋」が、本日、聴いて一番のお得感のあった高座。かなりアブナイ系のアホを登場させました。25歳で、涎を垂らしている男です。「祝いのし」のアホが、上方落語では、一番アブナイ系ですが、その男に近いアホを、文三は創り出しました。そないなアブナイ男を創り出す必要があるとも思わないのですが、文三の口演では、そのキャラで、全編統一されているというのが、すごいと思ったのです。そこが、文三の腕でしょう。新しい場面としては、夜店の食べ歩き場面を創り、アホキャラを補強していました。たまは、今日が、赤穂義士切腹の日に当たるということで、縁のあるネタを選んだと言ってました。このネタの売りは、亡くなった男を、人形浄瑠璃よろしく操るというもの。お囃子も入れ三番叟を人形振りで舞ってました。文三の二つ目は「莨の火」。「道具屋」が出た段階で、なんとはなしに頭をかすめてしまってました。演じ手の少ないネタですが、確か、文三では4回目となるため、避けて欲しかったのですが、正面衝突となりました。そうだったならでしょうか、また疲労が出たのか、肝心の小判撒き直前で、意識が跳んでしまいました。序盤の住吉街道を進むテンポが心地好かったせいかもしれませんね。




2013年 2月 4日(月)午前 5時 28分

 昨日も、とってもいいお天気。午前中は、年末年始の旅行の会計処理。カードの引き落とし書が届いたので、精算ができるようになったのです。そして12時過ぎをメドにお出かけ。昨日は、奈良に久しぶりに行ってきました。「なら町センター」であった「生喬一門会」です。一人しか弟子はいないのですが、初めて「一門会」などと看板を上げました。生喬に言わせると、大阪では恥ずかしいので、こっそりと奈良でのという思惑で開催を引き受けたとか。いやいや立派な二人会です。その辺を察知してか、ディープな落語ファンが詰めかけていました。その番組は、次のようなものでした。紫「眼鏡屋盗人」、生喬「三人上戸」、生寿「蔵丁稚」、(中入り)、生寿「代脈」、生喬「三十石」。前座は、体形も噺も安定感を増した紫。繁昌亭の噺家入門高座では生喬と師弟関係にあり、また生寿の結婚式の司会を務めたのが紫とか。師弟との間柄を言ってからネタに入りました。生喬は、この会が、生寿の会のスペシャル版だということで、生寿の入門のときの様子を披露。初めて聴く話で、得をした気分になりました。「三人上戸」は、「風邪うどん」で、酔っぱらいがうどん屋に絡むところ。ネタ帳的なものに「三人上戸」と書かれているのは、これのことだったのですね。この「三人上戸」の後半と、次の「蔵丁稚」の芝居の部分で、昨日はうとうと。前夜の睡眠時間と関係なくうとうとです。わりかし生寿の「蔵丁稚」がお目当てだったのですが。そんなに決まってるわけではないのですが、入門6年目が終わったところの生寿が、これで芝居噺が、「質屋芝居」について二つ目ですから、その心意気が嬉しくて、今の間から聴いておこう、観ておこうの気持ちだったのですが。生寿の二つ目は、おなじみの「代脈」。ストレートにものを言い過ぎる仁鶴の型と言えばいいでしょうか。そのやり方、仁鶴だから受けるというもので、生寿にやられると、ちょっと引いてしまいます。最後は「三十石」。300人入るホールでの一門会のトリネタとして相応しいもの。その辺は、さすが生喬は心得ています。京名所はなしで、中書島の浜からスタート、最後は、定番の「鍵屋裏」の出てくる舟唄まで。人と人との掛け合いは、さすが生喬、手慣れたもの。それに比べてだが、舟唄が陰気なのが気になりました。陽が落ち暗くなっていくのと、唄に陰気さを帯びてくるのは違うと思うんだけどなぁ。だから、暗闇のなか、とうとうと流れる舟という感じがしなくて、なんとなく尻すぼみの終わり方が惜しまれました。結構な入りでした。この調子で、一門会を定例化したり、また他の場所でも開いてくれればありがたいのですが。




2013年 2月 3日(日)午前 0時 44分

 昨夜から春の陽気。今日のお出かけは、オーバーなし。このくらいの陽気が続けばいいのですが、そういうわけにはいかないでしょう。今日は、まず大津へ。「びわ湖ホール」であったレジデンツの「声楽アンサンブル」の公演「ポッペイアの戴冠(演奏会形式)」に行ってまいりました。昨年の秋、オペラを観に行ったときに、レイクビューの素晴らしいホールが気に入り、今回のチケットを買っておいたのでした。「ポッペイアの戴冠」は、モンテベルディの作品。オペラは、古くてもヘンデル、グルック止まりだったので、とっても楽しみにしていた公演です。この作品、声楽部分と通奏低音のパート楽譜しか残ってないそうです。通奏低音と言っても、リュート、ハープシコード、オルガン、ヴィオラ・ダ・ガンバと、色々と使ったことが想定されるそうで、実際には、通奏低音だけで演奏したことも考えられるのですが、弦のアンサンブルなどを加えて演奏していたのが多かったのでしょうが、その楽譜がないので、現在演奏する場合には、再現された弦パートなどの校訂楽譜が幾つかあるので、それらからチョイスして演奏するのだそうです。今日は、コントラバスまで入れて低音補強、また色変わり的な感じで、リコーダーが2本入ってました。舞台前面にアンサンブルが位置し、舞台後面に歌手の立つスペースが確保されていました。この時代は、当然、ナンバー・オペラですから、順番に入れ替わり歌っていくという形式で、簡単なアクションが入る場合もありました。また衣裳も付けていたと言いきっていいのか微妙なものも含めて、らしきものを着けていました。ネロや皇后は、完璧に衣裳と言えたのですが。ストーリーは、ネロが権力に任せて、人妻ポッペイアをものにし皇后に据えてしまうというもので、皇后は離縁され、ポッペイアの夫は復讐を狙うという話が絡んできます。演奏が始まるや、びわ湖ホール声楽アンサンブルの実力が、単なるアンサンブルのレベルではなく、ソリスト集団が、アンサンブルを名乗っているという実感を持っちました。特に女声部のレベルが高いのには、びっくりしました。こうした公演を持とうとしたり、このあと東京公演までやろうかということが、納得いきました。古いオペラもいいものです。のんびりとくつろげ、ちょっとは王侯貴族の雰囲気も味わえてと、ドラマ性は、この際、二の次にすることができました。休憩2回を入れて、合計3時間20分、贅沢な午後でした。
 「びわ湖ホール」を出ると、大移動で夜の部へ。「石場」から「東山三条」経由で「高野」へ。初めて行く「アトリエ劇研」で、「下鴨車窓」の公演「煙の塔」を観に行ってきました。「アトリエ劇研」って、初めて行ったつもりだったのですが、中に入ってみて、随分と昔に入ったことがあるようなもやもや感が出てきました。たまたま似たスペースで、同じようなところにあるというだけだったのかもしれませんが。「下鴨車窓」も、以前からマークしながら、実際に行くのは初めて。芝居の構造が、随分とこっているというか、変わっている。常にと言っていいほど、同一平面に二つの場面が用意されているのです。従って、唐突に場面転換が起こる仕掛けになっているのです。最初、これでは、登場人物の関係性が、自分の頭の中でぐちゃぐちゃになりかねないなと思っていたら、さすがそこには配慮されていました。が、ストーリーが、何のために組み立てられたのかが、よく判らないのです。舞台は、町から隔絶された村社会。そこでは、一組のカップルの結婚式が迫っている一方、村のいずれからもはっきりとは見えにくいが、存在は間違いない搭から音と煙が出ている。その搭については、ごく限られた一部の者しか、情報を持っていない。要するに、それで、村に昔から伝わる因習を表しているのでしょう。その因習に従い、搭に生涯身を投じなければならない一族の血を引いているのが、結婚式控えている花嫁というわけです。他の登場人物に、命にも支障があるかもしれないという病気の女がいます。最終的には、無理強い的に町の病院に搬送されますが、女自身は、それを頑なに拒みます。また、町から行政官と称した男が、村長を探しにやってきています。村の調査、改革をしなければと言っています。かように、常に因習的な村と、そして脱因習というか、ウエーバー流に言うと「エントツアベルン」した町が対比的に描かれていきます、最後まで。そして、まるで、天罰がくだったように、因習が踏襲され、物語は終わっていきます。そのヴァナキュラーな世界の大切さを訴えかけるように。飽きはしないけど、とっても不思議な雰囲気を持った芝居です。でも、はまるというものでもなかったな。




2013年 2月 1日(金)午後 11時 6分

  京都市内遊歩(33)

 曇り空から雨に変わった一日、暖かであったのが、何よりも嬉しい一日。まずウォーキングです。午前中にウォーキングを京都で済ませ、大阪への大移動の間に、体を休め、午後以後の行動に備えようという考えです。そのウォーキングの詳細なコースは、次のようになりました。京阪「墨染」駅〜JR「郡山街道」踏切〜御香宮社〜大亀谷岩山町児童公園〜伏見桃山西尾郵便局〜JR「ならー20」橋梁〜大善寺〜青風和泉幼稚園〜京都桃山南口郵便局〜昭憲皇太后伏見桃山東陵〜明治天皇陵〜JR「大手道」踏切〜JR奈良線「桃山」駅〜睦美幼稚園〜京阪「桃山」駅〜伏見別院幼稚園〜大手筋〜南部児童公園〜伏見区役所〜京都市呉竹文化センター〜京阪「丹波橋」駅。今日のコースは、前々から一度記録に残しておきたいと思っていたもの。墨染から東に真っ直ぐ六地蔵へ続く道。前半は、だらだらの上り道。峠と呼ばれる最高点後は、急坂の下り道。六地蔵に降りてきたら、外環状線に沿って歩き、桃山南口から桃山御陵に入るというもの。ここまで来れば、本日のコースの目的は達したというもの。あとは、お時間に合わせて、大手筋界隈を歩き、最後は、移動のことを考え、「丹波橋」駅を終点に選びました。
 「丹波橋」から大移動で、「京橋」経由「新今宮」へ。午後は、「動楽亭昼席」に行ってまいりました。先月は、全く行けなかったものですから、今年初めてとなります。その番組は、次のようなものでした。そうば「十徳」、雀太「天狗さし」、あさ吉「おごろもち盗人」、雀三郎「初天神」、(中入り)、雀松「長屋浪士」、米紫「堪忍袋」。今日は、眠らないようにと、そのためのシフトを引きながら、しかも移動中に睡眠までとれながら、いざ始まると、全然ダメ。中入りまでが悲惨。まともに聴けたのは、あさ吉の高座だけ。雀太の高座にいたっては、帰りに発表されたネタ表を見て、初めて何をやったか知った始末でした。後半も、雀松が、せっかく「長屋浪士」を出したのに、途中が吹っ飛んでいます。ですから、まともに聴けたのは、結局、先程のあさ吉と、トリの米紫だけでした。来ておられた落語会の常連さんによると、昨日、雀松は、繁昌亭で、明日は、どこかの会で出す予定にしているので、今日が、このネタだったことは、想定内だったよう。だから、昨日は、雀喜の会に行き、今日は、動楽亭に場に来られてたのかな。だったら、読みが鋭いですね。あと印象に残っているのは、あさ吉のマクラ。談志師の思い出話、現文枝襲名披露に笛で滞同したときの思い出話、これらが良かったぁ。で、「おごろもち盗人」は、めっちゃあっさり味で降りました。この欲のなさが、あさ吉らしいところです。米紫は、相変わらず気張り過ぎ。全編気張りっぱなしは、聴いているのがしんどくなってしまいます。
 「動楽亭」を出ると、地下鉄で「難波」まで移動。そして千日前のネットカフェで時間調整。そして、また歩いて「in→dependent theatre 1st」へ。今夜は、こちらで「未来探偵社」の公演「探偵ゲーム」を観てまいりました。前々から知ってはいたのですが、初めて観ることになりました。創立22年を迎える古手の劇団です。結論を先に書くと、やはり避けていたわけではないのですが、ここまで観てこなかったことを、一つも惜しいとは思いませんでした。芝居をおもしろくしようとするところが空回りどころか不快感を誘ってしまうのです。そうしたセンスのずれみたいなものを感じてしまうと、頭がついていかなくなってしまいます。筋立ては、所長が亡くなり、探偵社をたたむ仕事をしているところからスタート。そこへ、亡くなった所長が借金を抱えていたのか、取り立て屋から派遣されてきた男が入ってきます。話の幅を持たせるために用意された登場人物ですが、この男の台詞、行動が、とにかくジャマなのです。おもしろくしようとして、ジャマになっているのです。いつしか男は、探偵きどりになっていきます。そこへ女が入ってきます。亡くなった所長が、個人的に、その女の父親の冤罪を晴らすために調査をしだしていたというのです。探偵きどりの男二人は、捜査を開始します。これが、おふざけ半分だから、また不愉快。一番年上の男は、探偵は、調査を行うのではなく、捜査をすべきではないと、おふざけ捜査には加わりません。これはこれで、まぜっかえしをしてくれるので、捜査が進みません。これはこれで不愉快。冤罪事件を晴らす推理は、それはそれでおもしろく作られているので、おふざけやまぜっかえしが、ホントに鬱陶しいというわけです。最後は、当然、冤罪を晴らすとともに、閉じるはずだった探偵社を再建するということで終わるのですが、なんか芝居作りのセンスに、ついていけませんでした。




2013年 1月 31日(木)午後 11時 6分

 明るく、気温が高めの一日。だいぶと日が長くなりました。職場を出る時間が明るいと、何か足が軽くなります。今夜の夜遊びは、天満橋の「常磐漢方薬局」であった「客寄席熊猫」でした。雀喜が新作を発表のために開いている会です。その番組は、次のようなものでした。雀喜「歴史が苦手」、由瓶「お楽しみ券」、雀喜「ウルトラ犬タロウ」。落語会に行く前から心配していたことが現実のものとなりました。昨夜、3時間も寝てなかったのです。その心配が当たってしまいました。「歴史が苦手」の途中から、由瓶の高座がぼろぼろ。ただ由瓶のネタが繰り返しネタだったこと、及び、下げに入る前に、噺の流れを振り返るところが入ったため、おぼろげな記憶と重ねると、噺の構造は、ばっちり理解できました。叶姉妹といったタレントを出さないで噺を作れば良かったのにと思うのですが、最後が最初につながるという構造がおもしろく、またそれだからこそ、きれいにすとーんと落ちる感じがしたので、なかなか佳作と看ました。「足袋となんとか」という作品とともに、由瓶の新作で評価できるものが2つとなりました。相変わらず暑苦しいキャラは好きにはなれないのですが。雀喜の方は、「歴史が」は、そないな具合だったのですが、この作品は、以前にも、この会で聴いているネタ。だからと言って、内容まで覚えているわけではないのですが。この作品は、雀喜の元兄弟子の又三郎さんこと以西正明さんの作品。現在は、予備校で日本史を教えられているので、その経験に基づいたもの。今日も、当の以西氏が来られていて、受付をなさっていました。「ウルトラ犬」は、雀喜らしい作品。飼い主の身代わりになり命を落としたタロウという犬が、その功により、ウルトラ星人からウルトラ犬に任命されて生き返り、野犬の群れから飼い主を助けるとともに、野犬たちを諭して、保健所に帰らせるというもの。野犬との格闘場面では、高座の上でひっくり返ったりのアクションも。そして、「月亭遊方さんみたいや〜」、本日一番の爆笑場面でした。劇画調だけど、ほのぼの系作品の多い雀喜作品群の中では、ムリ筋を感じさせない佳作と、黄紺は看ました。とまあ、振り返ってみると、この会の中では上の部に入るものだったのですが、今日は、「雀のおやど」で南天、「谷六」では仁智の会、更に繁昌亭では雀松が南左衛門の二人会と、わりかしそそられる会があったからでしょうか、客足が伸びなかったのが惜しまれました。




2013年 1月 31日(木)午前 0時 27分

  大阪府門真市(41)〜守口市(54)〜大阪市鶴見区〜大東市(16)〜東大阪市(36)

 今日は、非勤務日なのでゆっくりしようと思っていたら、思いの外の爆睡。この間の睡眠不足が、多少なりとも快復模様です。そして、午後からお出かけ。あまりいいお天気ではなかったのですが、ウォーキングを敢行。案の定、ウォーキング半ばで軽い雨に遇いました。でも、簡単に止んでしまったので、最後までやりおえることができました。そのコースは、次のようになりました。京阪「古川橋」〜「柳町」交差点〜守口市クリーンセンター〜大阪市立茨田北小学校〜霞田橋〜大阪市立茨田北中学校〜宮前橋〜中国食材店「華龍貿易」〜鴻池水みらいセンター〜「河内寺島東」交差点〜「トラックターミナル入口」交差点〜長田北公園〜地下鉄「長田」駅。地下鉄「長田」駅。ホントに写真に収めるポイントの少ないコース。工場、倉庫ばかりが続きました。「安田」交差点からは、近畿自動車道沿いに歩いたのですが、全然おもしろくない。近畿自動車道の西側の道は、何度か歩いたことがあったのですが、東側は歩いたことがなかったので、学園都市線のところで、道を変えてみたのですが、長いわ、変化はないわで、もううんざり。「長田」駅が終点になるなら、西側に渡らねばならないのに、今度は、なかなか横断できない。そう言えば、「鴻池新田」駅から南の地点で、凄まじい雨に遇ったときが、渡れなかったのです。そないなことを考えながら歩いていたのですが、なかなか中央通の上を走る高速が見えない。近畿自動車道沿いですから、道に迷うわけがないだけに、かなりうんざり。高速が見える前に、横断歩道がありました。
 「長田」から「日本橋」に移動。夜の部まで時間があったもので途中下車。駅上のネットカフェで時間調整。そして、「動物園前」まで、今日は地下鉄移動。夜は、「動楽亭」であった「第63回できちゃったらくご!」に行ってまいりました。日本にいないときに、この会は、よくあるものですから、3回ほど飛んでいますから、わりかし久しぶりとなります。その出番は、次のようなものでした。三風「楽しい終活始めませんか」、三金「やみあい」、南湖「南陵伝」、あやめ「お一人様のバースデー」、(中入り)、遊方「バッドマン」、たま「エロ浄瑠璃」。今日は、ウォーキングに出かけるのが遅れたのが失敗でした。ネットカフェで、体を休めるということも、満足にできなかったもので、結局、つけが肝心の落語会に出てしまったのです。ですから、最初の三番が半寝の状態。内容も、一部しか思い出せません。なお三風のネタは、「台本募集」の入選作。三風自身の作品ではありません。三金のネタは、暗闇の中で合コンをするものだったはず。暗闇で、人となりが判らないなか、触れるのはデブばかりという感じだったかな? 「南陵伝」は、「南北伝」で、気を良くした南湖さんが、師匠ネタに挑んだはずだったのですが、、、。あやめのところで覚醒。明日、49歳の誕生日を迎えるあやめ自身を投影した作品。「お一人様の相手をしてくれるのはおかましかいない」と言うあやめは、あやめとおぼしき女とおかまの対話で進む噺を作りました。「バッドマン」が、本日の秀逸。何かギャグの落ちの部分を言おうとすると、邪魔が入るので、続きを、あらためて言おうとすると、変な間になり、空気を読めない男扱いされていくというもので、タイミングの外し方は、同じパターンなのだが、飽きないおもしろさがありました。たまの新作は、落語というよりかピン芸というもの。相子太夫さんにもらったという上下を付け、床本を小道具として用意し、「エマヌエル夫人」の浄瑠璃を語るというもの。さすがたまのアイデアは斬新です。ただ、ちょっと下ネタ系が入ってきているのが気がかりです。




2013年 1月 29日(火)午後 11時 50分

 今日、また寒い一日でした。おまけに寝不足で眠たいしと、なかなかきつい一日でした。夜遊びの方は、「徳徳亭」であった「第21回なんせいの講談格闘中!」へ。前回は、確か南海さんの会と正面衝突をしたものですから、1回飛んでいます。南青くんも、ネタを変え、勉強会を継続中です。その番組は、次のようなものでした。南斗「角屋船の由来」、南青「左甚五郎伝〜掛川騒動、京人形〜」。「角屋船」に遭遇するのは久しぶり。本能寺の変のあと、堺に滞在していた家康が狙われる話。伊勢湾を横切り三河に船で逃げようとする家康、それを助ける干鰯船の船頭。待ち受ける明智の手の者。もちろん、ここで家康が捕まるわけがないということが判っていても、緊迫感のある話です。南青くんは、まず学生時代の沖縄旅行の話をたっぷりと。初めて聴く話でしたが、なかなか貴重な体験をされてます。要するに、「左甚五郎伝」は旅ネタでもあるので、マクラということもあったのです。「掛川騒動」の方は、全くの初遭遇ネタです。とってもおもしろい話でしたので、聴いてなかったのが不思議なくらいです。甚五郎だけではなく、狩野探幽も登場し、二人ともが、同じようなイタズラをして、泊まった宿の主人を困惑させるというもの。掛川宿の本陣に、尾張公が宿泊予定ということで、一切の宿泊を断っているにも拘わらず、なんとか泊まり込んだ二人が、夜中に、尾張公宿泊予定の離れ座敷に、絵を描き彫り物をしてしまい、宿の主人の怒りをかうのだが、いざ尾張公が、それらを見てどえらい作品と見抜くというものです。「京人形」は、以前にも聴いているのですが、話の内容は、すっかり忘れていました。職人仲間に、吉原に連れて行かれた甚五郎、七越太夫に一目惚れ、七越太夫も、甚五郎の気っ風の良さに一目惚れ。だが修業中の身と考える甚五郎は、忍耐の日々。そこで、一計を案じた遊廓の主人が、甚五郎の職人仲間を動かして、最終的には、二人を夫婦にさせるという話なのだが、そのやり方というのは、かなりムリがある。むしろ、ハッピーエンドにしないで、七越太夫は、焦がれ死にをしたから、甚五郎が七越太夫の似姿の人形を彫った、それが京人形の如きものとした方が、いい話っぽいけどなと思ってしまいました。この「京人形」が、甚五郎が諸国を巡る話の序に当たるそうです。ですから、今日は、「左甚五郎伝」の順序では、逆の順序で読まれたことになりますが、違和感は全然ありませんでした。




2013年 1月 29日(火)午前 4時 41分

 昨日は、思いっきり寒い一日。寒いと手が動きにくくなるばかりか、最近は痛みまで出てくるのでたまりません。その寒いなか、夜は繁昌亭に行ってきました。「笑福亭たまの繁昌亭フレンドリー寄席」があったからなのですが、単にたまの会というだけではなく、文楽の世界から話術に長けたお二人がゲストに来られるということで、期待の会だったのです。その番組は、次のようなものでした。喬介「寄合酒」、たま「みかん屋」、豊竹相子太夫・鶴澤清丈「仮名手本忠臣蔵〜殿中刃傷の段〜」、たま「質屋芝居」、(中入り)、豊竹相子太夫・鶴澤清丈・たま「文楽解説&ショート浄瑠璃 たまのムチャぶりに応える!」、たま「兄弟船」。お目当ては、中入り明けの舞台。相子太夫と清丈のお二人が、文楽鑑賞教室で披露されている文楽解説の一旦を披露。これは、どこでやっても鉄板ネタ。それに次いで、知ってる人は知っていた「本日のサービス たまのムチャぶりに応える!」。日本の子どもなら誰しも知ってるお話の床本を作り、浄瑠璃も節付け、三味線も手を付け、更に、床本に合わせた画像まで作り、浄瑠璃に合わせてスクリーンに写し出す(PC操作:たま)というパフーマンスをしてくれました。これが、とってもおもしろいもので、客席はやんやの喝采。繁昌亭がわきにわいた記念すべき夜となりました。詰めかけた客の中で、文楽未体験の人の方が、かなり少数派だったこともあるからでしょうか、今までありえなかったパフォーマンスが繰り広げられたわけですから、わかない方が不思議なこと。この試みを企画したたまの力もさることながら、テキストから節付けまでされた相子太夫と清丈のお二人の力とキャラは、ホントに得難いものと思います。楽屋には、雀三郎、いわみせいじといった御大が、この舞台を観に来ていたそうです。たまの三席の中では、「みかん屋」が素晴らしい。刈り込みが的確だと思います。大きなものでは、紙と髪の入れ違い話はカット、甚兵衛さんは2回しか出てこないというところが大きなとこ。「質屋芝居」は、たまの口演では、久しぶりの遭遇。浄瑠璃と重なる箇所があるということでのチョイス。塀外の段での掛け合いの相手は、なんと相子太夫さんと。これも、会場がわきました。「兄弟船」は、初遭遇の新作。まぐろ漁船の中の男色系のネタです。途中、ちょっと仁智の「ハードラック」似の箇所が入ります。たまの変化球の一つです。会場は、補助席まで出る盛況。たまは、東京でもやろうかと考えているとか、ボランティアで回ることもと言ってましたので、大受けのパフォーマンス、まだまだどこかで観れる可能性があります。いや、文楽協会は、しかるべき手を打って、このパフォーマンス受け入れたらいいんじゃないかなと思いました。ネタを増やすことも考えて。




2013年 1月 28日(月)午前 2時 30分

 この週末の3日間、も一つ睡眠が十分でありません。またしても不眠のサイクルに入ってきたのかもしれません。だから日曜日なのに、目が少々痛いのです。今日は、朝から春の旅行の手配。ホテルとオペラのチケット手配は完了。あとは鉄道の早割チケットです。そないなことをしていると、いつしかお出かけ時間。今日の午後は、鶴橋の「雀のおやど」であった「旭堂南華 はたちのおたんじょうび会スペシャル」に行ってまいりました。年に一度、ご自分のお誕生日近辺の土日いずれかで開催されている会です。その番組は、次のようなものでした。南湖「本能寺の変」、南華「徂徠豆腐」、琴調「大岡政談〜人情さじ加減〜」、(中入り)、南海「書生節」、南華「浜野矩随」。南湖さんは、冒頭からめちゃくちゃ本格派の修羅場入りの講談。信長の死までを演じきりました。南華さんは、どっちを先に持ってくるかと思っていたのですが、より人情噺度の高い「浜野矩随」を、あとに持ってきました。妥当な選択と思います。「徂徠豆腐」に入る前のマクラで、ネタを、琴調師から呈示されたときの戸惑い、琴調師による勘違いが話され、一挙に会場はリラックス。このネタ、実は、上方では南左衛門さんが十八番にしているネタなため、他の講釈師さんは手を着けないのが、暗黙の了解のようになっているからなのです。豆腐屋を大阪出身にしたため、荻生徂徠の江戸弁と交互に使わねばならない苦労を、南華さんは、以前こぼされていましたが、それは完璧だったように思えました。一つ気になったのは、徂徠が、豆腐の代金を払わなかったのが5回となっていたこと。それにしたら、たいそうなお返しです。東京で琴調師本人の口演を聴いたことがあるのですが、そうだったかなぁというところです。その琴調師は、これまた鈴本の高座で遭遇体験のある「さじ加減」。病気の花魁を身請けした医者が、その病を治すと、今度は、元の遊廓に戻そうという悪巧みに、大岡さんが名采配を振るうのですが、いい役回りは、医者の大家さん。話を、強引にまとめにかかり、大岡さんに手渡しします。いいキャラが登場し、話を盛り上げてくれてます。「南海さんは、昨日、東京で松鯉先生と、7時間も呑んでたそうなんで、酒臭い高座ですよ」というのは、南華さんから客席への忠告。その南海さんは、ヴァイオリンを手に、客席後方から登場。今日は、宮村群時さん抜きの一人で登場でした。そして、トリネタは「浜野矩随」。東京落語ではおなじみの人情噺。もちろん講談が先です。名人を父親に持つ矩随は、全く父親の技には及ばない職人。それが、ある日、突然化ける話です。ただただ化けるのです。きっかけとかになるプロットのないので、「淀五郎」のようなインパクトがないですね。南華さんは、舞台を全面的に大阪に移しての話にされてました。雀のおやどは、満員の盛況。南華さんの人柄が、この会に足を運ばせるのでしょう。昼下がりのとってもいい時間を過ごせたと思います。
 南華さんの会がはねると、「鶴橋」から「大阪」駅に移動。夜の部まで、梅田のネットカフェで時間調整。そして、夜は、「テアトル梅田」で、ポーランド映画「明日の空の向こうに」を観てきました。ベルリン映画祭で部門賞を取ったという触れ込みの作品です。ストーリーは、いたって解りやすいものです。旧ソ連に住んでいた3人のストリート・チルドレンが、国境を越えポーランドを目指すというもの。ロードムービーです。そして、国境越えに成功し、警察に出頭するところまではいいのですが、そこで「亡命」という言葉を知らなかったため、強制送還されてしまうというものです。ただ、3人の少年が、日頃住んでいるところから汽車に乗り移動を開始してから、長い間、何をしに移動を始めたのかは出てきません。国境パトロールらしき動きらしきものが出てきて初めて、行動の主旨が明かされます。また、実際に越え方を見ていると、かなり強い意志を持ったものと思われますが、その辺を語るというところをポイントとしているって感じのしない展開なもので、かなり進行してから、そないなことが判る仕掛けになっています。映画は、むしろ3人の少年の移動中の日常の風景を描きたがっているように見えます。また、それを、実にナチュラルに撮られているのが、この映画最大のセールス・ポイントとなっています。特に、一番下の子どもの表情の豊かさが突出しています。ですから、「スタンバイミー」の「国境越え」という確かな意図を持ったヴァージョン、そないな感じの映画に仕上がっています。最後の結末に変化球が用意されているのかなとの思いを持ちながら観ていたのですが、それはありませんでした。で、その方が落ち着きのいい終わり方だと思います。ポーランドの警察官が、子どもの屈託なさに心を動かされる、そのシーンで十分だと思いますし、少年たちにパンを持って来る少女が、結局、少年たちに会えなくて、でも、逆に会えたら嘘っぽくなるので、それも、映画の展開を支持したいと思います。夢を抱く少年たちが出てくるのがいいです。そして、その夢なんてものが、容易く自分のものにならないってことを知ることになるのも、リアリティがあり、観たあとのほんわかムードが高まりました。いい映画を観たなというのが、終わったあとの実感です。




2013年 1月 27日(日)午前 3時 38分

 昨日は、久しぶりに観能の日に当てました。記録を見てみると、昨年の7月以来となります。番組を見ていて、さほどそそられる会がなかったか、あっても高額のため見送っていたものと思われます。昨日は、脇能の「竹生島」を観たくてのもので、選んだのは「京都観世会館」であった「林定期能」でした。いずれもが後継者が減ってきてジリ貧の傾向にある各職分家の中で、依然と大所帯で活気のある林家の会です。その番組は、次のようなものでした。能「竹生島」(林宗一郎)、狂言「鬼瓦」(茂山千五郎)、能「邯鄲」(河村和重)。「竹生島」は、琵琶湖の竹生島の神を讃えるもの。コンパクトにまとまり、しかも、後半は、天女(弁財天)の舞、龍神の舞働が入りと華やかさを持つお楽しみのある好曲。おまけと言っちゃ悪いのですが、間狂言がおもしろい。竹生島について語るだけではなく、小道具を使い宝物を見せ、しかも「岩飛び」の小舞を見せ、最後は水中に入り「くっさめ(はくしょん)」と言って留めます。脇能の間は、こういった変化技が入るので楽しみの一つです。この賑やかな展開は、解説をされた河村晴久師によると、金春系のものだろうとのことです。そうそう林家の会は、研究者も兼ねる方が幾人かおられるので、開幕前の解説が充実しているのが特徴の一つなのです。狂言はおなじみ「鬼瓦」。国に残した女房どもの顔が鬼瓦にそっくりというすごいもの。絶対に笑いが起こるお約束の曲です。最後が「邯鄲」。好きな曲で、もう15回くらい観ていることになります。能の曲では少ない唐物です。しかも哲学的展開がおもしろい。人生のなんたるかを知ろうという青年(?)盧生が、彷徨の結果、辿り着いたのが邯鄲の里。邯鄲の枕で夢を見ます。皇帝位に上り詰め、しかも50年を経過し、更に仙薬を手に入れ永遠の生命までも、、、。しかし、それは夢ん中のこと。その夢は、粟一炊の間に見たもの。盧生は、人生の儚さを悟るというもの。自在に時を超え、自在に空間を超える、能だからこそできる表現。一畳台の上には大宮と言われる作り物があり、それが邯鄲の里の宿から皇帝の宮殿へと変化します。もちろん物語の展開を受け、客の頭の中で。一瞬にして変わるきっかけは、夢の中の皇帝の使者が枕元を2回叩くのがそれ、また、一瞬にして元に戻るのは、宿屋の女主人が、「ご飯ですよ〜」と枕元を叩くのがそれ。この2回目、要するに盧生が夢から目が覚めるとき、ワキ座の後ろに控えている後見は、起き上がったときに乱れている衣裳を整えません。これ、いいですね。呆然とする盧生の雰囲気を表します。ようやく、盧生が事態を悟った風になってから、後見は衣裳を整えます。茫漠として、でも、明確に悟りに達する盧生。ここが大好きなところ。そう言えば、かなり昔、橋岡久馬で「邯鄲」を観たことがあったなぁなんてことを思い出しておりました。半年ぶりに能を観ると、また観たくなり、観世会館で、自分的には久しぶりの遭遇となる脇能が出るというので、チケットを買っちゃいました。冬の間に、もう一度観世会館に行くことになりました。




2013年 1月 26日(土)午前 0時 18分

  京都市内遊歩(32)

  週末の3連休は多彩な予定。まず、今日は、朝から「メトロポリタン・ライブ・ビューイング」で、ヴェルディの「アイーダ」を観てまいりました。実は、メトロポリタンの「アイーダ」は、DVDとなっているプロダクションと変わってないので、結構お高いもので、諦めようかとも考えていたのですが、前回観た「仮面舞踏会」でMCを務めたデヴォラ・ヴォイトが、アイーダを歌ったリュドミラ・モナスティルスカの評判が頗るいいと言ってたので行ってみようという気になったのですが、確かに評判通りです。強い意志を持った一方で、細かなデリカシーも表せる素晴らしい歌手とみました。ウクライナから、いい歌手が続々と現れます。インタビューには、まだ通訳の要るリュドミラ・モナスティルスカは、今回がメトロポリタンへのデビューだということです。アムネリスを歌ったオルガ・ボロディナも、なかなかの迫力。嫉妬に燃えるアムネリスは、ファラオの娘である気位の高さを感じさせるにも十分な好演。この人、「ドン・カルロス」でエボリ公妃を歌っていた歌手じゃないかな。ラダメスはロベルト・アラーニャ。今公演の最大の有名人。1週間前には、ロンドンで「愛の妙薬」を歌っていたそうです。昼の1時の公演だったからでしょうか、声に、かなりムラがあったように思えました。ただ徐々に調子は上がっていったことも事実なのですが、「清きアイーダ」と最後のデュエットの最高音部で、ファルセットを使っていたのは合点がいきません。DVDでは、そのような姿を見たことがありませんから、加齢による衰えということなのでしょうか。指揮は、もうメトロポリタンの新しい顔に定着してきたファビオ・ルイージ。この人の指揮を聴いていると、生ものとしての音楽を聴くことができます。とにかくこれ以上贅沢なものはないと言える舞台装置、凱旋行進のときの人数の多さ、このプロダクションの最大の売りを、たっぷりと楽しむことができました。そして、このプロダクションの自分的最大のお気に入りは、最後の場面。地下の墓室に封じ込めて死刑が執行されるという趣向。アムネリスの悔悟のアリアが終わると、その平面全体が上昇し、下から地下墓室が現れます。上では神官とともに、アムネリスが「パーチェ、パーチェ(安らかに)」と歌い、静かに幕が降りていきます。あの豪華な大デレゲーションに対して、この終わり方。やっぱ、ヴェルディはすごい。そして、この終わり方を、最大限に引き出したのが、このメトロポリタンのプロダクションだと思っています。
 映画が終わると、直ちにMOVIX京都の前からウォーキングに。最近、京都でのウォーキングが増えていますが、それらのコースと微妙にすれ違いながらのコースとなりましたが、その詳細は、次のようになりました。MOVIX京都〜生祥児童公園〜六角堂〜京都逓信病院〜本能公園〜光明幼稚園〜武信稲荷神社〜京都市立朱雀第一小学校〜「千本三条」交差点〜京都西ノ京西月光郵便局〜京都市朱雀乳児保育所〜朱雀グランド〜京都御前下立売郵便局〜京都仁和郵便局〜仁和児童公園〜立本寺〜京都第二赤十字病院〜京都新聞社〜地下鉄「丸太町」駅〜竹間公園〜京都竹屋町高倉郵便局〜京都地方裁判所・同簡易裁判所〜京都市立御所南小学校〜革堂行願寺〜二条大橋〜京阪「三条」駅。今日は、まず六角通をまっすぐ西へ。千本通の手前で六角通は消えてしまうので、路地を抜け千本通に出て、千本三条から三条通を御前まで行き、今度は、御前通を北へ上がり、下長者町通に抜ける道に入ったところで、ちょうど半ばの1時間。下長者町通は、堀川通で終わるので、あとはジグザグに歩いて「三条」駅へ。今日も、あとに大阪への大移動があるので、しかも下校時刻に当たるというので、「三条」駅を終点に選んだというわけです。今日は、わりかし気温は低めだったと思うのですが、歩いていると、汗が出てきました。寒さに弱い黄紺の右手も、後半は手袋なしというほどの火照り方。こんなのがあるから、ウォーキングは止められません。
 「三条」から大移動で、「北浜」経由で「日本橋」へ。夜の部まで時間があったので、千日前のいつもと違うネットカフェで時間調整。そして夜は、歩いて「」に向かいました。こちらで「伏兵コード」の公演「木菟と岩礁」があったからです。この劇団の公演を観るのは3回目となるはずです。今日の芝居は、東北大震災に触発された作者が、自身の出身地が愛媛であることから、南海大地震を想定して書いたもの。主人公の女が、「地震に備える会」の再開に向け奔走しているところから始まります。3回行われた会が、主催者の「諸般の事情」で廃止されたので、被害者を家族内に持たない主人公が、「地震に備える」ことの大切さを認識しようと再開を模索しているのです。かつての参加者たちは、参加をしぶります。原因は、会の主催者があるようです。ただ、それぞれが語る言葉には、病理というか、少なからず抱えているストレスが見え隠れします。見てもしない体験談を語る女、家族を失い一人ぼっちになった女は、海の監視を続けています。施設で育った女は、何もかも流さればいいのだと屈折した気持ちを持っています。主人公の女も、両親の介護に疲れ切っています。皆、何らの病理を抱えています。会に集まるのは、そもそもの主催者以外は4人の女性。その内の2人ずつが「絆」を作り上げていきます。しかし、5人が会同した会の席で、それらの病理が明確になっていくのですが、同時に津波が襲ってきます。そのとき「備えてないこと」「絆の危うさ」が明確になります。まるで津波が、人間関係の脆弱さ、人間の凝りなさを表しているようでした。3.11を見つめて、人間とはを問いかけた真摯な佳作です。多くの人に観て欲しいなと思った作品です。




2013年 1月 25日(金)午前 0時 19分

 今日は暖かな一日でした。午後には、部屋の暖房を切っていたくらい。こないな日が続けばいいのですが、そうはいかないのでしょうね。で、今日の夜遊びは、ワッハの4階であった「上方講談を聞く会」です。今日は、神田阿久鯉さんが出演されるということで、特に楽しみにして行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南斗「細川の福の神」、南湖「天王山のとりやり」、阿久鯉「天保六花仙〜河内山宗俊〜」、左南陵「向島雪の別れ」、南海「浪花五人男」。「細川の福の神」は、細川越中守が、八王子の三五郎から松飾りを買ったら、肥後藩を任せられるという大出世をしたからと、三五郎を探しだし、大盤振る舞いをするおめでたい話。講談には、そないな習慣はないのでしょうが、初席冒頭のネタに相応しい感じがしました。「天王山のとりやり」は、本能寺の変のあと、秀吉軍と光秀軍が天下分け目の戦いをする話。南湖さんは、貞水さんだったかにもらった「本能寺の変」の修羅場読みを冒頭に入れてから本編に入ったのですが、今日は、ここでダウン。最近、二番手に上がられる方の高座が鬼門です。阿久鯉さんは、文化庁が行っている東西交流事業で、南海さんの指導を受けているための来阪。この事業のおかげで、東京の講釈師さんを、大阪で聴ける機会が増えたことは、ホントにありがたいことです。ネタの「天保六花仙」は、左南陵さんがやるかもしれませんが、通常では、上方では聴けないもの。ありがたいことです。東京には、こうしたピカレスクものが多く伝わっています。今日は、河内山が、質屋に無茶な金の無心をする中で、その質屋にトラブルがあることを嗅ぎ付け、金と引き替えで問題解決に尽力する話の序に当たるところを読んでくれました。左南陵さんは、えらくベタなネタ選び。左南陵さんに、こないなネタを出されると、逆に聴く方にうろがきます。「向島雪の別れ」は、「赤穂義士銘々伝」から「間十次郎伝」です。南海さんは、「講談毎日亭」で出された「浪花五人男」。長い話の内、冒頭部に当たるところが読まれました。雁文七の来歴から始まり、二人連れのチンピラ、雷庄九郎と庵平兵衛と手を組み、三人組ができ上がるところまでが読まれました。あとの二人は、全然出て来る気配はありせんでした。ま、長い話ですから致し方ありません。




2013年 1月 24日(木)午前 0時 21分

  大阪市内遊歩(156)

 今日は非勤務日ということで、朝9時半にはお出かけ。文楽の残り半分を、午前11時から観ることになりました。その番組は、次のようなものでした。「団子売」「ひらかな盛衰記〜松右衛門内の段、逆櫓の段〜」「本朝廿四孝〜十種香の段、奥庭狐火の段〜」。「団子売」は慶事、正月らしい演目です。「ひらかな盛衰記」は、木曽義仲の家来樋口次郎兼光が、義経に復讐を試みる話が縦軸。それに、義仲の息子が、人違いで命が助かった話が絡んできます。「松右衛門内の段」では、人違いで殺された子どもの家で、その事実が明らかになるとともに、樋口次郎が、その家に入り込み、義経討伐の機会を伺っている。「逆櫓の段」では、その討伐を具体化しようとするのだが、実は義経側に、その話が入ってはいるのだが、人違いで亡くなった子どもの爺さんが、機転を効かして、義仲の息子を助ける手段で、最後は、樋口次郎は涙にくれながら捕縛をされるというものです。「松右衛門内の段」は、咲太夫さんが登場。「逆櫓の段」は一転して、とっても大きな動き。吉田玉女さんが大活躍です。「本朝廿四孝」は、信玄と謙信の間で翻弄される悲しい女たちが登場します。ここでも、死んだはずの信玄の息子勝頼が生きていて、謙信の娘八重垣姫は悲しんだり、喜んだり、そして、また恋する勝頼が、父親謙信に、追っ手をかけられると知ると、諏訪湖を、狐の支援を受け渡って行きます。今回は、芸術院会員記念ということで、吉田簑助さんが、「十種香」だけ八重垣姫を扱い、狐憑きとなる八重垣姫は、勘十郎さんが扱いました。「奥庭狐火の段」は、狐そのものが現れたり、狐足で八重垣姫は動き回ります。豊松清十郎さんの襲名披露で観て以来です。あのときは、狐が5匹出ましたが、今回は4匹です。勘十郎さん自身の早変わりもあり、見せ場たっぷりでした。
 文楽が終わると、その前から直ちにウォーキング開始。今日は、生野区中心に歩きました。その詳細なコ−スは、次の通りです。文楽劇場〜應天院〜源聖寺坂〜大阪国際交流センター〜大阪市立夕陽丘中学校〜大正湯〜五条小公園〜大阪市立天王寺保育園〜JR「桃谷」駅〜ネパール・インド料理店「The Oasis Cafe」〜韓国料理店「大長今」〜奥田橋〜在日本大韓民国民団大阪府生野中央支部〜韓国料理店「民族村」〜大阪市立大池中学校〜大阪市立田島小学校〜田島公園〜田島神社〜生野橋〜舎利寺公園〜大阪市立生野小学校〜大阪東生野郵便局〜「源ヶ橋」交差点〜高松公園〜三明町北公園〜日本聖公会大阪教区事務所〜阿倍野松崎郵便局〜地下鉄「阿部野橋」駅。地図上では、大池中学校と田島小学校を目印に歩きました。ところが、大池中学校がなかなか手強かったなぁ。丁度、生徒さんの下校時刻に当たっていたようで、中学生が歩いているのに、肝心の校舎が見あたらない。住宅の密集地帯に隠れているのです。この中学校を見つけられないと、次の田島小学校への道を誤るので、頑張って探しました。当初、田島小学校からは「東部市場前」駅方向に向かうつもりだったのですが、時間を考え、「寺田町」方向から天王寺に向かうことにしました。ところが、「寺田町」駅間近まで来て迷子に。偶然、「源ヶ橋」交差点に出て事なきを得ましたが、結構、あせっちゃいました。「生野弁天寄席」に通ったおかげで、「源ヶ橋」でほっとできたというわけです。
 体を休めることと時間調整を兼ねて、天王寺のネットカフェへ。そして、徒歩で「動楽亭」まで移動。夜は、「第1回ショウゴイズム〜やる気の松五〜」に行ってまいりました。笑福亭松五の初めての勉強会です。この勉強会立ち上げに拘わった生寿と、その師匠生喬のサポートで会が生まれました。その番組は、生寿「四人癖」、松五「天狗刺し」、生喬「三人旅」、松五「猫の忠信」。生寿は、ネタはおなじみのものだったのですが、この会が生まれるきっかけを話してくれたことが、何よりの餞でした。生喬の方は、松五の師匠松枝との思い出話を。笑福亭の奔放な内輪話も聞けて満足。松五の口演を聴くのは久しぶり。ましてや、大ネタを扱うようになってからは初めてです。相変わらず地味と言えば地味なんですが、この10年で、着実に力を伸ばしたなの印象。しかも、勉強熱心だわ。「猫の忠信」を、10年で確実に聴ける状態にもってこれるのだから、こりゃ、繁昌亭大賞輝き賞をもらっても文句言えないなの印象を持ちました。「天狗刺し」は、若手では雀太が手がけるくらいのネタ。生喬に言わせると、場面転換が多いから難しい噺。松五にとっては、由緒あるネタのはずです。師匠松枝が、米朝師からもらった確か2つのネタの内の1つのはずです。この「天狗刺し」もそうだが、「猫の忠信」も、笑福亭では珍しい。ある意味では、ちょっとミステリータッチのネタなので、そないな雰囲気も出して欲しいところ。猫の化けた男にも不気味さを醸し出して欲しいところ、ところが、松五は、その辺のデフォルメを抑制します。この辺が地味だというのですが、ストーリーの語り部に徹するという姿勢の高座。それで、40〜45分のネタをもたせることができたのですから、かなり腕を上げてきているなの印象を持ちました。3ヶ月に1度のペースで会は続けるそうですので、時間が合えば、見続けていきたいなと思わせられました。




2013年 1月 23日(水)午前 6時 8分

 一昨夜は、特に夜遊びとして行きたいと思うところがなかったため、家に直行。既に夕方から雨が降りだしていました。その雨が、昼頃までも降ってたかな。じとっとした一日、昨日は夜遊びを敢行。行き先は、谷六の「薬業年金会館」、毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」があったのです。「南総里見八犬伝」は、黄紺がドイツに行っている間に終わってました。客の入りが悪いと終わると言ってられたので、そうなった可能性があります。それに替わり、今月から「幕末侠客伝」がスタートしました。「八重の桜」にあやかって、まず会津つながりで「会津小鉄」が取り上げられました。その内、昨日は。小鉄の父親阿部伝之助についての物語。元武士であった伝之助は、人を斬ってしまい、大阪に身を寄せ浪人生活。長屋に身を寄せていると、易者で身を立てることを勧められ、店を出していると近くでいさかいが起こる。それを助けた伝之助は、用心棒の仕事を得ていく。そこから、伝之助の結婚、一人の女を助ける話、下級役人斬ってしまう話が欠落してしまっています。うつらうつらしてしまったようです。気がつくと、伝之助に内偵の間者が入ってました。ただその間者が、かつて助けた女であったため、通報されることなく難を逃れるのだが、大阪にはいることができず、身を隠してしまいます。そのときに女房のお腹には子どもがいた、その子どもが小鉄だというわけです。昨日は、その小鉄が、9歳で博打を覚えた話、それで得た金を路銀に、父親の消息を訪ねて、水戸に赴く道中までが読まれました。




2013年 1月 20日(日)午後 10時 53分

 昨晩は、お酒も呑まないのに大爆睡。目が覚めてから大慌てでHPの更新。辛うじてお出かけ時間に間に合いました。今日は、まず「應天院」であった「満月動物園」な公演「ツキシカナイ」に行ってまいりました。日曜日に2回公演を打とうという魂胆なんでしょうね、11時開演でした。1時間55分かかった芝居でしたが、最初の1時間余り、幸せなカップルの結婚、親に紹介するとかの話に費やされ、思わず時計を見たほどでした。まだ、その時点では、それほど幸せな家庭を、ちょっと過剰に描く意味が解りませんでした。その1時間余りの中で、もう一つだけ、全く違う母娘の会話が続く場面があります。母娘揃って未婚の親にだった話、またなる話をしています。それらが、ようやく結びつきだします。どうやら一世代前のシーンが、母娘の会話で、娘のお腹の中にいる子どもが、幸せな結婚をしようとしている男だと判ってきます。それは、男の母親が、その男が自分の子どもではないと言い出したことがきっかけでした。そこから話が急展開をします。この物語、二世代続いたかもしれない「突然死」の物語だったのです。この話では、観覧車の崩壊で、突然死を余儀なくされる女性(幸せな男の実母)が、死神に、お腹の中の子どもの誕生を託し亡くなります。この希望を託し亡くなるというシーンを作ったのが、この芝居の成功の源です。災害などで突然死した人たちの悔しさが、逆に鮮明に浮かび上がってきたからです。突然死した女性の子ども、即ち幸せな男は、結婚相手と妹の突然死からの恐怖も解決し、人生を全うします。その幸せさが、また突然死の悔しさを強調します。「神」を芝居に出すのは、基本的に卑怯だと思っているのですが、この芝居だけは容認せざるを得ませんでした。終盤、各所で鼻をすする声なき声が聞こえてきました。感銘を与えたからだと思います。関西小劇場界の著名な女性の役者さんを集めただけある佳作です。かなりお薦めです。
 「應天院」を出ると、今日も千日前のネットカフェで時間調整。今日は、日本橋界隈で、一日を過ごすことになりました。移動が徒歩だけで済み、まことに効率的。そして、夜は「文楽初春公演」。毎年、新年の文楽公演は、ドイツに行っているため、後半の公演に食い込んできてしまいます。今日の番組は、次のようなものでした。「寿式三番叟」「義経千本桜〜すしやの段〜」「増補大江山〜戻り橋の段〜」。「寿式三番叟」は、能「翁」の文楽版。翁舞と千歳(面箱を兼ねる型)の舞はカット。三番叟にシフトしたもの。だから題名も、そうなっているのでしょう。三番叟は、籾の段鈴の段ともにありました。「義経」は、3年連続で出てるのじゃないでしょうか。ちょっと有名演目に頼る傾向を感じます。橋下の影響じゃないことを祈ります。「すしや」は、文楽らしい荒唐無稽さ。維盛が吉野に現れたり、それを守るためにお定まりの身替わりで命を落とす者が現れたり、突然の改心があったりと、なんでもありです。中心人物「いがみの権太」が、「ごんたくれ」の語源だそうです。それだけ、知られた演目だったのですね、かつては。「大江山」は、渡辺綱だけが頼光の家来として出てきます。「大江山」なんだけど、大江山は出てきません。一条戻り橋で出会った不審な女と、なぜ綱は清滝まで同行するのでしょうかね。なんか、無理があります。また、スペクタルな攻防を期待していたのですが、悪鬼は、女の顔から頭の操作で化け物顔になったのと、お堂経由で本体を現すだけの仕掛けでがっくり。そんなに出ないわけですね。急激に、文楽の番組のおもしろさが減っています。手慣れた番組ばかりが、最近、並んでいます。4月の番組もそうでした。安全策ばかりを狙っているように思えてなりません。




2013年 1月 20日(日)午前 8時 19分

  京都市内遊歩(31)

 昨日は、午前中、先日のドイツ旅行の後始末をしたり、その一方で、春の旅行の準備に時間を割き、お昼過ぎに所用があり四条へ。それが済むと、その地点からウォーキング開始。そのコースの詳細は、次のようなものです。大丸〜京都市立高倉小学校〜京都文化博物館〜御所八幡宮〜京都竹屋町高倉郵便局〜地下鉄「丸太町」駅〜京都市立待賢小学校・幼稚園〜京都大宮丸太町郵便局〜千本丸太町〜西陣児童館〜京都市立みつば幼稚園〜同志社大学継志館〜地下鉄「今出川」駅〜御所〜京都府立医科大学〜京都府立文化芸術会館〜京都荒神口郵便局〜荒神橋〜鴨川〜だん王保育園〜京阪「三条」駅。ウォーキングのあとは、大阪への大移動が待ってましたので、とにかく終点は「三条」駅と決めてのスタート。土曜日の午後は、電車が混むのが予想されるものですから、「三条」から乗りたかったのです。まず高倉通を北上し、丸太町通に出ると、前半では御所に入らず、丸太町通を西へ。円町まで行くか迷ったところ、千本通を北上することに。千本今出川近辺で半ばに達したので、北上を続けることを断念。烏丸今出川のちょっと西で、今出川通に入るまでは、今出川通の一つ南の通を東に進んでいました。そして、昨日も、乾御門から御所に入り、府立病院側に出て、荒神橋で鴨川に降りて南へというコースです。昨日も暖かく、頃合いのウォーキング日和だったのですが、水曜日に比べ、ちょっと体が重くて、前半は、なかなか厳しいものがありました。
 三条駅から大阪へ大移動。特急電車の中で、しっかりと眠り、ウォーキングの疲れをとることができました。この大移動は大正解。更に、夜の部には、まだ時間があったので、おなじみの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、そのすぐ近くにある「トリイホール」へ。こちらであった「三遊亭王楽ひとり会」に行ってまいりました。この会は2回目となります。2世噺家さんの中では、わりかし評価されている王楽が、大阪で会を続けているというので、時間が合えば行ってみようかなと考えています。昨日の番組は、次のようなものでした。王楽「魚勝17代目(仮題)」、紫「厩火事」、王楽「妾馬」、(中入り)、王楽「夢金」。いきなり王楽の登場。新作から入ったのにはびっくり。どのような謂れのある作品かは知りませんが、主人公の魚屋は、「芝浜」の主人を初代にいただく老舗魚屋。ご多分にもれずがさつな男。伜の17代目に恋の指南をするのだが、それが大時代がかっているが、かえって彼女におもしろがられうまくいくという噺。自分で新作も作っていると言ってましたので、自作かもしれません。紫は、彼女の口演で聴く初めての大きなネタを聴かせてくれました。それが、前座噺を聴いているとき同様に安心して聴けるから、大したものです。出始めの頃のたどたどしさは、ウソのように思えます。紫の口先だけで仕切っている大阪のオバサン口調が、とっても気に入っています。世話焼きのオバサンが、まじめに聞いてると、おもろいことを入れていなしているという雰囲気です。姉妹弟子にはないキャラなんで、いや女流ではなかったキャラなんで、なんか行く末が楽しみです。王楽の大ネタ二つは、圧倒的に「夢金」に軍配。「妾馬」は、1週間前に、さん喬の好演を聴いたばかりですから、どうしても比べてしまいます。また王楽の口演を聴いて、よりさん喬の口演の良さが見えてきたように思えました。大名と町人の違いについて、王楽も、マクラで強調しました。でも、それが、二人の口演では違ってきてしまうのです。まず大名屋敷の広さが違います。お庭を歩くとき、廊下を歩くとき、広さが違います。そして、三太夫さん、更に殿さんと、格が違います。熊五郎を眺める殿さんの眼差しに慈愛の念が入ります。こうした違いが出て、初めて、この噺の外堀が出来上がり、物語がスタートできるものだと了解しました。それに対し、「夢金」の場合は、夜の暗さ、冬の夜の寒さが伝わりました。侍が、家に入ったあと、ずっと火に手をかざしながら喋るのが、その辺の決めの仕種になっていました。舟の大きさを、もう少し大きく感じさせる努力があれば、更に川中の暗さや広がりが出て、舟でのやり取りに、ゆやり緊迫感が出たのではないでしょうか。「夢金」は、東京のネタとして知られた噺ながら、今まで生で接する機会のなかったもの。昨日、ようやく出逢えました。しかも、かなりの好演で聴けたのは、ま、運がいいのでしょうね。




2013年 1月 18日(金)午後 11時 50分

 昨日は、息子のところに行き、うだうだとおしゃべり。そして、今日は、今年初めての繁昌亭のうえ、繁昌亭三昧の一日。まず、昼席の番組は、次のようになりました。雅「初天神」、たま「動物園」、米平「阿弥陀池」、福笑・そめすけ「漫才」、文昇「狸賽」、小染「試し酒」、(中入り)、そめすけ「通天閣に灯がともる」、仁勇「猫の茶碗」、いわみせいじ「似顔絵」、福笑「桃太郎」。雅はマクラなしでネタへ。自分のペースで進むだけで、空気を作るまでにはいかず。その辺をくみ取ったたまは、ショート落語を多めに、また分かりやすく「動物園」をするなど、やはり空気を読むのがうまい。米平から、睡魔が襲い出す。残念ながら、「阿弥陀池」は、ほぼダウン。そして、本日のお目当ての漫才。「漫才始めて50年」と、ベテラン漫才師きどりのお二人。福笑の突っ込みに、そめすけのボケという役割。くやみの物言いを、一貫してボケに使う巧妙なテキスト。貴重なものを聴くことができました。文昇が「狸賽」を始めると、さすがにがっくりときたのですが、この「狸賽」が、頗る良かった。抑揚とリズムが素敵で、終盤のスピードアップはお見事。ベテランが前座ネタを出してくれたときに、ときとして、こうした美味しい結果が出ることがあります。小染の「試し酒」で、再びダウン傾向。ただちょっと単調かなの印象は残っています。5升呑むのですから、やはり変化が判らないときついですね。そめすけは、自作の大阪各区シリーズから。肝心の展開部に入りかけのところでカットでした。「猫の茶碗」は、短いネタなので、東西を問わず、定席の定番ネタですが、出る頻度は東京の方が多いでしょう。そして福笑なのですが、またしても「桃太郎」に当たってしまいました。不運としか言えません。
 昼席が終わると、「天満」駅前まで行き、そちらのネットカフェで時間調整。南森町のおなじみのネットカフェは、もうパソコンがダメになっているので使えないですね。そして、お時間に合わせて繁昌亭に戻り、夜の「三喬一門会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。喬介「米揚げいかき」、喬若「七度狐」、三喬「質屋蔵」、(中入り)、喬介「ねずみ」。今日は、喬介がトリをとる日。かなり期待の若手噺家さんですので、期待を持って、皆さん来られたでしょうが、一方で、「大丈夫だろうか」という不安を、人一倍感じさせる噺家さんでもあるので、ちょっとびくびくしながら眺めるということになりました。なんせ、トリネタが、大ネタ「ねずみ」と発表されてましたから、嫌が応にも、期待と不安がつのりました。「米揚げいかき」のところで、既にドキドキ感を告白していた喬介ですが、「米揚げいかき」は、今や、このネタのベストと言えるもの。何度聴いても、毎回楽しい気分にさせてくれます。「ねずみ」の方も、万全の態勢で疾駆できたんじゃないかな。人物の描き分けの難しいねずみ屋の主人の独白の部分もきれいにクリア。ただ、それ以後のところで、難局をクリアした安堵感からか、ちょっと粗雑になったかの印象がありましたが、これだけやれれば及第点を大幅にクリアです。これで、益々期待が高まっていくこと、間違いなしです。兄弟子喬若の「七度狐」も聴かせてくれました。そして、「七度狐」のフルヴァージョンを聴けたのも嬉しかったですね。麦畑を踏み荒らしたあと、山寺に着くまでと、棺桶を運んで来るところが、最近は、よくショートカットされますからね。今日の喬若の口演で、特に気に入ったのは、冒頭の狐の台詞のところ、そして終盤の婆さんが棺桶を出て来るところ。ともにリアリズムに徹しているのです。前者は、頭から血を流し顔を崩し苦悶の表情で、後者は婆さんなんだということを徹底的に表そうとするのです。考えてみれば、それがなかったのが不思議なくらいです。その他、喬若は、ラフな言葉使いを折り込むのがうまくなりました。それで、とっても台詞の言い回しに幅が生まれたように思えます。師匠三喬は、自分的には初遭遇の「質屋蔵」。米朝版に、若干三喬テイストを効かせたものとなりました。三喬テイストというのは、喬若の「七度狐」をいじった点と、番頭と熊はんが見張りについてから、二人でして箸を取りに帰るところ。ま、それはいいとして、怪しの火が出たところで、旦さんが出てくると、二人の品が急に落ちてしまうのが気になりました。時々、三喬の口演で顔を出す品のなさです。下世話に陥ると言った方がいいかもしれません。ということで、それぞれに関する感想を記しましたが、レヴェルの高さを高く見せない雰囲気を持つ一門に好感を持っちゃいました。支持率の高い一門、己の実力を見せつけてくれた会となりました。




2013年 1月 17日(木)午前 4時 6分

  京都市内遊歩(30)

 昨日は、ドイツから帰ってきて初めての休日です。ドイツから帰ってきて、すぐに仕事、東京プチ旅行と続いてましたから。ただゆっくりとはしていませんでした。昨日は、メトロホリタン歌劇場のライブ・ビューイング(MOVIX京都)を観に行く日に当てていました。演目は、暮れにドレスデンで観たばかりの「仮面舞踏会」。今回も、時代を19世紀に移したと言っても衣裳だけですが、あとは現代風演出となっていました。舞台上に大きな箱を設えるというもので、天井が自在に動くというものでした。ただ3幕のレナートの家は、他の幕に比べて小ぶりの箱でした。ま、当然でしょう。更に4幕は、舞踏会の場面ですから広さを出すために、箱の内側に鏡が貼られていました。その他は、大道具類というものはなく、場面に合わせて、テーブルや椅子が出されたり、柱が立てられたり、床がめくれたりといった工夫がなされ、場面変化の大きな作品に対応していたのが、特徴と言えます。場所はスウェーデンにしてありました。人物設定、ストーリー展開的には、いじりはなかったのですが、オスカルだけは男女不明の設定。ズボン役として男性なんでしょうが、敢えて髭をつけさせたり、そうかと思うと天使をような羽を付けています。存在自体をマージナルなものとしようとしているようで、ありかなの印象です。演出でおもしろかったのは、音楽をよく読み込んでいるところ、テキストもよく読み込んでいるところ。歌手の動きとのタイミングが絶妙なのです。1幕には、オスカル、グスターヴォに、ダンスを要求してました。オペレッタのノリですが、これも動きが決まっている。そういった視覚的なおもしろさがあったプロダクションでした。歌手陣の配置が興味津々。最高の配置は、レナート(アンカーストレム)のディミトリ・ホヴォロストフスキー。このシベリアの生まれの銀髪のバリトン、現在最高のヴェルディ・バリトンとしてお気に入りの方。グスターヴォにマルセロ・アルヴァレスがおもしろい。中期のヴェルディを歌う人ではなかったので、最初は半信半疑。インタビューで「声が重くなってきた」と言っていましたか歌えるようになったのでしょうが、でも、まだ軽さが残りますが、有力なテノールがヴェルディに向かってきました。アメリアはソンドラ・ラドヴァノフスキー。アメリアは、低音の多いソプラノです。聴いていると、この人、メゾじゃないかと思うほど、低音が響く。一方で高音域、それも高い高音域がきれい。それに対し、中音域が、ヴァイブレーションがかかりちょっと聞き辛い。そう思って聴いていると、これもインタビューの中で判明。元はメゾだったのが、コロラトゥーラができるようになり、最後に中音域が出るようになったとか。変な経緯ですが、この人の声質にぴったりの経緯。納得です。そんなで、声質に、若干クセがありますが、感情移入が素晴らしいソプラノです。ステファニー・ブライズのウルリカは、声質といい、体躯といい、圧倒的な迫力。「トロヴァトーレ」を聴いてみたいですね。キャスリーン・キムが、オスカル。韓国系かな? どうも韓国系のオスカルに、よく当たります。これなら、大丈夫、ドレスデンの不完全燃焼を取り戻しました。
 MOVIX京都を出ると、すぐにウォーキング開始。今年初のウォーキングでした。ドイツでかなり歩いたので、ちょっと腰を傷めてないか心配だったのですが、大丈夫。これなら、また週末にも続けられるかなの勢いです。そのコースは、次のようになりました。MOVIX京都〜白山神社〜イタリア料理店「チポラ」〜大福寺(京都十二薬師第 十番霊場)〜京都麩屋町竹屋町郵便局〜御所〜「烏丸今出川」交差点〜京都市立上京中学校〜京都市立新町小学校〜京都府庁〜京都府警察本部〜京都第二赤十字病院〜京都逓信病院〜京都新町蛸薬師郵便局〜松原道祖神社〜京都市下京図書館〜京都市立下京中学校〜京都中珠数屋町郵便局〜京都市立崇仁小学校〜塩小路橋〜京阪電車「水車道」踏切〜京都本町郵便局〜京阪「東福寺」駅。今日は、風がなかったからでしょうか、歩いていると20分も経てば、軽く汗が出てきました。ですから、ずっとジャンパーの前を開けたままのウォーキング。御所の乾御門辺りまでで30分。そこから、今出川通を西へ。新町通を延々と下がって行き、東本願寺に当たりそうになったた東へ。め七条河原町で南へ。塩小路通で鴨川を渡り、本町通へは、「東福寺」駅北で入りました。




2013年 1月 15日(火)午後 11時 48分

 ドイツから帰ってきてからは、夜遊びを自重。一つには、行ってみようかなちうものがなかったこともありますが。そして、3日きっちりと働きました。そのあと、東京へプチ旅行。かなり疲労が残っている中での無理無理旅行でした。そして、仕事に復活、が、、、。
 今朝、職場に着くと、一つの訃報が待っていました。現役の同僚の突然死でした。毎朝、駅から職場への道を、黄紺よりちょっと先を歩いてられたので、早足の黄紺は追いつき、たわいもない話をしながら職場に向かったものでした。特に、今年は勤務日が同じだったもので、随分とおしゃべりをしたと思います。この3月末で完全退職されるはずでした。このおしゃべりも、あと少しだなと思っていたところ、今日、突然、強制終了となってしまいました。茫然としてしまうということは、こないなことなんでしょうね。呆気にとられてしまうほどの出来事でした。家族葬をされるらしい、いや、かもしれないという不確定な情報が伝わってきましたので、お通夜に行くことはしませんでした。替わりに予定していたことを実行することにしました。今年初めての大阪での落語会です。ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」です。その番組は、次のようなものでした。南天「前説」、生喬「子ほめ」、南天「風邪うどん」、(中入り)、生喬・南天「対談;夕焼け日記」。南天は、「前説」では、仕事の関係でと断り背広で登場。年頭の抱負を述べました。今年は、毎月1つずつネタ下ろしをすると決意したそうです。特別な会を設けるのではなく、どこかの会で下ろすということで楽しみができました。生喬は「子ほめ」を出すのは、今日が3度目だそうです。米朝一門では、前座噺では定番だけど、笑福亭ではそうではないので、兄弟弟子で「子ほめ」をするのは喬楽だけということです。ただ、どのようにして覚えたかは、今日は明らかにしてくれませんでした。これまでは、自分なりにいじった「子ほめ」をやってきたが、結局オーソドックスなのが一番いいと解ったとかで、聴き慣れた「子ほめ」となりました。南天も、冬の定番「風邪うどん」。酔っぱらいにからまれるところから、丁稚さんがおしっこに出るところは省き、博打場へ進みました。風邪ひき男を、博打場の男と思い、儲け話が二つ続いたからと、ウキウキ顔のうどん屋がいいですね。にこりとするだけで笑い声が沸き上がる頗るいい雰囲気のなか終わりました。対談で、4月以後の会場問題が話題になっていました。まだ決まってないどころか、二人で相談もしてないとか。会場探しより、今の小演芸場が良かった良かったと名残を惜しむ二人でした。確かにレトロな造りに照明、キャパも手頃で、落語や講談を聴くには、この上なくいいところです。




2012年 12月 20日(木)午前 4時 40分

 4日ぶりに、こちらに書きます。というのも、書くようなことがなかっただけの話です。月曜日は、仕事に追われそうだったので、敢えて夜遊びを入れていなかった日。おかげで落ち着いて仕事ができました。火曜日は、息子と呑みに行ってました。昔ながらの食堂が、夜になると呑み屋さんに変わるというところへ、息子が連れて行ってくれました。そして、昨日は、出勤日でないので旅行準備。そしたら、大変な資料を用意するのを忘れていたことに気づき大慌て。ずっと前に作ったと思い込んでいたら、完成してないから印刷物にしてなかったのです。こうした思い込みが多くていけません。ようやく昼もかなり回ってからお出かけ。遅い時間からのウォーキングをしました。暗くなってからも歩くことになるので、カメラは持たないでのウォーキングでした。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜JR「鯰江」踏切〜新喜多大橋〜布屋公園〜JR「かたまち071」橋梁〜天王田楠根公園〜天永橋〜新永小橋〜左専道公園〜大阪市立諏訪小学校〜諏訪霊園〜東大阪市立森河内小学校〜大和橋〜新喜多公園〜東大阪市長瀬川遊歩道公園〜西堤東交差点〜西堤神社〜大阪府中河内府税事務所〜大阪商業大学〜近鉄「八戸ノ里」駅〜東大阪市立八戸の里小学校〜東大阪市立八戸の里東小学校〜近鉄「八戸ノ里」駅。地図を持たずに、今日は歩いたのですが、なんかその方が、スムーズに歩けるようです。一つには、ウォーキングを重ねた結果、随分と、大阪の道を覚えたからだと思います。天王田でも迷わなかったし、「八戸ノ里」駅まで、なんと1時間35分かからなかったのです。もうウォーキングの半ばには暗くなっていましたので、道が怪しくなっていったにしては、方向を決めたら、それを信じて行くと大丈夫でした。一つだけ怪しくなったのは、諏訪地区を抜けるところ。かなり古い地区ということもあり、道がまっすぐではないところへ、意図的に作られた道が入り、行政区域の境目がからみ、道がややこしいのです。ところが運良く東大阪新線の高架が現れ、セーフ。地図を見ながらでも迷うところだけに、とてもラッキーなことでした。一旦「八戸ノ里」駅に着いたあとは、未知の地域を一回りしてきました。夜間灯もないなか、最後は、距離感を掴めないウォーキングとなりました。
 「八戸ノ里」から、近鉄百電車一本で「鶴橋」に移動。夜は、「雀のおやど」であった「第4回鶴橋文華茶論」に行ってまいりました。今日から冬の旅行に出かけるので、これが、今年最後の落語会となりました。その番組は、次のようなものでした。華紋「たいこ腹」、文華「刻うどん」、文華・喬介「対談」、(中入り)、喬介「米揚げいかき」、文華「淀五郎」。華紋はネタ下ろし。「たいこ腹」は、華紋をもってしても難しいということが、よく解りました。やはり幇間という役柄は、ノリの良さというか、体の中にあるリズムを、表に自然と出せなきゃならないということが解りました。文華の一つ目は「刻うどん」。こうした滑稽噺は、文華はお手の物です。軽い奇声を使ったり、顔の表情を駆使したり、アクションをいじってみたりと自由自在。すごいです。そないな言葉を、「刻うどん」で言わせてしまいます。喬介の「米揚げいかき」が、今、注目です。与太郎でもなく、喜六のアホさでもなく、思いっきり陽気で気楽、だけどアブナイ系がかなり入った男を作り出したのです。どこかの新人賞は、間違いなく一つは行くでしょう。問題は「淀五郎」。繁昌亭で聴いたときと同じ感想ですし、「立ち切り」を聴いたときとも同じだったと言っていいかもしれません。文華は、なんとなくせわしなく、陰な展開になると、陽のときの奔放さ、自在性が、顔を潜めてしまいました。前のめり的な、言い換えると間の取り方で外され続けるものだから、なんとなくせわしない流れに晒されてしまいます。ということで、これで、今年の演芸三昧は幕を閉じ、今日、オペラを観に旅立ちます。「旅行用ブログ(黄紺のお部屋〜紀行編〜)」を再生することができましたので、日々の記録を書き留めておこうと思っています。




2012年 12月 16日(日)午後 11時 58分

  今日の午前中は、持ち帰り仕事と、1月のプチ旅行の準備で時間を取られてしまい、ウォーキングはお休み。長期の旅行前は、せわしなくていけません。そして、1時半をメドにお出かけ。今日は、まず「ウィングフィールド」であった「虚空旅団」の公演「ゆうまぐれ、龍のひげ」に行ってまいりました。初めての劇団です。脚本のコンペに、こちらの座付作者さんがノミネートされたことを知り、行ってみようの気になりました。最近観た芝居で、頭抜けて地味な芝居でした。こないな地味な芝居を、こつこつと積み上げている劇団が、大阪にあったのですね。なんか、それだけで嬉しくなっちゃいました。主人公、及び彼女を取り巻く登場人物は、家族経営の斜陽の町工場の関係者。主人公は、経営者の娘だが、町工場にはタッチせず、他で勤めていて、最近家に戻ってきて、すっかり変わろうとしている光景に、気が滅入っているところから、芝居は始まります。3代目として町工場を引き継いだ兄、合理的な見方で先を見据えている兄嫁、いったん経営から離れた叔母が絡み、町工場の現状、それぞれの思いが語られていきます。その中で、一つ、おもしろい台本上の工夫があります。主人公の弟なのか妹なのかがはっきりしないのですが、既に亡くなってしまっている人物を出し、主人公と対話させていることです。最後まで明かされることがなかった仕掛けですが、それにより、主人公の想念の中の話とする効果は解るのですが、それ以外の効果が判らないのが難点です。主人公の想念の中とすると、かなり状況から来る深刻さがクリアにはなるのですが、その部分の効果は解るのですが、筋立て自体には変化を期待できるプロットではないような気がしたのですが、、、。何かを生むという方向性を出した台本じゃなくって、こういった状況だけど生きていくしかないというメッセージだったような気がします。状況を提示し見せるというところに留まらずに、一歩なりとも足を踏み出して欲しいですね。そこがもどかしいな。でも、状況の提示だけでも大きな役割って思わねばならないほど、この手の芝居はレアなのです。
 芝居がはねると、歩いて千日前のなじみのネットカフェへ移動。今日も、こちらで時間調整をしました。それから、今度は南森町に移動。自分的には、今年ラストとなる繁昌亭です。今夜は「年忘れ福笑とスーパーイリュージョン〜これならアホでもマジシャンになれる〜」があったのです。その番組は、次のようなものでした。智之介「牛ほめ」、たま「シザーハンズ」、福笑・たま・智之介・佳恵「スーパーイリュージョン」、(中入り)、佳恵「マジック」、福笑「今年もいろいろ」。初めての試みとなった会。どうやら福笑が、マジックをやりたいということで始まったようです。指導などにも関わったワンダフル佳恵によると、材料なども、福笑が集めたようで、箱に入って剣を突き刺すマジックに使った箱は、段ボール箱を使った手作りのものでしたし、壁抜けのマジックも、繁昌亭の備品を使ってのものでした。マジックで繁昌亭でも出番のある智之介は、別枠で時間をもらい、おなじみのコミックなマジックを見せ、ワンダフル佳恵に至っては、初めて見た喋りを入れたマジックを披露してくれました。どうやら佳恵は、あやめやメグマリコらがやっている「女芸人キャバレーナイト」で、喋りを覚えて、鍛えてきたようです。もう立派に喋りができるようになっており、完全に芸域を広げているので、俗に言う「化けた」ってやつになっていたのに、一番のビックリでした。もう一つ大きなビックリがありました。たまの「シザーハンズ」です。ネタ下ろしのときに聴いて以来ですから、久しぶりの遭遇となりましたが、このネタを、たまが、いろんな落語会で、わりかし出しているので、そこまで出すネタだったのかなぁと思っていたのですが、今日、久しぶりに聴いて、納得しました。映画の「シザーハンズ」をなぞる噺ですが、ハサミを使いいろんなものを作るのを、舞台上で見せるようになっていたのです。手拭いでティラノザウルスを作ってみせ、紙切りでミッキーマウスを作ってみせるのです。「ほうじの茶」のように、ミニ演芸落語的要素が入るようになっていました。福笑は、この日のために作った1年の振り返りネタ。今日が、ちょうど衆院選投票日ということで政治ネタから入り、オリンピック、お笑い界、果ては環境問題にまで噺は広がっていきました。そして、最後は「繁昌亭ラブソング」で作った替え歌2連発で締めくくりました。これが、今年最後の繁昌亭となりました。次に繁昌亭に行くのは、もう新年なんですね。ちょっと禁断症状が出てきそうなインターヴぁルに入ります。




2012年 12月 16日(日)午前 6時 55分

 昨日も、一昨日同様暖かな一日。ただ明け方は雨。早々にウォーキングは止めにしたのですが、なにかしらあわただしく、あっと言う間にお出かけ時間。昨日は、まずABCホールであった「赤鬼」の公演「ホワイトアンダープラネット」を観てまいりました。結構、関西の小劇場では有名な役者さんがいるにしては、観客動員数が伸び悩み気味の劇団です。台本が、ちょっと幼いかなという点に原因があるのではと、勝手に分析しています。昨日の芝居も、その傾向が看られたのですが、前半が、なかなかうまく作られていたので楽しむことができました。街に黒いサンタクロースが出るという噂が流れ、親のない子どもを拐っていくという。その調査をしようという警察官らの大人の集団が動こうとしている。もう一つの集団は子どもたちで、その内の一人は戦争孤児で、正に黒いサンタクロースの餌食になりかねない。ところが探検心が、逆に黒いサンタクロースで出るという噂の地下へ入っていく。とき正に、大人の集団も、調査のために地下に入っていく。ここまでは、二つの集団が同時に進行していると思わせたのが、今回の台本の技ありで、実は、20年後と20年前が同時に進行していたのですが、これで筋立てが、ぐっとクリアになりました。判ってきたのは、丸でドラエモンの世界でした。地上世界と地下世界が並行して存在しているという話なんですから。そういうでっち上げ話は、辻褄合わせが、どこまでうまく行くかが勝負の分かれ道なのですが、昨日は尻すぼみだったなぁ。ドラエモンの世界と言い、尻すぼみの終わり方と言い、どうしても幼さを感じてしまうのは、黄紺だけでしょうか。もっともドラエモンはおもしろいので、また次回も観てしまうのでしょうね。
 ABCホールを出ると淀屋橋駅まで歩き、「京橋」まで移動。昨日も、駅前のネットカフェで時間調整をすることになりました。そして、夜は、迷った結果、鶴橋に行き「雀のおやど」であった「雀五郎体力強化の会〜その38〜」に行ってまいりました。同じ時間帯に、ワッハで染左の会があったのですが、雀五郎の会は、最近ご無沙汰をしているということで、こちらを選びました。その番組は、次のようなものでした。團治郎「狸賽」、雀五郎「厄払い」、たま「三味線アリ」、雀五郎「崇徳院」。ネタ出しは、「崇徳院」を除いてされてありました。ですから、てっきり「崇徳院」のところに、ネタ下ろしが入るものと思いつつ、「厄払い」に引っ掛かっていました。雀五郎が、「厄払い」をしているか、いや恐らくないだろうと思うと、こちらがネタ下ろしになると、もう一つは何か、ひょっとしたら、ネタ下ろしが二つなのかとも考えていたら、「崇徳院」でした。「崇徳院」は、雀五郎がネタ下ろしをした頃に、3回も聴いていたのでがっくりときてしまうと、うつらうつらときてしまいました。一瞬、熊五郎が若旦那の部屋に入るときに、「この暑いのに閉めきって」などという台詞が入ったものですから、「千両みかん」かと期待したのですが、ダメでした。「厄払い」の方は、古風な噺なもので、あまり若い噺家さんは手を着けないのですが、それをやってくれて嬉しくて、昨日の期待の一番。もう店じまいをしようかという時間帯に、用心籠を背負った怪しげな男が歩くといううつけた噺なのですが、そのときの日暮れの雰囲気が出れば成功かなというネタかなと思っているのですが、昨日は、ちょっとしんどかったかなというところですが、ポイントは店の雰囲気でしょうか。助演はたま。たまがゲストで出る落語会が目白押しです。客席を沸かせる力に信頼があるからなのでしょうし、また人柄的に信頼も得ているからでしょう。通常、ゲストは、遠慮してハメ物なしのネタを出すのが、暗黙の了解になっているようなのですが、「三味線アリ」は三味線を使いたおす噺ですから、たまのチョイスというよりか雀五郎からの依頼があるかもと思いながら聴いておりました。




2012年 12月 15日(土)午前 7時 18分

  大阪市内遊歩(154)

 昨日は、朝から大変。明け方早く目が覚め、HPの更新作業をしていると、全てのファイルをバックアップしてある外付けのハードディスクがないことに気づいたから、大変。一昨日、必要があって職場には持っていったのだが、結局使わずじまいだったはずとの記憶。となると、電車の中で落としたかもとなり、完全にパニクりました。電車の中で、手袋を座席から落とした記憶がよみがえってきて、大変の二乗。とりあえずは職場に忘れてないか確認に行こうと、ほぼいつもの出勤時間に職場に行くと、出した記憶がないのに、きっちりと自分の机の上にありました。お騒がせです。結局、出勤の記録も残さず、ちょっとだけ仕事をして、1時間で引き上げました。そして、あとのことを考え、大阪市内に出てから、ウォーキングを開始。前回、急に京都市内でのウォーキングに切り替えたため、用意しておいた地図を持って出たのですが、考えたら、昨日は、梅田方向でのコンサートに行くということで、途中で、どのようにして引き返して行けばいいかを考えながらのウォーキングとなりました。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜坐摩神社行宮〜中大江公園〜大阪末吉橋郵便局〜大阪市立高津小学校〜愛染公園〜大阪市立美術館〜天王寺動物園〜新世界〜阪堺線踏切(恵美須西三丁目)〜大阪市立木津中学校〜韓国料理店「南大門」〜大阪木津卸売市場〜大阪中華学校〜敷津松之宮神社〜大阪市立塩草小学校〜大阪市立難波中学校〜地下鉄「難波」駅。最初の計画では、天王寺まで行ってから、更に南へ向かおうというもの。それを、大阪市立美術館まで行き、新世界に入り、時計を見ながら、難波に向かおうとしたのです。が、そこで、時間を間違えてしまい、10分早く切り上げそうになり、慌てて難波から遠ざかる道を取ったのですが、そこで失敗。道が曲がっていたため、知らぬ内に南西方向に歩いて行ってしまっており、想定以上に難波から離れてしまっていたのです。幸い大事に至る前に気がつき修正。今までのウォーキングで、かなり道を覚えていたということで助かりました。昨日は、結構暖かく、一層のウォーキング日和でした。
 難波では、体を休める目的で、御堂筋近くのネットカフェへ。この流れでは、最近、間違いなく寝てしまうので、その予防策です。そして、その効果が、きっちりと出た日でもありました。それから難波から「淀屋橋」に移動。午後は、「フェニックス・ホール」であった「ウェールズ弦楽四重奏団」の演奏会に行ってまいりました。室内楽は、小ぶりのホールでしか聴かないことにしているため、なかなかコンサートに出会うことができないところへ、こないだびわ湖ホールに行ったときに、このコンサートの情報を得て、行くことにしました。気鋭の若手が集まってのカルテットです。プログラムは、冒頭にモーツァルトの第20番、次いで、自分的にこの日のハイライト、リゲティの弦楽四重奏曲 第1番「夜の変容」 、休憩後は、ベートーヴェン「ラズモフスキー第2番」ということで、現代音楽を挟んで、古典の名曲が並べられました。ミュンヘン国際音楽コンクールで入賞という触れ込みに惹かれて行ったのですが、正直、最初のモーツァルトが始まったときには、騙されたかと思ってしまいました。楽しんでないどころか、ぎこちないのです。音が弾まない、音をなぞっているとすら思いました。ところが、2楽章から変化がみられだし、3楽章になると、天衣無縫とまでは行かずとも、軽やかさ、楽しさというものが出てきました。どうしても、始まりは緊張するのかなぁ、それの為せる業と了解。ラズモフスキーは、内から沸き立つようなリズムは出なかったけれど、リゲティは良かったなぁ。野性味たっぷりで、そういった音の流れで合奏が合うと、気持ちいいですね。黄紺は、リゲティって、ソ連の作曲家だと思いこでいましたが、ハンガリーの、しかも、共産主義政権のもと、ラジオから聞こえてくる西側の音楽を聴いて、先端音楽の勉強をしたということを、解説書で読み知ることになりました。そうして聴くと、バルトーク・テイストが色濃く感じられ納得です。後半が始まる前、会場の責任者からもお話があったのですが、会場内に異音が流れていました。もーつぁるとのときの3楽章に入る前には、第1ヴァイオリンの方が、明らかに音を気にされていることもわかり、正直いい気分のするものではありませんでした。最後まで原因が判らず、異音は流れっぱなし。ベートーベンのときも、ピアノになると異音が重なり気になる始末。室内楽を聴くにはいいホールなのに、こればかりはいただけません。最初気づいたときは、誰か客の手持ちの機器が業をなしているのかと思ったのですが、方向からして、ホールの機材でしょうね。客の持っている何かに反応している可能性は否定できませんが、、、。そないなことで、ちょっと不満も残りましたが、平日の午後にも拘わらず、客席は、ほんの僅かの空席はありましたが、ほぼ満席。年配の方、それに専業主婦の方でしょうね、40台、50台と思しき女性で、客席は占められていました。こういった空間があったのですね。新しい経験をしたような気分でした。
 コンサートが終わると、今度は、「京橋」に移動し、こちらのネットカフェで時間調整。夜の食事会に備えました。かつての職場の同僚とお楽しみの食事会、年末恒例です。そんなにたくさんお酒を呑んだわけではないのですが、明け方に目が覚める前のことを、よく覚えてないのです。ゴミ箱に、アイスクリームの包みが捨てられていますので、どうやら帰りに買ってきたようです。そう言えば、食べたかなぁっていう具合で、危なくって仕方ありません。




2012年 12月 14日(金)午前 5時 22分

 昨日は、ちょっとだけ寒さが和らいだかなという一日。でも、黄紺の手は、まだまだ寒さに負けています。かつて受けた脊髄の手術の後遺症で、手の動きが悪いのですが、寒さにも猛烈に弱く、特にここ3年ほどは、寒さにたじたじとなっているのですが、その手にとっては、この程度の回復具合では、冷たく、動きが悪いままです。ま、それが良くなることはないので、対策を考えるしか仕方のない日々です。で、昨夜は、「京都文化芸術会館」の和室であった「桂文我上方落語選京都編」に行ってまいりました。毎月行われている会なのですが、なかなか行くことの叶わない落語会でもあります。2日連続で、文我さんの会をハシゴすることになりました。その番組は、次のようなものでした。まん我「刻うどん」、文我「祝いのし」、宗助「抜け雀」、文我「二番煎じ」、(中入り)、文我「豊竹屋」。この会では、まだまん我がトップに出ます。こないだ「動楽亭昼席」で寝込んでしまった「刻うどん」が出ました。二人ヴァージョンでした。一点だけ目立った変化は、前半食べたあと、二人が走って逃げるなんてのがありました。もちろん清八指示で、喜六は、わけが解らないまま走ります。文我の一つ目は「祝いのし」。アブナイ系の噺と、黄紺がいつも書く噺ですが、文我は、アブナイ人という描き方を避けているような感じですが、どないに考えても、この夫婦はおかしい。あまりにしっかり者のかみさんに、ものもまともに言えない亭主の組合わせは、危険な臭いがしてしまいます。文我は、熨斗の種類に入るところで飛びそうになったためか、喜六が、実際に家主と応対する前で切っちゃいました。ゲスト枠は、盟友宗助。マクラで、何でも鑑定団の話をし出したので、てっきり「はてなの茶碗」だと思っていたら外されました。文我の2席目は「二番煎じ」。宗助がゲストということで、宗助いじりを楽しもうという文我のお遊び的ネタ選び。でも、ここでダウン。序盤の火の用心回りの途中から下げまで飛んでしまいました。ここで、もう8時半をたっぷりと回っている。いつも、会場の都合が気になってきます。文我の会は長いのです。すると、今日は気を遣ったのか、短い「豊竹屋」でお開きになりました。冒頭、風呂につかっている豊竹屋は同じなのですが、熱いお湯が上がってくる前に、2つほど浄瑠璃が入りました。文我オリジナルか、原型なのか、判断がつきかねています。ところで、黄紺の前に座った女性、ほとんど正座、まいったなぁ、舞台が見えない。和室で聴く落語会は、正座は慎むものという落語会の暗黙の了解が解っていない。そこだけ、ぽこっと壁ができるということが解っていない。世の中には、困ったちゃんがいるものです。




2012年 12月 12日(水)午後 11時 40分

  京都市内遊歩(29)

 風が治まり、陽射しも出てきて、昨日までとは、かなり違うお天気具合。ありがたいことです。今日は、1週間ぶりにウォーキングを行えました。アクシデントなどでできてなかったウォーキングには、うってつけのお天気になったのは、まことにラッキーなこと。最初は、大阪に出てからウォーキングをしようと、地図の準備までして出かけたのですが、所用を済ませたところ、急に気が変わり、京都ですることに。ですから、細かなコースなどは用意せず、アバウトな構想で動きました。そのコースの詳細は、次の通りです。伏見稲荷大社〜京阪電車「鳥居前」踏切〜龍谷大学〜京都下川原郵便局〜京都府自動車学校〜地下鉄「くいな橋」駅〜水鶏橋〜京都拘置所〜卯の花橋〜最然寺〜京都市立上鳥羽保育園〜鍋ヶ渕児童公園〜塔ノ森橋〜小枝橋〜鳥羽離宮跡公園〜城ノ越公園〜西丹波橋〜鞍馬湯〜毛利橋〜京都市伏見中央図書館〜京阪電車踏切(京町大黒町)〜近鉄電車橋梁(京町大黒町)〜近鉄「丹波橋」駅〜京阪「丹波橋」駅。ウォーキング後は、大阪に向かわねばならなかったものですから、できれば京阪特急の停まる駅を終点にしたいと考えて歩いたため、あまり西に行き過ぎると、また戻ってくるのが大変ですから、桂川までは、少なくとも行かないということだけは、心に留めてのウォーキング。ですので、出発後1時間で、西に向かうのは断念。すると、あまり西には行ってなかったようで、30分以上残して、丹波橋通に入ってしまったため、迂回して「丹波橋」駅に向かうことにしました。結局、特急の出発時間に合わせて、「丹波橋」駅に入ったため、4分ほど足らないで切り上げることにしました。
 「丹波橋」から大移動で「京橋」へ。駅前のネットカフェで、今日は時間調整。それから「玉造」に移動し、「サンクスホール」であった「猫魔川寄席」に行ってまいりました。なかなか予定が噛み合わず、久しぶりとなった落語会です。文我の出す珍品がお目当ての会ですが、今日は、中でも大作「長襦袢」がお目当て中のお目当てに行ってきました。その番組は、次のようなものでした。福丸「雨乞い源兵衛」、文昇「二十四孝」、文我「長襦袢」、(中入り)、楽珍「鍬潟」、文我「三人兄弟」。福丸が「雨乞い源兵衛」を手がけているとは知りませんでした。枝雀の噺ですから、他門の噺家さんがするのは、知っている限りでは初めてです。節目に出てくる百姓二人をデフォルメすることなく、わりかし平板に口演。最後は、どないにケリをつけるんだろうという期待感のある噺ということは、佳作の証拠でしょう。福丸がやったならということで、若い噺家さんで、手がける人が出るかもしれません。文昇は、1年前に出したネタ3つが、この1年で、全部出てしまったということで、まだ3回目だという「二十四孝」。これも、確かにやり手がいない。すぐ思い浮かぶのが米二くらい。ネタ自体は、単純なもので、親不孝者を、二十四孝のエピソードで諭すというもの。文昇は、落ちが夏物になっているので、冬物を考えたのだが、結局夏物の落ちでいく替わりに、考えた冬物の落ちを言っておきますと言ってから、ネタに入りました。その冬物の落ちというのは、「冬でんがな」というもので、ま、落ちにはなりますが、非常に皮肉な落ちになる「私が夜通し扇いでたんや」の方が、文昇の判断のようにベターだと思いました。「長襦袢」は、2回目の遭遇。もちろん前も、文我の口演でしたが。「長襦袢」は、「ステテコ踊りの円遊」の落語録に記されているものを、上方に移植したと言ってました。亭主の浮気に落胆して自害した女の血が滲み込んだ長襦袢の行方と、浮気相手の女の部屋にあった行灯の行方が重なったところで起こる不思議現象がクライマックス。不可思議なことを考え出すものです、落語作家という人は。でも、結構陰惨な噺でもあります。楽珍は、ホント久しぶりの遭遇です。自身も相撲の経験があり、息子さんは、現役の相撲とりということで、たっぷりと相撲にまつわるマクラをふってくれました。「鍬潟」も、めったに出ないですね。2尺2寸という男が、相撲とりに憧れるという無茶な噺というか、これまた落語の世界の不思議な噺。大きな展開があるわけではない、ただ小柄な男と相撲というミスマッチを楽しむネタです。「三人兄弟」も、今、このネタを持ってるのは、笑福亭の師匠連と、生喬、、、あとは宗助がやるんでしたっけ? なんか笑福亭の噺という印象の強いネタです。三人の兄弟が、茶屋遊びが過ぎ二階住まいを命じられているところからスタートとなると、お約束は、そこから抜け出す噺ということになります。文我は、上の二人には、キャラ付けは薄く、末弟だけを色濃く描くことで、放蕩者3人を印象付けるという手法を採りました。妥当な判断と看ました。この落語会は、毎回時間がかかるのですが、今日は、ほぼ3時間かかりました。もう帰るのが大変です。




2012年 12月 11日(火)午後 11時 10分

 寒いです。思いっきり寒いです。年内に、ここまで冷えられると、冬の旅行以前に、「寒い」を連発しています。昨日、今日と連続での勤務。思いっきりデスクワーク。昨日は、夜遊びなしということで、たっぷりとお仕事。お目めが虚ろです。今日も、一人取り残された部屋で、仕事に精を出しました。ま、今日は、落語会に行くまで、仕事をしながらの時間調整を兼ねてはいましたが。その行き先は「中崎町」。お寺での落語会です。何度もおじゃまをしている「提法寺寄席」です。さこば門下の二人の噺家さんの会です。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、そうば「十徳」、ひろば「禁酒関所」、そうば「壷算」。どうも落語を聴くには、コンディションがよくありませんでした。仕事疲れのうえ、この2日の寝不足が重なってしまいました。「十徳」の後半から「禁酒関所」にかけて、こっくりときてしまったのです。殊に「十徳」は、あまり口演される機会の少ない前半部分をしっかりとやってくれたのですが、すでにボヤーッとし出していたのでしょうね、思い出せないのです。プチっと切れてしまってるのは、「如く如く」のあとからなのですが。でも、序盤だけを聴いていると、「十徳」だとは判らないですね。まともに聴けたのは、従って「壷算」。だけど、ちょっといじり過ぎたため、あまり良くない出来。そうば自身の会で聴いたときよりいじってたのじゃないかなぁ。二荷の壷に買い替えるときに、また値切ります。ですから、最初値切ったことの効果が消えてしまいました。最後の壷屋の困りが可笑しさを誘うところなのですが、「3円で下取りしたのを3円50銭で売れるやないか」と言って、壷屋を喜ばせてしまうので、困ってないはずの壷屋が困っているという、わけのわからない展開になっていってました。ということで、そうばの「壷算」は、原点に戻り立て直しの必要があるみたいです。落語は、そないな調子だったのですが、冒頭の「トーク」はばっちりでした。毎回、前回からの開催からの間にあった出来事の報告が行われます。そうばは、吉弥の独演会に付いて、熊本に行き、吉弥のおごりで高価な馬刺を食べた話。ひろばは、スーパー銭湯であった落語会で、食べ放題、風呂入り放題をしてきた話。「放題」と言われたとき、噺家さんは、事務所のことなどを考えて、「かげん」に頭を痛めるようです。なお、ひろばが佐ん吉と組んで、「戸板返し」という芸が、繁昌亭でも、色物としての出番をもらったそうです。2月の昼席だと言ってました。昨日まで繁昌亭の番組表には出てませんから、耳より情報となりました。米朝事務所の若手が出た「十九ボックス」という大きな会の色物として披露したのが、目に止まったもののようです。




2012年 12月 9日(日)午後 11時 51分

 今日は、世界の超有名オーケストラの年末コンサートのチケット発売日。ところが、朝になり発売時間が、日本時間の夕方と判明。その時間帯には、外したくない落語会を予定していたため、同行者にチケットの手配をお願いをしたのですが、全く、外国のウェブサイトから、チケットの手配などされた経験をお持ちじゃないから、それからが大変。電話で、コンピュータの操作の講釈をしながらのシミュレーション作業。おかげで、予定していたウォーキングが吹っ飛んでしまいました。その外したくなかった落語会とは、「成恩寺」であった「生野弁天寄席」。今日が、会場の都合でファイナルだったのです。生喬のネタ下ろしの会として行われてきた落語会です。とっても足の便の悪い会場に、これまで何度通ったことでしょう。その番組は、次のようなものでした。生寿「七度狐」、南天「素人浄瑠璃」、(中入り)、花丸「平成宗論」、生喬「寄合酒」。「らくごリラ」のメンバーをゲストに迎えたのも、ファイナルらしいチョイス。にも拘わらず、南天のところで虚ろになってしまった黄紺、朝早く、目が覚めてしまったツケなんでしょうね。生寿は、オーソドックスなものを聴かせてくれるのかと思っていたのですが、おさよ後家の棺桶が運び込まれてくるときのお囃子付きの部分がカットされていました。せっかくオリジナル版を期待したのですが、笑福亭では、これが型なんでしょうか? 花丸は、マクラで宝塚ネタ、客は、よく知っているので、やんやの喝采。「宗論」は、神社の家で育った息子が、教会通いをするというもの。生喬のネタ下ろしは「寄合酒」。前座ネタを今更ということに関し、マクラで弁明をしていました。師匠松喬の「寄合酒」は、吃音の男が出てくる独特なもの。松喬が元気な間に教えてもらっておこうという狙いのようです。三喬でも聴いたことがありますが、笑うに笑えない吃音男。魚をさばくのが、この男なものだから、ますます笑えなくなってしまい、聴く方の張りが失せていきます。金だらいで酒を買ってくる部分を久しぶりに聴きました。すりこぎ探しの場面はありませんでした。生喬曰く、「ネタ下ろしの時は、元の型、即ち教えてもらった通りに演じる」ですから、ないのはないのです。軽い前座ネタなのだから、力を抜けばいいのに、生喬は気が乗ると、声が大きくなり、バランスを崩してしまいます。冒頭が、そないな感じが出てしまいましたね。ということで、18年余続いた会が終わりました。やはり寂しいものですね。
 終わると、慌てて電話。チケットを取るのが大変なことになっている由、アクセスが殺到して、買えないかもと思い始めましたが、黄紺が歩いて天王寺に着くと、取れていました。最後の4枚の内の2枚をゲットできたそうです。これで、冬の旅行の用意が、全部整いました。天王寺に向かったのは、ネットカフェで時間調整のため。それから、夜は「イスタンブール・コナック」へ。昔の職場の同僚との会食。9月以来です。お腹いっぱい、お酒いっぱいで、いい夜を過ごすことができました。




2012年 12月 8日(土)午後 11時 53分

 3連休の中日。ウォーキングをするつもりが、夜中に目が覚め、明け方になり、お酒の力を借り、ようやく眠れたため、ウォーキングのための時間を取れず断念。お出かけは11時がメド。午後の行き先は「一心寺南会所」。今日は、「一心寺門前浪曲寄席」の日でした。その番組は、次のようなものでした。春野冨美代(沢村さくら)「梅川忠兵衛」、京山幸枝司(岡本貞子)「破れ太鼓」、真山一郎(真山隼人)「冥土の早籠」、京山幸枝若(岡本貞子、京山幸光)「不死身の小鉄」。浪曲の会でのダウンって、ほとんど経験してないのですが、今日は、それまでは、全くその気がなかったにも拘わらず、始まると間なしにダウン。最初の二つが、完全に吹っ飛んでいます。春野百合子の持ちネタの中では、1回しか聴いたことのない「梅川忠兵衛」が出たのにと残念がっても、完全に後の祭りです。真山一郎は、今席の3日間を、「忠臣蔵」で通すそうです。この人の「忠臣蔵」ものは「松の廊下」だけと思っていましたので、嬉しい情報です。「冥土の早籠」は、萱野三平ものです。浅野家断絶の一報を知らせたエピソード、忠孝の間で自害するエピソード、萱野三平の二大エピソードが無理なく収まっていました。いいとこ取りをする浪曲では、あまりないことですね。もっとかければいいのにと突っ込んでしまいました。京山幸枝若は、今月は3日ともトリ。「不死身の小鉄」と、お家芸的な会津の小鉄ものを出してくれました。会津の小鉄ものは、そのような認識でいるのですが、実際にはなかなか遭遇する機会がないのが惜しいところです。今日のネタは、会津藩内部の小者同士のいさかいの中で、相手の頭目に恥をかかせたということで、小鉄が襲われる話なのですが、この話が、どういったコンテキストにあるかは、全く解りませんでした。浪曲で、よくある話で、恐らくいいとこ取りをしたのでしょうが、これだけしか聴いてない者には、困ったこととしか言いようがありません。
 一心寺を出ると、歩いて千日前へ移動。今日も、おなじみのネットカフェで時間調整です。それから、また歩いて西大橋へ移動。「堀江アルテ」であった「松喬一門会 ホリエでアルテ」に行ってまいりました。3回目になる新しい会ですが、自分的には2回目のおじゃまとなりました。その番組は、次のようになりました。喬介「米揚げいかき」、右喬「向う付け」、松喬「借金取り撃退法(掛取り)」、(中入り)、三喬「がまの油」、生喬「ねずみ」。松喬が出るからでしょうか、大変な入り。開演前25分以上前に行った段階で、椅子が足りなくなり、エレベーターを使い、会場に搬入していたほどでした。喬介の描くアホな男は、喬介のキャラと重なるから、明るく陽性のくったくのなさが出るので、お得ですが、「米揚げいかき」の男にしては、アホげ過ぎる感じがしました。次の「向う付け」の男の方が、アブナイ系なのですが、アホ度は同じレベルまできていました。右喬は右喬で、ネタを聴くというより、右喬を聴く楽しみがあります。危なっかしい口演そのものが、もう一つのパフォーマンスになっています。そして、お待ちかね松喬。これだけ入ったということは、今日は、松喬は大丈夫という情報を、皆さんは持っていたということなんでしょうね。発病以来恒例となっている「病状報告」が、マクラで語られました。思い出せば、この会の第1回目に、松喬は、特別出演をして「病状報告」をしました。あれが、初めてでした、発病後の肉声を聞いたのは。今日は、最初の入院のことも、思い返しながら語られましたが、かなりの状態からの出発が、どの程度のものだっかが語られ、抗がん剤治療や放射線治療の副作用で、入院を余儀なくされた話なども、随分と長く語られましたが、病気の治療が、一本道ではないことが、よく判ったのですが、それはそれで、気の滅入るところがありますが、滅入っちゃうと、それはそれで、厳しい状況が、更に生まれるのでしょうね。ネタは季節のもの。ちょうど先日、生喬が、ネタ解題的な話をした際、笑福亭の「掛取り」は、狂歌とケンカだけで終わると言ってたまんまの型を見せてくれました。また、下りる直前に「借金撃退法でした」と言ったのも、生喬の言ってた通りです。三喬の「がまの油」は、全くの初物。三喬のお酒の噺は、「住吉駕籠」くらいかなぁ。あとのネタのときと比べると、格段に落ちますね。トリの生喬の「ねずみ」は初物のはず。いい「ねずみ」でした。ねずみ屋の主人の語り口が気に入っちゃいました。落ち着いた、酸いも甘いも噛みつくしたって雰囲気が出てました。諦観なんてものも見えたような気がしたのが、良かったと思った原因かもしれません。生喬ベストに入れていいでしょう、まちがいなく。この会は、生喬が世話役だそうです。毎回、松喬と三喬が出て、喬若までがトリをとるそうです。生喬が言うには、いずれ右喬がトリをとる日が来るという怖いもの見たさの予告をしていました。




2012年 12月 8日(土)午前 4時 43分

 昨日は、午前中は、年賀状の住所書きをして、午後からは繁昌亭の昼席。一昨夜の名残で、白鳥が昼席に出てから東京に戻るということで行ってまいりました。その番組は、次の通りです。松五「動物園」、風喬「金明竹」、白鳥「ナースコール」、ナオユキ「漫談」、生喬「掛取り」、雀松「片棒」、(中入り)、朝太郎「マジカル落語」、米左「禁酒関所」吉次「私がパパよ」、きん枝「孝行糖」。松五は久しぶり、確かに腕を上げてきています。繁昌亭大賞の輝き賞までに至っているかは、判断する人間の感性の問題でしょう。その松五の後半から風喬で、なぜかダウン。あまり寝られなくて、朝早く目が覚めてしまったせいでしょう。白鳥は、おバカなナースのどじる噺。単線的で単純に笑えるネタ。定席にはぴったりです。生喬の「掛取り」は繁昌亭ヴァージョン。狂歌と河内音頭で、宝塚は外されていました。致し方ありません。雀松は、えらく長くマクラをふるので、あの甘い甘いお噺かと思ったら、鉄板ネタが出ました。ここまで、メンバー充実で、まともな笑いが多く、それを受けたのかな? 雀松が文之助なんですね。これは驚いたなぁ。米左は「禁酒関所」だったので、ドキリとしました。きん枝のネタを消しちゃったからです。わざとやったのか、きん枝と合点の上か、、、そないなことを考えてしましました。ただ、米左は間の開け方と引っ張る発声で、このネタのおもしろさが減じてしまってました。吉次は、繁昌亭で2回連続で同じネタに。このネタにかかり切ってるのかな? そのためか、完全に自分のネタになっていました。客の支持している空気感がありました。クサイくすぐりが続くという感じが消えましたから、当然の空気と看ました。そして、きん枝は、吉次のネタを受けてのマクラ。丁度、きん枝は子育て真っ最中ですから、タイミング良すぎます。ネタは、聴き慣れたものなら、久しぶりに聴いてみたかったものですが、残念ながら新ネタは出ませんでした。色物を含めて、とってもいいラインナップの昼席。客の反応も、至極納得のいくもの。いい昼席に当たったものです。
 繁昌亭を出ると太融寺近くまで歩き、東通りのネットカフェへ。2度目のところでしたが、夜まで2時間余りの時間調整。そして、夜は、「HEP HALL」であった「空晴」の公演「これまでの時間は」に行ってまいりました。日常の何気ない風景を切り取った芝居を続けている劇団との認識、あまりに小さな芝居との認識を持ってしまい、見切りをつけるかもの気持ちで観に行きました。ところが、前に観たときと違い、確かに小さめの話なのですが、おもしろく作ろうとの意識が明確で、ハートウォーミングな内容から、見切りなんてとんでもないことという風に思わせられた公演でした。一つは、若い役者が入り、幅のある芝居が組めるようになったのと、稲荷卓央(劇団唐組)という、えらく大物を客演に迎えたことがあるのでしょうね。ストーリーは、親の事情で生き別れになった兄弟の再会、そこに生まれるわだかまり、弟の方の娘の進学、兄の方に対する放火犯の疑い、弟の方の妻が、親の介護のために別居をしている問題、その妻の弟が介護に対し責任を感じていること、弟の方の家のお隣さんの夫婦が離婚の危機にあること、これだけのことが絡められるが、誤解を生むように仕掛けが施されている。その誤解を生む原因は、客の目には明らかにされているので、なぜ誤解が起こっているのかは客には判っているので、誤解が生まれるおかしさを楽しませてもらえると同時に、やきもきさせられるという展開になっているという仕掛け。なんか、松竹新喜劇や家庭劇が埋めていたスペースに入り込んだような芝居です。誤解を生むようなわざとらしい仕掛け、当事者の一所懸命さのおかしさ、ハートウォーミングな大団円、笑わし役の大阪のおばちゃん丸出しのキャラ、、、確かに小さな物語です。一昔前までなら、わざわざ劇団をこさえて、梅田の一等地でするような芝居かなというような芝居です。でも、今は、これが、芝居のトレンドの一ジャンルです。立派に大地に根を張っている一ジャンルです。それが、現在のトレンドならば観続けようじゃないかという気にさせられます。会場には、春野恵子さんが観に来られていました。一般客と同じように座ってられると、やっぱ元女優さんですね、目立っちゃいます。簡単に判りますね。




2012年 12月 6日(木)午後 11時 43分

 今日は、一段と寒い日。寒い寒いと思うと、冬の旅行が心配になってきます。ほぼ2週間と迫ってきました。で、今夜は繁昌亭。「東西同期会」という強者揃いの会がありました。その番組は、次のようなものでした。遊方「憧れの一人暮らし」、文左衛門「笠碁」、(中入り)、白鳥「人間の欲望」、鶴二「三十石」。冒頭で、4人が挨拶替わりに顔見せ。じゃいけんで出番を決める。但し、繁昌亭では、協会員しかトリをとれないというルールがあるということで、遊方と鶴二でじゃいけんをして、トリとトップを決め、白鳥と文左衛門がじゃいけんをして、中トリともたれを決めました。遊方は、おなじみの鉄板ネタ。文左衛門は、初の繁昌亭で、かなり緊張の面持ち。東京の寄席で見せる奔放さは、すっかり影を潜めていました。しかも、ネタが「笠碁」ということでびっくり。確かに、晩秋のネタだけど、でももう冬だけど、東京らしいネタを選んだのかな。それとも、遊方からの色代わりを狙ったのか、そのあたりは判りませんが。碁仇の二人は、町内の古株という言い方は出てくるのですが、キャラ的には、その趣を感じさせないままでしたし、従って、秋の長雨っぽい雰囲気もなしで、ちょっと期待が外されたっていうところかな。白鳥のネタは2度目の遭遇。飽食の男の内臓がものを言い出し、体の不調訴えていくという、白鳥ならではの斬新さ。本日の秀逸ベストでしょう。鶴二は、マクラで、駆け出しの頃、志ん朝師に着いた思い出話を披露。初めて聴いた話でした。「三十石」は、中書島の浜から、通常の進み方。枚方まで行かず、舟唄で切り上げました。




2012年 12月 5日(水)午後 10時 52分

  大阪市内遊歩(153)

 今日は、陽がかすかにさすという程度のお天気。やけに肌寒い一日。ちょっと間があいていたウォーキングをしました。午後の予定を考え、早めに終わらせたかったのですが、どうも思うにように事が運ばず、結局ギリギリにお出かけ。そのウォーキングの詳細なコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜インド料理店「タージ」〜タイ料理店「TAWAN THAI」〜「大阪南船場」郵便局〜「新橋北」交差点〜フランス料理店「La belle vie」〜「新町3南」交差点〜松島橋〜松島公園〜松島〜「大阪南安治川」郵便局〜安治川トンネル九条側入口〜JR環状線安治川鉄橋〜安治川大橋〜安治川水門〜弁天埠頭臨港緑地〜金銀堂威張り地蔵尊〜インド料理店「アサー」〜JR環状線「弁天町」駅。少し「淀屋橋」から「北浜」寄りの道を南へ。そして、千日前通の少し北を西へ。とても単純なもの。と思っていたら、四ツ橋筋に出る手前で、えらく迂回。思うようには、スムーズにはいきません。松島橋を渡る手前で58分経過。あとは安治川水門まで行き、安治川沿いに安治川水門まで行き、そこまで行くと、あとは時計とにらめっこをして、終点に向かうだけ。安治川トンネルから安治川水門までの安治川左岸の道は久しぶりのもの。ついでに弁天埠頭まで行ったところ、トイレを借りたくなり、加藤汽船、関西汽船の船乗り場に入ろうとして、初めて気づきました。あすこは全部閉鎖しているのでてすね。関西汽船の入口に貼り出してあった紙をみると、大阪港に統合されたということのようでした。これまで何度か前を通りながら気づいていませんでした。
 「弁天町」から、環状線一本で「新今宮」に移動。午後は、「動楽亭昼席」に行ってまいりました。今日は、南光がトリ、雀三郎が中トリという豪華版。その番組は、次のようなものでした。二乗「癪の合薬」、まん我「刻うどん」、米平「桃太郎」、雀三郎「素人浄瑠璃」、(中入り)、米紫「秘伝書」、南光「火焔太鼓」。ウォーキングあとの疲れが、やはり出ましたが、「刻うどん」と「桃太郎」のところだから、ま、今日は許しましょう。お目当ての二人は、大当たりのネタを出してくれました。雀三郎の「素人浄瑠璃」は、聴いたことあったかなぁ? 自信はありません。冒頭は、旦さんが声の調子を整えているところから始まりました。それから久七の報告に入りました。途中で、雀三郎自身が、「このやかましいのはうちの芸風です」と言い、笑いを誘っていましたが、このやかましいというのが、とってもいい味を出しているのが、最近の雀三郎ですね。南光の「火焔太鼓」は、全くの初物。手がけているのは知っていましたし、最近よく出しているようですので、遭遇はラッキーなことです。この南光の口演には、著しい特徴があります。道具屋の夫婦の設定です。妻が、先代の娘で、夫は奉公人上がりで養子というもの。そのため、未だに妻のことを「お嬢さん」と呼んでいる。しかも、お人好しで、商いの目角が利かないときている。ま、この部分は、東西誰がやっても同じですが。また、いかにも東京ネタのテンポのいい噺という印象が強いものですから、テンポを意識的に落とし、もっちゃりした味にこだわっていました。それはそれで、このネタを扱う上での立派な見識で、首肯できるのはできるのですが、いかんせん、志ん朝に代表される東京テイストに、我々の耳が慣れているものですから、最後まで違和感が残りました。そんなですから、下げは入れなくて、「おめでたいお噺でした」で終わりました。この二人以外は、おなじみネタばかりでしたので、メモることもないかということで、割愛です。
 動楽亭を出ると、歩いて文楽劇場まで移動。文楽1月公演のチケットを買い求めました。それから、今度は堺筋線で「扇町」に移動。夜に備えて、「天満」駅近くのネットカフェで時間調整。夜は、その近くの「北区民センター」であった「天満講談席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南斗「赤垣の婿入」、南湖「袖付橋危難」、南左衛門「黄門と淀辰」、南北「向島雪の別れ」。両脇に、「赤穂義士銘々伝」からの読物を配置した義士月らしいラインアップ。「赤垣」は、むろん赤垣源蔵の結婚話。奥さんは、かなりの小柄でかぼちゃ顔とされています。そのため、婚期が遅れていたところで、源蔵に出会う。源蔵の結婚話にも、兄が深く差配をしています。二人の強い兄弟の繋がりが判ると、余計に「徳利の別れ」がせつなくなります。「雪の別れ」は、間十次郎の物語。間十次郎は、吉良を見つけた功労者。ですから、こうした胸の詰まる物語が生まれたのでしょうね。討ち入り当日の出来事という設定が、余計に、この話に緊迫感を高める要素です。このネタは、いろいろと手がける人の多いネタかと思いますが、こればっかは、何はさておいても南北さんのしんみり、じっくりの語り芸に軍配です。雪の降る土手、その冷たさ、中でも物乞いをする子どもの手の冷たさまで感じさせてくれます。今日は、御大お二人のネタが出されていませんでした。出していた南湖さんの「袖付橋」が、実はお目当てで、あとは外してもいいかの気分で行ったほど。南湖さんが、探偵講談以外で、明治ものをやったことってあったかなぁの気がしたもので、聴いてみたくなったのです。「袖付橋」は、若き日の井上馨物語です。長州藩が幕末に二分されていた頃、テロの標的にされた井上馨、生死を彷徨い、九死に一生を得るのですが、このネタのいいのは、それから数十年後、井上がテロリストと再会する話が付くところ。この後半部分が控えていることを考えると、落ち着いたどっしりとした語りは、年の功かなというところで、南湖さんが加齢していくのを待つことにした方がいいかなと思って聴いておりました。「黄門と淀辰」は、南左衛門がよく出すネタ。お取りつぶしになった淀屋が、借金回収するのを助ける黄門様です。「水隠梅里」が、講談では印籠の役割を果たします。この講談会で、おそらく講談会は、今年は打ち上げです。ちょっと講談とのお別れが早すぎますね。




2012年 12月 4日(火)午後 11時 36分

 昨日は、特に夜遊びに出かけたいところがなく、まっすぐに帰宅。そして、今日は、根を詰めたデスクワークに終始。お目めがボーッとしたまま、夜遊びにお出かけ。今夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」です。毎月定番の会です。この会も、ワッハが結局貸し館的事業は止めるようで、4月以降の身の振り方が決まってないようです。ま、それはおいておいて、今日の番組は、次のようになりました。南天「前説」、生喬「按摩炬燵」、南天「貧乏神」、(中入り)、南天・生喬「対談:夕焼け日記」。「按摩炬燵」の方があとかと思っていたら、先でした。聴き終わってみると、噺の長さでは、さして変わらないのですね。「按摩炬燵」も長いという印象はなかったのですが、「貧乏神」はもっと短めのネタだと思っていました。考えてみたら、「貧乏神」っていうネタ自体、自分が好きじゃないからだということだなと納得しました。なんで貧乏神なんでしょうね。ぐうたらな男が、更にぐうたらさをつのらせるだけじゃないかって思うというか、それのステップアップに、貧乏神が踏み台になっている、貧乏神が踏み台になると可笑しさが出るというのが、なんともしっくりこないのです。南天でしか遭遇しないのですが、そんなだから、枝雀一門でもやろうとしないのかどうかは知りませんが。とにかく自分的には、好きくないネタですね。「按摩炬燵」もあまりやり手のいないネタ。一時は、目の不自由な人を、炬燵という道具化するというので、自主規制のようにして、滅多に出なかった時期があります。ちょっとそういった感覚が、最近では遠のいたような印象を持ちますが、そしたらそうで演じ手がほとんどいないという現実が残りました。今日の生喬と、師匠の松喬くらいしか、なかなか遭遇できなくなってしまってます。松枝は手がけてるのかなぁ? とまあ、あとが続かないのです。確かに、お酒の噺だし、按摩の徳兵衛さんの位置付けが難しいでしょうね。へりくだる部分もいるでしょうし、おおらかに対等に喋る部分も必要。応対する番頭も、上から目線的演じ方の目線の角度なんでしょうね。やらしくなるか、リアリズムに徹するか、敢えて角度をつけないか、、、難しい噺です。生喬は、徳兵衛の方から、炬燵になることを提案させていました。酒を呑みたさにという理由で。これは、秀逸な演出で、番頭の上から目線の角度が、ほぼ消えました。ほぼですが。むしろ下から目線を持ってこさせるのですが、それには、酒という目的物という見返り狙いからきているというしたたかさが隠れているというので、下から目線にやらしさが出てこないのです。おまけに酔い方がいいものだから、とっても楽しめる「按摩炬燵」が出来上がっていました。対談では、二人の年末の予定などが話題になっていました。芸談が消えて寂しいのですが、それはそれで、いろいろと裏話を聞けてありがたい時間でした。




2012年 12月 3日(月)午前 0時 36分

 この週末は、体調不良からの快復待ち、冬の旅行準備優先ということで、ウォーキングはカットしました。音楽会3連続も終わり、今日は、講談とインド映画の日。なんか久しぶりにミナミを歩いたという感じがしました。まず、「トリイホール」での「トリイ講談席」です。今日は、「特撰!珍品*義士伝三本勝負」と銘打って行われました。その番組は、次のようなものでした。南湖「弧忠の義士・磯田源右衛門」、南華「党外の義士・中村弥太之丞」、(中入り)、南海「吉良の義士・小林平八郎」。それぞれ、「赤穂義士外伝」から選ばれた読物。もちろん今日のために用意されたネタばかりと思いますが、南華さんは、既に、ご自分の会でネタ下ろしをされてますから、2度目の遭遇となります。中村弥太之丞が、どういった形で、討ち入りに係わるのかが、今日明らかになりました。で、この明らかになったことくらいが新しいところだったっていいほどの変化でした。ですから、中村弥太之丞の前史だけが読まれた前と、ほぼ同じで、刈り込んで、後半を増やすということはされませんでした。中村弥太之丞は、藩士の地位から離れていますから、討ち入りメンバーに加えるわけにはいかないということで、討ち入り当夜、吉良邸の外を固めたメンバーに入ったということでした。そういったメンバーがいたことは判っていても、どのような侍が当たっていたのかが判っていなかった自分にとり、これは、新しい発見でした。磯田源右衛門も、おもしろい人物、自分的には、全く盲点を突かれた人物です。討ち入りの意志の堅いメンバーの一人でありながら、事の外実直な性格を、大石に見込まれ、内匠頭の妾の子どもを実子として育て、成長してのち、商家に嫁がせたあと自害をするという義士です。内匠頭が自害をするときの遺言として、この子どもの行く末についてのものがあったのを、忠実に守った義士なのです。外伝中の外伝といった色彩の話です。小林平八郎は、どこかで聞いた名前だと思っていたら、吉良邸の守りを固めていた侍の一人でした。道理で聞いた名前です。平八郎は、浅野の本家の郷士の出。父親の遺言を受け、全うな侍として召し抱えられるのを夢見ていたが、ちょっとした縁で、越後高田藩の客人となり、剣術指南の役を受け持っているのだが、腕利きなため評判となり、浅野の本家の芸州公の耳に入り、腕をみてみようということになる。その場に、浅野の分家になる内匠頭が家来を連れて観にきたため、堀部安兵衛が相手になることになるのだが、腕利きの二人は譲らず引き分けになる。安兵衛と引き分けるくらいなら召し抱えようという芸州公に対し、勝ってないのだからと辞去する平八郎。この辺りで、話の行く末が見えてきました。平八郎は、上杉への仕官が、やがて叶い、吉良邸の警護役に回され、再び堀部安兵衛と対峙し、自ら討たれる道を選ぶとなるのです。これも、なかなかいい話です。いずれも、なかなか興味深い読物。もっといろいろと掘り起こして欲しいものです。こないだの文楽もおもしろかったしと、とにかく「忠臣蔵」ものは、話がよくできています。
 トリイホールを出ると、すぐ近くのおなじみのネットカフェで時間調整。そして、夜は、「心斎橋シネマート」に移動して、インド映画「ボス」を観てきました。久しぶりに観るラジニカーントものです。「ロボット」に次いで観ることになったのですが、「ボス」は2007年ものですから、ひょっとしたら、「ロボット」の方が新しいかもしれませんね。「ボス」は、大型ネズミ小僧物語です。アメリカで巨万の富を築いた男が、その金で、貧しい市民用にと病院、学校を建てようとするのだが、行政や政治家を動かすためには裏金がいることで、再三再四ストップ。無料の学校や病院を建てられると困る男が、後ろで操っているという構図。その悪のトライアングルから金を巻き上げ、それを資金浄化して、本来の目標に立ち向かうというのが、ネズミ小僧の手口というわけです。それに、ボスの結婚話が絡み、お約束の大団円に向かいました。「ロボット」のときもそうでしたが、なんか「チャンドラムキ」が懐かしいですね。あのような民俗的物語が懐かしく思ってしまうのです。ラジニカーントも、だいぶとお歳が気になってきました。ダンスでは、ラジニカーントの踊る時間が、だいぶと減った感じ。しかも、ダンスのカット割りが、一層短くなった感じがしますし、上半身だけを動かすシーンも増えています。一方のお相手の女優さんが、インド基準ではないスリムさ。これは驚きました。価値観が変わってきたのでしょうか? もっとインド映画の公開が増えて欲しいですね。最近は、ラジニカーントものだけですからね。午後7時に始まり、終演は10時を回っていました。




2012年 12月 2日(日)午前 7時 55分

 昨日は、音楽会3日連続の3日目の土曜日。大阪である「浪曲名人会」を棄てて、「京都府民ホールALTI」であった「京都アルティ弦楽四重奏団」の演奏会に行ってまいりました。このホールのレジデンツ・カルテットで、日本有数の演奏家が4人揃ったカルテットで、年に1回の公演を楽しみにしています。昨日のプログラムは、オール・ベートーベン。3番、6番、16番の3曲が、そのナンバー通りの順番で演奏されました。このカルテットのおもしろいのは、曲によって、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが入れ替わるところ。今日は、3番と16番を豊嶋泰嗣が、あとの曲を矢部達哉が受け持ちました。音色的には、矢部達哉が透明感のある音を出し、音楽全体がパッと明るくなる感じがします。6番は、作品18番の作品群の一つですから、まだまだモーツァルトっぽさの残る曲ですので、その音色が、実に心地好いものがあります。豊嶋泰嗣の方は強さを持つ音なもので、もはやしっかりとロマン派に足元を置いている16番にはぴったりというところでしょうか。3番、6番と、16番が並ぶと、チェロの扱いがおもしろいですね。初期の作品には、通奏低音っぽいところが、まだ残っています。第一ヴァイオリンが主旋律を奏で、第二ヴァイオリンとヴィオラが重奏で和声をつけていくと、どうしてもチェロは通奏低音っぽくなっちゃいます。毎回思うことは、そうういったチェロのしっかりとした音が、このカルテットの魅力の一つ。16番になると、いきなりヴィオラで始まり、それにチェロがメロディを繋いでいくと、いきなり変わったぞの雰囲気。ヴィオラの厚めの安定した響きが、昨日は、随分と印象に残りました。なお、アンコ−ルは「第13番のフィナーレ」。「大フーガ」の替わりに用意された曲です。ここでは、また第一ヴァイオリンに矢部達哉がつきました。




2012年 11月 30日(金)午後 9時 54分

 この週末は、音楽会3連発。今日は、その2日目で、「びわ湖ホール」であったオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」に行ってまいりました。黄紺的には、びわ湖ホールは初もの。レイクビューの素晴らしいホールだと、友人に聞いていましたが、まさにその通り。今まで行っていなかったのが残念でなりません。そのため、行こうか迷っていた音楽会のチケットを買ってしまいました。また、このホールに行ってみたいと思ったからです。アクセスは、JR「膳所」駅から徒歩15分弱というところでしょうか。黄紺にとっては忘れられないところです。自分の行く末を見定めたのが、あのすぐ近くにある西武でしたからね。あれから、随分と時間が経ったものです。それはいいとして、「コジ・ファン・トゥッテ」は、今月2度目、否応なしに比較しながら観てしまいました。今日の公演は、びわ湖ホールとスイスのバーゼル歌劇場の提携公演。バーゼル歌劇場のプロダクションを、同歌劇場に先駆けて公開するというのが、この公演の売り。同歌劇場の総裁にして演出家のジョルジュ・デルノンが演出・照明・舞台を担当し、クラウディア・イッロが衣裳を担当するというもの。舞台は、流行の板を舞台に置くスタイル。ただ、これが大きすぎたんじゃないかな? 舞台一杯に幕を開かなくても良かったんじゃないかな。ちょっと広い舞台を持て余していた感じ。舞台中ほどには、前後に舞台を仕切る板がぶら下がっており、人間のお腹あたりから下が見えるようになっている。上部も空いている。その板に、横並びに6つの時計が掛かっている。最初、この物語の時間の経過を、要するに僅か1日の物語だということを表したいのかとも思ったのですが、どうもそうじゃないよう。6つの時計が掛かっていたので、登場人物6人の体内時計、内面の時計を表そうとしているのか、時計が動くものですから、その法則性が判らない、最初の予想が外れると、追いかけられないのです。確かに、時間は気になる問題。いくらなんでも、僅か1日で、これだけ変わっちゃ、「女はみんなこうしたもの」と言えないでしょう。ですから、時間の攪乱が、このオペラにはあるとの指摘は首肯できるのですが、じゃ、どのようにお考えなのが判らないままなのが、もう少しなんとかならなかったものなのか。21世紀は、演出天国の様相を呈しているなんて、どなたかがパンフレットに書いていましたが、テキスト通りそのままに上演して、楽しかったというものを観たければ、先日の関西二期会の舞台は、まさにそれ。「コジ・ファン・トゥッテ」は、まともに考えると不思議だらけ。そないに簡単に、心が変わるものなの? 変装したといっても解らないわけはないでしょ? どうして、そこまでしっかりと女を落としに行けるの?などなど、突っ込みどころ多数なのです。そういった意味では、この公演の方が、突っ込んでるぞの印象。典型的なのが終わり方。仲直りをしないのです。お互いばらけて、憤りを表して終わるというもの。これは新鮮でした。歌手は、全体的にパワーは十分な人たちが集まったのですが、どうも帯に長し襷になんとかっていうところ。フィオルディリージ(佐々木典子)は、気位が高い分、気品が欲しいです。ドラベラとの対比という部分もあるのですが、いずれも感じなかったのです。モーツァルトの意地の悪いソプラノ殺しのトラップは越えられませんでしたね。ドラベッラ(小野和歌子)の奔放さが出ないとフィオルディリージの性格も出しにくいもの。相乗効果で、ちょっと足の引っ張り合いみたい。デスピーナ(高橋薫子)も大人しかったなぁ。デスピネッタなんて呼ばれるのですから、いちびりで、遊び心を見せてくれないと、つまらない。フェランド(望月哲也)が、一押しかなと思っていたら、終盤、声が続かなくなってしまった。高音が、極端に落ちました。テノールで、あれはあかんでしょう。グリエルモ(堀内康雄)は、若々しさが欠けるのが最悪。小太りは許せても、演技も小太りでは困ります。そう思うと、こないだの関西二期会の歌手は、皆さん、動けたし、また動かしました。ドン・アルフォンソ(ジェイムズ・クレイトン)は、オーストラリア人歌手。声質に問題ありです。声質的には、グリエルモと交替した方がいいんじゃないかなぁ。人生の裏表を知り尽くした鷹揚さ、視野の広さを表す声質って、あんなで満足できます? 黄紺はできないなぁ。声の厚さ、響きの豊かさ、ドン・アルフォンソ向きとは思えないのですが。なお、オケは日本センチュリー交響楽団、指揮は芸術監督の沼尻竜典。シンフォニックな響きに好感が持てました。終演は、午後5時過ぎ。もう一度見たかった琵琶湖の眺めは、もう暗闇のなか。また、来るからいいんだと、自分に言い聞かせて帰路に着きました。




2012年 11月 30日(金)午前 9時 25分

 ようやく体調が戻りつつあるのかなの実感です。電車に乗るのも怖かったのですが、その恐怖感が薄れつつあるだけでもありがたいことです。悪寒も、一昨夜は、まだ軽くあったのですが、それも消えました。あとは、しばらくはお酒をがまんして、快復に努めていくつもりです。夜遊びも、結局2日間はできませんでした。幸い前売り券も、予約も入れてなかったので助かりました。そして、昨日から復活です。3日連続で音楽会を予定していましたので、うまい具合に間に合いました。昨日は、久しぶりの「シンフォニーホール」であった「大阪交響楽団」の定期演奏会に行ってまいりました。プフィッツナーとリヒャルト・シュトラウスのオーケストラ伴奏付き歌曲が出るからということで行ってまいりました。音楽監督で、昨日の指揮を執った児玉宏が指揮をするときは、こういったロマン派の珍しい曲が並ぶのが売りというのが、今やすっかり有名になってしまいました。昨日のプログラムは、次のようなものでした。プフィッツナー「小交響曲 ト長調 作品44」、プフィッツナー「オーケストラ伴奏つき歌曲集より“裏切られた恋と孤独な心”“マルクに寄す(4つの歌)作品15−3”“レーテ 作品37”“さすらい人の夜の歌(6つの歌)作品40−5”“起床ラッパ(6つの歌)作品40−6”、リヒャルト・シュトラウス「オーケストラ伴奏つき歌曲集“4つの歌”より“讃歌 作品33−3”“巡礼の朝の歌 作品33−4”、リヒャルト・シュトラウス「楽劇『ばらの騎士』作品59からの組曲」。プフィッツナーの曲、これだけ並べて、じっくりと聴いたのは初めてのこと。リヒャルト・シュトラウスと同時代で、同じ路線を歩いたということなんでしょうね。とにかくとろ〜んとしたいい気分にさせてくれます。そういったきれいなメロディーを聴かせてくれます。弦の重奏の使い方が巧みで、管楽器ソロや独奏ヴァイオリンの活躍のさせ方が巧みでと、そないな感じです。「小交響曲」の3楽章には、フルートのまるでカデンツァのような部分が組み込まれていました。リヒャルト・シュトラウスの歌曲は、ピアノ伴奏を、オーケストラ用に編曲したような印象。ま、これは、リヒャルト・シュトラウスのオペラからの連想で、当たっているかどうかは自信はありません。ただ、オーケストラが、常に独唱を支えるように支えるように動いているといった印象だったからです。なおソリストは小森 輝彦。アルテンブルク・ゲラ歌劇場の専属だそうです。ネットで、ドイツの歌劇場関係を見ていたときに、正にその2つの歌劇場での練習について、ブログを書いている人がいることを知ったことがありますが、この方の可能性大です。とっても小さな町の歌劇場なんですが、かなりヘビーなプログラムを組むところだとの印象が残っています。聴いていて、ちょっとおとなしめのバリトンといった印象。ルナ伯爵なんかはきついだろうなという声質でした。でも、ジェルモンとか歌っているみたいなんだけど、「アラベラ」のマンドリカなんてのは、合うんじゃないかななんて、プロフィールを見ながら考えていました。「ばらの騎士」は、やっぱいいですね。実際のオペラの場面が思い出されます。このオペラは、黄紺が高校生のときに観た人生2つ目のオペラ。豪華なロココ調の雰囲気の中で展開される大人の物語、ですから、音のきらびやかさが求められます。昨日の大阪交響楽団は、ちょっと弦が、なかでもヴァイオリンの音がくすみがち。プフィッツナーの「小交響曲」の弦の重奏でも、そのあたりの物足りなさを感じていましたが、ここでも出たっていうところです。その反面、フルート(大拍手)、オーボエ、トランペットのソロが印象に残っています。演奏が終わると、定期の場合にはアンコールはないのが相場。ところが、打合せなしだったのでしょうね、児玉宏は、「ばらの騎士」の終盤をアンコールしてくれました。いや〜、嬉しい、嬉しい、、、。「ばらの騎士」のDVD観ちゃおうかしら。




2012年 11月 28日(水)午後 7時 26分

 昨日から、冬眠中です。もう朝から熱っぽく、お腹は最悪の状態。最初は、呑みすぎで、お腹がやられたのかと思い、ちょっと気色悪かったのですが、それで、悪寒がしたりするならば、随分とやばいんじゃないかと心配していました。昼頃には、大きな声を出すと、むかつきが来るところまでいってしまい、ただ事ではないとの心配。もう午後には、昨日行く予定だった南海さんの会は諦めて、医者に行く算段をしだしていました。昨日は寒かったので、よけいに悪寒がきてしまい、暖房の効いてないところに出ると、一挙に悪寒が走る始末。そのあたりから、風邪の疑いも十分あると思い出していました。とにかく物が食べられない。あまり食べないのはと思い、ちょっとお腹に入れると、すぐに出てしまう。もう電車に乗るのも怖い状態。ようやく、医者に行くと、風邪の診断。それに見合ったお薬をもらってきたら、今日の午後当たりから、お腹が動き出してきたのが判り、今は見立て通りだろうと思っています。今日は、昨日のような寒い日ではありませんから助かっています。悪寒はこないし、熱っぽい感じもなくなっています。でも、お腹がダメです。ま、医者には、すぐにはお腹は治らないような薬を出していると言われていた通りの進行ですから、指示に従っていかないとと思っています。今日も、落語会を予定していましたが、一日中家でじっくりしています。まさに冬眠中です。




2012年 11月 27日(火)午前 0時 33分

 立て込んだ仕事に追われた一日、しばらくこんなのが続くようです。夜は、福島にある「八聖亭」を、久しぶりに覗いてきました。「八聖亭でまるかじり」があったからです。男の客が圧倒的に多いという生喬の、とっても濃〜い会、好事家が詰めかけた会となりました。その番組は、次のようなものになりました。生寿「質屋芝居」、生喬「掛け取り」、文三「鍬潟」、(中入り)、生喬「雑穀八」。今日も、あまり体調がよくありませんでした。寝不足の上に立て込んだ仕事で、すっかり疲れ果てていました。中でもピークが、ホントに久しぶりに遭遇した「鍬潟」。文三で、かなり前に聴いたこともあったのですが、なんせ扱っている噺家さんが少ない。その貴重なネタのところでピークとはもったいな過ぎです。生寿の「質屋芝居」は2度目。今日は、師匠生喬のリクエストで、トップでありながらの口演。生喬の「掛け取り」は、松喬から伝わっているもの。笑福亭では「借金撃退法」という演題で出す習わしがあったとか。しかも、「けんか」と「狂歌」の2月しか扱わないそうです。生喬の場合は、「河内音頭」と「宝塚」でした。「河内音頭」は前から入れていたところ、「宝塚」を入れてから省いていたものを、今日は、「生喬スペシャル」でまとめてみました。本来の型である「歌舞伎」や「浄瑠璃」のできる噺家さんだけに、それらを省くのは惜しい気もするのですが、これはこれで、生喬にしかできないことですから、いいのでしょうね。「雑穀八」は、大ネタの装いがあり、且つあまり出ないということで、出ると、今日のように飛び付いてしまうのですが、この噺だけは、聴き終わったあと、いつも失望感だけが残ります。噺がおもしろくない上に、まとまりが悪いのです。前半の、雑穀八の店が潰れる顛末が判っていく部分と、後半の、雑穀八の店が再建された中で、魚屋を間に挟んだ夫婦ケンカの部分が、あまりに釣り合わないのです。「先の仏の精進日」にこだわるお糸さんの心情が、何ら語られない中での夫婦ケンカですから、どうしてもお糸さんの物言いが変に聴こえてしまい、ぎこちない噺との印象だけが残ってしまうのですが、生喬に拠ると、この噺は、まだ第3部に相当するところがあり、夫婦が意地を張り遠し、別々の宴会を開いていくというのです。少なくとも、そこまでいった口演は聴いたことはありません。演者も、まとまりの悪い噺ということで、更にいっそうまとまりが悪くなるのを避けているのでしょう。怖いもの聴きたさ見たさの気分はありますが、実際、そこまで行った口演に接すると、実際は、いっそう拡大するのでしょうね。




2012年 11月 25日(日)午前 1時 45分

 今日は文楽デイ。今、文楽劇場では、「仮名手本忠臣蔵」の通しが出ています。「五段目」「六段目」は、「文楽鑑賞教室」なんかでは出ていたのですが、それ以外は、一部ですら、ここ数年では出ていなかったもの。歌舞伎は、お高くて手が出ませんから、こうした通しは観たことがなく、自分的には待望の上演です。特に落語との関連で、「質屋芝居」「小倉船」の「三段目」の「塀外」と言われる場面、「蔵丁稚」「淀五郎」などの「四段目」、いわゆる「判官さんの切腹」の場面、それに「七段目」、これは「じゃらじゃらじゃらと身請けの相談」の場面を観ておかないと、落語の「七段目」が解りません。てなことで、自分的には大盛り上がりの日なのです。今日は、第一部だけ観てきたのですが、上演内容は、以下の通りでした。「大序 鶴が岡兜改めの段、恋歌の段」「二段目 桃井館本蔵松切の段」「三段目 下馬先進物の段、腰元おかる文使いの段、殿中刃傷の段、裏門の段」「四段目 花籠の段、塩谷判官切腹の段、城明渡しの段」「五段目 山崎街道出合いの段、二つ玉の段」「六段目 身売りの段、早野勘平腹切の段」。第一部は、「六段目」までです。これで、10時30分開演で、4時5分の終演です。落語「中村仲蔵」は、「五段目」の「山崎街道」の場面が、昔は「弁当場」で、客が見向きもしなかった場面を、観るようにしたという噺ですから、「五段目」は、お昼時分になるはずと考えると、今日の「五段目」は、2時20分に始まったということは、2時間か2時間半開演を前に持っていけば、「五段目」がお昼時分になりますから、昔は、開演が、朝の8時か8時半ということだったのでしょうね。そして、一日かけて「通し」が上演されていた勘定になります。しかし、観ていて、この「通し」の構成が、うまくできているのには感心させられました。序盤は、判官さんよりは、師直を討ちそうなのは、若狭之助という雰囲気で推移しますが、加古川本蔵の機転で、若狭之助は、結果的に自重し、逆に奥方に横恋慕された判官さんが刃傷に及んでしまいます。それを止めた梶川どのの役割をするのが本蔵で、これが、「山科閑居の場」の主役に躍り出る仕掛けが施されています。「梶川の粗忽」と言われるエピソードが、大きく大きく描かれていきます。勘平とおかるもうまい使い方がされています。「三段目」で「松の廊下」を描くのは表から、そこに「塀外」を持ってきて、違った角度から、混乱ぶりを描く手法は秀逸。更に、その混乱を、「チャリ」で描く発想っていうのもおもしろい。すごい柔軟な発想力に降参です。そして、「判官さんの切腹」の「四段目」を経て、浪々の身となる藩士たちの労苦を、勘平を通じて描ききるのだから、これもすごい。生活に困窮する浪士、仇討ちの計画を極秘裏に進める浪士、そうした討ち入り計画に背を向けた元藩士、討ち入り計画のカモフラージュなど、「赤穂義士銘々伝」などで、幾度となく扱われてきたテーマが、この勘平の物語に凝縮されているように思えるのです。この一人を語れば、あとの浪士の面々の様子がわかるはずという描き方と思いました。そういった赤穂浪士の中で、特別な位置にいるのが大星ですから、次の「七段目」が用意されたのでしょうね。そこへの橋渡し役が、おかるときているのですから、構想力が素晴らしい。こりゃ、定吉が、お店をさぼって観に行ったり(蔵丁稚)、狐までもが夢中になる(狐芝居)はずです。いや〜、よくできたお芝居です。




2012年 11月 24日(土)午前 0時 11分

 今日は、芝居の日としていたのですが、予約がかなわずに断念。代わりに落語会に行くことにしました。行き先は「動楽亭」。今日の昼間、こちらで「おばま染寿丸〜大阪公演〜」という落語会が行われていたのです。その番組は、次のようなものでした。治門「寄合酒」、福丸「道具屋」、染吉「佐々木裁き」、(中入り)、福丸・生寿・染吉「座談会」、生寿「一文笛」。この会は、年2回、「ちりとてちん」の縁でしょうね、小浜で開催されているもの。3人の同期生の会です。ところが、お休みの日の定番、午前中に、お酒を呑みながら、オペラのDVDを観ていたため、危ないなと思っていたことが大当り。前半はダウンをしてしまいました。福丸は「道具屋」だったのでともかくも、染吉は、初めて聴く大ネタだったので、どないな具合かを確かめたかったのですが、メモる自信はありません。ただ、よく受けていたことは間違いありません。一つには、小浜からも結構来られていたみたいで、その方たちが、かなり素早い反応を見せられていたようです。座談会は、福丸と生寿が仕切り役で、染吉は、喋らないことがネタにされるほど寡黙。3人のキャラの違いが、よく解りました。座談会の最後は、生寿の宝塚狂いの話。それが、そのまま、生寿の高座のマクラへと続きました。生寿の「一文笛」が、そもそものお目当て。このくらいのキャリアの人で、今まで「一文笛」を持ちネタにした噺家さんはいなかったんじゃないかな? じっくりと語る部分が、冒頭のスリの語り、兄貴の語りとあります。一定キャリアを積み重ね、安定した喋りが求められるので、若い人は手がつけにくいところがあります。生寿の場合は、若手の中では、チャレンジしていい有資格者だとは思うのですが、ちょっと声質の軽さが、どうしても気になりました。これが、年齢を重ねていく中で、どうして克服していくかというところなんでしょうね。
 動楽亭を出ると、歩いて千日前へ移動。夜までの時間調整は、いつものネットカフェです。そして、夜は、「心斎橋シネマート」で、韓国映画「アバンチュールはパリで」を観てきました。今、こちらの映画館で、ホン・サンス監督作品を集めて上映が行われているのです。カンヌの「ある視点部門」での受賞経験のある監督ですが、自分的には、この監督に関心があるわけでもなく、またカンヌの受賞作品に関心があるわけでもありません。この作品を、以前上映されたとき、観るつもりだったのが、都合で観ることができなかったということを覚えていたので、今回観に行こうとしただけです。カンヌの受賞監督だということも、今回初めて知った程度でした。ただ、映画が終盤に入り、この映画の骨格が見えてきたとき、これって、渡辺淳一のなんとかっていう小説と同じ構造じゃないかと思えてきて、ここまでの2時間20分以上が、とっても勿体なく思えてしまいました。渡辺淳一の小説っていうのは、さっちょん族のもとに現れ、男の都合のいいように振舞い、そして、東京に、男が戻るかという頃に、都合よく去っていく女を描いた有名な作品です。男が一人で行く町が、札幌ではなくパリで、この映画の主人公の男は、単身赴任ではなく大麻吸引で警察に捕まるのを恐れて逃げてきたという設定でした。パリで10年前に別れた女と、パリで再会するエピソードが、序盤で出てきますが、よりを戻しかけるのを、際どくかわしたあとは、その女は、2度と男の前に現れないし、終盤に入る少し前で死んでしまいます。それも、男はミニコミ紙で知るだけ。とにかく男に都合のいいようにいいようにと描かれているのです。こんなのが受けるのだろうかと思う一方、こうした特集が組まれるってことは、評価されていることの証拠なのでしょうが、自分的には、ちょっと引き気味もいいところでした。




2012年 11月 23日(金)午前 6時 15分

 昨日も、慌ただしく過ぎていった一日。慌ただしくて、職場にいると、落ち着かなくていけません。非勤務日の長閑な時間の経過と違うものですから、日を追って、働く意欲が減退しつつあります。とぼやいても、何も変わらないのですが、、、。で、夜は鶴橋へ。「雀のあやど」での「つるっぱし亭」に行ってまいりました。昨日は、久しぶりに、落語会の前に、少し時間があったので、おなじみ「アリラン食堂」で夕御飯。韓国では、無沙汰をしている「ユッケジャン」を食べました。「つるっぱし亭」の方は、珍しく2ヶ月連続となります。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「初天神」、雀三郎「一人酒盛」、鶴二「尻餅」、雀三郎「不動坊」。昨日も、じっくりと聴いてられませんでした。一昨日の寝不足が、きっちりと効いてしまいました。ボヤーッとしたままの時間が過ぎていったというところです。気になったごく一部のことだけメモっておくことにします。まず、そもそもこの会に行こうという気持ちが起こったのは、雀三郎の「一人酒盛」。雀三郎が「一人酒盛」なんてやってたかなぁというところからでした。でも、お酒の噺だから、やってないわけないよなと、自分の中では、ネタ下ろしという言葉は打ち消していたのですが、それが当たりだったのです。それは、ご本人の口からではなく、あとから出た鶴二が明らかにしたのです。その「一人酒盛」で、傑作な雀三郎スペシャルがありました。序盤、もう一人の男が入ってきたあたりでは、酒呑みの男の方は、壁紙を貼りながら喋りかけているという設定にしているのですが、その壁紙貼りのアクションが、両横と後ろに対して、膝立ち姿で行われます。後ろの壁に貼るときなどは、完全に客席に背を向けて貼ります。ましてや、この酒呑みの男は、のべつくまなく喋り続けていますから、背中を客席に向けながら喋り続けていました。これは大受けでした。「不動坊」は、この冬の一番乗りになりました。やっぱ、この噺は冬の方が、アホらしさが際立ちます。鶴二は、極めてオーソドックス。この年末ネタも、この冬初めての遭遇です。「初天神」は年が明けてからのネタのはずなのに、早くも2日連続で聴いてしまいました。こう考えると、昨日は、えらく季節もののネタが並びました。なお、鯛蔵の「初天神」は、凧上げの部分をカットしたもの。「初天神の半ばです」と言って下りました。




2012年 11月 21日(水)午後 11時 17分

 今日は、とってもいいお天気、絶好のウォーキング日和。でも、ウォーキングをしているとせわしなくて仕方がないので断念。お出かけは、11時15分がメド。行き先は「国立文楽劇場」。今日は、まずこちらであった「上方演芸特選会」に行ってまいりました。浪曲と古いタイブの漫才を聴けるというので、最近は欠かしない会の一つです。その番組は、次のようなものでした。呂竹「延陽伯」、天中軒涼月(沢村さくら)「若き日の小村重太郎」、シンデレラエキスプレス「漫才」、南鱗「幸助餅」、(中入り)、キタノ大地「奇術」、枝鶴「煮売屋〜七度狐」、松浦四郎若(藤初雪)「夢の財布」。実は、前半は、ウォーキングをしていないのにも拘わらず、ダウンをしてしまいました。どうしてなんでしょうね。ネタは覚えてないかったですが天中軒涼月さんの声って、音楽的に微妙な音を上手に出すものだと感心。一心寺で、初めて聴いたときには、そこまで感じなかったのですが、今日は、歌手時代に、しっかりしたヴォイス・トレーニングを受けられたんだろうなと思ってしまいました。あと前半のポイントは、南鱗さんの登場。今まで、講談協会になかった出番が割りふられたからです。漫才枠が、今日は、その煽りを食らっていましたが、今後どのように割りふられていくか、気を付けておきたいものですが、大阪講談協会との割りふりも気になるところでもあります。そして、後半は元気快復。キタノ大地は、初遭遇かな。和づまの使い手として登場。こういった芸風の人なのかも知りませんでした。名前は、以前から知っていたのですが。枝鶴は珍しいチョイス。「煮売屋」の酒の話から始め、「七度狐」の麦畑のところで切り上げました。麦畑で、狐の尻尾を掴み、通常の下げにもっていきました。「夢の財布」は、冒頭で「芝浜」とことわってからの口演。一心寺で、一度遭遇しているので2度目となります。ほのぼの噺を、四郎若さんのにこやかな顔でやられると、いい雰囲気が出ます。いいものを聴かせていただきました。帰りしなに、浪曲親友協会のN氏とばったりと顔を会わせたので、ご挨拶。この会の初日には、毎度顔を出されているそうです。
 「文楽劇場」を出ると、今日も千日前のネットカフェで時間調整。そして、「南森町」に移動して、今夜は繁昌亭。今日は「月刊笑福亭たまスペシャル」がありました。1階は満席、2階にも客が入ってた模様。平日で、すごいことです。その番組は、次のようなものでした。生寿「花色木綿」、たま「初天神」、あやめ「妙齢女子の微妙なところ」、(中入り)、揚げたまキングス「太神楽」、たま「話し方教室」。今日の番組の特徴は、豊来家万里(揚野バンリ)を喚び、姉様キングスのパロディーをしたこと。もちろんたまは、横でアシスタントと喋りの役。ただ普段はしない太神楽のパロディー的な芸を見せるというのが、今日の売り。そういったことをするからということで、落語家のゲストはあやめという仕掛け。ネタは、48歳になったあやめのリアルタイムのネタ。たまの一つ目は、たまで久しぶりに聴く「初天神」。たまの「初天神」は、今まであまり好きじゃなかったのですが、今日で、大きな方向転換。虎ちゃんが向かいの家で喋るところが長かったからです。ところが、くすぐりが心地よいものになったからかなぁ。今日は、抵抗感は出てきませんでした。その他の場面でも、噺の流れの中ではまるくすぐりが増え、とってもいい進化が看て取れました。凧揚げの場面で、もう少し、凧揚げに関する蘊蓄を、父親に語らせる場面を作れば、更にグレードアップすること請けあいです。「話し方教室」は、初遭遇の新作。話し下手の男が、教室を訪ねてくるところからスタートするのですが、そお男は、自殺を思い留めさせようと思い、上手な喋り方を学びに来たという展開がぶっ飛んでいます。思いがけない展開、その展開に見合った整合性、それをくすぐりで表す、とっても質の高いたま作品です。たま落語は、随分と聴いてきましたが、今日の会は、階段を上がったような大きな上昇を感じてしまいました。




2012年 11月 21日(水)午前 8時 38分

 火曜日は、1週間の中で、一番疲れる日。特に昨日は、食事をした以外は、働きづめだったため、夕方になって急に疲れを感じ出したばかりか、眠たくなってきました。最近、疲れると眠たくなるというパターン通り。昼間は、働きづめで疲れすら感じてなかったみたい。ふーっと我に返ったときに、一挙に疲れが吹き出した感じです。そして夜は、「南河内万歳一座」の芝居を観に「應天院」へ。予約を入れていたため、疲れているからと、他の日に急遽変えるということができないのが辛いところ。昨日は再演もので「お馬鹿屋敷」。この芝居、昨日から上演が始まったのでした。この作品は、わりかし新しい作品じゃなかったかなぁ。今はなき「ウルトラ・マーケット」で観た記憶が残っています。そのときの記憶として残っているのは、出口を探して、多くの人間が列をなして歩いていたのと、プロレス技のブレンバスターを女優陣にかけていったことぐらいでした。ですから、再演に接することができたのはラッキーなことと思いましょう。ただ以前の「南河内」でしたら、看板役者というのは判っていますから、誰を重点的に押さえればということがわかった上で芝居を観ていたものですが、若手の役者、外部の役者が入った芝居で、且つ複数の主人公候補がいる芝居では、なかなか要領が掴めないのが、自分的には悲しいところ。雪に閉ざされ案内された古い宿の部屋は、出口のない迷路だった。でも出口を探さないと「馬鹿」になる。だから、必死に迷路を彷徨い出口を探す人たちというところで、列をなして歩き続けるシーンが出てくるというわけです。その中で使われる言説が、この芝居のハイライトか、、、。大衆迎合的に動く人々、自分というものがなくなり画一的な人間とあることを「馬鹿」と称し、その宿自体が、即ち「お馬鹿屋敷」が、この大衆社会自体を指しているものと思われます。ですから、ここで使われる言説が、内藤の台本の真骨頂というところでしょう。出口を探すのも、皆一緒というのも、ですからおもしろい設定です。あくまでも迎合的に動く大衆というところでしょうか。これも、一つの自分探しの芝居でしょう。「お馬鹿屋敷」の中で「自分探し」をしている、そういった状況を見せる芝居だったような気がしました。「南河内」は、今年で30年だそうです。ずっと同じテイストを堅持し、テーマ性豊かな芝居を見せ続けてくれています。すごいわぁ。




2012年 11月 20日(火)午前 0時 3分

  大阪府守口市(53)〜大阪市旭区、都島区、北区、中央区

 今日は、土曜日の振替でお休みの日。で、朝から京都で、「メトロポリタン・ライブビューイング」を観に行ってまいりました。今日は、ヴェルディの「オテロ」でした。今シーズンは、「ヴェルディ・イヤー」だということで、ヴェルディ作品がめじろ押しです。今回のプロダクションは、1994年が初演だそうで、そのときも、今回もデズデモーナを歌ったルネ・フレミングが、デズデモーナを歌ったそうです。すごいキャリアですが、澄んだ声は、純潔なデズデモーナを表すのに相応しい声質であることは間違いありません。長年の持ち役にしているわけが解るというものです。一方のタイトルロールを歌ったヨハン・ボータは、初めて聴くテノール。実に立派な体躯の持ち主で、はち切れそうな身体です。ゆるゆるで大きな身体ということではないので、オテロに違和感があるというわけではありません。今回の公演では、初演から3回、風邪のため休演だったそうで、収録された日が、事実上の初演日だったとか。ひょっとしたら収録に合わせて、大事をとったのかもしれません。身体が大きいので、最後にデズデモーナを殺すときは、オテロはベッドに上がらず、ベッド上にいるデズデモーナを、スリーパーホールドの要領で絞殺するという方法が採られました。イアーゴのファルク・シュトルックマンは、野心に燃え、でも妬み深い小心者というものではなく、堂々とした確信犯という風情。下っぱで、カッシオを蹴落とそうなんて雰囲気の人物設定にしては、自信たっぷりで、威風堂々な感じだったのが特徴かな。逆にカッシオは、若手のマイケル・ファビアーノが起用され、清新なイメージ。線が細いかなという感じがしましたが、それは、イアーゴが堂々としすぎていたからかもしれません。舞台装置や衣装は、メトロポリタンならではの立派で豪華なもの。指揮は、なんとセミヨン・ビシュコフ。すごく大きな振幅をつけ、リズムを明確にとり、解りやすいと言えば、この上ない解りやすさだったと思うのですが、ちょっと過剰に押し付けられているという感じで、疲れるぞという部分もあったと言えば、そうなりますね。
 映画館を出ると、その足で「守口市」駅まで移動し、今日は、そこからウォーキングを始めました。昨日のリベンジも考えたのですが、11月中には、一度行っておきたいところがあった関係上、リベンジは後日回しに。今日、行こうとしたのは城北公園。菊の展示会が、公園の一角でやられているはずということで、そちらを組み込んだコースにしてみました。その詳細は、次のようになりました。京阪「守口市」駅〜守居橋〜日吉公園〜地下鉄「太子橋今市」駅〜大阪市立太子橋小学校〜太子橋西公園〜大阪市立今市中学校〜淀川左岸〜城北公園〜大阪市立市民交流センターあさひ西〜韓国食品店「高山商店」〜JR「かんじょう025」橋梁〜大東橋〜大阪市立友渕小学校〜都島友渕保育園〜大阪市立友渕中学校〜飛翔橋〜インド&ネパール料理店「タージマハールエベレスト」〜JR「かんじょう124」橋梁〜韓国料理店「漫奈無」〜大阪市立扇町総合高校〜常盤漢方薬局(常盤寄席会場)〜天満橋〜京阪「天満橋」駅。「菊花展」は、確か23日までだったはずという記憶があったので、それまでにはと思っていたところです。特に、去年は、頭の中にありながら、外してしまったので、今回はと考えていたのでした。そないに規模の大きなものではないのですが、ま、季節のものですからね。あとは、以前から、ウォーキングでよく通っているところ。でも「城東貨物線」の下をくぐってから南西方向に切れ込む道を歩いたのは、初めてじゃないかな。ところが、この道が、思いの外いい道で、気がつくと、友渕小学校の近くまできていました。だいたいその辺りを歩くのは午前中がほとんどだったという記憶。夕方通ると、また違った雰囲気に見えるものです。大川沿いを歩くのも久しぶり。南森町へ曲がる交差点で、あと10分でしたので、南森町は近すぎ、北浜は遠すぎるということで、終点は「天満橋」。2時間ジャストのウォーキングとなりました。
 「天満橋」からは、「北浜」経由で「日本橋」に移動。いつものように、千日前のネットカフェで時間調整を兼ねて、身体休めをしていました。そして、夜は、「徳徳亭」であった「」へ行ってきました。前回は、確か南海さんの会とぶつかったため飛んでいるはずです。そしたら「太平記」の続き読みは終わっていました。替わりに、南舟と南斗を加えた一門会に様変わりをしていました。その番組は、次のようなものでした。南斗「三河屋幸吉」、南青「星亨」、南舟「難波戦記〜荒川熊蔵の怪力」、南青「大塩平八郎の最期」。「三河屋幸吉」は谷風もの。でも、この話は嫌いなのです。主人公の幸吉が、あまりにわけのわからないガキタイブの男で、話の材料に上らせるのはどうかと思うのです。「星亨」は明治もの。聞き書きとして残っているネタを、但し、骨だけが書かれているだけだそうで、それを掘り起こし再構成したものとか。やはり学者の世界です、講釈師さんは。横浜税関長になった南亨が、税関法違反を繰り返すイギリスを懲らしめるもの。今日は、ここまでは順調だったのですが、た南舟くんの口演が、櫛の歯の抜けたような感じの記憶が残りーの、南青の「大塩平八郎」は、ほとんどダメなんです。会場は、暖房が切られていて冷たい感じだったのですが、、、。




2012年 11月 18日(日)午後 11時 40分

  大阪府門真市(40)〜大阪市鶴見区

 週末が変則的なものになりました。昨日の土曜日が、丸一日出勤日だったため、月曜日が振替休日となったため、日月が連休になっています。昨日は、その出勤で、大阪市内まで出たのですが、まっすぐに帰宅。かなり疲れていたようで、缶ビールを一缶呑んだだけで、あっという間にダウン。朝まで寝入ってしまいました。そして、午前中は、いつものようにくつろぎ、午後にウォーキングをもってきました。今日は、秋深まる鶴見緑地をめざしたのですが、「大和田」駅を出発して、10分ほどで、1回目の道に迷い、ようやく位置を確認できたと思ったら、天敵第二京阪で、またしとも道に迷い、砂子小学校に行き当たり、ようやく位置の確認ができたと思ったのも束の間、砂子小学校のどの位置にいるのかも見誤り、またまた放浪状態。「三ツ島」交差点は、前にも迷ったところで鬼門と思っていながら、鶴見緑地に行くに頼るところは、それしかなく、行ったら行ったで、そこからあらぬ方向に行ったようで、仕方なく道行く人に尋ねたのはいいのですが、聞いた道を行くと、なんと地下鉄「門真南」駅に出逢ってしまったため、勝手に歩いてしまい、とんでもなく大回り。教えてもらった通りに歩かなかったことを悔やんでも後の祭。結局、鶴見緑地の入口に立ったときには、既に1時間35分経過していました。従って、鶴見緑地の秋を楽しむどころではありませんでした。また、終点も「鶴見緑地」駅にしかできないという具合で、ここまで道に迷ったウォーキングは初めてでしょう。そのコースは、次のようなものでした。京阪「大和田」駅〜門真市立上野口小学校〜だいわ幼稚園〜「野口東」交差点〜特別養護老人ホーム「門真千寿園」〜門真市立砂子小学校〜「三ツ島東」交差点〜下三ツ島公園〜地下鉄「門真南」駅〜なみはやドーム〜稗島橋〜鶴見緑地〜地下鉄「鶴見緑地」駅。
 「鶴見緑地」から「京橋」で「天満橋」に移動。更に「南森町」まで徒歩で移動してから、おなじみのネットカフェで時間調整。夜は繁昌亭です。今夜は「超古典落語の会ベストセレクション」がありました。これは、5回にわたり行われた同名の会の総集編。その番組は、次のようなものでした。小佐田定雄・荻田清「ご挨拶」、ちょうば「念仏小僧」、阿か枝「百人一首」、三喬「七福神」、(中入り)、花丸「ひやかし帰り」、九雀「これこれ博打」、出演者一同「学者・作者・演者大座談会:三巴噺裏面」。「念仏小僧」「七福神」が月亭生瀬の作品、「百人一首」「ひやかし帰り」が円都作品、「これこれ博打」が「東の旅」の中で滅んでいた作品ということです。「念仏小僧」は、元々は「宗論」的なネタだったのでしょうね。念仏を唱えると、いろいろと金品をもらえると知った小僧さんが、わざと念仏を唱えていくと鳥打ちに出逢って、同じことを繰り返す中で下げに向かいます。「百人一首」は根問もの。「百人一首」に収録されている歌幾つかについて噺が進むなか、西行に特化していきます。終盤は「鼓ヶ滝」の風情となります。歌を覚えるのが大変で、最後のところで阿か枝は歌が出なくなってしまいました。「七福神」は、七福神による慰安旅行。三十石に乗り、日本橋の宿で宴会というコース。「三十石」「宿屋仇」をパロディ化しながら噺は展開。やはり、大阪で聴かなくっちゃという噺に三喬は仕立てていました。もちろん作家のくまざわさんも、そのノリのようでした。「これこれ博打」は、博打ですった男二人が宿から夜逃げ。神社の社殿に身を隠して寝ていると祭りが始まり、二人は神と言いながら逃げ、隣村の庄屋の家に逃げ込むがばれてしまうというもの。このネタの変わっているのは、下げが手の動きで表すというところ。米朝が、「古手買い」とともに復刻したいと言っていたそうで、「古手買い」の方は実現し映像も残っていますが、こちらの方は実現しなかったようです。




2012年 11月 16日(金)午後 10時 49分

  京都市内遊歩(28)

 今日は、お休みの日の定番、朝からちびりとやりながらDVDを観ていたら、知らない内にお昼寝に入ってしまい、すっかり予定が狂ってしまいました。そこで、慌ててウォーキングに入ることに。大阪まで行ってからウォーキングを始めると、終わる頃には暗くなっていることが考えられたからです。そのコースは、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜近鉄「伏見第一号」踏切道〜京阪「山崎街道」踏切〜京都市立藤ノ森小学校・上下水道局伏見営業所〜西福寺幼稚園〜JR「藤森」駅〜JR「久宝寺」踏切〜地福寺〜京阪「深草」駅〜横縄橋〜高松橋〜京阪「鳥羽街道」駅〜田中神社〜稲荷山病院〜東福寺〜慧日幼稚園〜京都第一赤十字病院〜新熊野神社〜・「能楽大成機縁の地」碑〜智積院〜妙法院〜「馬町」交差点〜東山税務署〜本町公園〜京都市立一橋小学校〜京阪「七条」駅。今日は、とにかく東福寺を通ってみようということだけを考え、また京阪の特急に乗ることを考え、終点は「七条」駅とだけ決めて歩き出しました。東福寺は、京都市内随一と言われる紅葉の名所。こないだの韓国じゃないのですが、平日の紅葉の名所はということで行ってみようとしたのです。ところが、韓国と同じでした。いっぱいの観光客、それを目当ての土産物屋が並んでいました。東福寺の周辺には、たくさんの僧坊がありますが、その前で、また僧坊の庭を土産物屋に開放しているところもありました。寺銭という言葉は、こないなところから出てきたんだとくだらないことを考えながら歩いていました。東山七条の智積院前で、残り25分というところ。豊国神社方向に入ろうかとも考えたのですが、また同じ道を引き返さねばならないということで、五条方向に歩き、時計を見ながら程よいところで、「七条」駅をめざす道をとりました。
 「七条」から「京橋」まで大移動。電車が混みあい、ようやく「枚方市」駅で座れましたが、2時間のウォーキングのあとの立ちっぱなしは、なかなかきついものがあります。そして、「京橋」のネットカフェで時間調整がてら、身体休めの時間としました。夜は、「天満橋」の「常盤漢方薬局」での「常盤寄席」でした。時々覗いてみる落語会。染太と智之介の二人が主宰している会ですが、今日は、染太にとっては大切な会だったのです。それを知ったのは、会場でもらったプログラムと、そしてその意味は、会場に入ってから読んだ朝日新聞の記事ででした。来週の金曜日に日本を出て、スペインのヴァレンシアの日本ウィークのような催しで、染太が落語をするというのですが、そのときのネタを、今日、この会で出して試運転をするというのです。その番組は、次のようなものでした。愛染「平林」、智之介「植木屋娘」、染太「スペイン語落語:Hojas de te magico(ほうじの茶)」。染太が用意したのは、演芸落語として知られる「ほうじの茶」。火にくすべて、様々な芸人を呼び出し、その芸を披露させるというもので、今日は、日本語をまじえてやってくれましたが、現地では、全てスペイン語でやるのでしょう。ま、英語のできる染太ですから、困ったら英語に逃げることはできるでしょう。呼び出した芸人は、津軽三味線、紙切り、南京たますだれでした。津軽三味線が、以前聴いたときに比べて、とっても上手になっていたのには驚かせられました。一方、智之介の方は「植木屋娘」。こないなネタを手がけるようになっていたのですね。序盤の言葉の勢いとかを聴いていると、やはり呂鶴にもらったのだろうなの印象。テンボと、対話部分の間合いがいいんでしょうね、すごく気のこもった口演と看ました。中でも幸右衛門がいいですね。幸右衛門が、一人でやきもきし、騒ぎ立ててる雰囲気が、とってもよく出ていて、こないな口演ができるのだった、どないな噺が似合うかななんてことも考えながら聴いていました。「猫の忠信」「花筏」なんてどうだろう、思いついたのは、そないなところですが、可能性が、「植木屋娘」を経て、かなり変わっていくんじゃないかな? 愛染は、どうやら、今が盛りの「前座バブル」期に入っているようです。これで、今週、ここまでに行った落語会3回とも、前座は愛染でした。その内2回が「狸の鯉」、そして今日が「平林」でした。




2012年 11月 16日(金)午前 7時 50分

 年末に近づいてきて、急に慌ただしくなってきました。冬の旅行も、あと1ヶ月ほどになってきましたから、その前に仕事の山があります。それに向かいだしたという自覚です。おまけに、明日の土曜日は出勤のため、その準備も要るという具合で慌ただしい1日が過ぎました。トルコ代表の試合のチェックも忘れていたほど。
 そして、夜は道頓堀へ。職場を出たときには、時間に間に合わないと思っていたのですが、幸い、開演時間が遅く助かったのですが、せわしなく行ったのと、1日がせわしなかったので、体調はかなり悪かったですね。昨夜は、「くいだおれ太郎の道頓堀太郎寄席〜11月の会〜藍の会」(道頓堀ZAZA)に行ってまいりました。阿か枝を、随分と聴いてないなの感覚だったのです。その番組は、次のようになりました。愛染「狸の鯉」、阿か枝「厩火事」、三ノ助「?」、(中入り)、阿か枝「皿屋敷」。阿か枝は、風邪を引き、声が出にくい状態での口演。そんなに気にしなくてもと思っていたのですが、「皿屋敷」の後半では、やっぱダメでした。薬ででも抑えていたのが、最後は切れてしまったという感じでした。「厩火事」の、実は真ん中が跳んでいます。「厩火事」の序の部分で、いきなり怒っている女というのではなかったので珍しいなと思っていたのは覚えていますし、孔子の話も意識は確かでしたので、実践編の、ま、要するにさびの部分が跳んでいるという悲しい話。阿か枝のもう一つは、季節外れの幽霊の話。これも、冒頭が変化。旅帰りの男たちの話はカット、単純に「車屋敷」について聴きにくるというもの。動機付けはなしというものでした。あとの展開は常のもので、変化はありませんでした。お菊さんが出てくるあたりでは、かなりかすれ声になっていたのが惜しまれます。やはり、阿か枝と言えば、先代文枝声ですものね。前座役は、生寿の会に続いて愛染。しかも、ネタが同じというアンラッキー。ただ、昨日は、札に化けるところはカットしてました。そして、愛染からの情報、愛染も阿か枝も、ともに岡山大の落研出身だそうです。しかも、明石出身という共通性があるそうです。三ノ助の「?」は、判らないのです。ダウンの頂点だったもので、欠片を聴いても判らないネタだったのです。新作ものだったことは、確かなんですが。




2012年 11月 14日(水)午後 11時 35分

  大阪府守口市(52)〜大阪市旭区、東淀川区

 昨日は、映画でも行こうかと思っていたのですが、この頃、そういったときは出不精に。替わりに、勤務時間を過ぎても、お仕事に精を出しておりました。別に、今日明日の大事な急ぎの仕事じゃなかったのですが、、、。
 今日は、朝から観残していたDVDを2つ観てからお出かけ。まずウォーキングです。久しぶりに大阪でウォーキングをすることにしました。そのコースは、次のようになりました。京阪「守口市」駅〜守口車庫〜太子橋中公園〜豊里大橋〜竹間公園〜大阪市立大道南小学校〜能条東公園〜大道北公園〜大阪市立大桐小学校〜大阪市立大桐中学校〜逆巻の地蔵尊〜江口橋〜北江口橋〜阪急「相川」駅〜大阪高校〜大阪成蹊学園〜井高野橋〜大阪市立井高野小学校〜井高野車庫。今日は、守口から淀川を渡り、井高野をめざすことにしたのです。ウォーキングを始めた頃、能「江口」と係わる江口の里を求めながら歩いた思い出のあるコースです。そのときの記憶では、結構な道のりという印象だったのですが、今日歩いてみると、さほどたいした距離ではありませんでした。江口橋までで55分でした。で、その江口橋を渡ったところで、急に気が変わります。黄紺を追い越した「井高野車庫」行きのバスが「扇町」を通ってきてたのです。最終的に夜は、「天満橋」に行くつもりだったものですから、それに飛び付きました。「扇町」なら時間調整もしやすいということで、このバスに乗り移動するためのコースに変えたというわけです。当初は、地下鉄の「井高野」駅方向に向かってから、阪急「相川」駅を抜け、「正雀」駅に向かえたらと考えていたのを、先に神崎川に沿って歩き、「相川」駅まで行ってから井高野へ回るというコースを採ったのです。ただ手持ちの地図は、かなりアバウトで、「井高野車庫」の位置すら載ってなかったのですが、道を歩いていると、「井高野車庫」行きのバスが追い抜いていくことに気がつき、道なりに行けば、ひょっとしたら「井高野車庫」に出逢えるのではと思っていたところ、それがドンピシャ当たりました。もし出逢えなくとも、バス道路を歩いていたわけですから、反対方向に行くバスに乗れば大丈夫と思っていたのです。井高野の地区は、川が複雑に流れる興味深い風景。水系を押さえながら歩くと、もっとおもしろく歩けるんじゃないかな。
 「井高野車庫」から「大阪駅」行きのバスで、ちょうど40分、「天神橋五丁目」で降りると、北区民センターが目の前。最近時々使うようになっている天満駅近くのネットカフェまではすぐの位置。そちらでの時間調整をして、再び歩いて20分余りで、「天満橋」近くの双馬ビルに到着。今夜は、こちらで「南華、はたちの会」のあった日。優先度の高い会で、ほぼ欠かさずに行っているのじゃないかな。今日の番組は、次のようなものでした。南斗「難波戦記〜関東総敗軍〜」、南華「赤穂義士外伝〜中村弥太之丞〜」「野狐三次〜やぁおまえさん、あたしを切ったね!!〜」。この2回、お手伝いに来ていた南斗くんが出番をもらい前座役。「難波戦記」の中でも聴いたことのないもの。関東の前田が、幸村の作戦で敗走する話なのですが、マクラを省くと、10分を切る短いもの。ひょっとしたら、南斗くんの新ネタで稽古中のものかもしれません。普段かまない南斗くんがかみたおしていましたから。南華させは、いつも近況報告をされながら、客席を暖めていくのですが、今日は、今後行われる会の宣伝に引っかけ、世間話をしてマクラにかえられたので、いつもと違うぞと思っていたところ、「中村弥太之丞」を聴いて納得。このネタ長いのです。このネタは、12月の「トリイ講談席」で、南華さんが出される予定にされているもので、今日が、人前での初めての口演。前半と言われた分だけで50分ほどかかっていましたから、このままで「トリイ講談席」にかけると、えらいことになってしまいます。人を殺し、赤穂をところ払いになった赤穂藩士中村が、江戸にやってきて、浅野家縁の男の世話で、仕事を始め、結婚もして、事が順調に運んでいるときに、刃傷が起こり、同日に妻も急死してしまう。義に厚い中村が、赤穂に目指したというところで終わりましたが、この話、討ち入りまであるそうで、なるほど長い。その煽りを受けたのが「野狐三次」と、聴きつかれた黄紺。どうやら妹と会うことのできた三次だったのですが、相撲応援に行っている間に、妹を取り返しに来られたなんていう流れだったようです。ようですというのは、うとうとと来てしまったということで、聴きつかれたのじゃないかと思っているわけです。これで、この会は、今年はおしまい。次回は3月に。時が経つのが、あまりに速い感じがしてしまいます。




2012年 11月 12日(月)午後 11時 35分

 新しい週が明けました。今週は、寝不足のまま明けました。最近、よく眠れるのですが、翌日から新たな週が始まるとなると、こうです。昼間はもっていたのですが、夜になると息切れ。そないななか行ったのはワッハの4階。今夜は「第4回生寿成熟の会」のあった日でした。若手の中で、好事家の期待大の噺家さんの一人生寿の会です。その番組は、次のようになりました。愛染「狸の恋」、生寿「千早ふる」、右喬「へっつい幽霊」、(中入り)、生寿「花筏」。愛染の高座に出会うのは初体験。なかなか腰の低いもの言いで、これ以上低いと、やらしさが出てくるかもしれないですが、語り口はしっかりしており、期待は頗る大きいと看ました。有望な若手が、また出現という感じです。「狸の鯉」は珍しい噺。ただ主宰者の生寿は、花丸からもらいネタにしている。生寿曰く「花丸師匠以外の人で聴く機会がないのでお願いした」、要するに「寝言でも言えるほど特異ネタにしている噺を他の人でも聴いてみたかった」ということで、敢えて愛染にリクエストを出したということですが、愛染はやりにくかったでしょうに、そないなところは微塵も感じさせない出来栄えでした。生寿の一つ目は、「ネタ下ろしではない新ネタ」ということで「千早ふる」でした。冒頭で、「娘が変なことを始めた」を受けてボケ倒すのは、ほとんど聴いたことのない運び。そのあとも、この調子かと思っていたら、その後はノーマルな展開で、ちょっと肩透かしでした。ゲスト枠は「上方落語界のテポドン」と言われる右喬。めったにゲストで喚ばれることのない人なんで、とっても貴重。マクラは絶好調。生寿との関係や、父親の会社で働くおかしな人たちで、会場をヒーヒー言わせてくれました。しかし、ネタが「へっつい盗人」だったものでがっくりきたのか、怖れていたこっくりが出てしまいました。一つには、会場の温度が高かったこともありましたが。そして、トリは「花筏」。当初は、「くっしゃみ」を予定していたそうですが、喉の調子が本当ではないとして、疲れるネタを避けますと言ってから「花筏」に入りました。これが、なかなかスケールの大きな出来上がり。小柄な身体全体で表現が行われているという感じでした。テキストをいじったりしての小細工一切なしで、このネタを聴かせることができるというのは、そうはないこと。提灯屋の徳さんのキャラ付けを磨き上げれば、格段の上昇が更に看られそうです。大器ぶりを示してくれた勉強会だったと思います。




2012年 11月 12日(月)午前 0時 17分

 今日は、雨の日です。そして、この秋、日本で観るオペラの日です。場所は、尼崎の「アルカイック・ホール」、演目は、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」。典型的なアンサンブル・オペラです。今日は、関西二期会の公演でしたが、いろんな意味で、とっても水準の高いプロダクションでびっくりしました。アンサンブル・オペラだったら、ホントどこに出しても恥ずかしくないということです。歌手の歌唱のレベル、演技のレベル、演出(松本重孝)の細やかな心づかいにこだわり、指揮(園田隆一郎)にオケ(ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団)もという具合で、どれをとっても、すごいなという感じだったのです。舞台は、中幕を使い、迅速な舞台転換を行っていましたが、時間的には5分程度で場面転換を行っていましたので、そんなにたいそうな装置を使っているわけではありませんが、屋内、庭など、十分雰囲気が出てました。少し舞台前に向かい坂になっている板を、舞台上に置くという、よくある趣向が採用されていましたが、ホリゾンド前は海になっており、男たちが出て行くとき、帰ってくるときは、その海を船が進んで行くようになっていました。「後宮よりの逃走」で、そのような装置を使っているプロダクションがありますね。その海に当てる太陽の耀きで、時間の経過を表していたのが秀逸で、この物語が、僅か1日の話であり、またドラベラが、どの当りで落ちてしまったのか、フィオルディリージが、どのあたりから心の揺れを口にし出すかを表しており、演出家のこだわりのようなものを見た気がしました。演出家のこだわりと言えば、先に落ちたドラベラのカップルは、かなり際どい進み方をしたことを、舞台上で表現しました。「コジ・ファン・トゥッテ」にも、見えない部分があるということを意識しての演出に感服です。これは、ドラベラのリードで事が進んだことを、もうちょっと強調して欲しかったなとは思いましたが。でないと、フィオルディリージの明確な心変わりを、影からグリエルモに見させさせ、落胆させるという演出は、矛盾をきたしてしまいますものね。歌唱面では、ドン・アルフォンソがしまっているのが、何をさておいても大きい。フィオルディリージは、モーツァルトが無謀とも思える音の流れを書いていますから、かなり割り引いて聴かなきゃならないでしょう。ソブラノに、破格の低音を要求し、しかも2オクターブほども飛ばして、その低音を要求するのですから、モーツァルトも罪なことをしたものです。デスピーナの声が硬かったかな。スープレットの細やかな動きと、硬めの音質が、ちょっと合わない印象を持ちました。とにかく動ける歌手陣に、動くことを細やかに要求した好演出、ここまで動けたら言うことなしじゃないかなぁ。今年は、もう一度、「コジ・ファン・トゥッテ」を観る機会があります。比較して楽しむなんて贅沢のできる年です。
 帰りは、息子のところにより、冬の旅行の準備。プリンターのある息子のところで、鉄道の早割チケットを買うという作業をしていました。昨春までよりか、会員登録、実際の切符購入に、いろいろと聞いてくることが増え、えらく難関になりました。傑作だったのは、登録名を適当に書けるのですが、忘れてしまいそうだったので、自分の苗字を入れたら、「既に登録されています」と出てびっくり。もちろん自分では登録していませんでしたから、外国の鉄道会社の会員登録でかぶってしまったってことです。トルコ語系の言葉を使うとかぶりそうだったので外したのですが、そっちの方はOKでした。なんだか、よく解りません。




2012年 11月 11日(日)午前 6時 29分

  一昨夜は、そんなに呑んでないのに、帰宅するとあえなくダウン。HPの更新作業などは、夜が明けてから。午前中がせわしくなりました。そして、11時をメドにお出かけ。昨日は、まず一心寺南会所で、毎月行われている「一心寺門前浪曲寄席」へ。今月は、芸術祭参加ということで、若手4人が、番組に名を連ねました。そのためか、大変な人の入り。落語会なんかの常連さんと顔を会わせると、「遅い!」と言われてしまいました。そんなに遅く行ったわけではないのですが、昨日は、間違いなく「遅かった」のです。なんか真山隼人くんが、たくさんの客を引き連れてきたという話も伺いました。で、番組は、次のようになりました。真山隼人(真山幸美)「嗚呼吉田松陰」、春野恵子(一風亭初月)「高田馬場」、幸いってん(沢村さくら)「千人坊主」、菊地まどか(沢村さくら)「阿波の踊り子」。昨日は、それぞれ1回は聴いたことのあるネタが続いたのですが、聴きたおしたというものではなかったのは幸いしました。真山隼人は、声にちょっと切れがなかったなぁ。疲れた声をしていました。どうしたのでしょうか。「嗚呼吉田松陰」というネタも、松蔭の生涯を、オムニバス風につまみ食いしたもので、テンションの維持というか、テンションの波の配置が難しいネタ。浪曲で、ときとして看られるネタの構成。その辺に、足下を掬われたかもしれません。それに対し、声の好調さを印象づけたのが春野恵子。「高田馬場」は、18人斬りという中山安兵衛の物語。冒頭は、呑んだくれから始まり、素に返り高田馬場に駆け付け、叔父の仇を討つという変化が大きく、スピード感が求められる。おまけにちゃっかりと、堀部の母娘との遭遇話も挟んでいる。そういった意味でも、良かったんじゃないでしょうか。緊張感溢れるネタが続く中で、幸いってんが挟まると、いい色変わりになります。幸枝若節の後継者、よくぞ生還してくれました。「千人坊主」は左甚五郎もの。甚五郎を抱える大久保彦左衛門と薩摩の島津の殿さんが、意地の張り合いをして遊んでいる。小さい板に「千人坊主」を掘れる掘れないで。結論は、またのお楽しみというのは幸枝若風。菊地まどかの声は、只者ではありません。若手4人が並ぶ中でも抜けてます。ネタの「阿波の踊り子」は、春野百合子からもらったものとか。職人の許嫁に一目惚れをした阿波の殿さんが横恋慕。それに抵抗する男。最後は、身分を超えた声が殿さんを突き動かしとするほどの単純さではないものを、殿さんの心情に感じさせる余韻が残るのがいいですね。でも、その余韻って何なのでしょうね。いい作品に、いい演者に堪能しました。
 浪曲寄席が終わると、天王寺に向かい、駅近くのネットカフェで時間調整。そして、環状線で「福島」に移動。これが、一番安上がりな移動方法。夜は、ABCホールであった「Sunday」の公演「グルリル」に行ってまいりました。秋たけなわ、関西小劇場界を代表する劇団が、立て続けに公演を打ってくれるものですから、観る方も大忙しです。ところが、この芝居が難解。舞台には、柱ほどの木材の木組みが、幾つも置かれている。役者全員が、その間を目まぐるしく動き、芝居は進行する。最後まで、誰一人も退場することはない。その動きの中で、照明が使われているところが、芝居が進行しているところ。役者が、手持ちの小ライトを使い、照明にするという初めて見る手法も取られていた。次に芝居の進行だが、これが、なかなか解らない。プロットのようなものが、どんどんと投げ掛けられるという形で、前のプロットと次のプロットの間に連関性があるわけではなく、いったい何が起こっているのかが解らず、そのため眠くなってくる始末。ですが、最後の方で解ったような気がしました。このプロットって、一人の人間の、いやもう一組の夫婦の物語なのではないかなということ。物語を分解して分解して、それの継ぎ接ぎで、役者も、一人を複数で演じてきたということも解ってきたような気がしました。序盤、抽象的な言葉が羅列されます。中でもキーワードは、「瞬間」「始まりと終わりの中間を生きる」。「瞬間」が、分解されたプロット、「中間を生きる」が、物語として語られた一人の人間と一組の家族の物語か。だから、この芝居、たいそうな芝居じゃなく、芝居の作り方を、物語の表現手法を楽しむ芝居と見つけたつもりになっています。ということが解ったつもりになり、やっと最後近くになり、目が冴え渡る感覚を持つことができました。そんなだからでしょうか、関西小劇場界でメジャーな劇団にしては、入りが良くはありませんでした。




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